戦国御伽草子 殺生丸 (HAJI)
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第一話 「CHANGE THE WORLD」

急いで荷物をリュックサックに詰めていく。着替えはもちろん、参考書も忘れずに。もしかしたらまたしばらくこっちには戻ってこれないかもしれないから念のため。

 

 

「よし! じゃあみんな、行ってきまーす!」

 

 

準備を万端に整えていざ出発。家を出ようとするも

 

 

「ちょっと待ちなさい、かごめ。お弁当忘れてるわよ!」

 

 

パタパタと慌てながらママが私の後を追いかけてくる。その手にはお弁当箱。まるでこれから学校か部活に行くかのような気軽さ。

 

 

「うん、ありがとうママ。じゃあ行ってくるね」

「ええ、気を付けてね」

「姉ちゃん、おみやげ忘れないでよ?」

「かごめ、待たんか。この由緒正しきお札を持っていきなさい!」

 

 

お弁当を受け取ったはいいものの、後ろから弟の草太やおじいちゃんの声も聞こえてくる。本当に自分がこれからどこに行くか分かっているのだろうか。呆れつつも送り出してくれる家族に安心しながら走り出す。向かうのは神社の中にある井戸。躊躇うことなく井戸の中へと飛び込んでいく。その先にある、こことは違う時代。戦国時代と呼ばれていた頃の世界へ。

 

 

それが私、日暮かごめの日常の始まりだった――――

 

 

 

「よいしょっと!」

 

 

そのまま気合いを入れながら梯子を上り、何とか井戸から這い出る。何度目になってもリュックを背負ったまま梯子を上るのは一苦労。そのまま一息つきながら改めて顔を上げる。そこには一面に広がる生い茂る木々、森の中。ついさっきまでいた自分の家である神社はどこにもない。

 

 

(私って、やっぱり戦国時代にきてるんだよね……これって結構すごいことなのかも……)

 

 

今更ながら自分が今、どんなに非日常的な生活をしているを実感する。自慢ではないが私は普通だった。普通に学校に行って、友達と遊んで、ママやおじいちゃん、草太と一緒に暮らしている。普通の中学三年生だった。

 

 

――――そう、あの日。十五歳の誕生日までは。

 

 

 

妖怪によって井戸に連れ込まれ、この戦国時代にタイムスリップしてしまう、信じられないようなお伽噺。まだ人間と共に妖怪と呼ばれる存在が生きていた時代。

 

 

(四魂の玉か……私が桔梗って人の生まれ変わりだっていうけど……本当なのかしら)

 

 

手の中には小さな瓶。その中には輝く石の欠片がある。四魂の玉と呼ばれるもの。妖怪の力を高める力を持つ玉。そのため多くの妖怪が血眼になってこれを狙っている。五十年前、桔梗と呼ばれる巫女と共にこの世から消え去ったはずのそれは何の因果か再びこの世に戻ってきた。私と一緒に。難しいことは分からないけど、自分が大変なことに巻き込まれてしまったのは分かる。おかげで命の危機にあったのも一度や二度ではない。それでも悪いことばかりではなかった。それは

 

 

「やっと戻って来やがったな、かごめ! 何をグズグズしてやがった!?」

 

 

大声と共にまるで猫、ではなく犬のように跳躍しながら自分の前にやってくる。赤い着物を着た、銀髪の男の子。その頭には二つの犬の耳がある。男の子が人間ではない、半妖であることの証。

 

 

「犬夜叉? なんでこんなところに……もしかして、私が来るのを待ってたの?」

「っ!? そ、そんなわけねえだろ! お前がいねえと四魂のカケラが探せねえ、それだけだ!」

「あっそ……」

 

 

うー、と犬夜叉はまるで犬のようにこちらを威嚇しながら睨んでいる。少しは可愛げがあるかと思ったが気のせいだったらしい。もう少し素直になってくれれば仲良くなれるのに。

 

『犬夜叉』

 

初めてこっちにタイムスリップした日に出会った男の子。半妖と呼ばれる、人間と妖怪の間に生まれた存在。元々は御神木に矢によって封印されていたのだが、私がその封印を解いてしまったことで目覚めてしまった。最初は助けてくれたこともあってヒーローかと思ったがそうではない。犬夜叉も他の妖怪たちと同じように四魂のカケラを狙っているのだから。だが玉が砕け、バラバラになってしまったカケラを集めるために仕方なく私と一緒に行動している。それが自分と犬夜叉の今の関係。とても安心とは言えない、不安しかない状態だったのだが、最近は少しだけマシになってきたかもしれない。

 

 

(かごめか……名前で呼んでくれるようになったってことは少しは仲良くなってるってことかな?)

 

 

それは犬夜叉の自分の呼び方。出会ってからまともに呼ばれたことはなく、呼ばれても『お前』とか『女』とかだけ。思いっきり毛嫌いされてしまっていた。その理由も何でも自分が桔梗という人に似ているからという理不尽極まりない理由。ほとほと困り果てていたのだがそれが変わるきっかけが最近あった。

 

それは逆髪の結羅と呼ばれる髪の毛を操る妖怪との戦い。普通の人には見えないその髪の毛を見ることができるが戦えない自分と戦うことはできるが髪の毛を見ることができない犬夜叉。互いの弱点を補い合う形で私たちは協力して何とか逆髪の結羅を倒すことができた。もしかしたらそのおかげで少しは自分を認めてくれたのかもしれない。そんなことを考えていると

 

 

「ちょ、ちょっと犬夜叉!? 何いきなり近づいてきて!?」

 

 

知らず犬夜叉はこっちに近づいてきている。目と鼻の先。思わずこっちがのけ反ってしまうぐらいの距離に犬夜叉がいる。知らず慌ててしまうも犬夜叉はまったく気にしていない。どころか私を見てすらいない。まるで犬のように鼻を鳴らして臭いを嗅いでいる。

 

 

「お、やっぱ食いもんじゃねえか! いただくぜ!」

「え? あ、待ちなさい! それは」

「へっ! 残念だったな、もうこれは俺のもんだ!」

 

 

そのままあっという間にリュックサックに入れていたお弁当を犬夜叉に奪われてしまう。悪びれるどころか心底楽し気に。まるで飼い主のごはんに手を出す飼い犬のよう。追いかけようにも犬夜叉はあっという間に木の枝に飛び移ってしまう。そうなればもうお手上げ。

 

 

(まったく……ほんとに子供なんだから)

 

 

あきらめて井戸に腰掛けながら犬夜叉を眺める。獲物を手に入れた獣のように慌てながら犬夜叉は乱暴に弁当箱を開け、手掴みで中身を食べている。行儀が悪いことこの上ない。年相応どころか、弟の草太よりも子供なのではと思ってしまう有様。

 

 

「もう、食べるのはいいけどちゃんと味わって食べなさいよ? それ、ママが作ってくれたんだから」

「まま? なんだそりゃ? なんかの妖怪か?」

「お母さんのことよ。こっちではなんて言うのかしら……母上とか?」

 

 

口いっぱいに頬張っている犬夜叉に向かってせめてもの抵抗として嫌味を言うが全く通じていない。というか意味が通じていない。確かにママやパパなんて呼び方は現代でなければ通じない。改めてここが現代ではないのだと実感しながらも

 

 

「そういえば……犬夜叉のお母さんはどうしてるの?」

 

 

何気なく話題のままそう尋ねる。学校の友達や家族と会話するように。しかしすぐに気づく。それまで夢中で弁当を食べていた犬夜叉がピタリと動きを止めてしまうのを。

 

 

「けっ……そんなもんとっくにくたばっちまってるよ」

 

 

吐き捨てるように犬夜叉はそう呟く。その表情からは犬夜叉の感情は読み取れない。ただ、それが犬夜叉にとって触れられたくない話だったことは明らか。

 

 

(そっか……確か犬夜叉のお母さんって……)

 

 

そう、犬夜叉は半妖。父親が妖怪で母親が人間。そしてその容姿で忘れがちだが犬夜叉は五十年以上生きている。妖怪と同じように、半妖もまた人間より遥かに寿命が長い。なら犬夜叉のお母さんがもう亡くなってしまっているのは当然。

 

 

「ごめんね、犬夜叉……私」

「ふん、人間ってのは弱っちいからな。すぐにくたばっちまう。お前も気をつけねえとあっという間に楓みたいな婆に」

「おすわり」

 

 

瞬間、凄まじい勢いで声にならない叫びと共に犬夜叉は木から地面にたたき落されてしまう。言霊の念珠によるもの。確かに自分も悪かったが流石にそれとこれとは話が違う。何よりも楓おばあちゃんに失礼極まりない。ある意味いつも通りのやり取り。

 

 

(でも、それならお父さんはどうなんだろう……? もしかしたら兄弟とかいるのかな……?)

 

 

ふとそんなことを考えてしまう。そういえば自分は犬夜叉のことを全然知らない。昔のことも何もかも。聞いてみたいが犬夜叉は話してくれないだろう。そんな中ようやく気付く。犬夜叉が地面に落ちたままその場から動いていないことを。いつもなら「なにしやがるてめえ!」といいながら悪態をついてくるのにどうしたのか。

 

 

「犬夜叉……? どうしたの、もしかして怪我でもしちゃった?」

 

 

恐る恐る近づきながら尋ねてみる。そんな気はなかったがおすわりが強すぎたのだろうか。そんな私の言葉が聞こえているのかいないのか

 

 

「……ちっ、いけ好かねえ臭いがしてきやがったぜ」

 

 

舌打ちしながら犬夜叉はそんなことを口している。その表情は先ほどまでとはまるで違う。まるで会いたくなかった相手が突然目の前に現れたかような、苦虫を噛み潰したようになっている。

 

 

(いけ好かない臭い……? 私に言ってるわけじゃないし……じゃあ一体何の……?)

 

 

いけ好かない臭い。

 

それは犬夜叉が度々私に言ってくる言葉。何でも私は桔梗という人に臭いも似ているらしい。それに関して文句も言いたいが今はそれどころではない。犬夜叉は今、私には全く見向きもしていない。ならいったい誰に向かって言っているのか。それを尋ねるよりも早く

 

 

「……やはり貴様か、犬夜叉」

 

 

その臭いの持ち主が私たちの前に現れる。

 

 

着物の上に鎧を身に着けている男。その腰には三本の剣が携えられている。間違いなく美男子だと言われる容姿。何よりも目を引くのが腰を超えるほどに長い銀髪。

 

 

「けっ……やっぱまだ生きてやがったか、殺生丸」

 

 

立ち上がり、そのまま対峙するように犬夜叉は男、殺生丸に向かい合う。まるで自分の縄張りに敵がやってきたかのように警戒心をむき出しにしている。今にも飛び出していかんばかり。対して殺生丸は微動だにしていない。ただそのどこか鋭い視線を犬夜叉に向けているだけ。

 

 

(な、何なの一体……? 犬夜叉の知り合いみたいだけど……じゃあ、あの人も妖怪……?)

 

 

とても口を挟めるような空気ではないため黙って見守るしかない。だがあの二人が知り合いであるのは間違いないようだ。だがそれ以上にその空気に気圧されてしまっていた。一刻も早くこの場を離れなければいけない感覚。私はまだこの時には知らなかった。それが妖気と呼ばれるものであることを。ただの妖怪ではあり得ない、大妖怪のそれだったのだと。

 

 

「だが手間が省けたぜ……四魂の玉の前にその牙、鉄砕牙と爆砕牙を今度こそ手に入れてやる!」

 

 

しかし犬夜叉はそんなものは関係とばかりに笑みを浮かべながら殺生丸に向かって飛びかかっていく。どうしていきなりそんなことになるのか。その牙とはいったい何なのか。制止する間もなく犬夜叉は突っ込んでいく。その右手に力を込めながら。

 

 

「――――散魂鉄爪!!」

 

 

瞬間、大地が抉られ木々がなぎ倒されていく。犬夜叉の得意技である散魂鉄爪。その名の通り、自分の爪によって相手を切り裂く技。犬夜叉の身体能力から繰り出されるそれは岩も切り裂くほどの威力がある。だがそれを

 

 

「――遅い」

 

 

一瞥しただけで回避し、体を翻しながら殺生丸は同じように犬夜叉に向かって爪を振るう。犬夜叉と同じはずの攻撃だがその速さと威力は段違い。犬夜叉は何とか防御しながらもそのまま軽々と吹き飛ばされてしまう。

 

 

「犬夜叉っ!? 大丈」

「うるせえ! てめえは引っ込んでろ! 邪魔だ!!」

 

 

吹き飛ばされ、傷だらけになっているにもかかわらず犬夜叉は全く臆することなく殺生丸に向かっていく。その爪で切り裂くために。だがその全てが通用しない。躱され、捌かれ、いなされる。逆に爪と拳によって犬夜叉は劣勢へと追い込まれていくだけ。

 

 

(そ、そんな……!? 犬夜叉が手も足も出ないなんて……!?)

 

 

目の前の信じられない光景に息を飲むしかない。私は犬夜叉の強さは知っている。半妖であっても並みの妖怪など相手にならないほど犬夜叉は強かった。なのにあの妖怪には、殺生丸には全く通用しない。大人と子供ほどの力の差があの二人の間にはあるのだと、素人である自分にもわかる。そう、犬夜叉が弱いわけではない。単にあの妖怪が強すぎるだけなのだ。

 

 

(ど、どうしたら……このままじゃ犬夜叉が……!?)

 

 

慌てるもどうにもできない。逆髪の結羅の時とは違う。あの時のようにはいかない。唯一の戦う手段である弓も今はない。まさに絶体絶命。

 

 

「がっ――!?」

 

 

そんな中、犬夜叉はその腹部に渾身の拳の一撃を受け吹き飛ばされてしまう。満身創痍。鎧よりも固いと言われる火鼠の衣もボロボロになってしまっている。完敗としかいいようがない状況。悶絶し、その場に蹲りながらもまだあきらめていないのか犬夜叉は殺生丸を睨んでいる。まだ自分は負けていない。あきらめていないと示すように。殺生丸もまたそんな犬夜叉を無表情のまま見下ろしている。

 

 

「――終わりだ」

 

 

そのまま殺生丸の手が容赦なく犬夜叉に向かってかざされる。戦いの決着を意味するもの。止めを刺すために。

 

 

「犬夜叉――!!」

 

 

気づけば走り出していた。戦う力はない。手段もない。でもこのままただ黙って犬夜叉がやられるのを見ているわけにはいかない。決死の覚悟で二人の間に割って入らんとするも間に合わない。そのまま殺生丸の右手は犬夜叉の首を――――

 

 

 

まるで犬のように掴んで持ち上げてしまった。

 

 

 

「…………え?」

 

 

思わずそんな声を上げてしまった。呆然としてただその光景に立ち尽くすしかない。当たり前だ。そこには

 

 

「て、てめえ! 何しやがる!? さっさと下ろせ殺生丸!」

「体は大きくなっても中身は全く変わっていないか……無様だな」

 

 

さっきまで殺し合っていたはずの二人が嘘のように言い争っている姿。犬夜叉は殺生丸に首根っこを掴まれたまま宙ぶらりん状態。犬夜叉はその状態が恥ずかしいのか暴れて逃れようとするが満身創痍でそれも叶わない。殺生丸は慣れているのかそんな犬夜叉をどこかつまらなげに見つめている。まるで飼い主に逆らえない飼い犬。いや、年が離れた兄弟喧嘩のよう。事情が分からない私はただ、ぼーっと突っ立っていることしかできない。

 

 

それが私、日暮かごめと犬夜叉の兄である大妖怪、殺生丸の初めての出会いだった――――

 

 

 



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第二話 「兄弟」

「大丈夫、犬夜叉? ひどい怪我だけど……」

「――っ!? こんなもんかすり傷だ! 触るんじゃねえ!」

 

 

痛々しい傷が心配で犬夜叉に触れようとするも余計なお世話だと言わんばかりに手で払いのけられてしまう。だがやはり痛いのか声が上ずっている。やせ我慢なのは誰か見ても明らか。確かに犬夜叉は半妖。体の頑丈さも治りも人間とは比べ物にならないが痛いものは痛いらしい。

 

 

(ほんとに天邪鬼なんだから……)

 

 

地面で胡坐をかいたまま腕を組んでいる犬夜叉を見ながら大きな溜息を吐くしかない。だが命に別状がなくてよかった。本当ならあのまま犬夜叉はもちろん、自分も殺されておかしくなかったのだから。戦った相手が目の前にいる殺生丸でなかったのなら。

 

 

「…………」

 

 

その殺生丸は暴れる犬夜叉の相手に飽きたのか、それとも別の理由があったのか。掴んでいた首を離して犬夜叉を地面に放り投げた後、そのまま最初に出会った時のように無言のままこちらを見つめている。無表情で寡黙。犬夜叉とはまるで正反対。何を考えているのか全く分からない。

 

 

「ねえ、犬夜叉……この人って一体誰なの?」

「……ふん」

 

 

改めて犬夜叉に尋ねるも、犬夜叉はますます不機嫌になってそっぽを向いてしまう。完全にお手上げ。そんな中、ふと気づく。犬夜叉と殺生丸。二人の髪の色が同じであることに。この時代であっても珍しい銀髪。加えて犬夜叉がこんな態度を取っているのは自分にではなく、目の前の殺生丸に対して。まるで親に反抗する思春期の子供。だが犬夜叉のお父さんにしては容姿が若すぎる。なら

 

 

「もしかして……あなた、犬夜叉の」

 

 

お兄さんなの? と口にしかけた瞬間

 

 

「お、お待ちください……せ、殺生……丸、様……な、なぜこんなところに……」

 

 

そんなかすれるような声が森の中から聞こえてくる。振り向いた先には新たな来訪者。小さな鬼のような一目で妖怪だと分かるような容姿。しかしよほど疲れているのか息も絶え絶えに杖のようなものを支えに立っている。今まで出会った妖怪の中でも一番頼りないような有様。でもその言葉からすると殺生丸の知り合いなのだろうか。どうしたのもかと考えていると

 

 

「ん? お、お前……い、犬夜叉!? 犬夜叉ではないか!? ど、どうなっておる……あの封印が解けたというのか!?」

 

 

犬夜叉の姿を目にした途端、小さな妖怪はまるで幽霊にあったかのように目を見開き、驚きながらも飛び跳ねながら私のことを押しのけて犬夜叉へと駆け寄っていく。どうやら犬夜叉にしか目が行っていないらしい。さっきまで憔悴しきっていたのにいったい何なのか。

 

 

(な、何なのさっきから……? 殺生丸って妖怪といい、あの小さな妖怪といい……)

 

 

完全に自分だけ置いてけぼりにされている疎外感を感じながらもとりあえず様子を見守ることしかできない。

 

 

「ほ、本当に貴様、犬夜叉か!? 狐が化けているのではないか!?」

「……相変わらずぎゃーぎゃーうるせえぞ、邪見。五十年たってもお前は小さいままだな」

「や、やかましいわい! お前こそ中身が全く変わっていないではないか……ん? なんじゃ、傷だらけではないか犬夜叉!?」

 

 

面倒なやつが来たとばかりに犬夜叉は小さな妖怪……ではなく、邪見と話している。どうやら知り合いであるのは間違いならしい。呆れているのか、それともいつも通りなのか。はたから見れば雑な扱いをされているように見える。対して邪見はまだ驚愕しているのか混乱しているよう。そんな中、犬夜叉が傷だらけであることに気づいて顔を真っ青にしてしまう。

 

 

「また妖怪にいじめられておったのか!? お前に何かあったらわしが殺生丸様に殺されてしまうと何度も言ったであろう! まったく、妖怪はどこにおる、わしがこの人頭杖で追い払ってくれる!」

 

 

任せておきなさいと言わんばかりに邪見は人頭杖と呼ばれる杖を両手で掴み、頭の上で振り回しながら意気揚々としている。いいところを見せようとしている子供……いや、祖父のよう。犬夜叉は気だるげに頬杖をつきながらそんな光景を眺めているだけ。

 

 

「あのー……」

「ん? 何じゃ? なんでこんなところに人間がいる? わしは今忙しいんじゃ話かけるでない!」

「え、えっと……犬夜叉をあんな風にしたのはそこにいる、殺生丸って妖怪なんだけど……」

「は?」

 

 

誰も教えてあげないので仕方なく私が邪見に事情を説明するも、邪見はそのまま口を開けたまま固まってしまう。言ってる意味が分からない、そんな反応。同時に体が徐々に震え、滝のように汗が流れ始めていく。

