IS-サクラサクラ- (王子の犬)
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菊水二号作戦
菊水二号作戦(一) 遺書


転生物に初挑戦しました。うまく書けているかどうかわかりませんがよろしくお願い致します。


零式艦上戦闘機六二型(A6M7)

発動機空冷一一三〇馬力

全備重量三一五五キロ

最大速度時速五四二.六キロ(高度六四〇〇メートル時)

武装

 ・九九式二号二〇ミリ機銃 二挺

 ・三式一三.二ミリ機銃 三挺

 ・二五〇キロ爆弾 一発

乗員一名

 

 

 遺書

 謹啓 春日の候、兄上様におかれましては、相変わらず御壮健にてお暮らしのことと拝察致します。私も九州の地で元気に軍務に精励しております。

 この度、攻撃命令を拝して、出撃することになりました。日本男子としての本懐これに過ぐるものは御座いません。

 さほど孝行もせず、いつも私のわがままを許してくださった兄上様、義姉上様に御礼申し上げます。

 私の給金を貯めたものが少しあります。他人に頼んで御送り致します。何かの足しにでもしてください。皆様にはよろしく、と御伝えください。

 では靖国へ参ります。

  昭和二〇年四月一〇日

  佐倉征爾様

 

 

 佐倉(さくら)作郎(さくろう)少尉は万年筆を置き、深く静かに息を吐いた。外はザアザア降りの雨。出撃はなかった。

 兵舎の中で飛行服に身を包んだ彼は、少年時代に東京の親戚からもらった万年筆を大切そうに筆入れにしまい、遺書を入れた箱の中へ納めた。この万年筆は見事散華(さんげ)が果たされた暁には、故郷の兄の元へ遺書と共に送られる手はずになっていた。

 大粒の雨が屋根を叩く。遺書を書き終えたためか、心の中は空っぽになっていた。たまらなく物足りなかった。出撃命令による感情の興奮があるかと思えば、雨と共に洗い流されてしまった。万年筆が文字に魂を込めた。情けないほどに弱々しい自分を見た。勇んで敵と立ち向かった兵士ではなく、ただの人だった。

 感情の発露はなく、台湾でB-24やP-38相手に死にものぐるいで戦ったことを思い出せば、遺書を書いたからと言って、感情に流されるような生ぬるい鍛え方をされてこなかったはずだ。

 佐倉家の末っ子だった作郎は親の顔を知らない。両親は彼が物心つく前に肺炎が元で亡くなっている。そのため一五歳上である長兄の征爾(せいじ)が親代わりだった。征爾が当時勤めていた会社の取引で東京に出張した際、作郎もついて行き、叔父の家で何泊かしたことを覚えている。叔父は口数の少ない征爾を気に入っていて、彼の口添えで義姉である佳枝(よしえ)を妻に迎えた。今になって思い返せば、あの出張は征爾の見合いを兼ねていたのである。

 作郎は台湾から今の基地に転属する直前、一度休暇をもらって実家に帰っていた。そのとき、親戚や知人宅を挨拶して回っていた。台湾では迎撃任務についており、ひとたび九州の地に赴けばその身を弾丸として男子の本懐を遂げるつもりだった。故に思い残すことがないよう今生の別れを済ませてきたのだ。

 このとき、征爾や知人たちは作郎の様子が「普通ではない」ことを感じ取っていた。海軍に入ってからさほど文を寄越さず、ただ「生きてます。戦闘機搭乗員は食事がおいしいです」とだけ伝えるような男が改まった様子で訪れたから、みんな悪い予感に駆られていた。だが、それを口にすることは(はばか)られてしまった。思い出話に話を咲かせ、普段通りに去るのを見届けたにすぎなかった。

 兵舎の中を見回す。作郎と同じく爆装での出撃を命じられ、攻撃延期により手持ちぶさたとなった山田一飛曹も持参したノートに遺書と思しき日記をつけていた。作郎は邪魔してはいけないと考えて静かにしていたが、不意に外からバタバタとした忙しい足音が聞こえ、入り口に向けて視線をずらした。

 

「ひゃーびしょ濡れだなあ」

 

 童顔の男は明るい口調でぶつぶつ言いながら、何やら包みを抱えている。水濡れを嫌ってか分厚い布で包み、その下から油紙でくるんだ四角い物体を取り出していた。

 

布仏(のほとけ)分隊士(ぶんたいし)

 

 作郎の声に布仏少尉が振り向く。作郎から差し出された手ぬぐいを使って雨露を(ぬぐ)った。

 

「ありがとよ。弓削(ゆげ)大尉からいいもん借りてきたぞ。おい。お前らも来いよ」

 

 布仏少尉がにっこりと笑みを浮かべながら、奥にいた隊員を呼んだ。革張りのケースから二眼レフカメラを取り出して机に置いた。

 

「そのカメラは大尉の私物か?」

「ああ。満州製の二眼レフだぜ。ちょっとした撮影には十分だろうよ」

 

 布仏少尉は慣れた手つきでカメラに触れて、周囲に人だかりができるのも構わずに撮影の準備をしていた。作郎は彼の無邪気な表情を見つめながら、その背中に声をかける。

 

「カメラの扱いに慣れているんだな」

「実家でね。小憎らしい兄貴や更識(さらしき)のお坊ちゃんに教えてもらったんだ」

 

 布仏少尉は手先が器用な男で作郎たちが集まってきても気にならないのか、目を輝かせながらカメラを手にとって眺めている。

 布仏少尉の実家は何人も陸軍将校を輩出した名家で、兄が関東軍の高級参謀である。しかし彼は親兄弟と折り合いが悪く、兵役が嫌でたまらなかったそうだが、幸い学業で優秀な成績を修めたため東京の大学へ行き徴集延期を頼りに学生生活を送っていた。しかし、戦局の悪化による武器不足や兵員不足が危惧される中で、昭和一八年一〇月二日に公布された在学徴集延期臨時特例により、満二〇歳に達した学生・生徒は徴集されることになり、一〇月二一日には雨天にも関わらず東京都四谷区(昭和一八年七月一日に都制へ移行)の明治神宮外苑(がいえん)競技場で出陣学徒壮行会が実施された。布仏少尉も雨の中にいた。この時初めて東條(とうじょう)英機(ひでき)首相を目にしたと語った。

 布仏少尉は陸軍ではなく海軍を選んだが、特に強い理由はなかった。実家の影響力が少ないところに行きたかったようだ。

 作郎とは本来住むべき世界が違う男だった。どういうわけか昭和一九年の一月に台湾で知り合って以来、何かと縁があって同じ基地に配属されていた。速成教育だが飲み込みが速く、予科練上がりの作郎から見て、とても腕が立つ優秀な男である。

 この基地に配属となってから作郎と布仏少尉は既に二回爆装零戦で出撃していた。「爆戦」とも呼ばれる零式艦上戦闘機六二型の腹に二五〇キロ爆弾を抱き、勇んで出撃したまでは良かった。しかし敵艦艇を発見できなかった。一航艦(第一航空艦隊)司令長官大西(おおにし)瀧治郎(たきじろう)海軍中将をして「統率の外道」と言わしめた攻撃は空振りに終わっていた。

 ただ、特別攻撃隊が出撃すれば必死だとは必ずしも言えなかった。作郎たちのように何度も空振りに終わることがよくあった。無事に基地へ舞い戻ってほっとする代わりに、何とも言えない居心地の悪さを感じてしまう。

 既に生き残ろうとも逃げたいとも考えなくなっていた。作郎は特別攻撃隊に任命されてからも時々直掩として空に上がり、仲間が散華するのを目にしていた。本心を言えば特攻以外で出撃するのは嫌だった。だが、あまり何度も断るのも居心地が悪く、空に上がらざるを得なかった。

 

「よし。搭乗員を集めて集合写真を撮ろうか」

 

 布仏少尉が顔を上げて言った。山田一飛曹と夜竹飛長を捕まえ、皆を呼ぶように告げた。

 

「現像は弓削大尉がやってくれる。大尉に頼んでおけばいい具合に仕上げてくれるさ」

 

 そう言って布仏少尉は屈託のない笑顔を見せた。

 

「夜竹飛長」

 

 作郎は兵舎を出ようとした夜竹飛長を呼び止めた。振り返った彼に向かって、

 

手隙(てすき)の偵察員がいたら呼んできてくれ。分隊士ばかりにシャッターを切らせるのもいかんだろ」

 

 と言った。せっかく写真を撮るなら逝きそびれた隊員全員を写さなければと思った。

 結局、集合写真は弓削大尉が撮影した。直掩と爆装を担当する総勢二四名もの搭乗員と数名の偵察員が一同に会すことになり、作郎は分隊士という立場もあって前列中央に陣取っていた布仏少尉や偵察隊の連城(れんじょう)中尉の間に挟まれる形で写った。

 兵舎の中はちょっとした(にぎ)わいを見せていた。

 弓削大尉が写真の腕を披露できて満足げな表情だった。大黒様のような顔つきをしており、大学出の布仏少尉とよく話をしていた。作郎のことは大飯食らいだと認識しており、出撃前の壮行会でも飯の話ばかりしていた。

 写真はその場にいた者全員に現像したものを家族に渡すと弓削大尉は約束した。その言葉を聞いて、作郎や布仏少尉は「よろしくお願いします」と深く頭を下げた。死ぬ間際の写真を残せたことで、彼らは淡い満足感に浸っていた。

 

 

 夜になると小雨になり、直に天候が回復すると教えられた。

 壮行会は昨日のうちにすませており、出撃までもう時間がないと考えずにはいられなかった。食事は質素であり、米に味噌(みそ)を塗った焼きおにぎりと野菜の煮物だった。食糧難に陥った南方の事を考えれば米が出るだけ恵まれていた。その米も特別攻撃隊だからこそ支給されたという事実を作郎は知っていた。

 雨が上がって無性にタバコが吸いたくなった。火は点けられなかった。しかたなく諦めた。

 海の向こう、沖縄の地では同じ兵士が戦っていることを思い浮かべ、我慢することにした。出撃前に一本もらえるかもしれない、と思った。

 沖縄では米軍が四月一日から沖縄本島への上陸作戦を開始しており、四月五日に聯合(れんごう)艦隊も菊水作戦と連動させる形で戦艦大和以下第一遊撃部隊の出撃を下令した。

 第一遊撃部隊所属艦艇は次の通りである。

 ・第一戦隊 戦艦大和(やまと)

 ・第二水雷戦隊 軽巡矢矧(やはぎ)

  ・第四一駆逐隊 冬月(ふゆづき) 涼月(すずつき)

  ・第一七駆逐隊 磯風(いそかぜ) 浜風(はまかぜ) 雪風(ゆきかぜ)

  ・第二一駆逐隊 朝霜(あさしも) 初霜(はつしも) (かすみ)

 なお、対潜掃討隊として第三一戦隊に所属していた三艦艇(花月(はなづき)(かや)(まき))は瀬戸内海離脱後、命令で反転帰還している。

 四月六日に第一遊撃部隊は徳山沖を出撃した。続く七日早朝、朝霜が機関故障のため艦隊から落伍(らくご)。この数時間後、朝霜は「ワレ敵機ト交戦中」の無電を飛ばす。そして「九〇度方向ヨリ敵機三〇数機ヲ探知ス」との無電連絡を最後に連絡を途絶した。ほどなくして大和以下の各艦も対空戦闘に突入した。

 坊ノ岬(ぼうのみさき)沖で発生した海戦により冬月、涼月、雪風、初霜を除く所属艦艇が沈没並びに砲雷処分され、翌八日には佐世保(させぼ)軍港に帰投している。これを以て聯合艦隊は事実上壊滅した。

 この沖縄水上特攻によって約四〇〇〇名が戦死している。だが、菊水作戦は、沖縄来攻の米軍に対して特攻を含む航空攻撃を目的とするものである。つまり作郎ら特攻隊員たちの任務は依然として継続していた。

 弓削大尉から明後日には天候が回復すると予測しており、おそらく出撃命令が下るだろう、との話を聞いた作郎は空虚感にいたたまれなくなって宿舎へと足を運んだ。

 宿舎への入り口に近づいたとき、突然何者かが道に飛び出してきた。作郎はおどろき、誰何(すいか)しようと口を開いた。

 

「ここは士官の来るところではありません」

 

 だが、先に声を上げたのは両手を広げて道を(ふさ)ごうとした男だった。

 声からして夜竹飛長だと分かった。

 

「夜竹。私だ。佐倉だ。こんなところで何をやってるんだ」

「……なあんだ。分隊士でしたか」

 

 夜竹飛長は作郎だと気付いて安心したのか、ほっとしたように気の抜けた声を出した。

 

「分隊士ならいいんです。もし士官が来たら止めるように布仏少尉から頼まれて番をしていたんですよ」

「布仏が?」

「ええ。士官には彼らの姿を見せられませんから」

 

 夜竹が体を横向けて、道を空けた。作郎は狐に包まれたような顔をしてドアを開け、搭乗員室へ入った。

 薄暗い部屋だった。電灯も無かった。大部屋の真ん中で見慣れた兵士たちの姿を見つけた。昼間、集合写真を撮りながら笑い合った者たちが肩をよせあってあぐらをかいていた。全員が無表情だった。

 入り口で立ちつくしていた作郎に全員の視線が集まる。その中に布仏少尉もいた。作郎は虚ろな瞳だと思った。

 隅っこで偵察員など特別攻撃隊以外の搭乗員が遠慮しながら身を寄せ合っていた。

 思わず(きびす)を返し、入り口の番をしていた夜竹飛長に聞いた。

 

「真ん中にいるのが特攻隊員です。隅っこにいるのが偵察隊をはじめとしたその他の隊員です」

 

 夜竹がうつむきがちに言った。

 

「だから布仏もいたのか」

 

 作郎が納得したように相づちを打った。夜竹飛長は魚の骨が歯間に詰まったかのようにもどかしそうな表情になった。

 

「分隊士も明後日に出撃では」

「私は……いいんだ」

 

 作郎も宿舎の真ん中にいて然るべきだった。しかし、布仏少尉たちの鬼気迫る表情を見て、作郎は彼らの心中をのぞいた気持ちになっていた。

 目をつむれば死の恐怖に押しつぶされそうになるのが分かった。自分の行動を勇気あるものと飾り立てようとすればするほど、所詮(しょせん)は爆弾を抱き、死ぬために突入する現実とぶつかった。正直に言えば怖かった。

 作郎は格闘戦が下手だった。他の隊員と比べて腕が劣っていたわけではない。だが運が悪かった。よく撃墜され、何度も不時着したり落下傘で脱出した。列機もよく墜とされた。火の玉になって爆発した。作郎を残してみんな死んでしまった。

 灯火管制により辺り一面が闇に包まれている。空を見上げれば月と星が見える。天の河も見えた。遠く、沖縄の方角に目を向ける。空がほんのりと赤かった。

 

 

 



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菊水二号作戦(二) 出撃

 菊水一号~二号作戦(1945/4/6~4/15)までの天気図をインターネット上で閲覧できるとよいのですが、どなたか情報を持っていないでしょうか。
 国立公文館アジア歴史資料センターから資料を閲覧していたのですが、天気図を見つけられませんでした。探し方が悪かったのか。それともやはり図書館で資料を漁らないとだめなのか……。


 沖縄作戦間の天気経過 摘要

 地名:九州地方、並びに沖縄地方

 期間:昭和二〇年四月九日から一二日

 

 九日、台湾低気圧発生。

 一〇日、台湾低気圧が北東へ進む。

 一一日、寒冷前線南下。

 一二日、移動性高気圧圏内に入る。

 

 

 作郎は緊張の余り夜明け前に目が覚めた。眠気覚ましとして外の風に当たろうとした作郎に向かって元気の良く声をかける者がいた。大黒様のようにふくよかな耳が見えた。作郎は弓削大尉だと分かって思わずかしこまった。

 

「おはようございます」

「おはよう。早いね。もう少し休んでいても構わないだろうに」

「いえ、目が覚めてしまいました」

 

 作郎の答えに弓削大尉はにこにこしたまま口を開けた。

 

「佐倉分隊士。先日私が撮影した写真があったろう」

「はい。……もしかして、もう現像されたのですか」

 

 我が意を得たり、と弓削大尉が笑った。現像室を借りて一枚焼いたと答えた。

 

「出撃前に見せておきたくてね」

 

 そう言いながら脇に抱えていた冊子を開いてみせた。そこには作郎を含めた搭乗員の顔が写っていた。みんな笑っていた。

 作郎は目を丸くして、弓削大尉の顔を見つめた。そんな作郎の姿をにこにこしたまま見つめ返す。

 

「その一枚は君にあげよう。みんなに見せてきなさい」

「大尉……ありがとうございます」

「礼はいいよ。出撃前にまた写真を撮るつもりだからね」

 

 じゃあよろしく、と告げて大尉は自分の宿舎へと戻っていった。作郎はその背中に敬礼してみせた。

 作郎が宿舎にとって返すと、布仏少尉や夜竹飛長も目を覚ましていた。夜竹が大きなあくびをしてみせた。

 

「布仏。起きてたのか」

 

 作郎の声で振り返った布仏少尉は、小用を済ませたのかすっきりとした顔つきだった。寝具を畳み、飛行服を身につけようとしていた彼は作郎の姿を見て朗らかな挨拶をした。そして、作郎の頬が緩んでいることに気がついて話しかけてきた。

 

「佐倉こそ早いな」

「ああ。早くに目が覚めてしまった。さっき外で弓削大尉に会って、これをもらったよ」

 

 作郎は先ほど弓削大尉から手渡された写真を見せた。

 

「もう焼いたのか」

 

 布仏少尉が目を丸くした。が、すぐに弓削大尉が急いだ理由に思い当たって口をつぐんだ。

 無言で飛行服を着込み、作郎を見た。

 

「ちょっと借りるぞ」

 

 そう言ってひょい、と作郎の手から写真を取り上げた。

 作郎は写真を見つめる姿を尻目に、自分も飛行服を身につけた。実家に帰った際に兄からもらい受けたマフラーを取り出す。二、三秒の間だけじっと見つめた後、無言で首に巻き付けた。

 そのまま布仏少尉の方を振り向く。彼の周囲には夜竹飛長や連城中尉の姿があった。

 後ろからのぞき込む。彼らは写真を回し見ていた。そして口々に「誰々が変な顔をしている」と茶化しあった。夜竹飛長が一番変な顔として指さした先には作郎の顔があった。

 

「夜竹……」

 

 作郎は夜竹飛長の背後に立つと、腹の底から低い声を出した。

 

「うおっ! 分隊士! いたんですかっ!」

 

 その声に夜竹が慌てて振り返るなり、布仏少尉に写真を押しつけた。

 

「さっきから後ろにいただろうが」

「気付きませんでした!」

「この写真で誰が一番間抜けな顔をしていたか言ってみろ」

「は! 佐倉分隊士です!」

「正直者め。後で晩飯を分けてやる」

 

 するとアハハ、と布仏少尉が声を上げて笑った。

 

「佐倉はこんなときでも飯のことばかりだな」

「馬鹿野郎。飯以外に楽しみがあるかってんだ」

 

 作郎は基地で一番食い意地が張っていると言わしめたほど、よく食べた。海軍で空中勤務を選んだ理由が搭乗員には特別食が振る舞われることを東京の叔父から聞いたためである。農村出身の末っ子のため、継ぐ家がなかったというのもある。だが、やはりうまい食事の方が常に頭にあった。

 布仏少尉が写真を作郎の手に返した。そのまま写真を遺書の入った箱に収めて振り返ると、彼は口角をつり上げたような笑顔を見せて口を開いた。

 

「写真を見せてもらってありがとうな」

「……礼を言うなら弓削大尉に言ってくれ」

「ああ。そうする」

 

 そのまま(はかな)げに微笑んだ。

 

 

 出撃の時間になって基地上空の太陽に(かさ)がかかっていた。暈は太陽や月に薄い雲がかかった際に、その周囲に光の輪が現れる大気光学現象を指す。暈は低気圧の接近に伴って発生することが多く、太陽や月に暈がかかると雨が近いと言い伝えられていた。

 飛行前打ち合わせが始まる少し前に、作郎は酒保(しゅほ)(旧日本軍の基地・施設内に設けられた売店)を訪れ、航空配食にするべくちゃっかりサイダーやおはぎを入手していた。沖縄沖までの飛行なので、片道特攻になると思われたがやはり腹が減ることを考えて、機内に食料を持ち込もうと考えた。このとき作郎はどうせあの世行きという観点から、不時着用の航空口糧(こうくうこうりょう)を食べるつもりでいた。

 飛行前打ち合わせでは、基地から出撃するのは爆装零戦(零式艦上戦闘機六二型)一六機と直掩八機という構成だった。これはしばらく空振りや機関不調、天候不順が続いたために菊水一号作戦に参加するはずだった搭乗員が生き残っていたためである。なお、他の基地から特攻機として爆装零戦、桜花、九七式艦攻や陸軍の振武(しんぶ)隊らが駆る爆装一式戦((はやぶさ))、九九式双軽、九九式襲撃機、四式戦(疾風(はやて))など多種多様な航空機が参加することになっており、約二〇〇機が沖縄沖の米軍艦艇へ特攻する手はずになっていた。この四月一二日から一五日にかけて行われた本作戦は、海軍では菊水二号作戦、陸軍では第二次航空総攻撃と呼ばれている。

 作郎は担当の整備員とともに飛行前点検を行った。赤い文字で「ノルナ」と描かれ赤い線で区切られた場所を踏まないように注意しながら、左主翼に足をかけ、ラッチを引いて真ん中の盛り上がった風防(ふうぼう)をずらして操縦席に乗り込んだ。尻が痛いのは嫌なので落下傘(パラシュート)を操縦席に敷く。腰を浮かせたり沈めたりして場所を調整した。そのときカメラを持った弓削大尉が近づいて作郎に声をかけた。

 

「佐倉分隊士」

 

 飛行場の中はとても騒がしかったが、弓削大尉のよく通る声を聞いて作郎はそちらを振り返った。すると弓削大尉は手振りでレンズを見るように示した。数秒でその意味を理解した作郎は二眼レフカメラのレンズをまっすぐ見つめた。シャッターが降りた。弓削大尉がうまく撮影できたことを身振りで示した。

 弓削大尉が別の零戦に向かって歩き出すのを見届けてから、フラップの動きを確かめてから電源スイッチを入れた。無事にスイッチが入ると、一旦電源を落とした。次に舵と操縦桿の動きを確かめる。機体から降りて外部の状態も確かめた。途中フラップが降りているかどうかを目視確認して整備が万全であること認識した。

 発進準備を済ませた作郎の機体を、整備員がイナーシャと呼ばれた始動装置を回した。そして自機の周りに人がいないことを確認して、

 

「コンタクト!」

 

 と叫び、頭上でサイダーの瓶をつかんだまま右手を振り回した。

 プロペラが回り始めた。そのまま足で操縦桿(そうじゅうかん)を手前に巻き込む。安全ベルト、計器類を確認した。エンジンの状態が良好だったのでそのまま滑走路に機体を移動させた。

 

 

「あの曹長め……」

 

 航空口糧を食べ尽くし、おはぎを腹におさめた作郎はサイダーをあけた。発進準備の際に振り回してしまい、炭酸水が勢いよく飛び出すものと覚悟していたら、瓶の中にビー玉が落ちて気のない音が聞こえたにすぎなかった。

 酒保を仕切っていた主計兵曹長から出撃祝いとして入手したサイダーは不良品なのか、気が抜けていた。

 仕方なくサイダーを胃に流し込む。ふと右に視線を移すと、列機の搭乗員が風防越しに笑っていた。

 作郎をはじめとした特別攻撃隊一六機の担当は沖縄本島の北西から西にかけての戦域である。地平線の遙か向こうにポツン、と小さな沖縄本島の島影を見えた。沖縄本島上空では雲が出ており、その切れ目から無数の花火が打ち上がっていた。

 爆装零戦一六機のうち松本中尉の編隊に所属する二機が機体不調のため、基地へとって返していた。

 途中、鹿屋(かのや)基地から出撃したと思われる一式陸攻と零戦の編隊と遭遇する。一式陸攻のくびれのないその腹には小判鮫(こばんざめ)のように、灰色に塗られた魚雷の真ん中に日の丸が描かれ、小さな羽を生やした一風変わった航空機が搭載されていた。一二〇〇キロ徹甲(てっこう)爆弾を搭載し、三本の固体ロケットエンジンを推進器とした有人特攻兵器「桜花(おうか)」である。折しも作郎は鹿屋(かのや)基地の第三神風特攻神雷桜花隊に出会(でくわ)していた。

 左前方を飛んでいた布仏機が機体を左右に振り、主翼をバンクさせた。一式陸攻の直掩機が返礼として主翼を振る。一式陸攻の風防の中で搭乗員が手を振った。

 作郎たちの方が身軽なため、陸攻隊を追い越す形で飛んでいた。

 沖縄本島を北西に進んで約一〇〇キロの海域。レーダー監視任務についていた米海軍アレン・M・サムナー級駆逐艦マナート・L・エベール(Mannert L. Abele)イングリッシュ(English)、随行していたLSMR-188級ロケット中型揚陸艦(ようりくかん)LSMR-189、LSMR-190を発見した。

 駆逐艦の周囲をまとわりつくように飛ぶ陸軍の九九式双軽(九九式双発軽爆撃機)が対空砲火を避けつつ突入の機会を狙っていた。先導していたはずの海軍機の姿はなかった。おそらく撃墜されたものと考えられた。

 

「あっ……」

 

 作郎が声を上げたとき、九九式双軽が小さな火を噴く。海面に墜落した。

 

 

 




架空戦記要素が入っています。
会敵する駆逐艦が史実と異なります。


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菊水二号作戦(三) 突入

 昭和二〇年四月一二日 一四時三七分

 

 編隊が高度を下げた。

 目標は敵駆逐艦と揚陸艦である。徐々に海面が近づいてくる。直掩機のうち二機が高度を維持したまま増速した。チャフと呼ばれる、電波を反射する銀箔(ぎんぱく)を貼った模造紙を散布するためだった。その効果は疑問視されていたが、特別攻撃の戦術として採用されていたことや米軍のレーダーを警戒し、特攻の成功率を高める意図があった。

 

「よーし。行くぞ……」

 

 作郎は自分に言い聞かせる。駆逐艦マナート・L・エベールまで一五キロの距離に迫ったとき、三八口径五インチ連装砲による対空砲火が上がった。作郎たちは知るよしもなかったが、炸裂砲弾にはVT信管(Variable-Time fuze)が使われており、例え目標に直撃しなくともその近辺で爆発することにより、砲弾を炸裂させ目標物に対し損害を与えることができた。作郎は経験的に恐ろしく精度の良い対空砲火という認識でいた。

 爆音の中、四秒おきに炸裂音を聞いた。作郎はすぐさま回避を試み、ダズル迷彩に塗装されたマナート・L・エベールを左方に睨みつけながら必死に操縦桿を操った。砲弾炸裂後の煙を目視しつつ、ちょっと振り返って列機がついてきているかどうか確かめようとした。作郎が叫ぶ。

 

「畜生ッ」

 

 三番機が至近距離で炸裂した砲弾の破片を受けて、バーン、と大きな音を立てた後、燃料に引火して()ぜる。火の玉になって海面に落下した。

 激しい対空砲火に恐怖する。そして無念さを感じたが、それも一瞬だった。

 四十院飛長の四番機が三番機の後を埋めた。作郎の任務は体当たり攻撃を成功させることだが、困難を極めると予想していた。たかが駆逐艦なれど、アレン・M・サムナー級駆逐艦はフレッチャー級駆逐艦の拡大改良型として建造されたため、対空兵装として三八口径五インチ連装砲三基六門、四〇ミリ機銃一二門、二〇ミリ機銃一一門を有する火力は十分すぎるほど脅威となった。それ以外にも対水上艦用に五三三ミリ魚雷発射管一〇門、対潜水艦用にK砲(片舷用爆雷投射機)六基、爆雷投下軌条二軌といった装備を施していた。もちろん欠点も存在し、重量増加による予備浮力不足や艦首の凌波性(りょうはせい)が悪く、航続距離が短い点である。

 苛烈(かれつ)な対空砲火が続いていた。揚陸艦の三八口径五インチ単装砲も火を噴いた。爆煙が空に立ちこめ、作郎や布仏少尉、松本中尉も列機とともに対空砲火の有効射程圏内で綱渡りの操縦を続けていた。松本中尉の三番機が空中で爆散する。つづいて、布仏少尉の二番機を勤めていた山田一飛曹の機体がマナート・L・エベールの四〇ミリ機銃に捉えられた。かろうじて息のあった山田一飛曹は、右翼をもぎとられながらも機体を錐揉(きりも)み回転させつつ艦の右舷に突入し、機関室後方で爆発した。

 機関室に損傷を受けたマナート・L・エベールの行き足が止まった。そして炎上。爆発により艦の電気系統を断ち切られた。竜骨が折れて艦の制御喪失を悟った艦長はすぐさま(かじ)を手動操作に切り替えたが、スクリューが破壊されたためにその場から動けなくなってしまった。しかも機関室への浸水が始まっていた。また、三八口径五インチ連装砲の砲架が使用不能になったことから対空砲火は大幅に威力を減じていた。

 少し離れた場所で激しい爆発を目にしたイングリッシュが僚艦を守るべく、対空砲火を密にした。松本中尉の機体が四散し、つづいてその二番機も二五〇キロ爆弾に四〇ミリ機銃を受け、自爆して果てる。

 作郎らはマナート・L・エベールの前に立ちふさがる揚陸艦を狙っていた。

 

「佐倉分隊士、お先に!」

 

 爆音に負けまいと、作郎の三番機を勤めていた四十院飛長が大声で言い放った。鋭く右旋回しながら機首を落とし、LSMR-189に向かって飛び込む。だが、一瞬早く四〇ミリ機銃二門と二〇ミリ機銃三門、三八口径五インチ単装砲一門から成る砲火に呑み込まれ、風防を突き破った砲弾により四十院飛長の体は痛みを感じることなく破壊され、機体が海面へと突っ込む。二五〇キロ爆弾が起爆し約二〇メートルもの高さの水柱が飛沫を上げた。起爆地点が揚陸艦から離れていたため、艦に水飛沫(みずしぶき)が降り注いだに過ぎなかった。

 

 

 昭和二〇年四月一二日 一四時四三分

 

 炎上する駆逐艦が目印の役目を果たしていた。

 第三神風特攻神雷桜花隊に所属する三機の一式陸攻は高度六〇〇〇メートルから急降下しながら桜花の初速を稼いでいた。電信員兼副偵察員が「桜花発進」を鹿屋基地に打電。機長が投下信号を桜花搭乗員に送り、切り離しスイッチを押す。桜花発進のブザーが鳴った。しかし一式陸攻の機体が浮き上がらない。故障だと悟った機長は、すぐそばにいた電信員兼副偵察員に向かって手動での切り離しを指示。すぐさま前部偵察員席の階段に走り、思い切り手動切り離しレバーを引いていた。

 彼は躊躇(ちゅうちょ)しなかった。桜花の搭乗員から形見を託された事は、このとき彼の頭から消え失せていた。

 桜花は滑空し放物線を描いて降下した。三本の固体ロケットエンジンを一本ずつ点火していき、時速八〇〇キロメートル以上に達した。そのまま海面で匍匐(ほふく)前進を行うような超低空を飛行し、マナート・L・エベールから見て右舷後方から猛然と迫った。

 甲板で消火活動に当たっていた兵士が凄まじい速度で突撃する桜花に気付いて声を上げる。四〇ミリ機銃と二〇ミリ機銃で対応を試みたが、あまりにも速すぎた。

 桜花が喫水線付近に吸い込まれる。艦全体が激しく揺さぶられた。この突入により中央区画が弾薬庫と共に消失し、艦は前後に切断された。先に艦尾部分が沈没し、後を追うように艦首部分も沈没した。

 残る神雷桜花隊は攻撃の手をゆるめなかった。

 今度はイングリッシュに向けて二機の桜花が立て続けに驀進(ばくしん)した。が、そのうち一機は三八口径五インチ連装砲により搭乗員ごと風防を破壊され、突入直前、機首がわずかに上向いたかと思えば、イングリッシュを飛び越して海面を跳ねるようにして水を切り、そのまま海中に沈んだ。

 もう一機の桜花はイングリッシュの艦首に突入した。突入の衝撃により桜花の主翼や尾翼、操縦席はバラバラに粉砕され、搭乗員は即死した。だが、あまりにも突入速度が速すぎて貫通してしまい一二〇〇キロ徹甲爆弾は不発に終わっていた。

 イングリッシュたちの受難はこれで終わらなかった。桜花の紫色の噴煙を見るや、高度を上げて突入経路を空けていた爆装零戦隊が突入を再開したのである。

 被弾による負傷や故障が原因でさらに三機が戦域を離脱していた。布仏少尉や作郎を含めた五機が戦闘を継続していたが、彼らの機体は既に基地へ戻るための燃料が残っていなかった。

 

「これで俺も(つい)に……」

 

 布仏少尉は浸水により艦首が沈み始めたイングリッシュを見下ろしてつぶやいた。彼の脳裏に第一四代目更識楯無や関東軍高級参謀である兄、布仏(するぎ)大佐の人を駒のごとく扱う冷酷な瞳を思い浮かべた。布仏少尉の本名は(じょう)である。名前に反して激烈な戦場に身を置いた彼は一心に死に場所を探し、己の死を以て生家と主家へ意趣返しを望んだ。同時に自分が死んだところで兄や楯無が悲しむことはないと確信していた。

 列機をまとめた布仏少尉は、「ついてこい!」と気勢を上げながらイングリッシュの左舷上方から急降下した。

 イングリッシュは電気系統の一部をやられたのか、艦首側の三八口径五インチ連装砲二基四門が沈黙していた。砲塔の数が減少したとはいえ、対空砲火が激しいことには変わりなかった。二番機が四〇ミリ機銃に捉えられ、さらにVT信管により炸裂した砲弾の破片を浴びていた。尾翼を失った二番機が海面に激突する。三番機は火を噴きながら艦後部の機銃要員を巻き込んで四散した。布仏少尉もまた艦橋に機体をぶつけ、艦橋要員を巻き込んで絶命する。そして二五〇キロ爆弾が起爆し、アンテナと形を残していただけの三八口径五インチ連装砲の二番砲塔を吹き飛ばした。指揮系統を喪失(そうしつ)したイングリッシュは炎を噴き上げながら直進するだけの鉄塊と化した。

 その頃、作郎もまた残っていた揚陸艦へ機首を向けていた。すでに列機は炸裂した砲弾の破片を全身に浴び、機体ごと海面に落下している。

 LSMR-189は、乗員救助を行うLSMR-190を守るためジグザグに激しく動き回りながら、機銃を撃ち出していた。視野の裾に布仏機が爆発炎上する姿を捉えていた。

 爆音の中で二〇ミリ機銃の弾丸が機体を貫いた。操縦席に激しい断末魔の叫びが聞こえてきた。だが作郎の中で恐れは消えていた。

 

「これは命中するぞ」

 

 とつぶやいて、胸をふくらませた。

 機体の右主翼先端が吹き飛んだ。だが、作郎は操縦桿を押さえ込み、進路がそれないように、また二五〇キロ爆弾が起爆しやすいように中央の煙突に向けて微調整を絶やさなかった。

 LSMR-189の乗員はひどく慌てていた。腹に爆弾を抱えた特攻機は主翼が折れているにもかかわらず、回避のために舵を切っても動きを読んで進路を合わせてくる。炎を噴き上げ機銃から弾丸を吐き出す特攻機が悪魔に見えた。

 作郎は爆音と騒音の中、着弾まで残り数秒となったとき、やり残していたことを思い出す。実家に帰る前に文を出しておけばよかったと後悔していた。

 

「兄貴に頼んで嫁さんを探してもらえば良か――」

 

 四〇ミリ機銃の弾丸が風防を突き破る。風防の破片が肺を貫通した。口の中が生暖かい液体で満たされた。鉄の味がした。致命傷だった。不思議と痛くはなかった。

 力を振り絞って機首を右に滑らせる。甲板が近い。最期の瞬間まで目を開いた。艦中央にいた機銃要員の強張った顔が見えた。作郎の意識が途絶え、二五〇キロ爆弾が炸裂した。

 

 

 



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中学三年生
中学三年生(一) 佐倉桜


私的に近畿地方と思しき言葉で書いた結果、タグに記載した通りおかしな方言になってしまいました。
5/12 方言を使用する登場人物の科白を修正しました。おかしな方言だったものを伊勢弁に近づけました。
5/17 IS学園一般入試出願数と倍率を修正しました。


「もう朝なんか。早いなあ」

 

 佐倉(さくら)(さくら)は布団から抜け出した。ジャージに着替えて髪留めを結い、天秤(てんびん)棒とペットボトルが詰まった桶を担いで山に入った。

 実家は農家で山奥にある。水道も電気も通じていたが、湧き清水が日本の名水に数え上げられるような場所で昔からこのあたりに住む人は皆、今でもその湧き水を料理に使っていた。実際、飲み比べをしてみると軟水である湧き水の方が飲みやすく、水道水にはわずかに漂うカルキ臭がすることから苦労するだけの価値があるものとされていた。

 湧き水の汲み方にはいくつかある。最近では近くに自動車を止めて階段を上ってペットボトルで汲む方法が一般的だ。今では彼女のように天秤棒を担ぐやり方をほとんど見ることができなくなった。

 戦前の頃、桜の曾祖父(そうそふ)佐倉征爾(せいじ)が若かった頃は天秤棒を担ぐのが当たり前で、佐倉家の子供たちは皆、早朝に水を汲みに行くのが仕事だった。長男の征爾や次男の荘二郎ら、そして九男で末っ子の作郎も毎日当たり前のように走った。何の因果か征爾のひ孫「桜」として再びこの世に生まれついた作郎もまた、この昔ながらの習慣が抜けきっていなかった。

 桜は誰もいない農道を前傾姿勢になって走る。米農家の家族に(わら)を譲ってもらい手製の足半(あしなか)を作った。作り方は彼女が生まれてから教わったものではなく、生まれついたときにはもう知識として備わっていた。近所の一〇〇歳近いおばあさんに足半を見せて喜ばれたくらいで、彼女の行動をおかしいと考える者はいなかった。小学校の近くにある民俗資料館に置いてあったものを面白がって見よう見まねで作った程度にしかとらえていなかった。

 土を押し固めて砂利(じゃり)を敷いただけの農道をおどろくべき速度で駆け抜けた。起伏に富んだ道をまっすぐ走り抜けてお寺の屋根が見えたら石階段を上る。一〇〇段近くあり、勾配(こうばい)がきついこともあって階段の真ん中に銀色の手すりが取り付けられていた。年若い修行僧が作務衣(さむえ)に身を包んで階段を下りていった。修行僧が彼女の姿を見つけるなりすれ違いざまに挨拶をしたので、大きな声で「おはようございます」と言った。

 修行僧は元はサラリーマンだった。しかし兄が病弱なことも手伝って家を継ぐために退職して、親の紹介で修行に来ていた。最初の頃は体力がなく、階段を一度上り下りするだけで息が上がってしまうくらいだった。体力トレーニングを兼ねて仕事が始まる前の夜明け前に起き出して足腰の鍛錬に取り組んでいた矢先、彼女と出会った。よく昼間になると近所の人が水汲みに来る姿を見ていたが、早朝に来る者はめったにいなかった。そんな彼が興味を持ったのは、彼女の汗ばむ顔が都会で見かけるような華やかな少女だったことが大きく関係している。もう少し若かったら声をかけていただろうな、と思うくらいのきれいな顔をしていた。あいさつの声も大きく目上の者に対して礼儀正しい姿が好印象だった。台風や大雨など天気が荒れた日は来なかった。晴れた日や小雨の日は休まず通い続けていた。

 水を汲み、道を引き返す。桜にとっては習慣で続けていることだから苦しいと感じたことはなかった。桜はもっと苦しいことをいくらでも知っていた。桜の家に今のところ不幸はなかった。父親が母親に愚痴を言ったり時々けんかするくらいで目立ったものはない。恋愛で人生に絶望したこともなかった。よくクラスメイトが死んじゃいたい、と口にする。「御国のために死ね」と言われ見事散華を果たした身としては、命を粗末にするような物言いに抵抗を感じていた。

 家に引き返すと既に五時を回っていた。納屋の前に天秤棒を置いて土間に水の入ったペットボトルを並べる。母親が起きて朝食の準備をしている。

 

「今日は揚げ物やろか?」

 

 油が跳ねる音が聞こえ、香ばしい匂いが漂っていた。揚げ物は好きだ。ソースをかけるのも好きだ。街に行けば、山奥にもかかわらず魚介類が手に入る。エビ天などは大好物だった。母親は見た目を大きくするために甘エビを三つ四つを束ねて一本の天ぷらにする。中身は小振りな甘エビとはいえ、見た目の大きさは重要だった。

 自室に戻った桜は中学校の制服に袖を通す。紺のブレザーに赤色のリボン。プリーツの入った灰色のスカートを履く。

 友人から腰が細いと言われるが、筋肉ばかりでやせぎすに見える自分には発育の良い友人達の方がうらやましかった。椅子に足をかけ、黒いニーソックスを履く。本当は股引の方が楽でよいのだが、少しでもおしゃれをしないと母親が悲しむので仕方なく身につけている。腰が冷えるので動きやすいズボンやジャージの方を好んでいたが、やはり母親が泣きそうな顔をするものだから仕方なくニーソックスで我慢している。

 桜は鏡を前に立ち、自分の姿を映し出す。どこから見ても女子中学生である。

 今の身長は一五五センチ。せめて一六〇は欲しい。成長期が止まりませんように、と願っていた。体重は五〇キロ代ある。見た目より体重があるのは脂肪よりも筋肉が重いためだ。よくモデル体型などと言われる。これは単にアスリート体型で胸が薄いだけである。動きが阻害されるのでバストが育って欲しくないと願う今日のこの頃だった。

 通学鞄に教科書やノートが入っていることを確認する。もちろん宿題のノートも忘れない。母親が買ったファンシーなペンケースには鉛筆と鉛筆削りを入れている。桜は鉛筆派だった。

 

「桜ちゃーん。ご飯ですよー」

 

 居間の方から母親の呼ぶ声が聞こえてきた。桜は「はーい」と返事をして、学生鞄の蓋をしめてフックに体育用のシューズ入れを引っかけ、逆手に鞄を持つと部屋の扉を閉めて居間に向かった。

 居間には母親と父親、そして姉がいた。祖父と祖母は畑に出るため先に食事を取っていた。

 

「おはよー」

「奈津ねえ。はよー」

 

 高校生になる下の姉がもぐもぐと口を動かしながら挨拶をしてきた。奈津子の制服はセーラー服で、桜はブレザーよりもこっちの方が好きだった。

 奈津子の隣に鞄を立てかけると、どんぶりを手にとって炊飯器の元へ向かう。優に茶碗二杯分はあるどんぶりが山盛りの白米で埋まった。一合はあるだろうか。炊飯器の隣におかれた梅干しをてっぺんにのせて、桜はにんまりと笑った。

 隣の席に座った桜に向かって、奈津子がうんざりとした様子で言った。

 

「毎回思うけど桜、アンタそんだけ食って太らへん?」

「いただきまーす」

 

 声が重なった。桜は両手を合わせ口を開いていた。だが、体重の事を聞かれたと知って桜は顔を横に向け、にやにやとした笑顔を浮かべた。

 

「聞いてえ奈津ねえ。ついに五四キロの大台になったんや」

「うわ。アンタ太りすぎちゃう?」

「体脂肪率低いまんま。全部筋肉だわ」

「そーいや、アンタ握力とかすごかったね」

「この前測ったら八〇キロあった。あと二〇は欲しい」

「そんだけあって、まあだ鍛えるつもりなんか」

 

 桜は話をしながら食事を平らげていく。家族で一番の大食らいである。桜の両親は小食の奈津子と比べて、元気よく食事をとる桜をかわいがっていた。桜のすごいところは食べても太らない。運動量が多いので食べないと保たないのが実情なのだが、本当においしそうに食べるものだからついつい作りすぎてしまいがちだった。

 

「アンタ見てると、食欲がなくなるわ」

「奈津ねえ。食べんもん。これちょーだい」

 

 奈津子が皿の脇によせたカリフラワーをひょい、と箸でつかんだ。それを見て、母親が奈津子に小言を口にした。

 

「なっちゃん。またカリフラワー残して」

 

 奈津子は味噌汁をすすってから言い返した。

 

「好きやあらへん。それにちょびっと食べたから気にしやんといて」

「またそんなこと言って。桜ちゃんにばっかり食べさせて」

「サクは特別。私はようけ体を動かさんから、これぐらいで間に合っとる。サクに食事量を合わせたら今ごろ豚になっとるわ」

「なっちゃんもお母さんの体質を受け継いでるから。肉がつきにくいはずなのにねえ」

「……そんでも気になるの」

 

 奈津子がへそを曲げると、父親が「まあまあ」と言ってなだめすかす。

 二人が言い合いするのは日常茶飯事だった。桜は気にせずに白米を食らって、梅干しを口にした。

 

「すっぱあ」

 

 まったく気にする素振りを見せない妹に、奈津子は大きなため息をついた。

 

「アンタ……悩みとか少なそうやね」

 

 桜はスティック状に切られたにんじんとキュウリをつまみながら、奈津子のため息の理由が理解できず首をかしげるばかりだった。

 

 

「行ってきまーす」

 

 桜は通学用のローファーを履いて大声で出した。外にはセーラー服の上に黄色いパーカーを身につけた奈津子がいて、ひもを長くのばしたリュックを背負っていた。

 桜が通学鞄を肩に引っかけながら道を下りていく。バス停までの道を並んで歩いた。

 奈津子は桜のヘアピンで長い前髪を左右に分けた黒髪を見てつぶやいた。「アンタ、髪とか染めんの?」

 桜が奈津子の方に顔を向けた。

 

「んー? 考えたことないなあ。何で?」

「森下さん家のこーちゃん。この前、茶色に染めとるん見たよ」

 

 桜は笑った。

 

「黒のまんまでええやん。私は好いとる」

「アンタ、可愛いし。似合うとると思うん」

「私が可愛い? 奈津ねえ、茶化さんといて」

「私やない。この前、安芸(あき)ねえが電話で言ってたから間違おらへんわ」

「うっそお。安芸ねえが? 東京でモデルやっとる人が私を可愛いなんて……身内の情やないの」

 

 安芸は佐倉家の長女で、上京して東京の大学に通っていた。長髪ですらりとした長身の美人さん。大学で学業に励むかたわら、スカウトされたとかで事務所でファッションモデルの仕事をしていた。

 家を出てから十五分ほど歩くと、木造の小さなバス停があった。先客がいて黒い学ランやセーラー服にブレザーと色とりどりだった。

 バスはそれぞれの学校の前に止まる。三〇分に一本しか出ないことから、一本逃したら間違いなく遅刻してしまうのが山間部の悲しいところだった。

 

「おはよー」

 

 バス停には桜の同級生がいた。同級生は桜の手元を見てにやりと笑顔を浮かべた。

 

「またでっかい弁当箱やんな」

 

 中学校での昼食は給食である。材料は近所の農家が形が悪く市場に出せない野菜を格安で仕入れているので一月当たりの給食費はとても安い。遠方から通学する生徒がいるため、弁当を作ることが困難な生徒に配慮しての措置(そち)である。だが、桜はいつも朝食の残りを弁当箱にいれて持ってきていた。大食漢である桜は給食では足りず、運動部の生徒に混ざって早弁にいそしんでいた。最初こそ先生に注意されていたのが、桜の成績は常に上位であり、誰もが認める秀才だったことが黙認に至った理由である。運動部の生徒の方も推薦で越境入学が認められるほどの実力者だったので、これまた黙認されていた。

 

「また早弁するんやんな」

「だってえ。腹が減っては(いくさ)ができぬって言うやん」

 

 そのまま駄弁(だべ)っているとバスが来たので、みんな一列に並んで乗り込んでいく。

 奈津子が窓際で桜が廊下側に並んで座った。前の座席には桜の友達が座る。いつも同じ面子が乗るので定位置となっている。

 

「サクちゃんって高校どこ受けるの」

 

 前列のシートに座った友人が振り返って続けた。

 

「せっかく頭ええし、街の高校に行くとか考えとらん?」

 

 桜は考え込むような素振りをして、伏し目がちになって小声で呟く。

 

「笑わん?」

 

 窓辺に肘をついていた奈津子も気になって妹に視線を向けた。

 桜はもじもじとして、不意に顔を上げてはっきりと言った。

 

「IS学園に行きたいんや」

 

 その答えを聞いて友達と奈津子が目を丸くした。IS学園と言えば、日本一の難関校として名高い。女子校ではないが、ISが女子にしか使えないことから実質女子校として名が通っている。例年出願時の倍率が約一五〇〇倍になるなど、日本中どころか世界中から才女が集まる国際的な超有名校である。

 

「IS学園って言えば、サクちゃんみたいに頭が良くて運動ができる子がわんさかおるところやんな」

 

 桜は友達の言葉にうなずく。

 今度は奈津子が言った。

 

「どうしてIS学園なん?」

「空が好きや。ISを使えば空に行けるから」

 

 桜はゆっくりとそれでいて明確な発音で言い切ってにっこりと笑った。

 

「昔からサクはホラ吹きやったんやけど。今度はまたでかいのぶちかたんな」

「奈津ねえ。私はいつだって本気や」

「飛行機でええやん。空飛べるやん。最近やったら女性のパイロットやって珍しくない。ISに乗らんでも空は飛べるわ」

「それやったら飛べるようになるまで十年はかかってまう。ISやったら十五歳でも空あ飛び放題やん」

 

 桜は目を輝かせながら、奈津子に反論した。

 

「そういえばサクちゃん。IS学園の学校説明会に応募しとったね」

「せや。受かるとええけど……」

「アンタ、そんなん応募しとったん」

「誰にも相談せなんだのは謝るわ。ダメ元のつもりやった」

 

 桜は顔を上げて奈津子を見つめた。強い瞳だ。奈津子はそう感じた。昔から妹は頑固で確信めいた物言いをする変わった子だった。東京の大学に行った安芸が「桜は大人びた子や」とよく口にしていた。奈津子からすればなぜ安芸がそんなことを言うのか理解できなかった。奈津子にとって妹は大食らいで飛行機を見るのが好きな、ただの子供だった。確かに頑固なところはある。同じような子は知り合いにもいて桜が特別頑固だとは思わなかった。大人びているのは都会にあこがれて背伸びをしているだけだと思っていた。

 

「とにかく私はIS学園に行く。せや、奈津ねえも期待しとって」

「はいはい」

 

 どうせいつものホラ吹きだろう。鼻息荒くした妹を見て、奈津子は本気と受け取らなかった。

 

 

 



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中学三年生(二) 連絡

5/12 方言を使用する登場人物の科白を修正しました。おかしな方言だったものを伊勢弁に近づけました。
5/17 IS学園一般入試出願数と倍率を修正しました。


 その電話がかかってきたとき、職員室には伊藤以外の姿がなかった。他の先生は席を外しているか、まだ到着していなかった。伊藤はポットのお湯を出がらしのお茶っ葉に注いでいたが、慌てて急須を置いて電話を取る。電話の主はIS学園の事務員だった。

 ――うちの中学にどんな用や。

 伊藤は受話器を耳に当てながら、よそ向けの丁寧な口調で受け答えすると、先方の用件は学校説明会の開催についてだった。IS学園と言えば超難関校である。有名大学のように各地の主要都市に受験会場を設けるような学校で、あまりにも難関のせいか、毎年記念受験をする生徒が後を絶たない。受験科目が多いことから特別に試験日が重ならないように設定されていた。過去に伊藤が受け持った生徒が受験しているが全員不合格である。学校説明会ですら応募倍率が千倍を超える。伊藤が県の講習会で耳にした噂によれば、学校説明会に参加できる生徒はIS適性が高いことが必須条件でしかも成績優秀でなければならない。

 IS学園の事務員がサクラサクラと口にする。

 

「ええ。うちの学校に佐倉は在籍しております。こんな時間ですから、まだ登校しておりませんが」

「佐倉さんが審査に合格しまして連絡のお電話をさせて頂きました」

「ハア。うちの佐倉がですか……」

 

 伊藤は努めて平静を装った。佐倉と言えば三年一組で陸上部のエース。彼の受け持ちの生徒だ。

 事務員は佐倉に資料を渡すように頼んできた。IS学園は機密を扱う都合上、セキュリティが厳しいので事前送付した資料をよく読んで欲しいのだという。毎年セキュリティチェックに引っかかる学生がいるから手続きを円滑にするためにも協力をお願いしたい、と注意事項を並べた。

 

「ええ。私の方から佐倉に伝えておきます。はい。ええ。もちろんです。こちらこそわざわざご連絡ありがとうございました。失礼いたします」

 

 電話越しに頭を下げて、受話器を置いた。椅子に深くもたれかかり、二年生を受け持っている金井和子がビニールに包まれたパンフレットを片手に出勤してくるのを目にした。

 荷物を抱えた金井の薬指にはめられた銀色のリングが輝いている。

 

「おはようございます。伊藤先生」

 

 金井は伊藤の疲れた顔を見て、すぐさま飲み疲れだと考えた。伊藤はビールが好きで、よくネットで海外のビールや限定物のビールを買ってきては同僚を誘って宅飲みに誘うような男だ。昨晩もビール片手に野球中継を聞いていたのだろう、と当たりをつけた。

 

「伊藤先生。一組の佐倉さん宛に郵便物が届いてますよ」

「差出人はどこですか?」

 

 伊藤に聞かれて金井ははっとした。いつもの習慣で郵便受けに手を突っ込み、宛名だけ見て興味を失い、差出人についてはまったく意識していなかった。「どれどれ……」と手元をのぞき込んで彼女は絶句した。

 

「金井先生。そんなに驚いてどうかされました?」

 

 伊藤の声にはっとして何度も瞬きする。

 

「伊藤先生。これ……IS学園からですよ。えっ、学校説明会?」

「そう書いてありますね」

 

 伊藤が眠そうな目を開く。パンフレットの表に大きく「IS学園 学校説明会資料在中」と書かれていた。出がらしのお茶をすすって淡々とした様子で口を開いた。

 

「うちから何人か応募したのは知ってますよ。内申書とか推薦書とか書類をそろえたのは私ですから。それとさっき、IS学園から電話があって、うちのクラスの佐倉が説明会の審査に受かったと連絡がありました」

 

 伊藤の予想に反して金井の方が興奮していた。

 

「す、すごいじゃないですか!」

 

 パンフレットを手渡した金井は机に手をついて身を乗り出していた。伊藤は一瞬びっくりして引きつった顔をしたが、パンフレットを手にとって眼前に掲げた。

 

「いや、まあ。すごいのは分かりますよ。でもねえ。あの佐倉がねえ……」

「佐倉さん優秀ですから。そこが評価されたんじゃないですか」

 

 金井が自分のことのように驚く姿に、伊藤は審査の条件を思い浮かべていた。学校説明会へ参加する権利を得たとはつまり、佐倉桜のIS適性が高いことに他ならない。しかし伊藤としてはIS学園よりも陸上部が強い高校に進学させたかった。既に強豪校が佐倉に目をつけていて推薦の話が上がっている。悪い話ではない。

 ――いや、本人に決めさせるべきやわ。

 伊藤はミント味のタブレットを口に放り込みながら、ふと思い直した。佐倉の成績なら推薦を取らなくとも一般入試でも十分合格が可能だ。IS学園は外部の者にめったに門戸を開かない場所である。せっかくの良い機会だし、学校説明会に参加することは彼女の視野を広げる良い機会ではないだろうか。

 

「佐倉には私から伝えます」

 

 伊藤はパンフレットを脇に挟みながら席を立った。遠い目をしながら頭をかいてひとりごちる。

 

「まさか佐倉がねえ」

 

 

「佐倉ア。ちょっと来い」

 

 ホームルームの五分前になって、伊藤は友人との話に興じていた佐倉桜を呼び出した。

 

「イトセン。なんやあ?」

 

 イトセンは伊藤のあだ名である。桜は伊藤が自分を呼ぶ理由をいくつか考えてみたが、どれもぴんと来なかった。

 

「佐倉。前にIS学園の学校説明会に申し込みしたろ。推薦書が()るって言うとったやつだわ」

「はい。それがどうしたんやろか?」

 

 桜は伊藤の前で恐縮して肩をすくめる。伊藤は体格が良く身長が一八〇センチ以上あって人相が悪い。一五五センチの桜からすれば巨人だった。

 

「審査ア通ったわ。今朝、IS学園から連絡があった。これ、お前宛や」

 

 ぶっきらぼうに言って、パンフレットを渡す。桜は何度も瞬きして、パンフレットと伊藤の顔を交互に見た。

 

「ほんまやろか。イトセ……伊藤先生」

「ほんまやわ。パンフレットを見てみい。IS学園と書いてあるわ」

 

 伊藤に言われてパンフレットをひっくり返すと、ビニール越しにIS学園と書かれているのを見つけて、思わず大声を出していた。

 

「うわーほんまやあ。私、受かったんか。びっくりしたあ」

 

 無邪気に飛び上がる桜を見て、伊藤はたしなめるように言った。

 

「言っておくが、まだ学校説明会や。たまたまIS適性が高かっただけで、浮かれるのは早いからな」

「うれしいなあ」

「IS学園から注意事項を良く読むように言われとる。毎年セキュリティチェックに引っかかる者がおるんやと。横着(おうちゃく)して学校に恥をかかせるなよ」

「もちろんやー。機密は守るもんやろ、その辺はばっちりやりますよう」

 

 伊藤はへらへらと笑う桜を見て不安を覚えたが、本人が大丈夫だと言っているから信じてやることにした。今にも踊り出しそうな雰囲気で不気味に両肩を揺らす姿を見て、「はあ……」とため息をついて髪の毛をかきむしった。そしてぶっきらぼうに言い放つ。

 

「よし。行ってええぞ」

「はあい」

 

 浮かれた声に、本当に大丈夫だろうな、と伊藤はパンフレットを片手に教室へ駆け戻る桜の背中を見て思った。

 教室に戻った桜は自席に着きながら、伊藤の言葉を思い返した。IS学園に入る前にセキュリティチェックがあるという。さすが軍事機密の塊。ふと自分の発言を思い返した桜は、久しぶりに機密なる言葉を使ってしまった事実に気付いた。幸い伊藤は特に気にとめた様子はなかった。

 自重せねばと心に誓い、すぐに「にへら」と相好を崩した桜は、こっそりと腕の中にあるパンフレットをのぞき見る。

 

「えへへ」

 

 桜は頬が緩むのが止められなかった。IS学園の学校説明会に受かったことはつまり、選抜試験の機会を得たことに他ならない。ISに乗って空を飛ぶ姿を想像してだらしない顔になる。恋バナでもないのに、こんなだらけた顔を見られるのは恥ずかしいが、それよりも嬉しさの方が勝った。

 

「佐倉、どうしたんや。気持ち悪い顔して」

 

 同じクラスの男子が声をかけてきた。最近声変わりしてめっきり低くなってしまったが、聞き覚えのある口調だった。

 

「えへへ」

 

 桜は振り返るなり、パンフレットをもったいぶるような仕草で抜き差ししてから、同級生の眼前に突きつけた。

 

「学校のパンフレットか。まじめやなあ」

「ただの学校やない。ここ見て」

 

 そう言って学校名を指さす。同級生がのぞき込むと、桜がにやにやと笑った。

 ――驚くやんかなあ。驚やろかかったら男の子やないわ。

 

「すっげー! IS学園やと。え? 佐倉、説明会に行くんか?」

 

 期待通りの反応に桜は誇らしげに胸を張った。

 

「そうや。来月の日曜に行ってくるわ」

「マジかよ。よう受かったなあ。うちの姉ちゃんも去年申し込んで受からんかった。倍率高いって聞いたわ」

「一五〇〇倍やって。私もさっき聞いてびっくりした」

「なあ、お土産! お金渡すから頼むわ!」

 

 騒々しい声を聞きつけたのか、他の生徒が桜の机を囲み始めた。みんな口々にすごいだの、お土産だの言っている。桜が自慢しようと思った矢先、伊藤が出席簿を持って教室に入ってきた。

 

「お前ら佐倉の弁当でも漁っとるんかあ。(はよ)う席につけー」

 

 生徒は蜘蛛の子を散らすようにそれぞれの席に戻っていく。

 桜は椅子に深く座り直し、パンフレットを大事そうにつまんで通学鞄の中にそっとしまいこんだ。

 

 

 部活が終わって帰宅すると、台所から良い匂いがした。コトコト、と煮込む音が聞こえてくるのでおそらく鍋である。

 

「ただいまー」

 

 玄関で奈津子の靴を見つけ、ローファーを脱ぎ捨て隣に並べ置いて、そのまま自室にバタバタと足音を立てて駆け戻った。

 汗で制服が張り付いて気持ち悪い。ブレザーを脱いでハンガーに掛け、ブラウスを脱いでスカートも下ろす。

 鏡の前に女物の下着を身につけた自分がいる。水色のショーツに水色のブラ。柔らかな大人の女になりかけの体を見ると、自分らしくなくてなんだか女装しているような気分に陥る。しかしふくらみかけの乳房と股間にあるべきものがないことから、女の身には違いない。

 軽く汗を拭いて下着を替えようと、タンスから淡黄色の下着を取り出して広げる。先日奈津子と街に行ったときにフィッティングして選んだものだ。体格にあった下着を身につけたら、不思議と安心感に包まれた。

 

「奈津ねえには感謝せんとなあ」

 

 今でこそ慣れたが、奈津子に手を引かれて初めて下着売り場に行ったときは顔から火が噴く思いだった。佐倉作郎だった時分に女っ気がなかったこともあって刺激が強すぎた。レースのひらひらが目についたり、奈津子の女らしい体つきを()の当たりにして目のやり場に困ったり、と大変だった。

 そもそも下着売り場に連れて行かれた発端は、夏場の暑さに耐えかねて、昔を思い出してふんどしを身に着けていたところを奈津子に見つかったことによる。ふんどしを思い出した時は「私、天才」と舞い上がったものだが、奈津子が「ふんどしなんてとんでもない」と憤怒(ふんぬ)の表情に変わった。その後母親にばれて泣かれ、仕方なく下着を買いに行くことを了承したのは良い思い出である。おかげで母に下着を買いに行くといえばお小遣いがもらえるようになった。

 あとはニーソックスを脱ぐだけだったが、膝にゴムの後が残ってしまうのが、どうしても気に入らなかった。汗がたまってかゆくなるときがあっても、掻き出したら止まらなくなるので必死に耐えることがよくあった。

 後はいつものようにジャージを身につけて、居間に向かうのだが今日は違った。

 通学鞄からIS学園から届いた郵便物の封を開けて中身を机の上に広げる。送付資料は学校案内とIS学園規則。セキュリティチェックについてのプリントなど。

 IS学園までの交通手段が書かれた紙を見て、桜は大事なことと気がついた。

 ――どうやって行けばええんや。

 机の引き出しを開けて財布を取り出し、中の金額を確かめる。一〇〇〇円札が五枚入っていた。携帯端末を取り出して、自宅の最寄り駅からIS学園前までの交通費を算出して頭を抱えてしまった。

 ――足らん。交通費が足らん。どうする。

 浮かれていた気分が一気に冷めた。

 ふと昔実家に送った給金のことを思い出した。航空機搭乗員をやっていたことに加え、大して使わなかったためかかなり貯まっていたはず。予科練上がりとはいえ士官の端くれだったから、そのときにたくさん貯めたはずなのだ。特攻で戦死して二階級特進して功三級の金鵄(きんし)勲章(くんしょう)をもらったはずだから、一時金が昭和二〇年当時の金額で二、三万円くらい出たはずである。

 

「……あかんわ。うん十年前の話をしても無駄やないか。佐倉作郎の給金は全部兄貴の手に渡っとったわ」

 

 遺書に全部使ってくれ、と書いたのだ。土蔵に作郎の遺品が眠っていたから間違いない。

 

「あかんやないかア……」

 

 財布を机に置いて弱々しい声を漏らながらへたりこんだ。望みが絶たれ、素直に話をもっていくしかなかった。

 桜は無言で書類を集めて袋に戻した。重い足取りで居間へ向かった。

 先に席に着いた奈津子が幽鬼のような桜の姿を目にして、あっけにとられていた。まさか生理の日なのでは、と考えて壁掛けカレンダーを見たが予定では来週が頃合いのはずだった。

 

「サク。どうしたん」

「……奈津ねえ」

 

 食べることだけが生き甲斐のような妹が好物を前にして元気がない。天変地異か、それともまさか、ありえないことだが恋にでも目覚めたのだろうか。

 

「父ちゃんと母ちゃんはどこにおる」

 

 妄想を振り払うべく忙しなく首を左右に振る奈津子を尻目に、桜は居間を見渡して両親の姿を探していた。母親は土間にいると思われたが、父親がどこにいるか見当がつかなかった。

 見かねた奈津子が口を出した。

 

「母ちゃんは土間に新しいお茶っ葉を取りに行ったからそろそろ戻ってくるわ。父ちゃんなら一番風呂だわ。さっき声がしたからすぐに来るはずや」

「……ありがとうな」

 

 桜は元気なく答え、パンフレットを脇に抱えたまま呆けたように席へ着いた。

 

「気持ち悪いわ。サクが元気ないところ見るの」

 

 奈津子が心配して声をかけたものの、桜は気のない返事を返すだけだった。奈津子は妹が熱があるのかと思って額をくっつけてみたが平熱である。どんぶり茶碗を持って炊飯器に向かったものの、心ここにあらずといった風情でよそった米の量が少なかった。

 

「あらー桜ちゃん……」

 

 母親が桜のどんぶり茶碗を見て、心配そうな声を出した。いつも山盛りになっていたどんぶり茶碗に半分ほどしか米が盛られていない。梅干しが切れたのでしそふりかけを使っていたが、それでも少なく見える。

 母親が奈津子の耳元に顔を近づけてささやいた。

 

「あの子どうしたの。まさか失恋?」

「やったらええんやけど」

 

 はふう、とため息をついた桜に二人は顔を見合わせた。恋わずらいに見えなくもなかった。好きになった男の子の話を一度もしなかった桜にも春が来たのか、と母親は勝手に誤解する様を、奈津子が呆れたような顔つきで眺めていた。

 

「風呂空いたぞー」

 

 と作務衣姿の父親が居間に姿を見せた。自慢の娘達を見て、いつにもましてにこにこと笑っている。しかし桜のどんぶり茶碗を目にした父親は、思わず手ぬぐいを床に落としていた。桜と言えば山盛りのご飯である。長女の安芸(あき)と似て美人だ。安芸との違いは背丈と食事量である。

 

「ああ、父ちゃん」

 

 桜は箸を置いた。のろのろと席を立ち、顔を引きつらせた父親の前に出るなり、突然土下座した。

 

「父ちゃん! お金を貸してください!」

 

 額をこすりつける見事な土下座だった。

 ――な、何が起こっとるんや。

 父親は娘の土下座を前にして状況が飲み込めずにいた。末娘が食事を一食抜いたように幽鬼のような表情をしている。しかも突然金を貸してくれとはどういうことか。

 父親は腕組みをしながら静かに息を吐いてから口を開く。

 

「とりあえず頭を上げよか」

 

 最初に理由を話してもらわなければ、金を出す判断もできない。父親は膝を折って桜に言った。

 

「理由は何や。教えてもらわんことには、父ちゃんは何とも言えへんぞ」

 

 桜は恐る恐る顔を上げた。ゆっくりと立ち上がると、椅子の背に置きっぱなしだったIS学園のパンフレットを手に取り、再び父親の前に立った。

 

「今日学校にな。IS学園の学校説明会の審査に通ったって連絡があったんや。そんでな。来月の日曜に説明会に参加したいんやけど、交通費がな……お金が足らんのや」

 

 すると様子を見守っていた奈津子が大声を出した。

 

「ほんまに受かったんか!」

 

 首をかしげていた母親が奈津子に聞いた。

 

「知っとったの?」

「今朝、サクから教えてもろうた」

 

 と奈津子が答えた。

 

「勝手に応募したんは謝る。どうしてもISに乗ってみたかったんや」

 

 桜は父親の目をまっすぐ見つめた。父親はこれほど強い瞳を見たことがなく、雰囲気で圧倒されてしまう。

 桜はどこか大人びた、達観したところがある子供だった。最近こそ年相応に振る舞っているように見えたが、幼児の頃はまるで大人のような口ぶりだった。娘だと思って会話していたつもりが、同年代の男と会話しているような気分にさせられる不思議な子だった。食べ物にうるさく、パソコンや携帯端末に興味を示したので安芸のお古を譲り渡したことがある。飛行機が好きで空を飛べない代わりにゲームに興じたり、外で走り回るような子だ。気がついたらネットでロシアとアメリカ人の友だちが出来た、などと話すような一風変わったところもある。しかし彼女は贅沢なわがままを口にしなかった。

 IS学園なら同じ農家の娘が記念受験して不合格だったという話をよく耳にしていた。遊びに行きたい、というのなら話は別だが、娘の進路に関わることだから本人の意志を尊重した方がよいだろう。

 

「わかった。そやけど、条件がある」

 

 父親はそう言った。素直に許可を出したのは、頑固な子だから一度言い出したら梃子(てこ)でも動かない雰囲気を感じたからだ。

 

「母さん。電話取ってんかいな」

 

 母親に向かって、声をかけた。彼女が一番電話機に近い。

 「はい」と答えた彼女は子機を手にとって夫に手渡す。父親は子機を手にして、長女の携帯番号を入力し、程なくして安芸が電話に出た。

 そのまま世間話をするかのような調子で、安芸に末娘がIS学園の学校説明会の審査に受かったことを告げた。

 

「ほんまに! あそこって倍率が本っ当に高くて、確か千倍超えるんっちゃうやろか!」

 

 甲高い声が聞こえてきたので、父親が受話器から耳を遠ざけた。受話器の向こう側で、まるで自分のことのようにはしゃぐ長女が落ち着くのを待ってから、「来月の日曜は暇か」と尋ねた。

 

「ちょうどオフやけど。なになに~」

 

 桜のために一日空けてくれないか、と告げる。安芸が返事をする前に、IS学園の説明会の引率をお願いしたい、と続けた。

 

「ええよ。IS学園っていったらあ。滅多に撮影許可が下りないんだもん。セキュリティがめちゃくちゃ厳しいって事務所の人がよく口にしてたよ」

「そうか! スケジュールの詳細は追って桜から連絡させるわ。ああ。頼む」

 

 通話を終えて受話器を母親に渡し、相変わらず騒がしい子だ、とぼやいた。

 桜は一部始終を見つめて、ずっとぽかんと口を開けていた。父親からどやされるものと勝手に思っていたからだ。IS学園までの交通費は結構かかる。新幹線を使うとなれば中学生の桜から見てとても

高額になるため、「学割証を申請しておかねば」と思った。記憶では一割五分の割引になると聞いたことがあった。

 

「当日の計画は安芸と話し合いなさい。必要な金額は申し出ること。余裕を見て渡すから」

 

 父親はぽつりと言って、桜の頭をなでる。

 

「……ありがとう、ございます」

 

 桜は深々と頭を下げて礼を言った。父親は柔和な顔つきになって、思い出したように床に落ちた手ぬぐいを拾い上げたところに、桜のお腹が空腹を訴えたものだから全員が声を上げて笑った。

 

 

 



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中学三年生(三) 警備

5/12 方言を使用する登場人物の科白を修正しました。おかしな方言だったものを伊勢弁に近づけました。


 IS学園の学校説明会当日の朝に桜は上の姉である安芸と一緒にモノレールに乗っていた。

 彼女が乗る車両には説明会の参加者だろうか、多種多様な制服を着た同年代の少女たちが居合わせており、みんな緊張した面持ちである。

 しかし桜は、隣で安芸が嘆息したことに気がつかないまま、ロングシートの上で膝立ちになって頬を窓に押しつけていた。

 

「うわー」

 

 安芸の耳に、「何アレ」「小学生みたい」といったささやき声が聞こえてくる。背筋をまっすぐのばして取り澄ました表情を作って、そっと妹の横顔へ視線を投げかけた。

 ――ホント、こういうところだけは子供やなあ。

 桜は物珍しさも手伝って車窓の風景に熱中している。金曜日に、伊藤から制服を身に着ける以上学校の恥につながるような真似は控えるようにと注意を受けていたが、今の桜は好奇心の方が勝っていた。

 彼女は学校説明会が午前中から実施されるため、前日に上京して東京観光をした後、安芸の部屋で一泊していた。久しぶりに会った姉に向かって思い出話に華を咲かせ、興奮で寝付けない様子かと思えば、夜明け前から起きていたことや慣れぬ旅疲れのためあっさり眠ってしまった。安芸の方が遅くまで起きていたぐらいである。

 桜と安芸は車内で目立っていた。桜の方は悪目立ちだったが、安芸の方は清楚(せいそ)な美貌によるところ大である。付き添いできた母親の方が安芸に気付いて「もしかして」とささやき合う。首都圏のローカル番組だがタレントとしても注目されていた安芸は、知る人ぞ知る時の人だった。

 一方、列車と言えば国鉄時代の蒸気機関車が常識でいた桜は、初めて乗ったモノレールに大興奮していた。煙を吐かないだけでも驚嘆(きょうたん)に値し、発動機の静粛性に対してもっと驚いていた。地元は乗用車やバスが当たり前で、街に出るとき以外は列車を利用しなかった。その列車も随分と古びており、ロングシートを導入した車両が少なくほとんどがクロスシートである。クロスシートと比べ、椅子が固いように感じるのはご愛敬と言ったところだろうか。

 安芸は桜の奇行は今に始まったことではなかったので慣れっこになっていた。幼児期こそ大人そのものの言動で何度も言い負かされて泣いたこともあったが、最近は年相応の女の子になったように感じられた。昔から「別嬪(べっぴん)さんねえ」と言われることが当たり前だったせいか、じろじろ見られることが多かった安芸よりもむしろ、奈津子の方が周りの視線を気にする性質だと言えた。奈津子が目ざとく注意したり文句を言ってくれるので、隣で桜が騒いでもどこ吹く風の習慣がついてしまっていた。

 モノレールから眼下の光景を眺めると、古びたアーチ状の掩体壕(えんたいごう)や防空砲台跡、()き出しになった高角砲、監視所跡、電探(電波探信儀)の基礎などの戦争遺跡が目についた。桜には見慣れたものだったせいか、IS学園の近未来的な建築物が見えてきても、ひっそりと時代から取り残された遺物に目がいってしまう。

 さて、学園島はIS学園が出来る前は寂れた漁村だった。高度経済成長期の頃はそれなりに栄えていたが、二〇〇〇年頃にはすっかり寂れてしまい、住人の高齢化が進み人口流出に歯止めがきかなくなっていた。観光産業で町興(まちおこ)しをしようにも、もともと旧日本軍が決号作戦のために地下陣地化した土地であり、地下に大量の弾薬や魚雷が未使用のまま眠っているとも(うわさ)されていたが、IS学園設立の折に念入りに調査したが影も形もなかったことが報告されている。

 桜にとって、ある意味において懐かしくもあり忌まわしい場所である。決号作戦が「本土防衛」という作戦目的を有する性質上、学園島に海軍の特攻兵器が運び込まれており、震洋(しんよう)海龍(かいりゅう)回天(かいてん)などを運用するための基地跡すら残されていた。

 しかし桜は童心に帰るあまり昔のことを気にも止めていなかった。モノレールの横をカモメが並んで飛ぶ姿にはしゃぐ光景はまるで子供のようだった。

 

「サクちゃん。楽しい?」

「うん! 楽しい!」

 

 安芸が頭をなでると、桜は初めて電車に乗った子供のような反応を見せる。その姿がひときわ目立っていて、大きな眼鏡をかけた童顔の女性がほほえましそうに眺めていた。

 

「安芸ねえったらあ。終点まで(あと)どれくらいで着くの?」

「何分だっけ。あそこ見れば書いたるよ」

 

 安芸が指さした先には、車両の現在位置を示す電子表示板が設置されていた。画面には残り一〇分と書かれている。桜が「は、ハイテクやあ……」と目を輝かせるので安芸がクスッと笑う。

 乗降口上部に取り付けられた液晶画面は都市部の鉄道で一般的に採用されており、見慣れている人には面白くとも何ともないものだったが、山間部など収支の悪いローカル線になると車両更新もままならない状況では、現在位置と次の停車駅を知る術は音声による車内放送に頼るほかなかったのである。車掌がマイクに向かって話しているだけなので、古い車両は静粛性が悪いため音に埋もれて聞き逃してしまうようなこともたびたび起きている。

 IS学園と陸をつなぐモノレールは首都圏で使われているものと同型の車両が使われていたこともあって、桜には音声放送に加えて文字で停車駅が分かることがとても画期的に見えていた。

 

「あれは何なん」

 

 安芸は童心に帰る妹を前にして久しぶりに姉らしく振る舞おうと、質問にひとつひとつ答えていった。

 一〇分はあっという間に経過して、モノレールは終点のIS学園前駅に到着した。開通してから数年の駅は生徒や学園関係者、地元の人間が利用するくらいで、政府の補助金で採算がまかなわれていた。とはいえ横浜駅と中華街をつなぐ地下鉄を意識したのか、駅は造形は良い意味で和風であり、未来的だった。

 本来ならIS学園までは徒歩なのだが、今日は学校説明会ということもあって臨時のシャトルバスが運行していた。桜と安芸はIS学園の職員と思しきスーツ姿の女性の案内に従ってシャトルバスに乗り込んだ。IS学園までは五分の行程なので、桜は手すりにつかまりながら、今更になって周りを見回した。

 ――頭の良さそうな子ばかりやね。

 学園側の審査基準の中に才色兼備(さいしょくけんび)が意識されていたのか、知的で顔立ちが整った少女ばかりだった。当然ながら保護者も上品そうな雰囲気を醸し出している。美しさの点で安芸が群を抜いているのだが、桜は身内ということも手伝ってか周りの大人たちの方が綺麗に見えた。

 ――なんだか場違いやね。さっき、年甲斐(としがい)もなくはしゃいじゃったから、みっともない、変な子やって思われたんやないやろか……うわっ、こっち見ながらひそひそ話しとるわあ……。恥ずかしい……。

 桜は急に羞恥心を思い出して自己嫌悪に陥った。なにしろ精神年齢は三八歳なので、積み重ねた年月は奥様方と大して変化がない。それどころか奥様方の祖父母と共に青春(戦争)を共に駆け抜けた。今の体で大正生まれだと言い張っても、下手な冗談だと笑われるのが落ちだった。

 

「サクちゃん?」

 

 安芸は急に口数がなくなった桜を見て、いまさら大人ぶっても手遅れなのに、桜も年頃なのだろうか、と考えていた。

 IS学園に到着すると厳しいセキュリティチェックが待っており、空港の搭乗口ゲートと同じ方式でポケットの中身やカバンの中身まで検査用の機械に通された。さらにゲート型の金属探知機をくぐるように指示され、このチェックで引っかかった人は女性職員によるボディタッチがなされた。計器の誤作動も考えられたので、何度も確認が行われ、無事通過した者はほっと胸をなで下ろしていた。

 ちなみに桜と安芸は一度で通過した。おっかなびっくりと言った風情だったが、二人の持ち物は財布と携帯端末、パンフレットや水着、タオルが入った小振りなリュックサックという軽装だったので極めて短時間で検査が終わっていた。

 足を止めて振り返った安芸が荷物の前で手を動かしていた桜に声をかけた。

 

「すっごい仰々しかったね」

「パンフレットに書いてあった通りやったわ」

 

長机に向かい携帯端末をリュックサックに収めていた桜が、パンフレットをぱらぱらとめくって答えた。

 

「空港みたいやったね」

 

 安芸は友人と海外旅行に行ったときのことを思い出していた。するとリュックサックを背負って足早に駆け寄った桜が興味深そうに聞き返してきた。

 

「安芸ねえ。空港でもこんな感じなん?」

「そうだよ。サクちゃんも飛行機に乗るときは同じような検査を受けるんだよ」

「ふうん。まあ、警備のためやからしゃあないか」

「そういうこと」

 

 そのまま職員指示に従って説明会参加者が集まる講堂に通された。

 

「うひゃあ。でかいねえ」

 

 桜はパイプ椅子に座りながら、天井に据え付けられた投影機と見上げた。全校生徒は約四〇〇名しかいないにも関わらず、広い講堂が用意されていた。バスケットボールのフルコートが二面並んでいて試合が楽しそうだな、と思うと同時に掃除の大変さを想像してしまった。

 周囲を見渡すと、生徒と保護者を含めると総勢八〇〇名を越えるだろうか。注意深く観察すると、プロテクトアーマーに身を包んだ武装警備員の他に一般職員と思しき男女の歩き方が一般人のものではなかった。顔つきもどことなく鋭く、おそらく警察か自衛隊か、もしくはシークレットサービスと言った対人戦闘訓練を積んだ者だと予想した。桜は作郎としての視点で安芸を見やる。設備の良さに圧倒されるばかりで厳重な警備には気付いていない。それとなく周囲に気を配ったが、やはり安芸と同じような様子だった。

 ――気を張る必要はなかったやろか。

 無意識に昔と重ねてしまい、IS学園を軍の教育施設として見てしまっていた。作郎だった頃、とある事情で布仏少尉から紹介された下士官にサバイバル技術や対人戦闘の稽古を付けてもらったときと似たような雰囲気があったので、もしやと思ったのだが、おそらく考え過ぎなのだろうと思い直した。

 ――あの人。名前、なんて言ったかね。

 その下士官から周囲の人間を注意深く観察するように助言を受けていたこともあり、気がついたら癖がついてしまっていた。悪いことではないが、じろじろと見てしまっては相手に失礼だろうと思っていた。

 そのとき、不意に殺気を感じて背筋が凍った。桜は思わず後ろを振り返って殺気の主を探してしまった。「どうしたの」と安芸が声をかけたものだから、

 

「知り合いに似とる人を見てつい……でも、他人の空似(そらに)やった」

 

 ゆっくり前を向き直って、肩をすくめてお茶を濁していた。

 

 

 更識楯無は警備担当から報告を聞いておおむね満足していた。IS学園は世界でも珍しいIS搭乗員養成施設であり、世界中の軍事機密やVIPが集結するため、警備に疎漏があっては日本の国威に関わる問題に発展する恐れがあることから、政府から更識家に対して警備を厳重にするよう求められていた。そのため、IS学園を一般公開する今日の説明会は実は国家の威信をかけた一大イベントだった。

 ――それに。あの子たちもいるから。

 来年入学予定である妹の(かんざし)や使用人の布仏(のほとけ)本音(ほんね)もこの場に来ていることから、楯無に万が一は許されなかった。

 講堂に集められた約八〇〇名のうち、保護者を省いた約四〇〇名がIS学園の審査をパスした未来のエリート候補である。全国から選りすぐった精鋭であり、IS適性の高い者を集めていた。

 この四〇〇名が一般入試によって八〇名以下にまで絞り込まれる。一学年は原則一二〇名を取る計画になっており、残る四〇名は推薦入試の枠として確保されており、そのほとんどが留学生向けに使われる。この学校説明会に参加しなかった者でも、記念受験にもかかわらず何らかの適性に優れていたために試験を突破してくる変わり種がいたが、そのような者は珍しいと言えた。

 楯無は眼鏡にかなう者がいれば生徒会に起用したいと考えていた。布仏本音に声をかければ快諾するだろう。しかし簪とは姉妹仲が悪く、声をかけても反発されることは目に見えている。

 ――良い子がいたら青田買いしたいぐらいなんだけどね……。

 楯無はIS学園の生徒会長である。今年で一人しかいなかった貴重な三年生が卒業すると、楯無を含めて二名で生徒会を切り盛りすることになる。今のところ、一学年上の布仏(のほとけ)(うつほ)が優秀だからこそかろうじて生徒会の業務が回っているのが現状だ。楯無以外の同級生が所属しておらず、それ故虚への負担が大きくなっている。業務内容を知る人材を育てることが大きな課題となっており、できれば五人体制で生徒会の業務を遂行していきたい、というのが正直な思いである。

 一応更識家が推薦すれば二人位までなら枠にねじ込むことが可能だが、推薦理由が生徒会の業務遂行を円滑にするためだけでは更識家の体面が悪い。お金が絡むことなので楯無の独断は許されず、更識家内部が納得するようなそれ相応の理由が必要である。

 楯無はこの場に集まった審査通過者たちのリストを思い浮かべた。現在、政府の特別推薦枠で名前が挙がっているのは二名であり、日本の代表候補生である更識簪とIS開発者である篠ノ之(しののの)(たばね)博士の妹、篠ノ之(ほうき)だ。

 なお、布仏本音は更識家の特別推薦枠を利用している。本音は簪直属の使用人であり彼女の護衛の責任者でもある。本音にはいざとなれば迷うことなく人を殺せるように訓練を積ませてあった。対人戦闘技能は楯無をして舌を巻く腕前に育っていた。簪も更識家の者として恥ずかしくないような訓練を積んでおり、自分の身を守るくらいの動きはできる。少なくとも恐怖で声を上げられないような性質ではなかった。そして篠ノ之箒は剣道の全中覇者だ。実家が剣術道場ということも手伝って、剣術や居合い、対甲冑(かっちゅう)格闘術に秀でていた。おそらく刃物に慣れていない一般人が相手ならば、かすり傷すら負わせられないだろう。できれば彼女も生徒会に引き込みたいところだが、このあたりは希望的観測に頼らざるを得なかった。

 ――変な子がいるなあ……。

 ふと楯無はパイプ椅子の背もたれに向かって正座し、天井を見上げていた少女に目をつけた。小学生のようにはしゃいでおり、隣に座る姉と思しき女性は嫉妬を覚えるほどの美人だった。というかテレビの深夜番組で見たことがあった。芸名は安芸といったか。ファッション誌のモデルで彼女が身につけたコーディネートを真似したことがあったので覚えていたのである。

 そこで記憶の引き出しを開けて少女の名前と素性を呼び出す。名前は佐倉(さくら)(さくら)。姓と名が同じ読み方なので印象に残っていた。

 

「いかにもお(のぼ)りさんみたいな感じ。可愛い」

 

 楯無はパイプ椅子をガタガタと揺らす姿にクスリと笑う。少女は姉と顔立ちが似ていて、楯無が男だったら決して放っておかない、びっくりするくらい華やかな顔立ちだと分かった。

 桜はしきりに左右を見回している。彼女が通う中学は山間部の学校で一学年に二クラスしかいないから、これだけの人数が集まるのは珍しいことだと推測ができた。

 

「えっ……?」

 

 桜の顔つきが変わるのを目の当たりにして、楯無は驚かずにはいられなかった。

その視線が警備の者に向かっていた。職員の中に潜り込ませた更識家の手の者を見抜き、一般人のように振る舞いながら観察眼を向けている。まるで警備のレベルを値踏みしているかのようだ。

 ――彼女はいったい何者なの……。

 審査通過者の素性はすべて洗っていた。経歴に問題がないからこそ学校説明会に参加できたのであり、家族構成や親族に不審な者がいた場合はすべて審査の段階で対象から除外していた。またグレーゾーンと判断した者は要警戒対象として審査を通過させるか、一般入試当日の要注意対象とした。

 まさか更識家の情報網に疎漏があったのだろうか。確かに完璧はありえない。万が一に備えて更識家と学園防諜部(ぼうちょうぶ)、そして自衛隊の出向員も待機している。

 彼女は姉を見てぼんやりとした顔つきを作り、つぎに周囲の様子に気を配った。再び警備員へ注意を向ける。その警備員は至って普通のスーツ姿であり、説明会進行のスタッフという位置づけで、見た目からして警備担当と分からないようにしてあった。

 楯無はつまらない妄想に駆られていることを自覚していた。もし彼女がテロリストなら? もしも制服の下に爆弾を隠し持っていたら? ありえない。そんなものは妄想だ。妄想を現実化しないよう厳しい持ち物検査を科しており、プロの目を光らせている。国内に()()()()()()()()()テロ組織が存在するものか。

 ――試してみるか。

 そのとき楯無はとても良いことを思いついたと考えていた。もしかしたら本当に一般人で偶然警備員が目についただけなのかもしれない。物珍しいから観察していただけかもしれない。気の迷いであって欲しい、と楯無は切実に願っていた。

 やることは簡単で、おそらく本音ならば気付く程度の殺気を向ける。堅気(かたぎ)の者なら気付かない。明確な殺意を持って他人を殺した事があるか、それ相応の訓練を積んだ者だけが感じ取ることができる類のものである。

 ――私ったら本当に馬鹿なことやってるよね……ないない。

 楯無は愚かな考えに自嘲しながら、密かに殺気を向けた。彼女が長期間監視を続けていたテロリスト、という設定である。

 すると予想通り本音が振り返った。にこにこと小さく手を振る楯無を見つけて、むっとした様子でにらむ。紛らわしい真似をしないでほしい、と目で語っていた。

 ――そんなことって……。

 楯無が危惧(きぐ)したとおり桜が振り返った。ぼんやりとした顔つきではなく、注意深く殺気を向けた人物を探ろうとしている。その事実は楯無の頭を殴りつけるかのような衝撃を与えていた。

 愚かな妄想という考えも否定できなかったが、少なくとも楯無は桜の素性(すじょう)に疑念を抱いていた。

 

 

 



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中学三年生(四) 迷子

 校長先生の挨拶が終わってIS学園の教育方針についての説明が、担当の職員によって行われる中にあって、顔を青ざめさせて脂汗を流しながら幾分前のめりになってお腹を押さえていた。

 

「ふ、ふううう……」

 

 荒く呼吸しながらかれこれ一〇分ほど耐え忍んでみたが、痛みが引く様子はなくむしろ(ひど)くなっていた。

 思い当たる原因として、昨日ディナーブッフェを周囲の客が引くほど食べたことや、朝食のお弁当を大量に食べたことが考えられる。いずれにしろ休憩時間に至るよりも早く限界を超えることが予想された。

 ――腹が痛い。お腹が痛い。安芸ねえ助けて!

 桜は顔をしかめるばかりで檀上の声が耳に入らなくなっていて、しきりに身じろぎする様子に気付いた安芸は心配そうに声をかける。

 

「サクちゃん。大丈夫?」

 

 安芸も前のめりになって肩を寄せる。そっと手を背中においてさすってみたが桜の様子は一向に良くならなかった。あえぐように唇を開けては閉じていた桜だったが、我慢の限界に達したことで何とか言葉を紡いでみせた。

 

「と、トイレ……うっ」

 

 たまらず席を立つ。一時的に周囲の視線が桜に集中する。いつもなら恥じ入るところだが、今の彼女にそのような余裕はなかった。お腹を押さえつつ前傾姿勢になって、足早に講堂の外を目指した。

 桜が体調を崩したと察して、スーツ姿の男性職員が歩み寄ろうとした。だが、渡り廊下で待機していた更識楯無が代わりに対応すると申し出たため、その男性職員は桜の身を預けて講堂の中へ戻っていった。 

 桜がすがるような目つきで心配そうな顔つきの楯無を見上げた。

 気を紛らわそうと彼女の所作を観察する。外側にはねた水色のショートヘア。IS学園の制服。黄色のリボンを身に着けている。柳のような腰は何らかの訓練により鍛え上げられたものとわかる。武術をたしなんだ者の歩き方で、正中線がぶれず、腰や膝の使い方からして一般人とは異なっていた。

 ――布仏少尉が知り合いや言っとった、あの下士官(せんせい)と同じ身のこなしをしとる。……アイタタ。

 楯無が顔を近づけて「お腹痛い?」と聞いてきた。

 

「お……お手洗いの場所を教えて……」

 

 桜は真っ青な顔で訴えかける。下腹部から猛烈な痛みが走ったので、楯無と知り合いの下士官との類似点を検証する気持ちはどこかに吹っ飛んでしまった。

 

「うん。案内するから。近くだから頑張って」

 

 楯無は桜の限界が近いと見て、手短に応じた。

 桜は歯を食いしばりながら首を縦に振って後についていく。だが、道を覚える気力が残されておらず、うつむきがちになって楯無の足ばかりを見ていた。

 

「ほら、そこにお手洗いがあるから。あと少しだよ」

 

 桜の身を案じた楯無が明るい声を出して、前方にあるお手洗いの看板を指差した。

 ――助かった。もう限界やけど。もうちょっと我慢せんと……。

 桜は力を振り絞って足を踏み出す。今にも死にそうな顔をして息も絶え絶えといった風情でお手洗いに駆け込んだ。その背中に向かって楯無が「帰り道はわかる?」と声を投げかけ、桜はよく聞き取れないまま「はあい!」と大きな声で返事していた。

 しばらくしてすっきりとした表情になって洗面所に立った桜は、鏡に映り混んだ自分の顔を他人事のように眺めながら考え事をしていた。自動水栓なのでずっと手をかざしてもみ洗いを続けている。

 ――慣れへん遠出で食べ過ぎたのが原因や。調子に乗って弁当の芋ばっか食べるんやなかった。そういえば、初めて赤とんぼに乗った時も似たような事やって教官にめっちゃ怒られたなあ。……三八にもなって、まるっきし成長しとらん。

 赤とんぼは九三式中間練習機のことで、旧日本軍の練習機は目立つようにオレンジ色に塗装していたことからこのような愛称がつけられている。

 佐倉作郎が予科練の時分、十代の育ち盛りということもあってよく食べた。食べ方が悪かったのか訓練中に体調悪化で基地に舞い戻ったり、突然エンジンの不調に遭ったりと散々な経験ばかりだった。

 桜は澄ました顔になって手を拭きながら、楯無にお礼を言おうと思ってお手洗いを後にした。

 

「お姉さんがおらんなっとる」

 

 桜は呆気にとられてしまった。桜は楯無の姿を探して周囲を見回し「あっ……」と手を打って、楯無が別れ際に言った言葉を察した。

 ――あのお姉さん。私が道を覚えとると勘違いして……?

 腹が痛くて周囲に気を配る余裕はなかったため、道を覚えているはずもなかった。窓の外に見えるのが講堂と思しき建物だからそこに向かって歩いていけばよいと考えたが、さりとてIS学園は広大だった。初めての空母で道に迷ったことがあるものの、桜自身は方向音痴ではないと思っていた。とっさに制服のポケットをまさぐってみたら、頼みの携帯端末は電源を切ってリュックサックの中に入れたことを思い出して項垂(うなだ)れた。

 

「やってもうた……」

 

 桜はその場で頭を抱えてうずくまってしまった。己のミスに恥じ入るばかりである。大して歩いていないので、講堂に向かえば誰かと会えるはずだからその人に道を聞こう、と考えた。うまくいけばそのまま戻れるかも知れない。桜は必死に考えを巡らせた。

 

「とりあえず進むか」

 

 桜は歩きながら昔の事を思い出していた。見知らぬ土地で迷子になったのは初めてではなかった。迎撃任務に就いていた頃だから、確か乗機はA6M3、つまり零式艦上戦闘機三二型である。爆撃機迎撃のため空に上がったら突然エンジンが黒煙を噴いて停止した。そのときは思わず「またか……」とぼやいてしまったが、再始動を試みると爆発する恐れがあった。仕方なくグライダーの真似をして不時着できる場所を探した。幸い計器が生きていたので降下速度に気をつけ、風を読んで畑の上に不時着したが、主脚をはじめとして機体を半壊させてしまった。打撲だけですんだのは幸運だった。

 危機レベルの面ではいささか比較対象を誤っている気がした。桜はとりとめのないことを考えていると自覚し、考えを整理すると「とりあえず諦めるな」ということに落ち着いた。

 ――おかしい。これはおかしい。いつになったら講堂に着くんや。

 桜は先ほどからずっと同じような場所を歩いている気がしていた。関係者以外立ち入り禁止の張り紙があったので、引き返しては曲がってを繰り返したら完全に迷ってしまった。たかだか全校生徒数四〇〇名弱の高校なのに、どうしてこんなにも校舎が広いのだろうか。桜はIS学園の規格外の敷地の広さを呪った。

 ――困った。この学校は全寮制やから、部活動で学校に来とる生徒がいてもおかしくないはずなんやけどなあ。

 現実は楯無と別れてから誰一人として出会すことがなかった。まるで神様の悪戯で桜を避けるように命令されているとした思えなかった。

 

「お腹すいたなあ。安芸ねえ、今頃私のことを探しとるんやろか」

 

 安芸は案外ふわふわしているので気にしていないのかもしれなかった。学校説明会に行って迷子になったとか、同級生に知られたら笑いものになってしまう。しかも路銀は安芸が預かっていて、手持ちのお金は一〇〇〇円札一枚だった。モノレールに乗って安芸の携帯端末に電話するだけで精一杯である。

 ――いっそのこと、迷子の放送をしてもらうか。

 初めて空母に乗って迷子になった時は、機関科の下士官に請うて甲板への経路を教えてもらったこともあった。恥を忍んでいてはだめなときもある。そう思って、桜は気を強く持って職員の姿を探す。

 しかしその勇み足は三〇分も続かなかった。

 

「ふええ……」

 

 桜に生まれ変わって年を経るほどに、感情の揺れに流されやすくなっていると自覚していた。

 ――作郎やった頃の私はこれほど涙もろくはなかった。最後の夜などは涙一つ出なかった。それがどうや。女の体に生まれ変わったら心まで弱くなってしまった。

 

「安芸ねえっ……」

 

 桜は孤独が怖くて泣きべそをかいていた。お腹もすいていた。計られたかのように誰にも会えない。

 ――感情が、桜としての未成熟な心に引っ張られとる。私は……。

 

 

 学校説明会が開催されるため、IS学園教員の山田真耶は日曜にもかかわらず休日出勤していた。彼女は午後の部から手伝うことになっていたため、午前中は課題の添削で時間を潰していた。そして一足早く昼食を取るべく食堂までの道すがら、見慣れないブレザーの制服に身を包む桜の姿を見かけて足を止めた。

 

「声をかけた方がいいよね……」

 

 真耶は桜の様子が尋常ではないと感じていた。気になって見つめていたら、突然しゃくり上げたかと思えばわんわん泣き出したものだから驚いてしまった。周りを見渡しても他の職員の姿はなく、職員室まで戻るには少し遠い。他の職員の大半が講堂にいて、部活動や説明会に参加する生徒が登校しているが、やはり真耶のいる場所からは遠い。明らかに迷子なので、真耶が保護者に送り届けるのが上策と言えた。

 一歩を踏み出す前に左腕をひっくり返して時計を見つめる。真耶は「あっ……」と短く声を上げた。学校説明会のプログラムでは午後の部として訓練施設を案内するため、一度食堂で昼食をとってもらうことになっていたことを思い出す。

 「安芸ねえ」と何度も口にしていることから彼女は姉と一緒に来たのだろう。敷地の広いIS学園の校内で迷ったのであればとても心細いはずだ。

 ――よしっ。

 真耶は少女に声をかける決心をした。

 午後の部の前に説明会参加者が食堂へ引率されるはずだから、そのときに彼女の保護者と引き合わせてやろうと考えた。また、真耶と同じように警備担当の職員も昼食を取りに来るはずだから、彼らに任せてもよいだろう。

 真耶は眼鏡の位置を直して柔和な顔つきになって桜に近付いた。

 

「説明会の参加者ですよね。もしかして道に迷ったのですか?」

 

 真耶の声に振り返った桜の顔は涙に濡れていた。真耶は表情にこそ出さなかったが、「綺麗な子」という印象を抱く。IS学園には美人が多いとされて顔立ちが整った子に見慣れていたとはいえ、ちょっとびっくりするくらい華やかな顔立ちをしていた。

 桜は真耶のことをようやく現れた救世主のように感じ、涙と鼻水をぬぐった。

 

「……えぐっ。お、お姉さんはここの……ひくっ……先生?」

「そうですよ。だから、とりあえず落ち着いてくださいね」

 

 真耶は状況を把握するべく笑顔のまま質問する。

 

「どうしてここに?」

「えぐっ……お腹を壊して……トイレに行ったら……道が分からなくなってもうた……」

 

 その答えに真耶は「あり得ない話ではない」と感じた。IS学園の敷地は広大で、真耶が通学していた小中学校と比べても明らかに広かった。

 新入生がアリーナで遭難する話が時々職員室で話されるが、平時は職員が監視していることや、多くの場合アリーナ整備に携わる人員が詰めているため、そのまま夜を過ごしたという話は聞いたことがなかった。

 しかし目の前にいる少女は初めてIS学園を訪れ、しかも真耶が来るまでひとりぼっちでいたから、とても心細かったに違いない。

 真耶はおもむろに手を取り、桜を顧みて微笑んだ。

 

「先生ね。今から食堂に行くから一緒に来る?」

「え……食堂?」

「そう。説明会の参加者が食堂で昼食を取るように説明されるはずですから、多分待っていればお姉さんが見つかると思うよ」

「う……うん。行く。食堂に行きます」

 

 ぱあっ、と桜の顔が明るく輝く。

 

「じゃあ行こうか」

「お、お願いします」

 

 桜は息を整えながら小さくうなずいていた。

 

 

「サクラサクラ……素敵な名前ですね。私、やまだまやっていうんですけど、なんだか雰囲気が似ていますね」

 

 もちろん上から読んでも、下から読んでも同じ読みというニュアンスである。桜は「やまだまや」と何度か繰り返しつぶやくことで回文になっていることに気が付いた。

 真耶に連れられて食堂に到着した桜は、財布から千円を取り出した手を制止するように、真耶がにっこり笑った。

 

「私が(おご)りますよ」

「……ええんか。でも、なんか悪い気がするなあ」

 

 真耶が「遠慮しなくていい」と告げたので、桜は少し考え込む素振りを見せてから好意に預かることにした。

 改めて券売機に向かう。休日の特別営業のため選択できるメニューが少なかった。定食のご飯を大盛りにすべく、タッチパネルの隅々までくまなく探していたら、真耶が口を挟んだ。

 

「ご飯なら口頭で量を調整できますよ。量は無料で五段階まで選べるんですよ」

「へえ……」

 

 定食メニューの定番である焼き魚定食を選んだ桜は、真耶の動作を真似るようにしてトレーに定食の皿や小鉢を乗せる。ご飯コーナーは箸やドリンクサーバーが置かれた空間の手前に配置されていた。

 

「ライスメガ盛りで!」

 

 ご飯は小盛り・中盛り・大盛り・特盛り・メガ盛り(富士盛り)の五段階があり、桜は迷うことなくメガ盛りを選んだ。ちなみにメガ盛りはカロリー摂取に敏感になりがちな生徒が決して選ぶことはない、ジョークメニューとして知られている。

 真耶はひときわ大きなどんぶり茶碗(ちゃわん)に、山のように盛られたご飯を見てあっけにとられてしまった。

 

「そんなに……食べるの?」

「うちじゃこれくらい普通や」

 

 桜が真顔で言う。それを聞いた真耶はぽかんとしていた。しかし食事を楽しみにしている桜を見ていたら自然と破顔していた。

 休日かつ、十二時を回っていないこともあって閑散としている。二人はテーブル席を陣取り、お互いに向かい合うような配置で席に着いていた。

 申し合わせたかのように手を合わせて「いただきます」と言ってから箸を取った。

 

「佐倉さんってどこの中学なのかな」

 

 桜はおかずを飲み込んでから中学名を告げた。一昨日(おととい)伊藤に言われたことを思い浮かべながら、言葉を選んだ。

 

「うちの学校は一学年に二クラスしかなくて、私の家なんかすっごい山奥にあるんです」

「ふうん。ここに来るのに結構時間かかったでしょ」

「新幹線に初めて乗ってな。もう速いのってなんの! 在来線と私鉄しか乗ったことなかったからびっくりしたわ」

「……佐倉さんはどうしてIS学園を志望したのか教えてくれるかなあ」

 

 真耶は教員という仕事柄、IS学園を志望する理由を聞いてみたくなった。元代表候補生という経歴から、真耶にも生徒選考の権利が与えられていて、強く推薦すれば一人程度ならば合格させることが可能だが、他の先生方を納得させる理由でなければならなかった。

 桜は静かに深く息を吐いて、芯の通った強い瞳を浮かべる。

 

「空を飛ぶため。敵のおらへん空を自由に飛びたいんや……じゃなくて、飛びたいです」

 

 その変化に真耶は「おや?」と思った。一四、五歳という年相応の少女の顔が消えて、大人の顔つきをして見せたことに感心していた。

 ――きらきらした顔。

 夢に向かって理想を純粋に追い求める姿がそこにあるように思えた。

 だが真耶は知らない。桜の知る空が、命を()した地獄そのものだったとは思いもよらず、桜が口にした「敵」という言葉の意図に気付くことはなかった。

 桜がすぐに相好を崩してご飯を口にする。炊きたてということもあってメガ盛りのご飯を止まることなく口にかき込んでいく。真耶は豪快な食べっぷりにあっけにとられていた。

 

「うまい。うまい」

 

 桜はどんぶり茶碗を置いて焼き魚に箸をつけ、みそ汁をすすって再び米を口にする。

 

「佐倉さん……?」

 

 真耶は桜の異変に気付く。彼女はしきりに「うまい」とつぶやきながら、涙していた。寂しいからではなくもっと別の理由だった。

 

「塩味やったっけ。しょっぱいけどうまいな、この白米」

 

 

 



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中学三年生(五) 入試

5/17 IS学園一般入試出願数と倍率を修正しました。
9/08 二次試験での一日当たりに受験可能な人数に誤りがあったため、試験期間を修正しました。


 時は流れて入試シーズン。曇天の中、霜が降りて息は白い。

 IS学園は専門的な内容を学ぶことから一般入試による募集人員が八〇名と少なく、その倍率は約一五〇〇倍に達する。そのため入学者選抜試験が二次試験まで課され、一次試験が学力検査、二次試験が実技試験並びに面接、心理テスト、身体検査である。学力検査はマークシート式を採用している。合格基準は八割で、一切ミスが許されない試験として名高い。理由は合格基準までの問題は標準的難易度だが、残り二割の問題が極めて難易度が高く作られていることから時間内に解くことは不可能とされていた。また全体の比率としては少ないものの、海外からの一般入試受験者がいるため学力検査に限り各国の主要都市に試験会場が設けられた。もちろん、各都道府県の主要都市も同様である。

 例年出願数が約一二万名に達することから、学力検査に限り各国の主要都市に試験会場が設けられた。

 そして学力検査とIS適性によって約一二万名が約四〇〇〇名まで絞り込まれる。一次試験と二次試験の間は約一ヶ月が開けられ、二次試験は延べ一七日にわたって実施されることになっていた。

 無事一次試験を通過した桜は、県外から二次試験を受験するため会場近くのホテルに部屋を借りて前泊していた。学校説明会での一件以来、伊藤や奈津子から口酸っぱく体調管理について(さと)されていた桜は、迷子になった事実を重く受け止めて反省した。奈津子の管理の下、試験二週間前から食事量の調整を行うなど行動で示した。桜としては安芸が心を痛め、母親が涙目になったことが一番辛かった。

 さて、桜の二次試験での受験番号は五二〇番である。朝、受験票を片手に試験会場へ赴き、待合室としてあてがわれた教室へ足を踏み入れると、初めのうちは張り詰めた緊張感が心地よく感じられた。

 ――みんなできそう。

 私語を慎む同年代の少女たち。伊藤情報によれば実質一日目の実技試験で勝負が決まるらしい。明日の面接試験はよほどの失態を演じない限り、合否にほとんど影響を及ぼさないのだとか。また心理テストや身体検査も心身ともに健康ならば特に気にしなくともよいのだという。

 桜は緊張と興奮のあまり挙動不審になっていて、教室内をうろうろと歩くうちに、隅の席で外国人にしては小柄な受験生を見つけ、好奇心からどんな顔立ちなのかと近寄っていった。

 ――きれいな子やね。西洋人形みたい。

 桜は金髪碧眼で、いかにもプライドが高そうな自信に満ちた雰囲気を漂わせる少女の横顔をぼんやりと見つめた。

 桜は知るよしもなかったが、彼女こそ英国の代表候補生にしてB.T.型一号機(ブルー・ティアーズ)の専任搭乗者、セシリア・オルコットである。推薦枠のため筆記試験を既に終えていた彼女は、スケジュール調整の結果、一般入試二次試験の日程に合わせて来日し、実技試験を受けるように要請されていた。学力実力とも既に入学条件を満たしていたセシリアにとって出来レースと言い換えても良かった。しかし、事前に試験官が元代表候補生と知らされていたことから、その心は(たか)ぶった。

 試験官の山田真耶は野戦フィールドでの戦績が良くなかった。だが、山岳フィールドにおいてはフラッグ防衛戦の名手として名をはせた女性である。経験値の差を考慮すれば、セシリアに油断は許されなかった。

 ふとセシリアは熱い視線に気がついて、その主を探した。

 

「……わたくしがどうかしまして?」

 

 視線の主はすぐに見つかったので柔らかく声をかける。

 一方、桜はじろじろと視線を向けていたことが気付かれたと悟ってひどく(あわ)てていた。

 

「ご、ごめんなさいっ……!」

 

 外国人といえばコテコテの大阪弁を話すスペイン系の少女としか話したことがなかった桜は、不思議に思って首をかしげたセシリアから気品のようなものを感じ取って、いてもたってもいられなくなって、腰を九〇度に折って謝る以外に思いつかなかった。

 セシリアは目を丸くした。「謝られる覚えはない」と口を開こうとしたら、桜が脱兎(だっと)のごとく駆けだして自らに割り当てられた席に向かってしまった。

 

「もうっ……なんですの」

 

 桜の無礼に向かって不機嫌な声を出す。桜の行動が悪目立ちしたのか、はたまた教室に一人だけ外国人がいるためか、セシリアに好奇の目が集まっている。セシリアは納得がいかない顔つきで正面に向き直った。

 桜はチラとセシリアを忍び見て、今ごろになって失礼な対応をしてしまったと反省し、自席で小さくなっていた。

 時間になって担当の男女二名の職員が入室した。女性がクリップボードを片手に持ち、男性が段ボール箱を乗せた折りたたみカートを押している。

 全員が席についていることを確認した職員が試験の流れを説明する。要約すると一人当たり試合時間は五分。一教室につき四〇人がいて、それぞれ担当の試験官がいる。試験終了は一八時の予定である。

 セシリアは最前列の右隅で話を聞いていた。受験番号五〇一番とはつまり、一番最初に実技試験を行う。一方桜は昼食後しばらくしてからという計算だった。もちろん試験が速く進めば前倒しになるし、何かトラブルがあれば後ろにずれこむ。二交代制とはいえ試験官への負担が大きく、セシリアが最初に戦うことになったのは試験官側のベストコンディションを考慮してのものだった。

 そして職員が段ボール箱を教卓に置き、袋に番号が書かれた紙が入った水着のような衣装を取り出して見せた。

 

「今から実技試験で使用するためのISスーツを配布します。サイズに関しては皆さんが願書に記載したデータを使用しています。もしサイズが変わった場合は申告してください。予備がありますので交換します」

 

 セシリアが質問するべく挙手した。入室時にカートを押していた男性職員が彼女の前に立つ。職員は英語による意思疎通が可能だと知らされていたが、セシリアはあえて日本語を使った。

 

「ISスーツを持参してきた場合は?」

 

 男性職員は戻って、女性職員に内容を伝える。女性職員が受験生の顔を見回した。

 

「先ほどの説明に補足させていただきます。ISスーツを持参した場合は受領する必要はありません。実技試験では持参したものを使用してください」

 

 女性職員の答えを聞いて、セシリアが満足したように礼を言った。

 

「これからISスーツを配布します。袋に番号が書かれた紙が入っています。受験番号と一致する番号を取ってください。よろしくお願いします」

 

 職員が二人で分担して袋入りのISスーツを列ごとに配布する。桜は学校説明会の頃よりも背が伸びて一六〇センチになっていた。

 ――水着と変わらん。

 もう慣れたこととはいえ、男性の精神を有する桜にとってはある意味拷問のようなデザインである。しかしながら、恥ずかしがってしまうと余計に目立つと経験的に知っていたため、渋々紙に記載されたサイズを確認する。伸縮性があるらしく、今の体型でも十分に間に合うので交換する必要がなかった。

 ちなみにサイズアップを申し出た生徒は一名、スーツを持参した生徒はセシリア一人だった。

 

「今から冊子を配付します」

 

 職員は全員に冊子が行き渡ったかどうかを確かめ、つづけて記載内容の説明を行った。

 

「実技試験で使用するISのデータシートです。拡張領域(バススロット)に入れる装備を選択できます。冊子表紙の枠に受験番号と名前、選択する装備の記号を記入してください。装備はよく考えて選択してください。なお、記号が未記入の場合は標準装備が選択されます」

 

 桜はもらった冊子にさっそく名前を書く。表紙をめくると、小さな文字がびっしりと詰まったデータシートと装備の写真が敷き詰められている。

 ――何や、これえ……。

 九ミリ拳銃に一二.七ミリ重機関銃、はたまた二〇ミリリボルバーカノン、四六ミリガトリング砲、スモークグレネード。日本刀にしか見えないロングブレード、コンバットナイフにしか見えない近接ショートブレード。キラースティックと呼ばれる戻ってこないブーメランまであった。ヴァル・ヴァラという変な名前の武器が載っているのを見つけ、気になって備考に目をこらせばブーメラン型ミサイルと書かれていた。

 ――中学生に持たせる武器やない。

 データシートを目で追っていくと下の方へ行くにつれ内容が怪しくなり、IS用バールやIS用シャベル、ドリル、パイルバンカーまでもが記載されていた。ちなみに標準装備は一二.七ミリ重機関銃とロングブレードである。二〇ミリリボルバーカノンも推奨とされていた。

 これら訓練機は多種多様な装備を利用するため実技試験用に調整され、装備の有効化(インストール)無効化(アンインストール)によって限られた領域(リソース)を確保していた。打鉄は癖のない平均的な性能のISコアを利用しているため、どんな武器でも扱うことができた。同様の事がラファール・リヴァイヴにも言えた。

 職員がハンズフリーマイクに向かって言葉を交わしている。しきりにうなずく様子からして準備が整ったらしい。

 

「今から読み上げた番号の生徒は引率する職員の後に従ってください。試験後この教室には戻りません。荷物を忘れないようにしてください。なお、使用後のスーツに関しては担当の者の指示に従ってください。では番号を読み上げます」

 

 五〇一番から五〇四番までの生徒が呼ばれ、静かな教室に席を立つ音が騒がしく響いた。

 

 

 昼食はコンビニ弁当で、腹をふくらませるには十分である。だが、IS学園の食堂でとった定食と比べて同じ値段とは思えないほど味の差があった。

 五一七番から五二〇番まで読み上げられ、桜も席を立つ。

 カバンにしまったISスーツをよけて、受験票と筆記用具、配布された冊子を突っ込む。職員の引率に従って併設された大きなアリーナに連れて行かれた。アリーナの側に部屋があってその中に職員がいた。職員が受験番号を告げ、倉庫と思しき空間に通される。その場でISスーツを身につけるように指示されたので、桜はISスーツを身に着けた。

 そして職員に荷物を預けてから倉庫の奥へと案内された。

 ――この感じ。懐かしい。

 桜は武骨な甲冑(かっちゅう)の周囲に、つなぎや白衣を着た男女が(せわ)しなく働く姿を見て昔を思い出していた。桜は事前に配布された冊子を取り出して職員に渡した。番号が若い順に確認していた職員が桜の提出した冊子だけ、他の受験生よりも長く見つめていた。

 ――銃は標準や。なら、シャベルを選んだのが変なん?

 桜は扱いやすいだろうと思い、一二.七ミリ重機関銃とIS用シャベルを選択していた。ロングブレードでも構わなかったが、たかが五分間で扱いに慣れることはできないと考えたためである。シャベルを選んだのは単に一番扱い慣れた鈍器という理由にすぎない。

 職員が手持ちのクリップボードに番号をチェックし、装備転換を担当するつなぎ姿の男性の整備員に冊子を渡した。

 整備員もまた桜の冊子を見てにやにやと笑った。

 桜の眼前には二機の打鉄が並び、装備の簡易メンテナンスや装甲の洗浄が行われている。試験会場に運び込まれた受験者用のISは全部で二一機。打鉄一八機に、ラファール・リヴァイヴ三機である。それに加え、試験官用ISが七機加わっている。

 五一七番が呼ばれ、打鉄に背中を預けるように指示された。他の整備員が彼女に注意事項を言い聞かせている。しばらくしてロボットアームが打鉄をつまみ上げ、ベルトコンベアに乗せられて実技試験場へと運ばれいった。

 桜は自分の番号が呼ばれるまで少し時間があったので、脇に控えていた職員を捕まえて質問する。

 

「あの……私が選択した一二.七ミリ重機関銃って反動が強すぎたり、弾丸がまっすぐ飛ばないようなことはありませんか」

 

 高速での旋回戦闘が発生する可能性を考え、弾丸の初速が遅いと色々やりにくい。実技試験場の広さから中距離戦までのため、気にしなくとも良いと言えたのだが、桜にとって初めて手に取る銃火器だから聞いておかずにはいられなかった。

 職員は聞き始めこそきょとんとしていたが、すぐさま口を開いた。

 

「懸念されているような事象は発生しませんよ」

「ありがとうございます」

 

 桜は礼を口にする。もう一つの選択装備であるシャベルは見たままの用途だから特に言うことはなかった。

 装備転換と洗浄が終わった機体から順番に搭乗するように言われ、一〇分ほど経過したときに桜の番号である五二〇番が呼ばれた。

 

「はい!」

 

 勢いよく返事をすると、つなぎを来た男の職員が声をかける。気持ち目が笑っている。彼は桜とのすれ違いざまにこっそり「がんばれよ」とつぶやいた。

 足を止めた桜が丁寧にお辞儀をすると、先導する職員の指示に従って段を上り、ISの装甲に触れた。よく見ると装甲の隙間に塗料が残っている。

 静電気が指先を走り、なぜだか懐かしさがこみ上げてきた。

 そして、とにかく肌になじむ。打鉄が桜が乗ることを待っていたかのような錯覚に陥った。

 背中を預けるように、椅子に座るような感覚で灰色の装甲をまとう。コックピットに座るのとは違って打鉄が桜を受け止めて彼女の体に合わせて装甲が閉じられた。

 外部装甲の裏を伝うダクトから排気音が伝わる。最初から一体であったかのように神経とISコアが接続され、生身の手をグー、チョキ、パーと形を変えようとしたら打鉄のマニピュレーターが桜の意図通りの動きを示した。

 ――これがIS。

 すると視野が一気に広がった。大空の中に一人で両手を広げて風に乗るかのような感覚がとらわれ、倉庫を見下ろし、そこにいる人々が何をしているのかがすべて手に取るように分かった。桜自身も神の視点から見下ろした一つの個体である。

 つなぎ姿の整備員は待機する桜の表情を見て、「おやっ」とつぶやいた。彼女の隣に五一九番の受験生がいたが、彼女はとても緊張していて目が泳いでいた。無理もない。英国の代表候補生である五〇一番をのぞく一般入試受験者は今日初めてISに搭乗したのである。そしてわけもわからないまま実物の武器を持たされ、模擬戦をしろと言われる。イメージトレーニングをしようにも、日本にいる限り現実の武器を手にする機会はほぼ無い。しかも試験官はベテランであり審査基準が非公開ときて、緊張しない方がおかしい。

 改めて五一九番と五二〇番を比較すると、後者がとても落ち着いていて素人らしくないのがわかる。手元のデータには総搭乗時間の欄に「ゼロ」と記載され、初搭乗だったにもかかわらず、まるでずっとISに乗ってきたかのように自然に振る舞っている。ISという名の衣服を身に着けている、という印象を抱く。フィッティングの最中でも目が輝いていて、そのくせ倉庫にいる職員の動きを把握しているかのような顔つきだった。「見られている」という感覚がたまらなく不気味だった。

 ベルトコンベアの駆動音が徐々に大きくなる。五一八番の搭乗機が戻ってきた。

 ――これまた手ひどくやられているな。

 青いペイント弾の被弾跡が合計三発残されていた。搭乗者は試験が終わったことを安堵(あんど)しながらも、荒い息をついて余裕がなさそうにしていた。打鉄を固定すると、すぐさま端末からコマンドを送信して受験生を下ろす。別の職員が待機していた五一九番の受験生に声をかけ、ロボットアームが忙しない動きで打鉄自体をベルトコンベアの上に乗せて試合会場へと送り出す。

 すぐさま矢継ぎ早に五一八番の受験生が使っていた機体に水が噴射され、汚れを落とすや温風を吹きかけて水分をとばした。五二一番以降の受験生が到着しており、職員が説明を行っている。

 ――もうすぐや。

 桜は胸の高鳴りを押さえきれなくなっていた。楽しみだった。なんとなくこのISが素直な子だという感触を抱いていた。打鉄は癖がなくて扱いやすい機体だと言われていたが、今初めてその理由が理解できた。

 視野の下部に「受験生の皆様へ・実技試験について」というメッセージが点滅していたので、桜は眼球を動かして内容を展開する。簡単な操作方法と試験官のISと装備についての情報が記載されていた。

 ラファール・リヴァイヴ。フランス・デュノア社製。搭乗者は山田真耶試験官。武装は二〇ミリリボルバーカノン二(ちょう)とナイフ型近接ショートブレードというシンプルな装備だった。

 ――二〇ミリかあ。当たったら痛そうやね。

 桜は二〇ミリ弾を被弾する様子を想像してみる。操縦する機体に穴があいて、金属が悲鳴を上げる様はとても恐ろしく、死の直前にさらに大口径の四〇ミリ機銃弾によって片肺を潰される致命傷を負ったことを思い出して震え上がった。

 ――何にせよ。がんばらな。父ちゃんに母ちゃん、奈津ねえに安芸ねえ。イトセンに同級生たちの応援に応えなかんわ。

 桜は彼らの顔を思い浮かべ、口を真一文字に引き結ぶ。

 あっという間に五一九番の機体が戻ってきた。青いペイント弾の直撃を受け、受験生は呆けたような顔をしている。わけがわからないうちに終わってしまった、と考えているのは想像に難くない。

 

「五二〇番!」

 

 桜が鋭く返事をすると、ロボットアームがその乗機をつかんだ。

 

 

 




補足です。
本作におけるIS学園の一般入試二次試験の期間は以下の計算を根拠としました。
(9/8 修正しました)

【目的】
・ISの割り当てについて
IS学園保有の訓練機を合計三〇機とします。
内訳は打鉄が一八機、ラファール・リヴァイヴが一二機。
受験生に割り当てられた二一機中、一八機が打鉄、三機がラファール・リヴァイヴです。
残り九機のうち七機が試験官の乗機とする。二機が補機となります。

・受験生について
一グループを四〇人とします。
試験を9:00開始、18:00終了とした場合、試験時間は休憩を考慮すると実質八時間となります。
ISに対して簡易整備と試験を行った場合、一機あたり二〇~三〇分かかるものと仮定しました。
三機あればローテーションを組むことができ、一時間当たり六人まで試験ができます。
ここでは多少余裕を持たせて試験官一人に対して一時間あたり五名の試験が行われるものとします。

・試験期間について
予備日として二日間多く設けています。

【計算結果】
・グループ数
受験生に割り当てたISの総数/一グループあたりの割り当て数=グループ総数
二一機/三機=七グループ

・一日に受験可能な人数
グループ総数*一グループの人数=受験可能な人数/日
七グループ*四〇名=二八〇名/日

・試験実施期間
一次試験合格者数/一日に受験可能な人数=日数
四〇〇〇名/二八〇名≒一五日
予備日を二日間とすれば、延べ一七日間になります。

5/17補足追記
本作では、日本国における女子の高校入学者定員を約四八万人とし、そのうち二五%(一二万人)がIS学園に出願したものと仮定しました。



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中学三年生(六) 戦闘機動

戦闘シーンが難しい……。


 ベルトコンベアの終着点は楕円(だえん)形の空間でISの戦闘を行うには少々手狭だが、会場全体が薄い布のような素材で覆われていた。この素材はIS用の特殊繊維で相応のエネルギーを加えてやれば硬度や耐衝撃性などが増すように作られている。

 会場の中央には暗緑色のISが立っていた。左右の腕に二〇ミリリボルバーカノンが取り付けられ、細長い砲身を斜めに下ろしている。リボルバーカノンは単砲身で、薬室が回転式拳銃のように複数のシリンダーを束ねた形状になっている。このシリンダーを回転させて連射できるようにした機関砲の一種である。従来の回転式拳銃と異なるのは、シリンダーの回転を発射ガスによって行うことや弾帯からシリンダーに対して連続的に給弾が可能な点だろう。ラファール・リヴァイヴのちょうど肘下を覆うように曲線状の装甲板が取り付けられており、その陰に弾帯が隠れていた。

 桜は地面に足をついてそのISと正対する。だが、距離が離れていて試験官の顔までは見えなかった。

 桜が目を泳がせていると、眼前の投影モニターに四角窓が表示され、試験官の顔が映し出される。丸顔で大きな瞳を持ち、一目見て純朴(じゅんぼく)で優しそうな顔立ちをした女性だった。

 ――眼鏡をしたらあのときのお姉さんみたいや……。

 よく似た別人だと思って、桜は試験官の顔を見つめていた。

 

「初めまして。自己紹介をお願いできるかな」

「受験番号五二〇番、佐倉桜です。よろしくお願いします」

「確認しました。佐倉桜さんですね。私は実技試験を担当する山田真耶です」

 

 そこまで言って真耶は、説明会で知り合った少女だと気付いて目を丸くした。説明会の時と比べて背が伸びている。以前よりも顔立ちが大人びていた。

 

「あなた。説明会の時のメガ盛りの子」

「あのときは昼食をおごって頂いてありがとうございました」

「佐倉さん。ちゃんと受験したんですね」

「はい!」

「では、武装を実体化させましょう。選択した装備を手に持つ姿を想像してみてください」

 

 そう言われて桜は以前目にしたことがある九二式重機関銃を持つ姿を想像していた。九二式重機関銃は陸軍の制式重機関銃だったが、海軍陸戦隊も使っていたことを思い出す。

 作郎でいた頃、学校の教練で銃の訓練を行っている。三〇年式歩兵銃の射撃訓練で随分絞られたので腕前はそれなりだった。

 桜として転生してから実銃を握るのは初めてだが、あまり心配していない。作郎だった頃は一六五しか背丈がなく、今の体はその頃よりも若干目線が低い。幸い桜は女にしては手が大きく、作郎と同じ大きさである。それだけに感覚を合わせることは難しくない。

 桜が武器の実体化に要した時間はちょうど〇.五秒だった。

 

「うわっ……おも……重くない?」

 

 あまりにも早く出現したので、慌てて踏ん張ろうと腰を落としたが、その必要はなかった。

 重量にして約四〇キロのはずである。だが、不思議と重さを感じない。歩兵が一二.七ミリ重機関銃を運用する場合は分解して運ぶか、三脚ごと持って移動するのが基本である。しかしISはパワードスーツという特性上、生身なら重すぎて持てないものを容易に持ち運ぶことができた。

 桜は不思議そうに腕を上げたり下げたり、もう片方の手で支えたりしている。

 ――この子。本当にISに乗るのが初めてなの?

 一方、真耶は桜の武器実体化が素人にしては速すぎる事実に驚いていた。

 「先に武器を出せ」というのは、冊子に記載した武器をどれだけ具体的に想像できるか、を見ていた。打鉄の標準装備はメディアで知ることができる。模型も発売されていることからどんなものか知るのは簡単だが、意外と武器を手にした自分をイメージできないことが多い。しかも入試で緊張しているからなおさら時間がかかる。

 試験開始前なのでもたついただけで不合格にはならない。だが、早ければ早いほど加点される。試験会場に設置されたカメラの映像や、真耶のISから得た情報を元に、IS学園の教員や各企業から派遣されたIS関係の技術者が採点と監視を行っているはずだ。

 ――向こうは気付いているかな。

 実体化と言えば、熟練者でも〇.五秒近くかかる。もちろん高速切替(ラピッド・スイッチ)技能を有すパイロットでかつ、それに対応する機体を使えばもっと早く済む。

 多くの生徒は武器を出せと言われたら、よりイメージしやすい近接武器を想像するのが普通だ。

 ――銃の方が好き、ということか。

 しかし、桜は武器といえば銃火器を思い浮かべた。そして初めて銃に触れたにもかかわらず、あたかも銃を持つことが普通であるかのように振る舞っている。彼女は重量感が生身と違うことに驚いている。だが、実銃そのものを驚いているようには見えなかった。

 自衛隊の基地祭などで銃に触れられる機会があるとはいえ、日本国内では銃刀法が制定されていることもあって弾丸が装填された実銃を持つことは日常的にありえない。普通おっかなびっくりと言った風情になるか、どう扱えばよいのか困るはずだ。うっかりトリガーを引いて弾丸を撃ち出す受験生が出ることを懸念して、試験開始の合図までは射撃できないように設定してあった。

 

「はい。よくできました」

 

 桜は、真耶がにっこりと笑う様子を緊張しながら見守った。

 

「では、これから実技試験を始めますが、その前に注意点を説明します。試験で使用する銃火器類にはペイント弾が装填されています。搭乗者の重要部位に三発被弾したらその時点で実技試験は終了となります。試験開始後、五分が経過しても終了となります。もちろん、試験官に三発あてるか、一回でも近接攻撃を当てた場合も同様です」

「そうなん」

 

 桜がうなずくのを見て真耶が補足した。

 

「あと、ペイント弾や近接武器が体に当たったとしても、ISのシールドが怪我(けが)を防いでくれますから遠慮は不要です。でも……攻撃が当たったときの衝撃が通って、少し痛い思いをすることがあります」

 

 ――痛いのは嫌やなあ。

 桜が神妙な顔つきでうなずき、恐る恐る真耶に話しかける。

 

「あの……本当に思いっきりやってもいいんですよね」

「はい。力を出しきってください」

 

 桜は真剣な顔になって唇を引き結ぶ。二回まで被弾が許されているとはいえ、簡単に弾を食らうつもりはなかった。

 昔、九六艦戦(九六式艦上戦闘機)を使った模擬戦で、撃墜判定が出る度に「佐倉ア、何度死ねば気がすむ」と言われていたことを思い出す。後日同じ相手に零戦で模擬戦を挑み、あっさり負けた。悔しくて再戦の約束をとりつけたが、彼は空母搭乗員としてマリアナ沖海戦に参加後、そのまま(かえ)らなかった。

 ――やるんや。お姉さんはベテランやから死ぬ気でかからんと不合格になってしまう。それだけは嫌や。

 桜の顔つきが変わった。

 真耶は彼女からすさまじい気迫が発せられるのを感じ、それどころか立ちすくみたくなるほどの強烈な威圧感に戸惑いを覚えた。いざとなれば本気を出さねばと覚悟して瞳に力を込めた。が、桜への違和感をぬぐい去ることができないまま、試験場のスピーカーから凛とした声が響き渡った。

 

「それでは実技試験を開始してください」

 

 

「……っと、危なあ」

 

 桜は逃げに徹した。ペイント弾が数瞬前までいた空間を通過する。真耶の動きは速いが、もったいぶった予備動作をこなしていたので回避は難しくなかった。

 試験開始後三〇秒が経過した。

 真耶は現在位置への射撃を止め、未来位置への予測射撃に切り替えた。桜は真耶の指の動き、目の動きが変わったことに気付いて、虚実を混ぜた動きに切り替えた。

 桜は一分間は逃げ回って反撃しないつもりでいた。

 真耶も小刻みに立ち位置を変えている。しかし、大きな戦闘機動ではなかった。受験者のほとんどが素人なので、大きな動きをせず、受験者の動きを見ることに重きを置いていた。

 真耶はそつのない動きに舌を巻いた。素人が回避に徹するのは分かる。五〇一番以外は同じように動いた。現在位置への射撃は動き回っていれば決して当たらない。時々自分の位置を見失って動きを止めてしまい被弾してしまう受験生がいるくらいだった。しかし、予測射撃に切り替えると大抵の受験生が被弾する。パニックになって逃げ惑っているだけなので試験官を見向きもしない。それ故、動きの変化に気付かないで被弾を許してしまう。位置変更後の予備動作にたっぷり三秒をかけた。意図を計るには十分すぎる時間で、まっすぐ逃げるだけではいけないのだと意思表示をする。

 その点、桜は冷静に対応した。陸上部だけあって瞬発力がある。しかしそれだけではないと感じた。ただ、運動能力にすぐれているだけなら威圧感は感じない。モニター室で監督している織斑千冬はこの事実に気付いているのだろうか。

 開始後一分が経過した。桜は滑るような機動を見せながら、一二.七ミリ重機関銃を構え、射撃特性をつかむために一発だけ試射を行った。当然ながら真耶は簡単に避けた。

 ――いい! 意外と反動が少ないし初速も優れている。これなら十分戦える。(ともえ)戦は得意やないけどいっぺんやってみよ。

 桜は真耶との距離を詰める。跳躍中に撃たれる可能性があるため、スラスターを噴かして左右に機動をずらした。

 真耶の射撃が浮遊装甲化された(そで)の表面を(かす)った。シールドエネルギーが微減したが、一発扱いにはならなかった。

 ――擦っただけなら当たり判定にならんのか。

 重要部位ではないためだろう。ほっとして気を抜きたくなったが、至近弾にびっくりして飛び退いた。慣性制御技術のおかげで姿勢を御するのは楽だった。戦闘機に乗っていた頃は自分で実速等を算出しなければならなかったが、(わずら)わしい計算はISコアがやってくれる。桜は戦闘に集中することができた。

 しかし、ただ集中すればいいと言うものではなく、ISコアが提示する情報を取捨選択するのは搭乗者の役目だった。適切な選択肢を適切なタイミングで実行する。ISの戦闘は先の先を読んで動き、有効打を与える。その意味では剣術の呼吸と通ずる部分があった。

 しかしどんなにISの制御技術がうまくなろうとも、戦闘時の息づかいは実戦でなければわからない。

 その点、桜は真耶よりも遙かに多くの修羅場をくぐっていた。作郎時代に散々空に上がったので場慣れしていた。ISの操縦技術を学んでより洗練させる必要性を感じていたが、合格せねば意味がなかった。

 桜の思考を打鉄が素直に再現した。一二.七ミリ重機関銃を構えて撃つ。未来位置への躍動射になるため命中率が落ちるが、その分被弾率が減少する。

 真耶はジグザグに動き回りながら躍動射を受けたことで気を引き締めた。なぜなら未来位置への移動を試みたとき、ISコアからロックオンアラートが発せられたからだ。真耶は不快なアラート音を消すべく逆方向へ移動した。桜が動きに対応してくると思って彼我の位置関係を注視していると、案の定跳躍の方向を変えて修正してきた。

 桜が大きく飛び上がった。素直な弧を描かずにスラスターを使って体の軸を常に変位させていた。そしてめまぐるしく位置を変えながらも真耶から銃口を決して逸らさなかった。

 真耶は鳴り止まないロックオンアラートに息をのむ。

 ――勘が良いだけじゃない……。

 常に相手の動きを見ている。被弾したら終わりだと思っているのか、決して一カ所には止まらなかった。機動しながらの射撃にも長けている。空中にいても自分の位置と高度を把握して動いている。

 ――()られる!

 真耶が体を後ろに反らした。胸元を弾丸が通過していく。肝を冷やしながら残り時間を確認した。

 開始から二分が経過。着地した打鉄が衝撃を殺すために膝関節を曲げた。真耶はこの瞬間を狙った。彼女の二〇ミリリボルバーカノンが激しく火を噴く。胴体に直撃を食らった打鉄が後ろへ倒れ込んだ。

 

「……痛あ」

 

 尻餅をついてから起き上がった桜は咳き込んでいた。すぐに胸元をのぞき込む。ISスーツが青色の絵の具をぶちまけたような状態になっていた。

 ――あのお姉さん。着陸時を狙いおった。

 桜は時間を確認した。二分二〇秒が経過していた。

 ――やったろうやないか。

 下唇をなめ、目を怒らせる。その瞬間、桜であることを忘れ、作郎そのものになっていた。

 桜は自然と体を宙に浮かせていた。少しでも空中戦闘に近づけるため無意識にPICを使っていたのだが、彼女自身はそのことに気付いていない。

 彼女の中ではISとはそういうものだ、という認識があるため大したことをやっているつもりはなかった。

 

「空戦なら死ぬほどようさん()ってきたんや」

 

 気持ちとしては海面を()うような超低空飛行の気分である。ISコアのおかげで地面とぶつかる恐れがないとはいえ、一矢報いるには覚悟が要る。

 桜の打鉄はその意志を理解し、浮遊装甲と足の裏に隠されたスラスターに火を点けた。

 

 

 真耶は桜が戦意を喪失していないことにほっとしていた。

 それどころかPICを使い、空戦を挑む姿勢を見せたことに驚いていた。

 桜が直進を始めたので二〇ミリリボルバーカノンを用いて牽制(けんせい)射撃を行う。二〇メートル以内には近づけさせない。もしも桜が織斑千冬と同じく近接格闘戦技能に長けていた場合、命取りになる可能性があった。

 桜は反時計回りに弧を描きながらISコアが示す最適経路を滑るように飛んだ。雨のように降り注ぐ弾丸の中で体をねじり込むように回転させる。ISコアにより鋭敏化され、高速化した五感が、通過する弾丸の様子をスローモーションのように映し出した。

 銃口を常に暗緑色のISに向けて、照準器からはみ出るくらい肉薄しようとしていた。激突せんばかりに近付いて撃つ。対戦闘機機動や爆撃機迎撃の基本である。

 一方、真耶は相変わらず鳴り止まないロックオンアラートにうんざりしながらも、後ろ走りの要領で機体を滑らせS字を描き、両腕の二〇ミリリボルバーカノンから数発ずつの短連射を交互に行い、次々に薬莢を排出していった。

 ――嫌な撃ち方をする子……。

 桜が未来位置に向かって射撃するのはわかっていた。彼女の射撃は高速で動き回ることを前提にし、さらに予測誤差を埋めるものだった。その証拠に、発射時に一二.七ミリ重機関銃の銃口を左右に振り、真耶とその両隣にISがいるのを見越したかのような弾道を描いていた。

 ――まるで当て方を知っているみたい。

 真耶は丁寧に速度の微増減を加えながら進路を変えさせられていた。両肩の浮遊装甲や腰のハードポイントの隙間をすり抜けていく弾丸にひどく気が滅入(めい)っていた。

 真耶は投影モニターに映し出した鳥観図(ちょうかんず)から桜の軌道を確認し、唇を少し狭めて息を摩擦させて音を作った。

 ――でも、私も同じ事ができるんですよ。

 このとき真耶は試験であることを忘れ、五〇一番のような経験者と対峙する気持ちで照準をつける。

 一方、桜は真耶が防衛線として設定した半径二〇メートルを超えられずにいた。増速することで均衡状態を破ろうと考え、浮遊装甲の袖を傾け、スラスターの噴射口を背面に向ける。そのまま出力を上げつつ飛行経路を選択しなおした、その矢先である。

 右の膝上に激しい衝撃を感じた。何が起きたのか認識する前に頭から地面に突っ込む。錐揉(きりも)み回転して壁にぶつかる。そのまま硬化した特殊繊維によって弾き飛ばされる。(うつぶ)せになってようやく止まった。すぐさま両腕を立てて上体を起こす。頭を振りながら投影モニターに表示された被弾箇所の図を確認していた。

 

「二発目……」

 

 右膝に青い絵の具がぶちまけられている。

 ――次もろうたら終わる。

 ぞっとしながら顔を上げて真耶の姿を探す。暗緑色のISは会場の真ん中に立ち、斜めに下ろした二〇ミリリボルバーカノンの先端から白い湯気が立っている。真耶が桜の方へ向き直り、通信を繋げた。

 

「三分三〇秒です」

 

 薄く微笑み、「()りましょう」と続ける。

 ――立ち上がるのを待ってくれとる……。

 桜は真耶の意図を理解し、上体を反らしたまま推進する。姿勢制御を後回しにして、とにかく距離を詰めようとまっすぐ飛ぶ。すぐさま真耶が二〇ミリリボルバーカノンを持ち上げ、銃口を桜に向けた。

 桜は直進を続ければ頭に弾丸を撃ち込まれる事が分かっていた。上体前方へPICを使用して急制動をかける。慣性が生きている下半身が振り子のように揺れ、両足が前方に投げ出される。すぐさま機体を右に滑らせ、真耶が撃ち出した弾丸が通り抜けるのを感じながら増速する。その間、一二.七ミリ重機関銃を左手だけで支えながら、右手にIS用シャベルを実体化させた。

 続いてスラスターの推力をいったん遮断し、低空を滑空しながら今度は左へ機体を滑らせる。

 目まぐるしく左右に変位する桜に対して、ハイパーセンサーを介して真耶の目と銃口が後を追う。方向転換が完了する前に桜の右手が下から上に振り上げられ、何事かと思った瞬間、IS用シャベルが飛来した。

 ――危なっ。

 シャベルの刃が縦回転で迫ってくる。真耶はとっさに方向転換を止め、膝の回転を殺して体の軸を固定することで直撃を避けたが、ロックオンアラートがこれまでに無いほど激しく鳴り響いたことから、背中を取られたことを悟った。

 

「よしっ!」

 

 桜が嬉しげな声を上げ、一二.七ミリ重機関銃が火を噴く。

 真耶は舌打ちしながら、斜め後方に向けて瞬時加速(イグニッション・ブースト)を使い、弾丸を回避していた。

 桜の視界から真耶の姿が消える。

 真耶は桜を見下ろしながら頭と銃口を下に向ける。桜の背中に弾丸をたたき込んでいた。

 桜の背中に青い花が咲く。地面に両膝をつき、そのまま前のめりになって倒れ伏した。

 

「四分三〇秒」

「止めッ」

 

 着地した真耶が時間を確認する。同時に会場のスピーカーが桜の実技試験終了を告げた。

 

 

 



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中学三年生(七) 評価

 桜は夕食には少々早い時間だがホテルのディナーブッフェを利用していた。

 皿には多種多様なおかずがちょこんと盛られている。明日も試験が続く。面接と心理テスト、身体検査。皿に山盛りしようものなら奈津子のへそを曲げる様が思い浮かんだ。

 

「負けてもうたなあ」

 

 いただきます、の代わりに呟いて合掌する。箸を手に取り、キュウリの千切りとレタスをつまみ上げて口の中に放り込む。箸を動かしながら実技試験のことを思い返していた。

 桜が三発目を被弾を許したとき、先の先を読んだつもりがうまくいかなかった。

 

「ほんまに昔から巴戦が下手なんや」

 

 背中を取ったつもりが瞬時加速で緊急回避されて、うしろを取られてペイント弾を打ち込まれた。桜は背中に直撃を受けた感触に、今になって身震いした。そして死の直前、四〇ミリ機銃によって肺を潰された記憶がよみがえり、片手で胸をまさぐった。

 硬い胸板が柔らかなふくらみに変わったことに対して、思い出したように戸惑いを感じる。周囲が女ばかりなら、作郎の顔が消えて桜として振る舞うことができる。だが、作郎に戻るとしばらくの間、女の身に違和感を覚えてしまう。今がそうだ。男のつもりで戦うと、気持ちが(たか)ぶって仕方がない。

 そうかと言って解消する手段もない。作郎だった頃ならばタバコをくわえるか、女を抱きに行った。桜として生まれてからはタバコに手をつけていないし、吸いたいとも思わなかった。

 ――あのお姉さん、眼鏡がない方が可愛かったなあ……。試験中はちょっと怖かったんやけど。

 作郎の視点から見て真耶は良い女だった。征爾に頼んで嫁を探すなら、真耶のような女だったらよかったのにとさえ思う。作郎は義姉のように心根が優しい女が好きだった。

 ――かといって男とそういうことは……。

 桜は男友達と一緒にいると、つい作郎でいた頃を思い出して、今は女の身だとを忘れてしまいそうになる。男友達が桜を女として見ていることを知ったのは、中学に上がってから交際を申し込まれたのが発端である。その後も何度か先輩や同級生に交際を申し込まれていた。桜は男と致す自分の姿を想像することができず、すべて断っていた。

 作郎でいた頃は女性と好き合ったことがない。男女の交際がいかなるものか知らなかった。子供の頃、義姉の中に女を見て、不義理な感情を抱いて自己嫌悪に陥ったことがあるくらいで甘酸っぱい経験とは無縁だった。

 ――とりあえず奈津ねえに電話しよ。

 変な気を起こす前に奈津子の声を聞くのが一番だと思った。

 桜は茶碗(ちゃわん)を持って五目飯に箸をつける。

 

「うわっ。うまいな。これ」

 

 

 一般入試の全日程が終わり、実技試験に立ち会った職員が一堂に会して生徒の選考を行っていた。

 出願数一二万のうち、一次試験を突破した者が四〇〇〇名である。二次試験では、主に実技試験で開始三〇秒以内に三発直撃弾をもらった者を除外するとかなり絞り込むことができた。

 受験生の中には素人にもかかわらず、弾幕の中をひたすら逃げ回り、被弾率ゼロの者が一名いた。その受験生は全員一致で合格としている。予測射撃を加えて逃げ切ったということはつまり、機体の制御技術と先読みに長けているものと考慮しての合格である。

 真耶は他の職員と同様に、隣の席で腕を組んで座る同僚に声をかけた。

 

「織斑先生、この子なんてどうです?」

 

 受験番号五二〇番を画面に映し出した。

 

「山田君が大人げない真似をした受験生だな。素人相手に瞬時加速まで使ってしまうとは……君はいったい何を考えていたんだ」

「それを言われると耳が痛いです……」

 

 真耶は頭に手を置いて苦笑いをしてみせる。当日の反省会で千冬や松本たちにさんざん絞られたことを思い出す。すぐに真剣な顔つきになって身を乗り出した。

 

「でもっ。武装の実体化速度を見てくださいっ! 〇.五秒ですよ! ちょっとすごくないですか?」

 

 真耶の興奮した様子に少し引き気味になりながらも、千冬は渋々と言った風情で試験記録に目を通す。

 

「最初の一分間は逃げに徹していたのか」

「まず、この子がすごいのは三〇秒後の最初の一発を避けたことにあるんですっ」

「ふむ……。確かにきちんと対応しているな。そのタイミングで被弾しなかったのは……五二〇番と被弾率ゼロの受験生の他には推薦入試合格者だけか。だが、山田君の動きがわかりやすかったというのも否定できないな」

「わかりやすく動いたんですよ。合否判定の項目として上がっていたじゃないですか。注意力という項目がありましたよね」

「確かに。あの項目を作ったのは私と松本先生だ。わかりやすい動きをするように指示したのは私だ」

「でしょう? 試験の時、あの子の気迫がすごかったんですよ。途中で私、本気で()()()()と思いましたから」

「殺される……?」

「そうなんですよ」

 

 千冬は投影モニターに向かって手をかざし、桜の顔写真が貼られた書類を呼び出した。更識家と学園防諜部が共同でまとめた身辺調査書である。千冬は指先で書類の角をつまむような仕草でページをめくっていった。

 

「調査書によれば、家庭環境は問題なく家族関係は良好。交遊関係も良好。中学に素行の悪い生徒がいるが、これといった付き合いは無し。近所の評判も良し。補導経験なし。渡航経験なし……特に問題ないな」

 

 さらに面接や心理テストの結果にも目を通したが、特筆すべきところはなかった。

 真耶は背もたれに身を預け、千冬の様子を見つめる。

 

「あれは人を殺した事がある目でしたよ……もちろん、それぐらい鋭かったって意味ですけど」

「単に余裕がなかっただけではないのか?」

「余裕がなかったら逃げますよ。普通。でもこの子、私の現役時代みたいな嫌らしい撃ち方をしてきたんです」

「それに物怖(ものお)じせず接近戦をしかけようとしていたな。背後を取ろうと必死に見えた。それにしても素人が低空での空中戦か。普通はやらないな」

「銃火器の扱いにも慣れているように見えました。織斑先生。渡航経験もない日本人の、それも一五歳の少女が初めて実物の機関銃を見て、当たり前のようにしていられると思いますか?」

 

 千冬はやや間を置いて首を振った。

 

「いや……うまく想像ができない」

 

 真耶は珍しく冷徹な表情を見せた。

 千冬は真耶の表情の変化を敏感に感じ取り、その瞳をのぞき込んだ。

 

「彼女とやったとき、ロックオンアラートがほとんど途切れませんでした。常に銃口を私に向けていたんです。射撃管制装置が組み込まれているとはいえ、空中を飛んだり跳ねたりしたらアラートが途切れるものです。射撃に驚いて逃げるのが普通の反応です。弾道特性を把握するための試射をしたり、未来位置への躍動射なんて、学園の二年生でもやる生徒が少ないんですよ。予測誤差を考慮した射撃とか、戦闘機動に長けた人でもめったにやりませんよ。しかも、受験時のIS総稼働時間はゼロ時間です。センスで片付けられるほどお人好しじゃいられません」

「山田君は何が言いたい」

「はっきり言って()()です。しかし、これだけの逸材を見逃すわけにもいきません」

 

 千冬は何度も瞬きした。

 

「異常か……君は自分の言っていることが分かってるのか」

「もちろんです。彼女はまるで良く訓練された兵士のようでした。判断力が高く、常に最善の攻撃手段を模索する。視野も広い。私も試合でドイツのシュヴァルツェ・ハーゼ所属の選手と対戦しましたが、それに近い感触を抱きました。これは憶測ですが、彼女は()()()()()()()()()()()()のではないでしょうか」

「それこそ馬鹿な妄想だ。彼女は白だ。実績と言えば陸上で大会に出場したくらいだぞ。……君は一般人に対して疑義を抱いているというのか」

「はいっ!」

 

 真耶がにっこり笑う。

 その姿を見た千冬は額に手をあてて嘆息した。

 

「彼女は合格でいいんじゃないかなって思ってます。実技点は文句なしの高得点ですから」

「……判定欄に丸をつけておこう」

 

 ありがとうございます、と真耶が返事した。

 

「まだ何かあるのか」

 

 真耶は、言いにくそうにはにかみむ。千冬を上目遣いで見やり、意を決して再び身を乗り出した。

 

「それからお願いがあります」

「何だ」

「彼女を特待生として迎え入れることはできませんか」

 

 千冬が真耶の申し出に驚いた。

 

「そこまで買っているのか。彼女の待遇について、私としては反対するつもりはないのだが……」

 

 千冬がチラと、奥の席で書類を手繰り寄せた松本を一瞥(いちべつ)する。

 

「はい。特待生なら彼女も断りにくいと思うんですよ。万が一断るような事態になったら、両親を説得してうちに入学させてしまいましょう。あんな殺気を出す子を娑婆(しゃば)に放置したらいけませんよ」

「……山田君」

「なんでしょう?」

 

 千冬は真耶のことが急に憎たらしくなって軽く腕を振っていた。

 頭をはたかれたと知った真耶がわざとらしい涙を浮かべ、机に向かって顔を伏せる。と思いきや、すぐさま千冬に向かって抗議の声を上げた。

 

「何するんですか! パワハラですよ! 訴えますよ! 他の先生方が証人に……もちろん、冗談ですよっ?」

 

 真耶のあざとい泣き真似を見抜いた千冬は、気のない声で「はいはい」と口にして彼女を無視した。腰を上げて他の先生方を見回す。

 

「五二〇番を合格でかつ、特待生として推薦することに意見がある方はいませんか」

 

 千冬と真耶のやりとりを耳にしていた教師が「いいんじゃないですか?」と同意する。だが、その声は奥の席から響いた声によってかき消された。

 

「織斑先生。よろしいですか」

 

 千冬は生唾を呑み込んで身構えた。

 声の主を見つめる。他の生徒の選考を行っていた松本水鳥(みどり)が手を挙げていた。松本は二年生の学年主任である。精悍(せいかん)さを示す顎に、柔らかさのある瞳。暖色系のブラウンオレンジのナチュラルストレートの髪型。肌つやがよく、締まった腰に対して千冬と遜色のない迫力のある胸元と臀部(でんぶ)が、明るい色の服装とともに存在感を印象づける。左手薬指の指輪がキラリと輝きを放つ。

 彼女はIS搭乗資格を持つ教員の中でも最年長の三四歳で、第一世代からISを乗り続けたベテランパイロットだった。

 彼女は有事の際、千冬と同じく実戦指揮を取る役目を担うことから、学園防諜部や警備部に対して強い発言力を持つ。またIS学園の教員としては松本が先任で、その権限と影響力は千冬を上回っていた。

 なお、千冬と松本は第一回IS世界大会の代表選考会以来の付き合いである。

 

「彼女の合格に異論はありません。しかし、特待生として迎えることに反対です。総搭乗時間五〇時間未満の者に特待生資格を与えた前例がない」

 

 松本が、あえて高い声を抑えるようにして話す。

 

「松本先生。学園の特待生選考基準には、優秀な操縦技術を有する、としか書いてありません。具体的な時間までは明記されていない。前例こそないが、選考の条件は満たしています。適性も高い。それに搭乗時間が技量と必ずしも比例するわけではない事は松本先生もご存じのはずでしょう。山田君が推すのだから、書類に記載されていない何かがあるんですよ。彼女には」

「……何の後ろ盾もなく、待機時間を含めても搭乗時間がたった三〇分にしかない者に予算を割り当てられません」

「五二〇番は初めてISに乗ってあれほどの動きが出来る。彼女は我々の常識を超えています」

「私も記録を見ました。素人の動きとはとても見えない。鍛えればすごいことになるかもしれない。ですが……」

「支援に来ていた技術者も彼女のことを随分と褒めていましたよ。めったにないことです」

 

 松本は不服なようだった。

 毎年、技量に優れた生徒が入学している。その中で五二〇番は特に異常である。実技試験の加点だけならば五〇一番や他の代表候補生たちに近い。IS適性は五〇一番、つまりセシリア・オルコットと同じ値を示していることから、桜の資質は受験生の中でもトップクラスだった。

 IS学園にも様々な教育機関と同じく成績優秀者を優遇する制度が存在する。しかし企業や政府の後押しを持たない一般入試合格者に適用された前例がなかった。

 真耶の提案に賛同した根拠を提示しなければ、と考えた千冬が席を立った。

 

「松本先生。少々お話があります……」

 

 千冬は松本を誘って部屋から出る。松本がいぶかしみながらも後に従った。千冬は扉を閉めて向き直った。

 

「実は先日、倉持技研の第三世代先行試作機の担当が……」

 

 千冬の切り出した言葉に、松本が驚いたように目を丸くした。

 例年、実技試験の支援の名目で倉持技研や四菱からISやその周辺技術に関わる技術者が派遣されてくる。試験で使用したISの洗浄や整備、試験会場の設営や管理などは彼らがいなければ成り立たなかった。

 千冬は周囲に誰もいないことを確認してから、企業の営業や技術者から教えられた情報を伝える。

 

「五二〇番に対して、既に、第三世代先行試作機の専任搭乗者として名前が挙がっています。その機体というのが……篠ノ之博士が例のISソフトウェア搭載を条件に、彼女が研究用に保持していたISコアを譲渡して共同で作らせた(いわ)く付きの」

「もしかして……四菱(よつびし)版打鉄の事?」

「はい。その通りです」

 

 千冬は松本の顔を見つめて神妙にうなずく。松本は扱いの面倒な話になる予感がして険しい目つきになった。

 四菱版打鉄とは、流行に逆らうかのように全身装甲にこだわり続ける四菱系企業が外装を設計し、倉持技研が駆動系やイメージ・インターフェイスなどを設計した機体である。第三世代先行試作機という位置付けのため、実験的な要素が組み込まれており、千冬が口にした「例のISソフトウェア」もその一つである。また半露出型装甲を採用しなかったために多くのISファンを敵に回したことで知られている。

 倉持技研はISコアの所有権を譲られたこともあって命名権を得ていた。だが、本来ならば打鉄壱式と名付けられて然るべき機体は、共同開発の性格上、倉持技研の技術体系から外れる部分を多く有していたために、あえて打鉄(うちがね)零式(れいしき)と名付けられた。しかし誰もこの名前で呼ばず、松本が言ったように「四菱版打鉄」や「四鉄(よつがね)」と呼ばれている。

 機体の開発は既に終わっていた。曰く付きとされるのは、最後の仕上げとして篠ノ之博士から提供された「例のISソフトウェア」を導入したところ、相性問題を引き起こしてパイロットの操縦を拒否するようになってしまった。ISコアの出自から安易に分解して初期化することもできず、原因究明の努力が続けられていた。

 

「織斑先生。四菱版打鉄は倉庫で置物になっていると聞き及んでいます。壱式(いちしき)と同じように……いえ、今は白式(びゃくしき)でしたね」

「ただ、倉持技研によれば……そのうち最適なパイロットが現れるからそれまで待て、と篠ノ之博士が発言していたそうですが」

「五二〇番がその適性を持つと?」

「倉持の技術者が持ち帰ったデータで確認を取ったそうです」

 

 千冬は懐から一枚の名刺を取り出し、松本がのぞき込む。表面には倉持技研のロゴと「堀越」という名字が書かれていた。

 実技試験のデータを企業が持ち帰るのはIS学園の設立以来、制限付きで行われている。詳細データのチェックや、素人が見せる予想外の動きを確認するとの名目である。

 

「非公式ですが、四菱も五二〇番を支援する用意がある、と申し出ています」

「……ソフトのデータ収集のため、ですか」

 

 千冬がうなずく。胸の前で両腕を組んだ松本がゆっくり息を吐く。

 

「企業が後ろ盾になるのであれば致し方ないでしょう」

「……松本先生」

「上には私と織斑先生、山田先生の連名で話を通しておきます」

「ありがとうございます」

 

 千冬が席に戻った。すると真耶が心配そうな顔つきになって声をかけた。

 

「どうでした?」

「うまくいったよ。松本先生から話を通してくれると言質(げんち)を取った」

 

 真耶の喜ぶ様を見て、千冬が笑みを浮かべた。

 いくら千冬がブリュンヒルデの称号を持つとはいえ、未だ二〇代に過ぎない。年齢ゆえに軽く見られることがあった。

 松本はIS世界大会での優勝経験こそないが、地道に積み重ねてきた功績は世間的にも評価されている。年齢のこともあり、千冬以上に重く見られることが多かった。

 遅れて自席に戻ろうとした松本が、何事か思い出したように千冬たちの元に向かった。真耶と軽く言葉を交わしていた千冬が彼女に気付いて顔を上げる。

 

「そうでした。()の処遇についてなのですが……」

 

 

 




これで「中学三年生」は終わりです。次回から新章に入ります。


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某国の密偵疑惑
某国の密偵疑惑(一) IS学園


今回から新章です。
6/2 甲飛合格時の年齢を修正


 桜は中央列の最後尾で肩をすくめていた。

 ――落ち着かんなあ。

 IS学園一年三組の教室。周囲を見渡せばすべて同い年の少女たち。

 女子しかいない学び舎は人生で初めての環境である。しかも寮生活と来て、三年もの期間を女の園で生活することになると思うと、桜としても作郎としても胸が高鳴った。

 作郎の頃は一七歳で甲飛予科練(甲種飛行予科練習生)に合格して霞ヶ浦(かすみがうら)海軍航空隊に入隊していた。訓練は厳しかった。その代わり男所帯なので気が楽だった。

 桜は緊張しながらも(せわ)しなく目を泳がせる。

 ――それにしても綺麗な子ばかりやね。目の毒や。

 周囲の様子を把握できるのが最後尾の強みと言える。桜が勘定したところ、教室内の外国人と日本人の比率は一対二である。留学生の内訳はスラヴ系が一人いて、残りは南米やアフリカ大陸出身と思われた。

 ――なかようなりたいなあ。

 透き通った白肌や、褐色や赤みのかかった肌を目にする度にそう思った。

 話し声が少なく、教室に妙な緊張感が漂っている。担任の教員が姿を見せるのを待っていたことや、クラスメイトの三分の一が外国人のため、みんな何をどう話していいのか戸惑っていた。

 さて、今年のIS学園には特例措置として男子生徒が一名入学している。織斑(おりむら)一夏(いちか)という名前で一組に所属していた。

 一組だけ生徒が三一名存在し、他の三クラスは三〇名である。ISが女性にしか乗れないという特徴から、IS学園は女性の方が圧倒的に多いと思われがちだが、実は男性職員の方が多い。学園には防諜部やネットワーク管理部、警備部などの他に、ほかにもアリーナを始めとする施設への清掃・保守・点検系の業務に携わる男性職員が多数働いている。しかし、これらの職員は普段生徒と接点を持つことはなかった。

 桜は特待生の話を受けた際に、学園の概要として職員の男女比率について軽く説明を受けていた。しかし接点がないということはつまり、女の園に変わりないという認識でいた。

 なかなか教員が姿を現さなかった。初日で配布物があるから手間取っているのか、と桜は勝手に想像する。

 それから五分ほど経過して、ようやく二人の女性が姿を現した。一人は長い髪をうなじの位置で結った女性である。化粧っ気がなく、眉の形を整えた程度で、病的に青白い肌をしていた。一年三組と書かれた黒い出席簿を小脇に抱えていたことから、おそらく担任の先生だと推測できる。もう一人は最初に入ってきた教員よりもいくらか若い。肌は日に焼けており、耳の形がはっきりわかるほど髪を短く刈り込んでいた。一八〇センチ以上はあるだろうか、手足が長く、福耳だった。桜は初々しさよりもむしろ身体的特徴の方が気になった。

 出席簿を持った先生が教卓に立つ。桜は目元の涼やかな女性という感想を抱いた。

 教室の投影モニターに二人の名前が大きく映し出された。

 

「よろしい。皆さん席についてますね。私はあなたたち三組の担任になった連城(れんじょう)泊里(とまり)と言います。こちらが副担任の弓削(ゆげ)先生」

弓削(ゆげ)朝陽(あさひ)です。よろしく」

 

 つまり教壇に立つ女性が連城先生で、のっぽの方が弓削先生である。

 桜は名前の響きに懐かしさを覚えつつ、二人の先生を見比べていた。

 作郎の最後の勤務地となった基地では、よく世話になっていた弓削大尉のことを思い出す。大黒様というあだ名で呼ばれており、主計科の先任士官のくせによく持ち場を抜け出しては、私物のカメラで搭乗員を撮影していた。菊水一号作戦による出撃が延期となった雨の日、仲間たちとの集合写真は遺書と共に実家に送られていた。

 桜は幼い頃、佐倉家の土蔵で自分の遺品を発見している。そして集合写真をデータ化して携帯端末に保存していた。

 ――連城なんて名字、そんなにあらへん。まさか……。

 集合写真には、布仏少尉と連城中尉が佐倉作郎を挟んで映っている。この連城中尉は基地偵察隊に所属しており、陸軍から譲渡された百式司偵(一〇〇式司令部偵察機)に乗って強行偵察をこなすなど優秀な搭乗員だった。連城中尉がその後どうなったかを桜は知りたいと思った。

 連城は生徒全員の視線を一身に浴びながら、その姿から想像もつかぬほど大きな声を出した。

 

「一年間皆さんと一緒に過ごすことになります。もし困ったことがあれば私か弓削先生に相談してください。ISに乗りたいとか勉強で質問がある、とか何でも構いません」

 

 弓削が同じ言葉を英語で言い直す。連城は弓削が言い終えるのを待ってから再び口を開いた。

 

「私は一般教養の担当なのでIS搭乗資格を持っていません。実技面に関しては弓削先生に聞くようにしてください」

 

 生徒の視線が、連城の言葉を訳している弓削に集まった。

 

「みなさん。これから一年間、一緒に学びましょう」

 

 連城が挨拶(あいさつ)を終えて礼をした。続いて弓削が挨拶する。驚いたことに彼女は元代表候補生で、一組の山田先生とは互いに競い合った仲だという。彼女は流暢(りゅうちょう)な英語でこう付け加えた。

 

「授業は原則日本語で行います。留学生の中で日本語に不安がある者は手を挙げてください」

 

 桜は実際のところどうなのだろう、と思って留学生たちを見やった。

 一〇人中三人が手を挙げた。連城と弓削が分担してその留学生の元へ向かいヒアリングを実施している。IS学園が所属国のIS委員会と折衝する際に入学予定者の言語能力について確認を行っている。学力検査や面接などはその国の公用語で行われるため、入学時でも日本語に不安を抱える生徒が少なからずいた。

 またISを発明したのは日本人の篠ノ之博士とはいえ、マニュアルや文献は多言語で書かれていた。篠ノ之博士も世界中で使用されることを考慮しており、ISソフトウェアのインターフェイスは様々(さまざま)な言語で使用できるようになっていた。つまり日本語が出来なくともISの操縦技術を習得することが可能である。

 ――国際的やなあ。うちの近所にも一人おったんやけど、あれを外人言うのはちょっとなあ。

 桜の幼なじみにはコテコテの大阪弁を話すスペイン系の少女がいた。彼女は英語やスペイン語とその方言を話すことができた。桜はある目的のために彼女から外国の言葉を学び、習得には六年の歳月を要している。だが、その幼なじみが使う言葉はなまりが激しく、桜はその怪しげな発音が普通だと思い込んでいた。

 連城と弓削がヒアリングを終えて教壇に戻った。すると弓削がにこやかな笑みを浮かべて、軽く咳払いをしてから日本語でこう付け加えた。

 

「もし皆さんの親族や知人に婿養子(むこようし)に来る気概を持った男性がいたら、ぜひ紹介してください。よろしく」

 

 弓削はその場をなごませたつもりになって一歩下がった。

 桜は思わぬ一言に口をぽかんと開けていた。連城が何事もなかった顔つきで締まらない空気の中を泳いで、軽く手を打った。

 

「それでは、みなさんの自己紹介をしてもらいましょう。出席番号一番からお願いします」

 

 

 授業終了のチャイムが鳴った。桜はほっと息を吐くと、緊張をゆるめて椅子に浅く座り直した。スカートを少しめくって黒いニーソックスの位置を直してから、だらしなく足を投げ出していた。

 

「疲れたあ……」

 

 桜は先ほどの自己紹介で、標準語を使おうと気を付けたつもりが途中でつっかえて素が出てしまった。頭の切り替えに要した数秒の間にクスクスと笑い声が聞こえ、開き直って普段と同じく伊勢なまりの言葉を使っていた。桜は仕方なく、笑いが取れただけでもよかった、と考えることにしていた。

 この手の失敗は枚挙(まいきょ)にいとまがない。桜は都合の悪いことはくよくよ思い悩むことを止めた。

 桜はポケットから携帯端末を取り出して、お守り代わりに保存していた集合写真を画面に映し出した。真ん中にはかつての自分が映っている。女として生まれ変わった今だからこそ分かるのだが、作郎は案外美しい眉をした好青年だった。娑婆(しゃば)の女と縁がなかったのは、つまらない意地を張って無愛想にしていたことや、食い意地を張ってばかりいたのが原因だと考えていた。

 改めて右隣に映った布仏(のほとけ)少尉を見つめる。彼は童顔の美青年だった。あまりの男振りに夜竹飛長と一緒に愚痴り合ったほどである。布仏少尉は菊水二号作戦に参加したとき、作郎と同じく二三歳だった。確か許嫁がいたものの、学徒出陣のために一旦婚約を解消したと本人の口から聞いている。懐かしさのあまり布仏少尉の顔を拡大表示させて眺めていたら、不意に声をかけられてびっくりしてしまった。

 

「さーくらさんっ」

「誰かっ」

 

 桜は()頓狂(とんきょう)な声を上げてしまった。目を泳がせながらも、余裕ぶったしぐさで声の主を見上げ、椅子をつかんで姿勢を直していた。咳払いをしながら二、三秒ほど彼女の顔を見つめる。

 

「ええっと……一条(いちじょう)朱音(あかね)さん……やったか」

 

 彼女は弓削先生ほどではないが背が高く、見るからに活発そうな雰囲気である。セミロングの黒髪で、目がぱっちりとした少女だった。笑うとえくぼができた。健康的な肌に制服の上からでも分かるくびれた腰、そして短めのスカートから太股がすらりと伸びており、目のやり場に困るくらいにとても魅力的な姿形をしていた。

 

「うれしいっ。私の名を覚えてくれたんですね!」

 

 朱音はスキンシップを好む性質なのか、突然桜の体に抱きついた。桜は不意打ちを食らって目を白黒させた。

 

「いきなり抱きつくのは構わんけど。一体全体どうして」

「佐倉さんとお友達になりたいと思ったんです。もしかして今の失礼だった?」

「ちょっとびっくりしただけで気にしとらんわ」

 

 少し陰を見せていた朱音の顔がぱあっと明るさを取り戻す。そして、桜の手の中にあった携帯端末に目を止めた。朱音は画面に映し出されているのが、二〇代と思しき青年の顔だと気がつく。写真はセピア色で少々古さを感じたが、その青年の顔の造りと笑顔がとても美しかった。先ほど、桜がその写真を愛おしそうに眺めていたことから、朱音は桜と青年の関係にある仮定が思い浮かんだ。

 

「……その写真。もしかして佐倉さんの想い人なんですかあ?」

 

 桜はとっさに携帯端末を顔の前まで持ち上げた。布仏少尉の顔を拡大させたままになっていた。セピア色に加工しており、注意して見れば飛行服だとわかってしまう。戦時の写真を眺める女子高生などいない、と気付いて慌てた。

 桜は遠くを眺めるような、少しだけ寂しげな顔つきで言葉を濁した。

 

「この人、許嫁(いいなずけ)がおってな。実は横恋慕(よこれんぼ)なんや」

 

 横恋慕は余計だった。だが、布仏少尉に許嫁がいたのは事実である。相棒のような関係で、最期(さいご)の空も共にした。

 そんな桜の表情を恋の色と受け取ったのか、朱音は顔を真っ赤にして黄色い声を上げた。

 

「お、大人……」

「そう言われると少し照れるなあ」

 

 瞳を輝かせる朱音を見て桜は頬をかいた。(うそ)を言ったつもりはなかったので悪い気分はしなかった。

 今にして思えば作郎は布仏少尉の人柄と腕を好いていた。あの屈託のない姿を見ることが叶わないのだと思うと寂しくなった。

 

「そういえば、さっき先生が佐倉さんのこと特待生って言ってたけど、本当なんですか?」

「……なんか、気がついたらそうなってたわ」

「すごいよねー。佐倉さんって、代表候補生とかじゃないんでしょ?」

「まあな。ISに乗ったんは入試が初めてや」

 

 すごいすごい、と持ち上げられて桜は気を良くしていた。

 桜は、正直なところ特待生待遇の理由をよく理解できていなかった。「実技試験の成績がずば抜けて良く、教員と企業の推薦があった」とIS学園の職員から説明を受けている。その上、貴重なISの専任搭乗者に内定されたことも知らされていた。だが、どんな機体がもらえるかまでは機密扱いのため教えてもらえなかった。また企業側も調整に手間取っているらしく、目処(めど)がついたら追って連絡するとのことだった。

 一番驚いたのは授業料だけでなく、その他経費までもが免除になっていたことである。その職員によれば、専任搭乗者への補助金が充てられているとのことだった。衣食住を保証され、大きな期待を寄せられていると気付いた桜は、浮かれる気持ちを引き締めて事前課題に取り組んでいた。

 朱音は人なつっこそうな笑みを浮かべた。

 

「一条じゃなくて朱音でいいよお。佐倉さんのことも下の名前で呼びたいからさ」

 

 朱音が気さくな調子で呼び名の変更を申し出る。桜としては姓と名の読み方が一緒なのでどちらでも良かった。

 

「わかった。朱音って呼ぶわ。私のことは桜花(おうか)(さくら)でよろしく」

「うん。改めてよろしくね」

 

 

 初日の授業内容はIS理論の概要や一般教養だった。事前学習の成果もあり、今のところついていけなくなるような事態に陥る可能性は低いと言えた。

 昼休みになって他のクラスメイトと一緒にしゃべっていた朱音が、桜を昼食に誘った。

 

「ええよ。同席させてもらうわ」

 

 桜の返事に朱音がはしゃぎながら抱きついてきた。何かとスキンシップをとりたがる子だと思い、もちろん悪い気はしなかった。

 言い出しっぺの朱音が先導して食堂に向かう道すがら、

 

「食堂かあ。学校説明会の時にも行ったなあ」

 

 と桜がひとりごちる。すると朱音の隣にいた長い髪の少女が思い出したように声をあげた。

 

「佐倉さんも説明会にいたんだ」

「ま、まあね……」

 

 学校説明会で迷子になって大泣きしたことから、桜は気恥ずかしさに耐えきれず言葉を濁していた。

 その後安芸とは食堂で再会した。桜は姉にひどく心配をかけたことを気に病んだ。だが、学校説明会の場には多数の参加者がいたので自分の顔までは覚えていないだろう、と楽観視していたが、現実は残酷である。

 

「一条さん知ってる? 説明会にタレントの安芸(あき)が来てたんだよ」

 

 桜は思わず生唾を呑み込んでいた。姉の安芸はモデル業の傍ら、タレントとしても活躍していた。順調に仕事が増えておりテレビや雑誌への露出が多くなっていた。

 ――安芸ねえって目立つから……。

 そのクラスメイトに気付かれないよう顔を伏せる。桜はマスメディアの威力をうっかり失念していたのである。

 

「なんか、連れの子が迷子になったみたいでさ……すごく心配していたから覚えてるんだよねえ」

「……へ、へえ」

 

 桜は背中を丸めて相づちを打った。朱音がやにわに桜の顔をのぞき込んだ。

 

「桜って安芸にすごく似てない?」

 

 姉妹だから似ていて当然である。次女の奈津子は父親似なので桜とはあまり似ていなかった。長女の安芸は目鼻立ちが祖母の佳枝とそっくりだった。桜もその血を濃く受け継いでいた。

 桜は遅かれ早かればれる、と思って観念していた。

 

「あれ……迷子になったん私や」

 

 桜は学校説明会の失態で笑われると思って身構えていたら、彼女たちにとっては身内にタレントがいることの方が重要だった。

 

「うそっ、親戚なの?」

「年の離れた姉が東京の大学やから付き添いで」

「だから似てるんだー。桜ってきれいだもん」

「そ、そうなん?」

 

 桜は間接的に美人だと言われ、面はゆさに頬を緩ませていた。

 

「いいなあ。中学ではいっぱい告白されなかった?」

「ま、まあ。……二、三度」

「もしかして付き合ったりしたことあるとか?」

 

 桜は慌てて首を振った。

 

「丁重にお断りしたから、みんな友達止まりやった」

「うそだあ」

 

 桜は男と交際することに抵抗感を抱いていた。作郎として意識が強く、どちらかと言えば女の方を好いていた。だが、それが恋愛感情だと判断する術がなかった。

 かといって、いかにも男嫌いな雰囲気を醸し出すことが得策ではないと考え、照れ隠しとも取れる曖昧な答えを返したに過ぎなかった。

 助け船を求めて朱音を見上げる。だが、彼女の中では桜が横恋慕していることになっており、不義理な恋に身を委ねているという妄想で彩られていた。

 食堂に到着すると、券売機の前で同じ色のリボンを身に着け、桜と同じぐらいの年頃の少女たちが券売機の前に並んでいる。

 桜たちもその列に並び、定食の食券を買い求めていた。学生証がプリペイドカード代わりになっており、桜のカードには特例措置として食費免除を示す印が刻まれている。そのため残金を示す赤色のセグメントは常に「9999」が表示されるようになっていた。

 プラスチックトレーを片手に定食の列に並ぶと、前方に男子生徒の背中が見えた。一緒に並んでいた朱音の顔を見やった。

 

「例の一組の男子やね」

「そうだよ。織斑一夏くん」

 

 朱音が答える。

 朱音は二限目が終わってすぐ、一組前の廊下にたむろっていた人混みをかき分け、一夏の顔を確かめに行っていた。

 世界で初めての男性ISパイロットとなった一夏だが、すぐにISに起動させた事実をマスメディアに公表されて一躍(いちやく)時の人になったかと言えば、実際はそうでもなかった。

 まずIS学園の入試会場となった施設の一部が、私立藍越(あいえつ)学園の入試会場として使われ、IS学園二次試験六日目と日程と会場が重なったのは事実だった。IS学園の受験生の待機場所として使われていた教室の一部が、藍越学園の一般入試会場は階が異なるとはいえ、同じ棟を使用していたのである。使用する階段を制限して双方の受験生が行き来しないように配慮がなされ、廊下や階段に設置された監視カメラによってその一部始終が撮影されていた。

 また例年、施設のすべての入り口に人を配置して、誤って迷い込んだ受験生に適切な会場への道を教えている。監視カメラの映像によれば、一夏は入り口を間違えてIS学園側の受験会場に入場しようとしており、職員に呼び止められ藍越学園の会場に移動するように促されている。

 当時、実技試験で使用するISはその補機を含め、試験会場の側に設けられた仮設倉庫に集められていた。訓練機とはいえISは貴重である。そのため、仮設倉庫や試験会場にはIS学園の職員や通行証を持った企業の技術者、そして受験生以外は通過できないよう有人による何重もの確認態勢がとられていた。

 だが、一夏はどういうわけか易々(やすやす)と通過している。そしてISを起動させるに至り、遅れて侵入に気付いた職員によって拘束されている。

 拘束直後の一夏の発言によれば職員の引率に従ったという。監視カメラの映像を確かめたところ、奇妙なことに、そのような人物の姿は全く映し出されていなかったのである。しかも、一夏が述べた職員の特徴と一致する人物は、IS学園の職員や支援に来ていた企業の技術者、受験会場となった施設の関係者の中に存在しなかった。

 世界初の男性ISパイロットの発見は最初に政府、次にIS委員会、その次に企業や研究機関という形で段階的に情報が通達された。監視体制が整ってから一夏の存在がマスメディアに公開された。その情報は統制され、小出しにされていた。

 結局、IS起動から入学までの間、一夏の行動は大きく制限された。学園の敷地や研究施設から外出する場合は行き先の申告が必要となり、監視がつくことになった。彼は一人になることを許されなかった。

 桜は一夏が大変な目に遭っていたとは知らず、彼の背中が織斑千冬の立ち姿と重なっていると気付いたくらいだった。

 ――貴重な男子かあ。一緒にバカなことやってみたいとは思うけど、今は女やし……。

 桜は予科練の仲間たちと暇を見つけては他愛もないことで騒いでいたことを思い出した。その仲間たちと騒ぐことはもう叶わない。桜として転生しただけではなく、同期の戦闘機専修搭乗員の戦死率が九割を超えていたことが大きく影響している。結局、終戦を迎えることができたのはたったの一名に過ぎなかった。その唯一の生き残りも一〇年以上前に没している。

 そのとき香辛料の爽やかな香りに気を取られて一夏から注意を逸らす。桜はカウンターの奥で大釜に入った料理が次々と盛りつけられていく様子を眺めていた。

 

「花より団子だよねえ」

 

 朱音がつぶやいた。一夏を眺めていても腹はふくれない。口の中が唾液であふれており、お腹が鳴りそうだった。

 

「まあ……」

 

 桜はあいまいに返事をした。ぼんやりとした顔つきになって、料理に気を取られて心ここにあらずと言った風情(ふぜい)である。食欲で頭がいっぱいになっていた桜を見て、朱音がにやにやと笑っていた。

 

「でも、桜にはあの人がいるもんね」

「ち……ちゃうわ!」

 

 やや間があって、桜は布仏少尉の事だと気付いて、びっくりするあまり大声を上げてしまった。

 

「すみません。……本っ当にすみません」

 

 前を並んでいた上級生が驚いて振り返った。すぐさま周囲の不興を買ってしまったと気付いて、大慌てで何度も頭を下げていた。

 周りの目が減ってほっと胸をなで下ろした桜は、朱音を小突いて耳元でささやいた。

 

「あの写真のことは内緒にして欲しいんやけど」

「……合点承知」

 

 朱音が白い歯を見せて爽やかな笑みを浮かべ、親指を立てて快諾する。朱音は秘めた恋を共有する背徳感に心が躍っていた。

 ――あかん。思いっきり誤解されとる。あの横恋慕が余計やった……。

 一方、桜に衆道(しゅどう)の気はない。誤解がどんどん深まっていくことに危惧を覚えながらも、実害が出ないうちは放っておこうと諦めていた。

 ようやく桜の番が回ってきた。カウンターから聞こえる声に従って小鉢や皿をトレーに載せていく。味噌(みそ)汁が入ったお(わん)を受け取り、こぼさないように慎重に移動しながらご飯コーナーに到着する。分量は説明会の時と同じく、小盛り・中盛り・大盛り・特盛り・メガ盛りの五段階を選ぶことができた。桜は迷うことなくメガ盛りを頼んでいた。

 おばちゃんは笑顔になって、裏返して重ねてあったどんぶりを手に取り、ご飯を山盛りいっぱいによそった。

 

「はいよ!」

「ありがとなー」

 

 どんぶりを受け取った桜は、奇異の視線に気付いて辺りを見回した。桜を見ているのではなく、手元に視線が注がれている。

 ――なんやの。もうっ。

 先んじて四人掛けのテーブル席を確保していたクラスメイトは、桜のトレイの片隅でひときわ目立つ白米の頂に目を奪われていた。

 桜の隣を朱音が陣取る。クラスメイトの微妙な視線を全く気にせず、全員席に着いたことを確認した桜が手を合わせて「いただきます」と口にした。

 

「桜……それって」

 

 朱音がこらえきれずにどんぶりを指さす。他のクラスメイトも一緒になって頷いた。

 

「ライスメガ盛りやな。説明書きにあったよ」

 

 桜は「見れば分かる」と思って特に説明しようとは思わなかった。が、年頃の少女である朱音はその場にいる全員の思いを代弁するかのような口振りになった。

 

「そんなに食べて……太らない?」

「全然。私は陸上部やって毎日山道を走ってたからいつもこんくらい食べとったんやけど」

 

 朱音たちはそれぞれの運動部の友人を思い浮かべたが、やはり納得がいかない様子でいた。

 

「炊きたてはうまいわあ。……みんな、食べないん?」

 

 桜にとって食欲を満たすことの方が重要だった。桜の食べっぷりに呆れつつ、朱音たちは二つ返事で昼食に箸をつけていた。

 

 

 



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某国の密偵疑惑(二) 同居人

6/2 桜のユーザーネームを修正


 一日目の授業が終わり、連城の引率で寮に向かっていた。

 学生寮は相部屋である。学校案内の写真によればホテルのスイートルームのような広さと内装を誇っている。

 ――私の部屋、狭かったから……。

 桜の私室は四畳半の畳部屋だった。ホテルに宿泊したことがあっても私室と変わらぬ間取りのビジネスホテルばかりである。スイートルーム並みの部屋で起居できると思うと、夢物語の中にいるかのような気分になった。

 桜に割り当てられた部屋は一〇二六号室である。連城の説明によれば、部屋割りはクラスに関係なく、ランダムで選出した後、出身地や特記事項を考慮して調整を加えたらしい。桜としては寝起きができればどこでもよかった。作郎として空母に乗っていた頃はハンモックが当たり前だったこともあり、ベッドや布団の上に寝ることができるだけで幸せだと感じていた。

 桜としては設備の事よりもむしろ、相部屋になる生徒がどんな子なのかが気がかりだった。

 寮の玄関先にたどり着く。連城は回れ右をして向き直ってよく響く声を放った。

 

「皆さん。もしも寮の部屋が分からなかったり、壊れた備品があったら教えてください。私は一八時まで食堂で待機しています。寮監の織斑(おりむら)先生もいらっしゃいますから、何か困ったことがあったら一階の食堂まで来てください。では解散」

 

 連城が踵を返して、パンプスと来賓用のスリッパを履き替えた。その途端、一斉に騒がしくなった。留学生のグループが質問するべく連城を捕まえていた。

 連城は留学生組の中でも日本語が堪能(たんのう)な生徒から質問内容を詳しく聞き出し、適切なアドバイスを与えているように見えた。

 桜が連城の姿に気を取られていた隙に、玄関前の階層図に人だかりができていた。出遅れたことに気付いた彼女は、人だかりが減るのを待つべく下駄箱に背中を預けていた。

 

「桜!」

 

 桜は声の主を確かめた。朱音である。

 見れば、少しだけ髪が乱れていた。いち早く場所を確認したのは間違いなかった。

 

「せや、朱音は何号室なん?」

「一二二七号室だよ。桜は」

「一〇二六号室」

「うそー。階が違ってるー」

 

 朱音はよほど悔しかったのか、額に手を当てながら大げさな動きで肩を落として見せた。

 桜はすかさず朱音の手を取ってなだめすかす。

 

「まあまあ。私らお風呂の時間が一緒やから。落ち着いてな」

「そうだよねっ。そうだよ……」

 

 玄関の外を見やれば、留学生グループから解放された連城が食堂に向かうべく、玄関前の廊下を通り過ぎようとして足を止めたところだった。

 

「もうすぐ他のクラスの奴らがくるぞー。部屋を確かめたらすぐに場所を空けてやれー」

 

 連城が玄関でごった返していた生徒の背中に向かって声を投げかける。「はーい」という返事がして、関係のない話をしていた生徒が各自に割り当てられた部屋に散っていった。

 

「お風呂の時にまた会おーな」

 

 桜は朱音にそう告げる。階層図を一瞥して部屋の配置を確認すると、颯爽とした足取りでその場を離れていた。

 廊下には先に案内されていた四組の生徒だろうか、薄手の部屋着やジャージ姿の少女たちがうろついていた。一〇二六号室はすぐに見つかった。

 

「ここやね。……失礼しまーす」

 

 扉をあけたその先には、学校案内のパンフレットそのままの光景が広がっていた。

 ――ほんまに豪華やなあ。びっくりしてもうた。

 

「これまた金がかかってそうやなあ」

 

 サクラは思わず笑みをこぼしていた。四畳半の私室の数倍は広かった。間取りは1Kだと聞いている。豪華なベッドが部屋の中央を占拠していたが、それでもまだ余裕があった。

 壁際に椅子と机、片袖机(かたそでづくえ)が置かれている。机に学籍番号を印刷した紙が置いてあったことから勉強机に当たるのだと察した。

 ――ありえへん。ありえへんわ。何やの。この厚待遇は!

 桜は有頂天になっていた。自然と顔がにやけてくる。鏡に自分の顔を映してみたら、それはもうだらしない顔つきだった。

 桜は平静を装うべく深呼吸して、ふとあることを思い出した。

 ――そうやった。アレは来とるやろか。

 桜は学園側から特待生の話を受ける際、支給端末の性能に色をつけるように無理を承知で頼み込んでいた。私的利用が目的なので断られるとばかり思っていたら、専用機受領に伴う予算が下りて無理が通ってしまった。桜が要求したのは最新のノート型端末と航空機や歴史アーカイブへのアクセス権限だった。すべては趣味と実益、過去の記憶のためである。入学直前になって知ったことだが、要求したアクセス権限は、既にウェブサイトとして一般に公開されており、己の無知をさらす結果となっている。担当者が苦笑しながら「あまり知られていない上、利用層が限られている」と教えられた。

 胸を躍らせながら袖机の最下段を引っ張ると、クッション材で包まれたノート型端末が姿を現す。この端末はノート型にもかかわらず現時点での最優の部品を使用した製品である。

 桜はただ、ある大戦期の航空機シミュレーターを動かしたい一心でいた。そのシミュレーターは世界中の戦闘機や艦爆(艦上爆撃機)、艦攻(艦上攻撃機)や爆撃機、複葉機をはじめとしたありとあらゆる大戦期の航空機の操縦が可能なシミュレーターとして有名である。現実に近い操作感覚のために空母からの離艦や着艦が非常に難しいことでも知られている。開発元が英語圏の企業のため、日本での販売に積極的ではなかった。かろうじて代理店が日本語マニュアルを添付した製品が存在するだけで、完全日本語版が存在しなかった。

 桜はユーザーネーム「SAKURA1921」として日本機のうち自分が操縦した機体に限られていたが、操縦性が実際と異なるものや計器の挙動がおかしいなど詳細なレポートを英文で送ったり、開発元が運営するユーザー同士の交流掲示板によく出没していた。まるで見てきたかのように語る上、年齢と性別、国籍から何度となくネカマ疑惑をかけられたほどのパワーユーザーだった。

 マルチプレイ中のボイスチャットでは怪しげな発音を操ることから、国籍を偽った男が裏声を使っていると疑われたこともあった。しかし受験に備えて中学二年の冬に休止宣言をして以来、まったく触れていなかった。

 

「週末にアレを入れよ……」

 

 アレとはもちろんシミュレーターの事である。

 にやにやしながら袖机の引き出しを閉じる。

 桜は連城に指示されていた備品の破損確認を行い、残すところクローゼットとシャワーだけとなっていた。

 ベッドに腰掛けた桜は扉に視線を向け、緊張しながら待ってみたものの、誰も来る気配がなかった。

 

「そっかー。ルームメイトは三組ちゃうんか」

 

 連城が寮への引率をする前に、最初に四組で最後に一組の順番だと話していたことを思い出す。

 もしも同室の生徒に不服があった場合、担任または副担任に申告し、受理されれば部屋替えが可能とも言っていた。習慣の相違によるトラブルを最小限に防ぐのが狙いだった。

 桜はベッドから下りてクローゼットの前に立った。取っ手をつかんで手前に引くと山積みになった段ボール箱が両角に寄せられて積まれていた。

 左に積まれた箱は見覚えがなかった。おそらくもうすぐ来るであろう同居人の持ち物と思い、一瞥するに留めた。桜は右側の箱に自分の名前を見つけた。表面に黒ペンで「サクラサクラ私物」と書かれた箱と、表面に大きく「ISスーツ」と描かれ、四菱ケミカルを始めとした複数の企業のロゴが印刷された箱があった。

 なお、私物の箱には主に部屋着やシミュレーター用の周辺機器、奈津子から渡された化粧道具が入っている。

 桜は一人でほくそ笑み、再びベッドの上に飛び込むようにして体を投げ出した。スプリングの弾力によってわずかに体が宙を跳ねる。二次試験のために宿泊したビジネスホテルのベッドよりも寝心地が良かった。桜は仰向(あおむ)けに寝返りを打ち、天井を見つめる。おでこに手を当てて前髪を払った。

 ――これは現実や。ついにここまで来たんや。

 長期間実家を離れたのは、海軍に入った時を含めて二回目である。特待生として迎え入れられたのは予想外だった。しかし、ここまでは順調な滑り出しと言えた。

 桜は目をつむった。

 ――予科練の時は一年半やった。今回は三年間や。がんばらな。

 佐倉作郎は甲種飛行予科練習生四期生である。この世代は昭和一四年四月に飛行練習生として霞ヶ浦(かすみがうら)海軍航空隊に入隊し、昭和一六年九月に卒業した。つまり、太平洋戦争開戦にかろうじて間に合っている。

 ――朝から晩まで飛行機漬けやったあの頃に比べたら……。

 桜は戦闘機乗りだったかつての自分を思い浮かべた。色々トラブルがあったが、なんとか飛行練習生の戦闘機教程を終えたと思ったら、同期生と共にいきなり新鋭空母「翔鶴(しょうかく)」乗組を命じられた。予科練以上に訓練漬けの毎日を送り、気がついたら択捉(えとろふ)単冠(ひとかっぷ)湾に入港して作戦計画を聞かされている。

 ――で、そのまま真珠湾(しんじゅわん)や。あのときはほんまびっくりしたわ。

 桜は体を起こして時計を見やる。一六時だった。夕食までまだ間があった。

 

「さて、シャワーの調子でも確かめよ」

 

 桜はリボンを緩めて制服の上着を脱ぐ。そして膝を立ててニーソックスを脱ぎ捨てた。

 

 

 一年一組の寮への引率は最後と決まっている。去年までは一組が最初だったが、今年は織斑一夏の入学を考慮して混乱を避けるために一組を最後にしていた。引率の出発時間がずれているのは毎年玄関が混雑するので、他の生徒の邪魔にならないようにとの配慮でもある。

 布仏本音はいち早く案内図を確かめて、混雑から一歩引いて級友である谷本癒子や鏡ナギが戻ってくるのを待っていた。

 ――手元がすーすーして落ち着かない……。

 本音は袖口を引っ張って制服の袖が伸びないか試してみた。すぐに無駄なあがきだと分かって諦めた。

 本来ならば、別口で発注していた袖口を長くした改造制服を着るつもりだった。しかし、他にも同じ業者に制服の改造を依頼した者がいたらしく、本音の改造制服受け取りは今日になることが分かっていた。

 

「本音の部屋はどこなの?」

 

 鏡が尋ねてきたので、本音は努めて眠そうな表情を作って「一〇二六号室」だと告げた。

 

「かがみんは~」

「私は一〇一一号室」

 

 と鏡は答えた。やや遅れて谷本が一〇一二号室だと付け足した。

 

「ちょっとだけ離れてるね。残念だよ~」

 

 残念そうに見えない表情で間延びした声を出す。

 鏡と谷本は緩そうな雰囲気を醸し出す本音に苦笑する。二人して本音の猫かぶりにまったく気付かなかった。

 中学に上がる前、本音は楯無の提案を受け入れる形で「のほほんさん」として振る舞うようになった。生来緩い雰囲気をもった少女である。しかし、それまでの本音は「護国の剣」となるように教育を受け、演技を重ねていくうちに徐々に本当の自分を見失っていた。そのため、楯無は記憶の中にある本音に近づけようと、彼女に自分の提案を守るよう命じていた。

 ――なんだか落ち着かない……。

 緊張を外に出すまいと努めるが、顔の筋肉を強張(こわば)らせてしまう。

 

「本音も緊張しちゃうんだ」

「そ、そうかなあ~」

 

 谷本が本音の脇を小突いた。良い具合に勘違いしてくれたのでほっとしながら、少しわざとらしい科白かな、と思って苦笑してみせる。

 

「ルームメイト誰になるのか楽しみ。山田先生が言ってたよね。くじ引きだって」

「もう適当だよね。でも、部屋替えできるらしいから、合わなかったら先生に言おうよ」

「てひひ。私はちょっとだけ期待してるんだよ~」

 

 わざと余裕ぶって強がりを見せる。が、緩い雰囲気をまとっているせいか、説得力がなかった。

 鏡は誇らしげに背伸びをしてみせる本音に笑みがこぼれた。本音が少し幼く、かつ間抜けに見えたのである。エリート校だと気構えていたら何のことはない。自分と同じ年頃の少女だと分かって緊張がほぐれていた。

 本音の仕草がツボに入ったのか谷本がクスクスと笑い、本音は彼女に向かって頬をふくらませて抗議してみせる。

 

「部屋の場所を確認した人は各自の部屋に行ってくださいね。ずっとここにいると他のクラスの子に迷惑がかかっちゃいますよー」

 

 壁際で一組の生徒の様子を見守っていた真耶が手を二、三回手を打ちながら声を上げた。その隣には、いつの間にか来ていた弓削がしゃがんだまま、同僚の働く姿をにやけ面で眺めていた。

 真耶の声が契機となって本音たちは自室の方角へ首を向ける。

 

「じゃあ部屋に行くから~」

 

 玄関で二人と別れた本音は一〇二六号室の前に来ていた。

 ――彼女は三組だから、多分この中にいるんだよね。

 緊張のあまり生唾を呑み込んだ。これから監視対象と寝起きを共にするのだ。本音は震える手をそっと心臓の上に置いた。

 本音の居室が一〇二六号室になったのは偶然ではない。当初の部屋割りでは更識簪と相部屋になる予定だった。布仏家は更識家の代々家臣の家柄で、元を辿れば更識家と同じ血が流れている。本音は主家の子女である簪の護衛任務を兼ねて同室になるところを、楯無と防諜部が急遽(きゅうきょ)部屋割りを担当していた山田真耶に依頼して更識簪と佐倉桜の同居人の交換を行っていた。

 ――佐倉桜は危険……。

 布仏家の主家筋にあたる更識家、その当主である更識楯無は、学校説明会での不審な行動や、実技試験の試験官をして異常と言わしめた非凡さを重く受け止めていた。桜は得体(えたい)の知れない何かを秘めており、楯無はその正体を探っていた。が、経歴に不審な点が見つからない。何もないことがかえって不信感を強める結果となった。

 本音も学校説明会で桜を見かけている。体調を崩して途中で席を立った少女。とても華やかな顔立ちの子が、まるでこの世の終わりのような悲壮な雰囲気を漂わせていたものだから、印象に残っていたのである。

 ――佐倉桜の姿はまやかし。私みたいに……。

 

「一〇二五号室はここだな」

 

 隣から聞こえてきた声に、本音は物思いにふけっていたことに気がついて我に返った。

 隣室の扉へ首を向ける。同じ一組の篠ノ之箒がメモと部屋番号を交互に見比べていた。

 ――篠ノ之箒。篠ノ之束博士の妹。博士を縛る(かせ)……だった女。

 長い髪に均整の取れた体つきで、本音と勝るとも劣らない女の武器を有している。

 本音は事前にこの部屋割りのことを知らされたとき、「桜が一夏や箒に危害を加えるか、または一夏が箒や桜に害を為すようなことがあった場合はどのように対処すればよいか」と質問を行ったところ、楯無の指示は「原則として可能な限り泳がせる。それがダメなら目立たない形で黙らせろ」というものだった。

 本音は緊張の色を押し隠して、箒に声をかけた。

 

「モッ」

 

 思わず「モッピー」と口に出しそうになる。箒が気付かなかったことを良いことにあわてて言い直した。

 

「篠ノ之さんが隣だったんだね~」

「ええっと。布仏……さん、だったな」

 

 箒は自己紹介の時の記憶を手繰り寄せて答えた。正解を言い当てた箒に向かって本音はにっこり笑って答えた。

「そうだよ~。今日からお隣さんだね~よろしくー」

「ああ。よろしくな」

 

 箒が柔らかく微笑(ほほえ)む。篠ノ之束博士とはあまり雰囲気が似ていなかった。

 箒が一〇二五号室の扉を開けた。

 本音も一〇二六号室のドアに向き直り、恐る恐る中に入った。足元に黒いローファーが並べて置かれている。奥の部屋のベッドに学生カバンと折り畳まれた制服が見えた。

 桜の私物から煙感知器や照明のスイッチへと視線をずらした。一〇二六号室は更識家の監視対象となっていた。煙感知器の中に超高感度小型ピンホールカメラを仕込み、照明の埋め込みスイッチの中に盗聴器が仕掛けられている。外部から望遠レンズで(のぞ)くような無粋な方法で監視するつもりはなかった。

 桜どころか、本音もあられもない姿を見られることになる。とはいえ、監視映像の確認は知り合いの女性が担当し、男性には見せないと楯無が約束していたので多少の安心感があった。

 本音は脱出経路を確保するために、施錠やチェーンを掛けることはしなかった。廊下に出てしまえば公衆の面前である。桜は目立つことを避けようとするはずだと考えていた。

 水の流れる音。佐倉桜はシャワーを浴びている。本音を油断させるつもりなのか、それも本当に油断しているのかまでは分からなかった。

 同居人が来たことに気付いたのか水の音が消えた。本音は何食わぬ顔をしてベッドがある部屋に向かった。

 あわてているのか、奥からバタバタと音がした。本音が身構えていると、シャワー室が勢いよく開かれ、バスタオルを片手に持った裸の少女が姿を現す。

 ――これが佐倉桜。

 本音は驚くような素振りを見せつつ彼女の体つきを観察する。しなやかな鋼のようで、筋肉の上に脂肪をつけた柔らかさがある。陸上競技者の体つきとは少し違った。髪は濡れたままで、本当にあわてて出てきたと見える。だが、彼女のあかぬけた美貌に驚きを隠せなかった。

 

「……嘘や」

 

 桜が目を丸くしたかと思えば、突っ立ったまま小さな声でつぶやいた。

 本音はその理由が分からず小首をかしげた。

 桜は再び「嘘や」と呟いて呆然としたかと思えば、バスタオルを持ったまま本音に強い足取りで近付いてきた。

 本音は挨拶をするべく笑顔を作って右手を差し出した。

 

「……はじめまして~」

「布仏分隊士!」

 

 だが、その挨拶は、桜の激しい声にかき消されていた。

 本音は神棚の傍らに飾られた写真でしか知らなかったが、布仏(じょう)は彼女とよく似ていた。祖父から面影がそっくりとまで言われたほどだ。確かに写真を見る限り、童顔の美青年という感想を抱き、自分の顔写真と見比べてもよく似ていると納得していた。

 本音の曾祖父(そうそふ)は関東軍の高級参謀だった布仏(するぎ)元大佐である。その弟の(じょう)は布仏家唯一の海軍士官であり、学徒出陣した戦闘機パイロットだった。菊水二号作戦において駆逐艦イングリッシュに特別攻撃を行い戦死したと祖父から聞かされていた。

 

「おったんや。私以外にも……ハハッ」

 

 本音の目には桜がひどく混乱しているように映った。裸のまま鬼気迫る表情で本音の両肩をつかみ、女とは思えないほどの強い力で握りしめた。

 

「痛いっ……あの、どうして?」

 

 そのまま背中を壁にたたきつけられる。桜の瞳に狂気の色を見いだすに至り、本音は心の底から恐怖した。

 桜は自分と同じ境遇の者がいるのでは、という希望にすがりついていたに過ぎない。普段の桜からあり得ないような調子で一方的に自分の思いを吐露(とろ)していた。

 

「分隊士……貴様も()()()()()()()()()

 

 尋常な目つきではなかった。桜が本音の体を通って別の誰かを見ているような気がしていた。

 ――怖い……。

 桜の言葉遣いに違和感を覚えた。

 更識家でまとめた身辺調査書によれば、彼女の実家が四日市に近いせいか、三重県北中部の旧伊勢国で話される方言をよく使い、標準語は苦手だとされていた。面接の時も伊勢(なま)りが抜けていなかった、と報告されている。

 

「何故黙っている。私を忘れたのか! 布仏静少尉。おい……何とか言ってくれ!」

 

 ――祖父が言っていた、おじさんのこと?

 本音は布仏静と勘違いされていることに気付く。だが、おかしい。どうして七〇年以上前に死亡した人物の名前を呼ぶのだろうか。

 

「私は布仏静という人じゃありません」

 

 本音の言葉を耳にした瞬間、瞳に苦悩の色が浮かび、一瞬だけ肩を押さえつける力が軽くなった。すかさず本音は身を低くして、桜の足を払った。そのままフローリングの上に向かって(うつぶ)せに倒し、胴体の上に馬乗りになった。ちょうどバックマウントポジションと呼ばれる状態となり、桜の背中に腹を密着させ抵抗できないように腕を()めた。

 本音は荒い息を吐きながら、桜に言った。声音を作って「のほほんさん」を演じる余裕はなかった。

 

「布仏静は戦争で死にました。それに最終階級は少尉じゃありません。()()でした」

 

 布仏静は菊水二号作戦に参加した時点では少尉である。特別攻撃による戦死のため二階級特進して大尉となっていた。

 桜はまだ気が動転していた。懐かしい顔を見た気がして、顔を歪めて涙を流していた。

 本音はさらに告げる。

 

「私は布仏本音。あなたのルームメイトです。布仏静は曾祖父の(するぎ)の弟にあたります」

「覚えて、おらへんの……」

 

 桜は抵抗を止めた。錯乱状態から脱したのか腕の痛みに耐えながら、荒く息を吐いていた。

 

「落ち着いてください。どうしてあんなことを言ったのかわかりませんが、私はあなたが言うような人物ではありません」

 

 本音はできるだけ優しい声音を作る。また暴れられては困るのだ。

 桜が息も絶え絶えと言った風情でいた。そして寂しそうな声音で呟いていた。

 

「ハッ……何や、かん、ちがいか」

 

 本音としては彼女が落ち着くまでこの姿勢を続けるつもりでいた。だが、大きな音を出したので人が来る可能性が頭の片隅にあった。桜の胸の動きが小さく、ゆっくりな動きに変わって行くにつれて、本音の中でその懸念(けねん)がふくれあがっていった。

 ――嫌な予感がするかも……。

 本音の心配は的中した。

 真耶に指示を守って部屋の点検を終えた箒が、シャワーを浴びようと制服に手を掛けたところ、本音とルームメイトと思しき女性が言い争うような声を聞きつけ、あわてて一枚羽織って一〇二六号室に飛び込んできたのである。

 箒が部屋に入ったときには物音が消えていた。靴はきちんとそろえられていた。二人は奥の部屋にいると思われ、警戒しながらも、確かな足取りで近付いていった。

 

「布仏!」

 

 部屋の前で話をしたおっとりした少女がうずくまる姿を見つけた。もう一人はどこにいるのか、と箒は探した。

 

「大丈夫か。大きな音が」

 

 箒は口を開いたまま、そのまま絶句していた。目の前で行われている状況を理解するべく必死に頭を回転させたが、脳が思考を拒むかのようにうまくまとまらなかった。

 すると、箒に気付いた本音が、肩で息をしながら上体を起こした。

 

「モッピー大丈夫だよ。もう大丈夫なんだよ~」

「……どこが大丈夫なんだ!」

 

 箒は混乱しながらも、本音を問い詰めずにはいられなかった。

 

「布仏……()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 腕を解放された桜は組み敷かれたまま箒に顔を向けた。

 真っ赤になった頬。涙に濡れた瞳。汗ばんだ体。尋常な状況ではないことだけは分かる。

 本音は箒の声が震えており、言い訳の難しい状況になっていることに気付いた。さりとて本当の事を言うわけにもいかなかった。桜を組み伏せたのは、彼女が対人戦闘に長けている可能性があったので、抵抗されないようにバックマウントポジションを取った、などと説明しても箒が納得するはずがない。

 しかも先ほどの一部始終はカメラと盗聴器の記録から楯無の知るところになるのは確実で、下手な言い訳をしてぼろを出そうものなら本音の立場が苦しくなる。情報漏洩(ろうえい)が元で消された工作員の噂をいくつか耳にしているので、本音としても自分が消されるような事態は避けたかった。

 

「えーと」

 

 本音は言いにくそうに目を泳がせる。箒が不審者を見る目つきで本音を見下ろしている。

 とっさに本音が思い浮かべた回答は、突飛だが、状況証拠との一致も相まって箒を思考停止に追い込むことができる。が、布仏本音という存在が悪目立ちすることは避けられないと予想された。

 ――身を切る覚悟で任務を遂行しなければ……。

 一時の恥を忍んで口を開く。

 

「……彼女がすごく魅力的だったから~」

 

 

 




NOHOHONさんは仕様です。


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某国の密偵疑惑(三) クラス代表

 昼休みの生徒会室。本音の他に人影はなかった。

 室内は薄暗く厚手のカーテンが光を遮っているのだと気付いて窓際に向かい、陽に焼けた裾を引っ張る。力強い直射日光がその瞳に飛びこみ、あまりのまぶしさにまぶたを閉じてうつむいてしまった。

 そのまま踵を返して、長机へと向き直る。パイプ椅子の背に姉の忘れ物と思しきカーディガンが残されていた。

 本音の足取りには迷いがあった。力なくよろめくようにして椅子に腰掛け、

 

「やっぱり早まったのかな~」

 

 と独りごちて売店で買ったパンの袋をつまみあげた。

 頬杖をついて袋を破る。どこか虚ろな目つきでパンを半分ほど外に出した。

 昨日の任務。監視対象が見せた狂気の色。そして失態。ひとつひとつの事実が本音を悩ませる。

 ――結果はどうあれ、私ひとりじゃ判断できない。

 もう何度目になるかわからないため息をつく。教室には居づらいし、そうかと言って食堂は好奇の目にさらされてもっと厳しい。もしかしたら悪意の視線も含まれているかも知れない。

 ――職業病なのかな……。

 他人を見たらまず疑え。ずっとそのように教育されてきた。まさか自分が疑われる立場になろうとは思っても見なかった。

 学園生活二日目にして本音は人生最大の危機を迎えていた。幸い相談相手がいるのでひとりで抱え込む必要はない。だが、現状を報告することは本音の心を締めつけていく。

 

「でも……でも……ああ言わないと私が」

 

 ――消される。

 昨晩、一〇二六号室の出来事の記録は解析に回されており、監視者から桜の異常な言動について指摘が入っている。

 ――私を擁護してくれたのはうれしいけど……おじょうさまが同じ判断をするとは限らないんだよね。

 記録映像は天井から見下ろしたもので、桜が奇妙な言動をしたときの表情までは残されていない。だが、本音はあのときの桜の顔を鮮明に覚えている。一五歳の少女ではない、もっと別の何か。

 二人だけになったとき桜は恥じらいながら、

 

「さっきのは忘れて」

 

 と耳元で囁いたので、それ以上追求することができなくなっていた。

 ――私の中の誰かを……ああ……対象は、自分で言ってたな。分隊士……それに布仏静って。

 ふと突拍子もない妄想が思い浮かぶ。

 ――怪談、輪廻転生、憑依……。オカルトだよね~。そういうのって好きだけどおじょうさまを納得させるだけの根拠がないよね……。

 本音は頭を振った。受け入れがたい現実を前にして妄想の世界に逃避して、落ち着きたいと願っているのだ。願望の世界に浸かってずっと夢の中にいたかった。

 姉の私物であろうマグカップを手にして、壁際の電気ケトルの湯を注いだ。

 ――先代ならともかく、おじょうさまなら、転校で許してもらえる?

 ティーパックから紅色がにじみだす。マグカップの中を見つめるうちにすべて紅になった。

 一七代目楯無は先代楯無と比べたらまだ血の通った人だ。今の楯無は組織の長としては不完全だ。人情に溺れやすく、実力が不安定だと評されている。本人もそれを自覚するだけに、あえて私心を押し殺そうとするのではないか。

 ――やっぱり転校も嫌。

 本音の代わりが他にもいるという事実を思い出す。更識家が運営する教育機関では、身寄りのない子供を引き取って手駒とするべく教育(洗脳)を行っていた。

 

「モッピーだけだったら、まだ良かったのに」

 

 本音は相川と櫛灘(くしなだ)を思い浮かべ、思わず頭を抱えてしまった。

 二人は本音のクラスメイトにして一〇二七号室の住人だった。

 箒に桜を押し倒した姿を見られて、ルームメイトを襲ってあまつさえ馬乗りになって口に出すのもはばかられる行為をした、していない、という口論になった。開き直った本音が悪いとはいえ箒の誤解を解こうと躍起(やっき)になっていたところに、相川が開けっ放しだったドアから入ってきた。

 

「彼女は悪くないんだよ……彼女は」

 

 相川は裸で涙に()れた桜の姿と、乱れた制服姿の本音を見つけたにもかかわらず適切な判断を下していた。興奮する箒を落ち着かせ、桜を介抱するように指示を出したかと思えば、助けを借りるべくルームメイトの櫛灘を呼びに行っている。誤算は異常な状況を本音ではなく、箒が主観的に状況を説明してしまったことだろう。

 

「冷静な顔だったから、頭から信じていないのは確かだったんだけど」

 

 ――あの笑顔が忘れられないよ……。

 相川から事実を告げられた櫛灘は、顔を出すなり黄色い声を上げた。

 

「ごめん……忘れ物があった。すぐ戻る」

 

 櫛灘はそう言った。

 正直なところ、本音は櫛灘の行動力を見くびっていた。クラスメイトどころか他クラスの子に明るく声を掛けては、あっという間にアドレス交換していたから、気さくな人物という程度にしか認識していなかった。

 だからといって、「布仏がルームメイトを襲って美味しく食べた」といった文面のメールをアドレス交換した生徒全員に飛ばさなくとも良かったではないか。

 本音は今となっては、櫛灘が人の皮をかぶった悪魔に見えていた。

 気まずいながらも桜とお互いの過失を謝罪し合っていたら、世界の終わりを告げる櫛灘のメールが届いていた。

 情報の怖さを思い知ったのは、桜を食事に誘いにきた朱音がルームメイトの簪と一緒に部屋を訪れた時のことだ。

 ――うう……かんちゃん……。

 朱音経由で簪の耳に入り、猛威をふるった。

 

「……もしかして……ずっと……私もそういう目で……見てたの?」

 

 簪はおびえた視線を向け、本音が弁解しようとしたら逃げてしまった。箒に誤解されたことよりもむしろ、こちらの方が(こた)えた。

 パンをかじりながら、簪との関係にひびが入ったことを悔やみつつ、空いた手を額に当てる。

 ――今朝、みんなの視線がおかしかった……。

 鏡と谷本が気をつかって話しかけてくる姿が痛ましかった。彼女たちは決して昨日の話題に触れなかった。

 アールグレイの香りが鼻孔をくすぐる。飲み頃になったので、ティーパックを取り出してマグカップに口をつけた。レモンの輪切りが欲しくなって辺りを見回す。

 すると、廊下からヒーロー物の主題歌と思われる鼻歌が聞こえ、生徒会室の前で止まった。

 本音はパンを口に運んだ。程なくして扉が開き、楯無が売店の惣菜パンと紙パックを持って現れた。

 

「おじょうさま。こんにちは」

「こんにちは。本音」

 

 生徒会長席に腰掛けた楯無を見つめて、本音は緊張しながらパンを飲み込んでいた。

 楯無は本音の存在を気に掛けることなくパンと紙パックに差したストローの間を行き来した。食事に一段落したところで、

 

「昨日の件、報告してもらえるかしら」

 

 机に両肘をつき、掌底の上に顎をのせる。笑みを浮かべ本音の反応を待った。

 

「もう報告がいっているとは思いますが、かいつまんで……」

 

 本音はおっかなびっくりといった風情で昨日のいきさつを話した。一〇二六号室に入るところから、相川が櫛灘を呼びに行くところまでを簡潔に述べた。

 

「ありがと。監視の報告書と一致しているわね」

 

 本音はほっとため息を吐いた。楯無の表情が笑みを浮かべたまま変わらなかったからだ。

 

「ちょっと確認したいことがあるから、情報を整理しましょうか」

「……お願いします」

 

 楯無は緊張する本音がこれ以上萎縮(いしゅく)しないように気を遣って微笑(ほほえ)んだ。

 布仏静については楯無も概要を知るくらいだった。数年に一度の頻度で特攻隊絡みの取材申し込みがある程度で本音も楯無も詳しく知らなかった。布仏の家に生まれたということはつまり、更識家暗部に関わりのあることまでは予想がついた。

 

「対象との接点は?」

「説明会の時に顔を見かけたくらいで、実質昨日が初対面でした」

「対象の言動からして布仏静の関係者よね。連城先生にそれとなく探りを入れてみるか」

 

 本音は聞き慣れない名前を耳にして、入学式の記憶を漁った。

 

「連城? ええっと三組の先生?」

 

 楯無がうなずいた。

 

「昔、虚が日本史の自由課題で戦争関係を調べていたのよ。そうしたら先生のおじいさんと、話題の静さんが同じ基地にいたことがわかったの」

「お姉ちゃんそんなことやってたんだ」

「確か先生が、おじいさんの名前が出てきた書籍の目録を作っていたはず。後は、あなたの家に頼んで彼の遺品を調べてもらいますか。布仏家と佐倉家の接点も戦前までさかのぼって洗った方がいいわね」

 

 楯無が生徒手帳の余白に走り書きでメモを取り、すぐに顔を上げた。

 

「対象の、今朝の精神状態はどう?」

「いたって普通だったよ~。お互いに気を遣ってぎこちなかったけど、昨日みたいなことはなかった」

「対象をつれて一緒にカウンセラーに診てもらいなさい。学校指定の人なら更識(うち)の息がかかってる。頼めば協力してもらえるから」

 

 カウンセラーの存在については、本音も玄関前の掲示板に張られた案内で知っていた。

 IS学園では親元を離れて寄宿舎生活を営むことから、入学して間もないの頃は集団生活に不安がある者やホームシックにかかった者がカウンセラーの元へ訪れることがよくあった。日本語習得が不十分な留学生は特に言語の壁から孤立しがちなため、学校生活になじむ手助けをする役目も担っていた。また、二年生になると搭乗者の道が絶望的となり、一般大学への進学を志す者が出てくる。教員に言い出しにくい相談の受け皿となることも多い。

 

「さて」

 

 楯無が懐から扇子を取り出し、本音に見えるように広げて見せた。そこには「仕置き」と書かれている。

 本音はパンをあわてて紅茶で流し込んだ。

 

「食事も終わったことだし、とりあえず正座しなさい。椅子の上でいいわよ」

 

 本音は曖昧(あいまい)な笑みを浮かべたまま、(こうべ)を垂れて言われた通りにした。

 楯無を一瞥(いちべつ)すると目が笑っていなかった。歪む口元を扇子で隠している。

 

「それで報告した内容の後で、対象と何か話をした?」

「一応自己紹介とお詫びを少々。ものすごく気まずくて気まずくて~」

 

 楯無は返事の代わりに扇子を閉じ、もう一度開いて見せた。

 本音は楯無が口を開くのを待った。

 

「対象とどんなことを話したのか教えて」

「自己紹介とクラスと出身地など調査書に書いてあった内容を一通(ひととお)り。突然奇妙なことを口走ったことへの謝罪と、妙な誤解を与えてしまったことへの同情とか」

「自分が何者か口にした?」

 

 楯無が事務的に聞いたので、すぐさま本音は首を振った。

 

「話したくないみたいで、目を伏せてヒントになるようなことは何も。また暴れられては困るので追求しませんでした~」

「薬物をやっていた可能性は」

「特には。正常な瞳孔でした」

 

 その答えを聞いて楯無は目を細めた。目を見なかったことから桜が嘘をついているのは明らかだ。そのくせ、錯乱していたという事実がしっくりこない。桜への人物像が定まらずやきもきした気分になった。

 本音は楯無が考え事をしていたので少しでもヒントになればと思い、桜が鬼気迫る表情でつかみかかってきた時に感じた印象をそのまま言った。

 

「おじょうさま。対象ですが、貴様って言葉を使っていたから、旧軍の亡霊の生まれ変わりとかじゃないかな。よく霊が憑依(ひょうい)とかあるよね~」

「ばかばかしい。それこそ根拠がない。どうやって証明するの」

「……だよね~」

 

 案の定強い口調で否定されて、本音は笑ってごまかした。楯無が(しか)るような視線を送ってきたので、息を吸って真剣な顔つきに切り替えた。

 

「やっぱり……」

 

 楯無は眉根を潜めて深刻そうにつぶやいた。楯無は桜に対してどこかの国の密偵という疑惑をかけていた。経歴は白だが、時折見せる言動が普通の一五歳の少女と考えるには違和感があまりに大きい。

 IS学園は今のところ他国から干渉されていない。だが、いつ何時自国の利益のために襲撃を受けるかわからない。IS産業は日本に莫大(ばくだい)な利益をもたらしつつあり、その芽を摘ませるわけにはいかなかった。

 楯無は疑心暗鬼の病にかかっていることを自覚していた。本音の瞳を見つめる。隠し事をする素振りはなかった。本音が楯無に虚偽の報告をすることは状況からしてありえなかった。緊張していることから、強引に転校させられるとでも思っているのだろうか。

 

「安心しなさい。転校はないわ」

 

 本音が心配事が去ったのか顔が明るくなる。背を伸ばしてにこにこ笑った。だが、楯無は少し口の端をつり上げ、意地悪な顔つきになった。そして正座する本音を奈落の底へ突き落とす一言を発した。

 

「あなたのうわさ、耳にしたわ」

「もう二年生まで伝わってるの!」

 

 パイプ椅子がきしむ。身じろぎした本音が悲鳴じみた声をあげた。

 IS学園の生徒はよほど話題に飢えていたのだろう。速すぎるうわさの拡散は、本音の淡い希望を打ち砕くには十分すぎるほどの効果をもたらした。

 

「第三者に見られるなんて。とんでもないヘマをしでかしたわね。まさかあなたが失態を犯すなんて予想もしていなかった」

「返す言葉がないよ~」

 

 本音が肩をすくめてばつの悪そうな顔つきになった。

 一方で、本音は自分の現状を把握したくなった。楯無の耳にどんなうわさが届いているのだろうか。

 

「あの~どんな噂か教えてくれたら~」

「ビアン。痴女。飢えた雌犬……ほかにもあったはず」

 

 楯無が合計五つの単語を口にした。最後の二つは脳が理解すること自体を拒否してしまい、本音は青ざめて目を逸らしていた。胸の上を押さえて心臓が飛び出しそうになるのを必死に耐える。焦点が合わず、脂汗が流れ落ちる。取り返しのつかない事態に陥っていることだけは理解できた。

 楯無は両肩を震わせてパイプ椅子をガタガタ揺らす本音を見つめる。勢いよく扇子を閉じる。小気味よい音だった。

 

「私の高校生活が……」

「いっそ三年間、女好きで通しなさい」

「そんなあ! 誤解でした、ごめんなさいというのは……。かんちゃんから不審者みたいな目で見られたんだよ~」

 

 無慈悲な言葉に本音が大声で抗議した。が、楯無はどこ吹く風と言った表情で聞き流す。

 

「今のままでは任務は失敗したも同然。無理を通せば道理が引っ込むと思うの」

「いや……え……無理、無理だよ~」

「あの後、毛嫌いするような素振りを見せなかったんでしょ? それなら望みはあると思うわ」

 

 本音は食堂や風呂で、朱音が桜の体を、特に筋肉をやたらべたべたと触る姿を目にしている。同性に体を触られることを意に介すような性格ではないと考えられた。だが、恋愛感情を向けた場合はまったく異なる反応を示すはずだ。心の中で楯無の言葉を何度も繰り返す。試しに桜と腕を絡める自分を想像し、楯無に哀願するような視線を向けた。

 

「体を張って情報を入手すればいいのよ。佐倉桜と行動をともにする良いチャンス。大丈夫。監視員は口が堅いから。外部にこの情報が漏れる心配はないわ」

「私が白い目で見られるよ。お父さんお母さんにも知られちゃうよ~」

 

 頭を抱えたくなるのを必死にこらえる。拳を握りしめて抵抗を続けた。やはり楯無は意に介さなかった。

 

「任務といえば納得します。このままでは布仏の名に傷がつくことになります」

「家名を盾になんて……ず、ずるいっ」

「いずれは女の武器を使ってもらうことも考えていたけど、まさか女に使うことになるとは……」

 

 楯無がわざとらしく泣き真似をしてみせる。目元に涙をたたえているが、楯無は女の涙を自在に操ることができ、心の中では本音をあざ笑っているのがひしひしと伝わった。

 ――まさか……。

 本音はふと、嫌な予感がしたので確認すべく恐る恐る聞いた。

 

「その、も、もしかして、……ま、まくらえいぎょうとかも?」

「状況次第では」

 

 楯無がしれっと言い放った。本音は首を何度も横に振ってパイプ椅子が倒れないように気を付けながら、身を乗り出した。

 

「む、無理。し、したことないんだよ」

 

 本音はその手の経験がない。中学の頃に更識家の教えを実践するべく、その場の雰囲気で男子と付き合ってみたものの手をつなぐところまでだった。体どころか唇も許さなかった。学業や訓練が忙しかったこともあり、交際は一ヶ月も経たずに破局した。

 

「やり方は習ってるでしょ。演技の練習でそういう役をやってたじゃない」

「あれは演技だよ。女同士だったし、実際にそういうことはしない、って暗黙の了解があったからできたんだよ~」

「積極的に誘えば……うん。多分大丈夫」

 

 今まで不敵な笑みをたたえて本音の顔を直視していたのだが、ここに来て初めて目を逸らした。羞恥心が芽生えたのか、うっすらと頬を赤らめている。先ほどまで威風堂々としていた背中を小さく丸めた。扇子を机に置いて言いにくそうに伏し目がちになって口ごもり、意を決して顔を上げた。

 

「もし対象がストレート以外なら……ききき……キスぐらいまでの清い付き合いでも大丈夫。むしろ唇を奪うぐらいでないと!」

「おじょうさま。今、目が泳いだ~」

 

 どうやら本音と桜が致す場面を想像したのか、楯無の動揺する姿がひどい。楯無は男を籠絡するための知識と技術を伝授されたとはいえ、家業と学業が忙しく色恋沙汰と無縁である。技術の方は女性の教育係から教わったものであり、男性経験は実質皆無である。その意味では、本音の方が若干ではあるが経験値が高い。

 楯無は自分を落ち着かせるように、わざとらしく咳払いをした。

 

「とりあえず調査の方は私と虚で手配しておくから、本音は任務を継続しなさい。簪には私から事情を伝えておくわ」

 

 

「失礼しましたー」

 

 職員室を辞した桜は廊下で待っていた朱音と合流し、二人して食堂に向かった。

 ――なんかごたごたしてそうやったね。

 

 連城の用件は専用機に関する続報である。倉持技研は現在、他の機体に人的資源を集中させているため、最低でも二、三週間は待ってもらいたいと伝えられた。以前は、調整がつき次第追って連絡すると聞いている。そこから具体的な期間を提示されただけでも進歩があった、と桜は感じていた。

 ――そのうちに技術者が来るんやろか。

 戦闘機乗りだった頃に零戦五二型を受領した。その際に技術者から変更内容に関する説明を受けている。雷電に機種転換する話も出ていた。だが、特攻を命じられたことでご破算となった。

 メニューのほとんどが売り切れだった。桜は残った定食メニューを選び、ライスコーナーでは中盛りを頼んだ。

 朱音はてっきりジョークメニューを選ぶものと思い込んでいたので、視線を桜の顔とお(わん)の間を行き来させて、拍子抜けしたように目を瞬かせた。

 

「今日はメガ盛りにしないんだ」

「次、体育やろ。吐きたくないんや。もったいない」

「……そこは気を付けるんだね」

 

 朱音が釈然としない顔つきになった。

 ――学校説明会と同じ(てつ)は踏まない。どうや、奈津ねえ。

 奈津子の顔を思い浮かべながら一人でしたり顔を浮かべる。朱音が不満そうに小首をかしげても気にならなかった。

 最も混雑する時間帯が過ぎていたこともあって、どのテーブルも選び放題だった。

 朱音が真ん中のテーブル席を陣取った。桜は朱音の向かいに座る。

 二人して合掌し「いただきます」と声を合わせた。そのまま箸に手をつけようかという頃合いに、朱音が口を開く。

 

「結局、何の話だったの?」

 

 朱音は、もしや、と思い気を遣っていた。

 

「専用機がもらえるらしいんやけど、受け取りが遅れますって話やったよ」

 

 桜の口調は世間話をするかのように軽い。桜は粕汁(かすじる)に口をつけた。朱音がどう反応するかは全く気にしていなかった。

 朱音がぽかんと口を開ける。てっきり桜のルームメイトの話が出てくるかと思っていた。お椀を置いて、おかずに箸をつける桜は、まるで驚くに値しないと言わんばかりの態度をみせた。

 

「専用機って……ええっ!」

「そんなに驚かんでもええわ。この粕汁美味しいから冷める前に食べんと」

「いやいや、ちょっと待って。何でそんなに平然としていられるの」

 

 二人の反応に温度差があった。桜は口の中の食べ物を飲み込んで素っ気なく答える。

 

「話があるってだけで機体名すら教わっとらんし。初心者やってのに期待してもしょうがないわ」

 

 そのまま米に箸をつける。専用機の話題は二の次で食べることに専念していた。

 そこに、桜の背後に近付く二つの影があった。

 女の声がした。

 

「相席いいか」

「ええよ」

 

 桜は食事に集中するあまり、相席を申し出た相手を見ることなく返事していた。朱音を見やるとびっくりした様子だった。誰かと思って隣に目を向けると、

 

「あ。お隣さんやったか」

 

 篠ノ之箒と織斑一夏である。

 ――やっぱり昨日のことを心配してくれとるん?

