無責任野郎! 武蔵丸 清治 (アバッキーノ)
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第壱章 まあ、こんな奴
00 プロローグ


「いつ見てもこのお天気お姉さん、洗濯板な胸じゃのぉ…」

 ボーダー玉狛支部のリビングに備え付けられているテレビを見ながら、男がぽつりとそう言った。

 やや暗めの茶色い髪の毛は無造作に伸びている。おまけに、髪の毛にはいく筋か白いものが混じっているのが見てとれた。

 声音から、そしてわりとすっきりとした顔立ちからするとさほど年齢が高いとも言えない若者のようだが、その割には前髪が少々寂しい。そのせいで年よりも老けて見えてしまうのは残念だ。

 また、妙に年寄くさい言葉遣いもそれに拍車をかける。いやに年寄くさい若者だった。

 緑色のショートジャケットの両肩にはボーダーのエンブレムがついている。鈴鳴支部のそれである。

「そうかい? でも、俺はなかなか良いおしりだと思うけどね」

 残念な毛髪をした男の隣に座っていた若い男が、彼の声に応えるかのように言う。

 相手の男と同じような髪色、しかしそれとは逆に(当然ではあるが)豊富な、白いものが全く混じっていない髪の毛をオールバックにし、首から特徴的なデザインのサングラスを下げている。

 黒のラインの入った目にも鮮やかなブルーのジャケットは、隣の男とは対照的に若々しい二枚目の彼に良く似合っている。肩についているエンブレムは玉狛支部のそれだ。当然彼は玉狛支部所属のボーダー隊員である。

 口調や声音は隣の男と同世代だと感じさせるが、いかんせん見た目の印象全く逆だ。そのため、二人の会話は残念なエロ男とシュッとしたエロ男のそれになっている。

「お。ゆういっちゃんもそう思うか。わしもこの娘のおしりはなかなかのものだと…」

「だろ? あ。ぼんち揚げなくなった」

「なら、わしのうまい棒をやろう」

「サンキュームサさん」

 ボーダーに所属している人間であれば誰もが知る実力派(セクハラ&暗躍)エリート、迅 悠一が『ムサさん』と呼ぶ男は、ボーダー鈴鳴支部に所属するエンジニア、武蔵丸(むさしまる)清治(きよはる)だ。

 もっとも、実情を言えば彼もまた戦闘員であり、迅が所有する『風刃』と同じく黒トリガーと呼ばれる特殊かつ強力なトリガーの所有者でもある。

 そのため、基本的にはエンジニアとしての仕事に従事しているものの、防衛任務についている各隊のシフトによっては単独で防衛任務につくこともある。

 余談だが、黒トリガーは一般的なボーダー関係者は『ブラックトリガー』と呼ぶが、清治は『くろトリガー』と呼ぶ。

 一つ年下の迅とは妙にウマが合い、しばしば彼の元を訪れてはこうした下品な会話を交わしたり、くだらない悪戯を周囲に仕掛けたりしているのだ。

「二人とも。天気予報はそういう目で見るもんじゃないよ」

 シュッとしたセクハラエリートとハゲ散らかしたセクハラエンジニアの後ろからそう声をかけたのは、玉狛支部に所属するオペレーター兼エンジニアの宇佐美 栞である。

 戦闘においてもアクにおいても極めて強い面々の居並ぶ玉狛支部において、彼らを見事にサポートする彼女は控え目に言っても凄腕オペレーターであると言えた。

 明るい朱色のフレームのメガネをかけた黒髪ロングの美少女であり、エンジニアとしては清治の先輩にもあたる人物である。

「やあ。しおりん。しおりんはおっぱい関係なくえぇ女じゃ。うまい棒食う?」

 くだらない軽口を叩きながら、迅がぼんち揚げを他者に勧めるのと同じ要領で清治が栞にうまい棒を勧める。この口調、一体どちらが先に言い出したのだろうか。

「これはこれはありがとう。ところでムサさん。時間大丈夫なの?」

 栞に指摘されて腕時計を見ると、そろそろB級ランク戦の夜の部が始まる時間である。ということは、彼にとってはぼっちで防衛任務に当たる時間が近づいているということでもあった。

「もうんな時間か。ま、適度に真面目にやるかねぇ」

 そう言いながら清治は、傍らに置いてある程よく使い込まれた濃い茶色のテンガロンハットをかぶって立ち上がる。本人曰く『ハゲ隠し』だと言うが、口にするほど自分の毛髪が薄いことを気にしている様子はない。むしろ面白がっている風情がある。

「んじゃなムサさん」

 迅の声に『おう』と応えつつ、清治は恐ろしいほどに自然な動きで栞の左胸を右手で一揉みする。

「ぎゃあぁっ!?」

 栞が悲鳴を上げた頃には清治の姿は既にそこにはない。トリオン体とはいえ驚きの素早さである。

「あのやろ~… すっかり油断してたわ」

 驚きと怒りにわななきながらそう言う栞を尻目に、右手をあごにあてながら迅がほうほうとうなずく。セクハラ後に対象者から常に報復される迅とは違い、清治が対象者から反撃されている姿をついぞ見たことがないのだ。

 いや、彼がそのような行為をしばしばしでかすということはボーダー内でも有名なことなのだが、清治は巧妙に期間をあけて相手の警戒心を低下させ、確実に成功するタイミングを見計らっているのだ。この点について言えば迅のそれよりも悪辣であると言える。

 実際、栞が清治に胸を触られたのは一度や二度ではないのだが、以前触られたのはおよそ半年近く前になる。彼女が油断してしまうのも無理からぬことだろう。

 見た目は冴えないセクハラエンジニア。技術者としては並だが洞察力が高く、新規開発能力は決して高くないものの問題解決能力はそこそこ評価されている男。

 何より黒トリガーを所有するS級戦闘員であり、Cランクとはいえサイドエフェクトを2つも有する稀有の男。

 入隊時に黒トリガーを携え、初歩的な訓練の後に正式にS級に進むという異例中の異例の待遇を受けた男。

 それがボーダーきっての無責任男、武蔵丸 清治なのである。



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01 三輪 秀次とセクハラの双璧

 病室とは思えないほどに広くて明るく快適な一室だった。

 大きな窓に淡いマルーンのカーテンがかかっている。窓側の壁は美しい純白。この色は塗料の色ではなく漆喰の持つ独特のものだ。

 ベッドも病院のそれと言うよりは、それなりのステータスのホテルのスーペリアクラスの部屋に使用されているものと同等のものだ。窓に近い場所に設置されている。

 そのベッドの足元方向には見舞客がくつろげるようにソファーセットとリクライニングシートが設置されている。まるでホテルの上等な一室のようだ。

 患者は老人のようだ。怪我を負っているようでもなければ病気のようでもない。患っているのではなく寿命が近いといった感じだ。

 ベッドの傍らにはスーツ姿の男が立っている。黒のスーツに身を固め、オールバックにきちんと決めている髪型を見ると葬儀屋のようにも見えるが、それにしてはあまりにも目つきが鋭すぎる。また、彼の顔には、左眉辺りに大きな傷があった。

 スーツの男が何かを告げると、ベッドの老人は仰向けのままかすかにうなずいた。そして一言

「孫に… 残してやりたいのでな」

と告げた。

 

 遡ること4年半ほど前。人口約30万人ほどの人々が暮らす中核都市レベルの都市・三門市は、唐突に侵略者の鋭鋒を受けることになった。

 突如として謎の空間が広がり、その空間から異形の怪物が次々と現れ、市内を蹂躙していったのである。

 この怪物たちには通常の兵器はほとんど効果はなく、警察および自衛隊も成す術もなく撃退されてしまった。

 もはや三門市の失陥は時間の問題かと思われたその時、人々は思いもよらぬものを目にすることになる。

 『彼ら』は、侵略者― 近界民(ネイバー)のことを以前から調査・研究していたという。

 『彼ら』は、このような時のために密かに牙を研いでいたという。

 勇躍する『彼ら』の姿は、絶望と諦念の底にあった三門市民たちに希望とともに小さくはない疑義を植えつけることになる。

 彼らは自らを界境防衛機関『ボーダー』と名乗り、それまでどのような手立ても通じなかったネイバーを、まるで積み木の家を壊すかのように軽々と抹殺していった。

 喧噪が去ったあと、彼らは言った。

「我々はともに戦ってくれる隊員、隊員をサポートしてくれる職員を常に募集している。共に侵略者と戦い三門市を、そして世界を守っていこう」

 と。

 

 防衛任務が終了し、いつも自分が休んでいる休憩コーナーに向かう三輪 秀次の視界に、あまり好ましく思っていない人物の姿があった。

 使い古した感のあるテンガロンハットに、濃いエメラルドグリーンの隊服。ボーダー鈴鳴支部に所属する『いい加減男』の姿である。

 喫煙は禁じられている場所であるにもかかわらず煙草をくゆらせているが、この煙草は世間一般の認識する『タバコ』とは異なる。その男はパイプ煙草をくゆらせているのだ。

 飲料の自動販売機から少し離れた場所に置いてあるソファに腰を下ろしているその男は、書類に目を通しながら偶に右肩をそっと撫でる。彼自身無意識に行う癖なのだ。

「おお三輪っち。任務揚がりきゃ?」

 それまで普段あまり見ない真剣な顔をして書類に目を通していた男、武蔵丸 清治がこちらを向いて普段の調子で声をかけてくる。

 そんな清治に軽く頭を下げながら

 ―――ああ。やはり俺はこの人を好きにはなれん…

 三輪はそう思った。清治は三輪にとって苦手な人物に分類される。

 彼は、清治が他のボーダー隊員にどう思われているのかを良く知っていた。『非常勤エンジニア』『無責任エンジニア』『たまたま黒トリガーを起動できただけのまぐれS級隊員』『ごくつぶしのキヨ』『給料泥棒』『生ごみ』『セクハラの双璧』などなど…

 枚挙に暇がないという言葉は彼のためにあるように思える。

 その全てが清治に対する正当な評価であるとは、さすがに三輪は思わない。だが、その中のいくつかは実に的確に彼を表現しているとも思っている。

 ともかく飄々としてどこか掴み所のない雰囲気を醸す彼は、三輪が嫌悪するもう一人の『セクハラの双璧』に良く似ているように思われるのだ。

 ただし、ここで出会った時だけはなぜか別だった。普段ロビーなどで出会った時にはヘラヘラとしながら寄って来て、ずかずかと自分の間合いに入って来る。しかし、ここに来る時は挨拶こそするものの、それ以上話しかけてくることはなかった。

 ひょっとすると、彼は三輪がここにやって来る時は一人になりたいと思っていることを知っているのかもしれない。その気遣いも何となく腹が立つのではあるが。

 ボーダーの中でも精鋭であるA級の隊長である三輪だが、隊の作戦室には他の隊員もいる。

 彼らのことを嫌っているわけではないが、それでも一人になりたい時というものが人間にはあるものだ。

 そういうわけで、三輪は一人になりたい時はこの休憩スペースに好んでやって来る。どういうわけか、ここはいつも人がいないのだ。

 そして、だからこそ今目の前いにいる、どうも好きになれそうにない人物は、禁止されているにもかかわらずここで煙草を吸っているのかもしれないが。

 清治の煙草の香りは、不思議なことにこうした三輪の思いを柔らかくしていく。豊穣な甘い香りは経験上知っているタバコのそれとは全く異なると言っていいだろう。

 パイプ煙草は使用する葉によって、味わいや香りが大きく違うということは、しかし三輪にとっては知らないことだしどうでも良いことだった。

 ただ、彼はなぜかこの香りは嫌いではなかった。少なくともその香りをくゆらせている人物よりは。

 清治は徐に立ち上がると、自販機の方へ向かった。音からして2つ買ったようだ。

 2本出てきた缶コーヒーのうちの1本を三輪の方に投げて寄こす。

「どうも」

 受け取って礼を言と、三輪は先ほど清治が座っていた所から少し離れたあたりに座る。清治はそんな三輪の様子をニコニコしながら見送ると、再び元の場所に腰を下ろした。

 会話は無い。三輪は自分の考え事に耽っているし、清治は珍しく真剣な表情で書類に目を通している。時折首をかしげたり、本人曰く『ハゲ隠し』のテンガロンハットをかぶり直したりしながら。

 気に入らない人物と同じ空間に居るという時間を、しかし三輪は心地よく感じていた。

 どれほど時間が経ったことだろうか。それまで悠然と書類を見ていた清治が突然に立ち上がった。あまりに急なことで三輪が少し驚いていると

「んじゃな三輪っち!」

言うや、まるで何か恐ろしいものから逃げ出すかのように走り去っていく。

 呆然とその後姿を見送る三輪の視界に、走り去る清治を上回る速度で近づいてくる人物がいた。自分の隊のオペレーター、月見 蓮である。

 しかし、今の彼女の印象は三輪が普段受けているそれとはまったく違っていた。夜の闇をそのまま細く伸ばしたのではないかと思えるほどに美しい長い黒髪を、全速で走ってきたためかぼさぼさに振り乱している。

 息を乱しているその表情は、普段の落ち着いた聡明な印象とは程遠い。

「むさし…まるくん…どこ行った…?」

 息を切らせながら般若の形相でそう言う月見にたじろぎながら、三輪は清治が走り去って行った方を無言で指さした。

「っの野郎!!」

 今まで一度も聞いたことのない口汚い罵り言葉を残し、月見は一陣の風を纏って走り去って行った。

「…やれやれ」

 普段の彼にはそぐわない言葉を漏らすと、三輪は再びソファに腰を下ろした。

 ―――やはり俺はあの人を好きにはなれん…

 月見が清治を追った理由は簡単に想像がついた。考えるまでもないことだった。



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02 鬼怒田 本吉と非常勤エンジニア

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 ICUから一般病棟の個室に移ることのできた男は、しかしほとんど動くことはできなかった。

 左目は開いているようだがほとんど物を映さない。もっとも、仮に映していたとしても見えるのは無機質な天井だけだったのかもしれないが。

 利き腕はまったく動かなかった。左腕はどうやら動くようだが。もし後遺症が残るようなら色々不便だなと思った。ところで、何の後遺症なんだろう。

 ふと、どうやら見えるらしい右目の視界の端に何かが映った。人のようだ。黒いスーツを着た、顔に傷のあるおじさんが無表情に自分を見ている。誰だろう。

「目が覚めたかね…?」

 静かに問いかけるスーツの男の言葉を聞きながら、男は先ほどの疑問を自らにもう一度問いただす。彼の記憶の中にはこの男の姿はない。

 ベッドの男に頓着することなく、スーツの男はベッドサイドのスツールの上に何かを置いた。

「君のおじいさんの形見だ。もし、体が治ってその気があるようであれば、それを持って私のところに来るといい。地図は置いておく」

 それだけ言うと、スーツの男は静かに歩き去って行った。その後ろ姿を見ながら、ベッドの男は『この人は相当に遣う』と思った。はて、なぜそう思ったのだろう。

 じいさんか。そういや、入院していたな。あれ? どうして入院してんだっけ?

 彼の記憶が混乱しているのは、命の危機を脱した直後だからという理由だけではなかった。

 

 無外流という剣術の流派がある。現在世間で言うところの『剣道』は、明治時代以降になって発展した競技だ。そこには流派の垣根はなく、基本的には防具を着用して竹刀で、試合規則に沿って撃ち合う。

 もちろん、古代から続く武芸の線上にあるため、単に運動競技としてでなく、『人間』を鍛える武道でもある。

 一般的な道場ならば、無外流とて同じく無外流の『剣道』を教える。だが、武蔵丸道場のそれは競技としての剣道は全く教えなかった。

 教えるのは在りし日の剣術――― 『無外流真伝剣法訣』に記された、『鎮国』つまり国家の守護の要としての『剣術』である。

 そして、現代における無外流の第一人者である武蔵丸(むさしまる) 政実(まさざね)が、三門市の病院でその生涯を終えたことを知っているのは、全日本剣道連盟の関係者と、ボーダー上層部のごく一部の人間だけであった。

 

「おい大丈夫か? 首が傾いとるぞ」

 鬼怒田 本吉が心配そうにそう声をかけるのは、つい先ほどまでセクハラの報復を受けていた武蔵丸 清治である。

 彼は基本的にセクハラの報復を受けないように用心深く(いやな用心深さだ)立ち回っていたのだが、彼とて万能ではない。そうそう毎回報復を回避できるわけではないのだ。

 ボーダー内部でも有名なセクハラエリートが清治が報復を受けている様子を見たことがないのは、単に彼がその場に居合わせないだけである。もっとも、報復される確率そのものが低いのも事実ではあるが。

「大丈夫ですよポンさん。時機に治るんで」

 一言で言えばズタボロと言って良い状態で清治が言葉を返す。見た感じには全く大丈夫そうには見えないが。

 時に、鬼怒田のことを『ポンさん』呼ばわりするのはこの男だけである。彼がその名前のアナグラムである『たぬきぽんきち』と影で呼ばれているのはうっすらと本人も知ってはいるが、面と向かってそう言う人間はいなかった。

 それも当然のことで、鬼怒田はボーダーの根幹であるトリオン技術のパイオニアであり、トリガーの量産化、基礎システムの構築、ゲート誘導システムの開発など、彼の功績を挙げればキリがない。そして、その功績にふさわしい尊大な態度の彼は、尊敬はされてはいるが煙たがられているのもまた事実である。

 清治は、そんな鬼怒田の懐にごく自然に入ってきた。現れるなりまるで、親しい親戚の叔父さんにでも話しかけるかのように接して来たのである。

 鬼怒田も最初は、そんな彼を好きにはなれなかった。だが、どんな叱責にもめげることなく真摯に仕事に取り組む姿を見て、一応それを認めるようになったのだ。

 ただ、気になる点は多々あった。まずは勤務中の態度だ。どうも真面目に仕事をする人間の態度ではない。仕事自体はきちんとしているのだが、いかんせんふざけているようにしか見えないのである。

 また、残業を全くしない。ボーダーのエンジニアは激務であり、仕事があればいつまでも働くような側面がある。

 一般からすれば立派なブラック企業だが、慢性的な人手不足やエンジニアリングにおけるミスによる防衛の失敗という目も当てられない惨状を迎えることは絶対に避けなければならない。それは至上命題である。

 結局のところ、今のボーダーの根幹を支えているのは、華やかに見えるもののその実は命の綱渡りを続ける戦闘員と彼らを情報面でサポートするオペレーター、その両方を技術力で支える決して表舞台に出ることのないエンジニアたちなのだ。

 であるにも関わらず、清治は全く残業をしなかった。

 さらに悪いことには、清治は黒トリガーを所持するS級隊員でもある。そのため、防衛任務が入った際はそちらを優先することは上層部の認めるところなのだが、開発室のメンバーの中で彼が戦闘隊員を兼務していることを知っている人間はごくごく少数なのだ。

 そのため、防衛任務のために開発室に出てこないことがあったりするため、周囲からは欠勤だと思われているようだ。そのあたりから『非常勤エンジニア』などという渾名がつけられてしまったのだろう。

 加えて、彼はしばしば記憶の混濁を引き起こす。そのため、すでに報告済みである案件を再度報告して怒鳴られたり、テストが完了しているトリガーをテストエリアに放置したままにしてしまうことがしばしばあるのだ。

 そのあたりから『無責任エンジニア』などという渾名がつけられてしまったのだろう。

 だが、少なくとも鬼怒田が知る限り清治は与えられた仕事に対しては真摯であった。

 清治が主に行っている業務の中に、ログのチェックというものがある。それは重要な仕事ではあるが、功績にはなりにくいためにやりたがる人間があまりいない仕事だった。

 一言で言えば作業だ。トリガーにしてもシステムにしても、常に完璧な状態で機能するわけではない。例え再現性の低いバグでも一度発生してしまうと、場合によっては隊員や職員の命に係わる事態になりかねない。

 今の清治の仕事は、勤務時間の間中それらのログをチェックし、バグが発生しそうな兆候があれば対処するといったものだ。

 こうした、重要であるにも関わらず手柄にはなりにくい仕事を、清治は進んで引き受けた。1つには、自身の新規開発能力が他のエンジニアと比して低いという点がある。

 だが、彼が言うには

「わしが防衛任務に着いとる時にバグったら嫌過ぎる」

から真剣なのだと言う。

 真意は不明だが、とにかく彼は、新たな何かを開発するよりも発生した問題に対処する方に能力を発揮しているし向いている。功績は無いが仕事はきちんとしているというわけだ。不真面目な態度ではあるにしても。

 ところで、彼は業務とは別にある提案を挙げてきた。それは、自らが後天的に得ることになったサイドエフェクト『強化感知』を会得することができる可能性のある訓練内容およびその設備の拡充だった。

 清治はサイドエフェクトを2つも有する稀有な人材だ。1つは先天的な、高いトリオン能力が持つ人間に稀に発現する超感覚だ。そして、もう1つが今回の訓練の対象である『強化感知』である。

 これは、簡単に説明すれば第六感による認識能力だ。視覚や聴覚によらずに危機を回避する、あるいは感知する能力である。

 よく似たサイドエフェクトの持ち主で、現在B級ランク2位の影浦隊を率いる影浦 雅人の『感情受信体質』体質というものがある。

 周囲の人間の視線から感情を察知することができるというものだが、清治のそれは影浦のものと比較すると、それほど明確に感知できるというわけでもない。

 直観的に殺意、敵意、害意といったものを察知する感覚が優れている。一言で言えばそういったものだ。漫画などで主役キャラが、後からの攻撃を振り返りもせずに躱したりするようなアレである。

 できる場合とできない場合の差は歴然としており、当然ながらできる方が戦闘、特に混戦や乱戦では有利になる。ただ、鬼怒田は訓練の方法を問題視しているのだ。

「本当にこんなことで身につくのか? いや、それ以前にお前本当にこんなことをしていたのか?」

 鬼怒田が今見ている書類には、清治が書いた訓練内容が詳細に記述されている。簡単に言えば、木々が生い茂った急峻な山肌を目隠しをして駆け下りるというものだ。無茶苦茶である。

「やっとりましたよ。わしが3歳のころから、良くじいさんにやらされてました」

 右肩をさすりながらそう言う清治の言葉に驚いた鬼怒田は、彼が『あの』武蔵丸 政実の孫であり、最後の直弟子であることを思い出した。

 競技としてでなく古流剣術を極めた兵法家だった政実氏であれば、そういった修行を弟子に課していても不思議ではないとは、ボーダー本部・本部長を務める忍田 真史の言だ。

「ふ~む…」

 一つ唸ったあと、鬼怒田は実際にこの訓練を実施する場合に必要な設備や技術、問題点などを清治と話し合った。

 そう長くはないディスカッションの結果、必要な機材などを清治が所属する鈴鳴支部に搬入し、テストケースとして鈴鳴第一の隊員でその訓練を実施することが内定した。

 この件は即日決済を受けて鈴鳴支部に通達され、正式にモデルケース運用がなされることになったのだった。



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03 今 結花とセクハラエンジニア

「結論から言おう。我々の中で、これを起動することができる人間はいなかった」

 正面にいる、車いすに乗った男に対して男はそう言った。

 車いすの男は、その言葉に対して否とも応とも言わなかった。ただ、片方しか見えない目で、目の前にいる厳めしい雰囲気の男を見据えるだけだった。

「もしこれを君が起動できるのなら、それを使って私たちを助けて欲しい。また、仮に起動できなくともこれは君にお返しする」

 男に促され、車いすの男は身を乗り出すように右肩を伸ばし、その先が無いことを思い出して改めて左手を伸ばす。

「起動させるのは簡単だ。『トリガー起動(オン)』と言えば起動するし、言わなくとも起動する意思を持てば起動する」

 車いすの男は逡巡した。彼の言うように起動ワードを口にするのは少々恥ずかしい気がした。しかし、無言でいきなり起動するのもなんだか悪い気がする。

 数瞬の思案の後、彼は相手にも分かるように起動することにした。ちょいと恥ずかしいが仕方がない。

「トリガー起動(オン)

 その瞬間、部屋を眩い光が満たしていった。

 

 三八式歩兵銃というものがある。旧日本陸軍でかつて制式として採用された歩兵用の小銃で、日露戦争時代の主力小銃であった。以降、第二次世界大戦終戦まで日本軍の主力小銃として重宝された。

 口径は38口径、直径6.5mmの大きさの銃弾を使用する。歩兵銃のほかに騎銃、さらに後継である九九式やバリエーションである四四式など、複数の小銃が三八式小銃を基本として設計された。

 三十年式銃剣を着剣装置に着剣することにより、槍のように使用することも可能な汎用性の高いこの小銃は、しかし終戦後は連合軍に接収され、そのほとんどが廃棄処分となった。

 一部は警察予備隊(後の自衛隊)に配備され、その影響からか、現在の警察官の武装もこのサイズの口径の拳銃が使用されている。

 

 鬼怒田とのディスカッションの翌日には、鈴鳴支部の指定の部屋に必要な機材が設置され、その日の午前中に各システムの基本設定が完了した。

 鈴鳴支部に所属する唯一のオペレーター、今 結花が担当者から説明を受けている間、鈴鳴第一所属の隊員たちは盛り上がっている。

 ボーダーには、本部の他にもいくつかの支部がある。発足当初は所属する人員の関係で本部しか存在しなかったが、急速に組織が拡大したこと、また三門市全域をカバーするには本部だけではカバーが難しいことから、市内の各地域に支部を設置するようになったのだ。

 支部として有名なのは、間違いなく玉狛支部だ。

 所属する隊員が全員A級、かつ戦闘員としても隊としても間違いなくボーダー最強と目されていること、黒トリガー『風刃』を所有し、仮にノーマルトリガーであってもボーダー最高峰の戦闘力を持つ迅 悠一が所属していること、さらには支部長である林藤 匠がボーダー発足当時のメンバーでもあり、自身も忍田本部長に比肩する戦闘能力を持っていることもあるためだ。

 鈴鳴も含めた玉狛以外の支部の支部長は、基本的には一般的なボーダー職員であり戦闘員などではない。仕事も本部や他の各支部との連絡や地域住民の窓口的なものであり、そうした意味でも玉狛支部は破格と言えた。

 ところで鈴鳴支部の陣容は、後方で事務作業などを行う支部長を除けば、所属しているのは来馬を隊長とする鈴鳴第一の面々と、エンジニア兼S級戦闘員の清治だけだ。

 黒トリガーの優位性において、玉狛と鈴鳴は互角と言えるかもしれないが、その点を当の黒トリガーの持ち主である『まぐれS級隊員』に聞いてみると

「単純な戦闘力では、今ある3つの黒トリガーん中ぢゃ、わしのが一番弱いねぇ。わしのは戦闘力というよりは、継戦能力が高いという方が正しいけぇね」

という答えが返ってくる。

 また、所属する部隊も玉狛の部隊がA級なのに対し、鈴鳴の部隊はB級だ。戦闘力には大きな差があると言える。

 地理的に比較的近いことから、鈴鳴は玉狛と共同で防衛任務に着くことがあるのだが、そのたびに実力の差を思い知ることになった。

 個人ではアタッカーランキング上位にいる村上 鋼は別としても、隊長の来馬 辰也と隊員の別役 太一は、玉狛の足を引っ張らないように注意しつつ村上をサポートするのに必死だった。

 訓練が必要だ…

 彼らがそう考えるのも当然だったが、残念ながら鈴鳴支部には訓練をするための設備が無かった。

 現在の本部ができる前まではボーダー本部だった玉狛支部には、かつての本部時代の設備が残っている。その中には訓練用の設備も当然ながらあった。

 だが、鈴鳴支部は事情が異なる。現在鈴鳴支部が使用している建物は、来馬の父親がボーダーに提供したもので、建物そのものは一般的なビルに過ぎない。

 そのため、費用面などの問題から、これまで鈴鳴支部には自前の訓練設備が無く、訓練を行うには本部に出向くか玉狛支部との合同で行う必要があった。

 それがこのたび、清治が本部に対して挙げた提案が通ったおかげで、暫定ながら鈴鳴支部にも訓練用の機器が配備されたのである。支部にとっては清治があげた『功績』であるとも言えた。

「そんじゃ、ゆかりんの練習も兼ねて試運転と参りますかね」

 そう言う清治の言葉を聞きながら、今は清治と共にこの訓練の提案書を作成していた時のことを思い出していた。

 

「本当にこんな無茶な訓練をやるんですか?」

 今は聞かずにはいられなかった。仮想空間内とはいえ、木々が生い茂った急峻な斜面を目隠しをして駆け下りる。訓練と言うよりは、どこかの向こう見ずなやんちゃ坊主が度胸試しにやるようなバカな行為にしか思えない。

「わしは3歳の頃からじいさんにやらされちょったよ… ま、わしが後天的にサイドエフェクトを得た理由を色々考えたら、これくらいしか思い当たるもんが無かったんよね」

 さらりと言ってのける清治を、今は唖然として見つめる。

「それにの。この訓練の結果がどうなるかはわしにも正直分からんのぢゃけど、この訓練をモデルケースとして鈴鳴でやることにしちまえば、優先的に訓練機材を回してもらえるぢゃろ」

 今は今日二度目の衝撃を受けた。普段のちゃらんぽらんな態度などから『給料泥棒』『ごくつぶしのキヨ』などとも揶揄される彼に対する印象は、言ってしまえば同じ支部に所属する今にとってですら他のボーダー関係者と同じだ。

 一応の仕事はしている。らしい。というのも、鈴鳴支部は支部ではあるものの、その性質は詰所に近く、エンジニアが腕を振るう場面はこれまでなかった。そのため、本部での彼の仕事ぶりを今は直接知っているわけではなかった。もっとも、知っていたとしてもあまり変わらないかもしれないが。

 防衛任務にも出ているというが、今は来馬隊のオペレーションは経験しているが、清治は防衛任務に入る際は基本的にはフリーのオペレーターを起用している。

 何でも、経験の浅い入隊したてのオペレーターに経験を積ませるための練習台にされているらしい。これは本人の弁だが、彼の普段の行動から『ロリコンだから』年少のオペレーターと組みたがっているという噂もある。

 一度、不躾だとは思いつつも清治本人にその疑問をぶつけてみると

「う~ん… それは正しくはないな。わしは妙齢の女性も好きだから、ロリコン『でも』ある。ちう方が正しいね」

という答えが返ってきた。どちらにしても最低である。

 そんな彼が、支部に訓練設備を配備するために今回の提案を挙げたという事実が、今にはなかなか信じられなかったし、ひょっとすると態度にもそういう雰囲気が出ていたかもしれない。

 書類の作成作業の最中、ふと清治が

「訓練で経験を積めば、たいっちゃんも少し余裕が出てきて、もう少し落ち着いてくれんぢゃねぇかなと思って、ね…」

と漏らした。

 彼がたいっちゃんと呼ぶ人物は、鈴鳴第一に所属するスナイパー、別役である。

 明るく元気な人物だがとにかく落ち着きがない人物で、しばしば本人には全く悪気はないにもかかわらず様々な災厄を周囲に振りまいてしまう人物だ。

 結局のところ、それは彼が落ち着きが無く、何かやってしまうと勝手にパニックになってしまうためであるのだが、それを指摘してもなかなか治らない。

 空気を読まない発言やドジが多い彼に、今もほとほと手を焼いていた。

「たいっちゃんはね。わしとタイチョーが直接スカウトした人材なんよ」

 そう言って、すっと目を細める彼の表情は、普段のちゃらんぽらんな態度の彼には見られないものだった。何というか、出来の悪い弟を見守る兄、賑やかなわが子を慈しむ父親のような表情だ。

 普段では見ることのできない彼の一面と、密かに支部のことを色々と考えていることを知った今は、何となくこれまでの清治に対する評価を改めなければならないと思った。

 その後、本部に書類を提出に行く間際に彼女の胸を触って逃げ出したりしなければ。だったが。




ヾ(・ω・ )鈴鳴支部に来て
(。・ω・)ノ はい

実際に別役隊員がどのような経緯で鈴鳴に来たのかは、わしが知る限る不明です。
なんで、こちら限定ということで無責任の人と仏の人が直接スカウトしたことにしました。
ちょっとだけ先でその辺の話を書けたらと思ってたり思ってなかったり。


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第弐章 風雲ニャンコ編
A01 まぐれではなさそうな件


少しずつですが読んでくれている人が増えているようでうれしいです。
他のワートリ系小説を色々読んでいると、多くの人がそれぞれの観点で作品を愛しているということが良く分かります。
わしも自分でできる限りの範囲で、なるだけ多くの愛を注ぎ込んで書いていく所存でございますよ。
他の方の作品同様、わしなりの原作への愛が伝わるような作品になっていったらこれほどうれしいことはありませぬ。
えぇ年こいて言うことかいな恥ずかしい(*ノωノ)


「武蔵丸か。そうか、今日はこっちに来るんだったな」

 狙撃手用訓練室にふらりと現れた清治に声をかけたのは、ボーダー初のスナイパーにして最高の戦術家、東 春秋だ。

 現在はB級7位の東隊を率いる隊長だが、かつてはA級1位の隊だったこともある。もっとも、その頃と今とでは隊のメンバーは全く違うものではあるのだが。

 城戸派の急先鋒にして城戸指令の腹心でもある三輪、現在『ある理由』で隊はB級となっているものの、個人ではシューターランク首位、個人総合ランク2位にある二宮 匡貴、女子だけで編成された隊を率いる『華麗なる戦場の徒花』加古 望は、その当時の東の部下であり弟子でもある。

 また、玉狛第一の木崎 レイジや三輪隊の奈良坂 透、冬島隊の当真 勇と言った、ボーダーを代表するスナイパーたちも彼を師と仰ぐ人物たちだ。補足になるが、木崎に至ってはアタッカー、ガンナー、スナイパーのすべてをこなす、ボーダーでも二人しかいないパーフェクトオールラウンダーである。

 さらには、戦術面での弟子も数多い。最も有名なのは三輪隊のオペレーター、月見 蓮だ。東の正当後継者としても名高い彼女には、幼馴染でA級1部隊の隊長である太刀川 慶をはじめ数人の弟子が存在するのだ。

 そんな、戦力面においても人材面においてもボーダーに多大な貢献を果たしている東は、清治が『残業をしない』理由を知っている数少ない人間の一人だ。

「どーもトンさん」

 清治が東をそう呼ぶのは麻雀仲間であるからだろう。東も清治も、諏訪 洸太郎率いる諏訪隊の隊室で開催される麻雀大会の常連である。

 麻雀の牌の中に『東』と書かれた文字牌があり、それを『トン』と読む。もちろん東をそんな呼び方で呼ぶのは清治しかいない。

「わざわざこっちに来なくても、鈴鳴にも訓練設備が配備されたんだろ?」

「そこはそれ。支部の仲間には分からんとこで密かに牙を研ぐっちゅ~のがかっちょえぇぢゃないですか」

 おどけてそう言う清治だが、その真意がそこには無いことを東は知っていた。

 そのまま少し立ち話をした後、東は訓練室を出ていく。清治は訓練用のイーグレットを取り出すと的に向かって射撃を開始した。

 清治が訓練室を後にして、入れ違いで訓練にやってきたA級5位の嵐山隊のスナイパー佐鳥 賢は、中央に1つしか穴の開いていない的と、その隣にう○こを象るように撃ち抜かれた的を見ることになる。

 それはそれはみごとな練りう○こで、B級2位の影浦隊に所属する絵馬 ユズルが訓練の時に的に描くそれ(間違ってもう○こではない)よりも遥かに精度が高い。高いゆえに始末が悪いのではあるが。

 しかも、ご丁寧にその下に見事な楷書体で『う○ちくん』と撃ち抜かれている。射撃の精度が恐ろしい程に高いため、一瞬本当に筆で書かれているのではないかと見紛うほどだ。心底くだらないが。

 誰がこんなことを…? 彼には心当たりが全くなかった。

 

 訓練の後の心地よい疲れ(実際にはくだらないことをやった後の無駄な達成感)を楽しみながら例の休憩スペースで一休みした清治は、ヒマつぶしがてら個人ランク戦のブースへとやって来た。彼がここに来るのは珍しい。

 所有する黒トリガーの特性上、成り行きでパーフェクトオールラウンダーになってしまった清治は、周囲の多くの人間には分からないように密かに、しかし堅実にスナイパー、ガンナーとして研鑽してきた。

 ランク戦をやるようなことは無いが(名目上エンジニアなりS級なりなのでやらなくてもそう不自然ではない)訓練には案外熱心に参加している。実はエンジニアとしての勤務時間以外のほとんどを訓練に費やしているのだ。

 ここでもまた、清治にはいくつかの渾名がつくことになった。『訓練エース』『中途半端な模倣者』『勤務逃れ訓練マン』と言ったものがそれだ。そして、清治本人もそう言われていることは良く知っている。

 だが、ランク戦ブースに来ないのは別にそうした雑音を気にしているからではなかった。単に用が無いからだ。だいたい、そうしたことを気にするような人間ならとっくにボーダーを辞めていたことだろう。

 神経が太いのは、彼自身が誇る数少ない取柄の1つだ。ただし、それを取柄と考えているのは本人以外ほとんどいないのではあるが。

 では、今日は何をしにここへ来たのかと言えば、三輪隊所属のアタッカー、米屋 陽介の様子を見るために来たのである。

 米屋は現在A級7位の三輪隊に所属している。A級である以上彼が一線級の戦闘員であることは間違いないのだが、彼は十分才能に恵まれているというわけではなかった。

 槍型の弧月を携え、三輪隊では最前線を張る彼ではあるが、戦闘技術は極めて高いものの肝心のトリオン量は戦闘員としてはやや低い部類に入る。

 そのため本来射程が限定される弧月を、オプショントリガーである『旋空』を使ってトリオンを消費して刃を瞬間的に変形・拡張させるて使うにはどうしても制限があった。

 この弱点を彼は、持ち前の戦闘センスと型に捉われない発想で克服した。それが『槍型の弧月 + 幻踊』なのである。

 『幻踊』は、『旋空』のように弧月の射程を伸ばすようなことはできないが、刃の形状を変形させることができる。また、『旋空』よりも使用するトリオンの量はずいぶん少ないのだ。

 弧月はその性質上、柄の部分よりも刃の部分の方が必要なトリオン量が多い。その特性を逆手に取り、柄の部分が長く刃の短い槍の形状にすることによって、消費トリオン量を抑えた上で十分な射程を確保するというのが米屋が自らの創意工夫で導き出した戦法なのである。

 さてその米屋だが、先日開発室にあるオーダーを出したのだ。

「状況に応じて柄の部分の長さを、ある程度自由に変更できるようにして欲しい」

 という要望を挙げてきたのである。

 何でもその日、いつもの通り友人でもあり後輩であるA級アタッカー緑川 駿とランク戦を行った際、狭い空間ではどうしても槍の取り回しが難しく、そのせいで負け越してしまったと言う。

 ランク戦はあくまでも訓練の一環だが、実際の戦闘で同じような状況にならないとは言えない。そこで、その点を改善することが目的なのだそうだ。

 対応したのは清治だった。新しいトリガーの開発には向かない彼だが、既存のものを改造あるいは改善させる手腕には一応の評価がある。もっとも、最初清治が対応すると聞いた時の米屋の浮かべた表情は言わずもがなであった。

 だが、1時間もせずに改良を済ませたその手腕には、さすがの米屋も驚いていた。

「マジですか!? なんでそんなにデキるのにあんな風に言われてるんすか!!」

「さて。そりゃやっぱりわしのすんばらしぃ能力に周りが嫉妬しちょるんぢゃろうて」

 そう言って笑う清治に礼を言って、嬉しそうに立ち去ったのが昨日のことだった。

 で、さっそく今日試しているらしいという話を聞いて、ヒマつぶしに(ヒマだと思っているのは本人だけだが)やって来たというわけだ。

 

「あ! ムサシさんだ! ヤッホー!」

 ブース付近を、まるでお上りさんのようにあちこち見ながらフラフラ歩いている清治に声をかけたのは、B級12位の那須隊に所属するスナイパー、日浦 茜だ。彼女は清治に対して悪い感情は持っていない。

 それもそのはずで、清治は自分を『ロリコンでもある』と嘯いてはいるが、実際には中学生以下の少女に手を出したことが無い。そのため、日浦くらいの年齢の少女たちには他の女性隊員たちほどには邪険にされていないのだ。

「おお茜ちん。それにクマちゃんも」

 対照的に日浦の隣にいる同じく那須隊に所属するアタッカー、熊谷 友子は少しだけ警戒している。ボーダー内でも屈指のダイナマイトボディの持ち主である彼女は、清治のセクハラ被害者の常連である。

 ところで、そんな彼女が警戒しているとはいえ清治と同じ空間にいるのには、今であれば大丈夫だという確信があるからだ。

 先の通り清治は中学生以下の少女には手を出さないのだが、その他にも男女を問わず中学生以下の人間が近くにいる時は、たとえ隙だらけの女性がいても決して手を出さないのだ。

 『セクハラエンジニア』と呼ばれ、迅とある意味同類とされる彼ではあるが、どうやら青少年に対する最低限度の良心というものはあるらしい。であれば、手を出さなければよいのだが、本人はそうはいかないのだと言う。

「それは、そこにおっぱいがあるからぢゃ」

 という返事が返ってくるだけである。いやはや。

「二人は模擬戦きゃ?」

「ついさっきまで、那須隊のミーティングだったんです」

 先輩の熊谷が何も言わないので日浦が清治の問いかけに答える。そんな二人の後ろに、先ほどから清治が探している人物が少々浮かない顔をして歩いているのが見えた。

「米やん。えらい渋いツラしちょるやんけ」

「ああ。ムサさん。昨日はどうも」

 一応笑顔を浮かべてそういう米屋。

「どったの? う○こ出んの?」

 女子が近くにいるにも関わらずそう言い放つ清治に苦笑しつつ、米屋は先ほどまでの模擬戦の話をした。

 緑川と、さらにA級6位の加古隊に所属するアタッカー、黒江 双葉とそれぞれ30本勝負を行い、一応は勝ち越したらしい。だが

「思ってたほど優位性無かったんだよね~。そりゃま、昨日の今日であれだけどさ。せっかく改良したんだからなんかこう、劇的な変化があると思うじゃん?」

 話を聞きながら、それらの模擬戦のログをすべてチェックした清治は

「そんなら、わしが練習台になっちゃろう。ちょいと訓練室に行ってみようか。クマちゃん茜ちゃん。悪いんぢゃけどオペ頼んでえぇかね?」

そう言うと、日浦も含めた4人で訓練室の方へ向かう。

「お。ムサか。珍しいなこんなところで」

 声をかけてきたのは、ボーダー最強との呼び声も名高いナンバーワンアタッカー、太刀川 慶だ。A級1位に君臨する太刀川隊の隊長でもある。

「おおたっち~。あんたこそ遠征前の準備がアホほど忙しいこの時期に、総隊長がこんなところでぶらぶらしとっちゃいかんぢゃろ」

「まあ、その辺はA級1位の余裕ってやつだ」

 そう嘯く太刀川だが、実際には準備の役に立つどころか邪魔になるので隊室から追い出されたであろうことは想像に難くない。何というか、戦闘以外では残念なところがあまりに多い人物である。

「ところでお前ら、これから訓練でもすんのか?」

「そうなんすよ太刀川さん。こちらの『まぐれS級隊員』さんが、俺の練習台を買って出てくれたんで」

「ほう…?」

 返事をする太刀川の目が一瞬、まるで戦闘中でもあるかのように鋭くなったので、その場にいた清治以外の人間は思わず身をすくめた。

「そいつはいいな。しっかり相手してもらうことだ。得るものは案外多いかもしれんからな」

 そう言うと、太刀川はランク戦ブースの方へと去っていった。周囲からランク戦ジャンキーと目されている彼は、予想通りランク戦へと興じるつもりでいるのだろう。

 ―――得るものが多い?

 米屋にしても熊谷にしても日浦にしても、三者三様に太刀川の言葉に疑問を持った。

 米屋は清治がどういう経緯でS級になったかを知っていた。本部が入手した黒トリガーを起動できたのが、どういうわけか彼だけだったからだ。

 先ほど彼が口にした『まぐれS級隊員』というのもそのあたりのことを揶揄してのことだ。もっとも、米屋の場合は清治を貶めるということではなく、単なるいつもの彼らしい軽口に過ぎないのだが。

 熊谷と日浦に至っては、清治は戦闘員ではなくエンジニアだと思っている。今回米屋の訓練相手を買って出たのも、さっきの話で聞いたトリガーの改造の結果が思わしくないから、その解決のために言い出したことだと思っていた。

 そんな3人にとって、太刀川の言葉は意外だし意味が分からない。一体どういうことなのだろう…?

 3人してそんなことを考えながら太刀川の後ろ姿を目で追っていると、清治が姿勢を低くして太刀川に近づいていくのが視界に入った。足音を殺し、体が触れるのではないかと思うほどに太刀川に近づくと、両の手を硬く握り、両方の手の人さし指立てて太刀川の臀部に向けて思い切り振りあげる。

「▲◇×○☆彡▽×◎★~~~~~~っっっっ!!!」

 何とも言えない叫びとも悲鳴ともつかない声を上げると、太刀川は臀部を右手で押さえながらその場で倒れ伏した。

「今ぢゃ! 逃げるでっ!!」

 そう言って清治が訓練室に向かって走り出す。3人は慌ててその後を追った。

「ま、待て… お前ら…」

 立ち上がることができず、それでも走り去って行く連中を追おうと手を伸ばして、太刀川は力尽きた。

「何してんすかムサさん!」

「いや、なんかたっち~の癖にカッコいいようなセリフ言いやがったのが腹立って。たっち~の癖に」

「それにしても、なんであんなこと…」

「もちもちたっち~の癖にカッコよさげなセリフ言いやがって。もちもちたっち~の癖に」

「なんでわたしたちまで逃げるんですか~?」

「もっち~の癖にカッコいいようなセリフ言いやがったけぇぢゃ。もっち~の癖に」

 そんなことを言いながら、4人はそれぞれに楽しそうに訓練室の方へと走り去って行った。

 

 オペレーションルームにいる熊谷と日浦の二人には、今訓練室の中で起こっていることを信じることができないでいた。

「ゼェゼェ…」

 息を荒らげているのは訓練を実施している隊員の一人、米屋だ。そして、彼の視線の先にいるのは様々な渾名と悪評を集めている男であった。

 悪評男の指示に従って、熊谷は訓練室に狭い通路を展開した。幅としては、二人の人間がすれ違うためには、少なくともどちらか片方の人間が壁際に避ける必要がある程度の空間だ。

 ちなみに高さは約2.3m程度。立っている人間を飛び越すこともできなくもないが、それをやるには天井が低いと言えるであろうたじゃさである。

 そんな中で、熊谷と日浦が専任のエンジニアだと思っていた人物が、A級でもトップクラスのアタッカーである米屋を一方的に叩きのめしているのだ。驚いているのは叩きのめされている米屋にしても同じことだった。

 米屋が手にしているのは、先日柄の長さをある程度調整できるようにしてもらった槍型の弧月である。

 対して相手である清治が手にしているのは、トリオンで作られた八角形の棒である。本人はこれを『おしおきくんれん棒』と呼んでいる。長さは、標準時の米屋の槍よりも少し長めだった。

「そういや、米やんはわしのサイドエフェクトのことをよぅ知らんのぢゃったな。そりゃ悪かった。訓練とはいえフェアぢゃなぁの」

「…?」

 清治のサイドエフェクト、これはテストモデルとして例の無茶苦茶な訓練が運用されているアレではなく、彼が先天的に持っているものだ。『強化視覚』である。

 端的に言えば『死ぬほど目がいい』というものだ。例えば、彼の言葉で語れば

「30km先のおねぇちゃんのパンチラがハッキリと見える」

のだそうだ。

 だが、これはサイドエフェクトでなくともそうした人は存在する。例えば途上国などで、人も建物もあまり見当たらない、言ってみれば見渡す限りの大平原で生活している人の中にはこうした人はいるという。もっとも、その人はきっとパンチラを見るために目をこらしたりはしないとは思うが。

 清治のそれが単に『目が良い』ではなく『サイドエフェクト』として認定されているのは、これに加えて『トリオン体限定の透視能力』と『先読み』があるからである。

 『トリオン体限定の透視能力』とは、対象がトリオン体である場合であれば、遮蔽物の向こう側に居てもその姿を見ることができるというものだ。

 もっとも、例えば人型トリオン兵の姿がくっきり見えるというものではない。ただ、そこにトリオン体が存在することが『見える』のだ。このため、遮蔽物に潜んで奇襲をかけるという戦法は清治には通用しにくかった。

 『できない』ではなく『しにくい』のだ。それは当然の道理で、視界の外から現れる奇襲まで見えるわけではないからだ。

 もう一つの『先読み』とは、半径7m以内の範囲であれば、2秒後に起こる出来事を『見る』ことができる。今回のケースだと、米屋がどのような攻撃を繰り出すかというのを『先読み』で予測して対処することができる。

 一見便利そうに思える能力だが、どちらの能力も使用者である清治に対する負担がとてつもなく大きい。無意識に行っている『見る』という行為でさえ、脳にかなり大きな負荷がかかるのだ。

 そんな『見る』という能力を、集中することによって飛躍的に高める。つまり脳にかかる負荷も飛躍的に上昇することになるわけなのである。

 加えて、清治は後天的な理由で脳に多少の障害がある。彼がしばしば起こす記憶の混濁はそのせいで起こるものだった。

 そんな状況であるから、『トリオン体限定の透視能力』と『先読み』のいずれか、あるいは両方を行うのには清治には耐えることが難しいのだ。

 清治は、普段から自ら訓練することによって、集中とそれ以外の状態自らの意思で行うことができるようになった。常に透視するのではなく瞬間的に集中力を高める。同じようにして『先読み』も運用するのだ。

 選択と集中。それは開発におけるプロセスの1つでもある。曲がりなりにも技術者の清治にとっては当然の『作業』だった。発動させるケースの選択、どちらか、あるいは両方を発動させるケースの選択。そして、発動させた場合の集中運用と発動を解除するタイミングの選択、そのための集中。

 文章においてはほんの一文に過ぎないが、それを実行するために、この男は普段周囲が受ける印象とは真逆のことを懸命に行ってきたのである。

 ―――なるほど。攻撃が完璧にブロックされてるのはそのせいか。でも、注目すべきはその点じゃねぇみたいだな。

 米屋の考えた通り、今時点で注目すべき点はそこではない。清治の『おしおきくんれん棒』の使い方である。

 柄の長さを変化させることができる米屋の弧月とは違い、『おしおきくんれん棒』は長さの調整はできない。そして、その長さは米屋の槍の標準状態よりも少し長いのだ。

 にも拘わらずだ。清治は一度も壁に『おしおきくんれん棒』を当てるどころか掠らせることもなく、驚くべき速さと正確性で米屋を打ち付けた。

 米屋が槍を狭小なスペースでも取り廻しが利くように短くすれば、射程の関係でほとんど清治には届かない。かといって、標準の長さに戻せば途端に取り回しができなくなる。

 ―――こりゃあ完全にウデの差だな… さすがにこんだけ差を見せられちゃ、今後は『まぐれS級隊員』なんてジョークでも言えねぇわ。

 米屋が槍を扱いかねているのをよそに、清治は的確な体裁きと巧妙な持ち手の変更で、淀むことなく米屋を攻撃してきた。これではさすがに認めないわけにはいかないだろう。

 ―――ムサさんはたまたま黒トリガーを起動したからS級なのではなく、能力も高いってことをな。

「槍の使い方っちゅ~よりは体の使い方ぢゃね。もっと絞れば足の動かし方ぢゃ。その点が未熟ぢゃから、せっかく取り回しが便利になった新しい槍のメリットが発揮できてない。ま、そ~ゆ~こっちゃ」

 座り込んでいる米屋をよそに、先ほどまでのログを端末でチェックしながら清治が言う。

「特にここぢゃね」

 清治が再生している動画を米屋に見せる。それは先ほどの立ち合いのシーンだった。

 槍を構える米屋に、清治が素早く迫る。その時のことを米屋は思い出した。まるでせり出し来るかのように清治の体が大きくなったかと思うと、次の瞬間には風を捲くようにして迫って来たのだ。腹を襲ってきたその突きは、まるでミサイルのように荒々しく、それとは対照的に鋭いものだった。

 米屋は間一髪でその突きを躱しつつ、小さく左足を前に出した。右足を踏み込みつつ、カウンターを狙って清治の顔面を突いた。

 米屋の気合の乗ったその一撃は、しかしむなしく空を切るのみだった。そして、外したと思った瞬間にすさまじい横薙ぎの一撃を脇腹に喰らったのである。

「こん時、左足を前に出したのは間違いではないよ。ぢゃが、漫然と間をつめても相手はつかまらん。こういう場合は相手の体の流れに合わせてなきゃならんのぢゃ。そうすりゃ、このすさまじい一撃をわしが躱すなんてことは絶対になかったろうて。それほど突きの鋭さはすさまじいもんぢゃった」

 攻撃の鋭さを褒められたのは単純にうれしかったが、それで喜ぶ気には米屋はなれなかった。

「当たらなきゃ意味ねぇっすよ」

 自嘲気味にそう吐き捨てると、清治はそれまで米屋が見たこともないような真剣な表情で見返してきた。

「励むことぢゃ。おめぇさんはボーダーが誇る一振りの槍ぢゃ。おめぇさんが強くなるということは、つまりボーダー自体が強くなるということよ」

 驚いて自分を見返す米屋に、清治は一つうなずいて見せると言葉を続けた。

「励んでおるとな。おめぇさんくらいの年齢の時にゃ突然自分の才能に出会って強くなることがある。まさに鬼神のごとき勢いでな。正直そう年など違わんとも思うんぢゃが、それでもおめぇさんらの年の連中の勢いには驚かされっぱなしぢゃて」

 口調から、清治がやけに年寄じみたことを口にしていると思って米屋は苦笑した。しかし、気分は悪くはなかった。

「米やん。おめぇさんはもう、自分の真の才能に出会っておるはずじゃ。で、そんな自分でもどうやっても埋めることができん部分があるのも承知しとるじゃろう。ぢゃが、今がおめぇさんのピークでないことだけは確かじゃ」

 米屋は立ち上がった。

「ムサさん! もう一度お願いします!!」

 しかし、その米屋の頼みに対する清治の返事は驚くようなものだった。

「あ~ムリムリ。わしゃ1日5分以上真面目になると死んじゃう病なんぢゃ。もうタイムオーバー」

「へ…?」

 呆然とする米屋に

「ま、ログ見てしっかりやりゃぁえぇ。体を動かすだけでなくイメージするのも鍛錬の1つじゃからの。んぢゃの。バイビ~」

そう言うと颯爽と訓練室を後にする清治。

 むなしい風が吹き抜けたのは訓練室内だけではない。オペレータールームも同じことであったという。




各隊や各個人の実力や順位などはBBFに準拠しています。
ので、おそらく原作のランク戦スタート時とは違うのではないかと思います。
特に触れていませんが、未だ今作では原作の内容に突入していないので、まだ前のシーズンのランク戦が終了していないので、まだ前シーズン最終戦が終わってないとでも思っていただければ(^^;


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A02 加古チャーハンが黒トリガーな件

そこそこの人数の方がお気に入りに登録してくださっているようです。ありがとうございます。
正直自分が楽しいだけの作品になりつつあるので、それでも我慢して読んでくださっている人がいることが意外でもあり、それだけにとてもうれしいです。
年内にはあと1回ないし2回は更新できたらと思います。


 三人の男が、ボーダーA級6位・加古隊の隊室にいる。ガールズ部隊として有名な加古隊だが、この隊室にはある理由から一部の男性隊員が『強制的に』やって来る。

 招集の言葉は色々ある。だが、その意図するところは常に一致していた。『チャーハンを作るから食べに来るように』である。

 ボーダー内において加古隊隊長の加古 望が、才能があるイニシャルが『K』の人物を隊にスカウトすることは有名だ。そして、それに並び立つのがチャーハン作りを趣味としていることだった。

 だが、もっと有名なのがおよそ2割にあたる『ハズレチャーハン』だ。

 加古の作るチャーハンはすべて彼女が独自のレシピで作る創作である。その意欲は大変に高く、前衛的で実験的なレシピを作り出し、それを試すことに余念がない。

 はたかれ聞けばとても良いことであるように聞こえるが、先の通り彼女の作るチャーハンの2割は失敗作だ。しかも、その失敗ぶりが半端ない。

 『不味い』という言葉では到底追いつかない。『ゲテモノ食』と言っては本家本元のゲテモノ食に対して申し訳が立たない。端的に言えばそういうレベルだった。

 しかし、それを試食した人物たちは、ハズレチャーハンが既に食物ではないということを本人に伝えることはできなかった。

 理由はわからない。いや、上げようと思えばいくつかの理由は上げられるかもしれない。

 例えば彼女の容姿だ。一般家庭に生まれたということが信じられないほどに彼女の立ち居振る舞いにはセレブオーラがあふれている。そのオーラに当てられて本当の味の感想が述べられないというもの。

 これに付随して怒らせるのが怖いというものがある。彼女は機嫌が悪くなると目がスッと細くなる。その時の眼光は恐ろしいもので、個人総合ランキング1位に君臨する太刀川も逆らうことができないのである。

 まあ、諸々のことはさておき、とにかく招集がかかってしまった以上実際に呼び出された人物は、大袈裟ではなく生き死にのかかった賭けにしてはやや分が悪い2割のハズレが、自分にやってこないことを神に祈るしかないのだった。

 今日呼び出されたメンツは、二宮 匡貴、堤 大地、そしてセクハラエンジニアである。

 二宮は個人総合ランキングは太刀川に次ぐ2位、シューターランキングは堂々の1位につける強者だ。どこか抜けているところがあって何となく愛嬌のある太刀川とは違い、多くのボーダー隊員に尊敬されつつも恐れられ、敬遠されている人物である。

 そんな彼ですら、加古の招集には応じざるを得ない。それは、単に加古とかつてのチームメイトであり、東の元で薫陶を受けた仲間だからというだけではなかった。

 堤 大地はB級10位の諏訪隊に所属するガンナーだ。近年火力差による相対的な地位が下降しているガンナーにあって、彼もまたその煽りを喰らっている人物だ。もっとも、糸目のどこか優し気な風貌に似合わず、彼の戦法は隊長の諏訪 洸太郎と同じく散弾銃型トリガーを使用するダイナミックなもので、普段の落ち着いた物腰からは想像もつかない良く言えば豪快、悪く言えば力押し一辺倒な戦法と言える。

「おい。いつもの作戦通りで良いんだな?」

 キッチンで鼻歌まじりにご機嫌でチャーハンを作っている加古に聞こえぬように、小声で二宮が清治に確認する。

「おお。それがここから全員が生きて帰る最良の策ぢゃろうけぇな」

 珍しく神妙な面持ちで清治が答えた。仕事以外で彼がこのような顔をするのは、この状況以外にはありえないことだろう。いや、一部の隊員やエンジニアの中には、仕事中ですら清治のこうした表情を見たことのない人間の方が圧倒的に多いことだろう。

「でも、毎回それじゃ清治くんに悪いよ」

 同じく小声でそう言う堤。戦闘においては苛烈な戦い方をする彼だが、普段の彼は誰よりも周囲に気を遣うことができる人物なのだ。

「いや、つつみん。双葉ちゃんがおらん今、アレに耐性があるのはわしだけぢゃ。ご存知の通りわしはそう役に立っとらん人間ぢゃ。役に立つ人間をここで倒れさせるわけにはいかん」

 『双葉ちゃん』とは加古隊のアタッカーであり、若干13歳にしてA級隊員という天才少女の呼び声も高い黒江 双葉だ。彼女はまた、加古の作るハズレチャーハンに耐性を持つ稀有な人物でもある。

 黒江がいない以上、彼女と同等かそれ以上に耐性を持つ清治がこの難局にあって他の2人の盾となるのは、彼からすれば当然のことであった。

 それにしても、やはり2人はあまり気が進まなかった。清治の悪い評判は確かに高いし、二宮にしても堤にしてもこれらの情報なり噂なりをいくつも耳にしている。

 だからといって彼を『弾除け』に利用するには良心の呵責というものがあった。

 実際の戦闘ではそうした甘さは自分、引いては仲間の危機にもつながるのだが、ここはまがりなりにもボーダー本部の中だ。もっとも、悲壮感が実際の戦場よりも強いのではあるが。

 そうこうしている間にも加古のチャーハン、二宮の言う『黒トリガーチャーハン』は完成へと近づきつつある。

 

 いつもの作戦とは、まずは3人がそれぞれのチャーハンを一口食べる。その味でアタリ判定を行うのだ。全てがアタリならば問題は無い。ただただおいしくいただくだけである。

 うち1つがハズレだった場合、そのハズレを清治が食べ、他の2人はアタリを食べる。子供の頃の『ある習慣』のおかげで、清治はこうした『かわいそうな食材』に一定以上の耐性があるのだ。

 ハズレが2つだった場合は、そのうち1つを清治が食べる。残りの2つを二宮と堤が半分ずつ食べる。2人にはある程度ダメージが残るが完食するよりはマシだし、ハズレを食い切ったあとで食べるアタリには極上のスパイすとなる。半分とはいえその『ハズレ』を完食できればの話ではあるが。

 だが。

「さあできたわ。食べて食べて」

 加古がやり切った満足げな笑顔で3人に成果物を提出する。そして、スプーンの半分ほどの分量ををそれぞれが掬って一口食べる。その瞬間3人は固まって白目になった。

 ――― ま… まさかの全部ハズレ… だと…?