 

 

「ち、ちちち違います殺生丸様!? わ、わわわわしはただその、犬夜叉の奴めがまた馬鹿をした後始末をしようとしただけでして、はい! 決して殺生丸様に謀反を企てていたわけでは!?」

 

 

光の速さで向き直り、邪見は殺生丸に向かってペコペコと土下座をしている。ここまで無駄のない完璧な土下座はきっと他の誰にもできないに違いない。心なしか殺生丸の視線が冷たくなっているような気がする。

 

 

「けっ、相変わらず情けない奴だな」

「な、何じゃと!? そもそも恐れ多くも殺生丸様に喧嘩を売る貴様が悪いのではないか!? 殺生丸様の家来として許すことはできん!」

「何が家来だ、自分で言ってるだけだろ。やってることは殺生丸に付いて回ってるだけじゃねえか」

「なっ!? 付いて回っておったのは貴様であろう!? わしが一体どれだけ苦労していたか……! そもそも、この五十年、殺生丸様がどれだけお前のことを心ぶっ――――!?」

「黙れ、殺すぞ」

 

 

これ以上にない冷酷な宣言と共に邪見は殺生丸によって踏んづけられてしまう。もごもごと何か言いながらもがいているが殺生丸はどいてくれる気はないらしい。そのことを瞬時に悟ったのか邪見はそのまま動かなくなってしまう。まさに以心伝心、主従というのは嘘ではないらしい。家来かどうかは怪しいが。

 

 

「――――」

 

 

殺生丸はそのまま改めて犬夜叉を見つめている。最初と変わらず、何を考えているのかは分からない。

 

 

「ちっ……何だ? まだやるってんなら構わないぜ」

 

 

見下ろされているのが気に入らなかったのか、ふらつきながらも犬夜叉は立ち上がり同時に殺生丸を睨みつけている。立っているのもやっとのはずなのにそれを全く感じさせない気迫。犬夜叉にとってそれは譲れない一線らしい。対して殺生丸は微動だにしない。相手にしていない、相手にならないと見せつけるかのように。それに反発するように犬夜叉が右手に力を込め、再び襲い掛からんとするも

 

 

「――――犬夜叉、なぜお前は力を求める」

 

 

殺生丸は、そんな問いによってそれを止めてしまった。

 

 

「何だそりゃ……? そんなことに答えて何の意味が」

 

 

あるのか、と口にしかけるも犬夜叉は言葉を失ってしまう。犬夜叉の顔がこわばり、息をのんでいるのが離れているわたしも分かる。殺生丸は何もしていない。その場から動くことも、剣を抜くことも。ただ、その空気が違っていた。答えないことは許さない。でなければどうなるか。面と向かっていない自分ですらその姿に背筋が凍る。

 

 

「…………そんなもん決まってんだろうが。強くなるためだ……それ以外に何があるってんだ!?」

 

 

全てを振り払うように犬夜叉は叫ぶ。強さが欲しい。そのために力が欲しい。そのために犬夜叉は四魂の玉を求めている。それが嘘ではないことを私は知っている。でも犬夜叉はさらにその先を、己の心の内を吐露する。

 

「てめえはいいさ、殺生丸……親父の形見の剣を全部独り占めしてやがるんだからな。俺にはこの火鼠の衣と、出来損ないの半妖の身体だけだ!!」

 

 

着物を握りしめながら犬夜叉はそう叫び続ける。その表情には様々な感情が入り混じっている。怒り。悲しみ。悔しさ。焦り。恐らくは犬夜叉が生まれてから抱き続けた半妖としての苦しみ。

 

 

「その刀があれば、俺だって強くなれる……殺生丸、てめえにだって負けやしねえ……!! 絶対に手に入れてやる!!」

 

 

だからこそ力が欲しいと、犬夜叉はただ殺生丸の腰にある刀を凝視する。犬夜叉と殺生丸の父親が遺したとされる刀。確か犬夜叉は鉄砕牙と爆砕牙と言っていたもの。三本目の名前は分からないがきっとそれらはすごい力を持っているのだろう。あの犬夜叉が血眼になっても求めているのだから。

 

 

(犬夜叉が妖怪になりたい理由って……もしかして……?)

 

 

以前、犬夜叉が言っていた。四魂の玉を使って完全な妖怪になりたいと。そうすれば強くなれると。でもきっとその根幹は違うのだ。犬夜叉はきっと――――

 

 

「…………下らん」

 

 

犬夜叉の答えを聞きながらもつまらなげに殺生丸はそう切り捨てる。威圧するような空気は完全に霧散してしまった。同時に息が詰まる緊張感から解放され安堵する。だがそれは私だけ。犬夜叉は一層その表情を険しくしている。当たり前だ。自分の答えを下らないと一蹴されてしまったのだから。

 

 

「っ!? なんだと、この――っ!?」

 

 

激高し、飛び出しかけた犬夜叉はそれと同じぐらいに驚愕しながら自分に向かって投げられた何かを反射的に受け止めてしまう。それは

 

 

「て、鉄砕牙……?」

 

 

殺生丸が腰に携えていた三本の刀の内の一本。柄を赤い布で巻かれている一見すればただの古い刀。ただ驚くのはそこではない。犬夜叉が驚いて固まってしまうのも無理はない。あんなに必死に求めていたものをこうもあっさりと手に入れてしまったのだから。しかも殺生丸はまるで無造作に、いらない物を渡すかのように犬夜叉に投げ渡した。

 

 

「行くぞ、邪見。もうここには用はない」

「っ!? よ、よろしいのですか殺生丸様!? て、鉄砕牙はともかく犬夜叉めはどうす……あ、お待ちください殺生丸!?」

 

 

もう用はないとばかりに踵を返し、殺生丸はその場から離れていく。邪見はようやく踏みつけから解放されるも、殺生丸と犬夜叉を交互に何度も見つめておろおろするも慌てて殺生丸の後を追っていってしまう。でもこの場で一番困惑しているのは間違いなく犬夜叉だった。

 

 

「待ちやがれ殺生丸!? どういうつもりだ! 情けでもかけたつもりか!?」

 

 

去ろうとしている殺生丸に向かってそう叫ぶしかない。当たり前だ。私が犬夜叉でもきっと同じことをするだろう。犬夜叉から見れば情け、憐れみで刀を譲られたも同然。それはきっと犬夜叉にとってもっとも許しがたいこと。それを知ってか知らずか

 

 

「いらぬなら捨てればいい。貴様の勝手だ」

 

 

殺生丸はそう告げるだけ。好きにすればいいと。本当にその刀は自分にとっては不要なものなのだと示すように。犬夜叉はその言葉に苦渋の表情を見せながらもその刀を握りしめることしかできない。そんな中

 

 

「……え?」

 

 

僅かに殺生丸が振り返り、こちらを見つめている。そう、犬夜叉ではなく私を。ここに来てから、初めてまともに殺生丸に見られている気がする。知らずその瞳に気圧されてしまう。時間にすれば数秒にも満たないわずかな時間。でも私にとってはその何倍にも感じられる時間。それは

 

 

「……巫女か…………また同じ間違いを繰り返す気か、犬夜叉?」

 

 

殺生丸のそんな言葉によって終わりを告げる。その言葉の意味が私には分からない。ただ犬夜叉はその言葉によって絶句し、同時に歯ぎしりをしながら殺生丸を睨み続けている。

 

 

それを最後に殺生丸は邪見を連れながらその場を去っていってしまう。あとには事情が分からない私と、刀を握ったまま黙り込んでいる犬夜叉だけ。

 

 

それが私と殺生丸の出会いの終わり。そして、私が知らない犬夜叉を初めて垣間見た瞬間だった――――

 

 

 



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第三話 「父」

月が昇り、雲からは無数の雪が大地に降り注ぐ夜。月明りに照らされながら佇む二つの人影があった。だがそれは人間ではない。妖怪と呼ばれる妖の者。その片方は殺生丸。まだわずかに幼さを残す顔立ち。しかしその佇まいは既に成人のそれ。殺生丸はただその瞳で目の前にいる妖怪を見つめ続けている。

 

その男は満身創痍だった。体には無数の傷が、血が流れている。いつ倒れてもおかしくないはずの重症。にもかかわらずその姿は雄々しくそして圧倒的だった。殺生丸ですら霞んでしまうほどの強さを、その男は持っている。

 

 

「――――往かれるのか、父上」

 

 

長い沈黙の後、殺生丸は自らの父である闘牙王に尋ねる。闘牙王はただ背中を見せたまま、振り返ることはない。殺生丸と同じく銀髪に鎧を纏った容姿。大きく違うのはその腰と背中に三本の剣を携えていること。

 

闘牙王は西国を支配するほどの力を持つ大妖怪。そんな彼が致命傷に近い深手を負っているのは同じく東国を支配する大妖怪、竜骨精との戦いによるもの。激戦の末、何とか封印することに成功するも、その代償もまた大きかった。

 

そして闘牙王はそのまま新たな戦場へと向かおうとしている。国を守るためではなく、自らが愛した女と生まれてくる子を守るために。例えそのために自らの命が潰えるとしても。

 

 

「止めるか、殺生丸?」

「止めはしませぬ。ただ、その前に牙を……叢雲牙と鉄砕牙をこの殺生丸に譲っていただきたい」

 

 

殺生丸は淡々とそう告げる。自らの父がもう永くないことを悟っているからこそ。これから父がどこに行こうとしているのかも知っている。殺生丸には到底理解できない理由。だがそれに口を出す気は殺生丸にはない。ただ興味があるのは、父が持つ三本の剣のみ。

 

『鉄砕牙』 『天生牙』 『叢雲牙』

 

それぞれが三界に対応している、それらをすべて手にすれば世界を制すると言われる天下覇道の剣。

 

『人』の守り刀、鉄砕牙は一振りで百の敵を薙ぎ払う。

 

『天』の刀、天生牙は一振りで百の命を救う。

 

『地』の刀、叢雲牙は一振りで百の亡者を呼び戻す。

 

その三本こそが闘牙王を大妖怪足らしめている。その内の二本、叢雲牙と鉄砕牙を殺生丸は欲していた。

 

 

「渡さぬ……と言ったら、この父を殺すか?」

 

 

それを知っていながら、闘牙王は殺生丸にそう問いかける。この父を殺してでもこの刀が欲しいか、と。殺生丸はただ無言のまま。例えそうなっても構わない。そんな覚悟を殺生丸は抱いている。

 

静寂。時間が止まってしまったかのような時間が二人の間に流れる。それを示すように風が吹き、雪が激しく舞い、海岸は波しぶきに包まれる。それがいつまで続いたのか

 

 

「ふっ……それほどに力が欲しいか」

 

 

そんな殺生丸の姿に思う何かがあったのか。闘牙王は僅かに笑みを浮かべる。その心情を察することは殺生丸にはできない。今の殺生丸には、まだ。

 

 

「――――何故お前は力を求める」

 

 

父は問う。なぜ力を求めるのか。あまりにも単純が故に難しい問い。それを前にして

 

 

「我、進みべき道は覇道。力こそ、その道を開く術なり」

 

 

全く迷うことなく、殺生丸は答えを告げる。覇道。それこそが自分が求めるもの。それを為すために力が、天下覇道の剣が欲しいと。

 

 

「覇道……か」

 

 

ぽつりと闘牙王は言葉を漏らす。その脳裏には、これまでの自分の人生が浮かんでは消えていく。かつて自分も求めていたもの。覇道。その行きついた果て。自分にとっての、答え。

 

 

「殺生丸よ……お前に、守るものはあるか?」

 

 

親から子へ。同じ妖怪、男としての最後の問い。遺言を闘牙王は口にする。最後まで伝えきることができなかった、息子である殺生丸に唯一足りないもの。

 

 

「守るもの……?」

 

 

殺生丸はその言葉を訝しむことしかできない。およそ覇道からはかけ離れた、大妖怪であり、自分が超えるべき最強の存在である父には似つかわしくないもの。

 

 

「――――そのようなもの、この殺生丸に必要ない」

 

 

迷いなくそう殺生丸は切り捨てる。そんなものは必要ない。覇道においては自分以外は必要ない。必要なのは力のみ。それが殺生丸の覇道。

 

 

そのまま父は去っていく。それが殺生丸と父の最後の会話。父である闘牙王はそのまま、守るべきものために命を落とす。それが闘牙王の覇道の終わり。そして、殺生丸にとって乗り越えるべき存在を失った瞬間だった――――

 

 

 

 

大粒の雨が降りしきる山の中。そこにはかつて大きな屋敷があった。しかし今はもう見る影もない。あるのは焼け残った建物の残骸だけ。そんな場所に、三人の妖怪の姿があった。

 

一人目は冥加と呼ばれる小さなノミのような妖怪。何かに落胆しているのか、涙を流しながら悲しんでいる。

 

二人目は刀々斎と呼ばれる一見すればよぼよぼの老人のような妖怪。ひょうひょうとしながらも思うところがあるのか、冥加を慰めながらも頭を掻いている。

 

三人目は鞘と呼ばれる叢雲牙の鞘に宿っている存在。一見すればまるで幽霊のような容姿の白髪に白いひげをした老人。何か困りごとがあるのか腕を組んで唸っている。

 

容姿も性格も異なる三人の妖怪。だが三人には大きな共通点があった。それが大妖怪である闘牙王の知り合いであるということ。そしてこの場所は闘牙王の妻である人間の女、十六夜を救うために戦い果てた場所であり、同時にその子供、犬夜叉が生まれた場所でもあった。

 

 

「さてと、じゃあさっさとやっちまうか。早くしねえといつ殺生丸が来るか分からねえしな」

「仕方あるまい、頼むぞ鞘殿」

「任せておけ。七百年後には叢雲牙をどうにかできる奴が現れるじゃろ」

 

 

そういいながら三人はその場を後にしようとする。つい先ほどまでここで三人は話し合いをしていた。目下の問題は目の前にある剣、叢雲牙。

 

闘牙王は自らの死期を悟り、遺言を残していた。鉄砕牙は自分の亡骸と共に黒真珠と呼ばれる妖怪の墓場に通じる真珠に封じ、犬夜叉に。天生牙は殺生丸に譲るようにと。前者については冥加が、後者については刀々斎がすでに済ませている。

 

問題は叢雲牙だった。叢雲牙についてだけは遺言が残っておらず三人は途方に暮れるしかない。叢雲牙は他の二本とは違い、闘牙王が元々持っていた剣であり、太古の邪な悪霊が取り憑いている邪剣。並みの使い手では逆に操られてしまう危険極まりないもの。それを扱えるのは闘牙王か殺生丸ぐらい。闘牙王が亡くなった今、残るは殺生丸のみ。殺生丸に渡すことも考えたが運が悪いことに、殺生丸には天生牙を渡したばかり。殺生丸にとっては不要な刀を渡したばかりの今では殺されてもおかしくない。自分たちの命を優先し、とりあえず叢雲牙は鞘が封印し、骨喰いの井戸と呼ばれる場所に投げ入れることが決定されたのだった。そしていざ、と三人がその場を出発しようとしたその時

 

 

「やはりここだったか……」

 

 

今、この世で最も会いたくない存在が三人の背後に現れた。

 

 

「せ、殺生丸……っ!?」

 

 

三者三様に叫びにも似た声を上げるしかない。当たり前だ。今しがたようやくこの面倒ごとを解決できたと思ったばかりのところにこの展開。何よりも命の危機に臆病な三人は青ざめるしかない。変なところだけ似た者同士と言えるかもしれない。

 

 

「せ、殺生丸様……な、なぜこのようなところに……」

「知れたことを。この殺生丸から逃げられるとでも思ったか」

 

 

今すぐにもこの場を逃げ出したい衝動を抑えながらとりあえず冥加が誤魔化そうとするも全く通用しない。すべて見抜かれてしまっている。逃げの達人である冥加であっても逃げる隙が見当たらない。そんな三人を無視しながら殺生丸は周囲の瓦礫を一瞥する。まるで何かを探すかのように。

 

 

「父上は逝かれたか……」

 

 

独り言のように殺生丸は呟く。頭では分かっていても、実際にその場を目の当たりにすることで実感したかのように。表情は変わらずとも、何か思うところがあるのは明らか。

 

 

「ああ、惚れた女を守ってな。犬の大将らしい最期じゃねえか」

「……人間の女などのために死ぬことが、父上に相応しいだと?」

 

 

刀々斎の言葉によって殺生丸の殺気が膨らんでいく。刀々斎にとっては誉め言葉だったのだが、殺生丸にとっては父を侮辱されたも同然。

 

 

「そうおっかない顔すんなよ。まったく……で、ワシらに何の用だ?」

「あくまで白を切り通す気か。父上の残した刀……叢雲牙と鉄砕牙を手に入れに来た。貴様たちが隠していることは分かっている」

 

 

変わらず殺気を向けながら殺生丸は自らの目的を明かす。父が亡くなり、残された三本の刀の内の二本を手に入れに来たのだと。

 

 

「やっぱそれか……殺生丸、お前にはちゃんと刀を譲っただろうが。その腰にあるもんは飾りか?」

 

 

呆れたように頭を掻きながらも刀々斎は殺生丸が腰に差している刀を指差す。そこには以前の殺生丸にはなかったものがある。天生牙。父からの遺言によって渡された形見。殺生丸にとっては屈辱であり不要なものだがそれでも父の形見。捨てるようなことはなかったらしい。

 

 

「……こんな妖怪どころか人も斬れぬナマクラがこの殺生丸に相応しいと?」

「不服か? その天生牙は間違いなく親父殿の牙から作られた鉄砕牙の兄弟刀だぞ」

「そ、その通りですぞ殺生丸様! その天生牙を譲ることが御館様の遺言、きっと御館様には何か深いお考えがあって」

「しかしよりによって天生牙とは……殺生丸にはそれを扱うのは無理だと思うがのー」

「さ、鞘殿っ!?」

 

 

冥加のフォローなどお構いなしに鞘は思ったことをそのまま口に出してしまっている。冥加からすれば同意したいところだができるわけがない。

 

 

「いいだろう……刀などなくともお前たちを引き裂くならこの爪だけ十分だ」

 

 

もう容赦は必要ないとばかりにその爪に力を込めながら殺生丸が動き出す。言葉通り、その爪によって三人を引き裂くために。

 

 

「待て待て!? まったく、本当に嫌な奴だなお前は。分かったよ、叢雲牙は殺生丸、お前に渡してやるさ」

 

 

慌てながらも仕方なく刀々斎はそう宣言する。情けないことこの上ない。だがそれ以外にどうしようもない。殺生丸が慈悲を加えることなどない。殺されてしまえばどっちにしろ叢雲牙は奪われてしまう。もはや詰みも同然だった。

 

 

「と、刀々斎!? しかしそれでは……」

「仕方ねえだろう? 親父殿は叢雲牙については遺言を残してねえんだから。親父殿がいなくなった今、叢雲牙を扱えるのは殺生丸ぐらいだろ。鞘だけに任せておくのは不安だしな」

「そ、それはそうじゃが……」

「儂は気が進まんのー……骨食いの井戸に投げ入れてくれた方が気が楽なんじゃが……」

「ワシはまだ死にたくねーんだよ、おい、冥加。どこに行く気だ? また逃げ出すじゃねえだろうな?」

「うっ!? そ、そんなことは……」

 

 

どさくさに紛れて逃走しようとする冥加を刀々斎は逃がすまいと摘まんでしまう。流石の付き合いと言えるような手慣れた対応。マイペースな鞘は再び殺生丸の逆鱗に触れるようなことを口に始める始末。

 

 

「戯言はそこまでだ。刀を渡すかここで死ぬか、今すぐ選べ」

 

 

茶番は終わりだと殺生丸がさらに間合いを詰めてくる。もう目と鼻の先。これ以上無駄話をすればその瞬間、切り裂かれてしまうのは明らか。

 

 

「おっかねえ奴だな、まったく。そら、受け取りな」

 

 

心底嫌そうな顔をしながら刀々斎はそのまま叢雲牙を殺生丸に手渡す。殺生丸は無言のままそれを受け取るもそのまま微動だにしない。ただじっと叢雲牙を見つめているだけ。僅かだが口元が吊り上がっている。自らが求め続けた剣をようやく手に入れたのだから当然。殺生丸でも感情を抑えきれなかったらしい。

 

 

「ともかくこれでもうワシらの役目は終わりだ。達者でな、殺生丸」

「うむ、居眠りをしてサボらないように頼んだぞ、鞘殿!」

 