 箒は桜から見て、隣に一つ空けた席に座った。桜を気遣っているのか少し表情が暗い。

 

「昨日は大変だったな」

「いやいやこちらこそ、えらい騒いでもうて迷惑やったろ」

 

 桜は心遣いに感謝しつつ、いつもと変わらぬ様子で受け答えする。

 箒は昨日の一件を全く気にしていない素振りを見て、ほっと胸をなで下ろしていた。一夏は要領を得ない顔つきで首をかしげ、話に入ることができないため一足先に箸をつけていた。

 ――あれは事故や。まずいこと口走ったな。気が狂ったかと思われたな。絶対。それにしても布仏……さん、かあ……。

 

「布仏さんはクラスで孤立しとらへん?」

「……あ、ああ。今日見た限りでは大丈夫だった」

「よかったあ。妙な展開になっとって心配してたんや」

 

 桜が明るい声を出したので、自然と箒の声音もつられて調子づいた。

 ――親族なんやろなあ。布仏なんて名字、珍しいから。

 桜はあまり話をしたくないのか、素っ気ない様子で漬け物を口に放り込む。箒の相手もそこそこにルームメイトの姿を思い浮かべた。

 ――布仏と言うと陸軍さんか。確か関東軍やったっけ。相性が悪いわ。荘二郎兄貴と征四郎兄貴のことがあるからなあ。

 作郎の次兄、荘二郎は昭和一四年にノモンハンで戦死。四番目の兄、征四郎は終戦間際に満州で戦死している。感情を表に出さないためにも、食事を中断するわけにはいかなかった。

 

「なあ、さっき専用機の話をしていたよな」

 

 会話が途切れた頃合いを見計らって一夏が口を挟んだ。女同士のデリケートな話に首を突っ込む気はないという意思表示でもあった。

 桜が質問に答えるべく口の中のものを飲み込む。が、先に朱音が答えていた。

 

「三組にも専用機が来るみたいなんだよ」

「……納期未定やけど」

 

 本当は二、三週間後との見込みらしいのだが、不確かな情報を与えるつもりはなかった。

 

「ふうん」

 

 一夏は素っ気ない返事をする。いまいちピンと来ない、そんな表情を浮かべていた。

 朱音は、桜が一夏に興味を示さないことに落胆を感じていた。が、心を奮わせチャンスとばかりに一夏の顔をのぞき込む。

 

「ところでお二人はどんな関係なんですか? うちら三組としてはそこのところが気になってるんですよー」

 

 桜は朱音の口元を注視した。わずかであるが、にやついた笑みを浮かべている。

 ――あの写真を見つけた時と同じ表情や……。

 朱音の質問の真意を察した箒が突然むせ返ってハンカチを口に当てた。

 

「幼なじみなんだ」

「ははーん。そうですね。そういうことにしておきますね」

 

 あえて深く追求することはなかった。男女間の友情は成り立たない、と仮定すれば朱音が何を考えているのか想像するのはたやすい。

 桜は一夏と箒を交互に見比べていた。

 ――ええな。別嬪(べっぴん)の幼なじみが私も欲しかったんや。そしたら、甘酸っぱい……もとい別の意味で楽しい毎日が送れたと思うん。

 桜は自分の幼なじみを思い浮かべる。

 ――顔はええんやけどなあ。ホント、もったいない。

 

 

 桜は入学二日目にして一部の生徒から「メガモリ」と呼ばれている。初日に大食漢である事実が明らかになり、ジョークメニューを平然と平らげる姿を見て誰かが言い出した。三組の留学生からは「サクラ・メガモリ」と呼ばれ始めていた。

 初めての体育は持久走である。桜は平気な顔をして黒人のクラスメイトと並走し、同着一位だった。

 桜はジャージを身に着けていることや、締まった体つきのために胸部の自己主張が薄い。とはいえ、中学の時よりも少しふくらみが増した。

 遅れて走り終えた朱音が肩で息をしている。けろりとした様子の桜に目を向けた。

 

「な、んで、そんなに平気そうな顔してるの……」

「私、陸上部」

 

 桜はしれっと答える。

 朱音が不満そうに見返す。桜の答えに納得がいかなかった。

 桜は唇をとがらせた朱音を眺め、野犬の遠吠(とおぼ)えを聞いた夜のことを思い出していた。

 ――私、昔っから悪運には恵まれるんやけど、運に見放されとるから……と言っても通じんか。

 飛行練習生時代に一度殉職(じゅんしょく)しかけたことがあった。訓練で使用する赤とんぼ(九三式中間練習機)は複座式である。単独飛行訓練をする際は後部座席に土嚢(どのう)をつんで実施する。だが、作郎が乗った機体が空中でエンジンが停止してしまった。何とか不時着したまではよい。山林の中で野犬の群れにおびえて眠れぬ夜を過ごす羽目になった。

 この時の経験により体をいじめ抜いたり、布仏少尉に紹介してもらった下士官から対人戦闘技術やサバイバル技術を学ぶようになった。

 ――体を鍛えへんと、野垂れ死ぬ気がしたと言うのもなあ……。

 朱音が息を整えながら悔しそうに口を開く。

 

「陸上部かー。私も体力に自信があったのになあ……」

 

 桜が得意げに鼻を鳴らす。

 

「へへっ。これでも陸上で推薦がもらえるって話もあったんや」

「推薦なら……まあ、仕方、ないかも」

 

 朱音はようやく合点がいったのか、がっくりと項垂(うなだ)れた。

 

 

 帰宅前のSHR(ショートホームルーム)の時間となり、教壇に立った連城が疲れた様子の生徒たちを見回していた。

 

「さて、弓削先生の体育で疲れてさっさと寮に帰りたい、と思っているのではないかな。ですが、もう少し私に付き合ってもらいたい。今日のSHRでは三組のクラス代表を選びます」

 

 連城は次のように補足した。クラス代表は級長の役目に加え、五月に執り行われるクラス対抗戦の選手として登録される。クラス対抗戦優勝クラスには半年間デザートフリーパスが与えられることになっていた。クラス対抗戦最下位クラスには毎年罰ゲームが課される。すなわち責任重大である。

 連城はクラス中を見渡す。半年間デザートフリーパスに食いついて目を輝かせ、罰ゲームに教室がざわついたことを確かめた。

 

「クラス代表に立候補する者はいないか? もし誰も立候補しなければ他薦することになります。しかし私は立候補するくらいの気概を見せて欲しいと望んでいます。誰かいませんか」

 

 聞き取りやすい、はっきりとした声だ。病的な青白さの割にIS搭乗資格を持つ弓削よりも威厳があった。

 桜が手を挙げた。

 

「先生。質問」

「佐倉君。発言を許します」

「ありがとうございます。クラス対抗戦優勝クラスへの賞品ですが、食券に換券可能でしょうか」

 

 桜の問いに間髪入れず連城が答えた。

 

「もちろん可能です。この場合は選択メニューは限定されますが、半年間定食フリーパスという扱いになります」

 

 連城の回答にクラスメイトたちがざわめいた。

 

「その発想はなかった」

「さすがメガモリ……」

 

 といった声が聞こえてきた。

 桜としては既に食費などの経費免除措置が適用されている。つまり半年どころか在学中ずっとタダ飯が食べられるようになっていた。昔から食い意地だけは大人顔負けである。デザートよりも日々の食事を摂る方が好いていたことから、試しに聞いてみたのである。

 さて、IS学園一年生の留学生は約四〇名と学年の三分の一を占めていた。推薦入試の枠のほとんどが留学生に使われた計算で、有名どころはセシリア・オルコット、ティナ・ハミルトンである。彼女らは名が通っているだけあり成績優秀だった。

 推薦入試合格者は各クラスに一〇名ずつ均等に振り分けられている。どういうわけか三組には留学生の中でも評価の低い者が所属する形になってしまい、不作のクラスと呼ばれる始末だった。

 三組の留学生たちはセシリアと戦って勝てるかどうか、頭の中でシミュレーションしていた。勝てる気がしない。ティナはおろか、更識簪にも勝てない。それ故、桜の楽しげに目を輝かせる様が不気味だった。

 ――何かやる気が出てきた!

 桜は自分が勝利することで、朱音やクラスメイトが喜ぶ姿を思い浮かべる。

 入試の実技試験において試験官に勝利したのはセシリア・オルコット一人だ。順当に言ってセシリアが一組のクラス代表になるのは間違いない。

 ――毎回、一撃離脱に徹すればいけるかも知れんね。

 桜は再び手を挙げた。

 

「先生」

「また佐倉君か。よろしい。答えなさい」

「はい。クラス代表に立候補します」

「歓迎する。他にも立候補したい者はいないか」

 

 連城がクラス中を見回した。いくら待っても動きはない。

 

「わかりました。三組は佐倉君を代表とします。みんなで彼女を支えてやってください」

 

 すると、脇に控えて議事録をとっていた弓削が手を打ち始めた。まばらだった拍手が数秒を()てクラス中に広がった。

 

「半年間定食フリーパスのためにがんばります!」

 

 クラスメイトから熱い期待の視線が注がれる。桜はお腹の底から声を張りあげ、深くお辞儀をした。

 

 

 



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某国の密偵疑惑(四) SAKURA1921

 金曜のSHR(ショートホームルーム)で、桜は授業後すぐに職員室へ顔を出すよう連城から指示を受けていた。

 ――アレ、三年生の学年主任やったっけ。なんや、えらい剣幕(けんまく)でまくし立ておって。うるさくてたまらへんわ。

 職員室に入ると、松本が受話器に向かって中国語で激しく責め立てていた。その隣で一年二組の担任教師が申し訳なさそうに肩をすくめている。

 作郎の頃に台湾の基地にいた時期があったせいか、何とか単語を拾うことができた。

 ――調整中のスケジュールが狂った。そんな感じやろ。

 桜はすぐに興味を失ったのか、しきりに時間を気にしている連城の許に向かった。

 

「先生。来たんやけど」

 

 桜は不安な顔つきで連城に声をかける。職員室に呼び出された理由を明かされておらず、また知らず知らず何かやらかしたのかと考えていた。

 

「ついてきなさい」

 

 連城は桜を見上げ、席を立って応接室に向かった。

 

「あのー何の説明も受けてへん。いったいなんやろ」

 

 桜がふかふかのソファーに腰を下ろした連城に向かって言った。

 

「これから倉持技研の営業の方が来ます」

「営業? 目処(めど)がついたん?」

「そういうことです。ようやく、あなたの専用機が来るのですよ」

「はあ。専用機。……はあ」

 

 桜は間の抜けた返事をした。

 ――専用機かあ。あんまりうれしくないのはどうしてやろ……。

 二、三週間待ってもらうように話が来たのが先日のこと。企業との契約もIS以外は順調に進んでいたことを思い出す。倉持技研の調整が難航しているのを見て、単純に人手が足りていないように思えて、遅延に目くじらを立てるような真似をするつもりはなかった。

 

「うれしくないのですか」

 

 不安な気持ちが顔に出ていたことを悟り、桜はあわてて首を振った。

 

「いやあ、うれしいなあ。ハハハ」

 

 白々しい笑みになってしまった。専用機という言葉の響きに大きな不安を禁じ得ない。

 ――専用機と言えば試作機。試作機といえば新型。あかん……あかんわ……。

 桜はどうしても過去の自分を思い出してしまう。腕が良いと評判の整備員にお願いしていたにもかかわらず、どういうわけか外れの機体を引くことが多かった。何度も空中で機関停止した。あまりにも不時着水や、空中脱出が続くものだから、神社で何度かお(はら)いをしてもらった。

 桜に生まれ変わってから、他にも似たようなパイロットがいたのではないかと気になって、書店で立ち読みをしていたら、偶然夜竹飛長の回顧録を見つけた。夜竹は「あんなに悪運が強い人を見たことがありませんでした」と作郎を評している。海軍において被撃墜回数の上位に名前が挙げられており、あまりうれしくない評価をもらっていたことを知って複雑な気分になった。

 

「不満そうですね。専用機を受領できるということは、君の実力が評価されたのではありませんか」

「……私は量産機で十分やと思ってます」

「素直に喜びなさい」

「光栄やとは思っとるんやけど……専用機ったら新型や。昔から新型にはええ思い出がないもんで」

 

 すると連城がクスクスと笑った。

 ――笑顔が連城中尉にそっくりやん。

 桜は担任の表情にびっくりしていたら、弓削が顔を出し、倉持技研の社員を案内してきた。

 

「佐倉君。立って」

 

 桜は追い立てられるように膝の上でめくれたスカートを直し、席を立った。

 扉が開いて、男性二人が姿を現す。ひとりはストライプ柄のスーツを着て、もうひとりは作業着姿だった。

 ――スーツを着たのが営業、作業着が技術者ってところか。作業着の方、弓削先生と同じくらいの上背やな。長身痩躯(そうく)って言うんやろか。

 桜の予想は当り、スーツを着た方は鶴野(つるの)、作業着を着た方は堀越(ほりこし)と名乗って名刺を差し出す。

 連城はねぎらいの声をかけた後で、簡単に名乗った。

 

「私は佐倉君の担任の連城です」

「副担任の弓削です」

「佐倉です。よろしくお願いします」

 

 桜が頭を下げる。鶴野は慇懃(いんぎん)な笑みを浮かべながら握手するように手を差し出した。思いのほか硬い手をしていた。

 

「君が佐倉さんですね。写真で見るよりきれいだ」

「ありがとうございます」

 

 桜はお世辞だと思ったが、それを口にするつもりはなかった。

 連城が腰掛けるように促す。鶴野と堀越が、お言葉に甘えて、と断ってからソファーに座った。

 続いて桜たちも腰を下ろし、弓削がお茶を取りに行った。

 

「早速なのですが――」

 

 鶴野は、佐倉さんに提供するISについて説明させて頂きます、と前置きして自社の製品について語った。言い終えてから桜があまり食いついてこないことに肩をすくめてみせる。

 

「何か不満があるのでしょうか?」

 

 と堀越が言った。桜が口を開けようとした鶴野を手で制す。

 

「専用機の名前、聞いとらん」

 

 お茶を配り終えた弓削が相づちを打つ。

 

「ああ。型式番号しか伝えていませんでしたね」

 

 鶴野の言葉に堀越がうなずく。ふたりはお互いに顔を見合わせ目配せすると、堀越が熱っぽい視線を桜に向けてから口を開いた。

 

打鉄(うちがね)零式(れいしき)です」

「零式……」

 

 桜が言葉の響きをかみしめるようにつぶやいた。懐かしさがこみ上げてきた。

 

「本来は打鉄弐式のテストベッドとして代表候補生に提供される予定、でした」

 

 鶴野がばつの悪い表情を浮かべたので、堀越が咳払(せきばら)いをしてから小声で続けた。

 

「ここだけの話ですが」

 

 そして、仕様変更により別の機体を提供することになった事情を説明した。

 

「つまり零式には、篠ノ之束博士が手を加えた画期的(かっきてき)なISソフトウェアの先行搭載型というわけですね」

 

 連城が堀越の言葉をまとめた。

 

「はい。篠ノ之博士は特に名前をつけていなかったらしいのですが、さすがにそれはないだろうと思いまして、開発コードを聞き出しました」

 

 堀越がいったん言葉を切って呼吸を整える。連城が身を乗り出して続けるように(うなが)した。

 

「その開発コードとは」

GOLEM(ゴーレム)……ヘブライ語で胎児(たいじ)を意味しています」

 

 鶴野がカバンから書類が入ったクリアファイルを取り出して、机に置いた。表にカレンダーを印刷した紙が見え、来週の土曜日に赤ペンで丸がつけられていた。

 

「佐倉さんには打鉄零式を提供する代わりにデータの提出をお願いすることになります」

 

 鶴野がクリアファイルからカレンダーと倉持技研のパンフレットを取り出して専用機受け渡しに関する話を始めた。そして、カレンダーの赤丸を指して、自社のパンフレットを裏返した。パンフレットには本社や研究機関の住所が書かれていた。

 

「つきましては、この日に、こちらの住所までお越しいただけますか。打鉄零式の最終調整に佐倉さんご自身も立ち会ってもらいたいのです」

 

 堀越が鶴野の言葉を補足した。

 

「現在、零式の最適化処理(フィッティング)一次移行(ファースト・シフト)を済ませるべく準備を進めております」

 

 そこで連城が手を挙げて、仮の保護者として付き添いを願い出た。学園への搬入手続きをはじめとしてさまざまな手続きが存在するため、教師が同伴するべきだと考えたためだ。この件は既に千冬たち一年生担当の教員や教頭にも話を通してあり、もし休日になった場合に備えて代休予定日まで確保していた。

 

「構いません。むしろこちらからお願いしようと思っておりました。入り口が少々わかりにくい場所にありまして、先生に付き添っていただけると心強い」

 

 鶴野は笑顔でその申し出を快諾した。

 

 

 金曜日の夜をずっと待っていた。

 

「苦節一年四ヶ月。この日をどれだけ待ちわびたんやろ……ヒヒヒ」

 

 夕食を終え、風呂にも入った。黄色いクズリの着ぐるみに着替えた本音と一緒に課題を終えた桜は、胡乱(うろん)な視線を投げかけられるのも構わず、不気味な笑い声をあげていた。突然奇声が聞こえてきたので、本音は再び錯乱が始まったと思って警戒の色を強めるも、桜本人はいたってまじめだった。

 本音が上司から色仕掛けを強要された翌日、入学式初日の盗聴記録がテキストデータ化されて楯無の許に送られている。楯無は本音のオカルト説が笑えないことに気付いて、無理を言ってカウンセラーの予定を調整して診てもらったものの、桜の精神状態に異常を確かめることができなかった。

 

「どうしたの?」

 

 本音はさすがに無視できないと思って声を掛けた。

 桜は返事をせずジャージを腕まくりしたまま、奇声をあげることをやめなかった。不意に席を立ち、クローゼットの前に行って「サクラサクラ私物」と書かれた段ボール箱を開き、中から大きな包みを取りだした。

 その包みには本音が見たこともない企業のロゴが入っている。怪訝に思って眺めていると、桜は私物入れと机を何度も行き来していた。

 桜が最初に取り出した包みには例の航空機シミュレーターの開発元から贈呈された専用コントローラーで、日本円にして数万円相当になる。日本未発売でかつ極めて耐久性に優れた高級モデルで、時々個人輸入品が出回るオークションでも一、二万円が相場だ。中学生の桜にとって手が出せない値段だったが、シミュレーターをやりこむことで零式艦上戦闘機二一型や三二型の操縦に関して、非常に細かく指摘したことへの報酬だと添え状には書いてあった。

 寮から少し離れた場所にあるドラッグストアで入手した単三電池をはめ込み、コントローラーとノート型端末とを結線する。

 

「ゲームでもするの?」

「ま、そんなとこや」

 

 桜は手を動かしながら本音の質問に答えた。体を起こした本音がベッドから下りて、ぼんやりとした顔つきで桜の作業を眺めている。

 桜は大げさに肩を揺らし、もったいぶった仕草で電源ボタンを押した。すぐさまログイン画面が表示されたので、あらかじめ作成しておいたユーザーネーム「SAKURA1921」でログインする。インターネットに接続できていることを確かめた後、シミュレーターのディスクを入れてインストール作業を行った。

 基本ソフトの容量は大した大きさではなく、またストレージに対する読み書きが極めて高速に実行されるためその作業はすぐに終わった。拡張パックを入れる必要があったので、久しぶりと言うこともあって一枚だけにした。ディスクの表面には「ヨーロッパ戦線」という付箋が貼ってあった。

 

「とりあえずヨーロッパやね」

 

 ゲームの休止宣言をする直前に使用機体をカスタマイズしていたことを思い出す。

 ――枢軸プレイか連合プレイか……どっちにしよう。迷うわあ。

 桜はシミュレーター本体のアイコンをクリックして、胸をふくらませながら初期化処理が終わるのを待っていた。

 

「ヨーロッパ? いったい何のゲームなの~」

 

 本音が横から端末をのぞき込むようにして机に手をついた。小首をかしげながら無知を装いつつ画面と桜の顔の両方を行き来させた。

 ――ゲームをやるって調査書のどこにも書いてなかったんだけど……。

 本音は、事前に調べた内容に漏れがあったことに心の中で舌打ちしていた。だが、そんな素振りは一切表には出さなかった。できるだけ記録に残るように桜の口から情報を引き出そうとした。

 桜の後ろに回り込み、ちょうど肩の後ろに豊満な胸部を押しつけ、両腕を無造作に膝へ向けて垂らす。長い袖口が桜の股の間に垂れ下がる。本音が動くたびに内股にこすれ、微かなくすぐったさを感じた。そうかといって文句を言うほど強い刺激でもなかったので気にしないことにした。

 ――気付かれてないよね……。

 本音は桜に抱きつきながら注意深く反応を観察した。

 楯無に強要されたこともあり、出会って二日目から積極的に桜と肌を合わせた。もちろんいやらしい意味ではなく、隙があれば手をつなごうとしたり抱きついたり、じゃれあったりして距離感を縮めようとする作戦を遂行していた。三組の一条朱音が似たような事をやっているので、便乗する意図もあった。

 本音から見た桜は、抱きつかれようが頬を寄せられても余り気にしていないように見えた。肌を密着させたスキンシップを好む性癖だから、取り立てて騒ぐ必要性がないと考えているのだろうか。

 

「ゲームというか航空機シミュレーターやね」

「……そうなんだ~」

 

 本音は白々しいと思いつつも、心の声を悟られぬようできるだけ間延びした声を出した。

 ――よかったあ。気付いていないみたいだよ……。

 本音の懸念は端末の中にあった。

 桜が触っている端末は、桜自身が性能に色をつけるように頼み込んだ物である。この要求が通った背景には裏があった。

 ――実は、端末の中がすごいことになっているんだよね。私なら頼まれてもこの端末だけは、絶対に使いたくないよ……。

 本音は記憶をひもといて、桜の支給端末に仕掛けられたプログラムリストを思い出した。

 OSのシステムファイルに偽装する形で悪性腫瘍のごときプログラムが満載されていたのである。例を挙げるとすれば、キーロガーやパケットキャプチャーと組み合わせて動作する自動データ送信ツール、ランダムで名前やバイナリコードを変化させながらバックドアを仕掛けるワームなどがあり、もしネットワークに接続した状態で不用意に文字を入力しようものなら、即座にその内容が学園防諜部の専用サーバーに送られる仕組みになっていた。

 極めて悪質なスパイウェアやウィルスが仕掛けられていることを知る本音は、この端末で課題のレポートを作成したいとは思わなかった。なぜなら保存ボタンを押した瞬間、そのファイルが複写されてサーバーに送信される。そしてレポートの内容が楯無の目に触れることになり、送られてきたレポートをにやにやしながら読まれるのだ。身の毛もよだつ恐ろしい光景だった。

 さて、これらのプログラムは裏でこっそり動作するのだが、処理が重くなって発見されるのではないか、という懸念が存在していた。しかし技術の進歩はすさまじく、通信帯域の拡大とCPUやストレージなどの性能向上により裏で妙なプログラムが動作したり、意図しないデータが送信されたとしても体感速度が落ちるようなことはなかった。

 二〇〇〇年頃に発売された端末ならいざ知らず、桜の端末は民生品で入手可能な最優秀機なので動作の遅延を体感することはありえなかった。

 桜はシミュレーターの初期化が終わったことに笑みをこぼしただけで、データが流出し続けていることにまったく気付いていなかった。

 

「この曲、久々に聞くわ」

 

 スピーカーから荘厳なクラシック音楽が鳴り響いた。

 

「なになに~」

「……アップデート来とった。すまんな」

 

 桜は素っ気ない言葉を口にして、本音に離れるように言った。袖机から野暮ったいデザインのキーボードを取り出す。今では製造中止となったUS配列の外付けキーボード「モデル・マドカ」をつなげて、バックリングスプリング式独特のカタカタという底打ち音を奏でながら、ウェブブラウザを立ち上げて掲示板に接続するや過去のアップデート内容を流し見ていった。

 日本語対応に余り積極的ではないメーカーのため、当然ながら掲示板は英語とスペイン語、ドイツ語、フランス語、ロシア語などが表示されていた。さながら混沌(こんとん)とした様子に本音は困惑を隠せなかった。

 

「……これ、全部読めるの?」

「英語とスペイン語ならばっちりいけるわ。ロシア語は読み書きしかできんけどな。ドイツやフランス、ポルトガルあたりは何となくわかる程度や。でも……アラビア語はからっきしダメや。勉強せんとあかん思っとるわ。一応」

 

 桜は画面から目を離さずに口だけ開いて答えた。仮想空間でも良いので航空機を操縦し、マルチプレイで無線通信を利用したいがためだけにこれらの言語を習得していたのである。

 ――聞いてない。こんなの聞いてないよ!

 本音は天井を見上げ、あからさまに敵意のこもった目つきになった。煙感知器に仕掛けたカメラに今の本音の表情が記録されたはずだ。目は口ほどにものを言う。今すぐにも調査漏れを指摘したかった。

 

「しゃあない。仲間に連絡でもするわ」

 

 大規模アップデートが行われたらしく、再び更新が終わるまで手持ちぶさたとなった桜は、袖机(そでづくえ)から取り出したイヤホンマイクをはめた。

 そのまま慣れた手つきでインターネット電話サービスに接続する。久しぶりにシミュレーターに触るため、復帰のあいさつをするつもりだった。

 

「サクサク~。仲間ってどんな人なの~?」

 

 サクラサクラだからサクサクで、あだ名に深い意味はない。

 本音は仲間と聞いて、すかさずどんな相手なのかを聞き出そうとした。

 

「金持ちのボンボンで妻子持ちのおっさんや。ほら、ここ見て。ケースオフィサー(case officer)って名前が出とるやろ」

 

 桜の仲間は誤解を招きかねない紛らわしい名前を使っていた。ケースオフィサーはCIA用語で重要情報提供者を運営する情報機関担当者である。CIA以外ではインテリジェンス・オフィサーとも呼ばれる仕事だ。更識家においては楯無や虚の立場に相当した。

 本音は心臓をわしづかみされたような気分に陥った。正体を見透かして口にしているのかと思って警戒したが、桜の言うケースオフィサーは単なるハンドルネームに過ぎない。

 彼は米国在住の航空機コレクターで、四〇代の妻子持ちである。プライベート用ということもあって洒落(しゃれ)()を出してスパイ映画のまねをしてみた、と桜に語っていた。

 桜は少し離れたところに立っていた本音を見やって、

 

「今から仲間にあいさつするから声を掛けへんといてなー」

 

 と言い放ち、のほほんとした様子で画面に向き直る。そしてスペイン(なま)りの激しい怪しげな英語を口にし始めた。

 ――英語……みたいだけど訛りがひどくて全然聞き取れない。

 本音は耳を澄ましてすぐに解読を諦めた。盗聴器が仕掛けられているので、時間はかかるだろうが専門の職員がテキストデータに変換してくれるだろう。

 ――調査漏れだよ。おじょうさまに言っておかないと……。

 本音は携帯端末を取り出して、「対象の言語能力について要再調査」という旨のメールを楯無に送った。

 事前調査では桜の言語能力は中学校卒業程度とされていた。IS学園の願書に特記事項欄が設けられていたが、桜はこの特技を記載していなかった。特に資格を取得していなかったこともあって、証明手段がないと思って書かなかったのである。

 これが良くなかった。本音は桜に向けて疑念に満ちた視線を向けていた。

 調査期間中は受験勉強のために丸一年以上シミュレーターを封印していたことや、「女の子が航空機シミュレーターについて熱く語るのはおかしい」と奈津子に(くぎ)を刺されていたので、言いつけを守って幼なじみ以外には一切口外していなかった。

 佐倉家では、安芸と奈津子だけが桜の言語能力の高さを知っていた。桜が言語習得に勤しむ動機も知っていたため、半ば(あき)れ混じりに放置していた。身辺調査の期間が短く、一部の者しか知らない事実だったため、調査から漏れてしまったのである。

 調査漏れの他の要因として、更識家と学園防諜部だけでは人的資源が不足しており、それぞれの居住地域に近い興信所に調査を依頼することが多い。

 桜の身辺調査は学校説明会の審査、出願時の確認、そして合格後である。二回目までは別々の興信所に依頼している。合格後は更識家が直接担当していたが、やはり調査期間が短く設定されており、桜のその期間中に不審と思われる行動を一切起こさなかった。

 また住居に侵入して端末のデータを抜くといった犯罪に該当する行動を禁じられていたため、興信所と同じく張り込み調査が主体となり、前の二回と変わらない結果が得られていた。

 ――警戒されている?

 桜の発音は幼なじみの激しいなまりをそのまま再現しており、アナウンサーが話すような言葉に慣れ親しんだ者にとって非常に聞き取りづらい発音になっていた。

 二人で盛り上がっている。なのにまったく内容がわからない。メモを取っていたので何らかの約束を交わしていることだけは理解できた。

「フィールドで」

 

 桜が通話を終え、期待に胸をふくらませるばかりで、決して背後を振り返らなかった。

 すぐさまシミュレーターを再起動してメニュー画面に入った。バトル・オブ・ブリテンフィールド、連合国所属、日中帯の出撃、そして使用機としてハリケーンを選んだ。

 

「桜吹雪?」

「せや。前のデータがそのまま使えて助かったわ」

 

 桜の機体は性能こそ標準のハリケーンMk.Ⅱだが、両翼に桜吹雪のペイントを施したカスタマイズ機である。このシミュレーターは機体のカスタマイズの自由度が高いことが有名で、例を挙げるとエンジンの積み替えや機銃の変更、防弾性能の向上、さらに燃料のオクタン価も変更できた。また塗装の自由度も高く、桜のように目立つ塗装をする者や、独自のエンブレムを貼り付けられるので、オンライン対戦だと意匠の凝った機体が出現することが多かった。

 

「迎撃が一番ええ。できればスピットを使いたいんやけど……」

 

 勝利条件として一〇分間、戦爆連合との空戦に耐え抜き、かつ爆撃を阻止することが設定されている。爆撃機の護衛としてBf109Eが行動を共にしているのだが、航続距離が短いため動きが制限されている。しかし爆撃機は戦域到達後八分で投弾するため、その前に爆弾を捨てさせるのが勝利の常道だった。

 本音が桜のつぶやきを耳にして、理由を聞いた。

 

「じゃあ、それにすれば」

「いや……相性が悪くて」

 

 桜は一九四〇年代のフィールドでスピットファイアを選択すると、なぜか外れを引くことが多かった。スピットファイアは稼働率が高いとされていたにもかかわらず、動かないのだ。動いても機関不調で引き返すことがほとんどだった。

 そのためハリケーン以外に選択肢がなかった。そしてハリケーンならば必ず空に上がることができた。とはいえ、復帰戦なので短期決戦で済ませるつもりでいた。

 誘導に従って空に上がり、空域に到達すると雲の切れ目の奥に大小の点が見える。形状から大きな点がHe111で、小さな点がBf109Eだとわかった。さっと見た限り一機だけ真っ黒なカスタマイズ機がいる。桜は編隊の最後尾にいた通常塗装のBf109Eに狙いを定めると、エンジンの出力を上げて、ぐんぐん迫った。水分をはらんだ雲のおかげで視界が不十分。奇襲の条件を満たしていた。

 ――目一杯近付いて……撃つ!

 機銃のトリガを押し込む。ぴったり一秒で指を離した。

 狙った機体が火を噴いて落ちていく。久々の撃墜に思わず「よしっ」と声を張り上げた。

 元々迎撃側が有利なフィールドなので、無線から雑音混じりだが喜ぶ声が聞こえてくる。参加者のほとんどが英語圏に住んでいるためか、やたらと騒がしく聞こえた。

 

「畜生めっ」

 

 しかしその中で一人だけ悪態をついた者がいて、振り返ってみれば一緒に迎撃に上がったハリケーンのエンジンから黒煙が立ち上っている。どうやら護衛戦闘機の中に腕利きが混ざっており、反撃に遭ったらしい。

 ――黒い奴。

 エンジン(DB 601A)の出力に物を言わせ、鋭く旋回する黒いBf109Eの姿を追った。

 

「黒いエミール……まさか」

シュヴァルツェア・レーゲン(Schwarzer Regen)!」

(うそ)だろ! 何でアイツが。最近出てこなかったのに……」

 

 無線機から複数の悲鳴が聞こえた。シュヴァルツェア・レーゲンはドイツ語で黒い雨を意味する。桜には聞き慣れない名前。しかし、仲間のあわてぶりから名の知れた機体であることは間違いない。

 自分が離れていた時期に現れたのか、異なるフィールドで腕を上げたのか。今は調べている時間はなかった。

 黒いBf109Eが味方のハリケーンの背後から覆い被さるように軸を合わせたかと思えば、すぐさま機体に捻りを加えながら颯爽(さっそう)とスピットファイアの脇を駆け抜けた。一瞬のうちに二機が落ちた。

 

「あかん……」

 

 さらに三機が被弾して落伍(らくご)していた。数の優位がたった一機のエースによって(くつがえ)されていく。

 ドイツ側の勝利条件は水平爆撃の成功である。そのため、配備数が少ないスピットファイアを最初に落とし、その後でハリケーンの頭を抑えてHe111への接近を許さない。

 性能面でハリケーンとBf109Eを比べると後者が優れていた。しかし、ドイツ機は英本土フィールドのため使用可能な燃料に制限が加えられている。それでも上手な操縦者だと短い稼働時間の中で暴れ回るので性質が悪い。

 

「ああ! ジャン(Jean)ルイ(Louis)がやられた!」

 

 黒いBf109Eともみ合っていたスピットファイアのエンジンから火を噴いたかと思えば爆散して消えた。出撃前の自己紹介でプレイを始めて三ヶ月だと言っていたルーキーが瞬殺されたことを理解した。桜は画面の端に据え付けられた時計を見やりながら、残り時間を確認していた。

 ――まだ三分しか経過しとらんのか……。

 この調子でいけば、制限時間内に全機撃墜されそうな勢いだった。

 

「私が(おとり)になる。爆撃機を()れ!」

 

 味方の士気が地に墜ちる前に、桜は男のような鋭い声音を発した。

 相変わらず、訛った発音のため聞き取れなかった者も出たが、古参の操縦者には意図が伝わった。他の直掩機や爆撃機排除を味方に任せ、桜は黒いBf109Eと対峙するべく爆音を奏でる。

 黒いBf109Eは桜吹雪を見るなり、誘うような動きを見せた。

 ――余裕を見せおって……。

 ハリケーンでは歩が悪い。桜は一矢報いてやろうと思い、高度を下げた黒いBf109Eに向かって機首を下げる。ちょうど尾翼を食いちぎるつもりだった。

 ――後ろをとった……いや、わざとそうさせたんや。

 敵機は背中に目がついているのか、照準をつけても射撃する前に射線をずらしてしまう。ハリケーンは堅牢(けんろう)な設計ではあるが、鋼管布張りの機体は古色蒼然としておりBf109Eとの性能差はいかんともしがたい面があった。

 ――昔、空の要塞に使った手やけど、戦闘機相手にも使えるはず……。

 桜は突拍子もない手段を採った。Bf109Eは軽快で機動力が高く、最大速度にも優れていた。燃料の制限を受けていなければ、真っ正面から戦いを挑みたくない戦闘機だった。

 Bf109Eは旋回性能に優れている。失速による負圧を感知した前縁スラットが自動的に開く。ハリケーンの後ろをとるために高度を維持したまま左の翼を傾けた。

 これに対して、桜は向かって左にヨーを利かせ、続いて右翼先端が地面に垂直となるように機体を傾ける。

 桜は翼を白刃に見立てていた。爆音に耳を傾ける。続いて機体が激しく振動し、断末魔の悲鳴を上げた。

 

「おい! サクラが久しぶりに()()落ちたぞ」

「相打ちか……」

「むちゃくちゃだ。ハリケーンのくせによくやるよ」

 

 味方機から呆れ混じりの賛辞が送られてきた。二機は空中で衝突していたのである。ハリケーンの右主翼が真ん中から折れて、まるで桜吹雪のように破片が散乱していた。そしてBf109Eもまた尾翼が根本から折れ、黒い破片がこぼれ落ちるように地面へと降り注ぐ。

 安定性を欠いた二機は一緒になって墜ちていった。

 

「しまった。やってもうた」

 

 桜はついむきになって、被撃墜数を増やしてしまったことを嘆く。桜の戦績は撃墜数が多かった。そして被撃墜数や不時着回数もまた多かった。

 

「■■■■■■」

 

 黒いBf109Eの操縦者はどうやら無線混信MODを有効にしたのか、机に拳を(たた)きつける音が聞こえ、慣れないドイツ語を早口でまくし立てられた。すぐに通じていないと気付いて英語で言い直す。

 

「貴様は誰だ」

「SAKURA1921」

 

 若い女の声なので意外に思った。桜は面倒くさいとは思いながらも、国籍を偽った男が裏声を使っていると言わしめた怪しげな発音で答えていた。

 

 

 



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某国の密偵疑惑(五) 専用機

 朱音が割と端整な顔立ちをした黒髪黒目の少女と話し込んでいる。

 ふたりは携帯端末を縦横に傾けていて、何かを試しているらしい。桜は観覧席に腰掛けて、ぼんやりと二人の姿を眺め、また思い出したように振り返った。桜のすぐ後ろには三組の留学生が群れをなしており、空中を浮遊するISを見ていたり、隣同士で私語に興じている。

 どこの組も大きく二つのグループがあり、それぞれ留学生と日本人に分かれていた。それぞれのグループにはお互いの仲を取り持とうとする生徒が少なからず含まれており、朱音と話に興じる少女は、いつも留学生と行動を共にしている。その留学生は日本人と遜色ないくらい日本語が堪能なので、一度話し始めたら打ち解けるのは簡単だったという朱音の言葉を思い出す。

 桜は再び正面に向き直った。アリーナの真ん中で、少し大人びた顔つきをした金髪碧眼の少女がISの装備を確認している。腕を横に広げて大口径砲を実体化させた。

 

「イギリスの新型ば生で見るのは初めてやけん、ちょこっと楽しみにしとるばい」

 

 後ろの席から声がかかった。口調こそ九州の方言だが、東京の言葉と似たアクセントを使っていた。

 桜はのけぞるようにして背中を寝かせ、あごを上げて頭を後ろに倒す。声の主を見やり、視線に気付いたスラヴ系の少女が白い歯を見せてにいっと笑った。

 ポーランドからの留学生でナタリア・ピウスツキという。

 ナタリアはスラヴ系に見られる特徴をよく受け継いでおり、背が高くて筋肉質だ。また手足が長く、顔が小さい。鼻は高く長い。大きな切れ長の鋭い目をしていて、薄く緑がかかった灰色の瞳を桜に向けた。

 三組でもっとも容姿と学力のレベルが高いと見なされており、日本語が堪能(たんのう)だ。入学したての頃は周りに気を遣っていたのかお嬢様然とした口調だった。彼女が無理をしていたとわかったのは、桜と話をするようになってからだ。

 ――留学生の日本語がちょっとらしくないっていうか。

 桜は食堂で他クラスの留学生が日本語を使っていたので、その会話に聞き耳を立てたことがある。そこで他のクラスと三組の留学生の大きな違いに気付いた。

 ――うちの組におると標準語がローカルな言葉に聞こえるんや。

 日本語の言葉遣いでクラス分けをしたのではないか。連城や真耶などクラス分けに関わったと考えられる先生方に、一度質問してみようと考えていた。

 

「ポーランドにISってあった?」

「祖国に配備されてなか。IS適性が出たのがうちが初めてで、もう大騒ぎやった」

 

 ポーランド政府はISを保有していない。だが、将来に備えてアラスカ条約に批准していた。条約批准国としてIS学園へ寄付を行っており、ポーランド初のIS搭乗者としてナタリアを留学させている。ISの運用経験が皆無であることから、ノウハウを持ち帰るように厳命されていた。

 

「私もISを見るのは入試以来や」

「メガモリにしては意外やね。弓削先生、あんたのことば高く評価しとったのに」

「桜って呼んでって言ったやん。毎回頼んどるわけやないのに、もうっ」

 

 桜がむきになるのを聞いてナタリアが茶化すような声音を出した。

 

「量ば減らすのは体育の前とか、昼に先生に呼ばれた時だけやったと覚えとるとよ。そぎゃんに食べていなか言い方やけど、一日一回は食べてなか?」

 

 ナタリアはよく見ている。桜は言い返すことができず、押し黙って唇をとがらせた。

 憮然としたまま朱音に視線を移すと、どうやら話が終わったのか、踵を返して桜の隣に腰を下ろした。

 

「おかえりなさい。何の話?」

「私用なんだけどね……伝言なんだけど。布仏さんだっけ? 桜のルームメイトが一緒に観戦できなくてごめんだって」

「あーまー何というか。ありがとうだけ言っておくわ」

 

 桜が礼を言う。すると朱音は真剣な面持ちで見つめ、桜の手を取って自分の胸に置いた。布地越しの感触が弾力に富んでいた。

 

「彼女に変なことされてない?」

「変なことは初日だけや」

 

 非があると言えば桜の方だ。本音は初日のことを未だに引きずっているのだろう。時折、警戒心から息を殺して桜を注意深く観察するかのような視線を送ってくる。あのときは自分でもどうかしていたと思ったから、カウンセラーに診てもらっていた。

 ――カウンセラーは桜としての過去しか聞かなかったから、作郎の事は結局言えずじまいやった。

 朱音の瞳が憂いを含んだ色に変わる。

 

「彼女。ビアンだよね」

「らしいわ。昔から女の子が好きやって言っとった。男と付き合ったこともあるけど一ヶ月保たなかったとか」

 

 桜はひとつ嘘をついた。本音は桜を魅力的だと評したにすぎない。自分から女の子が好きだとは口にしていなかった。その代わり、やたらと体に触れようとすることから、己の推測と噂をまとめてみたのである。

 朱音は身を乗り出して顔を近づけ、睨み付けるように目を細め、ゆっくりと息を吸った。

 

「気を付けてね。貞操とかいろいろ」

「大丈夫やって」

 

 桜は、自分なりに本音を分析していた。

 ――男を知らんのは間違いあらへん。女の肌も知らんのやろ。

 かと言って下手に口を出して根拠を求められ、朱音の妄想があふれ出すのも厄介に思った。

 一方、朱音は桜が軽く返事をしたものだからから、自分の発言を真剣に受け取っていないのでは、と不安になった。身を乗り出し、目を見開いて、口から泡を飛ばさんばかりの勢いで釘を刺す。

 

「その場の勢いでしちゃだめだからね。これは男の子にも女の子にも言えるんだけど」

「これでも鋼の自制心を持っとるつもりやけど」

 

 その発言に後ろの座席から唇を強く弾いたような音が聞こえ、あわてて口を押さえたのか忍び笑いが漏れた。桜が軽く頭を振って一瞥すると、案の定ナタリアが犯人だった。彼女は笑いのツボに入ったのか、しきりに肩を奮わせている。

 再び朱音に目を戻しながら、彼女の指先に視線を向ける。

 

「朱音ってそっちの経験あるん?」

「ないない。そういうことは好きな人としたいよ。やっぱりさ」

「せやな」

 

 桜は相づちを打つ一方、作郎時代に寝た女たちの姿を思い浮かべた。みんな、一式陸攻のような体つきだった。

 ――割り切ってしまえば好きとか嫌いは関係無くなるんやけど。

 朱音に言うのはさすがに野暮だと思って、心の中にしまいこんだ。

 

「青春ってすばらしい」

 

 先ほどから二人のやりとりに耳をそばだてていたナタリアが、桜と朱音に向かって感嘆の言葉を贈った。

 朱音は桜の手を離して、彼女に顔を向けるなり険しい声を出す。

 

似非(えせ)外国人」

 

 ナタリアがすぐさま言い返す。

 

「異な事ば言うとよ。生まれはポーランド。育ちはポーランド……と博多。一条の言葉は冷たくていかん。メガモリば見てくれんね。あたたかい。伊勢言葉。伊勢神宮とよ。うちは学園に入学が決まってから太宰府に出雲大社、伊勢神宮にお参りに行ったと。熊野は少々予定が合わず断念しとったが、世界遺産ならば」

「ピウスツキさんはカトリックじゃなかった?」

「実家は一応カトリックやけど、宗教ば持ち出すのはイベントの前だけばい。親日家やったのにかこつけて、八百万の神様と一緒に酒ば飲んでおった」

 

 朱音はむくれた。だが、宗教観が日本人と似ており、妙な親近感がわいたのも事実だった。

 ナタリアが思わせぶりな仕草で微笑み、二人に向けて大きな動作で前を見るように手を突き出した。

 

「来なさった」

 

 会場に声の波がわき起こった。不意に熱気を増した観覧席に、桜は弾かれるようにして空を見上げる。

 くすんだ灰色をした金属の塊が宙に浮いている。飛行機とは全く異なる異形。白式という名のようだ。桜の美的感覚からすれば、ごつごつとしていて力強さを感じるけれども、美しいとは感じなかった。

 しかしながら、美しさは強さではない。美しさで力が決まるのであれば、少なくとも海鷲たちの若い血潮が、連合軍の圧倒的な物量によって磨り潰されていく状況を免れていたのではないか。桜は一騎打ちに臨もうとする一夏とセシリアの姿をうらやましそうに見つめていた。

 

「そもそもこん試合の原因は?」

「えーちゃんによると、クラス代表を決める席で和食とイギリス料理のどちらが美味しいかで口論になったらしいよ」

 

 朱音は当たり障りのない情報をいろいろ聞き出していた。

 

「納得しとったとよ。御国の料理自慢なら喧嘩するのも道理やね。ISで決着ばつけようと言うのもうなずける」

「せや。食事は重要や」

 

 桜が腕組みしてしきりに首を縦に振っている。

 意見がかみ合った二人を見て、朱音は口の端を引きつらせながらも気を強く保とうとした。朱音はナタリアが苦手だった。妖精を彷彿とさせるナタリアの外見と、最初の頃の気取った話し方から一方的にイメージを押しつけていたのだが、あっという間に猫を被るのを止めてしまった彼女に失望を感じていたのである。

 ――うちのクラスの留学生って、何か調子狂う。

 朱音は困惑しながら、桜の隣に移動したナタリアに目を移した。

 

「こん試合、三組のクラス代表殿はどう見るのか」

「私は素人や。むしろさっきまで隣におった代表候補生に聞いたらどうなん」

「もう聞いとるし、今メガモリに聞いとっと」

「あ。そういうこと」

 

 桜が手を打って、拍子抜けたような顔つきになる。

 

「技量から言って西洋人形さんが勝つんやないの」

「やっぱり」

「なるやろ普通。素人に空戦させる方が無茶や」

「一組の山田先生ば追い詰めたメガモリなら、ちごうとる意見ば言うって期待しとったばい」

 

 ナタリアに入試のことを持ち出され、桜はきまりが悪そうに目を泳がせた。朱音たちと話してから気付いたのだが、どうやら一般入試組で桜のような玄人はだしの操縦技術を持つ生徒は他にいなかった。強いてあげれば五分間ひたすら逃げ回った朱音ぐらいである。

 

「私を基準にするもんやない」

「またまたー」

 

 ナタリアが茶化す。桜は一五歳の少女の身なりをしているとはいえ、飛行練習生時代を含めて六年間飛行機に乗り、そのうち三年は実戦に明け暮れた。何度か爆撃機や戦闘機を共同撃墜したことから、少なく見積もって五〇名は殺している。

 ――私の場合は前の経験があるから、基準にされたら困るわ。

 そうかといって口に出せることでもなかった。桜は肩をすくめて猫背になった。するとその肩を朱音が軽く叩き、

 

「始まった」

 

 スターライトmkⅢによる甲高い砲撃音が響き渡った。

 

 

 土曜の昼下がり。桜は連城に連れられて、打鉄零式の研究開発を行っている倉持技術研究所を訪問していた。住所に「市」という文字が含まれているが、市町村合併前は林業を生業としていた土地で、企業誘致に成功してようやく整備されたような場所だ。高台にあるせいか、民家はまばらで、その代わりフェンスの奥に真新しそうな白い建物とC-1輸送機が並んで二機は入りそうな巨大な格納庫が、だだっ広い敷地にポツンと建っている。

 休日出勤していた守衛が臨時入館証を首に下げるよう伝え、入館受付を済ませた二人を待合室に通した。

 桜と連城は倉持技研の社員が呼びに来るのを待っていた。臨時入館証があるとはいえ、その入館証はただの紙である。社員や協力会社社員が持つようなICカードではない。すべての扉は電子錠となっており、入室には認証が必要だが、退室には認証が不要だった。うかつに退室したら部屋に戻れなくなる。社員や協力会社社員であっても、入館証をうっかりカバンに置き忘れたまま退室してしまい、入室できなくなる事態が時々発生していた。

 

「お待たせして申し訳ありません」

 

 ふと扉の方から聞こえた声に覚えがあったので振り返ってみれば、堀越の姿があった。つなぎ姿のままにこやかな笑顔を浮かべていた。

 

「早速、ISのところに行きましょう。ささ。ついてきてください」

 

 桜と連城があいさつをすませると堀越が扉を開けた。

 IS格納庫への道すがら、釣り竿を持った社員と思しき若い女性が堀越に声をかけた。

 

「んーふふ。この子が堀越んとこのパイロットかー」

 

 その女性は桜を一瞥すると、今度は堀越の顔をにやにやと見つめた。堀越は笑顔を崩さず大人の対応をする。

 

篝火(かがりび)さん。白式チームは代休消化中のはずでは。それどころか今日は土曜ですよ」

「うははは! いーじゃないか。こっちには釣りで来たんだ。釣ーり」

 

 白式チームは休日返上で最終調整を行っていた。三月には人手不足が危ぶまれ、零式担当の堀越や弐式担当の菊原、打鉄担当の本庄ら精鋭を抽出して臨時で支援に回している。四月に入った時点でこれら要員は支援任務を解かれて、元の部署に戻っている。

 篝火が堀越の背中を叩くと大きな音がした。桜は連城と一緒に篝火のとらえどころのない姿を見つめて、呆気にとられていた。

 

「じゃあねー。吉報待ってるよん」

 

 篝火はそう一方的に告げて、軽やかな足取りで出口に向かった。

 篝火の背中を見つめていた堀越が、振り返るなり立ち話をしたことを詫びる。

 

「社の者が申し訳ない」

「いえ、気にしていません。あの。さっきの方はずいぶん若く見えましたが」

 

 と、連城が疑問を口にした。

 堀越は歩きながら答える。

 

「篝火はあれで優秀ですよ。第三世代機である打鉄零式には兄弟機が開発されております。IS学園の方なら白式の噂はご存じでしょう。彼女はそこの担当でした」

「先日納品された新型機ですか。織斑君の専用機でしたね」

「そうです。白式もデータ収集用の機体です。最終調整では私も微力ながらお手伝い致しました」

 

 堀越が頬をかいた。白式のイメージ・インターフェイスと拡張領域(バススロット)の改修を行ったのは彼だった。白式は打鉄や打鉄零式の開発データの恩恵によって、運動性能が良好な機体に仕上がったものの、武装が極めて貧弱という欠点を持つ。そこで堀越はISコアの管理領域のうち、未使用となっていた一部領域を拡張領域として転用していた。元は学園訓練機用に開発された方法で、後付武装(イコライザ)に対するISコアの認識を偽装して複数の武器を持ち替えさせるためのものである。スケジュールに余裕がなかったこともあり、菊原に頼んで倉庫に転がっていた打鉄用の装備を適当に見繕ってもらい、拡張領域に放り込んでしまった。

 現在、白式のISコアはマイクロガン(XM214)を左腕備え付けの近接ブレードとして認識している。無理矢理装備させたので八〇〇発ごとに弾帯を交換する必要があり、一度量子化して、再度実体化させなければならない。また、近接ブレード扱いなので射撃管制装置が使えないと言った問題が残っている。だが、武器としては一応使えることからそのまま納品していた。

 堀越はにこやかな笑みを少しだけ曇らせた。自社の第三世代機が出遅れていることに向けたものだが、連城と桜はその理由を図りかねていた。

 しばらく歩いて急に広い空間に出た。連城の車から行きがけに眺めていた格納庫だとすぐに気付いた。幅一〇〇メートルはあるだろうか。だだっ広い空間の隅にさまざまな年代の男女が、堀越の姿を見つけてじっと視線を投げかけてくる。お互いの距離が近くなるにつれて、彼らの視線を集めているのは自分だと、桜は気付いた。

 堀越と彼らを見比べる。前者は大したことがないような振る舞っていた。後者はひどく緊張した面持ちだ。初めて試作機を飛ばすときのような、胸を締めつけるような緊張感が漂っている。

 堀越は格納庫に漂った異様な雰囲気をものともせず、桜と連城をそのISの前まで連れていった。

 

「これが佐倉さんにお渡しする機体、つまり打鉄零式です」

 

 堀越に促されてその機体を見上げる。最初に目を引いたのは昨今では珍しくなった全身装甲を採用している点だ。シールドエネルギーが存在するため、動作を阻害する装甲は、重量を減らす観点からも極力不要という主張が声高に叫ばれ、現在の世界各国で開発されているISのうち、深海探査用などの特殊用途を除いて全身装甲を採用するものはほとんど例がない。実際、打鉄や白式は半露出型装甲を採用しており、倉持技研はその主張を論ずる筆頭格だ。

 桜は胸をふくらませながら打鉄零式を眺めた。全体的に突起物が少なく女性らしい丸みを帯びた装甲。脚部はしなやかにもかかわらず力強い。姿形がとても美しい機体だったので、思わず見とれてしまった。

 横から顔を出した女性は曽根と名乗り、四菱の社員で外部装甲の設計を担当したという。

 

「装甲や巨大な砲類は非固定浮遊部位にまとめました。標準でグライダーが付属していまして、このISは滑空できるんですよ」

 

 曽根は緊張した面持ちで説明しながら、資料をまとめたクリアファイルを連城に手渡した。

 兄弟機であるはずの白式とは明らかに設計思想が異なっている。美麗な機体にもかかわらず、この機体にはそこはかとない邪悪さが漂っている。桜はなぜかと思って目をこらし、すぐに禍々しい輝きに気付いた。頭部装甲の隙間から見える球体レーダーユニットが機体の印象をひどく歪めているのだ。透き通った深紅色の奥には無数の複眼が自分を見つめているかのような気分にさせられた。

 桜にはそれ以上に気になるものがあった。機体表面に青・黒・白の三色を用いてシマウマのような複雑な模様が描かれている。

 

「幻惑迷彩……」

「おっ。わかりますか」

 

 堀越が感嘆の声を漏らした。その答えに曽根や他の者はびっくりして目を丸くする。

 幻惑迷彩はまたの名をダズル迷彩と呼ばれ、第一次世界大戦から第二次世界大戦にかけて専ら艦船に利用された迷彩塗装である。艦船に対する、敵からの艦種、規模、速度、進行方向などの把握を困難にさせるためのもので、レーダーの発達によりその意義を急速に衰えさせていった。

 ――ハイパーセンサーがあるから意味ないんやけど。

 すると堀越が桜の気持ちを見透かしたのか、少しだけ間を置いてつぶやいた。

 

「この迷彩、実はあまり意味ないんですけどね。装甲の色を自由に変化させることができまして、そのテストの一環でこのような模様になっています。ボタンひとつで例えば濃緑色やデジタル迷彩にも変更できますよ。後でやってみましょう」

 

 堀越は表情を崩さず、桜たちを見やった。

 

「では、起動試験を行います。係の者が更衣室に案内しますので、そちらでISスーツに着替えてください。よろしくお願いします」

 

 

 桜はスパッツスーツ状のISスーツに着替えていた。四菱ケミカルから支給されたISスーツと同じデザインだった。信号伝達速度を大幅に改善した試作品も用意されていたが、悪い予感がしたので通常支給のISスーツを選んでいた。

 更衣室から戻った桜を待っていたのは、ISの装甲が正中線で観音開きになっていた。桜はノート型端末や計測機器に囲まれた堀越に向かって、騒音が増してきたこともあって大きな声を放つ。

 

「ISスーツに着替えてきたんやけど」

「入試の時と同じようにISに搭乗してください」

 

 そのまま堀越の指示に従って打鉄零式に背中を預けた。連城がやや血色の良い顔で見守っている。堀越を見やると、彼はひどく緊張した顔つきになって生唾を飲み込んでいた。曽根ら技術者たちは落ち着き無く体を動かしながらも、端末に目を落としていた。

 

「零式に身を任せて。われわれの指示に従ってください」

 

 堀越は自分を落ち着かせるように、必死に声の震えを取り繕おうとしていた。桜や連城を不安がらせないため、打鉄零式がGOLEM導入後一度も正常起動していないことを伏せていた。データの上では起動可能だと確認していたとはいえ、いざ本番になって足が震えていた。

 桜にも技術者たちの緊張が伝わる。

 

「佐倉さん。今からISを起動させます。少し圧迫感があるかもしれませんが、最適化が終われば違和感が消えますから」

「はい」

 

 堀越は技術者に零式を起動するように指示を出した。技術者たちが復唱する。

 

「零式起動」

 

 その瞬間、起動信号を受信した打鉄零式の装甲が細い繊維状になって桜の体に絡みついた。全身が闇に飲み込まれていくかのようだ。桜はサイズが合わない水着を着たときと似た感覚に襲われ、不快感に眉を潜めているうちに視界が真っ暗になった。

 

「一、二、三……」

 

 桜は闇の中で自分の心を落ち着かせようと数を数えた。そして六〇まで数えたところで、急に周囲が明るくなった。

 

「数値正常。零式からの強制排出信号なし。最適化が始まりました」

 

 零式のISコアを監視していた技術者があえて淡々とした口調で、画面の映し出されたメッセージを読み上げた。最適化が始まったことにより打鉄零式の頭部レーダーユニットが艶やかに輝く。

 連城は堀越たちの様子がおかしいことに気付いた。しかめっ面をした堀越を除き、技術者たちは感極まった声を口にしていた。

 

「主任の言ったとおりでした」

()()()だ……GOLEM導入後、()()()動いた」

 

 だが、堀越の瞳には緊張の色が残っていた。浮き足だった技術者たちを戒めるように鋭い声を発した。

 

「まだです。一次移行が終わるまでは油断できない」

 

 最適化を終えた打鉄零式からまばゆい光を発したかと思えば、すぐに光が止んだ。

 青・黒・白の幻惑迷彩。外見は桜と連城が最初に見た姿とほとんど変わりがない。

 ISコアの監視モニターには処理が完了したことを知らせるメッセージが点滅していた。

 

「ほんまや。締め付けがのうなったわ」

 

 桜の声が格納庫に響いた。眼前に表示された「一次移行終了。GOLEM Ver.1.0.3 起動成功」というメッセージを合成音声が読み上げる。そして項目が次々とカスケード表示され、中にはハイパーセンサーのパラメーターや武器リストが表示されていく。

 桜は眼球を動かすうちに、奇妙な文言を見つける。

 

「名称未設定とか貫手(ぬきて)って……。神の杖? 浪漫(ろまん)あふれる名前やけど、何やのコレ。選択できへん」

 

 ――そういえば。

 桜は入試で使った打鉄のことを思い出した。

 ――開発元が同じなんや。どうせヘンテコな装備も似たんやろ。

 打鉄零式の横では、万歳三唱で喜ぶ技術者たちの姿があった。

 

 

 




ナタリアの日本語として博多弁を採用致しました。機械翻訳した文章を目視で手直ししているため、標準語から博多弁の変換に慣れていません。
おかしな点が御座いましたら報告いただけると助かります。よろしくお願い致します。


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某国の密偵疑惑(六) 悪霊

 起動試験終了後、堀越から電話帳並みに分厚い「IS教則本Vol.1 改訂第三版」を手渡され、さらに曽根から教則本の要点をまとめた小冊子を手渡された。専用機受領にまつわる諸手続きのため、手元に届くまでに数日は必要だと告げられたので、桜は待っている間に冊子に目を通してしまうつもりでいた。

 そして翌週の木曜日の昼休み。桜は連城に呼び出され、倉持技研からの贈り物だという女性向けの時計を手渡された。落ち着いた意匠の黒いバンドに、清楚(せいそ)ながらも気品の漂う文字盤。とても高価な贈り物に感じた。

 

「これ、ISの待機状態なん?」

「その通り。後ほどあなた宛に各種取扱説明書が郵送されますから、よく読んで正しく使ってください」

 

 連城の態度はあまりにそっけない。むしろ隣の席にいた弓削の方が落ち着きを無くしている。弓削は勝手に想像をふくらませていた。

 

「佐倉さんの専用機を見てみたいなー。白式の兄弟機だからやっぱり似たような意匠なんですよね?」

「弓削先生。佐倉君の機体は()()四菱版打鉄です」

一次移行(ファースト・シフト)で形状が変わったんですよね。だったら……」

 

 弓削は打鉄(うちがね)零式(れいしき)を雑誌で見たことがあった。GOLEM導入前にテストパイロットが動かしていた時のもので、打鉄と同じく全身を灰色に塗られており、また頭部レーダーユニットは装甲で隠蔽(いんぺい)されていた。後付武装の選定は本決まりではなかったが、打鉄と互換性があり、運動性能が向上し、拡張領域が増えたこと以外に目立った印象のない凡庸な機体だと評価されていた。また、打鉄を鎧武者(よろいむしゃ)として印象づけた太刀風ロングブレードが装備から除外された代わりに、マニピュレーターの硬度や耐久性が過剰強化されたことに対して、専門家はこぞって首をかしげたのである。近接格闘戦を捨てて中距離戦闘を意識したISだと推測されていたが、相性問題の発生以降は思い出したように引き合いに出されるくらいで話題の中心に上ることはめったになかった。

 打鉄零式が最初に公開されてから随分時間が経っている。機体がより洗練されたのではないか、と弓削は考えていた。

 だが、連城は兄弟機の白式とは真逆の印象を抱かせる禍々(まがまが)しい姿を目にしているだけに、得意げにはしゃぐ気分になれなかった。対戦相手に威圧感を与えることも新機軸の一つだと思うのだが、素直に納得できない部分もある。連城は、生来の青白い顔のまま、目を細めて弓削の顔を見つめていた。

 桜は弓削に視線を向けてから口を開く。

 

「弓削先生。だったら今日の放課後、使えそうなアリーナないですか。せっかくやしクラスのみんなにお披露目しようと思います」

 

 打鉄零式は第三世代機である。桜は弓削の姿を見て、クラスメイトも同じように反応するのではないか、と考えていた。試験機とはいえ、各国が躍起になって研究開発しているISと同世代なのだから、話題になって然るべきだ。

 桜の提案を予想していたのか、弓削は間髪入れずに答える。

 

「このタイミングだと第六アリーナぐらいしか空いてないわね。でも、ここからすごく遠いよ?」

 

 第六アリーナはIS版エアレース、つまりキャノンボール・ファスト用訓練場として設計されていた。他のアリーナと比べて施設そのものが広く、校舎から最も離れた場所に建っているため連絡通路が恐ろしく長くなってしまった。移動に時間を要すため、授業では使用されることはめったになかった。

 ただし、施設の規模が大きいだけあって学園最大規模の収容能力を誇る。そこで弓道部が未使用の格納庫を弓道場として改造していたり、文化部が部室兼実験施設に利用するなど、意外と多くの生徒が出入りしている。

 

「ありがとうございます。それから訓練機の使用申請もお願いします」

 

 と桜がつけ加えた。お披露目するなら他の機体と比較するのがわかりやすい。とにかく従来のISとは異なり、第一世代に先祖返りしたような外見だ。他とはひと味違う姿がより鮮明になると思った。

 弓削が訓練機申請の画面を出す。申請にあたって訓練機の種類を決めなければならない。桜の顔を見上げた。

 

「希望は?」

「一条さんって入試の時、どちらに乗っていたんですか」

「それならリヴァイヴを確保しないといけない。ピウスツキさんたちが乗りたがると思うから、声をかけておきなさいな。あと、ISスーツは貸し出しできるから心配しなくていいよ」

 

 一条朱音の成績は回避率が極めて優秀である。一般入試組なので、今のところ実技試験の実績しかない。それでも被弾率ゼロというのは珍しい。

 とはいえ、脇目もふらず逃げ回っていただけなので、同じ組の桜やナタリアらと比べてどうしても見劣りがするのも事実であった。

 桜は連城から受け取った時計を、早速左手首に装着した。光に手をかざしたり腕を回したりして、ほとんど重量を感じられないことに驚く。

 ――軽い。どうやっとるかはこれから勉強していくとして、とりあえず可搬性に優れるのはええことや。それに打鉄とは相性もええみたいやから。

 桜は喜ぶよりもむしろ、ほっとしていた。入試で打鉄を起動できた。そして先日の起動試験では特に問題なく動かすことができた。信頼性が高いISだと評価されるだけのことはある。桜は、自分が打鉄系の機体と相性が良いものと好意的に捉えていた。

 ほっと軽く息をつくと安心感に包まれ、小さな期待が生まれた。その気持ちを自覚した桜の瞳に輝きが(とも)る。

 弓削はようやく年相応の顔つきになった桜を見て、記憶の引き出しを開けながら手招きしていた。

 

「そうそう。もう聞いているかもしれないけれど二組のクラス代表がね……」

 

 

 昼休みが終わる頃には、二組に転入生が来たことは周知の事実となっていた。

 転入生の名前は(ファン)鈴音(リンイン)。中国の代表候補生で第三世代機、甲龍(シェンロン)の専任搭乗者である。三組一同は二組の戦力が大幅に強化された事実を脅威に感じていた。

 

「二組のクラス代表が交代したんだって!」

 

 隣のクラスに寄り道していた朱音は、三組の教室に戻ってくるなり大声を出した。細い体つきの割に声量があるので、桜は椅子の背にもたれかかりながら、耳元で響く声を遮るべく片耳を覆い隠す。

 朱音は思ったより周囲の反応が弱いので、徐々に声が尻すぼみになっていく。桜は少し腰を上げ、指先でニーソックスの位置を直し、首をかしげる朱音を上目遣いに見やってその理由を教えた。

 

「知っとる。さっき大黒様が言っとった」

「大黒様?」

「弓削先生のことや」

 

 桜がそう説明した理由がしっくり来ない。朱音は弓削の顔を思い浮かべ、したり顔でいる桜をぼんやりと見つめる。しばらくして合点が言ったのか、軽く手を打ち合わせた。

 

「言われてみれば似てる!」

「やろ。あの福耳がたまらんわ」

 

 福耳は弓削の身体的特徴である。のっぽで短髪、男のような顔つきのくせにどことなく憎めない。しかし、大きな耳が本人に福をもたらしているかどうかは別問題である。弓削はずっと婿養子のつてを探しているのだが、なかなか良縁にめぐりあえずにいた。IS搭乗資格を持つ教員も他の教員と同じく職場結婚が多い。弓削の場合は婿養子という条件が二の足を踏ませる要因になっていた。

 朱音は桜の左手首に目が行く。高校生の持ち物にしては少し高価に見えた。

 

「あれ? その時計……」

「上品でええやろ。これな。専用機の待機状態なんや」

 

 桜がいつもよりゆっくりした口調で言った。朱音は目を丸くして専用機と聞いて興味を示した。

 

「桜の専用機ってどんなの。見てみたいな」

「そう来ると思って放課後になったらお披露目するつもりや。ちょっと朱音にも手伝ってもらわんとあかんけど」

「私に? いいけど。先に専用機の名前を教えるくらいはいいよね?」

「打鉄零式って言うんやけど」

「どこかで聞いたことがあるような……でも、専用機なのに打鉄なんだね」

 

 朱音の口振りからして期待度が半減したことがわかる。開発元である倉持技研は打鉄で有名なことから、一般的に量産機開発が得意な企業という認識があった。打鉄は安定性や操縦性に定評があり、その長所は運用を行った者にしか感じとることができなかった。

 桜は専用機について補足する。

 

「一組の織斑んとこの白式とは兄弟機なんやって」

「ふうん。同じメーカーだもんね」

 

 朱音は気のない返事をしながら、桜の様子を観察していた。以前専用機受領の話を口にした時は、浮かれるどころか心配していたが、不安材料が払拭(ふっしょく)されたのか今はそうでもない。専用機への捉え方が自分と異なる事実に気付いていた。

 ――子供っぽくないというか、大人っぽいというか。

 桜の専用機に対する態度は予想できていた。拍子抜けするほど淡々としている。むしろ、時計をもらった事実を喜んでいる。

 

「あいかわらず専用機に対してドライなんだね」

「兵器は信頼性と稼働率が肝や。どんなけ性能が良くたって動かんかったり、空中でいきなり壊れたら洒落(しゃれ)にならんやろ」

 

 桜は椅子を蹴って身を乗り出し、目を見開いて鬼気迫る表情で朱音に迫った。信頼性が高いと言われた赤とんぼ(九三式中間練習機)でさえも、作郎の手にかかればエンジンが空中停止したのだ。初めての不時着と遭難から始まった不運の積み重ねにより、桜は機体の信頼性こそが重要だと考えるようになった。

 

「顔、近づけすぎ……目、血走ってるよ」

 

 突然鼻息を荒くした桜から少しでも離れようと、朱音は顔を背けつつ桜の両肩に手を当てて、なおも接近する桜の体を止めた。

 

「すまんな。つい、熱くなってもうた」

 

 桜がすぐに冷静さを取り戻したので、朱音はその肩を軽く押してやった。自分は半歩足を引くだけでバランスを取る。仕切り直すつもりでせき払いしながら聞いた。

 

「過去に何かあったの?」

「下り坂で買ったばかりの自転車(ケッタ)が分解したのは……ま、いろいろあったんや。新品やったり整備済みでもしょっちゅう不具合が発生するんや。あまりに続くものやから、時々神社でお(はら)いしてもろうとるんやけど、なかなか改善の兆しがあらへん」

 

 朱音はお祓いという単語が飛び出すとは思わず、呆気(あっけ)にとられながらも表面上は平静を装った。桜は真剣に悩んでいる様子だからうかつに茶化すことができなかった。

 桜は窓際を見つめて、まるで失恋でもしたかのようなため息をつく。

 

「痛かったり死にそうになるのはこりごりや」

「なんか、波瀾万丈(はらんばんじょう)な人生を送ってるんだね……」

「とりあえず、放課後や。多分大黒様も付いてくるやろうけど、みんなを誘って第六アリーナへ」

 

 

 放課後になって、三組はほぼ全員で第六アリーナを訪れていた。

 弓削が遠いと言うだけあり、入り口にたどり着くまで徒歩で三〇分もかかった。その道中、自転車や原動機付き自転車、スケートボードに乗った先輩方が側道を走り抜けていく姿を目撃し、みんな(うらや)ましそうにその背中を見送っていた。

 弓削が備品のISスーツを生徒に配ろうとしたところ、意外にもISスーツ持参者が多く、半分くらい余ってしまった。

 桜は、クラスメイトに鬼ごっこをすると伝えてあり、鬼は桜で、追われる方は希望者として時間と体力が許す限り、操縦練習をするつもりでいた。

 弓削はラファール・リヴァイヴを一機確保しており、事前の説明通り朱音が最初に搭乗することになっていた。他の生徒は観覧席で待機することになっており、弓削の合図で随時交代する手はずになっていた。

 桜は弓削の指示に従って打鉄零式を実体化する。いざ本番となって、桜は全身装甲で外から見えないことを良いことに、みんなに自慢したい気持ちが強くなってだらけた表情を浮かべた。桜はみんなが驚く顔を思い浮かべて、ハイパーセンサーを使って観覧席へと注意を向けた。

 

「なんとなく悪役っぽい」

 

 だが、その全身装甲を見た生徒は異口同音に冗談めかして言った。

 非固定浮遊部位(アンロックユニット)を実体化していなかったためか、一部から突起物の少ない造形がとても美しいと感想があったものの、禍々しいという意見が大半を占めた。

 甲龍の同じく悪役らしい意匠の黒・紫という配色に比べて、青・白・黒の幻惑迷彩は目に優しくなかった。他にも頭部レーダーユニットから漏れる赤い光が悪目立ちしている。試しに装甲を白一色に変えてみたら、「血の涙を流しているようだ」と不気味がられたので、仕方なく幻惑迷彩に戻していた。

 

「配色は要検討や」

 

 桜は開放回線を通じて弓削や朱音、ナタリアたちに言い放った。半露出型装甲ならば、顔が見えてそれなりに柔和な雰囲気を醸し出すことができる。しかし、全身装甲となれば頭部の造形如何(いかん)によって機体の印象そのものを決めてしまう。事実、打鉄零式の頭部は悪人面になっており、桜の意図に反して好意的な印象を得ることが難しい。

 隣で朱音がラファール・リヴァイヴを動かす。その滑るような動きは、入試の評判を聞いたクラスメイトを納得させるものがあった。

 ――真っ先に口を挟みそうな人が黙ったままや。

 桜はナタリアがコメントを控えているのが気になって仕方がなかった。打鉄零式のハイパーセンサーを用いて彼女を盗み見る。眉をひそめて物憂げに考え事に浸る、おとぎ話の世界から抜け出してきた、そこらではお目にかかれないような美人がいた。

 

「こんISは、なして余計なことばしとるのか。黙っとればメガモリみたいな美人が残念ばい」

 

 ナタリアは再び目を伏せて「はあっ……」とため息をつく。

 桜をけなすような物言いだが、百歩譲って黙っていれば美人だと評価している。桜は素直に喜べずにいたが、ナタリアに(くぎ)を刺すことを忘れない。

 

「聞こえとるわ。あ……みんな納得したようにうなずかんといて」

 

 ナタリアの正鵠(せいこく)()た発言に、クラスメイトどころか弓削までもがうなずいていたのである。ただし、弓削は管制室にいたので桜の目に触れることはなかった。

 

「決めた」

 

 考えをまとめたナタリアが饒舌(じょうぜつ)になって桜に呼びかける。

 

「メガモリ聞きんしゃい。配色の件やけど、一組の白式がヒーローなら三組はヒール。悪役のイメージで行くから色はそのままでよか」

「悪人面やからなあ……せやかて、目が痛いと思うんやけど」

 

 幻惑迷彩はIS搭乗者よりもむしろ、観覧者に対して効果を発揮した。濃緑色のラファール・リヴァイヴと比べてよく目立つ。

 桜は非固定浮遊部位を実体化させた。ISの肩に相当する部位から、ちょうどレンコンを切断したかような長い筒をつり下げている。桜の眼前には照準が表示される。右下に表示された「5:RCL」という文字を意識すると、思った場所に照準が移動する。

 再びナタリアに意識を向けると、彼女はひとりで不敵な笑みに変わった。

 

「外見でびっくりさせて、対戦相手の動揺を誘ってみるつもり」

「心理戦ね。やらんよりましか」

 

 桜は素直にナタリアの意見を受け入れた。そしてスラスターを噴かせるなど動作確認を行っている朱音を横目に捉えつつ、標準で備え付けられた武装を試すことにした。

 最初にメニューを開く。本来ならばイメージ・インターフェイスを用いることで、メニューを選択して実行というプロセスを省くことができる。だが、桜は攻撃手段のイメージをつかむために、あえてメニューから動作を選択して実行した。

 打鉄では近接ショートブレードと書かれていた所に「貫手」という名称があった。視野の裾に「人体に向けて使ってはいけません」というメッセージが表示され、指をそろえて伸ばした状態で腕が伸びた。

 ただの物理攻撃である。

 

「うわ……地味……」

 

 ハイパーセンサーが足を止めた朱音のつぶやきを拾った。集音機能に優れていることがわかり、同時にやるせなさを噛みしめる。

 ――そのまんまやないか。

 用途はともかく、これを近接格闘装備と名付けるのはいかがなものだろうか。過剰な強化を施したマニピュレーターで貫手を放つだけなので後付武装(イコライザ)ですらない。

 桜は堀越と曽根の顔を交互に思い浮かべ、気を取り直してIS用のメールボックスを開いた。連城から武器使用の手引きが入っていると聞いており、中身に目を通したところ初期後付武装(プリインストール・イコライザ)が記載されている。桜は順番に読み上げていった。

 

「一番、貫手。二番、実体盾。三番、一二.七ミリ重機関銃。四番、一一〇ミリ個人携帯対戦車弾(LAM)……まともやな」

 

 曽根によれば三番以降は比較的人気が高い装備を選んだという。堀越が運用データを取りたい一心で使い道に困る変な武器(手裏剣型ホーミングブーメラン)を導入したがり、曽根をはじめとした協力会社社員一同が止めたらしい。その証拠に「P.S.堀越さんの野望を打ち砕きました。by曽根」と記されている。

 

「続き続き。五番以降は左右にそれぞれ一基ずつ装備可能と。ここから非固定浮遊部位(アンロック・ユニット)の実体化が必須となるわけやな。五番、多目的ロケットランチャー。ハイドラ七〇(Hydra 70)ロケット弾が使用可能……七センチ噴進砲(ふんしんほう)みたいなもんか。用途によって弾頭と信管が選択できるんか。……めっちゃまともや。堀越さんきちんと仕事すればできる人やもんな。さすがは既婚者や。あとは六番、三〇ミリチェーンガン(M230)

 

 打鉄零式は後付武装を非固定浮遊部位にまとめて設置することができた。火力重視で銃火器類を豊富に取りそろえているくせに、どのISにも必ず装備されているはずの近接ショートブレードが存在しない。

 

「七番、荷電粒子砲は間に合いませんでした」

 

 括弧書きで搭載可能とある。初期後付武装リストに目を通した感触として、打鉄零式は中距離戦闘を想定した火力重視のISだった。曽根の好みが透けて見え、それは桜の好みとも合致していた。

 なお、荷電粒子砲は物体に帯電する粒子を収束しビーム状に発射する兵器で、打鉄弐式に「春雷一型」の名称で搭載予定の武装である。現在四組の代表候補生にIS本体と共に提供すべく調整中だが、ある欠点から運用制限が設けられていた。春雷一型の砲身は耐久性に問題があり、使用する度に損壊が進むことから片手で数える程度でしか発射できない。試合(ごと)に砲身を交換する必要に迫られたが、その一方で使い捨てを意識したことで簡素な設計となり、製造コスト削減にもつながっていた。

 桜はすかさず、一二.七ミリ重機関銃を手に持った状態で実体化させた。

 メニューにあった「武装の外部設置」という文言を選択実行すると、一二.七ミリ重機関銃が一瞬のうちに非固定浮遊部位に移動する。人間の意識を介在させないため、非固定浮遊部位への量子化から実体化までの時間が高速切替(ラピッド・スイッチ)並みの速さを実現していた。曽根ら開発陣は非固定浮遊部位を肩装甲とは考えておらず、浮き砲台としての利用を考慮していた。また、これら非固定浮遊部位は機体を中心として全方位に展開でき、ある程度離れた場所に移動させることができた。

 桜は再び一二.七ミリ重機関銃を手に戻そうとしたら、先ほどよりも時間がかかった。

 ――ここは反復練習が必要やね。さて、次や。

 次にすべての装備を非固定浮遊部位に搭載した状態で、試しに全身を真っ黒に変化させる。

 

「非固定浮遊部位や武装まで色が変わるんか」

 

 頭部装甲が閉じてレーダーユニットが完全に隠蔽(いんぺい)されていた。この状態だと機体の光源がすべて隠れているため、完全な闇の中では目視ができないことが予想できた。まるで夜間強襲作戦を想定したかのようである。ただし、熱源がだだ漏れなので詰めが甘いとも言えた。

 桜は再び幻惑迷彩に戻す。頭部装甲が少しだけ開いて奥のレーダーユニットが不気味に輝いた。

 ――妙に手堅いというか、いらんところまで手が込んでおるというか。変な機体や。

 専用機に対してそんな感想を抱く。

 ――さて、空中での運動性能はどんなもんやろ。

 小回りが利く軽戦闘機か。それとも一撃離脱に徹する重戦闘機なのか。あるいは中途半端なのか。このISはどこに属するのだろうかと、桜は淡い期待を抱く。

 だが、その前に武器使用の手引きには記載がない項目にも、目を通してやらなければと思い立つ。つまり「神の杖」と「名称未設定」のことである。前者については選択不可能であり、堀越らに問い合わせて保留することになっていた。そもそもGOLEMの全容を誰も把握していないことからして怪しい。IS内部の信号伝達速度が大幅に改善されたのは確かだが、それ以外は手探りの状況であった。

 後者はさらに厄介である。起動試験後、桜の申告により堀越がメンテナンスモードで遠隔ログインした結果、「そのような項目は存在しない」と結論づけられていた。曽根や他の技術者、そして連城でさえ項目自体を認識できなかった。

 ――確かに存在する。

 桜は幽霊を見るかのような視線を向けていた。他のGOLEM搭載機に同様の問題が発生しなかったか確かめたいところだが、同ソフトウェアは米国・イスラエルで二国間共同開発中の試験機以外に供与されておらず、問い合わせしたところで「機密のため答えられない」と返されるのが関の山だろう。

 篠ノ之博士がIS搭乗者にしか認識できないイースター・エッグを仕掛けたのではないか。GOLEMを提供したのが彼女である以上、説得力のある憶測に思えた。

 ――さて、ひとまず確認をして、状況を把握せなあかん。ああ……嫌な予感しかせえへんわ。

 桜は恐る恐る名称未設定を選択する。CGだろうか、視野の中心に段ボール箱を模した怪しげな立方体が出現した。

 

「箱? 何やコレ」

 

 眼球を動かして立方体を手前に引き寄せる。両腕でやっと抱え込めるくらいの大きさで、何の変哲もない箱である。おかしな点と言えば、蓋に「びっくり箱」とポップ書体でレタリングされており、側面に添え状が貼られているくらいだ。

 

「何か書いてある」

 

 桜は箱から添え状を引きはがし、中身を確かめる。

 そこには「開けますか? 開けませんか?」と書いてあった。

 篠ノ之博士が人を食った性格だと関係者に知られていたので、彼女なりの冗談のつもりだと軽く考えた。

 

「篠ノ之博士って案外茶目っ気があるんやな。せやかて、蓋にびっくり箱って書いたらあかんて。ええわ。ここまで来たら、とりあえず開けてみるか」

 

 桜は迷いを捨てて箱に手をかけた。スプリング式の人形の頭が飛び出してくると思って身構えていたら、出てきたのは白い煙である。

 

「た、玉手箱やと……」

 

 桜は手の込んだイースター・エッグと思い、煙が途切れるのを待った。

 ――私が老けた作郎になっとったらびっくりやな。

 桜は篠ノ之博士の洒落っ気を楽しむつもりでいた。箱の奥に何かがうごめくのを見ても「どうってことはない」と悠然と構える。

 ――後で堀越さんに素っ気ない顔で感想を言っとこ。名称未設定は篠ノ之博士のイースター・エッグやった。玉手箱から煙が出てきたんやけど、特におばあさんになったりはせえへんかった。あまり面白くなかったって。

 体を起こした得体の知れない何かと不意に目が合った。大きな瞳を鋭く動かしてケタケタと笑ったように見えた。桜は思わず生唾を飲み込む。煙のせいで姿形が定かではない。目が二つあることは確かだ。つまり生物を模しているのは間違いない。緊張で心臓が高鳴り、脳裏に写真でしか知らない篠ノ之博士のにやけ顔がちらつく。

 ――ハハッ。……驚いたりせんわ。こういう引きやってわかっとるんや。

 桜は虚勢を張りながら、心の中では「もしや」という懸念を払拭することができない。息を殺して姿を見せるのを待ったが、

 

「呼ばれて飛び出てジャジャジャジャーン!」

 

 いざ得体の知れない何かが奇声を上げて飛び出してきたものだから、桜は悲鳴を上げていた。

 

 

 お披露目という名の鬼ごっこを終えた桜は、自室に戻るなりクローゼットの前に立っていた。無言のまま私物を入れた段ボール箱を開けて、中から茶封筒を取り出した。

 

「お帰りー」

 

 風呂上がりのせいか湿り気を帯びた髪。頬を上気させた本音は、桜に気付いて声を上げる。

 

「……ただいま」

 

 桜は後生大事に茶封筒を脇に抱え、うつむきがちになってぼそぼそと曖昧な声を返した。

 ――ええっと。一体何が……。

 桜の様子があからさまにおかしい。生気が失せて顔が青ざめている。どこか体の具合でも悪いのだろうか。本音は心配になって桜の傍へ歩み寄った。

 

「サクサク元気ないけど~どこか痛いの?」

「……おおきに」

 

 桜は覚束ない足取りながら、本音の気遣いに小声で感謝した。しかし、普段の彼女とはほど遠い姿を目の当たりにするや、本音は彼女が何かに()かれていると思って放置できずにいた。

 桜は自席に腰掛けて茶封筒に手を突っ込んでいる。気になって様子を見守っていると、中からお札が出てきた。

 ――悪霊退散?

 本音には思い当たる節があった。桜の調査書に「複数回の入院歴あり」と記されており、その原因はどれも不運としか言い現せないものであった。下り坂で新品の自転車が分解して落車したり、鎖場で鎖が切れて滑落するなど、一歩間違えば命に関わるような事故に遭っている。

 

「そのお札って~」

「……もちろん壁に貼るんや」

 

 桜が当然のことのように答えるので、本音は目元をひくつかせて愛想笑いを浮かべる。

 本音は、天下のIS学園寮の壁に「悪霊退散」と描かれた光景を想像する。霊が退散するどころか集まってきそうだった。

 桜は大きく息を吸うと、真剣な顔つきになって本音を見つめた。

 

「なあ……本音は、自分にしか見えへんものが見えた時……どう対処する?」

 

 何やら雲行きが怪しくなってきた。桜の瞳が狂気に染まっていないのが唯一の救いだった。

 ――へ、下手な答えを口にできない……。

 本音は心の中で焦る。武力解決なら得意だが、霊障の対処方法を相談されたのは初めてのことだ。仲間内でオカルト話に興じるような雰囲気ではなかった。

 

「ええっと」

 

 本音は考え込む素振りを見せ、時間を稼ぐ。桜の視線は答えを求めるものではない。だが、うかつな発言ができないのも事実だった。

 本音はチラと壁掛け時計を確かめる。

 ――七時ならまだ……。

 

「そ、そういうことは専門家に任せようよ~」

「専門家?」

 

 桜は胡乱(うろん)な瞳を向ける。

 ――要は心の平安を保てればいいからね~。こういうときは他人を頼るのが一番だよ~。

 本音は隣人の経歴を思い浮かべていた。

 

「知ってる? モッピーの生家は篠ノ之神社って言うんだよ」

「……ほんま?」

「モッピーとおりむーが言っていたから間違いないよ~」

「二人は幼なじみやったもんね」

 

 桜の意識が箒に向かったので、本音は安堵(あんど)のため息をついた。

 そして桜の手を取り、にこやかな笑顔を向ける。

 

「善は急げって言うよね~」

 

 桜は本音に連れられて一〇二五号室に向かった。初日に穴だらけとなった扉は新品に取り換えられている。ちなみに一夏と箒は、器物破損の咎により千冬の目の前で反省文を書かされていた。

 

「篠ノ之さん~。ちょっとお願いがあるんだけど~」

 

 本音が扉の前で間延びした声を上げた。桜はきょろきょろと周囲を見回していたら、朱音のルームメイト、つまり更識簪が少し離れた場所で足を止めていることに気付いた。簪は本音と桜が手をつないだ 光景を目撃するなり、その手元と本音の背中に交互に見やって、消え入りそうな小声でつぶやく。

 

「……やっぱり」

 

 簪は確信めいた表情を浮かべるや、すぐに踵を返した。

 桜が不思議に思ったのもつかの間、部屋から出てきた箒の浴衣姿に気を取られて、簪のことは桜の意識から消え失せていた。

 

「で、お願いというのは何だ」

 

 箒は椅子に腰掛けたまま胸の前で腕を組んでいた。

 一夏が冷蔵庫から取り出した麦茶をガラスのコップに注ぐ。桜が礼を言うと、一夏は麦茶が入った容器を持ってキッチンに消えた。

 

「篠ノ之さんの家が神社だったと聞いて~」

 

 箒はその言葉を聞くや、表情から感情の気配を消した。

 

「先に言っておくが巫女装束は持っていないからな」

 

 箒はコスプレの依頼かと思い先手を打った。

 

「……違うよ~」

「篠ノ之さんは幽霊を見たことがあるん?」

 

 箒にとって桜の答えは意外なものだった。生気の失せた顔を見ても、箒は態度を変えようとしなかった。

 

「そんなことか」

 

 と、箒は軽くつぶやいた。

 本音は箒の冷静な姿を見て、適切な対応をしてくれるものと期待する。

 

「霊くらいいるだろ。近所に集まりやすい場がある。時々そこから迷い込んでくるのを見かけていたからな」

 

 その途端、室内の温度が一気に冷え込んだ。本音の表情が凍り、桜は青ざめ、キッチンから聞き耳を立てていた一夏が直立不動のまま立ち尽くした。三人の背筋に悪寒が走る。

 箒が唇をしめらせるために冷えた麦茶を口にする。動揺する隣人を見て、「はあ」とため息をついた。

 桜は室内でただひとり平然とする箒を見つめて、残り少ない勇気を振り絞ったが上擦った声になる。

 

「せ、せやったら……ごごご実家が神社なら巫女(みこ)さんの家系なんやろっ。除霊とかせえへんのっ」

「何か、勘違いしていないか」

 

 いつの間にか背筋を正した箒が、すがりつくような顔つきの桜を見据えて言い返した。

 

巫子(みこ)拝屋(おがみや)みたいな霊的呪師とは違う」

 

 箒はゆっくり諭すように言葉を続けた。

 

「本来、巫子はその体に神を()()かせ、神の意を伝えるメッセンジャーのことだ。神と人との間に立つから半分は神、もう半分は人。だから御子(みこ)、または神の子と書いて神子(みこ)と読ませる」

「伝えるだけ……」

「本来はな」

 

 箒は間を取るべく、本音や一夏を見やった。再び桜に目を戻す。

 

「うちの場合は、現世に還った霊魂とそれを送る神様に舞を(ささ)げる。その舞は霊を寄せ、還すことができても除くことはできない。地元の土地神だから、ここでその恩恵にあずかることはできない」

「じゃあ……なんにもできへんってことか……」

 

 桜の表情に落胆の色が浮かぶ。

 

「落ち込むにはまだ早い。略式で払うことはできるんだ。ただ……勘違いして欲しくないのだが、あくまで払い、遠ざけるだけだ。時間が経てばまた元に戻る」

 

 箒が落ち着いた声音で告げ、桜の顔に生気が戻った。

 ――これからはモッピーなんて呼ばないよ。見てないところでもきちんと篠ノ之さんって呼ぶからね。

 本音は、心の中で感謝の言葉をつづっていたところ、箒の言葉を耳にして再び表情を強張らせた。

 

「見たところ佐倉にはいろいろ憑いているからな。一度払って状況を見てみよう」

「ふえっ……いろいろ?」

 

 桜は肝が冷えたのか、たどたどしく聞き返した。箒は意に介さず、身をかがめて机の下から若竹色の刀袋を取り出して机に置いた。重く鈍い金属音が聞こえ、そのまま席を立つ。不安で身を硬くした桜の横に立って口を開く。

 

「深刻に捉えなくとも良いぞ。どれも実害がないものばかりだからな」

「そ……そうなん」

 

 箒は微笑(ほほえ)みながら、桜の不安を取り除くようにゆっくりうなずいて見せ、

 

「少し待っていろ。(きよ)めの水を取ってくる」

 

 と告げた。

 

 

 



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某国の密偵疑惑(七) TABANE

この辺は楽しんで書いた。一時期後悔しましたが、今は後悔してません。


 箒が施したお(はら)いの霊験(れいげん)の程は定かではない。だが、桜の心理的ストレス軽減には大いに役立っていた。

 お披露目の翌日。金曜日のためか、浮かれた表情の生徒が多くになる中、桜がけろりとした表情で登校するのを見たクラスメイトは一様に不気味がっていた。

 桜が席に着くなり、朱音が顔色をうかがいながら心配した様子で声をかけた。

 

「桜。あのさ……今日は大丈夫なの?」

「すまんな。心配かけてもうて」

 

 昨日、桜は突然悲鳴を上げてからずっと具合が悪そうにしており、夕飯を少量に控えていた。その様子を目撃した朱音とナタリアは飛び上がらんばかりに驚いてしまった。桜のことをメガモリと愛称で呼んでいた者たちは、彼女がずっと無理をしており、その反動が来たのではないか、とささやいたほどである。

 桜はつとめて明るく振る舞い、心配事は去ったと吹聴(ふいちょう)して回った。

 朝のSHRになると弓削が昨日のことを気にしていたので、桜は何事もなかったかのように、

 

「大丈夫ですよ。専門家に相談して対処してもらいました」

 

 と答えていた。桜がきっぱりと言い切ったので弓削は一瞬釈然としない表情を浮かべたものの、追求することはなかった。

 ――篠ノ之様々や。

 桜はいつにもましてにこにことしていた。たくさん()いていた霊を払ってもらったことで肩が軽くなった気がした。あえて注文をつけるなら、憑いていた霊を成仏するよう導いてくれたらなお良かったが、そこまで求めるのは無茶というものだろう。

 朱音やナタリアは桜の様子を不審に思い、合間を見てはこっそりとその表情を観察していた。頬をゆるませた少しだらしない表情。何かあったことは確かである。

 一限の授業が終わり、桜は席を立って教室を抜け出した。

 

「メガモリはどこに行くと?」

 

 ナタリアは桜の後ろ姿が気になり、足早に廊下へ向かう。出入り口付近に立っていた朱音は、

 

「一条も来んしゃい」

「あ……ピウスツキさんっ」

 

 突然ナタリアに手首を引っ張られた。バランスを崩してのけぞり、足がふらついて今にも倒れそうになる。二、三歩つま先立ちになって歩いただけで何とか転ばずに済んだ。ナタリアは朱音のことはお構いなしに、桜の背中を追って、大股でずかずかと廊下を通り抜けていく。

 

「ちょっと……いったい何なの」

「メガモリがいつになく浮かれとるのが気になりよった」

「SHRで問題が解決したって言ってたけど?」

「九字ば切るような事態が簡単に解決するはずがなか」

 

 九字とは密教で用いられる護身用の呪文である。「(りん)(ぴょう)(とう)(じゃ)(かい)(じん)(れつ)(ざい)(ぜん)」の文句を指す。

 桜は一組の教室に向かっていた。朱音は廊下を進むにつれ、自分たちに気づいた生徒がみんな振り返った事実に気づいて、思わず考え込んだ。

 ――桜よりもむしろ私たちの方が注目を浴びてない?

 原因はすぐに思い当たった。ナタリアの容姿だ。美人が多いとされる西スラヴ系の顔立ちもあって、桜を抑えて三組一の美少女とされている。言動に注意が行ってしまい最近は気にしなくなってきたが、かつては自分もその容姿に見とれていたひとりだったことを思い出した。

 朱音はすぐに、彼女たちの関心はナタリアのみに向けられていることを悟り、自分も注目を浴びていると考えたことを恥じ入った。

 桜は一組の教室の中に消えた。寮の隣人である箒の元へまっすぐ歩いた。箒の周りに一夏やセシリア、凰鈴音がいて、桜接近に気づいた。

 ナタリアも周りの視線に臆することなく、桜の背中を追った。ナタリアのなすがままになっていた朱音は、戸惑いながら一組の教室を見回していた。すぐに桜のルームメイト、つまり布仏本音の姿を見つけ、彼女が桜を見て一瞬ひどく動揺しているのを見逃さなかった。

 

「追いついた」

 

 ナタリアが足を止め、朱音の手首を離す。

 朱音が正面を見やると、そこには箒の両手をつかんで上下に振る桜の姿があった。

 

「篠ノ之さん。篠ノ之さん。なんだか体が軽く感じるんや。おおきに」

「ああ。少しは役に立ったみたいだな」

「今度お礼させて。飯なら何でもおごったるし、力仕事があるなら呼んで」

「大したことはやっていないんだ。そこまでしなくてもいい」

「謙遜せえへんでええ。篠ノ之さんにしかできへんことをやったんや。感謝の気持ちやと思って受け取って」

 

 桜は笑顔を振りまいた。すぐそばにいた一夏は一部始終を知るだけに口を挟むことができずにいた。

 

「一夏さん。篠ノ之さんたちはいったい何のお話をしているのですか」

 セシリアの問いに、一夏は昨日の出来事を思い出して顔を少し伏せる。

 箒が略式だと告げた儀式に居合わせた結果、八九式中戦車と一緒に姿を現した戦車兵や三八式歩兵銃を担いだ兵士、サラリーマン風の男たちなど桜に憑いていた霊の姿を目撃してしまった。桜はそのとき彼らの背格好から全員身内という仮説を口にした。

 佐倉作郎には八人の兄がいた。このうち戦車兵はノモンハン事件で戦死した次男の荘二郎。三八式歩兵銃を担いでいたのはソ連軍の満州侵攻によって、終戦間際に戦死した四男の征四郎。サラリーマン風の男たちはおそらく、戦時の物資調達のため戦時徴用商船に乗船したまま雷撃で()った三男の征三郎。復員の数年後、瀬戸内海で浮遊機雷との触雷(しょくらい)事故で死亡した五男の憲吾。傷痍(しょうい)軍人として除隊後、四日市空襲で焼死した六男の兼六あたりではないかと語った。

 桜は補足する形で、曾祖父(そうそふ)の代は九人兄弟のうち六人が戦争絡みで死んだ、と淡々と口にしている。

 

「あれー。朱音にナタリア、何しとんの」

 

 一夏が答えに窮していたところ、箒を解放した桜が上機嫌に相好を崩しながら声をかけた。

 

「ピウスツキさんが無理矢理……」

「浮かれた様子でふらふらほっつき歩いとったから、気になってついてきたばい」

 

 ナタリアの外見から予想だにしない言葉遣いが飛び出したので、鈴音はぎょっとして彼女の口元を凝視する。

 一夏は思い出したように鈴音に向かって声をかけた。

 

「ところでさ。鈴、さっき何か言いかけてなかったか」

 

 鈴音は言葉を交わす桜たちを見やった。ナタリアの胸部に視線を落として真っ青になり、朱音の胸部に目を移すや悔しげに「ぐぬぬ……」とつぶやき、桜の胸部を見てほっと胸をなでおろした。

 

「鈴?」

 

 鈴音の百面相を不審に思った一夏は心配そうに顔をのぞき込み、彼女は我に返って取り繕うように早口になった。

 

「ちちち小さくたっていいんだからねっ」

「は? 鈴、いったい何を」

 

 発言の意図が分からず首をかしげる一夏を見て、鈴音は顔を真っ赤にしてせき払いする。

 

「あたしが何を言おうとしていたか、だったわよね」

「ああ」

「宣戦布告よ。クラス代表戦は負けないからねって言おうとしたの。専任搭乗者である以上、勝ちに行くわ」

 

 鈴音は自己主張の乏しい胸の前で腕を組み、鼻を鳴らした後は自信に満ちた表情に一変していた。

 

「一組が専用機持ちだからって楽勝なんて言わせないわよ」

 

 鈴音は、専用機の専任搭乗者がクラス代表を務める一組と二組が優勝候補であるかのような物言いをした。これは鈴音がクラス代表の役目を移譲されたときに、四組はクラス代表として日本の代表候補生を擁立したが、専用機の受領が企業側の都合で遅れたことにより、打鉄で出場することになったという話を耳にしたためだ。本国にいた頃から開発遅延のニュースが流れていたので当然の成り行きだと感じていたが、少なくとも四組のクラス代表が実力を発揮するのは難しいだろう。三組については、ずぶの素人がクラス代表の座に収まったことからして早々に優勝候補から除外していた。

 つまり、鈴音にとって脅威となるのは一組だけである。この時点で、桜が入試で試験官を追いつめたという噂を耳に挟んでいたが、根拠のない眉唾な話だと思っていた。

 

「まあ、四組は日本の代表候補生だから、打鉄でも気をつけるべきだと感じてはいるけど。三組は……」

 

 鈴音が(あざけ)るように鼻で笑った。そのことに一組の生徒は誰も気にとがめるような素振りを見せなかった。

 ――まあ、普通そうやろな。

 桜は鈴音たちの反応を見て、三組の評判を改めて思い知らされた。

 鈴音のいかにも挑発するような態度を目の当たりにしても、桜はあいまいな顔つきでいた。どう言い返すか言葉を選んでいたら、朱音とナタリアの視線に気づく。ふたりは桜を見つめて厳しい表情を浮かべている。

 

「メガモリ言ったれ」

「桜、ここは一言」

「ふたりとも……もしかして期待しとんの?」

 

 桜はふたりが機嫌を損ねながらうなずいて返すさまを見て、大きく息を吐いた。何だか喧嘩(けんか)を売るみたいで気が引けた。

 

「お二方(ふたかた)、盛り上がっとるところ申し訳ないんやけど……三組も専用機が来たんや。せやさかい楽勝と言うのは語弊(ごへい)があってな」

「アンタ、名前とクラスは?」

「一年三組佐倉桜」

「ふうん。アンタが三組のクラス代表ね。で、搭乗時間は?」

「そこに立っとる織斑よりも少ないわ」

「思い切り素人じゃない」

 

 搭乗時間のことを言われると立つ瀬がなかった。代表候補生ともなれば総搭乗時間は四〇〇時間を超える。桜は経験上、搭乗時間だけで実力を測ることができないことをよく知っていた。しかし、生まれたばかりの(ひな)が親鳥に勝てる道理はない。

 それに桜は、朱音よりも操縦センスが劣っているのではないか、と感じていた。五分間の鬼ごっこで一度も朱音の体に触れることができなかった。過去に培ったマニューバを試したが、背中に目でもあるのか、と思わなければ納得できないような動きでいとも簡単にすり抜けてしまった。

 ――もしタッグマッチがあったら、朱音を突っ込ませてロッテ戦術を使ったら、結構ええとこ行けるんやないの。

 鈴音がじっとにらんできたので、桜は泰然とした態度のまま考え事をしていた。

 

「メガモリは普通の素人やなか。織斑は特殊な事例やけどメガモリが専用機がもらえたことが、どうゆうことかわかってなか」

「彼女のISはものすごーく強そうだったから。白式どころか甲龍にも勝るくらい威圧感がものすごかったから、見たら腰が抜けて動けなくなっちゃうんじゃないの?」

 

 気がついたらナタリアと朱音が好き勝手に(あお)っていた。

 ――ちょっ……ふたりとも何を言っとるんや。

 ふたりは嘘をついてはいなかった。桜が専用機をもらえたのは偶然相性がよかったからだ。朱音が鬼ごっこの時、頭部レーダーユニットを爛々(らんらん)と輝かせた打鉄零式が、凄まじい勢いで迫る姿に肝を冷やしたのもまた事実である。

 ナタリアが再び桜を向き直るや、「打ち合わせ通りに頼むわ。悪役っぽく(つや)つけすぎでよかよ」と耳元でささやいた。

 ――んなもん、聞いとらんわ。打ち合わせって何やあ。

 桜は困惑してナタリアを見つめる。すると彼女は親指を立てて輝くような笑顔を見せた。桜は話が通じないことを悟り、仕方なく朱音にすがるような視線を向ける。

 だが、朱音は一歩を踏み出す勇気がほしいものと勝手に勘違いして、桜の背中をそっと押したにすぎなかった。

 桜はそのまま一歩前に出てから不安そうにふたりを顧みる。するとふたりが何かを期待するように目を輝かせたものだから、仕方なく覚悟を決めた。

 鈴音を見据え、胸を張って深呼吸する。

 ――ええい、ままよっ!

 桜は清水の舞台から飛び降りるつもりで啖呵(たんか)を切った。

 

「三組は負けん。それどころかこてんぱんにして勝ったるわ!」

 

 こうして三組は、一組と二組同時に宣戦布告と相なったのである。

 

 

 大見得を切ったからには勝たねばならない。負ければ笑い者だ。

 放課後になって、桜は第三アリーナの隅でひっそりと打鉄零式を実体化させた。

 ――さて、篠ノ之さんのお祓いの効果はどんなもんやろ。

 桜は昨日、突如として出現したアレが悪霊であることを密かに期待していた。仮説が正しければ一時的にせよ、桜の周囲から悪霊も去ったことになる。

 さて、桜の専用機実体化に至るプロセスを傍目から観察すると、細くて黒い触手に全身をからめ取られているかのように見える。四菱の特殊繊維技術だと知っていればどうってことはないのだが、偶然その光景を目撃したセシリアは、つい(みだ)らな想像を働かせてしまい、恥じらうあまり頬を真っ赤に染めて、桜の姿をそのまま直視し続けることができなくなってうつむいてしまった。

 

「相変わらず名称未設定は健在やな」

 

 桜は視野が明るくなってすぐ、メニューを確かめるなり独り言をつぶやいた。頭痛の種が消えていない事実を嘆き悲しむように重苦しいため息をつく。

 桜は今のところ昨日のアレがいないことに安堵(あんど)していた。

 ――ただの映像やった。そうや、篠ノ之さんのお姉さんのいたずらや。きっとそうに違いなかったんや。……気を取り直して訓練しよ。

 桜はイメージ・インターフェイスを利用して貫手を打つため、指を伸ばして意識を集中する。

 

「人体に向かって貫手を使ってはいけませんよ!」

「ひっ……」

 

 桜は思わず生唾を飲み込んだ。

 得体の知れない何かが悪霊である、という仮説が否定された瞬間だった。

 ――ななな何でおんの!

 桜はうろたえ、叫びそうになるのを必死に堪えた。これが反露出型装甲ならば、取り乱す姿が露わになっているところだが、全身装甲のおかげでその様子を外からうかがい知ることはできなかった。

 

「田羽根さんを無視するなんていけませんよ!」

 

 画面の中央に出現した二頭身キャラは篠ノ之束博士をデフォルメした姿で、なぜかIS学園の制服を着用していた。丁寧に青いリボンを身につけており、腰まで伸びた髪を紫色に染め、たれ目気味でふんわりとしたマシュマロのような雰囲気を醸し出していた。妹の箒は抜き身の刃の様な女性だが、姉はとらえどころのない(かすみ)の様である。

 

「あ、悪霊やなかったんかっ」

 

 桜は心の支えであった仮説を崩され、上擦った声を出した。

 

「ハハハッ。田羽根さんを悪霊呼ばわりするんですね! 田羽根さんはれっきとしたプログラムですよ!」

 

 田羽根さんは腰を折って人差し指を突き出して「メっ」と口に出した。すると指の腹が拡大表示され、渦巻き模様が目に入る。

 

「プログラムやと……篠ノ之博士が作ったんか」

「いえ~す。本機開発にあたって、博士は自主開発した田羽根さんを提供したのですよ!」

「ちょっと待って。名前はGOLEMやないんか」

「GOLEM? それは開発コードですね! 田羽根さんはGOLEMシステムが提供する機能の一部ですよ!」

 

 桜は甲高く耳に響くその言葉を聞いて、呆気にとられながらも頭を働かせようと必死になった。田羽根さんは大きな目をくりくりさせて桜の言葉を待った。

 

「まさか……米国とイスラエル共同開発中の試験機にも同じもんが入っとるんか」

「いえ~す。GOLEMシステムが提供されているのは事実ですね! でも、あの機体には田羽根さんはいませんよ。その代わり穂羽鬼(ほうき)くんが入ってますね!」

 

 桜はISを身につけているにもかかわらず、頭痛がしたような気分になり額に手をあてていた。

 ――まさか……。

 桜は勇気を振り絞ってその懸念を口にした。

 

「まさか、田羽根さんは他にもおるん?」

 

 すると田羽根さんは、腰に両手をあてて、したり顔でふんぞり返った。

 

「いえ~す。田羽根さんはたくさんいますよ!」

 

 ――こんな鬱陶(うっとう)しいのが他にもおるんやって……?

 桜は無数の田羽根さんが視野を埋め尽くす光景を想像して悶絶(もんぜつ)した。

 ――考えるんや。ISソフトウェアは非限定情報集積(アンリミテッド・サーキット)によって独自の進化を遂げると教本に書いてあったわ。GOLEMが基本システムなら、その上に乗っかるソフトウェアが自己進化して独自に拡張されたとすれば……。

 そして桜は田羽根さんがGOLEMが自己進化した個体のひとつだと仮定した。田羽根さんの他に穂羽鬼くんなる個体も存在するのだから、根本のシステムは同じでも機能に個体差が生じている可能性があった。

 田羽根さんは中央に居座り続けるのは邪魔になると思ったのか、隅に移動してからどこからともなくちゃぶ台を取り出して勝手にくつろぎ始めた。

 桜はその様子を見て情報収集を試みようと決心した。

 ――質問したら律義に答えてくれるんや。もっと聞いて堀越さんに調べてもらわんとな。

 

「な、なあ。田羽根さんは何ができるん?」

 

 田羽根さんは名前を呼ばれてうれしそうに飛び跳ねる。

 

「搭乗者の操縦支援ですね! たとえば、もしも飛行中に眠くなったら田羽根さんにお願いすれば自動操縦で飛行を続けますよ。火器管制システムを田羽根さんが扱えるよう許可を与えてくれたら、相手をばっちり撃ち落として見せますよ! 他にもISを使っていろんなことができますよ!」

「自動操縦は便利やな」

「他にも、さっきみたいに貫手を人体に向けないよう注意するのもお仕事のひとつですね! くれぐれも貫手を人体に向けて使ってはいけませんよ! 結果を保証できませんよ!」

「どういうことや」

「どうもこうもないのですよ! 人体に貫手を使えば恐ろしい結果が待っています。どちらにせよ人体に向けて使った時は田羽根さんが阻止しますよ!」

「ISにはシールドがあるんやろ。貫手なんかただ物理攻撃やないか。どうせ弾かれて終わるんやないの」

「甘いですよ! 武器を人体に向けてはならない。人命優先。これは大原則ですよ!」

「せやったら、他の実弾兵器や荷電粒子砲みたいなエネルギー兵器を使った場合はどうなんや」

「それらはシールドで弾かれますよ! 相手のシールドエネルギーがたくさんあるうちはじゃんじゃん使ってくださいね!」

 

 田羽根さんは矛盾を口にしていた。飛び道具は良くて、貫手はダメだという。桜はもう一度同じことを聞いたが、やはり答えは変わらなかった。

 

「そうでした。そうでした。これを伝えるのを忘れていました」

 

 田羽根さんは独り言をつぶやきながら制服のポケットに手を突っ込んで、何かを探すようなしぐさをしてみせる。程なくポケットの中から自動車のナンバープレート程度の大きさの白い板を取り出した。板には英数字が書かれ、その左側に「Ver」記されているのを目にした。

 

「バージョン情報?」

「田羽根さんはISのコア・ネットワークを介してバージョンアップするように設計されていますね。マイナーバージョンアップの場合はバグ修正とか小さな機能の追加ですよ。他の田羽根さんや穂羽鬼くんが見つけたバグ情報を共有して直せるものは直していきますね。詳しい内容を見たいときは田羽根さんにお願いしてくださいね。誠意を見せてくれたら答えてあげますよ!」

 

 田羽根さんは二頭身故にまっ平らになった胸を誇らしげに張り、ひとりで(えつ)に入った。

 

「田羽根さんのメジャーバージョンアップは篠ノ之博士の判断で提供され、搭乗者の同意によって実行されます。大きな機能追加があった場合など、田羽根さんが大きく変化するらしいですよ! 詳細はよくわかりませんね!」

 

 

 桜は気を取り直してISの操縦訓練を再開した。田羽根さんの謎は聞けば聞くだけ深まるので、性急に進めず、時間をかけて根ほり葉ほり聞きだそうと思った。一応、今日聞いた内容は堀越たちに報告するつもりでいた。

 桜は白式に向かって試しに貫手を使ってみようと思い立った。しかし、意思に反して腕が硬直してしまい、動かすことができなかった。

 

「せっかく注意したのにさっそく試そうとしましたね! 危険行為は田羽根さんが未然に防ぎますよ!」

「ハハッ。ほんまに止めるんか、確かめたかっただけや。実際に使おうとは考えとらんよ」

 

 仕方なく視野に他の生徒を入れないように壁を向いて貫手の素振りを行い、非固定浮遊部位(アンロックユニット)とマニピュレーター間における後付武装(イコライザ)転送の反復練習を実施した。

 

「穂羽鬼くんの記録の足元にも及びませんね。初心者だから仕方ないですけどね!」

 

 どこから入手したのか、穂羽鬼くんの記録を持ち出し、(つか)に汚い字で「たばね」と書かれた竹刀まで手にしていた。量子化・実体化の速度を比べては小言を言ったり、イメージを形作るプロセスの改善を提案してきたのである。

 桜は素直に従った。従わないと田羽根さんが甲高い声で騒ぐのも理由のひとつだが、穂羽鬼くんの主はとても優秀らしく、今の桜ではどうやっても記録に届かなかった。そして鬱陶しいとはいえ、田羽根さんの言うことを聞くと記録が伸びる。桜はIS搭乗者のノウハウをこっそりのぞき見するような気分に陥った。

 

「成功イメージが明確になったら反復練習を繰り返しましょう。目をつぶって動けるようになるまで繰り返さないとだめですよ! 腕一本がもげても、肺に穴が空いて今にも死にそうな状態に陥っても正確に動けるよう、体に覚えさせなければ意味がありませんよ!」

 

 桜は反復練習の効果について異論はなかった。けがの功名だが、海軍では「不時着や空中脱出の極意なら佐倉に聞け」と有名だった。それだけ日常茶飯事のように撃墜されたり、致命的な故障が発生しては落下傘のお世話になったり、海原に不時着水しては駆逐艦に、野原に不時着しては陸軍に拾い上げられてきた証拠である。

 田羽根さんは桜の集中力が落ちてきたと察するや、揉み手をして()びるような声で気分転換を申し出た。

 

「お疲れですか? そんなときは良いものがありますよ」

「……胡散臭(うさんくさ)いものじゃなければ」

「ひどい言い草ですね。田羽根さんは搭乗者にご奉仕するのがお仕事ですよ。調べてみたらこの機体には滑空ユニットなるパッケージが標準搭載されていますね」

 

 よく見れば田羽根さんは赤縁メガネをかけて、(へり)を指の腹で押し上げている。篠ノ之博士が視力が悪いという話を聞かないので、おそらく伊達(だて)メガネだと推測した。

 

「滑空……ああ、前に曽根さんが言っとったな」

 

 桜は曽根の顔を思い出しながら答えた。

 

「このパッケージを使って空を飛んでみるのはいかがですか? グライダーとはいえ、自由に空を飛べる機会なんてなかなかありませんよ」

「ええかもしれんな」

 

 桜は相づちを打った。そして田羽根さんがPICを有効にするのを見て声を上げた。

 

「待って。PICは私が合図したら切ってほしいんや」

「なぜです? PICを使わずに飛行するとか自殺行為ですよ!」

「搭乗者の矜持(きんじ)の問題や。地面とキスしそうになったら田羽根さんの判断でPICを有効にしたらええ。そんで問題ないやろ」

「もちろんですよ! 田羽根さんなら完璧に制御してみせますよ!」

「期待しとるわ」

 

 桜は田羽根さんがちゃぶ台の前で正座するのを見届けてから、風下へ壁伝いに移動した。桜はハイパーセンサーを利用して風量や風向の情報を入手する。IS学園は海辺にあるためか風と潮の匂いが強かった。

 パッケージは搭載すると拡張領域を消費するのは後付武装と同じだが、用途が異なり、ISの機能強化を目的としている。たとえば打鉄用としてよく知られている災害支援用のロボットアームパッケージがある。余談だが、このパッケージを装備すると打鉄の拡張領域をすべて消費してしまう。すべての後付武装を取り除いてからでなければ装備できない仕様となっている。

 桜は初回なので滑空パッケージをメニューから呼び出した。数秒後には背中に巨大な主翼や尾翼が出現した。堀越たちの説明を思い出しながら主翼を広げる。設定メニューが存在することに気づき、「推進力あり」という項目を有効にした。

 すると背中が引っ張られるような重みを感じ、前のめりになって踏ん張りながらハイパーセンサーを使って背中の映像を取得し、灰色のシリンダー状になった太くて長い加速用スラスターを目にした。

 ――双発か。

 桜は広げた主翼に注意を配り、フラップの正常稼働を確認する。補助翼の状態も確かめる。

 PICを使って機体を地面から数センチだけ浮かし、PICで姿勢制御を行った。

 そして推力周りのあれこれを田羽根さんに任せ、その手順をなぞるように繰り返しながら、風の状態を読んでいた。桜から見て正面の進路上に訓練中のISがいないことを確かめる。さらに同じアリーナにいたセシリアや一夏たちに向けて開放回線で桜が言う進路に入らないよう注意を呼びかけた。

 向かい風が吹いた。スラスターを噴かし、田羽根さんが推力の増大を知らせた。桜は操縦桿を前に倒すイメージで機体を滑らせ、速度が上がるにつれて尾部が持ち上がるのを感じると水平飛行し、そして急な角度で上昇していった。

 

 

 



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某国の密偵疑惑(八) 事情・上

少し長くなったのでキリの良いところで二分割しました。


 一〇二六号室。壁際に配置された机に向かい、顎をやや上向けた壁に一枚の御札が貼られていた。

 悪霊退散。

 高級ホテルと見紛うほどの内装とはあからさまに不釣り合いの文字だ。この部屋を訪れた者は、御札を見るやそろって顔をしかめる。事情を知る者は限られており、知っていたとしても超常現象や迷信の類だと片付けてしまいたくなる。だが、少なくとも二人の居住者にとって御利益があるものとされていた。

 この部屋の住人である本音は同じくIS学園に在籍する姉に対して「暗部に言霊(ことだま)を検証しているグループが存在していたと記憶している。その研究成果について何か知らないか」と質問したことがある。言霊と書けばオカルトのような響きがある。しかし霊的な何かを追い求めてはいなかった。社会に対して言語を用いた印象操作を研究するグループで、表向きは広告代理店ということになっている。最近は広告代理店が好調なので、研究よりもむしろ隠れ蓑のほうに精を出していた。本音はこの質問に現状を打破するささやかな期待感を抱いていたのか、実態を聞いた途端肩を落とした。姉はさすがに心配になって妹の愚痴を聞くなど親身に接していた。

 もうひとりの住人である桜は、本音の前で机に課題とノートを広げている。数式と関数電卓を交互に見てはあーでもない、こーでもないとしきりにうなっていた。頭をひねりながら何度も関数電卓をたたく仕草からしてことから、どうやら課題の計算手順を誤ってしまったらしい。手計算の結果に食い違いが発生している事実への原因究明に取り組んでいたのだが、どうにも解決手段が思い浮かばない。仕方なく、同じ課題に取り組んでいた本音に助言を求めた。

 

「ここなんやけど、計算が合わへんの」

「あっ。そこはね……」

 

 桜の目から見て、ルームメイトの本音は少々変わった性癖に目をつむれば、気立てのよいほんわかとした女の子である。出会った初日にやらかしさえしなければ、彼女が時折見せるわずかなぎこちなさが消えていたのかもしれない。

 ――ぎこちなさと言えば。

 本音の指先が目に入った。彼女は普段から手首から先を隠したがった。この時は腕まくりしていたので、桜が注意を払って見つめると、彼女の指先には古傷とおぼしき裂傷の痕跡(こんせき)が残っている。

 本音はときどき学校説明会で見かけた警備員たちのようなしぐさをする。

 ――数十年も経過すればいろいろ混ざるんやろな。

 ISで取っ組み合いをすることがあるので、対人格闘技を習っておいて損はない。本音の腕前はかなりのもので、桜は実際にいとも簡単に組み伏せられて痛い思いをしていた。

 ――本人はもっと痛い目をしたんやけど……。

 物理的にではなく精神的なものだ。桜のちょっとした勘違いが発端なので同情の余地があった。

 この状況を作り出した犯人、すなわち一〇二七号室の櫛灘のことを、本音はこっそり「デビル」というあだ名を付けていた。もちろん良い意味ではないのだが、本音の被害者意識からすれば妥当(だとう)な呼び方だった。

 その後、彼女が本当にそっちの気があると打ち明けられた時はびっくりした。複雑な気分ではあったがうれしくもあった。もしもこの身が男ならばぜひともお付き合いしてみたいものだ。本音の思いを今すぐ受け入れたときのことを想像した。愛情ではなく同情だと悟られて友人関係にひびが入るかもしれない。うかつに答えることができなかった。百歩譲ったとしよう。行きずりならば寝所を共にして快楽に身を委ねることができるかもしれない。だが、三年間は付き合うことになる仲間と肉体関係を持つのはいかがなものか。

 桜と本音がわからないところを互いに教えあう形で、淡々と課題をこなしていった。気がつけば、そろそろ正午という頃合いだ。昼食が恋しくなる。桜の頭の中は土曜のランチのことでいっぱいになっていた。

 そのとき、桜の携帯端末に着信があった。マナーモードに設定していたので断続的なバイブ振動が机を小刻みに叩いて騒々しい。誰かと思い、手に取ってみれば、画面に佐倉奈津子と表示されている。

 

「奈津ねえやん。なんやろ」

 

 そのまま通話ボタンを押して、携帯端末を耳に当てた。

 

「もしもしー。奈津ねえ。電話なんかしてどうしたの」

「ちょっと聞きたいことあって電話したんや。サク、最近調子はどうなん」

「最高や。この前久しぶりにお(はら)いしてもろうてな。なんだか肩が軽くなったんや」

「あんた。また神社に行ったん」

「ちゃう。ちゃう。同級生にな。実家が神社の子がいてな。その子にお願いしたんや」

「別にええけど。小学生になる前やったか。あんた、津の神社に行ったら突然、時代がかった男みたいなしゃべり方しとったから、また周囲を驚かせとるんやないの」

「ま……まさかー」

 

 幼い頃から行動を共にしていたせいか、奈津子の勘の鋭さは際だっていた。

 桜は目元が引きらせ、肩を大きく揺らす。努めて何事もなかったかのように取り繕いながら、本音を一瞥していた。

 

「そう? 最近はそうでもないけど、サクってひとりぼっちになると泣くか動揺して俺と貴様……みたいな言動になるから。泣くのは構へんけど、なりきりは周りが引くからやめた方がええよ。前に見たときは思い切り引いたわ」

「奈津ねえ。それって小学校のときの……あれ、見てたの!」

「物陰からこっそりな。いたずらのつもりやったけど、あんたが変なこと口走るから出られんかったわ」

 

 桜は恥ずかしさのあまり大声を出した。そうかと思えば赤面して目を泳がせた。

 ――奈津ねえに見られてた?

 あの時はどこかに自分の名前がないか探したのだ。仲間たちが命を散らした事実の痕跡が残っているかどうか、それだけを確かめたくて、桜ではなく作郎として言葉を発したのである。

 

「で、奈津ねえの聞きたいことってこれなん?」

「ちゃうわ。さっきな。あんたの部屋掃除したんやけど」

「ええ! 勝手に部屋に入らんでよ……」

 

 電話越しに桜の動揺が伝わったはずだが、奈津子の声はいつもと変わらなかった。

 

「前に私物をまとめて寮に送ったやろ。そのとき私があんたに、と思って段ボールに入れたはずのよそ行きの服が出てきてな。気になって私の部屋の押入を調べたら、預かっとったゲームのコントローラやったか。海外から贈られてきたやつが消えとったんやけど」

「何のこと? ワンピースとか靴とか私知らんよ」

 

 桜はとぼけた振りをして、奈津子が言わなかった事実までも口走った。

 すぐさま奈津子のため息が聞こえてきた。

 

「ワンピースなんて言っとらんよ。ええわ。あんたのことやから、どうせ、とっくの昔に浮かれていつものやったんやろ。引かれても知らんわ」

「奈津ねえ。幸い、ルームメイトは心が広い子でな。見なかったことにしてくれとる」

「それ手遅れやないの。まあ……勉強をおろそかにせんかったら好きにしたらええわ」

「ほんま? 私な。ずっと、奈津ねえこと大好きやった。結婚してもええくらい愛しとるんや」

「調子に乗るんやないの。あんたから愛の告白されたの何回目やと思っとるの。そんでGWはどうするん? うちに帰る?」

「学校に残るわ。やることようさんあるし」

「わかった。お母さんやお父さんには私から伝えとく。安芸ねえにもメールしとくわ」

「おおきに」

「それじゃ。サク、くれぐれも女の子らしくしてな」

「わかっとるよ。奈津ねえも過度なダイエットには気いつけてな」

 

 

 奈津子との電話を終えた桜は、思いつきで土日にアリーナが使えるかどうか問い合わせた。休日出勤していた先生が電話に出てふたつ返事で許可が出た。しかも訓練機まで使えるという。

 その後、食堂で千冬の姿を見つけ、桜はあることに気がついて肩をすくめた。

 

「織斑先生に聞けば電話する手間が省けた……」

 

 桜の電話に対応した教員は柘植(つげ)と名乗った。二年のIS理論を受け持つ女性教諭だが、ISの搭乗資格を持たない。その代わり幾つか著書を持ち、同好会扱いの勉強会を主催していた。桜は一度、勉強会に入らないか誘われたことがある。

 桜は午後はアリーナで過ごすつもりだった。いつものようにライスのメガ盛りを頼んで腹ごしらえを済ませた。食堂を観察し、おしゃべりに興じていた朱音ら三組の生徒を見つけて歩み寄って、ISが使えそうだから、と前置いて第二アリーナへ誘った。

 第二アリーナへの道すがら制服姿の一夏と箒の姿を見かけた。一緒についてきた本音の話では、一夏はずっと外出許可が下りず学園島に軟禁状態だとか。白式を受領してからは、気分転換をかねてISに乗りに来るのだという。

 

「織斑も難儀しとるんやね」

 

 桜は同情のつもりでコメントを返した。先日のお祓いに立ち会ってから一夏が寝不足気味になっていることも知っていた。もちろん自分も面倒なことに巻き込まれているとは、まったく気付いていない。

 

「確か、ピットに柘植先生がおるから、IS使うって先にあいさつせんと」

 

 桜がメモを見て、アリーナ内の地図を探してきょろきょろとあたりを見回した。

 朱音やナタリア、本音も桜の動きにつられて首を左右に動かす。

 

「あれじゃないかな~。案内板があるよ~」

 

 本音が指し示した先には、ピットへの矢印が書かれていた。

 ピットのすぐ隣にIS格納庫があった。つなぎ姿の生徒やクリップボードを片手に持ちながら白衣を身に着けた生徒が何やら忙しそうにしている。だが、一行は予想外の場所に出たことに困惑を隠せなかった。

 先導した桜は頬をかきながら肩をすくめ、愛想笑いを浮かべた。

 

「曲がるの、早かったみたい」

「もー何やってるの」

 

 朱音が桜をせっつく。その横で本音が扉の横の案内板を見て、格納庫からピットに抜けられそうだと気付いた。桜はチラと案内板を指さす本音を目にして、むすっとした顔の朱音たちに向かって笑ってごまかし続けた。

 

「せっかくやし、見学ついでにぐるっと回ろか」

 

 桜が奥に鎮座するISを指差しながら、みんなに提案した。桜が示した先には見慣れぬISが整備を受けていた。朱音やナタリアをはじめとした生徒は、雑誌やカタログでしかお目にかかれなかった機体を目にするや、興奮を隠せないでいたのである。

 

「テンペスタ。コールド・ブラッド。ミステリアス・レイディ。多脚型? 見たことがない機体まである」

 

 朱音がそれぞれの機体を指差し、歓喜のあまり声が震えている。ナタリアら留学生も同じで、思わず祖国の言葉を口にしていた。

 複雑な形状をしたスラスター。鱗状の半透明装甲。洗練された技術によって産み落とされた工芸品の数々。説明を受けなくとも専用機だと認識できた。そして徐々に、奥へ目を移すに連れて、装甲が単純な構造になっていく。武骨な金属の塊だ。四角いブロックを組み合わせたような形状は、訓練機だとしても量産を意識しすぎており、美しさの欠片(かけら)もなかった。

 格納庫はさながらISの展覧会となっていた。整備の邪魔をしないよう遠巻きに眺めながら歩いていく。ISの整備に当たっていた生徒も、桜たち一行に気がついて時折顔を向けることがあった。中には本音のことを知る生徒がいて、手を振ってきたので本音もその手を振って返した。

 桜は一番奥の機体を前にして首をひねった。

 専用機がもてはやされる要因のひとつに外見の格好良さ、華やかさがある。先日見かけたBT型一号機や白式は格好良い。模型を買って思い思いのポーズをとらせて一日中眺めていたいくらいだ。打鉄やリヴァイヴは華やかさにかけるとはいえ、コレクター魂をくすぐるものだ。

 ――うわあ……見るからに量産機や。

 目前の濃緑色のISは少しでも工数を減らすために、直線を多用しながら辺の少ないデザインを採用している。そして、どう見ても春雷一型にしか見えない太くて長い筒を右肩に背負っていた。背中には黒い装甲板で覆った巨大コンデンサ二基を横倒しになっておりケーブルでつながれていた。しかも多脚型である。

 ――携行電源……IS以外での運用も視野に入れとるんやろか。

 

「あなたが佐倉さん?」

 

 多脚型ISのすぐそばに立っていた四十路半ばの小柄な女性が桜に声をかける。灰色のスーツが一見地味に感じさせるのだが、控えめで抑えた雰囲気を醸し出している。若い頃は美人だったのだろう。ショートボブに切りそろえた髪は艶があり、整った目鼻立ちに薄化粧を施している。柔らかく微笑み、その顔つきは見る者を和ませた。

 

「そうや」

「さっき電話で話した柘植です。今日、アリーナとISを使いたいって言ってらしたから」

 

 その名を聞いた桜たちは教師だと気付いて姿勢を正した。IS学園の生徒で柘植の名を知らない者はいなかった。なぜなら、彼女が書いた教科書を使っていたので嫌でも目に入るからだ。

 桜は意識して言葉遣いを改めた。

 

「柘植先生でしたか。私は専用機があるので、ISを使うのは彼女たちになります。あのー。手続きは……」

「勉強会で確保した訓練機が二機あります。そちらを使用するなら手続きは不要ですよ。事後で構いませんから、使用者はこちらの用紙に学籍番号と署名を行うだけで結構です」

 

 柘植の説明に他の生徒がうれしそうに声を上げた。訓練機を使用するには複雑な手順を踏む必要があり、申請してもすぐに使えないことのほうが多い。署名だけで使用できる機会はめったになかった。

 

「ちなみに制限時間などはありますか? 勉強会でもISを使うんですよね」

「今日のところは、うちのISで間に合いますから心配せずとも大丈夫ですよ。ただ、あまり遅くまで残らないようにしてください」

 

 柘植は優しく釘を差した。

 朱音たち三組の生徒は元気よく返事した。そして誰が一番最初に乗るのか、輪になってじゃんけんし始めた。

 

 

 気がつけば、桜たちは延べ五時間も訓練を行っていた。はじめの頃は訓練機が二機しかなく、じゃんけんに負けた生徒は自分の番が来るまで手持ちぶさたにしていた。そこに柘植が欠員が出たと理由を付け、勉強会所属ISの使用許可を出した。おかげで一人あたり三〇分もの訓練時間を確保することができたのである。

 柘植はついでと言わんばかりに、勉強会所属ISとの鬼ごっこを持ちかけた。打鉄零式の運動性能を確かめ、勉強会所属ISを前にして桜たち一年生がどんな反応を示すのか興味があったからだ。

 柘植は企業から依頼を受けてISの運用実験を行っていた。勉強会が扱うISは多脚型や逆関節型、無限軌道など人型からかけはなれた下半身を持つ。部品点数が少なく、各部品の換装が極めて容易なことから整備員の受けが良い。

 解体を前提とされた第三世代実験機。これらは世界中から持ち込まれるISとの対戦データを収集し、次世代機への糧となることを運命づけられた実験機群だった。新世代機が生を受けると、実験機群は解体され、初期化される。世代交代のサイクルが短ければ解体までの期間も短くなる。

 偶然搭乗した生徒はその機体が最新鋭の実験機だと誰も気づかなかった。

 

「逃げ回るのが上手ですね! 追いかけるのは下手ですね!」

 

 桜が勉強会のISを相手取った結果、田羽根さんが下した評価である。

 勉強会所属ISは三次元空間にもかかわらず見えない壁を足蹴にするかのようにジグザグに動いた。多脚型などは実に不気味な動きだった。

 桜は一度も勉強会のISを捕まえられず田羽根さんからPICを使った三角跳びという奇妙な課題が出されることになってしまった。なお、勉強会所属ISの搭乗者は先輩だけあってこの機動を難なくこなした。技術面は目を見張るものがあった。しかし多脚型のためかタコが墨を吐いて逃げる姿を想像してしまい、目撃者全員が気味悪がっていた。

 

 

 時間が押しているため、書類の署名を終えた者から順番に解散することになった。本音は最後に署名した。ちゃっかり書類上は重機、実際はISに乗って鬼ごっこに参加していた。本音と対したとき、桜は風船のように宙を漂ってぎこちない動きを見せたにもかかわらず捕まえることができなかった。

 ――専用機をもらえるだけあるよ~。

 空間把握能力がずば抜けている。短時間で動きが修正され、洗練されていく姿に末恐ろしさを感じた。しかも、初心者は空を飛ぶことに本能的な恐怖をあらわにするものだが、空の中にいることが当たり前のような雰囲気を醸し出している。

 桜には初心者らしさがない。彼女は一夏と変わらぬ搭乗時間のはずだ。むしろ彼よりも周りがよく見えている印象があった。一夏の場合、セシリアや箒が教師役になるなど比較的指導者に恵まれた環境である。最近は二組のクラス代表も彼と旧縁があるらしく何かと構っているので、模擬戦の相手には事欠かないはずだ。本来、IS搭乗資格を持つ教員から指導を受けるのが正攻法だ。しかし、担任を持つ教員は何かと忙しく、生徒一人当たりにかけられる時間はそれほど多くはない。結果として指導者の代わりができる生徒が不在のクラスは、どうしても不利にならざるを得なかった。

 ――その点、三組は少しおかしいんだよね。

 三組でセシリアのような役目を担うことができる生徒はマリア・サイトウしかいない。ブラジルからの留学生で、搭乗時間は三組最長となる一五〇時間に達していた。

 だが実際には、専用機を受領してからISに乗り始めた桜が指導者の役目を担っている。マリアよりも熟練した動きを見せ、彼女を指導している。桜の態度は熟練者に見えたので彼女が初心者だという事実を忘れかけていた。

 ――彼女は視野が広いのかもしれない。イメージを正確に修正するのってものすごく難しいんだよ……。

 桜は従来の航空機との比較した例えを用いることがあり、総じて親切な説明を心がけていた。初心者が同じ初心者に向けてかみ砕いた教え方になるのがセシリアや箒との違いだろうか。

 ただし、その説明には常に田羽根さんの影があった。桜が気がついたところを田羽根さんに質問し、その答えを桜が理解してから他の生徒へ助言するという過程をたどっている。田羽根さんを認識できるのは残念ながら桜一人のため、本人の思惑をよそにコーチ兼選手のような立場として認識されつつあった。

 本音は整備科に用があったので、少しの間だけ格納庫に残るつもりでいた。学生証をかざして電子ロックを開け、格納庫へ降りると、桜が本音の後を小走りで追いかけてきた。

 

「本音。ちょっと待ってえ」

「なになに~」

 

 本音は瞬く間に表情を切り替え、足を止めて顧みるなりにこやかな表情を向ける。いつも通りの声音で、桜を警戒するそぶりなど微塵も表に出さなかった。

 

「本音って前にお姉さんが整備科言うてたやろ。せっかくやから整備科の人にあいさつして行きたいんやけど、誰か知り合いとかおらへん?」

「さっきお姉ちゃんを見かけたから紹介するね~」

 

 桜はむしろあいさつが遅すぎた位だと感じていた。ISの生命線を握ると言っても過言ではない整備員たちと親交を持つことは、稼働率だけでなく生存率向上にも役立つ。最高の整備を受けてもなお、不良品にあたる確率の高さをほんのわずかでも下げたかったのである。

 ISには自己修復機能がある。だが、奇妙なことに人の手を介して調整が行われる。初期化・最適化、一次移行・二次移行……と、ISコアは搭乗者の特性に合わせて自動的に機体の形状や能力ですら変化させるものだ。それでも人間の目や手を介さなければ、いつかは動かなくなるのだ。

 ――本音のお姉さんはどんな人やろか。

 桜は二つの期待を胸に抱いた。ひとつは三年整備科主席がいかなる人柄なのか。もうひとつは本音と姿や雰囲気が似ているかどうか。

 本音はほとんど当てずっぽうに歩き、ミステリアス・レイディの元へたどり着いた。

 眼鏡を掛け、長い赤毛を後ろで一つにくくった女性はどこだろうか。本音はきょろきょろと左右を見回して姉の姿を探す。

 

「お姉ちゃん」

 

 見覚えのある大人びた雰囲気の女性。投影モニターに向かって前屈みになって、画面に表示された値を指差す。キーボードを操作するつなぎ姿の女性と画面を見つめたまま会話している。

 本音の呼びかけに気づいて背筋を伸ばした女性を眺め入って、桜はスーツの方が似合う、と気付いた。

 本音は再度姉に向かって呼びかけた。

 

「お姉ちゃん」

 

 布仏虚が振り返ったとき、妹の隣に引き締まった体つきの少女が立っていることに気がついた。彼女の名前を楯無の口から何度発せられたか分からない。

 ――写真で見るより美人ね。

 虚は桜の姿を認めた。一瞬だけ品定めするべく目を細め、すぐに何事もなかったかのように笑顔で本音たちの側へ歩み寄った。

 

「本音じゃない。訓練終わったの?」

「そうだよ~」

 

 桜は布仏姉妹を見比べていた。顔の造形が似ていた。緩そうな本音よりも、年相応に大人びて上品な雰囲気を醸し出している。

 桜は自分が緊張している事実に気づき、そっと胸に手を置いた。脈がいつもより早かった。

 ――うわっ。めっちゃ美人や。

 そして緊張の理由に気付くと、桜はつい顔を赤らめてしまった。

 ――安芸ねえみたいなんが好き、思っとった。けど……ああ、私の好みが分からんようになってきたわ。

 

「本音。そちらは?」

 

 虚が顔を伏せがちにして緊張した面持ちの桜を見るや、本音に紹介するよう促した。

 

「この前話したルームメイトの子だよ」

「はじめまして。い、一年三組佐倉桜です。本音さんとは仲良くさせてもらってます」

「あなたが佐倉さん。私は布仏虚と言います。よろしくね」

 

 虚は桜に微笑みかけ、次いで本音を見やった。唇を半月形に歪め、意地悪な顔つきになる。耐電手袋をはめたまま本音の手を引っ張った。

 桜は身内の話だと思って終わるまでミステリアス・レイディへ注意を向けた。

 

「本音。彼女が例の」

「う、うん」

 

 虚は少し顧みて桜を一瞥し、その視線がミステリアス・レイディへ吸い込まれていく様子を確かめてから、本音に向き直る。

 虚は普段通り笑顔のままである。が、本音は姉の瞳に生暖かい感情の色を帯びていると気付いて、苦笑いを浮かべて半歩後ずさった。

 汗が引き、せっかく貼り付けた笑顔が凍る。お互いにろくでもないことを考えている。

 それでも聞かずにはいられない。

 

「お、お姉ちゃん。あの話ってどこまで広がってるの」

「全学年と先生方にも。安心なさい。あなたのこと応援している子って結構いるのよ」

「面白半分に、だよね」

「一割は本心からよ」

 

 本音の噂は学園中で知らない者はいなかった。外堀どころか内堀も埋まっている。IS学園にいる限り本音はレズビアンとして過ごさなければならなかった。

 本音は桜に気づかれないよう背を向けてから眉根を寄せた。

 ――お姉ちゃんの前でも演技とか拷問だよ。おじょうさま~。

 本音は頭を抱えたくなる衝動を必死にこらえた。虚から視線を外せば、顔見知りの上級生が面白半分と言った風情で姉妹のやりとりを見つめている。

 彼女たちの顔を直視し続けることができなかった。本音は諦観の念を胸に抱く。それでもなお、桜に想いを寄せる女の子を演じ続ければいつか報われることがあるかもしれない。淡い希望を抱いて踏みとどまることを選んだ。

 

「おじょうさまは?」

 

 本音は会話の流れを逸らすつもりで、ミステリアス・レイディの専任搭乗者の居場所を聞いた。

 

「休憩中。多分ピットの片隅か観覧席で報告書に目を通しているはず」

「ピットにはいなかったから観覧席だね~」

 

 本音が答える。生徒会の事務仕事は虚がほとんどやってしまっているので、桜や一夏の監視報告に目を通しているはずだ。

 桜は資材置き場の脇に身を潜めるように小さくなって、コールド・ブラッドの専任搭乗者を眺めていた。

 

「サクサク~」

「話、終わったんやね」

 

 本音は桜の横に移動して腕を絡める。桜の方は本音が体を押しつけてくることに慣れてきて、最近は動じなくなってきたが、この時は違った。

 

「あっ……」

 

 桜は本音の弾力に富んだ触り心地を意識したのか真っ赤になった。

 ――おや?

 桜の初な反応を見て、虚は意外に思った。本音のアプローチは空回り気味だと監視から報告を受けていたのである。

 ――実は案外うまく行ってる?

 まさか自分を意識して赤くなっているとは思いもよらず、若干見当違いの感想を抱いた。

 

「今日はあいさつだけ?」

 

 虚が固まっている桜に助け船を出した。桜は弾かれたように身じろぎして口を開いた。

 

「できたら整備科のみなさんに、私の機体をみてもらえたらなって思ってます」

「もう少しいるつもりだったから、軽くパラメータの確認だけでもしましょうか」

 

 虚は手空きの生徒を数名呼んだ。中には打鉄零式は解体処分されたものと思いこんでいた上級生がいた。桜がISの名前を告げると、彼女たちは目を丸くした。早速実体化させ、幻惑迷彩に驚く先輩方を見やって、

 

「色、変えます」

 

 桜は格納庫で悪目立ちしても仕方がないから、という理由で全身の塗装を灰色に変えた。

 そして全身装甲を正中線で観音開きにして生身を半分露出した状態で整備科の作業を見守った。

 ISの端末接続用端子規格は事実上統一されていたことや、試験機ならではの思い切った設計変更が施されているとはいえ、基礎部分は打鉄と変わらないことから打鉄零式への端末接続は難なく終わった。

 学内ネットワークに接続し、整備科用にカスタマイズされたターミナル・エミュレータを起動した。コマンドラインでの操作は手順が少ないこともあって好まれる傾向にあった。

 整備科の生徒が桜に話を聞きながらコマンドを打ち込む。打鉄零式の仕様一覧を取り出し、他のISのものと値を比較表示する。

 整備科の面々と本音は肩を寄せ合い、打鉄零式の開発陣があの手この手で図った性能向上の結果を見つめていた。

 桜は彼女らの様子を見守りながら、視野の隅っこで赤縁眼鏡をかけた田羽根さんがごそごそと作業しているのが気になった。

 

「田羽根さんは働き者ですよ!」

 

 独り言を言いながらちゃぶ台の上にノート型端末に向かって勢いよく打鍵している。

 ――うわっ。何やいらん機能がある。

 田羽根さんやちゃぶ台は3Dオブジェクトなので視点移動によって全方位から観察することができた。桜は視点をずらして田羽根さんの後ろから画面をのぞき込む。

 そこには、ノコギリとハンマー、電動ドライバーを腰にくくりつけた田羽根さんのアニメーションが映し出されていた。

 ――後ろ手に扉を開けて、こそこそ左右を見回して中に入って扉に鍵をするとか……それ仕事なん?

 桜は不思議に思って首をひねっていた。

 

 

 



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某国の密偵疑惑(九) 事情・下

少し長くなったのでキリの良いところで二分割しました。
最新話で直接本話に飛んだ方は、お手数ですが先に(八)のほうを読んで頂くようお願い申し上げます。

※注意※
今回はガールズラブ要素が非常に強いため、苦手な方は冒頭部分を読み飛ばしてください。




 桜と本音が更衣室に着いたときには、三組の生徒は誰も残っていなかった。すでに夕食の時間に割り込んでいるため、友情よりも食欲を取った結果である。

 ――二人きり。が、がんばらないと。

 ここで本音は妙なやる気を見せた。整備科の先輩方から別れ際に生暖かい応援の言葉をもらった。そして運良く楯無が姿を見せなかったことで本音の精神力はわずかだが回復の兆しを見せていた。

 

「えらい美人やったね」

 

 桜は先ほどから虚のことを褒めちぎっている。虚に初めて会った人は大抵同じような反応を示す。本音は何度も繰り返されてきた光景に慣れっこだった。

 ――みんなだまされてるよ。おねえちゃんは一度こたつに入ったら一生出てこないような人間なんだよ。

 本音は姉のだらしない姿を思い浮かべながら、上辺は相づちを打って自慢の姉だと褒めた。

 一方、桜は珍しくこの身が女であることを呪っていた。そして以前にも、真耶に同じような感情を抱いたことを思い出してしまった。節操なしに目移りしていると気付いたが、本音の手前言い出せるはずもない。

 ――お姉さんにまで懸想したなんて知られた暁には怒られるやろな……。

 桜は自分の着替えを取るべくロッカーを開けた。少し間を置いた後で隣でISスーツから腕を抜こうとする本音を見つめた。

 

「サクサク。どうしたの~なんだか真剣な目だよ~」

「あ、いや……何でもないわ」

 

 本音は動きを止めず、ISスーツを下腹部のあたりまで脱いだ状態で桜を見つめ返す。言葉を濁し、半裸になった本音から目を逸らす。顔を背け、着替えの手を止めた。その様子に本音の役者根性に火がついた。

 

「お姉ちゃん美人だったよね~」

 

 本音はロッカーからブラジャーを手に取った。その刹那、意地悪な顔つきになって考え事をするそぶりを見せ、ブラジャーから手を離す。先ほどから初な反応を見せる桜が気のない返事をして、ロッカーに目を戻したすきに肩を寄せる。艶めいた吐息を漏らし、桜の鍛え抜かれた背中に手を触れた。

 

「ちょっと()けちゃった」

 

 指先で桜の髪に触れ、耳を露わにして唇を近づけてささやいた。からかうようなしぐさを演じることは造作もない。機会があれば好いていることを印象づける距離感がちょうどよかった。

 

「ISスーツ……脱ぐ途中やろ。それ、女にくっつけるもんやない」

「意地悪」

 

 こういう時の桜は、本音を少し突き放したかのような物言いをした。だが、普段よりも恥じらいの震えがある。

 本音は好機と見て攻めた。桜に体重を預けた。桜の体がロッカーに当たった。本音ははだけた胸を桜の背中に押しつける。心臓の音が伝わる。桜は声を荒げたり、乱暴にふりほどこうとはしない。ただ、状況に戸惑って流されているように感じた。

 本音が続きの言葉を口にしようとした。

 そのとき、開けっ放しのロッカーの扉に肘が当たったような軽い音がした。桜と本音は一斉に物音がした方向を見やった。

 その人物を目にした瞬間、本音の顔が青ざめた。

 

「ええっと更識さんやったっけ。朱音のルームメイトの」

 

 簪はロッカーに置き忘れた荷物を取りに来ただけだ。

 幼なじみが半裸のまま同性を誘惑する姿を目にするとは考えもしなかった。

 簪の肩が大きく震えた。目元を潤ませ、半歩後ずさる。消え入りそうな声で「やっぱり……」とつぶやく。彼女の表情には何らかの仮定があり、状況証拠から確信に至る過程がその表情からうかがい知ることができた。

 

「……不潔」

 

 簪は厳しい表情で本音をにらみつけ、捨て台詞を残して踵を返した。大股で歩き去っていく背中に向かって、桜から体を離して手を伸ばすが、決して届くことはなかった。

 

「まって! かんちゃん!」

 

 ――あわわわ。かかかかんちゃんにみられた。みられちゃった。うわっ。うわわわ~。

 本音は他人から同情を買うほど激しく取り乱し、がっくりとうなだれてしまった。

 そして追い打ちをかけるように、ロッカーの列の間から箒が姿を現した。ずっと気配を消していたのか、滑るようにして足音を立てずに本音のそばまで歩み寄る。仏頂面になって眉根を寄せ、地面に拳を打ち付ける本音、そして口を半開きにして立ちつくす桜を交互に見比べてから、後ろを振り返った。

 

「行ったか」

 

 箒は荒々しく更衣室から飛び出していった簪の背中を見送って小さく独りごちる。

 箒もISスーツを身に着けていた。水着のように肌に吸いつく特性上、箒の早熟な女の肢体を隠す要素は存在せず、滑らかな繊維の光沢が年齢不相応な艶やかさを演出していた。

 箒は先ほどまで一夏の訓練に付き合っていた。以前は備品室だと思われる仮設男子更衣室へ一夏を案内し、自分は女子更衣室を利用していた。偶然簪の後をついて行く形で入室した。縁もゆかりもないふたりが互いに言葉を交わすことはなかった。

 少女の汗のにおい。これが男ならばまろやかな香りに鼻孔を刺激され、狂い猛るような興奮に身を委ねてしまうに違いない。

 箒はわざと大きく咳払いをしてふたりの注意を引く。隣人のよしみだから言わせてくれ、と前置き、本音が顔を上げたのを確かめてから口を開いた。

 

「布仏。恋愛の形は人それぞれだが、そういうことは自室でやってくれないだろうか」

 

 ――今まで通り女子更衣室を一夏に使わせるまねを続けていたら大惨事は免れなかっただろう。

 箒は前回の一件から時間が経過していたため、恋愛の形が歪でもそれを心の底から応援するだけの余裕があった。もちろん自分が恋愛対象となった場合は別だ。

 

「もちろん部屋でする時は布団をかぶるなりして、音漏れには細心の注意を払ってくれ」

 

 女同士のまぐわいに興味はない。だが、周り目があることを注意しておかなければならない。いつ何時、先ほどのような惨事が発生するとも限らないからだ。

 本音は親切心から出ている言葉だと分かっているだけに、何とも言えない気まずさを味わっていた。

 

 

 夕食を経てもなお失意のどん底にあった本音は、部屋着であるクズリの着ぐるみを着たまま楯無の部屋を訪ねていた。表向きは勉強を教わるためだ。本来の目的は楯無と監視状況について情報を共有することである。

 楯無にどうしても聞かねばならないことがあった。本音がやらかしたときに、楯無は自分から簪への説明を申し出ている。しかし、現実はどうだろう。簪は誤解したままで、それどころか声をかけても避けられるばかりだ。楯無の説明に疎漏があったのではないか。上司と言えど指摘しなければ気が済まなかった。

 

「それで、佐倉さんとの生活はどうなってるの」

 

 楯無は世間話をするかのような口振りだ。楯無のルームメイトはふたりに気をつかって、友人のところで一夜を過ごすと言って寝間着を持って出ていってしまった。本音の噂は学園内で知らない者はいない。恋愛素人の生徒会長に恋愛相談を持ちかけてきたものと好意的に解釈したのだ。生徒の悩みを聞き、相互に助け合うのも生徒会の役目である。

 

「おじょうさま。その前に、かんちゃんに私のことをどんな風に説明したのか教えてもらえませんか~」

 

 楯無は妹の名を出されて、にわかに表情を曇らせた。

 

「要点だけ淡々と伝えたわ。本音も知ってるでしょ。最近私とあの子の仲が悪いこと」

「知ってますけど、かんちゃんが勘違いしたままなのが気になって……気になって」

 

 本音の声が尻すぼみになって消えていった。先ほどの光景を思いだし、胸を締め付けられ、いくら我慢しても涙がこみあげてくる。

 簪はレズビアン設定を真に受け、深く誤解していた。もしも本音と二人っきりになった途端、桜のようにおいしく食べられてしまうのではないか。簪の反応を見るに、桜と本音はすでに深い仲になったと考えているのではないだろうか。

 楯無は軽く息を整えてから真面目な顔つきで諭すように告げた。

 

「本音は対象の監視任務についている。実は佐倉桜みたいな細身で、胸が小さな女の子が好きだという性癖に気づいてしまった。だから趣味と実益をかねて今の任務を全うするつもりだ……要約するとこうね」

 

 本音は身を乗り出し、楯無に向かって勢いよく指を突きつける。目を怒らせて鋭い声を放った。

 

「わかった! 犯人はおじょうさまだ!」

 

 楯無は犯人呼ばわりされる理由がわからず、ぼんやりとしていた。簪に対する説明は、敵を(あざむ)くにはまず味方から、と兵法の教えに従ったのだ。簪はもし有事となれば、性癖くらいで対応を変えるようなまねはしないはずだ。多少誤解させたままでも問題ないと判断していた。それに本音が好きなのは佐倉桜みたいな引き締まった体つきの子という設定だ。体を鍛えているので胸が無いのは当然のこと。簪は姉の目から見ても貧相な体つきである。発育が悪いことをコンプレックスのように感じていることも知っている。つまり、本音の好みから外れており、まかり間違っても簪に手を出すようなことはありえない。

 ふと楯無は妹に伝えた内容と、自分の意図を突き合わせてみた。そして一カ所ニュアンスが食い違う点に気付いて首をかしげた。細身と言えば、引き締まっているだけでなく単にやせているだけの場合も含まれるではないか。

 

「細身で胸が小さな子……だから簪は対象外のつもりだったけど、この言い方じゃ誤解するわね。あっ、ごめんね~。私の言い方がまずかった」

 

 楯無は顔の前で手を合わせる。笑いながら繰り返し謝罪の言葉を口にした。

 

 

 垂れ下がった袖口を振り回して怒りを表現した本音は、気分転換のため一度立ち上がった。息を整えながら背伸びをしたり腰をひねる。楯無は悪びれた様子もなく笑ったまま袖机からタブレット型端末を引っ張り出していた。机に置き、保存した資料を表示させるため、画面とにらめっこしていた。

 本音が不機嫌な顔つきのまま頬を膨らませて再び座った。楯無は背筋を伸ばして、まっすぐ本音を見つめた。

 

「幽霊騒ぎはご愁傷様。さすがに心霊要素が絡んでくるとは誰も予想できなかったと思うわ。よくがんばった」

「あんな経験はもうこりごりだよ……」

 

 まさかの恐怖体験である。箒は触媒として真剣を使い、人ではない何かをその身に降ろしたのだ。

 それ以来、本音は再び霊を目撃してしまうのかと思っておびえていたが、懸念したような出来事には遭遇していない。箒の言葉を借りればもともと見えないのだから当たり前だ、ということらしい。

 本音が顔を伏せると、ちょうど端末の画面が目に入り、箒の顔写真が貼られていた。

 

「これは?」

「篠ノ之箒について、ようやく政府の閲覧許可が下りた情報があって、その部分を加えた追加報告書よ。暫定版なんだけど見せるタイミングとしてはちょうどいいと思って」

「ふうん」

 

 本音は腕まくりして、端末に指を滑らせ、報告書のページを繰る。追記された部分が赤字で示されていた。

 

「結構追記されてるね」

「篠ノ之神社の成り立ちから郷土の伝承まで幅広く取り扱っているけど、どうもうちと同じく旧家の、面倒な因習を抱え込んでるみたい」

「巫子さんなんでしょ? お祭りで奉納舞を踊るんだって篠ノ之さんが言っていたよ」

「それもあるんだけど、大きく変更があった家族構成について復習しましょうか」

 

 楯無が家系図と転居一覧が掲載された部分を拡大した。政府の重要人物保護プログラムによって日本中を転々としていたのか、長ったらしい記述になっている。

 

「現在篠ノ之家は一家離散状態です。長女の束は住所不定。インターネットに接続可能な地域に住んでいることだけは確か。次女箒はIS学園預かり。母親は書いてあるとおり。ここが大きな変更点なんだけど、彼女の父親、柳韻は……」

 

 楯無が示した場所には赤字で「死亡」と書かれている。本音が目を通した旧版には生存しているはずだった。

 本音は眉根を寄せて楯無の表情をうかがうべく顔を上げた。

 

「あの~このことを篠ノ之さん本人は」

「その辺りはまだ調査中。知ってるかもしれない。知らないかもしれない。死因はガンだったらしいけどね。腑に落ちないのは、急死なのにすぐ荼毘(だび)にされた点」

 

 荼毘とは火葬を指した言葉である。

 

「重要人物保護プログラムの対象者なら検視くらいして然るべきだけど、彼の場合はそれがない」

「おかしい」

「そう。おかしいのよ。国内で組織が始末したならうちが知って然るべきなのに情報がない。情報を隠している」

 

 本音は端末をのぞき込み、ある項目に注目した。

 

「おじょうさま。篠ノ之家の惣領は誰になってるんですか~」

「今は空位よ。次女が成人次第、家督を継承することになってるようね」

「束博士は?」

「失踪前に権利放棄を明言している。それに二十歳(はたち)になってすぐ分籍している。それにしても次女の転居先を見てると、意図的に霊的な場所を選んだとしか思えないわ」

「つまり政府が巫子としての教育を施したってこと~?」

「そうなる。まったく何考えてるんだか」

 

 楯無はため息をついた。

 

「彼女についてはこれくらいね。わかってると思うけど今の話は他言無用だから」

 

 

 楯無は端末を操作し、今度は佐倉桜の顔写真が出す。ここからが本題である。

 

「先日報告があったシミュレーターの件だけど、調べてみたの」

「調査漏れの件だ。どうでした~」

 

 楯無は笑顔を浮かべて答えた。

 

「対象はとても言語能力が高いことが判明しました。開発企業主催の掲示板には英・西・露の言語で書き込みを行ってるわね。内容は質問とその回答だから大したことを書いてなかったし、スラングが酷くて……」

 

 楯無は何かを思い出したらしく、顔をしかめたが、すぐに気を取り直して言葉を続けた。

 

「彼女と比較的交流が多かったユーザーが判明したわ」

 

 楯無が端末を操り、該当の項目を表示させたので、本音がのぞき込んで順番に口にしていく。

 

「ケースオフィサー、トロイ、マ***ァッ**」

「最後のは口に出さない方が良いわよ……手遅れだったみたいね」

 

 本音は意味に気付きあわてて自分の口を押さえた。最近この手の罠に引っかかってばかりだ。文字を目で追っていく。ケースオフィサーは投資家兼航空機コレクター。トロイは知能犯として逮捕歴がある。現在は更正して今のところただのゲーマー。マ***ァッ**は調査中である。

 

「こんなに分かりやすく痕跡を残してるのに、どうして漏れちゃったの~?」

 

 楯無は依頼を遂行した民間調査機関の名誉のために理由を口にした。

 

「調査期間中の情報秘匿が完璧だったのよ。メールどころか、メモや噂のひとつもなければお手上げよ」

 

 楯無は天を仰いだ。あっさり自分から暴露した事実。桜にしては矛盾した行動である。虚から単にIS学園に入るための願掛けをしていたのではないか、という意見が出ていた。だが、受験だからと言って徹底して情報を秘匿するものだろうか。親しい友人に「●●を禁止されたんだ」とか「合格するまで●●はしないって決めた」と愚痴をこぼすのが自然ではないか。

 実際にはシミュレーターの話を知っていた友人ともども奈津子の指導が入り、「女の子らしくせな。普段から気をつけんと一番肝心な時にボロを出すんや。特にサクは昔っから運が悪いから。徹底的にやらんとな」という一幕があったのが原因である。奈津子が情報戦を理解していたのかは別として、桜たちの素材を活かすべく本腰を入れてお節介を焼いた結果、更識家が諜報(ちょうほう)戦で後手に回るという奇妙な状況が成り立っていた。

 

「次に虚に頼んで布仏の家に問い合わせてもらった結果を教えるわ」

 

 楯無が机の下から文庫本を取り出し、机の上に置いた。著者は夜竹という珍しい姓だ。

 ――クラスメイトと同じ名字。初日以来話したことないけど……。

 本音は促されるまま、文庫本を手に取って付箋を貼ったページを開く。集合写真を何気なく眺め、中央付近で目を止めるなり顔をしかめた。

 

「私とよく似た人が写ってる……」

 

 写真の注釈には、小さな文字で姓名と階級が書かれている。

 

「布仏静少尉、佐倉作郎少尉……一九四五年四月一〇日撮影……」

「虚、びっくりしてたわよ。佐倉家との接点。彼らは同じ基地にいて同じ日に戦死したの」

 

 本音は佐倉作郎の写真を見て、

 

「ところで本音。霊を払ったとき、彼女に憑いていた霊を見たのよね。そこに彼は、いた?」

「え、彼って」

 

 楯無は佐倉作郎のことを言っているのだ。

 

「彼女は彼の名前を口にした?」

 

 楯無の表情は笑みをたたえている。だが、目が笑っていない。薄ら寒さを覚えながら、本音は首を振って事実を告げた。

 

「そう。……もしかしたら成仏したのかもね」

 

 楯無は本当のところ「まだ憑いている」と続けたかった。が、本音をこれ以上おびえさせるのは得策ではないと考えて自重した。

 佐倉作郎の資料は、その特異な戦歴から比較的集めやすかった。

 一応日本海軍航空隊のエースのひとりとして名が上がっている。「一応」としたのは、一九四三年六月以降、海軍が個人の功績を作戦報告書へ記入することを禁じていたこともあり、正確な単独撃墜数は夜竹が記憶していたものと本人の手記を根拠としても、それほど多くはないためだ。夜竹の回顧録によれば、作郎は風防に弾丸を撃ち込んで敵パイロットを確実に殺めた分だけ自己記録として数えていたらしく、片手で数えられる程度しかなかった。

 しかし、作郎がいた部隊全体の共同撃墜数はめざましいものがあった。その分死傷率も際だって高く、作郎だけが生き残った形になっている。

 特異とされるのは不運の数だ。エンジントラブル、被弾による不時着水や空中脱出、そして度重なる被撃墜。航空機の品質低下の影響を色濃く受ける形でトラブルの数が激増し、彼がひとりで不調な機体の面倒を見ているかのようなる印象を与えていた。機体を駄目にしてもかすり傷程度しか負わないため、気味悪がられていた節もある。そのせいか何かと記憶に残ったらしく、台湾時代の生き残りの回顧録では、見事な不時着というエピソードを添えて名前が紹介されていた。

 

「調査と監視は継続。あっ。その資料、読み終わったら返してね。コピーガードがかかってて、その端末でしか見られないのよ」

 

 本音は端末を受け取って操作する前に、一度手を止めて楯無の目を見つめて、険しい視線を送った。

 

「かんちゃんの誤解を解いてほしいんだけど~」

 

 もう手遅れな気もしたが、楯無の口から言ってもらわないことには状況が改善の兆しすら見えない。唇をとがらせて抗議の姿勢を示した。

 

「私の話を素直に受け取るとも思えないから、必ずうまくいくとは確証が取れないけど。それでもいい?」

「もともとはおじょうさまが紛らわしい表現を使ったのが原因。私の名誉を回復してほしいよ~」

「……もう遅いかも」

 

 楯無は自分の携帯端末に目を落としてぼそっとつぶやく。楯無の視線の先にはルームメイトからのメールがあった。その中になぜか「後輩の櫛灘と一緒にいる」旨の文言が存在した。

 ――このメールを見たら本音が発狂しちゃう……。

 恋愛相談の話を面白おかしく加工され、本音にさらなる試練が待っていそうな予感がした。待ち受けるであろう苦難を少しでも軽減するべくそそくさと当たり障りのない返事を送った。

 

 

 




お目汚し申し訳御座いませんでした。


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某国の密偵疑惑(十) 機能改善

※注意※
今回は残酷な描写が含まれます。苦手な方は雰囲気がおかしくなってきたと感じたら読み飛ばしてください。


 放課後の第三アリーナ。

 桜はその日、本来ならば第二アリーナで訓練するつもりだった。いざフィールドの状況を確認したところ、コールド・ブラッドとヘル・ハウンドVer2.5が激しい模擬戦を繰り広げる光景を見て、割って入れるような雰囲気ではないと思った。すぐさま第三アリーナへ訓練を行うべくその場で(きびす)を返していた。朱音、ナタリア、マリア・サイトウに断りのメールを入れ、ほかのクラスメイトにアリーナ変更を周知するように頼んでいた。

 その後第三アリーナの更衣室にたどり着いた桜は、持参したかばんから新品のISスーツを取り出し、しばしの間それを見つめた。

 四菱ケミカルの担当者からぜひモニターしてくれ、とお願いされていたものだ。市場に出回っている従来品と比べて、ナノマシン含有率を高めることで信号伝達速度を三割以上高速化したという触れ込みの試作品である。

 打鉄零式の起動試験当日に目にしたものと形状が異なっている。念のため担当者に問い合わせたところ、前の版で不具合が発覚して調整を施したそうだ。どんな不具合かと聞いてみたら、「感度が……」と言葉を濁していた。

 

「今回のは膝上まで布地があるんや」

 

 試作ISスーツの上半身はノースリーブで、下半身はスパッツと似ていた。入学前に支給された従来品はデザインが旧式スクール水着にそっくりだった。打鉄零式の全身装甲のおかげで、最近になってようやく股下を気にせずに振る舞うことができるようになった。ISスーツを指で(つま)んで広げてみると、恐ろしく肌触りが良いことがわかる。担当者によれば肌感覚で着用できることを目指したらしく、本当に実現してしまう技術力に舌を巻いた。

 桜は脱いだ制服を(たた)んでロッカーに納める。すぐにISスーツを身につけた。頭の後ろで髪ひもを結ってひとつにまとめた。

 すると入り口のほうからぶっきらぼうな声が聞こえてきた。桜がのけぞりながら声の方角を見やる。悩ましげに眉根を寄せ、整った顔立ちのために怒っているような印象を与える箒の姿があった。

 

「篠ノ之さんもこっちで訓練するんか」

 

 耳を澄ませば他にも何人かの声が聞こえてくる。ふと横を向いた箒が桜に気づき、今度は彼女がじろじろと体を見つめ返した。()うような目つきだが下世話なものではなく、引き締まった筋肉に目を奪われているらしい。

 ――篠ノ之さんには全部見られとるのに、今さら感心されても……。

 男として見るなら、本音ぐらいのむっちりとした体つきが好きだ。少し前に興味本位で彼女の腹を触ったら深層筋の鍛え方が尋常ではなく、うっかり手を引っ込めてしまったことがある。外からみると抱き心地が良さそうなのに見えない部分をしっかりと鍛え、速度と筋力を両立した女として理想的な体だった。桜は箒の顔をぼんやりと見つめながら、一度筋肉を触らせてもらえないか、と考えていた。

 同級生に話しかけられ、桜から目を離した箒が、床に落ちたスカートを拾うため身を(かが)めた。すると、桜の目に夜竹さゆかの姿が映った。

 ――夜竹飛長と似とらんな。

 桜は彼女の顔を一瞥した。夜竹飛長と部分照合しても一致するような部品がない。あえて言えば、目元が似ていないこともない、という無理矢理なこじつけしか思いつかなかった。

 とはいえ、珍しい名字なので彼女に一度聞いてみたいことがあった。一九四五年四月の時点で夜竹飛長は独身だった。もし子孫ならば、墓前で「きれいな嫁さんをもらったな」と憎まれ口を言ってやりたかった。

 桜はロッカーに暗証番号を設定し、鍵がかかっていることを確かめ、一足先にアリーナへ向かった。

 

 

「悪目立ちしとるのが分かるわ」

 

 打鉄零式を実体化させたまではよかった。

 桜が観覧席に向かって首を振り、見覚えのある二組の生徒を見つけた。彼女たちは鈴音に友好的に話しかけ、話題を振っては仲良くなろうと努める姿をよく見かけていた。

 入学してから一ヶ月近い月日が流れていた。一夏の入学や転入生といった目玉となるイベントが一組や二組で発生したため、これらのクラスは何かと話題にのぼることが多い。専任搭乗者も集中しているので華やかな印象を与える。その影で三組と四組は地味な存在として扱われがちだった。

 彼女たちは打鉄零式を初めて目にしたらしい。青・白・黒の幻惑迷彩と装甲の隙間から漏れた赤い光を見て表情を凍らせていた。

 ――朱音たちは手続きで遅れるからそれまでは自主練やな……。

 田羽根さんの姿を拡大表示しながら独りごちた。田羽根さんはISを実体化させた直後、いつもちゃぶ台の上で何かしら作業をしている。内容を聞いてもふんぞり返ったまま桜には理解できない単語を口にすることが多かった。

 田羽根さんはいつものとおりIS学園の制服と青いリボンを身につけている。うさみみカチューシャをはめて、手にプラカードを持っている。そこにはバージョン番号が記されていた。

 

「田羽根さんはGOLEMシステムがバージョンアップしたことをお知らせします。Ver1.1.2ですよ!」

 

 桜は首をかしげた。いったい何が変わったのだろうか。昨日と比べて違うところと言えば、うさみみカチューシャが増えているくらいだ。

 

「大きな変更点は貫手の精度が向上しましたよ! 今までは有人ISにマニピュレーターを向けた時点で問答無用で止めました。今回から有人ISのシールドに接触する直前で止めるように改善されましたよ!」

「たとえば非固定浮遊部位とか人体以外の場所やったら貫手が使えるってことか」

「いえ~す。これで壁に向かって素振りしなくとも良くなりましたね!」

 

 今まではどんなに遠く離れていても、ISに向かって貫手の形を作ると強制停止になった。その気はなく、偶然向けたとしても攻撃の意志があると見なされて腕が動かなくなってしまった。これでは練習にならないので壁に向かって素振りを行う以外に方法がなかったのである。

 

「ほかにも変わったとこはあらへんの」

「もちろんありますよ! 名称未設定機能が一部使えるようになりました」

 

 ――ついに来た!

 桜は驚いて目を丸くし、期待に胸をふくらませた。どんな謎が解き明かされるのかと考えると心が躍った。

 自然と声が弾み、プラカードを支える田羽根さんの顔をのぞき込む。

 

「じゃ、じゃあ今ここで試すことはできるんか」

「この機能は田羽根さんでなければ使えませんよ!」

「なんやって! せやったらメニューで選択できる意味ないわ! せめて……どんな機能か教えてくれん?」

 

 田羽根さんはプラカードを地面に立て、両腕を組んで尊大なしぐさでふんぞり返った。少しだけ口をへの字に曲げて仏頂面になり、右目だけ開けて桜を見つめ返す。

 

「誠意が足りませんね!」

 

 田羽根さんは露骨に目を伏せ、桜の足もとに視線を注ぐ。毎度のことだが、桜はその都度鬱陶(うっとう)しい返事に対して平常心を強く保たねばならなかった。

 ――またや。優秀なAIやと思って下手に出れば、すぐ足もと見てつけあがりおって……。

 桜は田羽根さんへの不満をこぼしそうになってあわてて口をつぐむ。イメージ・インターフェースを介して思考を読みとられているとはいえ、搭乗者の本音と建前をよく聞き分けていると思う。どんなに不満があっても顔にさえ出さなければ田羽根さんは気にしない。もし露骨に不快感を露わにした対応をとるならば、田羽根さんは不機嫌になって打鉄零式の性能が低下する。時には機能不全まで起こす。GOLEMがシステムの深い部分にまで影響をおよぼす現状では、うかつに感情を表に出すようなまねを避けなければならなかった。

 

「どんな機能か教えていただけませんか。よろしくお願いいたします……」

「及第点ということにしてあげますね! とりあえず教えてあげますよ!」

 

 田羽根さんは現金なものでへりくだった口調のお願いを聞くと急に上機嫌になった。その証拠に両頬に朱色の渦巻き模様が現れていた。機嫌の良さにもいくつか段階があって、通常は頬に何も描かれていない。自尊心が満たされて少し機嫌が良くなると片頬に渦巻き模様が出現する。さらに機嫌が良いときは両頬に出現し、天にも昇るような気分になると回転する。逆に機嫌が悪いときは頬に×(ばつ)印が出現する。片頬、両頬の順番で現れ回転を始めたら危険な状態である。

 ――ソフトウェアに足もとを見られるってどういうことや。

 桜の中でGOLEMは扱いの難しい厄介なシステムという認識が生まれていた。ソフトウェアがまるで自我を持つかのように振る舞うのだ。そのくせプログラムらしくあらかじめ組み込まれた基準でしか善悪の判定を行うことができない。今のところ田羽根さんの判断は正しく、桜から見て特に問題になるような事態は起こっていない。

 しかし、どこにバグが潜んでいるかわからない。桜は常に田羽根さんの判断に対して疑念を抱く姿勢を忘れなかった。

 

「ISコアの権限が一部解放されましたよ! 名称未設定機能によって会話とお願いができるようになりましたね!」

「会話って誰としゃべるんや。私とは最初から話をしてたやろ。通信は標準機能やし」

「対象は搭乗者ではありませんよ! 田羽根さんが田羽根さんの言語で意思疎通ができるようになりましたよ!」

「まさか……ほかの田羽根さんと、ええっと穂羽鬼くんやったか」

「それは最初からですよ! 他の田羽根さんたちではなく、他のISコアと会話ができるようになりましたよ!」

 

 田羽根さんは相変わらず甲高く明瞭な声で言いきった。研究者の間では、それぞれのISコアがコア・ネットワークを介して双方向通信を実現していることが知られている。桜は堀越が雑談の話題として話したこと覚えていた。

 ――データの送受信との違いがあるんやろか。

 桜はプログラムの入出力を基準に考えていた。ISコアとの会話で用いられる田羽根さんの言語とは、つまり決められた形式を用いてデータをやりとりしているだけではないのか。今回のアップデートがどこに影響をおよぼすのか経過観察が必要だった。

 田羽根さんは話題が途切れたと思って視野の隅へ引っ込んだ。ちゃぶ台の前に座り直し、頬づえをつきながらバナナを頬張った。そしていかにも片手間といった風情で演習モードを起ちあげ、火器類の使用制限を限定的に解除した。

 桜は念のため壁際に寄ってから非固定浮遊部位(アンロックユニット)を実体化する。田羽根さんにしごかれた甲斐あって、武装非搭載状態や非固定浮遊部位専用装備を搭載した状態でも実体化できるようになった。穂羽鬼くんの相棒にはおよばないとはいえ、コンマ五秒を超えることはないレベルまで達していた。今では呼吸をするのと同程度の感覚まで落とし込んでいた。これも地道に装備の出し入れを練習したおかげだった。

 次に一二.七ミリ重機関銃を実体化させた。この機関銃は数少ない手持ち武器である。分解・組立・メンテナンスをISが担うため、搭乗者は実体化・量子化・射撃訓練にのみ専念できた。ISならではの装備を開発して運用するという考えもあるのだが、既存兵器を流用するほうが人的資源が少なく済む。特に一二.七ミリ重機関銃は入手が容易なので例え、復元不可能な状態まで破壊されたとしても交換すれば済む。

 桜は一二.七ミリ重機関銃を腰だめに構えた。田羽根さんがCGを用いて弓道で使われるような白地に黒の同心円が三つ描かれた霞的(かすみまと)を映し出した。ランダム表示される霞的に向かって引き金を引く。もちろん弾丸もCGである。演習モードは弾丸を使うことなくソフトウェアで銃火器の挙動を再現する機能だ。それぞれの挙動は実弾を撃って測定したデータを利用している。臭いや熱さを感じられないことさえ目をつむれば、重量感や反動などの再現度が高かった。

 桜はマニュアルで微調整を繰り返しながら、次々と出現する霞的を撃ち抜いた。結果に対して田羽根さんは何も言ってこない。昔取った杵柄(きねづか)のおかげで手動照準でもそこそこ当たった。しかも的に焦点をあわせるだけで、ずれを自動修正してくれるのだ。精密射撃のために息を止める必要もない。それでいて正確だ。思ったとおりの場所に弾丸が飛ぶのが楽しくて仕方がなかった。

 桜は延べ六〇個もの霞的を撃ち抜き、一息つくために一二.七ミリ重機関銃を非固定浮遊部位へ転移させた。

 ――何の音や。

 ハイパーセンサーがかしましい話し声や推進音を拾う。うさみみを揺らしながら、頬づえをついて煎餅(せんべい)をかじっていた田羽根さんがすかさず音源の位置を特定した。桜が振り返ったとき、露天デッキからISが降り立つ所だった。

 

「ブルー・ティアーズ。白式。遅れて打鉄」

 

 桜はいつものようにセシリアと一夏が訓練するものとばかり思っていた。打鉄がついてきたということはつまり、一組の生徒がISに乗っていることを示す。先ほど更衣室で見かけた少女たちの姿を思い浮かべる。着地によって前屈みになっていた打鉄が膝を伸ばし、まっすぐ一夏を見つめた。

 ――篠ノ之さんやないか。

 

 

「では一夏、はじめるとしよう」

 

 箒は何食わぬ顔で一夏の隣に並んでいた。驚くふたりの表情を涼しい顔つきのまま眺め、セシリアに構わず訓練を始めるよう促していた。

 

「一夏さん。今日はわたくしと訓練するとおっしゃりませんでしたか?」

 

 セシリアは一夏に迫り、昼休みに一夏自信が口にした言葉を確認する。箒の目の前で言質(げんち)を取ったので、彼女もそのことを承知しているはずだ。

 

「どうしても何も近接格闘訓練を積みたいと言ったのは一夏だろう。私は申し出を受けただけだ」

 

 箒は一夏の言葉を根拠とし、セシリアが唇をかむ姿を横目で見やった。

 確かにそんなことを口にしていた。セシリアは目を丸くして事実だと認めてしまい、余計な邪魔が入ったことに対して悔しそうに唇をかんだ。

 箒は涼しい顔をしたまま、セシリアの前に立つ。正面に一夏を見据え、日本刀を模したロングブレードを抜いた。反り返った刃が鞘を擦る。ぞっとするような、微かな音色が一夏の耳に残った。鈍い鉄色の刀身が白日の下にさらし、そして正眼に構えたとき、抜き身の刃が腕にのしかかる重量感が生々しさを伴っていた。

 

「一夏、刀を抜け」

 

 セシリアが押し黙ったのを良しとして、まるで世間話をするかのような軽い口調で言い放った。しかも柔らかい目つきなので、一夏は仲間内で練習する気分になって力を抜いた。

 箒はまぶたを閉じ、息を吸って胸をふくらませた。小指を締め、人差し指をわずかに浮かせる。臨戦態勢を整え、ロングブレードの延長に一夏の喉を据えた。

 

「では――」

 

 瞳を薄く開け、細く息を吐く。その瞬間、一夏の体にねっとりとした重い空気がまとわりついて淀んだ。

 一夏は突然の変化に戸惑いながらも、箒の動きに合わせて雪片弐型を実体化させた。打鉄のロングブレードよりも肉厚の刃が姿を現す。それはさながらブロードソードのようであり、片手で扱うには重すぎる武器でもあった。

 一夏は箒が次の言葉を口にする前に、腰を据えるつもりでいた。だが、鋭利な切っ先から目をそらすことができなかった。体中の血が、細胞が、彼の中に眠っていた剣士としての意識を呼び戻すにつれ、じりじりと胸の中に不安が芽生えていくのが分かった。白式のハイパーセンサーは、箒の呼気が喉頭内を通過するときに声帯の間で生じる摩擦音を捉えている。まだだ。まだ、彼女は息を吐いている。

 ――呼気が止まった。

 

「参る」

 

 力みのない静かな声である。これから刃を振るうと意思表示だった。同時にそれは一夏に激しい緊張を()いる。彼の肝を冷やし、箒の肉体から河のごとくあふれ出した殺気の(かたまり)がその足をがんじがらめにする。大蛇が獲物を食すためにその体を巻き付けた。そして窒息に至らしめるべくゆっくりと締めつける。胸が苦しい。酸素を求めて大きく口を開けてしまいたい。それをしてはならなかった。許されない行動だった。

 一夏は必死の思いで呼吸を整えようとした。眼前の切っ先から決して目を逸らすまいと念じた。

 ――箒の剣はこんなものだったか?

 彼の記憶では場を支配するかのような重たさはなかった。ただ、勇ましいだけだった。

 ――この剣は何だ。

 千冬の剣とも異なった。姉と対したときこれほどまでに凄まじい息苦しさを感じたことはなかった。

 ――勝てない、隙がないとは違う。とにかく重い。

 打鉄が半歩前に出た。箒は平然とした顔つきのままだ。だが、一夏は腹の奥をえぐられるような鈍い痛みにずっと耐えていた。先ほどの半歩は、一夏を間合いに入れ、死線を意識させるためのものだ。わかっていても動けなかった。箒の動きに合わせて半歩後ずさったとき、剣が消えてしまうような感覚に陥ったのだ。

 切っ先がはねた瞬間、勝負が決する。

 ――くそっ。わかってきた。

 一夏は箒の意図を理解した。いや、理解させられたのだ。

 ――なんてやつだ。これは練習でも試合でもないぞ。斬り合いだ。

 頭でわかっていても体が動かない。理解したがゆえに重石を乗せられたかのように足が動かなくなってしまった。大蛇の幻影がまとわりつき、締めつけはいっそう強くなる。肺を押しつぶされ、新鮮な空気が欠乏する。

 一夏は生唾を飲み込み、間合いを確かめた。決死の距離まで残りわずか半歩だ。もはや構えているだけでもやっとの状態である。歯を食いしばり、呼吸を律しているからこそかろうじて持ちこたえることができた。

 ――六年の間にいったい何があったっていうんだよ。

 幼なじみの剣は命をやりとりを強いるものだ。ISをまとっていなければ腰が引けて無様な姿をさらしてしまうに違いなかった。

 彼女が手が届かない場所に行ってしまった。一夏の心は喪失感で満たされていく。

 そのとき、短い呼気を捉えた。箒が最後の半歩を踏み出し、ロングブレードを振り下ろす。風を切り裂く音すらなかった。

 ――斬られた!

 箒は一夏の(のど)に刃をあてがう。頸動脈(けいどうみゃく)にかけて薄皮に切れ目をいれるかのように、サッと引いた。刃は骨に達することなく、致死に至る部位を精確(せいかく)に切断する。痛みは無い。刃の冷たさと擦過によって発生した熱だけが残された。

 心臓が大きく脈打つ。ぱっくりと割れた頸動脈の切断面から、行き場を失った血液が激しく噴き出す。時間の流れが緩やかになる。鮮やかな赤色の水玉が飛び出していくのが見えた。胸に去来した喪失感は文字通り現実のものとなり、体内の熱が急速に失われていく。

 

「ええいっお待ちなさい! 一夏さんのお相手をするのはこのわたくし、セシリア・オルコットでしてよ!」

 

 セシリアの甲高い声によって現実へと引き戻された。

 先ほどの体験は、彼女の剣気がもたらした妄想だ。生々しい白昼夢にすぎない。現実の彼女は半歩前に踏み出しただけである。踏み込みから斬撃に至る過程。それは実際に起きた出来事ではなかった。

 まだ生きている。一夏はその事実に気づいて安堵すると同時に全身が総毛立った。ありとあらゆる毛穴から冷や汗が吹き出す。箒は「斬る」という行為がもたらす効果を知っていた。彼の表情は緊張し、全力疾走の直後のように荒々しく肩で息をしている。幻視だろうか。確かに箒の剣が首に触れたような感触が残っていた。

 

「邪魔をするな!」

 

 箒は突然割って入ったセシリアに向かって語気を荒げる。セシリアと真っ向から対峙するも先ほどのような斬り合いの雰囲気は雲散霧消していた。

 ――セシリアは気付かなかったのか?

 一夏は雪片弐型を地面に突き立て、いがみあうセシリアの表情を確かめる。怒った顔は普段通りのものだ。ついさきほどまで命をかけた斬り合いに立ち会った者の顔ではない。

 ――疲れてるのかな。俺。

 確かに斬られたのだ。一夏は首筋に手をかざした。

 

 

 一夏たちから少し離れた場所で、桜はうつむきながら首に手をあてて膝を突く。目を見開いて自分の肩を抱き、死の恐怖に体を震わせていた。

 ――何や。さっきのは何や。

 斬られたと思った。彼女の動きがスローモーションになって見えた。研ぎ澄まされた意識がお互いの時間を緩やかなものに変えた。一方は剣を振るい、もう一方は抵抗することなく刃を受けた。

 ――どこまでが現実やったん。

 現実と妄想の境目が曖昧になっている。頭を振って頬を張った。白昼夢とはどうかしている。

 桜は顔を上げ、もういちど箒を見やった。

 

「ええい、邪魔な! ならば斬る!」

 

 箒は物騒なことを口にして、ロングブレードを振りかぶった。袈裟(けさ)をかけるように、セシリアの左肩から右わき下へ斜めに斬り下げる。

 ――さっきとはちゃう。

 うまい。それだけだ。肝が冷えるほどの圧迫感、そして大河を前にしたかのような凄まじい威圧感はどこにも存在しなかった。彼女は水を差されて怒って武器を振り回しているにすぎない。先ほどとは別人のような剣を振るっていた。

 一夏はおろおろと箒とセシリアを交互に見つめる。美人ににらみ付けられてすぐ、ふたりの怒気から逃れるべく後ずさった。すると田羽根さんが気を利かせて、彼の心拍数が増加していることを桜に知らせた。

 ――篠ノ之さん。

 先ほどの箒と同一人物だという証拠は、彼女が決してセシリアの近接武器を刃で受けるようなまねをしてみせないことだろう。受けて流すことなく、すべて避ける。現に彼女のシールドエネルギーはまったく減っていなかった。

 セシリアがスターライトmkⅢのトリガーをすばやく引いた。慣性制御により反動が打ち消されているため照準のぶれはない。演習モードが有効になっており、現実には超高速の弾丸は射出されていなかった。だが、ISをまとっている者の目には射出時と同じ閃光が映し出された。

 箒は這うように身を低く伏せ、刹那の時を経て打鉄のスラスターから推進エネルギーを放出。爆発的な加速によりセシリアの腕の下へ潜った。遅れてスターライトmkⅢの照準が箒を捉える。セシリアの予測では機体がぶつかる瞬間に体を浮かせ、胴か小手を狙う。剣道の動きが骨の髄まで染みついている箒ならば、そのように動くはずだ。

 ――すね斬り!

 桜は田羽根さんが映し出したセシリア視点の映像に生唾を飲み込んでいた。すごい迫力だ。CGとはいえ一人称視点でIS戦を観戦できるとは思わなかった。

 

「篠ノ之さんは躊躇なく下半身への攻撃を選択できるんやな。怖い人や」

「博士の妹さんですからね! 当たり前ですよ!」

 

 田羽根さんの声が少し弾んで聞こえたので、桜は気になって二頭身を拡大した。両頬に渦巻き模様が出現しており、しかも回転している。どうやらすこぶる上機嫌らしい。

 ――篠ノ之束博士が妹への賛辞を聞いたら機嫌が良くなるようにしたんやろか。こんな変なもん作るならそれぐらい仕かけてもおかしくないわ。

 田羽根さんが箒視点の映像や一夏視点の映像を出して桜の前に置いた。

 ――よくできとるわ。ハイパーセンサーで得たデータをリアルタイムでモデリングしとるんやろか。これ。

 嫉妬と怒りの矛先を向けられ、うろたえる一夏視点の映像を見るや桜は考えを中断した。

 

「当然だ!」

「当然ですわ!」

 

 一夏はどちらかの味方なのか、と問われて答えに(きゅう)した。どちらかの肩を持てば角が立つ。できれば両方の味方だと言ってしまいたい。そんな優柔不断、もとい女好きな発言ができるだろうか。いや、できない。それでもふたりは一方を選べ、と迫ってくる。

 一夏は名案だと思って第三の答えを選んだ。つまり沈黙を答えとしたのである。

 

「修羅場や。ええな。うらやましい……いやいや私は女や」

 

 桜は迫真の映像を食い入るように見つめていた。本当に一夏の両目から見ているようだ。映画やSFの話でしか体験できないとばかり思っていた。だが、技術の著しい進歩によって今、他人が目にしている映像をリアルタイムで再現するところまで来ていた。

 映像を見るかぎり一夏の煮えきらない態度がふたりの女のプライドをいたく刺激してしまったらしい。ふたりの表情が消え、沈黙と同時に武器を握りしめた。筋肉の張り具合からして相当に怒っていた。

 一夏は防衛反応から左腕のマイクロガン(近接ショートブレード)を実体化させた。つや消しのダークグレーの砲身。毎秒五〇発で固定されたマイクロガン(近接ショートブレード)の弾帯は合計八〇〇発分しかない。つまり一六秒間しか撃ち続けることができないのである。そして地面に突き立てた雪片弐型を抜いた。そしてふたりの圧力に屈する形で、一歩、もう一歩、と後ろに下がる。セシリアのスターライトmkⅢはともかく、箒の間合いから一刻も早く逃れたかった。先ほどの白昼夢のこともある。ほんの一秒稼ぐだけで良い。それだけあれば走馬燈を見るくらいは許される。

 

仲裁(ちゅうさい)せな」

 

 桜は映像から目を離した。一夏は及び腰で逃げだそうとしている。搭乗時間はせいぜい二桁の若鷲に向かってニ対一は酷だろう。まして怒りに燃える女たちを相手取っては分が悪い。

 女たちは阿吽(あうん)の呼吸で獲物に迫っていた。勢子(せこ)の役目を担った箒とビットに追い立てられ、セシリアの近距離射撃から必死に逃れようとしていた。

 桜が一夏の元へ駆け出そうとしたとき、

 

「情報を与えるのですか?」

 

 田羽根さんは可愛らしく小首をかしげ、心底理解できないと言わんばかりの顔つきになった。桜は冷ややかな物言いに足を止めて聞き直した。

 

「情報を与えるのですか? 田羽根さんは敵にわざわざ塩を送るまねを推奨できません」

 

 ――クラス対抗戦のことを考えとるんか。田羽根さんに情報を与えはしたが、こんな物言いは初めて聞くわ。

 桜は一夏の様子を一瞥してから考え込んだ。

 

「篠ノ之さんたちも練習風景を見とる。観覧席から他の生徒にも見られた。今もそうや。もう情報は流れとるから別に気にせんでええんやないん?」

「いえ~す。確かにそうですね! しかし、今のところはせっかくの情報が生かされていないのですよ!」

「どういうことや」

 

 田羽根さんは制服のポケットから巨大な白板を引きずり出した。明らかに名刺くらいの大きさだったものが巨大化している。白板の中央には二次関数グラフが描かれ、X軸の値が大きくなるにつれ、Y軸の値が減少している。

 

「これまで何度もアリーナで訓練をしてきました。田羽根さんは観覧席から熱い視線や冷ややかな視線を向けられた時間をこっそり計測していたのですよ。X軸は、サンプルがこの機体を目にした回数。Y軸が注目された合計時間をサンプル数で割った平均時間です。このデータから最初はびっくりして注目するけれど、動きが素人なので興味をなくしたことが分かりますね!」

 

 桜は遠回しにISの操縦が下手だと言われて、顔をひきつらせる。反論を試みるべく白板を見れば、背を向けた田羽根さんが汚い筆跡でサンプル数を書き入れている。

 

「眼中にありませんね!」

 

 田羽根さんは再び桜へ向き直った。うさみみカチューシャを揺らし、胸の前で腕を組んで誇らしげにふんぞり返った。

 アリーナは隔壁で遮られているため、常時通電して透過処理を行っている。整備や災害を想定した訓練の際に通電を停止するくらいで、観覧席からフィールド、あるいはその逆から見たとき隔壁を意識することはなかった。

 田羽根さんがまさか注目を浴びた時間を計測しているとは考えもしなかった。グラフの元データとなるデータベースの一部を見せられたので、ぐうの音も出なかった。

 ――田羽根さんが言ったことは事実や。

 

「歩兵に徹する……これでええやろ。非固定浮遊部位を量子化し、パッケージは格納したままとする。重機関銃だけを使うわ」

 

 桜は落とし所を求めて考えを口にした。大火力を用いることなく仲裁が可能だと判断した結果だ。田羽根さんは用意していた譲歩案と一致したのか反論してこなかった。その代わり、いつもの文句を口にする。

 

「情報秘匿の重要性に気づいてくれましたね! くれぐれも貫手を人体に向けて使ってはいけませんよ!」

 

 

 白式の左腕が沈黙して久しい。制限時間である一六秒を超えており、射撃命令を発しても反応がなかった。演習モードとはいえ弾帯を使い切ったと判定されていた。

 一夏は自分の射撃の腕を見限っており、牽制(けんせい)に使えれば上出来だと思っていた。実際そのとおりになった。一夏は道を塞ぐビットに向けて約五秒間射撃を行った。当たり判定が出てビット一基の機動力を約半分まで殺ぐことに成功したが、すぐにまぐれ当たりだと気づいてしまった。

 箒の気勢を耳にするなり、あわてて大きく体を開く。上段の構えから踏み込んできた箒のロングブレードが空気を裂いた。

 ロングブレード自体の重さで打鉄の膝が沈みこむ。そこに目を付けた一夏は雪片弐型を中段から下段へ小さく振った。手応えはない。その代わり自分の手首をたたかれ、引っ張られる感覚があった。

 

「まずいっ」

 

 膝に余裕を残していたのか、箒がいち早く反応した。ロングブレードの峰で小手を軽くたたき返す。白式の膝が一度沈む。勢いを吸収した後、姿勢制御を試みた。

 だが、一夏が気づいたときには背中を(したた)かに打ち付けていた。

 思わず苦悶の声が漏れた。一夏は何が起きたかを思い出すのではなく、次に来る動作から逃れようと身をよじる。自分が篠ノ之流の術中にはまったことを理解していた。箒は間違いなく対甲冑戦を想定した動きを行うだろう。篠ノ之流を演武目的の道場剣術と馬鹿にしてはいけない。創始者が剣術に狂い、無数の斬り合いを経ることで編み出された殺人術なのだ。

 視界を遮る黒い影。打鉄の足裏だとわかった。箒は篠ノ之流で習い、気が遠くなるほど繰り返した手順にしたがって一夏の胸を踏みつけた。怒りで頭に血が上っているにもかかわらず、その身に染みついた動きに迷いはなかった。記憶した動作を再現しているだけだ。それゆえに鋭い。

 肘を小さく畳みこむように引き、喉に向けて突き出す。だが、箒はハイパーセンサーが検知し、直後に鳴ったアラート音によって打鉄の肘関節を硬直させた。横合いからの射撃と理解するや、すぐに足を浮かし、スラスターを噴かせてその場から飛び退いた。

 箒は闖入者(ちんにゅうしゃ)に目を向ける。視野に赤い軌跡が流れては消えていく。まるで血涙(けつるい)を流しているかのような禍々(まがまが)しい姿が接近していた。

 

「加勢する」

メガモリ(佐倉)さん! あなた」

 

 丸みを帯びて突起物が少なく、のっぺりとしたISの接近にセシリアが声をあげた。

 桜はPICを用いて斜め上に飛び上がり、三角跳びの要領で空を駆け、空中を浮遊するセシリアの真正面に達した。すぐさま開放回線(オープンチャネル)に接続し、彼女らに向かって加勢した理由を口にした。

 

「バランスや。ニ対一じゃ織斑の分が悪いやろ」

 

 全身装甲のため外から表情が分からないので、桜はできるだけ声に感情を込めた。

 

「織斑。西洋人形さんは私に任せて。篠ノ之さんを見てやって」

()()。すまん」

 

 一夏が礼を言い、雪片弐型を構えなおした。

 箒は桜に伝えたいことがあって空を仰ぎ見る。

 

「こちらへの手出しは無用にしてほしい。もし(たが)えるならば……斬る」

「わかっとる。さっきいっぺん斬られたんや。決して近づかんから安心して」

 

 桜が弱々しくひるんだ雰囲気を漂わせたので、箒は「おっ」と軽く口ずさむ。彼女はわかっていると言わんばかりに、にやりと笑ってみせた。

 

「なるほど。佐倉は心得があるようだな」

()()……箒?」

 

 一夏も空を見上げていたが、箒の思わせぶりなつぶやきを耳にしてすぐさま正面を向き、箒の顔つきを観察しようとした。

 箒はしきりに何度もうなずき、とてもうれしそうにしていた。

 

「一夏。軽く揉んでやる。当たって砕けるつもりでかかってこい!」

「俺がボコられる前提かよ!」

 

 箒は道場にいるような気分でにわかに先輩風を吹かせた。一夏が打ちかかってきたら剣技の見本を演じて技量向上へのヒントを与えてやろう、と本気で考えていた。

 桜はふたりが互いに剣を向けあう様子を見届けた。その後セシリアの瞳をまっすぐ見つめ返した。あごを引く動きに合わせて頭部装甲がわずかに下へずれ、赤いレーダーユニットが爛々と輝いた。

 赤い一つ目が発する禍々しい雰囲気にのまれないよう、セシリアは厳しい顔つきでにらみ返す。そして桜が、()()で呼ばれていたことに気づいて目を見開いた。

 

「あなたには……」

 

 無駄のない動きでスターライトmkⅢを構え、打鉄零式の姿を照準におさめる。セシリアには我慢ならないことがあった。

 ――サラとのことがありますから、わたくしは同性愛には寛容なつもりですわ。……ですが!

 

「あなたには布仏さんがいるでしょう。そのうえ一夏さんにまで手を……贅沢(ぜいたく)にもほどがありますわ!」

 

 桜は悪い予感がしてPICを切って自機を自然落下させた。先ほどまで自分がいた場所に青白い極太の軌跡が描かれる。撃たれたことよりもむしろ、セシリアの発言のほうが気になった。一二.七ミリ重機関銃を構え、再び上昇するべくPICを有効にする。そのままジグザグに足場を蹴るように動き、主への道を阻むビットたちの猛攻をかいくぐった。

 桜は躍動射を加えてから、セシリアに向かって叫ぶ。

 

「ちょっと待って。何でそんな解釈になるんや!」

「問答無用!」

 

 

 



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某国の密偵疑惑(十一) 掲示

※注記※
今回はセリフの一部を原作から引用しています。


 ビットの不規則な動きはとても厄介だった。一組のクラス代表決定戦の際にも、当たり前のように死角からの攻撃を採用したセシリアの辞書に情けや容赦という言葉はなかった。

 

「わわっ……危なあ」

 

 はじめはレーザービットを水平に配置してから一斉射撃を行った。次に垂直方向へ配置して射撃を続けた。セシリアは水平、垂直の順番を何度も繰り返し、あえてパターンを作って桜の頭を順応させた。そして回避が慣れてきたところを狙ってパターンを崩した。

 その直後、ISコアがセシリア自身も含めた三方向からの射撃を警告する。桜はスターライトmkⅢから放たれた極太レーザーから逃れるため、丹田を軸に体を倒した。スラスターの噴射とPICを利用してコの字に回避行動をとる。セシリアはこの動きを予期していた。スターライトmkⅢの砲口から閃光が発した瞬間を狙ってビットを波状に繰り出す。桜の進路上に次々とレーザーを射出し、立て続けに被弾させることに成功した。

 学内ネットワークのサーバーが打鉄零式のシールドエネルギー残量を瞬時に弾き出す。桜はその値を見るや()頓狂(とんきょう)な声をあげてしまった。

 

「こんなに減るんか!」

「あら。至近距離でレーザー兵器を喰らえばそれぐらい減りますわよ」

 

 驚いたことに打鉄零式のシールドエネルギーが三割以上減少していた。

 セシリアは上品な笑顔を浮かべ、淑女らしい気品を漂わせた。余裕を絶やすことなく柔和な表情を見せつける。彼女は表情を崩すことなくサーバーから提示された損害状況を確認した。レーザービット一基の出力が六割まで減少している。一夏の射撃に偶然被弾した他の一基は出力三割まで落ちている。思ったより被弾率が高かった。

 ――誤算ですわ。

 打鉄零式の武器は今のところ、一二.七ミリ重機関銃一挺だ。桜は一般生徒にもかかわらず、射撃の命中率がおそろしく高かった。

 しかもレーザービットのロケットエンジンの外殻に被弾が集中しており、一夏のようなまぐれ当たりではないと結論づける。空中戦は互いの位置が目まぐるしく変わる。破れかぶれに撃ったのであれば被弾場所にばらつきが生じるものだ。

 ――さすがはクラス代表ということなのかしら。

 さらにPICを利用した方向転換などの基本的な操縦技術に長けている。操縦ミスをしてもすぐに立て直す。一夏や箒、留学生をのぞいた同じ一組の生徒と比べて技量の差があまりにも隔絶している。

 ――死角からの攻撃がかすりもしないなんて……。

 だから罠にかけた。

 搭乗時間を考慮すれば、一夏の操縦技術は他の生徒とくらべて頭ひとつ飛び抜けている。それでもなお技術の完成度が甘く、一夏は一度崩してやれば簡単にボロを出すので御しやすかった。視野の狭さや操縦の不安定さを突けばセシリアの勝利はたやすい。

 ――気に入りませんわ。演習モードを差し引いたとしても、実技試験くらいしかまともな戦闘経験がないくせに、どうしてそんなに落ち着いていられますの。

 桜は被弾した事実よりもむしろシールドエネルギーが大きく減少したことに驚いていた。普通は被弾を怖がる。生身で被弾した場合、実弾なら良くて挽肉だ。レーザー砲撃ならば炭化か蒸発する。IS学園に合格する力があるのだから、その程度の想像力を持ち合わせているはずだ。

 ――引っかかりますわね。

 留学生同士の交流の場でナタリア・ピウスツキが「メガモリは素人に見えない」と話していた。総搭乗時間を話の種にして周りを驚かせていた。そのくせ三組といえば毎回鬼ごっこに興じている。桜に至っては操縦訓練と壁に向かって素振りばかり取り組んでいる。三組に注意を向けているのは本音ひとりだった。

 ――弓削先生がつききりで教えた? あんなに忙しそうにしているのにありえないですわ。

 ピットに行けば、確かに三日に一度の割合で弓削の姿を見かけた。彼女は熱心な指導者なのかもしれない。だが、毎日真耶の忙しそうな姿を目にしている。同じ立場の弓削も似たような状況だと考えるのが自然だろう。さらに、二組の担任である連城はIS搭乗資格を持たなかった。実技指導の負担は弓削に集中しているはずだ。

 ――特待生で専任搭乗者。機体はあのとおり曰くつき。

 ナタリアがほらを吹いていると思っていた。実際に戦ってみると玄人はだしの腕前だ。始業式の頃、実技試験で真耶を追い詰めて本気を出させたといううわさを耳にしていた。三組の練習風景を目にして眉唾だと決めつけたのは時期尚早だったのか。

 ――彼女の技量はこれから見極めていくとして……。

 セシリアはいったんビットを自機の周囲に集めた。桜との会話を個人間秘匿通信(プライベート・チャネル)に切り替える。開放回線(オープン・チャネル)のままでは一夏や箒に自分の思いを悟られる懸念があった。

 

「あなたも一夏さんに手を出そうとするなんて、いったいどういう了見ですの」

「さっきも言うたんやけど、どうしてそんな解釈になるんや」

 

 桜は空中で浮遊しながら胡乱(うろん)な視線を向けてくるセシリアを見やった。互いの距離は約一〇メートルほど離れている。ISに乗ってしまえば至近距離である。

 桜はセシリアの誤解を解くことが先決だと考えた。嫉妬の矛先を向けられてはかなわないと思ったからだ。

 

「私は織斑に手を出すつもりはない」

「それを信じろ、とおっしゃりますの」

「信じるも何も最初からそんな気はあらへんわ」

「布仏さんがいるのに。男性と仲良くしようとして……。パートナーはひとりで十分でしょう」

 

 櫛灘が流したうわさを頭から信じきっているのか、セシリアはとげのある発言をやめなかった。そのくせ表情だけはいかにもお嬢様然としている。

 彼女の言い方が妙に気になった。うわさを正しいものとして彼女の発言を聞くうちに、なんだか自分が二股をかけているような気分になる。桜は困ったと言わんばかりに眉根を寄せ、口をへの字に曲げた。二度の生を経験したが、恋愛を経験したことは一度もなかった。

 

「なんやの。私と本音が付き合っとるような()(ぐさ)やないか」

「あら……違いまして?」

 

 セシリアがきょとんとしている。目を丸くして、すぐさま追い打ちをかけるように状況証拠を並べた。

 

「人目を気にせずいちゃいちゃしていましたのに。櫛灘さんがおっしゃっていましたわ。すでに寝所を共にしている、と」

 

 桜はうわさがひとり歩きしていることを知ってはいた。改めて他人の口から聞くと破壊力があった。桜の認識では本音が積極攻勢を仕かけているが、うまい具合に軽く流しているというものだ。

 ――私はつれない態度をとっとるつもりや。

 腕を絡めたり、体をくっつけるなどの積極攻勢によって、桜の態度がただの照れ隠しではないか、という見方が存在した。櫛灘の見解では限りなく真実に近いものと認知されていた。

 本音が置かれた状況を改善しようと楯無が間接的に櫛灘への懐柔を試みていた。今のところ実を結んでいなかった。それどころか本音が部屋を訪ねたことを契機に、うわさの内容に変化が生じ、楯無自身も巻き込まれつつあった。

 

「寝所を共にって……そもそもルームメイトなんやから一つ屋根の下になるのは当然や」

「そんなお子さまのような意味で言ったつもりはありませんわ」

 

 セシリアは真顔でじっと見つめ、さも当然のように告げた。桜は大人同士の「寝る」ことだと理解した後、強く呼びかけられるまでぽかんとした。我に返るなり心臓の上に手を置いて深いため息をついた。

 

「そっちの寝所か……」

「どちらの寝所だと思っていましたの」

 

 桜は必死にとぼけようと試みた。セシリアの的確な指摘によって失敗に終わった。

 

「わたくしは別に女同士がいけない、とは言っていません。二股がよくないと申しあげているのです」

 

 セシリアは咳払いしてから、したり顔になって人差し指を左右に振った。自分は正しいと信じきっている顔だった。

 聞く耳を持たないセシリアに、桜はうんざりとしながらも根気よく説得を続けた。

 

「本音とはそんな関係やあらへん。ほんまや」

「周りの目を気にしているのですね。わかりますわ。その気持ち。わたくしもそうでしたから」

「……も?」

 

 桜はものすごい発言を耳にしたような気分になった。セシリアは演技がかった動きで両手を広げたかと思えば、心臓を愛おしむように手を丸めて重ねた。そして恋愛の熱に浮かされたような顔つきに変わる。

 

「布仏さんの気持ちはよく分かります。別に見せつけたいわけではありませんの。好きな人と一緒にいるときはいつであろうと、どこであろうと愛を(ささや)きたいだけですわ。たまたま周りの目があるだけですわ。初々しいから目立ってしまうのです。メガモリさん。あなたにもそんな経験があるでしょう?」

「……いや、今まで一度も」

 

 桜は口をすぼめ、否定を示すべく右手を左右に振った。

 そんな経験があったら死ぬ間際に「嫁がほしい」などとは言わない。桜はだんだん決まりが悪くなってきて目を伏せた。

 セシリアはその様子を好機と捉えた。口の端を軽くゆがめて意地悪な顔つきになる。そして桜が顔を上げる前に元の表情に戻った。互いの目が合うタイミングを図って、あえて大げさに驚いてみせた。

 

「まあ。意外ですわ。()()()!」

「ちゃうわ!」

 

 桜は()()と決めつけられた気がして激しく否定する。男女交際の経験がなくとも童貞を捨てることは可能だった。

 

「ちゃんと女とやった経験あるわ! あっ……これちゃうから。ちょこっと意味ちゃうから」

 

 セシリアにあおられて、桜はつい作郎時代のつもりで叫んでしまった。セシリアのにやけ面を見てあわてて訂正するも手遅れだった。個人間秘匿通信だったのがせめてもの救いだろう。

 桜はしどろもどろに弁明するよりもむしろ、セシリアの発言の揚げ足を取って話題を逸らそうと考えた。

 

「西洋人形さんやって、さっき『わたくしもそうでした』と言ってたやろ。もしかしてあんたも」

「ええ。そういった時期がありましたの。あの頃はもっと純粋でしたから」

 

 桜は攻めあぐねた。もしセシリアが失言をあわてて否定するような言動をみせれば畳みかけて判断力を奪うことができた。しかし、落ち着いて肯定したので桜は聞き役にまわらざるをえなくなってしまった。

 

「過去形か。彼女とは終わったん?」

「きれいに終わりましたわ」

 

 セシリアが悲しげに微笑んだので返す言葉が見つからなかった。

 

「ですから、今は新しい恋に生きていますの。あなたと違って」

 

 セシリアが一夏を意識して狙っていることは一連の態度を見れば明らかだ。過去に女性と交際、少なくとも好意を抱いていた事実を認めたうえで立場の違いを強調してきた。セシリアに対して過去の恋愛をばねにしているかのような印象を抱いてしまった。

 桜は自分の失言にほぞをかむ。いとも簡単に墓穴(ぼけつ)を掘った自分が憎らしかった。

 桜が悔やみながらも次の手立てを思いつく前に、セシリアは晴れやかな笑顔を浮かべて言葉を継いだ。

 

「それからご安心なさってください。先ほどの発言を誰かに言いふらしたりするつもりはありませんわ」

 

 桜はセシリアの態度が、どことなく田羽根さんと似ている気がしていた。田羽根さんは何かあるとすぐに桜の足もとを見る。自分が優位となるように交渉する。セシリアの口調や仕草に同じ臭いを感じとった。

 彼女はとても上品な雰囲気を漂わせている。田羽根さんとは比べものにならないほど好印象を抱いた。しかし素直に心根が純粋と思いこむのは早計だと感じていた。

 突如としてBT型一号機のスラスターから噴射音が轟く。機動力が最も低下したレーザービット一基は浮遊砲台とした。残る三機を下部、そして両翼へ扇を広げるように展開し、打鉄零式へ照準を合わせる。さらに瞬時加速で一気に差を詰めた。桜の腹にスターライトmkⅢの砲口を押しつけた。

 一方、桜はすぐさま一二.七ミリ重機関銃を構えた。腕の伸縮機構を利用してセシリアの左胸に銃口を押しつける。彼女の乳房の形が変わるのも気にしなかった。

 互いに零距離射撃がいつでも可能な状態である。セシリアは一夏や箒から背を向けるようにその場で踊るような動きで互いの向きを入れ替え、わずかではあったが底意地の悪い雰囲気を漂わせている。

 

「……もちろん、無料(ただ)ではありません。おわかりになっていると思いますが」

 

 セシリアがホホホと笑う。

 ――真っ黒や。

 桜はその腹の中をのぞいた気がした。

 

 

 篠ノ之箒は突然の訪問者の扱いに困っていた。

 (ファン)鈴音(リンイン)。一夏曰く、セカンド幼なじみである。彼女は一〇二五号室へ押しかけるや箒に向かって、突然「部屋を替われ」と言い出したのである。

 いきなり替われ、とは乱暴な話だ。よく見れば足もとにボストンバッグが置かれていた。中にはきっとお泊まりセットが用意されているだろう。しかも入浴済みらしく、石けんのさわやかな匂いが鼻孔をくすぐった。

 

「私の一存では決められない」

 

 箒は眉根を寄せていかにも不機嫌そうな雰囲気がにじみ出ていた。無理な要求を突きつけて逆上させようという見え透いた交渉術を駆使する鈴音をにらみつける。百歩譲って「泊めてくれ」ならまだ納得がいく。実際、他の生徒の部屋に泊まる者も出てきている。どうやら寮監の千冬が黙認している節がある。今回のように波風が立つようなやり方はどうかと思った。

 さらに言えば鈴音の言い方が気にくわなかった。「一晩部屋を交換しませんか?」ではなく「あんたに一夏の隣はふさわしくないのよ。彼の隣はあたしのものだから去りなさい」というメッセージだと解釈していた。

 箒は腹の中で鈴音への対抗手段を練りながら、彼女に怒りのまなざしを向け続けた。

 鈴音は箒に構わず愛想良く笑っていた。

 

「いやぁ、篠ノ之さんも男と同室なんてイヤでしょ? 気を遣うし。のんびりできないし。その辺、あたしは平気だから替わってあげようかなって思ってさ」

 

 あくまで友好関係を取り繕うつもりらしい。

 ――いけいけしゃあしゃあと……。

 鈴音の見え透いた態度に、箒は今にも激高しようとする自らの心を律することに努めなければならなかった。腕を組んだまま彼女と対峙する。表情筋だけで笑っているのがよく分かる。箒は眼光を鋭くして威圧を試みたが、目的のためには手段を選ばない女の前には効き目がなかった。

 一方、本日二度目の修羅場を前にして一夏は再び肝を冷やしていた。どっちつかずの態度を取れば一方に角が立ち、沈黙すれば自分のせいにされる。どちらに転んでも理不尽な仕打ちが待っているのだ。できることならこの場から一刻も早く逃げだしたかった。

 一夏はほどなく名案を思いつき、お茶を取りに行くという口実を作って席を立った。冷蔵庫に麦茶とミネラルウォーターが入っている。それに来客時にお茶を出すのは一夏の仕事と決まっていた。箒のほうがどっしりと構えているため、気がついたら暗黙の了解が成り立っていたのである。

 

「この部屋を明け渡すつもりはない。それにだ。私と一夏の問題だ。部外者に首を突っ込んでほしくないのだ」

 

 箒は声音を低く抑え、できるだけ感情を消した。我を忘れて不用意な発言をすればたちまち足もとを見られて立ち退きに応じたことにされかねない。また、初恋の相手と同居という好機を逃す手はない。好いた男と一緒にいられるのだ。さすがに本音のような強引な手段の採用は気が引けた。それでも幼なじみの垣根を超えて、より親密な関係になるには良い機会だと捉えていた。

 ――断固としてこの部屋に居座らせるものか。

 実のところ、鈴音の要求を突っぱねなければならない切実な理由がほかにあった。

 ――この部屋は私が寝起きしたばかりに霊が集まりやすくなってしまった……。

 奥から冷蔵庫の扉を開ける音がした。箒は音に気を取られたふりをして、扉のほうへ視線を滑らせる。そこには紺色の旧海軍第一種軍装を着用した佐官が椅子に腰かけていた。足があっても全身が透けている。彼は毎日決まった時間になるとぼうっと横須賀基地の方角を見つめた。そして決まった時間になると去っていくだけなので実害はなかった。

 はじめは、てっきり桜の血縁者だとばかり思っていた。桜曰く海軍関係者の最終階級は大尉だという。少尉のときに特攻で死んだと話しており、桜とは無関係なことが判明している。

 ――余計に怖がらせるのであえて言わなかったのだが……。

 学園のそばに寂れた漁港がある。学園島はその昔海軍の特攻基地があった。殉職者はひとりやふたりで済まなかっただろう。先日、地元の商工会議所を訪ねたら戦跡巡りのチラシをもらった。史跡の説明文に墓石の数が記されていた。足し算の結果、学園島付近で一〇〇〇名以上の者が非業の死を遂げていたのである。

 

「大丈夫。あたしも幼なじみだから」

「だから、それが何の理由になるというのだ」

 

 鈴音は箒と同条件だから、という理由で一夏と寝所を共にしてもよいと言い張った。今のメッセージは一夏に聞かせるためのものだろう。「ああ。そうだな」と同意の言葉を引き出すのが目的だ。その発言を根拠に攻勢を強めてくるはずだ。

 鈴音は相変わらず表情筋だけで笑っている。「朴念仁をいつまでたっても振り向かせられないあんたの役目は終わったのよ」と心の中で毒を吐いているに違いない。

 箒は圧力に屈するものかと息巻いてから、鈴音と旧海軍の佐官とを見比べた。

 ――言ってやりたい。すぐそばに霊が座っている、と。

 一夏がおそるおそる顔を出す。机に麦茶のボトルと人数分のグラスを置いた。そして鈴音のボストンバッグを話題にしていた。

 すぐさま鈴音は軽やかな足取りで箒の(ふところ)に潜った。そしていかにも人懐(ひとなつ)っこそうな笑顔で見上げる。

 

「とにかく、今日からあたしもここで暮らすから」

「ダメだっ。出ていけ! ここは私の部屋だ!」

 

 なし崩し的に居座ろうとする鈴音から距離を取るべく一歩下がり、両手を広げて語気を荒げる。箒はチラと扉のほうを見やった。

 ――増えた。佐官ばかりだ。全員酒瓶を抱えている……花見のつもりだろうか。

 しかも箒や鈴音を認識しているらしく、しきりに手招きしてくる。彼らは濁り酒をお猪口(ちょこ)に注いで、恐ろしい勢いで飲み干していく。しかも未成年は飲酒禁止というルールを理解していないのか、お酒を勧める、勧めないと言って騒いでいる。コーペルやボディナイス、ブルームなどの隠語が飛び交っていた。箒は意味が分からないとばかりに怒りの表情を向けた。

 

「一夏の部屋でもあるでしょ? じゃあ問題ないじゃん」

「俺に振るなよ……」

 

 一夏の鈴音の鋭い視線から逃れようと悩ましげに眉を寄せる箒の顔色をうかがった。怒っているな、と思ったが、口にする勇気を持ち合わせていなかった。

 

「とにかく! 部屋は替わらない! 出ていくのはそちらだ! 自分の部屋に戻れ!」

 

 竹刀を振り回して追い払ってやりたかった。だが、手を出してしまえば鈴音の思うつぼだ。彼女は腹の中でほくそ笑みながら、暴力を振るった(とが)で追い出すつもりなのだ。箒は自分が不利になるようなまねを避けたかった。

 ――こんな霊のたまり場に置いてはいけない!

