コードギアス 黒百合の姫 (電源式)
しおりを挟む

第1部 あの夏の日に聞いた蝉の声を僕達は忘れない
第1話


 本作に関して特筆すべき注意点は下記の通りです。

 ・これは逆行憑依系ルルーシュですか?
  いいえ、毒舌蹂躙系オリーシュです。
 ・キャラ崩壊や魔改造が発生します。
 ・独自設定、独自解釈、TS要素、百合要素が含まれます。
 ・アニメ以外、特に小説版の設定が流用されています。
 ・ゼロレクイエムに否定的です。
 ・読む人によっては不快感を覚える程度のアンチ・ヘイト表現が含まれます。

 長々となりましたが、以上の点を踏まえた上でご覧いただければ幸いです。
 至らぬ点が多々あるとは思いますが、何卒よろしくお願い致します。



 

 トクン……トクン……トクン……。

 

 一定の間隔で刻まれる鼓動。

 静寂の中、嫌でも聞こえてくる自らの心音。

 それがこの世界に存在する唯一の音源だった。

 

 ここには何もない。

 いや、少し語弊があるか。少なくとも、こうして思考する自我を確立している自分と、そしてそれ以外にもう一つだけ存在を許されているモノがある。

 

 闇。

 

 気付いた時、俺は深い闇の底に居た。

 見渡す限りの全てが、どこまでも果てしなく、ただただ黒く染まっている。

 そう、一片の光もない。

 天と地の区別もなく、重力といった物理法則や時間の概念も、ここには存在していないように思えた。

 果たして自分が今、立っているのか座っているのか、それとも横になっているか、はたまた浮かんでいるのかすら定かではない。

 そんな世界で俺は只一人、膝を抱えて眠りに就く。

 

 あの瞬間から一体どれだけの時が経過したのだろうか?

 

 残念ながら分からない。

 そもそもこの世界はどこで、俺はいつから、どうしてここに存在しているのだろう。

 闇に溶け込みすぎたとでも言うのか、思考が正常に機能していない。

 辛うじて疑問を抱くことは可能だったが、考えを上手く纏めることが出来ず、推論さえ構築できないのが現状だった。

 抗えば得体の知れない何かに阻害され、侵食されるような感覚を味わい、ひどく気分が悪くなる。もちろん最初は受け入れることができず、幾度となく抵抗を試みた。だけど結果的にそれが無意味だと悟り、諦め、答えのでない無意味な自問だけを繰り返した。

 

 ふと彼女の言葉を思い出す。

 王の力はお前を孤独にする、か。

 これが力を手に入れ、行使した代償であり、また罪に対する罰だというのなら異存はない。

 望まれるがままに、この孤独な闇の中で贖罪に身を委ねよう。

 否定したはずの変化なき世界、停滞した時が檻というのも皮肉が効いている。

 

 ただ、かつて求めた安息がここには存在する。

 如何なる害意にも脅える必要はない。

 つまり周囲を警戒して神経をすり減らす必要がない。

 何かを否定する必要も、抗う必要も、戦う必要もない。

 誰かを喜ばすことは出来ないが、誰かを悲しませることもない。

 誰かを傷付けることも、自分が傷付くこともない。

 痛みを感じることなく、怠惰に惰眠をむさぼり続けるだけの日々。

 ある意味で平穏。

 自分だけに優しい世界。

 つまらないと感じる一方で、喜び受け入れている自分が居るのも確か。

 思考さえも束縛する闇は、堅牢な檻であると同時に、安らぎを与えてくれる揺りかごなのかも知れない。

 さて、この辺で取り留めのない思考は止めよう。

 最早回数を憶えていないほど、同じ思考を繰り返したはずだ。

 まあその記憶すら曖昧なのだが……。

 

 半瞬、思考に一層靄が掛かり、感覚が失われ、意識が遠退いていく。

 いつもと変わらない突然の睡魔の誘い。

 まるで亡者が手招く奈落へと落ちていくような錯覚を覚えた。

 そろそろ慣れてもいいと思うが、一向に慣れる気配はない。

 それどころか回を重ねる毎に不快感は増しているように思える。

 ともすれば、この嫌がらせじみた誘いも罰の一環なのだろう。

 そう考えると思わず苦笑が浮かぶ。

 その瞬間、俺の意識は完全に途切れた。

 

 

 

 前回の覚醒から、どれだけの時が経過したのだろうか?

 

 眠りが突然なら、当然覚醒もまた俺の意思とは関係なく不意にやって来る。

 意識を取り戻すとほぼ同時、反射的に無意味な疑問を抱く。

 当然答えが出るはずもなく、出たところで何かが変わるわけでもない。二重の意味で無意味な事だと理解していても、一度身についた習慣はなかなか変えられそうもなかった。

 瞼を開く。と言っても目の前に広がるのは変わる事のない闇だけであり、開けているのか閉じているのか判断に困るのだが……。

 ただ今回の目覚めは、いつもと違っていた。

 この闇の世界に訪れた初めての変化。

 

『…………っ……』

 

 覚醒する直前、誰かの声が聞こえた気がした。

 それが誰の声なのかは分からない。

 遂に精神が壊れて幻聴が聞こえ始めただけ、という可能性が無いわけではないが、どういう訳か俺はその声に懐かしさや親しみを感じた。

 そう感じるのだから、少なくとも知人の声に似ていたのだろう。

 

 一体誰の声なのだろうか?

 

 声の主に興味を抱き、機能しない思考を無理矢理働かせる。

 刹那、ノイズが走り、激しい不快感が襲ってきた。

 触れてはいけない何かに触れてしまったのかも知れない。

 気味の悪い、形容し難い何かが、意思を持って絡み付いてくる。

 這い上がってくる。

 呑み込まれていく。

 慌てて思考を停止させ、凍結を試みるが時既に遅かった。

 

 侵食、同化、それとも消滅か。

 自分の身に何が起こっているのか理解は出来ない。

 だが本能は叫んでいた。

 

 怖い、と恐怖し。

 気持ち悪い、と嫌悪し。

 嫌だ、と拒絶し。

 助けてくれ、と懇願する。

 

 久しく忘れていた感情。

 死してなお、生を求める弱い心。

 

 決して救いの手が差し伸べられる事はないだろう。

 この世界に存在するのは己が只一人。

 それでも藻掻き、虚空へと手を伸ばす。

 無我夢中で手を伸ばす。

 

 何かが掴めると期待していた訳じゃない。

 明確に何かを求めていた訳じゃない。

 それこそ、そんな余裕は微塵もなかった。

 しかし結果的に伸ばした指先が何かに触れた。

 この世界で目覚めて、初めて自分以外の存在に触れた。

 

 驚きを抱き、やがて安堵へと変わる。

 それが何かは分からない。

 藁にも縋るとはこういう事を言うのかも知れない。

 

 儚い希望か。

 永久の絶望か。

 

 嗚呼、どちらでも構わない。

 俺は躊躇うことなく、それを掴み取る。

 

 半瞬、紅き凶鳥が闇の世界に羽ばたいた。

 

 

 

 

 

     ◇

 

 

 

 

 

「そう、やはりキミは眠りから目覚めるんだね。

 かつて『ゼロ』を名乗りながら、無が齎す安寧を拒み、抗い続ける道を選ぶ。

 

 だけど気付いているのかな?

 どれだけ遠く羽ばたいたとしても、その呪われた運命……『王』の呪縛からは逃れられないという事実に。

 

 切に願うよ。

 キミがこれ以上、壊れてしまわないように」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第2話

 何かに急き立てられるように、勢いよく上半身を起こし、掛けられていた毛布をはね飛ばす。

 

「ッ! はぁ……はぁ……」

 

 息苦しく、荒い呼吸を繰り返した。

 痛みを感じるほど激しい動悸。

 まるで耳元で心臓が鼓動しているみたいだ。

 そして重度の倦怠感。長い時間、水の中を漂っていたかのように身体が重く、力が入らない。

 自分の身に何が起こっているのか理解できず、漠然とした不安が込み上げる。

 

 暫くの後、正常な呼吸を取り戻し、不足した酸素を得た脳が再起動。

 そこで初めて思考する余裕が生まれる。

 まずは自分が置かれている状況を把握することが先決だと結論を出し、額の汗を手の甲で拭う。

 

 最初に視界に映ったのは、今まさに自分が眠っていたであろう天蓋付きのベッド。マットレスや寝具を含め、高級の上に最が付く代物であることは間違いない。

 眠っていたというのなら、先程の症状は悪夢を見た影響からだろうか。

 寝汗も酷く、汗を吸い込んだ寝衣が肌に張り付いて不快感を齎す。出来ることなら一度着替えたいところだ。

 

 さらに周囲を見渡すと、最高級なのは何もベッドだけではないことに気付く。

 射し込んだ月明かりに照らし出された室内、視界に映る全ての調度品が豪奢であり、それどころか部屋の造りからしても一般的ではない。

 手の込んだ装飾が施された柱、月明かり差し込む飾り窓、高い天井に吊された──照明具として使用するには逆に非効率だろう──シャンデリア、窓の外に併設された広いバルコニーなど。まさしく贅の限りを尽くした、生活する上で無駄としか言えない部屋。

 ただ、それら調度品や内装にはどこか見覚えがあった。

 懐かしいとさえ言っても良い。

 そう、僅かな差異はあるが、まるで幼き日に過ごしたアリエス離宮の自室を思い起こさせる。尤もアリエス離宮は残念ながら帝都ペンドラゴンに投下されたフレイヤによって、二度と訪れる事の出来ない場所となってしまったが────

 

 フレイヤ。臨界と共にセスルームニル球体を形成し、効果範囲内の全てを根こそぎ消滅させる最悪の大量破壊兵器。その効果範囲は最大100㎞にも及ぶ。第二次東京決戦において初めて実戦使用される。その後、天空要塞ダモクレスに搭載され、投下されたフレイヤによって帝都ペンドラゴンは消滅。またダモクレス戦役終盤の富士決戦では、その圧倒的な破壊力によって戦場を蹂躙した。

 

 ダモクレス、富士決戦、超合集国、黒の騎士団、悪逆皇帝、ゼロレクイエム……。

 脳裏に走ったノイズと同時、フレイヤを皮切りに記憶が膨大な情報となって溢れ出る。

 処理速度が追い付かず、脳が悲鳴を上げるかのように激痛を生み出した。

 

「がっ……」

 

 激しい痛みに顔を歪め、思わず衝動のままに叫び声を上げそうになる。手で頭を押さえ、奥歯を噛みしめて押し殺すが、抵抗の甲斐なく俺は意識を失った。

 

 

 

 どれだけの時間意識を失っていたのだろう。

 一瞬か、数分か、いや数十分かも知れない。

 ただ射し込む月明かりの位置から考えて、それほど長い時間意識を失っていたわけではないようだ。

 再び意識を取り戻した時、俺の脳内にはゼロレクイエムへ至るまでの詳細な記憶が鮮明に残されていた。

 だがそれとは別に言い知れぬもどかしさが心に巣くう。

 ゼロレクイエム直後からの先の記憶に靄のような何かが絡み付き、それ以上先を探ることが出来なかった。それこそあの男のギアスによって、記憶を改変されて居た時の感覚に似ている。漠然とした違和感が苛立たしい。

 もちろんギアスやそれに類する得体の知れない力によるものではない可能性も高い。何せ俺はゼロレクイエムによって死んだはずの人間。その後の記憶が存在しないことは当然と言えば当然のこと。人の根源たる集合無意識へと還り、融け合うことによって情報を共有したとでも言うなら話は別だが……。

 

「どうなったんだ、ゼロレクイエムは……ナナリーは……」

 

 そう、悪逆皇帝ルルーシュ=俺の死によってゼロレクイエムは完遂されたはずだった。現に眼前のゼロ=スザクが手にした剣で胸を貫かれた瞬間の記憶はある。熱と痛みと寒さを感じながら、確かスザクの奴に皮肉の一つでも掛けたはずだ。

 そして次に霞んだ視界に映り込んだのはナナリーの顔だったと思う。既に意識は朦朧としていて実感はなかったが、最愛の妹に看取られたことを喜ぶべきだろうか?

 

 いや、そう言う問題ではない。

 もしそこで計画通りゼロによって殺されたのなら、こうして存在している今の俺は何者だ? 

 どうして天蓋付きのベッドで眠っていた?

 その後の世界はどうなった?

 

 先程感じた痛みや現状感じている肌寒さは、生きているからこそ感じられるものだろう。

 そっと胸に手を当てる。スザクに貫かれた際の傷口は既に完治しているのか、僅かな痛みも感じない。

 紛れもなく心臓は鼓動し、己の生存を肯定していた。

 また布越しでも伝わる人間の体温特有の温かさがあった。

 一応更なる確認のために手首にも触れてみるが、やはりちゃんと脈もある。

 

 俺は生きている。

 そう考えて間違いないだろう。

 ならば何故俺は生きている?

 

「……っ、まさか」

 

 思い浮かんだ最も可能性の高く確実な生存理由。

 知る者が限られた異端の儀式。

 それがコードの継承。

 継承者は保持するギアス能力を失う代わりに不変存在、つまりは不老不死となり、新たな契約者のギアス能力を発現させる能力を得る。

 

「いや、それはあり得ない」

 

 首を横に振り、すぐにその考えを否定する。

 俺が知るコード保持者の一人、あの男はCの世界でラグナレクの接続を阻止した際、おこがましい願いと共に存在を否定され、コードを保持したまま集合無意識へと呑み込まれた。

 そしてもう一人の保持者である魔女は、最後まで俺にコードを委譲する事を拒んだ。もちろん自らの死を以て贖罪と考えていた俺自身に継承の意思はなく、それが彼女に伝わり、俺の意思を尊重してくれてのことだろう。

 契約不履行。

 自分だけが利益を享受した。

 生きる為の力を与えて貰い、精神的に支えてくれた彼女の願いを、俺は何一つ叶えてはいない。

 非道い男だと言われても仕方ないな。

 

 そして思考は振り出しに戻る。

 何も解決しない問題。

 情報不足の為、このまま思考を続けても答えは出ないだろう。

 なら情報を得るだけだ。

 

 幸いこんな豪華な部屋を与えられる待遇なのだから、今すぐに生命を脅かされる可能性は低いと考えて良い。拘束されているわけでもなく、少なくとも一定の自由もある。

 

 狙いは何だ?

 悪逆皇帝という存在か、それとも俺が知り得た情報なのか?

 

 何者かの監視下にあるなら、相手は俺が目覚めた事実を既に知っているはず。機密情報局に監視されていた体験を活かし、監視カメラの類を目視で探してみるが、よほど巧妙に隠されているのか発見することはできない。

 何れにしろ遅くとも夜が明ければ何らかのアクションがあってしかるべきだ。

 その時を待ち、今後については相手の出方を窺ってから考えるのが、現状としての最善策だろう。

 

 今後の方針は決まった。

 よし、思考を切り替えよう。

 来るべき時までどう過ごすかだが、二度寝をするなど以ての外だ。この状況で睡眠を取れるほど俺の神経は図太くない。スザクやあの魔女辺りなら、平然と眠りについてもおかしくないが。

 確かに身体を休めることは重要だが、既に十分な睡眠を取っているらしく眠気は皆無。

 そもそも例え眠るにしても先にやるべき事がある。

 そう、まずは着替えだ。

 思考を続けている間も、湿った寝衣によって着実に体温は奪われている。どう動くにしろ、体調を崩していては問題外だ。体調を管理し、コンディションを維持することは全ての基本と言える。

 

 取り敢えず目に付いたクローゼットを目指すためにベッドから降りる。

 柔らかく毛足の長い絨毯に僅かに足が沈んだ。

 

「ん?」

 

 その瞬間、俺はこの身に起こった異変に気付いた。

 酷い違和感ともに襲い来るバランス感覚の変調。

 長い時間眠っていた可能性がある以上、当然と言えば当然か。やはり筋力が衰えているのだろう。それに未だ残る倦怠感も影響しているに違いない。

 

 何故かいつもより視野が狭い。

 ゼロレクイエムの後遺症により視覚に影響が出ている可能性が考えられる。

 まあ、これも原因が想像できるから良いだろう。

 

 何故かいつもより視点も低い。

 何故だ?

 いや、その理由の一つとして、そう感じてしまうのは周りにある全ての物が大型化しているからだろう。近くにあった書棚の最上段には背伸びしても手が届きそうもなかった。

 調度品を必要以上に大きくして何の意味がある?

 むしろそんなことをすれば逆に生活しづらいに決まっている。俺が眠っている間に人間の感性が変わったのか? 大は小を兼ねるがブームになったとでも言うのか?

 

「うん、そうだな、きっとそういう事だってあるはずだ」

 

 俺は無理矢理自分を納得させる。支離滅裂で意味不明。理論的な自分らしくないと自覚しているが構わない。

 決して伸ばした手指が自分の物に思えなかったとか、落とした視線の先に小さな足──まるで幼い子供のものと思われる──があったからじゃないぞ。

 だ、断じて違う、そんなもの俺は絶対に見ていない!

 

「…………」

 

 いや、待て。

 現実から目を背けるな。

 

 心を読むギアスを保持していたマオ曰く、俺の中には常に自分の行動を見ている批評家の俺と、さらにそれを醒めて見つめている俺が居るらしい。きっとこの言葉は彼等のものなのだろう。

 

 現実から目を背けるな、か。

 良いだろう。

 俺は世界を壊し、世界を創造する男だ。

 先程からとてつもなく嫌な、それでいてあり得ない推測ばかりが脳裏を過ぎっているが、こんな所で立ち止まっているわけにはいかない。

 俺ならやれる、やれるじゃないか!

 

 一歩また一歩と足を踏み出す度に、まるで警鐘を鳴らすかのように速まる鼓動。

 渇いた喉がひりつき、嫌な汗が滲み出す。

 それでも立ち止まることなく、恐る恐るクローゼットの傍に置かれていた姿見へと近付き、意を決してそこに映し出されたモノを視界に捉えた。

 

「えっ?」

 

 それを目にした時、最初はまるで理解出来なかった。

 あまりの衝撃に、きっと本能がその事実を受け入れることを拒んだのだろう。

 目の錯覚を疑い、まだ寝ぼけているのではないかと目を擦ってみたり、目頭を押さえてみたりもした。

 だけど何度繰り返したところで結果は同じだった。

 無情にも姿見に映っている姿は変わらない。

 だから────

 

「ほわあぁぁぁぁぁッ!?」

 

 思わず素っ頓狂な声を上げる。

 どうしても上げずには居られなかった。

 

 そう、そこに映っていたのはルルーシュ・ヴィ・ブリタニアではなく、似て非なる超絶美幼女の姿だった。

 

 

 

 

 

─────以下暴走的なネタです。シリアス(笑)重視の方は全力スルー推奨─────

 

 

 

 

 

 しばらくお待ち下さい。

 そんなテロップと共に、俺の脳内には綺麗なお花畑の映像が流れていた。

 そこには幼き日のナナリーとユフィが居て、仲良く楽しそうに生花のアクセサリーを製作している。嗚呼、懐かしく、穏やかで、愛おしい日々。

 その光景に癒され、心が温かくなる。

 そう、ぽかぽかする。

 ふふっ、あはははは、やはり彼女達は可愛い。

 もう何度でも断言しよう。

 ナナリー、可愛いよ、ナナリー。

 そして誰にも嫁にはやらん!

 

 え、俺もこっちへ来いって?

 行きたいのは山々だが、目の前を流れる川が邪魔をするんだ。言っておくが、別に泳げないわけじゃないからな。

 くっ、蜃気楼、いや無頼でもあればすぐに向かうというのに。ええい、船はないのか、船頭はどこに居る!?

 

 目的の人物を探す為に室内に視線を巡らせ、そこでハッと我に返る。危うくもう少しで渡ってはいけない川を渡り、集合無意識へと還るところだった。

 これが現実逃避というものか?

 否、今のはただ思考がショートしていただけだ。

 本当の現実逃避を見せてやろう!

 

 俺は何も見ていない。

 そう、何も見ていない。見ていないったら見ていない。

 大切な事なので4回言った。

 

 大丈夫だ、例え見たとしてもきっとこれは夢だ。俺はまだ目覚めていない。夢の中に居る。つまり夢から覚めた夢というわけだ。きっと俺は疲れているに違いない。超合集国憲章批准式典の前後からゼロレクイエムの瞬間まで、まともに眠る事すらできなかった。故に肉体的にも精神体にも相当の疲労が蓄積されていたのだろう。

 一応頬を抓ってみる。使い古された伝統というやつだ。

 うん、痛いぞ♪

 

「…………」

 

 思わず膝から崩れ落ち、蹲りそうになったが、痛みを感じる夢だってあると自分を納得させる。

 さて、もう一眠りしよう。きっと次に目が覚めた時には、この悪夢も終わっているはずだ。というか終わっていてくれ、頼むから。

 ただ一体どこまで夢だったのかという不安も若干ある。

 可能性としても考えたくはないが、俺の中にある記憶も全て夢だとしたら?

 喜怒哀楽の全てが、行動の全てが、想いの全てが虚構だとしたら?

 それこそ悪夢であり、生きる気力を失ってもおかしくない。

 けれど今はそれ以上にこの耐え難い世界を脱したかった。イレギュラーに弱いことは十分に自覚していたが、流石にこの展開はない。想像すらできないし、したくはない。というかキャパの限界を優に超え、精神が保たない。時間の経過と共に何か大切なモノがガリガリと削られていく。

 

 俺は再びベッドに上がり、道すがら拾った毛布に包まった。

 流石に最高級品、肌触りが違う。

 さあ、全てを忘れ、この心地よさの中で眠りに就こう。

 湿った寝衣の不快感?

 ハハハ、何のことを言っているんだか。そんな些細なこと今さら気にして何になると言う。大事の前の小事だ。

 次に目覚めた時こそ、視界には本来の世界が広がっているだろう。

 そう、夢と希望に満ち溢れた学園恋愛アドベンチャー的なご都合主義万歳ハーレムライフが…………。

 

「何だその安易な厨二的妄想はッ!?」

 

 あまりに酷い精神汚染に一周回って客観的見地に立ち、思わず一人ツッコミを入れながら跳ね起きてしまう。

 確かにアッシュフォード学園での生活に関して言えば、所謂ギャルゲーと呼ばれる恋愛シミュレーションゲームと比べても遜色がないほど、周囲には個性的もといキャラの濃いメンバーが揃っていたのは事実。

 仮にもしゲーム化された場合、きっと主人公は自分に好意を抱かせる恋愛ギアスを保持し、攻略対象者に僕を好きになれとでも宣うのだろう。

 え、俺に使う? ウェディングドレスが似合いそうだから? 止めろ、想像するんじゃない!

 閑話休題。

 だからといって俺が特定の誰かに恋愛感情を抱くことはなかったが、今ここで敢えてヒロイン候補を挙げるとすれば────

 

 エントリー№1 ナナリー・ランペルージ。

 その愛らしさ、健気さ、儚さは間違いなくメインヒロインの座を狙える。というかメインヒロイン以外は認めたくないが、倫理的にも昨今の社会事情的にもアウトだ。決して二次元と現実を混同してはいけない。

 

 エントリー№2 C.C.。

 言わずと知れた唯我独尊ピザ暴食ニート魔女。神秘的? 何それおいしいの?

 だが記憶を封印して、いじめてオーラ全開系メイド属萌え萌え少女と化せばあるいは……。

 

 エントリー№3 紅月カレン。

 猫っかぶりは超一級、成績も悪くはないが基本脳筋のエースパイロット。

 ところであの髪は形状記憶合金で出来ているのだろうか?

 

 エントリー№4 シャーリー・フェネット。

 一応正統派なのか? いや、待て。今さらだが冷静に考えれば、生まれ変わっても好きになる宣言はどうなんだ? 実はヤンデレ属性だった可能性も……。

 

 エントリー№5 ミレイ・アッシュフォード。

 元許婚ではあるが、ゴーイングマイウェイなお祭り女でありトラブルメーカー。

 

 エントリー№6 ニーナ・アインシュタイン。

 彼女に至ってはガチレズ。

 

 エントリー№7 アーニャ・アールストレイム。

 無口系不思議少女だが、その内側に俺の実母の精神を内包している。つまり彼女に手を出せば、間接的に実母にも手を出したことになるのか? 合法近親相姦? それなんてエロゲ?

 

 エントリー№8 篠崎咲世子。

 何でもこなせる完璧メイドだけど実は天然NINJA。

 

 エントリー№9 ヴィレッタ・ヌゥ。

 女教師だけど最終的にモジャを選ぶぐらい男のセンスが壊滅的。

 

 あれ?

 こうやって考えると、まともなヒロインが居ないんじゃないのか?

 ああ、もしかしてこれはアレなのか?

 実はギャルゲー的ではなく──かつてシャーリーのルームメートであったソフィ・ウッドも嵌っていたと聞く──BLゲー的学園ライフ?

 

 リヴァルは最早クラスメイトAだから無視して……。

 ロロは弟系で童顔なショタ属性。一見儚げなイメージを受けるが、その実態は紛れもなくヤンデレ。誘い受けどころか下克上狙うS系攻めと見た!

 ジノも怪しい。普段からやたら肩を組んできたり、過剰なスキンシップを取りたがっているように思える。ハッ、やはりその気が!?

 そして最大の懸念はスザク。幼馴染みというアドバンテージを有し、アイツだけが知る封印指定の過去の痴態もある。何より天然で体力馬鹿という最悪の組み合わせを持ち、なおかつ戦術で戦略を覆すイレギュラーというある意味では俺の天敵だ。

 必然的に考えて、スザクと「ずっと友達だよね?」エンド以上は確定なのか!?

 

“そうさ、童貞坊や”

 

 どこからとも無く魔女の囁きが聞こえた気がした。

 

「うがあああぁぁぁ─────!!」

 

 あまりの錯乱にキャラが崩壊する。

 

 落ち着け、俺。我を忘れるな。

 そうクールだ、クールになれ。

 素数を数えるんだ。

 

 よし、取り敢えず深呼吸しよう。

 ヒッヒッフー、ヒッヒッフー。

 何か違う気がするが、一応効果はあったようだ。

 熱暴走を起こした思考がある程度の冷静さを取り戻す。

 

 さて、いつまでも狂態を晒しているわけにもいかない。

 何よりそれでは問題は解決しない。

 そろそろ現実を直視し、また受け入れて立ち向かおう。

 

 だから俺は再び姿見の前に立ち、映し出された幼女と改めて対峙する。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第3話

 

 

 

 腰の辺りまで伸ばされた艶やかな黒髪、アメジスト色の澄んだ瞳、鋭さを感じさせる目元が特徴的な整った面立ち。闇色のネグリジェに包まれた肌は透き通るほどに白い。

 体格から考えて、年齢は十にも満たないと推測するが、愛らしいというよりも麗しいと形容できる年不相応な魅力を有している。

 ある一部の性癖を持つ者の目に留まれば、速効でお持ち帰りぃ~されてしまうことが確実な容姿と言っても良いだろう。

 

 さて、最大の問題は後回しにするとして、まず何から考えるべきか?

 

 髪や瞳の色、顔立ちといった外見的特徴は俺=ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアと符合する点が多い。幼少時を思い返せば、よりそれは顕著だろう。

 素直に受け入れたくはないが、この肉体が限りなく身近な血縁関係者もしくは類似遺伝子保持者であると考えて間違いない。

 しかし、当然俺に双子の兄妹は存在しない。同腹の兄妹はナナリーだけだという事実は、ブリタニア皇族の公式記録でも明らかだ。

 

 いや、論点がずれている。

 例えこの肉体が何者であろうとも、俺の精神及び意識がこの肉体を支配している現状に変わりはない。

 俺のギアスは絶対遵守の力であり、決して人の心を渡るギアスではない。

 あの男の──記憶改変──ギアスを用いたとしても、ここまで事細かに詳細な記憶、そ

れこそ本人しか知り得ないであろう記憶まで植え付けるのは不可能だろう。

 

 この時点で──荒唐無稽ではあるが──可能性はいくつか思い浮かんでいた。

 ループ現象による時間逆行。

 平行世界への次元転移による憑依。

 新たな生として転生。

 これから体験するであろう記憶は全て予知夢によって齎されたモノだった。

 どれも確証はなく、呆れてしまうほどに馬鹿馬鹿しい。自分の考えながら、まるで三流のSF小説の如きチープさに思わず笑ってしまう。

 

 一方でその愚かしい考えを否定できない自分が居る。

 現状はそれらの可能性でしか説明が付かないからだ。

 常識的に考えればあり得ない事だろう。例え誰かに話したところで誰も信じることはなく、それどころか正気を疑う程に。もし俺が打ち明けられた立場なら、間違いなく精神科への通院を勧めている。

 けれど俺は常識の外側にあるモノを知り、触れ、その力を行使していた。

 ファンタジーにしてオカルト。

 

 かつてリヴァルに勧められて、いくつか二次創作のネット小説に目を通した事がある。原作知識または未来知識とチート能力を持ち、転生や逆行を行い、その世界に介入する主人公を取り扱った作品を最低系と言うんだったか。

 彼等は予期せぬ死によって命を落とした後、神もしくは神の代行者を自称するモノと接触し、第二の人生を歩む事となる。

 今の俺の立場と似ていると思わないか?

 

 しかし死後、神やそれに連なる存在に出会った記憶は俺には存在しない。

 ああ……、もしかしてアレか?

 ラグナレクの接続を阻止するために、俺は『神』と呼ばれていた集合無意識にギアスを使用し、願いを叫んだ。

 それでも俺は明日が欲しい、と。

 それを集合無意識は受け入れたのだが、その時のギアスが伏線だったとでも言うのか?

 

 今となっては……いや、今でなくとも真相は解らない。人の根源たる集合無意識と対話が可能であったのか不明なのだから。

 ただ、これでますます最低系主人公の条件は揃いつつある。

 

 神と定義された存在との接触。

 ゼロレクイエムまでの未来知識を保持。

 逆行もしくは転生の結果と思われる肉体の外見年齢。

 残るはチート能力か。

 

 やはり最初に思い浮かぶのはギアスだ。

 世界の理から逸脱した超常の力。

 条件はあるが紛れもなくチート能力に当てはまる。

 

 物は試しだとギアスの行使を意識する。

 僅かな痛みを伴い、眼球の奥が熱を放つ。

 姿見に映る紫紺の双眸の中に浮かび上がったギアスの紋章。

 だが、それだけだ。

 禍々しい気配を放つことなく、まるで力を感じない。

 紋章が浮かび上がる以上、ギアスそのモノが失われたわけではないのだろう。何らかの理由で休眠中か、もしくは封印されている恐れもある。解除条件は不明だが、現時点では失っていないだけマシと考えるしかない。

 

 結果、チート能力としても最低系主人公としても中途半端だと理解する。

 考えたくもないが、それを補うように銀髪オッドアイへの外見変化ではなく、TS要素が加わっているのか?

 もしそうなら、誰にともなく余計な事をするなと声を大にして言いたい。

 

「……はぁ」

 

 大きく溜息を吐き、近くあったソファに腰を落として身を預ける。

 

 今が皇歴何年なのかは未確認だが、明らかに幼くなった肉体年齢と、今居るこの場所がアリエス離宮である可能性を踏まえ、取り敢えず過去と仮定した上で話を進めよう。

 過去への逆行だけならある程度は問題なかった。未来知識を持っている以上、例えギアスが使えなくても、どうにか上手く立ち回り、最低限ラグナロクの接続だけは阻止する自信はある。それこそ発動の鍵であるコードを保持するC.C.さえ確保できれば良いのだから。

 もちろん悲劇を繰り返すつもりはない。

 もしここがアリエス離宮の自室だと仮定するなら、まだV.V.による第五后妃暗殺は起きていないと考えられる。それこそ今夜が暗殺当日でなければの話だが。

 暗殺を未然に防ぐことが出来たなら、それだけで歴史を大きく変える事が出来る。けれどギアスが使用できない以上、容易なことではないだろう。

 あの男にギアスを掛け、支配下に置いた上でV.V.を高圧力カプセルやコールドスリープ装置に封印するのが最も簡単な対処方法だったが、その方法は使えない。

 いや、仮に暗殺を防げなくとも、最悪ナナリーさえ巻き込まなければ問題ないか。

 残念ながら今の俺は母=マリアンヌを含めて親を愛してはいない。

 自分達の都合で俺達兄妹を捨て、その生命にさえ執着の無かった相手だ。今度はこちらから見限ればいいだけのこと。

 我ながら歪んでいると理解しているが、あんな人生を歩めば歪むなと言う方が無理だ。

 

 さて、目下の問題は──俺の精神に多大なダメージを与え続けている──TS化してしまったこの肉体について。

 敢えてTS化の理由をこじつけるとすれば、やはりこの世界が平行世界の一つだからという結論に辿り着く。その場合、現状は単純な逆行ではなく次元転移及び憑依など複数の事象が合わさった結果だと考えられる。

 無限に存在すると言われている平行世界だ。その中には俺が男ではなく、女として産まれ落ちた世界があっても何ら不思議ではない。

 

 この肉体=俺に酷似した幼女はきっと美少女、そして美女へと成長していくのだろう。これはナルシストとしての妄言ではなく、アッシュフォード学園時代に受けた客観的評価が基になっている。ミレイ会長の思い付きで行われた男女逆転祭り。思い出したくもないが、女装させられた俺の姿は多くの者が認める美少女であり、男女問わず告白を受け、またラブレターを貰う惨劇を引き起こす。何が嬉しくて男から愛を囁かれなければならないんだ。と、酷く頭を痛めたものだ。

 ただ、ここだけの話。それ以前からも同性からラブレターを貰っていたのは誰にも言えない秘密だが……。

 

 閑話休題。

 

 この身体が異性であると実感すればするほど、何というか違和感が込み上げる。主に何処がとは聞かないでくれ。考えれば考えるほど今後が不安になるが、その不安が程なくして現実となる事には目を背けておく。生きている限り、誰も人間の生理現象から逃れられないのだから。

 

 しかし、18年間男として生きた俺の感情と固定概念を無視すれば、それほど大きな問題では無いのかも知れない。

 これから未来知識を利用して行動する上で、性別の違いなど本当に些細なモノだ。

 

 そう、理解はしている。と、思い込みたい。

 だが感情が伴わない。

 もう一度大きく溜息を吐き、天を仰ぐ。

 

「嗚呼、憂鬱だ……」

 

 

     ◇

 

 

 受け入れがたき現実に困惑する少女の姿を、夜空に浮かぶ月だけが静かに見下ろしていた。

 

 

     ◇

 

 

「────殿下、皇女殿下」

 

 そんな声が聞こえ、今後に対する深い思考の海から抜け出す。すると目の前にはメイド服を身に纏った侍女の姿があった。

 既に部屋の中は明るく、射し込む光が月明かりから太陽光へと変わっている。

 どうやらあのままソファで朝を迎えたようだ。

 

「お声を掛けても反応がなかったようですが、如何なさいましたか? どこかお身体の調子でも」

 

 不安げな表情を浮かべた侍女が、心配そうに問い掛けてくる。

 ただ気になるのは、彼女の瞳に僅かながら恐怖の色が見えることだろう。

 部屋の主の了承を得ずに室内へ入ったことを咎められるとでも思っているのか?

 生憎と俺はそんな器の小さな人間ではないし、何より思考に集中して周りが見えていなかったのは自分の責任だ。いくら状況が状況だからといって少し軽率すぎた感がある。今後は気をつけよう。

 

 だが困った。

 どう返事をすればいい?

 残念ながらこの肉体の持ち主が、どんな性格で、どんな趣味嗜好を持ち、どんな態度を周囲に取っていたのか、まるで分からない。

 残念ながら都合良く記憶の共有は行われていないらしい。

 人として褒められた行動ではないが、情報源となる日記やメモを漁っておくべきだったと後悔する。もちろん最悪書いていないという可能性もあるが……。

 さてどうする?

 

 いや、あまり深く考えるべきではないのかも知れない。

 所詮は子供だ。ある程度のパターンは考えられる。それに例え間違ったとしても、その場の気分で態度が変わる事などよくあることだ。

 

「ううん、大丈夫。ありがとう」

 

 取り敢えず言葉少なく無難に答え、笑みを浮かべて誤魔化してみる。この肉体の外見スペックを考えれば、その笑みにはそこそこの威力があるはずだ。多くの者に好意的な印象を与えることが可能だろう。そもそも人間は総じて幼子や動物の赤子に弱い傾向があると聞いたことがある。

 だが刹那、俺の考えは見事に裏切られた。

 対面する侍女は僅かに頬を染めたかと思うと、その直後、まるで信じられないモノを見たかのような驚愕の表情を浮かべて言葉を失ってしまう。

 

 あっれぇ~?

 何でそんな想定を斜めに上回る反応なんだ? ここは「安心しました」とか「それは良かったです」と言って微笑み返す場面じゃないのか?

 おかしい、俺は間違っていないはずだ。子供という利点を最大に生かしたはずだぞ。

 どういう事だ?

 この身体の持ち主は普段は笑わない感情の乏しい子供だったのか? 無口系か? 無口系無表情キャラか? 私が死んでも代わりは居るもの、とか言っちゃう系なのか? 馬鹿ばっか……なのか?

 くっ、落ち着け、まだ一言だけ。ワンアクションだけだ。これから幾らでも挽回できる……はず。まずは彼女からこの身体の持ち主の情報を可能な限り得る事が先決だ。

 

「……そ、そうですか」

 

 再起動した侍女は訝しがりながらも、流石はプロと言った慣れた手つきで朝の支度に取りかかる。

 具体的には俺の顔を拭き、ネグリジェを脱がせて身体を拭き、ドレスに着替えさせ、髪を梳く。

 自分でするからいいと口を挟む暇もなく、俺はただ着せ替え人形のように身を任せるしかなかった。

 そう言えば皇族時代──主観時間では10年ほど前か──は何から何まで使用人に任せ

る事が当たり前の生活を送っていたんだったな。ひどく遠い過去のように思える。あの頃は自分も無知で無力な子供に過ぎなかった。

 

 などと俺が過去の回想に思いを馳せていた間に朝支度は整い、姿見にはより洗練された美幼女のドレス姿が映し出された。映し出されたのだが、一つ気になるのは身に纏うドレスについてだ。

 俺は当初──これは偏見かも知れないが──幼少時にナナリーやユフィ達が着ていたような、フリフリでフワフワでキュアキュア(?)な愛らしいデザインのドレスを着させられるとばかり思っていた。

 しかし現在、俺が身に纏っているのは華美な装飾がまるでない、シックなデザインのドレス。しかも闇色だ。それが恐ろしく似合っている。ネグリジェの時から、もしかしたらと思ったが、クローゼットの中身もほぼ黒一色であった事から間違いない。

 試しに侍女にそれとなく遠回しに聞いてみたが、この肉体の持ち主の趣味だという旨の答えが返ってきた。

 やはり普通の子供というか女児とは趣味嗜好が違うようだ。別にピンクのフリルいっぱいリボンいっぱいのドレスを着たいわけではないから、助かったと言えば助かったのだが……。

 女児の方が男児よりも肉体だけでなく精神的発達も早いと言われているが、それだけが理由だとは到底思えない。

 ただの着替えが、この身体の持ち主に対する不安を増大させる結果となったこともまた想定外だ。

 

 別の質問も侍女に問い掛けてみたが、明確な答えは避けている様子。これ以上不審がられるのも流石に拙いと思い切り上げたが、あまり好感を持たれてはいないようだ。

 隠そうとはしているが、関わりたくはないといった感情が伝わってくる。

 本当にこの身体の持ち主は一体どんな人間だったのか?

 高飛車に他者を見下した我が儘皇女?

 もしそうなら演じる自信がない。

 だからといって急激に変化すれば明らかに不自然だ。

 この身体の持ち主には悪いが、憑依するなら強く頭を打った直後か、高熱を出して生死を彷徨った直後にして欲しかった。

 いや、今さら言っても仕方のないことだが……。

 

 

 

 自室を後にした俺は朝食を摂るためにダイニングルームへと向かっている。

 まあその前にトイレに行ってセルフ羞恥プレイを受けたのだが、それは語るべき事でもないだろう。というか、人間として当たり前の排尿行為について熱く語る趣味はない。言っておくが、俺は幼い自分自身に欲情するような小児性愛者でも性的倒錯者でもないからな!

 

 さて歩きながら、ここまでに得た情報を整理しておこう。

 まず、リリーシャ・ヴィ・ブリタニア。

 それがこの身体の持ち主というか今現在の俺の名前らしい。ルルーシュとリリーシャ、語感も字面も似ているので特に問題はないか。そもそも今の状況に比べたら名前なんて問題にすらならないレベルだろう。

 神聖ブリタニア帝国第98代皇帝=シャルル・ジ・ブリタニアを父に、第五后妃=マリアンヌ・ヴィ・ブリタニアを母に持ち、立場的にユフィに代わり第三皇女となっているようだ。

 そして同母妹の名がナナリー・ヴィ・ブリタニア。

 家族構成から考えて、この身体の持ち主=リリーシャ・ヴィ・ブリタニアが、この世界におけるルルーシュ・ヴィ・ブリタニアに当たる存在であることは間違いない。

 またこの場所がアリエス離宮であり、今が皇歴2008年──つまりV.V.による第五后妃暗殺のおよそ1年前である事も確認できた。

 

 暗殺の阻止についての具体的な案は、結局一晩では考えが纏まらなかった。だが幸いなことに猶予が残されていると判明した以上、状況がもう少し落ち着いてからでも遅くはないだろう。もちろん実際に動くとなれば相応の準備時間が必要となるが、現状で俺が出来る事など高が知れている。少なくとも個人で動いたところで結果を変えることは難しい。まずは足場を固めることが必要だ。

 ただこの世界を平行世界の一つと仮定して上で、果たして前の世界と同じ道を辿るのかという疑問もあった。これは単に希望的観測でしかないが、俺が女として産まれた世界があるように、暗殺が起こらない世界があっても何も不思議な事ではない。

 言葉にすると笑ってしまうが、無限の可能性という奴だろう。

 ならそれとは逆に、あの日の夜ではなく、今この瞬間に暗殺が行われる可能性を同時に孕んでいる事も忘れてはいけない。

 

 もし後者の場合、一体俺に何が出来る?

 否、何も出来ない。

 運が悪いと、運命だと諦めるしかない。

 

 だがもし巻き込まれたナナリーが、この世界では命を落としたとしたらどうする?

 後悔するしかない?

 諦めるしかない?

 ふざけるな。

 

 偶然か必然か、奇跡か運命か。理由も原因も推測の域を出ないが、こうして実感できる現実として手に入れた二度目の生。

 本来なら希望を抱くべきなのだろう。

 けれど残念ながら──過去の経験や記憶がそうさせているのか──今は未だ明るい未来

を想像することができない。

 俺が辿るべき道は、血と嘆きに彩られた復讐と反逆の修羅の道しかないのか……?

 

 そんなことは認めない。

 俺は首を数度横に振り、負の感情に染まりつつあった悲観的な思考を振り払う。

 意図せず得たチャンスだ。それをみすみす潰したりはしない。

 今度こそ、今度こそ実現してみせる。

 ナナリーが、いや多くの人々が望んだ優しい世界の創造を。

 

 決意を新たにした後、肩の力を抜き、眉間に寄る皺を消す。

 ダイニングルームにはナナリーも居るはずだ。

 こんな険しい顔では怖がられてしまうかも知れない。

 この世界で再び巡り合える知ったナナリーの、最初に見る表情はやはり笑顔であって欲しいと思う。

 

 

 

 歩みを進めた廊下の先、ダイニングルームの扉が視界に映る。

 それとほぼ同時に視界に飛び込んだ一人の幼女の姿に視線が釘付けになった。

 アッシュブロンドの髪、アメジスト色の愛らしい大きな瞳、大きなリボンが胸元にあしらわれたドレス。

 この俺が見間違うはずがない。

 視線の先、幼き日のナナリーの姿がそこにはあった。

 

 引き離され、擦れ違い、相容れぬまま、死によって別離した最愛の妹。

 込み上げてくる愛おしさ、切なさ、歓喜。そして憎悪に胸が押し潰されそうになる。

 …………ん? 

 憎悪?

 何を馬鹿なことを、俺がナナリーに対してそんな感情を抱くはずがないだろ。きっと二度と会うことは不可能と思われたナナリーとの再会に興奮し、感情を上手く制御できていないに違いない。

 

 俺はそう自分を納得させながら、ゆっくりとした歩調でナナリーへと近付いていく。本当なら駆け寄って抱き付きたいところだが、リリーシャの性格を未だ掴めていない現状、そんな事をしてナナリーにまで奇異な目で見られたら正直立ち直れない。

 

「おはよう、ナナリー。よく眠れた?」

 

 無難に、そう今度こそ無難に親愛の情を込めて声を掛ける。日本に送られてからブラックリベリオン直前まで、ほぼ毎朝のように交わしていた会話だ。多分にルルーシュ成分が顔を覗かせていると自覚しているが、その流出の止め方を俺は知らない。

 

「っ、リリーねえさま……、お、おはようございました」

 

 この当時、活発でお転婆で純心といったイメージしかないナナリーが、俺が声を掛けた瞬間、僅かに肩を震わせ、どこか緊張した面持ちで、ぎこちない笑みを返してくる。その影響なのか、調整前のジェレミアの如く言葉も変だ。

 俺が見つめる瞳は潤み、恐怖を抱いている事が伝わってくる。

 

 ぐあっ……心が折れそうだ。

 期待は裏切られ、絶望が包み込む。

 鬱だ、死のう。

 確か中庭に首を吊るにはちょうど良い大きさの木があったはず。ロープと脚立はどこにあったかな……。

 

 って待て、早まるな。

 もしかしてこの世界では兄妹、いや姉妹の仲は相当悪いのか?

 アレか、凄まじく性格が悪かったのか、リリーシャ!?

 ナナリーを怖がらせるほど?

 この馬鹿がッ!!

 

 ひどい、こんなのあんまりだ!

 この世界でもう一度やり直せると思ったのに!

 コーネリアに負けない姉バカになってやると、暗殺阻止そっちのけで決意したのに!

 何故なんだ、リリーシャ!?

 

 

 

“ふふっ、だって嫌いだもの、この子のこと。でもそれはキミも同じだろ、ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアくん?”

 

 

 

 まるで俺の心の叫びに応えるかのように、俺の内側から発せられた声は幼くも蠱惑的な少女のものだった。

 まさかこの声は────

 

“この子が居なければ、キミはもう少し幸せな結末を迎えられたはず。残念だけど、それが事実”

 

 違う、間違っているぞ。

 ナナリーの幸せが俺の幸せだ。

 俺はナナリーを愛している!

 

“クスクス、愛と憎しみは表裏一体とはよく言ったものだね。実に的を射ているよ。ああ、それに可愛さ余って憎さ百倍とも言うよね?

 優秀なキミのことだ、自分の感情に気付いていないわけがない。気付かない振りをしていた、それとも理想の兄という仮面で覆い隠していたのかな?”

 

 黙れ、消えろ!!

 

“ふふっ、嫌だよ”

 

 少女の声が悪戯っぽく否定の言葉を告げた瞬間、視界が歪み、世界が暗転する。

 

 

 

 広がるのは闇の世界。

 そして目の前に生まれる人の気配。

 

「初めましてで良いのかな?」

 

 そう言って微笑むこの世界の俺──やたら露出度の高いフリフリな戦闘ドレスに身を包み、手には身の丈を超える巨大な錫杖を手にし、頭に黒い猫耳を生やした──リリーシャ・ヴィ・ブリタニアと対峙する。

 

 …………。

 そうですか、魔法少女ですか。

 わかりません。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第4話

 

 

「何なんだ、その格好は!? 何故そんな格好をしている!?」

 

 もう突っ込まない。

 そう心に誓ったはずなのに、突っ込まずには居られなかった。

 だってどう見ても魔法少女のコスプレだぞ?

 突っ込むなと言う方が無理だ。

 そもそも何だこの展開は?

 さっきまで割とシリアスな雰囲気になってきていたはずなのに、何故パロディモードに突入している?

 

「何故って、趣味かな」

 

 しれっと告げるコスプレ幼女。

 趣味か、なら仕方がない。とでも言うと本気で思っているのか?

 確かに日本製のアニメや特撮は質が高く、ブリタニア貴族の中にもファンは居た。もしかしたら皇族の中にも居たのかも知れない。

 かく言う俺も外交上の人質として日本へ送られ、受け入れ先──つまりはスザクの生家である枢木神社だが──で日曜朝の特撮番組に触れ、不覚にも変身ヒーローに憧れを抱いた過去を持つ。

 ヒーローの仮面を自作し、そのセンスをスザクに否定されたのは忘れたい過去の一つだが、今にして思えばそれがゼロのコスチュームに影響を与えた可能性も否定できない。恐ろしいモノだな、日本の特撮というものは……。

 ならば年不相応に感じる目の前の幼女の実年齢的には、アニメの登場人物に憧れを抱き、真似しようと考えても何もおかしい事ではない。むしろ子供らしい純真さを失っていないことは喜ばしいことではないか。

 

「あとはこういう格好をしていた方が、キミが油断してくれるかもと思ったりもしたけど」

 

 そう言って猫耳をピコピコ動かし、ドレスの下に隠れていた尻尾をクネクネさせるリリーシャ。

 前言撤回だ。こいつに限ってギャップ萌えなど存在しない。

 きっと純真さの純の字もなく、初期に抱いたイメージ通り腹黒で間違いないと確信する。

 

「こんな愛らしい女の子に腹黒はないんじゃないかな?」

 

 っ、何故俺の心が読める?

 まさかマオのギアスと同じ読心系能力保持者なのか? 

 それともこの空間がこいつの支配下にあるのか?

 

「気にするだけ無駄だよ。それより話を進めようじゃないか」

 

「ああ、確かにそうだな」

 

 仮にこの空間がリリーシャの支配下であり、思考さえ知覚できるなら、この状況で打開策を考えるだけ時間の無駄。読心能力の厄介さ、相性の悪さはマオとの一件で痛感させられた。

 相手の目的が分からない以上、今後リリーシャを演じ続ける為にも、少しでも多くの情報を得ることを優先すべきだ。

 

「どうして今まで存在を隠していた? ここに来るまでに接触の機会はいくらでもあったはずだ」

 

「キミが慌てふためいている姿がとても滑稽だったから、しばらく眺めていようかと。実に楽しませてもらったよ。

 というのは冗談……でもないんだけど、私だって今回のこの事態は初体験だったからね。ご、強引に私の中に男が入ってくるなんて……、出来ればもう少し優しくして欲しかったよ……ぽっ」

 

 何故そこで頬を染めて意味深に内股をモジモジさせる?

 そもそもぽって何だ? 効果音か? 効果音なのか? 何故自分で口にする?

 駄目だ、余計な事を考えるんじゃない。これ以上相手のペースに乗せられてどうする。そう、スルーだ。スルーしよう。スルーできれば良いが……。

 

「つまり俺の狼狽する姿を鑑賞するために敢えて放置したと?」

 

「うん、そうなるね。特にギャルゲー理論の件は面白かったよ」

 

「くっ!?」

 

 平然と認めやがりますか。

 やばい、精神的ダメージが慙死レベルだ。

 取り敢えず殴って記憶を消すことは出来ないか?

 

「さて、親睦を深めたところで改めて自己紹介をしようか。

 もう既に知っているとは思うけど、私の名前はリリーシャ・ヴィ・ブリタニア、つまり今のキミだね。もちろん性別は女、これも確認済みだよね? ゾウさんが好きです、でも麒麟さんの方がもっと好きですなお年頃だよ」

 

 どんな年頃だ?

 そもそも実在する象と空想生物である麒麟を比較する感性が理解できない。

 しかも明らかにサバを読んでるだろ? その発言が許されるのはもう少し年齢が低いはず……。というか似合わなすぎだ。ああ、ナナリーなら似合うな。

 

「好きなモノは他人の不幸、嫌いなモノは他人の幸福。性格は極めて自己中心的。座右の銘は見敵必殺ってところかな」

 

「最悪だな」

 

 これが事実なら侍従やナナリーの態度も頷ける。

 自分から近付きたいと思う相手ではない。

 

「褒め言葉として受け取っておくよ。

 さて次はキミの番だけど、実は必要としていないって言ったら怒るかな?」

 

 リリーシャが戯けたように問い掛けてくる。

 

「どういう意味だ?」

 

「既にキミの記憶は見させてもらったよ、キミが滑稽な姿を晒している間に。悪いとは思ったんだけど、好奇心には勝てないお年頃だから仕方なよね?

 それに私はキミに肉体の支配権を譲っているんだ。その対価として記憶を覗くことぐらい許して欲しいと思うのだけど駄目かな? ま、駄目と言われたところで既に手遅れだけどね」

 

「なっ!?」

 

 さすがに言葉を失った。

 もしそれが事実ならプライバシーの侵害どころの話ではない。

 

「なかなか興味深い物語だったよ。特にこの世界の理を逸脱する超常の力の存在には、この将来有望な胸が熱くなったね。

 ただ結末には色々と思うところがあるんだけど、長くなりそうだから今は触れないでおくことにするよ」

 

 楽しげにリリーシャは笑う。

 その言葉が事実なら、こいつはゼロレクイエムまでの記憶を覗き、俺が保持していた全ての情報を労せず手にしたことになる。コードやギアス、Cの世界を始めとしたこの世界の常識を覆し、根幹を揺るがす、秘匿すべき情報を含めて……。

 

「さて、今回の本題に入ろうか」

 

 あまりの事態に呆然とする俺をよそに、リリーシャは巨大な錫杖を宙に浮かべると、その柄に腰を下ろして言葉を続けた。

 

「繰り返しになるけどもう一度言うよ。私はナナリーの事が嫌いだ。別に彼女の幸せを否定するまでではないけど、別段望んでもいない」

 

「何故だ、お前にとっても唯一同腹の妹のはず!?」

 

 紛れもない嫌悪をナナリーに抱くリリーシャの言葉に、思わず俺は感情的に叫んでいた。

 

「おかしな事を言うね。血の繋がりを理由に無条件に他人を愛する義務はない。もしあるなら近親憎悪はこの世からなくなっているよ。

 そもそも現にキミだって、血の繋がった実の父親を快く思って居なかったじゃないか」

 

 何を今さらと言いたげなリリーシャの視線。

 確かに第五后妃暗殺事件が起こる前から、あの男との親子関係が良好かと聞かれれば、そうとは言えなかった。もちろん相手は専制君主国家の頂点に君臨する皇帝であり、一般的な家庭事情とは比較出来ない。俺達の元を訪れる頻度は他の后妃達と比べれば多かったと聞き、母さんの事を本当に愛していた事実は窺い知れた。が、それでも世間一般の父親という概念からは懸け離れた存在。

 故に当時の自分はあの男の事を愛すべき家族ではなく、血縁関係者の一人程度にしか思えなかった。

 

「だけど敢えて理由を挙げるとすれば、無知であり無垢であることが、どうにも私の琴線を刺激するからと言ったところかな。それに彼女には無償の愛を与えてくれる存在が居る。

 もしかすれば心のどこかで嫉妬しているのも知れないね」

 

 自嘲気味な笑みを浮かべた彼女の言葉に俺は違和感を感じた。

 無知である事は子供の特権であり、無垢であることもまた同じだ。成長するに従い知識を学び、知恵を身に着け、その過程でいずれは負の感情を知る。

 ならば現時点でのナナリーの年齢や、生活環境を考えれば無知であり無垢である事は当然と言えるだろう。

 それは本来、十歳にも満たないリリーシャも同様であるはずだ。

 しかし彼女の口から発せられた嫉妬という言葉。それが羨望の裏返しを意味しているとしたら、彼女は無知な子供では居られない環境に置かれている事になる。

 そして無償の愛を与えてくれる存在が居ないのは、その愛が偽りだと知ってしまったからと考える事も出来る。

 確かに当時の自分は母親に愛されていると信じていた。それが幻想だとあの時、Cの世界で気付かされたのは苦い経験だ。

 

「おっと、さっそく話が逸ているじゃないか。私の事は良いんだよ、今はキミの話をしているんだから。そんな同情するような視線は不快だから止めてくれないかな」

 

「自分から語っておいて、俺を責めるのは筋違いじゃないか」

 

「……そうだね、私としたことがいけないいけない。話を戻すとしよう。

 私とは対照的にキミの行動理念には常に他者──彼女の存在があった。

 弱者である彼女が安心して暮らせる世界の構築、彼女から母親を奪った仇に対する復讐、彼女を一方的に切り捨てた父親への怒り、彼女が再び手に入れた笑みを曇らせたブリタニアに対する反逆。そして最後はフレイヤ投下を容認し、自国民を虐殺した彼女の罪を肩代わり。自分の命まで捧げるなんていやはや。

 麗しい兄妹愛? 違うね。そんな綺麗なモノとは程遠い、互いに依存する歪な関係。キミだけに関して言えばもはや執着の域だよ。

 そしてそれは死を経験し、こうして新しい明日を手に入れた今現在も変わっていないようだね。一度は世界の為、人類の明日の為だと自分に嘘を吐き、己を偽り、悪逆皇帝の仮面の下に押し隠した。けれど本質は変わることなく、この世界のナナリーという同位存在を前にすれば、その仮面は意図も容易く砕け散る。だから簡単に愛だとか優しい世界だとか、過去の未練が溢れ出す」

 

 錫杖から降りたリリーシャが、自身が座っていたその柄に手を掛ける。

 

「私はね、危惧しているんだよ。キミがまた同じ過ちを繰り返し、彼女の為に今度は『私』の命まで消費してしまうんじゃないのかって。

 もしそれが図星なら、こう言わなければならないね」

 

 半瞬、俺の視界から彼女の姿が消えた。

 

「冗談ではないよ」

 

 背後から聞こえてくる冷たい声。

 殺気と共に、首に押し当てられた刃。

 俺は動けなかった。知覚速度を凌駕するという、何とも人間の枠組みから大きく外れた動きだが、もはやその程度では驚きはしない。仮にスザクレベルの身体能力があれば、少しは反応することが可能だったかも知れないが、生憎と俺にそんな超人的身体能力はなかった。

 

「俺を殺すつもりか?」

 

 答えの分かりきった問いを投げかける。

 自分の中に突如として現れた別人の精神。それも肉体への干渉可能、つまり生殺与奪権を左右できる不純物に恐怖や嫌悪感を抱き、排除しようとする行為は当然の反応だと言える。

 ただ、もし仮に精神的な死を齎す事が可能であり、相手にその気があるのなら、無意味に言葉など交わさず、この世界に俺を引きずり込んだ瞬間に殺害していたはずだ。防ぐ手段を持たない俺は意図も容易く再び死を与えられていた事だろう。

 しかし俺は生きている。

 いや、彼女の意思によって生かされていると言ったところか。

 

「安心して良いよ、今すぐにどうこうしようなんて思っていないから。

 あれだね、今回は忠告。私はまだ死にたくないからね。望まぬ自殺とかはごめんだってことを言いたかったんだよ」

 

 そう言ってリリーシャは殺気を消し、俺の首から刃を退けると、いつの間にか大鎌と化していた錫杖をくるくる回しながら笑みを浮かべる。

 

 今は見逃すが、今後自ら生命を危険に晒すことになれば容赦はしないという事か。

 肉体の生殺与奪権は俺が握っているが、精神の生殺与奪権は相手が握っていると考えて間違いない。

 だとすればリリーシャの目的は何だ?

 俺を生かし、自由を許し、肉体の支配権を与え続ける事に一体どんなメリットがある?

 

「狙いは何だ?」

 

「さあ、何だろうね。まさか聞けば答えが返ってくるなんて思ってないよね? そこまで無能だったら私も考えを改めないといけないかな」

 

「っ、そうだな。だが今ここで俺を殺さなかったことを後悔しても、文句は受け付けないからそのつもりでいろ」

 

 簡単に消されるつもりはない。

 お前には悪いが、逆にこちらが精神の生殺与奪権を握る方法も手に入れてみせる。

 その時は後悔し無様に泣くといい。

 ふふっ、ふはははははッ!

 

「大丈夫だよ、死以外はある程度容認するつもりだから。死を望まないなら、その身体はキミの自由に使ってもらって構わない。例え誰かを好きになって、その誰かに抱かれ、子供を孕んだとしても気に病むことはないから、ね?」

 

「なっ!?」

 

 幼女から告げられた抱かれて孕むという単語と、またその行為の容認発言に戸惑いを抱かずには居られなかった。

 何より出来れば想像すらしたくなかったピンク色の光景が脳裏を掠め、TS最大の懸念に俺は悶絶するしかない。

 いや、待て。何故そこでスザクやシュナイゼルが出てくるッ!? あり得ないから! なに、よくあるカップリング? 絶対あり得ないから! え、精神が肉体に引っ張られるとか王道? 認めない! そんなの認めない!

 

「ふふっ、今回は挨拶程度だからこの辺で消えるとするよ。次に会うのはいつかな? 妊娠報告の時だったりして。ま、たまに声を掛けさせてもらうかも知れないけど、その時はよろしく。

 じゃあ、またね、ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアくん。私=リリーシャ・ヴィ・ブリタニアとしての二度目の人生を楽しんでくれたまえ」

 

 対するリリーシャはしたり顔で告げ、可愛く手を振り、悶絶する俺を残して闇に溶け込むように消えていく。

 刹那、俺の視界は光を取り戻した。

 

 

 

 

 

 宿主との初対面は最悪の気分のまま終了する。

 かなり気力も奪われた。

 これはナナリーを愛でて回復しなければ。ということで目の前のナナリーを熱く見つめる。

 

「ひっ」

 

 短く悲鳴を上げるナナリー。

 どうやら獲物を前にした肉食獣のような視線になっていたのかも知れない。危ない危ない、獲物を前に舌なめずりするのは三流のやることだ。

 でも脅えるナナリーも可愛い。

 ナナリー萌え~。

 ああ、男に抱かれる未来は出来るだけ考えたくないが、このまま禁断の扉をフレイヤで消し飛ばす勢いで粉砕するのも悪くない。

 

「……リリーねえさま、お顔が怖いです」

 

 本能的に身の危険を感じ取ったのか、気圧されるように後ずさるナナリー。

 

「大丈夫、怖くない、怖くないから♪」

 

 キツネリスだって懐柔できそうな微笑みを浮かべ、ナナリーへと向かい一歩踏み出した次の瞬間────

 

「ナナリーをいじめるな、リリーシャ!」

 

 背後から放たれる語気の強い声。

 ちっ、誰だ。ナナリーとの触れ合いの時間を邪魔する無粋な奴は!?

 

「お兄様!」

 

 脅えた表情が瞬く間に破顔一笑し、俺が声に気を取られた僅かな隙を見逃すことなくナナリーは逃げ出した。

 ナナリーに逃げられたのは残念だけど、少し落ち着こうじゃないか。

 今ナナリーは何て言った?

 お兄様?

 うん、確かにそう言ったぞ。ナナリーの言葉を聞き漏らす俺じゃない。一言一句全て記憶している。

 

「大丈夫かい、ナナリー? 僕が来たからには、ナナリーには指一本触れさせはしないよ」

 

 ナナリーを気遣う声には強い意志が込められていた。

 

 ここで声の主について考えてみよう。

 声変わりしていない少女のような声音から、声の主が幼い少年であることが窺い知れる。

 ここはヴィ家が暮らしているアリエスの離宮だ。

 リリーシャがナナリーには無償の愛を与えてくれる存在が居ると言っていた。

 そもそもナナリーが真に兄と慕う人間は一人しかいない。それはとても嬉しく誇れる事なのだが、何故だろう認めたくない自分が居る。

 それらの情報を総合して導き出される答えは一つしかない。

 さて、答え合わせをしようか。

 俺は錆び付いたブリキ人形の如く、ぎこちない動きでゆっくりと首を回し、背後へと視線を向ける。

 

 視界に映り込んだのは、ナナリーを背に庇うかのように立つ一人の少年の姿。彼の服をギュッと握り締め、怖々とこちらの様子を窺うナナリーの仕草がグッとくる事を付け加えておこう。

 艶やかな黒髪、アメジスト色の澄んだ瞳、母親譲りであろう整った顔立ち。白い肌に華奢な体付きの幼い少年が、明確な敵意がこれでもかと込められた視線を向けてくる。

 

 もう見覚えがあるどころの話ではなかった。

 もはや認めるしかないと一目見た瞬間に理解する。

 ドッペルゲンガーの類でないのなら、目の前に居るのは幼き日の自分。

 そう、ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアだ。

 

 ……なるほど双子か。そういう可能性の世界なのか、この世界は。

 うん、あれだ。全然その可能性には思い至らなかった。

 そうかそうか、双子ね。

 完全にこの世界のルルーシュ=リリーシャだとばかり思い込んでいた。

 もっと思考を柔軟にしないと駄目だな。

 何れにしろこれから宜しく頼むよ、ルルーシュ。

 

 って、えええええぇぇぇぇぇぇ…………。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第5話

 

 対峙するはショタVersionの俺とロリVersionの俺。

 改めて考えると、なんてカオスだ……。

 ここで間に入ったナナリーが「お二人とも私のために争わないで下さい!」なんて告げる展開になるはずもない。というか争う以前の問題だろう。

 性格最悪なリリーシャこと今の俺と、ナナリーの懐いている姿から当時の俺と同等に接していると推測できるこの世界の俺。その時点で既に勝敗は確定している。くっ、相手が平行世界の自分だからといって、心穏やかでいられるはずがない。

 

 あ、話は変わるがVersionってヴェルシオンと読めなくないか? なんかロボの名前みたいだな。格好いいぞ、ヴェルシオン! ヴェルシオン・クラブ、ヴェルシオン先行試作型、五神合体ヴェルシオン、絶対無敵ヴェルシオン! 広がる夢のバリエーション。これでランスロットに勝つる! アハハハハ、アハハ、はぁ……。

 

 と、現実逃避はこの辺にしておこう。

 問題はこの世界の俺にとって、リリーシャはあの男以上に隔意を抱く相手。いや、一つ屋根の下で生活を共にしているが故に、もはや隔意などではなく明確な敵意へと昇華していること。

 そして当然ナナリーが慕い、信頼を置いていること。それはリリーシャという名の悪魔が存在している事から、当時の俺とナナリーの関係よりも強固な絆と考えられる。

 つまり俺は二人の仲の良さを、ちょっと兄妹のレベルを越えているような気がしないでもない愛を、指をくわえて見ているしかないと言うことだ。この世界の俺じゃなかったら確実に殺ってる。

 やばい、想像しただけで泣きそうだ。きっと流れ落ちるのは嫉妬のあまり血涙に違いない。泣くな、俺。男だろ? あ、今は幼女か……。

 

 でも涙が出ちゃう、だって女の子だもん、てへっ♪

 

 …………すごく後悔している。何となくやってはみたが、自己嫌悪が半端じゃない。

 よし、忘れよう。

 今は気を取り直して今後の事を考えなければならないのだから。

 

 果たして彼等との関係改善は可能だろうか?

 リリーシャの性格と態度から考えて、関係改善など微塵も考えた事はないに違いない。

 理想としてはナナリーに姉と慕われ、この世界の俺と和解し、協力関係を結びたいが難しいだろう。残念ながら共にナナリーを守ることすら不可能と思われる。というか近付くだけで噛まれそうだ。それほどまで深い亀裂を肌で感じることが出来た。

 もし今から態度を改めたとしても、今度は何を企んでいるのかと新たな疑念を抱かせ、警戒心を煽り、さらに態度を硬化させる結果に繋がる。

 この世界の俺の立場で考えれば断言しても良い。マイナスから信頼を築き上げることは一朝一夕で出来る事ではない。

 

 最も単純な策としては共通の敵を作る事だ。ゼロレクイエムにおける世界の敵、悪逆皇帝のように分かりやすい敵を。

 仮に暗殺阻止に失敗した場合、あの男や暗殺犯という憎悪を向けるべき対象が生まれるが、出来ればそれは考えたくない。

 しかし現状、何の不自由もなく、身の危険を感じることのない皇族生活を続けていては敵は生まれない。

 いや、一つだけ例外があるか。ラグナレクの接続という問題を抜きにして考えた時、この生活の延長に存在するのは皇位継承権争いだ。

 実質的には第一皇子=オデュッセウス、第二皇子=シュナイゼル、第一皇女=ギネヴィア、第二皇女=コーネリアの4名に絞られていると考えてもいいだろう。

 当人達は皇帝の座に明確な固執を見せてはいないが、彼等の母親である后妃や出身家。またそれを支持する後援貴族達は意欲的に後押し、早い段階から牽制し合っていた。

 

 その結果、弱肉強食を国是としている以上、それこそ多くの臣民をも巻き込み、権力闘争は拡大。また過激化する可能性が高い。

 実際過去には皇帝の座を巡り、血の紋章事件というブリタニア史上最大の闘争も起きている。その当時と比較して格段に国力を増した現在のブリタニアで同じ事が起これば、混乱は国内だけに留まらず、最悪世界規模に発展する可能性だって考えられる。

 その場合、自ら皇帝の座を求め名乗りを上げるべきなのか。それともシュナイゼルを皇帝として擁立し、民が望んだ理想の皇帝を演じて貰うのが得策なのだろうか?

 

 駄目だな、どうも話が逸れてしまった。

 不確かな未来ではなく、今と向き合うべきだ。

 今日ではなく明日ばかりを追い求めていたのにね、そんなリリーシャの皮肉が聞こえてきそうだが……。

 

 このまま睨み合いを続ける訳にもいかない。

 さて、どうする? 

 現状で関係を修復する効果的な手段はない。そもそもリリーシャはこんな一触即発の空気を、一体どうやってやり過ごしていたんだ?

 彼女のことだから特に気にも留めていなかったとも考えられるが、どうせ小難しい理論展開や皮肉で煙に巻いていたのだろう。もしかしなくても、これからは毎回それを俺がやらなくてはならないのか?

 ……ああ、最悪だ。

 

 最低系主人公の立場を甘く見ていた。

 宿主の精神と性格。それが及ぼす周囲の評価。そして存在していたもう一人の自分。

 まさかこんなにも地雷だらけのReスタートだとは考えてもいなかった。強くてニューゲームだと、心のどこかで浮かれていた数時間前の自分を殴ってやりたい衝動に駆られる。

 しかし本当にどうしよう?

 俺が内心頭を抱えていると────

 

「あら、どうしたの? 三人ともこんな所に突っ立って」

 

 停滞する場の空気を打ち破る第三者の声が聞こえてきた。

 それと同時に俺の両脇に背後から手が差し込まれ、そのまま後ろへと引っ張られる。思わず「うひゃ!?」という何とも情けない声を上げてしまったのは不可抗力だ。

 為す術もなく抱きかかえられ、後頭部に押し付けられた──自らの存在を存分に主張する──柔らかな双丘。

 この時点で背後の人物が誰なのかは薄々理解していた。それでも拘束から逃れようと抵抗してみるが無駄だった。流石にこの体格差では諦めるしかない。前の世界の身体でも逃れられなかったんじゃないか、なんて考えたら負けだ。

 そもそも相手はブリタニア最高の騎士に名を連ね、なおかつその頂点に君臨していた騎士との斬り合いに勝利した存在だぞ? 普通の人間が敵うわけがない。断じて俺がひ弱だったとか、猫にも劣る戦闘能力だったとかじゃないんだからな!

 

「う~ん、まだまだね」

 

 どさくさに紛れて胸を揉まれ、剰えそんな事を宣う。

 明らかなセクハラだ。

 見ろ、今まで敵意を向けてきていたこの世界の俺まで唖然としているじゃないか。というか、今さらだが一々この世界の俺と言い表すのは面倒だな。やはりこの世界の正統なルルーシュである以上、今後彼の事をルルーシュと呼ぶべきなのかも知れない。かなり抵抗はあるが……。

 

「ほら、早く朝ご飯にしましょう。折角のお料理が冷めてしまうわよ」

 

 そう言って声の主は俺を抱きかかえたまま、ダイニングルームの中へと歩みを進める。降ろして欲しいと頼んだところで、俺の言葉を聞き入れることはないんだろうな、この人は。

 自分達の都合によって世界の常識、その根底さえ覆そうとしているのだ。例え我が子であろうと子供一人の意見など気にも留めず、自分のしたい通りに振る舞うに違いない。

 俺は楽しげに笑みを浮かべる母親=マリアンヌ・ヴィ・ブリタニアの腕の中で、本日何度目かの溜息を吐いた。

 

 

     ◇

 

 

 マリアンヌ・ヴィ・ブリタニア。

 神聖ブリタニア帝国唯一皇帝の第五后妃にして、元帝国最高の騎士=ナイトオブラウンズの一人、ナイトオブシックスの称号を得ていた女傑。

 アッシュフォード財団が開発した第三世代ナイトメアフレーム、ガニメデ試作型のテストパイロットを務め、後のKMF開発にも大きく貢献している。

 国内では閃光のマリアンヌ、また守護女神と謳われ、国外ではブリタニアの魔女と呼ばれ死神の如く恐れられる存在となり、後世ではブリタニアによる侵略戦争の立役者と目される事となる。

 平民階級出身でありながら、実力でラウンズまで上り詰めた経歴は、その類い希なる美貌と相まって、軍内部において多くの信奉者を生み出し、大いに士気向上に役立ったことだろう。

 

 だが俺にとって重要なのはそんな経歴ではない。彼女が俺とナナリー、さらにこの世界ではリリーシャの実母であるという事実。

 かつての俺は母親をナナリーと同じぐらい愛していた。強く、優しく、美しい理想の母親だと誇りにさえ思っていた。

 彼女から与えられる愛情に何ら疑問を抱くことはない。いや、子供に疑えという方が難しいだろう。ただ悲しいことに俺は知ってしまった。その愛情が偽りであり、歪んだ独善的思想の上に被った仮面であることを。

 暗殺によって彼女の存在は過去となり、皮肉にも美しい想い出の中でさらに美化されていたのだろう。

 その幻想が打ち砕かれた以上、今の俺にとって彼女が真に母親と呼べる存在だと思えるはずもない。血縁関係にありこの身を構築する遺伝情報を持つ女性、つまり遺伝子提供者というだけだ。

 

 そして十中八九、今も微笑むその母親の仮面の下に、理解しがたい狂気を隠し、あの男等と共にラグナレクの接続による神殺しの為に動いているに違いない。

 現実を見ることなく過去だけを追い求め、自ら他者を理解しようとすることなく、既存の世界の破壊を夢見る。その瞳にはそれ以外の何も映ることはないのだろう。

 ならば再び阻止するまでだ。例え世界が変わっても、何度でも立ちはだかり、その野望を打ち砕いてやる。

 

 集合無意識へと呑み込まれた実の両親へ向け、俺は決意と共に宣戦布告する。

 これは呪いであり復讐だ。

 なあ、二人とも見ているか?

 見ているならCの世界で後悔するといい、俺達二人を捨てた事を。

 

 

     ◇

 

 

 四人で食卓を囲む。

 眼前に並べられた朝食は──母マリアンヌの影響か──皇族にしてはどこか庶民的であった。食べきれず無駄に処分してしまうよりはずっと良いことだ。もちろん皇室お抱えの一流料理人の手によって、厳選された食材で作られたものである以上、一般家庭と比較することが出来ないほど、手の込んだ料理であることは間違いないのだが。

 ただ家族団欒の食事が始まることはない。前の世界では考えられ無いほどに空気が重く、居心地が悪かった。

 理由は単純。敵視する相手──俺にとっての母マリアンヌ&ルルーシュにとってのリリーシャ──が目の前に座っている以上、和やかな気分になるはずがない。

 間接的に被害を受け、窮屈な思いをしているナナリーには本当に申し訳なく思うが、家族揃っての穏やかな食事は諦めてもらうしかない。

 一方で場の空気を気にする素振りも見せず、笑みを浮かべている母マリアンヌはさすがと言うべきだろう。果たして気付いていないのか、それともやはり本質的に子供に対して関心を抱いていない事の表れなのだろうか。多分に後者の気がしてならないが……。

 

「それでね、お母さん、今日は軍の開発局へ視察に行くことになったのよ。だから三人とも良い子でお留守番していてね」

 

 思考している間にどうやら話は進んでいたらしい。

 軍の開発局か、この時代今まさにナイトメア開発は最初の黎明期を迎えている。戦略兵器としての試作実験段階に入った第三世代KMFの開発。アッシュフォード財団が健在の今、KMF開発は福祉利用という側面を併せ持っている。

 しかし時代の流れには逆らえず、軍事兵器としての側面が強調されて行くのだろう。第三世代を代表するガニメデのテストパイロットを務める彼女が、未だ軍と深い関係を持っていることに驚きはしない。前線を離れた今でも閃光のマリアンヌのネームバリューは健在だ。

 

「……そうなんですか」

 

 寂しそうに呟くナナリーの姿に、思わず胸が痛んだ。

 母マリアンヌの本性をナナリーは知らない。だからといって今後教えることはないだろう。真実を隠すことが正しいかは分からない。だけどこの世界には辛い現実を覆い隠す優しい嘘も必要だ。せめてナナリーの中にある理想の母親像だけは守りたかった。

 

「もうナナリー、そんな顔しないで。ちゃんとお土産買ってくるから。ルルーシュ、ちゃんとナナリーの面倒みてあげるのよ?」

 

「うん、ナナリーは僕が守るよ、絶対に。だから母さんは何も心配しないで、お仕事がんばってね」

 

「偉いわよ、ルルーシュ」

 

「もう、母さん、止めてよ! 恥ずかしいから」

 

「ふふっ、照れちゃって。ほらナナリーも」

 

 慈しみの表情を浮かべ、我が子の頭を優しく撫でる母親の姿に、思わず打ち砕かれた幻想を再び抱きそうになる。この世界の彼女は母親の仮面を身に着けているのではなく、真に母親なのではないのかと。

 それが都合の良い希望である事を理解していながら、それでも望まずにはいられなかった。出来る事ならこの光景が偽りでないことを……。

 だが俺はすぐにその考えを追い出して思考を続けた。

 

 KMF開発におけるキーパーソンは三人だ。

 一人目は特派主任、世界初の第七世代KMF=ランスロットの生みの親とも呼べるロイド・アスプルンド。

 伯爵家の出身でありながら権力に固執することなく、自らの欲望=研究欲を満たすためにKMF開発の初期段階から参加していた男。こと技術開発に関しては飛び抜けているが、性格に難があり、研究に打ち込む姿勢はある種の狂者の域に達している。

 二人目は彼と対等に接する事が出来る才女、同じく特派メンバーであるセシル・クルーミー。

 料理の腕は壊滅的だが、彼女も紛れもなく超一流技術者であり、フロートシステムやエナジーウイングなどの分野において、その腕はロイドをも上回るだろう。

 そして三人目は彼等のライバルとなるラクシャータ・チャウラー。

 医療サイバネティックス技術に精通し、その技術が生かされているのか、独自の観点から輻射波動機構やゲフィオンディスターバ、ステルス技術などを世に生み出した。

 

 奇しくもこの時代、三人はブリタニアの帝都で共に学んでいたはずだ。今後の事を考える上で接触を持ちたいところだが、どうすればいい?

 アスプルンド家は既にエル家の後援貴族に名乗りを上げている以上、ヴィ家の俺が直接会いに行っては余計な波風を立てることになる。そもそも今は幼女であるこの姿で会いに行ったところで、果たして相手にしてもらえるだろうか? ロイドなら興味を引きそうな論文とプリンを手土産にすれば食い付いてきそうだが……。

 となると問題はやはり接触方法だ。母親に付いてきた幼子を装うか、それともアッシュフォードの伝手を使うか。直接論文を送り付け、向こうから接触させる手もあるが、これに関してはもう少し熟慮する必要があるな。

 

「リリーシャ、貴女も頼んだわよ。ルルーシュと喧嘩しちゃだめよ」

 

「うん、分かったよ」

 

 話を振られたので適当に相づちを打つ。ところでリリーシャは自分の母親をどう呼んでいたのだろうか? お母さん、母上、お母様? ママだけは勘弁して欲しい。

 

「あら、意外。今日は随分と素直なのね」

 

 対する母はどこか驚いたような表情を浮かべていた。それはルルーシュも同じ、というよりこちらは心底驚いている様子だ。

 ああ、またこの展開か。

 

「いつもなら『私が争う価値なんてないよ。それに閃光のマリアンヌ様ともあろう方が心配性だね』なんて皮肉の一つでも返してくるのに。大丈夫? 熱でもあるんじゃない?」

 

「悪いものでも食べたのか、リリーシャ?」

 

「リリーねえさま、かわいそう」

 

 さすがリリーシャだ。母親に対しても態度が変わらないとは……。いや、既に母親の仮面に気付いているからこそ距離を置いているとも考えられる。

 ただ、ごく普通に答えただけなのに、敵対しているルルーシュにまで心配され、畏れられているナナリーには同情されるなんてどうなんだ? ナナリーの気遣いは嬉しいというより、もはや悲しく居たたまれない気持ちになる。

 

「大丈夫だよ、そう単なるイメージチェンジ。私も少し大人になろうと、ちょっとした心境の変化があっただけだよ。何も心配いらないから……」

 

「そ、そうなの」

 

 怪訝そうだったが、それ以上追求しなかった母親の優しさ──もしくは無関心さ──が今だけはありがたい。

 ただこの世界にルルーシュ・ヴィ・ブリタニアが存在していると知った以上、思わずには居られなかった。

 もし現状に神=集合無意識が関わっているなら、どうして腹黒性格最悪幼女ではなく、この世界のルルーシュに憑依させてはくれなかったのかと。

 その場合、リリーシャという最大の懸念は残るが自分らしく振る舞え、もう少しだけ心に余裕が持てたはずだ。

 何よりナナリーの癒し効果も受けられたことだろう。

 だがそれは詮無きこと。今は耐えるしかない。

 リリーシャとして歩む先に、かつて手に出来なかった未来があると信じて。

 

 

 

 

 

     ◇

 

 

 

 

 

 残念だけど、今のキミのままでは未来なんて遙か遠くの夢物語。

 現実を見ることなく未来だけを追い求め、既存の世界の延長を望む。その呪われた瞳に、それ以外の何も映しはしなかったんだから。

 一度立ち止まり、今を──現実を見るといい。

 キミが私、リリーシャとして生きる現実を。

 それでもまだ理想を吐けるなら応援するよ、全力で。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第6話

 

 説明の付かない不可解な事象──時間逆行&次元転移&憑依──によって、この世界で意識を取り戻してから数日が経った。

 その間、衝撃の出会いを果たしたリリーシャから介入を受けることはなく、落ち着きを取り戻すには十分な期間と言えた。

 一方、その過程で俺は知る。人間は順応性が高すぎる生き物であり、思っていた以上に自分には高い適応能力が備わっていたのだと。

 つまり何が言いたいのかと言えば、慣れとは怖いという話だ。

 最初あれだけ戸惑い、抵抗のあったリリーシャとしての生活。特に日常生活における着替えや入浴や排泄行為も、今では人間として当たり前の行動だと受け入れられるようになっていた。

 

 何の因果かリリーシャ・ヴィ・ブリタニアの人生を歩む事になってしまった以上、日常生活程度の些細なことで、無意味に神経をすり減らしている場合ではないと本能が悟った結果なのかも知れない。ただ精神が肉体に引っ張られる可能性が現実のモノとなった、とは絶対に考えたくなかった。誰が何と言ってもそれだけは譲れない。

 もし仮に本能説が事実なら、少なくとも日常生活に煩わされることがないと喜ぶべきなのだろうか?

 それとも本来の自分=ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアから乖離していく現実に対し、恐怖を抱き、また悲しむべきなのだろうか?

 難しいところだ。ただ女体化に対する拒絶反応及び精神的負荷が、少しでも軽減できたことは喜んでもいい。

 

 しかしながら個人の感情がどうであれ、俺がリリーシャの肉体に宿っている事実は残念ながら覆ることはなく、世界はそれを受け入れたまま動いている。

 ならば否定するばかりでなく肯定することが大切だ。悲観的な考えではなく、ポジティブな視点で見つめれば、また違った何かが見えてくるかも知れない。そう、真実は常に一つとは限らない。

 

 そこでリリーシャとして得られるメリットを考えてみよう。

 第三皇女という立場と外見スペックから考えて、性格さえ矯正すれば蝶よ花よと可愛がられ、優雅な生活を送れる可能性が高い。思い浮かんだイメージとしてはユフィか。

 ただ彼女の場合、母親が名門貴族の出身であり、軍人としては優秀かつ皇位継承権も上位の姉=コーネリアの存在が大きい為、一概に同様の生活環境を得ることは難しい。

 性格矯正の結果、リリーシャ本来の性格を知る者は怪訝に思う者も居るだろうが、そう親しくない者ならば籠絡も可能だ。借り物の力を我が物顔で振り翳す、醜い貴族相手に媚びを売るのは反吐が出る思いだが、馬鹿な貴族息子を言葉巧みに騙し、勢力拡大や地盤固めに利用できる。性別を活かすなら最悪政略結婚という切り札もある。男と結婚するのは精神的に嫌だが、手段を選べない状況となれば覚悟がないわけじゃない。

 そう考えるとやはり権謀術数渦巻く権力闘争の方が、俺やリリーシャにはお似合いかも知れないな。

 いや、この外見スペックを活かす事に主眼を置いた場合、必ずしも皇族や貴族という立場に拘る必要はない。最大限活用にできる別の選択肢があった。

 

 そう、それはアイドルだ!

 

 超銀河美幼女リリーシャ、キラッ☆

 抱きしめて、輪廻の果てまでぇ~♪

 

 英雄ゼロを超越する偶像となり、歌の力によって荒んだ心を癒して争いを止める。

 実に平和的だ。

 もちろん各種グッズ収益や番組出演料により懐も暖まってまさに一石二鳥。

 それでも争いが止まらなければプランBへ移行。ブリタニア、EU、中華連邦からそれぞれ戦力を集め、三勢力同盟『歌姫の騎士団』を組織。国際法を無視し、戦場に介入してはテロ紛いな無差別攻撃により喧嘩両成敗。フリーダムでジャスティスなデスティニーをレジェンドにしてやる。

 

 ────ハッ、俺は一体何を……何だこの電波は? この世界で目覚た後、変な電波を受信する機会が多いような……。これが電波系キャラへの入り口なのか?

 

 いや、現実逃避をしたくなる瞬間は確かに存在する。

 女体化した肉体、最悪なリリーシャの性格、ナナリーの脅えた態度、この世界のルルーシュが存在している事実など、明らかに目を背けたくなる現実だった。

 そして今また、俺は全力で見逃して欲しくなる現実と対峙していた。

 何故ならば、目の前に鬼が居る。

 

 さて、状況を改めて整理しよう。

 今俺が居るのはアリエス離宮の一角に、特別に建設された訓練場の内部だ。まあそれはいい。アリエスの離宮に訓練場が存在し、たまにコーネリアやその友人が母マリアンヌの教えを受けに来ていたことは記憶の片隅に残っている。

 その中央に普段のドレス姿ではなく、身軽な服装で髪をアップに纏めた母マリアンヌが、手に訓練用の模造剣を手に立っている。これもまあいい。この施設は元々彼女の為に造られた物だ。ならばその施設を彼女が利用することは何らおかしな事ではなく、むしろ当然と言えるだろう。

 では一体何が逃げ出したくなるほど問題なのか?

 

 その1、母マリアンヌが向ける鋭い眼光の先に俺が立っていること。

 その2、俺の手にも模造剣が握られていること。

 その3、彼女との戦闘を強制されていること。

 

 いや、ちょっと待て。というか待って下さい!

 特にその3は普通に考えておかしい。

 数々の伝説を持つ閃光のマリアンヌVS幼女──しかも実の娘──って、おい。もはや虐待のレベルですらない。

 その2の模造剣を考慮すれば完全に殺人の域に達している。せめて普通は木剣を使わないか? 木剣だって当たり所が悪ければ致命傷になるというに、これでは明らかな故意犯だ。情状酌量の余地はなく執行猶予が付くこともないほど有罪は確実。

 そもそも俺は剣術を始めとした戦闘訓練を教わった覚えのない完全な素人。護身術程度なら最低限囓ったことはあるが、一体どうやって伝説級の化物と戦えと?

 冗談ならばいいと思ったが、その視線や纏う雰囲気、放たれる重圧は彼女が本気であることを物語っていた。既に母親の仮面は外されている。

 

「どうしたの? 掛かって来ないなら、こっちから行くわよ?」

 

 その声が耳に届いたと同時、視界から閃光のマリアンヌの姿が消えた。彼女の動きに動体視力が追い付かなかったのだろう。目にも留まらぬ速さというのは、まさにこの事だ。

 リリーシャも同じ事をして見せたが、あれはあくまで精神世界──と思われる空間内──でのこと。

 しかし今俺達が存在している場所は紛れもなく現実世界……のはずだよな?

 刹那、俺の身体を衝撃が襲い、何が起こったのか判らないまま、気付いた時には吹き飛ばされていた。短い空中浮遊の後、落下と共に床の上を転がり、それでも勢いを殺すこと出来ず、背中から訓練場の壁に叩き付けられる。

 

「かはっ……」

 

 肺の中の空気が無理矢理吐き出され、次いで口の中に鉄の味が広がった。痛みは背中だけに留まらず、まるで全身が悲鳴を上げているかのようだ。

 脳が揺れ、焦点の合わない視界に映った閃光のマリアンヌは、呆れたように、また不機嫌そうに冷たい視線で見下ろしてくる。

 そこに愛情の一欠片も見出せなかった。

 

 ああ、そうか。

 ようやく俺はリリーシャが置かれていた状況の一端を理解した。

 彼女が何故、愛情に嫉妬し、羨望し、憎悪を抱いたのか。

 ルルーシュやナナリーは何も知らない。知らされず、知ろうともせず、知る術を持っていない。

 現に今彼等はリ家姉妹と花の咲き乱れる庭園で優雅なティータイムを過ごしているはずだ。

 幼くして理解した、いや強制的に理解させられた理不尽な世界。

 限りなく近く、限りなく遠い光と闇。

 そんな世界で彼女はただ一人孤独の中で闇と向き合う。

 自分を保つためには、自分を守るためには、己の形を無理矢理変え、歪まずに居られなかったのだろう。

 だが同情はしない。彼女は絶対に嫌がるに違いない。そしてそれは一人耐えてきた彼女に対してあまりにも失礼な行為だ。

 だから────

 

「本当にどうしたの? この程度いつもの貴女なら問題なく対処できるはずよ。

 やる気がないのは勝手だけど、このままじゃ死ぬわよ?」

 

 落ちてくる声には、もはや隠すことのない苛立ちと殺気が含まれていた。

 冗談を口にしているわけではないのだろう。

 

「ほら、早く立ちなさい。いつまで休んでるつもり?」

 

「はぁ……はぁ……くっ……あぁ」

 

 どうにか立ち上がろうと試みたが無理だった。

 ダメージもあるが、それ以上に恐怖に身体が震え、上手く力が入らない。

 そんな俺の姿を見つめる一対の瞳が失望の色を強める。

 

「ふ~ん、嫌なの? 困ったわね、反抗期かしら……。まあ良いわ」

 

 閃光のマリアンヌは俺から視線を外し、訓練場の入り口に立っていた二人の侍女へと命令を下す。

 

「立たせなさい」

 

『イエス、ユア・ハイネス』

 

 了承の意を返した二人の侍女が俺に近付いてくる。母親が我が子に対し、一方的な暴力を加えようとしている。いや既に加えている場面に遭遇しているというのに、彼女達の表情に心配どころか同情や憐憫の感情さえなかった。お前達に母性、いや人の心はないのかと、文句の一つでも言いたい所だが、実際に言ったところで状況の好転は期待できない。

 彼女達は帝国特務局に所属し、皇族の護衛及び監視の為に派遣されている、完璧な侍従にして完璧な兵士。ベッドメイクからヘッドショット、ヘリや船舶の操縦までこなせるその道のプロだ。

 彼女達の選定や教育に携わったのが閃光のマリアンヌである事実を考えれば、命令に従う以外の選択肢を与えられていないことは明白。最悪人格改造や精神操作、記憶改変などの処置を受けて居てもおかしくない。

 

 両脇を抱えられ、俺は無理矢理立たされる。

 すぐに膝を折りそうになるが、それだけは拙いと本能が告げていた。ここで倒れれば二度と立つことは許されないだろう。

 歯を食いしばり、模造剣を落とさないように強く握り締め、ただ目の前の女を睨み付ける。残念ながら今の俺に出来るのは虚勢を張ることだけだった。

 俺の視線を受け、閃光のマリアンヌは満足そうに微笑んだ。

 

「いい目になったわ。じゃあ続けるわよ。

 今度はちゃんとやりなさい。痛いのが好きっていうならそれでも構わないけど、その歳でそっちの趣味に目覚めるのは母親として心配ね」

 

 勝手なことばかり言ってくれる。

 誰が母親だって?

 俺は貴女を母親としても人としても認めない。

 

 やはりこの世界の貴女も敵だったんですね。

 

 バランスを崩しながら前に一歩踏み出し、そのまま目の前の敵へと向かっていく。

 

「ハアアアッ!」

 

 もしもギアスが使えたなら……。

 そう思わずには居られなかった。

 力が欲しい。

 誰にも負けない力が、強者に抗える力が、目の前の敵を粉砕できる力が────

 

 模造剣の刃に反射した光が輝きを放つ。

 その瞬間、俺の意識は闇に落ちた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第7話

 

 

 やあ、みんなのアイドルリリーシャさんだよ、キラッ☆ とメタな発言をしてみる。

 どうもキミの電波が私にも影響しているのかも知れないね。ふふっ、私をキミ色に染めるなんて非道い男だよ、ルルーシュくん?

 いや、それでこそもう一人の私として相応しいのかな。でもアイドルはちょっと遠慮したいかな、私の柄じゃないよ。派手な衣装を着て、大勢の前で歌う姿なんて想像しただけで……案外いけるかも知れないね。

 

 そのルルーシュくんは完全に意識を闇に落とされたらしい。お蔭でこうして肉体の支配権が私へと戻っている。おかえり、マイボディ。ん、それともただいまかな?

 さすがにまだ数日、懐かしさなんて感じるはずもなく、特にこれといった感慨を抱くこともないね。

 さて、どうやら今回の出来事は彼にとって初体験だったらしい。幼少期──といっても第五后妃暗殺事件が起こるまでだが──何不自由のない幸せで平穏な皇族生活を送り、例えそれが偽りであっても母親の愛情を受けて育った彼には少し刺激が強かったようだ。

 男には潜在的なマザコンが多いと言われている。もしかしたら母親の存在を否定しているルルーシュくんも、心の奥底では慕情が燻っているのかも知れないね。

 尤も、いきなり閃光のマリアンヌの相手をしろなんて、同じ立場なら私もご免こうむるよ。ま、だからと言って逃れられないのが現実だけど。

 きっと心優しいキミは私の境遇に憤り、また同情するんだろうね。

 嗚呼、不愉快だ。

 私はキミに同情される程度の女──少女?──ではないんだから! 全然嬉しくないんだから、勘違いしないでよね! これがツンデレ口調というやつだね。

 

「どうしたのかしら? 今日は本当に手応えがないわね」

 

 薄く開けた瞼の間から見えたのは、つまらなそうに溜息を吐いた後、手にした模造剣を弄ぶように回し、鞘へと収めた閃光のマリアンヌ様の姿。

 

 閃光のマリアンヌ後継者育成プロジェクト──と私が勝手に呼んでいるのだけど──は続行されているみたいだね。彼女は今の私が置かれ居ている状況を知らないんだから当たり前と言えば当たり前か。むしろ彼の存在を知られている方が問題がある。

 しかし、身体が痛い。少し涙が出るね。さすがにマリアンヌ様も訓練で我が子を殺す気はないから、基本的に手加減はしているし、骨や臓器に深刻なダメージはない。

 猫が鼠を、いや獅子が鼠をいたぶって戯れている感覚かな? 下手をすれば遊戯では済みそうもないけど。

 本来ならマリアンヌ様が満足するか、または飽きるまで相手をすれば良い。攻撃を受けて、躱して、捌いて、たまに攻める。言葉にするのは簡単だけど、これがまた大変なんだよ?

 基本的には気絶しては起こされ、気絶しては起こされを何度も繰り返し、完全に意識を手放すまで続くんだから。

 それに戦闘時間が経過すればするほど、テンションの上がったマリアンヌ様が本気で急所を狙ってくる可能性が高まるから、気を抜いてるとあの世──確か集合無意識だったか──に送られる事態になりかねない。

 でもだからといって手を抜けば機嫌が悪くなるんだから始末に負えない。

 ほんと子供相手に大人げない、むしろ子供っぽいんじゃないかな。

 

 身体の状態を確認した結果、しばらく動くのは無理そうだ。

 けど床に転がっているだけなんて、ちょっと面白くない。

 ルルーシュくんが素人なのは知っているけど、せめて受け身ぐらい取って欲しいと思うのは無理な相談なのかな?

 うん、無理そうだね。これからの頑張りに期待しようか。

 

「マリアンヌ様、少々やりすぎでは?」

 

 新たな声が訓練場内に響いた。

 既に声の主が誰なのか判っているけど、反射的に声の主へと視線が動く。

 特別な白いマントに白い騎士服を身に纏い、長大な剣を携えた体格の良い長身の男。彫りの深い精悍な顔立ちをしているのだが、左瞼を緑色のピアスで縫い止めている。

 そんな何とも奇抜なセンスをしていて、なおかつこの場所に出入りを許可されている人間を私は一人しか知らない。

 帝国最強の騎士、現在唯一のナイトオブラウンズ、ナイトオブワン=ビスマルク・ヴァルトシュタイン。

 この場でただ一人私の身を案じてくれる存在だが、残念ながら私の趣味じゃない。

 

「大丈夫よ、ちゃんと骨や臓器を壊さないように手加減してるから。

 それに出来るだけ顔にも傷を付けてないわよ。せっかく私に似て綺麗な顔してるのに、傷が残ったら勿体ないじゃない」

 

 相当ナルシストだね。多分それを本人に指摘しても、隠すことなく平然と認めることだろう。マリアンヌ様は自分が大好きだから。

 というか前言撤回だ。いつもなら意識を失った後、どんな会話が行われているか知る術はなかった。次に目覚めた時は常に自室のベッドの上だから、こうして本来聞く事の出来ない会話を聞くのは面白い。

 ま、マリアンヌ様なら私に意識があることは、薄々感づいていてもおかしくないから、ラグナレクの接続だとかいう秘密計画の内容を喋ることはないだろうけど。

 

「いえ、そう言う意味では……。リリーシャ様は皇女ですし、陛下も心配を」

 

 へぇ、お父様が私の心配をねぇ。心配するだけで妻を止めようとしない口先だけの弱い男だけど、全く嬉しくないかと聞かれたなら、正直どうでも良いと答えるよ。

 

「そうなのよ、聞いてビスマルク。あの人最近会うとリリーシャの事ばかり話題にするのよ? もうヤキモチ焼いちゃうわ。やっぱ若い子が好きなのかしら?」

 

 まさかその嫉妬をぶつけているとは言いませんよね、お母様?

 

「ま、それは冗談なんだけどね、ふふっ。

 だけど私は思ったのよ。私の後を継いであの人の剣になれるのはこの娘しか居ないって。

 私もいつまで剣を振れるか判らないもの。もちろん私は生涯現役のつもりだし、言うなれば保険ね。

 それにロイドからの報告だと、この娘ナイトメアとも相性良いみたいよ。鍛え甲斐があって嬉しいけど、これも遺伝なのかしら」

 

 あの男、何て余計な事を……。

 どうりで最近訓練内容にKMF関連したものを取り入れようとしたり、厳しさも増したと感じていたわけだ。あの男の仕業だったのか。

 まったく、この人のテンションを上げても碌な事にはならないというのに……。これはお仕置きが必要かもね。

 それにしてもこの人もこの人だ。いくら表向きKMF開発に子供のテストパイロットが使えないからって、我が子を利用しようなんてそれでも母親なのか。と、私にとって母親と呼べないことは理解しているけど敢えて言ってみる。

 例え肉親、血を分けた我が子でも、使えるモノは使うという姿勢は嫌いじゃない。裏を返せば情や想いに左右されず、ちゃんと対象の価値を見極めているということだ。

 

「ならばルルーシュ様は? 私に預けていただければ、そこらの兵士には負けない屈強な戦士に鍛えて見せますが?」

 

 ヴァルトシュタイン卿の提言を聞いたマリアンヌ様が苦笑を浮かべる。

 

「う~ん、あの子は駄目ね。頭は回るようだけど、それだけ。そもそもあの子は優しすぎるわ。特にナナリーが生まれてからますますそれが顕著なのよ。

 貴方だって知っているでしょ? 今のこの世界では優しさは甘さにしかならないって。きっとあの子は他人のために自分の命を投げ出すタイプよ。

 大局を睨んで自分の命すら厭わない覚悟が出来ても、例え自分以外の全てを裏切り、どんな手段を使っても自分を守り絶対に生き抜こうという覚悟は持てないんじゃないかしら。

 王の器になれても戦士の器じゃないわ」

 

 それは私も同意見だね。

 何だ、意外と我が子のことを理解しているじゃないか。

 ただそうなると貴女の中で私の評価はどうなって居るんだろうね?

 

「それにこの娘を鍛えることはこの娘自身のためにもなるわ。

 この世界は力が全て、力こそが正義。強者が振り翳す悪意に対して、常に弱者は這いつくばることしかできない。

 私はこの娘が強者に蹂躙される姿を見たくないし、簡単に命を落として欲しくないと思っているわ。でも貴方はそれで良いって言うの?」

 

「それは……」

 

 ナイトオブワンともあろう方が、その程度で論破されないで欲しい。

 けれど私も概ねその意見に賛成だ。

 世界は一握りの勝者、力を持つ者の意志によって構築されている。

 弱ければ淘汰され、強ければその屍の上に立つことが許される。

 他者を蹴落とし、己が胸に抱いた願いを、想いを、夢を、欲望を、野望を実現することが許される。

 

 別に今の私はこの戦闘訓練に嫌々参加しているわけではない。母親としては否定しているが、優秀な騎士として閃光のマリアンヌという人物を尊敬している。

 強制的ではあるが、彼女に師事できる事は破格の境遇と言っても良い。力はどれだけ持っていても損はないのだから。

 ルルーシュくんと違って、私は彼女の行動が間違っているとも思わない。ただ一点、ラグナレクの接続への賛同を除いてだが。

 

 彼女ほど自身の欲望に忠実な人間は居ない。欲望──綺麗な言葉だと想い──こそ人間の、いや全ての生物の本質である以上、彼女の行動は誰にも否定できるものじゃない。

 彼女は紛れもなく全力で生きている。

 もちろん常識や倫理、道徳といった社会通念と照らし合わせば、彼女はこの現代社会から逸脱した異端者なのだろう。

 だがそれらの概念も、所詮は人間がコミュニティを維持する為に創り出したもの。社会というシステムを構築し、維持する為のプログラムに過ぎない。本能を押し殺す一種の仮面だ。

 

「もう、そうな暗い顔しないの。そんな既存の世界を変えるために私達が動いているんじゃない。

 それに、そんなにこの娘の事が心配なら、貴方が守ればいいのよ。私に勝ったらリリーシャを娶って良いわよ。どこの馬の骨とも判らない男ならいざ知らず、貴方ならあの人も納得すると思うわ。納得しなくても最終的に私が説得に協力するから」

 

 貴方の場合、説得は対話ではなく暴力OHANASIによるものだと容易に想像が付くよ。

 というか本人に断りもなく勝手に結婚相手を決めないで欲しいね。

 私だって恋に恋する乙女(笑)だよ、まったく。

 

「…………ご冗談を」

 

 うん、今明らかに意味深な間があったし、一瞬満更でもない表情を浮かべたことを私は見逃さなかったよ、ヴァルトシュタイン卿。

 貴方が閃光のマリアンヌに恋心に近い憧れを抱いている事は知っているよ。だからこそ貴方はその夫である現皇帝に絶対の忠誠を誓っていると私は邪推している。

 確かに私は母親似の顔立ちだし、スタイルも含めて将来的には期待できると自負している。

 けれどロリコンはどうかと思うんだ。

 大いに遠慮したいよ。

 

「ふふっ、この話の続きは全てが終わった後にね」

 

 苦笑しながらロリコ──もといヴァルトシュタイン卿を伴い、訓練場の入り口へと歩みを進める閃光のマリアンヌ様。

 その際に──もはや完全に興味を失っているだろう──私へと一瞥を送る事もないのは流石だね。

 

 それにしてもルルーシュくんにはもう少し頑張って欲しいよ。

 このままでは結果を得る前に、私の身体が壊されかねないね。

 男に壊される身体か。

 何だか卑猥だね……ぽっ。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第8話

 

 少女は告げる。

 一片の迷いも偽りもなく。

 

 許します、と。

 

 少女は告げる。

 慈悲の心に満ち溢れた微笑みを浮かべ、それでいて力強く真剣な口調で。

 

 例え他の誰もが許さなくても、私だけは何があって貴方の味方だから、と。

 

 何故かと問う。

 すると少女は僅かに頬を染め、はにかみながら答えた。

 

 だって────

 

 自身の大切な想いを言葉にして紡ぎ出す。

 そこに躊躇いはなく、むしろ誇らしげですらあった。

 

 未来の私の旦那様なんですから。

 

 …………え?

 敢えて言おう、どうしてこうなった?

 

 

     ◇

 

 

 知らない天井────ではなかった。

 そもそも視界に映っているのは天井ではなく見覚えのある天蓋。

 戦闘訓練という名の虐待の後、意識を失った俺は侍女達によって自室へと運ばれ、ベッドに寝かされたのだろう。

 状態を確認するために身体を動かしてみる。全身に痛みが残っていたが、無理をすれば動かせないほど酷くはなかった。

 この辺りからも、あの女が多分に手加減していたことが読み取れる。

 大きな怪我が無いことに安堵する一方、言い様のない憎しみと、行き場のない怒りが込み上げた。

 果たしてそれかどこに向けられるべき感情なのか判らない。

 偽りの愛情さえ注ぐことなく、我が子を闇へ堕とそうとするあの女に対してなのか?

 その理不尽な現実を容認するこの世界に対してなのか?

 彼女の境遇を知りもせず、抗う力も持たず、一方的に勝手なことばかりほざいていた自分自身に対してなのか?

 いや、その全てに対してなのだろう。

 

 あの瞬間、俺は愚かしくも無様に力を渇望した。

 いくら望んだところで手に入るはずもない。

 願うだけでは叶わない。

 そう、超常の力=ギアスでさえ、奇跡や偶然ではなく、他者の思惑によって仕組まれた計画の上で与えられた力だと理解していながら、それでも未練がましく与えられた力に縋ってしまう。

 ギアスさえあれば世界は変えられるはずだと。

 この理不尽な世界を己が身一つで耐えてきたリリーシャに比べて、自分はなんと弱い人間なのだろうか。

 

 自然と浮かぶ自嘲の笑みと共に虚空へと手を伸ばす。

 視界に映り込んだ小さな幼い手。

 だが本来なら、その手は目に見える以上に大きく、力強さを有していたはずだった。

 俺というイレギュラーが存在しなければ……。

 

 だから諦めるのか?

