立ち上る雲―航空戦艦物語― (しらこ0040)
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序章【航空戦艦物語】
【おるすばんせんかん】


「おおおおおおおん」

 

 雄叫びのような声を受け、飛行機が飛ぶ。

 高く舞い上がった機体は太陽を隠しながら高空を滑空し、少女の指先の動きに合わせ、くるくると曲芸のように宙を舞った。緩やかな海面がゆらりとひるがえり、降り注ぐ日光を反射して瞬いている。その照り返しを受けて、機体の両翼が深く鮮やかな緑色に輝いていた。

 

 飛行機が円を描きながらゆっくりと高度を下げる。飛行場の代わりに高く掲げられた少女の手の中に、機体はすっぽりと納まった。

 

「上手いものだな」

 

 後頭部に声を投げかけられ、少女は驚いて背後を振り返った。生垣の高い草に隠れるように、建物の窓が並んでいる。そのうちの一つから恰幅の良い女性が窓枠に肘を乗せて顔をのぞかせていた。少女と目が合うと、軽く腕を上げて挨拶した。

 

「見てたんですかい、旦那もお人が悪い」

 

 巡洋艦「加古」は艦載機をしまいながら、ぼさぼさの頭を掻き毟った。視線を逸らして、唇を尖らせる。

 

「あたしなんかまだまだでさぁ、古鷹の奴なんか今日もこの後出撃だっつて、あたしゃあ置いてけぼりですよ」

 

「私もさ」

 

 哀感漂うその言葉に、加古は驚いて顔を上げた。しかし、すぐさま高い汽笛の音が鳴り響き、窓の女性と共に後ろの海を振り直った

 

 桟橋を滑り降りるように数人の少女達が海面に降りていく。着水した者から先陣を切り、美しい隊列となって航行する。

 先頭を走るのはセーラー服の小柄な少女だ。ともすれば女子高生にも見まごう出で立ちだが、その清楚な顔立ちに似合わぬ重厚な艤装が彼女の姿をまさしく軍艦たらしめていた。眩しく輝く左の瞳が一瞬だけ陸に向けられる。

 巡洋艦「古鷹」を旗艦とし、続々と後続の船がそれに続いた。

 その中の一隻、一際目を引く長身の艦娘を見て、加古は声を上げた。

 

「見てくださいよ旦那、金剛型ですぜ」

 

「ああ」

 

 最後に水に足を付けたのは巫女のような白装束に身を包んだ、身の丈のある美女だ。腰まで伸びる長髪は、まるで宝石のようにキラキラと眩くきらめいている。背中に背負った主砲は他の艦とは比較にならぬ重厚さで、他艦の追随を許さぬ力強さを醸し出していた。整った輪郭の中の、一際大きな瞳がカッと見開かれた。

 

「HEY!ミナサーン!何があっても、ワタシがいればNo Problemデース!」

 

 英語交じりの、奇妙な言葉使い。

 戦艦「金剛」。巡洋戦艦から高速戦艦へと改装された、まさしく次世代型戦艦とも呼べる軍艦であった。

 

 窓枠に肘をついた女性は、その堂々たる後ろ姿を複雑な表情で見送る。彼女も、また戦艦であった。かつては旗艦として隊を先導し、海戦においては自慢の火力で敵陣を薙ぎ払った。しかし、そんな栄光も今や過去の産物。

 

 戦艦「日向」は大きくため息をつきながら、部屋の中に身を引っ込めた。差し込む日の眩しさから逃げるように、大股で廊下を歩く。

 

「私だって仕事が山積みなんだ」

 

 

 この後は盤木を船渠(ふろば)に運ばなきゃならんし、食堂に顔を出して人が少なければ米炊きくらいは手伝える。午後は演習艦の仕事が立て続けに入ってるし、その後は報告書の催促にも回らなければ。

 

「…なんだかな」

 

 日向は曲がり角の影で立ち止まり、両の拳を固く握りしめた。

 出撃割に最後に名前が挙がったのはもう半年も前の事だ。かつて艦隊一と謳われた火力も装甲も、今はただ薄暗い倉庫の中で錆び朽ちるのをひっそりと待つだけだ。

 

「日向様」

 

「ただの戦艦の時代は終わったか…」

 

 ひとりごちる。

 ただもどかしく、無為な日々を過ごす。戦えない私はいったい何者なのか。

 日に日に全身の細胞が死んでいくのを感じる。毎日の訓練を欠かした事は無い。それでも、あの戦場の「空気」の様な物が、私を艦娘たらしめていたのは疑いようも無い事実であった。

 

「日向様」

 

 せめて戦いの中で死んでいくものとばかり思っていた。いや、戦えぬ私など、今は死に体も同然なのだろうか…。

 

「ひ・ゅ・う・が・さ・ま!」

 

「ん?」

 

 ふと視線を上げると、自分の目の前に小柄な少女が両手を腰に当てて仁王立ちしていた。長い黒髪の内側で両の瞳がしっかりと日向を見上げている。

 

「初霜か…、急に大声を出すんじゃない」

 

「急ではありませぬ。この初霜、ずっと日向様の御傍についておりました」

 

 初霜が握り拳を作りながら声を張り上げた。どうやら考え事に夢中で気づかなかったらしい。

 

「そうか…。で、何か用か」

 

 そう声をかけて再び歩き出す。初霜はまるで日向の従者の如く、彼女にぴったりとついて歩いた。

 

「はっ、提督がお呼びです」

 

「提督が?今更私に何の用か、さては私もついに解体に名が挙がったか」

 

「日向様!そのような事を言ってはなりませぬ。提督は日向様に大層期待を寄せておられます!」

 

「ならいいがね」

 

 そっけなく答える日向に、並び歩く初霜は眉を「へ」の字に曲げて、頬を膨らませた。

 

 提督の司令室はこの棟の三階にある。

正面扉に背を向け階段方面へ足を歩を進めると、日向は突然キュッと靴の先を鳴らして立ち止まった。

 先導していた初霜は、その音を聞いて不思議そうに日向を振り返る。前方に視線を戻す前に、背中にどんと強い衝撃がぶつかった。

 倒れ込む初霜に日向が手を伸ばす前に、ぶつかった少女が二人の間に割り込む様に立ちはだかった。

 

「ご機嫌よう、日向さん」

 

 絡みつくような声に、うんざりとした様子で日向は返した。

 

「榛名か…」

 

 日向と向かい合った戦艦「榛名」は、先ほど出撃を見送った「金剛型」の3番艦である。

 金剛と同じ白装束に、袴の様な赤いスカートを履いている。麗しい黒髪をなびかせる少女は、艶やかな髪をかき上げながら、まるで可哀そうな物でも見る様な目で日向をねめつけた。

 

「「榛名か」は無いでしょう?(わたくし)達、午後の演習相手だというのに」

 

 露骨に視線を揃えてくる榛名を、日向は真っ向から相手しなかった。軽く一瞥し、足元の初霜を心配そうに見つめた。榛名の顔を見ることなく、気が抜けたような声で呟く。

 

「お手柔らかにな」

 

 自分の目を見ようともしない日向の様子に、榛名は真意を推し図るかの様に訝しげに目を細める。しかし興味を無くしたのか、ため息をつきながらも身を翻して道を譲った。

 

 日向が初霜に手を伸ばす。その一瞬、屈んだ耳元に榛名が口を寄せた。

 

「鉄クズ風情が、せいぜい榛名の「的」役がお似合いですわ」

 

 日向の眉間に稲妻の如く血管が浮かび上がる。榛名はそれを見て口の端をいやらしく吊り上げた。

 

「あらあら、榛名ったらはしたない。それでは御機嫌よう日向さん」

 

 言ってひらひらと手を振りながら榛名は踵を返した。

 

「日向様…?」

 

 初霜の不安げな声が響く。日向はその手を強く握って、精一杯微笑みかけた。

 

「立てるか?」

 

「はい、少し足をくじいただけです」

 

 日向の手を取って立ち上がる。榛名は結局一度も初霜を気にかける事は無かった。

 

「日向様、初霜はあの方が好きませぬ」

 

「そのような事を言うものじゃない。同じ鎮守府(いえ)の仲間同士だ」

 

 握られた手に力がこもる。「痛い」と声に出す事は、今の初霜には憚られた。

 



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【提督という男?】

 

「じゃあ、行って来る」

 

 司令室の前で日向は足元の初霜に向けて言った。視線を下ろすと、ちょうど自分を見上げている彼女と目が合った。

 

「初霜もお供いたします」

 

「お前は関係無いだろう」

 

「初霜は日向様の盾でございます」

 

「話し合いに盾は必要ないだろう」

 

 そう言われて初霜は「ふむ」と顎に手を当てる。数秒の思考の後、大真面目な顔で答えた。

 

「精神的ダメージがあるかもしれませぬので」

 

 それを受け、今度は日向が考える。

 

「守ってくれるのか…」

 

 日向は一つ息をついて扉に手を掛けた。

 

「心強いな」

 

 頷いて、その小さな手を取る。

 まるで台本があるかのようなやり取りだが、二人は至って真剣であった。

 

 

 

 

「入るぞ」

 

 ノックも早々に扉をくぐる日向の後を追うようにして、初霜も慌てて部屋に足を踏み入れた。とたんに香ばしいコーヒーの香りに包まれる。初霜は普段見慣れない司令室の光景に目を丸くしていた。

 司令室の中は美しい調度品に囲まれた、まるで高級ホテルの一室のような空間であった。

 

 応接用に用意されているのは曲がった足を持つ丸みを帯びたテーブルと、専用にあつらえたレトロなソファー。アンティークだとかヴィンテージだとか、そんなものに詳しい初霜では無いが自分の部屋においそれと飾れる安物で無い事だけはわかる。

 海を見渡せる大窓は、サッシ部分が小さなカウンターのように突き出している。足元は収納になっていて、ガラス戸からは寝かされたワイン瓶が隙間なく並べられているのが見える。

 職務用の机はピカピカに磨かれ、今は書類の束の代わりに小さなコーヒーメーカーがぽこぽこと可愛らしい音を立てていた。

 

 机の前に立っていた長身の男性が、音に気が付いて振り返る。赤み掛かった髪が小さく揺れた。

 

「いらっしゃい」

 

 提督は手にコーヒーカップを持ったまま振り返った。両手にソーサーを持ち、まるで着崩した学生服のように軍服を肩から羽織っている。軍服の下は黒のタンクトップで、筋肉質な体を覆い隠している。

 

「お、おてつだいします」

 

 初霜が駆けて行ってコーヒーを受け取る。

 提督はわずかに目尻を下げると、切れ長の目で柔らかく笑った。

 

「サンキュー、初霜」

 

 無意識に初霜の頬が朱に染まる。

 

(こんなにカッコよくっちゃあ、少しくらい動揺しちゃうのも仕方が無いよね)

 

 初霜はコーヒーを机に運ぶと、提督の椅子を引いて自分もその向かいに腰を下ろした。初霜の隣には日向が座る。提督は一口だけカップに口をつけ、ゆっくりソーサーをテーブルに置いた。並んで座る二人を見つめて、面白そうに目を細めた。

 

「あんた達ホントに仲良いわねぇ。なんだか、お人形さんみたいで可愛いわ」

 

 しゃなりと、形のいい顎に指の先が触れた。男とは思えない細く繊細な指先は、ピンクのネイルにコーティングされピカピカと輝いている。

 

(オネェじゃなければなぁ…)

 

 初霜は、はぁとため息が漏れそうになるのをコーヒーの苦みで何とかごまかした。日向は流石に見慣れているのか、涼しい顔でミルクをかき混ぜている。

 

「まあいいわ。日向、最近の調子はどう?」

 

 提督がシュガーポットを取り出しながら聞いた、中から色とりどりの角砂糖を取り出し、胸ポケット引っ張り出したレースのハンカチの上に等間隔で並べ始める。

 

「知ってるだろう、風呂焚きに掃除にと大忙しだ」

 

 日向が砂糖を一つつまみあげてコーヒーに落とす。一口つけて、再度別の砂糖に手を伸ばした。

 

「それは結構。ならもう一度戦場に出る必要はなさそうね?」

 

 砂糖の色を選んでいた日向の指がピタリと停止する。

 

「今更こんな旧式に何の用だ。特攻か、囮か?」

 

 皮肉ではない。本心からの疑問であった。

 提督もそれを知っての事か、苦い顔ひとつしない。代わりに、口をつけたカップに広がる波紋を、長い時間かけてじっくりと眺めた。

 

「金剛ちゃんの事はご存じ?」

 

 知らない訳は無い。

 英国かぶれの高速戦艦姉妹の1番艦。鎮守府最強の一角にして、艦隊のエースオブエース。最新型戦艦の……あ。

 

「近代化改修、か?」

 

 提督はカップに口をつけたまま、小さく頷いた。

 

 近代化改装とは一定練度以上の艦娘が特定の設備により「肉体」と「艤装」を強化する改造手術の事である。「限定改造処理」とも呼ばれ、艦娘の専門を細分化し、より限定的に調整する事で稼働能力の最大値を大幅に上昇させる作業だという。

 

「イエース。ただね、女の子にはちょっと負担が大きいかもと思ってるのよ、アタシはね」

 

「金剛型が高速戦艦になったような?」

 

 提督は大きく頷いた。

 

「大がかりな作業になるわ。多分だけど、元の体に戻る事も出来ない」

 

「ほほう私の次は何だ?宇宙戦艦か?」

 

 日向は流星の合間を縫って航行する自分の姿を想像し「悪くない」と小さく頷いた。しかし、日向の冗談にも提督は眉一つ動かす事なく、机の一点を見つめている。

 

 提督は一瞬目を伏せ、次の瞬間まっすぐに前を、日向を見据えた。

 

「航空戦艦って知ってるかしら?」

 

 黒い水面が、動揺したようにゆらりと揺れた。

 



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【そらのおさそい】

「航空戦艦…だと」

 

 日向の呟きを受け、提督は大きく頷いた。コーヒーカップをソーサーに置き、机の上に両肘をついて組んだ指の上に顎を乗せた。

 

「そ、戦艦の装甲と火力、空母の制圧力を兼ね備えた新時代の軍艦ってわけ」

 

 日向もぐっと肩を突き出して提督に顔を突きつける。お互いの息が吹きかかるような距離で、視線を合わせ睨み合った。

 

「私に空母の真似事をしろと」

 

「実際に航空戦も賄ってもらうわ」

 

 提督がにっこりとほほ笑んで顔を離した。足を抱えながらソファーによりかかり、ソファーの横のサイドテーブルに手を伸ばす。手に取った紙を日向の方へ指で弾いた。日向はふわふわと漂うそれを、器用に空中でキャッチした。

 

 受け取った方眼紙には戦艦の全容の俯瞰のスケッチが描かれていた。描かれている艦は、戦艦の船体後部に大きな五角形の甲板が貼り付けられている。

 

「以前事故を起こした5番6番主砲を取っ払って、そこに飛行甲板と新型のカタパルトを搭載する。艦載機を収容するスペースが必要だから副砲も削って場所を作る事になるわ」

 

「火力を落とすのか?」

 

 日向の顔が露骨に曇る。提督は小さくため息をついた。手のひらを天井に向け、肩をすくめた。

 

「多少のパワーダウンは仕方ないわね。そのかわり航空隊の編成と対空砲撃の強化を行う。失った火力は航空戦力で補うのよ」

 

「発艦はいい、だがこんな小さな滑走路では着艦はできまい。飛び立った機はどこに帰る?」

 

 それに今度は提督が顔をしかめる番だった。日向から視線を外し、顎を触って口元を隠した。

 

「…それはおいおい。現状では特定艦種、例えば空母とかを随伴艦につけて任務完了後はそちらの甲板に着艦する事になる」

 

「と言うことは随伴の空母は艦載機を満載しないということか」

 

「それは…」

 

 言い淀む提督の様子に、日向はおおよその事情を察していた。

 

「話にならんな」

 

 受け取った設計図を、日向は受け取った時と同じように指先で弾いて返した。提督はそれを受け取らず、紙は風に乗ってゆっくりと床の上に落ちた。

 

「解体はしないが実験台になれという事か」

 

 苛立ちを含む日向の声、提督は気にする事も無く再度コーヒーのカップに手を伸ばした。

 

「戦艦の新時代の為よ。テストは必要と思っているわ」

 

「ならせめて私を納得させる口説き文句を考えてから出直すんだな」

 

 腰を上げる日向を提督は黙って見送った。コーヒーカップに口をつけたまま、おたおたと動揺する初霜に目で促す。

 

「ご、ご馳走様でした!」

 

 扉の閉まる音を聞きながら、提督は角砂糖を一つかじった。

 

 



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【てんさいとちくわ】

 昼過ぎの食堂。

 艦娘(ふね)もまばらになったホールの中心で、日向は柱を囲む様に組まれたベンチに腰かけていた。

 天井から吊り下げられたテレビモニターでは現在出撃中の艦隊の様子が映し出されている。映像はビデオカメラを積んだ特別飛行艇から送信されていて、金剛が砲撃を繰り回す姿が数カットに分割され映し出されていた。敵艦が煙を上げて体勢を崩すと、テレビの前に陣取っている駆逐艦達がワッと沸いた。

 

 

 日向はその様子を只ぼんやりと眺め、体を広げて大きく伸びをした。後頭部を柱にこすり付けると、見覚えのある黒髪がさらりと顔に掛かった。

 

 頭頂部を柱に預け天井を向く日向を、ベンチの上に立った初霜が覗き込んでいた。

 

「伊良湖さんが今日はもうあがって良いとの事です」

 

「そうか」

 

 日向は垂れ下がる髪を手で払い、肩を手で押さえながら立ち上がった。両の肩を回しながら、ぐりぐりと首をひねる。

 

「まさかお前がウェイトレスをしているとはな」

 

「申し訳ございません、お付き合い頂いて」

 

 初霜がエプロンを外しながら頭を下げる。日向は目を細めて、その頭をぐりぐりと撫でまわした。

 

「いいんだ、私も仕事が欲しい」

 

「伊良湖さんがまかないを用意してくださるそうです」

 

「そりゃあいいな」

 

 日向と初霜は揃ってカウンターに向かった。そこではエプロン姿の給糧艦がせっせと洗い物を片付けている。

 

「手伝おうか?」

 

 声をかけると、カウンターの中で結わいたポニーテールが小さく跳ねた。

 

 給糧艦「伊良湖」は日向の姿を見つけると、濡れた手をエプロンで拭いながら小走り駆けてきた。カウンターを挟んで、小柄な少女が柔らかく微笑みかけてくる。

 

「お疲れ様です、日向さん。初霜ちゃんも」

 

「お疲れ」

 

「お疲れ様です」

 

 日向がカウンターに肘を乗せて身を乗り出す。小さな伊良湖を見下ろす様に上から声をかけた。

 

「私たちも、そちらに回ろうか?」

 

 奥の流し台にはまだ多くの食器が積んである様に見える。日向の指指す方を振り返ると、伊良湖はいやいやと両手を横に振った。

 

「いいんです、お昼のピークも過ぎていますから。それよりお二人も何か食べて行ってください」

 

 そう言ってメニューを差し出す。しかし、二人ともメニューには目を落とさずそろって声を上げた。

 

「カレー」

 

「カレーひとつ!」

 

 重なった声を聞いて、思わずお互いを見返す。

 

「ごめんなさい、お昼のカレーはもう一食分しか残っていなくて」

 

 見つめあう二人に、伊良湖は申し訳なさそうに告げた。

 

「では…」

 

「じゃあ私はうどんにしよう」

 

 言うより先に、日向はハシを取ってカウンターを後にした。取り残された初霜は伊良湖と日向の背中を交互に見回した後、伊良湖に一礼すると駆け足で遠ざかる背中を追いかけた。

 

 

 

 テーブルにつくと、吊り下げられたテレビから大きな爆発音が響き、二人ともそちらに目を向けた。画面の中では巡洋艦「五十鈴」が、背負った艤装から爆雷をバラ撒いる所が写し出されている。

 海中にて展開した爆雷が炸裂する。くぐもった爆発音と共に、立ち上った泡がぼこぼこと海面を揺らした。

 

「不毛な話題かもしれませんが、軽巡洋艦最強は五十鈴さんかもしれませんね」

 

「天才だからな」

 

 答えながら日向は汲んできた水に口をつけた。

 

 長良型二番艦「五十鈴」。彼女は巡洋艦きっての天才と鎮守府内でその名を轟かせていた。

 着任当日より高い対潜能力で注目され、1週間で1番艦「長良」を抑え主艦隊入りを果たす。得意な対潜攻撃はもちろん、砲撃、雷撃にも隙が無く、艦載機運用能力を捨ててなお索敵に優れるなどまさに「天才」の名を欲しいままにしてきた。

 巡洋艦の中でも軽級の者は鎮守府中でも層が薄く、誰も彼女を追随できるものはいないのが現状だった。

 

「おまちどうさま」

 

 しばらく画面の中で揺れるツインテールを眺めていると、伊良湖が注文の料理を持ってやってきた。両手にトレイを掲げて、腰をかがめてテーブルに並べる。やってきたうどんのどんぶりを、日向はじっと見つめた。

 

「それはサービスです」

 

 日向の視線の先、二人の料理の上には、きつね色に揚がったちくわがどんと自らを主張していた。

 日向はいい、どんぶりの真ん中に巨大な磯辺揚げが浮かんでいる。程よくうどんの汁を吸って、サクサクの衣から立ち上る油の匂いが食欲をそそる。

 しかし、初霜はどうか。山盛りのカレーライスの上に、一本のちくわが絶妙なバランスで乗っかっている。でき(・・)の悪いしまかぜカレーのようなその風貌に、日向は眉をひそめた。

 

 初霜の顔を覗き見る。彼女は以外にも目をキラキラと輝かせていた。

 

「おいしそうっ!」

 

「そうかな?」

 

 日向の呟きには気づかず、伊良湖は「ごゆっくり」とテーブルを後にした。

 初霜は手を合わせると、スプーンで器用にちくわを一口サイズに切って、カレーと共に口に運んだ。

 日向もちくわの端を汁に浸して、その先端にかぶりついた。サクサクの衣とふわふわ弾力のあるちくわが、絶妙に口の中で混ざり合う。どんぶりを持ち上げて汁をすすると、口の中の脂っぽさを押し流して、濃い出汁の味がしっかりと口内に広がった。

 

 顔を上げると、初霜がスプーンを持ったまま、思いつめた様に日向を見つめていた。不思議に思い、日向は正面から初霜に向き合う。彼女がどんぶりを置いたのを確認すると、初霜が口を開いた。

 

「日向様は、これでよろしかったんですか?」

 

「ん?ああ、いいんだ。カレーを食べねば死ぬ訳でもなし」

 

「いえ、そうではなく」

 

 初霜がスプーンを置く。

 

「近代化改装の件です」

 

 日向はその言葉を聞くと、「くだらない」とでも言いたげに再びどんぶりと向き合った。テーブルの端の木箱からプラスチックのれんげを取り出し、汁の中に差し入れた。

 

「お前も話を聞いていただろう、あんな行き当たりばったりな計画に艦生賭けられるか」

 

 れんげの中にできた汁の水面に自分の顔が浮かぶ。琥珀色をした自分の顔は、達観し諦めた様に小さく笑っていた。

 

「しかし、提督の事ですから何の算段も無いとは思いませぬ」

 

「さてね、設計上の欠陥を直接本人に説明したり、テスト等と言う言葉選びを見ても、あの男は私に「断わる」と言って欲しいようにしか聞こえなかったがな」

 

 それを聞いて初霜は首をかしげた。

 

「どういう意味です?」

 

「それこそ私が知る由も無い」

 

 日向が興味無さそうにうどんをすする。初霜もそれ以上言及するような事はせず、再び巨大なちくわと向かい合った。

 

 

 

 

 

 時刻一五〇〇時。

 ガラガラと鎮守府の時鐘が響く中、演習場に二つの艦隊が入ってきた。事前に水に足をつけていた日向は、自陣とは反対側のゲートをくぐってくる戦艦とゆっくりと目線を交わし合った。

 榛名は日向に視線を返すと、単艦で海上を滑り日向の目の前までやって来た。

 

「宜しくお願い致しますね」

 

「ああ、宜しく」

 

 短いあいさつを交わして、日向が先に拳を突き出した。榛名もそれに合わせ、右の拳をぶつける。

 ガツンとお互いの拳骨が衝突し、反動で二人の体が後方に流れた。そのまま背中合わせに主機を入れ、お互いの艦隊に向き直る。

 

 ルールは4対4の砲雷撃戦。

 砲雷撃戦演習は、その名の通り通常の砲雷撃戦を想定した演習である。両者事前に申請した船数で艦隊を組み、合図に合わせて攻撃を始める。開幕雷撃は無し、前段航空戦も無し、さらに奇襲戦を想定している為、索敵機の発艦時間すら用意されていない。着弾観測射撃を行う際は、戦闘中に隙を見て艦載機を発艦させる必要があった。

 

「やるぞ」

 

「やりますよ」

 

 二人の掛け声に、隊のメンバーは一同強く頷く。

 判定員の声が演習場全体に響き渡った。

 

「これより砲雷撃戦演習を行う!」

 

 艦隊がゆっくりと海上を航行(はし)り始める。二つの艦隊は、お互い単縦陣のまま平行に航行を続ける。

 先頭の榛名がぐっと日向に距離を詰めた。お互いの瞳が覗き込めるような近距離で睨み合う。強い衝撃とともに榛名の艤装が日向にぶつかる。日向の鋭い視線に榛名は楽しそうに目を細めた。

 

「解体してあげますよ、ガラクタさん」

 

 金属がこすれ合う甲高い音が空に溶けていく。日向の握り拳が、榛名の装甲の上に影を落としていた。榛名は薄気味悪い笑みを崩さぬまま、反動に従って距離を取る。平行に並んだ互いの艦隊が、先頭から二つに分かれた。

 

「演習はじめっ!」

 

 火蓋は切って落とされた。

 



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【うちかたはじめ】

「「同航戦っ!」」

 

 演習開始直後、二人の戦艦の声がそろって響いた。共鳴する怒声が、周囲の海面を震わせ、波を荒らす。反響し増幅されたその声の圧力に、後続の艦はびりびりと身を震わせた。

 ガコンと主砲の射角が調整される。四門の35.6cm砲が空高く掲げられ、お互いを照準の真ん中に捉えた。

 

「「目標っ!」」

 

 両者高らかに謳う。

 

「金剛型戦艦!」

 

「伊勢型戦艦!」

 

 お互いに速度を落とさずに、ぎりぎりまで的を絞る。加速が最大まで達した時に、両者弾かれた様に声を張り上げた。

 

「「撃てえええええええええっ!」」

 

 重なった爆発音が、風圧となって艦隊の間を駆け抜ける。迫り来る風の音を「超える」と、一瞬の無音の後に頭上より打ち上げ花火のような高い笛の音が聞こえてくる。徐々に増大する風切り音が艦隊の真横に突き刺さり、巨大な水柱となって降り注いだ。

 

「きゃああああああっ!」

 

「落ち着け!至近弾だ、隊列崩すな!」

 

 大きく海面が震え、それに翻弄されるかのように隊列が崩れる。

 うろたえる艦隊をあざ笑うかのように、二機の零式偵察機が、水柱をよけて頭上を通過していった。およそ100mほど飛んだ後、日の丸を翻し反転して帰ってくる。

 

「速い!!川内か!」

 

 戦艦同士の撃ち合いに乗じて発艦したのだ。攻撃機でこそないものの、今の砲撃の着弾位置は確実に測定されただろう。

 

 次は当ててくる。日向は唇の裏に舌をこすりつけた。

 

「初霜は対空を重視、敵艦載機を迎撃せよ。江風は初霜に付いて雷撃準備、敵の魚雷の警戒を怠るな。名取は私と砲撃。駆逐艦は任せたぞ!」

 

 矢継ぎ早に指示を飛ばす日向を遠くに見て、対する榛名は軽く舌を撃った。

 

「外しましたか…」

 

 榛名は一旦速度を落とし、自分の砲弾の行く末を見守っていた。

 日向の放った徹甲弾は、砲の角度から測定して大きく着弾位置がそれると予想できていたので、目立った回避行動はとらずに川内に偵察機を飛ばさせたのだった。

 

「川内は引き続き偵察機を飛ばし続けて。涼風さんと野分さんは私の指示に合わせて雷撃位置についてください」

 

 榛名の指示を受けて、部隊は各々の装備の確認をする。川内は次の零戦をカタパルトに誘導し、涼風と野分はお互いの魚雷発射管の位置を点検し合っている。

 

 軽巡洋艦「川内」の無線に声が飛び込んだのは、次発の零戦がカタパルトに収容された瞬間の事だった。聞こえてくるハキハキとした喋り方は、駆逐艦の「涼風」である。

 

「榛名さんはどうしてあんなに相手の御大将を目の仇にしてるんで?」

 

 当然とすら言える素直な疑問に、後続の駆逐艦「野分」も回線に割り込んでくる。

 

「たしかに榛名さんは悪趣味で陰険、へそもつむじも曲がってて、いいとこと言えば顔くらいなもんです。ですが、あの人に対する執着の仕方は異常です」

 

 容赦や空気を読む事を知らぬ駆逐艦の追及に、回線の主である川内は頬を引っ掻きながら答えた。

 

「それ聞いちゃうかね?あのね、あっちの日向っていう戦艦。あれ榛名さんのお姉さんの金剛さんの…」

 

「ちょっと、カワウチ!艦載機が落とされてるわよ!サボってないで、手ぇ動かしなさい!」

 

 榛名のヒステリックな声が回線に割り込んでくる。今のは川内個人の回線なので、先ほどまでの会話は聞かれていないはずだ。

 

「あー、またあとで」

 

 川内は強制的に会話を打ち切ると、右肩に取り付けられたカタパルトをぐいと体の内側に引き寄せた。左手で右手首をしっかりと固定し、エルボーの様に肘の先を敵の進行方向に向ける。発艦の衝撃に備え、薄く目を瞑ったが、射出方向である敵艦隊の動きを目で追うと、閉じかけた目を勢いよく見開いた。

 

「榛名さんっ!」

 

「わかってる!涼風、野分!雷撃準備!」

 

 榛名が足を止めたスキをついて、日向達は舵を大きく左に切っていた。同行戦の撃ち合いの後に大きく榛名達を引き離すと、取り舵を切って前方から榛名の艦隊に向かい合うように迫って来ていた。

 

「舵を切る一瞬、T字戦になりますよ!こちらが不利です!」

 

(馬鹿川内!日向(アイツ)の最大射角じゃ、ここへは届かないわよ。しかし…)

 

「榛名さん、艦載機!」

 

 上空をみやると、日の丸を携えた観測機が隊を組んでぐんぐんと距離を縮めてきていた。全部で4機。榛名の艦隊の上空を通過すると、2-2の部隊に分かれて引き返していく。

 

 長期戦が不利だと踏んだか、日向はこの一撃のカチ合いで決めるつもりだ。

 

「反航戦に入ります!涼風野分はすれ違いざまに雷撃をぶち込んで!目標敵旗艦、伊勢型日向!」

 

 

 

 

 日向は艦載機を飛ばすと、すぐさま無線を飛ばした。

 

「反航戦来るぞ!名取、水平射用意!目標駆逐艦!同距離にて水雷戦を妨害せよ」

 

「りょ、了解」

 

 軽巡洋艦「名取」がうわずった声で答える。構えた主砲は本人の心意気に反して、ガコンと重々しい返事を返した。後ろでやや距離を取って航行する駆逐艦の「江風」が、名取を押しのけるように回線に割り込んでくる。

 

「旦那!江風達は!?」

 

駆逐艦(おまえたち)は温存だ、先ずは榛名たちを消耗させる。長期戦に持ち込むぞ。反航戦後、一斉回頭して追撃戦に入る。進行ルートをふさぐ様に雷撃だ」

 

「こ、攻撃艦は私だけですか!?」

 

 喉をひきつらせた様な名取の声。日向はそれを聞き思わず口元を緩めてしまった。

だが、名取の不安も当然だ。日向の積む35.6cm砲はその巨大さ故、近距離での水平射撃では大きな衝撃がかかる。ベタ足で反動に耐えるならともかく、航行中にしかも反抗戦で向かってくる敵艦を撃てば反動でバランスを維持するのも難しい、最悪主砲そのものが自壊してしまうだろう。反抗戦の短いすれ違いで戦艦が機能するとすれば、近距離で他艦の盾になる事くらいだと思っているのかもしれない。

 日向は小さく背後を振り返り、不安げに見上げる名取を一瞥して口の端を上げて笑った。

 

「ヤるのはお前と「私」だ」

 

 日向は主砲を折り畳み、腰に差した刀に手を添えた。伊勢型「八式艦刀」。深海棲艦殲滅兵装として鍛えられた、正真正銘の「斬艦刀」である。

 金属の鵐目(しとどめ)に指を乗せ、とんとんと指先でたたく。そのまま片手で鍔をはじくと、右手で柄を握り一気に抜き放った。

 

 ざらりと刀が鳴く。水平に風を裂いて、真横に大きく構える。剥き出しの刀身に紫電が揺らめき、濡れた刃が妖しく光った。

 

 



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【はるなとたて】

    

 深海棲艦殲滅兵装、通称「深滅兵装(しんめつへいそう)」は艦娘が用いる近接兵器の総称として定義されている。しかし砲撃艤装と違い、攻撃性能が艦娘本人の技量に大きく依存している事、近距離での殴り合いを前提として作られている為に艦隊運動とは相性が悪い、などの点から愛用している艦娘はごく僅かだ。

 

 斬艦武剣「八式艦刀」は伊勢型の基本兵装であり、大型主砲を持つ戦艦の唯一の近接兵器であった。約20人の鍛冶師に打ち鍛えられ、専用のトラックで運搬するこの特二大刀を振り回せるのは、艦娘多しと言えども伊勢型を置いてそうはいない。もともとは飾り刀として用意した特一大軍刀を、とある艦娘が戦場で振り回した事から生まれたとされている。

 

 日向は身の丈程もあるその大刀を軽々と扱い、左手に持ち替えた刀を肩に担ぐように構えた。

 

「ぶつかるなよ」

 

 刃越しに背後を振り返ると、後続の名取がちょうど半身を引いたところだった。こういう所も、艦隊運動には向いていないと言える。

 

「全艦、梯形陣。遅れるな!」

 

 日向を先頭として、後続の艦が半身づつ位置をずらす。榛名の隊と向かい合い、全艦の射線が一本に通った。距離は5000。日向は深く刀の柄を握り直した。後続の艦が息を飲むのが聞こえる。

 

「うまくやり過ごして敵の背後を取るのが目的だ。肩に力を入れ過ぎるなよ、チビッコども」

 

 日向の無線を受けて、航行する二人の駆逐艦が声を張り上げた。

 

「がってンだぜ、旦那!轟沈(お)ちやしないから、安心しろやい!」

 

「日向様、くれぐれもお気を付け下さい」

 

 最後尾を航行する初霜が、日向の個人回線にそれだけ呟いて回線を閉じた。小さく頷いて、正面へ向き直る。距離3000、前方から火の手が上がった。

 

「戦艦榛名、砲撃確認!」

 

 偵察機からの報告を受け、日向は顎を上げた。黒々とした火の玉が高速で上空に飛翔していく。高さ、距離、そして何より梯形陣の先頭を狙い撃つ角度調整は、完全に日向を狙って撃ったものであった。

 日向はゆっくりと上る砲弾を見上げると、弾の起動が落ち始めた瞬間に後続の隊をふりきって一杯まで加速した。後方で水が叩き付けられる音が響く。それを無視して、日向は急加速を続けた。

 距離1000。ふてぶてしく笑う榛名の顔が見えてくる。互いの視線がぶつかり合うと、榛名も単艦で主機を限界まで回した。まるで引かれ合う様に、両者は海上で肉薄した。

 

「榛名、覚悟!」

 

「目障りなんですよ、ガラクタ!」

 

 刀を握る日向の腕が、筋肉をはじけさせ何倍にも膨れ上がる。衝突の瞬間、左肩を軸にして大きく刀を振り下ろした。精錬された「肉」と「技」を剣圧に乗せ、瞬間的に爆発させたタメ(・・)が海面を叩き割る。巻き上がる噴水の如き水柱が、辺り一帯を覆い隠した。

 榛名は主砲の装甲でそれを受けるが、正面の壁の第一層は見事にまっぷたつにされ、二枚の鉄板が音を立てて海中に没した。

 

 その様な壮絶な有様の中でも、ガッチリと噛み合ったお互いの視線は1ミリも外れる事は無い。水柱の内側から現れた日向の研ぎ澄まされた眼光は、榛名に襲い来る次の危機を察知させるには十分すぎる圧を携えていた。

 切り落とされた装甲をかばいつつ、強引に上半身をそらして後退する。榛名が顎を引いたのと、再度水柱が上がるのがほぼ同時だった。

 

 轟音を伴い、榛名の眼前を剣先が通過する。水面に叩きつけた刃を反転させてV字に切り上げたのだ。

 冷たい刀身が頬を撫でる。弾かれたように右に身をそらし、そのまま日向の脇を抜けてその背後に離脱した。二人とも瞬時に回頭し、再度対峙する。この間、両者の対峙より僅か2秒半の出来事である。

 

 日向が刀を構え直す。右手で持った刀を再び左の肩の上へ、しかし今度は刃を肩と水平に揃え、峰をえぐる様に強く首に押し付けた。

 

 対する榛名はと言うと、自らの頭部を押さえ、わなわなと腕を震わせている。その顔は、怒りと憎悪でおぞましく変貌している。

 

「は、榛名の、電探をおおおっ!」

 

 切り落とされた電探が海中に沈んでいく。対峙してから一度も切られることのなかったその視線が、この一瞬だけ海中の一点に注がれていた。

 

「もらった!」

 

 首を狙った横凪ぎ。刃が首筋に触れるその瞬間まで、榛名の視線が日向に戻る事はなかった。

 鮮血がほとばしる。榛名の首に食い込んだ刃。そして刀身を「掴む」二本の腕。この三点で「止められた」刀は、日向がどれだけ力をいれようとそれ以上刃を進める事はなかった。

 

「榛名、貴様!」

 

 バシャバシャと海面が血に染まっていく。刀をつかんだ腕はズタズタに引き裂かれ、痛みと緊張でぶるぶると震えている。それでも榛名の視線は日向に向くことはない。まるで日向に対して急に興味を無くしてしまったかのように、ずっとその「背後」を見つめていた。

 日向がその事実に気づいた時全ては手遅れであった。自分が榛名と再対峙した時、彼女の本隊に背を向ける形にあった事、まんまとこの形に誘い込まれ、今榛名に行動を制限されてしまっていること。

 

 榛名が日向の胴着の襟を掴んで、ぐいと体を密着させてきた。耳元で小さく囁く。

 

「動いてはダメですよ」

 

 ぞわりと身が凍る。

 まるで相手を気遣うようなその言葉。彼女の声に慈悲と優しさが混ざる時は、死んでいく者への憐れみと優越感があるからにほかならない。

 

「各発射管一番、二番、発射っ」

 

「3本」

 

「4本!」

 

 背後から声。魚雷か!

 

 刀を引き、切っ先を榛名の腹に向けるが、堅い装甲に阻まれて逆に脇でしっかりと刃を封じられてしまう。

 

「じゃれんなよ鉄クズ、お望み通り解体の時間ですよ」

 

 雷跡が迫る。もう、間に合わない!

