後悔はしていない。
346プロ。芸能関係のプロダクションの中でも最大手と呼び声の高い会社である。
その中にあるアイドル部門は、近年創設されたにもかかわらずすでに100を超えるアイドルが所属している。
346プロの売りといえば、個性的 (相当柔らかい表現) なアイドルが多数いることであると個人的には考えている。
プロデューサーへの愛を隠そうともしないヤンデレアイドルもいれば、クンカーなツンデレもいる。元アナウンサー、警察官や永遠の17歳()など、正直お腹いっぱい状態である。
そんな個性豊かなアイドルたちをプロデュースするべく、我々346の社員たちはプロデューサーを筆頭にアイドルたちを様々な面でサポートしているのである。
とまあ、お堅い話はここまで。ここからはフランクにいかせてもらおう。
俺の名前は鈴木 次郎 (すずきじろう)。23ちゃい。独身。彼女イナイ。
346プロで事務員として働き始めてはや半年。
346プロを陰で操っていると噂されている千川ちひろさん (通称:緑の悪魔) から有難いご指導を受けながら、日夜事務員のイロハを学んでいる。
…え?主人公なのにプロデューサーじゃないのかって?
オイオイ冗談はやめてくれ。
俺はあんな超人もとい人間を辞めたヤツになんてなるつもりはない。
アイツ、346プロのアイドルたち全員をたった一人でプロデュースしてるんだぜ?
正直引くわ。
アイツ、アイドルとは違った意味でウンコしてねぇよ。ウンコしてる暇無いしな。
これからする話は、そんな頭おかしいプロデューサーの日常ではなくて、定時帰り上等なやる気の無いとある事務員のお話である。
**********
「鈴木さん、この仕事よろしくお願いしますね」
それは本日のお仕事を終わらせる目途が着いた昼休憩にやってきた。
面倒事しか寄越さない緑の悪魔、THRさん (25歳) からの笑顔のご指名である。
入社して半年の間にTHRさんのこの笑顔に対する見方も変わってきた。
思えば入社したての頃の俺は純粋だった。
THRさんの笑顔のためにも頑張ろうとか、THRさんの期待に応えようなんて、柄にもない事を思っていたものだ。
今は違う。
面倒事を新人の俺に押し付けて自分は楽をしようという意図がみえるようになってきた。
自分だけ楽をしようたってそうはいかない。
「あっはーい。やっておきまーす」
…新人は先輩には逆らえないのである。
これは俺こと鈴木 次郎の新人事務員としての日常を赤裸々に描いた話である。
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第2話
プロデューサーはモテる。
目からハイライトが消えているヤンデレっ娘から好かれたり、第三回総選挙一位のクンカーにも好かれたりしている。
他にもたくさんのアイドルから好意を持たれているのだが、当の本人はそれに気づく様子も無く、日々の業務をこなしている。
つーか忙しすぎて気づく暇なんてないだろうけどな。
…え?事務員はモテるかって?
察しろ。
**********
あくる日の午後の話。
珍しくちひろさんは有休を取っていて、事務所にいる事務は俺だけという状況であった。
久々の安寧を楽しみながら鼻歌なんぞ歌いながらカタカタとパソコンとの格闘に勤しんでいた時のことである。
「お疲れ様です」
鈴を転がすような声だった。まるで早〇沙織のような (メメタァ)。
声の方向へ顔を向けると、そこには我が346プロのエースである高垣 楓の姿があった。
「あ、どうも」
当たり障りのない挨拶をして仕事に戻る。
…ほんの少しの違和感があった。
そう…そういえば今日は
「高垣さん、今日ってお休みですよね?」
そうだ。高垣さんは今日お休みだったはずだ。
お休み = 仕事無い = 事務所に行く理由無い。
俺なんてむしろ休みじゃなくても事務所に行きたくないもんね。
「とある人とお酒を飲む約束をして、その人の仕事が終わるまで待っていようと思いまして」
「へー。とある人って誰ですか?」
「事務員さんです」
なるほど。ちひろさんかあ。
…ん?ちひろさん今日有休取ってたよな?
「ちひろさん今日有休取っているのでここにはいませんよ?」
「ええ。知ってます」
「ん?」
「え?」
あれ?何かおかしい。会話がかみ合ってない。
うちの事務員ってちひろさんと俺だけじゃなかったっけ。
てかこんな大手プロなのにプロデューサーが一人、事務二人しかいないってどんなだよ!?
「…えーっと、事務員ってもしかして俺のことですか?」
「はい!」
そっか。そーだよね。消去法でそうなるよね。
いや、でも俺高垣さんと飲む約束なんてした覚えないんだけど。
「俺、飲む約束しましたっけ?」
「あら、忘れてしまったんですか?昨日の夜約束したじゃないですか!