 

 いや、それはあまりに愚問だな。

 そんな事はあり得るはずがない。

 

 例えギアスが使えなくても、あの閃光のマリアンヌの血を引く健康な肉体がある。

 なら鍛えればいい、立ち塞がる全てをなぎ払えるように。

 その環境は既に整い、下地は出来ている。

 

 さらに武力だけ無く権力も手に入れよう。

 今なら母マリアンヌは生存し、軍部へのコネや影響力があり、KMF開発に携わるアッシュフォード家を始めとする後ろ盾も健在だ。

 何より今の俺は未来知識とそれに付随する技術、さらには悪逆皇帝時代に手に入れたブリタニア貴族の不正情報を記憶している。

 使い方によっては我が物顔で支配層に君臨する貴族達を、混沌の渦に叩き込むことだって可能だろう。

 もし実現すればこの軍事大国を揺るがすことが出来る。

 外からではなく、今度は内側から崩壊に導くことが出来る。

 

 ああ、そうか。力なら既に持っていたんだった。

 知識こそ力。

 技術こそ力。

 情報こそ力。

 そして経験こそ力だ。

 

 小さな手で拳を作る。

 先程までと違い、弱さは感じない。

 そう、今度こそこの手で掴み取ってみせる。

 ナナリーだけじゃない。リリーシャやユフィ、シャーリーやロロが笑顔で暮らせる世界を。

 その為なら既存の世界を破壊することも厭わない。

 かつて俺は世界を壊し、世界を創造する男だったのだから。

 

 

 

「リリーシャ!」

 

 勢いよく扉が開き、名が呼ばれる。

 その声は焦りと不安を抱いている事を感じさせる幼い声音だった。

 突然響いた声の主を確認しようと上半身を起こす。もちろん痛みに呻き声を上げるような愚は犯さない。

 リリーシャにとって味方の居ない──少なくとも今のところ確認できない──この世界で、他者に弱みを見せるわけにはいかないのだから。

 

 だが次の瞬間、そんな俺の微々たる努力は無に帰した。

 

「うなッ!?」

 

 思わぬ衝撃を受け、起こしたはずの上半身が再びマットレスへと押し付けられ、視界に天蓋が戻ってくる。

 不意のことで驚きを隠せないが、しかし「うなッ!?」っていう声は正直どうかと自分でも思う。

 

「良かった、気が付いたんですね! また突然倒れたって聞いて、わたし居ても立っても居られなくて……。もう、心配したんですから……!」

 

 状況が呑み込めず未だ困惑する俺に対して、一方的に告げられた言葉は何故か耳元から聞こえてくる。そして声の主の腕によって束縛されているらしい身体が僅かに悲鳴を上げていた。

 つまりは現状、俺は何者かに抱き付かれ、押し倒されているようだ。

 幸いなことに相手から敵意は感じられず、むしろその言葉から俺を──いや、リリーシャの身を案じてくれていることが伝わってくる。

 少なくともこの世界に一人は、リリーシャの味方となってくれる人物が居たことを喜ぶべきか。

 

 ただその言葉の中で気になったのは『また』突然倒れたという部分。

 さすがに度重なる虐待を公にするわけにはいかず、大方対外的には病気によって倒れたことになっているのだろう。保身の為としか思えないが、マリアンヌ様にも辛うじて世間体を気に掛ける程度の常識は残っているようだ。

 度々倒れていることから先天的な病弱設定にでもなっているのかも知れない。弱肉強食が国是のブリタニアで病弱な皇女という立場はあまり芳しくないな。それだけで周囲の評価が低く、比例して発言権や影響力も低くなっているはず。

 まあ、それは現状すぐにどうこうなる問題ではない。尤も今後その評価を覆すだけの機会は幾らでもあるだろう。

 現状での問題は病人──本当は怪我人だが──に対して、いきなり抱き付くような行動を取る人物について。不安を抱き、心配なのは理解できるが、軽率な行動は止めて欲しい。というかそろそろきつくなってきた。

 

 そんな事を考えていたからだろうか。

 その声を俺は知っていたのに、すぐにそれが誰の物であるのかまで思い至らなかった。

 

「……くるしい」

 

 取り敢えず束縛を解いて貰うために、相手に対して不満を伝えてみる。

 

「あっ、ごめんなさい!」

 

 どうやらこちらの意図はちゃんと伝わったようだ。

 慌てて告げられた謝罪の言葉と共に縛めが解かれ、俺からその身を離した声の主の姿が視界に映る。

 本来なら文句の一つを口にする、もしくは見舞いについての一般常識を説くところだが、現状それは不可能だった。

 俺は目の前の相手に言葉を失う。もしかしたら一時的に意識が飛び、呼吸さえ止まっていたかも知れない。

 それほどの衝撃を受けずにはいられなかった。

 

 

 薄桃色の柔らかな髪、幼くも秀麗な目鼻立ち、薄紅色のドレスを身に纏った可憐な少女。

 純真さを感じさせるその瞳を潤ませ、彼女は俺を見つめてくる。

 正直に言えば、視線を向けられる事に恐怖を抱いた。

 

 その姿を忘れることは許されない。

 その名を忘れることは許されない。

 そう、彼女の名はユーフェミア・リ・ブリタニア。

 かつてこの手でその生命を奪った異母妹。

 

 何を今さら動揺しているんだと思われるかも知れない。

 この世界に彼女が存在している事は既に認識していたし、現にさっき自分でユフィの為にも世界を壊す覚悟があると決意を新たにしたばかりだ。

 だが存在を理解しているだけと、実際に本人と突然対面するのとでは大きく異なる。

 出来れば事前に心の準備をさせて欲しかった。

 

 仮面で覆い隠した心の底から溢れ出し、俺を支配するのは深い後悔の念。

 何度、何十度、何百度、何千度同じ思考を繰り返し、その結果をシミュレートしたことだろう。

 

 もしあの日、行政特区日本開設式典会場へ赴かなければ。

 もしあの時、くだらない戯れ言を口にしなければ。

 あの瞬間、彼女に視線を向けなければ。

 悲哀と狂気を瞳に宿し、走り去る彼女の背に手が届いていたとすれば……。

 

 もし彼女と共に行政特区日本を成功させることが出来たなら、少しでも世界をより良い方向へ変える事が出来たのだろうか?

 ナナリーも望んだ優しい世界の実現に近付けたのか?

 

 ……いや、全ては仮定の話。

 彼女が描いた未来を閉ざしたのはこの俺自身だ。

 

 そもそも本当に殺す以外の選択肢は無かったのか?

 もしギアスキャンセラーの存在を知る時まで彼女が生存していたなら?

 本当は自分が現実から目を背けたかっただけじゃないのか?

 綺麗な想い出の中の彼女を求めた結果じゃないのか?

 

 そして彼女の死という最大のファクターが存在しなければ、最悪の大量破壊兵器フレイヤはこの世に生まれなかったのかも知れない。

 フレイヤによって億を超える人命が失われる事はなかっただろう。

 結果的に俺は弱い自分の心を守るために、途方もない数の生命を奪った事になる。はは……今さらながら本当に救いようがない。

 

 

「でも本当に良かった。前の時は丸一日以上目覚めなくて、起きても喋れないような状態だったんですよ。

 みんな心配する必要はないって言うのだけど、もし次に倒れたら二度と目覚めないんじゃないかって……わたし……わたし……」

 

 ユフィの頬を涙が伝う。

 それが不安による物なのか、安堵による物なのかは分からない。

 だがその言葉が、想いが本心からの物だと悟ることは出来る。

 

 まるで押し潰されるように胸が痛んだ。

 怪我による肉体的な痛みではない。

 

 本来それら全てを向けられるべき対象は俺ではなくリリーシャだ。

 俺には彼女の慈愛を受ける資格はない。

 その死さえ利用し、冒涜した俺が享受を許されるべき物でもない。

 もちろん俺の存在を知らない彼女からすれば、目の前のリリーシャが自分の知るリリーシャである事実に疑いを抱くことがない以上、相応の態度を取ることは仕方のないことだろう。

 だが彼女は何も悪くない。一片の非もあるはずがない。

 そう、悪いのは全てこの俺だ。

 

“どうして……ルルーシュ”

 

 彼女の最後の言葉が脳裏を過ぎる。

 その一言に彼女の想いの全てが込められていたに違いない。

 

 ねぇ、ルルーシュ。

 どうして私を撃ったの?

 どうして私を殺すの?

 どうして私にギアスを使ったの?

 どうして私を苦しめるの?

 どうして私を裏切ったの?

 どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうしてッ!!

 

 苦しい。

 彼女の言葉が、想いが、涙が胸を締め付ける。

 今の自分はリリーシャだと開き直れたならどれだけ楽だろうか。

 だけどそんな事は到底無理だ。

 今俺に出来るのはリリーシャ・ヴィ・ブリタニアの仮面を被り、彼女に嘘を吐き続けることだけ。

 

「残念だけどユフィ、私はまだこんな所で終わるつもりはないよ。

 それにキミが思っているほど私はやわじゃない。精一杯足掻いてみせるさ」

 

 そう言って皮肉を込めた笑みを浮かべ、戸惑いを気取らせないように注意しながら、そっと彼女の頭に触れ、その癖のある髪を撫でる。

 本当に笑みが浮かんでいたかは自信が持てない。

 けれど心配はしない、俺は仮面を被るのが得意なのだから。

 

「ふふっ、安心しました。いつものリリーシャです♪」

 

 ユフィはどこか照れた様子で俯き、くすぐったそうにしていたが、それでも文句を言わず俺の行為を受け入れる。

 

 微かに手が震えていた。

 だから俺は自分自身に言い聞かせる。

 大丈夫、大丈夫、私はリリーシャ。

 この手はまだ誰の血にも穢れていない、と。

 

 だが、つぎはぎだらけの仮面は、程なくして脆くも剥がれ落ちた。

 

 顔を上げた彼女は告げる。

 

「……どうして……リリーシャ」

 

「っ!?」

 

 彼女の言葉を耳にした瞬間、俺は身体を硬直させ、息を呑んだ。

 過去のユフィと、この世界のユフィが重なり合うような錯覚を覚えた。

 まさか目の前の彼女も俺と同じ境遇だとでも言うのか?

 そんな偶然があり得るはずはないと、すぐにその考えを振り払おうとした。

 しかし同時にどこかで理解していたのかも知れない。既にこの世界に俺=もう一人のルルーシュ・ヴィ・ブリタニアというイレギュラーが存在している以上、何が起こっても不思議ではないと。

 

 けれど結果的に俺の考えは外れていた。

 それを喜ぶべきかは正直答えられないが……。

 

「どうして、泣いているの? やっぱりまだ具合が──ハッ!? も、もしかして、わたしのせいですか!? ああ、どうしましょう……」

 

 何やらユフィが酷く慌てた様子だったが、俺はその理由を──己が身に起きた事態を把握できていなかった。

 

 ……泣いている、俺が?

 確かめるように頬に手を当てると、彼女の言葉通り指先が左頬を伝う雫に触れた。

 無自覚の内に涙を流す左の瞳。

 

「違う、キミのせいじゃない。これは、その……あれ……」

 

 ユフィを宥めながら、取り敢えず涙を止めようと試みる。

 だけど俺の意に反し、涙は止まらなかった。

 いや、むしろ次々と溢れ、流れ落ちていく。

 まるであの時流せなかった涙が、今になって押し寄せているかのように。

 ただコントロールが出来ないのは、何も涙だけではなかった。

 

「リリーシャ、大丈夫!? どこか痛いの、それとも気分が悪いの!? 誰かを呼んだ方が、そうすぐにお医者様を」

 

「うぅ…何でもない。何でもないんだ。私は……大丈…夫だから……ちょっとした…」

 

 制御下から離れた──自分でも上手く言い表す事の出来ない──強い感情が思考を、そして身体さえ支配する。

 一言で言えば、ただ混乱していた。

 

 止まれ、止まってくれ!

 彼女の前で泣くわけにはいかない。

 弱さを見せるわけにはいかない。

 リリーシャとしても、ルルーシュとしても。

 

 刹那だった。

 ユフィがこちらへと腕を伸ばす。

 その腕が優しく俺の頭部に回され、そのまま彼女の胸へと抱き寄せる。

 抵抗は出来なかった。

 

 伝わってくる彼女の温もり。

 そして鼓動。

 

 涙は止まらなかった。

 それでも心が穏やかになっていくような気がした。

 今だけは彼女が与えてくれる慈愛に身を委ねたいと素直に考えてしまう。

 

 だがこれでまるで母親に抱かれる幼子だ。現に母親の心音は子供に対してリラックス効果があると聞く。

 まさか自分と一歳しか年の変わらない少女に、母性を求めているとでも言うのか?

 馬鹿らしい。

 ……そう一蹴できたなら、どれだけ良かったことだろう。

 

 失ったモノ──いや、失わせたモノが、如何に大きな存在だったのか改めて実感する。

 

 だからだろうか?

 その言葉が自然と口から零れ落ちてしまった。

 

「……ごめんなさい」

 

 謝罪。

 それは許しを請う言葉。

 

 その言葉に意味はない。

 向けるべき相手はもう居ない。

 ならばどれだけ言葉を列ねても無意味であり、所詮は自己満足にしかならない。

 

 何よりも目の前の彼女は無関係だ。

 例え平行世界の同位存在だとしても、姿が似ているだけの別人。

 きっと彼女は意味が理解できないまま、俺の謝罪を受け入れ、許しを与えてくれると予想が出来る。

 それがどれほど甘い考えで、卑劣な行為か理解している。

 

 それでも、もう止められない。

 一度剥がれた仮面は元に戻らない。

 

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」

 

 俺はただ彼女に縋り、嗚咽を零し、うわごとのように繰り返すことしかできなかった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第9話

 

 今日わたしはお姉様に誘われて、アリエスの離宮を訪れていました。

 いつも軍のお仕事が忙しいお姉様の誘いを断る理由はありません。

 そうでなくても懇意にして下さっているマリアンヌ様、異母兄妹の中でも特に仲の良いルルーシュやナナリー達に会えるのですから、二つ返事でアリエスの離宮行きを決めました。

 ただ、実のところ理由はそれだけではないのですけれど……。

 

 麗らかな昼下がりとでも言うのでしょうか。居心地の良いアリエスの離宮自慢の庭園で、ルルーシュとナナリー、遅れて合流したマリアンヌ様とお茶を楽しみました。

 お天気で本当に良かったです。

 その一時を楽しいと感じた気持ちに嘘はありません。

 だけど素直に楽しむ事が出来なかったのも事実です。

 わたしの心は雲に覆われ、常に疑問と罪悪感のようなものが燻っていました。

 目の前の光景に不満を抱いてしまいます。

 

 どうしてこの場に彼女の姿がないのでしょうか?

 本来なら彼女もこのお茶会に参加していて当然なのに……。

 

 時間が経ち、わたし達が帰る間際の事でした。

 わたしは知りました。

 彼女がまた倒れたことを。

 

 お姉様から聞いたのか、それとも侍従の方から聞いたのかは憶えていません。

 気付いた時、すでにわたしは走り出していました。後ろからお姉様がわたしの名を呼びますが、止まる事なんて出来ません。

 わたしは振り返ることなく、ただ前を向いて走ります。

 1秒でも早く彼女の下に辿り着くために……。

 

 

     ◇

 

 

 彼女と初めて出会ったのは、アリエスの離宮でルルーシュ達とかくれんぼをしていた時の事です。

 普段はあまり訪れる事のない離宮の奥へと進んだわたしは、人の気配がする部屋の扉を開けました。

 その部屋は書庫のようでした。たくさんの本が収められた書棚が、壁を埋め尽くすように並べられています。

 少し圧倒された光景の中で目を惹かれたのは、窓際に置かれた白い小さなテーブルセット。いえ、正確にはそこで一人椅子に座り、本を読んでいる彼女の姿でした。

 

 紫色の蝶の形をした髪留めで纏められた艶やかな長い黒髪が、太陽の光を反射して宝石のように輝いています。

 白い肌に纏ったシンプルなデザインの黒のドレスがとてもよく似合っています。

 そして何より目を奪われたのは、可愛いではなく美しいと思えるその美貌です。自分と同じぐらいの年齢のはずなのに、もはや羨ましいという感情すら抱けません。

 それ程までに圧倒的で絶対的な差を直感しました。

 窓際で本を読むという行為が、とても絵になっています。

 

 ──ざ…ざざ……して。

 

 わたしは一目見た彼女の姿に言葉を失いました。

 優雅で、高貴で、そして神秘的。

 まるで絵本の中に登場するお姫様。その時わたしは初めて、魔王がお姫様を攫いたくなる気持ちを理解しました。むしろ今なら魔王を応援してしまいそうです。

 

 ──ざざ……どうして。

 

 思えばこの瞬間、わたしは彼女に魅了されていたのかも知れません。

 

 このまま眺め続けているわけにもいかないので、思い切って彼女に声を掛けてみようとした瞬間でした。

 

 ぐぅ~。

 

 …………わたしのお腹が鳴りました。

 どうしてこんな時に!?

 第一印象は大切です。

 なのに、何で……。

 食欲に忠実な自分を呪います。

 

「ふふっ、良かったら食べるかい?」

 

 お腹の音でわたしの存在に気付いたのでしょうか、わたしに視線を向けた彼女は苺のタルトが載ったお皿を差し出し、微笑みながら問い掛けてきます。

 うう、すごく恥ずかしいです。

 本当に顔から火が出そうなほど熱くなります。

 わたしはただ頷くことしか出来ずに、勧められるがままに彼女の向かいの席に腰を下ろし、タルトをいただきました。

 甘くてとても美味しかったです♪

 

 そう、いつまでも落ち込んでいるなんてわたしらしくありません。

 彼女の存在感に圧倒され、またお腹が鳴るアクシデントはありましたが、もう大丈夫です。わたしはやればできる子なんですから。

 

 気を取り直してまずは自己紹介。

 彼女の名前はリリーシャ・ヴィ・ブリタニア。

 ルルーシュの双子の妹らしいです。

 二人の容姿がよく似ている事もあって、すぐに納得できました。

 

 あら? でも待って下さい。

 ルルーシュとナナリーが一緒に居る場面はよく見かけます──そもそもわたしがルルーシュと会う時には常にナナリーの姿があったような気がします──が、ルルーシュとリリーシャが一緒に居る場面を見た事がありません。

 それどころかルルーシュの口からリリーシャの名前が出たことすらありませんでした。

 現にわたしは今日初めてリリーシャと出会って、その存在を知ったわけですし……。

 一体どういう事なんでしょうか?

 その事を直接リリーシャに告げると、彼女はただ苦笑するばかりでした。

 わたしは首を傾げます。

 

 その後もたわいもない会話を楽しみました。

 リリーシャはとても博識で、わたしの知らないことを沢山知っています。

 さっきまで彼女が読んでいた本も、大人でも読まないような難しい内容で、わたしには全然理解できませんでした。専門用語がいっぱいで頭が痛くなりそうです。

 どうしてこんな難しい本を読んでいるんですかと訊くと、知識を身に付けることは将来のためになるから、という答えが返ってきました。

 そんな事を平然と言えるリリーシャを尊敬します。

 

「ユフィ、こんな所に居たのか」

 

 不意に扉が開き、そう言ってルルーシュが入ってきました。

 彼は不機嫌そうに眉を顰め、リリーシャを睨み付けます。

 その時、わたしはかくれんぼの最中だった事を思い出しました。やっぱり忘れてしまっていた事を怒っているのでしょうか?

 でも悪いのはリリーシャではありません。

 悪いのはわたしです。だからそんなにリリーシャを睨まないで下さい。

 

「行こう、ユフィ」

 

 だけどルルーシュは聞く耳を持ちません。

 わたしの手を掴んで、強引に書庫から連れ出します。強く掴まれた手が少し痛いです。

 そんなに急がなくても良いじゃないですか。リリーシャにちゃんとしたお礼を言ってませんし、お別れの挨拶だってまだ……。

 ルルーシュの態度に戸惑いながら、リリーシャへと視線を向けます。

 すると彼女は、

 

「私の事は気にする必要はないよ。いつものことだからね。バイバイ、ユフィ」

 

 そう言って微笑みました。けれどその表情がどこか悲しげに見えたのは、気のせいではないはずです。

 

 

 無言で歩む廊下。わたしは前を歩くルルーシュに手を引かれ、彼に着いていくことしか出来ませんでした。

 

「もうあそこには近付かない方が良い」

 

 ルルーシュが振り返ることなく言います。

 書庫に近付くな。それが暗にリリーシャに近付くなと言っているのだと、わたしでも薄々理解できました。

 何だか悲しい気持ちになります。

 おかしいです。ルルーシュにとってリリーシャも、ナナリーと同じ妹のはず。それなのにこんな態度は間違っています。

 

「違う、アイツは妹なんかじゃない」

 

 確かに双子だと妹には思えないのかも知れませんが、それでももう少し言い方があると思います。

 ただ、ルルーシュが続けた言葉は、わたしの考えの遙か斜め上を行っていました。

 

「アイツは悪い魔女だ」

 

 え?

 どうしてルルーシュがリリーシャの事をそんな風に言ったのか、わたしには分かりません。確かに全身黒色で統一されていましたが、魔女なんかではなくお姫様にしか見えないのに……。

 その真意を知ろうとしましたが、それっきりルルーシュはわたしの問い掛けには答えてくれませんでした。

 

 

 リリーシャと出会ったその日、家に帰ったわたしはお姉様にリリーシャの事を尋ねました。

 お姉様の話では、リリーシャは産まれた時から身体が弱く、滅多にアリエスの離宮の外に出ることはなく、社交界などの公の場に姿を現すこともないとのこと。

 それ故に交友関係は皆無と言え、話題に上がることもない。第一に本人が他者との関わりを避けているそうです。

 

「私も一度しか会ったことはないが、ユフィと歳の近い異母妹として気にはなっていた。

 そうだ、ユフィ。彼女と友達になって欲しい。そうなればマリアンヌ様の心労も少しは和らぐはず」

 

「嫌です。お姉様がマリアンヌ様のことを尊敬していることは知っていますけど、それは話が別です」

 

「ユフィ……」

 

 お顔を曇らせるお姉様。

 もう、そんなお顔をしないでください。

 

「だって、わたしとリリーシャはもう友達です。それに友達は誰かに言われてなるようなものではありません」

 

「ふふっ、そうだな。私が間違っていた、許してくれ」

 

 リリーシャがわたしの事をどう思っているか分からりません。

 だからこの想いは一方的かも知れませんが、わたしは彼女のことを既に友達だと思っています。

 彼女も同じように思ってくれていたら嬉しいのですけど……。

 

 

 それからわたし達の交友関係は始まりました。

 アリエスの離宮を訪れた際には必ずリリーシャにも会いに行きます。

 最初は反対していたルルーシュでしたが、最近では諦めたのか、あまり強くは言ってきません。

 それでも相変わらず彼女のことを快くは思っていないようですが。

 とても残念です。

 どうしたらルルーシュに彼女の事を理解してもらえるのでしょうか?

 二人の仲の良い姿が見てみたいです。

 

 

 それは何度目かの訪問の時でした。

 彼女が倒れたと聞かされました。

 わたしは急いで彼女の自室へ向かいます。

 

 彼女の部屋でわたしが目にしたのは──ベッドの上に横たわる──普段のリリーシャから想像すら出来ない弱々しい姿。

 年相応、いえ、それ以上に儚い存在に思えました。

 いつも冷静で、少し皮肉屋で、大人びている彼女しか知らないわたしにとって、その姿はあまりに衝撃的でした。

 魘される彼女が──まるで助けを求めるかのように──伸ばした手を取り、早く良くなるように祈ることしかできませんでした。

 

 そしてその日、わたしは彼女が置かれている状況の一端を知りました。

 

 これで何度目だ?

 このままでは政略結婚にすら使えない可能性がある。

 そもそも保つのか?

 心配する事はない、ルルーシュ様がいらっしゃる。

 それにナナリー様も。

 

 侍従の方達が陰で交わしていた会話を耳にしてしまった瞬間、わたしは憤りを隠せませんでした。

 彼等はリリーシャの事を本心から心配する事なく、それどころか政争や権力闘争の道具としてしか見ていない。

 その事実に愕然とし、同じ人間として嫌悪感さえ抱きます。

 もちろん彼等の考えが完全に間違っていない事は理解しています。

 お姉様は必死で隠そうとしていますが、リリーシャが教えてくれました。

 この世界が、人が綺麗なものだけではないことを。

 煌びやかな宮殿には直視するに耐えない裏側が存在している事実を。

 そしてこのブリタニアという国が弱肉強食を掲げ、他国を侵略している現実を。

 蔓延する強者の悪意と弱者の悲劇。

 だからといって彼女の扱いが許せるかどうかは別問題です!

 

 自身のことを最も理解している彼女が、周囲の評価に気付かないはずがありません。

 敬い媚びを売る侍従の仮面に下に隠された人間の醜い本性。

 だからこそ彼女は他者を信用することを止め、関わる事を避け、むしろ遠ざけようとしているのでしょう。

 諦め、受け入れ、納得することでしか自分を守れないから……。

 

 だったら……、だったらわたしがリリーシャを守ります!

 わたしだけは何があっても彼女の味方になるって決めました!

 お姉様のように戦うことは出来ません。軍に入りたいなんて言ったら、お母様もお姉様も絶対に反対して許してくれないでしょう。

 ルルーシュのように頭の回転は速くないし、リリーシャのように豊富な知識を持って居るわけでありません。

 現状、今はまだ何も役に立てないかも知れません。むしろ足手纏いになってしまうでしょう。

 それでも絶対です。

 わたしは諦めません!

 

 今のわたしに出来る事は勉学に励み、知識を身に付けること。

 リリーシャが言っていました。知識を身に付けることは将来のためになるって。

 待っていてください。

 きっと貴女の隣に立って恥ずかしくない存在になってみせますから。

 

 だからその時は……あの…その……えっと…何でもないですっ!

 

 

     ◇

 

 

 あの日。

 そう、私の未来が変わった運命の日。

 私は夢を見ました。たぶん……夢だと思います。もしかしたら白昼夢といわれる類のものかも知れませんが。

 今でもその内容は鮮明に憶えています。

 

 世界に広がったノイズ。

 包み込まれた光の中、その先に女の人を見ました。

 

 白地にピンクで彩られた清楚なドレスを身に纏ったお姉さん。リリーシャとは対称的な白のお姫様。

 触れると壊れてしまうのではないか、また辛うじて輪郭を形成しているのではとさえ思えるほどに儚さを感じさせます。

 消えゆく魂の残照とでもいうのでしょうか。

 きっと私はこの人の事を知っている。

 そう何故だか確信しているのに、それが誰なのかまるで分かりません。

 とても胸がモヤモヤします。

 まるでお腹に穴が空いてしまったかのようにズキズキと痛みます。

 

 ──どうして。

 

 ノイズに混じりながら聞こえた唯一の声。

 今にも泣きそうな表情を浮かべた彼女は、朱に染まった手を伸ばす。

 一体何を求めているのでしょうか。

 出来ることなら彼女のために何かしてあげたいと思います。

 でも私の声は届きません。

 突き付けられた無力感に切なさが込み上げました。

 

 私は私に出来ることしか出来ない。

 

 だから私は祈ります。

 いつか彼女の顔から憂いが消え、笑みを浮かべられる瞬間が訪れることを。

 心から切に……。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第10話

 

 どれだけ時間が経っただろうか。

 枯れるまで泣いていたのか涙は止まっていた。

 泣くという行為、感情の発露は多くのエネルギーを消費すると改めて認識する。

 怪我によるものとはまた違った倦怠感を感じながら思考を再起動させる。

 彼女に対する懺悔の想いを吐き出したからか、感情の暴走による混乱は収まり、冷静さを取り戻した思考は正常に動いた。

 だからこそ、感情のままに突き動かされ、ユフィに縋り付き、心の奥底に封じ込めていた想いを吐露してしまった事実に自己嫌悪を抱く。

 本来なら死を迎える瞬間まで押し殺すべきものであり、実際に今までそうしてきたというのに……。

 またそれと同時、人前で涙を見せ、剰え子供のように泣きじゃくったという事実に、止めどなく羞恥心が込み上げる。

 今さら嘆いたところで、全ては後の祭りというものだが。

 

 そんな俺の羞恥心はユフィに伝わっていないらしい。

 まるで子供をあやす母親のように、彼女は胸に抱いた俺の頭や背中を優しく撫でてくる。

 不快ではなく、むしろ心地よかったが、それがまた恥ずかしい。

 開き直って「ヤッフー、ロリっ子のちっぱいサイコー!」と狂喜して叫び、彼女の胸に頬ずりするような性癖を生憎俺は持ち合わせていない。

 

 さてどうする?

 突然泣き出した後、一体どんな顔でユフィと向き合えばいい?

 彼女だって身に覚えのない謝罪の言葉を受けて戸惑っているはずだ。

 今さら取り繕ったところで逆に不自然だろう。いや、リリーシャの性格や置かれている環境から考えて、人前で涙を見せること自体すでに不自然なのかも知れない。

 理由は? 病弱設定を利用して誤魔化すか?

 いや、ここは敢えて今回の事に触れないというのも一つの手だ。何も聞かないでほしいという態度をとれば、ユフィなら深く追究してくることはないだろう。

 

 

「大丈夫です」

 

 

 それまで黙って俺の涙を受けて止めていたユフィの声が落ちてくる。

 まるで心の内を見透かしているかのように。

 

「何に対して謝っているのか、わたしには分かりません。

 でもきっとそれはとても辛くて、とても悲しいことだって伝わってきました。

 リリーシャが許しを求めているなら、わたしが許します。何度だって許しちゃいます」

 

 ハッとして顔を上げる。

 眼前には慈悲の心に満ち溢れた──今の俺には眩しすぎる──微笑みがあった。

 ああ、彼女はどこの世界でもユフィのままだ。

 

「例え他の誰もが許さなくても、わたしだけは何があっても貴方の味方ですから。

 だから笑ってください、リリーシャ」

 

 力強く真剣な口調で告げられる許しの言葉。

 その言葉が嬉しくないはずがない。

 だけど一方で、危惧していた予想が現実のものとなり、罪悪感に胸が押し潰されそうになる。

 許して欲しいという思いと、許されるべきではないという思いが俺の中でせめぎ合う。

 

「何故……?」

 

 そう問わずには居られなかった。

 何を以て彼女はリリーシャに対して無償の愛を注ぐというのか?

 そもそもリリーシャとユフィの関係はどんな関係なのだろう。

 彼女の態度は好意的だが、それ以上の絆を感じてしまうのは果たして気のせいなのか?

 俺の問い掛けにユフィは頬を染め、はにかみながら答えた。

 

「だって────」

 

 自身の大切な想いを言葉にして紡ぎ出す。

 そこに躊躇いはなく、むしろ誇らしげですらあった。

 

「未来のわたしの旦那様なんですから」

 

 …………ん?

 何だろう、今ユフィの口からとんでもない言葉が発せられた気がする。おかしいな。

 虐待の後遺症、それとも精神ダメージによって聴覚に障害が出ているかも知れない。

 本能が拒絶反応を起こした結果とも考えられるが……。

 よし、もう一度聞いてみよう。空耳や幻聴の類の可能性だって十分ある。

 

「あの…ユフィ? 今なんて────」

 

「あ、もちろんリリーシャがお嫁さんでも構いません! むしろその方が……くっ、裸エプロンでお出迎えだなんて……えへへ」

 

 何故か興奮した様子で拳を握り締めるユフィ。

 その表情は恍惚としていた。

 

「ご飯にする? お風呂にする? それとも私とするかな? なんてそんなこと聞かれたら……きゃっ、もうダメです♪」

 

 あ~何だろ、これ?

 いや、言いたい事は分かる。分かっているが受け入れたくないというところか。

 リリーシャがユフィの旦那様orお嫁さん? むしろユフィの中ではお嫁さんルート確定の勢いだが……。

 奥様は皇女様か、何だかホームドラマの番組名みたいだな。ってそうじゃない。

 つまりユフィはリリーシャと結婚する気なのか?

 

 確かにかつてユフィとナナリーのどちらが俺のお嫁さんになるかを巡って、二人が喧嘩を繰り広げていた記憶がある。

 当時の俺は戸惑うばかりだったが、今にして思えばどれほど幸せだったことだろう。嗚呼、あの頃の自分に戻りたい。

 だが血の繋がった妹である彼女達と結婚は法的に無理だ。中世ヨーロッパの王族や貴族、またアフリカの一部部族の間では近親婚は珍しいことではない。

 血の濃さを保ち、地位や財産の散逸を防ぐ目的として有効な手段ではあった。

 しかしその弊害は大きく、遺伝的背景による障害児や未熟児の誕生の可能性が増加。その為、一族が断絶するに至ったケースもある。

 かつてブリタニアでも優れた遺伝子を後世に残すために、近親婚が行われていた歴史があったが今現在は法の下で禁止されている。

 

 さらに言えばリリーシャは女でユフィも女。

 近親婚の上に、さらに同性婚という問題も加わる事となる。同性婚を容認している国は世界的に見て多くない。

 宗教色の強い中東国家では犯罪として扱われるだけでなく、重い罰が下され、極刑になる国も存在する。

 ブリタニアでは明確に法律化されてはいないが、国家の象徴とも言える皇族という立場を考えれば不可能に近い。

 皇族としての義務、皇位継承権争いを中心とした権力闘争、また外交上の問題となる行為を容認する事はできないだろう。

 

 閑話休題。

 

 どうしてこうなった? 彼女の身に何があったんだ? というか一体誰が裸エプロンなんて知識を教えた?

 もちろん心当たりは一つある。

 いや、その原因しか思い浮かばないと言っても良い。

 俺は心の中で、この件に深く関わっているであろう人物の名を叫んだ。

 

 リリーシャァァァァァァァァァッ!! リリーシャァァァ……リリーシャァァ…………。

 

 そう、その心当たりこそ、この肉体本来の持ち主である少女。

 彼女の存在が現状の異常、俺が生きた世界との明確な差を生み出したとか考えられない。

 ルルーシュへと向けられるユフィの好意が、リリーシャが存在しているこの世界では彼女へと向けられている。

 リリーシャの存在が齎したバタフライ効果(エフェクト)

 蝶の羽ばたきが起こした風が、将来的に遙か遠くで嵐を起こす。

 カオス理論を端的に表現した比喩であり、僅かな差が時間の経過と共に大きな変化を齎す以上、正確な未来予測が不可能であることを説いている。

 だがリリーシャの存在は蝶の羽ばたきと言えるほど可愛いものではない。蝶が嵐を起こすなら、彼女の場合は隕石落下レベルの災害を生むだろう。

 人類滅亡まで影響が及ぶかは現時点では分からないが、少なくとも確実に俺の胃は保たない。

 

“騒々しいね。そんなに叫ばなくても聞こえているよ。

 もう、どうせ名を呼ぶなら、優しく大切に、素直さと労りの心を込めてもらいたいかな”

 

 俺の叫びに応えるかのように、内側から響いた幼い声がさらに苛立ちを加速させる。

 それはかつての共犯者が求めた願いの一つ。

 

 っ、また俺の記憶を!

 誰が呼ぶものか!

 

“非道いね、魔女差別だよ。こう見えて私もこの世界のキミから魔女認定を受けているんだけどね、ふふっ”

 

 うるさい、他人の記憶や思い出を皮肉に使うなんて悪趣味すぎるぞ。

 

“それは悪い事をしたね、今後自重する予定はないけど一応謝っておくよ。

 で、何の用かな、ルルーシュくん? 別に生命の危機って訳でもないようだけど、私の眠りを妨げるんだ、それ相応の理由があるんだよね?”

 

 一体これはどういう事だ!?

 ユフィに何をした。洗脳か、それともギアスか!?

 何でこんな……。

 

 もし万が一、ユフィがガチなら──まだこの世界では出会っていないとは言え──あまりにスザクが不憫だろ?

 アイツには今度こそユフィの騎士として彼女を守り、支える存在となってもらいたいと考えていた。

 それが自己満足の罪滅ぼしだと理解していても……。

 だというのに肝心のユフィが仮に同性愛に目覚めていたとすれば、その思惑は根底から覆されることになる。

 

“少し冷静になろうよ、ルルーシュくん。

 残念ながら私は何もしてない。もちろん手を出した憶えもなし、出された憶えもない。

 ただしマリアンヌ様の手によって、意識を刈り取られていた間の事までは保証しかねるけどね。

 それでも私からは何もしていないと、神に誓いたくはないから私自身に誓っても良い。そう、一切『何も』ね”

 

 リリーシャは何もしていない。

 それが偽りのない事実なら、予想は外れたが、それは俺が望んだ答えと言っても良い。

 けれど安堵できないのは何故だ?

 何故そこまで強調する?

 俺が強く追求したから。いや、その程度で怯むようなリリーシャではないだろう。

 だとすれば別の理由が────まさか。

 

“さすがに気付いたようだね。

 そう私は何もしなかった。説明も論破も言い訳も指摘も修正も肯定も否定も介入も何もかも。

 その結果、彼女が何を思い、どんなストーリーを思い描いていたのか容易に想像が付いていたよ。

 きっと彼女の中で私は悲劇のヒロインなんだろうね、ふふっ”

 

 っ、それを確信犯と言うんだ!

 何故そんな事を。

 

“何故? 答えは簡単、私に誤解を解く義務がないからだよ。

 彼女が何を考え、どう行動しようと全ては彼女の責任だからね。

 まあ、その結果私に不利益が生じた時は、容赦なく排除すべき敵として対処させてもらうつもりだったけれど。

 言ったよね? 見敵必殺だって”

 

 リリーシャは平然と、さも当然かのように告げてくる。

 訪れる可能性の未来を理解しながら、何ら手を打つことなく放置し、身勝手にも自我を押し通すと。

 

“さてと、キミの質問にも答えたことだし、私は再び眠りに就かせてもらうよ。

 来るべき時のために出来るだけ力を蓄えときたいからね、ふわぁ……”

 

 抱いた憤りを向けるよりも速く、欠伸と共に俺の中のリリーシャの存在が霧散していく。

 尤も言葉を尽くしたところで通じる相手ではない事は理解している。

 彼女が放った最後のセリフに不穏な空気を感じたが、今はそれどころではない。

 まずは目の前の問題を片付ける事が先決だ。と言っても何ら解決の手掛かりを得ることは出来ず、精神疲労ばかりが溜まっていくが。

 

「でも浮気はダメですよ? お姉様も都合のいい女にはなるなって言ってました」

 

 どうやらリリーシャとの会話の間もユフィの話は続いていたようだ。

 というか何を教えているんだコーネリアは……頭痛がしてきた。

 

「ユフィ、キミは自分が何を言っているのか理解しているのかい?」

 

 それは確認だった。

 今のユフィは自身の言葉の意味を正しく理解していない可能性も考えられる。

 いや、むしろそうであって欲しいという思いが強かった。

 けれど現実は無情だ。その事実を俺は痛いほど知っている。

 

「はい、もちろんです。リリーシャを守るためにはどうすればいいんだろうって、わたしなりに考えてみたんです。

 その結論が家族になるのが一番じゃないかと思いました。

 お姉様がわたしの事を守ってくれるように、ルルーシュがナナリーを守っているように、わたしがリリーシャを守ります!

 もう一人にはさせません!

 必ず幸せにしてみせます!

 だからわたしと家族になりましょう、結婚して下さい!」

 

 そこにあるのは、ただ一人の人間を守りたいという純粋な想い。

 澱みのない純真さ。

 それは嘘偽りのない彼女の本心だった。

 

 最愛の妹の為に世界さえ壊そうとした俺には、その一途な想いが、想いの強さが理解できてしまう。

 

 だからこそ余計に困る。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第11話

 

 うん、どうして俺は幼いユフィから真剣なプロポーズを受けているんだろうか?

 胸の奥が温かくなる一方、何だかとても恥ずかしい気持ちになる。

 顔が熱い。

 れ、冷静になれ。所詮は子供の戯言じゃないか。

 箱入り娘で育ったユフィが愛や恋、結婚といった概念を正確に理解しているとは思えない。だが人を好きになるのに理由は必要ないとも言われている。

 いや、考えすぎだ。きっと友人に対する好意を恋愛感情と誤解しているのだろう。そうに違いない。

 

 しかし、リリーシャを守る為に家族になればいい、家族になるために結婚すればいい、か。

 何とも突飛な考えだが、ユフィなら有り得ると思ってしまう。

 その純粋な心が長所であり短所でもある彼女なら、と。

 

 リ家の庇護下に入る、その一点に関して言えば悪い考えではない。

 後援貴族を含めた勢力ではウ家、エル家、ド家には幾分劣るが、宮廷の一角を占めている。

 コーネリアの功績次第ではその差を埋めることも十分に可能だ。俺が持つ未来知識を利用すれば確実性は増すだろう。

 そして内側からこの国を、延いては世界を変えていく。リ家を矢面に立たせ、隠れ蓑に使うことに何ら思うところがないわけではないが。

 ただ問題は──もちろん婚姻による養子縁組は論外として──彼女達の母親だ。

 彼女達の意思を尊重しているとは言え、伝統ある名門貴族の出身。

 本心では庶民出身のマリアンヌ、またその子供、ヴィ家が暮らすアリエス離宮に愛娘を近付けたくはないと思っている事だろう。

 閃光のマリアンヌに憧れるコーネリアが、反対を押し切って剣を手に取った事も多分に影響している。

 ギアスが使えない今、悪感情を払拭することは難しく、また正攻法で認められる為に功績を築くこともすぐには無理だ。

 例え未来知識を持っていても、それを行使できる立場に立たなければ意味はない。

 故に現実的な策とは言えなかった。

 

「お姉様だって賛成してくれています。だから安心して下さい」

 

 尤も相談を受けたコーネリアが子供のお遊び程度に受け止めた可能性が高いが、どうせ姉バカの彼女の事だから、最愛の妹がどこの馬の骨とも知れない男に嫁ぐよりはマシだとでも考えて応えたのだろう。

 その相手が敬愛する閃光のマリアンヌの娘であり、彼女に似た妹が増え、さらには彼女自身とも距離が近付くことを喜んでいたとしてもおかしくない。

 けどそこは反対して欲しいところだ。

 貴女だってユフィの子供をその手に抱きたいだろ?

 いや、待て。その場合の彼女の立場を自分に当て嵌めてみよう。

 もしナナリーに子供が生まれたとすれば可愛いことは間違いないし、きっと育児にも参加したくなるのだろうと容易に想像が出来る。

 だが子供が産まれるということは当然父親が存在していて、その男とまあ…その……アレな行為に及んだ結果なのだが……。

 よし、殺そう。それも考え付く中で最も苦痛を与えられる方法で。

 けどもしナナリーがその男の事を心から愛していたとしたら悲しみにくれてしまう。心に傷を負ってしまう。

 仮に犯人が俺だとバレた場合の事を考えると恐ろしすぎるし、何よりその恐怖を常に感じながら生きていくことになる。

 まったく、生きていても死んでも厄介だな。

 もちろんナナリーにも幸せを実感して欲しい。恋愛、結婚、出産、幸せな家庭を築いて欲しいと思う。思ってはいるのだが……。

 うわあぁぁぁぁぁ、何というジレンマ!

 妹離れをしないと本当に拙いな。

 

 って大きく話がずれてないか?

 よし、修正しよう。

 

「ありがとう、ユフィ。キミの気持ちは素直に嬉しいよ」

 

「じゃあ────」

 

 その言葉に彼女は満面の笑みを浮かべ、期待に瞳を輝かせた。

 

「だけど現実問題として不可能だ。法という戒め、皇族という立場によるしがらみ。他国との外交、宗教も関わってくる。

 偏に結婚と言っても、キミが思っているほど簡単な話じゃないんだよ。

 それに私自身、今の立場を手放すつもりはないからね」

 

 正論による問題提起と、意志による牽制。

 例え内容の全てが理解できない子供でも、自身の考えが実現不可能だと否定されている事は伝わるだろう。

 世界を変えるためには、現状皇族という立場を失う訳にはいかない。

 自分が持つ力を最大限に活かすためにも、出来るだけブリタニアの中枢に籍を置くことが重要だ。

 

「さてと、私は疲れたから少し眠らせてもらうよ」

 

 体調が優れないというのは嘘ではないが、強引にこの話を終わらせようとしている自覚はある。

 例えすぐには受け入れられなくても、いずれ彼女も分かってくれるだろう。

 言っては悪いが子供の思い付きであり、時間が経てば忘れてしまう事だってある。

 そう俺は考えたのだが、どうやらそれが間違いだったと、すぐに思い知らされることになった。

 

「諦めません」

 

 あれ、もしかして障害が大きいほど燃え上がるタイプなのか?

 けれど続く言葉にそんな冗談は吹き飛んだ。

 

「だったらわたしが変えてみせます。法も、国も、世界も」

 

「なっ!? よせ、ユフィ。それ以上はダメだ!

 キミはその言葉の意味を本当に分かっているのか!? 冗談では済まなくなるんだぞ!」

 

 いや、分かっているはずがない。分かっているのなら、こんな第三者の耳に届いてしまう恐れのある空間で決して口にしないだろう。

 法を変える、国を変える、世界を変える。

 言葉は違えどその意味は同じだった。

 法を定めているのは評議会でも元老院でも司法機関でもない。

 専制君主国家であるこの神聖ブリタニア帝国において、全ての決定権を持っているのはブリタニア皇帝ただ一人であり、その決定を覆せる者は存在していない。

 つまりこの国に関する全てを変える事のできる唯一の存在であり、延いては世界三大勢力の一角を率いて世界に干渉できる存在こそブリタニア皇帝となる。

 

 彼女が口にしてしまった言葉は、聞く者が聞けば皇帝に対して反意があると受け取られてしまうだろう。

 皇族である彼女を厳罰に処す法は無く、反逆罪等による処刑という事態にはならないが、廃嫡やリ家没落の切っ掛けには十分だ。

 

 嫌な汗が止まらない。

 もう止めろ。止めてくれ。

 

 だが彼女は俺の思いを他所に言葉を続けてしまう。

 

「いずれわたしは神聖ブリタニア帝国皇帝の座を目指します」

 

 それは間違いなく醜い宮廷劇、権力闘争への参戦表明だった。

 ユフィが自ら皇位継承権争いに名乗りを上げる?

 あのユフィが?

 悪い冗談だとしか思えない。

 

 何より早すぎる。少なくとも彼女が自らの意志で行動を起こすのは、エリア11でこの世界の現実を知ってからのはず。

 スザクと出会い、虐げられる弱者の存在を目の当たりにした。

 ゼロと対峙し、強者に抗う者の想いを感じた。

 死した異母兄妹と再会を果たし、守るべきモノに気付いた。

 その果ての行政特区日本構想だったはずだ。

 

 この世界のユフィと俺が知る幼少期の彼女、二人の姿が重なるようで重ならない。

 例え平行世界の同一存在だとしても、姿が似ているだけの別人だと理解していたじゃないか、何を今さら。

 これも平行世界の可能性の一つ。

 リリーシャの存在によるバタフライ効果の影響だとでもいうのか?

 

「ユフィ、悪いことは言わない。その決意は早々に捨てた方が良い。それがキミのためだ」

 

 ユフィが皇位継承権争いに参戦して勝ち残れる可能性は、厳しいことを言うようだが客観的に評価して皆無だろう。

 内政、外交、軍事、家柄、知略、人徳、その全てにおいて上位の皇位継承者を下回る。

 何より彼女は優しすぎた。知謀策謀を駆使し、他者を陥れることなど出来はしない。

 そして敗北は破滅を意味している。

 現状の彼女──いや俺の知る未来の彼女を含めて──が皇帝の座を手にするには、それこそ奇跡または他者を圧倒するギアスのような力が必要だった。

 これは俺の我が儘だが、彼女にはギアスに触れて欲しくはない。ギアスの魔力は人を簡単に狂わせる。

 ギアスに翻弄される彼女の姿をもう二度と見たくはなかった。

 

「嫌です」

 

「っ、ユフィ……」

 

 彼女に頑固な面があることは幼少期から知っている。

 今回の件も彼女の中では絶対に譲れないことなのだろう。

 だが────

 

「わたしは今までお母様やお姉様の言われるがままに生きてきました。

 だけどそれではダメだって、それではただのお人形なんだって気付かせてくれたのはリリーシャです」

 

 そう言ってユフィは自らの胸に手を当てる。

 

「この想いはわたしが初めて自分の意志で手にしたモノ。わたしが生きている証なんだと思います。

 わたしはもう、お人形の皇女様に戻りたくはありません。

 例えリリーシャでも……いいえ、リリーシャだからこそ、この想いを踏みにじられたくはないと思うのです。

 だからわたしは逃げません。神聖ブリタニア帝国第四皇女=ユーフェミア・リ・ブリタニアとして生きる現実から」

 

 その眼差しは誰にも負けない力強さを有していた。

 その言葉に宿る決意は揺るぎない覚悟を纏っていた。

 彼女がブリタニアの皇女だという至極当然の事実を、改めて思い知らされるには十分すぎる風格があった。

 彼女は俺は考えていた程度の弱者ではない。

 人の上に立つ紛れもない強者。

 守られるだけの存在ではないと、何故失念していたのだろうか。

 

 だから俺は言葉を失い、彼女に反論の言葉さえ返すことは出来なかった。

 既に回り始めていた歯車は止められない。

 

 面白くなってきたじゃないか。

 そんなリリーシャの囁きが聞こえた気がした。

 

 

     ◇

 

 

 窓へと視線を向けると、いつの間にか夜の帳が降りていることに気付く。

 ただそんな事を気にしている余裕はなかった。

 俺はベッドの上で、ただ呆然とする。身体を休めるために眠りに就くことはおろか、横になる事さえ出来ずにいた。

 

 予期せぬユフィの参戦表明、そして使命感にも似た決意を受け、どう対処すれば良いのか分からなかった。

 思考を停止させるなんて俺らしくはないと自覚はしているが、あまりに濃すぎる今日一日を振り返り、精神的疲労を考えれば仕方がないと、誰にともなく言い訳をする。

 最も単純な対策としては、ユフィの正式参戦に合わせて、俺も皇位継承権争いに参戦し、彼女へ向けられる視線を逸らすことぐらいしか現状思い付かない。

 ふわふわとした雰囲気を有するユフィだが、ああ見えて我の強い部分があり、一度自分で決めたことを撤回させるのは難しい。

 それはあの男からの遺伝というよりは、ブリタニア人の気質なのかも知れないが。

 しかしリリーシャの件で決意を新たにし、これからって時に今度はユフィの爆弾発言。出鼻を挫かれたどころではないな。

 まだ半日だが、某24時間テロと戦う連邦捜査官の男の一日に匹敵するんじゃないだろうか。

 あのドラマでは半日を過ぎた辺りで真の敵が現れるが、これ以上何かが起きれば俺のキャパは限界を迎えるかも知れない。

 ただでさえ何ら問題は解決されず、それどころか次々に山積していっているのが実状なんだぞ。

 

 だからだろうか、聞こえてきた小さな物音にも敏感に反応してしまう。

 すぐさま音の聞こえてきた方向、部屋の入り口へと視線を向ける。

 これ以上、厄介事の訪問は勘弁して欲しいところだが、果たしてその願いは通じるのだろうか……。

 

 開け放されたままになっていた扉から、こちらに顔を覗かせていたのは一人の幼い少女。

 可愛らしい顔立ちをしているが、どこか眠たげな赤みを帯びた瞳が特徴的だった。

 彼女の事は知っている。

 アーニャ・アールストレイム。

 元々はヴィ家と関わりを持つ貴族の出身であったが、行儀見習いとして訪れていたアリエス宮で運悪く第五后妃暗殺事件に遭遇。

 人払いがされていたはずの現場で、当事者達が彼女の存在に気付かなかった事は甚だ疑問だが、偶然居合わせた暗殺現場で母マリアンヌの人の心を渡るギアスを掛けられ、精神に寄生されてしまう。

 さらに皇帝シャルルの記憶改変のギアスによって、偽りの記憶を植え付けられた事実も加わり、以降記憶障害に苦悩する事となる。

 その後、あの女が寄生していたからか、それとも彼女自身に高い適性があったのかは不明だが、KMFの操縦に天才的な才能を発揮し、若干14歳という年齢で神聖ブリタニア帝国が誇る十二騎士が第六席=ナイトオブシックスを拝命する。

 そう、彼女もギアスの呪いによって、また俺の両親によって大きく人生を狂わされた犠牲者。

 この世界で救わなければならない者の一人だった。

 

 俺と目が合い、彼女はビクリと身体を震わせる。

 気まずい沈黙が流れた。

 俺自身もあの男のギアスによって記憶を書き換えられていたのか、幼少期に彼女がアリエスの離宮に居た記憶はない。

 故に過去の自分が彼女にどんな風に接していたのか思い出すことは出来ない。まあ、リリーシャとなってしまった今の俺には無意味な問題なのだろうが。

 何れにしろ一から関係を気付く以外に道はない。

 

 取り敢えず──まるでペットを呼ぶみたいで不躾な行為だが──手招きしてみる。

 様子を窺っていることから、少なくともリリーシャに興味を持っていることは間違いない。それが好意からくるものなのかは不明だが。

 

 トコトコと、いやキュピキュピか?

 そんな足音が似合いそうな足取りでアーニャは近付いてくる。

 本当に小動物みたいな愛らしさだ。

 何だろう、この気持ち?

 萌とかそんなチープな感情じゃない。

 ああ、そうか。忘れていた。これは癒しだ。

 

「私はリリーシャ・ヴィ・ブリタニア。キミの名前は?」

 

 俺は彼女の事は知っているが、リリーシャとしては初対面だ。

 まずは基本に則って自己紹介から始めてみる。

 

「……アーニャ、アーニャ・アールストレイム」

 

「じゃあ、アーニャと呼ばせてもらうよ」

 

「ん」

 

「さて、アーニャ。早速だけどキミにお願いしたい事があるんだ。こうして出会ったのも何かの縁、折角だから私と友達になってくれないかな?」

 

 少々強引だと自覚はしている。ここで焦る必要はないが、彼女を救う上で接点を持つことは重要だ。

 そこに将来ラウンズになる、もしくはラウンズクラスの戦闘技能を保持する可能性があり、味方になってもらえれば戦力として期待が出来るという打算が、一瞬たりとも脳裏を過ぎらなかったと言えば嘘になるが。

 

「ともだち……わたしと?」

 

 そう言って首を傾げるアーニャ。

 …………ずるい。その仕草は反則だ。もはや打算云々は吹き飛んで、ただ単純に傍に居て欲しいと思ってしまう。

 駄目だと分かっていたが、衝動を抑えることが出来ない。

 気付いた時、俺はアーニャを抱き締め、その頭を撫でていた。言っておくが別にやましい感情は1ミリもない。本当の本当に。そもそも幼女同士だし絵的に見てもセーフのはずだ。

 

「駄目かい?」

 

 耳元で囁くように問い掛けると、アーニャは状況に戸惑い、恥ずかしがりながらも首を横に振ってくれた。

 嗚呼、この世界ではナナリーから得る事の出来なかった妹成分を補給できて満足だ。

 

 こうして俺はアーニャとの友人関係の第一歩を築き、この世界で初めての癒しを手に入れたのだった。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第12話

 ゆさゆさ。

 

「……うぅ」

 

 身体を揺すられ、その振動で深い眠りの海から浮上すも、思わず微睡みの心地良さに身を委ねたくなる。

 

 ゆさゆさ。

 続く攻撃。

 

「……あと5分……」

 

 無意識の内に何ともステレオタイプな台詞が口から零し、俺は抵抗を試みようと更に毛布にくるまった。

 まだこの温もりを手放したくはない。

 フハハ、我が毛布という名の絶対守護領域の前では何人も無力よ!

 

「だめ」

 

 けれど抵抗は無駄だった。

 否定の声が耳に届いた次の瞬間、声の主は容赦なく俺から幸せを、温かな毛布を引き剥がすように奪っていった。

 馬鹿なッ、我が毛布が!?

 朝の涼しい空気に晒され、僅かに身体が震える。

 

「……くしゅ」

 

 くっ、もう観念するしかないだろう。

 重い瞼を開け、身体を伸ばしながら上半身を起こすと、目元を擦り無法者を視界に捉える。

 

「……うにゅ……おはょ…あ~にゃ……」

 

 取り敢えず目の前の友人に朝の挨拶をする。が、どうも思考が鈍く、呂律も回っていないようだ。

 しかし気配を消すのが上手いのか、彼女の接近に気付けなかった。流石は未来のラウンズ候補。

 後どうでも良いことだが、何故か分からないが彼女の頭にウサミミカチューシャを幻視したのは、果たして気のせいなのだろうか?

 今度プレゼントしてみよう。……冗談だ、ホントウダゾ。

 

 いや、彼女の身体能力以前に、単に気が緩んでいるだけなのかも知れない。

 前の世界の俺(第五后妃暗殺事件後)なら、こんな無防備な姿を他人に見せることはなかったが、こんな所でも順応性が発揮されてしまっているようだ。

 

 もともと俺は寝起きがあまり良いとは言えない。

 だが暗殺事件以降、環境がそれを許さなかった。

 あの男は俺達兄妹をV.V.から守る為に本国から遠ざけたと本気で考えていたのだろうが、当時の国際情勢を鑑みれば外交的対立のある日本の、それも政府代表の下に送り込むなど体の良い人質以外の何物でもない。

 むしろ神根島の遺跡を確保する為に、俺達が日本人に殺される事で開戦の引き金となる事を期待していたと言われた方が素直に納得できる。

 尤も結果的に俺達の生死に関係なく、ブリタニアの日本侵攻作戦──後の極東事変──の戦端は開かれ、人身御供にすらならない無価値なモノとして扱われたが。

 

 味方が誰一人居ない敵国で、ナナリーを守る事だけを考えていた俺に安息の日々はない。

 少なくともスザクと解り合うまではそう思っていた。

 暗殺者の影に脅え、敵意と害意に晒され続ける生活。

 常に気を張り、眠りに就いている間も気を許すことは出来なかった。眠っていたから殺されましたでは笑えない。

 さらに暗殺事件に巻き込まれた──と偽装された──直後から、ナナリーが精神的に不安定となり、夜中に突然泣き出し、俺の名を呼ぶことがあったのも理由の一つだろう。

 必然的に眠りは浅くなり、僅かな物音でも目が覚めるようになった。

 そしてそれは日本がブリタニアに占領され、エリア11となってからも変わる事はない。

 ヴィ家の後ろ盾であったアッシュフォード家に匿われ、アッシュフォード学園という箱庭での生活。

 今にして思えば、そこにあの男達の意思が介入していたことは明白だ。

 新天地で再起を懸けていたとは言え、わざわざヴィ家兄妹が命を落としたエリア11で、ノウハウを持つ医療企業ではなく何故か学校運営を始めた元ヴィ家の後援貴族。

 その事実に不審を抱く者が居ないとは考えられず、もし本国が本気で調べたなら隠し通せるとも到底思えない。

 あの男に俺達を守る意思がまだあったのか、それともコードを保有する魔女への貢物を大切に保管しておきたかったのか。

 

 仮初めの平穏。

 だからといって暗殺者の影に脅える必要がないかと問われれば、残念ながらそうではなかった。

 アッシュフォード家が俺達兄妹を匿ったのは何も慈善事業が目的ではない。

 利のなきところに利を求める、それがアッシュフォードの家訓だ。

 全てはお家再興の為であり、俺達はその為の駒。皇族に返り咲くことができれば、金の卵を産む鶏に成長するとでも考えたのだろう。

 けれど同時に使い方を誤れば破滅を齎す諸刃の剣でもあった。

 その為、アッシュフォード家が手の平を返し、いつ俺達の存在を消すために行動を起こすか分からない。

 そんな危惧を抱きながらも、抗う力を持たない俺はルルーシュ・ランペルージを演じることしか出来なかった。

 安眠には程遠い。

 

 しかし未来知識を保持している今、第五后妃暗殺事件が起こるまでに──嫌がらせを受けることはあっても──生命の危機まで感じる出来事は起きないと知っている。

 閃光のマリアンヌ様による虐待を除けば、と付け加えなければならなくなったが、直接的な襲撃の可能性はほぼゼロだ。

 間違いなくその影響もあるのだろう。

 

 閑話休題。

 

 アーニャと出会い、友人関係を築いてから数日。

 俺の朝はアーニャが起こしに来るところから始まる。

 さて、何故彼女が起こしに来ているのか説明しておこう。と思ったが、俺自身も理解できていないのが実状だった。

 行儀見習いの為にアリエスの離宮を訪れているのであって、決して使用人見習いとして学ぶ為ではないのだが、この離宮の実質的な主である母マリアンヌが許可を出したようだ。

 残念ながらこの城館内においてはあの人の決定は、それこそブリタニア皇帝と同等の力を持ち、逆らえる者は誰一人居ないだろう。

 強制ではなく本人が望んでの事らしいので、あまり気にする必要は無いのかも知れない。

 俺が望んだのは友人であって召使いではないのだが、素直に好意として受け取っておこう。

 本来なら侍女の仕事であるのだが、仕事を奪われた彼女達は満更でもない様子だった。

 むしろリリーシャと関わる機会が減ることを喜んでいるようだが、そこまでリリーシャの事を忌避する理由に残念ながら心当たりは────あった。

 

 記憶共有が行われていない──理不尽にもリリーシャは俺の記憶を手にしているようだが──以上、リリーシャという人間について急ぎ情報を集める必要があった。

 故に彼女の内面を知るために日記やメモと言った彼女自身が残した記録を求め、部屋の中を漁ったのは致し方ないことだ。

 その過程で手に入れた音声記録。使用人控え室を盗聴したと思われるその内容は、彼等の未来を閉ざすには十分すぎるモノだった。

 皇族に対する侮辱。発言者は不敬罪の対象となり、正式な裁判を待たずして罰を与えることも、場合によっては処刑することも可能だろう。

 こんな物証を握られていては怯えるなと言う方が無理だ。

 出来るだけ関わることを避け、機嫌を損なわせぬよう平身低頭に徹し、隷属するしか生き残る道はない。

 軽率だと呆れるべきか、それとも相手が悪かったと哀れむべきか。

 

 ちなみに音声記録以外にも、リリーシャの自室には特記すべき物が隠されていた。

 完全に護身用の大きさを超える軍用ナイフと、致死レベルの電圧に設定されたスタンガン。

 脅した使用人を介して行われていたらしい株の取引記録。

 その取引口座なのか、偽名で開設された他国の複数の預金通帳には、子供には縁がないであろう額がそれぞれに入金されていた。

 そして最も問題なのが、仮想敵に神聖ブリタニア帝国を想定した戦略ノート。そこには軍の機密であるはずのKMFに対する詳細な戦術データが添えられている。

 記された日付は俺がリリーシャとして覚醒するよりも以前のものだ。

 だとすれば一体どこから情報を手に入れたのか?

 いくら母マリアンヌが奔放な性格と言えど、こればかりは考えられない。

 独自のルートを持ち、軍内部に──それも機密を扱える位に就く──協力者が居るのか?

 だがいくら調べても用意周到に隠されているのか、軍との繋がりは一切出てこなかった。

 リリーシャの人間関係はどうなっているんだ?

 さらに積み重なった重大な問題に目の前が真っ白になる。

 理由はどうあれ誰かに見られる前に処分しないと本当に拙い。

 

 それらに比べればまだマシだが、書棚には六法全書や経済誌を始め、兵法書や現代兵器図鑑などの軍事関連を含む各種専門書籍──世界の拷問器具図鑑には正直引いた──が収められていた。

 徹底した現実主義者リアリストかと思えば、それらに混じって完全呪殺マニュアルや恋のまじない百選。年上の男の堕とし方や可愛い動物ベスト100といった物まで並んでいたりするから、ますます彼女の人間性が解らなくなる。よって後者に関しては見ていないことにした。

 

 果たしてリリーシャはクーデターでも画策し、ブリタニアと戦うために資金を貯めていたのだろうか。

 それとも単なる暇潰しの遊びだったのか。

 彼女の性格上そのどちらの可能性も高く判断に困る。

 

 ピロリロン♪

 

 ふと聞こえてくる電子音。

 長々と思考を巡らせている間に、アーニャの手には携帯電話が握られ、内蔵されたカメラのレンズが俺を捉えていた。

 何なんだいきなり?

 俺は首を傾げる。

 

「……もらい」

 

 ピロリロン♪

 

 ああ、そうだ。そう言えばアッシュフォード学園で再会を果たした時、彼女から幼少期の俺が写った写真を見せられたことがあった。

 ならば写真はギアスを掛けられる以前からの趣味だったのかも知れないな。

 だからといって何故寝起きの俺を撮影しているのか、いまいち理解は出来ないが。

 

 ピロリロン♪

 ピロリロン♪

 ピロリロン♪

 ピロリロン♪

 ピロリロン♪

 ピロリロン♪

 ピロリロン♪

 ピロリロン♪

 ピロリロン♪

 ピロリロン♪

 

 ……いや、アーニャ。さすがに撮りすぎじゃないか?

 

「ふぅ、満足」

 

「そ、それは良かった」

 

 良い仕事をしたみたいな表情を浮かべ、本当に満足げにそう呟いて携帯をしまうアーニャ。

 それに対して俺は若干引き気味だが適当に相づちを打つ。

 今の俺にとって彼女は唯一の癒しなのだ。

 写真を撮りたいという友人のささやかな願いに目くじらを立てる必要ない。彼女が望むならモデルになる事ぐらい喜んで引き受けよう。

 と、当時の俺は考えていたのだが、後に彼女のブログの暗部とも呼べる特別会員限定ページを見て愕然とするのはまた別の話だ。

 

「改めておはよう、アーニャ。今日もありがとう」

 

 彼女の柔らかな髪を撫でる。

 

「ん」

 

 心地よさそうに瞳を細める仕草がどこか猫っぽい。今にも喉を鳴らしそうだ。

 そう言えば彼女は家で猫を飼っているんだったか。ペットは飼い主に似ると言うが、その逆も有り得るのだろうか?

 まあ、何にしろ癒される。マイナスイオンでも放出されているのかも知れない。

 何かもう色々と考える事が嫌になってくる。このままアーニャと隠遁生活を送るのも悪くないか、と現実逃避してしまうほどに。

 

 ふとアーニャの顔が赤いことに気付く。

 熱でもあるのだろうか?

 わざわざ俺を起こす為に生活のリズムを崩し、それが原因で体調に悪影響を及ぼしたとするなら本末転倒だ。無理をしているようなら改善を求めなければならない。

 そう思った俺は自分の額を彼女の額へと近付けた。

 そして額同士が触れ合った瞬間────

 

「……ッ!?」

 

 普段あまり感情を表に出さない彼女が驚愕に目を見開き、勢いよく後退る。

 

 ……あれ?

 顔を近付けるには、まだ好感度が足りなかったか?

 それとも寝汗が臭ったのか?

 どちらにしろ思わぬ拒絶にショックを受ける。何もそこまで露骨な態度を取らなくても良いじゃないか……。

 

「コホン」

 

 態とらしく咳払いを一つ。

 

「すまない、アーニャ。着替えを手伝ってくれるかな?」

 

「うん」

 

 精神的ダメージを受けている場合じゃない。

 好感度を上げるために、さらなるスキンシップを図りたいところだが、既に予定の起床時間を越えていた。

 俺はアーニャと共に朝の支度を始める。

 ただ念のために携帯を取り上げたのだが、酷く不満な表情に見えたのは気のせいだという事にしておきたい。

 

 身に纏うのはドレスではなく、動きやすい身軽な服装。

 動く際に邪魔になる長い髪を高い位置で結ぶ。

 飾りっ気の欠片もなく、母マリアンヌに見つかれば文句の一つでも言われそうだが、食事の前の運動にはこれで十分だ。

 

「どう、アーニャ? おかしくないかな?」

 

 姿見の前でクルリと一回転。

 

「完璧、綺麗」

 

 毎朝変わらないアーニャの答えに苦笑する。

 そもそも喜んで良いものなのか未だに悩むのだが。

 

 さて、今日もリリーシャ・ヴィ・ブリタニアとしての一日を始めるとしよう。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第13話

 

 早朝の澄んだ空気を胸一杯に吸い込み走り出す。

 母マリアンヌからの一方的な暴力に屈し、この身を鍛えることを決意した俺は、まず基礎トレーニングを開始した。と言っても体力作りの為のジョギングと簡単な筋力トレーニングだが、どんな戦い方をするにも体力は必須だった。

 特に今後KMFに関わり、騎乗する事を視野に入れた場合、身体能力はかなり重要となる。

 長時間の操縦は肉体への負荷が極めて高いことは実体験として知っている為、早めに対処しておいて損はないと考えた。

 一般兵であろうとラウンズであろうと資本は体だ。

 

 だが実際に体を動かしてみた感想は複雑だった。

 既に鍛えられていたリリーシャの身体能力は想像以上に高く、年齢を考えれば完成されていると言っても過言ではない。

 認めたくはないが18歳当時の俺の身体能力を上回っている可能性がある。

 無駄のない筋肉の付き方をした身体は軽くしなやかで、それでいてスタミナも十分に備わっているのか簡単に息が切れることもない。

 過去を振り返り少しだけ憂鬱な気分になった事は内緒だ。

 

 ただ、余計な手間が省けてありがたい、とは素直に喜べる話ではなかった。

 戦う為、言い換えれば敵を殺す為に鍛え上げられた身体。

 そこに至るまでの過程が容易なものでなかった事は想像に難くなく、ほんの僅かだが実体験として実感させられた。

 改めてリリーシャの現実を突き付けられる。

 閃光のマリアンヌによる強制的な能力開発。本来なら10歳にも満たない少女が耐えられる仕打ちではなかったはずだ。

 本当に強いな、リリーシャは。

 そんな彼女の強さがユフィに影響を齎したとすれば、もう責め続ける事は出来なかった。

 

 

「殿下、少しペースを落とした方がよろしいかと」

 

 斜め後方を追走する護衛が──どこか緊張しているような声音で──恭しく声を掛けてくる。

 きっとのその表情も強張っているに違いない。

 

 いくら安全が確保された離宮の敷地内、それも城館の近くだとしても、皇女であるリリーシャが館外を一人で出歩くことは難しく、当然護衛を伴う必要がある。

 もちろんその目をかい潜ることは可能だったが、騒ぎになり後々衛兵達が処分されるようなことになっては目覚めが悪い。

 常に監視を受けることは不快に感じるが、この程度で問題を起こすわけにもいかず、目的を達する為にも立場上仕方のないことだと諦めた。

 そこで妥協案として、専属の護衛にこの男を選んだ。

 

「私は大丈夫だよ、ジェレミア」

 

 そう、後のオレンジことジェレミア・ゴットバルト。

 ゴットバルト家を継ぎ辺境伯となる彼も、今現在は士官学校を出たばかりの新人軍人であり、このアリエス離宮の警備が彼の初任務となる。

 皇族への忠誠心が高く、また閃光のマリアンヌの信奉者であった彼にとって、今回の任務に対する意気込みを推し量ることは容易い。

 その結果、将来有望だった彼の人生もまた、第五后妃暗殺事件を機に大きく歪められてしまう。

 

 ただアリエスの離宮勤務時代のジェレミアについて俺の記憶は曖昧だ。

 あの男のギアスの影響なのか、それとも単に関わる機会が無かった為、印象に残っていないのかは定かではないが。

 明確に初めて会話を交わした記憶は、やはり枢木スザク強奪事件の時だろう。

 スザクを助ける為だったとは言え、オレンジ疑惑により再び彼の人生を歪めてしまい、以降周囲からオレンジの蔑称で呼ばれるようになってしまった。

 その事実を、彼の想いを知った後に少なからず後悔した。

 本人が最終的に忠義の名と言ってくれたことは救いだ。

 しかしあの時、適当だったとしても、ストロベリーやチェリーとか言わなくて本当に良かったと改めて考える。

 ストロベリー君だと語呂が悪く、後者だと意味が変わってしまう。

 何故オレンジという単語を口にしたのか自分でも分からないが、名付けの神が降りてきたに違いない。

 

 前の世界では紆余曲折の果て、スザクのナイトオブゼロに次ぐナイトオブワンとして、悪逆皇帝の騎士となり、ゼロレクイエムの瞬間まで俺に忠を尽くしてくれた。

 ジェレミアが最後まで協力してくれた事には感謝している。

 だからこそ新たに始めた身勝手な戦いに、再び彼を巻き込むべきでない事は理解している。

 この世界の彼にはヴィ家の呪いに囚われることなく、自分の夢である帝国最強の称号=ナイトオブワンを目指してもらいたい。

 

 けれどそんな感情論とは別に、アーニャの時と同様、味方に引き入れることが出来るなら、しておきたいという思いが首を擡げていた。

 ジェレミアの潜在能力が高いことは知っている。

 純血派を結成し、まとめ上げるだけの統率力。

 ラウンズクラスに匹敵すると言われたKMFの操縦技能。

 そしてギアスキャンセラーを発現するギアス適性に、次期辺境伯という地位と権力。主君に対する高い忠誠心もプラスされる。

 愚直な性格さえ上手くコントロールできれば間違いなく有能な人間だ。

 

 だが、敬愛する閃光のマリアンヌが存命の現在、そして暗殺阻止に成功した場合、残念ながら彼が俺に絶対の忠誠を誓う可能性は限りなく低い。

 前の世界で彼が俺に忠誠を誓った最大の理由は、警護対象であった彼女を護れなかった後悔であり、彼女の外見的特徴を色濃く受け継いでいる遺児だからという要因が大きいだろう。

 

「しかし殿下。先日も体調を崩し、一時床に臥せていたと侍女から聞いております。

 無理をされてはお身体に障ります。どうかご自愛を」

 

 もちろんその理由は言うに及ばず訓練という名の虐待だ。

 努力の成果と呼ぶには日が浅いが、回を重ねる毎に戦闘時間は延びている。

 リリーシャの身体に馴染み、スペックを完全に理解したからなのか。

 それとも抗う覚悟、気の持ちようか。

 結局最後は意識を失い、自室のベッドの上で目覚める事になるのは相も変わらずだが……。

 最後まで意識を保ち、対等に戦えるようになるまでには、一体どれだけの歳月が必要となるのかを考えると気が遠くなる。

 

「心配性だね。でもありがとう、その心遣いは素直に受け取っておくよ」

 

 ジェレミアが向けてくる視線は、どこか妹の身を案じる兄のような眼差しだった。

 俺がナナリーに向ける視線と同様のものか。

 ただ、逆に向けられると少しくすぐったい。向けることはあっても、向けられることには慣れていない。

 兄弟姉妹や親族が争うことが当然という家庭環境のため、無意識の内に裏があるのではと考えてしまうのが最大の理由だろうか。

 確かジェレミアには年の離れた妹が居たはずだ。

 もしかしたら俺=リリーシャに彼女の姿を重ねたのかも知れない。

 

「勿体なきお言葉です」

 

「ところでジェレミア、貴男に兄弟は居るの?」

 

「はい、妹が一人。畏れ多くも殿下と同じ名を戴き、妹も大変光栄に思っております」

 

 リリーシャ・ゴットバルト。

 直接の面識はなかったが、前の世界でジェレミアから話は聞いていた。

 兄妹仲は良好。

 兄の背中を追って軍学校へ進み、優れた成績を残す。

 だが兄であるジェレミアが──ブリタニア軍による日本解放戦線の本拠地に対する侵攻作戦こと──ナリタ攻防戦において、作戦行動中行方不明(MIA)と認定され事により軍を退役。ゴットバルト辺境伯家を継ぐための後継者教育を受け、後に辺境伯の地位を手にする事となる。

 それに関しては責任を感じないこともない。

 貴族制度の廃止に際しては、ジェレミアを特使として派遣したことが功を奏し、ゴットバルト辺境伯領では大きな混乱は起きなかった。

 自分の境遇と重ね合わせ、兄妹で殺し合うような事態に発展しなくて本当に良かったと思う。

 また幸いな事に辺境伯領は帝都から離れている為、フレイヤ投下による直接の影響を受けることもなかったようだ。

 

「そう、だったら一度会ってみたいね」

 

 それは本心だ。

 現在同じ名前を名乗っている以前に、ジェレミアの妹というだけで興味がある。

 兄に似て堅物なのだろうか?

 この世界では是非一度会ってみたい。

 

「そのお言葉を妹が聞けば、どれほど喜ぶことでしょうか。妹は本当に果報者です」

 

 そう言ってジェレミアは嬉しそうに笑みを浮かべる。

 その顔を見ていると、何故か俺まで嬉しくなった。

 少しでも罪滅ぼしが、いや恩返しが出来ればと思う。

 

「大げさだよ。それでどんな妹さんなのかな?」

 

「少々身内贔屓になりますが、私に似ず可愛い妹です。何でもこの前届いた手紙では、今期の最優秀生徒候補に選ばれたとか。兄として鼻が高い話です」

 

 照れ臭そうに、それでも自慢げに妹を語るジェレミア。

 本当に妹思いだと伝わってくる。

 その姿に羨望を抱いている自分の存在を自覚して自嘲する。

 

「それは何よりだね。でも私から見て、貴男も十分に優秀で格好いいと思うよ、ジェレミア。自信を持つと良い」

 

「っ、お戯れを。そのような過分の評価、この身には恐れ多いと存じ上げております」

 

 必死で否定するジェレミアの姿に、少しばかり悪戯心が沸き上がる。

 彼自身、もう少し自分の価値を理解した方が良い。

 

「過ぎた謙遜は嫌みに聞こえるから気をつけた方が良いと思うのだけど。

 ああ、それとも私が嘘を吐いていると言いたいのかな?」

 

 悪戯っぽく笑みを浮かべ、ジェレミアの顔を下から覗き込む。

 

「い、いえ。滅相もありません。その……大変光栄です」

 

 予想した通り、若干照れた様子で視線を逸らすジェレミア。

 本当に弄り甲斐がある。

 

「ふふっ、それでよし」

 

 たわいもない世間話を交えながらジョギングと筋力トレーニングを終え、最後にジェレミアから剣術の稽古をつけてもらう。教え方がとても上手く分かりやすい。軍人よりも教師に向いているのかも知れない。と、アッシュフォード学園で教鞭を執るジェレミアの姿を想像して苦笑する。結構似合っているじゃないか。

 それに比べて母マリアンヌの訓練は常に実戦形式であり、手加減をしているとは言え、見て覚える暇もない。

 彼女が古代ギリシアのスパルタ出身だとしても驚かない自信がある。ペルシア軍涙目だな。

 

 

 

 自主トレーニングを終えて城館に戻ると、タオルとスポーツドリンクを手にしたアーニャが出迎えてくれる。差し出されたタオルで汗を拭い、遠慮なくスポーツドリンクで喉を潤した。

 その後、ジェレミアに礼を言って別れ、アーニャと共に自室へと歩みを進める。さすがにこの格好のままダイニングルームに向かうわけにはいかないだろう。

 自室に戻るとすぐにシャワーを浴びて汗を流す。火照った身体に冷ための水が心地良い。

 ただシャワーの後に髪を乾かすのが面倒だ。アーニャに手伝ってもらっているとは言え、どうしても時間が掛かる。

 思い切って短くしようとも思ったが、せっかく綺麗な長い髪なので勿体なくて憚られた。

 髪は女の命という言葉もあるし、何よりリリーシャの魅力=武器の一つでもある。切れるカードは多いに越したことはない。

 それにアーニャにも強く反対され、取り敢えずは現状維持だ。

 髪を乾かし終えると、いつもの黒いドレスに袖を通してダイニングルームへと向かう。

 

 ダイニングルームの前でアーニャと別れる際、彼女が「……またね」と言って小さく手を振る姿が愛らしいと常々思う。

 ああ、癒される。

 それでも今後の事を考えるとすぐに憂鬱な気分になった。

 俺は意を決め、ダイニングルームの扉を開け、室内へと足を踏み入れる。

 

 ダイニングルームには母マリアンヌの姿しかなかった。既にルルーシュとナナリーは朝食を終えているらしい。

 ナナリーと触れ合う時間が減ったことを残念に思う一方、顔を合わせても気まずい空気にしかならない為、会わなくて良かったとも思ってしまう。ナナリーの怯えた目は未だに俺のハートを抉ってくる。

 

 母マリアンヌの視線を受けながら俺は少し遅めの朝食に手を伸ばす。

 自主トレに関して彼女が知らないはずないが、それについて特に何かを言ってくることはなかった。

 容認していると考えて間違いない。

 だったらその視線の理由は何だ?

 朝食時間に遅れたことを責めているわけではないだろう。

 今日が初めてという訳でもなく、初回ですら注意らしい注意は受けなかった。

 

「私の顔に何か付いてるのかな、母様?」

 

「ううん、そうじゃないわ」

 

「だったらどうしたのかな?

 そんな熱い視線を向けられていては食事に集中できないよ。まさか閃光のマリアンヌ様は私に惚れてしまったとでも?」

 

 母マリアンヌは俺の皮肉混じりの問い掛けに、よくぞ聞いてくれたと言いたげに笑う。

 

「実の娘との禁断の愛か……悪くないわね。でも残念ながら違うわ。そもそも貴女が生まれた瞬間から、私は貴女に惚れているもの。もう愛しまくりね」

 

 戯れ言を口にしながら、同性が羨む豊満な胸を張る母マリアンヌの姿に、遺伝子的にこの身体もあれぐらい成長するのだろうか、また肩が凝るというのは本当なのか等と考えつつ軽く受け流す。

 

「ねえ、リリーシャ。今日お母さんとお出かけしない?」

 

 本題は突然の外出の誘いだった。

 リリーシャとして目覚めてから初めての事であり、俺は困惑する。

 というか嫌な予感しかしない。

 だが断るという選択肢を俺は持ち合わせていなかった。

 何より断ったところで意味はないだろう。問い掛けては来ているが、既に母マリアンヌの中では今日の予定は決定事項となっているに違いない。

 ここで逆らってもメリットは一つもない。

 しかし、相手は閃光のマリアンヌ。単純に親子で買い物という展開にならないことは容易に想像が付く。

 

「それでどこへ?」

 

 若干の恐れを抱きながら問い掛ける。

 果たしてどこへ連れて行こうというのか?

 

「うふふ、それはひ・み・つ♪」

 

 まるで悪戯に成功した子供のような表情を浮かべる──良くも悪くも三児の母親とは思えない──母マリアンヌの姿に、俺は本日最初の溜息を吐くしかなかった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第14話

 

 窓ガラスに映り込んだ自分=リリーシャの姿。

 ふと、髪を束ねる髪留めに視線が止まる。

 彼女のお気に入りの髪留めは、羽ばたく紫の蝶を模していた。まったく、何という皮肉だろうか。

 

 次いで窓の外へ視線を向ける。

 間近に望むのは青い空と白い雲、地表の荒野や山々は遙か眼下に広がっていた。

 俺は今、雲の合間を飛行する軍用V-TOLの機内に居る。

 そう、逃げ場はない。

 

 

 

 朝食後、母マリアンヌの手によって、俺は再び着替えさせられる事となった。

 嬉々として娘を着せ替えるその姿は有無を言わせぬ迫力があり、俺は抵抗する事を諦め、彼女の為すがままを受け入れるしかない。

 だがその結果、やはり彼女は普通の母親ではないと改めて実感する。

 俺が言うのも何だが、リリーシャの外見スペックは──子供っぽさや愛嬌は皆無だとしても──間違いなく高い。

 普通なら母娘での外出というシチュエーションに合わせ、余所行きの服を着せるなど、おめかしさせようと思う所だろう。普段のリリーシャの服装を思えばなおさらだ。

 それでなくとも──本気か冗談かは不明だが──かつて幼少期の俺を女装させ、ナナリーやユフィ達の前へ連れ出そうとした前科のある母マリアンヌ。その嬉々とした姿は良く憶えている。

 ならばリリーシャという素体に彼女の食指が動かないはずはない。例えリリーシャが抵抗したところで諦めることはなかっただろう。

 

 さて長々となったが、一体何が言いたいかと言えば、母マリアンヌの手によって着せられたモノに対して大いに疑問がある。

 それが普段リリーシャが絶対に着ないであろうカラフルなドレスや可愛い系のワンピース、退廃的なゴスロリ服であったなら、感情論は別にしてまだ納得が出来た。子供の個性を無視する程に、母マリアンヌのテンションは上がったのだと。

 だが現実は違う。

 今俺が身に付けているのは武骨な、それでいて微妙に露出度の高いパイロットスーツ。前の世界では旧式と呼ばれ、現在では試作品と呼ばれる代物だった。

 KMFが実用段階どころか研究段階である現状、しかも本来必要としない子供用ということも踏まえ、特注品であることは間違いない。

 

 いや、待て。

 そもそも何故俺はパイロットスーツを着せられている?

 

 その自問に推論を立てるよりも早く、露出を隠すようにパイロットスーツの上に──軍服を思わせる──ロングコートを羽織らせられると、外に待機していた車の中に拉致され、気付けば空港で離陸準備を終えていた軍用V-TOLの機内だった。

 あまりの手際の良さに、もはや驚きを通り越して感心してしまう。既にその手の犯罪に手を染めていてもおかしくない。

 

 

 

 何の説明もないまま、俺を空の旅へと連れ立った母マリアンヌは、隣でファイルに目を通している。機嫌が良いのか今にも鼻歌を歌い出しそうだ。

 そんな彼女も──機内に用意させていたのだろう──今俺が纏っているコートとデザインの似た軍装に身を包んでいる。おそろいね、と笑顔で言われたが嬉しくない。

 そこからもこれから向かう先が、ショッピングモールや単なるテーマパークでないことは一目瞭然だった。

 

 俺の視線に気付いたのか、手にしたファイルを置き、何か裏がありそうな微笑みを向けてくる。

 

「どうしたの、リリーシャ? そんなに熱く見つめられると禁断の扉を開いちゃうわよ」

 

 ……朝の意趣返しだろうか。

 全力で遠慮しよう。

 どうせ開くならパンドラの箱でも開けば良いのに、と思ったが、被害が当人だけでは収まりそうもないので、すぐにその考えは捨てることにした。

 

「ご冗談を……。しかしそろそろどこに向かっているのか教えてくれないかな?」

 

「そうね、そろそろ見えてくる頃だと思うけど」

 

 いい加減目的地を明かして欲しいと尋ねたところ、母マリアンヌはそう応えて視線を窓の外へと移した。

 釣られて俺も視線を向ける。

 

 程なくして荒野の中にそれは現れた。

 広大な敷地面積を誇る軍事施設。密集する建物群を中心に、円形に演習場が広がっている。そのフィールド内には人の形を模した鋼の騎士達、つまりKMFの姿が確認できた。

 

 明確な目的地を視界に捉え、俺は胸をほっと撫で下ろす。

 高々度からのパラシュート降下の果てに、ジャングルや砂漠や雪山に放置されるのではと危惧したが、どうもそうではないようだ。

 食べられる野草の判別ぐらいは出来るが、さすがに本格的なサバイバル技術は持ち合わせていない。

 獅子は子を千尋の谷に突き落とすという俗説を信じ、いつか本当に実行しそうで怖いが……。

 

「あそこが今日の目的地『円卓』よ」

 

 母マリアンヌが告げる目的地の名称に驚きを抱く。

 あれが円卓。

 

 噂は耳にしたことがある。

 アッシュフォード財団の失脚以前から、福祉利用を考えることなくKMFに軍事兵器としてのみを追い求めた、地図に載らない開発拠点が存在していたと。

 プラント機能を併せ持った最新鋭設備を誇る研究施設を有し、後のラウンズ専属研究開発機関=キャメロットや、シュナイゼルに与したトロモ機関、インヴォーグに所属する数多の技術者を輩出。

 またブリタニア軍初の正式採用機であるRPI-11『グラスゴー』を開発し、実戦試験を行った施設だとされ、その形状から通称円卓と呼ばれていると。

 

 KMF開発が転換期を迎え、福祉利用というエクスキューズを廃した背景には、医療福祉分野で発達した民生機フレームの開発の功績により、強い影響力を保持していたアッシュフォード財団が、第五后妃暗殺に伴い失脚したことが上げられる。

 そこから極東事変へ至るまでの約一年で、完全な軍事兵器としてのKMFを実現させたとは考えづらい。

 そのことからも信憑性の高い噂だと言え、ギアス嚮団の存在を知った時には彼等の関与も疑いもした。

 

 ただ皇帝の座に就いた後、軍事資金の流れを追う際に一度調査した事があったが、既に全てのデータが抹消されていたのか噂の真相を確かめる事は出来なかった。

 前の世界では、噂は噂に過ぎなかったのかも知れない。

 しかしこの世界では実際に存在しているようだ。

 后妃でありながら未だ軍に強い影響力を持ち、第三世代KMFガニメデ試作型のテストパイロットを務める母マリアンヌならば、その存在を知り、また関わっていても何らおかしくはないだろう。

 

 

 

 発着場へと降下したV-TOLが乗降用タラップを展開する。

 乾いた風をその身に受けながら、円卓の地を踏んだ直後、視界に映った光景に圧倒され、俺は息を呑んだ。

 まるで主の帰還を待ち望んでいたかのように整列していた全ての人間──兵士だけでなく研究員や整備士を含む──が一糸乱れぬ敬礼を以て出迎える。

 それを受け、母マリアンヌはやや呆れたように苦笑を浮かべた。

 

「もう、出迎えは必要ないって毎回言ってるでしょ?

 はいはい、みんな仕事に戻って。作業の遅れた理由に私を使っちゃダメよ」

 

『イエス、ユア・ハイネス!!』

 

 母マリアンヌの指示に了承の意を返し、彼等は良く統率された動きでそれぞれの持ち場へと散っていく。

 しかしながら改めて閃光のマリアンヌの人気と影響力を実感する。人を惹き付ける力に疑いようはない。

 もしかすれば最先端技術を扱い、さらには次期主力兵器を開発するこの円卓を事実上支配しているのではと邪推する。

 もしそれが事実なら延いては大国ブリタニアの軍事力を左右する事が可能なのではないだろうか。

 そう考えれば、他の后妃や皇族が母マリアンヌを危険視していたのも頷ける。

 

「まったく……人気者は辛いわね。

 けど肝心のあの男の姿がないって言うのは一体どういう事なのかしら?」

 

 溜息を吐き、不機嫌そうに呟く母マリアンヌ。

 どうやら待ち合わせの人物が遅れているようだ。

 矛先がこちらに向けられなければいいが。

 

「向こうが頭を下げて頼むから、こうしてわざわざ愛娘まで連れて来てあげたっていうのに……。

 ねえ、リリーシャ。酷いと思わない? 普通は一番に出迎えるべきだと私は思うんだけど、間違ってないわよね?」

 

 未だに自分が置かれた状況を完全に把握していないのに話を振られても正直困る。

 ただその言い様から、今回の外出が相手方の求めに応じた結果である事は理解出来た。

 表敬訪問や視察といった公式的なものではなく、あくまで私用(プライベート)と考えて間違いない。

 

 果たして相手は誰だ?

 母マリアンヌと一定以上の親交があり、求めに応じる程の人物。

 そして何よりリリーシャとも関わりがあるらしい。普段滅多にアリエスの離宮の外に出ないリリーシャの人間関係は極端に狭いと考えられる。

 本来なら特定は容易だったはずだが、生憎彼女の記憶も人間関係の情報も持ち合わせていないが為に断定はできない。

 けれど円卓という特殊な場所柄、そしてリリーシャが保有していた戦略ノートの件を考慮し、導き出された推論は────

 

「あはぁ~、遅刻しちゃいましたぁ」

 

 間延びした──しかも相手を脱力させる──口調の声が聞こえ、すぐに俺は声の主へと視線を向ける。

 視界に捉えたのは長身痩躯、見た目がとても軽薄そうな青年の姿。

 まさかという思いと、やはりという思いを同時に抱く。比率としては後者の割合が高いが。

 そう、目の前に現れた男こそ、後の特派主任=ロイド・アスプルンド。

 接触を持つために調べたが、既にその才能を遺憾なく発揮し、幾つもの論文を発表。博士号を取得。技術者として頭角を現している。

 前の世界でKMF開発に初期段階から参加していた事実を考えれば、最先端の研究施設を誇る円卓への関わりは寧ろ必然か。

 

「ロイドさん! も、申し訳ありません」

 

 ロイドの後からやって来た女性が、彼の代わりに深々と頭を下げる。

 セシル・クルーミー。

 ロイドが居る以上、彼の傍に彼女の姿があるのもまた必然だろう。

 学生時代からロイドに振り回され、その度に尻拭いをさせられたという愚痴を、酒に酔った彼女の口から聞かされた事がある。

 

「遅いわよ、ロイド。私を待たせるなんて、どうなるか分かってるんでしょうね?」

 

 腕を組み、威圧するように母マリアンヌは告げる。

 だがそれも目の前の男には通用しないようだ。

 

「マリアンヌ様、そんな怒っちゃダメですよ。折角の美貌が台無しですから」

 

「誰のせいよ、誰の」

 

「さあ誰でしょう? あ、もしかして僕ですかぁ?」

 

「一発殴るけど良いわね? むしろ謝るまで止めないわよ?」

 

「冗談です! ごめんなさいごめんなさいごめんさい」

 

 本気か冗談かとぼけた態度のロイドに対し、握りしめた拳を軽く振り上げたポーズを取る母マリアンヌ。

 その姿にロイドは本気で怯えた様子だった。何かトラウマでも発動したのだろうか?

 

 マウントポジションで殴り続ける母マリアンヌ。

 飛び散るいろいろな体液。

 最初の一撃で意識を失い、言葉話すことのないサンドバッグ。

 それでも手を休めない母マリアンヌ。

 屍へと変わりゆく肉の塊。

 うん、想像してみたが確実にトラウマものだ。

 

「はあ……。貴女も大変ね、セシル。こんなのいつも相手にして」

 

「はい、でももう慣れましたから。いつもの事ですし……あはは」

 

「……そう」

 

 苦笑いを浮かべるしかないセシルに、母マリアンヌは同情の視線を送る。

 かく言う俺の視線も同様のものであったに違いない。

 きっと彼女はどの世界でも上司に恵まれず苦労する星の下に生まれたのだろう。

 いや、それでも何だかんだ言いつつも見限ることなく世話を焼き、行動を共にするあたり彼女も一般人の感性とはズレていると言えるのかも知れない。

 これはあまり言いたくはないが、日本には類は友を呼ぶという諺もある。

 つまりはそういう事だ。

 

 何れにしろ現時点で──どうやって接触を持とうかと悩んでいた──KMF開発におけるキーパーソン三人の内二人と接触できたことは大きい。

 残るはラクシャータだが、ブリタニア人ではない彼女がブリタニア軍の最重要施設である円卓に立ち入ることは不可能だ。

 残念だが三人まとめてという訳にはいかない。それはあまりに高望みか。

 

「ちょっとロイド、いつまで怯えてるつもり?

 せっかく貴方の要望に応えてあげたのに、時間を無駄にして良いのかしら?」

 

「そうでした」

 

 トラウマから立ち上がったロイドが、こちらに視線を向けてくる。

 

「お久しぶりです、殿下。お会いしたかったですよ」

 

 とてもフレンドリーなロイドの言葉が事実なら、既に彼とリリーシャの間には面識があり、なおかつ母マリアンヌの言葉から彼がリリーシャを求めた人物である事が窺い知れる。

 他者に対して興味を抱くことが極端に少ないロイドが、リリーシャに対して興味を抱いていることに僅かながら驚きを覚えた。

 彼等と関係を築き、助力を請うには好都合であったが、この歳で既にロイドに興味を抱かせる人間であったリリーシャの事が、ますます分からなくなる。

 これもやはり類が友を呼んだ結果と考えて良いのだろうか? ……否定できない。

 

「私もだよ、アスプルンド」

 

「やだな~、僕と殿下の仲じゃないですかぁ。お気軽にロイドって呼んで下さい」

 

「ふふ、そうだったね、ロイド」

 

 って、どんな関係だったんだ?

 男女の関係は排除できるとして、さすがにロイドも皇族相手に無茶をする人間ではないはずだが、研究者と実験動物という関係は止めて欲しい。

 いや、リリーシャの自室で見付けた戦略ノートに記されていたKMFの詳細なデータの入手元がロイドだとすれば、ある程度強固な信頼関係にあった可能性が高い。

 ならば例えエル家の後援貴族でも、それなりに親しげに接しても問題はないだろう。

 己の欲望に忠実であり、それを何ら隠そうとしない姿勢はある意味裏表がなく、信用は出来ないが信頼はできる。

 もちろん様子を窺い、警戒を怠らないことが前提となるが、慎重すぎる事はない。

 

「でもどうしてここに?」

 

「ただのサークル活動ですよ」

 

「よく言うわよ。教授達を追い出して、与えられた研究棟を半ば占拠している癖に」

 

「あれ? そうでしたっけ?」

 

 呆れ口調の母マリアンヌに対し、首を傾げるロイド。

 実際彼の中では例えそれが国家プロジェクトの兵器開発だとしても、自分の研究欲が満たせる点において、サークル活動の延長程度としか考えていないのかも知れない。

 

「まあ、良いわ。私は私で別件が入っていて暇じゃないの。

 帰る前に迎えに行くから、それまでちゃんとリリーシャのこと面倒見ててね」

 

「アハ、大船に乗ったつもりでいて下さい♪」

 

「…………。セシル、くれぐれもこの男の手綱を放しちゃだめよ? 私も貴方達を失いたくはないと心から思っているの、その期待を裏切らないでね」

 

「は、はいッ!」

 

「ねえ、セシル君。僕ってそんなに信用ないのかな?」

 

「御自分の胸に聞いて下さい」

 

「おかしな事を言うね。胸が言葉を話すわけないじゃないか」

 

「後で少しお話しましょうね、ロイドさん」

 

 あ、セシルが引き攣った笑みを浮かべて拳を握り締めた。

 これは状況が状況ならすぐに肉体言語に突入していたな。

 

「リリーシャ、お母さんと離れて寂しいからって泣いちゃ駄目よ?」

 

「大丈夫だよ、それは絶対にあり得ないから」

 

「もう、つれないわね。ま、そんなところも可愛いんだけど。

 じゃあ二人とも、後の事はお願いね」

 

「いってらっしゃ~い」

 

 大きく手を振るロイドと共に、数人の兵士を従えた母マリアンヌの後ろ姿を見送る。

 自ら別行動を取ってくれるとはありがたい。

 

「ささ、僕たちも行きましょう」

 

 そう言ってロイドが俺の肩に手を掛けた瞬間だった。

 

 

 ──ざ…ざざ……。

 

 

「ッ!?」

 

 視界にノイズが走り、瞳の奥に痛みを感じた。

 心臓が跳ね、脳が揺れる。

 同時に世界から色が失われ、モノクロの世界へと一変する。

 

 けれどそれは一瞬の出来事。瞬きすれば世界は元へと戻り、感じた異常も消え去っていた。

 一体この身に何が起こったというのか?

 錯覚?

 いや、違う。言い知れぬ不快感が未だ纏わり付いていた。

 俺はそれを知っている?

 まさか……。

 

 理解出来ない現象。

 だからこそ恐怖を抱くのかも知れない。

 

 俺の様子がおかしいことに気付いたロイドが声を掛けてくる。

 

「どうしたんですか『陛下』? 顔色が悪いですよ」

 

 …………ん? 今、ロイドはなんて言った?

 

 フラッシュバックするのは白衣を纏った男の姿。

 かつて見た軽薄な笑みと飄々とした瞳。

 

「ちょっとロイドさん!? 何を言ってるんですか!?」

 

 セシルも聞いているということは俺の聞き間違いではないようだ。そうであってくれたなら良かったのだが。

 彼女が慌てるのも無理はない。ブリタニア唯一皇帝以外の人間を皇帝、またそれに類する敬称で呼ぶこともまた反逆罪に抵触する恐れがある。

 それはもはやブリタニア国民の常識となっている。

 ならば何故ロイドは危険を冒し、俺=リリーシャの事を陛下と呼んだ?

 そもそも俺の存在に気付いているのか?

 

 考えられる要因はロイドが俺に触れたこと。

 そしてそれと同時に俺の身に起こった異変。

 

 まさか俺=イレギュラーのルルーシュ・ヴィ・ブリタニアという存在を基点にして、前の世界の因果情報及び関連する記憶が流入しているとでもいうのか?

 既に俺という特異な存在をこの世界が容認している以上、何が起こっても不思議ではない。

 リリーシャの存在が起こしたバタフライ効果があるように、当然俺が存在しているが故に起こるバタフライ効果もあると、何故思い至らなかったのだろうか。

 

「え、僕何かおかしなこと言った? う~ん、殿下も何か気付きました?」

 

 セシルの声に不思議そうな表情を浮かべるロイド。

 本人は自分の発言を覚えていないようだ。

 いや、違和感を感じなかったのかも知れない。

 再び陛下と呼ぶことはなかった事から、触れた時間が短いから流入も一瞬だったと考えるべきか。

 

 待て、だったらユフィはどうなる?

 長い時間触れ合っていたと思うが、彼女に変化はなかった。

 もちろん既に大きく変化していた為、気付けなかったという可能性もあるが、もし何らかの記憶が流入したなら反応があったはず。

 目の前に自分を殺した人間が居たんだから。

 

 流入には何か条件があるのか?

 それとも完全なランダムなのか?

 くそっ、情報が足りない!

 

 リリーシャなら……いや、こればかりは彼女が何かを知っているとは思えない。

 だとすれば現状取れる対処は、前の世界で関わりを持った人物との接触には細心の注意を払うことのみ。当然経過観察も必要だろう。

 味方になってくれる可能性がある人物ならまだ良いが、敵と成り得る人物に未来知識が渡ると非常に厄介な事になる。

 やはり都合の良いことばかりは起きないようだ。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第15話

 ロイドと並んで通路を進む。

 セシルは用意があるからと言って先に行ってしまった。

 先程起こった衝撃的な出来事の余波が、まだ収まっていないため不安が残る。

 だが注意深く様子を窺っても、あれ以降ロイドの態度に一切の変化はなく、リリーシャに宿る俺の存在に気付いた風でもない。

 試しにもう一度、恐る恐る触れてみたりもしたが、同様の現象は起こらなかった。

 本当にあれは何だったんだ……。

 考えても到底答えが出る問題ではないだろう。それこそ俺がリリーシャの身体に宿った理由と同じように。

 故に思考を切り替える。

 ロイドと二人きりの現状、探りを入れるにはまさに好機。

 今後どうなるにしろ情報は必要不可欠であり、入手して損をすることはない。

 

 その結果、ロイドとリリーシャの関係について、いくつかの情報を得る事が出来た。

 推論を加えて要約するとこうなる。

 二人の出会いはリリーシャが母マリアンヌに付き添い、アッシュフォード財団が運営する研究施設を訪れた時のこと。

 医療用サイバネティクス技術の軍事転用。つまりはKMFへの導入を考え、見学に訪れていたロイドと偶然遭遇。

 予てよりロイドの論文を読み、興味を抱いていたらしいリリーシャから接触を図る。

 対するロイドも彼女が持つ膨大な知識と、『一般的な』子供というカテゴリーから逸脱した異常性に気付き、シンパシーを感じたのか意気投合。

 以降、頻繁に意見交換をする仲になったようだが、単純にメル友レベルとは思えない。

 そもそも学術論文を読む幼女の姿を思い浮かべ、やや懐疑的になったが、リリーシャの自室の書棚に有名な科学雑誌が多数収められていたことを思い出す。

 もう、リリーシャだからの一言で納得してしまいそうだ。

 

 ロイドに視線を向けると、楽しそうに鼻歌を歌いながらスキップまでしていた。

 感情表現が豊かなのは悪いことではないが、子供っぽいというか何というか……。いや、ロイドらしいというべきだろう。

 次いで視線を通路の左右へと移す。ガラス越しにいくつかの研究室内部を見ることが出来た。

 普通なら皇族であっても、おいそれと立ち入ることの出来ない軍の機密施設。

 そこで扱われているのはもちろん次世代──第四世代──KMFの構成パーツや武装といった品々。

 現代の最新技術の粋を集めた軍の最高機密とは言え、俺の感覚ではどうも古めかしく見えてしまう。

 もし今ここで俺が介入し、保有する情報や技術を使えば、KMF開発は飛躍的に発展する。

 それこそランスロットの完成を機にKMF開発が二度目の黎明期を迎え、多様な進歩を遂げ、世代を飛び越えて急激に加速した比ではないだろう。

 条件が揃い、状況が許せば第九世代相当の機体を創り出すことも不可能ではない。

 いや、それは明らかなオーバースペック。

 そこまでの性能を求める必要は現時点ではない。

 フロートユニットの開発時期を早めるだけでも、絶対の制空権を手にすることが可能だ。

 そうなれば神聖ブリタニア帝国による世界統治も現実味を帯びてくる。

 

 単一国家による世界統治。

 かつて多くの帝国や独裁者が夢見みて敗れ去った野望。

 被害や犠牲を考慮しなければ、最も単純に世界を変えられる方法。例え変えられなくても最悪足掛かりにはなるはずだ。

 けれどそこに至る過程で必ず、危機感を募らせたEUと中華連邦、その他の国が対ブリタニアを掲げ、軍事同盟を結ぶ事が予測できる。

 脅威の前でしか人は一つになれないが、現に同様の理由で超合集国を成立させることが可能だったのだから。

 それを凌駕し、早期に戦争を終結できるだけの力がブリタニアにあれば問題ない。

 だが相手の戦力次第では戦争は長期化し、泥沼に陥る危険性を孕むため現実的とは言えなかった。

 

 仮に大量破壊兵器であるフレイヤの威力を見せ付ければ話は変わるが、この世界でフレイヤを造るつもりも造らせるつもりもない。

 あれはこの世に存在してはいけない兵器だ。

 故に今、世界の軍事バランスを悪戯に崩壊させ、戦火を広げるような行為を起こすことは得策ではない。

 第二皇子シュナイゼルが配下に収めたトロモ機関や、インヴォーグのような研究開発機関を保有できる程度の権力。

 同時にフレイヤや天空要塞ダモクレスを造れるだけの資金が俺にあれば、また違う動きが取れたかも知れないが、そこまで辿り着くのは恐ろしく難しく、一朝一夕でどうにかなるものではなかった。

 だから俺はこれから起こる戦いを知りながら、一人でも犠牲者を救える可能性を持っているというのに、指を咥えて見ているしかできないのだろう。

 未来を知っているからといって、行動を起こせるかどうかは別問題だ。

 

 どうする事も出来ない現状が酷くもどかしく、ままならない世界が煩わしい。

 早く……早く権力を、存分に力を振るえる立場を手に入れなくては。

 焦っても意味はないと理解しつつも、それでも気ばかりが焦る。

 権力を手に入れる為には武勲を上げるのが手っ取り早い。

 軍に入って他国の人間を虐殺する?