 

 日向の背後で立て続けに爆発音が響いた。炸裂の衝撃と、つんざく爆音、荒れる波に揺られて、あらゆる方向感覚を狂わされる。

 魚雷が全て水柱に変わったあと、その合間から自らを主張するように火柱が高く上がった。

 

 榛名は日向の襟を固くつかんだまま、小さく身をかがめて爆発に耐えていた。日向の体が崩れ落ちた瞬間、彼女を捨てて隊の旗艦に戻る。

 

 その予定であった。

 

 突如、榛名の両腕を日向が強く握り返した。驚愕に顔をあげる前に、ボディに渾身の前蹴りが叩き込まれる。

榛名がよろけた際に海面に落ちた刀には目もくれず、日向は黒煙が上がる自分の背後を振り返った。

 

「初霜ぉ!」

 

 そこには火柱の中にうずくまる、小柄な少女の姿があった。



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【とりかごのうちがわへ】

「初霜っ!」

 

 日向はすぐさま初霜の襟首を掴んで、その場を離脱した。指先が火に炙られるのも構わず、限界一杯まで加速する。主機が重苦しく唸りを上げ、足元の水を跳ね上げた。

 

「逃がすかっ!」

 

 うずくまった榛名が素早く肩の主砲を稼働させる。危険な近距離での水平射であったが、日向の背中を射抜くような眼光に躊躇は微塵も感じられなかった。

見開いた右の瞳の中に、照準の十字が浮かび上がる。緊急射撃用の照準器は本来副砲を撃つ為に使用されるものだが、同じ演算装置を使用している為、専用に弾道計算をしてやれば戦艦クラスの主砲にもほぼ流用可能であった。

 ブレが誤差の範囲に収まるまでじっくり呼吸を整える。指の震えをトリガーで抑え込んで、手のひらでじっとりと湿った汗を拭いとった。深く吸って息を止め、指に再度力を込めた瞬間、照準の円の中に黒い影が飛び込んできた。

 

「日向さんっ!」

 

「くそっ!」

 

 舌打ちして、顔を上げる。軽巡洋艦「名取」が腰だめに構えた主砲を榛名に向けていた。頭につけたカチューシャが、太陽を反射して眩しく光っている。日向への射線をふさぐ様に、榛名の前に身を呈して立ちふさがった。

 

「旦那ぁ!」

 

 その後方で声を上げるのは、最後尾を航行していた江風だ。高速で波を切り、日向と初霜に接近する。アイコンタクトを交わしつつ日向と交差し、微量の距離を取って停止した。日向も主機を止めてその背中を振り返る。その背中は、迫り来る榛名の分隊をじっと見つめていた。

 

「撃つぜ!温存は次に「お預け」だ!」

 

 言うや否や、両足に固定した魚雷管を両手でぐるりと一回転させた。膝を曲げて乱暴に射線を固定すると、通過する隊列の横っ腹にむけて4本の魚雷を投下した。

 伸びる雷跡とすれ違うように、隊の進行が大きく逸れた。体勢を立て直した榛名が、離れていく艦隊の最後尾に曳航されていくのが見える。

 

「初霜っ!」

 

 日向は眼前の危機が去ったのを確認すると、艤装の腰の部分から棒状の消火剤を抜き取った。細長い棒の先端のキャップをひねり、溢れ出した消火剤を初霜の缶に吹きかける。高く上っていた火柱が、たちまち小さな燻りとなって勢いを無くしていく。完全に火が消えると、黒く煤けた缶の間から、弱々しい笑みが日向に向けられた。

 

「まったく、お前はいつも無茶をする。いや…」

 

 日向はほっと息をつくと、初霜の手を取って立ち上がらせた。

 

「感謝しなくてはな」

 

「初霜さん!」

 

 波を蹴って名取と江風が合流する。二人とも慣れない緊張の連続に、額にびっしりと汗をかいていた。

 

「急に速度を上げるのでびっくりしました」

 

 名取が青い顔をして駆けてくる。初霜の手を取って、思ったより損傷が大きくないのを確認すると、大きくため息をつきながら、小さく笑った。

 

「申し訳ございません、ご心配おかけ致しました」

 

 初霜が全員を見回して頭を下げた。ぺこりと腰を折ると、背負った缶からもうもうと黒煙が上がる。中破と大破の境目と言った所か。その表情からは読み取れないが、相当無理を推しているのは間違いない。

 

「日向様、いかが致しますか?」

 

 思考を巡らせていた所に、初霜の声が割り込んでくる。視線を下げると、気後れするほどのまっすぐな瞳が自分に向けられていた。

 日向は初霜の期待に押されるように、すぐさま頭の中の考えを整理していった。

 

「予定通り追撃戦に入る。敵部隊の背後に付き、安全を確保しながら徐々に消耗させる」

 

 日向の力強き言葉を受け、見つめ合った全員が大きく頷く。その言葉の内に潜む不安と、押し寄せる疲弊を感じ取れる者は、この時隊の中には誰もいなかった。

 

 

 

 演習開始より30分が経過しようとしていた頃、日向達一行は単縦陣を組んで榛名達の艦隊へ追撃戦を仕掛けていた。日向、名取、江風の順で、最後尾の江風が負傷した初霜を牽引して曳航している形だ。榛名の艦影を遠目に確認しながら、日向は現在の時刻を確認した。

 

「速いな…」

 

 もう榛名の艦隊を追いかけて五分以上が経過している。しかし、その姿は近づいて来るどころか、どんどん離れていっている様にすら感じる。傷ついた初霜を引っ張っているせいもあるが、何より戦艦と「高速」戦艦のスペック差が、大きく互いの距離を生み出している言わざるを得なかった。

 

 金剛型の速度は平均30ノット、比べて伊勢型の最高速度は25ノット。時速換算で10km近い速度差がある事になる。その速さを同方向の航行で埋めるのは至難の業ではなかった。追撃戦と銘打っているものの、互いの艦隊の距離が離れすぎていた。もし一斉回頭(斉Z)されれば、一気に不利な反抗戦に持ち込まれる可能性がある。しかし、幸運な事に敵部隊からはそう言った攻撃の気配は感じられない。前方を駆ける列の間から飛び立つ艦載機に、日向は目を細めた。

 

 

 

 昇って行く零戦を見送った後、川内は自分の前方で艦隊を先導する麗しき戦艦様に視線を向けた。普段は戦場においても優雅さを損なわない金剛型(かのじょたち)であるが、今日ばかりはそうも行かぬ様子で、大血を垂れ流す自らの手のひらを、榛名は忌々しげに見つめていた。

 

「大丈夫ですか?」

 

 川内の声を無視して、榛名は返す。

 

「艦載機の様子はどうですか?」

 

 榛名の突然の問いかけに、川内はあわてて上空を見上げた。渦を巻くように旋回する艦載機たち。その中の一機が、ひときわ大きく雲を沸き立たせた。

 

「予定数には足りませんが、大方想定通りかと」

 

 川内が再び顔を榛名に向けると、彼女も先ほどまでの川内と同じように大きく顎を上げて上空を見上げていた。航行の速度が先ほどまでに比べ、だいぶ遅くなっている。とろとろとした足取りを受け、「今日はよく止まるな」と川内はどうでもいい事を考えた。

 

「頃合いですね」

 

 飛び回る艦載機を目で追いながら、榛名がひとりごちる。

 

 日向に対して当てが外れたのは確かだ、奴はこちらの消耗を狙って長期戦に持ち込んできている。しかもその「読み」は大方当たっていると言えるだろう。露骨な消耗戦に持ち込まれれば、攻撃艦の少ないこちらは「もろい」。だが、無駄撃ちによる消耗だけを狙った長期戦なら、それは「そちら」の失策だ。

 

「勝ったぞ…日向!」

 

 自分の横で川内がカタパルトを撃ち放つ。

 上空を旋回する偵察機。その数はゆうに20を超えていた。

 



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【くちぶえ ぴゅーぴゅー】

 日向は頭上に展開されている「陣」に圧倒されていた。上空を飛び回る偵察機の大群。対空射撃にて数を減らせども、その勢いは収まる所を知らず、ぎらぎらと偵察の目を光らせている。こちらの一挙一動を切り抜き、測定し、その全てを本隊へ報告されている。

 

「めちゃくちゃだ、数が多すぎる…」

 

 巡洋艦に搭載できる機数には上限がある。艦娘といえどもそれは変わらない。特に索敵を目的とした巡洋艦が、火力と両立して艦載機を運用するには、2~5機程で収容スペースに限界が出る。

日向が見た所では艦載機を飛ばしていたのは軽巡洋艦である川内のみ。空母や水母ならいざ知らず、これだけの機体数を扱うとなると、主砲を積んだ巡洋艦では絶対に手に余るはずだ。もちろん、主砲を積んでいれば、だが。

 

「まさか…」

 

 初めの同航戦で砲撃したのは旗艦の榛名のみ。これは射程の関係と、川内に艦載機を飛ばせるためだと思っていた。

 その後反抗戦の前に至近弾を出したのも榛名の主砲。川内はあのタイミングでまたも艦載機を発艦していた。

 お互いの距離が離れ、榛名の主砲範囲に入っても川内はまだ艦載機を飛ばしている。

 

「川内は艦載機運用特化、積んだ主砲はフェイク…」

 

 導き出した答えに愕然とする。この演習において榛名はこの「陣」を形成する事のみを念頭に入れて立ち回りを制限していた。その中で日向をあしらいながら、砲雷撃戦の違和感なく演習をこなしている。それこそ、演習が始まる前から榛名は隊の役割分担を徹底していた。日向への執拗な挑発も、川内の異変に気付かせないようにする為の囮。

 

 艦隊はまんまと狩りのテリトリーに追い込まれていた。四方八方を艦載機に取り囲まれた逃げ場のない海のど真ん中。この海域そのものが榛名の照準の円の中と言っても過言ではなかった。

 速度を上げながら通信機の感を最大まで広げる。途端に、耳元で小さな爆発が連続した。調子はずれの機械音を響かせながら、最後の水音を境に無音の報告を続けている。次々とこちらの偵察機が落とされていた。考えうる最悪のタイミング。いや、むしろこの陣が完成するまで泳がされていたというのが正解だろう。

 困惑する日向。その異変性を感じてか、艦隊全員が不安に浮き足立っていた。自分のすぐ後ろを航行していた名取が、日向の顔色を窺おうと速度を上げて先頭の日向の横に並ぶ。

 

 突如、爆発音と共に水柱が上がった。

 

「きゃああっ!」

 

 大きく波が揺れ、日向は咄嗟に名取の肩を掴んだ。本日何度目かの砲撃。この衝撃と威力、やはり榛名の主砲だ。

 

「各艦最大船速!足を止めるなっ!狙い撃ちにされるぞ!」

 

 悩んでいる暇はなかった。この陣を突破して榛名の目から逃れなければ、なぶり殺しにされるのは目に見えていた。こちらに勝機があるとすれば、この陣を抜けて有利位置より再突撃を仕掛けるしかない。これだけ大掛かりな陣ならば微量な距離調整にも多少は時間がかかるはずだ。その時に風上より距離を詰められれば、再度砲雷撃戦を仕掛けるチャンスがある。

 最短距離で海域を突っ走る。できるだけ被弾を避ける為、名取と日向が先頭となる複縦陣での航行だ。波を蹴り、水しぶきを上げ、一直線に海域を横切る。隊の後方で再度水柱が上がった。

 

 高速で景色が流れる。そんな中視線の端の一点、青い海の隅に高速で近づいてくる艦影が見えた。敵駆逐艦、野分と涼風。本隊を離れ、たった二人の水雷戦隊が並んで距離を詰めて来ていた。

 

「名取っ!10時方向より雷跡!」

 

 日向が叫ぶその瞬間まで、名取の視線は二人の駆逐艦に注がれていた。爆発の寸前に視線が足元に落ち、「え」と声が漏れたかと思うと周囲を轟かすような爆音が暴風を引き連れてあたりに響き渡った。火柱が上がり、粉々に飛び散った偽装の破片が周囲に飛び散る。

日向は左手で顔を庇いながら、伸ばした右の腕で転倒する直前の名取の襟首を掴んで自分の方へ引き寄せた。必然足が止まる。どこかで引き金が引かれる音が聞こえた様な気がした。

 

 か細い口笛が、はるか上方で鳴り響く。

初霜が江風の背を押し、日向は持ち替えた右の腕で江風を抱きしめた。負傷した名取と江風を腕に抱き、彼女たちに覆いかぶさるように空に背を向けた。  

口笛はどんどん大きくなる。腕の中の江風と目が合った。彼女の瞳は限界まで見開かれ、表面を覆う水の膜はその身を震わせる恐怖に揺れている。日向はぐっと腕に力を込めると、彼女の頭を抱いて自分の肩に強く押し付けた。

初霜は自分の隣で上空を見つめている。日向は左手に名取と江風を抱き込んで、右手で初霜の腕をつかんで引き寄せた。力無い上体が崩れ、その表情は驚いたように日向を見つめている。日向はすぐさま襟を掴み直してその小さな体を腕の中へ。口笛はもう聞こえない。迫りくる風切り音は、暴音とすら呼べる気流の悲鳴となって、頭のすぐ上まで迫って来ていた。

 

 一撃目の衝撃は、内臓を内側から押し潰される様な強烈なものだった。

 

 再度腕に力を込め、手の中の感触を確かめる。初霜が何か叫んでいる。

ああもう、何も聞こえない。聞こえるのは次の口笛だけだ。

 

二度目の衝撃は後頭部への激痛。頭が割れ、視界が赤く染まる。泣くな初霜、泣きたいのは私の方なんだ。次の口笛が聞こえる。

 

 三度目は熱。背中の艤装が燃えている。私の消火剤は初霜に使ってしまったから、もう火を消す事はできない。口笛が聞こえる。

 

 四度目は破壊音と水音。崩れた主砲が海面に没していく。こんなにも火が燃えているのに、指先が冷たい。口笛がする。

 

 五度目は背中に直接熱した鉄球を叩き付けられる。暴れるな初霜。口笛の音。

 何度目かの衝撃、激痛、口笛。

 

 痛みと熱と衝撃と、震えと苦しみと恐怖と、腕の中の温かさ。

 ぐちゃぐちゃに泣き腫らした初霜の顔が見えた。

 

 

 演習は一六〇〇時に終わった。

 



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【えんしゅうせんかん】

「いーっやほ!」

 

 空中で手のひらがぶつかり合い、ぱちんと乾いた音を立てる。

 駆逐艦「涼風」と「野分」は一足先に桟橋を上がると、お互いの手を取り合って小躍りし始めた。その後ろからやや大型な二人の艦娘が海水を含んだ重い足を上げた。

 軽巡洋艦「川内」が先に埋め立てられたコンクリートの上に足を乗せた。

 

「こらー、はしゃぐな駆逐艦」

 

 腰に手を当てながら声を張り上げる川内の後ろで、榛名が服の表面についた潮を手で払った。

 

「放っておきなさい。川内(おまえ)を守りつつ単艦の私を回収し、私の射程内に敵を釘付けにする為の水雷戦隊をも成す。駆逐艦(かのじょたち)は十分すぎるほど働きました」

 

 川内は驚いて背後を振り返った。自分と同じく駆逐艦の背中に目を向ける榛名の横顔を見つめる。「機嫌イイですね」と軽口を叩くと、とたんに深くなった眉間の皺から目を逸らす様に、再び駆逐艦達に向き直った。

 

「いやしかし、勝ててよかったですよ」

 

 川内が足元の艦載機を拾い上げながら言った。

 

「砲弾も魚雷も積むなとおっしゃられた時はどうなるかと思いました」

 

川内の安心したような声。榛名はほっとひと息つくかのようなその響きに、腕を組んで得意げに口元を歪めた。

 

「これが次世代の軍艦の戦い方ですわ」

 

 艦隊の分隊運動、単艦での超接近戦、どちらも旧軍艦では成しえなかった戦法の数々。もちろん川内を偵察機運用特化(キャリアー)に仕立てたのも榛名の指示によるものだ。

 

「そもそも大敗を喫した旧帝国海軍の兵法を模した海戦をする事自体がナンセンスなのです。軍艦と艦娘は別物。これからはそう言う物の考え方が戦争を有利に進めるのです」

 

「艦隊の二つに分けたのも?」

 

 榛名は大きく頷く。

 

「そう。艦娘は軍艦と違い旋回加速に長け、咄嗟の行動に抜群の対応力があります。攻撃を主とするならば、それこそ私の様な戦艦の単艦特攻こそ最もローリスクでハイリターンな戦いの形なのです」

 

「しかし単艦では轟沈の可能性はぐんとあがります」

 

 当然とも言える川内の指摘に、榛名は困ったように口の端を吊り上げた。腕を組んで唇を尖らせる。

 

「そうね。艦娘は決死兵器として見れば旧海軍の潜水艦なんかとは比べ物にならない戦果を挙げられます。が、相手もまた深海棲艦という底の見えない相手である以上、むやみに消耗しても長期的に見て不利になるのは免れない。安い命とはいえ、艦娘もタダではありませんしね」

 

「なので、今回の様に作戦中に隊を分断し行動力を上げると…」

 

 顎に手を当てて唸る川内、その背後に巨大な影が音も無く忍び寄った。大柄な影の主は川内の肩をつかむと、大型の動物が鎌首をもたげるように、ヌッと背中から身を乗り出した。

 

「イエース!それこそワタシやハルナの目指す『KANMUSU_REVOLUTION』デース!」

 

 戦艦「金剛」は川内の体をがくがくと揺らしながら、周囲に聞き散らさんが如く大声を張り上げた。

 

「お姉さま!」

 

 姉の姿を視界に収めると、榛名は両の手を打ち合わせて顔をほころばせる。そのまま小走りで駆けて来て、邪魔な川内を押しのけて無理やり金剛の前に躍り出た。

 

「作戦お疲れ様です!」

 

 金剛は大きく手を広げて妹を迎えた。

 

「yeah! バッチリPerfect Gameネ!」

 

「さすがお姉さま!」

 

 榛名も姉に答えるように腕を広げる。そのまま大柄な姉に包み込まれるかのような、豪快なハグを交わした。

 

「Nice Fightだったネ、ハルナ」

 

「やりました!」

 

 先ほどまでの仏頂面が嘘のような榛名の満面の笑みに、駆逐艦達が目を丸くしている。川内も、そのあまりの変わり様に肩をすくめて見せた。金剛の視線が榛名の肩ごしに川内に向けられる。

 

「センダイも、ハルナのNonsenseに付き合ってくれてThank Youデス」

 

「ナンセンスではございません、お姉さま!知的戦略です!」

 

 榛名が腕の中でぱたぱたと暴れるが、彼女を抑え込む金剛は嬉しそうに上から覆いかぶさっている。身の丈180近い金剛が他の戦艦と比べてもさほど大きくない事を考えると、むしろ榛名が戦艦としては小さいという事なのだろう。

 

 榛名はすぽんと腕の中から抜け出すと、ふるふると首を振って乱れた髪を整えた。広がった髪を手で押さえながら、まっすぐに金剛を見上げた。

 

「お姉さまもご無事で何よりです」

 

「YES。優秀なFlag shipのおかげですネ」

 

 ニコニコと似合わぬ笑みを浮かべていた榛名だが、その言葉を聞いてとたんに再び眉をしかめた。金剛から顔をそむけると、背を丸めて親指の爪に歯を立てる。

 

「け、本当ならお姉さまに旗艦を譲るべきですのに。あの重巡風情が」

 

「Non、ハルナ。フルタカは立派なLeaderデース。Secretary shipの称号は飾りじゃないわ」

 

 金剛達の旗艦を務めた重巡洋艦「古鷹」は、鎮守府で唯一「秘書艦(Secretary ship)」と呼ばれる提督補佐を務める事を許可されている艦娘である。

 秘書艦は鎮守府内で最も練度が高い艦娘のみがつくことを許されていて、提督補佐としての事務処理仕事と最前線への連続出撃を両立させなければならない過酷な役職だ。

 古鷹型ネームシップの彼女は、その秘書艦の席を提督の赴任以来一度も他艦に譲った事は無い。それは彼女が重巡洋艦の最強である事と共に、「経験」と言う点において鎮守府に並ぶ者なしという事実を証明していた。

 

 榛名はかねてよりこの古鷹という艦が苦手であった。

 

 あらゆる面において冷静沈着。面倒見がよく他艦より慕われる面もある傍ら、戦場においては一切の感情の動き無く他者の命を奪う姿から「殺し屋」などと周りから揶揄されていた。この二つ名は単なる皮肉にとどまらず、去年二人の軍人殺しが露見した事によってより彼女を象徴する単語と化した。

 そんな事実があってなお古鷹があのような地位にいるのは、殺された二人の軍人があのオカマ野郎と対立する派閥の佐官であった事と無関係ではないだろう。

 火の無い所に煙は立たぬと言うが、あの二人の周りはまさに海軍部内において火の海の様な有様であった。どんな傲慢な大将であろうと、「あの」提督にまくしたてられ、背後の古鷹に睨まれればたちまち失禁しながら「楽に殺してくれ」と泣きわめくような有様である。

 

 榛名はちらと鎮守府の司令室あたりに目をやった。この演習は提督も見ているはずである。今にもカーテンの隙間からあの忌々しく輝く左の眼光が漏れ出すかと思うと、ぞっとする。

 

「Oh」

 

 榛名の気をよそに、金剛が海を見つめて声を上げた。背後から聞こえる騒がしい怒鳴り声とガチャガチャと艤装がこすれ合う音から榛名は振り返らずとも後方で展開されている大方の事態を察した。金剛が呟く。

 

「ハルナはちょっとヒューガに厳しいネ」

 

 大破した日向を背負って艦隊が桟橋に足をかけていた。江風と名取が先に陸に上がり、日向を背負った初霜の腕を引っ張り上げる。その様を見て榛名は無表情で言った。

 

「彼女は立派な軍艦ですわ」

 

「Oh」

 

「へぇ」

 

 金剛が横目で榛名を見る。川内も思いもしなかった榛名の言葉に腕を組んでその続きを待った。榛名は注目が自分に集まっている事に気が付くと、「こほん」わざとらしく咳払いして二人に振り直った。

 

主力戦艦(わたくし)が心地よく戦えるよう、身を呈して努めてくださるんですもの。彼女は立派な「演習戦艦」ですわ」

 

 ぎらぎらと目を輝かせ高笑いを響かせる榛名の姿に、二人は「やっぱりね」と心の中でため息をついた。

 



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【なかよししまい】

「日向様っ!日向様、日向様、日向様、日向様!」

 

 初霜は背負った日向を桟橋の横にもたれかけさせると、名を叫びながら急いで袴の帯をほどき始めた。江風と名取は日向の両腕を持ち上げ、背負った艤装を外そうと悪戦苦闘していた。

 

「すまんなぁ、初霜、皆…」

 

「しゃべらないでください、傷に触ります!」

 

 江風が日向の腕を後ろに回し、すかさず名取が自分の腕を艤装の裏側に差し込んだ。主砲と対空砲の接続部のネジを外し、指先をアームの隙間に捻じ込んでいく。痛みを噛み殺しながら、艤装の硬く噛んだ接続部に指先を推し進めていく。噛みあった艤装の間に握り拳が入るくらいに隙間を作ると、立ち上がって艤装の後ろ半分を靴のかかとで勢いよく蹴り飛ばした。

 

「いてぇ!お、重い!」

 

 日向の背負っていた艤装が二つに分解する。悲鳴を上げたのは主砲を抱えていた江風だ。腰の部分で固定されていた後部の主砲が支点を無くし、重力に従ってごとんと音を立てた。

 反動を受けた日向の顔が苦痛に歪む。初霜は日向の背中に手を回すと、ゆっくりと腰を浮かせて、傷ついた背を庇うようにその背後に回った。背後から首に腕を回して、強く指を絡めた。

 

「日向様…」

 

 日向は眠ってしまったかのように項垂れている。しかしその呼吸はまだ荒く、大量の出血から大きく衰弱しているのは明らかであった。

 

「医療班…」

 

 名取が呟いたのと、押しのけるように肩がぶつかったのが同時だった。名取は驚いて背後を振り返り、ぶつかった少女に道を開けた。少女の方は自分の背後に人がいた事に驚愕して、持っていたパイプを手から滑り落とした。金属同士がこすれる音と共に、甲高い反響音が空に昇って行った。

 

「こら、神通。しっかりせ!」

 

 パイプの反対側を掴んでいた加古に、神通と呼ばれた少女は小さく頭を下げた。

 

「す、すみません」

 

 足元のパイプを持ち上げると、張った担架の布が日光を反射して白く光った。今度はしっかりと背後を確認し、倒れた日向の横に二人はゆっくりと担架を下ろした。

 

「初霜、旦那連れてくぜ。お前もついて来るんだ」

 

 加古は慣れた手つきで日向の肩の下に手を差し込むと、腰を浮かせて担架の上に滑るように移動させた。神通が足の先を担架の端に収め、せーので日向の巨体が宙に浮いた。

 二人が歩き出し、初霜がその後に続く。彼女らに道を開けるように、江風と名取はぴんと背を伸ばした。その前を寝かされた日向が通過していく。初霜は日向の寝かされた布の下を押し上げるように、その横について歩いた。

 

 名取と江風は、その後ろ姿が小さい黒点のかけらほどになるまで、動かずにじっと見つめていた。黒点が建物の影に消えると、名取は小さくため息をついた。

 

 自分の責任だ。

 

 自分が水雷戦隊に気を取られず、しっかりと回避に専念できていれば、隊の足を止めずに榛名の照準から脱出できていたかもしれない。いや、それ以前に…。

 

「名取っ!」

 

 突然背後から名前を呼ばれ、名取はびくりと身を震わせた。声のした方を振り返ると、勝気そうに吊り上げられたターコイズブルーの瞳とまっすぐに目が合った。

 

「っ!五十鈴ちゃん…」

 

 立っていたのは、名取と同い年くらいのセーラー服を身にまとった少女であった。襟や袖にブラウンのカラーの入った制服は、長良型の共通のデザインである。胸の前で腕を組んで、威圧するように名取と向かい合った。

 

「何よ、今の演習!」

 

 再び名取の肩が震える。

 五十鈴は気まずそうに目を逸らす名取を一瞥すると、深い海色のツインテールを揺らしながら、一歩深く彼女に詰め寄った。

 

「あんた、なんで榛名を撃たなかったの?あの初霜(チビ)が撃たれて、アンタ達が仲良く助けに行った時よ!」

 

 トゲの目立つ五十鈴の物言いに、名取は恐る恐る言葉を返した。

 

「あ、あの時は、初霜ちゃんを助けるのが先決だったから…。そ、それに、軽巡なんかの火力じゃ戦艦は傷つかないでしょ…」

 

 おどおどした名取の言葉に、五十鈴はわざとらしく大きくため息をついた。

 

「そうね、「あんた」の火力じゃ榛名は落とせなかったかもね。でもね、あんたの火力の問題と、「榛名に目ぇつけられないようにわざと撃たなかった」のは別問題よ」

 

「そっ、そんなこと!」

 

 言いかけて口を紡ぐ。口をついて出た反論の言葉だったが、それを肯定するはずの二の句はあまりにも弱々しく、か細かった。

 

「そんなこと…ない、よ」

 

 小動物の様に縮こまる妹の姿に、五十鈴は腰に手を当てながら大きくため息をついた。

 

「…もういいわ。行くわよ」

 

 つかつかと歩いてきて、かすめ取る様に名取の手を握る。名取は五十鈴に引っ張られるままに、二人してその場を去って行った。

 

 残された江風は、ぽかんと二人の後姿を眺めていた。

 

「あれが「仲がいい姉妹」ってンなら、アタシはゴメンだね」

 

 落ちかけた太陽が呆然と立つ少女を見下ろしながら、その影を長く、長く引き伸ばしていった。

 



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【はくいのてんし】

 眼前に広がる真っ白な天井を見て、日向は全てを察した。

 皆に背負われて桟橋に来た時は、かろうじて意識を保っていたはずだった。しかし、その際の記憶は今の彼女の中からはすっぽりと抜け落ちていた。自分が覚えているのは、赤く燃える海と背中を炙る炎、そして…。

 

「初霜…」

 

 わずかに首を持ち上げると、すぐに真っ黒な少女の姿が目に入った。小さき従者は日向の眠るベッドの横で、備え付けのパイプ椅子に腰を下ろしていた。だらんと手足を伸ばし、俯きながらだらしなく口を開けている。病室にはまるで息をひそめたような、小さな寝息が充満していた。

 

 その手に、何かが握られている。

 

 上半身を持ち上げて、ゆっくりと手を伸ばす。背中がじくじくと痛む。肩が外れそうになるまで腕を伸ばすと、やっと指先が硬いそれに触れた。手に取ったそれは、一機の飛行機であった。

 

 前頭部が尖った、砲弾型のボディ。主翼が小さく、正面から見ると翼の両端がややU字型にせり上がっている。「逆ガル」と呼ばれる翼の形で、爆弾を積みやすくする為に機体の全体の高さを抑える意味合いがある。たったそれだけで、この機が攻撃に特化した艦載機である事がうかがえた。

 

「ダメよあんた。絶対安静」

 

 カーテンの奥から白衣の女性が顔を覗かせる。

 美しく染まったグレーの髪を頭の後ろで結い、古風な額当てで前髪を揃えている。大きな黒縁眼鏡で輪郭を隠しているが、それでも線の細い美人である事がうかがえた。

 

「お前だって、禁酒してたんじゃなかったのか」

 

 日向の言葉を受けて、白衣の女性は苦笑いする。伸ばした彼女の手には巨大な一升瓶が握られていた。

 

「あれはダメよ。やっぱり人間の医者はヤブね。お酒やめたら次の日から頭痛が止まらなくて、決死の迎え酒により昨日無事生還した所よ」

 

 女性は言いながらくわえた煙草を揺らした。先に火が灯っているが、煙は出ていない。他の患者に配慮して煙の出ない煙草を吸っているのだ。だったら吸うなと言えば、きっと彼女は酒の量を倍にするだろう。

 

 軽空母「千歳」は、そんな「やさぐれ」医師であった。

 

 

 

 

 千歳は仕切りになっていたカーテンを大きく開くと、隣のベッドからパイプ椅子を持ってきて、日向の隣にどっかりと腰を下ろした。胸ポケットから取り出した筒状の灰入れを指で弾くと、煙草を吐き出してすばやく蓋をした。それを再度胸元に収めながら、組んだ足に肘をつく。ぐっと身を寄せて、寝ている日向に顎を寄せた。

 音を立てて一升瓶を足元に置くと、中の液体が海原の如く飛沫を上げて波打った。

 

「そんな事だから医師の蟒蛇(うわばみ)などと囁かれるのだ」

 

「蛇野郎っていうのは大方間違ってないと思うけど?健康の秘訣は「酒」「煙草」「SEX」、これだけはやめられないわ」

 

 三本の指を立てて千歳はげらげらと笑った。日向はため息をつくのも億劫だと言った様子で、依然眠りこけている初霜に目を向けた。

 

「二度と初霜の前でそんな事言うなよ。こないだなんかキミに処方されたと言って、べろべろに酔っぱらって帰って来たんだ」  

 

「だって、可愛いんだもんカノジョ。お酒弱いくせに、真っ赤な顔でヒューガサマヒューガサマってさ。あたしならほっときゃしないのに」

 

「よしてくれ、君と一緒にするんじゃない」

 

 日向がぶんぶんと腕を振るう。

 千歳は同姓愛者(レズビアン)であった。医務室の扉に張られた「看護婦募集中」とはすなわちそういう事である。

 そんな事だから怪我人すら寄り付かんのだ。

 

「あら、流星がお好み?」

 

 日向の手の中の艦載機を見て、千歳が小さく笑った。

 

「あんたには似合わないわ。航空甲板なんてね」

 

 彼女の酒臭い声が1トーン下がったのを、日向は聞き逃さなかった。「お前には関係ない」と突き放すのは、とてもではないが難しい相手。

 航空甲板。その言葉の意味に、何を思い、何を思い出しているのか・・・。

 

「提督から聞いたのか」

 

 日向は気まずくて話題を変えた。

 

「あいつったら、さっきまで初霜とあんたの寝顔を見てたのよ。真剣な顔しちゃってさ、気持ち悪いっちゃありゃしない。あんた男らしいからね、ケツの穴狙われてるかもよ」

 

 下種な笑みを浮かべて、千歳が視線を向けてくる。日向は頭痛のし始めた頭を押さえて、大きくため息をついた。

 

「ややこしすぎるわ、大馬鹿者…」

 



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【はろーはろー】

「航空甲板なんてつけたってイイコトないわよ、あたしみたいにね」

 

「君が言うと重みが違うね」

 

 軽空母千歳はかつて、水上機母艦と呼ばれる艦載機運用を主とした軍艦であった。多数の水上機を搭載し、移動基地として活躍していた。

 しかし、深海棲艦との戦いにおいて空母の重要性が高まるにつれ、予備空母としての扱いが増えていく。そして、ついに4年前に妹艦の千代田と共に軽空母へと改装された。

 二人の新型空母は目覚しい戦果を上げたが、目まぐるしい戦闘機の進化について行けず、任期後期には事故が多発。結果的に妹艦千代田の轟沈という形で千歳型航空母艦は艦娘としての幕を閉じた。

 姉の千歳は轟沈こそ免れたが、両足を負傷、右足を切断し、1年以上の療養期間を経て医療婦艦として復帰した。

 兼ねてよりの大酒飲みであった彼女だが、復帰後は「依存」「中毒」と言って差し支えないほど酒に溺れるようになる。鎮守府ではそんな彼女を煙たがる者も少なくない。

 

「あんたは古臭い戦艦がお似合いよ。無理に背伸びしたって大事な物を失うだけよ」

 

 千歳は右足を引きずりながら、日向の方へ体を傾けた。開いた足を強くさするその仕草は、さながら歴戦の老兵を思わせた。

 

「上の軍人どもがどれだけ無計画で行き当たりばったりな艦隊運用をしてるか知らない訳じゃないでしょう?あんたがどれだけ無策無謀な戦闘狂で、艦代きっての死にたがりでもあたしは止めやしないよ。でもね、手前の我侭に初霜を連れてく様な事があれば、あたしはあんたを絶対に許さない」

 

 千歳は落ち着いた、静かな声で告げた。日向の心臓をなでるその冷たい切っ先は、彼女の昂ぶりかけた精神を冷やすには十分すぎる鋭さを兼ね備えていた。

 

「わかってるさ、甲板を積めばそれだけで強くなれるとは思っていない」

 

 今日の演習の結果だけを見ても、私と榛名の差は単純な性能差だけではなかった。

 随伴艦に艦載機を満載し、榛名のみを砲台とする奇抜な戦法。それを可能とする個としての性能と旗艦としての指揮能力。少数精鋭で的を小さく、旋回能力とスピードを重視した編成。榛名自身は砲撃に集中する為、自らには艦載機を乗せずに大型電探を積んで感を強める。

 自らの火力に対する自信と、艦隊運用能力が両立できていなければ成立しない戦法だ。

 

 艦隊戦闘の形を維持しながら、大戦時代ではなしえなかった「艦娘としての戦い方」に特化させた戦略と戦法。次世代を体現しているのは榛名の艦娘としての「ありかた」そのものだ。

 

「あんたの貧弱な甲板じゃ流星は操れない」

 

「そして艦隊運用を前提とした船はもう古い。わかっているさ」

 

 それでも、それでも私は…。

 

 ひょいと手の中の流星を取り上げられる。千歳はそれをベッドの横の小机の上に戻した。よく見ると、他のベッドにも別々の艦載機が飾られている。千歳なりのインテリアか何かなのだろうか。

 

 カーテンの隙間から見えるベッドの奥。日向の視線はある一点に注がれていた。壁際の机の上に、それはいた。

 

「…なんだあれは?」

 

 無意識に声が漏れる。千歳は一度日向の顔を覗き、すぐさまその視線の先に目を向けた。

 

「あれって、瑞雲の事?」

 

 日向の視線の先、壁際のベッドのそばに先ほどの流星と同じように一機の飛行機が飾られている。しかしその「足」には、流線形のフロートが取り付けられていた。

 

「ずい、うん?」

 

 日向はつぶやく。さっきから頭に浮かびあがった事を口から垂れ流している気がする。それくらい、日向の頭は真っ白だった。ただあの淡い緑色の機体に魅せられていた。

 自分の中の夢と期待が、飛行機の形をして目の前に現れたかの様なそのフォルムに、焦る気持ちを隠せないでいた。

 

「偵察機か…」

 

 その言葉は、自分の意志とは逆の事を言っている。私が本当に聞きたいのは、私が本当に望むのは…。

 

「瑞雲は攻撃機よ。多目的水上機、と言った方が正しいでしょうけど」

 

「非戦闘機である事」(それ)の否定。

 

 これが、日向と「導きの雲」との出会いであった。

 




旧題「はろーはろー ずいうん」


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【おもいでのそら】

 頭の裏側で、ごうごうと風が舞っている。その音は深く深く、精神の奥から骨を伝わって体の中に響いてくる。ゆっくりと目を開ける。すると音が消える。

 不思議な気分だ。

 

「作業中はずっと目を瞑っている事」

 

 千歳はそう言って作業場の奥に消えて行った。それが今から約二時間前。日向は一人狭い部屋の中でずっと風の音を聞いていた。飛行機が風を切る音、カタパルトがはじける音、滑走路を走るタイヤの音。波と風。揺れる視界。大声で合図を出し合う男達。目を瞑るとあらゆる光景が瞼の裏に写り込んだ。

 

 日向は音も光も遮断された部屋の中で、小さな椅子に腰かけていた。しかし、音も景色も見えている。目を瞑ればまるで目の前に広がっているかのような鮮明な光景が移り込む。音も間近に聞こえる。しかし、本当は何もない、真っ暗な部屋の内側でただ座っている。

 不思議な気分だ。

 

 この部屋は千歳曰く只「暗室」と呼ばれている部屋らしい。近代化改装を控えた艦が艤装の改装がひと段落つくまでの間、この部屋で精神統一を行う。らしい。

 千歳から聞いた事が全てなので詳しくはわからない。何故私の頭の中にこんな記憶があるのか、この部屋は何故それを増長させるのか。知らされていないし、きっと千歳も知らないのだろう。

 私は2時間前に暗幕の外に消えて行った友人の事を考えていた。

 

 

 

「航空戦艦になるぅ!?」

 

「ああ」と日向が改めてそう告げた時、そんなのお構い無しとばかりに千歳は声を荒たげた。

 

「あんたねぇ、あたしの言った事まっっったく聞いてなかった訳!?」

 

「もちろん聞いていたさ。その上での結論さ」

 

 千歳の狼狽ぶりに比べ、ベッドに腰掛けた日向は落ち着いている。よほど気に入ったのか手のひらで瑞雲を弄び、指でプロペラをくるくると回した。

 

「…何か思いついたのね。言って見なさい」

 

「これさ」

 

「瑞雲?」

 

 手の中で光る鈍い緑色の輝きを、窓から差し込む夕日に透かす。満足そうにうなずいて、日向は続けた。

 

「そうだ。爆弾を詰める水上機を中心に航空隊を組む。それなら甲板に着艦できなくても、海面に着水した直後に僚艦に拾わせられる。トンボ釣りの要領だな」

 

 航空戦艦の短い甲板では、艦載機を着艦させる事はできない。それは今まで何度も議論してきた事だった。しかし水に浮けるフロートをもつ水上機なら、甲板に着艦しなくても安全に着水ができる。それを後から回収すれば、飛行機の消耗なく作戦行動を行える。

 もちろん随伴艦は必要になるが、空母でなければいけないなどという縛りは無い。駆逐艦や巡洋艦、戦艦だって水面の飛行機を拾い上げる事ならできるはずだ。

 

「それで?」

 

 千歳はまったく納得した様子無く先を促した。いくら落水の心配がないからと言って、広い海の中で長時間水上機を浮かべている訳にはいかない。作戦も回収もスピード勝負。編成や作戦状況によっては多くの水上機が犠牲になりかねない。いや、水上機ならともかく回収の為に艦娘そのものが危険を冒す可能性だって出てくる。

 しかし、日向はなんでもないといった風に首を横に振った。

 

「それだけだ」

 

「おい」

 

「そう怖い顔をするな」

 

 向けられた視線を軽く受け流し、日向は唇を尖らせる。

 

「やれる気がするんだ、瑞雲(コイツ)とならな」

 

 日向は暗室の闇の中で、深く息を吐いた。

 しかしあの千歳が自分の立会人を買って出るとは意外だった。

 

 彼女は医務室で日向の申し出を聞くと、手に持った一升瓶をぐいと呷った。豪快に瓶を持ち上げ、ぐいぐいと中身を減らしていく。口の端からあふれ出た一筋を豪快に拭い取り、大きな音を立て一升瓶を床に叩きつけた。

 

「馬鹿、馬鹿、馬鹿馬鹿馬鹿!バッカバカよアンタ!この大馬鹿!」

 

 千歳は思いつく一通りの罵声を日向に浴びせると、急に冷静になって唇に手を寄せた。しばしの思案の後、告げる。

 

「アタシが面倒見るわ。すぐに準備なさい、技師達の気が変わらないうちに」

 

 そう言って病み上がりも気にせずここまで連れて来られてきた。提督の許可は要らないのかと聞けば、工員達はすでに提督から指示を受けて作業の準備を進めていたという。てっきり彼に言われてここに来たのだと思ったと笑われてしまった。

 あの男の思惑通りに動かされていると思うと癪だ。そういえば千歳によれば、医務室の瑞雲はあの男が日向が目覚める前に置いていったものらしい。ますますあの男の得意面が目に浮かぶ。瞳を閉じてため息をついても、頭に浮かぶのは見知らぬ空の光景であることだけが唯一の救いであった。

 

 青い空と反射し合う甲板の上、軍人と思しき男達が巨大な布の塊のようなものを運んでいる。船は基地に停泊していた。甲板の上に戦闘機の姿は無く、波も穏やかだ。男達の表情もどことなしか陽気な色が目立つ。そんな光景を見渡せる甲板のど真ん中に、ぽつんと佇んでいる。