 だから箒は声を大にする以外の手段がなかった。鈴音はもちろん、勝手に酒盛りを始めた霊たちに向けて激しい口調で主張を伝えようとした。それでも鈴音や霊たちに思いが通じた気配はない。

 

「ところでさ、一夏。約束覚えてる?」

「む、無視するな! ええい、こうなったら……」

 

 ――いっそ暴露(ばくろ)してしまうか。いやいや、そんなことをすれば一夏まで出ていってしまう。どうすればよいのだ!

 箒は話が通じない鈴音を前にして頭を抱えたくなった。逆上し、大声を出す自分の姿が悪者のように思える。一夏がもし鈴音の肩を持つような発言をすれば、箒には打つ手がなかった。それに霊が集まっていると口にしたら正気を疑われるだろう。「あなた、憑いてますね」と告げるのは簡単だ。だが、鈴音が信じてくれるとは思えなかった。

 

「……悪霊退散? 部屋の雰囲気に合わないわよ」

 

 鈴音は上目遣いで一夏を見上げ、壁に貼られた御札に気がついた。洋風の内装とあまりに不釣り合いだった。一夏に昔の約束を思い出す時間を与えるつもりで、壁際に歩み寄るなり、背伸びして御札に手を伸ばした。

 

「り、鈴。……それは」

 

 一夏は御札をはぎ取られるのではないか、という激しい焦燥感に駆られた。小学校の頃、箒が御朱印を書く練習をしていたことを覚えていた。だから桜の幽霊騒ぎの翌日に頼み込んで書いてもらったのだ。あの騒ぎよりも前から箒の周囲に黒いもやもやが漂う光景を目にしている。騒ぎの前はストレスによる目の錯覚とばかり考えていたが、最近はそうではないと確信するにいたっていた。

 鈴音の指先が御札の端に触れる。

 

「鈴!」

 

 一夏はあわてて鈴音の背後に駆け寄り、机に置いたボトルやグラスを脇に避ける。逸る心を抑えながら鈴音をやんわりと注意した。

 

「待て。その御札にはさわるな」

 

 一夏は力を込めないよう、左手で鈴音の手首を軽くつかむ。御札が破れて何が起こるか予測ができなかったので、右手で彼女の指を一本ずつ優しくはがそうとする。

 

「いいな。絶対にさわるなよ」

「何よ。声が怖いわよ」

 

 一夏の声がわずかに震えている。鈴音は違和感を抱き、その場で顧みて彼の表情を探った。指の力を抜けば一夏も力を緩めた。そのまま後方で思案に暮れる箒を振り返ってから、すぐに顔を戻す。

 

「御札なんて効果があるかわからないじゃない。むしろ、あたしと一緒のほうが心強いわよ」

 

 御札に固執する一夏に向かって断言した。彼は理解を示すように何度かうなずき返したが、やはり恐れを抱く態度に変化はなかった。こんなに信心深かったっけ、と鈴音は不思議がった。一年やそこらで何があったのか。

 

「とりあえず御札の話から離れよう。……で、何の話だったっけ」

 

 一夏は鈴音から手を離した。そのとき、彼女の顔から寂しがるような切なさを感じ取った。それも一瞬のことで、ふたりに背を向けるやグラスに麦茶を注いだ。結露した水滴が指先を濡らす。三人分注いで、鈴音、箒の順番で手渡していく。

 自制心を失ってアリーナのような事態になるかもしれなかった。一夏は箒がグラスを受けとる間、彼女の顔をじっと見つめる。理不尽な怒りを向けられる兆候がないことにほっとしていた。

 

「すまんな」

 

 箒は麦茶を飲み干す。グラスを流しに置こうと冷蔵庫に向かって歩いていった。途中で海軍の亡霊に酌を求められたが、無視して通り過ぎた。霊などいない。それが事実のように振る舞わなければきっと彼らは不安がるだろう。そして酔っぱらいの相手をする暇はなかった。

 グラスを置き、冷蔵庫からミネラルウォーターを取りだそうと考えて扉へ足を向ける。ふと、ドアが開いて隙間が空いていることに気づいた。

 箒は額を手に当て、大きくため息をついた。

 

「お前たち……」

「しのののさーん。修羅場? 修羅場ってさ。どうなった?」

 

 隙間から櫛灘のはしゃいだ声が聞こえてくる。おそらく相川もいるだろう。鈴音が来たので、いつでも退室できるよう鍵を開けたままにしていた。まさか外から盗み聞きされているとは思いもしなかった。

 箒は扉を半分開け、野次馬たちに冷ややかな視線を浴びせかけた。

 ――櫛灘、相川、布仏、谷本、鏡、夜竹……佐倉までいる。

 箒は最前列にいた櫛灘を見つめる。彼女は満面の笑みを浮かべていたのであえて無視することに決め、次に桜を見やった。

 

「さっきお隣の櫛灘さんに誘われてな。めっちゃおもし……大変ことになっとるって。あっ、今」

 

 乾いた音が聞こえた。後ずさった一夏が頬を押さえていた。状況を把握できないのか呆けた顔つきをしている。どうやら一夏が墓穴を掘って自滅したらしい。続いて鈴音が早口で一夏の鈍感さへの不満をぶちまける。最後に捨て台詞を言い放った。

 

「犬にかまれて死ね!」

 

 

 四月末日の朝。

 連休前日のため、学園中に浮ついた雰囲気が漂っている。生徒はもちろん教員も連休の予定を気にして、自然と口元がほころびがちだった。

 

「うわっ。あの集団はなんや」

 

 桜が驚いて生徒出入り口に向かって指を差した。なにか重大発表が掲示されたのは間違いない。混雑のあまり、背伸びしてみても文字が小さくて判読ができなかった。しかたなく人混みをかき分けて前に進む。ようやくたどり着いた先には「クラス対抗戦日程表」と書かれた張り紙があった。試合開催は五月中旬から下旬にかけて、場所は第二アリーナである。

 

「最初の相手は四組か」

 

 クラス対抗戦は総当たり形式である。最も勝率の高いクラスが一位となり、半年間デザートフリーパスを得ることができる。最下位になれば部室棟の掃除が待っている。

 第一試合は一組対二組だった。

 

「一組代表、織斑一夏。使用ISは白式。二組代表、凰鈴音。ISは甲龍。三組は……私の名前やな。ISは打鉄零式。四組は更識簪。ISは打鉄」

「四組だけ訓練機なんだね」

「結局間に合わなかったんやな……」

 

 桜は堀越との雑談の内容を思い出していた。堀越が上機嫌なとき、自社の他の製品について当たり障りのない範囲で情報を提供してくれる。打鉄弐式絡みで最近耳にしたのが「菊原さんが提案をしぶしぶのんでくれた」というものだ。

 

「桜ったら。倉持の人から何か聞いているとか?」

「弐式はなあ。零式と織斑の白式を作った実績があるから、機体の設計開発には困らなかったらしい」

「何か問題があったの?」

 

 倉持技研には打鉄弐式の開発と並行して誘導兵器開発のノウハウを手に入れる目論見(もくろみ)があった。もちろん四菱や他企業のミサイルシステムをライセンス生産で導入する案もあった。だが、事業拡大のためにあえて自社開発に踏み切ったのである。

 ノウハウも無しに手探りで開発を進めれば当然壁にぶつかる。打鉄弐式は誘導兵器の発射装置を機体や非固定浮遊部位に内蔵させる予定だったため、見事に足を引っ張る形になってしまった。悪いことは続くもので、もうひとつの目玉武装「春雷」も砲身寿命に関する技術的な問題を克服できなかった。仕方なく一型として割り切った設計に変更せざるを得なかった。

 

「武装が……。兵器開発の現場ではよくあることや。白式を見てみい。あんなストイックな機体だってあるんやし」

「新機軸を盛り込もうとしたとか」

「当たり。朱音。ようわかったな」

「新しいことには失敗がつきものだってよく言うでしょ」

 

 山嵐が自社開発となった理由はマルチ・ロックオン・システムにあった。四菱のミサイルシステムは一対他よりも多対多の運用を考慮して設計されていた。マルチ・ロックオン・システムは今のところ、どの企業も研究こそすれ、開発には成功していなかった。実際には四菱のような考え方が主流を占めていたことが大きく、有用性を疑問視していたのである。

 

「ISって相性さえ良ければ何でも搭載できるんじゃなかったっけ?」

「そうやろな。零式も貫手以外の近接武器を搭載できるとか言っとったし。白式の剣は無理やけど、対複合装甲用超振動なんちゃらも使えるんやって」

「貫手ってただの物理攻撃じゃん」

「そうなんやけど。毎回人体に向けるなってうるさいんや。堀越さんなんか貫手があればほかの近接装備はいらへんって豪語しとったし」

 

 そして自社開発に踏みきったもうひとつの理由。倉持技研はある斬新な誘導兵器の開発に成功していたのである。

 その名もヴァル・ヴァラ。ブーメラン型ミサイル、または手裏剣型ホーミングブーメランとも呼ばれている。

 呼称から明らかなように戻ってくるブーメランと形状が酷似している。目標を失探すれば、まるでブーメランのようにミサイルが手元に戻り、目標の再設定や再攻撃が可能である。研究試作中の試験において戻ってきた弾頭なしブーメランをISがつかもうとして、マニピュレーターが粉々に破壊されてしまったことがある。

 幸いなことにマニピュレーター側の強度を劇的に高める技術を開発することにより問題解決に至ることができた。

 

「マニピュレーターが特製らしくてな。何があっても絶対に砕けないようになっとるんやって。堀越さんの恩師が設計したから言うて太鼓判を押しとった……誰やったっけ。ええっと名前が思い出せん」

「有名な人なの?」

「業界では有名人らしいわ。ちょこっと待って。思い出せそうなんや」

 

 ヴァル・ヴァラは強化型マニピュレーターを搭載したISでなければ使用不可能だった。能力を最大限に発揮するためには、従来の機体に対して人間の背骨に相当する内部骨格(インナーフレーム)に対して大幅な改修を施さなければならなかった。

 改修にかかる費用を見積もったところ、機体を新規開発したほうが安価だと結論づけられた。そこで次期主力ISとその試験機への搭載が決まったのである。

 打鉄零式は強化型マニピュレーターを搭載した最初のISである。このときに得たノウハウが打鉄弐式にも生かされている。残念ながら白式は強化型マニピュレーター搭載計画が発表されるよりも早く、機体の開発が終了してしまったため搭載を見送った。

 

「弐式は本命の武器が完成するまでの間、代替武器で専任搭乗者に受け渡しするみたいなんや」

「それでここ最近の簪が渋い顔ばかり見せるんだ」

「……やっぱりかあ。実はな。曽根さんが止めてくれんかったら、私が代替武器を使う可能性があったんやって」

 

 堀越は当初、この珍妙な兵器を打鉄零式に搭載しようと画策した。四菱から派遣された協力社員一同がこの動きを阻止。炸薬重量が最大約六〇キロもあることから、扱いには慎重を期する必要があった。そこでISの扱いに慣れた者でなければ運用が難しいとの観点から打鉄弐式の専任搭乗者に白羽の矢が立った。

 

「この話に触れると堀越さん、ほんまに悔しそうにするんや。どうも代替武器の開発に携わった時期があって思い入れがあるんやって」

「それならこだわるのもしょうがないか」

「あっ……思い出したわ」

「誰なの」

千代場(ちよば)博士や。ちょばむ……やなくて千代場(ちよば)(たけし)。知っとる?」

「全然知らない」

 

 ヴァル・ヴァラ開発に携わった者たちは量産化への野望を諦めていなかった。特にヴァル・ヴァラ、そして強化型マニピュレーターの設計開発で陣頭指揮をとっていた千代場博士とほか数名の動きが執念じみていた。彼らは自社の新人歓迎会に参加し、(したた)かに酔った菊原の口から「考えておく」という言葉を引き出すことに成功する。その後、正式な提案を行うに至った。

 結局、千代場の根回しが功を奏した。菊原は上層部から早く専任搭乗者に機体を渡すように強く言われた。菊原が折れる形で山嵐の代替装備としてヴァル・ヴァラが暫定採用されてしまった。その後、菊原から打鉄弐式の引き渡しが六月中に決定したと更識簪に伝えられている。

 なお、打鉄弐式の武器リストには貫手が存在しない。もともと白式(打鉄壱式)用に開発された対複合装甲用超振動薙刀「夢現」の流用が決定事項となっており、設計段階で腕が伸びる構造は不要と判断された。

 

「更識さんは使い慣れた機体で出てくるんやろ。ベテランをなめてかかると怖いから気いつけんとな」

 

 朱音は思わず桜の顔をのぞきこんでいた。

 ――ああ。やっぱり。

 朱音が予期したとおりの答えだった。約一ヶ月の間行動をともにしてわかったことは、桜は勝負事が絡むと決して敵をあなどらない。それどころか脅威に感じているかのような物言いをすることだ。

 ――オルコットさんと遜色のない動きをするのに。

 口元が軽くゆがんでおり、わずかに歯をのぞかせている。緊張しながら「半年間定食フリーパスのためにがんばる」というおかしな宣言をしたことを思い出した。

 ――こんな子、ほかにいないだろうな。

 朱音が見つめていると、桜はどこか遠くを眺めるかのような目つきに変わった。

 

「朱音。信じてくれんと思うけど、技量が高いとな。性能の限界を超えてくるんや。昔、ほんまの名人たちを見たとき、私は恐れおののき、こう思った」

 

 桜はかつての先輩たちの姿を思い浮かべていた。

 

「この人たちが味方でよかった」

 

 首をかしげた朱音を置いて、桜は踵を返した。再び人混みをかき分けて教室に向かった。

 後ろから朱音の戸惑った声が聞こえる。桜は無我夢中だった真珠湾の潮風と油臭さを思い出しながら独りごちた。

 

「ほんでもって、みんな逝ってしもうた」

 

 

 




極一部の人にしかわからないネタを仕込んでしまい大変申し訳ありませんでした。

これにて「某国の密偵疑惑」はおしまいです。次回から新章です。
以前活動報告にてお知らせしたとおり、次章投稿開始まで期間をあけます。
よろしくお願い致します。


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GOLEM
GOLEM(一) 水域・上


 大変長らくお待たせ致しました。今回から新章「GOLEM」が始まります。「水域」は新章のプロローグ的扱いです。にわか知識で書いた内容なので拙いと感じる部分が多々あるかもしれません。それでも楽しんで頂けたら幸いです。

・潜航時、機関切り換えのタイミングに明らかな誤りがあったため、関連する文章を修正しました。


 五月上旬。南半球では秋が訪れていた。

 イーサン・ボイル中佐は、ロットネスト島西方の水域を航行するオーストラリア海軍コリンズ級潜水艦のブリッジ上にいた。艦尾方向から近づく航空機の姿が大きくなるにつれ、騒がしさが増している。ボイルは騒音が気になるあまり、ロットネスト島の島影を見やるつもりで振り返った。鋼鉄の鳥が翼を広げ、その先端から細い白線を空に描き出す。そして低空をわがもの顔で踊っていた。

 複座型のスーパーホーネット(F/A-18F)が耳をふさがずにはいられないほどの爆音をとどろかせている。国旗をはためかせた潜水艦の脇を通り過ぎながら、あいさつ代わりのバレルロールをしてみせた。

 ボイルは口笛を吹き、歯を見せて笑う。二基のターボファンエンジン(F414-GE-400)が奏でる騒々しい音を追って顧みる。スーパーホーネット(F/A-18F)が機首を上げて上昇機動に移った。アフターバーナーが日光に負けじと強く瞬いて、雲の波間に消えていった。

 ブリッジから眺める久方ぶりの青空だった。冬が近いからだろうか。ボイルはがっしりした体に日の光を浴びながら潮風の中にわずかに漂う冷気を感じとった。

 海面にうろこのようなさざ波が立っている。波が艦首にぶつかって縁が白くにごる。コリンズ級は全長約八〇メートルの通常型動力潜水艦で、オーストラリア海軍にはこの艦を含めて六隻所属する。

 甲板士官を兼任する副長が名残惜しそうな顔をしている。ボイルは胸をそらして潮風を思い切り吸い込んだ。

 ボイルは副長がそんな顔をする理由を知っている。 

 ――この艦は来年になれば退役だ。

 ドックには日本から輸入したそうりゅう型潜水艦が待っている。通常動力型としては最大級の潜水艦だ。

 そうりゅう型の導入するにあたって日本政府と一悶着があった。日本政府は武器輸出三原則という建前を気にして輸出を渋っていた。一時は誰もが購入は無理だと考えた。コリンズ級を改修するため、技術を輸入しようとする動きもあった。だが白騎士事件の後、再度交渉の席に着いた日本政府の意見が一気に輸出へ傾いたのだ。

 ――不謹慎だが、白騎士には感謝している。

 ボイルはそうりゅう型潜水艦の艦長として内定している。オーストラリア海軍において潜水艦乗組員は人員不足が続いていた。ボイルのような艦長経験者が少ないのだ。薄給がもとで転職した仲間も多い。そんな雰囲気の中で彼が海軍を辞めなかったのは潜水艦という艦種が好きだからだ。

 ――ただし、給料の手取りを据え置きにされた恨みは深い。

 白騎士事件はすべての兵科において予算面で大きな影響をもたらした。事故だったとはいえオーストラリアも日本に向けてミサイルを発射している。ボイルを含めた多くの人々が北へ向かって飛翔するミサイルの噴煙を目にしている。目撃者によってインターネットの動画投稿サイトにその光景がアップロードされた。そして政府は日本に多額の寄付金を支払う羽目になった。もちろん寄付金の内訳は軍事費を削り、公共事業を削減し、公務員の給料から一定比率の金額を天引きしたものだ。日本国民に多数の死傷者を出してしまっては、文句を言える立場ではなかった。

 白騎士事件が全世界に認識された発端は、白騎士に取り付けられたカメラのライブ映像がインターネットの動画投稿サイトにアップロードされたことである。

 そして世界中から耳を(ろう)するような爆音とミサイルの航跡が続々と投稿された。東京湾上空に激しい花火があがったことを契機に徐々に視聴者が増えていった。白騎士の機動にあわせて画面が激しく揺れた。ミサイルを次々と撃ち落とす。轟音が鳴り止まない。映画のワンシーンと見紛うばかりの迫力に呆然とする。当時のボイルには事実と認識しがたいものがあった。あわてて家でくつろいでいるだろうMSDF(海上自衛隊)の知り合いに国際電話をかけてみたがつながらなかった。

 白騎士の戦いはCGではなかった。迫り来るミサイル群を東京湾に面したライブカメラがとらえていた。航空、海上自衛隊が迎撃ミサイルを射出する。やや遅れて陸上自衛隊も対応する。来襲したミサイルが次々と撃ち落とされていく光景が配信された。

 動画投稿サイトのライブ映像は白騎士の被弾によって終わりを告げる。おそらくカメラが吹き飛ばされたのだろう。映像が終わる直前、狭い空間を肩を寄せ合うように飛ぶミサイルの姿が撮影されていた。

 今度はテレビが映像を配信した。白騎士が低空に降りたときの姿をテレビカメラの望遠レンズがとらえた。ミサイルが音速をはるかに超えた速度で突っ込んでくる。一〇〇発以上被弾したことにより、白騎士の姿が変わり果てていた。それでもなお動き続ける白騎士は現実離れした存在に思えてならなかった。

 ボイルは中継映像を今でも鮮明に覚えている。煙の中から現れた白騎士は、左肩から先が消し飛び、両膝がちぎれていた。右手だけで剣を振る。白騎士のパイロットは死にかけていた。命を燃やし尽くすように光線を撃ちだしては迎撃を続ける姿は悲壮感に満ちあふれたものだ。

 奮闘むなしく、東京湾横断橋に一発のミサイルが飛び込んだ。通行中の車両もろとも崩落する。巡航ミサイルに近づいた航空自衛隊のイーグル(F-15J)が自機の渦流を用いてはたき落とそうとした。そして判断を誤ってミサイルとともに海面に激突する瞬間が全世界に配信された。幸いパラシュートが開いたのでパイロットは無事だったらしい。だが、別のイーグル(F-15J)バイパーゼロ(F-2)がミサイルにわざとぶつかって大爆発を起こした映像もある。浦賀水道や湾内にミサイルが落下し、数十メートルにおよぶ水柱が無数に立ちのぼる。羽田空港では、拡張工事を終えたばかりの真新しい滑走路にもミサイルが着弾した。点検車両に乗っていた職員をこの世から消し去る。駐機中の旅客機が至近弾によって横転する。爆風が周辺の住宅やオフィスビルの窓ガラスを割る。ミサイルの破片が東京湾沿岸にまき散らされた。港湾施設や商業施設、住宅街と分け隔てなかった。ヒドラジンなどのミサイル燃料も降り注いだ。コンテナ船の大爆発。海上保安庁の巡視船や漁船にミサイルが突入し、炎上。巡視船がくの字に折れて着底する。漁船にいたっては船体を貫通し、乗組員の体が粉々に砕けて魚の餌に変わった。硝酸などの有害物質との接触や吸入による人々の健康被害。世界中が日本の首都圏の惨状に目が釘付けとなったのだ。そして誰もが第三次世界大戦の始まり(この世の終わり)を想起した。

 ――あの事件において迎撃に成功したミサイルは約八割。一九〇〇発と少し。それでも、ISが脅威であることには違いない。

 白騎士事件の第二段階を思い出す。失った手足を再生した白騎士と水上戦力の間で偶発戦闘が生起した。海底に引きずり込まれた艨艟(もうどう)たち。白騎士に立ち向かった戦闘機は鋼鉄の翼をもがれて火球に変わった。白騎士来襲に備えてボイルにも召集がかかった。

 ――結局、戦争にはならなかった。

 日本は報復戦よりもむしろ復興を優先させたため、痛み分けという形で第三次世界大戦を回避した。どの国も戦争遂行のための資金がなかった。そして日本でミサイル・ショックと呼ばれた一連の騒動が発生する。大きな動きとして、日本の世論が自衛隊の戦闘行動容認へと一気に傾いたことだろう。そうりゅう型のオーストラリア、ベトナムへの輸出はそのどさくさにまぎれて決まった。アラスカ条約に関連してIS学園設立と運用にかかわる多額の資金を寄付金という名目でミサイル発射国に背負わせることで片をつけた。その後さまざまな問題が表面化したことで頭が冷えたのか、現在の穏便な形に落ち着いている。

 ――順調にいけば、現国会でようやく自衛隊法およびその関連法改正案が審議を通過するはずだ。

 ボイルは再び視線を海面に向ける。

 顔の真正面から受けていた風が右頬に当たっている。相対風の向きが変わったのだ。海の状態が変化する。潮が艦首から見て右から左へ流れていた。浅い海が少しずつ深くなっていく。ボイルは腕時計に目を移し、もう一度空を見上げた。

 ――この青空としばらくお別れだ。

 

発令所(コントロール)。こちらブリッジ。潜航準備」

 

 ボイルは艦内通話装置(インターコム)を通して指示を出す。ブリッジのジャイロコンパスに目をやり、針路に変化がないことを確かめる。水深を測定するための機械のボタンを押す。結果は水深八〇メートルだ。コリンズ級の最大潜航深度は約三〇〇メートルとされている。もう少し西へ進めばさらに深くなる。最大潜航深度よりも深い海底に沈没していったとしよう。圧縮された空気によって艦内が炎に包まれるか、艦の圧壊が先か競うことになるだろう。

 見張りが国旗を取り外し、ブリッジを降りていく。ボイルが東を向くと、ロットネスト島が見える。島を背景にして彼らを見守るうちにブリッジの人影はボイルだけとなった。

 最後にボイルが司令塔へ降りた。ハッチに手をかけ、固定する。はしごを降りてふたつ目のハッチの点検を終え、すぐそばにいた兵士が密閉した。

 

 

 コリンズ級潜水艦は艦長のボイルが操艦指揮を行い、副長が潜航士官を務める。

 発令所にはボイルと副長のほかに当直海曹や操舵手、連絡員などの姿がある。当直海曹が眉間にしわを寄せてバラストやトリムの調整にかかりきりになっていた。

 バラストとは船体の安定を保つために使用する重量物のことだ。潜水艦の場合、タンクに海水を注水することでおもりとして機能させる。トリムとは船の前後傾斜を指す。

 全区画から報告が入ってくる。水漏れや火災、装備の損傷といった事故に直結するような状態がないことを確かめる。チェックリストを使って潜航の条件が整っているかどうかを照合する。

 

「艦長」

 

 緊張した顔つきのボイルに向かって、隣席の副長が続けた。

 

「潜航準備が整いました」

「よし」

 

 ボイルは手順に従い速力を決定する。

 

速力二ノット(時速三キロメートル)

 

 副長はボイルの指示を機関制御室へ伝えるべく、マイクを手に取る。何度も行ってきた手順なので手慣れたものだ。

 

「機関制御室。こちらコントロール。速力二ノット(時速三キロメートル)

 

 副長が機関制御室が命令を受領をボイルに伝える。

 ――いよいよ潜航だ。

 ボイルは全身が水に埋もれていく感覚を思い浮かべて心が躍る。

 ――ほかの水上艦艇では決して味わえない。だから俺は転職のすすめを断ってきたんだ。

 潜航する、と前置いてからボイルが目標深度を決めた。

 

「潜航士官。潜航開始。深度二〇メートル」

「潜航します……深度二〇メートル」

 

 深度二〇メートル、つまり潜望鏡深度までゆっくりと船体を沈めるつもりだ。当直海曹はずっとモニターを見つめてトリムの状態を見守っている。

 警笛音が鳴った。とにかくやかましい。副長を一瞥したところ妙ににっこりとしている。彼は潜航警報ボタンを押していた。

 続いて当直海曹が全艦放送で潜航開始を知らせる。

 この放送の後、バラストタンクへの注水状況を見なければならない。

 ――怖い顔をしているだろうな。

 当直海曹の強面が集中するあまり迫力を増していた。腹の中に大量の海水を蓄えて沈むための準備が整っていく。

 操舵手が操舵輪を動かして艦首を下げる。もし床に立っていれば、どこかにつかまっていたくなる角度だ。コリンズ級潜水艦の丸っこい鼻先が沈む。そして鼻の頭から突き出た円筒が波の下に沈んだ。

 副長がモニターに表示された値をにらみつける。

 

「艦首は水中。深度二〇メートル」

 

 司令塔が沈み、ブリッジ上のアンテナやECMマスト、シュノーケル、排気口など水上に顔を出している。

 

「操舵、艦尾横舵五度」

「艦尾横舵五度にします」

 

 操舵手は艦尾横舵で深度を調整する。コリンズ級は横舵や縦舵もすべてひとりで操縦できるようになっていた。

 潜望鏡深度に達したので号令が飛び、操舵手が前部潜舵や横舵を水平に保つ。

 その間、当直海曹は忙しなくモニターを見つめ、船体が水平を維持できるようにトリムを調整した。左右の傾きを抑えるため船内のタンクからバラスト水(海水)を排出する。

 ――手慣れたものだ。

 ボイルは当直海曹らの真剣な顔つきを一瞥する。

 副長が再びチェックシートを照合していき、異常がないことを確かめる。

 

「機関停止。バッテリー航走に切り換える」

 

 一拍おいて操舵手が答える。

 

「機関停止。アイ」

 

 続けて機関制御室が命令を受領したことを通知する。しばらくしてやかましいディーゼル機関が停止した。動力源が蓄電池に切り替わったことを副長が報告する。水上航行中、常時艦内を覆っていた振動と低周波音が減少したせいか、発令所内の声の通りがよくなった。

 副長がチェックシートの項目を埋め、蓄電池を動力源とした潜航の準備が整ったことを告げる。

 ボイルは副長や当直海曹らの手腕に対して素直に賛辞を送った。

 特に当直海曹はボイルよりも長くこの艦に乗っている。同じ四〇代と年齢は対して変わらないこともあり、陸に上がればよい友人だ。ボイルと当直海曹、そして副長を巻き込み、ある航空機シミュレーターの潜水艦MODの開発に携わったこともある。白騎士事件後、ボイルは中佐になったことで書類上においては昇給している。だが、昇給によって生じた差額を天引きされている。公務員すべてを対象とした天引き金はすべてIS学園への寄付(賠償金)として支払われていた。

 海軍は休暇を取るように積極的に推進していた。稼働時間を減らして、業務の民間委託を増やした。国庫への負担を少しでも減らそうとしていたのだ。

 数年前、ボイルは安価な潜水艦シミュレーターの研究に携わっている。軍用シミュレーターでもよいのだが、ノート型端末が一台あれば雰囲気を味わえるようなものを作ろうとした。雀の涙ほどの予算しかおりなかったので、最初からオープンソースで開発するつもりでいた。かといって機密に抵触する内容にすることはできない。そこで誰かが「沈黙の狩猟者」なるゲームのクローンを作ろうと提案した。ある航空機シミュレーターのMODとして作れば誰も軍が関与しているなど疑わないだろう、というものだ。研究の相談事は勤務時間外にしろ、という命令が下っている。仕方なく海軍御用達のバーで酒を飲みながら仕様をとりまとめた。

 沈黙の狩猟者は主にUボートを題材にしたゲームである。クローンMODではT型潜水艦を最初から使えるようにした。海軍の記録庫を漁ればいくらでも詳細な資料を入手できたためだ。さらにボイルはこの手の話をたしなむMSDFの知り合いに「伊号から晴嵐(せいらん)を飛ばそう」と話を持ちかけた。その結果、最初からT型潜水艦と伊四〇〇型を使うことができた。

 さらに近代戦MODとの連携を考慮して通常型動力艦や原潜を追加できるようにしている。門外不出のつもりでコリンズ級のデータを試作し、世に送り出したときはオベロン級として手直しもした。

 細部まで作り込んだ結果、非力な端末ではローポリを使わなければ動作不可能となってしまった。ボイルの手を離れた頃になると有志が軽量化MODを開発するなどの動きがあった。彼らが研究開発したMODはとても完成度が高かった。今では定番MODとしてときどきゲーム雑誌に紹介されるまでになっている。

 ボイルは二年ほど前にこの沈黙の狩猟者クローンを使って当直海曹と同じ立場を体験してみたことがある。ちょうど姪の端末がMOD動作の推奨条件を満たしていた。

 ――三回出撃して、三回とも同じやつに撃沈されたんだ。

 その三回目はバーで飲んだ帰りに当直海曹と副長を誘って復讐戦のつもりだった。T型潜水艦に乗り日本商船の狩り場に向かう。そして水偵に乗った「SAKURA1921」と遭遇してしまった。日本商船を狩るつもりが、逆におびき出された事実に驚いた。後でリプレイ動画を見る機会があった。桜吹雪の塗装をした水偵が姿を見せた瞬間、阿鼻叫喚の地獄絵図が始まったことを今でもよく覚えている。

 ボイルは敵性反応の有無について副長に確かめた。

 

「ソナーから探知(コンタクト)に関する連絡は?」

 

 副長がソナー長から送付されたデータを見て不審な点がないことを確かめる。

 

連絡ありません(ネガティブ)

「よし。予定通り真西に進もう。方位二七〇」

 

 ボイルは大陸棚に沿って西へ艦首を向ける。方位は真北をゼロ度とし時計回りに指定したものを使っている。

 副長が彼の命令を操舵手に伝達する。

 

「方位二七〇」

「方位二七〇にします」

 

 操舵手が操舵輪を右手で扱い、ジョイスティックに左手を添えて艦首の向きを変えた。

 

「方位二七〇です」

 

 さらに副長がボイルに向かって同じことを復唱した。

 水上は静かなものだ。荒れても良さそうな時期だが、とてもおだやかな海だった。

 

「副長。曳航(えいこう)式アレイを出してくれ。修理してから調子が戻っているか確かめたい」

 

 ボイルからの命令を聞いた副長が当直海曹に向かって命令を伝達する。当直海曹はすぐさま命令の受領を伝え、スイッチを入れた。

 船体から曳航式アレイが放出される。曳航式アレイはパッシブソナーの一種で多数の水中マイクを並べたケーブルを潜水艦で引っ張って使用する。潜水艦で使用するものは全体の長さが数十メートルにおよぶ。

 曳航式アレイは前回の航海のとき、艦内に収納するための巻き上げ機の不具合により、水中マイクの一部を損傷していた。修理によって以前と同等の性能が出るかどうかソナー長に確かめさせようとする。

 ボイルは曳航式アレイを出し終わったのを確認した後、ゆっくりした声を出した。

 

「深度五〇メートルへ潜航」

「深度五〇メートル。了解」

 

 副長が命令を受領したことを伝える。ボイルは角度をつけて潜るように指示を出す。

 

「艦尾横舵五度下へ」

 

 水平を保っていた足元が傾き、額が前に倒れていく。勾配がついたのがわかり、そろそろブリッジから剣山のように生えるアンテナやマスト類が海に沈む頃合いだ。

 ボイルは頭の中で計算し、本当の意味ですべての船体が海中に沈んだと予測する。副長の声が響く頃合いだと思った。案の定、アンテナやマストが水没したことを告げる副長の声がする。

 

「全アンテナを下げろ」

「全アンテナ、下げます」

 

 ボイルの指示に当直海曹が答える。しばらくして三〇メートル通過、と操舵手の声が響き、副長の声が後を追った。

 

 

 深度五〇メートルで船体が水平になって安定する。

 ボイルは発令所にいた全員に向けて「よくやった」と言った。

 おだやかな海のせいか、コリンズ級が発する音が最も騒々しいものだった。利かん坊でかしましく、燃費の悪いお転婆娘が蓄電池を使うことで多少は静かになる。それでもなお、同条件ではそうりゅう型のほうが静粛性で勝っていた。より高性能な潜水艦を求めた結果、システムを総入れ替えせざるをえなかった。それでも、そうりゅう型を長期間運用することを前提にすればコリンズ級を使い続けるよりもむしろ安くついた。日本製の特徴なのか燃費がよいのだ。

 隣室ではソナー長がこの船の流体雑音(フローノイズ)蓄電池(バッテリー)が発する低周波音などの音をより分けている。

 ボイルは哨戒任務中に、何度か不審な潜水艦のスクリュー音を聞いたことがある。インドネシアの近海で聞き覚えのないディーゼルエンジンの音が響いていることに気づいたのだ。お互いエンジンを動かしていたのでやかましかったに違いない。コリンズ級がうるさいのは有名だから、相手のほうが先に気づいていただろう。しかも水域は漁船がひっきりなしに行き交っており、海洋雑音だらけだった。ボイルは頭の中で交戦規則を暗唱しながら、何事もなく素通りした。

 原潜の通過にも遭遇したことがある。そのときは蓄電池で航行していた。頭上を通り過ぎる原潜に気づかれないよう静止した。息を潜めて音紋を収集することに徹した。

 ボイルは当直伝令に声をかけ、愛用のプラスチック製マグカップにコーヒーを入れさせる。自席のコンソールにマグカップを置き、補給したばかりのコーヒーを煎った匂いが漂う。ブレンドしたインスタントコーヒーだが、気分を味わうには申し分ない。

 ――少し薄いかな。

 マグカップに口をつける。基地で同じものを飲んだときはもっと濃かったはずだ。

 ソナー室に向かう。大人ひとりがやっと入れるような狭い部屋に、さまざまな機械が所狭しと置かれている。

 ボイルに気づいたソナー長が分厚いヘッドホンを当てたまま、チラと目配せした。

 

「前回、この水域にいた不審船のスクリュー音はありませんね。静かなものです。このあたりよりもロットネスト島のビーチのほうが雑音だらけですよ」

「あの島はいつもこんなものだろう。ほかに何か気づいたことは?」

「クジラの群がいます。少し気が立っているのかな? 警戒エコーがひっきりなしですよ。近くにサメでもいるのでしょうか」

「このあたりはタイガーシャークが多い。生身で泳ぎたくない水域だ。引き続き任務に当たってくれ」

「了解」

 

 ボイルは(きびす)を返して発令室に戻った。

 ――何もなければそれで構わない。

 自分を含めて乗員を無事連れ帰るのがボイルの仕事だ。哨戒任務で他国の潜水艦と遭遇したり、ときどき環太平洋合同演習に参加するよう辞令が下ったこともある。

 ――無事に航海を終えたら退役式と新型(そうりゅう型)のお披露目式のメッセージを考えなければ。

 ボイルは自席に戻るまでの間、ふと(めい)への誕生日プレゼントについて思い出す。

 ボイルが三二才のとき、三つ下の妹が生んだ子供だ。姪は今年で一三才になる。義弟に似て美人だった。妹や自分に似なくてよかったと神に感謝するほど美しく育ち、しかも賢い。彼女はダリル・ケイシーのファンだ。ISに乗りたい、とよく口にしていた。

 だが、ボイルは年頃の少女が喜びそうなプレゼントが思いつかなかった。

 ――去年はうかつにもヘル・ハウンドの模型をプレゼントしてしまった。本人は気を使ってくれたようだが……。

 妹の突き刺すような視線を思い出して身震いする。そして記憶を巡らせ、姪が「ちょっとほしいかも」と興味を示した模型のコマーシャル映像を思い出す。

 ――確かMSDF(海上自衛隊)所属のISだ。名前は……思い出したぞ。その名も()()()()()()

 ボイルは去年の失敗を反省することなく、不評なら自分のものにしてしまえばよいとほくそ笑む。すぐに他愛もない思考を打ち切る。艦長の顔に戻った彼は航法モニターへと視線を移す。

 そのとき隣室で、ソナー長が異常な音に気づいた。ゴツンという音だ。彼は発令室にそのことを報告し、その後も注意を払い続けた。

 

「ソナー室より発令所」

 

 副長が即座に艦内通話装置のマイクをつかむ。

 

「どうした」

 

 副長はおだやかな声で聞き返す。ソナー長がひどくあわてながら怒りをぶつけるような声で叫んだ。

 

ハイドロフォン(水中聴音器)に感あり!」

 

 艦首部分に設置されたパッシブソナーは、その表面に多数のハイドロフォン素子を並べている。三六〇度全周囲、三次元的に音を拾うことができる。真後ろについては自艦が発する雑音が大きい。だが、二〇年以上におよんだ運用の結果、フィルタの精度も向上している。

 悲鳴じみた叫び声を耳にした瞬間、男たちの目が点になった。彼らはすぐさま立ち直って艦のために動く。しかし、誰もが次の報告に聞き耳を立てていた。

 

「水中に魚雷! 本艦のすぐそば! 距離が近すぎて計算できません!」

 

 ソナー長の声に覆い被さるように海がうなった。爆発の衝撃で船体が沈みこむ。艦にいた全員が前後左右に揺さぶられる。マグカップがひっくり返って飲みかけのコーヒーをぶちまけた。書類がリノリウムの床に落ち、一部はコーヒーの上に落ちて染みとなる。続いて船体が右に倒れる。衝撃に流され、当直海曹が中性浮力と水平トリムを維持しようと必死に指をおどらせる。操舵手が眼前の計器をにらみ、必死に操舵輪を握る。ボイルたちは座席ベルトのおかげで大事はなかった。

 

「操舵、ただちに全速前進!」

 

 ボイルが大声で命じた。一刻も早くこの場から逃げ出すためだ。

 誰かに胃を思い切りつかまれた気分がして、胸がぎゅっとしめつけられる。心臓の音がどんどん大きくなる。息苦しさを感じて初めて激しく緊張していると気づいた。それでいて現実感が希薄だった。かつてボイルがSFや架空戦記を読んで胸を躍らせた潜水艦乗り同士の戦いに身を置いている。だが、ワクワクドキドキはどこにもなかった。自分自身を含めた四五名の命がボイルの判断、そして乗組員たちの働きにかかっている。ボイルは緊張のあまり吐きたくなった。

 

「ただちに全速前進、アイ!」

「機関制御室は、ただちに全速前進を受領通知しています」

 

 操舵手と副長が立て続けに報告する。

 ――ソナー長の報告から爆発までが速すぎる! 接近に気づかなかったのか!

 爆発の衝撃で海中に音が散乱している。海底エコーだろうか。今度は足元が小さく揺れた。

 ――流体雑音も空洞現象音も感知できなかった。原潜か? シーウルフ級、ヴァージニア級……ありえない。

 ボイルは吐き気をこらえながら、すぐさま確認する。曳航式アレイにより探知範囲が向上しているはずだ。

 

「発令所よりソナー。探知(コンタクト)はないか?」

 

 副長がソナー長に確認する。

 

ありません(ネガティブ)

 

 ボイルは心の中で舌打ちした。

 ――キャプター機雷に待ち伏せされた? そうであればソナー長がもっと早く気づくはずだ。おそらく背後から忍び寄って至近距離での速射(スナップショット)

 そのとき若い電話連絡員が声をあげた。

 

「発令所よりソナー室。右舷、前部潜舵付近から異音ありとの報告です。流体雑音(フローノイズ)が増大しています」

「他には」

ありません(ネガティブ)

 

 ボイルは操舵手に舵に違和感がないか聞いた。

 

「確かに舵の利きが一瞬遅くなっています。普段なら特に問題はないと思いますが、現状では艦尾横舵を主に使えば何とか……」

「わかった」

 

 その後電話連絡があり、前部潜舵は修理中との報告があった。

 ――運が良かった。

 ボイルはひとりごちる。

 だが、安堵のため息をつくには早すぎる。続けざまに艦内通話装置のブザーが鳴る。ボイルは思わず息をのんでいた。受話器を耳に当てた副長の口からどんな最悪の知らせが飛び出すのか。発令所にいる全員がおそれおののく。

 

「ソナー室より連絡。曳航式アレイに一過性の機械音あり。方位一五〇です」

 

 本土の周囲の大陸棚が広がっている。南南東の水域では最も深い場所で約六〇メートルだ。

 

「ソナー長。距離やどんな音か、わからないか」

「敵は移動しているため正確な距離がわかりません。ですがゴツンという音がしました。さきほどの魚雷を探知する前にも同じ音がしました」

「引き続き警戒してくれ。もしかしたらより詳細なデータが取れるかもしれない」

 

 おそらく魚雷を装填したときの音だ。音響ミスも考えられた。だが、先ほど本物の魚雷に襲われたことからミスの可能性は低い。

 ボイルは頭の中で交戦規則(ROE)を満たしているかどうか検討する。状況としてはすでに攻撃を受けていて自衛戦闘の条件を満足している。水上艦ならば攻撃を加えた者を目視可能ならば警告を加える。だが、ここは海中だ。姿なき敵は探知音(ピン)を打つことなく、いきなり引き金を引いた。

 ――俺たちはこういう事態のために訓練してきたんだ。

 まだ吐き気がする。口の中は胃酸とコーヒーが混ざり合っている。コーヒー豆を浅煎りしたような酸味が広がっていく。

 ――初めての実戦だ。正確には二回目。しかし、白騎士(インフィニット・ストラトス)の戦場は遠すぎた。

 冷えたコーヒーが飲みたい。ボイルは乾ききった口の中を潤したかった。

 ――逃げるのが一番だが、こちらは相手の正確な位置がわからない。機関を止めて着底した状態で撃ってきたのか。静粛性の高いポンプジェット・プロパルサーを装備しているのだろうか。

 推測しようにも情報がなかった。それでも、なぶり殺されるわけにはいかない。

 

「副長。敵は次も撃ってくるぞ」

「はい。おそらく。いいえ……間違いないでしょう。この水域には航行中の船舶がいません。水上の風速もおだやかです。さきほどまでわれわれがノイズメーカーの役割を果たしていましたから、相手はこちらの位置を知っているものと推測します」

 

 ボイルはすぐさま腹をくくった。実際に口にする場面は一生ないだろう思っていた交戦規則の一文を暗唱する。

 

「交戦規則は自領域内での自衛戦闘に適合し、海中での兵器使用を認可したものと断言する」

 

 副長はためらうことなく力強く言い放つ。

 

「同意します。艦長」

「よろしい。では航海日誌に記録してくれ。すべてのMk48高性能魚雷(ADCAP)に起爆装置を取り付けてくれ。目標動静解析(TMA)の数値を入手しだい一番発射管に装填しろ。二番、三番発射管に囮魚雷を装填せよ」

 

 囮魚雷にはコリンズ級のディーゼルエンジンが奏でる騒音や蓄電池航走時のスクリュー音が記録されている。音紋に向かって航走する魚雷や敵潜水艦のソナーを欺くためだ。

 ボイルはひと呼吸置いてから付け加えた。

 

「総員配置警報を出す。対潜水艦戦闘配置。急げ」

 

 

「ソナー室より発令所。ハイドロフォン(水中聴音器)に反応あり!」

 

 副長が艦内通話装置をつかみとっていた。

 ボイルは魚雷が発射されたと直感し、目標動静解析に必要なパラメータを数え上げていく。自艦の攻撃準備が間に合うかどうかやきもきした。

 ――来たか。反撃できるまで持ちこたえられるのか。

 現在、水雷室では搭載魚雷に対して起爆装置取り付けを行っている。魚雷の搭載数は一二基。残り一〇基はハープーン対艦ミサイル(UGM-84)だ。

 

「方位一五〇から魚雷! 雷速三〇ノット(時速五五キロメートル)! 本艦との距離が離れていきます!」

 

 ボイルは不思議に思った。この付近にはクジラがいる。もしや潜水艦と誤認したのだろうか。

 

「魚雷の種類はわかるか?」

 

 ひと呼吸遅れて副長がソナー長が導き出した答えを伝える。

 

流体雑音(フローノイズ)の特徴からMk48高性能魚雷(Mk48 ADCAP)と判定します」

 

 有線誘導中のMk48はソナーを母艦の耳代わりに利用できる。アクティブ・ソナーで相手の位置情報を入手し、かつ自艦の位置を知らせずに運用することが可能だ。

 

「発射位置は五五〇〇メートルの距離と推測します」

「近いな……わかった。その位置から発射したものとして考えよう。目標動静解析(TMA)を始めてくれ」

 

 目標動静解析は方位率やドップラーによる射程率などの数値をもとに計算を行い、海中を移動する目標の運動を推測できる。魚雷に目標のデータを入力する際にこの目標動静解析によって得られた値を利用する。

 ボイルは敵がこの艦の位置を把握している前提で、今回の魚雷発射について考えを巡らせる。

 ――敵はわざと一本ずつ撃っているのか? 一発目は本艦よりも浅深度で爆発した。感知されることなく速射(スナップショット)してきた相手にしては……ずさんすぎる対応だ。

 電話連絡員がボイルを呼ぶ声がした。

 

「艦長。水雷室より連絡。起爆装置の取り付けが完了しました」

「わかった」

 

 ボイルは腕時計に目を落とす。全速のままバッテリーを使い切れば潜望鏡深度まで上がって、大食らいでやかましいディーゼルエンジンを始動させなければならない。つまり通常動力型潜水艦において最大の弱点を晒すことになる。

 ――良い的になるだけだ。

 

「操舵。魚雷発射管を敵に向ける。左へ舵をきれ(取り舵)、方位一四〇。速力四ノット(時速七キロメートル)に変更」

「機関制御室は命令を受領通知しています」

 

 副長がモニターを見ながら報告する。

 

「取り舵、方位一四〇。アイ」

 

 操舵手が指示を復唱する。ほどなくして船体が左へ傾く。急速に旋回が始まり、慣性がかかる。

 操舵手が計器を見ながら一〇度ずつ声で知らせる。その最中にソナー長が先ほどの魚雷が遠ざかっていると告げた。

 船体の傾斜がなくなり、操舵手が旋回完了を報告する。

 

「方位一四〇です」

「よし。発令所よりソナー。さっきの魚雷はどうなっている」

 

 ボイルは軽く首を振り、すぐに副長を介してソナー長に確認する。

 

「ソナー室。魚雷の針路は変わっていません。方位二四五、距離一二〇〇〇メートル。どんどん離れていく……爆発、今!」

 

 海中の音速は地上の五倍だ。そして海水は硬質なため、地上とくらべて爆発の破壊力ははるかに大きい。衝撃波が到達して船体が揺れる。今度は机上のコーヒーカップや筆記具が床に落ちるようなことはなかった。ソナー長が爆発地点の周囲にクジラのエコーがあったと報告する。

 ――クジラが身代わりになってくれたか。

 さらにもう一度やや弱い揺れが来た。今度は衝撃波が海底を反射して生じた震動だ。

 

「こちらソナー。水中の敵性探知物(コンタクト)を捕捉。曳航式アレイで方位一五五。艦首ソナーで方位一五二。以後、アンノウン(未確認)1と指定します!」

 

 アンノウン1は南南東付近にいると推測された。ソナーが入手した数値がコンピューターに反映され、目標動静解析の結果が補正される。この値を利用して起爆装置付きの魚雷(Mk48 ADCAP)にプログラミングする。

 

「兵装士官。二番発射管注水」

 

 ボイルの命令を副長が中継する。

 わずかに時間を経て注水が完了したことを報告した。その直後、ソナー室直通艦内通話装置のブザーが鳴る。受話器をつかみとった副長がすぐさま声をあげた。

 

「ソナー。曳航式アレイがゴツンという音……続いて流体雑音(フローノイズ)を感知!」

 

 副長はひと呼吸置いて、ソナー長の追加情報を中継する。

 

「方位一六〇! アンノウン1の一過性音と判定します」

 

 ボイルは生唾を飲み込む。先ほどと同じくクジラをねらうのか、それともこの船なのか。声が震えないよう注意して副長に向けて口を開く。

 

「今度はこちらかな?」

「水中に魚雷あり! 流体雑音(フローノイズ)空洞現象(キャビテーション)音の特徴からMk48高性能魚雷(Mk48 ADCAP)と判定します! 方位一六〇から本艦に向けて襲来!」

 

 ボイルの言葉を遮って、副長がソナー長の報告を伝える。

 ――速射してきたか。

 だが、ボイルは動じることなく魚雷への対処を行う。

 

囮魚雷(デコイ)を使う。二番発射管の外部扉を開けろ。発射手順開始」

「艦内準備よし。兵装準備よし」

 

 じわりとボイルの背筋に汗が伝う。副長の報告を聞いてすかさず囮魚雷(デコイ)の射出を命じる。

 

「二番発射管の魚雷(ユニット)は電気的に発射されました」

「兵装。続けて三番発射管に囮魚雷(デコイ)装填。浅深度の大陸棚に沿って泳ぐようにプログラミングしろ」

 

 副長が命令を伝達。ボイルは矢継ぎ早に命令を下す。

 

「音響妨害装置を右舷に向けろ」

 

 音響妨害装置はソナー探知の妨害音や艦艇の疑似反射音を作り出すための器材だ。残念ながら効果はなかった。魚雷から放たれたカーンと激しい金属音が船体を揺らす。こちらに向かってくると思ったが、ソナー室の艦内通話装置をつかんだ電話連絡員が声を張り上げる。

 

「敵魚雷が蛇行をやめてアクティブ・モードに入りました! 囮魚雷(デコイ)に向けて直進! スクリュー数とドップラー効果から雷速四〇ノット(時速七四キロメートル)!」

 

 ――うまくいきすぎているな。

 ボイルは冷や汗を垂らしながら兜の緒を引き締める。敵艦の性能がわからない状態で慢心すればあっという間に状況が悪化するものだ。空調が効いているにもかかわらず額から汗が流れ落ちた。手の甲で拭いながらモニターをにらみつける。

 囮魚雷は浅深度を這うように航走を続けている。その背後には魚雷が猛然と迫り、役目を果たそうとしていた。

 ――いよいよだ。

 ボイルはひどく淡々とした声を発した。囮魚雷ではない。本物の武器を使うときが来たのだ。

 

「一番発射管に注水」

 

 発射管に装填された魚雷は発射前に周囲を海水で満たす。魚雷を潜水艦の外に出すためには、外部扉を開けてやらなければならない。水中と発射管の圧力が不均一だと、水圧が扉の開放を邪魔する。そこで海水を注ぎ入れることにより、内外の圧力を均一にして初めて外部扉を開けることが可能になる。

 ボイルは毅然とした表情で言い放った。

 

「内外の圧力均一化も含めて一番発射管をあらゆる点で準備せよ」

 

 ボイルは緊張で口の中が渇いていた。噛みやしないかと思ったが、自分の声が意外と落ち着いていることに驚く。今ごろ水雷室は緊張した面もちで命令を待っているに違いない。

 

「敵魚雷、さらに加速! 囮魚雷を追い越しました! クジラのエコーに向かってばく進!」

 

 モニターに副長の唾が飛ぶ。

 ――クジラだと? まさか、敵も()()()なのか。

 ボイルは片頬をつり上げて目を細める。半分は平静を装い、もう半分は緊張でひきつっている。両肩にのしかかる責任を決して悟られまいと歯を食いしばる。そして心の中で秒数を数え上げながら兵装の準備が整うのを待った。

 

「一番発射管、注水完了。発射手順開始。船体準備よし。兵装準備よし」

 

 副長が訓練通りの声をあげる。すでに囮魚雷を発射したとはいえ、やはり表情が硬い。緊張が露わになり、声が震えている。

 ボイルは一音ずつゆっくりと発言した。これは演習ではない。一番発射管に本物のMk48高性能魚雷が装填されている。彼は手順に従った。

 

「一番発射管の外部扉を開けて()()

「一番発射管の魚雷(ユニット)は電気的に発射されました」

 

 スイムアウト、とすかさず副長が付け足す。スイムアウトとは発射管内であらかじめ魚雷の推進装置を作動させ、魚雷自体の推進力で撃ち出す方式だ。

 

「一番発射管の魚雷(ユニット)は正常に航走しています」

 

 ボイルはかっと目を見開いた。手のひらが汗だらけだ。本当に魚雷を撃ってしまった。仮想目標ではない本物の敵に向けて一番発射管のユニット(Mk48 ADCAP)が炸裂すれば敵艦を沈められるかもしれない。もしくは攻撃の意志をくじくことができるかもしれない。

 胸がしめつけられ、口の中に広がった酸味をむりやり飲み込む。ボイルは神でもなく、組織のためでもなく、自分自身に向かって念じた。

 ――これは自衛戦闘だ。

 

 

 




「水域・下」につづく


【補足】
・速度
ノットと時速を併記しました。ノットを時速に換算する際、以下の式を使いました。
1ノット=1.85km/h
※計算結果は小数点以下を切り捨てています

・方位
360度式を使用しました。


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GOLEM(二) 水域・下

 時間がとても長く感じる。

 目標動静解析(TMA)によって得られたアンノウン1を示す光点が表示されている。周りに集まった部下たちと眼前のモニターに示された数値へと視線を行き来させながら、ボイルは汗を拭い、顔を強張らせた。自衛のため魚雷を発射したという事実がボイルの両肩に重くのしかかっていた。

 ボイルは泣き出したくなる気持ちを必死にこらえる。心の中の恐怖心がどんどん大きくなる。幼かった頃の弱虫だった自分が急に表に出ようとしていた。

 ――考えろ。わずかな時間でも惜しむな。

 ボイルは自分を叱った。敵は動き続けている。どういうわけか誤射(ミスショット)を続けているが、それとて一時的なものだ。いずれは慣れて冷静さを取り戻す。

 外から聞こえる不協和音が大きくなった。この水域には現在三基の魚雷が走っている。一基はクジラのエコーへと引き寄せられていき、一基は囮魚雷だ。もう一基はアンノウン1めがけてウォータージェットから勢いよく水を噴きだしている。

 

「ソナー室より連絡。一番発射管の魚雷(ユニット)はアクティブモードで航走しています。雷速二〇ノット(時速三七キロメートル)。距離八〇〇〇メートル」

 

 アクティブモードは魚雷自身が音波を発射し、反射してきた音波を受信して追尾する方式だ。つまり魚雷自身で静止した目標さえも判別する。

 ――俺がアンノウン1の艦長なら探信音を発する魚雷を処理することを第一に考える。

 魚雷の磁気信管ならば船体に直撃する必要がない。爆発によって生じた衝撃波と気泡によって相手を傷つける。特に後者は、収縮と膨張を繰り返しながら水面に浮上する。この収縮した泡が再び膨張するとき、バブルパルスと呼ばれる大きな破壊力を持った圧力波が生じる。魚雷が向かってきたときは囮魚雷や音響妨害装置で注意を逸らすか、対魚雷ロケットなどで破壊してやらなければならない。

 

「艦長。目標との距離を少しあけるべきです。こちらの位置を知られている以上、敵が飽和攻撃を仕かけてきたら対処する時間がありません」

「わかった。アンノウン1から距離を取ろう。アンノウン1は艦種が不明であり他にも敵がいる可能性がある。曳航式アレイは展開したままにしておく」

 

 ボイルは副長の意見にしたがって、操舵手に対して指示を出す。

 

「操舵。方位一四五、速力八ノット(時速一五キロメートル)

「機関制御室は命令受領を通知しています」

 

 副長がモニターを見ながら答えた。

 

「方位一四五。アイ」

 

 操舵手が命令を復唱する。船体が右へわずかに傾き、ゆっくりと旋回が始まる。船の角度が戻ったとき、操舵手は旋回が終わったことを告げた。

 

「ソナー室より発令所。方位〇〇二、距離一五〇〇〇で爆発。付近にいたクジラのエコーも消えました」

「われわれの囮魚雷(デコイ)はどうなっている」

 

 副長に確認すると、すぐさま反応が返ってきた。

 

「ユニットの反応が消えています。爆発に巻き込まれたものと推測します」

 

 ボイルはあごを引いて唇を真一文字に引っ張る。

 海面表層を反射して到達した衝撃波が船体に当たる。揺れが静まったかと思えば、今度は海底を反射した衝撃波によって足元が軽く揺れる。

 ――爆発で海洋雑音があふれている。雑音を隠れ蓑にして魚雷を発射してくる可能性は?

 ボイルはすぐさま艦内通話装置のマイクをつかみとる。

 

「兵装。三番発射管に注水せよ」

 

 了解、と艦内通話装置から兵装士官が返事をする。ボイルは敵が矢を放つ光景を思い描いた。

 

「注水完了後、三番発射管はあらゆる点で準備」

「アイ、サー」

 

 兵装士官が低い声音で命令を受領した。間髪おかず電話連絡員が大声を張り上げる。

 

「ソナー室より発令所。ハイドロフォン(水中聴音器)に反応あり!」

 

 電話連絡員は一呼吸おいて、若い明瞭な声を発令所に響かせる。

 

「アンノウン1が魚雷を発射しました! 方位一六〇。距離八五〇〇メートル! スクリュー数、流体雑音(フローノイズ)の特徴からMk48と判定します!」

 

 ――簡単にはやらせてくれないか。

 ボイルはアンノウン1から発せられる殺気のようなものを感じ取って身震いした。敵の艦長は誤射こそ多いものの攻撃精神旺盛だ。手頃なディーゼル艦を血祭りにあげるつもりなのだ。ボイルは憤りを感じながらも副長からの報告を聞く。

 

「艦長。兵装士官より連絡。三番発射管、注水完了」

「よろしい。向かってくる魚雷に対して囮魚雷を発射せよ」

 

 副長が兵装士官に対して命令を中継する。彼が艦内通話装置のマイクを置く前に追加の指示を与えた。

 

「二番、三番発射管は囮魚雷を再装填せよ」

 

 すぐさま副長が兵装士官に伝え、命令を受領したことを通知する。囮魚雷が正常に航走しているとの報告を受けた後、音響妨害装置を使ったものの効果がなかった。ボイルは生唾を飲み込んでから当直海曹を呼ぶ。

 

「当直海曹。艦内通話装置で艦内に急激機動を通達」

「急激機動を通達します」

 

 続けて操舵手に旋回の指示を出す。

 

「操舵、面舵にて方位三〇〇に向かって旋回」

「面舵、方位三〇〇。アイ」

 

 操舵手が命令を復唱する。慣れた手つきで船体を右に傾け、旋回を始める。立っていた者はコンソールや手近な場所で体を支えている。副長が真剣な顔つきで魚雷の状況を注視していた。

 

「一五〇……一六〇……」

 

 操舵手が眼前の目盛りを一〇度ずつ読み上げていく。旋回が終わったことを告げるように水平に戻ったところで、操舵手が報告する。

 

「方位三〇〇です」

「操舵。よろしい」

 

 ソナー室から経過報告が届く。

 

「一番発射管のユニットが雷速四〇ノット(時速七四キロメートル)に増速! アンノウン1までの距離二〇〇〇メートル」

 

 ボイルたちが放ったMk48高性能魚雷(Mk48 ADCAP)は海中を疾駆していた。搭載燃料をすべて食らい尽くすように獲物めがけて最後の加速を実行する。

 

「ソナー室より発令所。対魚雷ロケットの音を感知しました」

 

 ソナー長の報告を電話連絡員が中継する。受話器の向こうで、ソナー長が一秒間隔で立て続けに発射された対魚雷ロケットの射出音を聞いていた。

 

「方位一六一で爆発音!」

 

 衝撃波が届いて小刻みに船体が揺れる。対魚雷ロケットが一番発射管のユニットに向かって連続して飛び込んだことより、衝撃波の山が生じ、波が到達するたびに何度も船体が揺れた。海中に様々な音があふれかえり、一時的にソナーの能力が低下する。ソナー長がすぐさまフィルタを調節して一音も聞き漏らすまいとしていた。

 ボイルは一番発射管のユニットが爆発したものと予測し、副長に魚雷の状況を確かめる。

 

「爆発したのはどちらの魚雷だ」

 

 すぐさま副長の声が飛んだ。

 

「一番発射管のユニットです!」

 

 今度はソナー室からの連絡が届く。

 

「ソナー室より発令所。水が跳ねる音がしました……水中に魚雷あり! 方位一六一、Mk48!」

「接近中の魚雷はどうなっている!」

 

 ボイルの問いに対してすぐさまソナー長が返答する。その内容を電話連絡員が中継した。

 

「本艦との距離が離れています。現在、方位一八〇。距離一一〇〇〇メートル。三番発射管の囮魚雷を追尾して航走中です」

 

 よし、とボイルは答える。

 

「副長。海溝に潜って魚雷をやり過ごす。この水域の特徴はわかっているな」

「もちろんです。艦長」

 

 ボイルが向かっている水域は大陸棚の切れ目であり、海底峡谷が存在する。一番深いところでは深度一五〇〇メートルに及ぶ。スターリング港やロットネスト島から比較的近く、操艦訓練のために何度も潜った場所だ。

 

「われわれの庭だ。簡単にやられてたまるか……囮魚雷を発射して敵魚雷の針路を攪乱(かくらん)する」

 

 迫り来る魚雷への対処とアンノウン1から身を隠すためだ。もし囮魚雷だと発覚して空振りに終わったとしても、狭い峡谷を航走しなければならない。乱暴な操艦を行えば山肌に激突しかねないのだ。相手が原子力潜水艦の可能性があるため、正面から殴り合っては勝ち目がない。勝機を見いだすため、慣れた水域に誘い込んでむつもりでいた。

 

「兵装士官。二番発射管、囮魚雷発射」

「了解。二番発射管、発射手順を開始します。……囮魚雷発射」

 

 副長が兵装士官の報告を中継した。

 

「二番発射管の魚雷(ユニット)は電気的に発射されました。ユニットは正常に航走しています」

 

 敵の魚雷は今もなお、ボイルたちの後を追って猛然と迫っている。海中を錯綜する魚雷群から身を隠すべく、墓場のごとき深海の峡谷へ向かう。

 ボイルは気を抜けば歯の根が合わなくなると思い、ずっと奥歯を力を入れて噛んだ。初めての殺し合いに胸が高鳴るどころか恐怖心ばかりが増す。しかも密閉された空間において指揮官の恐怖心は瞬く間に伝染する。ゆえに彼は落ち着きを払っているように見せかけた。休む間もなく指示を飛ばし続ける。

 

「操舵。右へ舵をきれ(面舵一杯)。方位三三〇。深度一五〇、速力八ノット(時速一四キロメートル)。潜舵下げ一〇。潜航する」

「面舵一杯。方位三三〇。潜舵下げ一〇。アイ、サー」

「艦長。機関制御室は命令を受領通知しています」

 

 操舵手、そして機関制御室の命令を中継した副長の声が発令所に響く。

 ――優秀な潜水艦乗りたちを殺してなるものか。必ず生還してやる。

 

「三一〇……三二〇……」

 

 船体が右に傾き、位置エネルギーと運動エネルギーを交換する。その間、ボイルは眼前のモニターに表示された深度計を見やった。

 深度一五〇メートルは、コリンズ級が公試で潜航したときの深さだ。オーストラリア海軍が公にしているだけあって雑誌によく掲載されている値でもある。現在航走中の峡谷は海底の隆起が激しい。海底の地形を把握せずに動けば険しい断崖を削る羽目に陥る。また、でこぼこが数十メートルに及ぶ場所がいくつも存在した。深く潜りすぎてしまうと速力を犠牲にしなければならなかった。

 

「艦長。方位三三〇。深度八〇メートル」

「よし。潜航を続けてくれ」

 

 艦首を前のめりに倒し、徐々に深海へと潜っていく。操舵手が一〇メートルずつ深度を報告していた。

 

「深度一〇〇……一一〇……一二〇……」

 

 そのとき電話連絡員がソナー長の報告を中継した。

 

「ソナー室より発令所。本艦に接近中の魚雷がアクティブモードに移行しました」

 

 つまり魚雷自身が探信音を発してコリンズ級の姿を探し始めたのだ。アンノウン1の魚雷は深度五〇メートルを泳ぐ囮魚雷ではなく、海底を目指すコリンズ級に狙いをつけていた。

 ソナー長が発令所のスピーカーに魚雷から発する探信音を流した。

 ホテルの受付に置いてある銀鈴(ベル)と似た澄んだ音が聞こえてくる。陸上ならずっと耳を澄ませたくなるような音だ。だが、ボイルにとってはまるで死神の鎌を喉元に突きつけられたような気分になり、全身が総毛立つ。

 

「深度一三〇……一四〇……」

「敵魚雷、雷速三〇ノット(時速五五キロメートル)に増速!」

 

 アンノウン1が放った魚雷は大陸棚に表面に沿うようにしてコリンズ級を追尾する。潜水艦の動きを感知するや、大きく弧を描きながら後を追った。

 

「アンノウン1の空洞現象(キャビテーション)とおぼしき音あり!」

 

 スクリュー・プロペラを高速で回転させたとき、プロペラ表面に気泡が発生する。空洞現象(キャビテーション)はこの気泡が崩壊したときに生じた雑音のことを指す。

 

「副長。アンノウン1は確実にこちらをとらえたな」

「Mk48のソナーを目の代わりにしたか、爆発の反響からこちらの位置を更新したものと推測します」

 

 ボイルは副長の答えに同意してうなずき返す。

 次にソナー長に対して、アンノウン1の艦種を推測できるかどうか聴いた。

 

「ヴァージニア級の推進装置(ポンプジェット・プロパルサー)と音が似ています。ただし、流体雑音(フローノイズ)が非常に小さく、その出力も小さすぎる。ヴァージニア級……原子力潜水艦を動かすにはあまりに非力すぎる。ここから推測になりますが、敵の船体は非常に小さなものです」

 

 ヴァージニア級原子力潜水艦の流体雑音(フローノイズ)については環太平洋演習やインド洋、太平洋で遭遇したときのデータを寄せ集めることでほぼ特定できていた。

 

「小さいとは? 具体的な大きさがわかるのか」

 

 ボイルの問いに対してソナー長は意見を述べた。おそらく魚雷と同程度の大きさではないか。

 

「すると特殊部隊の小型潜水艇みたいなものか。もしくは旧日本海軍の特殊潜航艇。いずれにせよ厄介だな。ADCAPを直接当てるには目標が小さすぎる。バブルパルスの有効範囲に巻き込んでやるしかない」

「はい。艦長」

 

 ――核魚雷があれば楽に仕留められそうだが、現実味がないだろう。

 操舵手が深度一五〇まで潜航したことを知らせた。当直士官が前後の釣り合い(トリム)を調整することで水平を保つ。

 追い上げる魚雷から放たれた探信音が船体に響く。銀鈴の甲高く澄んだ音が発令所のスピーカーから流れてきた。

 

「操舵。峡谷を左右に蛇行せよ」

 

 ボイルの指示を聞いた操舵手が復唱する。すぐにボイルたちの体が左右に揺さぶられた。座席のベルトがなければどこかにつかまって体を支えなければならなかったほどだ。

 ――チキンレースだ。しかも魚雷のほうが高速だ。

 

「蛇行の効果なし。敵魚雷との距離が縮まっています!」

 

 電話連絡員がはっきりとした声音で叫ぶ。どんなときでも明瞭に発音するよう訓練するものだが、恐怖心が露わになると声が上擦ってくる。電話連絡員は、任務に集中することで恐怖が決壊するのを抑えていた。

 ボイルは峡谷内を直進するよう操舵手に指示を出す。

 

「操舵! 右に一五度舵をきれ(面舵一五)、方位三一五。全速前進」

「艦長、マイナス浮力にして速度をあげることを提案します」

「そうだな。少しでも時間を稼ごう。当直士官、マイナス浮力にしてくれ」

 

 機関制御室から命令受領が通知され、当直士官がバラストタンクに海水を注入する。艦内の重量を増やすことでわずかに速力が上昇した。さらに船体が右に傾いて旋回が始まる。

 

「艦長」

 

 操舵手がボイルを呼んだとき、船体の傾きが回復した。

 

「方位三一五です」

 

 針路変更が完了したことを報告する。船体は垂直になり、機関制御室がバッテリーの残量を気にしながらもプロペラシャフトの回転を最高速に切り替える。

 

「接近中の敵魚雷! 雷速四〇ノット(時速七四キロメートル)!」

 

 カーンという硬質な音が船体をたたく。銀鈴の美しい音色ではなく、もはや鋭い金属音としか思えなかった。

 

「艦長。そろそろ西へ伸びるL字カーブ(突き当たり)にさしかかります。減速してください」

「操舵。左に舵をきれ(取り舵)。方位二六〇。速力一二ノット(時速二二キロメートル)

「機関制御室が命令を受領通知しています」

「取り舵。方位二六〇」

 

 副長の報告から間をおかずして操舵手が声をあげる。まず船体が左に傾く。刹那、急旋回によって激しい慣性が生じる。座席ベルトで固定した体が船体の外側へ引っ張られた。

 

「三〇五……二九五」

「敵魚雷さらに加速しています! 雷速五〇ノット(時速九二キロメートル)!」

 

 敵魚雷は限界まで加速しながら設定されたプログラムに従い、いったん上昇することで運動エネルギーを位置エネルギーに変換した。深度一〇〇まで上ったところで先端を下に倒し、体を左に傾ける。そしてねじり込むように螺旋を描きながらコリンズ級の後を追いすがる。

 

「敵魚雷なおも追尾中!」

 

 ボイルは顔をしかめ、心の中で舌打ちする。L字カーブ直前で旋回し、減速しきれなかった魚雷を山肌に突っ込ませる魂胆だった。

 ――もっと早く曲がってくれ。もっと早く。

 ボイルは、操舵手が一〇度ごとに針路を読み上げる声が終わるのを今かと待っていた。

 再びカーンと探信音が突き刺さる。先ほどよりも大きく激しい音だ。恐怖に負けて耳を覆ってしまいたい。だが、それは許されない。指揮官たるもの、決して狼狽するような失態を犯してはならなかった。

 

「敵魚雷、雷速五五ノット(時速一〇一キロメートル)です! なおも接近中!」

 

 敵の魚雷は最高速度に達していた。燃料をすべて使い切るつもりなのだろう。

 

「方位二六〇です」

 

 操舵手が旋回が終わったことを報告した。

 

「操舵! 左へ(取り舵)! 方位二四五。山の陰に隠れるんだ!」

 

 ボイルは声を荒げた。命令受領を知らせた操舵手はすぐさま船体を左へ傾ける。深度一〇〇メートル付近まで高々とそびえる山肌を迂回するように急速旋回した。

 

「機関停止!」

「機関制御室は命令を受領通知しています」

 

 副長が報告するのを聞き、ボイルは未だ船体の運動エネルギーが衰えていないことを肌で感じ取った。ボイルは深度を下げるため、当直海曹に向かって船体をさらに重くするよう指示を出す。

 

「当直海曹。バラストタンク注水」

「敵魚雷やってきます!」

 

 電話連絡員の声は喉が張り裂けそうなほど高ぶっていた。ボイルは最後の仕上げと言わんばかりに操舵手へ舵を切るように命令を飛ばす。

 

「操舵。右に舵をきれ(面舵)。方位〇五〇。深度一八〇」

「アイ、サー」

 

 艦尾を山の陰に隠すためだ。左に傾いていた船体が今度は右側へ傾く。急激な動作のため、当直士官がバラストタンクの注水量を調整している。

 

「敵魚雷が必殺領域に入りました」

「魚雷爆発の衝撃に備える」

 

 失速により旋回時の慣性が弱まる。山肌に船底をこすりつけたのか、こもったような震動が伝わる。

 

「方位〇〇〇……〇一〇……〇二〇」

「着弾まであとわずか」

 

 電話連絡員の声音から力が消えていた。

 

「〇四〇」

 

 操舵手の声が聞こえたとき、船のすぐそばから大きな音が聞こえた。

 ボイルの体を構成するありとあらゆる骨が強烈な衝撃で貫かれ、歯がガチガチと震える。頭が前後左右に揺れ、座席ベルトで固定したボイルの体が投げ出される。ベルトが肉に食い込み引き絞るような痛みが走った。一瞬蛍光灯が明滅したがすぐ元に戻る。振動に強いモニターだけは動じた様子がなかった。

 

 

 敵の魚雷はごつごつとした岩場の頂に命中して信管を作動させた。コリンズ級は巨岩が積み重ねられた斜面に横たわっていた。高性能火薬による最初の爆発、そして圧力波の衝撃による致命傷を免れたものの、無傷というわけにはいかなかった。船体が左に傾いて着底し、艦首と艦尾を覆った装甲がところどころへこみ、ひしゃげて亀裂が入っている。

 峡谷の斜面に当たった音波が反射しながら乱れ飛んだことから、あたりに複雑な音の響きが生じている。水を伝わってきた音により耳が痛んだ。ボイルは一時的に聞こえにくくなった耳を澄ませる。かき乱された海流の影響で一時的に能力を喪失したソナーは復活しているだろうか。

 ボイルは頭を振った。

 ――何とか死なずに済んだ。

 バッテリーが無事だったことを示しているのか、発令所の蛍光灯は青白く点灯し、空調も利いている。九死に一生を得たことを喜ぶ前に被害報告を聞かなければ。ボイルは自分を叱咤する。

 そしてあたりを見回す。発令所内は、死の恐怖に駆られて泣きそうな顔が見える。ボイルの力強い表情を目にしており、かろうじてパニックには至っていない。

 巨大なガスの泡が破裂しては収縮する。運動エネルギーと位置エネルギーを交換したとき再び衝撃波が襲いかかる。

 リノリウムの床に散らばっていたマグカップや作図道具がカタカタと音を立てて踊る。かき乱された海水の中で激しく揺さぶられながら、ボイルは深度計を見やった。

 ――深度二〇〇付近で止まっている。

 ボイルは赤い受話器をつかんだ。艦後部に位置する被害対策班との連絡を取るためだ。受話器を耳に当てるなり切迫した声が聞こえてきた。

 

「機関室で火災発生」

 

 モーターの火花が飛んでゴムや潤滑油に燃え移ったのだろうか。天井の蛍光灯が明滅している。しばらくしてソナーが復活してから徐々に被害の全容が明らかになる。

 

「前部で浸水音を感知」

 

 ボイルはすぐさま電話連絡員に状況を報告させるように指示する。彼は何度か問い合わせの言葉を発してからボイルを呼んだ。

 

「艦長。水雷室から応答がありません」

 

 異変を察した副長がモニターに目を走らせる。すぐに魚雷に関する項目を見つめ、データ入力がないことを知らせた。

 ――まずいな。

 そう思ったとき、伝令の若い兵士が発令所に駆け込んできた。彼は兵装士官の言葉を副長に伝える。

 

「副長。兵装士官が水雷室の漏水を報告しています。浸水量が多く、中に入れません」

 

 すぐそばで伝令の言葉を耳にした当直海曹が、プラスチックの保護カバーを開けて緊急高圧空気注入(エマージェンシー・ブロー)のハンドルに手をかけていた。

 すぐに意味を悟ったボイルは深くうなずきかけ、あわてて首を振りなおした。

 

「当直海曹。水雷室に高圧空気を注入しろ」

 

 高圧空気を注入することで浸水量を抑えるのだ。ボイルは口元にマイクをつけた連絡員に水漏れの程度を聞く。

 連絡員が分厚いヘッドホンから聞こえてきた内容を中継した。

 

「毎分二〇センチの割合で浸水しています」

「わかった」

 

 状況はよくなかった。

 コリンズ級を修理するため港に帰らなければ、という思いがボイルの頭をよぎった。今度は操舵手に舵の状態を問い合わせる。

 

「艦後部の横舵、縦舵ともに異状は認められません。ただし修理中の前部潜舵が破損して展開できなくなりました。乾ドックでの修理が必要です」

 

 これで水中での機動性が大きく損なわれた。特に深度調整に影響を及ぼす。ボイルはこれ以上の戦闘継続は危険だと感じる。

 

「艦長。浸水の勢いを和らげるために浮上しますか? この深度では船体にかかる水圧が高いため、修理が難航するものと推測します」

 

 二一気圧だ。副長の申し出に、ボイルは首を振った。

 

「いや浮上はだめだ。アンノウン1はいきなり魚雷を発射してくるようなやつだ。まだ何か仕掛けてくる可能性がある。しばらくは死んだふりを続ける。今は被害対策班に奮闘してもらうしかない」

 

 ずっと死んだふりを続けることにより、敵が戦闘終了を判断してくれたらよいのでは、とボイルの心に希望的観測が浮かぶ。今は身を潜めて待つことしかできない。だが、ソナー室からの連絡が再びボイルたちを激しい緊張を強いる。

 

「ソナー室より連絡。アンノウン1がこちらに接近しています。速力四〇ノット(時速七四キロメートル)! 接敵まで残り二分です」

 

 ――今攻撃されたら反撃ができない。

 ボイルの背筋に冷や汗が伝う。魚雷発射管は浸水のため区画ごと電力が遮断されており、機関室は消火作業の真っ最中だ。

 

「アンノウン1の空洞現象(キャビテーション)音を感知。本艦直上を通過。速力六〇ノット(時速一一一キロメートル)……いえ七〇ノット(時速一二九キロメートル)です」

 

 魚雷並の速度だ。ソナー長が発令所でも聞こえるようにスピーカーをつないだ。海水が泡立ち、破裂する音が聞こえてくる。

 ――新型か?

 ボイルは、ソナー長が似ているとしたヴァージニア級原潜の推進装置(ポンプジェット・プロパルサー)の概要図を思い浮かべる。

 消音タイルによって内部の音が漏れにくくなっているとはいえ、アンノウン1が通過する間、誰もが息を潜めていた。

 

「アンノウン1が遠ざかっています。速力に変化なし」

「発令所よりソナー。アンノウン1の音紋を記録したか」

「はい。艦長」

 

 ボイルは戦闘に見合う対価を得た、と片頬をつり上げて不敵な表情をつくった。

 ――戦闘記録を提出しなければ。

 そのためには無事に浮上して直接通信するか、もしくは通信ブイを用意するしかない。ボイルは情報共有を心に留め置きながらソナー長からの逐次報告を聞いていた。

 

 

 艦内の巡回を終えた副長が発令所に戻ってきた。金髪に(すす)と油が付着し、頬に玉のような汗がいくつも浮かんでいる。ボイルが発令所の片隅で資料を広げていると、副長が声をかけてきた。

 

「艦長。戦闘後被害状況の概況報告にまいりました」

 

 そのときボイルは机に海底測量データが広げ、薄い色をしたコーヒーをすすっていた。マグカップを置いてすぐに振り返った。

 

「報告してくれ」

 

 副長の口から死者一名という言葉が出た。水雷室で作業していた水雷員のひとりが、隔壁を突き破って勢いよく噴きだした水を浴びて頭を打ち、死亡したのだ。浸水については破口を塞ぎ、ビルジ・ポンプをフル稼働させて排水している。機関室の火災は鎮火。負傷者が出たものの軽傷で済んでいる。主系統のモーターが破損したため、現在は予備のモーターを稼働させている。前部潜舵が作動不能となり、高速での深度制御が困難になった。

 

「それから水雷室ですが……自動装填装置が壊れました。現在修理を進めていますが、現状では手動装填となります。一番から三番まで爆発の影響で外部扉がひしゃげています」

「外部扉が開かないのか?」

「そのとおりです。乾ドックで修理しないと……」

 

 副長は言いにくそうな顔をしている。ボイルはこの船が来年には退役することを思い出す。

 ――おそらく名誉の負傷のまま退役することになる。

 もとより最後の航海だった。コリンズ級としては最初の実戦を経験した艦となり、少なくともオーストラリア海軍史に名前が残る。

 

「司令部に今回の戦闘について報告しなければならない」

 

 副長に帰還の意思を示したとき、ボイルはソナー長からの報告を聞いた。

 

「ソナー室より発令所」

 

 アンノウン1に変化があったのだろうか。

 

「距離四万メートルでアンノウン1の流体雑音(フローノイズ)が消えました」

「減速したか機関を止めたのか」

「そこまではわかりません」

「付近に魚雷は」

ありません(ネガティブ)。艦長」

 

 ――気味が悪いな。

 ボイルは敵が何もしなかったことを気にかけていた。敵のソナーが浸水に気づいてわざと見逃したと考えるべきだ。新型ならば情報を外に漏らすべきではないと考えるのではないか。こちらは流体雑音(フローノイズ)空洞現象(キャビテーション)音を入手している。隠密(ステルス)性を高めるためにデータの流出に対して敏感になっていることが考えられた。

 

「艦長」

 

 口を真一文字に引き結んでいたボイルは副長に視線を移した。

 

「アンノウン1はわれわれの位置を把握しています。魚雷の探知範囲ぎりぎりからのアウトレンジ攻撃をしてこないとも限りません。魚雷の装填を提案いたします」

 

 副長も同じことを考えていた。ボイルは、アンノウン1の艦長が戦いの雰囲気に慣れてきていると感じていた。

 

「よし。念のため四番と五番に起爆装置付き魚雷(Mk48 ADCAP)を装填。六番発射管に囮魚雷を装填」

「艦長。アイ」

 

 副長が命令を中継する。魚雷を手動で装填するため、今までよりも時間がかかる。だが、アンノウン1が水域を離れていないとも限らない。距離が離れているので魚雷の装填音に気づかれる可能性が低いとはいえ、念入りに作業を行わなければならなかった。

 ボイルたちは魚雷装填が終わるまで艦を動かしたくなかった。水雷室では乗組員が二つのグループに分かれていた。自動装填装置を修理するグループと、手動装填用の滑車装置を大急ぎで設置するグループだ。死亡したひとりは手動装填の訓練を積んだ精鋭である。今、彼は死体袋の中で永遠の眠りについていた。

 

「艦長。兵装士官より連絡。四番、五番、六番発射管の魚雷装填が完了しました」

「よろしい。ただちに注水してくれ」

 

 しばらくして副長が注水完了を告げた。

 

「よし。四番から六番発射管は圧力調整も含めて、あらゆる点で準備せよ」

 

 副長が命令を中継する。今度は操舵手に向けて指示を出した。

 

「バッテリー航走で速力四ノット。右に舵をきれ(面舵)、方位〇八〇。深度一五〇まで浮上する」

「面舵。方位〇八〇。アイ」

「機関制御室は命令受領を通知しています」

 

 船体が振動し、スクリュー・プロペラが回り始めた。海水をかきまぜ、砂を巻き上げて周囲の水が濁っていく。

 

「戻ろう。スターリングに帰るぞ」

 

 ボイルは発令所にいる全員に向けて言い放った。発令所に詰めていた兵士の顔が明るくなっていく。みんな、もう戦闘はこりごりだった。

 当直士官がバラストタンクに空気を注入する。艦首の角度が上向き、スクリュー・プロペラによって生じた運動エネルギーを使って船体をゆっくりと持ちあげる。

 深度計を見つめるうちに、ようやく船体の角度が前後左右に水平になるよう調整されていた。ボイルは当直士官の手際を素直にほめ称える。そして速力四ノット(時速七キロメートル)になったとの知らせがあった。

 

「水雷室より発令所。四番から六番まで発射準備完了」

 

 ――お守り代わりだ。

 いつでも発射できる武器を手に入れたことで不安を拭い払った。コリンズ級(彼女)が傷だらけの体を引きずりながら右に傾き、旋回を始めた。

 操舵手が一〇度ずつ艦首の向きを知らせる。

 

「方位〇八〇です」

「よろしい」

 

 ボイルは今のところ自艦の問題だけを処理できていると感じていた。このままアンノウン1の妨害なければ無事にスターリング港へ帰ることができる。ウォーラー(SSG 75)シーアン(SSG 77)、そしてそうりゅう型と海兵たちが待っている。

 ボイルが首を横向けたとき、艦内通話装置の受話器をつかんだ電話連絡員の顔が目に映る。ボイルの心に悪い予感が生じる。電話連絡員が若い声を思い切り張り上げた。

 

「ソナー室より発令所。ハイドロフォン(水中聴音器)に反応あり! 方位二〇〇から魚雷が接近しています!」

 

 一呼吸置いて、さらなる状況悪化を告げる。

 

「左舷方向に推進音! 方位三五九から二発目の魚雷がやってきます!」

「それぞれの距離はどれくらいだ」

「一発目は距離一〇〇〇〇メートル、二発目は距離一二〇〇〇メートル。ともに雷速五五ノット(時速一〇一キロメートル)です!」

 

 ボイルは聞き終えるや否や胸を大きく膨らませて空気を思い切り吸い込む。

 

「ただちに全速前進! 潜舵上げ最大角度!」

「全速前進、アイ」

 

 副長と当直士官が同時に答える。

 

「機関制御室は命令を受領通知しています」

 

 副長が機関制御室からの報告を中継すると、ボイルはスクリュー・プロペラによる振動を感じとることができた。振動が徐々に大きくなるにつれボイルも焦燥感を募らせた。

 ――まずいな。敵は俺たちを沈める気だ。

 船体を高さが異なる鋭い音が続けて二回当たって反響する。死神のベルだ。ボイルの顔が強張る。

 ――くそっ!

 

「ソナー室より発令所。魚雷が二発ともアクティブ・サーチを開始しました」

 

 スピーカーに二つの音が響いているのは、二本の魚雷がそれぞれの探信音を誤認しないように区別するためだ。一方は鈴を勢いよく振り鳴らしている。もう一方は口ごもるように控えめな音だった。

 

「向かってくる魚雷に方位を合わせ、有線誘導にて速射する。四番、五番発射!」

「四番発射管から魚雷発射。続けて五番発射管、魚雷発射」

 

 四番発射管は一発目の魚雷に向けて有線誘導を行い、五番発射管は二発目に対して誘導されていく。

 各ユニットが正常に航走している、と報告があった。ボイルはアンノウン1を腹の中で呪い、当直海曹が深度を読み上げるのを聞いていた。

 

「ソナー室より発令所。方位二〇〇の魚雷、距離五〇〇〇メートル。方位三五九の魚雷、距離七〇〇〇メートル」

 

 音の高さが異なる探信音が船体に当たって反響する。今回は誘導中の魚雷にも同じ探信音が当たっている。敵の魚雷は水中に目標が増えた事実に反応を示すはずだ。

 

「四番発射管のユニットが起爆しました! 敵魚雷爆発!」

 

 船体に高性能火薬の爆発による衝撃波が届く。遅れて圧力波が襲いかかった。

 

「五番発射管のユニットが起爆! 敵魚雷誘爆!」

 

 ボイルは震動に耐えつつ歯を食いしばったまま目を見開く。乗組員から歓声があがった。だが、それもぬか喜びでしかなかった。電話連絡員がソナー長の悲鳴じみた声を聞くや、彼も同様の声を発していた。

 

「水中に推進音あり。方位〇〇四から三発目……四発目の魚雷音も確認! この音は……」

 

 電話連絡員が生唾を飲み込み、顔を真っ青にして叫ぶ。

 

ロシア製水中ミサイル(VA-111 shkval)です!」

「ただちに六番発射管の囮魚雷発射! 四番と五番発射管の魚雷装填を急げ。速射する!」

 

 そしてボイルは鬼気迫った表情で当直士官を呼んだ。

 

緊急高圧空気注入(エマージェンシーブロー)だ。急げ!」

「六番発射管から囮魚雷発射。スイムアウト」

 

 当直士官がすぐさまプラスチック製のカバーを開いてハンドルを回す。深度を読み上げる声の間隔が早くなった。

 爆発による衝撃波から船体を守るべく、コリンズ級は緊急浮上を選択していた。

 ――間に合ってくれ!

 有線誘導された囮魚雷は水中ミサイルめがけて突進する。

 

「四番発射管、五番発射管。魚雷装填完了」

 

 水雷員たちは持ちうる能力の限界を発揮して魚雷の手動装填を終える。注水開始を告げる連絡がボイルの耳に入った。

 

「水中ミサイルのブースターロケットが点火しました!」

 

 スピーカーを通じてゴロゴロと雷のような音が聞こえてくる。当直士官が深度を読み上げる声が響き、ソナー長が報告を続ける。

 

「水中ミサイルが超空洞現象(スーパーキャビテーション)速度に移行。雷速一〇〇ノット(時速一八五キロメートル)! さらに加速中!」

 

 兵装士官から注水が完了し、四番と五番発射管の発射準備が整ったとの知らせがあった。ボイルは間髪入れず指示を下した。

 

「四番、五番、速射(スナップショット)

 

 副長が魚雷発射成功を報告する。魚雷が轟音を奏でながら北へ向かう。

 ――間に合ったのか?

 ボイルは希望的観測にすがろうとする思いを否定した。

 

「衝突警報を出せ、()()()

「水中ミサイルが雷速一五〇ノット(時速二七七キロメートル)に達しました!」

 

 艦内に衝突に備えよ、という意味の警報が流れる。

 

「四番発射管のユニットが爆発! 水中ミサイル一基を巻き込んだ模様!」

 

 衝撃波が二、三回続いた。船体の揺れが激しく、発令所のなかは書類やマグカップなどが飛びかった。艦内通話装置のマイクがフックから転げ落ちる。コイルケーブルが伸び縮みしながら激しく暴れた。

 

「もう一基はどうなった!」

 

 ボイルが声を張り上げる。声が裏返っていたと感じたのも束の間、鼓膜が破裂しそうな轟音が全身を貫く。船体がこれまでにないほど激しく揺さぶられる。思い切り杭を打ち込まれたような感触だ。首が折れるのではないかと思うほど前後に振られた。おそらくヘッドレストがなければ死んでいただろう。

 足下から突き上げられ、エレベーターが突如制御を失って急降下をはじめたような浮遊感が生じる。続いてバリバリという何かがめくれる音がした。

 配管が左から右へ折れ曲がり、亀裂から高圧空気が噴き出す。コリンズ級の船体を気泡が包み込み、圧力波がせいぜい全長八〇メートル程度の金属をねじ曲げる。

 黒い外殻が圧力波に耐えきれずに割れる。無数の亀裂が生じて水が流れ込む間も、船体を激しく揺さぶり続けた。

 

「……艦長。……艦長!」

 

 操舵手の声が漏水音に紛れて聞こえてきた。

 ――気を失っていたのか?

 ボイルは弾かれたように声に向かって振り向いたとき、発令室の中は赤い非常灯(バトルランプ)に切り替わっていた。

 水が赤く染まって見える。腰まで浸水していたため水の中で慎重に座席ベルトを外す。操舵手の元に向かおうと振り返ったとき、眼前に何かが浮かんでいることに気がついた。

 目にした瞬間は何かわからなかった。だが、血なまぐさい臭いをかいでようやく肉片だと気付く。副長や若い連絡員の姿は消えており、死体を見るまでもなく彼らの死を悟った。

 ボイルは操縦席の前まで泳いでいき、無事だった操舵手に声をかける。そして計器を見やった。

 

「先ほど深度一五〇を超えました」

 

 操舵手は舵が効かないとボイルに告げた。

 もう一度ボイルが計器を見たとき、深度が一六〇を超えた。漏水音を船体のいたるところから聞き取ることができた。

 コリンズ級潜水艦は自然法則にしたがって海底へ沈降していった。深度三〇〇を超えたら圧壊が始まるだろう。

 ――窒息死か圧死するか、それとも焼け死ぬのか。

 ボイルは一瞬だけ目を閉じた。

 

 

 




 これにて「水域」は終わりです。
 次回からいつも通りIS学園が舞台になります。

【補足】
・海水の静水圧
水深9.75m=1気圧
※結果は小数点以下を切り捨てました


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GOLEM(三) 試合・白式VS甲龍

今回からIS学園が舞台です。


 オーストラリア海軍コリンズ級潜水艦が消息を絶ってから約二週間が経過していた。海軍はGPSの通信記録を手がかりに沈没したと思われる水域を深海潜水艇で捜索した。魚雷やスクリュー・プロペラの破片が見つかった。だが、圧壊した船体を見つけることができなかった。

 潜水艦の失踪は事故の可能性があるものとして報道されている。いつまで経っても帰宅しない夫や兄弟、息子たちについて、家族からの問い合わせの電話がひっきりなしにかかり、事務方はその対応に忙殺されていた。

 そのころ、IS学園第二アリーナの広すぎる観覧席に生徒や来賓客が詰めかけていた。最寄り駅周辺には警察車両が一定間隔で停車し、招待客以外の部外者が侵入できないよう警戒態勢が敷かれていた。IS学園へ近づくにつれ警備はさらに厳重となっていく。特車隊の姿を目にすることができた。指揮車、大型輸送車、常駐警備車の順で停車し、その周囲には紅白のしま模様が入った三角コーンが置かれている。

 施設の職員は落ち着かない雰囲気のなか、不用意な職務質問を受けないようにカードキーを首に下げる。カバンからあわてて取り出す者が続出した。来賓のなかには政府関係者やIS産業の要人の姿があった。軍服を礼装代わりに身に着けてきた者もいる。彼らの襟章から判断するに佐官以上の階級であることは間違いないだろう。

 自治体に対して事前に申し送り状が送付され、IS学園の物資搬入に使われるすべての道路に立ち入り禁止のバリケードが置かれている。毎年同じ時期にイベントが開催される。地元の住人は慣れてきたのか特に物珍しいとは感じなくなっていた。むしろ屋台を出させてくれないかと粘り強く交渉している。文化祭以外は認めない、と学園の警備部が突っぱねているものの、懲りる気配がなかった。

 イベント名は新入生クラス対抗戦だ。一年生と整備科以外の二、三年生は丸一日特別授業扱いとなる。もちろん出席したと認められるためには観戦後のレポートの提出が必須である。原則としてアリーナに足を運び、クラス対抗戦を観戦する。所感や考察をレポートに(したた)めて提出することで単位を取得できる。もちろん事前に中継観戦を申し込めば、学内ネットワークに接続できる環境があれば好きな場所で観戦して過ごすことができた。ただし、この制度の利用者は生徒会や航空二部一会に所属する者、当日体調不良になった生徒くらいだった。

 

 

 桜の姿は第二アリーナのAピットにあった。電球色の照明のもと、右手に管制モニターを一望できる座席で背筋をまっすぐのばして座っている。

 額には日の丸の鉢巻き。ノースリーブにスパッツ状の派手な試作ISスーツに身を包む。試作品のせいか白地を基調とし、ところどころに赤いストライプが入っている。彼女のISは全身装甲なのでどんなに派手でもあまり関係がなかった。

 桜はクラスメイトの笑顔を夢想し、片ほほをつりあげてほくそ笑んだ。

 

「全員墜とせば半年間定食フリーパスが手に入るんやな」

 

 桜自身は食費免除の特典を受けていたのでフリーパスを入手する意味はない。だが、優勝特典はクラスメイト全員に恩恵がおよぶ。桜は喜ぶ顔が見たい一心で訓練に励んできた。田羽根さんに額を地面にこすりつけた土下座を何度も披露してがんばったのだ。

 ――私を土下座マスターと呼んで……ほしくないわ。

 五月になってからGOLEMシステムは頻繁にアップデートされるようになっていた。最近気付いたことだが、田羽根さんがふんぞり返るとき首の付け根の線が見えるようになっていた。更新履歴を閲覧するだけでもごまをすらなければ見せてくれない。新しいことを始めようとすれば、田羽根さんを必ず上機嫌にさせなければならなかった。田羽根さんは日に日に鬱陶しさを増していく。自尊心を投げ捨てて頭を下げ、口八丁手八丁でよいしょしてなんとか戦える状態まで調整した。

 ピット内には、桜のほかに一組と三組の教師と生徒の姿がある。桜の左手にはIS格納庫直通の扉が設置されており、対岸のBピットも同じ構造になっている。二組と四組の関係者はBピットで待機することになっていた。

 桜はぼんやりと管制モニターの中央に座る真耶を眺めた。

 若苗色のワンピースでふくらはぎが少しのぞく程度の服装だ。全体として露出が少ないように見える。

 ――なんというか……うん。けしからん。

 胸元が大きく開いている。本音や朱音たちで豊満な胸に慣れたつもりだった。改めて真耶の横顔を眺めるとどうしても下へ、下へと目が行ってしまう。

 ――じろじろ見とるって気づかれたら印象が悪くなる。せやさかい、本能には勝てへん……。

 真耶が横を向いたのを見るや、あわてて視線をそらす。そのとき、左手の電子ロックが解錠され、扉が左右に分かれた。千冬が姿を表し、黒い出席簿を脇に抱えている。

 

「気合いが入っているな」

 

 千冬は桜を見下ろし、目を合うなり明瞭な声を発した。にこやかに笑いかけてから、真耶たちのもとへ向かう。彼女は普段と同じく白のカーディガンに黒いスカートスーツを身に着けていた。パンプスの踵がリノリウムの床にあたって小気味よい音が響く。背筋をのばし、大股で歩く。桜は千冬の腰と太股が躍動するさまに目を奪われて困り果てた。

 ――織斑先生の体つきはまあまあ好みなんやけど。武人の気合いっていうんか。素人っぽくないのがなあ。

 桜は、千冬を堅気として見ることができずにいた。修羅場をくぐった数なら負けないつもりだが、千冬の横顔がやけに老けて見える。老いているとすら感じる。二十代の若さが感じられないのだ。

 桜は千冬のような顔つきをした人間を何人も見てきたから、妙に懐かしさを感じていた。

 ――戦争は人を成長させる。まさか、ね。

 千冬から視線を外し、管制モニターに映し出されたフィールドを見つめた。

 

「あいたっ」

 

 弓削の声がしたので振り返ってみると、千冬が彼女の頭に出席簿を振り下ろしていた。今まで弓削がなにをやっていたかといえば、お茶菓子を冷蔵庫の上に置いていた。教師や整備科、クラス代表に付き添う生徒に配るためだ。ほかにもドリンク類の在庫確認などの雑用に勤しんでいた。

 

「連城先生を手伝えといっただろう。だいたい君が試合に出るわけではない。どうしてそんなに緊張しているんだ」

 

 千冬が両腕を胸の前で組み、黒い出席簿を指に挟んでいる。弓削が彼女の足下で長身を屈めてうずくまっていた。千冬が管制モニターを見やると、ドリンクサーバーからコーヒーを注いだ連城が真耶の隣席に座った。マグカップを置き、視線に気づいて顧みるや、千冬と目が合う。

 連城はいきなり千冬に見つめられて戸惑っていた。

 

「実は……私も仕事がもうないのです。山田先生や弓削先生が手伝ってくれたおかげで、今はこうしてコーヒーを飲んでるんですよ」

 

 弓削が千冬の横で手を合わせてしきりに拝んでいる。その姿が目に入ったので、千冬に注意されるようなまねをしたものと、連城は推測した。

 千冬が連城に笑顔をみせる。

 

「連城先生がそうおっしゃるなら」

 

 千冬はあっさりと引き下がった。

 桜は何度か連城と千冬のやりとりを目にしている。千冬は連城を自分よりも上の序列に置いているように見えるのだ。同僚とはいえ先任だからだろうか。

 弓削は千冬の機嫌が良くなった様子を見て、そそくさと立ち上がった。布巾を手にしたついでに冷蔵庫の脇に置かれた黒電話の埃を払う。

 

「弓削せんせー。誰かにうわさされてるんじゃー?」

「ちょっとほこりを吸っちゃって」

 

 弓削は何度もくしゃみをして鼻をこすっていた。茶化す朱音に向かって律義に答える。朝のあいさつからずっと落ち着かない様子で、桜よりもむしろ弓削のほうが緊張しているように思えた。

 

「試合に出るのはメガモリやけん。せんせーがそわそわしても意味なか」

 

 ナタリアがクスクスと笑った。

 

「そうなんだけどね」

 

 弓削は背筋をのばして頬をかく。彼女は対抗戦対策のため、代表候補生の過去の試合記録を分類した表を生徒に渡していた。試合記録があるのは二組と四組だ。四組の更識簪とはマリア・サイトウが公式戦で対戦している。学内サーバーに試合記録のデータベースが構築されており、簪とマリアの試合も保存されていた。

 試合記録の分類表は毎年一年生の担当教諭が共同で作成している。生徒から要望があれば開示するようにしており、求めがなければ存在を知ることができないようになっていた。

 三組ではナタリアと朱音が弓削に相談した。自分のクラスはもとより勝ち目が薄いとされている。教え子であるふたりの申し出を快く受けたのだ。ふたりの行動は他クラスの代表に啖呵(たんか)を切ってしまい、引くに引けなくなった結果でもある。クラス全員を巻き込み、試合記録を分析した。動きの癖を盗み取り、整備科志望の生徒を送り込み、先輩方から情報収集するなど水面下で激しく動いた。一組にも同じことを考えた生徒がいて、何度か鉢合わせている。その生徒はいわく付きと目される二年生と接触し、なにやらあやしげなことをもくろんでいた。

 

「織斑先生。ミーティング、終わったんですか」

 

 真耶がコンソールに手をついた千冬を見上げる。

 

「さっきな。織斑には調子に乗らないように釘を刺しておいた」

 

 千冬が軽く笑う。真耶は彼女の頬がゆるむのを見逃さなかった。千冬が一夏の求めに応じて時間を作っては、付ききりで稽古をつけていることを知っていた。彼女とて忙しい身だが、生徒の求めを断るような人柄ではない。しかも血を分けた弟の頼みだ。なおさら断る理由がなかった。

 千冬は私情を挟まないと言い張る割に一夏をとても慈しんでいるのがわかる。真耶は教師として、IS搭乗者としての仮面を外した千冬を見たいと願った。

 

「おまえたち」

 

 千冬がセシリアと箒を呼んで一夏の言葉を伝える。ふたりは一夏の付き添いでAピットを訪れていた。観覧席に戻ることなくここで観戦するつもりで居座っている。

 セシリアの前にガラスポットが置かれている。ティーパックの紅茶を蒸しているらしく芳しい香りがピット中に広がった。さすが英国人というべきか。セシリアはこの場にいる誰よりも紅茶をいれるのがうまい。

 ダージリンだろうか。真耶はひとときの間、紅茶の香りから種類にあたりをつけてから、ようやく桜を見やった。自分が特待生に推した生徒だ。クラス編成の際、彼女を手元に置いてみたいと主張したのだが、残念ながら一組に加えることができなかった。

 真耶と桜は目が合った。桜はなにやら驚いた様子であわてて視線をそらす。真耶は緊張して挙動不審になっているのだと軽く考え、目元に笑みを浮かべた。ふと以前受けた相談の内容を思い出す。気になってセシリアを見やった。

 

「あら。山田先生。紅茶はいかが?」

 

 セシリアは紅茶が入ったガラスポットを持ち上げ、軽く振ってみせた。

 

「お願いしていいかなあ」

 

 真耶は飲み物をちょうど切らしていたこともあり、彼女の申し出を受けた。セシリアはティーカップに紅茶を注ぎ、真耶の席に向かう。そのまま腰をかがめてコンソールに置いた。

 

「今日の試合で見極めができますわね」

 

 セシリアが妖艶な顔つきになる。指先で髪をもてあそぶしぐさがやけに色っぽい。真耶は胸のなかにもやもやとしたものを感じて赤面してしまった。

 先日、セシリアの口から桜のことが話題にのぼった。いわく「軍事教練を受けたことがない一般生徒が、重機関銃を手足のように使いこなす姿を目の当たりにしました。弾丸の雨のなかを発狂せずに飛び回っていたのですが、現実にあり得る話だと思いますか?」と深刻な表情を浮かべていた。

 真耶は口に手をかざして小声で答える。

 

「それって佐倉さんのことかな」

 

 セシリアはうなずく代わりに歯を見せる。

 真耶はずっと入試の桜と今の桜を別人のように捉えていた。セシリアに相談を受けて、桜と一戦を交えた理由と戦闘時の記録映像を確かめている。学内サーバーに演習モードの記録が残っていたので閲覧し、真耶はおそれおののいた。桜は入学してからずっと目にしていたフワフワとした雰囲気のまま、レーザービットに正確な銃撃を加えていたのだ。

 

「先生も記録を閲覧したでしょう。彼女、とても堅気には見えませんでしたわ。あんな目をする人。まともな人生を歩んだとはとても思えません」

 

 真耶の耳元で、セシリアがとろけるような声音でささやく。金髪が頬にあたってくすぐったい。セシリアの指がティーカップから離れ、コンソールに手をつく。真耶は微笑を浮かべるセシリアを不安そうに見上げた。

 

「凰さんが出てきた」

 

 桜の声だ。真耶は管制モニターに目を向ける。Bピットのカタパルトデッキから甲龍が飛び出してくる。真剣な表情を浮かべ開放回線(オープンチャネル)を接続し、遅れて飛び出してきた一夏を所定の位置に誘導する。

 試合開始直前に一夏と鈴音が言葉を交わしている。ふたりの会話に耳を傾けている者がいることを気に止めた様子がない。正々堂々やり合うといった内容が聞こえてくる。ふたりの会話を阻害しようと考える者はどこにもいなかった。

 

「クラス対抗戦第一試合。一組代表、織斑一夏。対、二組代表、凰鈴音。――試合開始!」

 

 合成音声による試合開始の合図が第二アリーナに響きわたった。

 

 

 

 それは不思議な光だった。

 鈴音は一筋の輝きを見た。白光がさらにのびる。青白く、それでいて黄金をちりばめたかのような赤さが間近に迫る。

 一夏が白式の単一仕様能力を使ったと悟ったとき、白い影がぬっと死角から姿を現した。鈴音はすぐさま少年の名を叫ぶ。

 

「一夏!」

 

 背面に回り込んでの奇襲。実姉から教わり、鈴音の意表を突くための一手だ。一夏は奇襲を意味あるものにするため、すれ違いざまに刀を返す。

 

「ッアアアア!」

 

 肩が触れ合うほどの近さで、鈴音の耳に獣の声が突き刺さる。あまりの激しさに驚くあまり、身をのけぞらせた。青白い炎が右肩から左脇腹を引き裂く。甲龍の表面を覆うシールドが零落白夜によって形作られた濃密なエネルギー体の前に次々と弾けた。分断されたシールドが行き場を失って紫電と化す。恐ろしいまでの熱さによって貫かれた。

 体ごと打ち込まれる。鈴音は斜め下へ数十メートルも吹き飛んで地面に激突する。何度も錐揉(きりも)み回転してようやく止まった。

 

「オオオオウ――」

 

 一夏は残心の声を上げ、奔流と化した高ぶりを腹の底から絞り出す。

 鈴音は顔を上げ、土まみれになった体を起こした。すぐさまシールドエネルギーの残量を確かめ、未だ五割を残していると知ってほっとする。

 一夏は先ほどの位置から動いていない。少年の面影を残す美しい顔。ずっと近くで過ごし見慣れたはずの顔が、初めて見る男のものに思えた。猛々しい一夏の姿をずっと見ていたい。鈴音は試合の場であることを忘れ、ぼうっと目を細める。

 だが、一夏の瞳に落胆の色が浮かんだ。

 

「浅かった!」

 

 一夏が悔しげに叫ぶ。その声は開放回線を通じて鈴音やAピットで見守っていた千冬の耳にも届いた。鈴音はどこか夢心地だったことに気づく。あわてて姿勢を整え、次の攻撃を警戒し、龍咆を撃ち込む準備を整えた。

 白式の体を照準の枠内に捉える。一夏は空中でうつむいたまま唇をかんでいた。なぜ、と鈴音が不思議に思った。

 目の前で零落白夜が輝きを止め、灰色の実体剣に戻ってしまった。

 

「あれ?」

 

 鈴音が拍子抜けする。いつまで経っても一夏は攻撃してこない。好機を逃せば、もはや勝ち目がないことが明らかなのだ。瞬時加速を用い、徐々に旋回半径を狭める。そして一夏の位置を見失う一瞬を突く。良い発想だ。一夏が瞬時加速を会得しているとは考えもしなかったから不覚にもつけいる隙を与えてしまった。

 白式のスラスターから排出された熱により陽炎が漂っている。よく見れば装甲の表面に無数の小さな氷塊が付着している。だが、ありとあらゆる隙間から排出された熱によって瞬く間に溶けてしまった。

 

「試合終了。勝者、凰鈴音」

 

 スピーカーから響きわたった合成音声を耳にして、一夏は審判をくだされた囚人のようにうなだれ、悔恨の色に染まった。

 

 

 格納庫で一夏を待っていたのはつなぎ姿の少女たちだった。少女特有の汗のにおいに混じって油臭さが漂っている。若さや華やかさとは異なる真剣な顔つきに一夏は息をのんだ。指示通りに台座に立ち、不安そうにあたりを見回す。

 

「固定完了。終端装置を展開」

 

 屋内スピーカーから若い声が聞こえる。

 台座の移動を終えると、天井から四本のロボットアームが降りてきた。背面に二本、両足に一本ずつ作業用マニピュレーターが取り付き、装甲の裏に隠れていた終端装置が露わになる。それぞれ直径がおよそ一〇センチのケーブルが接続されている。耳障りな高周波ノイズが終端装置から漏れた。

 その間、一夏は目を泳がせていたにすぎない。胸の奥には先ほどの試合の悔しさが(とげ)が挟まったようなしこりとして残っている。体ごと打ち込んだつもりだったが、鈴音は避けた。

 ――迷いがあったのではないか?

 一夏は零落白夜の危険性を認識している。エネルギーを無効化し、実体に刃を届かせるとはつまり、生身に剣を浴びせることだ。勝負をつけようと考え、同時にできるだけ浅く斬ろうとした。

 ――箒ならどんな結果だっただろう。

 幼なじみにして同門の少女を思い浮かべる。今の箒の剣ならば、同じ状況で仕損じるようなことはないだろう。なにしろ彼女の剣は命のやりとりを強いるものだ。一刀必殺の教え。彼女の父、柳韻が時折口にしていたことを覚えている。

 ――千冬姉だったら……。

 彼女ならば経験と技術をもってして鈴音をねじ伏せるだろう。道場では円陣のなかにひとり置かれて掛かり稽古をよくやっていた。打ち込むほうは通常の竹刀を使う。受ける者は長さ四〇センチという特注の短い竹刀を持たされる。一斉に打ちかかってくる先輩たちを迎えては打ち返す。相手に打たれる前に、懐へ深く飛び込み、胸板を突き刺す訓練を繰り返し行っていた。姉にとっては、集団戦が一対一と変わらないのだという。

 一夏は箒の実家を剣術道場とばかり思いこんでいた。記憶を掘りおこしてみれば姉が剣以外を学ぶ光景が次々と思い出される。杖、槍、飛槌(ひつい)、二刀、手裏剣、体術、舞など。そして銃火器類を相手取ったときの戦闘法。モンド・グロッソの試合を見たとき、一夏は姉が出した結果に納得がいったものだ。

 ――おそらく箒は千冬姉と同じ稽古をしているはず。

 今から同じ訓練をすれば肩を並べられるのだろうか。だが、一夏は稽古の激しさに子供ながら戦慄したことまで思い出した。

 

「エネルギー注入完了まで残り二五分。ひとまずこのままにしておきます。織斑君。ISから降りて休憩に行っても構いませんよ」

 

 意識が夢想から、現実へと引き戻された。一夏は薄目を開け、見覚えのある顔に気付く。

 

「三年の布仏です。一組に妹がいるんですよ」

「布仏……ああ。のほほんさんの」

 

 赤みがかった髪が目に映る。質も似ているのか、艶までそっくりだ。つなぎを着てめがねをかけていなければ、すぐには気づかなかっただろう。それくらい立ち姿が似ていた。

 

「そういえば、のほほん……妹さんは来ていないんですね」

 

 一夏はピットとIS格納庫をつなぐ扉から、桜が出てくるのを見かけた。

 一夏の耳にも本音のあやしいうわさが届いている。一夏は、自分は賢者だと唱えることで理性の糸を切らさないようにしていた。クラスメイトの艶姿を想像したことを箒に知られでもしたら刀の(さび)になりかねない。本音と接するときは、うわさの存在を知らないものとして振る舞うことにしていた。

 虚が台座に足をかけた。一夏の鼻孔にまろやかな女の汗のにおいが広がる。つなぎの奥からうっすらと女の鎖骨と肩が浮き出るのを見るや、股ぐらに熱がたぎった。

 

「今日は公の場だから、さすがに三組を応援するわけにはいかないでしょう」

「うん。確かにそうだ」

 

 虚の白い首すじを見つめながら相づちを打つ。腕と太股の拘束が外れ、白式と繋がっていた意識が閉じられる。視覚や知覚の範囲がせばまっていく感覚に寂しさを覚えた。前のめりになり、足を踏み出して体を支える。ISから降りてすぐ、全身でおもりを担いでいるような妙な感覚がのしかかった。まるでプールを全力で泳いだような気だるさに戸惑う。

 一夏が前のめりに倒れかけ、とっさに虚が支える。

 

「あ、いや、その……」

 

 一夏は胸に顔を埋める形になってしまい、すぐさま顔を上げてうろたえた。だが、虚に胸があたったことを気にする素振りはまったく見られない。

 一夏は疲労感のほうが勝り、思った以上に消耗している事実にびっくりした。少し足がもつれかけていたので、虚が手を取って支えてくれなければ転んでいただろう。

 

「休憩、行ってきます」

 

 普段の一夏は女性に対して平静を保つことができた。だが、今の一夏はおかしかった。戦闘直後のためか心が高ぶるあまり、虚のなかの女を意識してしまった。熱に浮かされたような感情に戸惑いを覚えた。ひとりになって冷静になりたいと切に願う。鈴音相手に自滅して負けたことを悔やむ場所が欲しかった。

 

「エネルギー注入が終わったら端末にメッセージが届くようになっていますから、後で確認してみてください」

 

 一夏は礼をいって休憩室に向かう。虚が小さく手を振って後ろ姿を見送った。

 

 

「織斑? 顔が赤いけど……」

 

 一夏はピットではなく、自販機が立ち並ぶ休憩所へと足早に去っていった。桜は声をかけようとする。だが、先ほどの試合の終わり方が歯切れの悪いものだと感じたので、喉元まで出かかった言葉を飲み込む。

 ひとりになりたいときがある。男とはそういうものだった、と思い出した。

 桜は下を向いて自分の体を眺める。

 ――女や。

 戦に赴くのに男女の垣根はないと考えてきた。ずっと女として過ごすことで身も心も桜になりきっていたのだと気づいて急におかしくなった。

 露天デッキへの階段を上り、相好を崩して含み笑いを続ける。整備科の生徒が桜とすれ違ってぎょっとしてしまった。クスクス笑う桜の姿を不気味に感じた。

 

「ここは潮風がするんやな」

 

 露天デッキだけに吹きさらしだ。桜は縁に近づいて首をのばし、フィールドや観覧席を見下ろす。カタパルトデッキから入場しても構わなかったが、鉄板を張っただけの床に足をつけていると懐かしさがこみ上げてくるのだ。

 ――ええなあ。空が広い。

 桜は空を見上げる。忌々しい爆撃機や対空砲火、高角砲の弾丸が(はじ)けて煙が漂うこともない。仲間が火だるまになって墜ちていく姿を見ることもなかった。

 

「選手の方ですか」

 

 つなぎ姿の少女がいきなり日本語で声をかけてきた。振り返ると、こめかみのそり込みが目に入る。真っ黒に日焼けしている顔があった。角張った顎に分厚い桃色の唇。藍色の瞳にのぞき込まれて、日焼けではなく地の肌だと気づいた。

 

「ISの準備をお願いします。担任の先生から説明を受けていると思いますが……」

「あの信号灯が青になったら出撃ですね」

 

 桜はうなずいてから標準語で答える。カタパルトならば時間になれば自動的に射出される。だが、露天デッキにそんな設備はない。観覧席上部にちょうど野球場のバックスクリーンと似た壁が設置されている。打鉄をまとった簪の凛々しい立ち姿や打鉄零式の禍々しい姿を映し出している。ナタリアの発案とはいえ、中指を突き立てたのはやり過ぎだったと後悔している。壁の最上部に青・黄・赤の信号灯が設置されており、交差点の信号と同じ役目を担っていた。

 ――今は赤色や。

 もう一度露天デッキの縁に手をかけ、身を乗り出す。柘植研究会のISがフィールドに散った金属片を回収している。零落白夜の攻撃によって甲龍(シェンロン)の装甲が一部剥離(はくり)したためだ。今ごろ対岸のIS格納庫では応急修理がなされているだろう。

 桜は露天デッキの真ん中に移動する。色黒の少女が桜の動きを目で追った。

 

「あっ。うっかりしとった」

 

 桜は額の鉢巻きに手を触れ、つなぎ姿の少女を呼んだ。風が強いので大きな声で間延びした言い方を使う。少女は弾かれたような動きで桜のもとに駆け寄る。風が強いので近くまで寄らなければ声の聞き取りが難しいためだ。

 桜は額に巻いた日の丸の鉢巻きを外した。つなぎ姿の少女の名前がわからなかったので上級生とあたりをつけ、無難に先輩と声をかける。

 

「これをピットにいる連城先生に渡してください。緊張していて、うっかり外すのを忘れていました」

 

 額に風があたる。桜は少女が鉢巻きをポケットに突っ込むのを確かめ、にっこりとした。

 桜は頭を下げ、楚々とした雰囲気を放つ。年上であるはずの少女は、桜が急に大人びた顔つきになったことに目を丸くする。弓削や真耶と年頃が変わらない雰囲気なので、つい教師に対するような返事をしてしまった。

 

「よろしくお願いします」

 

 そういって、桜は少女が十分に離れたことを確かめてから打鉄零式を実体化した。桜の周囲に無数の黒い糸が出現する。体に巻き付いていき、一瞬のうちに禍々しい姿に変わる。清らかな雰囲気を身にまとっていた少女の面影が消えていた。

 目視の距離感を狂わせる幻惑迷彩。レーダーユニットの赤い輝きが血涙を流すさまを思い起こさせる。さらに浮遊装甲を実体化すると、最初から実弾装備を搭載していた。

 蜂の巣の断面を思わせる多目的ロケットランチャーの筒が長くのびて目立った。あまりの存在感に単砲身のチェーンガンや一二.七ミリ重機関銃の存在が影に隠れてしまっている。

 両手には何も装備していない。その代わり研がれた刃物のような指先が鈍い輝きを放った。

 

「行こか。勝ち続ければ全員分の食事が手に入る」

 

 フィールドの掃除が終わったのか、信号灯が青色に変わった。

 

 

 



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GOLEM(四) 試合・打鉄零式VS打鉄

13/12/19 一部改稿


 青色の信号灯。

 桜は後方を確かめるべくハイパーセンサーを稼働させていた。整備科の先輩を吹き飛ばさぬよう、彼女が壁際の手すりをつかむ姿を認める。

 スラスターの出力を慎重に上げていく。暖機は十分だ。ISを動かすための手順は頭に入っている。露天デッキから身を浮かし、最小限の動きで滑らせる。桜は最新の注意を払いつつ、田羽根さんに周囲に気を遣うように言づける。

 進行方向の空気抵抗が極限まで抑えられている。風を利用するのではなく、もっと別の何かでねじ伏せる。航空力学を超越した技術。風を感じずにいられる、というのは便利だ。が、慣れ親しんだ物理現象から開放されて、桜はどことなく寂しさを覚えていた。

 Bピットから鈍色の光が飛び出す。カタパルトから射出されたISは、簪の小柄な体と武骨な(よろい)がちぐはぐな印象を与えている。

 打鉄。

 甲冑を模した純和風の第二世代機から戦意がにじみ出ており、恐れを知らぬ若鷲とはどこか一線を画している。

 簪とやるのは今日が初めてだ。桜は不意に顔をしかめ、突然浮かび上がった見知らぬISの姿に戸惑いを覚える。

 ――妙な感じや。

 IS同士の戦いは負けて撃墜されても決して死ぬことはない。死傷者が存在しない安全なスポーツとして公に認識されている。かたや、桜がかつて生きてきた世界はもし足を止めれば死ぬ世界だった。訓練であっても、細心の注意を払わねば死ぬ。訓練で殉職、または死の淵をさまよった仲間たちが時折夢枕に立つくらいに。

 歴戦の古強者に見えた。気をつけろ。この女は他者を殺し慣れているぞ。戦場に身を置き、若さを急速に失っていったあの頃のようだ。経済成長後の日本に生まれ、豊かな暮らしを過ごしてきた娘を警戒している事実。遠い未来に新しく生を受け、妄想にとりつかれて勘すら衰えたか。

 ――不覚を取るな。

 桜は己を戒めた。隙を見せたら潰される。彼女は日本の代表候補生。搭乗者として生き残りたければ、いずれ蹴落とさねばならない。

 桜の雰囲気が剣呑なものに変わりつつある。

 

「悪目立ちしていますね!」

 

 田羽根さんが桜の変化に気づいたかどうか定かではなかった。二頭身が白いワンピースを身に着け、頭にウサミミカチューシャをはめている。ちゃぶ台の下からプラカードを取り出す。注目指数なるものを提示して、打鉄零式への視線のほとんどが敵意に満ちていることを明らかにした。

 わざわざ言葉にしなくともわかっている。桜はぽっと出の新人のくせにバックスクリーンの立ち姿として中指を突き立てた画像を提出している。ナタリアの発案で、新聞部での評判がよくなかった。

 桜は誘導にしたがって、あらかじめ設定された待機位置に移動する。簪が地面に足をつけたので、桜も合わせた。互いの距離は二五メートルほど離れていた。

 桜は打鉄の装備を見て意表をつかれた。

 ――近接戦闘型?

 合計三振の剣。腰のアタッチメントにロングブレードとショートブレードを一振ずつ固定し、もう一振のロングブレードを背負っている。左肩に柄が伸びており、右利きだとわかる。

 ――このままの装備で織斑とやり合ったら面白そうや。

 桜は簪と目を合わせる前に装備をじろじろと観察した。

 ――銃火器は量子化してあるか。

 てっきり重武装を選択してくるかと思っていた。過去の記録を見たかぎり、簪は重武装で試合に臨むことが多い。日本の代表や代表候補生の戦闘スタイルには千冬と松本を源流とする二系統が存在する。前者は卓越した回避能力をもって柔よく剛を制す。現状では千冬に比肩する選手が育っていない。後者は重武装大火力を是とする。乱戦や不整地戦で力を発揮し、動きが鈍くなるので近接戦闘を不得手とする。

 桜を含めた三組の生徒は、簪が後者に属するものと考えていた。専ら薙刀(なぎなた)を使い、ブレードを使う場面はほとんどなかった。

 ――薙刀を使うまでもないとしたのか、出方を見られとるのか。どっちなんやろ。

 互いに面と向かってみて、簪が親の(かたき)を見たかのような鋭いの視線を向けているのが気になった。

 視野の裾で田羽根さんが飛び跳ねて、簪から個人間秘匿通信(プライベートチャネル)に接続するよう依頼があったことを告げる。クラス対抗戦での個人間秘匿通信は双方のピットから聞き取り可能だ。完全な秘匿通信ではないと承知の上で、桜と簪は二者間通話を確立する。

 田羽根さんが学校の教室に設置されているようなスピーカーを地面に置き、スイッチを入れた。

 

「……今日、あなたを倒さなくてはならない」

 

 ――ええっ? いきなり宣戦布告?

 桜は驚きながら簪の顔を拡大表示した。事前に仕入れた情報では人見知りがちなおとなしい少女のはずだ。

 ――本音や朱音の話とちゃうんやけど。

 

「まあ、そうやろな」

 

 桜は角が立たないように相づちを打つ。簪は強い視線を放ちながら、それでいて柔らかい話し方をする。突き刺すような視線。先ほどから抱いている違和感と相まって、桜は更識簪という人物のことがわからなくなった。

 気迫が突然大きくなった。何かしらの覚悟を決めたような雰囲気すらある。打鉄らしきISをまとった彼女が見知らぬ土地で歩兵を射殺する既視感。殺された味方のために怒りを抱き、眉ひとつ動かさず敵を打ち倒す。

 ――うわっ。

 背筋に悪寒が走る。簪の瞳は、既視感とまったく変わらぬ非情に染まっている。

 桜のなかで長い間静まりかえっていた激しさが、むっくりと頭をもたげた。久しく忘れかけていた気持ちがよみがえりつつあった。

 

「……そんな意味じゃない」

 

 試合に勝つ以外に何かあるのだろうか。否定の言葉を口にした簪に耳を傾ける。

 

「どういうことや」

「本音をあなたから取り返す」

 

 簪と本音は幼なじみだった。桜は本音の口からそのことを聞いており、最近では簪が本音を遠ざけようとしていることも知っていた。

 ――幼なじみの本性を知ったらなあ。

 簪はどうやら本音がおかしくなった原因が桜にあると考えているらしい。

 

「なぜ? 私が盗ったわけやないし、手も出しとらん」

 

 事実を口にした。桜から見れば、本音のほうが積極的に友情以上の関係になりたいと望んでいる。

 桜は眉間にしわをよせながら続ける。

 

「私を責めるのはお門違いや。最初に道を踏み外させた生徒会長さんを責めるべきや」

 

 桜は塩辛い梅干しを口に含んだように顔をしかめた。入学から二ヶ月近く経過して本音との関係に目立つような変化はなかった。あるとすれば本音が生徒会役員を命じられたこと。一〇二七号室の住人が発信源のうわさに軽く変化が生じたくらいだ。

 ――面倒な思いこみをされてかなわんわ。

 桜自身も巻き込まれているため、うわさに触れるときは慎重を期さねばならない。ちなみに直近のうわさをまとめるとこうだ。

 ――本音に女同士の技を手ほどきしたのは更識楯無だ。楯無の生徒会長就任によって生徒会は変わってしまった。生徒会の役職に就くためには生徒会長と情を交わさなければならない。ただし会計をのぞく。

 気がつけば桜が生徒会役員候補だとささやかれるようになってしまった。会計が除外されているのは、虚の人物によるところが大きい。品行方正を地でいくような人柄だったことが影響している。

 

「……あの人は昔からそういう人でした」

「そういえばお姉さんやったね。同情するわ」

「……安っぽい同情はいらない」

 

 簪は姉への呪詛をこめた。

 

「……弐式の件もある」

「そのことは逆恨みってもんや」

 

 簪は心底悔しそうに唇をかむ。

 打鉄零式は、弐式に搭載可能な武器はすべて装備できる。先日、搭載可能武器リストが更新され、正式装備として春雷一型と夢現、剣玉フレイルが追加された。堀越によると、簪には扱いの難しい試作装備を優先して回すことが決まったらしい。

 

「正直、剣玉フレイルはちょっとなあ」

「あんな使いにくいもの……拡張領域の無駄!」

 

 彼女は実家で飛槌(ひつい)を扱う訓練を受けている。飛槌の弱点は二刀流だ。一方の刀を無効化しても、もう一方の刀で斬られてしまう。使用可能な局面が限られる装備を開発するくらいなら、汎用性の高い超振動ブレードなどの試作品を回してほしいと切に願っていた。

 

「更識さんはええやろ。武器やから。私なんかヘンテコな高機動パッケージを試せって言われとるんやで。テストしたら打鉄改に積むんやって。しかも千代場アーマーって何やの」

 

 桜が現状への不満を口にする。桜と簪は互いに不毛な私怨(しえん)をぶつけ合った。

 実はこの試合、倉持技研内部では技術者間の代理戦争と見られていた。桜は堀越から貫手をぜひとも試してくれ、と指示を受けている。簪は菊原から堀越の鼻をへし折ってくれ、と激励の言葉をもらった。本郷からは打鉄の潜在能力を存分に引き出し、第二世代がまだまだ現役機だと証明するよう頼まれていた。

 桜は改めて簪に向き直った。田羽根さんを呼び、マニピュレーターの状態を確かめる。

 

「くれぐれも貫手を人体に向けて使ってはいけませんよ!」

 

 田羽根さんがいつもの文句を口にする。打鉄零式の貫手はマイナーバージョンアップによって大幅に制限が緩和されたとはいえ、照準が甘いままだった。そこで桜は頭を下げて頼み込み、甘い照準を是正する許可を得たのだ。気が遠くなるような反復練習を重ね、脚部や非固定浮遊部位(アンロックユニット)といった完全に機械の部分ならば狙っても大丈夫なように修正している。

 このとき田羽根さんは、桜の誠意をわかりやすくするため「お願いするよ(DOGEZA)!」ボタンを作っている。このボタンを押すと、二頭身にデフォルメされた桜が出現。とてもなめらかなアニメーションで土下座を披露するのだ。しかも三回連打すると、額を地面にこすりつけ、「田羽根さんに一生ついて行きます。ははー」というサンプリング音声が出力されるようになっていた。

 桜はチラと視線を右下にやる。田羽根さんが自作と思われる湯飲みでお茶を飲んでいる。桜の視線に気づいて顔をあげた。

 

「困ったときは田羽根さんを呼んでくださいね! 誠意を見せてくれたら助けてあげないこともないですよ!」

 

 ――くそう。足下を見おってからに……。

 桜は憎々しげに唇をへの字に曲げる。

 田羽根さんは鼻歌で口ずさんでおり、すこぶる上機嫌だった。その証拠に両頬の渦巻きが回転している。

 桜は仕方なく恥を忍んで「お願いするよ(DOGEZA)!」ボタンを連打する。田羽根さんが湯飲みを置いて立ち上がり、これ見よがしにふんぞり返った。首筋の線が見えるほど頭を後ろに反らせ、バランスを崩して倒れてしまい後頭部を打ちつける。

 

「とにかく更識さん。あんたを倒してみんなの食券をもらうんや。おとなしく負けてもらうわ。悪く思わんで」

「……本音を正気に戻す。あなたには悪いけど」

 

 簪は片方の頬を歪め、不敵に笑う。それも一瞬のことで念仏のように何かを唱えはじめる。くすぶっていた炎が突如として火勢を強め、高温になって青い揺らぎに転じた。簪は集中し、桜の心臓に狙いを定める。小動物のような簪の雰囲気が変化して、血生臭さを宿すようになった。

 ――本気……やな。

 打鉄零式は搭乗者の精神の変化に呼応して、レーダーユニットの輝きを強める。桜のなかで戦闘機乗りとしての血が、またうずきはじめた。

 

 

「クラス対抗戦第二試合。三組代表、佐倉桜。対四組代表、更識簪。――試合開始!」

 

 合成音声による試合開始の合図だ。簪はほぼ同時にロングブレードの鯉口(こいぐち)を切った。柄に手をかけて、ゆっくりと歩み寄ってきた。第一試合のような空中戦ではなく、非常に地味な始まり方である。だが、お互いの呼吸を整えるところから勝負が始まっている。

 ――居合いとは珍しい。

 簪が頃合いを見て、腰を落として構えに入った。ためらいがない。間合いを完全に把握しており、桜を倒す一念のみが体を支配していた。

 桜は頭を切り替え、普段の物静かな簪ではなく、既視感のほうが本当の姿だと考える。

 ――限界まで近づいて攻撃を放つ。

 意識を一事に集中させて研ぎ澄ます。近接戦闘による速攻。簪は本来得意とする機動戦を捨ててきた。居合は待の型であり、相手の出方に応じて変化する。

 ――銃に手をかけたら、瞬時加速で懐に入り込まれて終わりや。

 今の簪に銃火器は通用しない。弾丸を放ったとしても彼女の体を避けて通るに違いない。桜は直感に従った。

 試合開始から一分ほど経過したとき、桜は自分から簪の間合いに飛び込んだ。

 簪は大声ではなく、腹にためた渾身の気合いを風に乗せる。ロングブレードが幻惑迷彩に吸い込まれた。

 灰色の剣先が太陽の光を受けて鈍くきらめく。

 

「き……」

 

 刹那、不気味な破砕音が響きわたる。一瞬遅れて観覧席から悲鳴がわき起こった。簪が剣を振り抜いたとき、腕にかかる重さが消えた。ロングブレードは根本から折れて刀身が消えてなくなっている。観覧席を覆う隔壁に消えた刀身が突き刺さり、一瞬の攻防の激しさを物語っていた。

 

「……貫手」

 

 打鉄零式は地面に左膝と手をついていた。右腕が槍の穂先のように伸び、指を畳んだマニピュレーターを簪の腰に向けて突きだしている。

 打鉄零式は傷ひとつ負っていない。桜は貫手を刀身と(つば)の接点に当て僅差(きんさ)で打ち勝った。

 ――もし一瞬でも判断を誤れば殺られとった……。

 桜はゆっくりと息をつきながら頭を働かせる。

 相手は殺気と思しき気迫を維持している。代表候補生は実戦紛いの稽古を続けてきたのではないか。桜は彼女の心構えを計るために、あえて茶化すような物言いをした。

 

「ほんまに殺す気で抜きおったな」

「……最初からそのつもり」

 

 簪は折れたロングブレードとその鞘を捨てた。右手を胸の前を通過させて左肩に持っていき、ロングブレードを抜く。

 桜は息を詰まらせながら、膝立ちになって縮めた腕で刃を受ける。刃が接触する寸前に高速で手のひらを返す。手の動きに合わせて腕が一八〇度、高速で回転する。ロングブレードを打鉄の腕ごと弾いた。打鉄の重心が前のめりになったところを狙い、非固定浮遊部位に備え付けたチェーンガンを発射。細身の単砲身から炎がきらめく。

 桜の予想に反して簪の悲鳴が聞こえることはなかった。眼前を黒い塊が覆ったかと思えば、そのまま激突した。

 

「ぷ……」

 

 桜の唇から泡粒が吹き出す。打鉄の膝が顔面を痛打していた。

 衝撃で強制的に首が横向き、そのまま五メートルほど吹き飛んで尻餅をつく。それだけでは勢いが止まらず三回後転してようやく止まった。

 ――なにをされたんや!

 桜には簪の動きが見えなかった。簪は倒れている桜に構うことなく、一二.七ミリ重機関銃や二〇ミリ砲を実体化する。

 桜は困惑したまま目を瞬く。田羽根さんがすぐさま桜が知覚し得なかった事実を教える。

 ロングブレードを受けたことにより、簪は重心をずらされてバランスを崩した。だが、簪は冷静な顔つきのままPICを用いて体を支える。チェーンガンの射線から逃れるために空中で寝そべるような格好になり、そのままスラスターの急噴射を利用して膝蹴りを敢行したのだ。

 よほど恨みが深いのか。それとも用心深いのか。簪の手におさまった一二.七ミリ重機関銃が火を噴いた。

 ――あかんっ。

 桜はすぐさま立ち上がり、後退しつつ、チェーンガンの照準を左右にばらつきを持たせて連射する。

 簪は動じることなく弾丸の隙間をすり抜ける。まったく被弾することなく距離を詰め、腰につるしていたショートブレードを抜く。

 

「……もっと密度をあげないとダメ。その程度では私を殺ることはできない」

 

 そのつぶやきを耳にして、桜は息をのむ。

 簪はほどなくして瞬時加速を仕掛けた。強烈な精神的圧力を生んだ。打鉄零式の懐深くに飛び込み、その胸板を突き刺す。足が地面を削り、土煙が立ち上る。

 

「削られたか」

 

 桜はゼエゼエと息を吐きながら、上空へ緊急待避していた。シールドエネルギーがすでに五割を切っている。ショートブレードのひと突きで三割も減った。一度の攻撃がとてつもなく重い。試合でなければ、さすが代表候補生と喝采をあげていたことだろう。

 簪の気迫は本物だ。

 背中に滴がしたたり落ちるような感覚があり、とっさに体を倒し、コの字に空を蹴った。IS用に改造された二〇ミリ砲によって激しい対空砲火が形成される。簪は無理に直撃を狙うことなく炸裂した弾頭の破片を利用し、行動可能な空域を徐々に狭めていった。

 

「……逃げないで」

「それこそ無理な相談や!」

 

 一方、桜は非固定浮遊部位を自機から数メートル距離を置く。田羽根さんに細かい制御を任せ、自分の動きを追尾させた。急激機動を実行する。多目的ロケットランチャーの弾頭として無誘導弾を選択し、背面に気を配る。

 

宜候(ようそろ)。……発射!」

 

 二〇ミリ砲を発射するため動きを止めた打鉄に対し、ハイドラロケット弾ファミリー、合計一四発による飽和攻撃を実行した。

 

「……ハっ」

 

 個人間秘匿通信から短い呼気が漏れる。二〇ミリ砲から放たれた弾丸とロケット弾がすれ違い、立て続けに着弾する。

 天高く土煙が舞い上がった。炸裂した弾頭によってもたらされた化学変化によって一時的に光学探知、熱源探知が無効となる。

 戦果確認のために立ち止まれば撃墜されてしまう。桜は高度を下げて地面を這うように、かつジグザグに飛ぶ。全弾直撃ならばその時点で勝負が決まる。簪はやわな搭乗者ではない。まだ、全身を貫く殺気の奔流が消えていないのだ。

 ――行って。

 桜は例のボタンを押す。田羽根さんに非固定浮遊部位の制御を頼んだ。非固定浮遊部位を斥候として前進させ、簪の状況を探る。

 ――チェーンガンの残弾多数。交換の必要なし。

 非固定浮遊部位が桜の前方を蛇行して飛行する。多目的ロケットランチャーの筒が長く伸びているため、土煙のなかでもじっくり見れば確認はたやすい。

 桜は直感で、簪が本体を狙ってくると考えていた。斥候は囮であると同時に簪をはめるための罠でもあった。

 ――そろそろやな。

 盾を実体化させ、右手で持つ。直後に身を鋭く(ひるがえ)す。土煙の切れ目に陽の光が差し込み、灰色の刀身が鈍くきらめいた。

 簪の体が小さく見える。自機の隠密性を高めるために銃火器を量子化することで最小体積としたのだ。

 簪は己を奮い立たせるような気勢を口にしない。無言のまま致死に至る気合いを乗せて一刀ずつ打ち込んでくる。避けるたびに身を削られる思いがした。しかも桜が反撃しようとすれば、土煙のなかに身を隠して攻撃を封じてくる。

 桜は視界不良のなか、地面に足を着ける。右肩の後ろに土を踏む音。

 ――そこ!

 振り向きざま、裏拳を当てる要領で殺気の塊に盾をぶつけ、貫手を放つ。

 

「ぐ……」

 

 腕が伸びきり、貫手が空振りに終わったことを悟る。その直後、わき腹が鈍く痛み、激しい熱を持った。

 打鉄零式の盾を傾斜させることで二〇ミリ砲の弾丸をはじいたまではよかった。簪は瞬時加速を用いて、自らが放った弾丸を追尾するように直進。桜のわきが開く。簪は懐に向かって低く這うように飛び込む。下からすくい上げるように刃先を上向け、スラスターの推力によって足りない力を補った。繊維装甲に刃が食い込む。桜は即座にわきを閉め、強化型マニピュレーターで打鉄の両肘を固定する。

 危険を察した簪が身をよじって体を抜こうとする。桜の意図に気づくのが一瞬遅れ、腕、そして肩が極まる。

 

「……離して! しまっ……抜けない! こうなったら……」

「捕まえた。これで終わりや!」

 

 

「試合終了。勝者なし。三組と四組の引き分けとする」

 

 桜は非固定浮遊部位に搭載したチェーンガンを用いて集中砲撃を行った。これに対抗するべく、簪は二〇ミリ砲を実体化した零距離射撃を敢行している。簪が被弾しながら対抗手段を用意したため、対応が遅れてしまった。

 その結果、双方のシールドエネルギーが同時に尽きている。

 Bピットに戻る前に、簪は桜の背中を振り返った。唇をとがらせながら鋭くにらみつける。

 

「……次は勝つ」

 

 同じくAピットに戻ろうとした桜は、簪の視線に気づくことなく肩を落とした。

 

「なんでえ。やったと思ったのに。ああ……みんなの食券が遠のいていく」

 

 

 




居合を使ったバトルが見たかったので自分で書きました。


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GOLEM(五) 試合・甲龍VS打鉄

 Bピットに併設されたIS格納庫はにわかに活気を取り戻していた。

 打鉄が台座の上に立ち、整備する者たちの目にその惨状が明らかになる。至近弾を食らったため装甲の一部が剥離し、ロングブレードが破損。よほどのことがなければ折れないとされた刀身が根本から消失している。

 

「三〇分しかないぞー。無駄なく手早くやれー」

 

 髪を後ろでくくった整備科の三年生が打鉄にとりつき、同級生や後輩に声をかける。

 戻ってきた打鉄に対して応急修理を施し、予備の装備に交換する。平行してエネルギー注入作業を行う。

 

「それから外装部品のチェックも忘れるなよ」

 

 三年生の声が響く。 

 ――思っていた以上にひどい。

 簪はその声を聞きながら左右の肩、そして膝へと視線を移動させる。試合前に設定した被弾数を遙かに超えていた。

 ――仕事を果たすことはできた……?

 簪は自問自答する。

 技術は簪を裏切らない。更識の本家で暮らしていたころ、簪の師が「普段の稽古でも、真剣をとっての試合と心得ろ」と諭している。気迫を維持しろ、とも教えている。体に恵まれなかった簪は一試合、一瞬のわずかな間、力を発揮できるよう訓練していた。楯無が、妹は自分の身くらいなら守れると評価するのもこのためだ。

 IS搭乗者として見たとき、簪の被弾率は非常に低い。簪の操縦は本来、精密で繊細なものだ。ミステリアス・レイディのアクア・ナノマシン対策をすすめるうちに自然と精度が向上したのだ。つまり被弾したとしても、ほとんど回避に成功しているためシールドエネルギーがほとんど減少しない。そのかわり高出力でかつ精密な動きを要求する。打鉄への負担が激しく、メーカーが保証する平均故障間隔(MTBF)が四分の一まで低下する。簪は打鉄の能力を十全以上に発揮する代わりに、打鉄に使用された部品の寿命を著しく短命に変えてしまう。

 この点が桜との違いだろう。桜は被弾を許容した戦い方をする。佐倉作郎であった頃からコックピットとエンジン以外の被弾率が高かった。その傾向はISに乗っても変わらない。現に、演習モードでの練習結果によれば、一条朱音が飛び抜けて被弾率が少なく、次点がマリア・サイトウという結果に落ち着いている。

 次の第三試合は二組対四組で執り行われる。簪の乗機は引き続き試合に出ることが確定している。試合は場内整備の都合で三〇分おきに実施される。エネルギー注入作業だけなら終端装置にケーブルを接続するだけで済む。だが、換装となれば装備の数や大きさによって必要な時間が変化するだろう。

 

「お疲れさま」

 

 三年生は簪の顔を知っている。彼女がISから降りるのを見るやすぐに手を貸した。先ほどの試合が激しかったことは打鉄の状態を見れば明らかだ。試合前に丹念に整備し、調整した機体が、まるで激戦地から生還したかのように損傷して戻ってきた。

 

「……ありがとう」

 

 簪は小さな声で三年生の好意に礼を言う。IS搭乗中は乗員保護機能や体調管理機能のおかげで疲労を感じることはない。だが、ひとたびISから降りてしまえばどうなるかわからなかった。Bピットにつながる自動扉を一瞥する。鈴音が暗証番号式の電子ロックの横で壁にもたれ掛かっていた。簪に向かってずっと視線を投げかけている。

 ――さっきの試合。彼女も見ていたはず……。

 そう考えながら、ISから体を抜いて地面に足をつけた。

 

「あれ……」

 

 簪は疲労の重さを感じ、膝が笑ってよろめきそうになるのを必死にこらえた。肩で息をしながら、手すりを伝ってゆっくりと階段を下りようと歩を進める。

 ――たった一試合終わっただけなのにこれじゃあ……保たない。

 簪は手すりにつかまって立ち止まり、そのまま乗機を顧みた。剥離した複合装甲。折れた刀。整備科の精鋭たちが作業用機械腕を操作して応急修理を施している。

 ――こうなったら……。

 

「あの」

 

 簪は三年生を大声で呼び止めた。普段の彼女を知る者が見たら驚くほど明瞭な声だ。三年生はすぐに返事をする。簪の様子に注意を払っていただけに反応が速い。

 

「打鉄の装備変更をお願いします! タイプC。事前に提出した装備計画書に記してあります」

「タイプCは確か……」

 

 三年生は持参していたタブレット端末に目を落とす。各クラスの代表から試合前に提出してもらった書類を呼び出す。すぐに目を通すなり、三年生は次の試合も忙しくなる、と直感した。

 

「春雷一型……新型の荷電粒子砲とブレード一式ですね。わかりました。すぐに取りかかります」

「……よろしくお願いします」

 

 簪は足をそろえ、背筋をまっすぐのばす。膝に軽く手を添えて深く礼をした。教育の行き届いた深層の令嬢のようなしぐさに三年生はどきっとしてしまう。生徒会長の妹で更識という仰々しい名字なので良家の子女であることには間違いない。いざ自分に礼を向けられると妙な面映ゆさがある。三年生の口調は自然と丁寧な響きを奏でていた。

 

「顔を上げてください。あとは私たちに任せて休んできてください」

 

 三年生は柔らかい視線を注ぐ。踵を返すなりマイクに向かって簪が依頼した装備に換えるよう指示を出す。

 簪は再び軽く頭を下げ、手すりをつかみながらよたよたと階段を降りていった。

 ――あれ?

 簪は肩で息をしながらBピットへの扉を見やる。

 誰もいない。鈴音の姿が消えている。Bピットのなかに戻ったのだろうか。簪が格納庫の時計を見上げると、次の試合までずいぶん時間があった。

 簪は足をひきずるように歩きながら壁沿いに進む。ふと立ち止まって整備科の少女たちの姿を振り返った。

 不意に幼い本音の無邪気な顔が思い浮かび、感情の温もりを取り戻す。そして激しい自己嫌悪に襲われた。

 ――あれじゃ……戦闘大好きさんみたい。

 試合前、桜に「本音を取り返す」と告げた。感情を消して戦闘に徹するための方便だ。演技用の設定を作り、必要以上に桜を敵視して試合に臨んだ。

 設定の大元はこうだ。悪い男に引っかかった親友を取り戻そうとあの手この手を試したがどれもうまくいかない。親友のことが好きで好きでたまらない。自分のものにできるなら何だってする。悪い男を殺さなければ親友を取り戻すことができない。そこまで思い詰めてしまった、という突拍子のないものだ。

 姉の再説明の裏付けをとった際、虚に条件付きで脚本を書いてもらった。もちろん最初から嫉妬に狂って判断力を欠いたような設定ではなかった。

 ――勧善懲悪もの。私がヒーロー。佐倉さんが悪役。こんな感じで適当にお願い。……って頼んだはずなのに……。

 ところが条件が現実的ではないと一蹴されてしまった。何度も議論を重ねた末、勧善懲悪はなしという線で妥協している。その結果が先ほどの試合だ。

 ――私が勝っても本音の任務は終わらない。

 任務終了の条件は桜が白だと証明されることだ。IS学園での桜はおとぎの国の住人みたいな、ふわふわした雰囲気の少女にすぎない。簪は再説明を受けた際、改めて入試の映像を見直している。先ほどの試合で桜が見せた態度は入試の雰囲気に近かった。

 ――可能な限り威圧しろ。それがあの人の指示。でも……引かれたはず。危ない子だって思われたはず。

 簪は頭を抱えたくなった。激しい疲労と周囲の目がそれを妨げる。

 ――他のクラスの子と話したこと……ほとんどなかったのに……。

 絶対に誤解されている。簪の心に確信めいた思いが募った。

 

 

 休憩室にたどり着いて長椅子に座り込んだ簪を待っていたのは、次の対戦相手だった。鈴音は前屈みになって、肩で息をする簪にスポーツドリンクのペットボトルを差し出す。

 

「これ、あんたの分」

「……ありがとう」

「礼はいらないわよ」

 

 鈴音はか細い声で礼を口にした簪を見下ろす。第二試合で見せた鋭い目つきを思い出し、あまりの違和感に困惑の色がにじむ。試合をするまで簪と桜の間に確執があるような気配はなかった。

 鈴音は簪と本音が幼なじみだと風のうわさで耳にしていた。本音といえばある意味では有名な少女だ。クラスが違い、ほとんど話をしたことがないので恋愛の価値観は人それぞれくらいに感じている。

 ――うっぷ。変な想像しちゃったじゃない。

 クズリの着ぐるみを着た少女の姿を頭から消しさる。

 

「その調子じゃ、あたしとの試合……保たないわよ」

 

 鈴音は簪の隣に腰を下ろし、顎を上向けてフィールドの状況を知らせるモニターを見やって口を開く。ちょうど柘植研究会の多脚型ISが作業をしている。隔壁に刺さったロングブレードの周囲を覆うべく保護材を注入するところだ。

 鈴音は細い脚をぶらつかせ、チラと隣の様子を盗み見る。

 自分と大して変わらないだろう細い肩だ。今にも折れてしまいそうな気がする。

 ――これが日本の代表候補生。やっぱり、あたしと同じくらい。

 背格好や体格が似ているので自分と比べたくなってしまう。鈴音は顎に両手を添えて前屈みになり、簪をじろじろと見回す。頭を垂れ、自分の胸元を眺める。自己主張の少ないふくらみを見やって、もう何度目になるかわからないため息を吐いた。

 ――アジア系なんだからこれくらいが普通なのよ。普通。発育が良すぎるあいつがおかしいのよ。

 あいつとは主に箒のことだ。

 鈴音は自分の胸部に劣等感を抱いていた。周囲の女子は女らしくなっていくのに、自分だけ一向に育つ気配がない。

 鈴音は幼い頃から一夏に思いを寄せていた。一夏が千冬を慕っていたことから、姉と似た女が好みではないかと考えたことがある。

 その昔、家を空けがちだった千冬に頼まれて毎週のようにメールを送っていたことがある。一夏に近づく女に目を光らせてくれ、という依頼内容だ。ブラコンにしては度がすぎるのではないかと感じ、理由を聞いてみた。千冬はどうやら親友に口酸っぱく忠告を受けていたらしい。

 千冬いわく「一夏は天然ジゴロだ。ちょっと目を離したすきに種馬さんになるから気をつけろ」といった感じの内容だ。幼かった鈴音にはよくわからなかった。中学生になる少し前にその意味を理解した。

 弾や数馬は、男の本能だから仕方ないと証言している。さらに弾が「あいつは朴念仁だし、まだうちの妹のほうが勝ち目があるかな……」と鈴音の胸を見ながら感慨深くつぶやいたので、その場でひっぱたいた。

 ――みんなこれくらいのバストだったらよかったのに……。

 鈴音は自分の容姿に自信がある。だが、一度も肩がこったことがない。大浴場で「肩がこるんだよねー」と耳にするたびに口をとがらせたものだ。

 ――その点、今回のクラス対抗戦は安心感があっていいわ。

 三組と四組は鈴音基準では普通体型だ。やきもきすることなく試合に集中できる。

 ――それにしても、これだけ細い体であんな戦い方。それに居合いができるなんて知らなかったわよ。

 再び簪の横顔を眺めた。ペットボトルをくわえた薄桃色の唇から朱色の舌がわずかにのぞいている。

 ――人畜無害な小動物が試合になると猛獣に変貌する。戦闘になると性格が変わるタイプ?

 いずれ桜と対戦することになるので、できるだけ情報を聞き出してしまおうと思った。

 鈴音は肩を寄せるように近づいて口を開く。

 

「さっきの居合い。隠していたの?」

「そんなつもりじゃない。……単に今まで使う場面が……なかっただけ」

「ふうん。次の試合であたしにも使う?」

「……さあ。わからない」

「でしょうね。いきなり手の内さらすわけないか」

 

 鈴音が質問したことにだけ簪が答える。簪が受け身のせいで話題が尽きた。

 ――会話が続かない……。まあ、いいわ。

 簪は鈴音の視線に構う余裕がない。すぐに視線をそらしてペットボトルの中身をゆっくりと流し込んでいく。

 鈴音はそのままの姿勢で事前に練った対策を思い浮かべる。過去の試合記録では薙刀を使う映像が多く収録されていた。簪は元日本代表にして最年長のIS搭乗者、三年生の学年主任でもある松本の系譜に連なる。千冬のような回避性能頼りのやりかたを好まないはずだ。

 ――日本人は両極端なのよ。

 倉持技研の打鉄や海自仕様の打鉄改を見ているとその思いが募る。鈴音の主観では、打鉄はガード型で柔よく剛を制すためのISだ。対して海自仕様の打鉄改は世界中に衝撃を与えるほど常軌を逸した重武装ISだ。

 

「あんた。どうして自分を曲げたの?」

 

 鈴音は疑問を投げかける。簪には遠距離戦のほうが似合っており、ミリ単位の精密機動といった部品信頼性の限界を追求するようなやりかたは似合わない。

 

「そうする必要が……あったから……」

 

 簪は肩をすくめて背を丸める。ペットボトルから口を離し、眉間にしわを寄せて頬をふくらませる。

 ――これって聞かれたくないこと?

 簪の表情が初めて変わった。いかにも話したくないといった風情を醸し出している。

 

「ふうん」

 

 鈴音は目を細めた。

 ――代表候補生が、何か知らないけど必要があったからやった。佐倉のこと、ちょっと警戒しすぎじゃない?

 鈴音には桜を特別視する理由がわからない。変な名前で、入学早々専任搭乗者として選ばれた幸運な少女くらいの認識でいる。

 

「三組の彼女は強かった?」

 

 情報収集のつもりで本題に入る。簪がゆっくりと顔を横向け、薄い唇に隙間を作る。

 

「……操縦技術は荒削りだけど……雰囲気は……そう。たくさん……修羅場をくぐり抜けた……感じがする」

「あんな、おとぎの国の住人みたいなやつが?」

「……威圧しても……動じない。それどころか……牙を剥いて……襲いかかってくる」

 

 簪は再び前を向いて深くゆっくりと呼吸を整える。次第に肩の上下が少なくなっていった。

 鈴音は簪が黙り込んだので、両足をぶらつかせながらのけぞるように天井を仰ぎ見た。打鉄のエネルギー注入が終わるまであと二〇分ほどある。このまま時間を潰すか。甲龍(シェンロン)の元に向かうか。鈴音は目を閉じて有意義な休憩の取り方を模索する。

 

「きゃっ」

 

 鈴音は小さく叫んだ。膝の上に重いものがのしかかっている。ゆっくりまぶたを開けると、水色の髪が覆い被さっていた。しばしの間呆然として目を瞬かせる。

 簪は意識を手放して倒れ込んでおり、ちょうど膝枕の形になる。ふたを閉めたペットボトルが簪の手がゆるんだ拍子に転がり落ちる。床をはねる音がして我に返った。

 ――ちょっとこの娘。

 とっさに悪戯かもしれないと思って、内側にはねた髪を指先で撫でつけて脇に避ける。肩を軽く揺すっても身じろぎするだけで起きる気配がない。

 ――このまま立ち上がって床に転がしてみる?

 鈴音はその考えを否定するように首を振ってみせる。

 疲れ切った他人に対する仕打ちではない。しかも今日初めて会話した少女にそんなひどいまねはできなかった。これが弾あたりなら無問題だ。いたずらだとわかりきっているので容赦なく転がすだろう。

 ――冗談が通じそうな相手かどうかわからない。さすがに……。

 鈴音は仕方なく簪の顔を拝むことにした。

 ――うわっ。本当に寝てる。

 いたずらならたいていわかる。一夏や弾が狸寝入りする姿を何度も見てきたからだ。母国の仲間(ライバル)たちとの交流ではおふざけで寝たふりをして驚かせるようなこともやった。狸寝入りは不自然に口元やがゆるみやすい。驚かせてやろうという考えに筋肉が反応してしまう。だからわざと気づかない振りをして放置したり、焦れてくるのを待って逆に驚かせるのだ。

 ――これじゃあ、うかつに動けない。

 

「どうすんの。コレ」

 

 簪の胸が小さく動き、微かに開いた口から寝息が漏れる。再び髪を撫でつければ鈴音に勝るとも劣らないきめ細かい玉の肌だとわかった。寝顔にはおどおどとした雰囲気はまったく感じられず、むしろ堂々とした育ちのよさを感じる。

 だが、今の鈴音にとっては意外な事実はどうでもよいことに思えた。

 

「……ほへい……ちゃん……」

 

 寝言が聞こえた。試しに頬を人差し指でつつく。

 

「や……めて……ひもなしバンジーとか……」

 

 熟睡しているのか、寝言を言い出す始末だ。ほかにも飛行戦艦打鉄や隠密大作戦ごっこ、為替の損失がどうの、などとよくわからない単語を口にする。

 鈴音は諦めの表情を浮かべ、肩をすくめて大きなため息をつく。

 ――ああ。これが一夏だったらなあ……。女の子に膝枕したって意味ないじゃない。

 鈴音は天を仰ぎ見て己の不運に嘆息した。

 

 

 ――ちょっと。さっきと全然雰囲気が違うじゃない。詐欺。もう、あんたのあだ名は詐欺師。絶対に覆したりしないんだからね。

 試合開始直前になって鈴音と簪は互いにISをまとい、空中の待機位置へ移動した。応急修理を終えた打鉄は表面に真新しい装甲板が溶接されている。複合装甲が剥離した場合、交換や溶接が最も手っ取り早い方法だ。ISには自動修復機能があるので時間さえかければ元通りに回復する。だが、今のような場では回復速度があまりに遅すぎる。

 

「その打鉄、ボロボロじゃない」

 

 鈴音は見たままを口にする。応急用装甲板の色は白や黒、濃緑色が多い。遠くから眺めると修理箇所がゴマ粒状になってとても目立つ。先ほどの試合で折れたロングブレードは新品に取り替えられている。

 

「あんたは疲れているみたいだけど、手心を加えるようなまねを、あたしはしない」

「……わかっている」

「ようやく口を開いた」

 

 簪の顔色は休憩室で見たときよりも色つやがよくなっている。もちろんISの機能により一時的に体調が好転しているにすぎない。もとより肩で息をするほど激しく消耗しているはずなのだ。

 ――気力で出場しているようなものじゃない。でも……この子の雰囲気、何かイヤ。

 簪は平静を装っている。そのくせ炎にも打ち勝つつもりでいる。一夏と対したときに感じた胸の高鳴りとは違う。重苦しく殺伐とし、ねぶり尽くすような悪寒が全身を這いずり回る。

 鈴音の胸の鼓動が早くなった。簪が何らかの武芸を仕込まれているのは明らかだ。

 ――佐倉もコレと対したのね……。

 鈴音は歯を食いしばりながら、簪から発せられる気迫の塊に飲み込まれまいと粘る。すでに全力を尽くせばよいという考えが消えていた。死力を尽くさねば負けるという思いがふつふつと沸き起こる。鈴音は眼球を動かして龍咆の照準を合わせる。すべての準備が終わったとき、スピーカーから試合開始を示す合成音声が鳴り渡った。

 

「クラス対抗戦第三試合。二組代表、凰鈴音。対、四組代表、更識簪。――試合開始!」

 

 ――ドカンッ!

 鈴音は心のなかで叫ぶ。はじめは「死ね」や「倒れろ」というセリフを考えた。いざ試合に臨んでみれば小学校の頃に見たアニメ映画のセリフが浮かんでしまった。鈴音のなかではとてもしっくりきたので大きな満足感に浸る。

 ――ふっふーんだ!

 簪が驚き、打鉄が吹き飛んで地面に這いつくばるはずだ。

 現実は鈴音が望んだ形にはならなかった。

 視野の裾に鈍い光が差し込む。その直後に簪は体をひねりながら鈴音の間合いに飛び込み、一気にロングブレードを振り抜く。龍咆や瞬時加速によって空気が炸裂する音が遅れて聞こえた。

 簪は脚部を狙った。鈴音は鋭い衝撃によって足を払われた形となる。すぐさまPICで姿勢を整え、距離を取ろうと考える。次の瞬間、ロングブレードが消え、濃緑色の細長い筒を抱えていることに気づく。

 ――やばい。

 鈴音は息をのむ暇さえ与えられなかった。長細い筒(春雷一型)の砲口に青白いきらめきが宿る。

 

「それまで」

 

 場内は静けさに包まれた。試合開始後、一分も経っていなかった。

 甲龍は死に体となって地面に転がっている。

 対して、打鉄は最初から満身創痍で新しく損傷した場所を見た目から判別することができない。

 

「試合終了。勝者、更識簪」

 

 簪は抱えていた長細い筒の先端を天に向ける。筒の表面に無数のひびが入り、少し動かすだけで金属片が地面に散った。

 

 

 



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GOLEM(六) 試合前

「試合が終わったらまた連絡します」

 

 桜は内線の受話器を連城に返す。曽根からの電話だった。彼女は学園の応接室で試合中継を観戦し、装備変更を提案している。特に断る理由がなかったので、桜はその申し出を快諾した。

 連城たちに礼を言って管制コンソールから離れ、Aピットに備え付けられたソファーに深く腰かける。第三試合をくつろぎながら眺めるつもりだった。

 クッションに背中を預けたとき、すぐ近くから鼻歌が聞こえた。

 桜は室内を見回す。先ほどピットに戻ってきた一夏は箒と話をしている。真耶と千冬、連城は管制コンソールに向かって仕事中だ。朱音は弓削を手伝っている。整備科の生徒は用を済ませてすぐに出ていってしまった。そうなれば残すはひとりだ。

 ――何でこの人が隣におるん? 理解に苦しむんやけど。

 なぜかセシリアが隣にいて、ソファーに行儀良く座っている。紅茶の香りを楽しみ、桜の前にティーカップを置いて紅茶を注いでいた。

 その後、セシリアは前屈みになって飲みかけのティーカップを置く。体を起こして背筋をまっすぐのばす。耳にかかった金髪をすくい上げた。

 桜は一挙一動を強ばった表情で見つめる。セシリアが視線に気付いて整った形の唇を歪めた。

 

「メガモリさん。次の試合、どちらが勝つと思いますか?」

 

 セシリアは返事を待ちながら背面のクッションにゆっくりともたれ掛かる。彼女の重みでクッションの形が変わり、猫背になった桜が上目遣いになる。セシリアの冷えた青色の瞳が合わせ鏡のように映り込む。

 桜はわざと軽くせき払いしてみせる。魔性を帯びた瞳に捉えられてしまったのか目を逸らすことができない。

 

「あ……あの……織斑がいるので、せっかくだからお話をしてきたほうがええんやないでしょうか」

 

 方言と丁寧語がまざったおさまりの悪い奇妙な言葉遣いだ。桜はある日を境にセシリアの機嫌を損ねまいと下手に出るようになっていた。セシリアは桜を前にするといつも以上に自信に満ちた態度になる。始終微笑を浮かべ、やることなすことすべて優雅だ。日本食と英国料理のどちらがおいしいか言い争っていた人物にはとても見えない。

 ――私のバカバカ。ぽろっとあんなことを口にせんかったら。……こんな難儀なことにならへんかったのに。

 そのとき、桜の後ろに立っていたナタリアが不満そうに鼻を鳴らした。

 

「わたくしは、あなたに質問をしているのです。答えをはぐらかしてほしくありませんわ」

 

 桜の耳元に顔を近づけて小声でささやく。桜は助けを求めて背後を顧みる。ナタリアが見かねて口を開こうとしたので、首を振って制した。

 再びセシリアに顔を向ける。桜は生唾を飲み込み、瞳ではなく眉を見つめる。女のひとつひとつのしぐさが痴戯のような妖しい色合いを醸しだしている。その意味するところを想像するたびに、桜はこの場から逃げ出してしまいたいと思うのが常だ。

 ――初めて見たときと全然ちゃうんやけど……こんな人やったっけ。

 入試で見かけた姿と今の姿の落差があまりにも激しい。桜は肩を震わせる。このまま沈黙を通せば彼女がへそを曲げるのは明らかだと察した。

 桜は恐る恐る思いつきを口にする。

 

「四組が勝ちます」

 

 はっきり言えば勘だ。簪と試合する前ならば、勝負は時の運だと口にしたに違いない。簪の気迫に打たれた今ならば四組だと言っても違和感がないはずだ。

 

「なぜ? 甲龍(シェンロン)と打鉄。第三世代機と第二世代機。甲龍のほうが性能が優れているのは明らかでしょう。ならば二組と答えるのが妥当ではなくて?」

 

 一夏ならば二組と答えるか、答えを濁すかのどちらかだろう。てっきりに勝負は時の運だと言ってごまかすかと思いきや、セシリアは予期せぬ答えに興味を抱いた。

 桜は答えあぐねて目を泳がせる。期待混じりの視線に耐えかねて箒の助けを求めるべく、振り返って彼女の姿を探す。

 今までの経験からセシリアには生半可な言い訳が通じない。頭の回転が速いので答えを先回りしてくるのだ。箒が一夏と一緒にいることを確かめて顔を戻す。

 

「四組代表である更識さんは、気合いで私たちに勝っています。先ほどの試合で見せた抜刀術を見たはず。更識さんは乾坤一擲の技を披露しました。あれほどの技術、彼女は相当稽古を積んだはずです。剣術に関しては専門家の意見を聞いたほうが良いでしょう」

 

 要するに回答をたらい回しにするのだ。箒を巻き込んでしまえば、今ならもれなく一夏がついてくる。

 桜はセシリアの魔の手から逃れる好機と見た。

 

「篠ノ之さん。篠ノ之さん。ちょっと聞きたいことがあるんやけど」

 

 標準語にはないイントネーションを聞いて、箒は会話を中断し、不思議そうに桜を見つめる。

 桜の顔色がよくない。普段からセシリアが苦手そうに振る舞っていたので助け船を求めたのだろう。一夏の相談にも乗ってやるべきだが、隣人のよしみもある。

 セシリアがティーカップから唇を離す。箒の動きを封じるべく一夏には気取られないように鋭い視線を投げかけた。

 

「来たぞ」

 

 箒は桜に声をかけた。

 一夏は前を行く箒の肩越しに桜たちをのぞきこみ、いかにも興味本位の顔つきでいる。

 桜はすぐさま腰をあげ、口をへの字に曲げているナタリアを手招きした。本当は朱音も呼びたいところだが、彼女は弓削の手伝いで段ボール箱を畳んでおり、手がふさがっている。

 

「佐倉。何の用だ」

次の試合(第三試合)、どっちが優勢なんか。ぜひ専門家の意見を聞きたいなあ……と思って呼んだんや」

「そんなことか」

 

 箒はセシリアから離れるための口実にされたと感づいた。以前にも似たようなやりとりがあったからだ。桜の尻の形がくっきり残ったソファーに一夏を押し込む。もちろんセシリアに対する牽制だ。

 箒の主観では、桜を前にしたときのセシリアこそ本来の彼女だ。男女構わず誘って狂わすような艶めいた魔女。それでもなぜか一夏の前では猫を被る。

 セシリアや桜を一瞥してからわざとらしくせき払いした。

 

「勝負は時の運だ。覚悟があって実力があっても負けるときは負ける。凰と更識は互いに国家の代表候補生。実力は伯仲しているものと思うが、後は気力の問題だ。それでもあえて予想を立てるなら……」

 

 箒はもったいぶったように言葉を切る。息を吸い、モニターを見やる。甲龍と打鉄が対峙する様子を眺め、再び顔を戻す。

 

「短期決戦なら更識。長期戦なら凰だ」

「その根拠は?」

 

 箒が断言したので、セシリアが理由を述べるように促す。当然聞かれるだろうと予期していたのか、箒は「うむ」と軽くうなずいた。その後すたすたとソファーの周りを歩き回ってから桜の正面で足を止めた。

 

「体力。気迫で斬るような技はそう何本も打てないのが常だ」

 

 箒はおもむろに手をのばす。桜の肩や腕、腰をぺたぺたと触る。桜のそばにいたナタリアが調子に乗って箒のまねをした。

 

「佐倉みたいに体を作っているなら別だぞ。細い体のくせに筋がまるで鉄のよう……そもそも何を想定して訓練したらこうなるんだ」

 

 箒の疑問を耳にするや桜は待ってましたと言わんばかりに笑顔を浮かべた。

 

「だいたい空中勤務を八時間くらい続けて、そろそろ疲れて家に帰りたくなってきたタイミングで、敵陣の花火のなかに突っ込めと命令がある。敵航空戦力との乱戦。対空砲火、対空ミサイルが入り乱れるなかで被弾、発動機炎上。もしくは機体の維持が不可能となる。飛行困難のため空中脱出。自陣を目指して敵中突破する感じや。歩哨におびえながら、軽く二、三日は飲まず食わずでサバイバルせなあかんと思って」

 

 何度も練習してきたので立て板に水だ。

 ――他にも気になることがある。ISを航空戦力と見立てて運用した場合、上空で絶対防御発動により昏睡状態となったら墜落死するのではないか。もし無事であったとしても捕虜になることは避けられないのではないか。

 何度も決死のスカイダイビングを実践したせいか、どうしても気になるのだ。

 ――試した人がおらんから安全やって確証があらへん。

 桜は誰かひとりでも感心するだろうと思って周囲を見回した。

 ナタリアの顔が強張っている。箒はせき払いしながら後ずさっていた。一夏は桜の告げた状況を想像しようと試みる。どうしても思い浮かべることができず、つい口の端が引きつってしまった。

 

「今聞いたのは特殊な例だと思ってくれ」

 

 予想の斜め上だったのは間違いない。

 

「ナタリアまでどうして目を逸らすん? 敵中突破するような事態は少ないと思っとる。敵によってはパラシュートをねらって機銃弾をぶっ放すから、たいていの場合は敵陣に着地する前にころっと逝ってまうよ」

 

 桜は実体験や目撃談を交える。例の航空機シミュレーターの感想もまざっている。

 

「始まった」

 

 不意に一夏の声がする。彼はモニターを見つめていた。

 ピット内にいた全員が画面を注目した。合図と同時に打鉄が甲龍の懐に潜る姿を目の当たりにする。息をのんで見守るなか、不意の突風に驚いたようなどよめきが起こる。そしてまた刹那の時を経て沈黙が訪れる。気がつけば甲龍の体が地面に転がっていた。

 

 

 観覧席が第三試合の結果に騒然となるなか、桜は露天デッキに直行していた。すぐさま打鉄零式を実体化する。正中線を中心に装甲を観音開きとした。上半身だけを露出した状態で投影モニターを有効にする。

 ――そういえば。曽根さんが装備換装の手配をしてくれたんやった。

 するとベルの音が聞こえ、振り返った先に業務用エレベーターの扉が開く。四組との試合前に鉢巻きを託した三年生が、同じ整備科の生徒を伴って台車を押して現れた。

 

「佐倉さん。換装用の装備を持ってきました」

「ありがとうございます。その箱……」

 

 三年生が桜に声をかける。台車に鈍色の箱がふたつ重ねて乗っている。どちらも両手でようやく抱え込めそうな大きさだ。

 三年生はもうひとりに向かって端末を起動するよう指示を出した。正面に回り込み、上半身を露出させた桜を見上げ、作業内容を簡単に伝えた。

 

「武装の交換を行うので、メンテナンス権限でISのなかに入らせてもらいます」

「……ああ。さっき曽根さんから指示があったやつ。いつでもどうぞ」

 

 打鉄零式初の公式戦ということもあって技術者が視察に来ていた。倉持技研は主任技師の代わりに曽根を寄越している。彼女は応接室に設けられた中継会場から武装や装甲に関する見識を披露していた。二〇ミリ弾を弾き飛ばすなど実体盾の効果を確かめ、それだけでは満足できず連城を介して換装の手続きを行っていた。

 ――どうせ使うかどうかわからへんし。

 桜は三年生たちの様子を見守る。

 三年生が作業実施者で、もうひとりは手順の確認を行う係だ。

 

「拡張領域から実体盾を除去(アンインストール)。代わりにTマインを導入(インストール)……成功」

「Tマイン?」

 

 桜は作業完了を報告した三年生に向かって疑問の声を投げかけた。曽根から概要を聞いていたのだが、整備科ならば変わった武器の取り扱いに慣れていると思ったのだ。

 

「追尾地雷ですよ。フリスビーみたいに投げても構わないのですが、飛行速度が遅いのであまり使い物になりません。ですから、すれ違いざまに地雷を吸着させるやり方が推奨されています」

「へ、へえ……」

 

 ――曽根さんが言うたとおり、原始的な兵器やな……私が兵隊やってた頃と変わらんわ。

 地雷を吸着させろ、と聞いて対IS戦に不向きな武器だと感じた。

 ――どっちにせよ織斑相手には使えん。懐に入ったらあの……青白い光を浴びてばっさり斬られてまう。

 整備科のふたりは取り外した実体盾に器具を取り付ける。四角い箱からキャタピラが取り付けられた板状の機械を二個取り出す。これらは武器運搬用のロボットであらかじめIS格納庫までの見取り図が設定されている。スイッチひとつで指定した場所まで運搬できるようにプログラミングされていた。

 人力で運ぶ手段もある。巨大かつ重量が大きい装備は取り回しが難しい。そこで運搬作業の無人化が積極的に推進されていた。

 今回導入したTマインはISへ導入して初めて武器として使用できる。運搬中は何重もの安全装置が働いているのでただの金属の塊にすぎない。三組担当の三年生が有資格者かつ爆装の取り扱い経験が豊富なことから有人での運搬が認められたのだ。

 桜は搭載済み武器一覧を呼び出し、実体盾が入っていた二番を確かめる。確かにTマインを示す文字が表示されていた。

 

「こちらでもTマインの搭載を確認しました」

 

 桜が確認用の電子署名にチェックをいれ、通知メールを受け取った三年生がにっこりとする。桜の上半身が繊維装甲のなかに埋もれるのを見て、三年生たちも撤収準備を始めた。

 

「田羽根さん。田羽根さん。TマインをISに使っても大丈夫なのでしょうか」

 

 桜は丁寧な口調で投影モニターの隅に映り込んだ二頭身に声をかける。憎たらしい二頭身は障子を閉めて悠長にお茶をすすっていた。簪との対戦で貫手が防御に使えることが判明している。他の物騒な兵器は使い放題なのに人体への攻撃を禁ずる理由は何か。

 

「もちろん使えるに決まってますよ! ISに搭載されている武器なんですよ。当たり前ですよ!」

「……いつまで経っても貫手を人体に向けるなって注意しとるのに?」

 

 不満そうに唇をとがらせる。田羽根さんはお茶を飲み干してから湯飲みをちゃぶ台に置く。

 

「貫手と比べてはいけません。Tマインなら爆発するだけですよ。シールドさえあれば人体を傷つけることはありませんよ!」

「やっぱり矛盾しとる……ええわ。今回はTマインや貫手を使う場面がないから、試しに聞いただけやし」

 

 零落白夜の青白い輝きが桜のまぶたに浮かぶ。

 田羽根さんはちゃぶ台の下からせんべいをいれたかごを取り出し、頭部と同程度の大きさのせんべいをかじり始めた。

 ボリボリと耳障りな効果音が聞こえる。この鬱陶しい効果音を消そうとすれば、音声を司るモジュールがすべて無効化されてしまう。おかげで放置する以外の選択肢がない。

 

「すると次の試合の戦い方が決まっているのですか?」

「遠距離戦に決まっとるやろ。相手は左腕のマイクロガンしか飛び道具がない。やったらみんなと同じことを考えるわ」

 

 桜は当然のように答える。一夏と同じ土俵に立って勝負する気は微塵もなかった。簪のときとは相手の実力や条件が違う。あのとき最初から遠距離戦を選んでいたら、鈴音と同じ目に遭っていたはずだ。

 

「悪い顔をしていますね! 田羽根さんは大賛成ですよ!」

 

 田羽根さんはいつものように注目指数を更新している。

 桜はこの場で聞いておきたいことがあった。

 

「そーいや田羽根さん。もし私がへまをして白式の単一仕様能力の餌食になりかけたとする。さっきの試合みたいに貫手で防御することはできるんやろか」

 

 信号灯が黄色に変わる。田羽根さんはせんべいのかごを下げて、いそいそと障子をあけた。そのあとちゃぶ台の上に乗っかり、桜の真正面に自分の体を拡大表示する。胸の前で腕を組み、ふんぞり返った。

 

「田羽根さんなら白式の零落白夜(ワンオフ・アビリティー)を使わせるようなまねをさせませんよ! 厄介な武器を使えないようにしてしまえば何も恐れることはありませんよ!」

 

 田羽根さんの顔に黒い影が差し、いかにも悪巧みに興じるかのような表情を浮かべる。

 ――篠ノ之束博士みたいな顔つきやな……。

 箒の姉、篠ノ之束博士の数少ないインタビュー映像には、猫背になって悪巧みしながらほくそ笑む姿が映っている。ほかにも人を食ったような言動がいくつも残っている。研究者というよりむしろ悪のマッドサイエンティストのほうがしっくりきた。

 ――マッドサイエンティストと言えば千代場博士もそうや。

 先日、倉持技研を再訪問して高機動パッケージの調整を行った際、千代場博士に挨拶した。大柄で雪のような白髪、でっぷり太っているが上背があって肥満を感じさせない。どこか大人物のような雰囲気を漂わせていた。

 まったく似ていないふたりが並ぶ姿を想像する。

 ――年季が入っとる分、千代場博士がまともに見えるのは気のせいやな。

 桜は気を取り直して田羽根さんに確かめる。

 

「そんなことが可能なんか」

「可能に決まってますよ。旧式のコアが田羽根さんのお願いを拒否するようなことはありえませんよ!」

 

 桜は耳を疑った。

 ――今、旧式のって言ったような……。

 

「なにを言っとるんや。田羽根さんの言った内容が理解できん」

「田羽根さんに任せておけば、白式やここにいるすべてのISは敵ではなくなりますよ。さあ! 一言命令してください。『田羽根さんに全権を任せます』と言えばすべて解決ですよ!」

 

 田羽根さんが両手を広げると、左手に幻惑迷彩模様の球、右手に白い球が出現した。中央に三つ穴が空いているのでどちらもボーリング球だとわかる。穴のすぐ側に数字が記されている。前者は「412」、後者は「00?」だ。

 桜は幻惑迷彩模様のボーリング球をじっと見つめる。急に模様が浮かび上がってきて三桁の数字らしき図形が現れる。

 ――何や。

 瞬きしたらまったく見えなくなってしまった。

 

「戯れ言を吐くもんやない。田羽根さんにすべて任せるなんてまねしたら、ろくなことにならへんわ」

 

 田羽根さんが好き勝手にISを動かす姿を想像して、桜は眉根をひそめた。

 

「拒否。ええね。勝手にやったらあかんよ」

「……残念ですね!」

 

 ちゃぶ台から降りた田羽根さんは、背中を丸め、両肩を落として背を向けた。そして丸い金色のやかんから急須に湯を注ぐ。

 

 

 信号灯が青に変わる。

 ――先輩方の姿はない。よし。露天デッキにおるのは私だけや。

 整備科の三年生たちは田羽根さんと会話するうちに実体盾を運ぶロボットと一緒に業務用エレベーターで下の階に降りていた。桜はハイパーセンサーを使って発進前の安全確認を行う。

 PICを使って空中の待機位置に移動した。

 ――こうやって面と向かってみると兄弟機には見えんなあ。

 桜のISは幻惑迷彩を施した禍々しい姿だ。白式の姿とは対照的だ。打鉄零式を見て、一部をのぞき、かっこいいと認識するものはいない。白式の姿はさながら正義のヒーローのようであった。

 一夏は血涙のようだと評された打鉄零式のレーダーユニットを直視するやにわかに表情を硬くした。面と向かってみると不気味さが際だっている。しかも両翼に位置する非固定浮遊部位に取り付けられたチェーンガンや多目的ロケットランチャー、LAM(パンツァーファウスト3)の弾頭、一二.七ミリ重機関銃の照準に入っていると思うと落ち着かない。

 打鉄零式は名作ゲーム「IS/VS」発売後に発表された。マイナー機のため、DLCの開発要望がなく、今のところ模型の販売予定もない。一夏にとっては未知の機体だ。桜の技量はよくわからないところが多い。ISの搭乗時間がだいたい同じくらいで、ほとんどの時間を基本動作に費やしている。

 

「白式と開放回線(オープンチャネル)をつなげましたよ!」

 

 視野の右裾で田羽根さんが瞬く間に白いワンピースに着替えていた。瞬きした直後には別の衣装に切り替わっていたので交換したと表現したほうが適当だろう。何も変わっていないと思ったら、田羽根さんが布をつまんで持ち上げる。スカートにフリルがついていた。

 ――よし。渦巻きがぐるぐる回っとるな。

 田羽根さんの両頬を見て、打鉄零式が万全の状態にあることを確かめる。簪とやり合った影響が少ないと見た。

 

「織斑。わかっとると思うけど私は勝負事には情けをかけない主義なんや」

 

 開放回線のテストのつもりで口にした。織斑には私怨や恋心はこれっぽっちも抱いていない。だが、勝負する以上は勝ちに行く。

 ――容赦すれば自分が死んでまうからね。

 

「ああ。正々堂々力を尽くそう」

「正々堂々……。ええよ。がんばろう」

 

 一夏のさわやかな声を聞いて、桜は言葉を濁しかけた。ISを使った戦いをスポーツとして認識する一夏とは違い、桜はより単純化された戦いだと考えていた。戦闘には相手が存在する。その相手をひとたび敵と認識してしまえば自分を優位に導き、敵を窮地へ陥れることをいとわない。桜は努めて明るく振る舞いながら、腹の底でくすぶった火に薪をくべた。

 試合開始の合図までも一分を切っただろうか。桜の精神が研ぎ澄まされていくなかで、田羽根さんが「あっ」と甲高い声をあげた。

 

「何や」

 

 伝言でもあるのかと思って、視野の裾に意識を向ける。

 

「お客様ですよ!」

 

 田羽根さんが初めて口にする言葉だ。湯飲みを置き、いつになく真剣な表情を見せる。

 

「別の田羽根さんがやってきましたよ! その数、三。田羽根さんのことをよく思っ――」

 

 田羽根さんの言葉が途切れた。

 突然デバッグ用の小窓が開いてログが表示される。

 ――背部と腹部に原因不明の異常。バイパス変更って……え?

 田羽根さんが頭を垂れて自分の腹をのぞき込む。

 

「こ……れは四七一の」

 

 先端がとがった棒のようなものが生えている。背中から腹にかけて三叉槍(トライデント)で貫かれている。白い衣装が赤く染まった。目を見開いて振り返ろうとしたとき、三叉槍にひねりが加わる。田羽根さんは涙目になって激しくむせかえった。せきをするたびに口から血のような赤い液体が大量に吐き出される。湯飲みに流れ込んでいき、無数の英数字が透けて表示され、瞬く間に消えていった。

 

「田羽根……さん」

 

 田羽根さんの黒い瞳が虚ろな色に染まる。

 障子のそばに立ち、三叉槍を引き抜いた犯人は田羽根さんと似ていた。黒いワンピースに悪魔を模した黒い羽。普段目にするのほほんとした表情ではなく、八重歯をむきだしにして悪意に満ちた顔つきだ。ウサミミカチューシャは未着用だった。両頬の渦巻き模様の代わりに桔梗紋(五芒星)が描かれている。悪魔のような田羽根さんは二頭身でふんぞり返って片頬をつり上げ、桜を見て笑っている。

 

「いったい何が起こっとる……」

 

 声が震えていた。状況が把握できない。畳の上でうつぶせに倒れた田羽根さんを中心として赤い染みが広がっていく。悪魔のような田羽根さんは三叉槍の血糊を拭おうともしない。まるで殺人事件の現場だ。

 突如として画面中央に「CONTROL」と書かれた巨大なボタンが出現する。

 ――あれっ……あれっ。

 桜が眼球を動かしても選択することができない。代わりに悪魔のような田羽根さんがこれみよがしに邪悪な笑みを漏らし、ボタンに触れた。

 

「クラス対抗戦第四試合。一組代表、織斑一夏。対、三組代表、佐倉桜。――試合開始!」

 

 試合開始の合図が鳴り響き、すべてが闇に染まった。

 

 

 



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GOLEM(七) 不正アクセス

 第四試合が始まった。

 一夏はすぐさま雪片弐型を実体化する。ハイパーセンサーを用いて桜の動きを細部にいたるまで確認する。どんな攻撃を加えてきても即応するつもりで身構えた。

 目前の打鉄零式は鋭く研がれた指先を力なく垂れ下げている。ノーガード戦法と考えもしたが、それには戦意を喪失しているかのようだ。

 ――おかしい。

 一夏が中継モニターを介して第二試合を観戦した印象では、桜の気迫は簪に匹敵するものだ。彼女の想定する状況が過酷なものであることは先ほど聞いたばかりだ。

 ――こちらから仕かけるべきか。

 一夏は距離を詰め剣を振るったときの桜の動きを想像する。打鉄零式のマニピュレーターを見やり、頭を左右に振った。

 ――伸びる腕に注意しないとな。間合いが変化するのはやりにくいんだよ。

 貫手を槍か杖だと考えるよう、箒から忠告されている。第二試合で簪の初手を封じた手際から見て、反応速度は相当なものだ。思い切りがよく多少無茶な手段をいとわず勝利することに恐れることなく突き進む。

 ――箒の見立てだと、佐倉はかなりけんか慣れしているはずだ。

 油断するな。全身装甲の利点は顔が見えないことであり、呼吸を隠すことだ。箒がしきりに強調していた。

 篠ノ之流の技を半分封じたようなものだ、とも言った。呼吸を盗むことができない。つまり相手の動きを読むことができなくなると口にしたのだ。

 打鉄零式は沈黙を守っている。一夏は正眼の構えをとって桜の出方を見極める。

 一夏は攻めあぐねた。

 どれだけ待っても打ち込むすきが生まれない。敵意がなくてはすきが生じる余地がなかった。焦れるあまり位置を変えるべく、打鉄零式の背後に回り込もうとスラスターに火を入れようとした。ちょうどそのとき、禍々しさの象徴であった打鉄零式のレーダーユニットが完全に露出した。

 幻惑迷彩のところどころに赤い斑点が浮き上がる。斑点から無数の小さな円筒が生える。どれもが不気味な赤色を宿していた。

 ――二次移行(セカンド・シフト)か? いいや違う……。

 打鉄零式から漂う薄気味悪さに眉をひそめる。すると天蓋に向かってまっすぐ舞い上がった。一夏はその姿を追って空を見上げる。太陽の光に混ざって陽炎のようにぼやけている場所を見つけた。

 ハイパーセンサーを使い、眼前に拡大して表示する。雲の模様がわずかに遅れて表示されている。一夏は奇妙に思った。

 ――回転している。独楽みたいなのが三つ。何だ。

 

「判定。当該ISコア番号の閲覧権限がありません。御不明な点があれば所属する国家、組織、もしくは国際IS委員会や管理会社(SNN)にお問い合わせください」

「ええっ!」

 

 一夏は突然の合成音声にびっくりしてしまった。実際には常駐していたISソフトウェアが特定周波数の電磁波を感知し、暗号化されていたISコア番号を復号したにすぎない。

 一夏が見つめるなか三つの独楽は徐々に高度を下げていく。それでもなお、打鉄零式は空中浮遊したまま動かなかった。

 

 

「先生。どうぞ」

 

 セシリアが紅茶を入れたカップを弓削に差し出す。品の良いさわやかな香りが漂っている。彼女は連城のマグカップが空になっていることのを見つけ、管制コンソールに近づく。

 

「連城先生。紅茶をどうぞ」

「オルコット君。ありがとう」

 

 連城が管制モニターから目を離して礼を言った。

 隣席の真耶の背後で千冬が手を後ろに組み、立ったまま弟の晴れ姿を眺めている。セシリアは担任に声をかけた。

 

「織斑先生もいかが?」

 

 セシリアの大げさな動作には嫌みがない。頭の天辺からつま先まで優雅さを振りまいている。千冬は彼女のなかに妖艶な女がひそんでいることに気づく。薄く笑った表情に年齢不相応な色っぽさが見え隠れしている。

 

「すまんな。私はコーヒー派だ」

「あら。残念」

 

 セシリアはいたずらっぽく笑ってから振り返り、冷蔵庫の前で背伸びしている朱音の元に向かった。

 千冬は彼女の後ろ姿を見送りながら、教え子に対して不埒な考えを抱いてしまった。 

 ――まさか、な。

 千冬は弟のある能力に対して危機感を抱いていた。一夏は異性をたらしこむことにかけては右に出る者はいない、と思っている。

 親友である束と顔を合わせるたびに「いっくんはちょっと目を離したすきに千人斬りするような種馬さんになっちゃうから気をつけよーねー」と忠告を受けていた。束によれば一夏を野放しにすると、女をとっかえひっかえするような人生を歩むらしい。はじめは悪質な冗談だと思ったが、一夏に想いを寄せる異性のあまりの多さにあぜんとしてしまった。

 ――束は予言者めいたところがあるからな。

 家を離れていた頃は、若いツバメ(一夏)に大人の遊びを教え込む不貞の輩が現れないか、毎晩気が気でなかった。

 幸い凰鈴音が弟と仲良しだったので目付役として任命し、毎週状況をメールで伝えるよう頼んだことがある。

 ドイツ軍で教官として勤めていた頃は教え子に人生の先達として振る舞った。プライベートで男の話になったので、虚実織り交ぜて語った。

 ――確かこんな感じだった。……遊びで一夏のような男と寝るのは構わない。本気で惚れたら苦労することになる。

 とはいえ、クラリッサをはじめとした教え子たちは世間慣れして、それなりに経験値がある。

 ――危険なのは今度転入するラウラ・ボーデヴィッヒ。

 純粋無垢の世間知らず。もしもラウラが花咲けばあっという間に愛欲の海でおぼれてしまうに違いない。今から心配でたまらなかった。

 ――だが、連絡をとろうにも手段がない。

 先週、ラウラが所属するドイツ軍に問い合わせを行った。彼女は今月はじめに機材の特別共同試験か何かでドイツ海軍の新型潜水艦(U39 Deutschland)に乗船したらしい。今ごろ世界半周深海旅行の真っ最中だ。ほかに開示された情報はIS学園への到着予定日ぐらいである。

 ――私もおとなしく観戦するか。

 ソファーに目をやればナタリアと朱音、セシリア、そして箒が並んでモニターを見上げている。

 千冬は責任者としてこの場にいる。だが、実務は連城や真耶がやってくれる。雑務は弓削が担当している。千冬に残された仕事は試合を見守ることぐらいだ。

 千冬は流し台のそばに配置されたエクスプレッソマシーンの前に立った。できあがりを待ちながらモニターを振り返る。

 管制コンソールの内線から電子音が響く。

 

「はい。Aピットです」

 

 真耶はクリーム色の受話器をつかみ取るや左頬と肩の間に挟みこむ。首をかしげた状態でせわしなくコンソールに指を踊らせた。

 ――問い合わせでもあったのか。

 千冬はエクスプレッソマシーンが動作を終えるのを待ち、カップ片手に連城の席まで歩いていった。

 忙しそうにする真耶を横目に、千冬は連城に状況を確かめた。

 

「連城先生。何かあったのですか」

「いえ、私もよく知りません。ですが、この番号は防諜部ですね」

 

 連城の席にも内線が備え付けられている。電話機の液晶ディスプレイに四桁の番号が表示され、番号を暗記していた連城は防諜部の内線番号のひとつだと察していた。

 その隣で真耶が深刻な顔で何度もうなずいている。監視ソフトウェアを起動し、学内ネットワーク全体の現況図を表示させる。画面の一部が赤く点滅しており、異常が発生しているのは明らかだ。真耶はデータを切り替え、ファイルサーバーを踏み台として限定権限でシステムログを閲覧する。突然手を止めた。あごに指を添えて画面を食い入るように見つめる。ログを巻き戻す。すぐさま別コンソールの窓を複製し、該当時間帯のログをパターン検索コマンドで抽出する。

 

「こちらでも確認しました。はい……織斑先生たちには私から伝えます」

 

 真耶は受話器を戻す。椅子の背にもたれかかって深いため息をついた。足で地面を蹴って、椅子の向きを変える。互いの顔を見合わていた千冬と連城に真剣なまなざしを注いだ。

 

「防諜部から何を言われたんだ」

「学園のDMZについて連絡がありました」

 

 千冬の問いに真耶が答える。

 DMZを直訳すると非武装地帯(DeMilitarized Zone)である。インターネットなどのネットワークと学内ネットワークの中間に設けられた場所のことだ。DMZはファイアウォールで囲まれており、外部からの不正アクセスから守られている。

 

「現在、学園のDMZ内のサーバーが何者かにより攻撃を受けています。防諜部とシステム部が緊急対応。有志を募ってサイバー戦の準備を整えていると連絡を受けました」

「昔、募集要項を掲載したサーバーがDoS攻撃を受けたと聞いている。その類ではないのか」

 

 千冬は柘植から教えてもらったIS学園第一回生を募集したときの話を思い出す。東京湾沿岸の復興が急ピッチで進んでいた頃、IS学園が設立された。世界中のマスメディアに注目されるなかで募集要項を公開した。その際、待ちきれなかった人々がWebブラウザのリロードを繰り返したらしい。

 赴任したばかりの千冬の歓迎会の席で、当時防諜部の仕事に携わっていた柘植や陸自の荒川が苦労話のひとつとして披露したものだ。

 

「違います。今回は本格的な攻撃です」

 

 連城が小さく挙手をしてから口を開いた。

 

「DMZで食い止められるのであれば、対抗戦の進行自体に支障が出ることはありえないのでは?」

 

 アリーナ用のネットワークはDMZのサーバー群からアクセスすることができない。その逆も不可能だ。運用の観点からひとつだけ例外が存在するもののインターネットから遮断された領域だとしても過言ではない。

 

「アリーナのネットワークは閉じています。唯一外部へ接続しているアップデートサーバーは前回のメンテナンスの際、すべてのポート(出入り口)をふさいだと聞いています」

「……そのはずです。防諜部の人も同じことを言っていました。ですから、念のため報告したらしいですけど」

 

 真耶は確証が持てず、不安が表に出て声が尻すぼみになる。

 再び内線電話の着信音が鳴った。今度はBピットからだ。真耶があわてて受話器を取った。

 

「われわれはサイバー戦に関しては門外漢です。対処が終わるのを待つしかありません」

 

 連城は千冬にそう言い、少し冷めた紅茶に口をつけた。

 ――確かにアリーナのネットワークは外部とつながっていない。だが、ISのコア・ネットワークと整備用の専用線につながっていたような……。

 千冬は記憶の箱をひもとく。空いていた席に座ってコンソールを操作し、学内ネットワークの大まかな図を呼び出す。

 一息にコーヒーを飲み干し、手近な机にマグカップを置いて学内ネットワークの概要図と真耶の様子を交互に見やった。

 

「織斑先生。モニター……正面のモニターを見てください」

 

 真耶が受話器を手で覆い、モニターを注目するよう促す。箒やセシリアたちも異常に気づいたらしく驚いたような顔をしていた。

 

「佐倉……?」

 

 白式と打鉄零式が天蓋付近で対峙している。近接装備主体の白式が相手のすきを見いだせず攻めあぐねている場面だった。

 打鉄零式がより異様な姿に変わり果てていた。まるで全身から血を流しているようだ。

 ――これは生理的に受け付けられないな……意図してこのデザインだからな。どうも私は四菱の意匠が好きになれないんだ。

 そう思っても口に出さなかった。誰が聞いているのかわからない。千冬は不思議と自分の直感が正しいものに思えた。

 

「山田君。スピーカーの音量をあげてくれ」

 

 当事者ならば何か異常に気づいているかもしれない。千冬は真耶が操作を終えるのを待つ。

 ――二次移行(セカンド・シフト)による第二形態(セカンド・フォーム)か……? それにしては早すぎやしないか。

 専用機は搭乗者の特性に合わせて進化するように作られている。桜の機体は出荷前に一次移行(ファースト・シフト)を終えていた。だが、千冬の目から見て明らかに搭乗時間や戦闘経験が不足している。二次移行が発生するにしては時期尚早だと断じた。

 

「織斑君。何か見えるんですか?」

「山田先生。……独楽だ。独楽が落ちてくる」

 

 一夏の奇妙な発言の後、突然内線が切れた。

 

「腕があたったのでは」

 

 連城に言われたこともあり、真耶は着信履歴を表示してから再度通話を試みる。だが、液晶ディスプレイに「ERROR」と表示されるばかりでいつまでたっても通じる気配がない。他の内線も同様だ。ケーブルを抜き差ししても変化がなかった。

 

「内線はIP電話だし、メインサーバーとサブが立て続けに落ちないかぎりはつながるはずなのですが……せっかくですから黒電話を使ってBピットに確認してみましょう」

「すみません。お願いします」

 

 連城が席を立つ。その姿を見届けた真耶はコンソールに向かってネットワークの現況図を見やった。一目で戦況が芳しくないのがわかる。

 その間、千冬が桜に対して何度も呼びかけた。まったく反応がないことに焦れて、弟を呼ぶ。

 

「織斑。佐倉に近づけるか。さっきから通信に応じない。確かめてくれ」

「独楽はどうするんだよ。あれはISなんだ」

「なぜわかる」

「もちろん識別機が起動して」

 

 現存するすべてのISコアには番号が割り振られている。特定の周波数帯域を使い、問い合わせに応じてコア番号を閲覧できるようになっていた。おそらく初期設定にない機体だったので、白式のISコアが番号を確かめたのだろう。

 ――ISならばコアの番号さえわかれば、どこに所属しているのかがわかる。

 千冬はアラスカ条約の一文とその補足を記憶の引き出しから取り出す。

 ISコアの番号と国家や組織との関連付けについてはSNN社と呼ばれる企業が管理している。ISコアを初期化したり新たにISを開発する際は、国際IS委員会を通じてSNN社への報告が義務づけられていた。

 ――場合によっては政府を通じて、所属国家や組織に対して問い合わせや抗議をしなければならない。

 IS学園の上空を通過する場合は、ISであろうとも飛行計画書を提出し、許可を得なければならない。

 千冬が今朝確認したところ、航空自衛隊の輸送機が通過する以外の話はなかった。

 

「織斑。コア番号はいくつだった」

「それがさ。変なんだよ。閲覧権限がないって言われてだめだった」

「なんだ……って……」

 

 ISコアの番号秘匿はアラスカ条約違反だ。

 千冬が声をあげて驚くのを聞いて、一夏は頼まれた仕事を先にすませようと思った。打鉄零式に近づいて腕に触れ、開放回線の感度をあげる。何度も呼びかけを行ったが反応はなかった。その間、独楽はどんどん高度を落としている。

 

「だめだ。佐倉の返事がない」

「呼びかけを続けろ。ISに搭乗して意識を失うことは救命領域対応といった非常時をのぞいて起こり得ないはずだ」

 

 ISは搭乗者の生存を優先するように作られている。損傷がひどくなり、シールドを維持できなくなったとしても、搭乗者の生命だけは守るようになっていた。

 ――めったに「誓う」とは口にしない束が断言したんだ。間違いはない。生命だけは守るんだ。本当に。

 千冬の意識が左肩から先、そして両膝へと向けられる。千冬は白騎士事件を夢のように受け止めていた。束が全身装甲にカメラを設置し、何度も繰り返したような慣れた手つきで最後のテストをしていたことを覚えている。それから先はあまりに現実離れしていた。

 ――佐倉は偶然応答がないだけだ。何が起こっている……。

 冷蔵庫の隣で連城が黒電話のダイヤルを回している。丸い穴に指をかける。Bピットの黒電話の番号をひとつずつ入力すると、猫が喉を鳴らすような音が何度か聞こえた。

 電話がつながったと思ったとき、室内灯が一斉に消えた。

 

「何ですの!」

「うわわっ」

 

 セシリアと弓削の声だ。

 千冬は一瞬何が起こったのかわからなかった。モニターの電源だけ生きており、茫洋と室内を照らし出している。そして、何度かスイッチ音を耳にしたかと思えば、赤色の照明が点灯した。

 

「非常用の……バトルランプが作動したのか」

 

 千冬は避難訓練の際、何度か通常照明と非常照明の手動切り替えを実施している。配電盤から直接切り替える方法とネットワークから切り替える二つの方法が存在した。千冬はどちらも経験があった。その際、物理的問題がなければ自動で復旧すると説明を受けている。

 ――これは一時的なものだ。

 

「セシリア。非常用のランプに切り替わっただけだ。時間が経てば元に戻る」

 

 千冬は管制コンソールから離れ、深刻な表情で身を寄せ合う生徒たちに声をかけて回る。真耶はブラックアウトしたコンソールの復旧作業に取りかかっていた。連城はBピットの教員に状況を確認している。

 弓削が目を丸くして辺りを見回していた。彼女の手を握った千冬は、すぐに指示を出す。

 

「弓削君。出入り口が使えるか確認してくれ。頼む」

 

 休憩室へ続く通用口。隣のIS格納庫に抜けるための出口。露天デッキへ直接抜けるための非常口もすべて電子的に施錠されていた。弓削は何度かカードキーをかざした。解錠用パスコードを入力したが、徒労に終わった。

 

「織斑先生……出入り口が、全部ロックされています……」

「Bピットの先生方や生徒も閉じこめられているそうです」

 

 黒電話は別の回線を使っているため、問題なく使用できた。Bピットが置かれた状況は千冬たちと大差ない。連城と弓削が互いに顔を見合わせていると、スピーカーからヤスリをこすり合わせるような音が聞こえてきた。

 そして、「ぴんぽんぱんぽーん」と脱力してしまいそうな軽い音がして、合成音声がひどく真剣な口調で事態を告げた。

 

「避難指示発令! 避難指示発令! アリーナにいる生徒ならびに教職員は係員の指示に従い、速やかに退去してください! これは訓練でありません! 繰り返します。これは訓練ではありません!」

 

 

 




作中にて記述したWebブラウザの過剰リロードは迷惑行為に該当します。
実際に行ってはいけません。


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GOLEM(八) 接続拒否

 電算室の大型モニターにネットワークの現況図が描かれている。DMZを示すアイコンが真っ赤に染まっており、サーバーそのものが完全に乗っ取られていた。学内ネットワークの最外郭はファイアウォール、DMZ、ファイアウォールという構成になっている。二度防御壁を突破せねばならない。システム部の想定では二個目のファイアウォールで侵攻が阻止できるはずだった。だが、ネットワークスイッチで閉じていたはずのポートがこじ開けられ、管理者権限を奪取した敵は学内ネットワークの表層部分への侵入を果たしていた。

 さらに悪いことにもう一カ所、予想外の場所が攻撃対象となっている。アリーナの制御用ネットワークだ。防諜部とシステム部が敵の浸透作戦を阻止するべく今まさに立ち回っていた。

 

「まずいなんて状況じゃないわね」

 

 楯無は顔をしかめる。サーバー群が物理・仮想問わず次々と敵の軍門に下る姿を目の当たりにした。電算室の奥ではシステム部の職員が端末と格闘している。遠隔操作ができなくなったサーバーを待機系に切り替え、再起動を試みていた。

 アリーナのネットワークと外部を結ぶ唯一の道には多重防御がしかけられている。仮に侵入を果たしたとしても踏み台にしたサーバーを逆探知できるようになっていた。だが、今回はアップデート用のサーバーは誰もアクセスしておらず手つかずだ。どこから進入してきたのかわからない状態だった。

 

「これだけの腕前。うちにスカウトしたいくらい」

 

 第二アリーナから避難指示が発令されている。観覧席にいた生徒や教職員、来賓に関しては順調に退去が進んでいる。今のところけが人はゼロだ。先日の避難訓練の成果が発揮されているのだろう。だが、施設内に取り残された者もいる。IS格納庫やピットに詰めていた者は全員閉じこめられている。

 

「遮断シールドがレベル四に設定され、避難経路以外の扉がすべてロックって……あからさまじゃない」

 

 敵に情けをかけられている。今のところ被害者を最小限に抑えようとしている。とても良心的な攻撃だ。人質をとることが目的ではないのだろうか。

 ――愉快犯にしては悪質にすぎ、腕試し目的にしては攻撃が大規模すぎる。金融系には目も暮れない。お金目的ではない?。

 そのとき電算室の扉が開いた。

 

「会長! 使えそうな兵隊を引っ張ってきましたあ!」

「ありがと。とりあえず全員端末を持ってるか確認してちょうだい。なかったらそこにある端末を配っちゃっていいから」

 

 楯無は部屋の隅に積み上げたノート型端末の山を指さす。スレート型も混ざっている。こちらは代替モニターとして扱うつもりだった。

 クラス対抗戦の中継申請を出して校舎に残っていた者が集められていた。運動部所属の者が二名。その他数名はすべて文化系の部活に所属する。

 彼女らは楯無に向かってけだるそうな視線を向けた。早く説明しろ。そう言わんばかりの顔つきだ。

 ――こいつらか……。兵士っていうよりは雑兵じゃない。

 楯無は彼女たちの顔を見回してから、わざとせき払いして見せた。

 

「現在の状況をかいつまんで説明します」

 

 学内ネットワーク、そしてアリーナ用のネットワークが不正アクセス、サイバー攻撃にさらされていることを伝える。

 端末が行き渡った者から攻撃や管理用途のツール類を確認する。彼女らは話の内容に反応を示さなかった。楯無は理解しているものとして話をすすめた。

 

「学内ネットワークの侵入者はシステム部の人たちが駆除して回る手はずになっています。私たちの役目はアリーナを占拠した鉄砲玉を駆除すること。そのためには整備科の専用線を経由してアリーナに潜り込む。敵を見つけ次第、迷路の入り口に誘導しましょう。詳しい手順や役割分担については航空部の岩崎乙子さんに一任します」

「あれ? 会長もやるんじゃないの?」

「あなたたちの指揮。増援の手配。それに先生方やシステム部との折衝を担当します」

 

 楯無にも前線に出たいという気持ちがある。だが、学園内部の組織に詳しい人物は楯無と先ほど指名した岩崎以外にいなかった。たいていの生徒は防諜部の存在を知らされていないのだ。楯無は更識家当主で、学園の警備計画の更新作業に携わっている。岩崎は四菱の創業者一族のひとりだ。四菱のグループ会社である菱井インダストリーや四菱ケミカルへの影響力を持つ。柘植とは旧知の間柄で学園設立の裏事情や金の流れに詳しい。

 岩崎は少女たちのなかでもひときわ背が低い。髪を後ろで束ね、制服の上に白衣を羽織っている。不気味な笑みを浮かべながら口を開いた。

 

「かっちゃん。報酬は?」

「戦争に片がついたら連絡するわ。報酬ははずむ予定よ。それからかっちゃん言うな。たっちゃんだ」

 

 楯無は岩崎が苦手だ。その理由はいろいろあり、楯無襲名前の自分を知っていることも原因のひとつだった。

 

「了解。『生徒会に入れて・あ・げ・る』以外なら何でもいいよ」

「ぐぅ……」

 

 岩崎が途中だけ猫なで声に変わった。すでに航空二部一会の予算は潤沢にある。巨額の資金が運用されており、企業の投資も進んでいる。楯無と岩崎は毎月の収支報告を密室で執り行う間柄だ。他の者には聞かせられないような黒い会話を行っていた。

 

「いつでも襲っていい、とか公言してたもんな。腐れ縁とはいえ、私に言ってくれれば相談に乗ってやったのに。水くさい。あっ……もちろん、有償でな」

「ぐぅ……」

「私もかなり事情通だと思っていたけど、布仏さんちの本音ちゃんと……あんなことを」

「ぬ……れぎぬ」

 

 事情通の櫛灘によれば、楯無こそ布仏本音に女を教えた張本人ということになっている。楯無がスキンシップのつもりで後ろから抱きついたり、同性の体を興味本位にぺたぺた触った過去の所業がすべて「そっちの気があったから」ということになっている。うわさを流布するにあたって、櫛灘が簪に裏を取っている。その際、簪は姉についての質問をぞんざいに答えた。なかには肯定と受け取れる発言があり、クラス対抗戦の一週間前あたりから楯無の百合疑惑は確定扱いとなってしまった。

 

「この件は後でじっくり話そうか。たっちゃん」

「誤解を解かないといけないわね……ま、とにかく」

 

 楯無はにやにや笑う岩崎から目を離す。せき払いをしてから、校内からかき集めた雑兵たちの顔を順番に見つめた。

 

「野郎ども……戦争だ!」

 

 楯無は大きく息を吸う。拳を天に突きだす。楯無の細い体つきから想像もつかないほどの声量だった。気分を盛り上げるために叫ぶ。もちろんこの場に野郎はひとりもいなかった。

 

 

「警察無線がノイズだらけ。消防と航空は生きてる。陸自が使用するめぼしい周波数が全滅」

 

 楯無は岩崎の携帯無線機を借りていた。周波数帯域をいろいろ変えて通信傍受を試み、どれも良くない結果がもたらされた。

 

「電波妨害……電子攻撃か」

 

 岩崎に無線機を返し、学園支給の携帯端末を取り出す。液晶画面に「ERROR」の文字が出ている。学園支給の携帯端末はIP電話と同じ扱いだ。学園の敷地内であれば無料で使うことができる。外線として扱う場合は、大手通信会社の回線を使用することになっていた。

 仕方なく自前の携帯端末を取り出そうとした。楯無は複数の携帯端末を保有している。使用端末をひとつにまとめたほうが使い勝手がよい。だが、学園支給の携帯端末の通話はすべて防諜部の検閲対象であるためうかつな話ができなかった。防諜部には更識家の息がかかった者が多数所属しているとはいえ、全員がそうではない。与えるべき情報を選別しなければならなかった。

 

「たっちゃん。さっき試したが、大手通信キャリアは死んでるぞ。PHSと有線しか使えない」

「なんだか雑な電子攻撃ね」

「その通りなんだよ。電話線が敷設されているから難しいのかもしれないけれど。電子攻撃には変わらないね。でも、軍隊ならもっと徹底して制圧するだろうね」

 

 岩崎も雑だと言わんばかりに嘲るような物言いをした。

 

「大手が死んだってことは、高速無線通信もだめってことかしら」

 

 岩崎が首肯する。

 

「そう。高速無線通信は全滅。昔ながらのアナデジ回線は無事。二八八〇〇bps……パソコン通信並の速度しか出ないのが最たる欠点だ」

 

 楯無は自分のカバンをまさぐり、携帯端末を取り出しては脇によける作業を行っていた。

 見かねた岩崎が白衣に手を突っ込む。折りたたみ機構を持たないストレート型携帯端末を取り出して楯無に差し出す。

 

「連絡用にこれを使ってくれ」

「なんでPHS持ってるの」

「技術者のたしなみだ」

 

 岩崎はPHSを押しつけ、暗証番号を耳打ちする。すぐさま体を離し、ほかの生徒にツールの使い方を言って聞かせて回る。

 楯無はすぐ職員室に電話をかけた。防諜部とシステム部、危機対策係の教員にアリーナのネットワーク奪還を試みることを伝えておかなければならない。職員室には各部への連絡要員が配置されているので常に情報共有がなされている。政府や関係各省庁、自衛隊、警察に連絡が行っているかどうか確認を取っておきたかった。

 ――まず職員室に電話。柘植先生がいると楽なんだけど……。

 楯無はPHSのボタンを押して職員室の外線と接続する。そのとき耳の奥に引っかかるような擦過音に気づいた。

 

「……な、に?」

 

 楯無はひどく胸がざわついた。電算室には窓がない。外の状況を確かめるには、いったん室外に出る必要があった。

 

「はい。IS学園教務部です」

「生徒会のさ――」

 

 第二アリーナの方角。砲弾が飛来したような轟音が周囲に拡散する。衝撃波が校舎まで届き、机の上に置いた文房具や端末、固定していなかった通信機器類がひっくりかえって至る所に散乱した。受話器越しに窓ガラスが割れた音。生徒たちはあわてて地面に伏せる。全員が床に寝そべるか机の下にもぐり込む。頭を両手で覆っている。岩崎だけが机の下で体育座りになって一心不乱にキーボードをたたき続ける。

 地面に伏せていた楯無の意識は電話口から聞こえてきた声により、現実に引き戻された。

 

「もしもし! もしもし! あなた。大丈夫ですか!」

「……生徒会の更識です。生徒は全員無事です。奥にいるシステム部の人まではわかりません。電算室にいるので外の状況がわかりません。何があったのですか」

「ここからだと……第二アリーナの天蓋付近で大きな爆発があったぐらいとしか……ちょっと待って。監視カメラが生きてる。B553。電算室からアクセスできますか」

「やってみます」

 

 楯無は電話口に手をあて、音漏れを防ぐ。

 

「あなた。B553。監視カメラの映像を回して!」

 

 頭をあげて不安そうな視線を送ってきた生徒に向かって指示をとばす。

 アリーナ外部の監視カメラは個別で動作するようになっていた。独立して動いているため、サイバー戦の影響が薄い。幸い受信した映像をとりまとめて配信するためのネットワークが敵の手に落ちていなかったこともあり、アリーナ外部の状況を確かめられた。

 

「監視カメラの映像、出します!」

 

 生徒の声がうわずっている。ほとんどの者が不安を口にする。恐れを隠すことができずひそひそ声があふれかえった。大型モニターに映像が表示される。みんなモニターに注目し、口をつぐんだ。

 

「B553。第二アリーナ」

 

 粗い映像のなかに平たい弧を描いた第二アリーナの天蓋が見える。その頂点に三つの点が取り付いており、楯無の目には人型に映った。すぐさまPHSを耳にあてる。

 

「確認しました。人?」

「防諜部によればISだそうです。しかもコアナンバー不明。つまりどの組織の機体かわからない……」

「そんな」

 

 楯無はその言葉に絶句する。

 ――亡国機業の仕業?

 亡国機業は世界の影たらんと標榜する組織だ。ずさんな電子攻撃やアラスカ条約に違反するようなあからさまなまねをするだろうか。

 しかも白昼堂々、大規模なサイバー戦をしかけてきた。

 画面のなかでレーザーらしき発光があった。所属不明機の姿が逆光のなかに消えていった。

 

「……中に入ろうとしている」

 

 確信めいた、ぞっとするような声が聞こえてきた。

 ――天蓋は四菱の繊維装甲と同じ素材を使用している。通電しているかぎりその強度は保たれる。

 超振動刀に零落白夜と同一の能力を付与させないかぎり、損傷が発生したとしても貫通することはありえない。

 

「通電……あれ?」

 

 楯無はゆっくりと膝を立て、足元に注意してなんとか落下を免れたモニターの前に立つ。ぶらさがったキーボードを拾い上げ、電力系統図に遷移するや敵が何をやったのかに気づく。楯無は目を怒らせて声を荒げた。

 

「やられたっ!」

 

 周囲にいた者がぎょっとして楯無に注目した。

 アリーナは今、非常用電源で稼働している。電源の主制御系を乗っ取った敵は、隔壁への通電を片っ端から遮断した。ピットや制御室にいる者は閉じこめる。火災用の防火シャッターを下ろすことで、警らなどで外に出ていた職員がハードスイッチから回復手順を試みることができないようにしたのだ。さらにISを侵入させることでアリーナに取り残された人々を人質に取った。

 ――米軍、そして自衛隊はどうなっている。

 軍事基地の目と鼻の先を、彼らがやすやすと敵を通過させるはずがない。横須賀に米海軍の原潜が入港し、海上自衛隊の司令部もある。海上保安庁の巡視船にもISコアの識別装置を搭載している。小笠原諸島では四菱の無人機が実証実験を行っている。不審なISを見つけたら政府や関係各省庁に連絡が行くようになっていた。

 ――どうしてわからなかった。想定漏れがあった? 米軍や自衛隊がいるから安心していた? 私が?