 それとも未来の技術を提供する?

 駄目だ、それでは本末転倒にしかならない。

 

 

「見て下さい、殿下。あれがこの円卓で製造された新型の試作KMFですよ」

 

 ロイドに声を掛けられ思考を中断する。

 八つ当たりでしかないが、テンションの下がった俺の心とは対称に、テンションが高くこの苦悩を知らないロイドが恨めしい。

 

 ロイドが指し示した先、そこには多数のケーブルに繋がれ、格納ハンガーに固定された鈍色の巨人の姿があった。

 その機体こそ、正式採用の時が近付くRPI-11=グラスゴーの試作実験機。

 ブリタニア軍初の正式採用KMFとなったグラスゴーは、以降のKMF開発の基準となった機体だ。

 サバイバルコックピット、マニピュレータ、ランドスピナー、ファクトスフィア、スラッシュハーケンといった各種装備を、高い次元で纏め上げた傑作機といっても差し障りないだろう。

 事実、極東事変──日本占領作戦──に本格投入されたグラスゴーは、軍上層部の予想を上回る戦果を上げ、早期制圧の立役者となった。

 

「アレに私を乗せるつもりなのかい?」

 

 パイロットスーツを着させられた事実を考えれば、何らかの乗り物、少なくともシミュレーターに乗せられる可能性が高いと、誰もが想像できることだろう。

 限りなく低い可能性として、何に使うのか分からないが撮影──軍の広報用ポスター?──の線も考えられたが、それならわざわざ軍の最重要施設まで来る必要は無い。

 故に円卓でなければならない理由で最初に思い浮かんだのが、やはりグラスゴーの存在だった。

 

「やだな~、違いますよ。あんなガラクタに殿下を乗せようなんて思うはずがないじゃないですか」

 

 ナチュラルに毒を吐きつつ、ロイドは俺の考えを否定。

 ブリタニア軍の粋を集めて造り上げた最新鋭の兵器をガラクタと一蹴する。

 彼をよく知らない者が聞けば怒りを抱き、また呆れる発言であることは間違いない。

 だからこそ俺は納得する。

 それは目指している高み、求めているレベルがあまりに違いすぎるが故の発言だと。

 

「円卓の努力の結晶をガラクタと言い切るなんて、さすがはロイドだ」

 

「アハ、褒めても何も出ませんよ。あ、でもセシル君が張り切って作っていた特製のお茶菓子ぐらいなら…………大丈夫かな?

 いや、でもさすがに殿下に出すんだし今回は大丈夫のはずだよね……多分」

 

「うん、お構いなく」

 

 段々と小さくなっていくロイドの声に背筋が寒くなる。

 思い出すのは言い表す事の出来ないあの味。

 あれは駄目だ。下手をすれば致死率の低い化学兵器に匹敵するだろう。

 

「まあ、そんなこと言わずに」

 

「全力で遠慮するよ」

 

「まあ、そんなこと言わずに」

 

「いやだから……」

 

「まあ、そんなこと言わずに」

 

 何故会話がループする!? お前は村人Bなのか!?

 と、危うく突っ込みそうになった。

 落ち着け、俺。

 

「母様に言いつけるよ?」

 

「どうかお許しください」

 

 冗談交じりの脅し文句だったのだが、物凄く真剣な顔で謝られた。

 

 そんな他愛ない会話を続けていたら────

 

「と~ちゃ~く。着きましたよ、殿下ぁ」

 

 いつの間にか目的地と思われる研究棟の入口前に立っていた。

 

 

 

 案内された研究棟の内部。研究室と格納庫を足したような空間に置かれた、不釣り合いな高級ソファに腰を下ろす。

 きっと今回の訪問の為に用意したのだろう。ホスト側の誠意を見せているようだが、正直リリーシャならパイプ椅子でも気にしないと思う。

 いや、相手が皇族である事を考えれば形だけでも必要か。

 

 用意された紅茶で喉を潤して一息つく。

 周囲の目を気にして緊張していなかったと言えば嘘になる。

 リリーシャとして目覚めて初めてとなるアリエス離宮敷地外への外出──しかも拉致紛い──であり、不特定多数の視線に晒されたことも含めて精神的に疲れた。

 想定していたよりも、まだこの環境に慣れては居ないらしい。

 甘い物は疲れに効くというが、だからといって紅茶と共に出されたお茶菓子には決して手を出してはいけない。

 それを一目見たロイドも、すぐに視線を逸らしていた。

 ショッキングピンクとヴァイオレットのマーブル模様が、目に鮮やかなクッキー……らしき物体(セシル特製)。

 まるで母マリアンヌと対峙したが如く、生存本能が身の危険を叫ぶ。

 一体どうやったらこんな合成着色料の塊みたいな物が作れるのか甚だ疑問だ。食べ物を粗末にするなと言いたいが、今は奇跡的に紅茶だけはまともだったことに感謝しよう。

 

「あ、良かったら僕の分まで────」

 

「さて、早速だけど本題に入ろうか。

 そうだね、まずは今回私を呼んだ理由を教えてくれないかな?」

 

 ロイド、その手に持った皿は何だ?

 まさか本当に皇族を毒殺(誇張表現)する気か?

 ティーカップをソーサーの上に戻し、俺は一睨みして切り出した。

 

「もう、せっかちさんですねぇ。まあ、世間話をするためにお呼びしたわけじゃないから良いんですけど」

 

 対面に座るロイドは苦笑で自らの行動を誤魔化しながら、横目でセシルに合図を送る。

 

「殿下、こちらを」

 

 そう言って彼女が手渡してきたのは、書類の束が収められた一冊のファイル。

 表紙にマル秘の判子が押されている。逆にあからさま過ぎだと思ったが口には出さない。

 相手が相手だけに、ここまで来て冗談の類ではないと思いたい。

 

「これは?」

 

「前に殿下が仰っていた案を僕なりにアレンジした物ですよ。是非とも発案者である殿下のご意見をと思いまして」

 

 ロイドの言葉に耳を傾けながら書類に目を通す。

 あのKMF馬鹿(褒め言葉)のロイドに提案するぐらいだから、僕の考えたスーパーKMF(笑)でも描かれているのだろうと軽い気持ちだったのだが、そこに記されていた内容は俺の想像の斜め上を行っていた。

 

 KMF及び人型機動兵器の世界的普及に伴う新型戦闘機開発案。

 開発コード:ゼフュロス。

 ギリシャ神話に登場する風神の名を冠する対KMF戦闘機。

 第五世代戦闘機にKMF技術を流用し、サクラダイトの使用量を増やした新型エンジン搭載による出力強化。それに伴い飛行速度と継続飛行距離を両立。

 また索敵能力向上にファクトスフィア、地上攻撃性能強化の為に武装腕部を導入している。

 これに変形機構を加えれば、まさにトリスタンのプロトタイプと成り得る代物だった。

 

 有用性をまざまざと見せ付けた極東事変を機に、KMF及びロボット兵器開発は世界的に加速する。

 そしてブリタニア軍内部では騎士至上主義が蔓延し、既存の兵器が軽んじられる風潮へと変わり、フロートシステムの実用化が進むに連れて、次第に戦場から戦闘機や爆撃機などの姿は消えていった。

 制空権の速やかなる確保は戦場の定石であり、KMFの運用にも大きく関わっている。だというのに空戦特化兵器を切り捨て、汎用性を追い求めた。

 それを象徴する実例としてフロートシステムが確立される以前、本来地上兵器であったKMFに空中戦闘能力を求め、無理矢理戦闘機用の電熱ジェットエンジンを取り付けた結果、空中分解を起こした事例もある。

 それに比べれば、この機体のスペックデータやコストパフォーマンスを見る限り、その流れに一石を投じるだけの性能を有し、遙かに現実的だと思える。

 現状まだ荒削りではあるが、荒唐無稽だとは言えなかった。

 

 Q、発案者は誰だ?

 A、リリーシャ・ヴィ・ブリタニア。

 

 そう、ただの子供じゃない。

 子供の戯れ言だと一蹴できない。

 だからこそロイドが興味を抱き、こうして実現への道筋を示したのだろう。

 リリーシャとロイドが化学反応を起こせば、予想を遙かに超えた結果を生んでも何もおかしく感じないあたり、既に感覚が麻痺しているのだろう。

 

「どうですか、殿下?」

 

「なかなか興味深いね」

 

 引き攣りそうになる顔をどうにか耐え、ロイドの問い掛けに平静を装って応える。

 ロイドとの接触時期から考え、このファイルの内容が纏められたのは、俺がリリーシャに宿る前だろう。

 俺の記憶=未来情報を得る前から、ここまで世界の行く末を予測していたのだとすれば本当に末恐ろしい。

 何かしらの異能の力を保持している、または彼女も俺と同じ未来からの逆行者だと言われても納得してしまう。

 

「いや~、そう言ってもらえると僕も頑張った甲斐がありましたよ。あ、あと僕としてはこっちも面白い仕上がりになってると思いますけど」

 

 そう言いながら、またもマル秘の判が押された新たなファイルを差し出してくるロイド。

 前例がある以上、軽い気持ちで受け取らなかったが、その内容は今度こそある意味で僕の考えたスーパーKMF(笑)だった。

 対KMFを想定した新型機動兵器開発案、と銘打たれたそこには前の世界にも存在しなかった未知の兵器が記されている。

 

 開発コード:ナイトメアビースト。

 その名の通り、大型の肉食獣を模したしなやかな体躯の機動兵器。

 開発コード:ナイトメアドラグーン。

 天空を舞う巨大な竜の姿を模した大型機動兵器。

 

 それはまるで創作物に登場する鋼の獣。

 何も知らない者が一見すればただの妄想だと吐き捨てる内容だった。

 だが俺の立場では戦慄を覚えるしかない。

 先に見せられたゼフュロスが現在の技術力で製造可能な現実路線だとするなら、特に後者──ナイトギガフォートレスに近い運用方法を目的としているらしい──ナイトメアドラグーンに関して言えば、現時点では過剰技術(オーバーテクノロジー)とも思える未来技術の導入を想定している。といっても大出力動力炉、フロートシステム、ハドロン重砲、電磁シールドなど使用されている技術の一つ一つは、数年以内に実現可能な技術ではあるが。

 これが10年後に作られた内容であったなら何も問題はなかった。そう、10年後なら……。

 

「こっちはまだまだ実現への道は遠そうだね。目処は付いているのかい?」

 

 もしこの問いにロイドが肯定的な答えたなら、発案者=リリーシャの逆行者説が現実味を帯びてくる。

 冗談のつもりだったが、それが事実なら拙い。数年というアドバンテージにより、俺が知る未来から大きく世界は変質している可能性が高い。

 ユフィとの関係なんてまだ序の口だろう。

 そうなれば俺が持つ未来情報という最大の力は、その多くが無意味な物となってしまう。出来れば冗談のままにしておいて欲しい。

 

「それがぜ~んぜんなんですよぉ。資金も人材もサクラダイトも不足してますし、最も開発が進んでいるエネルギー装甲システムの完成も早くて5~6年先じゃないかと。

 どうにかなりませんか、殿下?」

 

「期待しすぎだよ、ロイド」

 

「あ、やっぱり……」

 

 うなだれるロイドの姿を眺めながら──リリーシャの関与が完全に否定された訳ではないが──俺は胸を撫で下ろす。

 エネルギー装甲システム。つまりランスロットへ搭載され、初めて実戦使用されたブレイズ・ルミナスの完成時期に変化はない。

 やはりこれらの技術は他者から与えられた物ではなく、ロイド本人が予てより温めていた技術のようだ。彼の功罪を知るからこそ、その異常性を改めて実感する。敵に回したくはないな。

 

「如何に皇女と言えど、私も所詮はただの小娘に過ぎないんだからね。出来る事は限られているよ」

 

 そう、自由に動けない現状、皇族という立場ではあるが、結果的にただの子供と変わらない。

 どうにかして現状を打破できないものか……。

 

『え!?』

 

 何故かロイドとセシルが二人して信じられないといった表情を浮かべる。

 

「ねえ、聞いたセシル君? あの殿下が自分のことをただの小娘だって」

 

「はい、信じられません……」

 

「僕達の会話に普通についてこれるし、専門分野を学び続けてきた研究者に匹敵する知識量を保有しながら、年相応の発想の柔軟さを持つあの殿下がだよ?

 もしかして嫌味、それとも冗談のつもりかな?」

 

「でもそんな風には聞こえませんでしたよ」

 

「だよね、実は殿下ってこう見えて天然なんじゃ」

 

「つまりギャップ萌ですね!」

 

「え、ちょっとセシル君? 外見に騙されちゃ駄目だよ? 分かってるよね? 殿下は殿下だよ?」

 

 何やら小声で話す二人から不穏な空気を感じるのは気のせいだろうか?

 そしてセシル、何故いきなり愛らしいモノを見るような視線を向けてくる?

 

「もう殿下の言葉にはいつも驚かされますよ」

 

「そうかな?」

 

「そうですよ。最初にお会いした時もそうでしたけど、この件だって元を辿れば殿下の「所詮は兵器、何も人型に拘る必要は無い。勝てば正義だよ、勝てば」っていうKMF開発の流れを完全に否定する発言が発端ですし。

 まあ僕としては殿下の意見に賛成ですけど」

 

 騎士道を体現する上で人型である意味は重要であり、軍上層部も強い拘りを持っている。その為、KMF開発の現場にも強い圧力があったとされ、KMF開発初期に、要求された性能を実現して見せた非人型多脚戦車を圧殺したとする逸話もあった。

 元々二足歩行装置も脱出機構の一部として開発された物だが、いつしか当初の目的が忘れ去られたのかも知れない。

 騎士道を掲げる軍人が多いこの国では、ことKMF開発においてはリリーシャのような現実主義や結果主義は少数派となっている。

 俺としてもこの点においてはリリーシャと同意見だ。特に極東事変以降、軍事力の世界的なKMFへの傾倒、依存には疑問を抱いている。ロマンチシズムを戦場に持ち込む軍人や、それを容認する世界に対してもだが。

 

「ふふ、そうだったね。

 でも良いのかい、ここまで私に肩入れしても?

 ここに記されている内容だけでも途方もない価値があり、相応の利益を生み出せると思うんだ。それを見す見すヴィ家の私に提供する行為は、エル家の後援貴族という立場を明確に示しているアスプルンド家の者として問題があると思うんだけど」

 

 もしこのファイルの内容や検証データを軍、もしくは既に立場を確立しつつあるシュナイゼルに提出すれば、どれ程の功績を挙げる事になるか予測できない。

 まだ既存の兵器が軽んじられる風潮が起きていない極東事変前の今なら、騎士至上主義の弊害を取り除き、ブリタニア軍の戦力を大きく向上させる事が可能だと考えられる。

 それによりアスプルンド家の地位は向上、延いては擁立するシュナイゼルが次期皇帝の座へと近付くことになっただろう。

 

「殿下、僕がそんなことに拘るような人間だと思います?」

 

「いや、あまりそうは見えないね」

 

「でしょ? 何よりシュナイゼル殿下を擁立しているのは、あくまでアスプルンド家の方針であって僕個人の意思とは完全に無関係なんですよ。

 確かにシュナイゼル殿下はアスプルンド家と懇意にして下さってますし、僕も研究に援助してもらってます。

 それに次期皇帝最有力候補だなんて言われてますけど、でもそれだけじゃないですか?」

 

「ロイドさん、誰かに聞かれたらどうするんですか!?」

 

 再びロイドが口にした問題発言にセシルは顔を青くする。

 如何にもロイドらしい発言だが、今の彼女にはまだ受け流す器量が備わっていないらしい。そこに至るまでに彼女はどれだけ胃を痛めたのだろう。

 よく効く胃薬を紹介してくれないか、一度相談するのも良いかもしれない。

 

「落ち着いてよ、セシル君。ここの諜報対策がばっちりなのは君も知ってるでしょ? アハ、それとも君が告げ口するつもりなのかな?」

 

「そ、そんなことしません」

 

 さすがロイド、自分の性格を理解して先に手を打っているようだ。

 ただ自身の態度や発言を改める方が簡単だと思うが……。

 

「前にも言ったと思いますけど、僕にとってはシュナイゼル殿下よりも、リリーシャ殿下の方が価値のある存在なんですよ?」

 

 名の知れた未来の宰相閣下よりも、社交性皆無の引き籠もり幼女に価値を見出したというロイド。

 ここまでの流れ、会話内容から考えても二人の関係の深さを推し量ることは容易い。

 利用するにはこれ以上ないと言えるが、先の現象が二の足を踏ませる。

 

「面と向かって言われると照れるね」

 

「それに────」

 

 正面のロイドがぐっと身を乗り出し、俺の耳元に顔を近付ける。

 

「もう僕たちは『共犯者』じゃないですか。それこそ今さらですよ」

 

「ッ!?」

 

 ロイドの口から告げられる二人の関係。

 その口ぶりからして既に何らかの罪を犯している。

 最初に思い浮かぶのは、やはりリリーシャ所有の戦略ノート件だ。その情報量と詳細さは専門家であるロイドの関与を疑うには十分であり、状況証拠が後押ししている。

 例え相手が皇族でも機密漏洩は重罪に変わりはない。また広い意味では帝国の利益になる技術の隠匿も含まれる恐れもある。

 さらにもしリリーシャの目的が、本当にブリタニアに武力を持って挑む事であり、それを知った上で手を貸しているとすれば、現在進行形で反逆罪や内乱罪、もしくは国家転覆罪に関与している事になる。

 

 ブリタニアを相手にするための情報。

 その為の対KMF兵器の開発。

 共犯者と呼ぶには十分過ぎる理由だろう。

 

 だが一方で、共犯者という言葉を耳にしたその瞬間、最初に俺の脳裏を過ぎったのはあの魔女の姿だった。

 現皇帝シャルルとその兄=V.V.と面識があり、少なくとも暗殺事件が起こるまでは友人関係であった母マリアンヌと行動を共にしていたことは確実。ならば意外と近く、それこそペンドラゴン皇宮やアリエスの離宮に潜伏している事も考えられる。

 探してみるか? 罠にピザを使えば案外簡単に捕獲できるのではないだろうか?

 あの男達の計画──ラグナレクの接続──を阻止する上でも鍵となる存在。出来れば早期に接触を持ちたい一人だ。

 ただロイドのこともあり、既にリリーシャと接触している可能性がないか不安に思う。

 性格的に考えて二人の相性は絶対に最悪だ。場合によっては敵対を避けられない恐れもある。出来れば今度こそ彼女の願いを叶えたいと思っているんだが……。

 

 いや、まずは目の前の問題をどうにかする方が先か。

 

「アハ♪」

 

 動揺を押し殺し平静を装う俺に対して、ロイドは満足げな笑みを浮かべていた。

 この男は……、俺の気も知らないで何を笑っている。

 

「本当に良い性格をしているね、ロイド」

 

「お褒めいただき光栄です」

 

 はぁ~、と心の中で溜息を吐く。

 真面目に相手にするのが面倒になるな。

 うん、もう現状維持で良いんじゃないか?

 ロイド達に接触し、あわよくば味方に引き込むという目的は達した。というか既に達成されていたわけだし。

 共犯者という微妙な関係ではあるが、悪い話ばかりでもない。ここで敢えて事を荒立てて、話を複雑化する必要もないのかも知れない。

 

「セシル、紅茶のお代わり貰えるかな?」

 

「はい、すぐにご用意します」

 

 場の空気を変える為にも一度話題を変えよう。

 

「でも本当にこれが本題で良かったのかな?」

 

 手にしたファイルを机の上に置いて問い掛ける。

 ファイルの内容を思えば、呼びつける理由としては十分だろう。出来るだけ人目に触れさせず、直接相手に手渡すのが最も安全だ。

 だがロイドの性格からして、わざわざこの為だけに呼びはしないだろう。流石に郵送で送り付けはしないだろうが、母マリアンヌ経由で回ってくる可能性だってあったはず。

 そもそもファイルに目を通すだけなら、わざわざパイロットスーツに着替える必要は無い。

 母マリアンヌが娘にコスプレをさせたかっただけという理由も無きにしも非ずだが、場所柄を考えてもコートだけで十分だったはずだ。

 そして何より、この部屋に入った時から常に視界の端に、自らの存在を誇示している物体が映り込んでいた。

 

「あれ、やっぱり気付いちゃいました? さすがは殿下」

 

 いや、気付かない方がおかしいだろ?

 部屋の中央に置かれているのは、KMFの胸部とサバイバルコックピットが組み込まれた装置。そこから伸びた無数の配線ケーブルが大型のコンソールへと接続されている。

 そう、それは前の世界でも皇族時代に何度か触れた事のある簡易的な物ではなく、旧式だが軍用の本格的なシミュレーターだった。

 

「殿下には僕たちが作ったプログラムで、データ収集に協力してもらいたいんですよ。

 是非ともお願いできますかぁ?」

 

 何故それを俺に──いや、リリーシャに頼むのか、その理由は分からない。

 円卓には優れたテストパイロット達が居るだろうし、何よりあの閃光のマリアンヌ様が生存しているんだ。むしろそっちに頼むべきだと思う。

 だけど折角用意してここまで来たんだ。特に断る理由も選択肢もなかった。

 

「ああ、もちろん。私で良いなら協力しよう」

 

 俺はあまり深く考えず、快く了承の意を返した。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第16話

 

 シミュレーターに乗り込み、パイロットシートに腰を下ろす。パイロットスーツのプロテクター部に存在するコネクターを介し、身体がシートに固定される。

 コックピット内部はリリーシャの体格に合わせ、シートや操縦桿、フットペダルも特注の物が用意され、操縦に何ら問題ないように最適化されていた。

 わざわざリリーシャ専用に再設計されたシミュレーター、そこからもロイドの入れ込みようが窺い知れる。

 だからこそ不安を抱く。

 

 ロイドはリリーシャに何を期待している?

 いや、ロイドが求めているモノは数少ない。その中でも現状=シミュレーターによるデータ収集から考えれば、自ずと答えは見えてくる。

 KMFの操縦技能、それしかないだろう。

 俺は彼女の腕前がどれ程の物であったのかを知らないが、一方でロイドが求めているレベルを知っている。

 当然の俺の操縦技能がその域に達していない事は、偽りようのない事実として自覚しているつもりだ。戦闘の度に機体を大破させ、ゼロは前線に出ない方が良いと陰口を叩かれ(玉城、お前にだけは言われたくない)、冷ややかな視線を受ける事もあった。

 だが敢えて反論するなら俺だって別に操縦が下手なわけじゃない。これでもシミュレーターを含めた騎乗時間は長く、そこらの一般兵以上の能力は持っている。

 そう、周りの連中や相対した相手の能力が高すぎたんだ。中でもスザクやカレンなんかは明らかに次元が違う。

 一騎当千を地で行くなんて異常でしかないだろ?

 間違っているのは俺じゃない、世界の方だ!

 ……よそう、今さら言っても仕方のないことだ。

 

 正直なところ高がシミュレーターだと思っていた。

 前の世界で実戦を経験し、最新のシミュレーターにも何度も挑戦した。

 情報を集めて機体や武装を解析し、幾通りもの戦術を考えた。

 故に実戦とは違い生命のやり取りもない旧式のシミュレーターなど、それこそ目標をセンターに入れてスイッチを押す程度でしかないと。

 だから二つ返事で引き受けたのだが、今は後悔している。

 

 もしロイドの期待を下回ったらどうなる?

 期待が大きければ大きいほど、それに比例して裏切られたと感じた場合の失望も、より大きなものとなるだろう。

 リリーシャとロイドの関係は主と従者ではなく共犯者。

 対等の立場であり、ギブアンドテイクが求められる。

 既にリリーシャはロイドから利益を供与されている以上、今度はこちらが対価を支払わなくてはならない。

 

 だが俺がリリーシャとなった事により、ロイドが求める対価を払えなかったとしたら?

 リリーシャに興味を失うだけなら良いが、それはあまりに楽観的すぎる。

 考えたくはないが最悪の場合、リリーシャの罪の証拠を握るロイドが敵に回る可能性があり、俺はいつ爆発するかも分からない爆弾を抱え込むことになる。

 その罪が公になれば確実に今の地位を失うだろう。

 皇族を厳罰に処する法律はこの国にはないが、代わりに皇籍奉還特権というものが存在している。

 皇族の持つ権利の一つだが、その実態は自ら皇位継承権を放棄し、市井に下ることを意味していた。

 罪を犯した皇族に強制的にこの権利を行使させ、皇族として持って生まれた全ての権利を剥奪することにより罰を与えるというものだ。

 特区日本構想においてユフィがゼロの、俺の罪を不問にする為の代償として行おうとした皇位継承権の返上も、この皇籍奉還特権を行使してのこと。

 

 かつて実際に強制的に体験するしかなかった俺としては、市井に下る程度大した問題ではない。

 俺には──ナナリーにだけは極力不自由な思いをさせまいと必死で体得した──家事スキルがある。

 そのナナリーの傍から離れる事にはなるが、この世界のルルーシュが傍に居る以上、最悪の場合でも──前の世界と同様に──最低限の生活が保証されるだろう。

 それにリリーシャというイレギュラーが存在しなければ、俺が知る未来を彼等が歩む可能性が高い。未来が分かっていれば後からでも対策が取れる。

 

 けれど全く問題がないわけではない。今俺が持つ力を最大限に活かす為には、立場が極めて重要だという事実を忘れてはいけない。

 皇族と一般人では、あまりに得られる利点と受ける制限が違いすぎる。

 もちろん打開策として別の力=ギアスを求める手もあるが、それには魔女との接触が必要不可欠だ。

 さらに契約を交わしたとしても、発現するギアス能力は個々によって異なる──契約者の本質や潜在的願望が大きく影響を及ぼすと推測されている──為、発現する能力が汎用性の高い物とは限らない。

 俺個人の本質は変わっていないつもりだが、リリーシャの存在が齎す影響は未知数であり、また潜在的な願望の変化を確認することなど不可能に等しい。

 リリーシャの人間性から考えて、極端に恐ろしい能力が発現してもおかしくなく、非常にギャンブル性が高いと言えた。

 絶対遵守のギアスなら使いこなせる自信があるが、同様のギアスが発現するなんて都合のいい展開は考えるべきではない。

 

 待て、肝心なことを忘れている、

 そもそも契約を結び、再びギアスを得ることは果たして本当に可能なのか?

 俺の瞳に宿るギアスは失われていなかった。

 もし仮に契約が結べたとしても、新たなギアスを得られる確証はない。それどころか魔女との接触という危険に、己が身を晒すだけの結果となる事も考えられる。

 それでも魔女との接触により封印──正確には封印状態か休眠状態かは分からない──が解かれ、再びギアスを行使できる可能に賭けるべきか?

 

 っ、落ち着け、冷静になれ。

 まったく、何を焦っているんだ。

 まだKMFが実戦投入されていない現状、いくら軍用シミュレーターと言えど、そこに登録されているKMFの性能も、俺が知るものよりもずっと低いはず。

 例えばグラスゴーで求められる動きなんて、基礎的なものでしかないだろう。現状では対KMFの戦闘機動データだけでも十分に価値があるはずだ。

 だったら俺でもロイドを満足させられるか?

 ……いや、新型機動兵器開発案の件もあり楽観視はできない。

 

 そんな俺の不安を他所に、コックピットハッチがゆっくりと閉じていく。

 

 

 訪れる静寂。

 闇が俺を包み込む。

 刹那、異変を感じた。それはロイドとの間に起こった現象とは違い、俺個人の身に起こった身体の変調だった。

 速くなる鼓動。滲む汗。微かに震える指先。まるで意識が何かに吸い寄せられるかのように遠退いていきそうになる。

 同時に込み上げてくる感情は不安、先程まで感じていた不安とはまた別のモノだ。

 そして言い知れぬ恐怖。

 居住性の低い旧式のサバイバルコックピット──しかもリリーシャ用に改造されている──のために狭さを感じる。だからと言って恐れを抱くような閉所恐怖症ではない。

 だったらこの恐怖は周囲に広がる闇に対してなのか?

 闇、何処までも広がる闇。

 纏わり付いてくる何かが、言い知れぬ不快感を与えてくるかのような錯覚を覚える。

 だが何より恐ろしかったのは、この不安でしかない闇の世界に懐かしさ、そして安らぎを感じている自分が居ることだ。

 何故そう感じるのか、その理由を俺は知っている?

 何を馬鹿な……。

 その考えを振り払うように首を振る。

 

『システムを起動します』

 

 コックピット内に人工音声が響き、ディスプレイや計器に光が灯り、周囲の闇を照らし出す。

 それと同時、闇が齎す不安感が消え、身体の異常が収まっていく。まるで最初から何事もなかったかのように。

 けれど気のせいなどではなかった。

 この身に何が起こっているのか分からない。原因が俺にあるのか、それともリリーシャにあるのか……。

 ただこの胸の奥に残ったもどかしさは、最初にこの世界に目覚めた時に感じたものと同質のものだ。

 果たして俺は重大な何かを忘れてしまっているのだろうか?

 

『おや? 大丈夫ですか殿下? バイタルは正常の範囲内ですけど、さっきより顔色が悪い気がしますよ』

 

 ディスプレイの端に表示されたウィンドウに映るロイドの表情は、彼にしては珍しく真剣さを感じさせるものだった。

 あのロイドに気を遣わせるほど、不安や動揺といった類が顔に出てしまっているようだ。

 

『もう、ロイドさんが無理言うからですよ!

 殿下、お身体の調子が悪いようでしたら仰って下さい! すぐに起動を中止して医務室へお連れしますから』

 

 身体を心配してくれるセシルの思いが素直に嬉しく思う。

 もちろん前の世界の彼女=ゼロレクイエムの共犯者という立場から来る、ある種の仲間意識からではなく、ただ単に皇族であるリリーシャの身を心配してのことであり、そこに保身の念が含まれていることも理解している。

 それでも最後までゼロレクイエムに否定的であり、俺の身を案じてくれた彼女の姿が重なってしまうのは仕方のないことだ。

 

「ありがとう、セシル。ロイドも。心配を掛けたね。

 でも何も心配する事はないよ。少し思う所があっただけのこと。バイタルも正常を示しているんだろう? なら問題ない」

 

『はい……。でもお願いですから、くれぐれも無理はしないで下さい。絶対ですよ、約束です』

 

「ふふっ、了解。約束するよ」

 

 渋々了承したと言いたげに念を押すセシルの姿に、気苦労が絶えなくて大変だと同情しながらも苦笑が浮かぶ。

 

『では本プログラムについてご説明致します。

 本プログラムは対KMF戦を想定しており、殿下の機体が大破判定を受けるまで敵機が出現する内容となっています。

 殿下に騎乗していただく機体は対KMF戦闘を主眼として開発予定の次世代機であり、シミュレーター上での概念実証テストとお考え下さい。

 なお補給や支援はなく、殿下には限られた戦力で最大限の戦果を挙げる事に挑んでいただきます』

 

 グラスゴーが正式にロールアウトされる前に対KMF戦を想定したプログラム。若干気が早いと感じるが、話の流れから考えればむしろ当然と言えば当然か。

 このまま事が進めば何れ世界的なKMF開発競争が訪れる事は間違いない。

 それを確信しているからこその行動だろう。

 リリーシャ関与の疑いは未だ晴れないが、現時点でその未来予測を完璧に為しているロイド達には脱帽だ。

 

 シミュレーターの概要を説明するセシルの言葉に耳を傾けながら、騎乗する事となる機体のデータを確認する。

 対KMF戦闘を主眼として開発された第五世代KMFの代表といえばRPI-13=サザーランドだが、果たして────

 

「っ、これは……ふふっ」

 

 呼び出した機体データに目を通した瞬間、思わず口元を歪められずには居られなかった。

 

 

     ◇

 

 

『ロイド』

 

「何ですかぁ?」

 

 殿下に名を呼ばれ、キーボードを叩く指を止める。本来ならわざわざ止める必要はなかったけど、殿下の声音の僅かな変化が気になった。

 思わずコックピット内部と繋いだディスプレイに視線を向ける。

 殿下が笑っていた。

 だけど、いつも浮かべていた──感情を隠した──冷たく作為的な笑みじゃない。何か悪戯を思い付いた子供のような年相応の楽しげな笑みを。

 

『これ以上の説明は必要ないよ。前置きはこのぐらいにして、そろそろ始めようじゃないか』

 

「良いんですか?」

 

 説明を切り上げ、先に進むことを促す殿下。

 

『これでも私は自分に求められている事を理解しているつもりだからね。

 ああ、それと変に手心を加えて制限リミッターを掛ける必要はないと先に言っておくよ。その方がキミもデータを取りやすいんじゃないかな?』

 

 確信があるのか、その瞳はまるで全てを見透かしているかのようだ。

 あはぁ、どうやら殿下、本気みたいだね。

 

「そんなの駄目ですよ、いきなり実戦起動なんて! 無理はしないって約束して下さいましたよね!?」

 

 隣でセシル君が反対の声を上げた。

 まあ確かにセシル君の気持ちも理解出来る。

 このシミュレーターはちょっと特殊だからねぇ。扱っているデータがデータだし、普通のシミュレーターに比べると身体に掛かる負荷が強い。乗っているのが皇族だから何かあったらって焦るのは仕方ないよ。

 もちろん、そんな事態にならないように制限を組み込んでる訳なんだけど、本人の希望だし、相手は皇女様だから逆らえないよね?

 

『約束は守るよ、セシル。無理はしない、多少の無茶はするかも知れないけど』

 

「それは屁理屈です!」

 

『それともセシルは私には無理だって言うのかい? この脆弱な身体では高がシミュレーターも満足に動かせはしない、身の程を弁えろ小娘と。

 それは私に対する侮辱と考えても良いのかな?」

 

「そ、そうじゃありませんけど……」

 

「もう、殿下も人が悪い。セシル君をいじめちゃダメですよ」

 

 そろそろ助け船を出してあげようかな。

 殿下が相手じゃセシル君には荷が重いし、不満の矛先がこっちに向いても大変だ。

 

『ん、ロイドがそう言うならこの辺で止めておくよ』

 

 あはぁ、やっぱり自覚あったんだ。

 確かにセシル君は天然入ってて弄りやすいけど、報復が恐いって事も知って欲しいよ。

 

「殿下の仰るとおりにしますけど、本当に良いんですね?」

 

『私を誰だと思っているのかな?』

 

「さすがは殿下、もう惚れちゃいそうですよ」

 

『なら存分に惚れると良い』

 

 冗談に軽快に応えて微笑み、無い胸を張る殿下は僕から見ても格好良かった。

 なんかマリアンヌ様の血を感じるよね。さすがは親子だ。

 これがカリスマって言うのかな?

 あまり有機物に興味がない僕でも、本当に惚れちゃいそうだよ。

 あ、でも口先だけの子供には一切興味湧かないから、当然まずはこのシミュレーターの結果次第だけど。

 

「良いんですか、ロイドさん?」

 

「良いんじゃない? 殿下の命令なんだから。セシル君だって殿下がシミュレーター経験者だって知ってるでしょ。

 それに殿下のあの表情、もう色々と気付いてるみたいだし」

 

 それにね、残念だけどこの程度で壊れるなら、所詮はそこまでの価値しかなく、過大評価だったってこと。

 もちろん、出来ればそんな展開は見たくないと思っているけど。

 期待してるんだから頑張って下さいね、殿下。

 

 数度キーボードを叩き、最後にエンターキーを押す。

 

『モードL、オペレーションを開始します』

 

 無感情の人工音声がプログラムのスタートを告げた。

 後に振り返った時、僕の運命を大きく左右したと言える戦いが幕を開ける。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第17話

 ふふっ、フハハッ。やれる、やれるじゃないか!

 

 プログラムの開始が告げられ、操縦桿を握り締めた瞬間、まるで頭の中でスイッチが切り替わったかのように思考が最適化された。

 不安なんて微塵もない。

 恐れなんて皆無だ。

 今この身体を支配しているのは昂揚感、そして騎乗機と一体と化した全能感だった。

 脳内麻薬でも溢れ出しているのだろうか。

 

 フットペダルを踏み込み、目の前のグラスゴーに向かって行く。

 ユグドラシルドライブの回転数が上昇し、呼応して急速回転するランドスピナーが大地を捉え、機体が急加速する。

 発生したGが身体をシートに押し付けようとする感覚も苦痛ではなく、むしろ心地良さを覚えるほどだ。

 

 ディスプレイ正面に捉えた敵機が、こちらを迎え撃つように剣を振り上げた。

 だが遅い。

 擦れ違いざまに手にした剣を振るう。

 一閃。

 相手の頭部が宙へと跳ね上がる。

 まるで血飛沫のように噴き出すオイル。

 胸が高鳴った。

 

 その先に待ち構えて四機のグラスゴーが、構えたライフルの銃口を向け、トリガーを引く。

 鳴り響く無数の銃声と煌めくマズルフラッシュ。

 一斉に放たれる弾丸が進路を塞ぎ、明確な敵意を以て襲い来る。

 狙いはなかなかに正確で、当たれば致命傷になり兼ねない。

 だからどうした?

 弾道を見極め、最小限の動きで躱しながら跳躍し、上空より四基のスラッシュハーケンを同時に射出する。

 ハーケンの直撃を受け、姿勢を崩す敵機を見逃しはしない。

 重力落下を利用した踵落としで頭部を潰す。

 まずは一機。

 その機体を蹴り付けた反動で後ろへと跳び、着地と同時に未だ体勢を立て直せていない二機目のグラスゴーを一閃。

 さらに再び銃口を向けてくる三機目のグラスゴーに向けて剣を投擲。

 そして最後の敵機へ向けて腰部のスラッシュハーケンを再射出。目標に巻き付いたと同時に巻き上げ、相手に向かって肩から突進する。ショルダータックルを受けた敵機は上半身を仰け反らせ、そのまま後方へと倒れていく。

 倒れたグラスゴーの頭部を踏みしめながら、背に装備した二本目の剣を抜き、逆手に持った剣の先を相手の胸部装甲の隙間へ向けて振り下ろす。

 

 完全に敵機が沈黙したことを確認し、周囲へと視線を向けた。

 荒野に転がる大量のKMFの残骸。頭部を砕かれ、四肢を切断され、サバイバルコックピットを貫かれ、倒れ伏し、また爆散して鉄屑と化し、多様に無残な姿を晒している。

 その中で唯一原形を留め、五体満足で大地に立つのはたった一騎の白騎士。

 

 これがスザクの見ていた世界。

 たった一騎で戦場を蹂躙し、戦術で戦略を覆す。

 それを実現する圧倒的な力こそ、俺が今騎乗する白きKMF=ランスロットだった。

 もちろんスザクが騎乗していた──唯一の第七世代KMFとして名を知らしめた──ランスロットとは違い、メーザーバイブレーションソードMVSやヴァリス、ブレイズ・ルミナスなどの装備。大出力の新型ユグドラシルドライブは搭載されておらず、全体的なサクラダイトの使用率も低く設定され、ある意味プロトタイプと呼べる性能となっている。幻の第六世代と言ったところか。

 だがその状態でもグラスゴーはもちろん、サザーランドやグロースターに代表される第五世代機とも、比べものにならない破格の性能を誇る。

 医療用サイバネティクス技術を組み込んだ脚部及びバランサーにより、極限まで高められた柔軟な運動性能は健在。三次元機動の実現性は、まさに次元が違う。

 

 ただプログラム開始直後の戦闘で若干の違和感を覚えた。

 データが未完成なのか、それとも調整のミスか。ロイドの性格から、ことKMFに関しては後者はあり得ないだろうが、ドライブの出力設定やバランサーの数値に無駄があり、ランスロット本来の性能を発揮できていないようだった。

 幾度となく俺の前に立ち塞がった仇敵ランスロット。戦闘の度に性能を解析し、シミュレーションを繰り返し、ゼロレクイエムの共犯者となったロイド自身から情報を得ていたが故に気付く事が出来たのだろう。

 ある意味で俺は開発者のロイド達に次いでランスロットの性能を熟知していると言っても過言ではない。それこそパイロットであるスザク以上に。あいつが難解な専門用語をちゃんと理解できていたのか甚だ疑問だ。

 幸いすぐに調整用コンソールを展開し、修正することには成功したが、戦闘中に機体を調整するなんて実戦では絶対にしたくない。

 今回は敵機との機体性能差に助けられた。

 

 いや、機体性能以外の理由がもう一つあるか。

 柄にもなく興奮してしまった理由の一つでもあるが、それはこの身体=リリーシャのKMF適性の異常な高さだ。リリーシャの身体能力が優れている事は既に知っているが、それがKMF適性にも及んでいるらしい。

 例えば今回の場合、使用できる剣はMVSではなく通常の実体剣だ。故に数度相手と刃を交えれば、また誤って装甲にぶつけたなら簡単に刃こぼれしてしまう。

 ただ闇雲に振り回しているだけでは戦闘能力の低下は避けられない。

 その為、的確に装甲と装甲の間や関節部を狙う必要があった。当然それには繊細で高度な操縦技能が要求される。

 だが頭で考える前に身体は動いていた。無意識の内に呼吸するように、指を動かすのに一々骨膜や関節腔の動きを知る必要がないと同様に、さも当然の様に行うことが可能だった。

 また、元々俺は機動性能を重視した機体と相性が良くはなかった。残念ながらパイロットである俺の肉体が負荷に適応できなかったのも事実。いくら高性能な機体といえど乗りこなせなければ意味がない。故に最後には防御に特化した蜃気楼に乗っていたわけだが……、悲しくなるので止めよう。何もKMF戦だけが戦いじゃない。俺の得意分野は別にある。

 けれどこの身体では負荷をまるで感じなかった。少々大げさな表現だが、KMFに乗るために生まれてきたかのようだ。

 ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア以上に、閃光のマリアンヌの遺伝子を多く受け継いでいるに違いない。べ、別に羨ましくなんてないからな。本当だぞ!

 

 やはりロイドが期待するだけの能力をリリーシャは持っていると実感する。

 まだまだ発展途上ではあるが、将来的にはスザクと比べても遜色のないパイロットになり得るだろう。

 自分が創り出した作品、理想とする兵器を意のままに動かすことの出来る生体パーツデヴァイサー。

 スザクを見出し、様々な軍規を無視して特派に引き入れた事を考えれば、スザクと出会ってない現状では手放したくない逸材であることは間違いない。

 確かにロイドにとってはシュナイゼル以上に価値のある存在だろう。

 

 などと思考している間に、新たなグラスゴーの姿が出現する。

 

「ふふっ」

 

 思わず笑いが込み上げ、零れ落ちる。

 どうやら今の俺はこの一方的な戦いが楽しくて、また自在に機体を動かせることが嬉しくて仕方ないらしい。前の世界の鬱憤を晴らしている気もしないではないが……。

 客観的に見れば非常に子供っぽく認めたくはないが、今現在の肉体年齢を考えれば大丈夫。精神年齢は気にするな。あれだ、最終的には肉体に精神が引っ張られたという言い訳も残されているじゃないか。

 だから、今この瞬間を楽しもう。

 

「さあ、今度はどうやって壊そうか?」

 

 

     ◇

 

 

 プログラム開始の直後から、戦闘の様子が映し出された画面に表示される撃墜数キルスコアが、異常な速度で上昇していく。

 うん、凄すぎる。

 セシル君なんて信じられないと言った表情を浮かべて茫然としちゃってるよ。開いた口が塞がらないって感じかな。

 

 初めて乗った機体で、しかもいきなりの実戦起動でこの戦果。通常稼働率も85パーセント以上を誇っている。

 想定以上、否想定外。僕の予想を遙かに上回る展開だよ。

 殿下のKMF適性や操縦技能の高さはマリアンヌ様からいただいたデータや、前回のシミュレーターの結果から理解していたつもりだったけど、正直ここまでとは思っていなかった。過小評価していたのかも知れない。

 

 前回のシミュレーターでは手を抜いていた、それとも殿下の操縦に機体の方が付いていけなかったのかな?

 円卓所属のパイロット達だって、まだグラスゴーを持て余しているのが実情だっていうのに?

 きっと彼等をこのシミュレーターに乗せても、まともに動かすことも出来ないはずだよ。

 

 異常、まさにその一言に尽きる。

 

 何れにしろ、こんな結果を見せ付けられたら、もう殿下を手放すことなんて考えられない。殿下の後援貴族になるためにはアスプルンド家から出る必要があるよね。

 う~ん、どこかの貴族令嬢と結婚でもして婿養子になろうかな。ヴィ家最大の後ろ盾のアッシュフォードなら、フレーム技術なんかも手に入るし、ガニメデにも触れそうだから一石二鳥だと思うんだけど。確か現当主のルーベン翁には孫娘が居たよね?

 いや、でも殿下のお婿さんにしてもらうのが一番手っ取り早いかも。その場合、皇帝陛下のことをお義父さん、マリアンヌ様のことをお義母さんって呼ぶのかな?

 マリアンヌ様に殴られないといいなぁ。

 

「ロイドさん、これ……」

 

「ん、何? セシル君」

 

 僕が将来について考えていると、セシル君にとある画面を注視するように促される。

 それは機体パラメータを表示する画面だった。

 

「あはは……」

 

 変更される数値。

 咄嗟にコックピット内部を映す画面に視線を向けた瞬間、乾いた笑いを零すことしかできなかった。

 調整用コンソールを展開して、その上で物凄い速さで指を動かしている殿下の姿。

 例えシミュレーターだとしても、戦闘中に機体設定に手を加えるなんて誰が想像できただろう。

 殿下はリミッターを掛けるの必要は無いって言ったけど、僕だってある程度は常識があるつもりだから、機体性能にちょっとだけ手を加えておいた。最大の特徴である機動性を落として、負荷を抑えてリミッター代わりにしようって。

 けど、どうやら殿下にはお見通しだったようだ。機動性を落としたって言っても、それでもグラスゴーなんかとは比べものにならないし、普通なら気付かないはずなんだけど、殿下自分で設定を書き換えちゃったよ。

 しかも迷いなく最適の数値に。こんな短時間で機体性能の全てを理解したのかな?

 それとも最初からランスロットの事を知っていた? ……まさかね。

 さすがにそれはあり得ないと思う反面、殿下ならやりそうな気もするし、知っていても不思議じゃないとさえ思える。というか信じられないが、理由はどうあれ実際に目の前で起きたことだ。

 自分の目で見てしまった以上、現実として認めるしかないよね。

 

 僕たちは暫く戦闘画面に釘付けとなり、無言のまま、繰り広げられる一方的な虐殺ワンサイドゲームをただ眺めていた。

 

「……まるで実際に戦場での騎乗経験があるみたいですね」

 

「ふ~ん、君もそう思うんだ」

 

 暫く見入った後、不意に呟いたセシル君に僕も同意する。

 一切の無駄がなく合理的で、誰よりも洗練された動き。それは戦場を知り、実戦を経験した兵士の動きに近い。

 だけどそんな事は彼女が年端も行かない皇女殿下だという現実的に、またKMFが実戦配備されていない条件的にもあり得ない。

 あり得ないはずなんだけど、その操縦技術はあまりにも完成されすぎていた。

 

 一方で殿下の操縦に違和感を覚えずにはいられなかった。

 異常な操縦技能という点では同じだが、前回のシミュレーター騎乗とあまりにその戦い方が違いすぎる。

 前回殿下が見せたのは某人型汎用決戦兵器の暴走状態の如く、胸部装甲を無理矢理マニピュレータでこじ開け、ドライブを握り潰して破壊するという荒々しい戦闘だった。まるで子供が無邪気かつ残酷に人形を破壊するかのような光景は、普段の殿下とのギャップが激し過ぎて我が目を疑ったが故にハッキリと憶えている。その光景を見て、口部展開型排熱機構を取り付けても面白いかなぁ、と思ったのはセシル君には内緒だよ。

 ハンドルを握った時に性格が変わる人間が居るように、もしかして殿下は操縦桿を握った時に性格が変わってしまう人間なのかも知れない、と割と本気で考えもした。

 よって今回と前回を比べれば、もはや別人と言ってしまっても良いのかも知れない。

 

 異常な成長速度。

 果たして何が殿下を変えたのか?

 いや、別に何だって良いよ。

 正直その問いの答えに興味はない。理由がどうあれ殿下が僕の求めていたモノを持ち、期待に、そして機体に応えてくれたという事実のみが重要なんだから。

 

 ラクシャータに自慢しちゃおうかな。

 あはぁ、きっと悔しがるだろうなぁ。

 

「セシル君、今回の記録にはプロテクトを掛けておいてね。でもって外部にはバグって事にしておこうか」

 

「はい、その方が良いと思います」

 

「でも殿下驚くかな? 一方的に蹂躙している相手が、実は単なるプログラムじゃないって知ったら」

 

 そう、殿下が戦っている相手は仮想データではなく、実際にこの円卓に所属するパイロット達だ。もちろん彼等も自分達が戦っている相手が、齢十にも満たない皇女殿下だってことは知る由もない。軍のエースパイロット、精鋭中の精鋭だったのに、ここまで一方的な蹂躙戦になるなんて、きっと自信喪失で涙目だよね。トラウマにならないと良いけど。まあ仕方ないよね、弱肉強食は国是でもある事だし。

 

「彼等に対するフォローはどうするんですか?」

 

「え? 興味ないよ、そんなこと。気になるならセシル君一人でお願い」

 

 そんな事に無駄な時間を使っている暇はない。

 さっそく殿下専用機の構想をまとめないと。

 あ、でもその前に画面の隅に表示された経過時間を確認する。

 そろそろ彼が登場する時間だ。きっと彼も自分に出番が回ってくるなんて思って居なかったんじゃないかな。

 さて、殿下はどんな戦いを見せてくれるのか。

 アハ、胸がときめいちゃうよ。

 

 

     ◇

 

 

 敵機から奪ったライフルを撃ち終えて投げ捨てると、再び剣を構え、敵機の集団の中へ飛び込んでいく。

 斬り裂き、躱し、穿ち、跳び、貫き、薙ぎ払う。

 

 フハハハハハハハハッ!

 

 力だ。

 望んでいた力、他者を圧倒する力だ。

 想定していたものとは違うが、取れる行動の選択肢が増えたことは喜んで良い。

 優れた身体能力と操縦技能を併せ持ったリリーシャには感謝しないといけないな。

 

 だが今は全てを忘れ、目の前の戦いを楽しもう。

 

 振り向きざまに振り抜いた剣がグラスゴーの首を切断する。

 愉悦に快感を覚えた。

 

「濡れるッ」

 

 何がとは、またどこがとは良い子のみんなは聞いてはいけないよ。

 リリーシャさんとの約束だよ♪

 

 ん? 俺は何を……。きっとテンションが上がりすぎて思考に影響を及ぼしているのかも知れない。少し冷静になった方がいいだろう。

 刹那────

 

『退け、ここからは私が相手をする』

 

 戦場に声が響き、新たな騎士が戦場に出現する。

 しかしそれは普通のグラスゴーではなかった。

 追加装甲により重厚さを増した鎧に装飾が施されたカスタム機。

 その機体が手にしているのは、補助ランドスピナーを搭載した、身の丈と同等の巨大な剣。攻防一体の矛と盾と言ったところか。

 外装だけではなく、内部も特別なチューンが施されていると考えてまず間違いない。

 一見しただけで、今までの相手とは違う重圧を放っている。

 時間経過に伴うボスの登場と言ったところか。

 なに、臆する事はない。そろそろ刺激が欲しかったところだ。

 立ち塞がるというなら排除するまで。

 俺は操縦桿を握り直す。

 

「挑んでくるがいいよ。歓迎してあげるから」

 

 

     ◇

 

 

「どうだった?」

 

 シミュレーターを降りてくる隻眼の男に、出迎えた女が声を掛ける。

 ただ笑みを浮かべた女の表情は、男の答えを既に分かっていると言いたげだった。

 

「ご想像の通り、さすがとしか言い様がありません」

 

「でも貴方には敵わなかったけどね」

 

「それは機体も殿下自身も消耗されていたからです。条件が同じなら結果は容易く逆転していたことでしょう」

 

 汗を拭いつつ、男は思ったままの事実を口にする。

 技量、そしてあり得ない事だが、経験さえも相手が上回っていたのではないかと感じていた。

 これ以上戦闘が長引いていれば、左目の封印を解き放つ選択肢が脳裏を掠めるほどに、本気にならざるを得ない相手だった。

 条件が同じであったなら自分が敗北を喫することになっていたはずだ、と先程までの戦闘を思い返しながら考える。

 

 ただ彼は知らない。

 今し方自分が戦った相手との機体性能差を。

 いや、知ったところで誇りはしないだろう。

 ラウンズの戦場に敗北はない。

 帝国最強の剣であるラウンズに勝る者もまたラウンズのみ。

 それが模擬戦、机上戦、シミュレーターだとしても例外ではなく、ラウンズとしての地位を、名誉を、誇りを傷付けることは許されない。

 現状ただ一人その覚悟を背負っているのだから。

 

「何れにせよ、間違いなく次代のラウンズとなられる力をお持ちかと。帝国の剣を担い軍を率いる立場となられれば、我らがブリタニアの覇道は揺るぎないものとなりましょう。

 もちろん、それは貴女様が最もよく理解されているかと」

 

「ふふっ、そうね。でも私の娘なんだからそのくらい当然よ」

 

 言葉とは裏腹に女はどこか誇らしげに笑う。

 その様子に男も頬を弛めた。

 

「リリーシャ様のこと愛しておられますね」

 

「もちろん愛してるわよ。今はまだ私の次に、ルルーシュと同じぐらいだけどね」

 

 彼女らしい言い回しだと男は思う。

 だけど彼は女の傍に長く居たためか気付かない。

 それとも女が身に付けた仮面が完璧すぎて悟らせないのか。

 その口で囁く愛が歪なものであると。

 

「さて、じゃあ私は愛しい我が子を迎えに行くとしましょうか。後の事は頼んだわよ」

 

「イエス、ユア・ハイネス」

 

「でもあの娘負けず嫌いだから、今頃へそを曲げていないと良いけど。苺のデザートでも用意したら機嫌直してくれないかしら」

 

 男は応え、女の背を見送る。

 やがて訪れる未来。美しき二人の戦女神によって導かれる、強き祖国の姿を思い描きながら。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第18話

「ふ~んふふん~♪」

 

 上機嫌で大学の研究室へと戻ってくる。

 その道中も今日の出来事を思い出すと、もう笑いが止まらなかった。

 すれ違った人みんなが道を譲り奇異な視線を向けてきて、それでいて目が合うとすぐに逸らされたりするけど全然気にならない。

 

 予期していなかった想定外の結果。

 あの光景を見て、興奮しないKMF開発関係者はこの世界に居ないだろう。

 そこにKMFの未来を見るには十分すぎる内容だった。

 僕の研究が間違っていなかったと証明されたような気分だよ。

 

 けれど最後は少し残念だった。

 終始殿下が圧倒していたが、決めきることが出来ず、エナジー切れと脚部への過負荷の半ば自滅。

 いくら卓越した操縦技能を有していても、こればかりは機体側の問題だ。

 現状ではドライブの出力に比例して消費電力が増加し、活動限界時間が短くなってしまう。バッテリー駆動式のKMFの欠点といっても良い。現状ではバッテリーの蓄電性能向上を目指すしかないが……う~ん、永久機関とか造れないかなぁ? それが無理なら最低でも非接触式送電システムぐらいは実現したいね。

 脚部に関しても殿下の機動に耐えられる強度に再設計が必要なのは確実。もし殿下の機体がグラスゴーだったなら、第三陣を捌けたかどうかも怪しいと言ったところだろう。

 

 それらの点を踏まえ、殿下はエナジー効率や損耗を考えた無駄のない戦い方をしていたけど、最後の相手には余裕を失ってしまったようだ。

 さすがはナイトオブワン=ビスマルク・ヴァルトシュタイン卿。例えカスタム機だとしても、あの機体性能差であそこまで粘り、結果的に勝利を収めるなんて、帝国最強の騎士の称号を得るだけのことはあるね。

 ただその実力は確かだけど、彼はもう既に完成してしまっている。ナイトオブワン、それ以上でも以下でもないだろう。

 今後の成長を考慮した時、残念だけど、やはり殿下クラスの価値はない。

 そもそも機体が万全なら殿下の勝ちは揺るぎなかったはずだ。

 

 もちろん、実戦だったらそんな事は言ってられないと理解はしている。

 結果が全てであり、仮定は無意味だと。

 敗北は死を意味していた。

 

 でも当然そんな事はさせない。

 殿下が実際に戦場に立つかどうかなんて今はまだ分からない。

 けどKMF戦闘においては二度と敗北はあり得ない。

 その為に僕が居るんだから。

 

 

 そう、二度とあんな結末には……。

 

 

 ん? あんな結末?

 一体僕は何を言ってるんだろうね。

 でも何故だろう?

 胸の奥がひどくざわついている。

 う~ん……。

 

「アハ♪ ま、いいや」

 

 さあ、燃えてきたよ。

 殿下の能力を活かせる殿下だけの機体を造り上げないと。

 腕が鳴るよ。

 今夜は眠れないね。

 ま、そもそも興奮して眠れそうもないから、寮じゃなくてこっちへ戻ってきたんだけど。

 

「何だい、ロイド。随分とご機嫌じゃないの。いつにも増してだらしない顔してさ」

 

 不意に声を掛けられ、思考から抜け出した僕が視界に捉えたのは、白衣を纏い、キセルを手にした褐色肌の女性だった。

 

「あ、居たんだ、ラクシャータ」

 

 ラクシャータ・チャウラー。

 中華連邦インド軍区から単身でブリタニアの技術を学びに来た留学生であり、同じ研究室に所属するメンバーの一人だ。

 

「ずいぶんな言い様だねぇ、まったく」

 

 ラクシャータは眉を顰めながら鋭い視線を向けてくる。

 

「だってこんな時間まで残ってるなんて普通は思わないよ」

 

「それはお互い様」

 

「それで君の方は何か進展があったのかい?」

 

「分かってて訊いてるんなら最悪よ。

 理論自体は大まかにはできてるだけど、力場の制御とエネルギー効率の問題がねぇ」

 

 そう言って彼女は紫煙を燻らせる。

 どうも上手くいっておらず、ストレスが溜まっている様子。

 

 彼女が独自に研究しているのは、輻射波動機構という名称のマイクロ波誘導加熱システムの兵器転用。簡単に言えば電子レンジの兵器版みたいなものだ。

 僕の趣味じゃないけど面白い発想だとは思う。いくら強固な装甲を纏っても、内側から誘爆させられては一溜まりもないだろう。シミュレーション結果を見る限り、現時点では対象に最接近しないと効果が無いみたい。

 ただKMFに搭載しても取り扱いは難しそうだね。

 よほど優れたデヴァイサーじゃなきゃ扱えない奇想兵器だけど、殿下なら使いこなせるかな? あ、もちろんラクシャータに殿下を渡すつもりは毛頭ないよ。あくまで単なる仮定の話だ。

 

 医療用サイバネティック技術にも精通する彼女は、民生機フレームに多大な関心を抱き、アッシュフォード財団傘下の福祉研究機関に在籍。そこでの研究成果を踏まえ、僕と同じようにKMFへの技術導入に関して、早期に検討する発想力も持っている。

 僕が認める──もちろん本人には口が裂けても言わないけど──数少ない人間の一人であり、好敵手って言っても良い存在なのかなぁ? 性格悪いけど……。

 

「なんだいその目は?」

 

「あはぁ、何でもないよ」

 

 睨まれちゃったよ。

 取り敢えず笑って誤魔化しておこう。

 

「まあいいさ。そう言うアンタこそどうしたんだい? 気持ち悪いぐらい上機嫌だし、それにてっきり今日はもう戻って来ないのかと思ってたんだけどねぇ」

 

「うん、そのつもりだったんだけど……、出掛けた先でちょっとね」

 

 本当は素晴らしい逸材である殿下の事を自慢したかったし、シミュレーターの映像を見せて同じ研究者として興奮を分かち合いたかったんだけど、他国民への機密情報漏洩はさすがに拙いよね。

 念願叶って求めていた存在が目の前に現れたんだ。ここで下手なことをして研究が続けられなくなったら死んでも死にきれない。

 君がブリタニア人だったら良かったんだけど……ごめんね、ラクシャータ。

 

「ってか君、気持ち悪いって酷いこと言うね。せっかくの気分が台無しだよ」

 

「だって事実だし」

 

 まるで悪びれた様子のないラクシャータ。ま、普段から皮肉を言い合う仲だから一々気にする事もないんだけど。

 さてと作業に移る前に糖分でも補充しておこうと思う。やっぱり脳を効率よく動かすには甘い物が重要だよね。

 席を立ち、向かう先は研究室の片隅に置かれた冷蔵庫。研究や実験用ではなく、所属メンバーの私物が収められている。

 

「アハ、愛しのプリンちゃんとご対め~ん♪」

 

 冷蔵庫の中で冷やされているプリン──もちろん複素環式化合物の方じゃないよ──の姿を思い描きながら扉を開く。

 プリン。そう、それは至高の食べ物だ。プリンさえあれば他の料理を食べなくても生きていける自負がある。あ、でもセシル君が作ったやつは……分かるよね?

 それと比べることは畏れ多いけど、殿下が作ってくれる苺プリンは至高と言っても過言じゃない。苺好きの殿下が自らの舌を満足させるために作ったんだから当然だよね。また作ってくれないかなぁ。

 何て考えながら冷蔵庫の中に視線を巡らせるが────

 

「僕のプリンが……ない?」

 

 その事実に漠然とする。

 いやいや、そんなはずはない。

 確かに朝の時点では残っていたはずだ。

 僕がプリンを見間違うはずがないじゃないか。

 

「それならてっきり残り物だと思って勿体ないから食べたわよ。あれあんたのだったのかい? 今度からはちゃんと名前を書いておきなさいよぉ、プリン伯爵」

 

 意地悪い声が背後から聞こえてくる。その顔には嫌な笑みが張り付いていることだろう。

 くっ、ラクシャータ。また君か……。

 僕の好物がプリンだと知らない者はこの研究室には居ない。絶対に確信犯だ。きっとまた僕が激昂する姿を見て楽しもうって魂胆なんだろう。彼女曰くストレス発散の一種らしい。

 ああもう、例え心の中だったとして謝って損した気分だよ。

 

「はぁ……仕方がないから購買に行ってくるよ。財布どこに置いたかな」

 

 いつもなら感情的になり、醜態を晒してしまうところだけど、今日は殿下のお陰で気分が良いし、余裕があるというか寛容になれそうだ。

 あ、ちなみにこの大学の購買部には、何と素晴らしい事にプリンの自動販売機が設置されている。まあ僕が頼んでおいて貰ったんだけど、きっとみんなも喜んでくれているはず。

 大学にいても24時間プリンが買えるなんて、我ながら素晴らしい功績だと思う。その事を告げた時、セシル君はすごく複雑な表情を浮かべ、ラクシャータは鼻で笑ったけど、二人とも内心は喜んでいたはず。だってプリンだよ?

 

「っ……」

 

 振り返るとラクシャータは驚愕の表情を浮かべていた。

 残念だったね、今日は君の思い通りにはならないよ。なんて少しだけ勝ち誇った気分になっていたら────

 

「……まさか、あのプリン馬鹿のロイドが怒らないなんて一体何が起きているって言うんだい? 明日世界が滅びるとか……。いや、それよりも病院へ行こう、ロイド。付き添ってあげるから。大丈夫、きっとすぐに良くなるはずさ」

 

 何だか凄く心配されたんだけど、この場合どうしたら良いんだろ?

 うん、でもさすがに失礼だと思うんだ、ラクシャータ。

 いや、本当に脳外科も神経内科も精神科も必要ないから。

 怒っても良いよね?

 

 微妙に混乱しているラクシャータを宥め、僕は研究室を後にする。

 彼女は普段僕にどんな印象を持っているんだろう。

 やはりプリン馬鹿なのだろうか?

 そんな事を考えていると溜息が零れた。

 

 

 

 購買を目指して薄暗い構内を歩みながら、殿下との出会いを思い返してみる。

 そう、あれは忘れもしない、というか忘れることが出来ないインパクトのある出会いだった。

 場所はアッシュフォード側のKMF開発に関連した施設。医療用サイバネティクス技術のKMF導入を検討していた時期だったから見学に訪れていた。

 そこにマリアンヌ様──アッシュフォード家が開発を進めるガニメデのテストパイロットを務める──とお近づきになれないかなぁ、なんて思惑もなかった訳じゃない。だからわざわざ下調べをして、マリアンヌ様の訪問中を狙って行ったんだけど。

 

 そこで僕が実際に出会ったのは、件のマリアンヌ様ではなく、マリアンヌ様似の麗しい幼女だった。麗しい幼女って表現はどうかと思うけど、その言葉が最も端的に、年不相応な魅力を持つ彼女の容姿を表している。

 見覚えはなかったけど、マリアンヌ様の外見的特徴を色濃く受け継いでいる事実と、ルルーシュ殿下と瓜二つだという事実から考えれば、彼女がマリアンヌ様の娘であり、また皇族である事は想像に難くなかった。

 

 これはチャンスだと思った。

 将を射んと欲すればまず馬を射よ、という言葉もある。

 本来子供は苦手、いや、正直に言えば嫌いだった。我が儘で感情の起伏が激しく、予期せぬ行動を取る煩わしい存在でしかない、と。

 けれどすぐにこれが偏見でしかないと思い知らされ、無神論者である僕がその出会いを神に感謝することになるんだけどね。

 何れにしても彼女を利用すればマリアンヌ様と接点が出来ると考えた。しかも幸いな事に彼女の方から接触して来たし、剰えその態度は好意的でもあった。

 言い方は悪いけど、すごい掘り出し物を見付けたような気分。でも実際は逆で、見付けられたのは僕の方なんだろうけど。

 

 だがその後の展開は予期せぬものだった。

 まず第一に接触してきた理由が、僕が以前発表した論文を読んで興味を持ったからだと言う。

 真摯な眼差しを僕に向け、そう告げた彼女が嘘を吐いているようには思えなかった。

 絶対に子供が読まない、大人でもその論文の存在を知る者すら極少数だというのに、一体誰がそれを予測できただろう。現に僕は出来なかったよ。本当に殿下は、いつも僕の予想の斜め上を行く方だ。

 確かに彼女は同年代の子供とは比べものにならないほど、その立ち振る舞いには落ち着きがあって大人びている。語彙も豊富で、相手を気に掛ける余裕、また広い視野を持っていた。もし実は僕と同年代だと言われても納得してしまうかも知れない。

 この時点で僕の彼女に対する評価が、子供から異質な存在へとランクが上がる。

 少し警戒した方が良いと思ったんだけど、どうやら手遅れだったみたいだ。

 

「共犯者になってくれないかな?」

 

 年不相応──魔女の如く蠱惑的──な微笑みを浮かべて彼女が告げる。

 一体どんな流れでそんな話になったのか正確には覚えていない。

 ただあまりにその言葉は衝撃的だった。

 困惑する僕に対して、彼女は言葉を続けた。

 

「貴男にとっても悪い話じゃない。私の身体はきっと貴男を満足させられると思うから」

 

 正直何を言っているんだろうこの子供は、と思わなくもなかった。

 捉え方しだいでは、とても危ない意味になると思うだ。男にそんなこと言っちゃダメだよ。

 まったくどんな教育してるんだろう。親の顔が見てみたい……マリアンヌ様だね。あの方は放任主義っぽいからなぁ。

 あ、念のために言っておくけど、僕は特殊性癖保持者ロリコンじゃないから。

 

「もちろん今ここで答えを求めている訳じゃないから安心して欲しい。取り敢えず今日の所は検討材料にこれを渡しておくよ」

 

 彼女が差し出してきたのは情報記録用のディスク。

 それを僕は手渡されるままに受け取る。

 

「ではまた会える日を楽しみにしているよ、アスプルンド卿。今度は君の方からデートに誘ってくれると嬉しいかな、ふふっ」

 

 そう言い残して去っていく彼女の後ろ姿を、僕はただ無言で見送る事しかできなかった。

 

 第三皇女=リリーシャ・ヴィ・ブリタニア。

 僕は彼女の存在を計りかねていた。

 しかし結果的に彼女の、殿下の言葉が最高の殺し文句だったことは言うまでもない。

 僕と殿下の関係はその日を起点に始まった。

 

 

 率直に言って殿下は全てが異常だった。本来生物に興味のない僕でも興味を抱いてしまうほどに。

 保有する知識量や深慮な思考力、精神構造の異常さは出会って直ぐに思い知らされたが、身体能力もまた同年代の子供とは比べものにならないほどに高い。

 そしてそれはKMFの適性にも及んでいる。状況判断、反応速度、シンクロ率、その他全ての数値が円卓に所属するエースと呼ばれるパイロットと同等かそれ以上。計測不能を記録したこともあるマリアンヌ様に次ぐ数値であり、今後の成長を思えばその潜在能力はマリアンヌ様に匹敵し、また凌駕する事だって充分に考えられる。

 さらには柔軟な発想力を持ち、殿下自らが仰った「所詮は兵器、人型に拘る必要ない」という言葉を体現する対KMF兵器開発構想には驚かされた。

 制空権の確保の為とKMFの空戦性能の低さを突いた新型戦闘機。気品も矜持もない、ただ戦闘のみに特化した鋼の獣=ナイトメアビースト、及びナイトメアドラグーン。

 これらが単なる子供の思い付きだったならどれほど良かったことか。添えられた詳細なデータを読み解く限り、現状のKMF開発の根底を揺るがすことが出来てしまう。何より実現不可能の一歩手前で纏められている事実に戦慄するしかない。

 

 本当に末恐ろしいね。

 こんな子供が果たして実際に存在するのだろうか?

 夢か幻でも見ているんじゃないのかとさえ思った事もあるけど、実際に目の前に存在したんだから苦笑するしかない。

 僕と同じようにこちら側=狂い壊れた人間じゃないのかと疑ってしまう。狂っているとまではまだ判断できないけど、少なくとも一般人の目線に立って客観的に見れば同類なのかも知れない。それがちょっと嬉しく感じるあたり、僕ってもう手遅れなのかな? 違うよね?

 ここまで来ると殿下には悪魔が憑いているんじゃないのか、実はそもそも人間じゃないのでは……という荒唐無稽な考えに至ってしまうのも無理はない。

 現にその肉体には人為的に手が加えられた痕跡を見付けてしまった以上、その出自には何か裏があるのだろう。

 十中八九マリアンヌ様が関わってるよね。あまり深入りすると身を滅ぼすことは必至だから、追求するつもりはないけど。

 今は僕を満足させられるという殿下の言葉が偽りではなかったこと。そして殿下が僕を選んでくれた事実に歓喜しよう。

 

 

 

 ただ今日久しぶりに会った殿下に僕は違和感を感じた。

 何がとは明確に言葉に言い表す事は難しい。

 その存在が異常であることには変わりないんだけれど、少しだけ異常の質が変化しているような気がした。

 最大の理由は既視感かも知れない。

 既に顔見知りなんだから既視感も何もあったものじゃないと思うんだけど、僕の心には懐かしさに似た感情さえ去来する。

 殿下は殿下なんだけど、殿下じゃない殿下と再会したような気分だった。自分でも何を言っているのか理解出来なくて困る。

 だけどそれと同時に、何故だが殿下に為に何かしてあげたいという想いが強くなっていく。

 

 本当にどうしたんだろう?

 まさかこれが噂に聞く恋だなんて言うのかな?

 

 そんな馬鹿馬鹿しいと自分でも思える思考を続けながら僕は購買を目指す。

 うん、取り敢えず気分転換にプリンを食べよう。

 全てはそれからだよね。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第19話

 ……目を覚ます。

 

 微睡みの中、緩やかに覚醒する意識。

 深層意識の底から浮かび上がる感覚は、どことなく水の中から水面に浮上する感覚に似て無くもない。

 意識と肉体のリンクが僅かなタイムラグを経て同期する。

 焦点の合っていなかった瞳が正常な視覚機能を取り戻し、鮮明となった視界には見慣れた天蓋が映り込んだ。

 暗い室内に差し込む月明かりが、大まかな現在時刻を知らせてくれる。

 さてどうしたものだろう。

 身体の状態を確認するために、伸ばした手を閉じたり開いたりしながら思考する。

 

 私がこうして表層意識に上がってきたということは、ルルーシュくんが肉体の支配権を手放すほどの深い眠りに落ちている事を示している。

 何があったのか、その理由は考えるまでもないね。

 例えシミュレーターだとしても、相応の負荷が掛かることぐらい理解していると思っていたんだけど、それ忘れてしまうほどに気分が高揚してしまったのだろうか。ルルーシュくんにしては珍しいことだ。余程KMFの操縦に関して、前世(?)では鬱憤が溜まっていたのかも知れないね。彼、無駄にプライドが高い上に負けず嫌いだから。

 

 まあ、その気持ちは分からなくもない。日頃のストレス発散を兼ねて挑んだ前回のシミュレーター騎乗に関しては、我ながら熱くなって遊びすぎたと少々反省している。

 これではルルーシュくんの事は強く言えないけど、ここは敢えて自重しろと言いたい。色々と羽目を外しすぎじゃないかな。ランスロットクラスの機体の操縦技術は、間違いなく未来技術なんだよ?

 それにこの身体が本来私のものだってことを忘れているのかな。別にそれが悪いとは言わないし、マリアンヌ様の仕打ちを思えばこの程度で目くじらを立てることもないけど、私も女の子なんだからその辺はちゃんと考えて欲しいところだ。

 いくら年不相応に身体能力が高いといっても、まだ二次性徴前の子供であることには変わりなく、子をなせる身体であることも武器の一つになるんだから。これは何れ責任を取ってもらわなくちゃいけないね、ふふっ。

 

 とは言うものの、残念ながら実は私にも責任の一端がないわけじゃない。ロイドへの対応もある事だし、少しだけ肉体の制御に手を貸す予定だったんだけど、どうも少しサービスし過ぎたようだ。

 次は気をつける必要があるね。

 ただ参考にはなったよ。ああやって操縦すれば効率の良い戦いが出来るらしい。やはり実体験の有無の差は大きいということか。

 しかしながら少々やり過ぎた感は否めない。シミュレーターを降りた際、出迎えたロイドは獲物を前にした肉食獣のような瞳をしていたよ。暴走して悪い方向へと向かわなければいいが。

 さっそく男を虜にしてしまうなんて、本当にさすがだよ、ルルーシュくん。魔性の女もとい魔性の幼女、略して魔女。響きは悪くないね。引き続きこの調子で頑張って欲しいところだ。

 

 けれど私が目覚めた理由は、何もルルーシュくんが深い眠りに落ちたから、という理由だけではない。

 肉体疲労を理由に、何もわざわざ私が肉体の支配権を取り戻す必要性を感じない。それこそルルーシュくんには朝までぐっすり眠ってもらえれば済むだけの話だ。この身体の疲労回復速度はなかなかに優れているからね。

 だとすれば別の理由、別の何かが私の眠りを妨げたことになる。そう、深層意識に引き籠もった私の眠りを。

 さて、それは果たして……。

 

 僅かに緊張感を持ちながら意識を集中させ、感覚を研ぎ澄ませる。

 そしてその存在に気付いた。

 

「……っ」

 

 細胞の一つ一つが沸き立つような感覚。

 嫌悪するほどに不快であり、性的興奮を催すほどに心地良い。

 この気配は……まさか。いや、まだその刻ではないはずだ。

 なら残る答えは────

 

 疲労の残る身体に鞭を打ち、ベッドから降りると防寒用にケープを羽織り、月明かりに誘われるかのようにバルコニーへと歩みを進めた。

 せっかくのお誘いを受けないわけにはいかない。

 吹きつける夜風が少し肌寒いが、過熱しそうになる思考を冷ますにはちょうど良いだろう。

 

 

 

 今、私の目の前にはみんなの知っているあの人が居る。

 艶やかな長い緑髪、冷たさを感じさせるどこか人形めいた整った顔立ちの少女。白い肌を包むのは、いかにもな黒衣。

 月明かりを背に立つその姿は闇に溶け込むことなく、ひどく神秘的であり幻想的だった。

 彼女はその外見年齢とは裏腹に周囲を威圧するような重圧を放ちながら、私に鋭い眼光を向けてくる。

 怖い怖い、さすがに本物の『魔女』には敵わないね、ふふっ。

 

 魔女C.C.。

 個を固定化するコード保持者であり、権力者の悲願である不老不死となった存在。

 また契約者に超常の力=ギアスと呼ばれる異能を授ける能力を保持しているギアスの源。

 ルルーシュくんにギアス能力を与えた授与者にして共犯者。

 その本名は────いや、止めておこう。二人だけの思い出を穢すほど私は無粋じゃない。はい、そこ、疑わないように。

 

 しかし何故今になって彼女は私の前に現れたのだろうか?

 現段階で彼女が自ら人前に姿を現すなんて予期できない展開だ。こんなイベントはルルーシュくんの記憶には存在しなかったはず。

 ああ、でも思い当たる節がないわけじゃない。昼間ロイドとの会話でルルーシュくんが彼女の存在を思い出していたね。そして早期に接触を持ちたいとも望んだはずだ。

 嗚呼、これが前世からの運命の赤い糸なのだろうか。あまりにロマンチック過ぎて笑いそうになってしまう。もちろん冗談だけど。

 

 だが偶然にしては出来過ぎている。だとすれば、この展開はルルーシュくんの願いに世界が応えた結果とでもいうのかな?

 それが事実なら何と優しい世界だろう。

 世界に愛されるなんて、さすがはルルーシュくんだ。こうもあからさまだと少しだけ嫉妬心が首をもたげてしまうよ。依怙贔屓はよくないと思うけど、基本的に世界は理不尽だから、文句を言ったって仕方のない事は理解しているつもりだ。

 それに全ては好意や善意ではなく、何らかの思惑の上で動く世界の意志に利用されている可能性もある為、一概に羨ましいとは思わないけど。

 

 さて話を戻そう。彼女が接触してきた理由についてだったね。

 まあ、その理由にある程度は予想が付いている。

 ただ何れにしろ彼女との接触は私にとってもメリットがないわけじゃない。少し予定よりも早いが、近い内に会っておきたかったのは事実だ。

 

 私だって魔女が齎す超常の力=ギアスには──その存在を知った時から──興味があった。

 発現する能力は契約者の潜在的願望が影響すると考えられているようだけど、果たして私の潜在的願望は何なんだろうね?

 しかし彼女から向けられる視線に微塵の好意も感じない事から考えて、残念ながら契約を結んで貰えそうもない。

 どうにも授与契約を結ぶための好感度が足りていないようだ。好感度を上げるためにピザでも貢ぐべきだろうか? 私個人としてはピザよりもパイの方が好きだ。というか貢ぐよりも貢がせたいね。

 尤も問題は授与者の好感度だけではなかったりもするんだけど……。

 

 

 ──ちがう……わたしはわるくない。

 

 ──やめて……いたいのはもういや……。

 

 ──なんでわたしだけ……。

 

 

「ッ」

 

 刹那、僅かな胸の痛みと共に、記憶の奥底から不快感が込み上げてくる。

 強い特定の感情によって沸き立つ思考が脳を加熱し、揺れる視界が気分の悪さを加速させた。

 

 そう……まだ……、よりもよってこんな時に……。

 

 瞳を閉じ、軽率だった自分の過ちを反省しつつ思考を最適化。

 内に溜まった負の感情を吐き出すかのように大きく息を吐く。

 

 うん、もう大丈夫だ。私は完全無欠のリリーシャさんだからね。

 まったく、魔女と対峙してるって言うのに失敗したよ。この失態も予期せぬ彼女の接触による動揺が生んだ結果だろう。

 まさか狙っていた?

 いや、それはあまりに穿ち過ぎか。

 

 再び視界に捉えた魔女は表情を変えることなく、こちらに鋭く冷たい視線を向けてくる。

 どうだろう、果たしてこれからより良い関係は築けるかな?

 

「お前は何者だ?」

 

 おもむろに口を開いた魔女が被虐心を刺激する高圧的な声音で問うが、生憎とそれで快楽を感じる嗜好は持ち合わせていない。う~ん、これを機に目覚めるのも悪くはないね。

 

「私はリリーシャ・ヴィ・ブリタニアだよ。こんばんは、魔女さん」

 

 ネグリジェの裾を僅かに摘み上げ、優雅に一礼してみせる。

 もちろん名前を聞きたかったわけでないことは重々理解している。名前なんて所詮は個を特定するための記号、文字の羅列に過ぎないのだから、この場で聞き出す意味があるとは思えない。

 それに母マリアンヌと友人関係にあった彼女なら、それこそ産まれる前から私の素性を知っていることだろう。

 

「初めまして、とは言わなくていいよね? 憶えていないかな、赤子の時、貴女の腕に抱かれたはずだよ」

 

「……憶えているのか?」

 

 私の反応が予想外のものだった為か、魔女は驚きの表情を隠せない様子だった。

 

「私が? あり得ないよ。赤子の時の記憶を明確に記憶している人間が、この世界にどれほど存在しているのか知らないけど、普通はまず憶えていないと思うんだ。

 でもその反応を見る限り、どうやら私の勘は当たっていたようだね、ふふっ」

 

「っ、嘘は嫌いだ」

 

 再び鋭くなる魔女からの視線。いや、より剣呑さを増している。ちょっとした冗談のつもりだったんだけどね。

 ま、それでも閃光のマリアンヌ様の眼光と比べたら可愛いものだ。

 

 しかし、嘘は嫌いか。

 そう言えば彼女も私の両親や伯父が進める極秘計画、神殺し=ラグナレクの接続の賛同者だったね。

 ラグナレクの接続の果てに訪れる世界では人類意志は統合され、共通意識が確立され、思考が共有化される。

 心を隠すことの出来ない世界の構築。

 個という概念の破壊。

 精神の単一化。

 私が君で君が俺、俺がお前でお前が僕、僕が貴方で貴方が私?

 想像するだけでも気持ち悪い。

 そんな世界私なら迷わず死を選ぶよ。いや、そうなれば人類意志の多数決によって、選ぶことすら出来なくなるんだったか。

 自らの生殺与奪権さえ強制的に放棄させられる世界。

 どこまでも最悪だ。

 

 ただ彼女の根底に存在するのは他の共犯者──主に立案者兄弟だが──と違い、純粋に嘘のない世界を望む想いではない。

 不死者故の孤独。

 愛される事を望んだ寂しがり屋の魔女は、他者と強制的に繋がりを持つことによって、自身の空虚を埋めようとでも考えたのだろう。

 如何に不死の魔女といえど所詮は元人間であることに変わりない。

 

「奇遇だね、私もだよ」

 

 嘘を吐いて良いのは吐かれる覚悟のある奴だけだ、なんてね。

 

 私はまだ嘘は吐いていないよ。

 赤子の時の記憶がないのは事実だ。

 彼女の腕に抱かれた云々はルルーシュくんの記憶から得た情報と、母マリアンヌの性格から推測した結果に過ぎない。あの人のことだ、魔女をベビーシッター代わりに使っていても何らおかしくない。彼女の反応を見る限り、強ち間違ってはいないのだろう。

 

「もう一度問う、お前は一体何者だ?」

 

 おっと話が振り出しに戻ったよ。どうやら仕切り直すつもりのようだ。せっかくこっちのペースに巻き込もうとしたのに面倒だね。

 眠いから部屋に戻って良いかな?

 はぁ……そんなに睨まないで欲しい。

 まったく子供相手に何を期待しているんだろうね。第一私じゃなかったら間違いなく泣かれていただろう大人げない態度だよ。もっと友好的に話を進めようじゃないか。まずは手土産を持参するのが良いと思うんだ。その場合、苺のスイーツなら尚のこと良し。

 

「だから言ってるじゃないか。私はリリーシャ・ヴィ・ブリタニア、それ以上でも以下でもないつもりだよ。

 そもそも質問が曖昧すぎると思うんだ。自分が何者かなんて哲学を語り合いたいというなら、残念だけど時間を改めて欲しい。私が齢十にも満たない子供であることを考慮してもらえると助かるね。睡眠不足はお肌の敵だし、成長にも悪影響になる。いや、そもそも一般常識的に考えて、こんな夜分遅くに訪問されてはハッキリ言って迷惑だよ」

 

 まあ彼女に一般常識が通用するかは微妙だね。

 ルルーシュくん曰く唯我独尊ピザ暴食ニート魔女だし、神殺しに賛同するほど耄碌しているんだから。

 老害は困る。本当に歳は取りたくないね。

 

「もし本気で言葉通りの意味で問い掛けているのだとしたら、私に何て答えて欲しいのかな?

 自分が何者か、その問いに答えられる人間はいないと私は考えているよ。人は他者と関わりを持ち、認識されることで規定され、個を確立する生き物だ。個が個である為に重要なのは己の意志ではなく、観測者=他者の視点と感情だね。故に私が何者か、それは私が決めることじゃない。

 そう言った意味でも、貴女の方が私の事を理解しているんじゃないのかな?」

 

 ────尤も私の出自には貴女も深く関わっているんだから。

 おっと危ない危ない、危うく口を滑らせるところだった。

 確か彼女は直接関与していないんだったか。

 

「何を言っている?」

 

 私の持論に魔女は怪訝な表情を浮かべる。

 どうにも上手く伝わっていないようだ。回りくどかった事は素直に認めよう。

 

「つまりだよ、貴女にとって私は何者かな?」

 

「異常者だ」

 

 即答。予想できなかった訳じゃないけど酷い言われ方だね、こうもハッキリと言われるとは……。もう少しオブラートに包んだ方が良いと思うんだ。

 でもそう言えばルルーシュくん相手にも童貞坊やと一蹴していたっけ。

 

「私はお前たち兄妹を見てきた、それこそお前が言うように赤子の時からな。だからこそ気付いた、リリーシャ・ヴィ・ブリタニアという人間の変質に。

 ある時よりお前は、いやリリーシャは変質を始めた。大人しかった性格は攻撃的なものへと変わり、それはそのまま他者に対する態度へ如実に表れる。特にそれまでは一定の距離を保っていた兄妹との関係を、自らの意志で険悪なものへと変えた。

 そしてここ最近、さらに急激な変質を遂げ、その行動からは人格にさえ影響を及ぼしていると考えられる。思い当たる外的要因もなく、ここまで短期間による変質は異常としか言いようがない。

 笑えない冗談だが、まるで別の人間が憑依でもしたかのようだ」

 

 さすがは魔女だね。本質がよく見えている、と褒めたいところだけど、果たして貴女が見ていたのは本当の私だったのかな?

 しかしその言い方だと私のことを監視していたようだね。魔女だと思っていたが、どうやらストーカーにクラスチェンジしていたらしい。正直どっちもどっちだけど。

 

「ほら、答えなら既に出ているじゃないか。異常、それこそが貴女の規定した私だよ」

 

「口の減らない小娘だ」

 

「今さら気付いたのかい、老婆」

 

 刹那、空気が凍り付く。魔女から向けられる視線に痛いほどの殺意が込められているようだけど気にしない。どうせ彼女が、ここで私を殺すことは出来ないのだから。

 我が両親と共犯関係にある以上、私を殺せば関係に支障を来すことぐらい理解しているはずだ。ふふっ、本当に便利だね、未来知識という力は。

 ただまた一つ勉強にはなったね。女は幾つになっても自分の年齢を気にする生き物だけど、それは齢数百歳の魔女にも適用されるらしい。これは女の性なのかな。

 

「質問を変える」

 

「どうぞ」

 

 私は軽い調子で応えた。

 心のどこかで、どんな質問でもあしらえると考えていたのかも知れない。

 だが結果、それは魔女相手に、あまりに軽率だと言えた。

 

 私を鋭く見つめる金の瞳から感情の色が消え、どこまでも澄んだ透明な瞳に呑まれそうになる。

 まるで私の内側を覗かれているかのような不快感……いや恐怖を抱く。

 

 

「リリーシャ・ヴィ・ブリタニア、お前はルルーシュの敵なのか?」

 

 

「っ」

 

 その問いを、その名前を魔女が告げた瞬間、私は強い衝撃を受けて息を呑んだ。

 どうして今ここで彼単体の名前が彼女の口から出てくる?

 平行宇宙だか多次元世界だか知らないが、二人の関係を認識している私にとって、その言葉はあまりにも致命的だった。

 

 何故だ、と自問する必要はない。それを認めることは本能が拒んでいるが、既に私の中で答えは導き出されていた。

 彼女もまた未来知識を保有する逆行者、もしくは次元転移者である可能性を。

 当然確証はない。

 普通なら荒唐無稽だと一笑できるのだが、私は現在進行形でルルーシュくんというイレギュラーな存在を内に宿し、それをこの世界は容認している事実を知っている。

 

 友人であるマリアンヌではなく、彼と同母妹のナナリーでもなく、あくまでルルーシュくん──いやこの世界の我が兄の可能性も高いか──だけを気に掛けているように感じてしまうのは気のせいではないだろう。

 本来なら彼女がルルーシュという存在に強く興味を抱くのは、少なくとも母マリアンヌの暗殺事件以降だ。

 母マリアンヌの暗殺を機に彼女は神殺しから距離を置き、ブリタニアから離れる事となる。

 嘘のない世界を目指している共犯者の中に嘘吐きが居るんだから、本末転倒というか何というか。醒めてしまうのは当然の帰結だろう。

 そんな彼女の関心を得るための供物となったのが、何を隠そうルルーシュくんだ。王の器として調整された彼は高いギアス適性を有し、コードの継承権利を得る達成人となり得る可能性を秘めていた。

 コードの継承による個の固定化からの解放=死を強く望んでいた彼女が、目の前に吊るされた餌に興味を抱かないはずがない。

 

 彼女がルルーシュくんと同じ世界群、つまりリリーシャ・ヴィ・ブリタニアが存在しない世界からの逆行者だと想定すれば、記憶に存在しない私を警戒し、その動向を監視するのも頷ける。私はルルーシュくんに最も近い存在であり、存在しないはずのイレギュラーとなるのだから。

 

 だけどさすがにこの展開は私としてもイレギュラーだ。

 もし事実だとするなら拙いね、本当に。

 少なくとも現時点で彼女と敵対するなんて予定はなかったんだけど。

 

 嫌な汗が滲む。

 

 落ち着け、リリーシャ。

 その程度どうしたと言うんだ、例え魔女が逆行者でも次元転移者でも戦略目的は変わらない。

 第一まだ彼女が想像した通りの存在と決まったわけじゃない。

 ロイドとの間に起こった現象が起こり、一部因果や記憶などが流入したという可能性も考えられる。が、非接触でも起こりえる現象だというのなら、その現象の方が余程脅威になるだろう。

 いや、そもそも不思議空間Cの世界や人の根源=集合無意識といった超存在と関わりを持つ彼女なら、常識の範疇外の方法で情報を手に入れた可能性を完全に否定することは絶対に出来ない。

 さらに言えば耄碌した結果、ショタに目覚めて兄ルルーシュラヴになり、険悪な関係にある私に釘を刺しに来た可能性もないわけでは……うん、想像してみたけどない方が良いね。もし実際にそうだったらどん引きだよ。まあ趣味嗜好は個人の自由だから、私を巻き込まない限りは何も言わないけど。その場合、兄ルルーシュの童貞坊や卒業が早まったと祝福しよう。

 

 何れにしろ彼女は私を知らないが、私は彼女の詳細な情報を得ている。差異はあるだろうけど、情報の上ではこちらに分があると考えていい。不幸中の幸いだね、まだ私にもチャンスが残されているようだ。

 それこそ幾ら不死者といえど無敵ではない。場合によっては身体をバラバラに切断した上で高圧力ケースに保存するという対応策も残されている。もちろん身体能力自体は人の範疇から逸脱していないようだから、特別な装置を用いず地下室に拉致監禁するぐらいでも事足りるのかもしれないが。

 もっとも私が目指している舞台では、彼女にも重要な役を演じてもらう必要があるため、手荒な扱いをするわけにはいかないんだけどね。

 

「これはまた難しい質問だね」

 

 動揺を押し殺し、平静を装いながら私は応える。

 

 私の知る中でルルーシュの名を持つ人間は二人。

 私の中に宿った未来の悪逆皇帝と、共にこの世に生まれた双子の兄。

 しかし彼女が私の中に宿ったルルーシュくんの存在に言及する素振りはなく、また気付いている様子でもない。十分な確証を得ていない為、態と気付いていない振りをしている可能性もあるにはあるが、監視発言にあった通り、変質の要因には辿り着いていないとも考えられる。だからこそ、こうして探りを入れているのだろう。

 読心のギアス能力者──確かルルーシュくんの記憶に存在したマオだっけ?──でも居れば話は別だけど。ただ彼、使い方次第ではかなり便利だと思うんだ。何も敵対せず、懐柔して利用する術もあったはず。それをルルーシュくんが考えなかったのは嫉妬故かな? 男の嫉妬は醜いよ。って今その話は置いておこう。

 ここは取り敢えず彼女の言うルルーシュが、兄ルルーシュと仮定して話を進めることにしよう。

 う~ん、少し困ったね。私の中のルルーシュくんとの関係を聞かれているのなら、味方であり敵であり協力者であり邪魔者であり傍観者でありそして共犯者であり、互いを利用し利用される相思相愛な関係などと惚気た答えを返したところなんだけど……。

 

「少なくとも敵ではないよ」

 

 というか残念ながら現時点では、私の敵となり得るほど彼の事を評価してはいない。そもそも興味すら薄い。

 ただの子供と対峙したところで一方的な展開になることは目に見えている。少なくとも母親が暗殺され、祖国に捨てられ、復讐を決意した後でないと話にならないだろう。

 もちろん無謀にも牙を剥くというのなら、それこそ敬意と嘲笑を以て、二度と這い上がれないように完膚無きまでに全力で叩き潰してあげるけど。そうだね、目の前で最愛の母と妹を解体すれば……いや、さすがに閃光のマリアンヌ様は難しいか。

 

「どうかな、これで満足したかい?」

 

 私の言葉に何やら考え込んでいるためか、残念ながらその問いに魔女から答えは返って来ない。

 まあ最初から答えは期待していない、というか意味はないんだけどね。

 どんな答えが返ってきても、例え敵対することになったとしても、私が考えを改めることはないから。

 

「ところで、どうしてそんな問いを私に投げ掛けようと思い至ったのか、お教え願いたいんだけどね」

 

「ふん、教えると思うか? 少しはその良く回る頭で考えたらどうだ?」

 

 嘲笑を浮かべた魔女の小馬鹿にしたような態度に、私の安いプライドが刺激される。

 

「結構、貴女がどんな動きを取るにしろ、私にはそれをどうこう言う資格はない。というか現状では出来ないと言った方が正しいかな。

 でもね、これだけは言っておくよ」

 

 例え相手が幾百年生きる魔女と言えど、イニシアチブを握られっぱなしと言うのは性に合わない。私ばかりが狼狽するのは不公平だと思うんだ。

 だから私は尊大な態度で、挑発的な笑みを浮かべて告げてやる。

 

「私の前に敵として立ち塞がるなら、必ずこの手で殺してあげる。

 邪魔をしないならこの命を賭して愛してあげる、身も心も全てをね」

 

 ふふっ、魔女もなかなか良い表情をするじゃないか。

 勿体ないね、カメラを用意しておくんだった。

 

 死への渇望と愛への執着。

 そのどちらにしろ、貴女の願いを私が叶えてあげるよ。

 さて、どうする?

 愛される事を望んだ寂しがり屋の魔女様。ふふっ。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第20話

 

 私は夢を見ていました。

 夢の中のあの人は───あの人?

 アレは私?

 これは夢?

 ううん、夢じゃない。

 

 

 深い眠りから覚醒する意識。

 それと同時に稼働を始めた思考。

 夢を見ていた気がする。内容を明確には憶えていないが、曖昧な夢の残滓はどこか不穏で、それでいて懐かしさを抱かせる。

 所詮は夢、あまり深く気にする必要はないのかも知れない。だが何故か心に引っ掛かる物を感じていた。

 果たしてこのまま二度寝を決め込めば、夢の続きを見ることが出来るだろうか?

 

 そんな事を考えながら寝返りを打つ。

 と、何かに触れた。

 それは抱き抱えるのにちょうど良い大きさであり、心地よい温もりを持ち、なおかつ仄かに香る甘い匂いが鼻腔をくすぐる。

 抱き枕なんて用意していただろうかと疑問に思いながらも、未だ微睡みの中にいる俺は深く考えることなく、本能にままにそれを強く抱きしめた。

 

「ぁ……んんっ……」

 

 刹那、鼓膜を震わせたのは押し殺したような幼い声。

 俺は瞬時に微睡みに別れを告げ、重い瞼をこじ開ける。

 視界に映り込むというかそれ以前に、目の前には上気した幼女の愛らしい顔があった。眠たげな赤みを帯びた瞳と見つめ合うその距離はほんの僅か、まさに吐息の掛かる距離だった。

 

「っ!?」

 

 ……落ち着け、ここで悲鳴を上げては負けだ。何の勝負かは分からないが。

 等身大フィギュアと添い寝するディープな趣味はない。そもそも音声機能はともかく、人の体温を完璧に再現している高性能フィギュアが存在しているのだろうかなどと現実逃避するのは止めよう。

 

「私のベッドの中で一体何をしているのかな、アーニャ?」

 

 そう、目の前にいるのは友人=アーニャ・アールストレイムだ。やたら世話を焼いてくれるし、最近少しスキンシップ過剰とも思わなくもないが友人のはずだ。

 そんな彼女が何故俺の眠るベッドに無断で入って来ているのだろうか?

 何故現在進行形で俺の腕に自らの腕を絡めてくるのか?

 

「……添い寝」

 

 照れもなく実に簡潔な答えをありがとう。

 是非とも何故その結論に至ったのか聞きたいところだ。

 その結果、納得できるだけの理由が返ってくるとは到底思えないが。

 

「……昨夜はおたのしみでしたね、にぱ~☆」

 

 違う、間違って居るぞ! それは宿屋の主人のセリフであって、断じて当人が言うべきセリフではない!

 そもそもその言葉の真意を知っての発言なのか!? ……いや、もし知っていたらどうしよう? あまりに早熟すぎるだろ……。

 

 まったく、『男女七歳にして席を同じうせず』という言葉もある。

 こんなところ誰かに見られたら…………誰も問題に思わないかも知れないな。

 突然の出来事に現在の自分もまた幼女である事を失念していた。それにアーニャの年齢的にもその言葉は適用されない。身分の問題はあっても性別の問題はなく、客観的には微笑ましい光景に映るだろう。そもそも俺に一切の過失はないのだから慌てる必要などなかった。

 それでも、もう少し慎みや恥じらいを持ってくれないと将来が──俺の胃を含めて──心配になる。

 

 え、最終的には俺の嫁にすればいいじゃないかって?

 何を馬鹿なことを、そんなユフィじゃあるまいし────

 

「リリーシャ!」

 

 勢いよく扉が開け放たれ、リリーシャの名を呼びながら部屋に入って来たのは、今まさに話題にしようとしたユフィ=ユーフェミア・リ・ブリタニアその人だった。

 噂をすれば影がさすとはよく言ったものだ。

 

 ただその声に驚き、咄嗟に俺の腕を握る手に力を込めたアーニャの脅えた表情も良いと思ってしまった俺は既に末期なのかも知れない……。

 

「リリーシャ、一体これはどういう事なんですか!」

 

 怒気を隠すことなく険しい表情で問い詰めてくるユフィだが、逆にどうしてこんな朝早くから君がここに居るのか聞きたい。

 女の勘? そうですか……。

 

 夫の浮気現場に妻突入なう、といった雰囲気のプチ修羅場の発生に俺は辟易する。

 

「貴女一体誰なんですかっ!?」

 

 射殺さんばかりのユフィの鋭い視線がアーニャへと向けられる。

 だが一歩も退くことなく、それを受け止めるアーニャ。

 正面から視線を交え、火花を散らす二人の幼女。

 何故二人が敵意を剥き出しにして争う姿勢を見せているのか?

 いや、分かっている。そこまで鈍感ではないつもりだ。

 さて、どうしよう。ここは「お前達が俺の翼だ!」とでも告げてお茶を濁しつつ、決着は劇場へという流れにでも持って行くべきか? ……って何を言っているんだろうな、俺は。

 

「リリーシャとわたしは将来を誓い合った婚約者なんですよ!」

 

 ゴフッ、一体いつ婚約者になった!? 一方的に誓われたのは俺の記憶違いなのか? いやいやそんな事はない。

 

「それなのにわたしの許可もなく添い寝だなんて羨ましい、この泥棒猫!」

 

「……ニャ~」

 

 猫耳アーニャ、良い。ってそうじゃない。

 泥棒猫って……、まさか昼ドラの見過ぎなのか? いつかたわしコロッケや、牛革財布のステーキが食卓に並びそうで恐いな。

 しかも本音が全開だし、最近どんどん俺の中のユフィ像が崩れていっている気がするが気のせいだと思いたい。

 

「わたしはアーニャ。リリーシャから友達になって欲しいと頼まれた、リリーシャから」

 

 衣服の乱れを整えつつ、そう言ってニヤリと笑うアーニャ。分かります、大事なことなので二回言ったんですね。

 いや、言っている内容は事実なんだが、そんな挑発的態度を取る必要はないと思うんだ。

 ここはもっと穏便にだな────

 

「ふ、ふ~ん、どうせそれは貴女が一人で過ごしているのを見かねた心優しいリリーシャが、可哀想だと思ったからに決まってます。つまりは同情です、勘違いしないほうがあとあと恥をかかないと思いますけど」

 

 ユフィが……黒い?

 

「カチン、……お人形の皇女様が」

 

 うおぃ、アーニャ!? 何をさらっと問題発言を呟いている。相手は皇族、さらに言えばその単語はユフィにとって禁句だぞ。

 

「なあっ、無礼でしょう!?」

 

「わたしは何れリリーシャの騎士になる。貴女には不可能、リリーシャはわたしが守る」

 

 ちょっと待て、それは初耳だぞ。ラウンズはどうした? 夢は帝国最強の騎士じゃなのか?

 

「ふふん、だったらわたしは皇────むぐっ」

 

 っ、間に合った。昨日のシミュレーター騎乗の疲労が残っている身体は重く、その動きは鈍く感じたが、どうにか不用意な発言の前にユフィの口を塞ぐことに成功する。

 まさか誰の前でも皇帝を目指すという爆弾発言を投下するつもりなのか?

 

「いきなり何をするんですか、リリーシャ? もう、強引なんですから……」

 

「ユフィ、それは私と二人だけの秘密だよ。約束しよう、守れるよね?」

 

 だからその対策として俺は彼女の耳元に口を近付けて囁いた。

 

「二人だけの……秘密……はい♪」

 

 きっと今の一瞬で彼女の脳内では、やたら乙女チックなピンク色の妄想が繰り広げられたのかも知れない。

 

「……おもしろくない」

 

 どこか勝ち誇った笑みを浮かべる上機嫌なユフィと、一転して不満げな表情を浮かべるアーニャ。

 あとで──既にリリーシャとしての日常の中で大きく比重を占めるようになっている──アーニャのフォローしておく必要があるだろう。

 はぁ……今度はどんな衣装を着せられ、撮影を要求されることか。考えるだけで羞恥の念が込み上げる。同時、脳裏に忌まわしき猫耳スク水セーラーニーソが顔を覗かせ、それを俺は必死で追い払った。

 

 しかし、何故俺は朝から幼女たちに振り回されているんだろうか?

 そう本気で考えさせられた朝だった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第21話

 

 

 目の前に蛇が居る。

 

 何を言ってるのか分からないかも知れないが────以下略。

 もちろんアナコンダやニシキヘビといった大蛇が居るわけではない。

 ましてや八岐大蛇やアナンタ、ヨルムンガンドやウロボロスなどの神話級の存在であるはずもなく、もし実際にそんなモノが目の前にいたとしても対処できる気がしない。

 ただ個人的な脅威という意味では、齎される結果は同等だろう。世界を滅ぼすことは出来ないが、俺一人ぐらいなら簡単に消すことの出来る力を持った相手だ。

 

 この帝都に聳えるペンドラゴン皇宮に巣くう蛇。

 神聖ブリタニア帝国第一皇女、その名はギネヴィア・ド・ブリタニア。

 

 彼女はこれぞ弱肉強食国家=神聖ブリタニア帝国の第一皇女という風格を放ちながら、自分以外は下等種とでも言いたげな瞳で俺を睥睨し、年代物のワインの注がれたグラスを傾けている。

 

 ……なんでさ?

 

 

 

「リリーシャ、帝都へ行くわよ」

 

 事の発端は嗚呼やはりというべきか、いやはや必然というべきか、母マリアンヌの一言だった。俺にとってあの人は、もはや鬼門と化しているのかも知れない。

 話を聞けば、母マリアンヌは皇族会議に軍のアドバイザーとして参加するため、帝都へ赴くようだ。

 皇族会議。それはペンドラゴン皇宮で定期的に開催されている皇族の集まりであり、ただの親族会議とはワケが違う。皇族至上主義の根強いこの国では、その場での決定が元老院や評議会よりも強い影響力を持つことになる。もっとも最終的な決断を下せる人間はブリタニア唯一皇帝ただ一人なのだが。

 どうやらそれに同行しないかというお誘いらしい。

 

「貴女も行くでしょ? ほら、用意して」

 

 ……というか既に決定事項となっているようだ。

 確かに幼少期、母マリアンヌと共に何度も帝都を訪れ、皇族専用(ロイヤルプライベート)エリアでシュナイゼルとチェスを興じ、クロヴィスの絵のモデルになり、またナナリーやユフィ、コーネリアを交えて茶会を楽しんだ記憶がある。

 当時は年齢的にもまだ皇位継承権争いの相手などという自覚はなく、兄達に会えることを素直に喜んで付いて行った。彼等が庶民出の母マリアンヌや俺達兄妹に忌避感を抱くことなく接してくれる数少ない皇族であった事が、その要因だったのだろう。

 そう、母マリアンヌと共に帝都へ赴けば彼等に出会う可能性が高い。

 

 第三皇子=クロヴィス・ラ・ブリタニア。

 俺が初めて殺めた人間。ギアスという超常の力ではなく、自らのこの手で生命を奪った相手。

 ギアスを得た直後の昂揚感に突き動かされた、八つ当たりにも似た衝動的な行為であったことは否定できない事実。

 それを俺は覚悟であり、儀式であり、復讐劇の幕開けには皇族の血が必要だったと。奴は官僚の傀儡となり、責務を疎かにしただけなく、最後は保身のために軍に虐殺命令を下した咎人。だから仕方のない結果だと自分を正当化した。

 後にして思えば俺の復讐は無意味であり、殺す必要のなかった相手だというのに。

 

 第二皇子=シュナイゼル・エル・ブリタニア。

 俺の前に立ち塞がった最後の敵。

 望まれれば神にでも成らんとする、無欲にして傲慢な男。

 それが自惚れなどではないから余計に質が悪い。

 望まれるモノ、求められるモノに応えられるだけの力を保持している。

 家柄、権力、財力、容姿、人望、カリスマ。

 明確な『自分』というモノを持たず、幾重にも姿を変え、何色にも染まる仮面。

 そしてそれを有効に活かすことの出来る頭脳。

 

 ロイドとの間に起こった現象を思えば、彼等に未来知識が渡ってしまう可能性がある以上、不用意な接触は避けた方が賢明だ。

 不確定要素が高い問題故に慎重すぎると言うことはない。石橋を叩き割り、オリハルコン製の新たな橋を建設するぐらいの気概で構えておく必要がある。

 もし現状でシュナイゼルが──いやクロヴィスでもだ──敵に回れば、万に一つ勝利できる可能性はないだろう。

 圧倒的勢力差=戦力差によって押し潰されることは目に見えている。

 よって同行は遠慮すべきだ。

 

 だがそんな俺の思いとは裏腹に、無視のできない情報が母マリアンヌから齎される。

 何でもリリーシャは定期的に帝都へ足を運んでいたらしい。普段はアリエス離宮の奥に引き籠もり──ロイドと接触する為に自らの意志で出向いた研究施設を除けば──必要最低限の外出しかせず、他者を避けていたあのリリーシャがだ。

 この時点で嫌な予感はしていた。

 リリーシャの人間性から考えて、当時の俺と同じような感情を抱き、兄姉たちに会い、親睦を深める為に出向いていたとは到底思えない。むしろ暗殺の機会を窺っていた可能性の方が高くても驚かない。

 やはりその行動には何か裏があるのだろう。

 

 一体何のためだ?