 ぐるりと世界を見渡すと、遠く海岸線で何かがきらりと光った。ふと、視界が陰る。上空を一機の飛行機が通過していった。

 戦闘機だ。驚くほど薄い羽と、しなやかなフォルム。飛び去っていく後姿は山の合間に消えていく。ぼうとその余韻を眺めていると、突如背後でテーブルをひっくり返したような騒音が響き渡った。

 

 大勢の足音が響く、爆発と悲鳴。熱気と友に、体内からぞくりと広がる悪寒。背後を振り向く事ができない。そうしよう力を込めても、足が棒のように固まって動けない。ガラスがはじけ、何か棒のようなものがメキメと音をたてて倒れる。悲鳴と共に水に飛び込む音、そして最後に「カチリ」ととても嫌な音が煙の中から聞こえた気がした。

 

「ぅが…、日向っ!」

 

「……!」

 

 目の前にはあの狭い暗室と、勢い良く肩をゆする千歳の姿があった。

 

「少し、眠っていたみたいだ…」

 

 額の汗をぬぐい、びっしょりと手を濡らす。千歳の肩にもたれかかるようにして、ゆっくりとタラップを降りた。暗い部屋の外が震えるほど寒く感じる。よろよろと工廠内を歩き、むき出しの鉄塔に寄りかかりながら、ずるずると床に腰を下ろした。

 

「相当参ってるわね」

 

 千歳が水の入ったペットボトルを差し出す。日向はうつむいたままそれを受け取った。

 

「何なんだあれは。夢か幻か、それとも…」

 

 日向は暗室で見た光景の一部始終を話した。見知らぬ土地、場所、船の上、泥だらけの男達、青い空、飛行機、爆発、騒音、狂騒、死。黙って話を聞いていた千歳は加えたタバコの先に安物のライターで火をともした。

 

「それが、「航空戦艦」なのかねぇ」

 

 鉄塔に寄りかかったまま、千歳はワンカップのふたを持ち上げた。

 

旧戦(かこ)の記憶…」

 

 日向がうなだれたまま返す。あごから滴った汗が、床の上に落ちて水たまりを作っていた。

 

艦娘(あたしら)が過去の軍艦を元に設計されてるのは、今更言うまでも無いわね?でもね、その再現の為には当時の資料や生の情報が沢山必要なの」

 

「そんなの軍の資料を漁ればごまんと出てくるだろう」

 

 今の世の中、情報なんてそこかしこにあふれている。軍事資料館や相応の専門機関など、過去の遺産を残す専門の施設だってある。日向だって、提督の話を聞いてから、鎮守府の図書館で何度も日向(じぶん)の事を調べた。しかし千歳は渋い顔をして手に持ったカップを揺らして見せた。

 

「そうでもないのよ。当時は情報管理もびっくりするくらいずさんだったし、しかも日本は敗戦国で隠蔽や証拠隠滅の為に沢山の資料を破棄している。現代で確認できる事なんて上っ面だけ、生の情報となると尚更よ」

 

 日向は千歳の特異な言葉遣いに目を細めた。

 

「そもそもお前の言う「生の情報」とはなんだ?」

 

 日向が問う。千歳は言いずらそうに、肩をすくめた。

 

「それが「暗幕の中の世界」よ」

 

「航空戦艦の記憶?」

 

「あんたが見たのは戦艦や戦闘機の姿だけ?」

 

 日向は少し考えた後、首を横にふった。

 

「いや、武器を取る人々の姿や戦闘機に乗り込む兵士達。それから…」

 

 日向は苦虫を噛み潰したような顔で、忌々しげに吐き捨てた。

 

「気持ちの悪い精神」

 

「戦争で戦った人達を侮辱したくなるでしょう?」

 

 千歳の言葉が、ずしんと胸にかかる。

 嫌になるくらい健全で、堂々とした「殺しの精神」。それが戦争の記憶。

 何故ああも簡単に人を殺し、そして死ねるのか。いや、簡単なはずが無い。しかし彼らは殺しも死も「戦争」として受け入れ、驚くぐらいそれに納得している。重圧も恐怖も全てを内に秘め、勝利の名の下に結託している。日向のような何の思想もない餓鬼だって、上っ面だけで「そんな気」にさせられる。国、思想、勝利、敵。国を守り、殺し、殺される。まるでゲームのストーリーみたいな光景に、大の大人が躍起になって命を賭けている。やはり、異様だ。

 

「人間同士っていうのは実に歪だ」

 

 日向の呟きに呼応するかのように、工廠の天窓から風が抜けて行った。走り抜ける風が日向と千歳の間の淀みを連れて、二人の髪を揺らした。

 千歳は気持ちよさそうに風を受けながら、日向を見下ろし唇をゆがめた。

 

「そこまでにしときなさい。命は尊い、戦争は悲しい記憶。それでいいのよ。思い出しすぎるのも考え物よね」

 

 吐き出した紫煙が風に乗って流れていく。

 

「で、あの記憶を資料にして艤装に反映するのか」

 

「そこから先は妖精達の仕事だから詳しくは無いけどね。大方間違っていないと思うわ」

 

 



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【だいじなひと】

「そもそも何故我々は過去の軍艦をモデルにされたんだ?近代兵器やイージス艦ではだめなのか?」

 

 工廠から戻る途中、日向が千歳にそう投げかけた。すっかり日の落ちた外の景色を眺めていた千歳は、日向の質問に視線を廊下の先に戻した。

 

「イージス艦レベルの高度な情報処理システムを艦娘が背負うのは無理があるのよ。イージスシステムは「索敵」「情報処理」「攻撃」の三つの要素を連続させつつ、同時に管理・計算を行うシステム。でもその維持にはとんでもないエネルギーと設備が必要なの。もちろんお金もね」

 

 まるで教師のように言葉を区切る千歳の話し方に、日向はひとつの解を得ていた。親指で顎を撫でて、ポツリとつぶやく。

 

「艦娘用にレベルを下げている?」

 

「ご明察。艦娘運用のレベルにあわせつつ、最大の戦果を挙げる為に旧戦中の兵器の再現が最も効率が良いと結論が出たの。これは妖精のスピリチュアルな計算式で導き出したんじゃなく、軍上層部が円卓で肘を付き合せて決めたモノよ」

 

 足音を響かせながら千歳が続ける。珍しくぺらぺらと話す唇を気にしながら、ワンカップを呷ってその潤いを維持していた。

現在時刻は午後9時。艦娘がやっと気兼ねなく酒を口にできる時間だ。もちろん彼女がそんな事を気にする訳が無いのだが。

 日向はそんな千歳の様子に呆れながらも、頭の片隅では近代化改装の行く末の事が引っかかり続けていた。戦艦を捨てるという事、在りし日の記憶をめぐり、航空戦艦に「成る」という事。

 

「日向は航空戦艦の事、どれくらい知ってる?」

 

 まるで日向の表情を察したかのように千歳が切り出した。それに特別驚いた様子も無く日向は返す。

 

「ミッドウェー敗戦を区切りに空母不足に悩まされた旧日本海軍が、その穴を埋めるために建造(つく)った軍艦。戦艦の砲撃力と、空母の航空制圧力の両立を目指して計画が立てられた」

 

 迫りくる戦闘機を航空戦で圧倒し、敵艦の装甲を主砲でなぎ払う。海と空との立体的な戦術展開により戦場を切り開く。それが「求められた」航空戦艦の姿であった。

 

「……」

 

 千歳は日向の話に黙って耳を傾けている。まるで聞き飽きたおとぎ話を、まどろみの中に聞き流すかのように。口を挟む事も無く、唯々熟知した結末を待っている。

 

「しかし現実は違った」

 

 日向の口調が、少し引き締まったものに変わった。ワントーン下がったその声を響かせる心情は、戦艦としての過去に起因するものなのか、それとも航空戦艦としての未来に向けられたものなのか。

 

「その甲板から戦闘機が飛ぶことは無かった。戦況が彼女を空母として活かす事を拒んだ」

 

「そうね」

 

 千歳は日向の言葉を遮らない様に小さく頷いた。

 

「無理して描いた理想が現実を追い越してしまう事は、往々にして良くある事だわ」

 

 その言葉に日向は何を返す事も無く、唯黙々と歩を進めた。医務室の扉が見えてくる。直前の角を曲がった所で千歳が早足で先行し、背後へ振り返った。腕を組んで見上げるように日向と視線を合わせた。

 

「心配?」

 

「どうだろうな。艦暦と艦娘としての性能が吊り合わない事など、珍しくも無い事だ」

 

 足を止め少し考え込む。目を瞑って唸るような仕草をした後、ゆっくりと時間をかけて言葉を捜した。医務室の中で、ガタンと物音が聞こえたような気がする。

 

「負けられない理由もある。運命や理想に振り回されてやる余裕も無いしな」

 

「それって榛名嬢の事?あんまりムキになっちゃだめよ」

 

「それだけではないさ…」

 

 音を立てて医務室の扉が開く。

 顔を覗かせたのは初霜だ。あわてたように周囲を見まわし、勢いよく廊下に飛び出す。その瞬間に扉のサッシに足を取られ頭から壁に激突した。

 

「それだけでは、な」

 



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【とべよずいうん】

 雲一つない快晴の空、穏やかな波。遠方の島には新緑が伺え、海鳥の影が夏の始まりを思わせる。

 闘争とは無縁の静かな海。その只中に日向は一人佇んでいた。僚艦もつけず広大な海にただ一人、海の彼方を眺めている。体を持ち上げて艤装を背負い直す。新品の航空甲板が、眩しいほど日の光を照り返していた。

 耳にはまったインカムを指で押さえ、日向は水平線の遠くに目を向けた。

 

「準備はいいか?」

 

 数秒のタイムラグの後、電子音に乗って澄んだ声が飛び込んでくる。

 

「こちら初霜。ブイの設置完了」

 

 日向はその声を受け、誰にともなく頷いた。

 

「了解。2000まで距離を取り待機。弾着頼むぞ!」

 

 マイクに話しかけながら艤装を展開する。

 両肩に背負った主砲が、駆動音を響かせながら駆動する。右手で腰の下のレバーを引き、主砲の角度を調整する。手元の安全装置を握りながら、車のギアを操作するようにレバーを左右に切り替える。その上で脊髄と直結した艤装が、脳からの電気信号を受けて大きく左右に開いた。

 主砲そのものを固定するアームを停止させ、その後砲角を調整する。標的の姿は見えないが、電探とつながった神経を通して頭の中でしっかりとブイを捉えていた。

 

「第一から第四まで砲門開け!」

 

 号令と共に砲に弾を込める。ドカンと鉄蓋を閉める音が聞こえ、同時にアームが少し沈んだ。微調整はしない。計算の上での先の展開だ。

片目を瞑ってじっくりと照準を絞る。黒点と化した初霜の離脱を確認してから、思い切り引き金を引いた。

 

「全門斉射っ!」

 

 轟音と共に巨体が震える。激しく左右に揺れる振動を、足の筋肉だけで無理やり制御する。後方に流れる勢いには逆らわず、海面を後退しつつ反動を逃がした。

 黒煙を纏った徹甲弾は、瞬く間に空の中に消えていく。遥か遠くで水柱が上がると、日向は素早くインカムを指で押さえた。

 

「第一射!遠近よし!」

 

 初霜の弾着報告。

 本来であれば瑞雲を飛ばして確認を仰ぐ所だが、今日は別の任務で水上機は出払っていた。無計画で海上に出た挙句、どうしたものかと思案していた所に、待ち構えていたかのように初霜が現れたのだ。

 

「どうだ?」

 

 日向が先を促す。停止した的相手に電探で位置を把握していれば、この距離であろうと命中は難しくない。日向が気にしているのは、その後だ。

 

「駆逐艦大破、戦艦小破!」

 

 その報告に、日向は小さく肩を落とした。

 

轟沈()とし切れないか…」

 

 航空戦艦になって3日目。2回目の訓練。

 新しい艤装を体に馴染ませる為の、艦隊も組まない流し訓練である。しかし慣れない己の性能に、日向は早くも難色を示しつつあった。

 

 一番の弊害は火力の低下である。なにせ主砲を2本も撤去してしまった為、単純な砲撃火力は大幅に低減してしまっている。しかしそれは改装前から了承済みの事であって、現在の火力不足には、また別問題が絡んでいた。

 流星隊の解体が、ここにきて大きく響いていた。

 本来航空戦艦へ改装後、主砲の撤去によって低下した火力を補うのは戦闘機による航空攻撃であった。艦載機による爆撃と、砲撃を両立させる事による立体的な攻撃こそ航空戦艦の強みであった。

 しかし、航空火力は改修前の予定より大幅に低下してしまっている。艦上戦闘機を撤去し、多目的水上機「瑞雲」を中心とした航空機運用に切り替えたためだ。

 瑞雲も「偵察」「爆撃」「観測」と幅広く運用可能な高性能機であるのは間違いない。しかし攻撃に特化した機体に比べると瞬間的な火力には劣るうえ、全隊を攻撃に割けない以上スペック通りの成果は出せないでいた。

 砲塔より伸びる煙を眺める日向に、遠方より影が迫る。視線を空に移すと、隊列を組んだ11機の瑞雲が頭上を大きく旋回した。Uターンの際に左右二組に別れ、次々着水していく。日向は足元に滑ってきた一機に手を伸ばし、救い上げるように機体を持ち上げた。甲板の上に置き、状態を確かめる。

 

「まだ燃料にも余裕があるし、飛行は順調か」

 

 拾い上げた瑞雲を甲板の裏側のスロットに収容する。甲板の裏には艦載機をセッティングする「マガジン」が取り付けられている。今そこに待機しているのは、「装填」済の11機。そこに今の1機を足して合計12機。

 

 甲板から突き出した二門のカタパルトを雲の隙間に向ける。マガジンよりエレベーターによって押し上げられた瑞雲が、甲板の上をレーンに沿って滑る。流線形の機体が、カタパルトの先端に納まった。日向は甲板を支える左腕を持ち上げるように、右手を添えて構えを取った。

 一瞬の沈黙の後、吠える。

 

「第二次隊、発艦はじめっ!」

 

 金属の衝突音に重なり、風が唸る。

 弾かれたカタパルトの勢いに沿って、緑色の機体が空高く上がった。

それに続き、二門のカタパルトが次々に水上機を射出していく。中央のエレベーターがせわしなく動き、カタパルトが交互に唸りを上げる。その間日向は甲板が大きく動かないように、波の上で己の巨体を支えなければならなかった。

 

 最後の一機が上空に放たれた時、日向はやっと静止を解いて素早く時間を確認した。

 12機発艦まで6分8秒。その数字に日向は何とも言えない表情を見せた。1機の発艦にかかる時間およそ30秒。この数字は決して遅くは無い。いや、むしろ妖精機を飛ばすには十分すぎる速度を保っていると言える。しかし、通常の巡洋艦や戦艦の様に2~3機の偵察機を飛ばしている訳では無い。10機~20機の航空隊を操る艦娘としてはむしろ時間がかかっている方と言える。

 現に大航空隊を操る空母艦娘にカタパルトを搭載している艦は存在しない。ほとんどの者は矢に封じた妖精機から高速で機を撃ち放つ。術式甲板より式神を打ち出す者もいるが、初速を取るか機体数を取るかで原理は同じだ。

 

 海上で動けぬ五分間。戦場においてこれが無視できぬ時間である事は誰にでも想像がついた。

 

 雲の中に消える瑞雲を見送り、日向はため息をつく。課題は山積みだ。

 

 ふと視線を落とすと、足元に先ほど帰投した瑞雲がぷかぷか浮かんでいた。気が付いて周りを見渡すと、10機の瑞雲たちがわらわらと日向の周りを囲むように浮かんでいる。

 

「これを全て私で片さねばならんのか…」

 

 課題は山積み。

 日向は再度大きくため息をついた。

 



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【こもれびのかげほうし】

「おや、旦那」

 

 訓練を終えた昼過ぎの食堂。ウエィトレスとして走り回る初霜を横目に、日向はまたあのスクリーンを眺めていた。声のした方を振り返ると、窓際に座る加古がこちらに手を上げていた。

 

「おう」

 

 椅子に寄り掛かったまま、気だるげに肘から上を持ち上げる。すると加古の向かいに座る女性に気が付いて、日向は重い腰を上げた。

 

「この間は世話になったな」

 

 椅子を引きずって来て、二人の座る机に寄せる。窓際の席はかすかに太陽の匂いがした。

 

「覚えていてくださいましたか」

 

 女性は日向の方へ体を向けて、長髪を揺らしながら微笑みかけた。清楚な顔立ちながら、どこか影のある雰囲気が哀愁を誘う。加古は親指を女性に向けて紹介した。

 

「コイツは神通」

 

「神通、というと二水戦の?」

 

 日向の問いに、神通は少し悲しそうに笑った。

 

「元、です」

 

「え?」

 

「おい、神通」

 

 話し始めようとする神通を加古が止める。しかし、神通は優しくそれを制した。

 視線を加古へ向けて、左右に首を振る。

 

「いいのです。日向さんが悪い方ではないのは知っていますから」

 

 そう言われるとさすがに加古も引き下がる。加古が腰を下ろすのを確認してから、神通はゆっくりと話し始めた。

 

「クビになったのです。艦隊を」

 

 

 

「演習中の衝突事故で、海に出るのが…お、恐ろしくなってしまったのです」

 

 語りながら、神通の目線が深く沈む。重苦しい沈黙に耐えかね、苦しそうに目を瞑った。その仕草だけで、彼女がどれほど深い闇の底を覗いて来たかが伺える。

 

 日向も事故は多いが、そのほとんどが艤装の不具合や管理不手際から起こる個人的な事故だ。だが神通のそれは違う。連係ミスや天災によって船の玉突き事故が起こると、取り返しのつかない結果になる。自分が轟沈ちるならともかく、もし自分以外の誰かを沈めてしまったら…。

 それは悲惨だ。海に出る事を恐れるほどに。

 

「そんなんで、アタシが『医療』に誘ったんスよ。怪我人が出れば出撃して、暇な時はここで「こうやって」、気楽なもんスよ」

 

 明るい声でそう口をはさみながら、加古がテーブルに置かれた将棋盤に目をやった。横一列に並んだ「歩」の一つを手に取り、それを音を立てて打ち込んだ。

 

 乾いた木の音に神通の表情が少し和らぐ。加古と一瞬目配せして、自分の駒に目を落とした。「飛車」と書かれた大きな駒を手に取り、それを「王」の目の前に滑らせる。

 

「ほう…」

 

「面白いでしょ、こいつ」

 

 日向が唸り、加古が笑いをこらえたような声を漏らす。

 

「中飛車か」

 

 それを聞いて神通は小さく首を振った。瞳の中に見える輝きは、すっかり魂を取り戻していた。

 

「いえ、これが私の衝角突撃です!」

 

 

 

 

 

「負けました…」

 

 がっくりと肩を落とす神通に、勝負の一部始終を見ていた日向は端的に結論を述べた。

 

「下手の中飛車だな」

 

 加古が同調したように頷く。

 初手に飛車を玉将の前に振る「中飛車」は、一般的に初心者の打ち回しとされている。勝てぬ中飛車は「下手の中飛車」と呼ばれ、格下を表す言葉として広く浸透していた。

 

「へ、下手って言わないでくださいぃ!」

 

「下手なんだよなぁ…」

 

 その後再三指し合った挙句、日向まで相手をさせられたが、結果は神通の全敗であった。そして神通の初手は全て中飛車であったそうな。

 

 

 

 

「そういえば、観艦式の事聞きました?」

 

 将棋盤を片付けながら加古が漏らす。それに日向が首肯した。

 

「ああ、今年も横須賀(うち)でやるらしいな」

 

  観艦式は年に一回、その年の代表の鎮守府で行われる。一般人の入場は無く、主に軍人たちと艦娘のお祭りであると言える。彼らは日本全国からこの式典の為に集まり、祭りを盛り上げる。華やかな宴の裏側で官僚たちの腹黒い派閥争いが繰り広げられているという噂もあるが、いかんせん艦娘達には関係の無い事だ。

 

「旦那は航空甲板のお披露目ですかい?」

 

 加古が、からかい交じりの視線を向けてくる。日向は努めて冷静にそれに返した。

 

「どうだかな。戦艦なら金剛型の方が華があるし、あの榛名だってあれでもお偉方には人気があるんだ。黙っていればアイツも大概いい女だからな」

 

「お淑やかに箱に納まっているような性質ではないがね」と日向は付け加えた。指先で駒を弄び、ピンと指ではじく。音を立てて倒れた駒には「金」の字が彫り込まれていた。

 

「初霜が今年もポップコーンをやるらしいから、私はその手伝いだな」

 

 観艦式当日の出し物は、そのほとんどが艦娘達が運営する。

 開催鎮守府の艦娘はもちろんの事、許可をもらえば他の鎮守府の艦娘も出し物に参加できる。その場合、前日に鎮守府に入って設営を進めるのだ。

 初霜のポップコーンは艤装の「缶」の中にポップコーンの種を入れて、駆動しながら調理する。海上を航行しながら公開演習の最前列に配って歩いたりと、艦娘達からも人気が高いのだった。今年は味の種類も増やしたいなどと言って、こないだ予備の缶の清掃を手伝わされたばかりだ。

 

 来る日の観艦式を想いながら話が弾む中で、隣に座った神通だけが全く会話に参加していないのに気が付いた。彼女は二人の話を聞きながら、腑に落ちないとでも言いたげに首をひねっていた。

 

「おかしいとおもいませんか」

 

 神通が交互に二人に目を向ける。神妙そうなその面持ちに、日向も加古も首をかしげる。

 

「?」

 

「何の事だ?」

 

「だ、だって去年もウチで観艦式があったんですよ。それでまた、今年もなんて」

 

「敷地が余ってるからだろう。にぎやかになって良いじゃないか」

 

「神通は騒がしいの苦手だからな」

 

 わははと湧き上がる場に反して、神通はわなわなと拳を震わせる。そしてついに堰が切れたかのように怒鳴りたてた。

 

「人が死んだんですよ!去年の観艦式で!みんな忘れてしまったんですか!」

 

 場がしんと静まり返る。自分のテーブルだけでなく、周りのテーブルで食事をしていた者達ですら、何事かと神通に視線を向ける。真っ赤な顔で睨みつけられた二人は、お互いの顔を見合わせ一つ頷いた。

 

「まあ」

 

「人くらい死ぬでしょ、お祭りなんだし」

 

「ど、どこの野蛮民族ですか!あの事件、西のお偉方はうちの提督が首謀者だと疑っているという話じゃないですか!」

 

 神通が周りからの視線を気にして浮いた腰を下ろす。その間も、日向と加古は頷き合って意見を同調させていた。

 

「そら、西はそう言うわな」

 

「しかも古鷹がやったとはいえ、あの事件は将官が捕まって解決しているはずだ」

 

 観艦式さなかでの指揮官殺し。

 その実行犯は何を隠そう横須賀の秘書官である古鷹であった。彼女は観艦式が行われる裏方で二人の佐官を殺害し、出頭した。彼女は犯行を認めたが首謀者の名は語らず、後日同派閥の少将が殺人教唆で捕まった。

 古鷹本人も解体を余儀なくされたが、捕まった少将の後釜に座った丁嵐誠一(あたらしせいいち)、つまり今の提督によって救われて今に至る。

 

「今回の観艦式は提督を罠に嵌める算段かもしれないって言ってるんです!」

 

「なんだ?お前、誠に惚れてるのか?」

 

「げ、顔はいいんだけどなぁ。アタシはパス」

 

「そうじゃなくって!」

 

 神通は再び拳を振り上げ一同を黙らせた後、テーブルの真ん中に顔を寄せた。日向と加古もそれに倣う。二人と目を合わせた後、神通は声をひそめて言った。

 

「今回の招待客に紛れて…」

 

「うん…」

 

「暗殺者が送り込まれるかもしれないって言ってるんです」

 

 驚愕の発言に二人は仰天する。日向は腕を組んで唸り、加古は苦悶の表情を浮かべ頭を抑える。そして…

 

「お前…」

 

「神通…」

 

 二人同時に口を開いた。

 

「「映画の見過ぎだ」」

 

 

 

 

 

 

「映画の見過ぎですかね…」

 

 男は受話器を片手にそう返事をした。貼り付けたような笑みを崩さずに続ける。

 

「こういう物って、私の様な『当事者』には声がかからないものだと思っていました」

 

 男性にしてはやや高い声。左前の髪だけを長く伸ばした奇妙な髪形。そこから見える肌は異様に白く、覗いた片目は開いているのかわからないほど薄く線を引いている。

 

『適任はお前しかいない。小娘との水遊びで腕を鈍らせてはいないだろうな』

 

「ご冗談を」

 

 歌うような口調で男は返す。

 

『横須賀の観艦式を血に染めろ。「意趣返し」だ』

 

「私も大概ですが、貴方も随分と趣味がよろしいですねぇ」

 

 電話越しの物騒な言葉選びに、男は笑みを深めた。心なしかその声色は高揚を含んでいる様にも聞こえる。

 

『職務を果たせ「呉の亡霊」』

 

 そう言って一方的に電話は切られた。

 男はゆっくりと受話器を置くと、自分の机に肘を付いて、薄い瞳で部屋を見回す。部屋の隅で書類を書いている女性は、男の期待の籠った視線を感じて手を止めた。自分の書いた文字に目を落としたまま問いかける。

 

「任務ですか、松崎提督」

 

 その質問に、男は「よくぞ聞いてくれた」とばかりに声を弾ませる。

 

「ええ。楽しい楽しい、お仕事の時間です」

 

 芝居がかったその返事に、女性はうんざりと眉をしかめた。顔を上げずとも男の目障りな笑みが手に取るようにわかる。

 

 男は気にした様子も無く、椅子から腰を上げた。立ち上がるとひょろりと長く、細い手足と相まってまるで海の幽鬼を思わせる。そのまま部屋の窓際まで歩いていき、カーテンを思い切り開け放った。

 降り注ぐ木漏れ日が、暗い部屋の中に男の影を張り付けた。

 

「今年の観艦式は、きっととても面白くなりますよ」

 

「もちろん大淀さんもいっしょですよ」と付け加えると、女性は頬をひきつらせて万年筆を取り落とした。床に転がるそれを見つめながら、大きくため息をこぼした。

 




「松崎城酔」のキャラクターは『僕と久保』様作、『艦隊これくしょん/木漏れ日の守護者』よりお借りしています。
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【おまつりのにおい】

 部屋中に柔らかな茶葉の香りが広がる。横須賀の提督、丁嵐誠一は大きな職務机に寄り掛かりながら窓の外を眺めていた。手に持ったティーカップの表面が波打つ。赤みがかった髪を掻き上げ、優雅にカップの縁に唇を寄せる仕草はまるで洋画の一場面を思わせた。

 整理されたテーブルの上に、一枚の書類が風に揺れている。その名簿を手に取って、秘書艦である古鷹が告げた。

 

「初霜がポップコーンの屋台の設営に、第二演習場を希望してきていますが…」

 

 第二演習場は横須賀唯一の陸上戦闘用の演習場だ。出撃用の桟橋から近く、海沿いに面した広い敷地である。観艦式の季節になると、公開演習の客席が近い事もあり出店の申請が集中する激戦区と化す。最終的な申請の承諾は、提督である丁嵐に一任されていた。

 

「アタシの分のポップコーンを確保するという条件で許可しようかしら」

 

「提督、それは賄賂というものではないでしょうか。私の記憶の限りでは、大変な規則違反であると記憶しております」

 

「古鷹、あんただってあのおチビの新作食べたいでしょ?」

 

 古鷹は表情を変えずに、丁嵐の視線を追って窓の外を眺めた。そこには訓練より帰投する航空戦艦と黒い従者の姿があった。

 

「はい。私もぜひ頂きたいです」

 

「なら素直にアタシに従ってなさい。去年の人気を見てもあの子が妥当な事くらい他の子だってわかってるわよ。この様子じゃあね」

 

 そう言いながら丁嵐は自分の傍にあった書類を古鷹に向けて滑らせた。それも初霜のものと同じ出店のスペース確保の申請書である。六駆のかき氷や足柄のカレー、霧島のメガネ屋など押しに押されぬ人気店揃いだが、彼らが指定しているスペースは激戦区の第二演習場では無く第三航空演習場だ。

 第三航空演習場、通称「三空」は新着の空母が陸上で発艦の訓練をするスペースである。数少ない陸上演習場の一つで、こちらもたがわず人気が高い。しかし公開演習場から遠く、客寄せという点においては第二演習場に続く二番手に甘んじているというのが現状だ。

 

 彼女達があえてこの場所を選んだのは、第二は今年は初霜に取られると確信があるからだ。第二の抽選ではじかれて遠くのスペースをあてがわれるより、初めから三空の空きスペースを確保しておこうという魂胆だろう。それほど去年の初霜のポップコーンは凄まじかった。今年はそれを目的にやってくる者達も多いだろう。今年の経営申請にポップコーン屋が3つもある事からも、どれだけ初霜が意識されているかが伺える。

 

「出し物と言えば、日向の件は?」

 

「それは、アタシから伝えるわ」

 

 カップの縁をなぞりながら丁嵐が漏らす。窓から差し込む光に照らされた横顔は、堀の深い顔により色濃く影を落としていた。

 

「提督の招待リストも届いています」

 

 古鷹が自分の持っているボードに目を落とす。指で文字をなぞりながら、上から順に読み上げた。

 

「大本営からは栄吹中将と秘書艦の長門、ブインの田中大佐と秘書の那智、A-4基地の荒神中佐と秘書艦補佐の霞、それから呉の松崎…えっと」

 

 古鷹の言い淀む仕草に、丁嵐は小さくカップを鳴らした。その音に気付き、古鷹が名簿から視線を上げる。

 

「じょうすい」

 

「え?」

 

 脈略の無い丁嵐の発言に、古鷹が首をかしげる。丁嵐はカップをソーサーに上において、窓の外を見つめたままぽつりと呟いた。

 

「呉の松崎城酔(まつざきじょうすい)、アイツが来るのね」

 

 呉鎮守府現提督「松崎城酔」。階級は丁嵐と同じ少将。陸上がりの変わり者で、最前線の呉を統率する古兵。謎の多い経歴の持ち主で、「亡霊」の名で知られる曲者だ。

 

 この松崎という男。海軍内で対立する「大島派」の唯一の少将でもある。同じく大島派の大古株は、丁嵐より階級の高い中将が訪問してくる。

 

 観艦式に乗じて派閥の人間が派遣されてくる事はあらかた予想通りであったが、そのどちらもが特務権限を持つ将官。しかも「呉の亡霊」まで引っ張ってくるなんて…。

 

「目障りな虫が」

 

 醜く肥え太った豚と、死臭に這い寄る亡霊。

 丁嵐は歯噛みした。

 

 虫どもめ。

 目障りだ。障害、邪魔者。いい気になってガサガサガサガサわめきやがって。

害虫害虫害虫害虫害虫害虫害虫害虫害虫害虫害虫害虫害虫害虫害虫害虫害虫害虫害虫害虫害虫害虫害虫害虫害虫害虫害虫害虫害虫害虫害虫害虫害虫害虫害虫害虫害虫害虫害虫害虫害虫害虫害虫害虫害虫害虫害虫害虫害虫害虫害虫害虫害虫害虫

 

 ドンと机を蹴り飛ばしながら立ち上がる。丁嵐は薄笑いを浮かべながら、持ったカップを古鷹に手渡した。目を丸くする古鷹を無視して、一人優雅な足取りで入り口に向かう。呆然と見送る秘書艦を残して、音を立てて司令室の扉を閉めた。

 

(誰もアタシの邪魔はさせない。もし奴らがその気なら、こっちから打って出てやる)

 

 去年と、同じように。

 




「松崎城酔」のキャラクターは『僕と久保』様作、『艦隊これくしょん/木漏れ日の守護者』よりお借りしています。
本編はここ↓
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【みんなのこと】

 沈みはじめた太陽が、穏やかな海を赤く染めあげる。桟橋の近くのベンチで、加古と江風が向かい合って座っていた。組んだ足にひじを乗せて唸る江風、木漏れ日に照らし出された盤面から加古の指が離れた。突如自陣に現れた「たたきの歩」に江風は頓狂な声を上げた。

 

「ンぎゃっ!あんまりいじめないでおくれよ姉御」

 

 泣き面を晒す江風に、加古は白い歯を見せて笑う。

 

「相手の手駒も見れないようじゃ神通以下だぜ、若造」

 

 盤面を見下ろしながらうんうんと唸る江風の背後から、小柄な少女が顔を覗かせる。加古はその見知った顔に盤面から小さく顔を上げた。

 

「お疲れ様です。今日は神通さんではないのですね」

 

 初霜は江風の後ろから二人の間の盤面を覗き込む。将棋はわからぬが、二人の表情を見るにどうやら江風の劣勢のようだった。

 

「神通は今日は『あっち』だ」

 

 加古が親指を突き出して海のほうを指差す。桟橋を挟んで少し離れた海面に、神通が主機だけをつけて浮かんでいる。名取がその側で神通の手を引いていた。

 最近初霜はよくこの面子とつるんでいた。いつもはそばにいるはずの日向の姿は今日は見えない。

 

「訓練ですか」

 

「初霜はやさしいね。コイツなんかあれを見て水遊びだとぬかしやがった」

 

 江風が盤面を睨み付けていた難しそうな顔を、90度回転させ海のほうへ向ける。一定の回転数で小刻みに足を動かす神通を見て、眉間のしわを一層深く刻み込んだ。

 

「惨めなもンだぜ『鬼の神通』。トーシローでもあるまいし、華の二水戦が聞いて呆れるぜ」

 

 『鬼の神通』とは水雷屋時代の神通の通り名である。「戦場の華」「水雷の一本槍」「川内型に神通あり」。駆逐艦で神通の名を知らぬ者はいない。華々しい戦果と厳格な性格で『鬼神』とすら恐れられた伝説の巡洋艦。

 そんな神通の衝突事故は駆逐艦の間では大きなニュースになった。夜間の無灯火演習中の出来事であった。神通は隊の駆逐艦と接触事故を起こして大怪我を負ったのだ。続けざまに川内型「那珂」も大破し、未曾有の大事故に発展した。

 神通と衝突した駆逐艦は不運な事に「主機」を損傷していた。主機は艦娘の足に装着している艤装で、高出力ホバーと遠心力で艦娘を海上に浮かべるおおよそを担っている重要な機関である。

 駆逐艦は衝突の衝撃で転倒、沈没。艦娘を海面に浮かべるはずの主機は、皮肉な事にそのまま彼女を沈める重りと化した。神通は衝突の直後に自らの主機を破棄、命令を無視して海中に救助に向かった。一度は艦の引き上げに成功するが、神通本人の損傷と沈没船の重さに耐えかね海中でつないだ手を離してしまう。視界の悪い夜間での事故であった事もあり救助は難航、引き上げ艇が到着したのは事故が発生してから1時間以上も経過した後の事だった。

 

 ゆっくりと海上を滑る神通の後ろ姿を初霜は寂しげに見つめる。その前方で、名取が陸に背を向けて沈む夕日を見つめていた。自分の足元を見ながら航行する神通はそれに気付いていないようだ。二人の距離がぐんと近づき、初霜は思わず声を上げた。

 

「ぶ、ぶつかりますよ」

 

「ひゃう!」

 

 そんなに大声を出したつもりはなかったが、神通が悲鳴を上げて飛び上がった。途端に両足のバランスを崩し、ぐらりと上半身が揺れる。悲鳴に気が付いた名取が差し出す腕に、すがるようにしがみついた。名取が神通の肩を抱き、片手で主機を停止させてやる。

 思わず口をあける初霜を、加古がたしなめた。

 

「こら初霜、神通に「ぶつかる」は禁句だ」

 

「す、すみません」

 

 名取の腕の中の神通は、真っ青な顔で小刻みに震えている。

 神通が受けた(トラウマ)は外装の表面を貫き、心の蔵に「杭」のように突き刺さっている。そこから伸びた黒い鎖が、彼女の全身を支配していた。

 彼女が恐れるのは自らが沈む事なのか、それともまた誰かを沈めてしまうかもしれないという強迫観念なのか。いずれにせよ責任感の強い神通だからこそ、こんなにも深く強い恐怖が根付いてしまっているのだろう。

 

「なっさけないねえ軽巡。旦那だってまだ演習の傷が癒えてないのに出撃してるってのに」

 

 江風がボヤく。その言葉通り、日向は今日の午前中から攻勢作戦に参加していた。彼女としては実に9ヶ月ぶりの出撃になる。

 

「ま、旦那本人が納得してる訳じゃないだろうがね。あれもあれで複雑なんだろう」

 

 加古が夕日に目を細めながらつぶやく。

 今回の作戦、日向は航空戦艦では無く通常の戦艦として登録している。飛行部隊は搭載せずに、偵察用の瑞雲を数機同行しているだけの普通の戦艦だ。航空戦艦としての運用では無く、昨今の戦艦不足の補充要因としての人選であった。

 

「今は仕方ありません」

 

 ベンチに腰を下ろした初霜が強い口調で話す。

 軍はまだ日向一人の「航空戦艦」という艦種を認めていない。明確な運用方法の確立されていない航空戦艦をやすやすと戦略に組み込んだりはしないだろう。発艦時の足止めも、器用貧乏な攻撃力不足も、それを補って余りあるリターンがあると戦術的にも証明できていない。初霜は理解(わか)っていた。今は耐え忍ぶ時だと。

 

「日向様はきっと戦艦の新時代を切り開いてくださいます」

 

 真剣な顔の初霜を余所に、江風はちらと隣に座る加古へ視線を送る。加古はそれに気が付いていたが、大して興味が無いのかただ水平線を見つめていた。

 

「前から聞きたかったけど、二人はどういう関係なンさ?」

 

 江風の素直すぎる質問に、加古はわざとらしく眉をひそめた。初霜はそれを特別意識した様子も無く答える。

 

「初霜は、日向様を尊敬しております」

 

「答えンなってねぇじゃンか」

 

「江の字」

 

 向けられた加古の視線は「つまらない事聞くな」とたしなめられているようで、江風は肩をすくめた。面白くなさそうに将棋の駒を手で弄んでいると、高く響く喇叭の音にその場にいた全員が顔を上げた。

 

「日向様が戻られました!」

 

 喇叭が鳴り止まぬ間に初霜は立ち上がる。

 誰よりも先に駆け出していくその背中を、江風は実につまらなそうに見送った。

 



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【しっかりもの】

 深海棲艦の補給路の分断。それが、今回日向達に下された作戦の概要であった。アリューシャン方面より南下してくる深海棲艦群。それらは度重なる鎮守府の反復攻撃を凌いで、本土に迫ってきていた。大湊が中心となり3度に渡りそれを迎撃したが、今奴等は四度目の突撃に向け体勢を立て直している。

 海域上に補給地がある。それが大本営の出した結論だった。

 

 横須賀のメンバーはこの補給地の探索と、対空部隊の補強に従事。日向は強化された対空砲を使い、迎撃隊として作戦に参加した。大湊について3日の後に戦艦金剛率いる捜索隊が補給地を発見。多数の補給艦を撃沈し、補給路の分断に成功した。その間日向は鎮守府に駐在し、対空警戒と哨戒に努めた。

 その後大湊が4度目の迎撃に成功。殲滅戦に向け進行を開始。金剛隊がそれに続くように殲滅戦に参加。日向と数隻の巡洋艦を含めた対空補助隊は、戦力過多と判断され一足先に鎮守府に帰投した。帰りの作戦報告の中で金剛が敵旗艦を轟沈させたと報告を受けた。

 

 日向は負傷した駆逐艦を曳航し鎮守府へ。沖からおぼろげに見える鎮守府の灯が、遠い陽炎のようにちらついて見えた。

 重い体を引きずって桟橋に上がると、帰投の喇叭が鳴り止まぬうちに演習場より初霜が駆け寄ってきた。

 

「ご苦労様ですっ!」

 

 鋭い敬礼に、その場にいた全員が肩を張る。疲弊した筋肉を無理やり鼓舞して礼を返した。満足したように微笑む初霜の後ろから、白衣の影がのっそりと顔をのぞかせた。

 

「駄目よ初霜。急に気を張ると貧血を起こす娘だっているんだから」

 

 千歳がバットを担ぐかのように、手に持った一升瓶を振り上げる。突如現れたその異様な風体に、並んだ駆逐艦達は一斉に身を引いた。分厚いレンズ越しに千歳の眼光が駆逐艦達を射抜く。その中でもとりわけ負傷の激しい二隻を見ると、不機嫌そうに煙草を揺らした。

 

「初月と皐月はすぐに艤装の調整。他の子はお風呂行っちゃいなさい」

 