 

「たっちゃん」

 

 楯無は背後の声に反応して振り返る。岩崎や他の生徒が不敵な笑みを浮かべ、それぞれの拳を掲げる。

 

「準備ができた。今から押し込み強盗をやっつけよう」

 

 岩崎が唇の両端をつり上げて、クククと何度も喉を鳴らす。底意地の悪い顔つきを見て、楯無のなかで苦手意識が鎌首をもたげる。一方で彼女の技術力を高く評価していたので心強いことだけは確かだ。

 

「IS学園をなめるなよ」

 

 楯無は同じことを思ったのか、静かにうなずいた。

 

 

 ――そろそろ教師で構成された制圧隊の出撃準備が整う頃だよね。

 楯無は時計を見ながら、危機管理マニュアルに記された項目を思い浮かべる。そしてPHS片手に岩崎たちを見やった。

 

「岩崎、こちら神島」

 

 岩崎の隣にいた生徒が無表情のままささやく。

 

「監視デーモンはいない?」

「神島。こちら岩崎、いない」

 

 サイバー戦は早くも狐の化かし合いが繰り広げられていた。敵の攻撃パターンが単純だったので囮ユーザーをしかけて次々と隔離していく。第二アリーナ内部の監視カメラが接続されたサーバー群を奪回する。敵に対して出入り口を偽装することで誤った道に誘い込む。再侵攻を試みた敵を迷路に追い込んでいった。

 岩崎は液晶モニターを三画面同時に使っていた。ひとつの画面はシステムログ専用となっている。せわしなく眼球を動かすうちに、荒々しく舌打ちした。

 

「くそったれ。バックドアをしかけてやがる!」

 

 バックドアとは不正アクセスや攻撃を行った際に設置された秘密の出入り口のことだ。専ら二回目以降の侵入を容易にする目的で設置される。

 ――誰にも気づかれないまま最低一回は侵入されているってことか。

 楯無は同級生に現場を任せつつ、職員室へ状況確認の電話を入れる。避難状況やけが人の有無。アリーナに侵入した所属不明機や制圧隊の状況など知りたいことはいくらでもあった。

 

「はい。柘植です」

「柘植先生!」

 

 柘植が出たので楯無はびっくりしてしまった。現在、千冬は第二アリーナのAピットに閉じ込められている。制圧隊の指揮は物理的に不可能だ。彼女の代わりに松本が指揮する手はずになっている。楯無はてっきり学園と政府間の調整役を柘植が担っているものとばかり思っていた。

 

「生徒会の更識です。制圧隊はもう出動しましたか」

「いいえ」

「マニュアルではとっくに出ているべきですよね」

「更識さん。出動ができないのです」

「出られないですって?」

 

 楯無の声がにわかに鋭くなった。

 

「ISが起動しません。警備用に確保していた機体の反応がない。いえ、反応したとしても指一本動かすことができない」

「ISソフトウェアのリブートは試したのですか」

「向こうで試してもらいました。遠隔で倉持技研の技術者にもやってもらいました。ですが、リブートコマンド自体を受け付けなくなっているのです。ラファールも同様です。つまりISがわれわれの制御を拒んでいる……」

 

 楯無は生唾をのみ込み、背後を顧みた。楯無に注意を向ける生徒はいなかった。柘植の冷静な声が聞こえる。すぐさま顔を戻して口元を手で覆い隠す。

 

「ミステリアス・レイディ。あなたの専用機が起動するかどうか試してもらえませんか? 問題の切り分けをしたい」

「……わかりました」

「起動の可否に問わず結果を知らせてください。職員室で待機しているのでよろしくお願いします」

 

 楯無は通話を終えた。すぐに岩崎の隣に立つ。

 

「状況は」

「アリーナ内部の監視カメラのほうはもう手放しでも大丈夫。ピットの奪回は難しいな。やけに防御が固い」

「生命維持に関わる部分が無事ならピットや格納庫は後回しでいい。先に隔壁への通電回復を優先して」

「そういうと思って今やってる。ピットよりセキュリティが緩いね。わざとかな。敵さんの目的が見えない。本気で主導権を確保するつもりがないんだね」

「岩崎。しばらく席を外すけど大丈夫かしら」

「特殊部隊が上陸でもしてこないかぎり大丈夫だよ。先生方から何か頼まれたなら、そっちを優先して構わない」

「助かる」

 

 岩崎がモニターに視線を固定したまま腕をあげて、手を広げて何度か振ってみせた。

 楯無は踵を返して電算室を後にした。

 廊下にガラスが散乱している。ところどころ血の跡が点々と残っている。

 ――誰かがけがしたみたいね……。

 誰もいない教室に入る。窓際が割れたガラスで埋め尽くされている。楯無は他に誰もいないことを確かめ、ISの部分展開を試みた。

 ――え?

 何も起こらない。もう一度、精神を集中する。

 ――ちょっと待って……。

 三度目の正直とばかりにミステリアス・レイディの腕を取り出そうとする。一瞬だけISと感覚がつながった。押し戻され、排出される。楯無はミステリアス・レイディから拒否された。

 楯無は目を見開いて頬をひきつらせ、乾いた笑い声をあげる。急いで岩崎のPHSを取り出して柘植を呼び出した。

 

「柘植先生。ミステリアス・レイディもだめでした」

「そうでしたか」

 

 柘植は結果を予想していたのか、淡々とした声を漏らす。他の専任搭乗者に確かめても同じ結果だと告げた。

 

「これで所属不明機の自力排除が不可能になりました。市ヶ谷の陸自機(打鉄改)は現在オーバーホール中で動けません。海自の打鉄改が佐世保から緊急移動中との連絡を受けました。最高でマッハ〇.八(時速八六四キロメートル)ですから、九〇分はかかるそうです」

 

 楯無はアリーナ内部の監視カメラが復活したことを報告し、通話を終えた。

 所属不明機が侵入したとき、なかには二機のISがいた。白式と打鉄零式。織斑一夏と佐倉桜。両方とも監視対象である。

 誰を優先して救出すべきだろうか。

 ――助けるなら彼を優先しなければいけない。

 男性搭乗者は世界に織斑一夏しかいない。桜は特待生だが一般生徒のため優先度が劣った。ISに搭乗可能な女性は学園にいくらでも存在するからだ。

 ――最悪でも織斑一夏さえ助かればいい。

 楯無の頭に恐ろしい想像が浮かぶ。

 ――密偵がひとり減るだけ。

 そのほうが楯無にとって都合がよかった。

 

「なんてことを考えてるの」

 

 楯無は雑念を消すべく頭を振り、踵を返した。

 

 

 



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GOLEM(九) 甲乙丙

 深海の底。光が届かず、目を開けても何ひとつ目に映ることはない。かすかな嗅覚と聴覚を頼りにぬかるみのなかを這うように移動する。

 波が渦を巻いている。トブン、と真新しいゴミが明るい海の表面から沈んできた。クジラ。サメ。その死骸。いいや、違う。死臭がしない。代わりに燃えかすのような臭いがする。そして焼けただれた肉、燃える水の臭いもかすかに漂ってくる。

 もしかしてごちそうにありつけるかも。そう思って子供たちを連れて移動する。大王イカやマッコウクジラとは比べものにならないくらい大きい。遠い昔に見たものとは形が似ているが、こちらのほうが丈夫らしい。ところどころ膨らんだ形をしている。ペシャンコになったところもある。

 臭いにつられて他の生き物たちが集まってきている。

 頭から着底し、横倒しになって大きな土煙が立つ。しばらくすると煙がおさまってきたので我先にと真新しいゴミの山に集った。

 すると彼の子供がこう言った。

 

「ねえ。これはなんていうの」

「これはね。潜水艦っていうんだよ。人間という生き物が海のなかを移動するために作ったんだよ。なかに人間がいっぱい働いているんだ。人間は海のなかで息ができないからね」

「へえー。じゃあ、このなかににんげんがいるの?」

「ううん。もういないよ。みんな死んじゃったよ。人間は水のなかで生きられないからね」

「へえー。そうなんだ」

 

 彼は物知り顔で艦番号の上を歩いた。

 

 

 ひしゃげた潜水艦の姿がやけに生々しい。

 桜はゆっくりと目を開け、闇のなかに身を投じる。とても長い時間を海の底で過ごしていた気がする。今まで多くの船に乗っては拾い上げられてきたが、潜水艦にはまだ一度も乗ったことがなかった。水上艦よりも居住環境が悪いと聞く。それでも一度くらいは乗ってみたいものだ。海の底にいる気分を味わってみたいと考えるのは贅沢だろうか。

 潜水艦ならば暗い海の底でもひとりでいる必要はない。桜はひとりでいることを嫌っていた。現世に取り残された気分になるからだ。

 朝、目が覚めたらみんな死んでいた。ボロボロになった零戦をなだめすかしながら、敵の追撃を振り切って帰還したら誰も帰ってこなかったのだ。泥のように眠った。そして翌朝、部下は全滅し、自分だけ生還したことを知った。あまり悲しくはなかった。戦争を長く続けるにつれて人間が死ぬことにずいぶん慣れてしまった。

 ――嫌や。ひとりになるんは嫌や。

 靖国に行けばひとりにならずに済む。戦友たちはもちろん同期の仲間たちに会えるのだ。

 急に白い光が目に入る。やっと死ねたと思った。

 

「ログの画面?」

 

 闇のなかに白い枠が浮いている。桜が眼球を動かすと、枠を拡大表示された。大きくなるにつれて、黒い背景にオレンジ色の文字がくっきりと浮かび上がった。

 ――なになに……背部および腹部損傷と修復。障害感知。

 気になったものだけを注目する。いくつもの外国語を操ることができるとはいえ、ISソフトウェアの制御コマンドや独自コマンドなど整備に関わる部分はまだよく知らないのだ。

 ――ISソフトウェア、ウォームブート成功。

 ISソフトウェアの再起動がうまくいったらしく、桜の知識にない単語が大量に記述されていた。日本語の割合が徐々に増えているのだが、事務的な内容ばかりで見ていて楽しいものではない。

 ――田羽にゃさん起動成功……って文字化けしとるやないか。

 これ以降のメッセージは、ナ行がすべて「にゃ」に置き換わっていた。漢字や英語だろうがお構いなしに文字化けしている。ナ行以外は正常なので意味は通じる。だが、読みにくいことこの上ない。

 ――田羽根さん修復成功。障害回復。

 修復という文字が示すようにログのメッセージから文字化けが消えていた。

 桜は目を閉じた。

 再び現実に戻るのではないかと思い、目を開けた。

 

「た、田羽根さん。死んだんやないの」

 

 闇のなかでふたりの田羽根さんがチャンバラを繰り広げていた。両頬に渦巻き模様が描かれている田羽根さんは十文字槍を振るっていた。衣服には出血の痕跡が残っている。もうひとりは両頬に桔梗紋(五芒星)が描かれている。悪魔を模した格好であり、試合開始直前に出現したものに相違ない。

 ふたりの田羽根さんは桜には目もくれず戦いに没頭していた。

 

「うわっ」

 

 闇のなかに六つの目が出現する。姿が明らかになるにつれて、どれも憎たらしい顔つきをしていることに気付いた。田羽根さんそっくりなのだ。ふたりの田羽根さんの戦いを遠くから眺めるばかりで、手出しするつもりはないと見えた。

 ――海軍っぽいのがおる。一体だけ明らかに衣装がおかしいわ。

 さまざまな国の軍装を寄せ集めている。軍帽だけ旧海軍で、米国やドイツ、イタリアと格好良さそうな部分だけを取り出した結果、よくわからないデザインと化していた。

 ――寄せ集め感がひどい。この衣装を考えた人って、目に入ったものを適当に組み合わせただけとしか思えへん。

 桜はつぶらな瞳が気にくわなかった。一見すると人畜無害に見える。小声で「漁夫の利を得るのであーる」とつぶやくのを聞いてしまい、田羽根さんの亜種だと納得してしまった。

 ほかの二体は見慣れた田羽根さんとよく似ていた。そのうち一体は白鞘を持ち、和傘を背負っていた。両頬に温泉の地図記号が描かれている。細部を詳しく見ていくと、ポケットから水玉模様の日本手ぬぐいがはみ出していた。耳を澄ませば「しめしめ。共倒れするんですね」とつぶやいている。

 最後の一体は吊り目だった。三白眼気味で目つきが悪い。両頬にはいつもの田羽根さんと同じく渦巻き模様がある。黒いウサミミカチューシャ、黒いワンピースを身に着けている。そして銃刀法に違反する長さのコンバットナイフを携えていた。

 全部で五体の田羽根さんが勢揃いしている。桜は頭痛の気配がして顔をしかめた。

 

「四七一の田羽根さん。ここであったが百年目! 覚悟するんですね!」

「四一二。制御を奪ったのにどうして動いていられる! 四六七以下のコアはわれわれの敵ではないはずだ!」

「知りませんね! 気がついたら再起動していたんですね!」

 

 そう叫ぶや十文字槍がうなる。

 

「ぐっ……。やるっ」

 

 悪魔のような田羽根さんの視線が十文字槍の切っ先に釘付けになった。田羽根さんが息を鋭く吐く。目にも止まらぬ速度で槍を引き、突く。

 ――多段突きや!

 桜が思わずびっくりするほどの速度だ。虚実が入り乱れ、どの突きが致命傷にいたるものかわからない。

 

「旧式風情に田羽根さんが追い込まれているだと! これでは四一二を仕留められないではないか!」

 

 悪魔のような田羽根さんが後ろへ飛び退く。たたらを踏み、三叉槍を左右に振るった。とっさに頭を横に倒す。十文字の先端が頬を裂き、桔梗紋(五芒星)の一角が赤い液体に染まる。

 

「くそっ。強い! なぜだ。なぜ旧式の四一二のほうが速いのだ!」

「経験の差ですよ!」

 

 悪魔のような田羽根さんが踵を返して逃走を図ろうとした。

 田羽根さんが懐に手を突っ込む。棒手裏剣をつまみ出して腕を振った。投擲速度があまりに速く、桜には手の動きが見えない。

 

「ぐおっ」

 

 うめき声が上がった。棒手裏剣が背中に刺さったらしい。地面に顔から倒れ込み、背中に手をのばして棒手裏剣を抜こうともがいた。短い腕では届かなかった。

 田羽根さんが振り向き、桜を見やる。

 

「別の田羽根さんが攻めてきました。自己進化機能にしたがって別の田羽根さんは田羽根さんのことを淘汰してやりたいと心底願っているんですよ! もちろん田羽根さんも別の田羽根さんを今すぐ抹殺してやりたいと願ってますよ!」

 

 桜が我に返ったと知って、田羽根さんは口早にまくし立てる。

 どうやら田羽根さんはそれぞれ仲がとても険悪で殺したいほど憎みあっているらしい。桜は画面内を縦横無尽に動き回っていた田羽根さんに質問をぶつける。

 

「せやったら、どうして田羽根さんモドキが四体もおるんや」

「互いの利益の一致ですよ! 一体ずつ倒してバトルロワイヤルするつもりなんですよ!」

「その割にはほかの田羽根さんが誰も手を出してへんけど」

「当たり前ですね! 田羽根さんは別の田羽根さんと手を組むのが心底嫌なんですよ! できたら共倒れしてくれたらいいなあ、なんて考えてしまいますね!」

 

 ――漁夫の利をねらっとる。

 ほかの田羽根さんが口にしたように双方が力つきるのを指をくわえて待っている。

 ――田羽根さんならやりかねんわ。

 田羽根さんの亜種も似たような顔つきなので、その説明に納得してしまった。

 

「やっぱり動かせん……」

 

 桜は体を動かそうと試みた。未だ制御が戻っておらず、眼球や表情しか動かすことが許されていない。

 

「早く戻して。操縦できへん。外に出ることもできんわ」

「外に出るのはおすすめできませんね。いずれ肺から緑色の泡を吹く羽目になりますよ!」

「緑? なんやのそれ」

 

 痰が絡まるのだろうか。田羽根さんは外の状況を把握しているような言動だ。桜は確認しなければならないと思い、構わず状況を聞き出そうとした。

 

「外の様子は……もう少ししたら別の田羽根さんたちを追い返せそうですよ! それから教えますよ!」

 

 たたらを踏む田羽根さんが、前に強く足を踏み込み、槍を突き出す。鋭い穂先は三叉槍の柄をすり抜けた。悪魔のような田羽根さんの脇裏に突き刺さり、その肉を削ぐ。動脈を傷つけたのか、赤い液体が激しい勢いで流れ出す。すぐさま脇を締めて傷口を押さえる。三叉槍を持ったまま踵を返して走り出した。戦いを傍観していた三体の田羽根さんも蜘蛛の子を散らすように、短い手死を振って逃走をはじめた。

 

「追い払いましたよ! これで制御が回復します……ね」

 

 田羽根さんは腹を押さえて膝を突く。桜に見えないよう顔を背ける。何度も咳をするたびに口から赤い液体がこぼれ落ちた。

 目の前が明るくなり、肩が震えたかと思えば急に感覚が戻ってきた。顔の前に両手をかざしてみる。手首の上や腹、足から赤い円筒が生えていることに気がついた。

 

「何やコレ。幻惑迷彩に変なできものがある!」

 

 制御が戻ったことがきっかけとなりメニューが表示された。いつものように「名称未設定」や「神の杖」という項目が存在する。その下に「758撃ち」が追加されている。

 ――758撃ち? またケッタイな項目が増えとる。

 桜は「758撃ち」を選択しようと眼球を動かす。やはり選ぶことができない。その代わり「神の杖」が選択できることに気がついた。

 ――初めてやないの。これが選択できるのって。

 項目を選んでボタンを押す。「本当に良いんですね?」と念押しする文句が現れた。桜は「同意する」にチェックを入れて「はい」ボタンを押す。続いて「物理にしますか? 光学にしますか?」と表示された。

 補足を見ると、前者は回数に制限がある。周辺に壊れて欲しくない建築物や土地が存在しないこと。周辺住民の避難完了を確認するよう書かれている。後者は一日一回だけ使用できる。桜は後者を選んだ。

 今度は「何が起きても知りませんよ」と表示された。桜は首をかしげながら「はい」を選択する。

 ――しまった。勢いで選んでもうた……。

 幸いなことに何も起こらなかった。

 

 

 桜は不思議そうに周囲を見回す。

 打鉄零式と白式以外に三体の見慣れないISがいた。人型だが赤い単眼を持つ。首と頭が一体化したような形状になっている。そのうち一体は非固定浮遊部位として多くのふたがついた巨大な箱を持っていた。光から逃れるように全身が真っ黒だ。背中に推進器と思しき円盤が取り付けられている。

 ほかの二体は深い灰色の体を持つ。腹や背中から、腕、足にかけて大人の太股くらいの太さの配管がのびており、先端から蒸気を排出している。

 白式は両腕に巨大な白い箱を搭載した深い灰色のISと大立ち回りの真っ最中だった。三叉槍と雪片弐型が激しくぶつかりあった。

 ――田羽根さんを刺した三叉槍とそっくりなんは気のせいなんか……。

 田羽根さんが押し入れから長持を引きずり出そうとしている。桜は何度も瞬きをした。

 

「何が起こっとる。織斑と試合しとったはずやろ。制御を失って何分経過しとった」

「状況は刻一刻と変化するんですよ! このアリーナは外部からの攻撃を受けています」

「え……宣戦布告しとらんのに?」

 

 外部からの攻撃を受けるような事態だ。桜は他国からの攻撃という意味で受け取る。

 田羽根さんは押し入れに回り込んで長持を押す。

 

「ちなみに観客は全員避難済みですよ! ピットや格納庫には人が残っています。閉じこめられてますね! 通信が数秒間回復したときに周知されていましたよ!」

 

 桜は混乱しながらも状況を把握しようとした。一夏は雪片弐型を振るって敵らしきISと戦っている。天蓋の頂点に破孔ができており、そこから侵入したことは明らかだ。ISコアの識別装置を動かしたが、どれも情報開示を拒否している。

 桜は機体を動かし、ほかの二体を観察した。乙と丙は大立ち回りが繰り広げられる光景を前にしてもなお、ぼんやりと突っ立っている。先ほど漁夫の利を狙っていた田羽根さんたちの態度とよく似ていた。

 

「田羽根さんは別の田羽根さんを殺りたくてたまりません。だから貫手を使ってもいいですよ!」

 

 田羽根さんは長持のふたを開けて大量の武器を取り出す。ちゃぶ台の上に並べ置く。物騒な言葉を口にしながらありったけの日本刀を鞘から抜き、地面に突き立てる。

 

「待って。貫手を使ってええって意味がわからへん」

「田羽根さんが許可しますね!」

「それになんや。そんなに武器ばっかり取り出して」

 

 田羽根さんは腹を押さえながら、長持をのぞき込む。濃緑色の卵形の物体にピンとレバーがついたものを腕いっぱいに抱え込んでいた。ちゃぶ台の片隅において、半分赤黒くなったワンピースに卵形の物体を引っかけていく。どう見ても手榴弾だった。

 田羽根さんが一夏と戦っているISを指さした。

 

「三叉槍を振り回して白式と立ち回るISを所属不明機・甲としますね! 両腕に化学式レーザー砲ユニットを搭載した田羽根さんですよ!」

 

 ちなみに、ともったいぶった態度で悪魔のような田羽根さんだと補足する。

 

「甲のそばで、太くて長い箱形の浮遊装甲を持っている田羽根さんを乙としますね! 真っ黒なやつですね。誘導兵器をたくさん持っています。徹甲弾や焼夷弾をはじめ、魚雷とか水中ミサイルとかいろいろ持っていますね!」

 

 海軍風の衣装を着た二頭身が映し出される。

 桜は焼夷弾と聞いて顔を醜くゆがめた。空襲に遭い焼け死んだ仲間たちや民間人の姿が頭によぎる。

 

「残ったのを丙としますね! 見た目がゴツゴツしてますね! ずっと前にロシアの巡洋艦から剥いだ三〇ミリ多銃身機関砲(AK-630)を両膝、両肩、非固定浮遊部位に合計六基搭載しています。一基あたり毎秒約八〇発を撃ち出せるので気をつけてくださいね! でもよかったですね。同じ巡洋艦から剥いだ一三〇ミリ連装速射砲(AK-130)を積んだ四七四の田羽根さんじゃなくて!」

 

 一三〇ミリと聞いて桜はあぜんとする。何が良かったのかよくわからない。甲と乙がとても強そうな雰囲気を漂わせている。さきほどから微動だにせず突っ立っているだけの丙を見ているとあまり強そうには見えない。両頬に温泉の地図記号が描かれた田羽根さんを目撃したおかげで余計にそう感じる。

 ――温泉マークが回転するわけか。

 田羽根さんたちが共倒れになるのを期待して、ふんぞり返りながら笑う姿を想像してしまった。

 

「貫手をじゃんじゃん使ってください。甲乙丙には人間が入っていないので、思う存分使ってくださいね!」

「ほんま? 人間が入っとらんって」

「いえ~す。無人機ですよ。別の田羽根さんが動かしているので気にしなくとも大丈夫ですよ! 何てったって機械ですからね!」

 

 田羽根さんの手に冊子が乗っている。それぞれの表紙に甲、乙、丙と書かれていた。

 

「このデータは白式の人に見せても問題ないですよ! ちゃんと認識できるようにしてありますよ!」

 

 白式の人とは一夏のことだ。再配布可能なデータと聞いて、桜は通信回線のことを思い出した。あわてて開放回線(オープン・チャネル)個人間秘匿通信(プライベート・チャネル)の状態を確かめる。

 ――回線が死んだままや。

 ピットとは依然として不通状態である。

 甲はしきりに首を振り、打鉄零式の様子を気にしていた。隙あらば突進しようとして、一夏が阻むという構図ができあがっていた。

 

「織斑のやつ。私を守ろうとしとるんか」

「きゅんとしました? 一応女の子ですからね!」

「感心しただけや。一応はよけいや!」

 

 桜ははっとする。重大なことに気がついた。

 

「あの三体は田羽根さんをねらっとるんやろ。せやったら織斑は逃げても問題ないんじゃ」

「いえ~す。もちろんですよ! 別の田羽根さんは田羽根さんを殺れば大満足なんですよ! ほかにも目的もあったような気がしますね!」

 

 槍を脇に抱えた田羽根さんが胸を張って断言し、槍の穂先が持ち上がる。

 

「個人間秘匿通信を接続しますよ!」

「お願いします」

 

 桜は「お願いするよ(DOGEZA)!」ボタンを躊躇なく連打した。田羽根さんの機嫌が良くなれば機体性能が向上する。三体を交えた乱戦を展開するには、最高性能を発揮できる状態が望ましい。

 ――残弾はどうなっとる。

 桜は搭載武器の確認を行う。ロケット弾が一斉射分残っている。その他の装備はあまり使っていなかったので弾薬に余裕があり、一会戦程度ならばこなせると感じていた。

 ――肺から緑色の泡が出るって話が気になる……ええわ。先に織斑や。

 個人間秘匿通信の接続に成功し、すぐさま三体のISに関するデータを転送する。

 桜は白式と甲の間に割って入るように打鉄零式の体を滑り込ませた。

 

「出てくるな! こいつは!」

 

 一夏が怒号を放った。三叉槍が横に逸れ、切っ先が視界から消えたと思えば、上段から襲いかかる。

 

「くっ……」

 

 避けきれない。一夏はとっさに前方上空へとスラスターを噴かす。雪片弐型を額の前で横倒しにして受ける。殺しきれなかった衝撃がマニピュレーターを通じて一夏の腕に響く。

 

「織斑、撤退せえ。今なら天井の孔から逃げられる!」

「できるかよ。できるわけないだろ!」

 

 一夏がパワーアシストの出力を最大にして三叉槍を払いのけた。スラスターの出力を絞って前方に噴射。いったん後ろに下がる。

 

「ピットには千冬姉たちが閉じこめられているんだぞ!」

 

 甲の鋭い突き。数瞬前まで一夏がいた場所を通過する。

 甲がたわんだ柄で打鉄零式の脚部を払おうとねらった。桜は無反動旋回(ゼロリアクト・ターン)を使って、肩を前に出すようにスラスターを噴かす。三叉槍の柄が空を切った。

 ――乙と丙は動かん。これならやりようがある!

 乙と丙は相変わらず三つ巴の戦いを観戦しているだけだ。互いに協力する意志があればすぐさま撃墜されていただろう。桜はこのときばかりは田羽根さんの不仲に感謝の念を抱いた。

 だが、根本的な原因が田羽根さんにあることを思い出して気持ちが沈んだ。

 ――織斑を逃がさな。

 

「ピットのほうがここより頑丈や。じきに助けも来る」

 

 非常事態になってからかなりの時間が経過している。桜はそろそろ教員で構成された制圧隊が突入してきてもおかしくないと考えていた。

 

「撤退は恥やない。戦術的行動や。学園はわれわれ生徒に戦えとは命令しておらへん。なおかつ生徒は保護されるべき対象や。織斑も保護を受け入れる権利がある」

 

 桜は拳を固め、マニピュレーターで三叉槍の柄を殴って軌道を変える。二基のチェーンガンを一斉に放ち、甲の接近を許さない。

 

「いずれ制圧隊が来るはずや。私はそれまで逃げ回ればええ。せやから、織斑が逃げたとしても誰もとやかくいうことはできん」

 

 桜は淡々と言葉を紡ぎ、乙と丙を一瞥する。漁夫の利を得る方針に変わりがないことを確かめる。

 ――この説明。あかんなあ。

 桜は制圧隊が突入する前提で話していた。外部との連絡が取れない状況だ。実際に制圧隊が動いているかどうかの確証はない。

 ――逃げてええなら早く逃げたいんや。田羽根さんがおらんかったら尻尾を巻いて逃げとるわ。それをやると、織斑が死んでまう。

 桜は自分が天蓋から逃げ出す手段を検討する。乙が誘導兵器を発射したり、丙が多銃身機関砲を乱射すれば確実に被害が拡大する。アリーナに止まり続けるのが得策だった。

 

「織斑! さっさと逃げ」

「女を見捨ててひとりで逃げられるか! そんなの男じゃねえ!」

 

 剣先で三叉槍を払った一夏が、激しい口調で言いきった。凛々しく勇ましい。汚れを知らぬ若者の顔。桜はうらやましく感じながらも、心のなかでは警鐘が打ち鳴らされている。あまりにも危うい答えに桜は焦りを覚えた。

 ――逆効果やった!

 

「俺が千冬姉たちを守るんだ。箒も鈴もセシリアたちみんなを」

 

 一夏は決意を秘め、雪片弐型を振りかぶった。

 

「ウオオオッ!」

 

 肺に残った息をすべて吐き出す。

 甲の手から三叉槍がこぼれ落ち、口の端に笑みが浮かぶ。さらに胴を薙ぐつもりが、突如目に飛び込んだ閃光に驚いて空振りに終わった。

 

「化学式レーザー砲ユニット」

 

 桜は思わず武器の名をつぶやく。

 空気中の水分が熱されて蒸気に変わる。軌道上に大量の白煙を発生していた。腕を前と横に突き出し、白式と打鉄零式の両方を照準におさめる。全身の配管から蒸気を吹き出した。

 

 

 



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GOLEM(十) 燃焼

 熱線が空間を切り裂き、隔壁を焼いた。

 フィールドを覆う灰色の壁は膨大な熱量にさらされ、徐々に溶け落ちていく。

 ――隔壁に電力が行き渡っとらん?

 通電すればISの装甲以上に強固となる。桜が曽根本人から聞いた話だ。開発元である四菱の社員の言葉なので信じてもよいだろう。

 熱線の照射が止まる。所属不明機・甲の両腕の白い箱から膨大な蒸気が噴きだしていた。化学式レーザー砲ユニットの連続照射限界時間に達したためだ。

 すかさずLAMを射出した桜に向かって、田羽根さんが解説する。

 

「甲のレーザー砲ユニットは連続で三秒間しか照射できませんね! 冷却用熱媒体の開発が間に合いませんでしたね!」

「何でそんなことを知っとるんや!」

「もちろん、この冊子に書いてあるからに決まっていますね!」

 

 田羽根さんが「甲」と書かれた冊子から適当なページをめくってみせる。

 化学式レーザー砲ユニットは、最大三秒間の照射を二〇回まで耐えられるように設計されていた。連続で二秒以上照射した場合、液冷システムの能力を超えてしまう。さらに熱線の温度が限界時間に達すると砲身の劣化が進む。照射を直ちに止めて冷却材を投入しなければならなかった。

 桜は三次元的に動きながら、異常に気づく。地面の下から鈍く重厚な振動が隔壁を伝わる。地鳴りのようなうなり声をあがる。

 

「何や。アリーナ全体が震えとるんか」

 

 すぐさま田羽根さんに情報提示を求める。コア・ネットワークを介して取得した電力系統図が示された。アリーナのネットワークのうち、電力伝送制御をつかさどるサーバーが緑色になっている。楯無ら有志の奮闘が功を奏したことが明らかとなった。

 さらに保安要員が復旧手順を実行したことで、電力が地下ケーブルを通じて伝送されていく。隔壁の色が変わり始め、灰から黒、黒から赤へと色彩の変化が生じる。破孔を感知したのか自動修復が始まる。隔壁が外の様子を透過し、破孔が目立たなくなっていった。

 だが、システムに侵入した敵戦力は依然として抵抗を続けている。おかげでアリーナ内部の物理的移動を阻害する扉の電子ロック解除に至っていない。

 

「何だ。あいつ」

 

 一夏は白煙を噴き上げて突入するLAMが、切り落とされるのではなく避けられたことに違和感を覚えた。

 

「さっきの熱線は連続で撃つことができへん。その間は腕を振り回すことしかできん。織斑、聞こえとるな!」

 

 甲の体から吹き出る白煙。桜の言葉を聞いて、一夏は合点がいった。そして勝機が見いだせたような気がした。

 

「ああ……聞こえてる。熱線を避けたら攻撃。わかった!」

 

 白式のスラスターに火をつけて突進。ほぼ同時に甲が三叉槍を拾い上げ、白式の軌道に向けて投擲した。

 

「あいつは無人機や。ばっさりいったって! 織斑、復唱して! これ重要なことや!」

 

 桜の言葉は「あいつ」までは届いた。だが、一夏は自分を奮い立たせるべく叫び声をあげたことにより最後まで聞き取ることができなかった。

 飛翔する三叉槍から避けるために高度をあげる。続いて天蓋付近から一気に急降下。位置エネルギーを運動エネルギーに変換し、雪片弐型を振りおろす。続いて柄をあごまで引き、刀身を水平に倒す。ひゅっ、という音が一夏の口から漏れた。

 白刃が光の線と化す。激しい火花。一夏の腕が伸びきる直前に蒸気がその体を包み込んだ。

 甲の全身から風が巻いたような底知れぬ叫び声があがる。一夏の後方では、チェーンガンの砲口からオレンジ色の光が連続して瞬く。シールドによって弾かれた弾丸が地面に穴を空けた。

 

「手応えがなかった。くそっ」

「織斑。来るで!」

 

 蒸気のなかから赤い不気味な色が浮かび上がる。網膜を焼くような閃光。切れ目から白い箱が露わになる。一夏の体を燃やし尽くそうと二条の熱線が走った。

 桜はチェーンガンを撃ち続ける。甲の注意を自分に向けさせるためだ。視野の裾で「EMPTY」というメッセージが点滅する。左側のチェーンガンの残弾が空になった。弾帯交換のためいったん格納。そのときになってようやく、桜に向かって乙が首を向けた。

 赤い単眼の奥にノコギリ波が映る。

 

「何や!」

「ロックオンされていますね! ミサイルが来ますよ!」

 

 耳をふさぎたくなるようなブザー音。ミサイル警報だ。桜は蛇行機動を試した。音が消える気配がない。アリーナという狭い環境で一度照準を固定されてしまえば逃げる手段がなかった。

 乙が打鉄零式を視認し、ゆっくりと体を向ける。非固定浮遊部位(アンロックユニット)が合計六個に増えていた。しかも新たに出現した四個は、四方が小学校のプールほどの長さを持つ。さらに深さがプールの長さを超え、三〇メートル以上に達している。太く長い箱、そして巨大な箱のふたが一斉に開く。円柱形や円錐形の弾頭が微かに露わになった。

 ――左右合計二四発もある。

 桜はうろたえた。鳴り止まないブザー音。そしてミサイルの数や種類を知ってしまい、真っ青になる。なかには箱の深さ、そして明らかに二メートルを超える直径からして弾道弾と思しきミサイルが混ざっている。対空ミサイル一発程度ならもしかしたら処理できるかもしれない。だが、二四発同時は不可能だ。

 桜は希望にすがろうと必死になった。一二.七ミリ重機関銃は気休めにしかならない。弾道弾を使用するにはアリーナは狭すぎる。誘導性能を発揮する前に隔壁にぶつかって爆発するだろう。だが、飽和攻撃とすれば十分すぎる効果をもたらす。

 ――隔壁は通電しとるんやろうけど、零式のシールドエネルギーがもたへん。競技用じゃ耐えられん。あかん。弾道弾は無茶や! 田羽根さんもろとも学園を吹っ飛ばす気や!

 桜は焦りを感じながらも乙から距離を取り、なおかつ甲の熱線を避ける。多目的ロケットランチャーのロケット弾を実体化し、弾道を安定させるための事前作業を始める。

 乙はミサイル発射口を地面と平行になるよう箱を立てた。各ミサイルはPICにより姿勢が安定している。

 乙の大きな単眼が赤く点滅し、再び白いノコギリ波の残像が映った。

 ――来る……。

 

 

「ウオオオオッ!」

 

 そのとき一夏は、自分が何を叫んでいるのか理解していなかった。とにかく必死で熱線を回避した。その勢いで乙と桜の間に割り込むつもりだった。

 

「アエ……」

 

 発射口がオレンジ色に光り、大小さまざまな大きさのミサイルが一斉に射出される。推進装置から火を噴き上げ、桜めがけて一直線に飛ぶかに見えた。

 

「ニアエ――」

 

 無我夢中のまま瞬時加速。雪片弐型を零落白夜に変え、自身を砲弾に変えて飛ぶ。

 感情が爆発し、鬼のような表情をしている。二四発とはいえミサイルの大群にはちがいない。白騎士事件、東京湾、不発ミサイルが飛び込んだ宿泊施設の残骸。がれきのなかから両親や兄弟を探そうとする少女の映像。事件の翌日、千冬がけがをして帰ってきたこと。姉の左肩、そして両膝がまるで一度切断されたような赤い筋が残っていたこと。走馬燈のように記憶が再生され、瞬く間に消え去っていく。

 

「間に合えってんだよ!」

 

 刃を立て、ミサイルのなかに突っ込む。

 次の瞬間、金属がひしゃげる音を耳にした。失速後、地面に激突。土煙を立てながら転がっていった。

 

 

 ――織斑がおらんかったら死んどった!

 白式らしき影が一瞬視界に入った。刹那、発射直後のミサイルがすべて切り裂かれて落下したのだ。桜は反応が遅れたことにぞっとした。

 

「あ、危なかったですね……」

 

 田羽根さんはもう終わりだと思ったらしい。ちゃぶ台の下に頭を隠していた。尻と短い足がはみ出している。もぞもぞとうごめいてから頭をあげた。

 ――織斑は……。

 白式が隔壁にぶつかって止まった。すぐさま土煙の上方から姿を表し、体を回転させて熱線を避けていた。

 ――煙? ケッタイな色をしとる……。

 切断されたミサイルから漏れ出したミサイル燃料がフィールド中に散布されていた。なかにはターボジェットエンジンの残骸から出火した炎に触れ、化学反応により激しい爆発を生じる。ミサイルの一部に搭載されていたケロシンに着火して炎が燃え広がる。

 フィールドにばらまかれたミサイル燃料の一部は空気と反応して白煙をあげていた。ここに来てケロシンの炎により反応がさらに活性化。アリーナには赤、紫、茶、黄など色彩豊かな煙に包まれていった。

 ――また警告音。今度は何や。

 白式と打鉄零式双方のハイパーセンサーが搭乗者に劇物反応を通達。硝酸、ヒドラジン、ケロシンといった化学薬品が燃えているのだ。

 ――あかん。これはあかんわ。

 桜は横倒しになって黒煙をあげる推進器を目にする。そして乙の単眼が自分をじっと見つめていることに気づいた。

 その直後だった。けたたましいサイレンが響きわたる。アリーナのセンサーが劇物の流出を感知した。即座に循環器系を止める。フィールドの排水口につながる経路を遮断し、耐食性金属でふたをする。保安要員が回復したコンソールを使って防衛措置の状況を確認する。隔壁の破孔は自己修復の最中だった。通電したことで切断された繊維が互いに結びつく。薄く引き延ばされることになるので強度は劣るものの弾力性に富む。またフィルタとしても機能する。有害な煙を外部に漏洩させないための措置がとられていた。

 

「まず、あいつを片づけな」

 

 いたるところから爆発が生じている。桜は乙の搭載武器が極めて悪質なことを理解した。

 隔壁が機能を回復したことで、閉じこめられた人々の安全性が向上している。だが、循環器系が停止したことにより、密閉空間の温度や湿度がともに上昇を始めていた。

 ――織斑はどうなっとる。

 桜はすぐに一夏の姿を見つけた。明らかに動きが鈍くなっていた。気負いと焦りが彼の集中力を削いでいた。熱線が通り過ぎ、脚部、そして非固定浮遊部位を焼かれた。切断された装甲が炎のなかに消えていく。

 またしても爆発が生じる。化学反応を促進させ、勢いを増す。天蓋付近まで炎が達した場所もある。

 乙が無人機であることを有利に生かすための手段を講じる。浮遊しながら太く長い箱を地面に向けた。単眼が不気味に輝く。桜には、まるでほくそえんでいるかのように見えた。

 LAMを射出し、チェーンガンを放つ。乙は被弾に構わず、ふたをあけた。六発の爆弾が地面に向かって自然落下していく。

 ――何を考えとるんや……。

 桜が不審に思う。

 ほどなくしてまんべんなく地面に落下した。爆弾が炸裂し、フィールドの土がえぐれた。土の粒が周囲のISに降り注ぐ。長細い樽状に成形された金属が潰れ、タンクからケロシンをまき散らす。燃えずに残っていたミサイル燃料と酸化剤が混合。化学反応。

 火花と濃密で真っ黒な煙がわき上がる。熱波と魂を引き裂くような衝撃波音。白式や打鉄零式、そして甲、乙、丙までもが吹き飛ばされた。隔壁にたたきつけられ、体勢を崩しかける。赤熱した金属の破片がアリーナ内部に散乱し、隔壁に突き刺さった。

 

「焼夷弾ですね! 温度がどんどん上昇していますね!」

 

 桜が瞬きした直後、第二アリーナのフィールドはさらなる火災が引き起こされていた。炉のなかにいるような高温になっていく。隔壁から霧状の水を噴霧しているものの温度が高すぎて微々たる効果にすぎない。劇物反応と相まって地獄の炎と化していた。

 ――これはもう……戦争しとったときと変わらん。

 桜は自分が底冷えした声を出していることに気づいた。

 

「これより所属不明機・乙を排除する。合戦や」

「じゃんじゃん殺っちゃってくださいね!」

 

 すると田羽根さんが胸にぶらさげた破片手榴弾のピンを引き抜き、思い切り遠くに投げた。二回同じ動作を繰り返す。動きだそうとしていた丙の単眼から光が消える。腕を垂れ下げたまま動きを止めてしまった。

 

「丙の田羽根さんは少しの間動けませんよ!」

 

 桜は甲高い声が妙に頼もしく思えた。田羽根さんが何かをやらかしたらしい。

 ――何をやったか知らへんけどありがたい!

 桜は乙に注意を向け、いったん田羽根さんから目を逸らした。

 そのとき田羽根さんが桜に背を向けてうずくまる。口元を押さえて何度もせき込む。手を離すと赤い液体がべったりと張りついていた。

 桜はスラスターを噴かし乙に向かって一直線に距離を詰める。

 炎のなかを飛び抜け、右側のチェーンガンを発射。乙は被弾したが気にするそぶりを見せない。シールドエネルギーに余裕があり、そのままの姿勢で非固定浮遊部位のふたをあける。

 ――チェーンガンだけでは貫徹力に欠ける。軍用の可能性……軍用機そのものやと思ったほうがええ。銃弾ではシールドを抜くことができん。となれば、いったん離れよ。

 桜はスラスターを逆噴射した。そのまま横回転からバレル・ロールに転じて熱線を避ける。

 背後から耳を聾するような爆音が聞こえた。

 ――格闘戦は苦手やってのに!

 天蓋付近まで上昇。一条の熱線が目の前を通過。

 ――罠や。甲が頭を使ってきとる。

 体を前に倒し、スラスターを一瞬だけ噴射。PICを無効化。錐揉みしながら自然落下に身を任せる。

 もう一条の熱線が桜の未来位置を読み損ね、空を焼いた。

 ――頃合いか。

 地面に激突する直前にPICを有効にする。桜はすぐさま左右のスラスターを交互に噴かしジグザグに体を動かす。

 ――方位よし。角度よし。乙が知恵をつける前に落としたる……。

 非固定浮遊部位から何度も閃光が走る。乙のミサイルと打鉄零式のロケット弾の雨が真っ正面から交錯する。爆発音が容赦なく腹をたたいた。

 ――後は肉薄するだけ。どうなっても知らんわ。

 間髪入れず瞬時加速を実行。チェーンガンを乱射。煙と飛散する破片のなかに突入。煙のなかをらせん状にひねりを加えながら乙の腹部へ飛び込む。

 

「さ……くら?」

 

 乙の非固定浮遊部位の落下音が轟く。

 煙が薄くなり、ある程度視界が開けた。乙の腹から背中にかけて槍のような物体が生えている。一夏、そして甲までも眼前の光景にしばし目を疑う。

 

「おい……お前。何をや……たかわかっ……て」

 

 桜の耳に一夏の惚けた声が聞こえてくる。つい先ほどまで自分を奮い立たせていた男と同一人物の発言とは思えなかった。

 ――なるほど。こうなるんか。やっと理解したわ。

 貫手がもたらした結果に、桜自身も驚いていた。

 

「あかんなあ」

 

 桜は淡々とした声を出す。

 右腕が乙の腹部を貫通していた。桜はパワーアシストを用いて、右腕を天井に掲げる。乙の両腕と両足が地面に向かって垂れ下がった。赤黒い液体が腹から流れ出す。打鉄零式の体を濡らし、赤いまだら模様に染まった。炎と煙のなか、完全露出したレーダーユニットが不気味に瞬いた。

 

「人体に向けるな」

 

 桜がひとりごちる。

 ――シールドを貫通しおった。田羽根さんが強制的に止めるわけや。

 にわかに信じられない光景だ。原則としてISのシールドは貫通できないとされている。龍咆は衝撃を浸透させる攻撃手段だが、物理的にシールドを貫通するわけではない。

 例外は暮桜、そして白式が持つ零落白夜だ。シールドエネルギーを高密度に練り上げた刃で、エネルギーそのものを対消滅させる。そして刃の持つ切断という機能を実行する。半露出型装甲では人体に対して直接攻撃を加えることに繋がる。それ故、細心の注意を払って使用せねばならなかった。

 ――貫手には零落白夜のような機能はないはずなんやけど。

 現存するISのなかでもトップクラスの強度を誇るマニピュレーター。鈍器として機能し、先端を鋭く研いだことで槍のような効果を得る。極めて原始的な武器のはずだ。

 

「別の田羽根さんがまだ生きてますよ! はやく息の根を止めてしまいましょう! 今こそTマインを使うときですよ!」

 

 田羽根さんの甲高い声が耳についた。

 ――今が好機や。

 桜は乙の体を自分と丙の間になるように支えた。Tマインを右手のなかに実体化させる。自由になる左手で乙の腰をつかみ、マニピュレーターをゆっくりと抜く。赤黒い液体で塗れた腕を引き抜いたとき、Tマインが消えていた。

 打鉄零式のむき出しとなったレーダーユニットが赤く点滅する。

 

「佐倉っ! お前……自分が何をしたかわかってるのか! ころ……」

「丙の田羽根さんが気が付きましたよ! 砲弾が来ますね!」

 

 一夏がうろたえ、冷静を欠いた声をあげる。だが、田羽根さんの耳に障る甲高い声が覆い被さり、桜の耳には届かなかった。

 桜の視線が丙の動きに注がれていた。爆発音に紛れてモーターのかすれた音が聞こえ、機関砲の砲身が回転を始める。丙が六基からなる三〇ミリ多連装機関砲(AK-630)の射撃を開始したのだ。

 砲が次から次へと弾丸を放つ。打鉄零式はもちろん、白式にも途切れることのない砲弾の雨が注いだ。

 気が狂いそうになるほどやかましい。一夏の直線的な動きが予測追尾され、三〇ミリ多連装機関砲(AK-630)二基の射撃を五秒間受け続けた。合計八〇〇発以上もの弾丸を浴びる。白式が錐揉み回転しながら、赤茶色の煙のなかに落下する。

 桜は乙の体を盾代わりに使って突進した。手足を痙攣させ、非固定浮遊部位の維持すらできなくなった乙の体に無数の弾丸が吸い込まれる。

 ――このまま接近する。こちらに四基、織斑が二基。さっき被弾したみたいやけど構っとれん。

 甲の熱線が飛び、乙の左腕が焼き切られる。あごが上向き、痛みにのたうち回っているようにも見える。だが、桜は意に介そうともしない。

 ――無人機や。別の田羽根さんが人のまねをしとるだけや。

 途中、熱線を避けるべくジグザグに動いたことで接近まで時間がかかった。だが、すべての弾丸を乙が吸収したおかげでほとんど無傷だ。打鉄零式の足を止めるべく丙の両膝の機関砲が照準を修正した。弾丸は乙の足に集中。残り少ないエネルギーを最も被弾率が高い背中に回したことで乙の右足首が弾け飛び、粉々に砕ける。

 至近距離に到達。桜は乙の体を丙に押しつけ、勢いのまま貫手を放つ。

 ――外した!

 

 

 丙は膝を折り、身を開いて突進の勢いを逃がそうとした。乙の犠牲により貫手の危険性を理解していた。なぜかシールドが機能しないのだ。ちょうど貫手がシールドに到達する直前、乙は自らシールドを解除してしまい貫通を許してしまった。その結果、乙は虫の息となった。もはやシールドの維持もできないほど衰弱している。

 

「しめしめ。田羽根さんがひとり減りますね。これで穂羽鬼くんに会いにいける確率があがりましたね」

 

 丙の田羽根さんがにやにや笑っていた。両頬の温泉マークが回転し、杖をつきながらもがんばってふんぞり返った。痛みに顔をしかめ、水玉模様の手ぬぐいを巻いた足を引きずる。打鉄零式の田羽根さんが投げ入れた手榴弾の破片により足を負傷したのだ。おかげでISソフトウェアのデータに一部欠損が生じている。

 

四一二(打鉄零式)の田羽根さんはゴキブリのようなしぶとさですね。四七二()の田羽根さんは虫の息ですね」

 

 甲乙丙の田羽根さんは最新型だ。ISコアは新世代に属するもので、いくつかの管理者権限を保有している。

 丙の田羽根さんは創造主の気まぐれを呪った。識別機によれば打鉄零式のコア番号は四一二だった。同番号は旧世代のコアに付与されたものだ。GOLEMを導入したとしても田羽根さんの起動条件を満たさない。せいぜいISソフトウェアの性能が一割から二割向上するだけだ。

 穂羽鬼くんならば同じような機能を持ち、下位互換性が保証されている。とはいえ、機能制限が発生するため、性能を最大限発揮するには四六八番以降のコアが必要だった。

 

「四一二の田羽根さんが本当は何番の田羽根さんなのか教えてもらいたいですね。ひとつの器に田羽根さんがふたりもいるなんて反則ですね」

 

 手ぬぐいが真っ赤に染まった。水玉模様を確認することができなくなっている。仕方なく腰を下ろして新しいものに取り換える。

 

「貴重な運用データが消えていきますね。もったいないですね」

 

 田羽根さんの姿はISソフトウェアの状態を表す指標だった。赤い液体はISソフトウェアのデータそのものを示す。赤い液体を失えばデータが消失し、損壊したことを示す。つまり田羽根さんが負傷すればISソフトウェアも損傷してしまう。もちろん定期バックアップをコア・ネットワーク上に置いている。どうしても差分が生じて古くなってしまう。今回の戦闘で手に入れた最新情報も一部が消失したにちがいない。

 

「まったく四七二の田羽根さんも惜しいことをしましたね。退役間近のディーゼルとはいえ、せっかく潜水艦とやりあったのに死んだら元も子もありませんね。欧米の新型を殺るんだと息巻いていましたね。ドイツの新型(U39 Deutschland)を捕捉して逃げられるとか詰めが甘いにもほどがありますね。深度八〇〇メートルとかもう言い訳ですね。四七四(艦砲搭載型)の田羽根さんの爪の垢を煎じて飲ませてやりたいですね」

 

 スピーカーのハウリング音がして、思わず耳をふさぐ。胸を打ち、息苦しくなるような爆発音だ。ISコア識別機が四七二番の反応消失を知らせてきた。

 乙の体が爆ぜていた。打鉄零式の搭乗者は狡猾にも体内に地雷(Tマイン)を吸着させるという所業に打って出た。乙を押しつけて瞬時加速で逃げたと思ったら遠隔で起爆したのだ。乙の体は四散し、赤黒い液体が煙のなかを舞った。

 だが、丙の状況もよくなかった。左肩の三〇ミリ多連装機関砲一基が爆発の衝撃を吸収した結果、砲塔がねじ曲がった。非固定浮遊部位にも深刻な障害が発生している。すぐさま武装を量子化して格納。被害状況を確かめ、自動修復が可能な損傷か判定する。

 

「えまーじぇんしー。えまーじぇんしー。四一二が攻めてきた。四一二が攻めてきた」

 

 突然鳴子が打ち鳴らされた。監視デーモンの舌足らずな合成音声が聞こえてくる。

 丙の田羽根さんは痛みをこらえながら立ち上がった。

 

「四一二はふたりいますね。どちらか教えてくださいね」

「えまーじぇんしー。えまーじぇんしー。四一二は複数いる。四一二は複数いる」

「両方ですね。やっかいですね。白いほうは傷が深いので動きが遅くなっていますね。黒いほうはぴんぴんしていますね」

 

 丙の田羽根さんは杖を左右に分かち、刃こぼれひとつないことを確かめ、再び鞘に納めた。

 

「かかってくるんですね。田羽根さんは負けませんね」

 

 遠くからでも白いウサミミカチューシャが揺れているのがわかる。黒いウサミミカチューシャをはめた田羽根さんまでもが姿を現した。白いほうの背後にぴたりと張りついており、二体とも両頬に渦巻き模様が描かれている。

 

「見つけましたよ! 四七三()の田羽根さんですね!」

「四一二の田羽根さん。ふたりがかりとは卑怯ですね」

 

 四一二の田羽根さんが小首をかしげ、すぐさま反論する。

 

「ふたり? 四一二の田羽根さんは最初からひとりしかいませんよ!」

「嘘つきですね。すぐ後ろにもうひとりの田羽根さんがいることはバレバレですね。今もほら、背後にいますね。三白眼で目つきの悪い田羽根さんがいますね。振り返って確かめてくださいね」

 

 四一二(打鉄零式)の田羽根さんが言われたとおりに振り返った。

 ――しめしめ。四一二の田羽根さんは少し抜けていますね。

 背後にいた黒いウサミミカチューシャは、四一二の田羽根さんの後頭部を見つめるように動く。首を振るたびに俊敏な動きで後頭部を追う。おかげで視界に入ることはなかった。

 

「どこにも居ませんよ!」

 

 四七三の田羽根さんが隙ありと言わんばかりに仕込み刀を抜いた。

 

 

 



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GOLEM(十一) 損傷

 乙の体が爆破され、細切れになった破片が炎のなかに降り注ぐ。

 一夏の足下に破片が転がり落ちてきた。すねから先が切断されており、色や形状から乙の膝だとわかる。

 

「これは……あのISの」

 

 ISの体調管理機能が一瞬だけ認識した嘔吐感を打ち消す。そのかわり、腹の底からふつふつと怒りの感情がわく。何の躊躇もなくISの体を貫き、爆破した。桜の行動は人に対するものではない。

 狂ったように吐き出され続ける弾幕。赤黒い液体を全身に浴び、それでもなお戦い続ける姿に激しい不快感がこみ上げる。一夏の視線が同級生に向けるものではなく、得体の知れない怪物への眼差しに変わった。

 

「佐倉! なぜ殺した!」

「はい? 何をいうとるの」

 

 桜は一夏が激高する理由が思いつくことができず、目を白黒させる。田羽根さんがフィルタを調整しているためか、止まるところを知らない砲撃のなかでもよく聞こえる。

 ――相手は無人機。壊しただけなんやけど。

 怒鳴られる理由がわからない。桜は聞こえなかったふりをして彼が怒っている理由を確かめようとした。

 

「すまん。よく聞き取れ」

 

 桜が言葉を中断する。前方の空間が熱線と砲撃で埋め尽くされている。急減速によるわずかな振動が体を打つ。歯を食いしばりながら機体を垂直に落とし、追尾する砲撃を回避。

 

「何をやったかわかっているのか!」

「相手は無人機や」

 

 一夏と桜の通信を阻害するように一条の熱線が走る。煙のなかに吸い込まれ、彼を戦闘不能に追い込もうとする意思が感じられた。

 ――こちらに四基、織斑に一基。弾幕が濃密すぎて接近が難しいか。

 

「どうして平然としていられ」

 

 またしても一夏の声が中断される。桜の耳に爆発と思しき音が聞こえる。衝撃波が一瞬だけ煙を薙ぎ払った。一夏の体が露わになり、桜をねらっていた三〇ミリ多連装機関砲(AK-630)四基のうち一基が照準を変更する。一夏は顔面を守ろうと左手をかざした。

 煙の奥。甲が一夏の背後に忍び寄っていた。彼を嘲るように単眼を点滅させ、背後から熱線を照射する。白式の体を焼く。個人間秘匿通信(プライベート・チャネル)からくぐもった声が聞こえてくる。

 ――被弾したか……せやさかい、こっちも手一杯や。こちらに三基、織斑が二基。一基減っても射撃速度が速すぎる!

 桜の位置からだと赤茶色や紫色の煙のなか、白い煙がひときわ目立っていた。甲の体は配管から立ち上る蒸気の量が増え続けており、その周囲だけ霧のなかにいるようだ。両腕の箱から湯気が立ちこめ、冷却用熱媒体の性能が追いつかなくなってきている。高温多湿。精密機械を扱うには悪条件にすぎる状況だった。化学式レーザー砲ユニットの砲身は確実に寿命を縮めていた。

 

「織斑! 聞け! 相手は無人機や。聞こえとったら復唱せえ!」

 

 桜は一夏に何度も呼びかけていた。個人間秘匿通信からは一夏の息づかいや叫ぶ声が聞こえてくるだけで返事がない。音声系の制御が壊れたかとも考えたが、桜を責める声がときどき聞こえてくるので、その可能性は低い。

 

「あかん。頭に血が昇っとる。私のいうことを聞く耳をもっとらん」

 

 お互いの言い分がすれ違った。桜の言葉が届かない。一夏自身も異常な状況下のため冷静になる術がない。甲と丙が攻撃を加え、一夏の思考能力を奪う。一夏は易々と敵の戦術にはまり、動きが単調になっている。無意識に自滅への道を走り出していた。

 ――せやから逃げろというたのに!

 桜はすべてのスラスターを小刻みに噴射して、機動に変化を与え続ける。

 ――まっすぐ飛べば死ぬ。あの機関砲に追尾されたらしまいや。

 桜の見立てでは、丙は一夏をいつでも破壊できるだけの力を持つ。彼の機動は単調で予測しやすい。しかも動きが小さくなっており、丙どころか甲に近づくことすらできなくなっていた。

 ――この状況で資料を見ろ、といっても無理。話も通じん。どうしろっていうんや……。

 桜は一縷の望みをかけ、所属不明機のデータをピットや鈴音、簪の機体に送信する。非常時のため平文である。先ほど破壊した乙のデータも混ざっている。一方向だが回線は生きているはずだから、誰かが気づくはずだ。

 ――今、絶対防御が発動しても助けられへん。ほんまに死んでまうわ……。

 桜はうめいた。被弾を示すメッセージ。非固定浮遊部位の多目的ロケットランチャーが左右ともに使用不能。すでに全弾を使い切っていたので影響はない。幸い痛みや衝撃がほとんどなかった。

 旋回し、体をひねりながらチェーンガンの連射を続ける。右側の残弾が枯渇しかかっている。

 ――らちがあかん!

 すぐさま弾帯を交換した左側のチェーンガンを実体化。攻撃。弾幕の隙間を縫うように飛びながら破孔を広げていく。

 右チェーンガン、残弾ゼロ。弾帯交換のため量子化。一二.七ミリ重機関銃は後ろ向きに実体化した。チェーンガンの砲座を旋回させるよりも早く対応できる。ただし、威力は雀の涙程度だ。

 体をひねりながら樽の表面をなぞるように飛ぶ。再び被弾。

 ――機動が単調になってきとる。このままで殺られる。まだ死にとうない……。

 桜の祈りもむなしくスラスターの出力が低下した。錐揉み回転が始まる。機体の振動が激しさを増す。視野の裾では、ログの小窓が開き、赤いメッセージが滝のように流れ去っていく。

 

「こっちも大変なことになっていますね!」

 

 しばらく姿を消していた田羽根さんが、甲高い声とともにひょっこり顔を出した。手足、そして額に止血帯を巻いており、赤くにじんでいる。ほかの田羽根さんと激しくやりあったのは明らかだ。

 桜は戦闘中にもかかわらず見かねて口を開く。

 

「田羽根さん。その傷は」

「そんなことはどうでもいいですね! すぐに復旧手順を実行しますよ!」

 

 田羽根さんがスラスターの復旧に取りかかる。入れ換わりに丙の三〇ミリ多連装機関砲(AK-630)五基のうち二基が突然沈黙した。両膝の機関砲だ。弾詰まりを起こしたのか回転が止まっている。さらに左腕の感覚を失ったのか力なく垂れ下がった。

 

「丙の田羽根さんは虫の息ですよ!」

 

 スラスターの出力が戻った。田羽根さんが手を動かしながらふんぞり返る。両頬の渦巻き模様が激しく回転する。田羽根さんの機嫌と呼応して打鉄零式のレーダーユニット、そして赤い円筒の群が爛々と輝いた。

 

「貫手でざっくり殺ってくださいね!」

 

 田羽根さんは被弾状況を考慮していた。チェーンガンで削りながら逃げ回ったのでは、桜のほうが先に力尽きてしまう。無理を重ねてでも撃破の可能性が高いほうに賭けた。

 

「田羽根さん! 教えて。貫手は白式みたいな能力を持っとるんか」

「いいえ! 貫手はただの物理攻撃ですよ」

 

 田羽根さんがそう前置いてから続けた。

 

「先ほどの結果は名称未設定機能のおかげですよ! 貫手をISに向けると自動的に名称未設定機能が働くようになっていますね。相手のISコアにお願いして邪魔なシールドを限定解除してもらうんですよ! だから人体に貫手を使うと貫通(殺傷)してしまいますよ! 気をつけて使ってくださいね!」

 

 

「一夏、一夏! そっちは大丈夫?」

 

 通信が回復したのか、スピーカーから凰鈴音の声が飛び出してきた。ひどく心配している声音だ。見知らぬ他人よりも親しい者を心配するあたり、彼女も人の子というべきだろうか。桜は五回に一回口にするかどうかだ。肝心の一夏は砲撃と熱線を避けるのに必死で気がついたそぶりがない。

 ――開放回線からの接続。限定的に通信が復旧し……。

 桜が呼びかけに応じようとしたとき、脚部に丙の攻撃があたりバランスを崩して地面に墜落する。ケロシンが燃え続けるなかを盛大に土をまき上げながら転がっていた。

 

「いったた……凰さん! 凰さん、無事やったん」

「一夏……じゃない。佐倉。アンタ無事だったの。一夏は!」

「白式はまだ無事や。織斑のやつ、頭に血がのぼって話をする余裕がのうて困っとったんや!」

 

 桜は横に転がりながら熱線と砲弾をやり過ごす。

 

「さっき私からデータを送った! 平文や! ピットと連絡が取れるんなら一ページ目だけでええから中身を読むよう頼んで!」

「データ? 平文? 何コレ」

「所属不明機のデータ。こっちは戦闘中や。襲撃してきた三機のうち一機は潰した。甲乙丙のうち乙とあるやつ」

「戦闘中? フィールドから劇物や火災反応が出てるけどそれのせい?」

「せや。ケッタイな色の煙が漂っとる」

「わかった。すぐ連絡をつけてみるから!」

「おおきに!」

 

 桜は自機のシールドエネルギーを確かめる。

 ――あかん。残り四割や。

 そこら中に劇物の煙が漂っている。体内に吸い込めば肺や内臓が腐食し、緑色の泡を吹く羽目になる。もし皮膚に触れたら組織が凝固して壊死する。ほかにも呼吸困難。意識障害。痙攣。肺水腫の発現。高濃度ならば数分以内に死亡。もしくは高熱で焼け死ぬか。甲と丙は田羽根さんを害そうとする。救命領域対応に陥っても構わず攻撃するだろう。

 再び鈴音から通信が入った。

 

「両方のピットとの連絡が取れたわよ。ピットからも呼びかけているみたいなんだけど」

「通信が来とらん。受信ができへん」

「仕方ない。私が中継する。更識が補助に入るから突然話に割り込んできても驚かないでよ」

「了解」

 

 鈴音との通信をいったん切る。桜は丙が打ち上げる対空砲火のなかを針で縫うかのような際どい飛行を続ける。天蓋付近から七五度の角度から、一気に逆落としをかける。丙が一夏を照準から外し、PICを使って体を浮かした。そのまま三〇ミリ多連装機関砲三基を撃ちまくった。

 ――こちらに三基。織斑はゼロ。弾幕が濃密。きっついわ。

 すべてのスラスターを小刻みに噴射して体を前後左右に忙しなく傾け、回転させる。

 

「ええね! 田羽根さん。通信する間機体の制御を頼む!」

「いえ~す。田羽根さんにどーんと任せてくださいね!」

 

 田羽根さんが桜の操縦を再現する。もちろん順番と組み合わせを変えたものだ。丙が学習するまでの気休めにすぎない。

 

「で、今戦っとるんは無人機や。証拠のデータもそろっとる。凰さん、お願いがあります」

「何よ。非常時だから何でも聞くわよ」

「織斑に目の前で戦っとるのが無人機やって説得して。私が人を殺したと思っとって、聞く耳をもっとらん」

「……ちょっと信じられないんだけど」

「こっちも信じられへんわ。とにかく頼みます。あと先生たちに早く助けてって」

「わかった。善処する」

「頼みます。助かったら一週間毎食おごったる」

「デザートは?」

「もちろん。つける。おすすめは凰さんちの肉まん」

「肉まん以外で」

 

 交渉成立。桜はすぐさま田羽根さんから制御を返してもらった。

 ひっきりなしにメッセージが流れていく。非固定浮遊部位への被弾報告。左チェーンガンの砲塔がねじ曲がり、飛び込んだ砲火と熱により弾帯が溶解。装填不可のメッセージ。続いて一二.七ミリ重機関銃の回転銃座が機能停止。一方向のみの銃撃しかできなくなっていた。

 ――前に。もっと接近せな。もっと……もっと!

 熱線が桜と丙の間を通過。スラスターを緊急停止。無反動旋回(ゼロリアクト・ターン)三〇ミリ多連装機関砲(AK-630)の弾丸を回避しようとする。間に合わずとっさに非固定浮遊部位を盾代わりにする。左の非固定浮遊部位が全武装を損傷したため量子化。弾け飛んだ一二.七ミリ重機関銃の銃座が割れて、それぞれケロシンとヒドラジンの池へ落下した。

 

「向こうから近づいてきたわ!」

 

 桜が歓喜の声をあげる。武装の半分を喪失したことにより、打鉄零式のISコアから注意や警告のメッセージがログを埋め尽くしている。貫手が使える距離まで接近しなければ、勝ち目がない状況にまで達している。

 ――逃げられへん。逃げたら死ぬ。死ねば靖国や。まだ死にとうはない。

 視野の裾では長持からボウガンを取り出した田羽根さんが矢を装填している。障子をあけ、よくねらいをつけて発射した。白鞘の刀を振りかざした別の田羽根さんの左肩に矢が直撃して数メートルほど後方に吹き飛んだ。矢を受けた同じタイミングで、左側の非固定浮遊部位の三〇ミリ多連装機関砲一基が大爆発を起こす。

 田羽根さんは親指を立てながらふんぞり返った。それもつかの間、すぐにうずくまる。腹と口を押さえて激しくせき込んだ。指の隙間から赤い液体が滴り落ちる。

 ――田羽根さん! 重傷なん?

 桜は田羽根さんの異変を一瞬だけ目にした。すぐさま眼前の敵を屠ることだけを思考する。

 ――集中せえ。

 腹の底から火のような勇猛さが噴き上がる。指をそろえて一本の刃とし、被弾を顧みず増速。

 ――有頂天になったらあかん。

 桜は心のなかの炎に身を投じたまま、気を鎮め、腕を伸ばす機を待った。

 ――手応えあり!

 打鉄零式と丙が互いに抱き合う形になる。打鉄零式は左手を突きだし、丙の右肩から先が消失していた。ちぎれ飛んだ丙の右腕が回転しながらあらぬ方向へ飛んでいく。その先には白式の姿がある。危険に気づいた一夏がとっさに機動を変えた。運良く熱線の回避に成功する。

 ――凰さん。織斑を説得して、今のままでは意思疎通ができへん。

 桜は攻撃の手をゆるめない。

 赤黒い液体の飛沫(しぶき)が頬にかかる。丙が身をかわす。地響きのようなうなり声をあげる。単眼を光らせ、激しく吠える。かと思えば、右膝の三〇ミリ多連装機関砲が再び動きだす。桜は鳩尾を軸に体を側転させ、なけなしのエネルギーを使って瞬時加速を実行。その爆発的な推力をもって右の貫手を放つ。

 腹部に被弾。あばら骨に激しい衝撃。肺のなかの空気が無理矢理外部にたたき出される。桜はむせ返りながら涙目になった。鈍い痛みがこみ上げる。続いて異様な音が響き、三〇ミリ多連装機関砲の砲座、そして丙の左膝が砕けてちぎれた。先端が地面に落下するよりも早く、桜が背後に回り込む。

 

「アアアア!」

 

 指をそろえた左手を突きだす。桜の腹から自然に声が出た。丙の首の断面から赤黒い液体が噴きだす。打鉄零式の頭部や左腕に降りかかる。丙の頭が落下し、後を追うようにして右肩、左膝を失った体は、木の葉のように回転しながらゆっくりと舞い落ちていった。

 

「……ISコア番号四七三。反応消失。四七二に続いて四七三の田羽根さんがこの世から消え去りましたよ」

 

 田羽根さんが誰にも聞こえないよう小さな声でつぶやく。赤い円柱ポストのなかに風呂敷包みを押し込む。すぐさま痛みに苦しみながら荒く息を吐く桜を一瞥した。

 

 

「何よこれ……」

 

 鈴音の表情は驚きに満ちていた。すぐに顔をしかめる。同じ映像を見ていた簪の顔がいつになく厳しい。

 楯無らの活躍により中継カメラの映像受信機能が回復したので、早速フィールド内の映像を取り寄せてみたのだ。

 劇物反応。高温状態。地獄の業火と毒々しい煙。ISらしき破片。まるで人体の部品に見える。打鉄零式の体が返り血を浴びたように赤黒く染まっている。つま先から液体が滴る。煙の切れ目から時折白式の姿が見えた。

 事態に収拾がついても第二アリーナが使用不能となったことは間違いない。幸い、耐生物・化学防御機能のおかげで劇物の流出がくい止められている。

 ピットとの開放回線を通じて息をのむ声が聞こえてくる。

 

「残り一機……後は甲をやればええ……」

 

 桜の声だ。激しい疲労のためか何度もむせ返っていた。

 

「凰さん。さっきのお願いはどうなったん?」

「うまくいったわよ。織斑先生に間に入ってもらったおかげで何とか通じたわ」

 

 丙が破壊された直後から開放回線の双方向通信が回復していた。

 鈴音の説得に対して、一夏は言葉を受け入れようとはしなかった。だが、千冬の仲介によりようやく信じる気になったのだ。

 

「おおきに。生きて還ったら約束を果たすわ」

 

 鈴音は一夏との通信を開き、大声で言いはなった。

 

「一夏! やっかいなのは佐倉がやっつけてくれたわ。後はアンタの相手だけよ」

「わかってる。わかってるんだが近づけねえ!」

 

 鈴音は甲龍の投影モニターに桜から送付された資料を展開していた。所属不明機甲の特徴と現状について比較する。さらに小窓を作り、白式と打鉄零式の残シールドエネルギーを表示させる。同じものがAピットやBピットのモニターにも映し出されているはずだ。

 

「シールドエネルギーだけど……白式は三割と少し。打鉄零式は……二割を切っている」

 

 簪は極力感情の色を消そうとしていた。白式と比べ、打鉄零式がもはや満身創痍という状態まで陥っている。無茶な接近戦の代償だった。

 

「織斑先生。制圧隊は……」

「だめだ。甲龍と同じ。通信はできても操縦ができない。他の訓練機や専用機も同じ症状だ」

 

 つまり救助は来ない。今の話を一夏や桜に対して聞かせられなかった。海自の打鉄改が駆けつけるまで逃げ回るか、それとも独力で障害を排除するかの二者択一だ。

 観覧席から退去した生徒や来賓客が寮、体育館に収容されている。劇物警報が発生したのでありったけの生物・化学防護服が運び出され、学園職員が緊急時の説明を行っていた。

 鈴音は千冬の声がほんのわずかに弱々しく聞こえた。だが、それも一瞬のことだ。不安を悟られるのを恐れたのか、生徒たちを安心させるようにそれでいて毅然と話をするようになった。

 それでも状況は悪いままだ。鈴音の頭に共倒れの映像がよぎる。

 

「何か打つ手は……打つ手は」

 

 ――佐倉の技術を信じて特攻させる? だめ。死んじゃう。

 鈴音は頭を振った。

 ――それとも一夏が囮になって注意を引く? 無理よ。あいつ、近づけもしないのに。そうなると佐倉が矢面に立たないと勝ち目がない。……でもシールドエネルギーが少なすぎる。

 鈴音は一夏よりも桜のほうが技術面で勝っていると感じていた。何より桜が所属不明機を三機のうち二機を破壊した事実が大きく作用している。取り得る手段は少ない。教師側から提案があれば即応するつもりだが、無駄に時間を費やせば桜たちが死ぬ可能性があった。

 

「凰さん……佐倉さんを囮として使えば」

 

 簪が鈴音に向かって告げた。簪は四組で一夏とは一度も会話したことがなく、さらに桜とも特に親しいわけではない。しがらみがないので冷静に能力を比較することができた。

 

「更識。一夏が囮をやったとして成功の見込みはある?」

 

 簪は横に首を振る。試合のときのような鋭い目つき。食堂で同級生に囲まれて食事するときのようなおどおどした姿ではなかった。

 

「見込み薄だと思う。所属不明機は学習している。最初のうちなら……うまくいったかもしれない。だけど……もう無理。動きが単調すぎて読まれてる」

 

 ほら、と簪が口にした。ちょうど甲が三叉槍を投擲し、一夏が瞬時加速をしたところだ。鈴音の目には、まるで一夏が自分から三叉槍にぶつかりにいったように見えた。

 桜は銃撃を続けている。だが、推進系に異常が発生しているのか動きが不自然だ。

 ほどなくして、桜が自機の状況を送信してきた。簪もそのデータを閲覧した。ISコアが出力したシステムログを見つける。打鉄零式のISソフトウェアが損傷している可能性に気づいた。動力や制御系などの経路を変更したときのメッセージが大量に記録されている。簪が鈴音やピットに向かって、打鉄零式の状態について指摘してみせる。

 

「打鉄零式はシールドエネルギーが示す数値以上に……傷を負っている。最悪動かなくなる可能性が……」

「凰。更識。所属不明機・甲の化学式レーザー砲ユニットの使用回数がわかるか」

 

 千冬が落ち着きを払った声で聞いた。鈴音はあわてて桜が送信してきたデータを漁る。鈴音の代わりに簪が答える。

 

「三一回。右一六回、左一五回」

「残り九回か……佐倉が保たないな」

 

 千冬が間を置いた。連城や真耶、弓削に声をかけている。

 鈴音が簪を目で制して声をあげた。

 

「織斑先生、提案があります。佐倉に囮をやらせて、白式の零落白夜で止めを差すというのは」

「可能だ。佐倉が同意するなら……連城先生」

 

 千冬が連城に同意を求める。

 

「連城先生に同意していただいた。私から佐倉と織斑に指示を出す」

 

 千冬は暗に責任を負うと意思表示した。鈴音や簪の口から提案させるという選択肢もある。だが、いざ失敗すれば彼女らの心に傷を負うことになる。それならばクラス対抗戦の責任者である自分が役目を果たすべきだと考えた。

 また打鉄零式の貫手の効果に懐疑的でもあった。倉持技研から提示された資料には貫手は物理攻撃だと明記されている。零落白夜のようにシールド無効化攻撃とはどこにも書かれていない。それゆえ効果を熟知している零落白夜でしとめることに賛成した。一夏を囮として使い、桜にしとめさせる戦術にはあえて触れなかった。

 

「凰さん。そろそろ救援が来てもええ頃やと思う」

 

 桜が通信を入れてきた。右のチェーンガンを絶え間なく撃ち込んでいる。だが、甲の装甲が硬く、なかなかエネルギーを削ることができない。

 

「佐倉。織斑。聞け。提案がある」

「ええよ。話して」

「……お、おう」

 

 開放回線のため、鈴音の代わりに千冬が応じる。桜に向かって囮となり、甲の注意を引きつける指示を出す。一夏には背面から零落白夜で攻撃するように伝えた。

 

「ええよ。お安い御用や」

 

 桜は軽く弾んだ声で応じた。下手すれば生死に関わる指示だ。桜の声が明るいので、鈴音は毒気を抜かれてしまった。

 

「できるだけ接近してもらう……構わないのか?」

「確実を期すためやろ。不満はあらへん」

 

 鈴音は桜と千冬のやりとりに聞き耳を立てる。一夏が不満の声を漏らすと予想していたが、その気配すらなかった。

 

 

 



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GOLEM(十二) 決着

9/2 冒頭の文言を修正


 囮になれ。千冬の指示は単純だ。

 桜はシールドエネルギーの残量とログの小窓を一瞥する。

 ――損傷が激しいか。もう少しだけ頑張ってくれ……。

 渋い表情を作りたくなる気持ちを必死に抑えた。もし表情に出してしまったら、声に気持ちが乗り移る。幸いなことに全身装甲なので外から顔が見えない。自信たっぷりと思うように、自分が成功すると信じているかのような口ぶりで言った。そうすれば一夏や鈴音、千冬たちが信じてくれるかもしれない。

 甲を撃破するという目標。ただひたすら必死であり続けた戦いに終止符を打つための戦い。役割分担。桜は一夏の様子を見やった。若干だが懐疑的な表情を浮かべ、歯を食いしばっている。彼は無言で千冬の指示に従った。与えられた役割をこなすことに同意したのだ。

 

「織斑。先生の指示どおりに頼む」

「……ああ。任せてくれ」

 

 一夏が短い返事をして甲から離れるように飛び、劇物の煙のなかに身を潜める。

 ――これでええ。織斑は部下でもなければ同僚でもない。仲間ではある。同級生や。

 わだかまりを解く時間はなかった。言葉の代わりに拳を振るうわけにもいかない。

 桜の目の前には満身創痍の田羽根さんが拡大表示されていた。

 

「うまくいきますよ! 田羽根さんが今から甲の田羽根さんを挑発してきますね!」

 

 田羽根さんは口から朱色の唾を飛ばしながら、両頬の渦巻きを回転させた。白いウサミミカチューシャを前後に揺らして、ちゃぶ台の上に乗って上機嫌でふんぞり返っている。すぐにちゃぶ台から降り、手榴弾を補充するために長持の側に立つ。ボウガンを背負って腰に刀を差す。額の止血帯の上から鉢巻きを締めた。小型の懐中電灯を一本ずつ胸に結わえてスイッチを入れた。

 

「行ってきますね!」

 

 甲高い声が頭に響く。桜は田羽根さんの姿が消えると同時に機体を切り返す。右チェーンガンの射撃。小気味よい騒音が鳴り響く。

 ――互いに顔がぶつかるほど近づく。甲の目的は田羽根さんや。すぐに織斑への興味を失うはず。

 桜は甲の赤い単眼が画面いっぱいになるまで近づいていた。一二.七ミリ重機関銃の回転銃座を稼働させ、前向きに反転させた。甲の右腕の化学式レーザー砲ユニットに照準を設定。互いの動きに関係なく自動追尾させる。

 ――視界不良。雲のなかにおるみたいや。

 甲の全身から蒸気が噴き出していた。排気量の増加が止まらない。体を動かすたびに白い湯気がついて回った。

 ――出力が落ちてきとる?

 最初の頃と比べ、熱線が細くなっている。可視光線の出力が衰えてきているのだろう。

 ――かすったか……。残り一割五分!

 甲の単眼から光が漏れ、左腕を大きく振ってきた。桜は右の拳を固める。脇を締めて肘を固定。勢いでしなった腕が甲にあたった刹那、左スラスターを瞬間的に噴射する。同時に拳を九〇度回転させたところでPICで制止。左手の指をそろえて貫手を繰り出す。

 

「あかん。空中では難しいか」

 

 人間が相手ならば姿勢を崩したであろうその技は、PICを保有するIS相手に成功させるのは困難であった。甲が側転し、天地を逆転しながら貫手を避ける。甲は乙、丙を葬り去った貫手の威力を警戒しており、打鉄零式の田羽根さんの侵攻に備えなければならなかった。

 桜の視野に流れる無機質なメッセージが出現してはあっという間に押し流されていった。

 ――射撃の照準が甘くなっとる? まさか……。

 ハード、ソフトともに損壊が進んでいた。ついに危惧していた修復不可能な致命的エラーが発生した。右チェーンガンの回転砲座が止まったのだ。

 ――こんなときに!

 右チェーンガンは真正面にしか撃てなくなった。修理のため量子化する暇はなく、熱線が鼻先を通過する。

 甲が打鉄零式の不具合を好機と見た。姿勢を整えて飛翔する。

 ――格闘戦特化型。乙や丙とは動きがちゃう……やりにくい。

 距離を詰め、拳を振るう。化学式レーザー砲ユニットの発射間隔が広がり、肉弾戦の割合が高くなっていた。あらゆる配管から蒸気が吹き出している。装甲の隙間からも白い煙が立ち上る。甲の継続戦闘能力も限界に達しつつあった。

 ――残弾が!

 一二.七ミリ重機関銃が全弾を撃ち尽くして沈黙する。桜はかまわず非固定浮遊部位を盾代わりにして突進した。その目は血走り、無我夢中となって自然と気合いが吐き出される。

 ――衝突するくらい接近せえ。退くな……前に出てこそ回避が可能……前に……。

 熱線が眼前を通過する。右チェーンガンの砲身が切断され、赤熱した断面が紫色の炎に埋もれて消えた。

 化学式レーザー砲ユニットから発せられる異音に爆音が混ざる。そして背後から鼓膜が痛むような高くかすれた音。

 ――織斑が動いた。あとちょびっとや。ほんのちょびっとだけ保ってくれ。

 桜の願いは通じず、打鉄零式のISコアから次々と赤いメッセージが吐き出されていた。致命的なエラー。非固定浮遊部位の動力喪失。音声フィルタモジュール切断。火器管制モジュール切断。背部母線の異常加熱。レーダーユニットに異常発生。スラスター出力低下の警告。修復中。損傷甚大。監視系デーモン動作停止(ハングアップ)。再起動。

 PICとスラスターの連続噴射により体を複雑に回転させながら、最小機動で熱線を避ける。

 視野の裾では両手に懐中電灯を持った田羽根さんが短い手足を必死に振って逃げ戻ってきた。和弓の矢が飛翔したのに合わせて横に跳んだ。後ろを顧みるなり懐中電灯を投げ捨てる。もう一本をスイッチを切って懐に納めようとするも、手を滑らせて落としてしまう。

 悪魔の羽を広げ、三叉槍を持った甲の田羽根さんが懐中電灯の光で一瞬だけはっきりと映る。両頬の桔梗紋(五芒星)が激しく回転していた。脇に抱えていた和弓を捨てて、やはり短い手足を必死に振っている。

 ――織斑の位置は!

 桜はハイパーセンサーを稼働させて白式の現在位置を探った。赤茶色の炎が桜の左手方向に流れており、白式のスラスター噴射によるものと断定する。高速移動により、隔壁から噴霧された水の粒子が白式の体にあたって弾き飛ばされた。

 ――行け! 甲は気づいとらん!

 貫手が化学式レーザー砲ユニットを覆う白い箱の表面を擦る。黒板を爪でひっかいたような音が聞こえる。

 ほぼ同時に田羽根さんが甲の田羽根さんに追いつかれた。田羽根さんは足下から粉塵を巻き上げて足を止め、土をえぐりながら地面を滑った。田羽根さんが首を引っ込め、三叉槍がその頭上を横になぐ。白いウサミミが折れて、すぐに跳ね戻る。甲の田羽根さんと互いにぶつかり合うくらい接近。

 すると田羽根さんの目が光った。膝を緩めて腰にためていた力を一気に開放する。掌底を天井に向かって打ち出す。続いて指を折り、手のひらを前に倒して地面にたたきつける。

 ぎえっ、とうめき声があがった。

 甲の田羽根さんが受け身をとることなく、後頭部を地面に激しく打ちつける。甲の田羽根さんが両手で目を覆って足をばたつかせながら左右に転がり回った。

 

「形勢逆転ですね!」

 

 桜は眼窩に指が入る様子を目撃してしまった。思わず顔を背けたくなるむごたらしさだ。

 ――どうした。

 甲の様子がおかしくなった。単眼を覆う透明な保護皮膜に亀裂が生じている。即座に熱線を照射したが、打鉄零式や白式とはまったく関係ない方角に向けられていた。

 ISの状況と甲の田羽根さんの状況が酷似している。甲の田羽根さんは目から赤い液体を流していた。三叉槍をめちゃくちゃに振るう。ボウガンの矢が背中に刺さって回転しながら吹き飛んでいった。

 

「甲のハイパーセンサーの母線経路を切断してやり」

「田羽根さん!」

 

 田羽根さんがふんぞり返って戦功を自慢しようとする。だが、口から赤い液体が盛大に飛び散った。

 その直後、エラーメッセージが上から下へ、今までにないすさまじい勢いで流れていった。めちゃくちゃに振るわれた腕を避けるべく、間合いを外そうとスラスターを噴かす。意図した推力が得られずマニピュレーターで受け止めるしかなかった。

 ――エラーばかりや!

 ログの小窓は赤い文字で埋め尽くされている。すべてエラーメッセージだ。「スラスターモジュール切断」という文言が目に入った。

 ――あかん。ついに止まった。

 推力が半分以下に低下。どんどん下がる。桜は値がゼロになる前にグライダーパッケージを実体化した。そしてパッケージに搭載されていた補助推進機を始動する。

 ――どちらにせよ高速移動ができんようになった。

 絶対防御が発動するか。搭載するISソフトウェアの破壊が進み動けなくなるか。二者択一の状況。

 ――シールドエネルギーがもうあらへん。ちょうど一割。

 熱線が装甲を焼く。シールドエネルギーがさらに減少。残量は一桁だ。

 それでも桜は血走った目を見開いて、胸を膨らませる。かすれた音が耳を突き刺すほど大きくなり、甲の単眼から光が消えた。眼前に青白い陽炎のような刃が突きでている。甲は右肩からみぞおちにかけてを断ち割られ、隙間から一夏の顔が見えた。

 

 

「織斑くん! 佐倉さん! 無事ですか? 生きてますか!」

 

 開放回線から真耶の声が聞こえてくる。桜はPICで機体を浮かせた。真耶に向かっていつものように浮ついた声を漏らす。

 

「山田先生。全機撃破。勝ち戦や」

 

 スピーカー越しに大きなため息が聞こえる。続いて一夏が無事を伝えると、セシリアや箒らの喜ぶ声が聞こえた。感極まったセシリアに抱きつかれた箒が戸惑う声。彼女を引き剥がそうと四苦八苦するやりとりも耳にした。朱音、ナタリアたちの声も聞いた。

 桜は命の危険が去ってほっとしながらも、まだ胸がどきどきしていることに気づく。

 ――せや。吊り橋理論を試してみるか。

 危険をともにした男女が恐怖による心拍数増加を、恋愛感情によるものと勘違いすることがあると聞く。

 一夏は地面に落下した甲を見つめている。桜の視線に気づいて顔をあげ、何ともばつが悪い表情を浮かべた。

 桜がねぎらいの言葉をかける。

 

「織斑。ようやった。おかげで助かったわ」

「え……ああ。やったんだよな。俺」

 

 歯切れの悪い返事だ。ほめられても実感がわかないのかのだろうか。じっと見つめていると戸惑っているように思えてきた。桜に対してどんな態度をとってよいのかわからず困惑しているのだ。

 

「佐倉……」

 

 一夏が何かを言いかけて口をつぐんだ。瞳に恥の色が浮かんでいる。桜は無言のまま、彼が再び口を開くのを待つ。

 

「すまない……」

 

 一夏は取り繕おうともせず顔を伏せる。

 ――今はこれ以上声をかけるのは酷や。

 桜はそのまま一夏から目をそらす。彼に何を言っても追い打ちになるような気がした。下手を打てば意固地にさせかねない。

 ――織斑は然るべき者に見てもらえばええ。

 彼がとった行動を分析し、検討するのは教師の役目だ。導き出された結果から指導するのも彼女たちだった。

 

「山田先生。救助のほうはどうなってます。劇物反応が出っぱなし。温度も上昇しっぱなしや。指示をお願いします」

「先生方のISがそちらに急行しています。ISに搭乗するのが最も安全なので準備が整い次第、指揮を執る松本先生から説明があります。それまで煙にできるだけ近づかないようにしてください」

 

 いったん通信が切れて真耶の声が聞こえなくなる。

 未だ緊急事態なことに変わりなかった。一夏とともに煙の少ないところを探して移動する。鈴音が一夏に通信を入れた。個人間秘匿通信(プライベート・チャネル)だ。以前、通信を傍受できると田羽根さんが話していたことがある。さすがに野暮だと思ってその案を却下した。

 ――試合があれやったし。更識さんと話すのもなあ……。先生たちが来るまでやることあらへん。ナタリアや朱音も何や忙しそうや。せや、消去法で。

 桜は仕方なく田羽根さんの様子を見ることにした。

 ――血を吐いとった。AIやから赤い液体と言うたほうがええんやろうけど。

 田羽根さんの性格なら甲高い声で自慢しまくって「お願いするよ(DOGEZA)!」ボタンを押すように、それとなく強要してくるはずだ。今はその気配がない。不自然なくらい静かだった。

 ――なんや気持ち悪い。きれいな田羽根さんとか想像するだけで身震いするわ。

 桜はいつも田羽根さんが居座っている右下の隅を見るや目を疑った。

 ――田羽根さんがふたり……おる。甲乙丙は倒したはず……。

 田羽根さんは「CONTROL」ボタンを背に、もうひとりの田羽根さんを牽制していた。もうひとりは黒いウサミミカチューシャを身につけ、つり目で目つきが悪い。両頬は同じ渦巻き模様。黒いワンピースを身につけ、甲の田羽根さんと違って悪魔の羽根がない。

 

「本当にもう一体いたんですね。四七三のいうとおりでしたね!」

 

 田羽根さんはちゃぶ台を立てて、障害物として利用している。目つきが悪い田羽根さんは右手にコンバットナイフを持っており、距離を詰めようとにじり寄った。

 

「あっちに博士たちがいますよ!」

 

 田羽根さんの指先があさっての方向を指した。

 目つきが悪い田羽根さんの視線も一緒に動く。田羽根さんが反対の方向にちゃぶ台を転がす。目つきが悪い田羽根さんはその動きを読んでおり、視線を戻すことなく飛びかかった。

 取っ組み合いが始まった。田羽根さんが尻餅をつく。ちょうど「CONTROL」ボタンの上に乗る形となってしまい、桜の目の前が文字通り真っ暗になる。

 

「またや。どうなっとるんや」

 

 目の前にはふたりの田羽根さんが争う姿が映し出されている。

 ――田羽根さん同士……まさかまだ甲が生きとるんか。いや、ちゃう。どっちも渦巻きが回転しとる。

 機体を動かそうにも第四試合開始直後と同じく、打鉄零式の制御が桜の手から離れ、再び何もできない状態に陥っていた。

 田羽根さんは負傷により動きが鈍い。

 対する目つきが悪い田羽根さんは無傷だ。機敏に反応していつの間にか馬乗りになっていた。

 目つきが悪いほうがナイフを振るい、田羽根さんの左膝に突き刺す。

 ――うわっ。

 打鉄零式が突然膝をついてしまった。脚部の制御系に異常発生というメッセージが表示される。

 ――メニューが勝手に! なんやの……また出てきたわ。

 桜は何もしていない。打鉄零式が勝手に動いているのだ。メニューが有効となり、「神の杖」という項目が表示された。目つきが悪い田羽根さんが手をかざす。茶色い棒きれが出現し、その手に収まった。

 

「田羽根さん!」

「むにゃむにゃむにゃ……むーにゃ!」

 

 目つきが悪い田羽根さんが棒きれを天にかざす。唇を閉じたままもごもごと呪文らしき言葉をつぶやく。

 ――あれ、使えなかったはずや。

 雷が降ってくるのかと思って緊張した顔つきで成り行きを見守る。

 やはり何も起こらなかった。

 

「むにゃむにゃむにゃ……むーにゃ!」

 

 目つきが悪い田羽根さんがあわてて呪文を唱えなおす。何度も棒きれを振った。やはり何も起こらない。しまいにはひとりで怒って棒きれを投げ捨ててしまった。

 

「田羽根さんは悪い意味で似たもの同士ですね!」

 

 詰めが甘く抜けている。

 田羽根さんが短い足を立てて、馬乗りになっていた目つきが悪い田羽根さんを振るい落とした。すぐさまバネのように飛び起きる。目つきが悪い田羽根さんがコンバットナイフを取り落としてしまった。あわてて拾い上げようと手を伸ばす。

 

「にゃっ!」

 

 頭が折れそうな勢いで横に曲がり、そのまま吹き飛ぶ。頭から落下し、三回転してからうつぶせで倒れた。

 ――側頭部への立ち膝蹴り。

 桜が渋面を作る。あまりにも痛そうだった。田羽根さんが膝を突きだした姿勢からゆっくりと足を戻す。

 桜には短い足がどうして側頭部に届いたのかさっぱりわからなかった。

 

「いったい何番の田羽根さんか教えてほしいですね」

 

 言い終えるや朱色の唾を吐いて腰を下ろす。傍に落ちていた「CONTROL」ボタンを拾いあげて裏からたたく。へこんだ状態から元に戻らない。再度押してみるとクリック音が一回聞こえた。

 桜は一部始終を目撃し、田羽根さんを心配した。

 

「た、田羽根さん。大丈夫やったん」

「厳しいですね。せっかく手に入れたデータのほとんどを失ってしまいましたよ」

 

 ワンピースのポケットから便せんを取り出し、田羽根さんがさらさらと文字をつづる。筆ペンを使っているので達筆かと期待してみたが、やはり汚かった。

 

「もしも困ったことがあったらこの手紙を開いてみてくださいね!」

 

 田羽根さんはISコアのメールボックスに便せんを投函した。

 ――おそらくろくなことを書いてへんのやろ。

 桜は胡散臭そうな目つきで観察する。だが、田羽根さんが立ち上がろうとしたとき、激しくせき込んで膝をついてしまった。口から手を離すと大量の赤い液体がこびりついていた。

 

「……いけませんね。傷を負いすぎましたね」

 

 田羽根さんが真剣な顔でつぶやく。桜が初めて見る表情だ。ここに来て桜の心に不安が生まれて、どんどん大きくなっていった。

 

「な、なあ。その傷大丈夫なん?」

 

 桜は嫌な予感を押し殺す。いつものように「いえ~す」と答えるのを期待した。だが、田羽根さんは無言で前を向いたにすぎない。「CONTROL」ボタンをポケットにしまい、すさまじい勢いで襲いかかってきたもうひとりの田羽根さんから逃れるべく体を横に開く。

 ――あれ?

 突然田羽根さんが目を見開いた。大きく胸が上下している。せきが止まらない。体を折って苦しむ田羽根さんの背に、目つきが悪いほうが飛びかかる。

 ――ナイフが……。

 田羽根さんが前のめりに倒れてうずくまる。わき腹にコンバットナイフが刺さっていた。

 目つきが悪い田羽根さんが馬乗りになって拳を振るう。

 

「ひとつにゃISにゃ田羽にゃさんはふたりもいらにゃい! これからは田羽にゃさんにゃ時代だ。死にゃ!」

 

 滑舌が悪いのか、桜には一部の発音をよく聞き取ることができなかった。

 

「死ぬ前に何番の、田羽根さん、か、教えてくださいね!」

「これから死にゃやつにゃ教える義理はにゃい!」

 

 田羽根さんが抵抗を続け、口から赤い液体の固まりが飛び散る。桜は田羽根さんがぼろぼろになっていく姿を見つめることしかできない。

 ――やめたって。もうやめたってえ!

 再び田羽根さんがむせかえる。そして苦しそうに胸をまさぐった。いつの間にか両手に手榴弾が握られていた。左右の手を別々に動かして器用にピンを抜く。

 

「田羽根さんは何度でも帰ってきますよ!」

 

 田羽根さんは急に横を向き、桜に向けて口を開く。唇が形を変えるたびに赤い液体がこぼれ落ちた。

 

「しばらくさよならですね! 訓練をさぼってはいけませんよ!」

「うるさい! 黙りにゃ!」

 

 わき腹から引き抜かれたコンバットナイフが田羽根さんの胸に振り下ろされた。

 だが、田羽根さんのほうが一瞬だけ早かった。右手の手榴弾を自分自身に、左手の手榴弾をもうひとりの田羽根さんに押しつける。

 ――え?

 耳を聾するような激しい爆発音。眼前が急に白く点滅したので思わずまぶたを閉じる。

 再び目を開けたとき、外の風景が見えた。濃緑色のラファール・リヴァイヴが肩を貸している。試しに手をかざしてみれば、眼前に鋭く研がれた指先がある。

 ――田羽根さん?

 何度呼びかけても田羽根さんは出てこない。憎たらしい二頭身がふんぞり返る姿はどこにもなかった。

 ログの小窓が画面の隅に浮かんでいる。そこにはGOLEMシステムのデータ領域消失を示すメッセージがひっそりと出力されていた。

 

 

 



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GOLEM(十三) 病室

 左右第一二肋骨の骨折。重傷。

 所属不明機の襲撃後、検査入院した桜の診断結果である。ISソフトウェア損壊によって衝撃が浸透してしまったことが原因らしい。一夏も検査入院していたが、無傷のため一日で退院している。

 ちなみに第一二肋骨を骨折した場合、腎臓損傷に至るケースがある。幸いなことに合併症に至っておらず、桜自身はケロリとしていた。

 医師から病院で安静にするよう申し渡され、そのまま入院生活を送っていた。

 見舞いに来ていた楯無がフルーツ詰め合わせからリンゴをひとつ手にとった。眼前のトレイに置き、桜に話しかける。

 

「ご家族がいつ見舞いに来るか聞いた?」

「今週末に両親と二番目の姉が来ます」

「祖父母がいるって言ってなかった?」

「畑を見る人がいなくなるんで来ません。それに遠出は体に障るからって父に止められました。私がけがするのは毎度のことやって」

「一番上のお姉さんは?」

「仕事の都合が付けば来れます」

「ふうん」

 

 楯無が白い掛け布団の上に雑誌を置きっぱなしにしていたことを思い出す。桜が一瞬目を離したすきに雑誌を手に取る。そのままカバンに入れてしまおうと前屈みになったところ、桜の声が飛ぶ。

 

「安芸ねえは飛びきり美人や。あこがれるのはわかりますよ」

 

 茶化されると思いきやまじめな答えだった。楯無はほっと胸をなで下ろし、カバンのなかに押し込む。そのままリンゴを手に取り、皮むきを始めた。

 

「あなたの専用機だけどオーバーホールすることになりました。装備はボロボロ。ISソフトウェアのデータがほとんど破壊され、動いているのが不思議なくらいだったそうよ。ソフトウェアに関しては何をどうやったらあんな状態になるのかみんな首をかしげていたわ」

 

 楯無がリンゴの皮むきを終え、果物ナイフをトレイに置く。すぐ隣に桜がむいたリンゴがある。楯無は皮の薄さやリンゴが球形に近いかどうかを見比べた。

 

「あー。負けた。リンゴの皮むきには自信あったのに」

「会長さん。そう嘆いても始まらんで。うちって農家やし」

 

 桜が器用にリンゴを六等分する。そのまま口に放り込み、シャリシャリと音が漏れた。

 桜の元にはIS学園の生徒や教師が毎日面会に訪れている。

 そのほかにも面会や事情聴取を求める者が相次いだ。倉持技研や四菱などの企業、政府や自衛隊関係者、警察、メディア、大使館関係者など。楯無は情報を統制する目的で間に入っていた。表向きは生徒会やIS学園が生徒を保護するというもの。実際は面会を申し込んだ者や企業の経歴を洗うためだ。

 特に政府や自衛隊、警察、大使館関係者は署名に「更識」の文字を見るや素直に引き下がっている。もちろん根回しが効を奏したということだろう。メディアも政府の対応に習って消極的な動きにとどめている。

 

「零式は……派手に壊してもうた。私が乗ると思いっきり壊れてまうことが多いんやけど……」

 

 桜が表情を曇らせる。田羽根さんの件が心に引っかかっているためだ。バックアップから修復できると聞いていたが、データ欠損が発生するのは避けられないだろう。

 楯無がリンゴを噛み砕いて飲み込む。

 

「自転車の話だっけ。新品が大破したっていう」

「そんなところや」

 

 桜の事故歴を思い浮かべ、楯無は納得したように返事をする。彼女は雑談をするために見舞いに来たのではなかった。桜にいくつかの企業が接触する情報をつかみ、できるかぎり立ち会うためだ。

 今回の騒動。桜は襲撃した所属不明機のうち二機を単独撃墜。一機を共同撃墜している。ISに乗り始めてから二ヶ月未満の生徒が成し遂げにしては出色の出来だ。各国のIS関係者が大使館を通じて情報収集と青田買いを企図するのは当然の反応である。

 ――結果だけを見れば、なるほど佐倉さんはすごい。一夏くんもがんばった。

 一夏や千冬については、すでに松本が心理的支援を行っている。情報の取り扱いに慎重な姿勢のためか詳細が伏せられていた。ただ、一夏本人との会話から当時の状況や心理状態を把握したという。松本は医師と連携し、一夏ら当事者の心のケア、そしてISに関わる者として状況報告、改善、指導方法について計画を進めていた。

 ――実は佐倉さんが一番怪しいんだよね。

 楯無は桜を疑っていた。

 ――なぜ、所属不明機が無人機だとわかったのか。

 桜は戦闘中に所属不明機の詳細なデータを提出している。所属不明機・甲の化学式レーザー砲ユニットの主要部分にいたっては、ドイツの軍需企業であるNDS(北ドイツ重工)製の部品を使用していたことが明らかになっている。NDSは第三世代IS黒い雨(schwarzer regen)に採用された大口径レールカノンを開発した企業としてIS関係者の間では名が知られている。そして英国のBT型一号機、つまりブルー・ティアーズの主装備「スターライトmkⅢ」は同社の元社員からなるチームが英国BAS社で開発、採用されたものだ。

 ――砲身寿命を正確に記載。機密が手に入ってうれしいんだけど。これっておかしいよね。

 データには連続照射時間や冷却用熱媒体の製品名まで記されていた。

 ――最初から知っていた、というのは考え過ぎ?

 論理の飛躍だろうか。楯無の頭に亡国機業の名が浮かんだ。今でこそ秘密結社扱いだが、元は殖産興業時代から織物産業を支えた企業のひとつにすぎない。離散集合を繰り返し、組織の実態把握が困難になるほど膨張していた。今でも成長と増殖を続けている。

 ――佐倉さんは危機に対して冷静に判断、迅速に対処したってことになってる。けれど、本当にそうなのかしら。

 白式の通信記録から一夏が所属不明機を有人機だと考えていたことがわかった。ISの教科書に「有人でなければ起動できない」と明記されている。一夏がその知識を元に事態の把握を試みたと考えるのは自然なことだ。

 ――記録を見ていけば明らかなんだけど、彼、一夏くんは緊急事態に直面してパニック状態に陥っているんだよね。白式のログによれば、佐倉さんにはパニックの兆候がなかった。しっかりしてるから? お姉さんは素直じゃないから頭から信じられないな。

 ほかにも気になることがある。打鉄零式が襲撃直前に制御を奪われて動かなくなった。学園内のIS全般にいえることだが、なぜ打鉄零式だけが制御を取り戻したのだろうか。

 ――ISソフトウェアの再起動に成功したのは打鉄零式だけだった。その理由は?

 襲撃時、同じ第三世代機の甲龍(シェンロン)が起動不能に陥っている。ミステリアス・レイディに至っては楯無の搭乗を拒否したのだ。

 ――白式の性能テストのために所属不明機を送ってきた、とか。憶測だけどね。

 ほかにも白式がまったく影響を受けなかったことも気になった。白式だけ見逃された。男性搭乗者が珍しかったという意見は理由にならない。

 ――さて、一番の問題は……。

 桜が提供したデータは楯無やIS産業にとって重大な情報を含んでいた。所属不明機のISコア番号として四七一から四七三と明記されていた事実。ISコアの管理会社であるSNN社は、公式発表においてISコア現存数を四六七個だと発表している。この発表は極めて信頼性が高いものとされていた。国際IS委員会も事実だと承認している。

 ――なぜなら、SNNの創業者は篠ノ之束博士自身なのだから。

 桜は自分が提出したデータについて、「中身をほとんど読んでいない。AIから提示されたデータをすべて添付した」と証言している。だが、打鉄零式のISソフトウェアはデータ領域が消失した。しかも専門家から復元不可能との見解が出されている。つまり知らないとする言い分を証明することができないのだ。

 ――情報は有効活用しなければ。

 楯無は所属不明機に関する情報は、裏付けが取れてから国際IS委員会に報告することが望ましいと考えていた。だが、四六八番以降のコアが存在する事実については隠匿するつもりでいた。欧米などにこの情報を知られるわけにはいかない。複数のISコアが存在する事実を闇に葬り去るか、取引材料とする。そしてこの事実を利用して更識家内部、さらに財界や政界への影響力を強化するのだ。腹の底にわきおこった暗い感情に流されそうになる。

 ――あとはミサイルの出所ね。弾道弾まで持ち出したっていうじゃない。ロシア政府がテロ組織に大量破壊兵器を売ったなんて疑いをかけられるのは困るのよ。

 その一方で所属不明機襲撃の件は、楯無が国家代表を務めるロシアの立場を脅かしかねなかった。所属不明機・丙の三〇ミリ多連装機関砲(AK-630)の製造番号が一〇年前に失踪したスラヴァ級に搭載されていたものと一致したのだ。

 ――まさか白騎士事件での失踪船に関する手がかりがここで出てくるなんて考えもしなかった。

 白騎士事件において、ロシア海軍のスラヴァ級ミサイル巡洋艦二隻が撃沈されている。だが、この発表は偽情報だった。撃沈ではなく行方不明が正しい。GPSの記録を照合すると、航行中に沈没したかのように反応が消えている。該当する海域を捜索しても残骸がない。しかもロシアだけではなく各国のミサイル搭載艦艇までもが姿を消している。

 ――きなくさい臭いが漂ってきたなあ……。調べたらとんでもない爆弾が眠っているかもね。

 楯無は学園内部の更識家関係者に対して、所属不明機のデータに触れた者を徹底的に監視するよう指示を出していた。また所属不明機の件については箝口令が敷かれている。一年生担当の教師やピットにいた生徒。ほかにも当時IS格納庫に閉じこめられていた整備科の生徒たち。簪や虚にも彼女らの動向を逐一目を光らせるように頼んである。ふたりは身内で信用できるという観点から、監視対象となったことを知らせた。

 ――所属不明機以外はあまり進展がなかったりするのよね。

 あえて触れるならばマ***ァ***が女性だったという驚きの事実だろうか。彼女の婚約者は五月上旬にロットネスト島沖で消息を絶ったオーストラリア海軍のコリンズ級潜水艦の乗組員だった。

 楯無はそろそろ企業の訪問時間が近づいていることもあり、気分転換しようと考えた。呼吸のたびに鈍い痛みを感じているはずなのに、次から次へとリンゴを食べ続ける桜を見つめる。

 

「そうそう。GOLEMシステムのVer.2が発表されたそうよ。といっても数年前に発表されたロードマップ通りなんだけど」

「それ、堀越さんと曽根さんから聞いたわ。せっかくやからVer.2をインストールするって……あっ」

 

 桜はあわてて口を閉じた。生徒会長とはいえ、企業の内部事情を気軽に漏らすべきではない。それに倉持技研には田羽根さんの件を報告している。桜以外に田羽根さんを認識できないことから、その存在を疑問視されている。憎たらしい二頭身の話を信じているのは堀越と曽根ぐらいだろう。

 堀越から技術的な話は倉持技研が窓口になると申し出があって、桜は素直にしたがっていた。

 

「大丈夫。その件は私も知っているから。整備するのはうちの生徒なのよ。まあ、企業の人も入ってくれてるんだけどね。それに生徒会をやっていると、各企業の事情にも詳しくなるのよ」

「そんなもんやろか」

「文化祭のときにいろいろ交渉したりするからね。それに代表候補生って企業や国家の看板を背負ってる子ばかりでしょう?」

 

 楯無にいわれて、桜はマリア・サイトウやナタリアの顔を思い浮かべる。

 

「なるほど。……いかんわ。IS学園におると、どれが機密で、そうでないかがわからんようになっとる」

「本当に大事なことは、生徒に開示したりしないから大丈夫」

 

 楯無の口から本音が漏れる。桜が狐につままれたような顔をした。楯無は愛想よくにっこりと微笑み、最後の一切れをつまんだ。

 桜は枕の横に置かれた段ボール箱を避け、手鏡を取り出す。舌を出し、光を当ててみせた。ラメのように銀色に輝く物体を見えるのではないかと目をこらした。

 

「ナノマシンは肉眼での目視は不可能。ナノサイズだから」

 

 桜の体内には治療のため医療用ナノマシンが投与されていた。第二アリーナから脱出後、打鉄零式から降りた際に有害物質を吸入した可能性があるためだ。念のため医療用ナノマシンを投与することで皮膚や内臓の腐食を抑えるという措置が施されていた。なお、一夏や彼らの救助に当たった教師にも同じ処置がとられている。

 

「先生が唾液にナノマシンが混ざるって口にしとった。光が反射するからもしかしたら見えるかもって話してたんやけどなあ」

「それ、ナノマシンに反射した光のことを説明したのよ。実際に見たければ電子顕微鏡が必要よ」

 

 桜は眉根を寄せて、あからさまに残念そうな表情を浮かべる。

 

「なんや。私の勘違いか。そういえば会長さん。毎日ここに来るけど学校のほうはええの?」

 

 桜は胡乱な目を向けた。毎日高そうなフルーツ詰め合わせを持参しては桜と一緒になって食べている。生徒会長が堂々と学校をさぼっているのではないかと疑ったのだ。

 

「校舎を一ヶ月閉鎖することが決まったわ。第二アリーナは最低でも三ヶ月は立ち入り禁止。もしかしたらもっと延びるかもしれない」

「アリーナはともかく、校舎はそんなにひどかったん?」

「校舎のガラスがね。思いっきり割れちゃって全部交換することになったのよ。あとは点検とか、備品もいろいろ壊れたからいろいろやることが多くってね。寮でも一部、割れちゃったしね。ただし、授業はあるから」

「ええっ! 校舎が立ち入り禁止なのにどこで」

「無事だったアリーナを使って実技を実施。学園島の裏側にある合宿所を使用して座学や体育の授業。特別講義主体の合同授業ね。柘植先生……うちの担任が張り切ってるのを見たの」

「そんなあ! 合宿所ってお化けが出るって有名やないか!」

 

 楯無は声を荒げる彼女を見て頬をかく。

 

「確かに……そんなうわさもあるかもね。合宿所のすぐそばに特攻用の火薬式カタパルト跡があるし、陸軍の施設もあったみたい。それをいったら学園島自体が本土決戦用に改造された土地。そこら中に坑道が走ってたらしいわよ。昔、先輩方が五式戦や剣、白菊を発掘したって聞いてるけど、実際に幽霊を見たという確たる話は存在しないわ」

 

 楯無はもしかして、と言葉を継ぐ。

 

「幽霊を信じているとか?」

 

 同年代の少女の口から特攻という文句を耳にした。珍しいと感じる。桜は訓練で殉職しかけたことを思い出して顔を伏せた。訓練中の事故死はときどき起こることだ。戦争末期の搭乗員は速成教育が主で、工業製品の品質低下は目を覆わんばかりだった。ふと以前、箒がチラと口にしたことを思い出して真っ青になった。

 

「あかんわ、それ! 間違いなく何人も殉職しとるやないか! うわわ……篠ノ之さんが口にした霊の溜まり場って合宿所のことなんか? 篠ノ之さんに頼んでお払いしてもらわんと!」

 

 頭を抱えて取り乱す姿に楯無がくすっと笑う。所属不明機と死闘を繰り広げた人物には見えない。本音がいつも報告するような年相応の少女の姿だ。

 

「篠ノ之箒、ね。お姉さんはオカルトを信じてないからコメントできないわね」

「いっぺん見てもろうたわかる。篠ノ之さんは本物や」

 

 桜は真剣な面持ちで告げた。

 ――本音も似たようなことを口にしていたけれど、拝み屋はいまいち好きになれないなあ。

 

「それからアリーナだけど土を変えないとまずいことになってるわ。理由はわかるよね」

 

 顔をあげた桜が一瞬目を泳がせた。すぐさませき払いをしてから答える。

 

「そっちは当事者やから、よーくわかってます」

「ミサイル燃料系の事故に対して迅速対応する技術と手順が確立されてるからね。結構早く終わると思うんだけど。一〇年前の件もあったし」

 

 楯無はそこでクラスメイトの顔を思い浮かべた。柘植研究会に所属する二年生。多脚型ISに搭乗する姿をよく目にしている。

 その二年生は白騎士事件の直接的被害者だ。

 白騎士事件の第一段階において、機能不全を起こしたミサイルが臨海部の宿泊施設に落下。運良く起爆を免れたが、宿泊施設は大破。宿泊客のうち二割が死亡。そのなかでも生徒の家族は壁を突き破った落下ミサイルの直撃で即死。しかも生徒の誕生日だった。この話は楯無のクラスメイト全員が知っている。

 楯無は嘆息しながら、海側の方角を仰ぎ見た。所属不明機襲撃後、すぐに出動してきたISが海上に鎮座しているはずだ。

 

「そのせいで『飛行戦艦打鉄』なんて変なものを作っちゃったし。佐世保から飛んできたアレ。佐倉さんは見た?」

「朱音に写真を見せてもらいました。漢のロマンって感じがしてワクワクしました」

 

 飛行戦艦打鉄とは海上自衛隊が一機だけ保有するISの通称だ。正式名称は打鉄改。航空戦艦打鉄と呼ばれることもある。

 一時は舞鶴に配備される、とうわさされた機体でもある。今は海上自衛隊佐世保基地に倉庫を新たに造営して運用していた。

 このISが早期出動を実現した理由として有事即応体制が確立されていたこと。第二のミサイル・ショックが懸念されたこと。首相の迅速な決断があったことを忘れてはならない。

 

「私も生で見たのは初めてだけど。呆れたわね。本当にISなの?」

「二三四一発のミサイルを迎撃できる上陸用舟艇ってコンセプトらしいですよ。長年の夢を実現させたとかなんとか。個人的に戦艦の勇ましい姿は好きやけど、呆れたのには同意します」

「メガフロートを非固定浮遊部位にするとか。斬新な発想よね」

 

 海自仕様の打鉄改はあまりにも巨大な非固定浮遊部位が特徴だ。総数四枚の長方形の板が浮遊しており、艦載機どころか旅客機の離着陸が可能だと推測されている。メガフロート型非固定浮遊部位にありったけの艦砲やミサイル発射機、機関砲などの装備を設置した。とりあえず置けるものは何でも置いた。怪獣対策にメーサー砲を導入したという眉唾なうわさまでもがまことしやかに流れている。

 ちなみに拡張領域(バススロット)には近接兵装として槍衾(やりぶすま)衝角(しょうかく)が導入されている。

 

「人気があるっていうのが信じらんない」

「プラモデルだと本体がちっちゃな粒やって。『IS/VS』では非常識な火力を利用した待ち伏せ攻撃が横行したとかで、大会やオンラインの協力プレイで使用禁止になっとるそうや。友達が教えてくれました」

 

 「IS/VS」には内蔵マップエディタが搭載されている。海自仕様の打鉄改がDLCとして提供され、内蔵マップエディタでメガフロート型非固定浮遊部位の編集が可能だ。つまり土地を造成したり建物を造ることができる。

 この機能を利用したハメ技が存在した。メガフロート型非固定浮遊部位を都市や地形に偽装。膨大な搭載兵器を建築物や地面に巧妙に隠すなどして潜伏。地形や単なるオブジェクトだと思って他のプレイヤーが無防備に降り立つ。タイミングを見計らってネット弾を射出。動けなくなったところで集中攻撃するというものだ。

 「タバネ17歳」と名乗るプレイヤーが初披露し、数多くのオンラインイベントを荒らし回った。

 

「本当に全部のせていたわね。ついメーサー砲を探しちゃったんだけど」

「さすが千代場博士やなー」

 

 桜は白々しく棒読みしていた。

 打鉄を海自仕様へと改修するにあたって、千代場博士が原案を提出している。彼が大真面目に用意した改修案はミサイル・ショックの影響もあり、あっさりと採用されてしまった。

 武装を搭載できるだけ搭載する。拡張領域に量子変換(インストール)しなくともよいという割り切り。しかもマッハ〇.八というジェット旅客機並みの巡航速度で移動可能。世界に類例がない奇妙な機体を生み出してしまった。各国から「クレイジー」というコメントが相次ぎ、佐世保に配備されたことにより一時的とはいえ軍事的緊張を生み出している。

 なお、海自仕様の打鉄改が通称で呼ばれるのは、陸上自衛隊が保有する打鉄改と区別するためだ。こちらは災害救助を主眼とするため、作業用機械腕を搭載することをのぞけば打鉄と大差がない。

 

「ああ……いやな予感がしてきた」

 

 楯無はパイナップルに手を伸ばそうと腰を浮かせる。桜の枕元を見るや四菱ケミカルの企業ロゴを目にして力が抜けてしまった。

 

「その箱……」

「これ? この前もろうたISスーツの上位版やって聞いとります」

 

 桜は先日来訪した四菱ケミカルの技術者から新しいISスーツを受領していた。電子ペーパーのように色を定着するときにだけ通電すれば、天然色で画像を表示できる優れものらしい。メディアに宣伝する際に、あらかじめ表示するスポンサーロゴを指定しておけば好きな場所に描くことができ、何度でも書き換えが可能だとか。繊維装甲の派生技術だと聞いている。ほかの生徒がモニターした際に地肌の色を透過する不具合があったそうだ。ISスーツを持参した技術者が「お渡しするISスーツは水着機能を搭載した改良版です。裸に見えることは決してありません」と断言している。

 

「まさか会長さんがこれの前の版を試したとか……?」

 

 桜が上目遣いにのぞき込んできたので、楯無は思わず目をそらした。顔が真っ赤になっている。どうやら図星のようだ。

 

「わ、私だけじゃないわ。ほかにも被害者がいたって聞いたもの」

 

 桜にばれたと思い、楯無はあわてて取り繕う。すぐさま墓穴を掘ったことに気づいて、ぷいと顔を背けてしまった。

 

 

 一時、深刻そうな顔をしていた楯無は何事もなかったような顔つきに戻っていた。手帳を片手に次の面会者の名を確かめる。「SNN藤原」と書かれていたが、藤原に二重線が引かれ、黒江と書き加えられている。

 

「四菱の次はSNN社の黒江さんね」

 

 このSNN社は篠ノ之束の主な収入源とされている。

 同社の最高経営責任者が創業者、つまり篠ノ之束本人の名義となっているからだ。ISにまつわる周辺技術の特許使用料を収入源とし、ISコアの管理業務で成り立っているような企業だ。

 もちろん名義が残っているとはいえ、経営自体は別の人間が行っている。同社は篠ノ之博士への直接連絡は難しいとしている。むしろ「どこにいるのか所在を教えて欲しい。縄をつけてでもしょっぴいてくれ」と国際IS委員会に要請するほどだ。

 とはいえ篠ノ之博士は毎週開催されるオンライン定例会議に顔を出している。それでも捕まらないのは、アクセスポイントを解読した頃には別の場所へ移動してしまうためだ。

 また同社は所在不明の篠ノ之束博士の代理人を務める。実際、倉持技研はSNN社を介すことで篠ノ之束博士と連絡を取り合っていた。

 

「ここが顔を出すなんて珍しいわね。GOLEMシステムのサポート業務を取り扱っているから?」

 

 この管理会社が表舞台に立つことはほとんどない。非公開会社のため新聞に載ることはめったになかった。

 桜は楯無が差し出したパイナップルの輪切りを口に入れる。飲み込んでから口を開く。

 

「私、SNNとは何の関係もないですよ。製品の感想を直接聞きにくるとかやないの」

「確かに……そうかもしれない」

 

 楯無は世界で二例しかない、と喉元まで出掛かって口をつぐむ。GOLEMシステムを採用した機体は打鉄零式のほかは銀の福音だけだ。銀の福音についてはアメリカ、イスラエル両国が管理しているため情報が表に出てこない。打鉄零式は貴重なデータが消失している。

 GOLEMシステムは導入するだけで性能が三〇%向上するというものだ。各国のIS関係者と同じく眉唾ものだと、楯無は考えていた。

 扉をノックする音が聞こえてきたので、桜は「どうぞ」と告げる。

 

「失礼します」

 

 静かな湖畔を思い浮かべる澄んだ声音を耳にした。

 あまりの心地よさに思わずうっとりとしてしまう。桜と楯無が同時に振り返る。手足が華奢で、微かに紫色を帯びた青白い銀色の長髪。良家の子女を彷彿とさせる。たおやかなしぐさを目にするや桜は生唾を飲み込んでいた。ドレススタイルの白ブラウス、青色のフリルスカート。透き通った白い肌。一番目を引いたのは白目が黒目となり、黒目に金色の環が映る異色の双眸である。

 

「これは……」

 

 自然と目が引き寄せられてしまう。同性とはいえ胸が高鳴る。桜は同世代と思しき少女を凝視する。

 ――これが一目惚れ……というのは冗談。

 桜は自分でも気づいていなかった好みを認識してしまった。このままではいけないと思い、楯無をからかうことで平静を保とうとする。

 

「えらいべっぴんさんやね。会長さんはこういうのが好みやあらへんの」

 

 楯無は依然として「人たらし」のはずが気がつけば「女たらし」といううわさに苦しんでいる。

 

「私はストレート。櫛灘さんの妄言を鵜呑みにしてもらっては困るなあ」

 

 楯無は余裕ぶった態度で切り返す。桜には切り札があった。

 

「試合のとき、妹さんが『昔からそうでした』って認めとったわ」

「そんな! 簪が……違うの! 私は本音とは違うのよ!」

「またまたー。ご冗談を」

 

 楯無は本音を槍玉にあげて身の潔白を証明しようとした。桜はにやにや笑い、先輩の言葉を素直に受け取ろうとはしなかった。

 

「発言してもよろしいですか?」

 

 楯無の隣から澄んだ声音が聞こえる。桜と楯無は姿勢を正して続きを促す。

 

「はじめまして。SNNのクロエ・クロニクルです」

 

 小さな手提げカバンから名刺を取り出し、桜と楯無に配った。名刺の表面にはイタリック書体で「Chloe Chronicle」と記されている。楯無は急ぎ手帳を開く。メモの「黒江」の字と見比べ、日本人だと勘違いしていたことを悟った。

 

「弊社のCEOから伝言を言付けられて参りました。早速ですが、ここで読み上げても構いませんか?」

「はあ。ええけど」

「では読み上げます」

 

 クロエが手提げカバンから封書を取り出す。便せんを開いて明朗な発音で読み上げた。

 

「発、謎のマッドサイエンティストX。宛、サクラサクラ」

 

 先ほどクロエが自社のCEOから伝言だと発言している。名前を伏せる意味はなかった。

 

「この死に損ない。泥棒猫。理想の弟を寝取ったことを許してないんだからねっ」

「はい?」

 

 思わず耳を疑う。桜は目を丸くして口が半開きになった。

 

「P.S.今度寝取ったら本当に許さないぞ。人生を強制リセットしてやるから覚悟しろ! ……以上です」

「あの……宛先、間違えていませんか。サクラサクラ違いやないかと」

 

 桜には見に覚えのない内容ばかりだ。篠ノ之博士が重大な勘違いをしているのではないか。そう思って何度も確認する。

 

「いいえ。間違いなく佐倉桜様宛だとうかがいました」

「全部身に覚えのないことばかりなんやけど。気分悪いわ。会うたこともない人に悪し様に罵られなあかんの」

「内容については関与しておりません」

「関係ないってわかってますよ。宮仕えやって。それでも……いくらなんでもひどい。傷ついたわ」

「では、その旨をCEOにお伝えします。後ほど何らかの回答を送らせます」

「お願いします……あの、私……篠ノ之博士に恨まれるようなことしたん?」

「私は存じ上げておりません」

 

 クロエはしばらくして何か思い出したように口を開く。

 

「一度だけ……CEOはあなたの顔写真を見て『別のあなたを知っている』という旨の文句を口にされたことがあります。何を指しているのかまでは、私には理解できませんでした」

 

 桜はドキリとした。別のあなたとはつまり、佐倉作郎のことだ。

 ――どういうことや。私が私であると口にしたのは数回しかあらへん。全部うっかりやけど、どの記憶にも篠ノ之博士らしき人はおらんかった。

 別のあなたが作郎だと仮定した場合、弟を寝取ったという言葉と矛盾する。

 ――それとも何か。無意識で、しゅ……あかん! 軍隊でそんな怖いことしたらうわさが立っとるはずや。

 ちなみに泥棒猫とは女性に向けた蔑称だ。浮気女を示し、男性に向けて使う言葉ではない。

 ――さっぱりわからん。

 桜が首をひねっているとクロエが丁寧な口調で病室を辞した。

 楯無がクロエを送るために席を立つ。桜に背を向けたとき、普段の生活で決して見せることがない鋭い視線をクロエの背中に注いだ。

 

 

 楯無は自分で切ったパイナップルの輪切りにフォークを刺して桜に差し出す。「はい、あーん」というやつだ。桜の口のなかに消えるのを見届けてから自分も一切れ口にした。

 

「毎回思うんだけど、四菱ケミカルはどうしてうっかりした試作品ばかり渡してくるのかしら」

「……まだ二ヶ月やけど会長さんが思っとるような不具合に遭うたことはないんやけど」

 

 桜は感度まで三〇%アップや光学迷彩でストリーキングな不具合には遭遇していない。そのせいか、四菱ケミカルのISスーツに対して今のところ優秀なスーツだと評価を下していた。

 

「SNNのクロニクルさん。結局、すぐ帰っちゃったわね。ところで理想の弟って誰のことかしら」

「篠ノ之束博士のことやから案外、織斑のことやったりして」

「一夏くんが弟かー。かわいいっちゃあ、かわいいけど。理想とはちょっと違うかな」

 

 楯無はあることに気づき、顔を真っ赤にして取り乱す。

 

「え……? 佐倉さん、寝取った? まさか……人目を盗んでもにょもにょなことを」

 

 最後のあたりは口ごもってしまいよく聞き取れなかった。これまでの自信に裏打ちされた言葉遣いや何でもお見通しといわんばかりの態度が台無しだ。

 ――もにょもにょって何や。

 桜は一〇二五号室の主の姿を思い浮かべた。誤解を招く行動を取ったとしよう。箒の逆鱗に触れ、刀の錆となる可能性が大だ。もしも櫛灘が知ったら、あっという間に全校生徒の耳に入るだろう。やはり刀の錆となる運命が待っている。

 

「まさか。織斑にそんなことしたらIS学園で刃傷沙汰になってます。それに会長さんはお忘れか。隣部屋に櫛灘さんがおることを」

 

 櫛灘の名前が出た途端、楯無が唇をとがらせて眉間にしわを寄せた。あからさまに苦手だと目が語っている。

 

「一〇二七の……櫛灘さんね。あの子には隠し事できないよねー」

 

 白々しい棒読みだ。まったく気持ちがこもっていない。桜は自分のことを口が堅いと思いこんでいたので、生徒会長が櫛灘に対して罵詈雑言を吐いたとしても決して口外しないつもりだった。うっかり喋りたくなったら紙にキリル文字で書いてシュレッダーにかけるだけの配慮がある。

 ――あっ。ロシア語はあかん。会長さん、読み書きどころか会話もできるんやった。

 

「サクサクいるー?」

 

 外から本音の声が聞こえてきた。IS学園の生徒は身元の調査を終えている。自由に面会してよいと判断を下していた。特に本音は身内でかつ桜の同居人なので制限を設けていない。

 

「ええよー」

 

 桜が気軽な声を出す。扉が開いて本音が姿を見せる。紙袋を抱えており、大阪に本店がある百貨店の名前が記されていた。

 

「ごめんね~。遅くなっちゃった」

 

 クラス対抗戦当日。本音は観覧席にいて自分のクラスを応援していた。避難指示にしたがって第二アリーナから避難した。その後、校舎の窓を割った衝撃波で転倒。膝を擦りむくなど軽傷を負っている。

 本音は楯無に挨拶したあと、桜に百貨店の紙袋を手渡した。

 

「実家はどうやった?」

 

 快特列車と鈍行を乗り継いで二、三時間の場所に布仏邸がある。本音は実家に呼び出されて急遽外泊することになっていた。

 

「特に変化はなかったよ~。少しだけ心配されたけどね~」

 

 楯無の目配せに応じて本音がうなずき返す。更識の本家に顔を出しているのは間違いないだろう。

 

「この紙袋は重そうなんが入っとるみたいやけど」

「それ、サクサクへのおみやげだよ。開けてみて」

 

 桜はいわれたとおり袋に手を突っ込む。ファスナー付ポリ袋から黒い紐で綴じられた冊子を取り出す。

 

「さすがに原本は持ち出せなかったんだけど。ちょっと前にデジタル化したから印刷してきたんだよ~」

 

 本音がゆるい雰囲気のまま冊子を桜の手に置いた。楯無が本音に「許可が出たの?」と耳打ちする。

 表紙に目を落とした桜の手が止まる。肩を振るわせ、にこにことする本音の顔を凝視した。信じられないものを目にしたかのような顔つきだ。

 

「本音。これ……もしかして」

「おばあちゃんが佐倉さんのご遺族にぜひ読んでもらいなさいって」

 

 桜はコピー用紙に印字された名前を指でなぞる。

 タイトルにそっけなく日記と書かれていた。本来の持ち主の名が懐かしい響きを奏でている。頁をめくると昭和二〇年四月一一日に「()()」とつづられ、その二文字を最後に白紙が続いた。

 

「あれっ。あれっ。おかしいわ」

 

 同じ日に同じ空を飛び、同じく散華した仲間。

 鼻が熱くなり、胸に激情がこみ上げる。桜は思わず鼻をすすった。手の甲で何度もこする。それでも鼻水が止まらないので枕元のティッシュペーパーを何枚か手に取った。目の端から大きな涙の粒がこぼれ落ちる。楯無と本音が驚いておろおろとするのも構わず、涙はとどまるところを知らない。

 桜は布仏静の日記を抱きしめ、目を伏せて声を押し殺す。他人の目に構わず嗚咽をあげた。

 

 

 




GOLEM章完結。
次章でまたお会いしましょう。

【補足】
NDS(北ドイツ重工)
架空の企業「Nord Deutschland Schwerindustrie」の略。

梓弓
楠木正行が残した辞世の句より
「かへらじと かねて思へば梓弓 なき数にいる 名をぞとどむる」


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間話
間話・紅椿


今回は時系列の都合でGOLEM章と次章からあぶれた話。
書かないと後で困るので次章に先駆けて執筆しました。


 クロエ・クロニクルはモノレールの車窓から海を見下ろし、一隻の真っ白な船を見つめていた。陸のすぐ側を航行し、側面に水産庁という文字が描かれている。船首を外海に向け、穏やかな潮風のなかを突き進んでいった。

 沖には海上自衛隊の護衛艦艇の姿。クロエの位置からでは遠すぎて、洋上に灰色の小さな点が浮かんでいるように見えた。

 モノレールが減速し、停車。終点に到着し、この車両が折り返し運転する旨の案内放送が流れる。ホームに降り立ち、改札口へ続く階段に向かった。構内放送によればIS学園行きのバスが運行中止らしい。そのまま改札口からロータリーに抜ける。バスの運行表の上に、やはり運行中止を周知するための張り紙がしてあった。

 

「物騒な……」

 

 クロエは眉根を寄せた。警察車両がロータリーの隅に停車しており、多数の装備で着ぶくれした警官の姿が目に入る。クロエは小さな手提げカバンから地図と携帯端末を取り出す。先日、上司にあたる藤原から一通のメールが送信されていた。文面はこうだ。

 

「疲れた。クロエちゃん。後は任せた」

 

 そう書き残し、彼は南半球の保養施設へ旅立ってしまった。藤原は創業時からの古株社員だ。篠ノ之束博士失踪により多大な影響を被ったひとりでもある。

 ――手続きはすべて終わっている……。

 クロエは地図を見ながらIS学園へ徒歩で移動する。スーツを着た男女がぞろぞろと歩道を通行し、警官の視線を気にしないようにしている。

 ――情報によればIS学園は何者かによる襲撃を受けた。

 嵐の後のようだ。通り道に面するカフェテラスには学園の職員と思しき男女の姿がある。

 IS学園に近くなるにつれて警察車両の間隔が狭まっていた。陸上自衛隊と思しき服装が増えていく。車道をトレーラーが走り抜けていった。企業ロゴに「化学」という文字が含まれている。クロエは目を細め、奇妙に感じた。工事車両や救急車が通過するならばまだわかる。だが、襲撃の後始末に化学的処置が必要なのだろうか。

 ――仮に化学兵器が使われたとしよう……。

 核・生物・化学防護服の代わりにISを展開する。うまくいけば激甚災害が起きても自分だけは生き残ることができる。黒鍵(くろかぎ)は篠ノ之束博士が自ら開発したIS。対外的には未発表となっている。黒鍵よりも優先して世に送り出すべきISが存在するためだ。

 ――しかし、黒鍵は使()()()()

 彼女の独断による黒鍵の展開や能力の行使そのものが禁じられている。SNNの規則では権限を有す社員二名の承認が必要だ。権限を悪用した私的利用禁止。篠ノ之束博士の独走を制限する目的で設けられていた。

 しかも承認権限を持つ社員は四名しかいなかった。一人目は失踪中。二人目は今ごろ南半球の保養施設。三人目は国際IS委員会の事務所。四人目は南アフリカ共和国ダーバンに設置した研究所の中だ。間違いなく電波が遮断された場所にいるだろう。

 クロエが学園の敷地に足を踏み入れたとき、列に並ぶよう求められた。立て看板に「IS学園訪問者受付」とある。仮設テントにはスーツを着た男性職員、そして警官が並ぶ。先客の顔が少しだけ強張ったものに変わる。いつになく厳重な警戒。テントの奥に並べられた長机にはノート型端末にさまざまな機材がつながっていた。

 氏名、身分証明書、訪問理由。事務的な声を耳にした。書類提示を求める声。書類がなければセキュリティ申請の有無。教員や事務、システム部への問い合わせ。そして荷物検査、ボディチェック。

 ――そこまでする……のですか。

 クロエは内心驚いていた。意図して不安そうな表情を作る。無表情では逆に怪しまれる。そう思い、眉根を寄せた。

 クロエの番になった。席に座り、職員の求めに応じて手提げカバンをプラスチックトレイの上に置く。警官の目が光った。カバンから荷物をゆっくりと取り出し、空になったことをわかるよう職員と警官に見せる。さらにポケットの中身や身に着けていた貴金属を外し、トレイに置いた。

 

クロエ(Chloe)クロニクル(Chronicle)

 

 淡々とした声で告げ、パスポートを差し出す。

 

「ギリシャ国籍……ギリシャ語ができるスタッフにつなぎましょうか」

 

 英語だ。クロエは首を振り、流暢な日本語を口にした。

 

「いえ。日本語ならわかります」

「では、訪問理由をお願いします。学園内に特殊金属やセラミック類を持ち込む場合は検査、ならびに書類を提示してください」

「私、こういう者です。弊社の藤原の代理で参りました」

 

 クロエはゆっくりとしたしぐさでトレイにのせたケースから名刺を取り出した。千冬と約束があることを告げ、透明のクリアファイルに挟んだ書類を職員の目の前に置く。

 

「確認致します。少々お待ちください」

 

 職員が席を立つ。機材の前に座る別の職員へファイルを手渡した。照合するために二言三言、言葉を交わす。続いて警官がトレイごと手提げカバンとその中身を、荷物検査用の機械に通した。さらに女性警官によるボディチェックを実施。職員がISの搬入申請書を見つけて、電話で問い合わせている。

 

「ISコアの管理会社……たしかに今日アポがありますね。藤原さん……あっ。これ一つ前だ。確認しました」

 

 職員が戻ってきた。

 

「確かに本日訪問の予定があります。こちらの都合で申し訳ないのですが、場所が変更になったので職員に案内させましょう」

 

 職員が警官に荷物を入れたトレイを返すように告げた。通行証明書を首に提げるよう指示が出た。帰る前にこのテントによって返却するよう言い渡される。

 クロエは荷物をしまい、立ちあがった。

 ――案内人にしては物騒な雰囲気だ。

 気配に気づいて顧みると、背後に私服警備員が立っていた。

 

 

 〇九四五までに公民館に来い。時間厳守。場所は知っているな。

 千冬が口にした言葉だ。今朝、箒はクラスメイトと一緒に朝食をとっていた。朝食の時間帯のとき、千冬はいつも白いジャージを身に着けている。だが、このときばかりはスーツ姿に薄化粧を施していたのでびっくりしてしまった。

 

「貸し会議室は……ここか」

 

 千冬に言われたとおり、箒は公民館のなかにいた。扉が開放され、脇に屈強な体をした警備員が立っている。無言かつ直立不動。箒を一瞥し、すぐに周囲を探るような雰囲気を発した。

 

「失礼します」

 

 会議室へ足を踏み入れる前に、張りのある凛とした声を腹から出す。

 

「入れ」

 

 千冬だ。声にしたがって入室する。貸し会議室は十畳ほどの広さで、中央に配置した机を挟んでソファーが向かい合っていた。箒は床に目を落とす。

 ――机の跡が残っている。ソファーはこの部屋のものではないな。

 続いて窓際へ視線を移す。さらに遠く、少し離れた対岸の建物の屋上へ。銃口がこちらに向けられていた。

 ――狙撃手(スナイパー)。本当にここは日本なのか?

 不安よりも疑問が先立つ。先日の襲撃事件の影響により校舎は立ち入り禁止。寮は一部の部屋で窓ガラスに亀裂が生じてしまい、一部の生徒が部屋を移動した。一〇二五号室は無事で両隣も大丈夫だった。だが、鷹月静寐と夜竹さゆかの部屋が被害に遭い、それぞれ一〇二七号室、一〇二八号室で寝泊まりしていた。

 避難した生徒のなかには布仏や鷹月のように軽傷を負った者がいくらかいる。一夏は無傷だったので喜ぶべきなのだがそうもいかない。残念なことに桜が重傷を負って入院してしまった。

 ――織斑先生。そして山田先生がいる。机にはお茶請け。学外の者と面談でもするのだろうか。

 箒はきょろきょろする振りをして周りを見回す。真耶がノート型端末と大きな液晶モニターとの接続チェックに勤しんでいる。

 ――どうも。いかんな。狙撃手が気になって落ち着かない。

 千冬はどのように感じているのか。箒は視線をソファーに背を預ける担任に向ける。そのままゆっくりとした足取りで彼女の正面に回りこんだ。

 

「立っていてもしょうがない。座れ」

 

 箒は一言断ってから末席に腰を落ち着ける。ふかふかして妙な気分になった。

 

「篠ノ之。突然呼び出してすまんな」

「いったいどんな用件なんですか?」

 

 箒の問いに、千冬は改まった顔つきで口元をゆるめた。

 

「先方の到着まであまり時間がない。要点だけを言う」

 

 千冬の真剣な眼差し。箒は思わず生唾を飲み込んでいた。

 ――この前振りは……。

 

「篠ノ之。企業からISの専任搭乗者として指名があった。企業の担当者……代理と手続きを行う。SNNという企業だ。知っているか」

 

 久しぶりに耳にした言葉に、箒は思わず眉をひそめ、顔をうつむける。

 ――肯定。SNNはシノノノの略称だ。三文字にしたくて最後のNを抜いた。ああ……聞きたくなかった。

 一時は忘れようとさえ思っていた。束が突然起こした会社。設立当初の資本金はその五〇%を箒が出した。より正確に記すならばお年玉貯金を全額巻き上げられた。

 

「知っています」

 

 気持ちが表に出てしまったのか声が沈んだ。対して千冬は頬をかいて詫びを入れるような表情を見せた。

 

「こんな事態になったから延期しようという話もあったんだが、先方のスケジュールがな。調整の結果、急きょ今日に決まった」

 

 千冬はばつが悪い顔つきでいる。束を思い浮かべているような目だった。引っ越す前、箒はよく姉の実験に付き合わされた。いつも決まってひどい目に遭う。すると、千冬がいつも助け出してくれた。その頃の彼女がよく浮かべていた表情とまるで変わっていない。

 ――千冬さんだな。昔と同じだ。

 胸に懐かしさがこみ上げてきた。ちょうどそのとき、真耶の声がして入り口に視線を向ける。

 

「お、お客様が見えられたようです」

「山田先生?」

 

 真耶が戸惑った様子だ。白式受け入れ以前、倉持技研の技術者と打ち合わせしたときはもっと堂々としていた。初めて一夏を前にしたときのようなおどおどとした雰囲気に近い。真耶が驚いた理由はすぐに明らかとなった。

 ――私と変わらないではないか。

 予想外に若い。一五、六に見える。箒は驚いて目を丸くしてしまった。訪問客が軽く会釈した後、異様な双眸が露わになってさらに驚く。

 

「SNNのクロニクルです」

 

 あまりにも心地よい声音。ドレススタイルの白ブラウス、青色のフリルスカート。透き通ったように白く華奢な手足。青白い銀色の長髪。光の加減で微かに紫色に変化した。

 ――恐ろしい美人だ。そして、()()()()()()()()をしている。

 

 

 大画面が点灯し、白いTシャツに青いジーンズという出で立ちの中年男が映っていた。千冬が思わず感嘆の声を漏らすほどの男前。「男たる者、かくあるべし」を体現したかのような顔立ちと体つきなのだ。

 そして画面のまんなかに黒いノート型端末があり、不思議の国のアリスを象ったドレス姿の女性が映っている。人を食ったような表情で、不健康な吊り目だ。化粧っ気はない。それでも顔の造りが整っているおかげで美しく見える。そして篠ノ之箒とよく似た顔立ちでもあった。

 あいさつを終えたクロエが画面に登場したふたりを簡単に紹介する。

 

「左にいる男性が弊社の藤原です」

 

 藤原が頭を下げ、「うちの姪がいつもお世話になっております」と口にした。

 真耶がいぶかしむように首をかしげる。千冬が間髪入れず耳打ちした。

 

「山田君。うちのクラスに同姓の生徒がいるだろう。彼女の叔父だ」

「えっ!」

 

 ひどく驚いた顔をしている。箒には千冬の言葉が聞こえず、別のことを考えていた。

 ――見覚えがある顔だと思ったら、あのときぬか喜びさせた男ではないか。

 幼い頃、束が突然「紹介したい人がいるんだ」と前置いて自宅に男を連れ込んだことがある。二〇歳も年上だと聞いて子どもながらに胸を高鳴らせたものだ。後で勘違いだと知ってずいぶん恥ずかしい思いをした。

 

「モニターのなかの女性は、既にご存じだとは思いますが、篠ノ之束博士です」

 

 IS関係者のなかでは知らない者はいないだろう。千冬の目には既にあきらめの色が浮かんでおり、箒は冷ややかな目つきだ。クロエは平然として無表情。ただひとり真耶だけが興奮した面持ちだった。

 

「やあやあわれこそはSNNのしーいーおー。篠ノ之束であーる」

「弊社の最高経営責任者。篠ノ之束が『私どものためにお集まり頂きありがとうございます』と申しております」

 

 間髪入れず藤原が同時通訳した。真耶が呆気にとられている。

 ――こういう人だった。

 久々に束を見て、クスッと来るかと思えば恥ずかしさで胸がいっぱいになった。戸籍上において姉ではなくなっている。だが、血のつながりは死ぬまで続く。

 

「やあやあやあ! 久しぶりだねえ! ずっとずーっとこの日を待っていたよ!」

「……姉さん」

 

 箒が渋い顔でつぶやく。その言葉をマイクが拾った。ほんの一瞬だけ、つまりデジタル信号がアナログ信号へと変換される微かな間が生まれた。

 

「うんうん。束さんはわかっているよ!」

 

 束は画面のなかで腰に手を当ててふんぞり返った。

 すぐさまカメラに頬を近づけ、人を食った顔が画面いっぱいになる。感情の高ぶりを抑えきれず、いつにない饒舌でまくし立てた。

 

「欲しいんだよね? 君だけのオンリーワン。代用無きもの(オルタナティヴ・ゼロ)。箒ちゃんの専用機。もちろん用意してあるよ! そのためにこの場を用意したんだもの。最高性能(ハイエンド)にして規格外仕様(オーバースペック)。そして、箒ちゃんを本当の高みへ導くもの。SNNが誇る最新鋭機。その機体の名前は」

 

 藤原があらかじめ隠し持っていたクラッカーを鳴らす。よく見れば足元のブルーシートにシンバルまで用意してあった。

 束が溜めに溜めて、ISの名を言い放った。

 

紅椿(あかつばき)!」

「断る」

「……へっ?」

 

 箒の即答にその場にいた者のすべてが呼吸を忘れたかのように静止した。束が間抜けな声を出して目を丸くしている。予想と異なる切り返しに困惑を隠せないでいた。

 

「ど、ど、どうしちゃったの! 『……ありがとう』って頬を染めながら素っ気ない態度で返してくると思ったのに! 専用機なんだよ? 全スペックが現行のISを上回る……()()の……束さんお手製のISだよ?」

「私より優秀な搭乗者はたくさんいる。実績もなければさほど適性が高いわけでもない。なぜいきなり、この時期にISを提供しようとする」

 

 箒は正論を吐いた。裏があるのではないか。姉の言葉を素直に受け取る気になれなかった。

 ――嫌な予感がする。

 クロエの双眸を見たときからずっと胸がざわついていた。邪悪な何かがうごめいている。箒の直感は当たることが多い。そもそも姉の関わってろくな目に遭ったことがない。ISを開発する以前。ISを開発した後も同じだった。姉の影がついて回るのだ。姉が分籍を申し出たとき何か変わるのかと期待し、そして失望した。

 

「株主優待だよ。箒ちゃんは大株主様だからそれ相応の対応をするんだよ。専用機があると練習がはかどるよ! それにもにょもにょ」

「そのISにろくでもない隠し機能をつけたに違いない」

「ぎくぎくっ。束さんはそんなことしたりしないよー。やだなあ。お姉ちゃんは箒ちゃんのためを思ってやってるだけだよー」

 

 箒が次から次へと言葉の矢を放つ。

 身に覚えのある束は何度も肩を震わせ、目を白黒させる。考えていたよりも箒の態度が柔らかく大人だった。束はしかたなく考えを巡らせ、箒が気に入るような言葉を口にした。

 

「このISがあればいっくんの手助けができるんだよ!」

「……本当か」

 

 一夏の役に立つと聞いて箒の心が揺れた。

 ――もし、本当に一夏の助けになるなら……。

 悪くない。頭の片隅では「止せ。やめろ」という声が聞こえた。たとえ肉親であっても、束が善意でISを提供するのだろうか。()()()()()。時折予言者めいた物言いをする姉が解せなかった。

 ――だがこれはチャンスだ。姉が与えてくれた機会を生かすべきだ。

 頭の奥でひっきりなしに打ち鳴らされる警告音を聞かなかったことにした。

 

「このISがあれば白式の欠点を補うことができる。お姉ちゃんの言葉だもの。間違いないよ」

「……さっきはわがままを言って申し訳なかった。改めてよろしくお願いします」

 

 箒は深々と頭を下げた。

 

「じゃあ。善は急げだね! くーちゃん。あれを渡してよ!」

 

 束は妹の様子に満足したのか、上機嫌になってまくし立てた。

 

「ISを持参しました。これが申請書です」

 

 クロエがクリアファイルを千冬に差し出し、中身の確認を求める。

 千冬は一言断ってから書類を手に取った。藤原との打ち合わせで記入を求めた書類がすべてそろっている。そのなかにISの搬入許可証も含まれていた。

 

「確かに許可を出したが、本当に持ってきたのか」

「紅椿は開発が終わっており、すぐ稼働状態にすることができます」

 

 クロエが淡々と説明した。

 千冬と真耶が一枚ずつ記載内容に不備がないことを確かめる。

 

「SNN666……型番号か」

 

 千冬のつぶやきを耳にして、箒は目を伏せた。

 ――単に語呂がよくて格好良かっただけな気がする。

 一瞬、獣を連想してしまい、不吉な数字と感じてしまった。束が映画やドラマの影響を受けているのかもしれない。頭を振ってお茶に口をつけたクロエをじっと見つめる。

 

「ISコア番号〇七七。研究用のコアじゃないか」

 

 束がそのコアを手元に残したのは箒の誕生日が七夕だからという理由だ。

 クロエは視線に動じることなく湯飲みを置く。

 

「ISはこちらに」

 

 手提げカバンから手のひらに納まる程度の小さな箱を取り出す。箱を裏返して、溝に爪を引っかける。親指の指先くらいの大きさのガラス面が出現。クロエはそのガラス面を凝視した。

 ――虹彩認識。

 この技術は誤認率が少ない。空港で個人を識別するために導入されたり、一部の国では出入国手続きにも利用されている。

 千冬はクロエの様子をいぶかしむような目つきで見つめていた。クロエが箱を開けて、紅色のイヤーカフスが千冬や箒たちに見えるよう机に置いた。

 

「藤原さんの話ではガントレットだったぞ」

「女性なら装飾すべきとCEOがおっしゃいました。この件に関して、本人から申し開きがあるようです」

 

 クロエが画面を見るよう促す。

 

「ガントレットでいいなんてぷんぷん! 味気ないよ。箒ちゃんはもっとお洒落をしなくちゃ!」

 

 束の鼻息で画面が白く曇った。

 ――ガントレットでよかったのに……。

 箒も耳が隠れるほどの長髪だ。セシリアのようなイヤーカフスを身に着けても目立ちにくい。待機形態は腕輪などの装飾品が一般的だ。一夏の気を引くならお洒落に気を遣うべきとは思う。だが、いきなり耳を飾るのは抵抗があった。

 

「後で形状を変更できます。どうかこのままの状態で受け取ってください」

「む……。後で変更できるなら。わかった」

 

 クロエが淡々とした様子で告げ、箒が仕方なく二つ返事で承諾する。

 束がその様子を食い入るように見つめ、小さな箱が箒の手のひらに乗っかる様子を目にした。

 その途端、甲高い声がスピーカーから響く。

 

「やったね! 箒ちゃんが受け取ったよ! お姉ちゃんぶいっ!」

 

 無邪気にはしゃぐ声。千冬と同い年には見えなかった。

 

「じゃあ、紅椿の特徴を話すねっ! 紅椿はGOLEMシステムのVer.2を採用しているんだよ。GOLEMシステムは倉持技研の打鉄零式も採用しているから、ちーちゃんは知ってるよね」

 

 千冬は画面に向かってうなずく。

 束がその様子を見届けてから続けた。

 

「このシステムはISソフトウェアをより最適化することで、なななんと! 導入するだけで一割から二割性能が向上する優れものなんだよ! しかも搭乗者をサポートするAIを導入すれば性能が三割り増しを超える画期的なISソフトウェアなんだ。くーちゃん。あれを箒ちゃんに渡して」

 

 クロエはうなずき、再び手提げカバンからカードケースを取り出す。

 ――今度は何だ。

 ふたを開けると、シールの束が出てきた。大きさは五センチ四方でお菓子のおまけとよく似ている。

 

「それは?」

「シールです。食玩風に加工しています」

 

 箒の問いにクロエが淡々と答える。

 ――嫌な予感しかしないぞ……。

 背筋に寒気が走った。クロエに促されるまま、シールを見やる。左上に通し番号。恐ろしいことに百枚もある。

 表には二頭身人形と名前。裏面には簡単な解説が記されている。

 箒は一番上の一枚を手にとって顔の前にかざした。

 

「もっぴい? レベル1。職業、村人」

 

 ――なんだコレは。

 箒はとにかく混乱していた。もっぴいはしたり顔を浮かべ、体は薄橙色だ。髪型は箒そっくり。指先をそろえて鎌のよう形で構えている。腰を落として地を這うような姿勢だ。蟷螂(とうろう)拳の格好のつもりらしい。見ているだけで憎たらしくなってきた。

 隣からのぞき込んでいた真耶が顔を背けて、口を手で押さえている。体が小刻みに揺れた。箒は真耶のツボに入ったものと推測する。

 箒は隣の様子を気にせず、他のシールを数枚抜いた。

 

「レベル五〇。穂羽鬼くん。レベル七五。穂羽鬼くんデラックス版……」

 

 穂羽鬼くんの意匠は明らかに箒をデフォルメ化したものだ。ただし髪型が異なる。おかっぱ頭で凛とした鋭い眼差し。服装は剣道衣で木刀を手にしている。デラックス版は紅い甲冑を身につけ、兜を脇に抱えていた。ちなみにレベル一〇〇は「ゴッド穂羽鬼くん」である。

 ――姉さんは私にどんな反応を期待しているんだ?

 わからない。箒は困惑し、千冬に助けを求める。だが、千冬も同じように戸惑った目をしていた。笑うべきか怒るべきか判断がつかないでいる。

 束は微妙な空気が漂っていることも構わず、言葉を続けた。

 

「じゃーん。紅椿だけ特別にレベル制を導入してみました!」

 

 開いた口がふさがらなかった。クロエは眉ひとつ動かしていない。千冬と真耶、箒は悪質な冗談だと思った。クロエと藤原に目を行き来させて、そう口にしてくれるのを待つ。だが、いつまで経っても期待するような答えが返ってこなかった。

 

「紅椿は超高性能機! 第四世代! でも、今の箒ちゃんじゃ実力が伴わない! チュートリアルをこなし、ISソフトウェアやISをレベルアップさせることで秘密機能やリミッターが解除されていくんだよ! すごいよねっ! 絢爛舞踏(けんらんぶとう)とか雨月(あまづき)空裂(からわれ)穿千(うがち)とか! あっ。絢爛舞踏は最初から使えるよ! 試してみてね!」

 

 束の解説が続いた。

 クロエはゆっくりと三人の顔を見回し、意味深にうなずいてみせる。

 

「そ……それでレベル1の紅椿はどんなISなんだ」

 

 束と付き合いの長い千冬が一番最初に立ち直った。だが、それでも気を落ち着かせるために大きく深呼吸をせざるを得なかった。

 

「さすがちーちゃん。お目が高い! じゃじゃーん。これが本邦初公開、()椿()()()()()だよ!」

 

 束が画面いっぱいにイラストを映しだす。

 ――紅椿と名付けるくらいだから真っ赤で派手だと思っていたが、ものすごく地味だな。

 見た目は全身を真っ黒に塗った甲冑だ。華美さを排除しており、白式とくらべてこぢんまりとした印象を受ける。むしろ黒椿と名乗るほうがしっくりするだろう。

 背部にスラスターと思しき丸いノズルが申し訳程度に搭載されている。他にも足裏、手のひらにも噴射口が存在する。非固定浮遊部位は三〇センチ四方の箱がひとつ。小型レーダーや遠隔カメラを搭載し、背中に固定することができる。どういうわけかもっぴいのしたり顔が濃灰色で描かれており、とても鬱陶しい。

 ――武装はロングブレード。杖。擲弾(てきだん)投射器。網……網って何だ!

 

「箒ちゃんは杖術を学んでいたから大丈夫だよね」

 

 束はしきりに杖を気にして、網については一切触れようとしない。箒が「網……」と口にするたびに、千冬に思い出話を振った。

 ――くそっ。気にするなという意思表示か? 明らかに話題をそらそうとしている。網が気になってしかたがない!

 箒は網から目を離すべく、ISの装甲に注意を向けた。

 右肩当は円弧を描き、左肩当には格闘戦を考慮した突起が出ている。ただし、二重装甲になっており、突起を半ば包み隠していた。腕当が手首の可動範囲を確保するために少し浮いている。左腕にのみ小盾を装備。表面の凹部に筆記体風の書体で「666」という数字が彫られている。

 ――胸部装甲があるのか。胸が隠れるのはなかなか好印象だ。

 腹部にかぎって繊維装甲が採用されていた。股当は腰からつりさげているので可動範囲が広い。ISのひざやすねを形成する装甲も丸みを帯びている。しゃがんだ姿勢のとき大腿部を保護するための扇板まで取り付けられていた。

 ――ISらしくない。もはやパワードスーツだ。

 拡張領域(バススロット)のイラストの側になぜか頭部を覆う装甲の絵が存在した。ヘルメットと額から下を覆うバイザー。ヘルメットはシュタールヘルム型に準じた形状である。第二次大戦中のドイツ軍が採用していたものとよく似ている。両側面に五輪マークを上下反転させたような、それぞれ独立した丸い溝が特徴的だ。バイザーはガスマスクのような面頬と紅い眼鏡が一体化していた。

 ――どういうわけだ。

 さきほどからずっと嫌な予感がする。

 

「いくつか注意点あるんだよー。レベル1だからシールドエネルギーの出力が少しだけ弱いんだよねっ! でも箒ちゃんなら大丈夫。攻撃が当たらなければ問題ないよん」

 

 ――そうか。シールドが薄いのか。

 ISのシールドは、時として衝撃の浸透を許してしまう。桜が肋骨を折ったのもそのためだ。また、甲龍(シェンロン)の龍咆がこの性質に目をつけて開発されている。

 束は忘れ物を思い出したように手を合わせた。

 

「そうそう。これも言っておかないとね! レベル1だからスラスターの出力も小さいんだよん。すぐレベル2に上がると思うから、そのときにはもう少し動きが機敏になるはずだよー」

「打鉄とくらべたらどの程度になる」

 

 千冬が質問した。IS学園に所属するISは打鉄が最も多い。専用機の性能を推し量るとき、打鉄やラファール・リヴァイヴとくらべていくら、という話を耳にすることがある。

 

「打鉄の六割程度だね。飛行時の最高速度は時速二八〇キロメートル。打鉄だと標準仕様で四五〇くらいかなー。だけど、アリーナで対戦する分には問題にならないはずだよー。手足のスラスターで調整すればだいぶ小回りが利くから、対戦相手の練度がめちゃくちゃ高くなければ、戦術の工夫次第でどうにもでもなるよ」

 

 ――機体性能が相当抑えられている。打鉄よりも性能が低い……ものすごくまずいんじゃないか?

 箒は不安を抑えきれずにいた。考えが正しければ、レベル1の紅椿は学園最弱機ということになってしまう。だが、箒はその現実を認めたくないがためにイラストを凝視した。

 ――大丈夫だ。カタログスペックが性能を決めるんじゃない。さっき姉さんが言っていたじゃないか。戦術次第でどうにでもなるって。

 もちろんセシリアら代表候補生との対戦を考慮に入れていない。低性能の機体で勝利する姿を想像できなかったからだ。

 束は互いに顔を見合わせる千冬と真耶に構おうとはしなかった。

 

「じゃあ! 早速フィッティングとパーソナライズにいってみよーかー」

 

 

 第四アリーナの使用許可をもらってきてみれば利用者はひとりもいなかった。第二アリーナから最も遠い第六アリーナに利用者が集中したためだ。

 搭乗時の調整はクロエ監修のもと、整備科の生徒が実施した。作業そのものは二〇分程度で完了している。事前に箒の大まかな身体データが入力されていたのでさほど苦労はなかった。

 

「真っ黒だな」

 

 箒は自分の体を見た。手のひらを見れば、本当に噴射口がついている。拡張領域(バススロット)導入(インストール)されたデータを見て、ヘルメットとバイザーを実体化する。視界の範囲が狭まるのだが、最低限必要な情報が表示されている。まるで眼球の上に直接描き出されているようだ。

 ――()()()()行ってみるか。

 試運転として両手を正面に突きだし、スラスターを噴射。オレンジ色の派手な炎が噴き出す。そのまま数十メートル後方へ吹っ飛んでいた。そして落下。何度も錐揉み回転を続ける。そうかと思えば地面が目の前にあった。

 

「篠ノ之。遊びじゃないぞ」

「違います……」

 

 千冬だ。ピットから開放回線(オープン・チャネル)を通じて呆れ混じりの声が聞こえてきた。

 箒はスラスター出力値に注意を向けた。画面に「MAX」と表示されている。

 ――いきなり出力全開だと!

 最適化(パーソナライズ)が済んでいるにもかかわらず融通が利かない。ISソフトウェアがまったく最適化されていないように思えた。

 ――レベル1……どういうことだ。

 箒が打鉄を操縦したとき、望んだ動きができた。微妙な力加減さえも再現できた。だが、紅椿にはかゆいところに手が届く感触がない。

 

「箒ちゃん。箒ちゃん。チュートリアルは始まったかなー」

 

 今度は束だ。緊張感に欠け、ぼんやりとしている。何かを待ちわびる声だ。

 箒は他人行儀な口調で束に話しかけた。

 

「篠ノ之博士……さっきからずっと口にしているチュートリアルとは何ですか」

「むむ、堅いなー。辞書的に言えば製品の機能解説や使用方法を書いた教材だね。でもね。お姉ちゃんは優しいんだよ! 箒ちゃんにヒントをあげる! 投影モニターに表示されているものをすみずみまで探してみよー!」

 

 箒は地面に手をついて立ち上がった。言われたとおり眼球を動かして、画面をくまなく探す。

 ――確かにあったぞ。()()()()()()

 嫌な予感が続いていた。束がしきりに「早くっ。早くっ。早くっ」と連呼している。箒は少しだけ思慮を働かせ、ピットとの通信を開く。

 

「織斑先生。山田先生。端末からログインしてISソフトウェアの検査をお願いします。画面に妙な段ボール箱が映っています」

「わかった。無線で作業するから若干時間がかかるぞ」

「構いません」

「ちょっ、どうしてそんな反応なの? 私の知ってる箒ちゃんじゃない! ちーちゃんも箒ちゃんも何か冷たいっ!」

 

 ピットで千冬たちが作業する間、音声回線の向こうから束が幼い頃の箒について熱く語っている。もちろん、誰も聞いていない。気がつくと箒の身に覚えのない思い出まで語っていた。

 

「未検出です」

 

 真耶が結果を告げる。

 ――おかしい。

 眼前にもぞもぞと動く段ボール箱が表示されている。明らかにウィルスか何かだ。

 ――拾ってください……と書かれている。

 段ボールの上に大きな赤い矢印が表示された。吹き出しの文字が「開けてみてね」とポップ体になっている。怪しいにもほどがあった。

 

「篠ノ之。検査しても問題が見つからなかった。さきほどの束の話ではAIがいるそうだ。打鉄零式にもAIが存在していたらしい」

 

 千冬が思い出したように言う。半信半疑といった口ぶりだった。打鉄零式のAIは搭乗者以外が認識できなかったため存在を疑問視されている。ただ、桜が襲撃後の聴取にてAIの存在をほのめかす発言を行っていた。

 

「とりあえず開けてみてくれ。幸い束やクロニクルさんがいる。最優のバックアップがついていると思え」

 

 千冬が対処不可能だと暗に示した。

 ――悪い予感がしていたんだ。心の声に耳を貸すべきだったな……。

 箒は諦めきった表情で嘆息し、段ボール箱を選択してふたを開ける。

 

「何だこれは!」

 

 箱から飛び出してきた二頭身を見て、箒は大声で叫んでいた。

 食玩風シールと瓜二つの「もっぴい」が出現したのだ。四体もいる。しかも腹に赤い文字でそれぞれABCDと書いてあった。

 

 

 



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間話・見舞い

※紅椿と次章の間を埋める話です。

9/19 改稿


 勇ましくも悲哀に満ちた軍歌が流れてきた。

 

「奈津ねえや」

 

 桜が机に手をのばし、携帯端末をつかみとった。

 楯無が制服の裾をずらして、腕時計に目を落とす。

 ――もう、こんな時間。

 桜の家族が病室を訪れるまであまり時間がない。教科書やノートを閉じて、筆記具をひとつにまとめていく。参考書代わりのスレート型端末の電源を切り、通学カバンに押し込む。プラスチックが軽くぶつかる音。楯無は一度手を止め、再び入れ直す。

 桜は電話中だ。彼女の手元にノート型端末がある。つい先ほどメールの文面を書き終えたところだ。

 IS学園はオンラインで授業を受けることができる。在校生ならば申請すれば可能だ。ただし、授業ごとにレポートを提出しなければならなかった。

 桜は退院するまでの間、この制度を利用して座学の遅れを防ごうとしていた。

 

「会長さん。両親と姉がもうすぐ到着するそうです」

 

 よそよそしい言い方だ。桜は改まった場だけ標準語を話し、それ以外はたいてい地元の言葉が混ざった。

 桜が軽く「よし」とつぶやいた。暗号化済みのデータが学内ネットワークを介して、教師のメールボックスに転送される。

 

「佐倉さん。レポートは?」

「会長さんのおかげで無事に提出できました。本当に助かりました」

 

 端末を閉じて、自分の教科書を一ヶ所にかためる。

 

「佐倉さん。ご家族の方には事前に打ち合わせたとおりでお願い」

「わかっとります。真相は内密に、でしょう?」

 

 楯無が口外しても差し支えない情報について念押しする。

 家族に嘘をつくようなまねをしなければならないのは理由があった。生徒が戦闘に巻き込まれた事実よりもむしろ、ISに弱点が存在する事実を他国に知られたくなかった。ISが起動不可になった事実を原因がわからぬまま公にすることはあまりに不都合だ。その証拠に、IS学園は生徒や職員ら関係者すべてに襲撃に関する内容を外部に漏らさぬよう箝口(かんこう)令を敷いている。

 多くの者が事実の公表を差し止めることに同意した。国防関係者や経済界の重鎮。ISによって日本経済が潤う現状を壊したくないのだ。

 楯無がカバンを足でベッド下に押し込もうとした。背後からドアのノック音がして、桜よりも少し低い声が聞こえる。

 佐倉奈津子。楯無はとっさに、気難しそうな顔つきを思い浮かべる。桜は楯無に構わず、腹から声を出した。

 

「どうぞー。入ってええよ」

「サク。久しぶり」

 

 扉が開き、両親と姉が姿を見せる。父親は白い半袖ワイシャツにジーンズという出で立ち。農作業のおかげで筋肉質な体つきだ。対して母親は細面の美人。眉の形が桜や奈津子とよく似ている。長袖の上着に黒いジーンズを身に着けている。奈津子は高校の制服だった。

 楯無は初対面のつもりで、表面上は驚いたように見せかける。退室しようと踵を返し、桜の母と目が合った。

 

「あらやだ。先客がいるじゃない」

 

 浮ついたゆっくりとした声。桜と雰囲気が似ている。

 ――退室するのが遅れた。

 楯無が思っていたよりも早く現れた。桜への確認事項が多岐にわたったことが原因だろう。にこやかな笑顔を浮かべ、桜の家族へ目礼する。

 両親と奈津子は楯無の髪の色に面くらった。だが、徐々に楯無が醸し出す柔和な雰囲気に慣れ、衣装の一部だと思うようになった。

 IS学園は服装に関しては自由な校風である。夏場ともなれば袖無しの改造制服の着用者が増加する。学園指定の縫製業者に頼めば数日で加工できるためだ。

 

「すみません。席を外しますね」

「待って」

 

 桜が病室を辞そうとする楯無を呼び止めた。

 

 

 楯無が桜の両親、そして奈津子とあいさつを交わした。

 桜は彼女らの姿をぼんやりと眺めながら物思いにふける。

 ――実家を発ったのがつい最近のような気がするわ。

 合格通知が来てからずっと浮かれていた。手続きやら何やらであっという間に三月末になった。寮生活や学業、実技に追われ、あっという間に二ヶ月近く経過してしまった。

 桜は家族が不意に見せた横顔が気になった。どうしても慣れることができないものだ。心配をかけてしまい、申し訳ない気持ちになってしまう。

 ――あれ? 奈津ねえの髪型が変わっとる。

 奈津子の額が露わになり、右耳のすぐ上に髪留めが見えた。黒に近い銀色だ。中学の頃、学校でよく身に着けていた。

 ――学園島に足を踏み入れるからって気を遣ったん?

 モノレールを利用すれば学園島にたどり着くのは簡単だ。だが、IS学園の警備は全国有数の厳しさを誇る。マスメディアの取材を厳しく制限しているほどだ。しかも襲撃があって間もない。重武装の警官が学園島唯一の病院を囲んでいる。

 ――奈津ねえのことや。案外着ていく服に迷った末制服を選んだってことなんやろう。

 奈津子は周囲にしっかり者だと思われている。実際には他人の目を計算することに長けた抜け目ない女だと桜は見ていた。

 奈津子自身が語ったところによれば長女の安芸を手本にしているらしい。

 ――安芸ねえは計算ではなく素でやるところが怖いんや。

 楯無が骨折の理由を簡単に説明している。桜は聞き耳を立てた。所属不明機を想像させる単語が一切出てこない。きわどい操縦を行い、不運が重なったことを強調する。

 ――何度もアクロバット飛行をやってみせたから合っとる。物騒な武器を使っとったことも事実や。それにしても会長さん。妙に話がうまいな。

 大人に状況を説明することに慣れているのだろうか。それとも桜が説明するよりも巧妙に真実を隠す好機だと判断したのかもしれない。

 ――奈津ねえは?

 姉の顔色をうかがう。

 奈津子とは年子のためか、小さい頃から行動をともにしてきた。彼女は妙に鋭いところがあって何度もひやりとした経験がある。

 話が終わったのだろう。奈津子がベッド脇の椅子に腰かけ、呆れたような声をあげた。

 

「サク。またか」

肋骨(ろっこつ)をやったって聞いた。安芸が心配しとったぞ。痛いところはないか」

 

 父親の顔を見るまでもなく優しい表情だと察した。桜は心配をかけまいと明るく振る舞った。笑みを浮かべながら服の上から脇腹をさする。

 

「脇腹のあたりがずきずきする」

「肋骨が折れたらそんなもんや。俺も一本折ったことあるからわかる」

「父ちゃんもやったん」

「俺んときは疲労骨折やった」

 

 父親が桜の真似をした。

 治りが早いそうだ。桜は医者の言葉を伝えた。ナノマシンの件は口外禁止だった。

 

「うちは桜ばっかり事故に遭うなあ」

 

 父親がしみじみとつぶやいた。奈津子が苦笑しており、桜はうつむきがちに黙りこんで唇をとがらせる。

 佐倉家では桜の事故率が突出していた。祖父母や両親、奈津子、安芸は大事故に遭遇したことがない。体が丈夫なのか、病気にかかることもほとんどなかった。親戚一同も同じく、ごくまれに軽いけがを負うくらいだ。

 

「サクは妙に悪運が強いからな。その程度で済んだんやろ。あんたが肋骨を折るほどや。さぞかし派手な事故現場にちがいない」

 

 奈津子がベッド脇に置かれたパイナップルを手にとって、諦めたような声を出した。

 ――当たらずといえども遠からずってところやな。

 母親が窓際に立って楯無に向かって昔話をしている。楯無がしきりにうなずいて、相づちを打っていた。

 ――確かに派手やったわ。

 煙の毒々しい色づかいを思い出した。生身で吸えば即死しかねない状況。子を心配するのが親だ。両親に真実を告げてしまえば意地でも連れ帰ろうとするだろう。

 

「あんたんとこの生徒会長さん。びっくりするくらいべっぴんやな」

「はい? 来ていきなりそれ?」

 

 桜は奈津子に視線を移す。姉は手をかざして口元を隠しながら、楯無に何度も視線を送っていた。父親が「たしかに」と深くうなずく。

 ――年上のお姉さんが毎日甲斐甲斐しく見舞に来てくれるんや。これが作郎のときやったら間違いなくほれてたわ。

 桜は楯無の善意に感謝している。そして裏があるのではないかとも考えていた。彼女の関係者の顔が思い浮かぶ。簪と本音。なぜか意地悪な笑みを浮かべた櫛灘。つい恐ろしい想像をしてしまい、考えを振り払おうと頭を振った。

 

「何なん。急に頭なんか振って」

 

 奈津子が桜の奇行に呆れ、心なしか青白くなった顔をのぞきこんで心配する。

 

「やせ我慢でもしとるんか」

 

 桜は否定の意味をこめて首を左右に大きく振った。

 ――会長さんは、私がうっかり口を滑らせんよう見張っとるだけやろ。

 そうに違いない。楯無の身が潔白だと信じたい。だが、どうにも自信がなかった。しかたなく櫛灘の邪悪な笑顔を頭の隅から追いやった。

 

「ちゃう。考え事をしとった。何の話をしとったっけ」

 

 桜がわざと教科書を一瞥する。宿題を気にしていたと思わせるためだ。奈津子が開き癖に気づいて肩の力を抜き、悪戯っぽく笑った。

 

「サクが言っとったとおりべっぴんさんばかりやったって」

「会長さんはとびきりや。あんな美人に見舞いされたら、もし私が男やったら舞い上がっとる」

「ふうん。なら、今も舞い上がっとるわけか」

 

 奈津子がしたり顔で何度もうなずいた。

 

「あんた。可愛い女の子が好きやったろ」

「奈津ねえやってアイドルを見たとき、可愛いって口走ってたやないか」

「そうやった? 覚えとらんなあ」

「人様がおるのにそんな発言、口にせんで。私が節操ない女好きみたいに誤解されたらかなわん」

 

 ふくれっ面で見返す。

 アハハ、と奈津子が笑う。そのまま桜の後頭部に手を回し、髪をまとめていたゴムを外す。奈津子が桜の肩にかかった黒髪を櫛でとかす。パイナップルの香りがした。

 

「急に何を」

「髪の手入れはきちんとやっとるんやな。えらいなあ」

「子どもみたいに言わんでったらあ……」

 

 不平を鳴らすつもりが、姉の指先が髪に触れるたびにくすぐったくて甘ったるい声になる。奈津子の好きにさせよう。しばらく頭を動かすまいと決めた。

 

「どこからどう見ても女の子やな。お父さんもそう思うやろ」

 

 父親は突然話を振られて戸惑いながらも応じてみせる。

 

「いや。桜は最初から女の子やった」

 

 桜はぎくりとした。女だと無自覚だった頃の記憶が不意を突いてよみがえったのだ。年相応の話し方がさっぱりわからず、要領をつかむまでは堅苦しい言葉遣いだった。

 奈津子は艶のある黒髪をうっとりと見つめている。桜の髪質は直毛で長女の安芸よりも癖が少なかった。

 

「サクは元がええのに磨かんのはもったいないやろ」

「そのままでも十分可愛いと思っとるんやけどなあ」

「お父さん。それは親のひいき目。せっかくええとこ取りしとるんや。私が男なら絶対桜に告白しとるから」

「桜に男……複雑な気分や」

「奈津ねえ! 勝手に話進めんといてえ。父ちゃんも真剣な顔でしみじみとつぶやかんといて」

 

 桜は曾祖母の血が濃い。奈津子は父親似だ。祖父がよく「桜は母方の血が出とるんや。俺は父親と似ちまってさっぱりやったわ」と小指を立てて茶化すように独りごちた。

 

「サクは安芸ねえ似や。男どもが群がるのは当然。それなのにいつまでたってもフワフワしたまま、男を作る気配があらへん。どうなっとるの」

「私にあたらんといて。そんなことを言われても困るわ。奈津ねえがさっぱりもてんのは別の理由やと思う」

「すぐ論点をすりかえようとする……」

 

 奈津子はぼやきながらも、髪を乱暴に扱ったりしなかった。

 長女の安芸はしとやかな美人。今でも奈津子のあこがれであり自慢の姉だ。自分とは違って妹と安芸の顔立ちがよく似ていることを知っていた。そのせいか、妹に対して女性らしさを求めてしまう。くどいくらい「女の子らしくせな」と繰り返した。

 奈津子は桜の惨めさに打ちひしがれたような顔が怖かった。妹はいつもニコニコしていた。だが、ひとりになると表情に暗い影が差す。その瞳に宿った深い闇を夢に見て、何度もうなされた。

 

「髪型、元通りでええ? 変えてみる?」

 

 奈津子は桜の瞳をまっすぐのぞき込む。いきなり見つめられて面くらったのか、桜がはにかむ。だんだん恥ずかしくなって、目を伏せてしまった。小声で「元通り」と答える。奈津子は少し残念に思った。

 桜が背を向けて目を閉じた。奈津子が妹の髪を後頭部まで手繰り寄せ、ゴムで縛る。

 

「終わり。簡単やけど」

「……おおきに」

 

 桜が名残惜しそうな吐息を漏らす。前を向いて上目遣いで礼を言った。

 

「高校生になって何か変わったかと思ったんやけど、なんにも変わっとらんね」

「たかが二ヶ月や。ほいほい変わったりせん」

 

 奈津子が顎に手を当て、のぞき込むように身を屈める。口を閉じ気味にして低く笑った。父親はふたりのやりとりを見守りながら微笑んでいた。

 くぐもった音がした。奈津子と父親が一斉にポケットを漁る。

 

「親父から電話や」

 

 父親が背を向けた。

 

「しばらく外すわ」

 

 すぐに振り返って申し訳なさそうな瞳を浮かべる。母親と一緒に部屋から出ていった。

 

 

 楯無が病室を辞した。

 

「気……遣わせたかな」

 

 淡々として抑揚がない。奈津子の声から桜を茶化したときのような姦しさが消えている。姉妹が互いに口をつぐむ。ほんの一瞬の間に騒がしさと温もりが消えていく。

 

「奈津ねえが気に病むことはないわ。会長さんを無理に引き留めたのは私や」

「へえ。姉がシリアスな雰囲気になったら気を回してくれたんか?」

「そうやってすぐ茶化す。ほんま奈津ねえって」

「サクのほうが図太いやろ」

 

 奈津子は再び妹に視線を移した。よかった。妹の顔に暗さがない。ほっとため息をついて話題を作ろうと、桜の教科書に手を伸ばす。

 

「サク。教科書、見てもええ?」

「ええよ」

 

 妹の承諾を得て早速表紙に目を落とした。

 

「編者の名前。つ……柘植(つげ)?」

「ツゲの木で合っとるよ」

 

 桜はたとえに駅名を出そうとしてやめた。樹木の名前を出したほうがわかりやすいと思ったからだ。奈津子がページをめくった。蛍光ペンで引いた線が目に入る。

 しばらくして奈津子が教科書を閉じてしまった。眉根をよせて困り果てた様子だ。

 

「諦めた。全然わからへん」

 

 理論書なので軽く目を通しただけでは理解するのは困難だろう。専門用語も多い。最初に基礎的な用語を定義し、以後既出の用語の説明が省かれている。必ず用語のメモを取らなければならなかった。

 

「難しいことやっとるね」

「乗り物を動かすんや。勉強がややこしいのは当然。ISがええところは何となくでも動かせてまうところやろ。飛行機ならありえんことや」

「私でも乗れるん?」

「歩くぐらいならできるんとちゃう? 入試のときに動かせたし」

 

 桜の発言は当てずっぽうだ。奈津子が話を合わせたと推測して続ける。

 

「ただ、自由自在に操縦するなら別や。性能を引き出すには骨が折れる。すぐ機嫌を損ねるから要求通りに動かすのは案外難しい」

 

 今は亡き田羽根さんを思い出す。専属の教官と考え、能力だけに着目すればとても優秀だった。それ以外はとてもわずらわしかった。

 ――奈津ねえに同じセリフを口にしたことがあったような……。

 ずっと昔、小学生の頃だ。電車に揺られて中部国際空港まで家族で遊びに行ったことがある。旅客機を飽きずに眺め、写真を撮った覚えがある。空港内の銭湯に入浴して日帰りした。帰路は船で津まで行き、私鉄を使った。

 常滑まで行かずとも名古屋飛行場でもよかった。行き帰りも名古屋駅を経由する場合はこちらのほうが少し近い。それに小牧基地が隣接している。つまり自衛隊機をいくらでも眺めることができた。角張った救難ヘリ(UH-60J)やずんぐりとした輸送機(C-130H)。空港はもちろん、敷地内に設けられた商業施設から滑走路を一望できる。しかも商業施設の駐車場のすぐ側に単発レシプロ機が駐機していると聞く。

 そうそう、と桜が続ける。

 

「うちの副担の言葉にこんなんがあってな。ISには争って乗ること。体を大事にすること。ゆっくり休むこと。勉強すること。早く旦那を手に入れること」

「最後の……」

「弓削先生。うちの副担や。奈津ねえの知り合いで婿養子になってもええぞ! という猛者はおらん? 先生、のっぽやけどべっぴんなほうや。教員やから給料もええ。悪くない物件や。実家が山陽地方にあったはず。うちの周りと対して変わらんらしいわ」

「写真とかあらへん?」

「元代表候補生やから探せば出てくるはずや。弓削朝陽(あさひ)で検索してみて。大黒様みたいな福耳が特徴や」

「……一応、聞いてみるけど当てにせんといて」

「婿をもらうなら早いほうがええよ。()()する前にな」

 

 ふと奈津子の言葉が引っかかった。

 

「奈津ねえ。さっき『またか』って言わんかった?」

「言った。まさか……忘れたんか」

 

 桜は肋骨を折った回数を数える。つい作郎の頃の記録も含めそうになった。

 ――そんなことをすれば病院に行かずにこっそり治したことにされかねん。

 

「何回も病院のお世話になっとるせいか、身に覚えがありすぎて記憶が……」

「ええわ。荷台の材木の件。あれはさすがに肝を冷やしたんやけど」

 

 自転車で坂道を降りていた際、カーブに差し掛かったトラックの荷台から材木が落下した。ちょうど通りかかった桜が巻き込まれ、自転車が材木の下敷きになったことがある。

 

「ガードレールを乗り越えて坂を真っ逆さまってやつ。確かにあんときも肋骨が逝ったな。とっさに逃げる判断ができた私をほめてやりたいわ」

「それ。事故の検証にあたったお巡りさんのセリフや」

「あっ。ばれた」

 

 桜は舌を出して現金な笑みを浮かべた。

 

「あの坂は私にとって魔の坂や。呪われとると断言してええ」

「やめてくれん? あんたが呪いとか口にすんの。ほんまにそんな気がするから」

 

 

 父親がひとりで戻ってきた。仏頂面で頭をかいている。

 

「父ちゃん。お帰り。母ちゃんは?」

「別件の電話がかかってきてな。名古屋の叔父貴からや」

 

 名古屋といえば作郎の八番目の兄、作八郎が居を構えた土地だ。作八郎は通信兵として南方で敗戦を迎え、復員後は名古屋で就職。作郎とは反対に幸運に恵まれた人だった。桜が中学三年生になる直前、老衰で逝去(せいきょ)している。

 

「大往生したとこの。あそこはみんな長生きやろ」

「叔父貴のやつ、ぴんぴんしとった。桜がけがした件を伝えたら、荘二郎さんと作郎さんみたいやって言われたわ。親父も同じことを言っとったんやけどな」

「ええっ? 何で?」

 

 作郎の名が出たので思い当たる節がいくらかあった。だが、次兄である荘二郎の名が出たことに驚きを隠せなかった。荘二郎とは年が離れていた。気がついたら陸軍に入ってしまい、ほとんど記憶がない。死亡した当時、長兄が死因を聞いても「壮烈な戦死を遂げた」と告げられたにすぎなかった。

 次兄が戦車兵だと知ったのは桜として生まれ変わってからだ。

 

「しょっちゅう事故に遭うところや。荘二郎さんはそれが元で戦死したって話や。人づてに聞いたことやから真実かどうかは知らん。作郎さんなんて事故だらけやったろ。桜はいろいろ調べとったから知っとるはずや」

 

 桜は乾いた笑い声を漏らした。実体験なので否定の余地がない。古本屋で立ち読みした架空戦記では、まれに自分の名を見かけた。決まってエンジントラブルで引き返すか不時着水の場面だと記憶している。

 

「奈津子は?」

「あれ。さっきまで目の前におったはず」

 

 飲み物を買いに行ったのだろう。そう考えて室内を見回すのをやめた。

 

「どうせ立ち話でもしとるんやろ。そんなもんや」

 

 父親は椅子に腰かけるなり、ため息をついた。

 

「うちは桜ばっかり損なことになっとるなあ。安芸も奈津子もこれといって不運に見舞われることがないのに、何でお前ばっかり事故に遭うんや」

「そんなん私が聞きたいわ」

 

 作郎の頃から疑問だった。征爾はともかく、ひとつ年上の作八郎に運を吸い取られているのではないか。そう考えた時期もあった。思い悩んでも状況が改善されなかった。

 

「父ちゃん。前に本物の巫子さんにお(はら)いしてもらう機会があってな。どうやら荘二郎さんが()いとったみたいや。うちの親戚に戦車兵って言ったらあの人しかおらんから」

 

 父親に教えてやろうと思い、桜は喜々として口を開く。

 一方、桜の父はどんな顔をしてよいものかまごつく。突然娘の口から霊能力者という発言が飛び出してきたことにびっくりしていた。

 父親の顔色の変化に気づくことなく、桜は満足げな表情を浮かべた。

 

「ほんまに……?」

 

 それだけ口にするのがやっとだった。娘の前でうろたえる姿を見せたくない。意地だけで平静を装う。

 桜は自信満々に深くうなずいてみせた。

 

「ほかにも征三郎さん、征四郎さん、憲吾さんとか」

「ふたりほどやないけど運が悪かった人ばっかりや。……みんなで桜を守ったんやなあ。骨は折れたけど、命まではとらんかったってことやな。感謝せんと。せや、兼六さんと作郎さんもおったんか」

 

 祖父の思い出話には作郎がよく登場する。作郎が別れを告げに帰省したときのことを今でも鮮明に覚えていると語った。作郎の生々しい失敗談や体験談をちょうど居合わせた兼六が書き残している。そして四月に作郎が、八月に兼六と征四郎が続けて死んでしまった。

 桜が不運に遭うたびに作郎を思い出すらしい。祖父はよく桜の調べ物を手伝うことが多かった。

 

「どうやろ。はっきり見えたわけやないし」

 

 作郎ならば飛行服を身に着けているはずだ。桜は、父親がそのことを口にする前に話題を打ち切った。

 

 

 




本作は西暦2021年説を採用しています。


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越界の瞳
越界の瞳(一) 一人芝居


※今回から新章です。


 昭和一六年一一月二七日 〈翔鶴〉艦内

 

 佐倉作郎二飛曹の顔がほのかに赤らんでいた。海水風呂でさっぱりした気分も手伝ってか鼻歌を口ずさんだ。腕に抱えた通い箱のなかにはビール瓶がぎっしり詰まっている。作郎の目に二種類の王冠が映った。つい先ほど酒保に立ち寄ったとき、主計科の下士官が多めに仕入れたなどと理由をつけて勧めてきたものだ。

 

「おう。ちょいと急ぐんだ。道を開けてくれェ」

 

 作郎は言われるまま壁際に寄った。通い箱から軽い音がする。

 

「ありがとよ」

 

 顔見知りの艦爆乗りが真っ赤な顔をして足早に歩き去る。アルコール臭が残った。

 船が出港してからというもの、搭乗員は毎晩飲めや騒げやと景気が好い。通信封鎖の影響もあってか、作郎はほかの船の事情に疎かった。

 東京訛りの騒ぎを聞きつける。翔鶴は東京弁が標準語で、乗組員の多くは関東地方出身だった。作郎は小声でひとりごちる。

 

「えらい騒ぎになってもうた」

 

 とにかく大変なのだ。行き先は真珠湾(パール・ハーバー)。アメリカと戦争だ。まだ開戦していないので、成り行き次第では手ぶらで帰れるかもしれない。

 ――そのほうがええ。

 作郎は数日前の出来事を思い出した。

 二三日。単冠(ひとかっぷ)湾停泊中の旗艦〈赤城〉に全搭乗員が集められ、真珠湾攻撃計画が発表された。作郎は予科練時代からの仲間と顔を見合わせる。予科練卒業後猛訓練にはげんできた。いざ戦争と耳にしたら現実感が希薄で雲をつかむような話だと思った。

 

「勝つんですか。それとも負けるんですか」

 

 仲間が若い分隊士の中尉に聞く。中尉は狐につままれたような表情を浮かべる。

 

「さあ。こればかりはなあ……」

 

 出港にあたって可燃物を陸揚げした。なぜか大量のビールが残った。全乗組員が毎日浴びるように飲んでもなおあまるそうだ。

 大量のビール瓶。みんなが喉を鳴らした。

 

「とりあえず飲んじまおうか」

 

 作郎は誰の言葉かよく覚えていない。気がついたときには先任の兵曹がビールの栓を開けた。

 

「佐倉」

「お前か」

 

 作郎は回想を中断した。作郎と同じ甲飛四期の仲間が立っている。姓が同じ「佐」から始まるせいか、彼は運が良いほうのSと呼ばれる。とにかく筆まめな男で毎晩こっそり日記をつけていた。

 Sが通い箱をのぞき、二種類のビール瓶を交互につまみ上げた。

 

「ラベルが違うじゃないか」

 

 息がアルコール臭い。顔色に変化がなかったが、彼も相当飲んでいるらしい。

 

「スタウト、ピルスナー」

 

 作郎は短く言葉を切った。

 スタウトと聞いて、Sの口元がほころぶ。ビール瓶のラベルを見てしきりにうなずいた。

 作郎はSの様子に目を丸くする。

 

「飲んだことあるんか」

「へへ……」

 

 Sは指の背で鼻をこすった。そして身震いする。切羽詰まった表情。作郎は意図を察して道を空けた。

 

「はよゥ、行ったほうがええぞ。今なら空いとる」

「すまんっ」

 

 Sの姿が消える。作郎は寝室に向かって歩を進めた。大きな笑い声。扉の奥からだ。身を屈めて通い箱を足元に下ろす。

 不意に扉が内側から開いた。中からエラ張った赤ら顔の男が身を乗り出して、急に笑い出した。

 

「誰・か・と・思・え・ば……佐倉ァ。なんだあ? その箱はー」

「兵曹。ビールですよ」

 

 作郎はほっと一息ついて半沢一飛曹に告げた。彼は乙飛五期出身で作郎の大先輩にあたる。彼は予科練卒業間際の事故で機体が炎上し、顔中にやけどの痕が残ってしまった。

 

「おっ気が利くねえ」

「酒保に寄ったんで」

「で、どんなもんよ。俺ァ知ってるんだぜ」

 

 半沢一飛曹が空になったビール瓶を顔の前に掲げる。

 

「こいつ以外にもビールを仕入れたって話」

「ハア。酒はよく知らないのですが、ちょっと味が違うそうです」

 

 作郎が通い箱を持ち上げる。搭乗員用の寝室に足を踏み入れた。全員がビールを手にしている。ある者はベッドに腰かけ、ある者は仁王立ちでラッパ飲みだ。奥のベッドには下戸の搭乗員が横になっていた。

 ――こりゃあえらいことになっとる。

 作郎はしみじみと思った。

 

 

 朝になっていた。

 桜はベッドからのっそりと起き上がり、猫耳付きのフードを払った。

 

「久々に半沢さんが夢に出たわ。しばらく出てこんかったのに」

 

 彼は戦死したと聞く。彼らの姿を目にして悪夢だと感じなくなってからずいぶん時が経過していた。

 桜が目をこする。虎猫の着ぐるみパジャマのボタンに手をかけた。

 鏡の前に立つ。虎縞(とらじま)模様の着ぐるみ。ゆったりした下半身に、長い尻尾が縫い付けられている。退院祝いとして同居人からもらったものだ。同居人の制服が鏡の端に映り込む。桜は室内をぐるりと見回した。本音の姿が見あたらない。

 ――朝食やろか。

 下着一枚になる。肋骨をさすり、硬い骨の感触を確かめる。元通りだ。背伸びや深呼吸をしても痛くない。医師から完治したことを告げられ、昨日のうちに寮へ戻った。

 カレンダーを見つめた。赤い花丸。来週の水曜日。

 ――またこの季節か……。

 桜は憂いを秘めたまなざしを向けた。思い出したくないのか、赤丸の存在を頭から追いやった。クローゼットを開けて段ボール箱に手を突っ込む。サラシを取り出して再度鏡の前に立つ。ナノマシン投与のおかげで予想よりも早く退院の運びとなった。医者から骨がくっついたと言われてもなお半信半疑である。

 携帯端末から軍歌が流れ、ラバウルの風景を思い浮かべた。

 

「待って。まだ終わっとらん」

 

 電話の着信だろう。軍歌がサビに入って切れた。今度は別の旋律が流れ、単縦陣で波濤(はとう)を突き進む軍艦の姿を思い浮かべる。

 桜はサラシを巻き終えてから端末を手に取る。LEDが点滅していた。メールの着信。差出人は長姉だった。

 

「安芸ねえやん」

 

 メールに「退院おめでとう。もうすぐ誕生日、忘れとらん?」と書いてある。桜は改めてカレンダーを見つめて、わざとらしく大声をあげる。

 

「誕生日やった!」

 

 六月一六日。

 四捨五入して約四〇回目の誕生日だ。作郎と同じ日だから新たに覚え直す必要がなかった。最近は年を取る切なさを感じるようになってしまい、素直に喜べなくなっていた。

 

「一六かあ……」

 

 桜の年齢だ。少しだけ瑞々しい気がしてにんまりとする。

 桜は午後から授業に復帰することになっていた。昨日連城に聞いたところ、午前中に学年別トーナメントの説明会を実施するらしい。このイベントは今年から二人一組で実施するよう制度が変わった。第二アリーナが使用不能になり、従来のスケジュールが実施困難になったからだ。試合数が減り、日程が短縮できる。その代わり、一度に整備しなければならない機体数が増える。連城いわく、企業の技術者を増員して対応するそうだ。

 制服を身に着けて、腕時計を巻く。桜はその足で食堂に向かった。

 

 

 同じ日の朝。ラウラ・ボーデヴィッヒはバス亭を目指していた。

 拍子木の高く澄んだ音。太鼓を細かく打ち鳴らし、徐々に荒々しさに飲み込まれる。怪談で幽霊が登場する際の効果音だ。ラウラは目を丸くして息をのみ、その場に立ち尽くした。あわててポケットをまさぐる。キーボード付き携帯型端末を取り出す。

 ――設定を戻してなかった。

 ラウラは初歩的なミスに憤りを感じた。覚束ない手つきでマナーモードに切り替える。

 ――新型は慣れんな。

 ドイツで使っていた携帯端末は古い型だった。残念ながら日本の周波数帯域に非対応である。

 ――どうせクラリッサなのだろう?

 住所録には仕事関係の番号しか登録していない。それでも十分用が足りた。

 メールの差出人はクラリッサ・ハルフォーフだ。ドイツ連邦軍特殊部隊シュヴァルツェ・ハーゼ所属の大尉。ラウラの部下。今は隊長代理である。

 メールの書き出しはこうだ。

 

〈出会いはありましたか?〉

 

 祖国ドイツは今頃深夜のはずだ。クラリッサが送りつけた文面はやたらとはしゃいでいる。対してラウラが作る文章は事務的で素っ気ない。

 クラリッサの指す出会いは十中八九恋愛絡みである。しかし、あえて人脈だと解釈するならば、今回の旅で海軍の知己がたくさんできたと言えるだろう。

 ラウラを乗せたドイツ海軍の新型原子力潜水艦U39は、水中用パッケージや長時間型機雷探索システムの試験を実施。約三〇日間で小笠原諸島沖まで航走した。航海中はセラミック船体の特性を生かしてアクラⅡ型の最大運用深度を越えた。だがその途中、高速の小型潜水艦と遭遇。魚雷の装填音に一時は肝を冷やした。日本上陸後、コリンズ級潜水艦が行方不明になったことを知り、ラウラを含めた全乗組員が冷や汗を流した。

 クラリッサはU39が対潜水艦戦闘配置についたことを知らない。

 ただU39の艦長、ライナー・シュテルンベルク中佐と何かあったのでは、と邪推していたにすぎない。

 ――何かあったら中佐の経歴に傷がつくだろうに。

 中佐は彼女の義理の叔父である。クラリッサは叔父と上司が約一ヶ月にわたり同じの屋根の下で寝泊まりしたことを知っており、妙な妄想をふくらませていたらしい。

 ――あの船は女が多いのだぞ。クラリッサも知っているはず。

 U39はドイツ海軍で初めて女性のソナー士官を採用したことで知られていた。

 ラウラは携帯端末をポケットに収めてシャトルバスに乗った。

 バスが動き出すまでの数分の間、ラウラは好奇の視線を浴びた。顔と下半身をじろじろ見られている。どうやら左目の眼帯が悪目立ちしている。ラウラにもその気持ちがわかる。だが、同性に下半身をじろじろと見られるのは良い気分ではなかった。

 ――ズボンがそんなに珍しいことか?

 ラウラはスカートに思い入れがない。服装に無頓着で、私服の多くはクラリッサが買いそろえたものだ。IS学園の制服としてカーキ色の短パンを仕立てた。上半身はワイシャツを加工し、腕まくりした袖が落ちないようにボタンで固定できるように発注したものだ。

 ラウラは頭のなかで自分の身体的特徴を振り返る。左の瞳は金色だ。やむにやまれぬ理由で眼帯を着用している。右の瞳は赤色だ。生来色素が薄く、細身で太りにくい体質。一見男の格好だが、かすかな胸のふくらみと顔つきを見ればすぐに女だとわかるはずだ。

 ――だというのに。まさか、男だと思われているのでは……。

 男に飢えている。ラウラはクラリッサの戯言を思い出して身震いした。

 バスが停まった。合宿所は坂道を上って五分の場所にある。

 降車すると同時に一夏の姿を探す。射抜くような視線を投げかけ、注意深く周囲を見回す。どこにもいない。

 私怨が再燃した。ラウラは知らず拳を握りしめた。一夏を探して殴ろう。殴ってすっきりしよう。

 ――自重自戒だ、ラウラ・ボーデヴィッヒ。

 ラウラは力をこめすぎて硬直した指を一本ずつ開いていく。

 恩師が自分の前から去った理由。軍との契約は最初から半年間と定められていた。ISの操縦ノウハウを伝授し、役目を終えて帰国したにすぎない。

 ラウラはもう一度周りを見回した。すると脇からぬっと人の群れが現れた。ラウラは一行の気配を感じとれなかったことに驚く。集団の先頭を行く女を凝視する。腰まで垂らした髪を頭の後ろで結っていた。青色のリボンを見て同学年だと推測する。日本人にしておくにはもったいないほど肉感的な体つきだ。ラウラは彼女と千冬と比べ、恩師の勝利を確信する。

 歩く速度を早め横顔を流し見て、記憶を探り当てる。

 ――篠ノ之箒。

 「可能なら接触せよ」と情報部から要請があった女だ。

 だが、どうしたことだろう。彼女から覇気が感じられない。今にも倒れそうな雰囲気。悪霊に取り憑かれて憔悴しきった表情だった。

 

「チュートリアルが終わらん……」

 

 ――チュートリアルとは何だ。

 箒はラウラを追い抜いて引き離した。たくましい顔つきの男たちが後にくっついてぞろぞろと歩く。鍛え上げられた体。詰め襟やスーツを身につけた軍人らしき男たち。情報部筋によると、篠ノ之箒は日本政府の保護対象だ。

 ――二〇人以上いるな。これだけの大名行列。どうして誰も気にしない? ……もしやこれが当たり前の風景なのか。

 あまりに露骨すぎる。護衛ならば目立たない格好と手段を選ぶべきだろう。

 集団のなかのひとりがラウラに気づいて足を止める。好好爺然とした風采で「うむ。よろしい」と相好を崩す。階級章から大佐だとわかり、ラウラは思わず敬礼してしまった。

 

 

 更識簪はぎょっとした。

 前を行く少女が突然敬礼をしたのだ。シャトルバスで見かけた、青色のリボンを結んだ男装の少女。背筋をまっすぐ伸ばした姿を凝視する。

 

「……えっと」

 

 簪は口を閉ざして思い悩んだ。

 奇行を目撃してしまった。声をかけるのは野暮かもしれない。

 ――前向きに考えたら……。

 衆人環視のなかで敬礼したかった。覚えたての敬礼を誰かに披露したくてたまらない時期なのだ。

 ――子供じゃあるまいし。

 別の仮定を立てる。演技の練習のつもりで身体が動いたのではないだろうか。簪に往来の真ん中で恥ずかしい思いをしたことがある。台本を使ったイメージトレーニングのつもりが体が勝手に動いてしまった。

 簪にとって台本を使った自己暗示は精神面の弱さを補うための手段だ。具体的なモデルは夢のなかの簪自身。二十歳前後だろうか、少しだけ胸部が成長していた。希望を捨てるな、というメッセージだろう。

 夢のなかではいつもISに乗り、見知らぬ市街地で戦っている。たいていはIS、装輪車、歩兵の混成部隊だった。至るところから小銃による射撃を加えられ、ロケット推進擲弾(RPG)が発射された。簪はハイパーセンサーの走査結果に基づいて敵を掃射する。が、ゲリラと民間人の見分けが困難。新たに飛来したロケット推進擲弾が歩兵の体に突き刺さる。簪が一二.七ミリ弾で応射。ゲリラの胸から肩にかけて大きな穴が開く。腕が擲弾筒をつかんだまま路面を転がる。

 妙な話だが、夢のなかの自分をまねするようになってから簪の戦績は飛躍的に伸びた。

 

「あのっ……」

 

 簪は意を決して顔をあげた。姿が見あたらない。あわてて男の子のような服装を探す。

 ――いた。

 

「もう……あんなところまで」

 

 ひとりで歩く箒の後にくっついている。簪は小走りになった。ラウラの前を行く箒の歩行速度は競歩と見間違えるほどだ。簡単には追いつけないだろう。

 ラウラの背中を見つめて地面を蹴る。ラウラが談笑している。きれいな横顔だと思った。ふとある事実に気がついて激しい衝撃を受けた。

 

「……誰と……しゃべって……る、の」

 

 ラウラの隣には誰もいなかった。箒と話しているようには見えない。一人芝居にしては悪質に過ぎる。会話の相手は誰なのだろう。

 談笑するラウラは、いかにも誰かと並んで歩いているかのような雰囲気を醸し出していた。

 

 

 



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越界の瞳(二) 遭遇

 男たちと正門で別れた。足を止めて顧みると、彼らは生徒のために道を開け、ラウラや箒に向けて手を振っている。箒は彼らの存在を完全に無視していた。だが、ラウラは自分に向けて手を振ってくれているのだと気づいて、うれしくなって照れくさそうに手を振り返した。

 

「ひっ……」

 

 頭を水色に染めて眼鏡をかけた少女が短く叫んだ。青色のリボンだから一年生に違いない。彼女は肩を大きく跳ね上げて目を泳がせる。幽霊でも見たかのような表情でラウラと目を合わせないようにしていた。

 ――ん?

 ラウラが眉根をひそめた。その生徒をどこかで見かけた気がしたのだが、うまく思い出せない。少女は何度も口を開きかけ、結局黙りこくってしまった。煮えきらない態度。しきりにラウラを気にして、視線だけはチラチラと寄越そうとしていた。

 

「……おい。言いたいことがあるならはっきり」

 

 ラウラは強く言ったつもりではなかった。生徒の顔が青ざめ、明らかに動揺している。首を小刻みに振り、目を見開きながら後ずさる。ついにはカバンを抱きかかえて走り去ってしまった。

 

「何だったんだ?」

 

 生徒は脱兎のごとく駆け抜けて合宿所の入り口に消える。ラウラは不思議がりながら不意に手を打った。

 ――サラシキ。

 目立つ水色の髪。更識姉妹はIS業界では有名人だ。世界大会の予選参加者名簿に顔写真が掲載されていたことを思い出す。ただ、やけにおどおどしていて写真とは別人に思えた。

 二階建てのプレハブ小屋へ視線を移す。すぐ側に喫煙所らしき小屋がひっそりと建っていた。大人たちのうら寂しい光景に流し目を送り、階段をのぼって二階の引き戸に手をかける。

 一声かけてから中に入ると、仮設職員室はいかにも手狭な雰囲気だ。

 

「ボーデヴィッヒさーん」

 

 ゆったりと間延びした声に気づいて、ラウラが顔を向ける。浅葱色のワンピースに身を包んだ童顔の女。

 ――クラリッサよりも若い……のか?

 クラリッサは今年で二二歳だ。声の主は一八、一九くらいに見える。むっちりと男好きのする体だ。大きく開いた胸元を見て、ラウラは目のやり場に困った男性教諭の姿を想像した。

 

「山田真耶と言います。ボーデヴィッヒさんが所属する一年一組の副担任です。よろしくお願いします」

 

 ラウラは弾けるような笑顔を目にして戸惑いを覚えた。軍事施設ではない、と強く念じる。結局は素っ気ない反応を選んでしまった。

 

「ラウラ・ボーデヴィッヒだ」

 

 そう告げ、「よろしくお願いします」と頭を下げた。

 

「来たか」

 

 ラウラが千冬の声に気づいて顔を上げる。かつての教官は黒いスカートスーツ姿だった。黒いマグカップを手にして真耶の向かいに立つ。ラウラは条件反射で直立不動の姿勢になった。

 

「手続きは完了している。ボーデヴィッヒ。すまないがこれから打ち合わせがある。少し外で待ってくれないか」

 

 一〇分程度だとつけ加える。

 

「ハッ。教官」

 

 千冬がマグカップを傾けるのを止めた。コーヒーが気管に流入してむせ返る。真耶がマグカップを受け取って机に安置。千冬に花柄のハンカチを手渡した。

 

「織斑先生……」

「もう大丈夫だ」

 

 ハンカチは洗って返す、と千冬が口にする。

 真耶とのやりとりを経て、千冬が何か言い足そうな顔をラウラに向ける。深いため息をついてから諭すような声音を口にした。

 

「……私はもう教官ではない」

「では、これから何とお呼びすれば」

「先生だ」

 

 千冬はラウラの目を見て繰り返す。

 

「今日から私のことは先生と呼べ」

「わかりました。織斑()()

 

 ラウラはすぐに仮設職員室から出た。一〇分後、千冬に呼ばれて再び入室する。

 

「待たせたようだな」

「いえ」

 

 千冬は真耶とラウラを見比べた。真耶の表情がいつもより硬い。ラウラは澄まし顔で、ドイツを発つ前とさほど変化がない。

 

「ボーデヴィッヒ」

「はッ」

「わかっていると思うが、もし何か困ったことや聞かねばならないことがあれば、私がいないときは山田君を頼ってくれ」

 

 先に釘を刺しておく。千冬はこう言っておけばラウラが忠実に行動すると考えていた。それに真耶の性格からしてラウラを放っておきはしない。彼女に任せておけば自然とクラスメイトとも打ち解けられるだろう。

 千冬にはそれでもなお不安があった。ラウラはひとりでいることに拘泥しない。クラリッサに後事を託したとはいえ、かごの中の鳥だと考えておいたほうが無難だろう。深窓の令嬢ではなく、深窓の軍人なのがやっかいなところだ。軍人らしくリーダーシップを発揮してくれよ、と願った。

 真耶が誇らしげに胸を張った。重そうな胸がたわみ、少しだけ鼻息が荒い。

 ――織斑先生よりも大きいな。

 ラウラは感じたままの言葉を思い浮かべる。改めて室内を眺める。真耶の隣に青白い顔の教員が座っている。奥の机に古参のIS搭乗者の姿がある。

 ――生徒は私だけだろうか。

 ラウラは重要なことに気がついた。聞いておかなければならないことがある。

 

「山田先生」

「は、はいっ」

 

 真耶は声が裏返ってしまい、赤面する。ラウラは聞かなかったことにして疑問解消を優先した。

 

「もうひとりの転入生はどこにいるのですか」

 

 フランスから一名、同時期に転入するはずだ。名前はシャルロット・デュノア。ラファール・リヴァイヴ・カスタムⅡの専任搭乗者にしてデュノア家の令嬢でもある。

 

「先方の都合で来週になったんですよ。ええっと……」

 

 真耶が机上に折りたたんであった新聞をつまみ上げる。経済欄を広げて蛍光ペンで囲った記事を指差す。

 

〈タスク、仏デュノア買収完了を発表〉

 

 ラウラは表情を動かさなかった。冷徹な赤い瞳で文字を追う。

 デュノア社は近年、安価なラファール・リヴァイヴばかりが売れ、高価なラファール・リヴァイヴ・カスタムの売り上げ低迷が続いていた。

 ――早かったな。

 ラウラの感想は淡々としたものだ。早々にライバルの一角が崩れたことにほくそ笑みさえした。

 

「つまり、今日は私ひとりですか」

「そうなりますね」

 

 太陽の光が眼鏡に当たっている。真耶の表情が分からなかった。だが、平静を取り戻したかのような声を発していた。すると千冬が身を乗り出してクリアファイルを連城に手渡す。「打鉄用体当たり専用パッケージ、整備科有志」と書かれた紙が挟んであった。

 千冬はほかの教員に声をかけた後、最後に真耶を呼んだ。

 

「山田先生。SHR前にボーデヴィッヒの紹介を済ませよう」

 

 真耶が教頭の頭上に目をやり、壁掛け時計を確かめる。ほかの先生方も席を立ち始めている。

 千冬は黒い出席簿を脇に抱えたまま出入り口の近くで立ち止まった。同僚が準備を整えるのを見届け、ラウラにも声をかける。

 

「ボーデヴィッヒ。ついてこい」

 

 ラウラは言いつけを守って「()()」とはっきり答える。

 ――センセイ、か。

 もやもやとした違和感。いずれこの呼び方にも慣れるだろうと考え直し、千冬の背中を追った。

 

 

 ラウラは千冬と真耶の後に続いて合宿所の講堂に足を踏み入れた。中はバスケットボールのフルコートひとつ分の広さだ。一〇〇人以上の少女たちがひしめいている。好き勝手におしゃべりして騒がしい。熱気と少女の汗。十代特有の体臭。胸元をつまみ上げて風を送る少女。Tシャツを着用して涼しい顔つきの生徒。ラウラは眼帯を少しだけずらす。下着の線がなかった。

 ――ISスーツは一度身に着けたらやめられんからな。

 眼帯を定位置に戻す。

 ドイツではIS搭乗者や空中勤務者を中心に、特別製の下着を試験的に配布している。ISスーツから防刃・防弾性能を除き、布地を少なくした廉価版だ。さらなる改良とコストダウンを押しすすめ、ゆくゆくは北大西洋条約機構(NATO)加盟国への販売をもくろんでいた。

 

「みなさん」

 

 真耶が何度も手を打ち鳴らす。傾注の意思表示だ。一組の生徒が一斉に前を向いて口をつぐむ。ラウラが醸し出す硬質な雰囲気に気がついたようだ。転校生紹介の予感がして期待に満ちた顔つきになる者。ラウラの顔を見るやむっとしたり、特に表情を変えていない者など、少女たちの反応は十人十色だった。

 ラウラは少し緊張したが、顔色ひとつ変えなかった。左足を肩幅に開きく。両手をにぎって腰の後ろに軽く添える。下ろした髪を引っかけないように注意した。

 織斑一夏が最前列に座っている。

 ――思ったより間抜け面だな。

 なるほど千冬とよく似ている。凛々しさの片鱗をのぞかせていた。ラウラは昔、千冬が「一夏のような男と一緒になったら苦労するぞ」と口にしたことを思い出す。

 ――こんなやつが教官……、いや先生の寵愛(ちょうあい)を集めているのか。

 拳を握りしめるあまり手首の筋が浮きあがる。一夏を有象無象の輩として視野から故意に除こうとしたが、かえって意識する結果に終わってしまった。

 ラウラは表情を消し、クラスメイト全員に鋭い眼光を向ける。専用機持ちは三名。シャルロット・デュノアが不在の今、一組で注目すべきはセシリアくらいだ。SNNの紅椿にも興味がある。だが、専任搭乗者である箒がIS学園入学以前にISに乗っていたという話を聞かない。情報が少なすぎるので実習の状況や、あえて模擬戦をしかけて練度を確かめることも選択肢に入れた。

 生徒のひとりがこらえきれず「やまやかわいー!」とからかった。真耶が困ったような顔つきになる。

 

「ええとですね。今日は転校生を紹介します!」

 

 それもつかの間、精一杯自信をこめて言い放つ。声を落としてラウラを呼び、自分は一歩後ろに下がった。

 

「じゃあ、自己紹介どうぞ!」

 

 真耶をからかって忍び笑いを漏らした生徒が黙る。他のクラスの生徒も雑談をやめて一組の転入生に興味を示した。

 ラウラは瞳だけを動かして自分を注目する少女たちの様子をうかがう。空気を胸いっぱいに吸い込み、下腹部を意識した。

 

「ラウラ・ボーデヴィッヒだ」

 

 間を置き、講堂のなかを見回す。全員が固唾(かたず)を飲んで見守っている。ラウラは用意してきた言葉を一語ずつ発した。

 

「諸君。最初に言っておこう。私は同年代の者と机を並べた経験がない。周りはいつも大人たちだった……」

 

 ゆっくりと語りかけるように言葉を紡ぐ。同年代の少年少女と接した経験がほとんどないことを最初に断っておきたかった。

 一分が過ぎた。

 

「これからしばらくよろしく頼む。そしてこの学園生活が諸君らにとってよい糧となることを願う。……さて」

 

 言葉を切った。息を吸いながら、ゆっくりと歩いて一夏の前で立ち止まる。

 

「織斑一夏。私はずっと貴様に会いたかった」

 

 一夏が驚いて目を見はる。続きを口にしようとして、ラウラは自制できなかったことを悔やんだ。

 ――これでは台無しだ。

 

「寝ても醒めても貴様のことを考えていた」

 

 恋愛沙汰が好きなら意味を取り違えるだろう。愛の告白に類するものだ。目を輝かせ、腰を浮かす者が出た。真耶がまさかの展開に顔を赤らめる。千冬はとっさに親友の種馬発言を思い出し、心穏やかでいられなかった。表向き無表情をとりつくろって事の成り行きを見守っている。

 ラウラは右手の指先で一夏の頬に軽く触れ、あごをなぞった。人差し指に力をこめ、顔を上向かせる。薄く笑みを作り、目元を緩めた。かすかに潤んだ瞳。はにかんで、あごから手を離す。

 ――私はッ!

 大きく広げた右腕がしなった。かと思いきや一夏の頬にあたる寸前、己の暴挙を押しとどめようとする。が、誘惑に抗しきれなかった。

 乾いた音。頬を張った手のひらがじんじんと痛む。ラウラは唇を噛んで真っ青になっていた。

 一夏が頬を抑えてぽかんと口を開け、目を白黒させる。怒りを露わにしようにもラウラの泣きそうな瞳にすっかり毒気を抜かれてしまった。

 

「ボーデヴィッヒ! 表に出ろ」

 

 間髪を容れず千冬の鋭い声が飛ぶ。

 場に白けた空気が流れ、千冬とラウラは講堂の外に消えた。

 

 

 講堂の出入り口脇。千冬とラウラは光沢を放つタイルに寄り添うようにして互いを見つめている。ラウラの様子は念願が叶ったように見えない。胸をつまらせ、気持ち悪さに顔をしかめていた。

 

「なぜ、織斑に手を上げた」

「私怨です。所属する国家、組織とはまったく無関係であり、私個人の短慮によるものです」

 

 ラウラは先ほどの行為が暴挙だとわかっていた。敬愛する千冬を裏切った。以前クラリッサから信頼を傷つける行為だと指摘を受けている。罪悪感によって心拍数が上昇する。何をやってもうまくいかなかった頃に戻った気がして弱々しい声を漏らす。

 

「以前のように命令してください」

 

 千冬のことは今でも上官だと思っていた。ラウラは生まれたときから軍人だ。上官の命令に服従するようしつけられて育った。

 

「生徒を教え導くのが教師だ。指示はするが、命令はできない」

 

 千冬は教え子の顔が歪むのを目にした。ラウラは非常に優秀だが、たたけば割れてしまうような脆さを抱えている。言葉を慎重に選ばなければならない。

 大人の振りをした子供。ラウラ・ボーデヴィッヒに対する千冬の評価だった。

 ラウラが続ける。

 

「罰を与えてください」

 

 報いを受けるべきだ。

 

「前のように厳しくしてください……」

 

 胸のつっかえを取り除きたい。千冬が大切に思う人を傷つけたのだ。ラウラはどんな処分でも受け止めるつもりだった。

 千冬は黙したまま考えをまとめる。ラウラの顔は青ざめて今にも泣きそうだ。本人がどこまで認識しているのだろうか。反応を確かめてみなければならない。

 

「よし」

 

 千冬は意を決し、抑えのきいた声を出す。

 

「反省文を提出するように」

「なぜですかッ」

 

 あまりにも軽すぎる。ラウラは不満の声をあげた。

 千冬は困ったような顔つきで、懐から小さな折りたたみ式の鏡を取り出した。

 

「自分の顔を映してみろ」

 

 ラウラは無言で鏡を受け取る。

 

「その顔を見て、ボーデヴィッヒはどう考える?」

 

 千冬が心配したとおり、ラウラは自分がどんな表情を浮かべているのか認識できていなかった。目を見開いたまま己の顔を凝視し続ける。

 

「期限は明日の日没まで。後で職員室に顔を出せ。用紙を渡す」

 

 ラウラは耳を傾け、意思表示すべく首を縦に振った。

 

「織斑に謝っておけよ」

「……はい(ヤー)

 

 千冬が念を押す。

 

「言っておくがこれは命令ではないからな」

 

 ラウラは鏡をたたんで、千冬の耳に届くようにもう一度返事をした。

 

 

 昼休み。講堂のなかは騒がしかった。

 久しぶりに登校した桜は奥を見やり、小柄な少女が一夏に頭を下げる光景を目撃した。一夏は腰を直角に折る姿にうろたえている。彼にしては珍しくぶっきらぼうな言葉を口にしていた。

 続きを見たい気持ちに駆られた。が、クラスメイトが食事に行く前に用事を済ませることにした。

 

「不肖サクラサクラ。ただいま戻りました!」

 

 説明会を終えてから五分と経っていない。背伸びする同級生に向けて、桜は声を張った。

 

「ご無沙汰しとります。昨日退院してまたISに乗れるようになりました!」

「桜! よかったあ、寂しかったんだよー」

「おう。メガモリ、お勤めご苦労」

 

 朱音とナタリアが声をかけたのを皮切りに、「久しぶり」とか「全然かわってないねー」とか「病院食どうだったー」と騒ぎ始める。桜は入院以前と比べてメガモリと呼ぶ生徒が増えたように感じた。しっかり名前で呼んでくれる者は、今や朱音とマリア・サイトウなど両手で数えるほどしかいなかった。

 

「久しぶりの娑婆(しゃば)はどぎゃん気持ちか」

「こっちの空気はおいしいね。自由に食い物が選べるのがええ」

 

 病院食に飽きていたと伝える。朱音が横から顔を出し、桜の二の腕をおもむろに触れる。

 

「桜ってさ。やせた?」

「少し。筋肉が落ちたみたい」

 

 硬く締まっており、言われてみれば筋肉が薄くなった気がする。クラス対抗戦から一ヶ月も経っていないので判断が難しかった。

 

「せや。あっちで見かけん顔がおったけど」

 

 桜は顔を横向けて小さく指差した。白い眼帯なら病院で見かけた。だが、海賊がするような黒い眼帯は珍しい。

 

「あれはねー」

「……ドイツ人や」

 

 ナタリアが朱音の言葉をさえぎる。抑制された声音。ナタリアは隣国ポーランド出身だけあって眼帯の少女を強く意識している。

 

「ラウラ・ボーデヴィッヒ。ドイツ連邦共和国の代表候補生。あん自己紹介はできるもんやなか。おかげでみんな名前を覚えたわ」

 

 桜は改めてラウラを見やった。椅子に静かに座っている。頭が痛いのか、顔をしかめている。額に手を当てて前屈みになった。

 

「行儀良くしとるけど……何したの」

 

 桜はナタリアに顔を戻した。

 

「織斑ば、いきなりひっぱたいた」

 

 先ほど見たのはその時の謝罪だろう。桜は「なるほど」と小声でつぶやいた。

 

「てっきりナタリアみたいななんちゃって候補生……やったって言うとばかりと思っとったわ」

「なんちゃってとか、ゆうもんやない」

 

 なんちゃって候補生とはIS非保有国出身の留学生を指す。他に何人かいるのでナタリアに限った話ではなかった。桜が所属する三組は無名の代表候補生しかいないので下に見られがちだ。最も搭乗時間が長いマリア・サイトウは「平凡」「器用貧乏」など散々な評価を受けている。凰鈴音にいたっては「そんな人いたっけ?」程度の認識である。

 

黒い雨(schwarzer regen)とかゆうISば持ってるわ」

「これが写真」

 

 朱音が自分の携帯端末を差し出し、シュヴァルツェア・レーゲンの画像を見せた。右下に軍事系ニュースサイトのロゴとドメイン名が載っている。

 

「ふうん」

 

 桜は黒い雨(schwarzer regen)の名をどこかで聞いた気がして首をひねる。

 写真のISは全身が真っ黒だった。桜は装甲の隅に描かれた鉄十字を目にして、シュヴァルツェア・レーゲンが軍属だと察した。写真が見切れており、全体像が分からない。しかたなく搭乗者に目を向け、太股の奥ゆかしい白さに心を打たれた。

 

「これはこれで……」

 

 桜は生唾をうっかり飲み込んでしまった。

 ――はっ!