 もちろんその可能性を全く除外できるわけではないことは3人とも分かっていた。だが、可能性は極めて低い。あったとしてもハズレが出てくるのは全体の2割で、その2割がすべての皿に当たるとは普通は考えられない。

 これまでこの『スリーマンセル』で全てがハズレだったことは1度もない。だが、可能性が低いとはいえ全くないわけではなかった。そして現実に今、目の前に極めて可能性が低いそれが現れてしまったのである。

 ようやくのことで正気に戻った3人は、スプーンを加えたままお互いに目で会話する。どうする、これどうすんだ、一体どうすりゃいいんだ… と。

「どうかしら? 今回はちょっと工夫してみたんだけど」

 加古が言うには、以前評判の良かった味のレシピにさらなる変化を加えてみたとのことだった。評判が良かったレシピ… それが本当においしいものだったのかどうかすらも分からないし、今目の前にある危機のことを考えれば、3人にとってはどうでも良いことだった。

「これはなかなかイケる…」

 瞳孔が開いたまま、そう言って二口目をスプーンに掬ったのは清治だった。他の二人はさすがにすぐにそうした行動には出れなかったが、とにかく感想だけは口にしなければならない。

「なかなか斬新な味だな…」

「味わい深いね…」

 なんとか言葉を絞り出す。

「そう。良かったわ。今飲み物を持ってくるから少し待っててね」

 実際はちっとも良くはないのだが、加古は満足げな笑顔を浮かべるとキッチンへと姿を消した。

 ――― こんなもの、この後どうしろと言うんだ…

 二宮と堤が考えていると、清治が何を狂ったのか猛然と自分の皿を平らげはじめた。

 驚く他の二人をよそに、自分の皿が空になった清治は、二宮の目の前に置いてある皿へと手を伸ばした。

「おいよせ! いくら何でも無茶だ!」

 小声で、しかし強い語調でそういう二宮の言葉を無視して、清治はすさまじい勢いでその皿に盛られていた『お気の毒なチャーハンらしきもの』を平らげた。

 料理を自らの口の中に流し込むさまは、擬音で言えば普通は『バクバク』あるいは『ガブガブ』といったものだろう。しかし、今の清治の食べ方は、『ドルルルル』あるいは『ガババババ』と言う方が正しく表現できる擬音であったろう。

 もし事情を知らない人間が今の清治を見たら、今回の加古のチャーハンはアタリだったのだろうと思うに違いない。それほどまでにすさまじい食いっぷりだ。

 二宮の皿を空にした清治は、さらに堤の皿にも手を伸ばす。

「もうやめるんだ清治くん… 君ももう限界のはずだ!」

 やはり小声の強い語調で堤が言うが、ここでも清治は驚くほどの速さで『チャーハンだったかもしれないもの』を平らげる。そして、皿を堤の前に置くと、それまで見せたことのない表情を浮かべた。

 その顔は完全に絵文字だった。つまり

 (゜▽゜)

だ。

 「おいムサ…」

 「清治くん? しっかり…」

 しかし、清治は二人の問いかけにこたえることなくその表情のまま動かなくなってしまった。

 マズイ…

 チャーハンの味ではなく、今のこの状況について2人は思った。二宮と堤は、自分たちに被害を出させないがために清治が壊れてしまったのだと感じた。そして、それは間違えようのない事実だ。

 このシチュエーションとそうしてしまったことへの呵責が2人を困惑させ、苛んでいる間に、トレイに3人分のお茶の入った大き目のコップを乗せて加古が戻って来たのだった。

 

「あら。3人とももう全部食べちゃったのね。うれしいわ」

 言いつつ加古が、銘々の前にコップを置いていく。

「で、どうだったかしら?」

 もちろん彼女は味のことについて質問しているのだが、二宮と堤は即答ができない。

 先ほどの清治の行動に驚いたのもあるし、なにより2人は最初の半口しかチャーハンを口にしていない。そのため、一瞬どう言ったら良いものかと悩んでしまったのだ。

(゜▽゜)「オイシカッタデスヨ~」

 普段よりも少し上ずった、しかも日本語がたどたどしい外国人のような口調で清治が言うのを聞いて、二宮と堤はギョッとした。二人が見返ると、彼は先ほどの表情のまま言葉を続ける。

(゜▽゜)「コンブノアジガほドヨクきいテてオイしカッタでスヨ~。たダイッパンウケハシナイカモ~」

 二人の僚友が呆然と見つめる中、清治はまるで壊れたテープレコーダーのようにそう言った。

「そうなの。じゃあ、一般受けするにはどういった工夫が必要かしら?」

 清治のおかしな様子が気にならないのか、加古が真面目な顔で質問する。

(゜▽゜)「こンぶをチョクセツつかウンジャナクテ、ちょっとダけツカッテダシヲトッテ、ソレヲゼンタイニカケテイタメルトイイかモ~」

 トリガーチャーハンを食べてぶっ壊れてしまったとは思えないような的確なアドバイスをする清治。その言葉に加古は神妙な顔をしてうなずいている。

「なるほど。それは良いわね。こんどやってみるわ。ありがとう」

(゜▽゜)「ドウイタシマシテ~」

 『地獄の食事会』が散開し、3人は並んで加古隊の隊室を後にした。清治は立つことはできたものの、フラフラと動いていたので二宮と堤が二人で両側から支えて連れて出た。

「おい。大丈夫かムサ」

「清治くんしっかり」

 隊室から少し離れた所までやってきたので、2人が普段の音量で清治に問いかける。

(゜▽゜)「ダイジョブでスよ~」

 絶対に大丈夫ではない様子でそう言う清治。

「いや、大丈夫じゃないだろ… どっか痛いところはないか?」

 普段の彼からは想像もできない言葉を清治にかける二宮。彼からすれば、清治は自らを命がけで救ってくれた戦友である。そしてそれは、堤にとっても同じことだった。

 いや、むしろ堤にとっての方がその思いは強かったかもしれない。何せ加古のチャーハンで最もダメージを受けているのは堤なのだ。

 そのダメージが軽減させられているのは、誰が何と言おうと清治のおかげである。しかも、清治は最初は加古に招集されたわけではない。

 麻雀仲間の堤が加古の招集を受け、そのたびに瀕死の状態で戻って来るのを見かねて付き合ってくれているのだ。

 しかも、麻雀仲間としての清治はあまりにも筋が悪すぎた。諏訪曰く『ドンジャラでも小学校低学年に負けるレベル』なのだ。

 そんな清治は、他の麻雀仲間の好餌であったことは想像するまでも無いことだろう。例にもれず、堤も清治からたっぷり搾り取ったクチだった。

 にもかかわらず清治は、仲間の危機は放置できぬとついて来てくれているのである。そして、今回のことだ。

「おい。しっかりしろ」

(゜▽゜)「ダイジョブでスよ~」

「清治くん。気を確かに持つんだ」

(゜▽゜)「ダイジョブでスよ~」

「気分が悪いなら医務室へ連れていくぞ」

(゜▽゜)「ダイジョブでスよ~」

「どこか痛いところとかないかい?」

(゜▽゜)「ダイジョブでスよ~」

 もはや同じ答えを返すだけのおもちゃと化してしまった清治をかかえ、二宮と堤は途方にくれるのだった。

 

 隊の訓練が終わり、いつも自分が休んでいる休憩コーナーに向かう三輪の視界に、あまり好ましく思っていない人物の姿があった。

 ただ、その様子は普段見かけるそれとはまったく異なっている。まず、ソファの背もたれにむかってうつ伏せにおおいかかるように寝そべっている。他人事ながら寝づらそうだ。

 その様はまるで、脱いだ服をだらしなくソファに引っかけているようにも見える。

 そしてまた、そんな彼の横に座っている人物は三輪にとっては意外な人物だった。

「二宮さん…」

 かつての東隊のチームメイトであり、先輩である人物がそこにいるとは思わなかった三輪は、二の句を告げることができなかった。

「三輪か。休憩か?」

 言いながら二宮は、同じチームに所属していた頃から三輪が、しばしば一人の時間を作るためにどこかに行っていたことを思い出した。おそらくあの時も、そして今もきっとここでそうしていたのだろう。

「邪魔をしてすまんな。こいつがここへ運べと言うから連れて来たんだが…」

 そう言う視線の先にいる人物は、先ほどからずっと三輪に尻を向けている。こんなに近くにやって来ても何の反応も示さないということは、このマヌケな態勢のまま気を失っているのかもしれない。

「それより珍しいですね。二宮先輩がこんなのと…」

 言いつつ三輪は、あまり好まない人物に好ましからざるといった視線を向ける。だが、意外なことに二宮は、そんな後輩を窘めた。

「そう言うな。こいつのおかげで俺と堤はアレの猛威にさらされなかったんだからな。もっとも、そのせいでこのザマなわけだが…」

 『俺と堤』と『アレの猛威』。この2つのワードで三輪は、二宮が何を指しているのかを一瞬で理解した。加古のチャーハンだ。

 三輪と二宮、そして加古は東隊の元メンバーだった。かなり個性の強い集まりだが、彼らを見事に統率し、また戦術とはどういうものかを叩きこんだ東に対し、三輪にしても二宮にしても、もちろん加古にしても未だに強い敬意を持っている。

 で、その同じ隊にいた関係で、東にしても三輪にしても加古の作るチャーハンに毎度倒されていたのである。

 今はそれぞれに隊を持ち、そうそう一時に全員が集まることはないのだが、二宮が今でも加古に招集されているということは三輪も知っていたし、尊敬する先輩には申し訳ないが自分に招集がかからないことを少し喜んでいたのである。

「こいつは、加古の完全ハズレのチャーハンを完食したんだ。自分のだけじゃない。俺と堤の分も、な…」

 二宮は周囲の人間に恐れられてはいるが、冷徹ではあっても酷薄ではないことは直接付き合いのある人間なら誰でも知っていることだった。おそらく二宮は、盾となってくれた清治に対して恩義を感じているのだろう。

 堤もここに残ろうとしたが、防衛任務が入っていたためやむを得ず席を外しているらしい。親切で義理堅い彼にとっては、今回の防衛任務は二重の意味で辛いものになることだろう。

 三輪からしても、尊敬する先輩を黒トリガーの『魔の手』から守ってくれたことには感謝の念を持った。もっとも、だからといってこの人物を好きになるのは難しそうだったが。

 二人の会話を聞いたのか、清治が動き出した。しかし、その動きは少々不気味に過ぎた。

 なんと清治は、その態勢のままゆっくりと顔『だけを』三輪の方に向けてきた。体を正面(ソファの背もたれ)にむけたまま、首だけをゆっくりと三輪の方に向けるさまは、まるで映画『エクソシスト』に登場する、悪魔『パズズ』に取りつかれた少女・リーガンのようだった。

 ただし、表情は彼が加古隊の隊室から運び出された時と同じだ。むしろその方が怖いようにも思えるが。

(゜▽゜)「三輪っち…」

 不自然な恰好(と顔)のまま、清治が三輪に問いかける。

「な… 何ですか…?」

 普段とはあまりにもかけ離れた様子に、さすがの三輪もたじろぎながら問い返した。

(゜▽゜)「…シュワッチ」

 清治はそう言うと、再びがっくりと倒れ伏した。

 驚く二宮と三輪の耳に『プ~』という音が聞こえた。その音が何であるかは、経験則などなくても誰にでも分かることだった。しかし、その後に起こったことは二人の予想あるいは予測を遥かに超えていた。

「ぐぁっ! こ…これはっ!!」

「くっ…」

 二人ともそれ以上の言葉を口にすることはできなかった。とにかく急いで休憩コーナーを後にすると換気システムを作動させる。

「一体何ですか!?」

「ああ。この世のものとは思えん臭さだった…」

 換気が完了した休憩室に戻ってきた二人は、先ほどと寸分違わぬ態勢でソファにかかっている男を見つめた。

 悪気があったわけでもなければワザとでもないことでもあるが、三輪におっては災難以外の何物でもない。

 ――― やはり俺はこの人を好きにはなれん…

 三輪がそう思うのも無理からぬことだった。




なんか統計を見ていると三輪隊員の出ている話が一番カウンターが回ってます。みんな彼が好きなんですねぇ。
もっとも、今回彼が登場しているのはそれを狙ったわけではありませんよ念のため。

P.S.
やっと単行本買いました。5巻までぢゃけど。どういう意図で買ったか見え見えですな(^^;


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A03 防衛中は立ちション禁止な件

 防衛任務に入る前にトイレで用を足し、まだ少し時間があるのでロビーでぶらぶらしている清治に声をかけてきたのは堤だった。

「清治くん。あの後は大丈夫だった?」

「ああつつみん。なんか気が付いたら隣ににのみ~と三輪っちがおったょ」

 堤の言う『あの後』とは、言うまでもなく先日の『加古チャーハンに悶える会』のことだ。

 すべての皿がハズレだったという壊滅的な状況から二宮と堤を救った清治だったが、本人は2皿目を食べ始めたあたりからの記憶が全くなかった。

 そのため、その後どのような経緯でいつもの休憩室に自分がいるのか、また前後に自分がどのような行動・言動をしたのかも覚えていない。

 ただ、ボーダー内でも気難しい人物として名の知れている二宮が、こちらが恐縮してしまうほどに礼を言っていたのと、任務のためにその場にいなかった堤が詫びていたということ、そして何故か三輪にまで礼を言われたことだけが記憶にあった。

「あの時は本当に申し訳なかった。でも、おかげで防衛任務に穴をあけずにすんだよ」

「それだけは避けんとねぇ。まさか始末書にのぞみんチャーハンを食って卒倒したなんて書けんぢゃろ」

 そう言って二人は笑った。

「ぢゃ、わしはぼちぼち」

「そうか。今度この埋め合わせは必ずするよ」

「マジで? そんならわしフーゾクがえぇのぅ」

「いや、さすがにそれはちょっと」

「なら、おねえちゃんがおる店で呑みたい」

「それならいい… かな?」

 二人はそんな約束を交わすとそれぞれにロビーを後にした。

「お。にのみ~」

 出がけに二宮を見かけた清治が声をかけると、二宮が複雑な顔をした。それも無理からぬことだろう。

 二宮も堤と同様、過日の加古チャーハンの件について清治に感謝している。だが、そのあとの『屁ぇ浴びせられた事件』については少々思うところがないわけでもない。

 それは確かに意識のなかった時のことではある。本人に責任はない。理屈ではそうわかってはいるが、実際にあのような目に遭った当事者としては腹も立つやら情けないやらである。

 それでも二宮は恩義というものを忘れない義理堅い人間である。

「おい。予定が合う時に声をかけろ。焼肉おごってやる」

「ほほぅ。そりゃありがたいね。つつみんからはキャバクラに連れてってもらう約束があるが…」

「ならその前だな」

「そりゃまた豪勢ぢゃね。何か申し訳ないよ」

「気にするな…」

 そう言うと、ふいと二宮は立ち去った。

 

『でですねぇ。私が入ってついに海老名隊結成! なんですよぉ!』

「そうか。そりゃめでてぇな。ぢゃ、お祝いに今度飯おごったげよう。隊のみんなにも声かけとくとえぇ」

『いいんですか? やったー!!』

 今回『ごくつぶしのキヨ』こと清治のぼっち防衛任務をオペレートしているのは、晴れてB級の隊に入隊することが決まった武富 桜子である。

 ボーダーに入隊した時期のことを考えると、新しく隊に入るまでに随分と期間が空いている。それには相応の訳があった。

 武富は現在のランク戦実況システムの構築に一役買っていた。いや、むしろ彼女が主導していたと言っても良いくらいだった。

 入隊して暫く経ったある日、B級ランク戦を観戦した彼女は感動し、周囲に対して実況および解説を置くことを必死に働きかけたのだ。

 当初はほとんど話は進まなかった。それは当然のことで、入隊したての名も無きに等しい彼女の言葉に耳を傾けるのは、同輩の中で彼女と比較的親しいごく少数の人間だけだった。

 有力者を味方に入れなければならない。しかし、イキナリ上層部に働きかけるのも難しい。そこで彼女は、A級およびB級の隊員の中で比較的話しやすい、賛同してくれそうな人物を説得することにした。

 目を付けたのは、当時B級中位グループの隊を率いていた東だった。元はA級首位の隊を率いていたこともあり、戦術に対する造詣も深い彼に実況の有用性を説いて支持を求めたのだ。

 彼女自身が呆気に取られるほど簡単に東は了承した。後に彼は

「若いやつが何かやろうともがいている時に、手を貸してやったり背中を押してやったりするのが大人の務めだ」

と言ったという。

 すぐに彼は、A級上位部隊の隊長である太刀川、冬島、風間に話を持ち掛け、やがてその話、動きはボーダー本部長の忍田 真史の耳にも入ったのである。そしてそれは、武富の努力が報われた瞬間でもあったのだ。

 清治はその動きには参加しなかった。だが、上層部として実況と解説を実施することが決定すると、彼が主導してシステムの開発を行った。

 清治はどちらかと言えば、トリオン関係の開発をするよりもインフラの構築などに対する技術が高い。そんな彼が主体となって実況が必要な機材などを選定し、武富の依頼で音声を記録するようになったのだ。

 もっとも、録音された音声は武富の個人的な楽しみのために使用されているのではあるが。まあそれぐらいのわがままは許されても良いだろうと清治は思う。

 彼女の功績は彼からすれば、自分よりもはるかにボーダーに貢献していると思うからだ。

 そんなこともあって、清治は比較的武富と親しい。彼女がまだ中学生であるため『セクハラの双璧』たる彼の毒牙にかかっていないこともあるのだろう。武富が清治の任務のオペレーターになるのは3度目だった。

「しかし、そうなるとさ~くらちゃんにオペしてもらうんはコレが最後になるんか。おいさん少々寂しいわいね」

『大丈夫です! ウチの隊はまだまだ経験が浅いんで、ムサさんと共同任務ができるように色々お願いして回ります!」

「そりゃ重ね重ねありがとう。ところで、ちょっとすまんね。寒さで近くなった」

 そう言って清治は通信を切ると、徐にそのあたりでゴソゴソとしはじめた。大変道徳的によろしくないし、警官に見つかれば軽犯罪法違反でしょっぴかれてしまう行為である。そして、だいたいこうしたタイミングで悪いことは起こるものなのだ。

『座標誤差0.63! ゲート開きます!』

そう言う武富の耳に、清治の行為による効果音が小さく聞こえる。

「ちょま! まだ途中なんぢゃけど!?」

『何とか止めてください!』

「いやいやムリムリ! そんなんしたらおいさん痛過ぎて死んでまう!!」

『止めないと今死んじゃいますよ!!』

 危機的状況であるにも関わらず何と情けないやり取りなのだろう。そうしている間にも清治の後方でゲートは大きくなっていく。

 そして、中から見慣れた化物が姿を現した。自動車ほどの大きさで、ブレードになっている10本の足を持つ敵。モールモッドだ。それも2体も。

「ひいいぃぃ!」

 到底ボーダーの実戦要員とは思えない情けない声を清治が挙げる。

『ムサさん早く!』

「だから無理だって! ここの痛みはさ~くらちゃんには分からんのよ! こんな時に限ってまだ出るし!!」

 当然ながら敵は待ってくれない。モールモッドは清治の姿を確認すると、何の躊躇もなく襲い掛かって来た。 …もし敵がモールモッドではなく人型で女性だったら多少はためらったかもしれない。

「どわっ! どわっ! どわあああぁぁぁぁ~~~~~~~!?」

 情けない声を挙げながら、その態勢のまま必死で敵の攻撃をかわす清治。両手が塞がっているため攻撃も防御もできないのだ。

「ひぃ! ズボンにかかる!!」

『ズボンと命とどっちが大切なんですか!?』

「そりゃそうぢゃけども!!」

 この状況下でよく敵の攻撃をかわすものだと感心しつつも、武富は焦燥に駆られていた。

 彼女は、清治が任務に着く際のオペレートを複数回経験している。そのため、彼が周囲に思われているほど役に立たない人間ではないことを知っている数少ない人物なのだ。

 いや、彼女から言わせれば、普通に彼と戦って勝利を収めることができる者など、ボーダーの中に何人いるのだろうか。それほどまでに武富にとって清治は『強い』戦闘員だ。

 しかし、どこかやる気のない態度の彼に対して忸怩たる思いもあったし心配していた。その矢先にこれである。手に汗を握らざるを得ない状況だった。

 瞬間、清治の視界のすみに小さな黒い影が勇躍した。その刹那、後方でモールモッドが切り裂かれて倒れこむ音がする。

「あんた何やってんのよ」

 声をかけてきたのは、B級9位の部隊、香取隊を率いる隊長にしてエース、香取 葉子だった。

 

 実は清治と香取は顔見知りだった。4年半前の大規模侵攻以前、香取の家は香取隊のオペレーター、染井 華の隣だったのだが清治の家はその正面にあったのだ。

 だが、3人が幼馴染かと言えばそういうわけでもなかった。清治は3歳になると県外にある祖父の家に預けられることになったのだ。そして、大規模侵攻の半年ほど前にその祖父の体調が思わしくなくなったため、娘夫婦のいる三門市へ戻ってきたのである。

 年が離れていた上にお互いに多感な時期だ。性別の違いもあるので会えば尋常に挨拶を交わすこと以外に特に接点はない。

 むしろ、香取と染井にとっては彼よりも彼の母親の方が印象が強い。同じような年頃の子どもということで特に気にかけてくれていたのだ。

 清治の母親は良く2人に

「ウチにも2人よりちょっと年上の男の子が居てね」

と話していた。その彼女も大規模侵攻の時に帰らぬ人となったのである。

 その大規模侵攻の時、崩れた家から香取を助け出したのは染井と清治だった。心底自分を心配していた清治の顔を香取は今も良く覚えている。

 その後、安全な場所に移動する二人を清治は見送った。3人が再び顔を合わせるのは、その後香取と染井がボーダーに入隊してかなり時間が経ってのことだった。

「いやいや。お葉ちゃん助かったよ」

「ぎゃあぁっ!? 変なモン見せんな!!」

 清治がそのまま言うものだから、見られてはまずいモノがばっちりと露出している。香取は見たくもないものをしっかりと見てしまうハメになった。

「あらやだ。こりゃぁとんだご無礼を… おいさんもうお婿に行けないわ」

 言いつつ清治がいそいそとズボンを引き上げる。正面からもインカムからも『やれやれ』という言葉が聞こえて来た。

「だいたいあんた。防衛隊員としての自覚あんの?」

『そうですよ。香取せんぱいもっと言ってやってください』

 二人の年下の女子に攻めたれられ、ムサさんたじたじである。

「そうは言うても、生理現象ぢゃけぇねぇ…」

「そんなら出てくる前に済ませときなさいよ」

「いや、したんぢゃが外が寒くてな」

「年寄くさい…」

 正直、隊の隊員とは少々ギクシャクしている香取にとって、幼馴染であるオペレーターの染井を除けばここまで軽口を叩くことができる相手と言えば清治くらいだった。

 だからと言って、彼女が彼を好んでいるかと言えばそういうわけでもない。一応顔見知りではあるし、大規模侵攻の時に助けられもしたという程度の関係だ。

「なかなかに手厳しいね。でも、ホンマにありがと」

 そう言って清治が頭を下げる。

「ふん… さっさと手ぇ洗いなさいよね」

 香取がそう言った瞬間だった。

『座標誤差0.78! ゲート開きます!』

 今度は染井の声だった。香取隊の本来の持ち場にゲートが開いたのである。

「!!」

 二人がそちらに目を向けると、ポッカリと開いたゲートからバムスターが3体ほど現れた。

「チッ… 遠い…」

 オールラウンダーの香取は、先ほど清治を救った際に使用したスコーピオンの他に銃型のトリガーも使用する。しかし、それで攻撃するにしてもここからでは少々遠すぎた。

 いくら仲が微妙とはいえ、自分の隊のメンバーのいる場所である。気にならないわけがなかった。

「お華ちゃん。敵さんの目の位置だけ座標で教えてくんない。3体ともね。それからさ~くらちゃん。わしのトリガー使用の事後承認申請を頼む」

『わかりました』

 染井と武富が同時に応えると、清治は自らの黒トリガー『煉』を出す。外見は先端に銃剣のついた旧式の歩兵銃のように見えるが、見かけでは判断できないのが黒トリガーの黒トリガーたるゆえんである。

 細かい性能はまた別の機会に譲るとして、煉は近接戦闘、中距離戦闘、狙撃のすべてをこなすことができるという代物だ。

『申請完了しました』

『座標確認。送信します』

 清治は染井から送られてきた座標をもとに、昔のプロカメラマンが(今もかもしれないが)アングルを図るように両手の人差し指と親指を使って長方形を作り、その中をのぞきこんでいる。

 狙撃アングルが決まったらしく、煉を構える。大きく息を吸い込み、それを細くゆっくりと吐き出しながら、一瞬息を止める。

 その瞬間に香取は、清治のいる方角から2発分の銃弾の発射音を聞いた。だが、実際に発射されたのは3発。そして、そのすべてがバムスターの後頭部に命中した。

 バムスターは戦闘力は低いが装甲は固い。香取が知る限り、狙撃用トリガーとしてスタンダードなイーグレットでも後ろから1発で仕留めることは難しい。

 そうするためにはやはり正面から、敵の弱点である『目』を撃ち抜く必要がある。だが、その目も口の中にあり、口が開いた一瞬を狙って撃ち抜くか、近距離または中距離で攻撃を仕掛けて装甲を削るのが普通だ。

 装甲の厚い敵の、装甲のより厚い部分である頭部を後ろから狙撃しても、普通のトリガーでは傷をつけることはできても破壊することは不可能だ。

 だが、煉の狙撃は別だった。弾丸の威力はイーグレットよりやや高く、弾速はライトニングより上なのだが、アイビスほどの威力はない。

 煉がこれらのトリガーと圧倒的に違うのは貫通性だった。ボーダー本部の狙撃手用訓練室でそれを発射すれば、大きくはないが確実に壁を風穴を穿つ。

 そんな弾丸が着弾したのだ。3体のバムスターは同時にゆっくりとその場に倒れた。近くにいるはずの香取隊のメンバー、三浦 雄太と若村 麓郎は今頃面食らっていることだろう。

「黒トリガー… 何か思ったより地味ね。おまけにダサいし」

「こりゃまた手厳しい… もっとも、その通りぢゃけぇ反論もできん」

 苦笑しつつそう言う清治。だが、実は煉は中距離戦闘がもっとも派手であるということは香取は知るよしもない。

「とにかく。もっとちゃんと防衛任務やんなさいよね。それから…」

 そこまで言うと、香取は小さく舌打ちをして去って行った。ニヤニヤしている清治が癪に障ったのだろう。

『ごめんなさい武蔵丸さん。あの娘、ああいう性格だから…』

 染井がフォローする。清治も武富も良いコンビだなと思った。

「えぇよえぇよ。わしゃ気にせん」

『そうですよ。それに、ムサさんはもっとまじめに防衛任務しなきゃダメです』

「ありゃま怒られた」

『当たり前です! だいたい任務中に立ち…』

 そこまで言って武富は口ごもった。顔が見えるわけではないが、今頃は顔が真っ赤になっているであろうことは清治にも簡単に想像できた。

「それは女の子が言うちゃアカン奴ぢゃね。どうせなら座り…」

『武蔵丸さん』

 咎めるような声で染井が制する。

「またまた怒られちった。ま、これ以上怒られんように真面目にやるかね。真面目に」

 結局、清治が任務に着いている間はそれ以上ネイバーが出現することはなかった。




単行本5巻の巻末の4コマは面白かった。まさに三者三様な反応ですな。
特にラストの風間さんは秀逸でした。
もち川隊員やうちのムサさんだと、普通に箸で食ってそうですね。
思いっきりラーメンみたくすすったあと、
た:「あ?」
む:「おぉ?」
お:「いえ、なんでもありません…」
みたいな(^^

ズングリさん評価ありがとうございます!
評価・感想いつでもお待ちしています。乾燥はお肌の大敵ですが(^^)b


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A04 鈴鳴第一と無責任男の件

めり~くるしみます(つД’)
色々考えましたが今年のうちにこれを投稿することに決めました。
今年のイヴのディナーは焼肉っぽいやつをごはんに乗っけた丼です。
クリスマスプレゼントは木工用の10mmの電動ドリルの刃。
だんだん自分が何する人なんか分からんくなってきた(^^;


 防衛任務の最中に、同じく防衛任務についていた香取隊の香取に清治が逸物を見せつけている頃、ボーダー鈴鳴支部では導入された機器を利用して訓練を実施していた。

 これは鈴鳴支部に所属する戦闘員兼エンジニアの清治が、後天的に得たサイドエフェクト『強化感知』を他の人間でも会得することができる『かもしれない』訓練だ。

 仮想空間に斜面を作り、そこに適当な障害物を配置する。訓練を受ける者はその斜面を目隠しをして駆け下りるというものだ。

 最初から目隠しをするのはハードルが高いので、まずは適度に立ち止まるのが難しい程度の斜度を持った斜面に、飛び越えようと思ったら飛び越えられなくもない程度の高さを持った障害物を配置した。

 小手調べとばかりにこれを目隠しなしで突破する。ここまでは案外難しくはなかった。だが、斜面の角度をさらに上げると急激に難しくなった。

 まずはスピードだ。踏ん張りが利かない斜面なので、どうしても進む速度が速くなる。それだけならば良いのだが、その速度で障害物を避けると大変なのだ。

 横に躱すのが難しい場合が多いため、ほとんどの場合ジャンプで躱そうとする。そうなると、着地する先にある障害物に手もなく激突するハメになるのだ。

 今置いている障害物は、高さ2m弱のハードルのようなもので、すべての形状が一定している。そのため避けやすいはずなのだが、思ったようにそれを躱すのには意外に骨が折れた。

 それでも鈴鳴第一の隊長の来馬 辰也と隊員の村上 鋼、別役 太一は必至で訓練を受け、一応曲がりなりにもこの斜面を駆け下りることに成功した。次は目隠しをしてか…

「これはキツいよ。あの人、本当にこんなことを3歳のころからやってたのかな?」

 来馬が思わず口にした。

「やってはいたのかもしれませんけど、できてたかどうかは別問題なのかもしれませんね。何せ本人からは『できてた』なんて言葉を聞いた記憶がありませんから」

 息をきらせながら村上が答える。彼は彼で特殊なサイドエフェクトの持ち主であり、経験したことを短時間の睡眠で自らの経験として完全に固着させることができる。

 そんな村上でさえ、この訓練が始まった5日ほどたつにも拘わらずうまく駆け下りることができずにいるのだ。

「無茶苦茶ですよこんなの。今の状況でもこんななのに、ムサさんが言っていた条件でやったらトリオン体でも死んじゃいますって」

 別役の言葉に他の二人も同意する。だが、オペレーターの今だけは違った。

「最初の導入テストの時、最大斜度70%で障害物に木やブッシュを設定しましたけど、ムサさんは本当に目隠しをして駆け下りちゃいましたよ」

 彼女だけがこの4人の中で、清治の実地テストに付き合ったのだ。そして、その様を目の当たりにしたため

 ――― 案外簡単にできるようになるのかもしれないわ

 と勝手に思ったのだ。しかし、隊員たちが清治が行った時よりもはるかに簡単な設定で目隠しもしていないにも拘わらずこのザマだ。憚りながら、B級中位グループの中でも今後の飛躍が期待されている鈴鳴第一の面々がである。

 飛び抜けている… 今は初めて清治に対してそう思った。そして、確かにこの訓練をクリアできれば、サイドエフェクトとはいかないまでもそれに近い能力を身に着けることができるのではないかと考えるようになったのだ。

 現在のところ、一番感じよく駆け下りているのは村上ではなく来馬だった。村上の学習能力を持ってしてもなかなか克服できない今回の訓練だが、来馬はそのセンスで比較的華麗に障害物を躱している。

「もう一本行こう!」

 そう促して他の二人と共に斜面の頂上に向かいながら、来馬は支部が発足する前の清治との出会いのことを思い出していた。

 

「おいっす。君が来馬さんとこの息子さんかね」

 B級に上がった当初、個人ランク戦の合間にラウンジで休んでいた来馬に声をかけて来たのが清治だった。最初はちょっと警戒していた。

 というのも、来馬もまた彼の様々な噂を多く耳にしていた。中には確実に尾ひれのついたものもあっただろうが、すべてがすべて嘘であるとも思えなかったのだ。

 だが、それでも一応話を聞くだけは聞いてみようと思った。来馬自身が人当たりが柔らかいというのもあるが、そうは言っても清治はボーダーの人間だ。そうそう人間性に大きな欠陥があるわけでもないだろうと思ったからである。

 清治はどういうルートからか、今回来馬が入隊するにあたり来馬の父親がボーダーに支部として建物を譲り、建物がある地域が鈴鳴地区であるため鈴鳴支部として運用されることが決まっているという情報をキャッチしたらしい。

「それでね。上は支部で君を隊長とした隊を作ることを考えちょるらしい。で、人がいるぢゃろうから売り込みに来た」

 ということらしい。

 だが、来馬は清治がS級であるという話を聞いている。そうした人物である彼はB級である来馬の下に入ることはできないはずだ。

「その点については問題ないよ。まず1つにわしは戦闘員兼務のエンジニアなんぢゃ。なんで、君が隊を作れば実質支部は2部隊になるちゅ~ことになる」

「もう1つは、本当に売り込みしたいのはわしよりももう1人の人材なんよ」

 そう言うと、清治は立ち上がって誰かを呼び寄せるように手招きする。ほどなくして現れたのは、今時珍しいタイプの女性だった。

 一言で言えば日本美人だ。美しい黒髪を肩口のところで切りそろえ、その挙作、立ち居振る舞いはまさに大和撫子だ。一目でしっかり者だるということがわかる。

「初めまして。今 結花と言います。オペレーターです」

 そう言って頭を下げる。

「ああいや。どうも。こちらこそ」

 来馬も立ち上がって頭を下げた。

「えぇ娘ぢゃろ。県外からスカウトで入って来た娘ぢゃけど、今いるフリーのオペ娘ちゃんたちの中ではピカイチよ。彼女の能力だけで言えばA級クラスぢゃ。おっぱい以外欠点が無い… ぶべっ!!」

 清治の右頬に今の左フックがヒットする。全く淀みの無い軌道で清治の顔面を捉えたそのパンチをボクシング関係者が見れば、きっと女子ボクシングの未来を見ることができたに違いない。

「褒め過ぎだし一言余計です!」

「ハハハ…」

 おとなしめに見えたが、案外気の強い子だなと来馬は思った。

 とにかくこれで鈴鳴支部のスターティングメンバ―がそろったのである。だが、来馬は当初自分が隊長になることに難色を示した。

「僕なんて、まだB級に上がったばかりのひよっこですよ。もっと経験のある人を誘って、その人にお願いした方が良いんじゃ…」

 しかし、清治はそれをすぐさま否定した。

「隊長ってのは経験があれば誰でもできるってモンでもねぇのだよタイチョー。まあ確かに実力や実績は必要かもしれんが、それは今から積んでいけば良い。タイチョーはね。そういった分かりやすい要素ではない隊長としての資質を既に持っとるんよ。まだ気づいてないんぢゃろうけどね」

 そう言うと清治は今とうなずき合う。

「人が人を集めて率いるってのは、理屈ぢゃなぁ部分がたくさんある。そういう理屈ではなぁ部分を、タイチョーはごく自然に持っちょるんぢゃ。まあ心配しんさんな。きっとタイチョーの下に自然に人が集まって部隊になる。内部を引き締めるのは他の人にやってもらえばえぇんぢゃけぇね」

 結成以降、清治は何くれとなく来馬隊のために世話を焼いた。今と同じく県外からのスカウト組で、配属希望欄に『どこでも良い』と記入した村上 鋼を隊に引き入れ、既に弧月の使い手として周囲から認められていた荒船 哲次にあずけたり、来馬と二人でスカウトに出かけ、別役 太一を連れて来たりしたのである。

 

 今にとって、清治はある意味『幼馴染』と言えるのかもしれない。

 祖父の剣術道場を継ぐために預けられた清治は、幼稚園や小中学校には通わずに特殊な状況で育てられた。

 午前中は祖父に雇われた家庭教師に徹底的に学ばされた。内容は尋常な初等教育や教養科目だった。

 教養科目の中に書道があり、今の母親がその教師だった。今は時々、母親について清治のいる道場へとやって来ていたのだ。

 今の目から見て、清治は生徒としては真面目だった。母親の開いている書道教室に通っている子どもたちは、書道などそっちのけで遊び回る。

 丸めた半紙を投げ合ったり、相手の顔に墨でいたずら書きをしたりだ。そんな連中と違い、清治は真面目に母の手ほどきを受け、さほど手筋は良くはないが良くやっていた。

 休憩時間の清治は、稽古を受けている時とは全く真逆だった。いつも今をからかっては、しばしば泣かせたり手痛い報復を受けたりしていたのだ。

 午後に行われている剣術の稽古を見学することもあった。その稽古内容は『苛烈』の一言に尽きる。

 特に防具のようなものはなく、道着に篭手とそれをかばう手袋、なめし皮でできた鉢巻きだけだ。

 その恰好で、師範である祖父と弟子である孫が竹刀で撃ち合う。痛くないわけがなかった。道場で泣くことは許されていなかったのだろう。稽古の後、道場の裏の誰もいないところで泣いている姿を何度か見たことがある。

 色々あったが年が近いこともあって、二人は稽古の合間の時間にいっしょに遊んだりしていた。だが、今が小学校に進学したことでその頻度は低くなる。

 中学に進学すると学業が忙しくなるとそういうことは全く無くなっていった。

 その後清治の祖父の体調が悪くなり、彼の母親で祖父の娘にあたる人物のいる県外のどこかへ転居したという話を母親から聞いたのだった。

「はいはいちゅうも~く。皆さん入隊おめでと~。オペレーターの国近 柚宇で~す。これでもA級部隊なんだよ~」

 入隊後のオリエンテーリングが終わり、オペレーター志望の今は他のオペレーター志望の新入隊者たちとともに説明を受けていた。

「…というわけで簡単な説明は以上ね。機器の使い方については、今から『非常勤エンジニア』として有名なエンジニアさんに説明してもらいま~す。ムサさ~ん」

「はいはい。アホの子オペレーターからご紹介にあずかりました『非常勤エンジニア』こと武蔵丸 清治と言いま~す」

 とても防衛機関の入隊説明とは思えないユルい感じのオペレーターの説明の後は、これまた同じくらいユルい感じのエンジニアの登場だ。入隊直後でカチコチだった周囲の子たちが緊張を解いていく中で今は不思議な感覚にとらわれていた。

 ――― あの人、どこかで見たような…

 説明会が終了して講堂を出た今は、先ほどのユルユルな説明をしていた2人が立ち話をしている場に行き当たった。目礼をして通り過ぎようとすると

「ゆかりんぢゃないんね」

 と清治が声をかけてきた。

「おやおや~。ムサさんもう目ぇ付けたんだ。気を付けてね~。この人、隙あらば胸触ってくるから」

 からかうように国近が言う。

「いや、わしの記憶が確かなら昔お世話になってた書道の先生の娘さんなんよ」

 ということは、今の記憶の中にあるあの真面目だけどちょっと意地悪な男の子が、今目の前にいる『非常勤エンジニア』と言われた人物に成長したということなのだろうか。

 こうして古馴染みと再会した今は、彼を介して来馬に紹介されて鈴鳴第一に入隊することになる。

 この後、清治に対する評価が周囲の雑音とそれ程変わらないものになるということ、その清治がスカウトしてきた別役に手を焼いたり、学力が残念な他の隊員の面倒を見たりするハメになるとは、この時は知る由もない。

 

 隊が結成されてからは、それぞれの役割はすぐに決まった。村上がエースとして活躍して来馬と別役はそれを最大限サポートする。

 チームをまとめるのは、全体を俯瞰で見ることができるオペレーターの今だ。これは他の隊でもほとんどがそうなので珍しいことではない。

 訓練設備が無い鈴鳴支部では訓練ができないため、本部か玉狛支部に出向いて訓練を行うことになる。特に地理的に近い場所にある玉狛支部とは防衛任務を共同で行うこともある。連携は必須だった。

 おそらく玉狛支部を除けば、各支部の部隊運営は似たようなものなのだろう。

 本部の訓練室を借りて少しずつ訓練を行う日々。支部所属の隊員は本部とは違い、基本的にはボーダーとしての活動よりも学業などを優先させる。そのため、継続的な部隊の運営が難しい面があるのもまた事実だった。

 それでも役割が定着し、多くは無い訓練の機会を掴んで村上だけでなく別役もB級に上がった頃、村上は不思議に思うようになった。清治である。

 とりあえず役に立っているようには思えないのだ。エンジニアという仕事の特性上、支部にいるよりも本部にいる方が多いという話を来馬から聞いてはいる。

 だが、その本部で聞いた話だと残業もせずに、しばしば訓練にいそしんでいるという。

 戦闘員も兼務しているということもあり、しかも黒トリガーを所持するS級隊員ということで、村上たちとは別に単独で防衛任務に当たることもあるというが、実際どれほどの手腕なのかはさっぱりわからない。

 さらに、支部にいても特にやることが無いのだろう。応接スペースのソファでゴロゴロしながらお菓子を食べたり、今がやっている書類の作成や整理を手伝ったり、その今の胸を触ってパンチを喰らったりしている。

 来馬からは、支部と部隊の立ち上げの際に色々と骨を折ってくれたと聞いているし、別役も清治のことを一応は尊敬しているようだ。ちょっと怖がっているような節もあるにしても。

 荒船がアタッカーからスナイパーに転向した時のちょっとした行き違いがひと段落した頃、とつぜん清治が村上に声をかけてきた。

「最近随分良くなったらしいぢゃん。そんなら、わしの訓練にもちょいと付き合ってくれんかね」

 良い機会だと思った。周囲からは『まぐれS級』と呼ばれているこの人物の実力がどの程度のものなのかを、村上は純粋に知りたいと思っていたからだ。

 来馬と別役がオペレートを行って実施された訓練は村上のサイドエフェクトに配慮したものだった。5本先取の模擬戦を6回行い、5本終了ごとに15分のインターバルを入れるというものだ。

 驚かされたのは最初の5本勝負だった。なんと5-0で完敗したのである。荒船から教わったものをすべてモノにし、以降ランク戦で戦った強者たちと斬り結んだ経験は村上を強くした。それもあって、アタッカー個人ランキング4位につけている。

 そんな自分を完敗させるほどの実力が清治にあるとは、村上は全く思っていなかったのだ。もちろん1本も取らせないというほど自惚れてはいなかったが、まさか逆に1本も取れないとは思ってもみないことだった。

 ――― だが、次はこうはいかない

 取り決めの通り最初の5本勝負が終了した後、村上はラーニングのためのインターバルを取った。訓練室の壁にもたれかかって睡眠を取る。そして、目覚めた時に今日二度目の驚きに遭遇することになる。

「どわあああぁぁぁぁ~~~~~~~!?」

 目覚めるなり、村上はそれまでの生涯で出したことのないような声をあげた。

 村上が目を開けた時、彼の目の前に清治が立っていた。しかも、村上の頭上で口にたっぷりとつばをためていたのである。

「ああ。起きちまったか。もうちょいぢゃったのに」

 さあ、続きしょっか。と清治は言うと、くるりと背を向けた。どうもつかみどころがない人だと村上は思った。

 その後も驚かされっぱなしだった。結局その後の模擬戦も全て4-1で負け越したのだ。インターバル後の最初の1本は村上が取るのだが、以降の対戦ではそれまでとは全く異なる、全然予想のつかない動きで村上を翻弄する。

 インターバルでその動きを学習しても、次の対戦の時にはまたさらに違う動きをするのだ。トータル戦績は26-4。完敗だった。

「やっぱコウはすげぇな。ちょっと休むとすぐに強うなる」

 訓練の後、清治がそう村上に声をかける。

「コウの成長は隊の成長に直結するし、ボーダーのネイバーに対する戦力の向上にもつながる。おいさん嬉しいよ」

 嬉々としてそう語る清治の後ろで、村上はがっくりと肩を落としていた。圧倒的な力量の差を感じざるを得なかったのだ。

「タイチョーが言うたぢゃろ? 『コウはコウのやり方で強くなれば良い』」

 ハッとして顔を上げた村上に、清治が笑顔でうなずいた。

 以降、しばしば村上は清治とこうした訓練を行った。行ううちに差は少しずつではあるが詰まるのだが、それでも今に至るも勝ち越すことはできずにいる。

 

 別役は地元では目立たない少年だった。いじめられていたというわけではないが、グループの中での相対順位は低い。

 彼は他の同世代の少年たちと比較するとおっちょこちょいで、しばしばそのせいで周囲に迷惑をかけることがあった。

 そんな彼を、他の子どもたちが下に見るのは無理からぬことだっただろう。

 それでも彼にはいくつかの長所があった。美点と言っても良いかもしれない。

 集中力が高いこと。親切であること。真面目で謙虚であること。明るく元気であること。

 そういうこともあってか、彼を下に見る子たちも彼をいじめたり邪険に扱ったりするようなことはなかった。

 彼には特技があった。射的だ。そのため、縁日などの時は彼が周囲からもてはやされる数少ない機会だった。

「たいち~。こっちこっち」

 いつも一緒に遊んでいるグループの少年たちが別役を呼んでいる。今日の縁日も彼らといっしょに行くことになっているのだ。

 5人の男子と3人の女子。その中に、別役が思いを寄せる少女がいた。吉原(よしはら) 芽衣子(めいこ)である。

 彼女にほのかな思いを寄せているのは、もちろん彼だけではない。このグループ内でもそうだが彼女は同学年だけでなく先輩・後輩にも思いの多寡はあれど慕われているのだ。

 年齢的にも少女から大人へとさしかかる時期だ。少女の清廉さと大人の魅力が微かに漂うそれは、彼らにとっては憧れてやまないものだった。

「太一。3組の奴らが言ってたイカサマっぽい射的屋って知ってっか?」

 その噂は別役も聞いていた。2日間開催される縁日の夜店の中で、なかなか賞品が取れない射的の店があるというのだ。

 まずほとんど弾がまっすぐ飛ばない。また、威力がとても弱いので景品に当たってもなかなか倒れないという。

 射的としてはクレームの嵐だが、残念賞にとても良いお菓子が配られているため、そのお菓子目当てでその店を訪れる人も少なくはないそうだ。

「大丈夫よ。太一くんならきっと何か取れるよね」

 そう言って自分に笑顔を向ける吉原。別役は顔を赤くしながらうなずく。

「太一の奴、照れてやがるぞ~!」

 からかう友人に反論しながら、みんなの足は件の射的屋の方へと向かっていった。

 今まさに挑んでいる連中がいた。別役と同じ学校の生徒で、校内でも有名な乱暴者たちだ。先生もほとほと手を焼いている。どうやら彼らはいちゃもんをつけているらしい。

「全然まっすぐ飛ばねぇじゃんか! こんなもんインチキだ!!」

「それによ! さっきあの隅っちょのちっせぇ人形に弾が当たったってのに、全然動きもしねぇし! どうせ両面テープかなんかで張ってやがんだろうが!!」

 不必要な大声でそう言いたてているこの連中に射的屋のお兄さんはタジタジだ。まだ随分若そうだ。

「たいした言いがかりじゃのぉ。兄ちゃんら…」

 景品が並んでいる棚の辺りでやる気もなさそうに缶ビールを飲んでいたもう一人の店の男がゆっくりと立ち上がりながら声をかけてきた。長身で体格も良く、黒い帽子に黒いサングラスのその男は、立ち上がるだけで妙な威圧感を周囲に与える。

「まあまあムサさん」

 先ほどまで乱暴者たちにたじろいでいた若い男がなだめるようにそう言うが、サングラスの男は構わず進む。

「見てみいや」

 言いつつグラサン男は、棚にならんだ景品のいくつかを指でつついた。固定されていないのでそれらが指に押されて揺れている。

 一言も発することなくその様子を見ている周囲に構わず、男は店から出てくると乱暴者の手にある射的の銃を取り上げると弾をつめた。

「ほいでこれぢゃ」

 彼が撃つと、それまでの客が撃った時のことが嘘のように、力強い弾がまっすぐに的に飛んでいく。2、3回それを繰り返す。すべての弾が景品に当たり、当たった景品はすべて倒れた。

「見ての通りぢゃ。これにゃ少々コツがいる」

「何だよそのコツって」

「アホか。それ言うたらこっちの商売上がったりぢゃ。ほれ。ハズレ景品多めにやるけぇ、さっさとどっか行け」

 男にそう言われ、分が悪いと感じたのか乱暴者たちは多めに渡されたお菓子を持ってぶつくさ言いながらその場を去った。

 連中はいなくなったが、そのやり取りに恐れをなしたのかそこそこいた客が随分といなくなっている。

「営業妨害ぢゃなぁか… 仕切りのおっちゃんに文句言うとかんといかんの。で、坊ちゃんらはやってくかい?」

 機を逸してしまったがために逃げることができなかった太一たちに向かって男が言う。

「おい太一…」

「太一くん…」

 仲間に促されて、それでも少し戸惑っている別役に

「まあ無理強いはせんがね。ここはイカサマぢゃなぁが、できるやつとできんやつがハッキリ分かれる店ぢゃけぇの」

 言いながら男は元の場所に戻ると、再び缶ビールをあおり始めた。よく見ると足元にかなりの数の缶が転がっている。

「…やります」

 別役は射的が好きだというのもあるが、自分はそれが上手いという自負もあった。他の人にはできなくても自分にはできる。そう思えるものは射的くらいしかなかった。

 気弱そうな方の男性が別役に銃と弾を渡す。三百円を払って銃に弾を込め狙いを定めて撃つ。だが、初弾はハズレだった。

 だったにも関わらず、グラサン男も含めてその場にいたものが驚いて別役を見る。放たれた弾は、先ほどグラサン男が撃った時に近い強く勢いがあったからだ。

「やるのぉ坊ちゃん。坊ちゃんくらい撃てるなら、アレを撃っても当たりゃぁ倒れるかもしれんで」

 グラサン男が指さしたのは、並んでいる景品の中でもひと際大きく重そうなものだった。中央に『一等賞』と書いてある。

「あれ倒したら、ここにある商品から好きなもん持ってってえぇで」

 男が指さした一等賞の商品は、どれもこれくらいの年齢の少年少女が欲しそうなものが並んでいた。

 その中の大きなクマのぬいぐるみを吉原が見つめていることに気が付いた別役は、何がなんでも景品を倒してやろうと狙いを定めた。

 弾が命中して景品が倒れる。驚きと歓声の中で、若い男性とグラサン男はうなずきあった。

 帰り道に吉原にぬいぐるみを渡し、意気揚々と帰宅した別役の家に、ボーダー関係者と名乗る二人の男が訪ねて来たのはその翌日のことだった。

 そして、『我々は誘拐犯だ』と名乗るその二人に、いかにもなクルマに乗せられて大騒ぎをしながら三門市へと向かったのは、縁日の出来事があってから一週間後のことであった。




今後は月に2回以下といったペースになるかもしれません。
あと、次回から原作の時間軸にぬるっと入っていく予定です。


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第参章 スーパーニャンコ編
B01 接敵…接適?