 誰かと接触を持っていたのか?

 

 確証となるモノが手元に残されていないため、彼女の交友関係は謎に包まれている。ロイドと既に共犯関係を結んでいたという前例もある以上、気にならないはずがない。今後のために少しでも把握しておきたいところだ。

 虎穴に入らずんば虎子を得ず、か。

 高いリスクを伴うがリリーシャの目的を知る為には直接帝都へ赴くしかない。

 そもそもここで帝都への同行を断り、急にリリーシャの習慣を変えれば、周囲の目には不自然に映ることだろう。それがどんな影響を齎し、どこから余計な詮索を受けるか分からない。

 果たして鬼が出る蛇が出るか……。

 

 

 結果、蛇が出ました♪

 

 

 

 ペンドラゴン皇宮の一角に存在する皇族専用エリア。その名の通り皇族の為だけに造られ、皇族にのみ使用が許された豪華絢爛な区画。

 まったく、税金の無駄だとしか言いようがない。

 

 人気のない通路を進む。その先に存在している書庫なら、普段から読書家であるリリーシャが兄姉たちの集まる庭園を離れ、一人で居ても怪しまれないだろう。

 もし仮にリリーシャが誰かと会うために訪れていたのだとしても、相手が分からない以上、取り敢えず自分からは動かず相手側から接触してくる可能性に賭ける事にした。相手が不審に思うかも知れないが、そればかりはどうすることも出来ない。

 

「そこの貴女」

 

 すると予想よりも早く、書庫に着く前に呼び止められ、俺は足を止める。

 目的の人物であってくれれば良いが……。

 高圧的な声の主を視界に捉えるために背後を振り返り、予期せぬ人物の登場に息を呑んだ。

 視界に捉えたのは一人の女。

 特徴的な髪飾り、扇情的な紫のドレスからこぼれ落ちそうな胸元に刻まれたタトゥー、何より彼女の性格を象徴している冷酷な瞳。

 

 ギネヴィア・ド・ブリタニア。

 第一后妃である母親が大公爵家──数多くの歴代ブリタニア皇帝の后妃を輩出し、その度に皇族との繋がりを強め、地位を確固たるものにしてきたブリタニア有数の大貴族。その影響力は元老院や評議会主要メンバー、また大企業の代表に家名を連ねている事からも見て取れる──の出身であり、それを背景に宮廷を支配する第一皇女。

 生まれ持った境遇故か皇位継承争いに対する興味は薄く、現状の支配力と影響力を維持できるなら皇帝の地位を手にする必要はないと考えている節がある。

 その為、自発的に動くことがない一方で、一度彼女のテリトリーに土足で踏み込めば、その報復は苛烈を極める。噂では彼女の尾を踏んだ貴族が何者かの襲撃を受け、一家郎党皆殺しにされ、それを指示したのが彼女だと囁かれていた。

 その冷酷な性格と切れ長の瞳から宮廷の蛇と揶揄される事もある。もっとも表だって口にする者は皆無であり、もし彼女の耳に届けば発言者の末路は自ずと見えてくる。

 

 何れにしろ過去の俺とは父親が同じという以外に接点のなかった相手であり、敵に回す以前に関わりたくない相手でもあった。

 そんな彼女が何故声を掛けくる?

 俺の知るギネヴィアなら、後ろ盾の弱いヴィ家の子供など歯牙にも掛けないはず。

 何か彼女の気に障ることでもしてしまったのだろうか?

 まさか目の前を歩いたのが目障りだなどという理不尽な理由ではないとはないよな?

 さすがにそれでは回避のしようがない。

 

「……姉上」

 

「姉上?」

 

 俺の呟きにギネヴィアの瞳が細まり、眼光が鋭さを増す。

 あれか、ヴィ家の子供風情が私の事を姉と呼ぶとは忌々しい、とでも言うつもりか?

 

「申し訳ありません、ギネヴィア様。本日もご機嫌麗しく─────」

 

「下らぬ口上など必要ないわ」

 

 取り繕い、恭しく頭を下げようとしたが、続く言葉はギネヴィアによって遮られる。

 

「しかし貴女の口からそんな言葉を聞ける日がくるとは、今度は何を企んでいるのかしらね?」

 

 しかも半眼で睨まれた。

 待て。その言い方だと、まさかリリーシャはギネヴィア相手にも普段通りの態度を取っていたのか? 恐いもの知らずというか、リリーシャらしいというか……。

 

「企む? そんなつもりは毛頭ないよ、ギネヴィア姉様」

 

「ふん、まあ良いわ。けれど私の手を煩わせないで、次は無いわよ。付いて来なさい」

 

 そう言ってギネヴィアは俺の応えを待たずに歩き出す。

 

 え゛……? 

 何…だと……。

 

 いや、理解はしている。彼女がリリーシャと関わりを持った存在である可能性を。しかもリリーシャの不相応な態度が許されている事実から考えて、俺が想像している以上に深い関係だったと想像できる。

 だったら彼女が俺に接触してくることは何もおかしな事ではない。

 ただ何故よりにもよってギネヴィアなんだ? 同じS同士では反発し合うはずだろ?

 

 歩幅の差などまるで考慮していない歩調で歩みを進めるギネヴィアの後に付いていく。

 ここで付いていかないという選択肢はない。

 従わなければ面倒な事態に陥ることは火を見るよりも明らかであり、ギネヴィアとリリーシャの関係を確かめるにはまたとない機会でもあった。決してギネヴィアに恐れを抱いて従っているワケじゃない。

 

 目的地と思われる部屋に入っていくギネヴィアを追い、俺も躊躇いながら後に続く。罠の可能性も脳裏を過ぎる。その可能性は低いだろうと思いながらも、それでも注意深く室内に視線を巡らせる。が、特に気になる物はなく、他の空き部屋──最低限の調度品は備え付けられているが──と変わらない。

 

「安心なさい、目と耳は潰してあるから」

 

 周囲を警戒する俺とは対照的に、ギネヴィアはここが己が自室であるかのようにソファで寛いでいた。その前には彼女用のワインやグラスも用意されている。宮廷を支配する彼女にとっては、ある意味間違いではないだろう。

 しかし目と耳か。つまりは監視カメラや盗聴器の類の事なのだが、それを無効化しているということは、他者に聞かれては拙い話をするつもりがあるということだ。

 あの──兄妹の中で唯一彼女に意見できるのは第一皇子であるオデュッセウスだけだった──ギネヴィアが、家柄が低く齢十にも満たない妹を特別視するなんて俄には信じられない。

 

「さっそく本題に入ろうかしら。すぐに私の下に訪れないどこかの小娘のせいで時間を無駄にしたのだから」

 

「言い訳はしないよ。ただ私にも止むに止まれぬ事情があってね、そこを考慮して貰えると助かるんだけど」

 

 皮肉が飛んでくるが、出来ればそれは俺じゃなくリリーシャに言って欲しい。俺だって一方的に情報が制限されていて迷惑している。現に今だって貴女を前にして胃が痛いんだから。

 

「ふん、私の知ったことではないわ」

 

 何も知らない、そもそも知る術がないのだから当然の反応だな。

 むしろ現状──未来知識を持つ俺がリリーシャに宿っている──に気付かれた方が拙いことになる。被害が最小限、主に俺の胃に止まっていると喜ぶべきか。素直に喜べるはずもないが……。

 

「貴女から預かった情報の真偽が明らかとなった。

 単刀直入に言ってシックザール家はクロ、その処分が決定したわ。

 今回も貴女のお手柄というわけね。

 しかしゲオルグも馬鹿な男、こんな小娘にさえ不正の証拠を握られるのだから」

 

「っ!?」

 

 ギネヴィアの言葉に俺は内心動揺を隠せなかった。

 だがそれを表に出すわけにはいかず、押し殺すように必死で平静を装う。

 

 話の中に出てきたゲオルグ・シックザールは中堅クラスの貴族であり、俺の記憶にある不正情報のリストにも名を連ねている。つまり何らかの違法行為に手を出している男だ。

 故に奸臣としてギネヴィアが粛清を下すのは間違った行為ではない。宮廷を支配する事は貴族たちを統率するも同義。ただそれは自身の立場を守り、地位を確固たる物にすることだけが目的ではない。貴族たちの統率=管理や奸臣の粛清は、延いてはこの国の国益に通じている。

 オデュッセウスが内政によって、シュナイゼルが外交によって、コーネリアが軍事によって国のために動いているように、ギネヴィアは宮廷を支配する事によって国益を守っている。

 それこそが彼等を次期皇帝最有力候補とする所以だ。

 

 だが問題はリリーシャが提供した情報によってギネヴィアが粛清を下すという点だ。

 さらに『今回も』という言葉が情報の提供は今回が初めてではないと物語っている。

 

「社交界との繋がりを断ち、独自のパイプも待たない貴女が、どこで掴んでくるのかは知らないけど本当に大したものね」

 

 他者を褒めることが珍しいギネヴィアが感嘆するリリーシャの手腕。

 社交界との繋がりもなく、交友関係を広げる気もなく、独自の諜報機関を組織する力もない引き籠もりのリリーシャが、不正の証拠を掴むことは本来ならあり得ないはずだった。

 しかしリリーシャが、リリーシャだけが苦もなく情報を入手する方法が存在する。

 そう、俺が持つ未来知識や不正情報を利用する方法が。

 そして最大の問題は俺の与り知らないところで、許可無く無断で使用されていたことだ。

 

 だがそれが事実なら別の問題が発生する。

 リリーシャは一体いつギネヴィアに情報を提供した?

 母マリアンヌの虐待もとい訓練によって俺が意識を失っていた間?

 いや、それはない。扱っている情報が情報なだけに監視や盗聴を懸念し、電話やメールで伝えたとは思えない。やはり直接会って伝えたと考えるのが妥当だ。

 例えリリーシャが強制的に肉体の支配権を奪回する事が出来たとしても、俺がリリーシャとして目覚めて以降、母マリアンヌが帝都に赴いた記憶はなく、ましてやリリーシャが赴いた記録も残されていない。

 また情報提供後、その裏付けを取り、真偽が判明するまでの調査期間を考えれば、複数回の情報提供は時間的に不可能だ。

 

 いや、待て。そもそも俺は根底から大きな思い違いをしていたのかも知れない。

 確かに俺がこの世界で目覚め、リリーシャ・ヴィ・ブリタニアとしての行動を強制される事になったのは最近のことだ。

 だがもしその目覚めが、俺=別の世界のルルーシュ・ヴィ・ブリタニアの精神が、この身体に宿った瞬間と同時ではなかったとしたらどうだ?

 宿ったのは俺が認識しているよりも過去のことであり、俺の意識が覚醒する以前からリリーシャが俺の記憶を覗くことが可能だったとしたら?

 

 それが事実ならロイドに提案した内容=未来を予測した対KMF兵器開発や、過剰技術に対する関与の疑念も解消される。

 

 最近大人しくしていると思えば、既に舞台は整いつつあったのだろう。ただ意外と俺が目覚めたのは、リリーシャにとっても想定外のことだったのかも知れない。

 しかし本当にやってくれる。

 確かにリリーシャからは高い身体能力、異常とも思えるKMF技能や適性という恩恵を受けているが、それでも未来知識や情報や技術は絶対のアドバンテージを持つ俺の武器=切り札であった。それをこうも易々と使用するとは……。

 一体どこまで歴史改変、もしくは介入が進んでいるのか予測できない。

 いや、今考えるのはよそう。目の前の問題を丸く収める方が先だ。

 

「でも私以外は気付いていなかったんじゃないかな?」

 

「ふふっ、そうね。褒めてあげてもいいわ。

 ただ今はまだ聞かないけれど、何れ情報源は吐いてもらおうかしらね」

 

「ふふっ、お手柔らかにお願いするよ」

 

 未来で情報を得ましたなんて話せるわけがない。

 しかし執念深さは蛇の代名詞でもある。最悪拷問や投薬という手段を使ってでも吐かせようとするんじゃないのか?

 …………。

 いやほんとマジで真剣に全力で頼みます。

 これ以上は本当に無理だ。

 

「報酬についてだけど、後で飴でも買ってあげるわ」

 

「わーい、気持ちだけは受け取っておくよ」

 

 リリーシャがそれで喜ぶような子供ならこの場に居るはずがない。

 

「冗談よ」

 

 つまり冗談を言うぐらい上機嫌なのだろう。

 ただこれ以上深入りするのは危険だ。出来れば今の内に退散したいところだが。

 

「約束通り私兵の都合はつけるわ。何人必要かしら?」

 

 ギネヴィアの問い掛けの意味を、俺はすぐに理解できなかった。

 何人という単位から考えて紙幣=資金提供の申し出というわけではない。

 私兵、公の機関=軍に属さない彼女個人が保有する子飼いの兵士を意味しているのだろう。つまりは噂の真相ということか。

 

 何だろう、もう嫌だ。

 胃だけでなく頭も痛くなってきた。

 ここまでの展開も予想外だったが、その中でもこれは群を抜いている。

 果たしてリリーシャは何のためにそんな約束を結び、情報提供の対価として戦力を求めていたのか?

 本気でクーデターを企んでいたとしても、それこそギアス級の戦力がなければ数人程度では到底不可能だ。だったら暗殺か? いや逆にV.V.による暗殺対策という線も考えられるが……。

 理由が何であれ目的が分からない以上、下手に動かすべきではない。

 

「どうした? 遠慮なんて貴女らしくもないわね。気が変わった。いえ、それとも怖じ気づいたの?

 普段は大人ぶっているけど、所詮は貴女も年相応の子供だったみたいね。くくっ、これは傑作だわ」

 

 ギネヴィア、それは誤解だ。こいつは貴女が考えているほど可愛い存在なんかじゃないぞ。

 

「私が怖じ気づく? あり得ないよ、そんなこと。

 少し事情が変わってね、予定変更だよ。だから現状私兵を借り受ける必要はなくなってしまったよ」

 

「そう……。だけど貴女の事だから別の手を考えているのよね? その時はまた私も一枚噛ませてもらうわ。良いわね?」

 

 ギネヴィアは本当に楽しそうに、まるで獲物を前にした蛇の如き笑みを浮かべる。

 それは俺が初めて見る表情だった。

 ただ蛇に睨まれた蛙ってこんな気分なのだろうか?

 疑問系だが重圧が半端じゃなかった。

 どうやら拒否は出来そうにない。

 

 

 

 ギネヴィアの重圧から解放された俺は力ない足取りで通路を歩む。

 何だろう、すごく疲れた。

 早く帰って寝たい。

 頭も痛いし胃も痛い。もうバフ○リンは全部が優しさで出来ていたらいいと思う。

 確かに収穫はあったが、やっぱり来るんじゃなかったと後悔する。

 

「あ、リリーシャ!」

 

 っ、この声は……。

 振り返るとそこには絶賛一方的に婚約中のユフィの姿があった。

 

「こんな所にいたんですか。マリアンヌ様からリリーシャも来ているって聞いて、ずっと探していたんですよ。もう、今までどこに居たんですか」

 

 まさかユフィの性格の変化も、リリーシャのシナリオに描かれていたことなのだろうか?

 うん、今はもうどうでもいいや。

 お願いですユーフェミアさん、今はそっとしておいて下さい。

 

「さあ行きましょう♪」

 

 声を弾ませたユフィが俺の手を引いていく。

 嗚呼、願いは通じなかったようだ。

 今だけはそのテンションが憎い。

 というかどこへ連れて行く気だ?

 この状況で今度はシュナイゼル達の下へとか言わないよな?

 さすがに泣くぞ、割と本気で。

 

 手を引かれるままに辿り着いたそこはベッドルームでした。

 おお、実は願いが通じていたんですね。

 では早速横になろう。

 

「ん?」

 

 どうして着ている服を脱ごうとしているんだい、ユーフェミアさん。

 いや、頬を染めて恥じらいを見せているが、恥じらうべきポイントが間違っているだろ。

 

「ここへはあの娘も入ってこれません!」

 

 あの娘とはやっぱりアーニャの事なんだろうな。

 

「さあ、わたしと絆を深め合いましょう。…でも……あの……優しくてして下さい」

 

 瞳を潤ませながら、上目遣いしながら告げるユフィ。

 

「…………」

 

 聞こえない。

 きーこーえーなーいー。

 

「あの……リリーシャ?」

 

「正座」

 

「でも」

 

「正座」

 

「……はい」

    

 しゅんと項垂れ、肩を落としてもダメだ。……可愛いけど。

 

 はぁ……、何でも結婚には既成事実が大切なのだとアドバイスを受けたそうだ。

 コーネリアに見つかれば俺が粛清されかねないというのに、本当に意味を理解していますか、ユーフェミアさん。

 というかアドバイスしたヤツ俺の前に出てこい。そして土下座しろ。今ならもれなく頭を踏み潰してやるから。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第22話

 

 諸君、私の名はジェレミア・ゴットバルト。ブリタニアの名門=ゴットバルト辺境伯家の嫡男として生を受け、次期辺境伯と目されてはいるが、まだまだ若輩の身。日々研鑽の毎日を送っている。

 先日士官学校を卒業し、晴れて軍人の身となった私に下された最初の任務地、それはアリエス離宮だった。

 そう、このブリタニアの象徴であらせられる皇族方が住まう離宮の警備であり、そこに住まう方の警護。

 初任務にして何という大役、何たる僥倖なのだろうか。

 しかもアリエス離宮といえば、その主は第五后妃=マリアンヌ様だ。あの方を知らぬ軍人など居はしない。

 

 平民階級出身でありながら類い希なる剣技と身体能力を有し、弱冠十代にして実力を以て帝国最強の騎士=ナイトオブラウンズに名を連ねる。

 さらにブリタニア史上最大の権力闘争=血の紋章事件において、離叛した当時のナイトオブワンを誅殺。皇帝陛下の窮地をお救いし、その功績により后妃へと迎えられることとなる。

 一兵士からラウンズへ、そして后妃へと上り詰めた経歴は英雄譚やシンデレラストーリーとして広く語り継がれていた。

 

 平民階級出身であるが故に忌避感を抱く皇族方や貴族達も多いが、それ以上に彼女を敬愛する者は多く居る。

 現に私もその美貌、強さ、立ち振る舞いに胸を熱くし、憧れを抱いた人間の一人だ。またあの方の存在が、私が皇族の方に対して絶対の忠義を抱くようになった最大の要因でもある。

 故に初任務にしてマリアンヌ様の御側に立ち、警護できることは大変名誉なことであり、畏れ多くも実に喜ばしい事でもあった。

 ただやはり今回の決定の裏には、私が首席卒業生であり、ゴットバルト辺境伯家の血筋という事実が大きく作用した可能性を自覚している。

 一日とて努力を怠らなかった自分を褒め、ゴットバルトの家に生を受けたことを神に感謝しよう。

 これほど気分が高ぶっているのは、我が愛する妹が誕生して以来のことだった。

 

 だが現在、私は戸惑いを抱いていた。

 赴任から暫く経ったこの日、私は一人の侍従に呼び出された。聞けばマリアンヌ様直近の侍従だと言う。

 冷たく鋭利な雰囲気を纏う彼女に案内され、城館内の廊下を進む私の心は気が気ではなかった。

 一体どういう事だ?

 着任早々自分でも気付かぬ内に失態を犯し、知らず知らず粗相を働いてしまったのだろうか?

 今日までの己が言動を振り返ってみても、具体的な理由が思い浮かないのだが……。

 戦々恐々としながら歩みを進めていると、前を行く侍従の足がある扉の前で止まる。

 

「ジェレミア・ゴットバルト卿をお連れしました」

 

『開いてるわよ』

 

 侍従の言葉に扉の内側から返ってくる声。

 もしやこのお声は!? いや、マリアンヌ様直近の侍従が案内した事を考えれば、必然的に声の主は────

 

「どうぞお入り下さい」

 

 扉を開けた侍従が私を促し一礼する。

 どうやらここから先は一人で進めという事なのだろう。

 望むところだ。

 私は緊張した面持ちで室内へと足を踏み入れた。

 

「し、失礼致します!」

 

 声が上擦ってしまったが致し方ないことだ。

 

 その部屋は執務室だろうか。内装はさほどゴットバルト家と変わらない。執務机と書棚に応接セット、壁にはブリタニアの国旗が掲げられている。後は剣とレイピアとダガーと……槍と……戦斧と……大鎌と……鞭と…………。

 後者は見なかったことにしよう。

 背後から扉が閉じられた音が聞こえたと同時、室内の温度が下がった気がするが気のせいだ……と思いたい。

 

 そして視界に捉えるこの部屋の、いやこの城館の主にして、私を含む多くの兵士達が憧れを抱き目標とする存在。

 第五后妃=マリアンヌ・ヴィ・ブリタニア様。

 

 美しい。

 それが私が抱いた隠しようもない感情だった。

 憧れのあの方が目の前に居る。

 それだけで心臓が高鳴る。

 かつて士官学校へ視察にいらした際に、一度実際にそのお姿を拝見したことがあったが、その時とは違い今回は距離も近く、この場には私とマリアンヌ様の二人だけだ。

 しかし見惚れているわけにはいかない。

 

 と、マリアンヌ様が手にしていた書類を机の上に置き、こちらへと視線を向ける。

 

「っ!?」

 

「そう、貴男がジェレミア……」

 

 まるで猛禽類にも似た鋭い眼光に射貫かれ、酷く抑揚のない声で名を呼ばれ、私は息を呑んだ。

 

「ハッ、ジェレミア・ゴットバルト、お召しに従い参上致しました!」

 

 どうしてそんな視線を向けられるのか、その理由は分からないままだが、これ以上礼を失するわけにはいかない。

 私はすぐさま敬礼を以て応えた。

 

「楽にして良いわよ」

 

「イエス、ユア・ハイネス!」

 

 マリアンヌ様が再び手元の書類に視線を落とされたことを確認すると、私は敬礼を崩し、休めの姿勢を取る。

 

「ジェレミア・ゴットバルト、皇歴1989年生まれ。ゴットバルト辺境伯家の嫡男、妹が一人。

 ────士官学校を首席で卒業。極めて真面目な性格。その反面柔軟性に欠ける直情的な思考。選民意識はやや高いが問題となる程ではない。皇族に対する忠誠心は高い。

 ────帝立コルチェスター学院高等科時代にロイド・アスプルンドと面識あり。目標とする人物は……私か。少し照れるわね」

 

 マリアンヌ様が次々に淡々と読み上げていくのは、私に関する報告書のようだ。皇族の警護任務を担当するとなれば万が一に備え、特務局によって詳細な情報を収集するのは当然のこと。

 経歴や思想、趣味嗜好、身体能力、周囲の評価、人間関係、銀行口座の取引記録。ありとあらゆる情報が徹底的に調べ尽くされる。

 その中には私自身が認識していないであろう事柄も含まれていると容易に想像できた。

 今マリアンヌ様は私以上に私の事をご存じなのかも知れない。

 だがそれが今回の件とどう関係している?

 私にはゴットバルトの家名に泥を塗り、恥じるような生き方はしていないという自負がある。個人情報を晒されたところで何ら疚しい事実は出てこないだろう。

 

「どうしてこの場に呼ばれたのか分かる?」

 

「いえ、皆目見当も付きません。差し支えなければお教えいただけないでしょうか?」

 

「ええ、もちろん良いわよ」

 

 マリアンヌ様が微笑むが、瞳はまるで笑ってはいなかった。

 その眼光は鋭く、私を射貫き続けている。

 

「あの娘がね、リリーシャが専属の警護騎士に貴男を選んだの。あの娘が私に頼み事だなんて、一体いつ以来の事かしら」

 

「……はい?」

 

 告げられた言葉の意味を、私はすぐに理解できなかった。

 口ぶりから考えてリリーシャという名は、マリアンヌ様のご息女であらせられる第三皇女=リリーシャ・ヴィ・ブリタニア皇女殿下と考えて間違いないだろう。

 奇しくも妹と同じ名前であったこともあり、その名は強く印象に残っている。

 一方でリリーシャ様はお身体が弱く、社交界など公の場に姿をお見せにならないと聞く。その為、生憎と詳細な情報を持ち合わせては居なかった。

 ただ、皇族方の情報に詳しい妹からは人間嫌いであり、専属の侍従にも心を開くことはない方だと伝い聞いたことがある。

 

「……どうして私なのでしょうか?」

 

 思わず当然とも言える疑問が口から零れた。

 私とリリーシャ様に面識はなく、接点もない。

 まさに青天の霹靂、寝耳に水と言っても良いだろう。

 

「そう、どうして面識のない貴男をあの子が選んだのか、それを私も知りたいのよ。

 どこを調べても貴方とリリーシャの繋がりは見えてこない。なのにあの娘は面識のない貴方の登庸を希望した。不思議だと思わない?

 教えてもらえないかしら。どうやってあの娘に取り入ったのか、どんな手を使って誑かしたのかを、じっくりとね」

 

 棘を含んだ、というか棘だらけの言葉と共に放たれた重圧は紛れもない殺気。

 その瞬間、首筋に突き付けられた刃を幻視し、体温を奪われていくかのような錯覚に陥る。

 今までに感じた事のない濃度であり、少しでも気を抜けば意識を手放しそうになる程だった。これが数多くの修羅場をくぐり抜けて来た者が放つ、本当の殺気というものなのかも知れない。

 

「……くっ……私にも……分かりかねます」

 

 肌が粟立ち、嫌な汗が噴き出す。無条件で膝を屈し、頭を垂れたくなる。

 まるで肺を直接握られているかのように息苦しい。

 辛うじて声を出すのがやっとだった。

 

「何か思い当たる節もない? どんな小さな事でも良いのよ?」

 

「……あ……ありま…せん……」

 

「そう、やっぱり全てを知っているのはあの娘だけか……」

 

 そう言ってマリアンヌ様は形の良い顎に手を当て、一度私から視線を外して呟いた。

 

「良いわ、合格よ」

 

 刹那、マリアンヌ様から放たれる殺気が消え、同時に私の自由を奪っていた重圧が霧散していく。

 

「試すような真似をして悪かったわね、ジェレミア」

 

 浮かべられた柔和な笑みからは、今まさに感じていた剣呑さは微塵も存在しなかった。

 

「……試す、ですか?」

 

「あの娘が簡単に他者を信用し、甘言に懐柔されるような子供じゃないことは、私が一番理解しているもの。

 今のはあの娘を任せられる人間かどうか、殺気をぶつけて貴男を試したのよ。愛する娘のために私も少し本気を出したから、心の弱い人間なら再起不能になってたわね。だから誇っても良いわよ」

 

 マリアンヌ様が平然と語られる内容に言葉を失う。

 殺気だけで人を殺せるという話は聞いたことがあるが、それはあくまで創作世界の中だけの話だと思っていた。

 だが実体験として理解する。この方はその体現者であり、対象者に触れることなく人間を壊すことが出来るのだと。

 

「でもこれで安心してあの娘の願いを叶えてあげることが出来るわね。ジェレミア、貴男には感謝しているわ。あの娘の期待に応え、この程度で壊れる人間じゃなくて」

 

「きょ、恐縮です」

 

 それは果たして褒められているのだろうか?

 多分褒められているのだろう。

 

「ジェレミア・ゴットバルト」

 

 刹那、マリアンヌ様の纏う雰囲気が三度変わる。

 殺気放つ戦士のものではなく、子を想う母のものでもない。

 人の上に立つ高貴なる者の風格。

 

「ハッ!」

 

 私はそれが当然であるかのように膝を折り、恭しく頭を垂れる。

 

「貴男には今この瞬間より我が娘=リリーシャ・ヴィ・ブリタニア警護の任を与えます。

 時に外敵を征する剣として、時にその命を懸けた盾として、生ある限り忠を尽くしなさい。なおこの任を別命あるまで最優先とします」

 

「謹んでその任を拝命し、全力を以て誠心誠意務めさせていただきます!」

 

 思いもよらぬ警護対象の変更の命ではあった。

 だが微塵の不満もない。

 それは敬愛するマリアンヌ様が直々に与えて下さったもの。そしてそれは私を認め、信頼して下さったからこそだ。一体何人がその栄誉を手にする機会に巡り合えるというのだろうか。

 この身に余りある名誉、まさに恐悦至極。

 

「あ、でも一つだけ言っておくわね。

 幾らリリーシャが可愛くて仕方がないからって手を出しちゃ駄目よ? 大切な愛娘を傷物にされたら、辺境伯領なんて簡単に消滅するんだから」

 

 まるで感情のない氷のような微笑みを浮かべて告げられたその言葉には、一欠片の戯れも含まれては居ない。間違いなく全力の本気であり、その光景を想像することは何ら難しい事ではなかった。

 だから私が唯一出来たのは背筋を凍らせながら「イエス、ユア・ハイネス!」と応えることのみである。

 

 

 余談だが、リリーシャ様と初めて対面した際、マリアンヌ様が抱いていらした危惧の意味を遅ればせながら理解した。何故あの方が本気で釘を刺すような行為を行ったのか。

 その理由をこの身を以て……。

 諸君等には、もはや言葉を尽くす必要はないだろう。

 

「待っていたよ、ジェレミア」

 

 ただ、そう言って向けられた──予てからの部下に向けるかのような──微笑みに、私の鼻から忠義の嵐が噴き出しそうだったとだけ伝えておこう。

 

 

 

 

 

     ◇

 

 

 

 

 

 やあ諸君、ジェレミア・ゴットバルトだ。この出だしも二度目だな。

 ん、メタ発言はするな?

 一体何のことを言っているのか、私には全く理解できぬ次元の話だ。

 

 さて、着任から初めて訪れた連続休暇を利用し、私は報告のために一度我が故郷=ゴットバルト辺境伯領へと戻ることにした。

 皇族の方から直々に任を与えられ、皇女殿下付きとなった名誉を伝えれば、きっと父上達も喜んで下さることだろう。

 強行スケジュールのため滞在時間はごく僅かとなり、妹には会えぬ可能性もあるが、与えられた任の重要性を思えば致し方のない事だ。

 もちろん今回の帰郷に関してはマリアンヌ様、リリーシャ様、お二方の許しはいただいている。快く送り出して下さったリリーシャ様の寛大なお心に感謝する他ない。

 ただ「お土産を期待しているよ」との殿下のお言葉に、どう応えるべきか苦心していた。

 一体何をお持ちすれば喜んで下さるだろうか?

 出来ればリリーシャ様のお喜びになる姿を見たいと思ってはいるが……。

 

 

 報告を無事に終え、父上の執務室を後にする。父上からは自慢の息子という大変有り難い評価と共に、これに慢心する事なく励めという苦言をいただいた。

 確かにその通りだ。私の夢は帝国最強の騎士=ナイトオブラウンズに名を連ね、その頂点に立つこと。それは幼き日から変わることのない目標にして願い。

 ならば立ち止まることなく己を磨き続けるしかない。

 ただ私がラウンズとなった際、皇帝の座に就いていらっしゃる方がリリーシャ様であったならと、他言できぬ秘めたる想いを抱いてしまった。

 

「いかんな」

 

 私はその想いを心の奥底に沈め、足をリビングルームへと向ける。

 侍従の話では幸運なことに妹も帰ってきているらしい。

 

 私には年の離れた妹が一人いる。

 名はリリーシャ・ゴットバルト。奇しくも私が仕えることとなった皇女殿下と同じ名を戴いていた。運命というには大げさだが、それがリリーシャ様に親しみを感じてしまう所以だろうか。

 妹は有名な私立女学院の中等科に在籍し、普段は寮生活を送って居る。故に会うためには事前に互いの予定を確認し、意図的に合わせなければならない。急な帰郷であり、連絡を取れなかったことを考えれば本当に運が良い。

 妹は私によく懐き、幼い頃は事ある毎に私の後ろをついて回ったものだ。

 過去を思い、思わず頬を緩めてしまう私はきっと兄バカなのだろう。

 否定はせぬさ。

 

 途中、古くからゴットバルト家に仕える侍従達に挨拶を交わしながら、リビングルームへと辿り着く。ただこの歳になって坊ちゃまと呼ぶのは止めて欲しいものだ。

 さて、久方ぶりの再会となる妹は一体どんな反応を見せてくれるだろうか?

 

 リビングルームに足を踏み入れ、視界に捉えたリリーシャはノート型PCに向かって作業をしていた。

 愛らしい顔立ち、意志の強さが垣間見える瞳、毛先に進むにつれてロールする長い髪。年齢の割りに高い身長。成長途上のため未だ起伏は少ないが、一切の無駄がないしなやかな体付き。

 しばらく見ない間にぐっと大人っぽくなっている。客観的に見ても美少女と言って差し支えないだろう。

 学業優秀、容姿端麗、本当に自慢の妹だ。

 女学院に通わせた父上の判断は正解だったと実感する。きっと周囲の男どもが放っては置かないだろう。

 ただ名のある貴族として生まれて来たからには避けられない運命──この場合は政略結婚などが相当する──が待っているに違いない。と、将来の事を考えて軽く気分が沈む。

 いかんいかん、せっかくの再会なのだ。

 

「お兄様ッ!?」

 

 私の存在に気付いたリリーシャは瞳を──爛々と──輝かせ、勢いよく両手でテーブルを叩くと、その反動で立ち上がり、こちらへと駆け寄ってくる。

 リリーシャめ、よほど私の事が恋しかったと見える。本当に可愛い妹だ。

 熱い抱擁がお望みならば全力で応えよう。

 私は笑みを浮かべ、リリーシャを迎え入れるように両手を大きく広げた。

 さあ私の胸に飛び込み、存分に甘えるといい。

 

 だが次の瞬間────

 

「ぬ?」

 

 リリーシャの細い指が胸座を掴み、そのまま私の身体を強く揺さぶり始めた。

 

「応えて下さいまし、お兄様!

 お兄様がリリーシャ様付きの警護騎士になられたというのは本当なんですの!?」

 

「ああ…その……通り…だ……」

 

 興奮気味に捲し立てる妹の姿に困惑する。

 

「そう、事実だったのですね。

 いえ、そんな事より生リリーシャ様は一体どんな方なんですの!? やはり可憐で美しく、良い匂いがするのでしょうか!? その凛としたお姿はまさに帝国に咲く黒き一輪の百合、キュア──んんっケフンケフン」

 

 皇女殿下に対して何という物言いだ。後できちんと注意しておく必要があるな。

 それとキュア……何だ?

 

「ああ、リリーシャ様と同じ空気を吸っていらっしゃるお兄様が本当に羨ましいですわ!

 はっ、お兄様が吐いた息を吸えば、わたくしも間接的に同じ空気を吸ったことになるのではないですか!?」

 

 リリーシャよ、それは一体どんな理論だ。それだと広い意味では地球上に存在する限り、同じ空気を吸っているのではないか?

 我が妹ながら自重しろ。

 

「その…前に、揺さ…ぶるのを……止めて…くれないか…リリーシャ」

 

「っ、わたくしとしたことがまた……。申し訳ありません、お兄様。ご挨拶もまだだというのに……」

 

 私の願いに幾分か冷静さを取り戻したリリーシャは、私の胸座から手を離した後、やや自己嫌悪に浸ることとなる。

 感情のままに行動するあたり、やはりまだまだ子供なのだろう。

 ああ、頭がフラフラするが、落ち込む妹を慰めるのは兄の役目だ。

 

「ただいま、リリーシャ。元気そうでなによりだ。なにそう落ち込むな」

 

 そう言って私はリリーシャの頭を優しく撫でる。

 昔から妹を落ち着かせるにはこの方法が一番だと熟知していた。

 

「はい、お兄様。お帰りなさいませ。でもこれは……恥ずかしいです」

 

 頬を染めて照れている姿も愛らしいな。

 

「これはすまない」

 

 どうやら自分の置かれている状況を客観的に見られる程度には落ち着いたようだ。

 少し名残惜しくも感じるが、思春期の妹とのスキンシップはここまでにしておこう。

 

「改めて失礼致しました。ゴットバルト家の娘として恥ずべきことに、少々取り乱してしまいましたわ。

 でも仕方がないではありませんか? お兄様がリリーシャ様付きの警護騎士になられたと知った直後に、その本人が目の前に現れたのですから」

 

「私のせいか?」

 

「そうです、お兄様が悪いんですわ」

 

 拗ねたように頬をふくらませたリリーシャの姿に兄として苦笑する。

 その一方でリリーシャ様付きの警護騎士としての私にとって、妹リリーシャの発言は看過できないものであった。

 

「しかし相変わらず耳が早いな。父上達には今し方報告してきたばかりなのだが」

 

 探るように掛けた声音が険を帯びるのは当然のことだろう。

 

 伝統あるこの国では皇族方は敬い、忠を尽くすべき存在となっている。しかし年若い者達の中には、一般大衆が熱狂するアイドルと同じような感覚を抱いている者も珍しくない。

 シュナイゼル殿下を筆頭に見目麗しく、また才能を持った方が多くいらっしゃる為、仕方がないと言えなくもないが。

 そして妹リリーシャも御多分に漏れず、一連の言動からも分かるように重度の皇族ファンの一人だ。いや、もはや皇族マニアと言っても良い。

 特にリリーシャ様の事となると、先ほどのように時たま暴走を起こすほどだ。

 何故リリーシャ様なのか?

 その理由は問うまでもない。偶然にして光栄にも同じ名前を戴いていたから、最初はそんな単純な理由だった。

 

 もともと皇族方に対する忠誠や敬愛を子供に育ませることは、厳格なゴットバルト家の教育方針であり、土台は既に出来上がっていた。故にきっかけはそれだけで十分だったのだろう。

 興味を抱き、情報を集めていく内に魅了され、忠誠心が愛へと昇華したらしいというのが本人の談だが、私としては信仰の域に達しているのではと思う時がある。

 リリーシャが幼少期より好奇心が旺盛で活発、無駄に高い行動力を持っていることは熟知している。かつて父上と共に狩猟に出かけ、巨大な熊を仕留めて帰ってきた時は驚いたものだ。

 持てる力を遺憾なく発揮した結果、独自のルートを開拓し、歳不相応の収集能力で集められた皇族方の情報は驚くほど詳細な物であった。また年々その腕に磨きを掛けている様子。

 将来、軍や警察に連行されるのではないかと不安に思う一方、兄として感心するばかりだった。

 

 しかし今の私の立場はそれを良しとしない。

 私の使命は如何なる外敵からもリリーシャ様の御身をお守りすること。

 知る者が限られた情報を妹リリーシャが手にしたというのなら、どこからか情報が流出していることになる。それも極めてリリーシャ様に近いところから。

 もしそれに妹が関わっているのだとすれば、私がこの手で処断する事になるのかも知れない。

 

「一体どこでその話を聞いた?」

 

「あら、お兄様、お顔が怖いですわよ」

 

「これは真面目な話だ。答えてくれ、リリーシャ」

 

 私の言葉を真摯に受け止め、リリーシャは態度を改める。

 

「わたくしの情報網を嘗めないでいただきたいですわ。宮廷事情に詳しい方とも伝手がありますの、話はその方から」

 

「その者の名は?」

 

「いくらお兄様でもこればかりはお答えできません。わたくしとて淑女の端くれ、いえそれ以前に人として一度交わした約束を違えるわけにもいきませんもの。

 それともお兄様はわたくしを約束事一つ守れない最低の人間にしたいのですか?」

 

「リリーシャ、私を困らせないでくれ。場合によってはお前一人の問題ではなくなるのだぞ」

 

 脳裏を過ぎる最悪の事態。ゴットバルト家の取り潰し、そして辺境伯領の消滅という未来が。

 

 対するリリーシャは私の目を真っ直ぐと見つめて告げた。

 

「ならばわたくしはリリーシャ・ゴットバルトの名に、いえ我が心の主=リリーシャ・ヴィ・ブリタニア様に誓います。お兄様が懸念していることは杞憂であり、今回のことでリリーシャ様の身に害が及ぶことはあり得ないと。

 これでもまだわたくしを信用していただけませんか、お兄様?」

 

「…………」

 

 妹のリリーシャ様に対する想いの深さを知る者が聞けば、その言葉が持つ重みを理解しただろう。

 それは貴族としての誇りを懸け、信仰する神に誓うに等しい行為だ。

 嘘偽りが入り込む余地はなく、自分自身を欺けるほど性根の曲がった人間ではない。

 

「分かった。お前の言を信じよう」

 

 甘いと言われるかも知れないが、愛する妹の覚悟を無下に扱い、悲しむ顔を見たいと思う兄がこの世界に居るだろうか?

 いや、居ない。

 例え他の誰も信じなくても、信じてやるのが私の役目だ。

 私は大きく息を吐き、手近な椅子へと腰を下ろす。

 

「余計な心労をお掛けして申し訳ございません。

 すぐにお茶の用意をしてきますわ。どうぞお兄様はお身体を休め、寛いでいて下さいまし。あ、是非わたくしの作ったマフィンも召し上がっていただきたいですわ。今回は自信作なんですから」

 

「ああ、もちろんいただくとも」

 

 作業の途中だったノート型PCの電源を落とし、キッチンへと向かっていくリリーシャの背を見送る。妹の手料理を食べるのはいつ以来のことだろうかと、過去に思いを馳せながら。

 

 

 

 

 

     ◇

 

 

 

 

 

 この時、ジェレミア・ゴットバルトは気付けなかった。

 もし妹=リリーシャ・ゴットバルトが使用していたノート型PCの画面を目にする機会があれば、その存在に気付けたかも知れない。

 

 そこに表示されていたページは個人のブログ。公開されている内容は、とある少女が日々の日常を綴っただけの表向き何ら変哲もないものだった。それこそ似たようなブログはごまんと存在していることだろう。広大なネットの海の底に埋もれていても何らおかしくはない。

 ただ、そこに辿り着くことの出来る人間が、選び抜かれた極一部の者のみに限られている事実を除けばだが……。

 

 そのブログにアップされている一枚の写真を紹介しよう。

 それはとある少女のあどけない寝姿だった。艶やかな長い黒髪を白いシーツに広げ、身体を丸めて眠る少女。普段絶対に目にすることの出来ないその姿は、見た者に──生後間もない仔猫のような万人受けする──愛くるしさを抱かせるだろう。

 

 また別の写真には同じ少女が寝ぼけ眼を擦る姿や、本人は気付いていないだろうが好物の苺のスイーツを口にして頬を弛めている姿、打って変わり真剣な顔つきで剣を構えた凛々しい姿など、まさにここでしか見ることの出来ない本当に貴重な姿が収められていた。

 

 そう、思わず目尻を下げ、胸がきゅんとしてしまう写真ばかりだ。

 耐性ない者は一目で魅了され、思考を奪われてしまうことだろう。

 

 このブログの管理者は黒百合姫の愛猫を自称する桃猫、運営者はライトニングと名乗る人物達であった。

 さてその者達の正体が誰であるのかはさておき、このブログを介して構築されたネットワークは通称黒百合同盟と呼ばれていた。

 この場に集う者達には国籍も人種も宗教も主義も主張も関係ない。

 だけどその胸に抱く想いは同じであった。

 

 綺麗な薔薇には棘がある。

 黒き百合には毒がある。

 その毒は密かに、それでいて確実にこの国を、この世界を蝕み始めていた。

 

 

 

 

 

     ◇

 

 

 

 

 

「それでお兄様、実際にお会いになったリリーシャ様はどんな方だったんですの?」

 

 キッチンから戻ってきたリリーシャが紅茶を入れ、テーブルを挟んだ向かいの椅子に座りなり問い掛けてくる。私にとってマリアンヌ様がそうであったように、妹にとってリリーシャ様は憧れの存在。気になる気持ちは理解できる。

 

「美しく聡明な方だ。剣の師事の真似事をさせていただいているが非常に筋が良く、将来的にはマリアンヌ様のようにご活躍されるのではと思えるほどに。

 それに、前にお前から聞いていた話とは違い人当たりもよく、自身のお立場に驕らず、出会ったばかりの私にも過分の気遣いを見せて下さる心優しい方でもある」

 

 不敬かも知れないが、ついつい妹を自慢するような口調になってしまう。語る相手が実妹という事実が何とも微妙だが。

 

「ふふっ、べた褒めですね。

 お兄様がそれだけ仰るのでしたら本当のことなのでしょう。やはりわたくしの目に狂いはありませんでしたわ。

 嗚呼、お父様も早くリリーシャ様の後援貴族に名乗りを挙げて下されば良いのに……」

 

 それが如何に難しい事であるかリリーシャ自身も理解しているからこそ、最後がトーンダウンしてしまうのだろう。

 ゴットバルト家の現当主である父上は良くも悪くも古い人間だ。もちろん尊敬はしている。領地領民の事を一番に考え、堅実な領地運営を心懸け、ギャンブル要素に手を出したりはしない。それは領民から支持の高さから考えても間違いではなく、統治者としてむしろ誇るべき事だ。

 故に今の現状では、息子や娘がいくら進言したところで受け入れられることはない。庶民出のマリアンヌ様と深く関わりを持てば、他の貴族と不要な軋轢を生み、領地運営に悪影響を与える可能性は十分に考えられる。

 少なくともリリーシャ様がご自身の力を示し、何らかの功績を挙げてからでないと選択肢にすら上がらないだろう。

 

「そうは言うな、父上にも考えがあってのこと」

 

「分かっていますわ……」

 

 理解していても納得は出来ないと言いたげだが仕方のないことだ。

 

「そうだ、リリーシャ。朗報がある」

 

「何ですの?」

 

「リリーシャ様に兄弟が居るのかと問われた事があってだな、お前の事を話したら、お目通りの機会を作っても良いと言って下さった。良かったな、お前も実際にお会いになれるやもしれんぞ」

 

 もちろんそれが社交辞令(リップサービス)であった可能性は理解してる。それでも事実には変わりなく、妹を喜ばせるのは十分な効果を期待できた。

 現にリリーシャは一転して輝くような笑顔を浮かべる。

 

「そそそそそんなリリーシャ様が!? 本当ですのッ!?」

 

「今まで私がお前に嘘を吐いたことがあったか?」

 

「いえ、だったら本当に?

 来ましたわ! 何たる僥倖、宿命、数奇! この想い、今のわたくしは阿修羅さえも凌駕しますわ!」

 

 阿修羅、確かアジア圏の神話や宗教に登場する闘神だったか。

 言っていることの意味はよく分からないが、それほどまでに喜んでいるのは間違いない。

 本当にリリーシャ様には感謝せねばならないな。

 

「こんな慶事を齎して下さるなんて、本当にジェレミア・ゴットバルトがわたくしの兄で良かったと初めて思いました」

 

「ん、初めて……?」

 

「ええ、そうですわ♪」

 

「ガハッ」

 

【ザシュ!! ジェレミア・ゴットバルトの精神に500のダメージ!!】

 

 ああ……マリアンヌ様、リリーシャ様。任をまっとう出来ず申し訳ございません。至らぬ私をお許し下さい。

 もう疲れたよ、パトラッ────

 

「もう冗談ですから。大好きですわ、お兄様。うふふふふ」

 

「そうか、ハハハハ」

 

 冗談、そう冗談なのか。

 心から安堵する一方、残念ながら私は上手く笑えなかった。

 

 

 

 後日、お土産にとお持ちした──ゴッドバルト家所有の農園で収穫したばかりの──オレンジを見たリリーシャ様が、とても複雑な表情を浮かべていらしたのは何故なんだ?

 まさかオレンジはお嫌いだったのだろうか?

 いや、でも確かオレンジジュースは普通に飲まれていたはずだが……う~ん。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第23話

 

 季節は巡り、俺がリリーシャとして覚醒してから最初の春を迎えた。

 吹き抜ける穏やかな風。

 心地良い暖かな陽だまり。

 寒暖の差も小さく、最も過ごしやすい季節。

 窓の外に望む庭園の花壇には色とりどりの花々が咲き誇り、誘われた蝶が舞い踊る。まさに生命の息吹を感じる光景を見ることが出来た。

 

 だがそんな季候とは裏腹に、俺の中では刻一刻と緊張感が増していた。

 そう、間もなく運命の日が訪れる。

 ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアの身に起こった最初にして、俺のその後の人生を決定づけた幼少期最大の事件=第五后妃マリアンヌ暗殺事件が。

 

 運命を決定づける最初のターニングポイントであり、介入の結果如何では大きく歴史を変え、延いては世界を変えられる可能性がある。

 いや、可能性で終わらせはしない。

 変えてみせる。違う、変えなければならない。

 でなければ俺がこの世界、そしてこの時期に存在している意味がないのだから。

 

 もちろん来るべき日を知っている以上、準備を怠るような愚は犯していない。

 努力を続けた結果、母マリアンヌによる訓練は一つの節目を迎えた。

 そう、最後まで完全に意識を手放すことなく耐え抜くことに成功したのだ!

 思えばどれだけ辛く険しい道程だっただろう。

 それでも俺はやり遂げ、その達成感を噛み締めた…………のだが、次の訓練では第二形態──もちろん主観的な想像だが──となった母マリアンヌによって瞬殺され、再び振り出しならぬベッド覚醒へと戻った。

 狡いとか卑怯とか汚いとか、そんな次元の話じゃない。真正面から他者を圧倒できる重圧。無理だ、勝機を想像することすら出来ない。全盛期は疾うに過ぎているはずだが、一体どれ程の力を有しているというのだろうか?

 あれこそ本当のチートでありバグだ。

 まあ母マリアンヌに勝つ云々は別として、子供ながらに高い戦闘能力を手にする事が出来た事実を喜ぼう。尤もギアスという超常の力に相対するには分が悪い現実に変わりないが……。

 

 そしてロイドの次世代KMF開発をアドバイザー兼シミュレーターのテストパイロットとして手伝う対価に、冷凍睡眠(コールドスリープ)装置とは名ばかりの超強力瞬間冷凍庫の制作を依頼。物が物だけに不審に思われることは理解していた。もし依頼理由を聞かれれば説明に困っていただろう。例え相手がロイドでも不死者対策などと本当のことを告げるわけにはいかず、水産業に手を出すという言い訳も苦しすぎる。

 ただ拍子抜けすることに仕様を確認する以外、ロイドが深く追究してくる事はなかった。有り難いことなんだが何とも……。

 やはり共犯者というだけあり、ロイドとリリーシャの信頼関係は想像以上に強かったのだろう。

 それともリリーシャを手放さないために、多少の我が儘は無条件で受け入れるつもりなのか?

 軽く探りを入れた結果、返ってきた答えは「まあ殿下だから」の一言。さすがはリリーシャ、憧れも痺れもしないが。

 これはリリーシャの普段からの異常性に感謝するべきだろうか?

 

 また皇族という立場と閃光のマリアンヌの威光を利用した働きかけにより、アッシュフォード家からガニメデを借り受ける許可を得ることにも成功した。欲を言えばより性能が高いグラスゴーを用意したかったのだが、さすがに軍の機密施設=円卓から拝借する事は不可能だ。

 かつて孫娘のミレイ・アッシュフォードを俺の婚約者とする事で、皇族との繋がりを確固たるものにしようと画策した現当主=ルーベン・アッシュフォードなら、リリーシャを無下に扱う事はないと踏んだのだが、その考えは間違っていなかったようだ。

 事前に何度か研究施設に赴き、KMF開発に興味を抱いている姿勢を見せていたこと。そしてここでもロイドとの繋がりが役に立った。

 いくら皇族であり、異常性を持つリリーシャと言えど所詮は子供。二つ返事で承諾することは難しいだろう。

 故に──KMF開発に初期段階から参加している実績を持ち──次世代機械工学の分野で頭角を現わすロイドというカードが効果を発揮する。

 残念ながらアッシュフォードのKMF開発は頭打ちだ。それは歴史が証明している。母マリアンヌ暗殺の影響により開発が頓挫した事が主要因ではあるが、現状でもガニメデの後継機がグラスゴーとの設計開発競争(コンペティション)を勝ち抜けるとは思えない。

 元々専門分野が違う──アッシュフォード側は福祉利用の面からアプローチを支援していた──ため仕方のない事だが、それこそ小型化を始めとする根本的な技術革新(ブレイクスルー)が必要だ。尤もそれは当事者であるアッシュフォード側が一番理解している事だろう。

 ならば後はロイド側からの技術提供を匂わせてやればいい。

 実際に提供するかどうかはまた別に話だが、今後を見据えて恩を売っておくのも悪くはないと思っている。外部への情報管理を徹底する必要があるのは面倒だが。

 

 ただ、ギネヴィアとの最初の会談で知る事となったリリーシャの──俺が持つ未来知識や情報・技術を使用した──暗躍。

 それにより一体どこまで歴史改変が進み、また変化が起こっていくのか予測できず不安だった。

 最悪の場合、もう未来知識が通用しなくなる可能性を考えた。

 しかし俺の杞憂に反して、世界は何も変わらない。

 いや、何もというには語弊がある。俺が体験した過去には存在しないリリーシャ・ヴィ・ブリタニアと、彼女に内包されたもう一人のルルーシュ・ヴィ・ブリタニアが存在し、なおかつ双方が意志を持って動いていた以上、その結果多々差異が生じる事は当然だった。

 ここ数ヶ月に起こった出来事を、いくつか簡単に挙げるとすれば────

 

 

 

 まず何を置いても外せないのが、ナナリーとの関係の改善だ。

 なんと顔を合わせた際、逃げずに自分から挨拶してくれるところまで関係回復に漕ぎ着けた。その身に触れることは未だ許してはくれないが……。

 言いたいことは分かる。改善と言って良いのかは微妙だし、未だスタートラインに立てたのかすら怪しいが、何を馬鹿なことをとは言わないでくれ。

 かつての俺にとっては小さすぎる──というかむしろ後ろ向きの──一歩かも知れないが、今の俺にとっては人類の躍進に匹敵する一歩なのだから。

 一方でルルーシュとの関係改善は微塵も進んではいなかった。本当に二人の間に何があったというのだろうか? 原因を知る術もなく改善のきっかけもない事から、現在に至っても残念ながらルルーシュがリリーシャに向ける敵意に変化はない。

 それ程までに根深い問題なのだろう。時間が解決してくれる問題なのかは分からないが、今は待つほかないのかも知れない。

 

 

 次にユフィについてだが……はぁ、自称婚約者のままだ。もちろん何とかして考えを改めさせようとしたが「大丈夫です。リリーシャの本当の想いはちゃんと伝わっていますから」と自己完結していて受け入れてはもらえなかった。それどころか、普段から行動を共にしているアーニャに嫉妬し、事ある毎にべったりとくっついてくる。むしろ悪化していると言って良い……はぁ。

 そんなユフィは勉学に励み、どんな英才教育を受けているのか、想像を遙かに超えた勢いで学力を身に付け、また知識を蓄えている。果たして近くに居るリリーシャという例外の影響か、はたまた彼女本来の潜在能力が開花したのか。

 最近では政治経済だけでなく軍事関連、特にKMFに興味を持ち、軍に見学へ行きたいとコーネリアを困らせているらしい。予期せぬユフィの成長にコーネリアを始め、リ家は頭を痛めていることだろう。

 

 

 そしてユフィに対抗心を燃やし、俺の騎士になると公言したアーニャは、有言実行とばかりにジェレミアとの早朝訓練を含む自主訓練に参加し、共に汗を流していた。

 さすがは──現状雲行きは怪しいが──未来のラウンズ候補。まるで乾いた大地が水を吸い込むかの如くメキメキと力を付けている。

 ただその一方、彼女もまた思わぬ方向へ進化しているのではないかと思う。

 何がそう思わせるのかと言えば、彼女の姿を見れば一目瞭然だった。

 裾の長い黒のワンピースに、フリルで装飾された白いエプロンを組み合わせたエプロンドレス、頭部にもエプロン同様にフリルで装飾されたカチューシャ=ホワイトプリムが載せられている。ヴィクトリア朝の侍女服。そう、俗に言うメイド服を身につけている。

 何故だとは問わない。普段から侍女の真似事を続けていたアーニャに対し、母マリアンヌが悪ノリした結果だ。どうせ、俺が喜ぶとかリリーシャはメイド萌えだとでも吹き込んだのだろう。本当に止めて欲しい。

 しかも思考を毒された本人が妙に気に入ってしまったため四六時中、それこそ訓練にまでメイド服着用で参加する始末。

 アーニャ曰く「戦闘メイドは正義」らしい……。

 似合っているのだから最早何も言わないと諦めた。

 

 

 ギネヴィアとの関係も依然続いている。

 一度蛇の巣穴に飛び込んでしまった以上、さすがに簡単には逃がしてくれそうもない。下手に手を切ろうとしたら、文字通りの意味で俺の首が切られてしまうだろう。

 故に不正情報リストの中でも下位の使い道が少なく、情勢に対して影響力の低い連中を貢物というか生贄に捧げ、お茶を濁し続けている。

 その成果もあって関係は良好……とは楽観できない。利用価値がなくなれば、もしくは邪魔になればいつでも切り捨てる冷酷な蛇が相手なのだから。

 はぁ、会う度に胃が痛くなる。胃薬の買い置き、まだあったかな?

 

 

 ギネヴィア繋がりで言えば、彼女を介してカリーヌ・ネ・ブリタニアと茶飲み友達となった。

 そう言えば前の世界でも何故かカリーヌはギネヴィアに懐き、二人が一緒にいる場面を度々目撃していた。幼いカリーヌにはギネヴィアの本質が理解できないのだろう。逆にギネヴィアはカリーヌに対して利用価値を見出していたに違いない。

 ただこの時期のカリーヌにはまだ傲慢さがなく、好戦的な性格でもなく、素直に俺の事をリリーねぇたまと呼んで慕ってくれる無邪気な幼女。満面の笑みを浮かべてクッキーをもきゅもきゅ食べる姿は、妹成分が欠乏している今の俺にとっては目の毒だった。ナナリーには及ばないが、それでも可愛い妹だ。出来ればこのまま成長して欲しいと切に願う。

 

 

 ああ、妹と言えばジェレミアの妹、もう一人のリリーシャことリリーシャ・ゴットバルトと、予てより約束していた茶会の席で出会った。約束を反故にするような皇族に民はついてこないからな。

 だが何というか、その出会いは彼女に対する苦手意識を植え付けた。

 初見のイメージはお淑やかな気品ある貴族令嬢だったのだが……。

 いきなり跪かれて足の指を舐められた。

 恥も外聞もなく悲鳴を上げてしまった俺は悪くないと思う。

 ゴットバルト辺境伯家直伝の最上級の忠誠の示し方らしいが、絶対に間違っているとしか言えない。大丈夫か、ゴットバルト家?

 あ、当然嘘だった。

 自慢の妹だと紹介したジェレミアが本気で怒った姿を初めて見た。というか怒りながら泣いていたのかも知れない。

 当の本人に反省の色はなく、興奮した様子で「至高の御御脚ですわ♪」等と平然と口にしていたが。

 アーニャといい、前の世界のミレイ会長といい、どうして俺の出会う貴族令嬢(笑)はこうも微妙な方向にアクティブなのだろうか。

 

 

 

 列挙すれば切りがなく、詳しくはまたいずれ語る機会があるかも知れない。

 だが大きな視点で見れば、歴史を揺るがすような変化は俺の周囲でも、世界情勢を見ても起きていない。

 自然災害などの発生場所や日時も俺の記憶と符合する。ただそれによって生じた犠牲者を救う手立てがなかったのかと問われれば正直答えに困る。救えたかも知れない命があったことは素直に認めよう。見殺しにしたと批判されるなら、それも受け入れる。だけど俺は万人を救える全知全能の神ではない。俺が出来るのは精々心根の優しい子供を演じ、外交に携わるシュナイゼル辺りに国際援助の強化を働き掛け、罪悪感を薄めることぐらいだった。

 

 世界は変わらない。

 だとすれば間違いなくあの日は訪れる。

 そう、間もなく訪れ……。

 

 

 

 

 

「────────────────────ニア様、御入来」

 

 

 

 

 

 両開きの巨大な扉が音を立てて開き、その音に釣られて思考の海を抜ける。

 

 密やかに交わされる周囲の囁きが耳に残り、酷く不快だった。

 

 ヤメロ。

 

 静かなざわめきの中、強い想いを込め、毅然とした足取りで赤絨毯を踏む足音が止まる。

 

 ソンナハズハナイ。

 

 上げた視線の先、かつての自分と同じ容姿の少年が告げる。

 

「皇帝陛下」

 

 ウソダ……。ダッテマダ……。

 

「母が身罷りました」

 

 アア、ナニモキコエナイ。

 

 目の前にノイズが走り、意識が遠退いていく。

 

 

 

 世界は俺の決意を嘲笑う。

 これが俗に言う世界の修正力とでもいうのか?

 っ、ふざけるな。

 

 リリーシャが何か対策を施しているのではないか?

 そんな甘い考えが脳裏を過ぎり、安易な妄想に縋ろうとする自分の愚かさに殺意が湧いた。

 

 世界は甘くない。

 そんな事は昔から嫌というほど知っていたはずなのに、現状に戸惑いながらも、未来知識という力に溺れ、また自分は特別な存在だと自惚れて居たのだろう。

 

 最大のアドバンテージである未来情報が通用しない可能性に気付いていたはずだ。

 それこそ俺がリリーシャとなる前から、この世界は俺が生きていた世界とは別の道を歩んでいた。

 似て非なる世界である以上、未来知識が通用するという大前提から間違っていたのかも知れない。

 

 だが何れにしろ現実は変わらない。

 世界は変わらない。

 

 

 冷たい雨が降った。

 アリエスの離宮に銃弾という名の雨が……。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第24話

 

 他者を拒み圧倒する巨大な扉がゆっくりと開かれる。

 

「神聖ブリタニア帝国、第十七皇位継承者、ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア様、御入来」

 

 その声と共にペンドラゴン皇宮=謁見の間へ、年端も行かぬ少年が足を踏み入れる。

 

 少年はその内に抑えきれない怒りを抱き、睨むような鋭い視線でただ前を見据えていた。

 参列した数十人の貴族達が向ける好奇と憐れみの視線を一身に浴びながら、それでも毅然とした足取りで赤絨毯を踏む。

 

 母親が殺され、妹も足を撃たれ、その精神的ショックで視力を失った。もはや政略にも使えない身体だ。

 皇族が住まう離宮の厳重な警備網を考えれば、テロリストが襲撃を成功させるなど本来は不可能なはず。

 ならば事件の裏で仕組んだ者が居るのでは?

 何れにしろ彼の芽はなくなり、後ろ盾のアッシュフォード家も終わった。

 

 密やかに交わされる周囲の囁きが耳に届くが、少年は気に留めはしない。

 彼がその視線の先に見据える相手はただ一人。

 玉座に威風堂々と鎮座し、見下すように睥睨する男。

 彼の父親にして、神聖ブリタニア帝国第98代皇帝=シャルル・ジ・ブリタニア。

 

 だが────

 

「しかしもう一人の妹君、見目の良いリリーシャ様がいらっしゃる」

 

「御身体が弱いらしいが、最近は調子も良いと聞く」

 

「しっ、本人に聞こえてしまいますぞ」

 

 静かなざわめきの中、その名を聞いた瞬間、少年は僅かに眉を顰めた。

 爆発しそうになる感情を押し殺すように強く奥歯を噛み締める。

 

 やがて少年は玉座の前へと辿り着く。

 同時に貴族達はざわめきを止め、彼がどんな言葉を口にし、そして皇帝陛下がどんな言葉で応じるのか、それを聞き逃すまいと耳を傾けた。

 膝を折り、敬意など微塵も無い形だけの儀礼の挨拶を済ませると、強い意志を込めて告げる。

 

「皇帝陛下、母が身罷りました」

 

 受け入れがたい現実。

 愛すべき日常の崩壊。

 それは彼にとって紛れもない悲劇。

 

「だから、どうした?」

 

 対する皇帝は特別関心も抱いていないのか、平然とした態度で応えた。

 それこそまるで「今さら何を当たり前のことを」とでも言いたげに冷たく突き放す。

 

「だからッ!?」

 

 しかしそれは少年にとって、想像すらしていなかった言葉。

 いや、歳不相応な利発さを持つ彼の事だ。予測はしていたが認めたくないと、意図的に思考から遠ざけていたのかも知れない。

 実の父から齎されたのは癒しでも救いでもなければ、ましてや同情ですらなかった。

 目の前の男に対する失望、そして自分達家族は見捨てられたのだという強い怒りと絶望、僅かな悲しみが彼の身を支配する。

 

「そんな事を言うためにお前は、ブリタニア皇帝に謁見を求めたのか。次の者を、子供をあやしている暇はない」

 

 どこまでも冷たく、神経を逆撫でするような対応だった。

 

「っ、父上!」

 

 思わず少年は『皇子』という仮面を脱ぎ捨て、父である皇帝の下へ詰め寄ろうとする。

 同時に彼の身柄を取り押さえるために衛兵が動くが、皇帝はそれを手で制した。

 

『イエス、ユア・マジェスティ』

 

 父と子、二人の距離は近い。数歩歩み寄れば手が届くほどに。

 だが皇帝と皇子の距離は絶望的に遠かった。

 

「何故、母さんを守らなかったんですか!? 皇帝ですよね!? この国で一番偉いんですよねっ!? だったら守れたはずです! ナナリーの所にも顔を出すぐらいは────」

 

「弱者に用はない」

 

 目を瞑り、子供の思いの丈を受け止めていた皇帝が徐に放った一言が、再び少年に大きな衝撃を与える。

 

「弱者……?」

 

 その言葉をすぐには理解できなかった。

 

「それが、皇族というものだ」

 

 弱者。

 その言葉が何を指しているのか、それを理解した時、彼の中で何かが弾けた。

 

「なら僕は…皇位継承権なんていりません!」

 

 成行きを見守っていた貴族達の間にざわめきが起こる。

 

「貴方の後を継ぐのも、争いに巻き込まれるのも、もうたくさんです!」

 

 激情のままに叫ばれた言葉。

 それは皇族という地位を、何不自由のない生活を自ら手放すも同じこと。

 彼は皇位継承者、ただの子供ではない。

 そして相手は専制君主制国家における最高権力者、誰にもその決断を覆すことの出来ない唯一皇帝。

 一度吐いた唾は飲み込めない。

 ならば訪れる未来は────

 

「死んでおる」

 

「っ!?」

 

「お前は、生まれた時から死んでおるのだ。身に纏ったその服は誰が与えた? 家も食事も、命すらも、全て儂が与えたもの。

 つまり! お前は生きたことが一度もないのだ!

 然るに、何たる愚かしさ!」

 

 玉座から立ち上がった皇帝が纏う覇気と風格は他者を威圧し圧倒する。

 例え普段大人びた思考を持つ皇子と言えど、子供が耐えられるようなものではなかった。

 

「ひっ……うぁっ」

 

 気圧され、尻餅をつき、脅えたように震える少年。

 先ほどまで身を焦がしていた激情は完全に霧散していた。

 

「ルルーシュ。死んでおるお前に権利など無い。ナナリーと共に日本へ渡れ。皇子と皇女ならば、良い取引材料だ」

 

 告げられた言葉。

 それはもう後戻りの出来ない別離の言葉だった。

 

 

 

     ◇

 

 

 

 虚ろな瞳をし、力ない足取りで謁見の間を後にするルルーシュ。

 誰が見ても彼は紛れもなく敗北者だった。

 だがその姿に失笑を零す者は居ない。むしろ幼い兄妹に対するあまりの仕打ちに憐れみ、同情する者も多い。

 俺はその光景を、どこか現実感の伴わない第三者の目線で眺めていた。

 

 皇帝が命じた日本への渡航。

 現在の社会情勢を鑑みれば、それがどういう意味を持つのかは自ずと見えてくる。

 外交上の人質。

 いや皇帝が欲する神根島の遺跡。その存在を知る者からすれば、やがて訪れる開戦の為の生贄だと容易に想像が付いたことだろう。

 

 一体何が起こったのか? 

 その問いに対する詳しい説明は最早必要ないだろう。かつて嫌と言うほど調べ尽くし、それでも真実には辿り着けなかったのだが。

 表向きはテロリストによるアリエス離宮への襲撃。

 母マリアンヌはナナリーを庇い死亡。

 ナナリーは銃弾を受けて足を負傷、母親の暗殺に巻き込まれた精神的ショックで視力を失う。ただ前の世界と違い、怪我の重度は低く、銃弾が神経や骨髄を逸れていた為、医師からはリハビリをすれば再び歩くことが可能だとする診断が下された。

 不幸中の幸い?

 馬鹿を言うな。この世界でもナナリーは心身共に傷付き、皇帝のギアスのよって偽りの記憶さえ植え付けられた。

 今度こそナナリーだけは巻き込ませないと決意し、何があっても守ると誓っておきながら、俺はまたッ……。

 

 噛み締めた唇が裂け、鉄の味が口内に広がる。

 

 何が起こるのか知っていながら防げなかった。

 知り得るからこそ、その罪は重い。

 もちろん世界を望むが儘に操ることが出来るなど傲慢であり、自惚れた考えであったことは十分理解している。

 しかしそれでもと思わずには居られない。

 

 ……嗚呼、分かっている。今俺がするべき事は起こってしまった出来事に嘆き、後悔に暮れる事ではない。起こってしまった以上これからどうするか、それを考え、実行する事だ。

 まだだ、まだやれる事が、やらなければならない事が多分に残されている。

 立ち止まることは許されない。

 ベストが無理でもベターな未来を────

 

「リリーシャ、お前はどうするのだ?」

 

 静まり返った謁見の間に響く声。この状況で言葉を発せられる人間は一人しか居ない。

 それと同時、参列する名だたる貴族達の人垣が割れ、彼等の視線が謁見の間の隅、末席に立つことが許された一人の少女に集まった。

 処遇が決まっていない第五后妃マリアンヌのもう一人の遺児=リリーシャ・ヴィ・ブリタニア。

 つまり今の俺へと。

 

 見下すような尊大な視線、他者を圧倒する重圧を真正面から受け止め、それでも怯むことなく視線を返す。失態を見せた当時と違い、この程度で今の俺が気圧されることなどありはしない。

 

「ほぉ、異議があるなら申してみるが良い」

 

 俺が向ける視線に含まれた明確な敵意を感じ取ったのだろう皇帝が、僅かに口元を歪める。

 

 まるで誘われるかのように自然と足が前に出た。

 歩みを進め、玉座に座するその男と対峙する。

 神聖ブリタニア帝国第98代皇帝=シャルル・ジ・ブリタニア。

 実の父親にして、俺にとっての最初の敵。

 超常の力と太古の技術(ロストテクノロジー)を駆使し、神殺し=既存の世界の破壊を企てる男。

 その本質は他人を信じることの出来ない臆病者か。

 

 ただ現状、異論など唱えられるはずがなかった。

 仮に唱えたところで、相手の地位を考えれば意味などない。どんな命が下されようと、抗ったところで最後は受け入れるしかなかった。いや、自ら命を絶てば話は別だが……。

 この男はそれを知っていながら問いを投げ掛けている。

 陛下も酷なことをなさる、そんな周囲の呟きが聞こえてきそうだ。

 そもそも参列を許可したのも、目の前で繰り広げられた光景の一部始終を見せつける為だったのだろう。

 本当に悪趣味としか言えない。

 

「発言をお許しいただき感謝します、皇帝陛下」

 

 ドレスの裾を摘み上げ、恭しく頭を下げる。

 さて、問題はここからだ。

 被害を最小限にし、この事態を最大限に活かす為にはどうすれば────

 

「ですが異論など微塵もございません。陛下の御言葉は何も間違ってはいないのですから」

 

 ッ、どういうことだ!?

 考えをまとめるよりも早く、俺の意思とは無関係に開かれた口。そこから紡ぎ出された言葉は意図せぬ──図らずも目の前の男を肯定する──ものだった。

 声の主は紛れもなく俺?

 いや違う、まさか…これは……。

 脳裏を過ぎるのは、いつか彼女が告げた言葉。

 

“私は再び眠りに就かせてもらうよ。『来るべき時』のために出来るだけ力を蓄えときたいからね”

 

 それがもし、この瞬間であったなら……。

 戸惑う俺を余所に尚も言葉は続いた。

 

「先ほど兄上に仰った御言葉には甚く敬服いたしました。

 陛下の御慈悲がなければ生きられぬ私もまた死んでいるのでしょう。故に死者である私に異議を申し立てる権利があるはずもございません。

 陛下がお望みになるのでしたら、私は日本でもEUでも中華連邦でも、どこへだって赴き、この命を散らせてみせましょう」

 

 兄とは対照的に一切の私情を捨て、場の空気に呑まれることなく、歳不相応に語る少女の姿を一体誰が予想できただろう。

 

「弱肉強食は原初の理です。

 有史以来、人の世が平等であったことは一度としてなく、生ある限り必ず勝者と敗者が生まれる。

 例え生まれが皇族と言えど、母も妹も守ることの出来なかった私は、陛下が仰るように皇族たり得ぬ弱者に他なりません。虐げられ、踏みしだかれ、搾取されるだけの存在……」

 

 リリーシャの言葉を聞いた貴族達には、自らを卑下しているように聞こえたことだろう。

 だが俺には分かる。

 真実を知るリリーシャにとって、語る言葉は父に対する皮肉だった。

 地位も権力も持ち合わせながら、妻も娘も守れないお前も口先だけの弱者なのだと告げている。

 

「ですが今ここに誓います。

 いつか私は生きた人間として、この国を平らげるほどに強くなりましょう。

 僭越ながらその暁には是非、陛下に御相手いただきたく思います」

 

 そう言って挑戦的な視線で皇帝を見上げ、リリーシャは笑みを浮かべた。

 

 刹那、固唾を呑んで見守っていた貴族達の間にざわめきが起こる。

 それは先ほどまでの比ではないだろう。

 

 同様に俺も平静では居られず、驚愕に思考を侵され言葉を失った。

 リリーシャが自分の告げた言葉の意味を理解していないはずがない。

 その言葉がやがて世界の三分の一を統べる事となる、神聖ブリタニア帝国皇帝に対する宣戦布告である事を。

 

「くっ、フハハハハハハハハハハッ!」

 

 謁見の間に響く笑い声。

 

「この儂に、ブリタニア皇帝に挑むか。

 面白い。

 ────リリーシャよ」

 

「はい、陛下」

 

「良いだろう。お前の願い、しかと聞き届けよう。

 その日まで精々死に、そして生きるが良い!」

 

 その瞬間、皇女による皇帝への、娘から父に対する宣戦布告の誓いは締結された。

 

 

 

 多くの者は超大国ブリタニアの支配者に挑むなど無謀だと嗤い、兄妹揃って馬鹿な子供だと誹り、やがては忘れ去ることだろう。

 だが彼等はいつの日にか思い知る。

 表舞台に舞い戻った兄妹が、力なき子供では無いことを。

 

 そして思い出す。

 始まりは今日この日であったことを。

 

 

 

 

 

     ◇

 

 

 

 

 

 どうしてこうなった?

 その自問ばかりが溢れ出し、頭の中をグルグルと回る。

 

 

 当てもなく、彷徨うかのように、覚束ない足取りで人気のない通路を進み、ペンドラゴン皇宮の奥へと進んでいく。

 母親が暗殺された直後の子供が護衛もなく、一人出歩くことは軽率な行為だと言える。周りが不審に思うだろうが、それでも今は一人になりたかった。

 

 曖昧な感覚。

 まるで自分の身体ではないようだ。

 くくっ、言い得て妙だな。

 そう、この世界には最初から俺に自分の身体など存在していない。

 ただ別世界から精神のみが寄生したノイズ、リリーシャという器が存在しなければ無意味で無価値な存在。

 それが実情だった。

 

 一体どこへ向かおうとしているのか分からない。

 目的があるのかも分からない。

 何かを、いや誰かを待っているのかも知れない。

 だがそんな事はどうだって良かった。

 

 俺の浅はかな考えなど無駄だと言わんばかりに訪れた第五后妃暗殺事件。

 未来知識が通用しない現実を突き付けられ、果たして事の顛末は俺が知っている通りだったのだろうかと不安と疑問が込み上げてくる。

 この世界でも母マリアンヌは死に際にギアスを発動し、アーニャの精神へと渡ったのだろうか?

 ただ俺の記憶との差異──ナナリーの怪我の程度──を考えた時、最悪のケースが脳裏を過ぎった。

 もし母マリアンヌがアーニャではなく、本当に現場に居合わせたナナリーの精神に寄生していたとしたら?

 荒唐無稽な考えだとは言い切れず、コード保持者であるC.C.もアーニャの精神に母マリアンヌが寄生していた事実を知らなかった事から考えて、それを確かめる方法もない。

 いや、母マリアンヌのギアス発動を防げなかった以上、どちらにしろ対処の要となるのがアンチギアスシステム=ギアスキャンセラーだ。尤もこの世界ではジェレミアを実験体として改造させるつもりはない為、確実に入手できる目処は立っていない。

 その事実に揺らぐ弱い心。

 

 そしてその動揺、混乱が収まりきらない内に追い打ちを掛けるように行われた、リリーシャによるブリタニア皇帝への挑発的な宣戦布告。

 自分の聴覚を疑わずにはいられなかった。

 

 あの男の計画を容認することは絶対に出来ず、ラグナレクの接続を阻止する以上、何れ敵対する事は避けられなかったのは間違いない。

 もちろん穏便に解決できることに越したことはないが、あの男がこちらの意見に耳を傾け、考えを改めるとは到底思えない。

 それでも現時点での宣戦布告は早すぎる。

 いくらリリーシャが年不相応の思考及び身体能力と、俺から手に入れた未来知識や情報を有していたとしても、どう考えたって押し潰される結果しか見えない。抵抗する子供一人無力化するぐらい簡単な相手なのだから。少なくとも一定以上の戦力を用意する必要がある。

 

 これはもうあの場で皇帝暗殺に動かなかっただけマシと考えるしかない。

 見敵必殺を掲げるリリーシャにとって謁見は紛れもなく好機。ドレスに暗器を忍ばせるぐらいは平然とやる。現に彼女の所持品の中にセラミック製のナイフや布地に仕込んだ鋼糸、睡眠導入剤や筋弛緩剤等の薬瓶を確認している。

 ただ仮にあの男の暗殺に成功しても失敗してもその後がない。

 弱肉強食を掲げ、皇族が皇位継承権争いを繰り広げているブリタニアといえど、皇帝暗殺は重罪に変わりなく、如何に皇族を厳罰に処する法がなくとも弑逆者として囚われ、二度と日の目を見ることは叶わなかったことだろう。

 

 しかしこれで皇族の地位を固持し続け、長い時間を掛けて──スザクじゃないが──内側からブリタニアという国の体制を変えていくという穏健策を執ることは出来なくなった。

 宣戦布告により完全に退路は断たれ、もはや修正は不可能と考えて良い。

 

 一体リリーシャは現時点で何を以て勝機を確信し、勝負に出ると決断したのか?

 判断材料が何なのか俺には到底理解できなかった。

 その意図を直接本人に問い質そうにも、黙りを決め込んでいるのか何度呼びかけても反応はない。彼女の性格を考えれば、俺が右往左往する姿に腹を抱えて笑っている光景を想像するのは難しくない。

 

 はぁ……、と大きく溜息を吐く。

 その刹那だった。

 

「リリーシャ様」

 

 不意に声を掛けられ足を止める。

 視界に捉えたのは神官服とでも言えばいいのか、宗教関係者を連想させる長衣に身を包んだ男達。

 素顔を隠すように頭から被った黒い布の額部分に描かれた──羽ばたく鳥のような──模様を見れば、彼等の素性を察することは容易だった。

 

 ギアス嚮団。

 コード保持者たるC.C.及びV.V.を嚮主と崇め、コードやギアス、それに類似する超常の力。また世界各地に残された太古の遺産を研究開発し、太古より人々に畏怖を与え、信仰心を刺激する『何か』を追い求める狂信者。

 ただ彼等が求める『何か』が果たして集合無意識だったのか、それともCの世界だったのかは分からない。尤も永遠に解き明かされることのない問いという可能性も十分にあり得るだろう。

 何れにしろ、彼等とこの神聖ブリタニア帝国との結び付きは深く、資金や資材の提供を受ける対価として闇の大部分を司っている。

 近代のブリタニアが不自然とも思える急激な勢力拡大を成し遂げた背景には、ギアスと彼等=ギアス嚮団の存在があったことは間違いない。

 

「何の用かな? 宗教の勧誘なら間に合っているよ。生憎と私は神に祈りを捧げる敬虔な信徒にはなれそうもないからね」

 

 いや、それは神殺しを画策する嚮主に仕えている彼等も同じか。

 

「皇帝陛下がお呼びです。どうか我々に御同行願います」

 

 俺の皮肉を気にも留めず男は告げる。

 

 あの男からの呼び出し。

 用件は分かっている。

 あの場で──多くの貴族達の前で──認めた以上、宣戦布告に対する報復行為とは考えられない。

 

 目的は何か?

 

 あの男が保持するギアスによる記憶の改変。

 前の世界で俺は、行儀見習いとしてアリエス離宮に訪れていたアーニャの事を、まるで憶えて居なかった。にも関わらず、彼女が愛用の携帯電話には親しげに笑みを向ける幼少期の俺の姿が収められていた。

 その事実から、暗殺偽装に際してナナリーやアーニャだけでなく、俺もあの男のギアスにより記憶を書き換えられたのだと推論付けられる。

 

 ならば何時どこでギアスを使用されたのか?

 

 暗殺事件後、皇帝を含め皇族周辺の警備はより厳重なものとなり、公務内容も変更されていた。そんな中で人目を気にせず自由に動き回る事は難しい。

 だとすればあの謁見の後、俺がペンドラゴン皇宮に滞在している間に何らかの接触があったと考えるのが妥当だ。

 目的が目的であり秘密裏に接触を持つ以上、直属の騎士であるナイトオブラウンズや身辺警護を担当する近衛騎士インペリアルガードではなく、非公式の組織であるギアス嚮団を動かしたとしても何らおかしな事ではない。機情や特務局が動く可能性も予想はしていたが、帝国側の人間は使いたくなかったのだろうか。

 

「嫌だと言ったらどうするのかな?」

 

「少しばかり強引な手段を執らせていただきます。もちろん陛下の許しは得ておりますのでご安心を」

 

 男が告げるとほぼ同時、新たに出現した人の気配を背後に感じる。

 どうやら前後を抑えられたようだ。

 

「私は今機嫌が悪いんだ。相手になるなら容赦はできないよ?

 こう見えても少しばかり腕には自信があってね。閃光のマリアンヌの娘に恥じないと思っているんだ」

 

 彼の閃光のマリアンヌによって半強制的に鍛え上げられたこの身体のスペックは、俺自身が最も理解している。

 例え大の大人を複数相手にしても余裕で立ち回れ、圧倒し制圧できるだけの力を持つ。非力な子供という外見に騙されれば痛い目を見ることになるだろう。

 さらに今回、幸いなことに相手は俺の身柄確保を目的としている以上、殺す覚悟で向かって来ることはない。急所は狙い難く、場所柄も考慮すれば銃火器類の使用も制限されている。

 母マリアンヌとの訓練と比べれば、降すのは簡単な相手だ。

 

 とはいえ相手はブリタニア皇帝を後ろ盾に持ち、ギアス能力者を保有するギアス嚮団。彼等が本気を出せば逃げ切れるとは考えていない。

 それでも相手の思惑通りに動くのは癪に障るのも事実。

 これが単なる八つ当たりや憂さ晴らしの類であり、嫌だと子供が駄々を捏ねる行為と同等である事は理解しているつもりだ。

 我ながら何とも幼稚な思考だと思うが、それでも良いじゃないか。

 今の俺は、私は子供だよ?

 

 人間は簡単に死ぬ。

 脳を破壊すれば、臓器を破壊すれば、呼吸を止めれば、過剰な痛みを与えれば、多くの血液を失えば、そして精神を破壊すれば……。

 

 思考がただ一つの事の為だけに最適化されていく。

 すなわち敵を、邪魔者を排除する事の為に。

 この身体は剣と化す。

 

「リリーシャ様の武勇は聞き及んでおります。彼の閃光の寵児、我々とて正面から事を構えるつもりはありません」

 

「ならば退くかい?」

 

「残念ながらそれは出来ません」

 

 顔を隠す黒布の下で、男が嘲笑を浮かべたことに気付く。

 

「────出番だ」

 

 その声に男の背後から一人の少年が顔を覗かせた。

 愛らしい顔立ちだが表情は乏しく、それで居て怯えを含んだ瞳。羽毛のような柔らかな髪。年齢はナナリーと同じぐらいか。

 

「っ、まさか」

 

 お前は!?

 

 目の前の少年と記憶の中で眠る弟の姿が重なった。

 いや、弟の経歴を知るが故にその可能性は十分に考えられる。

 

 俺の命を救う為に自らの命を捧げた、ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアの偽りの弟であり、ルルーシュ・ランペルージの本当の弟。

 その名は────

 

 同時、少年の瞳に浮かび上がる紋章。

 そして紅の凶鳥が羽ばたい────

 

 

 世界が停止する。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第25話

 

 混濁していた意識が明瞭さを取り戻し始め、同時に焦点の定まらなかった視覚機能も正常に働き始める。

 

 っ、ロロ!?

 

 真っ先に思い浮かんだのは意識を失う直前に見た弟の姿。探すもその姿はどこにもなく、ただ目の前には薄暗い空間が広がっているのみだった。

 

 ロロ・ランペルージ。

 ブラックリベリオンでスザクに敗れた俺はあの男の前に引き立てられ、記憶改変のギアスによりゼロに関する記憶、皇族であった時の記憶、そしてナナリーの記憶を奪われた。

 そんな俺に新たに与えられた役は──表向き──コード保持者である魔女を誘い出す為の餌として、エリア11の狩場=アッシュフォード学園で学生生活を送ること。

 あの男とV.V.の間に意見対立のあったようだが、何とも回りくどい手段を執ったものだと改めて思う。

 餌となった俺の監視役であり、記憶を取り戻した際、再びブリタニアに反逆する前に始末する事を目的として、ギアス嚮団から機密情報局に派遣されたのがロロだった。

 その人選はおおよそV.V.が計画を了承する交換条件として、自分の支配下にある嚮団関係者を送り込もうと画策した結果だろう。

 最初はナナリーの居るべき場所に何食わない顔で存在している事が許せず、嫌悪の情を抱かずにはいられず、懐柔し、利用し尽くし、使い潰す気でいた。

 そして俺にとって日常の象徴であったクラスメイト=シャーリーを手に掛けたことを知った時、明確な殺意すら抱く。

 だから俺はロロを殺すつもりでいた。殺そうとして殺しきれず、その結果、ロロは俺を守って永遠の眠りに就く。自分が利用されていた事を自覚していながら、自分を罵倒し、殺そうとした俺なんかを最後まで兄と慕って……。

 ロロが何を考え、何を思い、その結論に辿り着いたのかは分からない。

 それこそマオが持つ読心のギアスやラグナレクの接続の完遂を迎えた後の世界でしか、他人の本心を識ることなど出来はしないだろう。

 だがその純粋すぎる想いは、俺のロロに対する認識や見解を改めるには十分だった。愚かしくも単純だと笑うなら、好きなだけ笑えばいい。

 それでも俺は今、ロロをギアス嚮団から救いたいと思っている。

 

 嚮団の駒であり続ける限り、やがて訪れるであろう結末を予測することは難しくないだろう。

 ロロに発現したギアスは絶対停止の結界と呼ばれる、任意に変更可能な効果範囲内の人間の体感時間を停止させる能力。

 その能力を嚮団は暗殺任務に使用し、破格の効果を得ていたとされている。

 しかし万能の力など存在しないということか、絶対停止の結界には看過できない副作用があった。ギアスの発動中、使用者の心臓は停止する。その為、長時間の使用や連続使用は心臓に大きな負荷を与える事となり、心不全を引き起こし、最悪の場合は心停止という結果を生む。もちろん心臓だけでなく、血中酸素の低下による脳を始めとする臓器へのダメージは計り知れない。

 

 それを理解していながら嚮団はギアスの使用を強要し、また断ることの出来ない状況を作り上げている。

 ギアスの研究開発、実験には莫大な資金が投入されている以上、生み出したギアス能力者を簡単に手放すことはないだろう。

 故にロロを始めとする被験体となった子供達は、逃れられない闇の中で、その決して長いとは言えない生涯を終える。

 

 どうにかしたいと願っても、それを叶えられる力は今の俺にはない。

 それこそ正当な手段で実現する為には皇帝の座を手にする必要があるが、問題なのは先に挙げた穏健策と同様、リリーシャが行った宣戦布告による影響だ。皇帝と敵対した以上、最悪の場合は廃嫡、つまりは継承権の剥奪の可能性も覚悟しなければならない。

 尤もこの手段には相応の時間を要するため現実的な妙案とは言えず、もしその期間に嚮団がブリタニアからの資金提供を必要としないだけの資本を確立すれば、ブリタニア皇帝の影響力は失われていく。さらに考慮すべきはブリタニア以外の国との繋がりだ。現に俺が殲滅命令を下した拠点は中華連邦領内に存在し、他にもEUや中東、アフリカ諸国勢力下にも拠点があったことは確認している。各国政府との繋がりはなかったようだが、仮に嚮団がブリタニアから離れ、他国と結び付き、そこから情報や人材が流出したとしたら……。

 超常の力=ギアス。相手にするには厄介すぎると、身を以て知っている。ギアス飛び交う戦場なんて想像したくもない。

 

 もちろん別の案としては、嚮団の意思決定権を持つ嚮主の座を確保するという手段も考えられる。

 簡単なのはV.V.からコードを奪い、コード保持者として嚮主に君臨することだが、現時点ではその前提となるギアスを手にする、もしくはギアスを再び使用することが出来るか分からない。

 ならばV.V.の身柄を確保し、洗脳または精神を破壊することで傀儡とするのも吝かではないが、第五后妃暗殺事件という確定された接触の機会を逃してしまった以上、身柄を確保する事も難しい。

 

 結論としては何れにしろ現時点では保留にするしかなかった。

 こんなに近くにいるのに、今はまだ手が届かない。

 もどかしさだけが強く後を引く。

 

 

 

    ◇

 

 

 

 そろそろ閑話休題としようか。

 ルルーシュくんはセンチメンタル過ぎるよ。まあそれもある種の美点ではあるんだけど、過去や未来ばかり見ていないで現実を見た方が良いと思うのは私だけじゃないはず。短くもあれだけ波乱に満ちた人生を歩んだ結果としては分からなくもない。だからこそ今という刹那の価値を見直して欲しいとも思うのだけど。

 

 身体を動かそうとしても筋肉が弛緩しているのか動かない。意識の混濁といい、薬でも使われたかな? 

 よほど警戒されているようだね。

 まったくルルーシュくんが好戦的な態度を取るからだよ。これは可憐で儚いリリーシャさんのイメージに傷が付いてしまったかな? ん、なに? 文句があっても聞かないよ。

 

 ふと視点を落として気付く。

 どうやら身体の自由が奪われているのは薬だけが理由ではないようだ。

 私が今身に付けているのは──かつて寂しがり屋の魔女が自分にはお似合いだと皮肉を込めて自ら纏うこともあったらしい──ブリタニア製の白い拘束衣。

 無理に動かそうとすれば身体に食い込み、何とも言えない気分にさせてくれる。

 ふふっ、一体誰が着替えさせたんだろうね?

 

 特に羞恥に頬を染めることもなく、唯一自由な首から上を動かして周囲に視線を向けてみる。

 周囲に監視者などの気配はなく、呼び出した張本人を除けば、私一人がこの薄暗い空間に放置されているようだ。拘束衣のことも考えれば、これはあれだね。放置プレ───んんっ、危ない危ない。ついつい可憐な幼女に相応しくないワードを口にしてしまうところだったよ。

 どうやら柄にもなくテンションがおかしいようだ。でも私だって喜怒哀楽のある人間だからね。こうも事態が順調に進んでいると舞い上がってしまうのも無理はなく、むしろ人として自然なことだと思うんだ。と自己弁護しておくよ。

 もちろん、だからといって最後まで気を抜くようなヘマはしない。ここまで来て足下を掬われたくはないからね。

 

 さてこの薄暗い空間についてだが、よくよく見ると単に光源が落とされた謁見の間のようだ。でもこうして見ると結構雰囲気が変わるね。

 まるでスポットライトを浴びるかのように光に照らし出された玉座。そこに腰を下ろすのは当然我らが父、ブリタニア皇帝=シャルル・ジ・ブリタニア。

 ルルーシュくんの記憶──ブラックリベリオン敗戦後──で見た光景を思い出し、思わず笑いそうになる。似てるとは思わないかい? 果たしてこれは偶然かな、それも必然なんだろうか?

 ま、どちらでも構わないんだけど。

 

「これはこれは皇帝陛下、このような格好で失礼するよ。

 しかし陛下は実の娘との拘束プレイを御所望されるようだね? さすがは陛下、凡人には理解しがたい高尚な趣味をお持ちでいらっしゃる」

 

 まずは簡単なジャブだね。

 久方ぶりの親子の語らいだ、問答無用でギアスを使用してくる可能性は低いだろう。

 さてどう返してくるか。

 

「お前はマリアンヌによく似ておるからな」

 

「は?」

 

 ……少々予想外だね。

 これが俗に言う藪蛇というものなのだろうか?

 最も愛していた妻を失い、狂った夫が妻の面影を色濃く残す娘に手を出す、とでも言うのかな?

 確かに後十年ほど経てば、母マリアンヌに優るとも劣らない容姿へと成長すると私自身も見込んでいる。が、今現在も過去も未来も、私達の続柄が親子だという事実は絶対に変わることはない。

 となればそれ何てエロゲ? それ何て昼ドラ?

 

 最終的に妻を百八人娶るぐらいなんだから、この男が例え異常性癖者でも驚きはしない。

 だけど私と?

 いやいや、さすがにあり得ないよ。

 目の前のロールヘッドは私の趣味じゃない。この男に惚れ込んでいた母マリアンヌの男のセンスは到底理解できない。ギアスを掛けられた結果だと言われた方が、よほど納得出来るというものだ。

 ギアスによって記憶を改変されてしまえば、舌を噛むことすら許されずに辱められてしまうのだろう。いや、自ら腰を振ることだって考えられる。

 本当に恐ろしい力だと改めて思うよ。

 

「冗談だ」

 

 そう言って父シャルルは、戸惑う私に笑みを向けてくる。

 

「っ」

 

 くっ、この私が言葉一つでこうも易々と取り乱すとは……なんて失態だ。戯れ言で相手──現時点では主にルルーシュくんだけだが──を惑わすのは私の専売特許だというのに……。

 さすがは我が父だと思わなくもない。

 しかし例えラグナレクの接続なんて趣味の悪い冗談を実現しようとしていると識っていても、まさかこの男の口から冗談を聞けるとは思っていなかったからね。

 私から言い出した事とはいえ、折角の雰囲気が台無しだよ、まったく。

 

「そう、なかなか面白かったよ。笑えはしなかったけどね。

 それで何の用かな? 私の意志は既に表明したはずだよ。故に最早語る言葉は必要ないと思うんだけど、違うかな?」

 

 もちろん呼ばれた理由は分かっている。ルルーシュくんの想像通り、ギアスを掛ける為で間違いない。暗殺偽装に際しての辻褄合わせだね。

 私としては即座にギアスを使用されても問題はないんだけど、どうやら我が父には思うところがあるようだ。皇帝の仮面の下から父親の顔が覗いているのかも知れない。母親という仮面も数ある仮面の一つでしかない母マリアンヌとは違うね。

 

「今一度問う。お前は何を求めておる?」

 

「私はただ願っているだけだよ。過去でも未来でもなく、『今』の世界の存続を」

 

 刹那、父シャルルの顔付きが僅かに険しくなる。

 私の答えの真意に気付いたのだろう。むしろこれで気付かない方がどうにかしているか。

 

「どこまで知っておる」

 

「何のことを言ってるのか分からないけど、私の知っているところまで知っている、としか言えないね、ふふっ」

 

 ただの言葉遊び。

 最初から真面目に答える気なんてさらさらないよ。既に知りたい情報の大部分は手にしているんだから、わざわざ相手にこちらの情報を与える必要はない。

 全てを聞き出したいのなら早くギアスを使用して、従順な奴隷にでも記憶を書き換えれば良い。尤も望んだ通りになるとは限らないけどね。

 

 訪れる沈黙。

 父シャルルは目を閉じ、今後の対応を熟慮しているようだ。

 さて、一体どんな結論を導き出すやら。

 

(こちら)に付かぬか、リリーシャよ」

 

 嗚呼、失望だよ、父上。

 私からの宣戦布告を忘れるほど耄碌する年じゃないよね? もしそうなら老後の介護に不安を覚えるよ。

 確かに貴族達が参列していたあの場では、ブリタニア皇帝としての威信を傷付けるわけにもいかず、ああ応えるしかなかったのは理解している。というか応えてくれると確信していたからこその発言だったわけだけど。

 ここに来て、まだ情の尻尾が邪魔をしているのかな? 

 結果を重視していながらプライドを守り、情に流される。そういう所はルルーシュくんと似ているね、さすがは親子だ。

 仕方がない、もう一度皇女として働き掛けてみるか。

 

「残念ながら陛下と私が歩む道が交わることはないでしょう。

 そして考えを改めるつもりもございません。私はただ私の望むがままにのみ動かせていただきます。

 その障害となるのでしたら、それが産みの親でも血を分けた兄妹でも、親しい友人でも愛する恋人でも、例え私自身だとしても排除する覚悟があると、リリーシャ・ヴィ・ブリタニアの名に懸けて誓いましょう。

 故にこの覚悟、陛下といえども打ち砕くことは容易ではありませんよ? さて如何なさいますか?」

 

 私は自分の為だけに動き、ルルーシュくんのように他者を顧みるつもりはない。

 自己中心的? 我が儘? 性格が悪い? 腹黒? 何を今更、大いに結構。

 私の意志を、思考を変えたければ、それこそギアスでも使わなければ不可能だよ。

 さてここまでお膳立てし、背中を押してあげたんだ。

 後は分かっているよね?

 

「……そうか」

 

 重々しく呟き、父シャルルは玉座から立ち上がる。

 嗚呼、いよいよだね。興奮してきたよ。

 

 私は視線を逸らすことなく、睥睨する父シャルルの視線を受け止める。

 

「シャルル・ジ・ブリタニアが刻む────」

 

 その双眸に浮かび上がるギアスの紋章。

 ギアスの暴走を克服し、左右の瞳にギアスを宿すまでに至った存在。

 これが達成人か。

 

 初めて見るギアスの輝きは禍々しくも綺麗だった。

 

「偽りの記憶」

 

 発動するギアス。

 飛び立つ紅き凶鳥が、視覚を介して脳へと侵入して行く。

 記憶を喰らい、書き換え、都合の良い駒へと作り替える視覚毒。

 その事実を知っていながら、私はそれに抵抗することなく、むしろ進んで受け入れた。

 

 急激に遠ざかっていく意識の中、私は笑みを浮かべる。

 さあ、最後の仕上げといこうか────

 

 

 

     ◇

 

 

 

「……これで良いのか」

 

 静まり返った謁見の間、誰かに問い掛けるような呟きがシャルルの口から零れ落ちる。

 

「ええ、上出来よ」

 

 その呟きに満足げに応えた声は、艶やかな女のものだった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第26話

 

 ギアスの影響により再び意識を失ったリリーシャは嚮団員の手によって運び出され、謁見の間にはその主である皇帝シャルルだけが残っていた。

 彼は鎮座する玉座に背を預け、溜息を吐くかのように大きく息を吐き出す。

 自身が使用したギアスにより脅威の芽を事前に摘むことに成功し、第五后妃暗殺事件の偽装もより確実なものとなった。

 しかし、その表情は暗い。

 実の娘──しかも最も愛する妻との子であり彼女の面影を色濃く受け継ぐ──に対してギアスを使用することに、何ら躊躇いがなかったのかと問われれば彼は否と答えただろう。

 

 武を以て覇を唱え、その身から溢れ出る威光で他者を圧倒する厳格なる支配者=ブリタニア皇帝と言えど、その仮面を身に付けているのはシャルル・ジ・ブリタニアという『人間』に他ならない。

 どれ程取り繕おうと、人は総じて心の弱い生き物だ。ならば己が行動を躊躇い、苦悩することは必然だと言える。

 

 だが、かつての彼ならば宿願を果たす為には仕方のない事だと割り切り、自身を正当化し、納得させる事が出来たはずだった。

 例えを一人きりの時でも決して弱さを見せる事もなかっただろう。

 

「……これで良いのか」

 

 静まり返った謁見の響く呟き。

 誰の耳にも届くことなく消えてくはずだったそれは、後悔から来る自責の念が齎した自問でもあったに違いない。

 

「ええ、上出来よ」

 

 軽やかな足音と共に、謁見の間に響く新たな声は艶やかな女のものだった。

 

 シャルルが横目で声の主に視線を向けた先、闇に溶け合っていた黒き騎士が光の下に歩み出る。

 艶のある長い黒髪。帝国が誇る最強の十二騎士=ナイトオブラウンズが纏うものに酷似した漆黒の騎士服、また同色のマントに包まれた肢体はしなやかであり、服の上からでも分かるほど──凹凸のハッキリした──抜群のボディラインを主張している。

 しかし何よりも他者の目を惹くのは、その顔を覆い隠した白き仮面だろう。

 

 彼女はつい先日、人知れず突如として登庸された皇帝直属の騎士。

 本来存在し得ないはずの十三本目の剣。

 いや、ラウンズを超えるラウンズとでも言うべきか。

 ナイトオブゼロ。

 それが彼女に与えられた称号であり異名だった。

 この世界によく似た別の世界の未来では、悪逆皇帝に仕えた裏切りの騎士と呼ばれる事となるが、尤もその事実を知る者は極めて僅か。

 次元を超えたパラドクス。

 

 ナイトオブゼロがラウンズを超えるラウンズと言われる所以は、彼女が優れた頭脳や身体能力、高いKMF適性を有しているだけでなく、保持する権限が他のラウンズを大きく凌駕している為だ。

 こと軍事においてその権限は帝国宰相や帝国軍元帥、ナントオブワンすら凌駕し、最高権力者であるブリタニア唯一皇帝に比肩する。

 それは指先一つで軍を動かすことは疎か、他国に対する宣戦布告権を有しているも同義。つまり彼女が遊び半分で放った一発の銃弾が、国家間戦争開戦の号砲となる可能性もあり得るだろう。

 

「はい、約束通りこれが今回のご褒美よ」

 

 そう言って彼女は黒きマントの下に隠し持っていたモノを投げ渡した。

 ソレは床を転がり、ちょうど玉座の前=シャルルの眼前で停止する。

 

「ぐぬっ……」

 

 ソレを目にした瞬間、シャルルの顔が歪む。果たしてそれは沸き上がる怒りからか、それとも悲しみからか。

 

 ソレは肘から切断された幼い子供の片腕のように見えた。

 否、それは紛れもなく腕のそのものだ。

 

「ふふっ、でも本当に馬鹿よね、あの子。

 己の分も弁えず、この私に牙を剥き、剰え逆に狩られてしまうんだから救いようがないわ」

 

 ナイトオブゼロはくすくすと楽しげに笑う。

 全てを蔑み、見下し、馬鹿にするかのように。

 

「……何故だ」

 

 シャルルは呻くように問い掛ける。

 その問いが彼の心情全てを物語っていた。

 

「躾がなっていない子供には、お仕置きが必要だと思わない?」

 

 本気か、それとも冗談か。

 声の調子からだけでは、それを判断することは難しい。

 

「私だって命を狙われたりしたら心変わりだってするわよ、当然でしょ?

 それに私は私の目指すべきモノと利害が一致していたから、貴方たちの掲げる計画の賛同者になっただけのこと。私にとっては何も神殺し=ラグナレクの接続が唯一無二にして最良の選択というわけではないもの」

 

 平然と、さも当然だとナイトオブゼロは応える。

 もはやラグナレクの接続という行為に、一切の価値も興味もないと言いたげに。

 

 対するシャルルは驚きを隠せなかった。

 自分達は同じ理想を掲げ、目指す世界の為に手を携えた同志ではなかったのか、と。

 自分は騙されていたのか?

 いや、彼女は嘘を吐かない。最初から互いを利用していたことは理解していたはずだ。

 

「だからこれからは自由に動かせてもらうわよ?