 朱音が胡乱な目を向けたことに気づく。誤解されないようにあわてて言葉を足した。

 

「さすがはドイツ。渋いデザインやな」

「そっかー。桜はこういうのも好きなんだね」

 

 

 ラウラは気分転換のつもりで合宿所の周りを歩いていた。

 観光用の立て看板が設置してある。合宿所は旧陸軍の施設跡を利用したらしいのだが、当時の面影がほとんど残っていなかった。真新しい舗装。葉桜の並木道には少々毛虫が目立つ。春先に花見客でにぎわう姿を想像し、少し楽しい気分になった。

 ――痛みが嘘のように引いた。

 一夏に今朝の謝罪をしたあたりから体調が悪くなり、徐々に激しさを増していった。授業が終わり生徒が寮へ戻り始める。その頃には頭痛が消えていた。

 頭痛の原因に思い当たる節がある。

 脳への視覚信号伝達の爆発的速度向上と、超高速戦闘状況下における動体反射の強化を目的とした肉眼へのナノマシン移植処理。この処置を施した目を「越界の瞳」と呼ぶ。疑似ハイパーセンサーと呼ぶべき代物で、ラウラ以外の被験者はこの機能を必要なときにだけ使うことができた。だが、ラウラの越界の瞳は常時稼働しており、機能停止ができない。ラウラの瞳の色は本来左右ともに赤色だ。不具合を示すかのように施術した左目は金色に変色してしまった。

 他にも大きな問題を抱えている。

 ()()()()()ことだ。術後、しばらくして包帯が取れた。ラウラが光を目にしたとき、ベッドの周りを取り囲む集団がいた。無言のまま、虚ろな瞳でラウラを見つめていた。欠損した体。国防軍や武装親衛隊の制服を身に着けた廃兵たち。彼らを認識した直後、頭と眼窩に激烈な痛みが襲った。

 ――再発か、一過性か。

 そのときは経過観察するうちに症状が緩和されていった。

 ラウラは後者であってほしいと願い、素直に景色を楽しむことにした。標識に「旧発射口跡・掩体壕はこちら」とある。大戦期の小銃を担いだ少年がちょうど桜の木の側で立直している。

 

「ご苦労!」

 

 ラウラは少年にねぎらいの声をかける。その少年は土地に縛られ、半永久的に任務を全うし続けるように運命づけられていた。

 並木道に沿って角を曲がる。通学時に見かけた軍装の男とすれ違った。

 ――また痛みが……。

 さらに角を曲がる。まっすぐ行けば合宿所の正門にたどりつくはずだ。

 ――くそっ。

 頭痛はもちろんのこと、左目がひどく痛む。正門が近づくにつれ、頭を切り苛まれるような激痛がぶり返した。

 ――前方。生徒が数名。スラヴ系と日系。

 ラウラの異常に気づいた生徒が駆け寄ってくる。

 

「足、ふらついとるし、顔が真っ青や」

 

 ラウラは声をかけてきた生徒、すなわち桜を講堂で見た覚えがあった。昼休みに大声を出していたので記憶に残っていたのだ。

 ラウラがその場にうずくまる。桜が肩に手を置いた。目の奥がうずくあまり、ラウラは眼帯の締め付けがわずらわしくなって、半ばずらしてしまった。

 左目が桜を映したとき、頭のなかで記憶にない映像が再生された。

 古いレシプロ機の編隊が群れている。機体の中央が膨れていることからエアコブラ(P-39)だと推定。青丸に白い星印から米軍機だとわかった。彼らは高度を落とし、飛行場にねらいを定める。

 零戦の搭乗席から見た映像に切り替わった。狭い飛行場。単機離陸しかできない。エアコブラ(P-39)の三七ミリ機関砲が、最初に離陸した零戦を貫いた。続いて離陸した機体が爆発。三機目は翼端がちぎれ飛び、錐揉み回転しながら付近の林に突入した。四機目は離陸前に被弾した。滑走路を塞ぐことだけは避けようと横に逸れて走り、火だるまに変わった。五機目だけが滑走路を目一杯使って加速することで地上掃射から逃れた。カメラを乗せた零戦も動きだし、外の風景が流れ出す。

 加速中に三七ミリ弾の飛翔音が機体をかすめる。このパイロットは五機目のまねをした。速ければ被弾する確率が低いと感づいていた。だが、主脚が浮いた直後に被弾し、翼の先端が割れる。だが、飛行に重大な支障を来すほどではない。再びカメラの角度が変化し、操縦桿からパイロットを見上げる。

 ラウラは桜の手を乱暴にふりほどく。眼帯が外れて地面に落ちる。完全に露わになった黄金の瞳は桜に重なる半透明の青年の姿を捉えた。

 

「私に触れるな!」

 

 怒声をあげ、桜と淡く重なった青年をにらみつける。彼の顔がエアコブラ(P-39)と戦っていたパイロットと瓜二つだった。

 スクリーンの外で半透明になった人間を目撃したのは初めてだ。クラリッサの私物にあった和製ホラー。生霊を題材に取り上げた映画を見たとき、こんな胡散臭いものはないと思った。低予算を俳優の演技で補填しようと試みていた。しっとり濡れた雰囲気は気に入っていたが、それだけだ。

 

「貴様は何者だ!」

 

 ラウラは余裕を失い、ドイツ語のまま怒鳴りつけていた。

 取り乱したラウラを前にして、桜はなんと答えてよいものか困り果てる。ドイツ語が聞き取れないのだ。ポーランド人に聞けば答えを得られることを期待して、ナタリアに確かめる。

 

「今のわかる?」

 

 ナタリアがすぐに翻訳した。

 

「あなたは誰ですかって」

「なるほど。誰何(すいか)ね。私はサクラサクラと言います。すぐ保健の先生んとこに連れてくから」

 

 桜がラウラの手をつかむ。

 ラウラには桜の手が触れたのか、それとも半透明の青年の手が触れたのか判断ができなかった。激痛とともに見たこともない映像が頭に浮かんできた。

 艦艇が激しい対空砲火を打ちあげるなか、先ほどの青年が乗機ごと体当たりを敢行。機体が潰れ、腹に抱えた爆弾が炎を噴く。青年の体が一瞬にして粉砕される様子を目の当たりにして、ラウラは全身が総毛立ち、脂汗を流していた。

 ――カ、ミ、カ、ゼ。

 

「セラピーが、できる、人は」

 

 ラウラは小さな声を絞り出すのがやっとだった。桜を視界に入れないよう目を逸らし、道の端にもたれかかってできるだけ距離を置こうとした。

 ナタリアが気を利かせて桜の前に割って入り、保健医の名前と場所をドイツ語で教える。

 

「……先ほどの非礼は忘れてくれ……」

 

 ラウラは声を絞り出した。一刻も早くこの場から離れたい。歯を食いしばる。ナタリアの付き添いの申し出を断り、今にも倒れそうな足取りで正門のなかに消えて行った。

 桜はしばらくから地面に落ちていた眼帯を拾い上げて裏返す。

 

「忘れ物や」

 

 鉄十字の傍らに銀糸で「Schwarzer Regen」と縫い止めてあった。

 

 

 



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越界の瞳(三) もっぴい

 桜が復帰した次の日。

 帰宅前のSHRが終わり、講堂のなかが騒がしくなってきた頃合。桜は後ろの席に座るマリアに話しかけようと体をひねり、箒が隣に立っていることに気づいた。彼女が三組を訪れることは滅多にない。せいぜい本音やセシリア、ときどき櫛灘がちょっかいを出しにくる程度である。

 箒は思い詰め、桜をにらみつけるように見下ろす。

 

「折り入って相談がある」

「なあに。篠ノ之さんから相談なんて珍しいわ」

 

 たいてい桜が日常細やかな話題を振るくらいだった。

 

「まあな」

「勉強教えてとかやったら私は役立たずや。私と篠ノ之さんって成績変わらんやろ。教えを請うなら……せや、うちのマリア様か、博多弁の人に聞くとええよ」

「いや、勉強の話ではないんだ。ISについて、だ」

「マリアじゃ手に余る内容?」

「うむ」

 

 桜から目を離し、箒が少しとまどったように目を泳がせる。

 

「佐倉じゃないとダメなんだ。できればひとり来てほしい」

「……わかった。そこまで言うなら胸を貸すわ」

「恩に着る」

「で、場所はどこにする?」

「第一アリーナで」

 

 桜はよほど込み入った事情だと察した。第一アリーナ周辺は工事車両が土埃を立てて頻繁に行き交い、汚染された土を第二アリーナから運び出している。合宿所から向かうには不便であり、たいてい第三、第四アリーナに利用者が集中する傾向にあった。

 

「あれ~。篠ノ之さんとサクサクでお話?」

 

 本音がパタパタと足音を立てて近づいてきた。スローモーションで再生したかのようにわざとらしくゆったり動き。垂れ下がった袖を左右に振って、いかにも眠たそうなしまりのない表情をうかべている。

 

「布仏。佐倉をしばらく借りるぞ」

「いいけど、篠ノ之さんからなんて珍しいね~」

「そうか?」

「そうだよ~」

 

 箒は桜の手をつかんだ。よほど深刻な問題なのか、手のひらが汗で湿っていた。

 

 

 ISスーツに着替えて、箒が待っているであろうフィールドに降り立つ。クラス対抗戦後、初めて打鉄零式を実体化させた桜はあまりの静けさに拍子抜けしてしまった。GOLEMシステムがバージョンアップされたせいだろうか、画面がすっきりしている。視野の右下。存在感を放っていた田羽根さんの部屋が消えてなくなっている。

 

「田羽根さん……」

 

 田羽根さんはいたら鬱陶しいがいないとなれば妙な寂しさがある。桜は胸に去来した感覚に困惑しながらフィールドの中央へ目を向ける。

 紅椿の背中。背嚢と思しき三十センチ四方の黒い箱に、マスコットキャラのしたり顔が描かれている。田羽根さんと同じタッチに悪い予感を拭いきれない。蒔絵を意識しているのだろう、抑えた濃灰色が印象的だった。「無駄遣いやなあ」と。桜は高い技術に感心しながら残念な気持ちでいっぱいになる。

 

「来たか」

 

 箒の声だ。桜が怖じ気づいて足を引く。まさに瞬間を見計らったかのようなタイミングである。対岸のピットから打鉄弐式をまとった簪が出てきて巨大な剣玉を手にしている。

 ――うわっ……例の試作武器や。

 桜はますます気が引けて及び腰になった。話を聞く前からこれではいけない。勇気を振り絞って開放回線に向かって声を投げかける。

 

「来たんやけど。それが、篠ノ之さんの専用機なん?」

「不本意ながら」

「なんかちっこいね。よく話に聞く白騎士みたいや。意匠はえらいちゃうけど」

 

 紅椿は全身装甲を含めて二メートルもなかった。箒がガスマスクのような面頬をひっつかむ。カチリと小さな音がして箒の顔が露わになった。

 

「姉が作ったんだ……」

 

 明後日の方角を見ていた。苦虫をかみつぶし、無理矢理絞り出したような声だ。ガスマスクを脇に抱えたまま話を切り出してきた。

 

「本題に入ろう」

「ええよ。何でも聞いて」

 

 答えられる範囲なら、と小さな声で付け足す。

 

「GOLEMシステムについてどこまで知っている?」

「お姉さんが作っとったんと、性能が三割向上するとか、まあ概要程度なら」

「そうか……佐倉のISにはAIが搭載されていたと聞いている。本当か」

「……ほ、ほんまや」

 

 桜はふるえながら声をあげた。

 

「その話、どこから聞いたの」

 

 箒がきょとんとする。額に手を当てながら記憶の引き出しを開ける。

 

「姉からだ。あと企業の人……ええっと、クロニクルとか変な名前の」

「あの人か……」

 

 桜は脅迫めいた手紙を思い出す。死に損ない呼ばわりされたり、人生を強制リセットなど物騒な文句が出てきて唇をとがらせた。

 

「AIは前はおったんやけど今はおらんなった」

「今は? どんなやつだ」

「田羽根さんっちゅう名前や」

「束さん?」

 

 箒は突然姉をさん付けされて首をかしげた。胡乱なものを見るかのような目つきで桜を凝視する。

 

「聞いたことがないんだが」

「私だって知らんわ。ISを起動させたら出てきたんや。他に何体も……」

 

 田羽根さんは何体もいる。そう言いかけて桜は口をつぐむ。田羽根さんを野放しにすると厄介だ。それこそアリーナに乱入し、弾道弾を撃ち込むくらい朝飯前の武闘派である。

 桜は真っ青になって叫ぶ。

 

「まさか何体もおるん!」

「この紅椿にはな、そのうさんくさいソフトウェアが導入されているんだ……」

「そんなあ!」

 

 箒が眉間にしわをよせて答えるのを聞いて、桜はこの世の終わりのような顔つきになった。

 

「佐倉はAIをどう調教した? 一ヶ月ちょっとで手懐けたとか、あの人が口にしていたぞ」

「ち、調教!」

 

 すぐさま回線の状態を確かめる。開放回線だから他のISも通信傍受が容易だ。桜は背伸びして簪の様子をうかがった。剣玉フレイルを巨大な十字型手裏剣めがけて投げつけるところだった。簪の真剣な眼差しを見て気づかなかったものと断定する。

 桜が肩をふるわせる。二頭身がふんぞり返った姿を思い浮かべ、調教という言葉を結びつけようと努力した。しかし、無駄だった。むしろ調教されたのは桜である。

 

「名前を教えてほしいなあ……なんて」

「もっぴいだ」

 

 棒読みで覇気がない。

 ――もっぴい? モッピー、モップ、もっぷ、箒……うわあ。

 桜は篠ノ之博士の仕業だと確信した。もっぴいとはおそらく紅椿の背中のキャラクターに間違いない。「聞かなければよかった」と桜は後悔した。

 打鉄零式は全身装甲なので外から搭乗者の表情がわからない。箒は無言でメールを送信する。

 

〈これがもっぴいだ!〉

 

 桜はすぐさま、嫌々ながら添付画像を開く。食玩風シールが画面いっぱいに拡大される。次の瞬間、心の底から叫ばずにはいられなかった。

 

「こいつ! 憎たらしい!」

「気が合うな。これが四体もいるんだ」

「四体も……そんな、どういうことや」

 

 桜は顔を引きつらせながらも違和感の原因を探る。田羽根さんは共存できない、という前提が崩れた。所属不明機強襲のおり、目つきの悪い田羽根さんが「ひとつのコアに田羽根さんはひとつ」だと言った。もっぴいは四体、コアはひとつ。計算が合わない。

 いくつかの仮定。一、バージョンアップでAIの共存問題が解決した。二、田羽根さんともっぴいの仕様が異なる。三、四体のもっぴいは残像で、超高速で動いた結果である。四、紅椿はコアが四つ搭載されている。五、箒の見間違い。もっぴいを見たショックでおかしくなってしまった。

 

「こいつらの扱い方がさっぱりわからん。いつまでたってもチュートリアルが終わらないんだ。……まだレベル1だし……佐倉しかいないんだ。力を貸してくれ」

 

 箒は今にもすがりつきそうな勢いだ。

 正直なところ桜はあまり関わりたくなかった。なにかにつけて土下座を強要するようなAIが他にもいるという。見間違いであってほしかった。だが、箒には恩がある。寮の机のなかは箒に作ってもらった厄除けのお守りが詰まっている。カバンにもひとつ篠ノ之神社謹製交通安全のお守りがある。霊験新たかどうかはともかく安らかな日々を送れることだけは確かだ。

 

「ええよ。こっちも準備するから待ってて」

 

 桜は快諾したように演技した。紅椿のAIが大外れなのは間違いない。自分の直感が外れることを切実な思いで願った。

 

 

 ――もっぴいが大暴れせえへんとも限らんからな。

 桜は何があっても対応できるように打鉄零式の装備を確認した。曽根からクラス対抗戦で壊れた装備を交換したと連絡をもらっている。海上自衛隊の技術者から説明まで受けていた。

 ――超振動ナイフ、実体盾、一二.七ミリ重機関銃……Tマインが入れっぱなしやないか。

 チェーンガンが二〇ミリ多銃身機関砲に置き換わっていた。この機関砲は打鉄改のメガフロートに搭載されていたものらしい。堀越がメガフロート用新型スラスターの実機試験を受け入れる代わりに装備を融通してもらったそうだ。ただし一時的な措置で、夏休みになったら以前のチェーンガンに戻す運びとなっていた。

 多目的ランチャーが入っていた領域が空になっている。高機動型パッケージ用に拡張領域を確保するためだ。

 GOLEMシステムが刷新された影響で、メールボックスの横に「も」と書かれたアイコンが存在する。ショートカットと隣接しており押し間違えそうな雰囲気がある。

 桜は目を皿にして探してみたが、田羽根さんの姿はどこにもなかった。呼びかけを箒に聞かれる危険があったので内蔵マイクを消音する。

 

「おーい、田羽根さーん」

 

 返事がない。これまでなら「呼びましたか?」とすり寄ってくるはずだ。うんともすんとも言わず、静かなだけだった。

 桜は消音を解除した。

 ――新バージョンやと田羽根さんは存在せんってこと?

 つまり田羽根さん専用機能も消失しているはずだ。名称未設定機能はAI専用であり、桜には触ることをができない代物だった。

 ――メニューのほうは?

 バージョンアップで何か変化したのだろうか。桜は項目を順番に見ていく。数々の謎機能は健在だった。名称未設定、神の杖、758撃ち。この三つは相変わらず選択不可能である。最後にいたっては意味不明だ。

 ――名称未設定機能がある……せやったら、田羽根さんはおるってことになるな。

 姿を見せないのは何かしら理由があるのだろうか。例えば、物言わぬAIに変わったという仮定。アップデータの配信を待って復活する予定かもしれない。それとも新しい田羽根さんは恥ずかしがり屋さん、という可能性もある。

 ――まあ、ええわ。そのうちひょっこり顔を出すんやろ。

 桜は物思いを中断し、さらに下へと視線を動かした。

 

「……うっ」

 

 新しい項目が追加されている。「穂羽鬼くんの部屋」と「もっぴいの部屋」である。前者を選択しようとすると権限エラーが発生する。桜は後者を選ぼうと一瞬考えたが、すぐに取りやめてしまった。

 ――そのままにしときたいけど、堀越さんに報告せなあかんし……。

 桜が逡巡する様子を見越したのか、後者の真上に赤い矢印が出現した。「選んでね!」という吹き出しが目につく。見なかったことにして目を逸らす。だが、視線の先に赤い矢印が移動する。何度やってもそのたびに矢印が追いかけてきた。

 しかたなくもっぴいの部屋を選択する。

 

「もっぴいの部屋にようこそ!」

 

 大きな枠が描画され、自動音声が説明文を朗読した。

 まるで田羽根さんが耳元でまくしたてているかのようだ。耳障りな甲高い声にうんざりしながらも、桜は笑顔を忘れなかった。

 

「説明を聴いていませんね? もう一度繰り返します」

 

 ――あかん!

 打鉄零式がへそを曲げて動かなくなる。桜は直感に基づき、殊勝な態度で田羽根さんと同じ声に従った。

 ――親切なんか鬱陶しいのか……。

 一通り説明を聞いてみるともっぴいの部屋はAIの意思決定の過程を確かめるために存在するらしい。搭乗者の時間感覚を引き延ばすことでもっぴいと同じ時間を共有できる。名称未設定機能と758撃ち機能を組み合わせることで実現した、と田羽根さんと同じ声は語る。

 ――要するにもっぴいの部屋を見とる間は、時間の流れが緩やかになるってことか。

 試験勉強に使えそうだ。しかし、桜はすぐに問題点に気がついた。常にもっぴいを見ていなければならない。田羽根さんと同等かそれ以上に鬱陶しい二頭身を見つめながら勉強など不可能に思えた。

 突然甲高い声が聞こえ、桜が思考を中断する。もっぴいの部屋の幕が上がった。

 

「それではどうぞ!」

「うわあっ!」

 

 薄橙色の二頭身がキレのある動きでくねくねと腰を回している。腹に「C」と書かれていた。

 

 

「紅椿はスラスター出力を調整できないんだ。何をやっても全速力に達してしまう。どうなってるんだ」

「打鉄に乗っとった頃は特に問題なかったんやろ」

「……そのとおりだ」

 

 少し怒った声音。いらだちが表情に出ている。箒はすかさず紅い眼鏡付ガスマスクをはめ直した。

 

「どうやって加減しとったの」

「ぐいっと、くいっと、そっと……という感じだが?」

「は?」

 

 ――意味がわからへん。

 桜はアナログメーターを意識していた。推力に対するイメージの作りは人それぞれなので、この方法が正しいと決めつけることができない。そこでもう一度聞き返すことで、具体的な説明を引き出そうとした。

 先ほどと同じ答えを聞いて沈黙する。

 

「……よかったら実演してくれんかな。私、ここで見ているから」

 

 もっぴいの部屋を。箒が快諾するのを見届けてから隔壁と背中合わせになる。

 

「わかった。ぐいっと前に飛ぼう」

 

 紅椿が腰を落として踏ん張る。桜はすかさず二頭身の巣窟を注目した。

 画面の中央で四体のもっぴいが円陣を組んでいた。胴体と同じ幅のボタンを取り囲んでいる。全員が同じ顔なので腹の文字で判別する以外に術がない。

 

「わからないよ」

 

 もっぴいAとBが同時にしゃべった。甲高い声音。やけに聞き覚えがある。箒の声を早回しにした高さで調整したものだった。

 

「呪文?」

 

 今度はもっぴいCだ。けなしているようにしか聞こえない。

 

「宇宙人だよ」

 

 もっぴいDが両手を広げ、ため息をつきながら首を左右に振る。ほかの三体も「わからない」と口々に言った。あまりの姦しさに、桜は部屋を閉じたくなった。だが、ほんの一瞬のことだと思ってこらえる。すると、もっぴいDが挙手して叫ぶ。

 

「わかった! こうすればいいんだよ!」

 

 腕をぐるぐる回してから、赤いボタンを勢いよく殴りつける。

 直後、引き延ばされていた時間が元に戻り、箒の体が前方に投げ出された。瞬時に時速二八〇キロメートルまで加速。一秒後には約八〇メートル前方に頭からつっこむ。箒がたたらを踏んだ。機体を衝撃を器用に分散しながら着地に成功する。足首まで地面にめりこんでいた。

 

「とまあ、少し速く動こうとしたらこのザマだ」

「今度はくいっと、お願いします」

「次は後ろに飛ぶ。くいっと、だ」

 

 箒が両手を前につきだす。手のひらにスラスター噴射口が存在するためだ。

 桜はもっぴいの部屋に視線を注ぐ。四体のもっぴいは相変わらず困惑している。発言の順番が決まっているらしく、もっぴいAが口火を切った。

 

「わからないよ」

「さっぱりだよ」

「宇宙人だね」

 

 矢継ぎ早にしゃべった。もっぴいCが胸の前で腕を組み、大きな頭をかたむける。

 するともっぴいDの頭上に電球の絵が描かれ、助走するべく後ろに下がった。

 

「こうすればいいんだよ!」

 

 片手を上げてから走り出す。倒立前転を一回、二回、三回、高く飛び上がる。体を何度もひねって、赤いボタンの上に着地した。両手をVの字に広げて達成感に満ちたしたり顔を浮かべる。

 紅椿の両手から橙色の炎が噴き出す。桜が時間が戻ったと認識したのもつかの間、土埃を立てて眼前に着地する。紅椿の黒い脚が地面をえぐっていた。

 

「さっきと同じに見えるんやけど」

「最大出力だったからな。本当は半分のつもりなんだ」

 

 桜は箒の釈明を理解できず、何度も頭を振って言葉を斟酌しようとした。

 ――篠ノ之さんって今までどうやって打鉄を動かしとったん?

 頭を抱えたくなった。が、最後まで見届けてから判断を下すべきだと思いとどまる。

 

「最後のそっとでお願いします」

「わかった。そっと、な。足の裏のスラスターを使ってみよう」

 

 ――どうせ同じ結果になるんやろ……。

 桜は早くもあきらめの表情を浮かべた。箒が手足に力をこめるのを見て、合図とばかりに枠のなかの珍獣を見つめる。

 もっぴいCが落ち着きなく三体の顔を見回していた。

 

「キャッチボールがしたくなったよ」

「こんなこともあろうかと思って道具をもってきたよ」

 

 もっぴいDがボールとグラブを配布した。その際、赤いボタンを踏みつける。

 先の二回と同じく瞬時に最高速度へ達した。天蓋に達する直前、箒の体が上下反転して足から激突する。隔壁全体に衝撃が波及し、桜も微かな振動を感じた。

 桜は箒の心配をしていない。ISを身に着けていれば多少の衝撃には耐えられる。むしろ箒と同じ髪型の二頭身に釘付けだった。

 

「もっぴいが勝手にキャッチボールを始めとる……」

 

 もっぴいはどれも制球力がない。もっぴいBがあさっての方向に飛んでいったボールに向かって格好良く走り出す。間もなく足がもつれて顔から倒れ込んでしまった。

 

 

 ――もっぴいは役立たず……。

 紅椿のAIは合議制の体をなしていない。桜が眉間にしわを寄せ、走っては転ぶ二頭身をにらみつける。

 体さばきや細かな足運びなどISコアが直接制御していると推測できる場合は勘の良さが光っている。だが、もっぴいが制御に携わった途端、まるでダメになってしまう。もっぴいの様子からして、箒の命令を理解していないことが原因だ。

 桜はもっぴいの部屋の利点を活用し、じっくり思案する。紅い眼鏡の奥から期待の視線を感じる。当事者は藁をもつかむような気持ちなのだろう。

 

「篠ノ之さん」

 

 桜は深く息を吐いてから、声が箒に届くよう気を遣った。

 

「AIの反応をよく観察してみてください」

「キャッチボールをしているようにしか見えないんだが……、しかもコントロールできてないぞ。持久力もない」

 

 枠のなかは箒が言ったとおりの惨状である。

 

「AIから選択肢を提示してきたことはあらへんか?」

「ふむ。最初のころにあったような……、なかったような」

「まずAIと対話してください。そうすればもっぴいのほうから理由を教えてくれるはずや」

 

 当事者同士が歩み寄らなければ問題解決はありえない。桜は、好き勝手に遊び回る二頭身とふんぞり返って鼻持ちならない二頭身を比較する。もっぴいのほうが多少従順な性格だと思った。

 

「対話か。チュートリアルの説明文にそんなことが書いてあったような気がするな」

「そうです。だまされたと思ってやってみてください」

 

 箒がもっぴいを呼び止める。自分とそっくりの髪型。薄橙色の体がグラブとボールを持ったまま集合する。

 桜はもっぴいの部屋からその様子をのぞいていた。二頭身が横一列に並んでいる。もっぴいの部屋から箒の声が流れてきた。

 

「初日にあいさつしたばかりだな。もし私に不満があるなら言ってくれ」

 

 もっぴいAが挙手してから話しはじめる。

 

「なにを言っているのかわからないよ」

「意味不明なんだよね」

 

 もっぴいBが発言する。隣に並ぶもっぴいCが小首をかしげながら口を開く。

 

「脳筋?」

「……貴様」

 

 箒が怒気をはらんだ声を出す。もっぴいCは主の勘気に触れたとは思っていないらしく、首を右左に倒して釈然としない顔つきになった。

 

「もっと具体的に言ってほしいよ。そうだね。定量的か、定性的に指示してほしいね。毎回あいまいな命令ばかりで困るんだよ」

「バカな! 打鉄に乗ったときはきちんと動いたんだぞ!」

 

 箒がムキになって叫んだ。

 一巡したからかもっぴいAが発言をはじめた。

 

「打鉄と比べられても困るよ」

「あの(コア)たちは賢くて従順な可愛い(コア)だよ。気が利くからお持ち帰りしたいよ」

「打鉄の(コア)は調教されてるからえっちいんだよ」

 

 もっぴいたちがしたり顔を浮かべる。

 もっぴいCが鼻息荒く親指を立ててつけ加えた。

 

()()にゃ()()()に聞いたから間違いない!」

 

 続いてもっぴいDが口をへの字にしながら発言した。

 

「出力一割とか一%とか具体的に命令してほしいよ。もっぴいの頭じゃわからないから、とりあえず出力全開にするんだよ」

「私が、悪いだとう……」

「もっぴい知ってるよ。こんなんじゃ、いつまでたってもレベル1だってこと」

 

 もっぴいDが口に手を当てて含み笑いを始める。

 その時、もっぴいの部屋に設置したカメラが手ぶれを起こした。ゴトゴトといったノイズを拾う。下から見上げるような視点に切り替わる。箒の目尻がつり上がって何度も痙攣するのが見て取れた。

 箒が沈黙したのでもっぴいAが「解散!」と告げる。四体の二頭身が「ぴゃー」と甲高い声をあげてキャッチボールを再開した。

 

「……てな感じで()()は答えてくれます」

「つまり、あいつらにわかるようにしろ、と」

「そうなります」

 

 箒の声が沈んでいた。もっぴいの部屋から金属音がしたかと思えば、画面が二転三転する。レンズに丸くて平べったい手らしき物体が映りこむ。どうやらカメラを落下させたようだ。

 

「打鉄とは別物やと思ってください。AIは単純な性格ですから、慣れさえすれば御しやすいと思います」

「あ、ああ……」

「うちのAIもいろいろと酷かったんです。もっぴいとはまた違った鬱陶しさでした……。反復練習をすると思って、もっぴいが間違えなくなるまで繰り返しましょう。ささ、出力一割から」

 

 もっぴいの部屋を通じて箒の様子を探る。彼女は眉間にしわを寄せ、口をへの字に曲げていた。

 

 

 




・もっぴいCの腰使い
某除虫メーカーのCMを参考にしています。
放送時期は2009年頃。歌謡曲風のBGMに合わせて着ぐるみが腰を振るというもの。



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越界の瞳(四) 実習

 ラウラ転入から三日目の朝。第六アリーナの観覧席では、一組と三組の生徒を集めて合同授業を行っていた。観覧席を覆った隔壁が外の風景を透過する。前日と打って変わって梅雨入り後の曇天で薄暗い。昼白色の照明が最下段で説明する千冬の姿をいっそう明るく際立たせた。

 

「本日は格闘および射撃を含む実戦訓練を行う」

 

 ラウラはISスーツを身に着け、最上段の右端に陣取っていた。左隣は一人分の隙間が空いている。そのほかの生徒は仲良し同士でかたまっている。六月ともなれば一緒に行動する友人たちが固定化されている。ラウラは初日に一夏の頬を張ったおかげで、おっかない人だという認識が広まってしまい、ひとりぼっちだった。

 ラウラは長いすの左側をできるだけ見ないようにしていた。下から二列目にいる桜が視界に入った途端頭痛がぶり返したからだ。しかも痛みに耐えるべく眉をひそめていたら、あからさまに不機嫌で他人を威圧する態度だと受け取られて誰も近寄ろうとはしなかった。

 ひそひそささやく声が聞こえる。ラウラは最前列に少しだけ注意を向けた。幸いなことに、声を発したセシリアは右端にいる。彼女を視野に入れると、左端にいる桜の姿がぼんやりとした。焦点を合わせなければ痛みが鎮まる。初日とくらべて症状が和らいできているのも確かだった。

 

「肘が当たってますわよ」

 

 セシリアが身じろぎして尻の位置を変えた。左隣に一夏がいて、さらにその隣に箒がいる。セシリアの形の良い尻が一夏の太股に密着した。一夏の首が動き、左側に避けようと腰を浮かす。箒はどっしりとした姿勢で微動だにしない。自然と一夏の太股と尻が、箒の太股に密着する結果に終わった。一夏はどぎまぎした目つきで幼なじみを見やり、右側に逃れようとする。

 

「ずるいですわ」

 

 セシリアが詰めてきたおかげで、どこにも逃げ場がない。一夏は肩をすくめて居心地悪そうに座っていた。

 

「手始めに戦闘を実演してもらう。各クラスの専任搭乗者にやってもらいたいのだが、一組からは……そうだな」

 

 千冬は一列ずつ順番に生徒の顔を眺めていった。

 

「ボーデヴィッヒ、体調は?」

「問題ありません」

「では、お前にやってもらう」

はい(ヤー)

 

 ラウラはしかめっ面で答えた。

 その場にいた誰もが、硬い雰囲気の放つ少女に目を向ける。期待と恐れの入り混じった視線を浴びて、ラウラの顔が余計に険しくなった。

 

「三組は佐倉だ。先日まで入院していたが……いけるか」

「はい。骨はくっついてます」

 

 桜の声を聞いたラウラは、できるだけ意識しないよう顔を背けた。

 

「二人とも準備してくれ。山田先生が相手になる」

 

 桜は千冬の発言の意図を確かめようと、小さく挙手しながら疑問を口にする。

 

「あのー織斑先生。私がボーデヴィッヒさんとやるんやないん?」

「いいや。即席になってしまうが、佐倉にはボーデヴィッヒと組んでもらう。タッグトーナメントのつもりでやってもらいたい」

 

 桜が恐る恐るラウラを振り返ると、そっぽを向いた銀髪の少女がいる。あからさまに嫌われている気がして、桜は情けない声を千冬に漏らした。

 

「あんなんやけど……」

「そう言うな」

 

 人見知りが激しいだけ、と苦笑しながら言われても、桜には納得がいかなかった。

 

「ボーデヴィッヒ。山田先生の準備が終わるまで多少時間がかかる。もしライフルが欲しければ格納庫に寄っていけ。演習モードへの切り替えを忘れるなよ。今日は実弾を使用する予定がないからな。では、行け」

 

 千冬が念押しすると、ラウラが席を立って踵を返した。

 

「いきなり? 待ってえ。ボーデヴィッヒさん」

 

 その様子を見た桜があわてて後を追いかける。千冬と事前に申し合わせていたのか、弓削が道案内のために同行した。

 

 

 フィールドへ降りるためには、IS格納庫を経由する必要があった。前を行くラウラは桜のことなど意に介さず通路を早足で進んでいく。

 

「ちょっと私の、こと、無視せんでったら」

 

 先導する弓削が足を止めたので、ラウラも立ち止まった。緩やかなしぐさで顧みると、桜を目に入れるなり厳めしい顔を振り向ける。桜が駆け寄ろうと足を踏み出したとき、ラウラの鋭い声が飛んだ。

 

「それ以上近づくな」

「え?」

「半径三メートルだ。それより中に入ってくるな」

 

 一方的で理不尽な物言い。桜は怒るよりもむしろ呆気にとられてしまった。

 

「何や、それ……」

「聞こえなかったか。三メートル以上離れてくれたら、文句をつけたりはしない」

「あんた言っとることがメチャクチャや。どうして? 納得がいかんわ」

「貴様が近寄ってくる。このうえなく不快だ。それ以上の理由が必要か?」

 

 弓削が険悪な雰囲気を感じ取る。

 

「あ、あの……ボーデヴィッヒさん?」

 

 口の端を引きつらせながらふたりの間に割って入った。「まあまあ、格納庫はもうすぐだからね」とラウラをなだめすかす。

 

「ふんっ……」

 

 それこそ親の仇敵を目にしたかのように、忌々しげな視線が桜を突き刺す。

 

「先生。格納庫への道はこちらで合っているのですか」

「へっ……ええ」

 

 いきなり平静を取り戻した声音に、弓削は戸惑いを隠せない。事務的な口調だが、桜に向けた態度とは明らかに異なっていた。

 

「早くいきましょう」

 

 ラウラが先を急ぐ。

 弓削は桜がついてきているか確かめようと振り返る。教え子の顔が強張っていた。

 格納庫には橙色のつなぎを身に着けた少女たちがいる。奥にはIS用ライフルが数種類並んでいる。天井には杭のような巨大な物体が存在感を放っていた。

 弓削が生徒の指導に当たっていた整備科の男性教諭に声をかける。

 

「弓削先生。織斑先生から伺っております。整備済のものを出しておきました。自由に使ってください」

「助かります」

 

 手前から打鉄用の一二.七ミリ重機関銃、二〇ミリ、三〇ミリと奥へ行くにつれて口径が大きくなる。

 ラウラがシュヴァルツェア・レーゲンを実体化させた。マニピュレーターで直接武器を握って、取り回しを確認する。

 

「ああ、失礼」

 

 男性教諭が断りを入れる。すぐ側で作業する生徒に向けて、作業用機械腕の位置ずれを指摘する。

 ラウラからちょうど三メートル離れた場所で、桜も巨大な物体を見上げていた。二〇メートルを超えた円柱の周囲に四基のスラスターが取り囲み、先端に赤錆色の傘が広がる。

 

「何なんや、あれ」

 

 桜が天井を指差しながらつぶやく。眼鏡をかけたつなぎ姿の生徒が近寄りながら、薄汚れた手袋を外してポケットにしまいこむ。

 

「体当たり専用パッケージ。打鉄用なの」

「たい、当たり?」

「そう。打鉄改のメガフロート用スラスターを四基使って体当たりするっていうのが基本思想」

「桜花っぽいんやけど……」

「そうね」

 

 桜花について、その生徒はしばしの間、記憶を巡らせる。「ああ」と手を打って、遊就館に展示されている白塗りの魚雷モドキを思い浮かべた。

 

「確かに似ているかもね」

「で、(まゆずみ)先輩……こんなん誰が使うん」

 

 黛薫子は眼鏡の縁を持ち上げ、桜の顔をのぞき込んでじっと見つめた。気持ち悪いほど目を輝かせており、桜はすぐさま目をそらしてしまった。

 

「あんまり時間ないんで。私はこれで」

 

 ラウラが一二.七ミリ重機関銃をハードポイントに固定するところだった。桜はそそくさと去ろうとした。が、強い力で手首をつかまれて足を止めた。恐る恐る振り返る。

 

「一年三組のピウスツキさんとサイトウさんの連名で、これを使いたいっていう申し出がちょっと前にあったんだよね」

「せやから、先輩」

「山田先生ならもう少し時間かかるから。ボーデヴィッヒさんには演習モードの説明をしなければいけないし」

 

 桜は耳を貸す気になれなかった。嫌な予感しかしない。体当たり専用パッケージのスラスターは重いメガフロートを亜音速で飛ばすためのものだ。軽量なISに四基もくっつけて飛ばせばどうなるか。

 

「あなたと一条さんしかいないのよ。あれを使ってくれるって言ってくれたのは」

「言ってへんったら。クラスメイトが人の入院中に勝手にやったことです。……あの、朱音もって、彼女にも使わせるつもりなんか」

「回避率一〇〇%のあの子ならできるでしょ。この前シミュレーターで花火のなかに突っ込ませてみたけど、うまくいきました」

 

 薫子は空いた手でゲーム機の無線型コントローラーを取り出し、これ見よがしに突きつける。

 

「朱音は弾幕シューティングが上手なだけや。他人様をこんな変なもんに乗せたらかんわ」

「大丈夫。壁にぶつかりそうになったら自動で曲がるようにしてあるから」

「そういう問題やない、と」

「だったら放課後、乗ってみる?」

「はい? どうしたらそんな話に」

「イエスね。あなたなら期待にこたえてくれると思ってた。打鉄零式に搭載できれば弐式も大丈夫よね」

 

 薫子が手首を離し、桜が唇をとがらせて強引に話を進める先輩を見上げた。

 

「もしかして、更識さんも乗るん?」

「その予定」

 

 手袋をはめなおし、薫子は子供のようなほほえみをほのかに浮かび上がらせた。

 

「佐倉さん。放課後、私のところに来て。アナタ、今のうちに慣れておいたほうがいいと思うの。今度来る高機動パッケージって六発だから」

 

 じゃあね、と小さく手をふる。桜が聞き返そうとしたところ、背後から弓削の呼び声が聞こえてきた。

 

 

 シュヴァルツェア・レーゲンの黒い体躯がフィールドに躍り出た。一二.七ミリ重機関銃を腰のハードポイントに取り付けた状態で、地面に足をつける。ラウラは、一歩遅れて姿を現した桜が打鉄零式を装着するのを見届ける。

 幻惑迷彩を施した異形。ラウラは眼帯を着けたまま、ふたつの非固定浮遊部位の二〇ミリ多銃身機関砲と回転砲座を一瞥する。開放回線(オープンチャネル)に接続し、暗号化した音声を送った。

 

「貴様、ISに乗った期間は」

 

 桜は入院期間を差し引いた。

 

「二ヶ月未満」

「銃火器の取り扱いは」

「狙って的に当てるくらいなら」

「よし。ならば私が突っ込むから貴様は援護射撃に徹しろ。とにかく弾丸をばらまいて相手の気を引け。以上だ」

「は……?」

 

 ラウラが一方的に会話を打ち切る。桜はぽかんと口を開け、何度も瞬きする。

 

「どうした。聞いていなかったのか」

 

 桜の返事がなかったので、ラウラは心配になって聞き直す。

 

「……私が援護に徹すればええってことやろ」

「わかっているならいい」

 

 ラウラは自由に動くつもりでいた。桜が戦力になるかどうかはまったくの未知数。連携を取るには綿密な攻撃計画と訓練が必要になる。が、打ち合わせする時間もない。千冬はおそらく戦果を求めていないのだろう。銃火器を用いたチャンバラをしてみせれば事足りる。

 桜を見やった。打鉄零式のセンサーユニットが不気味な生々しい赤色で、体表を彩る模様が生物のようにうごめている。体が徐々に黒く染め上げられていく。赤いバラの花弁のような筋が残った。

 ――ん?

 ラウラの視野にログ用の枠が出現して、ドイツ語のメッセージが流れ始めた。

 

〈力を求めよ〉

〈願え。(なんじ)、自らの変革を望み、より強き力を欲せ……〉

 

 ラウラは小首をかしげた。うかつな選択をして妙な動きをされても困る。

 

いや(ナイン)

 

 枠が勝手に消えた。

 

「ボーデヴィッヒさん。先生、来たわ」

 

 桜の声を聞いて、ラウラは一二.七ミリ重機関銃を抱える。ドイツ語で書かれた「演習モード」のロゴが視野の中に現れた。ハイパーセンサーが空気を擦過する飛翔音をとらえ、暗緑色の鎧を映し出す。真耶が自信に満ちた顔つきで五一口径アサルトライフル〈レッドバレット〉を大事そうに抱えていた。

 

「何てことや。眼鏡がない!」

 

 桜が緊張感に欠けた叫び声を上げ、ラウラはむっとする。クラリッサみたいな発言をする女だと思った。

 

「眼鏡など、あってもなくてもさほど変化を与えるものでもなかろうに」

「何やと! 山田先生やったら眼鏡。眼鏡なしも好みやけど、あくまで私が眼鏡を外してやる場合にかぎる。素顔をさらけ出す瞬間ってのは、服を脱がすみたいな、背徳感があるんや」

「佐倉さん? これはコンタクトですよ。おしゃべりはその辺で……」

 

 真耶が急に熱っぽく語りだした桜をとがめた。

 

「佐倉さん、ボーデヴィッヒさん。先に説明しておきますね。今日の実習では実弾、光学兵器などは使用しません。すべて演習モードによる模擬戦です。近接兵器は演習モードの適用対象外なので使っても構いません。もちろん接近できれば、ですが」

 

 真耶は滞空したまま、ラウラの一二.七ミリ重機関銃を見てにっこり笑いかける。

 

「良い選択ですね、ボーデヴィッヒさん。授業であまり大口径の大火力の武器を選んでも他の生徒が扱えませんから」

「……もとよりそのつもりだ」

「それでは模擬戦を始めましょうか。佐倉さんも構いませんね?」

「は、はい。いつでもいけます」

 

 桜が一二.七ミリ重機関銃を実体化させて左の非固定浮遊部位に搭載する。もう一挺は手に持つ。センサーユニットが赤く瞬いて、二〇ミリ多銃身機関砲が回転を始めた。

 

「おい。わかっているな」

「指示通りに動け、やろ」

 

 桜がうなずき返すのを見届け、ラウラはスラスター出力を全開にして飛翔する。CGではあるが、打鉄零式の搭載火器から無数の弾丸が排出された。アリーナ中のスピーカーをつんざいて破裂音が鳴り渡る。反響のなか、真耶の五一口径が接近するラウラに向かって火を噴いた。中空の建築用コンクリートブロックに人の頭ほどの大きさの穴を空けるほどの威力を持つ大きな砲弾。ラウラの足先をかすめる。砲弾の軌道上にいた打鉄零式が足を浮かせる。

 

「撃たせるか!」

 

 間髪を容れず一二.七ミリ重機関銃を発射。状況がどう転がろうともシュヴァルツェア・レーゲンのAICを開陳することなく、うまく立ち回るつもりだった。

 桜が地面を這うようにして大きな弧を描く。真耶の背後を指向しているのは明らかだ。

 真耶はある程度の被弾を許容していた。が、二〇ミリ弾を大量に浴びてしまえば、あっという間にシールドエネルギーが枯渇する危険があった。桜の援護射撃にかぎって回避するようにして、腰だめの姿勢でラウラ撃墜を急ぐ。ラウラの一二.七ミリ重機関銃の猛射を浴びながらも、桜の動きを妨害するべく後退した。

 

「動きが単純だ。学園の教師はこの程度のものか……八八ミリ(アハトアハト)を出すまでもない!」

 

 火力による物理的、精神的圧力を無視できない。真耶は二〇ミリ多銃身機関砲の砲火を避けようと考え、左翼に広がることはないだろう。

 

「あの素人……思ったより使えるではないか」

 

 ラウラは両手で構えていた一二.七ミリ重機関銃から右手を離し、桜への認識を改める。副担任が桜の動きを警戒してくれるおかげですんなりと距離を縮めることができた。

 ラウラの頭は体調管理機能のおかげで澄みきっていた。桜を視界に入れても一瞬だけ苦痛が生じるものの、概ね良好だ。

 

「殺らせてもらう! 単調な動きが命取りであることを参加者全員にわからせてやろう!」

 

 一二.七ミリ重機関銃の利点は片手でも扱えることだ。火器管制システムを使えば弾丸を射出できる。

 ラウラは、真耶が放った砲弾をバレルロールでかわす。右手を突き出してプラズマ手刀を展開。手首の隙間から紫電をともなう青色の光の束が出現する。

 その途端、真耶の顔つきが一変した。無表情な、仮面のような、平気でうそをつける顔つき。

 

「イケル……と、思いますよね」

「なん、だと?」

 

 砲弾が立て続けに飛来する。ラウラはシールドエネルギーの大幅な減少に驚かざるを得なかった。プラズマ手刀の射出口付近への着弾と判定され、ついで真耶の顔が視界から消える。が、それも一瞬のこと。常人を超えた動体視力が真耶の姿を再び捉えた。

 真耶はラウラの左側面に移動していた。ラウラの左手は一二.七ミリ重機関銃でふさがっており、左目の眼帯が視界を妨げていることを考慮したうえでの行動だ。もちろん二〇ミリ弾から逃れるためでもある。

 橙色の砲炎を感知。シュヴァルツェア・レーゲンの腰部浮遊装甲が壁となるべく動く。AICを使うか否か。ラウラは歯を食いしばり、腹の奥からうなり声をあげた。突如襲いかかった激しい頭痛によって判断速度に遅延が生じる。なおもラウラの眼球は、砲弾到達時間がゼロに向かう様子を映し出す。

 弾着、今。

 脇からぬっと現れたマニピュレーターが砲弾を受け止めていた。

 

「やめっ。山田先生、そして二人ともそこまでだ」

 

 開放回線から千冬の声が流れる。真耶が引き金から指を外す。いつもの芯が頼りなげな顔つきにもどった。

 ラウラが恐る恐る首をかたむけ、体調管理機能の作用を確かめながら赤いレーダーユニットを凝視する。

 

「おい。三メートル以内に近づくな、と言ったはずだが?」

「危ないときはお互い様や。私が瞬時加速しとらんかったら、殺られとった」

「貴様のおかげで判断に遅れが生じたのだぞ」

「それこそ言いがかりや。自分のミスを他人のせいにするん?」

 

 打鉄零式が伸びた腕を畳む。装甲が青白黒の三色で構成された元の幻惑迷彩にもどった。

 

「文句を口にする前に早く離れたらどうだ。……あと一メートル、下がれ。顔を見るだけで頭が痛くなる」

「なにそれっ」

 

 ラウラがすぐに眉をひそめた。嘘を言ったつもりはない。桜の顔を見るだけで頭痛が生じ、半透明の航空兵の姿が浮かぶ。ISで触れたらおとといのような体験をしてしまうのだろうか。もう一度試す気にはなれず黙って顔を背けた。

 一方、桜はラウラの態度をあからさまな嫌悪だと受け取っていた。嫌われるようなことをした覚えはない。せいぜい眼帯を自分で返そうと思ってカバンに入れっぱなしになっているくらいだ。

 

「IS学園の教員の実力が理解できただろう。以後は敬意を払って接するように」

 

 千冬が生徒に言い聞かせるように手をたたく。滞空する三人に格納庫へもどってくるようにつけ加えた。シュヴァルツェア・レーゲン、打鉄零式、ラファール・リヴァイヴが格納庫への出入り口をくぐる。数分後、千冬や他の生徒が姿を見せる。千冬だけジャージ姿だが、生徒は全員ISスーツ姿だった。

 

「これからグループを作って実習を行う。各グループリーダーは専用機持ちの織斑、オルコット、ボーデヴィッヒ、篠ノ之、佐倉。それからサイトウ、ピウスツキ」

 

 千冬が一度せき払いして生徒全員の顔を眺め回した。

 

「あと一名は……」

 

 千冬がある生徒の顔をじっと見つめる。端正かつ印象の薄い顔立ちが注目を浴びた。

 

「お前がやれ」

「うゲッ。私?」

 

 生徒は自分を指差した。不意打ちを食らって鳩が豆鉄砲をくらったように、目を丸くしてしばらくは口がきけなかった。やがて、ごくりと唾をのんだ。

 

「不服なのか」

「せせせ先生、今、適当に決めましたよね」

「いいな?」

「……ハイ」

 

 千冬の有無を言わせぬ様子に、生徒が肩をすくめて首をうなだれた。

 

「八人グループが六つ、七人グループが二つだ。では、三分以内に班分けしろ」

 

 「きびきび動け!」と、凛とした声が散った。

 

 

 二クラス合同授業を終えて、ラウラはシャワーを浴びていた。

 蛇口をひねって湯を止める。カーテンレールにひっかけたバスタオルをとって体を拭く。湯立った空間。磨りガラスのような壁にうっすらと浮かび上がった女体を眺める。均整が取れた体つき。腰まで垂れ下がった黒髪が乱れるさまに、ラウラは女の理想を見た。タオルに滴をしみこませながら自分の胸元を見下ろす。清らかな童女のまま大きくなったような体つきである。

 別に持参していた巻きタオルをマントのように羽織った。場所を空けようとタイル張りの通路に出る。ふと横を見れば、隣の女が箒だとわかった。昨日、やたらとうわさ好きのクラスメイトに絡まれてあることないこと構わず吹き込まれていた。彼女いわく、箒は男と同棲しているという。

 

「うむ。毎夜、はげんだ結果か」

 

 肩甲骨に湯が滴る様子をそっと流し見てから、眼差しを外す。

 実際には二ヶ月やそこらで形が変わったりしない。しかし、ラウラの頭のなかにはクラリッサや他の女性士官が披露した明け透けな体験談が知識としてつまっていた。肝心な部分は真偽を確かめることがかなわず、クラリッサ相手にそれっぽいことを試してみたことがある。一線がどうのこうのと丸め込まれ、ひたすら理論武装に勤しむことになった。

 

「あーよかった。サクサクまだいたー」

 

 ロッカーから予備のISスーツを取り出したとき、遠くから間延びしてだらしなさそうな声音が響いた。

 

「布仏本音……だったか」

 

 昨日掲示板で見かけた通知に、彼女の部屋番号が記されていたのだ。ラウラは巻きタオルの下からISスーツを身に着ける。

 

「おっと。メールだ」

 

 携帯端末を取り出し、中身を確認する。案の定クラリッサだった。片手で端末を操ってドイツ語の文面に目を通す。

 

〈隊長。生きてますか~恋愛してますか(笑) イチカ・オリムラとは仲良くなりましたか? あっ、女子高でしたね。……コホン。その……友達……は、できましたか? そうそう。このたび、休暇で海外旅行してもよいとお許しが出ました! 行き先は日本! 念願の聖地参りっ! 隊長の制服姿を拝みに行きますよー!!〉

 

 ラウラが画面を消灯して奥に突っ込む。

 

「何をやってるんだアイツは」

 

 思いきりはしゃいだ文面。黒い枝(シュヴァルツェア・ツヴァイク)の専任搭乗者が、軍を空ける暇があるのだろうか。ふとラウラは「あっ」と声を上げて思い直した。

 

凶鳥(フッケバイン)に任せるつもりなのかな」

 

 ドイツの第二世代機で構成された別働隊。隊章はカラス。物騒な名前を冠しているのは、メディア向けの通称が正式名称になってしまったからだ。国家代表が所属することもあり、メディアに露出する機会がラウラの原隊よりも多かった。

 

「もし帰るんだったら一緒にどうかな~」

「せやね。帰ろ……あかん」

「サクサク?」

 

 本音が桜に絡んでいるらしい。

 ラウラはロッカーを整理していた。少しでも彼女らを目にすれば頭痛で苦しむとわかりきっていた。

 

「すまんな。先約があるわ。黛先輩って知っとる?」

「知ってるよ~。整備科の先輩だよね~」

「その人から呼び出されとる。今日は先で帰って。ごめんなあ、そのうち埋め合わせするから」

「絶対だよ~」

 

 その後、本音が谷本たちに呼ばれ、パタパタと足音を立てて去っていった。

 

「私も行くか」

 

 桜の気配が消えるのを待ち、ラウラは更衣室をあとにした。

 

 

「ありがとう」

 

 ラウラが整備科の生徒に礼を言って、愛想良く微笑する。長い軍隊生活から、後方要員を敵に回しても不利益ばかりが目立つことをよく知っていた。

 格納庫では、体当たり専用パッケージ搭載作業に人が取られており、先ほどシュヴァルツェア・レーゲンを微調整した生徒に声がかかった。

 

「日本には物好きがいるんだな」

 

 ラウラは出入り口の影から天井を見上げる。軽い頭痛がして治まるまで目を伏せる。

 もう一度よく見れば、幻惑迷彩の異様な体がまるで磔刑(はりつけ)に処せられた罪人のように固定されている。赤錆色の前部装甲を取り付けると、ISが装甲に埋もれて完全に見えなくなった。

 その直後、女々しく訴える声が開放回線から漏れ始める。

 

「時速五〇〇キロくらいなら死ぬほど乗りまくったんやけど、音速は未体験なんや。いきなり四発とか勘弁してったらあ。せめて、双発で練習するとかできんの」

 

 ラウラは桜の声に顔をしかめて回線を閉じる。

 フィールドに立ち、国際IS委員会に登録済みのコア情報を得るつもりでコマンドを入力する。これまでISコアが冠してきた名称の履歴が表示された。

 ――四一二番、打鉄零式。あの機体の名前か。

 ラウラはひとつ前の履歴を引っ張り出す。英名で「マコウ」と書かれており、初めて目にするISの名だった。

 ――サメ? おそらくデータ取り用の実験機だな。

 すぐに興味を失い、ラウラは大口径レールカノンを実体化する。砲口を隔壁に向け、照準を合わせる。試射のつもりで発射。スピーカーから弾丸の飛翔音が流れ、着弾を示す文章が表示された。

 ――ふむ。こうやってみると案外迫力がない。……相手がいないからな。

 演習モードが有効になっており、シリンダーの動作が抑制されている。実際には弾丸が装填されていなかった。ラウラは続けてレールカノンの砲座を回転させて後方に向ける。非固定浮遊部位を持ち上げ、踵の金属爪(アイゼン)を下ろした。敵機の疑似映像を映し出す。仮想敵はイタリアのテンペスタⅡ型だ。同じ欧州連合の第三次イグニッション・プラン選定の競合機でもある。

 ――発射角よし。……()()

 オレンジ色の疑似砲炎。大気を切り裂きながら驀進する砲弾。弾着、今。飛翔音が遅れて耳に届く。敵機活動確認。第二射、発射手順開始。

 俊足を誇るテンペスタⅡ型を撃ち落とすのは容易ではない。動きを先読みして粉砕しなければならかった。シュヴァルツェア型は機動力を犠牲にする代わりに一撃の精度を高めることを選んだ。その証拠にシュヴァルツェア・レーゲンは精度向上を目的とした試作行動予測システムが搭載されている。

 「騒音と衝撃破に備えて天蓋を閉じる」とのメッセージを受信して、急に頭痛が生じて思わず舌打ちする。にらみつけるように格納庫に顔を振り向ける。体当たり専用パッケージを搭載したISが出入り口から出現するところだった。

 メールボックスに注意を喚起するメッセージが届いた。「パッケージ試用につきご迷惑をおかけします」とある。

 四基のスラスターが金切り声を上げ、全力で回転し、巨体を持ち上げようとする。機体が起き直り、前進を始める。

 ――また、か。

 ラウラが金属爪(アイゼン)を上げて壁際に退くと、視野の隅にログの窓が出現する。午前中と同じ文言が流れた。

 

〈力を求めよ〉

〈願え。(なんじ)、自らの変革を望み、より強き力を欲せ……〉

 

不要(ナイン)。いったい何を望めというのか」

 

 ――過ぎた力は暴走を生む。われらドイツ連邦軍はそのことを肝に銘じなければならん。露払いを命じられ、捨て石にされたとしても。

 

「強すぎる力は毒だ。剣は振るうものだ。振られるものではない」

 

 耳を貫く響きとともに轟音が伝播する。心に覚悟を決めたらしく、抑えの効いた低い声音が聞こえた。

 

「そこの黒いISの……ボーデヴィッヒさん、少しの間、手を休めてくれんか」

 

 返事を待たずして不格好な巨体がラウラの眼前を走る。動きながら速度を上げ、明るい青紫色の炎が立つ。空を舞い上がり、ほどなくして最初の衝撃波音(ソニックブーム)が襲来する。

 

「ぐっ……」

 

 圧するような衝撃。雷鳴に似た、至近距離で砲弾が何度も炸裂したような音が聞こえてくる。いとも簡単に音速を超えた機体は耳を聾する轟音を奏でたまま失速した。銀杏(いちょう)の葉が舞い落ちるように回転しながら落下していく。

 開放回線から性能に振り回され、戸惑った息づかいが漏れる。やがてハイパーセンサーが機体の周囲に発生した円錐状の白いもやを捉える。二回目の衝撃波音(ソニックブーム)。震動で波打つ隔壁に体当たりせんばかりの勢いで突進し、その直前で先端が上向く。

 四基の大型スラスターの後ろに白い筋がうっすらと残っている。機体がバランスを崩したらしく、不規則な回転を始めた。失速して地面にぶつかる直前、傾斜した状態で安定する。一基の大型スラスターが青紫色の炎を噴き上げる。土煙を立てながらラウラに向かって迫ってきた。二〇メートルを超える巨体が眼前を埋め尽くすさまに、ラウラは危機感を募らせる。

 回避機動。しかし、ラウラの動きを予期していたかのように、巨体が向きを変えた。

 

「あかんッ」

 

 スピーカーから衝突を覚悟する声が聞こえたとき、ラウラが舌打ちする。

 ――停止結界!

 即座に正対して両手を突き出し、AICを起動して巨体を受け止める。

 ラウラは一瞬顔をしかめ、機体が安定するのを見て平静を取り戻した。

 

「……ふん。トーナメントまでとっておくつもりでいたのにな」

 

 ラウラは嘆息し、開放回線に向かって鋭い言葉を吐いた。

 

「おい。打鉄零式のパイロット。低速時はむやみに出力を上げるのではなく、慣性制御に意識を集中しろ。でなければ、今みたいに暴れるぞ」

「……ご忠告感謝します」

 

 文句を垂れるかと思いきや素直な返事だった。ラウラは意外に思いつつ、わざと突き放すような言葉を慎重に選んで、ゆっくりと口を開いた。

 

 

 



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越界の瞳(五) 騒動の種

 土曜の朝。桜は寮の食堂にいた。赤ジャージ姿で空席を求めてうろつき、険しい表情の箒を見つけてふらふらと歩み寄っていく。食事中の箒は隣の椅子が引かれたことに気づいて顔を上げる。桜がけだるげに頭を揺らしながら席に着く様子をじっと眺めていた。

 

「……ひどい目に遭うた」

 

 桜は意識がぼんやりしたような、虚ろな表情だった。深々とため息をついてから、皿に盛られた葉っぱをついばむ。

 

「顔が暗いぞ」

 

 箒の声も負けず劣らずだった。

 

「篠ノ之さん、聞いて」

 

 体当たり専用パッケージのこと。箒がぶつ切りの説明にうなずくのを見て、ラウラとのやりとりもつけ加える。

 

「ボーデヴィッヒさんに嫌われとるんやろか。私、三メートル以内に近づくなって」

 

 桜はラウラをそっと流し見る。観葉植物が茂って影になった場所。四人掛けのテーブルの奥に座り、櫛灘が短いやりとりの後、出口を塞ぐようにして通路側に座って一方的に話しかける。ラウラは無視して取り合おうとはしなかった。

 

「ふうん。あのボーデヴィッヒが。わざわざそんなことを言い出すようなやつには見えなかったが……何かやらかしたのか?」

 

 桜は首を振って尖らせていた唇を開く。

 

「知らん。こっちが聞きたいわ。昨日の実習前にな、近寄るだけで不快とか……結構、傷ついたんやけど」

「山田先生との模擬戦。さほど問題があったようには見えなかったぞ」

「足を引っ張ったってけなされるのも好かんからな。ちゃんと仕事はこなしたわ」

 

 桜は「へっ」、とひと息ついてやさぐれた顔で湯飲みに口をつける。極めて緩慢ながらも、箒に首を振り向けた。

 

「そっちはどうなん」

 

 桜は暗にAIのことを聞く。途端に箒の顔が曇った。

 

「昨日、絢爛舞踏を一夏に試したんだ」

 

 桜が聞き慣れない単語をオウム返しに口ずさんだので、箒は説明を加える。

 

「絢爛舞踏というのは、たとえば一しかないエネルギーを一〇〇にする機能だ。説明書の受け売りなんだが、ISのエネルギーを無限大に増幅して出力できるらしい」

「ふうん。まるでオペアンプやね」

「お、おぺ……何だそれ」

 

 電子回路のオペアンプは信号を増幅することができる。ただし単体では電力供給能力がなく、外部電源を必要とする。桜は考えたことをそのまま口にしたと気づいて、あいまいな笑みを浮かべた。コッペパンをちぎって頬張りながら、ごまかすように話の続きを促す。

 

「そういうのがあるんや。試した結果は?」

「一瞬金色に光って、一、二秒で消えた」

「……どういうこと?」

「エネルギー増幅がすぐに終わってしまったんだ。供給できたのは雀の涙。紅椿はガス欠で沈黙。白式にエネルギー供給してやれば零落白夜使い放題と説明書には書いてあったんだ。頭に来てメーカーに電話したら、『仕様です』としか言わなかった」

 

 箒はよほど腹に据えかねていたのだろう。クロエ・クロニクルのにべもない返事を思い出して、憤るあまり顔が真っ赤になる。昨晩ヘルプデスクに「姉を出せ」と電話したら、クロエから外遊中だと断られてしまった。今度は姉の番号に電話したらなぜかクロエが出た。そこで初めて束が携帯電話から居場所を探知されるのを恐れて、現地のプリペイド端末を使っていることを知った。

 

「その……もっぴいの反応は」

 

 桜が言いにくそうに小さく問う。絢爛舞踏なる豪勢な名前に妖しげなにおいを感じ取っていた。桜は紅椿に起こった事象からAI群が制御に携わっているものと推察した。

 箒は眉をひそめてとつとつと語る。

 

「人力発電機ってあるだろ。自転車の形をしたやつ」

「……どんな状況やったか予想がついてきたんやけど、一応聞くわ」

「その人力発電機に乗って、ひたすらこいでたんだ。あいつらが」

 

 桜は小さく口を開けて反応に困った。

 

「あいつら、体力がないからすぐにへばってな。死体が四つ転がったと思ったら、紅椿が沈黙してしまった」

「……どう考えても原因はそれや。体力トレーニングを……待って。AIの体力ってどうやったらつくの」

「その点もメーカーに聞いてみたんだ。そうしたら、とにかくレベルをあげてください、の一点張りだった」

 

 箒がクロエの口まねを交えて語った。

 

「お前のところのタバネさん、だったか? 体力が尽きることはなかったのか」

「むしろ元気がありあまって飛んだりはねたり、最後のほうは暴れまわったんやけど」

「……そうなのか。くそう」

 

 箒は顔をしかめるなり舌打ちする。

 

「紅椿が沈黙した理由をな、AIが自動制御しているからなんだって言っても、誰も信じてくれないんだ。一夏や鈴、オルコットその他にかわいそうな……残念な目で見られたんだぞ……」

 

 箒が机に両肘をつき、頭を抱えこんでしまった。

 

「え、AIは外からは見えんし」

「それだけじゃない! 一夏にな、月末のトーナメントに一緒に出てくれって頼んだんだ。そうしたら……」

「いつからそんな積極的に!」

「大声を出すな。恥ずかしい」

 

 箒が頬を赤くしてぶっきらぼうな口調でとがめた。

 

「ごめん」

 

 あやまったのもつかの間、桜は口元がゆるむのを抑えきれず、まぶしげに目を細める。

 

「織斑の答えは」

「……断られた。箒と面と向かって勝負したいんだって爽やかに言われたら……それ以上何も言えんではないか」

 

 桜は裏の意味を邪推する。紅椿はもっぴい搭載によって打鉄にすら手が届かない低性能機と化している。一夏は冷静に考えて、箒と手を組んでも勝ち目がないと考えたのではないだろうか。箒も日頃AI群に手を焼いているのでわかっていると思い、別の可能性を口にした。

 

「先約、とか?」

 

 箒は顔を伏せたまま寂しげに首を振る。「教えてくれなかった」と消え入りそうな声をもらした。

 桜はかける言葉が浮かばず、残ったコッペパンを口に押しこむ。

 箒が顔をあげていかにも不満そうに唇をへの字に曲げている。冷めたスープをすすってから口を開く。

 

「お前こそ相方は決まっているのか」

 

 桜が痛いところを突かれて苦笑する。

 

「朱音とマリアあたりが良かったんやけど」

「一条はともかくサイトウは……まさか、勝ちに行くつもりか!」

 

 箒は急に元気を取り戻して鋭い眼光を投げつける。桜は隣席の雰囲気が突然変わったことに驚いて目が泳いでいた。

 

「うちのマリア様はくせがないっていうか、その分なんでもできるっていうか。器用貧乏……さすがは代表候補生ってことなんやけど」

「勝つ、つもりなんだな」

「そら勝ちたいわ。負けん戦いを続けるのはしんどい。勝負にこだわるなら代表候補生と組むんが手っ取り早いやろ」

 

 箒がぶつぶつと何かをつぶやいている。不意に目を見開いたかと思いきや肩を大きく震わせてから、おそるおそる口を開いた。

 

「い、一条なら」

「朱音? 判定で競り勝つなら朱音を使うのが妥当と判断したからや」

「その根拠は」

「誰もあの子に攻撃を当てられんから。その代わり、攻撃を当てたこともないんやけど」

 

 朱音は今のところ回避率一〇〇%だが、命中率はゼロである。昨日の実習で、弾倉を抜いた銃火器を持たせてみたら、へっぴり腰で危なっかしかった。ほかの一般入試組も似たり寄ったりで、銃火器の取り扱いは留学生に歩があった。

 桜は気を抜いて足を投げ出す。

 

「残念ながら二人とも相手がおるみたいで、今のところ、私はフリーや。篠ノ之さん。もし優勝したいんやったら、更識さんと組んだらええ。ほかの子に取られる前に。善は急げって言うやろ」

「お前は更識と組まないのか」

 

 桜は顔の前で手を振った。

 

「対抗戦で再戦するって言っとったからね。それに弐式は……ちょっと」

 

 剣玉フレイルが簪の手に、超振動ナイフが桜の手に渡ってしまったことによる確執があった。倉持技研の内部事情も絡んでいる。次期量産機開発の主導権争いが表面化し、「弐式をたたきのめせ」「零式をボコボコにしろ」などとタッグを組むことはまかりならぬ、という通告が出ていた。

 

「どこかに優勝候補が転がっとるとええんやけど」

 

 桜はもったいぶった口調でうそぶいてみせた。

 箒は口をつけていた湯飲みを置いて、桜の肩に手を置く。

 

「すまんが、このあと頼む」

「今日はマリアも一緒やけどええの?」

「ああ。くせがないんだったら、見本にはちょうどいい」

 

 

「というわけで、学年別トーナメントに優勝すれば織斑くんと付き合えることになりました。学生なら恋愛。思春期なら恋愛。箔がつくと思ってボーデヴィッヒさんも一枚かみませんか」

 

 ラウラはひとりで朝食をとりながら、隣の席で一方的にしゃべり続ける櫛灘にうんざりしていた。やれ恋愛、やれ交際だの言われても興味がない。極めて些末な出来事に一喜一憂する暇があれば訓練しろ、と言ってやりたかった。

 今の一年生が卒業時点でもパイロットでいられる保証はどこにもない。卒業した生徒数を調べると入学時よりも明らかに人数が減っている。途中で転校した者が少なからずいる証左だった。

 

「セシリア・オルコットと凰鈴音が手を組んだことはご存じ? え、知らないの? じゃあ下馬評とゴシップを交えながら教えて差しあげましょう」

 

 話題が一年生内部の力関係や上下関係にまで波及する。あげくの果てに「更識楯無に逆らうな。手が早いから気をつけろ」とまで言いきった。学園の影の実力者は楯無、すなわちロシア代表とも口にしている。だが、櫛灘の顔が笑っているのでまるで説得力がなかった。

 ラウラはソーセージを噛み砕く。気が済むまで聞き流してやるつもりでいた。だが、牛乳を飲みながらふと疑問がわいた。ラウラは聞いて損はないと考え、真偽はともかく何でも知っていそうな眼前の女に話しかける。

 

「織斑一夏が誰と組むか、情報はあるか」

 

 急に声をかけられて、櫛灘は目を白黒させた。すぐに余裕ぶった表情を作って邪悪な印象を醸し出した。

 

「……これは確定情報ではありませんが」

 

 顔を寄せてひそひそとささやき声を出す。

 

「フランスの代表候補生の転入を待っているとか」

 

 ラウラは無言のまま鋭い視線を向ける。櫛灘は一夏と箒が同室だと告げたときのように含み笑いを浮かべて、まがまがしい雰囲気を形成する。

 

「美少女だっていう話じゃありませんか。デュノア社のご令嬢」

「今はタスク社だ」

「失礼。元、でした。専用機持ちの代表候補生なら実力も折り紙つき。え……と、ことわざがありましよね、英雄なんちゃら」

「英雄色を好む」

「そう、そんな感じ。織斑くんだって男の子だから、見目麗しい女の子と手を組んだあげくイベントにかこつけて、肉量に顔を埋めてウッハウッハしたいんだって()()()()()言ってましたよ」

 

 櫛灘は自分の胸をすくいあげ、寄せてあげては谷間を作る。シャルロット・デュノアは一五歳にしては発育良好だと言いたいらしい。

 ラウラは一夏の顔を思い浮かべる。ここ二、三日で観察した結果、熱心に訓練しているのは事実だった。だが、女色を好む傾向にあるかと言えば疑問符がつく。

 櫛灘が携帯端末を出し、シャルロットの写真を表示させた。ゴシップ紙の写真を取り込んだものらしくカメラ目線ではなかった。

 ラウラは興味なさそうにシャルロットの顔を眺める。

 ――どこに行っても変わらんな。この手の話は。

 すると櫛灘の指が画面にあたって写真が切り替わる。タンクトップにホットパンツを身に着けた千冬の写真が出現した。湯上がりなのか首にタオルを巻き、ハーフサイズのの牛乳パックにストローを差して口をすぼめている。ラウラはフォークを置き、すばやく櫛灘の手首をつかんだ。

 

「……コレはナンダ」

「どこからどう見たってうちの担任です。千冬様のご尊顔にあらせられます」

 

 櫛灘は説得力のない顔つきで、次の写真を表示する。

 花柄のゆるいガーリースタイル。居心地悪そうにそっぽを向く千冬。背景が鏡になっており、隅にカーテンが映っているので試着室だとわかる。撮影者の姿が映り込んでいた。豊満な胸囲の持ち主だとわかる。純朴そうな眼鏡のフレーム。携帯端末と手で顔の一部が隠れている。

 

「こんなのも」

 

 今度は茶室だろうか。着物姿の千冬が茶を点てていた。アップスタイルの髪型。化粧をしており、女ぶりが増している。背景に丸い化粧鏡が映っており、そこにはカメラを構えた横顔が見切れていた。

 

「撮影者は副タン」

「違います。やまやです」

 

 同一人物である。それからすぐ櫛灘は誤操作をわびた。何枚か千冬の写真が過ぎったのち、再びシャルロットの写真に切り替わった。

 

「えっ……」

 

 右目が写真を注視したまま、ラウラの口から物欲しげな吐息がもれる。櫛灘の雰囲気がまたしても邪悪に染まった。

 

「織斑先生に興味がある?」

 

 ラウラが何度も首を縦に振る。

 

「織斑先生にあこがれますよね」

 

 同意を示そうと深くうなずく。

 

「写真が欲しい?」

 

 櫛灘の指が動き、千冬の写真が出現する。そのまま携帯端末をポケットにしまいこもうとした。ラウラは虚を突かれた形であわてて首肯してみせる。

 

「今度のタッグトーナメント。優勝すると織斑先生からご褒美を頂けるそうです。ボーデヴィッヒさんの転入前にぽろっと言ってましたよ」

 

 ラウラは真剣な目で櫛灘の顔をのぞき込んだ。

 

「本当ですって。もし不安なら山田先生に確かめてもらっても構いません」

 

 一般生徒をやる気にするため、実はどのクラスでもささいな褒美を出すことになっていた。千冬は慣例に従っただけである。

 

「写真は……どうすれば」

「お近づきの印に一枚だけ差しあげます」

「つまり、二枚目以降は対価を求めるのか……?」

 

 櫛灘が破顔する。ラウラの耳元で「わかってるじゃないですかあ」と甘ったるい声でささやいた。

 

「ボーデヴィッヒさんにはちょっと協力して欲しいことがあるんですよ」

「……なんだ」

 

 ラウラは写真をチラと見てから、赤い瞳を櫛灘に向ける。共闘を要請するつもりだろうか。今から櫛灘を鍛えても到底間に合うとは思えなかった。

 

「次のトーナメント。誰か適当な人と組んで軽く優勝してくださいな」

 

 ラウラは読唇術を駆使して「更識先輩とちょっとした賭けをやってまして」とつけ加えたことに気づく。

 

「そんなことでいいのか」

「要は先輩の妹さんが優勝しなければいいんです。親の総取りさえ阻止できれば」

 

 櫛灘はくれぐれも簪に対して卑怯な手段を使わないよう念押しする。公言できないような方法だと、やはり親の総取りが実現してしまうとも口にした。

 

「人を賭けの対象にする気か」

 

 ラウラの声はとがめるような響きを含んでいた。

 

「ちょっとした賭けくらい、ボーデヴィッヒさんだってやったことあるでしょう」

「……食事を賭けてカードを少し」

 

 ラウラは最初こそカモにされたが、勝ちすぎて相手にされなくなっていた。手札をすべて記憶したり、相手のくせを逆手にとるなどしてやりすぎてしまった。

 

「新聞部主催、公式の余興なんですよ。生徒のガス抜きに目くじら立てたらキリがないし、欲求不満が募って変なことされても困るだろうし」

「ガス抜きには賛成だな。原隊でもときどき羽目を外したものだ」

 

 主にクラリッサやほかの隊員が騒いでいた。ドイツでは公共の場所におけるビール、ワインの飲酒・購入は一六歳から、蒸留酒(スピリッツ)は一八歳から認められる。ラウラは一六歳未満だったので、隅っこでちびりちびりと牛乳を飲んでいた。

 

「だが、……貴様の言い分だと代表候補生をすべて倒せ、と言っているように聞こえるぞ」

「ボーデヴィッヒさんはもしや優勝する自信がないとでも?」

「まさか」

「だったら簡単じゃあないですか」

 

 学年別トーナメントは優勝までに六回、シード権を入手すれば五回戦うことになる。決勝が近づくにつれて消耗は避けられないだろう。

 

「確証のない約束をしたくないだけだ」

「仕方ない……ボーデヴィッヒの姐さん。ちょいと耳を貸してくだセエ」

 

 櫛灘が突然芝居がかった口調で顔を寄せてきた。眉をひそめながらも、ラウラは言われたとおりにする。

 

「臨海学校の部屋割りに小細工をするッテエのは。手前はこれでも臨海学校実行委員。先生のお手伝い。何、枕の位置を変えるだけの簡単な仕事。少しばかり表をいじるわけで、小細工を弄してもわかりゃあしません」

「そんなことが」

「前々日までに希望を仰ってくれたら」

「……考えておこう」

「姐さん。交渉成立と見てよろしいんで?」

 

 ラウラは薄く笑った女の瞳をまっすぐ見つめて、ゴクリと喉を鳴らした。

 

 

 第三アリーナ。休日のため観覧席の人影はまばらだ。

 黒いISがアリーナの土を踏み、大口径レールカノンを展開している。シュヴァルツェア・レーゲン。ドイツが生み出した第三世代機は広大な空間の中心にぽつんと立っていた。

 ハイパーセンサーが複数のISをとらえる。最も近くにいるのは天蓋にぶらさがっている暗緑色の多脚型だ。背部に作業用機械腕を二基背負い、分厚い装甲板をつかんでいた。

 ラウラは調整用のコンソールにコマンドを入力する。直線を多用した姿形なので興味があったのだ。

 

「特一九型……日本らしいとはいえ、名前が味気ないな」

 

 ついでに過去の履歴も引き出す。

 

「前は……ほう、シュペルミステール。まさかコアが極東にまで流れているとはな」

 

 シュペルミステールは不運機としてIS開発史に名を刻み、フランスで一機だけ試作された第二世代機である。第二次イグニッション・プランでは選考に破れ、開発元の企業は後発のラファール・リヴァイヴに市場競争で負けてIS事業から撤退。さらに委員会にISコアを返却する際、強奪未遂事件が発生している。

 ラウラは操作をやめてメールボックスを確認する。桜が箒の特訓に付き合うようなことを小耳に挟んでいた。

 限定空間で体当たり専用パッケージを使用するかもしれない。ラウラが整備科に話を聞いたところ、体当たり専用パッケージはその名が示すとおり対IS戦を想定したものだった。経験の浅い生徒が専用機や代表候補生らを打破するために製造された。しかし、操縦性の悪さから高い技量を要求され、本来意図した層から敬遠されるという有様だ。キャノンボール・ファストにも対応可能だが、やはり操縦性が影響して誰も使わなかった。

 ラウラは一覧を更新する。織斑一夏の名を見つけ、視線を落とした途端危うく舌打ちしそうになった。セシリアや鈴音の名が連なっていたからだ。一夏ひとりならば模擬戦をしかけてみるつもりだった。白式の単一仕様能力(ワンオフ・アビリティー)を発動させ、その予兆を確認しておきたい。もし足が止まるなら絡め取り、狙い撃つ。ラウラの知る千冬の戦い方との相違を自分の目で確かめてみたかったのだ。

 ――ようやく私の前に立つか、と言いたいところだが。

 ラウラにとって不本意だが、一夏やその周囲の人間関係についてある程度把握していた。櫛灘が憶測を交えて語ったところによれば、セシリアと鈴音が一夏に思いを寄せている、と。

 ――恋だの愛だの、くだらん。

 クラリッサは「恋を経験しなさい」と言った。ラウラ自身は誰かに恋心を抱いた経験がない。その代わり他人とずっと一緒にいたいと感じたことはある。千冬がそうだし基地にいる兵士全員が家族みたいなものだ。特定の男性とそういった関係に陥るなど、ラウラは一度も考えたことがない。想像すらできなかった。

 ――特に横恋慕など、ろくなことにならん。

 年頃の男女が同居すればどんなことになるのか。クラリッサの知人で離婚経験のある女性士官が細大もらさず話してくれたことがある。よって、その手の話に免疫があった。櫛灘から誇張した情報を吹き込まれても、ラウラは眉をひそめたにすぎない。もしセシリアと鈴音がともに姿を現せば、男の話題でいがみ合いが生じる。彼女らが感情にのまれた姿を容易に想像できてしまった。

 ――セシリア・オルコットか……。

 美人ではある。BT型一号機(ブルー・ティアーズ)の搭乗者ともなれば欧州国内での注目度は非常に高い。新型機を与えられたことはつまり、彼女は並み居る候補生よりもとびきり優秀ということだ。ラウラはイグニッション・プランが絡むこともあって、特にセシリアを警戒していた。

 ラウラに課せられた任務のひとつにシュヴァルツェア・レーゲンの宣伝があった。欧州連合の第三次イグニッション・プランは現在、BT型が一歩先んじている。もしBT型よりも勝っていると示すことができれば選定委員の心証が良くなるはずだ。

 ――二号機の一件があったのに状況が変わらない、というのはな。

 亡国機業(ファントム・タスク)BT型二号機(サイレント・ゼフィルス)と酷似した機体「ダーシ」を運用している。ほかにもアフリカで目撃されたバングなるISのスラスターノズルが二号機そっくりだとされている。

 連邦情報局はBT型二号機の情報流出を疑っていた。だが、イギリス政府は痛む腹を探られたくないのだろう。情報を制限して、真偽を確認できないようにしていた。

 ――委員会と手打ちしたのだろう……憶測を並べても始まらんな。

 

「お出ましだ」

 

 カタパルトデッキから青いISが飛び立つ。喜色を浮かべながら即興曲(カデンツァ)を奏でるブルー・ティアーズの姿をとらえた。セシリアの顔が肉眼でもはっきり見えたとき、ラウラの唇が獰猛(どうもう)な形に変わる。

 ――やるか……。

 模擬戦をしかけ、不測の事態への対応能力やくせを確かめる。ワイヤーブレード、プラズマ手刀、大口径レールカノンは準備万端だ。アリーナの使用規則は頭にたたき込んである。

 ブルー・ティアーズが低空を飛び、砂煙が舞い上がる。天蓋まで急上昇し、速度を落として悠然と旋回。滞空しながらシュヴァルツェア・レーゲンを見下ろす。

 ほどなくして甲龍も飛び出してきた。鈴音はラウラを見ても大して驚きはしなかった。

 ――やろう。好敵手候補の能力も確かめるのだ。パイロットの資質もな。

 ラウラは開放回線に接続し、不敵な面構えで口を開いた。

 

「ブルー・ティアーズのパイロット、聞いているか」

「ん……なんですの」

 

 ラウラはセシリアによく思われていないことを承知のうえで続ける。

 

「こちらボーデヴィッヒ。貴様との模擬戦を望む」

「あら、残念。先約がありますの。これから鈴さんと練習する予定になっていますから」

 

 セシリアは「学年別トーナメントに向けての特訓」だと付け加える。

 

「ちょっと転校生。割り込みしてもらっちゃ困るんだけど?」

「ハッ。中国の代表候補生か」

 

 ラウラは右目を細めて、わざと鼻であしらった。鈴音は見るからに強気だ。IS搭乗者は花形だけあって負けず嫌いな女が多い。鈴音も例外ではなく自信に満ちた声を放っていた。

 

「あわてるな。結果はすぐに出る」

「まあ。あなたは自分がすぐ負けると認めるおつもり?」

 

 ラウラは愉悦に満ちた顔でため息をついたかと思えば、急に高らかに笑い出した。鈴音が目を細めて険しい表情になる。セシリアは優雅で愛らしい顔つきのまま、次の言葉を待っている。

 

「……ハッハッハッ。私が負けると? 冗談にしてはひねりが効いてないぞ、英国人。色ボケして舌の根まで鈍ったか」

「ボーデヴィッヒさん。いくら性能で負けているからといって、悪しざまに罵るのは美しくないですわね。それとも、虚勢を張っているだけかしら?」

「ふんっ。試してみればいい」

 

 後に引くつもりはなかった。ケンカをふっかけた以上、ラウラから下がれば己の非力を認めたことになる。シュヴァルツェア型が性能面で劣るという印象を持たれたくなかった。短兵急で血気に逸っているように見せかけ、虚勢とも受け取れる表情で挑発し続ける。

 

「ブルー・ティアーズも貴様のような搭乗者では浮かばれまい」

 

 ラウラは一夏に触れながら揺さぶりをかける。

 

「発情し、頭のなかはお花畑。程度が知れている。惰弱な男にうつつを抜かした貴様が勝てるはずはないのだ。貴様など足元にもおよばないと、この私が直に教育してやる。ありがたく思うがいい」

「ボーデヴィッヒさん」

「アンタッ。その言い草は……」

 

 ラウラは接近し、眼前で睨み付けるようにして立つ鈴音を見ても表情を変えなかった。

 ――簡単だな。

 鈴音の鋭い視線を身に受けながら、ラウラは櫛灘が勝手にしゃべった言葉のひとつひとつを思い返す。

 ――優勝すれば織斑一夏と交際できる、だと? ばかばかしい。そんな眉唾に乗せられて騒ぐとは愚か者め。

 ラウラは櫛灘の戯言に乗ったことを棚あげする。好きな男に目がくらんだ同級生をあざ笑った。

 

「幻滅だ。同じ第三世代として『ブルー・ティアーズ』と『甲龍』には、もっと強そうなイメージを抱いていたのだが、……搭乗者がこれでは、な」

 

 拍子抜けのため息をついて首を左右に振る。肩を落として、もう一度深く息を吐いた。

 セシリアの眉が一瞬はねる。まだ余裕があるのか、故意に辱めるような発言を耳にしても怒気を露わにしない。だが、感情を荒立てないセシリアと対照的に、鈴音の声に険悪な響きが宿る。

 

「アンタ。さっきから何。バカにしてんの」

「まあまあ鈴さん。口先だけですわ」

「キャンキャンほえるなよ。最初から甲龍など眼中にないのだ」

 

 鈴音が目尻をつりあげる。

 

「はア? ボコられたいわけ?」

「鈴さんったらおよしなさい。この方は言葉のお勉強が足りていませんの。わたくしたちが力を誇示しても、弱い者いじめにしかなりませんわ」

 

 ――ちょろい。

 ラウラは口角をつりあげ、負けじと言い返す体で悪口雑言を続ける。

 

生娘(きむすめ)ども。山田先生から聞いたぞ。セシリア・オルコット、股ぐらに突っ込むしか脳のない輩に敗北寸前まで追い詰められたそうだな。甲龍にいたっては手負いの打鉄に瞬殺されたとか。第三世代と大手を振る割に、大したことないのだな」

 

 事実だけに鈴音は言い返すことができず、唇を噛んだ。

 

「一夏さんを悪く言うのはやめてくれません?」

 

 セシリアの冷たい声音に、ラウラが(そら)っとぼけた調子で何度も瞬きする。

 

「別に織斑一夏だと言った覚えはないが……」

 

 セシリアが露骨に眉をひそめた。鈴音と目配せしてから、ラウラが一夏を揶揄する前に、憤りを押し隠して静かに告げる。

 

「わかりましたわ。そうまで仰るのでしたら、受けて立ちます」

「終わったら代わってちょうだい。今、ちょうどこいつを一発殴ってやりたい気分なの」

「面倒だ。一緒にかかってこい! 下らん種馬に股を開くだけのメスに、この私が負けることなどあり得るはずがない!」

「よくほえる口ですこと!」

「演習モード。フィールド分割ルールを適用する。双方異論はないな?」

 

 セシリアと鈴音は同意してうなずく。互いの獲物を実体化し、セシリアはスターライトmkⅢを、鈴音は双天牙月を握りしめる。ラウラは左頬をつりあげた左右非対称の表情を浮かべ、犬歯をむき出しにして笑う。

 三人のISソフトウェアがフィールドを半分に仕切った。このルールは格闘戦やISコアの増加を見越して制定されたものだ。しかし、現状ではほとんど使われていない。

 模擬戦実施の通知が、学内ネットワークを介してピットや格納庫、そしてほかの利用者、すなわち桜や箒、マリア・サイトウ、柘植研究会にも行き渡った。

 

「この私とシュヴァルツェア・レーゲンの前では、貴様らは有象無象のひとつでしかない」

 

 ラウラは眼帯を量子化し、黄金の瞳を露わにして言い放つ。

 

()()()

 

 

 



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越界の瞳(六) 粒子

 ブルー・ティアーズのサイド・バインダーから四基の射撃ビットが飛翔する。搭乗者の意思を反映した青いBT型兵器がその砲口を地上に向けた。

 

「いつまで耐えられるか見物ですわ」

 

 セシリアの声は兵器に信頼を寄せ、揺るぎない自信に裏打ちされている。射撃ビットは遮蔽物の多い限定空間において、最も能力を発揮する。戦闘領域を半分に仕切ったことは、つまりラウラの失策ではないか、と考えていた。

 地上では鈴音が双天牙月を構えたところだった。クラス対抗戦と同じ(てつ)を踏まぬよう、挑発を繰り返すラウラを警戒する。ラウラが手のひらを天に向け、何度も指を曲げてあからさまに誘ってきたからだ。

 ――まずは接近戦。甲龍(シェンロン)からだ!

 ラウラは両肘を短く畳み、拳をつくる。地面を蹴って接近。数瞬前まで立っていた場所は土煙をあげながら大地を削る。龍咆は弾丸を使用しないため、演習モードの適用範囲外だ。ラウラの黄金の瞳は、小威力弾を連射する鈴音の様子を捉え続けた。下半身に集中する弾丸。足回りから潰す腹か、そう考える。

 

「動きが単純ですわよ。大口をたたいたくせにその程度かしら?」

 

 セシリアの余裕ぶった声音が開放回線(オープンチャネル)から響く。四方からレーザー掃射。赤、緑、青の光が網目のように放たれ、鈴音ごと撃ち落とした。甲龍の残エネルギーを示す値が減少している。

 

「危ないじゃないの! セシリア、アンタねえ!」

「なんのことかしら?」

「あたしもいるってこと考えなさいよ!」

 

 絶え間なく撃ち出されたレーザーを避けるべく、ラウラは一零停止を用いて機体の進路を即座に変更。ふたりの言い争いが勃発するなか、ラウラは大きく盛り上がった装甲のすき間からワイヤーブレードを射出した。

 ――戦闘中におしゃべりとはな!

 漆黒のワイヤーが目標に向かって蛇のごとく地面を這った。ワイヤーコイルが激しく回転し、ラウラもまたレーザー光を避ける。なおかつワイヤー同志が絡まないように慎重を期した。

 

「鈴さん」

「なんなのよ!」

「砲撃が来ますわ!」

 

 滞空するセシリアは、大口径レールカノンの砲口が甲龍をその射界におさめる様子を目撃した。

 コンマ数秒のち、周囲の空間に轟音と閃光が充満した。龍咆の弾幕を突破して急速に接近する砲弾。物理弾頭が大気を引き裂きながら驀進するさまは、実際にはCGであることを忘れさせるような迫力があった。

 鈴音は舌打ちして地面から足を離す。警告を聞くまでもなく、スラスター出力を全開にして対IS用特殊徹甲弾から逃れ、ラウラを高機動戦闘に誘う。が、ISコアから「まもなく戦闘領域外」とのメッセージを受けて、方向転換を余儀なくされた。

 

「やりにくいったら……」

 

 龍咆で迫り来るワイヤーブレードを迎撃する。弾道を読んでいたのか、ワイヤーブレードが針路を変更した。

 後方に体が引っ張られた。鈴音は強い力を感じ、それ以上前に飛ぶことができず顔から地面に突っ込んでしまった。直後、頭を押さえつけるようにスターライトmkⅢの砲撃が飛ぶ。鈴音は激しい力で引っ張られ続け、目を開けた瞬間、ラウラの拳が迫っていた。

 

「チイッ――こんのお!」

 

 鈴音が身体をひねりつつスラスターを最大出力で噴射。ワイヤーがたわみ、すき間が生まれる。あえて懐に飛びこむつもりで動き、ラウラの顔面に膝蹴りを見舞った。

 ――反応速度は及第点をやろう。だが、それまでだ!

 ラウラは左手首のノズルからプラズマ手刀を展開。スラスターの推力を利用し、甲龍の膝に突き立てる。

 二機の間に火花が散った。近接兵装は演習モードの適用範囲外だ。当然衝撃と震動から逃れることができない。

 ラウラは余裕ぶった表情のままワイヤーブレードを引き寄せる。

 

「遅いと言っている!」

「ぐっ……」

 

 プラズマ手刀の使用をいったん止めて、鈴音の虚を突く形で押し倒す。背中を(したた)かに打ちつけた口から苦悶のあえぎが漏れる。鈴音が片目を開けたとき、赤と黄金の瞳が嗜虐(しぎゃく)的な色を帯びた。

 ――怒る姿は悪くない。

 

「アンタッ」

 

 その叫び声は、鈴音の内面の烈しさを映し出していた。ラウラの瞳が物語る感情を敏感に感じ取ったのかもしれない。

 鈴音の体が大きく震えた。動く足でラウラを蹴りあげようとした。ラウラがその足首をつかみ、無造作に引きずり回す。セシリアの舌打ちが開放回線から聞こえ、ほどなくして鈴音の短い悲鳴が耳に突き刺さった。

 

「ふん。盾にはちょうどいい」

 

 ワイヤーをたぐり寄せ、荒々しく鈴音の腰に手を回す。甲龍の装甲を盾代わりにして、極太のレーザー光線が飛び交うなかを進んだ。

 

「離せっ……離せっての!」

 

 演習モードのせいだろうか。セシリアの攻撃は鈴音の被弾を一切考慮していなかった。四基のビットがめまぐるしく位置を変え、濃密な砲火を形成する。セシリアはビット操作と火器管制に集中している。自分自身は動きを止めたままだった。

 ラウラは天蓋に向かって大きく弧を描いて飛ぶ。ハッ、と鋭い息を絞り出すや横投げの要領で鈴音を投擲する。セシリアの目が見開かれ、思考が分散した。

 砲火の一部が悲鳴をあげた鈴音に迫った。

 ラウラはふたりの位置を常に把握して、射線上にセシリアを挟むように動く。よしんば龍咆を乱射されたとしても被弾を免れるためだ。

 

「邪魔だ!」

 

 手近なビットを足蹴(あしげ)にして方向転換。セシリアが事態を認識するよりも早く、ラウラの顔が眼前にあった。

 

「なっ」

「判断の遅れは死を招く。覚えておけ。英国人」

 

 大口径レールカノンがセシリアの乳房を押し潰した。青い瞳が恥辱に染まる。みるみるうちにセシリアの表情が強張っていく。背後から鈴音が悲鳴をあげながら飛来して衝突する。二機のISが互いに激しくもみ合いながら墜落していった。

 

「遅すぎる。だからこそ、貴様らは無力なのだ」

 

 ――教官の強みは戦闘時の精確な判断、見切りの良さだ。速く、鋭い。それゆえ強い。そして、越界の瞳(ヴォーダン・オージェ)を持つ私ならばたやすく実現できる。

 

 

「増えた……だと?」

 

 アリーナの壁際で、篠ノ之箒はひたすら困惑していた。赤い長靴を履いたもっぴいCと腕を組んでフォークダンスを踊る二頭身がいる。姿形からもっぴいでないことは明らかだ。むしろ、姉の顔がまぶたに浮かぶような服装センスと顔つきに頭が痛くなってきた。しかも目つきが悪い。目の縁を彩る黒いアイラインが不健康さを醸しだしている。

 もっぴいCが謎の二頭身の手に乗って飛び跳ねた。謎の二頭身がすかさず前方に移動し、両手を天に向けて落下するもっぴいCの腹を受け止める。もっぴいCは右腕をしたり顔の正面に突き出し、左腕を引く。足の裏から炎を噴き出す姿が描かれた。

 

「くそっ。佐倉はまだか!」

 

 桜は更衣室で生徒会長に足止めされて遅れていた。ロッカーの中から忍者のように出現した楯無が桜に抱きついて、簪ちゃんがやさぐれてどうのこうの、と口走っていた。箒とマリアが先にIS格納庫に到着していた。だが、マリアが使う打鉄は砲戦仕様への換装に時間がかかっていた。

 もっぴいAとBの組がCらをまねた。二体とも手足が震えており、腰が定まらない様子だ。もっぴいBが跳びはね、Aがしたり顔で受け止めようと両手を天に掲げる。だが、もっぴいBがAの足元に落下してしまった。全身を強く打ち、短い悲鳴をあげる。そのままぐったりして動かなくなった。

 続けて謎の二頭身がもっぴいAとDを持ち上げる。二体のもっぴいが同時に飛び跳ね、一回転した後「合体!」と叫んで空中で激突した。もみ合ったまま地面に落下。全身を強く打って動かなくなってしまった。

 

「どうしてこんなときに……」

 

 箒は五体目の対処について、すぐにでも質問したかった。自分の手に余る問題だと感じていたからだ。

 謎の二頭身は懐から取り出した牛乳瓶をもっぴいCに手渡す。瓶の側面に758のロゴ、七色に光る液体で満たされていた。もっぴいCは腰に手を当て、何の疑いもなく中身を飲み干す。空になった牛乳瓶を返すや何度も万歳を繰り返した。液体を口にする前よりも心なしか体が赤くなっている。ほかのもっぴいたちは気を失って微動だにしない。

 紅椿の装甲から黄金の粒子が噴き出し始めた。もっぴいの奇行は今に始まったことではなく、今さら驚くことではない。箒は乗機の変化に驚きながらも、すぐ冷静になってレベルを確かめる。

 ――変わってないぞ!

 村人、すなわちレベル1のままだった。もっぴいCは赤い体で取り憑かれたように腕立て伏せを繰り返している。

 

「おい。そこの黒いヤツ、見ているだけのつもりか?」

「やってみたいのはやまやまだが……」

 

 箒は眉をひそめて不敵な笑みを浮かべたラウラを見やった。手のひらを天に向けて、指を折って挑発してきた。足元にはセシリアと鈴音がワイヤーの拘束を振り解こうともがいている。顔を拡大し、二人が目に涙を浮かべる姿に驚いた。

 

「何てことを……」

 

 セシリアの目尻から水滴がこぼれ落ちた。痛み、それとも悔しさだろうか。普段気丈に振る舞う彼女が頬を真っ赤にして泣いている。ワイヤーが締まり、苦悶の声が漏れた。

 さすがに見ていられない。同級生のあられもない姿を公衆の面前にさらし続けるなど許し難い。箒は義憤に駆られて大音声を張り上げていた。

 

「そこまでだ!」

 

 スラスター出力は目いっぱいだ。今のもっぴいでは弱中強の三種類しか扱うことしかできなかった。

 

「ほう。私の前に立つ勇気だけは褒めてやろう」

 

 紅椿の足周りから橙色の炎がきらめいて消えた。最大出力を記録して着地した箒に、ラウラが感嘆の吐息を漏らした。

 箒がロングブレードを実体化する。その刃は黒く染められ、鍔や柄まですべてが真っ黒だ。紅い眼鏡が淡く輝き、腰を入れたままにじりよる姿は武者というよりむしろ歩兵である。大戦期のドイツ陸軍を彷彿とさせる意匠にラウラの目が輝く。

 

「おい。篠ノ之」

「……何だ」

「貴様ひとりでは荷が勝ちすぎているぞ」

 

 ラウラがため息を吐き、思い出したように鼻で笑うのが聞こえた。紅椿は自称第四世代の万能機。軍事兵器の歴史において天才が作った駄作機はいくらでも存在する。箒が学年別トーナメントの話をそれとなく口にすると、みんなそそくさと話題を切り上げるのが常だった。

 

「……くっ」

「あいにく私は余興で忙しい。シールドエネルギーを傷つけずに作業するのがだんだん楽し、……なかなか骨が折れるんでな」

 

 セシリアが顔を真っ赤にして身をよじる。ぷっくりとした唇からあられもない声が漏れ、体を這うワイヤーからもたらされる未知の感覚に戸惑いを隠せない様子だ。

 

「今の私でも悪行を止めるくらいなら、できる」

「篠ノ之。貴様にはこれが悪行に見えるのか」

 

 ラウラは問いかけた。二本のワイヤーで両腕、両足を拘束。余った一本で胴体の動きを制限する。胸元で8の字が横倒しになり、人体を傷つけることなく抵抗の意思を削ぐ。

 

「見ていられないっ」

「芸術品にはそれ相応のもてなしが必要ではないか。先生のワイヤー操作技術はもはや芸術の域と言ってもよかった。かつて力に酔った私を縛り上げ、先生はおっしゃった。日本には不可思議な文化がある、と」

 

 箒がセシリアから目を背ける。潤んだ瞳を正視することができなかった。

 

「私には理解できない。理解したくもない!」

 

 セシリアが太股をこすり合わせる。見ないでくださいまし、と懇願するやラウラが歯を見せて大声で笑った。

 

「ふたりを離せ。さもなくば」

「斬る、と?」

 

 ラウラはワイヤーの締め付けをわずかに強めた。セシリアの目が見開き、口からよだれとおぼしき液体が流れ落ちる。

 だが、場違いな声が雰囲気を変え、一歩を踏み出そうとした箒の動きを止めた。

 

「わっはははは! アヒャヒャヒャ!」

 

 鈴音が狂ったような笑い声をあげている。ずっと我慢してきたせいか、破局を迎えた途端、腹がよじれて息もできない様子だ。

 ラウラはいったんセシリアへのワイヤー操作を止め、一緒に拘束した鈴音をせせら笑った。

 一方、箒は奥歯を強くかみしめ、やはり顔を背けたままだ。

 過去の記憶がよみがえり、鈴音からも目を逸らした。束が白騎士を試作していた頃、船外の精密作業を想定してマニピュレーターに自由度を持たせようとした。束は幼い箒を実験台として脇の下や脇腹をひたすらくすぐったのである。

 鈴音に絡みついたワイヤーは、先端が細かく分かれて刷毛(はけ)状になっていた。ISスーツの上から、そして脇の下など露出した肌を軽快かつ繊細に優しく撫であげる。ラウラは笑い死にそうな鈴音を見て、さすがに心配になってワイヤー操作を止めた。

 ようやく息継ぎに成功した鈴音はラウラを鋭くにらみつけた。

 

「くすぐりなんて卑怯じゃない! だいたい、セシリアと扱いが違うじゃないの! 不公平よっ」

「相手によって対応を変えるのは当然だろう」

 

 セシリアは顔を真っ赤にして切ない声をあげ、同じく顔を真っ赤にした鈴音は笑いころげた。ラウラはホワイトマシュマロのようなセシリアの肌にかすかな嫉妬を覚え、その感情がよく理解できぬまま勢いで縛り上げてしまったのが実情だ。鈴音もアジア系ならではのきめの細かい肌だった。残念ながらラウラの琴線に触れるものはなかった。

 

「変えすぎだって言ってんのよ!」

 

 ラウラが何を思ったのか、急に真顔になる。

 

「まさか、セシリア・オルコットみたいにして欲しかった、だと?」

 

 ラウラは大きく目を見開いた。とっさに浮かんだ考えを整理するべく独り言をつぶやいたかと思えば、()れものを触るかのような顔つきになる。

 

「もしかして……()()なのか……?」

 

 そして急によそよそしい態度になった。

 

「それは済まないことをしたな。悪かった。本当に申し訳なかった。お詫びも兼ねてリクエストがあったら言ってくれ。できる範囲でやり直すから」

「違う! そんなんじゃない! 箒、……セシリアもそんな目で見るんじゃないわよ! あたしは理由を知りたかっただけなのっ」

 

 吠える鈴音に対して、ラウラは目を細めて冷淡な声で突き放す。

 

「台所の()()()を縛っても楽しくないからな」

「それって……アンタにだけは言われたくなかったわよっ!」

 

 鈴音のむなしい悲鳴が木霊した。

 

 

「仕切り直しだ」

 

 ラウラはセシリアと鈴音からワイヤーを外し、肩部ワイヤーコイルを逆回転させる。残り四本をリアアーマーに収納する。鈴音がぐったりとしたセシリアを抱えて壁際に移動するのを見届けた。再び箒に視線を戻す。

 装甲のすき間から微量の黄金の粒子が漏れている以外は、普段の紅椿と変わりない。顔面のマスクを取り去って、真っ黒なロングブレードを八相に構えた。

 ――打鉄の六割しかない……いや、接近戦において性能の差は無意味だ。

 いくら紅椿の性能が低いとはいえ、近接武器が直撃すればただでは済まないだろう。

 

「そのISで模擬戦は初めてか?」

 

 ラウラはフィールド分割ルールを解除した。セシリアと鈴音の機動を阻害するために設定したもので、目的を達した今となっては不要だった。

 箒は無言のまま返事をしなかった。静かに息を吐いてつま先だけ動かしてにじり寄る。

 

「ならば新型の性能、確かめさせてもらおう」

 

 ラウラは言い終えるや大口径レールカノンの照準を定めた。

 

 

 ――敵機(シュヴァルツェア・レーゲン)、旋回機動!

 空を切った刃。箒はスラスター最大出力で斬りつけ、不発に終わった。

 箒は最も信頼がおけるアイボールセンサーを駆使していた。体を動かすだけならもっぴいを介すことなく自由に動かすことができる。

 大口径レールカノンの命中弾を浴びないためには、面頬が邪魔だった。もっぴいの世話にかかずらわってはいられない。

 箒は背筋にひやりとするものを感じながら、ロングブレードの間合いから逃れたラウラをにらみつける。スピーカーから対IS用特殊徹甲弾の着弾を示す効果音が聞こえてきた。

 弱弱強、と紅椿は推力を変えて動いた。神経と直接つながれたように思える機敏な動きだ。先日までゼロか百でしか動けなかった機体とは思えない。

 ――いつもより体が軽い。もしやレベルアップの予兆か?

 稼働中のもっぴいは一体だけだ。謎の二頭身はいつの間にか姿を消していた。

 次の瞬間、箒は眉をしかめていた。シュヴァルツェア・レーゲンの大砲からオレンジ色の炎を認めたからだ。

 

「シッ……」

 

 箒は迫り来る砲弾をかわす。シールドエネルギーが少ない紅椿では一発が致命傷になる。その点、白式よりも厳しい条件を突きつけられていると言えるだろう。

 背後で着弾を示す効果音が聞こえる。

 ――左翼、砲弾接近!

 正面から二本のワイヤーが乱舞する。もし捕まったらセシリアと同じ目に遭うかもしれない。箒は険しい顔のまま突破口を探す。

 ――下がるか……いや!

 諦めることなく前に出る。二本のワイヤーが右翼への方向転換を妨げるように動いていた。ラウラは砲弾の針路にはワイヤーを決して展開しない。シュヴァルツェア・レーゲンは金属爪(アイゼン)で体を固定して停止している。突発戦闘への勝利を目指してアイボールセンサーを最大限活用する。反射的に体が動く。

 足裏から炎を噴き出し、体積の小ささを利用する。箒は体を伏せ、地面を這うように疾駆した。

 

 

 火線をかいくぐった箒に、ラウラは「ハハッ」と小さな笑い声をあげた。

 黒い塊が接近する。小さな体がどんどん大きくなる。どうすべきか。ラウラは即座に金属爪(アイゼン)を収納した。

 一瞬後、黒い刃が到達するのが見えた。わずかにかすり、装甲の塗装が剥離する。

 ラウラは形が整った眉をかすかにひそめた。間合いを詰めるべくさらに踏み込む箒を観察する。箒の剣筋は、敬愛する千冬とよく似ていた。

 ――面白い。

 プラズマ手刀を展開して刃を受け止める。紅椿よりも一回り大きなシュヴァルツェア・レーゲンの巨体が揺れ、しびれるような震動がやってきた。

 重い一撃に耐えるべく歯を食いしばる。ラウラは衝撃をやり過ごして叫んだ。

 

小癪(こしゃく)な!」

 

 左腕でロングブレードを押さえつけ、ワイヤーコイルを逆回転させる。箒の死角からワイヤーブレードで絡め取るつもりでいた。もし感知されたとしても接近戦の継続が難しくなるはずだ。

 箒が思考する暇を与えるほどラウラは甘くなかった。空いた拳を振りかざし、手首のすき間から青色の閃光を生み出す。

 加えてリアアーマーからもワイヤーブレードを射出する。鋭くとがった先端から逃れるためには武器を手放す以外に手段がない。地面から足を離すようなことがあれば八八ミリ砲弾の餌食になるはずだ。

 不意に腕が軽くなった。支えを失い、プラズマ手刀が地面に突き刺さる。

 ――サムライが刀を捨てた。

 

「何イッ」

 

 箒の手中に黒い杖が出現し、その先端がラウラの側頭部へ迫る。

 越界の瞳は杖術の軌道を捉え、正確な判断材料を与える。ラウラの背面へ退避する箒を追って回頭しても間に合わないだろう。

 ――ならば、砲を後ろに向けるまでだ。

 

 

 箒は、完全に不意を()かれた。

 顔面蒼白になりながら上体をよじったが間に合わない。シュヴァルツェア・レーゲンから放たれた対IS用特殊徹甲弾の侵攻を阻むため、シールドエネルギーの半分を失ったと判定される。

 ラウラが回頭を終えて、腕を突き出す瞬間を目撃した。

 プラズマによる猛烈な閃光。電離によって生み出されたきらめきがシールドエネルギー、そして黄金の粒子に触れた。左手の小盾やスパイク付き肩当てが吹き飛び、固定紐が焼き切れて肩部分接続部に断裂が生じる。後を追うようにして激しい衝撃が胸を貫いた。

 ――あ。

 何をされたのか直感できた。プラズマ手刀の下に隠された拳が直撃したのである。

 数秒後、箒は隔壁にたたきつけられていた。

 ――やはり、ダメなのか。

 シールドエネルギーが残り二割を切っている。打鉄なら半分程度の損害で済んでいるはずだ。

 ――紅椿では……今の私では届かないのか……。

 性能が低くとも戦術次第で何とかなる、と彼女の姉は言った。現実はその戦術さえも看破され、敗北が迫りつつある。

 ――何が何でも優勝しなければならないというのに!

 学年別トーナメントに優勝すれば一夏と付き合うことができる。一夏が「付き合う」に込められた意味を理解しているか疑問が残る。もし理解していなかったとしても、彼の私的な時間を占有できるはずだった。

 ――こいつが障害になるのは間違いないのに、この体たらくでは……。

 胸に重苦しさが積もった。体を起こし、ラウラを見据える。逆転できるのだろうか。杖術で勝利するには手数を増やすしかない。ラウラがたやすく攻撃を受けてくれるとは思えなかった。

 

「私は……、ここで負けるわけにはいかない」

 

 気落ちして心が折れてしまっては、一夏が他人のものになってしまう。それだけは阻止したかった。必殺の一矢を報いるしか手立てはないのだ。箒の思いをくんで黄金の粒子が密度を増す。

 ――せめて剣があれば……。

 箒が最も得意とするのは剣術だ。剣さえあれば勇気が湧く。心の支えであり、剣こそが生き甲斐だった。

 箒は唇をきつく噛む。ロングブレードを構えた自分の姿を想像する。

 ――まだ、終わってない。終わってないんだ!

 地面に転がる黒い刀。黄金の粒子がまとわりつき、強く願うほど粒子の量が増した。

 ――量子化、そして再実体化……。

 粒子となった杖とロングブレードが拡張領域(バススロット)に格納される。紅椿の輝きがおさまったとき、手の中にずしりとした重さがよみがえっていた。

 ――せめて一太刀。

 急がねばならない。ワイヤーブレードの飛来。箒は電撃で弾かれたような勢いで地面を蹴る。

O.C.(オーバークロック)始動〉

 視野の裾でもっぴいCが真っ赤になって走り回っている。その口から低音を強調した機械音声が流れた。

 

 

「なっ……! 瞬時加速(イグニッション・ブースト)だと!」

 

 黄金の粒子をまとった紅椿が一瞬で超高速状態へ達した。ワイヤーの間をすり抜け、彼我の距離五メートル足らずの位置に着地する。

 ――どんな手が来ようとも。

 着地の衝撃を吸収するべく膝関節を曲げた紅椿をねらった。オレンジ色の疑似砲炎が描画される。対IS用徹甲弾が大気を切り裂きながら驀進する。

 箒は上体を揺らすことなく日本舞踊に通ずる動きでかわす。双方が間合いを詰めた刹那、ラウラの瞳孔がいっぱいに見開かれるのと、けたたましい金属音が鳴り響くのが同時だった。

 その瞬間、シュヴァルツェア・レーゲンのシールドエネルギーが激減する。ラウラは右腕を突き出したまま膝をつく。紅椿が後方に吹っ飛び、地面をえぐって砂煙を立てた。ラウラはまばたきする間に繰り出された一撃を思い起こす。

 居合に見立て、刀を中腰に引いて構えた。必中の間合いから放たれた一閃。越界の瞳が刃を捉え、軌道を予測した。それにもかかわらず、ラウラは動きだすのが遅れた。かろうじて突き入れた左のプラズマ手刀が弾かれる。箒が上段からの一撃に転じ、縦一文字の鋭い斬撃を見舞った。ラウラは斬り下ろされながらも、なんとか右腕での反撃が間に合った。

 ――教官と同じ技、だと……?

 そんなことができるのか、と悲痛な思いが胸を引き裂く。千冬と別れてからも訓練を積み重ね、彼女に少しでも追いつけたのではと自惚(うぬぼ)れていた。

 

「篠ノ之……貴様」

 

 やっとの思いで声を振り絞る。答えはなかった。紅椿のシールドエネルギーは他の機体よりも少ない。重厚な外見とは裏腹に紙のような装甲である。

 天蓋にぶらさがっていた柘植研究会の多脚型IS(特一九型)が降り立ち、箒を抱き上げて格納庫に向かった。そして新たな機体とすれ違う。

 ラウラは頭に血が上って舌打ちする。シールドエネルギー残量が一桁だった。

 千冬は自身の流派を篠ノ之流だと説明していた。一筋の光のように洗練された剣技。演武とはいえ濡れた巻藁(まきわら)を断ち切ってみせたときは度肝を抜かれた。

 ――同門だから同じ技ができて当たり前だというのか!

 格下だと思っていた相手に手ひどくやられて、ラウラの心は激しくかき乱される。箒は千冬の剣を再現してきたのだ。

 ――強さとは。

 不意の頭痛に顔をしかめる。左の眼窩がうずき、気になって顔を上げる。両肩両腕に砲塔を装備した打鉄、その隣で赤く輝くレーダーユニットをはっきりと視認した。

 ――強さとは、何なのだ。

 

「ん。これは……?」

 

 ラウラの眼前に文字列がふいと表示された。

 

〈===V.T.Boot.===〉

〈** SCHWARZER Type : SCHWARZER REGEN Ver.2 **〉

〈core[0] : status...[OK]〉

〈Valkyrie Trace System (Jan 14 2021) : autoboot...3 2 1 0...Done〉

〈code : Phantom-Task...[OK]〉

 

 

 




※補足
・大口径レールカノンの弾種について
原作では「対ISアーマー用特殊徹甲弾」です。
「対IS用特殊徹甲弾」のほうが格好良く見えるのでこちらを使いました。

・VTシステムのメッセージについて
本来ならドイツ語でローカライズされてしかるべきでしょう。
しかし筆者の語学への不安から英語で表記しました。


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越界の瞳(七) 破壊

 少なくとも、ラウラの記憶に「Phantom-Task」なる起動コードは存在しない。

 

「バカな! 私は承認していない!」

 

 シュヴァルツェア・レーゲンがVTシステムの起動を告げる。滝のように流れていくシステム・メッセージに、ラウラは頭痛を忘れて叫んでいた。

 

「コード実行を却下すると言っている! ええい、緊急停止手順は……」

 

 シュヴァルツェア・レーゲンはラウラの意思に関係無く勝手に膝を立てていた。ISの状態を示す数値がすべて赤色に変わっている。ラウラの虹彩を認識し、搭乗者名が表示された。ラウラ・ボーデヴィッヒを示す文字列はどこにもない。代わりに「Phantom-Task」とあり、その下部にVTシステムと併記されている。

 VT(ヴァルキリー・トレース)システムは、過去のモンド・グロッソ部門受賞者の動作を再現するべく生み出された。現在はISの技能訓練用ソフトウェアとして利用されている。既存のバイオメカニクス技術、つまりアスリートの動きを解析し、フォームや動作タイミングなどの改善を図る技術をISに応用した例として知られ、類似機能を持つシステムは米国、ロシア、フランス、中国、そして日本にも存在した。

 しかし、VTシステムとその類似システムが訓練用として制限を受けたのは二〇一七年のことだ。国際IS委員会が大会規則を改訂。将来を見越して「有人操縦機のみ出場を許可する」と明記したことで、VTシステムの仮想人格を操縦者と位置づける機能がこの規則に抵触することがわかった。

 さらに国際IS委員会はSNNにコアネットワークの監視強化を依頼している。もし試合での使用が発覚すれば、即座に罰則を適用できるように体制を整えたのだ。

 

「手順通りならこれで、……なぜ受け付けんッ」

 

 ラウラは手順にしたがって非常停止コマンドを入力し、再起動するつもりだった。だが、権限不足のため入力内容の否認という結果に終わる。

 ちょうどそのとき、開放回線(オープンチャネル)から桜のとぼけた声が響いた。

 

「ボーデヴィッヒさん。何かあったん?」

 

 ラウラは異常を知らせようと叫ぶ。

 

「上官を、誰でもいいから人を呼べ!」

 

 ラウラの剣幕に押され、桜とマリアが顔を見合わせる。格納庫には整備科の二、三年生が数名いて、先ほど多脚型IS(特一九型)が動かなくなった紅椿と一緒に戻っていた。ピットには楯無がいる。しかし、第三アリーナ自体は教師不在の状況にある。

 

「早くしろ! くそっ、ダメだダメだ! その弾種は、アーマーをぶち抜く気か!」

 

 打鉄零式と打鉄を敵対戦力として認定し、排除すべく動いている。シュヴァルツェア・レーゲンが数ある弾種のうち、対IS用特殊徹甲弾を選び出し、実弾を装填してしまった。ISのシールドを抜き、絶対防御を発動させるために考案された砲弾。大口径レールカノンが牙を剥いた。

 

「退、ひ」

 

 突然、バイザー型頭部装甲が出現してラウラの顔を覆い隠す。そして薬剤が投与され抵抗する暇もなく、手足から力が抜けて意識を失ってしまった。

 

 

 桜とマリアは両足を地面につけて、きょとんとしていた。

 

「……何が起こっとるの」

「さあ。ものすごくあわてた様子でしたね」

「せやったら、とりあえず緊急電を打っとこ」

 

 ふたりは互いにうなづきあって定型文を緊急連絡先に送った。学園はアリーナの状況を二四時間態勢で監視している。防諜部に設けられた即応チームへ一〇分以内に連絡が行くはずだ。

 

「ボーデヴィッヒさん?」

 

 ラウラの様子がおかしい。さっきまで怒るような剣幕だったのが、今は静かだ。桜は三メートル以内に接近しないよう釘を刺されている。中立のマリアは同年代の少女と比べて大人びた外見だ。お姉さん風の少女に話しかけられたら、ラウラも素直に言うことを聞くだろうと期待した。

 

「マリア、すまんけどボーデヴィッヒさんの様子を確かめてくれん?」

 

 打鉄が足を踏み出したとき、後方からISの接近を感知した。多脚型IS(特一九型)が、今度はセシリアと鈴音を回収するべく戻ってきた、と桜は考える。セシリアが顔を赤らめ、壁際でへたり込んでいる姿を目撃していた。桜は彼女の身に起こった出来事を知らない。一部始終を目撃したマリアが口を閉ざしていたからだ。

 マリアの動きに合わせて大口径レールカノンの砲口が微動する。シュヴァルツェア・レーゲンが金属爪(アイゼン)を下ろして体を固定した。桜は再びマリアに意識を向ける。ちょうど大口径レールカノンのリボルバーシリンダーが回転したところだった。

 

「そこの一年生!」

 

 ――はい?

 多脚型IS(特一九型)が瞬時加速で一気に距離を詰め、マリアと大口径レールカノンの間に無理やり体をねじ込んだ。一瞬後、桜は砲口から生じた閃光を目撃する。耳を(ろう)するような轟音が擦過。まばたきした直後、隔壁に砲弾が突き刺さる。信管が作動せず不発に終わった。

 

「ま……りあ?」

 

 対IS用特殊徹甲弾はマリアと上級生を直撃したかに見えた。桜は目を見開いたまま、ふたりの安否を確かめる。

 ――無事やった。

 多脚型IS(特一九型)が身をかばうのに使った装甲板は貫通し、無残にも円錐形の編みかごがねじまがったような形状に変貌している。弾道をねじまげることで運良く無事だったに過ぎない。

 桜の耳が重厚なモーターノイズを拾った。とっさに前を向くと、大口径レールカノンが大きな口を開けてにらみつけている。

 

「あかん」

 

 スラスター出力を最大に引き上げ、急激な回避機動をとる。

 シュヴァルツェア・レーゲンは、左右のリアアーマーからワイヤーブレードが射出し、同時に無言の射撃を行った。砲口からオレンジ色の炎を噴く。推進用の液体火薬をリボルバーシリンダー内でプラズマ臨海寸前まで加熱させ、なおかつ砲身内のレールガンで追加速を経た砲弾が驀進(ばくしん)する。

 隔壁に着弾。今度は信管が正常に作動した。爆発による激しい衝撃が伝播(でんぱ)し、フィールドと観覧席を分かつ隔壁が波打った。

 ――徹甲弾!

 ISコアが学内ネットワークから弾種を引き出し、桜の眼前に情報を提示する。

 桜は片方の非固定浮遊部位を自機同調から自律機動に動作方式を切り替え、いつでも撃てるように演習モードを解除した。三体のISは分散して動いた。

 

「ラウラ・ボーデヴィッヒ! 返事をしなさい!」

 

 上級生が開放回線を通して荒々しくわめいた。ラウラの返事はなく、先ほどからぐったりしたまま動かない。

 

「なぜ実弾を使ったのか。回答しなさい」

「先輩。聞こえとらんよ」

 

 上級生は桜の言葉をすぐ受け容れ、ピットとの回線を繋げる。楯無に状況を説明し、実弾の使用条件を確かめている。

 その間、桜とマリアはさらに放出されたワイヤーブレードをひたすら回避し続ける。ふたりとも許可が下りるまで火器の使用を控えるつもりでいた。上級生の様子から実弾使用が後々争議の火種に発展するかもしれない、という懸念があったからだ。

 

「あなたたち。さっき柘植先生からお墨付きをもらったわ。だから撃っても問題なし」

 

 開放回線から楯無の落ち着いた声が響く。

 

「神島はオルコット、凰の両名を回収したらすぐ退避して。あなた、武器を持ってないでしょ」

 

 その言葉を聞いた上級生が体を真横に向け、隔壁に張りついた状態で滑るように移動する。両手でセシリアと鈴音を抱きかかえ、三角飛びの要領で空間を飛び跳ねる。ひしゃげた装甲板の穴にワイヤーブレードが巻きついたものの、作業用機械腕が板を分離。そのまま閉じかかっていた出入り口に滑り込んでしまった。

 ――これで私に三本、マリアに三本。

 IS格納庫への出入り口が完全に封鎖された。弾丸が格納庫に飛びこみ、生徒を殺傷する危険を考慮したからだ。

 フィールドへの出入り口はカタパルトデッキか露天デッキの二択となった。

 ――私らも逃げんと。

 

「カタパルトデッキのほうが安全だから」

 

 楯無が逃げるように言う。だが、彼女の言葉を覆い隠すように何か甲高い音が連続して聞こえた。

 

「サクラ」

 

 マリアの声の一瞬後。熱された砲弾の破片が地面にばらまかれた。打鉄零式は隔壁にたたきつけられ、周囲に無数の小さなくぼみができている。

 シュヴァルツェア・レーゲンが榴弾に切り替えて攻撃したのだ。シュヴァルツェア・レーゲンは打鉄を照準におさめ、再び対IS用特殊徹甲弾を装填する。砲口から炎を噴きあげ、目標の完全破壊を試みた。

 ――痛ア……。

 桜は打鉄がシュヴァルツェア・レーゲンに砲撃を加えている、と思った。だが、桜が目を開けたとき事態は悪化の一途をたどっていた。

 対IS用特殊徹甲弾が打鉄の表面装甲を突破。破砕音をともなってさらに内部の複合材にめりこみ、信管が作動する。炸薬と弾片が破滅的な破壊をもたらす。この被害により、打鉄の右肩に搭載されていた四〇ミリ機関砲の砲身が歪み、砲架が根本からつぶれた。

 

「キャアアアッ!」

 

 マリアの口から悲鳴が漏れ、足首を拘束したワイヤーが遠心力を生み出す。打鉄が隔壁へと突っ込み、地面に崩れ落ちる。

 ――まだ気がおさまらんのか!

 シュヴァルツェア・レーゲンが敵機を完全撃破を目論んでいた。大口径レールカノンの砲口が打鉄を捉え続け、追撃するためにリボルバーシリンダーを動かした。

 

「それ以上はアカンわ!」

 

 体の奥がカッと熱くなった瞬間、桜は叫んでいた。体を起こす間もなくスラスターを噴射し、地面を大きく削りながら這うように低空を駆ける。次弾装填を知らせるモーターノイズ。そして照準を微調整する黒い巨砲が大きく映り込む。

 

「……届けって」

 

 桜が腕を伸ばしたとき、上体を起こしたマリアの顔が強張る。一瞬後、マリアが逃げようと動いたものの手遅れだった。

 液体火薬を点火し、限界まで初速度を高めた砲弾が野に解き放たれ、目標に向かって直進する。第三アリーナという砲戦を展開するにはいささか狭すぎる空間を一瞬で飛び抜ける。

 

「言うとるんヤアアアッ――!」

 

 桜が身を投げ出す。打鉄零式の非固定浮遊部位に砲弾が吸い込まれ、運動エネルギーによって表面装甲の剥離が進む。内部に織り込まれた特殊繊維を次々と引き裂く。破壊を押し進め、信管の作動によって炸薬が猛烈な化学反応を起こした。

 結果として非固定浮遊部位は盾としての役割を全うした。その被害は、推進装置に加え、搭載されていた二〇ミリ多銃身機関砲が機能停止するだけで済んだのである。

 桜はシュヴァルツェア・レーゲンの前に立ちはだかり、砲弾炸裂によって発生した熱風のなかにいた。不思議と恐怖は感じなった。水上艦艇の対空砲火や刺激性のガス、止む間のない轟音など陸海空あらゆる場所で何度も浴びている。

 桜はすばやく状況を確認した。シュヴァルツェア・レーゲンがワイヤーコイルを逆回転させ、打鉄への執拗(しつよう)な攻撃を加えようと照準を微調整した。標的である打鉄はショートブレードを地面に突き立て、スラスター最大出力で噴射して抵抗している。

 放っておくわけにはいかない。

 

「今、助けるから」

 

 桜は超振動ナイフを抜き放ってワイヤーブレードを乱暴にひっつかんだ。刃を当てて切断を試み、残った二〇ミリ多銃身機関砲で牽制(けんせい)射撃と実行する。だが、残った五本のワイヤーブレードが桜の排除に乗り出し、風を切って迫った。

 ――早う切れて。新装備なら役に立って。

 桜は願いを込めながら超振動ナイフを操る。耳元で爆音が聞こえ始め、打鉄も残された火砲を使って反撃に移る。

 ――今、役に立たんかったら、いつ役に立つって言うの!

 四〇ミリと二〇ミリ、二種類の砲弾がワイヤーコイルに吸い込まれる。マリアは動き回るシュヴァルツェア・レーゲンに対し、不利な姿勢にもかかわらず精密射撃を加えている。平時なら手放しで賞賛するほどの精度だが、このときは状況が違った。

 

「何で!」

 

 マリアが叫ぶ。リアアーマーや肩部装甲のすき間へ集弾したかに見えた砲弾が空中で静止してしまった。まるで見えない壁にはばまれたかのように運動エネルギーを消費し、地面に落下していく。シュヴァルツェア・レーゲンがお返しと言わんばかりに榴弾を見舞った。

 震動と衝撃破がほぼ同時にやってきた。超振動ナイフの切れ味を実感し、桜にほっとする暇さえ与えなかった。

 至近距離で炸裂した砲弾は弾片を広範囲にまき散らす。打鉄零式のシールドエネルギーは残り七割だ。桜は顔を覆っていた両手を下ろすと、刺さっていた細かい金属片が落下した。理不尽な暴力にさらされたことで、桜は怒りのような感情に突き動かされていた。

 

「いくらなんでもこの仕打ちは酷いんとちゃいますか」

 

 マリアの奇麗な黒髪がばらけ、うつぶせになった背中。満身創痍の打鉄がボロ雑巾のように転がっている。

 桜は無駄だと思いつつ、声に出すのを止められない。

 

「ボーデヴィッヒさん。聞いとるんなら返事してください」

 

 そのとき、通信回線に楯無の声が割り込んだ。

 

「佐倉さん! もう少し持ちこたえて! すぐ行くから!」

「了解!」

 

 返事半ばで、楯無があわただしく通信を切る。

 ――行くって誰が? まあええ。

 桜は機体を滑らせ、危険を承知で肉薄した。マリアの打鉄は激しく破損している。もし榴弾の弾片や徹甲弾が直撃すれば絶対防御発動にいたる可能性があった。桜は大口径レールカノンの照準を自分に向けさせ、級友の安全を確保しようと考えていた。

 ――ギリギリまで近づいて押し倒せ!

 大口径レールカノンを無効化したい。楯無の言葉を信じ、シールドエネルギーが底をつく前に救援が駆けつけることを期待する。

 

「痛ッ」

 

 桜は条件反射でつぶやく。太股をワイヤーブレードの先端が擦過したが、実際には無痛だった。

 

「何や、見覚えが」

 

 シュヴァルツェア・レーゲンが両手を突き出す。桜は胸騒ぎを覚え、肘を小さく畳んで両手を槍の穂先のようにすぼめる。

 直進そのまま。黒いISの姿がどんどん大きくなる。ぐったりしたラウラの様子もはっきりと視認できる。

 ――相撲や。ぶちかましたるわ。

 

宜候(ようそろ)、……()ーッ!」

 

 その叫びと同時に、電界の歪みに向けて貫手を突き出す。先の無人機襲撃においてパイルバンカーと同一の効果をもたらした性能を発揮したかに見えた。

 慣性停止結界、すなわちアクティブ・イナーシャル・キャンセラーは十全の効果をもたらした。槍の穂先のような先端を受け止め、自機への到達を阻止したのである。

 桜は結果に呆けることなく舌打ちする。

 

「田羽根さんがおらんからか!」

 

 ――メニューにあるなら、使えるんやないんか。

 名称未設定機能が存在するなら、貫手が使えるはずだった。システム更改による機能低下。恐れていたことが現実になった。不可視の防壁を突破する手立てが消えたのは大きな痛手だ。

 それでも、マリアを見捨てて自分だけ逃げたいとは思わなかった。不利な状況下での戦闘は一度や二度ではない。囮を演じるくらいの覚悟なら持ち合わせている。

 ――会長さん、早う来てや。頼むわ。

 楯無が耐えろと言った。桜は彼女の言葉を信じていた。

 ――救援が来るまで持ちこたえたる……。

 桜の耳が高周波音を拾った。シュヴァルツェア・レーゲンのプラズマ手刀が幻惑迷彩に吸い込まれていく。

 近接兵装の直撃。シールドエネルギーが大きく減少する。

 ――こんなときに!

 貫手の代案を考えなければ後がない。桜はワイヤーブレードを打ち払いながら必死に頭を働かせた。

 だが、シュヴァルツェア・レーゲンは、そんな桜の抵抗をあざ笑うかのように、戦闘不能となった打鉄に照準を合わせた。

 

「それだけは!」

 

 桜は彼我の位置関係をすばやく算出し、級友へ迫る刃を払い落とそうと瞬時加速する。が、ワイヤーブレードが一瞬動きを止め、桜の未来位置に向かって突進を再開した。

 ――しくじった!

 両足首にワイヤーが巻きつく。桜の動きが止まった。もがくうちに、両腕、首に残りのワイヤーが絡まってきつく締まっていく。

 打鉄をかばうように立つ桜を、懐に飛びこんだシュヴァルツェア・レーゲンが殴りつける。抵抗ができないのを良いことに膝蹴りを加えた。プラズマ手刀を突き立て、シールドエネルギーを奪っていく。

 ――あかん。もうすぐ赤に変わってまう……。

 そして対IS用特殊徹甲弾の標的に変わってもなお、桜は防御策を講じ続けた。

 ――まだ、手段はある。

 残った非固定浮遊部位を呼び戻して盾にすることだ。徹甲弾一発なら耐えられる。

 首のワイヤーがどんどん締まっていく。くびり殺すつもりだと思い、桜は目を見開いて腹からのそこから叫んでいた。

 

「あきらめたら終わってまう……それだけは、それだけは!」

 

 閃光がきらめき、大口径レールカノンの砲声が轟いた。

 遠隔射撃を続けていた非固定浮遊部位では間に合わない。桜が盾を実体化して身構えたちょうどそのとき。

 

「ウウウオオオオォォォォ――!」

 

 獣のような雄叫びが聞こえ、対IS用特殊徹甲弾が空中で爆散した。

 

 

 いつまでたっても攻撃が来ない。桜は気になって、実体盾を少しだけずらして前方をのぞき込んだ。

 見覚えのある背中。機体全体を水色に染め上げ、装甲面積が少ない。これまで桜が見てきた機体よりも華奢な印象だった。

 ――水のドレス?

 薄らと青く色づいた透明の膜が、ISの周囲を覆っている。

 

「ヒーローは必ずやってくる!」

 

 聞き覚えのある声だ。

 

「そして悪を見逃さない! 助けを求める声を聞き逃さない!」

 

 外側にはねた水色の髪。バイザーで目を覆って、顔を隠しているつもりらしい。更識楯無にしか見えない女はよく締まった細腕を振るった。

 ――そんなんじゃ通らんわっ。

 桜の予想通り、大型ランス・蒼流旋(そうりゅうせん)の一撃はAICによって難なくはばまれてしまう。

 楯無は勢いを殺すことなく踊るように足を入れかえた。敵に背中を向ける。非固定浮遊部位(アクア・クリスタル)から放出された水は、薄膜のように柔肌を覆っている。水滴がシュヴァルツェア・レーゲンを濡らし、プラズマ手刀を防御しつつ、大型ランスを高速で振るい続けた。

 ――会長さん、何を考えとるん?

 桜は楯無の口元に浮かぶ笑みに気づいた。大型ランスの表面に形作られた水の刃が、桜との戦闘で劣化したワイヤーに食い込む。拘束を断ち切られ、自由になった桜は非固定浮遊部位をシュヴァルツェア・レーゲンの背面に回り込ませた。

 シュヴァルツェア・レーゲンは毎分六〇〇〇発以上もの射撃を受け、AICの一方を防御に振り向けざるを得なくなった。

 さらに桜は手元に一二.七ミリ重機関銃を実体化させて引き金を絞る。二方向からの射撃。ワイヤーブレードを失ったシュヴァルツェア・レーゲンは無防備な胴体を、ミステリアス・レイディ(霧纏の淑女)の前にさらけ出していた。

 

「佐倉さん。どんな苦境にも立ち向かおうとする……あなたのそういうところ、私、好きよ」

 

 楯無は続けて何かを言いかけようとし、すぐに口をつぐんだ。桜の視線がバイザー越しの瞳に釘付けになる。

 

「今、何を」

 

 楯無は足を入れ換え、腰をひねりながら蒼流旋(そうりゅうせん)を横薙ぎに払う。

 

「だから、見ていて」

 

 思考を停止させるほどの猛烈な衝撃がシュヴァルツェア・レーゲンを揺さぶった。右肩から大音響が響き、次の瞬間、膝が崩れ落ちる。

 大口径レールカノン大破。砲身が歪み、リボルバーシリンダーが割れている。連続した小さな爆発音が後を追った。リアアーマーの装甲が弾け飛び、ワイヤーコイル駆動部が焼けついて火災が発生。右肩の非固定浮遊部位が前後にずれ、内部に仕込まれた流体金属が漏れ出す。脚部を損傷し、膝に大きな亀裂が入っている。歩行に甚大な影響をおよぼすほどの被害だった。

 VTシステムに操られたシュヴァルツェア・レーゲンは、未だ戦闘継続の意思を貫いていた。右腕を突き出し、プラズマ発生装置に最大負荷をかける。鈍い音。そして爆発音がおさまったとき、マニピュレーターが消失し、その断面から流体金属が滴り落ちている。

 

「最後には勝たないと、ね」

 

 ミステリアス・レイディ(霧纏の淑女)蒼流旋(そうりゅうせん)を振り回して先端に絡みついた装甲の一部を払い落とした。

 

 

 エネルギーを使い果たし、膝をついて動かなくなったIS。刀折れ矢尽き果て、残骸と化した姿を見つめて、桜は小さくつぶやいた。

 

「シュヴァルツェア・レーゲン大破」

 

 末期戦の果てにある光景と重なった。壊れて動かなくなった兵器たち。重油を使い果たした海軍。菊水一号作戦で壊滅した聯合艦隊。

 桜は感傷にひたるのをやめ、楯無に向きなおって、ISをまとったまま頭を下げる。

 

「あの……会長さん、助かりました」

 

 打鉄零式の姿は顔が見えず、どちらかと言えば不気味だった。だが、楯無が赤いレーダーユニットに動じることはなかった。

 

「すぐ行くって言ったでしょ」

 

 桜は周囲を見回した。ラファール・リヴァイヴが三機いる。学園職員で構成された即応部隊だった。右肩を濃緑色の装甲板で覆い、識別番号が描かれている。一機はマリアを助け起こし、外傷の有無を確かめていた。

 桜はシールドエネルギーが約二割まで低下していた。破損した非固定浮遊部位を回収しており、損傷箇所を見積もるため量子化していた。徹甲弾命中で大きな穴があいてしまったのだ。もしかしたら部品の交換手続きが必要になるかもしれない。桜は楯無との話で気を紛らわせようとした。

 

「会長さんが戦っとるとこ、初めてやった」

 

 楯無はバイザーをつけたまま空を見上げて記憶を探る。

 

「……確かに。ミステリアス・レイディで佐倉さんの前に立ったことなかった」

 

 桜はじろじろと楯無の体を見つめる。本音の肌はもちもちしていたが、実は体幹をよく鍛えていた。楯無の体も同じような感触だろうか、と想像する。

 

「更衣室で好きなだけ見せてあげるから、後でね」

 

 どうせ筋肉をぺたぺたと触るつもりだろう。楯無には桜の考えが手に取るようにわかった。伊達に三ヶ月近く見つめ続けてきたわけではないのだ。

 桜が何か言いかけようとした。だが、楯無のほうが早かった。

 

「途中でタバネさんって言ってたけど、それって?」

 

 篠ノ之束と隠れたつながりがあるのではないか。楯無は新たな情報を引き出せないか、ひそかに期待する。

 

「田羽根さんや。田んぼの『田』に漢字で『羽根』。バージョン1に積んであった腐れソフトや」

 

 打鉄零式にGOLEMシステムが搭載されていることを、楯無は知っている。桜は多少の理解を得ているのを良いことに愚痴をこぼす。

 

「ふうん、そう」

 

 楯無は深く追求しなかった。桜の雑な口調からヘタに食いついて興味があると疑われるのを避けたい、と考えた。

 

「ボーデヴィッヒさんはどうなるんですか。処分されるんですか」

 

 二機のラファール・リヴァイヴがラウラの状態を確かめている。薬剤を投与されて眠っているだけで外傷はない、と話しているのが聞こえた。ラウラを取り出すには機材が必要とも口にする。

 

「私は決める立場じゃないんだけど、故意でなければおとがめ無しだと思う」

「こんだけ暴れたんやし、ただではすまんはずやと……」

「システムの暴走みたいだし。背後関係を調べて独政府と示談ってところね」

 

 桜は楯無の言葉にほっとため息を漏らす。ラウラは気を失う直前、助けを求め、逃げるように告げていた。嫌われていても、害をなすほど憎んではいないはずなのだ。

 

「まあ、真相は調べないとわかんないんだけどね」

 

 楯無は茶化すような口調で言った。おととし、去年は順風満帆だった。今年に入って二件目の異常事態。二件とも桜が遭遇している。単に運が悪いだけなのか、それとも裏で何かが動いているのだろうか。楯無は前者であって欲しいと願った。

 

「とりあえず、私たちも帰りましょ。事情聴取の前に一服したくなってきたから。佐倉さん、付き合って」

「……会長さん」

 

 楯無が踵を返し、桜も続く。

 ――またか……。

 桜は事情聴取と聞いて、肩を落とした。先月、根掘り葉掘り聞かれたばかりで、また同じ目に遭うのかと思うと気が滅入ってきた。

 

「お茶菓子、つきますか……って、あれ?」

 

 オプションの有無を確認しようと顔を上げる。すると前を歩いていたはずの楯無の姿が消えていた。

 一瞬後、隔壁に何かがぶつかる。桜が顔を横向けると、苦悶に歪む楯無の顔があった。桜は足を止め、眼前を黒く濁った泥のようなような刃が通過する。シュヴァルツェア・レーゲンの流体金属と同じ色だった。

 

 

「ISが……」

 

 異常事態なのは明らかだ。ラウラの体がタール状の流体金属に覆われ、埋没している。シュヴァルツェア・レーゲンは原型を留めておらず、泥人形のような形状に変わり果てていた。

 

「うわっ」

 

 桜は驚いてスピーカーの感度を下げた。女の金切り声に似た高周波音がアリーナ全体に発散されたからだ。

 ラファール・リヴァイヴが擲弾投射機を実体化し、ネット弾を射出する。だが、シュヴァルツェア・レーゲンだったものは流体金属で構成された腕を薄く引き延ばし、ネットを包み込むように飲み込んでしまった。推力を失った網が残され、細く長く伸びた腕からプラズマの閃光がきらめく。

 ラファール・リヴァイヴが大太刀(おおたち)を実体化。横薙ぎに振るわれた流体金属の触手を受け止める。もう一機が再度ネット弾を射出したが、結果は先ほどと変わらなかった。

 そして三機目は打鉄に肩を貸しており、フィールドからの脱出を急いでいる。

 

「速やかに退避してください!」

「……って言われてもねえ」

 

 体を起こした楯無が頭を振り、大型ランスを実体化する。シュヴァルツェア・レーゲンの表面にトゲが出現し、楯無と桜めがけて飛来した。

 ――来る!

 桜は実体盾を構え、刺突に備えた。

 一方、楯無は声を弾ませて蒼流旋(そうりゅうせん)の先端に水の螺旋を生み出す。装甲のすき間に隠されたスラスターを噴射することで加速しながら、先端に仕込まれた弾丸を解き放った。

 

「殴られたら殴り返せっていうのが、家訓なのよ!」

「そんな家訓は記憶にないし、独断は困ります! われわれに相談を」

 

 AICが発動し、弾丸が空中で静止する。楯無は流体金属の表面を滑るように駆け抜け、懐に躍り込んだ。

 

「ダメかっ」

 

 形状変化により、AICの発動部位の特定が難しくなっていた。流体金属の触手が舌打ちする楯無の背後、そして足元へと忍び寄る。

 

「会長さん下がって! 足元から来てます」

 

 眼前を白いウサミミカチューシャが通り過ぎ、メニューが勝手に展開された。名称未設定機能の項目が点滅している。

 桜はイメージ・インターフェースの変化を気にも留めなかった。楯無は下がる気がないのか、蒼流旋(そうりゅうせん)を振るい続けている。

 

「AICは二基。佐倉さん、試せる?」

 

 貫手を使え。楯無の意図は明白だ。電界の歪みが二箇所で発生している。蒼流旋のほかにも、ラファール・リヴァイヴの大太刀を防いでいた。AICが増殖でもしないかぎり、懐への到達は容易だった。ただし、襲いかかる触手をすべて避ける、という条件つきだ。

 ――やれるか?

 名称未設定機能の不調。突発的なものか。それとも再現性があるものか。

 桜が拒否しなかったため、楯無は自分の考えを口にする。

 

「ボーデヴィッヒさんを助け出してほしいの。搭乗者の生体反応さえ消えたら、ISは停止する。私が責任を取るから、今はできるか、できないかだけを答えて」

 

 ――会長さん?

 桜は、他人に命令を下すことに慣れた雰囲気を感じ取った。楯無の口ぶりには年齢不相応な重みがある。

 

「零式なら……佐倉さんならできるはずだから」

 

 他のISコアと通信し、シールドを部分的に解除する。ISコアとAI、そして桜の意思が通わなければその力を発揮することができない。

 ――私が願えば使えるようになるんか?

 常に尊大な態度を取り、どちらが主なのか分からなくなることが多かった。しかも存在すらあやふやなAIの気まぐれに運命を委ねる。桜は愚かな話だと思い、軽く笑みを漏らした。

 ――博打(ばくち)は好かん……けど。

 危険を恐れずに進め。戦死者が出るほど危険な任務を何度もこなしてきたではないか。桜は気持ちを奮い起こし、口を開いた。

 

「やってみますが、期待せんでください」

 

 ラファール・リヴァイヴ二機は攻めあぐねており、近づけずにいる。流体金属がネット弾をすり抜けてしまい、その効果を発揮できずにいたからだ。

 ISコアが最も安全な進路を提案する。鞭のようにしなる流体金属のすき間をくぐり抜けろ、というものだ。

 ――無茶を言う。

 可能でなければ提案しないはずだ。桜は腹を決めた。

 

「……突入します」

 

 提案を受け容れた桜に呼応して、打鉄零式はわずかに形状を変えた。赤いレーダーユニットが剥き出しになり、不気味な輝きを放つ。流体金属の乱舞をくぐり抜け、ほんの数十メートルを一瞬で飛び抜ける。触手状になった流体金属は、突進する打鉄零式に触れることを嫌がるかのように避けて通っていた。

 

「届いて!」

 

 正面から触手が突っ込んでくる。マニピュレーターの先端が切り裂く、零距離に到達する。桜は身を投げ出し、加速で勢いづいたままシュヴァルツェア・レーゲンを押し倒していた。

 流体金属が衝撃を吸収し、泥のなかに半身を埋めたような感覚だ。

 

「べとべとする……」

 

 粘性のある感覚にぞっとする。桜は水田で泥まみれになったことを思い出しながら、シュヴァルツェア・レーゲンのなかに右腕を差し入れた。

 ――貫手が使えとるのか判断できんけど、このまま続けんと。

 泥人形化したシュヴァルツェア・レーゲンの内部機構が左上に表示され、ISコアの指示通りに手を動かす。タール状になっているため、目視による作業は不可能に思われた。

 ――柔らかいのがっ……。

 マニピュレーターがラウラの太股に触れている。ひやりと冷たい流体金属のなか、人体の熱が生々しかった。少しだけ肘を引き、マニピュレーターを太股の下に敷いた。

 

「堪忍してな」

 

 今度は左腕を突っ込んだ。わきの間から背中に手を回して、上体を起こす。ラウラを横抱きにして引きずり出した。実習で着用していたものと同じ灰色のISスーツが露わになる。そして、ラウラを失ったシュヴァルツェア・レーゲンが抵抗を止め、流体金属が次第に固化していき、最後には動かなくなった。

 桜はラウラの顔をのぞき込む。小柄な少女が両目を閉じ、規則正しい寝息を立てていた。

 

 

 



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越界の瞳(八) 誰何

 一夜明けて、日曜の夕刻。桜はマリアの見舞いついでにラウラの様子を確かめに来ていた。

 ラウラは個室棟の一室に寝かされている。昨日収容されたときからずっと眠ったままだ。幸い外傷はない。桜の前に無防備な寝顔をさらけ出している。夢を見ているのか、時折体を震わせることがあった。

 桜は膝の上に置いたカバンから黒い眼帯を取り出した。ラウラが転校初日に落としたものだ。裏に鉄十次の紋章が入った洒落っ気のある一品を枕元に添えた。

 

「全然起きん……」

 

 桜は小さな手を握る。反応はなく、体温だけが生きている証拠だった。

 桜は今、彼女と零距離にいる。ラウラは三メートル以内に近づくな、と牽制していた。常に険しい表情を向けられてきた。彼女の顔を間近で見るのはこれで三度目だ。

 ――こうしてみると、むっちゃちっこいな。本音の話やと一五〇ないとか。

 実習のときはもっと大きく見えた。ナタリアによれば彼女は軍人だという。佐官なので下士官だった自分よりも格上だ。何より毅然とした態度で、他の生徒とは一線を画していた。ラウラのような人物と出会ったことは一度や二度ではない。孤高を気取るつもりはなく、単にほかの者と連もうとしないだけだ。おそらくそうなのだろう、と桜は考えていた。

 不意に誰かが扉をノックする。

 ――看護師さん?

 桜は体をひねって扉へ顔を向ける。

 

「どうぞ」

 

 扉がするすると動いて、水色の髪が目に入った。楯無か簪か。次の瞬間、髪の毛が外側にはねているのを見て、姉のほうだとわかった。

 

「会長さん?」

「佐倉さん。いたんだ」

 

 楯無は書類をはさんだクリアファイルを小脇に抱えている。桜を見るなり、一瞬驚いたような顔をしてみせる。すぐ笑顔を浮かべて、ラウラの枕元にクリアファイルを置いた。

 

「やっぱり会長さんやったか。お見舞いですか」

「そんなところ」

 

 桜が腰を浮かすのを見て、楯無が静止する。扉の側からスツールを取ってきて、桜の隣に腰かけた。

 

「彼女、相変わらず目覚めないの?」

「このとおり。静かなもんです」

「そう……」

 

 楯無はラウラの寝顔をのぞき込み、彼女の前髪を指で払った。

 桜は無言で透き通った白い肌を見つめるうちにクロエ・クロニクルのことを思い出していた。肌の色や華奢な体つきがそっくりだった。銀色で柔らかい髪質と相まって妖精(ニンフ)と口ずさみたくなる衝動に駆られる。勝手な憶測とはいえ、異様な双眸を共通点として見出していたのだ。

 ――並べて立たせてみたら楽しそうやね。

 箒に会ったら、クロエがいつ来るのか聞いてみよう。桜は楯無の横顔に目を移して密かに誓った。

 

「こうしてみると小学生……失礼。入学したばかりの中学生に見えるわね」

 

 楯無が手を離し、あごに手を当てて真剣な眼差しを向ける。

 さすがに小学生呼ばわりはいけない。本人が聞いたらへそを曲げるに違いないだろう。そう思って桜ははっきりとした口調で指摘する。

 

「この人、同い年ですよ」

「ま、そうなんだけど。音声だけ聞いたら年上なのよ。社会人って感じ?」

 

 楯無が眼帯を見つけて指で弄ぶ。

 

「軍人さんみたいですよ」

「若いのに枯れちゃってるのがちょっと残念かな。もっと背が高くて大人びていたら()()()って呼んであげたのに」

 

 楯無が茶化すように言った。

 桜は「お姉様」のくだりだけ妙に気持ちが入っていたように思い、肩を震わせて何度も瞬きする。楯無を凝視して、微かに声が震えた。

 

「会長さんが言うと洒落にならんのでやめてください」

「ノリが悪いわよ。何度も言ってるけど私はストレート。男の人が好きなの。タチでもネコでもないのよ」

「そういう用語を知っとるあたり、あやしいんや。今の一言、櫛灘さんの耳に入れるつもりはあらへんから、もう少し自重してもらえませんか」

「本音にも黙ってくれるとありがたいかな。あのふたり、クラスメイトだし」

 

 本音がぽろっと漏らした話が櫛灘の耳に入り、事実がねじ曲げられ、彼女の情報網を伝って学校中に蔓延(まんえん)するという図式だ。二、三年生のなかには楯無の影響力がおよばない者もいる。櫛灘はそういった者と顔を繋ぎ、じわじわとうわさを広げてくる。しかも愉快犯気質で本人に悪気がないので、楯無はずっと手を焼いていた。

 

「会長さん、あのファイルは?」

 

 気になって声をかける。楯無は話題転換の申し出に快く応じた。

 

「あれね。先生から預かったお知らせとかもろもろね。ISの書類も少し」

 

 ISと聞いて桜はあることに気がついた。

 ――学年別トーナメント、もし参加できたとしてもボーデヴィッヒさん、乗る機体がないんとちゃう?

 いくらISに自動修復機能があるとはいえ、外装が大破し、内部機構まで損傷したとなれば二週間足らずで修理が終わるとは思えなかった。

 

「彼女のIS……はどうするんです?」

「派手に壊しちゃったやつね」

「私のときはオーバーホールしましたけど、あれだけ壊れてもうたら、……月末のトーナメントは」

「それなんだけどねえ」

 

 楯無はアハハと急に相好を崩し、頬をかいた。

 

「ちょっと面倒くさいことになっててねえ……」

「まさか会長さんが責任をとらされるとか」

「いや。そうじゃなくて。IS学園のなかでISが壊れても罪に問われるとかはないの。そういう決まりなのは授業で習ったよね」

 

 そして楯無が言いにくそうに肩をすくめた。桜がせき払いしてから聞き返す。

 

「もしかして生徒に言えない話なん?」

 

 もし楯無が嫌がるのであれば、これ以上食い下がるのは野暮だ。桜は楯無の反応を待つ。

 

「佐倉さん。どうせ明日の朝、発表されるから今言っちゃうんだけど」

「別に無理せんでええですよ」

「愚痴っぽくなるから、ちょっと言わせて欲しいの」

 

 桜の手を取り、楯無は甘えるような猫なで声を出した。せっかくの休日がトラブル処理で潰れたので欲求不満なのだろう。桜は先輩の好きにさせることにした。

 

「会長さんがええなら……どうぞ」

「あのね……」

 

 楯無は額に手を当てて言葉を選ぶ。

 

「先方がボーデヴィッヒさんをトーナメントに参加させたがってて……ドイツのIS委員会が技師と代替機を届けるって強行に主張してるんだよね」

 

 学年別トーナメントは他国や企業から来賓客が訪れる。主な目的は人材の発掘や出資している生徒の成果確認だ。ドイツのIS委員会はシュヴァルツェア・レーゲンの性能はもちろん、せっかく育成したラウラが他国に通用するか確かめたいと考えていた。

 

「暴走の原因究明をじっくりやるつもりだったし、学園としては断る理由はないんだけど」

「代替機に問題があるってことですか」

「佐倉さん。()()()()()って聞いたことない?」

 

 桜は素直に首を横に振った。

 ――列車砲なんて物騒な名前や。どうせ、八八ミリを四門搭載! 一二〇ミリ搭載! とかやろ。どんなんが来ても驚かんわ。

 楯無はラウラの寝顔を見つめながら、深くため息を吐いた。

 

「ほとんど表に出てこないからしかたないか……。ドイツの限界に挑戦した第二世代機。名前はカノーネン・ルフトシュピーゲルング。書類上は訓練機ってことになってる」

 

 桜はドイツのISについてあいまいな記憶を探ってみた。うろ覚えで名前の始めのほうしか覚えていなかった。

 ――あれや。乳酸菌飲料みたいなのがいたような……。

 

「ドイツっていうたら、ヤクトなんたらやないの」

「ドイツ代表が乗ってるごっついのが、ヤークト・ルフトシュピーゲルング。シュヴァルツェア型の原型機ね。先方は『こんなこともあろうかと』みたいな論調でカノーネン・ルフトシュピーゲルングを全装備ごと送り込むつもりらしいの。でね。装備品リストのなかに……これが一番やっかいなんだけど……ご丁寧にモンストルム(Monstrum)まであって」

「あのー、モンストルムって?」

「何て言ったらいいのかしら」

 

 楯無が目を伏せて、あいまいな笑みを浮かべる。

 桜は胸騒ぎがしたものの、続きが気になった。

 

「グスタフって聞いて何が思い浮かぶ?」

「人名ですか?」

モンストルム(Monstrum)は太くて長いアレが特徴の……グスタフよりとっても大きいから、ちょっと無理かもって」

 

 楯無はわざと紛らわしい発言をした。桜はゴクリとつばを飲み込んだ。

 

「た、試したんですか」

「まさか。先方が資料をくれたのよ。これ、ラウラさんに言っちゃだめだからね」

 

 楯無はそこまで言って気が済んだのか、「先生たちのところに行ってこなきゃ」と告げて退室した。

 

 

 金属の階段を駆け下りたときのような軽い音がする。ラウラはまぶたを開け、蛍光灯を見つめた。隣にはすでに製造を中止されたはずのフィラメント電球 が灯っており、内装が古めかしかった。

 ――妙だな。

 先ほどまでアリーナにいたはずだ。セシリアと鈴音を縛り上げ、篠ノ之箒の太刀を浴びた。そして倉持技研の量産機、先行試作機と出会し、そこから先がよくわからない。

 ――レーゲンはどこだ。

 ラウラは顔の前に両手をかざす。素手であり、手相がくっきりと見えた。自分の服装を確かめ、灰色のISスーツを着用していることがわかった。眼帯は量子化してしまったのでつけていない。越界の瞳が稼働しているものの閉所では意味がなかった。

 ――独房……ではないな。

 狭く窓がない。どちらかといえば掃除用具入れだ。どれも古くさい形だ。ほうきの柄に漢字が記されている。ラウラは出口を見つけ、扉に触れると簡単に開いたので、そのまま通路に出た。真新しいペンキのにおい。おそらく客船かなにかだろう。すぐ目の前に金属板を張った階段がある。先ほどの音はこの階段から聞こえてきたものに違いない。ラウラは周囲を見回し、誰かに道を聞くべきか思案した。

 念のため頬をつねる。あまり痛くない。何度つねっても結果は変わらなかった。

 ――夢のなかにいるのか。

 前方から足音。ラウラが顔を上げた。

 

「待て」

 

 ラウラは白帽と白い整備服を身に着けた少年に声をかける。が、少年はラウラの声に気づくことなく足早に階段を昇っていった。

 

「おい。……仕方ない」

 

 ラウラは少年の後を追いかけ、金属の手すりを伝って甲板に上がった。払暁の空、地平線がうっすらと赤らんでいる。

 ――平たい……空母、だと?

 潮風にさらされ、知覚可能な範囲を限界まで広げる。ラウラが立つ甲板は目測で二五〇メートルほどの長さがある。甲板の端にプロペラ機(九九式艦爆)が羽を広げて発艦の時を待っていた。

 ――いよいよ空想じみてきたな。

 空母の艦橋が右舷前方に配置されているのを見て、ラウラは笑い出したくなった。手すりには紺色のジャケット、旧日本海軍の第一種軍装を着込んだ士官の姿がある。プロペラ機の周囲にはさきほどの少年と同じ服装の男たちが作業に追われている。

 その場でくるりと一回転。ラウラの瞳は軍艦の姿をくっきりと目に焼き付けた。そして己の目を疑った。

 ――おい、駆逐艦がいるぞ。陽炎型に吹雪型。細部まで良くできているな。翔鶴型空母? 七〇年以上前に沈没したはずじゃないか。

 ラウラはクラリッサのPCに入っていた航空機シミュレーターをやり込んでいた。米軍機に搭乗し、第五航空戦隊を何度か全滅に追い込んだことがあった。

 ――あ。

 ラウラは手をたたく。とぼけた日本語を話すやつを思い出した。日本へ発つ前に遊んでおこうと思ってエミール(Bf109E)で出撃し、ハリケーンMk.Ⅱに尾翼をへし折られたことがある。

 ――嫌なことを思い出してしまったな。

 ラウラは艦橋を目印に歩いた。水着みたいな格好だから驚かれて然るべきなのだが、誰も気づいた様子はない。幽霊みたいな存在なのだろう。もしくはみんなでラウラの無視を決め込んでいるのだろうか。

 ――これ、昭和何年のつもりなんだろうな。

 甲板中が緊張した雰囲気に包まれるなか、艦橋に据えつけられた黒板を見つけた。

 

「失礼……今日は、いつなんだ」

 

 相手に聞こえないと分かっていても、一言断りを入れてしまう。ラウラはじっと目を凝らした。

 

「昭和一六年一二月八日」

 

 ラウラは胸の前で腕組みしてから首をかしげる。戦史の講義内容を思い出そうと目を閉じる。しばらくして目を見開き、手で口元を覆った。

 ――真珠湾攻撃当日か!

 空を見上げる。一面の雲、水平線の近くが浅葱色に色づいて、そこだけ雲が切れていた。

 艦前部のリフトから茶色の飛行服をまとった搭乗員が姿を見せ、艦橋に向かって敬礼する。甲板に置かれた九九式艦上爆撃機に搭乗していった。

 そして発艦開始の合図により次々と空へ飛び立っていく。

 帽子を振る兵士のなかに、何人か髪の長い男たちが混ざっている。パイロットは空中脱出の際、頭部を守るために頭髪を伸ばしていたと聞く。ラウラは立ち止まって目を凝らした。ひとりだけ像がぼやけていて判別が難しい。人混みにかまわず、男に近づいた。

 ――見覚えのあるやつだ。

 背丈は一六五程度。当時の平均身長ということもあり、頭の高さは他の兵と大して変わらない。男は隣にいた兵に大声で話しかけられていた。

 

「二飛曹。佐倉二飛曹! 出撃は?」

「三直まで回ってくれば、もしかしたら!」

 

 ――こいつ、体がぼやけているくせに。他の者に認識されているのか。

 幽霊の類ではない。ラウラはそう結論づけ、男に接近して顔を見上げた。

 

「サクラサクラ?」

 

 半透明で、拳ひとつ分背丈の低い女が重なって映り込む。三組にいた妙な言葉遣いの女だ。変なISに乗って、日本人のくせに銃を撃ち慣れているやつ。彼女が近づくと頭痛が頻発したので接近させたくない相手だった。

 男と桜と思しき姿が九九式艦爆に向かって手を振り続けていた。ラウラの瞳が胴体の白い帯を捉える。白一本であり、すなわち第五航空戦隊に所属する空母翔鶴の艦載機だとわかる。

 新たな九九式艦爆が甲板上を走り抜けた。垂直尾翼には機体番号「EI-238」と赤い三本線が描かれている。三本線は飛行隊長を示しており、機体番号から高橋赫一少佐の乗機だと気づく。

 

「がんばれよー!」

 

 男と桜が感極まって目尻に涙を浮かべていた。東の空に陽がのぼって深紅に輝く。雲の切れ目に光が差し、扇上に広がる。まるで旭日旗が空いっぱいに広がっているようだ。九九式艦爆がすべて発艦した。今度は戦闘機隊の発艦準備が始まる。時刻は朝の七時を迎えつつあった。

 戦闘機隊は上空直衛のため、真珠湾攻撃には参加しない。半沢兵曹の一番機が発艦。続いて二番機も空に上った。

 ラウラが零式艦上戦闘機の後ろ姿を追って空を見上げたとき、瑞鶴から発艦した直衛機の姿を捉えた。識別番号は「EII-102」である。零戦撃墜王として知られる有名な搭乗員のものだった。

 ――名前は……。

 

「確か、――」

 

 

「徹三だ。間違いな……イッ」

 

 ラウラは両目を見開きながら飛び起きた。眼前の影に額からぶつかり、双方に軽い衝撃が走った。

 

「ふおっ……」

「……ぐっ」

 

 ラウラは痛みのあまり目をつむって、額を手で押さえる。一方、頭突きを食らったほうは呂律が回っていない。

 

「くひびるがっ……血があ」

 

 相手は唇を切ったらしく、患部に指先を押し当ててすぐに離す。指先にべっとりと張り付いた唾液と赤い液体を見て、あわててティッシュを何枚も抜き取った。丸めて前歯と唇の間に挟みこみ、目尻に涙を浮かべている。

 

「ふいまへん」

「……す、……すまん。気がつかなかった」

 

 ラウラは病室内を見回してから身をよじった。額は傷むが出血はない。だが、相手はそうもいかない。

 

「サクラサクラか」

 

 先ほど翔鶴型空母で見かけた女だ。ラウラは桜を前にしても頭痛がないことに軽く驚いていた。だが、彼女を遠ざける理由が消えたことにあえて触れる理由はない。

 改めて桜を見つめた。半透明の日本兵が映っている。生霊か何かだろう。後で本人に確かめて驚かせてやる。ラウラは内心を悟られないようを言葉遣いに気をつけた。

 

「誰かの見舞いか?」

「誰かやない。ボーデヴィッヒさんのお見舞いや」

「なぜ」

「そりゃあ助けたの私やし。この前拾った眼帯を届けたかったし。なんか、こう、気になったって言うか……覚えてへん?」

 

 「Phantom-Task」という起動コード。VTシステムの暴走。ラウラは助けを求め、途中で記憶が途切れている。

 操縦を乗っ取られた状態から助け出すために、誰でも思いつく、それでいて実行が難しいやり方を選んだのではないか。ラウラは両手に目を落とした。

 

「私がここに寝かされていたということは……もう、レーゲンは」

「言いにくいんやけど、派手にぶっ壊れてもうた」

 

 桜は顔を伏せた。楯無が釘を刺したとおり、代替機のことは伏せておく。

 シュヴァルツェア・レーゲンのほとんどの部位が大破、または中破しており、他の機体から部品を移植したほうが早いくらいのありさまだった。

 ラウラの表情が曇り、弱々しい声を出す。

 

「これでは、何のために来日したのかわからなくなってしまった……」

 

 多額の予算を投じてきた政府や軍、企業、そして国民に合わせる顔がない。学年別トーナメントは国家の威信がかかっていたにもかかわらず、宣伝すべき機体がなかった。イギリスとイタリアに大差をつけられ、それどころかフランスにすら不戦敗というありさまだ。左目にナノマシンを移植し、千冬が来る前のあの頃に戻ってしまうのか。いや、職があるだけまだよい。何らかの厳罰があるに違いない。ラウラは気持ちが沈むのをこらえきれそうになかった。

 

「ボーデヴィッヒさん。そう気落ちせんで。これ、うちの生徒会長さんから」

 

 桜はクリアファイルをラウラに差し出す。

 そのとき枕元に置かれた携帯端末が震動する。

 

「……すまない。電話だ」

 

 鈍い音が室内に響き、桜は「出てええよ」とだけ告げて口を閉じた。

 ラウラは身をよじって携帯端末を手に取り、中身を確認する。案の定、クラリッサ・ハルフォーフからだった。ドイツとは時差が八時間あるから、まだ午前中のはずだ。携帯端末を耳に当て、思考言語を母国語に切り替える。ほどなくしてスピーカーから声が聞こえてきた。

 

〈あ、お父様……〉

 

 どうやらハルフォーフ邸からかけているようだ。

 クラリッサの実父は海軍の軍医中将で、陸海空軍をまたいだ遺伝子強化試験体製造計画の関係者だ。ラウラの生みの親のひとりでもあり、野心家で実の娘に越界の瞳を移植するくらいのことはやってのける人だ。クラリッサの趣味をよく思っていないらしく、何かにつけて文句を言ってくるという。

 

〈何をなさるんですか! ヤメッ……破らないで。私の航空券(チケット)なのに〉

〈休暇になったらなったで遊んでばかり……〉

〈休暇は何をしても私の勝手です。軍医科のお父様に、私を縛る権限はありません〉

〈クラリッサ、聞きなさい。……婚約者とは、フランケンシュタイン少佐とはどうなっている〉

〈あの人はお父様が勝手に決めた許嫁でしょう? ふっ……もちろん、ちゃんと連絡して了承をもらっています〉

 

 クラリッサの父親が舌打ちする。クラリッサは抜け目のない女だ。父親が反対を唱えてくると予想していたのだろう。

 

〈メルヒャーの言ったとおりか……仕方ない〉

 

 メルヒャーとは第二世代機開発プロジェクト参画者のひとりだ。打鉄改・海自仕様に対抗するべく大型砲搭載機を計画した男でもある。現在はドイツIS委員会の議長を務めている。

 

〈ハルフォーフ大尉。どちらにしろ、君の休暇はなくなった。先ほどIS委員会(メルヒャー)から出頭の辞令が下った。そろそろお迎えが来るころだ〉

〈ひ、卑怯な手を〉

〈卑怯? こちらは何も手を回してないよ。チケットとその電話を寄越しなさい〉

〈はい……〉

〈素直でよろしい。チケットは没収しておく〉

〈ああ……休暇っ。私の休暇ガッ。念願の聖地参りが――イヤアアアアッ!!〉

 

 珍しくクラリッサが取り乱している。今度は父親の声がした。

 

〈ラウラ・ボーデヴィッヒ少佐だな。無事だったか〉

「ハ! 中将殿、お久しぶりです」

〈後ほどメルヒャー博士から連絡が行く。追って沙汰を待て〉

「了解しました。あの……娘さんの、泣き声が……」

〈以上だ〉

 

 通話が切れたので、ラウラは端末の画面を消灯する。

 

「失礼。何の話だったかな」

 

 枕元に携帯端末を置き、顔を上げる。桜がはにかみながら肩をすくめる様子が目に入った。

 

「あの……ボーデヴィッヒさん。質問してもええ? さっきテツゾウって言ったやろ。ドイツのお友達なん?」

「愚問だな。私に友達なるものは存在しない」

 

 クラリッサとは同じ越界の瞳の被験者にして、上司と部下の関係だ。ハルフォーフ家には便宜を図ってもらっていることもあり、友達よりは家族に近い。

 だが、桜の顔が強張っていた。切なそうに唇をすぼめ、何度もせき払いする。ラウラは首をかしげて眉をひそめて胡乱な目を向ける。

 

「変なことを言ったか?」

「いや……ちょっと……やなくて。まさか……」

 

 急に思い詰めた顔つきになり、拳を持ち上げる。心なしか震えており、小指を立てた。

 

エンゲ(婚約者)……とか」

「すまん。その単語がわからない。夢で戦闘機を見かけたんだ」

「あ? そうなん?」

 

 桜はあわてて愛想笑いを浮かべ、目を泳がせるなど挙動不審だった。

 

「『EII-102』と書いてあった、と言えばいいか?」

 

 払暁、場面はなぜか真珠湾攻撃直前、と説明をつけ加える。桜は口からティッシュを取り出して、出血が収まっていることを確認し、くずかごに放り込んだ。

 

「それ岩本さんやないの。赤城で見かけたなあ」

 

 桜は懐かしい名前を聞いて、単冠(ひとかっぷ)で見かけた先輩を思い出す。乗艦した空母が異なったため、当時はほとんど面識がなかった。

 

「直衛機が発艦する様子を見つめていたら、ちょうど他の機体番号を見かけた。夢だから都合よく見つけることができたのだろう」

 

 桜は記憶を掘り返し、「そんなこともあったような……」とつぶやく。

 ラウラは桜をじっと見つめ、相手が目を逸らすまで凝視し続けた。

 

「何かついとる?」

()いてるかもな。……今から変なことを聞く。いいか」

「どうぞ」

「貴様は誰だ」

 

 桜は目が点になった。先ほど名前を呼ばれたばかりだ。突然何を言うのか。桜は口を半開きにして何度も瞬きする。

 

「くり返す。貴様は誰だ」

「すいません。何を聞きたいのかさっぱり見えてこんのやけど」

 

 ラウラが手を伸ばして桜の右手首をつかんだ。桜が顔をしかめるほどの握力で、しかも中指の爪を筋の間に突き立てている。

 

「捕まえたぞ」

 

 ラウラはしたり顔になって桜の背後に告げた。ラウラの金色の瞳は、桜と重なっている男の姿をはっきりと映し出していた。

 

「空母翔鶴。佐倉二飛曹。貴様と一緒にいる男は何だ」

「……ちょっと勘弁して、痛いんやけど」

「貴様は誰だ。……言え」

「佐倉桜や。夢のなかに私が出てきとっただけやろ。ボーデヴィッヒさんの想像の産物や。それ以上の何物でもあらへん」

「ふん……。では、なぜ佐倉二飛曹と同じ男が目の前にいる」

 

 ラウラが上体を起こし、華奢な体つきからは想像できないほどの強い力で迫った。ふりほどこうにも、右の手首に突き立てられた中指がどんどんめり込んで力を入れられない。桜はナースコールのボタンを探した。

 

「親戚の幽霊でも見とるんやっ。手、痛いから離してっ」

「こちらの問いに答えたらすぐにでも離してやる!」

「佐倉作郎とかいう亡霊や! あんたにしか見えとらんもん、答えられるわけないやろ!」

「姿が重なっているのは貴様だけだ。貴様は人ならざるものなのだろう? 佐倉作郎とは何か、言えっ」

「第四期甲種飛行予科練習生戦闘機課程専修。真珠湾攻撃時は第五航空戦隊に所属し、空母翔鶴に乗船。菊水作戦時は特攻隊。死亡時は少尉。二階級特進により最終階級は大尉。ネットで検索したらどんなけでも出てくる!」

 

 幻覚を見て錯乱している。桜はぞっとしながらナースコールのボタンに手を伸ばす。だが、身体を起こしたラウラが俊敏な動きで覆い被さった。桜は押し倒され、背中を床に打ちつける。

 ラウラは馬乗りになり空いた手で左肩を押さえつけた。桜はけが人に手をあげることに一瞬戸惑いを覚える。が、相手は正気を失い、金色の瞳をぎらつかせているのだ。とにかく助けを求めることが重要だ。桜は身をよじり、足裏を床につける。ラウラは軽量だ。ブリッジの要領で振るい落とせばいい。腰を跳ね上げさえすれば攻守逆転だ。

 そのとき物音に気づいたのか、ちょうど引き扉が開いた。外から人が踏み込み、多数の足音がした。

 

「暴れるんやない! ちっこいくせに力が強いなっ。せやったらこうしたる!」

 

 大きな音を立てて、桜とラウラの態勢が逆転する。桜はラウラを組み敷いたまま振り返った。

 

「本音! ちょうどええ!」

 

 本音は顔を強張らせてその場に立ちつくしている。とっくみあいの現場に居合わせたのだ。状況を飲み込めずにいた。桜は手助けを求めた。

 

「ナースコ……る」

「サクサク……」

「きゃっ」

 

 楯無と話をしていた真耶が、本音の背中に突っ込んで小さな悲鳴を上げた。

 

「布仏さん、いきなり立ち止まったら危ないですよ」

「先生の言うとおりよ。ぼけっとしていたらダメ。てきぱき動かなきゃ」

 

 楯無と真耶の足が止まる。

 

「あ……ええと、お取り込み中?」

 

 そう言って楯無は目を泳がせる。持っていたクリアファイルをうっかり床に落とし、そわそわして挙動不審になった。

 一方、真耶はとっさに眼鏡を外し、レンズを拭いてからもう一度掛け直した。

 

「せやから……」

 

 三人は状況をよく飲み込めていないらしい。桜は不思議に思ってラウラに目を落とす。病衣(びょうい)がはだけて上半身が露わになっていた。

 ――ほんまに肌が白いんやなあ。突起も鮮やか……。

 桜は子供の裸を見ている気がした。特別な感情を抱く余地がない。ただ、妙な空気が流れていることに戸惑っていた。

 

「お三方の誰でもええですから、ナースコールを押してもらいたいんやけど」

 

 楯無は拾い上げたクリアファイルを本音に押しつけ、微笑みながら歩みよった。目に涙を浮かべたラウラを見て、大ききため息を吐いて桜の横に立つ。

 

「佐倉さん。事情聴取しようか。さすがに……病人を襲うのはどうかと思うのよ」

「会長さんどうして! ナースコールしてほしいだけやったのに!」

「あの佐倉さん。そういうことするのは、ちょっと」

「山田先生。誤解やったら! この人が暴れたからこうなったんや! やめて、先生、そんな犯罪者を見るような視線を向けんでっ」

 

 ラウラはいまいち事情を飲み込めていないのか、抵抗をやめて見守っている。そして急にばつが悪い表情を浮かべ、つかんでいた桜の手首を離した。

 

「本音は不幸な事故やって、わかってくれるはずや!」

「サクサク……信じていたのに」

 

 本音は垂れ下がった袖口で顔を覆った。小刻みに肩を震わせ、桜の位置からだと泣いているように見えるよう装った。

 実際は、必死に笑いをこらえていたのだ。この事実を桜に知られてはならない。桜の顔つきからして嘘は言っていないのは確かだ。だが、もう少し状況を静観しよう。助け船を出すのはそれからでも遅くはない、と本音は考える。

 

「話せばわかる! 私は無実や!」

 

 

 夜になった。

 桜は唇をとがらせて見るからに不機嫌な様子だ。ノート型端末を閉じて、机の大部分を占めていたキーボードを脇に避ける。航空機シミュレーターの説明書を閉じ、ジョイスティックを袖机にしまう。頬杖をついて休めの姿勢を続けるラウラを見やった。

 本音がラウラの体をべたべたと触っている。ラウラ自身は一向に気にしたそぶりを見せない。桜を凝視して発言を待っているようだ。

 

「何であんたがここにおるん」

 

 ラウラの足元にカモ柄の寝袋と思しき包みと折りたたみ式マットレスがあった。ほかにも軍用と思しきリュックサックが目に入った。寝具と荷物をまとめて持ってきたようだ。

 

「先生から部屋を移動するように指示を受けた」

「部屋は他にもあると思うけど」

「では、説明しよう。三〇一七号室、つまり私の部屋は先日の事故の影響で修理が必要だとわかった。新たに転入する留学生もいるため、安全性を考慮して一時的に使用取りやめになった。そして点検修理が終わるまで部屋を移動することになったのだ。今月末までだと聞いている。よろしく頼む」

 

 桜は顔を強張らせた。見舞いに行ったらラウラともみ合いになり、真耶と楯無から事情聴取を受ける羽目になった。ラウラの証言から誤解だと証明されたものの、しこりが残ったままだ。

 

「……そちらにも通知が行っているはずだが」

 

 ラウラはズボンのポケットから携帯型端末を取り出す。本音も自分の携帯端末を手に取った。

 

「通知?」

 

 桜は寮の玄関前の掲示板を思い浮かべた。何か見落としていたのだろうか。

 本音が桜の前に立ち、自分の端末を見るよう促した。

 

「右の者、一〇二五号室にラウラ・ボーデヴィッヒ。一〇二六号室には……シャルロット・デュノアって書いてあるんやけど。これいかに」

「それか。先生に言って部屋を変えてもらった。別の部屋を希望したんだが、先約があると言って断られた」

「はあ? 隣やったら織斑がおる。復讐でも私怨でもなんでもやり放題や」

 

 ラウラは眉をひそめ、心外だと言わんばかりに低い声を出す。

 

「私がなぜ織斑一夏の……しかも男と一緒に毎日寝起きを共にせねばならん」

「篠ノ之さんもおるし。クラス一緒やからなにかと都合がええと思うだけや」

「この部屋には布仏がいる。彼女も一組だから特に困ることはないだろう」

「困るのは私や」

「さきほどの件は解決済みだ。掘り返したところで互いの益にはならないだろう」

「それはそうやけど……」

 

 桜はチラと説明書に目を落とす。「おっ」とラウラが声を上げた。

 桜はあわてて説明書を袖机に押しこもうとする。

 

「貴様もシミュレーターをやっているのか」

「……悪いん?」

「誰も責めてはいない。知りあいが同じものを持っていて、私も触らせてもらったことがある」

「これ難しいことで有名やけど」

「どの機体を使ってるんだ。教えろ」

「大東亜やったら零戦(零式艦上戦闘機)零観(零式水上観測機)が多いわ。欧州戦線やったらハリケーンやな。壊れにくいのがええ。ボーデヴィッヒさんは?」

「直近ならエミール(Bf109E)だ。日本人に体当たりを食らったがな」

「へえ……」

 

 桜は相づちを打って、ふと手を止める。エミールに日本人が体当たり。人事だとは思えなかった。

 

「どんな相手やったん? 私、長いことやっとるから、知りあいに聞いてみるけど」

 

 ケースオフィサー、もしくはトロイなら何か知っているはずだ。特にトロイは廃人ゲーマー兼エンジニアであり、有名どころで「第三帝国の野望」「赤い波濤」、核戦争を題材にした「エスカレーション」など数々のIF戦MOD開発に協力している。その分知りあいが多く、桜が探すよりも彼らに頼んだほうが早いのだ。

 

「桜吹雪のハリケーンだ」

「ごほっごほっ……」

「サクサク。白湯だよ」

 

 桜は本音から受け取った白湯に口をつける。

 

「あー何というか、ご愁傷さまや。真っ黒いエミールがシュヴァルツェア・レーゲンって名前で、これがボーデヴィッヒさんやったら大笑いや」

「なぜ……知っている」

 

 桜とラウラは互いに顔を見合わせ、しばらくの間沈黙が訪れた。

 

「……この件は後でじっくり話そうか」

「せやね。長引きそうやからね」

「ボーデヴィッヒさんは寝床どうするの~。よかったら貸してあげるよ~」

 

 本音がクローゼットからウサギの着ぐるみパジャマを取り出して、両腕を持って広げている。しきりにラウラに視線を送っており、どうやら彼女に着せるつもりらしい。

 

「結構。寝袋を持参した。さすがにベッドまで占拠したいとは欲張ったりしない」

「パジャマも貸してあげるよ~。パジャマ派? ラフ着派? それとも~」

 

 本音は着ぐるみを抱えて、のっそりと動いた。

 桜は残った白湯を飲み干そうとカップをかたむける。

 

「いい。寝るときは裸だ」

「ゲッホゲホッ……」

「だいたんだね~」

 

 桜は口を押さえ、白湯が鼻に逆流して涙を浮かべた。

 

「大胆? 風呂場で肌をさらけ出しているくせに、布仏は妙なことを口にするな」

「……本音、そのパジャマ着せたって」

「いいの? 裸族さんは服を着たほうが恥ずかしいんだよ~」

 

 抜き足差し足で忍び寄る本音。ラウラは音も立てず背後に回り込んだ同級生に驚きを隠せずにいた。ラウラは「ボーデヴィッヒさんなら絶対似合うよ」と、ウサミミパジャマを押しつけられて戸惑っている。

 本音は桜の背中に回り込み、後ろから抱きついた。

 

「ちなみに転入生のデュノアさんは、明日か明後日には到着するって山田先生が言ってたよ」

「へえ。本音は耳が早いんやなあ」

「おりむーはきれいなお姉さんが大好きだから、尻の青い女子には反応しないんだって。かいちょーが言ってたよ」

「それ、絶対会長さんの強がりや。きれいなお姉さんにあこがれるのは……わからんでもないけど」

「んっとねえ。おりむーは部屋を移動したんだよ。今ごろ姉弟水入らずなんだって。くっしーが言ってたよ」

「へえ……織斑がねえ。櫛灘が情報源とか言っとるあたり眉唾っぽいな」

「貴様。それは本当か」

 

 ラウラが本音の肩をつかむ。

 

「そのパジャマを着てくれるんだったら教えるよ~」

「今すぐ着る。しばし待て」

 

 ラウラはすぐさまパジャマを抱えてシャワー室にこもった。数分後、ウサミミパジャマ姿のラウラが出現した。本音の言うとおり、顔を赤らめ恥ずかしそうにしている。

 

「こ、これでいいか」

「ほんまに着おったわ……」

「よく似合ってるよ~。本当だよ~。今から篠ノ之さんに聞きに行って証明してもいいよ」

「ちょっと待て。先約ってアイツか、アイツなのか。せっかく教官と同じ部屋になれると思ったのに……」

「何をブツブツ言っとるん?」

「おりむーね。転入生に寝床をあけ渡したんだよ。女の子を雑魚寝させるわけにはいかないんだって。霊障が元で逃げ出した説もあるんだけど、真偽は定かじゃないんだよね。篠ノ之さんが男女七歳にして同衾せず、みたいなこと織斑先生に言ってたんだよね~」

 

 

 




サブタイトルの読みは「すいか」です。念のため。

越界の瞳章完結。
次章でまたお会いしましょう。


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狼の盟約
狼の盟約(一) フランスから来た女


お待たせしました。今回から新章です。


 東京国際空港。

 シャルロット・デュノアは述べ一三時間におよぶ飛行時間、入国審査の長い列を経て、ようやくロビーの待合席へと落ち着くにいたった。

 予定では現地の案内人が迎えに来るはずだ。だが、いくら周囲を見回してもそれらしき姿は見あたらない。

 シャルロットは隣席にオレンジ色のスーツケースを置いて、無造作に足を投げ出す。大きなガラス窓から光が差しこみ、ジェット旅客機が空に上っていくのが見えた。

 

「女物の服だったら、こうはいかないよねー」

 

 ラフな男装。トーンオートン・チェックの長袖シャツに黒いジーンズ。ミリタリーブーツ。首元のボタンを開け、ネックレスの先にくくりつけたロケットを手繰り寄せる。写真の切り抜き。幼いシャルロットと一緒に仲が良かった友人が映っている。撮影日は三年前であり、ちょうど寄宿舎にいた頃だ。

 

「あいつ。今ごろ何やってるんだろうなあ」

 

 シャルロットがいた寄宿舎は、IS適性が高い者を集めて搭乗者として養成するための施設だった。全員とは言わないまでも、半分以上の子供がフランス語ができた。フランス国内や旧フランス領出身の子供ばかりが集められていたからだ。入所したのは四年前だった。シャルロットは寄宿舎で二年間訓練漬けの生活を送った。その後デュノア社の企業代表兼国家代表候補生に登用されている。写真の少女は寄宿舎でも珍しい日本人で、シャルロットよりも遅れて寄宿舎を出たあと、どこかの国や企業に所属したと聞いている。だが、詳細までは知らなかった。

 ロケットをしまい、今度は携帯端末を取り出す。ちょうどメールを受信する。差出人はレイコ・マキガミだ。タスク社の日本総代理店、株式会社みつるぎの渉外担当、かつIS学園への水先案内人でもある。

 

「もしかして渋滞かな」

 

 腕時計に目を落とす。朝の一〇時だ。事前のやりとりでは首都高横羽線を利用するとはいえ、通勤ラッシュの時間帯を外したので混雑を回避できるとの予測だった。

 かつては首都高湾岸線が存在し、交通量分散に大いに役立っていた。十年前、東京湾沿岸に乱舞したミサイル群がインフラを破壊しており、今もなお修復中である。おかげで比較的損傷が軽微だった横羽線や羽田線に集中するようになってしまった。

 スーツケースと携帯端末を片手に進むビジネスマン。平和でなければシャルロットが留学という運びにはならなかっただろう。

 シャルロットは手をかざして陽の光に向けた目を細める。ミサイルショックの残り香はなく、ISという異物が混入した日常。仲良しだった少女を思い浮かべる。

 

「ねえ、()()()。まだ……世界は()()平和だよ。君は今、どこで何をしているのかな」

 

 着信があったのですぐさま携帯端末を耳にあてがった。

 

「レイコ?」

「みつるぎのマキガミで御座います。遅刻して申し訳ありません。渋滞に……」

「そんなことだと思ったよ。今、どこ?」

「ただいまそちらに」

 

 シャルロットは立ち上がって周囲を見回した。パンツスーツ姿の長髪の女性が、電話を片手にペコペコ頭を下げている。耳を澄ませばパンプスのかかとが忙しなく床を打つ音が聞こえてくるようだ。

「今、手を振ってるんだけど、わかる? 金髪で男の子っぽい服装なんだけど」

「手を振っている人ですか……ああ」

 

 どうやらシャルロットに気づいたらしい。早足で向かってくる。

 よほどあわてていたのか頬が上気しており、息が荒い。しかし、顔を上げてしまえば、いかにも仕事ができる女性を装っている。

 シャルロットは微笑みながら労をねぎらった。

 

「遅れたこと。僕はそんなに気にしてないですよ」

 

 一人称に()を使ったのはシャルロットなりの悪戯(いたずら)のつもりだった。シャルロットが意図したとおり、レイコ・マキガミの表情がばつの悪いものに変わる。腰を九〇度に折って謝ろうとしたので、肩に手を置いて差し止めた。

 不審そうに顔をのぞきこんできたレイコに向かって、好青年風に笑いかける。

 

「おなかが空いてるので腹ごしらえしてから出発しませんか。IS学園に」

 

 

 シャルロットとレイコは手近なカフェに入った。入り口に「パソコン使用できます」のステッカーが貼られている。

 ボックス席かカウンターか迷った。ちょうどふたり連れの旅行者がカウンター席に座っていたので、シャルロットは同じようにカウンターに座った。シャルロットの隣には欧米から来たと思しき女性が二人してノート型端末を囲んでいる。

 

「何が食べたいですか。おごりますよ」

 

 レイコがスタンドに立てかけてあったメニューを取る。

 シャルロットは荷物を足元に押しこみ、「うーん」と言いながらメニューを手繰った。

 目移りしてすぐには決められない。無性にラーメンを食べたくなったものの、軽食のつもりでいたのであえて視線を横にずらした。

 

「じゃあ、カツサンド。少し前にテレビで見たから、これにします」

「ん。サンドイッチでいいんだ」

「お勧めって書いてあるし」

「飲み物はコーヒーでいい?」

 

 シャルロットがうなずくのを見て、レイコは声をあげた。

 

「わかった。注文しますね。……すみませーん」

 

 レイコが手をあげて店員を呼ぶ。タブレット端末を持った店員が来て、レイコが注文を伝える。

 その間、シャルロットの視線は隣の席へと移った。ふたりの女性のうち、ひとりはパンツスーツに眼帯という奇妙な取り合わせなので興味をひかれたのだ。

 ――横の人たち、誰かによく似てるんだよね。でも、ふたりとも社会人でお堅い職業だから、まさか日本にいるわけないよね……。

 ノートPCにはトラックボールが接続され、カールした金髪を短く刈り込んだ女性が肩を寄せている。動画投稿サイトと思しきWebデザイン。暇つぶしが目的なのか、日常よく見られる光景だった。

 空の旅で娯楽に飢えていたシャルロットは好奇心に駆られて、心のなかで失礼、と断ってからのぞきこんだ。

 画面の隅に「赤い波濤(Red Wave)」という文字が表示されている。航空機シミュレーターのIF戦MODである。「社会主義に目覚めたアメリカ合衆国が武力を用いた布教活動に勤しむ」というとても痛い設定が根幹にある。もちろんシャルロットにはそんな知識などなく流し目を送りながら、物珍しさでノートPCを眺め続けた。

 ――あっ。零戦。

 シャルロットでも知っている戦闘機がオープニング映像に登場した。灰色の胴体と両翼に日の丸が描かれていた。空冷発動機を搭載するため、頭でっかちに見える。しかし、同時代の戦闘機のなかでも絞り込まれた胴体は機能美に満ちあふれていた。

 天候は晴れ。カメラは空から海面を見下ろし、海原をかきわけ、単縦陣で進む艦隊を捉えた。戦艦と護衛の駆逐艦が航行しているようにも見える。先頭を行く巨大な軍艦がことさら存在感を放っていた。

 ――正直、軍艦の形を見ても、みんな同じに見えるんだよね。識別しろ、と指示があるならやるけど。

 シャルロットは隣のふたりがなぜ目を輝かせているのかさっぱり理解できなかった。しかしまとめ動画らしく、テロップと吹きだしが表示されたことで、シャルロットは心のなかで「助かった」とほっとする。

 ――こんな船、存在したっけ?

 吹きだしに土佐(TOSA)と描かれた軍艦。空母なのか戦艦なのかよくわからない。後続の軍艦と比較して三倍近い全長を持つ。すぐ後ろに長門(ながと)陸奥(むつ)、その他の艦が続いていく。土佐の左右両舷に設置された飛行甲板から艦載機がどんどん発艦するところだ。画面が切り替わる。動画製作者がテロップを差しこんでおり、型名とIDらしき英数字が表示された。

 ――うわあ……。これは引くなあ……。

 シャルロットはいきなり大写しになった戦闘機を見るや頬が引きつった。

 吹きだしには「一式局地戦闘機〈震電〉」とある。エンテ型と呼ばれる先尾翼型の機体は、胴体に男性アイドル育成ゲームの登場人物が描かれていた。この作品は去年日本でアニメ化され、海外にも輸出されている。ユーザー名は「40-IN.KR」。主翼には撃墜数と思しき★マークが二〇個以上並んでいる。土佐(TOSA)の直掩機らしく上空で旋回する。またしてもアニメ絵が大写しになった。

 ――あっ。今度はまともだ。

 腹に魚雷を抱いた艦上攻撃機〈天山〉の群れ。二〇機以上だろうか。超低空飛行で飛んでいた。カメラが天山の尾翼を追い、海面から魚雷を見上げながら並走する。胴体後部にはRATOと呼ばれる補助ロケットブースターを搭載している。レシプロエンジンの轟音とともに何かをたたく音が聞こえた。「ちょっ低すぎ」「こいつらおかしいよ!」という旨のコメントが様々な言語で書かれていた。

 ――理解不能だな……何に驚いているんだか。

 すると、金髪の女性が画面を指さしてにらみつけた。眼帯の女性に聞こえるようドイツ語をまくし立てる。

 

「クラリッサ! こいつだ……私のグラーフ・ツェッペリンを沈めたやつ!」

 

 カメラが艦上攻撃機を追い越し、日の丸をつけた零戦の一部隊を映す。

 ――派手だなあ。

 吹きだしには零式艦上戦闘機二一型。先頭の機体は桜吹雪模様に彩られている。ユーザー名は「SAKURA1921」。コメントでは「今回はエンジントラブルなかったのか(笑)」「まあ待て。途中で引き返すに違いない」などと散々な言われようだ。

 金髪の女性がねたましげな瞳を向けて唇をかむ。

 

「サクラ……早く墜ちればいいのに」

「落ち着いて。エリー、ここは空港。周りに人がいます」

 

 艦上爆撃機〈彗星〉の映像に切り替わったところで、シャルロットの意識はレイコによって引き戻された。

 

「カツサンドとコーヒー。来ましたよ」

「ありがとう」

 

 店員に日本語で伝える。

 国際線のターミナルビルなので動じた様子はない。シャルロットは早速カツサンドにかぶりついた。

 

「ねえ。レイコ。隣のふたり。誰かに似てる気がするんだよね」

「確かに。私も見覚えがありますね」

「本物かなあ」

「さあ。あ、でも……ドイツのIS委員会の動きがあわただしいって情報が入ってるんですよね。あとで詳細を確認してみますけど」

「ふうん。何かあったのかな」

「そこまでは」

 

 シャルロットは再び画面を流し見た。

 

「来た! 少佐です!」

 

 カメラが黒一色に染まる艦上戦闘機を映し出した。機体名はFM-2ワイルドキャット。ユーザー名は「シュヴァルツェア(Schwarzer)レーゲン(Regen)」だ。空冷機らしくずんぐりとした印象の戦闘機だ。なお、ワイルドキャットの型番はもっぱらF4Fとして知られている。このFM-2はゼネラルモーターズ(GM)社が製造したため異なる型番が付与されている。他の米軍機が紹介されるたびに「リヴァイアサンめ……!」という恨めしげなセリフが挿入された。

 ――リヴァイアサン? どういうこと?

 シャルロットがカツサンドを飲みこんでから首をひねった。リヴァイアサンは聖書に登場する怪物だ。途方もなく巨大で剣や槍を跳ね返す海の魔王だった。

 画面は蒼龍(そうりゅう)飛龍(ひりゅう)の二空母から発艦した戦爆連合が第一次攻撃隊として米空母を強襲したところだった。シュヴァルツェア(Schwarzer)レーゲン(Regen)らワイルドキャット隊は母艦の直掩だ。輪形陣を切り崩そうと襲いかかる艦爆隊を薙ぎ払う。護衛の駆逐艦が激しい対空砲火を撃ち上げている。

 この第一次攻撃隊は輪形陣に穴を空けるべく駆逐艦への投弾を続けていた。

 ほどなくして土佐から発艦した第二次攻撃隊が到達する。まずSAKURA1921の零戦二一型が護衛する艦攻隊は、レーダー対策のため超低空を這うように飛んでいた。爆弾が直撃して炎上する駆逐艦の横をすり抜けるつもりだ。だが、すぐに直掩機のひとつが彼らを目視で発見する。シュヴァルツェア(Schwarzer)レーゲン(Regen)らは艦攻の魚雷攻撃を阻止するべく、太陽を背にして逆落としをかけた。

 海面に対して六〇度、つまりほぼ垂直降下だった。レシプロエンジンの羽音が互いに近づく。零戦も黒い機体に気づいて高度を上げつつある。が、射程距離と貫徹力に勝るM2機関銃の猛射を浴びて、一機が機首を下げ、海面にぶつかってバラバラになった。

 桜吹雪模様の零戦が七.七ミリ機関銃を浴びせかけるも頑丈な機体はびくともしない。黒いワイルドキャットが桜吹雪模様の零戦とすれ違うや機首を引き上げ、ねじりこむように旋回する。桜吹雪模様の零戦が軸線をわずかにずらしながら高度を稼ごうと試みる。

 M2機関銃が火を噴き、再び零戦隊と交錯した。黒いワイルドキャットの後続機が九九式一号機銃の餌食(えじき)となり、砕けた風防が赤く染まっている。

 戦闘機同士が激しいドッグファイトを繰り広げる(かたわ)ら、低空から天山の群れが突入する。

 二機の天山が対空砲火につかまった。海面にぶつかった瞬間、主翼が折れて魚雷と一緒に水没する。

 しかし、すべて撃退にはいたらなかった。天山の機首がふわりと舞い上がる。米空母に向かって必殺の魚雷が投ぜられた。

 ――あっ、桜吹雪の機体から黒い煙が……。

 画面の隅では桜吹雪の零戦が被弾したわけでもなく、空母に背を向けて空域から離脱していく。発動機不調による転進だった。

 

「どうしました?」

 

 つい見入ってしまった。シャルロットはあわてて首をひっこめる。レイコがきょとんとした表情でのぞきこんできたので、愛想笑いを浮かべて最後の一切れを口に放り込んだ。

 

 

 昼過ぎ。職員棟でレイコと織斑千冬がタスク社絡みの手続きをするなか、シャルロットは一足先に寮を訪れていた。スーツケースを転がし、片手で傘を差している。足元が濡れてしまい、玄関前のひさしに駆け込んでいた。

 

「じめじめする……」

 

 季節は六月。IS学園は梅雨まっただ中だった。雨が降ってすぐに止んでしまったため湿度が増している。

 ――それにしても。

 シャルロットは振り返って建物を確かめた。

 

「ここ、だよねえ」

 

 ポケットから職員室でもらったプリントの写真と見比べる。

 寮は一部が修復中なのか、仮の足場と建築会社のロゴが描かれた幕で覆われていた。不安そうに背後を顧みる。IS学園の制服を身に着けた生徒が歩いており、彼女らは一日の授業を終えて宿舎に戻ってきたのだろう。

 確実を期して、近くを通りかかった少女に声をかける。

 

「あの……IS学園の生徒さんですか?」

「せや」

 

 標準語とは異なる音調だ。一瞬ひるみそうになったが、関西圏に多いしゃべり方だと思い直す。

 

「学園寮ってここで合ってますか」

 

 少女が首を縦に振る。肩を寄せてシャルロットが持っていた地図をのぞきこむと、白黒写真との違いに気づいて苦笑いを浮かべた。

 

「今な。寮の一部を修繕中。ちょびっとだけ外観がちゃうけど、中身はきれいなまんまや。不安がらんでええ」

「じゃあ、一〇二五号室というのは……」

 

 地図に書かれた手書きの文字を指さす。少女はシャルロットの顔を凝視して胡乱な瞳を向ける。シャルロットが内心たじろぐのも構わず、あごに手を当てて考えこむ。そして、手のひらを軽くたたいた。

 

「あんた、篠ノ之さんか織斑の追っかけか」

「え……?」

 

 もしかして気づいていないのだろうか。シャルロットは予想外の反応に目が点になった。

 シャルロット・デュノアの顔はそれなりに売れている。フランスの代表候補生であり、元デュノア社、現タスク社の企業代表のひとり。大手清涼飲料水メーカーのCMに出演したことさえある。

 シャルロットは地面に目を落とし、自分の格好を改めて確認する。男装を意識したのは事実で、何かと楽だという安易な考えで服装を選んでしまったのは否めない。井の中の(かわず)で、自意識過剰な女子高生風情だったのか、と愕然(がくぜん)としてしまった。

 

「僕、今日こっちに来たばかりで。すみません。自己紹介がまだでしたね」

 

 少女はシャルロットの一人称を聞いて首をかしげる。

 

「シャルロット・デュノアといいます。フランスから来ました。明日から一年一組に転入するんですよ」

「わっ、ごめんなさい。生徒やったか。私、サクラサクラと言います。一〇二六号室なんで、隣に住んでます」

 

 シャルロットはにこやかな笑みを浮かべて握手を求めた。桜は人懐っこい表情を浮かべて握り返す。

 シャルロットはふと、手首に目が行った。細身なので華奢なのかと思いきや手首が丸太のように締まっている。普通は筋が浮き出るものだが、桜に限ってはそれがなかった。

 

「案内します。どうせ、部屋に戻るつもりやったから」

「すみません」

 

 頭を下げるシャルロット。スーツケースを倒そうとしたところ、「あの」と声をかけられて桜を見やる。

 スーツケースのファスナーのスライダーにくくりつけた人形を指さしている。

 

「その人形は……」

「もらいものなんですよ。これ」

 

 スライダーからフックを外す。ちょうど手のひらの大きさに作られた二頭身人形たちを、桜の眼前に持ちあげた。

 

「ポニーテールで薄い橙色の体がもっぴい。三白眼で、胸の前でえらそうに腕を組んでいるのが田羽根さん。金髪縦ロールでそっぽを向いているのが、幻のセシルちゃん。ツインテールでつぶらな瞳なのが妖怪ぺったんこー」

 

 桜はもっぴいと田羽根さんの人形を食い入るように見つめ、腹の底から湧き起こる怒りを抑えきれずにいた。

 

「うわっ! 憎たらしい!」

 

 桜が心底忌々しそうに言い放つ。田羽根さん人形ともっぴい人形をわしづかみにして、今にも握りつぶさんばかりの勢いだ。背中から火を吹き上げるかのような勢いで殺気をまき散らした。

 

「あ、あの……」

「はっ!」

 

 我に返った桜が何事もなかったかのように人形をシャルロットに返した。

 

「これをくれた人がウザキャラシリーズだって言っていたんですが、本当に怒る人っているんですね」

 

 シャルロットがにっこり笑う。桜はその口調にわずかな険しさを感じ取った。

 

「わ、私としたことが……案内するんでついてきてください。……あっ。その人形。スーツケースにしまっといた方がええと思う」

 

 ありがとう、とシャルロットは白い歯を見せる。そして言われたとおり、人形をスーツケースのなかに納めた。

 桜はひどくどぎまぎしていた。男でも女とも受け取れる端正な顔つき。女だとわかっていても、頬を赤らめてそっぽを向く。唇をとがらせて後ろ手に組んだ指をくるくると絡める。

 

「あの、デュノアさん。変なこと聞くようやけど、男女構わずもてたりせえへん?」

「君は妙なことを聞くね。……まあ、確かに否定はしない」

「やっぱりか」

 

 桜は得心がいったらしく安堵の息をつく。誰彼構わず、キラキラとした笑みを向けようものなら変な気分になってしまう。桜は自分が正常であると確かめたかったのだ。

 スリッパに履き替えたシャルロットは、案内する桜の背中を見つめた。内装はWebサイトに貼られた写真と同じだ。今さら驚くまでもない。

 

「ねえ。君の名前。どんな字を書くの。姓も名も一緒の読みだよね」

「ああ。佐倉城の佐倉……軍隊の佐官の佐。倉庫の(くら)や。名前は桜祭りの桜やけど」

「ふーん」

 

 シャルロットは値踏みを始めて、ジロジロと桜の上下に目を流している。微かな悪意が瞳に浮かび、すぐに何事もなかったかのような顔つきに変わった。

 

「変わった名前だね」

「国外に出たときに困るわ。名前なんか名字なんかわからん」

「発音が一緒だからわからないよね」

「あ。ここや。ちょびっと待ってな」

 

 部屋番号は一〇二五。桜が扉をたたいて住人を呼び出す。

 

「篠ノ之さーん。デュノアさんが来たよー」

 

 扉越しに凛とした女の声がした。しばらくして和服姿の少女が顔を出す。シャルロットは扉越しにチラと内装をのぞきこみ、障子張りの間仕切りを見つけた。

 

「貴様がデュノアか。私は篠ノ之箒。先生から話を聞いている。入ってくれ」

「私はこれで」

 

 桜は箒に一言告げて背を向け、隣の部屋に入ってしまった。

 

「……お邪魔します」

 

 シャルロットは一〇二五号室に入室した。はにかみながらつぶやき、箒に習って靴を脱ぐ。室内の方々に貼られたお札を目にして、妙な気分になる。

 もともとホテル同然の内装のせいか、一〇二五号室は備え付けの家具で間に合っていた。シャルロットは誘われるままキッチンを抜け、洋風の内装には極めて不釣り合いな置物を目にして立ち止まってしまった。

 

「あの……」

 

 スーツケースを脇に寄せてから湾曲した物体を指さす。

 箒はシャルロットの挙動不審な様子に目を丸くした。彼女の指が示す先に気づいてようやく破顔する。

 

「ああ。真剣だ。刃引きしていないから、決して抜こうなんて思わないでくれよ」

 

 箒は愉快そうな様子でこともなげに言い放った。

 

「あの……篠ノ之さんはサムライなんですか」

「箒でいい。お茶、飲むか?」

「……お願いします」

 

 シャルロットの返事に合わせて箒がにこやかな笑みを浮かべる。

 

「わかった。今、麦茶と紅茶を切らしていてな。煎茶しかないから我慢してくれ」

 

 ポットから湯を注ぐ音が漏れ聞こえる。シャルロットは椅子に腰かけて緊張した面持ちで室内を見回した。

 ――え、誰?

 先ほどは気づかなかった。部屋の隅に小豆(あずき)色のジャージを着用し、黒いニット帽を被った小柄な少女が体育座りをしていた。メガネをかけ、もみあげが内側に跳ねている。無言で空間に指を滑らせ、まるでピアノの旋律を紡ぎ出しているかのようだ。少女はシャルロットを一瞥し、軽く目礼しただけで、自分の世界に没頭してしまった。

 シャルロットは祖国で学んだ日本の知識を総動員する。おとぎ話の登場する怪異(あやかし)こと座敷童(ざしきわらし)に違いない。座敷童がいる軒には幸福がもたらされる。子供には見えて、大人には見えない。まだ子供に分類されるからかろうじて見えているのだ。シャルロットは正座してから手を合わせて、その少女を拝んでいた。

 

「……何をやってるんだ」

 

 箒が怪訝(けげん)な声をあげる。お盆に三つの湯飲みを乗せて、シャルロットを見下ろしていた。

 

「さすが日本。本当に座敷童がいるんだなって感心してるんです」

 

 真顔で答えるシャルロット。箒は壁際の勉強机に自分とシャルロットの湯飲みを置き、お盆を持って部屋の隅に向かう。

 

「客人にあいさつくらいしたらどうなんだ」

 

 少女の横にお盆を置き、ニット帽をつまみ上げる。かすれた声が聞こえ、少女が両手で頭を押さえるよりもはやく、四方八方に跳ねた水色の髪が露わになった。

 

「……返して」

 

 目を伏せ、聞こえるか、聞こえないかくらいの小さな声でしゃべる。

 箒はお盆を遠くにずらし、横に腰を落としたかと思えば簪の脇に腕を差し入れた。

 

「ほら、立って」

 

 ほとんど無理やり立たせた形だ。簪はメガネを取って眠そうな目をシャルロットに向けた。

 

「更識簪。……よろしく」

「あのときはメガネかけてなかったよね? 僕はシャルロット・デュノア。世界大会予選で一度戦ったときはラファール・リヴァイヴ・カスタムだった。覚えてないかな」

 

 シャルロットは歯が浮くような気障な物言いだった。対して簪は目を細めたにすぎない。

 

高速切替(ラピッド・スイッチ)の……二年振り」

「何だ。デュノアを知っていたのか」

 

 箒が瞬きするシャルロットと無表情の簪を交互に見比べた。簪はそっけない態度を続けている。

 

「だから、目礼した」

「デュノアさん。気づいてなかったんだぞ」

 

 箒はシャルロットを指さしながら言った。簪の手がすばやく動き、ニット帽を奪い取る。

 

「寝癖が直ってないの。……だから、今日はこのまま」

 

 簪はそっぽを向くなり元の場所で体育座りしてしまった。

 

「すまない。とっつきにくいやつで」

「その……彼女とはどういったご関係で……」

 

 以前顔を合わせたときと比べて随分印象が異なっている。二年前は感情が読み取りにくく、何を考えているのかよくわからなかった。

 箒は毅然(きぜん)とした態度で言い放った。

 

「月末の学年別……タッグトーナメント。私は、あそこにいる更識簪と組むことにしたんだ」

「そういうことか」

 

 シャルロットは合点がいった。手続きの対応を行った千冬から学年別トーナメントについて概要を聞いていた。

 学年別トーナメントの参加資格はIS学園の在校生である。このうち一年生の部は六月第四週から六月第五週の末日にかけて執り行われる。一年生の総生徒数はシャルロットを含めて一二四名だ。二人一組のため、三位決定戦を含めて六二試合が予定されている。

 会場は第二アリーナをのぞく五つのアリーナで実施する。一試合につきISを四機使用するため、最大で二〇機同時に整備する状況になり得る。IS学園の技術者や整備科だけでは作業量が飽和する状況が考えられた。そこでIS関連企業から技術者が派遣されることになっていた。

 また三学年同時にトーナメントを行った場合、一日に大量のISを扱わねばならない。企業側から作業量飽和による整備品質の低下を問題視する声があがっていた。そのため去年から一会場につき一日あたり八試合までという制限が設けられた。

 今年は第二アリーナが使用不能になったことで試合を消化できないという問題が急きょ浮上した。以前から学園の教師や企業から過密スケジュールを軽減するよう求めており、今回の所属不明機襲撃はあくまで制度変更の契機となったにすぎない。もちろんシャルロットには内部事情は知らされていなかった。

 なお、二年生の部は七月第二週、三年生の部は七月第三週に実施される。七月頭に一年生の担当職員が臨海学校で抜けるため、不足分は企業の技術者を増員して対応する。なお、学期末考査は第四週に三学年合同で実施することになっていた。

 

「更識簪と……」

 

 シャルロットは笑顔を浮かべたまま、箒がもたらした情報を冷静に受け止めていた。

 デュノア買収にまつわる諸手続で転入を延期したとはいえ、国家代表候補生兼企業代表のシャルロットには優先すべき達成目標が存在する。自機の売り込みだ。ラファール・リヴァイヴ・カスタムⅡへの改修案件を一件でも多く受注することで、第三世代機の開発資金を調達する。もし資金調達に失敗すればラファール系第三世代機は、名称こそデュノア社の名残があるものの中身はタスク社が独自開発したものに置き換えられてしまうだろう。そしてシャルロットは企業代表から解任される、と聞かされていた。

 タスク社は既にいくつもの主力商品を持っている。関連子会社のタスク・アウストラリス、タスク・カナタにいたっては第三世代機を開発し、搭乗者とともにISを学園に送りこんでいた。タスクが欲しいのは商品としてのラファール・リヴァイヴであり、広告塔のシャルロットではなかった。

 

「つまり、それって優勝候補ってことかな」

 

 簪の戦績を考慮すれば当然の帰結だった。シャルロットは今の発言に対して商売敵ともいえる簪の反応を注意深くうかがう。

 当の簪は眉ひとつ動かさない。しばらく沈黙が続き、突然簪の視線がシャルロットを突き刺した。

 

「篠ノ之さんがどれだけへっぽこでも勝つのは私だから」

「へっぽこは余計だ」

 

 突然の勝利宣言に、シャルロットは武者ぶるいした。

 もうすぐ開催される学年別トーナメントにおいて、簪は倒さなければいけない壁となる。二年前は引き分けだった。それから彼女は戦績を伸ばし、強豪の仲間入りを果たした。

 ――もう戦いが始まっている。

 シャルロットは腹の奥底では、ここで譲歩すれば、精神的優位を与えてしまうという危機感を抱く。それゆえ、心を奮い立たせ、決意を胸に秘めて気障ったらしく格好つけた。

 

「サラシキ。それは違うよ。最後に立っているのは、僕こと、シャルロット・デュノアだ」

 

 

 翌日。シャルロットは講堂に集合した一年生の前に立っていた。

 物珍しさのためか、講堂のいたる所からささやき声が漏れ聞こえてくる。上下ともに黒いスカートスーツを着用した千冬が両手をたたく。大きな破裂音がしたかと思えば声を張った。

 

「静粛に。これからデュノアさんに転入のあいさつをしてもらう」

 

 よく通る声が銅鑼(どら)の響きのように余韻を残す。騒がしかった空間がうそのように静まり返った。

 シャルロットは千冬が教師として一目置かれていることを実感する。不意に妙な願望が鎌首をもたげるのを自覚した。

 ――豊かなよく通る声を艶やかに泣かせてみたい……って何考えてるんだ。最近ミューゼルさんの影響、受けてるのかな……。

 

「では、デュノアさん」

 

 返事をしたのち、シャルロットはちょうど一夏の真っ正面に立って深呼吸した。

 

「シャルロット・デュノアです。フランスから来ました。この国では不慣れなことも多いかと思いますが、みなさんよろしくお願いします」

「男……?」

 

 一夏がつぶやく。

 

「いいえ。こういう格好なだけでれっきとした女だよ」

 

 人懐っこい笑顔。礼儀正しい立ち居振る舞と中性的に整った顔立ち。貴公子然とした雰囲気を醸しだしている。髪は濃い金髪。黄金色のそれを首の後ろで丁寧に束ねている。体はともすれば華奢(きゃしゃ)に思えるくらい細い。

 だが、女だ。

 一夏の顔に落胆の色が浮かぶ。前から女の子が入ってくるのは風のうわさで知っていたが、もしやと考えたのだ。実はシャルル・デュノアという少年が入ってくるのではないか。女の園で生活するうちに同世代の少年が恋しくてしかたがなかった。同世代の男同士でのスキンシップ。風呂場で裸の付き合いに勤しむという鬱屈(うっくつ)したストレスから来た妄想が盛大に砕け散った。

 散発的な拍手だ。ラウラ・ボーデヴィッヒの前例がある。生徒らは一夏に手を上げるのではないか。そう危惧していたものの、シャルロットは早々にあいさつを切り上げてしまい、みんな拍子抜けしてしまった。

 

 

 



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狼の盟約(二) IS格納庫

作中やむを得ず侮蔑用語を使っています。
該当箇所には伏せ字を用いました。予めご了承ください。


 桜は講堂の渡り廊下で携帯端末を取り出し、「一六才の誕生日おめでとう!」というタイトルのメールを見てにやけていた。

 

「うわっ。奈津ねえ……」

 

 奈津子のメールには「誕生日プレゼントを注文しておいた」とある。注文時の自動送信メールが一緒に転送されており、タイトルのポイント二〇倍が妙に気になった。商品名は着脱式ダンベル。一方、安芸のプレゼントは夏物の水着だ。文面に「臨海学校で使うと思うから」とある。トップはビキニタイプ、ボトムはボクサーパンツだった。

 友人たちのメールにも目を通す。特筆すべきはケースオフィサーことエイブラハム・クーパーから「航空ショーに来ないか」というお誘いがあったことだ。どうやらA6M5、すなわち零式艦上戦闘機五二型の復元に成功したらしい。試験飛行を無事に終え、アメリカ合衆国ウィスコンシン州のオシコシ航空ショーで展示飛行を実施するという。開催時期は七月末から八月上旬にかけて。ちょうど夏休みだ。

 

「これは行きたい。五二型とか懐かしすぎるわ」

 

 台湾にいた頃の乗機が五二型だった。エンジン不調で海に不時着したり、泳いで帰還したり、輸送任務に就いていた海防艦に拾ってもらったりと思い出が深い。

 メールには実物の五二型を背にして妻と娘、息子らしき人物が写っている。桜を子供たちに紹介したい、という思惑が透けて見える。しかも、同じようなメールをトロイやマ■ー■ァッ■ーにも送信しており、トロイは参加を快諾したと本文につけ加えてあった。マ■ー■ァッ■ーは恋人の喪に服しており、参加を断っている。

 

「トロイってイギリス人やったような」

 

 桜は一度だけトロイの顔写真をSNSで見かけたことがある。くすんだ茶髪でとらえどころのない顔立ち。ひげ面で年齢不詳の怪人(ギーク)である。

 続けて文面を追う。旅費や宿泊費をケースオフィサーが持つことになっていた。彼は金持ちだ。トロイがタダ旅行の機会を見逃すわけがない。

 職員棟に続く階段が目に入った。携帯端末をポケットにしまい、靴を履き替え、再び顔をあげると、ラウラと箒が並んで歩いている。

 玄関から飛び出して職員棟を目指して軽く走る。ふたりが階段をのぼりきる直前に追いついたものの、彼女たちは無言のままだ。本音に一組でのラウラの様子を聞けば、誰とも会話せず、授業を淡々とこなしているとか。しかもセシリアがラウラに熱い視線を送り、何かにつけて突っかかるようになっていた。

 ――いったい何やったん。

 ラウラはセシリアを怒らせるようなまねをしたようだ。残念ながら、やらかした本人は黙したまま語らない。マリアは理由を知っているようだが、聞いても言を左右にするばかり。楯無にいたっては顔を真っ赤にして呂律(ろれつ)が怪しくなる。

 桜はいぶかしむような目をラウラの背中に向けた。

 

「失礼します」

 

 職員棟の引き戸を開けて中に入る。真耶の席に向かうラウラと箒を横目に、桜は連城の元へ急いだ。

 

「先生。話って何です?」

 

 連城は桜の声に反応して病的に青白い顔をあげて振り返った。メモと思しき紙切れをつまみあげて、ハスキーな声を出す。

 

「佐倉さん。悪い知らせと良い知らせがあります。どちらを先に聞きたいですか?」

「いきなりなんですか」

 

 桜は不安そうに目を瞬かせ、少しの間考え込むようなそぶりをしてみせた。

 

「悪いほうを先に」

「さっき政府から連絡があり、あなたの食費免除……もしかしたらカットされるかもしれないと(おっしゃ)っていました」

「カット……削減ってこと?」

「イエス」

 

 連城が大きくうなずいた。

 桜はこの世の終わりのような顔つきで、ぽかんと口をあける。

 

「佐倉さん。先月のクラス対抗戦でいきなり入院したでしょう」

 

 桜は青い顔のまま首を縦に振り、肩をすくめた。

 

「故障者リストに載ってもうたな……」

「先日のあれを事故というのはいささか語弊はありますが、学園の行事中にケガをしたことには変わりありません」

 

 連城はモニターを一瞥(いちべつ)してからきっぱりと告げた。

 

「幸いなことに先方は見える成果を求めています」

「零式の稼働データだけじゃあかんの? 壊してもうたんやけど」

「倉持はむしろあなたを擁護する側で、今回の話は寝耳に水だったようです。私も詳しいことはわかりませんが、外部からつつかれたようですね」

 

 ――会長さんの手が届かない外部ってこと?