 

とにかく一安心。一目散に二人はそのままその場を後にする。鞘については叢雲牙を封じる役目もあるため殺生丸と行動を共にする必要がある。めでたしめでたし……となりかけるも

 

 

「……どこに行く気だ、まだ終わりではない。最後の牙、鉄砕牙はどこにある?」

 

 

そんなことは許さない、とばかりに殺生丸は二人の前に立ちふさがる。最初からこうなることが分かっていたかのような手際の良さ。

 

 

「これでは先が思いやられるのー……やはり骨食いの井戸のほうが……」

「やっぱ誤魔化せなかったか。何とかなるかと思ったんだが」

「……この殺生丸を侮るな。答えなければこの叢雲牙の試し切りの相手にしてやろう」

 

 

叢雲牙の柄に手をかけながら殺生丸は問い詰める。最後の一本。鉄砕牙の在処を。その眼が答えなければ殺すと告げている。

 

 

「ここにはねえよ。確か犬夜叉とか言ったか……今は赤子らしいがそいつのところだ」

「犬夜叉……?」

「親父殿と人間の女の子供のことさ。殺生丸、お前にとっちゃ弟にあたるな」

 

 

刀々斎の言葉によって殺生丸の顔が歪む。まるで醜いものが自分の前に現れたかのように。これ以上にない嫌悪。

 

 

「汚らわしい半妖風情とこの殺生丸が兄弟だと……? ふざけるな。何故半妖などに鉄砕牙を」

「お、お待ちください殺生丸様! 犬夜叉様はまだ赤子! それを案じて御館様は鉄砕牙を犬夜叉様に……どうかご慈悲を!」

「三本のうち二本も持っておるのじゃから一本ぐらい譲ってやったらどうじゃ?」

 

 

このままではまずいと冥加が頭を何度も下げながら殺生丸に懇願するも殺生丸の怒りは収まる気配を見せない。当然だ。殺生丸にとっては人間など取るに足らない、虫けら同然の存在。そんな存在のために父は死に、あまつさえその血を継いだ半妖などという存在が生き残っている。加えて自分が求めてやまなかった鉄砕牙まで譲られている。許すことなどできるはずがない。

 

 

「どうしても納得いかねえって顔だな、殺生丸。なら一つだけ教えておいてやる。今のお前じゃ鉄砕牙は扱えねえ」

「何……?」

 

 

そんな殺生丸に向かって刀々斎はさらにもう一つの事実を伝える。殺生丸にとってはあまりにも酷な現実を。

 

 

「結界さ。今の鉄砕牙には結界が張ってある。妖怪じゃ扱うことができないようにな。あの刀に触れることができるのは半妖と人間だけだ」

「戯言を……」

「そう思うなら確かめてみればいいさ。あの結界は殺生丸、お前が犬夜叉から鉄砕牙を奪おうとするのを防ぐために施したもんだ。親父殿は自分が死ねばお前がどうするのかを分かってたのさ」

「…………」

「っ!? こ、これ殺生丸、力を緩めんか! 年寄りは労わるもんじゃぞ!?」

 

 

歯ぎしりをし、鞘を握りしめながら殺生丸はただ刀々斎を睨みつけている。その視線の先にはもうこの世にはいない父の姿がある。自らが尊敬し、同時に超えるべき存在だった父。そんな父が何故こんなことをするのか。

 

 

「なあ、殺生丸。どうして親父殿はこんな刀の分け方をしたんだと思う? 犬夜叉可愛さにお前に貧乏くじを引かせたと本気で思ってんのか?」

「…………黙れ」

 

 

ただ絞り出すようにそうつぶやく。拒絶の声。お前に何が分かるのか、と。知った風に語る刀々斎に対して、それでもそれ以外に反論する余地が、余裕が今の殺生丸には残っていない。あるのは怒りと悔しさだけ。

 

 

「鉄砕牙は犬夜叉にとっての守り刀。最初から鉄砕牙はそのために生み出されたもんだ。だが殺生丸、お前は違う。親父殿は分かってたのさ。お前には刀を譲る必要がないってな。お前だって薄々勘付いてるんだろ、殺生丸? 親父殿は――」

「黙れ――――!!」

 

 

それ以上は聞くに値しない。聞くもないとばかりに殺生丸は叢雲牙を抜き放ち、その力を解き放つ。凄まじい剣圧と共に全てが無に帰していく。天下覇道の剣と呼ばれる叢雲牙の力の一端。粉塵が収まった先にはもう刀々斎たちの姿はない。手応えがなかったことから恐らく逃げおおせたのだろう。だが今の殺生丸にとってはそんなことはどうでもよかった。叢雲牙を手に入れた喜びももはや消え去ってしまっている。あるのはただ

 

 

「父上……」

 

 

ここにはいない、父の姿だけ。

 

 

 

それが殺生丸が父の死を受け入れた瞬間。そして、本来の道とは大きく違う御伽草子の始まりだった――――

 

 

 

 



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第四話 「意地」

「犬夜叉ー? どこー? いるんでしょー?」

 

 

森の中で大声を上げるも一向に返事はない。いつもならこの辺りで木の上に寝そべっているのにどうしたのか。近くにいるのは間違いない。いつかのように無視しているのかもしれない。いつまでもこうしていては埒が明かない。仕方なく私は強硬手段に出ることにする。それは

 

 

「しょうがないわね……おすわり!」

「へぶっ!?」

 

 

おすわりによるあぶり出し。そのかいもあってか犬夜叉が叫びを上げながら木から落下してくる。まるで木を蹴って虫取りをする要領。ちょっと楽しかったが犬夜叉には内緒にしておこう。

 

 

「やっぱりいるんじゃない。なんで返事してくれないのよ?」

「やかましい! てめえこそどういうつもりだ!?」

「どういうつもりも何も晩御飯に誘いに来たの。楓おばあちゃんが犬夜叉も呼んできなさいって」

「けっ、なんで俺が。飯ぐらい一人で食うから余計なことすんじゃねえ」

 

 

おすわりで強制的に起こされたからか、それとも一緒にご飯を食べるのが恥ずかしいのか。きっとその両方だろう。ここまで予想通りの反応をされては呆れを通り越してしまう。それでもいつもよりも犬夜叉の機嫌が悪い気がする。その理由もおおよそは見当がついている。

 

 

「やっぱりあの殺生丸って人の事を気にしてたの?」

「……そんなんじゃねえよ」

 

 

今日出会った犬夜叉の兄である妖怪、殺生丸。彼と会ってから犬夜叉はずっと不愛想になっている。今も目を反らしたままつんけんしている有様。付き合わされるこっちの身にもなってほしい。そんな中、ふと目に付くのは犬夜叉が腰に差している一本の刀。

 

 

「ふーん……あ、じゃあその刀、私が預かっておこうか? 犬夜叉、その刀いらないんでしょ?」

「っ!? さ、触るんじゃねえよ! これは俺のモンだ!」

 

 

ちょっとした意地悪でその刀に手を伸ばそうとするも、犬夜叉はまるで自分のごはんを取られまいとする犬のようにその場から飛び跳ねながら逃げてしまう。うー、と唸りながらこっちを威嚇してくる始末。

 

 

「あっそ……ほんとに意地っぱりなんだから」

 

 

あんなに殺生丸から譲られた時には不満たらたらだったのに、やっぱりあの刀は譲れないらしい。言ってることと行動が正反対。こういうのをあれだ、ツンデレっていうのかもしれない。

 

 

「でもその刀……えっと何て言ったっけ? そんなにすごい刀なの? ただの古い刀にしか見えないんだけど……」

「鉄砕牙だ! へっ、かごめ、お前の目は節穴だな。こいつは一振りで百の妖怪をぶった斬れる力があるんだ!」

「一振りで百の妖怪を……?」

 

 

犬夜叉の言葉に思わず聞き返してしまう。聞き間違いだろうか。一振りで百の妖怪を斬るなんてどういうことなのか。ぱっと見ただのボロっちい刀にしか見えないのだが。でも冗談を言っているようにも見えない。

 

 

「信じてねえな? いいぜ、特別に見せてやる。あとで吠え面かいても知らねえからな!」

 

 

そんな私の態度を感じ取ったのか、犬夜叉はまるで新しく手に入れたおもちゃを見せびらかすように鞘から刀を抜き放つ。どんなすごい刀が出てくるのかと思ったらそれはサビてボロボロになってしまっている。今にも折れてしまいそうなもの。だが犬夜叉は全く気にしていない。どうやら刀自体は間違いないらしい。

 

 

「いくぜ、鉄砕牙――!!」

 

 

そのまま叫びながら犬夜叉は手に力を込めながら剣を振り下ろす。その動きに一瞬、息をのむも―――

 

 

「……何も起きないじゃない」

「なっ!? そ、そんなはずは……!? くそっ! このっ! このっ!?」

 

 

何も起きなかった。百の妖怪を斬るどころか虫一匹斬れるかどうかも怪しい。犬夜叉にとっても完全に予想外だったのか、目を丸くしながら何度も刀を振っているが何も起きない。傍目から見れば素振りをしているだけ。ただの痛い人だった。

 

 

「もしかして私をからかってたの?」

「んなわけねえだろ!? なんでだ……? 殺生丸の野郎が使ってた時には変化してたのに……!?」

 

 

何でも本当は錆びた刀が巨大な牙のような形に変化する代物らしい。だが犬夜叉の手にある刀はうんともすんとも言わない。刀に嫌われてしまっているのだろうか。

 

 

「っ! そうだ! きっとこの赤い布のせいだ! 俺が知ってる鉄砕牙にはこんなもん巻きついてなかった! 殺生丸の野郎、何か細工しやがったな!?」

 

 

そう言いながら犬夜叉は刀の柄に巻き付いている赤い布を手で引っ張ったり終いには噛みついて引き千切ろうとしているが布はビクともしない。刀とは違い、見た目とは違って頑丈な布らしい。しかし刀に組み付いて四苦八苦している犬夜叉の姿は間抜けなことこの上ない。本人は大真面目なのだろうが。

 

 

「ちくしょう……どうなってんだ……」

「大丈夫、犬夜叉? そんなに気になるならあの殺生丸って人に聞きに行けばいいじゃない」

「そんなことできるわけねえだろ!? なんであんな奴に……」

 

 

元の持ち主である殺生丸ならきっと刀の使い方も知っているはず。なのに犬夜叉は頑としてそれを認めようとはしない。だがそんな姿を見て、ふと思ったことを口にしてしまう。ずっと思っていた疑問。

 

 

「犬夜叉……あんた、ほんとはお兄さんの事、好きなんでしょ?」

「っ!? な、なんでそうなる!? あんな奴、これっぽっちも好きじゃねえ!」

「そうよね。なんだが冷たそうだったし、怖かったし。犬夜叉も大怪我させられちゃったし、私も大嫌いになったかも」

「……っ! お前に殺生丸の何が分かるってんだ!? あいつは……」

「ほら、やっぱり好きなんじゃない」

「――っ?!?! う、うるせえ! とにかく飯なんて食いに行かねえからな! 楓のばばあにもそう言っとけ!」

 

 

それを突き付けた瞬間、犬夜叉は面白いように狼狽しながら刀を抱えてそのまま脱兎のごとく逃げ去ってしまう。ちょっと意地悪し過ぎてしまった気もするけど、たまにはいいだろう。

 

 

とりあえず天邪鬼な誰かさんは置いておいて、村に戻ることにしたのだった――――

 

 

 

 

「いただきまーす!」

 

 

両手を合わせながら目の前に出された晩御飯に手をつける。ご飯に味噌汁に焼き魚。なんの変哲もない、現代からすれば質素だと言われてもおかしくない料理だが

 

 

「おいしー! ママのごはんもおいしいけど、楓おばあちゃんのごはんも同じぐらいおいしいかも!」

 

 

とてもおいしい。素材のせいか、それとも雰囲気のせいか。戦国時代で食べるごはんもおいしい。もしかしたら楓おばあちゃんの料理がおいしいだけなのかもしれない。とにかくこの食事も私がこっちに来る楽しみの一つだった。

 

 

「そう言ってもらえると作りがいがあるってもんだよ。今日はこっちに泊まっていくのかい、かごめ?」

「うん、ママたちにはもう言ってあるから大丈夫」

「そうか、ならゆっくりするといい。ところで犬夜叉の奴はどうした? 姿が見えんが」

「犬夜叉なら誘ったんだけど来ないって。今日は一日中不機嫌だったし、そのせいかも」

「あやつが不機嫌なのは今に始まったことではないが……何かあったのか?」

「うん、今日殺生丸って妖怪が犬夜叉に会いに来てたの。犬夜叉のお兄さんみたいなんだけど」

 

 

一緒にご飯を食べながら今日の出来事を楓おばあちゃんに聞いてもらう。機嫌が悪いのが当たり前なんて思われてる時点でどうかと思うがともかく今日はいつもの比ではなかった。ちょっと愚痴を言っても許されるだろう。でも

 

 

「殺生丸……? あの犬神の殺生丸のことか?」

「え? 楓おばあちゃん、殺生丸の事知ってるの?」

 

 

予想外だったのは楓おばあちゃんの反応。まるで殺生丸のことを知っているかのような驚きよう。犬神なんて変な言葉も付いてるし、もしかして有名な妖怪だったりするのだろうか。

 

 

「この国で殺生丸のことを知らぬ人間はおらぬよ。百年以上前にあった大きな妖怪の戦を終わらせた大妖怪だからね。この国では人間はもちろん、妖怪でも殺生丸に敵う者はおらん。その強さから犬神と呼ばれておる」

「そんなに凄い妖怪だったんだ……」

 

 

お味噌汁を飲みながらとりあえず相槌を打つしかない。何だかお伽噺を聞かされてるみたいに実感はわかないが、とにかくあの殺生丸という妖怪は凄い妖怪だったらしい。ならあの犬夜叉が手も足も出ないのも頷ける。犬夜叉に聞かれたら怒られるかもしれないけど。同時にあの時のことを思い出してしまう。殺生丸が別れ際に言っていたこと。

 

 

「どうした、かごめ。何か気になることがあるのか?」

「え? う、うん……実はその殺生丸が私を見た後に犬夜叉によく分からないことを言ってたの」

「よく分からないこと?」

「えっと……私のことを巫女って言って、同じことを繰り返す気かって犬夜叉に」

「……そうか。犬夜叉は何か言っていたか?」

「ううん、ただすごく怖い顔をしてた……」

 

 

今思い出してもあの時の犬夜叉は怖かった。今までに見たことのないような表情をしていたのだから。一体何をあんなに怒っていたんだろう。

 

 

「……かごめは犬夜叉がなぜ封印されていたかは知っておるな?」

「え? うん、四魂の玉を手に入れようとして桔梗って人に封印されたって……違うの?」

「違ってはおらん。ただ、皆が知らぬことがある……桔梗お姉様と犬夜叉、二人は恋仲だったのだ」

「恋仲……? それって、恋人ってこと……?」

「うむ、少なくとも私にはそう見えていた」

 

 

楓おばあちゃんから聞かされたあまりにも信じられない話に思わず固まってしまう。当たり前だ。犬夜叉と桔梗は四魂の玉を巡る敵同士。事実、犬夜叉も桔梗のことを嫌っている。容姿と臭いが似ているだけの私を嫌っているぐらいに。なのにどうして。

 

 

「お姉様は四魂の玉を守る巫女。犬夜叉はそれを狙う者。正反対の二人だったが、それ故に惹かれ合うものがあったのだろう。犬夜叉と接しているお姉様は本当に楽しそうにされていた」

 

 

当時を思い出しているのか、楓おばあちゃんは目を閉じながらぽつりぽつりと話を聞かせてくれる。犬夜叉と桔梗。そして四魂の玉の因縁を。

 

 

「お姉様は犬夜叉を四魂の玉を使い、人間にしようとされていた。犬夜叉もそれを望んでいた」

「犬夜叉を人間に……? そんなことができるの?」

「四魂の玉は妖怪の妖力を高めるだけではない、良いことにも使うことができる。半妖の犬夜叉であれば妖怪になることも、その逆に人間になることも」

「そうなんだ……でも、なら何で犬夜叉は四魂の玉を奪ったりしたの? 人間になるって決めたのに……」

 

 

それが分からない。あの犬夜叉が人間になろうとしていたこともだが、それ以上にそう決めていたのになぜ犬夜叉は四魂の玉を奪ったりしたのだろうか。桔梗を騙そうとしていたのかとも考えたがすぐにそれはありえないと悟る。騙すぐらいなら犬夜叉は正面から四魂の玉を奪いに行くだろう。犬夜叉はそういう奴。

 

 

「私もそれが分からなかった……だがその理由を知ることができたのだ。殺生丸によってな」

「殺生丸……? 楓おばあちゃんは殺生丸と会ったことがあるの?」

 

 

そこで突然その名が出てきて首をかしげてしまう。その口ぶりはまるで殺生丸と会ったことがあるかのよう。

 

 

「うむ、あれは桔梗お姉様が亡くなり、犬夜叉が封印されてからほどなくしてだった。幼かった私はお姉様の代わりを務めようと必死でな。村を守るために森の見回りをしていた時、御神木の前に見慣れぬ男が立っておるのを見つけた。それが殺生丸だと知ったのは全てが終わってからだったが」

 

 

楓おばあちゃんはその当時を思い返しながら話してくれる。犬夜叉が封印された御神木。その前にあの殺生丸がいたのだと。

 

 

「殺生丸はどうやら犬夜叉の封印を解こうとしていたらしい。今でもはっきり覚えておるよ。傍にいたもう一人の小さな妖怪が大騒ぎしていたのを。当時の私はまだ未熟でな。何とか二人を退治しようとしたが全く通用しなかった。そのまま殺されることを覚悟をしていた私に殺生丸は問いただしてきた。『なぜあの巫女は犬夜叉を裏切ったのか』と」

 

 

黙って話を聞き続けるしかない。どうやら殺生丸は犬夜叉の封印を解くためにその場に訪れていたらしい。小さい妖怪とは間違いなくあの邪見という妖怪の事だろう。

 

 

「私はすぐに言い返した。犬夜叉の方が先にお姉様を裏切ったのだと。だがいくら話しても話が噛み合わない。そのしばらく後、殺生丸は私にお姉様が犬夜叉に襲われた場所に案内するように言ってきた」

「桔梗が襲われた場所……?」

 

 

訳が分からない。殺生丸が何でそんなことを言ってきたのか。そんな場所に行って何の意味があるのか。けどその理由はおばあちゃんの話を最後まで聞いてようやく理解できた。

 

 

「仕方なくその場所に案内すると、殺生丸はその場でしばらくじっとしていたかと思えばそのまま違う場所に向かっていった。私はその場所に着いて驚愕した。そこは鬼蜘蛛と呼ばれる野盗がお姉様によって看病されていた祠だった」

「鬼蜘蛛……」

 

 

鬼蜘蛛。それは野盗であり、大怪我と大火傷を追ってしまった男の名。その男を桔梗は祠に匿い、看病していたのだという。そして鬼蜘蛛はそんな桔梗に対して邪な思いを抱いていた。桔梗が亡くなれば、看病するものがいない鬼蜘蛛はそのまま死ぬしかないはずだった。だが

 

 

「そこに鬼蜘蛛の姿はなかった。あるのはこの世の物とは思えないような邪気だけ。殺生丸は鬼蜘蛛のことだけ私から聞き出した後、そのままどこかへ行ってしまった。それ以来、殺生丸とは会っていない」

「おばあちゃん……もしかしてその鬼蜘蛛ってやつが」

「うむ、恐らく奴がお姉様を殺したのだ。犬夜叉とお姉様を憎しみ合わせたのも」

 

 

ようやく分かった。殺生丸がなぜ桔梗が襲われた場所に行ったのか。そのまま鬼蜘蛛のいた祠に行くことができたのか。それは臭い。犬夜叉は臭いによって人や妖怪の場所を探ることができる、なら兄である殺生丸に同じことができてもおかしくない。きっと殺生丸はその臭いで犬夜叉と桔梗を殺し合わせた相手が鬼蜘蛛だと見抜いたのだろう。

 

 

「じゃあ、殺生丸が犬夜叉に言ってたのって……」

「……また犬夜叉が巫女であるかごめ、お主に封印し、殺されるのを案じていたのだろう」

 

 

それがあの言葉の意味。犬夜叉にとっては忘れることができない過去、トラウマを抉られたに等しい言葉。裏を返せば犬夜叉を案じている言葉でもあるもの。

 