 とは言っても貴方に拒否権も選択権もないんだけどね。幼い兄一人の暴走も止められず、妻を失ってしまうような脆弱な男に、私の邪魔が出来るとも思わないけど、うふふ」

 

 自らに仕える騎士とは思えぬ態度で嘲笑する彼女の姿に、シャルルは臍を噬む思いだった。

 

 あの日、あの夜、自分は最も愛していた妻を失った。

 兄の心の変化に気付かなかったから。

 いや、気付けるはずがない。

 他人の心を理解しているなど、あまりに傲慢な考えだ。

 理解できないからこそ擦れ違い、誤解が生まれ、やがて悲劇に繋がるのだろう。

 故にラグナレクの接続による共通意識の確立、思考の共有化が必要だったのだ。

 

「大丈夫よ。貴方は今まで通り、神聖ブリタニア帝国の頂点に君臨する覇王を演じ続け、弱者を踏みしだき平等こそ悪だと罵って、馬鹿な民衆を支配すればいいの。

 もちろん盲目的にラグナレクの接続の実現した世界を追い求めても一向に構わないわ。私は協力できないし、当分コードは返してあげられそうもないけど」

 

 大帝国の皇帝と彼に仕える騎士。

 だがその力関係は完全に逆転していると言っても良い。

 何故ならば、シャルルと彼の兄の悲願=ラグナレクの接続を完遂させる為に必要な最後の鍵は今、彼女の手の内にあるのだから。

 

 長い年月を掛けてきた計画が一夜にして狂い、理解者であった最愛の妻を含む、数多くのモノを失ったシャルルは失意の底に沈む。

 対して新たに生を受けた騎士は戒めより解き放たれた。

 もはや何も偽る必要も、自分を押し殺す必要もない。

 自らの昂揚を抑えきれないのか、いやそれとも──心の構成要素の一つである超自我の発達不足を患っている節のある彼女は──抑える気など最初からないのかも知れないが、表情隠す仮面の下に恍惚の笑みを浮かべていることだろう。

 まるでステージの上に立つ舞台役者のように両手を広げ、天を仰ぎ、その身を昂ぶりで震わせながら高らかに告げる。

 

「ここから新しい神話が始まるの。そう、本当の神々の黄昏(ラグナレク)が────」

 

 

 

 嗚呼、今まさに終末の鐘は打ち鳴らされる。

 それは来るべき未来への鎮魂歌。

 訪れるは誰も知らない混沌の未来。

 神の消滅か、人類の終焉か、はたまた約束された繁栄か。

 されど嘆くことなかれ。

 万物の原初は混沌の海。

 有も無も、光も闇も、生も死も、人も獣も、楽園も煉獄も、全ては母の申し子よ。

 ならばこそ、儚き希望も、抗えぬ絶望も、仄かな願いさえ、混沌からこそ生まれ出る。

 

 

 

 

 

     ◇

 

 

 

 

 

 そこは特異な空間だった。

 常に最適な光度と温度に保たれ、清廉な空気さえ漂う白い世界。無数の書棚とガラスケースが乱立していた。書棚には当然のように大量の書籍が、一方ガラスケースには闇色の仮面や赤紫色の装飾剣、血に汚れた白き皇帝服などが収められている。

 果たして書庫か博物館か。

 いや、どちらも違う。それはその空間の中央に置かれた天蓋付きのベッドが物語っていた。

 

 一人の少女が、まるで隣に眠る『誰か』の眠りを邪魔しないよう気遣うかのように、出来るだけ音を立てずに静かにベッドを抜け出す。

 艶やかな長い黒髪、アメジスト色の澄んだ瞳、彫刻のように整った顔立ち。透き通るほどに白い肌を、闇色のネグリジェに包んだ麗しき幼女=リリーシャ・ヴィ・ブリタニア。

 つまり私の事だ。ふふっ、自分でこんなこと言うのは何だか照れるね。

 

 そう、ここは私の心が──ルルーシュくんの記憶で見たCの世界のミュージアムを参考にして──構築した幻想世界(ファンタズマゴリア)。まあ明晰夢の中にいるとでも想像してもらえると分かり易いのかも知れない。

 

 さて、ここで最後の仕上げを行おうと思っているんだけど、ルルーシュくんは本当に面倒事ばかり押し付けてくれるね。

 私じゃなかったら暴動を起こしていてもおかしくないよ、もちろん嘘だけど。

 これは私自らが望んだことであり、この時の為にしっかりと力を貯めていたのだからね。ここは私が頑張る場面だ。

 ほら、さっそく今回のゲストのご登場だよ。

 

 世界が軋むように震え、虚空にヒビが刻まれた次の瞬間、破砕音と共に書棚の一角が爆ぜた。

 

 ああ、勿体ない。そこはもう一度読もうと思っていたタイトルが収められていたんだけどね。隣のゼロレクイエム関連の棚なら、この世界ではもう必要のないものだから構わなかったのに……。これはお仕置きが必要だね。

 ちなみに書棚に収められているのは私の記憶、そしてルルーシュくんの記憶から得た情報を分類ごとに編集し、本という形に再構成したものだ。データ管理ならノートPC一台あれば事足りるんだけど、それでは風情がないからね。紙媒体には紙媒体特有の良さがあると私は思っている。

 

 

「───────────────ッ!!」

 

 

 耳を劈くような咆哮と共に生じた衝撃波が、舞い上がる粉塵や書棚の残骸を盛大に吹き飛ばす。

 そして私の前に姿を現した禍々しい紅の怪鳥。その巨体は優にKMFを上回り、翼を広げれば何倍も大きく感じられた。

 

「本当に躾のなっていない駄鳥だね。不法侵入に器物破損、精神的苦痛も考慮すれば万死に値するよ」

 

 そう目の前の怪鳥こそ、人間という名の『歯車』同士を無理矢理繋げようとするコードの欠片=ギアスが、私の意識を介して具現化した存在。

 

「ふふっ、かつて私も一度はキミ達を使役してみたかったんだけどね。ま、無い物ねだりは止めておくよ」

 

 その存在と対峙し、胸の奥が僅かに痛んだ。

 もはや存在しない……いや、そうであって欲しいと願った過去の私の残滓が、未練がましく叫んだのだろう。

 本来ギアス適性が高いブリタニア皇族に生まれ、両親共にギアス保持者であり、さらには遺伝子段階から強化が施されている身でありながら、ギアス回路を持たず、失敗作と呼ばれていた私が……。

 

 あはは、女々しいね。感傷なんて私らしくもない。何も今更気に病む必要なんてないじゃないか。

 だってそうだろ?

 今の私は過去の──死んでいた私とは違う。

 手に入れたんだよ。

 ギアスよりも価値のあるモノを。

 

 私は自らを奮い立たせるように笑う。そう言えば確か笑顔は元々攻撃的な意味を持っているんだったね。

 

「───────────────ッ!!」

 

 紅の怪鳥は大きく翼を広げて私を威嚇する。

 

「私を犯し、喰らうつもりかい? 残念だけどキミ如きにこの身を捧げるほど酔狂じゃない。

 でもこの世界は弱肉強食、だから代わりに私がキミを喰らおうか?」

 

 パチンと指を鳴らす。するとあら不思議、身に纏っていたネグリジェは同色の戦闘ドレスへと早変わり。さらに無数の黒き剣が宙に浮かび上がり、私の周囲を回り始める。

 そう、ここは私が創り出し、私が支配する世界。

 故にある程度は思うがままだ。尤も万能とはほど遠いけど。

 

 それでもギアス=超常の力を相手にするなんて無謀?

 いや、違う。間違っているよ。

 己が想い、意志が勝れば、皇帝のギアスを下せることはナナリーの事例からも明らかだ。

 無知──自らを省みることなく──で、無能──目先のことしか見えてない──だというのに、愛されることだけは人一倍なあの娘でも破れる。その程度の力でしかない。

 想いの力。口にするのも恥ずかしいけど、私も打ち勝ち、この想いを貫き通すとしよう。

 もっとも彼女のギアスに対する耐性が特段優れていた可能性も排除できないけれど。

 

「私がホストだからね、初手は譲るよ。さあ、どこからでも掛かっておいで」

 

 挑発が通用する相手なのかは分からない。

 だけど小娘に馬鹿にされている雰囲気ぐらいは伝わったのかな?

 刹那、紅の怪鳥はその巨体に似合わぬ速度でこちらへと向かってくる。

 愚直なまでの猪突猛進。

 

「でも嫌いじゃないよ」

 

 ただ前に手を突き出す。

 大型車両クラスの質量の物体が高速でぶつかれば、本来なら私の小さな身体なんて簡単に弾き飛ばされる、または押し潰されていた事だろう。全身打撲程度で済めばいいが、最悪内臓破裂で即死だね。それとも柘榴のように頭部が弾けていたかな?

 ま、当然そんな事にはならないんだけど。

 

 迫り来る巨体が私の眼前で──表面に六角形の模様(ヘックス)が浮かび上がる──光の壁にぶつかり、それ以上の進行を阻まれて動きを止める。絶対守護領域──って言ったかな?──を模して構築してみたんだけど上手くいったみたいだね。

 必死に嘴で貫こうと頑張っているようだけど無駄だよ。

 この世界において、その強度はオリジナルを上回る。

 まさに魔女が唱える魔法のごとく。

 

 力技での突破を諦めた怪鳥が羽ばたき一つで天高く舞い上がる。

 天井を高く設定した私に感謝して欲しいところだ。

 

「さて次はどうす……る…………グロいね」

 

 何というか次の一手はグロかった。

 翼に内側に存在していた無数の瞳が一斉に開き、ギョロリとした眼球が私へと視線を向けてくる。ただの大きな紅い鳥が、禍々しさを増した異形の存在へとランクアップってとこかな。変なウイルスとか感染してないよね?

 半瞬、開かれた瞳から放たれる紅い煌めきが絨毯爆撃のように降り注ぐ。

 

「むぅ、弾幕系シューティングゲームは得意じゃないんだけどね。さすがにそんな事は言っていられないか」

 

 魔女の障壁は後方のベッドを守る為に多重展開したので使えない。こればかりは『彼』を傷付けられては本末転倒だから仕方がないよ。

 

「となれば執るべき手段は一つ」

 

 宙に浮かぶ黒剣を周囲に展開しつつ、その内の二本を両手に掴み、舞い踊るかのように振るう。

 直撃コースのモノだけを見極め、最小限の動きで打ち払いながらステップを踏む。掠る程度は無視で良い。動く度に髪が焼かれる音と匂いがするが諦めよう。その位なら後でどうとでもなるだろう。

 

「もっと早く、もっと速く、もっと疾くだよ!」

 

 一度でも足を止めれば押し負けてしまうだろう。

 だけど自然と浮かぶ笑み。

 胸が高鳴り、身体が熱くなる。

 ああ、どうやら私はそれなりに現状を楽しんでいるのかも知れないね。

 

 私はさらにギアを切り替え、この身を加速させる。

 風よりも疾く、音よりも速く、光の如く。

 目には目を、歯には歯を、閃光には閃光───否、殲光を。

 

 

 

 

 

 果たしてどれ程の時間が経っただろう。

 一瞬のようにも永久のようにも感じた光の射出が終わる。

 辺り一面酷い有様で、私自身もボロボロになりながらも自分の両足で立っていた。

 

「なかなかにやってくれたね? さすがに本気を出さなければ少し危ないところだったよ、ほんと」

 

 黒剣はなまくらに、戦闘ドレスはボロ布と化し、自慢の髪は無残に焼き切られ、シミ一つなかったはずの肌は所々焼け爛れたように腫れている。

 それでも五体満足で致命傷は負ってはいない。

 

「じゃあ今度はこっちの番だよ」

 

 もう一度指を鳴らす。

 滞空する紅の怪鳥の全方位に新たな黒剣が出現し、その巨体を剣先に目標を捉える。

 逃げ場はない、というか逃げ場なんて与えない。

 

「さあ、お祈りは終わったかな? 大丈夫、まだ殺しはしないから。

 ────進め(GoAhead)

 

 私の号令と共に、無数の刃が紅の怪鳥へと殺到する。

 だけど急所は狙わない。

 殺してしまっては元も子もないからね。

 狙うは優雅に羽ばたくその大翼。

 見下ろされるのは余り好きじゃないから、そろそろ降りてきてもらおう。ん? 墜ちてきてが正解かな?

 

 次々と突き刺さっていく黒剣が、翼に存在していた瞳を一つ一つ潰していく。

 程なくして紅の怪鳥は血の涙を撒き散らしながら地に落ちた。

 だけどまだ手は弛めない。

 地上で無様に藻掻き苦しむ紅の怪鳥に向け、さらに刃は降り注ぎ、その巨体を床に貼り付けにしていく。

 別に自慢の髪を台無しにされた仕返しだとか、過剰な苦痛を与えて悦ぶ加虐嗜好に目覚めたとか、そんな理由じゃないよ。そこのところは間違えないで欲しい。

 

「初手を譲ってあげたのに決めきれなかった己が弱さを悔いると良い。いや、私が強すぎたのかな、ふふっ」

 

 そう何も難しく考える必要はない。

 私の方が強かった、ただそれだけのこと。

 むしろ私を本気にさせた事を誇っても良いだろう。

 

「さて、これが本当に最後の仕上げだよ」

 

 苦しげな呼吸を繰り返すことしかできなくなった紅の怪鳥に歩み寄り、手を伸ばす。

 だがその瞬間、目が合った。

 開かれた嘴の奥、そこにまだ存在していた一つの眼球と。

 

「ッ!?」

 

 さすがにこの距離では避けられないと悟り、咄嗟に身構える。

 

「ひゅぐっ……」

 

 全身を貫く激しい痛み。

 まるで魂に牙を突き立てられた感覚とでも言い表せる。尤も実際に体験したことはないけど、それぐらい絶望的な痛みだった。現実で例えると閃光のマリアンヌ様七人分ぐらいかな?

 不覚にも涙滲む視界に捉えたのは、無残にも抉られた脇腹。

 本来なら致命傷となってもおかしくないが、幸いにもここは私が生み出した幻想世界。腕がもげようが、どれだけ血を流そうが、それこそ脳漿や臓物をぶちまけたとしても死に至ることはない。当然ダイレクトに襲いかかる苦痛に、精神が耐えられればの話だが……。

 精神の破壊、それは死と同義だった。

 

 やはり一筋縄ではいかない相手。

 まだ抵抗する意志を残していた事を褒めるべきか。

 いや、最後の悪足掻きなんて良くある展開だ。ここは慢心していた自分の愚かさを呪うべきだね。

 

「しかし、本当にまずいね」

 

 口内の眼球に再び光が灯る。

 痛みよって麻痺した身体では射線軸をずらすことも難しい。

 さらに言えば、実のところ意識を維持するだけでも精一杯だった。

 理由は痛みだけではない。

 そう、目の前の怪鳥はあの男のギアスの具現体。当然その一撃は本質である記憶改変の効果を帯びている。

 平時なら余裕で打ち勝てたと自負しよう、打ち勝つだけでは意味がないのだが。

 けれど現状、痛みとの相乗効果により、私を徐々にだが確実に浸食していく。

 

 精神が汚染される。

 人格が書き換えられ、私が私ではなくなる。

 

「……笑えないね、これは」

 

 だがここで諦めるなんて私らしくない。

 この状況下で導き出される最適解は、ギアスの影響を私一人で押さえ込むこと。そうすれば被害は最小限に抑えることが出来る。

 この目で世界の行く末を見られないのは残念としか言いようがないが、ルルーシュくんの働きに期待することにしよう。ルルーシュくんの方針ではジェレミアがギアスキャンセラーを発現するのは難しいが、彼以外の適性者が居ないと決まったわけではない。運が良ければギアスの呪縛から解放される可能性もあり得るだろう。

 なら、プランを変更しようか。

 私が今するべき事は一つしかない。

 今度は私は足掻く番だね。ここまで傷物にしたんだ、覚悟は出来てるよね?

 

 私は手近にあった黒剣へと手を伸ばし、床から引き抜こうと柄を握りしめる。

 否、握りしめようとして出来なかった。

 

 

 トクン……トクン……トクンッ……。

 

 

「……たい」

 

 虚空を掴み、握り込まれた拳は、私の意志とは無関係に第二射目前だった怪鳥の眼球へと叩き付けられる。

 生温かい何かが潰れ、何とも言えない感触が拳に纏わり付いてくる。

 

 その事実を理解する為には、少しばかりの時間を要した。

 

「いたいいたいいたいたいいたいっ! いたいよ。もういやなの……。ゆるして……おかあさん。

 だれか、だれでもいい、わたしをたすけて。しにたくない……おねがいします……しにたくないよ……。

 おにいちゃん……わたしもみて……わたしも……おにいちゃんのいもうと……なんだよ。

 わたし、がんばったよ……。ううん、もっとがんばるから……だから…ね?」

 

 ─────死んで。

 

 私の意志とは無関係に、苦痛を訴え、助けを懇願しながら、怨嗟に満ちた身体は動き続けた。

 

「─────ッ!!」

 

 弱々しく悲鳴のような叫び声を上げる怪鳥の嘴を掴み、力任せに無理矢理こじ開ける。口角が裂け、粘度のある体液が降り注ぐ。

 目の前が紅く染め上げられる。

 かつて幾度として見た赤い世界。

 

 その瞬間、私は意識は闇に落ちた。まるで目の前の光景から逃げるように。

 

 

 

 

 

 

 次に意識を取り戻した時、目の前に広がっていたのは凄惨な現場だった。

 原型が分からないほどに蹂躙され、破壊された紅い物体。

 飛び散った体液や肉片が周囲の書棚や床を紅く彩っている。もちろんその中心に立つ私自身も。

 噎せ返るような臭いはないが、纏わり付く体液が酷く不快だった為、衣装を替えるついでに付着物を消し去り、脇腹の穴も塞いでおく。

 

 何が起こったとは問う必要はない。自分の身体の問題だ、私が一番熟知している。

 生きたい、そして死にたくない。

 それが過去の私が抱いた原初の願いだった。

 奇しくもそれは生物が生きるモノである為の根幹たる生存本能と合致する。

 今回の場合、生命の存続に危機及ぼすレベルの痛みを受けたことにより、生存本能と連動した形で、心の澱に溜まった残滓を呼び越したのだろう。私だから分かることだが、あの生きたいという願いの強さは本物だ。

 でもまさか、否定した過去の自分=死んでいた生きたがりのリリーシャ・ヴィ・ブリタニアに助けられるなんて思わなかった。

 トラウマもまだまだ捨てたものじゃないね。

 

 偶然だとか無様だとか過程がどうあれ、結果として私はこうして私のまま存在している。

 世界が、因果が、運命が、私の存在を肯定した。

 だからこの勝負は私の勝ちだ。

 

「しかしながら酷い有様だね、まったくやり過ぎだよ」

 

 一抹の不安を抱きながら、もう一度惨状を見渡して溜息を吐く。

 助けてもらって文句を言うのは筋違いだと理解している。

 これは自分の油断が招いた結果だ。

 しかし、こうまで破壊されていては、やはりプランの変更を余儀なくされる可能性があった。本当なら止めを刺す前に回収する予定だったのだが仕方ない。

 

 私は元紅の怪鳥だった物体、その中でも本体と思われる物へと手を伸ばす。死体を漁るような惨めな真似はしたくなかったが、背に腹は代えられない。

 屍肉を掻き分け、目的の物を探す。

 

「え~と、これじゃない。ん、あった、これだね」

 

 屍肉の中から掴み取ったそれは文字──らしきもの──の羅列。

 それこそがギアスをギアスたらしめるコードの欠片。

 

「良かった、見たところ損傷している様子はなさそうだね」

 

 状態を確認した後、私はそれを躊躇うことなく握り潰す。

 キラキラと輝く欠片が世界に融けるように消えていき、それと同時、核を失い存在を保てなくなった怪鳥もまた霧散していく。

 

「終わったね。いや、これからが本当の始まりか」

 

 ようやくここまで来たと思うと感慨深い。

 だけど、ここまでしか到達できていないのが実情だった。

 まだ先は険しく長い。

 でも今この瞬間だけは喜んだっていいよね?

 

 

 

「私はギアスを使えない失敗作。適性も素質もゼロを超えたマイナス数値を示し、今後覚醒する可能性も皆無だと言われた。

 それでもその存在を知った時から使いたかったんだよ。一度だけで良い、そう一度だけで……」

 

 誰に語るでもなく自然と口から事が零れた。

 何ら生産性のない行為だとは理解しているが、紡ぐ言葉は止まらなかった。

 達成感に酔いしれ、感情が高ぶっているのか。

 それとも一時的に過去の私に支配された影響だろうか。

 幸いにしてここには耳を傾ける者は居ない為、周囲の目を気にする必要はない。私だって突然独白する変な女だとは思われたくないからね。

 

「ギアスを使えない、魔女と契約さえ出来ない私がギアスを使うにはどうしたらいいのか?

 導き出された答えは至極単純だった。

 使えないのなら奪えばいい」

 

 条件は揃っていた。

 我が父=皇帝シャルルのギアスは直接他者に掛けるタイプであり、対象者の意志で破れる程度の威力。しかも効果は記憶改変という願ってもない能力。

 これを見過ごす手はない。

 

「そう、奪えば良いんだよ」

 

 人間の身体を動かしているのは脳が生み出す電気信号プログラム。心が何かなんて哲学を語るつもりはないが、人格も感情も、脳内駆け巡るその副産物に過ぎないと私は思っている。

 だとすれば人の大脳に作用し、精神に影響を与えるギアスもまた電気信号の一種と考えられる。尤も実際どういう原理なのかは分からない。明かされていない点が多く、それこそ常識では考えられない方法、例えば集合無意識を経由して直接相手に作用するなんて可能性もある。

 だがもしギアスが完全に作用するその前に介入、掌握し、プログラムを書き換えることが出来たなら。

 都合の良いことに、私の身体には卵子の状態からコード保持者の細胞=C.C.細胞が組み込まれ、R因子やC感応因子と言った、通常では人間が持ち合わせていない要素を保有。

 さらには、私と違い優れたギアス適性を有するイレギュラーな存在をその身に宿している。

 特別性の顕示、相反する力か。……何とも厨二っぽいね。

 

 僅かに震えながら、握りしめたまま拳をゆっくりと開いていく。

 

「ふふっ、あはははは! できた、できたじゃないか!」

 

 私の手の上から飛び立つ毒々しい黒蝶。

 想いと願いの結晶は小さくも力強く羽ばたいて風を起こす。

 いつの日かその風が世界を揺るがす嵐となることだろう。

 

「さあ、行こうか」

 

 私は宙を舞う黒蝶を伴い、意気揚々と来た道を戻る。

 身体の痛みや疲労感は感じず、足取りも軽かった。

 

 

 

 

 

 ベッドの縁に腰掛け、触れれば壊れてしまう繊細な芸術品を相手にするかのように、細心の注意を払いながら彼の髪を撫でる。

 私と同じ色の綺麗な髪。いや、髪だけではない。白い肌も整った顔立ちも綺麗だった。

 男のくせに、と思わず嫉妬心が首を擡げて苦笑する。

 この時間が長く続けば良いと思うが、それでは頑張った意味がない。

 

「……ん………ナナリー」

 

「もう、ここで他の女の名前を口にするなんて無粋だね、ルルーシュくんは。

 私には労いの言葉一つ掛けてくれないのに」

 

 分かっている。

 

「キミの一番はいつだって彼女だった。きっとどうやったって彼女には敵わないんだろうね。最善を尽くして肩を並べる程度かな?

 でも君の願いは叶わないかも知れない。

 だから先に謝っておくよ」

 

 ごめんね。

 

「次に目覚めた時、きっと世界は君の知らない世界に変わっている。キミが望もうと望むまいとね。いや、これは本当に今更だね」

 

 恨んでくれて構わないよ。

 だけど私は止まらない、……もう止まれないんだ。

 私の手は既に汚れているのだから。

 

「おやすみ、ルルーシュくん。しばらく会えなくなるのは、私としても寂しいけれど我慢するよ。

 あとこれはおまじないだ、いい夢が見られると良いね」

 

 そう言って私は彼の額に自らの唇を落とす。別に唇でも良いんだけど、それは次の機会だね。大丈夫、まだ唇は汚れていないから。

 同時に彼の胸の上で羽を休めていた黒蝶が、彼の中に吸い込まれていくかのように消えていった。

 これで良い、次のフェイズに移行しよう。

 

 でも、そうだね。まずこれだけは言っておくよ。

 

 

 

「おはよう、新しいリリーシャ・ヴィ・ブリタニア」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第27話

 

 僕には同腹の妹が二人いた。

 

 一人はナナリー・ヴィ・ブリタニア。

 僕を慕う、愛おしく、守るべき存在。

 

 そしてもう一人がリリーシャ・ヴィ・ブリタニア。

 双子の妹として生を受け、最初の敵となった存在。

 

 もちろん、何も最初からアイツの事を敵視していたわけじゃない。

 リリーシャは生まれ付き身体が弱く、僕達と一緒に遊ぶ機会は稀で、普段は一人自室や書庫に籠もり読書をするだけの日々を続けていた。

 その環境からなのか、リリーシャは感情の起伏に乏しく、また普段から口数も少なく、大人しい印象を抱かせる。その一方で手負いの獣が周囲を威嚇するかのように、常に他者を拒絶するような雰囲気を纏っていた。

 それでもこちらから声を掛ければ普通に会話や意思疎通は成立する。

 ナナリーに対して何か思う所があるのか、どこか煩わしげに接することもあるが、結局は面倒見の良い姉として対応している事もあり、日常生活に困ることはなかった。

 他人からすれば気難しく思えるリリーシャだったが、母さんも僕も、そしてナナリーも掛け替えのない家族として愛していた。

 

 だけどある日を境に僕達の関係は一変する。

 その日は突然訪れた。

 リリーシャが床に臥せる。彼女が体調を崩すこと自体は珍しいことではなかったが、その日は少しだけ違っていた。今にして思えば予兆はあったのかも知れない。

 いつもなら「大丈夫よ、何も心配いらないわ」と、そう僕達に告げて微笑んでくれる母さんも、この時はどこか焦っている様子だった。

 その事からもリリーシャの容態が深刻だと理解できた。現に後から聞いた話では、一時は本当に危険な状態だったようだ。

 

 そんなリリーシャの身を案じ、お見舞いに行きたいとナナリーが言ってきた。

 姉を心配し、見舞いに赴く妹。その行為は何らおかしな事ではなく、むしろ家族なのだから当然のこと。僕自身も同じ思いだった事もあり、引き留める理由は何もなかった。

 善は急げとでも言うかのように駆け出すナナリーの背に、僕は苦笑しながら転ばないように注意の言葉を掛けた事を今も憶えている。

 

 もしもこの時、ナナリーを止めていたら、果たして別の未来が訪れていたのだろうか?

 僕達兄妹の関係が壊れることは……いや、今となっては意味のない問いだ。

 

 ナナリーの後を追い、リリーシャの自室へと足を踏み入れた瞬間、視界に飛び込んできた光景を僕はすぐに理解できなかった。

 ベッドの上、ナナリーを組み伏せ、その首に手を掛けるリリーシャの姿。

 目の錯覚だったら、どれだけ良かっただろう。

 

「……何をしているんだ、リリーシャ?」

 

 何が起こっているのかは分からない。

 それでも咄嗟に身体は動いていた。

 

「ッ、止めろ!!」

 

 背後からリリーシャの肩を掴み、ナナリーから引き離す。

 

「邪魔をしないでくれるかな!」

 

 リリーシャは抵抗し、錯乱したように叫んだ。

 

「全てはキミの為、この国の為だよ! 何故それが分からないんだい!?」

 

 彼女の言葉は支離滅裂で、何故そんな考えに至ったの想像もできない。

 分からないことばかりだった。

 ただ彼女が本気で妹を殺そうとしていたことは紛れもない事実。

 皮肉にもその時初めて、リリーシャ・ヴィ・ブリタニアという『人間』を垣間見た気がした。

 

 騒ぎを聞き付けて飛んできた医師や侍従によって、リリーシャは沈静化され、その場は事無きを得る。

 ただ自己防衛本能が働いたのか、幸いなことにナナリーはその日のことを憶えてはいない。

 けれどこの時から無意識の内にリリーシャに脅え、身体の震えや変調などの拒絶反応を示し、避けるようになった。殺されそうになったのだから当然の反応だろう。

 

 そしてその日からリリーシャは変わった。

 まるで自らを偽る仮面のような笑みを浮かべ、他者を見下し、からかうかのような皮肉ばかりを口にする。

 あれ以降ナナリーに対して直接手を出すことや殺意を向けるような事はなかったが、それでも他者との対応の差は顕著であり、ナナリーを庇う僕に対する態度もまた同様だった。

 一度出来た溝は埋まらず、いや埋める気などないとでも言いたげな彼女に対して、ナナリーを守る為に僕が敵対の道を選ぶことは時間の問題と言えた。

 

 一方でリリーシャは取り憑かれたかのように、今まで以上に本を漁っては貪り読み、知識を集めていく。中には各種分野の高度な専門書を始め、それまで興味のなかった古代文明や得体の知れない宗教、オカルト分野に関連する物も多く含まれていた。

 その結果、一時は到底理解できない数式や化学式、宗教画や何かの設計図──少し見ただけだが確かField Limitary Eff……なんとかと書かれていたはずだ──などが部屋中に溢れている事もあった。

 

 無愛想で無口な妹ながら、面倒見の良い姉でもあった彼女はもう居ない。

 一体彼女の身に何があったのかは未だに分からない。

 だけどあの日リリーシャは死に、代わりに僕の敵となる『魔女』が生まれた。

 

 

 

 

 

「お兄様? どうしたんですか、そんな恐いお顔をして?」

 

 その声にハッと我に返ると、そこには覗き込むように見上げてくるナナリーの顔があった。

 ナナリーを見ているだけで、胸の奥で渦を巻くわだかまりが、少しずつ解消されていくような気がした。

 

「いや、何でもないよ。ちょっと考えごとをしていたんだ」

 

「お兄様ったら、わたしたちといっしょにいるのがつまらないんですか?」

 

 そう言ってナナリーは可愛らしく頬を膨らませて不機嫌をアピールする。

 ご機嫌斜めだ、これは拙いな。

 

「もうナナリー、ルルーシュが困っているじゃない」

 

 異母妹のユフィがナナリーを宥めるように声を掛けてくれる。

 庶民階級出身である母さんに忌避感を持たない彼女とは年が近いこともあり、例え母親は違えど、それが気にならない程度に僕達は良好な関係を築いていた。

 

「ほら、見てください、ルルーシュ」

 

「わ、わたしも作ったんです! どうですか、お兄様?」

 

 手作りの花の首飾りを差し出すユフィに対抗して、ナナリーも手にしていた花の冠を掲げて見せた。

 

「ああ、二人とも上手く出来てるね」

 

「ふふっ、そうでしょ? だからこれはルルーシュに差し上げます♪」

 

「え、いや、でも……」

 

「ほら、少しかがんでください」

 

「あ、ユフィ姉様ずるい! お兄様、わたしのも付けてください」

 

「ああ、分かったから二人とも落ち着いて」

 

 二人のペースに押され、僕は戸惑いながら苦笑を浮かべるしかなかった。

 

 まるで喧騒を忘れてしまったかのように、穏やかな空気に包まれた晴れた日の午後。

 こんな日々がいつまでも続いてくれたならと願う。

 

 だが一時の平穏なんて、何れ訪れる騒乱の演出の一部でしかない。

 平穏が長く続けば続くほど、それが壊れた時に齎される反動は大きくなるのだから。

 

「兄くん、私からのプレゼントも受け取って貰えるかな?」

 

 背後から掛けられた声は幼くも蠱惑的であり、他人を馬鹿にしているかのように癇に障るものだった。

 その声の主を僕は嫌と言うほど知っている。

 

 背後を振り返り、自分とよく似た顔の魔女を視界に捉える。

 刹那、色とりどりに咲き誇っていた花々が一瞬にして枯れ落ち、緑の大地は焦土と化し、晴れやかな青空は紅く染め上げられた。

 

「何の用だ、リリーシャ」

 

「おやおや、我が兄君はその年で耳が遠くなってしまったようだね。

 仕方がないからもう一度だけ言うよ? 私からのプレゼントも受け取って貰えるかな?」

 

 リリーシャが手にしていたのは黒いナニか。

 紅い液体が滴るそれは人間の頭部大の大きさであり、まるで人間の髪のような黒い毛が生えている。

 

「な、何なんだ、ソレは……」

 

 本当はソレが何なのか気付いていたのかも知れない。

 だけど受け入れることを本能が拒んでいた。

 

「これ? 忘れてしまったのかな、もしそうならキミは意外と薄情者だね。キミにも見覚えがあるはずだよ。

 だってこれは────」

 

 リリーシャが狂気の笑みを浮かべて嗤う。

 

「私たちの母、閃光のマリアンヌ様なんだから」

 

 毛髪の間から覗く顔。

 そこにあったのは絶命した母さんの物で……。

 

「うああああああああああああああああああああああああああああああああ─────」

 

 

 

 

 

「───────────────ッ!!」

 

 声にならない叫びを上げ、悪夢から逃れるように勢いよく跳ね起きる。

 

「はぁ……はぁ……」

 

 額から滴り落ちる汗を手の甲で拭う。

 

「……最悪」

 

 激しい動悸、息苦しい呼吸、大量に掻いた汗、渇いた喉、込み上げる胃液と不快感。

 まさに現状を言い表すには、その一言だけで事足りた。

 

 こんな夢を見てしまうのも全てはアイツのせいだ。

 

 夢、そう夢だ。

 だけど僕の中で渦巻く疑念が囁いた。

 果たして本当にそうなのだろうか、と。

 

 母さんが亡くなり、ナナリーが撃たれたと聞かされた時、アイツは悲しみに涙一つ流すことなく、怒りを抱いている様子も見せなかった。

 いや、それどころか平時と変わることなく、薄ら笑いすら浮かべていた。

 

 裏切られた思いだったのは、僕が心のどこかでまだアイツのことを信じていた証拠なのかも知れない。

 アイツの中に昔のリリーシャは生きているんじゃないか。

 テロリストもしくは暗殺犯という共通の敵が現れた今、再び手を取り合い、関係を改善することも可能なんじゃないのか、と。

 しかし期待は意図も容易く打ち砕かれた。

 

 だからこそ、今回の事件にアイツが関与しているのでは、という疑念が生まれたのだろう。

 まさかという思いと、もしやという思いが入り交じる。

 ただ──ナナリーに対する前歴はあるが──母さんを殺す理由が思い付かなかった。

 もちろん僕が知らないだけなのかもしれないが、アイツの性格からして理由があり、必要があると判断すれば、間違いなく産みの親でも手に掛けるに違いない。

 

 しかし現状、僕の目の前に積み重ねられた問題は、何もリリーシャの事だけではなかった。

 父上……いや、あの男に命じられた日本への渡航。

 それが何を意味しているのか理解できないほど幼くはない。

 人身御供。

 分かっていたはずだ。あの男に楯突いた結果、その先にある未来が決して明るいモノでないことは。

 それでも許せはしなかった。

 理不尽に事件に巻き込まれて傷付いたナナリーを、憐憫の情さえ見せることなく弱者と切り捨てたあの男のことが。

 どうして実の娘にそんな事が言えるんだ、と声を大にして叫びたかった。

 だがこの国の最高権力者である皇帝の命を覆せる力は今の僕にはない。

 

 故に願う。

 力が欲しい、と。

 力さえあれば。

 誰にも負けない力。

 世界に抗える力が。

 

 でも、そんな都合の良い奇跡など起きはしない。

 

 

 

 ふと風の流れを感じ、ベランダに続く扉が開いている事に気付く。

 謁見の間で敗北を期し、その影響を多分に受けた結果、就寝前の記憶は酷く曖昧なのは事実。それでも襲撃事件の直後という事もあり、ここがブリタニアの中枢たるペンドラゴン皇宮内とはいえ、施錠の確認ぐらいはしたはずだ。

 母さんを襲った襲撃者の存在が脳裏を過ぎるが、こうして生存している以上、予期せぬ訪問者の目的が暗殺だったとは考え難い。そもそも自分が暗殺者なら后妃である母親の庇護を失った子供を、危険を冒してまで警備の強化されたペンドラゴン皇宮内で殺害しようとは思わない。尤もその油断を突いたとすれば話は別だが、離宮への帰路を狙った方が確実だろう。

 

 なら、誘っているのか?

 

 ベッドから降り、ベランダへと足を向ける。

 好奇心は猫をも殺すという言葉もあるが、もちろん僕に自殺願望などない。

 ナナリーを守れるのは、もう僕一人だけなんだから。

 

 極力気配を消し、周囲を警戒しながらベランダへ出た僕の視界に映り込んだのは予想外の人物。明確な二人目の敵となった父シャルルの姿だった。

 

「っ、……皇帝陛下」

 

 昼間の──謁見の間での出来事を思い出し、僕は思わず後退りそうになる。

 だが、黄昏れるように夜空を見上げ、物思いに耽るその姿からは、あの時気圧された上位者の風格や覇気、他者を威圧し圧倒する重圧といったモノを微塵も感じなかった。

 むしろそこにある感情は失意だろうか。

 

「ぬ、起こしてしまったか」

 

 僕の存在に気付いた父シャルルが、横目でこちらへと視線を向けてくる。

 

「ええ、皇帝陛下。それでこんな時間に、僕のような弱者に何のご用ですか?」

 

 多分に皮肉を込めて応えた。

 不敬罪?

 今更そんな事を気にして何になる?

 

「今の儂はブリタニア皇帝ではない。お前の父としてこの場に居る、父上で構わぬ」

 

 そう言って視線を逸らすように、父シャルルは再び空を見上げる。まさか柄にもない自身の言葉に照れているのだろうか。

 しかしここに来て父親を名乗るなんて一体何を考えているんだ?

 僕達を一方的に切り捨てたのはそっちじゃないか。

 

「今更ですね」

 

「…………」

 

「だったら皇帝ではなく父=シャルル・ジ・ブリタニアに今一度問います。

 どうして母さんを守らなかったんですか、父上?」

 

 僕はこの男に何を期待しているのだろう。

 皇帝としての答えは非情なものであり、到底受け入れられることは出来なかった。

 ならば人目のないこの場所で、自らを父と定義した現在、別の答えを聞けるかも知れない。

 そう単純に考えてしまった。

 

 沈黙が流れた。

 

「お前達から母親を奪うことになったのは全て儂のせいだ。

 だが王として口にした言を撤回することはない。儂は一人の父であると同時に、一国の王なのだ」

 

 僕は驚きを隠せなかった。

 あのブリタニア皇帝が自らの非を認め、間接的にだが謝意を示している。

 本来の皇帝を知る者は、誰もそれを想像することすら出来ないに違いない。

 だが驚くべきはそれだけではなかった。

 

「今宵お前の下を訪れたのは、お前に頼みがあってのこと」

 

 命令ではなく依頼。

 

「ナナリーを守れ。あの娘を守れるのはもうお前だけだ」

 

「父上に言われるまでもありません。ナナリーは僕が守ります」

 

 皇帝としてナナリーを弱者と切り捨てたはずの父シャルルの依頼内容に──単純だとは自分でも思うが──少しだけ嬉しくなった。

 父上はナナリーを完全に見捨てたわけではなく、今も気に掛けているのだと。

 あの場での言葉は本心ではなく、参列した貴族達の手前、ブリタニア皇帝の威信を固持する為に必要なパフォーマンスだったのだろう。

 

「ああ、そうか」

 

 父シャルルは呟き、満足げに笑う。

 けれどその瞬間、彼の双眸が禍々しい光を帯びた気がした。

 

「今宵のことは忘れるのだ、ルルーシュ」

 

 その言葉を最後に、突然の睡魔に襲われたのか、視界が揺らぎ、意識が急激に遠退いていく。

 バランスを失い、前のめりに倒れていく身体を抱き止めてくれた父上の腕の中で、僕は完全に……意識を……手放し……た……………。

 

 

 

 

 

     ◇

 

 

 

 

 

「ルルーシュの事は頼んだ」

 

 シャルルは苦々しい思いを抱きながら、意識を失った自らの息子を、まるで我が子のように胸に抱き、その髪を愛おしげに撫でている緑髪の魔女に念を押す。

 

 そんなシャルルの様子を気に留めることなく、それどころか一瞥することもなく魔女は応えた。

 

「分かっているさ。なんせ私は『盾』なのだからな」

 

 肉の盾とは何とも的を射ているじゃないか、と彼女は嗤う。

 

 

 

 それぞれが各々に想いを内に抱き、夜は更けていく。

 明けない夜はない。

 やがて朝は訪れる。

 だが、暮れない昼もまた存在しはしない。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第28話

 

 私は息を潜めてその瞬間を持つ。

 まるで狩りを行う肉食獣のように、もしくはそれを狩るハンターの心境で、じっとその瞬間を。

 

 

 

 月明かりもない暗い夜。闇が蠢くには打って付けと言えるだろう。

 静まり返ったアリエス離宮のグレイトホールでは、今まさに二つの人影が向かい合っていた。

 上階へと繋がる階段を降りてくる、ドレス姿の女性。

 そして階下で彼女を待つのは貴族服とマントを身に纏う金髪の少年。

 

「何なの、急な用って? 人払いはしておいたわ。コーネリアも下がらせたし」

 

 女性は少年に問い掛ける。

 彼女の言葉からも分かるように、密会を申し出たのは少年からだ。

 親子ほど年齢の離れた二人の関係、それは些か複雑だった。

 

「ごめんね、シャルルの居ないところで」

 

「アーカーシャの剣の件なら────」

 

「うん、いや……シャルルの事なんだ。

 君に出会ってから、シャルルは変わってしまったよ。互いに理解し合っていくのが楽しくなってきたみたいだ。このままだと、僕達の契約はなかったことになってしまう。僕だけ残されちゃう」

 

「え?」

 

「神話の時代から、男を惑わすのは女だってお話」

 

「っ!」

 

 女性は少年の口から発された言葉に含まれた不穏な空気を感じ取り、また口元に微かに浮かんだ歪んだ笑みに気付いた。

 本能が囁いたのか咄嗟に身構えようとする女性。

 だが次の瞬間────

 

「マリアンヌ様」

 

「っ!?」

 

 背後から掛けられた声に、驚きを押し殺しながら振り返る女性。彼女の視界に映り込んだのは、彼女自らが下がらせたはずの警護官達の姿。

 

「貴方たち、下がりなさいと────」

 

 女性は語気を強めた。

 整えられた舞台上に出現した予期せぬ部外者の存在に、さすがの彼女も焦りを抱き、目の前の少年から意識を逸らしてしまう。

 そう、彼等は閃光のマリアンヌという名の獲物を狩る為の贄だった。

 

 少年は待っていた。彼女が自分から意識を逸らし、隙を晒す瞬間を。

 だから少年は隠し持っていたアサルトライフルを取り出し、その銃口に獲物を捉えると、一切の躊躇いなく引き金に指を掛けた。

 火薬を用いた旧式の銃器とは違い、現在の銃器は全て電磁式。火薬式よりも遙かに反動が小さく、例え小柄な少年でも目標を蜂の巣にすることは容易だろう。

 その光景を想像してか、少年は狂気の笑みを浮かべ、引き金に掛けた指に力を込めた。

 刹那、放たれた無数の銃弾が女性を、その背後にいる護衛官共々撃ち抜き、彼女達を深紅に染める。

 

 それが本来訪れるべき未来。

 しかしその瞬間、本来あり得るはずのないイレギュラーは起こった。

 闇の中を駆る黒き影。

 

 

 

 ザシュッ。

 

 

 

「え?」

 

 最初にその異変に気付いたのは、今まさに勝者となるはずの少年だった。

 彼は自らの胸から突き出た鋭利な金属を驚きの表情で見つめる。

 

「こふっ……な……なんで?」

 

 喉の奥から込み上げた生温かな液体を口角から溢れ出しながら、自分の身に起こった出来事を理解する事ができず、少年は誰にともなく問い掛ける。

 

 けれどあの閃光のマリアンヌ様ですら驚愕の表情を浮かべて立ち尽くしている現状、彼の問いに答えられる人物は居なかった。

 そう、唯一ただ一人、私を除いては。

 

「ふふっ」

 

 思わず笑いが込み上げる。

 人は誰しも勝利を確信した瞬間、もしくは勝利を得た直後が最大の隙となることが多い。

 敵を倒してハッピーエンドだと喜んだ直後、背後からの攻撃を受けてヒロインが死亡するなんて展開の物語はよく見かける。使い古された手法だね。

 けど実際にこうも簡単に決まってしまうなんて、これはもう笑うしかない。

 

 しかしあれだ、閃光のマリアンヌ様もこんな顔をするんだね。驚愕の表情なんてレア過ぎるよ。私のスニーキング能力はなかなかのものだと自負しているが、それでも私の存在に気付かないぐらい気を抜いていたのかな?

 それならこの程度の策で暗殺されてしまうのも頷ける。いくら義兄だからって気を許しすぎだと思うよ。

 ま、相手に戦闘能力も生殖能力もないから、艶のある話に発展する心配はないけど。例え母マリアンヌが、どこの馬の骨とも分からない男相手に、不貞を働いたとしても興味はないが。

 

 

 

 

 

 さて、唐突かもしれないが、ここで私ことリリーシャ・ヴィ・ブリタニアについて語ろうか。

 何を隠そう私だって昔は──多少外見は優れているが──どこにでも居る普通の女の子だった。

 うん、どこからともなく「嘘だッ!!」っていうツッコミが聞こえてきそうだね。

 いやいや、本当だよ?

 父親が帝国の唯一皇帝だとか、母親が二つ名を持つ元化物クラスの騎士だとか、生まれた時から皇族──やったねつまりはお金持ちだよ──だとか、私が手出しできない条件を除いての話。まあ、尤もそれさえも物心が付くまでの本当に僅かな期間なんだけどね。

 

 私は同じ境遇であるはずの兄妹よりも自我や人格の形成、精神の発達が速かった。

 最初からそうなるように調整されていたのか、それとも薬の副作用等の副次的な理由か、はたまた意図せぬ本当の偶然なのかは分からない。

 だけどその結果、幼くして自分の置かれている境遇に気付き、悟り、思い知る。

 

 既に押されていた──いくら努力しても覆すことの出来ない──失敗作の烙印。

 先天的なギアス適性の欠如。

 

 失望したような冷めた視線ともに零された侮蔑の言葉。きっと我が母は憶えていない。いや、例え憶えていたとしても私が理解していたとは思いもしなかった事だろう。

 私はよく憶えているよ。その当時あまりに衝撃的だったし、何より私は執念深い性格だからね。

 彼女が欲したのは王の器。

 コードの継承条件を満たすことの出来る契約者。

 自らの計画を進める上で役に立つ駒。

 だが私は母マリアンヌが求める理想の娘にはなれなかった。

 

 だから早々に見限られ、政略結婚の道具にされてそのまま縁を切られるんじゃないか、なんて考えていたが正直母マリアンヌを甘く見ていた。

 彼女は私を己が求める駒とすることを諦めず、自らの手で鍛える道を選んだ。

 そして始まる苦痛と絶望に満ちた日々。何度も血反吐を吐き、正気と狂気の狭間を垣間見たことだろう。いっそ狂ってしまった方が楽になれると考えたこともあるが、もし実際に狂ってしまえば、今度こそ本当に失敗作として処分されていた事だろう。

 もちろん最初は抵抗したよ?

 でも鬼気迫る様子で両腕を折られた時、強制的に理解させられた。

 ああ、この人は本気なんだ。本気で私を駒へと作り替えるつもりなんだ、と。

 死を得る以外に逃げ道は残されていないんだって。

 最初に完膚無きまでに心を折るなんて、幼い実の娘にも容赦がない。徹底しているよ、本当に。

 

 私は自ら死を選ぶことの出来ない臆病者であり、こんなところで死ぬのは負けだと思う程度のちっぽけなプライドは持っていた。

 故に私は足掻くように生に執着し、抗えないと諦め、全てを受け入れた。そうする以外に自分を守る方法を思い付かなかったから。

 自分を騙し、偽り、嘘を吐き、押し殺す。その反動が今の私なのかも知れないね。

 身に付けた従順な幼子の仮面。

 かくしてリリーシャ・ヴィ・ブリタニアは一度死を迎え、生きた屍は完成した。

 

 閃光のマリアンヌ後継者育成プロジェクトという名の──勝手に私が命名しただけだが──虐待を受ける日々は続く。

 日を追う事に肉体は酷使され、ベッドから起き上がれないことも多々あった。おかげで私は有り難くもない病弱設定を授けられてしまったよ。

 そんな私の身を案じ、お見舞いに来てくれる兄と妹の姿には、感動と羨望と憎悪の涙が込み上げる。

 彼等は何も知らず、知らされず、気付くことなく手厚く持て成されているようだ。さすがに失敗作の私とは待遇が違うね、と自嘲の笑みが浮かぶ。

 いっその事、彼等に全ての真実を暴露する。もしくは私と同じ目に遭わせ、今の生活を壊してやろうと思わなかったと言えば嘘になる。

 ただやはりここでも臆病者の私は母マリアンヌの報復を恐れ、彼等を害なす事は出来なかった。

 その一方で、彼等に私と同じ苦しみを味わわせたくはないという思いを抱いたのも事実だ。本当に人間の心は複雑だね、自分でも自身の心を理解できないなんて。他人の心を理解する為にラグナレクの接続を行う前に、まずは自分の心を理解しようとしないと意味がないんじゃないかって今にして思うよ。

 

 嘘に覆われた変わらない日常。

 そんな何とも言えない幼少期を送っていた私の、唯一の楽しみは本を読むことだった。きっかけは何てことはない。兄妹と共に行動すると、どうしても負の感情が込み上げてしまうため必然的に彼等を避け、一人で過ごす事の多かった私は時間を持て余していたからだ。

 先人達が築き残した知識の海、そして心動かせられる物語にこの身を委ね、意識を埋没させる。

 それが現実逃避でしかない事には気付いていたが、その時だけは何ら偽ることのない、年相応の本当の私で居られたのだと思う。

 

 力のない私がどれだけ足掻いたところで、どうせ世界は変わらないと諦め、自分の殻に閉じこもる。

 望んでもいないのに強制的に鍛えられていく肉体。

 無駄に、無意味に知識を蓄えるだけの日々。

 私は母マリアンヌの望む人形を演じ続けた。

 

 そう、その日までは────

 

 

 

 ある日、奇跡が起こった。

 それはとてもとても素敵な奇跡。この時ばかりは──人間の信仰心が生み出した偶像でしかない──神に感謝しても良いと思えるほどに。

 その日、私の中に新たな生命が宿った。うん、こう表現すると何だか妊娠したかのように聞こえるかも知れないが、私はまだ処女だし子供が出来たわけじゃない。

 処女受胎というのもなかなか面白いが、現代の医療技術を考えれば少々神秘性には欠けてしまうかも知れないね。

 紛らわしいから、私の中で新たな精神が生まれた、と言い直そうか。

 ……事実ではあるんだけど、今度はまるで解離性同一性障害や精神分裂症を発症したみたいだね。まあ、環境的にはそうなっていてもおかしくないし、現に私だって最初はその可能性を疑ったよ。

 何れにしろ、それは私にとっての転機。不条理で、理不尽で、無価値だった世界が一変し、一気に色付いたことは間違いない。

 

 私の中で眠る存在、彼の名はルルーシュ・ヴィ・ブリタニア。奇しくもこの世界とは似て非なる世界に生まれた、双子の兄の同位存在。

 齎されたのは、彼の長いとは言えない生涯の記憶。

 だけど考えてみて欲しい。人間の人格を構築する情報群、またいくら短いとは言え一生分の記憶が、何の備えもなく強制的にインストールされるとどうなると思う?

 そう、膨大な情報量に脳の処理が追い付かずオーバーヒートを起こす。当然拒絶反応や精神汚染、後遺症の危険性もあったわけだ。お陰で私も一時脳死の手前にまで追い込まれてしまったよ。

 もし私が普通の子供だったら廃人→処分コースは確実だね。本当にルルーシュくんは私に感謝と謝罪をするべきだと思うんだ。

 もちろん、しっかり対価はいただいたんだけど、ふふっ。

 

 そうだね、彼の記憶にタイトルを付けるとしたら『コードギアス 反逆のルルーシュ』辺りになるのかな?

 彼が起こした反逆劇、ゼロの英雄譚を私は夢中で読み耽った。

 

 ただ残念なことに彼の物語に私の同位存在は登場しなかった。エベレットの多世界解釈でいうところの『リリーシャ・ヴィ・ブリタニア』が存在しない可能性の世界からの来訪者なのだろう。

 尤も彼が私の存在を認識していないだけで、本当は双子で誕生するはずだったが、母マリアンヌの子宮内でバニシングツイン現象が起こった可能性も考えられる。ちなみにバニシングツイン現象とは双胎妊娠が判明した後、ごく早期の段階で一方が母胎に吸収されるなどして子宮内から消失。単胎妊娠の形となる現象の事だ。原因は不明だが、実は妊娠初期は大半が多胎受精であり、妊娠が確認される段階で単胎になっているという仮説もある。受精段階から生存競争が始まっている事実もあり、本当にこの世の理は弱肉強食だと思いしらされるね。

 

 閑話休題。

 彼の物語を読み終えた感想だけど、結末が全てを台無しにしている。一言で言い表すなら本当に馬鹿な男だと最初は思った。

 

 絵的には綺麗な死、ゼロレクイエムという世界を巻き込んだ茶番劇。

 ルルーシュくんは贖罪のつもりだったのだろうけど、結局は義務や責務を放棄し、後に引き起こされるであろう問題の全てを他者に押し付け、自分の行動の結果を直視することなく死に逃げた。そう、尤も楽な道を選んだけだ。

 甚大な被害を齎したフレイヤ、それを撒き散らすダモクレスの脅威。悪逆皇帝を凌駕する憎しみの象徴。

 あの時点で死ぬことが贖罪には成り得ないと、本当は自覚していたんじゃないかな? それともその考えに至れる正常な思考能力を失っていたのだろうか?

 いや、当初のプランに固執した背景には枢木スザクの存在も大きい。友人との約束を守ることは確かに大切だと認めるよ。けれど強者の責務が弱者を守り、正しく導くことだと知らない彼ではないはずだ。

 そもそもゼロによる悪逆皇帝の暗殺によって齎された平和。つまり殺人を肯定した上に成り立つ世界が、上手く機能すると本気で思っていたのか甚だ疑問だよ。殺人を止めるために殺人を犯すなんて明らかに矛盾している。

 ゼロレクイエムによって世界は正義の為の殺人を容認してしまった。これを改悪と言わずして何と言うのかな?

 前提が間違っている以上、ゼロレクイエムの効果は短期間であり、極めて限定的なものになるだろうね。

 

 私が同じ立場なら間違いなくあの場でゼロを撃ち、英雄の仮面を剥ぎ取り、民衆に高らかに宣言するよ。英雄など所詮は幻であり、二度と奇跡は起きないとね。

 そして処刑パレードを滞りなく続ける。フレイヤという力に溺れた皇族、無能な政治指導者や自らの立場を弁えない黒の騎士団幹部なんて世界に不必要だから。

 その後でゆっくり考えればいい。強大な権力と軍事力をバックに、多くの専門家を従えて今後長きに渡る平和の構築方法を。僅か二人の少年が短時間で考え付くような矛盾だらけの方法より、余程マシな方法が見つかると思うよ。

 数十年平和が続き、世代が交代する頃には人の意志も変わっているはずだ。もし変わって居なければ、千年でも一万と二千年でも変わるまで生き続け、人類を支配し続ければいい。幸いな事に不老不死に至る方法を知っている事だしね。

 でもルルーシュくんにはその覚悟がなかった。

 世界を壊す覚悟はあっても、本気で創る覚悟はなかったのかも知れない。

 撃つ覚悟、嘘を吐く覚悟、殺す覚悟、死ぬ覚悟。

 口では立派なことを言っているが、結果が伴わなければ意味がない。

 だからラグナレクの接続という幻想を否定しながら、現実を見ることなく、人間の可能性という幻想に縋り付いたのだろう。

 

 しかし、人々が望んだ明日を迎えるために、世界の憎しみを一身に集め、それを断ち切る為に己が命を捧げる、か。

 

 ルルーシュくんは頭が良いくせに馬鹿だね。その結論がおかしいと何故気付かないのかな?

 現実的に考えれば、たった一人の人間に世界の憎しみを集めるなんて到底不可能だよ。

 そもそも突き詰めれば人間は個人主義の生き物だ。見ず知らずの他人が何万人死んだところで──可哀想だと同情はするだろうけど──自分の周囲に被害が及ばなければ案外平然としているよね。一方で自分の肉親や知人、恋人や友人が犠牲となれば目の色を変えるものだ。

 そこで当時の社会情勢──キミが皇帝を僭称する以前になるのかな──を考えてみて欲しい。世界には悲劇が溢れていた。殺し殺され、傷付け傷付けられる事が当然のように横行していたはずだよ。それをキミが知らないはずがないよね。

 ならその数だけ憎悪や殺意を向けるべき対象が存在する。ある者はブリタニアという国家を憎み、ある者は黒の騎士団という組織を憎み、ある者は名も知らない兵士やテロリスト個人を憎み、ある者はフレイヤという兵器を憎んだ。

 家族を憎み、経済を憎み、人種を憎み、主義を憎み、宗教を憎み、境遇を憎み、そして自分自身でさえ憎む。何だって憎むことが出来る、それが人間だ。

 

 確かにキミは国際社会の敵ではあったけど、個人が憎悪を向ける対象であるかはまた別問題。だからキミ一人が死んだところで、憎しみの連鎖が断ち切られることはあり得ないんだよ。

 まだキミが悪逆皇帝として君臨し世界の悪であり続けたなら、その事実から意識を逸らし、キミだけを憎み続けることが出来たかも知れないのにね。

 人は忘却する。反悪逆皇帝という流行(ブーム)も、話題がなければ廃れるのが必然。近くの川に出没したアザラシや直立するレッサーパンダと同様に。日常を取り戻した民衆は、やがてキミの存在を忘れ、再び現実を直視しなければならなくなる。その瞬間、ゼロレクイエムは意味を失う。いずれ歴史は繰り返されるだろうね。

 人は弱く、誰もがキミのように前だけを見て進めるはずがないんだよ?

 いや、少なくとも最愛の妹の罪を肩代わりし、唯一の親友の再就職を斡旋できたから、キミにとっては満足する結果だったのかもね。

 

 ところでキミは考えた事があるのかな? キミの死を喜ぶ者が居る一方で、キミを殺したゼロに憎しみを抱く者が居る可能性を。

 皇帝ルルーシュに救われた者。

 皇帝ルルーシュを崇めていた者。

 皇帝ルルーシュを愛していた者。

 人の思想は千差万別、十人十色、多種多様だからね。

 ほら、また生まれたよ。憎しみの連鎖を断ち切ったと思った瞬間、新しい憎しみが。

 その果てに訪れる世界は…………。

 ふふっ、想像するだけで愉快だ。

 

 そもそもルルーシュくんは人々が明日を望んでいると言ったけど、一体何を以てそう確信したのかな?

 集合無意識が彼の願いを受け入れ、ラグナレクの接続を否定したから、そう考えたんだろうね。

 でも待って欲しい。あの時の内容を覚えているかな?

 時の歩みを止めないでくれ、これはまあいい。けど問題はこの次だ。それでも『俺は』明日が欲しい。あれ、人類ではなく俺が?

 これでは彼がギアスによって自らの考えを押し付け、世界の意志を無理矢理ねじ曲げたことになるんじゃないのかな? 果たして本当に人々が、心から純粋に明日を求めていたのかな?

 押し付けた善意は悪意と変わらない、善意と悪意は一枚のカードの裏表とはよく言ったものだ。

 そもそも明日を生きることを諦め、皇帝と心中するために神根島に向かったはずの彼が、明日を求めるなんて矛盾しているとは思わないかい? ま、今となっては確かめようもない戯れ言だったね。

 ところで、ふと思ったんだけど、もし仮にこの場面でルルーシュくんが、それでも人類は争いのない未来が欲しいと願っていたら、案外簡単に優しい世界が実現していたんじゃないかと思うんだ。いや、その可能性はあまりにご都合主義かな。ただ現に願い通り、彼の明日は死した今も続いていると言えなくもないから、もしかしたら……ね。

 

 おっと、気付けば長くなったね。ゼロレクイエム批判はこの辺にしておこう。本当は直接本人に問い掛けても良いんだけど、今更どうすることも出来ない過去をネタに虐めるなんて格好悪いから今はしないよ。うん、今はね、ふふっ。

 

 だけど謎なのは、どうしてルルーシュくんの精神は完全な同位存在であるこの世界の自分(ルルーシュ)ではなく、わざわざ私の中に宿ったのかな?

 それには何か意味があるはずだと、ロマンチストな私が都合良く解釈する一方、冷静な私が単なる偶然だと嘲笑を浮かべる。

 きっと理由は誰にも分からないだろう。

 ただ王の器にはなれなかったけど、魔王の器の条件は満たしていたという事実は変わらない。

 お陰で私は多種多様な情報と技術を、使い方次第で世界を変えられる力を手にする事になった。

 帝国貴族の不正情報、母マリアンヌ暗殺事件、コード、Cの世界、ギアス嚮団、古代遺跡、集合無意識、アーカーシャの剣、第七世代以降のKMF、KGF、嚮団謹製のサイバネティクス技術、神経電位接続、フロートシステム、フレイヤ、浮遊要塞ダモクレス……挙げれば切りがない。

 また戦争や政治情勢、自然災害や大事件、経済発展や経済危機と言ったこれから起こる出来事を、ルルーシュくんが詳細に憶えてくれていたのは思わぬ収穫だよ。

 例えば大規模な自然災害を予言という形で公表し、失うはずだった数万の命を救うことが出来たなら、私は稀代の予言者として崇め立てられ、新たな宗教を立ち上げることも出来るだろう。時として宗教は政治システムや国家を超越する事もあるからね。

 もちろん未来情報を使用したインサイダー取引による株式投資や為替取引で莫大な財を成し、市場経済を裏から支配する事だって可能だ。逆に経済を破綻させて既存の金融システムを、延いては世界を牛耳る先進国を破壊するのも面白い。破壊するなら徹底的に、人類の文化を根底から覆さなければ意味はない。

 皇族なんて止めて会社を興すのもいいかな? それとも手にした財を資金に未来の兵器を開発し、軍を作り、世界に宣戦布告するなんてどうだろう? たった数騎のKMFに蹂躙されていく国家群なんて展開には興奮するよ。

 失敗作でしかなかった小娘が、世界を揺るがし支配する王──聖女でも女神でも魔王でも新世界の神でも可だよ──となる。

 当然この世界で全てが通用するかどうかは未知数の為、所詮は希望的観測に過ぎないが、実に夢のある話だと思わないかい?

 未来が拓けるとは、まさにこういう事を言うのだろうね。

 もし何も知らないままだったなら、自由のない歯車として組み込まれ、役目を終えるその瞬間まで回り続けていたに違いない。

 

 だから私は今後の世界の行く末に胸をときめかせながら、ルルーシュくんの意識が覚醒する前に心の闇で包み込んだ。戦い続けた彼には休息が必要だと善意を大義名分に掲げ、深く深く闇の中へ。

 いつかは目覚めてしまうことは理解していた。でなければ彼が私に宿った意味がないからね。

 ただその目覚めが予想よりも早かったことは想定外だった。何らかの力が加わったのかな?

 運命はいつも私に残酷で、世界は理不尽だね。

 でもこれ以上の奇跡を望むのは、さすがに強慾というものだろう。

 大丈夫、問題はないよ。障害が大きいほど燃えるんだから。

 さあ、一緒に世界に反逆しようか、ルルーシュくん?

 

 

 私は偽りの仮面を投げ捨てる。

 その日、リリーシャ・ヴィ・ブリタニアは二度目の誕生を迎えた。

 それはきっと既存の世界、訪れるはずだった未来の終わりの始まりとなるだろう。

 

 

 

 

 

 少年=V.V.の胸から剣を引き抜き、そのまま彼の腕を切断。即座に返す刃でもう一方の腕も斬り飛ばす。

 叫びを上げ、膝から崩れ落ち、床の上をのたうち回る姿を、私は特に感慨を抱くことなく見下ろしていた。

 しかし本当に浅はかな男だ。実に短絡的な犯行だと思うよ。

 どれだけ隠蔽を施し、もし仮に母マリアンヌが心を渡るギアスを持っていなかったとしても、悲願であるラグナレクの接続が成就した暁には全てが露呈し、自分が暗殺犯である事が最愛の弟にバレてしまうとは思い至らなかったのだろうか?

 それとも許してもらえると本気で考えていたのか?

 死んだと人ともまた話せるようになると言っている以上、強ち本気の可能性が高いね。

 尤も外見年齢通り、頭の成長がコードを継承した時点で止まってしまった可哀想な人とも考えられるが……。

 何れにしろ私にとって邪魔な存在でしかない。

 さて、どうしようか?

 確かルルーシュくんが何やら用意をしていたみたいだけど。

 

「……な……なんで……どうして……君が…………」

 

 V.V.が目を見開き、顔を歪めながら私へと視線を向ける。

 そこには本来存在しないモノでも見たかのような驚愕と恐怖にも似た感情があった。

 そう、まるで私の両眼が紅い輝きを放っているような錯覚を見ているかのような。

 

「……違う……だって…呪われた皇子は…君じゃな────」

 

 何かを喚いていたが、耳障りだったので逆手に持った剣の刃を喉元に突き立ててやる。

 ひゅぅひゅぅと空気の漏れる呼吸音と声にならない呻きが聞こえてくるが、これで少しはマシになったよ。

 でもルルーシュくんは肝心な所が抜けてるね。どれだけ用意周到に準備していても、この瞬間に立ち会えなければ意味がない。

 なまじ未来を知ってる特異性が弊害となり、警戒を怠る要因となったのかな?

 だけど平行世界における数ヶ月程度は誤差の範囲。ううん、誤差にすらならないと思うよ。

 しかしルルーシュくんはこの身体の中で異物が這いずり回るかのような不快感、そして相反する心地良さには気付かないのかな?

 この感覚は私だけに発現した数少ない能力だ、とポジティブに考えるべきか。いや、惨めになるから止めよう。どうせ失敗作故の障害に過ぎない。素直には喜べないが、今回ばかりは役に立ったね。

 

「助けに来たよ、マリアンヌ様。お怪我はないかな?」

 

 視線をV.V.から母マリアンヌに移して問い掛ける。

 

「え、ええ……ありがとう、リリーシャ。助かったわ」

 

 そう言って母マリアンヌは素早く子供を褒める母親の仮面を身に付け、感情を押し殺すように微笑みを向けてくる。

 今更取り繕っても遅いと思うよ。

 

「マリアンヌ様、これは一体どういう事なのですか!?」

 

 目の前で起きている光景をまるで理解できない、と言いたげな警護官の内一人が説明を求めてくる。ま、理解されても問題があるんだけど。

 すっかり彼等の事を失念していたよ。

 

 私は徐にV.V.が落としたアサルトライフルを拾い上げ、その銃口を男達へと向ける。

 火器は刀剣よりも不得意だが扱えないわけじゃない。射撃経験は少なく、サバイバルゲームさえ参加したことはないが、私の場合はある意味毎日がサバイバルだからね。

 などと自虐的な考えを思い浮かべながら、躊躇うことなくトリガーを引く。セレクタはフルオートのまま正確に手動で三点バースト。これも母マリアンヌに教え込まれた戦闘技術の一つ。元々本体に三点バースト機能は付いているが、機構的にトラブルの原因になりやすいそうだ。

 タタタンッ、タタタンッ! と小気味よいリズムの後、ドサリと男達が倒れる音が二つ。

 これが私にとって人生初の人殺し。

 だけど妙な興奮も恐怖も後悔も罪の意識も抱かない。

 思考は至って平常運転、心も平静平穏だった。

 やはり私は壊れていた──いや壊されていたのか──のだと改めて実感する。

 

「リリーシャ、貴女……」

 

 どうして私を壊した張本人のマリアンヌ様の方が驚いているのかな?

 まあ、良いけどね。

 これでようやく舞台は整った。

 

 私は未だ構えたままのライフルの銃口に母マリアンヌを捉える。

 そんな私の行動に彼女は僅かに眉を上げた。

 

「貴女には今日この場で死んでもらうよ、マリアンヌ・ヴィ・ブリタニア。

 だから────」

 

 

 

 

 果たして彼女が選んだ答えは正しかったのか、それとも間違っていたのか?

 現時点では、それは誰にも分からない。

 だけどいつか世界は彼女に突き付ける。

 自らが選んだ行動の結果を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

─────以下おまけ(本編無関係)

 

 

 

 少年は狂気の笑みを浮かべ、引き金に掛けた指に力を込めた。

 刹那、放たれた無数の銃弾が女性を、その背後にいる護衛官共々容赦なく、無慈悲に撃ち抜いた。

 崩れ落ちた彼女達から溢れ出る鮮血が、階下へと伝い流れていく。

 

 その光景を満足げな表情を浮かべて眺めながら、少年は懐から取り出した通信端末を耳に当てた。

 

「終わったよ。……うん、偽装を始めて。目撃者はナナリーにでも────」

 

 少年は通信端末越しに淡々と指示を出す。

 この時彼は致命的なミスを犯していた。

 だが達成感、または勝利の余韻に浸ってしまっていたのか、彼は自らの過ちに気付けない。

 もし仮に気付くことが出来たなら、間違いなく彼の運命は変わっていただろう。

 

 一つは狩りの対象であった女の生死を確認しなかったこと。

 そしてもう一つは、この場に彼女を招き入れてしまったこと。

 

「今の音は何なんです────えっ?」

 

 銃声に気付き、グレートホールへと足を踏み入れた麗しの幼女が一人。

 

「お母…様……? え、あの、これは……」

 

 彼女は自分の目を疑い、戦慄して凍り付く。

 理不尽の象徴だと思っていた母親が力なく倒れ伏し、その身からは夥しい量の血液が流れ出している。

 

「お母様!」

 

 困惑したまま彼女は母親の傍らへと駆け寄り、致命傷を負った母親の姿を間近で捉えて息を呑む。

 出血量の多さ、微弱な呼吸、その命に残された時間が僅かだと物語っていた。

 幼女は涙を浮かべ、身体を震わせ、今まさに命尽きようとしている母親へと縋り付く。

 

 

 

「ああ……うん、少し予定を変更しなくちゃいけないみたいだ。

 でも彼女もついてないね、こんな現場に居合わせてしまうなんて」

 

 予期せぬ目撃者の出現に少年は苦笑する。

 それでも既に目的を達した──と思っている──以上、彼の余裕な態度は崩れることなく、最後のお別れぐらいさせてあげようなどと内心考えていた。

 

 

 

「お母様、大丈夫です。私が……私が今楽にしてさしあげますから」

 

 この異常な状況下では、もはや彼女は己を押さえきることが出来ず、狂喜の笑みを浮かべ、常に携帯しているお守り代わりの短剣を抜く。

 そしてその剣先を抵抗など出来るはずのない母の胸へと押し当てた。

 

「これで、これで私は解放される。この地獄から! ふふっ、あはははは」

 

 ────紅き凶鳥が羽ばたいた。

 

「残念だったわね、リリーシャ。貴女の地獄はまだ始まったばかりよ、うふふっ」

 

 

 

「場合によっては母親の後を追ってもらうことになるかも知れないから、そっちの手配もお願い。大丈夫だよ、その方がリアリティも出るしね。

 そもそも子供は三人も居るんだ、一人ぐらい減ったって────」

 

 躊躇う配下を諭す少年だったが、それ以上言葉を続けることは出来なかった。

 目の前に広がった朱い飛沫。

 それが自分の首から吹き出しているのだと、すぐに理解し、受け入れることは出来なかった。

 身体から急速に熱が奪われ、力が抜けていく。

 気付けば床が目の前に迫っていた。

 動かない身体、遠退いていく意識。

 そんな彼がこの世で最後に聞いた声は、酷く蠱惑的で艶やかな、幼い少女のものだった。

 

「やっぱり若いって良いわね。あの人も喜んでくれるかしら」

 

 年不相応な妖艶な笑みを浮かべた幼女が、くるりくるりと回り、舞い踊る。紅く染まったその手に短剣を握りしめて。

 

「こうも即座に馴染むなんて、まるで私の器になる為に産まれて来たみたいね。本当に親孝行なんだから。愛しているわよ、私のリリーシャ、うふふ」

 

 

 皇歴2009年5月某日。

 この世界に新たな魔女が生まれた。

 閃光の名を持つ魔女が……。

 

 

【ifエンド1 もしもリリーシャが未来情報を手に入れていなかったら……Ver.A】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────さらにおまけ

 

 

 

「神聖ブリタニア帝国第九十九代唯一皇帝陛下にして黒の騎士団CEO、超合集国第二代最高評議会議長であらせられる、リリーシャ・ヴィ・ブリタニア様のお姿が見えました」

 

 淡々と語るアナウンサーの声、そして世界統一を記念したパレードの映像が、ありとあらゆる放送局や動画配信サイトを通じて全世界へと配信されていた。

 

 兵士、さらにはKMFによる厳重な警備を伴い進む車列。その中央、一際目を惹く台座付きの専用車があった。台座の上に用意された仰々しい玉座。そこに座る者こそ、ダモクレス戦役の勝者にして、世界の頂点に君臨する存在、リリーシャ・ヴィ・ブリタニア。

 彼女はその類い稀なる美貌に勝者の笑みを浮かべ、沿道に詰め掛けた群衆へと優雅に手を振っていた。

 

 しかし、彼女へと向けられる視線に含まれる感情は、憧れでも敬意でも、ましてや好意であるはずもなかった。

 そこにあるのは恐怖と憎悪。

 

 民衆は陰で彼女を魔女、史上最低最悪の大量虐殺者、狂人、殺戮女帝と呼んだ。

 ダモクレス戦役に勝利し、天空要塞ダモクレスと、そこに搭載されていた大量破壊兵器フレイヤを手中に収めた彼女は、事前通告も宣戦布告もすることなく、世界六十の都市へフレイヤを投下した。死者数は少なくとも十億を下ることはないだろう。

 引き起こされた未曾有の混乱下で、ブリタニアの侵攻に抗える国も組織も存在しなかった。

 

 パレードは進む。反逆者として捕らえた実の兄妹達、反逆者に迎合した各国政治指導者、世界に武器をばらまいた軍産複合体の首脳陣、最大の抵抗勢力であった黒の騎士団幹部を伴い、その命奪う処刑場へと。

 だが、不意に車列が止まる。

 予定にない出来事。

 場が緊張感に包まれ、兵士達が銃を構え直した。

 向けられた視線の先、そこには車列の前に立ち塞がる黒い人影があった。

 鋭角的な黒い仮面に同色のマント、騎士服を思わせる貴族的なデザインの濃い紫の衣装。

 

「……ゼロ」

 

 静寂の中、誰かが呟いた。

 世界はその名を知っている。

 黒の騎士団の創設者にして、世界を二分化した超合集国の発案者。黒の騎士団を率い、正義の下に奇跡を体現し、世界の強者に挑んだ男の名を。

 呟きは瞬く間にざわめきへと変わり、彼の一挙手一投足を見守る民衆は異様な興奮に包まれていく。

 民衆は期待する。

 彼がまた奇跡を見せてくれることを。

 悪を討つ瞬間を。

 

 ゼロは走り出す。放たれた無数の弾丸を、人間の枠を超越した動きで躱し、世界の悪=殺戮女帝の下へ。

 そして二人は台座の上で対峙した。

 

 驚愕の顔に歪め、リリーシャは玉座から立ち上がり、黒き皇帝服の下から銃を引き抜き、その銃口を目の前の男へと向けた。

 

「痴れ者が!」

 

 だが引き金を引くよりも速く、ゼロが手にする剣によって弾き飛ばされてしまう。

 ゼロは無言のまま剣を構え直し、その切っ先にリリーシャを捉えた。

 リリーシャは睨み返し、小さくクスッと笑う。

 

「ジェレミア」

 

「イエス、ユア・マジェスティ」

 

 まるで呟くようにリリーシャが名を呼んだ男、ナイトオブワン=ジェレミア・ゴットバルトは主君の命を理解し、即座に実行へと移した。

 左目の周囲を覆う機械的な仮面、その瞳部分が開き、幾何学模様が刻まれた眼球に秘められた力を発動させる。対ギアス能力=ギアスキャンセラーを。

 

 同時にリリーシャは台座踏みしめる片方の足に力を込めた。

 カチリ、と何かが作動する音が聞こえた。

 

 刹那、ゼロの足下から突き出した鋼の刃が、彼の腕を、脚を、腹部を貫き、その場に縫い止める。

 沿道の群衆から悲鳴が上がった。

 

「ふふっ、無様ね、ゼロ。でも反逆者にはお似合いよ」

 

 リリーシャはゼロの仮面へと手を伸ばし、迷い無くロック機構に触れる。

 剥がれ落ちる仮面。

 露わになる素顔。

 どよめきが起こった。

 

「そう、今度のゼロは貴男だったの、枢木スザク。さすがは悪名高い裏切りの騎士ね、今度は私を裏切るつもりだったのかしら?」

 

 殺戮女帝に仕え、世界の命運を賭けたダモクレス戦役で戦死したとされた裏切りの騎士=枢木スザク。

 ゼロの正体が彼であった現実に対する失望と、ゼロの名を汚す行為に対する憤怒が群衆の間に広がっていく。

 

「……君は……また僕を……裏切った…のか……?」

 

 スザクは苦痛に耐えながら、目の前に居るリリーシャだけに聞こえる声で問い掛ける。

 

「ねぇ、知ってる? 裏切りは対象者の間に一定の信頼関係がないと成立しないんだよ?」

 

 彼女もまた彼の耳元に口を寄せ、囁くように答えた。

 

「……くっ」

 

 スザクは奥歯を噛み締める。

 痛い。でもそれは己を貫く刃が齎す痛みではない。

 

「さよなら、最初で最後の元親友くん。大好きだったよ」

 

 リリーシャはスザクの頬に口付けし、はにかむように年相応の笑顔を浮かべる。

 ほんの僅かに垣間見えた心からの笑み、それが彼女の『ただのリリーシャ』であった最後の瞬間だった。

 

 スザクから離れたリリーシャは、二度と外すことのない仮面を身に付けると、新たな銃を取り出し、微塵も躊躇うことなく引き金を引いた。

 

 乾いた銃声がビルの谷間にこだまする。

 

「聞け、愚かにも私の死を望んだ者達よ。

 この世界に英雄など存在しない。

 この世界に希望など存在しない。

 それでも挑むというのなら、死と破滅を覚悟して挑んでくると良い。

 世界の支配者であるこの私が、その悉くを殲滅してみせよう。

 勝利は常に我が名と共にある!」

 

『オール・ハイル・リリーシャ!! オール・ハイル・リリーシャ!! オール・ハイル・リリーシャ!!』

 

 操り人形が誇らしげに、高らかに、賛美の声を上げる。

 人々の絶望と共に再開されるパレード。

 

 玉座に腰を下ろしたリリーシャは、かつて友情以上の感情を抱いた男の亡骸を目にしても、もはや痛むことのない胸に手を当てる。ギアス保持者の瞳に浮かび上がる──まるで不死鳥が翼を広げているかのような──紋章と同じ刻印が刻まれたその胸に。

 

「王の力は人を孤独にする……か。それでも構わない。いや、それでこそ私に相応しい。

 だから────」

 

 

 

 遠い未来、ある歴史学者は語る。

 殺戮女帝リリーシャ・ヴィ・ブリタニアは悪である。

 これは覆る事のない事実。

 だが彼女の圧政という名の人類革新が、後世に多大な影響を与えたことは間違いない、と。

 

 

【ifエンド2 リリーシャ版ゼロレクイエム ゼロに奏でる鎮魂歌】

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第29話

 

 おはよう────誰かにそう言われた気がした。

 

 まるで漠然とした夢の中に居るかのように、身体の感覚はどこか曖昧だった。

 波間に浮かぶ木の葉の如く、不明瞭な世界をたゆたう意識。

 それでも徐々に覚醒の瞬間は近付いていた。

 闇に差し込む光が強さを増していく。

 

 目を覚ます。と言って良いのかは分からないが、瞼を開けた視界に映り込んだ景色は見覚えのない場所だった。

 

「ここは……」

 

 どこだろうか?

 

 広大な白い空間に立ち並ぶ書棚やガラスケース。

 窓はないが、まるで太陽の光のように穏やかで温かな光が降り注いでいる。

 現実感の伴わない光景。

 

 どうやら『私』は異空間に迷い込み、そこに置かれた天蓋付きのベッドの上で眠っていたようだ。

 

「ん……私……?」

 

 私、わたし、ワタシ、私?

 何ら変哲のない一人称に感じた違和感に『私』は戸惑いを抱く。

 あ、まただ。

 何だろう、この感覚は。

 

 いや、そもそも『私』とは誰のことを指しているのだろうか?

 

「私は……」

 

 誰だろう?

 思い出せない。いや思い出そうとすれば何かに思考を阻害される。本当に迷惑な話だ。

 

 しかし、ここはどこ、私は誰か……。

 これではまるで記憶喪失のテンプレ台詞。常々馬鹿らしいと思っていたが、実際にそれに似た状況に置かれた人間は案外同様の思考に至るらしい。実体験としては知りたくない事実だった。

 と『私』が苦笑した刹那────

 

「キミはリリーシャ・ヴィ・ブリタニア、それ以上でも以下でもないよ」

 

 幼くも蠱惑的な少女の声に誘われ、声の主へと視線を向ける。

 そこに居たのは──まるで物語の中から飛び出してきたかのような──黒のお姫様だった。

 

 息を呑む。

 それは何も麗しい彼女の姿に心奪われたからだけではない。

 本能的に理解した。理解させられた。

 ああ、目の前に存在する彼女こそ『私』だと。

 

 私の存在がリリーシャ・ヴィ・ブリタニアだとするのなら、つまりは彼女もまたリリーシャ・ヴィ・ブリタニア。

 向かい合う二人のリリーシャ。

 何とも奇妙な光景だろう。

 

 どうやら私もしくは『私』は解離性同一性障害を発症しているらしい。

 私と『私』、一体どちらが主人格なんだろうね?

 

「リリーシャ、そう……リリーシャ」

 

 確かに聞き覚えがあるが、それでもどこか違和感を感じてしまうのは何故だろう?

 聞いた名前を反芻する。

 するとその名前を基点とした記憶の一端が脳裏に浮かび上がってきた。

 なるほど……。

 私は手を顔の横に近付けてポーズを取る。

 

「超銀河美幼女リリーシャ、キラッ☆ミ」

 

 もちろん媚びるような笑みを浮かべることは忘れない。

 猫でも狐でも狸でも被ろう。

 我ながら会心の出来だ。

 うん、悪くない。何だかしっくりくるね。

 

 一方、それを見た『私』は額を押さえて、まるで精神的ダメージを負ったかのように辛そうな表情を浮かべ、何やら呟いているご様子。

 ん、何故だろう? 何か間違っていたかな?

 

「何でよりにもよって今それを思い出すんだろうね? 私のキャラじゃないっていうのにはまりすぎだよ。ゴットバルト兄妹あたりなら萌死していてもおかくしくないんじゃないかな。ああ、でも妹の方なら本望か……。

 けどここまで記憶の上書きが不完全だなんて予想外も良いところだよ。所詮は借り物の力なのか、それともやはり適性のなさが響いたのかな? 何れにしろ完全に掌握するには、まだまだ研鑽が足りなかったみたいだ。詰めが甘かったかな、これじゃルルーシュくんのことは言えないね。でも私だって頑張ったんだよ。そうだ、廃人にならなかっただけ良かったじゃないか。そうだよ、ふふっ」

 

「あの……(頭)大丈夫?」

 

 何やら危険な単語が聞こえてきたんだけど、もしかして危ない系の人なのかな?

 

「うん? 全然オーケー問題ナッシング。でもその気遣いにはサンクスと言っておくよ」

 

 テンパッているのか言語能力に障害が発生しているように思われるが、ここは空気を読んで突っ込まないのが正しい対応だろう。決して扱いに困ったという理由じゃないが、ここは取り敢えず話を進めるべきだと思う。

 

「……貴女は?」

 

 『私』が私をリリーシャと定義する以上、私が『私』をリリーシャと呼ぶわけにはいかないだろう。彼女なりに意味があるはずだ。いや、絶対にダメというわけではないが、それでもややこしくなるので止めておくことにする。

 

「そうだね、神でも悪魔でも魔女でも好きに呼ぶと良いよ」

 

 嗚呼、どうも『私』は頭に『ち』が付く面倒な病を発症しているらしい。外見年齢から察すると発症はまだ先なんじゃないかと思うけど、果たしてあの病は低年齢化しているのだろうか?

 それともこう見えて実はロリババァ────

 

「今、何か不快感を感じたんだけど、失礼なことを考えていなかったかな?」

 

 『私』の目がスッと細まり、剣呑な光を放つ。

 同時に彼女の周囲に、どこからともなく毒々しい黒蝶が出現する。

 

「ううん、別に何にも」

 

 おっと危ない、なかなか勘が鋭いようだ。

 でも魔女だ何だって呼ぶと、私まで例の病を発症したみたいじゃないか。はぁ、でも話を進める為には仕方ないね。

 

「じゃあ、妖精さん」

 

「ッ!?」

 

 ちょっと何だい、その顔は?

 そんなに嫌そうな表情を浮かべなくてもいいじゃないか。見た目は可愛いというか麗しいんだから似合うと思うんだ。

 妖精さん(笑)

 我ながらベストチョイスだと自負しよう。

 ただ『私』を褒める私、果たしてこれはナルシストになるのかな?

 

「それはちょっと……私のキャラじゃないよ。そうだね、私の事はL.L.とでも呼んでくれないかな?」

 

 嫌がるなら最初からそう言えばいいのに。

 まったく、これでは両者共に傷を負っただけじゃないか。

 しかしL.L.とはこれはまた……。

 まあ本人が納得している以上、指摘するほど野暮じゃないけど。

 

「分かったよ、L.L.たん」

 

「……殺すよ?」

 

 出来る出来ないの問題じゃない。あの目は間違いなく殺る気だ。

 おおっ、背筋が寒くなる。

 

「こほん……それでL.L.、貴女の目的はなに?

 私は自分が置かれている状況を把握できないけれど、こうして別人格同士が顔を合わせる程度には異常だって理解できる。

 さっき貴女の口から零れた話を聞く限り、この状況には十中八九、貴女が関与しているんだろ? 尤も貴女の思惑通りの結果とはいかなかったようだけど」

 

「私の目的が何か、それを語り始めるとすごく長く、具体的には歴史超大作に匹敵するんだけど良いかな?

 そう、ことの始まりは────」

 

「いや、要点だけでいい」

 

「むぅ、つれないね……」

 

 長くなると前置きされれば誰だって同じ反応をするはず。

 私としては現状を把握する事が何よりと先決だ。L.L.の話に興味がないわけではないので、後日ゆっくり語ってもらえばいいだろう。

 

「私と契約しよう、リリーシャ」

 

「……契約?」

 

 その単語から悪徳商法の香りがするのはどうしてだろう。

 宗教にも絵画にも健康食品にも美容器具にも興味はないし、連帯保証人の欄に判を押すつもりもないんだけど。

 

「そう、契約だよ。

 えっと…確か……、これは契約。力を上げる代わりに私の願いを一つとは限らないが叶えてもらう。契約すればお前は人の世に生きながら、人とは違う理で生きることになる」

 

 はいはい、厨二厨二。本当にありがとうございました。

 しかし何だろうね、この小芝居。自分と同じ姿でやられると、見ていてこっちが居たたまれなくなるので正直止めて欲しい。私の羞恥心は正常に起動してるんだから。

 

「異なる摂理、異なる時間、異なる─────ああ、もう面倒だね。

 私と契約して魔法少女になってよ♪」

 

「…………」

 

 まあ途中で投げ出すのはまだ良いとしても、その結果が魔法少女って……。確かに妖精さんとは呼んだが、幼気な少女を魔法少女へと斡旋するマスコット的な生物にはなって欲しくなかったよ。

 

 長い沈黙が訪れる。

 ラジオ番組だったら確実に放送事故だ。

 

「あの……何か反応が欲しいところなんだけどね」

 

 さすがにL.L.も若干戸惑っている様子。

 私の場合その比ではないが。

 

「え……ああ、ごめん。こんなにも病んだ人格を生み出すに至るなんて、どんな虐待を受けてきたのか戦々恐々としていたよ」

 

 だってそうだろ?

 解離性同一性障害を発症するだけでも特殊な環境下に置かれている証拠なのに、よりにもよってこんな痛いもとい可哀想な人格を生み出すなんて普通の虐待ではないだろう。

 尤もそれは私を主人格とした場合の考えであり、L.L.が主人格だったなら……。うん、この世には色々な人間が生きているんだから問題ない。きっと彼女も辛い現実を目の当たりにしてきたんだろう、という事にしておこう。

 

「強ち間違ってもいないから否定しづらいよ」

 

 そう言ってL.L.は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。

 

 ふむ、どうやら虐待を受けていたのは事実のようだ。

 だが記憶の曖昧な私にとっては残念ながら他人事のようにしか思えない。

 

「契約内容を要約すれば、力をやるから願いを叶えろと? まるで悪魔の契約だね」

 

「言ったはずだよ、神でも悪魔でも好きに呼んで欲しいって」

 

「妖精は駄目だったけど?」

 

「……うるさい」

 

 私の言葉にL.L.は恥ずかしげに俯く。

 何だか頑張って大人びようとしている子供みたい──いや外見年齢的には間違いなく子供か──で可愛いね。

 でも弄り甲斐がありそうだと思ったのは内緒にしておこう。

 

「良いよ、契約しよう」

 

「本当に良いのかい?」

 

 L.L.が意外そうな表情を浮かべる。

 

「良いも悪いも私には選択権がないみたいだからね。どうせ私が首を縦に振らない限り、この世界からは出られないんだろ?

 それに私も力に興味がないわけじゃない。使ってみたいのさ、魔法の力をね、ふふっ」

 

 

 

 ある日、彼女が偶然手にしたのは魔法(破壊)の力。

 襲い来るギアス嚮団の魔の手。

 明かされる出生の秘密。

 必殺のハドロンバスター、殲滅のハドロンブレイカーが悪を、あとついでに正義も撃つ!

 

「王は一人で十分だよ。そう私だけで、ね?」

 

 新番組 唯我独尊系魔王少女マジカルリリーシャ☆ミ

 始まり─────ません!

 

 

 

「いや、確かにそのつもりだったけど……取り敢えず魔法云々に関して忘れてくれるかな? 何で今更……」

 

 ああ、やっぱり恥ずかしいよね、一度スルーされたネタを持ち出されるのは。

 これが時間差攻撃だ。

 

「やだ」

 

 私はベッドを抜け出し、えも言えない表情のL.L.の下へと歩み寄る。

 

「私は自分が置かれている状況を全くと言っていいほど理解していない。自分の事さえも曖昧だから。

 それでも私にできる限りのことは尽力するつもりだよ。リリーシャ・ヴィ・ブリタニアの名に恥じないようにね。

 だから─────」

 

 L.L.に向け、私はそっと右手を差し出す。

 

「ふふっ、本当に頼りになるね、キミは」

 

「ああ、そうさ。だって私は『(リリーシャ)』なんだから」

 

 そう、彼女の願いは私の願いでもある。

 ならば躊躇う理由はない。

 L.L.が伸ばした手を私はしっかりと握りしめる。

 結ばれる契約。

 

「これで私たちは一つだ」

 

 自然と浮かぶ笑み。今度は媚びを売ったりしない。

 L.L.相手に売る必要はなく、無駄なことはしない主義だ。

 そのはずだったんだけど……。

 

「っ」

 

 刹那、L.L.は僅かに頬を染めて視線を逸らした。

 おやおや、果たして何が彼女の琴線に触れたのだろう。

 ん、ああ、あれか。つまりは彼女もナルシストなのか?

 あれ、彼女『も』?

 私は違うよ? いや本当に違うよ?

 だって『俺』は────俺?

 

 

 

 覚醒する偽りの姫君。

 誘うは黒纏う魔女。

 結ばれたのは歪な契約。

 蝶舞う園で眠る魔王の目覚めは遠い。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第30話

 

 生まれ育ったアリエス離宮を離れる事となった私は今現在、荷造りとそれに伴う身辺整理をしていた。

 同腹の兄妹達と共に日本へ留学。

 もちろんそれは対外的な話。

 

 后妃であり最大の庇護者だった母親を暗殺によって喪い、あまつさえ祖国の最高権力者たる父親に宣戦布告してしまった『私』。

 それに対する報復が極東の島国に文字通り島流しというわけだ。

 最重要エネルギー資源=サクラダイトの分配を巡り、外交上の対立関係にある日本へと送られる事実が、何を意味しているか推し量る事は容易い。

 人質や貢物程度ならまだ良いが、開戦の為の生贄という線も考えられるから困ったものだ。まあ、宗教にうるさい中東や治安の悪いアフリカ諸国に送られないだけマシとしよう。

 

 などと詮無きことを考えつつ、無言で手を動かす。

 広い部屋だが整理整頓が行き届いている。いや、単に物が少ないだけか。

 備え付けられている最低限の調度品と生活必需品を除けば、私物と言えるのは書棚とそこに収められている書籍。後は少し型の古いノートPCぐらいだ。

 書籍類は持ち運びに不便だし、ほとんどの内容は記憶している為、この部屋に残しておく。

 ノートPCに関しても向かう先で使用する予定はないし、そもそも必要なら現地で最新型を購入すれば良いだろうと考え処分することにした。

 日本最大にして世界有数の電気街=アキハバラには私も興味はある。一度脚を伸ばしてみようと観光マップも──アキハバラだけでなくヨコハマやキョウトなど有名都市を含めて──購入済み。抜かりはない。

 これは完全に余談だが消去ソフトを使用しても、専門家の手に掛かればハードディスク内のデータは意外と復旧できるため、物理的に破壊するか高圧電流を流す事をお勧めするよ。溶かすという手もあるが環境に悪そうだからね。私の場合は何故か室内に高電圧のスタンガン──それ以外にもナイフや怪しい薬瓶もあったけど──が存在していたから後者を選んだ。

 

 閑話休題。

 故に荷造りといっても最低限の身の回り品と衣類だけで、スーツケース一つに収まる程度の作業だろう。

 床に広げたスーツケースに滞りなく衣服を詰めていると────

 

 コンコンッ。

 

 扉がノックされた。

 私は作業の手を止め、来訪者を出迎える為に立ち上がる。

 

「どうぞ、開いてるよ」

 

『っ、失礼致します』

 

 意を決したかのような声と共に扉が開き、一人の男が室内に入ってくる。

 彼の名前はジェレミア・ゴットバルト、何を隠そう私専属の警護騎士だ。

 その表情は険しく、思い詰めた様子だった。

 

「どうしたんだい、そんな恐い顔をして?」

 

 彼は無言のまま真っ直ぐに私の前までくると、いきなり私の前に跪いた。何故だか足の指を舐められるんじゃないかと危機感を抱いたが、彼の第一声にその考えは霧散した。

 

「本当に申し訳ございません! 如何様な罰も受ける覚悟は出来ております。何なりとお申し付け下さい!」

 

 そう言って彼は深く深く頭を下げる。

 許しを請うのではなく罰を受け入れるという覚悟。

 土下座どころか自害せんとばかりの勢いだ。

 これにはさすがの私も戸惑いを抱くしかない。

 

「本当にどうしたんだい、ジェレミア? いや、そもそも頭を上げてくれないかな」

 

 本来私の命に忠実なはずのジェレミアだが、今回ばかりは命に反し、深く頭を下げたまま私の問いに答えた。

 

「離宮に務める一軍人でありながら、むざむざと賊の侵入を許し、マリアンヌ様をお救いする事も────」

 

 ああ、なんだ。その事か……。

 記憶欠如の影響か、それとも元から親不孝者だったのか、私は母の死という事実に対して特別の感情を抱くことなく、単に事実を事実としてのみ受け入れている。人としてどうかと思う反面、感情に煩わされる事がなく好都合だと感じていた。

 しかし皇族、その中でも特に母マリアンヌに対して忠義心の高いジェレミアは、彼女の死という現実が許せないらしい。

 

「君が謝る必要はないよ。

 君の仕事は私の警護だ。こうして私が怪我一つ負っていない以上、君は責務を全うしているんだから。

 それでも不服かい?」

 

 そう、彼の当初の任務は母マリアンヌの警護であったが、今彼が従事している任務は私の警護だ。

 ならば彼は罰せられるような失態は何一つ犯してはいない。

 

「い、いえ……ですが!」

 

 ジェレミアは顔を上げ、逸らすことなく真っ直ぐに私へと視線を向ける。

 否定しているが、不満があることは如実に顔に表れている。

 

「ですがそのせいでリリーシャ様は生まれ育った祖国を逐われ、遠く離れた極東の地へと渡ることに……」

 

「それこそ私の行動が招いた当然の結果、つまり自業自得というやつだよ」

 

 母親という最大の後ろ盾を失いながら、この歳で高らかに宣戦布告を行うなんて当時の私、もしくは彼女は何を考えていたんだろうね。

 私は問題の光景を想像し、思わず苦笑を零した。

 

「ならばせめて私も共に!」

 

「それは無理だよ、ジェレミア。先方から随伴員の受け入れは不可能とのお達しが出ているのは君も知っているだろ?

 嘘か本当か、向こうが優秀なSPをつけてくれるそうだ。ならお言葉に甘えようじゃないか」

 

「彼の国の言葉など信用出来ません!」

 

 日本に対する敵意を隠そうとしないジェレミア。

 現状日本という国家を疎まないブリタニア軍人は居ないだろう。

 背後に控える大国中華連邦と良好な関係を構築し、サクラダイトの分配権を保有する日本は、ブリタニア・中華連邦・EUが三すくみとなっている世界情勢の中心に存在している。

 

 そしてその日本政府の頂点に君臨し、三すくみ状態を維持させている男の名は枢木ゲンブ。

 私達の日本での滞在先が彼の生家である枢木神社である事から考えても、今回の日本への渡航にも彼が深く関わっている事が窺い知れる。

 首相就任当時、国家の代表である首相の交代劇が続き、政治混乱にあった日本を纏め上げた切れ者であり、優れた外交力を持つ相当な狸と聞いている。

 果たして皇帝陛下とどんな密約を交わしたのやら。

 尤も分かり易いのは売国奴となり、私かナナリーと婚儀を結び、爵位を手にすることだろう。ロリコンの称号を与えよう。いや、確か情報では彼には一人息子が居る。そっちの線も考えられるか。

 まあ、尤も当人達以外にも、血筋を重んじる反マリアンヌ勢力や、KMF開発を巡る反アッシュフォード勢力などの思惑も複雑に絡み合っていることだろう。

 

「確実に裏はあるだろうね。ないと考える方がどうかしているよ」

 

 一般的な思考能力があれば大抵そう考える。

 護衛どころか従者の同行さえ認めないなど裏があると語っているも同じこと。

 暗殺、脅迫、懐柔、洗脳……果たしてどんな手を打ってくるのか、少し楽しみだよ。

 

「そこまで分かっておいでなら、それこそ私を────」

 

 なおも食い下がるジェレミアに対し、私は諭すように告げる。

 

「……ジェレミア、私を困らせないでくれ」

 

 

 

 

 

     ◇

 

 

 

 

 

 その扉を叩いた時、既に私は覚悟していた。

 如何なる罰も受け入れ、この命を望まれるなら進んで首を差し出すと。

 

 私はそれだけの罪を犯したのだ。

 賊の侵入に気付かず、本来の警護対象であったマリアンヌ后妃を殺められ、その結果、現在の警護対象であるリリーシャ皇女殿下の人生を狂わせてしまう。

 

 何故あの夜、襲撃に気付けなかったのだろうか、と意味のない自問を繰り返す。

 例え答えが出たところで現実は変わることはないというのに……。

 無力な自分に殺意すら覚えた。

 

 離宮で過ごす残り僅かな時間に突然訪問したにも関わらず、リリーシャ様はいつもと変わらぬ態度で私を出迎えて下さった。

 内心リリーシャ様の目を見ることが恐かった。信頼と慈愛の眼差しを向けて下さるその瞳が、失望と憎悪に変わっているのではないのかと。

 だから私は深く頭を下げたまま謝罪の言葉を口にする。

 

 しかしリリーシャ様は私の謝罪を受け入れては下さらなかった。

 当然だと自覚していた。

 簡単に受け入れられるものではないだろう。

 この取るに足らない命で贖おうなど、何を勘違いしていたのか。思い上がりも甚だしく、慚愧に堪えない。

 

 けれど続く言葉は予期せぬものであり、正直耳を疑いもした。

 

「君が謝る必要はないよ。

 君の仕事は私の警護だ。こうして私が怪我一つ負っていない以上、君は責務を全うしているんだから。

 それでも不服かい?」

 

 私に非はないと仰り、さらには務めを果たしていると肯定までして下さったのだ。

 驚いた私は頭を上げ、目の前にいらっしゃるリリーシャ様を見る。

 聡明なリリーシャ様であるなら、御自分が置かれている立場を理解されているはず。だがその表情に怒りや悲しみ、不安といった負の感情を見ることは出来なかった。

 

 こんな時でさえ泣き言一つ口にすることなく、私情を殺し、他者を気に掛けていらっしゃるというのか。

 なんと気高く、強いお方なのだろう。

 まさに人の上に立つべく存在だと改めて思い知らされた。

 

「ならばせめて私も共に!」

 

 仕える主を一人死地に向かわせるなど騎士としてあってはならぬことだ。

 どこまでも、そう例え地獄の果てまでも、このお方と共に歩みたいと願う。

 けれど────

 

「……ジェレミア、私を困らせないでくれ」

 

 リリーシャ様は呟き、儚げに微笑む。

 その時、垣間見えたそれは紛れもなく、皇族として気丈に振る舞われるその仮面の下に隠されていた弱さだった。

 

 何をやっているんだ私は……。

 分かっているなら?

 違う、嘆いたところでどうする事も出来ないと理解されているからこそ、ご自分の行く末を受け入れていらっしゃるのだ。

 それなのに私は、何と浅はかなことを!

 

 自分の愚かさを突き付けられ、堅く拳を握りしめる。

 

 私は罰が欲しかっただけなのかも知れない。

 くっ、それは甘えだ。

 主と言えど年端も行かない少女に、一体自分は何を求めていたのか。

 

「申し訳ございません、出過ぎた真似を……」

 

 再び深く頭を下げる。

 

「なに、簡単に死んでやるつもりはないよ。仮に死ぬとしても日本の一つや二つ道連れにしてみせるさ、ふふっ」

 

 どこまでも軽い口調でリリーシャ様が告げる。

 

「ッ、死ぬなど! ……死ぬなど例え冗談でも口にしないでいただけませんか」

 

「ああ、そうだね。すまない」

 

 そう応えて下さったリリーシャ様だが、その表情は未だに儚げなままだった。

 

「いえ……」

 

 どうしてリリーシャ様がこのような表情を浮かべないといけないのか。

 どうして年相応に笑うことが許されないのか。

 こんな世界は間違っている。

 それでも今、私が出来ることはない。

 力なき己が身を呪う。

 

「力なき私めをお許し下さい。

 ですが────」

 

 いや、一つだけ出来ることがある。

 ありきたりかもしれない、無価値かもしれない、自己満足かもしれない。

 それでも想いを言葉にすることは出来る。

 

「このジェレミア・ゴットバルト、生涯貴女様の味方であり続けることをお忘れなきようお願い申し上げます」

 

「ありがとう、ジェレミア。そう言ってもらえると心強いよ」

 

 リリーシャ様が笑みを浮かべる。

 先ほどまでとは違い、穏やかで愛らしい笑みを。

 

「でもね────」

 

 歩み寄るリリーシャ様が腕を伸ばし、私の頭部をご自身の胸へと抱き寄せる。

 

「一体何を!」

 

 突然のことに戸惑い慌てるが、その腕を乱暴にはね除けることなど出来るはずもなく、結局私は為されるがままに身を委ねる事となる。

 妹が知れば殺されるやも知れぬ状況だった。

 いや、そもそも誰かに見られたら……まずい。

 さらに焦る私の心情を知ってか知らずか、リリーシャ様は特に気に留めることなく言葉を続ける。

 

「私は、君には君の夢を追って欲しいんだ。

 夢を語る君は輝いていた。

 ナイトオブワン、それが君の目標なんだろう?

 私も見てみたいよ、ナイトオブワンとして剣を取る君の姿を。そして自慢しよう。かつて君が私の隣に居たことを」

 

 …………。

 歓喜のあまり胸が熱くなる。

 込み上げる想いを抑えられそうもなかった。

 ああ、もはや憚る必要はない。

 私はナイトオブワンとしてリリーシャ様の騎士になりたい。

 それが私の嘘偽りのない願いだ。

 

「母亡き今、私が代わりに君の任を解こう。

 ジェレミア、君の働きには感謝している。私には過ぎた忠臣だったよ」

 

「ッ、も、勿体なきお言葉。この身に余る光栄です」

 

 溢れ出しそうになる涙を堪えるのに精一杯だった。

 

 私は今ここに誓おう。

 必ずや夢を実現してみせると!

 

 

 

 

 

     ◇

 

 

 

 

 

 ジェレミアが退室し、再び静寂が訪れる室内。

 私は荷造り作業に戻りながら、誰にともなく呟いた。

 

「これで良いのかな?」

 

“上出来だよ。役者のセンスがあるんじゃないかな、恐いぐらいだ”

 

 それに応えたのは内なる声。

 そう、もう一人の『私』でもあるL.L.のものだ。

 

「なければ皇族なんて務まらないさ」

 

“ふふっ、それもそうか。しかしなかなかの悪女っぷりだね”

 

「私は貴女の指示通りに動いただけだよ、L.L.。

 つまり性格が悪いのは私じゃなく貴女の方だよ」

 

“これは人聞きが悪い。細かい指示は出していないし、ほぼキミのアドリブじゃないか”

 

 呆れたと言いたげなL.L.の声を私は無視する。

 

「しかし本当にこの仕込みは必要だったのかい?」

 

“それは私でも今は分からないさ。でもいつどこで何が役に立つか分からないからね、布石は多い方が良いとは思わないかい?”