…夢の中で」
「いや知らねーよ」
え、何この人頭おかしい。夢の中の出来事を現実に持ってっちゃダメでしょ。
「冗談です。本当は今日飲みに行く予定だった志乃さんが急な用事で来れなくなったので、代わりに誰かを誘おうと思いまして、折角なので最近ウワサの事務員さんをお誘いしに来たんです」
「最近ウワサって…俺何かやらかしましたっけ?」
「それはもう!346プロに久々に入社した若い男性ってだけでウワサになりますよ。事務員さんを狙っているアイドルがいるなんてウワサもあるくらいですし」
「えー!マジっすか!?誰だか教えてくださいよー」
「留美さん」
「お、おう…」
ちょっとガチっぽすぎて引くわ。いや、美人なんだけどね。普段から婚期がどうのこうの言ってる人だから、全く冗談に聞こえないんですよ。
「それはさておき!事務員さん、今夜お暇なら一緒に飲みにでも行きませんか?」
「えーっと、そうですね。お誘いは嬉しいんですけど、生憎今日はちひろさんがいない分仕事が増えていまして、仕事が終わるのが遅くなってしまいそうなんですよね」
そう。ちひろさんがいなくても仕事はいなくはなってくれないのである。
「大丈夫です。事務員さんが仕事終わるまで待っていますよ」
あぁ…一切曇りのない純粋な笑顔だ。ぶっちゃけちょっと面倒くさいから仕事理由に断っちゃおうなんて思惑に全く気付いていないよ…。
こんな笑顔されたら断りようがない。楓さん美人だからちょっと胸がときめいちゃうし。
「…わかりました。なるべく早く仕事片づけるので、それまでしばらく待っててください」
「はい!飲む場所ですけど、折角の秋なので松茸が美味しいところを探してみますね」
「あ、じゃあよろしくお願いします」
「松茸…待つだけ…ふふっ」
いや、全然上手くないからね。
まあ、仕事終わりの楽しみが出来たし、今日もあと半日頑張りますか!
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第3話
時刻は20時を過ぎた頃。
超特急で仕事を終わらせた俺は高垣さんと夜の街を並んで歩いていた。
行先は彼女に完全に任せており、どこで飲むのかすらも聞いていない。
これはあれだ。昔流行ったミステリー列車に乗ったかのような気分だ。
隣をチラ見すると楽しげに鼻歌を歌いながら歩く高垣さんがいる。
左右で瞳の色が違う、所謂オッドアイ。
この行先のわからない旅の神秘性は彼女の瞳によって猶更増しているかのように感じた。
うん。ぶっちゃけ緊張する。
さっきから無い知恵を絞って必死に真面目なことを考えることによって、何も考えないようにするという、矛盾したことをしていたのだが、やっぱり無理だ。
だって!これまるでデートじゃん!!
年齢=童貞歴 () の俺にとって、隣にいる超絶美人との夜のデート (意味深) は難易度が高すぎるんだよ!
あ?年齢=童貞歴の日本語がおかしいって!?ホントにな!!
「着きましたよ」
「わひゃぃ!!」
いつの間にか目的地に着いていたようだ。
店の中に入っていく彼女に慌てて着いていく。
俺、超カッコ悪い。
**********
落ち着いた雰囲気の店だった。
カウンターとテーブルで席が半々になっていて、天井のスピーカーからはしっとりした洋楽が流れている。カウンターを見れば、少し暗い過去を抱えていそうなオジサンがグラスを拭いている。
…うん。間違いない。
「ここ、バーじゃん!!」
「はい!」
「えっ、松茸は!?」
「よくよく考えてみたら、一昨日松茸食べたばっかりだったんですよね」
「いやいやそれにしたって松茸からバーって!! 松茸からバーって!?」
「それに、折角のデートなので。デートの時くらいは、こういうお洒落なお店もいいですね。なーんて、冗談ですよ。ふふふっ」
「 」
アカン…。この人天敵や…。
「事務員さん。とりあえず座って飲みましょう」
「アッハイ」
対面のテーブルに座って、そこからしばらく俺の意識は途絶えた。
**********
気が付くと目の前には日本酒が入っているであろう徳利が置いてあった。
目の前にいる高垣さんは顔を赤くして何やら言っている。
少しずつ頭が覚醒してきた俺は耳に意識を傾けて、彼女の言葉を聞くのに集中し始めた。
「プロデューサーさんは全くお酒飲めないですし、いつもの面子以外の人は飲みに誘っても断られるんです。事務員さんくらいです。誘ったら来てくれたの」
「いや、結構無理やりでしたけどね」
「お酒おいしいですね」
「高垣さん、話そらさないで下さい」
「固ーい!事務員さん、私たちもう飲み友達なんですからもっとフランクに!ですっ」
「高垣さーん、酔ってますか?酔ってますよね?日本酒何本飲んだんですか?」
「2本っしゅ。ふふふっ」
「ダメだこりゃ」
お手上げである。
酔った彼女はどうやら無敵なようだ。
美人で可愛くて無敵。どうしようもない。
時計を見ると22時を回っていた。
そろそろ帰り時である。
「マスター、お会計お願いします」
「マスターにお会計を聞きますたー。ふふふっ」
「絶好調ですね」
渡された金額を見て度肝を抜かれる。
いや、これ日本酒2本どころの値段じゃねーぞ。
とりあえず高垣さんは払える状態じゃなさそうだし、泣く泣く全額を払った。
まあ、でも、楽しそうな高垣さんを見ていると、それだけで値段分の価値はある気がした。
**********
もう十月の中旬にもなりそうなだけあって、この時間帯の外は非常に冷える。
とりあえずタクシーを探して道を歩く。
十分もしないうちにタクシーを発見して高垣さんと一緒に乗り込んだ。
彼女の家まで送る最中、ポツリと彼女が言葉を紡いだ。
「今日は、ありがとうございました。とても楽しかったです」
「こちらこそ。楽しかったですよ」
本当である。
こんな美人とお酒が飲めたなんて、一生の思い出モノだ。
しばらくして彼女が住むマンションに到着した。
ここから先は一人で帰れるだろう。
「事務員さん、それじゃあおやすみなさい」
最後になって、ほんの少し、もったいない気がして、それとほんの少しの勇気が重なって、言葉が口から出た。
「おやすみなさい。 楓さん」
綺麗な笑顔で、また飲みましょうね、と言って去って行った彼女の背中は、ミステリアスな雰囲気を纏った深い夜の色をしていた。
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