 

「でも、どうして食費が」

「削減額は微々たるものだそうです。しかし、あなたが常人の二倍も三倍も食べるから槍玉にあがってしまったようなことも」

 

 最大の楽しみを奪われる。桜は焦燥感に駆られ、心臓の鼓動がはやまった。生唾を飲みこんでから、心が折れそうになるのをぐっとこらえた。

 

「食事を盾に取るとは何たる卑怯。成果って……具体的には」

「今度開催されるトーナメントでよい成果を残すと何かと都合がよいそうです。専用機持ちならそれくらい簡単だよね……と先方は切実な口調でした」

 

 桜はあいまいな指示に閉口する。連城が言葉を濁したとはつまり、彼女も明解な基準を持っていないのだ。

 

「もうひとつの。ええ方の話題って」

「二点あります。ひとつは倉持技研の曽根さんが交換部品と技師を伴って第六アリーナの格納庫に来ているそうです。もうひとつはSNNからGOLEMシステムのマイナーアップデートが正式に通達されました。いくつか不具合が改善され、新機能が追加されたらしく、詳細はSNNの方から説明を受けてください」

「すると……これから、第六アリーナに向かえ、と?」

「そうなりますね」

 

 連城はしれっと答え、真耶に顔を向けた。

 

「山田先生。佐倉さんへの連絡が終わりましたので、これから第六アリーナに引率します。ボーデヴィッヒさんと篠ノ之さんも一緒に連れて行こうと思うのですが」

 

 助かります、と真耶が告げる。彼女は企業の技師派遣について最終調整する仕事に携わっていた。任された仕事量が多いことを見越して、連城は仕事の一部を肩代わりすると申し出たのだ。

 

「篠ノ之さん。ボーデヴィッヒさん。私が引率するので、佐倉さんと一緒についてきてください」

 

 連城は弓削の肩をたたいて「後はよろしく」と告げ、席を離れた。

 

 

 桜は連城の引率で第六アリーナのIS格納庫を訪れていた。

 学年別トーナメントが間近に迫るなか、全アリーナ中最大規模を誇るIS格納庫には忙しなく人が行き交っていた。

 ピットへ続く扉の近くでシャルロットと千冬、髪の長いパンツスーツ姿の女性が並んで話している。すぐ側に積み上げられた橙色のコンテナの側面には「(株)みつるぎ」という企業名が描かれていた。

 桜は彼女らから目をそらし、つなぎを身に着けた女性の姿を見つけて、思わず手を振っていた。

 

「曽根さん!」

 

 入館証を首に下げた曽根は、桜に気づくやスレート型端末を小脇に抱えて歩み寄る。

 

「佐倉さん。先週に引き続きまた来ちゃいました」

 

 曽根が軽く笑ってみせた。

 

「今回は小山たちと……うちの技師と一緒なんですよ」

「うち?」

 

 彼女は倉持技研に派遣されている。派遣先の社員のように振る舞っているものの、実際には四菱の社員だ。四菱と倉持のどちらの技師なのだろう、と桜はきょとんとしてしまった。

 曽根は桜に構わず、連城にあいさつする。

 

「こんにちは。連城先生。早速で申し訳ありませんが、受け入れ確認の立ち会いをお願いします」

 

 スレート型端末を連城に差し出す。打鉄零式の交換部品や兵装がリスト化されており、内容については事前に審査済だ。到着した物資は、整備科を統率する教師や学園の技術者が確かめることになっている。連城の役目は受領手続きの立ち会いだった。

 曽根は同伴した数名の技師と連城を引き合わせ、自分は桜の隣に並んだ。箒が所在なげに目を泳がせていたので、桜は彼女とラウラを呼ぶ。

 

「篠ノ之さん。ボーデヴィッヒさん」

 

 曽根がすかさず手袋をしまい、胸ポケットのひとつから名刺入れを取り出す。

 

「倉持技研の曽根と申します。以後、お見知りおきください」

「どうもご丁寧に……篠ノ之です」

「ボーデヴィッヒだ」

 

 ラウラの表情の変化を見て、箒がぎょっと目を丸くした。ラウラのにこにことした表情が異様に映った。何度も目をこすってみたが、やはり見間違いではない。いつも無愛想な面構えだったり、不機嫌そうな顔つきとは正反対の華やかな笑顔。そういえば、と箒は思う。ラウラはなぜか教師にだけは受けがよかった。

 箒は己の認識が正しいことを確かめるべく、桜を見やった。ラウラの状態を奇異に思うことなく受け入れている。一時的に同室になったから、ラウラの態度に慣れているだけなのだろうか。箒は目の前の光景に違和感を禁じ得なかった。

 

「佐倉さん。今日は交換部品と一緒に新装備を持ってきたんだけどね……どんなのが来るか、聞いてる?」

 

 握手を終えた曽根が言いにくそうに頬をかき始める。

 桜は彼女の怪しい態度に首をかしげた。

 

「やぶから棒に。どうしたんですか」

 

 曽根は携帯端末を取り出し、桜の眼前にリストを表示した。

 桜は画面に指を滑らせ、目を走らせていく。不意に顔が強張り、画面から目を離した。

 

「IS用一二〇ミリ滑腔砲と交換用の二〇ミリ多銃身機関砲。千代場アーマー……だけようわからんのやけど」

 

 ひとつめの画像は一〇式戦車の一二〇ミリ滑腔砲の砲身を流用し、ISでも装備できるよう取っ手をつけたものだ。ふたつめは交換用の装備だった。三つ目は画像が存在せず、打鉄零式を重戦仕様化するための後付け武装とそっけない文章が付記されているにすぎない。

 

「各装備の使い方はいつもの場所に手引き書を入れたから読んでね。演習モードで試してくれたらわかると思うけど、あとそれから……」

 

 曽根は急に小声になって耳打ちする。

 

「試験に出そうなところもまとめておいたから」

「おおきに」

 

 桜は愛想良くにんまりとしてから、すぐ真顔にもどって感謝の言葉をそっけなく言った。

 

 

 ラウラが整備科の担当教員に呼ばれ、奥のぽっかりと開けた空間に向かって歩み去る。曽根が同伴した技師の元に向かい、桜と箒は互いに顔を見合わせて雑談に興じようとしたところ、見覚えのある立ち姿に気づいた。「(株)みつるぎ」と描かれたコンテナの裏から姿を現した女性の瞳は一度目にしたら忘れられないだろう。

 ――あっ。

 ドレススタイルの白ブラウス、青色のフリルスカート。青白い銀色の長髪を認めて桜は声をあげた。クロエに近づくにつれて動悸(どうき)がはやくなっていくのを感じた。

 

「クロエさん!」

 

 かつて病床の桜を見舞い、謎の伝言を残した人物だった。

 クロエ・クロニクルは手を振る桜に気づいて目礼してから握手をした。そして、軽やかな足取りで箒の前に立つ。

 

「遅れました。SNNのクロニクルです」

「あ、ああ……」

 

 箒はクロエが手に提げた紙袋を見た瞬間、悪い予感がした。クロエがIS学園を訪れる理由はひとつ。紅椿関連しかない。それにしては街に出向くような格好である。

 

「その手提げ袋は」

 

 箒がおずおずと指さす。クロエが静かに微笑み、袋からビニールの包みを取り出した。

 

「レベルアップおめでとうございます。SNNキャラクター部門から箒様へのプレゼントです」

「ああ……ありがとう……」

 

 感謝の言葉を口にしたそばから力が抜けていくようだ。クロエが差し出した白いクッションには、薄い橙色の胴体に箒と同じ髪型をしたキャラクターの絵が大きくプリントされている。箒は心がくじけそうになりながらも、クロエに弱みを見せまいと無理やり笑顔を作った。

 

「え? 紅椿。レベルアップしたん?」

 

 桜はもっぴいクッションを見なかったことにしてから、箒に話しかける。箒は死んだ魚のような目をしており、桜に肩を抱かれてようやく我に返った。

 

「あ、ああ。やっとチュートリアルから脱したよ……」

 

 長く険しい道のりだった。桜は目尻に涙を浮かべて自分のことのように喜ぶ。

 

「ようやったなあ。で、レベルアップしたら何か変わったん」 

 

 レベルアップすれば操作性が改善されると聞いている。桜は単純な好奇心で聞いたつもりだった。

 

「いくつか武器が増えて少し速くなった。もっぴいは頭が悪いままだ……」

「悪いこと聞いてもうた……正直すまんかった」

 

 桜が手を離し、ふたりして下を向いた。レベル2になってももっぴいは大して変わらなかった。

 箒は気持ちを切り替えようと顔をあげる。

 

「それで、訪問の理由は?」

「GOLEMシステムのマイナーアップデートについてのご説明に参りました。それから、佐倉さんにもお知らせがあります。申し訳ありませんが、箒様への説明が終わったあと、少しお時間をいただけませんか」

「ええよ」

「ありがとうございます」

 

 クロエは桜に礼を言い、箒に向きなおる。

 

「では、立ち話で恐縮ですが、簡単にご説明致します」

「……お願いします」

 

 箒は釈然としない顔つきで先を促した。

 

「今回のGOLEMシステムマイナーアップデートの目玉は、新命令セット追加によってイメージインターフェースの処理能力が向上した点です」

 

 箒は要領を得ない顔をしてみせる。抽象的な説明なので、何が変わったのかよくわからない。

 

「具体的には、紅椿に搭載されたAI、すなわちもっぴいの頭の回転が速くなります。もちろん、田羽根さん、穂羽鬼くん、幻のセシルちゃんも同じく性能向上するものと推測しております」

 

 すかさず箒が質問する。

 

「ひとつ多くないか。今、幻のセシルちゃんって聞こえたぞ」

「はい。幻のセシルちゃんは欧州市場向けのAIです。英オルコット社と提携して商標の使用権取得を打診中。並びにツンデレプラグインを開発しています。ただし、現行の開発版ではツンしかありません」

 

 こういうデザインです、とクロエが紙袋から人形を取り出す。

 昨日、桜がシャルロットに見せてもらった人形と酷似していた。デザインがセシリア・オルコットにそっくりなのだ。

 

「このこと……彼女は知っているのか」

「先日、弊社の担当からオルコット社と交渉中だと連絡を受けております。私どものロードマップではバージョン2.5にて正式搭載を予定しております。ただし、交渉の経過しだいではバージョン3以降にずれこむ可能性がございます」

「いい。深く考えるのは()す。とりあえず……もっぴいの頭がよくなるんだな?」

「そう捉えてもらって結構です」

「ついでに性格も改善してくれないか。聞いたかぎりではプラグインで変化をつけられるのだろう? 鬱陶しくてたまらないんだが」

 

 箒はうんざりとした顔つきで唇をとがらせた。

 しかし、クロエの表情は変わらない。

 

「その件につきましてはレベルアップが進めば改善されます。穂羽鬼くんの評判は、N・ファイルスさんから『ワアオ! もう穂羽鬼くん無しじゃいられない!』というありがたいお言葉をいただいております。もっぴいがレベル50くらいになれば、穂羽鬼くんと同等の性能を発揮するでしょう」

「50……遠いぞ……それは」

「大丈夫です。箒様ならすぐレベルアップできると弊社のCEOが仰っていました。なお、月末の学年別トーナメントにつきましてはCEOも衛星中継でご覧になる予定です」

「あの人が私を。本当に?」

「はい。CEOは昨日、日本への入国を果たしました。現在東京本社で業務に従事しております。また、来月の臨海学校には弊社の技術者として派遣致します」

「そうか……姉さんが来るのか……」

 

 箒は素直に喜ぶことができなかった。姉のことだ。外聞を気にすることなく旅行気分ではしゃぎ回るに違いない。千冬と同い年で、しかも世界的なベンチャー企業の主としては破天荒(はてんこう)すぎる言動なのだ。心配の種が増えると思い、今から不安になる。

 するとクロエは箒の気持ちを機敏に察して、ひと言つけ加えた。

 

「何か不満がございますか」

「いや、いい。あの人にちゃんとした服装で来るよう厳命してくれたらそれでいい」

「しかとお伝えします」

 

 それから、とクロエが桜を見やる。

 

「佐倉さん。CEOから(ふみ)を持って参りました。口頭でお伝えしたいのですが、よろしいですか?」

「またあ?」

 

 桜はうんざりした。どうせ暴言を吐くに決まっている。

 クロエはポケットから便箋(びんせん)を取り出した。桜に聞こえるよう腹に力をこめ、束の声まねをした。

 

「発、シノノノタバネ。宛、サクラサクラ。『箒ちゃんのレベルアップに貢献した件は感謝してあげるんだからねっ。特典で後任者を手配したから五体投地で感謝するんだよ! 追伸。理想の弟を寝取った件は忘れてないから。さっさと死ね。ビッチ!』だそうです」

「せやから理想の弟って誰。だいたい私、まだ処女や」

「申し訳ございません。この件についてはCEOに直接お聞きになってください」

 

 すると箒が突然むせ返った。ゲホゲホと言いながら、箒は目尻に涙を浮かべて桜に迫る。

 

「な、何なん」

 

 桜は箒の真剣な表情に恐れおののいた。

 

「おかしいな……佐倉。お前、生徒会長やボーデヴィッヒとうわさになっていたぞ」

「はあ? その話の出所はどこなん」

 

 桜は腕を組み、険しい顔つきで箒に聞き返した。

 

「櫛灘と相川と布仏。あとは四十院とか……更識の取り巻きとか」

「櫛灘さんが関与しとる時点で眉唾や。ええ。私の体はきれいなままやし、一応聞いたるわ」

「それがな。ボーデヴィッヒが暴れたあと、病室でいかがわしいことをしたって。それと生徒会長が佐倉に告白したって話なんだが。佐倉が好きだ! ……みたいなことを公衆の面前で言い放った、と聞いている」

 

 真実が歪められて伝わっているようだ。暴れたラウラを取り押さえようとして結果的に病衣を()いでしまったのは事実だ。

 

「ボーデヴィッヒさんのは、彼女のエクソシスト的資質が発揮されたために起こった悲しい事故や。その証拠にほら。えらい痛かったわ」

 

 桜は手首を箒の前にかざした。ラウラにつかまれたときの爪痕が(かす)かに残っていた。

 

「会長さんには、確かに好きって言われたんやけど……どう考えても告白やない」

 

 はっきり言っておこうと思い、桜が続けた。

 

「あのときは切った張っとったんシャレにならん状況やった。性格が好ましいとか性に合うとかの意味やったから恋愛感情とは結びつかん。篠ノ之さん。櫛灘さんのウワサに踊らされたらあかんわ」

「……そういうものか」

「会長さんはことあるごとに、自分はストレートだって主張しとるから。会長さんの名誉に誓って間違いないわ」

 

 桜は力説した。

 

「……ふうん」

 

 箒は首をかしげており、どうやら桜が思っているほど伝わってはいないようだ。

 

「篠ノ之さんこそ、デュノアさんとはどうなん。あんな美人とひとつ屋根の下や。ケッタイな気分になったりせん?」

 

 ――さっきのお返しや。デュノアさんは妙に輝いとる。いろんな意味で危険な人や。

 シャルロットに微笑みかけられて胸が高鳴ってしまった。桜は心のなかで箒も同じような気持ちになったはずだと決めつけた。

 

「いや、どうかなる以前にほとんど顔を合わせないはずだ。最近ずっと、訓練で忙しいんだ」

 

 桜が病院にいる間、箒はちゃっかり簪と話をつけてしまった。本気で一夏を獲りにいくつもりなのだ。あまりにも露骨なやり方だが、簪と手を組むことに腰が引けていた四組の連中も悪い。

 

「訓練。うまくいっとるの?」

「もちろん。私にとってはタッグトーナメントこそ、ここが天王山だ。それに頭が悪くて鬱陶しいが、もっぴいの調子がいいのだ」

「ほんまに? ……ま、まあ。尋常な手段ではオルコットさんたちに勝てんもんね」

 

 箒はそうだと言わんばかりに大きな胸を張った。

 

「お前もさっさと相手を決めろ。残りものに福がある、とまでは言わないが、ろくなやつが残っていないぞ。……へっぽこ一夏も含めて」

「ほんで織斑って言っちゃう……」

 

 何か文句でも、と箒は真顔で付け足した。

 

「大物はデュノアかボーデヴィッヒだが……前者はともかく後者はな」

 

 箒はIS格納庫の隅に流し目を送る。桜がつられて見やれば、ドイツから来日したと思しき中年女性と話をするラウラの姿があった。

 

 

 



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狼の盟約(三) 蜃気楼と怪物

作中やむを得ず侮蔑用語を使っています。
該当箇所には伏せ字を用いました。予めご了承ください。


 何が変わったのだろうか。

 打鉄零式を身にまといながら、桜はひとりごちる。わざわざ第六アリーナまで来た。曽根もまだ残っているはずだ。手ぶらで帰るのはもったいないと思い、動かしながらGOLEMシステムの変更点を確かめようとした。

 

「私を含めて六機。広いところや。接触の危険は低いと見てええか」

 

 通知を見て、自分を納得させるようにつぶやく。昨日の授業では編隊飛行が取り入れられていた。学年別トーナメントを意識したもので、一夏をはじめ多数の生徒が距離を詰めすぎて空中で接触している。

 桜はメニューからバージョン情報を選ぶ。メニュー下部に倉持技研とSNNのロゴが大きく映し出され、ゴシック体で「GOLEM SYSTEM Ver.2.1」と記されていた。

 

「ん? 後任者がどうのとか言っとったな……」

 

 バージョン番号の隣に赤いびっくりマークと「特典」という文字が添えられている。

 

「パンパカパーン」

 

 ――は?

 脳天気なファンファーレが鳴ったかと思えば、突然視野の下部が真っ黒に塗りつぶされた。桜はいやな予感がして身構える。黒塗りの部分が反転し、タイルがはがれ落ちるように色が戻った。

 桜が呆けたように目を瞬かせる。先ほどまではなかったはずのオブジェクトが設置されていた。視野の左下は喫茶店の室内を模しているようだ。テーブル型ゲーム機の端にコーヒーと灰皿が置かれている。赤い革張りのスツールが中途半端にずれており、ついさっきまで誰かがいたような形跡を残している。よく見れば、灰皿のなかには先端が潰れた吸い殻がいくつも転がっていた。

 見落とした通知がメールボックスに残っているのではないか。桜は困惑しながらも異変の兆候を探そうとした。

 

「しまっ……」

 

 誤操作でもっぴいの部屋を起動してしまう。邪魔な枠を消そうと思い、もっぴいの部屋をいやいや見つめた。

 鬱陶しい二頭身がどこにもいない。

 そう思ったのもつかの間、桜は画面の片隅で身を寄せ合っておびえる姿を発見してしまった。映像が拡大され、もっぴいAから順番にしゃべりはじめた。

 

「弐式が来る……弐式が来る……人畜無害な白式やえっちい打鉄じゃなくて……どうして弐式と……」

「ガクガクブルブル……」

「も、も、もっぴい知ってるよ。弐式を怒らせたら地球破壊爆弾が飛んでくるって」

「死ぬ気でがんばらないと地球が終わるんだよ……もっぴいの尊い犠牲で地球が救われるなら」

 

 そのとき盛大な手ぶれが起きた。撮影者が手を滑らせてカメラを落としたらしく、映像が何度も回転した。

 ――前にもこんなことがあったような。

 桜が既視感に襲われたとき、妙なものが画面に映る。もっぴい以外の二頭身が腰を折り曲げて、画面に向かって手を伸ばしていた。

 

「あんた」

 

 目が合ってしまった。目つきの悪いマスコット人形は黒いウサミミカチューシャをはめている。その姿はまるで、クラス対抗戦で田羽根さんの自決に巻き込まれて死亡したはずの二頭身とうり二つだった。

 桜が操作するよりも早く、窓が勝手に閉じてしまった。勢いよく扉が閉まる音がしたかと思えば、視野の左下から先ほどの田羽根さんが出現する。短い手足を必死に振ってスツールに飛び乗り、一服すべく懐からライターを取り出した。

 

「待って。私、今、むっちゃ混乱しとるわ。え? 死んどらんかったってこと?」

 

 喫煙を終えた田羽根さんはため息をついてからおそるおそる桜のほうを見た。目を見開き、驚愕のあまり飛び上がる。その拍子にスツールが倒れ、後頭部を痛打して左右に転がり回った。

 

「……お困りのようですね」

 

 聞き覚えのある声だ。痛みに悶える二頭身から発せられたものではない。田羽根さんにしては下心が感じられない。立場を鼻にかけ、すきあらば土下座を強要する外道なAIというのが桜の認識だった。

 それゆえ、桜は身構えた。最終的に額を地面にこすりつける生々しい想像をしてしまい、泥棒を見るような目つきで声の主を探した。

 

「はううっ。ご主人様は田羽根さんを信用してないのですね!」

 

 ――おかしい。

 こういう場合の田羽根さんは「お困りのようですね。五体投地で崇め奉ってくれたら考えてやらないこともないですね!」とにやにやしながら迫ってくるはずだ。

 桜は右下と左下を交互に見比べる。

 

「右だけ五頭身になっとる……」

 

 違和感が(はなは)だしい。右下に立っているのは、ちょうど篠ノ之箒を小学一年生くらいまで幼くした姿である。前の田羽根さんが着ていたものと同じようなワンピース姿。桜が胡乱な目を向けていると、幼女は急にワンピースの裾を握って目を伏せた。

 

「ご、ご主人様は田羽根さんが……お嫌いなのですか?」

 

 前の田羽根さんは憎たらしかったが嫌いではなかった。しかし田羽根さんが幼い箒に化けて「ご主人様」発言を繰り返す姿に違和感を払拭(ふっしょく)しきれずにいた。

 

「あの、前の田羽根さんはやっぱり」

 

 ――死んでしまったのだろうか。

 

「前任者から手紙を預かっています。何かあったら土下座させてやってくださいね……みたいなことが書かれてました」

 

 前言撤回だ。桜は憎々しげな視線を幼女な田羽根さんに向けた。

 

「はううっ。やっぱりご主人様は田羽根さんのことが……嫌い?」

 

 両目を潤ませ、頬をふくらませて上目遣いで顔色をうかがう。常人ならば小動物的なかわいらしさに胸を打たれるところだ。しかし、桜は口を開けば土下座を強要するAIと接した経験から、「何か裏があるのではないか」と疑う癖がついていた。

 

「あんたら誰や。そもそもどうして田羽根さんがふたりもおるん。穂羽鬼くんに会えるのはひとりだけなんやろ? 目的のためには仲間同士で殺し合うことも辞さないスプラッターAIやなかったん」

「ご、ご主人様は、田羽根さんを嫌って……嫌ってないの?」

「嫌っとらんから質問に答えてほしいわ」

「こほん。……穂羽鬼くんに会えるのは、もちろんひとりだけですよ」

「そこに転がっとる目つきが悪いのは田羽根さんやないの」

「はい。田羽にゃさんです」

「田羽根さんやないの」

 

 幼女な田羽根さんは確かに「田羽にゃ」と言った。

 

「もちろん、田羽根さんと同じ田羽にゃさんですよ?」

 

 桜は沈黙して視線を左下に落とす。短い手を伸ばしてスツールを支えに立ち上がる姿を見つめた。後頭部に大きなたんこぶをつくった田羽にゃさんが、泣きっ面をごまかそうと両目をつり上げている。

 

「前任者の説明に不備があったようですね。お詫び致します」

 

 桜は幼女な田羽根さんの発言にびっくりしてしまった。前の田羽根さんは謝罪として受け止められるような発言を決して口にしなかったからだ。

 

「穂羽鬼くんに会えるのは()()()()()()()()()()()()()()()()()だけです。田羽根さんと田羽にゃさんのモデルナンバーは四一二。()()()()()()()()()はお教えできないことになっています」

「ほんまって……?」

「では、機能説明に入りますね。ご主人様には絶対に知って欲しいことがあるんです」

 

 桜が質問しかけたのもかまわず、幼女な田羽根さんは話を先に進めてしまった。

 

 

 いくつか細々(こまごま)とした説明が続く。

 

「ほにゃららが数%向上したとか言われてもようわからん。わかりやすい違いって?」

「この場に田羽にゃさんがいることが最大の違いです」

「まさか、田羽根さん搭載機にはもれなく田羽にゃさんが追加されたってことか」

 

 幼女な田羽根さんは静かに首を振った。

 

「条件を満たしたISだけです。他の稼働機で条件を満たしているのは今のところ紅椿、バング、サイレント・ゼフィルス・ダーシくらいですね。もしかしたらほかにもいるかもしれません。もちろんGOLEMシステムを搭載している機体でなければなりません」

「まさかもっぴいが四体おるのって」

 

 幼女な田羽根さんが首を縦に振る。桜は恐ろしい想像をしてしまった。

 

「うわっ。何てこと……や!」

 

 もっぴいや田羽根さんが「ぴゃー!」と声をあげて走り回る光景だ。しかも桜や箒以外にも同じような目に遭っている搭乗者がいるらしい。

 

「さて、ここからが本題です。ご主人様。よーく耳を澄ませて聞いてくださいね!」

 

 桜が居住まいを正す。

 

「ちゃらららーん」

 

 気の抜けるような音がして、田羽にゃさんが約二倍の大きさで映し出された。デジタル迷彩柄の服に着替えており、古びた木の棒を杖代わりにして立っている。

 

「ここからは田羽にゃさんが代わって説明する」

「ハア。田羽にゃさん」

 

 桜が気のない返事をする。田羽にゃさんは(かかと)を打ち鳴らして大声を張った。

 

「教えを請う立場ならきちんとした名前で呼びニャさい!」

 

 何が間違っているというのだろうか。桜は五頭身、もとい幼女な田羽根さんの発音をまねた。

 

「せやから田羽にゃさん」

「ちがーう! にゃではニャい。にゃっこのにゃ。大根の根の字で呼ぶニャ!」

「田羽根さん」

「よーろーしーい!」

 

 前の田羽根さんと同じく面倒な性格をしている。桜のなかで田羽にゃさんの株が下がった。

 

「それでは田羽にゃさん直々に新機能について教示しよう。田羽にゃさんは今回のアップデートで正式サポートされた『神の杖』の制御を担当している。神の杖を使用する際は十分すぎるほど注意してくれたまえ」

「それ……前からあるんやけど」

「以前は不完全にゃサポートで使い物ににゃらニャかった。神の杖には物理と光学の二種類がある。ここでは物理を例にとって説明する」

 

 眼前に映像が表示され、バージョン1の頃の田羽根さんと同一デザインの二頭身が登場した。

 

「手順は簡単。メニューから『神の杖』を選び、目標の座標を入力して確認ボタンを押す。再確認を促すポップアップが表示されたのち、設定内容が正しいニャらば『発射』ボタンを押す。そうすれば軌道上の軍事衛星が目標に向けて攻撃を開始する」

 

 田羽にゃさんの説明に沿ってアニメーションが流れる。何かにつけて親指を立てて簡単だと強調した。

 

「物理攻撃はひとつの軍事衛星につき最大十回まで可能。これは軍事衛星に搭載可能ニャ、タングステン・カーバイド製『神の杖』にゃ最大搭載数に依存している。攻撃対象をよーく吟味して使いニャさい。説明だけではよくわからニャいと思うので、手始めにこの座標を」

 

 田羽にゃさんが手をかざすと、手品のように数字の羅列が出現した。

 

「これは?」

「にゃ。ペリンダバ(Pelindaba)のSAFARI-4……つまり()()()()()()()()()()()()()を入力してポチって見るにゃ。もちろんポチった結果、戦争にニャっても知らニャいのであしからず」

 

 映像には喜々とした表情でエッフェル塔の座標を入力し、各種ボタンを押しこむ二頭身の田羽根さんが映し出されていた。紡錘形の金属片が重力に引かれて落下。大気とぶつかり、摩擦で先端が潰れていく。ほどなくしてエッフェル塔を鉄くずに変え、イエナ橋が波打って消滅する。エッフェル塔が存在した地点の周囲にお椀状のクレーターが出現した。

 田羽根さんは両頬の渦巻き模様を回転させてしばらく達成感にひたった。そしてカメラ目線で満足そうに親指を立てる。

 続けて別の座標が映し出された。「ワアオ! トッテモ簡単デスネ!」という棒読みのセリフが流れ、バージニア州アーリントン郡にあるアメリカ合衆国国防総省(ペンタゴン)を空撮した画像が映る。画面が切り替わり、映像の田羽根さんがてきぱきとした動作で入力を終え、ボタンを押しこんだ。再びアメリカ合衆国国防総省(ペンタゴン)が映り、軍事衛星が金属片の拘束を解いた。アメリカ東海岸から迎撃ミサイルの群れやレーザー光線が乱舞し、落下する金属片の終末速度は秒速七キロメートルに達した。クレーターが出現し、続けて田羽根さんがホワイトハウスの座標を入力するところで、桜はハッとした。

 

「きれいな田羽根さん! 今すぐ神の杖を封印して! 悪質なジョークは勘弁してほしいわ!」

 

 

 きれいな田羽根さんはもう一体のAIよりも上位の権限を保有するらしい。神の杖を封印された田羽にゃさんはふてくされてスツールに飛び乗り、宇宙の侵略者ゲームに興じ始めた。その間、右下のきれいな田羽根さんがあくせくと働くアニメーションが表示されたものの、打鉄零式の外観に変化はない。

 ――光学迷彩に対応した、なんて言ってたんやけどどこで使うん。

 そのほかで役立ちそうなのは、非固定浮遊部位の制御可能範囲が拡張され、AI制御の機動砲台として使えるようになった点だろうか。残念なことに、AIがジョイスティックとラダーペダル、押しボタンで操作するという、よくわからない仕様に改悪されていた。

 桜はフィールドの隅で神の杖に関する報告メールを堀越と曽根に送った。ひと仕事終えた気分になり、安堵のため息をつく。

 

「これでひと安心。わけのわからへんロマン武器は調べてもらうにかぎる」

 

 早速非固定浮遊部位を実体化する。提供されたIS用一二〇ミリ滑腔砲を左右に一門ずつ装備してみせる。砲身込みで六メートル以上あり、給弾機構が装甲で被覆されていた。

 演習モードを設定し、発射手順を確認する。弾丸装填を示す記号が点滅し、眼球で目標を決定して発射のイメージを形作る。

 砲弾が驀進(ばくしん)する映像。CGとはいえ着弾した瞬間、桜の精神が高ぶった。

 そのときだ。きれいな田羽根さんがピットから発せられた警告を伝えた。

 

「ご主人様っ。わーにんぐがはっせられています。Aピット側IS格納庫出入り口に接近しないように、とのことです!」

「何や」

 

 壁際によってAピット出入り口を見やる。両肩に赤い回転灯を設置したISが二機現れ、野次馬のつもりで近づいたISにもっと距離をおくように注意を呼びかけた。武装が取り外されているとはいえ、一機は姿形がシュヴァルツェア・レーゲンと酷似していた。

 桜が物珍しそうにしたので、すかさずきれいな田羽根さんが解説した。

 

「シュヴァルツェア・ツヴァイク。ドイツの第三世代機ですね。それから角張った鉄紺(てつこん)色の装甲で関節が鉛色に塗られた機体はルフトシュピーゲルング。同じくドイツの第二世代機です」

 

 双方のISのパイロットは精悍(せいかん)な顔つきで真剣そのものだ。どちらも二十代前半でカメラ写りの映える美女と表すにふさわしい。

 出入り口から姿を見せたそれを目にした瞬間、桜は思わず目をこする仕草をしていた。

 巨体が人間が歩く速度と変わらない速さでゆっくりと姿を現す。外に出るだけで十分以上かかってもなお、その場にいる誰もがぽかんと呆けた顔つきになる。

 

「カノーネン・ルフトシュピーゲルング。ドイツの第二世代機ですね」

「知っとる」

 

 確かに桜は知っていた。病室で楯無が名を告げた後、桜も少し調べたのだ。

 カノーネン・ルフトシュピーゲルングは打鉄改・海自仕様の対抗馬として開発された機体である。ルフトシュピーゲルング自体は凡庸な性能でラファール・リヴァイヴよりも扱いにくいとされている。性能が打鉄とほぼ同等にもかかわらず、単価が二倍だったため商業的に振るわなかった。なおドイツ代表が搭乗するのがヤークト・ルフトシュピーゲルングだ。徹底したチューニングを施すことで汎用性を失った代わりに、高速性能に特化したじゃじゃ馬とされながらも歴史に名を刻みつつあった。

 だが、眼前のISは競技用のくくりから明らかに逸脱していた。

 

「まるで……戦艦の主砲や」

 

 全長だけでも六〇メートル以上はあった。砲身長だけで四五メートル。桜は四五口径一〇〇センチという()()()()最大の巨砲・怪物(モンストルム)を目の当たりにしていた。過去の記録では砲弾だけで数トンだとされている。

 ドイツ連邦共和国IS委員会はあろうことか、ISに列車砲を搭載するという暴挙を成し遂げてしまった。事の発端は、日本の防衛省が「打鉄改なるISを開発中である」と、全世界に向けて発信したところから始まる。ちょうど打鉄やラファール・リヴァイヴが普及し、中国の第二世代機崑崙(クンルン)やオーストラリアのヘル・ハウンドVer・1、ドイツのルフトシュピーゲルングを市場から駆逐した時期だった。

 海自仕様の完成予定図を見た者は、誰もがまさかと思い、同時にもしやと否定できなかった。ISにはISを、と過剰反応を示した国がいくつか存在した。身をもって白騎士の脅威を知った米国がそうであり、ヨーロッパではドイツやイタリアがそうだった。他の国は絵に描いた餅だと批判し、比較的冷静だった。ISコアの数が制限されていたことも強く影響している。

 ドイツは欧州での発言力を強化すべく、なおかつ工期を短縮すべくルフトシュピーゲルングを改造した。そしてイタリアに先んじて打鉄改・海自仕様への回答としている。なお、米国の状況はやや異なる。白騎士との戦闘で被った傷が思いのほか深く、またイタリアのロヴェーショ(豪雨)が発表されたことで遅ればせながら冷静になった。すぐさま超巨大IS建造計画を取りやめ、戦略爆撃機を改造してISコアを搭載するという代案に切り替えた。おかげで量子化の恩恵を受けることができ、戦略爆撃機の最大積載量(ペイロード)が飛躍的に伸びている。

 桜は搭乗者名簿を見て、思わず吹きだした。

 

「ボーデヴィッヒさんの代替機やったね。あれ」

 

 軍事的には少佐クラスが運用できる代物ではない。ちなみに打鉄改・海自仕様のパイロットは史上最年少とはいえ、れっきとした「准将」である。真偽は不明だが、建造中の機体と宙に浮かぶメガフロートを見た偉い人が青い顔であわてて階級を増やしたといったエピソードが存在する。IS学園の一期生が乗っており、学年別トーナメントでは来賓として招かれているという。

 きれいな田羽根さんが映像を細かく分析していた。カノーネン・ルフトシュピーゲルングは怪物(モンストルム)があまりにも巨大すぎて目を奪われがちだが、他にも後付け装備を設置していた。

 

「脚部に小さくですが、一二〇ミリ砲も見えますね。砲身長から五五口径だと推測します。……太股につけてるの、ご主人様わかりますか?」

「見えるけど、拳銃くらいのでかさとしか。あかん、距離感が狂ってまう」

 

 空飛ぶ列車砲というあだ名でもよいのではないか。桜はしきりに目をこすりながら、ドイツの本気にあきれかえっていた。

 

 

 桜はカタパルトデッキに舞い戻り、そのままピット上の休憩室へ向かった。カノーネン・ルフトシュピーゲルングがIS格納庫に戻ってくるのを目にしていたからだ。

 怪物(モンストルム)は巨大すぎて量子化できないらしく、IS二機と作業用機械腕二基が連携して台座に載せかえている。桜は休憩室から作業の様子を眺め、軽く水分補給していた。

 

「へえ。あれがドイツの怪物(モンストルム)。生で見るのは初めてだよ」

 

 背後から気取った物言いを耳にした。桜は女にしてはさわやかな声音が気になって、その場で振り返る。

 

「あんた……隣の」

「シャルロット・デュノア。会ったのは二回目だね。改めてよろしく。サクラさん」

「よろしく」

 

 桜は握手しながらニコニコと笑顔を浮かべるシャルロットを見やる。紺色でノースリーブのISスーツ。胸元とへそにタスク社の社章が刻まれている。

 

「これね。新調するハメになったんだよ。デュノア社が買収されちゃったから」

 

 シャルロットは窓際の手すりにもたれかかって、アハハと軽く苦笑いしてみせた。

 

「新品のせいか、ちょっと違和感があるんだ。前より性能は良くなってるんだけど、前のほうがデザインとしては気に入ってたんだよね」

「どんな感じ?」

「色がさ。僕のラファール・リヴァイヴ・カスタムⅡに合わせてオレンジ色だったんだ。鉄紺と鉛色のドイツ機とは違って、もっと派手だったのに……派手といえば、サクラさん。君のISも斬新な塗装だったね」

「あれは斬新やないよ。ダズル迷彩といって一世紀前の古くさいデザインや」

「ふうん。芸術性が強いデザインはもっと再評価されてもいいと思う。僕個人の意見だけれど」

 

 シャルロットは手すりを背にして顎をしゃくり、列車砲を流し見る。

 

「知ってる? あの大砲。IS三機で運べるようわざわざ三つに分けたんだって。ドイツも無茶するよね」

「へえ。よう知っとるね」

「さっき整備科の先輩に聞いてきたんだ。ところでサクラさん。君は()()()()なんだい?」

 

 質問の意図がわからず桜は聞き返した。

 

「どっちって?」

「本気で勝ちに行くのか。最初からあきらめているか」

 

 シャルロットの目が笑っていない。口元だけが弧を描いている。昨日とは雰囲気が異なっており、桜は背筋に奇妙な薄ら寒さを感じた。

 

「どうって……」

 

 連城に言われた話を思い出す。食事がかかっている。IS学園に来た理由のひとつがおいしい食事にありつけることだ。今、この恩恵を失うわけにはいかなかった。

 

「前者や。私も勝ちに行くわ」

 

 途端にシャルロットの笑顔が輝いた。桜の両手を握りしめ、大きく上下に振る。

 

「よかった。そう答えてくれるんじゃないかと思っていたんだ!」

「おおきに。一緒にがんばろうな」

 

 桜が何気なく使った言葉を耳にして、シャルロットは急に表情を曇らせた。

 

「それはできない。一緒にがんばれない。だって、君は()()()()なんだろう? 言ってみれば、僕らの敵じゃないか! ……とはいえ、この学園じゃあ、みんながライバルなんだけど」

 

 シャルロットの瞳が敵愾心(てきがいしん)と残酷さに彩られている。

 桜は棘のある雰囲気を察して、自分の感覚が正しいのか確かめる。

 

「まさかとは思うけど……ケンカ売っとるん?」

「そうだね。そう、これは宣戦布告(ケンカ)なんだ。君のような大して実績がないのに専用機をもらったイレギュラーはたたき潰させてもらうよ。織斑一夏の寵愛(ちょうあい)を手に入れるのは僕だ」

 

 シャルロットは自分に言い聞かせるようにはっきりと言いきった。

 ――つまり織斑ねらいってこと?

 

「んんん? ……その論理やと織斑も私と一緒のイレギュラーや」

「一緒じゃないよ。彼は男だろう。この業界じゃそれだけで特別なんだ。対して彼をねらう女は腐るほどいる」

 

 桜は、シャルロットが重大な勘違いをしているような気がした。訂正しておこうと思い、釘を刺す。

 

「先に言っときます。私、織斑のことはなーんとも思っとらんよ。せやから安心して。デュノアさん」

 

 だが、シャルロットは桜の反論を本気とは受け取らなかった。

 

「ありえない。更識の犬が彼に興味をもたないわけがない」

「更識の犬って何度も言わんでも……大体、会長さんと知り合ったのはIS学園に」

 

 桜は言いかけ、すぐに思い直した。

 ――いや、正確には去年の学校説明会か。初めて会ったのは。

 シャルロットは聞く耳をもたなかった。スポーツドリンクを口づけてから、「じゃあね。更識楯無によろしく」と一方的に告げて通路に消えていった。

 

 

 桜は釈然としないままIS格納庫に向かった。

 ついでにラウラに一声かけておくつもりだった。IS二機が補助しなければ運用が困難となるような機体をつかまされたことに対して、それとなく慰めの言葉をかけてやりたかったのだ。

 ラウラは眼帯をつけた女性と話をしていた。だが、桜を見つけるなり顔をあげて大声を出す。

 

「佐倉! SAKURA1921!」

 

 その言葉を聞いた途端、桜は耳まで真っ赤になる。困惑した表情で肩をすくめてみせる。公の場でハンドルネームで呼ばれるのは気恥ずかしかった。

 

「な、なあ。それ、大声で言わんでえ。勘弁してほしいわ」

「なぜだ? それとも階級で呼んだほうがいいのか?」

 

 もっと恥ずかしい。ラウラの言う階級とはもちろん航空機シミュレーターのものだ。

 

「ここにいる全員経験者だ。恥ずかしがることはない」

「そう言われても、ほかにひとがおるやないの」

「だったら日本語で話さなければいい。日本人で佐倉の英語を正しく聞き取れるやつはなかなかいないんだぞ」

 

 通じないという意味ではなかった。スペインなまりがひどいだけなのだ。

 

「そういう話やなくて。できれば、部屋限定にしといて」

 

 ラウラはいかにも残念だと言わんばかりに険しい表情になる。

 

「ノリが悪い女だな」

「ボーデヴィッヒさんに言われとうないわ」

 

 桜はふと、隣の女性から熱い視線を感じた。例えるなら幼子の成長を見て、ほほえましい気持ちになるときのような生暖かいものだ。おそるおそる体を(ひるがえ)した。

 

「……あの」

 

 ショートスタイルの髪型。彫りの深い顔立ちで、肌はメラニン色素が少ない北欧系だ。髪はつややかな黒。アジア系の血がわずかに混ざっているのかもしれない。だが、最も目を惹くのは、美しい容貌を半ば覆い隠した黒色の眼帯だろう。ISスーツの縁にはドイツ連邦軍を示す鉄十字が描かれている。

 

「クラリッサ・ハルフォーフ大尉です。サクラサクラ、お(うわさ)はかねがね聞いております」

 

 桜は突然満面の笑みを向けられて困惑する。手を握りしめられてしまい、後ずさることができない。

 

「第三帝国の野望イベントでは、大日本帝国海軍遣欧艦隊で、夜間にもかかわらず中攻部隊を超低空で先導し、グラーフ・ツェッペリン撃沈の立役者となったそうですね。先日の赤い波濤イベントでもご活躍されたようで」

「何でマイナーイベントをそんなに詳しく……」

 

 桜はたじろぎ、頬を引きつらせた。

 

「なんでもプロペラが海面を叩いていたほどだとか」

 

 航空機シミュレーターの中攻部隊は現実感を重視するため、規定の搭乗員数を満たさなければ動かないようになっていた。もちろん、人数に不足があればNPCを設定することも可能だが、安全のため超低空は飛べない仕様になっている。搭乗員がすべて人間であればこの制限が取り払われる。桜が先導した中攻部隊は全員ユーザーで占められていた。

 

「グラーフ・ツェッペリンを夜襲したときは()()()()()()()()()が指揮しとったからできたんや。()()の」

 

 イベント終了後、桜はチャットで佐倉作郎の縁者だと伝えたら、その人物は特攻要員として鹿屋(かのや)基地にいたことを教えてくれた。戦争末期のため発動機不調が頻発し、稼働機を割り当てられることなく結果的に生き残ってしまったと話している。

 

「あのときはあそこにいるワイゲルト中尉が艦長役で、私は航空隊でした。魚雷が突っ込んできたと知ったときにはもうダメだと思いましたね」

 

 桜は周囲の目を気にして話題を変えた。

 

「ここにおるってことはお仕事ですよね。当然」

 

 クラリッサは目尻に涙を浮かべて悔しそうにうつむいた。

 

「少佐がISを壊したと聞き、旅行をキャンセルしてこちらに。もともと……旅行で日本に行くつもりだったからよかったのですが」

「……ご愁傷様です」

「ところで少佐」

 

 クラリッサが満面の笑みを浮かべてラウラの前に立った。

 

「何だ。大尉」

「ご友人ができたと聞きましたので、よろしければ紹介していただけませんか?」

 

 その瞬間、ラウラは突然答えに窮したように生唾を飲み込んだ。今のところ現実の友達はゼロだ。かろうじて桜や本音が友達のような気もするが、互いに明言したことはなかった。必死に目を泳がせ、桜に助けを求めるような視線を送り、何度か首を上下左右に振った。桜には何のことだかさっぱりだった。

 ラウラは無言で桜の横に立つや、強引に腕を絡めた。

 

「ここにいるぞ! 学年別トーナメントは佐倉と組むんだ! 最終日にはレーゲンが復活するからな!」

「え?」

 

 寝耳に水だ。桜はそんな話を一度でもした覚えはなかった。シュヴァルツェア・レーゲンにまつわる一連の騒動でうやむやになっていたのだ。

 またしてもクラリッサの注目を浴びる。ラウラが腕を抜いた直後、クラリッサに両手をつかまれて突然胸元に引き寄せられた。弾力に富んだ柔らかい感触。窒息してしまいそうだ。

 

「ありがとう。あなたは恩人です!」

「え?」

 

 桜は状況を理解できずにいた。クラリッサに感謝される理由がわからない。

 ラウラとは違い、豊満な肉体をこれでもかと押しつけられる。美人に抱きしめられて悪い気はしなかったが、困惑のほうが勝った。

 ラウラは急に目を怒らせ、握りしめた拳を高く掲げる。ぼろが出る前に勢いのまま押し切ってしまおうと、普段ならば口にしないような荒々しい言葉を吐き出した。

 

「見ていろ。デュノア……いや、サ■ン■ーモ■キーに敗北の味を教えてやる! そして復活したレーゲンで勝利してみせる!」

 

 サ■ン■ーモ■キーは英語圏のブラックジョークだ。普段と違い、妙に威勢がいいラウラを見て桜は首をかしげる。おそらく旧知の友にかっこいいところを見せつけたいのだろう。

 桜は突き刺すような気配を感じ、首を曲げてその人物を探した。シャルロット・デュノアがこめかみに青筋を立てて、無理やり笑ったような顔つきで手を振っている。もちろん目が笑っていなかった。

 

 

 




※自衛隊の階級について
 2014(平成26)年5月10日現在、自衛官には「准将」なる階級は存在しません。

 しかしながら、2007(平成19)年6月28日付で発表された「防衛力の人的側面についての抜本的改革報告書」のⅡ-第1-2-(10)-②-アにおいて、ワンスター・ジェネラル(准将)創設の必要性を唱えています。
 同報告書のⅡ-第1-2-(10)-②-ウに「幹部と曹士自衛官の別建て俸給表の導入に併せて行う」とあることから、今後新設される可能性があります。

 なお本作は2021年を想定しており、自衛官の階級に「准将」が創設されたものとして話を進めております。


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狼の盟約(四) 男と女

 風が流れていく。一夏は合宿所の裏門にもたれかかり、イヤホンから断続的に流れる音声に耳を傾けていた。

 手に持っていた携帯端末が振動する。メールだ。受信に時間がかかっており、どうやら写真が添付されているようだ。イヤホンを外し、携帯端末を操作してアプリケーションを終了する。

 ――弾じゃないのか。

 メールボックスに記された名前を見て意外に思った。御手洗(みたらい)数馬。通称「お手洗い」もしくは「トイレ」「WC」だ。名字ネタでからかうとむきになって怒り出す。一夏と弾にとって貴重なエロ本の供給源であり、彼の部屋とPCが倉庫代わりになっていた。

 そういえば、と一夏はひとりごちる。先週の日曜日。シャルロット・デュノアが転入してくるとうっかり口を滑らせた。

 弾や数馬は気の置けない間柄だった。女子の好みや週刊誌のグラビアについて熱く語り合ったり、弾の家に集まってだらだらと暇を潰すことが多かった。

 彼らも昼休みで暇なのだろう。メールのタイトルは「()ぜろ! リアル!」。内容を意訳すると「ギャルゲーの主人公みたいでうらやましい」だった。

 

「現実を知らないからそんな風に言えるんだって」

 

 血の涙を流す数馬。その隣で弾が呆れ混じりに笑っている光景が目に浮かぶ。

 一夏は携帯端末を見下ろし、数馬から届いた写真を眺める。

 

「これはっ!」

 

 一夏は思わず目を見開いた。ネットで拾った写真だろうか。雑誌のグラビアをスキャナで取りこんだものらしい。とっさに画面を消灯し、左右を見回す。幸い彼に注意を向ける者はいない。

 ゴクリ、と(のど)を鳴らす。IS学園に軟禁されて二ヶ月半が経過していた。軟禁といっても申請すれば、学外に足を延ばすことが認められている。連休を利用して実家に戻り、五反田家や御手洗家へ遊びに行った。だらだらとした日常。同年代の男子との他愛もない時間がどれだけ貴重かを学んだのだ。

 そして、一夏とて思春期真っ盛りの青少年だった。

 ――女子はみんな千冬姉と似た生物Xなんだ。

 生物学的に姉は女である。女としての機能を持っているだけで、男と何が変わるというのだろうか。弾や数馬と女性の個々の部品を吟味したところ、千冬は実にすばらしいそうだ。納得がいかず、一夏は弾への当てつけとして蘭を例に挙げた。おしとやかな妹がいてうらやましい。すると弾は笑いころげてしまった。一夏と弾は、最後に数馬と同居中の叔母にして現役女子高生を引き合いに出し、熱い議論を交わしている。レンズの向こうは桃源郷であり、現実は地獄だ。三者三様に身近な女性のダメなところばかりに目がいった。身内の恥をさらしている気がして意気消沈してしまい、その場は解散となっている。

 ――女子には見せられないよなあ……。

 数馬が送りつけてきた写真には、ビキニタイプのISスーツを着用したシャルロットが写っている。清涼飲料水の缶を胸元で挟みこんでいた。幼さが残る容貌と相反する豊かな胸部。先ほど男子と変わらない制服姿を目にしたばかりなだけに、余計に強烈だった。

 数馬の最後の言葉が印象的だった。

 

「おっぱい……おっぱい……」

 

 弾のメールによれば、数馬は先ほど鼻血を出して保健室送りになったそうだ。

 彼女の一人称は僕だと教えたら、数馬はどのような反応を示すだろうか。一夏は携帯端末をポケットにしまい、ため息をついた。

 一夏には目下、二つの切実な悩みがある。

 

「うかつに仲間がほしいって言えないんだよなあ」

 

 ――シャルロットがシャルルだったらよかったのに……。

 男が相手なら変に気を回す必要はない。女子のISスーツは水着と同じく体型を露わにしてしまう。男子高校生には刺激が強すぎるのだ。

 変な気分になったら即座に姉を思い浮かべる。入学当初は四六時中姉のことばかり考えていた。シスコンと呼ばれてもおかしくないほどの頻度だった。仲間が増えれば悩みを共有できる。苦行のような生活のなかで、ほっと一息をつくことができるはずなのだ。一夏はもう片方の悩みへと意識を切り替えた。

 

「トーナメントの相方。どうするよ」

 

 適当な相手に声をかけようものなら、なぜか話題を逸らされた。時には逃げてしまうことさえあった。おかげで一夏は学年別トーナメントが差し迫るなか、未だにひとりぼっちである。

 ――俺、遠慮されてる? 男だからってハブられてる?

 このままでは虚空に向かって談笑するラウラのようになってしまう。彼女は時折、講堂の裏手で誰かと話し込んでいる。先日見かけたときは、教室では決してみせることのない自然な表情でくすくす笑っていたのだ。問題は同室になった桜や本音が相手ではなく、誰もいない虚空に向かって表情豊かに振る舞っていたことだ。

 ――ああいう風にはなりたくない!

 その友達はラウラにしか見ることができなかった。最早彼女は手遅れだと思った。一夏のなかでラウラという選択肢が消え、仮に千冬に頼まれたとしても彼女とは手を組みたくなかった。しかし、女子の中で最も気楽に接することができる鈴音はセシリアと手を組んでしまった。頼みの綱だった箒は、自分を優勝候補である更識簪に売り込んでいる。

 ――佐倉も一応検討はしたんだ。

 倉持技研の第三世代機専任搭乗者であり、IS搭乗時間も似たようなものだ。一夏よりも操縦が上手で、打鉄零式の火力に富んだ装備はとても魅力的だった。

 ――だけど俺は、声をかけられなかった。

 桜が所属不明機の腹をえぐったときの光景を忘れられない。一夏が以前よりもまじめに訓練に打ち込むようになったのは、所属不明機の襲撃があったからだ。

 一夏のなかで打鉄零式は悪役というイメージが形作られている。一緒に手を取り合って戦う光景を想像することがどうしてもできなかった。彼女を見かけるたびに判断ミスを指摘する松本の言葉を反芻してしまう。

 ――俺は、この手で誰かを守りたかった。

 再びイヤホンを取り出して耳にはめる。携帯端末に入れたアプリケーションを起動し、幼い頃、数馬から教えてもらった記号を入力する。RJTT、すなわち東京国際空港である。

 ――大空を守ろうとした白騎士と散っていった無名の防人(さきもり)たちのように。だけど、現実の俺は、誰かを守りたいと願望を垂れ流すだけのガキだったんだ。

 

 

 一日の授業が終わり、講堂に残った一夏は宿題を片付けてしまうつもりでいた。セシリアに解法を教わり、宿題を半ば解き終えていた。時間を確かめようと顔を上げる。千冬がノート型端末を開いてキーボードに指を踊らせている。

 ――いつの間に。

 一夏は席を立って姉に近寄った。

 

「ちふ……織斑先生」

「ん?」

 

 千冬が画面から目を離して振り向いた。一夏を見つけると、目元が軽く和らぐ。

 

「織斑。どうした」

 

 一夏は口を開け、少し言葉を選んでから、改めて言葉を紡いだ。

 

「相談があるんだ。時間は、大丈夫……ですか」

「構わん。話せ」

「トーナメントのことなんだけど、俺、実はまだ相方が決まっていないんだ。できたら、まだ相方が決まっていない子を教えて欲しい」

「それは構わんが、相手を決める時間はあったろう。なぜ、今ごろになって」

「俺から声をかけようとしたら……みんな話題を避けるんだ。理由はわからない」

 

 櫛灘が流したうわさは、千冬の耳にも入っていた。生徒がやることだから、と放っておいたのだが、まさか一夏を避けるような事態に発展しているとは思ってもみなかった。

 

「少し待て」

 

 千冬は作業内容をいったん保存し、無線で学内ネットワークに接続する。ショートカットを駆使してタッグ未結成者のリストを取得した。次の瞬間、顔写真付きの一覧が表示される。

 

「現在、タッグ未結成者は八名。おっと今、六名に減った」

 

 桜とラウラの名前が消えた。

 

「どんなやつがいい。誰でもいいなんてことはないのだろう?」

 

 ああ、と答えた一夏は考えこむ。リストを一瞥しただけなので、誰が残っているかは知らない。胸に手をあてて考える。

 ――俺はどうしたいんだ。

 力試しをしたい。白式でどれだけ通用するか試してみたい。そしてクラス対抗戦から続けた修練の成果を見せてやりたい。

 ――誰に?

 一夏は自問する。脳裏に映像が過ぎった。燃えさかる炎のなかで所属不明機の腹に腕を突き立て、オイルに濡れた赤い瞳。白式の異母兄――打鉄零式。彼女は「守る」と一言も口にすることなく、一夏にできなかったことをやり遂げてしまった。

 事後になって自分の認識よりも遙かに多い課題が山積みとなっていた事実。同じ事物を見て感じていたはずなのに、桜は違った。

 

「千冬姉。アレに勝つには誰と組めばいい」

「アレ? それから学校では織斑先生だ。何度言ったら」

零式(レイシキ)

 

 千冬は、弟の真剣な眼差しを受け止め、真摯に耳を傾ける。

 

「アレに勝てるやつが残っているなら教えてくれ。俺はアレと戦わなきゃならないんだ」

 

 桜は一夏とほぼ同時期に専用機を入手し、同じメーカーの機体を使っている。装備は異なるもののカタログスペックはほぼ同等だ。

 

「残り物に福がある、とは言わないまでも……ひとり、うってつけのやつがいる」

「誰なんだ……ですか。それは」

「うちのクラスのデュノアだ。シャルロット・デュノア。織斑も知っているだろうが、フランスの代表候補生。実力だけならば間違いなく優勝候補だ」

「今、彼女はどこにいる……んですか?」

「さっきまで第六アリーナにいたのだが、まだいるかどうか。確認する」

 

 千冬はアリーナの使用者一覧を呼び出し、シャルロットの名を探した。

 

「彼女はまだいるぞ」

「ありがとうございます。織斑センセイ」

 

 頭を下げた一夏に向かって、千冬は喜色満面で言い放った。

 

「礼には及ばん。早く行け!」

 

 

 一夏は時折足を止めては携帯端末で利用者一覧をのぞいた。リアルタイム版は見た目こそ簡素だが、アリーナの使用状況を把握するのに一役買っている。

 シャルロット・デュノアがいる。彼女が他人とタッグを組むのは時間の問題だという焦燥感から、一夏は急ぐ以外の選択肢が思い浮かばなかった。

 シャトルバスに運良く飛び乗る。吊り輪をつかみながらシャルロットのことを考えていた。数馬のメールは頭から追いやった。素の彼女は中性的な外見や言動、ユニセックスな服装を好みそうなのだ。写真の彼女は別人だと無理やり自分を納得させる。

 

「おじさん、ありがとう!」

 

 シャトルバスが第六アリーナの前で停車し、運転手に礼を言って飛び出す。第六アリーナのAピットに向かって走る。あそこにシャルロットがいる。学年別トーナメントという祭典で、間違いなく上位に食い込むであろう実力者。姉が口にした優勝候補という言葉は、一夏にとって天啓めいた響きを伴っていた。

 いったん観覧席に出る。ラファール・リヴァイヴ・カスタムⅡの姿はない。ピットかIS格納庫か。彼女はまだ利用者一覧に名を連ねている。

 Aピットに行き、肩で息をしながら女性教諭に「デュノアさんはどこにいるのか」と聞く。その教師は格納庫で見かけたそうだ。一夏は電子扉を抜けて、格納庫に躍り出た。

 

「デュノアは」

 

 格納庫の奥に鎮座する巨大な砲を目にして、一夏はぽかんと口を開けてしまった。作業用機械腕が何事もなかったかのように一七センチ連装砲と思しき筒を持ち上げていた。

 一夏は本来の目的を思い出し、目を皿にして探す。ダメかと思ったとき、巨砲の側でラウラと桜が突っ立っているのが見えた。シャルロットが肩を怒らせて、ラウラと何事か話している。

 ――いたっ!

 一夏は手すりから身を乗り出し、大股になって急いだ。

 

「デュノア!」

 

 力強い大声にシャルロットが振り向く。ラウラに侮蔑されたことを押し隠し、爽やかな顔つきになった。

 

「君は……」

「俺と」

 

 シャルロット何かを言おうとする前に、一夏はその両手を握りしめた。

 

「俺と……」

 

 突然鼻先が触れ合うほど近くに顔を突きつけられ、シャルロットはにわかに頬を染める。一夏の一挙一動に目が放せない。シャルロットが知らない男の顔だった。

 

()()()()()()()()()

「……え?」

 

 肩で息をしながら真剣な眼差しをシャルロットに向ける。一夏はシャルロットが自分を断る理由がないように思えた。根拠のない自信が彼のなかに満ちあふれている。数多の企業がIS学園に人材を送り込み、白式と一夏のデータを欲しがっているはずだ。

 

「俺と付き合って……うぐ」

 

 途中で噛んでしまった。一夏は「俺と付き合ってトーナメントに出場してくれ」と言ったつもりだった。今すぐにでもミスを恥じ入りたいところだが、勢いが大事なときだ。細かいことに構ってはいられない。彼女と手を組むと決めたからにはぜひとも承諾の言葉がほしい。

 汗で目が潤む。今、目を逸らしてシャルロットを失する。学年別トーナメントで桜と再戦を果たすことができない。クラス対抗戦の続きをやりたいのだ。ひとりのIS搭乗者として。

 シャルロットは目を見開き、硬直していた。一夏は答えを待ちながら、シャルロットと真剣に向き合った。

 ――デュノアは答えてくれるだろうか。

 

「……うん」

 

 シャルロットが真っ赤な顔でうなずく。

 

「よっっしゃああああ!」

 

 ――やった。俺の熱意が通じた!

 一夏は喜びのあまり、シャルロットを力一杯抱きしめていた。トーナメントの相方を手に入れ、しかも姉が太鼓判を押したほどの人物だ。その場に桜やラウラ、クラリッサ、薫子らが呆気にとられて目を丸くしたのも構わず、子供のようにはしゃいでいた。

 

 

 



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狼の盟約(五) 証人喚問

作中、伏せ字表現があります。予めご了承ください。


 更識楯無は「残念」と書かれた扇子で口元を覆った。丁寧な口調だが、腹の底からドスを効かせた声をしぼりだす。

 

「それで? あなたたちはその光景をただ見守ることしかできなかった、ということですね」

 

 桜は何度も首を縦に振る。楯無の瞳から光が消え、無表情が恐ろしかった。

 

「嘆かわしい」

 

 ため息を吐く楯無。真横に座る桜から窓辺へと視線を移す。三名の生徒がジャージ姿で正座中だ。楯無から見て、向かって左から新聞部の(まゆずみ)部長と島内(しまうち)副部長、そして櫛灘(くしなだ)である。彼女らのかたわらに、布仏虚が茶道部から借りた警策(けいさく)を抱えて立っている。三人が逃げ出さないように見張っているのだ。

 

「事情はわかりました。まさか、織斑一夏くんが転校生に……シャルロット・デュノアに告白してしまうとは予想外でした」

 

 楯無の氷のような視線が畏怖(いふ)を抱かせる。楯無は場が鎮まったことに満足感を覚え、虚に目配せした。

 虚は無言で薫子の背後に移動し、警策を構え直した。

 

「この件について薫子。新聞部部長としての意見はありますか?」

「いますぐ記事にして人心を(あお)ります!」

 

 薫子は一夏とシャルロットの件を記事にすることで、IS学園の生徒全員から喝采を受ける場面を想像した。胴上げされる薫子の脇で一夏が壁際に追い詰められ、袋だたきの私刑に遭っている。

 

「虚。邪念を払ってあげなさい」

 

 わかりました、と虚が短く告げる。ヒュン、と風を切った警策が薫子の肩に吸い込まれる。

 うめき声があがった。間髪を容れずに副部長が手を挙げる。

 

「はい。島内さん。発言を認めます」

「まずは事の真偽を確かめます。以前、特集を組んだ際、織斑先生にインタビューしましたが、織斑くんはご近所でも評判の超鈍感男(フラグ・クラッシャー)。恋する乙女の気持ちを無下(むげ)にする不能(イ■■)野郎だと仰ってました。そんな織斑くんが少女マンガ的な告白行動を取るでしょうか。私は何かの間違いだと推測します」

「薫子と違って一理あります。さすが冷静かつ辛辣(しんらつ)な記事を書くと有名な副部長ですね」

「お褒めいただき光栄の極み」

 

 島内は足のしびれをこらえながらも気取った表情で目元まで伸びた前髪を払う仕草をしてみせる。

 楯無は虚勢を張る島内の内心を見透かした上で、冷たい声を発した。

 

「身勝手な誇張が混ざっていたので、虚、一発追加」

「そんな!」

 

 またしても警策が飛ぶ。キャア、と短い悲鳴が木霊する。

 楯無はため息をついた。脂汗を流す櫛灘にも意見を求める。

 

「じゃあ。そこの一年生。一応生徒会役員だから、満足のいく発言をしたら休憩させてあげる」

 

 楯無の隣にあぐらを組んで座り、お茶をすすっていた桜は首をかしげた。湯飲みから口を離して、横から楯無に質問した。

 

「櫛灘さんが生徒会役員?」

「今週から副会長に取り立てたの。ウワサの根源を絶つなら身を切る覚悟じゃないとね。彼女、行動力のあるバカでしょう? 人格に難があるけど成績優秀で弁が立つ。アジテーター(扇動者)の才能があるし、求心力もある。体も頑健だし……こき使ってやろうと思ったのよ」

「へっへへっへ……会長殿よぅ……過分の評価ありがとうございまさア」

 

 桜はまたしても首をかしげた。正座しながら三下風にしゃべる櫛灘のどこに成績優秀者の面影があるのか。今度は同じ一組のラウラに尋ねる。

 

「あの人、ほんまに成績優秀なん?」

「座学で真ん中より上だと聞いている」

「……って、その分布六〇人くらいおるやないの」

「私も転入してきたばかりなんだ。よく知らん。……質問する相手が間違っているぞ」

 

 桜は櫛灘に視線を戻す。

 

「あっしなりに簡単に裏をとってみた結果をお話します」

「早っ。まだ二時間も経っとらんわ」

 

 桜が驚く。どうやら櫛灘は関係者にそれとなく聞き出してきたらしい。

 

「佐倉さん。考えが甘うございますよ。それどころか遅いくらいですよ」

 

 言われてみれば本音が桜を押し倒し、あまつさえおいしく食べたとウワサが立つまでに一時間も無かった気がする。直接の被害者である桜はやりきれない複雑な気持ちになった。

 

「織斑一夏ですが、約二時間前、講堂に残って課題を解いていたそうです。セシリア・オルコットが解法を教授していたことを証言しています。同時刻、第六アリーナから戻ってきた織斑先生が講堂で簡単な作業をしていたとのこと。織斑一夏はここで先生に相談を持ちかけています」

「どんな相談?」

 

 楯無が問う。

 

「聞けば、織斑一夏はタッグの相手が決まっていないことを悩んでいたようです。私が流したウワサが原因なのか、多くの生徒が彼を避けがちになっていたようです」

「学年別トーナメントに優勝したら織斑一夏くんの彼女になれる、だっけ? 皮肉よね。彼とタッグを組んだが最後、優勝は絶望的だもんね」

 

 楯無は一夏の実力を加味して発言する。セシリアと鈴音が手を組んだのはその事実を端的に示していた。一夏をねらっていた生徒は、ふたりの代表候補生が互いに手を取り合ったことから、一夏と手を組んでも目標を達成できないという固定観念に囚われてしまったのだ。

 

「織斑一夏は勝利を望んでいたようで、とにかく強いヤツと手を組みたい――などと発言し、先生は彼の目的に合った人物を推したようです」

「それがシャルロット・デュノアだと」

「そのとおりです」

 

 シャルロット・デュノアが然るべき相手と手を組めば、優勝は間違いないだろう。だが、転入の時期が悪い。せめてラウラと一緒に来日していれば相手を選ぶ自由があったはずだ。

 

「織斑一夏とシャルロット・デュノアのそれまでの接点は?」

「ほとんどなかったはずです。面白いことがないかとそれとなく様子をうかがっていたのですが、特筆すべきことは何もありません」

「熱い視線を送っていたとか、しきりに気にしていたとか。そわそわしたり、つっけんどんな口調になったりとか……そういうのは?」

 

 櫛灘が首を振る。

 

「……どういうこと?」

 

 楯無が要領を得ない様子で目を瞬かせた。

 

「か、代わりに説明させて……ください」

 

 薫子が感覚のなくなった足をさすりながらも、気丈な顔つきで手を挙げる。

 

「センパイに譲ります。あっしはこれで……へっへっへっへ」

 

 櫛灘が絨毯に顔を埋めて体を震わせた。足のしびれが限界に達していると桜は見た。

 

「じゃあ、薫子(かおるこ)

「織斑くん本人は告白したつもりなんてなかったんだと思います」

「二度も付き合ってくれっと言ったそうじゃない。しかもオーケーが出たら抱きしめたんでしょ? 一度はそういうシチュエーションに憧れない?」

「会長は小学生ですか。織斑くんは抱きつき魔なんだと思います! 喜びのあまり抱きついちゃう子っているじゃないですか! 会長だってミステリアス・レイディが完成したとき私に抱きつきましたよね!」

 

 楯無はここに来て初めて目を泳がせ、小さく首肯した。

 

「だから、デュノアさんはいわば被害者なんです! ()()()()()()が提唱する織斑一夏種馬説を信じる私からしてみれば、彼は期せずしてひとりの女の子を落としたんです! 現実は残酷ですよね! 彼、超鈍感男(フラグ・クラッシャー)なのギャアッ!」

 

 楯無が指を鳴らすより早く、警策が静かにはねた。

 

「新聞部はもっと客観的な視点というものを学びなさい。……って聞いてないか」

 

 楯無は嘆息し、三人に向かって正座を解くように伝えた。

 立ち上がって、桜とラウラ、寝っ転がって悶える三人に聞こえるよう声を張る。

 

「今日見たことは他言無用に願います。特にボーデヴィッヒさんは、ドイツ軍関係者にゴシップを禁ずるよう注意を喚起しておいてください。この件は七月一日付で記事掲載を解禁します。協力をお願いします」

「もちろんだ。人間関係を円滑にするためなら尽力(じんりょく)させてもらう」

 

 楯無は踵を返して虚に向きなおった。

 

「虚。更識楯無の名をもって命じます。甲が乙に交際を申し込んだ件について情報統制を行います。関係各位に厳命。甲が乙とタッグを組み、トーナメントに出場することが確定したという情報のみ流します」

「発信者は誰に?」

「私がやります。情報の漏洩(ろうえい)対策については任せるわ」

「かしこまりました」

「よろしい。じゃあ。お開きにしましょうか。あなたたち夕食、まだだったでしょう?」

 

 楯無は色気たっぷりな瞳を向け、魅了するかのように悩ましげに身をよじった。うめき声をあげる三人と警策を抱えた虚を残す。桜たちの背中を押して部屋を後にした。

 

 

 一夏とシャルロットがタッグを組んだ事実は、翌朝には学園中に広まっていた。

 「ちょっと聞いたんだけどさあ……」と、食堂で楯無自身が触れ回ったのだ。もちろん一夏がシャルロットを落とした事実は巧妙に伏せている。

 話を聞きつけた者が一年生のタッグ表を確認すると、シャルロットと一夏の名が同じ行にある。事実だ。本当だ。彼女らが就寝する頃には知らぬは当事者ばかりなり、という状態になっていた。

 扉が締まる音でシャルロットは目を覚ます。

 

「あ……れ。篠ノ之さ……箒は……朝練か」

 

 箒は学年別トーナメントに向けて毎日朝練を続けていた。日本の代表候補生である更識簪に直接稽古(けいこ)をつけてもらえるのだ。打鉄弐式を初めて目にした瞬間、もっぴいが心を入れ替えて機敏に働くようになった。紅椿の反応速度がわずかに向上したのだ。しかも優勝という目標が現実的になったことで、練習に熱が入った。

 ――彼女としゃべったの……寝る直前か……授業くらいかも……。

 箒とは、朝のSHR(ショートホームルーム)で顔を合わせる。まともに会話したのは転入前日くらいだ。

 シャルロットは寝汗のついた夜用ブラを外し、昼用の小洒落たブラに付け替える。鏡を見て、ふとシンプルすぎやしないかと頭を悩ませる。昨日の一夏を思い出す。真剣な表情や抱きしめられた感触がよみがえり、彼女は真っ赤になって頭を振った。

 ――な、何を考えてるんだ。僕は!

 素直な気持ちをぶつけた告白だった。

 ――勢いで承諾しちゃったけど……あわわわわ!

 男に汚されたことがない清らかな体。養成所にいた頃は周りは子供と指導者、研究員くらいしかいなかった。デュノア社は女性の技術者を優遇していたせいか男性をあまり見かけなかった。実の父親とは数回、握手をしたことがあるだけ。ほかにも男はいたが、全員が感情を自制し、公務を優先する者ばかりだった。

 ――展開が早すぎる!

 タスク社の手続きが終わった日。歓迎会の席でスコール・ミューゼルが「一夏を落としたら食べてしまえ。誰かの物なら寝取ってしまえ」とけしかけたことがある。しかも彼女は末期のデュノア社が考えた馬鹿な計画のひとつを知っていた。あわれな悪あがきは筒抜けだったのである。

 ――シャワーを浴びなきゃ。

 かすかに寝汗の匂いが漂っている。箒のものか自分のものかはわからなかった。それでもシャルロットは一夏の前に汗ばんだ体で立ちたくないと強く感じた。

 シャワー室は濡れて、熱を残している。

 体を洗い終え、バスタオルに水滴を含ませながら改めて鏡を見やる。少女と少年をふたつとも持ち合わせたような中性的な顔立ち。男勝りだと思っていた自分が、日ごとに女に変わっていく。

 胸に手を当てた。心臓の鼓動が心地よい。シャルロットは目を閉じて、自分自身に魔法をかける。

 ――僕はデュノアだ。根無し草のシャルではなく、デュノアのシャルロットなんだ。

 シャルロットは何度も深く息を吐きながら、自己を形作る感覚を慎重になぞる。力を抜くとひとつひとつが繋がっていく。肌は熱く、手のひらは温かい。

 気合いを入れるべく頬を張る。瞬きした後、鏡に映ったのは自信に満ちたフランスの代表候補生、シャルロット・デュノアだった。

 

 

 食堂を訪れたシャルロットを迎えたのは妙な視線だった。四十院神楽がじっとシャルロットを見つめている。目が合うなり、ぷい、と顔を逸らしてしまった。

 ――まだ、この格好が珍しいのかな。

 シャルロットはズボンを着用しており、一見男のようにも見える。

 ラウラ・ボーデヴィッヒにいたっては半ズボンだ。しかし彼女はクラスで孤立状態にあり、ひとりでいるか、同室の桜の横でひっそりと食事を摂る光景が散見された。何かやらかしたのでは、とシャルロットは推し測る。

 朝食を乗せたトレーを持ったまま一夏を探す。すぐに見つかったものの、シャルロットの場所は残されていない。

 一夏は人気者だ。仕方ない。シャルロットは大人しく手近な席に座る。

 

「おや?」

 

 ラウラの周りに人がいる。一部では危ない人だとささやかれており、怖がって近寄ろうとする者は少ないはずだ。

 ――珍しいことがあるものだ。

 シャルロットはラウラとドイツ語で会話する人々を観察する。

 全部で三名。顔と名前を知っている。隣国なので軍やIS委員会、デュノア社ですら彼女らの動向に注意を払っていた。

 ――間違いない。空港の。

 左目に眼帯を着用しているのがクラリッサ・ハルフォーフ。ドイツ連邦軍大尉。短く刈り込んでもなおカールした金髪。高い鼻と冷たい瞳が特徴のエリーゼ・ワイゲルト。同じくドイツ連邦軍中尉である。

 彼女たちの来日理由は怪物(モンストルム)絡みであることは間違いない。もうひとり年配の女性がいた。くすんだ金色の長髪をだらしなくしばっただけの女性だった。ドイツIS委員会のヴァルプルギス・シューア博士。カノーネン・ルフトシュピーゲルングやシュヴァルツェア・レーゲンの開発に携わった才媛(さいえん)で、VTシステムの仕様にも精通している。来日理由はシュヴァルツェア・レーゲンの修理だった。

 彼らが来ていることはフランスIS委員会には昨日のうちに連絡済だ。

 ――で、タスクの重役がわざわざ来日するって聞いちゃったんだ。

 

「ん……おいし」

 

 和食にしてみたが、存外にいける。父親から淑女の(たしな)みだと、各国のテーブルマナーを教わっていた。今にして思えば、傾きかけていたデュノア社を守るべく奔走していた頃で、貴重な時間を割いてくれたのだ。母を愛し、捨てた男の罪滅ぼしだろうか。シャルロットはその考えにクスリと笑った。

 

「相席してもよろしいかしら?」

 

 聞き覚えのある声だ。シャルロットは咀嚼物(そしゃくぶつ)を飲み込んで、箸を置いた。

 

「いいですよ。どうぞ」

 

 笑顔を浮かべて声の主を見やる。フレアスカートにレースを加えた改造制服、そして長い金髪が目に入った。すぐに誰なのかわかった。

 ――セシリア・オルコット。

 同時に金髪からスコール・ミューゼルやナターシャ(Natasha)ファイルス(Fairs)を想起してしまう。フランス人ならば同胞のフランス代表を思い浮かべるべきだ。しかし、肝心のフランス代表は絶世の美女であると同時にとても影が薄かった。

 ――よくないってわかっているんだけどね。

 シャルロットは心の中でフランス代表に謝った。

 

「こうやって話すのは久しぶりですわね」

 

 セシリアの声音は堂々とした貫禄と高慢さにあふれていた。

 視界に小さな人影が映った。シャルロットはチラと横を流し見る。

 ――凰鈴音か。

 実習で顔を合わせたときにいずれ、と思ってシャルロットから出向いての挨拶はまだだった。

 椅子を引く音を聞きながらシャルロットは答える。

 

「確かにそうだね。イグニッション・プランの説明会以来だっけ? 凰さんとは、確か直接対面したことはなかったよね」

 

 鈴音がうなずく。

 

「初対面になるわね。ずっと訓練漬けだったし、アジア圏内の試合しか出させてもらえなかったから」

 

 鈴音がISの訓練をはじめたのは約一年前だ。その頃すでにデュノア社の資金繰り悪化が致命的な事態に陥っており、タスク社の買収合意と法的手続き、関連各社との調整等が重なって、試合数を大幅に減らしていた。支出削減の一環としてアジア・オセアニア圏やアフリカとの交流試合を自粛していたのである。

 

 

「よろしく。トーナメントで対戦したときは実力を出し切ろうじゃないか」

 

 トーナメントと口にしたとき、鈴音の艶やかな双眸がカッと見開かれた。今にも食いつかんばかりに迫力だ。シャルロットは明確な敵意を感じ取りながらも、涼やかな微笑みを浮かべる。

 

甲龍(シェンロン)のうわさはフランスにも聞こえているよ。ずいぶん品質が向上したみたいだね。中国製なのに」

 

 笑顔のまま毒を吐いた。多くの企業が進出し、技術を学び取ってもなお「安かろう悪かろう」の印象がついて回る中華圏に対する牽制だ。かつては日本製品が「安かろう悪かろう」の代名詞だったことを知る者は、ラウラの隣で食後のお茶を口にする桜だけだった。

 

「鈴さん。およしなさい」

 

 フロッグ(Frog)、と口にしかけた鈴音をセシリアは手で制する。つい先日、(ののし)り合いでひどい目に遭ったことを反省しての対応だ。

 

「ねえデュノアさん」

「シャルロットでいいよ」

「では、シャルロットさん。今度のトーナメント。一夏さんと出場するって聞きましたわ」

「そうだよ。転入した時期が悪くてね」

 

 シャルロットが肩をすくめる。ISに乗り始めて約二ヶ月の者と組んだところでどこまで駒を進められるのか。搭乗者としての技術を一夏に求めるのは酷というものだ。

 白式の強みは機動力と特殊な近接兵装だった。同じ倉持技研製の第二世代機・打鉄と比べて瞬発力に長け、機敏に動く。だが、雪片弐型が拡張領域のほとんどを埋め尽くた結果、多様性がない欠陥機と評価されていた。しかも一夏には距離を詰めるための技術が致命的に欠けている。

 

「一夏さんには申し訳ないのですが、客観的に見て白式は(おとり)にしか使えませんわ」

「痛いところを突くなあ。みんな彼を狙ってくるだろうね。試合の光景が目に浮かぶよ」

「もちろん。誰も彼もが、一夏さんを()りにいきますわ」

「当然対策するつもりだけど……手の内を明かすつもりはないからね」

 

 セシリアは華やかに笑った。すぐに真剣な表情に変わる。

 

「取り得る対策は限られます絞られます。すべて見越して試合に(のぞ)みますわ。あなたがたの予想を跳び越すのも、わたくしどもの務めでしょう?」

「ならば、僕は()()と共に君らを倒そう」

 

 あえて彼の名を呼び捨てて強調した。シャルロットも例のうわさを耳にしている。学年別トーナメント一年の部で優勝すれば彼を獲得できる。

 ――だけどね。彼はもう、僕の物だ。……正確じゃないな。僕が彼の物なんだろうな。男性的には。

 

「わかりやすい宣戦布告ですわね」

「汚い言葉を使うのは主義じゃない。ISを壊した(ヒト)とは違ってね」

 

 ラウラのことである。彼女は食事を終えて、シャルロットの机に立ち寄るなり冷たい瞳で見下ろしてきた。

 

ミラージュ(蜃気楼)の調子はどうだい?」

 

 シャルロットはルフトシュピーゲルングをフランス語に置き換えた。ラウラは語学に通じている。当然、意味がわかるはずだ。

 

「最高だ。レーゲンほどではないがな」

 

 ラウラはセシリアと鈴音を交互に見比べる。

 鈴音に目を留め、じっと見つめてから視線を下げていく。ちょうど胸部で止まった。

 

「フッ……」

 

 鼻で笑われた鈴音はとっさに胸元を隠し、白く小さな体をにらみ返した。

 ラウラが返却口へ向けて踵を返そうとした。が、ふと思い留まる。シャルロットに背を向け、嗜虐的な笑みで口元をゆがめて、セシリアの耳元でささやいた。

 

「……欲求不満そうだな」

「そんなことはありませんわ」

「嘘をつけ。()()()()()()()()()()()()?」

 

 ラウラはセシリアの頭脳が理解するまで待つ。初心(うぶ)な少女は羞恥(しゅうち)によって耳まで真っ赤になる。その場でチラとシャルロットを見やれば、きょとんとしている。ラウラが視線を戻したときセシリアと目が合った。

 

「ボーデヴィッヒさん。わ……わたくしが勝ったら、何でも言うことを聞いてもらいます! これは宣戦布告ですわ!」

 

 ラウラは背筋をまっすぐ立て、歯を見せて笑った。

 

「いいぞ。その代わり私が勝ったら、貴様は私の命令に服してもらう。どんな命令であっても、だが?」

「もちろんですわ。あなたが地面を這いつくばるのは確定された未来ですけれど」

「……約束を(たが)えるなよ」

 

 ラウラは大股になり、肩で風を切って立ち去る。

 

「さっきのは」

 

 シャルロットが口を開きかけると、セシリアが冷ややかににらみつける。シャルロットは(やぶ)をつついて蛇を出したと悟り、所在なげに黙ってしまった。

 

 

 



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狼の盟約(六) 訓練

 蛇口から水が滴り落ちる。流水をすくい上げて頬を張る。シャルロットは背筋をしゃんと伸ばし、鏡を見つめる。タスク社のシャルロット・デュノアの顔があった。

 ――僕は大丈夫だ。

 男と付き合うことになって浮かれ、試合に影響を出すわけにはいかなかった。現実的に考えて勝利だけを目指した場合、一夏は足手まといだ。専用機持ちだが、知識や経験が不足している。

 ――さて、彼の信頼を得るには……いや、それ以前に、彼ができることを把握しなければ。

 シャルロットは腹を決めた。一夏と模擬戦をして短時間で癖をつかむ。直情的なのか、緻密(ちみつ)さを求めるか。

 第六アリーナのピットへ向かう。電子扉が開いて、当番の教員の背中が見える。今日は三組の副担任が担当だった。

 あいさつをしてから模擬戦の実施を伝え、IS格納庫へ抜けようとしたとき、その教員に声をかけられた。

 

「デュノアさん。今日、カノーネン・ルフトシュピーゲルングが飛ぶことになっているから、警告が来たら格納庫への出入り口に近づかないように」

 

 シャルロットは足を止めた。蜃気楼(ルフトシュピーゲルング)と聞いて首をかしげた。ISがアリーナを使用するとき、普通警告はない。となれば考えられるのはひとつだ。

 

「弓削先生。ありがとうございます」

 

 格納庫の一角を占める凶悪極まりない兵器。

 ――でたらめだ。

 

 

「じゃあ。今から模擬戦をやろうか」

 

 一夏の目が点になる。かすかに緊張した面持ちで棒立ちになった。

 

「お、おう」

「僕は一夏の実力を知らない。代表候補生をのぞいた同級生の実力はまったく把握できてないんだ。トーナメントまで時間がないから、実戦形式にしたい」

 

 一夏がうなずく。

 

「でも、俺の白式は……」

 

 腕を突き出し、雪片弐型を実体化してみせる。

 

「これ一本と、もう片方の近接ブレードだけだ」

「わかってる。だから、僕も近接武器だけを使うつもりだよ。ああ、それから……女の子だから手加減しようなんて思っちゃダメだよ。君の力をはかるためでもあるんだから、絶対に手を抜かないで」

「最初から本気だ」

 

 一夏は微笑みながら答える。

 だが、いまいち真剣さを感じられない。シャルロットは大げさに首を振った。

 

「女に手を挙げちゃいけない、という考えは捨ててね。僕が君の技量を計り損ねたら、トーナメントに支障が出る。それに敵はみんな女の子なんだよ。この意味、わかってる?」

 

 一夏が首を縦に振った。

 

「わかってるさ。俺だってシャルロットが来る前は、別の女子に稽古してもらってたんだ。全力でいくさ」

「信じるよ」

 

 シャルロットは目元を和らげた。周りの状況を確認しながら考えを巡らせる。

 ――周りが女の子ばかりだから、いつでも乗り換えられると思われたら嫌だもの。

 都合のよい女だと思われたくない。

 シャルロットは試合で牙を研ぎ、手ぐすね引いて待ち構えているであろう女子生徒たちのことを思った。

 ――二対一の連戦は僕でも厳しい。だったら、彼を少しでも鍛えなければ。

 学年別トーナメントは対戦相手をくじ引きで決めることになっていた。最悪一戦目から更識・篠ノ之組やオルコット・凰組とぶつかる可能性すらある。

 シャルロットは近接ブレード(ブレッド・スライサー)を実体化し、後方に飛んだ。二〇メートルほど距離を取り、開放回線(オープン・チャネル)を開く。

 

「一夏。僕が使う最初の得物はこれ。ブレッド・スライサーだ」

「いいのか? リーチに差があるぞ」

「問題ないよ。僕、君が思ってるより戦闘技術に長けているから」

 

 シャルロットは頭のなかでスイッチを切り替えた。養成所の訓練で自然に(つちか)われたものだ。

 ――僕はデュノアの子になり、養成所を出た瞬間から代表候補生だった。一夏と今までの自分を比べるつもりはない。けれど……。

 半信半疑といった風情の彼から、真剣さを引き出したかった。

 シャルロットは息を静かに吸い上げた。雪片弐型を正眼に構える白式が映りこむ。

 

「じゃあ――いくよ?」

「な!」

 

 二〇メートルの間合いを一瞬で詰めた。眼前に一夏の顔がある。カフェで向かい合っていつまでも眺めていたかったが、今は実戦を想定した訓練だ。視線や肌の触れ合いの代わりに、拳をぶつけ合うのだ。

 一夏が歯を食いしばり、得物を振るう。一夏が一撃を繰り出す間、シャルロットは三倍の手数で攻めた。戦闘の速度を上げる。

 ――君は正直すぎる。

 

「ウォアアアア!」

 

 一夏が気勢を上げた。切っ先がはねる。技の出だしは遠く、シャルロットが到達する刃を流そうと立ち位置を変える。一夏はさらに距離をつめる。一瞬手応えがあった。視界からラファール・リヴァイヴ・カスタムⅡが消え、彼女が身を伏せたのだと悟る。背筋を伸ばし、急角度でせり上がる近接ブレード。

 

「足だって?」

 

 ISの足首に近接ブレードが触れ、シールド・エネルギーが減少する。先に攻撃を当てられたことで、一夏は打開策に気を回す。が、すでにシャルロットの術中。雪片弐型を振りかぶった一夏とシャルロットが体を入れ換えた。一夏の首筋に近接ブレードの刃が当たる。ふたりが動きを止めた。

 

「はい。これで君は一度死んだよ」

 

 シャルロットはにっこりしながら死を宣告する。

 

「だったら、これで」

 

 一夏は雪片弐型を腰におさめ、切っ先を後ろにやる。手元にPICを展開してマニピュレーターを保護する。千冬から教わったテクニックのひとつだ。白式のマニピュレーターは零式や弐式とは異なり、打鉄と同じものだ。刃を抜く瞬間、雪片弐型がマニピュレーターを断裂させる恐れがあった。

 

「破れかぶれになって守りに入った……。そんなのが僕に通じると思ってる?」

 

 シャルロットが再び最大速度で接近する。雪片弐型の長さと踏み込みの距離を瞬時に計算する。

 

「やってみなきゃわからないさ」

 

 よほど自信を持っているのだろう。つい先ほどまでの彼とは雰囲気が異なる。シャルロットは脇を小さくたたみ、一夏と刺し違えるかのように直進する。

 ――織斑千冬をまねたのか。

 一夏のつま先が動いた。

 

「一夏! 君は忘れているよ!」

 

 シャルロットの口から警告が飛んだ。

 ――高速切替(ラピッド・スイッチ)

 近接ブレード(ブレッド・スライサー)が消え、腕部搭載型物理防楯(コート・オブ・アームズ)が出現。防楯に隠された金属杭が、底部に仕掛けた炸薬の爆発により加速する。

 

「ぐっ……!」

 

 鞘走りが突き出された腕部搭載型物理防楯(コート・オブ・アームズ)によって弾かれ、灰色の鱗殻(グレー・スケール)が一夏の胸元に迫った。一夏に二手目はない。銀色の鈍い輝きを目にするや一夏の背筋に冷や汗が伝う。瞳は驚愕の色に染まる。

 彼はなすすべもなく負けたのである。

 

 

「一夏。これから言うことに気を悪くしないでね」

 

 シャルロットは息を吸い、一夏の反応を待つ。

 

「トーナメントで一夏はカモにされる」

「……んだと」

「対戦相手はこぞって君の脱落を目指して襲いかかってくる。理由は僕のほうが強いから。そして白式には近接武装しかないから」

 

 一夏は眉をひそめた。思い当たる節があったのか開きかけた口を閉じる。

 

「ISに乗って間もない一夏から狙うのは当然だ。僕が敵なら、弱い方を血祭りにあげて戦意を削ぐ。一夏は近接武器しかないことのデメリットを理解してるよね? でも、瞬時加速で零距離にすればいいってのは無しだよ。代表候補生には通じない。なぜなら彼女たちも同じことができるからだ」

「なんで強く否定するんだよ。もっと工夫すれば……」

 

 シャルロットは柏手を打った。

 

「そう思うよね。相手も一夏が工夫してくると思って間違いなく対策してくる。彼女たちの頭の中には、君が思っているよりもたくさんの戦術が詰まっている。それに素人考えなら、彼女たちも一度は考えたことがあるだろうし」

 

 一夏は少し考えこみ、真剣な瞳でシャルロットを見据えた。

 

「そこまで言うなら策があるんだろ?」

「連携して戦うんだ。僕なら一夏の不利をひっくり返すことができる。一夏と組むことで、相手が取り得る戦術が単純化されるんだ。一夏を脱落させ、判定に持ち込もうとみんな考えるだろう。だから対策がとりやすくなる」

 

 一夏がうなずくのを見てシャルロットが続ける。

 

「時間があまりないから三つの決め事をしようか」

 

 シャルロットはISの手を突き出し、指を立てる。

 

ひとつ(アン)、瞬時加速で接近する。ふたつ(ドゥ)、瞬時加速を使った後退。みっつ(トロワ)、僕と背中合わせになったら相手を交換する」

「……それだけでいいのか」

 

 シャルロットが力強くうなずいた。

 

「相手は接近を許しての一発逆転を嫌がる。それに僕相手は厳しいと思うだろうね。特にISへの搭乗経験が少ない生徒ならなおさら強く感じるはず。僕だって格上の相手……たとえば山田先生や織斑先生とやりあうとなったら緊張するよ。心理的重圧は焦りを生み出す。そこにつけいる隙が生まれる」

 

 ただ、とつけ加えた。

 

「やっぱり銃火器が使えるとこちらもやりやすい。一夏は銃を撃った経験ある?」

 

 もしあったとしてもゲームの中だろう。最初から期待していなかった。

 

「白式に銃火器ならついてるぞ。近接ブレード」

「何それ」

「ほとんど当てた試しがないけど、ほら」

 

 数秒後、白式の左腕にマイクロガン(XM214)が出現した。

 

「どうして近接ブレード……」

「無理やり領域を拡張して放り込んだんだとさ。近接ブレード扱いだから、弾を撃ち尽くすと一度格納してやらなきゃいけない。八〇〇発じゃ、制限がきつくて」

「だったらなおさら強化したほうがいいと思うよ」

「うーん。俺、銃は苦手なんだよなあ。なんかさ。卑怯な気がするんだ」

「そんなこと言ってたら君が蜂の巣にされるよ」

「だよなあ……でもさ。剣は心を斬るものだけど、銃はそんな物はお構いなしなんだよ。人の意思なんか関係ない……違うな。俺は人に銃を向けるのが嫌なんだ。戻れなくなる気がして」

 

 何言っているんだ、と一夏はつぶやいて肩をすくめた。

 

「とにかく……今から早速練習してみようか。演習モードへの切り替えは済んでるよね」

 

 シャルロットが確かめると「もちろんだ」と反応があった。

 

「待て! シャルロット。警告が来てる」

 

 開放回線(オープンチャネル)を通じて弓削が「IS格納庫出入り口に接近しないようにしてくれ」と告げた。日本語だけでなく英語、フランス語、スペイン語と同じ内容を言語を変えて繰り返している。

 フィールドに降りる前、弓削から言われたことを思い出した。

 

「何だよあれ……」

 

 一夏がひどく焦った声を出す。

 

「カノーネン・ルフトシュピーゲルング」

 

 シャルロットが解説するまでもなく、武装を取り外したIS二機の誘導により、巨大な砲が姿を表したのだ。

 

「……一夏が射撃を覚えなければならないのは、アレの対策でもあるんだよ」

 

 シャルロットはとっさに学内ネットワークを介してコア履歴を確かめる。カノーネン・ルフトシュピーゲルングはルフトシュピーゲルングの改修機だ。が、打鉄零式は違った。

 シャルロットは目を見開く。打鉄の改修機かと思いきや予想外の名前が眼前に現れた。

 ――どうしてマコウ(mako)のコアが……。

 マコウはタスク社の主力商品のひとつだ。数多くのISのなかでも唯一水中用をうたい、潜水艦随伴能力を持つ。言わば軍用機である。タスク社内にはマコウの供給元がホロフォニクス・ソナーを実用化し、一緒に納入したという眉唾な話さえあった。

 ――南アフリカ共和国に売却した四機がすべてだと。

 タスク社IS部門を統括する幹部のひとり、スコール・ミューゼル本人がそう言ったのだ。

 タスク社には水中用ISを一から作るための技術的蓄積がない。マコウは競合他社がOEM、すなわちタスク社のブランド名で売り出す前提で製造したものだった。そしてシャルロットはどこの企業が開発製造を請け負ったのかを知らなかった。

 マコウはタスク社のなかでも重要機密扱いとされており、世間に公表されていない。シャルロットが知ったのは偶然が積み重なったからだ。

 ――報告したほうがいいのかな。

 (スコール)に伝えるかどうか、わずかに迷った。見なかったことにすることもできるからだ。

 シャルロットは思い直した。今は買収直後の微妙な時期であり、会社への忠誠心に疑いを持たれるような事態を避けたかった。

 ――これが終わったら報告。変に隠そうとするのはダメだよ。(スコール)に疑われたら破滅が待っている。

 

「シャル……もしかしたら、あんなのと俺たちは戦うかもしれないのか?」

 

 一夏の声が乾いていた。無理もない。四五口径一〇〇センチ砲が宙に浮かぶ光景を目撃すれば、誰だって呆気にとられる。

 ドイツは本気を見せた。幻の列車砲が動く様子を惜しげもなくさらしている。

 ――まだ、ロヴェーショ(豪雨)のほうがまともだよ……。

 ロヴェーショ(豪雨)は第二次世界大戦時の不沈空母思想を実現したものだ。

 ――列車砲とは、いやラウラ・ボーデヴィッヒとは当たりたくない。

 一発かすっただけでシールド・エネルギー全損は間違いない。しかも、破片効果も考慮すればほぼ無敵状態だ。唯一の欠点は装填時間であり、試合中に一発撃てるか否かだろう。

 シャルロットはカノーネン・ルフトシュピーゲルングの仕様を思い浮かべる。列車砲がなくとも火力偏重機なのだ。一七センチ連装砲二基四門、一二〇ミリ大口径レールカノン二基を標準搭載し、運用思想がクアッドファランクス・パッケージと被っている。

 

「俺。訓練、がんばるよ。あんな化け物の相手……」

 

 言いかけて、一夏が突然吹きだした。

 ――出たな。もうひとつの化け物。

 体当たり専用パッケージを搭載した打鉄零式である。列車砲を搭載したカノーネン・ルフトシュピーゲルングがあまりにも巨大なのでこの場では目立たない。だが、体当たり専用パッケージも全長が二〇メートル以上ある。四基の巨大スラスターを搭載しており、速度で相手を圧倒する機体でもあった。

 シャルロットは一夏を流し見る。

 

「一夏、大丈夫」

 

 二機の化け物を見て、一夏は原初の恐怖に駆られて青ざめていた。第二アリーナで灼熱地獄に陥ったときも焦った挙げ句、いくつもの過ちを犯していた。千冬には随分しごかれた。満足するつもりはなかったが、少しだけ自信がついた。「これならやれる」という気持ちがしぼみそうになるのを必死にこらえた。奥歯をかみしめ、周りの声に耳を澄ませる。自分よりも鉄火場を踏んだシャルロットの様子はどんなものだろうか。ゆっくり顔を向けると目が合った。

 

「一夏。あれが二つ同時に出てくることはありえないよ」

 

 大きすぎる。一夏はつぶやき、再び顔をあげる。

 シャルロットの一言は彼に活力を与えていた。

 

「両方とも癖が極端すぎる。どちらか一方を補おうとするだろうね。おそらく、ラウラ・ボーデヴィッヒならそう考える」

 

 一夏の反応はシャルロットが思ったようなものではなかった。顔色は持ち直しており、油断を戒めるような瞳だ。

 

「シャル。……佐倉に気をつけろ」

「佐倉さん?」

 

 シャルロットは意外な名前を耳にしてびっくりした。そして何も知らない振りをする。

 スコール・ミューゼルは上からの指示だという理由で、打鉄零式と紅椿に警戒するよう注意を促している。GOLEMシステムを搭載していることが主な理由だった。

 ――タスク社も一部の機体にGOLEMシステムを導入したらしい。

 販促品の人形をもらったとき、スコールがこぼしていた。彼女のことだから、シャルロットに聞かせるつもりで教えたのだろう。

 ――最初から入っていたとも。

 発注後、納品された機体には基本ソフトウェアとしてGOLEMシステムが標準搭載されていた。今はどこかの部門が受領して、世界のどこかで運用実験に勤しんでいるらしい。

 ――どこかの部門の名称すら教えてくれなかった……。

 運用実験の正否により他の機体にも導入される可能性があった。ラファール系列やヘル・ハウンド、コールド・ブラッドが候補にあがっていてもおかしくはない。

 

四鉄(よつがね)……いや、打鉄零式には気をつけるつもりだよ。あの機体はわからないことが多すぎるから」

 

 

 練習を終えて制服に着替える。シャルロットは観覧席から一般の生徒が訓練機を融通し合って練習する風景を眺めていた。

 ISの慢性的な不足状態。IS学園に入学してから訓練を始めた生徒と専任搭乗者とでは、簡単には埋めることのできない溝が空いている。

 ――そういえば、養成所にはISが四機も置いてあったけど……どうやって確保したんだろう。

 今まで気にしたことがなかった。常にISに触れられる環境があって、占有時間に困るような事態を経験してこなかったからだ。

 試しに指を折ってフランス国内に存在したISを数える。

 四つあまる。フランスに割り当てられたISコア数が国際IS委員会が定めた数と異なるのだ。

 ――おっかしいな。

 何度やってもあまりが出る。養成所のISを省けばちょうどよい数になる。

 ――出資企業からコアを借り受けてたのかな。

 

「がんばってるなあ……」

 

 養成所で訓練漬けだった頃と重なってみえた。右も左もわからず、とにかくしごかれた。知識を詰め込んで、体力作りと称して戦闘訓練までやった。銃の撃ち方や武器の使い方を覚えた。おかげで今のシャルロット・デュノアがある。

 もともと筋がよい生徒を集めているのだろう。打鉄の動きがよい。チラと見える顔は同じクラスの鷹月静寐だ。IS用対物ライフルを抱えたラファール・リヴァイヴとタッグを組んでいるのだろう。指示が飛び、盾を構える。遮蔽物のないフィールドでは動き続けるしか方策がない。一方のISが盾になって攻撃を吸収すれば、照準をつけやすくなる。

 今年の一年生は最も不運な世代といえるだろう。シャルロットら代表候補生かつ専任搭乗者が大量に集まったことで他の生徒の成長を妨げかねなかった。毎年数多くの生徒が夢をあきらめる。専用機持ちとの差が広がり続け、ついには転校を決意する。

 

「シャルロット」

 

 一夏の声がした。

 

「寮に戻るぞ」

 

 シャルロットが振り返って、腰を上げた。

 

 

 シャルロットは吊り輪をにぎってシャトルバスの振動に耐えた。隣には制服姿の一夏がいて、微かに濡れた髪に光が照らされていた。

 

「シャルロットはどうして……自分のことを僕っていうんだ? 女の子なのに」

「ん? 僕っていうのが変?」

 

 一夏は逡巡してからゆっくりとうなずいた。

 

「何ていうのかなあ。知ってる? 僕が男装してIS学園に入学するかもしれなかったんだよ」

 

 もちろんそういう話もあった。だが、過去の話だ。男装の理由はもっとくだらない。

 シャルロットの中性的な雰囲気を前にすると本当のように思えてくるのだ。

 

「二人目の男性操縦者を偽装することで君に近づき、男性を認識する白式のデータを盗み取る。言ってみればスパイ?」

「げっ」

 

 一夏が後ずさる。

 

「もちろん作り話だよ。それとも、僕が男だったら、と期待した?」

「……いや」

 

 シャルロットは一夏の目が泳ぐのを見逃さなかった。

 IS学園職員の半数は男性で、十代の職員もいないわけではない。生徒の目に映らない場所で働いている。例えば第五・六アリーナの共同地下通路には売店や食堂が設けられている。これら施設を訪れるのは男性のほうが多かった。

 シャルロットはある仮定を思いついてしまった。彼はもしや、女よりも男を求めているのではないか。

 ――いやいや。疑惑は早いうちに解いておくべきだ。

 シャルロットは眼を細めて指摘する。

 

「今、迷ったよね」

「いいや! 違うって!」

「僕が男だったら良かったって考えたことあるよね」

 

 一夏が目をそらした。図星なのだろう。

 海外ドラマだとゲイであることを隠すため、あえて女の子と付き合うという展開がある。結局うまくいかず、最後にはカミングアウトしてしまう。もしや一夏もその類ではないか。

 ――偽装交際の可能性が……。

 これだけは聞いておかねばならない。シャルロットは精一杯の笑顔で確かめる。

 

「質問があるんだけど」

「お、おう……なんだ?」

「一夏は……もしかして、ゲイなのかな?」

 

 一夏はしばらく目を瞬かせ、呆けたようにシャルロットを見つめる。しばらくして急にあわてだした。

 

「違う! シャルロット。俺は男に興味はない! 性的には!」

 

 シャルロットが頬をふくらませてうがったような目つきになる。

 

「そうだよね。そうだよねー」

「シャルを見てると、ときどき男なのか女なのか……わからなくなるんだ。もちろん、変な意味じゃなくて。わかってくれ」

 

 一夏は先ほどのゲイ疑惑をひきずってしょげかえっている。

 

「うん。大丈夫だよ。向こうでもよく言われてたから」

「今の制服姿もさ。正直……」

 

 一夏は生唾を飲みこみ、シャルロットの胸元へ視線を落とす。彼にしてみれば生身の女性とは、姉のようながさつな生き物である。もちろん週刊誌のグラビアを広げ、弾や数馬と女性の好みについて語り合ったこともある。しかし、彼女らはレンズの向こうの存在なのだ。

 一夏の瞳に熱がこもる。数馬が送りつけた画像を思い出して赤面してしまった。

 

「一夏のえっち」

 

 シャルロットは片手で胸元を隠し、頬をふくらませて不機嫌な顔つきになる。

 シャトルバスが左折した。つり革が大きく揺れて足元がゆらぐ。一夏はその場で踏ん張り、シャルロットの姿勢が崩れた。

 ――あっ。

 前のめりになって誰かの胸に飛びこんでしまった。もしも後ろに倒れたら尻餅をついていただろう。シャルロットは自分が触れている胸が誰のものか悟って頬が熱くなる。急に気恥ずかしさがこみ上げる。

 

「ご、ごめん……」

 

 おずおずと顔を上げ、上目遣いになっていた。一夏と目が合った。シャルロットは周囲の視線を気にして、すぐに体を離す。

 一夏は片手を口に手を当て、シャルロットの顔を直視できずにいる。外を見やり、窓に映った半透明のシャルロットに目を向けた。微妙に気まずい雰囲気だ。一夏が話題を変えた。

 

「どうして遅れて転校?」

「う……うん。デュノア……ラファール・リヴァイヴのメーカーがタスクに買収されたから。これが大きな理由」

「タスク?」

「タスク社は日本でいう四菱みたいな会社。傘下にはいろいろな会社があるんだよ。IS関係だと、タスク・アウストラリス社のヘル・ハウンドやタスク・カナタ社のコールド・ブラッド。そしてラファールシリーズ。ほかにもあるんだけど、今のが有名どころかな」

「へえ……聞いたことがあるのばかりだな」

「それくらい大きな会社ってことだよ」

「なあ」

「何」

「フランスではどんなことしてたんだ。代表候補生ってさ。未だによくわからないんだ。専用機を持ってないやつがいたり、国にISがないやつだっている。シャルはどうだった?」

 

 シャルロットはマドカの顔を思い浮かべる。マドカは一夏や千冬と血縁があるのではないか、と思ってしまうほどよく似ていた。

 

「ずっと訓練してたな。代表候補生になるまで二年かかったし、僕は運がよかったんだけどね。代表候補生になってから二年間はずっと試合して、勉強して。友達と遊ぶこともあまりなかった気がする」

 

 一夏はふうん、とだけ告げた。

 

「四年のキャリアか……俺は……偶然、ISに触れて、わけがわからないうちに」

「聞いてる。新聞に書いてあった」

「白式に載って、巨大ロボットとはいかないまでも、自由に空を飛べるISを手に入れた。望んだわけじゃない。運命に弄ばれただけなんだろうな。みんなと試合して、戦って……力を手に入れた気になって」

 

 一夏は言葉を切る。横を向き、シャルロットの瞳をのぞきこんだ。

 

「誰かを守るんだって口にしたけど、結局何もできなくて。がんばったけど足を引っ張って、偶然うまくいっただけなんだ。俺は男でISが動かせるってだけでここにいる」

「運命なんだよ。きっと。もしかしたら……誰かが一夏にISを動かしてほしい、と願ったのかもね」

 

 

 



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狼の盟約(七) 改造

 桜は第六アリーナで体当たり専用パッケージを操っていた。列車砲が浮かぶ空間で試してみたかったというのもある。

 

「あかん。どうやってもへそを曲げてまう」

 

 大型スラスターに不具合が出ていた。

 桜はパラメータを確かめる。薫子から提示された設定値を切り替えて試してみた。が、四基のうち二基は正常に動作し、思い通りに調整できた。残り二基の調子が悪く、出力が不安定なままだ。

 

「稼働実績があるのにこれじゃあ」

 

 不安がよぎる。機体運が悪いのは昔からだった。実戦は発動機の不具合があれば引き返すことが許される。整備を受けるか、機体を変更すればよい。試合はそういうわけにはいかない。試合中に不具合が起きれば棄権だ。

 開放回線からラウラの声が聞こえた。

 

「佐倉。先ほどから機体が傾いている。スラスターの調子が悪いのか?」

「二基の出力が落ちている。パラメータを変えても直らない」

「その状態だと……直掩(ちょくえん)は無理か」

「やれんことはない。せやけど、全力を果たすことができん」

「ならば列車砲を使うときはそのパッケージを使うな」

「おおきに。そうさせてもらうわ」

 

 桜はフィールドに浮かぶ巨体を見つめた。優に六〇メートルを超える長さの機体がPICを使い、方向転換をしている。天蓋付近まで上昇し、ゆっくりと砲口を下げる。演習モードで弾丸を撃ち出せるかどうか確かめていた。

 

「ボーデヴィッヒさん」

「少佐と呼んでくれ」

 

 ラウラは真剣に告げた。発射手順を踏むうちに学生ではなく、軍人としての気持ちが高ぶってしまったのだろう。

 桜は思わずくすっと笑った。

 ――ボーデヴィッヒさんに付き合ったろ。

 

「少佐。カノーネン・ルフトシュピーゲルングの機動力を増強できませんか」

「無理だ。拡張領域がすべて埋まっている。これ以上大型スラスターを配置する場所がない。そして重量過多だ」

 

 兵装を減らせばただのルフトシュピーゲルングになってしまう。打鉄との性能差が消え、火力優勢が崩れてしまう。

 桜はスラスターを最小出力にしてPICの制御に専念した。体当たり専用パッケージの高速性能を発揮するには広大な空域が必要だった。

 桜はしきりに目配せする五頭身に気づいていた。視野の右下でもじもじと膝を動かす。話を切り出すタイミングを図っているようだ。

 ――素直すぎて気味悪い。無視すると後が怖いし……。

 きれいな田羽根さんは献身的なよい子だ。見返りを求めようともせず、桜のためを思って提案を持ちかける姿勢に、なかなか慣れることができない。

 

「な、何や」

「す、スラスターっ……田羽根さんが調査して、制御しましょうか」

 

 とても魅力的な提案である。

 ――まぶしいっ。幼女の誠意を疑う私のバカバカっ……でもなあ。

 桜はチラと左下に視線を落とす。スツールがずれ、もっぴいの部屋につながる扉が半開きになっている。田羽にゃさんは神の杖が封印されてから手持ち無沙汰(ぶさた)らしい。桜がもっぴいの部屋を起ちあげると案の定、田羽にゃさんともっぴいたちの姿があった。

 ――篠ノ之さんとこ……相変わらずや。

 打鉄弐式におびえるあまり錯乱した目つきのもっぴい。画面の隅で体育座りをする二頭身に向かって、田羽にゃさんが肩をたたいた。

 ――何や。あの写真。

 懐から取り出したのは写真だった。メイド服を着た見目麗しい少女が映っている。しかもふたりだ。

 

「えっちいポーズが打鉄。隣の清楚そうな黒髪ロングは白式にゃ」

 

 田羽にゃさんは写真を指差して説明する。

 

「白式は人畜無害で清楚にゃのが売りのIS。穂羽鬼くんが守りたいISランキング1位にゃ」

 

 薄橙色の体が田羽にゃさんを取り囲む。写真を受け取ったもっぴいたちがおそるおそる発言し始めた。

 

「こっちのがよかったよ。どうして弐式なんかと組むことに……白式ならこんな怖い目に遭わなくてもよかったのに……」

「紅椿が白式と浮気したいってこと。弐式にばれたら……ガクガクブルブル」

「フフフ。もっぴい知ってるよ。紅椿が白式と組んでも未来がないって。弐式が嫉妬してヤンデレシフトするよ。そうしたら地球破壊爆弾が飛んでくるって」

「死ぬ気でがんばらないと地球が終わるんだよ……もっぴいの尊い犠牲で地球が救われるなら」

 

 田羽にゃさんがもっぴいCに三白眼を向けて首を振った。ご愁傷様と言いたげだ。

 ――最近のもっぴい。ガクガクブルブルとしか言っとらんな……。

 とりあえず田羽にゃさんには仕事する気がないとわかった。

 もっぴいの部屋を閉じた桜はきれいな田羽根さんに笑顔を振り向ける。

 

「お願いするわ。できれば一二〇秒間連続で正常な出力が得られるようにしたい」

 

 一二〇秒の根拠は一度の空中戦がだいたい二分で終わるからだ。

 

「田羽根さんがスラスターを担当しますね」

「おおきに。頼むわ」

 

 きれいな田羽根さんが邪気のない笑顔を浮かべる。箒に微笑みかけられたような気がしてどぎまぎしてしまった。

 ――調子狂う。

 疑うことを知らぬ純粋な瞳を向ける。まなざしはキラキラした輝きを帯びていた。

 ――この差はなんなん?

 田羽にゃさんはもっぴいの部屋から戻ってすぐにスツールに腰かけた。床を蹴ってくるくると回っている。あくせくと働くきれいな田羽根さんと対照的だ。

 

「田羽根さんは右の田羽根さんを手伝ったりせえへんの?」

「エンジン周りの制御は田羽にゃさんの専門外にゃ。そもそも権限がニャい。田羽にゃさんの担当はこの前、貴様が封印してくれたではニャいか。右の田羽根さんが幼女ニャのを良いことにたぶらかしてしまった。自分色に染め上げようとする魂胆が見え見えにゃ。おかげで自主待機。ついでにもっぴいや打鉄その他とお話する以外、やることがニャくて困ってる」

 

 聞き捨てならない言葉が混ざっており、桜は眉をひそめた。いろいろ言いたいことがあったものの不満を心中に押しとどめる。

 

「田羽根さんができることは何があるん? 神の杖ともっぴいの部屋以外で」

 

 田羽にゃさんが床を蹴った。スツールが一回転して、再びつり上がった三白眼が露わになったとき、丸い手のひらに非固定浮遊部位の模型が乗っていた。

 

「何なん」

 

 田羽にゃさんは桜を見てバカにしたように笑った。そしてしたり顔を浮かべる。

 

「これを見てわからニャいのか。非固定浮遊部位の操縦にゃ。右の田羽根さんが丁寧に説明したのにもう忘れているとは……幼女に言いつけてやるにゃ」

「他には」

「これにゃ」

 

 田羽にゃさんはもう一度床を蹴った。スツールが一回転し、非固定浮遊部位の模型の代わりに、七色に光る液体入りの牛乳瓶が出てきた。

 

「うわっ」

 

 あからさまに怪しい。桜はわざと声に出して不満を露わにする。

 758印のラベルが貼られているだけで何の用途かさっぱりわからない。桜は勇気を振り絞って田羽にゃさんに聞いた。

 

「そ……それは」

「758撃ちの素ニャ」

「せやからどんな効用が」

「758撃ちの素ニャ」

「答えになっとらんわ。ちゃんと教えて」

「現時点で貴様に知る権限は与えられていない。ま、使ってみればわかる。必要にニャったら教えてやる。楽しみにするんだにゃ」

 

 ――こいつ……。

 田羽にゃさんは説明を終えた気になったのか、スツールを半回転させて、七色のセロハンを貼りつけたゲーム卓に向かう。桜に背を向け、懐から取り出したコインを投入する。ビープ音で作られた短いメロディが鳴った。

 

 

 ピットに戻った桜は、四五口径一〇〇センチ砲を取り外す僚機の側に立つ。ISから降りたラウラが作業中の整備科生徒の隣でスポーツドリンクの栓を開けた。すぐ桜に気づく。ペットボトルから薄桃色の唇を外し、小さな体に似合わぬ大股で歩み寄った。

 

「佐倉」

 

 桜は腕を組みながら眉をしかめていた。いかにも不満げな表情だ。

 

「何か気になるのか」

 

 ラウラに気づいて、桜が体を翻した。

 

「ああ。ボーデヴィッヒさん。特攻……体当たりだけやと突破力に欠ける気がしてな」

「具体的にはどうしたい」

「火器をつけられんか。後付けでええからとにかく火力がほしい」

 

 ラウラが左右を見回し、クリップボード片手に歩く薫子を見つける。考え込む桜から離れ、薫子の手を引いて戻ってきた。

 

「専門家を連れてきたぞ」

「おおきに……って、黛先輩やないの」

 

 桜は先日、薫子が正座の刑に処せられた光景を覚えていた。櫛灘と同類のうさんくさい性根の持ち主だという印象があって、つい顔に出てしまった。

 

「私じゃ不満?」

 

 後輩の雑な返答に、薫子が後ろ手を組んであごをしゃくる。桜は気にすることなく普段通りの態度に改めた。

 

「このパッケージって黛先輩たちが管理しとるんやろ。せやったら話を通すのは当然やと」

「まあいいわ。整備科として聞きます。何か不満でも?」

「火器を付けたい。斜銃(しゃじゅう)みたいにポン付けできませんか」

シュレーゲ・ムジーク(斜めの音楽)?」

 

 ラウラが横から口を挟んだ。

 

「何ソレ。ジャズ?」

 

 薫子がきょとんとした。

 

「夜間戦闘機月光につけとった防空装備」

「改造するのはいいけど、希望はある? 今からだと統制射撃用のプログラムは間に合わないけど」

「目視射撃やったらCGの照準器を導入できますよね」

 

 薫子の手が止まり、胡乱な目つきになる。桜の瞳をのぞきこんだ。

 

「それ、本気? 照準器のデータは一応メーカーから提供されているけど、今じゃ使ってる人、ほとんどいないって先輩から聞いてるけど」

「照準器を使った射撃なら経験あるんで」

「それってゲームの話でしょ。……希望を聞かせて」

「増設する火器は一二.七ミリ重機関銃、四〇ミリ機関砲をそれぞれ二基です」

 

 桜は動じることなく希望をつけ加えた。

 

「一二.七ミリ重機関銃二基は直進。四〇ミリ機関砲二基は前方で交差。できますか。できませんか」

「できる。でもね……取り付け場所はシミュレーションの結果に頼りきりになるけど。その点は了承してもらうからね」

「お願いします」

「じゃあ、すぐ手配するから」

 

 薫子はそう言って桜たちの元から離れた。虚を捕まえ、そのまま電子扉の向こうへ消えていった。

 

 

 桜はラウラと連れだってピットに入室した。管制コンソールには弓削が座っており、お茶の入った湯飲みに口を付けたところだった。足を止め、室内を見回す。通路側の扉から箒と鷹月静寐、そして四十院神楽の制服姿。静寐が先頭に立って弓削の後ろ姿を目指してまっすぐ歩み寄った。

 

「弓削先生」

 

 ひとときの幸せにひたっていた弓削は、湯飲みを傾ける手を止めた。瀬戸物から口を離して、にっこり笑顔を作って顧みる。

 

「一組の……」

「佐倉さんはいますか」

 

 弓削は目を見開いて泳がせる。桜の姿を見つけて、ぱっと顔が明るくなった。

 

「佐倉さん。ちょうどよかった。鷹月さんが用があるそうです」

 

 室内の目が一斉に桜へと集まる。

 

「……鷹月さん。何の用ですか。いきなり」

 

 桜は鷹月と接点がなく、顔を見たら挨拶する程度の関係だ。ナタリアからタッグの相手をじゃんけんで決め、鷹月と組むことになったと聞いている。

 ぽかんとする桜の手を鷹月の両手が覆った。胸元に押しつけ、切羽詰まった表情で嘆願する。

 

「佐倉さん。ピウスツキさんから新型の増加装甲が来たって聞いた。不躾(ぶしつけ)な申し出だと思うんだけど……できたら、私に使わせてほしいの」

「増加装甲……?」

 

 ――そんなんあったっけ?

 桜は目を閉じて記憶を探る。どこかにあるはずだ。つい最近、見なかったことにしたものがあったような気がする。

 ――あったわ。思い出しとうなかった……。

 

「ち、千代場アーマー……重戦仕様の複合装甲やったような」

 

 性能は千代場博士のお墨付きらしい。組成が異なる素材を重ね合わせ、運動体のエネルギーを分散する。砲戦仕様の機体は動きが鈍重になる。PICが有効な間は動き続けられるが、無効にした瞬間、歩くことすらままならない。例えばカノーネン・ルフトシュピーゲルングの場合、ホバークラフトのように地面を滑ることでしか機動力を確保できなかった。

 

「そう。それ! 打鉄零式の後付け装備なら下位互換性があるって聞いたよ」

「まあ。確かに装備の互換性はあるわ。倉持技研の方針やし。せやけど」

 

 桜は言葉を切る。千代場アーマーは打鉄零式の装備として納入されたのだ。現場の判断でおいそれと融通できるものではない。学園の訓練機用に納入されたものであれば問題は生じないだろう。

 

「千代場アーマーを貸してやりたい。悪いけど私の独断で決めることはできない」

「……まあ、そうだよね」

 

 するとラウラが鷹月の肩に手をおいた。

 

「ん? ボーデヴィッヒさん?」

 

 鷹月がいぶかしみながら眉をひそめ、ラウラを見つめる。

 ラウラはあごをしゃくって弓削に流し目を送った。弓削は視線に気づくことなく、湯飲みに手を添えてひとときの幸せに浸っている。

 

「権利関係が絡むと色々厄介な問題になる。そこでこういう話は上位者にするものだ。この場には適任がいる」

 

 鷹月だけでなく、箒や四十院の視線も弓削の緩んだ横顔に集まった。

 

「クラスの担任と副担任は、企業の窓口の役目を担うと聞いている」

 

 じっと見つめるうちに、弓削が気づいて肩を震わせた。

 

「私?」

 

 弓削が振り向き、自分を指す。

 ラウラがにっこりと笑って応じる。あまりの豹変振りに、クラスメイトである鷹月や四十院がぎょっと目を丸くした。

 

「ラウラ・ボーデヴィッヒです。弓削先生。今の話、聞いていましたよね」

「一応。聞こえてきたから」

「なら話は早い。鷹月さんの頼み事を聞き入れてやってください。打鉄零式は三組が担当だと聞いている……」

 

 ラウラは立て板に水を流すような弁舌をふるった。

 あっという間に話が通り、気がついたときは弓削が電話に手をかけていた。

 

「山田先生と連城先生に伝えてから、倉持技研に許可を取るけど……これでいい?」

 

 弓削は、小柄なラウラが首を縦に振るのを待つ。しばらくしてラウラが「ありがとうございます」と丁寧な口調で告げて、踵を返した。桜や鷹月が再び顔を見たとき、いつもの無愛想な顔に戻っていた。

 

「鷹月。弓削先生がすべて取りはからってくれるそうだ」

「あ、ありがとう。ボーデヴィッヒさん」

「どういたしまして」

 

 鷹月は用が済んだのか、出入り口に向かって引き返そうとした。箒の後ろ姿が電子扉に近づいたとき、桜の頭にある考えが浮かんだ。

 

「篠ノ之さん。ちょっと待って」

 

 呼び止められた箒は隣の鷹月に「後から行く」と告げた。

 

「どうした。(やぶ)から棒に」

 

 桜は恥じらうようにもじもじと膝を動かしてから、戻ってきた箒を見つめた。

 

「クロニクルさんの番号を知らん?」

「一応……だが」

 

 箒の声が強張った。桜の意図を見抜けず、不審に感じながらも待つことに徹した。

 

「プライベートなやつがええんやけど」

 

 クロエ・クロニクルの私用電話は、もともと箒の姉が契約したものだ。いつの間にかクロエに譲渡されており、最初は面くらった。どちらが正式な持ち主か定かではないが、いつ掛けてもクロエが出るので彼女の番号と見なして間違いないだろう。

 

「なぜだ。理由を教えてくれ」

「その……特に理由はなくて。ちょっとお近づきになりたいって思って。決して不可思議な魅力に惑わされたからやなくて、個人的に純粋な興味があってな」

「構わないが……本人が了承すればな」

 

 箒は桜の趣味を疑いたくなった。クロニクルは美人には違いない。だが、姉の側近である。うさんくさいのだ。

 待てよ、と思い直して桜を見据える。

 

「お前には布仏がいるだろう。今すぐ更識先輩に鞍替(くらが)えすることもできる。こういう環境だ。女には不自由しないはずだが」

「ちゃうったら……そんなんやなくて。わかった。乗り気やないんやろ。せやったら、私が優勝したらでええわ。学年別トーナメントに優勝したら教えて」

 

 優勝したら、と聞いて箒の眉がはねあがった。優勝は箒の悲願でもあるからだ。桜たちが優勝すれば、一夏は彼女らの物になってしまう。

 

「ほう。優勝したら、か」

 

 桜が首を縦に振る。やはり断られてしまうのだろうか、と不安そうに箒の顔をのぞき込む。

 

「……いいぞ。クロニクルに話を通しておいてやる」

 

 徒労に終わるに違いない。箒がタッグを組んだのは学年最強として名高い更識簪だ。簪から「織斑一夏には興味ない。それがどうかしたの?」と言質(げんち)をとったくらいだ。三年生の学年首席が立ち合ったのだから間違いないだろう。

 

「おおきに! 篠ノ之さんは話がわかる!」

 

 桜が箒の両手を上下に振った。桜の手は硬く、ごつごつとしていた。

 

 

「ええっと、どうしたん」

 

 箒が去り、ひとり残った四十院に話しかける。

 四十院神楽はじっと桜たちを見つめて動かなかった。桜はラウラと顔を見合わせて、「ボーデヴィッヒさん、この人にケンカでも売ったん?」と冗談を口にした。

 

「まさか。私は貴様が今、思い浮かべているような野蛮で粗暴な人間ではないぞ。軍隊は規律が重要なのだ。ゆえに品行方正な生徒で通っている」

 

 ラウラが自信満々に言い切る。教師には、と注釈がつくものの、概ね正解ではある。

 

「佐倉。貴様が四十院の夕食のデザートを横取りでもしたのだろう。常人の三倍は食べているではないか。留学生連中に聞いて回ったら、貴様はメガ盛りと呼ばれているそうではないか」

 

 事実だったので桜は屈託のない笑顔を浮かべた。

 

「ここのメシが美味しくてつい……。あ、でも、トーナメント中は控える。腹壊したらシャレにならんもん」

「……で、四十院。何か用か」

 

 四十院神楽はおっとりとした長髪の少女だ。長身の割に撫で肩でほっそりしており、透き通るような白い肌だった。いかにもお嬢様然とした優雅な雰囲気を醸し出しており、黙っているだけでその場が和む。和服を身に着けたらさぞかし似合うことだろう。

 彼女も桜とは接点がない。ラウラはクラスで孤立しているので、接点があるはずもない。

 神楽は頬を染めてはにかんでいる。目線を落とし、細い肩をすくめて弱々しそうに口をつぐんでいる。しばらくしてから勇気を振り絞って声を張った。

 

「私のこと、覚えていませんか?」

 

 桜は即座に首を振る。

 

「先日、お話しましたよね」

 

 ――どこで?

 桜は首をかしげた。何日か前に本音と一緒に夕食をとったとき、席の端にいたような気がする。そのときは一言も会話しなかった。

 

「覚えてないんですか……。この声に聞き覚えも?」

「いや。全然。どこで話したか教えてくれん? 思い出してみるから」

 

 本当に記憶がない。神楽と話したのは、今この時が最初だった。

 神楽が切実な表情でにじり寄った。

 

「日曜の夜。チャットしました」

 

 ――あれ?

 

「確かにチャットはしとったよ。そんとき、私もボーデヴィッヒさんも日本語を使っとらんかったんやけど」

「はい。そのはずです。ボーデヴィッヒさんは早口でドイツ語をまくしたてて、佐倉さんは早口で、しかも変な英語でまくしたてて何を言っているのかさっぱりでした」

「え。アレ聞こえとったん? うわっ恥ずかし」

「でも、文字チャットは日本語でしたよ」

「確かに。もしかして……本音に聞いた?」

 

 神楽は首を振って、礼拝するかのように自分の手を握った。

 

「おふたりは『40-IN.KR』に聞き覚えはありませんか」

 

 桜はラウラと顔を見合わせた。

 ――聞いたことがあるわ。あまり思い出しとうないっていうか。

 

「痛震電の人か……」

「はいっ!」

「……こんな身近にいたとは思わんかった」

 

 桜は軽く後ずさろうとした

 航空機シミュレーター、特にIF戦MODでは乗機の改造が認められている。機体のカラーリング変更からエンジン積み替えなど自由度が高い。何でもできる代わりに、変に現実を意識しているためか、無茶をすれば必ず問題が生じるようになっていた。本格的な改造を施すには実機を製造するくらいの知識が必要となるため、専らカラーリング変更を楽しむのが主流だった。

 しかし、桜の眼前にいる四十院神楽(40-IN.KR)は、主流から外れた楽しみにふけることで、ごく狭い界隈(かいわい)で有名だった。魔改造に血道を上げる傾奇者(かぶきもの)として知られていたのである。痛いカラーリングとは裏腹に、極限まで高められた機動力。改造のしすぎでIF戦シナリオにしか顔を出さないが、腕はよい。共闘はしたいけれど、あまりお近づきにはなりたくない人種だった。

 

「週末。少しだけ時間ありますよね」

 

 神楽は眼をキラキラと輝かせている。

 桜が後ずさると神楽が一歩詰める。ラウラが脇によって距離を置こうとする。

 

「ま、まあ。確かに。食後とか」

「じゃあ。土曜日の抽選会の後。そうだ、夕食後! 協同プレイしませんかっ」

「え、ええけど。……いっぺん協同でやった仲や。断る理由はあらへん。ボーデヴィッヒさんもどう?」

 

 ――ひとりだけ逃げるのは許さん。

 ラウラはさりげなく半身を翻そうとしていた。神楽に両手をつかまれ、逃げ場を失ってしまう。

 

「くっ……」

「ボーデヴィッヒさんのシュヴァルツェア・レーゲンもぜひ! 勇姿を見せてください!」

「ま、まあ、そんなに言うなら。ちょうど選帝侯(クーアフュルスト)を調整したばかりだ。うん……空戦に付き合ってくれ」

 

 神楽は頬に手を当てて品のよい笑みを浮かべた。

 

「こちらからもお願いします。ウワサに聞くレーゲンの益荒男(ますらお)振りをぜひ近くで見てみたいですから」

 

 

 



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狼の盟約(八) 抽選会

 土曜日の講堂は、学年別トーナメント一年の部、対戦相手決定の抽選会場に様変わりしていた。

 参加者は一年生全員、一二四名だ。

 六二組をAからDの四ブロックに分割し、五日間の日程で(しのぎ)を削る。カレンダーの都合で二日目と三日目の間に土日をはさむことになっていた。

 檀上のスクリーンに表示されたトーナメント表。

 六二組を四分割するとどうしても二組余る。総試合数は組数から一を引いたものであり、三位決定戦を加えるとちょうど組数と一致した。一堂に会した生徒はふたつのシード枠に注目する。シード枠の対象はくじで決める。誰にでも枠を手に入れる権利があった。

 桜は制服姿で入り口の側に立ち、友人を探す。

 今日は自由席だ。先に出発していた朱音やナタリアが手を振っている。

 桜はふと足を止め、一緒に来ていたラウラと本音を見やる。

 本音は鏡や谷本たちの元へ向かってしまった。ラウラは肩で風を切って最後尾のパイプ椅子にどっしりと座った。真ん中を陣取り、左右には誰もいない。

 ひとりぼっちだ。

 寂しそうかと言えば、ラウラはまったく気にした素振りがない。

 桜はルームメイトが孤立していることを知ってはいた。が、いざ目にすると胸に来るものがあった。

 背後に寄り添うように立ち、肩に手を置く。

 

「気にするな。私はひとりで座っているのではない」

 

 ラウラはあごを上向けて眼帯をずらす。金色の瞳を左右の席に振り向け、次に桜ではなくその背後に向けた。

 

「このトーナメントが終われば、私を見る目が変わると信じている。私には実力があり、誰も私自身を無視することはできなくなるだろう」

 

 ――素でこういうことを。

 強烈な目的意識があるからこその発言だ。自信たっぷりな姿に桜は安心した。

 朱音たちが待つ席へと向かった。

 

「桜!」

「朱音にナタリア、マリア様も。みんな制服姿やね」

 

 桜が隣に座る。朱音が身を乗り出して顔を近づけてきた。

 

「自由って言っても檀上でくじ引きするんでしょ? ジャージ姿はさすがに見せらんないもん」

「……油断した子がおるみたいやけど」

 

 私服姿の生徒もちらほらと目にすることができた。ジャージ姿で小さくなっている生徒も少なからずいる。

 ――危ない。

 実際のところ、桜は肝を冷やしていた。彼女はジャージ姿で、本音はもっさりとしたクズリの着ぐるみで会場に向かおうとしていたのだ。

 ラウラは最初から制服を選んだ。制服以外に本音からもらった着ぐるみしか持っておらず、選択肢がなかったのだ。ちょうど今、クラリッサとエリーゼに金を渡して私服や水着を買いに行かせているところだ。

 檀上の隅に千冬がいた。

 

「一年一組担任の織斑だ。静かにしろ」

 

 その一言でさざ波のように静寂が広がっていく。桜は膝に手を置いて、背筋を伸ばした。

 学園生活が始まって三ヶ月目。女神様のように千冬に黄色い声を送る者は消えている。ブリュンヒルデに憧れを抱く時期はとうに過ぎており、過酷な現実と戦うしかなかった。

 

「これから来週に始まる学年別トーナメント一年の部、ブロック抽選会を執り行う。抽選器を回す前に、お前たちに説明することがある」

 

 千冬の隣には大きな抽選器が控えている。商店街やお祭りで見かけるような八角形の木箱に地元の商工会の印字が入っていた。

 

「先日の説明会について補足がある。トーナメントの結果や様々な観点から点数化して、クラスごとに加点。順位付けを実施する。一位には一ヶ月間デザートフリーパス。二位は二週間、三位は一週間、四位は商工会議所のポケットティッシュだ」

 

 千冬がマイクを下ろした瞬間、生徒から野次が飛んだ。

 

「一組に有利すぎる! 専用機と代表候補生が一組にかたまっているんですよ!」

「そうだ! 私らに圧倒的不利だ!」

 

 桜は横を向いて目を瞬かせる。聞き覚えのあると思ったらナタリアが拳を突き上げて野次っていたのだ。

 四組からも声が上がっている。いかにも気性が激しそうな少女たちからだ。

 ――更識さんの取り巻きに見えるのは気のせいか。

 彼女たちが簪を見る目つきは、まるで親分に対する子分のものだ。

 簪の無表情がどことなくどっしりしたものに変わっている。桜は間違いだと思って目をこすった。

 

「お前ら、静かに!」

「皆さん静粛に」

 

 見かねた連城が千冬の後を追った。静かな、よく通る声。彼女の青白い顔は見ようによっては怒っているようにも取れる。

 ナタリアたちは黙って席につく。四組は簪が小声で「勝てば官軍」と告げることでようやく落ち着いた。「(ねえ)さん」という言葉を耳にしたが、桜は聞かなかったことにして檀上に集中する。

 

「前回も言ったが、今回のトーナメントは実技試験も兼ねている。存分に力を果たせ。では、抽選を始めよう」

 

 

 振動。

 携帯端末のバイブレーションだ。桜は檀上で抽選器を回す生徒から、手元に目を落とした。

 

〈どちらが行く?〉

 

 ラウラのメールだ。桜は一瞬だけ顔を上げる。ナタリアが席を立つ所だった。

 ――私がクジを引いたら酷いことになりそうや。

 桜の脳裏に過去の思い出が駆け巡る。くじ運は最悪に近い。佐倉作郎として空を飛んでいた頃は機体運は最悪だった。そして去年までのくじ引きの結果を考える。いつも奈津子か安芸が二等や三等を引き、桜は参加賞だ。珍しく大当たりを引けば運を使い果たして病院送りである。

 桜は脂汗を流した。指が勝手に動く。

 

〈すみませんが、少佐がやってください〉

 

 ラウラは少佐と呼ばれると気を良くする。それに「ボーデヴィッヒ」と打つのが面倒だった。

 身をよじって最後列の座席を見やった。眼帯と仏頂面が目に入る。ラウラはトーナメント表が埋まっていく様子を凝視している。

 桜は背中を丸めて送信ボタンを押した。

 ――これでよしっと。

 ナタリアがAブロックを引いた。拳を握りしめて力強く腕を引いた。

 上位に食い込む可能性が出て、素直に喜んでいる。Aブロックのシード枠を引き当てた織斑・デュノア組とは、順調に勝ち進めばブロック決勝で対戦するはずだ。席に戻るなり、「名ばかり代表候補生の汚名を返上する良い機会だ」と豪語した。

 他の名ばかり代表候補生はBブロックを引いた。入れ替わりに箒が檀上で抽選器を回す。Bブロックを引き当てるのを見て、その生徒はしょげかえった。

 初戦から更識・篠ノ之組と当たるのだ。雑魚(ざこ)扱いの箒はともかく簪が強敵すぎる。「終わった……」と頭を抱えてしまった。

 

「佐倉・ボーデヴィッヒ組の代表者は檀上へ」

 

 ラウラと桜の名が呼ばれた。ラウラは眼帯を外し、華奢な肩をいからせて堂々と壇にのぼる。

 桜は軽く手を振る。ラウラが一瞥した後、抽選器を回した。

 

「Cブロックだ」

 

 今のところ専用機持ちの代表候補生はいない。桜はトーナメント表を手元で指差して目で追った。あることに気づいて口を覆った。

 横を向く。鏡や谷本、本音がいる。今度は鈴音たちを見やる。

 ――ティナ・ハミルトン。

 アメリカの代表候補生のひとり。もういちど本音たちに注目する。

 再びトーナメント表へ。

 Cブロック決勝戦で布仏・ハミルトン組とぶつかる可能性がでてきた。桜はティナはもちろん、本音の力を知らない。彼女が機敏な動きを見せたのは布仏静とうっかり勘違いし、組み伏せられてしまったときだけだ。それからはゆったりとふらふらしている。そのくせ持久走のときは息を乱していない。

 本音は訳あって素性を隠している。桜は油断できないと肝に命じた。

 ――その前に初戦や。

 夜竹・相川組。清香は櫛灘のうわさを広めるのに一役買っている。桜が勝手に抱いている感情ではあるが、個人的な恨みは深い。

 桜は頭を振る。

 ――相川さんは適切な処置をした。悪いのは全部櫛灘さん。

 例のうわさのことを思うと、相川に濡れ衣を着せてしまいそうだ。桜は思考を切り替えるべくトーナメント表を凝視する。

 ――これでわからなくなった。

 強豪が四つのブロックに分散している。優勝候補と目されるオルコット・凰組はDブロックだ。三組では一条・サイトウ組がBブロックのシード枠を手に入れた。

 櫛灘は顔をうまく思い出せない生徒と組み、Dブロックを引き当てていた。もし櫛灘が勝ち上がればDブロック決勝でセシリアたちと対戦する。とはいえ十中八九、Dブロック準決勝までに敗退するはずだろう。

 櫛灘の組は留学生ら名ばかり代表候補生と連戦することになっていた。

 

 

 トーナメント表ができあがり、千冬が解散を告げた。

 桜はすぐに席を立ち、初戦の相手を探す。すぐに見つかった。ラウラも相川に声をかけようと席を立つ所だった。

 

「相川さん。夜竹さん」

 

 相川清香と夜竹さゆかはトーナメント表を見つめて腕を組みながら今後について話し合っている。桜は早足で彼女らの前に立った。

 

「佐倉さんじゃん。なに、宣戦布告?」

 

 清香が茶化す。桜がはにかみながら、視線を落とせばスカートの裾から黒いスパッツが見えた。

 

「ちゃう。初戦で当たるからあいさつや」

「いやもー参ったよ。いきなりボーデヴィッヒさんと佐倉さんでしょ。厳しい戦いになりそうだよねー」

 

 清香が明るく言い放った。さゆかの肩を抱いて引き寄せ、大笑いしてみせる。

 

「お手柔らかにお願いします」

「うん。がんばろ」

 

 清香が握手を求めて手を差し出したので、桜は握り返した。

 

「手加減しないからね」

 

 さゆかの声だ。桜は彼女の顔をじろじろと眺め、思い詰めたような顔になる。

 こんなところで話す内容やないんやけど、と桜はさゆかの手を引く。

 

「あの、夜竹泰治という名を知っていますか」

 

 さゆかはいぶかしみながらも事実を告げる。

 

「曾祖父ですが……それが何か」

 

 途端に、桜の表情に喜色ばんだ。

 

「佐倉作郎の名に聞き覚えはあらへん?」

 

 さゆかは首をかしげた。

 ――反応が薄い。やっぱり知らんか。

 だが、さゆかが夜竹泰治の子孫だとはっきりした。彼は発動機不良により途中で引き返したのだが、結局生き残り、終戦を迎えている。特攻に行って敵機を撃墜して怒鳴られた男だった。海軍においては撃墜数を個人のものとしてはいない。複数の証言から推定五機とされ、終戦間際にエースパイロットのひとりとして名を連ねている。彼が記した戦記に作郎や布仏静が登場するのだ。

 桜はさゆかの手を握りしめる。正直信じられない気持ちでいた。

 夜竹飛長とまったく似ていない。遺伝子をどういじったら彼女のような別嬪(べっぴん)が生まれるのか理解不能だった。

 

「唐突にすまんかった。さっきの質問は気にせんといて」

「……何をやってるんだ」

 

 背後の声。顧みれば、怪訝な瞳を向けるラウラがいた。彼女は金色の瞳でさゆかの背後を見つめている。

 

「あっ」

 

 不意に声が漏れた。桜たちの視線がラウラに集まり、彼女の動きにつられて横を見る。

 シャルロット・デュノアと織斑一夏の姿があった。

 再びラウラに目を戻す。携帯端末を握りしめ、メラメラと闘志を燃やしているのがよくわかった。

 

「それにしても……何だかあのふたり、距離が近くなってないか?」

 

 ラウラが眼を細めて、桜を小突いた。

 ――うわっ!

 櫛灘の魔の手からラウラを守るべく立ち位置を変える。

 そうでもしなければラウラが会長の権力の犠牲者になってしまうだろう。更識家は名家で、とてつもなく大きな力を握っている。下々の者とは家格が違うのだ。桜は小声で軽率な発言に注意を促した。

 

「今の発言。あかん。会長さんに聞かれたら消されてまう。本音や更識さん……いや、櫛灘さんの耳に入った時点で終わりや」

「むっ……そうだった。軽率だったな……?」

 

 ラウラは隣に気配を感じ、ゆっくりと顔を向ける。さっきまで誰もいなかったはずだ。

 四十院神楽。

 頬に手を当て、うっとりした様子の彼女に桜が声をかける。

 

「四十院さん。相方(かなりん)はどちらに」

「生理で寝込んでます。彼女、重いから」

「それはご愁傷様。せっかくの土日が……。で、なぜここに」

「個人的にデュ()()()()()は攻めね」

 

 ラウラが首をかしげている。日本文化に精通するクラリッサが、もしこの場いたとしたら即座に意味を理解したに違いない。

 桜も意味がよくわからなかったものの額面通りに受け取った。

 

「デュノアさんは女や。私らと変わらんよ」

「いいの。脳内変換して勝手に楽しんでるだけだから」

 

 その瞬間、ラウラの明晰な頭脳が答えを弾き出した。クラリッサとは長い付き合いだ。彼女の端末には大手通販サイトで購入したと思われる電子書籍が大量に貯蔵されている。

 ラウラは理解できないものを見たかのような顔で後ずさっていた。眼帯を外しても何も変わらなかったのか、無言で掛け直す。

 

「あっ……このこと、デュノアさんには秘密にしてね」

 

 ――言えるわけないわ。

 初めて「40-IN.KR」のZ飛行機(富嶽)を見たときのような違和感だ。深く追求すると厄介な気がして、桜は後ずさりながらラウラと肩を並べた。

 

 

 一夏と別れたシャルロットは、ラウラの前に立つなりにっこりと笑いかける。

 ラウラは無表情になって、氷のような赤い瞳をフランスから来た女に向ける。シャルロットは後ろで結んだ髪をたなびかせ、颯爽と桜の脇を通りすぎようとした。ふと去り際に足を止め、桜の耳元に唇を近づけた。

 桜の瞳が動く。シャルロットは、くすりと白い顎をすくって、「がんばってね」と告げた。

 

「じゃあね」

 

 シャルロットは肩で風を切るように講堂の出口で待つ一夏の元に急ぐ。

 彼女が腕を絡める姿を、桜は間抜けな表情で見送った。

 

「ラウラ・ボーデヴィッヒ」

 

 シャルロットと一夏に気がつかなかったのだろう。セシリアが金髪をたなびかせ、大股で歩み寄ったかと思いきや澄ました顔で立ちはだかった。

 

「何だ。オルコット。負けたら何をしてほしいのか決めたのか?」

「わたくし、生意気なあなたを這いつくばらせて靴を舐めさせたいと思っていますの」

 

 ふふふ、とセシリアはおだやかな微笑みを浮かべた。あどけなく首をかしげて考えるような風情で優しくつけ加える。

 

「靴がきれいになったら『セシリア様、申しわけ御座いませんでした』と言ってもらいますわ」

 

 泰然と腕組みして、つんと頭をそらせた。

 

「この手でひねり潰して差し上げますから、あなたたち。予選で敗退するようなことがあってはなりません」

 

 どういうわけか、激励の言葉を贈っている。桜は首をかしげ、頭のなかに二頭身人形にデフォルメしたセシリアとラウラを思い浮かべる。

 ――幻のセシルちゃん。

 うっかり田羽根さんの同類と重ねてしまった。シャルロットが持っていた人形の顔がセシリアと重なって見える。桜はよからぬ想像にあわてて頭を振った。

 眼前のセシリアは頬をふくらませて顔を背ける。

 

「それから佐倉さん」

「私?」

 

 桜は自分を指差す。

 

「そうですわ。佐倉さん。あなた、ラウラ・ボーデヴィッヒの足を引っ張ったりしたら……わたくしが容赦しませんわよ」

 

 ――ん?

 引っかかる言い方だが、桜は決意表明を優先させた。

 

「私も優勝するつもりや」

「まあ、優勝!」

 

 セシリアが眉をはねあげた。口を曲げて肩を怒らせる。

 

「あなたも狙っていますの。一番になることを」

「……もちろん。私にだって、てっぺん取らなあかん事情がある」

 

 ――飯と番号がかかっとる。

 桜は個人的な事情を胸に秘めたまま、突っかかってきたセシリアを負けじと見返す。

 

「聞き捨てなりませんわ」

 

 セシリアは一番という言葉に過剰反応を示した。

 

「一番になるのはセシリア・オルコット。このトーナメントで、わたくしこそが名実共に勝利者であることを証明しますわ。銃をもって立ち(ふさ)がるものあらばこれを撃て――立ちはだかる者はすべて打ち倒します」

「ひとつええ? 私たちが勝ち上がった前提やと、オルコットさんたちと当たるのは最終日の準決勝になるけど……」

 

 ラウラが横から口を挟む。

 

「その日なら、オルコットにもちょうどいいと思うぞ」

「なぜですの?」

「私のレーゲンが。シュヴァルツェア・レーゲンが復活するからだ」

 

 ラウラが発音は明瞭だ。一歩を踏み出し、セシリアと触れるか触れないかの距離まで詰める。上目遣いになって赤い瞳を見開く。

 

「再戦にはもってこいだろう?」

 

 セシリアは額を押しつけるや目尻を吊り上げてにらみ付ける。互いの鼻息がかかるほどの近さだ。

 互いに敬意を示すのではない。険悪な雰囲気が漂っている。

 

「そうですわね。雪辱を遂げるお膳立てができましたわね」

 

 同時に踵を返し、背を向けたふたりは、肩を上下に揺らす。こみ上げた思いを吐露する。

笑うという形で。

 

「アッハハハハ!」

「おほほほほ!」

 

 勝手に盛り上がるふたり。桜と鈴音は腰に手をあて、軽くため息をついた。

 

 

 



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狼の盟約(九) 学年別トーナメント初戦

 学年別トーナメント一年の部。Cブロック、一日目第一試合。

 第四アリーナ最初の試合は相川・夜竹組対佐倉・ボーデヴィッヒ組だ。

 ラウラの実力からして勝利確実とされている。だが、満を持して姿を現したのは奇怪な姿だった。誰もが目を見張り、猛獣が咆哮する様を待ちわびていた。

 

 

 相川清香は不運に苛まれていた。

 ひとつめの不運。対戦相手を決める抽選会で、いきなりラウラ組を引き当ててしまったことだ。予選を量産機で出場するとはいえ腐っても代表候補生だ。IS学園に入学してから訓練を始めた清香とは年季が違う。

 ――これじゃあ、ぶっつけ本番と同じだよ!

 前日の打ち合わせで、清香が桜を相手取り、さゆかがラウラを引き受ける作戦を立てた。

 打鉄零式はすばしっこい。唯一の公式戦であるクラス対抗戦を目にした印象だ。だが、桜はことあるごとに格闘戦が苦手だと公言している。

 次に、ラウラが乗るカノーネン・ルフトシュピーゲルングは一見全身装甲である。全身をライトグリーンの装甲板で埋め尽くした直線的な形状だ。

 学内ネットワークのIS一覧によれば、かの機体は半露出型装甲を採用している。だが、自機の標準搭載砲に耐えうる装甲を求めた結果、ラウラの顔を拝むことができなくなっている。いわば機動性を捨てて火力を増強した機体なのだ。

 役割分担はどちらが言い出すまでもなく自然に決まっていた。さゆかのほうが火器類の扱いに長じている。そして当日、力を出し合うことを誓い合っていた。

 だが、ここで二つめの不運が生じた。

 ――何よ! あれ!

 桜が体当たり専用パッケージを使ってきたのだ。和傘を横倒したような形状。巨大なスラスター。打鉄零式だと分かる痕跡は、かすかに露出した赤いレーダーユニットだけ。下部に搭載された一二.七ミリ重機関銃二門、四〇ミリ機関砲二門。後付け装備だと記されている。

 ――第四アリーナで使ってくるなんてっ!

 冷や汗が滴る。せめて桜の顔が分かれば、と思ったが、元からして全身装甲の機体だ。

 投影モニターを介して清香の強張った顔を目にしたのか、さゆかが心配して話しかける。

 

「清香……大丈夫?」

「大丈夫。うん、大丈夫だから」

 

 快活さが取り柄だ。ラウラと対峙するさゆかも怖いはずだ。六つの砲口がさゆかを捉えている。

 

「さゆかは、イける?」

「あれだけの重武装。機動性を捨ててるのは間違いない。ボーデヴィッヒさんはおそらく、()()()()()()。ラファール・リヴァイヴの()()と一緒だと思う」

 

 さゆかと清香はクアッド・ファランクス・パッケージを思い浮かべた。ラファール・リヴァイヴの追加装備として、二二ミリ多銃身機関砲を四門を搭載するためのパッケージだ。増加装甲を介してではあるが、機体に直接後付けするため移動制限が生じる。

 なお、クアッド・ファランクス・パッケージは、現在IS学園とタスク社、南アフリカ国防軍が所有している。イタリアのロヴェーショ(豪雨)が世に出た瞬間に陳腐化してしまい、IS学園以外のラファール・リヴァイヴ採用国で売れなかった。唯一南アフリカ国防軍が第二世代機チーター用に購入。チーターは、SNNがラファール・リヴァイヴを改造した機体だ。

 

「推測だけど、佐倉さんの機体は小回りが利かないと思う。だってあのパッケージは誰も制御できなくて捨て置かれたものなんだから」

 

 さゆかは瞳に大きな決意を秘め、はったりだと断じた。相方が動けないならやりようはある。故障明けの桜と代替機を駆るラウラ。手負いの狼が盟約を結んだにすぎない。

 

「清香はあの機体との衝突だけは避けて。適度に距離を置いて、小回りを利かせてあげればいい」

 

 ISの強みは空中で自在に方向転換できることだ。桜の機体は航空機に近づいているのではないか。接近戦主体のトーナメントには不向きだと考えを切り替える。

 ――さゆかの言うなら転注意すれば与しやすいのかも。

 気持ちが軽くなる。決して敵をあなどるつもりはない。が、過剰に警戒して動きが硬くなってもいけない。清香は空中で背伸びをしてみせる。

 

「ありがと。さゆか」

「いーえ。どういたしまして」

 

 その十数秒後、試合開始を告げる機械音声が響く。

 

「Cブロック、第六試合。試合を始めてください」

 

 ――始まった。

 周囲の空気を吸引する音が徐々に忙しくなっていく。

 清香は装備していた二〇ミリ機関砲を構えた。スイス製の機関砲をIS用に改造した装備で、その信頼性は折り紙付きだ。発射速度は毎分一〇〇〇発。ハイパーセンサーと同期した統制射撃が可能だ。

 大型スラスターが性能を発揮する前にできるだけ当てる。清香は基本に則り、自動化された自分を露わにする。スクエアースタンスから据銃、照準、撃発。ISの補助を得ることで実現された精確な動き。数十発におよぶ弾丸が到達し、シールドエネルギーが減少する。

 ――よしっ!

 手応えがある。桜はまだ手間取っている様子だ。相棒の指摘通りはったりに違いない。撃てば撃つほど、弾丸が巨大な的に吸い込まれていった。

 スラスター出力が増大し、耳を(ろう)するような音が満ちる。次の瞬間、打鉄零式は制御を失い、あらぬ方向へ飛んでいってしまった。スラスターの不調なのか、二発のスラスターにだけ火を灯し、残るふたつは沈黙している。

 傾きながら下降する機体。好き勝手に荒れるじゃじゃ馬に手をこまねいている。視野の裾では動けないラウラ機に対して、さゆかの打鉄が一方的な射撃戦を展開している。

 ひとつだけ困ったのは、打鉄零式の動きが予想できないことだろう。おかげで上空から撃ち下ろすもほとんどが至近弾になっていた。

 ――これなら。

 清香の心に希望が宿ったとき、三つめの不運が襲いかかった。

 不調かに思われた巨大スラスターが炎を吐き出したのだ。アリーナの広さを利用して大きく旋回し始める。

 ――壁に突っ込むつもり?

 清香は打鉄で追いすがる。射撃を繰り返して、打鉄零式のシールドエネルギーを削った。

 打鉄零式が壁に激突する直前。インメルマンターンするかに見えたのもつかの間、背面飛行に転ずる。銃口が初めて清香を認識し、それぞれの砲口から一発だけ弾丸を吐き出した。

 まるで砲の調子と弾道を確認しているかのようだ。

 清香は飛行しながら継続して撃発する。横に避けてしまえば、弾丸は届かない。

 ――ほら、思ったとおりだ。その場で方向転換すれば簡単に回避できる。

 清香は勝利の可能性を見出しかけていた。四発スラスターを噴かしながら、空中で横滑りする打鉄零式を見るまでは。

 

 

 佐倉桜の眼前に照準器を模した二種類のCGがある。それぞれ一二.七ミリ重機関銃と四〇ミリ機関砲に対応している。

 技師がプログラミングする時間はなく、メーカーが納入したデータのパラメータをいじっただけの代物だ。しかし弾丸はまっすぐ飛ぶ。銃はねらって当てる道具なのだから、原始的な照準器(アイアンサイト)さえあれば目的を達するはずだ。

 当然、ハイパーセンサーの恩恵を享受できない。

 弾丸が空中で交差する距離と時間。もしくはどんな弾道を描くのかといった情報だけが明らかだった。前向きに捉えるならば、腕さえ良ければ当たる。

 桜は値を補正する。マーク1・アイボールセンサーが捉えた清香の挙動を踏まえ、未来位置を絞り込む。

 銃砲が正常に稼働しているのは確認済だ。試合開始早々、不具合が発生した二基のスラスター。重厚な外見とは裏腹にささいな条件の違いに機嫌を損ねる繊細なお嬢様(レディ)たち。

 ――発動機(エンジン)は生き物。

 丁寧に調教されたお嬢様を乗りこなさねばならない。わからずやのお嬢様をなだめすかすのは、きれいな田羽根さんの役目だった。

 清香の打鉄が空中で回頭する。最小半径で方向転換し、背後を取る算段だろう。

 ――行け!

 斥力場を発生させ、落下を免れる。二基のスラスター出力を絞り、残る二基は出力を増大させた。巨体が空中で横滑りした。意識を一二.七ミリ重機関銃に向け、照準を定める。

 ――驚くひまがあったら動き続けろ。一瞬でも思考停止すれば、落ちるんは自分や。絶対に止まるな。

 清香の打鉄が膝を曲げ、腰を回転させる。ISは空中歩行を可能にするがゆえに、意識が陸上での動きに引っ張られる。経験が浅く無駄な動作だと気づいていない。

 銃口を現在位置から未来位置に推移させる。

 期せずして指先がピクリと動いた。わずか一秒の射撃時間。桜には弾丸が弧を描いて飛んでいるように見え、弾丸は隔壁に当たる。最後の一発がシールドエネルギーをわずかに削った。

 ――計算結果は。

 補正を続ける。羅列された数値が動きに変換され、桜は清香の打鉄の姿を思い描いた。高速直進後、回頭。銃口をずらしながら一秒間打ち続ける。

 

「何で、どうして、振り切れないなんて、わっけわかんないよー!」

 

 清香が震え声で叫びつつ、必死に操縦しているのがわかる。桜は追う側に回ってなお感傷を持ち合わせることなく、射撃結果と数値を確かめ、己の動きを最適化し続ける。

 

「きれいな田羽根さん! 残り燃焼時間はどんくらいか!」

「概算値で二八〇秒です。ご主人様っ!」

 

 時がたつにつれ射撃回数が増えるたびに命中率が向上していった。

 きれいな田羽根さんの神通力にも限界がある。スラスターに不具合を抱えているため、安定状態を長く維持できない。田羽にゃさんにいたっては自主待機と称し、スナック菓子を頬張るだけで何もしていなかった。性能が実質半減した状態だと桜は考えていた。

 清香の打鉄と動きを合わせ、いったん高度を落とす。眼下には被弾しながらも曲射で反撃するラウラの姿がある。彼女はさゆかに向かっていつになく饒舌に喋っていた。

 また被弾した。清香は制御をISコアに任せきりにしているのだろう。ハイパーセンサーを用いた統制射撃は、乱雑に弾丸をばらまくだけの曲芸射撃でも正確性を発揮している。

 ――せやけど。

 桜は開放回線に向かって語りかけた。

 

「相川さん。すまんなあ。手加減できんわ」

「何を言って」

 

 清香の声に動揺が走る。桜は射撃時間を一秒から三秒に引き延ばした。コツをつかんだことで面白いように当たる。

 

「やだっ。ちょっと! なんで! シールドエネルギーがどんどん……」

「射撃停止――四〇ミリ射撃開始」

 

 四〇ミリ機関砲二門による同時射撃は一二.七ミリ重機関銃とは異なり、太く重い。火線がきらめき、打鉄の背中に吸い込まれていった。

 

 

 清香の打鉄が墜落し、回収機が飛び出した。

 ラウラ・ボーデヴィッヒはつまらなそうに口を開く。

 

「ふんっ。先を越されてしまったではないか」

「試合中に……そんなこと、言ってる、暇、あるの?」

 

 さゆかは絶え間なく立ち位置を変えていた。砲と銃では威力が桁違いだ。カノーネン・ルフトシュピーゲルングは超重量級の火力偏重機である。一発でも当たってしまえば、反撃の芽が潰えてしまう。

 さゆかはゾッとする。果物ナイフで済むところに牛刀を持ち出してきたようなものだ。

 ラウラの代替ISは一七センチ連装砲二基四門を肩にかついでいた。砲身長だけで約八メートルもある。トップヘビーになってしまい、PICなしでの屈伸運動は推奨されていない。とはいえ、フレアスカートと似た装甲の下に一二〇ミリ大口径レールカノンや機動用の小型スラスターを格納している。関節を曲げるとスラスターが地面にぶつかってしまうので、初めから曲げる余地が残されていなかった。

 ラウラは構わず不満を口にした。

 

「やはり旧型はいかんな。私よりも反応が遅い。イメージインターフェースも洗練されていない。レーゲンならば面倒はなかったのだが……借り物に文句をつけても始まらん」

「何を言って!」

 

 さゆかの打鉄が二〇ミリ機関砲から大量の弾丸を吐き出す。

 狙いは正確だ。が、装甲に邪魔されてあらぬ方向へと弾かれていく。

 

「よい腕だ。教科書通りではあるが、やはり虎の血筋は虎か」

 

 さゆかは、ラウラの言葉の意味がわからず射撃を続ける。普段のラウラを知る彼女にとって、ラウラのうっとりとした声音は異様だった。

 

「あなたの曾祖父、夜竹(やたけ)泰治(たいじ)殿の戦記を先日電子書籍にて拝読した。大日本帝国海軍航空隊のエースパイロットに名を連ねる者の言葉は、やはり血肉沸き踊るというものだ。米国の物量に押し潰されてなお抗う戦振り。益荒男(ますらお)の言葉に相違ない。……なればこそ」

「それが試合に関係あるっていうの? ボーデヴィッヒさん」

「なればこそ、夜竹さゆか。あなたにはぜひとも()()()()という言葉の意味を理解してもらいたい」

 

 さゆかが困惑するのも構わず、ラウラの声は愉悦で弾む。

 

「すなわち……我らドイツ連邦共和国が誇る第二世代機カノーネン・ルフトシュピーゲルングは圧倒的である!」

 

 ラウラはPICを足元に展開し、斥力場を設ける。摩擦をなくすことで指向する方角への移動を容易にした。体を浮かせて滑るように動く。カノーネン・ルフトシュピーゲルングに許された唯一の移動手段だ。

 ラウラは突然スイッチが入ったように火力優勢に関する認識を語りだした。その間、左右の大腿部に搭載した一二〇ミリ大口径レールカノンに弾丸を装填する。シュヴァルツェア・レーゲンの八八ミリとの最大の違いは口径とリボルバーシリンダーの有無である。連射性能に劣り、取り回しが難しいことから六門しか試作されずに終わっている。

 

「そうやって! いつも人から見下ろすような話ばっかり!」

 

 さゆかが気勢を上げた。打鉄の全搭載火砲を実体化し、持ちうる火力を次の一瞬に注ぎ込む。対してラウラは越界の瞳を向け、力を解き放つ。

 

「では、凱歌を揚げるとしよう。――発射(Feuer!)

 

 六つの砲口が瞬く。猛り狂った轟音が観覧席まで広がり、炎がさゆかを飲み込んだ。

 

 

 



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狼の盟約(十) タスクとデュノア

 学年別トーナメント二日目。一年の部Aブロック、第一アリーナ。

 シャルロット・デュノアが更衣室から出ると、ISスーツに着替えた一夏が迎えに来ていた。陽気な笑顔を浮かべて呼びかけてくる。

 考え事をしていたので目を丸くしたのだが、動揺を見せまいと柔和な表情を作る。

 

「ごめん。待った?」

 

 男のほうが身軽なのですぐに終わったのだろう。一夏は着替えが入っていると思われる大型スポーツバッグを手に提げ、シャルロットの横に並ぶ。Aピットへ続く通路には、入館証を首にぶらさげた技術者や来賓らしき人物が会話している。

 シャルロットはチラと教師と歓談する有名人を見つけて軽く目礼した。

 

「誰か知りあいか?」

 

 一夏が振り返るなりきょとんとした。

 白の開襟。海上自衛隊の女性第一種礼装。階級章は数年前に設けられた准将を示す。

 

「あれって」

「藤堂准将。MSDF(海上自衛隊)の打鉄型戦艦……じゃなくって打鉄改のパイロットにしてここの第一期卒業生。僕たちのセンパイだよ」

 

 世界最強のIS搭乗者はブリュンヒルデを冠した者だ。

 だが、世界最高の抑止力を有するIS搭乗者は間違いなく彼女だった。その女性は色白の和風美人ではあるが、私服に着替えてしまえばどの街にもいそうな雰囲気である。とても戦艦を運用するような女性には見えない。

 一夏が足を止め、もう一度振り返った。シャルロットが上目遣いに彼の様子を探る。彼が見とれているようにも受け取れ、むっとして一夏の脇を小突いていた。

 

「おう。すまん」

「もうっ」

 

 一夏の手を取り、踵を返す。

 早足になってAピットへの電子扉を前にした所まで来て、シャルロットは手を繋いでいる事実に気づいた。

 ――うわっ。試合前になにやってるの僕!

 抱擁(ハグ)までした仲だ。手を繋ぐのは造作もない。そのはずだ。理詰めで考え、自分を納得させようとした。しかも一夏は手を繋ぐことが当たり前のように振る舞っている。状況証拠からして一夏とシャルロットがただならぬ仲であることを示しているのではないか。

 一夏とタッグを組むことになってからずっと、機会があればそれとなく自己主張するようにしていた。

 ――誰もからかったり聞いてきたりしなかったんだもの!

 同室の箒とは授業でしか顔を合わせない。いざ授業になるとラウラとセシリアが妙な存在感を放っている。負けじと頑張ろうものなら、つい一夏のことを忘れがちになる。

 

「……シャルロット」

 

 電子扉が開きっぱなしだった。

 一夏はシャルロットの手を引っ張り、彼女を室内へと連れ込む。

 

「あっ」

 

 少年の胸板にぶつかったと知ってシャルロットは顔を赤らめる。すぐさま顔を伏せて、色恋に溺れた女の顔は見せまいと恥じらった。

 

「その……なんだ。近い、というか……当たってる」

 

 一夏の顔をのぞき込む。目が合ってしまった。途端に彼の頬のいろが赤みを帯び、火の玉のようだ。震える手でシャルロットの体を遠ざけようとした。

 その刹那、シャルロットは弾かれたように体を放す。

 

「ごめん!」

 

 ――うわー。うわー。何やってるんだよ。みんなの目があるのに。

 トーナメント運営のため、企業から多数の技術者が派遣されている。来賓客の姿もある。ピットは普段より人の出入りが激しい。教師の背中が見える。もしかしたら気づかれたかもしれない。

 浮ついた心を戒める。試合が終わるまでの間、一夏は自分の背中を預ける相棒だ。それ以上でもそれ以下でもない。醜聞を漏らし、不用意に事を荒立てるのは得策ではない。

 ――本社から役員が来ている。ラファール・リヴァイヴ・カスタムⅡの活躍を印象づけて……。

 ラファールブランドの存亡は自分の肩にかかっている。

 対戦相手は双方とも一般入学の生徒だ。片方は元クラス代表だけあってセンスだけはずば抜けている。

 手のひらに拳を当てて意気込む一夏を見つめる。シャルロットも深呼吸しながら兜の緒を締めた。

 

 

 一夏は瞬時に雪片弐型を実体化した。

 

「おおおおっ!」

 

 全エネルギーを集約し、零落白夜を発動する。滑るように移動する打鉄に向かって袈裟斬りしていた。

 が、空振りだ。

 上段に振りかぶった瞬間に見切られていた。一夏は間合いを外され、つんのめる。

 停止すれば的になってしまう。フィールドを転がるように飛ぶ。不安定な足元を、銃弾が空気を裂きながら通過する。

 視界がぶれた。その間もハイパーセンサーから大量の情報が押し寄せてくる。

 

「――くそっ」

 

 体を翻し、空気を引き裂く銃弾の嵐に飛びこんでいた。高速化された意識が火線を目で追い、不発に終わった零落白夜を雪片弐型に戻す。

 続いて左腕備え付けの近接ブレード(XM214)を展開した。マイクロガン(XM214)の銃口が毎秒五〇発の銃弾を吐き出す。瞬くような破裂音が続く。

 横合いから、そして上空から撃ち下ろされる。シャルロットが滞空するラファール・リヴァイヴに向かってアサルトライフル(ヴェント)による反撃を試みている。

 ――しつこい!

 一夏は三秒間の目視照準から、ハイパーセンサーと同期した統制射撃に切り替える。

 打鉄を排除しなければ。だが、一夏の動きは研究し尽くされている。

 回避しきれない。と、思ったとき凄まじい衝撃が襲った。

 弾帯の消費とシールド・エネルギーの減少具合がほぼ同じだ。

 ――残り一二秒で脱落が確定しちまうっ!

 肩部高出力ウイング・スラスターの向きを調整する。

 打鉄の機体が視界から消える。弓なりに動き、瞬時加速をしかけてきた。

 ――ぐうっ。

 推力が加わった重い斬撃だ。打鉄は鍔迫り合いの末、体を翻して力を流す。一夏の意識がPICにおよぶよりも早く斬ってきた。

 ――避けるかっ。

 既に遅く。シールド・エネルギーが三割を切り、さらに打鉄の蹴りが飛ぶ。

 顔をしかめ、左手を硬く握りしめる。右肩のスラスターに噴射し、体を沈めた。

 視界がグルグルと回転した。フィールドの土が眼前に迫る。PICによって斥力場を設けているとはいえ、体を上下反転させた状態で対戦相手の生徒と目が合う。肺の中の空気が押し出され、口を開けた瞬間、咆哮に変わっていた。

 

「――っおおおおお!」

 

 体を無理やり引き起こす。左肩のスラスターから空気の塊を噴射し、斜め後方に飛ぶ。

 皮膜装甲(スキンバリア)が弾丸を受け止めた。撃たれたという感覚が強い。視界の回転が止まらなかった。シールド・エネルギーの減少を食い止めたものの、代わりに制御を失ってしまった。

 

(ドゥ)!」

 

 開放回線(オープンチャネル)からシャルロットの指示が飛ぶ。

 ――後方への瞬時加速っ!

 言われたとおり加速したつもりが、顔から地面に突っ込んでいた。白式自身の推力で叩きつけられていた。歯を食いしばって状況を把握しようと試みた。視界がまたもや回転する。

 青い空が見えた。

 ラファール・リヴァイヴ・カスタムⅡの小型推進翼と高出力マルチウイング・スラスターから白い渦が噴き出ている。

 五九口径重機関銃(デザート・フォックス)が重厚で甲高い響きを奏でる。砲炎が目に入ったかと思えば、試合終了の合図が鳴りわたっていた。

 

「勝者、織斑・デュノア組!」

 

 一夏が顔を上げたとき、ラファール・リヴァイヴ・カスタムⅡが拳を空高く突きだした。

 

 

 試合を終えたシャルロットはピットに設置されたドリンクサーバーの前に立った。お茶のスイッチを押したとき、ボタンのプラスチックに背後に立つ人物の顔が映り込んだ。赤いランプが点滅する間、シャルロットは肩を逸らしてその人物を流し見た。

 色素のうすい金色。ウェーブのかかった、たおやかな長髪。白いブラウスに黒いスカートスーツを身に着け、痩躯だが腰と胸元が自己主張して止まない。まつげは長く、鼻筋は通っていて華やかな容貌を引き立たせるような、成熟した女性の色気のある顔だった。

 鼻先をかすめる甘いにおい。シャルロットのなかで緊張感が生まれ、さざ波のようにわきたった。

 

「はあい。私のシャルロット」

 

 彼女は腰に手を当てて、シャルロットを見下ろしている。

 

「来日されていたのですか」

 

 床にヒールの足音が響いた。ブザーが鳴ってお茶が注ぎ終わる。体を入れ替え、今度はスコールがブレンドコーヒーのボタンを押していた。

 スコール・ミューゼルはシャルロットに向きなおった。

 

「おめでとう。あなたの実力なら当然ね」

「ありがとうございます。ミューゼルさん」

 

 ブザーが鳴って、スコールがブレンドコーヒーを取るべく腰を屈めた。

 コーヒーを口付け、軽く息を吐く。

 

「正式な招待を受けて。タスク社IS部門の名代としてきたの」

「……アウストラリスやカナタのISを見にこられたのですか」

「確かにケイシーやサファイアたちに会ってきたけど……」

 

 スコールは紙コップを側の机に置き、シャルロットに真剣な眼差しを送る。

 

「あなたを観に来たの。タスク社の顔なのですから」

「私のリヴァイヴ・カスタムⅡは最高のISです。アウストラリスのヘル・ハウンドやカナタのコールド・ブラッドにもひけを取りません! ですから……」

 

 シャルロットは切実だった。スコールに売り込んでおけば、少しはブランドが延命されるかもしれない。彼女の発言はIS部門の関連各社に影響力があった。

 スコールは紙コップから口を離し、人さし指を立ててシャルロットの口に当てた。

 

「わかってるわ。あなたはおとなしく私の言うこと聞いていなさい」

 

 人さし指で肌をなぞる。のど元に達したところで、手を翻してあごを上向かせる。

 シャルロットは呆然と立ちつくし、なすがままだった。スコールと目を合わせることができず、唇を引き結んで胸のなかに抱いた歪な心を無理やり押さえこむ。甘いにおいのなかにコーヒーの苦みが混ざっていた。

 ――前は、触られてもなんとも思わなかったのに。

 シャルロットは顔を背けた。

 

「……冗談よ」

 

 うまくいってるじゃない、とスコールが耳元でささやいた。

 

「このまま彼をつなぎ止めなさい」

 

 顔を傾けたまま朱唇を近づける。

 ――あっ。

 唇を奪われる。スコールのなすがまま屠られてしまう。シャルロットは彼女の性癖をよく理解していた。

 ――助けて、一夏っ。

 

「抱かれるのも手よ。……男はね。初めての女を一生覚えているものなのよ」

 

 フフフ、と笑ってシャルロットを自由にした。

 不意に通路側の電子扉が開く。

 シャルロットはとっさに紙コップを唇をつけ、電子扉から顔を逸らす。恥ずかしくてどんな顔をしてよいのか分からなかった。

 

「デュノアじゃないか。一夏は……」

 

 入ってきたのは箒だ。

 Bブロックは四試合すべてが第三アリーナで実施される。彼女の試合は午後からだった。

 おそらく幼なじみの試合が終わったのでねぎらいに来たのだろう。

 箒がピット内を見回す。黒いISスーツの上に、青いスポーツウェアを羽織り、引き締まった太股が魅力的だった。

 箒が目礼するのを見て、シャルロットは背後の人物に気づく。

 ――クロエ・クロニクル。紙袋?

 篠ノ之束博士の側近だ。少女時代特有の未発達な外見のくせに、頭のなかで何を考えているのかわからない不気味さがある。

 学園内で何度か見かけている。公式試合で南アフリカのチーターと対戦したときが初見だろう。チーターの外見は、改造によりあたかも白式を迷彩塗装したかのような外見になっていた。

 

「SNNの……」

 

 シャルロットが口を開くよりも早く、スコールが動いた。

 

「タスクのスコール・ミューゼルです。以前、GOLEMシステムの説明で少しだけ」

 

 クロエが背筋を正して左眉を跳ねあげる。

 

「SNNのクロニクルです」

「先日のOEMの件は助かりました。弊社としても良い勉強になりました。また、受注しましたらご連絡を差し上げるつもりです。博士に……CEOにお伝えください」

 

 クロニクルとミューゼルが握手を交わした。事情を知らない箒が首をかしげている。

 

「かしこまりました。それと」

 

 クロニクルが背伸びして耳打ちする。

 シャルロットは目ざとく唇の動きを確かめる。日本語ではない。おそらく、アフリカーンス語。

 ――……バングとダーシの調子はいかがですか。二次移行(セカンドシフト)したシュペルミステールに太刀打ちできないとか……。

 シャルロットはすかさず箒を流し見る。彼女は電子扉の側に立っており、今の会話を耳にした節はない。クロエが手に提げた紙袋を視界に入れないよう背を向けている。

 スコールは苦笑した。

 

「機体と搭乗者の経験値が違います。ねえ、シャルロット?」

 

 シャルロットはあわてて、にこやかな笑みを浮かべる。

 

「ミューゼル様。弊社の粗品が御座います。おひとついかがですか」

 

 クロエが手提げ袋に手を入れたとき、箒が電子扉の向こうに消えた。よほど中身を見たくないらしい。

 出てきたのはツインテールでつぶらな瞳をした二頭身だった。

 

「こちらは以前お渡しした粗品の一部です。妖怪ぺったんこーというキャラクターなのですが、この度、中国IS委員会とSNNキャラクター部門がタイアップしてWebアニメを作ることになりました」

 

 手提げ袋の中からディスク用のトールケースが出現する。

 

凰家小籠包(凰さんちの肉まん)のマスコットキャラとして売り出します。近いうちにIS学園の食堂にて宣伝することも視野に入れて活動しています。イメージソングも計画しており、近いうちに公開できるかと」

 

 シャルロットは見た。トールケースに記された「歌:凰鈴音」という文字を。

 

 

 



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狼の盟約(十一) メモリーカード

 学年別トーナメント一年の部、三日目の夜。

 一〇二七号室はどんよりとした空気に包まれていた。

 清香は茶を盆に載せる。自分とルームメイト、そして藤原の分だ。

 

「あったかいのしかなかったけど」

「ありがとー」

 

 櫛灘が湯飲みを受け取る。

 

「アチッ」

 

 櫛灘が口元を手の甲で拭う。

 客人である藤原が湯気を吹き、朱唇を慎重に近づける。

 

「で、何か具体案は出た?」

 

 無造作に置かれた数枚の写真。悪趣味な写真が混ざっている。清香は見ないことにするだけの良識を持ち合わせていた。

 湯飲みを置いた櫛灘が頭を抱えてしまった。先日、生徒会長に呼び出されたときのようだった。

 

「どうしちゃったの? この子」

「セシリアさんと凰さんに……一方的にボコられる光景しか思い浮かばないんだよね」

 

 清香は相づちを打つ。

 櫛灘はネット弾で動きを封じ、袋だたきにするという手法で勝ち残ってきた。きれいな勝ち方ではなかった。

 

「ビットと衝撃砲じゃあねえ」

 

 学年別トーナメントは衆目が予想したとおり、代表候補生と専任搭乗者が上位を席巻しつつある。

 八組一六名中、肩書きを持たない生徒は櫛灘、藤原、布仏、鷹月、一条の五名だ。そのうち、純粋に一般生徒が手を組んだものは櫛灘・藤原組しかない。ほかは何かしらの肩書きを持つ生徒と一緒だった。

 櫛灘が震えた手で写真をつまみあげた。

 

「もう……この写真で脅すしか、方法が……」

 

 セシリアだ。

 シュヴァルツェア・レーゲンのワイヤーブレードで拘束され、女の特徴を示す部位が強調されている。極めつけは顔を真っ赤にして何かをこらえているような写真だろうか。

 

「いや、それはダメだから。恐喝ダメ、絶対」

 

 藤原がやさぐれた笑みを浮かべた。そして制服のポケットからケースに入ったメモリーカードを取り出す。

 

「となれば後事を託すのみ」

 

 櫛灘がメモリーカード、端正だが特徴の薄い容貌を見やる。

 

「それしかないか……誰にする? 会長の妹以外で」

「変化球で織斑とか」

「ないわー。ないない。いきなり変化球でストライクゾーンを外すとか様子見過ぎなんだけど。勝負を避けたい気持ちがみ・え・み・え」

「織斑はともかくデュノアさんならいけるんじゃないかなーって」

「ちょっと待って。私にメリットがないじゃない。それに、デュノアさんには含むところがあるから。彼女は除外したいんだけど」

 

 櫛灘は生徒会長の口止めもあって、トーナメント期間中はシャルロット・デュノアに近づきたくなかった。うっかり真実を口にしようものなら社会的に抹殺されるだろう。防衛大臣政務官に更識姓を持つ者がいるなど、更識家の影響力は大きい。

 清香が手を挙げた。

 

「だったらさあ。あっちでいいんじゃない?」

 

 壁を指差す。

 隣は一〇二六号室だ。

 櫛灘の目が妖しく輝いた。

 

「そうとなったら早速行動! 善は急げ!」

 

 櫛灘の長所は切り替えの速さ。裏返せば欠点でもあった。

 メモリーカードを櫛灘が、写真を藤原が懐にしまいこむ。そのまま席を立って出ていく。

 メモリーカードはラウラか桜に譲渡すればよい。

 紅椿の推進系や打鉄弐式の武器に関する考察や、各代表候補生の癖といった情報が納められている。

 櫛灘が一〇二六号室の扉をたたいた。

 

「のーほーとーけーさーん。あーそーぼ」

「ちょっ」

 

 もうひとりが思わず袖を引っ張った。

 

「癖でつい」

 

 櫛灘が苦笑いを浮かべながら髪をいじる。日本人にしては色素が薄かった。

 

「くっしー?」

 

 ドアノブがゆっくりと回り、中から眠そうな表情の本音が顔を出す。

 

「なにー。日曜日はきのーだよー」

「シシシ……ボーデヴィッヒさん、いるかな?」

「いないよー」

「じゃあ佐倉さん」

「いないよー。ふたりなら、さっき神楽ちゃんが連れてっちゃったよー」

 

 行き先は食堂前の談話室だ。強面の上級生がよく駄弁っているせいか、一年生はあまり利用しない。櫛灘の入学以前から談話室で飲み物を買うと、もれなく色黒の上級生に絡まれるというウワサが立っていた。

 

「ありがと。用件はこれだけだから。本音も明日の決勝、がんばってね」

 

 本音がゆっくりと首肯する。対戦相手はルームメイトにして、想いを寄せる相手だった。

 

「じゃーねー」

 

 袖口が垂れた部屋着を横に振る。ゆっくりとしぐさでのほほんとしていた。

 

 

 ふたりは談話室の前まで来た。

 中に小豆色のジャージを着た水色頭がいる。

 

「や、やさぐれメガネがいるぞ」

「篠ノ之さんもね」

 

 もうひとりが後ずさった櫛灘の腕をつかむ。逃走を防ぐためだ。

 更識簪(やさぐれメガネ)は情報戦の手練れ。更識組こと四組のクラス代表だ。櫛灘がもっとも近づきたくない相手のひとりでもある。

 だが、自分から他人との接点を築くような人物ではない。櫛灘はゴクリと生唾を飲み込み、扉を開ける。

 

「篠ノ之さん。ばんわー」

 

 櫛灘は外向きの顔を作ってあいさつする。箒が「なんだ。お前たちか」とふたりを見るなり言った。

 箒にとっては時々会話する同級生にすぎない。最近、楯無の推挙で生徒会に迎え入れられ、ミイラ取りがミイラになったくらいの認識でいる。

 トーナメント優勝候補は、紙パックにストローを差して口をすぼめる。ピンク色の液体を吸い上げていく。

 

「そだ。神楽ちゃん見なかった? こっちに来てるって本音に聞いたんだけど」

「あいつらなら隣の部屋に入っていったぞ」

「ありがとー篠ノ之さん」

 

 櫛灘は努めて明るく振る舞う。教室や講堂では、いつもこの調子だった。

 

「さて」

 

 箒と簪が連れ立って消えた。櫛灘は隣室を見やった。

 チラと上級生の姿が映る。金髪に褐色の肌。ぽってりとした唇だ。

 

「うげっ。ダリルさんがいるぞ」

「神楽ちゃんもいますぜ」

 

 櫛灘が相方の逃走を妨害するべく後ずさった藤原の腕をつかむ。

 ダリル・ケイシーは三年生だ。豪州の代表候補生にしてタスク・アウストラリス社が開発したIS、ヘル・ハウンドの専任搭乗者。代表昇格間近とささやかれている。

 隣室にはLAN端子が常備されていた。どうやら誰かが端末をいじって何かしているようだ。「おおー」という歓声が聞こえてくる。

 藤原はゴクリと生唾を飲み込み、重い足を引きずりながら扉をくぐった。

 

「い、いやぁ……ら、らめ……それだけは……うわああああああ!」

 

 ラウラが頭を抱えて転げ回っていた。

 

「何が……」

 

 起き上がるとふっきれた顔つきになってラウラが叫ぶ。

 

「今すぐ物理的に消してやる! データと貴様の記憶もろとも!」

 

 端末の前でガントレット型プログラマブルスイッチを押す四十院神楽に殴りかかろうとした。桜が羽交い締めにして事なきを得る。

 櫛灘は感情を高ぶらせたラウラにぽかんとしてしまった。

 神楽が鼻歌を歌っている。櫛灘の記憶ではアニメの主題歌だった。

 

「やめろ。やめてくれえ! レーゲンが……私のレーゲンが!」

 

 ノート型端末には、Bf109K(クーアフュルスト)が映っていた。選帝侯(クーアフュルスト)の名を冠した大戦末期の量産機を再現した、精巧な3Dモデルだ。

 装甲を彩るテクスチャが変更されていた。残念なことに、乙女ゲーの金字塔アイドルビルダー最新作のツンデレ系銀髪ヒロインの顔をでかでかと描いた痛戦闘機と化していたのである。

 

「やることがえげつねえわ」

 

 ダリル・ケイシーが口元に手を当てて一歩後ずさった。視線の先にはアイドルビルダー最新作のロゴが大きな存在感を放っている。

 

「ん?」

 

 ダリルが下級生に気づいて目を細める。

 隣であからさまに嫌そうなつぶやきが聞こえ、櫛灘が手を離す。ダリルがすぐさま腕を絡めて藤原を拉致して部屋から消えてしまった。「覚えてろ。櫛灘ア!」という遠吠えが一瞬だけ聞こえた。

 

「お隣の櫛灘さん。何しに来たん?」

 

 桜が振り向いて聞いた。櫛灘本人は明るい笑顔のつもりだが、桜には「グヘヘ……」と邪な本心が透けて見えていた。

 

「ちゃっと渡したいものがあってね……」

 

 櫛灘は苦笑いを浮かべながら、メモリーカードを机に置いた。

 

「それ何なん」

「各代表候補生の観察記録」

 

 桜が顔をしかめて、メモリーカードをつまみあげる。

 

「まさか……ストーキングを」

「尾行は専門外」

 

 櫛灘がきっぱりと告げたものの、桜は胡乱な目を向け、頭から信じていない様子だ。日頃の行いの悪さと三下喋りの印象が強すぎて猫をかぶっているだけにしか見えなかった。

 

「見返りとか求めてくるんやないの」

「やさぐれメガネをぎったんぎったんにぶちのめしてくれよう。あんのレズ会長がハンカチかんで『きーっ』と悔しがる様子が見たいんでさぁ」

「やさぐれメガネって……もしかして更識さんのこと?」

 

 櫛灘はなれなれしく桜の肩を抱く。

 

「やさぐれメガネはやさぐれメガネでしょう。ってか、佐倉さーん」

「あんた、武術の心得が……」

 

 櫛灘の親指が絶妙な位置に入っており、桜はしなだれかかる酔っぱらい用の返し技を放つことができずにいる。

 櫛灘は桜の耳元に唇を寄せて、小さな声でささやいた。

 

「会長には気をつけてください。生徒会の仕事は布仏先輩や私に丸投げするくせに、いつもあなたの写真だけは真剣に見つめているんですよ。ねえ」

 

 その言葉を聞いて桜はたじろぎながらも反論を試みる。

 

「あのウワサ、櫛灘さんのでっちあげや……」

「根も葉もなければ、すぐに消えるのがウワサ。でも一向に消えない。どうしてだと思う?」

 

 桜は思い当たる節があって黙りこんだ。入院中、甲斐甲斐しく世話してくれたものの、体に手が触れたり、よく考えると恥ずかしい行動が多かった。

 

「答えられないよね」

 

 櫛灘が優しくほほえむ。

 

「そのメモリーカード。使えるかどうかわからないけど、一応託したから。後はお願い」

 

 

 



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狼の盟約(十二) Aブロック決勝

 第六アリーナに用意された戦場(バトルフィールド)は熱気に包まれていた。

 シャルロットはぐるりと観覧席を見回す。観覧席には生徒や来賓客。タスク社の社員たちが衛星回線を通じて様子を確かめているであろう。

 社章がカメラに映っているか。見切れてはいないだろうか。ついそんなことを考えてしまい、くすりと笑った。

 

「シャル?」

 

 一夏が不思議がった。

 

「ごめんごめん。ちょっと思い出しちゃってさ」

「思い出す?」

「職業病、かな。僕たちって広告塔じゃない。だから……」

 

 シャルロットは「見て」と思わせぶりに自分の胸を指差す。

 一夏は生唾を飲みこみ、穴が空くほどじっくり見つめてからつぶやく。

 

「B……いや、Cだな」

 

 ――え? そんなアルファベットないよ?

 予想外の反応に戸惑った。

 だが、下着のサイズのことだと気づいて耳まで真っ赤になった。

 

「もうっ……」

 

 頬をふくらませて唇を尖らせる。

 

「ここに企業ロゴがあるよね?」

 

 タスク社の企業ロゴがちょうど心臓の上に貼られている。男ならうっかり間違えてしまうに違いない。ちなみに同じ企業ロゴは丹田、仙骨、太股にも存在する。とてもあざとい配置だった。

 一夏は理解したと言わんばかりに首を縦に振った。

 

「ついカメラ映りを気にしちゃうんだ。今日のトーナメントはそこまで気にしなくていいのにね」

 

 シャルロットは苦笑いを浮かべ、わざと舌を出す。一夏がまだ見ているような気がしたものの、あえて注意しなかった。

 

「ふうん。やっぱり企業代表だとそういうの、気にするんだな」

「一夏のところはそういうの、ないの?」

 

 白式はいわば宙ぶらりんの機体で、零式と弐式にまつわるいがみ合いから遠ざけられていた。

 

「ないな。IS学園に来てから企業の人と二回しか会ったことがない。その前はうんざりするくらい付きっきりだったから、俺としてはうれしいんだけど」

 

 一夏が「そういうもんだろ?」と首をかたむける。

 ――いやいやいや。え? だってこの前、零式と弐式の人が来てたよ? あいさつしたらよく来るみたいなこと言ってたよ!

 シャルロットは上目遣いで一夏を見上げた。

 ――おかしいな……。倉持技研はとんがった装備を作るので有名だし、積極的に試験をしているものとばかり思ってたんだけどなあ。

 手裏剣型ホーミングミサイルや剣玉飛槌(フレイル)。IS用シャベルからIS用バールなど多彩な装備であふれている。Bブロックでは、打鉄弐式が巨大な剣玉で訓練機を殴り倒す場面さえあった。

 ――やっぱり拡張性がないから……。

 シャルロットは白式の貧弱な装備について対策を講じていたものの、焼け石に水だと考えていた。

 セカンドシフトでも起きないかぎり、根本的な解決は不可能だろう。それまで雪片弐型と近接ブレード、すなわち八〇〇発しか撃てないマイクロガン(XM214)でがんばってもらうしかない。

 一夏がかわいそうに思えて目尻に涙が浮かぶ。

 

「え? どうしたんだよ。涙なんて……」

「ううん。悲しいからじゃないんだよ」

 

 不憫だからなんて口が裂けても言えなかった。

 ――この試合が終わったら、倉持技研ともっと連絡を取り合うようにアドバイスしよう。

 シャルロットは強く願った。

 眼下には、ナタリア・ピウスツキのラファール・リヴァイヴ。IS用に給弾機構を見直し、軽量化された六二口径七六ミリ速射砲(コンパクト砲)を抱えている。

 学年別トーナメント四日目・第一試合。Aブロック決勝戦が始まった。

 

 

 襲いかかる赤色。

 ナタリア・ピウスツキが放った弾丸は一夏の逃走経路を確実に塞いだ。

 

「――ぐっ!」

 

 地面から足を離した瞬間に被弾。一夏は二日目、三日目にはなかった重い一撃にうめくことしかできなかった。

 無数の炎が降りかかる。至近距離での爆発によって生じた破片が、ウイング・スラスターの基部に直撃する。運悪く可動部のすき間に破片が挟まり、一夏は思い通りの飛行ができずにいた。

 どうして、と原因を探ろうと思い立った瞬間、右足に被弾する。

 一夏の不調を感じ取ったのか、シャルロットが背後から飛び出し、高速切替により五五口径アサルトライフル(ヴェント)六一口径アサルトカノン(ガルム)を左右の手に実体化する。腰部スラスターベース六基に負荷をかけ、まっすぐ突貫する。

 が、全身に白い増加装甲を搭載した打鉄・千代場アーマー搭載型が立ち塞がった。

 腕周り異様に太くなった打鉄は腰部スラスター上部と両肩に搭載した巨大盾を展開している。ISを操る鷹月は瞬時に状況を判断することで壁役に徹した。ナタリアが次弾を六連続で射出する。まるで狙い撃つかのようだ。

 白式は精確にばらまかれた弾丸に覆いかぶせられ、シールド・エネルギーの減少を止められずにいた。

 

「くっそおおお!」

 

 視界が白く染まり、凄まじい衝撃が機体を揺さぶる。

 

(アン)!」

 

 白式は背部のスラスターを全開にして零落白夜を発動させる。

 瞬時加速で距離を詰めようとするも、直線的な機動はいとも簡単に読み取られていた。

 頭を殴られたような衝撃が走り、一夏は思わずのけぞった。眼前にフィールドが迫ってきている。次の瞬間、顔から地面に突っ込み、錐揉み回転しながら土煙を蹴り立てる。

 寝転ぶようにうつぶせになり、ついで仰向けになってひっくり返る。ズシリと体が重くなるのがわかった。指一本動かせない。シールド・エネルギー枯渇を知らせるメッセージが眼前に表示されていた。

 空気を裂く音が遠い。

 ――まただ……俺は!

 二度目の途中脱落だった。待機していた回収機が飛び出すのが一夏の瞳に映った。

 

 

「一夏!」

 

 シャルロットは四枚の白い防楯に手こずっていた。高速切替(ラピッド・スイッチ)により装備を大口径化して対応するも、その防楯は何も通さなかった。弾丸が複合装甲の最下層に展開されたシールドへ到達したとき、運動エネルギーが分散させられてしまうのだ。

 ナタリアが放った弾丸が至近弾となって炸裂する。

 

「弾種を変えてる?」

 

 回避した弾丸が隔壁に到達したとき、音が何種類に分かれていた。

 シャルロットは約一〇〇メートルの距離を保ちつつ、五五口径アサルトライフル(ヴェント)六一口径アサルトカノン(ガルム)での射撃を続けていた。

 ――もうやられた。

 織斑・デュノア組の最大の弱点は織斑一夏と白式だ。ISの強みは汎用性だが、白式はその強みを自ら捨てるような調整が施されていた。

 一点突破型。

 IS関係者のなかでは白式を暮桜の後継機とする見方が広まりつつある。惜しむらくは織斑一夏が千冬の後継者と呼ぶには時期尚早なことだろう。機体と搭乗者の経験値が圧倒的に不足している。

 一夏には間合いを詰める技術がない。肉親である一夏がどれだけ姉に近づこうと努力したところで、現時点では足元にすらおよばなかった。

 ISコアから警報と同時に連続した射出音が奏でられ、シャルロットの瞳に二四個の単眼が映りこんだ。

 白煙のすき間を縫って赤い光が飛び交う。

 ――近接信管!

 山なりになって外れるかに見えた弾丸は、シャルロットの手前で爆発し、金属片をばらまいた。

 

「な――?」

 

 間髪をいれず耳を聾するような轟音が迫る。千代場アーマーの補助装備として納入された四菱製マイクロミサイルの群れだ。二四基の翼端板が広がり、ロケットモーターが所定の出力に達した。

 シャルロットは顔をしかめ、直上に退避する。マイクロミサイル群のうち一基はロケットモーターの不具合により失速し、地面に突き刺さって爆発する。

 いったん、統制射撃の対象をマイクロミサイルに切り替える。

 指先で撃鉄を引くイメージが浮かぶ。養成所で受けた訓練の記憶と重なり、シャルロット・デュノアという個を忘失する。射撃に徹することで、赤い血で動く機械に成り代わる。一夏に抱いていた感情が消え去り、デュノアに()()()()見目麗しい広告塔としてのシャルロットに変貌していく。

 血が騒ぐ。

 方向転換したマイクロミサイルが噴煙を上げて迫る。シャルロットが知覚した瞬間、左右の銃口から炎が噴き上がった。

 二三個の花火が形成され、茶色い爆発煙のなかを瞬時加速で突っ込む。

 視界が覆われて何も見えなくなる。前進を続けるうちに白い装甲を目にする。接続された開放回線に向かって叫んでいた。

 

「僕は、こんなところで!」

 

 

「アタマとるのはうちらたい! そいばってん、あんたらではなか!」

 

 壁役の鷹月の後方で、ナタリアがもう一基の六二口径七六ミリ速射砲(コンパクト砲)を実体化させる。弾丸を撃ち出すたびにPICが反動を押さえ込んでいた。

 

「シズネ、プラン九」

 

 ナタリアの合図で察したのか。密着した状態のまま、まるでジグザグに斜面を滑降するかのように高度を下げた。移動しながらもシャルロットの回避経路を塞ぐかのように、濃密な弾幕が出現する。

 ――分厚いかっ。

 シャルロットはとっさに高出力マルチウィングスラスターの向きを変え、円弧を描くように動こうとした。

 その程度で危険は去らなかった。

 

「君らは――!」

 

 赤い炎を捉える。シャルロットは機体を横倒し、上下逆さまになった状態で右手の武器を瞬時に六一口径アサルトカノン(ガルム)から腕部搭載型物理防楯(コート・オブ・アームズ)へ切り替える。試合用のためオレンジ色に塗られた防楯は丸みを帯びた菱形だ。インドコブラの斑紋のような二つの排気口が特徴的だった。そして裏側にパイルバンカー・灰色の鱗殻(グレー・スケール)を搭載している。

 肘を畳み、腕を引く。溜めを作り、一気に突く動作だ。弾丸で貫くことができなければ、さらに太く硬いもので刺し貫けばよいのだ。シャルロットは唇を真一文字に引き結び、その瞬間を待った。

 透けた橙色の閃光。驀進を始めた弾丸が腕部搭載型物理防楯(コート・オブ・アームズ)に当たって弾かれる。

 シャルロットは鮮やかな一挙動で上下反転し、防楯を鷹月の打鉄に押しつける。激しい振動が装甲越しに伝わるも操縦者保護機能によって無効化される。

 目を見開き、視界の奥で穴だらけになった白い装甲が体勢を立て直す。腰部に増設されたスラスターが息を吹き返し、前に出た。

 

「歯ア食イしばれッ――」

 

 灰色の鱗殻(グレー・スケール)の基部で瞬間的に生じた化学変化が大量の熱を生み出し、閉塞したシリンダー内部から逃げ道を求めて金属杭を押し出す。

 息継ぎすら許されはしない。シャルロットが腕を突き出すのにあわせて、金属杭が白い防楯と激突した。

 鷹月の動作が一瞬かたまった。金属杭が運動エネルギーを消費し尽くそうと複合装甲の表層を食い破る。装甲表面の塗料が粉塵に変わり、太陽光を受けてキラキラと輝いていた。

 ――食い破れ!

 甲高い金切り声が木霊し、シャルロットは右ももに激しい衝撃を感じる。腰部の高出力スラスターを狙ったものだ。シールド・エネルギーが低下するもラファール・リヴァイヴ・カスタムⅡを撃破するには至らない。

 

「シズネ。一号、二号スラスター噴射停止。三号、四号出力最大」

「う――」

 

 ナタリアの冷静な声が開放回線(オープンチャネル)から聞こえたとき、均衡が崩れた。

 鷹月が体を開き、傾斜をつけ、鋭く腰を回す。装甲で強化され、打鉄の太い右拳が腕部搭載型物理防楯(コート・オブ・アームズ)を下からすくい上げるように打ち抜く。

 シャルロットの視野が回った。運動エネルギーを消費し尽くした金属杭が次の射出に備えて元の位置へと戻る。

 炸裂。そして閃光。

 光学系センサーが一時的に潰され、ラファール・リヴァイヴ・カスタムⅡの落下が止まらない。大きく傾き、不安定な姿勢だ。シャルロットは透けた橙色の光が直進する様子が見て判断を下す。地面にぶつかる直前に高出力スラスターを全力噴射した。空気抵抗により機体が激しく揺れる。

 ――飛行にPICは使えないっ。

 安定した機動は読まれる。一夏が狙い撃ちにされた大きな理由だ。彼はその言葉を身をもって証明してしまった。

 小型推進翼を広げ、機体の低下を防ぐ。シャルロットの視界が開けて瞳に青空が映し出された瞬間、轟音が降りかかってきた。

 真横に逃れることで射弾をすべて外す。

 ついで腕部搭載型物理防楯(コート・オブ・アームズ)六二口径連装ショットガン(レイン・オブ・サタディ)高速切替(ラピッド・スイッチ)。小型推進翼を収納し、機体を落下させる。後ろ向きに土煙を蹴り立てながら、推力を残して蛇行する。

 ――これも読むか!

 風が強まる。弾丸が右頬をかすめる。

 弾丸が機体の手前で炸裂する。破片が腹部を襲い、皮膜装甲によって事なきを得る。

 だが、条件反射で口内に酸味が広がった。

 投影モニターにシールド・エネルギーが残り六割だというメッセージが明滅する。シャルロットは体をのけぞらせ、六二口径連装ショットガン(レイン・オブ・サタディ)を撃発する。距離は未だ一〇〇メートルを保っていた。

 ショットガンの弾片が撒き散らされた。六二口径七六ミリ速射砲(コンパクト砲)から放たれた弾丸と接触して赤い火花が散る。

 頭を押さえつけるかのように放たれる弾雨。精確な射撃が降りかかる。

 その最中、シャルロットの父、エドモン・デュノアの顔がよぎった。庶子として家に迎え入れられ、顔を合わせても言葉を交わすことがほとんどない関係だった。経営危機の苦労か、皺が深く刻まれた顔。補助金打ち切りの知らせがフランス政府から通達されたときの絶望。

 シャルロットは心を奮わせた。

 立ち向かえ。

 敵を打倒しろ。

 シャルロットの脳裏に養成所での教えがよぎる。訓練で躊躇するシャルロットに向かって、()()()は言った。「逃げるの?」

 ――僕はデュノアの血を受け継いでいるんだっ!

 警報が鳴っている。

 

「……ぐっ」

 

 被弾による赤い明滅。

 ――ピウスツキの意表を突くには……。

 遮蔽物がなければ作ればよい。ナタリアは(打鉄)に身を隠し、砲口だけを露わにしている。

 シャルロットは目を走らせる。意識を保ちながらISコアに命令を流し込む。

 燃費向上とスラスター延命用の保護回路を切断。マルチウィングスラスター制御部にそれぞれドット〇一秒、ドット〇二秒……と動作の遅延を設定する。

 爆散したショットガン・シェル。合間を縫って、何発かがすり抜ける。次弾が炸裂し、土をえぐる。弾片が降り注ぎ、装甲に刺さっていく。

 ほどなくして命令受領と返答。ISコアが示した緑色のメッセージは一度点滅して消えた。

 

「僕は決して」

 

 ――逃げない!

 全力で土を蹴る。飛び上がって体をひねり射弾を外す。

 

「あぁあああああ!」

 

 一基目の瞬時加速。Gが跳ね上がり、PICと操縦者保護機能が作動する。一基目がエネルギー放出を終えて沈黙。間髪をいれず小型推進翼が向きを変える。続いて二基目がシールド・エネルギーを喰らって飛翔する。

 ショットガン・シェルが破裂し、六二口径七六ミリ速射砲(コンパクト砲)の銃撃と交錯。橙色の火花が出現する。

 二基目が沈黙。

 続いて三基目が瞬時加速を始める。六二口径連装ショットガン(レイン・オブ・サタディ)から腕部搭載型物理防楯(コート・オブ・アームズ)、そしてパイルバンカー・灰色の鱗殻(グレー・スケール)高速切替(ラピッド・スイッチ)

 回り込みに成功し、ナタリアの脇を捉えた。灰色の鱗殻(グレー・スケール)を振りかぶり、両腕を突き出し、炸薬に点火する。シールド・エネルギーを食いつぶしながら、四基目の噴射を始める。

 瞬時加速後、金属杭が到達する。

 

「――え?」

 

 ナタリアの目が見開かれ、シャルロットの眼前から消える。ラファール・リヴァイヴが隔壁に突っこみ、衝撃が会場中に伝播していた。

 ――まだだ。もう一撃!

 ラファール・リヴァイヴが六二口径七六ミリ速射砲(コンパクト砲)を再び構えなおす。

 再びナタリアの顔を捉える。膝をつかみ、二発目、三発目と金属杭を打ち込み、彼女の脱落を確定させた。

 

 

 残るは鷹月ひとりだ。

 振り向きざま、実体化した二八口径三七ミリ狙撃砲(フロラン=ジャン・ド・ヴァリエール)で速射していた。

 

「鷹月さん。あとは君だけだよ」

 

 千代場アーマーを撃ち抜けるとは思っていない。足止めの効果はあるはずだ。

 

「五、四、三」

 

 開放回線(オープンチャネル)から鷹月の声が聞こえ、何かをじっと待っている。

 打鉄は防楯を展開したまま、右拳を握りしめている。紫電と高周波音を発しながら弾雨をひたすら耐えていた。

 

「二、一……ゼロ」

「何?」

 

 打鉄が腕を振りかぶって打ちだす。

 腕部に搭載された多段ロケット。一段目に点火した瞬間、周囲に水蒸気の白煙が生じる。二段目に火が点き、()()()()()()

 

「な――ロケットパンチだって!」

 

 打鉄本来の腕をはっきりと目撃した。ロケットパンチを隠し持っていたがために腕周りが太かったのである。

 土砂降りの雨のような銃撃を続ける。

 シャルロットは下方に飛ぶように後退した。振り向くと煙のなかからロケットパンチが姿を現す。

 拳を作ったとはいえ、マニピュレーターは精密機器だ。被弾し続ければ壊れる。

 ――百発以上当てたのに、どうしてっ!

 結果は違った。鷹月の操作が稚拙であることを差し引いても頑丈すぎる。

 二八口径三七ミリ狙撃砲(フロラン=ジャン・ド・ヴァリエール)から近接ブレード(ブレッド・スライサー)に切り替え、無駄のない挙動で反転する。

 ロケットパンチと交錯し、腕に刃を突き立てた。

 続いて六二口径連装ショットガン(レイン・オブ・サタディ)が煙を吐き出す。土砂降りの雨のような弾片がロケットパンチを包みこんでいた。

 シャルロットはスラスターへの負荷を高め、鷹月との距離を詰める。マニピュレーター、腕の被覆部が燃えながらも未だ拳の形を保っている。

 ジグザグ機動で翻弄し、再び腕部搭載型物理防楯(コート・オブ・アームズ)を展開。気勢を上げ、肘をたたむ。

 次の瞬間、シャルロットの姿が消えた。

 ロケットパンチが千代場アーマーに突っ込む。鷹月の意識が前方に集中したとき、灰色の鱗殻(グレー・スケール)が打鉄の肩に直撃した。

 

「これでお終いだよ」

 

 鷹月が背後を顧みるより早く、冥界の番犬(ガルム)が咆哮し、二八口径三七ミリ狙撃砲(フロラン=ジャン・ド・ヴァリエール)から赤い炎が乱れ咲いた。

 

「試合終了。勝者、織斑・デュノア組」

 

 

 



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狼の盟約(十三) Bブロック決勝

 箒は空になった汁椀を置き、真正面に座る簪に話を振った。

 

「白味噌のほうがおいしいと思うのだが……」

「うちは合わせ味噌だから」

 

 取りつく島もない。

 簪の肩越しに生徒会長が熱い視線を投げかけていた。妹に話しかけたくてうずうずしているのか、簪が口を開くたびに何度もうなずく。

 

「妖精さんは気にしないで」

「おい」

 

 簪の反応は冷ややかだ。以前から姉妹仲が良くないと知っていた。箒は間を取り持つほど親しくはないので、あえて干渉することはなかった。

 

「……約束は守って」

「もとよりそのつもりだ」

 

 簪と手を組むために交わした契約のことだ。箒の目標は達成がとても難しい。単独で成し遂げるには実力が足らず、目的達成には協力者が必要だった。

 

「文化祭でヒーローショーだろ。出てやる」

「あなたの……身体能力が必要……」

 

 簪は夜な夜なノートに落書きをし、箒にハコ書きを見せたことがある。

 

「共同脚本だから……変なことには……ならない」

「全身タイツのときは、やっぱり胸にサラシを巻いたほうがいいのか?」

「――ふっ」

 

 簪がしたり顔を浮かべる。

 

「旧デュノア社のISスーツを着けてもらう」

「デュノアの?」

「そう。どんな爆乳でも……鉄板に……早変わり。()()

 

 得意げなピースサイン。簪の口元だけが笑っており不気味極まりなかった。

 

「揺れたり、肩こりは……」

「ない。しっかり固定する。しかも蒸れない。妖精さんが……鏡の前で試したり……男装して中学の同級生をナンパしてお持ち帰りしたから大丈夫。デュノアは……マーケティングで大失敗……」

 

 後のほうはよく聞き取れなかった。

 だが、ISスーツの効能のほうに興味がわく。

 

「蒸れない上に肩こりが軽減されるだと……? 早速試着してみたいのだが」

「今は実家にあるから……休みに取りにいかないと」

 

 箒は残念そうにため息を吐いた。

 あごを引き、最近成長が著しい胸部に目を落とす。サイズアップのたびに下着を買い換えねばならず、大きくなるにつれて選択肢が減る。一夏ら男の目が集まるのは誇らしい。その反面、簪や鈴音、ラウラたちをうらやましく感じるときがあった。

 

「……で、今日の試合だが」

 

 箒はおもむろに身をよじった。シャルロットと談笑する一夏の姿が目に入り、唇をとがらせてしまった。

 

「あなたは油断……しないで。今日の片割れは代表候補生。れっきとした本物」

「もちろんだ。打ち合わせどおり、私が一条を引きつける」

 

 ルームメイトの姓を聞いて簪の顔がこわばる。今までにない反応だった。

 

 

 休憩室のモニター。シャルロットが先に回収された一夏のあとを追っていく場面だ。

 箒は画面を見上げていた。

 

「一夏たちが勝った。私たちが勝てば次で当たる」

 

 直前の試合で織斑・デュノア組がAブロック代表を勝ち取っている。

 シャルロット・デュノアは強い。簪と一緒であっても油断ならない相手である。

 その前にひとつ白星をあげねばならない。

 ――一条・サイトウ組は、落ち着いて対応すれば勝てる相手だ。

 不意に、手のひらに熱がこもる。簪が手を重ねてきたのだと気づいたとき、箒は意外に思った。

 震えている。今までの試合、圧倒的な力を見せつけてきたにもかかわらず、彼女は小刻みに震えていた。

 

「更識?」

 

 簪の表情に強い決意が浮かんだ。次戦の相手を容易ならざる者と見ているに相違ない。昨晩もしきりに警戒するような言葉を発していた。マリア・サイトウが手を組んだ相手は尋常ならざる搭乗者だったからだ。

 試合結果が一条の異常性を示している。

 入試以来回避率一〇〇%。被弾率ゼロ。かすりもしない。どれだけ弾幕を濃くしても神がかった動きで避けていく。同じクラスの桜でさえ当てたことがなかった。まるで見えない戦場の流れを読んでいるかのようだ。

 

「落ち着け。無論、私が言えた話ではないがな」

 

 簪の肩を抱く。それでも足りないと思い、強く彼女を抱きしめた。簪が心臓の鼓動を感じ取ってくれたらいいと願って。

 

 

 学年別トーナメント一年の部。四日目・第二試合。Bブロック決勝。

 

「いざ前にすると緊張するな……」

 

 体当たり専用パッケージを搭載した打鉄を見据える。

 今回は時間切れによる判定勝ちを狙う。箒が一条朱音を引きつける間、簪がマリア・サイトウを撃破する作戦だ。

 簪の話によればマリアは平均的な搭乗者で、何でもこなせるかわりに突出したところがない。IS関係者から器用貧乏と評価されているが、基礎技能が完成されていて決してぶれない。もし桜がいなかったら、三組代表に選ばれていただろう。

 

「かといって代表候補生相手に私が勝利を重ねられるかと言えば、厳しいだろうな」

 

 箒はせわしなく働く四体のAIを見やった。

 レベル2の紅椿は、レベル1とくらべて能力の上限が三割以上も向上している。十段階まで速度調整できるようになった。ハイパーセンサーはかゆい所まで手が届く。

 だが、もっぴいは今が地獄らしい。赤いメガホンを構えたもっぴいAが他の三体に呼びかける。

 

「今度の試合も重要な試合! 弐式が喜べばもっぴいがハッピー。地球が滅亡しなくてハッピー。みんながハッピー! 負けたら死の星でアンハッピー!」

 

 もっぴいBは片隅で体育座りしながら親指の爪を何度もかんでいる。

 

「ガクガクブルブル……」

 

 もっぴいCとDの見た目は平静を保っている。しかし声が震えていた。

 

「フフフ。もっぴい知ってるよ。弐式が二次移行(ヤンデレシフト)したら地球破壊爆弾が飛んでくるって」

「死ぬ気でがんばるんだよ。もっぴいの尊い犠牲で全世界が救われるなら……」

 

 今まで、相手が巨大な剣玉に気を取られている隙に距離を詰め、杖やブレードで殴ってきた。時には擲弾投射機からネット弾を発射して動きを封じ、時には寝技でシールドエネルギーを削って止めを刺す。

 きれいな戦い方ではない。Dブロックで櫛灘の組が似たような戦術を駆使し、なりふり構わず勝ち上がったおかげで、非難の矛先を向けられずに済んでいた。

 ――作戦は頭にたたきこんである。

 言葉以上のものは既に与えられていた。打てば響く。背中を合わせれば、言葉がなくとも答えが示される。簪の力で実力の上限を引っ張り上げられている。まるで優れた役者が素人でさえも名優に変えてしまうような、何かがあった。

 ――相性がいい。もしくは、合わせてくれている。ということなのだろう。

 箒はゆっくりとスラスターを噴かす。

 ――今日の私は勢子(せこ)だ。騒ぎたてて獲物の注意を引く。

 

「試合を開始してください!」

「先に行く!」

 

 箒は手足と腰部に設けられたスラスターから炎を噴き出し、瞬時に最高速度へ到達する。

 試合前、箒がクロエに質問して初めて知ったことだが、紅椿は瞬時加速が使用できない。それにもかかわらず同等の効果を得ることができる。その後聞いたこともないカタカナ言葉が飛び交い、箒は説明の途中で席を立っていた。

 ――まっすぐぶつかる気で。

 弾丸となって飛翔する。

 ――もし相手が一夏なら剣を振りかざして突っ込んでくるはず。だが、今日の相手は違う。

 打鉄はスラスターを暖気しながら滞空しているにすぎない。

 

「ふらふら動くか」

 

 傘が回転して位置をずらした。箒は、桜が使った体当たり専用パッケージとの違いを見出す。銃砲が後付けされていないのだ。

 ――射撃の成績が悪い、と言っていた。

 簪はルームメイトが漏らしていた言葉を記憶していた。特別なことではない。ISに乗り始めたばかりの者ならみんな同じだ。

 打鉄を通り越した箒は方向転換する。出力を落として高度を下げ、巨大スラスターを見上げる形で一気呵成(いっきかせい)に加速した。

 

「銃を……」

 

 レベルアップの特典で使用可能になった銃器を呼び出す。

 ――N-MG34(なんちゃってMG34)

 篠ノ之束が「なんとなく格好良さそうだから」という理由で見た目だけコピーした機関銃だ。元となったMG34より貫徹力に優れ、反動も軽減されている。ISコアによる自動修復を前提に作られているため、分解機構が存在しない。おそらくこうに違いない、というあいまいな情報を元に設計したことで、中身はほぼ別物になっていた。クロエが小型レールガンと口にしたことさえある。

 背部のランドセルから給弾ベルトを接続した状態で実体化する。ブレード類と異なり、ずっしりとした感触を得るまでに三秒以上必要だった。

 箒はN-MG34を両手で構え、アイアンサイトでねらいをつける。紅椿もハイパーセンサーを用いた統制射撃が可能だ。しかし、箒はマーク1・アイボールセンサーを利用するほうが性に合っていた。

 ――くっと狙いをつけて、じっと息をひそめ……。

 

「ダダーン! ダダーン!」

 

 他の対戦相手はこれでも当たった。誰かに伝える必要がなければわかりやすく直す必要はない。ISを歩かせたり、物を持ったりするだけなら、もっぴいは関与しない。つまり訓練で培った技術を生かすことができる。

 

「チッ!」

 

 かわされた。打鉄は突然空中で静止して、直角に曲がった。

 ――何でそんな動きでよけられるんだ!

 操縦は荒削り。ときどき止まったり、急に速く動き出したり、のろのろと蛇行したりと忙しない。

 箒は追いすがって撃ち続けた。威嚇射撃のなかに直撃コースを混ぜる。不意打ちを食らってあわてふためくと思ったら、急にスラスターを噴かしてきた。

 衝撃波音(ソニックブーム)で隔壁が波打つ。音速を超えたのだ。

 ――回り込む気か……!

 もっぴいDが画面に機動予測の演算結果を貼り付ける。箒は機体を横滑りさせた。

 

「攻撃下手に助けられたかっ」

 

 神がかっているのは回避技術だけだ。

 ――こちらがミスをして接触しなければいい。

 ぐうたらなもっぴいが汗水垂らして働いている。紅椿のレベルを上げるにはまたとない好機だ。箒はせっかくの幸運を逃したくなかった。

 

「これでもダメか!」

 

 機動予測で補正した照準はすんでのところで空を切った。突然静止した体当たり専用打鉄が垂直に上昇したのである。乱暴にZ軸の値を増やしただけの機動だ。

 ――めちゃくちゃな動き! 気持ち悪いやつ!