私にとってもそれはきっと他人事ではない。巫女の力を持ち、桔梗の生まれ変わりである自分。そんな私がこの時代にやってきて犬夜叉の封印を解き、出会った。四魂の玉と共に。あまりにもできすぎている。見えない力に翻弄されている気すらする。

 

でもきっと大丈夫。

 

 

「大丈夫よ、楓おばあちゃん。私はその桔梗って人の生まれ変わりかもしれないけど、桔梗じゃないもの」

 

 

私は日暮かごめ。桔梗ではない。生まれ変わりだったとしても私は私。そんなことには絶対にならない。何より

 

 

「それに封印なんてしなくても私にはおすわりがあ」

 

 

るから大丈夫、と口にしかけた瞬間、家の外から大きな物音と共に誰かが慌てて逃げ去っていく気配を感じる。もはや口にするまでもない。

 

 

「……盗み聞きしておったか。素直に入ってくればいいものを」

「……兄弟そろって素直じゃないんだから」

 

 

ある意味似た兄弟である犬夜叉と殺生丸に溜息を吐きながら、かごめの長かった戦国時代での一日は更けていくのだった――――

 

 

 

 



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第五話 「始まり」

「何だ貴様は? ここが俺たち鬼の縄張りだと知らないのか?」

「ここから立ち去れ! でなくば八つ裂きにしてくれる!」

 

 

今にも襲い掛からんとする勢いで二匹の妖怪が声を荒げている。それは鬼だった。頭にはその名の通り角があり、人間の何倍もあるような体躯。言葉通り相手を八つ裂きにして余りある爪と牙をちらつかせている。だがそれを前にして

 

 

「…………」

 

 

表情一つ変えず、殺生丸はその二匹の鬼の間を素通りしていく。声を出すことはおろか一瞥することすらない。まるで鬼たちなど最初から眼中にないといわんばかり。そしてそれは正しかった。なぜなら殺生丸にとって目の前のいる鬼など道草に落ちている石と変わらないのだから。

 

 

「っ!? 貴様、我らを誰だと――」

 

 

憤怒の表情と共に二匹の鬼は殺生丸へ襲い掛かる。自分たちの縄張りを無視した挙句にこの屈辱。どんな妖怪であったとしても同じようにするだろう。ただ幸運だったのは、鬼たちは自分たちが死んだことにすら気づけずにこの世を去ったこと。

 

 

「邪魔だ」

 

 

断末魔を上げる暇もなく、鬼たちはただの肉塊へと姿を変えていた。一瞬、殺生丸がその指先を動かした瞬間に鬼たちは絶命した。皮肉にも自分たちが八つ裂きになりながら。そこに理由はない。妖怪であろうと人間であろうと。女子供であろうと例外はない。ただ邪魔だったから。あまりにも単純であるが故に恐ろしい。だがそれだけでは終わらなかった。

 

二匹の鬼が殺されてしまったことを悟ったのか。無数の鬼、この森を縄張りにしている鬼たちが殺生丸に向かって集まってくる。殺生丸は臭いだけですべての状況を把握する。多勢に無勢。仲間の敵を討たんと雄たけびを上げながら鬼が迫る。その事実に殺生丸の目がわずかに細まる。焦りなどでは決してない。ただ不快を、煩わしさを表しただけ。同時にその手が自らの腰にある刀に伸びる。

 

 

「消えろ」

 

 

その刀を抜き放った瞬間、全てが消え去った。

 

 

それは黒い龍だった。殺生丸の持つ刀からこの世の物とは思えない強力な妖気と邪気を孕んだ黒い龍が生まれ、すべてを飲み込んでいく。鬼たちだけではない。周りの木々も、動物も、大地すらも。生きとし生けるもの全てを飲み見込みながら黒い竜巻は死を降り注がせる。後には何もない、破壊しつくされた死の大地だけ。

 

 

『獄龍破』

 

 

それがその技の名前。鉄砕牙の奥義である爆流破をも超える奥義。殺生丸が持つ天下覇道の剣、叢雲牙の真の力だった――――

 

 

 

殺生丸はただ無表情に自らが放った獄龍破の惨状を見つめている。これだけの惨状を生み出しながらも眉一つ動かさない。ただその胸中にあるのはただ一つ。

 

 

『どうした……浮かない顔をしているな、殺生丸?』

 

 

そんな中、どこからともなく声が響き渡る。地の底から聞こえるような重苦しい声。だが殺生丸以外にこの場には誰もいない。全て先の一撃によって消し飛んでしまっている。しかしその場には殺生丸以外に意志を持つものが確かに存在していた。それは

 

 

「……私の許しなく話しかけるなと言ったはずだが」

『我に誤魔化しは聞かぬ。我を手にしている限り貴様の心はお見通しだ』

 

 

叢雲牙。そこに宿っている太古の悪霊が使い手である殺生丸に向かって話しかけている。だがそれは決して友好的なものではない。その証拠に叢雲牙は嘲笑うかのように声を上げ、その柄にある宝玉が妖しげな光を放っている。

 

 

『鉄砕牙……未だに形見の刀に執着しているな、殺生丸。憐れなことよ、譲られなかった刀に囚われているとは』

「……黙れ」

 

 

叢雲牙は見抜いていた。殺生丸の心の内にある鉄砕牙への執着を。その先にあるものまで。同じ兄弟でありながら自分には譲られなかった鉄砕牙。半妖でありながらそれを手にした犬夜叉。その負ともいえる感情を叢雲牙は嘲笑う。殺生丸はただ否定するだけ。だがその表情は険しさを増している。触れられたくない、自らの心の内を覗かれるに等しい無礼。

 

 

『鉄砕牙のことなど忘れよ、殺生丸……鉄砕牙も天生牙も貴様には必要ない。この叢雲牙さえあればいい。我に全てを委ねよ、そうすれば殺生丸、貴様をこの世の覇者にしてやろう』

 

 

殺生丸の心の隙に付け込むように叢雲牙は囁く。全てを自分に委ねよ、と。そうすればこの世の全てを、覇道を与えると。それは決して世迷言ではない。その全てを叶える力が叢雲牙にはある。

 

瞬間、凄まじい妖気と邪気が叢雲牙から溢れだしてくる。それが刀から殺生丸に向かっていく。それが叢雲牙の力であり、恐ろしさ。使い手に天下覇道の力を与える代わりにその心と体を蝕む邪剣。それに飲み込まれれば最後、死ぬまで、否、死してなお叢雲牙に操られる人形と化してしまう。だが

 

 

「……ただの刀の分際で、この殺生丸に逆らえると思っているのか?」

 

 

殺生丸はそれを己の妖気によって力づくで抑え込む。瞬間、叢雲牙が震えながら力が拮抗するも殺生丸の力と気迫によって叢雲牙の邪気は抑えられていく。それが殺生丸が叢雲牙を持つことができる理由。人間はもちろん、妖怪を含めて叢雲牙を扱うことができるのはこの世には存在しないだろう。

 

 

『ふん……親子揃って愚かな奴らよ……後悔するぞ、殺生丸。貴様は奴と同じく、惨めな最期を……』

 

 

抑え込まれながらも不敵に叢雲牙は呪詛を残す。それはまるで予言だった。戯言だと断ずることができない不吉を孕んだ言葉。それに耳を貸すことなく殺生丸は乱暴に叢雲牙を鞘へと納める。それが新たな厄介者を起こすことになるのを忘れたまま。

 

 

『っ!? な、なんじゃ!? ここはどこじゃ? よ、黄泉の国か……!? 寝ている間に儂は死んだのか……!?』

 

 

まるでたたき起こされたように叢雲牙の鞘から白い幽霊のような妖怪が飛び出してくる。寝ぼけているのかきょろきょろと辺りを見渡しては意味不明なことを口走っている有様。しかしようやく目が覚めたかと思えば目の前には死の大地。あの世だと勘違いするのも無理はないかもしれない。

 

 

『こ、これは……殺生丸、お前また叢雲牙を使いおったな? 何度も言っておるじゃろう、叢雲牙はめったやたらに使うものではないと!』

 

 

ようやく事情を悟った鞘は困った顔をしながら殺生丸にそう諭す。鞘が叢雲牙と共に殺生丸と預けられてもう三年。鞘は何度も殺生丸に叢雲牙を使うことを控えるように忠告してきた。その理由の一つがこの惨状。叢雲牙はその妖気と邪気によって使った後の土地を蝕んでしまう。向こう数百年は人間はおろか妖怪すら住むことができない死の大地に変えてしまう。

 

 

『御館様も叢雲牙を使ったのは飛妖蛾と竜骨精との戦いのときだけじゃ。それ以外の時は儂が封印しておったんじゃからな。たまに寝過ごすこともあったがその時はちゃんと御館様が叢雲牙を抑えておってくれたからのー』

 

 

懐かしみながらも鞘は告げる。殺生丸の父である闘牙王はほとんど叢雲牙を使うことはなかったのだと。闘牙王が叢雲牙を持っていたの自分が使うためでなく、叢雲牙を他の物の手に渡らせないため。いわば封印していたに等しい。そんな闘牙王であっても叢雲牙を使わざるを得ない戦いが二度あった。

 

一つが元寇と呼ばれる大陸の妖怪の軍団がこの国に攻め込んできた時。その頭である飛妖蛾との戦い。

 

もう一つが天下分け目と呼ばれる三年前の戦。東を支配する竜骨精との戦い。

 

そのどちらも闘牙王に匹敵する大妖怪との戦い。それ以外では決して叢雲牙を鞘から抜くことすらなかった。鞘が苦言を呈すのも無理はない。もっとも自分の負担が増えるので止めてほしい、というのが一番の本音だったのだが。

 

 

『それに今は鉄砕牙もないしの……天生牙はあるが、どうしても御館様に比べると頼りないというか何というか……』

 

 

溜息を吐きながら鞘はぐちぐちと愚痴り始める。鉄砕牙と天生牙。二本の刀にはその能力以外にももう一つ役割があった。それが叢雲牙を抑えること。二本が近くにあることで叢雲牙は力を封じられ本来の力を発揮できない。いわばもう一つの鞘。しかし今は天生牙しか傍にはなく、殺生丸もいるが闘牙王に比べれば実力は大きく落ちる。鞘からすれば心配になるも当然。だが

 

 

「……父上にできたことが、この私にできないとでも言う気か」

 

 

それは殺生丸にとっては禁句に等しい言葉。目は見開き、鞘を持つ手には万力のような力が加わっている。そのままではへし折れてしまうような剛力。余計なことを言えばへし折るとその眼光が告げている。

 

 

『分かった! 分かったから手を離さんか!? まったく……年寄りは労わらんかい。御館様の気持ちが分かるわい……』

「黙れ。貴様が父上を語るな」

 

 

やっぱり骨喰いの井戸の方が、とぶつぶつ言いながらも鞘はしぶしぶ黙り込む。後には殺生丸一人きり。そのまま殺生丸は自らの腰にあるもう一本の刀、天生牙に目を向ける。父が自分に残した刀。だがそれは何も答えることはない。ただ静かにそこにあるだけ。まるで自分には使い手の資格がないのだと告げるかのように。それは父に認めてもらえていないにも等しい屈辱。

 

 

ただ殺生丸はさまよい続ける。力を、鉄砕牙を求めて。その先に己の覇道があるのだと。未だに追い越せぬ父の背中を見ながら――――

 

 

 

 

――ただ屋敷の中を走り続ける。特に理由はなかった。ただ走っているだけで楽しい。屋敷の中はいろんなものがあって探検しているみたいで楽しい。いつもなら叱ってくるお手伝いも今はいない。なら今の内にいっぱい遊ばなくては。

 

 

「わっ!?」

 

 

思わず着物を踏んづけて足が滑って転んでしまう。びっくりしたけど大丈夫。どこも痛くないし、泣いたらまた母上に心配をかけてしまう。

 

 

「うーん……やっぱり大きいかな……?」

 

 

ぶるぶると頭を振った後、自分が着ている着物を見てみる。真っ赤な着物。本当はおとなの大きさだけど、自分に合うように織り込んでくれている。だけど重くて動きにくいけど、この着物はお気に入りだった。

 

 

(父上もこれ、着てたのかな……?)

 

 

それは父上が持っていた着物だから。父上は自分が生まれる前に死んでしまって顔も知らない。でもよく母上は聞かせてくれる。父上はとっても強く、とっても優しかったって。この着物も、父上が母上を助けるためにくれたもの。自分にとっては一番の宝物。これを着ていれば父上と一緒な気がする。

 

そのままくんくんと赤い着物、ひねずみの着物の臭いを嗅いでみる。自分と母上以外の臭いがする。きっとこれが、父上の臭い。嗅いでいると安心できる、大好きな臭い。そんな中、どこから声が聞こえてくる。耳を動かして耳を澄ましてみる。それは庭の方からだった。たくさんの人が楽しそうにしている声。それが気になって走っていくと

 

 

「わあ!」

 

 

そこにはおとなやこどもが一緒に遊んでいるところだった。丸いものを蹴って遊んでいる。確か、けまりだったっけ。見ていると何だが体がうずうずしてくる。いてもたってもいられなくなってしまった。

 

 

「まぜてー!」

 

 

自分の前にたまたま転んできた玉を拾いながらみんなに向かっていく。一人で屋敷の中を探検するのも楽しいけど、こっちのほうがもっと楽しそう。でも、自分はすっかり忘れてしまっていた。

 

 

――――自分が、みんなとは違うんだってことを。

 

 

自分が出て行った瞬間、みんな遊ぶのをやめてどこかに行ってしまう。あんなに楽しそうにしていたのに、まるで嘘だったように。ただ嫌な目でこっちを見てくるだけ。みんなが一緒のことを言ってくる。

 

 

はんよう。もののけ。あやかし。

 

 

それが自分がみんなから嫌われている理由。自分はにんげんじゃないから、みんなとは遊んでもらえない。どうしてだろう。どうして自分はにんげんじゃないんだろう。ようかいなら自分と遊んでくれるだろうか。仲良くしてくれるだろうか。

 

 

「犬夜叉」

 

 

後ろから呼ばれて振り返る。そこには母上がいた。綺麗で優しい、大好きな母上。

 

 

「母上!」

 

 

嬉しくて母上に近づくと何故かそのまま抱きしめられた。すごくあったかくて、いい臭いがする。でも顔を上げるといつもの笑っている母上はいなかった。

 

 

「ごめんなさい……犬夜叉」

 

 

母上は泣いていた。母上は何も悪くないのに、謝っている。自分だって悪くない。なのになんでかなしいんだろう。自分のせいで母上が泣いているのが一番かなしい。そのままがまんできなくなって泣いてしまいそうになった時、気づいた。

 

 

それは男の人だった。鎧を着て、腰の刀をさしている男の人。その髪は自分と同じ銀色。いつからそこにいたのか、離れたところからこっちを見ている。

 

 

ただずっとその姿から目を離せなかった。その人が見たことない人だったからではない。ただ、その人の臭いを知っていたから。それは

 

 

「父上……?」

 

 

自分が知っている、父上の臭いとそっくりだったから。

 

 

 

それが幼い犬夜叉と殺生丸の出会い。そして殺生丸にとっての覇道の始まりだった――――

 

 

 

 



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第六話 「母」

 

多くの貴族が暮らす屋敷の中を一人の女性が足早に歩いている。その長く美しい黒髪に加え、その美貌はどこか日本的な女性の美しさを兼ね備えている。女性の名は十六夜。十六夜はどこか慌てた様子で何枚も重ねられた着物を引きずりながら誰かを探していた。

 

 

(犬夜叉……いったいどこに……?)

 

 

探しているのは息子である犬夜叉。今年で三つになる一人息子。大きな病気をすることもなく健康に育ってくれているのは本当に嬉しいのだが、いかんせん好奇心旺盛なのは困りもの。歩けるようになってからは特にそう。目に映る物全てが珍しくてたまらない、そんな風ですらある。見守る親としては冷や冷やすることもあるが、男の子の親とはこういうものなのかもしれない。

 

けれど、自分はそう楽観することはできなかった。私は、犬夜叉はその普通には当てはまらない親子なのだから。

 

 

 

(あれは……!)

 

 

そんな中、ようやく犬夜叉の姿を見つけて安堵する。やはり少し目を離した隙に屋敷を走り回っていたらしい。あの子にとってはこんな屋敷は小さくて窮屈に感じるのかもしれない。そこに閉じ込めてしまっている自分の不甲斐なさを情けなく思いながらもその跡を追いかける。その先には

 

 

ただ一人、蹴鞠を持ちながら立ち尽くしている犬夜叉の姿があった。

 

 

きっと他の貴族たちが遊んでいたところに混ぜてほしいと近寄って行ったのだろう。もうその姿は見えない。あの子が来たことで皆、いなくなってしまったに違いない。幼いながらもその意味に気づいているのか、犬夜叉はただその場に立ちすくんでいる。その胸中は察するに余りある。

 

『半妖』

 

人間でも、妖怪でもない存在。どちらの側にもなれない者。それ故に差別され、忌避されてしまう。幼い犬夜叉といえど、それは例外ではなかった。いや、子供だからこそなのかもしれない。

 

 

「犬夜叉……」

 

 

知らず声が出ていた。ただそこから先の言葉が出てこない。できるのはただ

 

 

「母上!」

 

 

自分の姿を見るなり元気そうに振舞いながら自分の胸に飛び込んでくる犬夜叉を抱きしめることだけ。そう、分かっていた。先ほどの光景、一人孤独に佇んでいた犬夜叉の姿。あれが遠からず犬夜叉に訪れるであろう未来の光景なのだということは。今はいい。まだ自分がいる。この子を一人にはさせない。愛していける。でも共に生きていくことはできない。人間である私は、きっとこの子より先に逝くだろう。そうなれば、この子は一人で生きていくことができるだろうか。

 

 

「ごめんなさい……犬夜叉」

 

 

ただそう謝るしかなかった。私はあの人を愛し、この子を授かったことに後悔はない。それでも、その生まれを犬夜叉に強いてしまったのは間違いなく自分の罪。将来、犬夜叉は恨むかもしれない。半妖に生んだこの母のことを。それでも今はこうして抱きしめさせてほしい。今はまだ。そう涙を流しかけた時

 

 

「父上……?」

 

 

そんな、犬夜叉の声によって私は顔を上げる。瞬間、私の時は止まってしまった。

 

 

そこには一人の男性がいた。ただその容姿に、空気に息を飲む。一目で彼が妖怪なのだということを悟った。人間ではない者の空気がそこにはある。でもそんなことは些細なこと。あるのはただ

 

 

「あなた……?」

 

 

今は亡き夫、闘牙王様の姿に瓜二つだったこと。生き写しと言ってもいいほどに、目の前にいる妖怪はあの人にそっくりだった。思わずそのまま見入ってしまうも

 

 

「……貴様が犬夜叉か」

 

 

私の姿を見ることもなく、その妖怪は私に抱かれている犬夜叉へ向かって問いかけてくる。その声色と視線は冷たく鋭いもの。その証拠に無表情ながらも隠し切れない嫌悪がある。今まで貴族たちが犬夜叉へ向けていた偏見、差別。そういったものが大したものではないと思えてしまうほどのもの。

 

 

「……?」

 

 

それに気づいていないのか。それともそんなことが気にならないほどにその妖怪の姿に目を奪われているのか。犬夜叉は目をぱちくりさせながら妖怪を見つめたまま。人見知りとは無縁だったこの子では考えられないような反応。そしてようやく思い至る。目の前の妖怪が、いや目の前のお方が誰なのか。

 

 

「もしや……殺生丸様、なのですか……?」

 

 

殺生丸様。主人である闘牙王様のもう一人のご子息。それがきっと目の前のいる方なのだと。

 

 

「……なぜ私の名を知っている?」

「あの人……闘牙王様から何度かお聞きしています。自分には殺生丸様という息子がいると。あなた様がそうなのですね?」

 

 

初めて私に気づいたかのように殺生丸様はなぜ自分を知っているのかと問いかけてくる。その視線と威圧は犬夜叉へのそれとは比が違う。まるで虫けらを見るかのような冷たい瞳。それに気圧されながらも返事をするも殺生丸様は何も答えることはない。まるで自分には全く興味がないかのように。

 

 

「? 母上、この人誰?」

「失礼ですよ、犬夜叉。この方はあの人の……父上のご子息、そうですね……あなたのお兄様にあたるお方です」

「お兄様……? それって、兄上ってこと? ぼくに兄上がいたの!?」

 