 

「期待を裏切られても知らないからね」

 

“その時はその時考えるよ。

 さあ、次は────”

 

「分かっているよ。リ家姉妹にも頑張ってもらわないとね、ふふっ」

 

 楽しい楽しい悪巧み。

 机の上に置かれた一通の封書を一瞥し、私は作業を再開する。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第31話

 

 とある国際空港の出発ロビー。

 私はベンチに座り、出発時刻や到着時刻を告げるアナウンスに耳を傾けながら、行き交う人の波を眺めていた。

 目の前を通り過ぎていく老若男女が喧騒を生み出す。

 喧騒、言い換えればそれは活気を意味している。長きに渡った内乱による衰退を脱したこのブリタニアという国が、再興と繁栄の時代を歩んでいることの証明だと言えるのかも知れない。

 ただ一方、そんな前途ある光景とは裏腹に私の気分は重かった。置かれている現状に自身の行く末を悲観した、という悲劇のヒロイン的な理由ではない。生憎とそれほど繊細なメンタルを持ち合わせてはいないよ。

 

 溜息を吐きつつ、横目で──離れた位置に居る──我が兄妹達の様子を確認する。

 車椅子に座り、うつむく儚げな妹と、その横に立ち、周囲の全てが敵だとでも言いたげに睨み付ける兄。

 彼等──特に兄──との関係は希望的観測を含めたところで、上手くいってるとは到底言えなかった。はっきり言えば相当に仲が悪い。

 私としては同じ境遇、母を喪い政治の道具となった立場として協力したいところなんだけど、残念ながら一筋縄ではいかないらしい。

 移動中から常に敵意を向けてくるから疲れてしまったよ。敵意を感じ取って反射的に攻撃してしまいそうになる自分を抑えることに。邪気眼だとか厨二乙とか言われそうだが、私の身体能力は平均から大きく逸脱している為、兄の身体能力を思えば結構真剣な問題だよ。

 

 だから兄妹から一人離れて場所に座って居るんだけど、日本までの案内兼護衛兼世話役として派遣された彼も、子守を押し付けられて大変だね。

 内心苦笑しながら兄妹達の傍に立つ黒いスーツの男にご愁傷様だと告げる。確か名前はウォルグ・バーンスタインと言ったか。ま、どうでもいい情報だが。

 もちろん彼以外にも監視者は存在しているらしく、雑踏に紛れた複数の視線を感じる。さあ存分に私の美貌に目を奪われると良い、などとナルシスト発言をしてみるよ。

 つまり私はそれ程までに暇だった。

 

 出発時間までは今しばらく時間を要する為、手持ちぶさたを感じつつ無意味に時間を潰す。

 だが不意に変化が訪れる。

 視界に落ちる影。どうやら誰かが私の前で立ち止まったようだ。

 目線を上げると、そこにはよく知る人物の顔があった。

 

「軍務はどうされたのです。まさか貴女様ともあらせられる方が職務放棄ですか? 自慢の姉だと公言して憚らない妹君様が知れば、好感度が下がってしまうかも知れませんよ、コーネリア皇女殿下」

 

 そう、目の前にいらっしゃるのは第二皇女=コーネリア・リ・ブリタニア様だった。

 ちょっと特殊な親愛関係を築いている異母妹のユーフェミア──以下ユフィ──の同母姉であり、ユフィを介して度々顔を合わす機会があった為、彼女とはそれなりに──いや場合によっては同母兄妹よりも──親しい間柄といっても差し支えないだろう。

 

 しかし本当に何故彼女がこんな場所に居るのか。

 しかも第五后妃暗殺事件からそう時間も経っていないというのに、護衛も取り巻きも同伴させず一人でやって来るとは、少し危機感が足りないんじゃないかな。尤も本人には気付かれないように常に優秀な護衛が付いていることは皇族の常識であり、向けられる視線の数が増えたことからもその存在を窺い知ることが出来るが。

 

「お前が気にする必要はない」

 

 不機嫌そうに告げるコゥ姉様。

 

「それもそうですね。

 それで、どうしてここに? 直々の見送りというのでしたら大変光栄なことではありますが、確か見送りは禁止されているはずでは?」

 

 良くも悪くもブリタニア皇族である本来の彼女なら、見送りは不要とする皇帝の命を破ることはなかっただろう。

 それを覆してまで、彼女が私の前に現れた理由はある程度予測できたが、私はわざとらしく問い掛ける。

 

「私がこの場に居ることは偶然だ、リリーシャ。たまたま近くを通りかかった際にお前の姿を見つけた。ただそれだけのこと。それを誰が罰することが出来る?」

 

「偶然、たまたま……ね」

 

 コゥ姉様にしては珍しいが何とも強引な屁理屈。

 ただそれを追求しても意味はないだろう。

 

「ふふっ、そういう事にしておきましょう。

 それで、私に何のご用ですか? 偶然見掛けた私の下にわざわざ歩み寄ったということは、何か意図があっての事なんですよね?

 ああ、感情の赴くままに行動し、その結果島流しになる私を嘲笑いに来たというのでしたら甘んじて受け入れますが」

 

「っ」

 

 軽い冗句のつもりだったんだけど、私の言葉にコゥ姉様は深刻な表情を浮かべ、僅かに身体を強張らせる。ん、何かおかしな事を言ったかな?

 

「そんなはずがないだろ! ……私にとってお前も掛け替えのない妹の一人なのだからな」

 

 語気を強めたコゥ姉様の言葉に私は若干動揺する。

 ……これはちょっと予想外の切り返しだったね。

 まさか私の事をそこまで考えてくれていたとは、不覚にも心揺さぶられてしまったじゃないか。

 

「嬉しいことを言ってくれますね、コゥ姉様。もし私が男だったら思わず求婚しているところでしたよ」

 

 若干の照れ隠しを含んだ戯れ言を口にした刹那────

 

“ダメです、リリーシャは私の嫁なんですから!”

 

 おおっ、何故だか今すごいピンク色の情念を感じたよ。

 何なんだろうね一体。

 

「茶化すのは止めてくれ」

 

「ごめんなさい、つい」

 

 どこか疲弊感漂うコゥ姉様に対して、辞書に反省の文字のない私は笑みを浮かべる。

 てへペロってやつだね。

 

「ユフィからの伝言を預かっている」

 

 目的を告げるコゥ姉様。

 彼女が同母妹を溺愛していることは周知の事実だ。

 多少無理な願いでも叶えようとするだろう。

 そう例えば今回のように。

 

「まあ、ユフィから♪」

 

 柄にもなく瞳を輝かせながら胸の前で手を合わせ、オーバーアクション気味に喜びを演出してみた。

 結果、少しだけ後悔する。

 

「必ず迎えに行く、その時まで生き延びて欲しい、と」

 

「…………ふふっ」

 

 くくっ、あははははっ、傑作だね!

 さすがはユフィだ。

 こちらから手を打たなくても、そこまで私の事を考えてくれているなんて、あまりの嬉しさに涙が出そうだよ。

 でもね、ユフィ。私は君が思っているほど弱くはないつもりだ。

 行く末を悲観して自ら命を絶つ?

 例えこの身が辱められようとあり得ない。

 暗殺?

 全身全霊をもって持て成そう。

 寿命?

 死神と刃交えるのも悪くないね。

 この身に降りかかる死の因果なんて喰らってみせるさ。

 

 君が見ている私は真実の『私』じゃない。

 本当に可愛いね、ユフィは。

 可愛くて、可愛くて、本当に愚かしい。

 

「良いんですか、そんな発言を許しても」

 

「知っているのは私とお前だけだ、問題ない」

 

 きっと所詮は子供の戯れ言だという思いが心の片隅にあるんだろうね。

 私自身もそれ程期待はしてないけど。

 

「そうですね。伝えて下さってありがとうございます、コゥ姉様。今の私にはその言葉だけで十分です。

 ユフィが私の事をそこまで想ってくれていることを知った今、もう何も恐れを抱く必要はありませんから。ユフィにもその旨を伝えてもらえますか?」

 

 私は異母妹の言葉に勇気付けられた健気な幼子の仮面を身に付ける。

 

「っ……約束する」

 

 対するコゥ姉様の顔が、まるで罪悪感に押し潰されるかのように歪む。

 

「それと……これは私からだが……」

 

 躊躇い、そして決意したかのように重い口を開く。

 

 すまない。

 

 弱々しい告げられた謝罪の言葉。

 

 ジェレミアといい、どうしてこうも自分から罪を背負い、罰を受けようとするのか。

 自分で自分を追い詰めたいなんて……マゾ?

 その思考を完全に理解することは出来ないけど、私にとっては都合が良い。

 遠慮なく利用させてもらうとしよう。

 常に凛としたイメージしかない彼女の、珍しく弱気な姿に加虐心が刺激されたりなんかしていないよ、全然。

 

「それはあの夜、警備を疎かにした自らの罪悪感を薄めるための謝罪ですか?

 被害者の一人である私に許されたという免罪符が欲しいのですか?

 ユフィとの関係が深い私からなら簡単に許しの言葉が聞けると、そう考えられたのですか?」

 

 母マリアンヌが暗殺された夜、彼女が警護担当だったことは調べが付いている。と言っても彼女が直接警護に当たっていたわけではなく、警護隊を統括する立場だったというだけの話だ。

 ただあの夜、彼女は不可解な命令を出し、警護隊を引き上げさせている。その結果、警備に隙が生まれ、暗殺を許したと言えなくもないだろう。

 場合によっては暗殺に深く関与していると疑惑の視線を向けられてもおかしくなかった。

 尤も彼女が母マリアンヌに憧れを抱き、敬愛していた事実を知る者からすれば根も葉もない噂に過ぎないが。

 もちろん彼女の性格から考えて、自分の行動が暗殺成功の要因の一つとなった事を悔やんでいることだろう。

 

「ただの自己満足、もしそうなら私はその言葉を受け入れることは出来ません。

 ああ、それともこれから私達兄妹を見捨てることに対しての謝罪でしたか?」

 

「っ、違────」

 

「違うと、本当に言えますか?」

 

 私はコゥ姉様の瞳を見つめながら問い掛ける。

 まるで嘘を裁く冥王の如く尊大な態度で。

 

「ああ、違う。お前が納得するまで何度でも言おう」

 

 僅かな沈黙の後、私の視線に顔を逸らすことなく、彼女もまた真摯に私の瞳を見つめて告げる。

 

 強いね、さすがは次期皇帝最有力候補の一人だ。

 ただその言葉の真偽に実はあまり興味がないと言ったら怒るかな?

 

「でしたら謝罪などではなく、胸を張って、お前達の無念は私が晴らすぐらいのことは言って下さい。きっとお母様ならそう言います」

 

「そうだな。マリアンヌ様ならきっと……。聞き苦しい弱音を聞かせてすまない、リリーシャ。先程の言葉は聞かなかったことにしてくれると助かる」

 

「いえ、こちらこそごめんなさい、コゥ姉様。せっかくこうして来ていただいたのに不快な思いをさせてしまって……。意地悪を言うつもりはなかったのですけど、ダメですね私。やっぱりまだ少し気が立っているのかも知れません」

 

 心にもない謝罪を一つ。

 さて、時間もない。そろそろ本題に入ろうか。

 

「ねえ、コゥ姉様。一つお願いしても良いですか?」

 

「私に出来る範囲のことであれば構わないが」

 

「この手紙をユフィに渡して貰えませんか」

 

 そう言って私は懐から可愛げの欠片もない無地の封筒を取り出し、コゥ姉様へと差し出した。

 話の流れから考えて、破り捨てられるような事はないだろう。

 最終的には郵送でも構わないと思っていたが、彼女に頼んだ方が確実にユフィの手に渡るはずだ。

 

「もちろん、ちゃんと渡してもらえるなら、コゥ姉様自らが検閲しても構いませんから」

 

「……分かった、必ず届けよう」

 

 僅かに逡巡したコゥ姉様が私の手から手紙を受け取った直後、こちらへと近付いてくるウォルグの姿を横目で確認する。

 

「それではそろそろ時間のようですから。またいつかお会いしましょう、それまでごきげんよう、コゥ姉様」

 

 私は傍らに置いていたスーツケースの取っ手を掴み、颯爽と彼女に背を向けて歩き出す。

 少々予定外の展開ではあったが首尾は上々と言えるだろう。

 さあ、次は狸狩りに向かうとしようか。

 

 

 

 

 

     ◇

 

 

 

 

 

「……リリーシャ」

 

 自室のベッドの上、毛布を被り、膝を抱えて丸くなりながら、わたしはその名前を呟いた。

 だけどその声が彼女に届くことはない。彼女は今頃、日本へと向かう飛行機の機内でしょうから。

 

「……リリーシャ」

 

 言い表しようのない喪失感が胸を締め付ける。

 

 どうして?

 理不尽な暴力によって突如として壊れた日常に、そう問い掛けずには居られなかった。

 例え無意味な行為だとしても……。

 果たしてわたしはこの胸の憤りを、悲しみを誰に向ければ良いのでしょうか?

 いいえ、本当は分かっています。わたしが今、為すべき事は誰かを憎むことではないと分かっているんです。

 

 本当はわたし自ら伝えたかったのですが、お姉様に伝言を頼みました。

 リリーシャにわたしの決意を伝えて欲しいと。

 それが難しい事だと、無理を言っていると、我が儘だと理解しています。

 でもきっとお姉様ならわたしの想いを届けてくれると信じています。

 

 だったらこんな事をしている場合ではありません。

 決意を実現する為に行動に移さないとダメです。

 だけど残念ながら何か具体的な策があったわけでも、心強い味方が居たわけでありません。

 皇女と言えど所詮は理想を口にするだけの子供でしかないという現実が、わたしを呑み込み、押し潰す。

 まるで自分では何も出来ないお人形。

 かつて否定した自分。

 

 こんな時、リリーシャならどうしたでしょうか?

 

「……あなたに会いたいです」

 

 堪らず毛布を頭まで被り、わたしは押し殺したように嗚咽を漏らした。

 

 

 

 どれほど時間が経ったのでしょうか。

 遮光性のカーテンが固く閉ざされた窓からは、生憎と外の様子を確認することはできません。

 

『私だ、ユフィ。入るぞ』

 

 不意に扉が叩かれ、聞こえてきたのはお姉様の声。

 

「ッ、……はい」

 

 わたしは慌てて涙を拭いました。

 

「大丈夫か、ユフィ」

 

 ベッドの縁に腰を下ろしたお姉様が、わたしの髪を撫でながら問い掛けてきます。

 

「……もう大丈夫です。だいぶ落ち着きましたから」

 

 これ以上お姉様に心配を掛けないように、わたしは虚勢を張り、微笑みを浮かべてみせる。

 尤もその程度の虚勢など、お姉様には通用しないのでしょうが。

 

「……そうか、それでもあまり無理はしないでくれ。母上も皆も心配する、もちろん私もだ」

 

「はい……」

 

「約束通り、お前の想いはリリーシャに伝えた」

 

 しばらく無言のまま、わたしの髪を撫でていたお姉様が彼女の名前を口にする。

 反射的に身体が震えた。

 

「それで……リリーシャはなんて?」

 

 恐る恐る彼女の応えを問う。

 

「お前に感謝し、そしてもう恐れはない、と」

 

 お姉様の言葉に安堵する。

 もし拒絶されたらどうしよう、と不安がなかったわけではありません。

 マリアンヌ様の死に暗殺説が飛び交う現状、リリーシャが疑心暗鬼に陥り、わたしにも疑いを抱き、嫌悪している可能性も考えられます。

 でもそれは杞憂でした。

 リリーシャはまだわたしの事を信じてくれている。

 その事実がとても嬉しいです。

 彼女から向けられる信頼を裏切るわけにはいきません。

 

「ありがとうございます、お姉様」

 

 虚勢でも偽りでもなく、自然と浮かぶ笑み。

 

「礼には及ばない。私にとっても無駄な時間ではなかったからな」

 

 それを見て、お姉様も安堵したかのような表情を浮かべます。

 さっきまでのわたしはそこまで思い詰めた顔をしていたのでしょうか。いえ、きっとしていたのでしょうね。

 ですが同時にお姉様の瞳の奥に秘めた決意のようなモノを感じました。何故だか少し不安になります。リリーシャとの間に何かあったのでしょうか? まさか私からリリーシャを奪おうなんて考えていませんよね、お姉様? もしそうなら例えお姉様でも……うふふふふ。

 

「ふわぁ……んんっ、ごめんなさい」

 

 込み上げた欠伸を噛み殺す。

 手招きする睡魔。

 思えばマリアンヌ様が亡くなった日を境にリリーシャとの接触を禁止されて以降、精神的な問題でしょうか、十分な睡眠が摂れてはいませんでした。

 でもリリーシャの想いを知り、安堵した事により、緊張の糸が切れたのでしょう。

 押し寄せる睡魔に抗えそうもありません。

 

「気にせず、今は休め」

 

「はい、おやすみなさい、お姉様」

 

 わたしはゆっくりと瞼を閉じ、思考の邪魔をする睡魔にこの身を任せる。

 夢にリリーシャが出てきてくれることを願いながら。

 

「そうだ、リリーシャから手紙を預かっている。起きてから目を通すと────いや、おやすみ、ユフィ」

 

 意識が闇に落ちる寸前、お姉様はそう言ってわたしの部屋を後にします。

 

 ……手紙?

 

 そう、手紙。用事や想いなどを記して、他人に送る文書。

 

 誰からの?

 

 リリーシャ……。

 そう、わたしのリリーシャ。

 

「ッ、リリーシャからの手紙!?」

 

 わたしは毛布を弾き飛ばしながら、勢いよく起き上がる。

 睡魔?

 そんなものは虐殺です!

 

 周囲を見回し、ベッド脇のサイドテーブルの上に置かれた一通の封書を視界に捉えた。

 ただ機能のみを求めたシンプルなデザイン。

 封蝋に押された印は間違いなくヴィ家の紋。

 期待と不安が入り交じる中、わたしはその封書に手を伸ばした。

 

 一度手に取ってしまえば、後は躊躇いなどありません。

 わたしは一字一句噛み締めるように読み進めます。

 

 そして────

 顔を上げ、真っ直ぐに前を見据え、ぎゅっと拳を握りしめる。

 

 わたしはユーフェミア・リ・ブリタニア。

 彼女の隣に立つことを目指す者。

 なぜ、そんな事も忘れてしまっていたのでしょう。

 自分のあまりの愚かさに怒りが込み上げてきます。

 

「エミリア!」

 

 わたしは部屋の外で待機しているでしょう専属の侍従の名を呼ぶ。

 

「は、はい! 如何なさいましたか、ユーフェミア様」

 

 慌てて部屋に入ってきたエミリアにわたしは矢継ぎ早に告げる。

 

「出かける支度をします、手伝ってください。それと何か軽く食べられるものを作ってもらえるように頼んでもらえますか」

 

「お言葉ですが、今からですか?」

 

「はい、今すぐにです」

 

 わたしは有無を言わせぬ笑みを浮かべる。

 

 後に今回の件をお姉様に咎められた際、エミリアは語ります。

 

「本気の眼をした妹姫様は、私では止められません」と。

 

 ええ、そうです。こんな所で立ち止まっては居られません。

 止められるものですか!

 

 

 

 

 

     ◇

 

 

 

 

 

 親愛なるユフィへ。

 

 こうして誰かに手紙を送るなんて初めてのことだからね、少しだけ緊張しているよ。

 君がこの手紙を読んでいる時、私は祖国を遠く離れていることだろう。

 理由はまあ自業自得というやつだ。

 故に君が気にすることは何一つないことは先に言っておくよ。

 

 ただ再び君の隣に立つことは、どうにも難しいかも知れないね。

 例え私の身に、もしものことがあったとしても私に囚われないで欲しい。

 私は君が君自身の道を歩むことを願っているのだから。

 ふふっ、これではまるで遺言みたいだね。本当に私らしくもない。忘れてくれると助かるよ。

 

 それと、もし何か困ったことがあったらギネヴィア姉様に相談すると良い。既に話は通してあるから、ある程度の事は融通してくれるはずだ。

 愛想がなくて恐く感じるかもしれないが頼りになる人だからね。

 ただ雰囲気に呑まれないように、注意が必要だという事は憶えておくことをオススメする。

 

 では、いつかまた私の歩む道と君の歩む道が交わることを願っているよ。

 だから今はさよなら、ユフィ。

 

 君の未来に蝶の羽ばたきがあらんことを────

 

 

 

 

     ◇

 

 

 

 

 

 ユーフェミアの部屋を後にしたコーネリアは、その足で帝都ペンドラゴンを訪れていた。

 目的の場所は皇宮内に存在する宰相補佐官の執務室。その部屋の主である異母兄──次期宰相との呼び声が高く既に国政に携わる──第二皇子=シュナイゼル・エル・ブリタニアの下へと。

 

「兄上、今少しよろしいでしょうか?」

 

「ん? ああ、大丈夫だよ、コーネリア」

 

 作業の手を止め、手元の書類から顔を上げたシュナイゼルは、優雅な微笑を浮かべて迎え入れる。

 一方、その笑みを向けられたコーネリアの表情は暗い。

 

「しかし珍しいね、君がここに来るなんて。いや、そろそろ来る頃だとは思っていたのだけど。

 理由の見当は付いているよ。ルルーシュ達兄妹のことであっているかな?」

 

「はい、やはり兄上には全てお見通しというわけですか」

 

 僅かに険を帯びるコーネリアの口調。

 普段は頼もしく感じる兄の余裕ある態度が、今は神経を逆撫でした。

 

「それは違うよ、コーネリア。クロヴィスとも話をしたが、皆が君と同じ想いを抱いている。当然私もね、ただそれだけのこと」

 

「でしたら、私の言いたいことも既にお判りだと思います」

 

「もちろん理解しているつもりだよ。彼等はこの国にとって失うには惜しい存在だ。きっと後継者争いでも、いずれ私達を脅かす存在になっていただろうからね」

 

 シュナイゼルはヴィ家兄妹を高く評価していた。

 兄として愛する一方、宰相補佐官として冷静に価値を見極めている。

 

「だからこそ敢えて言わせてもらうよ、軽率な行動は取るべきでないと」

 

「っ」

 

 ブリタニア皇帝の勅命に異を唱えることが、どれほど自分の立場を危うくするか、それはコーネリアも十分に理解している。

 特に今回の場合、切っ掛けは理不尽な──暗殺と囁かれる──襲撃事件ではあったが、ルルーシュによる皇位継承権の放棄と、リリーシャによる宣戦布告が大きく影響している。

 年齢を踏まえ、同情の声も少なくはないが、特に後者に関しては自業自得との声がそれを上回っていた。

 故に彼等に救いの手を差し伸べることは難しい。

 

「辛いことを言うようだけど、今は好転の機会を待つしかない。分かってくれるね、コーネリア」

 

「……はい」

 

 時間が解決してくれる可能性は皆無ではない。

 しかし現状の社会情勢下では極めて低いというほかなかった。

 

 何も出来ない。だからと言って何もしないという選択肢はコーネリアの中に存在しない。

 脳裏にリフレインする彼女の言葉。

 

“お前達の無念は私が晴らすぐらいのことは言って下さい”

 

 敬愛するマリアンヌを殺し、愛すべき兄妹達の人生を狂わせた咎人を許すことは出来ない。

 可能ならば自らの手で白日の下に曝し、断罪したいと願う。

 

「では犯人について何か判明したことはありませんか?」

 

「捜査には特務局が当たっている。それに姉上も独自に宮廷内を洗っているようだけど、未だ犯人を特定する情報は入ってきてはいないね」

 

「そうですか……。お忙しいところ邪魔して申し訳ありませんでした」

 

「いや、気にする必要はないよ。またいつでも来るといい。こんな私でも愚痴に付き合うことぐらいは出来るはずだからね」

 

 一礼し、踵を返したコーネリアの背中にシュナイゼルはそう声を掛けた。

 

「ああ、一つ聞き忘れたことがありました」

 

 扉に手を掛けたところでコーネリアは振り返る。

 そして────

 

「マリアンヌ様を暗殺したのは兄上ですか?」

 

「違うよ、コーネリア」

 

 対するシュナイゼルは顔色を変えるどころか、眉一つ動かすことなく応えた。

 

 訪れる僅かな沈黙。

 

「そうですか、お答えいただきありがとうございます、兄上。無粋な質問、申し訳ございませんでした。では失礼致します」

 

 

 

 閉まる扉を眺めつつ、小さな呟きは紡がれる。

 

「果たして本当にマリアンヌ様は亡くなられたのかな、コーネリア?」

 

 だがその問いに答える者はいない。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第32話

 

 カランカランと扉に取り付けられたベルが鳴り、一人の男が店内へと入ってくる。

 首都ネオウェルズ郊外に存在する個人経営の喫茶店。趣のある落ち着いた内装の店内からは、一人切り盛りする店主(マスター)の店に対する愛情のようなものが伝わってくる。

 

「……いらっしゃい」

 

 カウンターの奥でグラスを磨く少々強面のマスター。愛想はないが、こだわりの一杯を提供してくれる、そんな雰囲気を醸し出していた。

 事実この店の看板メニューであるブレンドコーヒーは、マスター自らが各地の豆農園に赴き、直接契約した物のみを厳選して使用している。

 

「すまないが、人と待ち合わせをしている」

 

 そう言って男=ジェレミア・ゴットバルトはクラシック音楽が流れる店内を見回す。あまり広いとは言えない店内、すぐに目的の人物は見つかった。お昼時を過ぎているとは言え、他に客が居ないのだから当然か。硬派な常連客は居るものの、お世辞にも儲かっているとは言い難い経営状態だろう。利益目的ではなく貴族の道楽なのかも知れない。

 

 ジェレミアは最奥の席へと歩み寄り、幼女と言っても差し支えないであろう少女の対面に腰を下ろす。

 端から見ると関係を疑い、怪しまれる可能性のある年齢差ではあったが、幸いなことにマスター以外の人目を気にする必要はなく、余計な勘繰りを受けることはなかった。

 

「遅くなってすまない。待たせたか」

 

「ううん、わたしが早く来ただけ」

 

 携帯電話を弄っていた彼女は、感情の乏しい表情を浮かべたまま答えた。

 幸い両者共に時間にルーズな人間ではない為、待ち合わせ時刻は正確に守られている。

 

「わたしこそ呼び出してごめんなさい。でも他に頼れる人がいなかったから……」

 

「いや、構わない。こんな私でも、まだ君に頼って貰えて光栄だ。

 だがどうした……と、聞くまでもないのやも知れぬな。リリーシャ様のこと。そうなのだろ、アーニャ?」

 

 ジェレミアの問い掛けに彼女=アーニャ・アールストレイムは小さく、だが確実に首肯する。

 

「……良かった、あなたはちゃんと憶えてる」

 

 そして彼女は目の前のジェレミアにも届かない声で呟き、どこか安堵の表情を浮かべるのだった。

 

 

 

 

 

     ◇

 

 

 

 

 

 いつもの起床時間よりも早く目が覚めた。もう一度時刻を確認してみるが、やはりかなりの余裕がある。普段ならアールストレイム家の使える執事=ヴェリコフスキーの声、または愛猫達の襲撃によって目覚めるはずだった。二度寝を決め込もうにも、ハッキリと意識が覚醒している為、微睡みの誘惑を感じない。

 だからといって爽やかな朝というわけでもなかった。何かやるべき事があった気がするのだが、まるで思い出すことが出来ず、モヤモヤと心が落ち着かない。しばらく考え込んでみたものの、やはり答えは出てこなかった。

 

 仕方なくベッドから降りると、愛猫達の眠りを妨げないよう注意を払いながら、着替えを求めてクローゼットへと向かう。

 クローゼットを開け、いつも通りドレスへと手を伸ばした時、視線がある一点で止まった。

 クローゼットの一番端、他のドレスに隠れるように収められていた侍女服。その大きさから考えて、屋敷に仕える侍女達の物が手違いで紛れ込んだとは考えられない。

 吸い寄せられるように、自然と私は手を伸ばした。

 

 侍女服を身に纏い姿見の前に立つ。

 わたしの為に用意されたと言われても納得してしまうほど、サイズはぴったりで違和感を感じない。いや、それどころか普段から身に纏っていたかのように馴染んでいた。

 だけどわたしが侍女服を着ていた記憶はない。

 結局、起こしに来たヴェリコフスキーに怒られ、いつも通りドレスに着替える事となったが、不思議なことに着慣れたドレスの方が違和感を感じてしまう。

 

 そして、いつもの変わらないはずの日常にもまた同様の想いを抱く。

 何がどう違うのか、具体的に言い表すことは難しい。

 それでも何かが足りないように思えてならない。

 心に大きな穴が空いてしまったかのように満たされない。

 わたしはいつも虚無感を抱いていたとでも言うのだろうか?

 

 また今日も迎えた一日の終わり、ベッドの上で常に持ち歩いていた携帯電話に触れる。

 何か大切な思い出が入っていた気もするが、何度確認しても日記のデータや画像フォルダには、違和感を感じてしまう日常の記録が収められているだけ。求めた何かを手にする事は出来なかった。

 

「ん、これ……」

 

 ネットの利用履歴の中に、記憶にないURLを見つけた。

 不審なURLにアクセスしてはいけない事は十分に理解している。携帯電話を買い与えられた時に強く言われもした。当然フィルタリングサービスも利用している。

 けれどこの胸に巣くう違和感について、何か手掛かりになるのではと思い至り、意識を逸らすことは出来なかった。

 意を決してクリックする。

 でも期待に反し、表示されたのはパスワードの認証画面。当然、パスワードなんて分かるはずもなかった。

 これでは先に進めず、断念せざるを得ない。

 しかし思いとは裏腹に指は自然と動いていた。

 

 刹那、パスワードが解除され、画面が切り替わる。

 

「……ブログ?」

 

 そう、何の変哲もないただのブログ。正直拍子抜け感がある。間違ってアクセスした為、気に留めていなかった。憶えていない理由はそれだけの事だったのかも知れない。

 一体わたしは何を期待していたのか、と思わず苦笑する。

 ただ、どうしてパスワードを解くことが出来たのだろうか?

 当然その問いに対する答えは出なかった。

 

 偶然にしろせっかく開いたのだから、取り敢えずそのブログを閲覧することにした。

 この時わたしは、手掛かりを得ることは出来なくても、暇を潰すぐらいは出来るだろうぐらいの気持ちでいた。

 だが結果的にその行為が偶然ではなく必然であったと思い知る。

 

 そのブログには一人の少女の写真が多く掲載されていた。

 艶やかな長い黒髪を白いシーツに広げ、身体を丸めて眠る姿から、寝ぼけ眼を擦る愛らしい姿、真剣な顔つきで剣を構えた凛々しい姿。果ては猫耳スク水セーラーニーソでニャーと鳴く猫のポーズ姿に至るまで多岐に渡る。

 

「綺麗」

 

 思わず抱いた感想が口から零れ落ちる。

 同時に胸の高鳴りを感じた。

 

 わたしは彼女の事を知っている。

 漠然と確証もなく、だけど何故だかそう思えた。

 記憶にはない。

 その顔は今初めて見たはずだ。

 それでも────

 

 ズキンッ。

 

「ッ!?」

 

 突然激しい頭痛に襲われる。まるで頭が割れそうだった。

 脳裏に走るノイズ。

 

 ────こうして出会ったのも何かの縁、折角だから私と友達になってくれないかな?

 

 誰かがわたしを抱きしめる。

 

 ────おはよう、アーニャ。今日もありがとう。

 

 誰かがわたしの髪を優しく撫でる。

 

 ────私のベッドの中で一体何をしているのかな、アーニャ?

 

 触れ合う誰かの温もりが伝わってくる。

 人の繋がり、得られる充足感。

 そう、大切な誰かとの思い出が浮かび上がり、また闇の中へと沈んでいく。

 朧気な記憶に差し込んだ光が消えていく。

 居心地の悪さを感じるこの日常を打開する為の鍵が、きっとそこにあるはずだと手を伸ばす。

 

「……だめ」

 

 抵抗しようとすればするほど痛みは増していった。

 堪らず頭を抱え、倒れ伏す。

 込み上げた涙で視界が霞む。

 同様に意識にも靄が掛かり、次第に自分が何故苦しんでいるのか分からなくなっていく。

 欠落する記憶、わたしがわたしではなくなっていく気がして恐怖を覚える。

 

「助けて」

 

 開いたままの携帯電話の画面、霞む視界に何故だかハッキリと、わたしを包み込んでくれる優しい微笑みを向ける彼女の姿は映り込んだ。

 

「────リリーシャ」

 

 

 

 記憶の扉を縛めていた紅の鎖が弾け飛ぶ。

 

 

 

 わたしは思い出した。

 どうして忘れていたのかは分からない。

 だけどわたしは思い出した。わたしの日常を構成していた彼女の、リリーシャのことを。

 そしてわたしは彼女の置かれている境遇を知る。

 

 

 

 

 

     ◇

 

 

 

 

 

「おねがい、力を貸して」

 

 まるで縋り懇願するようにアーニャは告げる。

 本当なら自分の手で彼女を救いたかった。でも同時に子供一人の力では不可能だと理解もしていた。

 だから自分が知る中で、最も彼女と関係の深い大人である彼に助力を請う。皇族だからという理由だけで媚びへつらう人間ではなく、実の妹に対して接するように本心から彼女の事を考えていた彼ならば、きっと自分に力を貸してくれると信じて。

 だが────

 

「悪いが、私には応えられない」

 

 ジェレミアは躊躇うことなく、アーニャの申し出を断った。

 

「……なぜ」

 

 想像していなかった言葉にアーニャは戸惑い、自分勝手だと分かっていても裏切られたと思ってしまう。

 いや、彼は悪くない。厄介事に関わりたくないと思うのは人間の当然の心理である。

 それでも二人の間に存在していた信頼関係を知るからこそ、彼女はその言葉を信じたくはなかった。

 

「私は一兵士として軍に戻る」

 

 告げるジェレミアの瞳に迷いはなく、確かな決意がそこには込められている。

 

 第五后妃マリアンヌの死により、当時アリエス離宮の警備に当たっていた全ての人間が、降格や前線への配置転換の処分を受けた。中には失意のまま軍を去る者も居たことだろう。

 もちろんリリーシャの専属警護担当だったとは言え、ジェレミアもまた処分を免れることはなかった。

 彼にはEU方面軍への配属辞令が下されていた。現状の社会情勢やEUが持つ戦力を考えれば、最も激戦が予想されていると言っても過言ではない。当然死のリスクは本国の部隊と比べるまでもなかった。

 皇族及び貴族至上主義が罷り通るブリタニアにおいて、本来なら次期辺境伯である彼にそのような辞令が下ることは殆ど無いだろう。

 今回の辞令は彼自らの強い希望を実現したものだった。

 

「私は功績を立てねばならぬのだ」

 

 高邁なる野望?

 俗なる野心?

 いや、違う。全ては己が忠義を貫かんがため。

 

「リリーシャ様より大切なこと?」

 

 それが地位や名誉、保身の為だとでも思い至ったのか、アーニャの眼光は鋭さを増し、語気が強くなる。

 

「そうだ、と自信を持って言えればいいのだが、正直なところ答えに困るな。

 これはリリーシャ様も望まれた事ではあるが、所詮は私のエゴに過ぎず、果たして私の理想を押し付ける事が、本当にあの方の為になるのかは分からない」

 

 本当に今さらだとジェレミアは内心苦笑を浮かべる。

 けれど胸に抱いたこの想いは、その程度で揺らぐような安いものではない。

 

「だが君も知っての通り私は馬鹿な男だ。直情的なこの性格が長所であり短所でもあると、リリーシャ様も仰っていた。故に例え道を間違っていようとも、立ち止まることは難しいだろう。

 そこでだ。もし私があの方の害となるようなら、君に私を止めてもらいたい。そう、例え如何なる手段を用いたとしても」

 

「……わたしが?」

 

「ああ、そうだ。君だから頼んでいる。

 私には私の夢があるように、君には君の夢がある。そうだろ、アーニャ・アールストレイム?」

 

「ッ」

 

「自分が今何が成せるかではなく、何を成し遂げたいか。それこそが最も重要なのだ。

 年端も行かぬ君に告げるべき言葉ではないだろう。だが敢えて言おう。己が想いを貫き通す覚悟がないなら、叶わぬ夢は捨てた方が君のためだ」

 

 ジェレミアの言葉にアーニャは息を呑んだ。

 

 かつて語った自らの夢、それは彼女の騎士となること。友であり主君である彼女に変わり剣を振り、この身を盾として守り抜く。

 それがどうだろう。今の自分は力がないと打ち拉がれ、誰かに縋り付くことしか考えない子供も同じ。覆らない現実を諦め、行動する前から誰かに想いを預け、その対価を支払うことなく──いや支払えるだけの対価を持ち合わせていないのかもしれないが──逃げようとしていたのだと気付かされる。

 

 テーブルの下、アーニャは幼さという免罪符に甘えた自らを恥じ、小さな拳を固く握りしめた。掌に爪が食い込み、血が滲むほどに強く強く。

 

「剣の師事の真似事をしていて気付いたが、幸い君には素質がある。いや、むしろ私などより、よほど優れていると言って良いだろう。本音を言えば羨ましいがな。

 それを生かすも殺すも君次第だ」

 

 その言葉は社交辞令や慰めの類の言葉ではない。

 稽古を通して彼女が恵まれた潜在能力を秘め、磨けば光る原石だという事実に気付いていた。

 出来ることなら想い変わることなく、気を許せる友として、有能な臣下として、そして頼れる騎士として、あの方を支えて欲しいとジェレミアは切に願う。

 

 尤も同じく剣を師事していた当の彼女の方が、皇女であるにも関わらず高いポテンシャルを有しているのも事実。彼女の場合、既に誰もがその存在に気付き、目を奪われるほどの輝きを放っていた。彼女の中には間違いなく、最強の騎士の一人として名高い閃光のマリアンヌの血が流れているだと思い知らされる。

 もし仮に戦場に立つことになれば、自ら先陣を切り、獅子奮迅の活躍を見せるだろう。そんな彼女の姿を夢想し、待望する反面、ジェレミアは一抹の不安を抱く。

 

 一方、アーニャはジェレミアの気遣いに対して感謝を抱く。

 心のどこかで閉ざされたと考え、諦めかけていた夢の存在を今一度思い出させてくれた。

 さらにこんな自分を認め、期待し、前に進む為の役割を与え、後押しまでしてくれた。

 まるでリリーシャの傍に居るみたいに満たされ、胸の奥が温かくなる。

 心の奥に灯る火種、それに彼女は気付かない。例え気付いたとしても、その意味を幼い彼女は理解出来なかっただろう。

 

「分かった、私があなたを止める。でもその時は容赦しない」

 

 すでに抱いた困惑は嘘のように消え、ハッキリとした口調で告げる。

 

「ふっ、それでいい」

 

 アーニャの応えにジェレミアは満足げな笑みを浮かべ、妹もしくは娘に対して行うように彼女の頭を撫でる。

 それを彼女は黙って受け入れた。

 

「いつか肩を並べられる日が来ることを願っている」

 

「はい……だから、死なないで」

 

「ああ、もちろんだ。死ぬなら君の手で、と約束しよう」

 

「……馬鹿」

 

だが冗談めかして告げるジェレミアの耳に、俯くアーニャの呟きは届かなかった。

 

 

 

 

 

     ◇

 

 

 

 

 

 521:黒百合を愛でる学生

 

  最近ブログ更新されませんね

  連絡もつかないみたいだし、考えたくないですけど何かあったんでしょうか?

 

 522:黒百合を愛でる名無し

 

  私も気になります

  何か知っている節のある蛇姫さんも騎士さんも

  今回は黙りですし……

 

 523:黒百合を愛でる名無し

 

  は?

  どうせ知らないだけじゃねーの?

 

 524:黒百合を愛でる令嬢

 

  ああ、姫様成分が足りませんわ!

  ハァハァ、ハグハグしたいクンカクンカしたいペロペロしたいニャンニャンしたい

 

 525:黒百合を愛でる名無し

 

  ちょっwww

 

 526:黒百合を愛でる学生

 

  令嬢さん、自重して(笑)

 

 527:黒百合を愛でる名無し

 

  通報しました

 

 528:黒百合を愛でる名無し

 

  つブラックリリー抱き枕(初回限定誘惑ボイス付き)

 

 529:黒百合を愛でる名無し

 

  え、何それ……欲しい!

 

 530:黒百合を愛でる名無し

 

  誘惑ボイスってw

 

 531:黒百合を愛でる名無し

 

  非公認商品あげてんじゃねぇよ、カス!

 

 532:黒百合を愛でる名無し

 

  通報しました

 

 533:黒百合を愛でる学生

 

  ゴクリ、ちょっと聞いてみたいかも……

 

 534:黒百合を愛でる令嬢

 

  誘惑……

  ど、どこで買えますの!?

 

 535:黒百合を愛でる名無し

 

  令嬢さんが食い付いたw

  複数買い余裕だなwwwwww

 

 536:黒百合を愛でる名無し

 

  やっぱ秋葉原とか?

 

 537:黒百合を愛でる名無し

 

  使用用、保存用、(自主規制)用ですね

  わかります

 

 538:黒百合を愛でる騎士

 

  下衆が!

  姫様をそのような対象として見るなど言語道断!

  我が剣の錆にしてくれる!

 

 539:黒百合を愛でる名無し

 

  おおっ、ここでまさかの騎士さん登場か

  537終わったなw

 

 540:黒百合を愛でる学生

 

  あ、騎士さんお久しぶりです

 

 541:537

 

  マジ?

 

 542:黒百合を愛でる名無し

 

  かっこつけてんじゃねぇよ、おっさん

  どうせあんたも同じ穴の狢だろ?

 

 543:黒百合を愛でる名無し

 

  もしかして騎士さんてロリコンな人?

 

 544:黒百合を愛でる騎士

 

  貴様等ッ!!

 

 545:黒百合を愛でるメガネ

 

  あはぁ♪

  まあまあ、ちょっと落ち着いて下さいよぉ

 

 546:黒百合を愛でる名無し

 

  今度はメガネさんか!

  これはkskするな

 

 547:黒百合を愛でる騎士

 

  だが、メガネ

 

 548:黒百合を愛でるメガネ

 

  何なら僕がIPから住所押さえますから、ね?

 

 549:黒百合を愛でる学生

 

  いや、メガネさんらしいですけど

  それ犯罪ですから

 

 550:黒百合を愛でる名無し

 

  さすがのメガネ

 

 551:黒百合を愛でる名無し

 

  メガネクオリティ

 

 552:黒百合を愛でる騎士

 

  メガネ、お前が言うならここは退こう

  だが貴様等、次は無いぞ

 

 553:黒百合を愛でる名無し

 

  ハッ、なに言ってんだか

 

 554:黒百合を愛でる名無し

 

  お前も煽るなよ

 

 555:黒百合を愛でる令嬢

 

  はぁ……外泊許可が下りませんでした

  これでは秋葉原へは行けませんわ

 

 556:黒百合を愛でる名無し

 

  令嬢さんがまさかの本気だったw

 

 557:黒百合を愛でる名無し

 

  しかし、令嬢さんに騎士さんにメガネさんか

  今日はビックネームが多いな

 

 558:黒百合を愛でる名無し

 

  学生も入れてやれよ

 

 559:黒百合を愛でる学生

 

  いや、俺のことはいいよ、畏れ多いし

 

 560:黒百合を愛でる名無し

 

  でも学生さん、第三次黒百合会戦では紅蓮の如き闘志を見せ付けましたよね?

 

 561:黒百合を愛でる名無し

 

  何それkwsk!

 

 562:黒百合を愛でる学生

 

  ちょっ、止めて下さいよ!

 

 563:黒百合を愛でる名無し

 

  認めたくないものだな、自分自身の……若さ故の過ちというものを(キリッ

 

 564:黒百合を愛でる名無し

 

  なあ、もしかしてこの流れだと蛇姫様も来るんじゃないか?

 

 565:黒百合を愛でる蛇姫

 

  呼んだからしら?

 

 566:黒百合を愛でる名無し

 

  え、ホントに!?

 

 567:黒百合を愛でる名無し

 

  いやいや、さすがに出来すぎだろ

 

 568:黒百合を愛でる蛇姫

 

  愚かにもこの蛇姫の名を騙る者が居るとでも?

 

 569:黒百合を愛でる名無し

 

  居ないな、そんな命知らず

  あの蛇姫だぞ? 冷徹非道で唯我独尊、そこに痺れる憧れるぅ

 

 570:黒百合を愛でる名無し

 

  お前……いやもう何も言うまい

 

 571:黒百合を愛でる蛇姫

 

  メガネ、569も押さえておきなさい

 

 572:黒百合を愛でるメガネ

 

  は~い、分かりました~

 

 573:黒百合を愛でる名無し

 

  569、お前の事は忘れるまで忘れない

 

 574:黒百合を愛でる名無し

 

  酷い奴だな、俺もだけど

 

 575:569

 

  \(^o^)/

 

 576:黒百合を愛でる学生

 

  何だか話が逸れていっているんで戻しても良いですか?

 

 577:黒百合を愛でる名無し

 

  そうだな、騎士さんや蛇姫様も居ることだし

 

 578:黒百合を愛でる蛇姫

 

  ん、何かしら?

 

 579:黒百合を愛でる学生

 

  いえ、ここのところ管理人さんが活動してないようなので

  どうしたのか気になって

 

 580:黒百合を愛でる令嬢

 

  あれだけ熱心に情熱を傾けていた方なので、飽きたとは理由は考え難くいですし

  私達も不安なのです

  そして私にとって生きる為に必要な最大の栄養素である

  姫様成分が欠乏しているのですわ!

 

 581:黒百合を愛でる蛇姫

 

  その件は私の口から語るべき事ではないわね

 

 582:黒百合を愛でる名無し

 

  やっぱり何か知ってるんだ

 

 583:黒百合を愛でる名無し

 

  kwsk

 

 584:黒百合を愛でる学生

 

  騎士さんも?

 

 585:黒百合を愛でる騎士

 

  ああ、そうだ。今回ばかりは難しい

 

 586:黒百合を愛でる名無し

 

  ( ̄3 ̄)ブーブー

 

 587:黒百合を愛でる令嬢

 

  仕方ありませんわ

  今は管理人さんが戻って来てくれることを信じて待ちましょう

 

 588:黒百合を愛でる名無し

 

  え、誰? 本当に令嬢さん?

 

 589:黒百合を愛でる名無し

 

  気持ちは分かるwww

 

 590:桃猫◆88b636c5

 

  みんな、聞いて欲しいことがある

 

 591:黒百合を愛でる名無し

 

  お?

 

 592:黒百合を愛でるメガネ

 

  噂をすればというやつみたいだね

 

 593:黒百合を愛でる名無し

 

  お帰りなさい!

  あなたの帰りを全裸でお待ちしておりました!

 

 594:黒百合を愛でる名無し

 

  キタ────(゚∀゚)──── !!!!!

 

 595:黒百合を愛でる学生

 

  管理人さん!

 

 596:桃猫◆88b636c5

 

  心配かけてごめんなさい

 

 597:黒百合を愛でる令嬢

 

  もう、本当に心配していたんですから

  でも無事で何よりです

 

 598:黒百合を愛でる名無し

 

  で、聞いてほしいことって何なの?

 

 599:桃猫◆88b636c5

 

  とても大切な話

  わたしは守りたい

  だから────

 

 

 

 

     ◇

 

 

 

 

 

 ペンドラゴン皇宮の一角を占める皇族専用エリア。自分の庭とも呼べるその場所に存在しているサロン。

 私はソファに腰を下ろし、膝の上に置いたノートPCの画面を眺める。

 

「リリーねえたま大丈夫なの?」

 

 ふと横から声が掛けられ、私は視線を声の主へと向けた。

 私にすり寄ってくる一人の少女。いつも満面の笑みを浮かべていたその顔は不安げで、悲しみに満ちた瞳からは今にも涙が零れ落ちそうだ。

 

「心配ないわよ、カリーヌ」

 

 生家の権力とそこで身に付けた高圧的な態度により、周囲の者から恐れられる私に、何故だか恐れることなく好意的に慕ってくる物好きな妹(二人目)。彼女の頭をあやすように撫でてやる。

 カリーヌが心配しているのは彼女の姉であり、私にとっては物好きな妹(一人目)──ただしこちらは打算的な腹黒──リリーシャのことだ。

 あの娘が何を考えているのか正直なところ理解できない。それこそ弟シュナイゼル以上に本心を隠すのが上手い。

 まさかあの場面で、父上に宣戦布告を行うなど一体誰が予期し得ただろうか。

 母親を失い、精神が不安定だったとする見方も出来るが、そんな可愛いげのある存在ではない。あの娘は私を蛇と呼ぶが、自分から蛇の巣穴に飛び込んできたアレもまた蛇だ。見た目に騙されれば痛い目を見る事になる。

 故にあの娘が肉親の死で錯乱するとは到底思えない。少なくとも己に何らかの利があるからこその行動だ。

 

「ほんとう?」

 

「ええ、きっとまた会えるわ」

 

 しかし一体何者があの娘の母親、第五后妃マリアンヌを殺害したのか?

 

 単なるテロリストの犯行とは考えづらく、暗殺説が声高に囁かれているが、未だ犯行を主導した人物を特定することが出来ない。

 確かに平民上がり、そして次期主力兵器=KMFの開発を主導するアッシュフォードと関係の深い彼女の事を、疎ましく思う人間は数少なくない。

 だが私の影響下にある者が動いたという事実はない。もちろんその全てを管理できているとは言えるはずもないが、傭兵を雇うにしろ、テロリストを扇動するにしろ、私兵を動かすにしろ、何らかの痕跡が残るはず。

 仮に行動を起こすとしても、リスクの高い襲撃という強引な手段を選びはしないだろう。それこそ事故や病死に見せかける方法などいくらでもある。

 だからこそ一つの疑問に辿り着く。

 

 果たして本当に襲撃は行われたのか?

 

 最初から襲撃などなかったとすれば、いくら調べても痕跡が残らないのも頷ける。

 真実はもっと単純なのかも知れない。

 全盛期ではないと言え、あの閃光のマリアンヌを討てる存在は限られる。彼女よりも強く頭の切れる相手、もしくは彼女が心を許す相手。

 そう、例えば実の娘とか……。

 

「ふふっ」

 

「ギィねえたま、どうしたの?」

 

 カリーヌが愛らしく首を傾げて問い掛けてくる。

 確かあの娘はカリーヌのこうした無邪気な仕草が好きだったか。

 

「いえ、何でもないわ」

 

 私は苦笑しながら、カリーヌを撫でる手とは逆の手で小型情報記録端末を弄ぶ。

 

 あの娘なら自分の事は自分でどうにかするだろう。

 私が考えるべきはこれからのこと。

 まったく、面倒な事を押し付けてくれる。既に前払いで報酬をもらってるとはいえ、愚痴も言いたくなる。何が「信用しているよ、ギィ姉たま」だ。思い出しただけでも鳥肌が立つ。次に会った時、お仕置きしてやろうと心に誓う。

 さて、もうすぐやって来るだろう物好きな妹(三人目)を出迎える用意をするとしよう。

 

「カリーヌ、良い子はもう寝る時間です」

 

「や、もう少しギィねえたまとおしゃべりしたい」

 

 いやいやと首を振るカリーヌ。

 

「我が儘言ってると母上に言いつけますわよ」

 

「だいじょうぶ! ギィねえたまの傍に居たら、だれにも怒れないってリリーねえたまが教えてくれたの!」

 

 いい笑顔を浮かべるカリーヌに対して、私はこめかみを押さえながら大きく溜息を吐く。

 本当にあの娘は……。

 

 

 

 

 

     ◇

 

 

 

 

 

「良かったんですか、これで?」

 

 低く呻るような機器の駆動音と小気味良い軽快なタイプ音が支配する室内に、彼女の不安げな声が響く。

 

「ん、何が?」

 

 僕はPCのモニターから視線を外すことなく、逆に彼女に問いを返した。

 ふ~ん、桃猫さんも本気になったみたいだねぇ。

 

「何がじゃありませんよ。はぁ、やっぱり聞いてなかったんですね」

 

「殿下のことでしょ? ちゃんと聞いてたよ。でも良いも悪いも無いんじゃない? 皇帝陛下がお決めになったことだしさ」

 

 セシル君が心配するのは、もちろんリリーシャ殿下のこと。殿下達の海外留学の件が公になってから、毎日のように話題に上がるんだから嫌でも気付くよね?

 僕にもその気持ちが分からないわけではない。ただセシル君は殿下のことを、まるで妹のように可愛がっていたからね。手料理は食べてもらえず、逆に料理を教えられていたようだけど。おかげでセシル君の料理技能というか味覚は改善された……と言えたらどれほど良かったことか。

 

「それは…そうですけど……ロイドさんは心配じゃないですか? お見送りぐらいは行っても良かったんじゃ」

 

「そんなことしても殿下は喜ばないよ」

 

 むしろ殿下のことだから「こんな場所で会うなんて奇遇だね。なに、見送り? 暇なんだね、仕事したら?」なんて皮肉が返ってくるに違いない。

 

「でも……もしかしたら」

 

「もしかしたら、何?」

 

 顔を上げ、セシル君へと視線を向ける。無意識のうちに眼光が鋭くなっていたかもしれない。

 

「セシル君は殿下が死んでしまうんじゃないかって考えているのかな?」

 

「……はい」

 

 躊躇いながらも肯定するセシル君。

 現状の社会情勢や殿下が置かれている立場を思えば、その考えに至ってしまうのも仕方がない事だ。

 けれど何故だろう、僕にはその未来が全くと言って良いほど想像できない。

 

「考えすぎだよ、セシル君。僕達の想像を軽く飛び越えちゃう殿下だよ? きっと今回の事だって、ちょっとした海外旅行みたいなものなんじゃないかな。

 きっとお土産を買って帰ってきてくれるさ」

 

「ふふ、そうですね」

 

 もちろん確証なんて何もない。希望的観測と言われてしまえばそれまでだ。

 だけど信じている。

 何年だって待とう。

 きっと彼女は帰ってくる。

 

 その時、彼女に失望されないように、僕もやれるだけの事はやっておかなくちゃね。

 だから殿下、お早い帰還をお持ちしていますよ、あはぁ。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第33話

 

 新緑の季節。周囲を見渡せば嫌でも目に付く緑の木々、聞こえてくる野鳥の囀り。

 空はからりと晴れ渡り、日に日に強さを増す初夏の太陽光が肌を焼く。

 自然と滲む汗。

 しばらくすればここ日本は梅雨と呼ばれる雨季に突入するらしい。その期間の湿度や不快指数を思えば、まだ現状の方がマシだが、それでも踏みしめる石段の数にはうんざりする。

 尤も私の場合、この程度で感じる肉体的疲労など微々たるものだ。問題があるとすれば彼だろう。

 視線を上げ、妹を背負い先を行く兄ルルーシュの姿を視界に捉える。

 お世辞にも鍛えているとは言い難い華奢な身体で、妹ナナリーに出来るだけ不安を抱かせないように雑談を交わしつつ、懸命に一段一段石段を登っていく。周囲の大人達の手を拒み、大切な妹を誰にも触れさせはしないという強い想いが窺い知れた。

 

 しかし足を踏み外し、二人一緒に転がり落ちてしまうのではないのかと、見ているこっちが心配になる。私が代わりにナナリーを背負っても良かったのだけど、生憎と私には病弱設定があったことを思い出す。生活環境が変わった事を機に、設定を改めるのも悪くはないか。いや、設定以前に例え血を分けた私でも、妹に触れることを兄は許さないに違いない。

 険悪な兄妹関係の改善の糸口はまだ掴めそうになかった。

 零れ落ちる溜息。これから始まる兄妹だけの生活、まったく先が思いやられるね。

 

 

 

 ようやく石段を登りきり、鳥居と呼ばれる赤い門をくぐる。

 私達兄妹の受け入れ先、現日本国首相=枢木ゲンブの実家。全国に数多くの枝宮を有する枢木神社の本宮。

 広大な面積を誇る本宮だけでなく、枝宮も全て枢木の私有地であることを考えれば、平均的な一般家庭と比べ、如何に枢木家が掛け離れた資産を保有しているのかが窺い知れる。

 石畳を歩んだ先、そこで待ち受けていたのは、侮蔑と嘲笑の混じる瞳から鋭い視線を向けてくる恰幅の良い男。

 そう、枢木家当主にして、ブリタニアとの緊張高まる日本国の首相=枢木ゲンブ。

 

 そしてもう一人、杖をつく着物姿の老人。その男の姿に私は内心驚きを禁じ得ない。

 まさか、こんな昼間から妖怪ぬらりひょんに遭遇するとは思わなかった。しかし狸親子に大妖怪、他にも巫女やサムライなども居るらしい日本の教会は、一体どんなテーマパークなのだろうか。などという冗談はさておき、いきなりこんな大物と出会すとは想像していなかったのは事実。

 老人の名は桐原泰三。フジ鉱山を始めとするサクラダイト産出鉱山を多数保有し、その採掘権を独占する桐原産業の創設者にして枢木政権発足の立役者。いや、この国の影の支配者と目される人物。歴史ある旧家同士、噂通り親密な関係が続いているのだろう。

 まるでこちらの事を品定めでもしているかのような視線が些か不快だったが、完全なアウェーである為、ここは我慢するしかない。今回の件にどこまで関与しているのかは不明だが、相手にするには今はまだ分が悪すぎる。

 尤もそれ以上の何かがあるわけでもなく、挨拶どころか顔合わせもそこそこに、私達はこれから暮らすこととなる新たな住居へと案内されることとなる。

 私達兄妹にとって、運命の出会いを果たすその場所へ。

 

 

 

 何なんだろうね、これは……。

 案内された新たな住居を前に、私は呆れつつ苦笑するしかなかった。

 枢木神社の片隅に放置されたよう存在する小さな土蔵。最低限のライフラインが用意されているのかも疑わしい。当然シャワールームやトイレは別だろう。

 どう好意的にみても古ぼけた物置にしか見えない、そんな有様だった。

 くふふ、これは生贄の扱いなどこの程度で十分、屋根があるだけ感謝しろとでも言うつもりなのかな、かな?

 これはもうリリーシャさんから怒りポイントを進呈しようじゃないか。今ならもれなく倍プッシュだよ。ポイントが溜まれば、リリーシャさん主催の恐怖劇グランギニョルにご招待。是非とも舞台の上で存分に泣き叫んでもらおう、ふふっ。

 

「素敵なところだよ。雪のように真っ白い壁と花をあしらった飾り窓があって────」

 

 私と同じく目の前の光景に愕然とし、言葉を失っていた兄ルルーシュだったが、ナナリーに問われ、状況を説明する。

 必死に誤魔化し、取り繕ってはいるが、その内容には無理がある。母マリアンヌの暗殺に巻き込まれ、精神的ショックで視力を失っているナナリーが相手とは言え、馬鹿にしているのかと言いたくなるほどに。

 優しい嘘、ね? 二、三日泊まるだけならまだしも、そんなものは生活をしていく内にばれてしまう。ほんの一時凌ぎにしかならない。

 いや、既にナナリーが兄の態度や雰囲気から何かを感じ取っている可能性もある。ならば最初から現実を受け入れたほうが良いと思うのだけど。

 無駄な行為だと少々滑稽に思えたが、もちろん笑みを浮かべるようなヘマはしないよ。

 刹那────

 

「誰だッ! 出てこい、そこにいる奴」

 

 第三者の気配を感じると同時、兄ルルーシュが声を上げる。

 

「偉そうに言うな」

 

 返ってくる声、土蔵の奥から現れる一人の少年。日本人にしては色素の薄い癖のある髪、白い胴着に紺の袴姿。

 そう、彼が枢木の子狸=枢木スザクか。確か私や兄ルルーシュと同年齢だったはずだ。

 

「ここは俺の場所だったんだぞ、元々」

 

 などと空気の読めない、子供ならではの難癖をつけてくる。おおよそこの場所は彼の遊び場だったのだろう。それを私達が奪ったと考え、不満を抱いているに違いない。

 その出で立ちからも分かる通り、それなりに身体を鍛えているらしい。同年代の子供と比べて高い身体能力を有していると推測する。

 一方、活発というよりもやや粗暴な気性。あまり聡明なタイプには見えない。果たして今回の件を正しく理解しているのかな? 期待できそうにないけど。

 何れにしろその性格上、兄ルルーシュとは反目し合いそうだね。今後のことを考えれば、友好的な関係を築きたいが……。

 

「お前は嘘吐きだ。何が白い壁だ。この蔵のどこに飾り窓があるって言うんだ!」

 

 いや、既に遅かった。私が彼の事を観察している間に、二人はこの国の政策を巡って口論に突入し、険悪な関係を構築している。互いに第一印象は最悪と言ったところか。

 さらにはこの土蔵の有様が暴露され、呆気なく優しい嘘は曝かれる。

 

「止めろッ!」

 

 衝動的に殴り掛かる兄ルルーシュ。

 だが迎撃に放たれた正拳突きがクリーンヒット。地に這い蹲ると、マウントポジションを取られ、防戦一方のままフルボッコにされていく。

 あ~あ、殴り合いの喧嘩なんてしたことがないのに無謀だよ。

 謁見の間でのことも然り、普段冷静な分、こうした事態に頭に血が上りやすいのかな。

 

「止めて下さい! どなたか分かりませんが、わたしにできる事なら何でもしますから!」

 

 兄への暴力を止めようと、泣きすがるように懇願するナナリー。ほんと健気だね。

 それに比べて最愛の妹を悲しませ、心配を掛けるなんて悪い兄だよ、ルルーシュくんは。

 仕方がない、ここはお姉ちゃんが一肌脱ぐことにしようか。兄妹仲改善のためにも好感度を稼いでおかないとね。

 そして私は携帯電話を取り出した。

 

 ピロリロン♪

 

 周囲に響くシャッター音。

 その音に動きを止めた二人の視線が私へと集まる。

 取り敢えずもう一枚。組んず解れつする幼い少年二人の画像か、その筋のお姉様方に高く売れないかな?

 

 ピロリロン♪

 

「何のつもりだ、リリーシャ」

 

「何だよ、お前」

 

 どうにも情けない姿を見られて顔を歪める兄ルルーシュと、怪訝そうな表情を浮かべる少年。

 

「何って、知らないのかい? これは携帯電話という文明の利器だよ。離れた場所に居る人間と話をしたり、文章を送りあったり、写真を撮ったりと色々便利なんだけど」

 

『そうじゃない!』

 

 私の戯れ言に二人は声を揃えて抗議する。

 あれ、実は意外と仲が良いのかな?

 

「ふふっ、ちょっとした冗談じゃないか。

 しかし君は自分の立場を自覚しているのかな、くりゅりゅぎスザク?」

 

「枢木スザクだ!」

 

「これは失礼、かみまみた」

 

「っ、馬鹿にしているのか!?」

 

 怒りで顔を赤くした枢木スザクが兄ルルーシュの上から立ち上がり、今にもこちらへと掴みかかるような姿勢を見せる。

 恐い怖い、今度は私を押し倒そうというのかな?

 ま、その場合、正当防衛として堂々と返り討ちにしてあげるんだけど「枢木スザクは日本男児だ、女は殴らない」とか言いそうだよね。

 

「ええ、そこそこ。むしろ馬鹿にされていると感じない方がどうかしているよ。良かったね、君の脳は正常だ」

 

「ほんと何だよ、この女」

 

「諦めろ。こういう奴なんだよ、コイツは」

 

「……大変なんだな、お前」

 

 何故か私が意図しないところで、若干の関係改善が行われているようだが……まあ良い。話を本題に戻そう。

 

「もう一度言うけど、君は自分の立場を自覚しているのかな、枢木スザク?」

 

 私は再び問い掛ける。

 

「君はただの子供ではない、日本国首相枢木ゲンブの血を引く子供だ。同様にさっきまで君が殴っていた我が兄もまた一般庶民とは違う。神聖ブリタニア帝国のれっきとした皇族だ。

 外交上の観点から関係改善を目指して、友好の証として送り込んだ子供が初日に暴行を受ける。しかも加害者は首相の息子。その証拠が私の手の中にある。果たしてこの画像を見たブリタニア国民はどう思うだろうか?

 結果、ブリタニア本国がどんな行動に打って出るか、君にも想像ぐらい出来るんじゃないかな、ふふっ」

 

 もちろん全てブラフだ。

 先に手を出した兄ルルーシュは皇族とは言え皇位継承権を失っている。そもそも例え皇族であっても何ら地位のない子供を引き取ることに、それほど外交的な意味などない。むしろ現状の社会情勢では反って国内世論の反発を招きかねないだろう。

 尤も死ぬことを前提にこの国に送り込まれた私達の役目は、実はこの国の地を踏んだ瞬間に終わっている。

 本国としては私達がこの国に居た、そしてこの国で死んだという二つの事実のみが重要なのだから。

 さらに言えば、先程からこちらを遠巻きに見ている──枢木家が用意した──SP達が、彼の行動を止めなかったことからも、身柄の扱いについて両国の間に密約が交わされている事が窺い知れる。

 生贄が五体満足である必要はないと言ったところか。

 もし国際問題に発展するようなら、さすがに彼等も止めに入るだろう。

 

「まさか……」

 

 顔を青くして枢木スザクが呟く。

 どうやら私の言いたいことを理解してくれたようだ。

 

「子供の喧嘩? 違う、間違っているよ。これは明らかな宣戦布告だよ」

 

「あり得ない!」

 

 私もそう思うよ。

 明らかな暴論だと内心苦笑する。

 

「でも飛躍しすぎていると本当に言えるのかな? 実際開戦の切っ掛けなんて些細なものだよ。理由だって勝者が後からいくらでも捏造できるんだからね」

 

 歴史は勝者が創る。自分達にとって都合の良い歴史を。

 それが古より続くこの世界の隠しようのない理だ。

 

「っ、だったらその携帯をよこせ!」

 

 なるほど、実に素直な反応だね。

 だけど残念ながら意味はない。

 

「別に構わないよ。そろそろ新しい機種に買い換えようと思っていたところだったしね。

 でもさっきの画像は既に本国のサーバーに送信済みだから。言っておくけど、この端末から削除することは出来ないよ。

 さらに各種操作に必要なユーザーIDも私だけが知っている」

 

 私は勝ち誇った笑みを浮かべ、手にする携帯を枢木スザクへと差し出してやる。

 ふふっ、自分の行動を後悔し、訪れる未来に恐怖するいい顔だね。

 さあ次はどう出る? 親の力に頼るか、それとも私を消しに来るか。

 

「……ううっ」

 

 瞳に涙を溜める枢木スザク。

 おっと、さすがにこれは予想外だ。少し追い込みすぎたか、泣かれてしまうのは少々面倒だ。

 別に私は彼の矜恃を傷付けたかったわけではない。

 意地があるはずだ、男の子には。それが分からないリリーシャさんじゃない。

 

「というのは全て冗談だよ。ちょっとしたブリタニアンジョークだから安心して欲しい、さっき撮った画像も実は保存すらしていないから」

 

 私は若干挙動不審になりながら、事態の収拾と言う名の誤魔化しを図る。

 彼に近付き、親指の腹でそっと涙を拭う。

 

「ほら、可愛い顔が台無しだよ、くりゅりゅぎスザク」

 

「っ、俺の名は枢木スザクだあああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」

 

 顔を赤く染め、叫びながら、まるで逃げるように走り去る枢木スザクの後ろ姿を見送り、私は額の汗を拭いつつ大きく息を吐く。

 ふぅ、どうにかミッションコンプリートだ。

 

「大丈夫ですか、お兄様?」

 

「ああ、大丈夫だよ。心配掛けてすまない、ナナリー」

 

「いえ、お兄様がご無事ならわたしは」

 

「……ナナリー。もう無茶はしないよ」

 

「約束ですよ、お兄様」

 

「ああ、約束する。でもナナリーも二度とあんな事を言っては駄目だよ」

 

「はい」

 

 などという会話が背後から聞こえてくる。これだからシスコンとブラコンは、人の気も知らないで。

 ここは負けじと私も会話に参加しよう。

 

「大丈夫かい、兄くん。手酷くやられたようだけど、今度からはちゃんと相手を選んで挑んだ方が良い」

 

「ああ、けど一言余計だ。でも一応礼は言っておく、ありがと……リリーシャ」

 

 顔を背け、服に付着した砂や埃を払いながら、小さく消え入りそうな声で謝意の言葉を告げる兄ルルーシュ。

 本当にツンデレだね。

 でも兄に感謝されたのは私にとって初めての経験だ。何だか嬉しいね。これはもう一肌脱いでも良いかな。あ、でも安心して欲しい。全裸にはならないから。

 

「ナナリー」

 

「は、はい!」

 

 私が声を掛けるとナナリーはビクリと身体を震わせる。視力喪失以降、音に敏感になっているため仕方がないか。

 

「兄くんの事は頼んだよ」

 

「おい、どういう意味だ?」

 

「どこかへ行かれるのですか、リリーねぇさま」

 

「少し野暮用を済ませてくるよ」

 

「待て、痛ッ!」

 

 私を止めようとした兄ルルーシュは、殴られた箇所を押さえて蹲る。

 

「兄くんは少し休んだ方が良い。見た感じ打撲程度だけど、しばらくは痛みが残るはずだから」

 

 そう私は言い残し、枢木スザクが走り去った本邸のある方向へと歩み出す。

 SP達がどこか慌てた様子だったが特に気に留める必要はない。邪魔をするなら……ね?

 

 

 

 

 

     ◇

 

 

 

 

 

 純和風な造りをしている枢木本邸において、その部屋は異質と言えた。

 天下の枢木家に相応しく豪華な内装という点では申し分ない。

 しかし部屋の扉は装飾の施された両開きであり、床には毛足の長い絨毯が敷かれ、並ぶ調度品はアンティーク調の高級品ばかり。部屋の主の強い舶来志向を窺わせている。

 きっと日本文化に対する執着などないのだろう。

 私はタバコ臭いその部屋で本革製のソファに腰を下ろし、壁際に並ぶ書棚に収められた書籍のタイトルに視線を這わせながら、主の登場を待っていた。

 

「ッ……小娘、どうしてお前がここにいる」

 

 しばらくして室内に入って来たその男は、私の姿を視界に捉えるなり顔を歪ませ、開口一番高圧的に告げてくる。

 

「お邪魔しているよ。貴男とは一度ちゃんと話をしておきたくてね、枢木ゲンブ。

 ああ、それとも私達を監視し、また行動を制限する自称SP達についてのことかな? 彼等なら少しのあいだ眠ってもらっているよ」

 

 本邸への侵入を止めようとしたSP達。だけど私の年齢や容姿に油断したのだろうね、案外呆気ない相手だった。決して彼等がロリコンだったとは考えたくない。もしそれが事実なら夜もおちおち眠れないよ、ふふっ。

 

「ふん、面白いことを言う。だが生憎と小娘の戯れ言に付き合っている暇はない。手荒な扱いを受けたくなければ、さっさと儂の前から失せろ。儂の気が変わらぬうちにな」

 

 まるで動揺した様子を見せず枢木ゲンブは応える。

 さすがは現状の社会情勢を握る日本の狸。サクラダイトの分配権を操作し、EUや中華連邦に媚びを売る顔の皮が厚い男。

 この程度では微塵も揺らぎを見せないか。

 ま、初めから期待はしていない。本題はこれからだ。

 

「これは失礼。ただ私としてはもう少し付き合ってもらいたいかな。

 今し方私の兄がお宅の息子さんに殴られてね、怪我を負わされたんだ」

 

「だから謝罪を要求する、慰謝料を払えと? はっ、馬鹿らしい」

 

 そう言って枢木ゲンブは私の対面に腰を下ろすと、取り出し安物のタバコに火を点け、無遠慮に紫煙を吐き出す。

 口では否定しているが、私の言葉に耳を傾ける意思はあるらしい。乱暴に追い払うことなく、ソファに座った行動がその意思表示となっている。

 少なくとも私に多少の興味を抱いていると考えて良いだろう。枢木スザクとのやり取りの報告を受けているのかも知れない。尤も少しばかり口と頭が回る小娘程度の認識でしかないだろうけど。

 さて、どこまで踏み込もうか。

 

「確かにね。別に謝罪を求めているわけじゃない。私だって子供の喧嘩に口を挟み、相手の親の下へ乗り込んでいくようなモンスターペアレントになったつもりはないからね。

 そもそも兄が怪我を負ったのは本人が弱かったからだ」

 

「くくっ、何ともブリタニアらしい物言いだな」

 

 馬鹿にしたように、ニヤついた笑みを浮かべる枢木ゲンブ。

 枢木スザクも成長すればこんな顔になるのかな、父親似だった場合は少々残念だ。

 

「私が問題としているのは居住環境のことだよ。さすがに酷いんじゃないかな。

 仮にも大国の皇族、しかも年端も行かない子供達をあんな古ぼけた土蔵に住まわせようなんて。

 天下の枢木家当主の器が知れる。笑われたくないなら改善を要求するよ」

 

「忠告だ、小娘。口の利き方には気を付けろ。祖国に棄てられたガキが調子に乗るな」

 

 私の言葉に枢木ゲンブは顔から笑みを消し、灰皿でタバコを押し潰すと、険しく鋭い眼光を向けてくる。

 おやおや、この程度の挑発こそ子供の戯れ言だと一蹴して欲しかった所なんだけど。本当に器が知れるね。

 いや、だからこそ価値はあるか。

 

「そっちこそ勘違いしてもらっては困る。私の境遇は少々複雑でね。

 これは公にされていないことだが、生憎とは私は兄と違い皇位継承権を放棄してはいないし、剥奪されてもいない。

 つまりまだ現役の皇女様というわけだ」

 

「馬鹿な」

 

「嘘だと思うなら後で問い合わせてみると良い。そのぐらいの伝手はあるんだろ?」

 

 一枚目のカードを切る。

 やはりこの男は知らされていなかったようだ。日本の諜報機関も大したことはないのかもしれない。

 

「神聖ブリタニア帝国第三皇女=リリーシャ・ヴィ・ブリタニアとして、改めて生活環境の改善をお願いするよ。

 そもそもこの要求は貴男の為でもあるんだけどね」

 

「……何が言いたい」

 

「何って開戦権を握るために、私達兄妹を飼い殺しにするつもりなんだろ?

 だったら衛生環境にも気を配るべきじゃないかな。一時的な愉悦を得た代償に、下らない病をこじらせて私達に死なれたくはないよね」

 

 開戦権? なにそれおいしいの?

 自分で言っていて笑いそうになる。そんなもの初めから存在していないというのに。

 

 枢木ゲンブは応えず、何かを思案しながら新たなタバコに火を点ける。

 無言で先を促しているつもりか。

 

「それに貴男の取引相手はブリタニア皇帝一人ではないはずだ。後継者争いを巡り、これ幸いと良からぬ考えに至る者も居るに違いない。

 そう、例えば最大の庇護を失った私達を始末しようなんて考える者が。

 そんな彼等と契約した貴男は、戦時下の混乱に巻き込まれて死亡という陳腐なシナリオを演じ、私達を殺害する。

 だけど用心深い貴男はこう考えるはずだ。契約を反故にされないためにも、一人は手元に残しておこうと。

 もちろん二重契約や契約違反に対して文句を言うつもりはない。後者に関してはむしろ当然の計らいだと思うよ。

 ただ私としては取引相手が気になっているんだけどね」

 

 可能性が最も高いのは宮廷内に存在する反マリアンヌ勢力だが、ブリタニア本国を立つ前にギネヴィア姉様から受けた最後の報告では、第五后妃暗殺の前後に怪しい動きを見せた貴族はいなかったようだ。情報の信頼性は高い。

 だとすればKMF開発を巡る反アッシュフォード勢力、軍事企業を運営する貴族か。せっかく閃光のマリアンヌという旗が折れたのだから、その血筋を新たな旗に据えられたくはないだろう。その理由だと外見的特徴を踏まえれば、最初に狙われるのは私かも知れないね。

 

「例えばレイムナード、アレクセル、ローエングリン、エーデルハイト。いや、それともハイネベルグ辺りかな?」

 

 その名を口にした瞬間、枢木ゲンブの視線がほんの僅か揺らいだ。

 なるほど、ハイネベルグか。

 前皇帝の弟であり、現皇帝シャルルの最大の政敵であったルイ大公。彼を中心として引き起こされたブリタニア史上最大の権力闘争=血の紋章事件。その大公家と親交があったハイネベルグ家は、事件への関与こそ確認されず処分を受けることはなかったが、以降現在まで冷遇を受ける事となったユーロ系貴族の一つだ。

 そこにはKMF市場のシェア争いだけでなく、皇帝シャルルに対する私怨も大いに含まれているのだろう。

 報酬は爵位と新型兵器の技術供与といったところかな。

 

 記憶したよ、ハイネベルグ。ささやかな贈り物を考えておこう。

 ただハイネベルグ家単独での行動とは考えづらい。当然他に裏で糸を引いている者が居るだろう。ハイネベルグは隠れ蓑か、はたまたトカゲの尻尾か。

 

「ま、尤もこれは私の妄想。子供の戯れ言に過ぎないんだけどね。少しは楽しめたかな?」

 

 私は意味深な笑みを浮かべ、枢木ゲンブの出方を待った。

 

「くくっ、あはははは」

 

 嵌められた首輪を引き千切り、貪欲に権力を求めようとする狸は笑う。

 

「実に面白い。よくもそこまで頭が回る。だが小娘、よもや自分の末路を想像できないわけではないのだろ?」

 

 枢木ゲンブが死を仄めかす。

 実に単純で、最も正しい選択だね。

 手元に残すのは一人。ならば小賢しい小娘を選ぶ必要はなく、むしろ脅威は速やかに排除するに越したことはない。

 何事にも決断力は重要だ。

 

「そうだね。だけど私も簡単に死ぬつもりはないよ」

 

 ただこの場から生きて帰るなら、目の前の男を殺すだけで良い。悪いとは思った気がしないでもないが、既に部屋の中を漁って必要な道具は手に入れている。

 だけど今はまだその時ではない。

 今ことを起こせば、次に対峙するのはあの妖怪だ。相手の格は狸の比ではなく、敵の敵は味方などというご都合主義も期待できない。

 

「私が何の考えもなく来日したと本気で思っているのかな?」

 

「ほう、どんな悪足掻きを見せるつもりだ」

 

「例えば開戦権を握っているのは貴男だけじゃない、と言ったらどうする?」

 

 私は袖口を捲り、その下に存在していた物を相手の目の高さに掲げる。

 赤く点滅するLEDを除けば、何の変哲もない銀のブレスレット。

 

「このブレスレットは私のバイタルサインを定期的に外部へと発信していてね、もし一定期間受信されなければ、公海を潜行する潜水艦からSLBMが発射される。日本が保有する現行のMDシステムでは迎撃は困難だろうし、この神社一帯は焼け野原になる。なんて事になったら面白いと思わないかい?」

 

 もちろん嘘なんだけど、公海に弾道ミサイル──日本を射程に捉えた──を搭載する潜水艦が配備されいるのは事実だったりする。だから真偽を確認するのは難しいんじゃないかな。

 そして『彼女』の力を使えば、現実に行うことも可能だという事も忘れてはいけない。尤もそれは私達の秘密だよ。

 

「小娘が儂を脅すか」

 

 苦虫を噛み潰したような顔とは、こんな表情を言うんだろうね。

 

「いやだね、脅すなんて人聞きの悪い。私は単に自分の末路、その可能性を語ったに過ぎないよ。

 ま、これはオモチャなんだけどね」

 

 私はブレスレットを外し、無造作に投げ捨てる。

 実際にやるとしても、こんな分かり易い物は使わない。それこそ発信器は体内に埋め込んでおく。ユフィやアーニャに知られたら全力で止められてしまうだろうね。

 

「さて、そろそろ不毛な争いは止めて交渉に移ろうか。何も私は喧嘩を売りに来たわけではないんだから。

 何も難しい事はない。先程も言ったが、私が求めているのは生活環境の改善。ただそれだけだよ。

 対価はそうだね、私が貴男に爵位を約束しよう。とびきりスペシャルなものを」

 

「島流しになった小娘が何を言っている」

 

「確かに今すぐというのは難しい。でも忘れてしまったのかな? 私は皇位継承権を保有する皇族だよ。だとすれば他の貴族よりも確実に、それも位の高い爵位を用意することが出来る。

 分からないかな? 私は貴男を夫にしても良いと言っているんだ。悪くない取引だろ?」

 

 さすがに予想外だったのかな、目の前の男は反応に困っている様子だ。

 ならば畳み掛けようか。

 

「私の母を知っているかい? 知らないなら調べてみるといい。ブリタニア皇帝が最も寵愛を注いだ美姫だ。

 私はその母に似ていると評判だったんだよ。後は言わなくても分かるよね?」

 

 私は蠱惑的な魔女の微笑みを浮かべて囁いた。

 果たしてどんな応えが返ってくるか楽しみだね。

 

 

 

 

 

 今回の交渉の結果だけ報告すると、私は離れ家の一つを手に入れた。

 当然私の事を完全に信用したわけではなく、選択肢の候補に上がった程度。野望抱く狸の思惑はあるだろうが結果としては満足だ。

 これは平和になった将来、結婚詐欺師を営むのも吝かではないかな、ふふっ。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第34話

 

 6月某日 雨

 

 日本に来てから早数週間、近況に報告すべき変化はない。

 放任主義とでも言うのか、枢木家から特別干渉を受けることなく、監視の目を除けばそれなりに自由な生活を送っている。

 どれほど放任かと聞かれれば、兄ルルーシュが地元の子供から──ブリタニア人だからと言うくだらない理由で──暴力を振るわれているのに、それを見ていたSP達が止めに入ることがないぐらいにと答えよう。

 まったくあの狸は私の言ったことをちゃんと理解しているのかな? 生活環境の改善にはSP達への指示も当然含まれていたのだけど。

 幸いその場は枢木スザクの登場によって事無きを得たようだ。今度兄がお世話になったと菓子折を持ってお礼に行かないといけないね。

 

 ただ初対面時の一件がトラウマ的な物を植え付けてしまったのか、彼は私に対して露骨に距離を置いている。そんなつもりは無かったんだけど、リリーシャさんは悲しいぞ。

 まあでも同年代の女の子に泣かされかけたのだから仕方ないか。

 ああ、それと兄ルルーシュに対して暴力を振るった子供達だが、その後私が少しだけお仕置きしておいた。もちろん本当に少しだけだよ? きっと自分から好き好んで私達兄妹に近付くことは二度とないと思うけど、ふふっ。

 何れにしろこの一件で、兄ルルーシュの枢木スザクへ対する評価は上方修正されただろう。出来ればこのまま交友関係を築き、兄の初めての友人になってもらいたいところだ。

 私にとってのアーニャがそうであったように。……途中から私専属のバトルメイドになっていた気もしないでもないが、きっと気のせいだろう。

 今頃彼女はどうしているのかな?

 私の事は忘れて、自分の道を歩んで欲しいところだ。少し寂しい気もするが、それが彼女の為になるはずだから。これ以上私と関われば、きっともう後には引き返せなくなる。

 尤も彼女が選んだ道を否定する権利を私は、いや誰も持ち合わせていないのだけど。

 

 などと詮無きことを考えつつ、ふと縁側の外に見える庭に視線を向ける。本邸のように鯉の泳ぐ池があるわけでもなく、規模も比べものにならないほど小さな物だが、熟練の庭師の手によって整えられている。

 ブリタニア式の色鮮やかに花咲き誇る庭園も良いが、こうした閑寂な趣きのある日本式も悪くはない。

 けれどその庭も今は降りしきる雨の中でぼやけている。

 梅雨真っ盛りだね。ちなみに梅雨の語源だけど調べてみると諸説あるようだ。

 そもそもは中華連邦から伝わって来た言葉らしく、梅の実が熟す時期に降る雨という説が一般的だが、元々はカビの季節でもあることから黴雨と呼ばれていた。しかしながら語感が悪いため、同じ読みの梅雨に改められたという説。

 また毎日のように雨が降ることから梅の字が当てられたとする説もある。

 日本人がバイウをツユと呼ぶようになったのは江戸時代のことで、「露」が由来となっている説や、梅の実が熟して潰れる時期という意味を込めて「潰ゆ」に由来する説などがある。

 

 閑話休題。

 何れにしろ、長く続く雨に憂鬱な気分になる。気象庁の発表では、よりにもよって今年の梅雨は例年よりも降水量が多いらしい。

 齎される大量の湿気のせいで、髪のセットにも普段以上に時間を取られてしまうのも煩わしいところだ。除湿器ぐらい用意して欲しいところだけど、さすがにそれは高望みだろうね。

 やはり短く切るべきだろうか?

 幸い髪を短くする事に反対するユフィやアーニャも居ないことだし、次に彼女達と再会するまでには伸びているはずだ。

 よし、今度──いつもナナリーの髪の手入れをしている──兄くんに頼んでみるとしよう。

 

 だがしかし、私を悩ませているのは、何も日本特有のうっとうしい季候ばかりではなかったりする。

 何故だか目の前の光景、また出来事に抱く酷い既視感(デジャヴ)が追い打ちを掛ける。

 いや、実のところこの日本の地を踏んだ時から、少なからずそれは感じていたのだけど。

 初めて見たはずの景色、初めて聞いたはずの会話、初めて巡らせたはずの思考。

 だけどその全てを知る私が居る。

 既に一度体験したかのような錯覚を覚えた。

 

 まるで壊れかけのハードディスクから、無理矢理吸い上げた断片的なデータとでも表現すればいいのか、それらは私の意思とは無関係に脳裏をチラつく。

 自分ではない第三者の記憶を追体験しているようで気持ち悪いと感じる一方、懐かしさ、そして愛おしささえ感じてしまう自分が居るのだから始末に負えない。

 誰かの記憶の残滓が何かを訴えかけている、などとロマンチシズムに浸ってみるが、果たしてそんなことはあり得るのだろうか?

 私の思考や記憶、また感情は私──リリーシャ・ヴィ・ブリタニア──だけのモノだ。

 故にやがて収まるだろうと高を括っていた──その実一過性のものだと思いたかったのだけど──が期待は裏切られ、時は解決してくれはしなかった。

 

 いや、悲観するのはまだ早いか。それでも少なくとも、もうしばらくは様子を見つつ、付き合わなければいけないみたいだね。

 原因は皆目見当がつかない……というのは嘘だ。記憶の上書きなんて単語を口にしていたL.L.は、今回の件に関して少なくとも私より状況を理解しているに違いない。

 尤も訊いたところで望むような応えが返ってくるとは思えないけれど。

 逆転の発想でこの状況を利用できればいいが、なかなかに難しい。未来予知と呼べるほど、先の展開を知ることが出来れば話は変わるのだが……。ふふっ、あまりにご都合主義だね。

 

 苦笑を零しつつ、私は視線を前へと戻した。

 視界に映る古めかしい畳の部屋。机の上に広げられた教材、それを挟んで対面に座る妹=ナナリーの姿。

 

「どうかな、ナナリー。理解できた?」

 

「いえ……それが」

 

 私の問い掛けに対し、ナナリーは申し訳なさそうな表情を浮かべて言葉を濁す。

 

「う~ん、まだ少し早かったかな? 仕方ない、もう一度基礎の復習から始めようか」

 

「ご、ごめんなさい、リリーねぇさま」

 

 叱責を受けると思ったのか、酷くビクついた様子のナナリー。

 そんな彼女の髪を私は壊れ物を扱うかのように優しく撫でた。

 触れた瞬間、彼女はびくりと肩を震わせて身体を強張らせたが、害意が無いと気付いてくれたのか、次第に身体から力を抜き、私を受け入れ身を任す。

 

「焦る必要はないよ。時間はたっぷりとあるんだから、ゆっくりやっていこうか。大丈夫、ナナリーならきっとすぐに出来るさ」

 

「でも……ごめいわく、ですよね?」

 

「ふふっ、迷惑なんてとんでもない。ナナリーと過ごすこの時間は、私にとっても無益なんかではないからね。

 それにこんな時だからこそ、私達は手を取り合うべきなんだよ。違うかい?」

 

 優しく言い聞かせるように私は告げる。

 

 ピュアリリーシャ爆誕、などという事は決してない。

 私らしくない言動だと自覚しているが、もちろんこれも思惑があっての行動だ。

 将を射んと欲すればまず馬を射よ。

 つまりは兄ルルーシュとの関係改善のために、ナナリーを懐柔しようというのが狙いだったりする。彼女を味方につければ、あの兄ルルーシュも折れるしかなくなるだろう。

 尤もその成否はあまり重要ではなく、こだわりもない。少しでもこの日本での生活を快適に送りたいが為の私の我が儘だ。

 来るべき日が来れば、例え関係改善が出来たとしても、それは一時の幻となるだろうからね。

 

「何をしている、リリーシャ!」

 

 と、姉妹の触れ合いタイムを邪魔する無粋な声が室内に響く。

 声の主に向けた視線の先、当然そこに居るのは兄ルルーシュだ。

 過保護すぎる我が兄は、自分が留守の間に最愛の妹に接触したことが、甚く気に食わない様子。

 しかし手に夕飯の材料が収められた買い物かごを下げての登場だから妙に締まらない。

 自分達の事は自分達ですると啖呵を切り、枢木家が用意した世話人を断った兄は家事スキルを磨く一方、ポイントカードが使える店や、広告と睨み合い一円でも安い店を探し回っている。もう本当に主婦だね。

 有り難いことに険悪な関係ながら私にも作ってくれる料理の腕は、日を追う事に確実に上達しているらしく、日々のささやかな楽しみとなっていた。

 私への施しはやはり枢木ゲンブからこの離れ家をもぎ取り、住居を土蔵からランクアップさせたことが大きく影響しているに違いない。我ながら良い仕事をしたモノだ。

 もちろん彼の行動には全て、ナナリーの為だという決まり文句が頭に付くのだろうけど、ご相伴に与れるなら不満はない。

 え、私? もちろん手伝っているよ。食器を並べるだけじゃないかって? 失礼だね、残念だけど一通りの家事はできるさ。

 料理だってカロリーや栄養バランスを考えて作れる。それが美味しいかどうかは個人の味覚次第だけど、誰だってセシルよりはマシなものが作れるだろうね。

 

 さて、取り敢えず家事の話は今は置いておこう。

 枢木ゲンブの計らいで兄妹仲は一歩改善されてはいるが、兄ルルーシュは自分の目の届かない所で、私がナナリーに近付くことを許してはいない。

 いや、多分それは全ての人間に言えることだ。

 その根底にあるのは失う事への恐怖か。

 

「何って見て分からないかな?」

 

 やれやれと肩をすくめながら、兄ルルーシュの視線を机の上、そこにある点字の教材へと促した。

 それを見て、彼は心底意外だと言いたげな表情を浮かべる。

 

「これからのナナリーには必要なことだよね?」

 

 尤も失明の原因が精神的なものである以上、完璧にマスターするよりも早く、ナナリーが視覚機能を取り戻す可能性もゼロではないが、福祉技能を習得するという意味において無駄という事もないだろう。

 手に職とまではいかなくても、いずれ役立つ可能性はある。

 

「確かにそうだけど……」

 

「ああ、購入費を気にする必要はないよ。君が嫌うお父様からの施しではなく、私のポケットマネーから捻出したからね」

 

 今回の表向き留学に関して、私達の生活費の名目でブリタニア側から相応の費用が日本政府、もしくは枢木家に支払われている事実は調べるまでもない。

 つまりこうして別段不自由のない暮らし──例え土蔵で暮らしていたとしても飢餓感を感じることは無かっただろう──を送れるのは、間違いなく皇帝陛下の恩情によるものだ。

 だがあの日、謁見の間で自分が何ら力を持たない無力な子供、そして生きた屍だと思い知らされた兄ルルーシュにとって、それは間違いなく屈辱だった。

 生贄や人質と言った立場ではなく、また労働基準法を無視できるなら、自分達の生活費は自分で稼ぐぐらいのことは思っていることだろう。

 でもそれは現実的に考えて不可能。そこで思い付いたのが、経済的なものを除いた自立だったに違いない。世話人を断わり、他者の手を借りることを拒むのは、暗殺や薬物の混入といった杞憂から身を守る以前に、皇帝陛下に対する反発が齎したささやかな抵抗の顕われというわけだ。

 

 まあ、その気持ちを理解できなくもないから、今回私は身銭を切った。もし皇帝陛下から与えられた生活費で購入したと知ったら、きっと拒絶反応を起こし、無駄に話がこじれるだろうからね。

 幸いなことに別人の名義を使い、事前に日本のメガバンクに開設してあった預金口座はまだ生きていたよ。

 といっても同じように少々違法な手段で開設した他国の預金口座とは違い、残高はお小遣い程度。調べてみたが日本国債の購入や国内の株式投資に使用した形跡は皆無だった。

 もちろんその理由には上場企業の多くが、古くから日本経済を牛耳る財閥のグループ傘下に属している。そしてグループ内の企業同士が株式比率51%以上を保有し、絶対多数を堅持しているため、投資家の間であまり活発な取引が行われていない。

 つまり利益を得にくいということもあるだろう。

 ただブリタニア国内の軍事関連株を早い段階から購入している事から考え、かつての私──もしくはL.L.──は帝国の侵略の手が日本に伸びることも読んでいたのかも知れない。

 いや、もしかすれば私達がこうして日本で生活する事すら予測し、必要最低限の活動資金を残していた、というのはあまりに飛躍した考えか。

 

「だけど今のナナリーにとって最も重要なのは、まず傷を癒すことのはずだ。焦ってやる必要なんかどこにもない。身体も心も万全を期して、それからでも遅くないだろ!」

 

 兄ルルーシュの反論も理解は出来る。

 しかし私達の置かれている状況は、それを許さない。

 

「もちろん出来ることなら、それが一番良いだろうね。心が癒えれば視力を取り戻す可能性だって見えてくる」

 

「だったら────」

 

「でも時間は有限だよ? 今はまだいいけど、四六時中片時も離れないなんて現実的に不可能だし、やがて不測の事態が起きて引き離されるかも知れない」

 

 いや、確実に起きる。

 ブリタニアによる宣戦布告、枢木ゲンブによる暗殺決行、はたまた日本と中華連邦の同盟破棄による軍事衝突、それに地震大国日本では自然災害という理由も考えられるか。

 何れにしろ私が自ら動かなくても、少なくとも数年以内にこの国を揺るがす出来事が、確実に起きると考えて間違いない。

 その結果、今の生活を維持することは不可能となるね。

 

「その時、甲斐甲斐しく世話をする君が傍に居らず、君に頼ることしかできないナナリーだったなら、迎えるべき結末は自ずと見えてくる。私が何を言いたいか、賢いお兄様なら分かるよね?

 ああ、それとも兄くんはナナリーを籠の鳥にしたいのかな?」

 

 当然したいんだろうね。

 妹想いの理想的な兄という仮面を身に付け、健気で心優しい純真な妹を自分という檻の中に閉じ込める。

 

「っ、違う! 僕はただ、ナナリーの為を想って言っているんだ!」

 

 反論する兄ルルーシュに対し、私は内心「ナナリーの為、ね」と嘲笑ながら、ただ無言で微笑みだけを返した。

 

 ナナリーの為、それは嘘偽りなく兄ルルーシュの根底に存在しているだろう。

 もし相応の力があれば、彼女を守る為なら世界を敵に回すぐらいのことはするんじゃないかな。

 事がナナリーに及ぶと、途端に視野狭窄に陥るんだから困りものだね。

 でもきっと、それは麗しの兄妹愛などではないと私は気付いているよ。

 彼を突き動かすのは後悔と自責の念が生み出す、途方もなく強い罪悪感。

 

 皇帝陛下に喧嘩を売り、皇位継承権を放棄した行動は、その後の事などまるで考えていない浅はかな子供の癇癪だった。

 皇族が死と隣り合わせであった事実は、ブリタニアの歴史を紐解けば一目瞭然だ。

 ただそれを理解し受け入れる事は普通の子供にはまず無理だろうから、仕方がないと言えば仕方がないのだけど。私ぐらい異常なら……よそう、これは自虐だね。

 結果、捨て駒として日本へ送られる事となる。自らが起こした行動の結果であり、抗う力を持たない以上、それを受け入れるしかない。

 しかし、自分だけでなく最愛の妹まで祖国を追われることになるのは、兄ルルーシュも予見できなかったに違いない。

 もし自分が感情の趣くまま不用意な行動を起こさなければ、ナナリーはブリタニアの最先端医療技術による治療、またリハビリを受け続ける事ができ、後遺症のリスクを最小限に押さえる事が可能だったのではないか。

 彼女のためを想っての行動は、逆に現状よりも良い未来へと続く扉を閉ざしてしまったのではないか。

 自らの行動の正当性に対する疑念は、日に日に大きくなっていったであろう事は容易に想像がつく。

 故にナナリーを守る事は最早彼にとっての義務であり、ある種の強迫観念の域に達してしまっているのだろう。

 尤も傍目から見れば、それは自己満足の代償行為。自分の弱さを、善意を押し付けているだけに過ぎないが。

 

 ところで兄ルルーシュはナナリーを守る事と甘やかせる事は、全く別の話だといつ気付くのだろうか?

 その過保護さは他者に甘える事が当然という認識を植え付け、彼女の自立意識を奪う事に繋がる。

 また兄の求めに応じ、見捨てられることなく寵愛を得続ける為に、いつしかナナリーは健気で心優しい純真な妹の仮面を身に付ける事になるだろう。

 兄妹仲が良いのは決して悪い事ではないが、その先に依存、または共依存の関係が待っているのは目に見えている。

 でも兄ルルーシュの意識改革は難しいのだろうね。どうにもその原因には私が深く関わっているようだし。

 

「ナナリー、お前だって本当は嫌々やっているんだろ?」

 

 私の態度から説得、論破が無理であること悟った兄ルルーシュは、対象をもう一人の当事者であるナナリーに変える。

 彼女なら自分の想いを理解してくれるはずだと信じて。

 けれどナナリーは首を横に振り、その愛らしい小さな口から紡がれた言葉は、彼の望みとは逆のモノだった。

 

「違うんです、お兄様。これはわたしの意思でもあるんです」

 

「ナナリー、どうして……」

 

「お兄様たちのご厚意に、いつまでも甘えるわけにはいきませんから」

 

 肩を落とした兄ルルーシュに対して、ナナリーは諭すように微笑みを浮かべる。

 おやおや、ナナリーの方がよほど大人だね。できればその向上心は忘れないで欲しいよ。

 兄くんも少しは見習ってもらいたいかな。

 などと考えながら、気付けば私の手はナナリーの頭を撫でていた。

 くっ、ナナリー、恐ろしい娘。

 

「というわけで兄くん、邪魔をするなら夕飯の準備にでも取りかかってもらえないかな? 今日も美味しい料理を期待しておくから」

 

「……ああ、分かったよ」

 

 敗北感を感じながら兄ルルーシュは部屋を後にする。

 最愛の妹の意思を尊重しないわけにはいかず、ここは引き下がるしかないだろう。

 

「……リリーねぇさま」

 

 ナナリーが不安げな表情を浮かべて私の名を呼ぶ。

 

「ん? 大丈夫、分かっているよ。兄くんはナナリーの事が大好きで仕方がないんだろうね。尤もそれでこそ兄くんらしいってところかな。少し羨ましいよ。

 さて、そんな兄くんの為に頑張ろうか、ナナリー? ああ、お医者様の許可が出たら、脚のリハビリも始めるとしよう」

 

「はい。でもわたしが頑張るのはお兄様のためだけではありません。こうしてわたしの事を気に掛けて下さるリリーねぇさまに、いつか恩返しができればって思っているんです」

 

 その言葉に私は驚きを隠せなかった。

 いつの間にここまで好感度が上がっていたんだろうか?

 

「ふふっ、その時を楽しみに待っているよ」

 

 ほんと私には勿体ない妹だね。

 無垢で、健気で、ほんと壊したくなるよ。

 

 

 

 

 

     ◇

 

 

 

 

 

 8月某日 晴れ

 

 夏真っ盛りのこの季節、朝も早くから蝉がせわしなく鳴いている。安眠妨害も甚だしいと思うよ。ブリタニア本国よりも湿度が高いため、肌に纏わり付くような暑さを感じるのも煩わしいね。

 思わず扇風機の前を陣取り「あ~」と叫びたくなる。実際にはしないよ?

 

 季候以外の近況報告をしようか。とは言っても私に関しては、妙な既視感に悩まされなくなった事ぐらいだね。日を追うごとに増していた既視感だったが、今となっては過去の事。

 やはり理由は分からないが、時間の経過と共に薄らいでいき、やがては何も感じなくなった。敢えて理由付けるとすれば、私の中にあった第三者の記憶と相違点が増えたからではと考えられる。

 尤もそれが正しいのか判断する術はないが、果たしてその変化は何を意味しているのだろうか。

 気にはなるが、答えの出ない自問を繰り返していても意味はない。

 となれば語るべきは、やはり兄妹達の話になるね。

 

 地元の子供達の暴力から救われて以降、反発しながらも親交を深めていった兄ルルーシュと枢木スザクだが、迷子になったナナリーを一緒に探すというイベントを経て、晴れて友達になったようだ。

 やったね、兄くん。初めての友達だよ。と、思わず我が子の成長を喜ぶ親の気持ちになってしまったよ。

 今では兄ルルーシュの買い物に枢木スザクが同行したり、本来インドアな兄を野山に連れ出して遊んでいる。出会いはアレだったが、ナナリーもすっかり枢木スザクの事を気に入ったようだ。

 枢木家の跡取りである彼が傍に居てくれれば、日本人から理不尽な暴力を振るわれる可能性は格段に低くなるだろう。

 ただ、私に対する枢木スザクの態度は依然素っ気なく、あまり視線を合わせてはくれない。

 この前、顔を両手で掴んで無理矢理視線を合わせようとしてみたのだが、顔を赤くして怒られた。何もそこまで怒る事はないのに。私の美貌にやられたかな、なんてね。

 

 さて、その三人だけど、彼等は今日海に出かけている。日本人にとって夏と言えば海のイメージが強いらしい。本来、生贄である私達兄妹を枢木家の影響範囲外に出したくはないだろうが、枢木スザクが我が儘を通したようだ。

 尤も事故に備えた保険として、誰か一人は残らなければならない。そうなれば話の流れからしても、枢木ゲンブとの交渉相手である私が留守番となるのは当然のことだろう。

 いつもとは違う景色を見る事が出来るのは少々魅力的だったが、海自体にはこれと言って興味がないため問題はない。母なる海には悪いけど、海水も潮風もべた付くからあまり好きじゃない。

 

 ただ、一人部屋の中でゴロゴロしているのも味気なく思い、私は枢木神社の敷地内にある森の奥へと足を踏み入れる。

 目的の場所に存在する小さな溜め池。溜め池といっても常に渓流が流れ込んでいるため、水が濁っている事もない。

 池の畔にある岩に腰を下ろし、素足を水面に浸ける。岩の周囲はちょうど木陰が生まれ、涼を求める私は度々この場所を訪れていた。

 周囲に人の気配はなく、吹き抜ける風が揺らす木の葉のざわめきと、蝉の鳴き声だけが場を支配する。

 一人のんびりと自然を満喫するには打って付けの場所だった。

 監視の目はどうしたって? ただでさえ兄ルルーシュ達に人員を割き、手薄となった監視の目を掻い潜るなんて楽勝だよ。

 もちろん通常の監視体制でも彼等を振り切る事は容易いが、報告を受けている枢木ゲンブは特に何も言ってこない。自殺や逃走の危険性が低いため、枢木神社の敷地外へ出なければ一定の自由は与えてくれるようだ。

 どうせ山狩りでもすれば、すぐに居場所は知れるだろうしね。

 

 足をバタつかせて水を跳ね上げる。

 ああ、水着を用意してくれば良かったかな。残念ながら、さすがに全裸で泳ぐほど羞恥心は欠如していない。

 などと揺れる水面を見つめて考えていると、ガサガサと草木が揺れた。

 自然と視線が音の方へと向く。

 そして茂みから現われた一人の少女と目が合った。

 黒く長い髪、巫女装束を身に纏った小柄な少女。外見年齢から考えて私よりも年下だろう。

 彼女はまるで恐ろしいモノを見たかのような表情を浮かべていた。

 その反応は少し失礼じゃないかな。

 

「こんにちは、お嬢さん。こんな場所で人と出会うなんて奇遇だね。道にでも迷ったのかな?」

 

 取り敢えず私はフレンドリーに声を掛けてみた。

 客観的に考えれば、こんな森の奥に私ぐらいの年齢の子供が一人で居れば、相手も怪訝に思うだろう。

 

「お前は……鬼か?」

 

「鬼?」

 

 少女の言葉に私は首を傾げた。

 鬼、つまり日本のゴブリン。もしくは恐ろしい姿をし、人間に祟りを齎す化物の総称。

 鬼と呼ばれるのは初めてだよ。えっと……彼女から見た私の姿は、一体どんな風に見えているのだろうか?

 

「おじいちゃまから聞いた。お前は鬼じゃな。神楽耶をどうする気じゃ、さらうのか?」

 

「攫うね、私に幼女趣味は無いんだけど」

 

 悲劇のヒロインのつもりなのかな? ごっこ遊びという雰囲気ではなく、結構本気で言っている様子。

 おじいちゃまと呼ぶ人物から聞かされた話を、疑うことなく信じ込んだ純真な子供なんだろうけど。何だろう、このどこ無く感じる厨二感は。

 そういうのは身内だけで十分なんだけどね。

 

「子供を食べるというのは本当なのか? 神楽耶も食べられてしまうのか?」

 

「いくら私が異常と言っても、さすがに人肉嗜食(カニバリズム)なんて嗜好は持っていないよ」

 

「何じゃ、怖がって損した」

 

 少女はほっと安堵の表情を浮かべる。

 その顔に私の加虐心が顔を覗かせた。

 

「人を食ったような事はするかも知れないけどね、ふふっ」

 

 途端少女は脅えたように青い顔で後退る。

 本当に表情豊かな娘だね。

 

「か、神楽耶を食べたら皇家の者が黙っておらぬぞ!」

 

 虚勢を張って少女が告げた。

 同時に明らかになる少女の素性。

 

 皇神楽耶。なるほど、日本を代表する財閥の一つ、家の格ではあの桐原をも凌駕する皇家の人間か。世間知らずな箱入り娘でも頷ける。

 確か枢木スザクの従妹に当たる少女で、祭りや儀式のしきたりを習うために数日枢木家に滞在すると耳に挟んだ事がある。

 となればおじいちゃまというのは皇家とも親交があり、彼女のお目付役とも噂される桐原泰三の事か。

 これは本当に珍しいお客さんだ。

 

「冗談だよ、君を食べたりなんかしないから安心すると良い。鬼は嘘を吐かないから」

 

「そうなのか? う、嘘だったら承知せんぞ! 神楽耶は皇家なんじゃからな!」

 

 家の名を振り翳すとは何とも子供らしい。

 その名が力を持つ事は知っていても、力の使い方は理解していないんだろうね。

 ふふっ、もしかしたらこの出会いは、良い子にお留守番をしている私へのご褒美なのかな。

 

「はいはい、それで皇家のお姫様がこんな所で何かしているのかな?」

 

「……逃げてきたのじゃ。神楽耶はもう舞いを舞ったり、鈴を振ったり、訳の分からないおまじないを読むのは真っ平なのじゃ」

 

 つまりは神楽や祝詞の稽古から逃げてきたという事か。

 

「嫌だったら止めたらいいじゃないか」

 

「え?」

 

「やりたくないんだろ?」

 

「それは出来ぬ……、神楽耶は皇家じゃから」

 

「そう、分かっているじゃないか。それは君が皇の人間である為の義務だ。力を持つための代償としては、むしろ安いぐらいだね」

 

 そう、実体験としては覚えていないけれど、私には力を得るために過ごした過酷な日々の記憶がある。

 思い出したくもない嫌な記憶に胸が痛みを訴える。

 出来るものなら代わって欲しいぐらいだよ。

 

「何の対価も犠牲も払うことなく、力だけを享受し、行使しようなんて虫が良すぎるとは思わないかい?