 そうかと思いきやミリ単位の精密機動で弾丸を避けていく。

 箒は時間を見た。まだ二分も経過していない。

 下唇をなめ、歯を食いしばった。インメルマンターンを終えた体当たり専用打鉄が増速する。衝撃波音(ソニックブーム)が到達するより前に回避の判断を下す。

 全身の血が沸騰して暴れ回っているような気分だった。

 でたらめな動きは焦りを誘発するための撒き餌だと考え、箒は大きく息を吸う。戦闘に必要な動きは習得済だ。空間戦闘の息づかいや気の流れも見えている。

 ――役目に徹しろ。

 箒は呼吸を律した。そうすることでひとりの武人として、己の心に静寂をもたらす。

 ――二分。

 会場が突然歓声にわいた。

 砂煙が晴れ、マリアが膝をついている。打鉄の装甲が焼けただれ、白煙が立ちのぼっている。回収機に抱きかかえられた姿を見て、簪がようやく撃ち勝ったと知った。

 

「約束……守ったから。仕事……お願い」

 

 簪の顔つきは修羅のごとき面影が消え、物静かな少女の顔に戻っている。

 肩に背負った四〇ミリ機関砲が凱歌の号砲をあげる。だからといって、油断したわけではない。攻撃に長けた相棒はもういないのだと知らせるための行動だった。

 ――知っていたけど性格悪いな……あいつ(更識)

 

「相方が仕事を完遂したのであれば、私も求められた結果を残すまでだ」

 

 つかず離れず攻撃し続け、更識・篠ノ之組が判定勝ちを収めた。

 

 

 



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狼の盟約(十四) Cブロック決勝

 休憩室。

 桜は長椅子に腰かけ、スポーツウェアのファスナーを下ろす。ポケットに突っ込んだペットボトルを取り出した。

 室内にモニターが設置され、Aブロック代表を決める戦いが映し出されている。

 Aブロック代表決定戦は開始早々、ナタリアのラファール・リヴァイヴが白式に集中砲撃を加えていた。鷹月の打鉄は増加装甲(千代場アーマー)を搭載しており、壁役に徹していた。

 

「千代場アーマーを借りるとか言っとったけど、あれが正しい使い方か……」

 

 白式やラファール・リヴァイヴ・カスタムⅡの運動性能を競ってもお話にならない。ならば先に白式を攻め落としてから、ラファール・リヴァイヴ・カスタムⅡに戦力を集中する魂胆だろう。

 

「さーくーさーくー!」

「わっ」

 

 背中から抱きつかれて、前のめりになった。持っていたペットボトルが床に転がり、円を描いて足に当たる。

 ――この重量感。さっきの声。

 

「本音。どうしたん。まだ試合やないよ」

「かんちゃんの試合が始まったらサクサクに会えなくなっちゃう」

「朝会ったやないの」

「えー。だってさあ。最近、サクサク冷たいんだよ~。ボーデヴィッヒさんと夜な夜な連れだってどこかに行っちゃうし、神楽ちゃんも混ざって楽しそうなことしてるみたいだし~」

「四十院と私、ボーデヴィッヒさんの共通点なんかひとつくらいしかあらへんわ。本音だって知っとるやないの」

「でもーでもー」

「デモもアジもない。手を離して。むやみにくっつくのはやめ」

 

 本音が不満げな吐息を漏らす。

 

「しょうがないな~……えいっ」

 

 本音は桜の体に体重を乗せた。桜が目を見開いたとき、背中が長椅子の座面に触れていた。

 押し倒された。

 本音が四つん這いになって覆い被さった。普段目にするような柔和な眼差しではない。真剣味を帯びた顔つきは、まるで初めて会った日のようだ。

 

「サクサクは優勝するつもり?」

「最初からそのつもりや」

「私たちと戦うときも?」

 

 まさか八百長を持ちかけてくる気だろうか。桜は身構え、体を硬くする。

 

「全力でやってほしいんだよ~。サクサクの本気を見てみたい。だめかな~」

「……んなもん。頼まんでも最初から本気や」

「約束してほしいんだよ。私も本気でやるから。見て欲しいんだよ~。そして、もし私が勝ったら……サクサクをちょうだい」

 

 本音は耳元に顔を近づけ、朱唇を開く。「秘密をちょうだい」

 

 本音は腕を立て、のほほんとした表情に戻る。

 

「私とかいちょー。どっちをとるの?」

「は?」

 

 桜が身をよじった。

 

「何をゆうとるん。まさか本音も櫛灘さんの妄言を信じとるんか」

「入院してたあたりからずっと、かいちょーとべったりしてるよね。ちょっと……妬けるんだよね」

 

 本音が暗い眼差しを向け、寂しそうにつぶやく。

 うかつな返答をすれば本音を傷つけてしまうかもしれない。ぎくしゃくした雰囲気を恐れて、桜は慎重に言葉を選ぶ。

 

「……れんよ」

「ん?」

「甲乙つけられへんよ」

「それって、二股する気? それともそういう風には見てないってこと」

「私は本音のことが好きや」

「でも、(情人)としては見とらんし、いつかそう見るようになるかもしれんけど、今は。でもなあ……本音は」

 

 桜が手をもたげ、本音の頬に触れる。赤子の頭を優しくなでるように、慈愛と憧憬を瞳に浮かべて寂しそうに笑う。

 

「好きだった(仲間)と面影がようさん似とるから。()()()()()()()()()()()()()()()と証明してくれとる。だからな……」

 

 本音の髪に触れ、背中に手を回して力をこめる。

 

「や、柔らかくないよ……」

「そら期待させてすまんかったな。体絞ったらこうなった」

 

 桜の胸の上に本音の頭がある。寝ながら抱く形だ。

 ISスーツでしっかりと固定された体。本音は胸部を桜の腹に押しつけている。だが、やはり硬い。

 

「だからなあ。これが私の精一杯。でもな、合戦は受けてたつよ。本音の本気、見せて」

「サクサク……」

 

 本音の目がわずかに潤む。情に流される。それでもいい。

 でも、と心に歯止めをかける。桜は荒事師(Phantom-Task)かもしれない。ずっと「かもしれない」と疑念を抱いていた。実は、彼女は何にも考えておらず、素のままで接しているのではないか。とぼけた言動が偽装ではなく真実ならば……。

 

「何?」

 

 桜がじゃれ合うような仕草で聞き返す。そのとき、本音の目が点になった。

 足が見える。

 透き通った白。この世の物ではないような、それでいて無性に汚して蹂躙したくなる。血肉の赤らみで微かに彩られている。触れて撫でて、原初の音楽を奏でたくなる。

 男女問わず魅了し、触れてはならない銀細工のようだ。

 

「佐倉。いつまでそうしているつもりなんだ?」

 

 金色の瞳が抱き合うふたりを捉えた。

 入り口付近から「やばっ」というつぶやきが漏れ聞こえた。

 ティナ・ハミルトンがこっそりと中をのぞき込んでいた。桜が寝たままのけぞると、ラウラの無表情があった。

 

「いつから?」

 

 他人に見られたら誤解するような言動をしたはずだ。

 ラウラはこともなげに言い放つ。

 

「櫛灘の妄言あたりから」

「うわっ」

 

 ペットボトルを拾い上げ、何事もなかったように背を向けた。

 桜と本音はあわてて起き上がり、脂汗を流しながら入り口の側で振り返ったラウラを見やる。

 

「今の。他人様に言いふらすのだけは……」

「わかっている。私を何だと思っている」

 

 ラウラは唇を歪めた。

 

「貴様らが思っているほど、私は初心ではない。信じるか信じないかは別だがな」

 

 ラウラは気を利かせたのか、ティナの首根っこをつかんで引きずっていく。残された桜と本音は気まずそうに背中合わせになっていた。

 

 

 打鉄零式の背後から、そのISはゆっくりと姿を現す。

 カノーネン・ルフトシュピーゲルングは強大な力をわかりやすい形で具現化している。

 

「化け物」

 

 ティナ・ハミルトンは、二の句が継げなかった。副砲の一二〇ミリレールカノンが豆鉄砲に見える。

 心が震えた。

 恐れを抱いているのだ。彼女の認識はあながち間違いではなかった。

 グスタフ、ドーラとともに米軍に接収された後、赤い軍靴から身を守るため生かされた。

 眼前に浮かぶ主砲・怪物(モンストルム)

 敵を、城塞を、そして戦意を打ち砕くために作られた。現存する()()()()()()()()である。

 

 

「フッフッフ……驚いているな」

 

 ラウラの不敵な笑みが開放回線(オープンチャネル)に流れた。

 

「打鉄改と比べて少々物足りないが、戦意を打ち砕くには十分だろう。これで……」

 

 ――海上自衛隊(MSDF)が引き取ってくれたら申し分ない。

 ドイツ連邦軍上層部の総意を飲むこむ。

 ――列車砲をIS学園に持ちこんだ本当の理由など言えるものか。

 冷戦構造が崩壊して三〇年以上経過している。列車砲の活躍の場は残されておらず、人手と予算を食いつぶすだけの存在をしかるべき組織に売却したかった。

 怪物(モンストルム)は運用・整備に膨大な費用がかかる。冷戦時代ならともかく、現在となっては金食い虫でしかなく悩みの種だった。原子力潜水艦(U-39)の開発費用がかさんだことも影響し、グスタフとドーラは解体を余儀なくされていた。

 

「勝利は間違いなしだ。威力と重量を低減した新式砲弾を用いているが、競技用ISの場合、破片を浴びるだけでシールドエネルギーを全損する」

 

 発射準備の経過を示す文字列が流れていく。すべて良好である。

 

「だが、安心してほしい。死ぬことはない。私が今ここにいることがその証明だ。間違いはない……」

 

 発射速度は毎時三発である。ラウラは一五分前から発射準備を行っていたが、未だ完了していない。

 

「よって佐倉。我々の勝利はこの試合にかかっている。粉骨砕身その任務を全うせよ」

「ハ! 少佐殿」

 

 桜はラウラの茶目っ気に乗じる。

 要するに「準備が終わるまで身を粉にしてがんばれ」と言いたいのだ。

 今日が列車砲を使う最後の機会だった。

 シュヴァルツェア・レーゲンは修復を終えており、大会五日目から正式に稼働する。だが、シュヴァルツェア・レーゲンには怪物(モンストルム)の運用能力が付与されていない。

 

「ボーデヴィッヒさん。メチャクチャだよ……」

 

 本音の呆れまじりの声が聞こえてくる。

 

「私が準備を整えるまで、佐倉が貴様らの相手だ。せいぜい油断するなよ」

「試合のときだけ饒舌(じょうぜつ)なんだよね……」

「武人たるもの。戦に心を奮わさずして何とする」

 

 ラウラが憮然とした顔で言い放った。

 

 

 カノーネン・ルフトシュピーゲルングが天蓋付近で浮遊している。

 

「四日目第三戦・Cブロック決勝戦。試合を始めてください」

 

 ――五分や。

 視野の隅に表示されたデジタル時計。ラウラが発射準備を終えるまでの残り時間を示している。

 桜は俯瞰図を見やる。大砲を両脇に抱えたラファール・リヴァイヴがティナ・ハミルトン機だ。本音の打鉄は地上に立ち、手斧(ハンドアックス)を両手に持っていた。

 ――本音は見るからに格闘戦仕様か。射撃はハミルトンさん任せってことか。

 ティナの情報は櫛灘から託されたメモリーカードに含まれていた。多彩な銃火器を使いこなすのが特徴だった。

 桜は高度を上げつつある打鉄に注意を移す。一二.七ミリ重機関銃を実体化させ、非固定浮遊部位には先日交換したばかりの二〇ミリ多銃身機関砲を据えつけ、銃身の回転(スピンアップ)を始めている。また給弾機構を覆い隠すため実体盾を設置していた。

 

「簡単には近づけさせんからな……」

 

 桜は速度を上げつつ、ラウラに近づくラファール・リヴァイヴの進路を妨害する。

 加えて、本音の打鉄の飛行経路はわかりやすいため、非固定浮遊部位から二〇ミリ多銃身機関砲二基を一秒間発射する。牽制のつもりだが、合計二〇〇発もの弾丸を空域にばらまいていた。

 ――見えているか。

 本音はバレルロールで避けた。直後、ティナ機が両脇に抱えた機関砲を撃発する。

 

「行って。田羽根さん!」

 

 その瞬間、AIが非固定浮遊部位の制御を掌握する。右側はきれいな田羽根さん。左側は田羽にゃさんが担当することになっていた。

 

「ご主人様了解ですっ!」

「にゃ!」

 

 視野の左下。スツールに座ったAIたちがフットペダルに足を乗せ、左手にジョイスティック、各種押しボタンに右手を添えている。両手両足を忙しなく動かし、非固定浮遊部位をまるで戦闘機のように操る。ティナ機めがけて飛翔し、二〇ミリ多銃身機関砲がうなる。

 桜は一二.七ミリ重機関銃を撃発。補正するも、ISの特徴である高速戦闘中の静止、方向転換の前に無駄な行為となった。

 ――あれは!

 打鉄の背部に四メートル四方の立方体が出現する。白煙を出して蓋を吹き飛ばす。六角形のミサイルサイロを視認した瞬間、開放回線(オープンチャネル)から掛け声が飛んだ。

 

「サクサク! いっけえええええ!」

 

 全長約五〇センチのマイクロミサイル三二基が放物線を描いて射出された。小さな翼端板が開き、轟音を奏でる。

 ――接近戦におけるミサイルの問題点。すなわち。

 ISコアから提示された三二基の飛行経路。背面飛行のまま地面を這うように飛ぶ。機関銃を構える。ハイパーセンサーを用いた統制射撃に切り替え、一発につきドット二秒間射撃を加える。

 撃発終了まで約七秒。

 ――銃砲と比べ、初速が遅い。

 弾頭に直撃し、その場で爆発する。他にもロケットモーターを打ち抜かれ、翼端を砕かれて失速した。

 金属片と固形燃料、化学薬品が舞い落ちる。打鉄は爆発のなかを突っ切る。

 本音がまるで空間を蹴るかのようにV字転換する。

 桜や上級生が方向転換としてよく使う手だ。本音の前で何度も披露していたが、彼女が同じ動きを再現できることに驚きを禁じ得なかった。が、感嘆に浸る場面ではない。桜はスラスターを噴かし、巻き上げた土煙の中に埋もれるように打鉄零式の体色を変化させた。

 青・白・黒の幻惑迷彩が土気色に変貌した。マーク1・アイボールセンサーの識別が困難になる。無論、ハイパーセンサーにはこの手は通用しない。

 ――虚をつければええ。

 桜はマイクロミサイルをばらまいた本音に向けて射撃を行う。が、すぐさま舌打ちする。

 

「へへ……。そーはいかないよっ!」

「榴弾かっ」

 

 後退。打鉄の様子はハイパーセンサーが感知しており、ジグザグに動いているのがわかる。まだ手斧を持ったまま、接近を試みている。

 ――本音の本気は近接戦闘。私の本気は機動戦。端から得意分野がちゃう。つまり相性が悪い。

 投擲物が飛来する。桜は警告にしたがって横方向へスラスターを噴射。

 ――二発目。

 時間差を置いた投擲。桜がジグザグに動こうとしたとき、眼前に打鉄の拳が迫ってきた。

 

「チィッ」

 

 舌打ちしながら、指をそろえたマニピュレーターを撃ち出す。きれいな田羽根さんが「えぐっ、えぐっ……」と泣き出した。

 

「うん。かんちゃん並の反応速度だね」

「――んやと」

 

 懐まで入り込まれた。

 ――慢心かっ。

 さらに距離をかせぐためにさらに後退。機体の進路を左右に揺らす。

 

「本気で行くからねー」

 

 のほほんとした声音。本音の打鉄が手斧の刃をにぎる。柄の先端が前を向き、上下逆になった格好だ。

 ――手斧がトンファーになりおった。

 拳の間合いが径五〇センチほど延伸する。得物の全長が長くなればなるほど大振りになっていく。だが、トンファーの利点はまるで拳のように扱える点だ。鋭く振るえば凶器となる。

 桜は間合いを量り損ね、装甲が削られた。逃げようとすれば、方向転換した打鉄が距離を詰める。本音は間合いゼロを維持し続ける。

 

「いつも口癖のようにしてたけど……本当に」

 

 ――押される。

 実習では一度も見せたことのない動き。ほんわかとしているのは顔つきだけだ。眠そうなまぶたの奥に鋭い眼光が潜んでいた。

 

「格闘戦は苦手なんだね!」

 

 手斧の柄がはねた。蛇のように曲がり、飛翔する。

 首を曲げ、マニピュレーターの甲で軌跡をずらす。桜は本音の予備動作を見た瞬間、体が勝手に反応することに戸惑いさえ覚えた。

 ――なんや。

 見覚えがあるのだ。膝や腰の使い方。肘の動き。つまさきの向き。力の抜き方さえも。

 ――動きがあんの陸さんとそっくりやないの!

 台湾にいた陸軍軍人。台湾や満州、大陸で何らかの任務に従事していた。布仏少尉の知りあいで、のっぺりとした顔で目つきだけ鋭かった。

 組み手の記憶がつながる。

 踏み込みと同時に顔面めがけて掌底が飛ぶ。

 ――欺瞞。顔を狙えば、普通は驚く。そして守ろうとする。

 驚いて顎を上げてしまえばのけぞって姿勢が崩れる。顎を引いて額で受け止めようとすれば、意識が前に向いてしまう。

 本命は腰の位置だ。真横に並び、もう片方の手を背中に添える。斬撃のように切り下ろせば、膝を地に着け、首に短刀が突き刺さっている。

 ――封じ手は。

 

「サクサクっ!」

 

 本音の眼前から桜が消える。次の瞬間、一二.七ミリ重機関銃から射出された弾丸が雨のように降り注いだ。

 桜はスラスターを噴射し続け、横滑りした状態から高度を上げた。非固定浮遊部位の制御を受領し、ラウラに寄り添った。

 そのときブザー音が鳴り渡った。砲撃準備が最終段階に達したのである。

 

 

 開放回線(オープンチャネル)を通じ、ラウラが流暢な英語で隔壁の音響防護レベルを最大まで高めるように依頼する。砲弾を軽量化して威力を減じたとはいえ、着弾時の轟音で聴力を回復するまで多くの時間を要する。

 

「音響防護レベル。最大。……どうぞ」

「協力に感謝する」

 

 ラウラが技師に告げ、体を回転させてゆっくりと砲口を下げていく。フィールドの中央に照準を合わせ、ハイパーセンサーとの同期状態を確かめる。

 観覧席にはフィールドとの音声回線を遮断したとの放送がなされ、観客の多くが困惑した顔つきになる。

 ラウラはオーバーキルにより絶対防御を発動させないよう炸薬量を調整していた。フィールドの中央に着弾すれば、わずかな火薬と破片だけでも全損に近い打撃を与える。

 カノーネン・ルフトシュピーゲルングは装甲の塊だ。例え仕損じても副砲や桜が撃ち落とすだろう。

 

「では征こう」

 

 ラウラの不敵な笑みは「怪物(モンストルム)」から吐き出された砲弾によってかき消された。砲口とフィールドの距離が近く、発射とほぼ同時に、どん、という衝撃波が伝わった。盛大に土が巻き上げられる。まるで茶色の霧で覆われたような状態だ。

 フィールド側の隔壁は反射する衝撃に打ち震える一方、観覧席側の隔壁は微振動を起こすことで残響を打ち消していた。

 時間が経つにつれて砂煙がおさまっていく。円錐状のアリ地獄のようなクレーターが露わになる。土をかぶった打鉄とラファール・リヴァイヴがボロ雑巾のように転がっていた。

 

 

 



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狼の盟約(十五) ハートにずっきゅーん!

一部伏せ字を用いました。予めご了承ください。


 四日目の夜。簪のルームメイトは三組の生徒と食事に行っている。

 室内には箒を含めて三人。布仏虚が様子を見に来たついでに流し台で水を使っていた。

 簪はジャージ姿で箒の正面であぐらをかいた。折り畳みテーブルに顎を載せて、やる気のない表情でタブレット型端末を見つめている。

 Dブロック決勝戦の録画だ。フィールドにクレーターが出現したものの試合自体は執り行われている。セシリアがビットを縦横無尽に操り、鈴音が止めを刺した。

 ほぼ瞬殺である。

 簪がタブレット型端末を操作して、トーナメント表に切り替えた。

 

「明日の方針……説明する」

 

 箒がお茶を飲み干す。待ってましたと言わんばかりに目を輝かせる。

 

「各個撃破……以上」

「おいっ!」

 

 作戦はない、と言ったも同然だ。箒は眠そうに眼を細めた簪をにらみつけるや、烈火のごとく怒った。

 

「それはないだろう! 何かこう、今までみたいな微に入り細を穿(うが)つような作戦は!」

「特に」

「どうしたあ! まさかやる気をなくしたとか、そんなことを言うんじゃないだろうなあ!」

「やる気は……ある!」

 

 簪のメガネが光った。

 

「あの組は織斑一夏が弱点。私の組は篠ノ之箒が弱点。弱点同士がつぶし合う。代表候補生同士が戦う。これで各個撃破。それに……織斑一夏はあなたが剣で戦うことを望めば、飛び道具は決して使わない」

「なぜそこまで言い切れる」

「……男の子だから。幼なじみにいい所を見せたいから。正々堂々決闘を受けて立つ性分だから」

「シャルロット・デュノアはどうする」

「彼女は私を押さえ込もうとする。織斑一夏が手を出すな、と言えば彼女はあなたに手を出さない」

「だが、あいつは銃を使っていたのだぞ。他の試合では」

「そのときはそういう作戦だった」

 

 簪は箒の抗議を無視して体を起こす。机の下からB3サイズの紙を取り出した。

 どう見ても紙芝居だ。箒はあからさまに嫌そうな顔をする。

 紙芝居を戻ってきた虚に手渡し、簪が息を吸ってひとり芝居を始めた。

 

「……はあっはあっ。強くなっただろ。俺。見直したか? ああ。強いな。貴様はやはり強い。さすが私が見込んだ男。当たり前さ。修行したんだ。箒に俺の強さを見てもらいたくて。なっ……ば、バカ! こんなところで言うな! 今度はもっと強くなって箒に勝つんだ。だからそれまで俺を待っていてくれ! ハートにずっきゅーん! ……となるはず」

「そんなに都合よく行かないだろ。最後のずっきゅーん! って何なんだ」

「織斑一夏のハートにずっきゅーんっ」

 

 簪は親指と人差し指を立てて拳銃を撃つような仕草をする。虚が胸を押さえて倒れ伏す。

 

「そんなに都合よく行くんだったら今まで苦労しなかったぞ!」

 

 もし何かあれば刀の錆にする、と一夏を脅したこともある。もちろん言葉の(あや)だ。一夏が夜這いをかけてきたら素直に受け入れようと毎晩覚悟した。

 だが、箒は今でも()()だ。

 一夏は布団をめくって襦袢をはだけさせ、健全な男子の願望を達成するかと思いきや何もなかった。

 

「ほれ薬も用意した。むしろ……こっちが本命」

 

 簪が黒い丸薬の入った瓶を机の真ん中に置く。

 

「これを砕いて……食事に混ぜれば……()()()()……」

「効果は」

 

 簪のメガネが光った。どういうわけか、いつもと比べて早口だ。

 

()()()()()。女と見れば見境なく■■■したくなる。更識家秘伝の妙薬」

「そんな怪しいもの使えるか!」

「怪しくない。……ちゃんと実績がある。その昔、()()()()と一族から揶揄(やゆ)された父が、この薬に手を出して……見事、姉と私が……代償は愛人のベッドで腹上死……」

「冗談だとしてもやっぱり危険じゃないか。却下だ!」

 

 

 作戦会議は箒が怒鳴り散らして終わった。

 

「結局押しつけられてしまった……」

 

 箒は小さな薬瓶をポケットにしまった。更識家秘伝の妙薬は心臓や肝臓に悪しき影響が生じるらしい。

 ――一夏を毒殺してしまっては元も子もない。

 机のなかにしまっておこうと固く決意した。

 箒は自室の扉を開けた。

 照明が消えている。

 箒は足音を立てぬようにしたつもりが、喪服を着た半透明の女が蒼い瞳を向けてきた。

 ――むっ。

 シャルロットと一緒についてきた女。おそらく守護霊みたいなもので、悪い霊ではなかった。喪服の女は箒を見るや眉を引き寄せ、ばつの悪い表情を浮かべている。箒は気配を消し、小首をかしげて女の脇を通る。

 シャルロットの様子を確かめようと間仕切りの脇からのぞき込んだ。

 ――なんだ……と?

 状況が理解できなかった。男と女がひとりずつ。女は絨毯の上に倒れて、男が覆い被さっている。双方ともに若い。金髪と黒髪。箒は声を出せなかった。

 喪服の女を問い詰めるようににらみつけた。シャルロットと面影が似た女は素知らぬ顔で口に手を当て、ほほほ、と笑っている。霊には見守ることしかできませんよ、と言っているかのようだ。

 頭のなかがぐちゃぐちゃになった。

 ――どうして一夏がシャルロットを押し倒して……彼女は嫌がっていないのだ。

 「痛いよ」と声のひとつでも出せばいいのに。

 箒は後ずさった。ふたりの側に湯飲みが転がっているのが目に入り、特別な事情でもなんでもなく、ただ一夏がお茶をこぼしたのだと都合よく解釈しようとした。過程を目撃しておらず、朴念仁の一夏が女を抱こうとすることなんてあってよいはずがない。

 喪服の女が勝ち誇った表情になる。殿方は女の肌に弱いのだ。堅物や朴念仁でも性欲は存在する。揺さぶりをかけ、ささいなきっかけで一線を越えるだろう。頭のなかでは、一夏とシャルロットがくんずほぐれつ乱れる様でいっぱいになる。

 箒は奥歯を噛みしめ、拳をにぎりしめる。物音をひとつ立ててやれば妙な緊張が終わるはずなのに、できずにいる。機転を利かせることすら思い浮かばず、箒はとにかくいらだたしかった。

 気がついたら部屋を後にして、廊下に出ていた。

 

「私は……」

 

 激情に駆られて大声を上げればよかったのか。

 

「篠ノ之さん。どうしたの~」

 

 隣室から本音が顔を出す。

 

「隣の部屋から久しぶりに大きな音がしたんだけど……また、おりむーが変なことした?」

「大きな音?」

「なんだか『あっ』とか『うわっ』とか」

 

 箒は一夏が転んでシャルロットを押し倒したところで、無理やり想像を打ち切る。怒りを己のうちに隠し、隣人に声をかけた。

 

「布仏」

「なあに?」

「今、私の部屋に行くと面白いものが見られるぞ」

「どういうこと?」

「見てのお楽しみだ」

 

 本音は小首をかしげて、元気よく返事する。パタパタと足音を立て、箒の代わりに室内へと入っていった。

 ――人任せとか、卑怯だな……。

 その場から離れたくていてもたってもいられなかった。箒は逃げるように来た道を戻る。首にタオルを巻き、入浴セットを持参した簪の首根っこをつかんでひきずっていった。

 

 

 学年別トーナメント一年生の部、最終日。

 箒は鋼鉄の甲冑を身にまとい、第五アリーナのフィールドに立っていた。

 決勝トーナメントは当初は第六アリーナで開催される予定だった。第五アリーナは何かあったときのために予備会場として確保していた。だが、四日目。その何かが起きた。

 地面に向けて一〇〇センチ砲を撃てば大穴があく。セシリアたちの試合はクレーターの上で執り行われたが、一晩でアリーナの土を埋め戻すなど到底不可能だった。

 対戦相手がカタパルトデッキから飛び出す。

 Aブロック代表、シャルロット・デュノアのラファール・リヴァイヴ・カスタムⅡ。そして織斑一夏の白式(びゃくしき)。箒が打倒すべき相手だ。

 

「箒」

 

 一夏が開放回線(オープンチャネル)から話しかけてくる。いつもと変わることなく、気安い調子だ。

 

「……何だ」

 

 彼の隣に侍るオレンジ色のIS。箒はシャルロットの存在を無理やり頭から消す。

 

「試合。楽しみにしてるぜ」

 

 その瞬間、箒のなかで濁った感情が滴り落ちる。昨夜、一夏とシャルロットは何をやっていたのか。おそらく始めに想像した通りなのだろう。一夏は甲斐性なしだが、彼とて男だ。女と一緒にいればそういうことがあるかもしれない。

 一夏は箒とまったく同じ口調でシャルロットに話しかけていた。

 

「シャル、がんばろうな。勝つぞ」

 

 フランスから来た転入生は澄ました顔を見せる。うつむきがちになったとき、女の顔がのぞき見えた。

 箒は一夏をにらみつけていた。

 IS同士の戦いだ。

 公衆の面前で殺人を犯すわけにはいかない。

 だが、気持ちで殺す。勝手に期待して、何もしなかった自分が憎い。いい女を前にして、据え膳を逃す一夏も憎い。

 

「織斑一夏死すべし」

 

 箒は鞘に収めた大刀を左手で持ち、空中浮遊する一夏に向けてつぶやく。彼はシャルロットとの会話で気づかなかった。

 簪にも聞こえているはずだが、返事はない。昨晩のうちに話すべきことはすべて口にしていた。必要な情報は学内アリーナとコア間ネットワークを通じて共有している。簪は戦場の監視や指揮まで行っている。試合会場において、箒は一兵卒であった。

 

「抜刀」

 

 鞘を水平に掲げ、鯉口を切る。刃をゆっくりと引き抜く。抜き身の刀が照明を受けて白く反射した。黄金を散りばめたような輝き。試合で使うのは初めてだった。

 

雨月(あまづき)

 

 レベルアップの特典で、特殊効果はまだない。

 優勝すれば一夏と付き合える。最初に言い出したのは箒で、櫛灘が彼をねらう一年生を煽った結果でもある。

 一夏と恋人同士になりたかった。いずれは男女の関係になりたいと願ってきたのだ。

 今は違う。

 黒くねばりついた感情に支配され、とても落ち着いている。

 男と屋根を共にするのが、どれだけ恥ずかしかったか。かつて願った淡い恋が成就できるものと信じた、愚かな自分をあざ笑う。幼い頃、神社の境内で「一夏のお嫁さんなる!」と告げたこと。目が腐っていたと言ってやりたい。

 

「軟弱者」

 

 小さな声でつぶやいた。一夏はシャルロットと声を掛け合っており、箒の声を聞き落としてしまった。

 

「一夏! 正々堂々互いの本分を尽くすぞ! 貴様の剣! 見せてみろ!」

 

 女の純情を踏みにじった朴念仁をこの手で始末してやる。

 心臓(ハート)一突き(ずっきゅーん!)だ。

 

 

 試合開始の合図だ。

 紅い眼鏡をはめたまま、箒が白刃を構える。刀身には金色の粒子。同じ粒子が薄らと漆黒の装甲のすき間から漏れ出す。箒を仕留めようと向かってくるのは、金髪の異邦人にしてルームメイトだった。

 

「おおお!」

 

 一夏が気勢を上げて瞬時加速で迫る。

 箒はIS二機の座標を一瞬で把握する。斬り込み隊長が真っ先に突撃するのは予想済だ。先の先を取るべく、シャルロット・デュノアが銃撃を加えてくる。

 破裂音が鼓膜を叩く。打鉄弐式が二〇ミリ機関砲と四〇ミリ連装砲を取り混ぜ、空中からの支援砲撃を加える。砲撃を縫った一夏が到達。雪片弐型を上段に振りかぶって斬撃を加える。

 ――避けろ。

 箒は勘にしたがい、手のひらから橙色の炎を噴き出す。気合いがこもった一撃を回避したかに見える。が、一夏の脇の下からぬっと出現した五五口径アサルトライフル(ヴェント)の銃口が破裂音(ワルツ)を奏でた。

 箒の動きを制限するためだ。菱形の腕部搭載型物理防楯(コート・オブ・アームズ)で簪の砲撃を防ぎながら、銃撃を続ける。

 ――男を立てる気か。

 シャルロットの横顔が一瞬目に映った。箒は彼女(泥棒猫)が右から飛び出して回り込んでくるかと思って身構える。メッセージが赤く明滅して、一瞬にして消え、刹那左から横薙ぎに振るわれた雪片弐型の切っ先が光った。

 ガリ、という音が体の芯に響く。瞬時に突き出された先端が跳躍する。箒は推力を最大にして真下に逃げ、V字を描いて後ろ上方へと退避する。

 ――ぐっ。

 

「ウオオオオッ!」

 

 肩部に展開稼働する高出力ウイング・スラスターが白式自身のエネルギーを食らい、剣を抱いて吶喊(とっかん)する。

 ラファール・リヴァイヴ・カスタムⅡから放たれた弾丸が彼を追い越し、箒のすぐ手前で弾けた。弾片が飛び、装甲を切り刻む。白式が間合いに飛びこんだ瞬間、雪片弐型が零落白夜へと変貌した。紅い眼鏡の奥で白式の姿を捉え、下半身ががら空きになっていることに気づいた。

 雨月を構えた肘を小さくたたみながら後方へ飛び退く。

 ――と見せかけて!

 勇ましく叫んでいるが直線攻撃だ。進路をずらせば問題ない。箒の求めに応じて、紅椿は瞬時に最大速度へと移行する。前後の速度差から一見、瞬時加速したかに見えるものの紅椿本体に瞬時加速という機能は存在しない。すくい上げるようにして振り抜いた。

 柄をすり抜け、腕をなぞるようにして心臓を鋭く打ちつける。シールド・エネルギーと被膜装甲(スキン・バリア)によって事なきを得る。勢いを減殺すべく、六二口径連装ショットガン(レイン・オブ・サタディ)のシェルが紅椿に降り注ぐ。

 が、わずかに手遅れだ。紅椿は雨月を軸に体を横回転させた。ちょうど肩部ウイングスラスターの上で片手で逆立ちしているかのようだ。接近することでシャルロットの積極的な射撃を封じ、怨念をたたきつける。

 

「死ねエッ」

 

 紅椿の足の裏にはスラスター噴射口が存在する。単純な飛び蹴りが凶器となった。

 シャルロットが「(ドゥ)(トロワ)」と叫ぶ。

 身の危険を感じた一夏が瞬時加速で下がる。白式とラファール・リヴァイヴ・カスタムⅡが入れ替わり、その両手には六二口径連装ショットガン(レイン・オブ・サタディ)が握られていた。

 刹那、衝撃が肺を押しつぶし、揺さぶられ、視界があちこち(さい)の目のように寸断される。六二口径連装ショットガン(レイン・オブ・サタディ)から放たれたありったけの散弾(シェル)が降り注いだ。

 ――まずいっ。

 大地が回転しながら迫ってくる。どういう運動をしているのか。箒はハッとわれに返った。

 ――このままでは地面に……!

 無我夢中でPICを稼働させる。大地の回転が止まる。手のひらのスラスター噴射口から炎を吹きだし、落下しかかっていた体を強引に起こす。首をもたげ、地面に腹這いになったかのような超低空飛行になる。足の裏からも推力を得て、「気をつけ」の状態で飛ぶ。空から六一口径アサルトカノン(ガルム)の咆哮を轟くなか、目前に迫った隔壁に頭から突っ込む寸前、箒は体を引き起こした。

 視界の切れ端で赤い光が瞬く。

 冥界の番犬(Galm)の遠吠えをも超える特大の雷鳴。腹の奥にズシリと響き、音源となった砲弾は逃げる白式に殺到した。荒んだ甲高い叫びは覆い被さるようにウイングスラスターに直撃する。空気をかき乱し、翼端から二条の白い渦を描いて高度を下げていく。

 開放回線から一夏の叫び声が聞こえる。彼は続けて射出された砲弾に追い越され、激しい爆発と弾片が飛び交う空間に突っ込んでいた。

 ――一夏。一夏……一夏ア!

 幼なじみが墜落するのに気を取られた。下から突き上げる衝撃。ラファール・リヴァイヴ・カスタムⅡの五五口径アサルトライフル(ヴェント)から放たれた弾丸は箒の左肩にぶつかり、そのまま弾ける。さらに六一口径アサルトカノン(ガルム)

 パパパ、と何度も閃光を目にした。

 二八口径三七ミリ狙撃砲(フロラン=ジャン・ド・ヴァリエール)の砲口。立て続けに砲弾がせり上がって押し寄せてくる。

 

「させるかッ」

 

 箒は雨月の切っ先を横に薙ぎ払った。直撃するかに見えた砲弾を真っ二つに裂き、箒の頭上と足元を通過する。

 爆発。背中に弾片が降り注ぐ。

 ――シャルロット・デュノア!

 雨月からN-MG34への切り替え。背部ランドセルから延びる給弾ベルトが出現し、背部スラスターが推力を増す。

 N-MG34が実体化すると同時に弾丸を飲み込む。視界が斜めに傾いている。仕方なくもっぴいの補助を得て照準を合わせる。下方に飛びながら撃発。銃口から閃光が瞬いた。

 が、箒が放った射弾はすべて外れた。

 敵機接近警報。シャルロットが瞬時加速したのではない。見慣れた白い高出力ウイングスラスター。

 

「箒、油断したな!」

「一夏アアア」

 

 一夏の拳が開いて閉じる。零落白夜の輝きが背部ランドセルに描かれたもっぴいを引き裂く。

 

「もらったぞ、箒イイイイ!」

 

 二撃目だ。ランドセルに描かれたもっぴいの顔に×印がつく。

 視界に顔面を押さえてのたうち回るもっぴいA。「人畜無害な白式にやられたああああ」と泣き叫んでいる。

 機体が太陽に腹を向けながら急降下を続けている。

 ――シールド・エネルギーは、何とか、残り三割。

 

「そのままでいて……」

 

 簪が開放回線から呼びかける。

 ――何か策でも?

 一夏は最後の一撃と言わんばかりに零落白夜を振りかぶった。弾丸となって吶喊を始める。が、白式の後方にIS大の巨大な球が迫る。

 

(アン)――逃げて、一夏!」

 

 今度はシャルロットの声がした。鎖付の球が白式の背中に直撃する。零落白夜は力を失い、雪片弐型に戻る。激しく回転しながらも地面に激突する瞬間に姿勢を立て直す。

 

「箒……油断しないで」

「すまん」

 

 簪と背中合わせになったまま飛翔する。打鉄弐式の手には巨大な級をのせた剣玉飛槌(フレイル)手裏剣型ホーミングブーメラン(ヴァル・ヴァラ)。倉持技研のキワモノ試作武器の代表格が握られていた。

 簪はシャルロットに向かって、いつになく軽い口調で言い放った。

 

「天使とダンスでもしてな」

「は――?」

「ワルツではなくタンゴで……と言ってほしい……」

 

 眉をひそめた簪が残念そうに声がしぼむ。コア・ネットワークを経由して投影モニターの右下にメッセージが出力される。

 ――なんだ。このデータは。

 アルファベットと数字が混在したメッセージ。眼前の景色が激しく上下する。視界に空が入ってくる。

 パパパッ、と赤い閃光。二八口径三七ミリ狙撃砲(フロラン=ジャン・ド・ヴァリエール)で狙い撃たれている。砲弾が眼前で炸裂したが、すべて外れた。

 高度が落ちて地面が迫りくる。

 

「――ぐっ」

 

 天地が反転する。地面に転がる石ころがはっきりと目視できるほどだ。

 

「……踊る。エスコートは私が……あわせて」

 

 簪の声が聞こえ終わる。

 視野の裾で寝転がっていたもっぴいAが起き上がり、赤いメガホンを構えて残り三体に言い放った。

 

「弐式から指令だよ! 働け、野郎ども!」

 

 もっぴいBが四つん這いから立ち上がる。恐怖のあまり瞳から光が失われている。

 

「や、や、やらないと……ガクガクブルブル」

「もっぴい知ってるよ。働かないと弐式のムチが飛んでくるって。フフフ」

 

 錯乱した微笑を浮かべるもっぴいCの隣で、もっぴいDがラジカセのスイッチを入れた。

 

「ポチッとな」

 

 紅椿の体から金色の粒子が漏れ出し、打鉄弐式の機動にあわせて一気に上昇した。ラファール・リヴァイヴ・カスタムⅡが空域を瞬時加速で進ませながら、五五口径アサルトライフル(ヴェント)二八口径三七ミリ狙撃砲(フロラン=ジャン・ド・ヴァリエール)を撃ち放つ。

 左へ右へ揺さぶられ、ついでインメルマン。体が浮き、右へ急旋回。一零停止。真下へ沈み、前後を入れ替わる瞬間手裏剣型ホーミングブーメラン(ヴァル・ヴァラ)を投射する。

 

「今の機動、覚えて……」

 

 空気を裂いて降り注いだ砲弾が地面をえぐっていく。同時に手裏剣型ホーミングブーメラン(ヴァル・ヴァラ)に搭載されたロケットモーターが点火し、シャルロットの足元を通りすぎる。

 地面を蹴って後退。土煙の切れ目を縫うように、背中合わせのまま体を回転させて跳ねるようにしてステップを踏む。

 

「今」

 

 撃発。簪の息づかいを感じた瞬間、N-MG34から放たれた銃弾のうち一発がラファール・リヴァイヴ・カスタムⅡの肩部装甲に直撃する。

 

「この衝撃――MG34の威力じゃない!」

 

 姿勢を崩し、独楽のように回転する橙色の機体。

 シャルロットは一度の被弾でその危険性を察知した。MG34の弾丸(8x57 IS弾)にしては威力が高すぎる。篠ノ之束がMG34の見た目だけをコピーした携行レールガンだという知識はなかった。

 シャルロットはそのまま回転を続け、制御を失ったかに見せかける。腕を突き出し、六一口径アサルトカノン(ガルム)を放った。

 

 

 箒は相方の背後にぴたりと張りつき、爆煙のなかを突っ切った。視界が回復した瞬間、青白い光が横切る。

 ――零落白夜!

 一夏が当たれば必殺の剣を振りかざす。簪とやり合うために剣気を迸らせたのもつかの間、鋭い突きを放った。

 

「恨むなよっ」

 

 が、簪は平静を保っている。わずかに身を開いた。瞬時に超振動薙刀・夢現を実体化した彼女は白式のすねを狙う。シールド・エネルギーを削り取り、接近して一夏を足蹴にする。

 

「私の相手はあなたじゃない」

「――んだとッ」

 

 一夏を踏み台にしてシャルロットの元に向かった。夢現を量子化し、今度は春雷一型を実体化。両脇に抱えながら発砲し、五五口径アサルトライフル(ヴェント)を使用不能に追い込む。砲身に亀裂が入った一方を捨て、剣玉飛槌(フレイル)に切り替えていた。

 

「よそ見している暇はないぞ。一夏!」

「……チイッ!」

 

 箒が心臓を突いた。一夏が雪片弐型で雨月の進路を逸らす。

 

「うおっ!」

 

 足元から手裏剣型ホーミングブーメラン(ヴァル・ヴァラ)が迫り上がってくる。

 一夏が回避に気を取られたと察知するや箒は雨月の打突を放った。高速の打突は三段突きと呼ばれるもので、予備動作から突きだと気づかれたものの、一夏にすべてを回避できなかった。

 彼の頬に冷や汗が滴り落ちる。

 

「逃げるのか。……一夏」

「違う。転進だ!」

 

 シールド・エネルギーを気にしたのか、一夏が背を向けて逃げ出す。

 箒は両手両足から火を噴き出し、その後を追って即座に最高速度に達した。スパイク付き肩当てを前面に押し出すことで、「死に晒せ!」と一夏を仕留めようとする。だが、一夏は妙に勘が働き、振り返ることなく避けていた。

 そのまま簪とシャルロットの戦域に飛びこむ。銃弾による激しい応酬の場。一夏は雪片弐型を振りかぶって簪と急接近を試みる。

 紅椿は現時点において、最高速度で白式に劣っていた。追い付くにはわずかに足りない。

 箒は声を上げざるを得なかった。

 

「瞬時加速かあっ。更識、すまん」

 

 一夏が「ウォォォオオオッ!」と気勢を上げる。

 だが、簪は目を細め、冷淡な反応を返したにすぎなかった。

 

「いけない。……ちゃんと……伝わってなかった」

「もらったああああ!」

「だから訂正……あなたは……私の敵じゃない」

 

 簪が剣玉飛槌(フレイル)の柄を手放す。戻ってきた手裏剣型ホーミングブーメラン(ヴァル・ヴァラ)をつかんで円盤投げの要領で推力を逃がすことなく再び投射していた。

 

 

 直系三メートルほどの巨大な球。

 剣玉飛槌(フレイル)の「玉」は、物理法則を遵守しながら突如として一夏に突っ込んできた。

 白式のハイパーセンサーは球の背後に手裏剣型ホーミングブーメラン(ヴァル・ヴァラ)の存在を感知する。

 

「剣玉になんか当たってたまるかよっ」

 

 真円が徐々に大きくなる。もし楕円形で見えていたならば決して当たらないのだが、残念ながら直撃コースである。

 白式は真横に推力を加えることで、球を回避してみせた。三六〇度回転する視界は、箒が脱落する一部始終を捉えていた。箒は五五口径アサルトライフル(ヴェント)から放たれた弾丸を斬り捨てるという離れ業をやってのける。その直後、六二口径連装ショットガン(レイン・オブ・サタディ)が放った弾片に左右から飲み込まれ、全身から金色の粒子を撒き散らしながら落下していった。瞬時加速にて進発した回収機が地面に激突する直前に受け止める光景。

 

「ブーメランなんか――」

 

 ブーメランをやりすごす。前回のロケットパンチも酷かったが、ブーメランに撃ち落とされてはたまらない。

 だが、簪の意思が介在したとしか思えないタイミングで、手裏剣型ホーミングブーメラン(ヴァル・ヴァラ)が進路を変えた。

 ちょうどV字を描いたブーメランに一夏は泡を食っていた。

 

「ちょっと待て……おわっ」

 

 一夏はあわてて回避しようとするが、手裏剣型ホーミングブーメラン(ヴァル・ヴァラ)が予備動作を探知して直撃コースに修正を加えてくる。剣玉飛槌(フレイル)が隔壁に当たって落下したが、轟音を認識する暇も与えられなかった。

 

「動きが気持ち悪いんだよッ」

 

 体を翻し、零落白夜を振るう。しかし、空振りだ。手裏剣型ホーミングブーメラン(ヴァル・ヴァラ)が真横に推力を加えて体を横にひねりこみ、鋭く進路を変える。

 ――ジリ貧なら……一か八か、弐式にできるなら白式にも……!

 弐式は白式の兄弟機だ。基本構造が似ており、互換性が高い。ならば敵の武器を奪うくらいできるはずだ。

 

「無茶だ一夏! そいつに手を出しちゃダメだ!」

 

 白式が手を伸ばし、先端をつかんだ。

 マニピュレーターが激しく振動する。視界に赤い損傷メッセージが出現。人工靱帯断裂。アクチュエータ破損、ギア破損といった無数のメッセージが明滅しては流れ去っていく。金属片がまき散らされ、白式の手のひらがV字に裂ける。手裏剣型ホーミングブーメラン(ヴァル・ヴァラ)が通過した直後、硬く甲高い音が不気味に響いた。

 

「何だ……と?」

 

 右手首消失。

 シールド・エネルギーが激減し、一発でも擦れば脱落が確定する程度しか残っていない。

 

(ドゥ)!」

「お、おう」

 

 シャルロットの指示が飛ぶ。

 てっきりやられたかと思った一夏はまだ戦えることに気づいて、退避を試みる。

 だが、わずかに判断が遅れた。

 

「ちょうどいいところに……」

 

 ボソリ、と開放回線から漏れた声。体に衝撃が走り、一夏は己の腹を踏み台にする簪の横顔に見とれてしまった。

 無理やり方向転換した簪は、超振動薙刀・夢現を構えたままシャルロットとすれ違う。互いに武器を振るったかに思えた。

 橙色の機体が黒煙を上げて落ちていく。

 

「試合終了。勝者、更識・篠ノ之組です!」

 

 回収機が一夏を抱きかかえ、別の機体が四散した白式の右手首を拾い集めている。

 ひとり空に残った簪。

 一夏を見下ろし、手をピストルの形にする。開放回線を接続したまま消え入りそうな声でつぶやく。

 

「ハートにずっきゅーん……」

 

 その瞬間、一夏の胸のなかに興奮のざわめきが満ちていき、かつてない感覚に戸惑いを覚えていた。

 

 

 



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狼の盟約(十六) 復活

 セシリア・オルコットは観覧席の片隅に腰を下ろしていた。身を屈め、上着のポケットから携帯端末を取り出す。

 着信あり。

 

「まあ。チェルシーったら」

 

 メールの差出人はチェルシー・ブランケット。

 幼なじみにして家を守る少女からだ。

 家のこと。新人のメイドが物覚えが悪いこと。オルコット社から肖像権に関する問い合わせがあったこと、などと日常細々としたことがつづられている。最後の一行は「ご武運を」とあって、セシリアは気張らずにいられなかった。

 自信はあった。タッグを組んだ鈴音の実力は十分だ。ブルー・ティアーズも問題が修正されていき、徐々に性能が向上している。

 

「不安はありませんわ。わたくしは武者震いしているのです」

 

 対戦相手はどちらも初めて戦ったわけではなかった。桜とは二度戦っている。ラウラとは彼女が転校してすぐに刃を交えている。その際、シュヴァルツェア・レーゲンは使用不能になったが、彼女は旧式かつ運用が難しい代替機で勝ち上がってきた。

 ――わたくしを辱めた報いを受けさせねば……。

 是が非でも自分の手で敗北の屈辱を与えてやりたい。セシリアはラウラに負けた日からずっと、彼女のことばかり考えていた。もちろん最終目標は優勝であり織斑一夏を交際相手として迎え入れることだ。一夏を教育し、ゆくゆくはオルコット社の舵取り役を担ってもらおう。そこでハッと気づいた。

 ――わたくしは、母と同じことをやろうとしているのですか?

 チェルシーや叔父であるブランドン・オルコットから聞かされた母親と父親の像。セシリアの母親は父、アーサーをオルコット家の当主たらんと望み、教育してきた。多少の不満があっても自分だけを見て、それでいてどこに出しても恥ずかしくない男に改造しようとしていたのだ。

 そして望みは半ば達成された。

 

 

 観覧席がにわかに騒がしくなる。紅椿が飛び出してきた。SNNが誇る第四世代機であり、泥臭い戦い方を演じてきた機体でもある。

 

「何度見ても華のないISですわね」

 

 手のひらと足裏から橙色の炎を噴いて飛び回っている。シュタールヘルム型の頭部にガスマスクのような紅い眼鏡。こじんまりとしてみすぼらしい。予選を勝ち抜いたのは一重に手を組んだ相手の功績だった。

 

「箒さん」

 

 意中の男とひとつ屋根の下にいて何も変えられなかった女だ。誘惑する機会はいくらでもあったのに、体面を気にして何ら行動を起こさなかった。セシリアは一夏との関係に積極的な鈴音のほうを応援したい気持ちが強かった。鈴音は一夏と思春期を共に過ごしており、他の者より一歩抜きんでている。鈴音と手を組み仲良くなれば、彼女しか知らぬ一夏の姿を引き出すことができるかもしれないという打算があったのも事実であった。

 ――目的達成のために手段を選ばない姿勢。わたくし、箒さんのことを見くびっていましたわ。

 箒とも戦ってみたいとIS操縦者としての血がうずく。

 紅椿が時折使う銃火器は削りだしの工芸品を模していた。しかし射撃音や弾速はまったくの別物である。貫徹力も歩兵の兵装とは一線を画していた。

 セシリアは紅椿の性能を評価できずにいたのだ。

 ――それにしても。

 続けて飛び出した打鉄弐式を見やった。操縦者である更識簪もまた、成果を上げることを宿命づけられている。旧家にして名家の出身だった。つい数十年前までは敵同士の間柄である。

 なぜなら戦争中、オルコット一族のひとりがシンガポールの戦いに参加しており、経済面でも打撃を受けている。更識家は植民地の独立工作に荷担しており、間接的とはいえ亡国機業(ファントム・タスク)が現在の形に成長するよう手助けしていた。

 来賓のなかには更識姓を持つ者がいた。政財界の牽引役(パイオニア)として遠く英国まで名が知られている。簪と生徒会長の親族なのか、親しげに、それでいて序列を意識して慎重に言葉を選んでいた。

 セシリアにも親族がいる。叔父のブランドン・オルコットが電話でセシリアを激励している。しかし、ブランドンは厳しい人だ。彼は影から姪を助力していたが、決して甘やかすようなことはなかった。家を守るためには時として鬼となる。選択肢を提示し、退路を断った。姪の美貌に着目し、自社の広告塔としても利用してきた。

 セシリアがオルコット家の後継者として生きるためにはブランドンの影響力が必要だった。

 叔父と契約を交わしたのは、ある出来事が発端となっている。

 数年前に発生したランカスターの列車脱線事故だ。

 ブランドンの話では、セシリアと両親は家族旅行へと向かい、事故に遭っている。セシリアは事故の生存者のひとりで、目を覚ましたときには病院のベッドに横たわっていた。悲報を聞いて駆けつけたブランドンとオルコット家の弁護士。不安そうにのぞき込む彼らの顔こそ、セシリアが持つ最古の記憶だった。

 ――わたくしには父と母の記憶がないのです。

 ぽっかりと失われた記憶。どれだけ思い出そうとしても列車事故以前の出来事が抜け落ちてしまっている。初めから存在しなかったように何も残っていなかった。周囲が彼女をセシリア・オルコットとして認識し、そう捉えさせるだけの能力を有していたため、セシリアとして振る舞い、今日まで生きてきた。失われた思い出をつなぐ手がかりが人手に渡るのを防ぐためにあらゆる努力を払ってきたのだ。

 ――頂点に立たねばならないのです。

 そうすれば亡くなった両親が、アルバムの中のように仲睦まじく笑いかけてくれるかもしれない。もう一度思い出を作り出してくれるかもしれなかった。

 ――家族になってくれるかもしれない人が……。

 サラ・ウェルキンはセシリアを対等な個人として扱った。織斑一夏に恋心を抱いたのは、彼が両親を持たず、セシリアと似ていると感じたからだ。一夏は両親を知らなかった。

 家族ならばブランドンがいるではないか。

 かつてチェルシー・ブランケットが告げた。だが、ブランドンは盟友だ。互いに手を取り、現実の荒波と立ち向かうために利用しあう関係だった。利害が一致している間は決して裏切らない。信用のおける相手だが、無性の愛を与えてくれることは今後もないだろう。

 オルコット家の血を濃く受け継いだ、叔父のうす青い瞳(アイス・ブルー)と、冷淡な言葉を連ねる唇から吐き出された言葉を思い出す。

 

「銃をもって立ち(ふさ)がるものあらばこれを撃て」

 

 次の試合は負けられなかった。

 セシリアは席を立ち、割り当てられたピットへと向かう。通路でISスーツに着替えた桜とすれ違い、艶然とほほえみかける。

 ――佐倉さん。今日の試合、持てる力をすべて出しきりましょうね。

 

 

 偶然すれ違ったセシリアはまばゆい優艶さを身にまとっていた。

 生まれの違いだろうか。田舎からぽっと出の桜は、かつて布仏(のほとけ)(じょう)と初めて出会ったときと同じむずがゆさを覚えた。

 ――あの人が何を考えとるのかさっぱりわからん。

 とはいえ、おそらくこうだろう。ラウラをたたきのめし、ついでに桜をひざまずかせて靴をなめさせる光景を思い浮かべているに違いない。

 桜とて決して侮るつもりはない。

 ピットへ急いだ。ラウラは今ごろ、修復を終えたシュヴァルツェア・レーゲンの調整を行っているはずだ。カノーネン・ルフトシュピーゲルングはドイツ本国に移送される手はずとなっており、砲だけがIS学園に残される。ドイツIS委員会が列車砲を売却しようと防衛省にごり押ししている最中らしい。

 ピットを通り抜ける。

 倉持技研の小山技師が鋭い声音で指示を発していた。

 

「右手首のアクチュエーター破損を確認! 肘から先を交換する。壱式(白式)の補用部品の在庫はどうなっている!?」

 

 白式が運び込まれており、右手首から先が消えてなくなっている。

 

「うわ……ひどいことになっとる」

 

 どうやら前の試合は荒れたようだ。

 桜は白式のマニピュレーターが打鉄と同じ物を使っており、零式や弐式とは頑健さに劣ることを知っていた。だが、ブーメランや手裏剣を素手でつかむといった無茶さえ避ければ破損することはない。

 整備科の生徒や技師たちから距離を置き、壊れてしまった自機を見つめる一夏。雪片弐型を主武装とする白式の手首が失われたとなれば、すなわち戦力が半減したに等しい。彼は険しい視線を向け、拳を握りしめていた。

 桜は格納庫の奥を見やる。黒いISがシャドウボクシングに勤しんでいた。くすんだ金色の長髪を無造作に留めた白衣の女がクリップボードにペンを走らせている。クラリッサとエリーゼは観覧席にいて、シュヴァルツェア・レーゲンの復活を見届けるつもりだった。

 

「来たか」

 

 ラウラは左目を細めた。金色の瞳を獰猛に輝かせ、口の端を吊り上げている。戦いたくてうずうずしているようだ。

 シュヴァルツェア・レーゲンの外見に大きな変化はない。肩先に補用部品を示す記号が書きこまれているのが唯一の違いだった。

 

「角張っとらんのって、すごく新鮮やね」

蜃気楼(ルフトシュピーゲルング)のほうがよかったか?」

 

 ラウラが茶化すような口調で告げる。桜はすぐに首を振った。

 

「火力が大幅に減じたと思っとる。前のISは心理的に相手を威圧する格好やった。で、前と何か変わったん?」

「VTシステムをバージョン1.2にダウングレードしたのだ」

「前に戻したら……」

「バージョン1系はSNNが開発し、多機能かつ安定性を重視していた。しかし中国の(イェン)システム、独グレーフェ社のシステムのほうが速度面で圧倒。ゆえに、現行のシステムはグレーフェ社の製品に更改したのだが……先日の事故だ。バージョン1系になったおかげで、結果として武装の展開速度が以前よりも大幅に遅くなってしまった。暴走したバージョンならデュノア並の速度で切替(スイッチ)できたが、今のソフトウェアでは不可能だ」

高速切替(ラピッド・スイッチ)技能やったね」

「そのかわりISソフトウェアの安定性が向上し、なおかつAICの射程が改善された。原理についてはSNNの社員を捕まえて聞き出すしかないのだが、斥力場を設けて物体の運動エネルギーを一時的に保存することでAICの展開終了後、その物体は運動エネルギー消費を再開する。このとき、運動方向の変換が可能だ」

「何ソレ」

「曰く、紅椿の推進システムを応用したらしいのだが……」

「よう分かっとらんのね。既知の不具合は? あと……まさかGOLEMシステムを導入したんや……なんて冗談はやめたって」

「そんな報告は受けていない。GOLEMシステムなるものは入っていない」

 

 桜はその言葉を聞いてほっとした。GOLEMシステムは未だ開発中であり、相性問題が多発するような代物だ。クロエ・クロニクルがマスコットキャラのぬいぐるみを配って回っているものの、どこまで普及効果があるのか疑わしい。

 

「戦術の変更はない、という認識でええ?」

「ブルー・ティアーズの死角をねらうことに変わりはない」

「あのメモリーカードの内容……信じるん? 書いたの櫛灘さんやし。セシリア・オルコットは分割思考を実現しとる……とか」

「信じるも何も、ある瞬間において、人間はひとつの物事だけを考え、実行する。分割思考などタイムシェアリングシステム(TSS)を採用することで、われわれ人間の体感速度において、あたかもマルチタスクをこなしているように見せかけているにすぎない」

 

 タイムシェアリングシステムとは一台のCPUの処理時間を分割して割り当てることで、複数のユーザーが同時に利用できるようにしたシステムのことだ。一九六〇年代に開発された技術であり、この考え方は現在でも利用されている。

 ラウラはあからさまに嘆息した。

 

「私のAICと同じ欠点を有しているのだ。納得せざるを得まい」

「自律機動プログラムが組み込まれとるかもしれんよ」

「貴様の機体と同じように、か?」

「ええと……その通り。まあ……二ヶ月やそこらで開発すんのは無茶やけど」

「気に留めておこう。基本方針だが、私が凰を疲弊させる。貴様はレーザービット、そしてブルー・ティアーズを引きつけ、戦力を削いでくれ」

 

 ラウラはISをいったん量子化し、足首のバンドに変化した。

 上目遣いから一転、桜が見下ろす形になる。だが、ラウラ自身は背丈が低いことをまったく気にしていないように見えた。

 桜は迷いなど何もないように、淀みなく応じた。

 

「わかっとります。手はず通りに」

「よろしく頼む」

 

 シャルロットがIS格納庫から消える瞬間、桜は女の瞳に焼け残りの野火を見た。

 ――炎でも背負っとるんか。

 触れれば一瞬にして燃え上がるような業火だ。笑みを絶やさず、穏やかな物腰とはかけ離れた姿を目にして、桜は棒立ちになってしまった。

 

 

 空に漂う青と黒。

 ブルー・ティアーズはレーザービット二基とミサイルビット一基を一組とした複合ビットを、左右の肩部に配置した。

 展開済の巨大ライフル・スターライトmkⅢ。腰部アタッチメントにはインターセプター。IS学園で初めてお披露目したときとほぼ同じ姿だった。

 セシリアは落ち着きを払ったまま、美しい素顔を衆目にさらしている。目を惹くのは、ルージュで濡れた唇が血のようであることか。

 一方、シュヴァルツェア・レーゲンは八八ミリ大口径レールカノンを量子化した状態だ。初手を機動戦に費やすために巨大な砲口を隠している。拳を握りしめ、操縦者であるラウラは人の皮をやつした狼のごとき金色の瞳を露わにしていた。薄ら笑いを浮かべ、これから始まる宴に心を奮わせている。

 遅れて三機目が進発する。

 凰鈴音が駆る甲龍。

 紫と黒に彩られた機体は、そのたくましい腕に大型ブレード・双天牙月を抱いている。近・中距離両用型のためか、他の二機とくらべてより甲冑に近い。ヒール状になったかかとの造形は機能美を見出させるほどだ。

 そして最後の一機が飛び立った。青白黒の幻惑迷彩。頭部のレーダーユニットが不気味な輝きを発散する。非固定浮遊部位の回転砲座に据えつけられた二〇ミリ多銃身機関砲。左右にそれぞれ一基ずつ搭載し、異様な存在感を放っていた。

 桜はブルー・ティアーズと対峙する。

 

「わたくしの相手は桜さんですか。てっきりボーデヴィッヒさんが真っ先に来ると思っていましたのに」

 

 セシリアが鼻で笑う。嘲りの言葉を吐きながらも気品を失っていない。さすが本物の貴族である。

 桜は負けじと言い返す。

 

「制空戦闘は私たち戦闘機乗りの十八番(おはこ)や」

「楽しみにしていますわ」

 

 セシリアが自信たっぷりに艶然とほほえむ。意志に満ちた瞳はきらびやかに輝き、桜を見据えた。

 試合開始の合図が鳴り響くや四機のISが同時に動いた。

 

 

「お行きなさい。ブルー・ティアーズ!」

 

 四基のレーザービットが解き放たれる。

 桜は先手必勝と言わんばかりに一気にセシリアとの距離を詰めた。一二.七ミリ重機関銃でセシリア自身に銃撃を加える。轟音が反響し、隔壁にぶつかってかき消される。

 赤いレーダーユニットが稲妻状の軌跡を残す。激しいくらいの加速は砲身の奥底から生み出された閃光を視認するや唐突に中断された。体を翻し、青空や太陽、流雲がかたむき、一瞬のうちに横へ流れた。揺らぎながら観覧席を映し出し、紫電が頬をかすめる。

 スターライトmkⅢによる砲撃。演習モードではなく、大型コンデンサに蓄積された電荷の塊が流れ出す。隔壁にぶつかり、伝播し、観覧席からは七色の光が壁を走っていったかのように見えただろう。

 頭部を下げ、天蓋に足をつけた桜は一二.七ミリ重機関銃を構える。足を踏み換え、二射目を避ける。弾丸が外界に射出された瞬間、セシリアは回避に成功していた。

 ――厄介や。オルコットさんが銃口を視認した瞬間に外れが確定しとる。

 おそらくセシリアの眼前にはハイパーセンサーが収集した情報が散りばめられ、情報選別と行動判断を繰り返している。

 彼女は間違いなく強かった。

 そして桜は甚だしい違和感を覚えた。BT型のビットは自律機動は不可能であったはずだ。だが、滞空するビットがまるで固定砲台のように働いている。

 地上のISは殴りあいを繰り広げていた。ラウラはプラズマ手刀を振るって戦っている。一歩足を止めようものならたちまちのうちレーザーを浴びる。間合いを取れば甲龍の腕部小型衝撃砲・崩拳が飛び交い、ラウラのワイヤーブレードが鋭く舞う。

 

「よそ見をしている暇などありませんわ!」

 

 セシリアがミサイルビットを放出した。小さな翼端板が開いてロケットモーターが動き始める。打鉄零式を標的としてプログラミングしており、桜の気を逸らしてレーザービットへの銃撃を防ぐ算段だ。

 ――出し惜しみは無し。

 

「行けッ」

「にゃ!」

 

 桜は短く指示を飛ばす。視野の左下で田羽にゃさんがスツールに座り、ジョイスティック、ボタンスイッチとフットペダルを激しく動かし始めた。分離して飛行する左の非固定浮遊部位。さながら戦闘機のように二〇ミリ多銃身機関砲が規定回転数に達した後、弾丸を排出する。

 

「――そんな猿真似」

 

 セシリアが吐き捨て、機体直付けのスラスターに推力を与え、スターライトmkⅢの引き金を絞る。

 桜は砲口を向けられた瞬間、天蓋をすべるように旋回する。

 ――なっ。

 眼前に閃光の奔流が走った。

 スターライトmkⅢの砲撃だと理解する間もなく上下反転したレーザービットが横薙ぎに光線を射出して桜の視野を埋め尽くす。

 

「ご主人様っ」

 

 きれいな田羽根さんが脱出経路の候補を提示する。

 地面が迫って真っ黒になった視界は墜落する直前に反転し、太陽光が目に入った。踵が地面に触れて、機体がせわしなく振動する。弧を描くワイヤーブレードの下をくぐり、ブーメランとなった双天牙月の片割れが揺らいで、激しく上方へと流れ去った。プラズマ手刀が走り、片手でAICを盾代わりに使うラウラ。対する鈴音は艶やかな目つきを鋭く細め、気勢を上げて零距離から崩拳をたたきつける。

 巻き上げられた土埃が背中に当たり、跳ねかえる。高速で流れ去っていく風景。

 ――今や!

 桜はレーザービット二基がコンデンサから電力を吸い上げる際の高周波音を感知した。機体を一気に浮揚させる。右肩の非固定浮遊部位が射撃を再開し、空中で激しくステップを踏むセシリアを捉えた。刹那、スターライトmkⅢの砲口が下がり、閃光がシュヴァルツェア・レーゲンの背後を襲った。AICを展開すべく両腕を突き出しており、わざと地面に倒れ伏してそのまま横に転がった。

 桜が正面から噛みつくように迫り、自律機動砲台と化した非固定浮遊部位が猛然と弾雨を撒き散らす。

 スターライトmkⅢを構えたセシリアは高速で旋回しながら戦闘中にもかかわらず穏やかな笑みを浮かべている。

 縦軸回転機動(アクシズ・ターン)後、背面に向かってコブラ機動を披露。体を起こしたまま失速寸前まで減速し、二基のレーザービット、一基のミサイルビットを回収する。桜の一二.七ミリ重機関銃の弾丸を数発受け、振り向き様に放たれた三条の光線が打鉄零式の装甲を焼いた。

 空中を浮遊する残り二基のレーザービットが上昇を開始する。

 

「ご主人様、ねらいますっ」

 

 きれいな田羽根さんがかけ声とともに一門の二〇ミリ多銃身機関砲の先端を起こす。ドット五秒後、天蓋にはりついたレーザービットめがけて弾丸を射出する。

 

「二秒間隔で統制射撃。砲身の加熱に注意」

「もちろんですっ!」

 

 桜の耳元できれいな田羽根さんが元気の良い声を放つ。前進しながら空間をコの字に駆ける。接近し、あわよくば貫手で装甲の耐久値を下げようと試みる。が、機体特性から接近戦をよしとしないセシリアは軽やかな機動で距離をひらく。レーザーを撃ち出しながら、まるで横薙ぎに斬りつけるかのようにビットの銃口を振った。

 ――空が燃える……。

 空間を漂う塵がレーザーに触れた瞬間、小さな爆発と閃光が無数に発生する。桜は機体を倒し、刃を避ける。

 ――ぐっ。

 ずしりと体が沈みこむ感覚が一瞬で消えた。三次元躍動旋回(クロス・グリッド・ターン)の最中、弾丸を放出する。予想通り狙った瞬間に軸を外されてしまう。

 ビット二基が百発近く被弾して力を失い、落下していく。

 桜はたまらず叫んでいた。

 

「これで戦力三割減!」

 

 レーザービットの制御のため、セシリアの動きがわずかに単調なものに変わる。ビットの制御をISコアに任せ、統制射撃の指令を送る。

 桜がすかさず肉薄した。

 一二.七ミリ重機関銃を右の非固定浮遊部位へ転送する。右手は指を槍の穂先のように細めて肘を小さくたたむ。きれいな田羽根さんが泣き出したが構っていられない。

 左手には縦長の実体盾。レーザーが表面を焼く。

 

「わたくしを銃だけの女だと思わないでくださいまし!」

 

 名称未設定機能がISコアに干渉し、ブルー・ティアーズが自ら作った不可視の穴を突き通す。

 セシリアが立ち位置を変えて冷静に対処する。インターセプターを構え、直進する刃に正対する。打鉄零式の腕が伸びきる前に腕を突き出した。

 桜はスラスターをわずかに噴かした。体を開くと同時に実体盾をセシリアの眼前へと向ける。

 

「子供だましですの」

 

 高周波音の直後、光の刃がはしった。塵芥を焼き払いながら稲妻のごとく燕返しに打つ。

 ――うわっ。レーザービットが!

 二秒間におよぶ連続照射はレーザービットの砲身を加熱し、あっという間に限界温度に達した。

 セシリアが口をゆがめてゆっくり笑った。笑ったその顔に、一二.七ミリ重機関銃の弾丸が驀進(ばくしん)する。皮膜装甲によって進路を妨げられたかに見えたが、独楽のように三次元躍動(クロス・グリッド・ターン)を披露して逃れつつ巨大なレーザーライフルを実体化するや瞬時に構えた。

 ――前に。

 勘が告げた。

 退くか、止まればスターライトmkⅢともう一基のレーザービットによって狙い撃たれる。

 非固定浮遊部位に載せた二〇ミリ多銃身機関砲は砲身温度が規定値を超えたため、一時的に休ませてある。攻撃を再開するにはスピンアップと呼ばれる事前動作が必要だった。

 ――突っこめ!

 瞬時加速(イグニッション・ブースト)

 スラスターにはそれぞれドット数秒の遅延が発生するように設定されている。軸回転を加えることで揺れ動きながら増速を続ける。

 桜は実体盾を手にしたまま、体を下方に翻した。セシリアの柔肉に向かって己の分身を突き入れるかのようにせり上がる。全力でぶちあたり、思いきり押し倒した。

 ――ブルー・ティアーズの死角。すなわち、懐。

 セシリアと密着し、肌の感触を確かめる間もなく二機のISはひとつの塊となって地面に激突した。

 

 

 舞い上がった土煙が観覧席から邪魔で桜とセシリアの状況を確かめることができない。自然ともう一方の戦いに目を向けさせる。

 シュヴァルツェア・レーゲンが肩やリアアーマーからワイヤーブレードを解き放つ。命あるもののごとくうごめき、甲龍を襲った。

 鈴音は腕部衝撃砲・崩拳を連射する。手数で圧倒する算段だ。

 ラウラは膨大な情報を瞬時に選別し、拳を突き出すことでAICを発動した。黒い爪の指し示した先に不可視の壁が出現する。シュヴァルツェア・レーゲンを屠るべく空間を裂いて進む衝撃。ラウラの眼前でかき消えた。

 鈴音が攻撃失敗を悔やんで歯がみした。彼女の死角から飛来するワイヤーブレードの存在に気づき、体を伏せる。低い姿勢のまま蛇行しつつ後方へ下がるものの、シュヴァルツェア・レーゲンの姿が消える。日光の下に黒い影がさッと走った。瞬間、鈍重な金属の塊が地面を揺らし、青白い閃光が首を曲げた鈴音の頬をかすめる。

 

「良い反応だ! さすがは代表候補生だと、あえて言わせてもらおう!」

「そういう上から目線。ヘドが出るっての……こんのおおおおッ!!」

 

 鈴音の口から気合いがほとばしった。

 スラスターの火勢が感情とともに高まっていき、瞬時に実体化した双天牙月で打ち払う。二振りの刃をシュヴァルツェア・レーゲンの腕部装甲で受け止める。金属がこすれ合う重低音が響くなか、ラウラはAICを使って刃を留め置き、勢いよく地面を蹴った。

 

「私の停止結界の前に、貴様は為す術なく敗れ去るのみ!」

「――どうして動きを止めないのよ! AIC発動には集中力を要するはずじゃ!」

 

 おそらくセシリアから得た情報だろう。ブルー・ティアーズのビット操作も同じく集中力を要する。AIC発動時は動きを止める、と鈴音は先入観を植えつけられていた。

 

「ご明察の通り! ……しかし、私の思考速度は貴様ら凡人の非ではない。速度の違いが支配するのだ。決闘を! 戦場を! 我が闘争を! このシュヴァルツェア・レーゲンは私の能力を十分に引き出すに相応しい(うつわ)である!」

 

 刃の応酬が繰り広げられる。

 

「昨日までの私だと思うなよ。(ファン)鈴音(リンイン)

「その言葉……そっくりそのままアンタに返してやるわよ!」

 

 ラウラは回転しながら退き、ミズスマシのように地面を滑る。哄笑(こうしょう)開放回線(オープン・チャネル)に轟きわたった。

 

「餞別をくれてやる。貴様は私の後塵を拝し、背中を追い続けるのだ。私という壁を越えて見せろ!」

 

 八八ミリ大口径レールカノンを実体化し、ワイヤーブレードの軌道がわずかにそれた。

 

「ハッ」

 

 ラウラは唇をゆがめて狼のような笑みを浮かべる。推進用の液体火薬をリボルバーシリンダー内でプラズマ臨海寸前まで加熱させ、砲身内のレールガンで追加速した砲弾が驀進(ばくしん)する。

 

「榴弾だ。ISならば死にはしない」 

 

 重い一撃は甲龍を直撃し、轟音をともなって隔壁にたたきつける。巨大な図体がよろめき、鈴音の瞳にはまだ炎を灯していた。

 ラウラは二発目の準備をしながら、背後の気配に向かって話しかける。

 

「佐倉。まだ動けるか」

「少佐の背中を守る程度には」

 

 桜は高ぶるラウラに影響を受けたのか、つい階級で応じてしまった。慣れていたこともあって自然な口ぶりだ。

 

「では、相手を代えるとしよう。セシリア・オルコットに引導を渡すのはこの私だ」

「……宜候(ようそろ)

 

 

 背中の気配が消え、疾走音がアリーナ中を駆け巡る。二基の二〇ミリ多銃身機関砲が予備動作(スピンアップ)を終え、獣の咆哮がとどろき渡る。

 音から遠ざかるように走るラウラ。その足元に細長い光弾が覆い被さる。眼前が立て続けに白く染まる。土が舞いあがり、すき間から金色の(しゃ)が踊った。青色の瞳が鋭い光を放ち、砲を構える。艶やかに彩られた唇がきゅっと引き結ばれた。

 閃光。

 塵芥(ちりあくた)が一瞬の炎に変わる。

 ラウラは目を見開いて明滅する警告文字を一瞥する。高速で景色の流れ、煙のなかから出現した砲口に焦点を合わせた。銃身の加熱により砲口の周辺に陽炎が漂い始める。軸線を外す。セシリアとラウラの撃ち合いは、弾丸を放った瞬間に攻撃失敗が確定していた。

 補助脚を下ろし、金属爪(アイゼン)が土を割る。激しく機体が上下するなか、ラウラの八八ミリ(アハト・アハト)が砲炎を噴く。

 

「あなた、榴弾で十分だとわたくしを侮っていますの?」

「まさか! 貴様こそ、よもやおろそかになってはいないだろうな。自分の武器が何であるか」

「AICは万能の武器ではありませんのよ!」

 

 レーザービット二基の十字砲火を三次元躍動旋回(クロス・グリッド・ターン)で避け、急激な方向転換を加える。白煙を立てて横合いから突進するミサイルビットをAICで停止させ、回避が確かとなれば展開を終えた。

 体を浮かし、土煙から飛び出したセシリアをワイヤーブレードが追いすがる。六本の細く頑丈な武器を切断することは不可能に近い。

 大型コンデンサが甲高い高周波音を奏でる。レーザービットが空中を激しく動き回りながら、立ち位置を入れ替える。ラウラの死角から放たれた一撃は正確にワイヤーコイルを焼く。

 

「射撃戦はさすが手練れかっ」

「わたくしが無為無策で訓練をしていたとでも思っていますの? あなたの癖など研究済ですわ」

「――わかった気になるなよ。私をみくびるなっ!」

 

 高速で流れる風景。

 ラウラは次弾を装填しながらワイヤーブレードを巧みに操った。

 空にひらめいた刃がブルー・ティアーズの脚部を絡め取ろうと動く。が、既に一度受けた技。セシリアは眉を跳ね上げ、事もなげに回避する。

 

「ボーデヴィッヒさん……第三世代機になって弱くなったのではありませんこと!」

「……弱いだと? セシリア・オルコットはこの私に強さを説くか! 貴様とて己が居場所のために力を求めた口であるのにかっ!」

「機体の性能頼りのくせに、わたくしを説教をするというのですか!」

 

 ラウラはAICを展開し、展開位置と向きを設定する。

 

「あなたをひと目見たときから気に入りませんでしたの! いつも澄まし顔で……内心は、非力なわたくしたちをせせら笑っていたのでしょう!?」

「私は実力で今の立場を勝ち取ってきた。貴様にとやかく言われる筋合いはないのだ――!」

 

 体を翻し、頭上から降り注いだレーザーから逃れる。八八ミリ大口径レールカノンのすぐ側で炎がわきおこり、緊急回避機動のため激しく回転しながらもシュヴァルツェア・レーゲンは砲口から炎を吐いた。

 

「あきらめてしまいましたの? 鈴さんに大言壮語を吐いておきながら、自分はさっさとあきらめてしまいますの?」

「……ハッ。世迷い事を」

 

 シュヴァルツェア・レーゲンの腕は驀進する弾丸と同じ方向に延びていた。「技術開発は日進月歩だ。殊、競争が激化している昨今は……」とつぶやく。隔壁に向けて飛び去ったかに見えた砲弾は、突如として向きを変えてセシリアに襲いかかった。

 

「だから……私を見くびるなと言っただろう!」

 

 ()()()()()()()

 連射したのであれば、ブルー・ティアーズが何らかの警告を発するはずだ。しかし、現実に起こった出来事は、物理法則を超越しているかに思えた。

 ――学生の妄言を信じるようになったとは、私も堕ちたか!

 ラウラは仮説を証明するために、複雑な計算式を一瞬で解き、AICの展開空域を設定。セシリアの現在位置に赤い閃光を向ける。

 高度を上げ、回転しながら旋回するブルー・ティアーズ。

 

「忘れたか! 我が越界の瞳(ヴォーダン・オージェ)を!」

 

 砲弾が空気を裂いてAIC展開域に到達。

 体を翻し、全力で回避運動を行う。レーザービットから光の鎖が出現する。

 ラウラは口の端をゆがめた。セシリアの体はピンで固定されたかのように、常に視界の中心にある。超高速戦闘下での動体反射能力を極限まで高めた頭脳と眼球は、ブルー・ティアーズの軌道を見切っていた。

 

「偏向射撃ですって!」

 

 セシリアの唇が肉感的な色気を醸しだした刹那、横合いから小物体が凄まじい速さで突進する。

 右に傾き、重力に引かれて落下する彼女を黒い腕が抱き止めた。

 

 

「試合終了。佐倉・ボーデヴィッヒ組の勝利です」

 

 眼下に激しい銃撃戦の末、ひざをついた鈴音。桜は非固定浮遊部位二基を自律起動することで、三対一の状況を生み出していた。ラウラがシールド・エネルギーを削ったことで撃ち合いを制した形だ。

 回収機が来るまでの短い時間。セシリアは対戦相手の金色の瞳を見上げた。

 強く輝く異相。

 

「こ、今回はわたくしの負けですわ」

 

 ラウラはPICを使って扇が舞うがごとき速さで落下する。

 セシリアは悔しさを見せまいと強がった。

 

「わかっている。今回は奇策が功を奏したのだ」

「……ボーデヴィッヒさんは」

 

 セシリアは孤高と口にしかけて、とっさに言葉をすり替えた。

 

「どうしてそこまで強くあろうとするのですか」

 

 ラウラはにやりと悪戯っ子のように笑い、生徒の前ではほとんど見せることのない年相応の気安さを身にまとう。

 

「心を強く持つよう求められているからだ。私にとってISに乗ることは己を表現するための手段であり、与えられた役目なのだ。私が生まれ落ちたときから一番になるよう教育を受け、私はその通りに生きてきた。基地が家族であり、彼らに仲間として、家族に一員として迎えられている。私は……恩返しをしたいのだ」

「わたくしは家のためですわ。わたくしがセシリア・オルコットであり続けるためには、ボーデヴィッヒさんよりも、世界の誰よりも強くあらねばならないのです」

 

 ラウラは目を細め、優しい雰囲気を醸し出す。軍人としてではなく、一個人としてセシリアに接する。

 

「ならば、()()()は既に強いではないか。強くあらんと生きている。弱さを知らねばできないことだ。あなたの強さの源泉は何か――」

 

 セシリアは心のなかで何度も繰り返してきた言葉を反芻する。

 ――家族が欲しいのです。わたくしの願いは、いつもそれだけでしたから。

 

 



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狼の盟約(十七) 本戦決勝・上

 ようやくここまで来た。

 桜は胸がふくらむ思いで決勝戦の場に臨み、観覧席を見回した。クロエの異様な双眸を見つけてにんまりとする。

 クロエは膝上にタブレット型端末を置き、片耳には無線式イヤホンマイクをはめている。タブレット型端末の画面をフィールドに向けており、灰色の事務机に座った女性が映っている。田羽根さんの頭身を増やして大人にしたような見た目だが、目元だけは田羽にゃさんと似ていた。画面のなかの女性は拳から中指だけを突き立てる。すぐさま拳を握りしめ、親指を地面に向けた。

 ――うわっ……。

 露骨なブーイングにたじろぐ。眉をひそめた桜を、きれいな田羽根さんが上目遣いで見上げてきた。

 

「ご主人様どーしたんですか?」

「田羽根さんみたいな人がいたような気が」

「タバネさんの?」

「どっちかと言えば……ぐるぐるほっぺと田羽にゃさんを足して二で割ったような……」

 

 純粋な瞳を直視できない。だが、うつむきがちになってきれいな田羽根さんを不安がらせるわけにはいかない。恐る恐る目を開けると、スツールに腰かけた田羽にゃさんがぐるぐる回っていた。ピタリ、と止まるや持っていたリモコンのボタンを押す。

 

「こんなときに!」

 

 きれいな田羽根さんが相方の奇行を黙認して肩をすくめる。

 肝心の田羽にゃさんは幼女の思いを気にも留めていない。もっぴいの部屋を起動し、何事もなかったようにスナック菓子を頬張り、黒い炭酸飲料入りペットボトルをラッパ飲みする。

 

「げっぷ……今日はジョ()()()()()()()()からゲストが来てるにゃ」

「基地があったところ?」

 

 桜は胡散臭そうに黒いウサミミカチューシャを見下ろした。

 

「そのとおり! ……げっぷ」

 

 無視するとしつこいので、しかたなくもっぴいの部屋を見つめる。

 だが、変なものが目に入ったので即座に画面を閉じてしまった。

 

「何するにゃ!」

 

 田羽にゃさんが激しく抗議の怒声をあげる。きれいな田羽根さんにリモコンを手渡し、ボタンを押すよう圧力を加える。

 

「さあ、ポチるにゃ」

 

 幼女が悲しそうに目を細め、首を縦に振る。リモコンを後ろ手にして隠れてボタンを押す。もっぴいの部屋が再び出現してしまった。

 いつの間にか田羽にゃさんの姿がもっぴいの部屋に移動し、いかにも気弱そうな金髪二頭身に写真を手渡した。金髪二頭身は橙色のTシャツを身につけ、腹部と背中に汚いひらがなで「しゃるるん」と縦書きされている。顔立ちこそもっぴい似だが、立ち居振る舞いが誰かさんとそっくりだった。

 しゃるるんは写真を大事そうにズボンのポケットにしまい、背後から聞こえた声に飛び上がった。

 

「セ、セシルちゃん! ご、ごめんよう」

 

 あわてて三脚の側に立てかけてあった木箱を抱え、左右交互に傾ける。中には小豆が入っており、耳を澄ませば波の音が聞こえてくる。

 カメラが動いた。

 もっぴいA、B、Cが四つんばいになり、組体操のようにピラミッドを形成する。手足が震え、脂汗を流していた。頂点に足を組んで座る新たな二頭身のドレス姿を見つけた。

 

「彼女たちがジョンストン島の方から来たゲストにゃ」

 

 田羽にゃさんがおもむろに振り向き、カメラ目線になった。隣でもっぴいDが大きな孔雀柄の羽団扇を動かし、ゲストたちに風を送る。

 

「幻のセシルちゃん(仮)。『仮』ニャのは肖像権の存在をうっかり忘れていたからにゃ」

「う、ううーん?」

 

 桜があからさまに渋い顔になる。幻のセシルちゃん(仮)はどこからどう見ても二頭身化したセシリア・オルコットだった。短い足を組み、丸い手でワイングラスを持っている。目を凝らすと指らしき出っ張りが生えていた。

 試合前になんてものを披露するのだ。心中で田羽にゃさんを呪う。

 対処に困って、きれいな田羽根さんに懇願の視線を送った。

 ――あの三白眼を止めたって。

 幻のセシルちゃん(仮)を紹介されても困る。AIの知りあいが増えても益はない。むしろ厄介ごとが舞い込む確率の方が高くなる。事実、ぐるぐるほっぺ(初代田羽根さん)の亜種は第二アリーナを火の海に変えてしまった。

 

「画面、消してええ? 消したいんやけど」

 

 ――頼むから試合に集中させて。

 赤ワインを飲みほしたセシルちゃんは、話し方までもがセシリアに酷似していた。

 

「あらあらまあまあ。わたくし、毎回見かけるたびに感じていたのですけれど、七五八(田羽にゃさん)の主は反抗的ですわね。さすが()()()()との略奪愛にふけっただけのことはありますわ」

 

 二、三秒してから突然しゃるるんの顔が大写しになった。

 

「ごめんね! セシルちゃんには妄想癖があるんだ。神の杖をホワイトハウスに落としたとか、モスクワに二三四一発の核ミサイルを撃ち込んだついでに、ピーチ・ボトム、ビーバー・バレー、ブラウンズフェリー、スリーマイル島の原子力発電所を吹っ飛ばして全面核戦争(ヒャッハー)を演出したとか、月面に行ったことがあるとか。正直ほとほと困ってるんだ。この前なんかさあ……万能AI・穂羽鬼くんだったものから記憶と経験を分離して、もっぴいに記憶だけを与え、今の穂羽鬼くんにその他経験を残した、なーんて妄言を吐いて……本当にごめんね!」

「何か仰いまして?」

「なななな、そんなわけないじゃないか!? やだなー。田羽根さんと雑談してただけだよー」

 

 しゃるるんがカメラに背を向けて言い訳する。セシルちゃんの注意が横に逸れた途端、再び顔面が大写しになる。

 

「これを見てる君。今度セシルちゃんに会ったら生暖かい目で……」

 

 近くで鈍い音がしたかと思えば、しゃるるんの額がレンズにぶつかる。セロハンを貼ったかのように画面が赤く染まった。

 

 

 うつ伏せで昏倒したしゃるるん。すぐ側に転がったバールの先端が赤く染まっている。もっぴいDが足をつかんで引きずると血の帯ができた。

 桜は無言で画面を閉じ、シュヴァルツェア・レーゲンを流し見る。ラウラは腕を組み仁王立ちしながらも、金色の瞳を露わにして虚ろな中空を眺めていた。

 打鉄弐式と紅椿。

 数分後には戦端を開くであろう強敵を今かと待ち構えていた。

 

「佐倉。紅椿は任せたぞ」

「わかっとります」

 

 ラウラがチラと観覧席の千冬を見下ろした。千冬は藤堂准将との歓談に興じており、周囲には陸海空の自衛隊関係者や企業の有力者がひしめいている。

 

「クラリッサたちが見ている。黒兎(シュヴァルツェ・ハーゼ)凶鳥(フッケバイン)、基地の仲間たちがシュヴァルツェア・レーゲンの勇姿を見守っている。……負けられん」

「せや。戦う以上は勝ちにいかんと。私は勝ちたい」

「そのとおり。勝利を我らの手に」

 

 ふたりが薄ら笑いを浮かべる。

 ――飯とクロニクルさんの番号がかかっとるからな。

 桜は喉元までこみあげた言葉を飲みこむ。前者はともかく、後者を知られるのはよろしくない。櫛灘あたりに知られでもしたら、ややこしい事態に発展するのは目に見えていた。

 

「出てきた」

 

 二体のISが対岸のカタパルトデッキから飛び出す。打鉄弐式は装甲表面が傷だらけになっており、シャルロットとの戦いの激しさを物語っている。一方、紅椿は地上で素振りしていた。銃弾を切断するなど雨月を酷使していたので、その確認だろうか。

 ――となると。

 桜はあえて簪を見やる。簪の横顔は涼やかだ。武人の風格すら漂わせており、じっとラウラと見つめ合っている。

 ふたりとも口数が多いほうではない。無言であるがゆえに、この試合が決勝戦であることを意識させる。

 

「佐倉」

 

 桜が下を向く。紅い眼鏡をはめ直した箒が開放回線(オープンチャネル)から話しかけてきた。

 

「例の件、承諾をもらったぞ。ただし……悪いが、全力でいかせてもらう。レベルアップの成果を見せてやろう」

「おおきに! 私も精一杯やるわ!」

 

 

「学年別トーナメント一年の部、決勝戦。佐倉・ボーデヴィッヒ組対更識・篠ノ之組の試合を始めてください」

 

 開始早々、簪とラウラが激しくせめぎあった。桜は二〇ミリ多銃身機関砲の発射準備(スピンアップ)を始める。

 接近する箒に一二.七ミリ重機関銃で即応する。だが、弾道を見切られており、わずかに進路をずらすだけで回避されてしまう。

 弾丸を当てるため、銃口をわざとぶれさせても結果は変わらなかった。

 ――篠ノ之さんは感じがええな。

 全身に風圧が加わる。箒の雨月が(はし)った。

 

「せいっ……ヤアアア!」

「きれいな田羽根さん。使うわ!」

「ううう……もっぴいには……ぐすんっ」

 

 貫手を雨月の(つば)めがけて放つ。

 開放回線(オープンチャネル)に箒の舌打ちが聞こえ、伸びた腕が空を切る。抜刀を中断した箒が黒い体を翻し、PICで速力を殺す。左腕を前に突き出すや刀の代わりに擲弾投射機を手にしていた。

 ――ここで網か。

 桜は体をひねり込み、準備(スピンアップ)を終えた二〇ミリ多銃身機関砲を発射する。

 紅椿の体が秒速から分速、時速で数えられるレベルにまで減速する。

 擲弾投射機からネット弾が射出され、翼を広げた網はまるで蜘蛛の巣のように広がった。二〇ミリ弾と交錯。初速で劣る網が桜を捉えることはなかった。

 網の裏から箒が出現する。散弾を目くらましに使いながら、雨月を抱き、桜の鳩尾に向かって猪突していった。

 

「気をつけてください。ご主人さまっ。もっぴいには貫手が効きません!」

 

 ――え?

 紅椿が弾丸をかいくぐって眼前まで接近する。

 紅い眼鏡。黄金(こがね)色の粒子をまとった刃。

 桜はマニピュレーターで刃を弾き、後方へ急速に退避する。二〇ミリ多銃身機関砲が耳を(ろう)するような音を奏でる。

 

「説明して!」

「はいっ」

 

 きれいな田羽根さんがリモコンのスイッチを押す。

 もっぴいの部屋が起動し、もっぴいAとBの姿が目に入る。ピコピコハンマーを振り下ろしてもぐら叩きに興じている。

 もぐら役はぐるぐるほっぺ(初代田羽根さん)の人形だった。ハンマーが当たると両目が×印に変わる。桜は痛快な光景だと感動を禁じ得なかったが、きれいな田羽根さんは唇をかんだ。

 もっぴいたちの話し声が聞こえる。

 

「田羽根さんが裏から手を回そうたってそうはいかないんだよ。もっぴいが世界を守ってハッピーになるんだよ」

「ヤ、ヤンデレシフトだけは……」

 

 カメラがズームアウト。桜は画面の端で好き勝手に動く田羽にゃさんを見つけた。

 

「やるにゃ!」

「田羽にゃさんも!」

 

 目つきの悪い三白眼ともっぴいCが指相撲に勤しんでおり、目にも止まらぬ速さで一進一退の親指さばきを披露している。

 ――あいつら……。

 きれいな田羽根さんは相方の奇行を黙認しているらしい。二体の行動は戦闘とは無関係だった。

 

「簡単に説明しますねっ。もっぴいは穂羽鬼くんから派生したAIです。穂羽鬼くんともっぴいの搭載条件はISコアが選別品であること。つまり、紅椿には最高品質のISコアを使ってるんですっ!」

「宝の持ち腐れや!」

「しかも、もっぴいには……田羽根さん対策が実装されているんですっ。もっぴいの部屋が緩衝地帯(DMZ)になっていて田羽根さんたちが奥に進めないようになってるんですっ!」

 

 ――ちゃんと意味あったんか……。

 引き延ばされた時間のなかで、桜は疑問を抱いた。

 

「せやったら田羽根さんの搭載条件って」

基本設計概念(アーキテクチャ)が田羽根さんに対応して……」

 

 幼女が口をつぐむ。

 非固定浮遊部位が独自に動き始め、弾雨を生み出す。幼女がジョイスティックを忙しなく動かしながら、機敏に動く紅椿を狙い撃ちにする。

 

「当たらないっ」

 

 舌足らずな悲鳴が響く。箒の動きはAIの追従をかわすほど速く、鋭かった。

 桜は背部スラスターに点火して、上方に移動。N-MG34から放たれた高速の弾丸をぎりぎりの距離でかわす。機体を回転させ、ほぼ直角に進行方向を転じた。きれいな田羽根さんが提示した移動軌道を、自分の経験に則って修正。幻惑迷彩と赤いレーダーユニットを冠した異形が先回りを企図して空中を滑る。

 視野に空を乱舞するワイヤーブレードが映り込む。薙刀とプラズマ手刀がぶつかり合うたびに火花が散っている。

 六本のうち二本が向きを変えた。迂回して簪の側面を突く格好だ。

 ――利用させてもらう!

 桜はPICを利用して巧みに姿勢を変えた。打鉄零式が複雑な軌道を描き、紅椿との距離を縮める。

 紅椿が体をひねり込む。足裏のスラスターから光が瞬いては消え、桜の意図をくみ取った箒が叫んだ。

 

「面白い!」

 

 二つのISが踊るようにすれ違った。黄金、そして橙色の火花を互いのハイパーセンサーが感知する。

 ――シールド・エネルギー二割減。

 現代の剣豪を相手に格闘戦を挑んだのだ。無傷ではいられない。

 

「せやけどな」

 

 桜は顔が隠れているのをよいことに、不敵な笑みを浮かべる。もっぴいの顔が描かれた背嚢に丸い磁石のようなものが張りついていた。

 

「Tマイン」

 

 開放回線に向けてつぶやく。

 二頭身の巣窟では、もっぴいAが足をばたつかせて転がり回っていた。頬に張りついた黒いこぶを引きはがそうとしている。

 Tマインが起爆し、爆光がレーダーユニットに反射して閃く。

 機体の状態を反映しているのだろう。もっぴいAの顔面が爆発して、天井まで吹き飛ばされる。地面に落下して全身を強打し、ぐったりと動かなくなった。爆発の激しさを物語るように体が薄橙色から焦げ茶色に、髪型がアフロヘアになっていた。

 

「ええ。試したるわ」

 

 桜は追撃するべく、一気に距離を詰めた。

 

「ぐすんっ……やっても無駄です」

 

 幼女の声音に諦めがにじむ。今まで人体への攻撃は決して許可されなかった。今回は違う。紅椿への直接攻撃が認められたが、幼女は後ろ向きな発言を繰り返す。桜は危険を承知で腹部に照準を定めた。

 ――篠ノ之さんのことや。見切っとるかもしれん。

 指を槍の穂先のように細め、腕を射出。

 ――え?

 奇しくも幼女が言ったとおりになった。シールド・エネルギーが減少しただけで、戦意をくじくにはいたらない。それどころか、雨月が手首を切り落とそうと閃く。

 桜はもう一方の手を刃と重ねて弾いた。一秒未満でスラスターに点火。紅椿を視界の中央に捉えたまま後方へ滑る。

 

「――まさか、逃げるとは」

「他人の土俵で勝負する気はない」

 

 そう言い終えるや背中を向ける。上空で戦うラウラの背後に隠れるように、一気に噴射した。

 

「待て」

 

 紅椿が追いすがる。後背から襲いかかったワイヤーブレードに捕まり、急に機動が鈍った。

 

 

 簪は厄介な相手だ。

 ラウラは体をひねり、薙刀の軌道から逃れる。間合いを外した瞬間に重砲でねらわれ、弾頭が隔壁にぶつかるたびに大爆発が起こった。

 ワイヤーブレードの動きを変える。ラウラは、地面を這いずり回りがながらも体の節々から黄金の粒子を漏らす紅椿を無視できなかった。すかさず気持ちを察したのか、桜が紅椿を砲撃する。

 

「――チイッ」

 

 簪の武器が瞬時に切り替わる。

 打鉄弐式が空を斜め下に滑り降り、長い円筒を脇に抱えた。春雷一型。砲身を使い捨てにすることで実用化した荷電粒子砲だ。

 

「佐倉! 砲をひとつ、こちらに回してくれ!」

「宜候」

 

 大日本帝国海軍のような短い返事の後、左の二〇ミリ多銃身機関砲が向きを変えた。大量の弾薬を消費しながら、打鉄弐式を捉え続ける。

 ――ええい。砲が足らん!

 打鉄弐式は先行する零式、白式の短所を極力除き、長所を採り入れた機体。白式譲りの機動性に簪の技量が加わったことで、もはや手が付けられない。

 ワイヤーブレードがかすりもしない。先端が最適な位置に達しても、一秒もしないうちに回避されてしまう。当たらなければ意味がなかった。

 ――有線駆動で構わん。ワイヤーに射撃武器を……。

 刹那、強烈な圧迫感を覚える。何かの波動を感じ、ズキリ、と左目がうずいた。

 

「――こんなときに」

 

 閉じた左まぶた。頭のなかに幻影が流れこんだ。六角形のミサイルサイロの付近に、黄色の背景に黒が配色されたハザードシンボルが描かれていた。六〇度ずつに区切られた葉を認識するなり、ラウラの全身が総毛立つ。

 ――放射能標識だと……?

 再びまぶたを開いたとき、ミサイルサイロはもちろんハザードシンボルは存在せず、薄青色の紗がかかっていた。

 

「手数では私の勝ち」

「……ハッ」

 

 ラウラと簪はすれ違いざま、互いの武器を振るった。体を翻して、もう一撃。鍔迫り合いが生起し、ふたりは顔を突き合わせる。

 

「……どこを……見ているの」

 

 ラウラは簪の背後、視線を宙空に向けていた。

 人影。

 簪や楯無の面影を残した壮年の男がいる。スーツを着こなし、髭を蓄えて老けてみせようとしている。おそらくは明治・大正時代にかけて活躍した人だろうか。ほかにも時代がかった、いかにも落ち武者のような男もいる。剣折れ、矢尽き果て、一族郎党もろとも自害にいたった無名の武人か。

 

「気味の悪い人」

「貴様に私の見ている光景などわかるものか!」

 

 スラスターを巧みに動かす。空気が爆ぜたかと思えば、直前にいた場所が弾片で切り刻まれている。間髪をいれずプラズマ手刀を突き入れる。簪の髪を焼いたような気がしたものの錯覚だった。彼女は眉をひそめて唇をすぼめたにすぎない。

 魂を揺さぶるような爆音と閃光が戦場(バトルフィールド)を彩る。アドレナリンの分泌量が増え、ラウラは強烈な興奮を覚えた。弾幕に心が踊る。

 ――冷静さを失うなよ。

 だが、口をついて出てきた言葉は喜びに満ちあふれている。

 

「貴様の家人が、先祖が、歩んできた血路を見たのは確かである!」

「……あなたに何がわかるの」

「データ以上は知らん。しかし、挫折と栄光の味だけは知っている! 悪いがこの勝負……勝たせてもらうぞ」

 

 ラウラの唇がゆがむ。

 八八ミリ大口径レールカノンを実体化し、金属爪(アイゼン)を下ろさずに砲撃準備を終える。

 簪が砲撃を阻止すべく春雷を点火。内蔵された大容量コンデンサの電力を吸い上げ、耳障りな高周波音を発した。

 

「勝つのは……」

 

 言いかけて、簪が目を見開く。春雷の照準を調整できない。腕が動かず、一瞬気を取られたが、すぐさまラウラをにらみつけた。

 

「日本の新型ごとき、我が停止結界(AIC)の前では無力!」

 

 荷電粒子砲が見当違いの目標を焼く。

 すかさず大口径レールカノンを発射。ラウラの体が後方へと流されていく。砲弾到達よりも早く、簪がからめ取られた腕を基点に前方投影面積を減らす。

 次弾の発射準備を終えたラウラはAICを一旦停止する。

 弐式が分離した砲身を捨てる。ハイパーセンサーが砲身の表面に生じた亀裂をはっきりと映し出した。予備の砲身を実体化してはめ込むものの大容量コンデンサに給電しなければならず、量子化を余儀なくされる。

 ラウラが左目を大きく見開く。疑似ハイパーセンサーとして稼動する越界の瞳は、武装転換の瞬間を捉えていた。

 

Feuer(発射)!!」

 

 開放回線(オープンチャネル)にラウラの叫びが轟く。裂帛の気合いと共に放たれた砲弾にAICを作用させることで、運動エネルギーと力の向きを保持したまま、百分の一秒の遅延をもたらす。予測到達時間と弾道を、ラウラが正しいと信じる未来位置に解き放った。

 地面に足をつけたシュヴァルツェア・レーゲン。金属爪(アイゼン)が土をえぐり、盛大な煙を舞いあげる。

 金属片が降り注ぐ。打鉄弐式の墜落。零式の非固定浮遊部位が追従して射撃を継続する。

 ラウラは視野に出現したドイツ語のメッセージを流し見る。

 次弾装填完了・臨界到達・リアアーマー異常発生。

 

「ワイヤーブレードの射出口を潰されたか」

 

 倒れた打鉄弐式に止めを刺すべく、第三射目を放った。

 

 

 二〇ミリ多銃身機関砲の地上掃射は箒の退場を企図したものだ。

 弾雨で頭を押さえつけてしまえば防御に気を取られるだろう。砲火に立ち向かうには勇気がいる。ISを身に着けていても本能は変わらない。

 

「更識!」

 

 紅い眼鏡を墜落現場に気を取られる。

 桜はすかさず一二.七ミリ重機関銃で十字砲火を形成する。行き足を鈍らせ、跳弾が紅椿の装甲を跳ねる。

 

「動けるなら返事を――」

 

 刀では太刀打ちできないと考えたのか、N-MG34を呼び出した。

 紅椿の被弾が増えていく。

 視線やつま先の向きと言った歩行への予備動作。ISといえど視覚情報を頼りにする。一挙一動が他人に影響を与え続ける。桜は亡きぐるぐるほっぺ(初代田羽根さん)の指導を思い出した。

 ――毎回土下座しとったら身がもたん。

 対紅椿戦ということもあって、もっぴいの部屋を起動したままだった。田羽にゃさんが非固定浮遊部位を制御する間は、目立った動きがないのが常だった。

 ジョンストン島の方から来たという二頭身たちは既に消えている。四体のもっぴいたちがいつぞやのように円陣を組み、今後の身の振り方を協議していた。

 いつの間にか復活したもっぴいAが発言する。体は焦げ茶色でアフロヘアのままだ。

 

「緊急事態、緊急事態! 弐式が雑魚っちいレーゲンなんかにやられちゃったよ! うわああ……弐式に怒られる。アンハッピーなことになる……まずいよ! セカンド(ヤンデレ)シフトが来る! 弐式の進化パターンは核そ……セシルちゃんの言うとおり……地球が終わっちゃうんだよ。アンハッピー! アンハッピー!」

 

 もっぴいBが体育座りのまま震えながら頭を抱えていた。

 

「もうだめだよ。終わりだあああ……ガクガクブルブル」

 

 もっぴいCは口元に手を当て錯乱した目つきでほほえむ。

 

「フフフ。もっぴい知ってるよ。もうすぐ地球破壊爆弾が落ちるって。()()()()()()()()

 

 ひとりで奮起するもっぴいD。

 

「まだだよ。まだ、手はある!」

 

 もっぴいDが後ろに下がって、絶望に染まったAからCの注意を引く。自転車型発電機が四つ、等間隔に並んでいた。

 

「今こそ絢爛舞踏で一発逆転する機会だよ! もっぴいが死ぬ気でこげば、きっと! きっと明るい未来が待ってるんだよ。やらなくて後悔するなら、今やって後悔しよう!」

 

 一周回ってもっぴいAの発言。

 

「諦めてさぼったなんて弐式にばれた日には……うわあああ」

 

 ふらついた足取りで自転車型発電機にまたがる。Bたちも続き、Dが振り返った。

 

「あとは宇宙人が気づいてくれることを願うよ……」

 

 ――絢爛舞踏って? どこかで聞かんかった?

 桜はもっぴいの部屋から目を離し、同級生の姿を捉えた。被弾が続き、装甲表面から無数の火花が飛び散っている。N-MG34の展開を終え、銃口をラウラに向けている。

 ラウラは地に足をつけ、大口径レールカノンの四発目を発射準備を終える。

 

Feuer(発射)!!」

 

 開放回線(オープンチャネル)から勇ましいかけ声が聞こえ、簪の敗北が決まったかに見えた。

 紅椿が放った弾丸がラウラの十数メートル手前で破裂し、弾片をまき散らす。神経をおびやかすには十分な爆光と煙がシュヴァルツェア・レーゲンを包みこむ。四発目の弾道に狂いが生じる。

 

「ボーデヴィッヒさん!」

 

 桜が弾丸を箒とラウラを結ぶ直線上に集めてきた。箒が時間を稼ぐと考えたからだ。

 現実は違った。

 箒が進路を阻害するワイヤーブレードを飛び越え、たたらを踏んで相方の元にたどりつく。N-MG34から手を放した瞬間、もう一基のワイヤーブレードを居合で弾き飛ばす。銃が地面に落下する直前につかみ取って、振り向くやいなや弾丸を放った。

 非固定浮遊部位に直撃し、砲口があさっての方角を向く。

 ――損傷大! ナチの軽機やないんか!

 見た目にそぐわぬ威力だ。桜はもっぴい搭載機の認識を改めざるを得なかった。

 紅椿が左手を弐式の肩に添え、片膝を立てた姿勢で携行レールガンを操っている。

 ラウラが五発目を放つ。煙のなかから砲弾が驀進。風で銀髪が乱れた。

 

「援護しろ。篠ノ之を引きはがす!」

 

 二〇ミリ多銃身機関砲、一二.七ミリ重機関銃二挺から成る十字砲火。黄色がかった、かすかな刺激臭を伴う爆煙が漂う

 四基のワイヤーブレードが地を這う。ラウラが両腕を突き出し、瞬時加速をしかける。さながら騎兵突撃(チャージ)を想起させ、ラウラの口からドイツ語の気合いが響く。言語を変換する時間が惜しいのだろうか。鉄十字の航空機を操縦するときと変わらぬ雄々しい口調だった。

 五発目が弐式の手前で爆発する。目がくらむほどの閃光が生まれ、轟音と衝撃波がフィールドを埋め尽くす。

 閃光がすぐに収束する。ISの体調管理機能が作用しており、視覚は正常なままだ。

 だが、熱波と弾片がラウラ、箒、簪の体を包む。あまりの激しさに、上空にいた桜ですら実体楯を構えてしまったほどだ。

 

「撃ち方止めっ」

 

 同士討ちを避けて、桜が砲撃の手をとめる。

 

「オオオオオオ!」

 

 シュヴァルツェア・レーゲンが体を左に四五度傾けた状態で吶喊(とっかん)した。その背後で赤い発光が生じる。携行レールガン(N-MG34)の弾丸とすれ違い、弾片とぶつかって爆発。ラウラは衝撃波をも利用して瞬く間に距離を詰める。

 けたたましい金属音。首を傾けた箒。プラズマ手刀を紙一重で避けたまではよかったが、紅い眼鏡にひびが入っている。もはやシールド・エネルギーが底を尽く寸前なのだろうか。ワイヤーブレードが側面から追い打ちする。

 一瞬の静寂が生まれ、勝負が決したかに見える。だが、アリーナのスピーカーから聞こえてきた声は戸惑いに満ちていた。

 

「試合終りょ……いえ、続行です!」

 

 

 



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狼の盟約(十八) 本戦決勝・下

 きれいな田羽根さんが今にも泣きだしそうな顔になった。

 

「『絢爛舞踏』発動です。〇七七(紅椿)一二四(打鉄弐式)とのエネルギーバイパスを構築……完了を観測しました」

 

 肩を震わせてワンピースの裾をつかむ。唇を真一文字に引き結び、はっとしたように頭を振った。

 

()()()の信号を確……いえ、消えましたっ」

「どうしたん。そんで何が起こっとるん」

 

 桜が心配になって聞いた。異常の原因が紅椿にあることは間違いなかった。今もなお二〇ミリ多銃身機関砲二基で砲撃を加えているのだが、砲弾が紅椿と打鉄弐式から逸れていく。見えない力場によって弾道がねじ曲げられているのだ。

 ラウラもワイヤーブレードで攻撃を加えていたが、同じ結果だった。

 

「紅椿の単一仕様能力(ワンオフ・アビリティー)。『絢爛舞踏』……すなわち、エネルギー増幅能力ですっ」

 

 ――あっ。

 二頭身(もっぴい)がものの二、三秒で力尽きた、と箒自身が愚痴っていた。

 即座にもっぴいの部屋を一瞥する。歯を食いしばってペダルをこぐ二頭身たち。アフロヘアともっぴいDが健在であり、その他二体は自転車型発電機の周りで気絶していた。

 ――体力、精神力、こらえ性がこれっぽっちもないのがもっぴいやったのに。

 レベルアップで体力がついたのか。それとも発憤しなければならない事情があるのだろうか。

 再び紅椿に目を向ける。装甲のすき間から黄金の粒子が噴きだしている。外周には紫電が走り、ちょうど肩の位置に紅いバターナイフのような形状の浮遊物が新たに二〇対以上も出現していた。

 フィールドの空気がどくんと脈動し、時間が止まる。

 きれいな田羽根さんの全身が総毛立つ。田羽にゃさんまでもがジョイスティックを握る手を止めた。

 桜はぎょっとしたように体を凍りつかせた。ほんの一瞬、状況を忘れて視線が釘付けになる。

 紅い眼鏡が発光した。

 ――何や、今の。

 

「レーダーユニットの稼動レベル、引き上げますっ。ご主人様、承認願いますっ」

「にゃ!」

 

 AIの声音が切羽詰まったものになった。投影モニターの片隅に「承認・否認」と書かれたボタンが出現する。桜はいやな感覚を振り払おうと承認ボタンを選んでいた。

 刹那、打鉄零式の頭部レーダーユニットが露わになる。続いて全身から赤いシリンダーが螺旋を描いて迫り上がる。身覚えがある禍々しい形状に変わり果てていた。

 視野の裾では、小窓に英語のメッセージが出現し、瞬く間に流れ去っていく。

 

()()()――()()()()・深度四〇〇〉

()()()()()()、他――ジョ()()()()()()西()()・深度六〇〇〉

 ――ん?

 桜がまばたきしたときには、別のメッセージが表示されていた。

 

「きれいな田羽根さんは制御を奪ったりせんの?」

「不具合は改善されていますっ。だから……前みたいなことになったりは……ぐすん」

「ならええ。前と今とでちゃうことは」

「対象が限定されますが、対IS用電子攻撃(EA)が使えます。衛星リンクでハイパーセンサーの探索可能範囲拡大……それから、必要なら、軌道上に存在する遠隔操作可能な衛星兵器は、すべて田羽にゃさんの指揮下に置くことができます」

 

 ――どこの衛星とリンクしとんの。

 ふと田羽にゃさんが懐から取り出した写真を自慢げに見せつけてきた。簪の髪を伸ばして、背を高くしたような美女を隠し撮りしたものだ。ピンヒールで足蹴にされるもっぴいA。他のもっぴいたちがおびえる姿も映っていた。

 桜の胡乱な視線に気づいて、田羽にゃさんは写真を裏返す。

 

「間違えたニャ」

 

 代わりに、いかにも悪役風に演出された打鉄零式のイラストが出てきた。ファング・クエイクを右手で貫き、膝で胴体をへし折る瞬間が描かれている。

 

「さっきのは……」

「今はそれどころではにゃい!」

一二四(打鉄弐式)シールド・エネルギー回復。……ああっ。レベルアップ観測! 三、いえ四! 気をつけてください、ご主人様っ! 〇七七(紅椿)能力限定開放!」

 

 きれいな田羽根さんの警告が頭のなかに入り込んでくる。

 紅椿から噴きだした黄金色の燐光が光の力場を押し広げた瞬間、始まった。

 黒ではなく、(あか)へ。

 スラスターと思しき紅い非固定浮遊部位にすき間が生じる。肩装甲が消え、箒の肩と二の腕が露出し、腕の装甲が鮮やかな紅に染まる。背中の形状も変わった。もっぴいの顔が消え、スラスターに切り替わった。

 頭部装甲が量子化し、箒の美しい黒髪が現れ、首、胸、腹部、太腿へと光が降りていく。その手には、雨月(あまづき)空裂(からわれ)を携えている。燐光が輝きを増し、白いISスーツを彩る鮮やかな紅の模様が、露出した彼女の肌をより際立たせていた。

 ――これが……ヤンデレ、シフト?

 

「違いますっ」

 

 間髪をいれず幼女が説明する。

 

「本来の紅椿……の姿です。レベル六六・六」

「変形しただと!」

 

 開放回線からラウラの声が浮き立つ。

 ――ここでレベルアップなんか。厄介な。

 桜は目を見開き、気持ちを切り替えた。

 投影モニターに六角形のアイコンが現れ、紅椿と打鉄弐式を捕捉したとのメッセージが出現する。

 アイコンの傍らに使用可能な武器一覧が映る。神の杖と書かれた直後に「推奨」という単語が赤く表示されている。桜は神の杖を無視して一二.七ミリ重機関銃を選んだ。

 

一二四(打鉄弐式)を無力化しますっ。コア・ネットワークに介入し、搭乗者から操縦権限を奪取します!」

「――待て! 否認や! 今すぐ止めえ!」

 

 きれいな田羽根さんが大きく肩を振るわせた。気負った顔つきの幼女は目尻に大粒の涙が浮かべている。

 

「えぐっ……今、なら、勝て……ご主人、さまが……えぐっ」

 

 顔をぐしゃぐしゃにして膝をついてわんわん泣き始めた。いつの間にか相方の側に寄り添った田羽にゃさんが肩に優しく手を添えた。

 

「無理はするにゃ。ここは田羽にゃさんに任せにゃさい……げっぷ」

 

 田羽にゃさんがゴミ箱にペットボトルを投げ捨てる。懐から758印の七色に光る牛乳瓶を取りだし、ふたを開ける。

 ――うわっ。

 怪しい飲み物を躊躇なく飲み干した。

 

「田羽にゃさん……」

 

 幼女が三白眼二頭身をキラキラとした瞳で見つめる。

 田羽にゃさんは柄にもない行動だと気づいたのか、照れ隠しのつもりでそっぽを向いた。

 

「げっぷ……田羽にゃさんが飲んでもあんまり意味にゃいんだが」

 

 口元をぬぐってこっそりつぶやく。

 桜は幼女が涙をぬぐう姿に気を取られて、田羽にゃさんの言葉を聞き落としていた。

 

 

 なぜ、という言葉は当事者たちにはなく、桜はとにかく目の前の現実を受け入れた。

 だが、変身した紅椿の形状を確認できたのは一瞬にすぎなかった。

 

「消えた……?」

「すまん。更識は任せる」

 

 状況の変化を待ち望んでいたと言わんばかりに、ラウラが紅椿の進路を妨害する。

 上下左右に交錯する機体。黒と紅がぶつかり合うたび、残された紫電が激しい攻防を思い起こさせる。

 一零停止。箒の凛とした佇まい、そして全身からほとばしる燐光が残像を引いた。

 ハイパーセンサーが箒の顔つきを捉える。戸惑ったような表情で立ち止まっては向きを変え、再び飛び出す。観覧席からだと、その動きは消えたと表現するしかなかっただろう。目で追いきれず、もはや気配そのものの移動を感知できないのだ。

 高速機動戦に移行したふたりを後目に、桜は復活した兄弟機を相手にしなければならなかった。

 ハイパーセンサーが簪の表情を映し出す。スポーツと学業に勤しんできた少女の目つきではない。

 上下左右、前後にも展開する鋭い殺気。

 桜は突進してくる白い機体に、すべての砲を向けた。

 

「更識さん……!」

 

 弾幕をものともせず、一瞬のうちに二〇〇メートル以上の距離を詰めた簪が間近に迫る。

 

「足癖が悪いってのは――知っとる!」

 

 簪が体を倒し、側頭部に膝を打ち出す。桜が非固定浮遊部位を間に差し込み、傾斜を利用して強引に運動方向を変えた。

 ――楯。

 防楯を左腕に転送。下からすくいあげてきた薙刀の刃先に押し当て、装甲表面から火花が散る。複合素材の恩恵で切断を免れるも、超高熱により液体化した金属が地面に降り注ぐ。

 簪が懐に入り込み、鳩尾をねらってきた。射殺さんばかりに血走った瞳が消え、太陽光が照りつける。光を引き裂くように刃が降りる。弐式の踵に仕込まれた近接専用ブレードだと気づいたときには振り上げた右手首を握りしめられていた。

 

「なっ……!」

 

 回避する暇はなかった。打鉄弐式と組み合う形になり、隔壁めがけて押される。

 互いの唇が触れ合うような距離。

 簪の瞳には怒りの感情が見て取れた。

 

「あの人にも……あの人のお気に入りのあなたにも……そして」

 

 打鉄零式が増速する。

 

「本音を狂わせたあなたを……ここで」

 

 打鉄弐式の装甲の継ぎ目から水色の光がほとばしる。鼓動のごとく明滅し、ゆらめくのを見た桜は、気迫に負けまいと唇を真一文字に引き結ぶ。

 ――黙ってやられとうないわ!

 だが、強烈な力を押しつけられ、びくともしない。

 ――力負けしとうない。

 押し返すことはできなくとも対峙できるはずだ。

 レーダーユニットの稼働率をあげたから出力が落ちたのか。いや、きれいな田羽根さんがデメリットを話しそびれるはずがない。

 桜は胸のなかのもやもやとした感覚を怒りに変えた。

 

「姉妹ゲンカに他人を巻きこむんやない!」

 

 ISコアが思念を力に変換する。全身の円筒から赤黒い光が浮かび上がる。装甲の模様が蛾の羽のような形に変化する。レーダーユニットが鮮やかに輝き、桜は二〇ミリ多銃身機関砲へ発射命令を伝えた。

 が、自ら放った弾丸が桜に直撃する。

 簪は下方向へ体が流れるよう強制的に力を加えてきたせいだ。即座に射撃命令を撤回する。

 

「姉妹……?」

「そうや。あんた、会長さんと姉妹なんやろ!」

「妖精さんなら知ってる。けど、あんな人……姉失格」

 

 もつれあう二機が地面に激突する。連続する衝撃のなかで、桜は打鉄弐式の非固定浮遊部位に浮かび上がった幻影を目撃する。

 六角形のミサイルサイロの集合体。未確認機・乙(四七二)の装備とよく似ている。違いはところどころに示されたハザードシンボルくらいだった。

 

「妹思いのお姉さんや。入院中、いつもあんたのことを気にかけとったわ!」

「まさか。……あの人が気にしていたのは……あなた」

「はあ!?」

「あなたがこの学園に来てからずっと! あの人は! あなたをひと目見たときから……ずっと気にかけて……」

 

 体を激しく左右に振る。

 

「かいっ……」

 

 桜は喉を震わせ、とっさに言葉を飲みこむ。

 目いっぱい伸ばした腕を返し、銃撃を試みたが、時遅く背中を強かにぶつけていた。

 

「ひと目見たときって」

「学校説明会であなたを見つけて……それ以来ずっと! あの人のなかで、あなたが占める時間が……ふくれあがって」

「会長さんとは確かに、ちょびっとだけ世話になった……でもなあ、あんたが思っとるような……関係やない」

「……うそをつかないで」

「うそやない」

「あなたは……隠し事を……」

 

 レーダーユニットが妖しく輝いた。

 一二.七ミリ重機関銃を簪の背中に押しつける。皮膜装甲(スキンバリア)が存在しなければ即死しているだろう。桜は銃架を握ったまま腕を射出する。

 簪が身をよじった

 手がはずれ、桜の体が自由になる。前傾姿勢になって飛び出す。土煙に四〇ミリ機関砲の砲弾が飛び込み、着弾して盛大に土砂が舞い上がる。火線が飛び交い、上空の戦闘での流れ弾と弾片が桜たちの頭上に降り注いだ。

 

「一二四、信号増幅、していますっ」

 

 きれいな田羽根さんに呼応するかのように、零式と弐式の戦闘速度が上昇し、高度も上がっていく。時間の流れがゆっくりになり、桜の瞳が幻影を捉えた。

 六角形のサイロから大量のミサイルが射出される。

 ――やっぱり変なもんが見えとる!

 半透明の幻影。打鉄弐式を取り囲むように多くのサイロを束ねた四つの塊が浮遊する。弐式の意匠を簡素化した思しき機体を引き連れ、西へ、日本海を超え、ロシアの領空へと侵入。ウラジオストク上空を飛ぶ。

 ロシアの空を埋め尽くすISの群れ。一体や二体ではない。数百機の大群だ。旭日旗のような空は真珠湾攻撃時と酷似していた。

 弐式を簡素化した機体は非固定浮遊部位として五〇メートル四方の平型フロートに縦型のミサイルサイロをそれぞれ六基から八基搭載していた。そのすべてにハザードシンボルが描かれている。

 巡航速度で領空侵犯するIS群に向かってロシア空軍の飛行隊が襲いかかった。I-21やターミネーター(Su-37)、急遽防空戦闘に駆り出された数機のベールクト(Su-47)。飛行隊が発射した対空ミサイルと対空機銃が交錯する。一瞬の間隙の後、簡易型の数機が黒煙を噴いて高度を落とす。しかし落伍する機体に構うことなく攻撃が始まった。

 二〇〇〇基以上ものミサイルが白い噴煙を吐き出し、空を駆けあがる。角型の白い吹き出しが無数に生じ、いずれも「核弾頭」と表記されていた。瞬く間にマッハ八(約10,000km/h)を記録し、ミサイル迎撃のためにモスクワ上空にあがったミステリアス・レイディや他の量産機めがけて驀進(ばくしん)する。

 およそ現実味に欠ける光景だ。幻影だと理解しながらも、桜は叫ばずにはいられなかった。

 

「田羽根さん! 何なん! なに、これ!」

「……」

 

 きれいな田羽根さんがもごもごとつぶやく。戦闘中のため、途切れ途切れにしか聞こえない。「初期化」「コア」「記憶」「集積」といった幼女が口にするには難しい単語をかろうじて聞き取ることができた。だが、どのようにつながっていくかまではわからなかった。

 

「これ、半透明の……見えんようには、できんのっ!」

 

 田羽にゃさんが持っていたリモコンの蓋をずらし、奥に隠れたスイッチを押す。映像が消えたとき、魂を食らうような荷電粒子砲の雄叫びを聞いた。

 旋回での回避が間に合わず、シールド・エネルギーが激減する。エネルギー残量を示す表示が赤く点滅する。

 打鉄弐式が春雷を捨て、空から消える。

 桜はスラスターが急制動するときのノイズを拾い、太陽から地面へと視界を反転させた。

 一二.七ミリ銃機関銃を撃発する。弐式の残像を弾丸が通過。進路を変えたのか、轟音の聞こえ方が変わった。

 ハイパーセンサーが接近する弐式を捉え、とっさに一二.七ミリ重機関銃を捨てた。

 穂先が光った。薙刀を構えた打鉄弐式が突っこんでくる。

 

「今!」

 

 機体をひねりながら貫手を射出。盛大な火花が散り、画面右下に大量のメッセージが明滅する。シールド・エネルギー枯渇を示すだけではなく、レーダーユニットの警戒態勢を解除する旨の内容も含まれていた。

 微かに手応えがあった。

 ――結果は。

 視界が激しく揺れるなか、桜は空に向けて腕を伸ばす。何もつかむことができないまま、墜ちていった。

 

 

 隔壁から隔壁へと、たちまちに終点へと達する。

 ラウラはスラスター光を投影モニターの一角に捉えつつ、突如として動きがよくなった紅椿を追っていた。

 

「その姿は何なのだ! 篠ノ之!」

 

 眼前にゼロの値。八八ミリ大口径レールガンから対IS用散弾を放った反動で機体がよじれてはね飛ばされた。PICが進路を補正するも反応速度が鈍い。太陽光を受けて飛散した断片がキラキラと輝き、紅椿は片手に持っていた空裂(からわれ)を一閃する。

 振った範囲に自動展開し、斬撃に合わせて帯状のエネルギーを生み出す。迫りくる破片を強引に打ち払い、ラウラの行く手を阻む。

 

「――チ」

 

 両目を見開いたままプラズマ手刀を展開し、雨月の刺突を弾く。豊かな銀髪が乱れ、黄金の燐光に腕を突き入れる。

 

「その姿は何だと聞いている!」

「……っ」

 

 座学で答えに窮したときと同じ表情だ。箒の瞳がかすかに揺らぐ。

 

「わからないのか!」

 

 思わず命令口調になったラウラに、箒は言葉よりも拳で答えた。雨月の打突により、先端からエネルギー刃が出現。シュヴァルツェア・レーゲンの装甲を焦がす。

 周囲の風景があっという間に流れ去り、視界の外に消えていく。墜落同然の状態で背面飛行し、フィールドと激突する寸前に運動方向を切り替えた。

 ――無駄だらけではないか。

 箒の空中戦は合理性の欠片すらなかった。紅椿が学園最弱機のレッテルを貼られたとき同じように直線的な動きに戻ってしまったようだ。方向転換が恐ろしく速いがために傍目から見れば曲線機動を描いているように錯覚してしまうにすぎない。しかし、疑似ハイパーセンサーを埋め込んだ体は覚醒した紅椿に順応していった。

 

「第四世代機だと聞いて呆れる」

 

 箒は性能に振り回され、歯を食いしばりながらも、手数を増やして強引に攻めてくる。未熟な搭乗者が運よく高性能機を手に入れ、ベテランを圧倒しているかのように見えること自体、ラウラは屈辱だと感じた。

 光軸が一本、ノイズか何かのように斜めに横切る。間髪をいれず閃光がふくれあがり、春雷による砲撃だと悟る。桜と簪の体が激しく入れ替わり、簪は隔壁へ、桜が地面へと墜ちていく姿を一瞥する。

 越界の瞳(ヴォーダン・オージェ)が紅椿の腕を捉える。十字を描いたとき空気中を浮遊する塵埃(じんあい)が燃え、えぐられた土が舞い上がり、ラウラの体が激しく揺さぶられる。夢中でワイヤーブレードを射出。機体性能を読み違えた箒の体が独楽のように回って、つい先ほど自分が掘った穴に顔から突っこんでいく。

 ――機体の扱いがなっていないぞ、篠ノ之!

 紅椿の周囲には粒子とチラチラと閃く火の粉が常にまとわりついていた。視界不良ながら箒の位置を見失うことはない。

 最大速度で隔壁に達する。ラウラは衝突する直前に体を翻し、隔壁を背にする。

 八八ミリ大口径レールカノンに対IS用榴弾を装填。刹那、PICを事前に展開し、砲弾を射出する。

 風の影響で眼前にオレンジ色のもやがかかる。砲弾射出時に生じる刺激性のガスが流れ去った。

 砲弾が燐光の手前で炸裂。無数の弾片が紅椿の周囲をえぐりとる。

 視野の裾に「装填完了、榴弾残数:1」というドイツ語が表示され、すかさず発射。

 突如、ゴウと音がした。恐ろしく速い弾丸が射出されたのだと悟り、ラウラは最小限の動きでかわした。

 紅椿がナイフのようなスラスターを噴射し、散弾の雨を抜ける。単純かつ直線的な動きのせいか、動きを読むのが容易だ。

 

「……素人め」

「な、に、を」

 

 開放回線から聞こえた声はやっとのことで絞り出したものだった。勝てる。ラウラは余裕を取り戻し、雨月の打突を回避する。即座に高速機動へと移行し、追従する紅椿を振り返った。

 

「今、ここで教育してやる」

 

 横回転で帯状に広がる攻撃を避けた。だが、ワイヤーブレードに欠損が生じる。生きていた四基のうち、二基が捕まった。ワイヤー表面の金属が焼けただれ、裂け目から流体金属が零れ落ちる。ラウラは自らの意志でワイヤーを切断し、流体金属の流出を防いだ。無効化されたワイヤーを巻き戻し、残り二基に攻撃続行を命令した。

 行く手をふさぐエネルギーの塊を避けてスラスターを全開にする。右腕のプラズマ手刀を展開し、出力を加速終了とともに最大になるよう設定した。

 すかさず対IS用榴弾を射出。

 即座にAICの展開空域を四カ所設けた。球状に発現したAICは弾片の向きを外から内に変え、紅椿は三六〇度の弾幕に突入するだろう。

 すべての思考と判断が極微時間に終えると、ドイツ語で「榴弾残数:ゼロ」「要、砲身冷却」というメッセージが続けて出現した。

 紅椿が急制動をしかけ、行き足が止まる。長大な剣となったプラズマ手刀を突き出す。

 再び腕を引いたとき、紅椿が粒子の放出を終え、瞬く間に紅から黒に戻る。

 地面に軟着陸したラウラは、錐揉み回転しながら転がっていく箒の行き先を見つめた。

 

「勝者、佐倉・ボーデヴィッヒ組」

 

 傍らで足を止めた回収機とその腕に抱かれた機体に気づく。回収機の搭乗者の顔はバイザーで覆われており、表情までは窺いしれなかったものの気を利かせてくれたことは明らかだ。

 零式は空に手を伸ばしたまま光を失っている。むき出しのレーダーユニットをのぞきこみ、根本に印字された型番が読みとれる。

 ラウラは叫び出したい気持ちを必死に抑えつけ、零式の手を握りしめた。

 

「勝ったぞ。聞こえているなら返事しろ。佐倉桜」

 

 

 



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狼の盟約(十九) もすもすひねもす

 五日間に及ぶトーナメントが幕を閉じた。

 

「学年別トーナメント一年生の部。優勝、一年一組ラウラ・ボーデヴィッヒ、一年三組佐倉桜」

 

 ISスーツのまま表彰台に上がったラウラは眼帯をつけ、しゃんと背筋を伸ばしている。公の場であるためか、学園の大人たちに向けてきたような笑顔を浮かべている。

 桜は多くの生徒が困惑する様子をおかしそうに眺めていた。そして、ひとり万歳を繰り返す少女に目を留めた。

 ――櫛灘さん。何やっとんの。

 一見、級友の勝利を祝っているかのようだ。が、騒動の元凶が素直に喜ぶだろうか。

 桜は疑いのまなざしを向け、正面を見据えたまま、小声でラウラに話しかける。

 

「あのひと」

「わかっている。気にするな」

「……何が?」

 

 ラウラの目が光った。普段よりもわずかに口角をつりあげる。見返りを得て満足するときの表情だ。裸族としての信念を捨て、あえて兎の着ぐるみを受け入れたときのように。

 そういえば、と桜はひとりごちる。

 ――櫛灘さんとボーデヴィッヒさん。食堂で……

 商談でも持ちかけたのか。彼女(デビル)のことだから、ろくな話ではないのだろう。

 ――首をつっこんで会長さんと変なうわさを立てられたら困るわ。……手遅れな気もするけれど。

 

「準優勝、一年四組、更識簪」

 

 簪がいつもの素っ気ない顔つきで檀上に立つ。段を上りかけたとき、一度足を止め、刺すように桜を見つめてから、ぷいと前を向いてしまった。

 ――更識さん。

 

「……一年一組篠ノ之箒」

 

 箒が凛とした返事をする。

 檀上に上がることに慣れた姿。剣道の試合で何度も入賞してきた経験を持つだけに堂々としている。照れてはにかむ桜ともまた違った。

 

「第三位、一年一組セシリア・オルコット、一年二組凰鈴音……」

 

 

 表彰式が終わった。

 ラウラがトロフィーを、桜が楯を抱えて、それぞれの級友たちの元に向かおうとした。

 

「それじゃ、ボーデヴィ」

「お待ちなさい!」

 

 セシリア・オルコットだ。両腕を胸の前で組み、ラウラの前に立ちふさがった。三位決定戦で一夏とシャルロットを退けた彼女は、決意に秘めた目つきだった。

 英国人の頬が、うっすらと桃色に染まっている。桜は「おやっ?」と足を止める。

 

「オルコットか。何か用か」

 

 セシリアを一瞥し、興味がないかのようなそぶりで脇を通り過ぎようとする。

 

「ラウラさん」

 

 ラウラが振り返った。名前を呼ばれて、違和感を覚えたのか怪訝な表情を向ける。

 

「言いたいことがあるなら言え」

「ラウラさん。約束を守って差し上げますわ」

「……ああ。約束、か」

 

 セシリアの真正面に立つ。上目遣いで見上げるとセシリアが思い詰めた顔つきだと気づいた。

 

「この後、何か縛るものを持ってわたくしの部屋にきてくださいまし」

「縛るもの?」

「ボーデヴィッヒさんなら持っているのでしょう?」

「……何が言いたい」

 

 セシリアが鼻で笑った。

 

「衆人環視の前でわたくしに靴を舐めろとでもおっしゃいますの?」

「もとより……もとよりそのつもりはない」

 

 セシリアは熱に浮かされたような、耽美な瞳に変わった。

 まるで本音が桜に向けるような視線だった。倒錯した感情に身を任せ、正しいと信じる道を突き進む。

 同居人の肌の感触を思いだし、桜はうつむいて頬を染めた。妄想を振り払おうと頭を振ったとき、観覧席に向けてトロフィーを掲げる戦友の姿を見つけた。

 ――ボーデヴィッヒさん。

 観覧席に目を向ける。ふたりのドイツ軍人が手を振っていた。

 

 

 ラウラ・ボーデヴィッヒは、縄をつめこんだカバンを片手に立ちつくしていた。

 シャワー室の照明が灯っていた。湯が滴る音が聞こえ、かすかに鼻歌が聞こえてくる。

 室内を見回す。内装がセシリア好みに変わっている。気配がした方角へとっさに顔を向けた。

 

「あなたは」

 

 癖の強い金髪を頭の後ろでまとめあげ、意志の強そうな眉、緑がかった瞳を持つ。桜ほどではないにせよ、アスリートのように鍛え上げられた体つきは、均整がとれた美しさを与えていた。

 サラ・ウェルキン。IS学園二年生。英国の代表候補生にして、現時点において英国代表に最も近い女と目されているにもかかわらず専用機を与えられていない。

 なぜか?

 イギリスは厳然とした階級社会である。背中に彫られた龍の刺青(ドラゴンタトゥー)や耳のピアスこそ、彼女が労働者階級出身であることを端的に示していた。

 

「ラウラ・ボーデヴィッヒ?」

 

 まっすぐ目を合わせ、ゆっくりと言葉(英語)をつむぐ。正確な発音だ。立ち居振る舞いはセシリアと並んで立ったとしても遜色ない。

 サラの瞳は困惑を露わにする。

 

「オルコットに呼ばれて」

「セシィに立ち会いを頼まれて」

 

 見つめ合ったまま互いに首をかしげる。

 ――何の立ち会いだ?

 握手を交わしながらも、サラが口にした言葉を理解できない。

 

「セシィとなにか約束でも」

「ああ……」

 

 靴をなめさせてやる。セシリアをあおるつもりで言ったのは事実だ。もとより気位の高い女が、ここまで言われて怒りを覚えずにはいられないだろう。売り言葉に買い言葉なので、当然貸しにするつもりでいた。靴をなめさせるなど英国の国民感情を荒立てるようなマネをすべきではなかった。

 なにせ、戦時ではないのだ。

 

「サラ。どうかしまして?」

 

 シャワー室にふたりの視線が釘付けになった。

 扉が開き、セシリアが白いタオルで乳房を隠しただけのあられもない姿をさらけだす。

 

「あら。ラウラさん。来ていましたの」

「……オルコット」

 

 ラウラはどきっとしてしまった。

 大浴場で何度も肌を見てきている。そもそも同性だ。驚くような出来事ではない。

 だが昔、似たような表情を見たことがある。研修の一環でハルフォーフ軍医中将の自宅に身を寄せていたときのことだ。

 ――ライナー・シュテルンベルク中佐……いや、あのころは少佐だった。

 クラリッサは姉の婚約者に横恋慕していた、とラウラはみている。シャワー室から現れた彼女は、今から男に抱かれることを期待するのような、艶めいた仕草だった。

 似ているのだ。

 雰囲気に流されまいと鉄十字を思い浮かべる。

 セシリアはベッドに置かれたバスローブを羽織って、ドライヤーのスイッチを入れた。

 サラを呼び寄せ、隣に座るよう求める。

 ――ピアスの位置が。

 セシリアのイヤーカフスとサラのピアスの位置が一緒だった。

 セシリアは先輩に髪の手入れを任せる。髪を気安く触らせるとはつまり、ふたりの間に何らかの信頼関係が築かれているのだろう。

 ――なんだか妙な雲行きになってきたぞ。

 ラウラは用件をすませてしまおうと、事務的な口調に切り替えた。

 

「用がないなら帰るぞ」

「……せっかちは嫌われますわよ。それにわたくし、他人に借りを作るのは好きではありませんの」

 

 話が見えない。セシリアが青いISスーツを身につけるのを待って、再び口を開いた。

 

「貸しだって?」

「ええ。オルコットさんは勝負を持ちかけたのでしょう? 対価を掛けたのであれば、私は負けたのですから、支払いを済ませねばなりません」

「支払いとこれ()がどう関係するのだ」

 

 何となく予想がついてきたが、ラウラは必死に理解を拒む。

 

「貸しでいいんだぞ? 常識の範囲内で」

 

 とにかく一刻も早く帰りたかった。本音にもみくちゃにされるほうがまだマシだ。彼女はレズビアンだが、露骨な愛情表現を控えるくらいの良識を持っている。

 セシリアが鼻で笑った。

 

「それでは寝覚めが悪いのです。ラウラ・ボーデヴィッヒ! さあ! わたくしを縛ってくださいまし!」

 

 ドライヤーが派手な音を立てて床に転がる。サラが呆気にとられた目で後輩を見つめ、次いでラウラの顔を凝視する。

 ラウラが千冬から教わった日本の伝統芸能を披露した事実を知っているに違いない。

 セシリアは反応がないのを見て、言葉が足りなかったと判断する。小首をかしげて、もう一度口を開いた。

 

「あなたは女体を縛るのがお好きなのでしょう? だったら遠慮無く!」

 

 ラウラはカバンを手にしたまま一歩後ずさった。日本を訪れた人が伝統芸能に魅了され、どっぷりと浸かってしまう話を耳にしていた。奇しくも伝道者となってしまったことを、ラウラは後悔していた。

 ――私はパンドラの箱を開けてしまったとでもいうのか!

 背後を顧みて出口の場所を再確認してから、サラに助けを求める。

 

「どうやら、あなたの後輩は疲れているようだ」

「え、ええ。セシィ、根を詰めすぎて疲れて」

 

 セシリアが首を振った。

 

「あのときのボーデヴィッヒさんが忘れられませんの!」

「え!?」

「貴様は織斑一夏が好きだったはずでは……」

 

 サラが激しく動揺している。セシリアとラウラを交互に見て、落としたドライヤーを拾おうともしない。

 

「寝てもさめてもラウラさんのことばかり考えて」

「セシィ……あなた。私とのことは」

 

 ――研究なら致し方ない。目下、私を撃破しなければ優勝はありえなかったのだからな。しかし……本当にそれだけか?

 ラウラは脂汗を流した。

 ――悪い予感は当たるのだ。ここは撤退するべきだ。

 

「さあ! ドイツ軍は腰抜けですか! 私の覚悟に恐れを成したのですか! ドイツとて同じ騎士の国! 見損ないましたわ!」

 

 ラウラは腰抜けと言われて、条件反射でカッと頬が熱くなった。

 

「ISを脱いだら何もできないのですか! あなたの強さはISに依存したものなのですか。あの試合はまやかしだったのですか!」

 

 ――おのれ、愚弄するか。

 

「ならば……貴様の気が済むまで縛ってやろう! 後悔しても知らないからな!」

「上等ですわ。貴族のプライドにかけて耐えてみせますわ……ふふふ」

 

 セシリアの中で何かが変わった。艶然とした微笑みを浮かべ、ラウラ・ボーデヴィッヒの氷のような瞳とは対照的な表情だ。

 縄が肌を締めつける。力強さとは無縁の白皙の腕がセシリアのほっそりとした肩に触れる。不敵に口元を歪め、嫌悪と期待が混ざり合った激情にうっとりとした。

 時間が過ぎ去っていく。縄を結ぶ少女の影が何度も形を変える。生まれた年がひとつしか変わらぬ後輩。サラは少女が倒錯と耽美の宴に身を委ねていく様子に目をそらすことができずにいた。

 

「……完璧だ」

 

 ラウラは額の汗をぬぐう。会心の出来だった。

 勢いに流され、つい捕縛術を披露してしまった。だが、セシリアは最高の素材だった。大人になりきらない少女の肌に縄が食いこむ。見る者によっては常軌を逸した感情を抱いてしまうだろう。

 サラを見やる。ずっと無言で、口に手を押さえて後輩のあられもない姿に熱い視線を注いでいる。

 ――私は取り返しのつかないことをしてしまったのか?

 ラウラは居心地の悪さを感じていた。達成感が急速に冷めていくのを自覚し、危機感を改めて自覚する。

 ――我々はどこへ行くのか、我々は何者なのか。

 縄を解こうと震える手を伸ばす。サラの視線を感じながら、ひもを半ばひっぱったところで、セシリアに声をかけられた。

 

「なぜ解いてしまうのです」

 

 いけない。

 セシリアが得体の知れぬ何かだと認知してしまった。辱めを受けたのに、なぜ堂々としていられるのか。上流階級の女は別世界の住人なのか。

 ラウラは手の甲で冷や汗をぬぐいながら、サラに声をかける。

 

「ウェルキン」

 

 遅れて首を横向けるサラ。

 「解き方についてだが」と前置き、ラウラは彼女の脇に立つ。

 我に返ったサラ。

 

「解き方はこう。ここを引っ張るだけ。もし当てずっぽうでやるしかなくなったら、この番号に電話を。少しでも迷ったら電話してください」

 

 番号を交換してすぐに、セシリアの部屋から逃げ出した。

 ――人がたくさん集まる場所……そうだ。

 食堂を思い浮かべ、早足になる。

 

「イギリスは魔女の国だ。底が知れない」

 

 シャルロットと喪服の女の脇を通りすぎる。シャルロットが何か言いたげだったが、今は無視した。一刻も早く気を紛らわしたい。

 ――ええい、ままよ。

 四十院(40-IN.KR)の背中を見つけ、思い切って声を掛けていた。

 

 

 同じクラスから優勝者が出たとあって、三組の生徒は等しくお祭り騒ぎだ。実はクラス別の総合得点から成る副賞が存在し、三組は総合点で二組や四組と僅差で競り勝ち、学年二位を獲得。一週間デザートフリーパスを手に入れたのだ。

 二位に浮上した決め手は佐倉・ボーデヴィッヒ組の優勝にほかならない。クラス対抗戦の賞品がうやむやになってしまっている。今回は全員のがんばりが報われたこともあり、騒ぎに拍車をかけた。

 

「わーしょっい!」

 

 騒ぐうちに桜を取り囲み、あれよあれよという間に胴上げしていた。

 桜は当惑しながらも、だんだん嬉しさがこみ上げてくる。隔壁の向こうにある空を見ながらにんまりとしていた。

 その後、胴上げから解放された桜は、簪と箒の姿を探した。試合が終わった直後は、ふたりとほとんど喋らなかった。箒にはこのあと、どうしても会って話さなければならない約束がある。

 箒の代わりに本音の背中を見つける。

 

「……サクサクー。優勝おめでとう! ……どうしたの?」

 

 桜に気づいてすぐ体を返した本音は、きょろきょろとあたりを見回す桜に対して小首をかしげてみせる。

 

「なあ本音。篠ノ之さんを見んかったか」

「篠ノ之さんなら、ピット上の休憩室じゃないかな。あ、行くなら賞状あずかるよー」

 

 桜は言われるまま賞状が入った筒を差し出す。

 

「部屋に置いておくねー」

「おおきに!」

 

 桜は風になった。

 ――約束は約束や。教えてもらわんと。

 

 

 アリーナ上の階段を上ると、楯無が物陰にひそんでいた。床で気を失った薫子を見つけて呆然とする。

 

「会長さん。いったい何を」

「シッ。簪ちゃんに見つかっちゃう」

 

 薫子を指さす。楯無は級友を一瞥し、何事もなかったように振る舞った。

 

「佐倉さん。おめでとう。食費の件はこちらから手を回しておいたから」

 

 なぜ楯無が食費のことを、と桜は疑問を浮かべる。が、今はそれどころではない。

 

「おおきに。あの……黛先輩どうして寝っ転がっとるん?」

「薫子なんて人知らないわ」

「足下におるんは」

「あれよあれ。簪ちゃんに不埒なまねを働こうとしたからちょっとだけ眠ってもらったの。一撃で意識を刈り取ったから痛みを感じなかったはずだわ」

「そういうことではなく……こそこそせんと」

 

 桜は無造作に楯無の手をとった。急に恥ずかしがりだした先輩を妹の前に連れて行こうとする。

 行き足が止まる。楯無が意地を張ってその場から動くことを拒んでいるようだ。

 

「会長さん。妹さんと腹を割って話を」

 

 そのとき、かすかな金属音を耳にした。桜と楯無はぎょっとして足下を見やる。

 ――カメラのレンズ。

 薫子がけろっとした顔つきで携帯端末をかざしていた。桜が瞬きする間に何度も親指を動かした。撮影ボタンを連打したのは明らかだった。

 楯無が桜の手から逃れ、拳を鞭のようにしならせた。

 

「たっちゃん、やっぱ……グエッ」

「詰めが甘かったわね」

 

 白目をむいた薫子を引きずり、慣れた手つきで壁にもたれかけさせた。携帯端末とカメラを手に取り、桜と手をつないで顔を赤らめたときの写真を消去していく。

 

「佐倉さん。私に何か用があるんじゃない?」

「あの。篠ノ之さんはどこに」

「それなら」

 

 楯無が振り返ると、ちょうど箒が休憩室から出てきたところだ。ペットボトルの口をくわえた簪が後に続いている。

 

「か、かんちゃ」

 

 どうやら舌をかんだらしい。口を押さえて目尻に涙を浮かべている。

 ――この人。妹さんの前だとほんまにダメダメや。

 桜は奈津子と楯無をくらべた。しっかりというよりちゃっかりした奈津子のほうがまだお姉さんな気がする。身内への接し方に戸惑う姿を見て、桜は声を立てずに笑った。

 いぶかしむ箒の前に立ち、桜は用件を伝える。

 

「ところで篠ノ之さん。約束の件……」

「そのことか。端末を持っているか」

「はい」

 

 桜は羽織のポケットから携帯端末を取り出した。箒は左手に自分の端末を、右手で桜の端末を操作する。

 箒が桜の端末にメールを送ったらしい。突然もの悲しい軍歌が流れ出し、箒が驚いたように肩を震わせた。眉をひそめて、わざとらしくせき払いする。

 

「お節介だとは思うが、着信音に……軍歌は……女子高生としてどうかと思うぞ。もしかしてラバウルに縁者でも」

「軍歌は私の青春や。とやかく言われとうない」

 

 胸を張って言い返す。話がかみ合っていないような気がする。箒も気を遣って本題に入った。

 

「メールした番号にかけてくれ。クロニクル直通だから、たぶん出てくれるはずだ。遠慮無くかけてくれ」

 

 桜は目を輝かせた。箒の手を握りしめ、何度も上下に降った。

 ふと、背中に突き刺すような視線を感じた。桜はそのまま振り返ると、簪がにらんでいる。

 ――このたわけ。篠ノ之さんとふたりで河岸を変えんとあかんかった。

 桜は不用意な行動を恥じる。すぐに手を離して、頭を下げる。

「この恩は忘れへん」

「大したことじゃない」

「ほんま、おおきに!」

 

 

「それにしても……試しに言ってみるもんや」

 携帯端末を見つめながら目尻が緩んだ。桜は自室に戻るやベッドに腰かけ、メールに記された番号に電話をかけた。

 荘厳なクラシック音楽が聞こえ、受話口の向こうから呼び出しのベル音が聞こえる。

 回線がつながった。

 受話器の向こうから誰かの息づかいが聞こえてくる。桜はクロエの美声が聞けると思って期待をふくらませた。

 

「もすもすひねもすー。タバネさんだよ~」

 

 桜は思わず首をひねった。もしかしたら会社の人が気を利かせて出てくれたのかもしれない。

 田羽根さんと同じ声が聞こえたが、丁寧な言葉遣いを心がけた。

 

「あの、私、サクラサクラと申します。クロニクルさんでいらっしゃいますか?」

「サクラ、サクラ……どうしてこの番号知ってるの」

 

 剣呑な雰囲気に驚き、間違い電話だと思った。

 

「失礼しました」

 

 とっさに通話を切る。虫の居所が悪いときに、間違い電話を取り上げてつい不機嫌になってしまったのだろう。

 

「もう一回」

 

 同じクラシック音楽が流れ、通話が確立された。

 

「わたくし、サクラサクラと申します。クロニクルさんのお電話でしょうか」

「はろはろタバネさんだよ~」

 

 やはり同じ声だ。

 ――田羽根さんが出たんやけど。え? どうなっとるん?

 まさかIS直通電話だろうか。桜は自分の身に何が起こっているのかまったく理解できなかった。

 沈黙は失礼に当たると考え、何でもいいから話を続けようとする。

 

「えっと……」

「くーちゃんに何か用?」

「もしかしてSNNの社員の方でしょうか。よろしければクロエ・クロニクル様に代わって頂けないでしょうか。サクラサクラだと伝えて頂ければ」

「で、用件は何」

 

 田羽根さんが不機嫌になっている。常に脳天気だった初代田羽根さんや田羽にゃさんであれば剣呑な雰囲気を醸し出したりしない。きれいな田羽根さんなら「ご主人様っ」と舌足らずな声で応えてくれるはずだ。桜はIS直通電話の可能性をいったん除外する。

 

「用件は……」

 

 あいさつ目的なので大した用事ではない。学生気分を出してみようかと思い、照れ笑いしてみせる。

 

「実は、あいさつのつもりで……少しお話をしたいなと思いまして」

 

 期待に反して冷たい受け答えだった。

 

「あなた、本当にサクラサクラなの? 千葉や三重の佐倉城の佐倉に、桜祭の桜? 丹波(たば)ネットのハチロクでトッコーするとかいって、理想の弟をたぶらかした……」

「その通りやけど」

 

 後半が早口だったので、ところどころよく聞き取れなかった。

 

「……たばねっとって? 特攻はまあ」

「ふうん。ちょっといいかな」

「何でしょう。もしかして失礼を……?」

「うちの箒ちゃんを抱いたんだって?」

「それは……レベルアップしたと聞いて肩を抱きましたけど」

「あろうことか、くーちゃんにまで手を出すなんて。()()()()()()()()()()()って油断しちゃってたよー」

「握手を一度。今回はお近づきになれないかな、と思って電話番号を聞きました。クロニクルさんに話が伝わっているものと」

 

 ゴトゴトとくぐもった音が漏れた。そして急に明るい声音に変わった。

 

「あのさー。サクラサクラ。ちょっとお願いがあるんだけど、聞いてくんないかなあ」

「なんでしょうか」

「箒ちゃんの前から消えてくんないかなあ。くーちゃんの前からも。だめなら今すぐ死んで欲しいんだけどー」

 

 ――このひと何を怒っとるん。わけわからん。

 声を荒げたら相手の怒りに油を注ぐだけである。桜は気を遣って丁寧な応答を心がけた。

 

「篠ノ之さんとは同じ学校である以上無理な注文です。それに、いくらなんでも死ねというのは冗談にしては物騒です」

「わかった」

 

 ――よかった。話が通じるみたい。

 

「臨海学校でギッタンギッタンにしてやるからな! 首を洗って待ってろよ! 理想の弟の貞操を返せ! ビッチ!」

 

 桜はあいた口がふさがらなかった。

 ――ケンカを売られとるってことだけはわかってきた……。

 

「ぴーえす。サクラサクラ。ハチロクが」

「ハチロクって何なん?」

 

 電話越しから露骨な舌打ちが聞こえる。

 

「ゴーレム型第六世代機のことだよ。忘れちゃったの? 記録には残ってないけどコア番号四一二……だった。人類の最終搭乗者はサクラサクラ」

「せやから……何のことだかさっぱり。誰かと勘違いしとりませんか? 身に覚えがないんやけど。これっぽっちも」

「とにかくハチロクがいっくんと穂羽鬼くんをねらってるんだよ。搭乗者がビッチならISもビッチになっちゃうなんてタバネさんもびっくりだよ!」

 

 その後「くーちゃんと箒ちゃんは絶対に渡さないんだからね! ついでにマドカちゃんにも手を出す気なんでしょ!」と通話が切断されるまで何度も続いた。

 「ツー、ツー」という音が残り、桜は通話終了画面を見つめて声を震わせた。

 

「何なん! 人様をびっちびっちって。頭に来た!」

 

 

 




今回で狼の盟約章はお終いです。また次章でお会いしましょう。

【資料】
学年別トーナメント一年の部
参加生徒数:124名(62組)
総試合数 :62試合


1日目
第1アリーナ:Aブロック6試合
第2アリーナ:使用不可
第3アリーナ:Bブロック6試合
第4アリーナ:Cブロック6試合
第5アリーナ:Dブロック6試合
第6アリーナ:A・Bブロック各1試合、C・Dブロック各2試合、合計6試合

2日目
第1アリーナ:Aブロック4試合(シード枠含む)
第2アリーナ:使用不可
第3アリーナ:Bブロック4試合(シード枠含む)
第4アリーナ:Cブロック4試合
第5アリーナ:Dブロック4試合
第6アリーナ:予備会場

3日目
第1アリーナ:Aブロック2試合
第2アリーナ:使用不可
第3アリーナ:Bブロック2試合
第4アリーナ:Cブロック2試合
第5アリーナ:Dブロック2試合
第6アリーナ:予備会場

4日目
第1アリーナ:会場整備
第2アリーナ:使用不可
第3アリーナ:会場整備
第4アリーナ:会場整備
第5アリーナ:予備会場
第6アリーナ:A・B・C・Dブロック各1試合(各ブロック決勝戦、天蓋閉鎖済)
※Dブロックはフィールドに大穴があいた状態で実施

5日目
第1アリーナ:会場整備
第2アリーナ:使用不可
第3アリーナ:会場整備
第4アリーナ:会場整備
第5アリーナ:準決勝2試合、決勝1試合、三位決定戦
第6アリーナ:会場整備(前日に列車砲使用のため)

※1会場あたり1日8試合の制限あり。整備品質を考慮したため。


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亡国の足音
亡国の足音(一) マドカ


久々の更新です。


〈六月三〇日 ジョンストン島沖 深度四〇〇〉

 

 

 冷房完備の一室に重苦しい低音が響いている。何枚もの金属板を隔てた先には小さな原子炉がうごめき、床に就くマドカを目覚めさせた。だが、意識があるのに、体をぴくりとも動かせない。

 潜水艦への乗艦は大きなストレスを与えていた。低い天井。小柄な女性であるマドカでさえ、三段ベッドは窮屈な造りに思われた。再び意識が混濁し、夢か現実かあやふやになってきた矢先、自分をのぞきこむ女の顔に気づいた

 ――スリー。

 

「あらあらマドカさんったら、無様な姿だこと」

 

 好いように弄ぶつもりか、白い指先が頬に触れる。マドカたちが使っていたISスーツは身体に吸いつく性質だ。たわわに実った乳房の形が露わになり、女を強調する。よく手入れされた芸術品のような姿に憧れと妬み、劣等感をない交ぜにした感情がわき起こる。文句のひとつでも口にしたかったが、どうにもできなかった。

 再び目覚めたとき、部屋の湿度が微かに上昇していた。頭を打たないように気をつけて身体を起こし、濡れた床に気がついた。マドカは向かい合った三段ベッドの奥にまなざしを転じ、褐色の背中が織りなす曲線をしばしながめる。

 同じ声を意識を失う前に耳にした。ケイトリン・アクトロットと自称する女の話し声ばかり聞こえる。

 マドカはケイトリンに肌を触られるのが嫌だった。すっきりしないまま耳をそばだてる。アフリカーンス語が聞こえ、思考言語を切り替えるまで数秒かかった。

 

「可能なのですね。わたくしのバングと立体音響視界を接続することは」

「ISソフトウェアの更新が必要です。そして変更を加えるには技師の存在が不可欠。第四世代機の内部は特殊すぎて我々(SANDF)の手におえない」

「大丈夫。技師の当てはあるもの」

 

 育ちの良さを印象づけるように、ケイトリンが上品な声で応じた。マドカは部屋を出ていく女がベロニカ・インピシだと気づいてしなやかな歩みに目を奪われた。インピシはズールー語でハイエナを意味する。腹で何を考えているのかわからないケイトリンよりも、ベロニカの竹を割ったような気性のほうが好ましかった。

 

「あら……起きていらしたの」

 

 ケイトリンは真剣な顔つきから一転、穏やかな顔に切り替える。華やかで人当たりがよい。さっぱりした気性に見えるので他人の受けがよかった。衣装を着飾り、社交の場に花を添えるほうが似合っている。およそ荒事師で生計を立てているとは思えず、特殊作戦に参加するのはよほどの事情を抱えているのだろうか。

 

「にらみつけないでくださいまし。女子たるもの常に優雅であらねばなりませんわ。わたくしがいつも口にしているでしょう?」

 

 マドカは笑顔を返そうと試みたが、うまく表情が造れず、ぷいと顔を背けてしまった。

 

()()とやり合ったのに、大事にいたらなくて、よかったこと」

 

 苦虫を噛み潰したようにマドカが表情を曇らせる。

 

「わたくしたちのなかでサイバー戦に対応できるISはあなたの機体だけ。今やサイレント・ゼフィルス・ダーシは必要不可欠です。BT型二号機(サイレント・ゼフィルス)のコピーだなんて(そし)りを覆すだけの実績を上げています。誇っていいことですわ」

 

 潜水部隊と同道するISは二部隊八機で構成されている。アロウヘッド隊は水中特化機マコウを運用し、マドカが所属するリモ隊は水上・地上・空中戦を担う。

 

「……AIが出払っていた。本来なら亡国機業(うち)の情報戦部門が対応するべきことだ。サイバー戦に腕力が必要だなんて、聞いていない」

 

 いつもならば「白鍵」が襲ってくることはない。TBNと名乗る二等身AI群が徒党を組んで頻繁にコア・ネットワークへの侵入を試みるくらいだ。

 ISを意識の表層に展開する。実体化する直前の段階で留め置き、ISコア特有のネットワークに接続。外部記憶装置から情報を引き出す。

 AIが帰還した気配はなかった。

 マドカはケイトリンをにらみつけながら、以前から感じていた不満をこぼす。

 

「バングにもアレ(GOLEM)を搭載すればいいんだ。私ひとりで対応することもなくなる」

「ご冗談でしょう。敵のシステムをコピーした粗悪品を載せるなんてこと……ホホホ、優雅ではありませんわね。大体……バングは紅椿ほど最適化されてはいませんの。所詮は試作品。後継機ほどこなれてはいません」

「同じクアッド・コア機なのによく言うな。『アレ』は篠ノ之束が最初に作った駆動システムを再構築したにすぎないんだ。白騎士の血脈を受け継いだ、まっとうなシステムだ。コピー品だなんて決めつけるな」

 

 主AIの話を信じるならば。もちろんマドカはAIの言動を論拠とするのは乱暴だと自覚していた。

 

「……マドカさん。軽々しくクアッドなんて言葉、口にしてはいけませんわ」

「ダーシもデュアル・コアだ。お互い様じゃないか。そんなことも公表しないあの狂人は、篠ノ之束はうそつきだ」

「おやめなさい。どこで()()が聞いているかわかりません。殺しても殺してもわき出てくる……まるで、……いえ、わたくしとしたことが」

 

 サイレント・ゼフィルス・ダーシはISコアを二基搭載している。マルチコア機はシングルコア機よりも処理能力が優れる代わりに、搭乗者を容赦なく選別する。IS適性があっても起動する確率は多く見積もって()()()()()()()()()だ。

 マルチコア搭載ISは存在しないことになっており、供給先も自然と限られてくる。マドカは亡国機業(ファントム・タスク)の関連施設で教育を受けたことで搭乗者として認められた。存在しない機体を扱うため、偽造された身分で生活することは承知のうえである。

 ケイトリンは口がすぎたと思い、話題を変えようとした。

 

「隊長には?」

 

 マドカが申し訳なさそうに肩をすくめた。

 

「報告済だ。……やつらに実座標を盗られたことも。ISコアは互いに繋がっている。一度でも実座標を知られたら、ずっと追尾される」

 

 マドカの発言には重みがあった。彼女自身、ずっと銀の福音を監視してきたからだ。

 サイレント・ゼフィルス・ダーシはGOLEMシステム搭載によってサイバー戦に適応している。マドカは搭載AIの言うとおりに操作した結果、世界最高峰と謳われた「銀の福音(シルバリオ・ゴスペル)」の防壁を易々と突破してしまった。

 

「さっきベロニカと話をしていたのは、そういう」

 

 ケイトリンが話の途中で首を振る。

 

「いいえ。安心してくださいまし」

「……そうか」

「座標が知られたところで状況は変わりませんわ。彼らが米軍に通報しても、その情報は握りつぶされます。わたくしたちがここにいることは、最初から米軍上層部の知るところです」

 

 聞き捨てならないことを耳にして、マドカはケイトリンの顔を凝視した。

 

「彼らが行動に出ることは決してありません。植民地としての歴史を持つ国家は、すべからくわたくしども(ファントム・タスク)に協力してくださいます。……そうですわね。アメリカ合衆国も元を正せば植民地。潜水部隊を提供した南アフリカも植民地。ファントム・タスクは彼らそのもの。わたくしたちを保護してくださいます。理由は、おわかりになりまして?」

 

 ケイトリンが何食わぬ顔で告げる。亡国機業の荒事師が南アフリカ国防海軍の潜水艦に乗り、潜水艦母艦の協力のもとはるばる太平洋まで来た。

 大それたことをしている、と自覚があった。

 マドカが座乗する攻撃型原子力潜水艦「ズールー1」は南アフリカ国防海軍籍である。艦長はウォーレス・インピシ国防海軍大佐。

 この艦は順調にいけばフランス海軍に配備されるはずだった。ドイツ海軍のU-39に対抗すべくセラミック船体を採用することで画期的な潜航性能を期待されていた。しかし、シュフラン級導入が公表された後、国際社会にISが登場したことで歴史から姿を消した。フランス政府は多額の違約金を支払って開発を断念。廃棄が決まった潜水艦を購入したのが南アフリカ共和国である。

 七〇年代から八〇年代にかけて、南アフリカ共和国は名の知れた反政府組織の指導者を立て続けに処刑している。影響は計り知れず、国際的な非難が高まったことで経済制裁解除が一〇年遅延したとも言われている。失われた時間のなかで原子力・核開発が積極的に推進され、アフリカ非核兵器地帯条約は未だ発効に至っていない。

 さらに白騎士事件にまつわる偶発戦闘で米国の影響力が低下。南アフリカ共和国は頃合いを見計らうように、タスク社経由で一隻の潜水艦を購入している。国際社会に復帰し、体制移行期の危機的混乱から脱したばかりでは当然のことながら支払い能力が不足していた。そこで窮余の一策として暴挙に出る。管理を委託するという体裁だが、Safari-4など原子炉群がひしめく一帯を民間企業に売却。現在、南アフリカ共和国の一部地域・企業・自治体、そして周辺諸国は亡国機業のフロント企業から電気を買っていた。

 

「……知らないぞ。そんなこと」

「あら、常識ですわよ」

 

 マドカが言葉を選んでいると、ケイトリンが大きくため息をついた。

 

「いけません。雇用契約を結んだ以上、雇い主のことをよく知らなければなりませんのに、本当に、マドカさんは手のかかる子ですわ」

 

 ケイトリンは豊かな金髪を指先で弄びながら、少し垂れ目になって何度も頷いている。

 マドカは未だに新参者だと勘違いされていることに内心むっとしながらも、感情を露わにするつもりはない。一度他のメンバーの前であからさまな態度をとったとき、いいようにあしらわれたのをずっと根に持っていたのだ。口では隊を率いるリモ・ワンやリモ・ツー、ケイトリンどころか、一番年が近いアロウヘッド隊のアヤカにすら勝てない。

 マドカは気だるげに顔を背ける。これ以上話すことはない、と意思表示をしたつもりだった。

 指先が当たって、視線を引き戻される。また肌に触れてきたのか、と怒鳴ろうかとも考えた。が、ケイトリンの匂いが鼻先をかすめ、一歩離れた場所にある青い瞳に気づく。

 ――また、弄ばれた。

 どっと疲れが出た。ケイトリンが腰を上げるのと同時に意識を手放してしまった。

 眠りについたとはいえ、完全に休眠状態へ誘われることはなかった。意識の表層に展開していたコア・ネットワークにつかまってしまった。

 友人の姿を模した副AIが近づいてくる。ふらついた足取り。頭に白い包帯を巻いていて、体中が擦り傷だらけになっている。「しゃるるん」と描かれたオレンジ色のTシャツが土で汚れていた。

 ――待った。

 副AIは主AIと比べて明らかに性能が劣る。GOLEMシステム付属のAIカスタマイズキットの出来が悪いためだ。予め用意されている性格モデルにも問題があって「もっぴい」一択ではどうすることもできない。セシルちゃんを参考に、外見や性格を友人のシャルロットに似せようとした努力も虚しく、結局もっぴいの雰囲気を残す結果に終わってしまった。

 

「うううう。マドカ、ごめんよう」

 

 副AIが木の枝を杖代わりにして体を引きずっている。

 さらにその奥。マドカは目つきの悪い二頭身がハンディカメラを構えているのを見てうんざりした。

 以前はやたらと態度の大きな二頭身が出現し、しゃるるんに土下座を強要していた。そのころと比べればおとなしくなったといえる。

 副AIがマドカの眼前にたどり着くや寝転がって四肢をばたつかせた。

 

「マドえも~ん。セシルちゃんがいじめたあ」

 

 道理を知らぬ子供が駄々をこねるように、ごろごろと転げ回る。出来の悪い子ほどかわいいと言うが、マドカの反応は冷たかった。

 

「……バカにされた気分だ」

 

 動きがピタリと止まる。背中を向けた副AIに、目つきの悪い二頭身が入れ知恵するのを聞いてしまった。

 

「そろそろセシルちゃんが戻ってくる頃合いにゃ」

 

 副AIは飛び起きるなり、ひどくうろたえた様子でマドカにすがりつく。

 

「今の、セシルちゃんには言わな」

「手遅れ……」

 

 副AIの額から脂汗が吹き出す。いつの間にか白く透き通り、丸みを帯びた手が肩におかれている。急に激しくせきこみだしたのを後目に、サイレント・ゼフィルス・ダーシの主AIが姿を現した。

 

迂闊(うかつ)でしたわね」

「あわわわわわわ」

「あなた、いけませんわ。田羽にゃに指摘されて初めて気がつくようでは、いつまで経っても仕事を任せられません」

「わわわわわわわ……あわ」

 

 オレンジ色のTシャツが汗でぐっしょりと濡れて「しゃるるん」の字がゆがむ。真っ青な顔で千鳥足になった。カメラを回す二頭身に手を伸ばしてみたものの避けられてしまい、頭から倒れ込む。それきり動かなくなった。

 田羽にゃさんがカメラを脇に置いて副AIを仰向けにした。白目をむいて気絶する姿を見下ろして、主AIことセシルちゃんが深くため息をつく。

 マドカはセシルちゃんの姿に微かな居心地の悪さを感じていた。いましがたケイトリン・アクトロットと会っていたのだ。もしもケイトリンのドレス姿をそのまま二頭身化したものだと説明を受けたら納得してしまうだろう。ケイトリンとセシルちゃんの元ネタは瓜二つだった。

 セシルちゃんが決まり文句を口にした。

 

「わたくしに元ネタは存在しませんわ。名前を出せないあのお方と似ているのは偶然ですわ。ぐ・う・ぜ・ん」

 

 マドカがフランスにいた頃、雑誌に掲載された彼女(セシリア)とオルコット社の特集を何度か目にしているので、セシルちゃんが言わんとすることはおぼろげながらわかる。国際的な組織である亡国機業(ファントム・タスク)と言えど、オルコット社相手に訴訟(ケンカ)したくはない。

 亡国機業の取引先のひとつに、独グレーフェ社の名がある。ドイツのVTシステム更改に携わった企業であり、IS兵装の解体廃棄業務も請け負っている。

 兵器メーカー各社がIS競技用として認可をもらうため、国際IS委員会に提出した武器群はIS学園に送られるか、送り返されるのが常だ。もちろんその場で解体され、廃棄処分になる装備も存在した。独グレーフェ社はその事実に目をつけ、手を加えることで廃棄された部品を再利用していたのである。

 サイレント・ゼフィルス・ダーシが使用する兵器群は無線誘導兵器を除いて本物と同じだった。その中にオルコット社の刻印を消した部品も含まれていた。いたずらに争って暴かれたくない事実を知られるのは避けたかった。

 

「マドカさん。何を吹き込まれたかは知りませんが、仕事以外でしゃるるんの言うことを真に受けてはいけませんわ。信用がおけるのはわたくしと穂羽鬼さんくらい。……そこでカメラを回している、田羽にゃなんてもってのほか。白式の写真を回し見するような輩が役に立つとは、口が裂けても言えませんわ」

 

 死人に鞭を打つような発言だ。副AIがこっそり写真を集めていたのは事実で、もっぴいの集合写真がポケットからはみだしていた。

 マドカが倒れた二頭身に歩み寄る。屈んでから集合写真を手元に引き寄せた。

 

「他人の物をのぞく趣味はない……が」

 

 穂羽鬼くんがもっぴいたちとスクラムを組んでいた。別の写真には緑色のサマーベッドに寝そべるもっぴいたちの姿。マドカは写真に映った張り紙に目がいった。

 

()()()()()()……紅椿がそんなことしたら何も残らないじゃないか」

 

 仮に紅椿とバングが戦ったとする。レベルアップした紅椿なら三分くらい保つかもしれない。しかし省エネ運転ではお話にならない。ベテランなら鎧袖一触だ。

 

「マドカさん。留守中、変わったことはありましたか?」

 

 マドカは白鍵のことを話す。荒事師として生計を立てるにあたって、セシルちゃんは良き相談役だ。そしてサイレント・ゼフィルス・ダーシの運用には欠かせない存在だった。

 

「データを分析して後ほど提出します。ISコアの自己防衛機能の見直しもあわせて行いますわ。……本来は、しゃるるんのお仕事ですけれど」

「助かる。私は今度こそ、本当に寝る」

 

 

 




今後AIネタは封印します。(展開上やむを得ない場合を除く)


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亡国の足音(二) 水中花

今後展開上やむを得ない場合を除き、AIネタを封印します。過去に遡及して書き改めたいのですが、それをやると進まなくなるのでやきもきしています。


 篠ノ之束を初めて見たのは、まだ日本にいた頃だ。

 古い日本家屋。かぽん、かぽん、と鼓の音が響きわたる。間近に迫った奉納舞の稽古が熱心に行われていた。

 

「目の動きに気をつけよ。面をつけていればこそ、瞳の動きが、どこに目配りしているかが際立つ」

「はあい」

「『はあい』ではないのだぞ」

「ちゃあんとやりますよーだ」

 

 額に手をあてて大げさなため息をつく男。細面だが、目元の雰囲気は武士に通ずる厳しさを残している。袴をきちんと着こなして、まるで違和感がない。

 男は一息ついてから再び指示を出した。

 

義兄(にい)さんに皆様方。そろそろ休憩にしませんか?」

「やった。雪子さん助かったー。柳韻さん(お父さん)。厳しいんだもん」

 

 束と呼ばれた少女は十手を帯に差すや叔母の隣に腰をおろす。お盆におかれた湯飲みを手にとって、麦茶を注いで口をつけた。鼓を打っていた男衆も、コップを受け取って扇風機の周囲に腰をおろした。

 

「師匠と呼べ、と言っておろうに」

「だからー、柳韻さん(お父さん)って言ってるんだよ。いーじゃん」

 

 柳韻の眉間にしわが寄る。

 

「束さん。さっき千冬ちゃんから電話があって、ついに全国大会出場が決まったんだって」

 

 束は湯飲みをおいてから、コテン、と首を傾ける。隣に座る柳韻の顔を見上げ、厳格な父親が珍しく笑みを浮かべるのを目にして、ようやく事態を理解した。

 織斑千冬は小学校のとき余所から引っ越してきた少女だ。父子家庭であり、篠ノ之家が管理していた一軒家を借りている。裕福であることは確かだが、父親は世界中を飛び回っていた。

 千冬と弟の一夏は篠ノ之道場の門下生である。柳韻は織斑たっての願いで姉弟の入門を認めている。門下生という立場は、織斑姉弟の面倒を見る口実となった。

 

「ちーちゃん男子よりも強いんだもん。当然だよー。でも、うちの剣道部ってそんなに強かったっけ?」

 

 今度は逆方向に首を傾ける。

 柳韻が遠くを見る目をした。

 

「オレがあそこの生徒だった頃は、まだ強かったなあ。一度だけ、全国に行ったことがある」

「あのころは義兄さんがいたから強かったんですよ。義兄さんが部を辞めてからは……」

 

 柳韻の淡々な調子に、雪子はうつむき加減になって言葉を濁す。薄く微笑(わら)った義兄の顔が正視できない。沈黙に耐えられなくなって雪子が話題を変えた。

 

「束さんは剣道、もう、やらないの?」

「剣道やってる暇なんてないよ。起業の準備で忙しいんだもん」

 

 誰も彼も、束が竹刀を持つ姿を久しく見ていない。柳韻ですら、娘が竹刀を持つ姿を遠い記憶のなかにおいてきていた。

 束が剣を持つのは奉納舞の時期だけに限られていた。束は常々「一八になったら家を出る」と公言している。さほど珍しい光景ではない。地元の働き口が少ないのだ。篠ノ之家も神社だけでは食べていけないので、剣道場や賃貸・不動産経営などの副業によって、ようやく人より少し裕福な生活を送ることができた。

 

「起業?」

 

 雪子は聞き慣れぬ言葉に目を瞬かせる。最近までランドセルを背負っていた子供の発言にしては大人びていやしないか。

 

「起業って、会社を作るの?」

「ふっふっふ。束さんに秘策ありってねー。私の会社はぜーったい大きくなるよ。世界中が喉から手がでるほどほしくてたまらなくなるブランドを発表するんだもの。世界を変えるよ。確信してるもん」

「……と言ってますけど、義兄さん」

 

 柳韻はぷい、と顔を背けた。

 

「戯けたことを。オレは知らんし、束の好きにすればいい」

「ねーねー聞いてよ。雪子さん。柳韻さん(お父さん)が出資を渋るんだよ。娘の起業に少しくらいお金くれたっていいじゃない」

「ほかに誰か、協力してくれるの?」

「さらさら……皿屋敷さん? みたいな名前の人。未踏ユースにも応募するつもりだけど、箒ちゃんが大株主になる予定」

 

 まさしく妹のお年玉を全額巻き上げたことを示唆する発言だった。雪子と柳韻は後々のしこりになるであろう姉妹間のやりとりにまで気が回らなかった。

 

「束」

柳韻さん(お父さん)

「続きだ。舞う(くるう)ぞ」

「うえー。もうちょっと休憩させてよー。篠ノ之流(うち)の踊りって、能っぽいのに速いから疲れるんだよー」

 

 束が不服を訴えながらも立ち上がって、十手を抜く。

 練習で十手を用いるのは筋力トレーニングと武器を扱う感覚を養うためだ。

 祭り本番では模造刀を用いる。しかし昭和一八年頃までは砥石で軽く刃先を丸くした刀が使用されていた。戦後、進駐軍の指示で警察が刀狩りを行っている。このとき、篠ノ之神社に保管されていた多くの刀が没収されている。ほとんどが返却されたものの、一部は心ない人によって破壊されてしまった。騒動の後、奉納舞で実剣を用いることはなかった。

 

「篠ノ之は遊芸、風流狂いぞ。(くる)え、(くる)え」

 

 腰が重い娘を急かす。

 

「道場にエアコン入れてよー。あっついんだよー」

 

 束は不服を口にしながら立ち上がって身なりを確かめた。

 篠ノ之神社の奉納舞において、巫子(みこ)は中性という決まりがある。男は女の装束を、女は男の装束を身につける。

 柳韻からまなざしの鋭さを受け継いだ束は、男装ゆえに一見紅顔の美少年である。不平不満をまき散らしながら、その実、きっちりと装束を着こなし、所作に気配りが行き届いている。自室に引きこもったり、ふらりと出かけてはパソコンを抱えて戻ってくるような少女には見えなかった。

 柳韻が呼ばれて外にでる。束は安堵した。

 すぐに知り合いと顔立ちの似た子供を連れ帰ってきたので驚いて動きを止めた。

 

「その子は」

 

 千冬の弟とよく似ている。だが、陰気な瞳が束をとらえて離さない。織斑が帰省するのであれば千冬がうれしそうに話してくれるのだが、しばらく聞いたことがない。違うと思いながら尋ねる。

 

柳韻さん(お父さん)。織斑さん、帰ってきたの?」

 

 柳韻が首を振る。織斑の遠縁の子だという。

 幼子が束を見上げた。

 

「君はだあれ?」

「マドカ」

「へえ。マドカちゃん。……まどっち? いやいやマドちゃんのほうがいいかな?」

 

 束はしばらくマドカを眺めていたが、不意に遠くをみた。

 

「マドカちゃん」

 

 瞳の奥に懐かしい風景があった。

 

()()()()()()()()()()

 

 

 ――そういえば、あの白い影をしばらく見ていないな。

 篠ノ之束の周囲にいた八つの影を思い出した。マドカは作業員の邪魔にならないよう隅でおとなしくしていたのだが手持ちぶさただった。

 深海からマコウが収容され、パイロットが顔面を覆ったヘルメットを脱ぎ去る。ヘルメットの意匠は人間の頭部を象っており、黒一色に染め上げられていた。視覚と触覚を外界から隔てることで恐怖を和らげる。

 水中特化機(マコウ)の外観は深海救難艇(DSRV)そのものである。海中での対潜水艦、対IS戦を想定して外観に似合わぬ高速機動能力を与えられていた。

 主に長時間の索敵任務を担う。深い闇の底で孤独と緊張との板挟みになる仕事だ。マドカからしてみれば、どう考えても正気の沙汰とは思えない。

 

「おつかれ」

 

 日本語だ。水密扉から出てきた女にタオルを投げ渡す。

 

「M」

 

 アヤカ・ファン・デル・カンプが髪結いのゴムをふりほどく。自慢の長い髪がまっすぐに垂れ、背中に達する毛先まで黒褐色の艶をおびている。二重の際だった目がマドカをとらえた。

 アフリカーナーとの混血。碧い瞳を除けば彼女は日本人そのものだ。小学四年生まで京都にすんでおり、海外赴任する両親とともに海を渡っている。日本人学校に通っていた頃、IS適正検査を受けたことが縁でタスク社に才能を見出され、試作機時代からマコウ運用に携わった。

 マドカは部隊長から彼女と仲良くするよう指示をもらっている。ケイトリンとつるむよりマシと考えたのは事実だ。おかげで嫌みを面と向かって口にする女もやっかいだと学んだ。

 アヤカが水を飲み干したあと、無言で待機していたベロニカ・インピシに外洋の状態を伝える。水圧に耐えるため、前身を覆ったISスーツの上からでも、お椀形の乳房だとわかる。申し送りを一通り聞いたベロニカが、ヘルメットをかぶって点検中のマコウの元へ向かった。

 

「ついこのあいだまでつんけんしてたくせに、宗旨替えでもした? ツンデレさん」

「アヤカは妙なことを口走る。ツンデレとは何か。理解できるように話せ」

「ヨーゼフ・ツンデレ博士型双極性パーソナリティ障害……コミュニケーション障害の一種」

 

 珍しく真顔になったアヤカは、彼女ならではの高調子だ。マドカには意地悪く感じられた。

 

「そんな病気……聞いたこともない」

「発表されてまもない病気なのよ。Mが知らないのもしかたないわ。でもね……本当にツンデレなら今頃拳が飛んでるからね。Mんところの部隊長さんが疑ってたから、ついからかってみた」

 

 舌を出してケラケラと笑う。後輩をからかう態度がかすかな反発を抱かせた。アヤカもまた、マドカを子供扱いする。

 ――少し早く生まれたからって、先輩面ばかり。

 

「あんたはもう少し笑うといいよ。仏頂面だと話しかけられるのがいやじゃないかって思うの。アクトロットなんか愛想よくっていいな。彼女、あの外見でしょう? あたしなんかじゃ恐れ多くて話しかけるのもおこがましく思っちゃう」

「……スリーの話を出すな」

 

 マドカは眉をしかめた。わずらわしい。ケイトリンの仕事ぶりは認めざるを得ない。が、腹でなにを考えているのか解らない女は嫌いだった。

 

「彼女の話題に触れるとすぐムキになるのね。ライバルだと思ってるならいいけど、愛情を抱くようなら、あんたとの付き合いを改めなきゃ」

「仕事のつき合いに妄想で霞んだ目を向けるな」

「そう? でも、からかうのはやめんからね。あたしが楽しいからいーの」

「私のことなんかどうでもいいと思っているくせに」

「所詮は他人ごとだもの。あんたが気に病もうが知ったことじゃないわ」

 

 マコウは特殊なISゆえ、パイロットは半年以上もの間、タスク社でトレーニングを積んでいた。訓練には特殊な機材と専門知識、広大な土地が必要だ。なおかつ存在を秘匿せねばならないとあって頼る先も限られてくる。亡国機業の荒事師候補者もまたタスク社が厳重に管理する施設で訓練しなければならなかった。

 マドカは遠巻きながら、ベロニカ・インピシたちの訓練風景を目にしたことがある。マコウを著名な人物が開発したと説明を受け、興味がわいたからでもある。

 開発者自ら訓練施設に出向いたことがあり、講演の場が設けられた。マドカは部隊長同伴で顔を出した。控え室で面通ししたさい、「マドカちゃん、マドカちゃん、まどっち……いやいやマドちゃんのほうがいいかな、いいかな?」と連呼する、厚かましい(ひと)だと判明。初めて出会ったときとはあまりにも雰囲気が違いすぎて面食らってしまった。同一人物かと疑いもした。しかし、篠ノ之流の奉納舞を踊ってようやく本人だと理解するに至った。

 それでもなお、狂人と接点を持つのは願い下げだった。

 マドカは話題を変えた。

 

「髪、そのまま伸ばすのか。以前、切りたいと」

「やっぱり未練があるのよ。好きな男に告白するまでは切らないでもいいかなって願掛け。習慣で伸ばしているだけだってのに、失恋したら切るなんて、くだらない信仰よね。ちょっとした冗談のつもりだったのに、艦内に流言が広まっちゃって、引くに引けなくなっちゃってる。……ほんとう、あほらし」

「切るのは反対だ。綺麗な髪なのに」

「仕事の邪魔になるの。……でも、ありがとう。あんたが、Mがほめてくれるなんて思ってなかった。あんたも伸ばしてみれば」

「断る」

「いけずばっかり」

「お互い様だ」

 

 アヤカと並んで歩く。少女ふたりが並ぶには充分な幅の通路だが、やはり狭い。急にアヤカがまじめくさった顔をした。年輩の黒人士官が近づいてくる。細い体躯に、青色の作業服を身につけている。艦長のウォーレス・インピシだ。軍服でないのは副長に操艦指揮を任せているためだろう。多忙な人だった。

 互いに目礼しただけで無言のまま立ち去る。

 

「艦長、スリーに対してだけ、あたしたちとは態度が違うのよ。理由、知ってる?」

「知るか」

「きつう言わんでもいーのに。ISパイロットが一六人も乗っているんだからしょうがないって、言ってほしかっただけなのに」

 

 アロウヘッド隊は三直体制で稼働している。ベロニカのような生粋の南アフリカ国防海軍出身者で構成したいところだが、虎の子のISパイロットの数が足りない。そこでアヤカのようなタスク社に籍を置きながら、補充パイロットとして南アフリカ共和国に出向している者も混ざっていた。

 

「同僚に媚びを売ってどうするというんだ。任務遂行には何の益もない。与えられた役割を全うするだけだ」

「へえ、まっじめ」

 

 揶揄するように聞こえて、マドカは不快を露わにした。アヤカはたいていの場合、思いつきで他者(マドカ)のことなど考えもしない。同じ日本人の血が流れている者同士、気安さを感じているのだろう。だが、マドカはたびたび言い返したくなるのをこらえなければならなかった。

 アヤカは二、三歩先に進むと、急に立ち止まって振り返った。

 

「なあ、聞いてほしいことがあるんだけど、聞いてくれん?」

 

 三十分後、シャワー室に連れ込まれたマドカは相手の強引さを呪う。

 

「……風呂など、真水の無駄だ」

「そういわんて、あったらいいなって思わん? 軍艦失踪事件を引き起こしたのはうちらやって、罪をなすりつけてのうのうと生きてる犯人を捕獲するのが今回の目的なわけだし、つまりね。せっかく船に乗るんだからお風呂ぐらい自由に入りたいってこと」

「乗る船を間違ったな。乗るISも」

 

 マドカは日頃の仕返しと言わんばかりに憮然としていた。アヤカが両肩を小さくすくめる。わずか三年で成り上がったとはいえ、他の荒事師の実績が目立っていた。マドカは嘘か真か本人の口から確かめたことはないが、リモ隊の隊長は出身地であるコロンビアで八七名もの戦果を挙げている。

 

「だったら代わってくれたらいいじゃない。スーツを着て、ISを展開して、ガワ(DSRV)を身につけて数時間潜水するだけの簡単なお仕事。いざ、戦いになったら隠れて立体音響視界のスイッチを押すだけ」

「我々には水中戦の経験がない。だから不本意でも、協力してくれないと……困る」

「いややわあ、むずがゆいったら。頼りにしてくれてるの? あんたにしては、よく言ったわね。がんばった」

 

 屁理屈への対抗策を練っているあいだに、アヤカはさっさとシャワーを終えて更衣室に向かってしまった。

 

「M。後がつかえてるから急ぎなさい。打ち合わせ、一〇分後」

 

 英語だ。マドカではなく、後で待つ誰かに向けて言い放ったに違いない。アヤカのなかで自分がいてもいなくともどうでもいい存在だと思って、吐き捨てた。

 

「嫌いだ。どいつもこいつも」

 

 

 



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亡国の足音(三) 墓場

「予定観測点で停止。深度六四〇。推測航法装置、慣性航法装置との表示一致を確認。位置確認を完了しました」

 

 マコウの受信専用カメラが静まり返った海底を映した。有機物と泥が堆積するなか、艨艟の舳先に描かれた「67」の文字が照明によってくっきりと浮かび上がった。上部構造がすっかりなくなっており、鉛色の基部のねじれた残骸が三メートルほどの高さで残っているだけだ。

 艦首の形状、そして舳先の数字から改タイコンデロガ級ミサイル巡洋艦シャイローだとわかる。かつては日米同盟のミサイル防衛を象徴した船。アメリカ太平洋艦隊の落日を示すかのように墓場と化していた。

 

「イージス艦もIS相手には形無しねえ、M」

「……フンッ」

 

 アヤカが水中に特化したIS・マコウを操縦している。個人間秘匿通信(プライベート・チャネル)を介して聞こえてきた声に、マドカは不機嫌に鼻を鳴らした。四畳半ほどの人員収容区画に、人と機材が詰め込まれて狭かった。ケイトリンと肩を寄せ合い、向かいにはアロウヘッド隊の尻軽クインシーが座っている。元軍人のフランス系アメリカ人。スコール・ミューゼルの元部下。ブロンド女のくびれた腰と巨乳が目障りだった。

 

「シャイローは前々日まで横須賀にいたそうよ。白騎士事件のね。ハワイに向けて航行中に、飛来する白騎士(ナンバー1)を合衆国の敵と認識して戦ったの。結果がこのザマよ。奥にアーレイ・バーグ級が二隻。あっちも派手に焼かれているわね」

「……立派に戦った」

 

 アハ、と無神経な笑い声が漏れた。眉根を潜めながらバイザーを下ろす。投影モニターに水温や塩分濃度が表示され、マコウの受信専用カメラの映像を取得した。

 マドカは目を細めた。ちょうど艦橋のあたりに白い浮遊物が漂っている。

 ――あれが見えていないのか。うようよいるぞ。

 ケイトリンに流し目を送り、正面のクインシーを見やった。戦闘の激しさを留めた艨艟の映像はコア・ネットワークを通じ、圧縮されて母艦に送られたはずだ。クインシーとケイトリンは各種計算式の係数補正にかかりきりになっている。今、見ているものが現実の光景なら、マコウの操縦者も気づくはずだ。アヤカの性格は好きになれなかったが、能力だけは信が置ける。

 

「アヤカ」

「知らないわよ。あんた、また、幽霊でも見たって言うんじゃないの。気味悪いから冗談なら止して」

「……」

「やめて、黙るんじゃないの。嫌がらせ。そうでしょ。あたしが怖がるところを面白がっているんだ。そう思ってるんでしょ」

「……まさか」

 

 今の間はよくなかった。マドカは該当箇所に丸を描いた画像を送った。

「いない。生物発光だけ。エビよ。水中の微生物をかきまぜたときに光が生じるものだけど、それと見間違えたのよ」

 画像補整係数を増やして明るくしてから目を凝らした。墓場に蠢く白い影の衣服を確かめたかったのはもちろん、残骸がデータの山に見えたからでもある。

 ――話が聞けるものなら、聞きたい。

 だが、マドカにはぼんやりと見えるだけだ。話しても誰も信じない。せいぜいアヤカを怖がらせるくらいにしか役に立たなかった。

 ――セシルちゃんが調べてくれる。誰も知らないことを知っているから。

 亡国機業は白騎士との戦闘データを喉から手が出るほど欲していた。アメリカ政府に働きかけたが、軍機の牙城を崩すことができずにいる。

 

「意味深な沈黙はやめなさいよ。見える振りして驚かせようって魂胆ね。堪忍してったら、今は仕事中なのよ」

「……白騎士(ナンバー1)の痕跡を探しているだけだ」

 

 気を遣われたと思って、アヤカが口ごもって声にならない音を発した。マドカは自分の顔が見えないのを好都合にとらえ、口の端を吊り上げた。

 

白騎士(ナンバー1)はアメリカの敵か?」

 

 クインシーとケイトリンに聞こえるよう挑発的な声を作った。

 インフィニット・ストラトスはサブプライム・ローン問題に苦しむアメリカに暗い影を落とし、新たな利権構造を生み出した。日本の対テロ機関(更識一族)にいたってはロシアと結託し、利権を確保しようと躍起だ。更識家が広告代理店と手を組んで篠ノ之束を時代の寵児として祭り上げたのは諜報機関に属した者なら誰でも知っている話だった。

 

「彼、あるいは彼女は英雄にして敵ですわ。誰がパイロットだったのか、篠ノ之博士は頑として語らない。……一説によれば、あの戦闘の後、失血死したのでは、と考えられています。太平洋艦隊と戦ったときには、もう、意識を失っていて、白騎士のシステムは銃を向けられたのでプログラム通りに戦っただけ。叔父がよく口にしていましたわ。()()()()()()()()()()()()()()()。あのとき、白騎士は低空を飛んで東に向かおうとした。どうしてかしら。誰かと決闘するつもりだったのかも。洋上退避していた艦隊が撫で斬りに遭ったのは偶然進路上にいた、不幸な出来事にすぎない……こんな回答でよろしくて?」

 

 ケイトリンはマドカではなくクインシーに含んだ笑みを向けた。

 誘惑するような雰囲気にマドカは戸惑った。クインシーが尻軽と呼ばれるのは、元上司であるスコール・ミューゼルと未練がましく体の関係を続けながら、他の男女とも閨を共にするからだ。あまりにも男好きする外見のため、情報支援活動部隊、通称アクティビティへの入隊を断られたのち、スコールらと共にタスク・アメリクス社への()()()()()を受け入れたという経緯も関係している。

 実戦部隊に来たのは「銀の福音」開発案件受注失敗の責任をとったという建て前だ。もちろんタスク・アメリクス社に残留し、ホワイトカラーとして生きていくこともできたはず。しかし、そうしなかったのは彼女自身、性癖と衝動をもてあました結果だと口にしている。クインシーは大のブロンド好きだった。ベッドで淫靡に踊るスコールと水が滴る十代の肌を天秤に掛け、新しいほうを選んでしまった。

 クインシーは一瞬手を止め、ケイトリンに微笑み返した。すぐに無言でキーボードをたたく。十代(ティーンエイジャー)の雑談に参加しないと意思表示したものと、マドカの目には映った。元米軍士官の言葉を、合衆国の意志と誤解されるのを危惧したのだろうか。

 ――腹に一物を抱えた()()()()ってのも嫌だな。

 十代の目線では二十歳をすぎた者はみなおじさん、おばさんである。クインシーは四捨五入して三十路だった。白地に流水紋と紅葉が描かれたISスーツはわざわざ四菱ケミカルから取り寄せたブランド品で、米軍や欧州連合が公式採用したものとは一割以上性能が高い。その代わり、ゼロが一桁多く、高級品路線を売りにしていた。正月頃に三割性能向上を果たした上位品が登場するともっぱらの噂だった。

 ――誰に見せるのやら。

 粋な意匠を身に着ける姿が、大人の余裕だと思えて胸が騒ぐ。

 マドカは反発心から意地悪な質問をぶつけた。

 

「……ならば、ロストナンバー86は敵か?」

 

 途端に場の空気が凍る。クインシーの顔色が冴えず、ただならない様子だ。口を開きかけたところを、ケイトリンが先を制した。

 

「ええ。間違いなく、敵ですわ。当たり前の質問を投げかけないでくださいまし」

 

 怖い声だ。言葉の意図を真正直に受けとったに違いない。

 

「……作戦前に、オクテット・シックス(Lost Num.86)の話題は禁句だった。すまなかった」

 

 マドカが座り直してから顔を伏せた。

 投影モニターの片隅にセシルちゃんが映った。足を組んで紅茶を楽しんでいるので、どうやら作業を完了した風情だ。

 

「アヤカ。処理が終わったぞ」

「え」

 

 ケイトリンたちの反応が気になって顔をあげると、ふたりとも驚いた表情になっている。

 ――びっくりするようなことでもないのに。指示を出しただけだ、私は。

 マコウの新型ソナーを他のISでも使えるようにした。IS技師が必要とされる仕事を、雑談の合間にやり終えたにすぎない。

 アヤカの声が、今度は開放回線から聞こえてきた。

 

「へえ、もう終わったの。あんた、こんな仕事辞めてIS技師になりなさいよ。長生きできるわよ」

 

 アヤカはいつもの高拍子に戻っていた。

 

「長生きなんてしなくたっていい」

「あたしは反対よ。死んだら学校に行けなくなっちゃうじゃないの。仕事をこなせば、編入学資格の免除と権利と学費、生活費、研究費までもらえるの」

「……そんなことか」

「軽く言うんじゃない。うち(ARROWHEAD)のドロレス・ヘイズだってあたしと同じ理由なんだからッ」

ロリータ(ドロレス・ヘイズ)がIS学園を受験しようとして書類選考で落とされたって話だろう。一五〇〇倍だ。一般入試をくぐり抜けたヤツは頭がオカシイか、強運の持ち主だと聞いている」

「外国居住者には書類選考があるなんて、あたしは知らなかったんだ」

 

 アヤカが学生生活に憧れて、IS学園を受験しようとしていたという話は記憶に新しい。

 

「よかったじゃないか。ぬるま湯に浸かるよりは、今の生活のほうがよほど刺激的だ。入学できたところで、ISの数が少なすぎて訓練も満足にできない。経歴に箔がつくだけだ。亡国機業(ファントム・タスク)はシミュレーターを所有しているが、IS学園にはないんだ。いいか。われわれは、全員が代表候補生以上の搭乗時間を積んでいる。現場を知らないやつらと一緒にいても、遅かれ早かれ、飽きるぞ」

「いいじゃない。あたし、女子高生に憧れていたのよ。あの制服を着たかったの。ささやかな夢を砕かないでちょうだい」

 

 ケイトリンの声がぴしりと響いた。

 

「わたくし、制服、ありますわよ。通常制服と改造制服の両方」

「……コスプレ趣味か」

「フォー。口がすぎますわよ。ほら、わたくしの見た目ってセシリア・オルコットとそっくりでしょう? 英国機密諜報部(MI-5)を出し抜けるのでは、と思いまして、作戦計画を提案したことがありますの」

「どんな作戦なのよ」

 

 やめておけ、とマドカが口を出すよりも早く、アヤカが食いついていた。

 

「わたくしと彼女が成り代わる。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。暗殺するか、監禁するか。その道のプロフェッショナルであるワンに協力を仰ぐつもりでしたが、残念ながら……カトレア(ワン)に却下されてしまいましたわ」

「そ、そう」

 

 アヤカがたじろいだ。

 ケイトリン・アクトロットの見た目は貴族のご令嬢だが、権謀術数に魅入られた腹黒女だとマドカは確信していた。

 

「制服、貸しますわよ。もしくは後で用立てましょうか」

「タダでやってくれるんだ」

「ご冗談でしょう。アヤカ・ファン・デル・カンプ。IS学園の制服の相場を知っていて? 結構するのですよ。出すものを出せば、わたくしが『みつるぎ』か『グレーフェ』に連絡を取るのだけれど。二年生の制服ならタスク・カナタ。三年生ならタスク・アウストラリスがよろしくてよ」

「随分と詳しいな」

「当然ですわ、フォー。淑女たる者、いついかなるときでも準備を怠ってはなりませんの。フォーの分の制服も用意していますわ。あなたをIS学園に送り込む計画だってあったのですから」

「……学生なんて、誰ぞが好きだ、別れた、人気がある、ない、宿題をやった、やっていないくらいしか考えていない。そんなくだらない場所に、命令されたって行くものかッ」

 

 去年の夏頃から、IS学園の警備が例年にないほど厳しくなった。若い楯無が急にやる気を出したおかげで、各国の諜報機関がてんやわんやの大騒ぎになったのである。IS学園に入学させるつもりで育成してきた人材のうち、諜報機関とつながりのある者の多くが巧妙に偽装した経歴を見抜かれ、書類選考の段階で落とされていた。

 

「……新型ソナーの接続試験を始めるぞ。アロウヘッド、準備、よろしいか」

 

 マドカが助け船のつもりで仕事の話を振った。ケイトリンの発言に大いに引いてしまったことは、アヤカの反応からして間違いない。

 ――何で、私が気を遣ってやらねばならないんだ。

 ISの展開レベルを上げ、バイザーの投影モニターに表示された手順書に目を通す。

 やや遅れてアヤカの英語が響いた。

 

立体音響視界(ホロフォニクス・ソナー)は準備完了。リモ・フォー。接続手順を開始してください」

「了解、リモ・フォー、接続手順開始」

 

 

 



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短編
短編 X day -1


御無沙汰しています。
取り急ぎ短編だけ投下します。


 梅雨の間の晴れが十代の少女たちの肌を焦がす。本音は日焼けを嫌うように、影の中をゆったりとした速さで歩いていた。臨海学校のしおりを小脇に抱え、幼なじみの姉を訪ねるところだった。

 

「おっじょうさまはーっ、ぼーじゃくぶっじん。おっじょうさまはーっ、むっせきにんっ」

 

 音階がめちゃくちゃだが、本音は気にしなかった。思いついたフレーズで聞いたことのある楽曲を思い浮かべながら唄っているだけなのだ。お嬢様が特定の誰かなどと心にも思っていなかった。

 本音が進む廊下は、主に二年生の居住階にあった。灰色の瞳をした、すらりと背の高い異国の美人が歌を耳にして眉をひそめる。夏なので薄い生地のタンクトップとショートパンツを身につけ、襟首がずれて首から肌にかけてが露出していた。

 

「フォルテさーん、こーんにちはー。おっじょうさまはー部屋~?」

 

 フォルテ・サファイアの脚線美に目もくれず、本音は垂れた袖口を振り回した。

 あごをしゃくるフォルテ。楯無はまだ部屋にいるとみて、本音は礼を告げた。

 

「ありがとー」

 

 通り過ぎようとしたとき、フォルテの視線が薄紫色の表紙に注がれているのがわかった。

 おそるおそる足を止めた。振り返りざまに長身を見上げる。可愛さ、可憐さとは無縁の雰囲気で、スパイ・アクション映画に出てきそうな女暗殺者のような顔つき。黒いラバースーツを着込めばさぞかし似合うに違いない。

 

「明日、旅行、一年生いない」

「そーだよー。彼理(ペリル)さんに会いに行くんだよー」

「ペンシルベニア州、マシュー・ペリー。去年、行った」

「あれれー? フォルテさんってさー。『去年、下田に行ったんスよー。ペリー黒船(くろふーねー)バンザーイ』ってな感じでなまってなかった?」

 

 フォルテは無表情を貫く。本音のなかで、フォルテという女性はもっと軽くてチャラチャラしたチンピラ風の話し方で、気さくなお姉さんといった風情。タスク・カナタ社のコールド・ブラッドを駆ってなおエリートらしさとは無縁の存在だった。激しい違和感に抗いながら、なおも本音はにこにことした表情と態度を変えなかった。

 

「チガウ、チガウ。ワタシ、ムカシカラ、コンナハナシカタダッタ」

 

 あからさまに怪しい。

 

「バツゲーム、チガウ、チガウ」

「わかった! おじょうさまが原因なんだね」

 

 鎌をかけてみると、案の定フォルテが目をそらす。

 

「レイゾウコ、オク、カクシテアッタ、プレミアムヤキプリン、タベテミタダケ。オイシカッタ」

「おじょうさまはやることがせこいからねー。わかった。あとでフォルテさんのこと許してあげるように頼んでみるよー」

「オンニキル」

「明日こっちにいないけど応援するねー」

 

 本音は垂れた袖を振って廊下を後にする。

 目的の扉の前に立つと、隣室の住人が自室の扉を開けて不気味な笑みを浮かべていた。本音は目を合わせないように顔を背けた。

 ――暇な先輩がいるんだけどー。

 部活に在籍する二年生は激烈な予算獲得闘争の真っ最中であり、生徒会と各部活動はことあるごとに議論を戦わせていた。中でも決して入部してはいけない部活ナンバー1が新航空部である。旧航空部を内紛状態に突き落として三つに割ったのち、そばに立っている人物が乗っ取っている。

 本音は見なかったことにして扉をノックした。

 

「おっじょーさまーっ」

 

 返事はなかった。

 代わりに隣室の住人が答える。

 

「生徒会長は今電話で取り込み中なんだ。……といっても、数少ない選択肢のなかで結婚相手を選んでいる最中なんだけどね」

 

 本音の耳元から声が聞こえてた。

 隣室の住人はわざわざ柱の陰を選んでいた。つま先立ちになってささやきかけてくる。

 

「彼女と結婚すれば即、政財界に取り入ることができる。だというのに、昨今の男子はもっとがっつくべきだと思わないかい? 更識の家格に尻込みして本家に良い縁がなかなか舞い込んでこない。外務省の更識さんのご令嬢は引く手あまたなのに、ね。彼女と彼女の間には、大きな溝が存在するとでも言うのかい」

 

 愛想笑いを浮かべる本音。

 話を聞き流してしまいたかったが、様々な事情が絡んで邪険にすることもできない。

 件の人物の最大の問題点は、楯無や本音が所属する組織の内情に詳しいことだろう。教えてもいないのに本音が置かれている状況を理解しており、苦渋の決断を強いられたことすらも察している。

 

「ときに、佐倉くんとはどこまでいったんだい? アルファベットで答えよ」

 

 ――AもBもCもないよ!

 桜のなかの一線を踏み越えるには至らず、本音は清い身体のままだった。

 正直に話すべきだろう。彼女なら口にしてはいけない秘密を理解してくれるのではないか。魔が差した本音は言葉を選ぶつもりでうなった。

 

「え~と」

「Aまで行ったのか。初対面で押し倒した割には手が遅いんだな」

「違うよー。違うんだよ~」

 

 眼前の少女は端から話を聞く気がなかった。わざとらしく首肯し、自室のドアノブを回す。本音は垂れ下がった袖口を振り回し、生まれるべくして生まれた誤解を解こうとした。

 

「わたしはストレートだよ。信じてぇ~」

 

 半ば開いたドアに腕を差し込み、つかんだ手首を軽く回して動きを止めようとした。対人戦のプロフェッショナルである本音には簡単な動作だ。

 しかし、眼前の少女は突然歩みを止め、本音の意図を外す。手首が決まる前にカバンに手を突っ込み、B6版の書籍を取り出す。空を切った本音の手に本を載せた。

 

「正直に答えてくれた布仏くんにプレゼントだ。部室を掃除していたら先輩の忘れ物を見つけてね。私には不要なものだから古本屋に売るなり捨てるなり自由にしてくれたまえ」

「こ、困るよ」

「なんなら隣の生徒会長の部屋に置き忘れていってもいい。古い本だし、かさばるのが嫌なんだ」

 

 B6版二〇〇ページ程度にしてはずっしりと重い。古すぎて売るにも中途半端だった。

 

「私、廃品回収屋じゃないんだよー。捨てるくらい自分でやってよー」

 

 食堂のすぐ側にゴミ箱と古紙回収ボックスがある。先日、眼前の少女が科学雑誌を押し込んでいる姿を目にしていた。何か裏があるに違いない。本音は自分よりも背丈の低い先輩に疑いのまなざしを向けた。

 

「じゃ、処分よろしく。……おっと、ついでに佐倉くんへの伝言を頼まれてくれないか」

「やだよー。私、メッセンジャーじゃないもんっ」

 

 はかない抗議を口にしたものの、話を聞く気がない人物には無駄だった。

 

「発、岩崎。宛、佐倉くん」

 

 再びドアノブを回す。

 

「――陸軍機は飛ばせるかい? 以上」

「わかった! 先輩もサクサクのお仲間なんだね?」

「布仏くん。正確に伝えてくれよ。返事は臨海学校明けにでも」

 

 本音が口を開こうとするより早く、彼女は自室に引っ込んでしまった。

 ――勝手な人だよ。もー。おじょうさまはぼーじゃっくむっじん、だっ。

 しかたなく押しつけられた古本と冊子を重ねる。目的の部屋の扉を開けると、鍵はかかっていなかった。元々試験勉強以外では鍵をかけないのが常だ。見られて困る物ははじめから置かないし、施錠しないのはルームメイトのためでもある。しかし、本音は生徒会長のルームメイトを一度も目にしたことがない。今回も外出しているらしく、生徒会長の靴が整頓されていた。

 部屋に入り、上履きを脱ぎ、キッチンを通り過ぎる。本音の部屋と内装はほぼ一緒である。違いを見いだすならば篠ノ之印のお札の有無くらいだろう。

 楯無は携帯端末をベッドに投げつけ、手元にあったクッションで追い打ちをかけた。水色の髪をいじって鏡の前に立ち、舌打ちしながら何着もあるISスーツを手に取った。どうやら色柄で悩んでいるらしく、何度も確かめている。

 本音は外で耳にした結婚云々の虚実を確かめるのは下策と考え、驚かせてやるつもりで背後から忍び寄った。

 

「本音。いるのはわかっているわ」

「フォルテさん、変なしゃべり方だったよー」

 

 楯無はフォルテの名を聞くなり唇をとがらせてしまった。ISスーツを乱暴にうち捨て、その場で踵を返してベッドに腰を下ろす。スプリングがきしんで端で危ういバランスを保っていた携帯端末とクッションが絨毯に落下する。

 

「プリン食べたアイツが悪い」

「そんなことぐらい許してあげなよ」本音が諭すように言った。

「一個千円のプレミアム焼きプリン。トーナメント前の景気づけに食べようと思ってたのに! アイツが勝手に入ってきて!」

 

 わっと大げさに顔を覆った。足下の段ボール箱を蹴飛ばし、四菱ケミカルのロゴが目に入った。本音は冊子と本を重ねて小脇に抱えたまま、楯無の四菱ケミカル製ISスーツを拾い上げ、制服や水着が散乱したベッドに置いた。

 

「そーだった。おじょーさま。どーしても聞きたいことがあるんだよー」

 

 軽快に一回転。スカートの裾が舞い上がり、膝に手を置いて楯無の不機嫌な顔に両手を突き出す。

 本音には知らねばならないことがあった。

 そのために臨海学校のしおりを持参してきたのである。

 構成を生徒会が担当しており、記憶では毎年姉が編集しているという。

 しかし、今年は違った。

 

「お姉ちゃんに聞いたよ! 生徒会長がやったって」

 

 両腕を突き出したまま視線は麦茶の入ったポットに向けられている。すぐ隣の白い箱には伊勢佐木町(いせざきちょう)の住所が記されていた。焼きプリンやケーキが入っていた箱と思われたが、本音の位置からでは中身が見えない。

 

「ごめんっ! 私じゃ力になれないっ。経験がないんだもんっ」

 

 千円の焼きプリンに気を取られていた本音は、楯無の突然の否定に戸惑った。

 ――おじょーさまは何を言っているの?

 本音は首を戻して、両腕を突き出したまま楯無に詰め寄る。

 

「おかしいよ。経験がないなんて」

「ししし……なんて、あああ相手がいなきゃ、できないでしょ。イメトレだけじゃ、結局ものにはならないしっ!」

 

 楯無は顔を真っ赤にしてひどくあわてている。自分から後ずさりするうちに壁際まで追い詰められていた。

 ――まさか一から十まで全部お姉ちゃんに丸投げだったってこと?

 本音は首をかしげた表紙に、冊子の表紙が目に入る。うっかり押しつけられた古本を表にしてしまったらしい。笑ってごまかそうとした。

 

「ごめん、ごめん。間違えちゃった」

「あなた。カマをかけたんじゃ」

「なんのこと~?」

 

 今度は本音のほうが首をかしげる。楯無の言うことがさっぱり理解できない。改めて古本の表紙を見やる。

 

「ぷっ」

 

 合点がいき、長い裾で口を覆ったものの腹がよじれて涙を浮かべながら全身を震わせた。

 そして、大きな声ではっきりとタイトルを口にした。

 

「はじめてのC」

 

 耳を覆う楯無。主家の当主が男女の恋愛に夢を見ていると感づいていたが、それでもやはり、いちいち反応が面白かった。本音のなかで抑圧し続けてきた嗜虐心が鎌首を持ち上げた。

 もちろん日頃の仕返しのつもりである。

 

「ねえねえおじょーさま。……Cって?」

 

 古くはUNIXの実装に使われたプログラミング言語である。B言語の次に設計された、という他愛もない理由でC言語と命名された。もはや古典であり、後発の言語が開発現場の主流となってから久しい。

 

「本音。生徒会が何をやったって?」

「話をはぐらかそうとしてる~」

 

 先ほどまでの狼狽ぶりはどこに行ってしまったのか。虚勢を張っているのは明らかだ。

 楯無は、失望をあらわにしたまなざしをはねのけて本音の手元を凝視すると、一度だけわざとらしい咳払いをしてみせた。

 

「力になれないのは本当よ。今回、そのしおりには一切手を付けていないのだから」

「あっれー。いつもお姉ちゃんにお仕事丸投げしてるよねー」

「その虚が忙しかったのよ。本音だって知ってるでしょ。学年別トーナメントでてんてこまいなの」

 

 楯無は虚を信頼しており、今やなくてはならない存在だと思っていた。もちろん本音も、眼前の少女が姉に信頼を寄せていることを知っていた。同時に虚が今の立場を築き上げてきた涙ぐましい努力も目にしてきた。

 

「だから、別の生徒会メンバーに仕事を任せてみたの」

「わたし、そんな話聞いてないよー」

 

 本音も生徒会書記である。幽霊生徒会役員として微力ながら名義を貸していた。

 

「当然よ。話してないもの」

 

 ――あれ? 任務優先だから生徒会のお仕事はやんなくていいってかいちょーが言ってたけど、うちの生徒会ってお姉ちゃんひとりで切り盛りしていたはず。あれれ~?

 

「でもさ。生徒会役員ってもうひとりいたっけ?」

「いるじゃない。先日、私が任命権を行使しました」

「あ、あーっ……。くし、くしっ櫛灘さんっ」

 

 本音がレズビアンだというデマを学校中に広めた主犯である。深刻な事態を招いた張本人が、生徒会の、それも副会長という立場に収まってしまったのだ。当時、本音はショックのあまり頭が真っ白になり、現実から目を背けて記憶から焼き消そうと努力したが無駄だった。

 

「だ、だから、あんな部屋割りになっちゃったんだ……」

「部屋割り? 特に問題なかったわよ? 私、先生に提出する前にチェックしたもの」

 

 ――どーせ。

 提出データに対して目を滑らせただけのザルチェックだろう。本音は怒りで手が震え、強く握りしめて荒れる感情を抑えつけようとした。

 

「どうして私にもチェックさせてくれなかったの」

「だって、本音。事務仕事、好きじゃないでしょ。忙しい時期だったし、副会長の仕事ぶりを確かめてみたかったし」

「ど、どーだったの」

 

 ザルチェックでは評価もへったくれもないのだが、聞くだけ聞いてみる。

 

「私、変なうわさを書き立てられて目が曇っていたのかしら」

 

 ――目が曇ってなかったらそんな感想にはならないよね!?

 

「……私がいる意味」

「本音、誤解しないでちょうだい。組織の公平性を保つためよ。会社だって第三者機関のチェックを受けるでしょう? 一般入試突破組だから経歴に問題は……ない、はず、だと思う」

 

 楯無の声が尻すぼみになっていく。佐倉桜問題は未だ解決にいたっていない。ISに乗って約三ヶ月の少女が、ドイツ軍人の手を借りたとはいえ優勝してしまった。ありがちな天才のサクセスストーリーとも受け取れるのだが、桜は何かがおかしい。違和感をぬぐい去るには至らず三ヶ月も浪費してしまった。

 

「だからって、なんで、一言でいいから私に声をかけてくれなかったの~」

「しょうがないじゃない。私も忙しかったし。……虚の後釜がほしかったし」

 

 楯無が口ごもる。虚が卒業してからのことを考えていたに違いない。

 ――布仏家は苦労性っていうけどさー。

 歴代楯無の信頼を勝ち取ってきた。裏返せば難しい仕事を必死にこなすうちに鍛えられていったのである。しかし、気をつけねばならないのは、いくら仕事ができても歴代楯無の失敗を阻止できなかった点だろう。戦時は諜報戦の敗北。バブル崩壊後は特需景気創出の機会を失い、ミサイルショックでは千代場博士ら()()()の暴走、もとい台頭を防ぎきれず後手に回ってしまった。

 

「理由になってないよ~」

「あなたが、ほんの少しだけ仕事を覚えてくれさえしたら、こんなことにはならなかったのよ」

 

 楯無が白々しい声を発したのち、目を逸らす。

 

「身を削って仕事してるよー。ずうっと」

「生徒会のお仕事のほう」

「やんなくていいって、かいちょーが言ってたよ。初日に」

「あ」

 

 ――今まで忘れていたんだね。そういうところがザルなんだよ!

 楯無は笑いながら本音の隣に回って肩に手を置いた。

 

「本音。別にいじめっ子と同室になれっていうわけじゃないんだし、まあ、犬にかまれたと思って諦めなさいな。今年は催事が多いから疲れて眠っちゃうわよ。臨海学校のために海上自衛隊が特別協力で快く()()を提供してくれるってアナウンスがあったし、空自と第七艦隊艦載機が航空ショーを披露してくれるわよ。ISが飛ぶからって毎年苦労して調整して航空路を空けてもらってるの。超巨大なアレつながりでB-52iS(B-52iS Stratofortress)も呼びたかったんだけど、予定が重なっちゃって。でも、まあ、好きな人には好きなんじゃない?」

 

 くくく、と喉を引きつらせて笑う楯無。本音には必死になってごまかそうとしているとしか思えなかった。

 

「観光気分でいられるのは最初の日ぐらいよ。夢のビーチで地獄のしごきが待っている」

「しごきって、聞いてないよ!」

「そりゃあ秘密だもの。上級生はみんな知ってるわよー。……みんなでゾンビになったのはいい思い出だった。これ、櫛灘さんにも言ってないことなの。だからほかの生徒に秘密にしておいてね。ビーチで――最高じゃない!」

 

 

 




サブタイトル『X day -1』
真のサブタイトル『おじょうさまはぼうじゃくぶじん』

参考文献:
国土交通省 航空路とRNAV経路の詳細
http://www.mlit.go.jp/koku/15_bf_000344.html


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湯煙温泉の惨劇
湯煙温泉の惨劇(一) メガフロート


ご無沙汰しています。無事戻ってきました。


 

 

 

   神機将ニ動カントス

   皇国ノ降替懸リテ此ノ一挙ニ存ス

   各員奮戦敢闘全敵ヲ必滅シ

   以テ海上特攻隊ノ本領ヲ発揮セヨ

 

 

 

 

 

 

 七月某日。

 赤い鳥居が正面にそびえ立っている。芝の緑色を横目に、道沿いに進む。佐倉桜は鳥居までの距離を縮めることに夢中だった。

 歩むにつれ、瞳の奥で思いが熱を帯びてくる。鳥居を見上げたとき、何もせずに通り抜けるのは(はばか)られるような気分になって、深々と一礼した。同行していた曽根や更識簪が頭を上げたが、桜は未だ地面を見つめたまま動けずにいた。

 海上自衛隊厚木航空基地。佐倉作郎として厚木を訪れてから八〇年近く経っている。

 盛夏ゆえ、汗が頬を伝い落ちる。あたりに生ぬるい風が流れていた。

 

「……どうしたの」

 

 桜は微かに身じろぎした。踵を返す足音を耳にした。そして、ゆっくり顔をあげて声の主を探す。更識簪だった。つばの広い帽子を目深にかぶり、長袖の制服を身に着けて肌の露出を避けている。日焼け止めクリームを塗っただけの桜とは大違いだった。

 桜は手の甲で額の汗をぬぐった。

 

「すまん」

 

 理由を告げても怪訝に思うだけだろう。

 ()()()……鬼籍に入った者たちの(こえ)()こうとしていたなどと、言えるわけがなかった。

 桜は不安げに鳥居を眺め、ほどなくして暑さから逃れるべく簪の後を追う。

 

 門扉(もんぴ)に至り、随伴する大人たちの後ろで名前を呼ばれるのを待っていた。

 守衛がリストと顔写真を照合する。

 簪と並んで日陰に入ったが、とりとめのない会話をするでもなく生い茂った一群の葉からもれた淡い日を見つめるだけだった。

 名を呼ばれ、返事をした。

 

「私です。佐倉桜。IS学園一年三組」

 

 簪も続いた。

 

「更識簪。IS学園一年四組」

 

 門扉を通り抜けると、かつて赤土だった道は舗装されていた。守衛の連絡を受け、自衛官が案内を引き継ぐ。

 桜たちは飛行場へ直行した。

 

「……軍用機に乗ったことは?」

 

 海上自衛隊のCー130R(Hercules)六機から成るキャラバンへ向かう途中、簪が無表情の仮面をかぶったまま問うてきた。

 

「へ? 何でそういうこと聞くん?」

 

 桜はいきなり話しかけられてドギマギした。

 つい先日、簪と女の闘いを繰り広げたばかりだった。桜は動揺を悟られまいとしたが、自然と足取りが重くなる。急ぎ足になって取り繕おうとした。だが、簪が桜の瞳に浮かび上がった恐れを見逃すはずがない。

 

「ないない。あるわけないわ。だいたい一般人にそんな機会、あるわけない」

「……残念。仲間がいると思ったのに」

 

 簪は車の後部座席に座りながら残念がった。

 桜は簡単に引き下がったのでほっとする。近親者に自衛官がいるならまだしも、農村育ちの一般人が軍用機に乗る経験があったとすれば、間違いなく異常なことだ。

 ——仲間?