 一瞬放心する駆逐艦たちが、「指示を出された」という事実に気付いて一斉に動き出す。初月と皐月そして日向を残して、どたばたと千歳の脇をすり抜けるように駆け出した。

 

「高角砲二人はあたしとおいで。まったく、無茶するんじゃないよガキが」

 

 初月と皐月は襟首を掴まれたまま、ずりずりと引きずられていく。ぽつんと日向だけが取り残された。陸に立つ初霜と目が合う。日向が口を開く前に、聞き覚えのないハスキーボイスが日向を呼びとめた。

 

「お疲れ様です、『航空戦艦殿』」

 

 いつの間に現れたのか、長身の女性が初霜の背後――桟橋の縁に立っている。スラリと足が長く、気怠るそうに胸の前で腕を組んでいる。整ったショートボブが海風に揺れていた。

 初霜が背後を振り返るより先に、日向が海から上がって初霜と女性の間に割って入った。すばやく自分の後ろに初霜をかばい、自分はぐっと相手へ顔を寄せる。長身の日向の威圧を受けても女性はひるむことなく、訝しげに眉を寄せた。

 

「私、何かしたかしら?」

 

「君の「姉」には随分世話になっているよ」

 

「そんなに警戒されるほど、榛名が迷惑をかけているかしら」

 

 女性が顔をそむけながら、鼻の頭に引っ掛けた眼鏡を整えた。高速戦艦「霧島」は、ため息をつきながら一歩引き下がった。

 

「提督が、あなたをお呼びよ」

 

「これは、かの『高速戦艦殿』がわざわざお使いとは恐れ多いね」

 

 日向の芝居ががった台詞に、眼鏡の奥で不機嫌そうに瞼が狭まる。不満を隠せぬ正直な瞳の色は、実に榛名に似ていた。

 

「その程度の嫌味に目くじらを立てていては、金剛型(あのコたち)の末妹は務まらないわ」

 

 つまらなそうに霧島が鼻を鳴らす。その様子を見て、日向はやっと警戒を解いた。腰にしがみついた初霜がおずおずと顔を出す。その頭の上にぽんと手を添えた。

 

「すまない、気が立ちやすい性格でね」

 

 霧島は口の中のため息を飲み込むと、目をつむって肩をすくめた。羽織った千早の袖が、安堵したかのように左右に揺れた。

 

「構わないわ。その程度の偏見で気を落としていては、榛名(あのコ)の妹は務まらないわ」

 

 頷いて小さく口の端を緩める仕草には大人びた落ち着きがある。金剛とも榛名とも違う、寛大に物事の成り行きを楽しむ余裕を感じる。次女はもっと活発なタイプだと聞いているので、きっと彼女独自のものなのだろう。

 攻撃的で恐れを知らぬ金剛型の精神だが、霧島にはそこに奥ゆかしい思慮深さを感じる。榛名がその心をひとかけらでも持ち合わせていれば…。

 思い浮かべておいて、自分の考えにあきれる。

 榛名とは傲慢な精神の代名詞であり、思慮深く寛容な心があればそれはもう()()榛名とは別物だ。

 

 日向の表情を見て思考が知れたのか、霧島は口元に手を当ててクスクスと笑った。

 

「似ていないでしょう。榛名にも、お姉様方にも」

 

「よく言われそうだ」

 

「どこへ行ってもよ!もう、偉大すぎる姉を持つのも考えものね」

 

 そう言って肩をゆする霧島に、日向は苦笑する。

 我の強い姉達を見ているからこそ、強くそれらを受け入れられる寛容さがあるのではないだろうか。ふとそう感じた。

 

 

 

 

 司令室へ向かう日向の背中を見送った後、霧島は視線に気が付いてふと目線を落とした。自分の足もとに立っていたのは初霜である。彼女は自分と同じく日向の背中を目で追っている。今にも駆け出しそうなその進行を霧島が優しく止めた。

 

「初霜さんは、お留守番していましょう。提督とは、大切なお話があるそうよ」

 

 初霜が不思議そうに霧島を見上げる。赤茶けた瞳。その淡い色に、つい引き込まれそうになる。

 

 不思議な少女であった。

 

 実直な芯の強さを感じさせる強い瞳。それはあの日向を思わせる。しかし、不用意に他者を傷つけるような気概は持たず、むしろ霧島はこの少女から小動物のような愛らしさすら感じていた。

 

 霧島がそっと手を伸ばす。

 指先がその髪に触れた瞬間に、初霜の体が強く硬直するのを感じた。反射的に指先を離すと、初霜は瞬く間に霧島の脇を抜けて日向の背を追ってしまった。

 

 小さな背中を振り返り、霧島は悲しそうに目を細めた。

 

「偉大すぎる姉を持つのも考え物ね…」

 



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【はじまりのうた】

「お帰んなさい日向」

 

 丁嵐は執務机に向かったまま、顔も上げずに日向を出迎えた。いつもは小綺麗に並べられているインクの瓶や文鎮が机の上に雑然と散らばっている。その上にさらに書類を重ねるもんだから、そこら一帯はもう何が隠れているか当人にしかわからないような有り様だった。

 

「ずいぶんと暇そうだな」

 

「全くよ。観艦式のスケジュールも出さなきゃ行けないのに、今回のイレギュラー出撃。お肌が荒れちゃうわ」

 

 丁嵐は万年筆を置くと、事務用の眼鏡をはずして書きかけの書類の上に立て掛けた。

 バッチリとメイクをしているのはいつも通りだが、その表情は〆切前の漫画家みたいに疲弊している。ファンデーションでも隠しきれないくまのあとが、まるで落としそびれたシャドウの様に目の周囲を縁取っていた。

 

「あんたは元気そうでよかったわ。航空甲板の調子はどう?」

 

「万全だ、不備はない。これで実際に使わせてくれれば文句はないんだがな」

 

 嫌味で言ったつもりだったが、丁嵐は存外不機嫌そうに眉を吊り上げた。

 

「無茶言うんじゃないの。アンタ訓練でもまともに戦術運用できてないじゃないの。報告は上げさせてもらってるわよ」

 

 痛い所を突かれ、日向も軽く身を引いて見せる。

 

「試行錯誤はしてるさ、目下検討中というやつだよ」

 

「あまり悠長にはしていられないわよ。辞令よ、アンタに」

 

 引き出しから取り出した書類を丁嵐が机に広げる。それを丁寧に折りたたんでいくと、物々しい黄金色の書状が直径20cmほどの紙飛行機に姿を変えた。

 

「それっ」

 

 風に乗って漂うそれを空中でキャッチする。固く折りたたまれたそれを再度開いて書面に目を落とした。

 

『航空戦艦 日向』

 

 第一文に心が高鳴る。

 航空戦艦

 海軍内で日向しか持たぬ肩書き。逸る心を抑えて、続く文に視線を移した。

 

『右ノ者ヲ海軍大演習ノ大隊旗艦ニ任命ス』

 

「海軍、大演習…」

 

「そ」

 

 丁嵐が机の上で両の掌を合わせた。

 

「航空戦艦のお披露目ってわけ」

 

 海軍大演習とは、観艦式において「公開演習」と呼ばれている演目である。

 幾多の艦娘、軍人が集まる観艦式で「装」と「技」を競う「武の祭典」。観艦式の目玉とも言えるこのイベントは、艦娘の評価や後の武勲と決して無関係ではない。大演習で勝ち名乗りを上げるのは未来の武勲艦に他ならないのだ。

 

「開始時間は?」

 

「当日一五○○時から。夜戦無しの部の最も遅い時間よ」

 

 昼の部のラスト、舞台的にも最も注目が集まる時間だ。お膳立ては完璧。ここで航空戦艦の強さを見せつければ、戦略上で大きな意味を見いだせる。

 戦艦の新時代。その言葉が実に現実的な輝きを持って、突然目の前に現れた。

 

「相わかった。大演習旗艦の任、拝命しよう」

 

 大きく感情に出す事はないが、強く握られた拳に意志の全てを乗せる。堂々としたその立ち姿を見て、丁嵐も安心した様に小さくうなずいた。

 

「張り切ってちょうだいよ。これに負けたら、大好きな初霜とも会えなくなっちゃうんだから」

 

「・・・」

 

 ぞわり と

 

 冷たい何かが背中をなでる。

 

 急に部屋の温度がぐんと下がったように感じた。

 

 きりきりと心臓に爪を突き立てられる不快感。

 

 薄暗い部屋の中で、丁嵐の場違いな笑顔が不気味に浮かんで見えた。

 

「なんの…事だ」

 

 カラカラの喉で、かろうじてそれだけ声を出す。

 丁嵐が日向の手の中の紙飛行機を指さした。折りたたまれた書状の端、そこにはまだ文章が続いている。

 

『ナホ、右ノ艦ガ大演習ニテ敗北ヲ喫シタ場合』

 

 続く言葉に、日向は愕然とした。

 

『ソノ艦ノ艦娘トシテノ任ヲ解キ、【解体】トスル』




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【おつかれのうた】

「そんなバカな話があるかっ!」

 

 日向の怒声が司令室中に響き渡る。丁嵐は「きゃっ」と小さく悲鳴を上げて肩を縮めた。

 

 解体だと?解体とは武装解除を強要させられ、正式に軍属を離れる事。そんな事納得できるか!

 

「私は何の為にこんな体になったんだっ!」

 

 日向の怒声が司令室中に響き渡る。日向の言葉は実に最もな話であった。

 日向が航空戦艦に改装されて、まだ3ヶ月と経っていない。いくら目立った戦果が上がっていないとは言え、航空戦艦という選択肢全てを切り捨てるにはあまりにも早すぎる決断だ。

 

 机に歩み寄り、丁嵐の襟元をぐいと掴みあげる。丁嵐の長身がいとも簡単に持ち上がった。

 

「知ってる事、洗いざらい全て話せ!」

 

 今にも喰らい付かんとする日向の圧を受け、さすがの丁嵐も引きつったように口元を歪める。机の上に強引に体を引き寄せられ、積み重なった書類が一斉に周囲に散らばった。日向は怒りに任せて、ぎりぎりと丁嵐の首を締め上げた。

 

 丁嵐の体が宙に浮く瞬間。突如掴んだ腕に衝撃が走った。電流を流し込まれたかのような鋭い痛みに思わず手を放すと、続けざまにわき腹と胸に重い拳が突き刺さった。

 

「ゲッ、ア…」

 

 内臓がひっくり返るかのような痛みと不快感。胸を抑え込みながら懐を見やると、腰をかがめた黒い影が今にも日向のわき腹に肘を打ち込まんとする瞬間だった。

 息を吸った瞬間に腹の中に肘が食い込んだ。全身に広がる痛みと嘔吐感に、思考をぐちゃぐちゃにかき混ぜられる。

 

「それ以上の狼藉を見逃す訳にはいきません。航空戦艦」

 

「ふ、ふる…クソが…」

 

 脇腹を抑えながら、崩れ落ちるように膝をつく。髪をつかまれ無理矢理顔を上げさせられると、だらしなく開いた口からヒューヒューと乾いたそよ風が漏れ出した。自分を見下ろす左の瞳だけが煌々と輝いていた。

 

「やめなさい、古鷹っ!」

 

 珍しい丁嵐の怒声に、髪をつかんでいた古鷹の手が離れる。はらりと前髪が解け、重力に従い日向の巨体が膝から崩れ落ちた。

 

 秘書艦「古鷹」。横須賀の「殺し屋」。

 珍しく姿が見えないと思ったらこれだ。

 

 椅子から立ち上がった丁嵐は、古鷹を下がらせて日向のそばで立ち止まった。膝をついて悶える日向には、そろえた足の先だけが視界の端にちらつく。

 

「アンタは自分が見捨てられたと思ってるかもしれないけど、上は航空戦艦を切り捨てた訳じゃない。むしろ逆よ。上は一日でも早い航空戦艦の「実用化」を望んでる」

 

 乱れた襟元を調えながら丁嵐が続ける。

 

「航空戦艦のテストケースであるアンタをうちの鎮守府でくすぶらせておくわけにはいかないのよ」

 

 テストケース。

 確か丁嵐が始めて航空戦艦の話を持ち出してきた時も、彼はそう言っていた気がする。 

 

「目立った戦果があるのならともかく、今のアンタは所謂2軍。でもね、本部の研究者達は喉から手が出るほどアンタを欲しがってる。どんな強引な手を使ってでも、アンタを解体(バラ)して「航空戦艦」を隅々まで調べたがってる」

 

 馬鹿げてる。

 私の命を何だと思ってるんだ、コイツは。

 

「フザけやがって…」

 

「フザケけていられないのはアンタの方よ日向。榛名達はとっくに調整に入ってる。観艦式まで時間が無いのよ」

 

 突如振って湧いたその名前に、日向は全てを察した。

 拳を地面に打ち付けて、四つんばいになるように上半身を持ち上げる。

 

「相手は榛名か」

 

「金剛もよ」

 

「……クッ!」

 

 持ち上げた拳をそのまま床に叩き付ける。

 金剛と榛名、鎮守府のツートップを相手に立ち回れというのか。

 

「それだけじゃないわ。相手の6隻は完璧な「最強」を揃えてる。アタシも上からお達しを受けてるのよ。『日向には絶対に勝たせるな』ってね」

 

「お前は、私に死んでほしいのか」

 

「本当に価値があるのが何なのかって話よ。お望み通り戦艦の新時代の礎になれるのよ、少しは喜びなさい」

 

 丁嵐が日向に背を向ける。

 まるで「話はここまで」とでも言いたげなその背中に、日向は震える声をぶつけた。

 

「わ、私は解体されるのか?」

 

「さあね、そこまでは聞いていないわ。ただ一つ言えるのは…」

 

 一瞬の沈黙。

 振り返った丁嵐の顔は、きっと聖母のように温かで慈愛に満ちているだろう。

 

「負ければ、もう二度と海に出る事はない。今までお疲れ様、日向」




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【さよならのうた】

 古鷹に叩き出される様な形で司令室を後にし、日向は向かいの廊下で崩れるように壁に手をついた。扉の前で待っていた初霜が不安そうに自分を見上げていたが、とても気になど留めていられるような状態ではなかった。

 

「解体、解体、解体ね」

 

 うわごとの様に呟きながら廊下を歩く。全身がだるく、持ち上げた足は鉛のように重い。

 

 今まで自分がやっていた事はなんだったのか。航空戦艦とは、戦艦の新時代とは、そもそも艦娘「日向」とは、一体なんだったのか。

 寄りかかった窓に自分の姿が移り込む。鏡合わせの自分は、可笑しくなってしまったかの様に笑っていた。今にも泣き出しそうな、子供のような目をして。あての無い助けを求めて、ただ虚空を見つめている。

 

「ははは、私は、何の為にこんな体になったんだ…」

 

 女を捨て、人を捨て、体中傷だらけにして。力を追い求め人から離れすぎた体。振り上げた拳は振り下ろす先を失い、ただ腐り、朽ちていく。

 

 よろよろと足を止めては、壁に寄りかかり肩を震わせた。

 

「何の為に…クソっ!」

 

 怒りのまま壁を殴りつける。

 戦艦の強靭な握り拳が、まるで剃刀を握り締めたかのように痛かった。

 

「日向様…」

 

 背後に迫る小さな足音。かすれた声に、心臓がズキズキと痛んだ。

 

 ああ神様、私が何者でもなくなっても、この子だけは絶対に私の隣にいてくれる。それが解っているのに。

 それだけが、救いなのに…。

 

「消えろ初霜」

 

 それなのに…。

 

「…え?」

 

 足音が、止まる。

 

「消えろ」

 

 初霜の心が揺れる。手に取るようにわかる。

 何故だ初霜…。

 

「は、初霜は日向様の、お側に」

 

 何故お前は、どこまでも私を追い詰める。

 

「お前に守られる価値などあるか。この私に」

 

 声が震えるのは、全身の震えを抑えているからだ。

 

「日向様には、戦艦の未来を担う志がございます。この初霜…」

 

「お前の期待も憧れも!全部、全部重荷だ!」

 

「日向様!」

 

 初霜が、一歩近づく。

 その一歩にどれだけの勇気が含まれているのか。

 

「五月蝿い」

 

 その勇気を、私は一蹴した。

 

「【日向】!」

 

 ああ、初霜。お前は本当に。

 急に、大声を、出すんじゃない…。

 

「目障りなんだよっ!【初霜】!」

 

 ああ、早く。

 早く早く早く。

 

 足音が遠ざかっていく。

 足音が、遠ざかってく。

 愛しき足音が、遠ざかっていく。

 

 もうあの足音を聞きながら海辺を歩けないのかと思うと…。

 辛くて、辛くて。

 

 声を殺して、泣いた。

 

 

 遠くの空で、一機の飛行機が高く尾を引いている。

 立ち上る雲が長く、長く青空を二つに分けた。

 

 

 




前篇終了
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中章【かけらをあつめて】
【いもうとと】


 じゃあ、今日から『日向様』。

 

 はぁ?

 

 決めました。今日から『日向様』です。

 

 私は、伊勢のようにはなれないよ。

 

 私は『日向様』に『伊勢様』を重ねている訳ではありません。

 

 …。

 

 私は…いや、この初霜は日向様に一生お仕えする所存でございます。

 

 おいおい…。

 

 この身に変えても、お守り致します。

 

 わかった。わかったよ…『初霜』。

 

 

 これで私たちは、

 

 

 死ぬまで戦える。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「初霜と日向がケンカぁ?」

 

 重巡洋艦「加古」は読んでいた文庫本から顔を上げると、かけていた読書用のメガネを手の中に握りこんだ。

 消灯前の巡洋艦寮のひと部屋。二畳半しかない『医療』の狭い自室に、三人の艦娘が寿司詰め状態で顔を突き合わしていた。狭いベッドの上で加古が膝を抱え、駆逐艦「江風」がベッドの残りのスペースに身を広げる。行き場のない軽巡洋艦「神通」は床の上に座り込んで、ベッドに肘をついていた。

 

「マジだって。あの初霜が、旦那の背中に「殺すぞっ!」って…」

 

「言ってないです。「日向っ!」て大声で。でもすごい剣幕でした」

 

 二人は興奮冷めやらぬといった様子で、先ほど廊下で盗み見した様子を話し続けた。

 事の起こりは特別出撃で休憩がずれ込んだ神通に、江風が誘いの声をかけた所からであった。神通は船渠に戻る前に資料室に寄って行くと言い、その帰りに日向と初霜の一連の騒動に立ち会ったのだ。

 

 日向の背中に詰め寄る初霜。

 二人の言い争いと、日向の激昂。

 初霜の涙。

 走り去る初霜とすれ違ったが、彼女はこちらに気付く様子もなく廊下の角に消えていった。

 

 加古は二人の話の大よそを把握すると、大して興味もなさそうに再び読みかけの本に視線を落とした。

 

「まあ二人もいい歳だし、ずっと姉妹仲良くって訳にも行かないんじゃない?」

 

 その言葉に江風が目を細める。神通も寝そべっていた頭をゆっくりと持ちあげた。

 

「姉妹?伊勢型の日向(ダンナ)と初春型の初霜が?」

 

 訝しげに語る江風にならって、隣の神通も興味深そうな視線を加古へ向けた。少女は本から視線を上げずに答えた。

 

「あの二人は艦娘になる前からの血縁なんだよ」

 

 二人は目を丸くする。

 降って湧いたその新事実は、すっかり盛り上がったていた二人にとって絶好の燃料であった。

 

「とても気づきませんでした…」

 

「はえー、にてねー姉妹(きょうだい)

 

 各々の感想で盛り上がる二人に対して、加古は「若いねぇ」と小さくため息をついた。

 

「意地っ張りで信念を曲げない所なんかそっくりだと思うがね」

 

 もともと初霜と日向は横須賀の中ではかなり古参な船である。二人の仲の良さを普段から目にしている者達でも、二人が実の姉妹だと知る者は少なかったはずだ。

 

「二人とも示し合わせる事も無く艦娘になって、偶然同じ鎮守府に配属になったんだ。着任して半年間お互いを知らなかったってんだから傑作だよ」

 

 言葉とは裏腹に加古は淡々と語る。それに江風は納得いかなそうに眉をハの次に歪めた。わざとらしく手のひらを天井へ向ける。

 

「あれが姉妹ねぇ?姉と妹で「日向様」ってか?」

 

 からかうようなその口調に、加古は活字を追う目をわずかに細めた。

 

「それこそお前たちが首を突っ込むような問題じゃないと思うけどね。そこら辺の事情は初霜本人に聞きな」

 

「だから初霜さん、あんなに気を落としらっしゃったのですね」

 

 黙って話を聞いていた神通のふとした呟きに、江風も加古も言葉を止めた。

 しばしの沈黙を生んだのが自分の一言だと気が付くと、神通は少し驚いたように身をすくめた。

 

「落ち込んでた?初霜がか?」

 

 神通は肩を縮めたまま、首だけ大きく頷いた。

 

「ええ。日向さんに「初霜っ!」って拒絶されたとき、何か…そう、裏切られたような沈んだ眼をしていました。次の瞬間、堰を切ったように泣き出してしまって」

 

「言っとくが、二人を仲直りさせようなんて考えるなよ」

 

 二人とも加古へ視線を向ける。江風は首をかしげて難色を示した。

 

「なンでさ?みんなでパーッと騒げば旦那の機嫌だって良くなるさ」

 

「さっきから首突っ込むなっつってんだろ!あんなに仲の良かった二人の問題なんだ。藪から棒につつくと()()()()()()のカミナリが落ちるよ」

 

 加古に一括され、江風は大げさに肩を落とした。いじけたように唇を尖らせる。

 

「まあ、旦那は怒ると怖そうだけどさ」

 

「旦那。そう、旦那もね」

 

 一瞬加古の瞳が泳ぎ、何事もなかったかのようにまた活字を追い始める。

 

「…姉御、様子が変だぜ?」

 

「いいから、余計な口出しするんじゃないよ!」

 

 加古は無理矢理話を打ち切り、結局その日はお開きとなった。

 



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【なつのひ】

 私達は姉妹である事を捨てたんだ。

 

 私達は「日向様」と「初霜」になったんだ。

 

 伊勢が居なくなったあの日。雨が降りやまなかったあの日。みんな死んだあの日。私達は「対等」になったんだ。血の繋がりを捨て、命を賭して戦う為に。

 

 でも、それでも。

 

 もし貴女が私を呼んだ時。その時はいつでも、私は貴女の「お姉ちゃん」に戻るから。

 

 だから…『私を呼んで』

 

 

 

 

 

「お姉ちゃん、か…」

 

 日向は中庭のベンチでひとりごちた。

 

 結局司令室での別れから初霜には会っていない。会いたくもなかったが、何より会えなかった。胃を痛めながら食堂に顔を出してみた事もあったが、いつものウェイトレスの姿はない。伊良湖曰く「なんか辞めて大変困っている」との事。会話中に厳しすぎる視線を向けられていた為、大方の事情は察しているようだ。

 

 私はと言えば、観艦式までの残り少ない時間をただ無為に過ごしていた。演習を諦めている訳でも、解体を受け入れている訳でもない。

 

 ただ、初霜の事ばかり考えていた。

 

 「離れてみて大事さがわかる」なんて稚拙な事を言うつもりもないが、初霜の事にふと考えが及ぶと何をする気にもならなくなってしまうのだった。あの日以来初霜に会えない事もそれに拍車をかけているのだろう。

 せめて初霜が私の側を離れ、誰かと仲良くやっているのなら気もまぎれる。しかし、以前付き合っていた誰もが初霜の姿を見ていないというのだから謎だ。

 

 今でも目を瞑るとあの足音が聞こえてくる気がする。

 私の後に続く、あの足音が。

 

 ほら、今日もまた…。

 

 脳裏に響く土を踏む音。幻の中の足音は、徐々に私に近づいてくる。パキンと木の枝を踏んだ時に、やっと幻でないと気が付いた。

 

「浮かない顔だねぇ、大将」

 

「…加古か」

 

 目を開けると見慣れた寝癖頭が目の前にあった。

 ベンチに寄りかかって空を見上げるその眼前に、覗き込むように首を伸ばしている。以前誰かにこんなことをされたような気がするが、うまく思い出せなかった。

 

「初霜にフられたんだって?」

 

「フったんだ。勘違いするな」

 

 加古は背もたれに手をついて、日向の隣に腰を下ろした。

 

「何にしろいつも側にあるもんが、急に見えないと心地が悪いもんさ」

 

「…ふん」

 

 「何をしに来たんだ」とは聞かなかった。邪険にするような間柄でも無かったし、気は立っていたが本心ではきっと誰かと話がしたかったのであろう。

 

 そのまま二人は何も言わずにいた。

 声の代わりに波の音だけが聞こえる。日向は再び目をつむり空を仰いだ。

 

「観艦式の、演習はどうすんの?」

 

 沈黙に耐え兼ねたかのように加古が切り出す。隣に座る日向は目をつむったまま答えた。

 

「…どこまで聞いている?」

 

 驚くべき事ではなかった。

 丁嵐に大隊旗艦を言い渡された後、鎮守府全体に大演習の詳細が告知されたのだ。演目の時間や当日のスケジュール。そして各大隊旗艦の名も。

 

「どこまでって、旦那が航空戦艦の【お披露目】をするって」

 

 今年の大一番に航空戦艦が見世物にされるのは周知の事実であった。

 

「…そうか」

 

 日向は軽く息を吐いて目を開けた。広がる青い空は、忌々(いまいま)しいほどに高く澄み切っていた。その横顔を不安そうに見つめる加古が、小さな声でぼそりと呟いた。

 

「あたしを、つれていっちゃあくれないか?」

 

「なんだと」

 

 驚いて頭を上げると、加古のまっすぐな瞳と目があった。

 

「艦隊が決まってないんだろ。あたしを重巡の枠に入れておくれよ」

 

 艦隊旗艦は提督の指名によって決定するが、艦隊編成は旗艦の自由に任されている。榛名と金剛の部隊に限っては、その類では無いようだが。

 

 加古は胸をたたき懇願するが、向けられた瞳の奥は言い様の無い不安に揺れている。自分を奮い立たせてはいるが、声の端が無意識に震えるのを隠せているとはとても言えないありさまであった。日向は首を横に振った。

 

「…だめだ。お前は「医療」が長い。昔の勘が戻っているわけでもないだろう」

 

 無理を推した出撃は甚大な事故につながりかねない。何より加古の様子を見るに、自分に自信があって出撃を望んでいるとはとても思えなかった。

 

「ただの【お披露目】じゃないんだな。勝たなきゃならない【勝負】なんだな」

 

 加古の瞳の色が変わった。日向はそれに気づかぬふりをして続けた。

 

「【決戦】だ」

 

 言葉の重みに、深い沈黙が広がる。その中で加古は日向が直接語らぬ何かに気付いたようだった。

 

「初霜には?」

 

「言える訳がない」

 

 即答する日向に、加古は苦笑した。

 

「たまには甘えなよ」

 

「初霜にはいい薬さ。あいつは「いい気」になってるんだ。私の悩みも苦しみも、全部ひっくるめて肩代わりすれば、私が自由に飛べると思っているんだ」

 

 日向が笑う。

 二人は気付いていなかった。

 

 重く、自らの生き死にの話をした後でさえ、初霜の名を口にすると自然に頬が綻んでいる事に。二人は気付く事はない。

 おそらく、永遠に。

 

「初霜は、本当に旦那が戦艦の新時代を切り開くと信じてるよ」

 

 加古の声に沿うように、一陣の風が舞い上がった。

 

「…」

 

 揺れる夏草を眺めながら、日向は再び目をつむった。

 

 風に乗ってこすれる葉の音に、過去の自分を想起させる。色褪せ、風化した過去。愚かで稚拙で未熟で、純粋で強かった自分。

 

 

『よく聞け初霜』

 

『はいっ!』

 

『この鎮守府で戦艦の新時代を築き上げる』

 

『私と、お前でだ!』

 

 

「旦那、初霜は…」

 

 日向は目をつむったまま手を挙げた。加古の言葉を遮るように伸ばしたそれを、小さく左右に振る。

 

「わかってる」

 

 ずっとあの少女といたのだ。

 そこまで、もうろくしちゃあいない。

 しかし…。

 

「わかっているさ…」

 

 吹きすさんでいた風は、いつの間にか降り注ぐ光の中に溶けている。凪いだ風と焦げた大地が、迫り来る夏の季節を感じさせた。

 



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【かわいいひと】

「重巡の枠が決まったらあたしに教えてください。そいつから力ずくでもぎ取ってやりますから」

 

 加古はそう言って医療の仕事に戻って行った。

 

 加古が所属する「医療」は軍が所有する緊急医療チームの事である。正式名称「軍事医療情報技師第二部隊」。医療は直接負傷者を助けに出撃する現場部隊であり、負傷者の搬送やとっさの応急処置を担当する。大がかりな手術や特殊な薬品を扱うものが第一部隊。彼らは「医師」と呼ばれる。艦娘の健康管理や維持は第三部隊の仕事で、彼らは「医事」と呼ばれている。

 医療は軍医部隊の中でも最も行動的で、戦線を離れたが体力を持て余している元艦娘が務める事が多い。千歳は医師の所属だが、チームの命令で動いている訳ではなく、「技師」と呼ばれる艤装管理者達と艦娘とをつなぐ仲介役を主な仕事としている。

 

 対して日向は仕事が無かった。

 いや、演習大隊旗艦というこれ以上ない大役があるのだが、緊急出撃から帰投した今、早急に対応を求められる任務などは負っていなかった。

 

「腹減ったな…」

 

 だらしなくおっぴろげた腹をなでる。

 最近ずっとこの繰り返しだ。

 昼間の間は陽向でぼうと過ごし、朝なのか昼なのかよくわからない食事をとりながら、一日のスケジュールを考える。

 ぼんやりと演習の事を考えながら食堂へ向かう。

 元初霜の職場だが、今彼女がいない事がわかっている。むしろ他の場所よりも偶然出会う事が無くて気が楽だった。

 

 時間はちょうど12時を回ったところだ。モーニングは終わっているが、昼食にはまだ早い。観艦式前で忙しい鎮守府なら人は少ない時間だ。

 

 暖簾をくぐると、早速給仕をしていた伊良湖にじろりとねめつけられる。それを軽くかわしてカウンターへ。中で調理を担当していたのは日向の思いもしない人物であった。

 割烹着を来た大柄な少女が、カレーの大鍋を覗き込んでいる。その背中に向け、カウンターに肘を置いて声をかけた。

 

「比叡」

 

「なっ!」

 

 熱心にカレーと向き合っていた女性は、日向の声に気付くと大仰な動作で振り返る。割烹着に包まれていても目立つ長い脚。スポーツ選手のような研ぎ澄まされたスタイルを持つ彼女の名は「比叡」。高速戦艦姉妹の次女。榛名の姉にあたる艦娘だ。

 彼女は全身割烹着姿の恋女房スタイル(命名江風)で、ご自慢のツンツン髪は丁寧に三角巾で包まれていた。

 

「出やがりましたね、日向コノヤロー!」

 

 比叡は日向に向き直るなり、手に持っていたおたまを勢いよく突き付けてきた。飛び散ったカレーが周囲に散乱する。

 

「貴女にふるまうカレーは無いわ!帰りなさい!この鉄クズ」

 

 早々な物言いに、日向は腹が立つどころか困惑の色を見せた。それでも、彼女がどうやら自分を嫌っているという事だけはわかった。

 

 鉄クズ、鉄クズね。榛名に言われ慣れてるからな、もう憤りを感じる事も無いさ。(なん)にもね…。

 

 日向は冷静な頭で努めて紳士的に口を開いた。

 

「食い殺すぞ雑魚…」

 

「ヒエッ…」

 

 一瞬にして比叡の顔が青ざめる。

 ぷるぷる震えるおたまの先をかろうじで抑えて、気を取り直したように、フッとニヒルに笑った。

 

「な・ん・てー。ビビる訳無いじゃん、ビビる訳無いじゃん、ビビる訳無いじゃーん。バーカ!アホ!死ね!帰れ、帰りなさい!シッシッ!」

 

「お姉様うるせぇ」

 

「げぇっ!榛名」

 

 気が付けば、自分の隣にトレーを持った榛名が並んでいた。

 比叡は榛名の顔を見ると、すぐさま口撃の照準を自分の妹艦に定めた。

 

「何しに来たのよあんたっ!」

 

「何しにって…、そりゃあアンタの不味いカレー食べに来たのよ」

 

 比叡は怒りにまかせて持っていたおたまを激しく上下させた。

 

「不味くないもん、不味くないもん、不味くないもーん。そんな事言う榛名は霧島の作るよくわからないヌードルでも食べて一生おなか壊してろバァーカ!」

 

「ハラワタ食い散らかすぞ豚が…」

 

「ヒエエッ…」

 

 青ざめた比叡がおたまを抱きしめながらぶるぶると震えている。

 

 なるほど。

 どうやら金剛型の二番艦は、妹である三番艦とは似て非なる性格の持ち主のようである。

 

「あら、大隊演習旗艦殿。早退組は暇でいいわね」

 

 一通り遊んで満足したのか、榛名が思い出したかのように日向に矛先を向ける。普段ならすぐカッとなる日向であったが、先ほどのやり取りを見ていたせいか頭は驚くほど冷静であった。

 

「暇なのはお互い様だろう。大隊演習〝副〟艦殿」

 

「ぐぎ」

 

 榛名が奥歯を噛み締める。

 彼女の事だから「自分がお姉様の上に立つなんて~」などと言い出すかと思ったが、どうやら演習の『副艦』に任命されたのが腹に据えかねているらしい。敵とはいえ相手方の『旗艦様』相手に大きく出れないのも彼女の苛立ちに拍車をかけていた。

 

 珍しく榛名を言い負かした快感に浸っていると、突如どこか懐かしい方向から声をかけられた。

 

「鉄クズっぽい。鉄クズひゅうがっぽい!」

 

 突如向けられた中傷に、びきびきと日向の顔面が歪む。声のした方―榛名の足もと―を見ると、初めて見るちんちくりんが榛名の背中にしがみついて顔を覗かせていた。

 

 長い金髪を左右に跳ねた髪型。血のように真っ赤な瞳が、興味深そうに日向を見上げていた。

 

「なんだ、その無駄に躾の行き届いた犬コロは」

 

 榛名は日向の声には答えず、さっさとカレーを受け取って踵を返した。

 

「行くわよ、夕立」

 

「むぎー、ハルナ待つっぽいー」

 

 夕立と呼ばれた少女はカレーを受け取って足早に榛名の背中を追う。まるで左右に振られる尻尾でも見えそうなその後ろ姿は、どこかあの初霜を思わせた。

 

「ぽい」

 

 榛名がテーブルに着いたあたりで、犬の足が止まる。そして、ふいと日向の方を振り返った。ルビーのような赤い瞳に、金色の髪がかかる。まるで宝石のように美しい少女だった。

 

 べー。

 

 日向に見せつけるように舌を出す。いや、実際見せつけているんだろう。日向が軽くにらみを利かせると、速足に榛名の下へ帰って行った。

 

 前言撤回。

 初霜の方が100倍可愛い。

 



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【「きずな」のかけら】

  

 日向は比叡から脅し取るようにカレーを奪い取ると、スプーンを取って海岸線の見える窓際の席に陣取った。カレーを一杯すくって口へ。なるほど不味い。

 まず水っぽくて味が薄い。匂いはカレーなのだが、嫌にさらさらしていて味が無い。それにしては異様にスパイシーで、舌の先がひりひりと痺れた。

 自分の後ろからは「このカレー不味いっぽい」「黙って食べなさい」などと、短いやりとりが聞こえる。

 

 昼食を楽しむことを諦めた日向は、スプーンをおいて食堂の大型スクリーンに目を向けた。出撃中の艦隊を映し出すそれは、特別出撃が終わった今は正面で行われている観艦式のオープニングセレモニーの練習の様子を映し出していた。

 艦娘達が画面いっぱいに映し出される。艦隊戦ではあり得ないような複雑な隊列を組んだ艦娘達が、何重も絡み合い海面に見事な紋様を映し出している。

 艦隊は右に左にたくみに舵を取る。尾を引く航跡と缶に搭載したライトの光が、見る者に幻想的なイメージを抱かせた。

 

(この視点だと一見ばらばらな艦隊が、絶妙なバランスで列を維持しているのがわかる。逆に紋様は美しく整っているように見えても、各艦隊ごとに左右のわずかなブレや主機の回転数の違いでとっさの行動に遅れが出ているものもある)

 

 ぼんやりとスクリーンを眺めながら、日向はポツリとつぶやいた。

 

「この食堂から指揮が取れれば、艦隊運動の幅も広がりそうだな」

 

 何の深い考えもなく、ただ口をついて出た言葉。そこに意味も意図も意思も無く、頭に思ったまま、口をつくまま、垂れ流すまま。

 ぼうとただ画面を眺める。縦横無尽に動く艦娘達。彼女たちが衝突しないで航行を続けられるのは、事前に組まれた航路に沿って決められた動きを繰り返しているからだ。戦場ではああはいかない、目標の無い航海の向かう先は衝突と轟沈。

 

 しかし…。

 

「この食堂から指揮が取れれば、艦隊運動の幅も広がりそうだな」

 

 脳裏をちらつく。その言葉、その意味。

 

「この食堂から指揮が取れれば、艦隊運動の幅も広がりそうだな」

 

 艦隊運動と、隊列。航路と目標。

 

「この食堂から指揮が取れれば」

 

「この食堂から」

 

 これは、まるで…。

 

「榛名の陣」

 

艦載機運用特化(キャリアー)

 

「次世代の艦娘の戦い方」

 

「瑞雲」

 

「着弾観測」

 

「イージスシステム」

 

「「索敵」「情報処理」「攻撃」の三つの要素」

 

 そして…。

 

「中飛車」

 

 息をのむ。

 世界が止まってしまったかのように、あたりがしんと静まり返った。

 

 全てが今、繋がった。

 



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【「かなしみ」のかけら】

「以上のシフトで当日は警戒に当たる。気合い入れてけ「医療」!観艦式当日は35℃の猛暑だぞ!駆逐艦ばったばった倒れるからな!」

 

 班長が鉄製の足場を歩きながら、大声を響かせる。コーンコーンという足音を頭上に聞きながら、ほかのメンバーは設備準備や当日の出し物である「医療スペシャルドリンク」の調整にいそしんでいた。

 

 医療で前線を張る加古は当日の制服の準備をしながら、倉庫中央に張り出してあるスケジュール表を覗き込んだ。

 

「ちぇ、あたしはドリンクの配布係と、陸での【哨戒】か。少しは遊べるかと思ったが今年は気合入ってんなぁ」

 

 倉庫の冷たい床に座り込んで、リュックの中に応急処置セットや栄養ドリンク、塗り薬などを詰め込む。表に大きな赤字で「医療」と書かれたリュックサックは、彼女たちの制服であった。当日はこれを背負って【哨戒】に向かう。もちろん敵艦を偵察するのではなく、イベントの中で体調がすぐれない人やけが人を探すのだ。

 

 愚痴を吐きながら準備を進める加古の背中でシャッター音が響く。加古はわざと気づかないフリをして、黙々と作業を続けた。

 

「ハァ~イ、かっこ」

 

 しびれを切らしてカメラの主が声をかけてくる。小豆色の髪をポニーテールでまとめた、活発そうな少女である。少女は加古の正面に回ると、作業中の加古の顔を再びファインダーに収めた。

 

「なんだよ青葉。お前は観艦式の宣伝部長だろうが、こんな所で油売ってねぇで仕事しろ」

 

 重巡洋艦「青葉」は青葉型の1番艦。改古鷹型とも呼べる彼女は、加古が普段からよく付き合っている艦娘(ふね)の一人だ。

 彼女の所属は「情報管理課」。直接戦闘には参加せずに共有情報の伝達や、戦果集計報告を仕事としている。さらに全重巡洋艦に配布されている「重巡だより」の執筆者でもある。

 いつもスクープを求めて走り回っている彼女は今、観艦式の新情報集めでてんてこ舞いなはずだ。

 

「またまた~、とぼけちゃって。今日は逃がしませんからね」

 

 よくわからない事を言いながら仕事中の顔を撮られる。薄暗い倉庫の中だからか、フラッシュが異様にまぶしかった。

 

「うるっさいなぁ、あたしこれから搬送訓練あるんだから、衣笠にも言っといて、今日忙しいから!」

 

「ほえ?本当にご存じないんですか?観艦式の公開演習。日向隊の面子が発表されたのですよ?」

 

 ぴくりと加古の肩が跳ねる。まさか、旦那に直談判までしたのがバレたか。医療に籍を置くアタシが前線に戻りたがってるなんて記事にされれば、最高に居心地が悪い。つーか旦那結論早すぎだろ!ちったあ考えろよ!地味に悲しいよ!