 君はまずその生まれに感謝するべきなんだよ。どれだけ望んでも一握りの人間しか辿り着く事が出来ない立場に、この世に産まれた瞬間に立つ事を許されたのだから。

 そして改めて知ると良い、君が得る力がどれ程の価値を持ち、何を為す事が出来るのかを」

 

「私の……力……?」

 

 神楽耶は自らの手に視線を落として呟く。

 

「力を得るにしても、手放すにしても覚悟が必要な事に変わりはない。

 だけどもしその上で同じ戯れ言を吐く事が出来たなら、その時は私が殺してあげるよ」

 

 私は微笑みながら彼女に対して殺気を向ける。

 世間から隔絶され育てられた彼女が、今まで一度も味わった事のないような激しい負の感情を。

 

「ひっ」

 

 堪らず悲鳴を上げ、瞳に涙を溜めて神楽耶は身体を震わせる。

 まるで鬼に呪いを掛けられたかのように。

 

「さあ、もう帰った方が良い。怖い鬼の気が変わらない内にね」

 

 そう言って私が殺気を霧散させると、彼女は逃げるように茂みの中へと戻っていった。

 きっと彼女が滞在中にこの場所を訪れる事はもう無いだろう。

 さすがに今回の件が知られれば枢木ゲンブから苦言の一つでも頂戴するかな。それとも妖怪が自ら動くか。

 

 しかし楽しみだね。

 日本最高位の皇家の実質的な跡継ぎ。

 今のままでは矜恃も覚悟もない子供。私の言葉を少しでも理解し、使える人間に育ってくれれば、例え相対したとしても面白い。でも期待はずれだったなら、その時は遠慮なく有言実行させてもらおうかな。

 未来に思いを馳せながら水から足を上げ、用意していたタオルで拭いて靴を履き直す。

 そして────

 

「ねえ、君はどう思う?」

 

 不意に私は問い掛ける。

 けれど答える声はなく、変わる事のない蝉の声だけが響いていた。

 それでも私は続ける。

 

「早く出てきてくれないかな。居るはずのない人間に声を掛けるなんて、まるで私の精神がおかしいみたいじゃないか」

 

 それは強ち間違いではなく、否定は難しいんだけど。

 

「出てきてくれないと、こっちから行くよ?」

 

 太腿のホルダーに収められたナイフを抜く。元々は枢木ゲンブの書斎から拝借したペーパーナイフだが、人間の皮膚程度なら切り裂けるように刃の部分を加工している。

 本当はダガーやコンバットなどの軍用が欲しいところだけど、無い物ねだりをしても仕方がない。カッターナイフよりはまだ格好が付くと諦めよう。

 そして目的の人物が潜むであろう方向へと殺気を飛ばす。

 

「いつから気付いていたんですか?」

 

 感情の乏しい声と共に木の陰から現われたのは、想像していたよりも若い──いや、幼い少年だった。

 思わず触りたくなる羽毛のような柔らかな髪。華奢な身体を包むのはどこか宗教めかしい長衣。こんな夏場に暑くないのかと心配になる。

 

 しかしこの森──私を含めて──子供に人気だね。

 やっぱりカブト虫とか捕れる時期だからかな?

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第35話

 

 私物と言える物が一切存在しない簡素な部屋。ただ寝起きするためだけに与えられたと言っても過言ではない。

 しかし個室であるというだけでも、かなりの好待遇だと理解している。

 だから別段文句はなかった。

 

「嚮主代行様がお呼びだ、付いてきなさい」

 

 部屋の扉がノックもなしに開き、顔を見せた嚮団員の男が淡々とした口調で用件だけを告げてくる。

 それにボクはただ頷きを返し、言われるがままに男の後に付いていく。

 男の態度に一々不満なんて抱かない。それはいつもの事であり、自分の立場は弁えているつもりだ。

 

 通路を進む。途中、すれ違った同年代の子供達から羨望や尊敬、また嫉妬などの感情が込められた視線が向けられる。ただそれに対してボクは、どうでも良いことだと気に留めもしない。

 ボクと彼等は同じ境遇だった。

 ブリタニア国内外から集められたボク達には親が居ない。

 不慮の事故や戦災によって孤児となり、引き取り手が居なかった者。

 双子として生を受けたが、家督争いを嫌った貴族家から追放された者。

 貴族の父親と庶民の母親の間に産まれた、誕生を望まれない私生児だった者。

 単純に親が若すぎた為、または経済面でやむなく手放されるに至った者。

 理由は個々に存在するが、ボク達はこの世界に必要とされない人間だった。

 いや、もちろん例外もある。嚮団関係者同士の間に産まれた子供の場合、親が進んで嚮団に差し出すことも珍しくはない。

 果たしてボクの親はどんな人間で、どうしてボクはここに居るのだろう?

 そう疑問に思わなかったと言えば嘘になるけど、自分の出自に特別の興味はなく、尋ねたことも調べたこともない。

 親の素性を知りたくないのかと問われると少しだけ悩む。きっとそこには知ったところで意味など無いという悲観や諦観があるに違いない。

 何れにしろボクと彼等は同じ境遇ではあるが、それ以上でもそれ以下でもなく、友人だとか家族だとか仲間だとか、そんな感情を抱くことはなかった。

 そんな感情は任務に不要だ。大切なのはあの人のために任務を確実に遂行すること、それだけだよ。

 なのに彼等ときたら……はぁ、どうでも良いか。

 ボクにはあの人がくれた力がある、ボクだけの力が。脆弱な力しか持たない彼等とは違い、あの人が認めてくれるのだから。

 

 絶対停止の結界。

 ボクに発現したギアスはそう名付けられた。

 対象範囲内の人間の体感時間を、有無を言わせず奪い取る強力な力。

 だけどこの能力は嚮団本来の目的である未知の研究には向いていない。研究しようにも、あの人を除いた周囲の人間全てが停止してしまうのだから仕方がない。

 さらには万能な力などないと言わんばかりに副作用が存在していた。何の因果か発動中、ボクの心臓は停止する。その為、長時間の使用や連続使用することは出来ない。

 故に嚮団の研究者達は当初ボクのことを不必要なモノ、価値のない失敗作として扱った。

 そんなボクに価値を見出し、居場所と使命を与えてくれたのもまたあの人だ。

 例えそれが誰かの命を奪う行為だとして、ボクを必要としてくれたあの人が望むなら何だってする。

 

 狭い通路を抜け、荘厳な大広間へと辿り着く。

 いつもあの人から任務を受け取る場所。

 けれど今現在、そこのあの人=嚮主V.V.の姿はない。

 事情を知っている大人達からは「お前が知る必要はない」と説明はなかった。

 Need to know、そんな事は分かっている。

 ただそう告げた男の顔に浮かんだ表情は、ひどく不安感を与える複雑なものだった。

 そして────

 

「あなたがロロかしら?」

 

 本来あの人が居るべきその場所に立つのは──あの人の姿を見かけなくなった頃を前後して現われた──嚮主代行を公言する綺麗な女性。

 その肩書きが示す通り、あの人に代わり嚮団の全権を握っているらしい。

 長い黒髪、漆黒の騎士服、同色のマント。全身黒に身を包んだ彼女は、その美貌に──多くの人心を掌握するであろう柔和で美しい──笑みを浮かべ、ボクに問い掛けてくる。

 

「……はい」

 

 短く端的に応える。

 他の人間がどうかは知らないが、魅力的だろう微笑みを向けられたとしても、ボクが彼女に好意を抱くことはなかった。

 もちろんあの人に代わる立場という事実を、理由も説明されないまま納得できるはずもない。

 でもそれ以上に全てを蔑み、また見下しているかのような瞳に言い知れぬ恐怖感を覚えた。出来れば関わりたくはないというのが本心だ。

 

「あなたに新しい任務に就いてもらいたいの。とある人物の監視なんだけど、お願いできるかしら?」

 

 彼女が是非を問い掛けてくるが、ボクには了承の意を告げる以外の選択肢が無いことは百も承知だろう。

 もっとも問題は別の部分だ。

 

「監視任務、ですか? 暗殺ではなく?」

 

 ボクのギアスは対人戦闘や暗殺に適した物であり、実際に今までだって嚮団運営の障害となる人物や、政界・経済界に影響を与える要人の暗殺を手掛けてきた。

 殺す理由なんて知らないし、殺した人間の数や素性なんて一々憶えていない。そんな事はどうだって良い。あの人がそれをボクに望んだから実行しただけだ。あの人が褒めてくれるなら、それだけで十分なんだから。

 果たして彼女はボクのギアスを、また嚮団内のギアス保持者をちゃんと把握しているのだろうか?

 確か嚮団には相手の意識から自分の存在を消す事の出来るギアスや、自分の事を他人として認識させる事の出来るギアスを保持している者も居ると聞いたことがある。

 彼等の方がよほど監視任務に適しているはずなのだが……。

 裏の意図があるのではと疑いたくなる。

 

「そう、監視。ああ、でも殺しても良いわよ。もしあなたに殺せたらの話だけど」

 

 クスクスと笑う彼女の挑発的な視線が酷く癇に障る。

 殺せたら?

 彼女は何を言っているんだろうか。ボクの任務成功率を本当に知らないのか?

 ボクのギアスの前ではどんなに屈強な男でも、どんなに優秀なSPでも、ただの的に過ぎない。それこそあの人と同じ力、コードを保持してでもいない限り。

 何なら今この場でそれを証明しても良いとさえ考えた。

 ボクの力を疑問視し、また否定する事は、延いてはあの人から与えられた信頼まで否定されたも同じ事だ。

 本当に気に食わない。

 

「それで誰を監視すれば良いんですか?」

 

 ボクのギアスでも殺せないとまで高く評価されている監視対象者に、興味無いはずがない。

 

「ふふっ、今資料を渡すわね」

 

 彼女の指示により嚮団員の男から手渡されたファイルに視線を落とす。

 

「ッ」

 

 開いてすぐに視界に映り込む監視対象者の写真とプロフィール。

 その写真に写っているのは、眼前の女の面影を色濃く受け継いだ幼い少女。歳は自分よりも少しだけ上だろうか。

 彼女の名前はリリーシャ・ヴィ・ブリタニア。

 神聖ブリタニア帝国の第三皇女。

 

 だけどそんな肩書きに興味はない。

 彼女とは既に一度面識がある。

 先日捕縛任務の命を受けた際、向かった先で出会ったのが彼女だった。

 ボクの姿を視界に捉えた瞬間、何故だか分からないが彼女は確かに驚きの表情を浮かべていた。

 いや、正確には驚きだけではない。その瞳からは明らかに他人に向ける以上の感情を抱いている事が窺い知れた。

 そう、それはまるで離ればなれになった親しい者に対して向ける視線のように思えた。

 初対面であるはずの彼女が一体何を想い、どうしてそんな視線をボクに向けるのか分からない。

 皇族様である彼女と嚮団の駒であるボクが、実はどこかで出会っていたとする可能性は境遇的に皆無であり、別の誰かを重ね合わせていたと考えるのが無難だろう。

 だがそれでも、その複数の感情入り交じる彼女の表情は、ボクの脳裏に強く焼き付き、忘れることが出来ないでいた。

 もう一度彼女と接触すれば、何かが分かるだろうか?

 

 

 

 

 

「ねえ、君はどう思う?」

 

 池の水面に足を浸けて戯れ、つい先程まで現地の少女と語らっていた彼女が、突然誰にともなく問い掛けた。

 その声にボクは息を呑む。

 存在を悟られるようなミスは犯していない。気配を消し、一切物音を立てることもなかった。

 過去の任務経験からも、まず気付かれることはないと考えていた為、当然驚きも一層強くなる。

 

“殺しても良いわよ、もしあなたに殺せたらの話だけど”

 

 嚮主代行の言葉が脳裏を過ぎる。

 

「早く出てきてくれないかな。居るはずのない人間に声を掛けるなんて、まるで私の精神がおかしいみたいじゃないか」

 

 彼女が言葉を続ける。

 いや、待て。本当に彼女はボクの存在に気付いているのか?

 監視を警戒し、誘き出すためのブラフという可能性も考えられる。

 ここはもうしばらく様子を窺った方が賢明だ。

 しかしその考えが間違っていると、すぐに思い知らされる。

 

「出てきてくれないと、こっちから行くよ?」

 

 そう告げた彼女は隠し持っていた粗末なナイフを抜き、明らかに場所を特定した上でこちらへと殺気を向けてきた。

 これではもう、彼女は間違いなくボクの存在に気付いていると断定するほかない。

 どうする?

 あくまで今回は監視任務。交戦許可が下りているとはいえ、任務としては失敗だろう。

 だったらここは即座に退くべきだ。

 頭では分かっている。

 だけど彼女に対する興味を捨てきれないボクは、気付けば後ろではなく前へと足を踏み出していた。

 

「いつから気付いていたんですか?」

 

「ん、いつからだろうね」

 

 ボクの問いに彼女は答えをはぐらかすように笑みを浮かべる。

 その表情が嚮主代行と重なって見えたのは何故だろうか。

 そして同時に知る事となる。

 綺麗なお姫様という姿形は同じだけど、あの時の彼女とは別人と思えるほど纏う雰囲気が違っていることに。

 彼女が日本に送られた理由は資料を読んで知っていた。母親の死、それが全ての引き金だった。血の繋がりというモノを持たないボクでも、世間一般的に親族は大切な人間だと理解している。特に親兄弟ともなれば影響は計り知れないだろう。その喪失が人間を変えてしまう事だって十分に考えられる。

 

「しかし奇遇だね。こんな辺鄙な場所で、また君と出会うなんて。

 ああ、何故ここにいるのか、その理由は聞かないよ。君だって聞かれても答えに困るだろ?」

 

 全てを知っていると言いたげな彼女の視線は、まるで思考さえ見透かしているかのようにボクを貫いていく。

 じわじわと嫌な汗が滲み出す。

 果たして目の前の少女は本当にリリーシャ・ヴィ・ブリタニアなのか?

 資料から彼女が『普通』の子供でない事は読み解くことが出来たが、実際の彼女はそれ以上に『異常』に思えた。

 

「ただ、あの山の斜面。君のお仲間かな? 監視役か狙撃手かは分からないけど、あまり優秀ではないようだね。二度ほどレンズに光が反射していたよ、ふふっ」

 

 視線で促され、ボクは指摘された方向へ僅かに注意を向ける。

 ボクに与えられる任務は基本単独任務だが、ボクの力を疑問視する嚮主代行がバックアップを用意していた可能性が無いわけではない。

 もちろん嚮団ではなくブリタニア本国や他の勢力が送り込んだ監視者の線もある。

 何れにしろ、彼等の失態によりボクの存在が気付かれたのかも知れない。本当に良い迷惑だ。

 などと考えていた次の瞬間────

 

「ま、というのは嘘なんだけどね」

 

「ッ、速い!?」

 

 目の前の彼女から注意を逸らした、ほんの一瞬の出来事。

 その僅かな時間で彼女はボクとの距離を詰め、手にしていたナイフをボクの首筋に押し当ててくる。

 彼女の動きはボクが今までに対峙してきたどの人間よりも速く、彼女の身体能力の高さを雄弁に物語っていた。

 彼女が手にするナイフは見たところ、骨はおろか筋さえ断つのは難しく、すぐに折れてしまいそうな代物だったが、頸動脈を裂くぐらいの事は可能だろう。

 けれどまだ血は流れていない。

 

「どうしたんです、ボクを殺さないんですか?」

 

 ボクは即座にギアスを発動できるよう意志を集中させながら問い掛ける。

 想像以上に高い彼女の身体能力に焦りはしたが、最初で最後の好機だった今の一撃で仕留めに来なかったことから、彼女は言葉を交わすことを望んでいると推測する。

 

「君は今、楽しいのかな? 醜い大人達の道具として生きる毎日が」

 

 予期せぬ問い掛けに面を喰らう。

 情報を引き出す為に生かしたのかと思えば、そうではないらしい。全てを知っているのではと感じさせる彼女の態度は、強ち真実だったのかも知れない。

 

「楽しい? そんな感情は任務に必要ありません。あなたはそんな事が聞きたかったんですか?」

 

「まあ、ね。そう任務か……、君にとって特別なことなんだね」

 

 特別……まさしくその通りだろう。

 ボクがボクである為の存在意義であり、あの人との絆でもある。

 

「だったら任務以上に特別なことをしようか、お姉さんと」

 

 吐息が掛かるほど耳元で蠱惑的な声が囁かれる。

 一体彼女はこの状況で何を言っているんだ?

 

「遠慮しておきます」

 

「それはもしかして「そんな小さな胸でお姉さんぶるんじゃねぇ、十年早ぇんだよ」って意味で受け取って良いのかな?」

 

 敢えて言うけど冤罪だ。これが俗に言う被害妄想なのだろうか?

 精神が不安定で本当に相手にしづらい相手としか言いようがない。

 

「そんなこと言われるとリリーシャさん傷付いちゃう、ぞ!」

 

 冗談めかして告げられた直後、首筋に押し当てられていたナイフに力が込められ、その刃は明確な意思を持って皮膚を裂こうとする。

 咄嗟にボクはギアスを、絶対停止の結界を展開させて対抗する。

 

 広がるギアスの呪縛空間。

 結果、彼女の時間は停止し、その身は意思を持たない人形へと成り下がる。

 如何に優れた身体能力、戦闘能力を保持していたとしても、こうなってしまえば訪れる結末は最早一方的なものでしかない。

 

 今まさに自分を殺めようとしていたナイフを彼女の手から抜き取り、逆手に持ったその刃を逆に彼女の白く綺麗な首筋に向けて振り下ろす。

 監視任務だが対象者の殺害は許可されている。

 なら最初からこうしておけば良かったのかも知れない。

 余計な興味を抱くことなく問答など無用で、ただいつも通り、機械的に生命を狩り取るだけ。

 ボクは彼女に何を期待していたのだろう。彼女が向けた視線の意味が分かったところで何も変わらない。ボクにはあの人が居ればそれで良いんだから。

 

 振り下ろした刃の先端が彼女に触れる瞬間、ボクは目を疑う。

 時を止めた彼女が、確かに笑った気がして。

 

 

 

「え────」

 

 刹那、何が起こったのかボクには理解できなかった。

 反転する視界、僅かな浮遊感、全身を襲う衝撃。

 気付いた時、視界に映り込んでいたのは大地であり、口の中に入った砂によって不快感が込み上げる。

 そして背中に加わる重圧と、絶え間ない激しい腕の痛みがボクの行動を阻害していた。

 それらの事実から今ボクは大地に俯せに倒れ、背中を踏み付けられると同時に、腕を捻り上げられているのだと思い至る。

 痛みの程度から考えて肩や肘の関節を外す、もしくは腕の骨を折る寸前まで負荷が加えられているのだろう。

 

「キミは(ギアス)に頼りすぎだよ」

 

 落ちてくる声。

 それは紛れもなく彼女の、リリーシャ・ヴィ・ブリタニアのモノだった。

 

「っ……なんで」

 

 当然とも思える疑問の言葉が自然と口から零れた。

 

 何故彼女は絶対停止の結界の中で動けたのか?

 そもそも何故彼女はギアスのことを知っているのか?

 

「ああ、その顔は不思議に思っているよね。うん、当然と言えば当然かな。

 本来死ぬはずだった私が生きていて、何故かキミの方が無様に地面に這い蹲っているのだから、ふふっ」

 

 どうにか首を動かし、視線の端に彼女を捉える。まるで獰猛な肉食獣のような笑みを浮かべ、ボクを見下ろすその姿を。

 

「キミは無空拳──中華拳法では錬功勁拳とも言うかな──を知っているかい?

 それは気の遠くなるような果てしない反復の果てに、脳はおろか脊髄反射すら必要とせず、拳が拳の意志のみで放たれる、無拍子、無意識、無殺意の一撃。とまあ何とも厨二感漂う技能だね。

 そう言った手前認めたくないんだけど、何を隠そう私もそれに似た技能を体得しているんだよ、これが。

 キミには遠く及ばないが私の家庭環境も少々複雑でね、幸か不幸か特別な技能を身に付ける機会に恵まれていたんだ」

 

 本来ならそんな眉唾な話は軽く聞き流すところだけど、自分が置かれている現状では彼女が語る言葉に耳を傾けないわけにはいかない。

 再度ギアスを発動してこの窮地を脱する事が出来るのか、そして尚も言葉を続ける彼女の意図。またどこまでギアス関連の事を知っているのかを含め、情報を手に入れる必要があった。

 

「私の場合は無意識下での戦闘継続を目的としていてね、文字通り身体に叩き込まれたよ。例え意識を失っても相手の喉元に食らい付くようにって。

 そして意識を手放しても終わらない暴力による強制的な反復教育を受けた結果、自我に代わり肉体を支配する生存本能の賜なのか、無意識下における外敵への対処を可能としたわけだ」

 

 果たしてそんな事はあり得るのかと疑問に思う。

 だが実際に体験した以上、事実を受け入れ、可能だと考えておいた方が良い。

 

「残念だけどキミのギアスは時を止める神の如き力ではない。対象者の肉体を物理的に縛めるのでもなく、大脳に作用して機能を奪い、時が止まっていると錯覚させているに過ぎない。このことは対象者の生命活動を阻害しないことからも明らかだね。

 故に私の身体は無意識下に状態が移行したと錯覚し、その結果として防衛反応を起こした、ということにでもしておこう。少しはキミの疑問を解消できたかな?

 手近な凶器という理由だけでナイフを選んだのは悪手だよ。今度からは必ず銃器を携行した方が良いね」

 

 彼女がボクのギアスを完全に熟知しているのは覆しようのない事実。

 その上で敢えて自分の殺し方を敵であるボクに告げてくる。まるでそれでもなお、お前に私は殺せないとでも言うかのような不遜な態度で。

 ぐっと奥歯を噛み締める。

 絶対にここで殺さなければならない。

 彼女の存在は嚮団の障害となる可能性が高く、何よりあの人からもらったボクの力を否定されたままでは終われない。

 証明しなければいけないんだ。

 距離を取れば良いんでしょ?

 だったら、時よ、止ま────

 

「がっ……」

 

 再びギアスを発動させようとしたまさにその瞬間、まるでボクの身体を踏み抜くかのように彼女は脚に力を込めた。強く大地に押し付けられた事により強制的に肺から空気が吐き出され、それと同時に意識が揺らぎ、ギアスの発動が途切れる。

 

「無駄だよ。ギアスの対処で最も単純にして効果的なのは、発動する前に潰すことなんだから」

 

 誇るわけでもなく、本当に何とでもないように彼女は告げた。

 だがその内容にボクは戦慄するしかなかった。

 

 確かに彼女の言葉は間違っていない。

 ギアスが超常の力だとしても、それを行使するのは生身の人間だ。当たり前のことだけど殺せば死ぬ。効果範囲外からの狙撃や爆殺、毒殺ともなれば確実にギアス能力者を無力化することが出来る。

 けれど生かしたまま無力化を、それも今回のように効果範囲内で対面している状況下で行おうとすれば──もちろん能力にもよるが──恐ろしく困難だと言うほかない。

 だけど彼女は意図も容易く成し遂げ、阻止してみせた。

 ギアスの発動を察知し、ピンポイントで攻撃を加えるという方法で……。

 一体どれだけの人間に同じ事が出来るだろう?

 少なくともボクが情報を得たリリーシャ・ヴィ・ブリタニアという少女には不可能に思えた。

 だからだろう。

 

「……何なんですか……あなたは……」

 

 ボクは思わず問い掛けていた。

 その問いに対して彼女は口角を吊り上げ、三日月のような笑みを浮かべる。

 澄んだ紫紺の瞳がどこまでも吸い込まれていきそうな闇を帯びた。

 不意に吹き抜けた風が木々を揺らし、彼女の長い髪が意志を持っているかのように広がる。

 

「ああ、そうか。私とは初めましてだね、ロロ」

 

 初めまして……?

 

「私はしがないただの魔女さ。そう、少しだけ人より世界を知っているに過ぎないよ」

 

 彼女は自らを魔女と呼んだ。

 それはあまりに似合いすぎていて、違和感など抱くことなく素直に納得してしまう。

 彼女を言い表すには打って付けだろう。

 

 そして魔女は告げた。

 

「ところで、私の事を姉さんと呼ぶ気はないかな?」

 

 はぁ────

 

 

 

 

 

     ◇

 

 

 

 

 

 冬の足音が間近に迫った11月。

 つまりそれはリリーシャ達が本国を離れて、すでに半年以上が経ってしまったことを意味しています。

 本当はもっと早く動き出したかった。けれど頑張った結果、現状ではこれが精一杯でした。

 ですが悲観している暇はありません。ようやく形になり始めたプランを、次のステップに移すために必要不可欠なファクター。

 そんな彼と接触し、交渉するために赴いたのですから。

 

「少しお時間よろしいですか?」

 

 乱雑に物が置かれた研究室の中、PCに向かい一心不乱に作業をしていた白衣の男性に声を掛ける。

 

「ん~、誰ぇ?」

 

 彼はモニターから視線を外すことなく、本当に煩わしげに応えた。

 来客に対応する気など最初から持ち合わせていないのでしょう。

 

「ッ、ロイドさん!? 申し訳ございません、ユーフェミア皇女殿下」

 

 彼=ロイド・アスプルンド博士のマイペースな態度に慌てた女性──アスプルンド博士の研究パートナーである──セシル・クルーミー女史が、すぐさまわたしに頭を下げて謝罪する。

 

「顔を上げて下さい、クルーミー女史。そのような気遣いは不要です。お忙しいところにお邪魔したのはこちらですから」

 

「ホントだよ」

 

「ローイードさん!」

 

 アスプルンド博士を睨み付け、拳を握りしめるクルーミー女史。

 それが二人の関係を物語っている気がします。

 でもわたしにはその光景がどこか微笑ましく見えました。

 

「うふふ、良いのです。博士の人となりは理解しているつもりですから。

 それよりもクルーミー女史。申し訳ありませんが、少し席を外していただけますか? 博士と二人きりで話がしたいのです」

 

「はい、それはもちろん。

 という事なのでくれぐれも、くれぐれも失礼の無いようにして下さいね、ロイドさん」

 

「はいはーい」

 

 念を押す忠告に対して返ってきた気のない反応に、何か言いたそうなクルーミー女史でしたが、わたしの手前それ以上の言及は諦め、彼女は不安げな表情を浮かべたまま部屋を後にしました。

 

「改めて少しお時間よろしいですか?」

 

 仕切り直すように繰り返します。

 しかし返ってきた言葉は────

 

「少しだけ待って下さいね、もう少しで切りの良いところまで行けそうですから」

 

「ええ、分かりました」

 

 時間を無駄にしたくはありませんが、ここで焦る必要はないと自分に言い聞かせ、わたしは近くの椅子に腰を下ろして彼の作業を見守ることにしました。

 真剣な表情で作業を続けるその姿に、不思議と不満を抱くことはありません。むしろ何ものにも左右されない直向きさに好意すら覚えます。

 

「あはぁ、お待たせしちゃいました」

 

 しばらくして作業の手を止めたアスプルンド博士が、こちらへと体を向けて言いました。

 徹夜続きなのか、目の下にハッキリとした隈ができているのが印象的です。

 

「で、本日はどんなご用件ですか、ユーフェミア皇女殿下」

 

「先日、わたしどもリ家がアッシュフォード財団からKMF関連事業の一部を負債ごと買い受ける契約を結び、それに伴い新たな会社を興し、KMF開発に参入する運びとなりました」

 

「あはぁ、アッシュフォード家の凋落は目に見えているのに物好きですねぇ」

 

「あら、そうですか? KMF開発には多くの最新技術が使われていますし、悪くはない買い物だと思いますよ。他国への技術流出を防ぐ手段としても有効ですし」

 

「意外と考えておいでなんですね、殿下」

 

 ロイド博士の目の色が僅かに変わる。

 あながち思慮の浅い子供、箱入りのお姫様と思われていたのでしょう。

 

「はい、こう見えてわたしもブリタニア皇族ですから」

 

 わたしは笑顔で応えます。

 不快感なんてありません。むしろ今は周囲にそう思っていただいていた方が都合が良いですから。

 さて、そろそろ本題に入りましょう。

 

「そこでアスプルンド博士にも、ぜひ新会社にお越しいただけたならと思い、こうして交渉に出向いた次第です」

 

「う~ん、どうしようかなぁ」

 

 考えるような仕草をとってはいますが、乗り気ではないことが彼の全身から伝わって来ます。

 先行きの見えない新規参入の企業に不安があるのは当然理解しています。

 わたしだって最初からすぐに快諾してもらえると思ってはいません。

 

「もちろんプロジェクトの運営、研究開発費の配分、人員の確保には出来うる限り御要望に応えることをお約束致します」

 

「でもシュナイゼル殿下も特別なチーム、特別派遣……何だったっけ、セシルくん──あれ?」

 

 普段通りなのでしょう、クルーミー女史に問い掛け、そこで初めて彼女の姿が無いことに気付いたみたいです。

 報われないクルーミー女史には悪いとは思いますが、自然と苦笑が込み上げてきます。

 

「特別派遣嚮導技術部ですね。わたしも少しだけ耳にしました」

 

「そう、それを組んでくれるって言ってるんだよねぇ。もちろん資金や人材提供とかの話も込みで。

 それにほら、アスプルンド家はエル家の後援貴族だしさ。断るのは難しいんじゃないかな?」

 

 家の格、財力、影響力、皇位継承権順位。それらをシュナイゼル兄様と比較されてしまえば、わたしに勝ち目はありません。

 例えお姉様でも現状太刀打ちできないことは火を見るよりも明らかです。

 それにアスプルンド家はすでにエル家支援を表明しています。もしここでわたしの提案に乗れば、それはまさにエル家への裏切りと言えるでしょう。

 体面を重要視する貴族社会の中で、アスプルンド家の立場は危ういものとなってしまいます。

 分かっています、自分がどれだけ無理な事をお願いしているのか。

 でも私にとってもアスプルンド博士は絶対に必要な人材なんです。絶対に逃がしません。

 だから、卑怯なことでしょうが手段を選んではいられません。

 

「ロイドともあろう人間が殊勝なことを言うね、熱でもあるんじゃないのかい?」

 

 私は彼女の姿、口調を鮮明に思い出しながら、そう告げました。

 

「えっ」

 

 さすがにアスプルンド博士も、それまでのわたしらしくない言葉に戸惑っている様子。

 わたしとしても少し恥ずかしいのですけど。

 

「きっとリリーシャならそう告げたはずです」

 

 彼女の名前を口にした瞬間、彼の表情が僅かに険しい物へと変わりました。

 

「何を言って────」

 

 彼の言葉を遮り、わたしは畳み掛けるように言葉を続けます。

 

「私はロイド・アスプルンドではなく、リリーシャが信頼していた、ただのロイドと交渉しているのです。

 彼女はわたし達の下へ必ず帰ってきます。もちろん、わたし自らが迎えに行くのですから絶対です。

 ですがそれ以降も彼女の歩む道は決して平坦な物ではないと容易に想像が付きます。

 いずれ剣を手に取る時が訪れてしまうでしょう。その日の為に、リリーシャの為に剣を造っていただけませんか」

 

 そう、軍の為ではなく、国の為でもなく、わたしの為でもない。

 全てはただ彼女のために。

 

 わたしは穏やかに、でも威圧ある笑みを浮かべる。

 そして彼に向かって手を伸ばして告げました。

 

「力を貸して下さい。そして共に目指しましょう、黒百合が咲き誇る園を」

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第36話

 

 皇歴2010年8月10日。

 今日この日が、その後の歴史に大きな影響を与えることになると知る者は、現時点ではほんの一握りに限られる。

 この世界に住まう大多数の人間は、いつもと変わる事のない日常を送り、やがてその事実を知ることになるだろう。

 神聖ブリタニア帝国による──太平洋方面軍第七艦隊を主戦力とした──電撃的な日本侵攻、後の世の極東事変。

 それに伴う世界情勢の変化を。

 

 

 

     ◇

 

 

 

 大地を震わせる重低音。

 一斉に飛び立つ蝉の群れ。

 異変を感じた少年達は走り出した。

 この時すでに本能が警鐘を鳴らしていただろう。

 必死に草木を掻き分け、ひまわり畑を抜け、手を取り合って崖を登った先、視界に飛び込んできた光景に彼等は言葉を失った。

 富士上空を埋め尽くした不吉な黒い影、航空機に描かれた獅子の紋章、富士の斜面や地上で煌めく閃光と立ち上る黒煙。

 

 遠い世界の出来事であったなら、と思わずにはいられなかった。

 だけどそれは視線を逸らすことさえ出来ない現実。

 今まさに眼前に突き付けられている戦争の二文字。

 周囲の音が消えていき、真夏だというのに全身が凍り付いてしまったかのような肌寒さを覚えた。

 先程まで感じていた──二人なら出来ないことはないという思いが齎した──昂揚感、将来への僅かな希望が、現実という名の圧倒的な絶望によって塗り固められる。

 

 そして彼等は悟り、理解する。

 輝かしい夏の終わりの日が訪れてしまったのだと。

 

 様々な意味で一生忘れることの出来ない夏。

 打ち込まれた生涯残る楔。

 その最後の1日が、すでに幕を開けていた。

 

 

 

     ◇

 

 

 

 私達が日本に渡り、二度目の夏を迎えた。

 日本での生活にも馴染み、順風満帆とはいかないが、それなりに充実した日々を送れたのではないかと、私はこの一年あまりの生活を振り返る。

 きっとそれは兄ルルーシュや妹ナナリーも同じだろう。

 私が確信を持ってそう言えるのは、やはり枢木スザクの存在が大きい。

 最初はどうなることかと、やきもきさせられる場面もあったが、結果的に彼が齎した影響は兄妹にとって大いにプラスとなった事は言うまでもない。

 

 ライバルと家臣だけだった皇族時代には手にする事が出来なかった本物の友人。

 皇族や皇子という視線ではなく、等身大の自分を認めてくれる数少ない存在。

 そう言った意味では現日本国首相の息子にして、名家枢木家の跡継ぎとして一目置かれていた枢木スザクも同じ境遇であったに違いない。

 掛け替えのない貴重な存在となり、必然的に彼等の中で互いの存在が占める割合が高くなっている事は容易に想像が付く。

 母マリアンヌの暗殺事件以降、他人──もちろんナナリー以外だが──を信用することの出来なくなった兄ルルーシュにとって、それは大きな前進だった。

 

 ただこれは少しばかり善し悪しの判断に困るが、ここ最近の兄ルルーシュは枢木スザクに感化された影響か、柄にもなく無茶ばかりしていた。

 元気に野山を駆け回り、泥だらけになり、生傷が耐えないのは年相応の男の子という感じで微笑ましくも思うのだが、時折見せるその行動力が不安になることがある。

 数ヶ月前の話だが、プロの誘拐犯を二人で撃退したと聞いた時は驚きを抱いた。確かに兄ルルーシュは頭が切れるし、枢木スザクも武道の心得があるのは知っている。

 それでも実戦を知らない彼等が、実際に相対するのは無謀としか言いようがない。相手に危害を加える意図がなかった事は不幸中の幸いだろう。もし暗殺者であったならと思うと背筋が寒くなる。いや、別に彼の身を心配しているわけじゃない。ただ勝手に死んでもらっては困るだけだよ。

 

 そんな事があったというのに、現に今日だって怪我をした小鳥を隣山の巣に帰すと言って、二人はSP達の目をかいくぐり、車輌を強奪して枢木神社の敷地外へ飛び出していった。

 おかげで一時外が騒然としていたよ。彼等の行動力を評価するべきか、それともSP達の無能さを罵るべきか。

 しかし兄くんは抜けている。車の運転に自信があるという枢木スザクだが、彼に運転経験があるはず無いと、ここ日本の法律や境遇から少し考えれば気付くはずなのだけど。きっと車内で肝を冷やしたんじゃないかな?

 いや、今となってはそれどころではなく、程なくすればきっと血相を変えて帰ってくるに違いない。

 

 開幕の号砲は鳴らされた。

 残念だけど別れの時は、もうすぐそこまで近付いている。

 一時の幻想、モラトリアムの終わり。

 訪れた現実に慌てふためき、絶望し、やがて憎悪を抱くことだろう。

 だけど私は違うよ。

 待っていたんだ、この日を。

 この一年ただ無為に時間を潰していたわけじゃない。すでに仕込みの大半は終わっている。

 後は最後にもう一仕事終えれば、心置きなくこの地を立つことが出来るだろう。

 私は自分が居るべき場所に戻る。いや、次のステージに進むと言うべきか。

 

 一際大きな爆発音と共にガラス戸が震え、カタカタと音を立てる。

 その直後────

 

「っ……リリー姉様」

 

 私の腕にしがみ付き、寄り添うナナリーがその手にぎゅっと力を込め、不安げに私の名を呼ぶ。

 視覚を失ったことに伴い、それを補うかのように発達をみせている優れた聴覚により、彼女は視覚に頼ることなく音の正体に気付いているのかも知れない。

 いや、仮にそうでなくても私や兄ルルーシュの妹なのだ。事前の情報や今現在の状況から、起こっている事柄や今後の展開を推察できる可能性は十分に考えられる。というか時間が許す限り、そうなってくれることを願って成長を促してきたつもりなのだけど。

 

「大丈夫だよ、ナナリー。ここに居る限り私達が死ぬことはないから」

 

「でも……」

 

「兄くんだってすぐに戻ってくるはずさ。何たってこんなに可愛い妹が二人も待っているんだからね」

 

 ナナリーの震える肩を抱き、私は言い聞かすように告げる。

 兄ルルーシュの身を心から心配している彼女には悪いが、彼の身の安全は保証されている。少なくとも彼の死は──当然私を含めて──誰のシナリオにも書かれてはいないだろう。

 それこそ神の気まぐれ、運命の悪戯といった誰にも抗うことの出来ない超常の力が働かない限りは。

 

「ふふっ、そうですね」

 

 私の戯れ言程度では決して消える事のない不安を押し殺し、無理矢理笑みを見せてくれるナナリー。

 本当に健気だね。

 

「そうだ、気を落ち着かせる為にハーブティーでも淹れようか?」

 

 ナナリーの負担を軽減させるために、私は彼女の身体を支えながら和室に不釣り合いな──当然彼女の為に兄ルルーシュが用意した──ソファまで誘導しながら提案する。

 未だ視力の回復の兆しは見えない。その一方でリハビリを重ねた結果、杖に頼りながらではあるが、ナナリーは自らの両脚で大地を踏んでいる。他者よりも遅い歩みだが、それは彼女が弱音を吐くことなく続けた、絶え間ない努力の成果だった。

 このままリハビリを継続すれば、視覚機能を取り戻した暁には、杖に頼ることなく歩むことも不可能ではないだろう。

 

「え、はい、ありがとうございます。リリー姉様のお手製ですか?」

 

「そうだよ、嫌かい?」

 

「いいえ、むしろその逆です。リリー姉様が丹精込めて育てたハーブ、わたし大好きですから」

 

「それは光栄だね」

 

 戸惑いを見せつつも最後には若干声を弾ませるナナリーの反応に、思わず口元が緩んでしまう。

 どうにも素直な評価に弱く、視力を失っている彼女の前ではついつい顔に出てしまうようだ。気を付けないとね。

 

 早速台所へ向かった私は用意に取り掛かる。

 ティーポットに入れる茶葉は市販の物ではなく、ナナリーが言ったようにリリーシャさん印のお手製品だ。

 主婦根性をレベルアップさせた兄ルルーシュが始めた家庭菜園。何か趣味でもと思い立った私も、その一角を間借りしてガーデニングに興じることにしてみた。

 植えるのは多目的に使えるハーブと毒草を少々。いや、意外と綺麗な花が咲くんだよ?

 お湯は適温、カップも事前に温めて準備万端。抜かりはない。

 さて、優雅なティータイムと洒落込もうか。おっと、でもその前に隠し味の魔法の粉を一撮み。大丈夫大丈夫、もちろん人体には影響がないから安心して欲しい。

 

「お待たせ、ナナリー。はい、熱いから気を付けてね」

 

「ありがとうございます、リリー姉様」

 

 差し出したカップとソーサーを受け取り、彼女が口をつけるまで見届ける。

 

「お口に合いましたでしょうか、お姫様?」

 

「もう、リリー姉様ったら。いつも通り、とても美味しいです」

 

「それは良かった」

 

 本当に良かった。無味無臭だが、ナナリーはこう見えてなかなかに勘が鋭い娘だからね。

 効果が出るまでしばらく時間が掛かる。

 それまでどうしようか?

 

「今後については我らが愛しの兄くんの帰宅を待ってからにするとして、それまで何を────」

 

「ねぇ、リリー姉様。一つだけ聞いても良いですか」

 

 私の声を遮り、先程まで浮かんでいた笑みなどなく、心痛な面持ちでナナリーが問い掛けてくる。

 

「ん、何かな? 私に答えられることなら答えてあげるよ」

 

「リリー姉様もずっとわたしの傍に居てくれますよね?」

 

 何ともまあ、これは予想外の問いだね。

 私として下手を打った記憶はないのだけど。

 

「どうしてそんな事を聞くのかな?」

 

「それは……リリー姉様がどこか遠くへ行ってしまうような気がして……」

 

 その異常とさえ思える勘の鋭さには驚くと同時に感心してしまう。

 やはり彼女は紛れもなくリリーシャ・ヴィ・ブリタニアの妹なのだろう。

 

「ふふっ、ナナリーには隠し事が出来ないようだね」

 

「ではやはり……」

 

 ナナリーの表情が悲しみに歪む。

 きっと既に彼女は確信を得ていたのだろう。

 それを否定して欲しかったに違いない。

 だけどそれは私が私である以上できない相談だ。

 だから代わりに讃辞を送るよ。

 

「ここ日本での暮らしも悪くはなかった、それは本心から言えることだよ。兄くんやナナリー、枢木スザクが居る慎ましやかな生活。小さくも輝いていた世界。出来ることなら失いたくはなかったかな。

 でもね、私の居場所はそこに存在してはいないんだよ」

 

「っ、どうしてそんな事を言うんですか!?」

 

 ナナリーは蹌踉めきながら立ち上がり、全身から私に対する抗議の意を伝えてくる。その際、彼女の手にあったカップが畳の上に落ちるが、幸い割れることなく転がっていった。割れると後片付けが面倒だからね。

 

 例え目が見えなくても、彼女にとって日本での生活は価値のある思い出。

 それを構成していたパーツの一つ、しかも取り分け重要度の高いパーツであった私に否定されれば、心中穏やかでは居られないのだろう。

 尤も彼女が感じていた私は一時の幻想に過ぎないのだけど。

 

「君はまだ本当の私を知らない。いや、忘れてしまっているのかな?」

 

 そう言って私はナナリーの細い首筋へと手を伸ばす。

 そして指先が触れた瞬間────

 

「ひっ」

 

 咄嗟に私の手を払い除け、後退ろうとしてソファへと倒れ込む。

 

「ふふっ、私は次の戦場(ステージ)へ向かうよ。その気があるなら追ってくると良い。いつでも歓迎するから」

 

「でも……わたしは目が……」

 

「この際だから言っておくよ。ナナリー、もし本当に見たいという強い想いがあれば、再び歩くことが来たように、君の瞳は光を取り戻すことが出来る。勇気を出して弱さに打ち勝てたなら、見たいと望んだモノを見る事が出来るはずだ。

 尤もそうなれば見たくないモノ、目を背けたくなるような現実も直視しなければならない。そう、覚悟はしておいた方が良い。

 何も出来ない愛玩人形、守られるだけのお姫様で居たいのなら無理強いはしないけれど」

 

「そんなの嫌です……でも……でも!」

 

 ナナリーの閉じられた瞳から流れる一粒の涙。

 

「ごめんね、ナナリー。意地悪な言い方だったかな」

 

 私はそっと彼女の頭を撫でる。

 きっと彼女の中に私の言葉は刻まれたはずだ。

 その結果、彼女が変わらなければ、それはむしろ問題ない。

 もし何かが変わったなら、それはそれで面白い。

 どちらにしろ兄ルルーシュが苦労することは変わらないだろうね。

 

「リリー姉様────あれ……どう……して」

 

 何かを告げようとしたナナリーだったが、その瞬間、彼女は自らの身の異変に気付いた様子だった。

 指先の痺れ、混濁していく意識。

 そして彼女の意識は急速に遠退き、夢の中へと旅立った。

 

「おやすみ、ナナリー」

 

 力なくソファに身を預けて眠るナナリーの頭を、私はもう一度だけ撫でる。

 今だけは一時の優しい夢が見られるようにと願いながら。

 

 でもどうしてだろう。

 予定されていたとおりの展開、運命などではなく私自身が望んだ必然だというのに、胸の奥で存在を主張する感情は、紛れもなく悲しみと呼べるモノ。

 『リリーシャ()』らしくもない。

 本当に何なんだろうね。

 

 

 

     ◇

 

 

 

 思考機能さえ奪おうとする焦燥感、そして動揺を押し殺し、ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアと枢木スザクの二人は必死の思いで枢木神社へと戻ってきた。

 肌を焼く夏の太陽光に照らされ、滲み出る汗を拭うことも忘れ、近付く戦乱の足音に急き立てられるように二人は走る。

 そして互いが目指す場所へと続く分かれ道で、彼等は一度その足を止めた。

 

「気を付けろよ、ルルーシュ」

 

「はぁ……はぁ……君もだ、スザク」

 

「ああ、分かってる。じゃあ、また後で」

 

 短く交わした言葉は無事と再会の誓い。

 すぐに二人はそれぞれ自分達の住居へ向けて再び走り出した。

 

 この時、彼等が選んだ選択肢は至極当然の物だった。

 互いに自宅の様子が気になり、家族や知人の無事を心配する。

 何ら間違っているはずもない。

 けれどもし、この時二人が行動を共にしていれば、少しだけ状況は変わっていたのかも知れない。

 いや、知る術のない彼等にとって、それは結果論に過ぎないだろう。

 

 

 

 程なくして自宅である枢木家本邸を視界に捉えた枢木スザクだったが、彼はその場で足を止め、咄嗟に茂みの中に身を隠した。

 自分を落ち着かせるように大きく息を吐き、茂みの陰から様子を窺う。

 見慣れたはずの自宅が今は違って見えた。

 本邸の周囲を取り囲む黒服達、その中には兵士と思われる武装した人間も見受けられる。

 周囲の喧騒や慌ただしさとは程遠い、張り詰めた空気や重圧が場を支配していた。

 

 枢木本邸には今、数日前に東京から戻ってきた枢木ゲンブが滞在中──政府や軍の関係者が迎えに来ていなければの話だが──のはず。

 もしかしたら日本国首相である父から、現状に対して何らかの情報を得られるのではないかと枢木スザクは考えていた。

 もちろんそれは実に子供らしい発想であったと言わざるを得ないが。

 そう、彼は良くも悪くも子供だった。

 だからこそ目の前の光景を理解できない。

 

「……何で……ブリキ野郎が」

 

 彼の視線の先、本邸の警護にあたる黒服達の中に明らかに日本人とは顔の作りが異なる男達の姿があった。

 外国人、しかも今まさにこの国に対して侵略行為を仕掛けているブリタニアの人間。

 目の錯覚だと自分に言い聞かせるには、彼らの存在はあまりに鮮烈すぎた。

 

 既に本邸がブリタニアに占領されている可能性が脳裏を過ぎるが、周囲に戦闘の痕跡はなく、枢木家の配下である黒服達と事を構えることなく──牽制し合っているようには見えるが──相対している点から考えても、彼らに指示を下せる立場の人間に交戦の意志はないのだろう。少なくとも現段階では危うい均衡を保っている。

 

 一体今、家の中では何が行われているのか?

 

 その答えを知るためにこのまま本邸へと向かうべきなのだろう。

 しかし本能は引き返すべきだと警鐘を鳴らし続けていた。

 

「……そ、そうだ。ルルーシュに相談しよう」

 

 戸惑い、躊躇い、逡巡した果てに導き出された結果。

 自分一人では手に余るが、親友である彼と二人なら最良の選択を選ぶことが────

 

「ッ」

 

 だが次の瞬間、枢木スザクはハッと息を呑んだ。

 本邸に存在したブリタニア人。

 だとすればルルーシュ達兄妹が住まう離れ家にも、その手は伸びているのではないかと思い至る。

 そこで改めて枢木スザクは彼らの境遇を思い返す。

 

 人質。

 生贄。

 捨て駒。

 

 忘れていたわけじゃない。

 考えたくなかった。

 認めたくなかった。

 だから意図的に意識を逸らしていたのかも知れない。

 唐突にいつ訪れてもおかしくはなかった別れの日。

 その最悪の結末を。

 

「ルルーシュ!」

 

 どうして彼を一人にしてしまったのか。

 枢木スザクは後悔を抱きながら踵を返し、今来た道を戻る。

 どうしても払拭できない嫌な予感が外れてくれることを切に祈りながら。

 

 

 

 

 

「監視対象B転進、監視対象Aとの接触の可能性大。以上で状況終了。枢木本邸の監視は継続」

 

 茂みから這い出るように駆けだした枢木スザクを見送る監視者の瞳。

 

『了解、引き続き頼んだよ』

 

 通信機から聞こえてくるのは、機嫌の良さそうな少女の声。

 いや、まるで底の見えない得体の知れなさは『魔女』の如く。

 

「はい、姉さん」

 

 監視者は短く応え、与えられた任務に戻る。

 ただその前にもう一度だけ小さくなる監視対象者の背を一瞥する。

 

 彼等が今日この日、枢木神社の敷地外へと出たことは本当に偶然だった。

 たまたま怪我をした小鳥を発見し、自分達の手で巣に帰そうと計画する。

 そこに第三者の手が意図的に加えられた事実はない。

 

 けれど全ては彼女のシナリオ通りに進んでいるのではないのかと恐ろしくなる。

 そして自分を含めた全ての人間が、彼女の手の上で踊らされている道化に過ぎないのではないのかと疑念を抱く。

 どうしても考えすぎだと否定できなかった。

 昨日、彼女は言っていた。

 

“ああ、いよいよだね。ん、何がかって? ふふっ、明日になれば分かるさ、嫌でもね”

 

 まるで誕生日を待つ子供のような楽しげな表情で。

 果たして彼女の瞳は何を映し、一体どこを見ているのだろうか。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第37話

 

「ナナリー!」

 

 乱暴に引き戸を開け、普段はきちんと揃える靴も勢いよく脱ぎ散らかしたまま、最愛の妹の名を呼びながら、ルルーシュは廊下の奥へと進んでいく。

 そして彼女が一日の大半を過ごす居間の戸を開け、その姿を求めて室内に視線を巡らせる。

 お世辞にも広いとは言えない部屋。すぐに視界に捉えた彼女は、ソファの上に力なく横たわっていた。

 その傍に立つもう一人の妹=リリーシャの姿に、彼の不安はピークに達する。

 

「ナナリーに何をした!?」

 

 まさか……との思いが脳裏を過ぎり、思わず声を荒げていた。

 

 この日本に来て、リリーシャは変わったとルルーシュは感じていた。

 少なくともブリタニア本国に居た時よりも、ナナリーに対する姿勢は柔らかくなっていたのは間違いない。

 兄妹仲、姉妹仲の改善の兆しが緩やかにだが見えていた。

 環境の変化が彼女に良い影響を与えたのだと、喜ばなかったと言えば嘘になるだろう。

 しかしそれでも過去の彼女を知る以上、状況が状況であり、彼女の行動に疑念を抱き、邪推せざるを得なかった。

 

 語気を強め、詰め寄ろうとするルルーシュとは対照的に、リリーシャは立てた人差し指を口元に宛がい、年不相応な美貌に穏やかな微笑みを浮かべる。

 

「しー。今眠ったところなんだ。あまり声を荒げてはナナリーが起きてしまうよ」

 

 そう言って彼女はナナリーにタオルケットを掛けると、ルルーシュの方へと体を向ける。

 

「大丈夫だったかい、兄くん。怪我はないかな?

 ああ、すごい汗だね。そうだ、タオルと冷たい麦茶でも持って来ようか?」

 

 ブリタニアによる侵攻、自分達が置かれている状況を理解していないはずがない。

 戦争が始まってしまった以上、自分達に人質としての価値はなくなった。

 つまりこの身に望まれた役割は捨て駒=死。

 だというに普段と変わることなく、平然とした様子で自分の身を案じる彼女に、ルルーシュは毒気を抜かれる。

 

「え、いや……いい」

 

「そう。けれど何か言いたそうな顔をしているね。ああ、麦茶はお気に召さないのかな。でも麦茶以外だと、今すぐに出せるのはハーブティーぐらいしかないのだけど」

 

 戯けたような口調で告げるリリーシャの態度に、ルルーシュは苛立ちを抱いた。

 

「どうしてそんなに平然としていられるんだ。僕達が置かれている状況を────」

 

「当然理解はしているさ。だけど焦りは禁物だよ、焦りは正常な思考を阻害する。ほら、深呼吸でもしてみたらどうだい?」

 

「くっ」

 

 彼女の言われたとおりにするのは癪に思えたが、その言葉が間違っている訳でもなく、一理あるのも事実。

 ルルーシュは呼吸を整える。

 確かに効果はあり、少しだけ周囲を気にする余裕が生まれた。

 そう例えば、目の前の妹がこの日本では一度も身に纏うことの無かった──彼女の魅力を引き立てる──漆黒のドレス姿である事実。

 彼女にとってそれは正装と呼ぶべき姿だった。

 

「既に何か策を用意しているんだな、リリーシャ」

 

 用意周到な妹が、ブリタニアの日本侵攻という日に普段とは違う装いを見せる。

 それは何か彼女に考えがあることを如実に表わしている。

 独自の情報網を有し、人知れず何か動いている節のあった彼女の事だ。ブリタニアの侵攻日時を事前に察知していた可能性だって考えられる。

 

「答えはイエスだよ」

 

 先程までの穏やかな微笑みではなく、含みのある歪んだ笑みを浮かべるリリーシャ。

 

「こんな所で死にたくはないし、死ぬつもりもない。やりたいことがまだたくさん残っているからね。

 故に私は、この機会に本国へ戻ろうと思っているんだ」

 

「なっ、本気で言っているのか!?」

 

 ルルーシュは彼女の告げた言葉に衝撃を受けた。

 

 母を奪い、自分達を棄てた祖国。

 積極的ではないにしろ、自分達の死を望む父親。

 そんな祖国に、あの男の下に戻る?

 

「もちろん本気さ。それで兄くんはどうする? ああ、旅券なら用意するけど」

 

「……帰れるはずないだろ」

 

 可能性の未来を想像し、ルルーシュは呟くように提案を拒絶する。

 もし本国に戻ったとしても暗殺者の影に怯える日々を過ごし、いずれ政治の道具として再び他国に送られる事になるだろう。

 自由など無きに等しい死者としての生が繰り返されるだけだ。

 そんな生に意味はない。

 

「ま、兄くんとしてはそうだろうね。そう言うと思って、既に各方面へ話は付けてあるよ。

 後は私が対価を払えば、兄くんはルルーシュ・ヴィ・ブリタニアの軛から解放され、偽りの自由を手にする事ができる」

 

「一体何を言っている」

 

「ここでお別れってことだよ」

 

 刹那、ルルーシュは首筋に鋭い痛みを覚えた。

 その途端、視界が霞み、身体に力が入らなくなり、自分の意思とは無関係に足下から崩れ落ちる。

 自分の身に起きた出来事をすぐに理解する事は出来なかったが、次に彼女が発した言葉に彼は全てを悟る。

 

「安心して欲しい、ナナリーは兄くんの下に置いていくよ。足手まといは必要ないからね」

 

 嘲笑と共に告げられたのは最愛の妹に対する侮蔑。

 理不尽によって障害を負った妹を弱者だと切り捨てる。

 その姿が脳裏に焼き付いた憎き父親と重なった。

 

「……やはりお前も」

 

 リリーシャを仇敵の如く睨み上げたルルーシュは、遠退き始めた意識を怒りと憎悪によって繋ぎ止め、自由の効かない身体を奮い立たせると、彼女に向かって手を伸ばした。

 

「へえ」

 

 そんな兄の足掻きに対し、リリーシャは感嘆の声を零す。

 

「僕とナナリーを利用し、切り捨てていくというのか。リリィィィシャァァァァァ」

 

 意識を失う間際、呪詛のような叫びを上げたルルーシュの指先は、確かに彼女に触れた。

 

 ──ざ…ざざ……。

 

 世界を侵す強大なノイズ。

 しかしそれは時間すれば数秒にも満たない、ほんの僅かな触れ合い。

 故に誰も、当人達でさえ気付くことは出来なかった。

 異変が齎したその影響を……。

 

 

 

     ◇

 

 

 

 足下に伏せた兄ルルーシュを一瞥した後、私は彼の背後に立っていた体格の良い男へと視線を移した。

 身体のラインにフィットしたスニーキングスーツに身を包み、兄ルルーシュに一撃を見舞った麻酔銃──別命トランキライザーガンを手にしている。

 男の名はウォルグ・バーンスタイン。そう、私達兄妹が初めて日本を訪れた際、本国から同行した案内兼護衛兼世話役であり、何を隠そう数ヶ月前に兄ルルーシュの誘拐未遂事件を起こした実行グループを指揮していたのが彼だ。

 帝国特務局に所属する彼の本来の仕事は、皇族と関係の深い貴族が不埒な行いを起こさないか監視することだが、実は元々彼はアッシュフォード家に仕える人間だった。

 つまりは双方に情報を提供する二重スパイと言える立場だろう。

 ここ日本で暗殺者が接触してこなかったのは枢木家の力だけではなく、影ながら私達を見守っていた彼等の存在が大きい。

 そして凋落を憂いたアッシュフォード家が──栄光と破滅への──切り札として私達の身柄を求め、救出の名目で保護=誘拐を企み、実行に移したことが数ヶ月前の誘拐未遂事件の真相というわけだ。

 兄ルルーシュの誘拐失敗の後、今度は私に接触して来た彼等を介し、アッシュフォード家現当主=ルーベン・アッシュフォードと協議。

 利のないところに利を求めるアッシュフォード家、それ故に交渉は終始順調に進んだ。

 結果、仮初めの平穏の維持と継続に成功。

 しかしその契約もブリタニアの日本侵攻を以て破棄され、アッシュフォード家は兄ルルーシュとナナリーの身柄を手中に収める事となる。

 

「ウォルグ、周囲の状況は?」

 

「はい、外の人間は既に片付けてあります。ご安心を」

 

「ありがとう。しかしあの狸、やはり私の提案を蹴り、本来の契約のまま事を進めたか。

 いや、当然と言えば当然だね」

 

 金も地位も歴史もある貴族と、皇族といえど現時点では生命さえ危うい小娘。

 社会的評価や実効性を秤に載せて比べれば、どちらに傾くかは明白だ。

 私としては将来性に賭けて欲しかったところなんだけど、今さら言っても仕方ないことだね。

 既に彼は自らの行く末を選択してしまったのだから。

 

「もし兄の友人が訪れた場合の対応だけど」

 

「万事心得ております」

 

「部下にも徹底させておいてね。万が一にも傷付けるような真似は厳禁だよ。

 で、残る準備は?」

 

「既に桐原翁とは話が纏まり、こちらの動きを待っている状態です」

 

「そう……」

 

 誘拐失敗の際、ウォルグ達はその存在を桐原泰三の配下に知られてしまう。枢木ゲンブの配下でなかったことは、私にとっても不幸中の幸いと言えた。他人のミスで余計な警戒感を持たれては堪ったモノじゃないからね。

 枢木ゲンブの暴走に勘付き、不信感を募らせ、危機感を強めていた桐原泰三は彼等に利用価値を見出した。

 敵の敵は味方などという甘い考えは通用しない。

 それでも利害関係の一致は大きかった。

 私達の扱いについて苦慮していた節もあり、双方にとってメリットのある契約が結べたことだろう。

 

「じゃあ、後のことは任せたよ」

 

「イエス、ユア・ハイネス」

 

 私の行く末を案じてか、複雑な表情を浮かべるウォルグ。気にする必要なんてないのにね、これは私が望んだ選択なんだから。

 彼に見送られ、私は兄妹に再び視線を向けることなく足早に玄関へと歩みを進める。早くしないとこの場で彼と遭遇なんて事になり兼ねないからね。

 お気に入りの軍靴を履き、玄関から一歩外へ踏み出した私はそこで足を止め、背後へと振り返る。

 一年あまりを過ごした小さな離れ家。もう二度とここに戻ってくる事はないだろう。

 これは感傷?

 いや、違う。一種のけじめ、儀式のようなモノだ。

 

「行ってきます」

 

 そう告げて私は駆け出した。

 未来への扉を開くために。

 

 

 

     ◇

 

 

 

 走る、走る、走る。

 青ざめた顔を引き攣らせ、焦燥感に急き立てられ、圧し潰されそうになりながら、ただ一心に走り続けた。

 感情によって掻き乱された思考は一向に纏まることはない。

 急げと告げる衝動に身を任せ、前だけを向いて、前だけを目指す。

 

 古く小さな建物が見えてくる。

 親友のルルーシュ、皮肉屋で可愛げのないリリーシャ、健気で心優しいナナリーの三人が住まう離れ家。

 外観に目立った変化はなく、その周囲に人の姿もなかった。

 思い過ごしならそれに越したことはないが

 戸が開いたままの玄関から中へ飛び込む。

 

「ルルーシュ! リリーシャ! ナナリー!」

 

 名を呼ぶ声は悲痛な叫びとなる。

 

「どこに居るッ、返事をしてくれ!」

 

 だが応える声はなく、離れ家の中は不気味な静寂に包まれていた。

 おかしい、ルルーシュはどうした?

 玄関に脱いだ靴があったことは確認している。なら家の中に居るはずだというのに。

 脳裏を過ぎる最悪の光景を否定し、スザクは警戒しつつ奥へと進む。

 

「ルルーシュ! 俺だ、スザクだ! 居るんだろ!」

 

 声の限りに叫んだ。

 

「────」

 

 居間の方から呻くような声が聞こえた気がした。

 その声に誘われ、居間に入ったスザクが見たのは、畳の上に倒れたルルーシュの姿だった。

 

「ッ、ルルーシュ!? しっかりしろ!」

 

 すぐに駆け寄り、スザクはルルーシュの容態を確認する。

 目立った外傷はないが、その瞳は濁り、焦点が合っていないようだった。

 何らかの薬物を投与された可能性が高い。

 だけどそれが何なのか、どう対処すればいいのか。残念ながらスザクに知識はなく、当然知る術もない。

 

「……スザク」

 

「一体何があったんだ!? 誰にやられた!?」

 

「……ナナリー……は……」

 

 問い掛けに返ってきた答えは、彼が最も愛する妹の身を案じるものだった。

 その言葉にスザクはハッとする。

 咄嗟に視線を上げ、周囲の様子を確認し、ソファの上に横たわるナナリーの姿を視界に捉える。規則正しく上下する胸元、穏やかな表情は彼女が深い眠りに落ちていることを物語っていた。

 

「安心しろ、ナナリーは無事だ」

 

「……そうか」

 

 スザクの言葉にルルーシュは安堵の表情を浮かべる。

 だが────

 

「答えてくれ、ルルーシュ。何があったんだ! それにリリーシャは」

 

「……リリーシャ」

 

 この場に居ないもう一人の住人の安否を気に掛けるスザクだったが、彼女の名を耳にした瞬間、ルルーシュの表情は一変する。

 その瞳に宿るは烈火の如き怒り。

 

「……リリーシャ!」

 

「お、おいっ!? 無茶だ、ルルーシュ!」

 

 突然ルルーシュはスザクの腕の中で藻掻くように暴れ出し、まるで力の入らない身体を無理矢理起こそうと試みる。

 けれど願いは叶わない。震える腕では上半身を支えることも出来ず、その身体は再び畳の上に崩れ落ちた。

 

「どうした、リリーシャの身に何かあったのか!?」

 

 ルルーシュの予期せぬ行動に、少なくともリリーシャが関わっていることは間違いない。

 この場にその姿が無いことからも、彼女の身に何か起こったとスザクは悟る。

 最悪の場合、彼女が最初の生贄に選ばれた可能も否定できない。

 だとすればルルーシュの状態は、彼女を連れ去った何者かと遭遇してしまった結果なのだろう。

 もしかすればナナリーも同じように何らかの薬物を使用されているかも知れない。

 

「スザク……! あいつを……リリーシャ……を……」

 

 ルルーシュの言葉、願いが途切れる。

 完全に意識を失っていた。

 並外れた精神力を持つ彼も、疾うに限界を迎えていたに違いない。

 

 ルルーシュは自分に何を願ったのか?

 

 決まっている。

 この状況で家族想いの彼が願うことなど一つしか思い付かなかった。

 妹であるリリーシャに対しても一線を引いている事は知っている。

 自分の知らない事情があるのだろう。

 それでもこの一年傍で過ごした上で、互いを憎からず思っているように感じていた。

 兄妹の絆とでも言うのか、一人っ子のスザクには羨ましくも思えた。

 故にスザクは親友の想いをくみ取り、そして誓う。

 

「分かったよ、ルルーシュ。リリーシャは俺が必ず────守る!」

 

 

 

 

 

 リリーシャを、いやルルーシュ達兄妹を守るためにはどうすれば良い?

 ブリタニアとの戦争を止めるためには?

 

 力。

 そう、力が必要だった。

 誰かを守るためにも、自分の身を守るためにも。

 だからスザクは力を手に取った。

 一振りの刃を。

 

 日頃から武道の稽古に通っている道場。

 そこに飾られていた日本刀。

 かつて彼が秘密基地の土蔵で見つけた刀。

 厳重に保管されていても、鍵の置き場所を知っているスザクには無意味だった。

 

 握り締めた凶器。それだけで何倍も強くなったように思えた。

 使命感に突き動かされ、込み上げる不思議な昂揚感は狂気を孕む。

 だけどそれが錯覚に過ぎないと、すぐにスザクは気付かされる。

 

 枢木本邸の広々とした玄関を抜け、廊下を奥へと進んでいく。

 長い廊下の突き当たりに、彼が目指す場所=父枢木ゲンブの書斎へと繋がる──和風の屋敷には不釣り合いな──装飾の施された両開き扉は存在していた。

 だがその扉の前には、彼の行く手を阻むかのように一人の男が立っていた。

 濃い緑色の軍服、携えられた軍刀、鋭い刃物を連想させる凛然とした長身の男。

 

「……藤堂先生」

 

 スザクは男の名を呟いた。

 対峙することになると予想してはいなかったが、別段驚きもなく受け止める。

 

 日本軍中佐、藤堂鏡志朗。

 日本国首相=枢木ゲンブを支える側近の一人として数えられることもあるが、その実、桐原泰三の懐刀であり、枢木ゲンブに対する目付役として送り込まれた人材。

 もちろんその事実をスザクが知る由もない。

 スザクにとっては武術の師であると同時に、年の離れた兄、または父のような敬愛すべき存在だった。

 

 だからこそ自分の前に立ち塞がる藤堂に対し、それが自分勝手な考えだと分かっていても、スザクは裏切りにも似た思いを抱く。

 

「そこをどいて下さい」

 

「残念だがそれは承諾できない。部屋に誰も入れるなと命を受けている以上、例え君でもだ、スザク君」

 

 感情的なスザクとは対称的に、藤堂は静かにそれでいて威圧感のある口調で応える。

 

「父さんに話があるんです。だから────」

 

「刃を手にしてか」

 

「…………」

 

 もはや問答無用だと悟ったスザクは、無言のまま鞘を握る手に力を込める。

 そして────

 

「そこをどいて下さい」

 

 収められた刃を解放した。

 それを見た藤堂は僅かに悲しげな表情を浮かべ、またすぐに戻した。

 

「一度抜いた真剣は血を見なければ納まらない。以前私がそう口にしたのは覚えているかな」

 

「はい」

 

「同時に言ったはずだ、覚悟を決めておくべきだと」

 

「覚悟はしています」

 

「そうか、ならばもう何も言うべきではないのだろう。だけど理解するべきだ、己の覚悟がどの程度のものなのか」

 

 そう言って藤堂はゆっくりと軍刀の鍔に親指をあてがい鯉口を切る。

 半瞬、空気が変わった。

 

「っ!?」

 

 それだけでスザクは動けなくなる。

 動けば斬られる。

 本能的に悟った。いや、強制的に思い知らされたと言うべきか。

 背筋に氷の刃を突き立てられたかのように、急速に興奮によって生じた熱が奪われていく。

 

「判ったかい、スザク君。これが現実だ」

 

 畏縮し、身体を硬直させる愛弟子を気遣うように藤堂は声を掛ける。

 恥じることなどない。

 彼はまだ子供であり、もし自分が同じ立場だとしても同じだったに違いない。

 けれど己を理解する事で、きっと彼は自分以上に成長するという確信があった。

 

「はは……確かに俺の覚悟はこの程度なんでしょうね」

 

 凶器という紛い物の力を手にして気が大きくなっていただけだと自覚。

 身の程を知れ、そう言われた気がしてスザクは自嘲する。

 それでも彼の瞳は覇気を失ってはいなかった。

 

「でも!」

 

 スザクは自らを奮い立たせ、前に一歩踏み出す。

 

「あいつに、ルルーシュに約束したんです。リリーシャを守るって。

 ルルーシュの想いや覚悟も背負って俺はここにいるんです」

 

 二人分の覚悟。そう、一人では無理でも二人なら出来ないことはない。

 

「だから!」

 

「……スザク君」

 

 抗いを見せたスザクに対する藤堂の思い。

 それは想像を上回る事への驚きでも、成長に対する喜びでもなく、憐れみに近いモノだった。

 

 銃声────

 

 仕事柄機密情報を扱い、また密談を交わすこともある枢木ゲンブの書斎は防音性に優れていた。

 しかし、その音が二人が対峙する扉の内側から聞こえた事は紛れもない事実。

 

 その音にほんの一瞬藤堂の意識がスザクから逸れる。

 刹那、戒めを解かれたスザクは手にする刃さえ投げ捨て床を蹴った。

 

「駄目だ、スザク君!」

 

 藤堂の制止を振り切り、扉を壊さんばかりの勢いで父の書斎へと飛び込む。

 そして室内に広がった想像を絶する光景に言葉を失った。

 

 

 

 室内に入った瞬間に嗅覚が捉えたのは、胃の内容物が込み上げそうになる程に濃厚な血の匂い。

 赤黒く変色した絨毯の上に転がる複数の人間。

 その中に見つけた父の姿。拳銃を手にしたまま、胸には深々とナイフが突き刺さった状態で横たわっていた。

 離れた場所からでも彼が絶命していることは疑いようがなかった。

 

「遅かったね、枢木スザク。残念だけど別れの言葉はもう間に合いそうもない」

 

 室内に響く幼くも蠱惑的な少女の声。

 スザクの視線は自然と声の主を求めた。

 

 凄惨な現場の中心に立つリリーシャ・ヴィ・ブリタニア。

 返り血か、白い肌を赤く染めた彼女は、いつもと何も変わることなくそこに居た。

 そう、狂気に満ちた──存在するだけで頭がどうにかなりそうになる──この空間で声音も、表情も、立ち姿も普段と変わらない。

 むしろソレは異常。まるで理解する事が出来ない。

 故にスザクは疑問、そして恐怖にも似た感情を抱いた。

 

「……何があったんだ」

 

 守ると友に誓った少女。

 救い出し、兄妹達の下へ連れ帰るつもりでいた。

 けれど彼女はこの惨劇の舞台で、ただ一人生き残る。

 

「聞きたいのはそんなこと? 君だって本当は分かっているんじゃないのかな。きっと真実は君の考えているとおりで間違いないよ」

 

 スザクの心の内を手に取るように見透かしているとでも言いたげなリリーシャ。

 

「っ……本当に君が殺したのか、父さんを」

 

「そうだよ」

 

 核心を問うスザクに対して、リリーシャは事も無げに肯定し、剰え笑みさえ浮かべて見せた。

 その言葉を耳にしたスザクは、握り締めていた拳にさらなる力を込めた。爪が掌に突き刺さり、皮膚を裂くが、気にする余裕などなかった。

 

 父の姿を目にした瞬間から予想はしていた。だからといって気持ちの整理などつくはずもない。

 喜び、安堵、怒り、悲しみ、喪失感。嵐のように去来する様々な感情が複雑に絡み合い、スザクは感情の渦に呑み込まれ、口を開けど返す言葉が出てこない。

 

「尤もこれは一種の正当防衛、過剰だと逆に訴えられそうだけどね」

 

 戯れるようにリリーシャは言葉を続ける。

 

 正当防衛。

 それはスザクも理解している。

 ルルーシュ達兄妹はこの国を訪れた瞬間から生贄として、いつ訪れるか分からない死の影に脅かされ続けていた。

 いや、ブリタニアに居た時からその命を狙われていた可能性が高い。現に彼等の母親は何者かによって暗殺されたと聞かされた。

 理不尽に齎される死。

 それに抗うことは人として、生物として当然の事だと言える。誰だって望まぬ死を無条件で受け入れることなんて不可能だ。

 その結果が目の前の惨状なのだろう。

 彼女一人の力でこの惨状を生み出したことは想像すら出来ないが、既に事実として現実に刻まれている以上、認めないわけにもいかない。

 

 それでも何故だと思わずには居られなかった。

 

「どうして……」

 

 こんな事になってしまったのか?

 世界はもっと温かで、輝いているはずなのに……。

 

「一言で言えば取引かな? 自由を得る対価として、私は売国奴の始末を命じられた。

 そう、日本をブリタニアに売ろうとした枢木ゲンブの殺害を」

 

「父さんが……日本を? なっ、出鱈目を言うなッ! 父さんは────」

 

「徹底抗戦を唱えていた愛国主義者? 違うよ、それは単なる対外的なポーズさ。

 この国とブリタニアとの関係を悪化させ、対立を煽り、ブリタニアの軍事侵攻を誘発させたのは他ならぬ君の父親なんだから」

 

「嘘だ!」

 

 スザクにとって彼女の言葉は到底信じられるものではなかった。

 家庭を顧みない父親ではあったが、自身の仕事には誇りと熱意を持って取り組んできたはずだ。だからこそ日本国首相という地位にまで上り詰めることが出来たのだと。

 

「マスメディアを利用した反ブリタニア世論の構築。サクラダイトの分配率の恣意的な操作。EUや中華連邦を利用したブリタニアへの制裁、経済封鎖、国際社会からの孤立化」

 

 リリーシャは淡々とした口調で、枢木ゲンブが影で行ってきた対ブリタニア政策を挙げていく。

 

「そして日本に対する彼の裏切りを証明する上で、最大の証拠となり得るのが今この場に彼が居たという事実だよ」

 

 他国が領海や領空を侵犯した時点で官邸や国防省、軍上層部などから国家の長たる枢木ゲンブに連絡が入る。

 しかもそれが日本軍が常日頃の訓練や演習で仮想敵国としているブリタニアの艦艇や艦載機だとしたらどうだろう? それも一機や二機ではない。

 一触即発とも言えるほどに悪化している両国関係を慮れば、最悪の事態も想定し、非常事態宣言の発令を検討すると同時に危機管理体制を即時強化。各閣僚を官邸に緊急招集する立場にあったはずだ。現に彼の下まで逐次報告は上がってきていた事実がある。

 

「本来ならすぐに滞在を切り上げ、東京に戻る必要があったというのにね。官邸は慌てたことだろう。いや、現在進行形で慌てふためいているかな。他国が攻めてきたというのに国家の代表が不在で、連絡さえ取れないんだから」

 

 首相という立場に課せられた責任と義務を放棄した枢木ゲンブの行動。

 それは紛れもなく国民に対する裏切りであった。

 

「前者に関しては調べて簡単に出てくる証拠を残すほど無能でもないようだけど、彼の側近の何人かは既に口を割っているそうだよ。詳しい事は桐原翁にでも聞いてみると良い」

 

「桐原のお爺ちゃんに?」

 

 しかしスザクは要領を得なかった。

 彼にとって桐原という名の好々爺は、古くから枢木家と付き合いのあるお金持ちのお爺さん程度の認識に過ぎない。

 

「そう、サクラダイト利権を牛耳る桐原産業創設者=桐原泰三。世界にその名を知らしめる日本の最大権力者にして、枢木政権発足の立役者であり、この国の影の支配者」

 

 祖父のような存在だった好々爺の意外な正体を知り、スザクは戸惑いを隠せない。

 そして続くリリーシャの言葉にさらなる衝撃を受ける。

 

「そして私の取引相手だよ」

 

 つまり彼女に父親の殺害を命じた人間。

 

「君の父=枢木ゲンブは古くから続く日本の支配体制からの脱却を望んだ。尤もそれは支配する側が桐原を始めとする財閥から、ブリタニアという国家に変わるだけなんだけど、よほど現状の立場に甘んじることが嫌だったんだろうね。

 そこで私達兄妹の命と引き替えに、また日本の統治権を差し出すことでブリタニアの爵位を手にする。

 その後、ブリタニアのエリア制度──屈服させた敵国の富裕層を利用した間接統治──により、傀儡ではない本当の支配者として日本を手中に収める計画を立てたというわけだ。

 当然それを知った枢木ゲンブ最大のスポンサーである桐原翁は、飼い犬に手を噛まれたと思っただろうね。裏切りには粛清をと思うのは至極当然のことだよ。

 しかし既に刃が抜かれている以上、もはやブリタニアとの開戦は避けることが出来ず、彼我の戦力差から勝利も不可能ときている。

 ならばと考え出されたのが、裏切り者である枢木ゲンブの死の利用さ。

 国民のためを思い、降伏を決意。徹底抗戦に突き進む強硬派の軍部を諫めるために自決する。なんとも安直なカバーストーリーだけど、それ故に大衆にも分かり易い。

 これで戦力を温存したまま敗戦を迎え、未来の反抗へ繋げることができるというシナリオだ。何も知らず戦わせられ、命を散らす将兵にとっては堪った物ではないけどね。

 そしてさすがと言うべきか、老獪な桐原翁はさらなる搦め手を思いついた。

 それがブリタニア皇族による日本国首相の殺害だよ。枢木ゲンブの死は自殺ではなく実はブリタニア人、それも皇族に連なる者に殺められ、その結果日本が降伏に傾いたと知ればブリタニアに対する憎しみは募り、戦意昂揚のカードとして使えるからね。いやはや深慮遠謀とはまさにこういう事を指すんだろうね。

 さて、長々と語ったが少しは君の中にある疑問の解消は出来たかな?」

 

「……出来るわけないだろ」

 

 リリーシャの問い掛けにスザクは弱々しく呟いた。

 ブリタニアの侵攻から始まった衝撃の展開の連続。

 齎された様々な情報の処理が追い付かない。

 

「まあ普通はそうだろうね。ああ、ちなみに君の傍で死体と化している男はウィリアム・ハイネベルグ。

 君の父親が密約を交わした相手であり、私怨によって私達兄妹の死を望んでいたブリタニアの貴族様。君にとって父親に取引を持ちかけ、その命を失わせる要因の一つとも言える存在。

 一目散に逃げ出そうとするものだから、洗いざらい情報を吐いてもらう暇もなく殺してしまったよ、ふふっ」

 

 リリーシャの言葉に促されるように、スザクは背後から一突きされ絶命している男に視線を落とし、込み上げた行き場のない怒りと共にギリッと悪罵を噛み殺す。

 

「本当にこの世界はままならないよ。力なき私達は欲深い大人達のシナリオに踊らされることしかできない。

 ね、貴方もそう思うだろ、藤堂鏡志朗?」

 

 いつからそこに居たのか、部屋の入り口に立つ藤堂鏡志朗へとリリーシャは問い掛ける。

 だが応えは返ってこない。

 

「ふ~ん、黙りか。そうだ、枢木スザク。もう一つだけ教えてあげるよ。君が師として敬愛する藤堂先生は桐原翁の懐刀であり、枢木ゲンブに対する人質とするために君に近付いた男だ。あまり信用しない方が良い」

 

 リリーシャは悪戯っぽい笑みを浮かべて告げる。

 

「……藤堂先生?」

 

 スザクが藤堂に向けた視線は疑いではなく、何を信じて良いのか分からないと言いたげな切ないモノだった。

 

「っ、魔女が」

 

 この場で何を言っても言い訳にしかならず、無駄だと悟った藤堂は憎々しげに吐き捨てる。

 一方、してやったりと上機嫌なリリーシャは、軽やかな足取りでスザクへと歩みより、

 

「ねぇ、スザク。君がこの場を訪れた理由を私は理解しているつもりだ。だからありがとう、嬉しかったよ」

 

 感謝の言葉と共に彼の頬に口付けする。

 

「え、あ……」

 

 これは感謝の気持ちだよ、とはにかむリリーシャの姿にスザクは戸惑いを隠せない。

 

「でもね、今はまだ君が手を汚す必要はない。君は英雄になれる男だ、悪い魔女から世界を救った英雄に」

 

 果たして予言か妄言か。

 それは誰にも分からない。

 けれど何故か『英雄』という響きには、戯れ言だと一蹴できない力があった。

 まるで魔女の呪いとでも言うかのように……。

 

 

 

     ◇

 

 

 

 一仕事終えた私は身を清め、枢木本邸の縁側に座り、目の前に広がる枢木家自慢の広大な庭を眺めながら髪を乾かしていた。

 これで私は晴れて自由の身だ。もし契約を反故にされたなら、あの場で藤堂鏡志朗に斬られていただろうから。それを確認するための挑発でも、彼は刃を抜くことはなかった。

 だとすればじきに訪れるであろう迎えを待つしかない。もちろん迎えが来ない可能性が無いわけではないが、その時はその時に考えよう。

 用意されたお茶を啜りつつ茶菓子をつまむ。

 うん、最初は躊躇いを抱いたが苺大福もなかなか悪くはない。

 私は蝉の声と爆撃音をBGMにまったりとお茶を楽しんだ。

 

 砂埃を舞い上げながら軍用V-TOLが降下してきたのは、それからしばらく後のこと。

 形式はブリタニアの物だが、機体にブリタニアの紋章が描かれていない事から──ブリタニア機に偽装した他国の所属機の線も考慮し──私は僅かに身構える。

 尤もそれは単なる杞憂だったのだけど。

 

 ハッチが展開し、最初に降りてきたのは完全武装した兵士達。彼等はよく訓練された動きでV-TOLの周囲へ散っていき周囲の警戒へあたる。

 周囲の安全を確認し、次に降りてきたのはメイド服姿の侍従だった。何を思ったのか彼女は手早く絨毯を私の目の前まで敷いていく。

 そして最後に姿を見せた白き姫。私の婚約者を自称する異母妹=ユーフェミア・リ・ブリタニア。この一年で少しばかり身長は伸びたようだが、その愛らしさは微塵も失われては居なかった。

 そんな彼女が纏うのは戦時下に、また軍用機に不釣り合いな純白のドレス。多用されたフリルや頭に載るヴェールが、まるで花嫁衣装を連想させる。

 いやいや、ちょっと待って欲しい。まさか、ね?

 彼女は私の姿を捉えるなり、猛然と駆け寄り、飛び付いてきた。

 

「っ、ユフィ」

 

「リリーシャリリーシャリリーシャリリーシャ! ああ、夢にまで見た本物のリリーシャです。この瞬間をどれほど待ち望んだことでしょう。もう、わたし────」

 

 彼女は感涙を零しながら興奮した様子で私を強く強く抱きしめる。

 純粋に求められるのは悪い気分ではない。

 だけど……。

 

「ちょっ、ユフィ。ひゃ…ん……どこを……もぅ……やめ……」

 

 とても手つきがいやらしかった。

 離れていたこの一年あまりで彼女は一体何を学んだのだろう。

 何故だか恐ろしくなってくる。

 

「あぁ、忘れもしないこの芳潤な香り」

 

 首筋に顔を埋めながらそんな事を宣って下さる妹姫様。

 もちろんボディケアは万全で血臭を残すような愚は侵していないつもりだが、むしろ死の香りを漂わせている方が私らしいのかも知れない。

 引き返す道なんて既に失っているのだから。

 

「ぺろぺろは後の楽しみにとっておきましょう。でも少しぐらいなら……」

 

 艶を含んだ声、生唾を飲み込む音が聞こえてくる。

 一体何をするつもりなのかな?

 

「落ち着いて、ユフィ。私はもうどこにも行かないから。これからは君の傍にいるよ」

 

 私は嫌な汗を掻きつつ、幼子をあやすように囁きかけ、久々に触れる彼女の柔らかな髪を優しく撫で続けた。

 

「ごめんなさい、リリーシャ。あまりに嬉しくて、わたし……」

 

 落ち着いたユフィが謝罪する。

 

「謝る必要なんてない。私もこうして君に再び出会えたことを喜んでいるよ、ユフィ」

 

「うぅ、リリーシャリリーシャリリーシャ!」

 

「はいはい、リリーシャさんはここに居ますよ。そしてありがとう、ユフィ。約束通り、迎えに来てくれて」

 

「リリーシャは私の嫁なんですから当たり前です!」

 

 そう言って素晴らしい笑顔を見せてくれるユフィなのだが、素直に喜んで良いものなのだろうか?

 会えない時間が愛を育ててしまったとでも……いや、深くは考えないようにしよう。

 

「さあ、帰りましょう。私達の国へ。あら、でもルルーシュ達は?」

 

 そこでようやくこの場に彼等の姿が無いことに気付く。

 本当に私しか見えていなかったようだ。

 

「彼等はブリタニアへは帰らない。いや、帰りたくはないそうだ。もちろん行く当てがあっての事だから、君が憂慮する必要はない」

 

 そう、何不自由ない生活を送れる手筈はちゃん調えてある。

 アッシュフォードという名の鳥籠を。

 

「そして私も帰らないよ」

 

「え────?」

 

 私の言葉にユフィは目を丸くする。

 それもそうだろう。

 彼女の中にそんな可能性は微塵も無かったに違いない。

 

「いや、少し語弊があるね」

 

 私は彼女の動揺した姿に苦笑しながら、おもむろに携えていたナイフを抜き、首の後ろで束ねた髪を乱暴に掻き切った。

 艶のある自慢の黒髪に太陽光が反射してキラキラと輝き、吹き抜けた風に舞い、戦火広がる大地へと散っていく。

 

「な、何をしているんですか!?」

 

 私の突然の行動にユフィが非難の声を上げる。

 ああ、そう言えば彼女もアーニャと同様に私の髪を気に入っていたっけ。

 

「何って過去との決別かな? リリーシャ・ヴィ・ブリタニアはブリタニアの日本侵攻に巻き込まれ命を落とした。つまりはそう言うことだよ」

 

 この機に全てのしがらみを一度断ち切る。

 予てから考えていたことだ。

 今後、動く上で皇女という肩書きはあまりに重すぎる。

 

「そこでユフィにお願いがあるんだ。私を君の騎士にしてくれないかな、これでも腕には覚えがあるつもりだよ」

 

 専任騎士、それは公私に渡り皇族を支える存在。

 皇族は皆、固有の特権として任命権を保持している。

 その任命には本人の資質が試される。

 尤も本来なら幼い年齢のユフィにはまだ早い問題だったに違いない。

 

「本気、なのですね」

 

 ユフィは姿勢を正し、真剣な眼差しで私を見つめる。先程見えた脳内ピンクが嘘のように思えてくるよ。

 冗談とも受け取られかねなかったが、既に彼女は私の意思を汲み取ってくれていた。

 理解が早くて助かると思う反面、想像以上の成長度合いに嬉しくなる。

 

「ああ、もちろんだよ」

 

 私は彼女の眼前で跪き、恭しく頭を垂れた。

 ふうっとユフィが大きく息を吐く音が聞こえる。

 

「汝、ここに騎士の制約を立て、ブリタニアの騎士として戦うことを願うか」

 

「イエス、ユア・ハイネス」

 

 願いはしない。

 

「汝、我欲を棄て、大いなる正義のために、剣となり盾となることを望むか」

 

「イエス、ユア・ハイネス」

 

 望みもしない。

 この誓いは本当に嘘ばかりだ。

 

 本来ならここで儀礼用の剣を抜くところだが、生憎と用意することは出来なかった。

 だから剣の代わり、両手で捧げるようにナイフを差し出す。私らしいと言えば私らしいか。

 それを受け取ったユフィは刃の平で、私の肩を軽く叩いた。

 

「わたくし。ユーフェミア・リ・ブリタニアは汝を騎士として認めます」

 

 私は顔を上げ、返されたナイフを受け取る。

 歓声も盛大な拍手もなく静かに、それでもつつがなく主従の契約は結ばれた。

 

「これで良かったのですか?」

 

「上出来だよ、ユフィ。流石は我が愛しき主だ」

 

「っ、からかわないで下さい。それよりこれからは何と呼べば良いのですか?」

 

 リリーシャ・ヴィ・ブリタニアは死んだ。

 故に今の私は何者でもない。

 名も無き騎士。

 だけどそれでは色々と困るのも事実。

 

「ん~、そうだね。だったら────」

 

 

 

 

 

 結ばれた新たな契約。

 本来あり得るはずのない白き姫と騎士となった黒き魔女。

 白と黒。

 相反する二つの色は、この世界を何色に染め上げていくのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

予告…………のようなモノ?

 

 

 

 【決別】

 

「私を軽蔑するかい、スザク君」

 

「あいつが言ったこと……本当なんですか?」

 

「……言い訳はしない。理解して欲しいとも言わない。だけどこれが大人の世界だ」

 

「だったら俺は大人なんかになりたくない」

 

 

 【日本敗戦】

 

 ブリタニアの圧倒的な兵力、初めて実戦投入されたKMFのめざましい戦果もあり、日本は一月も保たずに降伏の道を辿る。

 

 黄昏色に染まった空の下、大国の脅威に焼き払われた大地の上で、二人の少年は別れの時を迎えていた。

 

「スザク、僕はブリタニアをぶっ壊す! あの男やアイツが居る国をこの手で!」

 

「違うよ、ルルーシュ。それじゃ駄目なんだ」

 

「ッ、何が違うって言うんだ!?」

 

「例えブリタニアを壊しても、この世界は変わらない。

 壊すなら─────」

 

 世界を壊そう。

 

 

 【おくりもの】

 

 あの夏の日、目が覚めると全てが終わった後だった。

 姉が消え、淡い恋心を抱いた初恋の彼との別離が決まり、剣呑な空気を纏う兄と共に、まるで品物のようにアッシュフォード家に引き取られる。

 当然そこに己の意思を介在させることなどできず、ただ強大な流れにまた呑み込まれた。

 再び手に入れたと思っていたあの穏やかな日々は、現実には存在しえない幻想だったのだろうか?

 いや、違う。

 確かに存在していたはずだ、手を伸ばせば掴むことができるほどに……。

 

 胸元に手を伸ばし、それに触れる。

 気付けばそこにあった──羽を広げた蝶をモチーフにした──ペンダント。

 身に覚えはないが、贈り主なら想像がついた。

 

 そっと指先でなぞれば、装飾の中に隠された単語が浮かび上がる。

 簡潔に、ただ一つ『鍵』を意味する単語が。

 

「一体何を伝えようというのですか、リリー姉様」

 

 

 【楽園計画】

 

 太平洋に浮かぶメガフロート。その正式名称──超大型浮体式海洋構造物──が示すとおり、それは巨大な人工の浮島だった。

 尤も現時点では何の施設も存在せず、それこそ海の上に浮かんでいるだけの鉄の箱に過ぎない。

 だがやがて────

 

「ここが私達の愛の巣になるんですね」

 

「違う、間違っているよ、ユフィ」

 

 

 【国際展示場爆破テロ】

 

「……ユフィ」

 

「もう、そんな顔をしないで下さい。これは現実が見えていなかった私の幼さが招いたこと、自業自得です。まあ少しばかり高い授業料になってしまいましたけど」

 

「……すまない、私が付いていながら」

 

 跪き、鋼鉄の手に口づけを交わす。

 

「もう二度と君を傷付けさせない。例えそれが神だとしても」

 

 

 【欧州戦線】

 

「貴公は何故この部隊を志願した? 損耗率の低い後方の部隊を選ぶ事も可能だったはずだが」

 

「はっ、もちろんジェレミア卿の武勇を耳にし、私も────」

 

「世辞は必要ない。私は共に戦い、時に背を預ける貴公の本心が知りたいのだ」

 

「……はい。失礼ながら卿の下に付けば武勲を上げられると耳にしました。それ故に」

 

「出世、地位、名誉のためか」

 

「申し訳ありません」

 

「いや、責めているわけではない。私とて同じ理由で戦場(ここ)に立っている。

 名を上げたくば私に付いてこい。くれぐれも二階級特進で終わるなよ。行くぞ、ヴィレッタ」

 

「イエス、マイ・ロード!」

 

 

 【シンジュク事変】

 

「力があれば生きられるか。これは契約、力を上げる代わりに私の願いを一つ叶えてもらう」

 

「くくっ、力は既に持っている」

 

「なに────」

 

 刹那、廃倉庫の壁をぶち抜いて飛び込んできた紅いKMFが対人機銃を掃射する。

 無数の弾丸が人間を肉塊へと変えてゆく。

 

「フハハハハハッ! けれどまだ足りない! ああ、そうだ。俺は力を望んでいる。世界を壊すための力を!」

 

「ふふっ、強慾な男も悪くはない」

 

 

【エリア0】

 

「寂しがり屋の魔女が動き出したわね、贄を求めて」

 

「今世の彼女も、やはり彼を求めるのか。憐れだな、世界の奴隷は」

 

「呪いの間違いじゃないの?」

 

「それは僕らにも当てはまるのだけどね」

 

「いずれにしろ騎士も目覚める。互いに求め合っているからな。一体いつになったら世界は変わるのか」

 

「なに、その兆しは見えているじゃないか。今回は彼女が居る、この世界で初めて現われた黒き姫(イレギュラー)が」

 

 そう言って銀の髪の少年が天を仰いだ瞬間、黄昏色の空が砕け散り、剥がれ落ち、無限に広がる黒の世界が姿を現わす。

 その頭上高く、生命の息吹に満ちた蒼き星は悠然と輝いていた。

 

 

 【幕開け】

 

「どこもおかしなところはないでしょうか?」

 

「よく似合っているよ、ユフィ。後は堂々と演じればいい」

 

「私に上手く務まるか不安です……」

 

「大丈夫だよ、いつも通り君なら出来るさ」

 

「だったらいつものおまじないを掛けて下さい」

 

「恥ずかしいじゃないか、こんな所で」

 

「誰も見ていませんから問題ありません」

 

「それじゃあ上手くいった時のご褒美はなしだよ?」

 

「うぐっ、ひどいです」

 

 時折揺れる狭い通路を、二人の少女は並んで歩む。

 その先にある扉は彼女達を待ちかねていたかのように開いていく。

 そして彼女達は今まさに幕を上げんとする舞台へと踏み出した。

 

 それは魔女が糸引く人形劇か。

 それとも騎士が武を競う英雄譚か。

 はたまた魔王が興じる狂宴か。

 

 何れにしろ、物語は皇歴2017年旧日本。現ブリタニア領エリア11から始まる。

 

 




 第一部完


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

幕間 鳥籠の楽園

“お兄様は悪魔です!”

 

 床に倒れた最愛の妹。

 彼女は冷たい瞳で睨み上げ、憎悪の叫びを上げる。

 

“卑劣で、卑怯で……。なんて……なんてひどいっ……!”

 

 開いたばかりの綺麗な瞳は、怒りと絶望の色を宿し、涙によって飾られていた。

 零れ落ちる嗚咽。

 

 ああ、そうだ。それで良い。

 今の俺はお前が知っている兄ではない。

 憎悪の視線を向けられ、陰ながら罵倒を浴びる悪逆皇帝。

 この世界に命を捧げることを決めた魔王。

 誰からも愛されるべき存在ではない。

 共に贖罪の位置を選んだ親友からも、背を預けた共犯者からも、そしてただ唯一の家族からも……。

 

 そう考えていた。

 

 なのに────

 

“愛しています!”

 

 死の間際、彼女の口からその言葉を聞いた気がした。

 意識は混濁し、既に遠退き始めていたが故に、それは俺の希望、都合の良い妄想に過ないのだろう。

 

“ずるいです……私はお兄様だけで良かったのに……お兄様の居ない明日なんて……それなのに”

 

 だからこれは夢だと自嘲する。

 愚かしくも心のどこかで彼女に理解されたいと望んでしまった弱い俺が見せる夢だと。

 爆発的に広がる歓声。

 地鳴りのように響くゼロコールの中、俺の遺体に縋り付き、ナナリーは泣き叫ぶ。

 それが不可能だと理解しているが、出来ることなら抱きしめ、もう一度その柔らかな髪を撫でてやりたかった。

 こんな俺のためにお前が涙を流す必要はない、俺はお前の笑顔が好きだと伝えたかった。

 だが、願いが叶うことなどありはしない。

 分かっている。

 この押し潰されそうな胸の痛みも、俺が受けるべき罰の一つだ。

 

 どれだけの時間が経っただろうか。

 依然周囲の喧騒は続いている。

 世界の悪が滅び、再び英雄が生まれたのだから無理もない。

 

 ナナリーは泣き続けた。周囲の全てを意識の外に置き、俺の遺体から離れようとすることなく、涙と共に己が感情の全てを吐き出すように。

 

 ふと彼女は徐に顔を上げる。

 未だ涙を流し続ける紫紺の双眸。

 流れ出た俺の血で紅く彩られていたその顔に浮かぶのは、まるで全てのしがらみから解き放たれたかのような晴れ晴れとした笑顔。

 

 吹っ切れた。と思えないのは決して思い上がりなどではない。

 一見して無邪気にも思えるその笑みは、何かが欠けていると本能的に悟る。

 

 笑う、嗤う、嘲笑う。

 泣きながら、ただ壊れたように。

 

“こんなの間違っています。間違いは正さなければいけません”

 

 その言葉を耳にした瞬間、戦慄に震え、止めどない不安が込み上げる。

 ッ、何を……言っている?

 

“ええ、そうです。だから私はこの世界をぶっ壊します。ゼロも私が殺します。見ていて下さい、お兄様”

 

 亡き兄に誓う宣言。

 彼女の姿が過去の自分に重なった。

 母さんを殺され、あの男に棄てられ、祖国を追われ、再び得た仮初めの平穏さえ奪われ、復讐を決意したかつての自分。

 その胸に抱くは復讐の二文字。

 だが目的を達成した果てに、どれだけの新たな悲劇を生むことになるのか、俺は嫌と言うほど知っている。

 

 ……止めろ、止めてくれ!

 そんなこと俺は望んでいない!

 

 刹那、俺の願いを嘲笑うかのように世界が暗転する。

 

“偽りの英雄を、ゼロを認めた世界中の皆さん。お願いです、消えて下さい”

 

 視界を覆い尽くす光の奔流。

 フレイヤ弾頭という名の悪魔が生み出した輝きが街を、大地を、人を、世界を呑み込んでいく。

 抵抗を嘲笑い、祈りを踏みにじり、悪意を振りまきながら。

 死の閃光に照らし出される絶望の未来。

 国家が、生命が、想いが、思い出が、明日が消えていく。

 全てが(ゼロ)になる。

 

 何で……どうしてこんな……。

 

 ゼロレクイエムを完全に否定され、最愛の妹の凶行と滅び行く世界を見せ付けられ、放心状態に陥った俺の思考はただ疑問に満ち溢れていた。

 

“今の私をお兄様が見たらきっと悲しみに心を痛めることでしょう。激しく叱責を受け、その手で私の命を奪う事だって考えられます。

 ああ。もしそれが実現すればどんなに嬉しいことでしょうか。私はここに居ます、さあ早く殺しに来て下さい。早くしないと世界が無くなってしまいますよ?”

 

 宇宙空間への廃棄、太陽焼却処分の決まっていた天空要塞ダモクレス。

 その最上部に在する天空庭園に置かれた玉座に一人座るナナリーは、まるで誰かを迎え入れるかのように両手を大きく広げて天を仰ぐ。

 だが言葉を返す者は誰も居ない。

 

”……ふふっ”

 

 無駄だと、自分の望みが叶う事は永遠にないのだと既に理解していた。

 それでもこの段階になってもまだ、戯れ言を口にしてしまう自分を笑わずにはいられなかった。

 

“もうお兄様が悪いんですよ、私を一人置いて先に逝ってしまうから。

 だから────”

 

 諦観と絶望に支配された暗い瞳に、滅び行く世界を映しても何ら表情を変えることなく、ナナリーはフレイヤの発射スイッチに掛けた指に力を込めた。

 

 いくら叫んでも声にはならない。

 ただ眺めることしか出来ない俺を絶望と無力感が嘖む。

 

 幼くも蠱惑的な少女の声が脳裏を過ぎった。

 

“ところでキミは考えた事があるのかな? キミの死を喜ぶ者が居る一方で、キミを殺めたゼロに憎しみを抱く者が居る可能性を。

 人の思想は千差万別、十人十色、多種多様だからね。

 ほら、また生まれたよ。憎しみの連鎖を断ち切ったと思った瞬間、新しい憎しみが”

 

 そう告げたのは誰の声だったか。

 いや、そんな事はどうでも良い。

 やはりこれは夢だ。絶望に満ちた悪夢という名の……。

 

 

 

 

 

     ◇

 

 

 

 

 

「────シュ、ルルーシュってば」

 

 その声ともに身体を揺すられ、俺の意識は闇の中から浮上する。

 重い瞼をゆっくりと開け、瞳が正常な視覚機能を取り戻していくと同時に、曖昧な思考が稼働を開始した。

 視界に映り込んだのは黄昏色の光に照らし出された室内。

 備え付けられた大型液晶、整然と並んだ机。

 静寂に包まれているが、まるでもの悲しさを感じる事はなく、むしろ懐かしさといった感情が込み上げてくる空間だった。

 

「ここは……」

 

「もう、やっと起きたと思ったら寝ぼけてるし。ここは僕達が在籍するアッシュフォード学園の教室で、そして今は放課後だよ」

 

 そう、俺はアッシュフォード学園に通う学生ルルーシュ・ランペルージ。

 ここは普段授業を受けている二年の教室。

 何もおかしな事はない、何も。

 だが何だ、この言い表しようのない違和感は……。

 

 声の主へと視線が動く。

 日本人にしては色素の薄い癖のある髪、童顔と言っても過言ではないだろう顔立ちの男子生徒の姿を捉える。

 彼はやれやれと言いたげな表情を浮かべてこちらを見下ろす。

 

 ──ざざっ。

 

“許しは請わないよ。友達だろ? 俺達は”

 

「……スザク?」

 

 枢木スザク。

 竹馬の友、簡単に言えば幼馴染み。

 

「そうだよ、君の親友の枢木スザクだよ。けどなに君はこの短時間で僕の事も忘れてしまったんだ? ひどいや」

 

 そう言ってスザクは涙など微塵も無いのに目元を拭う。

 

「そんなわけないだろ。お前の事を忘れるなんてそんなこと」

 

「ほんとかな?」

 

「ああ、絶対だ。今のはそう、夢見が悪くてな。少しボーッとしていた」

 

「へぇ、どんな夢だったの?」

 

「あまりよく覚えてはいないが、世界と戦って最後はお前に殺される夢だ」

 

「何それ、縁起悪い」

 

 俺の言葉にスザクは顔を顰める。

 当然の反応だろう。例え夢の中だとしても人を、友人を殺すなんて言われて良い気分なわけがない。

 

「それに世界と戦うとか、ルルーシュ……。中二────」

 

「それ以上は言うな、俺の本意ではない!」

 

 生温かな視線を向けてくるスザクの発言を遮る。

 危ない、かつてこの身に封印されていた闇の炎の使い手が覚醒するところだった。

 ナチュラルに人の黒歴史を掘り起こそうとするな。スザク、お前だって昔はソルジャークラス1stとか……いや止めよう、互いに傷付くだけだ。

 記憶の奥底に沈めた方が良い思い出は誰にだってあるはず。

 

「で、どうしたんだ?」

 

「ルルーシュ、それはこっちのセリフだよ。まだ寝ぼけてるのかい? それとも本当は調子が悪いとか」

 

「いや、別段体調は普段と変わらないが」

 

「なら良いけど……、ルーフトップガーデンの完成記念パーティー。もうみんな待ってるよ」

 

 生徒会長ミレイ・アッシュフォードの卒業制作として、生徒会メンバー全員参加で進めていた屋上庭園の整備。

 先日めでたく完成を迎え、それを祝い、また労を労うためにささやかなパーティーが計画されていたんだったか。

 何故その事実を俺は失念していたのだろう。

 

「君がなかなか来ないからみんな心配してる。で、僕が代表で迎えに来たんだ。それなのに君は熟睡しているし、寝ぼけてるし」

 

「悪い、言い訳のしようがないな」

 

「ルルーシュってさ、普段はしっかりしているのに、たまに抜けてるとこあるよね」

 

「なっ、お前には言われたくない」

 

「はいはい、拗ねない拗ねない。ほら行こう、ルルーシュ。着いたらちゃんとみんなに謝りなよ?」

 

 まるで子供をあやし言い聞かせるかのような態度のスザクが、こちらへと手を差し出してくる。

 

「分かってるさ、言われなくても」

 

 差し出されたスザクの手を取り、俺は立ち上がると、みんなが待つ屋上へと足を向ける。

 

 

「おそーい!」

 

 夜の帳が降りようとする屋上へと続く扉を開くなり、生徒会メンバーでありクラスメイトでもあるシャーリーに怒られた。

 どうも待たされた事に彼女はひどくご立腹の様子。

 

「まったく何してたのよ、もう!」

 

「あら、私も気になりますわ、スザク」

 

 どうしてここにユフィが……いや、そういえば今年から生徒会に入ったんだったか。

 

「それがね、ユフィ。ルルーシュったら教室で気持ちよさそうに寝てたんだよ」

 

「まあ、それはいただけませんね」

 

 こら、スザク。事実なのだが言い方ってものがあるだろ!

 

「ちょっと、ルルーシュ!」

 

「はいはい、愛しのルルちゃんが来たからってじゃれないじゃれない」

 

「ちょっ、違いますよ! そ、そんなんじゃ」

 

「ふ~ん、まだかなまだかなってあんなにそわそわしてたのにー?」

 

「会長ッ!?」

 

 我らが生徒会長ミレイの参戦に、さらに騒がしくなり、俺は溜息を吐きつつ視線を逸らす。

 すると一人黙々と宅配ピザを頬張る転校生と目があった。

 見てくれは悪くないのだが、C.C.などいうおおよそ人の名前とは掛け離れた名前を自称する何とも胡散臭い存在だ。

 

「何だ、やらんぞ。いや、女神のように美しいC.C.様、どうかお恵み下さいと頭を下げて頼めばわけてやらないこともないぞ」

 

 あまつさえ大仰にそんな事を宣ってくれる。

 

「ふん、遠慮しておく。見ているだけで胃がもたれる」

 

「そうか」

 

 俺の返答に興味を抱くことなく彼女は食事を再開する。

 

「大丈夫ですよ、お兄様。ねぇ、ロロ」

 

「そうだよ、兄さんの分は僕たちがちゃんと取っておいたから。ね、ナナリー」

 

 そう言って左右から取り皿とドリンクを差し出してくる俺の自慢の弟妹達。

 二人の姿を見ているだけで幸せな気持ちになる。

 お前達が俺の翼だ!