今年最後の投稿になります。
始めた当初はどうなるもんやとも思ってましたが、まさかの2桁のお気に入り登録!
ありがとうございます。そして、今後ともよろしくお願いします。


「さてお立合いの諸兄諸姉がた。今日改まって集まってもらったのは、わしのある秘密を知ってもらうためじゃ」

 いつもの彼らしい、冗談めかしいどこか芝居がかった口調だ。

「ご存知の通り、わしは常にトリオン体でウロチョロしちょる。これには、一応それなりのワケっちゅ~もんがある」

 そのワケとやらも、きっと彼らしい愉快な(あるいはどうでも良い)ワケであるに違いない。少なくとも彼の話を聞いていた人々はそう思った。

「…正直なところ、他人にその姿を見せるのはけっこう辛い。じゃが、こんなわしなんぞでも一緒に働きたい、戦いたいと言ってくれた来馬タイチョーをはじめとしたみんなに、偽らざる真実というものを知ってもらう必要がある。と、わしは悪い頭ながら常々考えちょった」

 普段の彼には似つかわしくない、辛そうな、悲しげな、どこか諦めたような表情と口調に、居並ぶ面々は一様に怪訝な顔をする。

「わしは今から、トリオン換装を解く。できれば、これから見ることは口外せんで頂きたい。それと、これからお見せするわしの『本来の姿』を知っているのは、ボーダー上層部の中でも数人しかおらん」

 彼はここでいったん言葉を切った。聞いていた鈴鳴第一の面々と鈴鳴支部の支部長は、これから起こるであろうことを予想することもできずに、かたくなな沈黙の中で体をこわばらせる。

「先に言うとくが、今のわしの姿はわしの亡父の若き日の姿じゃ。本来の姿は、簡単に言えば二目と見ることを憚られるレベルのもんじゃ。そんなもん見とうない人は、遠慮はいらんから今からでも部屋を出て行ってくれ。もう一度言うが、夢に出るレベルのトラウマになる可能性大じゃ」

 しかし、彼の言葉に従って部屋を出るものは誰もいなかった。彼が話し始めた時のような、どこか緩んだ空気はもう無い。皆は、今や恐れと懸念をその顔に浮かべて隠そうとはしないが、それでも覚悟を決めたといった表情だ。

「…ではいくぞ」

 一瞬の閃光と共にトリオン体を解いた彼の姿を見た時、彼らはただの一言も発することはできなかった。

 

「どうせヒマだと言うなら、イレギュラーゲート対応でもしてろ! 面倒だ? なら街を勝手にブラブラしとれ!」

 開発室でログのチェックをしながら大あくびをし、ついでに屁を一発かましていた清治を、そう言って鬼怒田が追い出した。

 開発室は今、火の車だった。先日来続くイレギュラーな事態の対応に追われているのである。

 通常であれば、ネイバーが現れるゲートはボーダー本部基地周辺の警戒区域に限られる。これは鬼怒田が構築したゲート誘導システムの賜物だ。

 ゲートの出現を基地周辺に絞り、その区域をボーダー隊員が警戒することによってネイバーが市街地へ侵入するのを防ぐ。これがボーダーの防衛の基本計画である。

 だが、ここ最近その防衛計画に狂いが生じていた。基地周辺の警戒区域以外の場所にゲートが突然発生することが頻発しているのだ。

 当然ながらエンジニアは大変だ。自分たちの受け持ちの仕事領域でこういうことが起こっている。上層部はもちろん、戦闘員からも多くの苦情が寄せられた。

 これまでのところ、イレギュラーゲートが発生した地点にたまたま非番の隊員がいたために事なきを得ているが、いつ誰もいない場所にゲートが発生するか分かったものではない。

 また、仮にいつも隊員がいる場所にゲートが開いたとしても、その隊員が必ず対処できるとは限らない。出現するネイバーによっては1人では対処が難しい可能性だってあるのだ。

 技術者の視点からすれば、必ず隊員の近くにゲートが開くという『根拠』がない。『根拠』を明らかにして『原因』を突き止め、それに対処するのが技術者の務めである。

 それをわかっていながら、清治は敢えて他の技術者とは違うスタンスを取った。『原因』はシステムにあるのではなく外部にある。ただ、そう断じることができる『根拠』が無かった。

 ログ解析に特化しつつある清治の職掌において、システムの何らかの欠陥や異常が原因であれば、その兆候を自分が見逃すはずがない。

 『非常勤』であるためずっと張り付いているわけではないが、勤務時間の間は自分が見ていなかった時のログもつぶさにチェックする。だが、それらしいものが見当たらない。

 清治から言わせれば、内部には『根拠』も『原因』も見当たらないのだ。だから『原因』があるとすれば『外部』であるというわけだ。

 当然ながら、その意見は他のエンジニアたちに一蹴された。彼らは普段から清治を煙たがる、あるいは軽んじてはいるが、清治の見解を否定したのはそれだけではない。

「そう言うのであれば、実証に値するものを見せてくれないとね」

 やや皮肉な口調でそう言う。正論だった。清治の立てた仮説はあくまでも清治の頭の中で組み立てられた、文字通りの『仮説』だ。根拠となるものが全くない。

 清治からすれば内部の問題ではないということがその根拠なのだが、それはあくまでも状況証拠の域を出ない。内部の問題ではないと言い切れるだけの完璧な根拠がなければ、その説を肯定することはできないのである。

 こうして、あくまでも外部の問題であると主張する清治の声を無視して、技術者たちはとにかく自分たちの仕事に没頭した。正しい行為ではあるが清治が面白くないと思うのも致し方ないことだった。

 こういった経緯があり、清治は内部のチェックには一切手を貸さず、とにかくログのチェックだけは決して怠らない。で、いつもの通り忙しく立ち働く同僚をよそに、定時にさっさと帰ってしまうのである。

――― ポンさんは優しいな…

 自分を開発室から追い出した鬼怒田の顔を思い浮かべながら清治はそう思った。

 鬼怒田は、開発室内の士気を下げかねない清治を追い出すと同時に、清治に自分の仮説を実証するための機会を与えたのだ。

 あからさまにそう言うようなことはせず、敢えて役に立たない清治を追い出す形で両方を立ててくれている。このあたりが上に立つ人間の才覚だろうと清治は思う。

 そんな鬼怒田の配慮に報いるためにも、清治は自分のやれることに全力で取り組む必要がある。ちゃらんぽらんに生きてはいるが、仕事には真剣な清治だった。

 清治は一見ぶらぶらと所在なげに歩いているように見せている。タッチパネル式の端末を見ながら町を歩いているその姿は、確かに町中で『歩く系』のゲームアプリを楽しんでいる人のようにしか見えないだろう。

 だが、実際清治が見ているのは、これまでイレギュラーゲートが発生した時のログを逆引きして導き出した『ある兆候』をキャッチするアプリだった。開発はもちろん清治自身が行っている。

 イレギュラーゲートは、発生する時に通常のゲートとは違うゆらぎとも言えるトリオン反応を示していたのだ。

 会議の席で清治はそのログを提出してこのことを言ったのだが、清治のようなログを常に見ている者しか感じることのない小さな違和感だった。無論誰もその意見を聞こうとはしなかった。ただ、鬼怒田だけは険しい顔をして腕組みしていたが。

 鬼怒田はいつもそんな顔をしているので、この時何かを考えていたとは他のエンジニアたちは思わなかった。

 結局清治の意見は会議で取り上げられることはなく、清治も別段それを気にしている様子はなかった。ただ、清治が自分の端末で何かを作りはじめたのはこの会議が散開した後のことだった。

 うろうろしながら時々立ち止まり、そっと右肩を撫でながら周囲の様子を確認する。清治は、ここ数日内にイレギュラーゲートが発生した地点のうち、もっとも日が近かったところから順番にぐるぐると歩き回っているのである。

 

 ログに残っていたものとよく似た、しかし少々違うノイズを拾ったと感じた清治は、柄にもなく真剣な顔で現場へと向かった。

――― 柄ぢゃなぁの

 思いつつ目的地に着いたが、そこで予想外の出来事に遭遇するはめになった。まったくもって平和な町の風景が広がっているのである。

「アレぇ?」

 自分でも驚くほどマヌケな声を上げて立ち尽くす清治。そういや、イレギュラーゲートが発生する場合のアナウンスもなかったなと思った時、ふと清治の視界の隅に違和感のあるモノ―― 正確には人が横切った。

――― 人… なんか? ぢゃが…

 清治の目には、その人物が人に見える。だが、サイドエフェクトを使って見ると、その姿はトリオン体なのだ。ご丁寧に懐に別のトリオン体が潜んでいる。

 トリオン体についてはそう気にするほどでもない。実際清治がそうなわけだし、他にもそうした人がいるのかもしれない。

 何せボーダーには数百を超える人がいる。その中の誰それが、清治と似たような事情で普段からトリオン体であるという人がいるのかもしれない。

 ただ、懐にさらに別個体のトリオン体を持っている人がいるという話は聞いたことがない。となると可能性は言うまでもないことだろう。

 既にその人物、やたら背の低い少年のようだが妙に目立つ白い頭が印象に残るその人物は清治の視界にはない。

 とりあえず最後に見かけたあたりに向かおうとしたが、運悪く信号が変わってしまった。

――― こればっかりはしゃ~ないの。ぢゃが

 清治にとってはさほど問題ではない。相手がトリオン体であるのであれば、彼のサイドエフェクトで探せば良いだけである。

 例え町の中を尾行を捲くように歩いたとしても、少なくとも清治の集中力が限界を迎えるまでは問題なく『見る』ことができる。要は、集中力が切れてしまう前に見つけてしまえばよいのだ。

 また、相手は少なくとも現時点で尾行されているとは思わないだろう。そうそうおかしな道順で移動するとは思えなかった。

 信号が変わった。探偵ごっこは好きではないし、対象が『この件』に関係しているという確証はない。ただ、せっかく自分を送り出してくれた鬼怒田に対して手ぶらで帰るのもアレだ。

 可能性があるなら何かやってみよう。案外面白いかもしれないし。そんな感じで清治は、白髪頭の少年(?)の尾行を開始した。

 相手は清治が思った通り、自分が尾行されているとは考えていないようだ。周囲の風景をさも珍しげにきょろきょろ見まわしながら歩いていく様は、先日ボーダー本部の模擬戦ブースで米屋を探していた清治そのものだ。つまりは『お上りさん』である。

 周囲を見回しながら『彼』は歯がゆいほどにゆっくりとした足取りで歩いている。橋を渡り町の中央から少しずつ遠ざかる。公園をわき目に見ながら通り過ぎ、やがてある建物に入っていった。

 その建物は警戒区域にほど近い場所にある。そのせいか、さほど古いわけではないにも関わらず外壁には剥がれなどが見える。メンテナンスが行き届いているとはいいがたかった。

 だからこそ家賃が三門市の相場と比べて低いことを清治は良く知っていた。築十年以内の所帯持ち向けの2LDK、しかも二間はどちらも8畳以上でダイニングキッチンも15畳以上。それが1部屋借りて月々の家賃が25,000円からである。どんな素敵なくそド田舎でもなかなかない価格である。

 なぜそんなことを清治が詳しく知っているのか。それは彼もここに住んでいるからである。

 いや、この言い方は正しくないかもしれない。ここは彼がいくつか確保している『セーフハウス』の1つなのだ。

 清治は市内に5つの部屋を借りている。さらに言えば本部に1つ、鈴鳴支部に1つそれぞれ個室を持っている。都合7つの住居を持っているのだ。

 深い理由があるわけではない。ただ、イレギュラーゲートの件以降、清治は漠然と考えていることがあるのだ。

――― こちらの世界にネイバーのスパイがいる…

 これにしても確信があるわけではなかった。ただ、イレギュラーゲートを作るための工作員、あるいは工作用のトリオン兵などが派遣されているのではないかと清治は思っていたのである。

 一応これでもS級隊員だしエンジニアだ。仮にスパイがいたとして、そのスパイに住居を知られるのはあまりよろしくはなかろう。少なくとも清治はそう考えたのだ。

 他にもいくつか理由はあったが、とにかく清治は二日と同じ場所で過ごすことはなかった。自分の居場所は開発室と鈴鳴支部には伝えている。

 しかし、そこにネイバーなのではないかと思われる人物が入っていった。これは手に汗を握らざるを得ない。

「やべぇな… すっげぇケツが痒い」

 下らんことをつぶやきつつ、仕事とは別に誰何する必要があるなと思った時、後ろから肩を叩かれた。

「よっ。ムサさん。何珍しく真面目な顔してんの?」

「ゆういっちゃんか…」

 親しい友人がすすめてくるぼんち揚げを食べならがら、清治は彼がやって来た理由を察した。

「なるほど。わしがアレに声をかけたら、この先のことが悪い方に流れてまう。つまりはそういうことぢゃね」

「さっすがムサさん察しが良い。ちょっと詳しい話もしたいから、その辺で飯でもどう?」

「そうしたいのはやまやまなんぢゃが、今スカンピンなんよね…」

 先日の武富との約束通り、清治は海老名隊の連中に夕食を奢ったのだ。『遠慮なく食え』という清治の言葉を素直に聞いた彼らは、文字通り遠慮なく食った。

「若い奴らの食欲はすげぇよ。マジですげぇよ。てか、かなりやべぇよ」

 清治は一応何かあってはと思い、財布の中に多めに諭吉さんを動員した。しかし、その動員数では足りなかった。途中密かに中座し、コンビニで諭吉さんを追加動員する。食事会が終わった後は漱石さんもいない財布が残ったのである。

「いいよいいよ。ラーメンだったら俺が奢るから。ムサさんにはいつも世話になってるしね」

「そいつぁありがたいね」

 話はまとまったようだ。

 

 迅が塩ラーメンを注文し、清治が醤油とんこつラーメンを注文すると、二人はすぐに話しはじめた。だが、話の内容は本題とは全く関係のない話だった。

 例えば、最近アマゾン川流域で釣り上げられた、全長5m以上の巨大なアカエイの話だったり、N〇Kの新しいお天気お姉さんの胸がまあまあだという話だったり、有体に言えば『くっそどうでもえぇ話』だ。

 迅が清治を好ましく思っていることの1つにこうしたことがあった。本心では他の人と同様に、すぐにも本題に入りたいはずである。だが、清治は話があると言った迅のペースを尊重するのだ。

 話したいタイミングで話をしてくれれば良い。清治はそういうタイプなのである。

 人によっては自分ばかりが話をしているようで多少不気味に感じることもあるらしいが、とにかく清治は話の聞き役としては最適だった。

「じゃあ、そろそろ本題に入るけど、ムサさんは今、イレギュラーゲートの調査をしてるだろ? その解決にあいつが絡んでるっぽいんだ」

 迅の話はこうだ。今は良くわからないメガネをかけた少年と、清治が追跡していた少年が問題解決に何か関わりがある。だが、清治が今彼に接触すると、彼は協力を拒否するという未来が見えるというのだ。

「そうなると、わしが今やりよる事は無駄ってこときゃ?」

「無駄ってこともないと思うよ。ちゃんと見えてるわけじゃないけど、ムサさんの推論通り問題はゲート誘導システムじゃなさそうだし」

「そうか… でものぉ。ポンさんに『システムのせいじゃない』って言っても、現実に今それが解決できんと同じことぢゃしの」

「だからさ。申し訳ないけど、ムサさんにはまだ黙ってて欲しいんだ」

 迅が両手を合わせて『お願い』と言う。清治は少し考えた。

「…なかなか難しいことを言うようになったなぁゆういっちゃん。わし、これでもポンさんに一応義理があるんよ」

「そこを何とかさぁ。ここでムサさんがあいつと接触しちゃうと、ゲートの件は解決できても、その後のもっと大変なことですごくマズイことになるんだ」

 清治も迅のサイドエフェクトのことは良く知っている。『未来視』だ。可能性のある複数の未来とその分岐点が見えるというサイドエフェクト。彼はその所為で負う必要のない苦労と責任を負っているのである。

 限定的に見える複数の未来、その中でも最も良いと思える選択肢。そして、そのための介入と成功と失敗…

 清治に言わせれば、かなり『エグい』能力であり運命だ。自分同様にちゃらんぽらんな雰囲気を持った迅だが、彼は清治とは比較にならないほどに真面目だ。

 未来が見えて、その中で最も良い結果に導こうとして失敗した時、その責任をすべて自分に負わせてしまう。

――― ゆういっちゃんは優しいな…

 自分の周りに居る人間は、優しい人ばかりだと清治は思う。優しくなければ、自分のような人間に存在意義など見出してくれはしないだろう。

 そうなると、おそらく清治はこの世界で最後の無外流・真伝剣法訣にある『鎮国の剣』の伝承者として、しかし人知れず世間の片隅でそっと暮らしていたことだろう。

「しかし、そうなるとなかなか難しいの。わしも一応なんかの手がかりなり見っけんわけにもいかんし、な…」

 これは自分のためのものではない。自分を町に出してくれた鬼怒田に対してである。

 それについては、迅にも良い思案が無いらしい。珍しく眉間に皺を寄せて唸っている。

 ふと清治が立ち上がった。

「とりあえず分かった。ゆういっちゃんがそう言うならそうしよう。こっちの件はわしの問題ぢゃから、帰ってちょっと考えてみるよ」

「ありがとうムサさん。この埋め合わせは必ずするよ」

「ええよええよ。ラーメン奢ってもろうちょるけんね。これ以上なんかもろうたらバチが当たる」

 清治がそう言うのを潮に、二人はラーメン屋を後にした。

――― やれやれ。とはいえ、どうしたもんか…

 考えつつセーフハウスに戻る清治に、さらなる困難が待ち受けていた。なんと、清治の部屋の隣から、先ほどの少年が出てくるではないか。

「これはこれはお隣さん。はじめまして」

 芝居がかった口調でそう言う少年に、清治も挨拶を返す。

「隣に住んでいる武蔵丸 清治だ。よろしくな少年」

 全く動揺を表に見せることなく言う。

「そう言えば、さっき下見に来た時はムサシマルさん家にいなかったみたいだけど?」

「ああ。これでも技術屋っぽい仕事しちょってね。で、出入りがあって戻らないことも少なくはねぇんだわ」

 嘘ではない。だが、本当のことでもないかもしれない。

 少年は、そんな清治をなんとなく訝るように見ている。その目つきは、清治がそれくらいの年齢だと思う少年のそれにしては余りにも鋭すぎた。

「ところで少年。君の苗字は『クガ』って読みで合っちょるのかね?」

「ああ。そうです。俺の名前は空閑 遊真。よろしくねムサシマルさん」

「こちらこそ」

 こうして清治は、この物語のキーを握る人物、 空閑 遊真との邂逅を果たしたのだった。




良いお年を!


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B02 女子力高め

あけましておめでとうございます。2017年もよろしくお願いします。


 B級2位に座する影浦隊の隊室を覗くと、そこに『ごくつぶしのキヨ』の姿を見ることができる。

 彼は本来であれば他のエンジニアたちと共にイレギュラーゲートの対応に追われているはずなのだが、何故か今、ブラシ片手に影浦隊のオペレーター仁礼 光の髪の毛をブラッシングしている。

 やってる事はエンジニアの仕事ではなく下僕のそれである。ただ、これにはそれなりに理由があった。清治は無駄に女子力が高いのだ。

 きっかけは本部長補佐の沢村 響子だった。いつもの通り胸を触られ、触った主に鉄拳を食らわした直後、喰らった側がその手をつかむと

「お響さん爪ガビガビやんけ」

言うなり、清治はネイルケアグッズ一式を持ってくると、驚くほどの手並みでファイリングで爪の形を整え、キューティクルリムーバーで甘皮やルーズスキンの手入れを行い、バッフィング、マッサージ、仕上げにベースコートの塗布と、ネイルケアの一連の作業を手早く済ませてしまったのだ。

 ケア前と後の沢村の爪の様子は、ビフォア・アフターのサンプル写真にしてい程に大きく違っていた。驚く沢村に

「本部長がどこまで見とるかは知らんけど、忙しゅうても最低限のケアはしとかんと」

と言って清治は去っていった。

 噂を聞いた加古が清治にケアを依頼すると、今度はネイルサロンも真っ青のネイルアートを施したのである。これにはさすがの加古も舌を巻いた。アクリル絵の具やビーズ、ストーンを丹念に散りばめて描かれたのは加古隊の隊章だった。

 もっとも、この話を聞いても『実力派エリート』は驚かなかった。

「前にムサさんが、米粒で観世音菩薩を彫ってたを見たことあるからね」

 だそうだ。

 ともかくこの噂はすぐに女子隊員に広まり、引いてはネイルケアだけでなくハンドケア、ボディケア、ヘアケア(本人のヘアは残念だが)メイクの方法など、様々な相談を彼女たちから受けることになった清治。そういうわけで、同じ『セクハラの双璧』と比較すると清治のそれは多少大目に見てもらえている節もあるのだった。

 ちなみに、このことから清治には女装癖があるのではないかという噂が立ったことがある。だが、これについては本人が

「そのような事実は一切ございません」

とキッパリと否定している。

 他の噂や渾名、陰口については知らぬフリをしている彼がこれだけはきちんと否定したため、その噂は徐々に下火になっていった。

 だが、結局女子力が無駄に高いことから『女子力の双璧』とも言われるようになりはしたが。ちなみに、双璧のもう一人は玉狛支部の木崎 レイジである。

 そんなわけで、今清治は『黙っていれば美少女』な仁礼のためにブラッシングをしているのである。

「よっしゃバッチリぢゃ」

「おう。サンキューな。ムサ」

 ブラッシングが終わり、頭を一撫でされた仁礼がぶっきらぼうに礼を言う。一体どういう育ち方をしたらこのような口調になってしまうのだろう。彼女もまた、ボーダーに複数いる『残念女子』の1人である。

「ひかりんの髪は綺麗じゃけやり易いわ。ユウちゃんのはだいぶクセッ毛っちゅ~か、猫っ毛っちゅ~かぢゃけんね」

 言いつつ清治はブラシをポーチに収めている。ポーチの横には一応書類の入ったブリーフケースが置いてあった。

 この書類は、清治が迅とラーメン屋で別れた後の小細工の結果が記されていた。

 清治は空閑 遊真との邂逅のあと、部屋に籠って再びログの解析を行っていたのだ。そして、件の清治だけが見つけることのできる『ノイズ』の部分の波形を三次元化して、正常にゲートが誘導できた際のログと比較したのである。

 違いは、はっきり言ってしまえば些少だった。だが、絶対に見極めができないというほどでもなかった。

 複数のケースを同じようにサンプリングして比較し、自身で検証した結果を開発室に(つまり鬼怒田に)報告したのだ。もしかしたら、完全とまではいかずともこれまでよりもイレギュラーゲートのコントロールが容易になるかもしれない。

 清治が今のんびりと仁礼の髪をといているのは、その報告書を開発室内で検討しているからだった。そうでもなければ、特に防衛任務が入っているわけでもない勤務時間帯にこんなにのんびりとした時間を過ごすことなど、さすがの清治でもできはしないのだ。

「よしムサ。こたつに入ることを許可するぞ」

「ありがたき幸せ」

 当初は仁礼のこうした口調にさすがの清治も苦い顔をしたものだが、今はすっかり慣れてしまった。正したところで直るものでもない。

 ちなみに、仁礼は本来このような口調ではあっても目上の人間には『さん』を付ける。付けられていないあたりで清治が彼女に嘗められているということが良く分かるというものだ。

 しばらく2人でこたつに入り、ミカンを食べながら(清治が剥いたものを仁礼が食べるだけだが)中身のない会話をしたあと、清治は影浦隊の隊室を後にした。彼らにはこれから防衛任務が待っている。長居は無用である。

 もちろん去り際に仁礼の胸にタッチするのも忘れなかった。

 

 影浦隊と入れ違いで防衛任務が終了するのが三輪隊だった。その三輪隊の任務終了間近という時間のことだった。

『ゲート発生。ゲート発生。座標誘導誤差7.66』

 警報が鳴ると同時に清治は開発室へと走った。今回のゲートはどうやら警戒区域の中に発生したらしい。何か成果があったということなのだろうか。

「ポンさん!」

 入るなり大声で鬼怒田を呼ぶ。

「大声を出すな! …どうやらおまえの発見が一応の効果を発揮したようだぞ」

 鬼怒田が言うには、これまで全く誘導できなかったイレギュラーゲートを、ほんの少しだけコントロールできるようになったという。

 清治が提出した検証結果を元に、イレギュラーゲートが発生する時にわずかに出る『ノイズ』を検知してさらにコントロールをするというものだ。

「どのくらいの精度なんすか?」

「30%前後だ。これで成功とはとても言えんが、それでもこれまでのことを考えると格段に向上したぞ」

 これまで発生していたイレギュラーゲートは全くコントロールできていなかった。数値で言えば2%以下だ。それを考えれば確かに前進したとは言える。だが、鬼怒田の言う通り十分な『成果』とはとても言えるものではなかった。

「やれやれ。それでもなんぼかマシって程度ですか。ゲートそのものの発生を抑えることはできんのですか?」

「トリオン障壁を使えばできなくはないが、持って50時間ほどだ。その間に問題が解決できなければアウトだぞ」

 苦々しげに鬼怒田が言う。目途が立たない状態でそれは避けたい。その考えは鬼怒田にしても清治にしても、他のエンジニア達にしても同じ思いだったろう。

「! ポンさん。この位置はちょっとマズイかもしれませんで」

 誘導されたゲートの位置を座標で改めて確認した清治は、苦味のある笑みを浮かべながらそう言った。

 鬼怒田も改めて確認すると、誘導されたゲートの位置は、防衛についている各隊からは遠い場所だったのだ。

「三輪隊が一番近いが、間に合やぁえぇんぢゃが…」

 右肩をそっと撫でながら清治の言う『間に合う』というのは、ゲートから現れたネイバーが市内に入り込まないように撃破できるかということだ。

 ボーダー本部基地の周辺には人は住んでいない。ここを警戒区域としてゲートが発生したら誘導し、そこでゲートから現れたネイバーを駆除するのだが、警戒区域の外では普通に市民が生活をしている。

 そこにネイバーがなだれ込めば被害は甚大なものになる。それを防ぐのがボーダーの仕事なのである。

「ポンさん! むしろここからの方が現場に近い! 本部待機の部隊を!!」

「わかっとる! もう忍田本部長に…」

 鬼怒田が言いかけたその時、開発室内がざわめいた。何事かとモニターを見ると、先ほどゲートから登場したネイバーの反応が消えている。

「撃破した、のか…?」

 だが、時間的に考えてその場にどこかの部隊が到着したとは思えない。それでも、ネイバーが撃破されたことは間違いなかった。

「…回収班をすぐに向かわせろ! 何にしても現場で調査をしてみんことには何も分からん」

 呆気に取られていた鬼怒田だが、すぐに我に返って指示を出す。回収班が出発すると、清治も含めて数人のエンジニアが今回のゲート誘導についての検証に入った。

 突如として消えたネイバーは確かに不可解だが、今ここで考えるには考証材料が足りない。であれば、回収班の現地調査を待って検証を行うべきだ。

 おそらく現場には、回収班だけでなく三輪隊も向かっているはずである。まずは両者の報告を聞いてからのことだった。

 

 いつもの休憩場所に座っている清治は、珍しく難しい顔をして座っている。それも手ぶらでだ。

 先ほどまで開発室にいた清治は、例によって定時になると出て来たのだ。だが、どうもすぐに帰る気になれなかったため、ここで来るかもしれない三輪を待っているのだ。

 三輪は隊の活動が終了したあと、しばしばここにやって来る。本来彼は、ここに休憩にやって来るのだ。知っていてそうするのは心苦しいが、話を聞くためにはここで待つのが一番良かった。

 また、来ない可能性だってあった。そして、そうであればそれでも構わないとも清治は思う。

 ネイバーの反応がレーダーから消えた後、一番最初に現場に到着したのは予想通り三輪隊だった。彼らの報告では、自分たちが到着した時には既にネイバーは消されていた。それも大分派手にだ。

 にもかかわらず、彼らよりも先に現着したボーダー隊員は皆無。奇怪としか言いようがなかった。

『他の部隊はそこには来てない。私たちが一番乗りのはずよ?』

 先日おっぱいを触ってしばかれた月見の声のログを確認しながら、清治は右肩をそっとさすった。

 三輪はボーダーの最高責任者、城戸指令の腹心でもある。正式な報告を上層部にするために遅くなっているのだろう。そう言えば、清治が開発室を出る少し前に鬼怒田が急ぎ足で出て行った。

 きっと今頃は会議室で三輪隊の報告と、その内容の精査でもしているのだろう。技術者である清治にとっては迂遠なことだと思われた。

 偉い人たちは今後の対応を決めるために会議をしているのだろう。それはわかる。だが、情報が新鮮なうちに開発室にもたらせば、それだけ解決への手間と時間が節約できると清治は思っている。

 方針をどうするかにしても、調査や検査を行うのは結局技術者だ。であれば、早めに情報を受け取ることができれば初期段階の調査や検証にそれだけ早く着手できる。

――― 偉い人にはそれがわからんのですよ

 いや、案外鬼怒田は内心同じように思っているかもしれんが、彼はまた上層部の人間として上層部の事情も分かっているはずだ。

 現場を軽視するわけではないのだが、ボーダー全体を考えると上層部の都合を優先せざるを得ないのだろう。中間管理職とはつらいものだ。

 清治がそんなことをくだくだと考えていると、果たして待ち人が向こうからやってきた。待ち人は清治を見て一瞬嫌な顔をしたが、すぐに一礼して休憩室に入ってきた。

「よ。三輪っち。お疲れのところを申し訳無いんぢゃが、ちょいと教えてくれんかね」

 主語を述べずにそういう清治に、三輪は鬱陶しげに返事する。

「現場の状況は鬼怒田室長にも伝えました。詳しくはそちらから聞いてください」

 そう言う三輪に、清治はなおも食い下がる。

「いや、わしが聞きたいのは、報告書にあるような堅ぁ内容のモンぢゃなぁ。三輪っちが現場を見て率直に思ったことを聞きてぇのだ」

 三輪が聞けば嫌がるかもしれないが、清治は三輪を非常に高く評価している。その報告書には、事実を客観的に分析したものが掲載されているのだろう。

 私見を交えないそれは、報告書としてはとても高い水準にある。だが、清治はむしろ三輪の私見を聞きたいのである。

 できれば一緒に現場に居たであろう米屋にも話を聞きたいが、彼の場合逆に私見が入りすぎる。普段そうした話を聞くのは清治にとっては好ましいことだが、今の状況ではそれでは判断材料になりにくい。

 やれやれ… そういった様子で頭を横に振ると、三輪は報告書には記載しなかった彼自身の私見を述べはじめた。

 おおよそは清治が考えていたことと同じだった。報告書に書いた通り、倒されたネイバーの残骸から、ボーダーのトリガーとは異なるトリガーの反応があったということ。

 報告書にはそこまでしか書いていないが、そのトリガーは別のネイバーのものではないのかという疑いを彼が持っているということだった。

「なるほどの… 確証はなぁにしても、とにかく三輪っちはそう思ったってことなんぢゃね」

 三輪がうなずくのを見ると、清治は右肩を撫でながら言葉を続ける。

「わしもおおよその見解では三輪っちと同じようなもんぢゃ。行ったことがあるけぇ言うんぢゃが、ネイバーっつっても色々な国があって、連中同士で戦争しよるトコも少のぉなぁ。案外、今回レーダーにかかった奴を派遣して来た国とは違う国のネイバーが、こっちに来たやつを始末した後行方をくらましたんかもしれん」

 いったん言葉を切った清治は、三輪にうまい棒を進めながら続けて言った。

「三輪っちの所感にしてもわしの見解にしても、今んトコ裏付けになるモンがなぁ。とりあえずわしの方でも色々探ってみるが、三輪っちは知らんフリしといた方がえぇ」

 まだそこに残る三輪をおいて、清治はセーフハウスへと足を向けた。無論空閑 遊真の隣室ではない場所へである。

 迅と約束した手前、清治は彼に対してはアンタッチャブルでおこうと考えていたのだが、ここへ来て少々事態が切迫してきたように思う。

 端的に言えば、清治は今日の謎のネイバー撃破事件の中心には彼がいるのではないかと思っている。つまり、清治は空閑をネイバーなのではないかと疑っている、いや、ほぼ確信している。相変わらず根拠はないが。

――― ゆういっちゃんなら『俺のサイドエフェクトがそう言っている』なんて言うんぢゃろうが、わしのサイドエフェクトにゃそんな性能はなぁしの

 清治のそれは、あくまでも彼の勘でしかない。ただ、あながち外れてもいないのではないかと自分では思う。

 とはいえ、親しい友人である迅と約束した以上、過剰な接触は極力避けるべきだし、彼に対して疑義を抱いている自分が接触するのは少々マズイと清治は考えていた。

――― アレにゃ少々の嘘は通じそうにないしのぉ

 先日会話をした時、その前日にあの『家』に居なかったことを聞かれた際のことを清治は思い出していた。

――― ありゃぁ完全にわしを疑っとる目ぇぢゃった。わし嘘ついてないのに

 清治にとって『本当のことを言わない』ことは嘘には入らないらしい。彼はきっと死後は何本も舌を抜かれることだろう。

 ともかく清治は、空閑と接することで自分がうっかり必要のないことを彼に言ってしまい、そのせいで迅が見た未来とやらが悪い方に流れることだけは避けたかった。

 優しい鬼怒田に迷惑をかけるのも嫌だが、優しい迅を苦しめるのはもっと嫌だった。

 三輪には悪いが、今は清治が調査をするフリをして彼には動かずにいてもらう方が良いだろう。

 未来が見えるわけでもない清治だが、とにかく今は、迅の見た未来のうち最悪のものではない結末のためには、自分と三輪が過度に関わらない方が良いだろうと思うのだった。

 

 三輪隊が現着する少し前、ネイバー(現れたのはバムスターだった)が撃破された現場に2人の少年がいた。1人は清治の隣人で、もう1人は清治の知らないメガネをかけた少年だ。

「いやいや違う。ボーダーなのは『親父の知り合い』。親父はボーダーとは関係ない」

 メガネの少年三雲 修の質問に対し、清治の隣人でもある空閑がそう答える。三雲は呆気に取られた。

「関係ないはずないだろ。トリガーを持っているのはボーダーの人間だけだ」

 彼には空閑が何を言っているのか分からなかった。

 それはそうだ。彼からすれば、ネイバーと渡り合う上で唯一の『武器』であるトリガーを所有しているのはボーダーであり、それを使用できるのはボーダーに所属している人間だけだ。

 しかし、空閑の答えはそんな疑問を投げかけた三雲の予想をはるかに上回る、今の言い方で言えば『斜め上』を行っていた。

「それは『こっちの世界』でのハナシだろ?」

 完全に予想外の答えに三雲は息をのむ。空閑はさらに続けて言った。

「おれはゲートの向こうの世界から来た。おまえらが言うところの『ネイバー』ってやつだ」

 三雲 修は戦慄した。この規格外の戦闘力を持ったトリガーを駆使する、今日初めてあった少年。

 彼はまだ知らなかった。この出会いによって、ごく目立たないボーダーの訓練生に過ぎなかった自分の運命が大きく変わってしまうということを。

 それはまた、未だ彼の知らない幾多の人物たちとの出会いをもたらし、彼自身が思ってもみなかった道をたどることになる、ほんの入り口での出来事に過ぎないということを。

 そしてまた、武蔵丸 清治も知らなかった。彼ら二人の出会い、そしてその後の彼らとの邂逅によって、なけなしのやる気を出してこの件に係わるハメになるということを。

 もっとも、もし彼の中に『やる気』と呼べるものがわずかでもあるのであればの話ではあるのではあるが。



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B03 切り身と刺身

「ふぁ~ああぁ…」

 三門市立第三中学校に向かう回収車両の格納庫の中で、清治は大きなあくびをした。隣に立っている水戸(みと) 裕子(ゆうこ)にひと睨みされて苦笑する。

 回収車両の目的は、第三中学に現れたネイバーの回収である。

 清治の見つけた『ノイズ』を解析することによって、ある程度イレギュラーゲートをコントロールすることができるようになったボーダー。しかし、件の現場に発生したゲートは、それとはまったく異なるノイズの乗ったゲートだった。

 今までのノイズのパターンを解析してようやくイレギュラーゲートをコントロールする可能性が見えたのだが、そのパターンとは明らかに異なるタイプのゲートが現れると打つ手がない。

 結果として警戒区域の外、しかも基地からかなり離れた場所にある第三中学でゲートが開いてしまったのは痛恨の極みだった。

 基地を出発する前に回収班は、現着した嵐山隊の報告を確認していた。

 嵐山隊は、隊長の嵐山 准が率いる部隊で、実力もさることながら、ボーダーの広報部隊としても有名だ。そのため、テレビなどにも出演するアイドル部隊であり、三門市の有名人たちである。

 彼らの報告によると、彼らが到着する前に現場にいたC級隊員が1人でネイバーを撃破したという。対象はモールモッド2体である。

 多少のざわめきが起こったが、C級隊員が訓練以外でトリガーを使ったという事実は重く見られた。何らかの処分は免れ得ないことだろう。

 ところで、水戸は先ほどから清治が熱心にタブレット端末を見ていることが気になった。水戸も開発部所属のエンジニアなのだが、清治が例の『ノイズ』を発見するまでは、彼のことは自分の胸を触って来る、いわゆる『女の敵』としか思っていなかった。

 だが、開発室長の鬼怒田は、他の人間が何を言おうがずっとログをチェックし続けて粘り強く問題点を拾い上げた清治の功績は小さくはなく、普段から手柄に繋がりにくい作業を敬遠する傾向にある他のエンジニアに対して厳しい口調でその点を質している。

 そんな清治が今、熱心にチェックしているものが何なのだろうか。技術者として単純に興味があるのだ。ひょっとしたら、今回のコントロールできなかったイレギュラーゲートについて何か調べているのかもしれない。

 マナー違反ではあるとは思ったが、水戸はこっそりと清治の端末の画面を覗き見た。そして絶句した。

 端末に映っていたのは、とある動画だった。春の暖かい時期なのであろう。桜が咲き誇る場所で数人の男女が花見に興じている。

 ふと男性たちが、手元からハムスターを取り出した。喜んでハムスターと遊びはじめる女性たち。この動画は、ハムスターに夢中になっている女性たちのスカートの中を盗撮するというシチュエーションのアダルトビデオだったのだ。

 画面を見つめる清治を、言葉もなく見つめる水戸。しかし、清治がつぶやいた言葉にさらに驚くことになる。

「お姉ちゃんが邪魔でハムスターが見えんやんけ!」

 思わず水戸は

「見てたのそっち!?」

とツッコミを入れてしまった。

「うわ。水戸ちゃん見とったんかいや。いや、最初はお姉ちゃんを見よったんぢゃが、なんか段々ハムスターのが気になって。あれね。ハムスターかわいいね」

 水戸は清治という人間が良く分からない。そして今、ますます分からなくなってしまった。

 水戸が離れたのを確認すると、清治は息抜きに見ていたいかがわしい動画の裏のデータを見始めた。言うまでもなく第三中学に出現したゲートのログである。

 清治は今回のゲートの出現について、開発室の人間の中でも最も忸怩たる思いを抱えている。それは、以前までのログのおかげである程度ゲートがコントロールできるという功績と言えば功績を立てたこととは全く関係がなかった。

 開発室の中にはその件について清治をからかう人間もいたが、清治は笑ってそれを聞き流していた。聞き流しながら別のことを考えていたのだ。

 清治は、今回のゲートの出現についてある疑義を持っていた。それは敵の意図だ。おそらく今までのゲートはこちらに対する小手調べに過ぎなかったのだ。

 その根拠になりえるかどうかはわからないが、今回イレギュラーゲートから出現したのはモールモッドが2体。これまでイレギュラーゲートから出て来たのはほとんどがバムスターで、それも1体だけだ。

 捕獲用のバムスターでなく、戦闘用のトリオン兵であるモールモッドが、しかも2体出現した。これに敵の意図があるとすれば、これまでとは違いトリオン能力の高い人間の捕獲やトリオン器官の採取ではないだろう。それはおそらくこちらに対する明確な破壊工作である。

 しかも、探知されるのを見越して別なタイプのゲートを開いたのではないかと思われる節がある。だとしたら、敵は清治が考えている以上に狡猾だと言えた。

 この推論に達した時、清治は以前迅が言っていたことを思い出した。

『ゲートの件は解決できても、その後のもっと大変なことですごくマズイことになるんだ』

 このゲートは、もしかしたら彼が言っていた『その後のもっと大変なこと』につながる出来事なのではないだろうか。

 最近、上層部ではそう遠くない将来に以前の大侵攻と同規模かそれ以上の侵攻があるのではないかと言われている。おそらくは迅のサイドエフェクトでそのようなものが見えているのだろう。

――― 何か面倒なことになりそうぢゃのぉ…

 そんなことを考えながら清治が屁をここうとして、隣に女性がいるのでそれを止めた時、回収車両は現場に到着したのだった。

 

 回収班の班長、山田(やまだ) 要蔵(ようぞう)が学校関係者に事情を聞き、イレギュラーゲートについて謝罪した後、山田と水戸、清治の3人で倒されたモールモッドの場所へと移動した。

「おお… こりゃ見事な切り身ぢゃの」

 これでもかというほどに見事に真っ二つにされたモールモッドを見て、清治は思わず言葉を吐き出す。

 くだらないことを言いながら、清治は全く別のことを考えている。戦闘用のトリオン兵であるモールモッドをC級隊員が単独で倒すということなど可能なのだろうか。

 訓練生であるC級隊員が接するネイバーと言えば、本物のネイバーではなく訓練用に調整されたタイプのものだけのはずだ。

 その戦闘力がモールモッドに近いということはない。強いて言えば装甲が実戦のそれよりも堅めに調整されているといった程度だ。スピードとパワーでは実際のモールモッドには及ばない。

 ポイントが3,000を超える隊員はモールモッドタイプ、それも比較的実戦で戦う相手に近い戦闘力を持った訓練用ネイバーと訓練で戦うことがある。

 だが、清治が事前に確認したところ、3,000ポイントを超える隊員の中に三雲という姓の隊員はいなかった。

 経験したことのないタイプのネイバーを相手に、3,000ポイントに届かない隊員がぶっつけ本番でこれほど見事に切り裂くことができるだろうか。切断面を見る限りただの一太刀、それも訓練用のレイガストでだ。

――― ありえんな。コウくらいの使い手でもなけりゃ、こうはいかんはずじゃ

 切り裂かれたモールモッドを検束用のバンドで縛る作業をしながら、清治はつらつらと考えていた。先日の警戒区域ギリギリの場所に現れたバムスターが撃破された時と同様、普通に考えていたのでは解決できないタイプの出来事がここでも起こっている。

 もう1つ解せないことは、嵐山隊の報告だ。彼らの報告では自分たちが現着した時にはケリがついていたということ、ケリをつけたのは三雲隊員であること、彼がC級隊員であり、隊務規定に触れる行為であったということ、それでも彼がそうしなければ被害は甚大であったことが予想されるということだった。

――― じゅんじゅんが本当に三雲とやらがやったと信じているとは思えんが、ね…

 清治が言う『じゅんじゅん』とは、嵐山隊を率いる嵐山 准のことだ。

 三門市きっての有名人と言っても過言ではない彼は、その端正なルックスと引き締まった体つき、さらに爽やかで裏表の無い性格という、清治から言わせれば『完璧超人』である。

 強いて言うならば彼には妹と弟がおり、その2人をこちらがドン引きするほど溺愛している。それは何ら秘密でもなんでもなく、言ってしまえば三門市民全員が知っていることだ。

 それでも彼の人気が高いのは、彼のルックスが良いからだろうと清治は考えている。所詮は顔なのだ(つД’)

 外見的な特徴や本人の人となりはさておき、嵐山は本人が超一級の戦闘員だ。

 今でこそ隊のエースは一番若い隊員である木虎 藍であるが、それまでは彼がエース兼隊長として隊を引っ張ってきた。

 エースの座こそ木虎に譲ったものの、その実力は彼女に劣るものではない。清治の目からすれば、まだまだ経験の浅い彼女を本当の意味で引っ張っていけるのは、ボーダー広しとはいえおそらく彼以外の人間にはできないだろうと思う。

 その木虎だが、トリオン量が平均程度と決して多くはないものの、入隊当初から注目される存在だった。

 その戦闘力は極めて高く、中学生にしてA級隊員というのはそのことを如実に証明していると言える。三雲は、そんな木虎と同じ年だ。

 入隊直後から注目されていた彼女とは違い、三雲の名前を清治が聞いたのはごく最近だ。

 訓練用のトリガーを使ってモールモッドを一刀両断とばかりに切り裂くことができるような人物の名前が、噂にも上らないなどということがあるだろうか。

 答えは『否』だ。清治は自分自身が身につまされて知っている。噂というものがどれほどの速度で尾ひれをつけながら周囲に伝播していくのかということを。

 さて、これまで知りもしなかった訓練生が2体のモールモッドを退治したという今回の出来事。一体どのように考えれば良いのだろうか。

 いずれにしても、清治は一度嵐山に話を聞いてみる必要があると考えた。それも、できるだけ早く。

「検束完了。持ち上げOKぢゃ」

 クレーンを操作する水戸に合図すると、清治はその場から離れる。

 移動した先には、今クレーンで釣り上げられたモールモッドとは別個体のそれが転がっていた。清治は苦笑しながら

「こりゃ素手でも普通に運べそうじゃわい」

 言いつつ、クレーンの旋回範囲に足を踏み入れないように注意しながらモールモッドの残骸を運び始めた。

 

 回収車両のスペースが手狭になってしまったため、清治は他の2人と別れて徒歩で基地に向かっていた。左頬にはばっちりて手形が残っている。水戸の胸を触って報復を受けたのである。

 途中取り出したのは携帯端末だ。最近少なくなりつつあるガラケー、しかもモデルとしてはかなり古いものだ。

 清治に限らず、ボーダーの隊員には基本的に最新型のスマートフォンタイプの端末が支給されている。エンジニアやオペレーターの場合は、さらに別個にタブレット端末が配布されている場合もある。

 清治が取り出した前時代的なガラケーは言うまでもなく清治の個人端末だ。そして、実はこの個人端末には見た目ではわからない仕掛けがなされているのだ。

 一言で言ってしまえば秘密通信用の端末だ。いったん通信ネットワークに載ると、まずは端末の個体識別データを全て消去する。

 どこの基地局から通信網に入ったかということも含め、清治が個人端末を使ったとされる痕跡のすべてをすぐに消し去ってしまうのだ。

 そして通信している間中、ほとんど1秒以下の単位で通信拠点を変更する。もちろん基地局変更の際の使用痕跡はすべて消去する。

 こうすることによって、清治は個人端末を使用している間中、どこの誰と通話しているのかということを周囲から傍受しにくくしているのだ。もちろん完璧に防げるわけではないのだが。

 通信相手は嵐山である。彼もまたボーダーに支給されたものとは別に個人の端末を持っている。

 秘密めかした仕掛けがあるわけではないそれは、単に親しい人や家族と連絡をとるためにボーダーの連絡用とは別に用意したものだ。忙しい彼にとってそれは普通のことだ。

「やっほーじゅんじゅん。今大丈夫?」

『ムサさん。こっちにそれで連絡してくるなんて珍しいな』

 清治にとっても嵐山にとっても、お互いが気やすい友人である。

「なあじゅんじゅん。単刀直入に聞くが、おめぇさんは三雲くんとやらの申告を真に受けているのかね?」

『そうだけど?』

 然もあろうという回答を聞いて清治は苦笑する。

「じゅんじゅんは優しいな…」

 清治はポツリとつぶやいた。

 今の嵐山の返事から、清治は彼が三雲の申告を信じているわけではないということを確信した。嵐山は良い人ではあるがお人よしではない。まして歴戦の戦士だ。

 戦場に残った戦闘の痕跡を見れば、その戦果をもたらした人間がどのような者であるかなどすぐにわかるし、彼の実力と経験からすれば、戦闘がどのような経緯を辿ったかということまでおおよそわかるであろう。

 わかった上で嵐山は、あえて三雲が言うことを信じることにしたのである。

『ムサさんは違うと思ってるのかい?』

 何食わぬ口調で嵐山が清治に反問する。

「思うどころか確信しちょるよ。さっきまでC級のここ1年ばかりの訓練ログを見よったんぢゃが、彼は逆の意味で目立つ存在ぢゃね」

 清治が見てきたのは、三雲がこれまでの訓練でどのような成績を上げていたかの記録とその際の動画だった。

 入隊時の体験訓練の『時間切れ』に始まり、地形踏破訓練、隠密行動訓練、探知追跡訓練と一通りの訓練のログを全てチェックしたが、そのどれもが下から数えた方が早い順位だ。

 個人ランク戦はあまり行っていないが、ほとんどで負け越している。どちらかと言えば落ちこぼれと言って良いかもしれない。

「能ある鷹は爪を隠すなんて言葉があるが、ありゃぁ隠す爪なんぞなぁよ。どっちかっつ~と、爪も牙も嘴も無い人畜無害な動物っちゅ~感じぢゃ。何をどうしたってモールモッドを倒せるレベルぢゃなぁ」

『…』

 さすがの嵐山も電話の向こうで絶句している。

 確かに彼も、三雲がモールモッド2体を苦もなく倒すレベルの人間だとは思っていなかった。もしそのような実力の持ち主なら、訓練を担当する嵐山が彼のことを知らないはずはない。

 三雲の言葉を信じることにしたのは、他でもない妹と弟を助けてくれという恩があったからである。

 倒したかどうかは別としても、彼がいなければ2人をはじめ、多くの生徒や教師が犠牲になったことは間違いない。そんな彼に対するせめてもの礼のつもりだったのだ。

 ところが、具体的な彼の成績を耳にして今更ながら驚いた。嵐山からすれば、おそらく三雲はC級でも中位程度の実力はあるだろうと思っていたのである。

『それで、ムサさんはその内容を知ってどうするんだ?』

 嵐山の声に少し剣が立つ。どうやら彼は、何がどうあっても三雲を擁護するつもりのようだ。

「なんもせんよ面倒くさい。それに、わしが何か言うても誰も信じちゃくれんよ。イレギュラーゲートの件でようわかった」

 電話口の向こうで嵐山が息を吐くのが分かった。ホッとしたのだろう。清治は苦笑するしかない。

「それに成績が悪ぅても、三雲くんの訓練に臨む態度は真摯なもんぢゃ。全隊員が見習うべきかもしれんよ。そんな彼が無意味な嘘をついたり、悪意を持って報告しないなんてことはせんじゃろうて。彼なりの理由っちゅ~もんがあるんぢゃろう」

 かと言って、この件をそのまま放置するつもりも無いことを清治は嵐山に伝えた。

 これからは彼を注意深く見守り、もしボーダーひいてはこちらの世界に対して良くない行いをするようであれば、その時は何の躊躇も呵責もなく排除すると。

『ムサさんは優しいな…』

 穏やかな声で嵐山がそう言う。

「面倒ごとに関わり合いになりとうなぁだけぢゃ。ところで、切り身になったモールモッドのへりに刺身になったやつがおったけど、アレも三雲くんがやったんかね」

 『切り身』に『刺身』という、実に彼らしい表現が嵐山は気に入ったようだ。陽気な笑い声を挙げたあと、それをやったのは自分の隊の木虎であると言った。

「ああ。あいごんか。どうせじゅんじゅんが煽ったんぢゃろ」

『人聞きが悪いことを言うんだな。単に三雲くんが見事な切り身にしてたから、木虎にできるかって聞いただけだよ』

 彼は、ほぼ一撃でモールモッドの急所を破壊した三雲の手腕を褒め、木虎に同じようにできるかと聞いたという。

「ほんで、ムキになったあいごんが転がっちょるやつを刺身にしたんか。どうせなら全部切っといてくれりゃ、運ぶのがもっと楽じゃったんぢゃがね」

 嵐山は笑って

『伝えておくよ』

と言った。

 

 嵐山との通話を終えたあと、清治は手近にあった自動販売機でコーラを買った。本当ならビールを買いたいところなのだが、近くにはビールを売っている自販機はなかった。最近ではすっかり見かけなくなってきている。

「やれやれ… 思いのほか遠いのぉ」

 清治は、先ほどから全然近づいて来る様子のない基地を見ながらため息をついた。彼が思っていたよりも第三中学と基地の間の道のりは込み入っているのだ。

「こんなことなら、歩いて帰るとか言わにゃぁ良かった… 今更後悔しても後のカーニバルぢゃ…」

 コーラを飲みながら一息ついていた清治の耳に、今日二度目に耳にする警報が鳴り響くのが聞こえた。

『緊急警報! ゲートが市街地に発生します。市民の皆様は直ちに避難してください。繰り返します…』

 見上げる先にゲートが開き、中から見たことのないネイバーが現れる。

「何じゃあの失敗したたい焼きみたいなのは!?」

 言いつつ清治は、走り出しながらタブレット端末を開く。先ほど開いたゲートのノイズは、どうやら第三中学に開いたものと同じもののようだ。急いで個人端末ではない方の端末で開発室に連絡する。

「ポンさんビンゴぢゃ! コントロールできんタイプのゲートのノイズとほぼ一致しちょる! わしゃ今から現場に向かう!」

『待て! 現場付近には木虎がいる! ネイバーの対処はあいつに任せて、お前はゲート発生の原因を調査しろ!!」

「了解!」

 清治は、空を飛ぶネイバーの進行方向とは反対側に走りつつ木虎に連絡を入れる。その間にも、新型のネイバーは町を爆撃しながら遊弋する。

「あいごん聞こえるか? わしも現場付近におる。爆撃の方はわしがどうにかするけぇ、何としてもあれを落としてくれ!」

『武蔵丸さん!? 了解!』

 走りながら清治はイーグレットを取り出す。そして、上空を旋回しつつ市街地に落とされる爆弾を打ち落としつつ、先ほど新型が現れた付近に到着した。

 したは良いが、爆撃を防ぐのに手いっぱいで周囲を調査するどころではない。

「あいごんまだかいな…」

 サイドエフェクトを使用しつつの狙撃は、清治に信じられないほどの負担を強いる。これ以上は持たないと清治が思った時、新型が徐々に高度を下げはじめた。

「やったか… さすがはあいごん…」

 そうつぶやいて気を失った清治は、そのあと起こったできごとを知ることはなかった。

 意識を取り戻した清治は鈴鳴支部のリビングのソファに横になっていることに気が付いた。今が心配そうにのぞきこんでいる。

 そんな今の胸に手を伸ばし、したたかにひっぱたかれた清治は、鬼怒田から本部の会議室に出頭するようにと連絡があったと伝えられた。

「やれやれ…」

 心配げに自分を見る鈴鳴支部の面々に大丈夫と言いつつ、清治は本部へと向かうのだった。




水戸さんと山田さんは一発予定のオリキャラですが、話の流れによってはまた出番があるかもです。


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B04 誰がクビなん?