 

私の言葉をどこまで理解しているのか。それまでの委縮っぷりが嘘のように犬夜叉は満面の笑みを浮かべながらはしゃいでいる。無理もないかもしれない。今まで一人っ子だったと思っていた自分に兄がいたと知ったのだから。そのまま殺生丸様の元に走り出してしまいかねない勢い。しかしそれは

 

 

「私がその半妖風情と兄弟だと……? ふざけるな」

 

 

憤怒にも似た殺生丸様の言葉によって消え去ってしまった。

 

 

(これは……殺生丸様はやはり、私たちのことを……)

 

 

その殺気に思わずその場に倒れてしまいそうなのを必死に耐えながらようやく悟る。殺生丸様が私達親子のことを憎んでいるのだということを。妖怪として人間や半妖を見下しているのもあるのだろう。だがきっとそれ以上に、私達のことを許すことができないに違いない。当たり前だ。私は殺生丸様にとっての父を死なせてしまった存在なのだから。そんな私から生まれた犬夜叉もまた同じ。父を奪った存在。

 

このままでは殺されてしまう。逃げなければ。そう本能が訴えるが、動くことができなかった。それはかつて闘牙王様から聞かされた殺生丸様のこと。まだ未熟であるが、将来、必ず自分を超えていく者だとあの方は仰っていた。その時のあの方の嬉しそうな顔と声色を覚えてる。ならきっと。私も同じように、この方に夫に通じる何かを感じ取っている。

 

そのままお互いに見つめ合っている中

 

 

『なんじゃ、騒々しい……おちおち寝ておれんじゃろーが。また何か騒ぎを起こしておるのか、殺生丸?』

 

 

どこかこの場に似つかわしくない老人の声が響き渡る。私たちの他には誰もいないにも関わらず、一体どこから。そんな中、殺生丸様が携えている刀の鞘から白い幽霊のような妖怪が姿を現す。そこでやっと思い至る。自分にとっても懐かしい方との再会。

 

 

『何じゃ? なんで人間の女などがおる? 殺生丸、あれほど人間を毛嫌いしておったのにどういう風の吹きまわしじゃ?』

「お久しぶりです、鞘様。お元気そうで何よりです」

『お? お前、儂の事知っとるのか?』

「はい。闘牙王様の妻の十六夜です」

『十六夜……? おお、そういえばそうじゃった! いや、最近物忘れが激しくてのう。元気そうで何よりじゃ』

 

 

ようやく思い出していただけたのか、鞘様は誤魔化しながらも私の無事を喜んでくださっている。どうやら物忘れはあの時よりもひどくなっているらしい。けれど無理もないのかもしれない。鞘様と最後に会ったのは三年前。犬夜叉が生まれた時以来なのだから。

 

 

『ということは……ひょっとしてお前、犬夜叉か?』

「うん……じいちゃん誰? もしかしてぼくのじいちゃん?」

『おお、やはりそうじゃったか。あの時は生まれたばかりの赤子だったが大きなったの。儂はお前の親父殿に世話になっとった者じゃ。お前の祖父ではないぞ。年寄りではあるがなー』

 

 

いつの間にか私の後ろに隠れてしまっている犬夜叉に向かってどこか感慨深げに鞘様は話しかけて下さる。犬夜叉は先ほどの殺生丸様のこともあってか、おっかなびっくりではあるがやはり気になるのか。ちらちらと殺生丸様を見ながら鞘様と話している。そのまま和やかな空気になりかけるも

 

 

「戯言はそれまでだ……答えろ、鉄砕牙はどこにある」

 

 

そんな殺生丸様の言葉によって、それは断ち切られてしまう。

 

 

「鉄砕牙……?」

「とぼける気か。お前たちが持っていることは分かっている」

 

 

その瞳に冷たさだけではない熱を見てようやく悟る。こんなにも恨んでいるはずの自分たちにの元にこの方が訪れた理由が。

 

 

「てっさいが? てっさいがって何?」

『お主の父上が使っておった刀の事じゃ。凄い刀での、お前のために残してくれた物なんじゃ』

「っ! 父上がぼくに!? ほんと!?」

『そうじゃとも……ん? そうじゃ! 殺生丸、お前まだ鉄砕牙をあきらめておらんかったのか!? あれほど言ったであろう? 鉄砕牙は御館様が犬夜叉に遺した守り刀じゃと! だいたい結界のせいでお前は鉄砕牙には』

「黙れ。次余計なことを喋れば殺す」

 

 

慌てて諭そうとしている鞘様を殺生丸様は力づくで黙らせてしまう。状況が分からない犬夜叉は再び私の後ろに隠れてしまう。それも当然。犬夜叉からすればあの人、父から何かをもらえると思って喜んでいるだけなのだから。その価値も意味も分かってはいない。

 

あの方に敵う者などいないと思えるほどの強さを持っていた闘牙王様。あの人が持っていた三本の刀。そのうちの一本である鉄砕牙には百の妖怪を薙ぎ払う力があると言われている。きっとあの方は犬夜叉の身を案じてそれを遺してくれたのだろう。

 

 

「これが最後だ。鉄砕牙の場所を言え。でなくば」

 

 

命はない、と殺生丸様はその爪で告げる。それが嘘偽りない本気であることは明らか。その腰には二本の刀がある。恐らくはあの方が遺した三本の刀の内の二本。残る最後の一本の鉄砕牙を手に入れることが殺生丸様の悲願なのだろう。いや、きっとそうではない。

 

父である闘牙王様を超えること。それが殺生丸様の覇道。あの方がそうなってくれるように望んだもの。でもきっと、殺生丸様はまだ気づいておられない。あの方の真の強さが何であったのかを。その覇道の在り方を。

 

 

「黒真珠……犬夜叉の左目にそれがあります。鉄砕牙だけでなく、あの方の亡骸と共に」

 

 

一度目を閉じながらそう告げる。犬夜叉自身も知らない、赤子の時に冥加様によってもたらされた封印。犬夜叉が大きくなり、刀を扱えるようになれば渡すように残された遺言。

 

 

『っ!? い、十六夜、なぜそのことを!? そんなことを言えば鉄砕牙を殺生丸に……』

「構いません。こうして殺生丸様がこの場にいらっしゃったこと。きっとこうなることが定めだったのでしょう」

 

 

鞘様が焦り狼狽しているのが申し訳ない。鞘様からすればあの方の遺言に反することになるのだから。でも不思議と焦りも不安もなかった。脅されたからでも、命の危機からでもない。きっと、私は殺生丸様と会えば同じことをしただろう。

 

 

「その代わり、殺生丸様……一つだけ、この十六夜の願いを聞いては下さいませんでしょうか?」

「願いだと……?」

 

 

母として、妻として、おそらくは果たすことができないであろうとあきらめていた一つの願いを。それは

 

 

「はい。どうかその黒真珠の先に、私と犬夜叉も共に行かせてほしいのです」

 

 

十六夜は願う。我が子と共に、愛する人が眠る地を訪れることを。それが犬夜叉と殺生丸の運命を大きく変えることを知らぬまま――――

 

 

 



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第七話 「遺言」

「わあ! すごーい!」

 

 

傍らにいる犬夜叉は目を輝かせ、興奮を隠し切れないのかぴょんぴょんとその場を飛び跳ねている。本当なら諫めなければならないのだが今は仕方ないだろう。私もまた、その光景に目を奪われておるのだから。

 

そこは異界だった。どこまでも続く岩山。見たことのない骨でできている鳥たち。辺りには霧が立ち込め、紫の光が無数に舞っている、幻想的な光景。それが黒真珠の先の世界。妖怪の墓場へと繋がるもの。言葉では分かっていても実際の目の当たりにすることでようやく理解できた。ここがこの世ならざる世界、あの世と呼ばれる場所なのだと。

 

けれど、それ以上に私にとっては、いいや、私たちにとってはこの場所は特別な場所だった。なぜなら

 

 

「大きいー……あれが父上なの?」

「……ええ、そうよ。あれがあなたの父上、闘牙王様よ」

 

 

視線の先には自分にとっては夫であり、犬夜叉にとっては父にあたる方の亡骸があったのだから。その大きさはとても言葉で表せるものではない。その大きさこそがあの方が大妖怪であったことの証。鎧を身に纏ったままの姿はその強さを体現している。それに比べて私たちのなんと小さきことか。

 

 

「母上……なんで泣いてるの? かなしいの?」

「……え?」

 

 

心配そうにこちらを見上げている犬夜叉の言葉によってようやく気付けた。知らず、自らの頬が濡れていることに。胸に浮かぶのはあの時の言葉。

 

 

『……生きろ』

 

 

生きて、生きて生き延びてくれ。その犬夜叉と共に――――

 

 

炎に包まれ、満身創痍の身体でありながら私と犬夜叉を救ってくれたあの方の遺した最後の言葉。

 

その言葉に従い、私は生きてきた。この犬夜叉と共に。母として、ただひたすらに。弱音など吐くことはできなかった。それはきっとあの方の想いを裏切ることになる。半妖であるこの子には、それ以上の苦難が待ち受けている。母である自分が強くなければ。そう信じ、駆け抜けてきた。生きてきた。それでも、流れる涙を抑えることができない。

 

 

(あなた――――ようやく、お会いすることができました)

 

 

この瞬間、ようやく私はあの方が亡くなったのだと、本当の意味で受け入れることができた。この三年間があっという間だったと感じれるほどに。ようやく私は、あの方のことを悼むことができた。

 

 

「大丈夫ですよ、犬夜叉。母は嬉しいのです。貴方と共に、この地へ訪れることができたことが」

「……?」

 

 

意味が分からず呆然としている犬夜叉の頭を撫でながらただ感謝する。恐らくは叶わないであろう願いをかなえて下さったこの方に。

 

 

「本当にありがとうございました、殺生丸様。無理なお願いを聞いてくださり、心から感謝いたします」

「…………お前たちなど関係はない。私の興味があるのはこの先だ」

 

 

横目でこちらを見つめていた殺生丸様はそのまま振り返ることなく歩き出してしまわれる。出会った時から変わらぬ所作。私たちを同行させてくれたのは気まぐれだったのか、それとも本当にどうでもよかったのか。真意は私には計れない。

 

それでもそこに確かな何かを感じながら一度深くその後ろ姿に頭を下げ、後をついて行く。その先は文字通りあの方の中。戦国最強と謳われたあの方の牙が眠る場所だった――――

 

 

 

「あれは……」

「ねえ、母上あれなに? かたな?」

『あれが鉄砕牙じゃ。普段は見てのとおり、ただの錆びた刀じゃが、担い手が持てば巨大な牙へと姿を変えるんじゃ』

「へー」

 

 

私の着物の袖をつかみながらも興味津々に犬夜叉は鉄砕牙に目を奪われている。そしてそれは私も同じ。私は犬夜叉と違い、あの刀を何度も見たことがある。それによって救われたこともある。曰く、人の守り刀であり、誰かを守りたいという気持ちがなければ扱えないとされる宝刀。けれど、その刀は今、持ち主を失いそこに封印されていた。刃が床に突き立てられた状態。ただ静かに、新たな継承者が訪れる時を待っているかのように。

 

 

「…………」

 

 

ただ静かに、殺生丸様は鉄砕牙を見つめ続けている。あれほどまでに追い求められていたものが目の前にあるにも関わらず。ただその瞳には今までは決してみられなかった揺らぎがある。ただ私にもはっきりと分かることがある。それは殺生丸様があの鉄砕牙の先に、今は亡き父の姿を見ているのだということ。

 

 

『っ!? や、止めんか殺生丸! 刀々斎から聞いておろう! 鉄砕牙には妖怪は触れることができぬよう結界が』

「黙れ」

 

 

鞘様の制止が合図になったのか、殺生丸様はゆっくりと、それでも真っすぐに鉄砕牙へと歩み寄っていく。ついに目の前にまで辿り着く。意を決したように目を細め、その右手で鉄砕牙を手にした瞬間

 

 

殺生丸様は閃光と共に、拒絶されてしまった。

 

 

「ぐ――っ!?」

「殺生丸様っ!?」

 

 

今まで表情を崩すことのなかった殺生丸様が苦悶の顔を見せながら鉄砕牙から手を放してしまう。いや、弾かれてしまった。まるで雷が落ちたような閃光と共に刀は自らに触れようとした殺生丸様を拒絶してしまった。

 

 

『いわんこっちゃない……おとなしくあきらめんか殺生丸。鉄砕牙は妖怪には扱えん。もう二本ももっとるんじゃし……』

「……ふざけるな。この殺生丸がたかが結界如きに」

 

 

鞘様の言葉に逆らうように殺生丸様は再びその手に鉄砕牙を掴む。しかし、同じように結界によって無数の雷がその手を払いのけようと襲い掛かっていく。その痛みによって殺生丸様は顔を歪めながらも歯を食いしばり、ただ抗い続ける。

 

その姿はただの幼子だった。犬夜叉と変わらないほど幼く、同時に純粋な願い。父を超えたい。認められたい。受け入れてもらいたい。ただそれだけ。

 

鉄砕牙と天生牙。二本の刀は共にあの方の牙から生まれたもの。それらは意志を持っている。自らに相応しい真の使い手を選ぶという意志を。いわば、あの方の遺志を受け継ぐ存在。だからこそ殺生丸様は鉄砕牙を求めている。鉄砕牙に認められるということはすなわち、父に認められることと同義なのだから。

 

その姿に私はかける言葉がない。そんなもの、私には初めからないのは分かっている。それでも父を求める子の姿に、それが報われてほしいと。息子である犬夜叉に遺された刀であっても構わない。だがそれでも鉄砕牙の答えは決まっていた。

 

 

拒絶。それがあまりにも残酷な、殺生丸様に突き付けられた答えだった――――

 

 

「ハァッ……ハァッ……!!」

 

 

ついに限界を超えてしまったのか、殺生丸様は鉄砕牙から手を放し、その場に膝をついてしまう。その掌は焼けただれ、直視できないほど痛々しいものになってしまっている。殺生丸様には似つかわしくない、あまりにも真逆な姿。それを前にして声をかけることは誰にもできない。何を言ったとしても今の殺生丸様にとっては侮辱、憐れみにしかならない。それが分かっているからこそ、私も鞘様も無言のまま。できるのはただ殺生丸様を見つめることだけ。そんな中

 

 

「あ、抜けた! このかたな抜けたよ母上ー!」

 

 

あまりにも無邪気で、残酷な犬夜叉の声がその場に響き渡った。

 

 

「犬夜叉……何ともないのですか……?」

「? うん、なんともないよ!」

 

 

恐る恐る尋ねるも、犬夜叉はきょとんとしているだけ。あるのは刀を抜くことができたという単純な喜びだけ。その姿に呆気に取られるしかない。妖怪ではない半妖だからか。それとも犬夜叉に遺された刀であるからか。鉄砕牙の封印ははあっさりと犬夜叉に解かれてしまった。そんな犬夜叉の姿に思わず背中に冷たい汗が伝う。子供である犬夜叉には自分の行いがどんな意味を持つが分かっていない。殺生丸様はただその場に膝をついたまま犬夜叉を見つめている。その胸中はいかなるものか。一瞬迷いながらもすぐさま犬夜叉から鉄砕牙を取り上げようとするよりも早く

 

 

「はい、これ!」

 

 

犬夜叉は自らの手で、鉄砕牙を殺生丸様に向かって差し出してしまった。

 

 

瞬間、時間が止まってしまった。殺生丸様も全く同じだったのだろう。心ここにあらずと言った風に鉄砕牙を差し出してくる犬夜叉の姿に目を奪われている。対して犬夜叉はどこか得意げに、純粋無垢な笑みを浮かべながら殺生丸様に向かい合っている。

 

 

「…………何のつもりだ」

「これあげる。兄上、これがほしいんでしょ?」

 

 

ただ当たり前のように犬夜叉は告げる。鉄砕牙をあげる、と。ようやく気付く。そう、犬夜叉にとっては鉄砕牙はただの錆びた刀でしかない。それを抜いてもってきたのはただ、殺生丸様が欲していたから。だから代わりに取ってきた。ただそれだけ。

 

 

「……ふざけるな。この私に情けでもかけているつもりか」

 

 

その事実に殺生丸様の瞳に怒りが浮かぶ。当たり前だ。殺生丸様から見れば情け、憐れみで刀を譲られたも同然。それはきっと殺生丸様にとってもっとも許しがたいこと。それを知ってか知らずか

 

 

「ううん。でもこれあげるから、かわりにぼくとあそんでほしいの」

 

 

犬夜叉はそう告げるだけ。この刀をあげるから、その代わりに自分と遊んでほしい。そんなあまりにも単純な、馬鹿げた理由。

 

 

「――――」

 

 

今度こそ、本当に殺生丸様は絶句してしまう。目は見開いたまま。まるでこの世の終わりを目にしたかのように。きっとそれは殺生丸様にとって同じくらい理解できない行動だったに違いない。

 

大妖怪である闘牙王の遺した刀。一振りで百の敵を薙ぎ払う牙。その価値はきっと一国に勝るとも劣らない。子供である犬夜叉にはその意味は分からずとも、その刀が自分に父が遺してくれたものだとは知っている。それに喜んでもいた。だが、それでも犬夜叉にとってはそちらのほうがずっと価値がある物だったのだ。

 

 

「……そうですね、犬夜叉。貴方にとってはその方が何倍も大切でしょうから」

 

 

刀よりも、自分と遊んでくれる兄がいることのほうが。

 

 

「殺生丸様、どうかお納めください。この刀はきっと、貴方様が持つ方が相応しいはずです」

「…………いらぬ。使えぬ刀など不要だ」

「いいえ、きっとこの刀はいつかあなた様を認めてくださるはずです。この牙は、あの方の牙なのですから」

 

 

意地を張られているのか、それとも本当に不要だと思っていらっしゃるのか。殺生丸様は犬夜叉から鉄砕牙を受け取ろうとしない。それでも半ば強引に犬夜叉の手を引きながらそのまま殺生丸様に鉄砕牙を手渡す。

 

そう、きっとこれでいい。あの人の思惑とは異なるかもしれないけれど、きっとこれが正しい選択だったと信じている。

 

その証拠に、もう結界は殺生丸様の手を傷つけることはない。犬夜叉が握っていたからかもしれないけれど、きっとほんの少しでも鉄砕牙が殺生丸様を認めてくださったに違いないのだから――――

 

 

 

「……眠っているのか」

「はい、今日は色々ありましたから。疲れてしまったんでしょう。まだ子供ですから」

 

 

黒真珠から現世へと戻ってくる頃にはもう犬夜叉は眠りこけてしまっていた。無理もない。きっとこの子にとっては一番忙しい日だったに違いないのだから。それでも私の背中で眠っている犬夜叉は幸せそう。良い夢を見れるに違いない。

 

殺生丸様はそんな犬夜叉の姿を無言のまま見つめている。出会った時とはその視線が違う。きっと、この子の理解できない行動に戸惑ってしまっているのだろう。覇道を、力を求める殺生丸様にとって犬夜叉の行動は理解の外にあるものだったに違いない。

 

そんな犬夜叉の顔に夕日が差してくる。もうじき刻限。そうなればもうこの出会いは終わり。それを前にして、ただ想う。きっと、あの時の闘牙王様もこんなお気持ちだったのだろうと。そのまま

 

 

「殺生丸様……お願いがございます。どうか、この子を導いてやってはいただけないでしょうか?」

 

 

恥を承知でただ己の心の内を吐露する。これまで誰にも言うことができなかった。母としての、子を想う遺言。

 

 

「なんだと……?」

「……私は人間。遠からず、この子を残して逝くでしょう。ですがこの子は半妖。人間にも、妖怪にもなれない。受け入れられることはないでしょう」

 

 

半妖である犬夜叉は遠からず、その運命を辿るだろう。人間にもなれず、妖怪にもなれない。差別、忌避、迫害。負の感情にとらわれてしまうかもしれない。この世を恨むほどに。この三年で私も、犬夜叉の身をもって味わっている。人間と共に暮らすことはできないのだと。共に生きていける自分もまた、先にいなくなってしまう。なら

 

 

「犬夜叉に……妖怪として生きる道を、あの子に示してやっていただけないでしょうか?」

 

 

人間ではない、妖怪であるこの方なら自分にはできないことができるのではないか。あの方の血を継ぐ、あの子にとっては兄にあたるこの方なら。そんな私の願いであり弱さを

 

 

「…………下らん、なぜこの私がそんなことをせねばならん」

 