 それでも露骨にアクションを返せば青葉の思うつぼだ。加古は深く息を吐きながら肩の力を抜き、何事もない風を装って言葉を返した。

 

「ふーん、それで?」

 

 努めて冷静、クール、一切の動揺無く、冷静沈着。さすがあの姉、この妹。

 必死に無表情を装う加古の努力をよそに、青葉は何でも無い様に言い放った。

 

「重巡枠ですよ、アナタ」

 

 青葉は加古の胸に指を突き立てて、にっこりと笑った

 



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【「けつい」のかけら】

「まてまてまてまてまてまてまてまてぇ!」

 

 加古は大声を張り上げながら、いつもの桟橋に走りこんできた。加古と江風が将棋をし、神通のつたない訓練の一部始終を見守ってきたあの桟橋だ。ついでに言えば、日向が何気なく足を運び続けたベンチもこの側にある。

 

 そこに「全員」が集まっていた。

 紙に名を書かれた、全員が。

 

 加古は桟橋に駆け込むと、先に来ていた者の背中をつかみ、ぜーぜーと肩で息をした。その手には紙切れが握られている。紙には「公開演習艦隊割」と銘打たれ、その第一に日向の名前が達筆で綴られている。その次、次点に続く「副艦」に名を連ねるのは間違いなく加古の名前である。

 

 加古は呼吸を整えようともせず、かすれた声で話し始めた。

 

「あたしは、確かに、艦隊に加わりたいと言った。言ったよ!だがな、なぜここに神通の名前があるんだ!こいつはまだ戦えるような体じゃない。あたしは反対だ!」

 

 加古が掴んだ手をぐいと寄せる。先に桟橋に立っていた神通は、加古に服を引かれてわたわたとのけぞった。

 

「わ、私が志願したのです。演習の出撃割を見て、日向さんにお声掛けしたのです」

 

 加古は神通の肩をつかんで無理矢理自分の方へ体を向かせた。両肩を支え、その瞳を覗き込む。

 

「どういうつもりだよ!自分がどういう状態か、わかって無い訳じゃないだろう!?」

 

 神通はおびえることなく、まっすぐに加古の視線を受け止めた。その輝きにむしろ加古の方がたじろぐ。決意と意志を備えた眼差し。戦士の瞳。

 

「私が、【川内型】だからです」

 

「…なんだって?」

 

 加古の疑問には日向が答えた。

 

「…川内の為に戦うか」

 

 日向の呟きに、神通は無言でうなずいた。

 

「出撃割?って、相手側の?川内が入ってるのか」

 

 川内はかつて軽巡一と謳われたトップエース。五十鈴に最強の名を譲っても、今回の演習に選ばれて不思議ではない。しかし…。

 

「川内は、先の攻勢作戦で負傷してたはずじゃ…。間違いないぜ、曳航したのはあたしの班だったはずだ」

 

「直前まで「医師」にかかってバケツ被って、後から演習に参加するそうです」

 

 バケツとは、艦娘用高速修復剤の事。艦娘の切り札である。

 緑色の粘性のある液体であるそれは、艦娘の筋肉を司る強化細胞に反応し、急激な心身代謝を促して傷の修復を早める。分類上は薬品として扱われるが、医療や医師の管轄ではなく、技師達の立会いのもと「装備」として使用される決まりがあった。

 肉体に対する負担が大きすぎるバケツの使用を軍医達は推奨していない。つまりはそういう事だ。外傷の連続的な修復は内臓に多大なダメージを与え、度を越えた連続使用がショック死を起こす事例も上がっている。

 諸刃の剣。しかし、その即効性から戦果を求める艦娘の間では使用の申請が後を絶たなかった。

 

「そんなん無茶だ、危険すぎるぜ」

 

「だから無茶しているんです!」

 

 神通は怒気を強めて言った。

 

「私がこんな体になって、那珂も攻勢作戦時(いま)動ける状態に無い!かつて軽巡に川内型ありと謳われた栄誉や誇りは、現在姉さんの無茶の下に成り立っているのです」

 

「しかし軽巡には今「長良の天才様」が」

 

 日向の言葉に、神通は力強く頷いた。

 

「軽巡の強さも誇りも、そんなもの本当は重要じゃないんです。でもそんな言葉に素直に納得する(ひと)じゃありません。自分の命を燃やしてでも、この演習で軽巡最強の勝ち名乗りを上げるつもりなんです。その働き、灯滅せんとして光を増す。そうしたくありません」

 

 両手を握り締め、グローブが軋んだ音を立てる。決意と熱が、静かに全身に広がる。これが、あの気弱な神通の背中なのか。

 

「姉さんを止める為なら。この神通、また鬼にも成りましょう」

 

 彼女の意志は強く。どこまでも清い。

 



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【「わかれ」と「いじ」のかけら】

「で、その長良のお嬢様もご一緒ってわけか」

 

 突然話題を振られた名取は、びくりと肩をすくめて後ずさった。

 軽巡洋艦「名取」も、紙に名を書かれた一人。表舞台に出る事を避ける彼女には、この場は実に不釣合いだ。

 てっきり紙に名を書かれた事に萎縮しているかと思ったが、その瞳には戸惑いこそあれ、この人選を拒む気持ちは無い様だった。

 

「私も…か、変わりたかったんです!その、神通さんが、あんなに辛い思いをなさっていたのに…その、こうやって立ち上がって、それで、私も。あ、あの、別にその、大それた事を考えている訳じゃないんですけど、で、でも…!」

 

「ンが~っ!もう、まどろっこしいなぁアンタは!」

 

 名取の横に並んでいた江風が突然その腕を取った。目を丸くする名取を無視して強引にその手を引き、強く背中を押す。桟橋の真ん中に投げ出された名取は、全員の視線を受けてごくりとつばを飲み込んだ。

 

「私…、お役に立ちたい。戦って、勝ちたいんです。皆と、自分のために。だから日向さんに…」

 

 助けを乞う様に日向を見上げる。それを受けて日向は優しく目を細めた。

 

「お前が一番最初に私の所に来たんだ。「自分を勝たせてくれ」ってな。こんなずうずうしいお嬢様だとは思わなかったよ」

 

 日向に肩に手を置かれ、名取は少し恥ずかしそうに頬を染めた。

 そんな名取の様子を見て満足げにしている江風に、加古が声をかけた。

 

「江の字、お前も存外付き合いがいいな」 

 

「アタシも旦那に声かけさせてもらったンさ。この江風様やられっぱなしは気に食わンのよ。あの榛名ってのには一発くれてやらンと気が収まらねぇ!」

 

 バシンと手のひらを叩く。熱意と敵意に燃える江風の瞳は、この中の誰よりも力に満ちていた。

 

 この中で唯一、こいつは具体的な勝利のヴィジョンを原動力にしている。その矛先が自分より何倍も巨大な戦艦であるという事にも怯まずに、自らの意思でこの部隊に志願した。

 

「あたしだけじゃなかったんだな…」

 

 小さくもらした独り言。それを聞き流してくれるほど、ここに集まった面子は甘くは無い。

 

「その調子じゃ姉御も旦那に声かけてたンで?」

 

「しまった」と加古の顔が引きつる。

 

「いや、まあ…いいじゃねぇかそんな事」

 

「私達には「口出すな」とか言っておいて、やっぱりお二人が心配だったんですね」

 

 隣立った神通が、小さく笑みを隠す。そこに名取が続いた。

 

「か、加古さんが来るの、分かってたら、もっと簡単にお膳立てできたね」

 

 二人の心配?お膳立て?

 

「おい、お前ら何の…」

 

 気がついて、加古は言葉を止めた。 

 皆で日向に声をかけたもうひとつの理由。四人で日向を囲んで、演習艦隊を組ませる。

 艦隊は全部で6隻。加古、江風、神通、名取、そして日向。

 

 つまりあと一人、日向は誰かを選ばなくてはならないのだ。

 

 かけがえの無い、誰かを。

 



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【「ほこり」のかけら】

 公開された「公開演習艦隊割」に綴られた名前は5名。旗艦「日向」、副艦「加古」、雷撃艦「神通」、砲撃艦「名取」、水雷駆逐艦「江風」。

 観艦式の公開演習での編成は艦娘6隻と決められている。これは、艦隊戦において最も効率がいい「六艦編隊」に基づいた、訓練としてのルールである。

 

 皆が持つ紙には最後の6隻目が空欄になっている。その最後の行を指先でなぞり、加古は間延びした声を上げた。

 

「んでー、最後の一人はどうするんで?どうやら駆逐艦が足りて無いようですが?」

 

「ぐ」

 

 日向が顔をしかめる。

 

「はー、どっかにいい駆逐艦はいないかねぇ。律儀で義理堅くてさぁ、信頼できるチビはいないもンかね?」

 

「ぐぐ」

 

「日向さんと仲がいい方などはいらっしゃらないのでしょうか?」

 

「ぐぐぐ」

 

「か、可愛い子がいいなぁ」

 

「名取、お前まで…」

 

 全員の視線が桟橋の先端に立つ日向に注がれる。押し迫るプレッシャーに気圧され、日向は大きくため息をついた。肩を落とし、人差し指を立てて額を押さえた。

 

「わかったよ」

 

 その一言で全員の表情が花開く。渋く目元を捻じ曲げているのは日向唯一人だ。

 

「言っておくが、私から呼べた義理では無いというのは全員承知という事でいいな!それをわかった上で私に「やれ」と言っているんだな!」

 

 その念押しに、その場にいた全員が沸く。

「はやくやれー」だの「ちゃんとごめんなさいしてください」だの「会いたいくせに」だの言いたい放題言いやがって。貴様らこの為に志願したんじゃなかろうな!

 

 日向は全身の力を抜いて、大きく、大きく息をつく。空気の変化を感じたのか、騒ぎ立てていた全員も口をつぐんだ。しんと静まり返った桟橋の上で、自分の心臓の音だけが嫌なくらい大きく聞こえた。

 

 今から呼ぶぞ、お前の名を。どこにいても、どれだけ遠くにいても、お前の耳に届くように。お前は、どこにいたってきっとこの声を聞いてくれる。それを聞いてお前がここに来てくれるかはわからないが…、いや。

 

 再度肺の中の空気を入れ替える。冷たい空気に反して、全身はこれでもかと熱く煮えたぎっていた。

 

 信じるぞ!私たちの絆が疑いに陰る事など無い事を。来る。絶対に来る。来い、私の所に。来い、来い、来い、来い来い来い来い来い来いこいこいこいこい、こおおおおおおおいっ!

 

 

「はつしもおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!!!!!!!!!!」

 

 

 話は変わるが、この日観測された津波は最大4mを記録した。荒れる大波は近海を哨戒していた駆逐隊を転覆させ、医療の緊急出動を要した。観測隊記録に長く謎として残ったこの大津波。その最大の疑問点は、津波が海の中のとある1点から360度全方位に広がるように発生したという点である。ついで、この津波と共に謎の怒声を聞いたというものもいるが関係性は不明である。

 以上の例を見て、此度の津波は深海棲艦の新兵器の可能性もあると見て警戒を高めている。

 

 今後長く鎮守府七不思議として名を連ねる事になる日向の「雄たけび」は、発声から5分以上続いた。この雄たけびを最も近くで聞いていた4隻の艦娘は、その間まるでハリケーンに立ち向かうかのごとく桟橋にしがみついていなければならなかった。

 

 嵐が止んだとき、桟橋の上には空を見つめる日向と、膝を突いて肩で息をする4隻の艦娘達がいた。各々がよろよろと立ち上がり、周りを見回す。あたり一帯はまるで周囲の生物が全て死滅してしまったかの如く静寂に包まれていた。

 

「…来ませんね」

 

 30秒ほどして、誰かがそう言った。

 皆が胸の奥底に可能性を感じつつ、決して言葉にはしなかった事。鎮守府から誰かが来る気配、それがまるで無い。小さな足音も、まだ届かない。

 

 加古は恐る恐る日向を見上げた。日向は難しい顔をして空を見上げている。その胸中は、加古にはとても計り知れない。

 「何か」が起こってほしかった。この静寂を崩す「何か」が。加古の心の底のこのわだかまりを崩す「何か」が。

 

 そして「何か」は、底から現れた。

 心の底ではなく、皆が立つ桟橋の底から。

 

 ざばぁっ、と海の中から白い手が飛び出した。

 

 その細腕は、桟橋の木片をがっしと掴み、その全身を海底から露にした。黒い塊は桟橋の上を転がると、日向の足元でぶるぶると体を震わせた。

 

「ひゅうがさ、げっほおえ、初霜はここに」

 

 初霜だった。

 

「初霜!なぜ海の中に!?」

 

 駆け寄って手を伸ばす。

 よろよろと立ちあがった初霜は、子犬のようにぶるぶると身を震わせて水滴を払った。

 

「げっほげほ。いや、日向様が桟橋に向かわれるようでしたので。身近でお守りするならやはり海の下かと」

 

「なんという根性、見上げた女だ!天晴れ初霜!」

 

 握り拳を震わせながら目頭を熱くする日向。向かい合う初霜はまるで勲章でも授けられたかのように、誇らしげな顔で胸を張っていた。

 

「ツッこめよっ!」

 

 加古の叫びは、熱狂する二人を除く全員の総意であった。

 



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【かけらをあつめて】

 

「初霜」

 

「日向様」

 

「初霜!」

 

「日向様!」

 

「はつしもぉ!」

 

「ひゅうがさまっ!」

 

 日向が膝を突き、強く初霜を抱きしめる。初霜も両腕を回して日向の服を握り締めた。

 

「ずっと、私のそばにいてくれたのだな」

 

 腕に力がこもる。初霜も、小さな掌で日向の道着を強くつかんだ。

 

「勿論です。日向様が「目障りだ」と仰られたので、普段は目につかない方が良いかと思ったのです」

 

「初霜、お前というやつは…」

 

 ますます力をこめる日向に反し、初霜は小さく制して体を離した。一歩後ずさり、日向を見上げた。

 

「日向様。大隊演習旗艦の任、おめでとうございます」

 

 鋭く踵をそろえる。

 

「お伝えするのが遅れて、申し訳ございません」

 

 立ち上がった日向は、まっすぐに初霜の言葉を受け止める。そして、意思も感情も全てを押さえ込んで言った。

 

「大隊旗艦として駆逐艦「初霜」に命ずる」

 

 ピンと張った空気が二人を包む。ゆっくりと深呼吸して続けた。

 

「お前は私の盾であれ。ずっとそばで、私を守れ」

 

「その言葉、心よりお待ちしておりました」

 

「そして…」

 

 日向の腰が折れる。大隊旗艦はなりを潜め、今度は戦艦日向として向かい合う。

 

「ごめん」

 

 深く頭を下げた。

 初霜は、何も言わなかった。

 しばらくの間、ただそうしていた。異様な空気であったが、居心地は悪くなかった。

 日向が顔を上げたとき、その表情は再び艦隊旗艦のそれに戻っていた。

 

「今度は、私がお前の刃になる。お前の敵は、私が切る」

 

 揺るがぬ決意は、刀のように鋭く強い。

 

永遠(とわ)に私と共にあれ。刀折れ、この膝を折る事になろうとも。死血の荒波を掻き分けて死線を共にあれ。お前の魂を私に分けてくれ。私と一緒に、死んでくれ」

 

 初霜はゆっくりと首を横にふった。

 

「永久に貴女を御守り致します。刀折れれば刃となり、膝をつけば貴女の足になりましょう。私の死血を踏みしめて死線を越えてください。私の命を糧にして。私の分まで生きてください」

 

 揺るがぬ決意は、盾のように固く重い。

 

「それが私の、いや…」

 

 言葉を切る。

 駆逐艦ではなく、姉妹としての言葉。その、本当の決意。

 

「『妹を守る』。それが、姉としての初霜の誓いです」

 

 この日、艦娘史上初の航空戦艦部隊が誕生した。最後に名を連ねた駆逐艦は「誇り」の中に、自分の闘いを見出した。

 

 決意と悲しみと、別れと意地と、誇りと絆の艦隊。

 小さな欠片たちが寄り集まった艦隊は、暗雲を裂き光の航路を航行(はし)る。後に「雷雲戦隊」と呼ばれる6人の少女がここに集結した。

 




中章終了

次話おまけ


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【おねいちゃんと】―立ち上る雲おまけ―

おまけ【おねいちゃんと】

 

 

「きれいに収まったとこ悪いンだけどさ、ちょっとアタシの耳がおかしい」

 

 桟橋の上で風を感じながら、江風が切り出した。初霜が合流し、全員が共に戦うと誓い合った直後の事だ。

 

「どうしたい江の字?少し風が冷たいか」

 

 振り向く加古。江風は「いんや」と加古を制し、桟橋の先に立つ初霜と日向を指さした。

 

「二人は姉妹。ンで、旦那が姉」

 

 指の先が日向へ向く。指さされた日向は、とんでもないとでも言いたげに首を横に振った。

 

「私が妹だ」

 

「姉は?」

 

「はいっ!」

 

 初霜が大きく手を上げる。ピンと伸びた指の先は日向の顔にもかかっていなかった。

 

「…お前ら身長差いくつ?」

 

日&初「「39cm」」

 

「ハモるな」

 

 頭痛を覚え始めた頭に指の腹をこすり付ける。イヤ、変だと思うのはアタシだけか?マジで?

 わずかに目線を上げて他のメンバーを仰ぎ見る。江風の様に驚きを表出す者はいないが、神通は早くも初霜から一歩距離を取り、隣の名取は顔を真っ青に染め上げている。

 

「二人とも、歳の差は?」

 

 一人平然としている加古がそう問いかける。

 そうだぜ、あの容姿で初霜が年上ってのはありえんだろう。一歳差だと言われても、とてもじゃないが納得はできない。

 

「初霜が2つお姉さんなのです」

 

 ぐらりと頭が揺れる。次元が歪んでいる。何がどうなってやがるンだいったい。ふらつく頭で再度加古の顔が視界に入る。得意げに江風を見下ろすその表情に、江風はさっと血の気が引くのを感じた。

 

「初霜は、鎮守府で同い年は誰だい?」

 

 やめろっ…!その質問は…!

 そう叫びたいが、かすれて声が出ない。

 初霜は聞かれるまま、実に素直な笑顔でそれに答えた。

 

「初霜は、金剛さんの一つ上で…千歳さんと同い年なのです!」

 

 がぐんっと膝から崩れ落ちる。

 驚いた初霜が駆けてきて、江風の手を取った。だらんと力なくうなだれる全身に渾身の力を籠め、かろうじて頭を上げた。

 

「す、すいやせン。は…」

 

 唇が、からからに乾いていた。

 

「『初霜さん』」

 

 全員の見る目が少し変わった、そんな、初霜25才の夏。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おまけ2【らいうんせんたい】

 

「私達、名前はどうしましょうか?」

 

 食堂で偶然顔を合わせた艦隊一同。せっかくだからテーブルを共にしようと集まった席の真ん中で、神通がそう提案した。全員が顔を合わせる中、最後に席に着いた日向がうんと、頷いた。

 

「部隊名か」

 

 日向、初霜、加古、名取、神通、江風。全員をまとめて一部隊とする場合、演習登録の際に名前が必要になる。水雷戦隊やら航空戦隊やら、要するにそういうやつだ。

 

「相手方は?」

 

 ジュースのストローを咥えながら、江風がもらす。それに日向が答えた。

 

「横須賀第一大戦隊だそうだ。御大層な事だな」

 

 うへ、と加古が舌を出す。

 よく恥ずかしげもなくそんな名前を掲げられるものだ。

 

「『大日向様艦隊』にしましょう!」

 

 全員分のお冷を準備していた初霜が、テーブルの外からぐいと身を乗り出す。テーブルの上にべったりと腹をつけ、うつ伏せに寝転がる。その背中をみんなしてぺちぺちと叩いた。

 

「却下」

 

 初霜の提案はあっけなく破棄される。「さっさと仕事に戻れ」と頭を押され、初霜は不服そうにエプロンの裾を整えた。全員分の水をくみ終えると、そそくさとカウンターへ帰って行く。皆と合流してから、初霜は再び食堂でのウエイトレスの仕事に戻っていた。

 

「航空戦艦隊?」

 

 加古の提案に、江風が唸る。

 

「もう一声欲しいぜ」

 

「じゃあ、航空戦隊」

 

「一航戦か何かかよ?」

 

「瑞雲艦隊」

 

「おい」

 

「採用」

 

「おいぃ!」

 

 自分勝手に話し始める一同を落ち着けるように、神通が「ぱん」とグローブに包まれた手を打った。全員が神通の顔を見たのを確認し、彼女はゆっくりと話し始めた。

 

「では…」

 

 目を開けて、一同を見回す。

 

「『雷雲艦隊』で如何でしょう」

 

 しん、とあたりが静まりかえる。全員が全員、その名前を噛み締め、自分なりの考えを巡らせているようだ。しばしの沈黙の後、名取が手を挙げた。

 

「水雷+瑞雲?」

 

 神通はゆっくりとうなずく。

 

「ですが、それだけではありません。雲を駆り、一撃必殺の水雷を撃ち込む。疾風迅雷を司る雷雲は私たちにふさわしい名前ではないですか?」

 

「異議なーし」

 

 江風が間延びした声を上げる。それに同調するように、全員が頷いた。

 

「決まり…だな」

 

「日向様艦隊はどうなりましたか?」

 

 香ばしいカレーのにおいと共に、再び初霜がテーブルを訪れた。手に持ったトレイには全員分のカレーの皿が敷き詰められている。それを手際よくテーブルの端から並べ始めた。

 

「『雷雲戦隊』だ。身に刻んでおけよ初霜、お前が背負う名だ」

 

「すばらしい、では今日はお祝いですね。我ら雷雲戦隊に」

 

 皿を配り終えると、エプロンを外して自分も席に着く。

 

「おい、初霜。これ…」

 

 全員が配られたカレーを見て訝しげに眼を細める。その中で日向だけが、やれやれとため息をついた。

 

「それは、サービスです」

 

 初霜はそう言いながら、嬉しそうに巨大なちくわ天にかぶりついた。

 

 




明日の更新から横須賀の提督「丁嵐誠一」と、呉の提督「松崎城酔」が登場する、立ち上る雲「外伝」が始まります。


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外伝1【屍山の二人】
【壱】東龍西虎


   

 閉め切った部屋の中に、外の喧噪がすきま風の様に入り込んでくる。大勢の足音、ざわめき、人々の小さなつぶやき。それらが大きなうねりになって、周囲を色めき立たせていた。

 

 今日から観艦式が始まる。

 

 横須賀の提督「丁嵐誠一(あたらしせいいち)」は、思考に入り込んでくる雑音が煩わしくてカーテンを閉めた。窓の外は祭りの準備の艦娘達でごった返している。あるものは出店を立て、あるものはチラシを配り、またあるものは早くも始まる前の出し物に列を作っている。他の鎮守府(よそ)の艦娘も集まり、今の横須賀は普段の10倍近い人口密度に膨れ上がっていた。

 

 その様に丁嵐は忌々しげに舌を打つ。

 お祭りは好きだ。華やかで騒がしくて、あたりがキラキラと輝いている。低俗で喧しくても、この日特有の空気に沸き立つ艦娘達を眺めるのが好きだった。護国の責を背負う彼女たちがその戒めを忘れ、まるで年相応の少女のようにふるまうのを見ているのが好きだった。

 もちろん、頭を悩ませる小五月蠅い官僚どもがいなければの話だが。

 

 一息ついて礼装用のワイシャツのカフスをしめる。襟を立ててカラーを整え、赤みがかった髪を襟の外へ、指先の香水の匂いをかぎながらホックをとめた。

閉じたカーテンの隙間から、潜水艦たちが楽しそうに走り回っているのが見える。それに対し、わずかに目を細めた。

 

「鼠が紛れ込んでるのね…」

 

 呟きながら、部屋の隅で時を刻む巨大な柱時計に目を向けた。時刻は朝の八時。当初の予定時刻だが、先方から少々遅れると連絡を受けている。

 

 改めて部屋の中を見回す。今回の会合をセッティングする前に、部屋のチェックはすべて完了していた。

 壁紙は2日前にすべて張り替えている。薄いピンクを基調とした壁紙に、ロココをイメージした花のデザインが散りばめられている。テーブルとチェアはいつものお気に入りの物であるが、今日に合わせて革の張り替えを行っている。部屋に合わせた特注の装飾は、丁嵐の専属であり軍外のデザイナーに特別に発注していた。

 

 部屋の模様替えをした際に出てきた盗聴器は4つ。花瓶の裏と窓サッシの奥、執務机の足とソファーの中。もちろん丁嵐が設置したものではない。

 外部の者がこの部屋に侵入したのか、しかしそれにしては設置場所が安直な気がする。まるで、部屋に立ち寄ったついでにアタシの目を盗んでちょいと置いていったような…。

 だとすれば身内。いや、攻勢作戦の際に派遣されたものの中にスパイがいたと考えるのが自然だ。

 あの時派遣されたのは対空用の駆逐艦と偵察用の潜水艦。所属は舞鶴のはずだが、所属を偽るのはやつらの常套手段、鵜呑みになどできない。

 盗聴器は今もそのままにしてある。偽りの情報を流す事もできるし、回収しに来たスパイを締め上げる事もできる。そして何より自分は絶対にボロを出さないという自信があった。

 

 机に置かれた電話が鳴る。取ったのは秘書艦の古鷹だ。

 

「こちら司令室。はい…はい、わかりました」

 

 短く答えて受話器を置く。そして、合図するように丁嵐に視線を向けた。

 

松崎城酔(まつざきじょうすい)少将がいらっしゃいました」

 

 

 東と西の将官の面会。

 これの意味する所。それは観艦式へ向けた懇談会等とはほど遠い、派閥間の熾烈な正面衝突に他ならなかった。

 

「大島派」と「敷島派」に代表される兵器開発部門の二分化。

 

 科学的新開発を謳い、前衛的で危険な実験を繰り返す「大島派」。筆頭の大島信康博士は、深海棲艦の装甲を転用した「特装」を初めとする数々の前衛的な試みを繰り返してきた。中には深海棲艦の肉体を生身の人間に移植するような、非道徳的研究に携わっていたという噂すら存在する。

 

 反する「敷島派」の筆頭、敷島月雄技術大佐。彼は古き日本軍の再現と進化に執着し、日本刀などの旧世代兵器を現代兵器として再現する試みを続けてきた。その結果生まれた「深滅兵装」の一部は伊勢型や天龍型の基礎武装として一定の成果を上げている。

 

 二つの派閥は競い合うようにして互いを高めている訳だが、予算や設備には当然の如く限りがある。必然的に二つの派閥は攻撃的になり、兵器開発部にとどまらぬ軍の二大派閥と化した。

 派閥のシンパは多けれど、表立って派閥を代表するものは少ない。誰だっていらぬ危険は冒したくないものだ。現在派閥に属する将官はたった二人。それが大島派の松崎と敷島派の丁嵐であった。

 

 丁嵐ははじかれたように壁から背を離し、部屋を出る。それに古鷹も続いた。内線は一階の管理室からかかってきている。つまりもう正面入り口までやってきているという事だ。

 駆け足で階段を下り、一階への踊り場で足を止めた。階段の下から見上げる人影。軍服に身を包んだ長身の男。呉の提督「松崎城酔」。

 

 階段の下にひょろりと背の高い男が立っていた。礼式用の軍服を身にまとい、長い前髪から右の瞳だけで丁嵐を見上げていた。

 松崎は丁嵐と目が合うと、似合わない軍帽の下に蛇のような薄ら笑いを浮かべた。開いているのかわからない細い目から覗く妖しい瞳は、心の中を覗き込まれそうなほど深く虚ろに濁っている。そして、顔半分を覆う灰のように白い髪。それはまるで…。

 

「深海棲艦…」

 

 古鷹が思わず呟いた。男の笑みはますます深く、おぞましく歪む。

 不快、不安。まるで世界中の負の感情を寄せ集めたような幽鬼の表情(かお)は、嘘みたいに白々しくその「笑み」の中に収まっていた。青白い唇から息がこぼれる。

 

「お久しぶりです。丁嵐少将」

 

 男の声は、身を凍らせるほどに冷たい。深海の底から囁いてくるようなその響きに、古鷹はごくりとつばを飲み込んだ。

 丁嵐の口がゆっくりと開く、両手を広げてまくしたてた。

 

「キャー!ホントに城君!?やだやだやだもう、KA・WA・I・I!」

 

 階段を駆け下りて松崎の横に立つ。両手をつかんでぶんぶんと上下に振ると、松崎は苦しそうに肩をすくめた。

 

「じょ、城君はやめてくださいよ丁嵐少将。私ももう学生では無いんですから」

 

 松崎がたじろぐ。自分より長身の大男にこうも振り回されては当然の反応と言えるが。

 

「も~、相変わらずお固いんだから。前みたいに誠って呼んで呼んで呼んで(ぷりぷり)」

 

(まこと)さん(はぁと)」

 

「イヤん!もうっ、色男!アタシの部屋にいらしてちょうだい。城君の為にケーキつくってるのよ。甘いの好きでしょ?今日は逃がさないからねっ!」

 

 こうして血で血を洗う論争の幕は、大男の黄色い声により開かれた。

 




「松崎城酔」のキャラクターは「僕と久保」様作、「艦隊これくしょん―木漏れ日の守護者―」からお借りしています。
本編↓
http://www.pixiv.net/series.php?id=693268


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【弐】敵陣闊歩

   

 丁嵐に連れられ、松崎とお付きの巡洋艦「大淀」は長い廊下に足音を響かせていた。外の喧騒に比べ、建物の中はとても静かだ。人の気配もなく、ただ自分たちの足音だけが響く。

 

「皆出払っちゃってるのよ。なにせこのお祭り騒ぎでしょ。貴方たちも後で見ていってちょうだいね」

 

 丁嵐が白い軍服をなびかせながら、後ろに続く二人に告げる。松崎はしらじらしいほどの笑みでそれに返した。

 

「ええ、ぜひそうさせて頂きます」

 

 大淀は自分の大将の肝の太さに、呆れたように眼鏡を押さえる。そのまま手をおろし、スカートの上から太ももに固定した銃の感触を確認した。ボディチェックもされないとは意外だった。

 

 横須賀の丁嵐誠一。

 話ではかなり大胆かつ狡猾な男だと聞いている。ド派手なオカマ野郎というイメージは、彼を本質を実に巧妙に覆い隠していると言えるだろう。

 丁嵐は敷島派の筆頭将官でありながら、去年の観艦式での対立派閥に関する左官暗殺の疑いがかけられていた。事件の顛末としては当時の将官が殺人教唆で連行されているが、その後釜に座った丁嵐こそが真の首謀者だというのが上の考えだ。

 

「どうぞ、入ってちょうだい」

 

 ひときわ大きな扉を潜ると、眼前に広がる光景に大淀は絶句した。

 

(うっわ…)

 

 扉の上に「司令室」と書かれたその部屋は、大淀の見慣れている司令室とは似ても似つかぬ代物であった。

 壁一面に花柄の壁紙。部屋の一角には高級そうなソファーにガラス張りのテーブルが置かれている。今回の会談用に準備されたと思われるテーブルとチェアーは、一目でそれとわかるほどのヴィンテージ品。壁際のシェルフにも凝った装飾が施されており、そこに並ぶティーセットの照り返しを受けてまるで宝石箱の様に輝いている。窓際のバー、並ぶワイン。風になびくカーテンですら高級品に見えてくる。部屋の隅の柱時計が、それを肯定するかのごとく物々しく鳴いた。

 

「この部屋も相変わらずですねぇ」

 

 松崎が漏らす。その言葉に、ここまでずっと押し黙っていた古鷹が口を開いた。

 

「松崎少将は、丁嵐提督とお知り合いなのですか?」

 

 松崎は一瞬丁嵐の方へ目を向けるが、丁嵐は小さく笑ってシェルフのティーカップを選んでいる。それを肯定と受け取ったのか、松崎は古鷹に向き直り話し始めた。

 

「ええ。私が元陸軍(おかもの)だというのは伺っていますか?私が海軍(うみ)に来た時に、誠さんの下にお世話になっていたのです」

 

「3ヶ月くらいの間だけどね。その後は、ねぇ?」

 

 カップを両手に丁嵐が微笑みかける。松崎もそれに頷いて返した。

 

「それはお互いに」

 

 視線を合わせ、微笑みあう。

 二人の間に漂う雰囲気は旧友か、まさに戦友と言った感じだ。自分の提督にそんな相手がいるなんて、互いの秘書艦すらも知らない事であった。

 

「懐かしいわねぇ。もう5年になるかしら」

 

 ティーカップを取り出して、テーブルに並べ始める。

 

「8年になります」

 

「あらごめんなさい。座って。ほら、古鷹も」

 

 丁嵐が思い出したかのように用意されたテーブルへ一堂を促す。松崎が最初に腰を下ろし、その隣に大淀が座った。最後までカップを並べるのを手伝っていた古鷹も、丁嵐にせかされて大淀の向かいに座った。

 

「城君は紅茶かしら、それとも珈琲?」

 

「珈琲でお願いします」

 

「お嬢さんは?」

 

「え、ああ、では同じものを」

 

 自分の事を言われたのだと気付き、大淀が背筋を伸ばす。その様を見て丁嵐は小さく微笑んだ。

 

「こちら私の秘書艦をして頂いています、大淀さんです」

 

 松崎に紹介され、大淀は頭を下げる。

 

「呉鎮守府、秘書艦の大淀です」

 

「ふふ、かわいらしいお嬢さんね。城君は迷惑かけてない?」

 

 その問いかけに、大淀は即答した。

 

「提督はいつもめちゃくちゃな事ばかり仰るので気が休まりません」

 

「そんな事は無いでしょう」

 

 松崎の抗議を無視して、大淀はすました様に顔を背ける。呉の提督を勤める松崎であるが、その破天荒な作戦と、ひと癖もふた癖もある艦娘達は海軍内において提督本人の名前よりよほど有名なのであった。

 




「松崎城酔」のキャラクターは「僕と久保」様作、「艦隊これくしょん―木漏れ日の守護者―」からお借りしています。
本編↓
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【参】妖精賛歌

 丁嵐は気苦労の多そうなメガネの秘書艦と、その向かいで退屈そうに話を聞いている自分の秘書艦とを見比べた。

 

「このコは古鷹。アタシの秘書艦。怖がらなくても噛み付いたりしないわ」

 

 古鷹が小さく頭を下げる。

 そんなやり取りをしている間に、丁嵐はシェルフの下からドリッパーと真っ黒な瓶を取り出した。瓶は不透明で中が見えないが、流れ落ちる砂のような音からどうやら砕いた珈琲豆のようだった。

 

「古鷹もたまには珈琲にする?」

 

「頂きます」

 

 そう言って古鷹がサーバーとドリッパーの合わせ目を手で押さえた。布製のフィルターに粉を入れようとしていた丁嵐が、それを見て苦笑する。

 

「アタシにも格好つけさせてよ」

 

「いえ、提督はいつも豆をこぼされるので…」

 

「恥ずかしいじゃない、もう」

 

 古鷹の抑えたフィルターの中に丁嵐が砕いた豆を注いでいく。

 提督と秘書艦の微笑ましい光景。そう見える。この二人が、軍人(みうち)殺しの反逆者であるという事実に目を瞑れば。

 大淀は出かかった舌打ちを噛み殺して、苦々しくその光景を見つめていた。

 異様、異質、悪質で醜悪。吐き気がする茶番。何もかも()()()()だ。この部屋も、このお茶会も、丁嵐も、そして…。

 

 古鷹(コイツ)

 

(今目の前にいるコイツが軍人殺しの実行犯。丁嵐が黒かろうが白かろうが、コイツが直接手を下したのは紛れもない事実)

 

「冷めないうちにどうぞ」

 

 松崎と大淀、そして古鷹の前にカップが置かれる。最後に自分のカップを持って丁嵐が席に着いた。

 コーヒーを淹れる所はもちろんチェック済みだ。怪しい動きは無かった。私たちのコーヒーにだけ何かを入れるようなしぐさも、ここから見る分には問題なかったはずだ。しかし、カップそのものに細工がされていた可能性などはわからない。

 大淀が思案していると、テーブルの中央にふわりと一枚のハンカチが置かれた。レースがひらひらと喧しい、とても男物とは思えないハンカチ。取り出した本人の丁嵐は、それを薄く広げた。

 彼の指がハンカチの上に置かれ、ゆっくりと離れる。ハンカチの上に残ったのは砂糖で形作られた「妖精さん」の人形だった。

 

「か、可愛い。高価(たか)そう…」

 

 大淀の素直な意見がこぼれる。それに丁嵐は困ったように笑った。

 

「大したものじゃないのよ。鎮守府(うち)で作ったものなんだから」

 

「しょ、少将がご自分で作られたのですか!?」

 

 小さく手を振ってそれを否定する。

 

「まさか、妖精達が作ってるのよ。シュガードールって、アタシが元々こういうのが好きだったからかしらね。妖精(あのコ)達がマネして量産するようになったのよ。お蔭で今時の軟な軍人にはウケが良くて助かるわ」

 

 そう言いながら砂糖人形を並べていき、話し終わる頃にはずらりと20体ほどの妖精がテーブルの上でポーズをとっていた。人形の服装はひとつひとつに違いがあり、ディフォルメのきいた表情や動きはとってもキュートだ。

 大淀はまるでショーケースの中の宝石を眺めるように、キラキラと目を輝かせた。

 

「あの妖精にこんな繊細な作業をさせるなんて…」

 

「妖精達は好き勝手やってるだけよ。彼女たちは「技術の神様」なんだから、「芸術の神様」にもなれるとアタシは思ってるわ」

 

 そう語る丁嵐の表情からは妖精達への慈しみが感じられる。軍が利用している妖精に対し、あくまでも神聖なものとして扱うその精神は軍人としては特異な物だといえる。反して、正面に座っていた松崎はあくまで現実的だった。

 

「妖精さんの制御ですか…。誠さんは根っからの「提督」ですねぇ」

 

「何よそれ、嫌味のつもり?」

 

 鎮守府の「作業」を行う技術者たち。その実動隊とも呼べるのが「妖精」である。身長10cm程度の人型のそれは、人外の生物であり、人知の及ばぬ「上位」の存在であると定義されている。記録では深海棲艦よりずっと昔から地球上に存在していたとされる「神」の片鱗である。

 妖精たちは人外の技を用いて、「創造」と「制御」を行う。深海棲艦という敵性生物が現れた時に、真っ先に人間が目をつけたのが妖精であった。妖精の技術力を使って深海棲艦と戦わせようとしたのだ。しかしその計画は失敗に終わる事になる。

 妖精たちは人間の命令を聞く事が無い。彼女たちは自らの能力を自らの望むように使うだけだ。それが兵器製造であれ、飛行機の操縦であれ、彼らは人間の命令に従って動く事は無かった。

 

 その代りとして「仲介役」が作られた。人間と妖精の中間の存在。すなわち「艦娘」と呼ばれる人間兵器。人間と上位の存在とを掛け合わせたハイブリット。その完成の為に表に出せぬ裏の実験が何度も繰り返された。軍部の二大派閥のどちらもが技術者達の系統を源流とするのは、つまる所こういう理由が大きい。

 「妖精の制御」こそ、今の海軍に求められた最終目的であった。

 もちろんこれは、とびきりなスピリチュアル思考を持つ「大島派」の意見であるという事だけはつけ加えておく。

 

「いやあ、可愛いらしいですねえ」

 

 並べられた妖精をつまみあげて松崎がつぶやく。そして言葉とは裏腹に、何の惜しげもなくそれをコーヒーの中に放り込んだ。人形が熱に溶け、カップの中で体が二つに砕ける。その姿が完全に溶けきる前に、松崎は新たな人形をつまみあげて、折り重なるように投下した。

 

「ちょ、提督…」

 

 大淀の制止も聞かず、松崎は次々と人形をコーヒーに溶かしていく。10秒もしないうちにテーブルの上を彩っていた妖精たちは、黒い泥水に浮かぶ泡粒へと代わってしまった。溶けきらなかった砂糖の塊がコーヒーの上に白い幕として浮かんでいた。それを美味そうに喉に流し込む。

 

「こんの男…」

 

 眉をしかめる大淀に対し、丁嵐は気に留めた様子もなくコーヒーに口をつけていた。

 




「松崎城酔」のキャラクターは「僕と久保」様作、「艦隊これくしょん―木漏れ日の守護者―」からお借りしています。
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【肆】艦娘制御

  

「いいのよ、とっておいても仕方がないんだもの」

 

 丁嵐の柔らかい物腰に、大淀はなんだか萎縮してしまう。これでは本当にティーパーティーにお邪魔したみたいだ。熾烈な派閥争いとは何だったのか、これは本気で楽しまないともったいない気がしてきた。