 清治が会議室に入ってきたのは、ちょうど三雲 修が鬼怒田につるし上げをくらっているところだった。

「バカが見つかった。処分する。それだけの話だ」

「ありゃぁ… そりゃわしのことですかいの」

 場違いな呑気な声の持ち主に会議室内の人間の視線が集中する。

「ど~も。お偉いさんの会議の中に『セクハラの双璧』がそろい踏みさせていただくとは、なかなか恐縮ですなぁ」

「いいからさっさと座れ!」

 緊張感皆無でどうでも良いことをくだくだ言う部下に鬼怒田が促す。

 言われた方は肩をすくめると、同じく会議に出席している迅に『よお』といった感じで手を挙げると手近なイスに腰かけた。

 迅の隣にはログで確認したメガネの少年が座っている。予想通り彼の隊務規定に反した行動が問題になっているようだ。

――― それにしても…

 ログで見た時には冴えないメガネだと思ったが、実物を見るとログよりも貧相だ。いや、それはおそらくここの雰囲気に呑まれてしまっているのだろうと清治は好意的に思うことにした。

 無理も無かった。彼は少なくとも昨日までは、特に見どころの無い訓練生に過ぎなかったのだ。

 それが、イキナリ上層部出席の会議に呼び出されているのである。おそらくはこれまで遠くから眺めることはあったかもしれないが、まず接点が無いであろう『お偉いさん』が自分の処遇について話し合っている場に居合わせているのだ。

 おまけに、訓練生に過ぎない自分は座らされているのにA級隊員の三輪が城戸の傍でとはいえ立っている。緊張しない方がどうかしていると清治ですら思う。

「私は処分には反対だ」

 ボーダー本部長忍田 真史は三雲の処分には反対のようだ。今は一線から身を引いているものの、その戦闘力はボーダー随一とも言われる強者である。

 彼が言うには、確かに三雲の行動は隊務規定に反するものではあるが、彼が市民の命を救ったことに変わりはないのだそうだ。

「ネイバーを倒したのは木虎くんでしょう?」

 やや嫌味な口調でそう言うのはメディア対策室長の根付 栄蔵だ。ボーダーが世間で好意的に受け止められているのは一重に彼の手腕だ。

 そうであるが故に、ボーダーのイメージを損ねる可能性のある隊務規定違反を犯した三雲を、彼としては黙って処分なしとするわけにはいかないのだろう。

 しかし、その木虎が三雲の救助活動の功績が大であるという報告を上げたというのだ。彼女の人となりを知っている人間は多少なりとも驚いたようだ。無論清治もである。

「へえ。あの木虎が」

 迅の放ったその一言は、そうした彼らの心を代弁したようなものだった。

 忍田は三雲を処分するよりも、彼をB級に昇格させて能力を発揮させる方が有意義であるとも言った。確かにその通りかもしれないと鬼怒田と根付も思い始めた。

「本部長の言うことには一理ある… が」

 ボーダーの最高責任者、城戸 正宗司令の言葉に全員がそちらに顔を向ける。

「ボーダーのルールを守れない人間は、私の組織には必要ない」

 それまでわずかに緊張を解きつつあった場の雰囲気が一気に引き締まった。いや、冷えたという方が正しいかもしれない。そんな冷たく張りつめた空気の中、城戸は言葉を続ける。

「三雲くん。もし今日と同じようなことがまた起きたら、君はどうするかね?」

 厳しい質問だった。だが、三雲は臆することなく答える。

「それは… 目の前で人が襲われてたら… やっぱり助けに行くと思います」

 決意表明とも取れるその発言を、外務・営業部長の唐沢 克己は好意的に受け取った。だが、彼と忍田を除いた上層部はそうは取らない。ちなみに、玉狛支部の支部長林藤 匠がどのようなスタンスなのかは誰にも分らない。

「ふぁ~ああぁ…」

 凍てつくツンドラ平原のような会議室の空気をものの見事に叩き壊したのは、言うまでもなく『無責任エンジニア』だった。

「ああ。すんませんね。ところで、その三雲くんとやらの吊し上げの場に一介の技術者に過ぎないわしが呼ばれたのはどういうことですかいの。できりゃぁ、昼間にゲットしたノイズ波形を解析してバリエーション検討なんぞしたかったんですがね」

 らしくない仕事熱心な発言に鬼怒田が苦笑した。見れば迅と林藤も笑っている。ほんの少しではあるが会議室の空気が和んだようだ。

「お前も確か、嵐山の報告書を見とっただろう。それで意見を聞かせろという城戸司令たってのご指名だ」

 一応エンジニアとしては直属上司である鬼怒田からそう言われ、清治は城戸の方を見た。考えてみればこの人の顔を見るのは久しぶりだと清治は思った。

「そういうことだ。で、君は今回の件をどのように思うかね?」

 城戸に問われ、何か思案するように首をかしげた後、清治は居並ぶ誰もが、いや、彼の人となりを良く知る迅以外の誰もが驚くようなことを言ってのけた。

「なんもせんでえぇでしょ。別に」

 あっけらかんとそう言う清治に、普段あまり表情を崩さない城戸も少し目を見開いた。

「何を言っとる! 隊務規定に反した奴を処分もせずに放っておけとはどういうことだ!」

「そうだ! それではボーダーが外部から緩い組織だと思われてしまう」

 言い募る鬼怒田と根付を清治はおどけるようになだめる。

「まあまあお二人さん。そんなに青筋立てちゃ血圧あがりまっせ」

 人を食ったような態度はいつものことだが、今に関して言えば看過できるものではない。鬼怒田がさらに何かを言おうと立ち上がると

「…理由を聞かせてもらいたいな」

城戸が静かに問いかける。機先を制された形となった鬼怒田はとりあえず腰を下ろした。

「確かに隊務規定にゃ違反しとります。じゃが、そりゃイレギュラーな対応でした。そのおかげで、深刻になっていたであろう被害が最小限かそれ以下に収まった。聞いた話ぢゃ、どっちの件もけが人は多少出たものの死人は出んかったそうぢゃないですか。彼の功績以外の何物でもない」

 ここでいったん言葉を切った清治は周囲の様子が落ち着いていることを確認した。

「防衛機関としてのボーダーにとって、彼の取った行動は功績ですよ。んで、行為そのものは隊規違反。なら相殺してチャラっちゅ~ことでえぇんぢゃないですかね」

 さらに続けて清治が言う。

「ポンさん。三雲くんのイレギュラーな行動がアウトっちゅ~なら、勤務時間中に関係ないゲート波形探知アプリを作っとったわしも同じことぢゃ。クビにすんならわしのが先でっせ」

「ぬぅ…」

「しかし、君の作ったそのアプリのおかげで、イレギュラーゲートのコントロールがある程度可能になったとも聞いているが?」

 忍田の発言に対し、しかし清治は否定的な見解を示した。

「そりゃ結果論ですよ。作ってた当時は誰もわしの発言を重要視しませんでしたし、わしにしてもなんらかの根拠があったわけでもない。ただ、漠然とそういう可能性があるんぢゃなかろうかと思っちょっただけです。おまけに、その上で今日の件ですわ。市街地にあんだけ被害が出たんぢゃ、結果も何もあったもんぢゃありませんよ」

「なるほどな…」

 清治の答えにうなずいたのは、忍田ではなく城戸だった。

「その話はもういいでしょう。今はとにかくイレギュラーゲートをどうするかです!」

 根付の発言を潮に、会議の内容は三雲の処分からイレギュラーゲートへと話が移って行った。

 

「結局わしゃあ、何のために呼ばれたんぢゃ…」

 閉会後、会議中と同じく大きなあくびを1つしたあと、清治が恨みがまし気につぶやいた。

「城戸さんのご指名だったからね。そんなにノイズ解析がしたかったの?」

 一緒に歩いている迅が訊ねる。もちろん、清治が本心からそう思っているなどとは考えてはいない。

「いや、それよりもゆかりんのおっぱいの触り心地を比較・検討したかったんぢゃ。なんか最近ちょっと大きくなっちょる感じでね」

「何それ詳しく!」

 頭上で交わされている『セクハラの双璧』のくだらない上に下品で下世話な会話を聞きながら、三雲は会議室を出る前のことを思い出していた。

「三雲くん。1つ訊いていいか」

 そう声をかけてきたのは、城戸司令の横に控えたまま会議では一言も発言しなかった人物だった。A級7位の三輪隊を率いる三輪 秀次だ。

 彼は昨日警戒区域内で現れたバムスターについて聞いてきたのである。

「ぼくがやりました」

 問いに対してそう答え、三輪に礼を言われたが、何かモヤモヤしたものが心に残る。

 それはそうだ。あれをやったのは自分ではないことを、彼は当然ながら知っている。だが、心にあるわだかまりの原因はどうもそれだけではないらしい。一体どうしたことだろうか。

 三雲の両サイドにいる2人は、そんな彼を挟んだまま下品かつ下劣な話題に花を咲かせている。ろくでもない内容の会話に、男女を問わず廊下に行き会う人たちが後退りするのことに気が付いた三雲はさすがに焦った。

「あ、あの…」

 この状況を何とかしたい三雲は、とりあえず2人の会話を遮ることを試みた。そして、それはうまくいったようだ。

「ああ。すまんね。わしの方が一方的に知っとるだけで、君はわしのことなんぞ知らんかったね。鈴鳴支部の武蔵丸 清治だ。よろしくなメガネくん」

「あ、はい。こちらこそ…」

 互いに挨拶を交わしたところで清治が言う。

「で、ゆういっちゃん。ゲートの件は目途がついとんのきゃ?」

 ボーダーが現在抱える問題の中でも最重要案件であるというのに、まるで清治は何かちょっとした忘れ物の確認でもしているかのような軽い口調で言う。だが、三雲が驚くのはその問いに対する迅の返答だった。

「いや全然」

 驚愕して迅を見つめる三雲と、対照的に面白そうなものを見るような目で見る清治。

「でも大丈夫。俺のサイドエフェクトがそう言ってるから」

 自信満々にサムアップする迅を見ながら、三雲はこの後のことが少しだけ(本当に少しだけ)不安になった。

 会議での結論は、とにかくイレギュラーゲートの対応が急がれるということ。その件については迅と清治が主導するということ。そして、この件で重要な役割を果たすと迅が述べた三雲は、とりあえず処分保留のまま迅に預けられることが決まった。

 また、トリオン障壁によるゲートの封鎖は46時間、仮に現時点で分かっているイレギュラーゲートのみに対応する場合であっても最大で52時間ほどらしい。あまり時間があるとは言えない。

「次の会議は明日の夜か。めんどぃのぉ。さ、今日はさっさと帰ろ。で、明日はどうするん?」

 三雲は驚いたが、清治はどうやら迅の言う『サイドエフェクト』なるものに疑問を持っていないようだ。

「とりあえずはメガネくん家の近くで集まろう」

 帰宅後ほどなく就寝時間になったので、三雲は昼間に聞いた『サイドエフェクト』について、爆撃機型トリオン兵『イルガー』との交戦時(正確には爆撃現場での救助作業)の際に自らをネイバーと宣う友人の空閑 遊真から借り受けた『レプリカ』の分身を利用してそのレプリカ本体と交信していた。

 レプリカは自らを空閑のお目付け役と言い、ネイバーのとある国の技術で作られた多目的型トリオン兵だという。自身が喋ったり空中を移動したり、小型の分身を作り出したりするなど様々な能力がある。

 三雲は昼間のイルガーの件でこのレプリカの分身に色々と助けられたのである。

 時に、サイドエフェクトとは要約すれば特殊能力だ。トリオン能力の高い者に稀に発現するもので、超常的なものではなく人間の本来持つ能力がトリオンが活発化することによって強化されたりするものだという。例えば常人とはかけ離れた高い視力や聴覚といったものらしい。

 ただ、他人からすれば超常的な能力を持っているように思えるため、周囲に理解されなかったり、そのために本人へ良くない副作用じみた影響が出てしまったりすることもあるのだそうだ。

 レプリカが言う『サイドエフェクトとは副作用という意味』ということはこのあたりから来ているのかもしれない。

「迅さんがやたら余裕な感じなのは、よっぽどすごいサイドエフェクトを持ってるってことなのか…?」

 自分がそういうものを持っていない上に、今まで周囲にそうした人物がいたことがない三雲にとっては、レプリカの説明を聞いても漠然としたイメージしか湧かなかった。

「そんなすごいサイドエフェクトなんかあるかなあ?」

 自分のことは棚に上げてそういう空閑。彼もまた、清治が知れば『エグい』と言われてしまうようなサイドエフェクトの持ち主である。

「まあ、明日も会えるんだろ? そん時訊いてみればいいじゃん」

 そう言う空閑の方から妙な音が聞こえた。何か重くて固いものを動かしたりしているような音だ。

「空閑。お前今どこにいる?」

 普通の家であれば聞くことが無さそうな音だ。模様替えでもしているのであれば話は別だが、そんな時間ではない。では、彼はどこにいるのだろうか。

「え? 今? 学校」

 然も当然といった口調で答える空閑だったが、聞いた三雲としては驚かずにはいられない。家にいるわけではないとは思ってはいたが、それにしてもそこにいるとは考えられない場所である。

「学校!? こんな時間に!?」

 一体何の用があってこんな時間に学校にいるというのだろうか。

 空閑が言うには、レプリカがイレギュラーゲートについて心当たりがあるという。それについて調べまわっているというのだ。

「お前『ボーダーに任せる』とか言ってなかったか?」

 しかし空閑はそれには答えずに

「なんか見つかったらオサムにも教えてやるよ。じゃまた明日」

とだけ答えた。

 空閑はいつ眠っているのだろうか。そんなことを考えながら、三雲の思いは再びゲートの問題に戻っていく。

 計算上、ゲートの出現を抑制できるのは42~48時間だ。自分はのんきに寝ていていいのだろうか。

 いずれにしても、起きていたところで今彼にできることは何もなかった。せめて明日の待ち合わせの時間には遅れないようにしよう。

 そう思うといっきに眠気が襲ってきた。今日あった出来事のことを考えれば無理もないことだった。

 



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B05 メガネと会長と委員長

バレンタインデー? なにそれおいしいの? (つД`)


 三雲が眠りに落ちた頃、玉狛支部のキッチンでは支部長の林藤 匠と支部に所属している迅 悠一、そして部外者である『まぐれS級隊員』の姿があった。

 他の隊員たちは眠っているか出払っているのか、とにかく今このキッチンにいるのは3人しかいない。

 彼らは今、遅めの夕食を取っているのだ。メニューは鴨鍋。この時期には最高の食事の1つである。清治の得意料理だった。

「しっかし、たっさんも人が悪いのぉ。結局ゲートの話になるまでどういうスタンスなんか分からんかった」

 清治が『たっさん』と呼んでいるのは林藤のことだ。もちろんこの人物をそう呼ぶのは清治しかいない。

「まあそう言うなよ。俺ぁこれでも臆病モンなんだ。これ以上城戸さんたちに睨まれるのは勘弁だからな」

 とてもそうは思っていない口調で林藤が言う。彼にしても迅にしても清治にしても、人を食った性格の持ち主の代表選手のような連中である。

「相変わらずムサさんの和食はうまいなぁ。俺の嫁さんに欲しいよ」

 メンバーで唯一酒の入っていない迅が面白そうにそう言う。

「やめとけやめとけ。こんなの嫁にもらうとケツの毛まで抜かれるぞ」

 林藤の言葉に3人で大笑いする。彼と清治はかなり酒が入っていた。

 素面の若者が酔っ払いを相手にするのには限界がある。さすがの迅も少し持て余しはじめたころ、助け舟となる人物が現れた。木崎 レイジが防衛任務から戻ってきたのである。

 木崎は玉狛支部に所属する部隊の隊長である。近接戦闘だけでなく中距離戦闘や長距離狙撃もこなす、ボーダーでも稀有な存在だ。

 その戦闘力は極めて高く、彼を慕う本部隊員も少なくない。

 ちなみに、全距離での戦闘をこなすことができるのは数多くいる戦闘員の中でも彼と清治だけである。

 また、清治曰く『インチキ』でパーフェクトオールラウンダーになった自分とは違い、木崎のそれは純粋に本人の優れた資質とたゆまぬ努力の結果である。

「おおレイジさんおかえり」

 すっかり出来上がっている清治が銚子片手に言う。

「武蔵丸。来てたのか」

 酔っ払いが2人いても木崎は表情を崩さない。彼が表情を崩すことなどほとんどないのである。

「いいところに帰って来たなレイジ。今から鴨鍋の残りに蕎麦を落とすところだ」

 鍋の締めと言えば冷や飯などを使った雑炊が定番であるが、鴨鍋の場合は蕎麦を落とすのも良い。すっかり煮詰まって濃くなった煮汁に蕎麦を落とすと、それはまさに絶品の鴨蕎麦になるのだ。

 この蕎麦も清治が自ら打ったものだ。彼の祖父は無類の蕎麦好きで、その腕前は一流の蕎麦匠も舌を巻くほどであったとか。清治も剣術の稽古の合間にしっかりと蕎麦打ちを仕込まれたのである。

 とはいえ、食事の前に打ったものだから、打ちたてのものと比べるとどうしても風味が落ちる。

「そこでちょいと日本酒をかけまわすんでさぁ」

 時代劇の登場人物のような口調で清治が言う。

「それで終わらすにゃもったいねぇな」

 言いつつ林藤が、清治の手から残った日本酒を取り上げるとそのまま呑む。

「こいつぁ良い酒だな。レイジ。お前も呑め呑め」

「いただきます」

「持ってきたのわしなんぢゃけど」

 清治が言いつつ蕎麦を鍋に落としていく。頃合いになるとそれぞれが蕎麦をよそい、すすっては舌鼓を打つ。その間にも林藤と木崎、清治は日本酒をちびちびやっている。

 明日に備えて寝るという迅と入れ替わりに、晩飯がてら木崎が残る。この宴はかなり遅くまで続いた。

 翌朝迅が目覚めると、キッチンにたたずむ清治の姿があった。

「おはようムサさん。ってうわっ!」

 さすがの迅も驚いた。なんと清治は、朝も早くから茄子の浅漬けを肴に冷やの日本酒をあおっているのである。

「おおゆいいっちゃんおはようさん。今日は珍しく早いんと違うか」

 そう言う清治の顔は少し赤くなってはいたが、目はわりとすっきりしている。

「ムサさん。いくらなんでも朝から呑むってのは…」

 苦笑しつつ質す迅に、清治はあっけらかんと言い放った。

「いやぁ。昨日飲み過ぎたせいか二日酔い気味なんでな。迎え酒ぢゃ」

 さすがに絶句する迅の足元に、カピバラに乗った少年が現れた。昔のヒットソングのタイトルのようだがそれは関係ない。

「おはようきよはる。あさからさけとはなさけないぞ」

 寝ぼけまなこをこすりながら言うのは、玉狛支部に所属する林藤 陽太郎。玉狛が誇るお子さまS級隊員である。

 動物と会話のできるサイドエフェクトの持ち主なのだが、意思疎通ができるというわけで言うことを聞いてもらえるわけでもないそうだ。

 その証拠に、彼が今乗っているカピバラ――― 陽太郎ととあるもう1人は犬だと思っているようだが、カピバラの雷神丸にも言うことを聞いてもらえない。

 ちなみに、雷神丸は支部長の林藤がどこからか拾ってきたのだそうで、玉狛支部のほとんどのメンバーがオスだと思っているが、実際はメスである。

「おお陽太郎おはようさん。これは酒ぢゃなぁよ。『般若湯』と言って、大人だけが飲むことができる知恵をつける飲み物ぢゃ」

 同じようなことを清治が『とあるもう1人』の小南 桐絵に言っていたことを迅は思い出した。5歳児と同等の嘘にまんまとだまされる彼女ではあるが、その戦闘力は一級品でありボーダー最強部隊と名高い玉狛第一のエースを務める。ルックスが良いためファンも多いということは、彼女本人は知らなかった。

 朝食をしたためた迅は、一合ばかりの酒を呑みほした、昨日と今朝の酒の影響を全く見せないほどにすっきりとした顔をした清治と連れ立って玉狛支部を後にした。

 

 三雲の家に近づいた時、迅と清治の視界に見知った人物のシルエットが見える。三輪隊の三輪と米屋である。どうやら彼らは三雲の見張りをしているらしい。

 昨日の会議の後、三輪は三雲に質問をした。先日正体不明の人物(?)によってロストしたネイバーの件である。

 三輪は彼に、その場に彼がたまたま居合わせたために対応したのではないかと訊ねた。本心ではそんなことは1mmも思っていないのにだ。

 問われた三雲は自分がやったと言った。彼本人もそうではないことを知ってはいたが。

 その場では納得した旨のことを言っていた三輪だが、三雲が迅らと退室した後でその疑義について城戸となんらかのやり取りがあったのは間違いない。

 彼らが今ここにいるということは、つまり城戸のお墨付きを得て三雲を見張っているということだ。

 三輪が疑っているのは三雲の腕ではない。彼にとってそれはどうでも良いことであった。使えるならそれで良し。そうでなければそれはそれで良いのである。

 彼が疑っているのは、三雲がネイバーと接触しているのではないかということだ。かつての大侵攻で実の姉を失って以降、彼はネイバーを敵視している。その思いは苛烈と言ってよかった。

 そんな彼が、ネイバーと接触している可能性のある人物を看過することなどありえない。もし三雲とネイバーが接触しているようであればネイバーを始末しても良いとも言われている。

 三輪と共に見張りを務めている米屋は、正直そこまでは思っていなかった。ただ、あれだけ派手にネイバーを撃破した人間であれば、とにかく戦ってみたい。

 相手が強いやつであれば、彼にとってはたとえそれがボーダーの隊員であってもネイバーであっても構わないのだ。

 米屋は控え目に言ってもバトルジャンキーであり、そういう意味ではA級1位部隊の隊長、太刀川 慶とそう変わりが無いと言える。

 余談だが、その太刀川は他の部隊とともにネイバーフット、つまりネイバーの世界へ遠征に出かけている。帰還までにはまだ数日あった。

「やっぱおったね三輪っち。どうするよゆういっちゃん」

 三輪が三雲を見張っているということは、そのまま放置しておけば三雲とともに出かける2人もいっしょにつけられることになる。そうなると少々面倒な気がするのだ。

「そこはそれ、実力派エリートの手腕をご覧あれ」

 言うや、迅は三輪たちに気づかれないようにそっと近づいていった。

「ぼんち揚げ食う?」

 突然後ろから声をかけられ、三輪と米屋は『ズザッ』という擬音が似合いそうな音を立てて半歩ほど後退りした。

「うおっ! 迅さん!?」

 そう言う米屋の視線の先には、以前棒でコテンパンにされた男の姿がある。特徴的なテンガロンハットと咥えパイプはいつもの彼のスタイルだった。

「よ。三輪っちに米やん。うまい棒食う?」

 まるっきり迅と同じような口調でそう言ってくる。三輪は奥歯をかみしめて2人を睨みつけ、米屋は苦笑しつつもう一歩後退りした。

「まあまあ。そんな怖い顔しんさんな。ところで、朝も早よから働きよる勤勉な若者に、こちらの実力派エリートさんがお話があるんぢゃと」

 促された迅は、懐から1枚の紙を出しながら言う。

「おまえらさ。今日の午後から大仕事があるから基地戻っとけよ。ほいこれ命令書ね」

 取り出した紙を三輪に渡すと

「じゃあな。よろしく~~~」

 迅の言葉を潮に、二人はその場を立ち去って行った。

「このタイミング… なんか()()()()()っぽいなー」

 清治から渡されたうまい棒を手に米屋がつぶやく。

「迅…!」

 悔しそうにそう一言吐き捨てた三輪は、しかし米屋と共に基地に帰還した。そうしたくは無かったが、上層部から出された命令書を手渡された以上、従わないわけにはいかなかった。

「さすがはゆういっちゃん。あんなもんを事前に準備しておるとはの。いやはや。『給料泥棒』のわしにゃ到底できん芸当ぢゃ」

 三雲の方に向かいつつ清治が言う。

「ああ。あいつらがあそこに居たのは『見えてた』からね。ついでに、この後本部で秀次が武蔵丸って人のことを『生ごみ』って言ってるのも」

 楽しそうに迅が言う。

「酷ぇな。そりゃ渾名ぢゃのぉてただの悪口ぢゃ。その武蔵丸とか言う奴ぁよっぽど嫌われちょるらしい」

「まったくね」

 そう言って2人は大笑いするのだった。

 

「あの、お2人は一体、どういう関係なんですか?」

 清治たちと合流し、迅の言う場所に移動しながら、三雲は以前から疑問に思っていたことを口にした。彼からすれば、玉狛に所属する迅と本部と鈴鳴を行き来する清治があまりに親しいので不思議に思っていたのだ。

「わしらの間柄か…」

「それは…」

 言うと二人はがっちりと肩を組み

親友(マブダチ)だ(ぢゃ)!」

と声をそろえて言う。

「はぁ…」

 聞いておいて何だが、若干引き気味に曖昧な笑顔で三雲が答える。

「俺はぼんち揚げ布教活動委員会の委員長でムサさんは副委員長」

「んでわしはうまい棒普及協会の会長でゆういっちゃんは副会長なんじゃ」

 ますます引いてしまった三雲だが、どうやら彼らが非常に仲が良いということだけは良く分かった。

「ところでゆういっちゃん。そのシャツだとカレーうどんが食えんのではないかね?」

「ああホントだ。こりゃ大問題だな」

 2人のどうでも良い話がひとしきり終わったあと、ふと清治が三雲に向かって言った。

「ボーダーに入らんかったら、わしはゆういっちゃんに会うこともなかったじゃろう。メガネくんにもきっと、わしにとってのゆういっちゃんのような存在ができるぢゃろうて」

「お。ムサさん今良いこと言ったね」

「ホンマぢゃね。こりゃ明日は雨か槍が降るの。米やんの槍はカンベンぢゃな」

 そんな2人を見ながら、自分にもこんな風に楽しい友人ができたら良いなと思った。

「ところで、この先にイレギュラーゲートの原因を知る人間がいる」

「ほほう…」

 この先と言えば警戒区域だ。それも、清治のいい加減かつ曖昧な記憶が正しければ、三雲がバムスターを撃破したとされる場所である。

「迅さんの知ってる人ですか!?」

「いや全然」

 三雲の質問にぼんち揚げを食べながら即答する迅。

「でも多分メガネくんもムサさんも知り合いだと思うよ」

「…?」

 三雲は不思議がり、清治はある程度予想がつくという顔をしている。いや、清治のそれはほぼ確信していると言って良いだろう。

 三雲からすれば、自分と清治には接点はほとんどない。にも拘わらず、両者の知り合いがイレギュラーゲートについて知っているという。あまりにも解せない話だった。

 そうこうしている間に現場へとたどり着いた3人は、良く見慣れた、久々に見る、初めて見る白髪頭の少年をその視界にとらえることになるのである。

「…ん?」

 バムスターが撃破された際にできた窪地の中でしゃがみこんでいるのは、三雲のクラスメートであり清治の隣人でもある空閑 遊真だった。

「空閑…!?」

 驚く三雲に

「おっ。やっぱ知り合い?」

と迅が言う。

「おうオサムとムサシマルさん… と、どちらさま?」

 その場に知り合い2人と知らない人がいるので空閑はそう聞く。

 迅と空閑が互いに自己紹介したあと、ちょっとしたやり取りがあった。ある意味確認作業であると言って良い。そのあと、

「お前、()()()()()()から来たのか?」

 迅が真顔で問いかける。その問に三雲は驚き、空閑はわずかに下がると身構えた。

「ああ。やっぱそうだったんぢゃ」

 清治の言葉に、今度は空閑と三雲が驚きの顔でそちらを向く。

「ま、気にしんさんな。ゆういっちゃんにしてもわしにしても、1度ならずネイバーフットに行ったことがあるけぇの」

「そうそう。だからネイバーにも良いやつがいるのも知ってるから、捕まえるとかそういうあれじゃない」

 2人にそう言われて空閑は身構えを解いたが警戒は怠らなかった。

「ただ、おれのサイドエフェクトがそう言ったから、ちょっと訊いてみただけだ」

「ほう…?」

 またサイドエフェクトだ。三雲は昨日空閑とレプリカと話した内容を思い出していた。

「迅さんのサイドエフェクトって…!?」

 三雲の問いかけに迅が答える。

「おれには未来が見えるんだ。目の前の人間の少し先の未来が」

「未来…!?」

 初めて聞いた人間であれば、誰しも驚かずにはいられないであろう。清治にしてもそうだった。

「昨日基地でメガネくんを見たとき」

 迅が言葉を続ける。

「今日この場所でムサさんと一緒に誰かと会ってる映像が見えたんだ。その『誰か』がイレギュラーゲートの謎を教えてくれるって言う未来のイメージだな」

「んでわしに限って言えば」

 清治が話を引き取る。

「未来なんてぇモンは見えやせんが、サイドエフェクトのおかげで目ぇがよぉ見えてな。で、先日とあるトリオン体の人型ネイバーが、懐にもう一体のトリオン体を抱えとるのを見た」

 空閑の方を見ながらそう言う。

――― 武蔵丸さんは、最初から空閑をネイバーだと思ってたんだ

 三雲でなくてもそう思うだろう。そして、今日のこの時まで黙っているように迅に諭されたのではないだろうか。

「フム。どうやら私のこともバレているようだな」

 そう言いながら、空閑の懐から黒い炊飯器のようなものが出て来た。

「はじめまして。ジンとムサシマル。私はレプリカ。ユーマのお目付け役だ」

「おお。これはどうもはじめまして」

「これはこれは。ご丁寧な挨拶痛み入る」

 互いに挨拶を交わしたあと、レプリカが説明を始める。

「今ユーマが手にしているものが、今回のイレギュラーゲートの原因だ」

 レプリカの言葉を聞きつつ、全員が空閑の方を見る。彼の手にはいびつな六角形のトリオン兵と思われるものがあった。

「なんやフナムシみと~なやつぢゃの」

「フナムシ?」

「海のゴキブリとか言われる、海岸とかで良く見られる虫ぢゃ。まずいで。苦ぁし臭ぁ」

「うぇっ!? ムサさん食ったことあんの?」

「あるよ。昔無人島に1年近く放置されたことがあってな」

 清治との付き合いがそれなりに長い迅だが、やはり未だに彼には謎な部分が多い。

 ところでレプリカいわく、これは偵察に特化した『ラッド』というトリオン兵なのだそうだ。もともとは偵察のためのものだが、今空閑が持っているものはゲートを発生させる装置としても機能するように改良されたものだという。

「昨日と一昨日の現場を調べたところ、バムスターの腹部に格納されていたらしい」

 さらに解析すると、バムスターから離脱したラッドは地中に隠れ、周囲に人がいなくなるのを見計らって活動を開始。人の多い場所に移動するとそこに潜んでゲートの起動準備に入る。そして、近くにいる人間から当人たちには分からぬように密かにトリオンを少しずつ収集してゲートを開くというのだ。

「なるほどの。ぢゃ、ボーダー隊員の近くでゲートが開くことが多かったのは、どうやら偶然ではなぁっちゅ~ことか」

「その通り。おそらくトリオン能力の高い人間からは大量のトリオンを得られるからだろう」

 ラッドは攻撃力をほとんど持たないため撃破は容易だという。多少トリオン能力のある人間なら、場合によってはトリガーを使用せずとも倒したり捕まえたりするくらいのことはできるのだという。

「ただ、今回こちらに送り込まれたラッドの数は膨大だ。今探知できるだけでも数千体が街に潜伏している」

「数千…!」

 予想以上の数に三雲が息をのむ。

「イレギュラーゲートが開き始めた時期を考えると、そのバムスターから出て来た奴とは別個体のやつがいくつかおるかもしれんな。めんどうぢゃのぉ」

「全部殺そうと思ったら、何十日もかかりそうだな」

 空閑の言葉に迅が答える。

「いや、めちゃくちゃ助かった。こっからはボーダーの仕事だな」

 迅と清治、そして三雲はすぐにボーダー本部へと向かう。ここからが正念場である。



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B06 終わりと亀裂

 迅と清治が基地に帰還した直後からすべてのことが動き始めた。

 ラッドを迅から受け取った鬼怒田は、清治を伴って開発室にこもった。

 また、迅からラッドの写真を受け取った根付は、緊急放送でイレギュラーゲートの原因を突き止めたこと、ボーダーが駆除を行うことを告げるとともに、情報の提供を呼び掛けた。

 忍田は非番およびC級も含めたすべての隊員を動員して駆除作業に取り掛かった。指揮は迅に一任する。

 唐沢は駆除に当たる隊員をサポートするために必要な物資と金銭をスポンサーから引っ張った。

 ラッドの解析が完了すると、清治も駆除の現場に駆り出される。

「めんどいのぉ…」

 ぐだぐだ言いつつも清治は『おしおきくんれん棒』を手に、三雲とともに駆除に奔走した。

 ただ、駆除の間中ずっと三雲に色々な指示を出し続けた。ラッドを追い立てる時にどの方向から向かうべきか、どのように足を運ぶべきか。時には三雲にラッドを追い立てさせたり、逆に自分が追い立てて三雲に捕獲させたりもした。

 最初はうまく動くことのできなかった三雲だが、徐々に効率よく駆除することができるようになった。そして、そうなると清治はさらに細かいことに注文を付けるようになった。

――― これに一体何の意味があるんだ…?

 三雲は疑問に思ったが、どうも逆らう気になれない。元々彼がそういうタイプではないこともあるのだが、指示を出す清治の言葉には抗うことを許さない『何か』があった。普段のぐうたらな彼の姿からは想像もできないものだった。

――― 飲み込みが早いの…

 三雲に様々なミッションを課しながら清治は密かに感心した。清治の目から見た三雲は、最初は体の動かし方すら全くなっていなかったのである。

 そこで足の運び方から腕の使い方、引いては腰の位置や頭の動かし方をレクチャーした。そして、教えるとそれを簡単に覚えた。彼は物覚えは良い方らしい。

 人には様々なタイプがある。ボーダー内でも名の知れた戦闘員は直観的に体を動かすことに優れた若者が多い。

 だが、清治が見る限り三雲はそうしたタイプとは違う。動き方を場合によっては1から教えなければならないタイプだ。だが、教えられたことはすぐに身に着け、実際に行うことができるようになる。こうしたタイプの方が伸びしろが大きい。実際清治もそのタイプだった。

 体の使い方を覚えたのであれば、今度は捕獲時の動き方だ。これを実戦を想定して行っておけば、彼にとって今後の糧になるはずである。

 こうしたタイプは直観的に対処できない事態に陥った時にしっかり考えて行動することができる。究極的に危機を回避することが難しい状況を切り抜けることができるのはこうしたタイプだと清治は実体験から良く知っていた。

 迅はそんな二人の様子を見て目を細めた。彼にはこの未来が『見えて』いたのである。

 ラッドの駆除は昼夜を問わずに行われた。すべての隊員が交代で休憩を取りつつ夜を徹して行われた駆除が完了したのは、トリオン障壁が切れてしまう1時間前だった。

「よーし作戦完了だ。みんなよくやってくれた。おつかれさん!」

 迅の号令を受けて隊員たちが次々帰還する。中には大きな袋を持った者もおり、その中にはラッドがたっぷりと入っていた。

 ゲートの一件は一大事ではあったが、これだけのラッドがあれば、トリオン障壁のために消費した基地のトリオンの備蓄もすぐに回復することだろう。

「これでもうイレギュラーゲートは開かないんですよね?」

 人心地ついたころ、三雲が迅に問いかける。

「うん。今日からまた平常運転だ」

「よかった…」

 三雲がホッとしたのは、自分の苦労が報われたということではなかった。彼は自分のことよりも周囲に対して気を配る人間だ。

 今安心したのも、イレギュラーゲートが開かないことによって、三門市の安全が保たれることに安堵してのことである。

「疲れた… はぁ嫌ぢゃ… 帰って一杯やって寝るど…」

 清治が周囲が驚くほどに憔悴していた。

「ムサさんお疲れ。てか大丈夫?」

 心配そうな声で迅が話しかける。

「大丈夫ぢゃなぁよ… 一体あと何体残っちょるんぢゃ?」

 三雲と、こっそり作業を手伝っていた空閑が驚いたように清治を見返る。

「ムサさん。残りはもういないよ。さっき終わったんだ」

 何事もなかったかのように、穏やかな口調で迅が清治に言う。

「終わった…? まだ半分くらいおったんぢゃなかったっけ…?」

 苦しそうにそう言う清治の目を見て三雲は戦慄した。どこか『(うろ)』に見えたのだ。

「終わったよムサさん」

 悲しげな目で清治を見ながら、静かな口調でそういう迅。一体清治に何が起こったのだろう。

「ほうか… なら帰るか」

 そう言う清治の目は、先ほどとは違う。疲れは見えるがうつろな感じではなくなっていた。

「しんどそうだね。今日は本部に泊まった方がいいんじゃない?」

 迅の言葉にうなずき、軽く手をあげると清治はゆっくりと本部に向かった。その後ろ姿の憔悴しきった姿は、三雲と空閑の目からしても痛々しいものがあった。

 

「迅さん。武蔵丸さんは一体…」

 清治の姿が見えなくなったあと、三雲はそっと聞く。聞かずにはいられなかった。

「ムサさんは… 昔のけがのせいで、あんまり長く働いたりできないんだよ」

 迅が言うには、清治は前回の大侵攻のおりに重症を負ったのだそうだ。その傷はかなり深刻で、生死の境を実に四か月近くも彷徨ったという。

 その時の負傷からくる障害に今も悩まされており、また体の一部を失ってしまったがために、今の彼は眠る時以外はずっとトリオン体で過ごしているのだそうだ。

「この事を知ってる奴はボーダーの中でも少ない。だからお前らも内緒にしといてくれよ」

「ふむ。それはいいけど、迅さんが俺たちにしゃべっちゃったのはいいの?」

 空閑が至極まっとうな疑問を迅にぶつける。

「大丈夫。ムサさんはお前らになら良いって言ってくれるよ。俺のサイドエフェクトがそう言ってる」

 そう言うと迅は、集まったラッド入りの袋に目を向けた。まだ縛られていない袋の口から覗くラッドを見ると、まるで検品に引っかかって廃棄される男児向けのおもちゃのように見える。

「しかしホントにまにあうとは。やっぱ数の力は偉大だな」

 感心してつぶやく空閑に迅が言う。

「何言ってんだ。まにあったのはおまえとレプリカ先生のおかげだよ」

 言いながら空閑の頭をわしゃわしゃと撫でまわす。

「おまえがボーダー隊員じゃないのが残念だ。表彰もののお手柄だぞ」

「ほう」

 迅の言葉を聞いて、空閑は何か思いついたらしい。

「じゃあその手柄はオサムにつけといてよ。そのうち返してもらうから」

「…え?」

 言われた三雲は驚く他ない。そんなことができるわけがないはずだ。だが、

「あーそれいいかもな。メガネくんの手柄にすれば、クビ取り消しとB級昇進はまちがいいない」

と言う。

「ま、待ってください。僕ほとんど何もしてないですよ!?」

 だが迅は気にしないようだ。

「メガネくんがいなかったら遊真たちに会えてないし、ムサさんが先に遊真に声かけてたらうまくいかなかった可能性が高いんだから、地味に重要人物なんじゃない?」

「そんな無理やりな…」

 あくまでも否定的な見解を示す三雲に迅は続けて言う。

「ムサさんも、おそらくそれを見越してメガネくんに色々教えてたんだと思うぞ」

 これには三雲と空閑も驚く。

「そうなの?」

「ああ。きっとムサさんはそう思ってた。で、先々でメガネくんが苦労しないように体の使い方とかを教えてたのさ。本人に聞けば『自分が楽したいから仕事を押し付ける相手を作っただけ』みたいなこと言うんだろうけど」

「武蔵丸さんが…」

 三雲は何と言って良いかわからなかった。清治は自分の体のことは良く知っていたはずだ。だが、作業時間が伸びる可能性があったにも拘わらず自分にいろいろと教えてくれたのである。

「いいじゃんもらっとけよ。おれの手柄もムサシマルさんの好意もナシになっちゃうじゃん」

「…」

 なおも考え込んでいる三雲に迅が言う。

「B級に上がれば正隊員だ。基地の外で戦っても怒られないし、トリガーも戦闘用のが使える」

 ここでいったん言葉を切った迅は三雲の様子をうかがう。まだ逡巡しているようだ。

「おれの経験から言って、パワーアップはできるときにしとかないと、いざって時に後悔するぞ。それに確かメガネくんは…」

 迅は何かを思い出すようにいったん言葉を切ると、思い出したかのように続ける。

「助けたい子がいるから、ボーダーに入ったんじゃなかったっけ?」

 迅は、三雲と出会ったときのことを思い浮かべていた。

 街を守るためでもなく、ネイバーに復讐するためでもなく。ただただその子を守りたいと言った彼の言葉は、迅の心に小さくはないさざ波を立てたのである。

「ふむ?」

 空閑は、そういえば三雲とそういう話を聞いたことはなかったなと思った。

「ムサさんが先に帰ってて良かったな。こんな話したらしつこく色々聞かれるぞ。『お? お? それどんな子? 付き合ってんの?』みたいな感じでさ」

 意地悪な笑みを浮かべながら迅がからかうように言った。

 

 結局ゲートの件を自分の手柄として申告することを三雲は了承した。そして即日B級に昇進することになった。

 迅の言った通り、B級に上がれば戦闘用のトリガーを持つことになる。そこで、三雲のトリガー構成およびチューニングは清治が担当することになった。

「おめぇさんは『勝つための実戦』をほとんどしたことがないから、自分にあったトリガー構成なんてまだ分からんぢゃろう。なんで、まずは今まで使ってたレイガストを基本に考えてみっか」

「はい」

 そこで清治は、メイントリガーにレイガストとレイガスト専用のオプショントリガーであるスラスターを。サブトリガーに銃弾タイプのアステロイドを。そして防御用にシールドとオプショントリガーのバッグワームを設定した。ごく初歩的かつ基本的な構成であると言えた。

「レイガストは重いが、スラスターをうまく使えば他のブレードタイプのトリガーよりも自由に使える。使い方によっては攻撃にも防御にも便利に使える。まあイキナリそんな器用に使えはせんぢゃろうけぇ、まずはスラスターの使い方に慣れることから始めるとえぇ」

 訓練室にやって来た二人は、まずスラスターの使い方に慣れるところから始めた。

「起動は簡単じゃ。トリガーを起動する要領で『スラスター起動(オン)』と言えばえぇ」

 少し離れた場所で『おしおきくんれん棒』を持った清治にそう言われ、三雲は言われた通りにやってみることにした。

「スラスター起動(オン)!」

 途端にスラスターからすさまじい推進力が発生し、清治に向かって恐ろしい速度で飛んで行った。

「!!」

 間一髪のところで棒でレイガストを弾いた清治は、勢いのまま後ろに倒れこんだ。

「武蔵丸さん!」

「お~ビックリした…」

 ゆっくりと立ち上がりながら、さすがの清治も少々青い顔をしている。

「イキナリたいしたもんぢゃね。スラスターの使い方バッチリぢゃん」

 そう言う清治に、三雲が苦笑を浮かべながら答える。

「いやその… 思った以上の勢いだったんで手から離れただけなんです…」

「あらそう…」

 これはなかなか先が長そうだと思ったが、清治は切り替えることにした。ラッド捕獲の時も思ったが、三雲は感覚的に何かをすることは苦手だが、教えられたことを教えれらた通りにこなすこと、それを身に着けることに長けている。とにかく教えられることは今のうちに教えてしまうことにしよう。

「これは上手く使えば、ロボットアニメのロボットみたいに空中を移動することもできる。楽しいで。とにかく使ってみて、そのたびに使い方を検証してみよう」

「はい!」

 結局この時清治が教えることができたのは、スラスターを使った斬撃のコツとアステロイドを分割して使うということだ。

「丸のままぶつけりゃ高い威力になるが、分割して玉数を稼ぐこともできる。細かく分割して弾幕を張ることもできるが、おめぇさんのトリオン量からすりゃぁチョイとアレぢゃね。まあ慣れるまでは4分割くらいにしてみて、慣れたらもっと細かく分割していくようにすりゃぁえぇ」

 アステロイドの分割ができるようになった後は、三雲の時間が許す限りこれらを使った練習を行った。

 まずは少し離れた場所に『おしおきくんれん棒』を立て、そこに分割しないアステロイドを当てる練習をした。感覚がつかめてくると、今度は分割した弾を当てる練習。これにも慣れてくると、今度は移動する清治を分割したアステロイドで足止めし、止まった清治にスラスターで加速をつけてレイガストで切り付ける練習をした。

 何度も同じ動きを繰り返し、そのたびに動きを修正する。何度も繰り返すうちに、しばしば清治をヒヤリとさせる程度には攻撃ができるようになってきた。

「なかなかやるようになったぢゃん。ところで、ボチボチ時間ぢゃにゃあきゃ?」

 見れば、三雲が知り合いと会う約束をしている時間が近づいてきていた。

「お? お? それ女の子? 付き合っとんの?」

 先日迅が言ったのとほぼ同じようなセリフでそう訊いてくる清治に曖昧に答えたあと、三雲は礼を言っていそいそと出かけていった。

「…やれの。あとは本人次第ってとこぢゃね」

 身体能力もトリオン能力も平均以下だが、物覚えが良く根気強い。何度も同じことを教え、そのたびに気づいたことをおさらいさせていけば、長くはかかるかもしれないがそのうちモノになるだろう。

「あの子はわしに似ちょるのぉ… 違うのはわしのが不真面目なことくらいか」

 自嘲して清治は自分の用事があることを思い出していそいそと出かけて行くのだった。

 

 三雲がカッコよくバンダーを始末し、彼と会う約束をしていた雨取 千佳、彼女のことを相談したくて呼び出した空閑とレプリカと落ち合っていた頃、清治はいつも行くゲームセンターから出て来たところだった。

 このゲームセンターには駄菓子を大量にゲットできるUFOキャッチャーがあり、そこの当たりくじの入ったカプセルを取れれば駄菓子の詰め合わせをもらうことができるのだ。

 清治がしばしばここを利用し、彼がうまい棒を好んでいることを知っている店員は、気を聞かせてうまい棒の詰め合わせを清治に渡してくれるのだ。

 メーカー支給のその詰め合わせセットは、むしろ『詰め込みセット』という方が正しいかもしれなかった。何せ同じ味のものしか入っていないのだ。

 普通のうまい棒好きならちょっと迷惑であろう同じ味のうまい棒30本セットを、清治は喜んで受け取る。どれだけうまい棒が好きなのだろう。今日ゲットしたのは『うまい棒ヤサイサラダ』である。

「さて、近道近道…」

 警戒区域にほど近いあたりをブラブラとしながら、清治は迅が教えてくれた道をブラブラと歩いていた。元々三門市に住んでいたわけではない清治にとっては土地勘のない場所だった。

 三雲が空閑に雨取のことを説明する。彼女は昔からなぜかネイバーに狙われており、そのことについて相談したかったのだ。

「ネイバーに狙われる理由なんて、トリオンくらいしか思い浮かばんなー」

 空閑が言うには、ネイバーはトリオン能力の高い人間を捕らえそうでない人間からはトリオン器官だけを奪うという。そうして集めた人間やトリオンを自国の戦争に使うのだそうだ。

「なんでわざわざこっちの人間を…!?」

「そりゃこっちのほうが人間がたくさんいるからだろうなぁ」

 ネイバーにとってはトリオンの強い人間が欲しい。雨取が狙われる理由として考えるのはそれなのではないかと空閑は言った。

「トリオン能力?… て?」

 ボーダーの人間ではない雨取がトリオンについて知らないのは当然のことだ。三雲はかいつまんで説明した。

 試しに測定してみることを提案した空閑の黒い指輪からレプリカが現れる。さすがに驚いた雨取だが挨拶をされると自分も挨拶を返した。案外適応力は高いのかもしれない。

 レプリカの機能を使ってトリオン量を測定する。まずは三雲からだ。雨取を安心させるためだった。

 三雲の測定が終わると、今度は雨取がやってみる。

 空閑が雨取のことを、清治が訊いたのと同じような内容でからかっている頃、清治はようやくルートの目印の1つである『旧弓手町駅』の付近にやってきた。

 この界隈はかつてまだ『侍の時代』だった頃、領国に使える侍のうち弓を扱うことを命じられていた藩士たちの組である『弓手組』の組屋敷があった場所だという。

 藩士の屋敷の他にも弓の調練をするための広い弓場があったらしいが今はその面影はない。

「…?」

 旧弓手町駅付近のビルのあたりで清治が妙な気配を感じて周囲をきょろきょろと見まわしている頃、その旧弓手町駅に向かって進む2人がいた。

 明確な意図を持った2人の動きには一切の無駄も隙もない。そして、彼らの接近に三雲たちはまだ気がづかないでいた。

 また、駅に向かう2人とは別に2人が動いていた。彼らもまた、三雲たちに接近する2人と同じ意図で動いている。彼らの動きもまた、三雲たちには気づかれていない。

 しかし、彼ら4人もまた知らないこともある。まさか自分たちの動きを察知した人間がそれを阻止すべく動き出しているということに。

 彼らすべてが知らないことももちろんあった。ここで生じる亀裂は小さくはないということ。そして、その亀裂すらも修復は可能であるということを。

 旧弓手町駅構内に足を踏み入れた男は、疑念と怒り、そして自制を持って対象者たちに声をかけた。

「動くな。ボーダーだ」



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第肆章 ウルトラニャンコ編
C01 強襲!A級三輪隊


毎度のことですが、章タイトルには全く意味がありません(^^


 反転する風景を見ながら、男は戦慄を禁じえなかった。歴戦の勇士と言っても過言ではない彼にとって、それはこれまで経験したことのない出来事だった。

 きっかけは師の一言だった。

「弧月のみを使って彼と闘ってみろ」

 男にとって、いや多くの者にとって、それは無意味な縛りであると言えた。

 ボーダーに所属する戦闘員は、訓練課程を終えると本格的にネイバーとの戦闘に備えて研鑽する。

 ここで言う『研鑽』とは、単に戦闘訓練のことを指すのではない。その過程での考察はもちろん、自分の闘い方に適したトリガー構成を考え、それを試すことも含まれる。

 ボーダーのトリガーはオプションも含めた複数のトリガーを効果的に組み合わせることができる。そうして自分のスタイルを確立し高めるのだ。

 弧月のみを使い、オプショントリガーも一切使用しないという状況は、普通ならありえないことだ。戦闘中にトリオンが枯渇してしまったと言うのであれば話は別だが。

 仮にそうなってしまった場合であっても、残りのトリオンを使用して撤退戦を行うかベイルアウトを使用するかを選択するのみだ。

 そんなわけで、通常ただ1つだけのトリガーを使って闘う状況になることは考えにくい。

 それが分かっていても男は師の言葉に従った。男は頭の良い方ではないが、師がそう言うには何らかの意味があるだろうからと思えたからだった。

 指定された相手は、男の良く知る人物だった。男と同じ年で、実力としてはスコーピオンが完成する以前に弧月を振るっていた1歳年下のライバルと比較すると、ほぼ互角かそれより少しマシだというくらい。

 ライバルとはいえ、弧月を使用していた頃は自分の方が圧倒していた。そのライバルとほぼ互角の相手と闘うというのであれば、男にとって負ける要素など無かった。少なくとも彼はそう思っていた。

 思ったよりも強い。男がそう思ったのは最初の2本を立て続けに取られてしまった時だった。弧月を剣として扱う闘いにおいては、相手は今の自分と互角以上に闘えるのだと認識した。

 取られたとはいえ、実際に優位に闘っていたのは男の方だった。次以降は必ず勝つ。男はそう思いつつ、これまでの2本の経緯を考察し修正することにした。

 しかし、その考えは甘きに過ぎた。以降の戦いにおいて、男は相手に肉薄することすらできなかったのである。

 いかなる構えからいかなる斬撃を繰り出しても、それが相手に届くことはなかった。いや、むしろ男の斬撃の最中に相手は男を斬り倒してしまうのだ。

 10本のうち、最後の3本は無残であると言えた。まるで居合道の剣士が、試技で立てられた竹を切るかのように切り裂かれた。有体に言えば勝負にならなかったのだ。

 10本勝負を何度か繰り返したが結果は変わらなかった。最後には悔しさすらも湧かなかった。負けず嫌いを自認する男が、である。

 悔しさこそ湧かなかったが、男は奮い立った。生粋のバトルジャンキーである男が、ライバルと師以外で本気で戦うことができる相手に巡り合えたのだから当然のことだった。

 師との立ち合いは稽古の範疇を出ることはないし、S級となったライバルとはランク戦を行うことができない。

 自分の中で決着をつけることができる相手を見出すことができないことで、男は無意識に不満と虚無感を抱いていたが、ここに限定的な条件とはいえ決着をつけなければならない相手ができた。そのことが素直にうれしかった。

 以降、男は同じ条件で何度か相手と立ち合うのだが、今に至るも勝利はおろか剣を掠らせることすらできずにいる。

 男の名は太刀川 慶。ボーダーの現役戦闘員の中では最強と謳われる人物である。

 

 旧弓手町駅周辺に集結した三輪隊全員がトリガーを起動させたため、清治は何が起きているのかおおよその察しがついた。

 プラットホームから思いのほか離れた場所に人影(正確にはトリオン体)が見えたのは、おそらくその人物がボーダー屈指のスナイパーであったからだろう。

――― この距離でもも~まんたいか。たいしたもんぢゃ。

 そんなことを考えながら、清治は見つけた『彼ら』に会うためにビルを登り始めた。階段ではない。外壁をわざわざ素手で登り始めたのである。

「勘付かれた…!?」

 驚愕の声を漏らしたのは、三輪隊に所属するスナイパー、古寺 章平だ。他の隊員と比較するとやや感情面で揺れの大きな彼だが、スナイパーの資質の高さは現時点でA級部隊に所属しているという一時をもってわかるというものだ。

「ウソだ。この距離で…」

 しかし、そんな彼の良くない面が今出てしまっている。きっかけは通信から聞こえてきた弓手町駅の構内でのやりとりだ。

 空閑がネイバーだと確信した三輪隊の面々は交戦を開始しようとしていた。その際、一対一の対決を希望した米屋を制するために三輪が言った一言に空閑が食いついたのだ。

 2人がかりで仕留めると言った彼の言葉の裏にある意図。それを読み取ったのである。

「おまえ。おもしろいウソつくね」

 彼の普段の言葉に良く似ているが、今回は少々異なる。彼は三輪の発言を『おもしろい』と感じたのである。

 このやり取りを聞いたため、古寺は自分たちが控えていること、最悪は控えている場所を空閑に勘付かれたと思ったのである。

『落ち着け章平』

 同世代であることが信じられないほどに落ち着いた口調でそう言うのは、同じく三輪隊のスナイパー奈良坂 透だ。

 いかなる状況であっても沈着冷静に戦況を分析し、己のすべきことを確実にこなす様子はまさに『スナイパーの鑑』である。

 その実力も極めて高く、個人でもスナイパーランキング2位に位置する実力者だ。

 余談だが現在スナイパーランキング1位に座る当真 勇と奈良坂は東 春秋を師に持つ兄弟弟子でありライバルでもある。このため、1位と2位のランキングはかなり頻繁に入れ替わっているのだ。

「やつは一度もこちらを見ていない。探知を受けた反応もない」

 彼は古寺がうろたえている間に探知を受けた可能性を調べ、そしてその可能性は無いと判断したのだ。驚くべき冷静さであると言える。

「ハッタリでカマをかけてるだけだ」

 しかし、そんな沈着冷静が売りの彼を持ってしても、自分の後輩がいる場所のすぐ下を垂直に登って来ているアホ男がいるなど思いもしないことだった。

 そうこうしている間に構内で戦闘が始まる。先手を取ったのは米屋だ。三雲であれば指1つ動かすことのできない速度で、予備動作も無しに一挙動で空閑に向かって槍を一閃する。そうあれかしと構えていた空閑だが余裕を持って躱すというほどの暇はなかった。

 それでもすれすれで躱す体裁きは見るものが見れば瞠目に値するものだった。

「不意打ちがミエミエだよ」

 一旦態勢を立て直しつつ空閑が言う。

「…と、思うじゃん?」

 米屋がそう言うのを待っていたかのように、空閑の右の下あごから首にかけて裂け目が現れた。首が落とされるほどではなかった、浅いと言うにはあまりにも重い。

――― なんだ…? 今のはぜったいかわしたはず

 間一髪ではあったものの完全に槍の攻撃範囲の外に退いたはずである。であるにも関わらずこの傷だ。不可解という他ない。

「浅いな~。いきなり首は欲ばりすぎたか~。やっぱり狙うなら足からかな?」

 軽口のように言ってはいるが、今の一撃に関して冷静に分析している。このあたりが戦い慣れたA級隊員の片鱗である。

 初めて空閑が戦闘中に手傷を負ったのを見た三雲は、A級の隊が相手ではさしもの空閑も後手に回ってしまうと判断した。

 そういう場合、彼は頼れそうな人物を2人知っていた。そして、より頼りになりそうな方の人物にすぐさま連絡を入れる。

『はいはいもしもし?』

 三雲が頼ったのは清治ではなく迅だった。極めて賢明な判断だ。仮に清治に連絡したとしても、無意味なボルダリングにいそしんでいるために電話に出ることはできなかっただろう。

『こちら実力派エリート。どうした? メガネくん』

 いつもの飄々とした口調だ。

「迅さん! 助けてください! A級の部隊が空閑を…」

 三雲が言いかけた時、迅が割って入るように言葉をつづける。

『知ってる。っていうか見えてる』

「えっ!?」

 予想外の言葉に三雲がベタな驚きの声を上げた。

『大丈夫大丈夫。安心して見てなよ」

 さらに意外なことを言う迅。三雲にはとても安心して見ていられるような事態には思えなかった。

『三輪隊は確かに腕の立つ連中だけど、遊真(あいつ)には勝てないよ。あいつは()()だからな」

 

 奈良坂と古寺はスコープ越しに僚友たちの戦いぶりを注視していた。いつもの通り見事な立ち回りである。

 近接戦闘に定評のある米屋が敵を攻め、注意を自分に向けさせる。その間隙を縫って三輪が巧妙に回り込み、双方が敵の死角になるように立ち位置を調整する。

 理に適った手堅い戦い方だった。

 こうした三輪たちの戦術に対し、敵は隙を見て広い場所へ出ようとするだろう。実際、何度かそういう試みを行っているのがわかる。

 本来、1人で複数人数を相手取って戦う場合、狭い場所の方が有利になるものだ。

 しかし、相手が手練れで、しかも少数の場合は逆に自分を追い込む形になってしまう場合がある。

 今回はまさにそれだ。敵は三輪たちの動きに翻弄されてはいないものの、捌くのに手をこまねいている。だが、どこかで2人を振り切るために大きな動きをするはずだ。

 奈良坂と古寺の仕事は、敵が三輪と米屋の追撃を躱して2人から離れた時に、そこで仕留めるか2人の方に再び追い込むことだった。

 三輪たちももちろんだが、敵もなかなかの戦闘巧者だ。奈良坂は古寺には敵の発言をハッタリだと言い切ったが、実際には捕捉こそしてはいないものの、牽制のために人員が配置されているくらいには思っていることだろう。

 いずれにしても、見ている限りでは三輪と米屋をもってしても、敵に有効打を与えるのは難しそうだ。それだけに、自分たちの役割が重要になってくる。

 2人の連携攻撃をうるさく思ったのだろう。敵が大きく飛び上がった。今がチャンスだ!