 

心底つまらなげに殺生丸様は切って捨ててしまわれる。当然だろう。今日会ったばかりの殺生丸様にこんなことを頼むなんて愚かすぎる。殺生丸様からすれば私たちは小さな存在。気にかける理由も義理もない。それでも

 

 

「己の生き方すら己で決められぬなど半妖以下でしかない……ならそれはそれまでだったというだけだ」

 

 

その言葉によってようやく悟る。自分があまりにも愚かな勘違いをしていたのだということを。

 

 

「……ふふっ」

「……何がおかしい」

 

 

思わず笑いを堪えられず吹き出してしまう。自分が笑われてしまったと思われたのか、殺生丸様は不機嫌さを隠すことなくこちらを睨みつけてくる。けれど、ただ嬉しかった。

 

 

そう、全ては犬夜叉が自分で決めること。人間として生きることも、妖怪として生きることも、そして――――

 

 

「すみません……そうですね、この子の生き方を決めるのはこの子自身。そんなことすら私は気づけなかった。あの方がいれば、きっと同じことを言われそうですね」

 

 

きっとあの方も同じことを仰ったはず。自分の生き方は自分で決めろ、と。そう、きっと大丈夫。この子はあの人の血を継いでいるのだから。何よりも、あの方を超えるであろう目の前の方がいるのだから。

 

 

そのまま振り返ることなく去っていく殺生丸様に向かって頭を下げる。その腰には三本の刀がある。その後ろ姿に、背中に在りし日のあの方の背中が重なる。それを目に焼き付けながら背中で眠る犬夜叉へを見つめながら、ただ願う。

 

 

 

どうかこの子に、幸多き未来があることを――――

 

 

 



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第八話 「犬神」

「お、お待ちください殺生丸様!?」

 

 

息も絶え絶えに訴えながら邪見は必死に主である殺生丸の後ろについていく。対して殺生丸は全く気にするそぶりなく進んでいくだけ。はたから見れば殺生丸が歩いているのに勝手に邪見が付いて行っている様に見えるだろう。だがそれがいつもの光景、この二人の主従関係。

 

 

「殺生丸様……本当に犬夜叉を置いてきて宜しかったのですか? てっきり連れ戻すのだとばかり……」

 

 

ようやく追いつき、人頭杖を支えにしながら自らの主である殺生丸様に恐る恐る尋ねる。それは先ほど再会した犬夜叉のこと。今朝、突然殺生丸様は自分を置いたままどこかに行ってしまわれた。それ自体は珍しいことではないのだがその行先に犬夜叉がいたことには驚いたが逆に納得した。殺生丸様は臭いで犬夜叉が復活したことに気づかれたのだと。

 

 

(ああ……やっぱり答えて下さらない……)

 

 

だが殺生丸様は何も答えて下さらない。間違いなく耳には届いているはずなのに全く聞こえていないかのように無視してしまわれる。その変わらぬ後ろ姿から漂う高潔さに惚れ惚れしながらも、いつも通りの対応に肩を落とすしかない。そう、これはいつものこと。自分の問いかけに応えて下さることの方が稀なのだから。

 

 

(これもそれも元々は犬夜叉のせいではないか……! 全く、わしがどれだけ迷惑しておるか……見た目はでかくなっても中身が全く変わっとらんわい!)

 

 

思い出すのは犬夜叉の事。ようやく復活したかと思えばあの振る舞い。あろうことか殺生丸様に挑みかかり、悪態をつく始末。もっともこの国で殺生丸様に喧嘩を売るなんて恐ろしい真似ができるのは犬夜叉ぐらい。

 

 

(まったく……小さい頃は兄上兄上と殺生丸様の後ばかり追っておったくせに)

 

 

今でも鮮明に思い出せる。幼い犬夜叉がまるで金魚の糞のように殺生丸様の後ばかり追いかけていたのを。それがあんな風になったのはいつからだったか。犬夜叉が殺生丸様のことを殺生丸などと呼び捨てになるようになった瞬間の殺生丸様の顔は今でも忘れられぬ。恐れ多いにもほどがある。

 

それはともかく色々あったが一安心できた。どれだけわしが心配……ではなく、殺生丸様がご心配されていたか。そのせいで自分は犬夜叉の封印を解くために巫女を探すよう殺生丸様に命じられてしまったのだから。

 

 

(危うく、わしが滅せられるところじゃったわい……)

 

 

今思い出しても背筋が寒くなる。何度見つけた巫女に殺されかけたことか。犬夜叉の封印を解く前に自分が滅せられかねなかった。妖怪である自分の話を聞いてくれる巫女などいるわけがない。だがそんな巫女たちも殺生丸様の名を出せば話は違った。

 

 

『犬神』

 

 

それが殺生丸様の通り名。その名の通り神の如き強さを持つ殺生丸様を畏怖した人間や妖怪たちがつけたもの。しかし、もう一つの意味合いがそこには込められていた。

 

曰く、犬神に認められれば死や病から救われる。

 

一振りで百の命を救うとされる天生牙。御母堂様曰く慈悲の心を手に入れ、天生牙を極めた殺生丸様は死者を蘇らすことはもちろん、病や怪我を癒すことすら容易い。まさに神に等しい御力を持っておられる。

 

殺生丸様からすれば邪魔なあの世の使いを斬っているだけらしいが、それに救われた者たちによってそんな噂が広がってしまっている。真に恐れ多いことこの上ないが、そのせいで一部の人間たちには殺生丸様は崇め奉られている。そのおかげもあり、巫女たちの協力を得ることができたのだから助かったのが。

 

 

「そ、そういえばなぜ犬夜叉は目覚めて……?」

 

 

ようやくそのことに思い至る。そう、巫女たちの協力を得ることはできたものの、結局犬夜叉の封印は解くことができなかった。何でもその封印は並の巫女では束になっても叶わないような強力なもの。封印した本人でなければ解くことは叶わないだろう代物。そんな封印がなぜ。

 

 

「気づいていなかったのか。あの場にいた女が巫女だ」

「は? あの面妖な格好をした人間の女がですか……!?」

 

 

知らず口に出てしまったのか、それに対して殺生丸様がお答えになって下さる。どうやらあの時一緒にいたあの奇天烈な格好をした女が巫女だったらしい。とてもそんな強力な巫女には見えなかったのだが殺生丸様がそう仰るなら間違いない。しかし

 

 

「っ!? し、しかし殺生丸様! それでは犬夜叉の奴、また封印されるようなことに」

 

 

なら尚更犬夜叉をお連れになったほうが良かったのではないか。あの犬夜叉のこと。また同じような目に遭うに違いない。狼狽し、そのまま元来た道を引き返そうとするも

 

 

「……同じことを繰り返すようなら、その程度だったということだ」

 

 

何でもないことのようにそう言い残しながら殺生丸様はそのまま歩き始める。その背中が余計なことをせずに付いてこいと告げている。それに感動しながらもようやく悟る。先ほどの犬夜叉とのやり取りの本当の意味。

 

 

(なんて言いながらも……なるほど、鉄砕牙を犬夜叉にお渡しになられたのもそういうことか。本当に過保護でいらっしゃる……)

 

 

犬夜叉に鉄砕牙を渡すため。その無事を確かめることもあったのだろうが、恐らくは犬夜叉が自分の身を守れるように鉄砕牙を渡すことが一番の目的だったに違いない。殺生丸様はあの時に鉄砕牙を犬夜叉に譲ることができなかったのをずっと悔いておられたのだから。もっとも素直に渡すことができない辺り、やっぱり二人は兄弟なのかもしれない。その慈悲の心を半分でもいいから自分にも分けてほしいと心の涙を流しかけた瞬間

 

 

まるで雷が落ちたような轟音と衝撃と共に無礼な来客が自分たちの前に現れた。

 

 

「よーう、久しぶりだな殺生丸」

 

 

頭をぽりぽりと掻きながらくたびれた老人。何度見てもふざけているが、こんなのがこの国一番の鍛冶屋などと未だに信じられん。

 

 

「刀々斎!? いつもいきなり現れおって! 無礼じゃと何度も言っておろうが!?」

「なんだ、まだ懲りずに付いて回ってるのか邪見。お前も物好きだな」

 

 

刀々斎は自分を見るなりそんな失礼極まりないことを言ってくる。付いて回っているのではなく、仕えているのだと何度も言っているのになぜ分からないのか。ついさっき同じことを犬夜叉にも言われたばかりだというのに。だが刀々斎はわしを無視したまま殺生丸様をじっと凝視している。殺生丸様自身ではなく、その腰にある刀たちを。

 

 

「なんだ、なんか足りねえと思ったら鉄砕牙がなくなっちまってんのか。てーことは、ようやく犬夜叉の奴に形見を譲ったってわけか。随分長い間かかっちまったな」

 

 

ようやく違和感に納得がいったのか、刀々斎は飄々とそんなことを殺生丸様に口にする。事情を知っているとはいえ失礼な事この上ない。文句の一つも言いたいが殺生丸様の前に出るわけにもいかずまごつくしかない。

 

 

「それで、お前なりに納得できたか、殺生丸?」

「……不要な刀を捨ててきた。それだけだ」

 

 

流石は殺生丸様。惜しげもなくそう告げる姿には全く虚栄はない。文字通り、殺生丸様にとって鉄砕牙は不要なものだったのだろう。譲ったのではなく捨てたの辺りにこの方の全てが込められているに違いない。

 

 

「相変わらず可愛げのない奴……うん? 殺生丸、お前あの鉄砕牙をそのまま犬夜叉に渡したのか?」

「…………」

 

 

思い出したかのように刀々斎はそう尋ねている。そういえばあの小細工……もとい仕掛けは刀々斎も一枚噛んでいた。そんな面倒なことをせずに犬夜叉に直接伝えればと口に出かけたものの慌てて口を噤んだのを思い出す。

 

 

「親父殿も大概だったが……殺生丸、お前の過保護っぷりはそれ以上だな。そんなところまで親父殿を超えなくてもいいだろうに」

「そんなことをわざわざ言いに来たのか、刀々斎」

 

 

流石の殺生丸様も我慢の限界が来たのか、爆砕牙の柄に手をかけながらそう告げる。余計なことをこれ以上口にすれば殺す、という意思表示。冗談では済まないところが殺生丸様の恐ろしいところ。慈悲の心が適応されるのはほんの僅かにすぎない。

 

 

「相変わらず冗談が通じねえ奴だな……刀を見てやるためだよ。前見たのはもう何年も前だからな。ほれ、さっさと爆砕牙と天生牙をこっちによこしな」

「ふん……」

 

 

呆れたようなような顔をしながらも刀々斎は要件を告げながらその手を晒す。刀の研ぎ直し、点検のために刀々斎はやってきたらしい。そういえば最後にしたのはもう何年も前だったはず。不機嫌さを見せながらも刀には代えられないのか、殺生丸様は腰にある二本の刀を渡そうとするも

 

 

『んあ? な、なんじゃ? 刀々斎、なんでお前がこんなところにおる?』

「なんだ鞘、お前またずっと寝てやがったのか」

「やけに静かだと思っておれば……鞘、貴様犬夜叉と会う前からずっと寝ておったな!?」

 

 

爆砕牙の鞘が突然目を覚まし、大声を上げ始める。いつもやかましいのに静かだと思っておれば鞘のやつ、ずっと寝ていたらしい。一応殺生丸様に仕える身でありながらなんたる怠惰。

 

 

『犬夜叉……? 犬夜叉の奴、家出からようやく戻って来よったのか? 全く反抗期というのは面倒じゃのう』

「いつの話をしておる!? 犬夜叉は五十年前に封印されておったろうが!」

『ん? おお、そうじゃったそうじゃった。いやー最近は物忘れがひどくなっていかん。で? 犬夜叉は家出から帰って来たのか?』

「だいぶボケが進んじまってるみてえだな、鞘」

 

 

意味不明なことを口走っている鞘に流石の刀々斎も呆れ切っている。寝ぼけているのもあるがボケているのがほとんど。これから先が思いやられる。

 

 

「これでよしと。ほれ、あんまり荒っぽく使うんじゃねえぞ、殺生丸」

 

 

そんなこんなで刀の研ぎなおしも終わり、二本の刀が再び殺生丸様の元に戻ってくる。爆砕牙と天生牙。破壊と再生という真逆の力を持つ刀たち。強さと慈悲を兼ね備えた殺生丸様を体現するような武具。もっともわしは優しさなんて知らないが。

 

 

「本当なら鉄砕牙も見たかったんだが、ないんじゃしょうがねえな」

「犬夜叉のところに行くつもりか」

「いや、今のあいつじゃ鉄砕牙を使いこなすのは無理だろ。赤布が解けたら会いに行ってみるさ」

 

 

相変わらずマイペースにへらへらしながら刀々斎はそのまま帰るつもりらしい。その言葉だけには同意できる。あの調子では犬夜叉が鉄砕牙を使いこなすのも殺生丸様の真意に気づくもずっと先だろう。ともかく用が済んだのならさっさと帰れと内心毒づくも

 

 

「待て、刀々斎。奈落、という名の妖怪に心当たりはあるか」

 

 

殺生丸様は刀々斎を呼び止め問いただす。今の殺生丸様の二つの目的のうちの一つ。

 

 

「奈落? なんだそりゃ?」

「殺生丸様が追っている妖怪の事じゃ。障気を放ち、様々な姿に変化する奴らしいがよほど逃げ足が速いのか、未だに姿形すら見つけられん」

 

 

奈落と呼ばれる妖怪。ただその名は耳にするものの一向に姿は現さない。この五十年、殺生丸様と共に探しているが、どこかに隠れているのかそれとも逃げ回っているのか。刀々斎が知っているとは到底思えないが殺生丸様も分かっていて尋ねられているのだろう。

 

 

「悪いが知らねえな。ただその奈落って奴には同情するぜ。お前に命狙われて追いかけられるなんて、ワシなら絶対に御免だな」

 

 

予想通りの答えを返しながらも、心底嫌そうにどこか実感のこもった嫌味を残しながら刀々斎は去っていく。最後の部分について心から同意するしかない。もし自分だったらと思うと生きた心地がしない。

 

 

「行くぞ。邪見」

「は! これ、犬夜叉、お前も付いてこん……」

 

 

思わずは反射的に後ろを振り返るもそこにはぴょんぴょん自分の後を付いてきていた幼子の姿はない。どうやら自分も鞘のことは言えないらしい。

 

 

「お、お待ちください殺生丸様!?」

 

 

気づけば置いていかれそうになりながらも邪見は走る。自らの至高の主の後に付き従いながら――――

 

 

 



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第九話 「解放」

「お、お待ちください殺生丸様!?」

 

息も絶え絶えに訴えながら邪見は必死に主である殺生丸の後ろについていく。対して殺生丸は全く気にするそぶりなく進んでいくだけ。はたから見れば殺生丸が歩いているのに勝手に邪見が付いて行っている様に見えるだろう。だがそれがこの二人の主従関係。

 

 

「殺生丸様……先ほどの戦、この邪見、感服いたしました」」

 

 

ようやく追いつき、人頭杖を支えにしながら自らの主である殺生丸様に媚びへつらう。それは先ほどの妖怪たちとの戦。愚かにも殺生丸様に喧嘩を売ってきた妖怪の一団は一瞬で消え去ってしまった。ただの剣の一振りによって。改めて自らの主である殺生丸様の偉大さに感動するしかなかったのだが

 

 

(ああ……やっぱり答えて下さらない……)

 

 

殺生丸様は何も答えて下さらない。間違いなく耳には届いているはずなのに全く聞こえていないかのように無視してしまわれる。その変わらぬ後ろ姿から漂う高潔さに惚れ惚れしながらも、いつも通りの対応に肩を落とすしかない。そう、これはいつものこと。自分の問いかけに応えて下さることの方が稀なのだから。

 

 

(いや、何を落ち込む必要がある! これは口にしなくとも自分の意志をくみ取れという意味に違いない! 以心伝心……この邪見、精進してまいります!)

 

 

そう、殺生丸様は寡黙なお方。そこが魅力でもある。決して無視されているわけではない。未だに全然殺生丸様のお考えになっていることが悟れないが、それはわしの至らなさのせい。以前までならうなだれているわしだが今は違う。

 

 

(この人頭杖にかけて、この邪見、どこまでもお供させていただきます……!)

 

 

この手にある杖こそがわしが殺生丸様の家来に認められた証。思い出すのはかつての自分の姿。手下を従えていた頃。自分はその頭領として活躍していた。しかしそんな中、手強い妖怪との戦いによってついにわしが命を落としかけた時、この方が現れた。

 

 

『邪魔だ、失せろ』

 

 

そうつぶやいた瞬間、自分たちがあんなにもてこずっていた妖怪を爪の一振りで殺生丸様は屠ってしまわれた。まさに闘神。自分たちなど目に入っていないかのようにその場を立ち去る後ろ姿に自分はただただ見惚れるしかなかった。思えばあれは天啓だったに違いない。

 

 

『貴方様にはそのつもりはなかったかもしれませぬが……命を救われました! 何卒、何卒わたくしめを家来に……!』

 

 

それからはただただ頭を下げたまま殺生丸様の後についてゆく日々。殺生丸様にとってはわしを助けた気など毛頭ない。それでもわしはその後ろに付き従い続けた。雨の日も風の日も。ついに精根尽き果て倒れかけた時

 

 

『使えるなら、預けておく』

 

 

殺生丸様はそのまま、滝壺の中に隠されていたであろうこの杖をわしに与えて下さった。あの時の感動は忘れることなくこの邪見の胸にある。思えばあれがわしが殺生丸様の家来として認められた瞬間。まだそれから半年も経っていないが、遠い昔のことのように感じる。

 

 

そんなこんなで、自分は晴れて殺生丸様の家来として旅に付き従うことができるようになったのだが

 

 

『ん? 何じゃ、邪見まだ付いてきておったのか。お前も物好きなやつじゃなー』

「やかましい! お前こそ殺生丸様に仕える身であるなら身の程をわきまえんか!」

 

 

唯一の不満が目の前で気だるげにあくびをしている妖怪、鞘。殺生丸様の家来第一号になったつもりがこいつのせいで台無しになってしまった。しかもいつも寝ていることに加えて何よりも殺生丸様を全く敬おうとしない。不敬極まりない奴。

 

 

『わしは殺生丸に仕えておるわけではないぞ。わしが仕えておったのは御館様じゃ。今はもうおらんがの。叢雲牙を抑えるために仕方なくこうしておるだけじゃ』

「っ!? 貴様、言うに事欠いてそんなことを……!?」

『わしとしては骨喰いの井戸に放り投げてくれた方が気が楽じゃったんじゃが……それよりも殺生丸、お前また叢雲牙を使いおったな? 前にも言ったであろう。あれは……』

 

 

そのままくどくどと鞘の奴は殺生丸様に向かって愚痴を漏らし始める。命知らずにもほどがある。唯一の救いは全く気にしていないのか、それとももう慣れてしまっているのか。殺生丸様は完全に鞘のことを無視して歩き続けていること。もしわしが同じことを口にすればただでは済まないだろうに、やはり自分は二番手なのだろうか。

 

 

「いい加減しつこいぞ、鞘! 殺生丸様が刀をどう扱おうが殺生丸様の自由であろう! 殺生丸様、先ほどの刀……叢雲牙ですか、真に恐ろ……ではなく! 素晴らしい御力でした!」

 

 

鞘の奴に負けじと自分も割って入る。鞘にはできない褒め殺し。思わず本音が出かけるもなんとか誤魔化しながら殺生丸様のご機嫌を取る。しかし脳裏には先ほどの恐ろしい光景が蘇り、冷や汗が止まらない。

 

 

(しかし、鞘ではないが本当に恐ろしい力じゃった……危くわしも巻き込まれるところじゃったし……)

 

 

叢雲牙と呼ばれる刀の力は凄まじく、この世の物とは思えないもの。一振りで一面の大地が死の大地に変わってしまった。あの刀を扱えるのは間違いなく殺生丸様だけ。

 

 

「しかし殺生丸様……あのような妖怪にお使いにならずとも、他の二本の刀で十分であったのでは……?」

 

 

鞘ではないが、あの叢雲牙という刀はできればあまり使わないでくれると助かる。その代わりに残りの二本をお使いになられればどうかと提案してみる。未だ見たことはないが、流石に残りの二本まで叢雲牙と同じような代物なんてことはないはず。しかしそれは

 

 