 

 目の前に置かれたコーヒーに視線を落とす。漂ってくる香ばしい匂いは、大淀の下手な疑心暗鬼を溶かすのに十分な魅力を携えていた。そっと口をつけ、少量を口に含む。

 

「おいしい…」

 

 ほっと芳醇なため息をついて、全身の緊張が解けた。カップを両手で包み込む。暑い夏の日だというのに、暖かくやさしいコーヒーの味が全身に染み渡った。

 

「これはいい、とてもよい豆ですね」

 

(提督の飲んでいる()()は、少将の淹れてくださったものとは一切何の関係性も無い汚水と化している気がするのですがそれは)

 

 何か言いたげな大淀を無視して、松崎は窓の外へ視線を向けた。

 夏の濃い日差しの下で、少女達の活気のいい声が響いてくる。観艦式の開始はまで、あと一時間ほどだ。準備は大詰め、おのずと活を入れる声にも力が入る。

 

「横須賀の観艦式は良いですねぇ。元気があって、皆さん働かれている姿もイキイキしてらっしゃいます」

 

 松崎の言葉を受けて、大淀もカップを置いて視線を外に移した。古鷹も両手を膝の上に置いて耳を澄ませる。丁嵐は唯一人、窓に背を向けてカップに口をつけていた。

 

「こんな時期に観艦式だなんて、呑気なものよ。ついこの間まで身を張って出撃してたっていうのに」

 

 丁嵐が不満げに言った。カップの底にたまった砂糖を器用にスプーンですくいながら、松崎が話をあわせた。

 

「北ですね、横須賀の金剛さんが敵旗艦を沈められたとか」

 

「彼女は護国の英雄よ。ただの小娘でも、ましてや兵器でもない。それが式典の場で称えられることさえ無く、あまつさえ宴の見世物にされるなんて」

 

「不愉快だわ」と毒づく。

 

 此度の作戦で金剛がたてた武勲は「敵補給隊殲滅」と「敵旗艦轟沈」。どちらも作戦に大きく食い込む大武功だ。しかし当の金剛に大本営からの通達等は無く、丁嵐(アタシ)に届いた書状はと言えば「大隊演習に金剛を使え」だ。まったく彼奴らの正気を疑う。

 

「他の艦娘()だってそう。防衛の荷を背負わされながら、無知なる大衆を演じさせられる屈辱。ハラワタが煮えくりかえるわ」

 

 苛立ちを隠そうともしないその声に、松崎は冷静に答えた。

 

「兵器には兵器の矜持があります。命を懸けて戦わされ、例え道具の様に捨てられようとも。自分達の行いが未来をほんの少しでも動かす「力」になれると信じられれば、守りたい「誰か」の為に戦えるのですよ」

 

 言いながら、松崎は黙々と舌の上で砂糖を転がしている。その姿をちらと覗き見て、丁嵐は呆れたように笑った。

 

「城君が言うと重みが違うわね」

 

「影として生きてきた私が失ったものなど、たかが知れています」

 

「でも」と松崎が顔を上げた。

 命を懸けて戦わされ、道具のように捨てられた男。矜持を全うしたその表情(かお)は、しかし厚い笑みの仮面に覆われていた。

 

「彼女達はまだ若い。死を覚悟して(ここ)へ来た私達と同じ目線で考えろと言う方が難しいでしょう。でも無理をしてでも艦娘を増やし、戦わなくてはならないのもまた事実。その為に観艦式(これ)は必要です。彼女達はきっと重苦しい勲章を渡されるより、仲間内で褒め称え合い笑い合う方がよほど心の支えになるでしょうからね」

 

 松崎は視線をそらして、それきり話を打ち切った。

 

 お嬢様方のご機嫌取りをして、おててつないで死線に送り込む。天才科学者達が何年も研鑚を繰り返して導き出したこの大正解。反吐が出るようなその計算式の符号の中に「提督」は含まれている。

 

 外からは少女達の楽しそうな声が聞こえてくる。

 アタシはこの後彼女達に「この前の攻勢作戦で大勢死傷者が出たけど、今日はそんな事も忘れて盛り上がりましょう。イェーイ!みんな明日死ぬかもしれないけ・ど・ネ☆」と演説をしにいかなければならないのだ。

 

 実に気が重い。

 「妖精たちの制御」と言う言葉の意味。こんなにも間近に自分の行動と直結しているのか。初めて実感したわ、クソが。

 




「松崎城酔」のキャラクターは「僕と久保」様作、「艦隊これくしょん―木漏れ日の守護者―」からお借りしています。
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【伍】山羊将官

      

「古鷹、ケーキを取ってきて頂戴」

 

 コーヒーのおかわりを注ぎながら丁嵐が古鷹に命じた。古鷹は小さく頷くと、丁嵐の後ろを抜けて隣の部屋に消えていく。大淀がチラと覗いた部屋の中は、どうやら業務外の私室のようである。

 丁嵐は全員分のカップをふたたび満たすと、元いた椅子へ腰を下ろす。カップを傾けながら扉が完全に閉じたのを確認すると、タイミングを計ったかのように口を開いた。

 

瓦谷(かわらや)の刑が確定したのね」

 

「ご存知でしたか」

 

 神妙な面持ちで語る丁嵐に、松崎は表情を動かさずに答えた。

 

「途中経過は知らされてたわ、書類でだけどね。でも結局裁判には一度も顔を出させてもらえなかった」

 

 深い息を吐く丁嵐の横顔を、大淀は小さくのぞき見る。

 

 瓦谷永世(かわらやえいせい)はかつての東の少将。去年の観艦式で西の左官殺しを古鷹に命じたとして、「表向き」の罪を問われた人物である。彼は事件当日にこの横須賀鎮守府との通話記録が残っており、それこそが古鷹に殺人を指示した証拠だとして憲兵が捜査に乗り出した。その後、彼のデスクから兵器開発科の派閥外秘資料や深海棲艦研究の兵器転用指示書などが見つかり、彼はスパイ容疑で身柄を拘束された。その後も、事前に古鷹に指示を与えていたと思われる通話の録音やデータのやり取りが見つかり、裁判はとんとん拍子に進んでいる状態だ。彼は今、着実に執行に向かっている。

 

「当事者のあなたが座って結果を待つだけなんて、不服でしょうねぇ?」

 

 おかわりのコーヒーの中に追加の砂糖を溶かしながら、松崎が問うた。

 

 丁嵐は事件当日は基地指令として観艦式の切り盛りを行っていた。しかし事件そのものとの関係性は認められず、結局罪に問われる事は無かった。西側も「敷島派」の筆頭将官である瓦谷の首根っこを掴んだ手前、真実はともかく騒ぎを無駄に大きくしたくなかったのだろう。下手に丁嵐に騒がれて、瓦谷に逃げられるくらいならと彼を放置したのである。せいぜい責任をとらされての左遷、誰しもがそう思っていた。

 

「あの事件の後「少将」になったアタシに、言える権利が無いのはわかってるけどね」

 

 事件当時「大佐」であった丁嵐は、大方の予想に反して事件直後に「少将」へと昇格した。もちろん敷島派、ひいては東の思惑である。筆頭将官である瓦谷を失った敷島派が、将官に穴を開けるのを嫌がったのだ。これは西も予想できなかった事だった。しかし丁嵐は急場の付け焼き刃であり、彼が西の脅威になるとはこの時誰も考えていなかった。

 

 そして現在に至る。

 丁嵐は昇格後、陸軍とのコネクションを使い、東の艦娘開発の増強を図りはじめた。海の妖精にばかり目を向けていた海軍を出し抜くかのごとく陸戦兵器の増強、そして現代兵器を基にした新たな深滅兵装の開発に着手した。技術者を源流とする敷島派は着々とその勢力を伸ばし、新兵器の開発に難航する大島派の大きく先を行くことになる。

 丁嵐は、今や瓦谷を大きく凌ぐ東の参謀長となっていた。

 

「誠さんには最近不振な事などは起こっていませんか?」

 

「アタシに?心配してくれてるのかしら?」

 

 驚いたというより、松崎を皮肉ったような笑みを丁嵐は向ける。松崎ももちろん笑みを持ってそれに返した。

 

「ええ、もちろん。瓦谷の執行まではまだ時間がありますからね。派閥の者もこれから本腰を入れて動いてくると思います。誠さんは同じ東の将官とはいえ、彼らがどんな「細工」をしてくるかわかりませんからねぇ」

 

「そうね……ろく、でもないものね、何処もかしこも」

 

「…」

 

 ピアスの穴を引っかきながら考え込む丁嵐は、しばしの沈黙の後に「あ」と小さく声を上げた。

 

「攻勢作戦の折に横須賀(うち)に来た娘達が怪しいわね」

 

「怪しい?」

 

 丁嵐はうなずく。そして大きな背中を丸めて、わざとらしく声を潜めて言った。

 

「だって舞鶴の控え艦娘達よ。舞鶴は怪しいわ、提督クラスですら所属を明かさないやつらばっかりだしね。大淀ちゃんも気をつけなさいよ。舞鶴の潜水艦よ」

 

 わっと両手の指を立てて大淀を襲うフリをする。話をふられた大淀は、コミカルな丁嵐の動きに苦笑して小さく肩をすくめた。

 

「舞鶴は駆逐艦の所属が多いですからね、急な入れ替わりがあっても隠蔽が容易、というのもありますね」

 

 うんうんと丁嵐がうなる。「舞鶴は怖いわー、うんうん」と一人で納得したように相槌を繰り返す。

 

「お待たせしました」

 

 そこへ隣の部屋から古鷹がお盆を持って帰ってきた。

 



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【陸】銀貨之耳

      

 手に持ったプレートに並んでいたのは、小さなカップケーキのような蒸し菓子である。小皿に取り分けられたそれを各人の前に並べていく。その所在は、まるで先代から仕える老年の召使いのように洗礼されていた。

 

「おお、プディングですね」

 

 松崎が目の前に置かれたケーキを見て声を色めかせる。

 全員の前に置かれたのは、お椀をひっくり返したような山形の蒸しケーキである。「プディング」という名称は蒸し料理全般に使われる名称であり、今目の前にあるものは一般に口にする所謂「カスタードプリン」とは大きく異なる。

 

「簡単なものでごめんなさいね」

 

 フォークを指先でつまみながら丁嵐が破顔する。

 どうやら丁嵐のお手製であるらしいケーキを大淀はまじまじと見つめた。ふんわりと蒸しあがった生地から、ココアを焦がしたような香りが漂ってくる。地味でコーティングなどはされていない簡素なケーキ。だが頂点に鎮座した生クリームが、ケーキ全体を引き締め、かなり「それっぽく」見せていた。

 

「遠慮なさらないで、どーぞ」

 

 大淀が勧められてフォークを手に取る。先端で表面をつつくと、あっさりと生地が破けて中のチョコレートが顔を出した。表面を崩しつつ、柔らかなチョコレートにそれを浸す。最後にわずかにクリームの白を添えて、フォークの上に積み重なった甘美な断層をまとめて口の中に放り込んだ。

 口の中に広がる甘みで、自然に頬が緩む。

 

(「ダイエットは明日から」ンッン~名言だな、これは)

 

 ひと噛みするたび、重なった甘さの層が凝縮されていく。生地そのものはしっとりとしていてクセが無く、濃いチョコレートの甘さが生地の食感を引き立てている。生クリームは見た目ほど甘くなく、生地とチョコレートの濃縮された甘みにやわらかな調和をもたらしていた。

 

「ふう」

 

 コーヒーを飲んで息をつく。妖精のシュガードールが無くなって残念!と思っていたが、ブラックは正解。口をすっきりさせて再びケーキと向き合う。フォークの先にクリームを乗せ、それだけをただ口に運ぶ。

 

(あれ…)

 

 甘い。甘いぞ。チョコレートと一緒に食べたときは濃厚なチョコに惑わされてあまり甘みを感じないが、クリームはクリームで甘い。つまり…。

 

(表面の生地とクリームを…っと)

 

 フォークで器用にクリームと生地の表面をすくい口へ。生地そのものの優しい甘みを、クリームがしっかりと支えている。チョコレートがないと生地のふわふわな噛み心地も味わえてより甘さを噛み締められる。

 でも、でもやはりチョコだ!

 開いたケーキの断面にフォークを突き刺し、すくいあげたチョコレートを口の中のクリームと混ぜ合わせる。

 

(糖分が、女を狂わせる…)

 

 気がつけばもうケーキの半分近くを食べ終わってしまっている。大淀はフォークを縦に、開いた断面の生地を上から削り取っていく。それを口に。これを溜飲したらコーヒーで一息ついて次は…。

 

 フォークを口に含んだまま、大淀が固まった。

 

 丁嵐、古鷹、松崎までもが柔らかな笑みでコチラを見つめている。硬直する大淀を眺め、楽しそうに丁嵐はカップを傾けた。

 

「お気に召してくれて嬉しいわ」

 

 ゆっくりと閉じた唇からフォークを抜き取りつつ、皿の上へ。三人の視線から目を背けつつ、赤くなった顔で下を向いた。

 もぐもぐと口だけを動かし、飲み込もうとした瞬間。カチリと下の歯に何かがぶつかった。硬い、金属のような「何か」だ。

 

 驚いて顔を上げる。舌先で押し出したそれを、口から出して指先でつまみ出した。

 「あら」丁嵐が声を上げる。大淀の手の中にあったのは、シルバーの硬貨。大淀の口の中、つまりケーキの中に入っていたのだ。50円玉ほどのサイズの銀貨の表面には、髪を上げた婦人の横顔が彫られている。

 

「ラッキーガールが誕生したわね」

 

 状況が読めず困惑する大淀に、隣の松崎がケーキをつつきながら説明した。

 

「プディングの中の6ペンス硬貨は幸運のおまじないなのです」

 

 山盛りのチョコレートをほおばりながら「あれはクリスマスプディングですがね」とつけたす。大淀は手の中のコインをどうしていいのかわからず、丁嵐に視線をよこした。

 

「幸せは肌身離さず持っておくものよ」

 

 丁嵐に促され、大淀はその銀貨を胸ポケットの中にしまいこんだ。ポケットの上から手のひらでそれを押さえ込む。その仕草を見届けて、松崎は皿の上に残ったクリームをすくいとって口に運んだ。

 

「そろそろお暇しましょうか」

 

 時計を見れば観艦式の開始までもう時間が無い。席を立った松崎を見て、大淀も急いで残りのケーキを胃に放り込んだ。松崎の敬礼に遅れて、もぐもぐと口を動かしながら大淀も敬礼する。答礼した丁嵐と古鷹は部屋の扉に手をかけて、流れるような動作で二人を見送った。

 

「この後は?」

 

「少し観艦式を見ていきます。航空戦艦も見ていきたいですし、後は例のポップコーンも」

 

「目ざといわね…」

 

 視線を合わせてニヤリと笑い合う。横須賀のポップコーンは今や提督たちの間ですらその存在を知らぬ者はいないようであった。

 

「どうも、ご馳走様でした」

 

 扉の反対側で大淀が頭を下げる。

 

「大淀ちゃんも、またいらっしゃい。今度は妖精達の砂糖工場を案内するわ」

 

「はい、是非」

 

 扉が閉まった後も、大淀はしばらく部屋の外で頭を下げたままだった。

 

 こうして、熾烈なる派閥間争いはその第一幕を閉じた。

 



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【漆】歪誠歪笑

    

「不公平です」

 

「どうしました?」

 

 司令室から戻る途中、階段を下りながら大淀は丁嵐達から別れて初めて言葉を発した。ふくらんだ両の頬は、実に可愛らしく彼女の感情を表している。

 

「古鷹さんの提督はあんなにカッコ良くて、芸術の素養もあってオシャレで背も高くて料理もお上手で細マッチョなのに、なんで私はこんな「妖怪の親玉」みたいな人の下で働かなきゃいけないんですか」

 

 大股で階段を下りる大淀に、後ろを歩く松崎は困ったように頬を引っかいた。

 

「大淀さん、盗聴器があるとはいえそんな練りに練った嫌味を言われても私は困ります」

 

「だいたい提督には呉の代表という自覚が足りていません!ああいう場ではもっと…」

 

 階段を降りきった所で大淀の足が止まる。くるりと振り返り、松崎を見上げた。松崎はそれを気に止めることなく、階段を降りて大淀の隣にならんだ。

 

「盗聴器?」

 

「気づいていなかったんですか、腑抜けていますねえ」

 

 やれやれと大淀の胸元を指差す。指の下にはあの6ペンス硬貨の固い感触が触れていた。それを取り出して手のひらに。硬貨の表面には女王か皇帝かと思われる女性の横顔が掘られている。いや…。

 

「これ、丁嵐少将ですか…」

 

 その横顔にはどこか見覚えがある。それもそのはず、たった今まで共にお茶をしていたのだ。

 

「あの人も大概趣味が良いですからねぇ、意趣返しのつもりなんでしょう」

 

「この会話も聞かれている?」

 

「今更腹の探り合いもないと思いますがね」

 

 松崎は大淀の手のひらからコインを摘み上げると、それをぽいと口の中に放り込んだ。奥歯の間にそれを挟み、顔を歪ませるほど強く力をこめる。バキバキと金属の表面が破ける音と、プラスチックを引きちぎるくぐもった音が響く。

 ぺろりと松崎が舌を出す。舌の上に乗っていたのは、細かな導線の束と小さな配電盤の部品を除かせる元硬貨の姿であった。

 

「では我々は観艦式の観光をして、ゆっくりと呉に帰るとしましょう。お疲れ様です、「丁嵐少将殿」」

 

 ゴミクズになった硬貨をつまみ上げ、トドメとばかりにそれを側にあった花瓶の中に投げ込む。水がはねる音を最後に、廊下はしんと静まり返った。

 

「もう話して大丈夫ですよ」

 

 まだ会話を聞かれているのではないかという大淀の不安を無視して、松崎がそう切り出した。靴の音を響かせながら、大淀はそれでも小さな声で話しはじめた。

 

「意趣返しという事は、こちらが仕掛けた盗聴器が気づかれてるんですか?」

 

「まあ十中八九。自分から瓦谷の事を切り出したのは、大方録音を意識しての事じゃないですか」

 

 古鷹にケーキを取らせに行った瞬間のあの喋り、あれは古鷹にボロを出させないためだったのだろうか。

 

「それで気が付いたんですね」

 

「それだけではありません」と松崎は自分の耳たぶを指先でつまんだ。

 

「丁嵐少将はピアスをしていなかったでしょう?」

 

「…はい?」

 

 急な話の方向転換に眉をひそめる。ピアスはして…いなかっただろうか?正直そこまで深く観察してはいなかった。しかしそれが盗聴器と何の関係があるのか。

 

「丁嵐少将は今日ピアスをしていませんでした。でもピアスの「穴」は開いていました。丁嵐少将のようなお人が、耳に開いた穴をそのままにしているなんて不思議だと思いませんか?」

 

 どうだろうか。そこまで異常な行為ではないだろうが、ただ確かにあそこまで徹底的にオシャレをする人なら観艦式程度ならピアスをつけたまま、もしくは外すのであれば穴を隠すくらいの事はするかもしれない。そのどちらもされていない、という事は…。

 

「ピアスをつけていたけど、何かの事情で一時的に外していた?それがヘッドフォンのようなものをつけていた跡だと?」

 

「それも我々が到着する直前まで」

 

 ピアスを付け直す暇すらなかったと考えればそういう事になる。直前まで機器のチェックやら何やらでヘッドフォンをつけていたのか、もしくは我々が部屋から出た瞬間に音を拾えるように事前にピアスを外していたのか。

 

「盗聴器を仕掛けた人物(スパイ)には気付くでしょうか」

 

 事前に舞鶴を通して忍ばせた呉の潜水艦達。彼女達は松崎直属の隠密特殊部隊である。今もこの観艦式にまぎれて丁嵐を監視しているはずだ。

 

「気づかれているでしょうねぇ。大淀さんが未熟だから」

 

 突然の指摘に、苦虫を噛み潰したように眉を歪める。松崎は気にすることなく続けた。

 

「今日、潜水艦という言葉を使うのを避けたでしょう?」

 

「うぎゆ…」

 

 逃げ場の無い追求に、大淀は指先でこめかみを押さえた。うまく話をそらしたと思っていたが、いい気になっていたのは自分だけだったようだ。

 

「大方スパイは潜水艦か駆逐艦かのどちらかに絞っていたんでしょうねぇ。それで彼が潜水艦と切り出したのに、あなたが駆逐艦と返せばおおよそ目処は立ってしまうでしょう」

 

「申し訳ございません」

 

 棟の出口が見えてくる。

 大きなガラス戸の外に、楽しそうに走り回る艦娘たちの姿が見えた。

 

「潜水艦は撤退させるべきですね」

 

 玄関を降りながらなんとはなしに語る松崎に、大淀は驚いて食い下がった。

 

「危険すぎますっ!護衛なしでここにいるつもりですか!?」

 

 ここまでの流れで、丁嵐が二人を警戒しているのは一目瞭然だ。それでも潜水艦という搦め手がいたからこそ、二人は敵陣のど真ん中で最低限の安全を確保されていたのだ。それが今ここで潜水艦を撤退させるという事は四面楚歌の状況に自ら身を投じていく事に他ならない。

 

「危険は承知ですが仕方がありません。潜水艦面子がこの鎮守府にいるという事自体がもうリスクしか孕んでいないという事です。どんな形にしろ今彼女達と私の関係を裏付けられるのが一番厄介です。彼女達は軟な拷問で吐くような鍛え方はしていないですからね。開き直って殺される方が面倒です」

 

 そう言いつつも、その声色には焦りの色は感じられない。ただ着々と次の手、次の次の手を講じるだけだ。

 この会談で丁嵐から得られた情報は少ない。コチラがまいた種は悉くむしりとられ、奴は慎重に尻尾を隠している。潜水艦に仕掛けさせた盗聴器が、むしろ仇になってしまった。

 

 松崎は思考する。今日の30分ほどの会談。丁嵐との会話。奴が行った細工。

 

「細工…」

 

 

〝「そうね…ろく、でもないものね、何処もかしこも」〟

 

 

 一つだけ芽吹いた種が、松崎に次の指示を走らせた。

 

「ろく、録画…、いや、そうです録音。瓦谷逮捕の際に証拠になった録音声を再度調べ直してください。潜水艦にはすぐさまその作業に取り掛かるようにと」

 

「了解、しました」

 

 大淀が早足で駆けていく。松崎はその後でゆっくりと日差しの下を歩いた。

 

 

 その姿を、丁嵐は部屋の中から見下ろしていた。

 足元には踏み砕かれた4つの盗聴器とヘッドフォン。そのひとつを拾い上げて古鷹は自分に向けられた背中に声をかけた。

 

「潜水艦を追いますか?」

 

「もう遅いわ。何より松崎の動向が得られなくなった以上、あいつを野放しにしておく方がよほど危険よ」

 

「では、二人の監視に移行します」

 

 優秀な秘書艦は濃く色づく影の闇の中に、溶けるように消えた。一人部屋の中、丁嵐は外の喧騒を眺めている。

 

 ふと、表の松崎が司令室を見上げているのに気がついた。お互い目が合い、小さく手を振る。

 

 

〝「では我々は観艦式の観光をして、ゆっくりと呉に帰るとしましょう」〟

 

 

 盗聴器から最後に聞こえた言葉。

 

 ((ずいぶんと…))

 

 二人の笑みが、いっそう深く、大きく歪む。

 

(ずいぶんと下手な嘘をつくじゃない。松崎)

 

(ずいぶんと嘘がお上手なんですねぇ。丁嵐少将)

 

 

 時刻は朝の九時。これから長い長い観艦式が始まる。

 暑い日差しの下での少女達の歓声と熱狂、店の活気、騒がしくも力強いその喧騒。今日は誰もが待ち望んだお祭りの日。その中でひっそりと、冷たく、誰かが死ぬのだろうなと、ぼんやりとそんな事を思った。

 




次回、日向と観艦式。


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幕間【まつりのなか】
【らいうんとぽんぽここーん】


     

「こんな所で…諦められるかよ…!」

 

 重巡洋艦「加古」は額の汗をぬぐいながら、大きく息を吐いた。拭った手のひらは煤で黒く汚れている。迫り来る熱気と焦燥の中、ただひたすら苦しみに耐えていた。立ち込める煙と息苦しさに、むなしくも目頭が濡れる。

 

「加古、立てるか?」

 

 寄ってきた日向が崩れ落ちた加古の腕を取る。膝がガクガクと震えていたが、太ももを叩いて無理やりにでも喝を入れ直した。

 

「へばってなんかられねぇよ。あたしは、雷雲戦隊の副艦「加古様」だぜ…」

 

 日向の肩をつかんで体を起こす。それと同時に自分の後ろの缶が甲高い悲鳴を上げた。日向の表情が曇る、加古は急いで缶を覗き込んだ。湧き上がる煙に手でとっさに顔をかばう。こんな時に限って缶の不調が続いていた。状況には一刻の猶予もない。

 

「初霜、コイツはあたしに任せろ。お前は表に出てくれ」

 

 弱々しく頷いて走って行く初霜を見送り、加古は故障した缶と対峙する。予定の補給隊がかなり遅れていた。あちらの状況も大方把握しているつもりだ。苦しいのはどこも同じだ。

 

「旦那、瑞雲からの情報は?」

 

 日向は加古に背を向けたまま小さく首を振る、

 

「すまん、二人を見失った。ただ、反応自体は依然動かないままだ」

 

 くそっ!

 

 初霜が表と合流すれば少しは時間稼ぎになるはずだ。しかし、こちらから動きださなければ結局はじり貧である。こちらに次弾が無いと知れれば奴らは容赦無く雪崩れ込んでくるだろう。そうなる前に、内側だけで決着(ケリ)をつけなければ…。

 

「姉御っ!」

 

「加古さんっ!」

 

 驚いて顔を上げる。遠くから走ってくるのは神通と江風、補給隊の二人。間に合ったのか…。

 

「遅くなりました!」

 

 二人がどかんとドラム缶を下す。素早く中を確認して、加古は安堵のため息をついた。

 

「どこから持ってきた?」

 

 神通と江風は顔を見合わせて、小さく舌を出す。

 

「お隣さんの補給から」

 

「バカ野郎!最高だぜお前ら!」

 

 ドラム缶の一つは日向が抱える。その背中は、大群が待つ最前線へ。加古は奥歯を噛み締めた。雷雲戦隊はまだ終わらねぇ、ここから快進撃だ!

 

「はいよー!バターとキャラメル販売再開!押すな押すな押すな!アツアツできたて!ポップコーンは逃げないよ!」

 

「初霜、表の商品全部さばいていいぞ。できたて直ぐ準備できるから、10分で新品と入れ替えられるように列調整しとけ」

 

「神通はキャラメルの様子見てくれ、固くなってくるようなら一度火を入れ直す。タネも足していい」

 

「江の字は売り歩き始めるぞ!準備しとけ」

 

「おう!」

 

「さて…と」

 

 てきぱきと指示を出し、加古は再度ポップコーンの缶と向かい合う。

 現時刻一一○○。観艦式が始まったのは朝10時からだが、皆9時近くから騒ぎ始めるので、実質もう開店から2時間が経過した事になる。

 

 売り上げは上々。

 オードソックスなバターを先頭に、甘味のキャラメルも延びがいい。そして加古の目の前にあるコイツ。加古はこつんと缶の端を指の背で叩いた。

 コイツの中身は今日の新作チーズ味。ポップコーンのタネと一緒にチーズを溶かして、表面をコーティング。あつあつとろーり、食欲をそそる香りで集客万歳!の予定だったのだが…。

 

「すげーコゲるぞ、コレ。どうなってんだ」

 

 缶の底には真っ黒に変色したチーズがカチカチにこびりついている。

 どうなってやがる。初霜が作ってた時と火力は変わってねぇ。使ってる缶も同じ、環境も同じ、材料も同じ…。頭を抱える。焦りと、むせ返るポップコーンの香りで頭がおかしくなりそうだ。

 

 

「日向様っ!一度に作る量が多すぎますっ!」

 

 自分の隣で初霜が声が上がった。今日向が対応しているのは、一番人気のバターである。

 

「し、しかし、タネの量は予定通りだぞ」

 

 料理に不慣れな日向は、とりあえず量!という事で一番サイクルの速いバターを延々と作り続けている。分量は全て初霜持参の可愛らしいメモ用紙に綿密に書き綴られているはずだ。

 この二時間延々とバターを作り続けていた旦那が、このタイミングで分量を間違えるなんて事があるだろうか?これは、まさか…。

 

「旦那悪りぃ、ちょっと味見!」

 

 日向の缶から熱々のポップコーンを拝借し口へ。

 熱っつ、じゃなくて…。

 ゆっくりと噛み締め、味を確かめる。

 

(やっぱりだ…)

 

 歯の裏についたバターをなめまわしながら頷いた。

 わずかな違いだが、あたしの舌は騙せねぇぞ。塩辛いぜ、予定より。そして謎の分量の増量。

 

「旦那、全部の分量を1割ずつ減らして作ってくれ。味が落ちてるぜ、人気NO.1がこれじゃダメだ」

 

「お、おう」

 

 旦那が確認しているメモを取り上げて、カウンター裏で素早くそれを書き直す。その際にちらと集客のリストを覗き見た。

 

(売り上げは時間がたつごとに増えるばかりだ。対応は早いに越したことはねぇ)

 

「初霜」

 

 名取と共に表で客をさばいている初霜を呼び寄せる。

 販売に関しては艦隊の皆が兼用しているのがこのポップコーンテントだが、商品の味に関しては初霜が頷いた物しか客には出さないというのが絶対のルールになっていた。

 

「この炎天下で予定の分量に微妙にズレが出はじめてる。バターは早く溶けちまって塩辛いし、チーズはバターが溶けるのが早いせいでコゲ付いちまう。キャラメルも固まりが悪いかもしれねぇ」

 

 初霜は目を丸くする。

 商品に関しては事前に鎮守府の施設を借りて念入りなチェックを行っていた。しかし、テントでの販売という当日の状況、そしてこの記録的猛暑がその計算を狂わせた。

 

 加古が指でつかんだポップコーンを初霜の口の中に押し込む。ごくりと喉が動いて、まるで毒でも飲まされたかの様に、その表情がみるみる青ざめた。

 

「この短時間でこんなに味が変わってしまうなんて。バター補給隊が決死の覚悟で死中に活を見出してくれたのに。なんて愚か、なんて未熟…」

 

 がくりと膝をつき、うなだれる。

 

「駆逐艦如きが給糧艦の真似事をしようとする事が、傲慢なる知恵の林檎だったというのですか…」

 

 わなわなと両手を震わせ、自らを抱きしめる。小さなその体が、いっそう小さく縮こまって見えた。

 

「立ちやがれ!初霜!」

 

 力なくうなだれる初霜を無理矢理立ち上がらせ、ばちんとその頬を叩く。初霜に現実を突き付けてなお、加古の目はまだ死んでいたなかった。

 

「しおれてんじゃねぇっ!お前が挫けたら全員おしまいなんだぞ!今すぐ全部味見して回れ、チーズはあたしが仕上げるから」

 

「し、仕上げるって…」

 

 初霜の瞳に光が蘇る、視線の先の横顔はただまっすぐに、純粋にポップコーンと向き合っていた。

 

「なめんなよ」

 

 風が、吹いた。

 

「あたしは、雷雲戦隊副艦「加古」様だぜ…!」

     




【どうでもいいこと】
幕間なのでゆるゆる。しばらく更新します。


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【こーんをおかねにかえるほう】

「姉御、気合い入ってンなー」

 

「ま、まあ日向さんにああ言われちゃ仕方ないよね…」

 

 素早く客をさばきながら、江風が漏らす。それに並び立つ名取も同調した。

テントの下で客の対応をし、タネを掻きませ、ポップコーンを売り歩く。艦隊運用とは大きくかけ離れた「それ」に雷雲戦隊が行き着いたのは、今から約2時間前にさかのぼる――――

 

 

―以下回想―

 

「初霜のポップコーンを手伝えだぁ!?」

 

 灼熱の兆しを見せる日光の下で、加古は大声を張り上げた。

 朝の演習場。普段練習用艦載機が騒がしいこのグラウンドは、今日はテントの鉄骨や資材で足の踏み場もないほど埋め尽くされている。こうしている間にも、イスや長テーブルを持ち込んだ艦娘達が、ぞくぞくと集合してきていた。

 

 そのど真ん中に雷雲戦隊が集まって座り込んでいる。

 

「初霜のポップコーンテントの手伝いをしてほしい」

 

 開口一番日向の頼みに、一番に異を唱えたのは加古であった。

 

「そもそもあたしらは今日、公開演習に出場するんだろうが。出店なんかに構ってる場合か!?」

 

「構ってる場合なんだよ。このポップコーンが成功しなければ、そもそも我々は演習に出る事すら出来ないんだからな」

 

「あんだと?!」

 

 日向の言葉に加古のみならず、他のメンバーも首をひねる。初霜はそんな中、黙々とテントの組み立てにを続けていた。

 

「金が無いんだ」

 

「金だぁ?出場費かなんかか?」

 

 日向は首を振る。

 

「いや、弾薬費だ」

 

 驚愕。いや、唖然と言った方が正しいか。

 

「あれって自腹だったのか…。魚雷一本3千万とか?」

 

「いや、魚雷一本2万4千円。酸素魚雷は4万円だ」

 

「お手頃」

 

「という訳で稼がにゃならん」

 

 日向が立ち上がる。何が「という訳で」なのか誰も気付かないうちに、困惑する加古の両肩をつかんで揺さぶった。

 

「頼むぞ加古、私は料理が不得手だからな。初霜についていけるのはお前しかいない。雷雲戦隊副艦「加古」!職務を果たせ!やり遂げて見せろ!」

 

「だ、旦那…(グッ)」

 

―以上回想おわり―

 

 

「いや、アタシには何が(グッ…)、なのかもわかンないからね」

 

「えっちゃんは、めんどくさいの、嫌いだもんね」

 

 小さく口元を抑える名取に対し、江風は気にいらなそうに目を潜めた。

 

「お前「えっちゃん」ってな…」

 

「だって、【()】、でしょう?」

 

 きょとんとして江風を見つめる。

 

「そりゃそうだが、なンだかなぁ…」

 

「おらー、くっちゃべってないで働け―!」

 

 副艦殿の怒鳴り声は、ぐらついたテントの屋根に反響して喧騒の中に溶けていった。

 



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【せいちゃんくらぶ】

     

「行きましょう。一一三○からチーズ開始します!」

 

「いよぉっし!」

 

 加古が勢いよく握りこぶしを振り上げた。その目の前の缶からは香ばしいチーズの匂いが立ち上っている。初霜はポップコーンを口に含むと、咀嚼してもう一度大きく頷いた。

 

「江風さん、外回りの売り子をお願いします。チーズで行きます。加古さんにしっかり作り方を教わってください」

 

 …あん?あたしの聞き違いか?今チーズって言わなかったか。外売りは店の看板、本来なら一番人気のバターを推すはずだ。

 

 目を白黒させる加古の肩に、初霜の小さな手が置かれる。自分を見上げるその小さな瞳は、先ほどとはうって変わって熱意に燃えていた。

 

「おいしいですチーズ。これで行きましょう!」

 

「お、おうよっ!」

 

 つられて加古も力が入る。

 初霜は加古の胸にどんと握り拳をぶつけると、満面の笑顔を残して表のカウンターにかけて行った。テントの内側に表の喧騒が入り込んでくる。

 

「みなさーん!おまたせしました!当テント一押しのチーズ味の販売を開始いたします!暑い時こそ、ポップコーンと冷たいビール!とろーり新味、ぜひご賞味ください!」

 

「おいおいおい…」

 

 気恥ずかしくて頬を掻く。しかし、そこまで期待されちゃあしょうがねぇ。

 

「やってやるぜ!この雷雲戦隊副艦「加古」様がな!」

 

(気に入ったんだな…)

(気に入ったんですね…)

(気に入ったンだろうなぁ…)

(気に入ったのかな…?)