 そう思った瞬間、古寺のスコープに異常なものが映った。巨大な眼球である。

「ひっ!?」

 古寺が情けない声を挙げたのと、奈良坂が飛び上がった空閑を狙撃したのはほぼ同時だった。

 どちらも完全な不意打ちだった。奈良坂は空閑を確実に仕留めるために最高のタイミングで引き金を引いたし、まさにその瞬間に下から登って来た清治が古寺のスコープを覗いたのである。

 奈良坂の放った銃弾は空閑を捉えたが、瞬間に身をひるがえしたために即死には至らない。それでも腕一本を奪ったのはさすがである。

 だが、奈良坂には充足感は無い。1つはあれだけ完璧に不意を打ったにも関わらず躱されたこと。おそらくこの距離では二度と敵には命中しないことだろう。

 もう1つは古寺だ。自分と同じタイミングで狙撃するはずだったのに、彼の妙な、悲鳴のようなうめき声が聞こえただけで撃ってはいない。どうしたころだろう。

『どうした古寺?』

 怒りもいらだちもなく、普段の彼らしい落ち着いた声で奈良坂が問う。

「い、いえ。あの…」

 その問に対する古寺の反応は煮え切らない。彼にとって想像もできないような出来事だったのだから仕方のないことかもしれないが。

「おお君ぢゃったか。てぇことは、ならっちはあっちかね。ところで、うまい棒食う? あ、よっこらせの~…」

 妙な掛け声を出しながら清治が屋上へと上がってきた。古寺は呆然とその様子を見守ることしかできない。

「それにしても、三輪隊が全員でお出ましとは穏やかぢゃなぁね。で、何しよんの?」

 奈良坂にもインカム越しに、彼の師の一人でもある人物が後輩に何か話しかけているのが聞こえた。

――― なんで武蔵丸さんがここに?

 驚かずにはいられなかった。

 直接顔を合わせている古寺にしてみれば、肝を冷やす他なかった。というのも、今目の前にいる人物は彼が知る武蔵丸 清治の雰囲気とは完全に違ったからである。

 古寺は清治とは直接の面識はほとんどない。ただ、スナイパーの訓練室などで見かけたりすることもあるし、奈良坂などと話をしているところを何度か見たことがあるだけだ。

 あの奈良坂が、清治と会話をするときはほんの僅かだが笑顔を見せることがある。直接の印象と言えばそのくらいのものだ。

 また、古寺もA級であることから、彼がS級隊員であることもその経緯も知っているし、当然ながらエンジニアでもあることも知っていた。そして、彼にまつわる様々な噂と、それに対する彼のスタンスも知っていた。

 直接知っているわけではないものの、どうやら愉快で気さくな人らしい。古寺の持つ清治のイメージとはそういったものだった。

 だが、今目の前にいる人物には、そういったイメージは全くそぐわなかった。普段のようないいかげんかつちゃらんぽらんな態度で、普段のようにヘラヘラした笑みを浮かべ、普段のように軽薄かつ重みの無い声音で問いかけられているにも関わらず、古寺の心をとらえていたのは『恐怖』だった。

 古寺は思慮深い人間ではあるが臆病とは程遠い。そんな彼が哀れなほどに怖がって全身にびっしょりと汗をかき、震えている姿を彼を知る人間が見ればさぞ驚くことだろう。

 そして、彼の正面にいる人間を見ればもっと驚くことだろう。

 脅威か否かという点において、清治を恐ろしいと感じる人間はボーダーの中には少ない。彼の実力を知る人間はそう多くはないが、彼が好戦的な人となりではないことを知っている人間は多いからだ。

 そのため、対戦相手としてであればともかく、戦闘行為を行わない状態の清治を怖がるような人間がいるとすれば、彼に胸を触られた直後の女性隊員くらいのものだろう。

 ただ、仮に古寺が女性で、少し前に清治に胸を触られた場合であったとしても、みじめなほどに体を強張らせておびえるようなことは決してないはずである。

 しかも、少なくとも現時点で清治は古寺を脅かすような行為も言動も行っていない。しいていえば、常識はずれなボルダリングで突然現れたという程度だ。

 驚きもするだろうがむしろ面白がるか呆れるかといった類の行為だ。恐怖を感じることはないはずである。

「あの、僕たち今任務中でして…」

 持ち合わせるすべての胆力を総動員して、古寺がようやく言葉を絞り出した。清治は穏やかな笑みを浮かべつつそれを聞いていた。

「うん。まあそうなんぢゃろうね。で、その任務とやらで… 何をしている?」

 言った瞬間に清治の目から光が消えた。もし古寺に清治の様子を窺うだけの胆力があれば、その瞳が完全な闇のように見えたことであろう。それと同時に周囲の空気が一変する。

 もちろんそんな余裕など古寺にはない。いや、おそらくその場に居合わせて正面から清治に『気』をぶつけられれば、まともに相手の様子を窺うことができる人間などほとんどいないだろう。

 実際、古寺は今まさに清治に『気』を当てられ、生身の首を切り落とされたような錯覚を覚えたほどである。これでも清治は当代屈指の剣術家であり兵法家なのだ。

 

「武蔵丸さん」

 意外な声に驚いたのは古寺だった。もしその声が聞こえなかったら、古寺は悲鳴を上げていたかもしれない。

「ようならっち。任務の最中にこっち来てもえぇの?」

 古寺から目をそらさずに清治が言う。古寺としては天の助けが来たような気持ちだった。

「後輩のピンチですからね。それに、迅さんも来てますし」

「よっ。ムサさん。何後輩イジメてんの?」

 奈良坂の後ろから迅が声をかけてきた。

「なんやゆういっちゃん。人聞きの悪い。わしゃただフルチンに何しとんのか聞きよるだけぢゃ」

 清治のその言葉に、彼の勘違いに気が付いた迅と奈良坂は苦笑した。

「ムサさん。そいつの名前はコデラって読むんだよ。それじゃまるで、古寺がいつも素っ裸でいる奴みたいじゃん」

「え? この子そんなんすんの? わしも大概ぢゃけど、いくらなんでもそれは…」

「し、しませんよそんなこと!」

 ごく自然に声が出たことに古寺自身が驚いた。いつの間にか先ほどまで彼を捉えていた耐えがたい恐怖は霧散している。

 古寺の言葉を全員で笑い飛ばしたあと、迅は3人に向かって言った。

「遊真について言えば、あいつを敵に回すと損するぞ。黒トリガーの持ち主に1部隊だけで挑むなんて無謀すぎだ」

 奈良坂と古寺が驚いたのは当然だったが、清治も迅の言葉に驚いた。

「そうなん? そりゃ大変ぢゃ。三輪っちらがエラいめ見るで」

 しかし迅は首を横に振った。

「遊真は本気でやってないからね。とはいえ、ぼちぼちケリがつくだろうから行ってみようか」

 迅に促され、4人はぞろぞろと旧弓手町駅へと向かった。

「時にゆういっちゃん。こうなることが見えとったんきゃ?」

 清治が確認するように聞く。

「いや。ムサさんがここに居るのは俺も読み逃してたよ。なんでいたの?」

 なんでと問われても清治としては偶然だったというほかなかった。彼はたまたまいつものゲームセンターにいつもの日課で行っていたにすぎないのだから。

「ゆういっちゃんは見えとったけん来たのきゃ?」

「まあそれもあるけどね。ビルの屋上でレプリカ先生とばったり会っちゃってさ」

 そんな話をしながら旧駅構内に到着すると、予想の通り決着がついていた。



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C02 実力派エリートにケツキック

――― こりゃまたエラいシュールな光景じゃのぉ…

 旧弓手町駅のプラットフォームに着いた時の清治の最初の印象だった。既に決着はついていた。

 目の前には年下の親友とA級部隊に所属する凄腕のスナイパー二人がいる。だが、清治がそうした感想を抱いたのは、彼らのさらに先に見えた光景だった。

 二人の見知った人間が倒れているのが見える。そして、彼らの体から妙な六角形の小さな柱のようなものがいくつか生えていた。

 ボーダーのガンナー向けトリガーのオプショントリガーのそれに似ているが少し違うようにも見える。

 清治は、道すがら迅から説明を聞いていた。

「しかしゆういっちゃん。なんでゆういっちゃんは空閑くんのトリガーが黒トリガーなんを知っとったん?」

 一通りの説明を聞いたあと、清治が至極まっとうな質問をした。

「『見えて』たからだよ」

 迅を知る人間にとって、これ以上ないハッキリとした説明だ。

 つまり迅は、ここで空閑がA級部隊である三輪隊と戦い、その際に自身の黒トリガーを使用するということまで見えていたのである。恐るべしやは未来視のサイドエフェクトと言ったところだ。

「なるほどのぉ… ん? それ見たのいつ?」

「ああ。初めて会った日だよ。ほら。ラッドの件でさ」

 清治は思い出した。三雲の処遇について上層部の会議があり、会議の翌日に迅の案内で空閑に三雲と3人で会いに行ったあの日である。お分かりだろうが結構前だ。

 つまり、迅は初対面の時に空閑の『この未来』を見ており、彼のトリガーが黒トリガーであることを最初から知っていたのである。

 知っていて、親友である自分には言わなかったということだ。

 おそらく迅にはそうした理由があるのだろう。清治にも思い当たる点が無いわけではない。空閑を全面的に信用しているらしい迅と三雲とは違い、清治は未だ彼を完全に信頼できるとは思っていないのだ。

 無理もない話だった。普段の彼の行動や言動からは想像もつかないことだが、清治は実際慎重な人間だ。常に『ある種の可能性』を考え、その中から誰もが考慮しない点を注視して行動する。

 実際には徒労に終わることが多いのだが、それは問題ではなかった。問題なのは、考慮していたにも関わらず何もしなかったがために、深刻な事態を招いてしまうことである。

 戦闘に関わる以上自分はもちろん仲間、引いては非戦闘員であるボーダー職員を含めた三門市民に被害が出るような事態は絶対に阻止しなければならない。そのためには、百万が一の可能性であっても検証するに値するものであれば見逃してはいけないのである。

 それが清治の基本姿勢であるため、形としては多くの者が目を向ける事に背を向けるような恰好になる。周囲が彼の態度を不真面目と捉える理由の1つである。

 そんな清治にとって、この世界にネイバーがいるというイレギュラーな事態は看過して良いものではなかった。

 例え彼に『今』害意がなかったとしても、将来どうなるかなど分かりはしない。いや、もしかしたら迅には既に『見えて』いるのかもしれないが、見えない清治にとっては軽快に警戒すべき対象であると言えた。

 そんな清治に空閑が黒トリガー使いであることを伝えてしまった場合、未来に何らかの良からぬ影響が出てしまうのかもしれない。いや、おそらく迅にはそうした未来が『見えた』のだろう。

 理性的には理解できたが、感情面で納得することは難しかった。重要な事案ではあるし、何より親友に隠し事をされたということが残念でならなかった。

 また、隠し事をさせてしまったという自責の念も無いではなかったが、色々考えた結果話さなかった迅が悪いことにすることを清治は決めた。

 とりあえず移動中に少し強めに迅の尻を蹴っておいたあと、改めて空閑の黒トリガーについて考えた。

 見れば空閑は片腕を失っている。どうやら先ほどの戦闘の際に奈良坂が放った一発がヒットしたのだろう。あれで腕を持っていた奈良坂も、腕だけで済ませた空閑も只者ではないと言って良いだろう。

 三輪と米屋の体に生えているものが、ガンナー向けのオプショントリガーである『鉛弾』と同じものであれば、シールドに干渉しないはずなので接近戦の時に撃てばよかったはずである。

 最初から使わなかったのには何らかの理由があるのだろうか。あるとすれば何だろう。一定の条件を満たさなければ撃てないのだろうか。それとも…

 

 様々なことを考えながら、清治は迅たちからだいぶ遅れて歩いていた。何となく三輪と顔を合わせ辛かったし、先ほどの蹴りだけで迅との間の小さなわだかまりにケリをつけることもできそうになかったからだった。

 迅と奈良坂、古寺が三雲達と言葉を交わし、空閑たちのところに移動していくのを見計らって清治が三雲たちに話しかけた。

「よ。メガネくん。さっきぶりぢゃね」

「武蔵丸さん」

 ふと横を見て清治は直感した。果たして彼女が三雲の会う約束をしていた相手なのだろう。

「お? お? 彼女? どこまで行っとんの?」

 必死に否定する三雲をひとしきりからかい、千佳に挨拶をした後、清治は三輪と米屋から見えないように位置を気を付けつつそちらへと向かうのだった。

 少し離れた場所に立つ清治を横目に見ながら、迅は三輪隊の面々にいかに空閑と戦うことが無駄なことであるかを説いていた。

「むしろお前らは善戦した方だな。遊真(こいつ)に殺す気がなかったとはいえ… さすがは三輪隊だ」

――― もしその気があったらどうするよ…

 清治としては思わずにはいられなかった。空閑の人間性を攻撃的かつ排他的なものだとは思わないが、清治としては万が一を考えないではいられなかった。

 また、清治自身がネイバーに対して少なからず憎しみを持っているというのもあるのかもしれない。三輪ほど苛烈にネイバー全体を憎むことは清治にはできなかったが、やはりあの大攻勢を行ったネイバー… 清治にとって両親の敵であり、自身の命をも危うくした敵かもしれない相手である可能性が僅かでもある人物を、迅が言うからという理由だけで無条件に信じることができないのである。

 以前にも少し触れたが、清治は三輪を非常に高く評価している。単に戦闘能力が高いからとか、城戸の腹心を務めているからだとかいう理由ではなかった。

 感情的に見られがちな三輪だが、実際には心のバランスが非常に高いレベルで均衡していた。知と勇のバランスが良いのである。清治からすれば彼と比較すれば、太刀川や迅は勇に、東は知に傾いている。この見解は東とも一致していた。ちなみに清治自身は自分を『()』に傾いた人間だと評価している。

 また、三輪は義と仁にも篤い。清治や迅のことを嫌ってはいても、話すべきことがあれば当然話をするし、相手の話を聞かないということもない。一応聞いた上で自分で判断する。嫌いな人間を相手にこれはなかなか難しいものだ。

 清治の考えをよそに話は進んでいく。その間に三雲は、レプリカから黒トリガーについてレクチャーを受けていた。考えてみれば、こうしたことを知るのも正隊員の仕事だった。

 三雲が知らないのが悪いのではない。彼にそのことを教えるのを怠っていた自分をはじめとした先輩や上司たちが悪いのだ。清治としてはなんだか申し訳ないと思わずにはいられない。

「その黒トリガーが街を襲うネイバーの仲間じゃないっていう保証は?」

 奈良坂が、常々清治が思いながらも迅に遠慮して聞けなかったことをズバッと聞いた。清治としては奈良坂を全力で褒めたいところである。

「俺が保証するよ。クビでも全財産でも賭けてやる」

――― ならわしに先に言わんかいっ!!

 という言葉を、清治は必死で飲み込んだ。

 ところで、迅がそう言い切る以上は、空閑の未来においてそのようなものは見えないということなのだろう。

 複数の道筋が見える中でそうした流れが見えないということは、まずは一安心と言っても良いということだった。

 もっとも、完全に安心というものでもないと清治は思っている。現に迅は、今ここに清治がいるという未来を『読み逃して』いるのである。

 とはいえ、迅がわけもなく空閑をかばいだてしているわけではないということがハッキリ分かった今、清治は一応迅を許してやることにした。もっとも、それすらも迅には『見えて』いたのかもしれないが。

「損か得かなど関係ない… ネイバーはすべて敵だ…!」

 彼らしい苛烈な言葉を残して三輪が緊急脱出した。一条のまばゆい光が美しい放物線を描いて、やたらに晴れ渡った青く美しい空を飛び去って行く。

 緊急脱出はボーダーの正隊員のトリガーには等しく備えられている機能で、トリオン体が破壊されたり場合や本人が戦闘の継続が不可能あるいは無意味と判断した場合に本部基地に転送されるのである。

 これにより、ボーダーの戦闘員は戦闘に敗れても捕虜になったり最悪は死亡したりするような事態を防ぐことができる。

「負けても逃げられる仕組みか。便利だなー」

 基地へと飛び去る三輪の姿を見ながら空閑がぽつりとつぶやいた。ネイバーフットで約3年もの間、苛烈な戦争に身を投じていた彼らしい一言だった。

 

「あー負けた負けたー!」

 トリオン体を解き生身となった米屋が、ふてくされたようなセリフを、ふてくされているとは思えないようは口調で吐く。

「しかも手加減されてたとかもー」

 言うや米屋は、プラットホームの上に線路側に足を投げ出して仰向けになった。

「さあ好きにしろ! 殺そうとしたんだ。殺されても文句は言えねー」

 しかし、この言葉に反応したのは空閑ではなかった。もし米屋がこの人物の存在に気が付いていたら、こんな不用意な発言は絶対にしなかっただろう。

「よっしゃ! そんならちんちん見せろ!!」

 言うや清治は米屋に躍りかかった。

「うわっ!? ムサさんいたの!?」

 驚いて逃げようとする米屋だが一瞬遅かった。清治はすさまじい力で米屋を掴むと、早速ズボンを脱がしにかかったのである。

 わちゃわちゃしている二人を見ながら、奈良坂は呆れ、古寺は驚き、迅はかすかに笑っていた。

 迅にしても、清治があの蹴りだけで自身を納得させたとは思っていなかった。先ほどまで険しい顔をしてこちらを見ていたが、今は普段の彼のようだ。まずは安心と言って良いだろう。

 清治はしつこい性格なので、この件を忘れるということはないだろう。だが、それについて苦情を言うようなことはもう無い。しいて言えば、ずっと先に昔話でこの件に触れることはあるかもしれない。そして、迅としてはそうした『ずっと先』があることを願わずにはいられなかった。

「ムサさん。女の子もいることだしその辺で」

 迅がそう言って止めに入った時には、既に米屋はズボンを脱がされていた。パンツだけは必至に守ろうとしてはいるが、それでもお尻が半分出てしまっている。

「おお。ほおじゃったの。メガネくんのより先に米やんのを見せるわけにはいかんか」

 清治が手を放すと米屋は大急ぎでズボンをはいた。

「ったく… 俺はムサさんじゃなくてそっちの白チビに言ってんの」

 言いつつ米屋は視線を空閑に向ける。

「別にいいよ。あんたじゃ多分おれは殺せないし」

「マジか! それはそれでショック!」

 空閑の返事にそう応えた米屋だが、言うほどショックを受けているという感じではない。

「じゃあ今度は仕事カンケーなしで勝負しようぜ! 一対一(サシ)で」

 彼にとって、戦闘とは楽しむべきもののようだ。

「ふむ。あんたはネイバー嫌いじゃないの?」

 空閑の疑問はもっともだった。隊長の三輪のあの様子を見れば誰しもが同じようなことを考えるだろう。この時、ほんのわずかに清治の目つきが鋭くなったがそれに気づく者はいなかった。

「俺はネイバーの被害受けてねーもん。正直別に恨みとかはないね。けど」

 立ち上がり、プラットホームから下りながら米屋は、迅と話をしている奈良坂と古寺の方に目を向けた。

「あっちの二人は家ネイバーに壊されてるから、そこそこ恨みがあるだろうし、今飛んでった秀次なんかは、姉さんをネイバーに殺されてるから、一生ネイバーを許さないだろうな」

「…なるほど」

 空閑には身に覚えのないこととはいえ、三輪のああした言動は理解できた。誰が言えるだろう。例え同じような状況になったとしても、彼のようにネイバー全てを敵視するような真似はしないなどと。

「おいおい米やん。そりゃ言うちゃマズイ類の話とちゃうか」

 苦笑しつつ清治が言う。彼は普段が普段なわけだが、それでも一応最低限のマナーなるものを知ってはいる。三輪の姉の件はタブーというわけではないが、プライバシーに関するデリケートな話だ。誰にでも話しても良いというものではない。

「やっべ! 今の話、俺が言ったって言わないでくれよな」

 米屋がそう言ったころ、奈良坂たちの方も話がついたようだ。

「陽介! 引き上げるぞ!」

「おーう」

 奈良坂の呼びかけに米屋が応える。

「じゃあな! 次は手加減なしでよろしく!」

 そう言って賑やかに米屋は去って行った。

 喧噪がやんで、空閑がトリオン換装を解くと、迅が事の顛末を本部に報告に行くという。

「三輪隊だけじゃ報告が偏るだろうからな。ムサさんはどうする?」

 話を振られた方は露骨に嫌そうな顔をした。

「行かんよめんどくさい。だいたいわしゃ非番ぢゃし」

 もともと今日は清治は非番だったのだ。三雲のトリガーの調整のためにちょっと基地に顔を出していただけなのである。

「そっか。ならちょっと頼みがあるんだけど」

 迅はそう言うと、清治の耳元で何かささやいた。

「おう。そんぐらいなら構わんよ」

「よろしく~~~」

 迅は三雲と連れ立って本部へと向かう。空閑と雨取は三雲の帰りを二人で待つのだそうだ。

 

 迅と三雲を迎えた本部会議室に居並ぶ面々については言わずもがなだった。

「まったく… 前回に続いてまたお前か。いちいち面倒を持ってくるヤツだ」

 鬼怒田がこぼすのも無理はないことだった。それでなくとも改良型ラッドの一件がようやく落ち着いて来たというタイミングである。これ以上清治以外の厄介ごとを抱えたくはないのだろう。

 とはいえ、それはいささか酷な言い方だったかもしれない。三雲と空閑が知り合ったのは成り行きであり、三雲本人の責任ではないのである。

「しかし黒トリガーとは… そんな重要なことをなぜ今まで隠していたのかね。ボーダーの信用に関わることだよ」

 根付の言うことは正しかったが、これも酷と言えば酷な話である。何せ、三雲は先ほどの戦闘の後に初めて黒トリガーについてレクチャーを受けたのだ。そして、それを空閑が持っていることを知ったのもつい先ほどである。意図を持って隠していたわけではないのだ。

 忍田本部長が三雲をかばい、鬼怒田と根付をなだめようとしたが、彼らからすれば報告義務を怠った隊員を叱責しないわけにはいかなかった。ただ、外務・営業部長の唐沢はその輪の中には加わらなかった。

――― 報告してたら大事になって、より面倒なことになっただろうな

 彼の洞察はいつもながら正しい。もし三雲が空閑がネイバーだと知った時点で報告していたら今頃はボーダー内部が上へ下への大騒ぎだったに違いない。

「まあまあ。考え方を変えましょうよ」

 騒ぎ立てる大人たちの声を遮ったのは迅だった。彼は、三雲が空閑に信頼されていること、現に今まで彼がいたおかげで空閑と彼が所持する黒トリガーを制御し、大きな問題を起こしていないことを挙げた。

「彼を通じてそのネイバーを味方につければ、争わずして大きな戦力を手に入れられますよ」

 もっともな言い分だし悪くない提案だった。だが、鬼怒田と根付は懐疑的だった。確かに今までは上手く制御できていたかもしれない。だが、ネイバーがネイバーと敵対するボーダーという組織に協力的であるかどうかには疑義を持たざるを得ない。

 ネイバーフットにも多くの国があることを知ってはいるが、空閑がこれまでこちらの世界に攻め入って来たネイバーの味方ではないという保証はどこにもない。また、仮にそうであったにしても、彼がボーダーに協力しなければならない理由など、三雲との信頼関係しかないのである。根拠としてはあまりに頼りない。

「…確かに黒トリガーは戦力になる」

 意外な言葉が意外な人物の口から吐き出された。城戸司令である。彼がボーダーを率いる際に宣している言葉を知らない者はいない。

 その場にいた誰しもが耳を疑うような言葉だったが、次に彼が紡ぎだした言葉は、まさに彼を彼たらしめるものであった。

「そのネイバーを始末して黒トリガーを回収しろ」



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C03 主流派は悪人

 城戸司令の言葉にボーダー本部基地の会議室がざわついていた頃、空閑と雨取はある場所にいた。三門市のはずれの小高い場所にある神社で、普段は訪れる者もいない所だ。

 いつ作られたものなのかは誰も知らないし、何という神が祭られているのかすらも、知っている者はこの神社を管理する神主以外には清治くらいしかいない。

 雨取はネイバーが現れるとここにやって来て、自らの心を『空っぽ』にすることで難を逃れてきたのである。

「おお~。いいカンジのところだな」

 人の手の届くところにはいくつか傷があり、そうでないところは長年風雨にさらされてきた跡がありありと見える鳥居をくぐりなが空閑がそう言う。

「そうかな」

 彼に続きながら雨取はなんとなく気恥ずかしくなった。自分が褒められているわけではないのだが、良い場所を知っていることを褒められているような気がしたからだ。

 障子があちこち破れている社殿に向かいながら、雨取はネイバーが現れた時にしばしば隠れ家としてここを利用していると話した。

「まあ、飯でも食ってオサムを待とうぜ」

 二人は、ここに到着するまでに買い込んでおいたハンバーガーなどを広げて食べ始めた。店内で食べるのも悪くはないが、ファストフードを外で食べるのはまた格別だった。

 店内ではなくここで食べたいと言ったのはもちろん雨取だ。彼女は他の人には聞かれたくない、そして他の人にはし辛い質問を空閑にしたかったのである。

「遊真くんって… 本当にネイバーなんだよね?」

「ほうだよ」

 雨取の質問にバーガーをぱくつきながら空閑が答えたのを皮切りに、雨取は彼女にとってどうしても知りたいこと、知らなければならないことを空閑に聞き始めた。

 一番聞きたいのはネイバーに攫われた人々のことだった。三輪隊の襲来の少し前に、ネイバーはさらった人たちを自分たちの国の戦争に利用するという話は聞いた。

 トリオン能力の高いものは自国の兵士として、そうでない者はトリオン器官のみを採取する。

 トリオン器官は心臓のすぐ横にあるため、器官を取り出す過程でほぼ確実に命を落としてしまう。控え目に言っても残虐行為以外の何物でもなかかった。

 雨取が聞きたかったのは、攫われた人間が具体的にどのようにして戦争に利用されるのかを知りたかったのである。

「さらわれた『国』によるかな」

 空閑が言うには、ネイバーフットには多くの国があり、その国によってそれぞれスタンスや状況が異なるという。例えば戦争に勝っている国、負けている国、兵士を鍛える余裕がある国、無い国、軍司令が有能であるか否かなど様々な状況があり、状況によってどのように遇されているかは詳しくは分からないのだそうだ。

 ただ、トリオン能力の高い人間は貴重であるため、ほとんどの国で良い待遇を受けることができるのだそうだ。

「じゃ… じゃあ、さらわれた人がむこうで生きてるってことも…」

「普通にあると思うよ」

 一番聞きたかったことが聞けた。雨取は満足だった。また、希望が湧いてきたとも思った。

「なんだ? 誰か知り合いがさらわれたのか?」

 質問の内容が内容だ。空閑でなくともそう思ったことだろう。

「…ううん。ちがうの。ちょっと気になっただけ」

 雨取としては聞くだけのことを聞いたというのもあるが、自分の状況を他の人に知られることを避けたかった。話せばきっと巻き込むことになる。

 だから、空閑に本当のことを話すのは憚られる。そうでなければまた…

「…お前、つまんないウソつくね」

 空閑のサイドエフェクトの前では、例え雨取がそうした彼女なりの善意から出ることであってもウソであれば察知してしまう。

「こっちだけにしゃべらせてそっちはヒミツかー。まあいいや。あとでオサムに聞こう」

 空閑にしてみれば雨取の事情を知らない。そんな彼からすれば、例えそれが善意からのものであったとしてもウソをつかれたということになる。空閑はウソをつくのもつかれるのも嫌いなのだ。

 いや、嫌いになったと言うべきなのかもしれない。そうなったのは、『ある理由』からウソを見抜くサイドエフェクトを身につけてからのことだった。

「ええ!? わあごめん。待って待って!」

 空閑のサイドエフェクトの事など知らない雨取だが、自分が本当のことを言わないせいで空閑が気分を害したということはハッキリとわかった。

 いずれにしても、三雲から聞いてしまえば結局同じことだ。雨取は自分で話すことにした。

 彼女の近しい人物がネイバーフットに攫われた。いや、本当は一人は自らの意思でネイバーフットへと向かったのだが、その辺りの事情を彼女はよく知らない。

 一人は彼女の友達だった。小学校で仲の良かった人物で、雨取がネイバーに狙われているという話を信じてくれた唯一の人物だった。

 もう一人は彼女の兄だった。兄としてネイバーに狙われる妹をずっと気遣っていた彼だったが、思うところがあったのか数名の協力者と共にネイバーフットへと密かに渡ったのである。

 なお、この時の協力者の中にボーダー関係者も居たということは、この時点で知っている人間は極めて少ない。

「だからもう他の人には頼りたくないって言ってたわけか。ボーダーとかにも」

「うん… だって迷惑かけるだけだから…」

 他の誰かを巻き込んでしまうくらいなら、とにかく自分だけでなんとか切り抜けよう。彼女の健気で悲壮な覚悟を空閑は理解した。もしかしたら、三雲との付き合いがなければ理解できなかったかもしれない。

 話は三雲のことにも及んだ。空閑は自分がこちらにやって来て彼と知り合ってしまったがために彼の出世をふいにしてしまったかもしれないと思っているのだ。

「それは大丈夫だよ。修くんはたぶんそんなこと気にしない」

 雨取はそう言うと、両手を使ってメガネのようにし、三雲の口調をまねた。その様子がおかしかったのと、いかにも彼が言いそうなセリフだったため空閑は妙に納得してしまった。

 話をしながら、空閑は何とも言えない気持ちになっていた。とても心地が良いのだ。

 三雲と接して感じていたどこか心がふわふわした、違和感にも似たそれを彼は良い気分だと感じていた。そして、その三雲の話を雨取としているこの時間を、空閑は同じく心地よく感じているのだ。

 ネイバーフットでは感じることのできなかったことだ。彼にとって『あの日』以降、心を許せる相手も心が休まる時間も全く無かったのだ。

 もちろん、ネイバーフットにも心を通わすことのできた人物がいないわけではなかったが、恒常的に戦争があり、日常的に戦闘がある日々の中では心が寛ぐような時間を過ごすことなど、できようはずもなかったのだ。

 空閑は今、人生で初めてリラックスした気分になっていた。ただ、それをリラックスしていると自覚できるようになるまでには、まだ少々時間を要しそうだった。今の彼は、とにかく『ふわふわした良い気分』と認識している。まるで酔っ払いの感想である。

 

 二人の話は、三雲と雨取のことから空閑のことへと移った。雨取からすれば、なぜ空閑がこちらの世界にやって来たのかが分からないからである。

「親父が死んだから」

 まるで近所に出かける理由を告げるかのようにサラりとヘヴィな一言を放つ。雨取は驚きつつも謝罪したが空閑は気にしないと言った。

「『もしオレが死んだら日本へ行け。知り合いがボーダーっていう組織にいるはずだ』親父がよくそう言ってたから日本に来たんだ」

 彼は死んだ父親から、ボーダーはこちらの世界とネイバーフットの架け橋となる存在だと聞かされていたが、現実は雨取も見ての通りだった。

 ネイバーはネイバーでこちらの世界を脅かしているし、ボーダーはボーダーでこちらがネイバーだと分かった瞬間に何の呵責もなく攻撃してきた。聞いていた話とは大違いである。

「お父さんってどんな人だったの?」

 雨取の質問に答える形で空閑が父親がどのような人物であったのかを語り始めた。一言で言えば変わった人物だった。

 だが、その話の内容からすれば、刻刻と状況が変わるネイバーフットを旅して来た人間の知恵がつまっているものであった。少なくとも清治がその話を聞けばそう思うことだろう。そして

「まぁ、ヘンな人ぢゃったんじゃのお前のオトン。わしも人のことは言えんけど」

とでも言ったに違いない。

 とにかくそういう人物であったため、空閑はこちらの世界に来て話が違うと思いつつも、あの父の言うことであるからさもあろうと思ってはいたという。

「問題は… 親父の知り合いがまだボーダーにいるかどうかだな」

 同じ頃、ボーダー本部上層部の集まる会議室でもちょっとしたざわめきが起こっていた。三雲が空閑の名前を告げたことからである。

「『空閑』… 『空閑 有吾』か…!?」

 普段滅多なことでは表情を崩すことのない城戸司令が、誰の目からも明らかにわかるほどに驚愕し、動揺している。

 また、常になく驚いた表情を浮かべる林藤玉狛支部長と忍田本部長。どうやらこの3人は空閑の父親に心当たりがあるようだ。

 話は少し遡る。城戸が命じた空閑の始末を、迅は断った。

 玉狛支部に所属する迅に総司令である城戸が直接命令を下すのは、彼の直属の上長である林藤の職権を犯すものであった。そのため、その司令を出すのは城戸ではなく林藤であるべきだと主張したのである。

「何をまどるっこしいことを… 結局は同じことだろうが」

 鬼怒田はそう言いつつも、ボーダー内部の統制のことを考えれば迅の主張が正しいこをとを認めないわけにはいかなかった。迅は命令に従わないと言っているわけではない。正しい経路で命令を下して欲しいと言っているに過ぎないのだ。

 このあたりは、彼の命令に従わないこともある『ごくつぶしのムサ』とは違う点である。

「林藤支部長。命令したまえ」

 城戸にそううながされ、しぶしぶといった体で林藤が迅に命じる。黒トリガーつまり空閑を捕まえて来いと。

「ただし、やり方はお前に任せる」

 これはつまり、城戸が命じようとしていた方法でなくとも良いから、とにかく迅のやり方で空閑を連れて来るように命じているのである。

 『連れて来る』場所は何もボーダー本部でなくても良い。迅が玉狛支部に連れて行くというのであればそれで良いのである。その辺りも含めて迅に『任せる』のである。

 これらの司令の意図は明々白々であり、鬼怒田の根付が納得するわけもなかった。

「やはり玉狛なんぞに任せてはおけん! 忍田くん。本部からも部隊を出せ!」

 しかし忍田はその意見を即座に退けた。既に城戸から命令が出ていることだ。今から彼がそのような司令を出すことは道理に反している。

 幹部たちの喧噪をよそに会議室を退室しようとしている迅と三雲を、唐沢外務・営業部長が呼び止め、空閑について質問した。彼からすれば、利用できるものは利用したいし、取り込めるものであれば取り込みたいのである。このあたりの考え方は野心的かつ柔軟であると言える。

 唐沢が知りたいのは、空閑がこちらの世界にやって来た理由である。神社で同じことを質問した雨取とは違う理由でではあるが、彼の目的を知ることができれば、それを材料に交渉できるのではないかと考えてのことだった。

 唐沢の質問に対し、三雲は以前空閑から聞いていた、彼がこちらにやって来た理由を説明した。ボーダーの中に彼の父親の知り合いがいる。だが、それが誰だということまでは三雲は知らない。

「その『父親』の名前は? … いや、きみの友人本人の名前でもいい」

 唐沢のこの質問に対する三雲の返答が、上層部をざわつかせる原因となったのだった。

 その後のやり取りで、どうやら空閑の父親は城戸、林藤、忍田の知己であり、その立場は決して軽くはなかったことが分かった三雲は、わずかではあるが安心して会議室を後にした。

 同様の質問を迅にしてみると、迅の方は彼ほどこの事態を楽観視してはいなかった。

「メガネくんもなんとなく気づいてると思うけど、今ボーダーは大きく分けて3つの派閥に割れてんだよね」

 迅の説明によれば、城戸司令を中心とした主流派はネイバーに対して強硬な態度を取っており、それが今日の旧弓手町駅で起こった出来事につながっている。それとは別に、ネイバーから三門市ひいてはこちらの世界を守ることを優先する穏健的防衛主義を主張する忍田本部長の派閥、そしてネイバーにも良い者と悪い者がいるため、一概に敵対するべきではないとする玉狛支部の派閥があるのだそうだ。

 勢力的には城戸派が最大派閥であり、例え主張が異なる他の二派に対して強い圧力をかけて行くということはこれまで無かった。だが、空閑が玉狛に与することになればその情勢も一気に変わることだろうと迅は言う。

「空閑ひとりにそこまで…!?」

 驚きを隠せない三雲に、黒トリガーとはそれほどの効果があるものだと迅は説明した。そして、それを避けるために城戸派はなんとかして空閑の黒トリガーを奪うことを考えているであろうことも。

「本当なら、その辺の話をムサさんにも一緒に来てもらってしてほしかったんだけど、ムサさんは説得は無理だと思ったみたいだな」

 迅が言うには、清治も最初は報告に付き合うつもりでいたのではないか。しかし、現状それは避けた方が良いと判断したのではないだろうかと言う。

「あくまでも俺の憶測だけどさ。ムサさんがあの場に居たら、俺が遊真を捕まえるのを断ったら、城戸さんは林藤支部長じゃなくて鬼怒田さんを通してムサさんに命令するって考えたんだと思う」

 そうなれば、事が事なだけにいかに清治でも断ることはできないだろう。清治は戦闘員としては鈴鳴支部に所属してはいるが、エンジニアとしては本部付きであり、鬼怒田は直接の上司である。

 また、命令が鈴鳴支部長を経由する可能性もあった。上層部に名を連ねる林藤とは違い、鈴鳴支部の支部長はボーダーに所属する一職員に過ぎない。そんな人物が城戸から命令を受ければ当然それを拒否することはできない。そうなれば当然清治もそれに従う他はないのである。

 話を聞きながら三雲は、迅が本部に報告に行くと言った際の清治の露骨に嫌そうだった顔を思い出していた。しかし、清治がこうしたことを本当に面倒がる人間であれば、本来非番であった日に自分のためにわざわざ時間を作ってトリガーの調整や基本的な使用方法のレクチャーなどしてくれなかっただろう。

「ムサさんは優しいからね。どんなことがあっても俺を信じてくれるし、何があっても最終的には許してくれる。で、俺はそんなムサさんの優しさにいつも甘えてるのさ」

 やや自嘲気味にそう言うと、迅は三雲を促して再び歩き出した。

 

 そのころ、迅と三雲に続いて林藤と忍田が退室したあとの会議室では、城戸、鬼怒田、根付、唐沢が今後の対応について協議していた。清治をして『ボーダー悪人四天王』と言わしめる人物たちである。

 空閑を捕らえるために、すぐにでも部隊を動かすべきだと主張する鬼怒田に対し、意外にも否定的な意見を述べたのは根付であった。

「大部隊を動かせば目立ちもしますし、私はリスクが大きいと思いますねえ」

 ボーダーの対外的なイメージの向上に注力する根付としては、ともすれば外部に対してボーダーが『割れて』いると印象付ける可能性があるような事態は避けなければならなかった。

「じゃあ他にどんな手がある!?」

 怒鳴るように問いただす鬼怒田に対し、根付も効果的な方法を提示することはできなかった。

「唐沢くん。君の意見は?」

 正しくはあるが不毛な水掛け論に終始する鬼怒田と根付の意見を聞き流しながら、先ほどから何か考えているような唐沢に城戸が声をかける。

 話を振られた方は、自分は用兵は専門外だと断りを入れた上で、今は手を出さないことを提案した。

 理由はいくつかあった。玉狛に空閑が行くのであれば、黒トリガーの所在がはっきりして好都合であること。自身であれば交渉を考えるが、強奪を考えているのであれば今は手元の兵力が少ないという点を挙げた。

 数日すればネイバーフットに遠征に出ている精鋭部隊が帰還する。事を起こすのであればその時を待つべきだと言うのである。

「…いいだろう。遠征組の帰還を待ち、三輪隊と合流させて… 4部隊(チーム)合同で黒トリガーを確保する」

 清治でなくても『悪の四天王』と呼びたくなるような結論が下されたのであった。



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C04 戦術家と戦略家

なんか前回の話あたりからこれまでとは比較にならないほど見ていただけているようで。
ようやく少しは面白いカンジに書けるようになってきたんですかねぇ。
楽しんでもらえたら幸いです。
換装… ぢゃねぇや。感想もどしどしお待ちしております!!


 迅と三雲を待つ間の二人の話は、空閑のことに再び戻っていった。雨取はボーダーの人間ではないが、ボーダーの戦闘部隊が三輪隊だけではないということくらいの知識はある。

 先ほどは三輪隊を退けた空閑だったが、今度は彼らより腕の立つ戦闘員を、より多く動員してくるかもしれない。しかし、その辺りのことを質すと空閑はあっけらかんと答えた。

「ボーダーが何人で来ようと、本気でやればおれとレプリカが負けるような相手はいないよ」

 慢心とも取れる発言だが、その言葉には重みがあった。長く戦いの場に身を置いていた空閑だからこそ言えることなのかもしれない。だが

「…いや、ひとりだけいるか」

 直接戦ったわけでもないその人物の力量を、空閑は正確に洞察していた。迅である。

「あのおでこにサングラスの人…?」

「そう」

 空閑の直観によれば迅は相当に強く、勝てるかどうかは実際に戦ってみなければ分からないという。

「じゃあ、あの人が追っ手になったら…!」

 雨取がもっともな心配をしたが、空閑はそれにもあっけらかんと、しかもかなり断定的に答えた。

「そうはならないよ」

 彼には何か確信じみたものがあるのだろう。

『私に言わせれば』

 それまで空閑の指にはめられた黒トリガーに収まっていたレプリカが二人の会話に加わる。

『ジンよりもムサシマルがやって来る方が厄介だ』

「ふむ…?」

 空閑は別に清治を侮っていたわけではない。ボーダー内部における彼の評判を知らない空閑は、そうした雑音に左右されることなく迅と同じように清治を観察していた。その結果、仮に清治が迅と同じレベルのトリガー使いであっても戦闘能力はやや劣ると判断したのだ。

 苦戦は免れ得ぬところではあろうが、決して遅れを取るような相手ではない。それが空閑の下した判断である。だが、レプリカは違う判断を下したようである。

『確かに単純な戦闘能力であれば、ムサシマルはジンに及ばないかもしれない。だが、ムサシマルには違う脅威があると私は見ている』

 レプリカによれば、そう考えるようになったのは例の改造ラッド捕獲のおりだったそうだ。清治が三雲に出す指示は、戦術的と言うよりも戦略的であったと言う。単に今目の前にいるラッドを捕獲するための指示と言うよりは、最終的により多くのラッドを捕獲するための動きのように感じたというのだ。

 言われてみれば、清治の指示は三雲や自身以外の者も利用してラッドを捕らえるためのものも多くあった。つまり、彼自身や三雲が直接ラッドを捕らえるということにこだわったものではないのである。

『ムサシマルにとって、戦闘とは目的を果たすための有効な手段の1つであって、戦闘に勝利することが最重要であるとは考えていないのだろう』

 なかなかに難しい話だが、レプリカによればもし清治が追っ手となった場合、例え戦闘で自身が敗北したとしても、最終的には必ず捕らえて黒トリガーを確保する、そういった算段をつけた上で、最も効果的かつ効率的に目的を達成できるタイミングを狙って行動を起こすだろうと言うことだった。

「ふむ、なるほど… つまり、ムサシマルさん相手だと、戦ってる時点でもうアウトってことだな」

『極端な言い方をすればそういうことだ。そして、もしそうできない場合であれば、機をうかがうために敢えて何もしてこない可能性もある。戦闘ではともかく、戦争になると相手にはしたくないタイプだ』

 空閑にしても、その意見には同意できるものがあった。長くネイバーフットで戦争地域に身を置いてきた経験からして、戦闘して勝利することに固執する相手はそれほど脅威ではない。むしろ、敗北をも材料として最終的な勝利を掴もうとする、言ってみれば大局的な見方のできる相手の方がはるかに手強く、恐ろしかった。

 二人の会話を聞いていて、雨取は何となく不安になってきた。空閑が言い切った通り、迅が追っ手になる可能性は確かに低いのかもしれない。

 しかし清治になるとどうだろう。雨取は、さも愉快げに自分と三雲をからかった清治、戦闘後の米屋を相手に『バカな男子』然とした態度を見せた清治、迅から本部へ向かうか聞かれた時に露骨にイヤな顔をして見せた清治を思い出した。

 どれを取ってもレプリカが言うような脅威は微塵も感じられない。本当にそんなことになるのだろうか。そうなってしまったら…

 

「そりゃぁ過大評価もえぇトコぢゃ」

 突然声をかけられ、雨取は驚き、空閑とレプリカは身構えた。朽ちつつある鳥居の下には先ほど話題に上った人物が、少し大きめの紙包みと竹製のほうきを持って立っている。

「なんや君らこげなトコで逢引ききゃ? メガネくんが見たら泣くぞ」

 緊張を解かない空閑たちに、あくまでも飄々とした態度で応じる清治。雨取は妙な違和感を覚えていた。

「おいおい。今の話ぢゃなぁが、別に捕まえに来たわけぢゃなぁ。わしゃ非番の時にここの手入れに来よんのよ」

 清治の話によると、この小さな神社に祭られているのは建御雷(タケミカヅチ)という名の神様だと言う。

 古事記や日本書紀に登場する神で、神話上での役割はともかく剣術家としてはとても重要な意味を持っていた。

 本神は総本山である茨城県鹿嶋市の鹿島神宮に祭られているが、その鹿島神宮において繋がりが深いとされている兵法家がいる。塚原(つかはら)卜伝(ぼくでん)である。

 鹿島新当流の開祖であり、この世で最初に剣の極みに到達した人物とされている。その剣は絶妙で、生涯にわたって多くの決闘、戦闘に参加したが一度も怪我も敗北もしなかったと言われている。

 彼の人物の奥義である『一之太刀(ひとつのたち)』は師であり養父でもあった塚原(つかはら) 安幹(やすもと)から伝授されたと伝えられているが、一部ではある話が伝説として伝わっている。

 曰く、剣の修行によって高みを目指すも、その道筋を見失った卜伝は、千日に及ぶ参籠の期間中に建御雷から直接奥義の伝授を受けたと言われているのだ。

 後者の話の方が何となく神秘的でロマンがあるため、案外ロマンチストな清治はこちらの話を信じている。

 清治は祖父から古流剣術『無外流』を継いだ身であるが、塚原卜伝が伝えたのは『鹿島新当流』だ。だが、流派は違うが同じ剣の道に生きた偉大な先人に対し、清治は敬意を禁じ得ない。

 そんな伝説の中の人物に縁の深いこの神社を気にかけていたのである。先の大侵攻の後に命を取り留めることができた清治は、荒れ放題だったこの神社を管理する神主と掛け合い、非番の日にはここの手入れを行っているのだ。

「ま、薄給ってわけでもなぁが、わしはボーダーの下っ端なんでね。さすがに社殿や鳥居の修復まではできんから、せめて掃除なりとね」

 そう言う清治を、空閑と雨取も手伝うことにした。じっとしているには寒すぎるし、三雲たちが帰って来るにはまだ時間がありそうだった。

「ところでムサシマルさん。その包みはなに?」

 空閑は清治が持って来た紙包みが気になるようだった。

「こりゃぁの。掃除の後に枯れ葉を焼くついでに焼き芋でもしようと思うてな」

「ヤキイモ?」

「おお。うまいで」

 清治が持って来た2本の芋を焼いて、3人で食べる。初めて食べる空閑が感動していたので1本まるまる彼に渡し、残った1本を清治と雨取で分けて食べた。その際、大き目の方を雨取に渡す。

「君らは育ちざかりぢゃけぇの。しっかり食いなよ」

 そう言って優しく微笑む清治の姿には、レプリカが言ったような脅威は全く感じられなかった。もっとも、先ほど会っただけの印象で言えば、迅に対しても恐ろしいような印象は無い。

「ムサシマルさんは、俺たちを捕まえるように命令されたんじゃないの?」

 焼き芋をほおばりながら空閑が聞く。

「さっきも言うたがそげな命令は受け取らんよ。受けりゃそうせんわけにはいかんがの。だいたい、そういうメンドーな話はわしではなくて実力派エリートさんに行くぢゃろうて」

 清治が言うには、自分ではそうはできないだろうが、迅であればそのような命令を受けてもうまく立ち回るだろうと言う。まずは安心して良いとも言った。

「それでコトが収まるっちゅ~モンでも無ぁが、少なくともすぐにも手強い連中が襲い掛かってくるなんてことはあるまぁて」

「フム… で、ムサシマルさんはどう思ってるの?」

 空閑が無邪気な感じで聞くが、その表情は険しいものだった。

「どう思うねぇ… お前さんにゃ隠し事は通じそうになぁけぇ言うが、まえぇんぢゃねぇかね」

 清治はネイバーフットに行った経験から、ネイバー全体を恨むようなことは無いが、実際のところ全てを信じることはできなかった。もっとも、全てを信じることができないのはこちらの世界の人間も同じであるとも言う。

「わしは臆病モンぢゃけぇの。何か裏付けでもなぁと不安なんじゃ」

「なら、なんで俺に何もしないの?」

「ゆういっちゃんが信じとるからの…」

 実際のところ、清治もまだ全面的に空閑を信頼して良いものかどうか判断がつかない。だが、先ほどの戦闘の前に雨取をかばったり、三雲との付き合いなどから信用しても良いのではないかとは考えてはいる。

「そう言や、空閑くんはわしが前の大侵攻ん時に死にかけたのを知っちょるんぢゃったの」

「遊真でいいよ。うん。迅さんに聞いた」

 具体的な話を聞いたわけではないが、生死の境を長く彷徨ったことも聞いていた。一方、雨取にとっては初めて聞く話だった。

「まだボーダーのこともネイバーのことも知らん頃での。腕に自信があったわしは、避難支援くらいはできると思ぅとった」

 幼少期から剣道ではなく『剣術』を徹底的に叩きこまれた清治にとって、人を助けるために自分の力を発揮するのは当然のことだった。

 その時代、国防の要とならんと編み出された技の数々。それを長年かけて徹底的に自分の体に落とし込んだ清治は、戦闘において多くの人々と比較すると抜きんでた存在であると言えた。

 また、仮に自分の技が通用しない場合であっても引くことは許されない。自身の力の限り周囲を守るために奮闘しなければならない。それこそが師である祖父の教えでもあった。

 当時清治は15歳。自身の腕にはそれなりの自負があった。大丈夫だ。きっと五分以上に渡り合えるはずだ。と。

 しかし実際そうはならなかった。どれほどの打撃を与えても相手はダメージを受けた様子はない。結局できることと言えば、自らを囮にして他の人間が避難するための時間を稼ぐことくらいであった。

 当初はそれもそこそこ上手く行った。だが、捕獲の難しい獲物をどうするかを考えた場合の相手の動きは予想した通りだった。

 数体のモールモッドに追われ、自身の疲れも出て来た清治は、塀を乗り越えた先で待ち受けていた一体のモールモッドを視界に捉えて以降の記憶はない。あるのは、ほんの一瞬走った恐怖と冷たい痛みの感触だけだ。

 また、その記憶もボーダーに入隊した後に受けた治療とリハビリによってようやく取り戻すことができたものだったのである。

「身体的に言えば、右腕と左足を斬り落とされた。あと、頭も斬られたもんぢゃから、脳の一部も持っていかれたそうな。聞きゃあ、よぉ生きとったと思うレベルぢゃ。助けた方もよう見捨てなんだものぢゃ。ありがたいことに、な…」

 そのため、今の清治はトリオン体への換装を行わねば通常の生活を送ることもままならない。

「んで、両親も連中に殺された。そりゃぁ恨むな言う方が無理な話ぢゃ」

 やれやれと言った体でそう嘆息する清治。その仕草からは本当にネイバーに対する恨みを持っているようには見えなかった。

「わしは三輪っち… というのは先ほど遊真が戦った隊の隊長じゃが、彼ほど強くネイバーを恨むことはできんかった。正直意識を取り戻してからの方が大変だったのもあるし、遠征でネイバーフットに行って、現地の人間とも会ったのもある。悪い奴ばかりじゃなかった。ぢゃが…」

 それでもやはり、大侵攻を行ったネイバーを許すことはできないと言う。

「ま、はっきり言や、どこの誰がやったかなんてことは分からん。ただ、何としてもケリはつけにゃぁならんとは思うとる。それまでは… わしは死ねんのじゃて」

 焼き芋を食べ、火の始末を済ませた後、清治は空閑に言った。

「正直なところ、わしはまだお前さんを完全に信用したわけではない。ただ、ゆういっちゃんが『見た』と言う以上、それを信じることにする。だから、ゆういっちゃんだけは裏切らんでくれ」

「そんなつもりはないけど… ムサシマルさんは随分迅さんのことは信頼してるんだね」

「そうさ、な…」

 少し間をおいて清治は言った。

「ゆういっちゃんをはじめとしたボーダーの人らがおらんかったら、わしは生き残ったあとも生ける屍に等しい余生を送ったろう。そして、それもおそらく長くはなかったぢゃろうて。今のわしがあるのはその人らのおかげじゃ。とりわけゆういっちゃんは頼りになる。わしはあんにに頼ってばっかりじゃ」

 恥ずかしいから本人には言えんけどな。と笑うと、清治は去って行った。

 

「おっ。来た来た。オサムと迅さん」

 頃合いを見て市街地へと戻って来た二人は、本部から撤収してきた迅と三雲と合流した。

「オサムえらい人にしかられた?」

「いや… まあ叱られたけど、処分はひとまず保留になった」

「おー。そりゃよかった。一安心だな」

 三雲の立場だけを見ればそうかもしれなかったが、全体的にはそうも言ってはいられない状況だった。一応迅が上手く立ち回ってくれたものの、この後ボーダーが本腰を入れて空閑を捕らえにかかる可能性が非常に高い状況だ。油断はできない。

「いろいろ考えたけど、こういう場合はやっぱシンプルなやり方が一番だな」

 迅の言うシンプルなやり方とは、つまり空閑がボーダーに入るということだった。驚く一同に迅が言う。

「ウチの隊員はネイバーの世界に行ったことあるやつ多いから、おまえが()()()出身でも騒いだりはしないぞ。とりあえずお試しで来てみたらどうだ?」

 迅の言葉やここまでの流れなどを考えて、空閑は行ってみた方が良いと思った。ボーダーの内部のことは現時点では良くは分からないが、いずれにしても彼がこちらにやって来た目的を達成するためには、どうにか穏便にボーダーと接触しなければならないのは間違いない。

「オサムとチカもいっしょならいいよ」

「よし。決まりだな」

 3人の中学生を引き連れて移動する最中に迅は清治にメールを送る。

『んなわけでよろしく!』

 という文面だった。

「そう言えば、二人はどこにいたんだ?」

 何とはなしに三雲が聞いた。

「チカの隠れ家に連れてってもらったぞ。そしたら、そこに武蔵丸さんが来てちょっとびっくりした」

 空閑と雨取は、境内を掃除すると言う清治を手伝ったあと、焼き芋をごちそうになったことを話した。

「うまかったぞ。甘くてホクホクして。ちょっと塩を振るともっとうまいんだ」

 珍しく食い気味にそう言う空閑を見ながら迅が笑う。

「そんなら、今夜も楽しいかもしれないな」

 さて、迅からのメールを受け取った方は苦笑を浮かべたあと、商店街へと向かう。

「あらキヨくん久しぶりじゃないの」

 魚屋の前に通りかかった時に清治に声をかけて来たのは近所の主婦だ。

「これはこれは惣部さんとこの奥さん。相変わらずお綺麗で」

 こうして話をしながら、いつの間にか複数の知り合い(すべて主婦)たちと井戸端会議に花を咲かせる。清治は女子力も高いがオバハン力も高めなのである。

 ひとしきり話をしたあと、清治は目的のものを多めに購入する。明らかに一人分の量ではなかった。

「珍しいなキヨくん。客でも来るのかい?」

 この商店街の人々とは顔なじみで、お互い会えば軽口を叩いたりする仲である。彼らは清治が自炊をしていることは知っていたが、これほど多くの材料を買ったのは初めてだったため気になったのだ。

「いやぁ。ちょいと頼まれたんすよ」

 清治は明らかに一人分ではない量のバカガイ、それも砂抜きが済んでいるものを購入すると、八百屋で青ネギとショウガなどを購入した。

 一旦家に戻ると、買ってきたものを少し大きめのショルダーバッグに入れて出かけて行った。



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C05 デリバリーキッチン?