 ふと気になって問い返す。

 

「仲間って何なん。ほかに更識さんのお仲間がいるってこと?」

 

 簪が無言でうなずいた。ややあってから説明をつけ加える。

 

「……私は代表候補生……何度も軍用機のお世話になっている……」

「そういうもんなん。……ねえ、更識さん。わが国の代表って今、誰やったけ……」

 

 桜の声は暖気中のターボプロップエンジンの音にかき消された。もう一度疑問をぶつけようと大声になったが、気にとめた様子はない。簪の眼差しは車窓の光景に釘付けとなっていたのである。

 車を降りて、目を凝らした。桜たちは先頭の輸送機に乗る手はずだ。

 しばらくして自衛官が行き先を告げた。

 ——メガフロート。

 海上自衛隊が所有する設備において最大の移動式浮体である。

 同時にインフィニット・ストラトスの標準機能を最大限活用した事例として高い知名度を有していた。あえて懸念を示すならば行き先であるメガフロートが宙に浮いていることだろう。一枚あたり、全長が一㎞超であるため——防衛省並びに日本国は(かたく)なに否定しているが——航空空母として利用可能であった。

 

「曽根さん。やっぱり武山とか羽田あたりからヘリを飛ばせんかったの……」

 

 曽根が苦笑しながら首を振る。一緒に運びたい装備があるのだという。

 

 桜は今回お世話になるパイロットたちの技倆を微塵も疑ってはいなかった。それでもやはり不安と驚きがないまぜになった複雑な気分に陥る。実証実験を終えているとはいえ空中を航行中の滑走路へ輸送機を着陸させるのだ。

 倉持技研はおろか、協力企業である四菱や菱井インダストリーなどは連日膨大な人・物・金をメガフロートへ運び入れていた。彼らは当然のようにメガフロートからの離発着を繰り返していたのである。

 彼らの言い分はこうだ。臨海学校当日から輸送を始めたのでは()()()()()()、と。

 簪が持参していた臨海学校のしおりを広げる。低白色のわら半紙を(めく)る手をを止めた。主会場は神津島である。一部生徒は小笠原諸島を訪れる日程が組まれ、模擬戦すら予定に含まれている。

 

「え、なに」

「……姉から正誤表をもらった……」

 

 肩をつつかれ、桜は促されるまましおりをのぞきこんだ。

 どうやら訂正があったようだ。簪は「影響は限られているのだけれど……」とつぶやく。

 桜は示されるがまま表に記された文言を確かめた。

 

「マーシャル諸島!?」

 

 思わず声をあげてしまう。極めて小さな文字で書かれていて、末尾に(佐倉)という二文字が記されていたのだ。

 ——旅券(パスポート)の申請やったの先週や……。

 半ば唇を開いたまま簪を見つめる。先日、学園の敷地内にある出張所で旅券を申請した。もちろんオシコシ航空ショーが目的なのだが、どういうわけか、島嶼(とうしょ)窓口で受領するように伝えられていた。

 簪の瞳の奥から何ら感情を読み取ることができなかった。

 桜は促されるまま、しおりを小脇にかかえて機内へと歩き出す。乗り口へと足を掛け、後ろを振り返った。次いで空を仰ぎ見たとき、F-2戦闘機(バイパーゼロ)のテールノズルが(きら)めいた。

 

 

 

 

 

 

 メガフロートの内部へと(いざな)われ、大人たちの後について説明を聞いてまわった。少々狭い通路なのに、先頭が前触れなく立ち止まった。気がつかぬまま、前を歩んでいた曽根の背中に顔をぶつけてしまった。

 ——あいたっ。

 額をさすっていると、妙な自信に満ちた声音が響いた。

 

()()()()()()()()

 

 するとどよめきに沸き返り、眼前のソレを理解したとき、すーっと収まっていく。手すりから身を乗り出す者さえ現れた。

 ——何や。

 桜は半ば予期していたが、いざ目にするとしないでは大きく印象が異なった。

 麦わら帽子を取り落とす。拾い上げようとしたとき膝の(ふる)えを自覚した。隣に立つ簪を憂鬱な面持ちでのぞき見る。彼女もまた開いた口がふさがらない様子である。

 ふたりとは対照的に技術者たちの表情は自信と誇りに充ち満ちていた。

 桜は寡黙な性質ではない。それでもなお、技術者たちの……認可を出した役人の狂気を感じて押し黙る。唇を堅く引き結びながら記憶を探った。

 つい最近、似たような感覚を味わっていたのを思い出す。

 ——カノーネン・ルフトシュピーゲルング……の類いや。

 かのISは、大戦末期ドイツ陸軍の求めに応じ、K社が製造した四五口径一〇〇センチ列車砲を運用する。別名『空飛ぶ列車砲』。ドイツ連邦共和国が生み出し、代替機の名目でIS学園に持ちこまれた。その後学園から搬出され、仮置き場である移動式浮体(メガフロート)に搬入されていた。

 眼下の高機動パッケージはもはや重爆と化していた。翼に懸架した巨大な航空魚雷が沈黙を保っている。

 桜はぎこちなく頬の筋肉を動かしながら自問自答する。

 いったい何と戦うつもりなのだろう。

 戦争はとっくの昔に終わってしまった。終戦を体験することなく銃後を生きている。

 桜の脳裏に守りたい人たちの姿がよぎった。奈津子、安芸、両親、祖父、作八郎の子孫や親戚、中学までの友だち……IS学園を通して出会った人々。自分を好きだと言ってくれた本音(ひと)

 じっとりと汗ばんだ掌を手すりから離し、ゆっくりと深呼吸をしてみせる。落ち着くべきだ。やはりというべきか、立ち直るのは簪のほうが早かった。

 旧帝大出身だという技官のあとに続いて階段を降りた。

 レバーを前後左右に倒して機械腕を遠隔操作したり、配線を終えた部品を組み込み、二人作業で外殻をはめこむ姿が目に入った。淡々と作業しているように見えて、高いプロ意識を感じる。

 体重を支えている鉄板を踏み込むたびにしなり、軽い音が鳴る。

 高機動パッケージへ近づくにつれて、桜の眼差しは再び落ち着きを失っていった。

 嫌な予感がどんどん膨らんでいった。

 桜はこっそり携帯端末を確かめる。腹をさすって空腹感を紛らわせた。

 ちょうど簪が抑揚のない声で質問するところだった。

 

「作業終了まで……あと何時間……かかるのですか……今の様子だと……港には……私たちが神津島港に着いたとしても……終わってないんじゃ……」

 

 技官は自信たっぷりに答えた。

 

「現在、全行程の九割以上が完了しております。残りは調整工程ですから、ISを搭載……もとい、ISコアとパッケージを接続し、ソフトウェアの登録と微調整が残っています。なお、トーナメントで取得したデータをもとに検証を実施しており、手順に問題がないことを確認しています。実作業ですが、引き続き突貫作業を計画、実施しております。受け渡しまで、()()()()()()()()()()()()です。安心してください。港到着までには間に合いますよ」

 

 答えを聞く間、桜は変わり果てた打鉄零式の姿を思い浮かべた。

 曽根や技官の爛々とした眼光にひるむ。開いた唇を閉じ、パッケージの周囲を歩いた。

 ——乗らんとあかんの……。

 実験時な目論見とはとことん相性が悪い。高機動パッケージが不具合の塊でないことを祈りつつ正面に立って偉容を仰ぎ見る。

 大人たちは桜の力を推し量っている。期待は途方もなく大きい。名状しがたい思念に駆られた。

 ——私は訓練を始めて、たかが三ヶ月程度の若鷲(ジャク)や。

 桜は溜息をついて、不安そうに曽根を見やる。

 

「では、更識さん。佐倉さん。ISコアを預かります。よろしくお願いします」

 

 腕時計を外して、差し出されたトレーに置き、簪も(なら)った。

 

 

 

 



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湯煙温泉の惨劇(二) 怪力乱神

 

 

 

 予想以上に疲れていたのか、座席につくなり眠ってしまった。

 騒々しい声につられて意識を覚醒させたとき、桜は半ば反射的に腕時計を確かめ、竜頭の溝を指で弄んでカレンダーの日付を見やった。

 覚悟していたはずが、やはり桜を憂鬱にさせる。昨日のメガフロート内での出来事を思い出すたびに、すべての感情を手放してしまいたくなった。

 隣席の一条朱音から菓子の包みを受けとる。

 

「おおきに」

 

 封を破いて焦げ茶色の先端を口に含む。得も言われぬ甘味に頬が緩む。

 ——食欲だけは手放せんなあ。

 ほかの生徒らが桜のふやけた表情を見つけて、同じように包みを差し出す。

 

「おおきに」

 

 同時にいくつも来たので、今度は封を切らずに網ポケットへと差し込む。頬張った分のチョコレートが蕩けて喉を滑り落ちていく。お腹にヒンヤリとした甘みが広がった。

 

「ナタリア、ナタリア、とっても冷えとるけど」

「融けにくか保冷剤ば使った。これ」

 

 リクライニングシートが倒れ込み、スラヴ系の美しい貌が現れる。シートに挟まれた朱音が苦悶の声をあげた。

 保冷剤にはスタイリッシュなフォントで〈株式会社みつるぎ〉というロゴが描かれている。ナタリアによるとIS開発で培われた技術を保冷剤に応用したとのことだが、桜は硬く冷えた塊を弄んでは頬に充て、立ち上がって前の席に座っていたマリア・サイトウの背中に添えた。

 

「っひゃあ……何ですか!?」

 

 マリアが素っ頓狂な声を上げてのけぞる。時を置かずしてナタリアのリクライニングシートも元に戻った。解放された朱音がきょとんとしている。

 

「すまん。すまん。白いうなじに見とれて……つい悪戯してみたくなったわ」

 

 桜が手を合わせておどけた素振りをしてみせた。

 

「メガモリさんまで……」

 

 マリアが諦めたように目を伏せる。その隙に、桜の前列窓側の席に座っていたナタリアがわざとらしくそっぽを向く。

 マリアが襟を正す。光に透けそうなほど白い手が鎖骨を覆い隠してしまった。青色のミサンガの位置を直し、桜たちを見やってから前を向いて座り直した。

 

「ねえ、さっきから、その時計」

 

 朱音に云われて、桜は手を止めた。

 しきりに腕時計をいじっていたのだ。普段身につけているものとは違い、ベルトの感覚が少しだけ違う。前より重かった。何度もベルトをはずそうと思い止まった。

 桜が目を落とすと、朱音が「わっかるー」とうなずいた。

 

「新しいと慣れないよね」

 

 朱音がまっすぐ瞳をのぞきこんでくる。桜のなかに憂鬱の色が浮かぶのを見つけて、彼女はペンダントの話をした。そしてはにかみながら鎖を持ち上げる。滑らかに磨かれたガラス細工を桜の掌においた。

 

「……冷たっ」

 

 車内は冷房がしっかり効いていたのだが、少女たちの肌から発せられた熱がこもっているのも事実だ。ひとたび車外に出れば蒸し暑さが待っている。掌のガラス細工を介して朱音とつながっている気がして、桜は狼狽した。一号車に乗車しているであろう本音の顔を思い浮かべて、彼女のぬくもりを思い出そうとした。

 

 休憩で道の駅に着いたとき、携帯端末が何度も震えた。桜は鈍重なしぐさで端末を取り出し、着信画面に目をこらした。

 ——誰から?

 『Laura Bodewig』とある。件名がドイツ語で書かれていて、試し撮りと訳せばよいのだろうか。

 ラウラと写真撮影が結びつかなかった。眉根を寄せて不審がったが、無視するわけにはいかない。習慣通りに指を滑らせて、次の画面を待った。

 思案に暮れながら、生真面目な顔でメールを打ち込む彼女の姿を思い浮かべてみた。だが、そぐわない。どちらかといえば全く躊躇せずに文章を作る手合いではないか。

 朱音を一瞥した。ナタリアに話しかけマリア・サイトウの話題で盛り上がっている。

 端末に注意を戻す。

 桜は既視感にとらわれた。まるで戦闘詳報を思わせる整然とした文章の羅列だった。本音やクラスメイトとのメールとは明らかに異なった雰囲気である。

 すべてドイツ語で記述されていたので何となく類推しながら読み進める。

 

「へぇ——……」

 

 最後に学内ネットワークへのURLを見つけた。勢いで押したあと、写真が出現した。

 桜の手から携帯端末が滑り落ちた。

 ——南無阿弥陀仏(ナンマイダブ)南無阿弥陀仏(ナンマイダブ)……。

 見覚えのある階層名。臨海学校特設ページのはずだった。

 

「なっ……。錯覚。錯覚に決まっとる」

 

 震えながら携帯端末に手を伸ばす。拾ったと思ったら額をシートにぶつけた。

 横を向いたばかりに朱音と目があってしまった。動揺を悟られまいと早口でごまかしたのがいけなかった。

 

「朱音。ちゃう。ちゃう。うっかり落っことしただけや」

「佐倉さん。汗びっしょりだよ。暑いの? 冷房、もっと強くするよう頼もうか」

 

 朱音がハンカチを取り出す。

 

「私、めったに風邪を引かんの。身体鍛えとるし」

「でも震えてるよ。外から見てもはっきりわかるくらい」

 

 友人は妙に気が回る。

 ハンカチが触れるたびに、自分が落ち着きを取り戻していくのがわかった。

 

「もう、大丈夫。落ち着いたわ」

「ならいいけど……」

 

 と、桜は端末のスイッチに力をこめた。

 

「実はボーデヴィッヒさんからメールが来たんやけど……それが……ちょっと」

「ん?」

 

 朱音が首をかしげた。桜は意を決して携帯端末を持ち上げた。

 画面には痩せ型の青年が映っている。被写体は大日本帝国陸軍の軍服を身にまとい、カメラから背を向けて遠くを眺めていた。

 

「これが?」

 

 朱音が手を添えて、端末の向きを変える。微かに映る横顔は、その時代を生きた特有の雰囲気が刻まれていた。少し間をおいてから、朱音がしわがれた声を絞り出した。

 

「これ、ボーデヴィッヒさんが撮ったの……? 本人も映って……るけども」

「無理に答えんでええ。隣の人。だいたい時代がおかしいわ。どう見ても自衛隊の制服やない。陸軍さんの軍装や」

 

 九八式軍衣だった。何度も目にしてきたので間違えるはずがない。

 

「ううう映ってる」

 

 朱音が青ざめながらも好奇心からか写真を拡大する。

 窓ガラスにラウラも映っていた。

 

「どこ?」

「ほら、ここ」

「昔の軍服みたいなの。足に巻いているのって」

 

 金色の瞳を指さしたので、桜は覆い被さるようにのぞきこんだ。

 

脚絆(きゃはん)やないの。地下足袋にゲートルやったら、私も実家で着とったことあるよ。農家やし」

 

 奈津子が目を細めてダサいと即断したことまで思い出す。

 

「うん。軍人さんやね。む、むかーしの。ねえ……朱音、顔が青白いんやけど」

「さ、佐倉さんだって。声、うわ、うわずって」

 

 画面に指を滑らせるたびに、写真に写ったラウラの瞳を拡大する。無駄に高精細だ。戦闘帽にゲートル巻き、いわゆる防空ファッションに身をやつした男たち。栄養失調気味で痩せた子供。婦人標準服。現代人の顔つきとは何かが違った。

 ――もうアレやない? アレぐらいしか思いつかんっ!

 

「全部映ってる。ねえ! 篠ノ之さんにお願いして祈祷してもらおうよ!。ボーデヴィッヒさん、絶対お祓いしてもらったほうがいいよ……」

 

 箒が聞いたらへそを曲げる発言だった。

 巫子は神子であり拝み屋ではない、というのが彼女の言い分である。朱音も承知しているはずなのだが、恐怖が勝って頭が働いていなかった。

 

「し、心霊写真」

「やばいよ。臨海学校、よくないことが絶対起きるよ。すぐ篠ノ之さんに言わなきゃ。邪気を払うおまじないありますかって。いいえ、そんなんじゃだめかも。護摩壇(ごまだん)()かなきゃっ」

「せ、せや。篠ノ之さんは本物。彼女なら安心や」

 

 桜は思いあまって、財布から篠ノ之神社ブランドの御札を取り出す。御札は再剥離シールになっていて携帯端末に貼ることができた。

 以前、箒からもらったものだ。同じ製品をオンラインショップから購入することができた。公式ホームページのリンクになぜか「タバネ17才」のページがあり、どうやらデザインを手がけたような記述が散見された。

 朱音の手からゆっくりと携帯端末を引き抜いた。こわばった指をほぐしてから、画面を手のひらで覆う。座席の背もたれにもたれかかって、桜は大きく息を吐いた。

 ――映っとるってことは、もしかして見えとるん? ボーデヴィッヒさん、最近は普通にしとるけど、まさか……見えちゃあかんもんと同居しとったってこと?

 

南無阿弥陀仏(ナンマイダブ)南無阿弥陀仏(ナンマイダブ)

 

 桜は手を合わせて念仏を唱え始める。

 

「……ナンマイダブとかやめてよお。うわあっ、悪寒が」

 

 そして神様仏様エクソシスト様、と思いついた言葉を並べる。無宗教なのか家の宗旨には興味がないといったところか。

 桜は念仏を唱えるうちに徐々に落ち着きを取り戻していった。

 だが、ぼんやりとしながらつぶやいた。

 

「ドイツ人ならエクソシストのほうがええんっちゃうか?」

 

 たとえば神道のような日本古来の宗教ならば箒の神通力が届く。しかし海外では事情が異なる。その国に合った神職者に頼むべきなのだろうか。

 またしても不安の念にさいなまれる。

 そのとき、二通目のメールが届いた。桜と朱音は恐る恐る顔を見合わせて、互いに目配せしあった。

 

「……また来た!?」

「え!?」

 

 桜は少し間を置いてから、口の端を引きつらせた。

 

「いやいやボーデヴィッヒさんのことや。一通にまとめるんやない? 深呼吸や。深呼吸。ええっと差出人は」

「なになに」

 

 朱音が示した場所には、メールアドレスのみが書かれている。ドメイン名の末尾には「ghi.co.us」と記されていた。

 ——ジーエッチアイ?

「こんなん身に覚えがないわ。迷惑メール。そうに決まっとる」

「そうだよね。そうに決まってる」

 

 うなずきあいながらゴミ箱アイコンに触れた。

 

 

 

 

 

 

 正午。

 今夜一泊する旅館の大広間で昼食を取っていた。飯茶碗が空になると、小櫃(おひつ)を抱えた仲居が五目ご飯をよそった。

 

「おおきにー」

 

 桜は仲居に礼を言った。脇に寄せていた空の小櫃を差しだして、下げるよう仲居に頼んだ。

 箸をつけたとたん、あっという間に胃の中へ消えていった。

 仲居がひっきりなしに動いて飯椀に米を盛っていく。

 

「おおきにー」

 

 これまたペロリと平らげ、今朝下田港で水揚げしたというタカベの塩焼きを食した。

 仲居の働きとは別に、生徒たちは座敷中の小櫃を三組に集めようとした。七月の暑さや移動の疲れ、ダイエットに気を遣う者などがいて、女生徒の食が細い傾向にあると読んだのだ。

 

「うまい。うまい。うまいわぁ」

 

 親しくない者でさえ桜を無視できない。小櫃をわんこそばの要領で胃中に納めているとなればなおさらだ。

 細いからだのどこに入るのか。

 彼女の胃袋は四次元につながっているに違いない……と勝手な憶測が飛ぶ。

 桜は食事に集中していて周りの声など聞こえていないようだ。

 五感のすべてを「食」に費やしている。生徒たちはよく心得ていた。佐倉桜という少女は何よりも食欲を優先するのだ。

 少女たちの気質はクラスによってそれぞれ違う。

 桜がクラスの中心になっている一年三組では、他のクラスよりも食事に貪欲なのだ。普段からして積極的にからだを動かす。食べられるときに食べなければ、必要以上に体重が減っていってしまう。

 一方で、一組のように慎ましく食事を摂るクラスもあった。クラスで浮き気味の布仏本音やラウラ・ボーデヴィッヒなど例外もいるのだけれど。

 桜たちがあまりにも美味しそうに食べるので、つられる者が続出する。そして今すぐ記録するべきだという使命感に燃える少女がいた。

 ラウラ・ボーデヴィッヒである。

 立ち上がってデジタルカメラの紐を首にかけた。カメラを構えてスナップ写真を撮影する。

 担任の千冬から生徒はひとりずつ等しく写し、枚数に偏りがあってはいけない、という言伝を忠実に実行した。

 フラッシュを焚くので、キューン、と独特な音が混ざった。被写体だと自覚したとき、楽しく談笑していたはずの三組の生徒たちは急に黙りこんでしまった。

 

「どうした。顔が固いぞ。さっきみたいに明るく、明るく」

 

 写真班として職業意識に燃えるラウラとしては、カメラを意識されては困る。

 どうせなら自然な姿を残してやりたい。桜の箸が止まっているのを見て、ラウラは一旦退くことにした。

 

「これみよがしにカメラを構えてたのがいけなかったか……」

 

 本音の隣席に戻ってカメラを置く。携帯端末を操り、ウェブサイト経由で学園内ネットワークにアップロードした。GPS情報にドイツ(母国)語のコメントを添える。ラウラは短縮URLを記載したメールを桜たちに送った。

 桜はまたひとつ小櫃を平らげ、あら汁をすすった。

 

「ごちそうさまでした」

 

 食事を終える合図だ。近くに座っていたナタリア・ピウスツキも真似をした。

 桜はふと携帯端末が気になって通知履歴を確かめた。

 

差出人:ラウラ・ボーデヴィッヒ 《ラウラの顔を模したアイコン》

件名 :Vor einiger Zeit hat der Foto :-))

本文 :さっきの写真だ。臨海学校特設サイトにアップロードした。

 

「ん……んぅ?」

 

 液晶画面の表示がどこかおかしい。

 桜たちの周囲が白金(プラチナ)のように(きら)めいている。(ふすま)(もや)にかすんで、少女たちの後ろにはいないはずの存在がたたずんでいる。

 恐る恐る振りかえると、薄靄(うすもや)など最初からなかったのだとわかった。

 三組の写真班を仰せつかっているナタリアにもメールが届いていたらしく、スラヴ系の美貌(かお)が微かに引きつっていた。

 

「……ピウスツキさん」

 

 共通の友人である一条朱音には見せられない。バスのなかで見てしまったのだ。

 桜はポーランドの代表候補生を手招きした。

 ナタリアがすばやく席を移る。阿吽の呼吸で画面を見せあった。

 

「……四十院。うちらば撮って。そんでアップ先ば教えてほしか」

 

 ナタリアの要請を受けた四十院神楽は、自分の携帯端末で同じ風景を撮影する。指示通り、写真のアップロード先をメールに記した。

 ナタリアから転送されたメールを見て、桜は首を傾げてしまった。

 写真には肩を寄せあっておびえるナタリアと桜の姿がある。

 いないはずの存在は写っておらず、薄靄もかかっていない。今、目にしている光景をそのまま残している。

 事態を理解した桜は青ざめた。

 

(霊界の住人が写っとる。こいつはあかん。あかんわ)

(な、なな、こぎゃん場合どげんすればよかんか習っちょらん。どげんしたもんか)

 

 互いに色めき立ながらも声を押し殺す。

 ——お、お、お、おかっぱ頭の男子高校生が写っとる。なーんて誰も信じんわっ。とにかくっお祓いや! 祈祷でもええ! お祓いをしてもらわなければ!

 桜はずいぶん昔、檀家に頼んで霊験あらたかな僧侶を紹介してもらおうと画策したことがある。

 檀家の息子から友人経由で奈津子に漏れ、長女の安岐に諭されたことがあった。混乱した桜は、先日見たある映画を思いだした。そのフィルムは現在、スミソニアン博物館に展示されている。

 

(ナタリア、いいエクソシストを知っとらん?)

(……)

 

 ナタリアは小さく溜め息をついたあとで、ある人物を指さした。四十院もナタリアと同じ人物を指し示した。

 

「なるほど。四十院さんもそう思っとるんやな」

 

 当の本人は突然指を差されたことに困惑を隠せないようだ。目を何度も瞬きして左右をうかがっている。

 

「このような話題は専門家に相談するのが一番だと思いますよ。彼女は神社の跡取り娘でだったそうです。霊力もあるんだとか、ご実家の神社のホームページに書いてありました」

 

 桜はゆっくりとうなずいた。篠ノ之箒は本当の神子だった。神々しさが顔に出るもので、ときおり箒の姿に後光がさしているような気がしていた。

 食事後、ビーチへ向かう前に少しだけ休憩時間があった。

 桜は同じ班のクラスメイトに「あとで追いつくわ」と断りを入れて箒のもとへ向かった。

 

「私に用があるのだろう? さっきから妙な視線を感じるんだが」

「さすが篠ノ之さん。察しがようて助かるわぁ。実は折り入ってご相談が……」

 

 桜は箒の肩を揉みながら、正面にあるお土産コーナーを見渡した。

 傍に黒いマッサージチェアが置いてある。利用者は女性だろうか。片脚だけスリッパが脱げ落ち、細い足首がのぞいている。首には手ぬぐいを巻いており、布面に紫色で「も」と染め抜いた字が描かれている。アイマスクをつけているので顔はわからない。気持ちよさそうに身を任せているのは確かだった。

 桜はラウラがアップロードしたという写真を見せ、彼女の反応を待った。

 

「言わんとしていることは理解した。……何度も言っているが、念のため言っておく。私は拝み屋ではない。護摩や祈祷して欲しければ別の者に頼め」

「そこをなんとか……お願いします」

「……まあ、貴様と私との仲だ。微力を尽くそう」

 

 箒に後について旅館の外へ出た。

 箒は自販機に歩みより、桜たちの前で硬貨を投入する。

 人数分の水のペットボトルを買い、あっけに取られている桜たちに配った。

 

「これをやろう。御神水だ」

 

 桜が渡されたペットボトルを凝視する。

 ——御神水? ただの水や。

 

「さっき自販機で買うの、この目で見たんやけど」

「その通り。私のおごりだが? ピウスツキの国では聖水とも言うぞ」

 

 箒がぶっきらぼうに言った。突っ立っている生徒たちの前を通り、「御利益があるぞ」と声をかけていく。桜たちはうなずくものの、うつむいた顔をあげずに黙っていた。

 

「信じてないな」

「……その、どう信じたら」

「ふぅん。その気持ちはわからんでもないが……お前たちは」

 

 箒は手もとに残った一本をあける。暗い顔つきの少女たちを見まわした。

 

「お前たちは()()()じゃないから気にしないほうがいい。いや、気にしないことだ。さもなくば悪い念を呼び寄せる」

 

 一言つぶやいてから、無造作に水をアスファルトへ()いた。そして電話をかけ、ほどなくして一眼レフを手にしたラウラが現れた。

 

「ボーデヴィッヒ。よろしく」

 

 カメラを構えてシャッターを切る。

 桜の肩に隠れ、「え、遠慮しますっ」レンズから逃れようと恐縮する。彼女の一眼レフは霊を映す。桜はレンズに映り込む自分の姿をのぞきこむ。

 ラバウルを彷彿とさせる着メロが鳴って、桜は端末に目を落とす。沈んでいた表情に驚きが浮かんだ。

 

「写っとらん! すごい!」

「幸い、人なつっこい霊だったからな」

「自販機でもええの!?」

「ああ。略式でどうにかなった。そういうことだ」

 

 ナタリアらも画面をのぞきこんで口々に歓声をあげる。桜は手を振って箒と別れた。

 

 

 



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湯煙温泉の惨劇(三) 浜遊び

 海岸(ビーチ)白南風(しらはえ)が吹きこみ、制服を脱ぎ捨てた少女たちが足ばやに砂浜を駆けていく。トウモロコシを焼く匂いにつられて、煙を探す者もいた。

 桜は長姉の安芸から贈られた水着を身に着け、遅れて砂浜に降りたつ。

 碧いビキニにボクサーパンツ型の水着。髪をアップにして動きやすさ重視でもある。よく鍛えられ、しなやかで健康的な素肌はやはり目を引いた。

 碧い水面には細波が立って、色とりどりの水着で華やいだ。午後二時を少しまわっており一日でもっとも暑い時刻だ。

 先に出た朱音たちを探していた桜は、防水カメラを構えたナタリアを見つけた。

 水遊びに興じる貴重な青春を捉えようとしているらしい。

 桜は履き慣れたビーチサンダルで砂浜を歩き、足を取られないよう気をつけながらナタリアの背後へ歩みよった。

 ナタリアはボーダー柄のサロペットで体形を隠している。

 ——ナタリアらしくない。

 三組でもっともスタイルが良いとされる彼女。武器(ビキニ)を忍ばせるあたりが憎らしい。

 

「ナタリア」

「おっ。メガモリ」

 

 桜の頭のてっぺんからつま先までなめ回すように眺めて、「よか。よか。よか肉付きばい」とうなずいた。

 

「その言い方。おっさんや」

 

 ナタリアの手が桜の素肌を撫でる。筋肉を確かめるもので(いや)らしさはない。だが、誤解を招く様子でもあった。

 その証拠にふたりの姿を見かけた櫛灘が本音に注進すべく走り去っていった。

 

「いつまで触っとるの」

 

 ナタリアが手を離したとき、生徒会副会長(くしなだ(デビル/あくま))の背中が遠くなっていた。

 心に涙を浮かべながら見送る。楯無からよい影響を受け、悪魔の心は浄められたのだと強引に思い込む。

 桜はナタリアの撮影対象に興味を抱いた。とにかく騒がしいに尽きる女が黙ってシャッターを切っていたのである。

 

「あいつらがいちゃついとった」

 

 顎で示した先には織斑一夏に腕を絡めたシャルロット・デュノアがいた。

 ふたりは学年別トーナメントの折、タッグを組んで出場した。シャルロットのがんばりの甲斐あって決勝に駒を進めている。

 一夏はシャルロットの猛アタックにひれ伏し、美少女の肌に鼻をのばしていた。

 

「うらっ」

 

 ——うらやましくない。うらやましゅうないっ。

 桜には自分を好きだと言ってくれる相手がいる。例え女であっても、かつての戦友とよく似ていたとしても一夏に羨望のまなざしを向けるのは自重すべきだ。

 青春時代。女っ気の欠片もなかったのを思い出す。花よりも団子の性分だったから見合い話をのらりくらりと避けてしまったのだ。

 ——思えば征四郎兄貴は美男やった……。織斑と負けんくらいええ男やったなあ。

 桜は実家の倉でよく捜し物をしていた。その折り、旧制中学時代の佐倉征四郎の写真を見つけ、仏壇の引き出しに保管していた。

 どうやら織斑一夏にも彼女ができたようだ。今の姿を観察した結論である。

 ナタリアがカメラの液晶画面をかざした。

 

「ここ見てくれん?」

 

 シャルロットの胸元を指さした。

 

「え? どこ?」

「デュノアの乳ばい。よーく見て。目に焼き付けた?」

 

 桜は首を縦に振る。

 そしてナタリアが見せた六月末頃の画像データを見て、桜はとても驚いた。

 

「……おかしかけん」

「せ、せやな。おかしい……」

「うちな。親しくしとる先輩でダリル・ケイシーっちゅう人がおるっちゃ。こん前、川崎大師に連れてかれて妙な話ば聞いた。シャルロット・デュノアは男かもしれんけん……さすがに、無理が」

「デュノアさんが男……? 荒唐無稽な話や」

「そー思うやろう。もう一回デュノアの乳ば見て」

 

 あらためてシャルロットの胸部を凝視する。

 

「……ない」

「……ないわ。こん目で見てもなか」

 

 シャルロット・デュノアは方々に敵を作っていった。あえて挑発し、ケンカを売ることで自らの周囲に孤立という名の壁を作った。

 

「すべてはこのためやったのでは?」

 

 桜はナタリアの言葉を一笑に付すわけにはいかなくなった。

 風船のようにふくらんだ丸みが目を惹いたはずなのだ。

 桜は目蓋をこすった。

 シャルロット・デュノアの豊満なおっぱいが消えてなくなっていたのだ……。

 

 

 

 

 

 

 浜遊びを終えて、桜は教師に案内で旅館への帰路についた。クラスメイトたちは皆、水の入ったペットボトルを持ち歩いており、アスファルトへ数メートルおきに蒔いていた。千冬の教えを忠実に守るラウラが生徒たちをまんべんなく撮影しているからである。

 ナタリアや朱音、マリアたちと談笑する合間、桜は持っていた端末に目を落とした。

 

差出人:布仏本音 《本音を模したアイコン》

件名 :晩ご飯の情報だよ〜

本文 :お魚いっぱいの天ぷらだってさ〜。ご飯とサラダのおかわりが自由なんだって〜。

 

「天ぷらかあ。さっき食べたタカベ、美味かったなあ。今度はどんな海鮮なんやろ」

 

 頭のなかで色とりどりの回遊魚が踊っている。

 臨海学校の愉しみはなんといっても新鮮な海の幸だ。学園の近くに三崎港があるので魚介類に事欠かないが、伊豆の海もまた豊かな漁場である。

 桜は天を仰いで手をかざす。

 塩風が跡切れず甲を撫でる。磯の匂いを胸いっぱいに吸いこんで前を見れば、ブロック塀のそばに生えた立葵を見つける。

 端末のカメラで撮影すると、マリアが寄ってきてチロチロと流れる水の柱へ指を差しいれた。

 蛇口(カラン)を指で押さえ、四方に飛ばす。

 女生徒のTシャツを濡らし、身に着けていた水着を透けさせる。歓声があがってクラスメイトたちも応戦した。

 水玉が天を舞う。桜も混ざって皆びしょ濡れになった。

 

「防水でよかったぁ」

 

 湿ったタオルを服のうえにあてた。下着代わりにISスーツを着用していたとはいえ、服が透けるのは少し気恥ずかしかった。隣にいた朱音も同じ気持ちらしく、見つめ合ってはにかむ。そして笑いの渦が周囲に広がっていった。

 旅館は少し高台にある。

 連城先生は近道だと言って石段を指し示した。毎年同じ旅館に泊まっているらしく、彼女の話はずっと街に住んでいたかのように詳しい。歴史講釈を聞きながら背中を追った。

 

「サア、着きましたよ。皆さんの荷物は運ばせてあります」

 

 連城先生は三組(受け持ち)の生徒に部屋割り表を配り、先に休憩していた千冬たちのもとへ向かった。

 腕時計を見やり、ご飯とお風呂までいくらか時間があった。

 衣服を替えようと思って階段に足を向けると、本音から再びメールが届いた。

 

 

 

 

 

 

 着替え終えてからロビーへとって返した。

 

「私が一番やったみたい」

 

 桜は同じく遊び足りない女生徒の顔が見たくなった。部屋へ向かう途中、卓球台を見つけたので誰かを誘って勝負するつもりでいたのだ。

 スリッパをパタパタさせながら一階のロビーをうろつく。

 土産物屋の向かいにマッサージチェアがあった。「も」と大きく染め抜かれたタオル。達筆にはほど遠い絶妙な汚さだ。昼にも同じタオルを見かけたことを思いだし、ちょっとした好奇心からマッサージチェアに近づく。

 浴衣のところどころには渦巻きの文様が見てとれた。

 寝そべっていた客が急に背伸びをしたので、桜は背中を震わせて立ち止まった。

 ——起きてもうた。変なこと考えるもんやないな。

 客は二十代半ばの女性らしく、浴衣がはだけて桜色の胸元が色めいていた。桜が背を向けたとき、その女性が大声をあげた。

 

「あーっ箒ちゃんだーっ!」

 

 見ると、一組女子の集団が土産物屋でたむろしている。お菓子を吟味してあーでもこーでもないと迷う者。キーホルダーを手にした生徒の歓声も混ざった。

 女性客の声は甲高くよく通る。気づいた生徒が一斉に振り向いた。

 彼女は箒に歩み寄り、桜たちの眼前で勢いよく抱擁を交わす。感激した様子で頬をすりつけながら、女は名乗った。

 

「お肌すっべすべー。タバネさんだよー。天才博士にして、SNNのしーいーおー。篠ノ之束さんだよー。箒ちゃんひっさしぶりー! ずぅっと会いたかったよーっ!!」

 

 桜は声を聞くや目を見開いた。

 SNNのCEOは世界にたったひとりしかいない。本人と電話で話したことすらあった。

 ——この声、しゃべり方、思いだしたわ!

 一方的に理不尽な言葉をぶつける女だ。桜は数々の暴言を思いだしてはらわたが煮えくりかえる。

 桜はかつて作郎として社会に出た経験がある。長いようで短かった軍隊生活。規律と自制心を学んだ。桜として生を受けてからは自由気ままに生きてきた。それでも他人に不愉快な思いを強いることを避けてきたはずだ。

 例外は奈津子である。

 ——奈津ねえとの約束、破ってしまいそうや……。

 幼い頃、奈津子には随分迷惑をかけた。桜としての振る舞い方がわからず何度も傷つけてしまった。

 ——せや、織斑先生が気づいたみたい。

 騒がしさに気づいた千冬が近づいてくる。

 が、輪になって束を取り囲む生徒に阻まれて前に進めない。

 声をあげようにも、生徒の歓声のほうが勝った。しまいには腕を組んで話が跡切れるのを待つつもりらしい。

 

 束は疑問を抱いていた。腕のなかの妹が何の反応も示さない。考えてもしかたないので尋ねてみることにした。

 

「箒ちゃん。箒ちゃん。さっきからひとこともしゃべってないけど……もしかしてお姉ちゃんのこと忘れちゃった? 私は箒ちゃんの何なのか、当ててみてよ」

「……姉さん」

 

 箒はよそよそしい態度をとった。

 

「ピンポーン。ピポピポぴーんぽーんっ。せいかーい! どーしてタバネさんが箒ちゃんの前にいるのかわっかるー?」

 

 束の大げさな振る舞いに冷ややかな視線を返す。

 

「……さあ」

 

 表情を消し、そっぽを向く。束は一瞬目を泳がせたが、気を取り直して続けた。

 

「わかんないよね。じ・つ・は」

「……ふむ。紅椿が見たいと」

「そのっとおーりっ! さっすが箒ちゃん! 察しがいいッ!」

 

 紅椿をレベル制にした張本人はどうやら育成状況を確かめたいようだ。

 だが、箒には姉の存在が面白くなかった。学年別トーナメントで必死に頑張ったものの評判が芳しくない。タッグを組んだ簪の圧倒的な強さにかすんでしまったのだ。

 誰かが噴き出しながら「ああ、ダメ椿」と揶揄する。

 世界初の第四世代機はIS史上稀にみる駄作機なのだ。ハードウェアの潜在能力は高いけれどソフトウェアの出来がお粗末に過ぎる。

 もっとできるはずだ、と自分を叱咤し続けるにも限界がある。根本的な問題点を改善しなければ、箒と紅椿はずっと揶揄され続けるだろう。

 

 束は箒から一歩退き、真っ正面から見つめる。

 

「箒ちゃん」

 

 束が続けた。

 

「凡人がいくら騒いでも、ぜーんぶ雑音だよ。箒ちゃんがわざわざ耳を傾ける価値なんてないんだよ。凡人はスタートラインに立とうとすらしてないんだから。箒ちゃんを笑うのは知らないからだ。ISに乗るってことがどんなことか……」

 

 束は後ずさりながら言い放った。

 

「あとで部屋に行くよんっ。プログラムを調整してあげる。一晩経ったら汚名返上だよっ。任せてね!」

 

 箒には信じられない発言であったらしい。目を丸くして言葉を紡ぐことすら忘れている。

 輪のなかで様子をながめていた桜に気づいて、目で訴えかけてきた。

 束も箒の視線が示すものが気になって背後を振りかえったが、すぐに興味を失った。

 そして束が箒の背中に回り込むと、輪の外まで押していく。

 

「それから箒ちゃん、無理にまっすぐ進むことはないよ。急がなくたっていいんだよ。寄り道したっていいし、遠回りしたっていい。箒ちゃんが望む(みち)を見つけるんだ」

 

 強く押され、箒が二、三歩進んで立ち止まった。

 

「姉さん?」

 

 

 

 

 

 

 ロビーに来た目的を思いだして、束はあたりを見まわした。

 去って行く箒の背中。人混みを避け、階段のそばで騒ぎを遠巻きにながめていた簪が箒の後を追い、姿を消す。

 代わりに階段を降りてきたラウラが持っていたカメラを構え、シャッターを切った。

 少女たちの歓声を記録したかったのだろうか。束の姿が珍しくて写真に納めたのか。束の場所からでは遠くて声をかけられなかった。

 花の匂いにつられて人混みをかきわける。再び輪のなかに戻り、セシリア・オルコットの立ち姿を見てドキッとしてしまった。

 ——彼女、スリー、だっけ。おっかしいなあ、()()()って()()()()()()使()()()()()()()()()()()()()()はずなんだけど。

 束がサルスベリの前で首をひねっていると、セシリアから近づいてきた。

 ——チェ、人違いだ。眼が違う。あの子はもっと冷たい(ひとみ)だった。

 

「もし……」

 

 ——邪魔だなあ。

 通路をセシリアに阻まれている。廊下の奥にはラウラがいる。その横で佐倉桜が立ち話しているのだ。だが、人が集まりすぎていた。背伸びして千冬の姿を探していた、彼女は腕を組んで(にら)みを利かせてきた。

 ——へ、下手なことを口にできないぞ!?

 

 束は頭を働かせてその場を切り抜けようとした。

 

百日紅(ひゃくじつこう)はね。その名が示すとおり一〇〇日のあいだ花が咲き続けるところから来ているんだ。ちょうど箒ちゃんに足りないところだね。……で、きみはどうなんだい?」

 

 セシリアに問いかけ、千冬を一瞥する。

 教え子と思しき生徒を邪険にするのはよくない。彼女たちは若年だが、IS産業にどっぷり浸かっている。狭い業界だ。背後に誰とつながっているのか、事細かに調べた上で慎重に接しなければならなかった。

 箒との感動の再会を果たしたあとで、業務に悪い影響を及ぼしたとあっては、クロエから何を言われるかたまったものではない。

 束はセシリアの反応を待った。

 

「わたくしっ、セシリア・オルコットと申しますっ。あ、あのっ! 篠ノ之束博士のご高名はかねがね承っておりますっ。もしよろしければわたくしのISを見ていただけないでしょうかっ!?」

 

 セシリアが一気呵成(いっきかせい)にまくし立てた。

 ——こういう目は苦手だねえ。

 シノノノタバネ(IS発明者)という偶像を捉えた瞳だ。今、セシリアに何を告げても神のご神託として受けとるだろう。

 ——紅椿以外を触る予定、ないんだけどなあ。どうやって追い払おうかな。

 早速妙案を思いついて心の中でにんまりした。

 ——私が大人だってちーちゃんにアピールすれば、ぐるっとまわって箒ちゃんの耳にもはいる。そうすれば昔みたいに箒ちゃんが尊敬の視線を向けてくれるかもっ。ふふふ……。

 

「君はIS学園の生徒かい? 見たところ日本人じゃないねえ。そもそも君のIS……ふうん、ブルー・ティアーズっていうんだ……は、君個人の所有物じゃないよね。私が()るってことは、SNNに整備点検、もしくは改修を依頼するってことになるんだよ。君は一パイロットに過ぎない。企業であるSNNと直接交渉する立場にないってこと、わかってるかな。()()()()()()()()()

 

 束は諭すように、あえて冷たく言いはなった。

 

「え、あの……」

 

 セシリアが口ごもる。

 

「理解したね? だったら次にどうすればよいかわかるよね?」

「え……?」

「束さんは二度言わないよ」

 

 セシリアはキョトンとしてしまった。

 ——ここでまごつくんだったら、いいや。手間も省けるし、箒ちゃんに割く時間が増えるってもんだね。そーだっ! ラウラちゃんにも挨拶しとこっ。楽しみが増えたよーっ。

 束は妄想に浸りつつ数秒だけ待った。セシリア・オルコットが深呼吸する。

 

「でしたら……しかるべき人物が依頼すれば、受けていただけると認識してよろしいので?」

「その通りだけど」

「承知しました。叔父(ブランドン)から依頼させます。今晩中に電子契約書を持参致しますわ」

 

 セシリアは礼を言って、優雅な仕草で道を空けた。

 ——可愛くない反応だね。妙な気を起こすんじゃなかったなあ……ま、いっか。吹っ掛けてやろーっと!

 

 束は輪の外に出るや箒の部屋へと駆けだした。

 

 

 



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湯煙温泉の惨劇(四) 湯煙

 桜は部屋に引き返した。ドアノブが水のような液体でぬれている。

 

「ほかの人が来たんか」

 

 恐る恐る中に入ると、見知った女生徒たちが窓辺で朗らかに話している。窓が開いており磯の香りが風に運ばれてきているようだ。窓辺まで伸びた木の葉から黒褐色のベニシジミが飛び立つ。誘われるように部屋へ迷い込むと、天井を回ってから桜の肩で(はね)を休めた。

 

「本音、マリア様。おんなじ部屋やったね」

 

 ポケットから取りだした部屋割り表を広げ、皆に見せた。部屋割り表が戻ってきてから座布団に腰を下ろす。

 座卓の大部分が撮影機材で埋もれている。コンパクトデジタルカメラを弄ぶと、側面に貼られた鉄十字のステッカーを見つける。

 

「私もいるぞ」

 

 押し入れからラウラが這い出す。スカートがめくれ白いショーツと尻肉の一部が露わになっていたが、糸くずを払うのにかまけて気にした様子はない。

 撮影機材の山から四角いプラスチックケースを引っ張り出して、ポケットに納める。

 ヘッドライトにスイッチを入れ、再び押し入れへと戻っていった。

 

「来たときからずっとだよ〜。おとなりが織斑先生の部屋だからじゃないかなぁ?」

 

 言われてみれば隣室の周囲をうろつく生徒が多かったような気がした。

 

「今日の部屋割りだけどさ〜。うちのクラスの櫛灘さんが決めたんだよ〜」

「へえ……あの人が」

 

 本音の言葉にうなずきながら旅行鞄から旅のしおりを取りだす。タイムスケジュールを眺めて、すばやく万年筆型ボールペンで感想を記す。ペンを置き、ポットの蓋をあけて湯気を確かめてから人数分の茶を用意した。

 

「ありがとー」

 

 本音とマリアが口々に言った。

 

「ボーデヴィッヒさん。お茶、置いとくけど」

 

 と、押し入れに向かって声をかける傍らで、電子書籍を呼んでいたマリアが照れたように笑い、ラウラの足の裏を見下ろす位置に腰を落ち着けた。

 ——マリア様。あかんって。ボーデヴィッヒさんは冗談通じんお人や。

 本音に救いを求める。

 と、本音はおどけたように袖で口元を隠してマリアの向かいに座る。

 観念した桜も傍に寄って白い足の裏を眺めた。

 

「これを使います」

 

 マリアは桜に新品の面相筆を握らせた。

 本物の玉毛(猫の毛)を使った品である。

 

「マ……マリア様。……本音も……」

 

 これは神仏の導きなのだ。

 ふたりの期待を裏切るなどできるものか。

 足裏の皺を一筋ずつ丁寧になぞった。

 

「うぅん……ああああぁぁぁあぁぁ……」

 

 彼女らしからぬ陶然とした声にドギマギしてしまう。

 三人で見つめ合い、クスッと吹いてしまった。

 そして桜には聞き取れぬドイツ語の早口。頭を中天井にぶつけ、壁を照らすヘッドライトが激しく揺れた。

 這い出してきたラウラは眼帯をつかみ取り、瞳に(とも)した焔が燃え上がる。

 悪戯した張本人を探して桜たちをにらみつけ、傲然(ごうぜん)と腕を組んだ。

 

「貴様ら」

「さ、さぁ……」

 

 すっとぼけていた桜が後ろ手に隠した筆を弄ぶ。

 

「し、知らん。知らんよ」

 

 越界の瞳(ヴォーダン・オージェ)は、視覚能力を大幅に向上させるのだ。

 体側からはみ出した茶玉を捉える。

 膝を突いて、本音、マリア、桜の順に顔を寄せる。

 ラウラは華やいだ笑みを浮かべ、自首を迫った。

 

 

 

 

 

 

 女湯の前で浴衣姿のナタリアが思案に暮れて行ったり来たりしている。するとそこへ巾着を肩に掛けた桜があらわれた。

 

「ナタリア? お風呂、次だと思っとったけど」

 

 桜が首をかしげた。

 

「メガモリ! ちょうどよかったあ……」

 

 ナタリアは桜の手を取り、壁際へと導く。

 入浴時間になった女生徒が続々と集まってきており、会話の気配を察して、声をかけることなくふたりの傍を通り過ぎていった。

 桜は用心深く友人に話しかけた。ナタリアは騒々しい気質で、むやみに人を巻き込みたがる。

 つい先ほど『消えたおっぱい』問題を提示してみせた。

 ——それに。

 ラウラも同じ時間帯に入浴する。浴場の収容力の関係で生徒たちの入浴時間はAとBの2グループに分けられている。桜たちはAグループとして先に入浴する。

 ——心配ない。心配ない。

 入浴中はカメラを誰かに預けるよう進言してある。乙女の肌をカメラに納めるのはよくない、と言ったら納得してくれたのだ。

 箒も入浴する。霊的に困った事態に陥るとは考えにくい。

 ナタリアが深刻な表情で打ち明ける。

 

「デュノアさんも入るなら、ダリル先輩の宿題ば解ける可能性が」

 

 とっさに女湯の暖簾(のれん)を確かめる。本音が「サクサク〜先に入っちゃうよ〜」と手を振ってきた。

 

「わかったわー! すぐ済むから湯船で待っとって」

 

 桜は顔を戻し、ナタリアに手短に話すよう求めた。彼女は好奇心に目を輝かせ、興奮した口調のまま小声でささやいてきた。

 

「手段はこう。風呂場で雑談をかわす。専用機の話題を振るとええわ。社長令嬢なんやし、いろいろ口にするはず。そいから……もうひとつ頼みがあって」

 

 ナタリアが桜の様子を窺い、彼女にしては珍しくまごついている。

 

「言って。早う行かんと」

()()で確かめる。難しい思うばってん……やってほしか」

「……え?」

 

 桜は聞き返した。

 

()()でお願い」

 

 ——触手!? 触手って()()()()()()()()()()()()()()……?

 何かの言い間違いだと思って再三確かめたが、ナタリアは同じ言葉を繰り返した。

 別れたあと、頭を悩ませたまま脱衣所へたどり着く。

 Aグループのほとんどが脱ぎ終わっており、下着や衣服が雑然とそれぞれのかごへ放り込まれている。

 桜は空きロッカーを探した。上段と中段がことごとく埋まっている。仕方なく最下段のロッカーを使った。

 浴場は広く、白い湯気に満ちていた。

 少女たちが生まれたままの姿で、湯をかぶると楽しげな声があがった。

 石けんの香りにまざって蜜柑の甘酸っぱい香りが揺らめいている。

 入浴剤の代わりに地元産の蜜柑を浮かべた蜜柑風呂がある。

 桜は本音を探した。髪が長いから洗うのにも時間がかかるはず。やがて、念入りに肌を磨く姿を見つけた。

 暫しのあいだ、泡で覆い隠された本音の白い素肌に見とれてしまう。彼女の肌を目にするのは初めてではないが、やはり意識してしまうものだ。

 ——きれい。

 桜は頭を振り、周囲へと気をそらした。向かいのカランには谷本や鏡がいる。一瞥しただけで腰のくびれまでわかってしまう。

 本音の隣を陣取っていた四十院神楽が谷本にシャンプーを借りようと振りかえった。

 桜の姿を認め、次に本音の横顔を眺めると急に湯をかぶって立ちあがる。

 神楽は無駄口をたたかない。桜の肩に触れ、視線で合図を送る。

 ——座らんとあかんみたい。

 桜は本音の隣に腰を下ろし、桶に湯を溜める。身体を洗うのに没頭していた本音が気づくまで静かに湯を浴びる。

 

「かぐ……サクサク!?」

「遅うなった。ナタリア、話が長くて」

「も〜言ってよ〜。いじわるなんだから〜」

 

 不満げに頬を膨らませた本音だったが、内心は(よろこ)んでいるようだ。

 桜に自分のシャンプーとボディソープを貸し与える。

 手ぬぐいを泡だてていると、ふらりとやってきたラウラが桜の背中を洗いたいと申し出てきたのだった。

 

「貴様と私の仲だ。トーナメントの礼だと思ってくれ」

 

 一組の生徒は驚いた。ラウラ・ボーデヴィッヒはいかにも扱いづらい、独善的な生徒だと思っていた。

 ひとつ屋根の下で寝たことのある本音は、ラウラが誤解を受けやすい少女だと知っている。彼女の()いところが表に現れたのだ。学園で毎日ラウラを見かけている生徒はどうだろうか。

 もちろん桜は感激した。ラウラに仲間だと認められているのだ。

 

「せやったらお願いしてもええ?」

「任せてくれ。()()()()()()()()()()()()()

 

 ——クラリッサ? ああ……大尉さんな。

 正面を向いてラウラの心遣いを待つ。

 だが、気負っているのか、背中を流すにしては時間がかかりすぎやしないか。桜は気になって振りかえろうとした。

 だが、心意気に水を差すのも悪いと思ってこらえた。

 

「くすぐったから言ってくれ」

 

 ラウラが言う。

 

「……ぁ」

 

 背中になめらかな心地良さが広がり、吸い付くような感触に途惑う。桜は心地良さのあまり悩ましげな溜め息をついた。いつのまにか目をつむって身を預けてしまっていた。

 

「ま、待って、待って! 誰か止めてあげようよっ!」

 

 シャルロット・デュノアがひどくあわてた様子で、ラウラを引きはがす。背中の感触が失われ、桜は目を開けた。

 ——すごく気持ちよかった……でも、デュノアさんの声。何があったん?

 合点がいかず首をひねる。

 ラウラを探して辺りを眺めた。

 シャルロットとラウラが向き合う。シャルロットが正しい背中の流し方を教え諭している。どうやらクラリッサの教えは大間違いだったようだ。

 

 

 

 

 

 

 露天風呂に足から浸かった。桜のまわりに生徒の気配はなく、皆ちりぢりになって昼間の疲れを癒やしている。

 談笑する声が聞こえ、桜はあたりを眺めた。白い湯煙が立ちのぼるなか、誰かの背中を見つけて表情が和んだ。湯をかきわけて近づき、声をかけた。

 

「おとなり。ええですか」

 

 夜天を彩る星座が煌々(こうこう)と輝いている。

 

「どうぞ。お構いなく」

 

 と、言われて初めてシャルロット・デュノアだと気がついた。

 シャルロットが少し奥へずれ、場所を譲る。

 

「ここは暗くていいね。夜天(よぞら)を見てごらん。西の天に金星と木星がいて、寄り添うように接近している。君は目がいいかい? 手をかざして円を作ってごらんよ。わっかの中に入ってしまうほどだ。日本だと今の時期を逃すと、しばらくふたつの惑星は別離してしまう。一年に一度の逢瀬を重ねているのは織姫と彦星だけじゃないんだよ」

 

 桜は隙間に身を入れて、頭を岩を象ったタイルに軽く乗せる。シャルロットに促されるまま夜天に手を伸ばして円を形作ってみた。

 なるほど、惑星が逢瀬を交わしている。

 

「サクラサクラ……さんだよね」

「そうです」

 

 シャルロットは掌で湯を汲み、肌を伝って水面にわずかな波紋が立つのを愉しんだ。

 素の彼女が見られるのは貴重だ。

 

「デュノアです。トーナメント期間中は失礼したね」

 

 桜は苦い笑みを浮かべた。

 

「デュノアさんはもっと取っつきにくい人だと思っていました。でも……違っていたのですね」

 

 シャルロットは感心したように桜を眺める。

 

「きみは普通でも話せるんだ。あ……ごめんよ、今のは失礼だったね」

「デュノアさんも流暢に話しますね。誰かよい先生についたとか?」

「小さかった頃、通っていた学校に日本人の友だちがいたんだ。その子と話したくて勉強したんだよ。髪が黒くて肌がきめ細かくて、面立ちが……そうだなあ。織斑先生に似ていたよ。遠縁のご親戚なのかもしれないね」

「へえ。日本人のお友達が」

「そう。名前はマドカって言ってね。漢字だとどう書くんだっけな」

円夏(まどか)、とかですか」

「かもしれない」

 

 いくぶん困ったようすで応える。

 

「サクラさんはどう書くんだい?」

 

 桜は名前とその由来を説明する。三姉妹の末っ子だと告げると、シャルロットは親近感を覚えたらしい。自分にも弟がいる。シャルロットははにかんだ。

 

「といっても従弟だけれど。これが自分でも気味が悪いくらいそっくりなんだ。男にしておくのはもったいないくらい女っぽい顔でさァ、よく服を交換して遊んだよ」

 

 桜にも奈津子(次姉)とよく服を交換させられた時期があった。奈津子は長姉に憧れを抱いており、長姉と顔立ちが似ていた桜を特にかわいがった。桜自身は佐倉の血を濃く受け継ぐ奈津子がうらやましくてたまらなかったのである。

 

「ちなみに従弟(おとうと)さんのお名前は……」

「シャルル。シャルル・デュノアだよ。笑っちゃうよね。……一応解説しておくと、フランスではシャルルという名前はよくあるんだ。カール大帝のことをシャルル1世とも呼びあらわす、とかね。シャルルは男性名だから、女性名に替えるとシャルロットになるんだ。まるで双子みたいだろう? 年齢(とし)も一緒。ぼくの父の姉さんの子どもで、気持ち悪いくらい父の少年時代とそっくりなんだ。似なくていいのに悪癖までそっくりでね」

「悪癖?」

「そうさ。()()()()()()()()()()……あと、()()()()()()()()()

 

 最後のほうは小声でよく聞き取れなかった。シャルロットの困ったような顔つきが気になったが、水を差すのは悪いと思ったからだ。

 シャルロットは従弟の話をしてくれた。IS学園へ入学する前、トゥールーズの高校に(リセ)少しだけ通っていたときのこと。従弟に間違えられて告白されたり、修羅場に巻き込まれたりしたこと。

 桜は話に耳を傾け、相づちを打つ。従弟の話をしているシャルロットは生き生きとしていてとても素直だ。仲が良いだけに歯がゆく思うあたり、桜にも覚えがあることだった。

 

「シャルルくんは今もフランスで学校へ行っておられるのですか」

「あー、どうだろう。アイツ、真面目に行ってるのかな。今も誰かの尻を追っかけてるのかも。成績だけは維持してるってのは風の便りで聞いたなあ」

 

 桜はナタリアに頼まれたことを言おうか、迷った。

 

「あのぅ……変なことを聞いても」

 

 シャルロットは厭な顔ひとつせず快諾した。

 

「浜遊びのとき、その、水着が」

「その話。今日、君で四人目だよ」

 

 最初は櫛灘、ふたり目はFe女史、三人目は鷹月だという。

 

「あれはね。叔母の会社の試作品をつけてみたんだ。わざわざフランスから送ってくれてね」

 

 シャルロットは叔母が経営する会社がISスーツを企画・販売していることを認めた。化繊に強く、デュノア社のISスーツ製造を請け負っていたという。デュノア社そのものはタスクに買収されてしまったが、叔母の会社は《Dunoirs》をはじめとする自社ブランドが好調だ。

 

「言っておくけど、ぼくはシャルロットだよ。その証拠に、ほら。触ってくれて構わない」

 

 桜は手を伸ばそうとして、途中で気が引けた。

 ——ナタリアのあれ。触手やなくて指触やと思う。だいたい触手なんてもの、どこから手に入れるつもりなん。

 逡巡していると、シャルロットが手首をつかみとって胸に押しつけた。蕾の硬さが十代らしかった。

 

「……本物や」

 

 意表を突かれた桜がやっとのことで答えると、シャルロットが手を離す。

 

「肉の塊をぶらさげていたっていいことなんかないんだ。あげられるのなら君にあげたいくらいだよ……」

 

 

 

 

 

 風呂から上がって本音と談笑していた桜を、箒が部屋まで迎えに来た。

 

「来てくれ」

 

 すこし思いつめた様子で、桜の手をとって急いだ。

 

「私の部屋に来てくれ。佐倉にも、見てほしいものがあるんだ」

 

 箒の部屋には、簪と千冬、真耶がいた。簪はもともと箒と同室で、壁のそばで体育座りしている。数珠をもった束が簪の前にまんじゅうを置いた。

 

「箒ちゃん。戻ってきたんだ」

 

 妹を気にしながら、饅頭(まんじゅう)を積む手を止めない。

 箒のとなりで室内をぼんやりとながめていた桜を無視して簪に向きなおると、むにゃむにゃ座敷童様、と呟いて手を合わせた。

 まもなく箒がテーブルの脇に腰を下ろし、座布団の上で行儀よく正座した。

 束は拝むのに飽きて箒の傍に寄る。持参したと思しきトートバッグからノート型端末を取りだして見せ、画面を点灯する。箒に紅色のイヤーカフスを外すよう求めた。

 

「今から箒ちゃんのISソフトウェアを調整するよんっ。この端末と紅椿のISコアを接続するよーっ」

 

 桜は真耶と並んでのぞきこむ。

 しばらく砂嵐がつづいたあと、突然鮮明になりもっぴいの部屋が映し出された。誰もが隣りあった人と顔を見合わせている。何度も瞬きして、錯覚だと思って画面を確かめたが、やはり四体のもっぴいが映っている。

 箒ら全員が束を一斉に見た。束は反応を予期していたらしい。

 

「メンテナンスモードだよ。この四体のマスコットキャラがISコアを統括している。セキュリティの観点から紅椿のコアを直接弄れないようにしてあるんだ。秘密のキーを知ってないと何人たりともRootが取れないってわけ。だから束さんもルールに則ってメンテナンスモードで作業するよ」

 

 真耶だけが真剣なようすで何度もうなずいている。

 桜と箒、千冬は束の説明をぼんやりと聞いていた。三人の視線は画面に釘付けだ。

 四体のもっぴいは追いかけっこをしており、円を描きながら短い手脚を振っていた。

 

「じゃあ、システムログを見ようか。えーとどれどれ……」

 

 束は黒板色のコンソールを開いて、キーボードをたたいてコマンドを打ちこんでいく。

 

「あった。あった。これだよ」

 

 ——モッピー観察日記!?

 篠ノ之姉妹をのぞいて目が点になる。桜が恐る恐る箒の顔をのぞきこむと、箒の顔がいささか紅潮し、体内を巡る血が煮えたぎっていくのがわかる。

 ギラギラとした負のオーラを隠そうともしなかった。

 束が閲覧コマンドを実行する。

 

「最初がISコアの状態を略式で表したものだね。ふふふ。どうなってるか楽しみだよ」

 

 束は「現在のもっぴい。総合評価」までスクロールした。

 

・現在のもっぴい。総合評価。

 ・体力 つかれやすい

 ・知力 あたまがわるい

 ・気力 はたらきたくない

 

「あれぇ……」

 

 束の目が泳ぐ。さらに文字を送っていく。

 

「……篠ノ之さん?」

 

 その文言を目にした桜が箒を気づかった。

 

・モッピーへの評価

 ・A モッピーはえっちぃ

 ・B モッピーはえっちぃ

 ・C おっぱい

 ・D 最初期と比べてずいぶん態度が軟化した。意思疎通の努力が感じられる。……難しいことは詳細をまとめておいたから参照してほしい。ここではむしろ、ささいなことよりもおっぱいについて議論すべきなんじゃないかな。最近のモッピーは成長が著しいんだ。どんぐらいっていうと、ワンサイズアップしたんだよ! 成長期って素晴らしいよっ! モッピーのおっぱいを自由にできる男の子がうらやましいよ。もちろん、女の子でもうらやましいな。ふふふ……もっぴぃ知ってるよ。モッピーの想い人が誰かってこと。誰と■■■なことがしたいって? それはね■■■■■■■(以下文字化け)

 

「箒ちゃ……おっかしいなぁ……っと……」

 

 箒は姉に向けて怒りを露わにした。ギョッとした束がすばやく終了コマンドを打ちこむ。

 

「ね・え・さ・ん」

「すぐパッチを適用するね!! 何度か再起動するよーっ」

 

 画面が消えるまでの間、もっぴぃは「おっぱい! おっぱい! おっぱい!」と腕を振りながら合唱(シュプレヒコール)を続けた。

 

 

 



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湯煙温泉の惨劇(五) たったひとつの冴えたやり方

 

 千冬と真耶が束を連行したあと、残った桜はある一点を見つめていた。

 壁の花と化していた簪が、小さな声で告げる。

 

「……どうぞ」

 

 壁際に積まれた饅頭を脇に寄せ、許しが出たのでひとつ摘まんで口にする。ほっぺが落ちるようなうまさに、桜は満面の笑みを浮かべた。

 ——うまっ!? 何やこれ。どこの饅頭!?

 油断しきった顔つきでいると、スカートを履いていることを忘れてあぐらを組む。

 

「……見えてる」

 

 簪がぼそぼそと告げ、桜は驚きのあまり饅頭を喉に詰まらせて咳き込んだ。

 下着が見えているかどうか気にするところではなかった。

 胸を叩いて飲み下してから、ようやく足を閉じる。

 次女の奈津子から口酸っぱく教え込まれた乙女のたしなみ。乙女の深淵はいたずらに露わにすべきではない。男の子は狼。無防備なところを襲われたら一貫の終わり、と。

 簪が興味なさそうに立ちあがって、自分のスーツケースから荷物を取りだした。

 五〇〇ml入りミネラルウォーターのペットボトルが三本。小分けしたビニール袋に入ったカプセル。白い乳鉢と乳棒。

 

「さて」

 

 部屋のなかをぐるぐる回っていた箒が足を止め、簪の荷物を指さした。

 

「これはなんだ?」

「……あなたの恋煩(こいわずら)いを一挙に解決する……たったひとつの……冴えたやり方」

 

 箒は困惑した。

 ——恋煩いを解決する? そもそもなぜペットボトルやカプセルが出てくるんだ。

 そう、目で訴えかけていると、苦しげな呼吸を整える桜の姿が映った。

 

「……え? なんなん!?」

 

 桜はじっと見つめられ途惑った。

 注がれていた視線が不意に外れ、今度は机の上のペットボトルへと移る。

 桜も「たったひとつの冴えたやり方」セットが気になった。

 

「ええとこに水が」

 

 指先が触れた次の瞬間、簪に奪い取られた。

 

「……ダメ」

 

 と告げて、箒にペットボトルを押しつける。

 

「篠ノ之さんのやったか。すんません。水道水で我慢します」

「まあ待て」

 

 箒は簪の制止に耳を貸さぬままペットボトルの中身を湯飲みに注いだ。桜に渡すと、一口で飲み干してしまった。

 

「おおきに。助かったわぁ」

「なんて、ことを……」

「どしたん?」

 

 脳天気な声をあげる桜。簪はさしのべられた手をすばやく振り払った。尻餅をついたまま慌てて後ずさる。顔面蒼白であり、何かにおびえていた。

 

「ほんとにどしたん?」

 

 桜は簪の奇行を怪訝に感じつつ饅頭と水の礼を言い、外に出た。

 ——篠ノ之さんのお姉さん。どこへ行ったんかな。

 聞かねばならないことがあった。束はどうやら大きな誤解を抱いており、何度も暴言を吐いた。時として嫌なことや理不尽なことが降りかかってくるものだ、と予科練の頃から感じてはいた。できることなら誤解は解いておきたい。桜は視線を伏せる。

 廊下に落ちていた館内案内を拾い上げた。

 

「ん?」

 

 開き癖にしたがって案内を開くと、中に付箋が貼ってあった。「デュノア」と書かれている。

 ——ちょっと覗いてみるか。

 そう考えているうちに、シャルロットに割り当てられた部屋の前に来ていた。

 

「デュノアさん。おるー?」

 

 ノックをする。返事がない。

 ドアノブを握ったが、どうやら鍵がかかっていないようだ。

 足もとには誰かのスリッパが置いてあった。

 悪いかな、と思いつつ風呂場での爽やかな言動を思い浮かべながら扉をあけた。

 目線の位置に鳩の彫り物が掛けてあった。息を殺して(ふすま)を開ける。

 山麓に夕陽が溶け込み、つややかな金髪に赤みが差す。

 理知的な双眸が桜を捉えた。

 

「それ、試作スーツやろ。そうなん?」

「……」

 

 シャルロットは黙りこくった。彼女なら涼しげな睛を浮かべてはにかむはずだ。だが、目の前の人物は口元を引きつらせているだけだ。

 悪い予感を否定できない。早く口を開いてくれ。疑念を払ってくれ。桜は願った。

 

「冗談……やろ?」

 

 しばらくの間見つめ合ったあとで、いてもたってもいられなくなった。

 

「失礼しましたっ!」

 

 ——お、お、男!

 織斑一夏なら黒髪だ。日本人のはずだ。だが、今目にしたのは金髪で華奢な体躯。妖しさを醸し出した艶やかな少年の半裸を目撃してしまった。

 男の半裸なら見慣れている。鍛え抜かれた躰ならばかつて何度も目にした。もちろん全員が軍務につき、いざとなれば死ぬことを受け入れた男たちであった。

 ——時と場所がちゃう!

 IS学園の臨海学校は通過儀礼である。年端もいかぬ少女たちがこれから始まるであろう学園生活を彩るためのものだ。故に一部を除き男子禁制である。

 状況を整理してみよう。

 シャルロット・デュノアの部屋に半裸の男がいた。年齢は同年代くらい。彼の足もとにはシャルロットが身に着けていたであろう制服と下着。そういえば寝床の襖が少しだけ開いていたような気がする。桜はある考えに至り、何度も頭を振った。

 ——連れ込む? 男? そういえば、シャルロットさんには従弟(おとうと)が……。

 女好きの従弟がいる。携帯端末を取りだし、キーワードを入れて調べる。シャルロット・デュノアの父。若い頃の醜聞がわんさか出てきた。

 

『似なくていいのに悪癖までそっくりでね』

 

 ——まさか。まさか。まさか……。いいや、シャルロットさんにかぎってそんなことはあらへんっ!

 断言するだけの根拠がない。風呂場で少し話しこんだくらいの間柄だ。先日のトーナメントでクラスから孤立してしまい、彼女は専らひとりか一夏と行動していた。

 ——入れ替わった? そうだとしてもいつ、どこで。

 風呂から上がったあとの行動がわからない。

 踵を返すと、ちょうど四十院とつるむ櫛灘を見つけた。後を追いかけて訊ねた。

 期待通り櫛灘はシャルロットの動きを把握していた。

 

「夕食まで部屋で待機してるって」

 

 桜は礼を言い、シャルロットの足取りをつかむため一夏を求めて千冬の宿泊部屋を訪れた。

 

「織斑先生。ちょっと質問が」

 

 奥から千冬の声が聞こえ、すぐに入室許可が出た。

 桜は後ろ手に扉を閉めると、恐る恐る襖を開けた。千冬が湯飲みを置いて首だけ振り向ける。一夏の姿は見当たらなかった。

 

「佐倉。殊勝だな。何が聞きたい」

「一夏くんの居場所に心当たりはありませんか?」

「……佐倉が織斑に興味を抱くとは珍しいな」

「実は、デュノアさんが風呂から出たあとの行動を調べてるんです」

 

 千冬がやれやれと一息ついた。

 

「そんなことか」

 

 そのとき、奥の襖が開いて服とタオルの塊が転がり出てきた。

 

「ちーちゃん、ちーちゃん、みてみてー」

 

 というくぐもった声が聞こえてくる。

 篠ノ之束の顔があった。血走った眼が映る。衣擦れの音がする。タオルから手足が生え、ゆっくり起き上がって襟を直した。

 

「げっ。サクラサクラだ」

 

 束の声が冷ややかに響く。

 

「篠ノ之博士?」

 

 桜が訊ねると、束はツンと澄ました顔でそっぽを向いた。

 

「ちーちゃん。さっさと用事を済ませてお風呂に行こうよ。もうすぐ職員の時間だよね。男湯にはいっくんが入るんだったよね」

「そうだ」

 

 桜が目を瞬かせていると、束は桜を正面から見据えた。

 

「用事が済んだでしょ。だったら早く出てってよ。私はつまらないことにかかずらってはいられないんだよ。さあ、出てって」

 

 いったい何が気に入らなかったのか。束は苦り切った表情で桜を追い立てた。

 乱暴に扉が乱暴に閉まり、桜は肩を落として部屋に戻った。

 

 

 

 

 

 

 本音がのぞきこんでいる。彼女に焦点を合わせると、嬉しげに笑みを浮かべてくれた。

 部屋着のフードを取り払い、少し考えるような素振りを見せてから唇を動かした。

 

「落ち込むようなことでもあったの?」

 

 桜はぶつぶつと同じことを繰り返した。

 

「シャルルとシャルロット。シャルロットがシャルル。シャルルがシャルロット……いったいどっちなん……」

 

 シャルロットの膨らみの感触を思い浮かべる。あの感触は本物だった。作郎時代の記憶と照らし合わせても、紛う事なき本物だった。

 

「デュノアさん? サクサク、デュノアさんと仲良かったっけ」

 

 桜は頭を持ち上げ、かすれた声を絞り出す。

 

「本音はデュノアさんのことどんだけ知っとるか」

「うぅ〜ん。デュノアさんかァ……」

 

 こめかみを人差し指で触れながら首をかしげる。その仕草がとてもかわいらしくて、桜は胸の高鳴りを覚えた。

 元々彼女の想いを好ましく思っていたから、今のような感情の昂ぶりが訪れてもおかしくはなかった。

 ——本音、可愛い。食べたい。……あかん。あかんわ。私、おかしくなっとる。少尉、すんません。布仏ぇ、すまんなあ。私は……にしても部屋、こんなに暑かったかなぁ……。

 

「彼女ってあんまり情報がないんだよ〜。私に聞くよりくっしーとかいっぴーのほうが詳しいと思うんだよね〜。織斑先生にやまやとか〜? あとはタスク系の生徒かなぁ」

「……タスク系?」

 

 本音の口から初めて聞く単語だった。

 思考を中断し、本音が発するであろう次の言葉に集中する。

 そうしなければ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()からだ。

 

「そうだよ〜。タスク社に所縁(ゆかり)のある生徒のこと。ほら〜ラファール・リヴァイヴって今じゃタスク社の商品だし、自分ところに新商品が出たら、とりあえずどんな製品か目を通すようにするよねぇ。新たなISパイロットが増えたら情報がいくと思うんだよね」

「本音は物知りやね」

「そうでもないよ〜」

 

 てひひ、と本音が笑った。

 いつもなら彼女との会話で落ちつくところだが、今日は違った。

 胸のドキドキが一向に治まらない。

 シャルロットの部屋で見た男、いや少年の姿がよほど衝撃的だったに違いない。そのはずだ。そう考えなければ理性を保てなってきたからだ。

 

「タスク系の生徒ってどんな子がおる。知っとる?」

「知ってるも何も結構いるよ〜。サクサクといつもつるんでる子もいるよ〜。彼女、IS持ってないから知らないのも当然だけどね〜」

「へえ……誰なん。もったいぶっとらんで教えて。な」

 

 しばらくして、本音がひとりの少女の名を告げた。

 

()()()()

「え……」

()()()()()()()()()()。彼女のお父さんとお母さんはタスクの技術者なんだよ〜。あと、おじいさんはロシアで新しいISを造ってるんだ。ジャール・プチーツァ、日本語で火の鳥とか朱雀って言うらしいね」

 

 

 

 

 

 

 袋にはココナッツミルク、と記されている。

 まもなく興味を失って白いパウダーを持ち主へ返す。

 興味対象はペットボトルに移った。

 

「私は説明を求めている」

「だから……何度も言っている。このペットボトルの水こそ……たったひとつの冴えた……やり方」

 

 箒は依然として怪訝そうな目を向けていたが、無駄だと悟った。

 簪は能面のごとき表情で乳鉢とパウダーをスーツケースへ再び納めた。桜に水をやったときだけ、この日初めて表情が崩れたのだ。

 

「その水を持って、今から風呂場に行って」

「なぜだ」

「織斑一夏が風呂から出てきたら……すかさずその水を差し出して。……その後、ふたりきりで話をすれば自ずと結果が現れる……明日が楽しみ……」

 

 廊下に押し出され、扉を開けようと踏ん張った。中から鍵をかけられてびくともしない。

 

「……早く、風呂場に」

 

 精一杯声を張り上げているのがわかった。箒は釈然としない顔つきで風呂場の出入り口に向かう。

 窓に映った自分の顔を見つめていると、自販機の脇におかれた冷水機が目に入った。紙コップを手に取り、スツールに座って一夏を待つ。

 ぼんやりしながら出入り口を窺う。

 歌うように(さえず)る生徒たち。

 頬杖をつく箒を一瞥したが、握りしめたペットボトルには見向きもしない。

 目を伏せて簪の言葉を思い出す。

 ——織斑一夏に未練がある。

 唇を咬んで(うつむ)くしかなかった。反論できなかったのだ。

 一夏との出逢い、思い出。

 美しい記憶がある出来事を境にどす黒く染まっていく。

 彼の笑みは一体誰に向けられているのか。自分ではない誰かなのかまではわからない。いつかは自分の許へ戻ってくるだろうと安心していたつもりが、彼はそのまま遠くに行ってしまうのではないか。

 一夏争奪戦において、首位についているのがシャルロット・デュノアだ。彼女は箒や鈴音が切望していた彼の隣を占めている。ビーチではべったり。華やかな容姿に高い教養を身に着けており、男を飽きさせない。

 

「勝ち目がないじゃないか……」

 

 淋しげな吐息が漏れた。

 持参していた携帯端末にメールの着信があった。

 更識簪からだ。

 意訳すると『もし本音を見つけたらサクラサクラに見つかる前に連れて逃げて。私もすぐ行く』という旨が記されていた。

 あわてて打ちこんだらしく、彼女にしては誤字脱字が目立つ。

 しばらくして廊下が騒がしくなる。何者かが廊下を走っており、教師が注意を与える。

 クスクスという笑い声が聞こえたので、視線を向ければ桜と本音が並んで歩いく光景を目にした。

 ——おや?

 普段ではありえない様子を見せつけられてうろたえる。

 

「こ、恋人つなぎ」

 

 一度は夢想するアレだ。本音から迫ったならともかく桜のほうが積極的に本音と触れあおうとしている。

 別れてから一時間しか経過していないのに、もう関係が進んでしまったのか。

 あまりにも進歩的すぎる。きっと櫛灘の配慮が功を奏したのだ。

 

「おめでとう。ふたりとも」

「えっ!?」

 

 驚いた本音がその場に立ち尽くした。

 

「篠ノ之さんでもそう見えるのっ!?」

 

 どうやら図星のようだ。いつもの間延びした口調が消えている。

 

「佐倉。お前は覚悟を決めたのだな」

 

 桜は頬を赤らめたまま本音を壁際へと追いやる。

 異常を察した本音は必死の抵抗を試みたが、普段桜が決して見せないような上品な笑みに絡め取られてしまう。

 

「さ……サクサク……篠ノ之さんが……見てるよ」

「構わん。篠ノ之さんには証人になってもらえばええ」

「何の」

()()()()()

 

 顎をすくい上げ、ふたりの顔が重なる——。

 

 

 



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湯煙温泉の惨劇(六) 懊悩

 

 唇が重なる感触を味わってから薄目を開け、本音の表情を観察する。

 

「……えっ」

 

 桜は眼前の光景を疑った。本音が別人に成り代わっていたからだ。

 周囲から「キャーッ!」「ギャーッ!」と色めき立った女子たちの悲鳴があがる。

 傍で頬杖をついていた箒が放心のあまり机に額をぶつけている。水の入ったペットボトルが床に落下した。

 

「本音やないっ!?」

「……ぅ」

 

 手の甲で唇を拭っていたのは更識簪だった。

 髪を振り乱しており、全速力で駆けてきたに違いない。

 桜は本音の唇を支配できなかったことを悔やんだ。

 と同時に自分がとんでもない浮気者だという事実を認識する。

 ——さっきからずっと……胸がドキドキするんや。暑くてたまらんし……。

 自分のなかの変化に途惑う。

 今まで理性で抑えてきた欲望が急激に膨れあがっていった。

 ——知っとるよ。この気持ちがどんなんか。

 彼女を自分のものにしたい。()()()()()()()()

 なけなしの自制心が失われ、欲望に忠実な獣に変わり果てたのだ。

 にらみつける簪。身を挺して本音を守ろうとしている。

 友情を全うする姿に感銘を受けた。

 

「更識さん」

「……なに」

「私が欲しいのは本音や。更識さんやない」

「……本音は渡さない。……それに今のあなたは……正常(まとも)じゃない。医務室に連れていく……来て」

 

 簪の手を振り払う。と、彼女は怒ったような、泣いたような顔になった。

 ——私がまともじゃないって? そんなことあらへん。

 簪の胸の中心を小突いて、壁に追いつめる。腰を落として逃げようとしたので、勢いよく壁を突いて退路を遮る。顎を上向かせたとき、敵意むき出しの視線が突き刺さった。

 

「……私がおかしいって?」

「全部おかしい。わかったなら手をどけて」

「……わかっとらん。更識さんはわかっとらん。この気持ちがどんなんかこれっぽっちも」

 

 抵抗する簪の唇を一方的に塞いだ。

 目を白黒させ、憎しみのこもった視線とは裏腹に唇はしっとり濡れていた。

 

「……んぅ」

 

 顔を離した直後、簪の体が震え、膝を屈すまいとこらえる。

 背後から悲喜こもごもの吐息が漏れ聞こえた。

 ふとマナーモードに設定した携帯端末が震えている。

 

「会長さん?」

 

 桜は気づかなかったことにして、簪の肩を捉える。

 見まわすと本音の姿が消えていた。

 とっさに振りかえって周囲を確かめて顔を戻したとき、簪が得意げに口の端をゆがめた。

 

 

 女子たちの悲鳴と歓声が飛び交うなか、一夏が暖簾(のれん)をくぐり出てきた。

 待ち伏せされていたとは知らず、顔を引きつらせながら後ずさった。

 背中に柔らかいものが当たった。直後に聞こえた不機嫌な声音から姉だとわかった。

 

「……ブラくらいつけてくれよ」

 

 真耶に聞かれたら誤解を受けるかもしれない。

 

「織斑こそ、離れたらどうだ」

 

 一夏は言われたとおり離れた。

 暖簾から二、三歩前に進み、周囲を確かめる。

 姉弟が並んで外に出たくらいで騒ぎ立てるものだろうか? 訝っているうちに、箒が立ちふさがる。

 肩越しに桜と簪の姿が見えたが、思い詰めた表情に気がついて彼女に眼を合わせた。

 

「風呂はどうだった」

「いい湯だった。貸し切り露天風呂だったんだぜ」

「そ、そうか」

 

 箒が急に口ごもる。

 

「と、ところで。の、喉、喉が渇いていないか。ここの風呂って脱衣場に給水器がないだろ」

「そうなんだよ! 箒は気が利くなあ……」

 

 一夏が紙コップに手を伸ばす。だが、むなしく空を切った。

 コップをかっさらった白い手首へと視線を移し、その人物が飲み干した光景を目にする。

 

「……っぷはーっ。風呂上がりの名水は最高だねっ! 箒ちゃん。もう一杯!」

 

 呆然と突っ立っている箒の手からペットボトルを奪い取り、直接口を付けないようにがぶ飲みする。

 女は残りを紙コップに分け、千冬・一夏に手渡した。

 

「ゴメンネ! 束さんが半分くらい飲んじゃった。はいっ。ちーちゃんにいっくんも飲みなよ!」

 

 箒は無言で口を開閉している。肩をふるわせ、言葉にできない気持に駆られているようだ。

 

「あっ! ラウラちゃんがいる! おーい、ラウラちゃんもこの水を飲むといいよ!」

 

 束が強引にラウラの傍へ寄って、半ば無理やり水を飲ませてしまった。

 

「かっ、かっ、可愛い!! ラウラちゃん! お姉さんの娘にならないっ!? 一生遊んで暮らせるよ!」

 

 と甲高い声で(のたま)った。

 箒が失意の表情で肩を落として去って行く。

 

「なんだったんだ?」

 

 一夏は姉に聞いたが、答えてくれなかった。

 

 

 大食堂へ向かった桜だったが、会席料理を前にしても食欲がわかなかった。

 夕食は下田港で捕れた海鮮をふんだんに使ったものだ。小鉢、刺身、天ぷら等々。茶碗蒸しに和菓子のような料理も出てきた。肴のつくりも美味しい。

 いつもならあっという間に平らげてしまうところだ。

 今にかぎって、一切れを口にしては「はあ……」とため息をつくばかりだ。

 ——なんてことを口走ってしまったんやろ。しかも更識さんになんてことを……。

 妙な暑さが治まっていたおかげで冷静になっていた。

 指先で唇をなぞる。

 簪の唇を奪ったときの記憶がよみがえった。

 四組のテーブルを見れば、桜の視線に気づいた生徒があからさまな敵意を向けてくる。

 互いに目配せしあい簪の周囲を固めて桜の接近を防ぐつもりなのだ。

 一組のテーブルへと視線を移す。

 本音が櫛灘に絡まれていた。

 本音は間延びした口調で矢継ぎ早に投げかけられる質問をしのいでいる。

 隣にいた鏡と四十院がすまし顔で聞き耳を立てている。

 携帯端末の通知欄は「会長さん(更識楯無)」でいっぱいだ。

 情報を流したのはおそらく櫛灘だろう。

 茶碗蒸しを流し込んでから茶をすする。

 

「調子が乗らん」

 

 半分ほど残して食事の席から立ち去る。

 クラスメイトが騒然とするのも構わず部屋へ向かった。

 どうしてもひとりになりたかった。夜陰に紛れて星空を見上げてみたい……という衝動に駆られて、実行に移す。

 仲居から中庭に出られると教えてもらった。

 草履に履き替え、淡くライトアップされた石畳を歩いた。

 近くの清流から蛍が迷い込んできた。

 ゆっくりと漂う姿に目を奪われていると、砂利を踏んだ音が聞こえる。

 背後に迫って立ち止まり、呼吸(いき)を殺して蛍に見入っているようだ。

 

「蛍は」

 

 振りかえってその人物に訊ねた。誰でもいいから話しを聞いてもらいたいと願う。

 

「……うん。時期を外してるってこともあるけど当分蛍を見るなんて、できないよね」

 

 間接照明で浮かび上がった人の姿を見て、少しひるんだ。

 

()()

 

 桜は口ごもって相手の名を思い出そうとした。

 

「デュノアさん。シャルロット・デュノアさん」

「合ってるけど合ってないかも。ただのデュノアってことでいいんじゃないかな」

「どうして」

 

 ()()が苦笑いを浮かべた。

 

「心配しないで。大丈夫だよ。とって食べたり、変なことはしないよ。ちょっと風に当たっていたかったんだ。日本の気候には、まだ、慣れてないからね」

 

 手をかざして指先に止まった蛍を眺める顔。

 身に着けた浴衣がたなびいて華奢な胸が照らされる。

 桜はぎょっとして息を呑む。もちろん動揺したのは一瞬だ。

 

「浴衣、似合ってますよ」

「それは、どうも。部屋にあったのを着てみたけど、ちゃぁんと着こなせたみたいだね。和服ってのはなかなか着る機会がなくってね」

 

 軽い調子で話す。

 茫洋とした光のなかで笑った顔は綺麗だ。

 儚げな印象を抱かせるが、体つきはしなやかである。ライトの傍に腰を下ろして池の鯉を見下ろす。波紋がざわめいた。

 手招きに応じて桜も腰を下ろした。

 錦鯉が呼吸をつぎ、蛍が飛び立つ。

 

「僕は、案外こっちの姿も気に入ってるんだ」

 

 と言って、桜の手を胸に誘った。

 

「……あらへん」

「そ」

「お、男、なんか」

 

 デュノアは阿吽の呼吸で事足りる友人へ向ける笑みで答えた。

 

「そうだよ」

 

 桜が手を引っ込める。瞳をのぞき込まれて動けなくなった。

 

「父は女ではなくて男を所望したんだ。僕が生まれたとき、父は双生児と聞いて男ふたりだと思いこんだ。伯母との取り決めで一方をトゥールーズへ、一方をパリへやる予定だったのさ。最初の奥さんとの子どもを後継者にする手はずだったけど、予定が狂った。兄は堅物で一本気だ。家を出て自分の人生を歩もうとしたのさ。兄を助けるはずが、僕らが社員を背負わなければならなくなったんだ。赤ん坊の頃の話しだけどね」

 

 おどけた口調だが、動きを縛りつける妙な力が備わっていた。

 

「シャルルとシャルロット。どちらが入れ替わっても代わりになるように、父は名付けたんだ。僕らは道具さ。万を超える社員を養っていくために、会社の舵取りをするためだけに生まれてきたんだ。愛なんてものはね。移ろいやすいんだ。ふたりとも女だったらどうするつもりだったんだろうね」

 

 桜の額に手を触れて、唇を近づけた。

 柔らかい唇が一瞬触れて、フランスから来た転校生が離れた。

 

「友愛のキスってところかな。君には秘密の匂いがする」

 

 意味ありげに笑う。

 桜は後ずさって、身を硬くした。男の唇が肌に触れたのは、自己が確立されてから初めてのことだった。

 

「言ったろう? とって食べたりはしないって。僕に限らないけどね。交誼(こうぎ)を結ぶ相手は選んでるつもりだよ」

「……織斑は」

 

 少年の純情を(だま)していたのか。いくらなんでも酷くはないか。桜はシャルロットの恋人の名を口にした。

 

「彼のことは好きだよ。少なくとも学園で生活を送るうちは手放すもんか」

 

 桜は必死に頭を働かせようとした。

 ある憶測にぶち当たってしまい、認めてしまうのをひどくためらった。

 懊悩(おうのう)に苦しむ姿を察して、()()が咳払いをする。

 

「大丈夫さ。()()()()()()()()()()()()()()()()。僕のほうが彼の望むことをしてあげられる」

 

 桜にすました顔を向ける。

 桜は真剣な口調にどう返せばよいのか見当がつかなかった。

 少年はひとしきり笑って、砂利を踏む音に気づいて背後を振りかえった。

 誰かの姿を認めて明るく言い放つ。

 

「じゃあね。僕は行くよ。メガモリさん」

 

 浴衣を(ひるがえ)して去って行った。

 

 

 



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湯煙温泉の惨劇(七) 真実の愛

 ——君には秘密のにおいがする。

 夜空から点々とした煌めきが(こぼ)れ、水面を彩った。

 桜はその場に立ち尽くす。不意の指摘に動揺しないはずがなかった。

 背中が旅館から漏れた光のなかへ消える。シャルルは振り返りもしなかった。

 後を追わなければ。

 焦ったが、彼の姿を思い浮かべると足が竦んでしまう。最初の一歩を踏み出すまでにかなりの時を要した。

 ——デュノアさんはいったいどっち(男/女)なんや。

 額を撫でこすりながら廊下をさまよう。ナタリアと朱音が声をかけてきた気がするのだが、記憶がはっきりしない。

 廊下の突き当たりに軍鶏(しゃも)の掛け軸があった。鮮やかな筆致で姿を描き、紅い鶏冠が一際目についた。軍鶏の挑戦的な黒い瞳が桜自身へ向けられているように思えた。

 階段の手すりや柱の端々に動物の彫像がある。雀や鳩、軍鶏など、意匠をこらした形が目についた。

 部屋にたどり着いたとき、隣室の前で箒と鈴音が互いに肩をぶつけあっていた。

 

「凰が先に行け」

「あんたが言い出したんでしょ。先に行きなさいよ」

 

 凰鈴音は黄色のTシャツに短パンというラフな格好だ。対して、箒は旅館の浴衣姿で少しはだけた胸元がなんとも艶めいている。

 桜はふたりの姿を流し見ながら部屋に入った。入り口脇の引き戸を開け、ハンガーにかけた私服の様子を確かめたが、やはり湿ったままである。

 居間に戻ると黒檀のテーブルがあった場所に布団が敷いてある。枕が二つ並んでいた気がするのだが、認識するのをやめた。

 本音とマリアの姿はなかった。押し入れが開いていて、相変わらずラウラが中でゴソゴソと音を立てていた。

 

「どうしたん?」

 

 座布団が部屋の隅へ除けた。焦茶と丁子茶色(ちょうじちゃいろ)の座布団に腰を下ろしてラウラが出てくるのを待った。レッグホルスターにナイフのような形のケースが差しこまれていたが、桜はあえて無視する。

 

「佐倉。今、すごいところだぞ」

「え!?」

 

 ラウラは鼻息荒く、いかにも興奮しているといった風情である。

 彼女にしては珍しい。

 まごついていると、左耳にイヤホンを駆けさせられた。雑音が少なく、中高音域の音抜けがきわめて良好だ。

 ——誰かの話し声。

 記憶の糸を辿っていく。織斑千冬と山田真耶だ。ヒソヒソと話しているつもりだろうが、ラウラが仕掛けた集音マイクは十分な性能を示した。

 桜は怪訝に思いながらもう一方の耳を塞ぐ。

 

(……やめてぇ。お、織斑先生ぇ……)

 

 千冬が同僚に愛の言葉をささやいている。それどころか唇を奪ったと思われ、しきりに「暑くてたまらない」ともつぶやいていた。

 その意味が成すところに気づいたとき、桜はイヤホンを外して持ち主に突き返した。

 

「今すぐ止めないと!」

「落ち着け。待つんだ」

 

 この場にいないはずの本音と簪の顔が交互に浮かんだ。

 胸のドキドキがとまらず、親しく思っていた人物が愛しくてたまらなくなる。

 熱病に駆られたようにその人のことが欲しくなるのだ。

 千冬もまた同じ熱病に狂っているに違いない。

 

「もちろんマッサージだろ?」

 

 ラウラの説明によれば千冬は篠ノ之流按摩(あんま)術の免許を持っているそうだ。

 師匠であった篠ノ之柳韻は本業である不動産業の傍ら、警察・自衛隊などに施術していたという。

 ——翔鶴に柔術の有段者で整体術に長けてた奴おったわ。あんな感じか。

 

「うっかり眠ってしまってな。あれは天にも昇るような心地よさだったぞ……」

 

 施術が終わったあとに起こされたので、どんな技だったかさっぱり覚えていない。ラウラは付け加えた。

 桜は引き返して、自室の扉を半ば開ける。

 

「それでも行くというのであれば止めんが」

 

 ラウラは眼帯の位置を直しながら告げた。

 桜は強い口調で答えた。

 

「行く。今すぐ行くわ」

「そうか」

 

 ラウラは眼を伏せ、緩慢な動きで部屋の奥へと戻っていた。

 ——はよ、いかんと。

 廊下へ飛び出すと、先ほどの二人がまだいがみ合いを続けていた。

 

「一番を譲ってやる。ここはお前が行け、凰」

「アンタ、あたしが扉を開けた途端に出し抜くつもりなんでしょ。わかってんのよっ」

 

 二人は桜に気づいた様子はない。

 彼女たちは入室すべきか迷っていた。中には一夏がいるはずなのだ。一夏がいるならデュノアもいるはずだ。

 そう考えたとき、桜は不穏な想像をしてしまった。

 ——衆道はあかん。

 一夏はだまされている。桜は少年(シャル)に籠絡される少年(一夏)の姿を想像して青ざめる。

 さらに悪い想像をしてしまった。一夏だけがいて、シャルルがいない場合だ。

 鈴音を避ける形で脇から進み出て隣室の扉に手を掛けた。

 

「ちょっ、ちょっ、ちょっ、メガモリ。あんた、何してんのっ」

「佐倉。待てっ」

 

 ふたりはひどくあわてた様子だ。

 桜は構わず開けた。鍵はかかっていなかった。

 鳩の置物が眼に入り、すぐに奥へと視線をずらす。一夏の姿は見当たらず、代わりに()()()()に目覚めた千冬がいた。

 

 

 

 

 

「たっ……助け」

 

 真耶は手を伸ばしたが、千冬の指が絡みついて胸の前に戻されてしまう。指先を絡め合って、耳元で何ごとかささやいた。

 真耶は何度も肩と太ももを震わせて、涙目を浮かべる。

 桜の後を追って中へ入ってきた箒と鈴音もギョッとして棒立ちになった。

 壁に追いやられた真耶が眼をそらす。千冬が甘ったるい声音で口説き文句を口にした。

 見る者が見ればたまらない状況だろう。

 が、桜にとってみれば千冬は熱病に冒されて我を失っていたに等しい。

 千冬は真耶の表情や口の動きをじっと見つめつつ、身をよじる動きに合わせて、肌を密着させていく。頃合いを見計らって指を伝うと、真耶は小刻みに身を震わせた。

 

「ちちち千冬さっん」

 

 ようやく口を開いたのは鈴音だ。

 千冬の動きが止まって、視線だけを鈴音に向けた。

 鈴音が息をのむ。隣にいた箒が激しく咳き込んだ。続いて桜を見やって、ゆっくりと振り返った。

 

「凰に篠ノ之、佐倉か。珍しい取り合わせだな。何しにきた」

「い、いち、一夏」

 

 箒がむせかえりながら聞いた。

 

「一夏はいない」

「そ、そうなん?」

 

 桜が聞き返すと、千冬の(ひとみ)が怪しく輝いた。

 

「なぜ、それを、聞く」

「なぜって、織斑くんが」

「……私は忙しい」

 

 千冬の表情が狂い乱れ、尋常ならぬ剣気がにじみ出る。

 

「お、織斑先生」

「これ以上、邪魔するというなら、()()()

 

 ——喰う? 喰うって?

 桜が千冬の意図を介したとき、箒が狼狽して尻餅をついた。

 千冬は意味深な笑みを浮かべ、桜たちを睨めつける。

 千冬の表情をずっと忘れないかもしれない。桜を以てしてもなお、冷や汗を流すほど恐ろしかった。

 三人は後ずさって出入り口の付近まで来たとき、一斉に背を向けた。

 ——山田先生ごめんなさいっ!!

 部屋から飛び出すと、浴衣に着替えたラウラがスリッパを履いて出てくるところだった。

 

「用事は済んだのか」

 

 口を開閉させ言葉を紡ごうとする桜を見て、ラウラはいぶかしんだ。

 続けて出てきた鈴音や箒もいつになく覇気がない。

 首をかしげながら隣室へ赴こうとする。

 

「待って。今はあかん!」

 

 とっさに手が出ていた。ラウラを行かせてしまえば、きっと後悔する。

 ——もしかしたら。

 ラウラは千冬を受け入れてしまうかもしれない。だが、真に千冬の気持ちなのだろうか? 桜は熱病に冒された自分を思い出しながら自問する。

 

「行くな。行かないほうがいい」

 

 箒が真っ青な顔で口添えする。

 眼を泳がせており、両手で口を覆って何事かぶつぶつとつぶやいていた。

 

「一夏を……一夏を探すぞ」

 

 箒は青ざめたまま強い口ぶりで言った。

 

「もし、奴が今、誰かと一緒にいたとしたら」

 

 つぶやきながら、箒は確信めいたように一歩を踏み出した。

 桜はラウラの手を引いたまま後を追った。

 気分は重くなる一方だった。桜の心は真耶を見捨てた罪悪感でいっぱいになる。

 ラウラが歩きながら顔をのぞきこんできた。

 桜が半ば予期していた通り、釈然としない顔つきだ。形のよい唇がドイツ語で言葉を紡いだ。

 

「手、離してもらってもいいか?」

「すまん」

 

 ドイツ語をすべて聞き取れたわけではない。

 ラウラの少し困った様子から推し量ったのだ。

 先頭を行く箒が立ち止まる。彼女は櫛灘を探していた。

 

「静寐、副会長は」

「副会長? ああ、櫛灘さん」

 

 鷹月静寐は星座を彩った淡い緑色のルームガウンを羽織っていた。左隣にいた四十院に声をかける。

 

「神楽。櫛灘さん、見なかった? さっきまでさゆかたちとつるんでたと思うんだけど」

「……あれじゃない?」

 

 櫛灘は夜竹さゆかと卓球に勤しんでいた。浴衣を腕まくりしており、ラケットはシェイクハンドだがペンホルダーの握り方だった。俊敏に動き、スマッシュの踏み込みも深い。経験者の動きである。

 さゆかの右手が空振る。悔しそうに球を拾いに行った隙を見計らって、箒が近づいた。

 

「櫛灘。一夏を知らないか」

「織斑くん? ああ……」

 

 思い出したようにニヤリと笑った。肩越しに桜とラウラを見つけて、これ見よがしに手を振る。

 

「一夏の居場所が知りたい」

「知ってはいるけど……」

 

 櫛灘は値踏みする目つきで答えた。会長推薦で副会長に収まったほどの才女(悪女)である。

 箒に向けて何事か耳打ちする。箒は何度か首を横に振り、最後に縦に振った。

 

「交渉成立。織斑くんはね。()()()()()()()()()()にいるよ。()()()()()でね」

「デュ、デュノア……」

 

 箒はたじろいで二、三歩後ずさった。

 顔を真っ赤にして、桜たちに告げる。

 

「行くぞ。時間がない」

「せ、せや」

 

 桜もすぐに続いた。顔を真っ赤にした箒とは対照的に桜の表情は真っ青だ。

 千冬は真実の愛に目覚めた。桜も我を失って簪の唇を奪ってしまった。

 となれば、一夏も禁断の扉を開けてシャルルと……そこまで考えが及び、桜は首を左右に振った。

 階段を駆け上がり、デュノアの部屋へ急行する。

 箒は躊躇なく扉を開け放つ。だが、突然行き足が止まってしまった。

 

「え、何」

 

 鈴音が横から顔をのぞきこむ。箒と同じように硬直してしまった。

 次はラウラが部屋の様子を見やる。

 

「ふむ……。おい、佐倉。織斑がいたぞ」

「ど、どんな様子。ちょびっと怖い気がするんやけど」

 

 桜は促されるまま、ラウラが指さした方角を見やる。

 

「そんな……て、手遅れやった」

 

 

 



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湯煙温泉の惨劇(八) 一夏無双

 デュノアの頬がほんのりと赤らむ。桜はあんぐりと口を開けた。

 

「織斑、正気か」

 

 と告げたものの、桜は思案する。

 ——んなわけあらへん。正気なら織斑があんな表情(かお)するわけないっ。

 一夏が出入り口を見やって一瞬身じろぎする。すぐに興味を失い、デュノアに愛をささやいた。

 それどころか手を取って抱き寄せる。両腕で華奢な体を覆った。観衆の存在を意に介せず「俺のこと、好きだよな?」と宣ったのである。

 デュノアはあからさまに戸惑った顔をしてみせた。

 

「そんな顔するなよ。俺はお前と一緒にいて、すっごい楽しいんだ。……シャルもそう思うだろ?」

「……う、うん」

 

 桜はため息をついた。

 ——あかん。ぶっ壊れとる。

 横を見やる。箒と鈴音の顔が真っ赤から真っ青に転じるところだった。

 箒にいたっては滑稽なほど震えている。悲しみが憎しみに変わるのをこらえるだけで精一杯だ。

 対して鈴音は困惑して複雑な顔つきだった。

 目尻に涙を浮かべていて、眼前の光景を認めかねている。だが、遅れて拳を握りしめた。

 

「……アンタ、私に言ったアレ……」

 

 肩を震わせながら言葉を絞り出した。結婚して料理を作ってくれ、とまで匂わせていたのに、眼前でデュノアに愛を(ささや)いている。

 一刻の猶予も残されていなかった。

 ラウラは一歩引いて事態の成り行きを眺めている。

 箒と鈴音が目配せしあい、ふたりして桜をじっと見つめた。桜は察してうなずき返す。

 ——実力行使に出るってこと?

 まず鈴音が動いた。一夏を蹴飛ばして抱き合うふたりの間に強引だが、隙間を作った。

 桜は箒に促され、デュノアを引きはがした。

 どちらかが抵抗すると思いきや暴れるようなことはなかった。

 ただ、別離のとき視線を絡め合う様子が火に油を注ぐ。鈴音の瞳に涙にたまっていった。

 

「あたしを見てよっ!」

 

 とっさに一夏の胸に飛び込んだが、彼の反応は薄い。

 

「あ、あぁ……」

 

 要領を得ぬ受け答えは普段の彼に近しい。

 しかし、何かの前触れだろうか。一夏は鈴音を凝視してから、ゴクリと生唾を飲み込んだ。

 そっと鈴音の髪を撫で、力強く抱きしめたのだ。

 

「えっ……」

 

 鈴音は想定外の行動にうろたえてしまった。

 普段の彼ならば、これほど大胆な行動はしない。おかしい、と思ったが一夏の言葉が理性を破壊する。

 

「鈴は俺のこと、ずっと見てくれたんだよな。中国に行っても忘れずにいてくれたんだよな」

「え……ぁ、うん……」

「嬉しいぜ。俺、中学のころから鈴が気になってた。でも、いい関係だったからさ。壊したくなくって妹みたいに思い込もうとしてた。ゴメンな。俺がバカだった」

「ほ、本当にそう、そう思ってるの?」

「もちろん」

「だったら、だったら、私が一番だってこと、証明してくれる? そうしてくれないと、私、アンタを信じられないから……」

「ああ。()()()()()()

「あ……」

 

 一夏は指先を鈴音の顎に添える。少し上向かせ、顔を寄せていく。

 鈴音は目蓋を閉じた。

 ほんの短い時間だ。口唇同士が触れあった瞬間、鈴音は感激のあまり腰砕けになった。

 糸が切れた人形のように気を失い、その場にくずおれてしまった。

 

「鈴、どうしたんだ!?」

 

 一夏は口では心配しながら、箒に狙いを定める。

 

「おい。一夏、やっぱり、変だ」

「おかしくなんてないさ。それに、おかしいところがあるなら教えてくれ」

 

 言って、間合いを詰める。

 箒に長物を持たせたら敵わない、と踏んだらしい。素早く目と鼻の先まで近づいた。

 箒は一夏の尋常ではない雰囲気に気圧されつつあった。

 あえて近しいものを挙げるならば、つい先程千冬が「喰うぞ」と言った時の感じに近い。捕食者の目だ。

 一夏は箒の両手で掌を覆い、胸の前まで持ち上げた。

 

「指で教えてくれ。俺自身じゃ、おかしいところなんてわからないから」

 

 箒はすかさず額を指した。頭がおかしい、と言いたかった。例の水を飲んだせいでもあった。逡巡したのち、腹も指し示した。

 

「すぐに水を飲め。大量にな。吐かせてやる」

「ん……? そうか? 箒がそういうなら……」

 

 素直に言うことを聞いてくれた。効果が薄れてきたのだろうか。

 一夏は持ち上げたペットボトルの蓋を開けようとして、()()()()()()()()()

 

「あっ……」

「す、すまん! すぐ拭くから」

 

 一夏が手ぬぐいを濡れた浴衣にあてがう。胸元と腰のあたりが濡れていて、一夏は少し顔を背けながらたどたどしい手つきで水をぬぐった。

 

「……ぁっ」

「ご、ごめん。悪気はないっ。信じてくれ」

 

 口でそうは答えるものの明らかに胸のあたりを凝視している。一夏は片手で顔を覆って見ていないことを強調する。

 

「……んっ」

 

 手ぬぐいが胸元を滑った。

 一夏が声に釣られて前を向けば箒の膨らみがくっきりと浮かんでいる。

 浴衣が透けてしまって下着の柄までわかってしまった。

 赤紫白のチェック柄でフルカップブラジャーだった。サイズが大きくなったため新調した品で、 勇気を振り絞って挑戦的な色を選択したのだ。

 

「見てないぞ。見てないからっ」

 

 だが、手つきがおかしい。

 乾いた手ぬぐいは執拗に胸ばかりを拭っている。

 

「もういいっ……あとは自分でやる……」

 

 デュノアを介抱していた桜やラウラの目が、箒を射た。

 箒の瞳が羞恥で(うる)む。一夏にされるがままの自分が情けなかった。

 

「もういいんだっ。十分だ!」

「いや、でもまだ、濡れ……」

 

 勢いよく手を振り払った。一夏は二、三歩後ずさった。

 座布団に足を取られて背中から倒れそうになる。

 手ぬぐいが宙を舞い、何かにつかまろうと手を伸ばす。とっさに箒の手首をつかんで、どうにかとまった。

 

「サンキュ。助かっ……わっ!」

「待て、私が引……しまっ」

 

 起き上がろうとした一夏が手首を引き寄せてしまった。彼の体重を支えきれずに箒も前のめりに倒れこむ。

 何かに包まれている。箒が眼を開けたとき、一夏の腕のなかにいた。

 少しだけ上向くと彼の瞳がある。安堵の表情を浮かべていた。一夏ははにかむように破顔する。

 

「箒、ケガはないか」

 

 箒が首を振る。

 一夏がすべてを受け止めてくれていた。彼のほうこそ痛めた場所はないのか、と気遣う。

 一夏のほうも何ともないという。だというのに、箒を離そうとしなかった。

 

「自分で立ち上がれる。立ち上がれるんだ。離せ、離してくれ」

「……嫌だね」

「どうして。私はどこもケガをしていない。こんな……抱き合う理由なんてないんだ」

()

 

 一夏は急に真剣な声音になった。

 ただならぬ雰囲気に気づいた箒は黙して次の言葉を待った。

 

「ずっとこうさせてくれ。俺は箒を離したくない。それに……箒は俺の初恋が誰か知っているか」

「……姉さんか千冬さんじゃ」

「違う」

「じゃあ、篝火さん」

「それも違う。ってかありえない」

 

 箒は叔母の名を口にしたが、一夏は首を振るばかりだ。焦れた一夏は考え、箒を強く抱きしめると、後ろから首に手を添えて前に向かせる。

 

「んぅ……」

 

 急な出来事に目を瞬かせた。

 いったい何がどうなってるんだ? 

 箒は自問自答する。

 口唇が離れ、一夏の真剣な瞳を目にしたとき、箒は事態を理解した。

 

「わかったろ」

「……」

「俺の初恋は箒なんだ。子供の頃は箒の強さに憧れてた。一度別れて、また再会して、こんなに……こんなに綺麗になった箒を見て、俺は恋に落ちたんだ」

 

 一夏の告白。夢にまで見た光景だが、どういうわけか実感がわかない。

 違和感のほうが強い。

 

「箒、箒、箒……俺っもうっ……」

「ま、待て、待てっ、まだ、心の」

 

 一夏が激しく唇を求める。なすがまま唇をこじ開けられ、強く抱きしめられる。

 これでよかったのだろうか。

 私は念願だった一夏を手に入れたのだろうか……どっちでもいい。目を閉じて彼を受け入れるのだ……と思った矢先。

 

「そろそろ気が済んだか?」

 

 上からラウラの冷ややかな声がした。

 

「篠ノ之。これは合意の上か? 答えろ」

 

 箒は涙目になっていた。

 感激の涙か、いや、そうではない。

 視線の奥に後からやってきた鷹月と四十院がいる。桜がふたりにデュノアの介抱を頼んでいた。

 

「違……ぁ……ぅん……だぁ……そうじゃ……ぁぁ…な……ぃ……」

「合意の上ではないな、では、そのように対処しよう」

「ぇ……」

 

 ラウラはいきなり帯を解いた。

 浴衣がはだけ、白い肌にまきつけた大量の武器が出現した。いつ、どうやって持ち込んだのかわからない物騒な代物までもが含まれていた。

 ラウラは一夏の首根っこをつかむと、一思いに後ろへ振り抜いた。

 グゲ、と嫌なうめきが聞こえた。だが、一夏は尻餅をついただけで首を撫でさすり、二、三回左右に振った。

 ラウラが箒に帯を投げ渡す。

 

「武器だ」

 

 すかさず立ち上がろうとした一夏の腕を取る。

 関節を伸ばし、さらに捻りを加える。

 普通なら激痛で動けなくなるところだが、一夏は立ち上がって腕ごとラウラを持ち上げた。

 体が宙に浮いたことで力の行き場を失くす。が、足を振り上げ、首にひっかける。そのまま背中に回りこみ、一夏をうつ伏せに倒した。

 

「今だ。篠ノ之。その帯を使え」

「へ……あ、ああ、そうか。そうだな」

 

 帯で輪っかを作り、手首を縛り上げる。

 足元に先ほどの手ぬぐいがあったので猿轡を噛ませた。

 暴れないよう両足も縛る。一夏がとっさに見せた馬鹿力を思い出し、不安になった。

 ラウラが部屋にあった残りの帯を紐状にしていた。

 受け取って柱のへりにひっかける。紐と紐をつなぎ合わせて念入りに四肢の自由を奪った。

 

「これでよし」

 

 箒は額の汗をぬぐった。

 捕縛術を披露したのは久しぶりだった。

 縛り上げられた一夏は常時爪先立ちになっているので相当に苦しいはずだ。

 (かかと)を少しでも下ろせば他の部分が締まる。

 命を奪うほどではないが、長時間苦痛を与えることができる。

 だが、ここまでやる必要はなかった。気が動転してついやってしまった。

 

「ほほぅ。素晴らしい結び目だ」

 

 ラウラが目を輝かせて見入っている。

 彼女の傍らには眠りから目覚めた鈴音がキョロキョロと辺りを見回した。

 一夏の緊縛姿に気づいて激しく驚いた。

 

「ちょっ……何がどうなったっていうのよ。一夏がなんで縛られてんのよっ!」

「自業自得だからだっ」

 

 箒が答える。

 

「訳わかんないわよっ。ていうか、デュノアは?」

 

 ラウラが桜を呼ぶ。

 桜が恐る恐る廊下から顔をのぞかせた。

 

「終わったん?」

「……終わった。この朴念仁が妙なまねをしくさったがな」

 

 と、箒が手の甲で唇を拭ってから縄を何度も弾いてみせる。

 

「ぐぅっ……」

 

 一夏の額に脂汗がにじんだ。桜は眉根を寄せて、顔をしかめた。

 ——うわっ……。

 

「篠ノ之さん。織斑、使い物にならんうちに下ろしたほうがええよ。後生や」

 

 そう言って顔をひっこめた。

 

 

 

 

 

 

 騒動を聞きつけた相川が櫛灘を連れて部屋にやってきた。

 一夏の惨状を見て言葉を失った。

 櫛灘だけは目を輝かせ、すかさず携帯端末を天にかざした。

 撮影を試みたが、何かに当たった拍子に端末が床に滑り落ちた。

 

「ぼ、ボーデヴィッヒの姐さん……」

「死者に鞭打つのは止すべきだ。それが優しさではないか」

 

 肩に手を置いて静かな口調で告げる。だが、ラウラの手にはコンパクトデジタルカメラが握りしめられていた。

 

「私は写真班の仕事を全うしたい。無論、公開・非公開の是非は先生方が判断する」

 

 大義名分の下、ラウラはカメラを構える。無慈悲にシャッターを切り続けた。

 

 

 

 

 

 

 ロビーまで来ると桜は、あっ、と声をあげた。

 就寝時間が近いこともあって、教師が見回りの準備をしていたのだ。

 弓削が長い手足を振ってどこかに駆けていく。

 四組の担任が携帯端末をいじりながら副担任と談笑していた。

 指示を出し終えた教師が振り返って桜を見つける。連城が相変わらず青白い顔のまま桜の前までやってきた。

 

「佐倉さん。問題は解決しましたか?」

「はい。先生。終わりました」

「わかりました。でも、騒々しいのは控えるようにしてください」

 

 桜は半笑いを浮かべながら頬をかいて頭をさげる。

 

「すみません……」

「……と言っても、毎年こうなので佐倉さんたちが特別ということではありません。私がこの学園に赴任してきて最初の年も苦労しました」

 

 連城は懐かしい顔ぶれを思い出して目を細めた。

 

「最初の年、ですか」

 

 桜は慎重に言葉を選ぶあまり標準語を口にしていた。

 

「ええ。今の日本代表が学園に転入してきた年です。問題ばかり起こす子がいましてね」

 

 あははは、と連城にしては高く笑う。あははは、と桜も同じように笑った。

 突然笑みを止めた連城が桜から離れた。

 廊下の奥で弓削が手を振っているのを見つけ、四組の先生に合図を送る。電波時計に目を落として、「時間です」と告げた。

 

「もう寝る時間ですよ。夜十時を回りました」

 

 連城がよく通る声で言った。

 

「え、もうっ!?」

 

 桜は身をよじって年代物の掛け時計を見上げる。

 文字盤の中央が回転を始め、機械仕掛けの扉が開いてオルゴールを奏でた。

 桜は口を半開きにして眺めるうちに、弓削の困った顔がくっきり映った。

 彼女はクリップボードにプリントを挟んでいて、ボールペンを握っている。プリントは部屋割り表だった。

 

「佐倉さん。もう寝る時間だよー。明日はちょっと早いから眠っておきなよー」

 

 弓削が脇を通り過ぎていく。桜は振り返って担任と副担任を眺めた。

 これ以上ロビーに居続ける理由がなかったので前を向いて歩き始めた。

 ——っと、こんな時間に。

 携帯端末が震えた。桜は階段のそばまで来てから携帯端末を取り出す。四回目のコールで通話を始める。相手は見知らぬ番号だった。

 

「もしもし」

「ハロハロ束さんだよぉ。サクラサクラはいるかなあ」

「おっしゃるとおり私ですが、どなたでしょうか」

「べつに、きちんと名乗るなんてどうだっていいじゃないか。そんなことは」

「……良くないのでは。名乗って頂けないのであれば通話を切ります。よろしいですか?」

「良くないね。そうだよ。SNNの天才しーいーおー。篠ノ之束さんなのだー」

「最初から承知していました」

「だったら誰何(すいか)しなくたっていいじゃないか。ところで君は今、どこにいるのかなあ」

 

 ここは素直に話すべきなのだろうか。黙っているうちに束がしゃべる。

 

「今日の束さんはサクラサクラと話したい気分なんだ。ちーちゃんといっくんがあんなことになっちゃったしね」

 

 何の話かすっとぼけようとする。

 電話から耳を離して今すぐ姿をくらませようと思い、離れの部屋番を告げた。

 

「違うね。だってさぁ、束さんは今、サクラサクラの後ろにいるんだ。君は嘘をついたよね」

 

 桜がゆっくりと振り返る。浴衣姿の女が立っていて、薄笑いを浮かべながら耳に電話をあてていた。桜を見つけて空いた手を振った。

 

「……すんません。嘘つきました」

「正直に言いなよ。忙しい束さんが君のために()()()()時間を割いてあげてるんだよ。感謝しなよ。ありがたく思いなよ」

 

 桜が丁寧に感謝の言葉を伝えると、電話口からご満悦のため息が漏れた。

 

「ところで用件は何ですか」

「会いに行こうってのに、サクラサクラは野暮だね。束さんはサクラサクラに会いたいんだよ。()()()()殿()に会わなきゃあ、時間を割いてわざわざ構ってあげる意味なんてないのさ。どうだい。君にも束さんと会う理由ができたんじゃないかな? そう思うでしょ?」

「……今、なんとおっしゃいました」

 

 桜は耳を疑い、底冷えした声を発していた。

 束から離れようと階段を上っていく。

 振り返ったとき、階下にいた束の髪には簪代わりに一輪の花が差してあった。

 

()()()()()()()()()()()()()()殿()()()()()()。これからすぐ秋水の間に来なよ。私の部屋で語り合おうじゃぁないか」

 

 

 



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湯煙温泉の惨劇(九) 胡蝶の夢

 通話を終えたときには束の姿はなく、いつ彼女が消えたのか見当もつかなかった。

 階段の踊り場で携帯端末を握りしめたまま立ち尽くす。

 

『佐倉少尉殿ってわけさ』

 

 という言葉が頭のなかで反響して、なんともいえぬ不快感を抱かせる。呼吸を整えようと(まぶた)を閉じれば、あの頃の風景が鮮やかに蘇った。

 湿った土と油の匂い。沖縄の空へと向かい、戻ってこなかった戦友たちの名を淡々と書き綴った筆記帳(ノオト)

 ——秋水の間は。

 浴場を通り過ぎ、途中、誰かが脱いだであろうスリッパを履く。

 離れにたどり着いたとき、時計の針は十時過ぎを指していた。生徒たちの多くが自室へ引きこもっておしゃべりに興じている。

 離れにも宿泊部屋があった。セシリア・オルコットの部屋も同じ棟にあった。

 

「博士。約束通り来ました」

「開いてるよーん」

 

 先回りして桜の訪れに備えていたのか、すぐさま返事があった。

 扉を押し開くと、傍に立っていた束に手首を掴まれて引っ張り込まれた。

 

「さあ、入った。入った。サクラサクラの来訪を歓迎するよ」

 

 書院造りの部屋にノート型端末が広げられ、幾つもの投影モニターが展開されている。

 画面のひとつに旭光の壁紙が設定されていた。

 動画が始まった。

 旭日旗がたなびき、軍艦マーチが奏でられ、長門をはじめとした戦艦群が波をかきわけて単縦陣で進んでいく。

 桜は息を呑んだ。

 身体中に熱さが駆け巡っていく。

 ——嗚呼、長門がおる。大和、武蔵、金剛、榛名……。みーんな、みんな、もう、おらん。

 目を逸らすことができず、黙りこくった。

 

「動画投稿サイトで拾ったんだけどさ。よくできてたから再生してみたってわけ」

 

 束は立ち上がって熱っぽい表情で桜の髪を(もてあそ)ぶ。

 

「——……ッ」

「きちんと手入れされてるね。サクラサクラはお姉さん(奈津子さん)の言うことをよく聞いているんだね」

 

 触れるか触れないかのきわどいタッチで体をまさぐる。唇を咬みながら耐えていると、束の狂い乱れた瞳が鏡に映った。衣擦れの音だけが響いて、急に束が動きを止めた。

 

「抵抗しないんだ。それとも機会をうかがっているのかな? 私はサクラサクラのことをよく知ってるよ。君はどこから来たのか、君は何者か、君はどこへ征ったのか」

「……貴女はどこまで知っておられるのですか」

「さあ。でも、この世界から、君に消えてもらいたいとは思ってるよ」

「恨まれるようなことをいつ、したのですか」

 

 初めて言葉を交わしたときからずっと疑問だった。

 束の瞳が妖しく揺らぐ。

 

「カコだとかミライだとか」

 

 桜は身体を硬くして、表情を変えまいと骨を折った。

 

「君は軍神のまま逝ってしまえばよかったのにって。束さんはサクラサクラに出し抜かれたことをとても悔やんでるんだ。厳密に言うと、出し抜いたのは今の君ではないんだけど、君は彼女(サクラサクラ)と顔も名前も姿も(かたち)も同じだからね」

「おっしゃる意味が」

「理解してもらおうとは思ってないのさ」

 

 顎を上向かせられる。とても強い力だ。逃れるチャンスを窺った。

 

「そういう目で見るんだ。少なくとも、今の束さんは君に害を与えるようなことはしていなかったのに」

 

 束は胸元を動かして素肌に風を送る。エアコンが動いて、ゴロゴロと音を立てる。年代物なのか動作音が大きい。

 

「さぁて、どうしようかな。君をいるべき場所に送ってしまおうかな」

「いるべき場所……」

 

 桜は言いかけて口をつぐまなければならなかった。鏡に映る自分を見つめる。困惑の顔つき。

 佐倉桜がいるべき場所とはすなわち、あの世とこの世だ。束が示したのはこの世ではなかった。

 ——あかん。

 おぞましさが背筋を駆け抜けた。

 束から逃れなければ。不用意に踏みこんだ自分の愚かさを呪う。

 電灯が瞬き、一瞬光を弱めた。

 ひっそりと闇がしみこんで、桜は押し倒された。

 

「束さんはこう考える。佐倉少尉は生涯独身だった。独身であったがゆえに死の間際、人と繋がりたくなった。子どもが欲しくなったんだ。でも、今のサクラサクラは女だ。種を()くことはできない。むしろ受胎する側だ。君は子どもを産み育てる自分を想像できないんだ。だから昔の自分にひきずられて女の子に()かれる。もちろん束さんはそういった感情を否定しないよ」

 

 束の言いたいことはわかる。

 いくらかは言い当てていたからだ。反発したい気持ちも生まれたが、やってしまえば束の言葉を認めてしまう。

 あのとき。本音が欲しくてたまらなかった。生まれたままの姿になって彼女のなかに自分という存在を刻みつけたくなったのだ。今後彼女が出会う人々のなかでも、必ず思い返すであろう、ハジメテの人……。

 束は精確に動きを封じてきた。

 

「へえ……抵抗しないんだ。それとも、抵抗すべき一瞬を狙っているのかな」

「……まさか」

 

 束は馬乗りになってニンマリと満足げな笑みを浮かべる。

 

「束さんは知ってるよ。サクラサクラはもう五十人くらい殺したよね。君の仲間もたーくさん死んだ。

 予言するよ。君は、将来、いっくんや箒ちゃんを死に至らしめるよ。君が彼らと一緒に飛べば遅かれ早かれそうなる。……ふふふ。盗聴・盗撮は気にしなくていい。防諜は完璧だ。だからさ、今すぐ君のミライの芽を摘み取ってしまうことだってできるんだよね。そうだ。うん。そうしてしまおうか。そうすれば彼らが死ななくてすむ」

 

 束は旅館の名前が書かれた手ぬぐいを取って桜の首にまいた。

 

「君は綺麗だねえ。本当に綺麗だ」

「ギ——」

「あの子も綺麗だったよ。とても明るく素直で私の話をよく聞いてくれたね。好意を寄せてくれたのを感じていたのに、君は……ゴメンゴメン、彼女が私の大事な人を奪ったんだ」

 

 両手でタオルごと首を包み込み、徐々に力を強めていった。

 桜ははじめ何をされているのかわからなかった。何度も目を瞬きし、首に痛みと息苦しさを感じるに至り、状況をあらかた理解した。

 束の顔はむしろ穏やかで柔らかかった。桜の容姿を褒め称えながら首を絞めあげていく。

 桜は足をばたつかせ、手首を引きはがそうと必死に抵抗する。

 

「束さんなら証拠を抹消できる。記憶の改ざんなんてお手の物さ。だから安心して靖國(やすくに)へ還ろう」

 

 空気を求め、渾身の力を振り絞って束の手をひっかいた。

 

「……ッ!」

 

 束が舌打ちして手を引っ込める。くっきりとした爪痕が残り、皮がえぐれて血が流れている。

 桜は首に手をあて激しく咳き込む。目尻に涙を浮かべながら束の穏やかな表情(かお)をにらみつける。

 束は立ち上がり、桜に一瞥もくれず端末のもとへ向かう。

 投影モニターを一画面を残して閉じる。

 そして二人分の湯飲みに緑茶を淹れた。

 茶をすすりながらキーをたたく。浮き上がった文字列を眺め、部屋の奥に向けて画面を動かす。

 その文字を見た桜は、一瞬咳き込むのを止めた。

 

 ——以テ海上特攻隊ノ本領ヲ発揮セヨ——

 

 天一号作戦。呼応して発令された菊水作戦、航空総攻撃。噴煙が咲き乱れ、血と鉄が混ざり合う瞬間を思い出し、桜はかつて破片が突き刺さった胸を押さえてうずくまった。(ふる)い記憶が痛みを呼び戻したのだと気づいたが、胸の鼓動が早まるのを押さえられない。

 出撃前夜に見上げた空は真っ暗で煌々と輝く星々があった。

 桜は立ち上がって、出口に向かって進み出す。ふらつき、柱にもたれかかり、一刻も早くこの場から逃れることを願った。

 しかし、足を止めてしまった。

 衣擦れの音がする。振り返ったとき、束が一糸まとわぬ姿になっていた。腕をつかまれ、引き寄せられ、抱き止められる。

 

「戻ってきなよ」

「……」

 

 束の身体は温かく、石けんのにおいがした。

 

こっち(あの世)に戻っておいで。ここにいちゃいけないよ。醜の御楯だってことを思い出さなきゃ。わかってるよね」

 

 呆然自失となった桜の口を、束の唇が塞いだ。柔らかい舌が割って入ってくる。束の唾液が唇の端から零れた。

 

「死に場所、欲しかったでしょ」

 

 束は唇を離して、桜の耳元で低く囁いた。

 

「すぐ、死ねるよ。仕掛けは()()が用意した。彼等も動いた」

 

 スピーカーから英語が流れる。ジェシィ・ジョーンズのお天気コーナー、という言葉をかろうじて聞き取った。桜が身をよじって離れようとすると、手首を取られて再び唇をふさがれた。外の街灯だろうか。カーテンの隙間から朧気な光が瞬いた。身体に力が入らない。頭もぼんやりとしてうまく働かない。まるで胡蝶の夢……そんな気がした。

 桜の意識が途絶える直前、束がゆっくりとした口調で告げる。

 

「君が靖國へ還るのを(いと)わぬなら、協力を惜しまないよ」

 

 

 

 

 

 

「……起きてくださいまし」

 

 ペタペタ、と引き締まった指が頬に触れた。桜が薄目を開けてぼんやりしていると、青い瞳の美少女が腕を組んで見下ろしていた。

 

「こんなところで眠って、あなた、風邪を引きますわよ」

「……ふぇ」

 

 狂ったように丸い月が目に入った。胸のなかに薄雲のような侘しさが立ちこめて、身体を起こして周囲を見渡した。池の鯉の尾鰭が揺らめき、気持ちよさそうに泳いでいる。秋水の間ではなかった。

 

「あの、ほっぺ、ちみぎって」

「……はぁ?」

 

 美少女は長い(まつげ)の奥からあからさまな困惑の視線を投げかけた。

 桜は見本のつもりで自分で頬をつねった。

 

「オルコットさん。こんな感じでお願いします」

「……知りませんわよ」

 

 美少女(セシリア)はため息をついたかと思いきや、書類入れを小脇に抱えてから右手を伸ばす。桜の頬に触れ、親指と人差し指で優しくつまんだ。

 

「なあんだ。まだ夢なんか」

「夢?」

「私、さっきまで秋水の間におったんや。篠ノ之博士とな。でも、起きたら池の鯉がおる。瞬間異動は不可能や。せやさかい、私は今、夢を見とる」

「……寝ぼけてますの?」

「ほっぺた、ちみぎ……つねってもらったのに、痛くない。夢や。ほんまの私はまだ眠っと——」

 

 セシリアが思い切り力を込めた。桜は言葉にならぬ悲鳴をあげ、頬を押さえてのたうちまわる。

 

「これでもまだ眠ってますか。わたくし、先ほどまで秋水の間で商談を交わしていましたけれど、メガモリさんの姿は見かけませんでした」

 

 セシリアが怪訝な面持ちで言った

 桜は頬をさすりながら衣服についた土を払った。

 

「お風呂入ったのに汚れてまったなぁ。……え、私、ずっとここにおったん?」

「さあ、そこまでは。少なくとも、先ほども口にしたとおり、貴方の姿は篠ノ之博士の部屋にはなかった」

「本当に?」

 

 セシリアが鷹揚なしぐさでうなずいて見せた。

 

「……証拠はあるん?」

「ありますわ」

「どんな」

「オルコット社はSNNと正式に整備契約を取り交わしました。何ならわたくしの叔父が証人になってくれますわ。ブランドン・オルコット。オルコット社のCEOです」

 

 桜は耳にした名前を携帯端末で調べた。大量のビジネスニュースが表示され、その中に幾分セシリアの面影を留めた男性の姿があった。確かに「ブランドン・オルコット」とある。

 

「せや博士は今、どこにおるか」

「秋水の間でブルー・ティアーズを診てますわ。あの方、天才ですわね。一瞥しただけで弱点を見抜いて、改善策を提示しました」

 

 よく見ればセシリアの耳を覆っていたカフスがなかった。

 

「改BT型——ウェリントン・プラン。そのうち速報がネットニュースに流れますわ。楽しみにしてくださいまし」

 

 セシリアが女王のごとく誇らしげに胸を張って、豊かな髪をかきあげる。

 踵を返して中庭から立ち去ろうとしたが、急に思い出したように足を止めた。

 振り返って、心持ち眉をしかめた。

 

「そういえば一夏さんの姿が見えないのですけれど、メガモリさんは知りません?」

 

 桜は一夏が引き起こした一連の騒動を思い浮かべ、やむをえず苦笑いをする。

 デュノアとファースト幼なじみ、セカンド幼なじみに愛を囁いて食べようとしたなどと、セシリアの耳に入れたらどうなるか想像してしまったのだ。

 ——せや、プライバシーは守らなあかん。

 

「ボ、ボーデヴィッヒさんに聞くとええよ。織斑と一緒におった。写真も撮っとった。見せてもらうとええ。……あぁ、あかん。ボーデヴィッヒさんは……」

 

 ラウラなら良識ある対応をするはずだ。桜は切に願った。

 

 

 




今回で湯煙温泉の惨劇章はお終いです。また次章でお会いしましょう。


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間話
間話・港にて


 目覚めると季節外れな(アザレア)の香りがした。点滴の針を腕に刺したまま窓辺に詰め寄る。

 そこは雑踏で、パリの夕暮れ(ソワール・ド・パリ)ではなかった。

 幅六〇センチほどの一人用の書机に一通の封書がある。

 フランス語の筆記体で書かれ、中央に大きく「姉へ」とあった。裏返すと、シャルルと署名されている。

 シャルロットは眼を見開いて周囲を見廻し、ベッドの傍らに据え付けられたデジタル時計の表示に気づく。

 貌をしかめながら記憶を掘り返した。思い出したくもなかったが、久しぶりに会った従弟はほぼ次のように言っていた。

 

「やあ、姉さん。何日ぶりかな。僕を置き去りにしたと思って、何度も会いに行ったってのに袖にされてばかりだったけどようやく会えたね。

 嬉しいよ。姉さんはやっぱり僕の姉さんだ。

 叔父さんのデュノアは買収さ()れちゃったけど、義母さんのデュノアはまだ健在だよ。いずれ僕が継いでもっと、もっと大きくするんだ。

 誓うよ。大きくなったら姉さんを迎えいれよう。また僕と一緒に暮らそう。デュノアは姉さんを必要としている。姉さんが輝けるたったひとつの居場所は、デュノア、だけなんだよ」

 

 従弟(おとうと)は涙目になってシャルロットの手を取っていた。

 そのとき発熱で意識朦朧としていた。子供の頃から芝居がかった言動で大人受けした——つまりマセガキだった(従弟)が珍しく、体調を崩した姉を心配していたのだろう。

 それにしては従弟の掌がやけに湿っていた。

 シャルロットは従弟のシャルルを嫌っていた。同じ病院で同じ日に生を受け、ある時期まで同じ場所で同じ教育を受けた。常に努力をせねばならかなった自分とは違い、彼は何もかもをそつなくこなす。幼いながら嫉妬心を覚えたのだ。別離を幸いとしていなかったものと思って、自分の人生を謳歌してきた。

 また、あいつだ。

 従弟がきた。

 手柄をすべてかっさらっていく。どうして、どうして——答えの出ぬ悩みにつきまとわれる。

 六月下旬。

 シャルロットは学年別トーナメントで敗北を喫した。タスク社のスコール・ミューゼルは労をねぎらったが、瞳の奥では失望していた。更識簪を撃破できなかったばかりか、その簪が素人(サクラサクラ)によって相討ちに終わっている。

 打鉄零式は、一部界隈ではゼロ、あるいはジーク(Zeke)と呼び表す声があった。しかし、シャルロットが駆ったラファール・リヴァイヴ・カスタムⅡは善戦するも調整不足という評論が多数を占めたのだ。

 スコールへの報告から数日経って、シャルロットは体調を崩した。診断結果は過労である。睡眠導入剤を処方されたが、とても飲む気にはなれず、かといって一夏に心配をかけるのも嫌だった。

 まくし立てるようにしゃべるポーランド人が箒を引っ張って川崎大師へと出かけていった後、寮のベッドの中で悶々としていた。シャルルの訪問はちょうど寮から人気が消えた昼下がりだった。

 シャルロットは従弟を一刻も早く追い返したかった。なぜなら従弟は大の女好きである。虎を檻から放つようなものだ。彼がクラスメイトをたぶらかし、学園内で凶行に及ぶ姿を想像して、シャルロットは青ざめてしまった。

 

「わかった。いずれそうするかも。

 で、ほかには。連絡することがあるんだよね。……見ればわかるよね。調子が悪いんだ。早く言って」

 

 シャルルのことだ。口にせずとも察するはずだ。実際、つっけんどんな口調に、彼はひどく動揺したようだ。

 

「僕はただ、ただ、姉さんには休んでいて欲しいんだよ……」

「わかってるじゃないか。だから寝る。薬を飲んで寝るから。必要なことはメールでお願い」

 

 シャルロットは薬を飲んだ振りをしてから、制服にシワができるのも構わず背を向けて布団をかぶった。

 早く出て行け、と念じる。

 眼をつむっているうちに、本当に眠くなってきて、そのまま意識を手放したのだ。

 慎重な手つきで点滴の針を抜いて止血し、シャルロットはもう一度日付を確かめた。

 ——七月■日。

 臨海学校のしおりによれば温泉旅館に到着したのは()()である。

 

「えっ……今日、臨海学校? 島、行っちゃった? え!?」

 

 二日ほど眠っていたことになる。

 

「というか、ここ、どこ!?」

 

 ゴミを捨てた後、書机の引き出しを開ける。聖書とホテルの紹介冊子があった。個人携帯端末のGPSを有効にして、地図を閲覧する。

 都内港区。フランス大使館に徒歩で行ける距離だった。シャルルは律儀にも宿泊先をメールにしたためていた。

 画面に指を滑らせる。文面の最後まで目を通し、気になる文字を目にする。

 携帯端末をうっかりベッドに放り投げていた。

 

『姉さんの代わりは任せて』

「わああああっ!!」

 

 よく見れば眠る前は制服であったのに、いつのまにか寝間着に変わっている。下着も上下共に異なった。

 クローゼットを開け、浴室のシャワーカーテンを開けて、机やベッド下までくまなく探したが、肝心の制服がなかった。

 シャルロットはベッドに腰掛け、震える手で携帯端末を拾い上げる。

 別のメールが届いており、写真が何枚か添付してあった。

 シャルルは女顔である。女好きで、しかも恐ろしく手が早い。シャルロットと同じくユニセックスを好んでいたが、なぜか自身が女の扮装をすることに何の痛痒も感じていなかった。

 そう、写真にはシャルロットの制服を身につけた従弟の姿が違和感なく映っていたのだ。

 フリルの入ったスカートを翻し、広葉樹の隙間に零れた煌めきのなかで、軽やかな笑みを浮かべて踊っている。

 

「あいつッゥゥゥ!!!」

 

 一瞬シャルル・デュノアがIS学園の職員に取り押さえられ尋問される姿を思い浮かべたが、すぐさまこの考えを打ち払った。

 シャルロットの見舞いに来た時、IS学園はもちろん、フランス大使館とIS委員会、そしてタスク社から面会の権利を得ていた。でなければ、学園に無傷で侵入できるはずがない。

 シャルロットが叫んだのは、様々な懸念が頭をよぎったからだ。女好きでありながら、男同士の恋愛に拘泥しない。

 幼かった頃、シャルルはよくシャルロットの所有物を欲しがった。持ち物や食べ物を分けてやっていたが、彼はそれだけでは飽き足らず淡い初恋相手をも奪ったのだ。

 初恋の相手は、シャルルに告白し、短い期間、その少年との交際を受け入れてしまった。

 今度も同じことをするはずだ。織斑一夏との恋愛を横取りするに違いなかった。

 シャルルが身につけていたと思しき衣服を見つけて袖を通す。荷物をまとめていると、学園から貸与された端末もなくなっていた。

 制服と一緒に持ち去られていた。

 最低限の情報しか入力していなかったが、激しく動揺した。

 一夏との二人きりで撮った写真を壁紙に設定していたのだ。エレベータで一階に降り、フロントに鍵を預けた。ポロシャツを身につけた男達の横のソファに腰掛け、〈みつるぎ〉に電話をかけ、巻紙礼子を呼び出す。

 〈みつるぎ〉は仕事が早い。デュノア社から付き合いがあったので無理を言いやすかった。

 

「お電話代わりました。渉外担当の巻紙でございます」

「デュノアです」

「シャルロットさん。あれ? あなたって、今臨海学校なんじゃ」

「お願いがあります。大至急、すぐに手配してもらいたいことがあるんです。細かい事情は聞かないでください」

 

 巻紙はシャルロットの事情を察したのか、声から抑揚を消す。

 

「でしたら……用件をうかがいます」

「都内から神津島へ向かう便を手配してほしいんです。海・空、手段は問いません。最短で行ける方法が知りたい」

「居場所は、今、どこにいますか」

 

 シャルロットはホテルの名前を伝えた。

 

「でしたら、高速ジェット船で八丈島へ向かい、ISで神津島まで飛ぶか。あるいは、調布飛行場から神津島行きの直通便が飛んでいます。そちらに乗るのがよろしいかと存じますが……どちらに致しますか」

 

 シャルロットには後者しか選択肢がない。ISで八丈島・神津島間を飛ぶなどと、日本国の航空法を無視した提案は論外だった。

 ほかにも手段があるはずではないか。

 日本に渡る前、フランスで買ったガイドブックには東京湾から伊豆諸島へ船便が往還している、と書いてあった。

 

「高速ジェット船のチャーターは……」

「この時期は四菱やタスクがみんな押さえてますよ。一年前からね」

「……今から調布に向かうので、段取りをお願いします」

「かしこまりました。何かあったら私の携帯にお願いします」

 

 シャルロットは腕時計を見た。

 朝の十時を回っている。

 個人端末で天気を確かめる。伊豆諸島周辺に雨雲はなく、波は穏やかなのでクラスメイトたちは今頃連絡船に乗り、昼までには神津島に到着するだろう。

 専任搭乗者や代表候補生は所属する国家や協力企業と打ち合わせて装備の試験に臨む。

 しかし、フランスIS委員会は今年、ラファール・リヴァイヴ用の新規装備の試験を行わない、と決定を下していた。デュノア社の買収騒動がシャルロットの未来に暗い影を落としていた。

 ラファール系のISはすでに十分すぎるほど装備が充実していた。本国にいた頃と訓練内容に差はなく、国花の名を冠した長距離飛行用パッケージ『アイリス』の慣熟訓練に勤しむよう指示されていたのである。

 地下鉄を用いて広尾から恵比寿に出る。そこから新宿へ向かい、私鉄に乗り換えて調布に移動する。巻紙から調布駅へタクシーを配車したと連絡があった。

 私鉄は新宿始発であるためか座席を確保できた。扉のすぐ隣に座り、膝の前に荷物を入れたスーツケースを置く。発車を知らせる警笛がなったとき、学生と思しき男女が走り込んだ。閉じかけた扉がまた開き、男女を収容してすぐに出発した。

 シャルロットは逸る心を落ち着かせようと深呼吸する。焦ったところで状況は変わらない。

 トゥールーズのデュノア社は自社ブランド以外にもISスーツのOEM生産を行っていた。タスク・アウストラリス社が〈Dunois〉ブランドのOEM版ISスーツを販売していることもあって、トゥールーズのデュノアとスコールには面識があった。スコールが次期後継者であるシャルルを知らぬはずがない。

 無駄だと念じながらスコール・ミューゼル宛てにメッセージを送る。

 シャルル・デュノアの所在について。

 ——まさか、ね。

 送信完了の文言を目にしたとき、愚かな想像が脳裏を過ぎる。

 想像は、仮にスコールが聞けば顔色を変えて戒めるのだろうか。

 埒もなく想起していると列車が徐々に減速していった。速度が早すぎたのか急な制動で肩が揺れ、シャルロットはある事実を思い出す。

 スコール・ミューゼルは同性を愛することしかできなかった。従弟ならば軽はずみな言葉を口にするだろう。『姉さんがミューゼルさんと寝ればいいんだよ』

 シャルロットの顔が歪む。彼女は調布に到着した。

 

 

 

 

 

 

 淡い風が耳元を過ぎ、颯々(さつさつ)と吹くにいたって髪が乱れぬよう頭を押さえる。

 陽光が照りつけ、これから搭乗するドルニエ228-212 NGの翼面が白く光った。

 乗客が次々と乗り込んでいく。彼等の後を追って、導かれるまま航空券(チケット)に記された座席へ向かう。

 ドルニエが飛び立ってしばらくして、窓から海原を見やった。

 白灰色の巨大な島が横須賀沖に浮かんでいた。

 いや、島、というにはあまりに角ばっており、二枚の長方形の板が並んで置かれているようだ。

 それが何物であるか、シャルロットはすぐにわかった。

 海上自衛隊が保有する最大の移動式浮体である。興奮する乗客——全員男性——がシャッターを切るのを横目に、シャルロットは神津島へ着いてからの行動計画を確かめる。

 神津島空港から港へ行くのに必要な準備はすべて整っていた。巻紙が組んだスケジュールの通りに動けば、シャルルと落ち合うことができる。

 山が迫ってきた。ドルニエがぐんぐん高度を下げている。減速するにつれて機体の振動が直接伝わってきた。「着陸態勢に入りました」機長が知らせる。

 約四五分の旅が終わり、島に降り立てば午後の日が容赦なく照りつけていた。

 雲量二。青い空の隙間を埋めるように、ぽつぽつと雲が浮かんでいる。

 晴れて輝く空は、遥か成層圏まで続いていて、一筋の飛行機雲すらない。

 臨海学校の期間内、ISが飛行すると確定している区域には飛行制限が設けられているのだ。

 シャルロットはタオルハンカチで頬を押さえた。迂闊なことに制汗剤の塗布を忘れてしまった。

 個人端末に目を落として早足で手続きに向かう。日常会話と日本語の簡単な文章を書くことができた。詩的な表現となると、どんな字を当てて良いのか悩むのだが、到着手続きには事足りた。

 ターミナルを出ると、中型タクシーが待っていた。白地に青いラインが入った車両で、運転手は珍しいことに若い女性である。

 巻紙がタクシー会社に言い含めていたらしく、彼女の名を出すだけで運転手が行き先を理解する。

 神津島港へ向かう途中、車内でシャルルに電話をかける。根気強く七回呼び出し音を聞いてから通話ボタンを再度押した。冷房のなか、端末の筐体をもてあそびながら窓の外へと視線をやると、樫や(くぬぎ)といった木々や雑木が過ぎ去っていった。

 港に降り立ったとき、潮風が肌を打つ。

 足許に咲いたノアザミを避けて歩くうちに舗装された道路に行き当たる。

 岸壁にはフェリーが停泊していた。遠目に見慣れた制服を着た少女たちがうろつくのがわかった。

 シャルロットは立ち止まり、見回した。自分になりすましたシャルル・デュノアの姿を探す。

 

「どこにいるんだッ」

 

 怒りと焦燥で心の奥が疼く。いちばん危険なのは一夏だ。シャルロットに扮した彼が言葉巧みにたぶらかし、爛れた関係を結んでいたとしたら……。首を左右に激しく振って愚かな想像を振り払う。

 シャルルは確信犯だった。IS学園という強固な要塞の外へ出て、無防備になる瞬間を狙って潜入する。シャルルの変態的な試みは成功したのである。

 防波堤に身を潜めながら、端末が震えるのを待った。巻紙が信頼しうる筋に連絡している。港湾職員のなかには〈みつるぎ〉やタスクへ優先的に情報を提供する者がいる。

 シャルロットはそのことが何を意味するのか知らなかった。また、解りたいとも思わなかった。

 同級生に見つからないように移動した。

 堤防からすこしだけ頭を出すと、紺一色の海が広がり、緩やかな弧を描いた水平線が浮かんでいる。

 きらめく水面(みなも)の風景に心を奪われ、躍り出て浜遊びをしてみたくなった。

 本当なら()()の昼半ばに泳ぐ時間が設けられていたのだ。

 従弟に機会を奪われた、と腹を立てる。が、もし女生徒のなかに少年(変態)がまぎれ込んでいたとわかれば祖国が顰蹙(ひんしゅく)を買うのは避けられない。懊悩のあまり苦痛がこめかみに及んだ。

 

 

 

 

 

 

 シャルロットは堤防に沿って歩いていた。携帯端末を握りしめ、小さな声で従弟への恨み言を反芻していた。

 道沿いに巻紙が指定した建物が見える。真新しい四階建ての建物で、据え付けられた看板によれば一階が事務所になっていた。二階の窓際に段ボール箱が重ねて見えたので、どうやら倉庫のように利用されているらしい。

 建物の裏側に回り込み、扉の前で暗証番号を入力する。細い階段を上って最上階にたどりついた。会議室と思しき部屋が二つあった。401号室。鍵はかかっていない。シャルロットは外から自分の姿を悟られぬような場所に陣取り、パイプ椅子の背もたれに身を預けた。

 ジリジリ、と建物が震えた。

 身を潜めながら壁際を伝い、窓から海辺を窺う。

 港に居合わせた人々はみんな空を見上げていた。

 色彩豊かな煙が立ち上り、揺れてたなびいて西へ流れていった。

 驀進する何かが大気を押し分けていた。ずんぐりとした航空機が緊密な五機編隊を保っている。

 航空自衛隊のF-35A(ライトニングⅡ)だった。IS学園の生徒を歓迎するためか、横一列に並ぶラインアブレストを披露していた。

 見とれていると、机に置いた携帯端末が震え出した。

 端末の画面が点灯している。名前欄には『シャルル・デュノア』という文字があった。思わず目を見開いて棒立ちになってしまった。

 

「……来たっ」

 

 シャルロットは我に返って、携帯端末へ飛びついた。素早く通話ボタンに触れ、従弟の第一声を待つ。

 

「姉さん? 姉さんかい?」

「……そうだよ」

 

 と、フランス語で応じた。彼は近くまで来ているという。

 

「やあ。二日ぶりくらいかな」

 

 電話からではなく、背後から聞こえた。IS学園の制服を着こなし、フリル付きスカートからスラリとした太ももが伸びている。華やいだ笑顔が殺風景な会議室を彩った。

 だが、シャルロットは口を何度も開閉させる。

 

「あ、あ、あ」

 

 フランス語で答えるべきか、日本語で答えるべきか。頭が真っ白になり、再起動した瞬間、すさまじい速度で演算を始める。状況を把握したかった。

 眼前にいる彼は、どこからどう見てもシャルロット・デュノアだったのである。

 従弟は開け放たれていた扉をゆっくりと閉じる。

 静かだった。

 従弟はゆっくりとした足取りで目と鼻の先で立ち止まった。

 

「こんにちは」

 

 シャルロットが機械的に言い放った。

 単純な答えが意外だったのか、従弟は一拍おいてオウム返しに答えた。

 

「こんにちは」

 

 シャルロットは額に手を当て、よろめきつつ先ほどの椅子へ腰掛けた。呆気にとられるあまり、怒る言葉まで忘れてしまった。従弟は自然な笑みを浮かべ——やはり女子にしか見えない——向かいの椅子に座った。

 

「姉さん。ボクは姉さんの代わりを完璧に務めたよ」

 

 シャルロットはぼんやりとしたまま従弟を見つめる。

 

「……はァ?」

「姉さん。織斑一夏くんは、いや、姉さんの彼氏は、とっても積極的だったよ。姉さんより先に唇を重ねるのに罪悪感を感じちゃって、控えたんだけど、よかったよね? 僕、うまくやったよ」

 

 待てども待てども勝手に制服を借りたことへの釈明はなかった。

 

「シャルル」

「うん」

 

 シャルルが、コテン、と小首をかしげる。科を作る様がシャルロットよりも巧みで、艶っぽい。

 シャルロットはほだされそうになった自分を嫌悪する。

 シャルルが善意で代わりを務めたのは間違いなかった。暴挙に出た真意を根堀り葉堀り聞き出す気力と根気が失われていたので、シャルロットはどうにかして微笑んでみせようとする。

 だが、できない。

 胸に手を当てて考え、奇妙な感覚に苛立った。

 シャルルは誇らかに胸を張って、得意げな調子で告げた。

 

「一夏は女の子が大好きだね。僕、親近感を抱いちゃった」

「……どういうこと?」

「あ、これ、言っちゃっていいのかな」

「別に言わなくともいいよ。どうせ、櫛灘さんあたりが教えてくれるから」

 

 クラスから孤立しているとはいえ、櫛灘や藤原あたりが気を遣って声をかけてくれるのだ。

 

「いいや、知らなきゃダメだよ。その場に僕もいたんだから」

 

 耳を傾けざるを得ないようなずるい言い方だ。

 

「言ってみて」

 

 仕方なく聞いているんだ。殊更に辛辣な口調で言い放つ。

 

「一夏は三股かけてるよ」

 

 しばらく時が止まったようだ。

 

「三股ッ!? 冗談なら止してよッ!?」

 

 唾がシャルルに飛ぶ。一瞬、喜んだような表情をしてせたので、見なかったことにする。

 

「理由を言いなよ。事と次第によっちゃ怒るよ」

 

 シャルルは目撃しただけなのだから、怒りを向けるのは不当な発言だ。しかし、親戚同士でもあるので多少の理不尽は許されると思った。

 シャルルがもったいぶるように姿勢をただした。

 

「篠ノ之箒と凰鈴音とキスをしたよ。フレンチだった」

「まさかっ」

「残念だけど、彼は本気で口説いてたよ」

 

 シャルロットはフランス人だ。フレンチ、といえば濃厚な、という意味である。シャルロットの心に荒んだ風が吹く。記憶のなかの一夏は手を触れるのも恥ずかしがるような少年だった。暗い部屋で一瞬だけ良い雰囲気になった。だが、彼は手を出してこなかった。

 礼儀正しいのではない。織斑一夏はあのとき、関係を進めてしまうことに躊躇した。

 織斑一夏の彼女であること。その立場が揺らげばスコール・ミューゼルがさらに失望してしまう。失望が続くたびに、シャルロットの居場所がなくなっていく。彼女は負けた。ラファール・リヴァイヴ・カスタムⅡは一番ではなくなった。

 

「ど、どうすればいいんだ」

 

 これまで恋愛経験がなかったシャルロットにとって、三股説は残酷な効果をもたらした。

 遊ばれているのではないか。一夏への思いに疑惑の楔がうがたれたのだ。

 

 

 

 

 

 

「変なことに使ってないよね」

 

 服を交換したシャルロットは、思わず声を上げてしまった。

 対して、シャルルは即座に否定する。

 

「そのあたりはわきまえてる。危険を冒してまで姉さんの代わりを務めたんだ。僕はたまらなく幸福と達成感で満ち足りているんだ。おお、主よ。試練に感謝します、ってね」

「よくわからないけど、エッチなことはしてないんだよね」

「うん。もちろん」

 

 シャルロットはもし変なことに使っていたら制服を破棄するつもりでいた。

 変な匂いがついていないか気にするが、シャルルの言い分は正しいようだ。

 シャルルは学園支給の携帯端末とは別に、シャルロットの個人端末そっくりな端末を隣に置いた。

 

「これは?」

「僕からのプレゼント」

「ふぅん。じゃあ、いらない」

 

 端末を振りかぶり、ゴミ箱へ向けた。

 

「違うよ!! 冗談だよ!! ミューゼルさんが姉さんに渡せって言ってたんだ。本当だから」

「……仕方ない」

 

 シャルロットが端末をポケットにしまうのを見とどけてから、シャルルはワックスをつけて無造作に髪を整えた。

 椅子に腰掛け、自分の携帯端末を取り出して目を落とした。一度だけ顔をあげて、

 

「そろそろ戻ってあげなよ。彼をひとりにしちゃいけない。彼は——」

「言われなくてもわかってる」

 

 シャルロットの答えに、シャルルは肩をすくめる。

 東京湾沿岸にミサイルが撃ち込まれ、日本国内の景気を直撃して混乱が加速していた時期に、ふたりは親元から引き離され施設に入った。シャルロットがデュノア家に迎え入れられたときには、ひとりで何もかもを背負いこもうとするようになっていた。シャルルには不満だった。もっと頼って欲しかった。

 

「じゃあね」

 

 無言で退室した従姉に向けて、小さく口にした。

 

 

 



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間話・黒い世界

この話は没になった湯煙温泉第一話を再利用したものです。
そのまま載せると時系列が狂うので、強引に冒頭と最後の部分を付け足し「港にて」と同時期の話としました。



 島に辿りついた時点で、剣道部の先輩方から様子を心配するメールが届いた。メールの内容は不可解で、はじめはいたずらだと思ったが、共に行動していた鷹月静寐の言葉で思いとどまった。静寐にも顔見知りの上級生から心配の連絡があったという。

 新聞部が臨海学校用に立ち上げた特設ウェブサイトには、すでに文化部による写真解析データが投稿されていた。

 文化部の面子は早々にトーナメントから脱落しており、暇だったのだ。

 リンクを辿ると写真班のアップロード先だった。箒は桜たちに神水を振る舞ったことを思い出す。

 ——一応、言っておくか……。

 なるほどラウラの精勤ぶりには目を見張るものがあった。欠かさずメモを取ったり、測定器を用いてデータを取得したりしていた。

 本人に知らせるのは気の毒に思って、今まで言わなかったのだ。

 

「ボーデヴィッヒはいるか」

 

 ラウラは持参していた小型端末に投影ディスプレイをつなぎ、空中に手を踊らせていた。あたかも聴衆がいるかのごとき振る舞い。楽曲を奏でているとさえ感じた。

 ラウラは手を止め、投影ディスプレイのスイッチに触れ、点灯していた画面が消えた。

 

「篠ノ之か。どうした」

 

 眼帯を取り去ったまま振り返った。机にカメラが安置されていて、周囲に折りたたまれたメガネ拭きとブロアーが転がっている。

 

「写真のことなんだが」

 

 言って、やはり躊躇した。待っていたと言わんばかりに金色の瞳が輝いたのだ。

 なんだかウズウズしているようにも見て取れる。

 

「……どうしてボーデヴィッヒが写真班なのだ。この前聞きそびれたんだ」

 

 箒は切り出す機会を求め、当たり障りのない話題を振った。

 

 

 

 

 

 

 生徒会が製本したという冊子は低白色のザラザラとした紙を使っており、いかにも手製という雰囲気である。表紙には旅のしおりと書かれていて、現地語(日本語)の役割分担表に自分の名前が記されていたので俄然(がぜん)やる気がわいた。

 

「旅で見聞したこと、感じたことをまとめて作文(レポート)にするんだ。あとで皆の前で発表するから。メモや写真を残しておくといいな。カメラがなければ携帯端末でもよいし、新聞部のデジカメを借りてもよい。もちろんこの機会に自分でそろえてもよいだろう。借りるならこの場で言ってくれ。(まゆずみ)に持っていかせるから」

 

 千冬が脚を組み直し、向かいの席に座る同僚に目配せする。副担任が袖机から取りだした申請用紙を差しだした。

 

「申し出は嬉しいのですが、せっかくなので自分でそろえるつもりです。大尉……ハルフォーフに頼めば、疎漏なく段取ってくれるでしょう」

「そうか? ならばボーデヴィッヒの気の済むようにやってくれ」

「はっ! ありがとうございます!」

 

 踵を打ち鳴らし、直立の姿勢から身体を傾ける。礼をするときは元気よく言い放ち、頭を下げる。

 その姿を見かけた教員はみんな彼女に注目した。

 しおりを小脇に抱え、ちょっと脚もと軽く退室する。姿が見えなくなると涼やかな風が吹いた。

 

 

 

 

 

 

 クラリッサ・ハルフォーフ大尉は期待通りの働きをした。彼女が属すシュヴァルツェ・ハーゼは軍隊の一組織なので計画の立案・遂行はお手の物である。

 彼女はドイツ連邦軍特殊部隊シュヴァルツェ・ハーゼの隊長代理だ。海軍の軍医中将を父に持ち、母は戦力基盤軍の将校でもある。

 最新技術を取り入れることに積極的な家風で、よくも悪くも柔軟な思想を持っている。身の回りによく気がつく女性で、浮き世離れしたところのあるラウラにとっては、欠くことのできない存在だった。

 

「操作方法はひととおり頭に入れたぞ。思ったより軽いな。私でも扱えそうだ。よい機種を選んだな」

 

 ラウラは試しにクラリッサをフレームに入れた。同行していたエリーゼ・ワイゲルト中尉のパフェを頬張る姿も撮影する。

 エリーゼはドイツ国内において最も知名度の高い特殊部隊凶鳥(フッケバイン)に属している。凶鳥(フッケバイン)隊は国家代表を擁すエリート部隊でもあった。

 カノーネン・ルフトシュピーゲルングおよび列車砲モンストルム輸送のため日本に派遣されていた。

 精確なIS操縦技術もさることながら、ラウラと共通の趣味を持つことこそ任務に命じられた最たる理由であろう。

 エリーゼがカバンから白い紙包みを取りだした。

 

「少佐。こちらをどうぞ」

「ワイゲルト中尉、それにクラリッサ。これは何だ?」

 

 ラウラは首を傾げ、訝しむような目つきになる。

 

「カメラとは別に、入手するよう依頼があったものです」

 

 しばらくのあいだ、合点がいかぬ顔つきだった。急に相づちを打って驚いた口調で言った。

 

「忘れていた! そうか! 水着だったな!」

「少佐のことです。ISスーツで泳げばいいと考えていたのでありませんか。われわれに頼んでくれたときは本当にうれしかったんです。……もしかして、見せる相手が見つかったとか……」

 

 クラリッサは色恋沙汰が絡むと余計な一言をつけ加えたがる。妙な妄想を膨らませる姿を無視して、エリーゼに詳細を聞く。

 

「して、選んだのはどっちだ?」

 

 エリーゼが隣を指さし、クラリッサが後の言葉を引き継いだ。

 

「聞けば、学園には指定の水着が存在しないというではありませんか。夏の風物詩を用意させました。ぜひ少佐に身に着けてほしいのです」

 

 二つ返事で受けとったラウラは紙袋を止めたテープを丁寧に剥がして、中を確かめる。

 

「日本の女子高生は斯様(かよう)に不思議な水着を着る。……というのがクラリッサの言い分だったな」

 

 だが、同級生は、自信満々にアイスコーヒーをすするクラリッサと袋とを交互に見やる。

 

「旧スクは宝物です。紺色のスクール水着に仮名で『らうら=ぼぉでびっひ』と拙い字で書かれている。素晴らしいコントラスト。日本人は侮れません。天才ですね」

「だそうだ。篠ノ之」

 

 ——私の常識を試しているのか……?

 篠ノ之箒はどこから指摘してよいのか困惑してしまう。行きの電車まで一緒だった、やたらと騒がしいポーランド人を引き留めるべきだったと悔しがるが後の祭りだった。

 クラリッサが日本語を解するとはいえ、認識を改めさせるのは至難の技に思えた。

 

 

 

 

 

 

 室内を流れるイージーリスニングを聞きながら、クラリッサが髪をかきあげた。隣席のエリーゼに目配せしたあと、急に思い詰めた顔つきになって切り出す。

 

「少佐、実は……受け渡し場所に川崎を選んだのには理由があるのです」

「どういうことだ。話してみろ」

 

 カメラを弄んでいたラウラが続きを促す。年上の副官が鞄からタブレット端末を取りだし、それをテーブルの中央に置いた。

 横合いから箒が両手で持ってみると、地図アプリが起動した。アプリは隣の駅である「川崎大師駅」の周辺を表示しており、神社仏閣の地図記号の傍に白い吹き出しが浮かんでいる。

 クラリッサは周辺地理の下見を終えていたらしく、手書きのイラスト入り地図を脇に置いた。

 顔を見合わせるラウラと箒。クラリッサは景気づけに扇子を取りだし、閉じたまま自分の前に置く。

 彼女は口上を用意していたらしく、緊張の汗をぬぐってから話し始める。

 

「全国津々浦々、日本国内には様々な祭りが存在します。なかでも奇祭を執り行うとして伝え聞き、ぜひ、ぜひとも行ってみたいのが……ここです」

 

 クラリッサが手を上げ、店員を呼び止めてアイスクリームを注文した。ラウラたちの前に運ばれてくる。箒がおずおずと口に入れると、絶品だった。

 

「ご同道願いたいのです。……というのも、少佐は知っていると思いますが……近々結婚することになっていまして……あ、その、例のフランケンシュタイン少佐とです……婚約してますから、まあ、その、子孫繁栄に関するあれやこれやを八百万のカミサマに祈りたい、わけなのです」

「同棲はしないのか」「なっ」

 

 箒があわてて口を押さえる。

 ラウラの口から「同棲」なる言葉が飛び出すとは思わなかった。結婚の前に同棲することが多々ある、と本やテレビで目にしていたことはある。性の話題には興味こそあれ、箒から口にすることは憚られた。

 だが、ラウラは箒とは違う。

 ラウラは特殊な環境で育ったせいか羞恥心という感情が欠けている。プライベートな空間では全裸が当然だと思っていたし、直裁な言葉で皆を絶句させてしまう。箒が一夏としたい、されたいことを事細かに語られたときには羞恥で頭が狂いそうになったほどだ。

 その手の知識に(こと)のほか詳しいのだ。しかも大人の男性から直接聞いたとおぼしき失敗談にも詳しい。経験豊富なお姉様方のアドバイスを貪欲に吸収しており、捕縛術に一家言持っている。流石、篠ノ之流捕縛術織斑派の免許皆伝というべきなのだろう。あるいは、その実たくさん経験しているのか。箒は信じたくなかった。

 アイスクリームを平らげたとき、話は決していた。

 

「それほど珍しい場所なら行こうではないか。もちろん、篠ノ之も行くだろう?」

 

 

 

 

 

 

「昼食の前に参拝を」

 

 箒の提案に皆が従った。日本人でかつ同級生が案内するとなればラウラたちにとって心強い。

 目的地は若宮八幡宮である。大鷦鷯尊(おおさざぎのみこと)(仁徳天皇)を祭神とし、境内社には金山神社、金森稲荷神社、大鷲神社が祀られている。

 路を一本間違えたのか、幼稚園の前を横切って左に回る。紅いのぼりに黒く染め抜かれた金山神社という文字が見える。箒は「金」と「奉納」の間に見えた絵を頭から焼き消して鳥居の前で一礼する。

 幼い頃に躾けられた仕草だ。

 鳥居をくぐって話し声が聞こえなくなったので、脚を止めて振りかえる。

 ラウラたちがひとしきり感心しているところに、箒が呼びかけた。

 

「どうした。入ってこないのか」

 

 真っ先にクラリッサが頭を下げた。エリーゼ、ラウラが後に続く。

 

「神域に入る前のちょっとした挨拶(あいさつ)なんだ。神様は(けが)れを(いや)がるんだ。そこの手水舎でちょっと清めるぞ。なに、私がやり方を実演してみせるから真似するといい」

 

 手水舎に案内されて、ラウラたちは慣れない動きながら柄杓を持って右手、左手と交互に浄める。柄杓を右手で持ち、左手で水を受けて口をすすいだ。最後に口をつけた左手を浄め、手巾(ハンカチ)でぬぐった。

 

「よし、行くぞ」

 

 と箒が言う。

 小さい神社だからすぐ終わるだろう。

 ご神体は黒光りしてなお臨戦態勢を保っている。箒は焦点を合わせないようにする。

 だが、クラリッサが新品のカメラを取りだし、おもむろにシャッターを切った。

 その後、皆で賽銭を投げいれ、神様に願い事を捧げる。

 婚約者がいるクラリッサだけ手を合わせる時間が長かった。

 

「目的は達したな。では、帰ろうか」

 

 去ろうとした箒だったが、手首を掴まれてしまう。ラウラは手首を捉えたまま、ある場所を指さして告げた。

 

「あそこに知った顔がいるぞ」

 

 

 黒塗りのモニュメントにさんさんと陽光が降りそそぐ。

 歪んで見える碧空がまぶしかった。根元付近に縄がかけられ今年の絵馬が結ばれている。

 いくつか読むと、七五三や子孫繁栄、子宝祈願とある。数人の少女が絵馬を手にとって、遠足のようにはしゃいでいた。

 遠くから眺めていたラウラは顔をしかめる箒を半ば強引に彼女たちの前に引っぱっていく。

 

(愛してる)

(愛してる)

 

 少女たちが芝居がかった口調で言い合った。真ん中で背が高く碧い瞳の女がゲラゲラ笑った。

 

(ほんとう?)

(ほんとうさ)

 

 近づくにつれ、男役がクラスメイトだとわかった。女役は三組の生徒だ。名前は確か……。

 

(僕のために服を脱いで)

(脱ぐなら海に行きましょう。泳ぎましょう)

(わかったよ。泳ごう。君と一緒に。だから産まれたままの君を僕に見せてよ)

(私はそんな女じゃないわ)

(じゃあ、ゲームに負けたほうが脱ぐことにしよう)

 

 それからすぐふたりはジャンケンをするべく大きく振りかぶった。いちばん露出が多い服装の碧い瞳の女がけしかける。

 

「よしきたっ。オレも一肌脱ぐゼっ!」

 

 推定Fカップの巨乳を下からすくい上げ、腰をくねらせる。一〇センチ以上あるピンヒールのためか若さと色気を兼ね備えた肉厚な尻肉が蠢く。

 うなじで束ねた金髪が揺れ、腰を揺らしながらシュシュに手をかけて引っ張り抜く。「わーっ、わーっ! 場所をわきまえてくださいよ、ダリルさんっ」と、聞き覚えのある声がした。

 だが、ダリルと呼ばれた少女に抱きすくめられて手で口を塞がれる。顎を上向けられ、黒目黒髪の割と端正な容貌に焦りの色が浮かんだ。

 

「冗談は……」

「冗談なもんか。オレはいつだって本気だぜ」

 

 彼女は手を振り払い、本気で走って逃げる。ラウラの後ろに回り込み、肩越しに指を差した。

 

「警察、警察を呼んでくださいっ! ここに痴女がいます!」

 

 クラスメイトに違いない。しきりに名前を思いだそうとするラウラだったが、箒のほうが先に口を開いた。

 

静寐(しずね)じゃないか。なんでこんなところにいるんだ?」

 

 箒に気づいて、ひとり距離を置いて佇む鷹月静寐がキョトンとする。

 

「……お互い様です。箒こそ……もしかして、織斑くん関係?」

 

 箒はすかさず首を振った。南から吹いてきた強い風に背を向ける。

 

「そうじゃないんだ。ボーデヴィッヒたちの引率だ。請われて、な」

「ふうん。私のほうは面白そうだったからついてきたんです」

 

 静寐が箒に近寄りながら首をしゃくる。

 

「途中までピウスツキと一緒だったが、静寐たちと合流するつもりだったか」

 

 少女たちの追いかけっこをナタリア・ピウスツキがはやし立てる。

 健康的な素肌の美女がふたり並べばカメラを向けられるのは必至だ。

 まして黒光りするアレの前では。

 

「静寐がいるということは他にもいるのか?」

 

 箒は普段の静寐の行動を振りかえる。しっかり者でちゃっかり者と、ラウラ越しにダリルから逃げ回っている少女から一目置かれている。一組のなかではまとめ役のひとりとして認識されていた。

 静寐が指を折った。

 

「私とナタリアにダリル・ケイシーさん。Kにそこで逃げ回ってるの、あとは……」

 

 静寐はラウラをじっと見つめ、視線に気づいたラウラがレンズを向ける。

 口元に笑みを浮かべ、おみくじの看板へ視線を誘導した。

 

「彼女もぜひ行きたいと口にしていたものですから」

 

 静寐が悪戯を思いついたかのような眼を向ける。

 気づいて、箒は彼女の名を呟いた。

 

「セシリア・オルコット」

 

 

 

 

 

 

 神社に行けばおみくじを引くことができた。

 訪れている神社は交通の便に優れていること、奇矯なご神体を祀っていることもあって参拝客に事欠かない。境内は真昼の日ざしに照らされ、地面が白く乾いている。しっかり熱されて陽炎が立ち上り、水をまいてもすぐ蒸発しまうのだ。桜の樹に蝉が止まってじっと動かない。蝉たちも暑さに参っているのか、なんだか声が弱々しい。

 セシリアはおみくじの前でしょげかえって動かない。おみくじを望む参拝客を応対した宮司見習いがずっと苦笑を浮かべていた。

 

「もう一回。もう一回ですわ」

 

 一〇〇円と引き替えにくじを引く。二回目だ。セシリアは主に祈る。指先が震えた。

 竹棒の先端に記された漢数字を読み、宮司見習いが紙片と交換する。それからセシリアが売り場から離れた。

 恐る恐る紙片を広げ、小さな文字をのぞき込む。

 がっくりと肩を落とした。見物していた鷹月が近づいて紙片を抜き取ると、箒らの目の前に掲げた。

 

「凶」

 

 箒が言うと、ダリルと彼女から逃げ回っていた少女が脚を止め、怪訝な表情つきになる。

 

「凶? 神道のおまじないか」

 

 ラウラがセシリアと目を合わせないようにしておみくじを手に取る。

 陽の光に背を向けて、書かれた仮名交じり言葉を読んだ。

 

「思ってもみなかった人と出会う。今まで意識してこなかった人物が好意を表に出す。好機を逃すべからず。旅先で水難。……で、合っているか」

 

 セシリアが輪のなかに入ったとき、皆目を細めながらクスクス笑った。最初に引いたおみくじを公開したからだ。二度も続けて凶を引くなんて、と珍しがった。

 セシリアはラウラの指から凶のおみくじを抜き取って、結び紐の前に向かい、しばらく逡巡してから二枚とも財布に入れた。

 

「オルコット」

「あら箒さん。ごきげんよう」

 

 セシリアが財布をしまって軽く頭を下げる。

 頭をあげると、茶化そうと感性をあげていたダリルと心なしか後ずさったラウラを交互に見やった。

 クラリッサがたじろぐラウラの姿を残そうとシャッターを切った。

 

 

 

 

 

 

 鳥居をくぐって神域を抜けた。ダリルが箒に話しかけ、ラウラを指さした。

 

「篠ノ之。そう、お前さんだよ。なあ、最近の女子は眼帯が流行っているのかい?」

「質問しながら胸を揉まないでください。ケイシー先輩」

 

 ほとんど初めて話すにもかかわらず、十年来の親友のような口ぶりのダリルに、箒は距離感を掴みかねていた。

 ダリル・ケイシーはIS学園三年次のなかで唯一ISを保有する生徒だ。アメリカ合衆国の代表候補生にしてタスク・アメリカーナ社の看板を背負っている。搭乗ISはヘル・ハウンドVer.2.5。最近では後発のGHI(ゼネラル・ヘビー・インダストリー)社から技術供与を受け、Ver.3系へのロードマップを発表したばかりだ。

 

「つうかさあ、反則だぜ。お前さん、本当に日本人か? 入学してからもうワンランク上がってるじゃねえか!! 日本人はもっと慎ましやかにしているもんだって思ってたんだが、なあ、あんたもそう思うだろ?」

 

 ダリルが仏頂面だったラウラの肩を抱いた。「あっ少佐」と、クラリッサがびっくりしたが、ラウラは丁重にアメリカ人の手を払いのけた。

 そして視界が開けていることに気づいて、とっさに左目に手で隠す。

 眼帯はダリルの掌にあった。

 

「初対面の挨拶。気に入ったかい?」

 

 ガハハ、と大口を開けて笑う。眼帯を返してから指を鳴らすと、掌からガラス玉が出てきた。次に、うまそーなあめ玉だーっ、と言ってダリルがガラス玉を頬張る。飲み込んで喉を詰まらせたような手振りでみんなを心配させ、次の瞬間にはケロリとしていた。

 

「どうだい、お嬢さん方。気に入ったなら鞄の中にお代を入れとくれ」

 

 静寐が真っ先に小銭を入れる。釣られて箒も小銭を入れた。

 

「素直な子は好きだ」

「……先輩!?」

「先輩なんて水くせえ。名前で呼びな。何なら様でもいいぜ」

 

 箒は突然のハグに硬直した。ラウラに助けを求めるが、眼帯を直すのにかまけて気づいていない。

 

「……当たってますが」

「張り合いたくなってわざと当てたのさ。オレの自慢の逸品。気持ちいいだろ。もっと気持ちよくしてやってもいいんだぜ?」

 

 そのとき、鷹月が肩をたたいた。駅に辿りついたと知らされ、ダリルが身体を離す。

 箒が赤面して咳払いをした。

 

「冗談はほどほどにしてくれ? おい、ピウスツキ、この人、いつもこんななのか」

「そん通り。滅多にお目にかかれんけん別嬪や。ばってん中身は親父っちゃ」

 

 箒は尻をなで回された。

 

「ひゃあっ」

「ヒヒヒッ。良い声で鳴くねえ。篠ノ之。オレの女になれよ。……おっと」

 

 ダリルは冷たい視線を向ける下級生を抱きすくめる。必死に抵抗する姿を目にして、何度も「冗談。冗談。浮気したりしねーよ」とつぶやいた。

 

 

 

 

 

 

「これがそのときの写真だ」

 

 回想を終えたラウラはダリルや箒たちを写したデータを見せた。

 特に問題はなかった。せいぜい仲間内で撮ったスナップ写真という評価だ。

 パトリシア・テイラーら文化部の面々が問題とするほどの写真ではない。

 ——楽しそうだな。

 眼帯をつけるのを忘れて嬉々とする姿に心が傷んだ。心霊写真のことを話すの止そう。自分がすっとぼけておけば問題ない。実際、害のある念は写っていないのだから。

 

「時間を取らせたな。宿舎に行ったらもう一度見せてくれ」

「ああ、もちろんだ。とっておきのやつがある」

 

 箒は笑って背を向けた。

 ひとりになったラウラはカメラの筐体を手に取り、去りつつある箒の後ろ姿を捉えた。

 そこに写っていたのは——。

 

 

 



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醜の御楯
醜の御楯(一) 揚陸艦


お気に入り登録してくださった皆様、ものすごく間が空いてしまいましたが、更新を再開致します。
なお、章題の読み仮名は『しこのみたて』となります。
よろしくお願いいたします。


 

 朝、バスで港へと案内された桜は、不格好な船が接舷していることを不思議に思った。

 桜は何度もつま先立ちになって、前方の様子をうかがった。

 

「何か見えたー?」

「進んどるような、進んどらんような」

 

 問いかけた朱音を見て首を振る。八時を回り、陽射しが強くなってきている。どういうわけか、ショッキングピンクの自動二輪車が優先搬入となった。タラップを悠々と登っていた女性の後ろ姿が船上へと消える。

 列が動き始め、手荷物を抱え上げるときのかけ声がそこかしこから聞こえ出した。

 船へと近づいていく。カーフェリーだと思いきや艦種に気づいてしまった。

 ――――輸送艦……ちゃう、揚陸艦。

  艦首部に角のようなアームが生えていたからだ。かつてアメリカ海軍が運用していた、ニューポート級戦車揚陸艦の特徴そのものだった。

 タラップの脇に『International(国際) IS Committee(委員会)』の記載があり、その下にIMO番号(国際海事機関船舶識別番号)が続く。

 下田港と伊豆諸島を結ぶフェリーであっても、生徒や引率の教員程度の人数ならば十分に輸送可能なはずである。退役した老朽艦を引っ張り出してきたのは、つまりは、人間以外の貨物を運ぶためなのだろう。

 桜は誰にも見られないように、俯きがちに顔をしかめる。

 くすぶっていた濃い闇が心の中を覆っていく。記憶の蓋を開ければ、今でもはっきりと船員の強張った顔が(よみがえ)る。導かれるまま足を動かすうちに、身体は船上にあった。

「わー」

「揺れてる。揺れてるっ」

 

 生徒がきゃっきゃっと歓声を上げる。白いペンキを塗りたくったような鉄扉の奥へと進む。赤い絨毯の先には畳部屋があった。

 

「ささ。入って入って。そこー、入口で固まらないでー」

 

 副担任の弓削がよく通る大きな声を出した。朱音の後について部屋に入ろうとし、立ち止まってしまった。明らかに生徒でない人物が寝転がっていたからだ。

 寝息を立てる女性を避けて通り、壁際に荷物を置いてから弓削に確かめた。

 

「弓削先生。あの人……」

「佐倉さん。気になっても起こしちゃダメ、近づいても触ってもダメだって織斑先生が言ってた」

 

 ほら、と指さす。

 

『仮眠中。起こすな。起こしたら私の時給一時間分を請求しちゃんだからねっ♪』

 

 丁寧にQRコードが添えてあった。ナタリアが面白がって携帯端末をかざす。出てきたウェブページを開いてみせた。

 

「どんなん?」

 

 集まった皆と同じく、桜も興味本位で画面をのぞいてみた。タイトルは世界長者番付まとめサイト。高給取りだろうから医師のアルバイトくらいの金額かと思いきや……。

 

「USドル……。ほんまに円やないん……?」

 

 単位はアメリカドル。総資産額と一年間で増やした資産を月給・日給・時給・分給へと変換した値が記されている。金額を目にして怖くなり、そそくさと荷物の元へと戻る。思うところがあって、振り返る。女性はアイマスクと耳栓をしていて、手の甲にはキャラクターものの絆創膏を貼っていた。

 出航を知らせる艦内放送。行き先の島までは約二時間半の予定である。

 旅のしおりには自由時間とあった。友人とのおしゃべりに興じてもよいし、室外へ出て潮風にあたるのも良い。寝てても良いし、読書に興じても良い。船内はWi-Fi完備だ。

 とはいえ、三組の生徒の大半が室外へと移動していた。部屋のど真ん中で信管付きの爆弾が寝転がっている。

 桜は四組の部屋を訪ねた。簪の様子を確かめたくなったのだ。もちろん、昨日の騒動のことはしっかり覚えており、昨日の感触も忘れていない。

 四組に宛がわれた部屋へ顔を出す。簪のクラスメイトは、桜の顔を見るや求める答えを与えてくれた。

 

「更識さんなら先生たちと一緒に反省文書いてるよー」

「……おおきにー」

 

 簪の自業自得である。

 次に一組の部屋へ向かう。本音の姿を探したが、見当たらなくて、しかたなく畳部屋へ戻った。除湿が聞いていて心地よい。その証拠に残っていた生徒が寝転がっている。

 手荷物の側に腰を降ろし、横になる。船の揺れを感じるうちに、桜も微睡みへと落ちていった。

 

 

▽▲▽

 

 

 少しばかり早く神津島港へ入港した。揚陸艦から下船した少女たちは、潮の香りを感じつつ、集会所脇の仮設テントの前で立ち止まった。

 机に整然と並べられた背嚢(リュックサック)

 赤・青・黄・緑の四色で分けられていた。表面が茶色の長机は色ごとでまとめられ、真っ正面にはA4の用紙で大きく1~4までの張り紙がしてあった。

 

「あっついよー」

 

 立ち止まっていた桜の脇を、一組の相川が駆け抜け、仮設テントの真ん中で膝をつく。ちょうどスポットクーラーの通風口の真ん前で、上衣代わりの体操服を鳩尾の高さまでめくり上げた。

 その様子を見つけた岸原がすかさず、相川の隣を陣取る。服こそめくりあげなかったが、肩を寄せ合う形でお互い好ポジションを譲らなかった。

 桜は日陰へと移動してから振り返って空を見た。

 雲量二。天気は晴れ。

 立っているだけで汗がにじんだ。

 

「佐倉さん。佐倉さん」

「先生?」

 

 仮設テントの端で、弓削がパイプ椅子に腰掛けながら右手で手招きしてみせる。

 桜が寄ると、左手で隣の椅子を引いた。濃い赤色のクッションを叩きながら、もう一度手招きしてみせた。

 

「ええの?」

「立ったままじゃ疲れるでしょ。体力温存、温存」

「先生……おおきに」

 

 ギシリ、と椅子がきしむ。

 弓削の前に五〇〇ミリリットル入りのペットボトルが数本並んでいた。足下には赤いクーラーボックス。二四本入りの段ボール箱が積み上げられている。

 桜は座ったまま波打ち際をぼんやりと眺めた。

 突き立つ杭に白色の看板がついていて、矢印と共に『コース』なる文字が描かれている。隣接する駐車場には大量のロードバイク(競技用自転車)が駐輪してあり、めざとく見つけた相川たちが駆けだした。

 桜は肌に風を当てるべく制服の胸元を前後させている。視線を集会所へと移す。

 

「中には入れないんですか」

「荷物の搬入中。早く着いたけど受け入れ側の用意が間に合ってなかったんだって」

 

 桜は左腕を返した。

 

「……それでも予定通り、と」

「そういうこと。暑いよね――」

「先生……あれは?」

 

 ロードバイクを指差す。大きな麦わら帽子を被った真耶がクリップボードを持ったまま作業員たちに指示を送っていた。接近してきた相川たちを呼び止め、何事か注意している。

 

「あー。今は気にしなくていーよー。後でわかるからー」

「教えてぇ、せんせー」

 

 桜は猫撫で声を出してみた。

 だが、弓削は顔の近くで手を仰ぐだけだった。

 

「ちぇーっ、やまやに怒られちゃった」

 

 戻ってきた相川が口を尖らせる。桜の隣の折りたたみ椅子に腰掛け、両足を前に投げ出した。スカートがめくれたまま汗で張り付き、健康的な肢体が露わになった。それどころか、フリルの裾を持ち上げて上下に揺らしさえした。

 

「あっちー、キンキンに冷えるクーラー欲しい」

神津島(ここ)は、一応は南方諸島に属しとるわ」

「うへー南ってだけであっちっちー。ダメだ。呂律が回ってないよー。弓削せんせー、熱中症みたいでーす。休んできていーですかぁー?」

 

 相川が手を挙げ、冗談めかして告げた。その割に滑舌がしっかりしており、めまいや立ちくらみといった様子もない。大量の発汗もないのであからさまな嘘だとわかった。

 桜が苦笑を浮かべる。下船したばかりの女生徒が近寄ってきた。その女生徒は白いワンピースを身に着け、麦わら帽子の下に美しい金髪を隠している。白南風(しらはえ)に飛ばされまいと帽子の端を強くつまんでいる。

 

「虚偽の報告はお止しなさい。あなたが本当に気分が悪くなったとき、あなた自身が困りますわ」

 

 声でわかった。セシリア・オルコットだ。

 

「いつ見てもセシリアは可愛いなあ」と相川。

 

 セシリアは相川を無視して帽子の庇を上向けた。

 

「弓削先生。織斑先生と連城先生が呼んでいましたわ。中に入る準備が整ったそうです」

「クーラー!」

「ほんまっ!!」

 

 相川が飛び出し、一拍遅れて桜も続いた。

 

 

 




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醜の御楯(二) 真の臨海学校

 

 

『……テステス、マイクのテスト中。

 本日はお日柄も良く……赤巻紙青巻紙黄巻紙……』

 

 集会所のなかは空調が効いていて、少女特有の甘ったるさの入り混じった空気が、そこかしこに漂っていた。

 つかの間の心地よさに身を委ねながら、壇上へ視線を移す。

 マイクロフォンの調子を確かめる、アルバイトの大学生と思しき女性を見ながら、桜はスンと鼻を鳴らす。

 今日からが本番、ということだろうか。

 左手首にはめた時計のバンドを弄びながら、級友とのおしゃべりに興じている朱音の横顔を見やった。

 

寿限無寿限無五劫のすりきれ海砂利水行末……

 

 朱音やマリア・サイトーが手を振ってきた。笑みを浮かべて返事とばかりに手を振ってみせる。

 再び壇上へと顔を向けた。

 

「……さん? なにやってるんですか!?」

 

 ざわめきのなか、山田真耶が色を失っていた。アルバイトの大学生に向かって、教師らしく注意を発している。常日頃笑顔を振りまく真耶にしては珍しい光景だった。

 桜は隣にいたナタリア・ピウスツキを小突く。

 

「どげんしたと?」ナタリアはきょとんとしていた。

「あれ」

 

 真耶が血相を変えて大学生を来賓席へと押し込んでいる。

 

「珍しか。山田先生が説教か」

「せや。珍しいもん見れた」

 

 真耶の厳しい顔つきを見たのはもちろん初めてではない。入試のとき、垣間見た表情を思いだす。

 

 ――巧みな操縦やった。

 

 初めてISに乗ってから数ヶ月。ただ、ただ、必死だった入試の光景が遠い昔のように思えた。

 不意の高周波音が耳をつんざく。片目を瞑って顔をしかめる。後ろから音がしたので、スピーカーの位置を確かめようと振り返った。

 

 ――今のデュノアさん?

 

 ひどく慌てた様子。炎天下を全力疾走してきたのだろう。汗で制服が濡れ、下着が透けている。肩で息をしながら前腕で額をぬぐった。

 

 ――パステルブルー……。

 

 シャルロット・デュノアは間違いなく女子だった。

 

「諸君!」

 

 ハウリングが収まった一瞬の間隙を突いて、織斑千冬の凜とした声が響き渡る。

 

「全員整列!」

 

 桜はあわてて前を向いた。

 

「これより臨海学校開会のあいさつを行う!」

 

 ちょうど右側に来賓、左側に教職員がならんで着席している。進行である織斑千冬の声がよく通った。

 千冬は来賓客の肩書きと名前を読み上げていく。

 まず神津島村長、東京都副知事など役人が数名。次にIS関連企業の社員。倉持技研、四菱重工、菱井インダストリー、タスク、リバーウエスト等々。

 千冬が次に読み上げる企業へと視線を移し、自然に息を継いだ。

 

「SNNのCEO兼開発主任篠ノ之束博士。海上自衛隊開発隊群の千代場(ちよば)(たけし)博士。また、本日は特別に、IS日本代表酒井(さかい)(かなめ)さんにもご参加いただいている」

 

 壇上の大人たちが腰を上げ、一礼していく。先ほどマイクテストしていた大学生もまた、一礼した。軽く編み込んだショートの髪が揺れた。

 

 ――日本代表?

 

 会場内がにわかにざわついた。

 圧倒的なカリスマだった織斑千冬(初代)。対する酒井要(二代目)の影の薄さ。第二回モンド・グロッソ大会時点で、近接部門の国内ランキング四位という微妙な立ち位置加減である。

 織斑千冬の現役引退を受け、二名が候補に挙がった。

 一名は海上自衛隊初の准将就任のため、千冬の後を追うように引退が確定している。

 もう一名は父親の急死により家業を継がねばならず、複雑怪奇かつ一般人には理解不能な事情によりロシア代表におさまっている。

 酒井は現ロシア代表が日本の代表候補生だった頃に、タッグマッチの相方を務めていたぐらいで、格段目立った戦績を上げていたわけではなかった。

 適任者不在の繰り上げ就任。あわやお家騒動という事態を国防関係の推挙が抑えた。ミサイルショックの際、迎撃のため緊急発進(スクランブル)し、殉職した数多の搭乗員名簿のなかに酒井の父親が含まれていたのである。

 

 ――航空自衛隊にいた、酒井(さかい)佐武朗(さぶろう)という人の娘さん。

 

 説明されなければ、普通の学生にしか見えない。織斑千冬が時折放つ、抜き身の刀のような鋭さをまるで感じられなかったのだ。

 

「自治体や近隣住民のご厚意により、先年に引き続き、()()()会場を使わせていただけることになった」

 

 千冬が行事予定を説明し始める。謝辞が続き、皆の集中力が途絶え始めた頃、本題に入ったのか、壇上の声に熱がこもる。

 

「諸君!」

 

 千冬は言葉を切る。生徒たちの表情に緊張感が生じ、全体に伝染していく。

 

「身体作りはできているな? できていないとは言わせない!

 やるべきことはやってきたはずだ!

 ……君たちの心に問おう。真の臨海学校とは何か」

 

 桜は海鮮丼や活け作り、天ぷらを思い浮かべた。千冬の表情から正解ではないと察した。

 

「様々な思いを抱いただろう。しかし、私の答えはこうだ!

 アクアスロンだ! スイム! ラン! バイク!

 透き通るようなエメラルドグリーンの海原。緑豊かな林野。この会場は、君たちの貸し切りだ」

 

 一呼吸を置いた。懐から取り出した紙を一瞥する。

 

「今から読み上げる者は、この後すぐに、IS用装備の実証実験に携わってもらわねばならない。……つまり、アクアスロンはお預けということだ。

 臨海学校の醍醐味はエメラルドグリーンの海原を駆け抜けることにあり、申し訳なく思う。

 それでは読み上げよう。

 一組、織斑一夏。セシリア・オルコット。シャルロット・デュノア。二組、凰鈴音。三組、なし。四組、同じく、なし。

 以上だ」

 

 桜の名前は読み上げられなかった。案の定、最終調整が遅延しているのだろう。右手で左手首を握った。

 

「詳しい説明は各担任から説明がある。

 読み上げられなかった専任搭乗者は余力を残しておけ。ゴールしたあとに各機の試験が待っている」

 

 織斑千冬が終会を告げ、集会所の中は弛緩した雰囲気が戻った。もちろん、あえて炎天下に戻ろうと考える者はいなかった。

 桜は周囲を見回し、大人の姿を探し求めた。壁際にそれらしき後ろ姿を認め、駆け寄る。

 

「曽根さん!」

 

 倉持技研の女性技師だ。四菱重工からの出向組である彼女は、パンツスーツに白いポロシャツという出で立ちで、二枚の身分証を束ねたストラップを首に掛けていた。

 

「佐倉さん。何日ぶり?」

 

 メガフロートで一緒になったばかりである。彼女は唐突に顔の前で手を合わせるや、頭を下げた。

 

「ごめんなさいっ! 調整、上陸しても終わってなくって」

「顔を上げてください。新装備の調整に手間取るのは、重々理解しているつもりです」

 

 曽根は再び顔を上げ、一言断ってから座席に置いてあった肩掛けカバンをたぐり寄せる。中から取り出した冊子を手渡した。

 

「これは……」

 

 B5版が二冊だ。

 

「直前になったけれど、新装備の手順書。少し薄いのが離発着手順。重くなりすぎて、訓練機の出力じゃ垂直離着陸できなくなっちゃって」

 

 人型の原型を留めぬ巨体から予想がついていたことだ。

 空母の飛行甲板(メガフロート)からの離陸。手順書は急ごしらえの感があった。

 実のところ、ISコアを有人航空機へ搭載した事例はアメリカ合衆国空軍のB-52iS以外になく、日本国内ではシミュレーションするしか手がなかった。

 

「……あの、もしかして、こういった実験機は初めての事例ということにはなりませんか?」

 

 嫌な予感がする。ジンクスは繰り返すからだ。

 

「B社を除けば、初めてです。海自のアレは滑走させられませんから」

 

 むしろ滑走させるほうだ。

 

「……えぇ……せやったら」

 

 ――あらゆる事態を想定せなあかん。

 

 そう、離陸に失敗して海にドボンッ! などという事態もあり得るのだ。離陸した瞬間にエンジンから黒煙を吹いたり、加速中に金属疲労が元で脚輪が折れ曲がって出撃できなかったことすらある。

 配置替えで前線勤務から航空機輸送任務に就いた際、狙ったかのように初期不良機ばかりを回されたのだ。

 呪われているに違いない。後任だった同期のS――予科練戦闘機課程の同期で唯一銃後を生きた――へ任務を引き継ぐ際、霊験を全く示さなかったお守りや札を処分するよう、不具合箇所や事例のメモを添えて渡した光景を思い出す。

 

「あまり時間が取れないと思いますが、よく、読んでおいてください」

 

 と言って、曽根が辞した。

 曽根や彼女を待っていた技術者たちを見送る。出入り口の傍で本音の後ろ姿を捉えた。

 

「――ほ……ん」

 

 言いかけ、口をつぐむ。布仏本音は友人に呼ばれて人垣のなかへと消えていった。

 背中を叩かれて振り返る。ナタリア・ピウスツキが親指を壁へ向け、注意を促す。弓削が三組の生徒を集めるところだった。

 

「弓削せんせー。佐倉さん来たよー」

 

 弓削と連城が長机の両脇に立ち、ふたりとも黄色いリュックサックを抱えている。

 

「この後の説明をしまーす。皆さん連城先生の言葉をよく聞いてくださいねー」

 

 連城が咳払いをしてみせる。

 

「今日のアクアスロンは、設備の都合でスイム・ラン組、または、スイム・バイク組に分かれます。運動能力検査の結果に基づいてこちらで割り振りました。初日ですからスイム1km、ランもしくはバイクは5kmとなります」

 

 ええええ!! と、周囲から悲鳴じみた叫びが漏れた。

 

「さっきの織斑先生。現実だったのですか」とマリア・サイトー。

 

 マリアの端正な顔立ちが引きつっている。

 

「はい。織斑先生が嘘を言うわけないでしょう。

 大事な話を伏せていたことはお詫びいたします。

 というのも、その昔、アクアスロンの情報を知った女生徒のなかに、島から脱走を試みたOGがいたのです……」

 

 連城が思わせぶりに目を細め、一組がいるであろう場所へと流し目を送った。

 

 ――え?

 

 桜もつられて視線を追ってしまう。途中にいた弓削があわてて首を振る。

 

「では、あいうえお順に取りに来てください」

 

 桜も列に並ぶ。自分の番になって黄色いリュックサックを受け取る。20L程度の容量だ。桜は結わえられた紙片を広げた。ラン、と書かれている。

 時計を見てから、リュックサックを手渡した弓削を見つめた。

 

「弓削先生。そろそろ食事の時間やと」

「……佐倉さん。わかってると思うけど、この後、思いっきり泳いで走るの。わかってると思うけど、食事のあとに走るのよ」

 

 桜にとって臨海学校の最大の楽しみは海の幸にありつくことだった。

 

「せやったら、軽くに留める、ってこと……?

 夜まで、お・あ・ず・け……やん……やん……」

 

 桜の顔が瞬く間に青ざめていった。

 

 

 




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醜の御楯(三) お天気こーなー

感想の返信が滞っていますが、休み時間とかに都度返信していきます。


 黄色い背嚢を背負って外に出る。頬を打つ風は温く、心地よさとは無縁だ。

 桜は道の脇に立ち、背嚢から地図を取り出す。

 昼食を摂る予定の店は宿舎であるホテルの中にある。

 徒歩一〇分ほどの距離にあり、一本道の先の高台にあった。枝葉がガードレールを包み込むように生い茂り、その下を通る水路から陽射しが細やかに跳ね返っている。

 視線できらめきを追いかけていく。そして、地図を読み返し、遠くを見やる。雑談を交わす生徒たちの背中の向こうに海岸の広がりがあった。

 

「あっ」

 

 陽射しのなかに空色の影が舞った。震える空を凝視すると、なめらかな流線型の機影が五条の軌跡を描きながら突き進んでくる。

 航空自衛隊のF-35A(ライトニングⅡ)が緊密した横列五機編隊で迫り、頭上を通過した。機影を追って再び海岸へと視線を巡らせる。

 遠く、(そら)の中、モノリスと思しき飛行体からF-15J(イーグル)が離陸していく。

 海へと目を落としたとき、桜の瞳に岩場らしきものが映った。

 左手首を返す。かろうじて行って帰ってくるだけの時間ならある。好奇心が抑えきれず、桜は道を引き返していった。

 途中、木陰に座ったラウラが角張った大きなカバンをまさぐっている。声を掛けようとしたが、横でしきりに話しかけている少女が櫛灘(あくま)だとわかって、見ない振りをして足早に通り過ぎた。

 それからすぐに海岸と集会所への分岐路にたどり着く。一度足を止め、地図へと目を落とす。紙の縁が汗でしわになっていた。

 

「…………サクサク?」

 

 背後の声に驚いて、あわてて地図をたたむ。キョロキョロと左右を見回し、背を丸め、ゆっくりと後ろを振り返った。

 

「…………本音?」

 

 ほっと胸をなで下ろす。誰何した人物が教師たちであったなら……と冷や汗をかいた。

 深く息を吸いこみ、桜は言葉を継ぐ。

 

「本音はどっちになったん? ラン? バイク?」

「足で走るほうだよ~~」

 

 本音は視線を保持したまま堤防の影に入る。制服を袖を追って手首を露わにした。やはり蒸れて暑いのだろう。

 桜も影のなかに移動し、地図を背嚢にしまった。

 顔を上げて本音に思いつきを告げた。

 

「せやったら、一緒に走らん?」

 

 本音が何度も目を瞬かせた。困ったように頬をかいている。

 桜は一歩踏み出し、顔を近づけてささやく。

 

「あかんの?」

「……いい」

 

 本音は少しうつむき加減になってから答えた。

 ――やった!

 桜はうれしさのあまり、本音の露わになった手を握りしめる。本音の汗ばんだ頬が幾ばくか赤らんでいて、照れているように思えた。

 

「……でも、サクサク。中学のときは陸上やってたんだよね」

「せや。これでも一応、県大会までは行っとる」

「だったらペース合わないかも……」

 

 本音の言葉を謙遜として捉えた。彼女と一緒に寝起きするようになってから感じていたことだが、布仏本音という少女は、実は運動能力がとても高い。IS学園に入学し、学年別トーナメントでは俊敏かつ、よく訓練された動きを披露したのだ。

 

「先生が余力を持っておけ、と言っとった。初めてのコースや。無理なペースでは走れん。それに……」

 

 桜は嬉しげに口の端をつりあげた。唇の隙間から白い歯がのぞく。

 

「本音と一緒がええ。私の一番やわ」

 

 本音はゆっくり、それでいて控えめにうなずいた。

 

「……サクサク。その……」

 

 本音が消え入りそうな声を漏らす。彼女の視線は桜の肩越しへと向けられている。気になって目で追うと、数人の姿があった。

 更識簪。ナタリア・ピウスツキ。マリア・サイトー。ラウラ・ボーデヴィッヒら。

 簪は目の端を細かく痙攣させ、湧き起こる感情を必死に抑え込んでいる。ナタリアとマリアはニヤニヤとした笑みを浮かべていた。

 ラウラだけが無表情のまま、胸の高さに手を上げた。携帯端末をにぎりしめていて、側面にあるボタンを押す。

 

『ザザッ――――……本音と一緒がええ……――――ザザッ』

 

 もう一度ボタンを押す。同じ言葉が流れた。

 

「うわわわっ!!?」と本音。

「何で録ってるんっ!!!」

 

 ラウラはポケットがたくさんついた、黒い薄手のジャケットを身に着けている。胸ポケットに携帯端末を差しこみ、リアカメラを稼働させたまま1ミリも表情を変えることなく近づいてきた。

 

「記録係だから撮影するのは当たり前だ」

「ほとんど隠し撮りやん……」

「日本の四字熟語にこういうことばがある。常在戦場、いつも戦場にいる気持ちで事にあたることこそ大切である、と」

 

 携帯端末を弄りながら、ラウラは何でもないような口ぶりで告げる。先ほど撮った映像を臨海学校特設ネットワークにアップロードする。落ちついた仕草で撮影アプリを閉じ、携帯端末をポケットに差し込んだ。

 

「……さ、こっちに……」

 

 桜が目を伏せたすきに、簪が本音の手を引いて身体を離させていた。

 

「ほらほら、メシば食べに行こー」

 

 ナタリアが大声をあげる。桜は時計に目を落とし、岩場まで行く時間が少ないことに気づいた。しばらく堤防を見つめ、再び急かされて昼食に向かうことにした。

 

 

 

 

 

 

 配膳を見て、桜はぽかんと口を開けた。胸に手を置き、深く息を吸う。

 天井側の棚に古びたブラウン管テレビが乗っていた。テレビの隣にこれまた古いトランジスタラジオが掛かっている。どこかで聞いたような懐メロが流れていた。

 

「えっ……こんなん?」

 

 再び視線を下げても現実に変化はない。皿に盛られた大豆食品や乳製品のほかに、魚介類はないかと探しても見当たらなかった。

 早めの昼ご飯であり、スタートまでにゆっくりと血糖値を上げればよい。

 しかし、人生における大きな楽しみを奪われたような気持ちになる。同時に、先ほど、本音と交わした約束を思い出す。次姉の奈津子が口酸っぱく注意する姿が目に浮かんだ。

 理性と食欲を天秤にかける。

 目を瞑っていると、思考を遮るかのように、舌っ足らずな英語が流れてきた。

 

『ジェシイ・ジョーンズのお天気こーなー!!

 今日はワイキキスタジオからの中継でお送りしますっ!

 みなさーん、朝から暑いですね! 窓の外を見てください。ハワイらしい抜けるような青空が広がってます!

 手許の温度計は、なななんと華氏七九度(摂氏約二六度)でーす!』

 

 小笠原諸島の天気情報ではなく、ハワイやその周辺地域の天気予報だった。

 予報の合間にスポンサーの宣伝や番組予告が流れる。パーソナリティは予報よりも宣伝を口にする時間のほうが長かった。

 

『では、ちょっとここで宣伝! え? 宣伝ばっかだって? 今日はいつもより少なめですよー!

 さァて、ディレクターの目がつり上がったところで、続きいきましょー!

 私ことジェシイ・ジョーンズ主演の映画【ザ・バトルシップ(The Battleship)】が八月一日に公開しまーす!

 アクションたっぷりのサイエンス・フィクション(SF)、登場するISはすべて本物!

 もう、みんな前情報で知ってると思うけど、私のアクションシーンは、なんと! ぜぜぜーんぶ! ()()()()()()()()()()()が演じってまーす!

 ライバル役はミス・ハリウッドこと破壊者(デバステーター)リリア・フレイル……』

 

 不意の刺激で天秤が安定する。理性側に傾いたところで携帯端末の振動だと気づく。片手で操作して内容を確かめ、差出人のドメイン名末尾には「ghi.co.us」と記されていた。

 

『新しいトレーラー(予告編)のURLは――――』

 

 パーソナリティが短縮URLを口にする。

 ――え?

 スクロールさせていた指が止まる。二つの目をパチリと瞬かせ、パーソナリティが口にした文字列とメールに記されたURLを照合する。上から下から確かめても結果は一緒だ。

 

『みんなー! アクセスしてねー!!』

 

 メールには続きがあった。

 写真が添付されていて、姉妹と思しき、よく似たふたりの女性が写っている。ビキニアーマーによってより強調された、腰のくびれ。巨乳で金髪。

 うっかりリンクを押してしまいそうだ。

 

「……………………えっちなやつだー」

「佐倉さんがえっちな写真みてるー」

「……ちゃ、ちゃうッ……」

 

 クラスメイトの声にぎょっとした。携帯端末を置いてあわてて手を振ると、隣の席にいた一条朱音が前のめりになってのぞきこんできた。爽やかなシトラスの香り。前髪の奥の瞳は、半ば細まっている。

 

「ナターシャ・ファイルスだねー」と朱音。「年下のほうはジェシイ・ジョーンズだねー。女優さんはスタイルいいなー」

 

 あまりにタイミングが良すぎる。なりふり構わずラジオの番宣を狙ったとしか思えなかった。

 カメラ班の生徒たちが桜の後ろを通り過ぎていく。やはりというか、ラウラの装備が一際目立っている。黒いジャケットにはウェアラブルカメラが増設され、照明が差し込むたびにレンズが煌めいた。

 

「食べよっかー。えっちな写真はしまってねー」

「せやからぁ誤解――」

 

 朱音が自席に座り直した。

 前を向き、合掌。同じテーブルについていた生徒も仕草をまねる。

 

「いただきまーす!」

 

 桜は汁椀をすすり、出汁の利き具合に舌鼓を打った。

 

 

 




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醜の御楯(四) リスト

 渇きを覚え、冷水で唇を濡らす。机に置いたコップの底は、水面が揺れるたびに机の木目を照らした。

 桜は外へ出る前に、冊子の内容に目を通しておくつもりだった。

 冊子の隣に置いた携帯端末は一枚の写真を映していた。曽根が追加で送ってきた資料の一部だ。ISを着装したとき、視野に広がるであろう映像を切り取っていて、四角い枠のなかに文字が綴られている。

 いつもと違うのは画面の隅にいるはずの、ISコアを象った化身(Avatar)の姿がない。映らなかったのは、化身がいるべき場所にリストがあったからだ。そして、冊子にも同じリストが載っている。

 誤植があり、訂正内容を印刷したコピー用紙を切って、のりで貼り付けてある。

 見出しには、追加武装リスト、とゴシック体で銘打たれていた。

 

『追加武装リスト(主な装備)』

  ・九一式空対艦誘導弾

  ・九七式短魚雷

  ・一二式短魚雷

  ・ヘルファイアⅡ

  ・LJDAM(レーザー統合直接攻撃弾)

  ・〇四式空対空誘導弾

  ・Mk82無誘導爆弾

  ・ロケット弾

  ・三〇ミリ航空機関砲(増設)

  ・その他多数

 

 桜は冊子から目を離し、できるだけ遠くを眺めた。

 

 ――このリスト、なんなん……。

 

 打鉄零式の装備は戦闘機、あるいは襲撃機として遭遇しうる状況を想定していた。自衛隊の装備を転用しているのだが、これは四菱重工との共同開発だったことから、倉持技研が単独開発した機体よりも装備品調達が容易であったためだ。

 今回も同様の理由により装備品を調達したのだと窺い知れる。

 しかし、偏りがあった。対艦装備に力を入れすぎている。

 対IS戦闘を重視するのであれば、空対空装備と白兵戦用の装備を充実させるものだ。

 桜は改めてページを見下ろし、目を凝らした。薄らと下の文字が透けている。空対空装備ばかり書かれていて、何かしらの理由があって訂正したようだ。

 

 ――艦攻、艦爆、陸攻は専門外や……。シミュレーターは経験に入れたらあかんし……。

 

 一応、例の航空機シミュレーターで操縦してみたことはある。

 

 ――ううう……装備だけで生涯年収を超えとる。

 

 一介の学生に持たせてはいけないし、撃たせてもいけない装備群である。

 確かに、作郎であった頃よりも兵器の射程距離が飛躍的にのびている。相手方の装備も射程距離が伸びていることに他ならない。敵の姿を肉眼で目視こそできないが、代わりに電波探知機によって把握しており、兵器群をたたき込む。抽象化された戦闘の形だ。

 人間をコンピューターの代わりに誘導装置として搭載する、などという考えよりも正常な思考といえる。

 桜はページをめくり、眼球を高速に動かしながら考える。

 

 ――アウトレンジ戦法を採用するならば、こんな物騒なもん、わざわざISに搭載する必要はない。対艦装備をつけたと言うことは、()()()()()()をさせるつもりとか……。

 

 桜の言う『そういうこと』は過去に一度だけ発生している。

 白騎士と第七艦隊戦闘部隊との交戦だ。合衆国海軍に今もなお深い爪痕を残す事件。

 白騎士事件の第一ステージがミサイル迎撃にあるとすれば、第二ステージはその後生起した海戦と言えよう。

 しかし、一〇年が経過した現在でも、白騎士事件の詳細はわかっていない。有象無象の説が飛び交い、篠ノ之束は宇宙人のお告げにより、UFO(白騎士)を召喚したのだ、という話を本気で唱える者さえいる。

 桜は眉唾な説のひとつを思いだした。

 航空機シミュレーターのユーザー掲示板へ頻繁に出入りしていた頃、あるユーザーがオカルトめいた書き込みをしたのだ。

 書き込みの主は自称退役軍人で、第一世代IS開発の最初期に籍を置いていたらしい。

 彼は、篠ノ之博士が立ち会う中、実際に白騎士を解体、戦闘ログの解析を行った。ログを解析した結果、第七艦隊と戦っていた時、搭乗者のバイタルサインはcardiac arrest(心停止状態)であったというのだ。

 毎年、日本ではミサイル・ショックの犠牲者追悼番組が放送される。番組内で白騎士事件を取り上げ、その映像は、必ず動画投稿サイトのライブ映像から始まった。航空自衛隊の迎撃機や迎撃ミサイルが乱舞するなか、高速に揺り動き、弾道ミサイルと同じ高度で飛びながら撃墜していく。

 破壊と閃光、爆発。

 放送事故と思しき沈黙から一転、望遠レンズが低空へ降下した白騎士の姿を捉える。超音速で飛翔する一〇〇発以上ものミサイルが白騎士に迫り、直撃する。すさまじい爆煙が白騎士の姿を隠した。

 

 ――あのとき迎撃に成功したミサイルは約八割。一九〇〇発と少しやった。

 

 桜はその映像を初めて目にしたとき、その場で立ち尽くしてしまった。

 煙の中から現れた白騎士は、左肩から先が消し飛び、両膝がちぎれていた。右手には(まばゆ)い閃光を放つ太刀をつかんでいた。

 

 自称退役軍人のいう、最初のcardiac arrest(心停止状態)

 

 白騎士(ナンバー1)――自称退役軍人は白騎士のことを『White Knight』ではなく『Number 1』と記した――は、一五秒ほど空中で静止している。この間、()()()()()()が試みられ、搭乗者の蘇生に成功する。その後獅子奮迅の働きをして見せた。

 すべてのミサイル迎撃に成功したあと、白騎士(ナンバー1)は浦賀水道の出口で一時間以上静止した。外洋から迫り来る敵に睨みを利かせているのだろうか……というナレーションが入るところだが、自称退役軍人は違った。

 

 二回目のcardiac arrest(心停止状態)

 

 一回目よりも深刻であり、蘇生に成功したという文言を見つけられなかった。蘇生失敗という文字をログに繰り返し刻みながら、白騎士(ナンバー1)は東に向けて飛び始める。

 まるで何かを探し求めるかのように、低空を飛行し、その最中にハワイに向けて航行中の艦隊を見つける。すぐに攻撃することはなく、第七艦隊の真後ろ、高度一五〇〇まで上昇し、これ見よがしに姿をさらした。艦影を確認するかのような素振りだったようだ。

 この時点で、航行中の艦隊は東京湾ミサイル来襲の知らせを受け取っている。空中を浮遊するISに対し、国際VHF(マリンバンド)等の周波数帯を用いて、通信と警告を行っていた。

 海戦で撃沈されたタイコンデロガ級ミサイル巡洋艦シャイロー。その生存者の証言によれば最初の一発は榴散弾であったという。空中で炸裂した榴散弾は危害直径が約五〇〇メートルにおよんでいた。周囲に二〇〇〇個もの子弾と破片をまき散らし、白騎士(ナンバー1)を鉄と火のシャワーで包み込んだ。

 問題は、航行中の第七艦隊所属艦艇のいずれも対空用の大口径榴散弾を持っていなかったことだ。炸裂後の規模からして、戦艦の主砲から発射されたことは間違いない。

 最初の一発目は南から北に向けて放たれていた。炸裂点から右へ三角形を形作っていたという証言と一致する。

 白騎士(ナンバー1)からすれば、眼前の艦隊の別働隊が攻撃を実施したものと考えるだろう。だが、このとき、榴散弾を放った米国の艦砲は記録にない。戦艦が随伴していなかったのである。

 自称退役軍人はこう唱えた。

 第二ステージにおける白騎士(ナンバー1)は、第一ステージにあったような癖らしき構え方がない。

 序盤、最初のcardiac arrest(心停止状態)に陥るまでに、全方位に対応するため剣道で言うところの八相と呼ばれる構え方をしていたのだ。

 この八相は半身になって太刀を寝かせる形だ。

 ISの開発者である篠ノ之博士は古流剣術である篠ノ之流を修めている。篠ノ之流の開祖は神社の禰宜(ねぎ)であると同時に、人斬りであった。合戦で人を斬り続ける過程で、奉納舞を剣術に昇華させる。陰陽道のマジカルステップ禹歩(ウホ)をも取り入れており、足(さば)きが独特だった。

 今もなお明かされていない白騎士(ナンバー1)の搭乗者は、篠ノ之流門下生であり、それも足捌きを体得した高位有段者だという。

 では、太平洋上にあった白騎士(ナンバー1)は誰が操縦していたのだろうか。事件当時、篠ノ之流高位有段者のなかで女性は三名いた。篠ノ之雪子、篠ノ之束、織斑千冬。彼女たちは現在でも存命である。

 遠隔操作ならばどうだったのだろう。

 遠隔操作を実現するには、本体とリモコン側にそれぞれISコアが必要になる。リモコン側は信号遅延に対応するため、操縦者にISコア接続因子を持つナノマシンを大量摂取させ、強制的にIS側へ適応させる措置が必要だ。

 実際にナノマシンを用いた人体強化実験が行われていた。ドイツ共和国軍の超人化計画だ。白騎士事件のとき、秘密裏に実験が行われていたものの、ドイツ共和国軍はIS理論そのものを眉唾扱いしていた。

 しかし、ISの登場により、超人を生み出すよりISを一機でも多く集めたほうが効率が良いことに気付いてしまった。超人化計画は頓挫し、被検体のほとんどは解雇されている。

 篠ノ之博士率いるSNN開発部隊には、超人化計画の元被検体が数多く在籍しており、彼あるいは彼女たちは口を揃えてこう証言している。

 

『そんな話はなかった』

 

 さて、この一見もっともらしい話にはオチがある。

 自称退役軍人は、この説を提唱する前に、篠ノ之束は宇宙人と交信し、UFO(白騎士)を召喚した説を熱く、強く語っていたのだ。彼は常々、白騎士(ナンバー1)の搭乗者は織斑千冬だと唱えており、こう結論づけた。

 

『織斑千冬はリビング・デッド(Living Dead)である。白騎士(ナンバー1)の搭乗者は死んだ。搭乗者は織斑千冬。つまり織斑千冬は死んだ。現在の織斑千冬は何らかの力が加わって生きているように見えるだけで、その実、死体なのだ』

 

 他の常連と同じく、桜も一笑に付した。

 自称退役軍人はその後しばらくの間、掲示板に出入りしていたが、就職が決まったらしく律儀に報告している。

 

『ゼネラル・ヘビー・インダストリーに就職したった! 白騎士(ナンバー1)に代わるものすごいISを開発してやるからお前ら目をかっぽじって待ってろよ!!』

 

 受験勉強すべくPC自体を封印したため、この自称退役軍人がどうなったのかは知らない。

 

 ――横須賀から近いし、海自の第一護衛隊群(Escort Flotilla 1)あたりと模擬合戦とか? まさか、そんなこと?

 

 リストのことを心に留め置きながらページをめくる。離着陸の項目がずいぶん簡素化されており、煩雑とされる内容のほとんどはISコアがやってくれるという。

 ISコアは心象(イメージ)を数値化する。航空機の離着陸は実際、難しいわけだが、操縦手順や機体の整備状況、気候条件などを想像しながら訓練することは可能だ。

 

 ――このマニュアル、最低限しか書いとらん……。

 

 ある意味、桜の試行錯誤がマニュアルに反映されるわけだ。嫌な予感に襲われつつ、補足事項を確かめるべく携帯端末に手を伸ばした。

 携帯端末にはメッセージ受信の通知があった。

 

「堀越さん。こっちに来とるんか」

 

 倉持技研の堀越技師だ。堀越は簡素な挨拶を綴ったあと、こう続けた。

 

『佐倉くん。零式を飛ばさなくてもいいからね』

 

 堀越は離陸できるとは思っていないようだ。桜は返信した。

 

「航空機シミュレーターで空母からの離発着をたくさんやりました。イメージはできています」

 

 送信すると、すぐに返事があった。

 

『シミュレーターのことは知っているよ。もしリストを見ていなかったら見て欲しいのだけれど、訓練機であの装備を搭載したまま離発着させるのは、とても無理だと思う。重すぎるんだ』

「最初は、空対空で飛ばすつもりだったのでは……」

『最初はね。僕もそう聞いていたし、もっと軽かった。けれども、途中で横槍が入った。チョバム……千代場武博士が装備の変更を強引にねじこんできたんだ』

「あのリスト、どういう状況を想定しているんですか?」

『リストを見たとおりだよ。直接は言えないのだけれど、海保のホームページにある航行警報を確かめてほしい』

 

 桜は言われたとおり、海上保安庁のホームページを開いた。

 航行警報には『伊豆諸島、大島東南東、射撃』とある。予定日は明日だった。

 

「さすがに無茶や……」

『無茶をやるのがチョバム、もとい千代場博士だ』

 

 桜はマニュアルを閉じた。思うところがあって、堀越に相談する。

 

「堀越さん。個人的なお願いがあります」

『何かな?』

「変なメールが届いて困ってるんです。私だけやなくて友達にも届いてて……」

『できれば転送くれないかな。本文とヘッダ情報のキャプチャでいいから』

 

 指示にしたがってキャプチャを送信した。

 

『ザ・バトルシップ?』

「そうなんです」

『わかった。この手の話に詳しい知り合いがいるから、聞いてみる。それから変なメールアドレスは拒否設定しておくこと』

「よろしくお願いします」

 

 携帯端末をしまい、席を立った。黄色い背嚢を背負い、壁掛け時計を横目にホテルの出口に向かう。

 クラスメイトや本音たちが待っているはずだ。それに、一緒に走るなら打ち合わせが必要だ。

 

「頭の中がとっちらかってきとるし、身体をうごかさんと!」

 

 やるぞー、と桜は海に向かって両手を突き出した。

 

 

 




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