(気に入ったのね…)

 

 

 

 

 

 暑い日差しの下で飛び回る六人の艦娘達。

 その中において、最も身をすり減らして駆けまわっていた初霜が真っ先に「それ」に気がついた。

 朝から途切れる事の無かった行列にまばらに空間ができ始めている。テントの隙間から海岸を確認し、腕時計に視線を落とす。駆け足でカウンターへ戻ったところで、並んでいた先頭の客から声をかけられた。

 

「初霜ちゃん、もうすぐ誠ちゃんの演説始まるよ」

 

「えっ!」

 

 とっさに息を飲む。

 これから公開演習が始まる。しかしその前に、横須賀の提督である丁嵐誠一から艦娘達に激励の言葉があるのだ。長話が嫌いな男だ、実際の演説は10分にも満たない短いものであるが、早くも号令台の周りに人が集まっている所を見る限り、かなり多くの艦娘がこの瞬間の為に時間を割いているのがわかる。

 

「え…と、あ、あの…!」

 

 観艦式が始まってから常に気丈にふるまっていた初霜の表情が焦りに陰る。あまりにも必死なその姿に、日向は少し面白そうに口元を歪めた。

 

「行ってきな初霜。店は任せとけ。どうせ誠の演説中は客は少ないんだ」

 

「す、すいません。ちょっと外します。那珂ちゃん待って―!」

 

 日向の言葉を聞き終わるよりも前に、エプロンを躍らせてテントを飛び出していく。せり出したカウンターから小さく身を乗り出すと、ちょうど丁嵐が建物から出てきた所だった。人山が黄色い歓声に揺れる。

 

「せーっの、せいちゃーーーーーーん!」

 

 日差しの下に出てきた丁嵐は、直射日光を気にしながらも汗に濡れた手で長袖をまくっている。似合わないサングラスを外すと、人山の一角に向けて噛み付くかのごとく牙を剥き出した。

 

「提督とお呼びなさい!こんガキどもっ!」

 

「きゃーーーーーー!せいちゃんカワイイ!」

 

 いっそうざわめきが広がる。丁嵐の一挙一動に几帳面なほどに身をよじらせるその光景に、江風は出店のアイスを咥えながら冷めた視線を向けていた。

 

「なンでああミーハーかね」

 

 あそこで騒いでいるのは「丁嵐倶楽部」のメンバーだ。通称「誠ちゃんクラブ」と呼ばれるファンクラブの中に、ちゃっかり初霜も籍を置いている。本人曰く「誠さんは尊敬できる方です」との事。丁嵐本人は迷惑がっているようだが、あの甘面と口がうまい性分が幸いして、鎮守府内外問わず人気があるのだ。

 まあ、そんな奴らは大抵が本人と深い関わりの無い浅い間柄だというのは言うまでもないが。

 



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【なまえをよんで】

     

 すっかり人がハケたテントの下で、江風と名取は手持無沙汰になって座り込んでいた。激しい日の光をテントの陰でしのいで、江風が外回りの途中でもらってきた「白露印ソーダアイス」を美味そうにほおばった。

 本日、公開演習に出場する江風と夕立を除く白露型は、皆水着姿でアイスを配り歩いている。その中でも特別姉妹に甘い時雨からアイスをちょろまかしてくるなんて、江風にとっては朝飯前である。

 

 つまらなそうに丁嵐の演説を聞いている江風の横で、名取は目を輝かせて騒ぐ群衆を眺めている。手に持ったアイスが熱にさらされ、足元に小さな水たまりを作っていた。

 

「名取はそンなにお祭り好きかよ?」

 

 声をかけられても、名取の視線は動かない。まばゆい光を携えて、盛り上がる少女達や汗を流すお祭りの列を眺めていた。

 

「なんだか、新鮮、です。皆で一緒になって、汗かいて笑って盛り上げて。「自分達で作ってる」って、感じ。今までお祭りって、い、五十鈴ちゃんの後ろにくっついて歩くだけのイベント、だったから…」

 

 姉に手を引かれ、揺れるツインテールを眺めいていた自分を思い出す。

 輝いていた瞳の中に、スッと影がちらついた。瞳の奥に映るのが苛立ちか葛藤かはわからないが、江風には何となくその気持ちがわかるような気がしていた。

 

「なンか、似てるな。アタシ達」

 

 名取が目を丸くする。江風もまた、視界の端でいつもその影を追っていた。絶対に届かない、一人ぼっちの背中を。

 

「姉貴うぜぇだろ」

 

「ええええええええ!?ウザくないよ!五十鈴ちゃん大好きだよ!」

 

 否定しながらも、名取は小さく目を伏せる。「姉」を「五十鈴」だと言った覚えはないが、そこに刃を突き立てるほど江風も空気が読めないわけではなかった。

 

「ただ…。ちょっと、寂しい時があるだけ…」

 

 そう呟いて、手の中のアイスをくるくると回した。

 

「届かない手、伝わらない気持ち。それが全てでは無いと心では分かっていても、悔んだり、追いかけたりするのはやめられない物ですね」

 

 エプロンに手をかけながら、神通が名取の横に腰を下ろす。江風からアイスを受け取ると、その包みを破りながら小さな声で語り始めた。

 

「私も「姉うぜぇ」ですよ」

 

 二人の視線が、小さく舌を出す神通の横顔に注がれる。

 

川内(ねえさん)は、いつもいつも私を困らせて。普段は空気を読んで気ばかり回す癖に、最も側にいてほしい時には振り返りもしない…。「うぜぇ」です」

 

 普段のおしとやかな性格からは想像できない姉妹に対する愚痴は、きっと誰も耳にした事の無い彼女の本音だ。それが聞けた事が名取にはちょっとうれしかった。

 

「寄り集まって、何の話だい?」

 

 江風の手の中のアイスを奪い取り、今度は加古が口をはさむ。

 江風と名取の間に身を割り込ませると、歯の間にアイスの包みを咥えて袋を縦に裂いた。

 

「自分の姉の事です。加古さんはどうですか?」

 

「あ、バカっ…!」

 

 江風のとっさの制止は、加古の鋭い視線により抑え込まれる。加古はゆっくり時間をかけてアイスを取り出すと、薄水色の光が日光を反射してキラキラと輝いた。

 

「自分の姉ねぇ、古鷹の事は…【知らない】んだな、これが」

 

「知らない…?」

 

 全員呆然とその言葉を反芻した。

 江風一人が「参った」とばかりに頭を抱えている。

 

「喋った事も無いのさ、一度もね…」

 

 軽い雰囲気で話す声の調子とは裏腹に、加古の表情はすぐれない。瞳の色は良く言えば落ち着いていて、悪く言えば無感情であった。虚ろで暗く、深く濁っている。

 

(かーっ!これだからトーシローは!姉御に古鷹の話はタブーだってんのに…)

 

「側にいた時間が少なかったわけじゃない。たしかにすぐに秘書艦の職務に就いちまったけど、話す時間ぐらい十分あった」

 

 血縁とは違う「姉妹」。

 それはわかっている。それは、わかっている。

 

「私はね、古鷹に名前を呼んでもらった事すらないんだ」

 

・・・・・・・

 

「どういたしました?」

 

 重く目を伏せる一同に初霜が声をかける。いつものエプロンはいつの間にかピンク色のはっぴへと変わっており、両手には丁嵐の顔がプリントされたうちわを握りしめている。

 

「はい、話は終わりだ。仕事、仕事」

 

 そそくさと立ち上がる加古の背中を振り返る事ができる者はいない。事情の呑み込めない初霜だけが、はてと首をかしげていた。

 江風の射る様な視線は神通へ、神通は一瞬目をそらすがすぐに観念したように目を閉じた。

 

「無配慮でした。精進します」

 

 名取へ視線を移すと、彼女も似たように萎縮していた。

「姉妹」という言葉は艦娘達にとって特別な意味合いを持つ。血を分けた肉親、そして姉妹艦。その他、戦場において杯を交わした戦友の事を姉妹と表現する場合もある。

そこに秘められた思いは全てが微笑ましい姉妹愛に彩られているとは叶わない。

 

「さ、じゃあアタシは外回りに戻るわ。ポップコーンを補充して、ぼちぼち公開演習の席を回ろうかね」

 

 アイスの棒を投げ捨てた江風に「待って」と声がかかる。引きつった声を上げた初霜の後ろで、先に事態を飲み込んでいた加古がこめかみを抑えていた。

 

「旦那がいねぇ…」

 

「まさか…、逃げた!?」

 




【どうでもいいこと】
逃げてはいない(ネタバレ)


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【しろいはな】

       

 日向は正確には逃げた訳ではなく、走っていた。人ごみをかき分け、携帯電話に耳を押し当てる。

 艦娘に支給されている携帯電話に着信があったのは、丁嵐の演説が始まった直後の事だった。日向は盤面の番号を確認するなり、店をほっぽり出して風を切っていた。

 

「人が多すぎて判断できんのだ!どこまで来ている!?あー?よく聞こえん!?」

 

 生憎丁嵐の演説があったので、道を埋め尽くす人の波はかなりまばらだ。かといって日向の巨体でその隙間を縫うのはたやすい事ではない。

日向は演習場を北に抜けて鎮守府の外を目指す。演習場の周りは観艦式の客達でごった返しているが、海から反対側は作業中の工員達が出入りの制限をしているはずだ。まずはそちらへ向かい、合流場所を確認しなくては。

 

「お前今どこにいる!?正面口か?もう鎮守府に入ったのか?」

 

『へいへい、今門で止められてまーす。へるぷみー』

 

 工廠のシャッターの前でぐるりとあたりを見回す。高い壁が設けられた外周の外に一際大きな影が見える。鉄柵の門の間から、大型トラックの運転席に三つ編みの少女の輪郭が揺らめいた。

 

「きーたーかーみー」

 

「だーんーなー」

 

 携帯電話と正面とステレオで声が響く。日向は電話を袖の中へ押し込むと、大股でゲートともめているトラックへ駆け寄った。

 

「ご苦労様です」

 

 ゲートに声をかけると、帽子を深くかぶった青年は驚いたように日向に敬礼した。

 

「お、お疲れ様です。今、身元不明のトラックを検問中です」

 

「わかりました。私が変わります」

 

 答礼しゲートを下がらせる。

 正確な階級制度で定められている訳では無いのだが、軍人で階級を持つもの以外の工員は、艦娘に比べて立場が弱い、というのがここの暗黙のルールであった。

 

 トラックの窓から生意気そうな三つ編みが手を振っている。日向はあえて固い口調で問いかけた。

 

「おい、身元不明の呉鎮守府所属「北上」。お前、外出許可証は持ってないのか?」

 

松崎提督(まっちゃん)に見つかったら殺されるよ。こちとら作戦サボって来てんだよ、まったく」

 

 軽巡洋艦「北上」は目的の相手に出会えて安心したのか、にへらと口元をゆるめて笑った。提督に無断の外出など艦娘としては重大な規則違反だが、これだけの大型トラックで出てきた所を見ると彼女の他にもかなりの協力者がいるとみていいだろう。

 

「間に合ったんだな」

 

 日向の表情が引き締まる。対する北上はいやはやと頭を掻いた。

 

「参るよまったく。空輸できないっていうから、海路と陸路ですっ飛ばしてきたんだから」

 

 言いながら親指をトラックの荷台に向けた。運転席から荷台を覗けるように、シートの後ろには小さな窓がはめ込まれている。そのプラスチックの板が内側からがたんと揺れた。

 

「同乗者がいるのか?」

 

「鍛冶師様がさ、直接旦那に会いたいってさ。サボって来たのよ、二人でね」

 

 コンコンと窓を叩くと、同じく内側から合図がある。

 それからしばらくして、ガゴンとトラックの荷台が開いた。鉄の扉が鳴く声に遅れて、砂を踏む小さな足音が響く。

 同乗者はトラックの裏側から回り込むと、運転席の脇から日向の正面に躍り出た。

 

 茶がかったセミロングが小さく跳ねる。ベージュのセーラー服を揺らしながら、日向の目の前で靴のかかとを直した。足をそろえて綺麗に敬礼する。

 

「呉鎮守府所属球磨型「大井」参上しました。ご無沙汰してます、日向さん」

 

 麗しき北上の「相棒」は、敬礼を崩さぬまま花のように笑った。

 




【どうでもいいこと】
「日向を旦那と呼ぶ艦娘」
・加古
・江風
・北上←NEW


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【さめないうちに】

         

 横須賀鎮守府は海に接した巨大な壁の中にその居を構えている。南側と西側は、海とをつなぐ桟橋と連合艦隊用の巨大なドックが壁の中に埋め込まれた構造になっている。陸とつながる北と東には一つづつ入門ゲートがあり、外部からの侵入は厳しい検問を潜り抜ける必要がある。工員や軍人のチェックはもちろん、艦娘の出入りなどは特別厳しい規則がある。

 観艦式である今日は人の出入りが激増する為、各門には通常の3倍近い人数が配置された。壁の内側の騒ぎとは裏腹に、しんと静まり返った独特の緊張がゲートの周辺一帯を支配していた。

 

 そんな厳重体制のど真ん中に、不審な巨大トラックで乗り付けたのは呉鎮守府所属「北上」と「大井」。圧倒的雷撃火力で名をはせる通称「ハイパーズ」の二人には、水雷屋との二足草鞋であるもう一つの顔があった。

 

 日向と対峙する大井は一瞬で表情を引き締め、固い地面の上に片膝をついた。

 

「大隊演習旗艦殿。膝元における「闘艦」の場においてこの大井にお声掛け頂いた事、誠光栄の極みにございます」

 

 すり足の下で砂をこする音が響く。古風に頭を下げるその仕草を、日向は感嘆とした様子で、運転席の北上は辟易とした様子で見降ろしていた。

 

「此度、お持ちしたのは、『大呉棲斬大井』「魂心」の大業物にございます」

 

 砂埃を上げて立ち上がると、トラックの荷台に回り込む。「智ちゃん」と声をかけて、北上も運転席から砂の上に降り立った。二人で持ち上げてきたのは、長い辺が一間を超える巨大な木箱であった。

 艦娘二人がかりでなんとか持ち上がるその巨大な箱。外側の木枠すらも、ただの雑木で無い事は想像に容易かった。

 

 日向の目の前まで持ってきた「それ」を慎重に土の上に立てる。ふたの部分には巨大な半紙が貼られており、『海軍式特二大艦刀』とだけ墨で綴られていた。

 

「ほい、これが大井っちが仕立てた旦那の刀」

 

 ぽんと直立した木箱を叩く。その衝撃で大きく傾いた箱を見て、大井は目を見開いた。

 

「き、北上さんっ!」

 

 ぐらりと巨大な柱が重心を失う。

 大井がとっさに手を添えるが、その重量を載せた風圧はたやすく差し出された手をはじく。北上が青い顔をして耳の横の三つ編みを握りしめ、大井は赤くなった指を引く、スローになった視界の端で、日向は実に自然に木箱に手を添えていた。

 太い指が倒れ込む木枠の外側に食い込む。ミシミシと木目が歪む瞬間までもが見えているようだった。

 

(瑞雲…)

 

 頭上からは低く、風を切る音がする。遠くの蝉の声、パキっと鳴る木箱の悲鳴。手の中で崩れていく箱。握りしめる固い感触。その重み。

 

 おおおおおおおおん、みんみんみーんみーん、ぱきりぱきばきり、ぐん、どうし、ふぅー、おおおおお、やべ、きたかみ…

 

「北上さんっ!あれほど刀剣は丁寧に扱ってくださいと言ったはずでしょう!?良子ちゃんの馬鹿!深滅兵装レベルの特大刀は自重で建物を破壊したり、人にぶつかって怪我させたりするんですから、細心の注意を払ってください!」

 

 大井の怒鳴り声を聞いて、急に現実に引き戻された。手の中がぐんと重くなり、思わず膝をつく。北上と大井が言い合いをやめて、同時に日向へ振り返った。

 

「旦那、無事?」

 

「怪我はないですか」

 

 膝を立てて、手の中で重心を支え直す。刀を杖の様に立てて立ち上がると、鞘の先端が少し砂の中に沈んだ。

 

「眩暈がしただけだ。それより刀が無事でよかった」

 

 朱に輝く鞘を握り直して呟く。入っていた箱は、無残なまでに粉々に砕け散っていた。こびりついた木片を指で取り除き、改めて鍔に指をかける。かちゃりと切羽の金具が小さく鳴いた。

 

「前のものよりさらに重いでしょう。空輸は無理だと思ったんです。機体のバランスがとれませんから」

 

 手の中の重みはふむ、確かに依然振るっていた物より負担がかかるように感じる。抜刀する際は遠心力と重心が腰にかかっている為に大きな違いは無いと思うが、いざこれを振るうとなると一筋縄ではいかなそうだ。

 鞘を滑らせ、わずかに刃文を日の下へ晒す。日光を反射した刀身は、七色を放つガラス細工の如く繊細で美しかった。

 

「元重ねは1.5センチほどありますが、先重ねは3ミリまで抑えてます。か弱く見えますが、刃で『殴り合ってる』間は刀身が折れるという事は無いでしょう。その分重さが犠牲になっていますが、そこはご自慢の抜刀術でカバーしてください」

 

「相変わらずいい腕だ」

 

「二度と海に落とすような粗相の無い様に」

 

「肝に銘じておくよ」

 

 肩をすくめる。

 演習で榛名の電探をそぎ落とした刀。あれも大井の手によって打たれた日本刀だ。かつて初霜の紹介により彼女に出会ってから、大井はほぼ専属のような形で、本業では無い鉄を叩き続けてくれているのだ。

 

「君も良い鎚の音を響かせるようになった。武蔵国の名工を集めても君には劣る。その技も、業も、(わざ)も、後は次の引き継ぎ手を待つのみという訳だ」

 

「御冗談を。私もいまだ修行中の身。艦娘としてこれからも精進を続けていかなければなりません。形式上弟子を取ってはいますが、彼女から教わる事もまだまだ多い毎日です」

 

 呉鎮守府では、正式な師弟制を艦娘達のルールとして取り入れている。艦種も年齢も関係なく、新人がベテランに師事して戦い方や艦娘としての生き方を学ぶのだ。大井と北上にももちろん師匠がおり、彼女達に連なる次の弟子がいるという訳だ。

 

「『泣き虫アブゥ』が大井っちの指導についてけるとは思えないけどね」

 

 北上がケタケタと笑う。肩を並べる大井は、ちょっと恥ずかしそうに小さく口元に手を添えた。

 

「北上はどうなんだ?お前も呉ではもう弟子をとってもいい時分だろう?」

 

 日向の問いかけに、北上は露骨に眉をひそめた。

 

「はっ、あたしは弟子なんてまっぴらごめん。ウザいし、うるさいし、一生涯弟子は取らないってお天道様に誓ってんの」

 

 唾を吐き捨て、毒づく。日向は刀の下緒を帯に括り付けると、鍔の位置を整えながら呟いた。

 

「それは惜しいな、君なら良い指導者になれると思うのだが…」

 

「ざっけ!そもそもあたし達がいれば戦争は終わる。もうね、確信があるわけ」

 

 北上は大声を上げながら、並び立つ大井の肩を抱く。ぐいと茶色いセミロングを抱き寄せ、ニヤリと笑った。

 

「あたしと大井っちが組めば絶対負けない。絶対に沈まないし、どちらかが欠けるなんて事もありえない。で、深海棲艦(あいつら)は全部倒す!」

 

 自信満々に拳を握りしめる北上に、大井は少し驚いたのかされるがままで目を丸くしていた。しかし、北上の言葉を反芻するかのように目を瞑ると、瞳の奥に絶えぬ輝きを携えて口をそろえた。

 

「そうですね。『ハイパーズ』は最強ですから」




【どうでもよくないこと】
北上さんは「木漏れ日の守護者」の主人公。
http://www.pixiv.net/series.php?id=693268


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【かぜのふうらいぼう】

    

「それから、これを初霜先生に」

 

 別れ際に大井が小ぶりな脇差を取り出して日向に握らせた。白樺の柄と鞘、シンプルで美しい造形の中においてナイフで削ったかのような荒々しい「初霜」の堀文字がやけに目立っていた。

 

「これも君が?」

 

 大井は首を振る。

 

「いいえ、これは伊勢さんからの頼まれ物です」

 

 ぐんっと日向の上体が揺れる。大井の襟首をつかんで、まるで脅しかけるかの如く手に力を込めた。

 

「伊勢は呉にいるのか!?」

 

「いえ、作戦の折に立ち寄っただけだとおっしゃっていました。戦果の話は聞きますが、どこか固定の鎮守府に所属しているという訳ではないようです」

 

 大井は日向の行動に驚きはしたものの、疑問を持っている様子は無い。掴まれた両手に自分の手を重ね、ゆっくりと諭すように日向を落ち着かせた。

 

「すまない…」

 

 熱くなった頭を押さえ、壁を背に寄りかかる。

 伊勢。お前はいったいどこから私達を見ているんだ。困る私や初霜を見て、そんなに楽しいか…。

 

「初霜先生のお師匠様なんですね」

 

「…そうらしい」

 

 曖昧に返答する。

 

「会った事は無いんだ。私も」

 

 大井は少し驚いたようだったが、自分の記憶の中の伊勢を思うと、そこまであり得ない話ではないのかとも思った。

 

「風のような方ですからね。吹いたかと思えば、振り返る視線に映るのはなびく木々ばかり。残す物は、走り去った後の大地に転がる物だけ」

 

「風来坊とはよく言ったもんだ」

 

 いつ会えるかはわからない。だがもし一度、たった一度でもいいから相まみえる事があれば、その時は…。

 

(…お前を切る)

 

 相容れない定めにほんの少しだけ安堵する。吹きすさぶ風が、火照った全身を心地よく駆け抜けていった。

 

 

 

「では、先生によろしくお伝えください」

 

 来る時とは違い、助手席に腰かけた大井が窓から日向を見下ろして言った。

 

「観艦式は見て行かないのか?」

 

 返事の代わりに曖昧に笑う大井に対して、運転席の北上が返した。

 

「まっちゃんに見つかる前に呉までトンズラしないといけないんでね。ほんとは初霜センセの屋台だけでもと思ってたんだけどさ。天気も崩れてきそうだし、旦那方の活躍は呉への長旅のお供にさせてもらうよ」

 

 そう言いながら北上は車上のラジオのつまみをひねった。甲高い雑音に混ざって、波の音がなっているのが聞こえる。それに続いて、昭和感あふれる音質の悪いナレーションが車の中に広がった。

 

『ジジ…コレヨリ、第24回観艦式「海軍大演習」ヲ開始イタシマス…』

   




【どうでもいいこと】
初霜の事みんな「先生」って呼ぶのは、カワイイから。
明日の更新からまた「外伝」。


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外伝2【血河の航路】
【捌】食楽酒喜


「これより、第24回観艦式「海軍大演習」を開始いたします!!」

 

 丁嵐が壇上を下りた後、防波堤に沿うように設置された対空砲から空砲が打ち上げられた。ぼんぼんと空中で破裂し、真っ白い煙が広がる。海沿いで波を眺めていた松崎城酔は、忍び寄る影に気付かずに海に向かって煙草をふかしていた。

 影は音も無く背後まで迫り、煙草の灰が落ちるのと同時に松崎の横に立った。

 

「潜水艦達は全員鎮守府の外まで撤退しました」

 

「すばらしい」

 

 松崎は振り向かずに答える。

 くわえ煙草を海へ吐き捨てると、防波堤を背にして石の壁に寄りかかった。大淀はしばし海面に浮かぶ吸殻を見つめていたが、すぐに松崎に視線を戻した。

 

「よろしいのですか?」

 

「何の事です?」

 

 缶のシガレットケースを胸ポケットにしまいつつ、松崎がとぼける。向かい合う大淀は、手を腰に当てて小さくため息をついた。

 

「丁嵐の事です。彼を野放しにしておくんですか」

 

「大淀さん、我々は腐っても軍人であり、殺し屋じゃありません」

 

 あくまで小声で話す大淀に対し、松崎はあっけからんとしている。少しばかし視線を海に向けると、目の前のスペース一歩分歩を進めた。大淀も彼の横についてその後に続く。

 

「丁嵐の危険性を資料にまとめるのは貴女のお仕事なんですよ。その為には去年の事件から彼の背後関係の全てを暴かなくてはなりません。始末をつけるのはその後です」

 

「ではポップコーンに並んでいる場合でも無いのでは!?」

 

 松崎は「君は何を言っているんだ」とでも言いたげに大淀を見返した。その前後に続く長い列はべらべらと機密を漏らす二人などお構いなしに、祭りの熱気に沸き立っている。

 

「大淀さん。急がば回れ、ですよ」 

 

 ピンと指を立てて大淀の口を封じる。顔をそらしてそれをはねのけ、大淀は苦言を続けた。

 

「提督がポップコーン食べたいだけでしょう」

 

「そうではありません。これは任務の円滑な遂行の為のプロセスです」

 

 松崎は立てた指を「ちっちっちっ」と左右に揺らす。

 

「例えばですねぇ、事務中に机の上に熱々のポップコーンを置かれたとします。上からは甘いキャラメルソース。ほんのり香るバターとシナモンを前にして「食べる前に書類仕事を片付けろ」なんて集中できる訳無いじゃないですか」

 

「具体的すぎるだろ」

 

 思わず漏れた大淀の舌打ちにも、松崎の笑顔が崩れる事は無かった。

 

・・・・・・・・・・

 

「大淀さんはどうします?」

 

 長い列を並びぬき、テントの前に立って松崎はそう問いかけた。

 

「え…、ではバターで」

 

 てっきり自分で食べる為に並んでいるものだと思っていた大淀は、少し戸惑った後、最も人気があると思われるバターを選んだ。

 

「私はグランデミルクホイップチョコチップバニラプリンノンシロップホワイトクリームで」

 

「ないです」

 

「ではキャラメルを」

 

 松崎の寒いギャグを聞き流し、大淀は山盛りのポップコーンと向き合う。すれ違う艦の誰も彼もがこの匂いを漂わせているので、実はかなり気になっていたというのは松崎には内緒である。

 

 2、3粒を手に取り口へ。口に入れた瞬間濃厚なバターの香りが口の中に広がった。ひと噛みするごとに、鼻からバターの匂いが抜けていく。

 

(あら、バターケチってないわね…)

 

 バターそのものの塩辛さがあるので、表面の塩味はかなり薄めに抑えてある。しかし口の中で溶ける濃いバターの味が、この炎天下において否応にも大淀の水分を奪っていった。

 

(これは…)

 

 周囲を見回す。ポップコーンを美味そうに頬張る駆逐艦達は、みんな揃って小脇に紙のジョッキを抱えている。

 この夏の日差しの中、塩っ辛いポップコーンを頬張りながら身内の演習を観戦する。そんな時欲しくなるもの、それはもちろん…。

 

「ビールが欲しい…」

 

(でも…)

 

 観艦式とはいえ今は職務中。しかも松崎提督が任務を請け負っているさなかで、私は彼の護衛という立場。とても飲酒なぞできる状況ではない。

 

「お姉さん、ビールかい?」

 

 突然声をかけられ、びくりと肩が震える。驚いて足元へ視線を移すと、特徴的な赤い髪の少女が、ポップコーンの入った缶を背負って大淀を見上げていた。

 

「うちのポップコーン買った奴はビール割引だよ。おーい、阿賀野ー!ビールー!」

 

「はいはーい」

 

 赤毛の少女が手を振ると、ビールサーバーを背負った軽巡洋艦がこちらへ駆けてくる。ビアガールは大淀の目の前まで来ると、腰につけた紙のジョッキの束をすくい、その一つを大淀に持たせた。

 

「ちょっ、ちょっと待ってください!」

 

 今にもビールを注ぎそうになるビアガールに、大淀は待ったをかける。流れるような一連の動作にうっかり自分まで流されてはいけない。

 

「すみません、お茶もらえますか」

 

 少女とビアガールの視線が驚愕に見開かれる。「こいつは何を言っているんだ」という、まるで理解しがたいものを目にしたかのようなその表情に、大淀は悲痛の如く叫んだ。

 

「仕事中なんです!」

 

「なぜ仕事中だから飲んじゃいけないんだ!?」

 

「ええっ!」

 

「呉ではそういうルールなのか…」

 

「横須賀もです!」

 

「いや、イタリア艦が来てからうちはワイン二杯まではOKになったんだよ」

 

「やさしい職場!」

 

「ほれほれ、ぐいっと」

 

「ぐえ!待って、まってくらはい!」

 

 ビールサーバーの蛇口を口の中に突っ込まれながらも、大淀は空しい抵抗を続ける。じたばたと暴れながら逃げ惑うその後ろ姿を眺めながら、松崎は指についたキャラメルを舐めとり、空になったバケットをゴミ箱へ投げ捨てた。

 

「大淀さんもまだまだ子供ですねぇ」




【どうでもいいこと】
松崎城酔→謎多き暗黒微笑提督
大淀さん→食レポ担当艦


「松崎城酔」のキャラクターは「僕と久保」様作、「艦隊これくしょん―木漏れ日の守護者―」からお借りしています。
本編↓
http://www.pixiv.net/series.php?id=693268


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【玖】蹴撃襲撃

     

 バンっ、バンっ。再び海上で空砲が上がる。

 公開演習午前の部の艦娘達が声援を浴びながら次々に海に滑り込んでくる。物々しい武装を背負った少女たちの表情は皆一様に高揚に震えている。あれが武者震いというやつか、と松崎は感心したようにそれを眺めていた。

 

 松崎は演習場から離れた、建物の日よけの中から海を眺めてた。入口の壁に背をつけ、腕を組んで風を感じている。

 その足元で、セーラー服の少女がぺたりと地面に座り込んでいた。

 

「ほら大淀さん、公開演習が始まりますよ」

 

 秘書艦の大淀は松崎の声も聞かず、空のジョッキを恨めしそうに睨み続けている。

 

「あーんジョッキが空ですよー、困ったよー」

 

 ゆらゆら揺れながら飲み干したビールを求めて、大淀はこつんと松崎の足に寄りかかった。

 

「城酔さんの、ビールが…お、おっぱげた」

 

「大淀さん、大淀さん、お仕事ですよ」

 

 ゆさゆさと肩を揺らすと、顔を青ざめて重い頭を押さえた。

 

「お慈悲、お慈悲をください…」

 

「自覚はあるんですね…」

 

 やれやれと頭をなでる。辛口な秘書艦殿は、そんな普段の行いなど忘れてしまったかのように、気持ちよさげにごろごろと喉を鳴らした。

 

「顔を洗ってきてください、演習場の端に手洗い場がありますから」

 

「にゃーん(猫)」

 

 のそのそと歩を進める大淀の後ろ姿を、松崎はぼんやりと見守った。

 

「まったく、デートに来てるんじゃないんですから」

 

 ため息をつきながら、重心をやや前に。轟音と共に放たれた手刀は、背後から襲い松崎の頬をかすめた。左手でそれをつかみ、素早く振り返る。一瞬の邂逅の後、空中で視線が交差した。

 

「貴女もそう思うでしょう、古鷹さん」

 

 ぎっと古鷹が歯を剥き出す。掴まれた腕の引かれる力に逆らわず、肘を松崎の顔面へ。上体を大きくそらしてそれを躱すが、その隙に左手で握られた手刀をつかみ、握力で強引に振りほどいた。

 

 素早く距離を取り対峙する。松崎は動かない。古鷹は腕を抑えながら、向かい合う「標的」を睨みつけた。

 

 護衛がいなくなった瞬間の完璧なタイミングだった。奇襲は成功していたはずだ、なのに何故奴の首はつながっている。

 

 震える右手を胸の前で小さく構え直す。掴まれた右の手は赤く腫れあがっていた。ほんの一瞬握られただけだ、だが力が入らない。骨まで達しているだろうか、そんな考えにまで至るほど先の邂逅は強烈だった。

 

「私も、貴女と話がしたかったんです」

 

 松崎は警戒した様子も無く話しかけてくる。無造作に歩み寄ってくる右足を狩るように、素早く足を振り上げた。

 松崎の足に重心が乗り切る前に、眉間を狙ったハイキックが襲う。ちょっと屈むようにしてそれを回避し、松崎はさらに歩を進めた。古鷹は反動に沿って素早く松崎に背を向け、キックのスピードを殺さぬように今度は左の足を背後側へ突き出す。蹴り足は松崎のわき腹をかすめ、松崎はやっと歩みを止めた。

 ぐんと勢いで腰が回る。背中が正面に、振り返った古鷹の眼光が松崎の薄ら笑いを照らし出した。

 蹴り出した左足を素早く引き、上半身を大きく回転させる。それにつられる下半身の筋肉が、ゴムように柔軟な伸縮力を余さず蹴り足に注ぎ込む。右足が垂直に上がり、松崎の鼻先をかすめる。ひっかけた前髪がはらりと宙に舞った。

 左足を地面につけ重心を縦に。激しい横回転の運動エネルギーを全て縦方向に湾曲させる。びきびきと全身が悲鳴を上げるが、力とバランス感覚でそれらを強引に押し込める。連撃のパワーの全てを乗せた渾身のカカトが空間を縦に裂いた。

 松崎が今日初めて後退する。叩きつけられた床には小さなクレーターができていた。

 

「古鷹さんはぜひ呉にいらっしゃってください。きっと仲のいい友達が沢山できますよ」

 

 意味不明な事をのたまう松崎を無視して、古鷹は再度構えを作り直した。

 一度両手をだらんと流して右肩を前に、上げた右足を空中で制止させ、フラミンゴの如く片足で安定した。両手は広くフリーにとり、やや重心を下げてメインの右足に「遊び」を持たせる。

 

「これも、丁嵐少将の命令なのですか?」

 

 古鷹は答えない。右足をひざから先で素早く打つ。松崎との間にはまだ距離がり、蹴撃が届く事は無い。しかし、ジャブを放つようなその細かい打ち込みに、松崎は初めて構えを取った。

 右手は握り拳の形に、手の甲を下にして腰に沿える。左手はやや体の前に出す。指先は握りきらず、柔らかく手の中に隙間を作った。

 

「ケンカは本業ではないのですがね」

 

 構えを取れども軽口は止まらない。本気じゃないのか、それとも本気じゃないと思っているのか…。

 

 古鷹が足をおろしローを放つ。しかし深くは打ち込まずに、膝を素早く引いてミドルに打ち直した。松崎はガードを揺さぶられ、一瞬体勢を崩す。

 左足に切り替え蹴り上げるが、これもフェイント。そのまま地面に足を付き前へ。大きく右足を「する」がこれも打ち込まず、低くなった体制のまま、無警戒の左の拳を松崎の腹に打ち付けた。

 フェイントにフェイントを重ねる、流れるような連撃。これを続けられると、次第に視覚も聴覚も反射神経ですら信用できなくなる。徹底的にゆさぶり疲弊させ、最後に「折る」。

 

「艦娘の戦い方ではありませんねぇ」

 

 古鷹の戦い方は深海棲艦への戦略として軍が教え込んでいるものではなかった。圧倒的物量と火力。先手必勝。奇襲による一撃離脱。海の戦いとはそういうものだ。海では相手に依存しない。事前準備が8割の世界だ。今の古鷹の様に相手の能力を推し量り、裏をかく様な戦い方はしない。そんな事をしている時点で2流なのだ、そんなものは対深海棲艦では必要ない。

 彼女の戦い方は明らかに対人間、対艦娘を想定されていた。

 

「さすが丁嵐少将の暗殺者ですねぇ」

 

 ぴくりと、初めて古鷹が松崎の言葉に反応した。

 

「去年あなたが殺した左官は、元々は私の部下なんです」

 

 古鷹が目をひそめる。

 

「私は今回ただ派遣されたわけではありません。私には、「復讐」の理由があるんです。私は事件の「当事者」なんですよ」

 

「私を捕まえるんですか…」

 

 初めて古鷹が声を発した。松崎は優しい声でそれに答える。

 

「安心してください、罰せられるべきは丁嵐少将です。貴女の「類稀なる」境遇は十分に情状酌量の余地がありますよ」

 

「そう、なのね…」

 

 古鷹は安心したのか、ため息のような声を漏らす。

 そしておどけたように笑った。お茶会の時ですら見せなかった、少女らしい柔らかな笑みだった。

 

「お前は殺す」

 




「松崎城酔」のキャラクターは「僕と久保」様作、「艦隊これくしょん―木漏れ日の守護者―」からお借りしています。
本編↓
http://www.pixiv.net/series.php?id=693268


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【拾】死拳殺蹴

   

 長い廊下の中に、風を切る音が連続する。

 古鷹の足技は空間を裂く。松崎の正拳突きは重く鋭い。蹴り足をそらした肘は電撃が走ったように痺れ、拳を受け止めた掌は赤黒く変色していた。

 反動で相手に背を向けても互いにそれは隙にはならず、打ち込んでくる無警戒な拳に喰らい付かんと虎視眈眈と目を光らせている。

 

 古鷹の左が足元をすくう様に右へ薙ぐ。松崎は軽く足を上げてそれを受け流すが、振り切った足に体重を乗せ、そのまま左足を上から押さえつけた。松崎の懐に潜り込み、その胸に自分の背中を密着させる。この超近距離では得意の鉄拳も最高速度には達しない。

 松崎は両手の親指を突き立て、両側より挟み込んで古鷹の首を狙う。爪の先が首筋に食い込む瞬間に、松崎に体重を任せ軌道をそらした。

 後ろ手で軍服の襟をつかむ。左足を封じながら、右足をはじく様に蹴り上げる。190に届くかという巨体がふわりと宙に浮いた。

 豪快な一本背負いは頭頂部を下に、受け身不能のまま固い床に叩きつける。頭蓋骨がひしゃげる音が響く前に、松崎の両手が地面を支えていた。掴んだ腕を軸にぐるりと体を回し、拘束を逃れる。受け身を取った隙を古鷹は見逃さなかった。

 

 駆け寄って右のサッカーボールキック。松崎はこれを紙一重で左に躱す。軸足の左に手を伸ばすが、古鷹はその場でバレエ選手の如く一回転すると、回転の反動を利用して再度右足を蹴り上げた。松崎の顎につま先が刺さる。

 

 初めてのクリーンヒット。追撃に入りたいが、不安定な左の軸足と遠心力だけで蹴り上げた右。両手を使うにもタメが足りない。軸足のカカトに力をこめ、後方に跳ねる。体勢を立て直して前へ、しかし勢いを取り戻していたのは古鷹だけでは無かった。

 

 松崎は迫り来る古鷹の顔面に向け、水鉄砲の様に口内の血を噴き出した。右手で顔を覆いそれをかばう。腕を払った時には松崎の姿は視界から消えていた。

 視線を切った腕の先、古鷹の右前に屈みこんでいる。立ち上がるヒザのバネと肩から肘にかけての筋肉の収縮が、上方へ伸びるアッパーを戦艦の大砲へと変えた。

 空気がちりちりと焼けている。かすった頬に血の線が引かれていた。間髪入れずに返しの右が唸る。閃光の如き突きの拳は、古鷹の胸元をかすめ、肘の先をかすめて「ぽこん」と間抜けな音をたてた。古鷹の上体が後方に流れる。

 

 クリーンヒットはもらっていない。どちらも指の先が「ふれた」だけだ。

 古鷹はだらんと伸びた右腕の骨を、左手の親指で強く押し込んだ。ばぎんとはじける音がして、痛みに歯を食いしばる。ストレートが「ひっかかった」肘が脱臼していた。

 顔を流れる血も止まらない。あのアッパーは頬を切った訳ではなかった。古鷹の出血は耳の中から続いていた。

 鼓膜が破られた。アッパーがかすめた風圧が古鷹の聴覚を奪ったのだ。

 

 三半規管を崩され、全身のバランス感覚が崩れる。松崎は動かない。やはり本気ではないのか…。

 

「ふふふ…」

 

 ふらつく足を支えながら、それでも自然と笑みが漏れた。

 滑稽だった。人の身を捨て、耳障りな正義の為に戦う。使い古された人形。

 

「これが呉の亡霊か。よくできていますね。普通の人間ならもう30回は死んでいますよ」

 

「私は一介の軍人に過ぎません」

 

 白々しいにもほどがあるその言葉に、古鷹はやはり笑みを抑えて肩を震わせた。

 

「『旧世代』の敗残兵が」

 

 閉じたはずの瞳が動揺に揺れる。しかし松崎はすぐさま笑みの仮面をかぶり直した。

 

「…よく御存じですね」

 

「艦娘が生まれるずっと昔、対深海棲艦を謳って無謀な強化手術を受けた哀れな兵隊達がいたと聞いた事があります。存在をも消された闇の特殊部隊。その惨めな生き残りが、恥ずかしげもなく将官を気取ってるとは」

 

 施設の研究員たちが口走っていたのを耳にした事がある。戸籍を消され、存在を抹消され、死を偽装され。「お国の為」と言い聞かされて狂気に下った人形たち。古鷹は笑みの形のまま、口元を吊り上げた。

 

「貴方は人間じゃない」

 

「そんな貴女は「人間とは思えない」ですね」

 

 その一言がもたらすは、驚愕と恐怖。

 コインの表と裏が切り替わるかのように、古鷹の表情が怒りに歪む。噛みしめた唇から、押し寄せる怒りの波を表すかのごとく鮮血が溢れだした。

 

「私は「艦娘」だっ!「人間」じゃない!」

 

「「惨めに生き残った」のはお互い様でしょう?【Aの少女】」

 

 明らかに平静さを失った古鷹に、松崎は追いうちの如くまくし立てる。

 その表情はいつもと変わらぬ柔らかな笑みに包まれている。しかし、今この瞬間だけは彼の仮面の裏側にある残酷な月の輪郭が浮かび上がっているようにも見えた。

 

「生身の人間でありながら妖精と交流する力を持った「艦娘の祖」。それが貴女だ。全ての艦娘は貴女から生まれた。強化細胞も特殊筋肉も持たず、深海棲艦と渡り合い、それを狩る者」

 

 松崎の笑みは変わらない。深く、鋭く、深淵を啄む。閉じた瞳は瞼の裏。永遠の闇を見据えている。気が遠くなるほど、長い間。

 

「【(はじまり)】の少女」

   




「松崎城酔」のキャラクターは「僕と久保」様作、「艦隊これくしょん―木漏れ日の守護者―」からお借りしています。
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【拾壱】血戦玩具

            

『アンタは「特別な人間」でも「呪われた人間」でも、ましてや「存在しちゃいけない人間」なんかじゃない』

 

「私は…人間じゃない」

 

『アンタは艦娘。特別なんかじゃない、普通の、ごく一般的な、ただの艦娘』

 

「私は…艦娘」

 

『アンタの存在はアタシが肯定したげる。アタシの所に来てくれてありがとう「古鷹」』

 

「私は、古鷹型一番艦「古鷹」なんだ…」

 

 朦朧とした頭でうわ言のように繰り返す。自分に向けられた訳でもないそれを、松崎は冷酷に否定した。

 

「残念ながら、貴女は「人間」です」

 

「違うっ!」

 

 弾かれたように古鷹が飛ぶ。2mほどあった二人の距離が一気に縮まった。拳と拳が衝突する。二人とも地に足をつけたまま、高速の拳撃の応酬を繰り返した。

 

 これまでの戦いが嘘のような素直で稚拙な殴り合い。目尻を濡らしながら怒りを露わにする古鷹に、松崎は細い目をさらに細めた。

 

(怒りを素直に力に変換できるほど器用では無い様ですね…)

 

 今の古鷹の拳はスピードこそあれ、先ほどまでの正確な攻撃からは程遠い。ただ怒りに任せただけの拳の嵐は、これまでの古鷹の動きを見てきた松崎にとってまさに子供のケンカであった。

 

 拳撃の隙間を縫い、体軸を縦にずらす。標的を逃して大きく軌道が逸れた拳を、手首の上から掴み取った。上から抑え込み、動きを封じる。そのまま、手首の動脈の上に両の親指を突き刺した。

 

「ああああああっ!」

 

 悲鳴を上げ、全身の力が抜け落ちる。松崎はすばやく指を半回転させ、手首の骨の内側に爪の先端を引っ掛けて固定した。滝の様に流れる血が、二人の足元に濁った水たまりを作る。急激な失血に古鷹の足ががくがくと震え始めた。

 おえつを漏らしながら脱力し、うなだれる。ずるずると崩れ落ちる様に松崎にもたれかかり、そのまま低い唸り声をあげて松崎のわき腹に噛み付いた。それは死を覚悟した番犬の最後の悪あがきであった。

 

「貴女は殺しません。丁嵐にとっては貴重な証人になりますから」

 

 松崎が不気味なほど穏やかな声で告げる。服の上から食いついた獣は、歯を突き立てながら荒い鼻息で返事するだけだ。

 

「古鷹さん、もうやめましょう」

 

 掴んでいた手首を解放してやる。重力に従ってだらんと垂れる腕に、松崎の指だけが垂直に突き刺さっていた。

 

「・・・」

 

 松崎が指に力を込める。骨の隙間に爪がかかっているのか、指はなかなか抜けない。松崎はため息をついて、古鷹に聞こえるように屈みながら囁いた。

 

「ふる…」

 

 戦慄

 

 わき腹に喰らい付く古鷹のその左目の輝きは、まさに獲物の喉元へ喰らい付いた猛獣のそれであった。

 全身の寒気と共に気づく。自分は今古鷹に両手を「固定」されていた。逃げる事も出来ない。わき腹が熱く熱を持つ。首の裏側から、粘っこい脂汗が噴き出した。

 服の上からでも食い込んだ歯の感触が感じられる。滲み出した唾液に軍服が濡れる。両手を振り払うが、さっきまでの脱力が嘘の様に古鷹の腕はビクともしない。

 