 迅に案内された三雲、空閑、雨取の3人は、元は河川の水質調査などを行う施設だったというボーダー玉狛支部へとやって来た。

 三雲は少し尻込みしていた。というのも、道すがら迅から聞いたこの支部についてのことがあるからだった。

 彼はボーダー隊員だ。そのため、ネイバーフットに出向く隊員がどういった存在なのかも他の二人よりも良く知っている。

――― やっぱりみんな腕利きなのか…?

 自分の身の程を良く知っている彼にとって、迅以外の腕利き隊員の存在はある種恐ろしかった。よく知らない人たちだというのもあるし三輪の例もある。

 迅の言葉を信じる限りはイキナリ空閑に襲いかかるということは無さそうだが、なんとなく不安だった。

 そんな彼は、のっけから度肝を抜かれる事になる。入るなり玄関で出迎えたのは、例のカピバラに乗った少年だった。

「しんいりか…」

 誰かいるかという迅の問いに対する、それが答えだった。当たり前だが答えにも何にもなっていない。

 そんな陽太郎に迅が軽いチョップを食らわせていると、奥からオペレーターの宇佐美が顔を出した。

 吹き抜け構造となっている玄関の二階に立つ彼女は何やら荷物を持っている。二階のどこかの部屋の片付けをしている最中らしかった。

「あれっ。え? 何? もしかしてお客さん!?」

 大慌てで対応の準備をする宇佐美。もっとも、この時彼女が準備した高級どらやきが後にちょっとした騒動を起こすことになるのだが、それはまた別の話である。

 空閑のどらやきを狙う陽太郎と、それを阻止する空閑。悔し涙を流す陽太郎に雨取が自分の分をすすめるなど、三雲からすればとてもボーダーの基地とは思えないゆるい空気が漂っている。先ほどまで本部会議室の肌がヒリつくほどに張り詰めた空気の中に身を置いていた彼にとってはとても信じられない。

「なんていくかここは、本部とは全然雰囲気が違いますね…」

 三雲の疑問は当然のことに思えるが、実際支部に所属している宇佐美はそうは思わないらしい。

「まあウチはスタッフ全員で10人しかいないちっちゃい基地だからねー。でも、はっきり言って強いよ」

 宇佐美の自身に満ちた言葉に三雲は居住まいを正す。

「ウチの防衛隊員は迅さん以外に3人しかいないけど、みんなA級レベルのデキる人だよ。玉狛支部は少数精鋭の実力派集団なのだ!」

 先の通り、三雲はA級隊員というものがボーダーにおいてどういった存在なのかを良く知っている。そして、宇佐美の言葉を信じるのであれば、ここに所属している隊員は全員A級以上の強者ばかりだということになる。無論オペレーターの宇佐美も含めてである。すごい支部だとしか言いようがなかった。

「あの…」

 メガネ人口を増やそうと三雲を勧誘している宇佐美に雨取がおずおずと質問した。

「宇佐美さんも()()()の世界に行ったことがあるんですか?」

「うんあるよ。1回だけだけど」

 この時点でやはり宇佐美がA級のオペレーターであることがはっきりした。それにしても、『1回だけ』ということは、複数回行ったことのある隊員もいるということになる。

 さらに雨取は、ネイバーフットに行くことのできる隊員がどのように選ばれているのかと質問した。どうしてこれほど興味、というよりはむしろ執着があるのだろうと三雲が驚いているそばで、さして気にしている様子もなく宇佐美が説明する。

「それはねー。A級隊員の中から選抜試験で選ぶんだよね。大体は部隊(チーム)単位で選ばれるから、アタシもくっついて行けたんだけど」

「A級隊員… ってやっぱりすごいんですよね…」

 少しうつむいて雨取が聞くともなしに言う。

「400人のC級、100人のB級のさらに上だからね。そりゃツワモノ揃いだよ」

 宇佐美の言葉を聞きながら、三雲はある疑念に囚われていた。

――― 千佳のやつ… まさか()()()の世界に…?

 ここに3人を案内してきた迅がふらりとリビングに戻って来たのはその時だった。

「よう。3人とも。親御さんに連絡して、今日は玉狛(ウチ)に泊まってけ。ここなら本部の人も追ってこないし、空き部屋もたくさんある」

 この時迅は言わなかったが、ここには『何故か』清治の私物が置いてある部屋もある。ぼんち揚げで埋め尽くされている迅の部屋とは違い、意外に整理されているその部屋に置いてあるのはけっこうな量のうまい棒、エレキギターとその音をモニタリングするためのヘッドフォンアンプである。

 エレキギターは見る人が見れば非常に価値の高いものであることがひと目でわかるものばかりで、実際清治は非番の日にヒマなときはせっせとここにやって来てギターの手入れをしている。

 

 それぞれが泊まる部屋を決めると、三雲たち3人は夕飯を作るという宇佐美の手伝いをすることにした。

 3人はお客なのだからその必要はないと宇佐美は言ったが、三雲と雨取は性格上世話になるばかりというのは何となく気がさすのだ。空閑はそこまでは思わないが、2人が手伝うなら自分もそうしようかと思ったのである。

「夕飯はいつも、非番の隊員が当番制で作ってるの。今日は昨日のカレーの残りで済ませようと思ってたんだけど…」

 言いつつ宇佐美は鍋の中を覗いてみたが、当然ながら以前見た時より量が増えているということはなかった。今日の人数を考えれば心もとない。

「この人数じゃちょっと厳しいわね。これは明日に取っておくとして…」

 水回り周辺に根菜類を置いていないか確認してみたが見当たらず、冷蔵庫の中も壊滅的な状況だった。

「キャベツときゅうりだけ… メインになる食材がない…」

 絶句する宇佐美に陽太郎が言い放つ。

「おれにまかせろ」

 意気揚々と釣りの準備を始める陽太郎。どうやら表の川で今夜の夕食をゲットするつもりのようだ。

「なるほど。釣りか」

 屋外での戦闘経験も豊富な空閑からすれば納得できる判断だ。釣り糸を垂れる陽太郎に宇佐美が窓から声をかける。

「頼んだわよ陽太郎。最低でも人数分はよろしくね」

 そこそこ無茶な要求に思えるが、陽太郎は否とも応とも言わない。どうやらハナからそのつもりでいるらしい。

 陽太郎と共に表に出た空閑はそのまま残って陽太郎の様子を見つめている。

「お前は戻らないのか?」

「釣りなら俺も得意だ。あっちでも良く大物を釣ってた」

 空閑のこの言葉は、陽太郎の内なる釣り人魂をくすぐるには十二分であった。

「… 俺と、勝負するか?」

「面白い。負けても泣くなよ」

「お前が買ったららいじんまる触りほうだいだ」

「あんまりうれしくないなそれ… 」

 当の雷神丸はため息をつくかのごとく大きく息を吐いた。感情の動きはまるで人間のようである。

 一方、キッチンでは宇佐美、三雲、雨取が主菜以外の料理に取り掛かる。

「それじゃあこっちは、サラダを作って、ごはんを炊いて… 修くん。お米研げる?」

「あ、はい」

 宇佐美の問いにエプロンのひもを結びながら三雲が応える。

「じゃあ千佳ちゃんはお皿の準備手伝って」

「はい」

 雨取は移動する前に三雲に声をかける。

「ボーダーのスーツ姿より似合ってるかも」

 三雲としては苦笑するしかない。彼女としては褒めたつもりなのかもしれないが、三雲の年齢の男子にはそうは受け取れないだろう。

 雨取の言葉に苦笑しつつ

「ここは… 本当にボーダーの基地なのか…?」

 三雲は心底疑問に思った。

 

 空閑と陽太郎が釣りを始めた頃は周囲を淡いオレンジ色に染めていた夕日は、今はすっかり姿を隠してしまった。周囲は夜の帳へすっぽりと覆われ、光るものと言えば空に寒々と輝く上弦の月のみだ。

 三門市内とはいえここは郊外と言って良く、また警戒区域にほど近いため民家の明かりは届きにくい。そのため、月明かり以外に見える光は殆ど無く、あるとすれば建物の窓から見える明かりのみだった。

 釣果と言えばさっぱりだった。釣れていないというのもあるが、アタリすら来ないのである。年齢にしては小柄な空閑と子供の陽太郎が並んで座っているさまはかわいらしいが、いささか尻が冷たくなってきている。

 聞こえるのは風と流れの音だけだ。基地の中からは物音も聞こえない。もっとも、聞こえてくるような事態は穏やかではないが。反して川の流れは下流で川幅が広いために実に穏やかだ。静かな冬の夜と言って良いだろう。

 ふと、陽太郎の竿が大きくしなる。何かがかかったのだ。

「ふん!」

 気合とともに意気揚々と釣り上げる陽太郎。だが、釣れたのは残念なほどに小さなギンブナの稚魚だ。

「それじゃ食べるところがないな」

「ほんの小手調べだ。でっかくなって帰ってくるのだ!」

 言うや獲物を放つと再び釣り糸を垂らす。そして、再び二人を沈黙と夜闇が包み込むのだった。

 ほどなく空閑の竿にあたりがくる。先ほどの陽太郎の時と比べると竿のしなりが大きい。

「あ!」

 釣れたのはオオキンブナと思われる大きな魚だった。なかなか調理のしがいがありそうなサイズである。陽太郎は驚愕し、ついでくやそうにはぎしりする。

 もっとも、その場に清治がいればその獲物をすぐに夕飯の材料にするのはすすめなかっただろう。川の下流で水質の問題もあるし、できれば一晩は真水で生かしておき、翌晩の食卓に上げる方が良いかもしれなかった。

 だが、実際にはそのギンブナが食卓に上がることはなかった。

「悪いなちびすけ」

「甘いな! その程度ではまだ勝ったとは言えないぞ。ふん!」

 二人のやり取りを尻目に、雷神丸が二度目のため息を吹き出す。

 バケツに獲物を入れ、再び釣りを再開する二人。しかし、このあとなかなかアタリが来なかった。

 どれくらい時が過ぎただろうか… さすがに時間的にもそろそろ切り上げ時だと空閑が思い始めたころ、陽太郎の竿に再びアタリがあった。かなりの大物のようで竿のしなりが半端ではない。

「きたー!! こいつぁでかいぜ…!」

 勝利を確信した陽太郎は釣り上げようとするが、今回の獲物は本当の大物のようだ。苦戦は必至である。

 隣に座っていた空閑が手を貸す。彼にしても、勝負の結果はともかく夕飯の満足度がこの釣果にかかっているのだから当然のことと言えた。

「助けはいらない」

 男前なセリフを吐く陽太郎に空閑が応える。

「安心しろ。手柄はお前のものだ」

 男の友情を確認した二人は、協力して大物を釣り上げた。釣れたのは… 数日前にたっぷり見たため、既にお腹いっぱいと言いたくなるような改造型ラッドだった。しかも、ご丁寧に釣り上げた陽太郎の顔めがけて一直線に飛んでくる。

「ぎゃぁ〜〜〜!?」

 驚いた陽太郎は、思わず竿を握っていた竿を放してしまった。いっしょに持っていた空閑は、突然陽太郎の負荷が無くなってしまったためにバランスを崩して転んでしまった。

 不運なことに空閑は、転んだ拍子にバケツにぶつかってしまった。バケツはひっくり返り、獲物が逃げるのは当然のことだった。

「でっかくなって帰ってこい…」

 逃した魚は大きかったという言葉の通り、結局以降は何も釣れず。傷心の二人はラッドを持ってとぼとぼと基地に引き上げるのだった。

 

 キッチンではまな板の上にくだんのラッドが鎮座している。いささかシュールだ。

「すまん。獲物はこれだけだ」

「おれのせきにんだ。ヤツに罪はない」

 交互に釣果について詫びる二人をよそに、三雲は獲物を見て驚愕している。

「こ、こいつは…!」

 彼にしても先日、ウンザリするほど見てきたシロモノである。

「大丈夫だ。すでに活動は停止してる。この前の殲滅作戦のときの残骸だ」

 空閑の言葉に安堵しつつも、だからといってこれをどうしろと言うのかと三雲が考えていると

「よ〜し! それじゃあ私が腕にヨリをかけて!」

まさかの宇佐美の言葉だ。三雲と雨取でなくても驚くことだろう。

「た、食べられるんですか!?」

「あはは… 冗談に決まってるでしょ。でもどうしよう」

 さすがに冗談ではあるが、夕飯の献立が手詰まりなのは冗談ではなかった。頬に手を当てて考えこむ宇佐美。清治が見ればかわいいと言うことだろう。

「あの、ごはんにカレーの残りをまぜて炒めて、カレーピラフにするのはどうですか?」

 鍋の方を指差しながら雨取が言う。

「ああ〜! それいいかも!」

 この上ない名案だった。翌朝の朝食の分が無くなってしまうが、それこそ冷蔵庫にあったキャベツときゅうりを使ってサラダでも作れば良いのである。

 早速取り掛かろうとして宇佐美は絶句した。彼女の視線の先にあったのは、鍋を貪る雷神丸の姿である。カピバラはカレーを食べても問題がないのだろうか?

 みるみるなくなっていくカレーを呆然と見守る一同。ほどなくして鍋は文字通り空っぽになってしまった。

「二日目のカレーはらいじんまるの好物の1つだ」

「ははは…」

 陽太郎の言葉に乾いた笑いで応える宇佐美。これでほぼ完全に夕飯が無くなってしまった。

「どうしよう…」

 宇佐美がため息をつきながらそう言うのと、彼女の端末に基地の入り口のドアが開いたという通報が入ったのはほぼ同時だった。

「こんな時間にお客…?」

 不審に思いながらも端末を確認する宇佐美。反応は玄関で止まっている。どうやら侵入者の類ではないようだ。

「誰だろう…?」

 彼女の疑問はもっともだった。このシステムには支部のメンバー全員の生態反応が記録されている。そのため、隊員が基地に入ってきても誰が入ってきたのかがわかる仕組みになっている。

 玄関にある『来客』の光点にはUnknownと表示されている。こんな時間帯にこう表示される来客と言えば、知っている人物であればおそらく…

「ちわ〜っす。『デリバリーキッチン・ムサ』で〜す。ご用命の調理にうかがいました!」

 玄関にいたのは、宇佐美の予想通りの人物だった。

「ご用命?」

 宇佐美に限らず、玉狛支部の人間であれば清治が料理上手であることは知っている。だが、依頼を出した覚えは宇佐美にはなかったし聞いてもいなかった。

「ああ。それ俺」

 今までどこにいたのか、2階から迅が降りてきた。

「迅さんが?」

「ああ。宇佐美の料理が完成しないと、俺のサイド・エフェクトが教えてくれたんでな」

「それなら早く言って…」

 がっくりとうなだれる宇佐美をなぐさめつつ、清治はキッチンに向かうと驚くべき手際で調理を開始するのだった。

 夕飯は深川めしだった。近年はアサリを使うことが多いのだが、清治が持ってきた貝はアサリではなくバカガイである。

「そう手のこんだもんぢゃなぁけぇ、すぐに食えるで」

「そりゃいいや。なんせ腹ぺこだからね」

 手早くささがきにしたごぼうを長ネギ、生姜といっしょにフライパンに雑に放り込み、水と酒を少々加えて火を入れる清治の横で、さもうまそうなものを見るように見つめる迅。ただ、残念ながらつまみ食いできそうなものはなかった。

 ほどよくごぼうに火が通った頃合いをみて、醤油と砂糖、みりんを少量いれ、ゆっくりと砂糖を溶かしていく。

「調味料少なくない?」

 そう問う宇佐美に

「このくらいでえぇ。入れすぎると煮詰まった時に味が濃くなりすぎるけぇの。ところで…」

質問に答えつつ、今度は清治が質問する。

「飯は炊けとるん?」

「しまった!!」

 言うや、大急ぎで米を研ぎはじめる宇佐美。

「やれやれ…」

 苦笑しつつ、清治は実はちょうどよいとも思っていた。このあとアサリを入れてアルコールを飛ばす程度に煮立たせたあと、煮含めるためにしばらく放置する方が味が良くなるからである。

 今から米を炊けば、急速炊飯でもおよそ30分ほどはかかるはずだ。米が炊けたころに再び温めなおし、味見をして必要なら醤油などで味を整えれば完成である。

 出来上がったものはそのまま汁物のように食べても良いし、清治や迅の好みのように炊きたての白米に思い切り掛けて食べるのも良い。

 支部長の林藤は本部にいて、こちらに戻るまでに夕食は済ませてくるだろうから、残ったものを置いておいてそれを肴に一杯引っ掛けるのも良いだろう。

 夕飯は楽しい物になった。清治渾身の深川めしをそれぞれが思い思いの食べ方で楽しみながら会話もはずむ。実に和やかな食卓の風景である。

「ボーダー基地っぽくないけど、これはこれでありかもしれないな…」

 ここに来た時から感じていた違和感にようやく三雲がなじんだ瞬間だった。

 食事がそろそろ終わろうという頃になって迅の電話の着信音が響く。相手と二三言ほど会話をした後に電話を切る。

「間もなくウチのボスが帰ってくる。遊真とメガネくん。ボスがお前たちに会いたいそうだ」




ちょいとアニメのエピソードを入れてみました(^^;
アニメ見ない派だった人にも面白がってもらえたら幸いです。


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C06 迅と清治

本来は明日アップの予定でしたが、諸々の事情で今日アップします。
また、これまで月2のアップを心がけてきましたが、今後は月1以下になるやもしれません。
ここに投稿されている人は若い人が多く、テストだったり部活だったり色々忙しいと思います。
が、わしはおっさんなのです。おっさんにも色々忙しいことがあるのですょ(´;ω;`)


 空閑が最上との『邂逅』を果たし、林藤からの入隊要請に答えているころ、食事が終わったリビングでは宇佐美と雨取、清治が話をしていた。雨取がボーダーへの入隊を希望しているのだ。

「… 気持ちはわからんでもなぁが、正直おすすめはできんの」

 清治がいつにない真面目な表情、口調でそう言う。

「え〜。アタシ的には大歓迎なんだけどなぁ」

 宇佐美は清治とは反対に雨取の考えに肯定的だった。

「いや、入隊すること自体は個人の自由ぢゃから何とも言えんが… おチカちゃんは2つの理由で『戦い』に向いてないとわしは思う」

 清治はひと呼吸おくと、彼の雨取に対する所感を述べ始めた。

「まず第一に、おチカちゃんは優しすぎる。例えそうしなければならん状況にあっても相手を直接斬ったり撃ったりはできんぢゃろ」

 雨取がうつむく。確かに、彼女は自分のことで人を巻き込むことを恐るような人柄だ。そんな彼女が敵とはいえ相手を攻撃する姿なぞ想像もできない。

「第二に、わしとしてはこちらの方が問題ぢゃと思うのぢゃが、おチカちゃんは自分が逃げにゃぁならん状況でも他人がピンチぢゃったら、自分ぢゃのぉて、そんにを優先するぢゃろ。自分を平気で捨て駒にするモンと戦場に立つのは、同じ防衛隊員としては御免被りたいの」

 これもまた当を得ていた。彼女はまさにそうした考えから、これまでボーダーにすらも自らの保護を求めずに一人で逃げまわっていたのだ。

「う〜ん… でもさ。そういうことなら、修くんも同じようなタイプじゃん」

 宇佐美の発言もまた、当を得ていた。清治や雨取から、三雲がどのような人間なのかをうっすら聞いていた宇佐美らしい意見だった。

「イタいところをついてくるなしおりん。ま、確かにその通りぢゃ。ぢゃけぇ、わしとしてはチョイとうまく逃げまわる方法をメガネくんに教えたつもりなんぢゃが、ね」

「そんなら、千佳ちゃんもムサさんが教えてあげればいいじゃない」

 言われて、今度は清治がうつむく。もしかして、自分に教えるのは嫌なのだろうかと、雨取は心配そうに清治を見る。

「… それ、画的にヤバくね?」

「は?」

 意外な言葉に、宇佐美と雨取は異口同音に同じセリフを口にして清治を見る。

「いや、だからさ。わしこんなナリぢゃん。おチカちゃんに色々教えよったら、傍から見とる人に通報されたりせんかね?」

 そんなことを気にしていたのか。といった感じで宇佐美が額に手を当てながら軽くため息をつく。

「ムサさん。そんな画的なことよりも、むしろいつものムサさんのセクハラの方がよっぽど問題だと思うよ」

「え?」

 雨取が驚いたような声を上げ、目を丸くして清治を見る。

「千佳ちゃんも気をつけた方がいいよ〜。高校生以上のボーダー所属の女子で、この人に胸触られたことない人なんていないから」

「あ。それ言わんといて恥ずかしい」

 珍しく狼狽する清治の姿に気をよくしたのか、宇佐美がさらにまくしたてる。

「恥ずかしいのは触られる方。まったく。千佳ちゃんも気をつけてね。って千佳ちゃんはまだ中学生か」

 かくして清治の悪行のいくつかが宇佐美によって暴露されている頃、迅に自分の生い立ちの話をしていた空閑が今度は迅の話を聞きたがった。

「今度は迅さんの話を聞かせてよ。武蔵丸さんとのこととかさ」

「ムサさんとの話か…」

 

 先の大侵攻から1年半ほど経過したある日のことだった。

 迅とひとつ年上のライバル、太刀川との競り合いがようやく五分になって来たこの時期に、忍田から一人の少年を紹介された。

 その人物に対する迅の第一印象は『異様』だった。彼がそれまで出会った人たちとは完全に異質な存在だと感じたのである。

 自分をまっすぐ見つめる彼はまったく瞬きをしない。生身であればありえないことだった。生身であれば、瞬きをしなければ眼球がすぐに乾いてしまう。つまり、目の前にいる人物は平常時であるにもかかわらずトリオン体に換装しているということになる。

 さらに、最も印象的だったのは彼の纏う『気配』だった。有り体に言えば気配を感じることができないのである。

 迅は師である最上 宗一の薫陶を受け、徹底的に鍛え上げられた戦士だ。そんな戦士である彼をして、目の前の人物の気配を感じることができないのである。そう。それはまるで目の前に『いない』かのように。

 こうした完全に異質な雰囲気を持っている相手に対して、さしもの迅もいつもの通り接することができずに戸惑ってしまっていた。

 ふと、相手が懐から何かを取り出す。

「うまい棒食う?」

 この時、差し出されたうまい棒を戸惑いつつも受け取ったのが、迅と清治の出会いであった。

 二人はすぐに親しくなった。互いに好物のぼんち揚げとうまい棒をやり取りし、古流剣術の使い手でもある清治が、あえて弧月を使って『仮想太刀川』を演じて迅の訓練に付き合ったり。

 親しくなっていく過程で迅は清治がボーダーに入隊した経緯を知ったり、(この時初めて彼がS級であることを知った)最上の黒トリガー化による争奪戦があったりしたが、二人はずっと親しい交流を続けて来たのである。

「ただな。一回だけけっこうマジな仲違いをしたことがあったんだよ」

 まだ迅がA級隊員であり、S級の清治と二人で一部隊として、太刀川の部隊と当時の風間隊(オペレーターは宇佐美だった)、現在はB級中位の柿崎隊の隊長を務める柿崎が所属していた頃の嵐山隊が遠征隊としてネイバーフットに出向いていた。

 訪れた国はダソスと言い、到来したボーダー遠征隊と友好関係を築いた。彼らは遠征隊に自分たちのテクノロジーを提供する一方で、ボーダーの複数のトリガーを使用する技術に深い興味を抱いた。

 というのも、彼らは国境を接するレオフォリオという国から侵略を受けており、散発的な戦闘が国境地帯で頻発していたのである。

 厄介なことに、レオフォリオはその頃、イルガーに似た航空タイプのトリオン兵の開発にある程度成功しているらしく、それを使って空から別のトリオン兵を直接ダソスの都市に降下させて攻撃を仕掛けてくることもあると言う。

 そこで、太刀川、風間両隊はダソスの首都防衛に手を貸し、迅と清治、嵐山隊が国境にある砦の援軍に向かうことになった。

 援軍と言っても、実際は砦に駐留する部隊の撤退戦の手伝いだった。敵の攻勢に加えて老朽化していた砦では戦線を支えることは不可能であった。そのため、後方に新たな砦を設営し、部隊をそこまで引かせるのが目的であった。

 清治が立案した基本戦略は、まず一戦して敵を動揺させ、しかる後に撤退を開始するというものだった。撤退の方法についても細かく考えられており、後にこの戦いで追撃を行ったレオフォリオの司令官が

「これは… 戦術の教科書に掲載すべき、手本のような見事な撤退戦だ」

と述べたほどのシロモノだった。

 さて、新造の砦まで全線を引き下げることに成功こそしたものの、数に劣る味方の部隊、しかも長くロートル砦で守備を続けていたために士気が低下している隊を率いて戦いを継続させることは困難なことだった。

 そこで、砦の守将であるエリオットは、ダソスにおける最初の戦闘で活躍したミデンの戦士の1人である迅に実戦部隊の指揮を任せ、嵐山が別働隊を率いて敵部隊を攻撃する作戦を取ることにした。

 これには少々不幸な偶然が重なった。本来であれば別働隊である嵐山隊と清治の部隊が敵の本隊と一戦し、当然勝ち目はないのでさも慌てる態で撤退。敵本隊を別働隊から引き離すといったものだった。

 だが、迅率いる本隊の進撃線上にたまたま敵の本隊がいたのである。この遭遇戦はただの偶然であったが、迅は素早く別働隊に連絡を取るように指示し、自らはまさに獅子奮迅の活躍で戦線を支えたのである。

 だが、いかに迅が奮戦しようとも多勢に無勢。じりじりと包囲されはじめたのであった。

 本隊からの救援要請を受けた嵐山率いる別働隊は、しかし本隊の救援には向かわなかった。清治が反対したのである。

「ここは敢えて敵の別働隊ではなく補給部隊を襲う」

 清治は敵の補給部隊を壊滅させてその情報を敵に流すことで、兵糧攻めを恐れた敵が撤退すると進言したのである。

「だが、それだと本隊はどうする?」

「ゆういっちゃんがおる。持たんということはあるまいて」

 親友のことを心配しないわけがない。だが、清治は迅を信頼していたのだ。大丈夫だ。迅であれば必ず切り抜けてくれると。

 この作戦は成功したが、本隊にも別働隊にもかなり深刻な被害が出た。戦闘が終了して砦に帰投した後、迅は今回の作戦について清治を問い詰め、清治も特に申し開きのようまことは言わず、むしろ被害が出ることもやむを得ないと発言したために殴り合いの喧嘩になったのである。

 その場は嵐山と柿崎のおかげで収まったものの、以降は遠征隊が帰還する直前まで全く二人は口をきかなかった。

 遠征隊の引き上げが近づいて来たことを受け、ダソスは嵐山に率いられていた砦の防衛部隊を、本国で休養していた部隊と交代させようとした。だが、新しい砦を持ってしてもレオフォリオ軍の攻勢を凌ぐのは難しく、砦はすっかり包囲されていた。

 ある夜、それまで絶交状態だった清治が何の前触れもなくぶらりと迅の元を訪ねてきた。

「包囲してる連中を引かせるから、ゆういっちゃんの指揮で砦からずらかってくれ」

 以前と全く変わらない、飄々とした態度でそう言う清治に対し、迅は普段人には見せない険悪な笑みを浮かべた。

「また効率優先で人命はどうでも良い作戦なんだろ?」

 珍しく毒づく迅を、清治はしばらく興味深げに見つめたあと

「ほうぢゃね。ま、今回は敵に突入すんのわしだけじゃし」

と事もなげに言い放った。

「細かい話はカッキーやじゅんじゅんと詰めてくれ。二人にゃもう話してある。撤退を開始するんは夜中ぢゃけぇ、じゅんじゅんらと話したらとっとと寝た方がえぇで」

 驚く迅を置いて清治は去って行った。

 砦内の作戦室には、エリオットと嵐山・柿崎が迅を待っていた。

「先程武蔵丸から話は聞いたが、本当に可能なのか?」

 迅に声をかけてきたのはエリオットだった。ダソスの驍将とも言われるこの人物は、軍事的才幹こそ平凡だがどのような場面でも冷静な対応をすることができ、誰もが浮き足立っている状況にあっても堅実かつ的確な作戦指示を下すことができる。

 勝利ではなく防衛を主目的とするこの砦を守るにはうってつけの人物だった。やや細身の体つきはどこか頼りなく見えなくもないが、若いころはきっと女性に人気があったであろう端正な顔立ちと、上品な扇型の鼻ひげといった容貌は、軍服を纏えば高級軍人とした毅然とした印象を。宮廷服に身を包めば上級貴族の気品を感じさせる人物である。

「俺は詳しい話は聞いてないけど」

 やや憮然とした表情でそう応える迅に嵐山は苦笑した。

「まだ怒ってるんだな」

「当たり前だ!」

 珍しく声を荒らげた迅にエリオットは驚いた。彼は戦場では苛烈な将官だが、普段は極めて温厚な紳士である。

 場の雰囲気がどことなく重く、悪くなってきたのを感じた柿崎は、言うのを一旦躊躇したが、やはり迅に言うべきだと考えていたことを口にした。

「なあ迅。ムサさんはあの決定を嵐山に進言した後、俺に言ってたんだ。もしお前が敵本隊との遭遇って未来を『読み逃して』いたんなら、今回の損害はこうした進言をした自分に責任があるって」

 柿崎の言葉に迅はハッとなった。確かに、彼のサイド・エフェクトにはあの遭遇戦は『見えて』いなかった。

 敵はともかく、味方の未来を『読み逃した』のだ。彼の感覚からすれば、それは『自分の責任』である。

 清治は柿崎に言ったのだ。

「カッキー。ゆういっちゃんは自分のせいでないことでも自分の責任として背負い込んでしまう。仮にこのままわしらが救援に向かったら、多分わしの進言通りに動いた場合と損害の規模はそう変わらんぢゃろう。そんならその責任、わしがまとめて引き受けよう。ま、知っててやるってのはなかなか非人道的かもしれんが、ね」

 この時、迅は初めて自分が清治に対してでなく、起こってしまった『出来事』とそれを防ぐことができなかった自分に対して腹を立てていることを知ったのだった。

「その日の夜、ムサさんが一人で敵の中に入り込んで何かしたんだ。破壊工作だって言ってたけど、結局何をやってたのかは分からず終いだったな」

 迅は知らないことだが、実はダソスには『灰色幽霊(グレイゴースト)』と呼ばれる伝説があった。ダソスの森に棲む魔物で、ダソスの人間を襲うことはないが他国の人間が夜の森に入ると現れ、『死の沼』にその人間を引き入れてしまうというものだ。

 また、その姿を目にした者はダソスの者であっても同じような運命をたどるという。

 よくある子供が夜遅くまで起きていることを戒めるタイプの童話で、ダソスだけでなく周辺の国にも伝わっていた。清治はこれを利用したのだ。

 カメレオンを巧妙に駆使して、哨戒に出ている敵兵を一人ずつ消していく。兵が帰って来ないことに気づいた哨戒部隊はさらに警戒を強める。周囲への警戒を強めるということは前哨地の警戒が薄くなるということだ。

 これを、敢えて周囲に警戒に出た兵士が戻って来そうなタイミングで襲う。騒ぎを聞きつけて戻ってきた兵士は、般若の面をつけた清治が虚空へ姿を消す態を目撃することになる。

 こうした襲撃を、包囲する敵の外周の小さな部隊に次々に仕掛ける。当然ながら恐怖とともにそうした情報が敵に伝播していくことになった。

 そうした中で、ダソスの民話を耳にしたことのある兵士が『灰色幽霊(グレイゴースト)』のことを口の端に登らせる。こうして姿が見え隠れする敵に対して恐慌をきたしたのである。

 こうして、圧倒的優位な状況にありながらたった一人の奇策によって、目の前の敵をほぼ無傷のまま見送ってしまったレオフォリオは、本国がダソスから遠ざかるのを潮に侵攻を取りやめたのであった。

 遠征隊はその前後に三門市へと帰還。迅が『風刃』を得てS級となったのは遠征から帰還してすぐのことである。

 この時迅はあえて空閑に話さなかったが、この話には実はもう1つエピソードがあった。実際に遠征隊がダソスを離れる前日のことである。

「それが最善と思っていることであっても、自分の考えで『誰か』が犠牲になるのを目の当たりにするのは、知っていてやってたとしても辛いもんぢゃね。いやはや。ゆういっちゃんはこんなことをずっとやっとったんじゃなぁ」

 労るような優しい口調で言った清治の言葉に迅は涙を流した。報われたと思ったわけではないし、当然悲しかったわけでもなかった。嬉しいというのとも少し違った。ただ、理解してくれる人がいた。それも身近に。

 この時迅は誓った。例えどのような結果が待っているにせよ、この人を裏切るようなことだけは絶対にすまいと。

 また、清治もこの時誓った。例え自分の意に反するものであったとしても、迅の信じる『最善』を、自分もまた信じることを。

 この事は互いに相手に伝えたわけではなかった。また、そんなことをする必要もなかった。

 以来、二人は自らの誓いを忠実に守りつつ付き合いを続けているのである。




評価・感想・誤字脱字の指摘(笑)お待ちしています。4649!

追記です。レオフォリオはともかく、ダソスは原作には登場していない国です。いわゆるオリジナル。
おっさんの記憶が正しければ、確かギリシャ語で「森」って意味だったはず。
また、文中に登場するレオフォリオの空飛ぶトリオン兵もオリジナルです。
ムサさんによれば、モナカのお化けだそうです。
さらに、最上が黒トリガーになった時期や旧嵐山隊の遠征参加はおっさんの妄想です。個人的に嵐山と柿崎は気に入りのキャラなもんで(^^


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C07 アナコンダとハゲ

お気に入り登録者が非公開も含めて3桁に乗りました。ありがとうございます。これからも適度にがんばります(^^;


 空閑が三雲と雨取に誘われてボーダーに入隊することを承諾したころ、清治は一人キッチンにいた。

 夕食の後片付けをしているのだ。洗い物は宇佐美と一緒にやってしまったが、自宅から持ち出した調味料などがいくつかある。

 今日使ったものの中にはそろそろ無くなりそうなものがあった。補充しなければならない。

 ふと顔を上げると、いつの間にやら迅がキッチンに入ってきていた。普段と同じ、人によってはどこかふてぶてしく感じる笑みを浮かべている。

「何か用きゃ?」

 普段のように軽い口調でそう尋ねる清治だが、用向きがどうやら少々重そうだということは薄々気が付いていた。

 普段のように軽く声をかけてくるのではなく、こちらの様子をうかがうかのような態度を迅が清治に示すときは、だいたい何か面倒なことに彼を巻き込もうとしている時の彼の癖である。

「もう帰るのムサさん」

 一応はそう聞いて来るが、この後仮に清治に何か予定があっても、とりあえず面倒ごとを押し付けるつもり満々の聞き方だ。

「おお。この後諏訪っちさんトコに行く予定なんじゃ」

 清治も当たり障りなく答える。答えつつ、今日のこの予定はキャンセルだなとも考えていた。

 以前にも述べたが、清治は麻雀は壊滅的に下手だ。にも拘わらず諏訪隊主催の麻雀大会に何度も参加しているのは、つまりは諏訪隊の面々と遊びたいだけなのである。

 遊ぶネタが麻雀だからやっているだけで、清治本人は勝敗自体はどうなろうと構わない。

 そして、いつも(主に堤に)巻き上げられているのであった。

「悪いんだけどさ。その前に支部長室に来てくれないかな。ウチのボスがムサさんに頼みたいことがあるんだって」

 玉狛支部の支部長である林藤の名前を出してはいるが、結局それも林藤が迅の話を聞いて決めたことなのだろうことは想像に難くない。 

 やれやれといった態で肩をすくめると、清治はここを片付けてから行くと言った。

 清治が戦闘隊員として所属する鈴鳴支部にしてもそうだが、支部長室という部屋には様々な資料が置いてある。

 ボーダーの活動規定に関することや、民間との折衝の際のマニュアル、非常事態時の一般職員の行動規範などが置いてあり、玉狛支部も無論同じようなものである。

 にもかかわらず、そこがボーダー支部の支部長室ではなく、場末の三流ゴシップ雑誌の編集長室のように思えてしまうのは、林藤の醸す独特の雰囲気のせいかもしれなかった。

 それが良いわけではないのだが、それでなくても支部のトップの執務室と言えば、どのような人間にも無条件にプレッシャーを与えるものだ。

 そうしたものがないのは、ここの支部のある意味特色のようなものかもしれなかった。

「よく来たな。まあ楽にしてくれ」

 普段の通り飄々とした口調で林藤が清治に言う。この部屋にいる三人は、ボーダー本部の人間が見れば、人を食ったような連中ランキングのTOP3と言える人物だった。

 まあ、普段からそうかしこまった態度を示すわけでもない清治にとって、楽にしろと言われても苦笑するしかなかった。

「んで話ってなんすか? 染川町の新しいキャバクラのこと?」

 絶対にそうではないことを知りつつもそういう清治の言葉に、林藤はくいついた。

「お前もう行ったのか? どうだったよおい」

 話の主題とは1mmも関係の無い新しいキャバクラの話をひとしきりし終えると、ようやく話が本題に入る。

「本部のトップチームの連中が、遊真の黒トリガーを奪いに来るんだそうだ」

 さもありなんと思えなくもない話だったが、それでも清治は驚かずにはいられなかった。本部としては黒トリガーの確保のために手段を択ばないということなのだろう。

「ぢゃが、それじゃあやってることは強盗でっせ。あの人ら、顔だけぢゃのぉてホンマの悪人になるつもりなんですかね?」

 普段とは違う、ひどく抑揚のない声で清治が言う。

「お前さんに言うまでもないことだが、そんだけ黒トリガーがエラいシロモノだってことさ。だがな。これだけはどうしても渡すわけにはいかないらしいんだ。なあ迅?」

 林藤にうながされ、迅が空閑の黒トリガーについて説明を始める。

 話の最初は面白そうな顔をしていた清治だが、やがてその表情を改めた。珍しく真剣な顔をして迅の話を聞いていたが、話が終わると突然気がふれたかのように笑い始めた。

 朗々と響く笑い声には心底楽しそうな響きがあったが、その響きの中に何か不吉な毒のようなものが含まれていることは同じ部屋にいる林藤と迅にははっきりと分かった。

 ひとしきり笑ったあと、清治は呼吸を整えると顔を上げた。

「さて… で、わしはどいつを狩ればえぇ?」

 正面から見据える林藤がたじろぐほどの暗い目のまま、笑顔で清治はそう言った。

 

 結局その日は諏訪隊の隊室に行かいことにした清治は玉狛支部に(なぜか)ある『自室』に泊まり、翌日朝から行われる新人に対するレクチャーに付き合うことになった。

 早速宇佐美がこれからのことについて三雲らにレクチャーを行う。

 既にボーダーの入隊し、正規隊員となっている三雲は良しとして、空閑と雨取にはボーダーの戦闘員としてのイロハを教え込む必要があるのだ。また、三雲にしても知らないこともあるだろう。

 まじめくさって宇佐美が説明する。迅は傍らに控えて補足をする役回りである。清治はと言えば、途中で要らないチャチャを入れる役だ。役と言って良いのだろうか。

 ランク戦の説明をひとしきりしたあとは、雨取のポジションの話になった。

 空閑は雨取は戦闘員になるべきだと主張した。先日の旧弓手町駅で測定した彼女のトリオン量を踏まえてのことである。

 規格外と言っても良いそれを活かすためには、オペレーターよりも戦闘員になる方が良いのは間違いなかった。

 空閑がそう言った時、宇佐美と雨取が清治の方を見た。当然昨夜の清治とのやり取りを思い出してのことである。

「? なんね?」

 まるで昨夜の自分の発言など全く覚えていないかのようにそう言う清治に、宇佐美は少し拍子抜けした。

「いや、ムサさん昨日は千佳ちゃんは戦闘に向いてない的なこと言ってたじゃん」

 それぞれの表情で自分を見る一同に苦笑しながら清治は答えた。

「まあ、そもそも入隊そのものがどうかと思うが… もう入ってもうた以上、今更どうこう言うもんでもなぁ。それに、おチカちゃんの希望を叶えるためにゃ、ユーマの言う通りオペ娘よりも戦闘員の方が良かろうて」

「わたしも… 自分で戦えるようになりたいです」

 力強くそう言う雨取を見て、清治はひとつ頷くと

「ま、そういうことぢゃ。で、そんなにトリオン量がすげぇんなら、ロングレンジで戦うポジションのがえかろうねぇ」

と言った。

「ポジション…?」

 そこで宇佐美がボーダーの戦闘員のポジションについて説明を始めた。

 近接戦闘を専門とするアタッカー、中距離から銃型あるいは弾型のトリガーを使用して戦うガンナー(あるいはシューター)、長距離狙撃を専門とするスナイパーである。

 余談だが清治は初対面の人に自分のポジションを聞かれると

「くるくるぱー」

と答える。くるくるぱーな答えだ。

 宇佐美がいくつかの質問を雨取に投げかけた。どのポジションに適正があるかを確認するためだったが、有り体に言えば戦闘員に向いていると思える答えは全く返ってこなかった。

「すみません… 取り柄がなくて…」

 雨取がそう言ってうなだれる。

「えっ。ううん。大丈夫だよー。参考にしているだけだから」

 すかさず宇佐美がフォローを入れるが、やはり雨取はしょんぼりとして下を向いてしまった。

「…メガネくんや。なんぞ言うべきことがあんのではないのかね?」

 葉を詰めたパイプに火を入れながら清治が促す。

「あ。ムサさんだめだよ~。ここ禁煙なんだから」

「堅ぇこと言うなよしおりん。今必要なのはリラックスできる環境ぢゃ」

 やがて清治のパイプから、『タバコ』という言葉からは想像もつかないバニラの香りが漂いはじめる。

「…いい香り」

「ふむ… なんだか甘い感じですな」

 雨取と空閑が口々に言う。実際清治のパイプの香りは年長のボーダー所属者の中では評判が良かった。タバコの臭いを嫌う加古でさえ

「ちょっとしたアロマ気分ね」

と言うほどだ。

 清治の咥えた、表面に砂を焼き付けたような加工が施されたパイプの先から、白い煙が漫画のような輪を描きながらいくつも天井に昇っていく。

 時にそれを強く吹き出して白い輪を作る。いわゆる『煙の輪』である。

 暫くすると、辺りにはパイプの煙独特の少し焦げたような、それでいて芳醇で甘い香りがリビングを包み込んだ。

「で、メガネくん?」

 その場にいた全員が嗅ぎ慣れない紫煙の香りを楽しんでいる中、清治が促す。

「あ。はい」

 三雲は促されるまま、雨取について色々と話しはじめた。短距離走はそうでもないが、長距離走は早いこと、まじめで我慢強く、地味な作業をこつこつと行うのが得意であること、柔軟性が高いことなどだ。

「ほうほう。さすがによう見とるのぉ」

 ニヤニヤしながら清治が三雲をからかう。それをよそに宇佐美が何やら分析している風にホワイトボードに何か書いている。

「ふんふんなるほど… よし。わかった!」

 そう言って雨取の資質に合ったポジションを発表しようとした宇佐美は、しかし発言を迅に横取りされてしまう。

狙撃手(スナイパー)だな」

「あー!! 迅さん!! アタシが言いたかったのに!」

 そんなやり取りの最中、突然リビングに現れた人物がいた。

 

「あたしのどら焼きがない!!」

 騒がしい足音で廊下を歩き、けたたましい音を立てながらリビングのドアを開いた少女が、開口一番に叫んだ言葉がそれだった。

 彼女の名は小南 桐絵。ボーダーのアタッカー内でも屈指の戦闘力を誇り、ボーダー内の女子隊員の中でも屈指の美少女として名高い人物だ。

 もっとも、彼女もまたボーダーのアタッカーのほとんどがそうである通りバトルジャンキーで、より強い人物と模擬戦を行うことを非常に好む。しかし、最近彼女が対戦相手として忌避している人物がこのリビングにいた。

「よ。きりちゃんおひさ」

「ぎゃぁ! ムサがいる!!」

 数日前に行った清治との模擬戦が、小南にはトラウマになっていた。

 清治にノーマルトリガーを使用させての模擬戦は、小南にとっては非常に意義あるものだった。

 この条件での戦いにおいて、清治よりも小南の方が実力は上であるということは、衆目の一致するところだ。

 だが、この二人が実際に戦うと、俗に言う『千日手』の様相を呈するのだった。

 相性の問題だった。悪いのではない。むしろお互いに相性が良すぎたのである。

 小南と清治は戦闘時の思考と嗜好が非常に良く似ていた。そのため、トリガー構成をオープンにして行う模擬戦においては、相手が何をしてくるかというのが分かりすぎるほどに分かるのである。

 常にお互いがほぼ完璧に相手の行動の2手3手を読めてしまう戦いのため、何か大きな『きっかけ』でも無い限り決着がつかないのだ。

 いわば、某昔の拳法アクション漫画の最終回で、互いに流派の最終奥義を極めた者同士が戦った時のようなものだった。

 この状況に小南が奮い立ったのは言うまでもないことだろう。どうやっても勝つことができない相手(負けもしないのだが)に、なんとかして勝ちたい。そう強く思うことができなければボーダーの戦闘員、とりわけアタッカーなどつとまらない。

 辟易なのは清治だ。顔が合えば模擬戦をせがまれる。さほど熱心な戦闘員ではない清治は、気分が乗らないときはしたくはないのだが、とにかく小南の誘い方は強引なのだ。

「どうしてあたしとしてくれないの!?」

 という、聞きようによっては盛大に多くの誤解を招きそうな発言を素で行うのだからかなわない。

 そして具合が悪いことに、このワードを放てば何故か(本人は意識して無かった)清治が言いなりになるので、模擬戦以外のこと、例えば件のどら焼きをせがむ時にもこの言葉を使うようになった。無邪気なだけに非常にたちが悪い。

 清治にしてみれば、相手に負けたいとは思わないが、彼は戦闘員兼エンジニアでもある。そうは見えないかもしれないが一応それなりに忙しい身だ。余暇の時間のほとんどを彼女との模擬戦に費やすわけにもいかないため、小南とはまったく逆のベクトルで彼女に勝利する方法を模索しなければならなかった。

 こうした二人の研鑽は、知らない間にお互いの戦闘力を飛躍的に向上させた。メテオラも使用する小南との模擬戦は、清治にとってはシューターやガンナーとは違う意味で中距離戦闘における大きな経験となったし、特別に強化してある孤月を使用する清治の間合いで戦うという経験は、小南にとって近接戦闘におけるまたとない経験となった。

 その日。清治は本部所属の戦闘員である影浦 雅人から秘策を授かっていた。影浦は暴力事件を度々起こすボーダー屈指の問題児だが、清治との関係は良好だった。たがいに「カゲ」「ムサさん」と呼び合う間柄であり、しばしば清治が

「ハゲ」

と呼び、影浦が

「ハゲはアンタだ!」

と言い返すのがテンプレートになっている。

 迅を除けば、影浦は最も清治からうまい棒をもらっている人物だ。

 また、メディア対策室長である根付を影浦が殴るという事態が発生した折も、処分の軽減を求めて密かに清治が手を回したこともあって、清治は影浦隊全員と親しい関係だった。

 その模擬戦の折、清治は珍しく孤月とは別にスコーピオンを2本セットしていた。使い慣れないトリガーのはずだが、そこはやはり剣術使いだ。小南からすれば

――― まるで3刀流ね…

と思わしめるほどであった。

 ごく小さく風を切る音がした。小南自慢の『双月』が、まるで軽い剣でも扱うような速さと正確さで清治の肩に殺到する。

 迎え撃つ清治は余裕があるわけではないが、それでも十分に体をかわしながらその切っ先を払う。

 しかし、払われたはずの小南の双月は、恐ろしいほどの速さで下段から清治の腹を狙ったのである。

 これは小南のオリジナルの技ではない。その前に行った模擬戦で清治が小南に放った技だ。

 思いがけない攻撃に、清治はその斬撃を受け流しながらも体勢を崩されてしまった。何万回も繰り返してきた模擬戦において、初めて見せた隙らしい隙だった。

 このチャンスを小南が見逃そうはずがなかった。だが、勢いのままメテオラを放とうとする彼女の口を、なんと清治のスコーピオンが貫いた。

 思わぬ事態に驚愕した小南は、その攻撃が『どこから放たれたか』を知ってさらに驚愕することになる。

 影浦は、自分の必殺技を清治に伝授していた。メインとサブの両方にセットされたスコーピオンを連結させて遠距離攻撃を行うという荒業である。

 『マンティス』と命名されたその技を、清治は誰しもが驚き呆れる場所から放ったのである。それは、奇襲戦法としては極めて効果が高く、この攻撃を受けた相手のダメージ(主に精神的な)は計り知れないものがあった。

 清治がマンティスを放ったのは股間からである。彼はそれを『アナコンダ』と命名しようと思っていたらしい。

 おわかりだろう。股間から伸びたモノが小南の口に飛び込んだのだ。色々な意味で最悪である。

 偶然とはいえ(少なくとも清治はそう言い張った)酷いものとしか言いようがない。

 さらに悪いことには、これが二人の戦いにおける、初めての決着らしい決着であった。

 以来、あれほどしつこく清治を模擬戦に誘っていた小南は、当然ながら彼を避けるようになったのである。

 さらに、清治の呼称もそれまでは『さん』つけであったが、先の通り呼び捨てになった。これもまた当然の帰結だった。

 

 小南に続いて木崎と烏丸 京介がリビングへとやってきて、迅のしょーもないガセ情報で小南がひとしきりからかわれたあと、迅は本題に入った。

 三雲たち3人がA級を目指していること、空閑と雨取の正式な入隊まで三週間ほどあること、そしてその時間を利用して3人を鍛えようというものだ。

「具体的には… レイジさんたち3人にはそれぞれ、メガネくんたち3人の師匠になって、マンツーマンで指導してもらう」

「はあ!? ちょっと勝手に決めないでよ!」

 迅の提案に小南が反発する。

「あたしまだこの子たちの入隊なんて認めて…」

「小南」

 言い募る小南の言葉を迅が遮る。

「これは、支部長(ボス)の命令でもある」

「…! 支部長(ボス)の…!?」

 支部長命令とあっては、さすがの小南もこれ以上ゴネるわけにはいかない。

「林藤さんの命令じゃ仕方ないな」

「そうっすね。仕方ないっすね」

「…」

 口々にそう言う木崎と烏丸。小南としては認めがたいことであるが、なかなか素直に首を縦に振ることはできなかった。

「なんやきりちゃん。まだゴネるんなら、今すぐわしと模擬戦すっか?」

「うぐっ!?」

 彼女のトラウマの種が、よりによって一番嫌なことを提案してくる。以前とは完全に逆だ。

 結局清治の言葉が止めとなり、小南はしぶしぶながら3人の入隊と彼らを指導することに同意した。

 彼女が空閑を、烏丸が三雲を、木崎が雨取を指導することが決まると、清治は席を立った。

「ムサさん。もう帰るの? てっきり特訓手伝ってくれるのかと思ってたのに」

 宇佐美の言葉は、迅を除いたその場に居た全員の気持ちを代弁したものだった。

「わしがあんまりこっちの子らの世話焼いとったら、ウチの連中がヤキモチ焼くかもしれんけぇの」

 冗談めかしくそう言うと、清治はそそくさと帰って行った。

 さて、3組の師弟たちはそれぞれ特訓に入ったのだが、一番最初に訓練室から出てきたのは烏丸・三雲組だった。

「三雲。おまえ弱いな。本当にB級か?」

 思わずそう口にしてしまうほどに三雲は弱かった。

――― だが…

 時折目を見張るような動きを見せることがあったのも事実だった。今の所その『動き』が戦闘の経過に結びついていないのが問題なのではあるが、こうしたことはちょっとしたきっかけがあれば驚くほど簡単に身につくことを、烏丸は自身の経験から知っていた。

 三雲が良い動きを見せたのは、主に攻撃を躱す時だった。まるで攻撃がそこに来ることをあらかじめ予測しているかのような動きをしばしば見せたのだ。そしてその動きは少し烏丸本人に似ていた。ということは、烏丸に動き方についてレクチャーしてくれた給料泥棒に似ているということにもなる。

「ところで三雲。お前ムサさんに教えてもらったことがあるのか?」

「あ、はい。ラッドの捕獲の時や、最初のトリガー調整の時に少し」

――― 頭の向きっちゅ~か、顔を向ける方向が体の向きとチグハグなんよね。今度から気ぃつけることぢゃね

 入隊後暫くして、現在風間隊に所属する歌川や、嵐山隊に所属する時枝らに対して、少し差をつけられたと感じていた頃、悩んでいる烏丸に清治がそう声をかけたのだ。

 直接具体的な指示や指導を受けたわけではないのだがそう言われた烏丸は、何となくその点について気をつけながら自らの過去のログをチェックしてみた。

 最初は気が付かなかったが、見ていると確かに、特に自分の攻撃を躱された後に相手を追う時にどこか違和感があった。あからさまではないが、体を向けている方向と顔を向けている方向がわずかに違う。どちらかの反応がどうやら遅れているようだ。

 気づいてしまえば、後はやることは1つだ。反復練習を繰り返して、とにかく体全体の動きを意識する。最初はややぎこちなかったが、やがて意識しなくとも体の向きと顔の向きがスムーズになってきた。

 この後、木崎に正式に師事し、やがて玉狛支部へと移籍した烏丸は、通りすがりの立ち話のような感じで的確なアドバイスをくれた清治に対する感謝と尊敬の念を失ったことは一度もなかった。減ったことは何度かあるが。(例のアナコンダ事件などで)

 こうして、玉狛支部の新人に対する特訓が進んでいる頃、ボーダー本部にも大きな動きがあった。ネイバーフットに遠征に出ていたボーダー最精鋭部隊が帰還したのである。




個人的には「ぎゃぁ! ムサがいる!!」と影浦とのやりとりのくだりが書けたので満足です(*´ω`*)


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第伍章 ワンダーニャンコ編
D01 珍しい真面目顔


 かつて一度、迅が清治と戦ったことがある。迅が風刃を得てS級となり、その風刃の性能を確認するためのものでもあった。

 立ち会ったのは城戸、忍田、林藤にログを記録するために鬼怒田の4人だ。

 一言で言えば壮絶だった。最初はお互いの黒トリガーの性能と力量を図るための小手調べのようなものだったが、次第にそれは熱を帯びていった。

 勝敗は僅差で迅の勝利だったが、彼は以降、清治と戦うことを望まなかった。

 理由を問われると彼は笑って言った。

「本当に怖かったからだよ」

 迅の感覚で言えば、清治より強い隊員は何人かいる。しかし、彼らとのバトルは楽しいもので『怖い』という感覚はなかったと言う。

 清治からしてみても、迅と再度戦いたいとは思わなかった。

「ゆういっちゃんは、ボーダーに何人かおる天才の一人よね。凡人のわしがどう背伸びしても敵わん」

 さらに清治は続けて言った。

「見事なもんぢゃ。風刃の性能もそうだしゆういっちゃんの戦闘能力もそうぢゃが、それ以上に風刃とゆういっちゃんのサイド・エフェクトの相性は抜群ぢゃ。いわばわしは、ゆういっちゃんと最上さんの『絆』の前に敗北したと言ってえぇぢゃろね」

 いずれにしても、この戦いの詳細は黒トリガーの情報が入っているため一部を除いてほとんどの内容が秘匿された。

 また、情報が公開されたのもごく一部の隊員や、仕事の都合で立ち会えなかった根付のみだった。

 

 遠征隊が基地に帰還する少し前、清治は鈴鳴支部内にある自室で先日来行われている訓練のログを漫然と眺めていた。自分の提案で訓練設備を導入して行われている、あの訓練のログである。

 もっとも、その様子を客観的に見ると真面目にログをチェックしているようには見えなかった。防音であることを良いことに、大音量でヘヴィメタルを流している。

 ベッドの上にごろごろしながら、手近な場所に乱雑に置いたうまい棒をかじりながらタブレット端末を覗く姿は、まるでネット配信の映画だかアニメだかを見る子供のようだ。

 ところで、ログを見る限り鈴鳴第一の面々の反射的な行動の速さと精度は、確実に上がっていた。

 特に隊長の来馬の動きが以前とは全然違う。この隊の人間は全員が来間の生存を最優先に行動するため、来間本人の回避行動の精度が上がるのは喜ばしいことだ。これなら、次のシーズンのランク戦は期待できることだろう。

 怠惰な姿でタブレットを見る清治のその表情は、しかしその姿から受ける印象とはかけ離れたものだった。珍しく厳し顔をしているのだ。

 それも仕方のないことなのかもしれない。先の通り遠征隊が基地に帰還するということは、先日玉狛支部で迅と林藤に頼まれたことを実行しなければならないということなのである。

 仮に清治が参戦しなくとも問題はないのかもしれなかった。聞けば、彼らを迎撃するために忍田本部長に密かに協力を要請したらしい。十中八九嵐山隊が協力してくれるとのことだった。

――― じゅんじゅんらが手伝ってくれるんなら、いくら遠征隊に三輪っちらが加わっても負けるってことはあるまいが…

 不安要素が無いわけではなかった。迅の話によると冬島隊の隊長である冬島の参戦が不確定だったからだ。

 冬島はボーダーの戦闘員の中でも珍しいトラッパーだ。言ってしまえば罠や仕掛けを展開し、敵を間接的に攻撃したり、味方の援護を行うポジションだ。

 前線で戦う他のポジションと比較すると、非常に頭を使う上にポイントを稼ぐのが難しいポジションだ。にもかかわらず、彼自身はA級の隊員であり、彼の率いる隊はA級ランキングで堂々の2位に鎮座している。

 彼の部下であり、スナイパーランキング1位の当真 勇ともども凄腕と言う言葉でも足りないレベルの人物たちである。

 さて、その冬島だが、極度の乗り物酔い体質の持ち主だった。おまけに若い女性に免疫が無いらしい。

 例えば、諏訪隊主催の麻雀大会においても、普段は彼の戦闘スタイルと同様、沈着冷静に勝ちを取りに来るのだが、諏訪隊のオペレーターである小佐野 瑠衣が面子に入った途端にガタガタになるほどだ。

 それはともかく、彼が遠征挺で船酔いになってしまい、参戦しない可能性があるという。

 もし冬島が参戦した場合は、いかに迅と嵐山隊といえども状況が7:3で不利になる。その場合は冬島の抑えに清治が動くことになっていた。

 そうでない場合は、ケースによっては清治は戦闘に参加しないことになっていた。

 清治は、この本部による『襲撃』を『演習』と捉えることにしていた。そうでなければやりきれない。尊敬する城戸を始めとした首脳部が強盗紛いの行為を実行しようとしている事実から、なんとか目を逸らしたかった。

 そういった観点からすれば、冬島の参戦は歓迎すべきものかもしれなかった。戦略家として互いに頭を使う戦いは、直接刃を交える戦闘とは別の楽しみがある。

 だが、いかに清治がそれを『演習』と位置づけようとも、負ければ空閑の黒トリガーが奪われてしまうという事実に変わりはなかった。そうなれば彼は…

――― 何が何でも負けるわけにはいかんの…

 それを考えれば、負ける可能性が出てくる目は事前に摘んでおくべきだった。実際清治は、帰還後の冬島に接触して下剤を飲ませてしまうことも考えていたのである。

 

 そろそろ約束の時間だ。そう思って清治が身を起こした時、部屋をノックする音が聞こえた。よく聞こえたものである。

「開いてまっせ」

 オーディオのボリュームを下げながら清治が声をかけると、今が扉を開けて入ってきた。

「ムサさん…」

 心配そうな面持ちでそう問いかけてくる。

 今回の件は、鈴鳴支部の人間で知っているのは清治と支部長だけだった。黙っていようかとも思ったが、おそらく鈴鳴支部に何らかの迷惑をかけることになるだろう。

 わけも分からず処分が下るというのは避けるべきだし、支部長の体面というものもある。清治は他言無用と断っておいて一応話はしておいた。支部長は無言で頷くのみだった。

 そんなわけで、今夜起こる出来事について、今が知っているはずはないのだが。

「どしたんゆかりん。こんな時間に。いらん誤解を招くことになるで」

 いつもの調子で冗談めかしく清治は言うが、今の反応はいつもと違っていた。どこか心配げに、どこか悲しげに清治を見つめている。

「ログは一通り見たょ。みんな良く動けるようになっちょるね。特にタイチョーは…」

「ムサさん」

 清治の言葉を遮ると、今はまっすぐに清治を見つめる。彼女はどうやら知ってはいないが、何かがあることに気がついてはいるらしい。

「なんね。珍しく真面目な話をしよんのに。さて、わしゃちょいと本部へ行ってくるぞな」

 そう言うと、清治はまるで呼吸をするかのように今の胸をひと揉みすると、脱兎のごとく走り去って行った。

「きゃあ!? もう!!」

 今はいつもの通りの彼の行動にいつもの如く反応しつつも、遠ざかっていく清治の後ろ姿を心配げに見つめるのだった。

 

――― やれやれ… 女の勘てぇやつは侮れんもんぢゃのぉ…

 清治は林藤からの依頼を受けて以降、少なくとも表面上はいつもの通り『給料泥棒』然とした行動を変えなかった。

 いつもの通り始業ギリギリの時間に開発室へ出向き、いつもの通り時間ギリギリに防衛任務につき、いつもの通り戦闘は極力避け、いつもの通り女性職員の誰がしかの胸を触り、いつもの通り定時には帰宅する。

 しかし、本人の気が付かないうちにどこかしら緊張感が漂っていたのかもしれない。他の人間は特に気が付かないようだったが、ここ数日の今の様子はまるで清治の動静を伺っているかのようでもあった。

 さすがに今が本部の意向を受けて清治の動きを探る、あるいは止めるといったことをしようとしたわけではないだろう。だが、彼女としてはおそらく清治の普段の様子との違いに気がついたのかもしれなかった。

 そこまで思った時、ふと清治は考えた。今回のケースを本部というか、あの悪人4人衆(笑)はどこまで現状を分析しているのだろうか。

 普通に考えれば、彼らの動きを迅が『見て』いる可能性くらい考慮に入れているはずである。そうなれば、当然争いが起こってしまうことは想像できない事態ではないはずだ。

 おそらく今回は迅たち(自分も含めてだが)が勝利することだろう。ならば次はどうするのだ?