『はて? 邪見、お前はまだ知らんかったのか? 殺生丸は残りの二本を使わんのではない、使えんのじゃ』

「は?」

 

 

ある意味鞘以上に踏んではいけない犬の尾を踏みつけるに等しい言葉だった。

 

 

「それは一体どういう……」

『残りの二本……鉄砕牙には誰かを守りたいという気持ちが、天生牙には誰かを慈しむ慈悲の心がなければ扱えんのじゃ。そのどちらも殺生丸はもっておらんからのー……叢雲牙を使うしかないというわけじゃ』

 

 

やれやれと何でもないことのようにとんでもないことを口走っている鞘だが、その内容については自分も同意するしかない。

 

 

(なるほど……殺生丸様がお使いになれないはずだ。そんな物、天地がひっくり返っても殺生丸様が持てるはずがないだろうに……)

 

 

誰かを守る気持ちに慈悲の心。およそ考える限りで最悪の組み合わせ。何故殺生丸様の父君はそんな刀を遺されたのか。

 

 

「――――」

「っ!? わ、わたくしめは何も考えておりません!?」

 

 

瞬間、殺生丸様の視線が自分を射抜く。反射的に誤魔化そうとするもこちらの心は完全に見抜かれてしまっている。まさかこんな形で初めて以心伝心を体現するなんて冗談にもほどがある。

 

 

『そういえば鉄砕牙といえば……犬夜叉は元気にしておるのかのー? 殺生丸、一度ぐらい様子を見に行ってやったらどうじゃ? 遊んでやる約束もしておったろう?』

「犬夜叉……? 一体誰の事じゃ?」

『それも知らんかったのか? 殺生丸の弟じゃよ。鉄砕牙も元々はその犬夜叉に遺されたものじゃったんだが色々あって今は殺生丸が持っておるわけじゃ』

「弟……殺生丸様には弟様がいらっしゃったのですか?」

 

 

さらっと明かされる衝撃の事実。しかし殺生丸様の弟。一体どんな方なのか。想像するだけで恐ろしい。

 

 

「…………」

 

 

しかし殺生丸様はそれに答えることなく、そのまま歩き始めてしまう。どうやら刀同様、その話題も禁忌だったらしい。

 

 

「あ、お、お待ちください殺生丸様!? その先の山は今、赤鬼青鬼という二匹の妖怪が縄張りとしております。何でもかなりの強さらしく、人間はもちろん妖怪も立ち入ることが難しいと……」

 

 

慌てて自分がこの数日で集めた情報をお伝えする。付き人、家来として情報収集も大きな役目。この先の山に住んでいる鬼の兄弟は数百年を生きた強力な妖怪。さしもの殺生丸様も。だがそんな懸念は

 

 

「それが?」

 

 

氷のように冷たい殺生丸様の眼光と言葉によって消し飛ばされてしまう。

 

 

「い、いえ!? 何でもございません! お供させていただきます!」

 

 

ははー、とその場で頭を下げながら無礼を詫びる。そう、この方の身を案じるなどありえない。むしろ案じなければいけないのは相手の方。それに加えて巻き込まれないように自分自身。慌てて後をついていこうとしたときにふと思い出す。鬼の情報を手に入れる中で聞いた妙な噂。

 

 

「そういえば、その山の近くで妙な噂が……何でも半妖の子供が最近うろついているとか。人里や妖怪の縄張りに入り込んでは追い出されているらしいのですが……」

 

 

つい独り言のように呟いてしまう。だが仕方ない。半妖だけでも珍しいのに子供がうろついているというのだから。もっとも殺生丸様にとってはどうでもいい話。とにかく今は鬼たちとの戦いに備えなくては。そんな考えは

 

 

「っ!? せ、殺生丸様!? お、お待ちください、いったいどこに行かれるので!?」

 

 

風のような速さでその場から飛び立ち、山へと向かってしまう殺生丸様によって断ち切られてしまう。呼び止める間も付いていく暇もない早業。あとに残されたのは自分だけ。しばらく呆然とするも、慌ててその見惚れてしまうかっこいい後ろ姿を追いかけることになるのだった――――

 

 

 

「ハァッ……ハァッ……!! せ、殺生丸様……一体どこに……?」

 

 

肩で息をしながらとりあえず一息つくことにする。ここは鬼たちの山の中。そこに入っていかれるまでは見えていたのだが完全に殺生丸様を見失ってしまった。自分は殺生丸様のように鼻が利くわけではない。はぐれてしまえば探し出すのは至難の業。

 

 

(ま、まさか殺生丸様は、この邪見をお見捨てに……!?)

 

 

その可能性に気づき、顔が思わず青ざめていくのを感じる。精一杯お仕えしていたがやはり粗相があったのか。どだい自分のような妖怪では殺生丸様に付き従うのは無理だったのか。最悪に近い絶望に落胆しかけたその時、近くの茂みで何かが動く気配があった。

 

 

(な、なんじゃ……!? ま、まさか鬼どもが……!?)

 

 

心臓が飛び出そうになるのを必死に抑えながらすぐさま立ち上がり人頭杖を握りしめて息を飲む。もし噂通りの奴らなら自分では敵わないかもしれない。殺生丸様ならいざ知らず、自分では。

 

 

(い、いや……わしだって妖怪の端くれ! 殺生丸様の家来として鬼なんかに後れを取るわけにはいかん!)

 

 

己を奮い立たせながら覚悟を決める。さあ、どこからでも出てくるがいい。しかしそんな決意は

 

 

ぴょこん、と茂みから飛び出している犬耳によって無駄になってしまった。

 

 

「……耳が見えておるぞ」

「えっ!? くそっ!?」

 

 

思わず呆れながら突っ込んだ瞬間、本当に気づいていなかったのか。隠れている相手は手で耳を抑えながらその場から逃げ出そうとしている。とりあえず先回りしてやるとそこには

 

 

「なんじゃ……? 妖怪の子供……?」

 

 

銀髪に赤い着物を身に纏った、人間で言うなら五、六才ほどの子供がいた。警戒しているのか、いつでも逃げ出せるように構えたまま。その頭には先ほど隠しきれていなかった犬耳がある。

 

 

「…………」

 

 

そのまま思わず互いに見つめ合ってしまう。子供からすれば睨んでいるのかもしれないが全然威圧も何もあったものではない。こっちにあるのは溜息だけ。鬼だと思って右往左往していた自分が馬鹿のよう。そんな中、ようやく思い出す。目の前の子供の正体。

 

 

「そうか。お前がこの辺をうろちょろしておるという半妖だな?」

 

 

噂になっていた半妖。よく見れば頭の上にある犬耳は半化け。人間と妖怪の混ざりものの証。ここが鬼たちの縄張りだとも知らず迷い込んだのだろう。自分と同じに。そんなことを考えていると

 

 

「うるせえ! 半妖だからなんだって言うんだ! この小妖怪!」

「なっ!? しょ、小妖怪じゃと!? 半妖のくせにわしに向かってそんな口を利くとは!」

「さきに馬鹿にしてきたのはそっちだろ! 半妖の何が悪いってんだ! 妖怪や人間のほうが偉いなんて誰が決めたんだよ!」

 

 

さっきまでのしおらしさ、怯えはどこに行ったのか。まるで子供のよう……ではなく、子供そのまま。思わずこちらも言い返してしまう。よりにもよって小妖怪など……! た、確かに自分は小さいがこんな半妖の小僧に言われるほど落ちぶれてはいない。

 

 

(それにしても何でこんな子供が一人で……?)

 

 

一旦心を落ち着けながら改めて半妖に目を向ける。それだけで十分だった。よく見れば顔はやつれ、顔色は悪い。着物はボロボロで今にも破れてしまいそうな有様。こちらを警戒して睨んでくるその眼はまるで飢えた子犬のよう。

 

 

「なんだよ……おれは食い物なんて持ってないぞ」

「頼まれたってそんな食い物いらんわい……」

 

 

後ろ手で食べ物を隠していたのか、半妖はうー、と犬のように自分を威嚇してくるがどうでもいい。見ればまともに食べれそうな食べ物はわずか。山での食べ物の捕り方すら知らないのだろう。親を亡くして一人彷徨っている、といったところか。

 

 

「もうよい、わしは忙しんじゃ。さっさとどこにでも行くがいい」

「なんでおれが。お前がどっか行けよ、小妖怪」

「やかましい! はあ……それにしても殺生丸様はどこに行かれたのか……」

 

 

他人の話を聞いていなかったのか、まだ小妖怪扱いしてくる半妖にげんなりしながらもここにはいない殺生丸様のことを考える。本当にどこに行かれてしまわれたのか。知らず黄昏ていると

 

 

「せっしょうまる……?」

 

 

なぜか目をぱちくりさせながら半妖の小僧が呆然としている。今までの痩せた犬に雰囲気ではない、本当に年相応の子供のような顔。それに目を奪われているも知らず、辺りが暗くなってしまう。

 

 

「やけに騒がしいと思ってきてみれば……てめえら、ここで何してやがる?」

「え?」

 

 

思わず振り返り見上げた先には鬼がいた。大木のような、こちらを影で包んでしまうほど巨大な赤い鬼がこちらを見下ろしている。そう、見下ろされるほどに自分と半妖の小僧は小さかった。

 

 

(こ、こいつが赤鬼……つ、強そう……)

 

 

思わず小妖怪にでも成り下がった気分。分かってはいたが目の前にするとその迫力は桁外れ。今もっとも会いたくない相手が目の前に現れてしまった。

 

 

「ここは俺と兄者の縄張りだ。勝手に入ってきて、ただで帰れると思ってんじゃねえだろうな」

「な、なにを! わしを誰じゃと思っておる! 恐れ多きはかの大妖怪、殺生丸様の」

「いいじゃねえか、こんなに広いんだからちょっとぐらい」

「き、貴様、わしが口上を上げているところだというのに……!?」

 

 

己を鼓舞しながら名乗りを上げようとするもまたしても半妖の小僧に邪魔されてしまう。なんだろうか。こう、致命的にこの半妖と自分は相性が悪い気がする。

 

 

「ほお、吠えるじゃねえか。その身なり……てめえ、この辺りを荒らして回ってる半妖のガキだな?」

「っ!? あ、荒らしてるんじゃない! おれはただ食べ物を分けてもらおうと思って」

「それを荒らしてるっていうんだよ。人里も妖怪の縄張りもお構いなしとは……所詮は半妖だな。人間か妖怪か知らねえが、こんなガキしか生めねえんじゃ、てめえの親もよっぽど馬鹿だったんだな」

 

 

心底可笑しいとばかりに赤鬼は笑い飛ばしている。それを前にしてどうするか必死に考える。この場をどうするか。戦うべきか。逃げるべきか。迷いながらも赤鬼の隙を伺うも

 

 

「……するな」

「ん? なんだ、怖くてどうにかなっちまったか? とにかく俺たちの山に踏み込んだ以上、生きて帰れると」

「母上を……馬鹿にするなああああ!!」

 

 

何を血迷ったのか。半妖の小僧はそのまま鬼に向かって殴りかかっていく。自分の何倍もある相手に向かって。正気ではない。頭に完全に血が上ってしまっている。

 

 

「何をしておる!? さっさと逃げん」

 

 

か、と制止うするまもなく、半妖はそのまま鬼の爪によって引き裂かれてしまう。呆気なく、まるで木の葉のように。鮮血と共にまるでゴミのように半妖は地に落ち、動かなくなってしまう。あまりにも無様な最期。逃げれば助かったかもしれないのに、かなうはずのない相手に向かって言って返り討ちにされてしまう。本当に馬鹿でしかない。

 

 

「か、勝手にわしのことを小妖怪呼ばわりして勝手に死ぬとは……お、おい!? 小僧、そのまま死ぬなど許さぬぞ! まだわしは謝ってもらっておらんのだからな!」

 

 

なのに知らず杖を持つ手には力が籠っていた。とにかく生意気で礼儀を知らない子供だが、まだ自分は文句を言っていない。

 

 

「なんだ……てめえもそこの半妖みてえに殺されてえのか?」

 

 

馬鹿なやつだとばかりにこちらを見下してくる鬼に思わず体が震えるも、何とか踏みとどまる。脳裏に浮かぶのはあの時の光景。自分の危機を偶然とはいえ救ってくださったあの方の姿。あの方に仕える自分がこんなところで死ぬわけにはいかない。いざ、尋常に。叫びと共に人頭杖から火炎を放たんとした瞬間

 

 

鬼は一瞬で、物言わぬ骸に姿を変えた。

 

 

刹那。瞬きすらできない間に鬼は八つ裂きにされてしまった。その爪によって。あの時と同じ、圧倒的な力。大妖怪に相応しい力と格を持った自らの主。

 

 

「――っ!? せ、殺生丸さ……ま……?」

 

 

驚きと共に喜びの声を上げようとした瞬間、体が固まってしまった。まるで時間が止まってしまったように体が動かない。ソレを前にして、微動だにすることができない。

 

 

そこには自らの主の姿はなかった。代わりに主には似ても似つかない存在。血だらけの身体。だがその血は自らの物ではない、鬼の返り血。その爪は深紅に染まっていた。その真っ赤な瞳が自分を捕らえる。まるで、心臓を鷲掴みにされたかのような悪寒が全てを支配する。

 

 

ようやく邪見は理解した。なぜ自分がソレを自らの主だと間違えたのか。

 

 

目の前にいる半妖の子供。それが放つ妖気が殺生丸のソレと同じだったから。

 

 

 

それが邪見と犬夜叉の出会い。そして犬夜叉の本性が初めて解き放たれた瞬間だった――――

 

 

 



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第十話 「慈悲」

「っ!? ま、待ってくれ!? 俺が悪かった! もうあんたには逆らわねえ……! だから命だけは」

 

 

自分に向かって何事かを叫んでいる者を爪の一振りで葬る。黙っていれば見逃してやってもよかったが耳障りこの上ない。一瞥すればもうそれだけで青い鬼はこと切れている。爪の一振りも耐えられないとは。そういえば邪見が鬼たちのことを何か言っていたが何のことはない。やはり邪見の戯言にしか過ぎなかったということだろう。

 

 

『相変わらず容赦がないの、殺生丸。もう少し相手の話を聞いてやっても』

「邪魔だから消した。それだけだ」

 

 

いつも寝ている癖に、こんな時は起きていたのか。鞘が自分に向かっていつものように無駄なことを口にしてくる。この私に説教しているつもりなのか。耳障りという意味では鬼よりも鞘のほうが勝っている。本当ならへし折るか、本人の言うように骨喰いの井戸とやらに捨てても構わないが、叢雲牙を収める鞘としての一点のみは価値がある。邪見の奴は鞘が寝ていることに不満があるようだが自分としては寝ていてくれた方が良い。起きていても耳障りが倍になるだけ。

 

 

「…………」

 

 

手に残っている汚らわしい鬼の血を振り落としながら耳を澄まし、鼻を利かせる。これで邪魔な鬼の臭いがすることはもうない。いつもなら臭いだけで何が起こっているかは掴めるが今はそうはいかない。ぬかるむ土と水を滴らせている木々。つい最近降った雨のせいで臭いを辿ることが難しい。

 

 

『殺生丸、お前もしかしてさっき邪見が言っていった半妖が犬夜叉だと思っておるのか? そんなわけなかろう。犬夜叉はあの……えっと何と言ったか……そう、十六夜と共におるはずじゃ。こんなところにおるわけがないじゃろう?』

「黙っていろ。お前もその鬼のように切り裂かれたいのか」

 

 

変わらず的外れな戯言をほざいている鞘を黙らせる。この殺生丸がそんな愚かな真似をするとでも思っているのか。あの半妖、犬夜叉がいると思っているのではない。いるのだと分かっている。雨のせいで正確な場所までは分からないが、この山にいるのは間違いない。この私が臭いを嗅ぎ間違えることなどない。ただ不自然なのは

 

 

(あの女の臭いはない……犬夜叉一人、ということか……)

 

 

犬夜叉の母である人間の女の臭いはどこにもないということ。自分が会った時からまだ数年。人間だろうと寿命が来るような月日ではない。妖怪ではない半妖と言えども、まだあの時とそう変わらぬ年頃のはず。それがなぜ一人でこんなところにいるのか。

 

 

(鉄砕牙……?)

 

 

瞬間、鉄砕牙が騒ぎ出す。何かを感じ取ったかのように震えが収まらない。自分がこの刀を手にしてから全く何の反応も示さなかったにも関わらず。その答えに考えが巡るよりも早く、それはやってきた。

 

それは臭いだった。雨程度ではかき消すことができない、圧倒的な臭い。妖怪が持つ、妖気の臭い。

 

 

『鉄砕牙……? これはもしや……っ!? せ、殺生丸一体どこに行くつもりじゃ!?』

 

 

気づけばその場から駆けていた。目指しているのは妖気の臭いの元。鉄砕牙に導かれたわけではない。その妖気の強さに惹かれたわけでもない。ただその妖気の臭いが、もうこの世にはいないはずの誰かと似ていたからこそ。

 

ただ駆ける。知らず鼓動が早まっている。抑えきれない感情が私を支配している。自分には似つかわしくないもの。その正体を知る間もなく、その場所へとたどり着く。

 

そこでまず目にしたのは邪見。なぜこんなところに奴がいるのか。変わらず何かに怯えている様は間違いなく邪見そのもの。その手に人頭杖を持ちながら何かと対峙している。その先にいる影を目にした瞬間、すべてを理解した。

 

 

「邪魔だ。どけ、邪見」

「っ!? せ、殺生丸さ……へぶ――――っ!?」

 

 

そのまま、勢いに任せて瞬時に邪見を蹴り飛ばす。いつもより力加減は強くなったが仕方ない。いつもとは違う意味で加減をする暇はなかったのだから。

 

その汚らわしい鬼の血で染まった半妖の爪から逃がすためには。

 

邪見を蹴り飛ばした瞬間、まるで獣のような爪が自分と邪見の間を通り抜けていく。獲物として捉えていた邪見を見失ったのかその爪はただ地面を切り裂いていく。その威力は並みの妖怪なら八つ裂きにされて余りあるもの。邪見であれば粉々になっていただろう。

 

 

「こ、これは……!? もしや、殺生丸様、わたくしめをお救いに」

「そこから動かず黙っていろ、邪見。お前は邪魔だ」

「っ!? は、はいっ!?」

 

 

目を輝かせている邪見を無視し、改めてソレと対峙する。邪魔されたからか、それとも私の方が強いと本能で悟ったのか。恐らくはその両方。

 

 

「――――」

 

 

声にならないうめき声を上げながら犬夜叉はこちらを凝視する。火鼠の衣よりも赤い返り血で真っ赤になった身体。鋭さを増している爪と牙。何よりもその形相と眼。およそ人間でも妖怪でもあり得ないような変化。あまりにも醜悪で無様な、獣そのもの。

 

 

『い、いかん!? あれは変化じゃ! 戦ってはならん、殺生丸! 今の犬夜叉は』

「あああああああ!!」

 

 

獣のような咆哮と共に犬夜叉がこちらに襲い掛かってくる。鞘の言葉によって一瞬反応が遅れるも問題はない。たかが半妖如き、ましてや子供の爪など何の問題にもならない。しかしそんな考えは

 

 

確かな爪痕と共に舞う、自らの鮮血によって消え去った。

 

 

「……っ!」

「せ、殺生丸様っ!?」

 

 

犬夜叉の爪が、応じようとした私の爪よりも早く腕を切り裂いた。端から見ればかすり傷にも等しいもの。だがそれは私にとっては許しがたい屈辱。

 

 

(この私が一瞬とはいえ、恐れを感じただと……?)