 すぐに逃げなければ。

 

 しかし、思考はそこで止まってしまう。

 明確な「痛み」が無いせいで、「逃げのスイッチ」が入りきらない。だがそれが来てからでは遅いのだと、頭の中は警笛を鳴らし続けている。

 

 しかし無情にも「それ」は訪れた。

 

 わき腹に僅かな痺れ。傷口から徐々に広がっていく小さな痙攣。それは瞬く間に「痛み」にすり替わった。叫び出したくなるような激痛が脳を支配した。

 

「あぐっ…」

 

 両手を僅かに広げるが、親指は動かない。頭を下げて自分も歯を剥き出すが、古鷹を捕まえるにはその長身が災いしていた。わき腹の痛みは全身に広がり、脂汗は血の代わりだと言わんばかりに全身を濡らしていた。

 いや…。

 

 代わりはいらなかった。

 

 松崎の口の端から血の筋が垂れる。ぽたりと滴り、古鷹の髪の中に落ちて見えなくなった。口の中はすでに行き場を失った血液で溢れかえっていた。

 

「ごふ」

 

 腹の中で風船が破裂した。胃の内容量を超えた血の濁流が、口の端よりみるみる溢れ出す。びちゃびちゃと床を濡らす血の色は、闇を吐きだしたかのように黒く濁っていた。内臓の中に溜まっている古い血は墨のように黒い、そう嘗ての戦友から聞いた事がある。

 

 ぶるぶると肩が震えだす。思考がまとまらない。死ぬ。死ぬ。死ぬ。これは死ぬ。

 

「おおよ、ごぽ」

 

 自分の血で溺れていた。鼻孔が酸素を求めて大きく広がった。

 ぼきんと音がして松崎の手が離れる。握った拳の中で親指だけが関節とは逆方向にねじ曲がっていた。

 ごつんと古鷹の頭を殴る。古鷹は動かない。松崎の手が再び振り下ろされる。古鷹は動かない。無機質に振り下ろされ続ける握り拳は、バネの壊れた歪な肉の玩具のように、醜悪でおぞましかった。

 

 これが「戦い」の本質。戦いの美学、美しき闘争、行き着く先は「殺す肉」だ。両者は殺し合う肉塊であった。

 松崎は血を吐きながら古鷹の頭を殴り続ける。古鷹はほとんど意識を失いながらも、突き立てた牙を深く肉に食い込ませ続けた。

 

・・・・・・・・・

 

 ゼンマイの壊れたおもちゃと化した二人を見て、駆け付けた大淀は胃の中の物を全て吐き出した。

 

 絶叫と苦痛、肉塊と殺意、血だまりと死。

 

 男は濁流の如き吐血を繰り返し、わき腹に喰らい付いた少女は白目をむいて歯を食いしばっている。あたりを埋め尽くす血だまりの中には、髪の毛がこびりついた頭皮の欠片が至る所に散乱していた。

 

 地獄絵図と化した廊下の真ん中で、大淀は声にならない悲鳴を上げ続けた。まるで見えない何かに刃を突き付けられているかのよう。ただ一心に、けたたましく、高く、苦しく、永遠に続くかとすら思われる阿鼻叫喚の協奏。

 その中を裂く、鋭い銃声が響いた。

 ぶ厚い眼鏡の奥の瞳は、止めどなく涙を押し出しながらも、強い意志に後押しされていた。細い指が再度引き金を引く。甲高い銃声に遅れて、古鷹の肩に二つ目の穴が開いた。ぐらりと上体が崩れ、血だまりに水しぶきが上がった。

 広がった髪に血が染み込んでいく。その様を直視し、大淀は再度逆流する胃液と戦った。銃を握る手は小刻みに震えていた。

 

 古鷹は血の海に沈みながら、全身を覆う鉄の匂いをかいでいた。薄れゆく意識の中で、死を強く感じる。目を瞑り、ゆっくりと眠りにつくかの如く、その呼吸を止めた。

       




「松崎城酔」のキャラクターは「僕と久保」様作、「艦隊これくしょん―木漏れ日の守護者―」からお借りしています。
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【拾弐】忘却暴虐

    

 「ようせい」は、いつも汚い所にいる。工場跡とか排水の流れる海とか。ようせいはいつも何かをつくっていて、あたりは耳をふさぎたくなるほどうるさかった。

 村のみんなは妖精の事を「ようせいさん」って呼んで、いつも「ありがとう」ってお祈りしてた。でも、自分から近寄る人はいなかった。妖精はあぶないからって。でもわたしだけは、そうは思わなかった。

 

 ある日いつもみたいに妖精の工場に行くと、一人の妖精さんがわたしにプレゼントをくれた。掌の上のちいさなそれは、宝石みたいにキラキラ青く光っていた。わたしはそれをペンダントにくっつけて、大事に首から下げていた。パパとママはそれを見て、優しくわたしの頭をなでてくれた。

 

「それはね、神様からの贈り物なんだよ。だからね、その事は誰にも話しちゃいけないよ」

 

 私はいいつけを守って、妖精の事は誰にも話さなかった。「村の誰かがチクったんだ」ってパパが言ってた。それがパパの最後の言葉だった。

 

 パパとママは「どっちがどっちかもわからない」肉の塊になっていた。

 真っ黒な服を着た軍隊がパパとママを穴だらけにした。隣のおばあちゃんも、偶然遊びに来ていたしーちゃんも肉団子にされて何十人もの兵隊に踏み殺された。

 ヘルメットをかぶった兵隊の手が私に触ろうとしたとき、ヘルメットの「中」が風船みたいに膨らんで、「ぼんっ」て小さな音を立てて兵隊は倒れた。ペンダントがあの青白い光を放っていた。

 私が「しね」と思うとそいつは死んだ。「たすけて」って思うともっと死んだ。黒い服の兵隊を20人くらいぶち殺した時、私は急に眠くなってその場に崩れ落ちた。

 

 

 その後はずっと施設で暮らした。

 牢屋みたいな「病室」の中で、私は「A」と呼ばれていた。

 初めての仕事は「しーちゃん」のママを殺す事だった。「口封じ」だかなんだか。私はほとんど昏睡状態で、ぼんやりしながらその女を殺した。ヘルメットの内側がどうなっていたのか初めて知った。

 その後は数えてないけど500人くらい殺した。施設の研究員も、そうじゃないヤツも、連れてこられた一般人も、その家族も、男も女も老人も子供も殺した。ついでに深海棲艦も殺した。

 

 そうこうしているうちに、誰も私を「A」と呼ばなくなっていた。ペンダントは力を失い、ただの石ころになって部屋の隅に転がっていた。研究員達も病室に近づく事は少なくなっていた。話し声だけが、直接脳内に響いてくるみたいにはっきりと聞こえていた。

 私は「用済み」で「危険」だから「病室ごとセメントで固める」んだそうだ。特に悲しくは無かった。

 

 皆死んだ、私が殺した。

 私は生まれてはいけない「人間」だったんだ。

 存在してはいけない「人間」だったんだ。

 

 ずっと、そんな事ばかり考えていた。

 何日も食事を口にしていなかったが、痩せ衰えはすれど死ぬ気配は無かった。溶け落ちた左目をもてあそびながら、ただ茫然と窓の外を眺めている日々が続いた。そこからセメントが流れてきて、私の口と鼻を覆ってくれる日を待っていた。

 

 ある日、病室の外で銃声と悲鳴が鳴りやまない日があった。ひさしぶりの「声」だったけど、もう体が動かなかった。銃声に目をさまし、再び目を瞑る。そんな事を何度か繰り返した。

 何度目かに目を覚ました時、私はベッドの上にいた。やけに派手なカッコをした男が、ベッドの横で椅子に腰かけて寝息を立てていた。

 扉の外で何人もの人がバタバタと走る音がする。窓一枚へだてた先で鳥達が鳴いている。暖かな太陽の匂いと、柔らかい男の寝息。

 

 絶望した。

 私はとうとう死ねなかったのだ。

 

「あああああああああああああああああああああああっ!」

 

「うわあっ!」

 

 絶叫に驚いて男が飛び起きた。泣きわめく私に向かい合い、あたふたと手を振り回した。

 

「ちょっとぉ、どうしたのよ、もう。どこか痛いの?」

 

 私は男の袖を握りしめながら、頭を振って泣きわめいた。

 

「早く私を殺してよ!私は存在してちゃいけないの!私みたいな「人間」、いちゃいけないの…!」

 

 取り乱す私に男はちょっと驚いてるみたいだった。でもそれは本当に「ちょっと」の事で、男はすぐに悲そうな目で私を見た。同情されるのは間に合ってたけど、コイツの瞳の色はもっと別の何かを見ているようだった。

 男は小さく私の頭を撫でた。

 

「アンタは…「人間」じゃないわ」

 

 指先でボロボロになった髪を触る。

 すぐに聞き返したかったが、男の手があんまり温かかったから、しばらく頭の中でその言葉の意味を考えていた。

 

「…じゃあ、私は何なの?」

 

 髪をすいていた指が止まる。そして、ナイフみたいにとんがったつけ爪の背で私の頬を撫でた。

 

「アンタは「艦娘」よ」

 

「え…?」

 

 意地悪のつもりだったのだ。自分はやっぱり逃れようのない人間だと、この優しい男の口から言わせたかったのだ。

 驚いて顔を上げる。男の目は真剣そのものだった。

 

「艦娘は妖精を使役する戦士。アンタの事よ。特別なんかじゃない、アンタは「普通」の「艦娘」なの」

 

 普通。

 長く縁の無い言葉だった。そんな言葉の枠組みの中に、自分の居場所があるなんて思いもしなかった。

 化け物の「人間」でも、「艦娘」なら普通。普通の私。

 

「アンタは「特別な人間」でも「呪われた人間」でも、ましてや「存在しちゃいけない人間」なんかじゃない。ただの艦娘。艦娘ならね、アタシの権限で鎮守府(ここ)に置いていいって事になってる」

 

 男の腕が強く私の頭を抱く。柔らかな香水の香りは、まるでお母さんに抱かれてるみたいだった。

 

「アンタの存在はアタシが肯定したげる。アタシの所に来てくれてありがとう「古鷹」」

 

 私はあの村から「A」になり、そして「古鷹」になった。

 あの人は私に居場所と、艦娘としての普通の人生をくれた。だから私も、この場所を守る為に戦うと決めた。

 

 誠一と、この横須賀の為に。

 

 

・・・・・・・・・・

 

 懐かしい夢を見た。

 ベッドの上で横になって、ぼんやりと天井を見つめていた。見慣れた部屋、誠一の部屋。

 高い窓と、小さな本棚、木目の目立つ地味なテーブル、無駄に大きなベッド。あの司令室の持ち主とは思えぬ地味な私室。誠一が「アンタが息苦しく無い様に」ってよくわからない気を使ってくれた部屋。

 

 体を起こそうとしたが動かない。気が付かなかったが、全身細いチューブにつながれていた。ぼんやりと熱を持った頭を揺する。

 

 松崎はちゃんと殺せただろうか。

 こんなボロボロの体で、公開演習に間に合うだろうか。

 誠一は怒るだろうか。褒めてはくれないだろう。

 あの眼鏡の女の子は、誠一の邪魔になるだろうか。

 あの子は、私の妹はちゃんと公開演習に出てくるだろうか。

 

 整理しきれない情報は、私に考えられるのを嫌がるように頭の中で反響を続ける。頭が重い、疲れた、ねむし。

 

「せいいち」

 

 目を瞑る。

 ベッドの香り。

 落ち着く香水の香り。

 寝息は穏やかで、深い。

  




【どうでもいいこと】
「チクッた」のは「しーちゃんのママ」


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【拾参】潜水奴隷

   

『きまったー!戦艦ビスマルクの主砲が直撃!旗艦ローマが大破!ドイツVSイタリアはドイツ艦隊の圧勝!』

 

 ラジオから流れる声に眉を顰めながら、丁嵐誠一は置きラジオのつまみを回してボリュームを絞った。甲高い解説の声は、悩みの絶えない頭に頭痛の如く響く。窓の外では公開演習が始まり、祭りの盛り上がりは最高潮に達していた。

 深く椅子に腰掛けたまま頭を抱える。

 

「松崎の様子はどう?」

 

 顔を上げずに、窓から外を眺めている少女へ問いかける。少女はサッシに肘を乗せ、ぶらぶらと足を遊ばせていた。腕を伸ばして、後ろ手で水着の食い込みを直す。少女は鎮守府指定の対ショック性スクール水着に身を包んでいた。

 絢爛な部屋の中に、動く影は丁嵐と少女の二人だけであった。

 

「あのねー」「あのね…」

 

 少女の口が動く。小さな唇から2重に声が聞こえてきた。

 

「生きてるよー」「死んだよ…」

 

「どっちなのよ」

 

 眉間のしわを深め、丁嵐が問い詰める。少女は気にする様子も無く外を眺めていた。

 

「どっちかなー」「どっちかな…」

 

 曖昧な答えが、やはり重なって聞こえる。この芝居がかった喋り方が、丁嵐は昔から苦手であった。ラジオを完全に止め立ち上がる。

 

「はぐらかさないでっ!嘘をついてるのは「どっち」!?」

 

 握り拳を机の上に叩きつけた。散らばった書類やペンが宙を舞う。

 

「やだなーセイイチったら、ピリピリすると皺が増えるよー?」

 

「誰のせいだと思ってんのよ…」

 

 本格的に熱を持ち始めた額を軽くなでる。手を動かしながら、頭の中を一つづつ整理していった。

 

「そもそもアンタ「達」には古鷹の監視を任せてたはずでしょ?どうして古鷹の暴走を止められなかったのよ!?」

 

 目の前の一人の少女への問いかけ。しかし、丁嵐の言葉は常に複数の対象へ向けられていた。少女の方も、それに疑問を抱く事は無い。

 

「でも…、フルタカがいなかったら殺されてたのはセイイチの方だよ…」

 

 少女の声。しかし、その唇は動いていない(・・・・・・)

 

「御託はいいのよ!アタシは職務を全うしろって言ってるのよ!聞いてるの?【伊13号・14号】!」

 

「クスクス」「ウフフ…」

 

 少女が窓枠から顔を上げ、その全身を露わにした。

 潜水艦と思しき少女は、真っ黒なショートボブの上に魚雷発射管を模した船首型の帽子をかぶっている。長い前髪の間から、やや切れ長の瞳が淡く輝いていた。

 

「だってヒトミが、「松崎(あいつ)が欲しい」って言うから。フルタカなら殺せるかと思ってー」

 

 可愛らしく唇を尖らせる。もちろん、そんな愛らしい仕草に騙されるような丁嵐では無い。

 

「…欲しい?」

 

 伊14号(イヨ)の言葉に眉を潜めると共に、嫌な予感が頭痛に追い打ちをかける。

 窓枠に手をかける伊14の「背後」から、「全く同じ顔をした」もう一人の少女が丁嵐の前に躍り出た。

 双子の姉である伊13号通称「ヒトミ」は、立てた指を濡れた唇の前へ置き、艶めかしい上目使いで丁嵐を見上げた。

 

「ヒトミね、松崎(あのひと)のおちんちん欲しいな…」

 

「はぁ!?」

 

 丁嵐は目を丸くする。

 

「ヒトミ!アンタこの前、整備のイケメン君を「奴隷」にしてやったばっかりじゃない!あのコ、壊しちゃったの!?二か月は「もたせろ」ってアタシ言ったわよね!?」

 

 伊13はとぼけたように首をかしげている。

 

「壊してないよ…。元気に工廠で働いてるよ…。だけどね、二人で休まず二週間くらいずっと「シコシコ」してたから、おちんちんの蛇口が馬鹿になっちゃったみたいなの…」

 

 本当に心配しているのか不安そうに表情を曇らせる伊13に対し、丁嵐は机の上に肘をついてがっくりとうなだれた。

 

「仕事中でも会議中でも街中でもね、ヒトミが「ぴゅっぴゅして」って耳元で言ってあげれば、触らなくてもいーっぱいおもらしできるようになったのよ…。でもぴゅっぴゅ途中で止めたい時でも、おちんちん「くちゅくちゅ」しても「ぺろぺろ」しても全然止まらないの…。いつも泣きながらびぐびぐ痙攣して失神しちゃうから、チトセがもう遊んじゃダメだって…」

 

「だからー、もっと頑丈なのがほしいよー」

 

 伊14が同調する。丁嵐はもうどこから咎めればいいのかわからなくなっていた。

 

松崎(あいつ)はやめときなさい。火傷じゃすまない、全身焼け爛れるわよ…」

 

 とりあえず釘を指し、大きく息を吐く。

 潜水艦として優秀な二人を維持するために、新たな玩具を調達しなければ。丁嵐の頭痛はますますその重みを増していった。

   




【どうでもいいこと】
ヒトミちゃんほしい


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【拾肆】死活愛憎

   

「松崎の状態は?」

 

「一応生きてるよー」「命令だから…」

 

 間延びした声の伊14と、消え入りそうな声の伊13。同時に喋る二人の声を個別に聞き分け、丁嵐はやっと正しい状況を把握した。

 

 松崎は鎮守府の施設で「生かしてある」。

 いくら丁嵐といえど、他鎮守府(よそ)の将官を殺害して、うやむやに処理するなんて事は出来ない。しかも相手は良くも悪くも「有名人」の呉の亡霊。今更ながら、手荒に処分するなんて事は出来なかった。

 

 松崎はまだ利用価値がある。その為の準備も整った。古鷹の暴走は予定外だが、結果オーライだ。時間稼ぎはどんな手を使っても必要な事だった。それが「成せた」のは大きい。

 結果生じた新たな問題と言えば…。

 

「古鷹は演習は棄権ね…」

 

 公開演習の出撃割を眺めながら呟く。今日の航空戦艦の対戦相手である金剛率いる「横須賀第一大戦隊」。その中に古鷹も名を連ねていた。横須賀の「最強軍団」であるこの部隊に彼女は必要不可欠な存在であった。しかし…。

 

「あの体じゃ、しばらくは入院」

 

 松崎との交戦の後に運ばれてきた彼女は酷い有様だった。右肘の炎症、右耳の鼓膜に亀裂、両手首にビー玉大の穴。頭皮に激しい裂傷、頭蓋骨損傷。左肩に銃痕。弾丸は二発とも筋肉を裂き、骨に突き刺さったまま。あごの骨の骨折、それらに伴う大量失血。

 こんな傷にも関わらす死んでいないのは「奇跡」であり、「当然」であった。

 

 古鷹は艦娘の基礎構造である筋力強化や投薬による痛覚調整こそ「ほどこされていない」ものの、妖精たちの絶対的な加護がある。妖精たちは何があっても絶対に古鷹を守る。それは彼女たちなりの愛情表現であり、古鷹を蝕む「呪い」でもあった。

 だからと言って、無理なものは無理だ。古鷹は今まさに「生きているだけ」の状態であった。

 

「重巡枠は鳥海に頼みましょう。あのコも戦闘狂だけど、根は優しいからついて行けるかしら」

 

 呟きながら時計を見る。時刻は14時半を回ろうという所だ。航空戦艦隊はもう準備の最終段階に入っているはずだ。

 

「仕事よ〝ムーアズ〟。松崎の病室を監視して。怪しい動きがあれば秘書の方を殺していいわ」

 

「おけー」「おっけ…」

 

 二人は丁嵐の命令でのみ動く。司令室のドアまで数歩歩くうちに、二人は完全に重なって「一人」になった。ドアノブに手をかけるのはたった一人の少女。部屋の中にいるのは丁嵐を含めた二人だけ。それがムーアズ。死を孕む荒野。「おぞましい二人」。

 

 司令室のドアを開け、視線をあげる。外には出ずに、目を伏せて数歩後ずさった。体の小さな伊14を押しのけて部屋に入ってきたのは、全身から伸びるチューブを引きづった古鷹であった。

 

 傷だらけの体に足を引きずり、ぼさぼさの髪の中で両の瞳だけがぎらぎらと血走っていた。

 唖然とする丁嵐には目もくれず、机の隅に潜んでいた妖精を呼び寄せた。それを手の中に抱き、無言で部屋を去る。

 

「ちょ、ちょっと待ちなさい。古鷹!」

 

 完全にあっけにとられていた丁嵐が、今にも崩れ落ちそうな背中を呼び止めた。古鷹は振り返る事すらせずに、それに答える。

 

「すぐに演習準備に入ります」

 

 絶句。

 この死にぞこないは今なんと言った?

 

「あ、あほー!アホ、バカ、オタンコナス!療養よ療養!アンタ絶対安静よ馬鹿!」

 

 背後から古鷹の腕をつかむ。握った腕は、今にも根元から抜けてしまいそうなほどに弱々しく衰弱していた。古鷹は青白く変色した顔を丁嵐に向けた。

 

「高速修復剤の使用許可を…」

 

「何言ってんのよばかちん!アンタ重体なのよ、死んじゃうのよ!」

 

 両肩を抑え込んで無理矢理正面を向かせる。血の気を失った顔の中で、いっそう落ち窪んだ瞳だけが虚ろに丁嵐を見上げた。唇が、まるで震えるように動く。

 

「艦娘は、重体の時ほど修復剤を使うものです」

 

 声はかすれ、完全に生気を失われている。それに反して、丁嵐の怒声はますます勢いを増していった。

 

「そりゃフツーならそうでしょうが、アンタなんかが使ったらショックで死んじゃうわよ!」

 

「古鷹は、「普通」では無いのですか?」

 

 死んだ魚のような眼がわずかに動く。丁嵐も負けじとその目と向き合うが、すぐに諦めたように肩を落とした。

 

「…【命令】よ古鷹。棄権なさい。あなたが出撃(で)なくたって、榛名たちは負けやしないわ」

 

「お断りします」

 

「古鷹っ!」

 

 丁嵐の悲痛な叫びが司令室にこだまする。両肩をつかむ力を強め、枯れ枝のような古鷹を強く揺すった。

 

「言ってごらん、アタシの命令より大事な物ってのは何?自分の命を懸ける理由は何?」

 

「誠一…」

 

「答えなさいっ!」

 

 古鷹の両手が丁嵐の胸の上に置かれる。小さな手は震え、握られた拳は弱々しく軍服をつかむ。深く顔を下げたまま、今にも泣き出しそうな声で古鷹は懺悔した。

 

「ごめんなさい。愛してる…」

 

「…っ」

 

 弱々しく丁嵐の胸を押して体を離す。そのまま振り返らずに司令室を出て行った。

 

「ファンクラブに殺されそー」「少女漫画的展開…」

 

 2重の嫌味も丁嵐には聞こえていなかった。呆然と後ずさりながら、机の上に腰を下ろす。

 

 いったいなんだってんのよ、どいつもこいつも。

 

 ふさぎ込みながら、再び出撃割に目を落とす。「雷雲戦隊」。そんな名前だったのね。連なる名前にふと目が留まった。「副艦 加古」。

 大きな、大きなため息。空を仰ぎ、出撃割のボードを机の上に放り出した。

 

(言わなきゃわっかんねーでしょうが、あのバカ)

 




【どうでもいいこと】
丁嵐の私室は司令室の向かい。


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【拾伍】正黒不白

    

 気が付くと闇の中であった。何もない意識の中で、ベッドか何かに寝かされてる事だけは背中の感触で知る事が出来る。全身が重く、痛む。わき腹がひときわ熱を持っている事に気が付くと、瞬時にあの狂演を思い出した。殺戮の狂眼、血だまりの中に沈んでいった少女。

 持ち上がった左手だけが温かく包まれていた。頭を振ると体中がきしむ。闇の中で熱を持った全身の痛みだけが、自分の肉体の存在を確かな物としていた。

 

 薄く目を開け、白い天井の眩しさに再び目を瞑る。浮いた左手が激しく揺れた。

 

「提督!松崎提督っ!」

 

 大淀さんの声。ほっと肩を撫でおろす。

 

「怪我は無いみたいですね」

 

「よかった、本当に…」

 

 握られた手に力が込もる。手の甲が温かい水滴に濡れた。指にメガネのフレームの感触が触れている。手探りで顎のラインを伝い、柔らかな頬をなでた。

 

「どれくらい眠っていましたか?」

 

「二時間ほどです」

 

 二時間、航空戦艦はもう演習を開始している。古鷹の襲撃の目的は航空戦艦が海に出るまでの時間稼ぎだったのだろうか。

 

「う、動かないでください!」

 

 少し無理して起き上がってみるが、どうやら全身をチューブか何かで吊られているようで、自由に身動きが取れない。勢いよくベッドに戻ると、吊られた器具がガチャンと音を立てた。

 

「私は目をやられたんですか?」

 

 薄く目を開けてみるが、視野が狭く世界が暗い。蛍光灯の眩しさは、目の中に針のように突き刺さった。

 

「医療艦によれば、内臓の損傷が視覚へ影響を及ぼしているそうです。一時的なものではありますが、無理はなさらないようにと」

 

 医療艦。治療を受けているという事。生きているという事。そこから導き出される答えはひとつ。

 

「ここは横須賀の治療室ですね。私は丁嵐少将に生かされているという事ですか?」

 

「そう、言えると思います」

 

 返答する声はやや沈んでいる。

 ゆっくりと手をおろして、大淀さんの手のひらに数度爪を突き立てた。

 

『拘束サレテイマスカ?』

 

 手の甲に数回、指の感触が触れる。

 

『イイエ』

 

「なるほど…」

 

 私を葬るのにまだ準備がかかるのか、それとも私にまだ利用価値があると考えているのか。

 

(死にぞこないましたね)

 

 大きく息を吸うと、胸の前で束になったドッグタグがじゃらりと音を立てた。

 

 襲撃された時間から逆算して今は16時程だろう。航空戦艦は今演習の真っ最中だ。あの丁嵐の下で鍛えられた古強者達の死闘を拝めないのは実にもったいない限りである。そして、ふと思い出した。

 

「古鷹さんは無事ですか?」

 

 殺してはいない、と思う。自信は無かった。

 あのような「特異体」に不覚を取るとは私も年を取ったものだ。いや、彼女の異常なまでの執念に気付けなかった時点で、彼女に対する認識が甘かったと言わざるを得ないだろう。

 

「それが…」

 

 大淀さんが唾を飲む音が聞こえる。

 重症か意識不明か、正当防衛とはいえ、事実をいくらでも捻じ曲げられる丁嵐の下では厳しい責任追及は免れえない。

 

「どうやら彼女、公開演習に出撃()ているみたいなんです」

 

 自然に口角が引きつった。

 確かに彼女は「人間」では無さそうだ。立派な「艦娘」。いや、戦艦だってあんなにタフな人はいないだろう。

 

「大淀さん、潜水艦達から続報は?」

 

「はい、瓦谷が捕まった時の証拠記録を調べさせたのですが、それが…」

 

 報告の声が徐々に小さくなる。

 大淀さんの癖。いや、私の秘書艦として裏の仕事をこなすうちに身についた癖だろう。

 

「証拠として使われた瓦谷の電話記録は実在しません。裁判に使われた音声の「データ」があるだけです」

 

「そうですか…」

 

 大方予想通りだ。

 瓦谷はありもしない証拠によって罪を問われた。指示を出したという電話記録はねつ造。録音の実物は「存在しない」のではなく、おそらく「必要なかった」のだろう。

 

「初めから瓦谷は丁嵐から西への【貢物】だった。古鷹さんの特殊な事情を言い訳に「上官を譲るから、『A』は見逃してくれ」などと持ち掛けたのでしょう」

 

 もちろん「『A(フルタカ)』を守る」というのも偽装。本心は丁嵐自身の保身が濃厚だ。

 

「そして西はまんまと【貢物(それ)】に喰らい付いた。意気揚々と偽の録音データまで準備して。そして丁嵐という最大のガンを取り逃がした」

 

 大淀さんが大きく頷いたのが、風の動きでわかった。

 

「丁嵐は黒。確定しましたね」

 

 声に力がこもる。しかし大淀さんには悪いが、私個人として今回の件は気になる部分が多すぎた。

 

「難しいですねぇ、古鷹さんの様子を見るに限りなく黒には近いんですがねぇ」

 

「まだそんな事言ってるんですか!間違いなく丁嵐は黒です。彼が去年の佐官殺しの主犯です!」

 

 厳格な秘書艦様の不満顔は、見なくても察しが付く。

 まあ、そう考えるのも当然だろう。私だって丁嵐がオール善人のおちゃらけ野郎だとは思っていない。

 

「状況証拠から見るに、当時の丁嵐大佐が瓦谷少将に罪をかぶせたのは間違いないでしょう」

 

 自らの昇進と、対立派閥の邪魔者の排除。それを同時に成し得る佐官殺しは丁嵐にとってメリットしかない。餌に瓦谷を使ったのも、派閥間の裏事情に詳しい彼ならむしろ当然だと言える。

 

「丁嵐は黒。これは考えるまでも無いはずです!」

 

「私だったら古鷹さんは殺しますがね」

 

「は?」

 

 私の意見に、大淀さんが頓狂な声を上げた。

 

「もし私が丁嵐少将の立場なら、実行犯の古鷹さんは事件を言い訳に処分します。私でなくても百人中百人、彼女は邪魔になるでしょう」

 

 昇進した彼としては、件の佐官殺しはさっさと過去の出来事にしておきたいはずなのだ。なら、汚点の本丸である古鷹さんを側近に据えるなんて言うのは行動が矛盾している。

 事実機会はあったはずだ。なのに丁嵐は周囲の意見に反発し、結果的に周りの反感を買っている。これでは辻褄が合わない。

 

「古鷹は丁嵐に心酔しています。それを利用するつもりじゃないんですか?」

 

 大淀さんの指摘はいつも的確で的を得ていた。それを否定するのは、私のようなひねくれ者の仕事だ。

 

「それなら余計に古鷹さんを処分したがると思いますがね。彼女だったら、丁嵐少将に「死ね」と命じられたら自分で舌を噛み切ると思いますが」

 

「何が言いたいんですか?」

 

 これも正論。

 彼女の言葉は、いつも正しい答えの道しるべとなる。しかし、その正論を打ち破るのはいつも不条理で意味不明な言葉なのだ。

 

「私にだってわかりませんよ」

  




本日午後の更新で【外伝】終了です。


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【拾陸】真偽終着

    

 丁嵐の狙いと真意。

 料理しようにも材料の少なすぎる現状に、私も大淀さんも半ばお手上げ状態であった。時間だけが刻一刻と過ぎていく。

 

 私は光の入らない暗闇の中で、ただ大淀さんの深い呼吸を聞いていた。押しては引く波のような緩やかな波長は、このような状況下において、良くも悪くも私の心を落ち着けてくれた。

 

 カーテン一枚隔てた先から、雑音の多いラジオの実況が耳に入ってくる。大淀さんの腕時計がカチカチと定刻を刻む音が、そこに一定のリズムを添えていた。

 それら全てをかき消すかのごとく、ガラリと勢いよく扉が開く。大淀さんの呼吸が乱れ、心臓の音がほんのちょっぴりテンポをあげた。

 ベッドの横で靴の固いかかとが鳴る。声を聞かずとも相手は想像がついた。

 

「思ったより元気そうで安心したわ」

 

 気遣いの声は軽い。しかしその言葉が誰よりも場違いで、何より無意味なのだとここにいる誰もが知っていた。

 椅子の足が床をこする。私は手を持ちあげて大淀さんを制した。

 

「大淀さん、銃を収めてください!」

 

 指先に銃口が触れている。ホルスターから銃を抜く音は聞こえなかった。もしや私が眠っている間、ずっと引き金に指をかけていたのか。

 

「よその将官に銃を向けるなんて、躾がなってないわね松崎」

 

 真っ黒な銃口を向けられても、丁嵐の声には一ミリの動揺すら感じ取れない。

 

「どの口が!」

 

「大淀さんっ!」

 

 私の叱咤を受けて、銃の部品がこすれる音がした。銃を下したのか、撃鉄を戻したのか。何にしろ大淀さんが落ち着くのを待ってから、私は丁嵐のいる方向に顔を向けた。

 

「お互いの秘書官が提督を暗殺なんて、笑い話にもなりませんからね」

 

「お互い、ねぇ?」

 

 声色が少し低くなる。声の雰囲気から感情が読み取れるかもしれないと、お茶会でそこに注目しなかった事にほんの少しだけ後悔した。

 

「うちの古鷹がどうしたって?」

 

「私の傷。医療艦によれば、全治3ヶ月との事です。顎の骨折と視力の著しい低下、内臓破裂多数。私の体を調べれば、古鷹さんが実行犯だというのは簡単に判別がつくでしょう。そこはどう弁明なさいますか?」

 

 ふっと息が漏れる。鼻で笑ったのか、胸をなでおろしたのか、今の弱った視力ではそれすらも判断できなかった。

 

「そんな荒唐無稽な妄言を垂れ流す気違いを収容しておける施設が横須賀(うち)にはいっぱいあるわ」

 

「貴方にしては随分と強引な方法ですね」

 

 ここまで大がかりな事件を起こしておいて、丁嵐の声にはだいぶ余裕があるように聞こえた。演技かもしれないが、この短時間のやり取りでそれらを判断するのは困難だ。

 

「自分の首を絞めるかもしれませんよ?」

 

 目が見えない以上、言葉で吐かせるしかない。

 私の言葉選びは、軟な上級官僚を追い詰めるには十分な圧力を備えていたはずだ。発言を誤れば殺す。暗にそう言っていた。

 

「…迂闊な発言は控えさせてもらうわ。「録音」でもされてたらたまったもんじゃないからね」

 

 丁嵐は揺るがない。

 私にできないと思っている訳では無いだろう。言質を得られなければ殺せまいと高をくくっているのか。それとも目を覚ましてからずっと向けられている「二人分」の視線が、丁嵐の護衛も兼ねているのか。

 

「では何の用です?」

 

 素直な疑問で話を繋いた。少なくとも情報提供のサービスに来てくれたわけではなさそうだが。

 

「観艦式の招待客が「体調を崩された」とあっては責任者として様子を見に来るのは当然でしょう」

 

 まったくもって白々しい。たぶんだが、彼は今実に不愉快な笑みを私に向けている事だろう。大淀さん、歯ぎしりめっちゃうるさい。

 

「私はこの後何をすればいいんです?こんな体なので無理は控えたいのですが…」

 

 丁嵐が少し息を吸った。

 一瞬心臓の音が途切れるが、息を吐くと同時にフラットなテンポを取り戻した。動揺とは言えない、わずかな間。表情は動いただろうか。もしかしたらあえて大きく動揺を顔に出したかもしれない。

 

「物わかりが早くて助かるわ」

 

「カンですよ。昔馴染みのカンというやつです」

 

 理論であった。危険を冒してまで丁嵐がここに来たのは「見定める」為だ。私が働けるような状況なのか、古鷹はやりすぎて(・・・・・)いないか。監視の報告を受けてなお直接足を運んだのは、丁嵐が個人的に私に何かをさせようと画策しているからだ。

 

 そう考えれば、こうやって彼と軽口をたたいている時点で、彼の目的は達成された事になる。あと二・三言で彼は病室を去るだろう。情報が欲しい。彼の真意を導き出すヒントが欲しい。

 

「私は…」

 

 丁嵐は「悪役慣れ」していた。人に嫌われる事に抵抗も、嫌悪感も持ち合わせていない。挑発するには、彼の本心に踏み込む必要があった。

 

「私は貴方を軽蔑しています。過剰なまでに艦娘に入れ込み、組織の本質を見失う。貴方の暴走は醜いエゴに過ぎない。提督失格です」

 

 一息にまくしたてる。

 彼の持つ「安いプライド」に賭けた。こんな大事を動かす背景は、きっと彼自身も笑ってしまうような「安いプライド」に支えられていると思ったからだ。

 

 ではそれは何か?

 

 『防衛の荷を背負わされながら、無知なる大衆を演じさせられる屈辱』

 

 丁嵐の昼の発言から、彼が艦娘の境遇に大きく不満を持っているのは間違いない。しかし、兵器である艦娘を人と同等に扱うなどという夢物語を追いかけるほど愚かではないはずだ。見た目ほどロマンチストな男ではないのだ。

 

 こちらが得た情報は。

『古鷹の忠義』

『かつてAを助けた』

『艦娘の現状』

『丁嵐の不満』

 導き出されるキーワードは…。

 

「貴方は、うすっぺらい『愛情』で艦娘に同情しているだけです」

 

 しん、とあたりが静まりかえった。

 

 つばを飲み込む音が嫌に大きく聞こえる。

 閉じられた視界の先で、空気が歪むのを感じた。丁嵐の立っているはずの空間が、まるでぽっかりと穴が開いたかのように消失した。無言の圧力と「虚無」の存在感。

 後ろの大淀さんが「ひっ」と小さく悲鳴を上げた。

 暴風のような圧力に見下ろされ、無意識に口元が痙攣する。「目が見えなくて良かった」という安堵の笑みであった。

 

「アタシはアタシなりの答えを見つけただけよ。艦娘(こども)達が血で血を洗うこの時代。提督(おとな)であるアタシ達がやるべきことは何なのか」

 

 威圧感とは裏腹に、丁嵐の声は落ち着いていた。

 背後で大淀さんの歯がカチカチと鳴っている。どうやら、落ち着いているのは声だけのようだった。

 

「その為にどれだけの物を犠牲にするつもりですか?」

 

 私も怯む訳にはいかなかった。せっかく崩した丁嵐の牙城だ。無理矢理にでも顔を笑みの形に整えて、追撃を試みる。

 しかし、丁嵐の圧力はふっと風の様に消えてしまった。背後でガシャンと大淀さんが椅子に崩れ落ちる音が響いた。

 

 丁嵐の雰囲気は、別人のように落ち着いていた。いや、「冷めた」というのが正しいのだろう。

 

「舌戦でアタシをやり込めようなんて舐められたものね。本調子じゃないなら大人しくしてなさい。仕事はもう少し先よ」

 

 それだけ言い残して背を向ける。

 さすがにその背中に追撃戦を仕掛けられる体力は、もう残っていなかった。どっと汗が湧き出してくる。早く包帯を取り変えたかった。

 

 疲弊した私の横顔を見て、大淀さんが問いかける。その声も重苦しい疲労の色がにじみ出ていた。

 

「い、命を削ったかいはありましたか?」

 

 目を瞑って(元から瞑ってるけれど)少し考える。収穫はあった。頭の中は先ほどまでとはうって変わって見通しが良かった。

 

「丁嵐少将は黒です」

 

 言い切る。

 少し驚いたように大淀さんが身を乗り出した。

 

「彼は自分の目的の為に無関係の他者を貶める人間です。奴は真っ黒です」

 

 動機はわからないが、行動の筋道は見えた。私の予想が正しければ、航空戦艦の行方を巡って丁嵐と大本営の間で何か「いざこざ」があったのではないか。そしてこの観艦式を通してそれは動き続けている。

 

 航空戦艦・観艦式・公開演習

 

 大本営が丁嵐と交わしたやりとりの詳細が知りたい。知りたい。知りたい、が。

 

「ぐあ…」

 

 腹部に強い痛みが走る。あわてて大淀さんが私の背中に手を回した。

 

「松崎少将!ご無理はなさらないでください!」

 

「お、大淀さん…」

 

 無理が祟った。もともと起き上れるような状態では無かったのに、度重なるプレッシャーにより全身に限界が来ていた。全身の力が抜けていくのがわかる、思考がぐらぐらと渦を巻く。手足のしびれ、頭痛、迫り来る嘔吐感、高熱が全身を支配した。

 

 私は渾身の力を振り絞って、ズボンのポケットに手を伸ばした。中から取り出した紙切れを大淀さんに握らせる。

 

「こ、これで…私の変わりに…」

 

「松崎少将!」

 

 ――――そこで意識を手放した。

 

 

 

 

・・・・・・・・・・

 

 大淀はこと切れた松崎を残し、再び観艦式の喧騒と向かい合っていた。その瞳は強き決意に彩られている。

 手には松崎から渡された紙を握りしめている。それは、くたびれた一万円札であった。

 

『こ、これで…私の代わりに…』

 

「松崎提督…あなたの想い」

 

 駆ける。

 ベビーカステラの屋台は演習場の先だ。

 

「あなたの想い(カステラ食べたい)は必ず届けて見せます!」

 

(あと、アイスも…)

 

「あとアイスー!」

 

 眼鏡の少女は太陽の下で風を切る。

 有能秘書の明日はどっちだ――――――!

   




「外伝」はこれにて終了です。
次回更新以降、日向の公開演習を舞台にした【最終章】に入ります。

【どうでもいいこと】
製本作業進行中
※活動報告更新しました。


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