 天羽 月彦を投入するだろうか。あの化け物じみたトリガーを事も無げに扱う彼を。そんなことになれば、ボーダーの内部にいざこざがあることが外部にもわかってしまうし、何より戦闘の場となる街がただでは済まない。

 そうなれば、これまでボーダーが積み重ねてきた信頼も実績もご破算だ。根付でなくても避けねばならない事態だった。

 だからこそ迅は『あのような決断』を下したのだろう。そして、そうであるからこそ勝利をより確実にするために清治に参戦を要請し、そのくせ戦闘への参加を限定的なものに絞るように注文してきたのである。

 それに対して清治が望んだことと言えば、自分の参戦を相手に公表しないことだった。より実戦に近い形で『演習』を行うのであれば、敵の戦力が互いにオープンなんてことはありえないのだから。

 何せ強盗の片棒を担ごうというのだ。せいぜい嫌な目に遭ってもらおうではないか。そんな思いも無いではなかった。

 ただ、今日の『演習』はともかく、今後の展望についての見通しは暗いものだった。

 単純に今日、彼らを退けることができたとしても、今後さらに同じようなことが起こるに違いなかった。少なくとも空閑と雨取の正式な入隊が決定するまではである。

 それまで凌ぐことができるのだろうか。迅には、それについての秘策があることを聞いているし、その内容は清治が迅の心中を慮るほどのものだった。

 確かに今回の戦闘と、その後の彼の策によっておそらく本部は一旦は戈を収めることだろう。ただ、そうならなかった場合はどうだろうか。

 

 何にしても、今回の戦闘で清治が煉を使うわけにいかないことは確かである。そこで今夜は、普段から使用している『おしおきくんれん棒』に加えて先日完成した『お徳用おおばさみ』をトリガーにセットしている。言うまでもないがどちらも清治が自分用に作ったシロモノだ。

 清治の考えによると、通信販売などで売られている某高い所に楽に届くハサミをヒントに作成したもので、将来的には商品として売ることも前提として作ったものだ。

 見た目は市販の株切り用の植木鋏を大きくしたようなもので、刃先にはスコーピオンと同じ技術を使用している。そのため、某通信販売の枝切り鋏のように伸ばして使うことができるようになっている。

 トリオンで作られているため、普通の枝などを切っても刃こぼれしない。確かに商品として販売できれば売れるかもしれなかった。しかし、実際にそうできるのはずっと先のことだろう。

 この他、念の為イーグレットをセットし、オプションにバッグワームとカメレオンをセットしてある。

 普段の戦闘であれば、これに加えてシールドとグラスホッパーもセットするのだが、今回は『姿をさらさない』ため必要なかった。

 やがて清治は、迅が『見た』本部の精鋭たちとの交戦地点付近までやってきた。警戒区域の線上ギリギリにあるビルの屋上に向かいつつバッグワームを起動すると、『目』を使って相手の動きを捕捉する。

「さて。今回はこいつも使わんとな…」

 懐からタブレット端末を取り出すと、清治は開発室の同僚である寺島 雷蔵と共に作成した、『ある種の懸念』を検証するためのアプリケーションを起動する。アプリはすぐにターゲットを捕捉すると枝を張り始めた。

「さてさて… こちらはいつでも準備OKじゃ」

 一人心地でそうつぶやくと、清治は動きを止めた『敵』の様子を静かに観察しはじめた。



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D02 無責任ハンター

ちょいと遅れましたがあげまっせ!


「はいはい。どったの先生」

 嵐山隊らしきトリオン体が迅が言っていた地点に到着したのを見計らったかのようなタイミングで、清治のボーダー用の端末に着信があった。

 連絡してきたのは烏丸だ。彼も含めた玉狛支部の面々には、今回の『演習』のことは秘匿されている。

「ムサさん。今いいですか?」

「構わんよ先生。なんかあったんきゃ?」

 清治が烏丸を先生と呼ぶのは、彼が三雲の師となったからだった。ただ、彼自身も木崎の弟子であるため、師匠と呼ぶのには支障があると思った清治はこう呼ぶことにしたのである。

「先生はよしてください。ところで、相談したいことがあるんです」

 言うまでもなく三雲のことについてだった。しばしば光る動きをする彼ではあったが、全体的には極めて能力が低いと言わざるを得なかった。率直に言えば、今のC級隊員の中にでさえ、彼を上回る実力の持ち主は探す必要もないほどにいるはずである。

 三雲がボーダーに入った経緯を迅から聞いていた清治としては苦笑するしかなかった。ただ、ボーダーが重視するトリオン能力の絶対値や、それを使役する能力以外の面で三雲には伸びしろがいくらでもあるはずだ。

 何より、トリオン器官は成年まで成長を続けるものだ。彼のトリオン器官が今後急激に成長する可能性だって無いわけではない。また、例えトリオン能力が低いままだったとしても、成長によりある程度は伸びるはずだ。

 彼自身が持つ彼だけの『強さ』を見極めることができればエース級の活躍だって不可能ではないはずだ。元に今A級になっている隊員の中にも、トリオン量では他の隊員と比べてハンデのある者も少なくない。

 清治の見立てでは、三雲は将来的にはボーダーに不可欠な『人財』となりうる人物だった。血気盛んな若者たちの集まりでもあるボーダーの隊員たちは見落としがちだが、彼らが後顧の憂いなく戦うことができるのは、ボーダー本部で立ち働く多くの人々の支えがあってこそだ。

 おそらく三雲は、自らが戦闘に出向いて作戦を立案し、作戦のために隊を指揮をする必要がある場合でも、目の前のことだけではなく戦闘全体、もっと言えば戦闘には直接参加しない非戦闘員の動きにすらも気を配ることができる人間になるだろう。

 さらに言えば、三雲は唐沢好みの人材に育つ可能性があった。周囲の状況を鑑みて己に有利な状況を作り、戦闘なり交渉なりを行うことのできる人材に。これは、清治にとっても大変好ましい人材だと言えた。

 もしそうした人材が既に複数名ボーダー内部にいたら、今回のような無駄な諍いは避けられたかもしれない。そうなれば迅もあのような決断を下す必要がなかっただろう。

 ところで、烏丸の目下の悩みは当然のものだと言えた。トリオン能力にも戦闘能力にも申し分ない空閑。戦闘にはあまり向いていないが、黒トリガーレベルのトリオン能力の持ち主である雨取。

 この二人と比較すると、現時点での三雲は大きく見劣りしてしまうのは明白だ。そして、そんな彼を強くすることをミッションとして課せられた烏丸からすれば、内心

「なにこのムリゲー」

と言いたい心境なのかもしれなかった。

 ここ数日、三雲の能力は伸び悩んでいた。そのため烏丸も必死で訓練メニューを考えてはいたのだが煮詰まってしまったのである。

 こうした場合、客観的な意見を聞くのが一番望ましいことだし、それであれば、先人の部外者に聞くのが一番良い。そこで烏丸が選んだのがまぐれS級隊員だったわけである。

 彼としては、以前まるで立ち話のように的確なアドバイスを清治がしてくれたことを念頭に置いていたのである。

 烏丸からメニューの内容を聞いて問題ないように思った清治は、どうやらドンパチを始めたらしいあちらの動きを注視しながら2つのことを烏丸に提案した。

 1つは、1度の模擬戦ごとにログをチェックし、一番良くなかった点を指摘してそのシチュエーションではどうするべきかをレクチャーする。レクチャーの後は指摘されたシチュエーションを繰り返し行い、うまく動けるようになるまで繰り返すというものだった。

 三雲は物覚えの良い方ではないが、覚えたことは決して忘れないタイプだ。こうして1つずつ問題点を指摘して改善していくうちに、問題個所はどんどんなくなっていく。

 他の者ではこうはいかない。彼以外の人間だと、4つめの問題点を改善するころには、最初に指摘された点の半分くらいは忘れてしまう。

 教えられたものすべてをまじめに身に着けるタイプの三雲には、感覚的なことよりもこうした落とし込みの方が適しているのだ。

 こうしていくうちに、彼の実力は徐々に底上げされていく。時間はそれなりにかかるだろうが、確実に強くなれるはずである。

 2つ目は風間隊の隊長の風間 蒼也と柿崎隊の隊長の柿崎 国治のログをチェックすることだった。

 迅や太刀川など、感覚的に行動できる天才タイプとは違い、風間は天賦の才と論理的な思考を併せ持つタイプだった。今後三雲がアタッカーになるかどうかは分からないが、現時点でボーダーの戦闘員の中でもっとも高いレベルで洗礼されている人物だった。

 清治からすれば、ポジションの違いがあっても、風間こそが全ボーダー戦闘員が目指すべき目標だった。

 また、柿崎はやや慎重に過ぎる点もあるが、作戦立案や指示など小隊の隊長としては理想的な人物だった。本人も個人としてはA級レベルのため戦闘力は決して低くない。今後空閑たちを隊長として率いる予定の三雲にとって、見習うべき点は山ほどある人物であると言えた。

「漫然と眺めさせちゃダメよ。1つ1つ注目すべき点を提示して、見た後は確認テストをして、腹落ちさせんと意味がなぁ」

「なるほど… ありがとうございます」

 

 烏丸との通話が終わると、清治は改めて現場に目を向ける。

 どうやら太刀川あたりが派手に始めたようだ。

――― …遅い

 清治からすれば、戦闘開始があまりに遅すぎた。そのために彼らは唯一の勝機、しかもかなり大きなものを自ら手放したに等しい。

 清治の見解では、本部派遣部隊が迅の存在に気が付いて立ち止まった時点で勝敗はほぼ決していた。嵐山隊が助力してくれることは知っていたからだ。

 おそらく停止を命じたであろう太刀川の判断を妥当とも思いつつも、清治は良い判断とは言えないと考えている。迅がどういう意図でそこに立っていたかなど明々白々だからである。

 彼らは迅のサイド・エフェクトについて知っている。つまり、迅は彼らがそこに現れるということを知っていて待っていたのである。

 何のために。久しぶりに帰還した太刀川たちの顔を見るためでないことは確かだ。そうしたいのであれば、本部で遠征艇の帰還を待っていれば良いのである。

 玉狛支部にいる空閑の黒トリガーを奪取するという今回の太刀川たちのミッション。その道中で接触を図ったということは、少なくとも何らかの方法でそれを阻止しようとしているに違いなかった。

 ボーダーの規定では、いかなる場合であっても模擬戦以外での隊員同士の戦闘行為を禁じている。今回の場合、太刀川らは正式に本部から指令を受けており、戦闘を行えば咎められるのは清治も含めた『こちら』ということになる。

 それでも戦闘は必至だった。少なくとも空閑の『事情』を知っている側からすれば、何があっても空閑の黒トリガーを本部に渡すことはできない。

 もっとも、そのことを知らない太刀川らからすれば、単純に空閑の黒トリガーを奪取しろと命じられたのであればその空閑以外の人間、殊にボーダーの隊員、しかも黒トリガーの使い手である迅との戦闘は避けるべきだと考えるのは当然だ。

 ならば空閑についてはどうか。彼は既にボーダーに入隊する意思を示しているし、そのための訓練も受けている。実質的には玉狛支部所属の人間と言って良かった。

 ただ、空閑(と雨取)が正式にボーダーに入隊するまでにはまだ数日あった。太刀川あたりがその辺を指摘したかもしれない。

 もしそうなら、太刀川らの行動の方が当然ながら理がある。だが、理があるからと言って迅に退くつもりがあるのであれば、最初からそこにはいない。

 おそらくそんな話をしているのだろうという予想は清治にもできた。だが、戦闘開始が清治の予想よりも遅れたのは、迅が退く意思がないことを示した上でも、おそらく風間あたりがあくまでも説得によって退かせようとしたのであろう。

 清治から見れば、太刀川にしても風間にしても身内には甘い。そして、そのために迅と嵐山隊が合流してしまうという、彼らにとっては最悪の事態を招いてしまったというわけだ。

 もし彼らに対して『万難を排して黒トリガーを奪取せよ』と命令が出ていたらどうだろうか。

――― わしならそう命じるが、ね…

 もちろんその命令には、玉狛支部の誰かあるいは全員と戦闘をすることも含まれる。そうした場合、規定を理由に彼らが命令を拒否することも考えられた。そうした権利も隊員は持っている。

 仮に彼らのうちに何人かが命令を拒否したらどうだろう。本部は空閑の黒トリガーを諦めるだろうか。

 いや、それは考えにくい。林藤が清治に言った通り、黒トリガーは貴重であり、その威力はノーマルトリガーの比ではない。

 単純にトリガーの『強さ』という面において言えば、例え玉狛のみが所有する高性能なトリガーを全て合わせたとしても黒トリガーには及ばない。

 それだけに本部は必死なはずだ。そして、その必死さの結果がこれである。清治からすれば、様々な意味で愚な選択としか言いようがなかった。

 この場合彼らはどうすれば良かったのだろうかと思った上で、清治はその点について考えるのをやめた。

 唐沢ならば交渉と懐柔する手段を模索しただろうが、結果として城戸は強硬手段に出たのだ。

 彼らからすればそれこそが『正しい』ことなのだろう。であれば、玉狛側も彼らの『正しい』ことを行うだけだ。

――― で、わしもそっちに加担するわけか…

 我ながら物好きなものだと清治は思った。基本的に事なかれ主義な彼にとっては、こうした『内輪もめ』に首を突っ込むような真似は本意ではない。

 今回のことはやむを得ぬ仕儀と言って良かった。1つは他でもない迅の頼みだったから。そして、もう1つには空閑の命がかかっているということだった。

 空閑本人にも伝えた通り、清治は未だに空閑本人を完全に信用しているわけではなかった。だが、偶然とは言え隣家に越してきたこの奇妙な少年を、清治は既に見捨てることができなくなっていたのである。

 さらには、色々な意味において本部執行部に対して思う所があったというのもある。清治は彼らを尊敬しているが、それだけに今回のような強盗まがいの行為を看過することはできなかった。

 しかも、戦略的には穴だらけの戦闘行為を、帰還して間もない遠征部隊に命じている。トリオン体である場合、理論上は全く疲れを感じないのだが、『心』の疲れというのはどうしようもない。

 ついでに言えば、今回の派遣部隊も陣容としては十分ではなかったと清治は考えている。清治であれば、もしものことを考えて東と二宮を太刀川らとは別に後詰として派遣していただろう。

 そうしていれば、例え今回のように迅が嵐山隊と組んで太刀川らを迎撃したとしても、それらを退けることができただろう。また、迅らを倒した後にさらに玉狛の隊員たちと戦うことも想定される事態だ。その場合も後詰は十二分に威力を発揮するはずである。

 おそらく本部は、ボーダーが『割れている』という事実を外部には知られたくはないだろう。そのために派遣する人数を限ったのであろうが、これに彼ら2人が加わったところでさほど大舞台というわけでもない。

 ただ、仮に彼らが任務を全うできたとしても、玉狛支部との亀裂は決定的なものになるのは言うまでもない。結局のところ、彼らの任務が成功しても失敗しても、本部にとって良い結果はついてこないのである。そこがやるせなかった。

 誰にとっても得のない戦闘が、今目の前で始まっている。

 いずれにしても、既に命令の遂行は不可能だ。本部の沽券に関わる事態と言えた。とりあえず清治は成り行きを見守ることにした。何にしても迅が出した2つの条件が満たされるまでは、清治はただの観客に過ぎないのだ。

 条件の1つは、迅に張り付いた相手については構わないということだった。頭数の少ない迅たちは、いずれ必ず二手に分かれる。

 清治が頼まれたのは嵐山隊のフォローであり、迅の方に向かうであろう太刀川や風間には手出しをしないで欲しいと言われた。

 もっとも、風間はバランスを考えて嵐山を落としに向かうかもしれず、その場合は清治も彼と戦うことになるかもしれなかった。

 もう1つは嵐山隊だ。彼らのうち誰か1人が落とされたら、それこそが清治参戦の最後のトリガーである。

 戦闘は長引くかもしれない。というのも、迅が清治に提示した2つのプランのうち、最初のプランはこれから行う持久戦だった。

 嵐山隊と連携して追手のトリオンをじわじわ削り、撤退に追い込む。彼らを倒してしまうよりも撤退してもらった方が、本部との摩擦が少なくて済むし、彼ら自身との軋轢も小さなもので済むはずだ。

 清治からすれば迂遠な行為だった。相手がこちらを()りに来ている以上、こちらが相手に手心を加えるなど言語道断であった。

 しかし、それでも敢えて迅の献策を清治は否定しなかった。上記のように思いつつも、優しい彼らしい考えであるとも思ったからだ。これが、もし別の人物からの献策であったならにべもなく却下していたことだろう。

 そうなると、清治の出番はもう1つのプラン… 太刀川たちには悪いがきっちりと負けてもらうことだった。

 

「そうか。ムサさんも来るのか」

 木虎の献策を受けて『分断された』態を装うことを決めた後、清治の参戦を迅から聞かされた嵐山は珍しく冷や汗をかきながら言った。

「ああ。多分どっかから俺達を見てるよ。もっとも、ムサさんの参加には色々と面倒をお願いしたんだけどね。黒トリガーも今回はナシで」

 迅の考えた『策』を成功させるためには、この戦闘に勝利することも重要ではあったが『勝ち過ぎ』も良くなかった。

 一番良いのは、言うまでもなく太刀川たちに退いてもらうことだった。しかし、現時点で既に戦いは始まってしまっている。

 こうなると中策となるのは戦って撤退してもらうこと。できるだけ戦いを長引かせた上でこちらはトリオンを温存し、相手のトリオンをじわじわ削るというものだ。これから行うのはその策である。

 この策を講じる場合も清治には出番が無い。迅にしても嵐山隊にしても、引き気味に戦うのであれば相手に墜とされる可能性は限りなくゼロに近い。同時に相手を墜とす可能性も同程度であるわけではあるが。

 清治が参戦するケースは下策、つまりは強行手段によって太刀川らを退かせる際に、嵐山隊の誰か1人が墜とされてしまった場合だった。

「いろんな意味で責任重大ですね」

 清治から普段

「できるキノコ」

と呼ばれている時枝 充が、普段と変わらない口調でそう言った。

 ただ、普段から彼と付き合いのある人間からすれば、その声音にはかすかに驚きと恐怖からくる震えがあったことに気がつくかもしれなかった。

「ああ。何せ、この話をした時のムサさんは大笑いしてたからな」

 木虎は驚いた。重要な話をしている最中に笑うなど、彼女からすれば不謹慎極まりないことだったからだ。しかし、彼女が驚いたのは、次の嵐山の発言だった。

「それは… 怖いな」

「ああ。怖かったよ… お。来たな」

 彼らの読み通り、太刀川たちは迅と嵐山隊を分断しにかかった。彼らはそれに呼応する形で2手に別れた。

「いくら何でも笑うなんて変じゃありませんか?」

 2手に別れた太刀川らのうち、三輪たちと思われる相手を待ち受けるまでの少しの間、どうしても木虎はそう漏らしてしまった。堅物と言っても良いほどに真面目な彼女からすれば理解できないことだった。

「それは違うよ。木虎」

 彼女にそう言ったのは時枝だった。彼は以前ネイバーフットに出向いた際に清治とも行動を共にしている。

「ムサさんが大笑いする時は、だいたい怒っている時だよ」

 嵐山が言うには、清治の大笑いは、だいたい怒りが度を越してしまった時に感情のバランスを取るためなのだそうだ。その辺りは清治と一定の距離で一定の時間以上過ごさないことにはわからないことだった。

「ダソスの時以来ですね」

 時枝はその時のことを思い出すと、今でも身震いを禁じ得ない。

「ああ。おまけに視界の効かない夜の戦闘だ。この状況でムサさんと戦う… 想像したくもないな」

 嵐山にしても時枝にしても、随分と清治のことを買っているようだ。

 木虎は清治のことを良く知らない。年上の女子隊員からはセクハラを警戒され、世話になっているエンジニアたちからも好かれてはいない。

 S級隊員だとは知ってはいるが、どのようなトリガーを使うのかも知らない。

 しいて言えば、先日のイルガーとの交戦の際に、それなりに狙撃をできる程度の腕を持っているということを知ったくらいだった。

 黒トリガー使いとして参戦するのであれば、確かに凄い戦力が味方となっているという風には思うが今回はそうではないらしい。それにしても、嵐山たちの会話を聞いていると、まるでそれ以上の『規格外』の能力を持っているようにも聞こえる。

 どうも要領を得ないし、彼がそれほど凄い戦闘員であるとは正直信じられない。また、もし仮にそうだったら彼女としてはかなり癪だった。

 木虎は清治のことを良く知らない。ただ、以前清治と共に遠征に言ったことのある嵐山たちがそう言うのであれば、少しは役に立つかもしれないとだけは思った。

 夜の戦場。そこにおいて、清治はアタッカーでもシューターでもスナイパーでもない。もしその状況を適正に表現できるポジションがあるとしたら、それは『ハンター』だった。

 嵐山は思った。敵ながら清治と、清治の得意な状況で戦うことになるかもしれない太刀川たちのことを。

 いずれにしても、清治の参戦はできれば避けたいという思いは迅も一致していた。そして、そのためには自分たちの動きが鍵になるということも理解している。

 誰も墜ちない。一言で言えばそれだけだが、実際にはかなり困難なことだ。しかも、相手が相手である。

「参ったな… 自分たちのためだけではなく、敵のためにもがんばる必要があるなんてな」

 接近してくる三輪たちの姿を見ながら、この戦いの皮肉さを嵐山は感じずにはいられなかった。




次の投稿には間に合うのか…(^^;


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D03 ハンター参戦

なんかわし、今日アップする予定の話を先週アップしてますね(爆)
ま、自らに課したノルマですから可能な限りは守って行きまっせ!


 嵐山隊が三輪たち(前線に3人いることから『隊』ではないと判断した)と交戦している辺りに移動しながら、清治は別な人間がそこに1人近づいて来ていることに気がついた。

――― おやおや。ありゃぁ当真ぢゃの

 苦笑しつつ清治はそう思った。

 当真 勇は清治をして『傑物』と言わしめるスナイパーだ。奈良坂が台頭してくるまでは当真と、今は行方不明となっているあるスナイパーがボーダーのスナイパーランキングで常にトップを争っていた。

 最近では奈良坂とトップが入れ替わることもしばしばあるが、腕前については当真の方が上だった。ランキングが入れ替わるのは、単に当真が訓練をサボるからである。

 ちなみに、比較的熱心に訓練にいそしむ清治だが、当真が珍しく訓練に参加すると訓練中に二人でつるんで遊び始める。一応訓練メニューを消化しているのだが、間でいらない遊びをいくつも挟むので周囲の隊員にはそこそこ迷惑であった。

 彼らは密かにこの二人を『ハゲふさコンビ』と呼んでいた。

 当真の性格上、当たる可能性の低い射撃はしない。未来を知ることのできる迅に対して狙撃を行うのは彼の矜持に反することだ。そこで彼は、より効果的に戦うために嵐山隊の方に移動してきたというわけだ。

――― やれやれ。これだと最悪わしがリーゼン当真を()る必要があるわけか

 模擬戦ならばともかく、戦闘で親しい友人と戦うことになるのはあまり気持ちの良いものではない。だが、清治はこれも『演習』と割り切ることにした。

 清治がそんなことを考えているうちに、迅の方でベイルアウトした者が出た。風間隊の菊地原だ。どうやら迅はいよいよ本気で太刀川たちを墜とすつもりらしい。

――― そんなら、()()()を起動するかの…

 清治は、タブレット端末を取り出すと『枝』がきちんと張れていることを確認して何かの実行ボタンをタッチした。

「これが上手くいったらいったで、後始末が大変ぢゃのぉ」

 まるで他人事のようにそう言いながら、清治の姿は視認することの難しい闇の中へと紛れ込んで行った。

 

 分断された『態』を装っていた嵐山隊は、さらに分断を余儀なくされていた。

 三輪と米屋、そして太刀川から指示された出水 公平が嵐山隊と対峙していた。出水について清治は、シューターの理想だと考えている。そして、その考えを持っているのは清治だけではない。彼を知るボーダーのほとんどの人間が同じような感想を抱くだろう。

 現に、非常にプライドの高いことで知られている二宮が、年下である彼に対して教えを乞うほどなのである。

 年長者でありながら下の者に下問して恥じることのない二宮の態度も尊敬すべきものだが、彼にそう思わせるほどの能力を出水は持っている。

 多くのボーダーの戦闘員は、出水の豊富なトリオン量と、それに裏打ちされた圧倒的な火力、射撃精度と複雑な作業である合成弾の合成について評価しているが、清治はそれらはもちろんのこと、現場での洞察力と判断力、そして考えの柔軟性を高く評価していた。

 実は出水と清治は、太刀川隊のオペレーター国近を通してかなり親しい間柄であった。国近はボーダー屈指のゲーマーであり、しばしば清治の『女子力』サイド・エフェクトの世話になっている。

 清治は清治で、アセンブラと呼ばれる古くからあるプログラミング言語を使って、古き良き8bitコンピュータゲームのようなゲームを作ることを趣味としている。

 このゲームはボーダー内でも意外に好評で、ゲーム好きな年少の隊員に人気が高い。出水は、国近といっしょに清治が作成した試作ゲームの試験プレイをしているのだ。ゲームバランスの良いものを作るためには必須の作業である。

 余談だが、そんな清治の作る『レトロゲー風』ゲームの一番のファンは、メディア対策室長の根付である。

 その出水の『フリ』に、嵐山隊の佐鳥 賢がつり出されてしまったのである。しかし、これについて彼を責めることはできないだろう。それだけ出水のフリが巧妙だったのだ。

 一方、まんまとつり出された格好の佐鳥だが、彼もまた能力の高いスナイパーである。両手にイーグレットを携えて行う『ツインスナイプ』は彼の唯一無二の技であり代名詞であった。

 もっとも、他のスナイパーたちからすれば、両手が塞がる上に隠密行動に不可欠なカメレオンやバッグワームを起動できなくなるこの狙撃法をわざわざ行わないというのもあるかもしれなかった。佐鳥のこれを習いたいと言ったのは、ボーダー広しと言えども清治一人だった。

 清治の意図はツインスナイプを習得することではなかった。その習得を通して、足場の安定しない場所での狙撃や利き手ではない方でのスナイプの方法を習得するつもりだったのである。

 狙撃の腕前は当真らに一歩譲る佐鳥だが、狙撃時の状況に左右されないという点においては彼らよりも実戦向きだと清治は考えている。

 戦闘の中で利き手を失い、そんな中でも仲間のために射撃をしなければならないケースがスナイパーにはあり得る。その際、利き手が無いので命中しませんでしたでは済まされない。

 いかなる状況、いかなる体勢であっても狙撃精度が落ちないというのは、それだけですでに希少かつ貴重な能力である。佐鳥はそれを天性のものとして持っているのである。

 もっとも、そうした素晴らしい能力を評価している人間は少なかった。スナイパーというポジションが他と比べて地味な上、普段の佐鳥のおちゃらけた態度が災いして彼自身の評価を下げてしまっているという悲しい現実があった。

 自身も普段の自身の行いから軽く見られる傾向のある清治からすれば、佐鳥は同じ臭いのする生き物だった。相身互いというか、同族意識というか、そういったものが無いとも言い難い。

「佐鳥めっけ」

 それにしても驚くべきは出水のトリオン量だ。アイビスの威力を考えれば、よほどのトリオン量の差がなければシールドなど貫通してしまう。そして、普段のおどけた態度とは裏腹に佐鳥はスナイパーランキング4位に名を連ねる実力者である。

 そもそもスナイパーは、その一撃必殺の性格上トリオン量が豊富でなければ務まるポジションではない。簡単に言えば、そのポジションをチョイスできるというだけで既にトリオン量的にはボーダーの水準を上回っているということだ。

 そんなスナイパーの、しかも上位ランカーである佐鳥のイーグレットによる狙撃をシールドのみで防いでしまうとは。

「陽介。スナイパーを片付けろ」

 即座に三輪が米屋に命じる。

「木虎」

 スナイパーは長距離狙撃ができる分、近寄られるとひとたまりもない。相手が三輪隊のエースを佐鳥に差し向ける以上、嵐山としてもエースの木虎にフォローを命じるのは当然だった。

 

 迅の放った第二撃を躱して、驚くほどの速さで太刀川が間合いを詰める。風間と歌川がカメレオンを起動したことに一瞬気を取られた迅は、危ういところで太刀川の攻撃を受け止めた。

「誰が負けて帰るって?」

 良く知る男の見せる、良く見る顔だった。太刀川は戦闘で手を抜くタイプではないが、この表情を見せる時は本気だ。

 当然と言えた。かつてはライバルであり、今は恐るべき黒トリガーを手に自分の前に立ちはだかる相手。本気で行かなければこちらが墜とされてしまう。

「できれば全員がいいな」

 いつもの茶化すような口調で迅は答えたが、実際にはそれほどの余裕はない。間合いを詰めた戦いになると風刃の特徴である遠隔斬撃の効果は低い。また、近間での立合いになると太刀川に分があるのは先刻承知のことだった。この間合いで太刀川に勝利しえる人間はボーダー広しと言えども2人しかいない。

 一方、一旦姿を消した風間と歌川は通信で風刃の性能を確認、というよりは風間が歌川にレクチャーしていた。

 物体に斬撃を伝播させることができるということ。攻撃範囲は使用者の視界の範囲であること。遠隔斬撃は放てる回数に制限があり、それを超えると一度リロードする必要があるということ。

 風刃からたなびいている光の帯の数は現在8本。つまり、遠隔斬撃はあと8度行えるということになる。

「あれがゼロになると再装填(リロード)の隙がある。その隙を逃さず殺しきるぞ」

 歌川に指示すると、今度は奈良坂と古寺に指示を出す。指示は2つだ。

 1つは太刀川の援護。例え太刀川の方が剣戟の腕前が上だとしても、迅を圧倒するほどの力量差があるわけではなかった。迅に当てることは困難だったとしても、援護射撃によって戦いにくい状況を作る必要がある。

 もう1つはある意味苛烈だった。

「俺たちに当てても文句は言わん」

 当初は説得を試みた彼を清治は『身内には甘い』と評したが、一旦戦闘になると話は別だった。例えどのようなことになっても必ず迅を堕とす。誰かが生き残りさえすれば黒トリガー奪還命令は遂行可能だと判断してのことだった。

 太刀川は徐々に迅を追い詰めて行った。大きな力量差があるわけではないとはいえ、やはり剣での勝負では太刀川の方が一枚上手である。一合、二合と互いに剣を撃ちあううちに、徐々に体勢が悪くなっていく。

 さらに、そうして悪い体勢になってしまった所を、奈良坂・古寺の両スナイパーが効果的に射撃する。未来の見える迅はそれに対処するが、そのたびに太刀川の回避は不能、防御も難しい斬撃がうなりをあげる。

――― こんなことなら、ムサさんにこっちもちょっと手伝ってもらや良かったな

 真剣にそう思いつつも、これもまた迅の思惑通りではあった。剣の腕前では自身を上回る太刀川を相手取るためには、『剣』で勝負していたのでは勝ち目が無いことは明白だった。

 そこで迅は一計を案じる必要があったのである。

「もう逃げ場はないぞ。黒トリガー」

 迅が追い込まれたのは、既に放棄された一般家庭のガレージだった。一般家庭とはいえ裕福なのだろう。自動車を2台ばかり収めることができる比較的広いガレージだ。

 迅を追ってガレージに脚を踏み入れた太刀川を風刃の斬撃が襲う。壁を伝って天井へ。そして天井から太刀川へ向かって強烈かつ回避不可能な斬撃が放たれる。

 その瞬間だった。姿を隠していた風間と歌川もガレージ内へ姿を表す。背後を取った歌川は迅に組み付き、間合いを詰めた風間は足から出したスコーピオンを地中伝いに迅の足へ刺す。

()()()()()か…!」

 未来視のサイド・エフェクトの持ち主である迅だが、起こりえる未来の全てを完全に読めるわけではない。また、仮に全てを読めたとしても、読んだ全てを完全に記憶できるわけではない。

 いずれにしても迅の動きが止まってしまった。風刃の斬撃は既に7発放っている。あと1撃のみで残り全員を相手取るのはいかにも難しい。

 その時だった。歌川の視界の端を新たな敵の姿がよぎった。()()を手にした清治の姿である。

「武蔵丸さん!?」

 歌川のその声よりも遥かに速く清治が風間に肉薄する。だらりと下げた手に握った孤月を、一挙動で肩まで持ち上げた速度は驚嘆すべきものだった。だが、当の風間本人は清治の接近に気がついていないようである。

 とっさのことで、風間をかばうべく歌川が迅から手を放す。その瞬間、風間・歌川両名ごと旋空で両断すべく動いていた太刀川の右腕と、歌川の動きに驚いて1/4歩ほど下がった風間の左足を風刃の斬撃が薙ぎ払った。

「ふぃ〜」

 ギリギリのところでようやく思い描いた形に持ち込むことができた迅は1つ大きなため息をついた。

 そして、先ほどの歌川の不自然な動きについて、ようやく思いを巡らせるゆとりができた。

――― ムサさんだな。きっと。こっちは構わないでって言っといたのに

 とはいえ、そのおかげでどうやらこちらは勝利が確定のようだった。もっとも、迅としてはまた清治に助けられたという思いの方が強いのではあるにしても。

 

 再び嵐山隊の方に目を戻すと、2箇所で戦闘が行われている。三輪・出水と嵐山・時枝、少し離れた無人マンションの中では、米屋と木虎がそれぞれ戦っている。

 当初は互角に切り結んでいた米屋と木虎だが、徐々に米屋が押し始めた。近接戦闘の単純な能力比較では米屋の方に分があるようだ。しかも、先に清治によって米屋の槍は握りの長さを自在に調整できるように改修されている。狭小エリアでの取り回しは驚くほどに改善されているのだ。

 外での戦闘も激烈だ。時枝と三輪のアステロイドの打ち合いを皮切りに、合成弾以外のガンナー及びシューターの使用するほぼ全てのトリガーを駆使してのすさまじい銃撃戦である。

 射手の好きな軌道を設定できるバイパーというトリガーで出水が嵐山を狙う。一般的なシューターやガンナーであればこの軌道は予め自分の戦闘スタイルに合わせて設定しているが、彼は戦況に合わせてリアルタイムで軌道を設定することができる。

 これは他者には不可能な芸当であり、ボーダーのシューターおよびガンナーの中でも彼と那須隊の隊長である那須 玲にしかできない離れ業である。

 この攻撃を、嵐山はシールドで防ぐ。だが、出水の狙いはさらに別にあった。

 シールドで防ぐといっても限界がある。シールドを広く展開すればそれだけ使用するトリオンが薄くなるため強度が下がる。それを防ぐために攻撃を受けている箇所に集中して展開するのが普通だ。

 だが、そうなれば『今現在攻撃を受けていない』ところはがら空きになる。出水はそこを狙ってさらに追尾弾であるハウンドを放つ。

 思わぬ方向からの狙撃から嵐山を救ったのは『できるキノコ』時枝だ。素早くシールドを展開して出水のハウンドから嵐山をガードする。

「サンキュー充」

 時枝は自身の戦闘力も相当だが、得意とするのは嵐山との連携およびサポートである。二人の連携は清治からすれば『二人で四人分』と言わしめるほどのレベルである。

 刹那、三輪の放った鉛弾(レッドバレット)が嵐山を襲う。これは直接的な破壊力は皆無だがシールドには干渉しない。故にどれだけシールドを展開しても防ぐことはできず、防御するにはそれを躱すしかない。

 並の射手の放ったそれであれば、嵐山ほどの使い手であれば難なく全弾躱してしまったことだろう。だが、それを放ったのは三輪である。非凡な射手と言っても良い彼のそれは、撃つタイミングも狙った場所も極めて的確だった。そして、その性質上ただ1発当ててしまえば目標は達成できるのである。

 嵐山の足に2発命中し、すぐに重しに変化する。1つの重さはおよそ100kg。トリオン体であっても自由に動くことが難しくなる重さだ。

「よしよし。足が止まったな。シールドごと削り倒してやる」

 圧倒的火力で嵐山を墜とすべく、出水がアステロイドを大量に放つ。仮に時枝と嵐山の二人でシールドを展開しても防ぎきれないであろう弾数だ。

 命中するというまさにその瞬間だった。まるで存在そのものがかき消えたかのように嵐山が姿を消した。そして、思いもよらぬ場所に唐突に出現する。

「出水後ろだ!!」

 三輪が大声で指示を出す。嵐山は試作トリガーである『テレポーター』を使用して窮地を脱し、かつ効果的に時枝と二人で出水を挟撃できるポイントに瞬時に移動したのである。

「テレポーターか!」

 シールドを展開しつつ離脱を図る出水に、嵐山と時枝の放つアステロイドが容赦なく降り注ぐ。

 なんとかその場を離れることができた出水だったが、軽くはない傷を負ってしまった。

「おい出水。動けるか?」

 問いかける三輪に出水がなんとか答える。

「大丈夫… 心臓と頭は避けた… けどあー… トリオンがもったいねー」

 ボーダーでもトップクラスのトリオン量を誇る出水だが、それだけで嵐山隊ほどの使い手と渡り合うことができるとは思っていない。しかし、それが自分にとって最大の武器であることも知っている。それ故に、僅かなトリオン流出でさえも惜しむのである。

 さて、マンションの中では木虎と米屋の戦いも佳境に入っていた。徐々に米屋が木虎に追い込んでいたが、その木虎がついに後退をやめたのである。

「おっ。逃げるのはここまでか?」

 言いつつ槍を振るおうとする米屋の利き手が、妙なベクトルで引っ張りあげられる。

「… ワイヤー!?」

 この隙を木虎が見逃すはずもなかった。彼女は米屋に押し込まれている態で後退しつつ、密かにワイヤーを張り巡らせていたのである。

「暗くて全然見えなかったでしょ?」

 見事な作戦だった。現に米屋ほどの使い手の心臓… トリオン供給帰還をスコーピオンで貫いている。

「終わりね」

 勝敗は決した。だが、ここは戦場だ。勝敗が決した後であってもできることがある。

「… と思うじゃん?」

 米屋は自身が戦線から離脱する前に相手にダメージを与えるための手段に出た。木虎ごと外に飛び出したのである。

 米屋の意外な行動に木虎は驚いたが、その真意をすぐに理解した。移動用のオプショントリガーであるグラスホッパーを持たない木虎は、空中で体勢を立て直す術を持たない。

 そして、外では三輪と出水という、腕に覚えのあるオールラウンダーとシューターがいる。彼らにとって木虎は『落ちてくる的』でしかないのである。

「弾バカ! 出番だぞ!」

 米屋が出水に呼びかける。

「誰が弾バカだ。ハチの巣にするぞ」

 言いつつ出水は大量のアステロイドを放つ。木虎はシールドを張るが、彼女のトリオン量ではとても凌ぎきることはできないだろう。

 その時だった。時枝が木虎をサポートしてシールドを展開し、出水のアステロイドを見事に防いでしまったのだ。

「時枝先輩!」

「マジか」

 木虎と出水がそれぞれ口にするその間に、さらに驚くべきことが起こった。

 その時枝を狙って当真がイーグレットを放ったのである。ノーマークだったため、そして当真の精密な射撃の腕前のため、正確に時枝の頭部を撃ちぬいたのである。

 三輪と出水を含めた全員が完全に虚を衝かれた。これぞスナイパーの真骨頂であり醍醐味である。

 当真はさらに木虎を狙った。当然のことだったが、これは時枝に防がれた。誰よりも早く状況を認識した彼は、自分と共に隊のエースである木虎を墜とさせるわけにはいかないと考えたのだ。

 時枝は落下しつつも木虎の腕をつかんで引っ張った。木虎の落下速度が一瞬上がり、彼女の頭部を狙った当真の弾丸は左足に命中するにとどまったのである。

時枝(とっきー)と木虎の片足か。まあ損はしてないな」

 米屋はそう言ったが、実際には大きな損をしたことになるのが後になって分かることになる。ここに至って、ついに清治の参戦の条件が揃ったのである。

 ただ、彼らはそのことを知らないし、知っている嵐山たちにしてもそのことに心をくだく余裕は無かった。

「すみません嵐山先輩。詰めを誤りました」

 自身にも厳しい彼女らしい言葉で木虎が詫びた。

「反省は後だ。まだ終わっていないぞ」

 嵐山の言う通りであった。当真がこちらに移動してきた以上、清治を除外すれば佐鳥を入れて人数は五分。相手は出水が多少トリオンを漏出させたとはいえ戦闘に支障の無いレベルだ。

 対してこちらは三輪の鉛弾と当真の狙撃によって、嵐山と木虎の足は削られてしまっている。機動力からすれば圧倒的に不利な状況であった。

「これで3対2」

 三輪は佐鳥のことを頭数に入れるのを忘れている。

「しかも2人とも足は封じた。このまま…」

 言いかけた時、何かが凄まじい速度で飛来するような空を切る音が聞こえた。その瞬間、何か細長いものが出水の眉間を貫いたのである。

「!!」

「!?」

「!!」

「!!」

「!!」

 当真も含め、その場にいた5人がそれぞれに驚く。その間にも出水は緊急脱出してしまった。後に残ったのは、彼の頭部を貫いた棒状の何かである。

 米屋の持つ槍のそれよりやや長めで、直径は約3cmほど。白とも灰色ともつかぬそれの持ち主を、その場にいる全員が知っていた。




ジャンプ漫画らしい引きにしてみたつもりですがいかがでしょう?(^^


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D04 悲しみの端に

ちょっとムシャクシャすることがあったので今日アップ(^^;


 冬の冷たい夜の闇を切り裂くかのように、緊急脱出した出水が放物線を描いて飛んで行く。と同時に、何か堅いものが転がるような乾いた音が周囲に響き渡った。

「武蔵丸の棒… あいつをここに控えさせて誘い込んだのか!?」

「え? あ、ああ。その通りだ」

 思いもよらぬ出来事と怒り心頭の三輪の言葉に押され、嵐山は誰が聞いてもそれが嘘だと分かることを口走ってしまった。無理もない。彼は戦略上必要とはわかっていてもこうした嘘は苦手だし、清治の唐突な攻撃など、今の今まで念頭に無かったのである。

 返事の拙さに三輪は若干怒気が削がれてしまった。木虎も冷や汗をかいている。これもまあ、無理からぬことだろう。

 ところで、これで形勢が完全に変わったと言って良かった。三輪と当真は無傷であるが、前衛は三輪しかいなくなってしまった。足をそがれてしまったとはいえ、嵐山と木虎の2人は強敵である。当真との即席の連携で彼らを殺し切れるかどうかは微妙なところだった。

 さらに気に入らないのは清治の存在である。完全に虚を衝いた攻撃でこちらの度肝を抜いたというのに、全く姿を現さないのである。

「そこにいるんだろう武蔵丸!」

 再び怒気をこめてそう云う三輪を諌めたのは月見だった。

『落ち着いて三輪くん。武蔵丸くんはもうそこにはいないわ』

 冷静にそう言う彼女の言葉に三輪は驚いた。

 月見が言うには、清治は夜闇の中に身を隠し、攻撃を放った瞬間にその場を離れたと思われる。

「彼が奇襲の際に姿を表すことなんてほとんど無いわ。あるとすれば戦闘が完全に終了した時よ」

 以前、清治らと共にネイバーフットに遠征に出たことのある彼女の意見は正しいように思われた。

 奇襲をかけた直後に姿を消す。ということは、清治はさらに次の獲物を求めて移動したということになる。次の獲物。それが誰かを考える必要など全くなかった。

『三輪くんは目の前の二人の対処を。当真くんはこれから指示する方法・経路で移動して』

「「了解!」」

 月見は、ボーダーきっての戦術家である東の正当継承者と言われるほどに戦術に通じていた。その彼女の判断はまさに的確だった。

 当真は、月見の指示に従って高所から降りると一旦トリオン体を解除した。清治の『目』から逃れるためには効果的な方法だった。

 清治の目から逃れることは、トリオン体である限りほぼ不可能だ。最新の計測では、清治の視界の範囲は体調によって上下するが、概ね100〜120km。その範囲内であれば、壁などの遮蔽物があった場合でもトリオン体を『見る』ことができるのである。

 既に当真の位置は清治に捕捉されていると言って良かった。そして、月見は清治がいたとおぼしき地点から当真の現在位置までの、清治が通るであろう進路を一瞬にして予測したのである。

 その進路から外れ、かつ三輪と共闘して嵐山と木虎を攻撃できる地点を導き出したのだ。

 清治の戦法を見抜き、そのルートを予想し、それを回避して戦闘を継続するための方策を導き出す。月見の戦術眼はまさに非凡であると言えた。

 この判断は正しいものだった。おそらくこれで、少なくとも次の狙撃までは清治は当真の位置を把握することはできなかったであろう。()()()()()()

「ほ〜。えぇルートを選ぶもんぢゃ。さすがはお蓮ちゃんぢゃ。見えんかったら分からんかったろうて」

 佐鳥と落ち合うルートで彼を待ちながら、清治はタブレット端末を覗いていた。彼の張った『枝』は、なんと本部の作戦コンピュータの中にも入り込んでいたのである。これは清治にとっても意外であり、本当なら今すぐにも戦闘を切り上げて鬼怒田に伝えたかった。端的に言えば由々しき事態である。

 清治は『おしおきくんれん棒』を出水に投擲したあと、すぐにカメレオンを機動して姿を隠し、嵐山たちから一定の距離を取るとすぐさまバッグワームに切り替えた。こうしたオプショントリガーの切り替えの上手さについては清治は自らに頼むところであったし、実際にボーダー内でも清治ほどこれを上手くこなすことができる者はいなかった。地味ではあるが、清治が他のボーダー隊員に対してアドバンテージがあると自負する数少ない点であった。

 カメレオンを機動したことによってレーダーに捕捉される可能性はあったが、その後の動きまでは捕捉されることはないだろうと清治は考えていた。仮にレーダーに写ってもほんの一瞬だし、それで捕捉されたとしても後の動きは予測するしかない。

 仮に予測されたとしても、それが正解かどうかは相手にも自分にもわからない。いずれにしてもさほど支障はないだろうと考えていた。

 そう考えてはいたが、さすがに月見はかなりの確度で清治の動きを予想していた。ルートの予測ももちろんだが、清治の『目』から逃れるための方策を当真に授けていたのである。

 見事だと言いたいところだが、実際のところ清治は『枝』によって相手のほぼ全ての動きを把握していた。有益ではある。だが、同時に清治程度の技術と知識があれば、誰でもボーダーに対して『枝』を張れるという驚くべき事実をつまびらかにしたに等しい。

「ムサさん」

 待ち人がやってきた。佐鳥である。

 待っていたとはいえ、別に細かい話をする必要など全く無かった。当真の方が清治がなんとかするから、嵐山と木虎のどちらかが堕とされる前に三輪を止めろというだけのことである。

「さっきは出水先輩にまんまとつり出されちゃいましたからね。次はちゃんと当てないと、後から木虎に何言われるかわかったもんじゃない」

 佐鳥がいつもの調子でそう言う。

「ぢゃね。もっとも、あいごんも詰めぇ誤っとるから、そう偉そうにも言えんはずぢゃがね」

 そう言って二人でクスクスと笑い合うと、互いに自分の目標地点に向かった。別れた一瞬、言いようのない寒気が佐鳥を襲って思わず振り返ったが、既にそこには清治の姿はない。レーダーの精度をほんの少しだけ上げてみたが捕捉できなかった。

 ということは、清治はカメレオンを機動したのではない。バッグワームを機動したまま今の一瞬で文字通り姿を消してしまったということだ。

――― あんなの絶対捕捉できねぇ

 佐鳥は密かに、清治が強襲部隊側に入っていないことを感謝した。

 

 ほぼ2対1ではあるが、機動力の無い嵐山たちの方がやはり不利だ。三輪は無傷だし、清治の抑えがあるとはいえ当真も健在だ。そちらを警戒しつつ三輪と対峙するのは骨の折れる仕事だった。

 オールラウンダーの三輪は近接戦闘においても恐るべき手練の持ち主である。接近されることは避けねばならなかった。

「私達の足じゃいずれ追いつかれます! 狭い道を利用しましょう!」

 木虎の提案を受けて、嵐山は当真の射線に注意しつつ狭い路地へと入って行った。

「! 路地に入ったか…」

 三輪としては考えざるを得ない。通常、狭い場所を利用するのは少人数で多数の相手を迎撃する場合だ。

 この場合、相手の人数の方が多いし、それでもたかだか2人だ。狭小地での戦闘におけるメリットはお互いに特に無いはずだ。

――― テレポーターが厄介だな…

 一番警戒すべきなのは、奇襲をしかけられることだった。三輪が路地に足を踏み入れた瞬間に、テレポーターで背後を取られればどうだろう。いかに三輪でも、嵐山と木虎の2人から集中放火を浴びたのではかなわない。

 こちらから仕掛けない限り嵐山たちは攻撃してくることは無いだろう。この奇妙な『間』を利用しない手はなかった。

 一方、その『間』を利用しているのは嵐山たちも同じことだった。三輪が不用意に踏み込んでくることはないだろうと考えた嵐山は、次の三輪の一手を考える。

――― 出水がいれば爆撃してくることも考えられるが… 三輪ならどうする?