 

「ありがとう、二人とも」

 

 二人の頭を撫でると、彼女達は嬉しそうに瞳を細め、もっと撫でて言わんばかりに、自ら撫でやすい位置に頭を動かしてくる。

 本当に可愛い弟妹達だ。

 

「モテモテだな、ルルーシュ」

 

「家族にモテても不毛なだけですよ、ヴィレッタ先生」

 

 生徒会顧問のヴィレッタ先生がからかうように告げてくるので、苦笑しながら返事をする。

 もちろん実際には不毛だなんて微塵も思っていないけれど。

 

「それより先生こそ、扇先生とはどうなっているんですか?」

 

「バ、バカ! 私の事はどうだって良いだろ! ……本当は今日だって誘ったのに……」

 

 あ、何だか地雷を踏んでしまった気がする。

 

「ちゅーもーく!」

 

 会長が手を叩き、自分に視線を集めるように声を上げる。

 

「誰かさんが寝坊してくれたおかげで、ちょうど良い感じに暗くなってきました!」

 

「ちょっと会長、それは言わなくて良いじゃないですか」

 

 会場に笑いが満ちる。

 

「シャーラップ! という事で、さっそく本日のメインイベントに移りたいと思いまーす。

 リヴァル、ニーナ、準備はいい?」

 

「もちろんですよ、会長」

 

「うん、大丈夫だよ、ミレイちゃん」

 

「ではルーフトップガーデンの完成を記念して、たーまやー!」

 

 会長の掛け声とも打ち上げられた花火が、次々と夜空に大輪の花を咲かせる。

 どう考えても市販のものとは思えない豪華さだった。

 きっとまた無駄に予算を使ったのだろう。

 今後の埋め合わせが大変そうだ。

 

 だけど何故だろう。

 またみんなで花火を見られた事が、心の底から嬉しかった。

 本当に、どうしてこんなに胸が締め付けられるのだろうか。

 

「大丈夫ですか、お兄様?」

 

「ああ、何でもない。何でもないよ、ナナリー」

 

 願わくは来年も、さらに次の年も、またみんなで集まって花火を上げたいと切に願う。例えそれが決して叶わぬ願いだとしても。

 今この瞬間だけは夢見ていたかった。

 

 

 

 

 

     ◇

 

 

 

 

 

「そう、これがキミの望んだ世界なんだね」

 

 どこまでも続く地平線。

 遙か広大な荒野に聳える崖の上に立ち、砂漠の中に突如として出現したオアシスの如く存在する教育機関を見下ろしながら一人ごちる。

 

「本当にキミは強欲だ」

 

 望めばすぐに手に出来そうで、一つ選択を誤れば絶対に辿り着くことのできない、ささやかにして、どこまでも欲張りな世界。

 まさに机上の空論、絵に描いた餅、夢物語に等しい。

 

「だけど安心して欲しい。キミの眠りは何人も妨げさせない。だから夢は終わらない、いつまでも果てしなく。

 でもだよ、もし私もその夢の中に入りたいって言ったらどうする?」

 

 眩く光り輝く世界。

 かくいう私だって、そこに興味がないわけじゃない。

 例えそれが現実から目を背ける行為だとしても、夢の中ぐらいなら許されないだろうか。

 

「ねぇ、ルルーシュくん?」

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第2部
STAGE 0.025 とある戦場の神


 

 時として人は獣と化す。

 ある者は恐怖に怯え、ある者は快楽に興奮し、ある者は憤怒に身を焼かれ、ある者は狂気に冒された果てに、社会通念や理性と言う名の檻から解き放たれる。

 その根幹に存在するのはやはり、生物が生き物たり得てる上で重要な生存本能と闘争本能なのだろう。

 故に、例え如何なる高度な文明を築き上げたところで、人が人である限り、逃れることの出来ない宿命なのかも知れない。

 

 時として人は獣と化す。

 それが最も顕著に表れる場所、それは戦場だろう。

 多くの宗教に於いても広く禁忌とされている人間社会に対する悪=殺人。

 汝殺すことなかれ、隣人を愛せ。

 人がコミュニティーを形成、維持する上で最大にして最低限の規律。背いた者は罰せられ、社会から制裁を受ける。

 罪に対する必然の罰。

 

 だが非日常が日常となる戦場では、その限りではない。

 倫理観もモラルも希薄化し、価値観や既成概念は逆転してしまう。

 そこでは命の尊厳など容易く踏みにじられる。

 人間の生命に一発の銃弾の価値すらないとでも言うかのように。

 敵を、相対する者を殺せば殺すだけ英雄へと近付いていく。

 

 中東のとある国の紛争地域、ここでも同様の悲劇は日夜繰り返されていた。

 神聖ブリタニア帝国の軍事侵攻という火種に、予てより燻っていた宗派間対立や民族対立が油を注ぎ、戦火を国土全域へと広げていく。

 現政権に不満を抱いていた勢力が、ここぞとばかりに反政府組織を立ち上げて武装蜂起。

 対する政府は治安維持部隊による武力制圧に乗り出すも、ブリタニアの侵攻という脅威に直面している以上、戦力不足は否めず、早期鎮圧に失敗。以降、泥沼のゲリラ戦へと突入することとなる。

 

 

 

 無残に破壊され、激しく立ち上る炎に包まれた反政府ゲリラの拠点。

 男は殺され、女は犯され、めぼしい金品は奪われる。

 戦争の醜悪さをまざまざと見せ付ける光景の中、元凶である男達は満足いく戦果に笑い合う。

 最新鋭の装備を手にした彼等と、民兵上がりの武装ゲリラでは端から勝負にならなかったことは誰の目にも明らか。一方的な蹂躙は必然だった。

 

 男達は政府軍ではない。ゲリラ相手に最新鋭の装備を惜しみなく投入できる程、この国に戦力の余裕はない。既に戦火は国内全土に広がり、ブリタニアの侵攻も熾烈さを増している。

 政府は周辺国に人的支援を求めたが、要請を受けた周辺国も近い将来訪れるブリタニアの軍事侵攻を恐れ、金銭的支援に留まった。尤もそれが過ちであったと気付いた時には既に手遅れとなるのだが……。

 内と外に敵を抱き、窮地に陥った政府は民間軍事会社──通称PMC──との契約を模索する。

 当然、戦争利権で私腹を肥やし、金さえ払えば分別無く手を貸しては戦局を混乱させると嫌う者も多く、良くない噂を耳にする事も少なくないPMC起用に際して、議会から反発の声もあったが、国際社会からの早急な支援も見込めない現状では黙殺される事となる。

 結果として反政府ゲリラとの内紛は収束へと向かい、後顧の憂いを絶つことにより、ブリタニアに対することが可能となった。それでも勝率は限りなく低いと言わざるを得ないが。

 

 閑話休題。

 瓦礫の陰に動きがあり、男達は咄嗟にライフルを構え直す。

 高まる緊張の中、歩み出たのは一人の少年だった。両手を挙げ、抵抗の意思はないと必死で訴える。

 だが男達は躊躇うことなく彼を撃ち殺した。

 戦争は人をどこまでも残酷にする。年端も行かない子供を兵士に育てることなど造作もなく、剰え爆弾を巻き付け、自爆テロを行わせる事も珍しい話ではない。

 尤も男達にとっては爆弾の有無など関係ない。自分達の行いを知る者を生かしておくつもりは毛頭なかったが。

 

 派遣された部隊の中でも男達は異端と言っても良い。

 元々は祖国の軍に所属し、幾つもの作戦に参加してきた優秀な兵士だった。

 だからこそ長く戦場に身を置き心を病み、軍人として不適格の烙印を押され、軍から除隊勧告を受けた者達である。

 彼等には思想も大義も矜恃もない。ビジネスのためでも、明日を生きる為でもなく、己の欲求を満たすために戦場に立ち続けている。

 スリルを楽しみ、生を実感し、生殺与奪権を得たことに愉悦し、弱者を蹂躙する為に。

 

 男達が所属するPMCもそんな彼等の嗜好を知らないわけではない。

 しかしここ数年で急激な成長を遂げた企業にとって、結果だけを追い求めれば彼等は優秀な戦力であることは間違いない。

 未だ過渡期の段階であり清濁を呑み込むのも致し方ないと割り切っていた。

 だからこそ彼等は増長し、慢心し、自分達が特別だと錯覚してしまったのかも知れない。

 

 リーダー格の男が撤収前にもう一度周囲を散策するように指示を出す。他にも生存者が居た場合、確実に息の根を止める必要がある。

 戦場の理は至ってシンプル。生者こそ勝者であり、敗北は死を意味している。

 勝者であり続けるためには慎重すぎるという事はない。

 それを理解しているからこそ、彼等は紛れもなく勝者であり続けられたのだから。

 そう、その瞬間までは……。

 

 まるで雪花のように光の粒子が舞い落ちる。

 想定外の異変が齎す幻想的な光景。

 けれどその色は本来のものとは掛け離れ、毒々しく禍々しい輝き放ち、細菌兵器や化学兵器といった類の使用を懸念させるには十分すぎた。

 男達は防毒マスクへ手を伸ばしながら天を仰ぎ、息を呑み、そして言葉を失った。

 

 その背に紫の──まるで蝶の羽を思わせる──光の翼を大きく広げ、毒の鱗粉のように粒子を撒き散らしながら降臨する鋼の巨人。

 身に纏う黒き甲冑は女性的なラインを持ち、身の丈ほどの大鎌を手にしたその姿はまさに死神の如く。

 

 それが何なのか男達はよく知っている。

 神聖ブリタニア帝国の主力兵器にして、各国がこぞって研究開発を進めている人型機動兵器=ナイトメアフレーム。

 だが輸送機や航空支援機を用いず、自立飛行を可能とする機体が開発されたという噂は耳にしたことがない。

 先を行くブリタニア本国でも航空機への可変式KMFの研究がされているが、実用段階にはまだ程遠いと言われている。

 

 しかし男達が絶句した理由は何も技術的な革新だけではなかった。日夜研究に明け暮れる技術者が卒倒する機体であることは間違いないが、彼等にとってそれ以上に目を奪われたのは機体肩部に描かれたエンブレム。

 ブリタニアの国章でなければ、当然現地政府のものであるはずもない。

 歯車と剣をモチーフに描かれたエンブレムが意味しているのは彼等の雇い主たるPMCであり、そこに羽を広げた蝶の刻印が加わる事によって大きく意味を変える。

 死を告げる黒き蝶、告死蝶または黒死蝶と畏怖される存在。

 

 商品管理部……粛清部隊……。

 

 誰の口からか、その呟きは絶望と共に零れ落ちる。

恐慌状態に陥った男達は叫びながらライフルの銃口に鋼の巨人を捉え、引き金を引いた。

 一斉に放たれた銃弾が目標の装甲を貫くことはあり得ないと理解していても、それでも自らの結末を黙って受け入れる事は不可能だった。

 祈りはしない、戦場に神など居ないと知っているから。

 けれど死神なら目の前に居る。

 

 バイザー型のフェイスガードに浮かび上がる紅い瞳。

 そして死神は戦場を舞う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 神は救いの手を差し伸べてはくれない。

 そう、悟るには十分すぎる光景だった。

 目の前で大人達が死んでいく。私達を逃がすために対抗して、その身を盾として。

 何度も何度も助けて下さいと祈る。

 だけど無意味だった。

 

 君だけは守ってみせる、だから君はここに隠れているんだ。絶対に動くなよ。

 

 そう言って襲撃者の前に姿を見せた幼馴染みも、当然のように死んでいった。

 戦うことは出来ず、祈ることも出来ず、ただ隠れて死の訪れを待つしかない。

 もう諦めた。

 どうせ助からない命なら、恐怖に怯え続けるのも馬鹿らしい。どうせなら早く楽になりたい。いっそこの身を彼等の前に晒して見せたはどうだろう?

 いや、相手の中に異常性癖者が含まれている可能性が高い。犯されるのは嫌だ。あんな男達の慰みモノになるぐらいなら、自ら命を絶つ方がまだマシか。

 

 でも奇跡は起こった。

 救いの神は居た。

 

 

 

 瓦礫の間から這い出た少女は手を組み、膝を着き、涙を流しながら祈りを捧げる。

 神など居ないと諦め、一度は棄てた信仰

 それでも今、彼女の心には新たな神が宿る。

 例えそれが死神だとしても。

 

 襲撃の報を受けた別動部隊が拠点へと戻ってくるまでの間、彼女は何もない空を見上げ、ただ祈りを捧げていたという。

 唯一の生存者である彼女の言葉は明瞭を得ず、大人達は凄惨な光景を目の当たりにして気が触れたのだと哀れんだ。

 それは強ち間違ってはいないだろう。

 彼女は死の化身に心奪われてしまったのだから。

 

 

 

 

     ◇

 

 

 

 

“良かったのかい? 目撃者を消さなくても”

 

「その必要はないさ。どうせ彼女の言葉を信じる者なんて居ないだろうから」

 

 内なる声に応えながら私は苦笑し、愛機のコンソールを一撫でする。

 こうして騎乗する私自身、この機体が有している出鱈目なスペックには信じられないものがある。

 未完成でありながら既存の最新鋭機とのスペック差には最早笑うしかない。

 

“まあ、キミがそう言うなら構わない。でもこれ以上、我らが姫のお心を乱して欲しくはないのだけどね”

 

「ん、何の話なのかな? どうしてそこで彼女が出てくる」

 

 妖精さんの不可解な発言に私は怪訝な表情を浮かべて首を捻る。

 

“別に何でもないよ。あと妖精さんって呼ぶな”

 

 一気に不機嫌そうな口調になる相棒は未だに妖精さん呼びは許してくれない。

 というか私の表層意識を読むのは止めて欲しいんだけど。

 

「はいはい、ごめんごめん」

 

“はいは一回”

 

「はぁ……キミは私の母親か」

 

 溜息を吐きつつ、ディスプレイの端に表示された現時刻に視線を向ける。

 

「ヨルムンガンドとの合流を少し急ごうか。あまり待たせては姫様のご機嫌が斜めだ」

 

“実害を被るのはキミだけだからね、ふふっ”

 

「だからだよ」

 

 フットペダルを踏み込み、私は機体を加速させる。

 さあ帰ろう、彼女の下へ。

 そして準備しよう。

 もう間もなく幕を開ける舞台へと共に上がるために。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ─────以下おまけ(本編無関係)

 

 

 

「行きなさい、銃雷神ガントール。ライジングブラスター!」

 

 少女の掛け声に合わせて放たれる閃光。

 その光が相手を呑み込もうとした刹那、まるで形状記憶合金で出来ているのではと思えるほど奇抜な髪型と、サイケデリックな髪色をした少年は余裕の笑みを浮かべる。

 

「トラップカード発動、系統樹セフィロトの反転。この瞬間、フィールド上に存在する神と名の付くモンスターは無力化される。

 そして俺のターン! ドロー! 屠竜騎ドラグナーを攻撃表示で召喚、同時に特殊効果を発動。墓地に眠る竜族モンスターをゲームから取り除くことで、枚数の分だけ攻撃力が1000ポイント上昇する。

 さらに手札より特殊召喚! フィールド上に攻撃力5000以上のモンスターが存在する場合、そのカードを墓地に送ることで召喚を可能とする。来い、俺の相棒、神喰ノ魔天狼フェンリルロード!」

 

 少年の隣、空間が割れ、荘厳にして荒々しい巨大な狼が出現する。

 それはまさに神話に記された世界喰らう獣の如く。

 

「喰らえ、滅びの咆哮ラグナバースト!」

 

 大地を震わせ、耳を劈かんばかりの咆哮と共に巨狼の顎より溢れ出る混沌が、世界を覆い尽くそうとでもいうかのようにフィールドを浸食し、そこに存在していた鋼の巨人を消滅させた。

 

「くっ」

 

 立体映像(ホログラフィー)のはずなのだが、何故だか実際にダメージを負ったかのように顔を苦痛に歪ませ、片膝を着く少女。

 そんな少女の姿に少年は勝ち誇った表情を浮かべて言い放つ。

 

「これで貴様のエネルギーポイントは残り20。貴様に勝機はない。もう負けを認め、俺に服従したらどうだ?」

 

「ふふっ、私が負ける? この私が? 違う、間違っているよ」

 

 満身創痍で絶体絶命の窮地に立たされた少女。

 しかし彼女は微塵も絶望などしていなかった。

 それどころか、まるで現状を楽しんでいるかのように、年不相応な艶やかな笑みを浮かべて立ち上がる。

 

「死に損ないの分際で粋がるな」

 

 絶対的な差がありながら未だ自分に刃向かおうとする少女の態度に、少年は苛立ちを隠せない。

 だがそれと同時に、絶望的な状況下でも希望を失わず、余裕さえ見せる少女に対して恐怖を抱いていた。

 

「だったら次で終わらせようか。私にはまだ切り札が残っているんだからね」

 

 ドロー、そう告げて少女は己のデッキからカードを引く。

 運命に導かれるように、それが必然だとでもいうかのように、はたまた世界が彼女の勝利を望んでいるかのように。

 彼女が手にした一枚のカード、そこに描かれているのは黒纏う少女に酷似した姿。

 

「おいで、殲滅姫ブラックリリー─────」

 

 刹那、一瞬にしてテレビ画面が黒一色に染まる。

 それは先程まで映し出されていたカード勝負が齎した現象などではなく、単にリモコンの電源ボタンが押された事による当然の結果だった。

 

「あ……」

 

 ダイニングテーブルを挟んだ向かいの席に座る少年が、その愛らしい顔を曇らせ、悲しみの声を漏らす。

 毎週欠かさず楽しみにしている番組の、しかもここ一番のクライマックスを邪魔されたのだから落胆するのも無理はない。

 

 彼の楽しみを奪った悪魔、いや訂正しよう。悪魔さえ泣いて逃げ出す魔女は言う。

 

「一体いつまで食べているのかな、ロロ。そろそろ出ないと学校に間に合わないよ」

 

 まるでトップモデルかの如く均整な体躯。宝石を鏤めたかのように輝く長い黒髪。そして何より同性が羨み、嫉妬することさえ憚られる美貌を有した少女。

 彼女は自慢の黒髪を家事の邪魔にならないように頭の高い位置──俗に言うポニーテールだ──で結び、不釣り合いにしか見えない──愛らしくデフォルメされたウサギがプリントされている──ピンクのエプロンを身につけ、その手に何ら変哲もない40型液晶テレビのリモコンを手に立っている。

 そんな彼女の口から発せられた言葉は、忙しい朝の時間にやや不機嫌になる世の母親のそれと同じだった。黙っていれば完璧なのに。

 

「それとスザクくん、今失礼な事を考えなかったかい?」

 

 視線をこちらへと向け、彼女は微笑む。

 それだけで俺は血に飢えた肉食獣と間近で対峙しているかのような錯覚を見た。背中の汗が尋常じゃない。

 藤堂先生との本気の稽古でもこんな感覚に陥ることは滅多にないというのに。

 生存本能が生きろと囁く。そう、俺は生きなきゃいけないんだ!

 

「……いや、ぜんぜん」

 

「そう、なら良いんだけどね、ふふっ」

 

 そう言って視線を逸らした俺に対し、彼女は全てお見通しとでも言いたげな含みのある表情を浮かべる。

 本当に自分の心の内を見透かされているようで怖くなる時があるんだけど……。

 

「じゃあ、姉さん、行ってきます」

 

 こちらの会話を余所に朝食を片付けた少年──ロロが告げ、ダイニングを後にする。

 

「気を付けてね」

 

 ただ彼は俺の横を通る時、世のお姉様方を虜にするであろう愛くるしい笑みを浮かべて毒を吐く。

 

「姉さんにいやらしい視線を向けないで下さい。本当に殺しますよ」

 

 いつものように冗談では済まない殺気が込められた声は呪詛の如く。

 多分チャンスがあれば有言実行するに違いない。

 なんとバイオレンスな同居人なのだろうか。

 

「ほらスザクくんも早く片付けちゃいなさい、こう見えてお母さんも忙しいんだからね」

 

 ……………………。

 

 そう言い残して主婦の戦場たるキッチンの奥へと戻っていく彼女の後ろ姿を、俺は何とも言えない感情を抱いたまま無言で見つめることしかできなかった。

 

 同年齢の母親と年下の叔父との同居生活。

 この奇妙な関係の発端となったのは七年前のある日。

 未だに慣れるどころか、母親ぶる彼女に対する抵抗感は最近ますます増していく一方だ。

 

 

 

 

 

「話がある。後で書斎まで来い」

 

 そう父さんに声を掛けられたのは、あの輝かしい夏の終わりだった。

 何か怒られるような事をしたかな、と首を傾げる。

 返却されたテストは既に処分済みであり、この事実は自分を除けば親友のみが知っていて、彼が父さんに告げ口するような人間ではないことは間違いない。

 不安と困惑にモヤモヤとしたまま夕食を終え、父さんの書斎へと向かう。

 

「父さん、入ります」

 

 ノックして、声を掛け、室内へと歩みを進める。

 滅多に入ることのない父さんの書斎。

 僅かに緊張した。

 

 父さんはソファに腰を下ろし、お気に入りの葉巻を吹かしていた。

 俺の入室に気付いては居るようだが声はない。

 たぶん無言で対面のソファに座れと促しているのだろう。

 よほど機嫌が悪いのか?

 俺は恐る恐るソファに歩み寄り、父さんの対面のソファへと腰を下ろす。

 だがそれでも父さんからの声はない。

 

 様子を窺うようにゆっくりと顔を上げ、父さんを見る。

 いつもより険しい表情だった。

 でも機嫌が悪いというよりは、どこか緊張した面持ちに見えた。

 まさか子供相手に緊張している?

 あの父さんが?

 

 困惑を強めた俺だったが、視界に映り込んだ人物の姿にさらなる困惑に見舞われた。

 入口側からでは父さんの陰に隠れて見えなかった小柄な身体。

 長い黒髪とアメシスト色の瞳、親友とよく似た外見的特徴を持つ少女。

 彼女の名はリリーシャ・ヴィ・ブリタニア。

 ブリタニアから留学という名目で訪れた三人兄妹の一人。

 もっとも留学などではなく、人質もしくは生贄として祖国に捨てられたと彼女の双子の兄であり、俺の親友でもあるルルーシュから聞かされている。

 

 ただそんな境遇でありながら、彼女からは出会った当時から一切の悲愴感を感じることはない。

 それは今も同様で、険しい表情を浮かべる父さんの隣で彼女は微笑みを浮かべていた。

 

 しばらくの沈黙が訪れた後、葉巻を消し、咳払いを一つして父さんが重い口を開いた。

 

「スザク、話というのは……あれだ」

 

 いつもはさっさと言いたい事だけを言って話を終わらせる父さんが、今回は何故か言葉を選び、迷っているかのように思えた。

 よほど俺には言いにくい事なのだろうか。

 

「私から告げても良いんだよ、枢木ゲンブ」

 

 それを見かねたのか、リリーシャがそう提案する。

 

「いや、いい。これは儂の口から言うべき話だ」

 

「ならいいけどね」

 

「何なんだよ、二人して。話があるなら早くしてよ、宿題も残ってるんだし」

 

 宿題云々はもちろん嘘だ。

 ただこの微妙な空気の漂う空間から早く逃げ出したかっただけ。

 今にして思えば子供ながらに、いや子供だからこそ、これから語れる事が自分にとって不都合なことだと機敏に察知していたのかもしれない。

 

「スザク、よく聞け。儂は再婚することにした」

 

「へ?」

 

 まるで予想していなかった言葉に反応に困る。

 再婚と言うことは新しい母親が出来るのだろう。

 だけど自分が幼い頃に母親は亡くなったと聞かされ、事実記憶にも残っていないため反応に困った。

 

「えっと、その……おめでとう、父さん」

 

 取り敢えず祝福するべきだろうと、ぎこちなく言葉を返す。

 前に桐原のお爺ちゃんから見合いを進められていた場面を見ているし、世間一般的に再婚は珍しい事でもなく、戸惑いはあったが俺としては新しく母親となる人を受け入れようと考えた。

 そう、この時までは。

 

「あ、ああ……ありがとう」

 

「で、その相手ってどんな人なの? もしかして俺の知っている人?」

 

「……そ、そうだ」

 

 知っている女性か、誰だろう?

 父さんの秘書をしてくれている人か、それともまさか閣僚の人。いや家に務めているお手伝いさんっていう線が濃厚かな。ほら、旦那様と使用人の禁断の恋とか、よくドラマとかにもあるし。

 

「誰なの?」

 

「……彼女だ」

 

「え、誰? 今日来てるの?」

 

 取り敢えず部屋の中を見回してみるが、部屋の中には俺と父さんとリリーシャの姿しかない。

 どういう事だろ?

 

 この時、多分俺は気付いていたんだと思う。

 だけど信じたくなくて、本能的にその可能性を抹消していたに違いない。

 信じたくはなかったよ。

 

「スザク、彼女だ」

 

 父さんが視線を明確にリリーシャへと向けながら告げる。

 いやいや、それはない。ないわ~。

 もし事実ならドン引きするわ~。

 

「これからはお母さんって呼んでいいよ、スザクくん」

 

 対してリリーシャはそんな事を宣いながら、父さんの腕に自分の腕を絡めて寄り添った。

 

「こら、やめないか、スザクの前で」

 

「ふふっ、そんなこと言って本当は嬉しいくせに」

 

「嘘だッ!!」

 

 何これ? いや、マジで何これ?

 父さん、なに本気で照れてるの?

 年の差は?

 いや、そもそも犯罪だよね?

 おまわりさん、コイツです。

 

 俺の精神は混乱の極地の達し、その後の事はよく憶えていない。

 気付けば布団の中で膝を抱え、これは夢だと呟きながら涙を零していた。

 

 これを機に多分俺はリリーシャの事が好きだったんだと自覚した。

 出会って早々に泣かされかけ、最悪な奴だと思っていた。

 警戒し、あまり近付かず、それでも気付けばその姿を目で追っていた。

 皮肉げな笑みを浮かべ、からかってくる彼女の事が疎ましく思わなくなったのはいつのことだろう。

 だけど現実は残酷で、俺の初恋はあの輝かしい夏と共に終わりを告げた。

 

 そして俺は家出し、彼女の兄妹であるルルーシュとナナリーは早々に東京の学校──確かアッシュフォード学園だったか──に入学。長期休暇でも帰ってくることなく寮生活を送っている。

 だって年の差夫婦とか抜かす犯罪者と一つ屋根の下だなんて考えただけでも恐ろしい。

 僕がルルーシュの立場なら、殺人という凶行に走っていたかも知れない。

 

 

 え、極東事変はどうなったのかって?

 ああ、あれね。日本の勝利で終わったよ?

 ブリタニアの侵攻計画をまるで最初から知っていたんじゃないのかと思えるほどに完璧な対抗策で迎え撃ち、日本中で厳島の奇跡が起こった。

 ってか、奇跡の大安売りで株価暴落だね。

 そして日本は世界で初めてブリタニアの侵攻を退けた国家として、改めて世界にその名を知らしめることとなった。

 あと、何故か本土防衛作戦の指揮に参加してたリリーシャが、救国の女神だと持て囃されていた。

 いや、今現在も鹵獲したブリタニア軍の最新兵器=KMF(ナイトメアフレーム)の研究及び国産開発にも、どういう訳か参加し、最初から知っていたんじゃないのかと思えるほどに完璧な新型機や対KMF航空兵器を生み出し、軍事業界から叡智の女神だと持て囃されている。

 はいはい、さすリリ、さすリリ。

 

 

 

 

「う~ん、熱はないようだね」

 

「うわっ、何してるんだよ!?」

 

 別に思い出したくもない過去の回想を終え、意識を現実へと戻すと、視界一杯に彼女の顔が映り込み、咄嗟に身を退き、椅子から転げ落ちそうになる。

 

「ん? いや、キミがボーっとしているようだったから、熱でもあるんじゃないのかと思って。心配だからおでこで測ってみたんだよ。ま、もっともちゃんと体温計を使った方が確実だけどね」

 

 彼女は狼狽える俺の姿を見て、悪戯が成功した子供のようにクスクスと笑う。

 ああ、もう、くそっ!

 あの日、砕け散った恋心の欠片が、今もまだ未練がましく熱を持って胸を焦がす。

 

 これも全部、お前が早死にするからだぞ、クソ親父!

 

 テレビ台の傍に置かれた写真立てを一睨みして悪態を吐く。

 そう、変態だと心の中で罵り続けた父さんは既に他界した。

 極東事変後も散発的に続くブリタニアとの戦闘や、サクラダイトを巡る各国との調整、リリーシャが創り出した超兵器への対処など十分に休む暇のない激務が齎した過労死だった。

 息子の初恋を邪魔するからだ、ざまぁないと思わなくもないけど。

 ただ一部でまことしやかに囁かれる噂に、枢木ゲンブの本当の死因は過労死ではなく若い後妻との情事による腹上死だったというものがある。

 うん、流石に本人に直接確認することは憚られるが、もしこれ事実なら墓の中まで持って行くしかない。

 

「はぁ……学校行こう」

 

 不毛な思考を止め、携帯を一瞥して現時刻を確認する。

 特に走らなくても間に合いそうだ。

 

 なんて事を考えていたらガタガタと窓が揺れ、次いで家全体が揺れ始める。

 地震か、と思ったのも束の間、手入れの行き届いた庭の景観を破壊しながら降下してくる一騎のKMF。

 藤色をしたその機体=月詠には見覚えがあった。

 というか結構頻繁に来訪しては庭を台無しにする庭師泣かせである。

 

「リリーシャお姉様、大変です! 大変なのです!」

 

 コックピットブロックが解放さて、いつも通り姿を見せたパイロットスーツ姿の従姉妹=皇神楽耶が叫び声を上げる。

 

「またなんだ」

 

 指名を受けたリリーシャはやれやれと言いたげに溜息を吐きつつ、エプロンの紐を解くと椅子の背もたれへと投げ掛け、庭へと続く戸を開いた。

 

「今日はどうしたのかな?」

 

「はい、それがまた彼の国が大艦隊を率いて領海侵犯を」

 

「毎度のことだけど呆れるね。それで今回はどんな無茶な事を言ってるんだい?」

 

「皇帝自らが我が国への亡命を望んでいます。もしそれが受け入れられない場合は即座に侵攻を開始する、と。

 また交渉を希望する場合ですが『交渉相手は私の嫁以外認めません! 早く会いに来て下さい、リリーシャ!』との事ですわ」

 

「はぁ、大国の最大権力者が亡命って何を考えてるんだか……頭が痛い。

 いいよ、お仕置きも必要みたいだし私が出る。わざわざキミが来たんだから、用意は出来ているんだよね?」

 

「もちろんですわ。上空にリリーシャお姉様の愛機伊邪那美を搭載した航空艦を待機させております」

 

「という事だからスザクくん、これからお母さんはお仕事に行ってくるよ。たぶん晩ごはんの時間までには戻ってくるけど、もしおかずが出来合いのお総菜になったらごめんね」

 

「いや、気にしないけど」

 

 うん、何を言っているか理解はできないけど、もう慣れた。

 彼女曰く「詳しい事は守秘義務があるから話せないんだけど、お母さんは日本の平和を守っているんだよ」らしい。

 いや、ある程度の情報はネットで拾えるこのご時世、さすがに隠せるような事ではないんだけどね。

 でも藪をつついて蛇を出すことが明白なので敢えて追求はしないよ?

 

「じゃあ、いってきます」

 

「いってらっしゃい」

 

 やる気なく手を振り、リリーシャを見送る。

 が────

 

「あ、そうだ、忘れていたよ」

 

 すぐに彼女は踵を返して戻ってくる。

 

「忘れ物? ガス栓とかだったら俺が確認しておくよ?」

 

「いや、違うよ。ほら、いってきますのチュー」

 

 歩み寄ってきたリリーシャが顔を寄せてくる。

 その瞬間、頬に柔らかな感触が齎された。

 

「なっ!?」

 

「ふふっ、今度こそいってきます」

 

 庭に出た彼女が月詠の手に乗って飛び立ち光景を、俺はただ呆然と眺めることしかできなかった。

 顔が熱い。

 いや、身体全体が熱かった。

 まるであの夏の日に砕け散った恋心が、心の奥底で燻り続けているとさえ言いたげに。

 

「ああ、もう! 人の気も知らないで!」

 

 

 

 

 

 後日、とある掲示板に【相談】俺と同い年の母親がこんなに可愛いわけがない【ヘルプ】というスレッドが立ったとか立たなかったとか。

 何れにしろ、枢木スザクの苦悩する思春期の日々は続く。

 

【ifエンド3 もしも枢木ゲンブがリリーシャ・ヴィ・ブリタニアの提案を受け入れていたら……】

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

STAGE 1.000A 必然 ノ 邂逅

 

 

 エリア11、シンジュクゲットー。

 その名が示す通り、そこは7年前に起こった神聖ブリタニア帝国による侵略戦争、極東事変における敗戦国の国民たる日本人(イレヴン)の隔離区域として存在する。

 7年の歳月が経過した現在でも戦争の爪跡は生々しく、破壊された街並みと瓦礫が未だ手付かずのまま放置され、まるで見せしめのように時代から取り残されていた。

 再開発の区画整理は予定されているが計画は遅々として進まず、実質的には廃棄区域も同然の扱いを受けている。

 その為、犯罪組織や反ブリタニア組織──レジスタンスを自称するテロリスト──などの巣窟となって居ることは否定できず、エリア11の中枢であるトウキョウ租界の目と鼻の距離ということもあり、時間の経過と共に不安と懸念の声は大きくなっていた。

 

 そしてそれは大都市の下、埋め戻されることなく残され、まるで一種の迷宮のように縦横無尽に広がる地下空間も同様だった。

 かつて多くの人々で賑わいをみせていた新宿の地下街も、今や見る影もない。

 ただ先の見えない暗闇、そして静寂が支配している。

 そう、昨日までは……。

 

 銃声や射出音、継いで爆発音と発光を伴う衝撃が地下通路を揺らし、どこからともなく悲鳴が上がる。

 今日もまた昨日までと同じ日常が訪れることに、疑いを抱かなかった者が大半を占めていたはずだ。

 例え己が望んだものでは無かったとしても、順応性の高い人間は、圧倒的な諦観によって現実を受け入れていた。

 これ以上、明日が悪くならないように祈りながら。

 しかし世界は残酷だった。祈りも願いも嘲笑い、仮初めの安息は突如として齎された戦禍によって、脆く儚く崩れ去る。

 

 爆発音が響き、時折揺れる薄暗い地下通路を少年と少女は逃げ惑うように走っていた。

 けれどそれも長くは続かない。

 通路には7年前の戦争の影響、またその後の風化によって崩れ落ちた天井や、ひび割れた壁が瓦礫となって散乱していた。

 それに躓いた少女がバランスを崩して転倒する。

 

「何なんだよ、お前はッ!?」

 

 そんな少女に対して苛立ち、罵倒の如く少年は声を荒げた。

 平時ならば彼女の事を気遣い、優しく声を掛けたかも知れないが、混乱と動揺を押し殺すこともままならない現状そこまでの余裕はない。

 彼自身、自分がイレギュラーに弱いことは自覚していたつもりだった。

 故に行動を起こす前には必ず幾通りものパターンを構築し、常に不測の事態に備えている。

 それでも現状は少年の思い描いていた事態を大きく逸脱していた、もはや修正が不可能な程に……。

 

 一方、倒れた少女は少年に対して抗議するでもなく、非日常に怯え恐怖する様子を微塵も感じさせず、ただ静かに彼の一挙手一投足を観察するかのような視線を向ける。

 その姿を第三者が見れば異常だと思ったに違いないが、現状それを指摘する者は居ない。

 

「しかもアイツが……スザクが……」

 

 壁に背を預けると額を押さえ、少年は幼き日に生き別れた友人の名を弱々しく呟いた。

 その脳裏に鮮烈に焼き付いた先刻の出来事を思い浮かべながら。

 

 

 

     ◇

 

 

 

「永田、無事か? 今どの辺りだ? ああ、分かった。いや、自力で歩けるならそれでいい。お前はすぐにその場を離れ、第四合流地点へ向かえ。目標の回収は私が行う」

 

 使えないテロリストだと内心悪態を吐きながら指示を出し、通信機を身に纏ったウインドブレーカーのポケットへとねじ込み、防毒マスクを装着する。

 順調とは言えないがこれも想定内のことであり、まだ絶望するほど最悪でもない。

 この時はそう思っていた、目の前に彼女が姿を現わすまでは。

 

 旧地下鉄構内を進み、程なくして目的のモノを視界に捉える。

 動けなくなった運搬用のトレーラー。

 そしてその荷台に積まれ、闇の中でもその存在を誇示するかのように鎮座する重厚な金属カプセル。

 

 ──ざ…ざざ……見つけた……私の……。

 

 トレーラーの重量に路面が耐えきれずに陥没したのか、それとも崩落した瓦礫に乗り上げたのか、何れにしろ幸いなことに想像していたよりもトレーラーの損傷は軽微であり、遠目には荷台への影響も確認できない事に安堵する。

 それ相応の時間と費用を投じたのだ、損失だけが残る結果となってしまっては目も当てられない。

 

 内包するモノがモノだけに、カプセルの耐久性はある程度約束されているのだが、それ故に慎重にならざるを得ない。

 そう、異様な重圧を放つカプセルの中に格納されているのは化学兵器、大量殺戮を可能とする毒ガスなのだから。

 

 ブリタニア軍が毒ガスを精製している。

 その情報が齎されたのは半年前のこと、出所は以前から付き合いのある情報屋からであり信頼できた。

 情報屋と聞けば胡散臭いが、彼等は情報の正確さと鮮度に文字通り命を懸け、業界では能力の低い者から淘汰されていく。

 もちろん情報をただ鵜呑みになどしないが、裏付けをとる過程で疑念はやがて払拭される。

 表向きは民間企業の研究施設。しかし搬入される資材や出入りする人員、設計時の図面とは異なる建造物、規模から想定される以上の使用電力、何より民間企業では考えられない警備の質など、調べれば調べるほどそこに何かがあることは明白だった。

 

 かくして半年の準備期間を経て計画は実行に移された。

 事前に対象施設の変電設備及び送電網を破壊し、施設の運営継続を不可能とする。

 そうすればブリタニア側は事が大きくなる前に施設の破棄もしくは移転を考えるだろう。

 あとは別の施設へと搬送される対象物を載せたトレーラーを強奪すればいい。

 実際に現物を見ていない以上、百パーセントの保証はなく、賭けに出たと言ってしまえばそれまでだが、ブリタニア側の反応を見る限り、賭けはこちらの勝ちだった。

 その確信を得るに至ったのが、手を組んだテロリストの一人が起こした不用意な行動からというのが癇に障るのだが……。

 まあいい。租界内に運び込むことが出来ればベストだったが、外縁部に辿り着けば後はいくらでも方法はある。

 

 いや、違う。そもそも危険を冒してまで租界内に運び入れる必要はなく、何より最初から強奪した毒ガスの使用を前提とした計画ではない。

 使用可能な大量殺戮兵器をテロリストが手中に収め、いつでも租界内の住民を──場合によっては他のエリアやブリタニア本国の住民を含め──虐殺できるとブリタニア側に認識させる事に意味がある。

 一種の自衛手段、武力弾圧に対するカウンター。そして他のテロ組織を刺激し、後の大きな抵抗運動へと繋げる起爆剤としての側面を持つ。

 もちろん使用に関しての判断には、現時点ではと言葉が続くのだが。

 尤も今回の計画に参加したテロリスト内で、その事実を知る者は極一部のみとなっている。煩わしいが当然過激派の連中に対しては後々対処が必要か。

 

 周囲を警戒しながら、慎重にトレーラーへと近付いていく。

 身に付けた防毒マスクに不備はなく、化学物質の流出を告げるセンサーにも明確な反応はない。よって問題は無いはずだ。

 だというのにこの時、俺は──異変とでもいうべきか──説明しがたい奇妙な感覚に襲われていた。

 正確には目標物である金属カプセルを視界に捉えた瞬間から薄々感じていたが、本能的に意識を逸らしていたのかも知れない。

 

 物が物だが、極度の緊張による体調不良だというなら、我ながら細い神経だと自嘲しただろう。

 けれどそれは体調の変化などではなく、既視感もしくは既知感と言い表せる感覚だった。

 目の前の光景を知っている、かつてどこかで目にしている。

 知識として知っているだけではなく、情報として理解しているだけでもない。

 暗い地下鉄構内も、動かなくなったトレーラーも、強硬な金属カプセルも、この現状の全てを自分は憶えている。記録ではなく、記憶として刻まれている。

 

 過去に現状と同じ光景に遭遇している?

 いや、そんな事はあり得ない。

 俺の記憶は俺だけのモノだ。

 心の奥底から込み上げてくる不快感を押し殺し、歩みを進める。

 

 ──ざ…ざざ……さあ……私は……ここだ……。

 

 だが一歩、また一歩と足を踏み出す度に既視感はより鮮明さを増し、遂には自分を呼ぶ声まで聞こえた気がする。

 まさか幻聴まで聞こえてくるなんて、いよいよ気が触れてしまったのか。

 

 頭の中で誰かが訴えている。

 引き返せ、それ以上進めば戻れなくなる、と。

 女神の啓示か、はたまた悪魔の囁きか。

 馬鹿馬鹿しい。何を今さら言っている。

 戻るべき道などあの夏の終わりから存在していないというのに。

 

 荷台へと乗り込み、すぐにカプセルの状態を確認する。

 目に見える損傷も異常もなく、センサーにも化学物質等の検出反応は見られなかった。

 ならば何時までもこんな所で時間を無駄にするわけにはいかない。慎重かつ速やかにカプセル内の毒ガスを確保し、合流地点へと向かわなければ────

 

 来るっ!

 誰かが叫ぶ。

 

「ッ!?」

 

 ぞわっと肌が粟立ち、背後から迫る気配を感じた俺は咄嗟に振り返り、両腕を身体の前で交差させながら身構える。

 刹那、視界に映り込んだのは空中で身を捻り、蹴りを繰り出そうとするブリタニア兵の姿だった。

 躱すのは不可能だ。

 インパクトの瞬間に合わせ、少しでも衝撃を殺そうと背後へと跳ぶ。

 それでも殺しきることは出来ず、腕部に装備したプロテクター越しでも骨が軋み、悲鳴を上げた。

 腕が痺れる。

 くそっ、なんて威力だ。

 

「これ以上殺すな! 毒ガスなんて、そんなもの使わせない! 無駄な抵抗は諦めろ!」

 

 さらに怒号と共に相手は俺の胸倉を掴もうと腕を伸ばす。

 そうはさせまいと抵抗するが、もみ合う内に運悪く防毒マスクが外れ、素顔を晒してしまう。

 

「ちっ!」

 

 その事に気を取られ、僅かに隙が生まれる。

 しまったと思った。

 けれどどういう訳か相手は追撃のチャンスを無為にする。

 理由は分からないが、こちらにとっても好機であり無駄にしてやるつもりはない。

 相手を蹴り付け、その反動を利用して距離を取り、体勢を立て直す。

 

 改めて相手の姿を確認する。

 身に付けた装備からブリタニアの下級兵であることは間違いない。

 にも関わらず銃火器を携行していない事から考え、銃火器の携行を許可されていない名誉ブリタニア人、つまりは元日本人の可能性が高いと推測できる。

 表向きシンジュクゲットーという場所柄を考慮し、土地勘のある名誉ブリタニア人を使ったのだろうが、毒ガスの回収という任務上、最悪のケースを想定して捨て駒にされたとも考えるべきか。

 境遇に同情はしよう。

 それでも悪いが大人しく捕まってやる義理はない。

 携行を許されているは、せいぜいがナイフ一本。

 相手が一人なら切り抜けられない事はないはずだ。

 

「この毒ガスだって元はと言えばブリタニアが製造したものだろ」

 

「……やはりお前」

 

「殺すな? だったらブリタニアをぶっ壊せ!」

 

 そう、全ての元凶はあの国だ。

 あの国が、あの男が、あいつが存在しなければこんな事にはなっていない。

 込み上げてくる憎悪を言葉に乗せて吐き出した。

 果たして相手はどんな反応を見せてくれるだろうか。

 懐柔できる可能性があればよし、なければ排除するだけだ。

 だが次に相手の口から紡がれた言葉は、俺がまるで予期し得ぬものだった。

 

「ルルーシュ?」

 

 突如として己が名を呼ばれて息を呑む。

 一体どういう事だ?

 何故コイツは俺の名前を知っている!?

 困惑する俺をよそに、眼前のブリタニア兵はゴーグルと一体化したヘルメットを脱ぎ去り、親しげな笑みを浮かべながら自らの素性を告げた。

 

「僕だよ、スザクだ」

 

「なっ────」

 

 告げられた名に強い衝撃を受ける。

 スザクという名前に一人だけ心当たりがあった。

 名を告げられ、まじまじとその顔を見れば、確かに記憶に残るかつての友人の面影がそこには存在していた。

 

 同時に脳裏を過ぎる記憶は、幼き日にこの日本の地で体験した大切で輝かしい思い出。

 そしてその終焉を告げる夏の終わり。

 憎悪を抱き、憤怒に身を焦がした、忘れることの出来ない別れの光景だった。

 どこからともなく──あの夏耳にした──蝉の鳴き声が聞こえてきたような気がした。

 

 

 

     ◇

 

 

 

 皇歴2010年8月。

 その夏、日本という国家が地図から消えた。

 ブリタニアの圧倒的な兵力、初めて実戦投入されたKMFのめざましい戦果もあり、日本は一月も保たずに降伏の道を辿る。

 新たに与えられた名はエリア11。

 

 だが人々の内に灯った戦火は消えることなく燻り続ける。

 やがて大火と化す可能生を秘めながら。

 そう、例えそれが幼き子供だとしても例外なく。

 むしろより顕著に。

 

 黄昏色に染まった空の下、大国の脅威に焼き払われた大地の上で、二人の少年は別れの時を迎えていた。

 再会の目処はなく、今生の別れとなるかも知れない事は互いに理解していた。

 だから再会の誓いを交わすことなく、自らが目指すべきモノを友に宣言する。

 

「スザク、僕はブリタニアをぶっ壊す! あの男やアイツが居る国をこの手で!」

 

 黒髪の少年はその瞳に暗い炎を宿し、宣言と共に強く強く拳を握り締める。

 脳裏に刻みつけられた敵国たる祖国を、そして討ち倒すべき父、半身とも呼べる双子の妹の姿を思い浮かべながら。

 他者が聞けば無理だと、不可能だと嘲笑するだろう。

 

 だが相対する茶髪の少年は、彼の想いを笑うことはない。

 それでも僅かに、どこか悲しげで、寂しそうな表情を浮かべ、友の言葉を否定する。

 

「違うよ、ルルーシュ。それじゃ駄目なんだ」

 

「ッ、何が違うって言うんだ!?」

 

 黒髪の少年は激昂した。

 目の前の友人ならば、分かってくれると考えていた。

 同じ想いを抱き、二人なら出来ないことはないと。そう返してくれるはずだと。

 例えそれが自らの考えを相手に押し付けていると理解していても。

 だからだろう、彼が裏切られたと思ってしまったのは。

 

「例えブリタニアを壊しても、この世界は変わらない」

 

 茶髪の少年もまた知ってしまった。

 自分達を取り巻く環境を、力なき子供ではどうすることも出来なかった世界を。

 故に一つの結論に辿り着く。

 

「だからルルーシュ、壊すなら────」

 

 世界を壊そう。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

STAGE 1.000B 困惑 ノ 邂逅

 

 

 ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアと枢木スザク。

 今まさに戦火に包まれようとしているシンジュクゲットーの地の底で相対する二人の少年。

 かつて生き別れた親友と7年の歳月を経て、奇跡的に再会を果たした事実を喜ばなかったと言えば嘘になる。

 本来ならば互いに近況を報告し、今までどんな暮らしを送ってきたのかを語らい、昔話に花を咲かせるなんて展開もあったはずだ。

 だが今現在、彼等が置かれている現状、また立場がそれを邪魔していた。

 

 

 

 驚きを隠せず言葉を失う。

 まさかこんな場所でスザクと再会を果たすとは思いもしなかった。

 いや、少なくとも自分にはお似合いだと心の中で自嘲する。

 本当に世界は広いようで狭い。

 

「まさかこれ……今回の騒動は、君の仕業なのか?」

 

 僅かな静寂の後、先に口を開いたのはスザクだった。

 声は微かに険を帯び、先ほどまで浮かべられていた親しげな笑みは既に消えている。

 テロリストによって強奪された毒ガスの保存カプセル。

 そんな物的証拠のすぐ傍に居た人間を疑うなと言う方が無理というものだ。

 第一その想像は何も間違っていないのだからな。

 

「ああ、そうだ。と言ったらどうする?」

 

 偶然巻き込まれたと弁解することは容易い。

 多少無理のある言い分にはなるが、当然言い訳は複数パターン用意している。

 けれどスザクに嘘は吐きたくない、それが俺の本音だった。

 しかしながらそこには、あくまでも出来るだけと注釈が付くことになるが。

 

 だが事実を認めることに不安がないわけじゃない。

 相手はかつての親友といえど、毒ガスの捜索を命じられたブリタニア軍人。

 地位向上を目指し、より多くの功績を挙げるために、可能なら事件に関わった者を捕縛しようと考えてもおかしくはない。

 もっともその考えは杞憂であったようだが。

 

「君の願いを実現するため、ブリタニアをぶっ壊すためなんだろ? 物理的な手段を求める。うん、分かり易くて良いじゃないか」

 

「ッ、何だ、お前も憶えているのか?」

 

 ブリタニアをぶっ壊す。

 それは幼き日に抱いた願いであり、今現在に至ってもなお、俺の心に強く焼き付いた想いでもある。

 到底忘れることも、ましてや捨て去ることも出来ない物であることは間違いない。そう、間違いなのだが、改めて他者に指摘されると気恥ずかしくもある。

 かつての言動を知る者がスザクのみである点は、俺の精神安定上の救いだろう。

 

「もちろん、憶えているよ。忘れるはずないじゃないか」

 

「いや、そうだな。忘れられるはずがない……」

 

 あの時感じた憎悪と憤怒は、いまだ消えるこなくこの身に宿っている。

 例えどれだけ時間が経とうとも決して潰えることはないだろう。

 鳥籠の安寧の中、素性を隠し、本心を偽り、自身さえ騙すために身に付けた仮面。

 その下に押し殺してはいるが、ふとした拍子に溢れ出しそうになる。

 そう、今この瞬間も────

 

「あはは、変なルルーシュ」

 

「笑うな」

 

「ごめんごめん」

 

 溢れ出しそうになった負の感情。

 だがそれは7年ぶりに交わす、スザクとの懐かしきやり取りによって霧散する。

 

「……ありがとう」

 

「え、何か言った?」

 

 思わず零れた感謝の言葉に赤面しそうになるが、どうやらスザクの耳には届かなかったようだ。

 

「いや、何でもない。それより何故お前がブリタニア軍なんかにいる?」

 

「話すと長いんだけどね。君たちと別れた後、いろいろあったんだ。本当に色々と」

 

 そう言って僅かに視線を逸らし、過去を振り返っているのか、どこか遠くを見つめるスザク。

 あの夏の終わり、俺達と別れた後、スザクがどんな道を歩んだのかは分からない。

 それでもその身に多くの苦難が降り懸かった事だけは容易に想像ができた。

 日本最後の首相の息子、その肩書きに価値がないはずがない。

 未だ日本各地で抵抗を続ける勢力からすれば、日本解放の大義名分を得ると同時に、戦意昂揚にも効果のある申し分のない旗頭となることだろう。

 当然ブリタニアも警戒し、身柄の確保に動いたに違いない。

 ブリタニアの手に落ちれば最低でも常に監視下に置かれた軟禁生活。最悪の場合、不穏分子として強制収容施設へと送られ、劣悪な環境での生活を強いられたはずだ。

 

「そんな中で柄にもなく色々と考えたし、情報を集めて勉強もしたよ。本来は君の得意分野なんだろうけどさ」

 

 慣れないことはするもんじゃないね、とスザクは自嘲する。

 零れ落ちた悲愴感を自ら打ち消すように。

 

「でね、力を得るためにどうしたらいいのか、その答えとして導き出したのがブリタニアを利用する方法だったんだ。

 だから名誉ブリタニア人として軍に所属し、功績を挙げて上を目指すことにしたよ。身体を動かすのは得意だからね。ルルーシュ、君も知っているだろ?」

 

「ああ、嫌というほどな」

 

 スザクの身体能力が高いことは語るまでもない事実である。

 スザクが先生と慕っていた軍人=藤堂鏡志朗から武術の教えを受けていた道場を見学した事があるが、スザクの身体能力は同年代の子供とは思えないほど高く、当時既に大人顔負けだったことは鮮烈に記憶している。

 現に野山を駆け巡った際には、ボロボロになるまで振り回され、身を以て実感させられた過去もあった。

 あれから7年、努力を怠ることなく順調に成長していたとすれば、もはや計り知れない身体能力を有していても驚きはしない。

 いや、さっきの空中回転キック──確か正式名は陽昇流誠壱式旋風脚だったか──を見て、そして実際に受けて確信している。

 

「その先で出来ることなら皇族に近付けたらなんて考えていたんだけどね」

 

「皇族に近付く? まさか暗殺でもするつもりか?」

 

「暗殺ね、手近な所だと現エリア11総督=クロヴィス・ラ・ブリタニア。彼がターゲットになるのかな?」

 

 俺の言葉にスザクは否定の意を滲ませながら苦笑する。

 

「ブリタニアを憎む君らしい発想だとは思うけど、残念ながら違うよ。もちろんその考えに至らなかったと言えば嘘になるけどね。

 でも気付いたんだ。できるできないは別として、彼一人殺したところで意味はないって。

 彼を殺せば別の皇族、別の貴族、別の誰かが総督として命じられ派遣されてくるだけ。

 だったら相手が諦めるまで、その誰かを殺し続ける? それが現実的に不可能なことだって分からない君じゃないはずだ。少なくとも僕の知るルルーシュなら」

 

「……ああ、そうだな」

 

 スザクの言うとおりだ。

 クロヴィスを排除したところで現状と何も変わらない。代わりの人材はいくらでも居る。

 いや、むしろ管理が困難な危険なエリアとして矯正エリアへと格下げされ、日本人(イレヴン)に対する圧政と弾圧は苛烈を極めるおそれがある。

 そうなれば現状でさえ数少ない権利や、行動の自由さえ失われ、二度と機会を得る事は不可能となる。

 仮に成功したとしても、その先に待っているのは民族浄化という名の大虐殺。例え国際的な批判の声が上がろうと、ものともせずに正面から受け止めて踏みしだき実行に移す。

 それを可能とするのがブリタニアという超大国だ。

 

 落ち着け、冷静になれ。そう自分に言い聞かす。

 スザクに言われずとも分かっていたこと。

 思考の短絡化は危険だ。

 何よりブリタニア皇族を、あの男達に手を掛けることは俺の願い。

 誰かに望み、託すべきものではなく、俺自身の手で成し遂げなければ意味がない。

 

 ならスザクは何のために──同国民を手に掛ける可能性の高い──ブリタニア軍に所属してまで上を目指し、ブリタニア皇族に近付こうというのか?

 暗殺が目的ではないとするなら、考えられるべき答えは自分の優位性を見せ付けて取り入ることだが。

 

「ルルーシュ、僕はね、ナイトオブラウンズになるつもりだった」

 

「おいおい、それは帝国最高の騎士になるってことだぞ。冗談にしても笑えない、分かっているのか?」

 

 ナイトオブラウンズ、それは軍事大国ブリタニアにあって特別な称号を意味している。

 神聖ブリタニア帝国皇帝に絶対の忠誠を誓い、その意思をもって振るわれる──円卓の騎士を冠する──十二本の剣。

 帝国軍人が目指し、憧れ、夢に見る帝国最高にして最強の騎士達。

 快進撃を続けるブリタニア軍の象徴にして英雄であり、他国の兵士にとっては戦場で出会えば敗北を意味する死神として恐れられる存在。

 

 その任命権は皇帝のみが保有し、一存によってのみ認められる。

 故にナンバーズは騎士になれないという現在の軍規定も及ぶことがない。現に過去のラウンズには他国人の血を引く者が居た記録が残されている。

 つまりスザクがラウンズに名を連ねることは可能だ。もっとも今現在のブリタニアにおいて、極めて不可能に近いと言わざるを得ないが。

 

「うん、分かってるよ。でもナイトオブワンになれば保護領として好きなエリアを貰える特権があるみたいだし、いろいろと調えるには便利かなって」

 

「それでお前はその特権を使ってエリア11を、日本を取り戻すつもりなのか?」

 

「日本を? ははっ、まさか」

 

 スザクは笑う、まるで堪えきれず噴き出すかのように。

 

「何がおかしい?」

 

「だって君があまりに面白い事を言うもんだからつい。古き日本を取り戻そうと思うほど、僕は愛国者じゃない。

 ルルーシュ、君が決意を口にしたあの日、僕も告げたはずだ。その想いは変わることなく、そこには当然日本も含まれているんだよ?」

 

 壊すなら、世界を壊そう。

 別れの日、スザクが告げた言葉。

 導き出された一つの答え。

 スザクも過去に囚われている。俺があの日の決意を忘れることなく、この胸に抱き続けているのと同じように。

 

「それにもし僕に日本を取り戻す気があって、さらにナイトオブワンになれたとしても意味はないよね。ラウンズだって所詮は一代限りの騎士候位なんだから」

 

 帝国最強の騎士という威光の陰に隠れ、忘れられがちな真実をスザクは口にする。

 ブリタニア皇帝直属の騎士であり、戦時においては帝国宰相にも比肩し、全軍を指揮する権限を持ち、一国の統治権を得ると同義である破格の特権さえ与えられ、軍人は元より多くの国民から信奉されるナイトオブワンを含めたナイトオブラウンズ。

 そんな彼等でさえ、ブリタニアという国家を中枢で動かす爵位持ちの貴族の中では、最も位の低い騎士候でしかない。

 そう、忠誠を誓う皇帝という最高権力者の後ろ盾を失えば、地位や名誉さえ危うい立場となる。

 

 いや、危ういのは何も地位や名誉ばかりではない。

 現皇帝に絶対の忠誠を誓う、それがラウンズの大前提だ。

 だから現皇帝が崩御、もしくは帝位を退く事になった場合、基本的に一度ラウンズは解体される。

 そして前皇帝に絶対の忠誠を誓っている前提がある以上、新たな皇帝の下で再びラウンズの座に就くことは有り得ない。

 多くの者は一兵士に戻ることもなく、それまでに得た栄華を手放し、帝都を離れて隠遁生活を送ることとなる。

 

 何故か、それは暗殺者の陰から逃れるために。

 前皇帝に忠誠を誓う元ラウンズ、という肩書きが持つ影響力は大きい。

 故に前皇帝の政敵であった者や前皇帝の影響を嫌う者、また畏れる者が新たな皇帝となった際、旧ラウンズメンバーが行方不明や不審な死を遂げることは歴史を紐解いても珍しい事ではなかった。

 

「そこまで理解しているなら何故ラウンズなんかに」

 

「本当はね、次期皇帝と成り得る皇女殿下とお近づきになって、その人が皇帝となった暁に皇配だか皇婿だかにして貰いたいなあ、なんて考えていたんだよ?

 だってほらブリタニアの最高意思決定機関は元老院でも評議会でもなく、ブリタニア皇帝ただ一人だって話だからね」

 

 スザクの考えは間違っていない。

 神聖ブリタニア帝国において全ての決定権を持つ者はブリタニア皇帝ただ一人。

 皇帝が黒だと言えば、白も黒へと変わる。

 それが専制君主制、また絶対王政というものだ。

 

 そしてブリタニア皇帝の座を手にできる者はブリタニア皇族として生まれ、皇位継承権を持つ者に限られる。

 その為、スザクがブリタニア皇帝となる事は絶対に有り得ない。

 だが皇帝の配偶者となれば話は変わる。

 皇帝が数多く娶った后妃や側室の中に、他国との仲を取り持つための人質や生贄として政略結婚させられた者が含まれている事実は別段珍しくない。

 もっとも最初から政略結婚と認識した上での婚姻関係である為、彼女達──またその背後にある勢力──の思惑が、国家運営に影響を与える可能性は低い。

 

 しかし皇帝となる以前より傍に居て、恋愛感情を抱き、あまつさえ恋人関係にあった者ならばどうだろう?

 皇帝と言えど人間である以上、非情に徹する事ができず、情に流されることだってあるかも知れない。

 もしそれが国家運営に影響を与えるようなことなら……。

 

 多分スザクが言いたいことはこういう事なのだろう。

 幼帝や女帝を傀儡として擁立し、自らが政務を行う。そんな話は古今東西ごまんと存在する。

 けれど敢えて言うなら、俺の知っているスザクには到底不可能だと断言できた。

 

「だけど僕には無理そうだなって、そうそうに諦めたよ。人を騙すとか苦手だしね」

 

「お前はすぐに顔に出るからな。身の丈に合わない考えは捨てた方がいい」

 

「あはは、やっぱりそう思う?」

 

「で、その結果、浮上したのが次期皇帝の信望厚いラウンズになるという代案ってわけか」

 

 皇帝と騎士。主従関係ではあるが、そこに友情であれ愛情であれ一定以上の信頼関係があれば、ただ命令する者とされる者というだけではなくなる。

 これはあくまで綺麗事だが。

 

「ああ……うん、そうだったんだけどね。でも今は少し違うかな」

 

 そう告げたスザクが纏う雰囲気が変わった気がした。

 

「僕はね、こう言ったはずだよ。

 皇族に近付けたらなんて考えていた、ラウンズになるつもりだった、って。

 そう、全ては過去だよ」

 

「過去……?」

 

「担ぐ御輿を間違ってはいけない。そして君と再会した以上、間違えるはずがない。選ぶ必要なんてなかったんだよ。

 こうして僕達が再会を果たしたことは運命だと思わないかい!」

 

「スザク、お前は何を言っているんだ……」

 

 スザクは笑みを浮かべ、興奮したように語気を強めた。

 俺は気圧されたように後退り、身構える。

 向けられた笑み、その瞳の奥が笑ってはいないような気がして。

 

「僕達二人なら出来ないことはない。そうだよね、ルルーシュ? いや、元第十七皇位継承者=ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア」

 

「ッ!?」

 

 まるで獲物を前にした獣のような鋭い視線が俺を射抜く。

 ああ、ここまで言われれば嫌でも理解させられる。

 本当は言葉の端々に含まれた違和感に薄々気付いていた。

 それでも再会を純粋に喜び、信じたくは無かったのかも知れない。

 だけどこれ以上は誤魔化せない。

 

「お前自身のために俺を利用し、表舞台に引っ張り出すつもりか?」

 

「君だって何れはそのつもりだったんだろ? だからテロリストごっこなんか止めてさ」

 

「質問を質問で返すな!」

 

「別に良いじゃないか、僕の願いと君の願いはよく似ているんだから。僕の願いが叶った時、ブリタニアは崩壊している。結果は同じなんだ、文句はないよね」

 

「大ありだ、馬鹿ッ!」

 

「馬鹿って、ひどいや。まあ、今日のところは仕方ないね。いきなりの事で君だって混乱しているだろうし。

 でも君がこの場所に居るってことは彼女も近くにいるんだよね? 君のことだから傍に置いて甲斐甲斐しく世話を焼いている姿が目に浮かぶよ」

 

「まさか……お前!」

 

「うん? もう、そんな怖い顔しないでよ、ルルーシュ。僕はただ昔なじみとして彼女とも再会したいなぁ、って純粋に思っただけなんだから。

 それ以上の他意はないよ────」

 

 今は、ね。

 

「ッ!?」

 

 刹那、俺達兄妹をアッシュフォードへの貢物として利用し、姿を消した魔女の姿が、そして呪詛の如き声が脳裏を過ぎる。

 もはや押し殺すことの出来ない負の感情が止めどなく溢れ出し全身を満たしていく。

 

「スザクッ!!」

 

 叫び声を上げ、衝動的にスザクへと殴り掛かろうとした。

 覆しようのない身体能力の差など冷静に考えている余裕はなかった。

 拳を振りかぶり、足を一歩踏み出す。

 

 まさにその瞬間だった。

 カシュッという排気音と共に、毒ガスを内包する強硬な金属カプセルのロックが外れ、外装が展開を始めた。

 今にしてカプセルに不具合が生じたとでもいうのか?

 突然の事態に対応する事はおろか、愚痴や叫びを口にする暇もなく、俺の視界は眩い光に閉ざされた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

STAGE 1.000C 絶望 ノ 邂逅

 

 

 視界が閃光によって白く染め上げられるとほぼ同時、まるで押し倒されるかのような衝撃を受け、踏ん張ることもできず身体が背後へと倒れて床に尻を打つ。

 いや、まるでではなく実際に俺はスザクの手によって押し倒されたようだ。さらにスザクは毒ガスの流出の可能性に対して、装備していた防毒マスクを自分ではなく、俺の口元へとあてがっていた。

 俺を守ろうとするスザクの行動。果たしてそれは友情からか、それとも自分の未来にとって価値のある駒だからか。

 スザクの真意は分からない。

 だが今のスザクに情けを掛けられ事実を──例え生命の危険にさらされようとも──受け入れる事はできない。

 咄嗟に離せと抵抗を試みようとした直後、別のモノに意識を奪われた。

 

 それは二つの金色の瞳。

 先程まで俺とスザクしか存在しなかった空間に第三者の姿があった。

 ブリタニアの白き拘束衣に身を包んだ、鮮やかな緑の髪の少女。

 彼女は展開されたばかりのカプセルの中心で、感情の読めない視線を静かにこちらへと向けてくる。

 絡み合う視線。

 少女から目が離せなかった。

 

 ──ざざっ……もう一度呼べ、先ほどのように。一度だけだ。大切に、優しく、心をこめてな。

 

「────」

 

「毒ガスじゃ……ない……?」

 

 少女の姿を視界に捉え、スザクが呆然と呟く。

 その声を切っ掛けに思考が再稼働を始める。

 スザクが抱いた疑問は当然の疑問だ。

 俺だって同じ疑問を抱いている。

 むしろ困惑の度合いは俺の方が上だろう。

 

 毒ガスが保管されているはずのカプセルから出現した謎の少女。

 認めたくはないが、残念ながら現状を言い表すならばそれしかない。

 

 どこかで中身をすり替えられた?

 いや、そんなはずはない。

 仮にすり替えられていたとして、何故代わりに人間がカプセルに入っている?

 そんな事をして何の意味がある?

 まだ着色ガスとすり替えた方が騙せるというもの。

 まさかこちらが混乱する事を狙って?

 もしそれが事実なら最初からこちらの動きが漏れていた?

 何故だ?

 使ったテロリスト内部に裏切り者、ブリタニアへの内通者が居る。

 待て、そう思考を誘導し、疑心暗鬼に陥らせる事こそ相手の思惑だという可能性だってある。

 落ち着け、そもそも前提が間違っていたとすれば……。

 あの場所で製造されていたのは毒ガスなどではなく兵器化されたウイルス、細菌兵器の類だったなら。

 だとするとこの少女はウイルスの保菌者とでも言うのか?

 自律が可能であり、歩くだけまたは呼吸するだけで周囲に死を撒き散らすとすれば毒ガス以上の脅威となるだろう。

 他の可能性で考えられるのは、身体強化が施された生体兵器やアンドロイドといったところだが……ハハッ、どこの創作物語だ。

 いや、だがKMFだって10年前では実戦配備など考えられなかった代物。

 なら人の姿を模した機械兵器だって存在しないとは言い切れない。

 現にブリタニア軍の一部では医療サイバネティクス技術の進歩により、欠損部位の機械化治療が導入されている。人工スキンを纏えば一見しただけでは見分けがつかないとも聞き及ぶ。

 故に目の前の少女が外見どおりであるという保証は微塵も存在していないだろう。

 

 不測の事態に遭遇し、正体不明の少女について思考を巡らせている俺をよそに、スザクは平然とした様子で少女へと近付いていく。

 

「ッ!? よせ、スザク! 致死性の高いウイルス保菌者や体内に毒性物質を内包していたらどうする!?」

 

「大丈夫だよ、ルルーシュ。ブリーフィングを聞いた限り、その可能性は低いと思うから」

 

 馬鹿が、この状況でまだそんな事を。

 あのブリタニアが危険を伴う任務で、捨て駒同然の名誉ブリタニア人相手に真実を伝えるはずがない。

 何を根拠に問題がないと判断した?

 野生の勘か、それとも本能か。

 俺の知るスザクなら有り得なくもないが。

 

「第一この娘の正体が何にしろ、このままにしておくことはできないよ」

 

 少女へと歩み寄ったスザクは彼女の身体を抱き抱え、その縛めを弛めていく。

 博愛主義、いや人道主義とでも言うべきか。

 倫理的に考えれば、それが正論であることは間違いない。

 しかしそれはあくまで平時ならと注釈が付く。

 そんな俺の心の内を見透かすように、スザクは笑みを浮かべて言葉を続けた。

 

「それに────」

 

 この状況は利用できそうじゃないか、と。

 

 ああ、そうだ。もちろんその考えには俺だって思い至った。

 総督府が毒ガスと偽り、軍を導入してまで回収に乗り出した少女。

 彼女の価値は計り知れず、懐に入れればブリタニアに対する切り札の一枚と成り得るかも可能性を秘めている。

 だがその正体が不明な以上、抱え込むにはあまりにリスクが大きすぎた。

 

 そしてその杞憂はすぐに現実のものとなる。

 

「この猿がッ……、名誉ブリタニア人にはそこまでの許可は与えていない」

 

 多分の苛立ちと僅かな焦りを孕んだ高圧的な声とともに向けられる強い光。

 投光器が齎すその光に照らされて浮かび上がるのは、ライフルを構えて立ち並ぶ男達の姿。

 彼等が身に纏うのは一般軍人とは異なる赤い軍服。

 それが何を意味するのかは理解している。

 現エリア11総督=クロヴィス・ラ・ブリタニアの親衛隊。

 つまり彼等の出現により、状況は格段に悪化したことになる。

 

「あぁ、そう言えばカプセルを発見した時、点数稼ぎのために真面目に報告したんだったっけ。まさかルルーシュと再会するとは思わなかったからね。時期尚早だったかな」

 

 自嘲気味に呟いたスザクはすぐに立ち上がると、神妙な面持ちを作り、親衛隊の隊長と思われる男へと駆け寄っていく。

 

「しかしこれは! 毒ガスと聞いていたのですが────」

 

「抗弁の権利はない!」

 

 弁明を試みるスザクの言葉は当然のように一蹴された。

 あくまでも命じたのは奪われたカプセルの発見であり、それ以上は親衛隊の手によって内々に処理する事案だったのだろう。

 男の声に含まれる感情は怒りよりも焦りの色が強く感じられる。

 やはりこの少女は毒だった。漏れ出れば彼等や、それこそその上に立つクロヴィスの立場をも揺るがし、脅かすほどに強力な。

 一体何者なんだコイツは?

 いや、それより今は自分の身を第一に考えるべきだ。

 理由は何であれ中身を見てしまった以上、目撃者である自分達が無事では帰れるはずもない。

 

「だがその功績を評価し、慈悲を与えよう」

 

 そう言って男は腰のホルスターから抜いたハンドガンをスザクへと差し出す。

 

「枢木一等兵、これでテロリストを射殺しろ」

 

 ッ、本当に予想通りの展開じゃないか。

 スザクに俺を殺させ、その後でスザクを殺す気だろう。

 ブリタニア人を殺すことに若干の抵抗はあるが、名誉ブリタニア人を殺すことには躊躇いもなく罪悪感も抱きはしない。

 むしろ同国人を殺した犯罪者を処刑したという免罪符、それどころか誇るべき事実を手にできる訳だ。

 

「しかし、彼は────」

 

「貴様ッ! これは命令だ。お前はブリタニアに忠誠を誓ったのだろう?」

 

「はい、だからこそです」

 

「何ぃ?」

 

 スザクの反応が予想外のものであった為か、男の眉間に深い皺が刻まれ、眼光が鋭さを増していく。

 

「彼を殺すことはブリタニアに対して不利益となります。いえ、むしろブリタニアに弓引くも同じことを意味します」

 

「貴様、何を言っている?」

 

 ああ、そうだ。俺達二人が共に生き残る為にはそれが正しい選択だ。

 俺の素性を明かし、ブリタニアへと売る。

 保身の長けた相手なら戯れ言だと一蹴する事はなく、もし仮にそれが事実とすれば計り知れない功績を手にできる可能性に思い至ることだろう。

 しかもクロヴィス直属の親衛隊ともなれば真偽の確認は容易く、もしその過程でクロヴィスが興味を抱けば、少なくともこの場で即射殺とはならないはずだ。

 そうなれば逃走の可能性も生存の可能性も跳ね上がる。

 何より俺の存在が公になる事はスザクにとって、目的を達成する上で願ってもないチャンスと成り得る可能性を秘めている。

 

「だって彼は────」

 

 スザクが俺を一瞥する。

 その瞳は告げていた。

 許しは請わないよ、ルルーシュ、と。

 

 ああ、分かっている。

 だがな、スザク。

 俺もこのまま黙って利用されてやるわけにはいかないんだよ。

 だから俺は密かに伸ばした手の先、ウインドブレーカーのポケットの中でそれに触れた。

 

 半瞬、カプセルを運搬していたトレーラーの運転席が炎に包まれ、続けて大規模な爆発を伴い弾け飛ぶ。

 そう、俺が起動させたのはトレーラーの自爆装置。

 もちろん計画が失敗し、運転手のテロリストがブリタニアの手に落ちるような窮地に陥った際、全ての証拠と共に消えてもらうために設置したものだ。

 まさかこんな風に使うことになるとは夢にも思って居なかった。

 相手の注意を逸らし、また混乱に乗じて逃げる隙を生み出してくれればと願ったが、期待以上の効果をもたらしてくれたようだ。

 上部の岩盤を砕いたのか、降り注ぐ大量の瓦礫と土砂が完全に俺とスザク達を分断する。

 残念だったな、スザク。

 けど謝らないぞ、俺達は友達だからな。

 

「行くぞ、走れ!」

 

 俺は少女の手を掴み、走り出す。

 リスクは背負い込むべきではない。

 本来なら捨て置くべきだ。

 だけどそんな事はもはや言えない状況となった。

 なら使える手持ちのカードは多いに越したことはない。

 

 だがこの時の俺は知る由もなかった。

 その選択の結果が、すぐに眼前へと突き付けられる事実を……。

 

 

 

 

    ◇

 

 

 

 

 

『逃げられただとッ!? それでも親衛隊か!』

 

「も、申し訳ありません。爆風はほぼ上方へ拡散したのですが岩盤が────」

 

『何故お前達だけに教えたと思っている!』

 

「た、探索を続行します! くそっ、どうだ! あのガキと女は追えそうか!」

 

「い、いえ、瓦礫が完全に通路を塞ぎ、撤去は困難かと!」

 

 ああ、そうだよ。

 事前に幾通りものパターンを構築し、幾重にも策を張り巡らせる。

 それでこそ、ルルーシュだ。

 

「貴様ッ、何をヘラヘラ笑っている!」

 

 怒声と共に頬に衝撃が走り、熱と痛みが襲い来る。

 口の中を切ったのか、鉄の味が口内を満たした。

 しかし言われて初めて気付く、自分が心の底から笑っていたことに。

 

「あの時、貴様が命令に従っていれば、こんな事にはならなかったものを!」

 

 頭に血が上った隊長格の男がハンドガンを突き出した。

 もちろん今度は銃口を僕に向けて。

 同時に部下の男達も手にしたアサルトライフルを僕に向けて構え直す。

 命令違反で銃殺刑かな?

 やれやれ、だったら格好つけず最初から自分でやれば良かったのにさ。

 

 そう考えながら、そっと唯一携行を許された武装──軍用ナイフへと手を伸ばした。

 柄に触れた瞬間、ふと脳裏に思い出す。

 かつてナイフ一本で銃を手にした大人達を惨殺し、惨状を生み出した彼女の事を。

 そして彼女から向けられ、心の奥底に刻まれた最後の言葉を。

 

“君は英雄になれる男だ、悪い魔女から世界を救った英雄に”

 

 そうだ、この程度の相手、この程度の状況を打破できないようでは英雄と呼ばれる地位に立つことなど到底できはなしない。

 そう、この程度は逆境でも苦境でもない。

 ついさっきまで前の前には確かな希望が存在していたのだから。

 

 ルルーシュが消えた方向を一瞥する。

 今日の所は僕も諦めるよ。

 だけど、またすぐに会えるよね?

 きっと君のことだ。トウキョウ租界内、少なくても租界近郊──それこそ日帰りできる距離──に居を構えているはずだ。

 彼女の為に。

 ま、まずこの状況を無事に脱することができたらの話だけね。

 

「死ね!」

 

 そして銃声が地下空間に響き渡る。

 

 

 

 

 

     ◇

 

 

 

 

 

「良いか、そこで待っていろよ」

 

 どうにか合流地点に程近い地上への出口へと辿り着いたルルーシュは、少女にそう声を掛け、地上の様子を窺うためにゆっくりと身を乗り出した。

 

 視界に映り込んだのは戦火を逃れ、集まってきたシンジュクゲットーの住民。ブリタニアが不法占拠住民と呼ぶイレヴン達の姿。

 彼等は息を殺し、ブリタニアの脅威から隠れるために身を寄せ合い。

 その中には戦うことのできない老人や子供、赤子を抱いた女性の姿も多くあった。

 皆その表情は諦観と絶望の色に染められている事実が重く胸にのし掛かる。

 そして彼等は絶望の足音がすぐ傍まで迫っている事実に気付けなかった。

 

 銃声、銃声、銃声、銃声、銃声。

 無数の銃声が響き、逃げ惑うイレヴン達が悲鳴を上げ、やがてその声は消えていく。

 まるで自分に助けを求めているかのように聞こえた赤子の泣き声が、いつまでもルルーシュの耳に残っていた。

 

「おいおい、俺の分も残しておけって言ったじゃねぇか」

 

「知るかよ、これで俺がトップだからな」

 

「何言ってんだよ、ここからが本番だろ?」

 

 感情を逆撫でするブリタニア兵士達の下卑た笑い声に、目の前が真っ赤に染まる。

 

 任務だから、上官の命令だから仕方がない。

 そう自己弁護の根拠とし、また正当性を主張し、免罪符として掲げて行われる殺人行為。

 中にはそれを狩りやゲームと呼び、己が嗜好を満たすために楽しむ狂人も存在する。

 そう、現に目の前に。

 

「……何だこれは」

 

 世界の理は弱肉強食。

 弱者は強者によって虐げられる。

 それを肯定するブリタニアの国是を幼少期から刷り込まれ、凝り固まった異常な選民意識の前では、ナンバーズの命の価値は家畜にも劣る。

 名誉ブリタニア人になれない者に至っては塵芥の価値すら存在しない。

 それがブリタニアという国家であり国民だった。

 

 腐ってやがる、本当に。

 

 ルルーシュは胸の中で吐き捨てる。

 ブリタニアに対して、そして自分に対して叩き付けるように。

 

 目の前の惨状を生み出した原因の一端が自分にあることは理解していた。

 計画を実行に移す前の段階から予測できていたはずだ。

 自分達が動いた結果、ブリタニアがどんな行動を起こすかなんてことは。

 

 テロリストの潜伏先と成り得るシンジュクゲットーの破壊。

 テロリストを匿い、幇助した罪として住民の物理的な排除。

 その果てに失われ、奪われる多くの命。

 

 分かっていた。

 分かった気になっていた。

 だが現実のものとして眼前に突き付けられた結果は、あまりにも悲惨で、あまりにも重い。

 

 だからルルーシュはゆっくりと立ち上がり歩み出る。

 止めろ、と少女が制止のために手を伸ばすが、その手はむなしく空を切る。

 もちろん勝算なんてない。

 例え何かができたとしても、一度失われた命が戻ってくることなどない。

 分かっている。

 分かっているが立ち止まることはできなかった。

 

「ん、何だよ、お前はよッ!」

 

 掴み掛かろうと伸ばした手が届くより先、相手の拳がルルーシュを捉え、その華奢とも呼べる身体を壁際へと吹き飛ばす。

 

「で、何コイツ?」

 

「英雄気取りのガキとか?」

 

「アレじゃねぇか、アレ。ほら、主義者とかいうやつ」

 

「ああ、ブリタニアを憎むブリタニア人だったけ? じゃあ、殺しても良いよな?」

 

「異議無し。ってか、最初から生かす選択肢なんてないけどな」

 

「ブリタニア人の場合はボーナスで良いだろ?」

 

「うわぁ、ずりぃ」

 

「じゃ、俺の獲物ってことで」

 

 ルルーシュを殴り飛ばした男が銃口を向け、トリガーへと指を掛ける。

 次の瞬間────

 

「殺すな!」

 

 射線を遮るように飛び出してきた少女がルルーシュの前に立つ。

 

「今度は何だよ、コイツの女か?」

 

「ってか、拘束服とかどんだけマニアックなんだよ?」

 

「さすがにないわぁ~」

 

「いや、お前がどんな店行っているのか知ってるからな」

 

「え、マジで?」

 

 再び飛び込んできたイレギュラー。

 だけど男達は自分達の優位性が揺らぐことは微塵も無いと考えていた。

 場違いな格好をしていても所詮は丸腰の少女。

 戦場が齎す昂揚感、そして弱者の生命さえ自由にできる強者に立つ全能感に酔いしれている現状、彼等は自身の破滅を想像することすら敵わない。

 だから彼等はニヤついた下劣な笑みを浮かべ、自ら破滅の未来へと進んでいく。

 

「まあ、俺だって鬼じゃねぇから、最後のキスぐらい待ってやるぞ」

 

「どんだけロマンチストなんだよ、お前」

 

「うっせぇぞ、外野は黙ってろ!」

 

 男の言葉を真に受けたのか、少女はルルーシュへと振り返り、ゆっくりと歩み寄る。

 一方、自分が置かれた状況について行けずルルーシュは困惑するばかりだった。

 少女が伸ばした手をルルーシュの頬に添える。

 

「お前、一体何のつもりだ!」

 

 兵士達が自分達の関係を誤解している事は理解できた。

 だが目の前の少女の行動を理解する事はできない。

 

「おいおい、本気でやるらしいぞ、あの女」

 

「気でも触れたんじゃね?」

 

「ヒューヒュー」

 

 囃し立てる兵士達をよそに、少女はルルーシュに顔を寄せると、年不相応に思える妖艶かつ神秘性さえ感じさせる笑みを浮かべ、彼だけに聞こえるよう静かに囁いた。

 

「お前には生きる為の理由があるんだろう? だからお前に力を与える。これは契約、力をあげる代わりに私の願いを叶えてもらおう」

 

「だから何を言って────むぐっ!?」

 

 少女は踵を浮かせ、自らの唇をルルーシュの唇へと重ねる。

 次いで侵攻した少女の舌が彼の口内を蹂躙し、それと同時に彼女の額に刻まれた──羽ばたく不死鳥を模したかのような──紅き刻印が誰に気付かれることもなく光を帯びる。

 

 ルルーシュの意識はここではないどこかへと飛ばされていた。

 流れゆく景色のように、浮かんでは消えていく幻想。

 煌めく星々、絡み合う歯車、舞い上がる白き羽根、祈りを捧げる巫女、黒と白の仮面。

 さらには黄昏色に染まった世界に佇む父親の後ろ姿と、人を見下すような笑みを浮かべた双子の妹の姿が見えた気がした。

 そして終着点に存在する石の扉。巨大な門とも形容できるその扉が、ゆっくりと開いていく。

 僅かに開いたその隙間から零れだした闇が一点に集まり、朧気ながら人の輪郭を形成していくかのように蠢いた。

 

 ──ざざっ……私は■■、力あるモノに対する反逆者である。

 

「ッ」

 

 次の瞬間、左の瞳の奥が熱を持ち、得体の知れない何かが宿ったような奇妙な感覚に襲われる。

 ただ不快感はなく、むしろそれがあるべき形だとすら思えた。

 

 口付けを止めた少女はルルーシュから離れる。

 名残惜しむように自らの唇に触れ、恋に恋する少女のように熱の籠もった瞳を向けながら。

 

「見せ付けてくれるねぇ。じゃあ、お別れのキスも済んだことだし、そろそろ────」

 

「死ね」

 

 銃を構えた男が言い終わるよりも早く、ルルーシュは短く言葉を発する。

 目の前の男達の死を願いながら。

 それはもはや命令とさえ呼べる鋭さと絶対的な『力』を有していた。

 

『イエス、ユア・ハイネス!』

 

 だから男達は了承の意を返すと、手にした銃火器の銃口を互いに向け合い、躊躇うことはなく、それどころか喜んでいるかのように笑顔で引き金を引く。

 その結果、彼等が迎えるのは当然の結末。

 銃声と共に幾重にも重なる死体の山を築き、その場に静寂が訪れることとなる。

 

 ルルーシュは目の前に広がった惨状を静かに見つめたまま──心の中で祈りや黙祷を捧げているのか──立ち尽くしていた。

 そんな彼を気遣ってか、少女は努めて明るい口調でルルーシュへと声を掛けた。

 

「何だ、童貞坊やには刺激が強すぎたか。なぁ、ルルー────」

 

「黙れ、痴女」

 

 だが対照的にルルーシュは口元を手の甲で拭うと、吐き捨てるかのように罵倒の言葉を口にし、冷ややかな視線を少女へと向ける。

 そこに少女が望んだ親愛の感情が含まれていることなど微塵も無く。

 

「……ち……じょ……?」

 

 祖国に棄てられ、居場所すら奪われた悲しき皇子の中で魔人が目覚め、後の英雄譚たるピカレスクロマンが幕を開け、今この瞬間にも再び反逆の狼煙が上がる。

 そう、本来ならばそのはずだった。

 長い時の中で彼女が待ち望んだ魔王と魔女の運命の邂逅。

 けれど実際に訪れた待ち焦がれた瞬間は想像を裏切り、大きく異なる展開を見せる現実に彼女は驚愕し、また呆然とし、消え入りそうな声で呟いた。

 

「どうして……ルルーシュ……」

 

 絶望と共に込み上げたものは、ただただ疑問ばかりであり、どうにか紡ぎ出したそのひと言が、彼女の心の内の全てを物語ってるのだった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

STAGE 1.500 邂逅 ノ 果テ

 

 

 誰かの声が聞こえた気がした。自信に満ちた、力強い声が。

 そして世界が暗転する。

 気付けばそこは──先程まで居た地下街よりも──薄暗く狭い場所だった。

 自分の周囲に存在するのは剥き出しの岩肌ばかり。

 手近な壁面に触れると想像よりも滑らかな感触が指先から伝わってくる。

 自然が創り出した洞窟ではなく、明らかに人の手が加わっているようだ。

 

 どこだ、ここは?

 自然と浮かび上がってくる疑問。

 何らかの理由で地面が崩れ、再び地下に墜ちたとしても、あまりに不自然な状況であることは間違いない。

 

 ふと直近に見た少女の顔を思い描く。

 まさかあの女の仕業か?

 脳や精神に影響を与え、俺に幻覚を見せている?

 やはり何らかのウイルスや化学物質を体内に仕込ませていたとでもうのか?

 

 しかし生憎とその答えは持ち合わせておらず、現状では確かめる術がない。

 だとすれば進むしかないだろう。

 幸いな事に光が見えている。

 果たしてそれは出口なのか、それとも……。

 いや、これも考えるだけ無駄か。

 何れにしろ、永遠にこの場に立ち尽くすなどといった選択肢は存在しないのだから。

 

 人の出入りが絶って久しいのか、人の手が加わっているとはいえ整備はされておらず、お世辞にも足場が良いとは言えない。

 故に慎重に、かつ足早に光を目指す。

 

 程なくして光の下へと辿り着く。

 そこは円形に拓けた空間だった。

 正面には──巨大な門とで形容すればいいのか──石の扉と祭壇が存在し、それに向かって石畳が敷かれ、その左右には──かつてアーチを形成していたであろう──折れた石柱が立ち並ぶ。

 いつかどこかで目にした模様──まるで鳥が大翼を広げているかのような──が刻まれた最奥の扉もひび割れ、一部が崩れ落ち、表面には苔が()している。

 風化して朽ち果てた神殿を思わせる遺跡と考えるべきか。

 やはりこの場所はシンジュクゲットーではないらしい。

 

 崩落したのか、それとも最初から存在していなかったのか天井はなく、天から儚い黄昏色の光が降り注ぐ。

 夕暮れと素直に思えないのは、その光が何故か人工的なものだと感じているからか。

 確か日本では夕刻を逢魔が刻、もしくは大禍時とも呼ぶそうだ。

 悪魔や妖怪、転じて災厄、つまり良くないモノとの遭遇を意味している。

 だとすればこの空間に足を踏み入れて以降、俺の視線を捉えてやまない存在もまた、悪しき存在なのかも知れない。

 噂をすれば影が差す、というやつだろうか。

 

 扉の前に立つ人物は奇妙な格好をしていた。

 頭部を包み込むのは黒と紫を基調にし、金の装飾が施された鋭角的な仮面。

 騎士服にも似た貴族的なデザインの濃紫の衣装と、各部に取り付けられた軍用プロテクター。

 その上に羽織るのは──まるで吸血鬼のそれを連想させる──闇色のマント。

 

 思わず──かつて見た特撮ヒーローもしくはその敵役が脳裏を過ぎり──ここは仮装パーティーの会場か? ハロウィンにはまだ早いだろうとも考えたが、実際にはそんな軽口を叩くことは出来ない。

 それを許さない重圧を相手は纏っていた。

 どう考えても福音をもたらす存在には見えない。

 

『ようこそ、ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア。歓迎しよう』

 

 告げられた言葉はこちらの素性を明確に知っていると物語る。

 その声は変声機を使用しているのか、老若男女の区別は付かず、それどころか人であるのかも疑わしい無機質さをも含んでいた。

 仮面の男──性別は不明だが便宜上そう呼ぶことにする──は、まるで舞台役者のように両腕を大きく広げて俺を迎え入れる。

 

「歓迎する、という事はお前が俺を呼んだのか?」

 

 俺の素性を知っている事実がある以上、ある種の確信を持って問い掛ける。

 だが返ってきた答えは────

 

『違うな、間違っているぞ』

 

 否定だった。

 

『残念だが今の私にそのような力はない。そう、ただエデンバイタルの導きによってこの場に存在している』

 

 エデンバイタル。聞き慣れない単語に否応なく興味を抱くが、今は知的好奇心を満たしていられる状況ではない。

 

「なら、質問を変えよう。お前は何者だ、あの女の仲間なのか?」

 

『私が何者か、それを私自身が答えたところで意味はない。いくら言葉を重ねたところでどうせお前は信じない。そうだろう、違うかな?』

 

 まるでこちらの心の内を見透かしているかのような男の言葉に息を呑む。

 ああ、そうだ。まったくもってその通りだ。

 この状況下で何を語られたところで素直に受け入れられるほど、お人好しな性格はしていない。

 

『もっとも個人の価値など世界によって、時代によって、環境によって、相対する者また隣に並び立つ者との関係性によって在り方を変える。

 故に私は悪魔、魔王、魔人、死神、救世主(メシア)、英雄、希望、そして絶望と様々な呼ばれ方をしたものだ。

 さて、お前にとって私は如何なる存在となるのか』

 

 しかし、だ。

 

 そこで言葉を句切り、くくっと喉を鳴らし嘲笑を滲ませると、一人納得したように続ける。

 

『まさか誰でもない、お前にその問いを投げ掛けられることになるとは想像だにしていなかった。いや、今はまだ仕方がないことではあるがな』

 

「どういう意味だ、一体お前は何を言っているッ!?」

 

 男の態度に思わず声を荒げてしまう。

 果たしてそれは無知な自分を笑う男への怒りからか、それとも込みあげてくる漠然とした不安を振り払うためか。

 

『何れ分かることだ。と言いたいところだが、こうして予期せぬ邂逅を果たした以上、そうとも言い切れなくなったか』

 

 男は仮面のオトガイ部に手を当て、何かを思案する仕草を見せる。

 けれどそれもほんの僅かな時間でしかない。

 

『そうだな、この場で全てを詳らかにすることも吝かではない。

 だが残念な事に何分にも時間がない、お前の命の時間が。忘れているわけではないだろう?』

 

 男がそう告げた直後、ズキッと左目が痛みを訴える。

 同時に視界にはここではない場所の光景が重なり合った。

 映り込んだのは薄暗い廃墟。

 重なり合うように倒れる数多くの死体、広がる血の海。

 下卑た笑みを浮かべ、構えたライフルの銃口を向けてくるブリタニアの軍人たち。

 ああ、そうだ。それこそ直前まで俺が居た絶望の世界。

 力が無ければ蹂躙されるだけの狂った世界。

 

『お前には死ねない理由が、生きる為の理由があるはずだ』

 

 当たり前だ。こんな場所で死にたい奴が居るはずがないだろ。

 俺にはやるべき事が、成さねばならないことがある。

 脳裏を過ぎる二人の妹──この手で守らなければならない存在と、この手で討たねばならない存在──の姿。

 

 ドクンッ、と何かが胎動する。

 いや、目覚めたというべきか。

 

 羽ばたきが聞こえ、釣られて天を見上げる。

 そこには黄昏色の光を浴びる禍々しい紅の怪鳥の姿があった。

 広げられた大翼に存在する無数の瞳、その全てが俺の姿を捉えていた。

 一見すれば得体の知れない存在であることは間違いなく、またその気になれば俺を苦もなく消し去れるだろうことは容易に想像が付いた。

 

 けれど恐怖や不快感といった感情は微塵も湧き上がっては来ない。

 むしろこの胸に抱くのは懐かしさとでも言い表せる感情であった。

 だからだろうか、初めて見るはずのその姿を識っているような気がして、本能が求めるが儘に手を伸ばしていたのは。

 

 力、誰にも負けない力、世界に負けない力、俺だけの力。

 

『ならばやるべき事は既に理解しているな?』

 

 言われるまでもなかった。

 必要なことは既に俺の中にあったのだから。

 

「ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアが命じる。貴様たちは────」

 

 そう、願い、命じるだけでいい。

 撃って良いのは撃たれる覚悟のある奴だけだ。

 なら既に引き金を引いた者達に対して、迷う必要も躊躇う必要もない。

 弁明も命乞いも聞きたくはない。

 ただ────

 

「死ね」

 

 黙って消えろ。

 

 結果は語るまでもない。

 実に呆気なくその場に新たな死体が追加された、それだけのことだ。

 

『どうだ。自らの言葉、己が力によって人を殺めた気分は?』

 

「お前なら分かるんじゃないのか?」

 

『くくっ。ああ、違いない』

 

 苦笑する男が役目を終えたとでも言いたげに踵を返し、背後に存在する石の扉に触れた瞬間、その輪郭が歪み始める。

 否、仮面の男の姿だけでなく、空間そのものが歪み、色褪せ、存在が稀薄になっていく。

 それはまるで蜃気楼が揺らめき、儚く消えていくかのように。

 時間か、それとも役目を終えたからか。

 何れにしろ、この世界は間もなく消えるのだろう。

 

『そうだ、最後に一つ忠告しておこう。あまり羽目を外すなよ、慢心すれば足下を掬われるぞ。などと言えばお前に言われるまでもないと返されるのがオチだろうがな』

 

「なら敢えて言ってやるさ、お前に言われるまでもない」

 

『くくっ、アハハハハッ』

 

 遠退いていく意識の中、男の楽しげな笑い声が耳に残る。

 終ぞその仮面の下にある素顔を拝むことは出来ず、正体を曝くことはできなかったが、それでも何故か男の事を昔から知っていたような気がした。

 確証なんてない。それこそ勘と言ってしまえばそれまでだが……。

 

 

 

 

 

     ◇

 

 

 

 

 

「何だ、童貞坊やには刺激が強すぎたか。なぁ、ルルー────」

 

 意識が完全に現実の世界に戻り、最初に耳にしたのは他でもない、己が唇を強引に奪った拘束衣の女のものだった。

 途端に眉間に皺が寄り、表情が険しさを増す。

 

 愛する人のためなどと乙女思考なロマンチストではなく、ファーストキス云々と口にする気はない。

 それこそ場合によっては、人より幾分優れた容姿を武器として使用することは選択肢にも挙がっていた。

 だがそれでも不満がないわけではない。

 だからだろうか、彼女に対する態度は自然と厳しいモノとなる。

 

「黙れ、痴女」

 

 口元を手の甲で拭いながら、そう告げて冷ややかな視線を向ける。

 すると彼女はどういう訳か驚愕に目を見開き、わなわなと唇を震わせると、足下から崩れかのようにその場へとへたり込んだ。

 そしてうわごとのように何故だ、どうして、こんなはずじゃない、何かの間違いだと繰り返す。

 

 まさか自分の行動を褒め称えられると考えていたのだろうか?

 いや、確かに左の瞳に宿り、発現した力のことを思えば、それを手にするための一連の事象は彼女を起点(トリガー)としていることは間違いない。

 彼女の存在がなければ、俺は無残にもこの場で命を落していた事だろう。

 つまりこの女は──釈然としない部分もあるが──まさしく命の恩人と呼ぶべき存在ということになる。

 感謝しないわけではないが、それを素直に伝えるには心の整理が必要だった。

 

「はぁ……」

 

 大きく息を吐く。

 さて、どうしたものか。

 窮地を脱したとはいえ、ここはまだ戦闘領域内だ。

 いつまでもこの場に留まっているのは得策じゃない。

 出来れば合流地点へと急ぎたいが、彼女がこの様子では難しい。

 少なくとも身を隠せる場所に移動したほうが良いだろう。

 しかしそう考えたのも束の間、どうやら行動に移すのが遅かったようだ。

 

 突如として轟音と共に建物の壁が崩れ落ちる。

 舞い上がる砂埃の中、それは姿を現わした。

 青紫色の巨人。

 その名はRPI-13=サザーランド。前世代機であるグラスゴーの実戦運用データを元に基本性能を高め、コックピットの居住性なども向上させた、現在のブリタニア軍主力KMFであった。

 生身で対峙すれば、それは死を意味している。

 本来なら一か八か尻尾を巻いて逃げることが得策であった。

 

 けれど今からでは不可能だ。

 すでに展開された頭部装甲の下、露わになった高性能センサー=ファクトスフィアが建物内部の状況をつぶさに捉えていた。

 俺の存在は元より、この血の海広がる凄惨な現場を余すことなく。

 ならばそれを見たパイロットは、当然生存者である俺に対してこう問い掛けるだろう。

 

『ここで何があった? ブリタニアの子供がこんな場所で何をしている、答えろ!』

 

 と、想像通りの言葉がサザーランドから放たれる。

 いや、何も放たれたのは言葉だけではない。

 

『さもなくば────』

 

 サザーランドは装備していたライフルによる威嚇射撃を行い、人間など容易く葬り去れる鉄の銃弾を撒き散らす。

 そしてより高圧的な口調で問い繰り返した。

 本来なら対象者は当然身を竦ませて、唯々諾々とパイロットの言葉に従ったに違いない。

 ただ生憎と今の俺には当てはまらないのだがな。

 

「ちっ、そこから降りろ。今すぐに」

 

 KMFのパイロットに対して絶対遵守の命令を下す。

 何人も抗うことの出来ない命令を。

 

『はぁ、ふざけているのか! 貴様、何様のつもりだッ!』

 

 だが返ってきたのは怒気を孕んだ否定の言葉。

 

 そうか、やはり直接対象者の目を見ないと駄目か。

 なに想定内のことだ、問題は無い。

 

 この不可思議な力と同様、いつの間にか脳内に刻まれた条件(ルール)は間違っていないようだ。

 だとすれば他の条件も同じと考えてもいだろう。

 誰の差し金かは分からないが、取り扱い説明書付きとはお優しいことだな。

 

「私はアラン・スペイサー、父は侯爵だ。内ポケットにIDカードが入っている。確認した後、保護を頼みたい」

 

 両手を挙げ、抵抗の意思がないことを示しつつブラフを口にする。

 貴族主義のブリタニアにおいて爵位は絶対的なステータスであり、爵位の序列は決して覆すことの出来ない力関係を如実に表わしている。

 前線に出るKMFパイロットには一代限りの騎士候位が多いことを考えれば、例え不審感を抱いたとしても無下にはできないはすだ。

 

『良いだろう。手は挙げたままにしろ、IDは俺が確認する』

 

 掛かった。

 思わず吊り上がりそうになる口角を抑えるのに苦労する。

 さあ、あとはチェックを────

 

 しかし時として世界は残酷に俺の想像を超えてくれる。

 再びの轟音と共に俺の視界には、新たに出現した紅いKMFがサザーランドを蹴り倒し、追撃によってそのコックピックブロックを粉砕する光景が映り込んだ。

 運のないことにハッチを展開させ、パイロットシートをスライドさせた矢先の出来事であり、サザーランドのパイロットは即死だったに違いない。

 

 一方、予期せぬ乱入者である紅いKMF=グラスゴーには見覚えがあった。

 今回の計画のためにブラックマーケット経由で入手した軍の横流し品だ。

 どこにでも不埒な考えを持つ者はいる。

 それが世界最強と名高いブリタニア軍だとしても、組織が巨大化するほど監視の目は届き難くなり腐敗の芽を取り除くことは不可能なのだろう。

 

「無事かい?」

 

 グラスゴーから降りてくるのはヘアバンドがトレードマークの青年、名は紅月ナオト。

 このシンジュクゲットーを中心に活動していた抵抗組織(レジスタンス)の一つであり──今回の計画を実行に移すに際して手を組んだ──通称紅月グループを率いるリーダーの男。

 彼は俺の前まで歩み寄るとおもむろに跪く。

 そして────

 

「貴方の騎士=紅月ナオト推参しました。ご無事で何よりです、姫」

 

 気障ったらしく戯れ言を宣いながら俺の手を取り、その甲に口付けを落す。

 

「ッ、離せ! お前を騎士にしたつもり、するつもりも無いと何度言えば分かる! それと二度と姫なんて呼ぶな!」

 

 背筋に悪寒を感じ、咄嗟に掴まれた手を払い除ける。

 

「あははっ、つれないね、姫は」

 

 くっ、コイツ。

 まったく悪びれた様子もなく立ち上がった紅月ナオトは周囲に視線を巡らせ、僅かに瞳を細めた。

 

「しかし派手にやったじゃないか」

 

 否応なく視界に入ってくる惨状。

 罪なき民間人、それも力なき同国民の亡骸。

 既に死体となっているが、銃火器を手にし、容易く他者の生命を奪える存在のブリタニアの軍人。

 この場で何が起きたのかを推し量る事は容易い。

 それでも紅月ナオトは感情的になることなく、冷静さを保っていた。

 

「この様子だと奪った毒ガスを使用したのかい? てっきり神経ガスの類だと考えていたんだけど、同士撃ちをしているところ見るに精神に影響を及ぼす種類(タイプ)だったのかな。いやはや興味深いね。

 ああ、でも興味深いと言えばそこのお嬢さんは何者なんだい? キミがこんな状況下で女を口説くとは思わないけど」

 

 紅月ナオトの鋭い視線が、俺の傍らで今もなお呆然としている少女を捉える。

 さて、この女の事をどう説明するべきか。

 真実をありのまま伝えることは論外だが、誤魔化すことは容易ではない。

 

「軍人から逃げる途中で出会った、詳しい事は不明だ」

 

「ふ~ん。ま、今はそう言うことにしておこうか」

 

 尤もこの程度の嘘が通用するとは最初から思っては居ない。

 目の前の男は、言動は軽いことも多々あるが聡い人間だ。

 だからこそ一定の信頼を置いている。

 

「さあ、いつまでもこうしているわけにはいかない。合流地点に急ごうか。もちろん彼女も連れて行くんだろ?」

 

「ああ、当然だ」

 

 巻き込んだ、あるいは巻き込まれた以上、このまま放置しておくことなどできはない。

 何より、もし仮に俺が手にした不可思議な力を誰にでも与えることができるとすれば、その脅威はもはや毒ガス程度の比ではないのだから。

 ブリタニア──いやクロヴィスの独断かも知れない──が捕獲拘束し、場合によっては人体実験に手を染めていたとしても頷けるというもの。

 

「暴れるようなら猿轡でも噛まして床に転がせておけばいい」

 

「おやおや、我が姫は随分と不機嫌なことで」

 

「まずはお前の口から塞いでやろうか?」

 

「熱いキッスなら大歓迎だけどね」

 

「勝手に言ってろ、馬鹿。お前はそいつを連れて先に合流地点へ向かえ、到着後は俺の指示があるまで待機。不測の事態への対応はお前に一任する」

 

「キミはどこへ行く気なんだ、零?」

 

 僅かに険を帯び、訝しげに紅月ナオトが問う。

 安心しろ、裏切ったりはしないから。

 

「決まっているだろ? 宴の準備だ」

 

 そう、ブリタニアに敗北という名の苦汁を振る舞うための盛大な宴だ。

 彼等は今日この日を以て知ることだろう、自分達が仮初めの強者でしかなかったことを。

 そして震えるがいい。弱者と侮り、見下し、踏みにじってきた者達が裡に秘めた刃に。

 

 さあ、反逆を開始しよう。

 

 

 

 

 

     ◇

 

 

 

 

 

 時折揺れる狭い通路、遠方より聞こえてくる爆発音をBGMに二人の少女が歩みを進める。

 

「どこもおかしなところはないでしょうか?」

 

 薄桃色の柔らかな髪の少女はどこか緊張した面持ちで、隣を歩む黒髪の少女へと問い掛ける。

 

「とんでもない、よく似合っているよ。後はいつものように堂々と演じればいいだけさ」

 

 着慣れない軍服を気にする薄桃色の髪の少女の姿を微笑ましく思いながらも、黒髪の少女は内心苦笑する。

 このやり取りは何度目のことだろうか、と。

 数えることも面倒になるほどであることは憶えている。

 

「私に上手く務まるか不安です……」

 

「君なら出来るよ、これまでも、そしてこれからも」

 

 そう言って黒髪の少女は薄桃色の髪の少女の手をそっと取り、繋いだ手に優しく力を込めた。

 そこには疑う余地のない絶対の信頼が含まれていた。

 

「大丈夫、ずっと私が傍に居るから」

 

 彼女達は互いに理解していた。

 これまで互いがその信頼に応え続けてきた事実を。

 だからこそ揺るがない絆の強さが存在していた。

 

「だったらいつものおまじないを掛けて下さい」

 

「恥ずかしいじゃないか、こんな所で」

 

「誰も見ていませんから問題ありません」

 

「それじゃあ上手くいった時のご褒美はなしだよ?」

 

「うぐっ、ひどいです」

 

 拗ねたように口を尖らせた薄桃色の髪の少女だったが、先程まで感じていた不安はもはやその胸にはない。

 足取りは軽く、そして力強い。

 

 二人が進む先、扉が彼女達を待ちかねていたかのように開いていく。

 踏み出すは今まさに幕を上げんとする舞台。

 その題名は後の世にシンジュク事変と呼ばれることとなる戦場であった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。