 

 

傷ではなく、それこそがあり得ない。犬夜叉がこちらに向かってきた瞬間、その妖気によって自分は動きを鈍らせてしまった。鳥肌が立つような、体が震えるような感覚。今まで自分が感じたことのない、恐れという感情。覇道を目指す、父の血を継ぐ自分が最も抱いてはいけないもの。

 

 

『よ、よすんじゃ殺生丸! 犬夜叉は今、自分の体に流れている妖怪の血で正気を失っておるんじゃ! 半妖では御館様の妖怪の血は抑えきれん、ここは』

 

 

鞘の言葉を全く聞くことなく、犬夜叉は再び襲い掛かってくる。その眼には獲物である私しか映っていない。だがようやく理解できた。目の前の犬夜叉の変化。浅ましく父の血を受け継いでおきながら、半妖などという存在であるがゆえに獣になり果てている無様。その妖気によって一瞬とはいえ恐れを抱いてしまった自分。何よりも

 

 

「この殺生丸を、なめるな――!!」

 

 

自分を獲物だなどと勘違いしている獣を許すわけにはいかない。そのまま完全に動きを捉え、今度は自らの爪をもって獣を引き裂く。毒華爪。毒を含んだ、加減なしの一撃。間違いなく致命傷となるもの。

 

 

「あ、がっ……ああ……!?」

 

 

そのまま獣は無様なうめき声を上げながら地面に転がり落ちる。所詮は獣。自分に敵うはずもない。あとは這いずり回りながら死ぬだけ。にも関わらず

 

 

「ううう……あ、あああ……!!」

 

 

四つん這いになり這いずりながらも獣は変わらずこちらに向かってくる。間違いなく自分の本気の一撃を受けたにもかかわらず。あり得ない。驚愕しながらもようやくその理由を悟る。一つがその再生力。変化の影響か。爪の傷が徐々に回復しつつある。もう一つが

 

 

(こいつ、痛みすら感じていないのか……)

 

 

痛みを感じていない。あるのはただ目の前の相手を爪で切り裂き、葬ることだけ。獣以下。自分の身体がもう限界であることにすら気づくことができない。憐れな存在。

 

 

『そ、そうじゃ! 殺生丸! 早く鉄砕牙を犬夜叉に持たせるのじゃ! 早くせんか!』

「……鉄砕牙を、だと?」

 

 

いつもからは考えられない鞘の必死さを訝しみながらも腰にある鉄砕牙が騒いでいることに気づく。それに導かれるように腰の鉄砕牙を犬夜叉に持たせた瞬間、妖気は霧散し消え去っていく。獣のように蠢いていた犬夜叉は動きを止めそのまま微動だにしなくなってしまった。辛うじて息はあるようだが、瀕死も同然。

 

 

(なるほど……刀々斎が言っていたのはこのことか……)

 

 

ようやく理解する。かつて刀々斎が言っていた言葉の意味が。

 

『守り刀』

 

犬夜叉の守り刀が鉄砕牙であると。半妖である犬夜叉を妖怪の血を抑えることが鉄砕牙の役目。同時に父が鉄砕牙を犬夜叉に遺した本当の理由。

 

 

「…………」

 

 

そのままただ地面に倒れこみ、鉄砕牙を抱いたまま眠っている犬夜叉を見る。そこにはもう先ほどまでの獣のような顔はない。穏やかな、子供そのままな寝顔。母の背に背負われながら眠っていたあの時と同じもの。

 

だがそれもまたまやかし。半妖という、人間でも妖怪でもない半端者。父の刀に縋りつかなければ、血を抑えることすらままならない脆弱な存在。

 

 

『ううん。でもこれあげるから、かわりにぼくとあそんでほしいの』

 

 

自分を恐れるでもなく、疎むわけでもなく、ただ刀を差し出してきた姿。未だに理解できないもの。それがこれから無様を晒すぐらいならばいっそ――――

 

 

 

 

「せ、殺生丸様……?」

 

 

恐る恐る隠れていた木の後ろから顔を出し、様子をうかがう。見ればもう戦いは終わっていた。半妖の小僧は地面に倒れ伏し、殺生丸様はそれを見下ろしておられる。半妖の小僧の変化は恐ろしかったが殺生丸様に敵うはずもない。安堵しながらも頭を悩ます。いったいあの半妖は何なのか。しかしそれを口にする前に

 

 

殺生丸様はその爪を振り上げ、半妖に振り落とさんとされていた。

 

 

「っ!? せ、殺生丸様、それは――!?」

 

 

思わず声をあげてしまう。確かに殺生丸様に襲い掛かるなど万死に値する行い。殺されても仕方ない。しかし相手はまだ幼子。慈悲があってもいいのでは。そんな恐れ多い進言をするべきか悩む間もなく、その無慈悲な爪が振り落とされようとした瞬間

 

 

「……母、上……」

 

 

半妖の口からそんな言葉が漏れてくる。まだ眠ったままの寝言。見ればその目からは涙が流れている。恐らくはここにはいない母のことを想っているのだろう。それによって一瞬、殺生丸様は手を止めてしまわれる。それがいつまで続いたのか。ついに殺生丸様の右手は半妖の首を――――

 

 

 

まるで犬のように掴んで持ち上げてしまった。

 

 

 

「…………は?」

 

 

思わずそのまま言葉を失って呆然としてしまう。当たり前だ。あの殺生丸様がそのまま半妖の首根っこを摘まみ上げたまま歩き出してしまわれる。止めを刺すわけでもなく捨てるわけでもなく。まるで捨て犬を拾っていくかのように。

 

 

「はっ!? お、お待ちください殺生丸様!?」

 

 

そのまま置いていかれていることに気づき、いつものように殺生丸様の後ろに付いていく。慌てている邪見は気づくことができなかった。

 

 

 

殺生丸の腰にある天生牙が震えていたのを――――

 

 

 

 

 

 




犬夜叉、お持ち帰りされる。


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第十一話 「再会」

『母上……母上!』

 

 

ただそう叫ぶしかない。それしか言葉が浮かんでこない。でも、その声が震えて止まらない。涙も止まらない。男の子は泣いたらダメだと分かっているのに、我慢ができない。

 

 

『犬夜叉……?』

 

 

母上がそう呟きながらぼくを見つめてくれる。大好きな声と、優しくて温かい臭い。でもその声は今にも消え入りそう。綺麗だった顔は真っ白になってしまっている。握ってくれている手はほとんど力が入っていない。もうわかっていた。もう母上が長くはないことを。

 

病。それに侵された母上は日に日に弱っていった。大丈夫、心配いらないと自分を励ましてくれる母上。でも一向に良くならず、もう今は立つことすらできない。布団の中でずっと横になるだけの生活。

 

そして今。それが分かってしまった。どうしてかは分からない。それでも、もうすぐ母上とは会えなくなってしまうのだと。

 

 

『ごめんなさい……犬夜叉。幼いあなたを残したまま、母はいなくなってしまうでしょう……』

 

 

もう喋るのも辛いはずなのに、母上はそんな自分の事よりもぼくのことを心配している。今だけじゃない。生まれてからずっと、母上はずっと自分のことを心配してくれていた。半妖である、ぼくのことを。

 

 

『……っ! そんなこといわないでよ! ぼくが、ぼくがきっと母上を治してあげるから! だから、だから……!』

 

 

ぼくを置いていかないで。一人にしないで。そう叫びそうになるのを必死に我慢した。それでも流れる涙は止められなかった。ただ悔しかった。情けなかった。何もできない、子供の自分が。半妖の自分が。自分が大人だったら。もっと力があれば母上を救えるかもしれないのに。自分には何もない。

 

 

『大丈夫です、犬夜叉……あなたは一人ではありません。きっとあの方が……』

 

 

そう言いながらいつものように母上は頭をなでてくれる。自分が何を言いたかったのかも全部分かった上で、母上は微笑んでくれる。いつもと変わらない、大好きな母上のままで。

 

それがぼくが母上と話した最期の言葉。その夜、朔の日に母上はいなくなってしまった。もう二度と会えない、ずっと遠くへ。

 

それからはただ生きるための日々だった。母上がいなくなってからすぐに屋敷から追い出され、ただ必死に食べ物を探し続ける毎日。人里に下りて助けを求めたこともある、妖怪の仲間に入れてもらおうとしたこともある。でもその全てが無駄だった。

 

半妖だから。

 

ただそれだけで人間からも妖怪からも仲間外れにされる。馬鹿にされる、いじめられる。悔しかった。どうしてこんな目に遭わなくてはいけないのか。何も悪いことはしてないのに。ただ半妖と蔑まれる度に、怒りが収まらなかった。おれはいい、でもそれはおれを生んでくれた母上を馬鹿にしていること。

 

 

―――カラダが熱い。

 

 

自分の身体が自分の物ではないみたいに熱い。血が沸騰しそう。視界が全て赤に染まる。分からない。自分が赤い鬼にやられてしまったのまでは覚えている。でも、もう何も考えられない。あるのはただ、今身体を支配している衝動に身を任せることだけ。

 

 

『ん……』

 

 

ゆっくりと目を覚ます。そこは見たこともない場所。洞窟の中だろうか。でも分からない。どうして自分がこんなところにいるのか。自分は確か、あの時。そう思い出しかけた瞬間、一気に目が覚めた。

 

それは臭いだった。母上とは違う、でも同じぐらい優しくて、温かい。安心できる臭い。それに誘われるように歩いていった先には妖怪がいた。父上と同じ臭いがする、自分にとっての忘れられない再会。それは――――

 

 

 

 

「……っ!」

 

 

跳ね起き、思わず周りを見渡す。きょろきょろするも辺りには妖怪はおろか人っ子一人いない。そのことに安堵しながらもようやく思い出す。自分が知らず木の上で眠ってしまっていたことを。

 

 

(ちっ……嫌な夢見ちまったぜ。最近見ることなんてなかったってのによ)

 

 

舌打ちしながらついさっきまで見ていた夢を思い出す。昔の記憶。思い出したくもない嫌な記憶。とにかく周りに誰もいなくてよかった。かごめはともかくあいつに見られたら何を言われるか分かったものじゃない。

 

そんな中、ふと気づく。自分が何かを抱えたまま眠ってしまっていたことに。それは

 

 

(鉄砕牙……そうか、こいつのせいで……)

 

 

自分の刀である鉄砕牙。それを抱えて眠っていたせいで自分はあんな夢を見てしまったのだろう。正しくは鉄砕牙のせいではなく、その臭いのせいで。

 

 

(くそっ……やっぱり臭いが染み込んでやがる。しばらく取れそうにもないか……)

 

 

何とかしようとするがどうしようもなくあきらめるしかない。今の鉄砕牙には元の持ち主、つまり殺生丸の臭いが染みついている。水で洗ったり、土に埋めたりしたものの臭いはなくならない。二百年間、あいつが持ち続けていたのだから当たり前。その臭いが嫌いなわけじゃない。だがそのせいで自分が昔に、子供に戻ってしまうような気がしてどうしても落ち着かなくなってしまうのが嫌だった。

 

 

(ったく……あいつらも全然変わってなかったな……)

 

 

あきらめてもう一度木に横になりながら思い出すのは再会した二人の姿。妖怪なので当たり前だが、五十年前と全く変わっていなかった。邪見については小さくなってしまったのではと思うほど。相変わらず殺生丸の家来を続けているのだろう。ほとんど無視されているのによく続くものだと呆れるしかない。

 

 

(あいつ……まだ俺が妖怪にいじめられてると思ってやがったのか)

 

 

思い出すのは人頭杖を振り回しながら自分をいじめる妖怪を追い払っていた邪見の姿。どうやら五十年以上たっても邪見にとって自分は子供らしい。その騒がしさもだが、自分のことを心配していたのか涙目になっていたのには焦った。かごめからは見えなかったようだが、恥ずかしさで変な汗をかく羽目になった形。いつになっても邪見は邪見、ということなのだろう。

 

 

(殺生丸の野郎……子ども扱いしやがって……!)

 

 

それ以上に腹立たしいのが殺生丸。その強さもだが全く容赦がなかった。まだその傷が痛むような気がする始末。同時に百年以上経っても埋まらない差を見せつけられた気分。腹立たしいことこの上ないがそれはまだいい。何よりも気に食わないのは首根っこを掴んで持ち上げられたこと。それは殺生丸が自分が駄々をこねたり、我儘を言った時に無理やり連れて行くときのスタイル。小さいときはそれが面白くてわざと反抗したりしたこともあったが今は違う。殺生丸からすればいつもと同じことをしただけなのだろうがこっちは恥ずかしいことこの上ない。かごめに見られてしまったのもマズかった。身内での自分の扱いを他人に見られた気分。

 

 

「……けっ!」

 

 

一人舌打ちしながらただ空を見上げる。自分が殺生丸たちの元を離れて五十年。封印されていた時間を含めれば百年以上。それだけの時間がありながら、何も変わっていない。殺生丸たちが、ではなく、自分自身が。強くなることも、妖怪になることも。あのままではダメだと。殺生丸を超えてやると息まいた結果がこれ。強さは言うに及ばず、人間になりたいなんて願った挙句に五十年も封印される顛末。どんな顔をしてあいつらに会えばいいのか。だがそんな自分の葛藤など知らないとばかりに殺生丸はただ問いかけてきた。

 

 

『――――犬夜叉、なぜお前は力を求める』

 

 

そんな理解できない問いかけ。自分にとっては当たり前すぎて考えたこともないもの。強くなりたい。お袋に心配をかけないために。親父を超えるために。殺生丸のようになるために。半妖だと馬鹿にされないために。自分の居場所を作るために。

 

だがその全てを否定された。下らない、と。自分が強くなりたいと思う理由の存在に。分からない。殺生丸が何を言いたいのか。どうして否定しながらこの刀を渡してきたのか。

 

そのまま雑念を振る払うために木から飛び降り、鉄砕牙の柄に手をかける。鞘から抜き放った瞬間、錆びた刀身は巨大な牙へと変化する。それが親父の遺した刀、鉄砕牙の真の姿。

 

 

「風の……傷!!」

 

 

そのまま全力で鉄砕牙を振り下ろす。その衝撃によって地面が割れるがそれは目の前だけ。本当なら一振りで山を吹き飛ばすはずの威力は欠片もない。未だに自分が鉄砕牙を使いこなせていない証拠。だがまだあきらめるわけにはいかない。この刀を使いこなすことが強くなる近道であるのは間違いないのだから。そのまま再び鉄砕牙を振り上げようとするも

 

 

(……っ!? こ、この臭いは……!)

 

 

臭いを感じて思わず手を止めてしまう。自分にとっては慣れつつある臭いがこっちにやってくる。慌てて鉄砕牙を鞘に納め、地面の割れ目を埋めて証拠を隠滅。息を乱しながらも何とか平静を装う。

 

 

「あ、犬夜叉! やっぱりここにいたのね」

「かごめか。どうした、じゅけん勉強とかいうのでこっちに来れないんじゃなかったのか?」

「うん、でも一段落したらこっちに遊びに来たの。もしかして待っててくれたの?」

「けっ、誰がそんなこと。鼻持ちならない臭いがしたから起きただけだ」

「もう、またそんなこと言って。わたしも怒るわよ」

「ふん、じゅけんだが邪見だかしらねえが、そんなもんに四苦八苦している奴に怒られてもちっとも怖くねえよ」

 

 

まあ、と怒りをあらわにしているかごめ。だが謝るつもりは全くない。嫌ではない、お袋や桔梗のように安心できる好きな臭いだがそんなこと死んでも口にはできない。何よりもさっきまでしていたことを誤魔化すことの方が先決。どうやらかごめには気づかれなかったようだ。内心ほっとしかけるも

 

 

「おらは知っとるぞ、犬夜叉。またかぜのきずごっこをしておったのを」

 

 

ひょこっといつの間にそこにいたのか。七宝がこちらをからかうような笑みを見せながらそんなことを暴露する。かごめの臭いばかりに気を取られて予断してしまっていたらしい。

 

 

「え? 犬夜叉、まだ鉄砕牙で遊んでたの?」

「あ、遊んでねえ! しゅ、修行してただけだ!」

「嘘をついてはいかんぞ、犬夜叉。おらは知っておる、犬夜叉がいつも嬉しそうにその刀を抱いておるのを」

「っ!? て、てめえ!」

「犬夜叉!」

 

 

ばっちり一部始終を見られていたことを知り、そのまま七宝に飛びかかろうとするもかごめに制されてしまう。それが分かっているのか、七宝はそのままこっちにむかってべーっと舌を出している。腹立たしいことこの上ない。

 

 

(こいつ……いつの間にかかごめに懐きやがって……!)

 

 

後で一発ぶん殴ってやると決めながら改めて七宝に目を向ける。狐妖怪であり、ひょんなことで知り合ったのだがあれよあれよという間にいつの間にか居座っているこども。生意気この上ないが、かごめがいるため大きく出るわけにいかない。最近の頭痛の種。

 

 

「もう……でももう修行なんてしなくてもいいじゃない。鉄砕牙は使えるようになったんだし」

「ふん、本当の鉄砕牙の力はこんなもんじゃねえ。一振りで山だって消し飛ばせるんだからな」

「山を……? 百の妖怪じゃなかったの?」

「お、同じようなもんだ! とにかく、遊んでるわけじゃねえんだからな!」

「かごめ、分かってやれ。犬夜叉はそういう年頃なのじゃ。やはりおらがしっかりせねば」

 

 

うんうんと何かを悟ったかのように頷いている七宝。今なら風の傷が出せるような気がする。そういえば鉄砕牙が使えるようになったのもこいつが来た時から。七宝の親父を殺した雷獣兄弟と戦った時からだった。無我夢中だったから分からないが、とにかく鉄砕牙が使えるようになったのにだけは感謝してやるべきなのかもしれない。

 

 

「けっ……で、結局何の用だ。つまんない用なら俺は昼寝しに行くぜ」

「もう、さっき言ったでしょ? 遊びに来たの。気分転換にね、ほら犬夜叉!」

「……?」

 

 

そう言いながらかごめは何かを袋から取り出してこっちに投げてくる。それを受け取るぐらい何でもない。なのに、そのままただ自分はそれを見つめることしかできなかった。

 

 

「――――」

 

 

ぽん、とそれが自分の頭に当たったまま地面に落ちる。それは球だった。なんの変哲もない、ただの球。でもそれから目が離せない。脳裏に一瞬蘇る。思い出したくない記憶。

 

 

「……? どうしたの、犬夜叉? 七宝ちゃんと一緒にボール遊びしようと思ったんだけど、具合でも悪い?」

 

 

かごめが心配そうな顔をしながらこっちを伺っている。それを自分はただ呆然と眺めるしかない。そう、何でもない。かごめはただ球遊びに自分を誘ってくれているだけ。当たり前のこと。

 

 

『まぜてー!』

 

 

遠い昔、幼い頃、その当たり前ができなかった自分。自分が半妖なのだと、思い知らされた原初の記憶。でもそれはここにはない。半妖の自分も、妖怪の七宝も関係ない。かごめはただ自分たちと遊ぼうとしている。それが、どれだけ凄いことか気づかぬまま。

 

 

「ふふっ、分かったぞ。犬夜叉、お前さては球遊びも知らんのじゃろう。まったく、仕方ないのう。おらが教えてやってもいいぞ?」

「だ、誰がそんなこと! さっきから調子に乗ってんじゃねえぞ七宝!」

「ひっ!? た、助けてくれかごめ!? 犬夜叉の奴がおらをいじめるんじゃ!」

「犬夜叉、おすわり!」

 

 

そのまま七宝を球をもって追いかけ回すもかごめのおすわりによって撃沈されてしまう。ここ最近日常になりつつある展開。二百年前から変わっていないこともあれば、変わっているものもある。それでも自分は強さを求め続ける。その先に、自分が求めるものがあると信じて――――

 

 

 

月明りだけが辺りを照らす森。その中にある滝壺に身を晒している者がいた。それは女性だった。腰にも届くかのように黒く長い髪。滝に打たれながらも色褪せることのない肢体。何よりもその美貌。男なら見惚れぬ者はいないであろう美女が水浴びをしている。ただその表情はただ儚げだった。次の瞬間には、ふっと消えてしまうのではないかと思えるほどに。

 

 

「…………」

 

 

ひとしきり体を洗った後、女はただ自分の身体を見つめている。その表情は曇り、どこか忌々し気ですらある。それは当たり前だった。女にとって、先ほどの水浴びは体を洗うためではなく、自らの穢れを払うに等しい行為だったのだから。それでも、何度洗おうともそれを払うことはできなかった。その身体に染みつく臭いからは。

 

そのまま女は装束を身に纏う。巫女装束。それを纏った瞬間、女は完成した。見る者があれば、その美しさに彼女こそが巫女に相応しいと思うだろう。それを女が望んでいなかったとしても。

 

 

「……誰だ?」

 

 

僅かに顔を動かしながら女は森の茂みに向かって問いかける。その先に自分を覗いている何者かがいることを見抜いていたかのように。ほどなくしてそこから一人の男が姿を現す。女以上に、月明りが似合う容姿をした人ではないもの。

 

 

「やはり貴様だったか……」

 

 

男はただ淡々とそう告げる。その感情は表情からは読み取れない。それはまた女も同じ。

 

 

それが殺生丸と桔梗の五十年ぶりの再会だった――――

 

 

 



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