「賢。まだいるよな?」

 嵐山が佐鳥に通信する。

「はいはい。ひっそりと生きてますよ」

 佐鳥は返事をした際に、先ほど清治に会って当真の方は彼が引き受けてくれたことを伝えた。

「それで何やってるんですか佐鳥先輩。まじめに働いてください」

「この辺マジで射線通んないんだって! それにちゃんとムサさんと連絡とったじゃん!」

 そんな2人のやりとりをよそに、嵐山は佐鳥にレーダーの精度を10秒だけ上げることを命じた。

 レーダーは基本トリガーであり、B級以上の隊員のトリガーに標準でついているが、使用中はわずかではあるがトリオンを消費する。そのため、小隊の場合は隊のうちトリオン量に余裕のあるものがレーダーを使用して他の隊員の共有するという使用方法がセオリーである。

 先にも述べた通り、スナイパーはそのポジションを希望できるという時点でトリオン量が多い。この場合佐鳥が適任なのは自明のことだ。

 レーダーを確認した嵐山は、三輪と当真が迅の方に向かっていることを確認した。

「罠ですね」

 木虎の言う通りだった。

『そんなら、そっちはとにかく三輪っちだけを釘付けにしてくれりゃぁえぇ』

 嵐山隊の通信に、突然清治が割って入った。

「ムサさん!? 一体どうやって…」

『どうもこうもなぁよ。この『演習』の間にちょ〜っと悪さしちゃろうと思ったら、本部の作戦コンピュータん中に入り込んでも〜た。おかげでお蓮ちゃんのもはるちーちゃんのも丸見えよね』

 困ったような口調で言う清治。実際に困っているのだろう。作戦コンピューターの管理は開発室の管轄である。その開発室に籍を置く清治が外部からハッキングしてしまっているのだ。これはもう笑い事ではない。

「しかし、どうやって三輪を惹きつけたものか…」

『難しいようならそのままでえぇよ。どちらもわしが狩れば済むことぢゃ』

 後半の言葉は、今まさに現場にいる嵐山たちはもちろん、通信を聞いていたオペレーターの綾辻 遥と、ベイルアウトして一息ついていた時枝の二人も戦慄するほどのものだった。あまりに無機質で、あまりに無慈悲な殺意がこもっていたのである。

「わかった。三輪の方は俺たちでなんとかする」

 嵐山としては、そう答えるより他無かった。

 

 綾辻がいくつか提示した狙撃ポイントから、比較的見晴らしの良い公園に嵐山はやって来た。文字通り三輪と当真を釣りだすためだった。

 ただ、三輪から姿が見えるのは嵐山だけだ。木虎は奇襲を期してバッグワームを機動させて控えているに違いない。どちらも足は殺されている。他の作戦の取りようなどないはずだ。

 出水が脱落したとはいえ、三輪の火力も相当なものだった。広い場所でほとんど動けない嵐山は良い的でしかない。

「うへぇ。罠だとわかってても出てこなきゃなんないのが、正義の味方のツライところだな」

『なら、お前が替わってやりゃぁえぇ』

「!!」

 唐突に当真に通信して来たのは、未だ姿を現さない無責任野郎だ。驚いて周囲を警戒するが姿も気配もまるで無い。

 程なく当真、三輪、そして未だ迅に堕とされることなく粘っている太刀川と風間、彼らをオペレートしている月見の通信に、低い声で唸るような不気味な歌が響き始めた。

「なんだこれは!?」

 言うまでもなく清治の声だ。曲はとあるアメリカの有名なシンガーソングライターの古いヒットソングだった。なんでも、米国西部開拓時代のガンマンが死に行く際の心境を歌っているのだそうだ。

 三輪は動揺した。木虎の奇襲を警戒していたが、ここに来て清治の襲撃にも気を配る必要を感じたからだ。

――― 武蔵丸は当真さんの方に行ったんじゃないのか!?

 状況的にどちらか判断がしにくい。あるいは、木虎の奇襲さえも囮にして清治が自分を攻撃してくる可能性だってある。さらに清治はパーフェクトオールラウンダーだ。仮に黒トリガーを使用しないにしても狙撃用のトリガーを携えて参戦しいる可能性も十二分にある。

――― くそっ! そうなると射線の通る位置に俺がいるのはマズい!!

 佐鳥の存在もあった。佐鳥と清治が協力して自分を狙撃して嵐山を援護する可能性もある。無責任男が混じっているだけで、これほど多くのことを考慮しなければならなくなるとは。三輪は自分の立ち位置に気をつけながら、それでいて嵐山を狙う必要がある。

 嵐山にはテレポーターがある。これもまた奇襲にはうってつけだ。これらを全て警戒しながらの戦いとなると、さすがの三輪も相当な胆力を要せざるを得ない。

 一方当真の方も状況は似たようなものであった。どのような方法で通信に割り込んで来たのかは分からないが、既に清治に居場所を捕捉されていると考える方が賢明だった。

――― 意味があるかどうかは分からねぇが、もう一度逃げというた方が良さそうだな

 そう考えた当真は、先ほどの移動手順と同様に建物から飛び降りた。着地してトリオン換装を一旦解除し、生身のまま少し走ってからトリオン換装を行うつもりである。

 ところが、その目的は果たされることはなかった。なんと落下中に首を切り落とされたのである。

 驚愕する当真の視界に巨大な鋏のようなものが見えた。彼はそれを遠征に出発する前に清治から見せられている。

 例の高い所を切ることに適しているということで通信販売で人気の鋏をヒントに作ったというそれを見て、当真は率直な感想を述べた。

「ムサさんさー。あれって、切った後のやつを掴めるから人気なんだろ?」

 それを聞いた清治は、やあその通りぢゃ。忘れとったよと言って笑っていたのを今でも良く覚えている。

「なるほどね… 首を切り落とすんなら、掴む機能なんていらねぇな。やられたよ」

 そのまま当真も緊急脱出を余儀なくされた。

「バカな! 当真さん!?」

 当真の緊急脱出の光を認めた三輪は驚かずにはいられなかった。

 そんな三輪を前に、嵐山はようやくひとごこちついた。そのそばにはいつの間にか木虎がいる。

 三輪はようやく彼らの作戦を理解した。木虎の奇襲の線はそれ自体が布石に過ぎなかったのだ。

 嵐山を囮とした木虎の奇襲。その木虎をも囮とした清治の奇襲。あるいは佐鳥と清治による自分または当真に対するスナイプ。その全てが『フリ』だったのだ。自分をここに惹きつけ、清治に当真を堕とさせるための。

「くっ… 嵐山!!」

 嵐山をアステロイドで撃ち抜こうとする三輪の両腕を佐鳥のツインスナイプが撃ちぬいた。

「OKOK。今度は当てたぜ」

 佐鳥が得意げにそう言った。彼としてもようやく戦闘で役立つことができたのである。

「広い場所で戦ったのは失敗だったな。三輪」

「くっ!」

 腕を失ってもまだ戦意を失わない三輪だったが、迅たちの方角からさらに2つの緊急脱出の光を見てさすがに諦めた。

『三輪くん。作戦終了よ。太刀川くんと風間さんが緊急脱出したわ。奈良坂くんたちも撤収中よ』

 

「嵐山さん。ネイバーを庇ったことをいずれ後悔するときがくるぞ」

 三輪はどうしても言わずには居られなかった。彼のまぶたの裏には今もありありと残っている光景があった。それまで住み暮らしていた町並みが、突如として理不尽に破壊されたあの日の光景が。

 瓦礫と化した自宅や近所の家並み。逃げ惑う人々の阿鼻叫喚。横たわる二度と動かない人々。その人々と同様に心臓付近を繰り抜かれて絶命している最愛の姉。降りしきる冷たい雨…

 何もかも忘れられない。忘れてはならない惨劇の一幕だった。彼はその行為を行った者達を始末するため、失われた大切なものの慰撫のため、絶対にネイバーを見逃すことはできないのである。

「あんたたちはわかってないんだ。親しい人間を殺された人間にしか、奴らの本当の危険性は理解できない。ネイバーを甘く見ている迅は、いつか必ず痛い目を見る。その時には、きっと手遅れだ」

 だが、嵐山は三輪の言葉に否定的な見解を示した。迅は母親をネイバーに殺されているのだ。そのことを知らなかった三輪はさすがに驚愕する。

「ネイバーの危険性さも、大事な存在を失うつらさもわかったうえで、迅には迅なりの考えがあるんだと、俺は思うぞ」

 正直に言えば、三輪にも覚えがないわけではなかった。ただ、迅の普段の軽薄な態度が彼の態度なり考えなりを固くしてしまった感も否めない。認められなかった。認めたくはなかった。

 認めてしまえば、今まで自分がやってきたことは、積み上げてきたものは何だったのだという話になってしまう。

 ネイバーは全て殺す。それがボーダーの基本姿勢のはずだし、自分もそれに従って来た。それを今更…

「なら武蔵丸はどうなんだ! あいつは…」

「ムサさんなら尚の事だ。ムサさんは前の侵攻の時に両親を失い、直接の原因ではないがおじいさんも亡くしてる。ムサさん自身も死にかけたんだぞ」

 嵐山は、あの日清治を救助した忍田から、当時の状況を聞かされたことがある。

 土砂降りの雨、重く垂れ込めた冷たい闇の中で、右腕と左足、頭部の一部を切り裂かれた少年が倒れていた。

 助かるわけがない。むしろ、もう生きてはいないだろう。忍田はそう思った。

「大丈夫か?」

 そう思ったにもかかわらず、何かに促されるかのように忍田は少年にそう問いかけた。大丈夫なわけがないのは見れば分かるというのに。

 呼びかけて、なぜ自分がそうしたのかを疑問に思った瞬間だった。少年が閉じていた目を開き、次いで眼球をこちらに向けてきたのである。

――― 生きている!!

 相手が生きている以上、忍田に救う以外の選択肢はなかった。結局助からないかもしれないが、それでも救助しないという考えなど彼にはありえないことだった。

「今生きている方が不思議なくらいだったそうだ」

 三輪は押し黙るしかなかった。いや、むしろ絶句していたという方が正しいだろう。それほどの衝撃だったのである。

 飄々としてどこか掴み所のない雰囲気を醸し、ヘラヘラとしながら寄って来て、ずかずかと自分の間合いに入って来る。

 そんな清治がまさかそんなことが…

 であれば、何故自分に与しない? 何故ネイバーに加担する? 三輪は益々わからなくなってきた。

「くそ!!」

 やるせのない怒りと戸惑いが言葉と行為に現れた。その声と壁をたたく音は冬の夜闇にかすかに響いて消えていくのだった。



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D05 穴はふさがにゃぁならねぃ 

田舎&実家住まいの独身非モテおっさんにゃ、帰省ラッシュも何のその(^^;


「一体どうなっとるんだ!! 迅と武蔵丸の妨害! トップチームの潰走!」

 ボーダー中央会議室で、怒気も顕に鬼怒田が吠える。無理もないことだった。

 今から1時間ほど前、先ほど出撃した強襲部隊が空閑の黒トリガーの奪還に失敗したとの報が届いたのである。

 詳細としては、強襲部隊は玉狛支部の迅と、それに協力した清治、嵐山隊によって退けられたというものだった。

 ただちに最高幹部に会議招集の通知がもたらされたが、幹部だけあってすぐにそれに応じることができる者はいなかった。

 メディア対策室長の根付がいち早く会議室にやって来たが、忍田本部長も含めた本部所属の最高幹部全員が揃うにはさらに20分もの時間を要したのである。

「武蔵丸くんのことはそちらの管轄ではないですか? 開発室長」

 根付が茶化すとも揶揄するともなく放った一言に、鬼怒田は顔をしかめつつも黙るしか無かった。確かに清治は、エンジニアとしては鬼怒田の部下なのである。

「そ、それはともかくだ! 問題は何よりも… 忍田本部長!!」

 先ほどから静かに腕組みをして物思いにふけっていた忍田に向かって鬼怒田が気焔を上げる。

「なぜ嵐山隊が玉狛側についた!?」

「なぜ?」

 鬼怒田の問いに答える忍田の声は、質問者のそれとは反対に極めて静かなものだった。だが、その言葉に含まれる怒気と殺気はその場を凍りつかせるには十分なものであった。

「それはこちらの台詞だ。なぜ論議を差し置いて強奪を強行した?」

 さすがの鬼怒田も、この忍田の放つ気配に気圧されてしまった。現在のボーダートップ隊員である太刀川の師にして、ノーマルトリガー最強と呼ばれる忍田のそれである。

「これ以上刺客を差し向けるつもりなら、今度は嵐山隊ではなくこの私が相手になるぞ。城戸派一党」

 最後のセンテンスにどれほどの怒りが込められているのかが如実に現れている。忍田もまた、清治とは違う理由で彼らの行動を『強盗』と断じているのだ。

 主流派である城戸司令以下の人々とは一線を画し、玉狛ともまた違う独自の路線で防衛にあたる彼らしい考えであり態度であった。

 この忍田の発言にはさすがの城戸も少し驚いたようだ。わずかに口を開いて忍田の方を見ている。

―――怒らせたのはまずかったな… ここはやはり懐柔策を…

 一連のやり取りを見ながら唐沢はそう思った。彼は黒トリガーの奪取について積極的に反対はしなかったが、当初に口にした通り交渉と抱き込みの方が事は穏便に済むだろうという考えを持っていたのである。

「… ならば仕方あるまい。次の刺客には天羽を使う」

 城戸の放った一言は忍田さえも顔色を変えさせるのに十分、いや十二分であった。

 天羽 月彦。ボーダーにおいて3つある黒トリガーのうち最後の1つを持つ男。ノーマルトリガーの使用においても迅に近い実力を持ち、黒トリガーにおいては迅さえも凌ぐとされるボーダーの最高戦力だ。

 黒トリガーの威力もさることながら、その見た目があまりにも人間離れしているがために、根付などからはボーダーに対するイメージの低下につながると見られている人物である。

「まっ、待ってください城戸司令! 彼を表にだすとボーダーのイメージが…」

 根付が言うには、彼の戦いを一般市民に見られてしまうと、ボーダーに対するイメージが大きく損なわれるという。黒トリガーの重要性は十分に認識してはいるが、彼としてはボーダーの表の顔のイメージもそれと同等かそれ以上に重要だった。

「街を破壊する気か…」

 新たな怒気をこめて忍田が言う。街の安全を最優先とする彼にとって、一帯が平地と化してしまうほどの威力を持った天羽を防衛以外の任務で使うことなど許容できようはずもなかった。

「トップチームを退け、その上ノーマルトリガー最強の忍田本部長が加わるというのであれば、こちらとしてもそれ相応の対応をするほかはない」

 城戸としては、何がなんでも空閑の黒トリガーを入手するという不退転の決意を表明したのである。これには誰もが押し黙る他ない。ところがである。

「あんれま。そんなら喧嘩ぢゃのぉて戦争でっせ」

 こうした、凍てつくツンドラ平原のような会議室の空気をものの見事に叩き壊すのは、声の主にとってはお手の物であった。

「どぉ〜もぉ〜。こんな時間まで会議とは、エラい人は大変ですのぅ」

「武蔵丸! 貴様!!」

 鬼怒田が再び勢いを取り戻した。

「武蔵丸くん。君はいつからここに」

 少々呆れたような表情で唐沢が言う。

「いつからも何も、最初っからおりましたよ。わしねっさんといっしょにここに入ったし」

 これには一同も完全に意表を衝かれた。後から防犯カメラをチェックしてわかったことだが、確かに清治は根付のすぐ後ろについて会議室に入っている。

 普段から足音も気配も完全に消して行動している清治にとっては当たり前のことだし、それに非戦闘員である根付が気が付かないのも仕方のないことかもしれなかった。

 会議室に入った清治は、後から入ってくる全員の死角になるところに立って、ずっと会議の様子を見ていたのである。驚くべきことであった。

「それで、何をしに来たんだね?」

 冷静に城戸が問いかける。清治はその問いに笑みを浮かべると

「先に結構な『演習』やっちょりましたな。せっかくなんでそん時に、ちょっと試したことがあって…」

と言い出した。

「演習だと!?」

 それぞれに異なる考えから同じ感情を持ち、同じ言葉を鬼怒田と忍田が発する。当然ながら彼らとしては、あの戦いを演習などという一言で片付けることなどできない。

「演習、ですよね…」

 そう言い放つ清治の目が一瞬に闇色に染まる。その瞬間、その場にいた全員が全方向から息詰まるほどの『殺意』が自分たちを貫くのを感じたのである。殺気ではない。殺意である。

 戦闘員としての経験のある城戸と忍田に至っては、瞬間的に自分たちの首が切り落とされる光景が目の前にありありと浮かんだほどである。鬼怒田や根付は当然ながら震え上がり、普段は飄々としている唐沢でさえも戦慄のあまり椅子から転げ落ちそうになったほどである。

「… その演習とやらで、何を試したと?」

 それでも努めて平静に城戸が清治に聞き返す。伊達にボーダーの頂点に立つ男ではなかった。

「ええ。ちょっとしたイタズラのつもりだったんですが… 正直シャレにならん結果だったんで急いで報告をと。詳細はこれから配る書類に書いてあります。ああ。ポンさんにはこちらの技術解説も見てもらえますか」

 そう言うと、先ほどの殺意を完全に消して、普段の調子で、しかし珍しく真面目な表情で書類を配り始めた。

 配られたものに目を通した幹部たちは、そこに書かれていたことに絶句した。そして、非難の視線を鬼怒田に向けた。当の鬼怒田は技術書を見て顔を真っ青にしている。赤くなったり青くなったり、忙しいことだ。

「おま… お前これをどうやって… いや、いつの時点でこんなことに気がついて…」

「いやぁ… 気がついてなんていませんでしたよ。ついさっきまで」

 

 清治の提出した書類はレポートだった。開発室のチーフの一人である寺島 雷蔵との連名で提出されたそれには、先ほどの『演習』において清治がしかけたことについて、経過と結果が詳細に書き記されていた。

 一言で言えば、トリオン体に対するハッキングである。外部からトリオン換装している人間のトリオン伝達機能に入り込み、その人物を操るといったものである。恐ろしい話であった。

 きっかけはごく些細なものであった。寺島は清治のことをエンジニアとしてはさほど高く評価していなかった。そこそこの技術を持った、まあそれなりに使えるヤツという程度の認識だった。そして、それは実に正しい認識でもあった。

 そんな寺島だが、映画の趣味が比較的近い清治とは、開発室のスタッフの中では親しい方に数えらる。しばしば二人で映画を見に行ったりDVDを見たりする間柄だった。

 その日二人が寺島専用の休憩室で見ていたのは、とあるアニメ映画だった。

 数年前にブームだった作品で、脳にマイクロマシンなどを埋め込んで人間の脳とコンピュータネットワークを直接接続したり、ほぼ全身を人工物に置換したりできるような世界を描いた、いわゆる『サイバーパンク』と呼ばれるジャンルだった。

「なんかトリオン換装に似てますね」

 映画の感想をひとしきり語り合ったあと、ふと清治がそうこぼした。

「そういや似てるな。もっとも、トリオン換装した人間にハッキングをかけるなんて真似ができるとは思わないけど」

 その時はこの程度の会話で終わったのである。

 しかし、いつもの『ある種のひっかかり』を覚えた清治は、勤務時間外の気が向いた時に、何となくハッキングが可能かどうかの検証をしてみることにしたのである。

 結果としては、『難しくはあるが技術的には実行可能』という結論に至った。清治は自分が独自で行っていた検証の経過と結果を寺島に報告し、内密に検証の継続を依頼したのである。

 事態が事態なので、寺島も密かに検証を行った。その結果が先の『演習』で清治が実際に使用したアプリの完成であった。

「細かい話はよしときますが、わしは演習の間中ずっと嵐山隊に貼りついちょりました。当然迅隊員の方には()()()()()()

 幹部たちは、まだ戦闘の詳細なログを見てはいないが、一応目の前にある書類に戦闘の経過が書かれてはいる。だが、各個人の細かい動きまでは書かれてはいなかった。

 ただ、書類には歌川が迅に張り付いた際の不可解な行動や、強襲部隊の通信にのみ乗った奇妙な歌声のことが書かれてはいる。

 鬼怒田に渡された資料には、当然ながらもっと詳細なことが書いてあった。

 歌川のトリオン伝達基幹にハッキングして、以前の自分と太刀川のログを見せたこと。その際、太刀川の映像は見えないようにしていたということ。補足として、清治の演習参加時のトリガー構成も掲載されていた。

「お前、本当にあれを作ったのか」

 少し疲れた様子で鬼怒田がそう洩らしたのは、例の『お徳用おおばさみ』の名をトリガー構成表の中に見出したからである。報告のあまりの内容に、鬼怒田ですらも息抜きを無意識に所望したのである。

 出てもいない汗をハンカチで拭いながら、鬼怒田はさらに資料を精読する。清治たちが作成したアプリは歌川のトリオン体だけでなく、本部の作戦コンピューターにも入り込んだというのだ。流石の鬼怒田も驚愕を通り越してしまった。

「こ、こ、こんなことが…」

 清治はエンジニアとしては格下に分類される。そのため、本部のインフラを利用するにしてもその権限レベルはかなり低い。ところが、ツールを使用したハッキング状態だと最上レベルの権限が何故か付与されたというのだ。

 簡単に言えば、基地システムのどの領域も入り放題、見放題、改変し放題な状態なのである。

 さすがにそこまではしなかったが、作戦行動中の強襲部隊と嵐山隊のオペレーターが使用しているデータおよび回線は自由に使えた。清治の下手くそな歌は、月見が使用していた機器をそのまま利用して強襲部隊全員の通信回線に乗っていたのである。

「もう雷さんに初期調査を頼んどります。おそらく今日未明には結果が見えると思うんですが…」

 清治が真面目な顔をして説明しているのは珍しくもあり可笑しくもあったが、誰も笑うことができないような内容だった。黒トリガーの奪取も重要だが、清治たちが見つけたこの問題もまた、ボーダーの根幹を揺るがす由々しき事態であると言えた。

「鬼怒田開発室長…」

 顔色を白黒させている鬼怒田に城戸が静かに語りかける。

「本件をボーダーにとって最重要課題と認定する。すぐにも開発室で調査と改善を行い給え」

 鬼怒田はその命令を受領すると、清治を伴って会議室を退出する。迅が風刃を携えて会議室に訪れたのは、彼らを入れ違いだった。

「迅!」

 出るなりそういった鬼怒田だが、最初ほど強い怒気を含んだ声ではなかった。当然だろう。目下のところ、黒トリガー奪取の失敗よりも大きな出来事が目の前にぶら下がっているのだから。

「こんばんわ鬼怒田さん。急がなくていいの?」

「お前などに言われんでもわかっとるわ!」

 毒づくと、鬼怒田はまさにドスドスといった感じの足音を立てながら立ち去っていった。

 迅と清治は互いに顔を見合わせて同じようなジェスチャーをしたあと、言葉もなくやや悲しげな笑顔を交わしてそれぞれの向かうべき場所へと足をすすめるのだった。



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D06 汚名返上? そりゃ無理だ

諸々の都合で月が変わる前に投下。来月頭は予定通りに投稿します。
関係ないけど、しばしば三雲と誰かのカップリングを書いている人を見かけます。
…水沼先生と三雲とか誰か書かへんかな(^^


 迅が風刃を本部へ返上し、その見返りとして空閑に関して本部はこれ以上手出しをしないことを約してから、およそ2週間ほど経過していた。ボーダー本部も玉狛支部も、少なくとも表面上は平静を保っている。

 本部による空閑遊真強襲部隊を清治が迎撃したことについて、何らかの訓戒なり処分なりが鈴鳴支部にもあるものと思われてはいたが、実際にはそうしたものは何もなかった。

 鈴鳴支部長にのみ受けた連絡によれば、先の『演習』において清治が発見したトリガー関連の不具合はボーダー全体に資するものであり、それをもって清治の行動を不問に処するとのことだった。有り体に言えば功績と不行跡でチャラにするという通達であった。

 さて、そんな自分にとって損にも得にもならない戦闘になりゆきで巻き込まれた清治が、この2週間ばかりの間『無責任エンジニア』の渾名を返上するのではないかと言うほどに働いていたということを知る者は少ない。

 きっかけはもちろん例のトリガー使用者に対するハッキングと本部作戦コンピューターへの侵入であった。これらは清治が初めて発見した、極めて重大な問題であった。

 この問題に対処するため、清治と寺島に回収班の山田と水戸が加わり、鬼怒田直轄のチームとして問題の解決に当たることになったのである。

 近年こそ回収班に回って後進に道を譲っていた山田要蔵だが、古参のエンジニアたちの間では伝説のエンジニアとしても名高い人物だった。現在のトリオン技術の根幹を作り上げたのは鬼怒田であるのは間違いないが、それも彼の考えを技術レベルで可能にした山田の存在が欠かせなかったというのが多くのエンジニアたちの認識であり、また事実でもあった。

 体型もあいまって威厳たっぷり、かつ高い実績とそれに伴う大上段な態度・言動がトレードマークとなっている鬼怒田とは反対に、落ち着いた理知的かつ紳士的な印象を与える人物である。元々は戦闘隊員であったこともあり(戦闘での実績は芳しくなかったが)体型も実にスマートだ。年上好きの若い女性に人気のありそうなタイプである。

 水戸裕子は最初から開発室での勤務を希望していた。鬼怒田の遠戚であり、その技能の高さからエンジニアとしての評価は高いのだが、開発室で行われている全ての業務におて平均よりある程度高い能力を持っていたがために、いわゆる器用貧乏と認識されてしまっていた。

 濡れたような美しい長い黒髪に、均整のとれたまゆ毛、豊かなまつげに大きな、深い藍色の瞳。

 美しく通った鼻筋にキュッとすぼまった唇。

 ふくよかな胸ときちんとくびれたウェスト。

 そして細すぎない、程よく丸みを帯びた脚。

 こうした、仕事とは関係のないルックスの面で注目されているという事実について、彼女は普段から忸怩たる思いを抱えていた。

 それだけに、今回の外部からのトリガーへのハッキングの調査については並々ならぬ意欲を持っていた。

 いずれにしても、鬼怒田や寺島、そして清治をして『回収班でくすぶっている』人材にスポットが当たる形になった。ちなみに、清治は開発室に入って以降、ずっと山田の薫陶を受けてきた。清治がエンジニアとして最低限の働きをなんとかこなすことができているのは、一重に彼のおかげだった。

 それだけに清治は、山田と再び仕事ができることを喜んだのだが、中身が中身だけに清治への負担は大きなものとなったのは辟易だった。

 もっとも、全体から見れば清治の仕事は他のメンバーと比較すると楽な部類に入ってはいる。彼らが問題点を解決する間はすることは特になく、穴を塞ぐとその成果を検証するべく外部からハッキングをかけるといったものである。

 以前見つけた穴へ侵入した方法では侵入できないことを確認すると、今度は寺島と二人で新しい穴を探す。その作業をほぼ無休で繰り返すわけだが、清治には残念ながら活動時間に限界がある。

 山田は自分の仕事の間であっても清治に気を配り、もしおかしな兆候が見られるようであれば強制的に休みを取らせた。そのため、他のメンバーと比較すると楽な状態ではあったが、やはり清治にはなかなかに堪える。

 ほぼ1週間はその作業に費やし、寺島と清治が発見した穴およびその亜種と思われる穴を完璧に塞ぐ。その作業が終わると、今度は開発室メンバーの中で清治よりも外部侵入などに詳しい人間に3日かけて作業を引き継ぐ。戦闘員も兼ねている清治が、開発室の仕事のみにベッタリ張り付いているわけにはいかないからである。

 予定されていた防衛任務ギリギリまで引き継ぎがかかってしまったため、清治は開発室から休みもなく防衛任務に当たることになった。普段と比べて動きに精彩を欠いたのにはこうしたわけがあったからである。

 さらにだ。10日以上開発室と防衛任務につきっきりだったがため、清治のサイド・エフェクトである『女子力』をアテにしていた女性隊員たちが順番待ちの列を作って待っていたのだ。

 こうして清治は、ヘトヘトなまま彼女らのネイルケア、ハンドケア、ボディケア、ヘアケア、メイク、恋の相談(こちらはあまり役に立ってない)などで八面六臂の活躍を見せたのである。

「ぐへぇ〜…」

 自分でも情けないと思うような情けない声を上げて休憩スペースのテーブルに突っ伏す清治。普段のあの静かな休憩室ではなくランク戦ブースに近いここで休んでいるのは、単にそこまで移動する気力が残っていなかったからである。

 つい先程まで加古のネイルの手直しをしていた。細かく神経を使う作業だったので休みなしで行うのは本当に大変だった。遠い休憩室に行く気力がわかないのも、情けない声を上げて机に突っ伏せているのも仕方のないことだった。

「あ。ムサシさんヤッホー!」

 清治とは対象的に元気いっぱいといった感じで声をかけてきたのは日浦だ。彼女も先ほど、清治に洗顔フォームについて相談していた。

「おお茜ちん。相変わらず元気ぢゃね」

 疲れた顔を見せずにそう言う清治だが、先ほどの様子から清治が疲れていることに気が付かないほど日浦も抜けてはいない。

「大丈夫? ちゃんと休んでるんですか?」

「いやぁ。それがなかなかの…」

 苦笑しつつ清治は、彼女の後ろから彼女の苦手そうな人物がやって来るのを見た。

「やっと見つけたぜ。ムサさん」

 声をかけてきたのは影浦隊の隊長、影浦雅人である。

 他者の感情が自身に刺さるという稀有なサイド・エフェクトを持つ彼は、それ故に苦労している人物でもあった。元々粗野な性格だったというのもあるかもしれないが、他者からの悪意は彼にとって非常に不快であり、そのために周囲に対して攻撃的なのだ。

 そんな影浦だが、清治からはどんな感情も刺さってこないため付き合いやすい人物だと判断している。また、清治も他者に対して隔てを持つタイプでもなく、むしろ隔てを設けようとする相手にたいしてもずかずかと近づいていく(迷惑な)タイプなので、友誼を持つことになんの困難も障害もなかった。

 さて、清治とは親しい付き合いをしている影浦だが、その他の多くの隊員からは嫌悪あるいは忌避されている。というのも、彼の自分の感情に対して非常に素直な行動はしばしば周囲との問題に発展するからだ。

 一番有名なのは、メディア対策室長の根付に対する暴力沙汰だった。ボーダーの外向けの体面を重視する根付にとって、影浦はトラブルメーカー以外の何者でもなかった。その点を注意したのが事の始まりだった。

 これについては上層部でも除隊を含めた重い処分を検討していたが、影浦隊の隊員の懇願や清治の根回しによって影浦個人のポイントの大幅な減点と当時A級上位だった影浦隊のB級への降格という形で決着が着いた。

 この時の清治の動きは、彼の普段の行動と評判を知る影浦隊の面々を驚かせもし、喜ばせもした。以来彼らは清治と非常に親しい間柄になっているのである。

「よぉハゲ。なんかわしに用きゃ?」

「だからハゲはあんただっつってんだろが!」

 彼らにとっては普段のやり取りなのだが、周囲で聞いている者にとっては不穏に思えるものだ。日浦にとってもまた例外ではない。

「ああ?」

 彼女の感情が刺さった影浦が日浦を睨みつける。

「ひっ!」

「おいおいカゲや。年下の女の子にそげなツラしちゃいかんで。ところで、わしに用があったんじゃろ?」

 清治に穏やかに諭され、影浦は1つ舌打ちをすると

「ひかりのやつがあんたを連れて来いってうるせぇんだよ」

と言う。言われて清治は、仁礼に毛先のカットとブラッシングを頼まれていたことを思い出した。

「そう言や頼まれとったんじゃったの。んじゃ行くか。茜ちんまたね」

 そう言うと、清治と影浦は連れ立って去って行く。その後ろ姿を日浦は何となく眺めていた。

 ふと、清治がすすすっと影浦の後ろに回りこむ。影浦はそれに気づいていない。こんな光景を日浦は、いつだったか隊の先輩の熊谷といっしょに見たことがある。

 そして、その時と同じ行動を清治が影浦に食らわせた。臀部を抑えこんで倒れる影浦を、清治が指を刺して笑っている。

 しばらくして立ち上がった影浦は、逃げる清治を追いかけていった。

 笑い転げながらその光景を見ていた日浦は、しかし気づいていなかった。本来影浦にこうした行為を行うことなど不可能であるということを。

 

 清治が影浦隊の隊室で仁礼の下僕としての務めを全うした夜、ボーダー本部にある清治の部屋を訪ねてきた者がいた。三輪である。

 彼はあの『演習』以降、ずっと悩んでいた。今の自分の立ち位置と、そうだと信じていたボーダーの立ち位置に。

 一体自分はどうしたら良い? これまで自分がやってきたことは何だったのか? そもそも、彼らはなぜネイバーに肩入れした? 疑問は尽きなかった。

――― 分からない…

 分からないことは誰かに聞くのが一番だった。だが、内容が内容だけに誰に聞いても良いというものでもなかった。ほとんど眠らず、食事も取らずに考えた末、三輪は自分の嫌いな人物に敢えて質問してみようと考えたのだ。

 だが、迅に聞いてもおそらくのらりくらりと言を移すだけだろうと思った三輪は、迅よりはいくらかマシな話しができそうな清治を質問相手に選んだのである。

「あら三輪くん。いらっしゃい」

 部屋に入って三輪を出迎えたのは、なんと加古だった。彼女はかつて共に東の隊で彼の薫陶を受けた仲である。

 もっとも、三輪が驚いたのは清治の部屋に加古がいたからだけではなかった。どこからどう見ても個人の部屋には見えなかったのである。

 一言で言えば、小洒落たバーカウンターだった。美しい赤褐色のマホガニーを使用した無垢材のシックなバーカウンターは、本格的なアイリッシュバーにありそうなそれである。同じくマホガニーで作られた足掛けリングつきのハイチェアは、まるでカウンターとセットで制作されたようである。

 よく見れば、ラックには上層部の名前の書き込まれたタグの下がっている酒瓶も置いてある。どうやらここは、年長者がしばしばやってきているようだ。

 加古が言うには、清治がいる時は彼自身がカクテルを振る舞うこともあると言う。現に今、加古の手にしたカクテルグラスに入っているものも先ほど清治に作ってもらったものだそうだ。

「さすがに本職にはかなわないけど、これはこれでなかなかのものよ」

 楽しそうに言いつつ飲み物を口に含む加古を見ながら、それならば当人はどこにいるのだろうと三輪は思った。

「清治くんなら、奥の部屋で玲ちゃんと一緒にいるわよ。何してるのかしらね」

 イタズラっぽい表情を浮かべて言う加古の言葉に、三輪は二度目の衝撃を受けた。

 加古の言う玲ちゃんとは、那須隊隊長の那須 玲である。自身で弾道を設定できる追跡弾であるバイパーの弾道をリアルタイムで設定できるのは彼女と出水にしかできない芸当である。

 また、自身が病弱であることも手伝って儚げな美少女である彼女にはボーダー内部に隠れファンが多数いることでも有名だった。

 そんな彼女とちゃらんぽらんかついい加減な清治に接点があるとは、三輪には思えない。

 そうこうしているうちに、件の二人が奥の部屋から出てきた。

「あら三輪くん。こんばんわ」

 那須は三輪隊に所属する超凄腕のスナイパー、奈良坂のいとこである。そのため、他隊ではあるものの三輪とは面識があった。

「あんれま三輪っち。… なんか大丈夫きゃ?」

 睡眠不足などですっかりやつれてしまっている三輪をさすがの清治も心配したが、それに対する三輪の返事は射殺さんばかりの凄まじい眼光での睨みであった。

「それじゃあ武蔵丸さん。今日はありがとうございました」

 何となく場の空気を察した那須が言う。

「玲ちゃん帰るの? なら、私が車で送ってくわ」

 体の弱い那須が、一人で夜道を歩くのはあまりにも危険である。だが、加古は清治が作ったカクテルを飲んでいる。飲酒運転はご法度である。

「ああ。そりゃ大丈夫ぢゃ。ありゃぁノンアルカクテルぢゃけぇの」

 清治が加古に作ったカクテルは、ノンアルコールだったのだ。アルコールが入っていないため未成年も呑むことができるのだが、清治は成年にしかそれを振る舞うことはない。

 清治の持論では、ノンアルコール飲料は酒の味が分かる大人のための飲み物だからである。

「不思議な取り合わせじゃろう」

 二人を送り出したあと、振り返りながら清治が三輪に言った。

 那須が清治を訪ねてきたのは、清治が彼女の研究に協力するためだと言う。病弱な彼女は、トリオン体と健康についての研究レポートをボーダーに提出し、そのできの良さを買われてボーダーに入隊した変わり種である。

「お玲ちゃんのレポートにゃ、わしも含めた『弱い人間』の未来がかかっとるからの。お玲ちゃんは先天的に、わしは後天的事由で、な」

 そう言いつつ清治は三輪を室内に招き入れると、ハーブティーを淹れはじめた。

「ものを食うとらん胃にコーヒーはあれぢゃしの。長ぇ話しになるんぢゃろ?」

 椅子に座ってからも自分をまっすぐに睨みつける三輪に苦笑しながら、清治はガラス製のティーカップにお湯を注ぐのだった。




余談だけど、恋愛要素もえぇなぁと思って考えてはみたのですが、どうも良さそうな話しにならんのですよ。
ヒロインをというのであればみかみかがえぇなぁとも思っていたのですが、色々な方面から怒られそうな気がする(^^;


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D07 嫌いなやつは知らんぷり

清治の女性の趣味?
とりあえず『脚フェチおっぱい星人でおしりも好き』


 ハーブティーを淹れたあと、咎めるかのような厳しい口調で清治を問いただした三輪の言葉は苛烈なものではあったが、清治は動じることはなかった。

 むしろ、三輪がたじろぐほどに優しい目で彼を見つめた清治は一言

「三輪っちは優しいな…」

とつぶやいた。

 言葉の意味を咀嚼できずにあっけに取られている三輪を、清治は奥の部屋へ促した。こちらのバーカウンターを設置した部屋は原則誰でも出入りができる。三輪の質問は清治にとっても三輪自身にとっても他者に触れられたくはない事案だった。ここで話すのに適当な話題ではない。

 ハーブティーが注がれたガラスのティーカップと、おかわりの入ったティーポットをガラス製のおぼんに載せた清治に続いて部屋に入った三輪は、先ほどとはうって変わって極めてシンプルな部屋に少し驚いた。

 その部屋には窓がなく、入り口から一番遠い壁には本棚が置いてあり、その一面びっしりに本が置いてある。全てをチェックしたわけではないが、どうやらそれはトリオン関連の技術書のようだ。隣には小さな戸棚が置いてある。

 一番隅の一角には、そうしたものとは全く違う本が置いてあった。論語、大学、中庸、孟子といった、その昔侍がたしなみとして身につけていた学問書がほとんどで、その他には基礎数学や応用数学、そろばんの本も置いてあった。

 入り口から向かって右側の壁は埋め込みのベッドが設置されていて、前時代的なレトロな目覚まし時計がラックに置いてある。ラックには読書用のライトもついていて、眠る前に読書をする習慣のある清治には必須のものだった。

 部屋の中央にはごくありふれたシンプルなテーブルと丸椅子が置いてあり、壁の左側には壁に備え付けられた小さなテーブルとロッキングチェアーが置いてあった。テーブルの上に置いてあるのは、どうやらパイプ煙草の道具のようだ。おそらくここで吸うためなのだろう。

 そういえば、部屋全体にどこか甘い感じの香りが染み付いている。例の休憩室で清治と出会った時にしばしば嗅いだあの香りだった。

 清治に勧められて椅子に座り、ハーブティーを一口ほど含んだ三輪は、先ほどの問いに対する清治の答えを待った。

「何でネイバーであるユーマをかばうような真似をしたか、か… さて、何から話せばえぇかのぉ」

 珍しく思案顔の清治は、そうつぶやいた後しばらく考えこんだ。右肩をそっと撫でると、何かを思い出したかのように話しはじめる。

「そうさな。まずはゆういっちゃんが頼んで来たからというのはあるの」

 実際に清治に加勢を依頼したのは玉狛支部長の林藤ではあるのだが、実質は迅に頼まれたようなものだった。

「あんたも大切な人たちをネイバーに殺されたんだろう! なのに何故迅がそう言ったというだけでヤツをかばう!!」

 三輪の思いはそこにあるのだ。迅にしても清治にしても、自分と同じ『痛み』を抱えているはずなのである。にもかかわらず彼らはネイバーである空閑に肩入れをしたのだ。そこが三輪には分からないし許せないのである。

「ゆういっちゃんについてはわしもわからん。わし同様ネイバーフッドに行ったというのもあるじゃろうし、最上さんの薫陶もあったんじゃろう。いずれにしても、ゆういっちゃんと三輪っちでは、ネイバーに対する思いも考えも違う。ただそれだけぢゃ」

 諭すわけでもなく突き放すわけでもなく、ただ淡々とそう言う清治を三輪は先程にも増して鋭い視線で睨みつけた。

「わしに限って言えば、そうさな… 結局のところ、わしは三輪っちほど強くも優しくも無いんぢゃろうて。だから、自分の家族を奪われたにも拘らず、三輪っちほど苛烈に連中を憎むことができんのぢゃ」

 三輪の視線にも拘らず、清治はまるで自分自身に問いかけるようにそう言った。

「ぢゃが、全く憎しみも疑いも無ぁわけでもなぁしの。わしはユーマを信じとるというよりは、ユーマは問題ないというゆういっちゃんを信じとる。ま、そういうことぢゃ」

 もちろんそんな言葉で三輪が納得するわけも無かった。続けて問いただそうとする三輪の言葉を遮るように、清治が言葉を続ける。

「ネイバーフットへ出向いたというのもあるんかもしれん。こちらの世界同様、えぇ奴もおれば悪いヤツもおった。それで言えば、少なくともユーマは悪いヤツではない。これはあくまでもわしの直感ぢゃがの」

 さらに清治は言う。

「言い訳臭い話しになるが、先の大攻勢でわしは死にかけた。マッさ… 忍田本部長のおかげで一命は取り留めたが、ハッキリ言やぁ意識が戻った後の方が大変ぢゃったんじゃ。えげつないほどに、な。おかげで、ネイバーを憎むヒマも無かったといえば無かった」

 清治の言葉を聞いて、三輪はあの戦闘に後に嵐山から言われた事を思い出した。

『今生きている方が不思議なくらいだったそうだ』

 その時の清治の状況がどのようなものだったかというのは、話を聞いただけの三輪には分からなかったが、憎い相手を憎む(いとま)も無いほどに大変な怪我とはどういったものだったのだろうか。

「話を聞くより見る方が早かろう。ただ、ちょっとした衝撃映像クラスなんじゃが、見るきゃ? 時間帯が時間帯ぢゃからあんまオススメはできんがの」

 清治が普段からトリオン体で過ごしているということは三輪も知っている。ということは、今から換装を解くということなのだろう。

 

 一瞬の閃光と共にトリオン体を解いた清治の姿を見て三輪は絶句した。先ほど目の前にいた人物と今目の前にいる人物が同じだとは到底思えないほどの変わりようだったからである。

 土気色の朽木のような痩せ衰えた体に頭蓋骨そのものの形状としか思えない頭が載っている。その頭部の頂点から向かって左側にかけての部分が驚くほどに見事な直線を描いているのは、あまりにも鋭い刃によって斬り落されてしまっているからだった。

 右目は濁った色の瞳で三輪を見つめているが、左目はまっすぐ前を向いてはいるものの焦点が合っていないことは明白で、これ以上ないというほど不自然に見開いている。

 右腕は肩のほんの少し下が無い。三輪の位置からは見えづらかったが左足も膝から下が存在しない。

 三輪でなくともショックを受ける姿であった。まさに『生きていることが不思議』なほどのレベルである。

「どうじゃ… バ○オのゾンビと間違って撃ちたくなったじゃろ?」

 必死に絞り出したような、地の底から聞こえてくるような不気味で不吉なかすれ声が聞こえた。おそらく清治の声だ。普段の快活な様子など微塵もなかった。

 絶句する三輪の眼前で再び閃光が瞬く。光が消えると、三輪も良く知る人物が目の前に座っていた。正直ホッとした。

「あのままではお互いに喋り辛ぁけぇの」

 気恥ずかしげに笑う清治を見て、三輪はやはり分からなくなった。先ほどまでの怒りにも似た感情はあらかた吹き飛んでしまったが、それでもやはりネイバーが憎くはないのだろうか。

「そりゃ憎いよ。当たり前じゃ。じゃが、連中を根絶やしにすることなんぞ出来やせん。そんなことをするなら、メテオラの数百倍は威力のあるトリオン爆弾をいくつも作らんといけん。そんなことは不可能じゃ。それに、それを試みたら、あちら側にわしらのような悲しい人間を新たに創りだすだけじゃ」

 正論だった。だが、だからこそこちらにやってくるネイバーは全て殺さなければならない。でなければ、自分たち以外のこちら側の人間にそうした悲しい思いを抱えさせてしまうことになるからだ。それが三輪の偽らざる本心だった。

「それが友好的なヤツであってもかね?」

「ネイバーは全て敵だ!」

「堂々巡りぢゃね。そんならやはりメテオラ爆弾を作らんといかんのぉ」

 愉快そうにそう言うと、清治はハーブティーを口に含んだ。少し冷めている。

「あんたは! あんたは奴らを許せるのか!?」

「いいや。ぢゃが、わしが許せんのは先の侵攻を行った奴どもであって他の者たちではない。関係ない連中をわざわざ戦禍に巻き込むこともなかろう」

「それなら、その連中がやって来たらどうする? 殺すだろう!」

 三輪の問いに、清治は深く息を吐き出すと、投げ捨てるように応えた。

「殺さんよ…」

 意外な答えに三輪は虚を衝かれたように驚いた。だが、その後の清治の言葉にさらに驚くことになる。

「死んだ方がマシぢゃという目に合わせて、死なん程度にそれを延々と続けてやるのだ。さぞ楽しいことぢゃろうて」

 笑みを浮かべるでもなく、怒りの表情を浮かべるわけでもなく、ただ淡々とそう語る清治の言葉は、三輪を戦慄させるには十二分だった。

 

 三輪は今理解した。自分が清治を避けていたのは、単に彼の人柄を疎んでのことだけではなかったのだ。

 おそらく清治は、三輪と同じ程度にネイバーを憎んでいる。ただ、憎み方が違うのである。

 三輪はネイバー全体を敵視することによって、絶えることのない自分の怒りを燃やし続ける。だが、清治が憎んでいるのは、あくまでも自身を死地に追いやり、かつ家族を奪った者達だけだった。

 試しにどのような目に合わせるつもりなのかを聞いてみた三輪は、その内容を聞いて背筋が凍えるのを感じた。常人では到底思いつかないであろう行為を2、3挙げた清治の表情には何の感情のゆらぎも感じられない。

 相手が許しを乞うような場合はどうするのかと聞いてみると、さらに恐ろしい答えが返ってきた。

「許す? 何かこちらが許さなければならんことがあんのかね。連中は自分らのためにやりたいようにやって、こちらはそれにたいしてしたいようにするだけじゃ。許す許さんの問題でもないし、こちらが手を止めてやる理由にもならん。女じゃろうが子供じゃろうが、な」

 もはや疑う余地はない。三輪は清治を恐ろしいと思っている。彼を避けていたのは、漠然とした恐怖を感じていたからなのだ。

 ふと、三輪は清治が最初に言っていた言葉を思い出した。

――― 三輪っちは優しいな…

 あれはどういう意味だったのだろうか。それを問うと

「まんまさね。優しい三輪っちぢゃから、大切な人たちを奪われた悲しみが分かる。ぢゃけぇネイバーが憎いんじゃろ?」

 そんな風に言われたことが初めてだったため、三輪は少し戸惑った。彼にしてみれば、単に姉の命を奪ったネイバーを許すことができないという思いが第一だったからである。

「それに、わざわざ話しをしに来てくれたしの。普通なら自分の気に入らん人間なんぞ、話すどころか見たくもなかろうに」

 そう言う清治の言葉と態度には、それまでと違って優しさや親しみの情が感じられた。

――― やっと分かった気がする

 三輪はそう思った。清治は情が深いのだ。そのため、味方に対してはどこまでも懐深く接するが、敵対関係になるとそれまでの関係性など考慮しない。誰であろうとも容赦はしないのだ。

 そして、その境目で危ういバランスを保っているのが普段の様子なのである。

「じゅんじゅんではないが、ボーダーもこんだけ人が居りゃぁ、いろんな考えのモンが居る。三輪っちみたいなのや、ゆういっちゃんみたいなのや、わし… のようなのはこれ以上居られたらアレぢゃがの」

 苦笑しながら清治が言う

「それを分かれとは言わんし、誰かと同じように考えろとか言うつもりもなぁ。ただ、知らんぷりして欲しい」

「知らんぷり?」

 唐突に出た緊張感皆無なワードに三輪は聞き返さずにはいられなかった。

「うん。知らんぷり。誰かの意見なり考えなりが絶対的に正しいっちゅ〜わけでもなぁし、思いが違っても同じボーダー隊員ぢゃ。いざっちゅ〜時は助け合わんと生き残れん」

 清治が言うには、悪感情を持っていると連携が難しくなるが、だからと言って気に入らないものは仕方がない。そこで、なるだけそうした人物のことを気にしないようにして欲しいというのだ。

「俺は… 迅もあんたも嫌いだ…」

「よろしい! ならば戦争ぢゃ!」

 言われてぎょっとする三輪を見て清治が大笑いする。

―――ああ。やはり俺はこの人を好きにはなれん…

 三輪はそう思った。

 

 話しはいつしか、先日の戦闘のことに移って行った。

「しかし、お粗末な顛末じゃったのぉ」

 放たれた言葉に三輪が反応しないわけがなかった。穴を穿つがごとく、あるいはその眼力で相手を射殺すかのごとくするどい視線を清治に向ける。

 だが、言うべき言葉が見つからなかった。彼は誰よりも自分たちが『負けた』ことを明確に認識しているからである。

 そんな三輪に清治が告げた言葉は驚くべきもであると言えた。

「勘違いしんさんな。戦闘自体はとば口には問題があったが、全体的には良くやっていた。勝敗はしょせんは相対的な力関係で決まるもんぢゃ。負けた方には敗因があるにしても、勝った方に勝因があったとは限らん。今回はそうしたケースぢゃ」

 三輪は耳目を疑わずにはいられなかった。まさか、自分が嫌悪するこの怠惰かつ無責任な男から、自分が最も敬愛する戦術の師匠、東の言うような言葉を聞くことになるとは夢にも思わなかったからである。

「確かに戦術的な作戦を考えたのは三輪っちぢゃし、指揮を執ったのはたっち~ぢゃ。二人には敗戦に関する責任があるかもしれん。ぢゃが、わしが問題視しとるのは一戦局の帰趨によってのみ目的の成否が左右されるような作戦を実行した上層部ぢゃ。今後の防衛作戦の抜本的な見直しが必要かもしれん今、こうした弱さが露呈したのは逆に良いことかもしれんが、ね…」

 驚愕する三輪の目の前にいるのは、普段から想像もできそうにないことを、普段のようなちゃらんぽらんかついい加減な態度・口調で述べる清治であった。




というわけで、暇つぶしにアップ(^^


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D08 戦略と戦術と

「本来戦闘とは、戦略的目標を達成するための方法の1つに過ぎん。戦術は戦略目標を戦闘レベルで実現するための技能であり、作戦は戦闘に勝利するためのもの。後者は戦闘に勝利することを目標としているが、前者においてはその限りではない。もっとも、この程度のことはトンさんの薫陶を受けとる三輪っちに言うほどのことでもなぁがの」

 滔々と語る清治の言葉に、三輪は自分でも驚くほどに素直に耳を傾けた。東から戦術論を学び、その東の隊を卒業する際に言われたことを思い出したのだ。

「三輪。お前には戦術だけでなく戦略についてもいくつか教えてきた。俺の元を離れても戦略については色々学んでみると良い」

 期せずして三輪は今、自分が嫌っている人間から一番学びたいと思っていたことを学び取る機会を得たのである。

「当然ながら戦略的目標とはその時々によって違う。こないだの場合、三輪っちらはユーマの黒トリガーを奪うこと。対してゆういっちゃんチームはそれを防ぐことぢゃった」

 清治が提示した前提条件は改めて聞くまでもないことではあったが、ここからが話しの肝であることは間違いない。三輪はあえて反論せずに話しを聞くことにした。

「ゆういっちゃんチーム、敢えて防衛側とするが、防衛側の方が今回有利だったのは言うまでもない。ゆういっちゃんが複数の未来を見とったのもあるし、あの場所の戦闘の勝敗にかかわらずユーマを守るための作戦も数パターン考えておった。では、そちらはどうかね?」

 問われて三輪は答えに窮した。言われてみれば、自分たちの動きに対して玉狛がどう出るかなど考慮していなかったのだ。

「おそらくたっちーあたりが早い方が良いと判断したんぢゃろうし、それはその通りじゃ。じゃがの。ゆういっちゃんがそれを『見て』いた可能性について考えが至らんかったあたりから勝敗はほぼ決しとったんよね」

 言われて三輪は考えた。迅が自分たちの強襲を見ていたと仮定して、それであればどんな戦略を立てる?

「他の部隊を動かすことは根付さんが反対しただろう。戦闘の規模が大きくなれば、ボーダー内部で対立があることが外部に漏れる」

「そうじゃの。じゃが、部隊とまではいかんでも後詰を用意することくらいはできたはずじゃ」

 確かに、迅が未来を見ていた場合、少なくとも迅か玉狛隊が自分たちの前に立ちはだかることは予見できたかもしれない。嵐山隊や清治の参戦までは読めないにしても、それくらいは考慮しておくべきではなかったか。

「これについてはたっちーにも、もちろん三輪っちにも責任は無ぁ。むしろ、それを予見しとかんといかんかったのは強襲を命じた城戸さんらじゃ。実働部隊に戦略を考えさせるようであれば、首脳部なんぞ必要無ぁよ」

 

 一つため息をついたあと、清治はさらに続ける。

「必要な戦略を練ることもせず、単に目的を伝えるだけで勝てるなら楽なもんぢゃ。今回わしも少し考えたが、冬さんの離脱はともかくトンさんやにのみ〜あたりに、本隊とは別に後詰をさせるという方法もあったぢゃろう。そうなっとりゃ、わしが入ったところで厳しかったろうて。少なくともゆういっちゃんが考えていた本部との摩擦を最小限にするなんて戯れ言を適用する余裕などなかったはずぢゃ。そうした余裕があることを『見た』からあげなバカバカしい方法を考えたんぢゃろうがの」

 清治が親友の提示した作戦をここまでボロカスに言うのには驚いたが、その意見は三輪にも納得が行くものだった。迅たちが当初あのような消極的な作戦を取ることができたのは、つまるところ彼らの戦力の方が強襲部隊と比して上回っているという計算が成り立ったからである。

「俺たちには最初から勝機はなかったと言うのか?」

「いや。たった1つだけあった。それはゆういっちゃんと君らが顔を合わせた時ぢゃ」

 清治が言うには、あそこで立ち止まった瞬間に勝敗は決していたという。

「あの時、ゆういっちゃんの意図なんぞ気にせずに斬って捨てれば良かったのだ。正規隊員でないとはいえ、玉狛にいる人間を(まと)にする以上、玉狛所属の人間は全部敵と見做すべきぢゃった。そうせんこうに色々しゃべっとる間にじゅんじゅんらが来た。その時点でガメオベラぢゃ」

 三輪がたじろいでしまうほどに苛烈な正論だった。確かに迅と嵐山隊が合流する前にどちらかを叩くことができれば戦況は大きく変わったことだろう。もっとも、最後の一言はどういう意味だろう。

「だが、そんなことをすれば隊務規定違反になる」

 三輪の発言は、これもまた正論だった。ボーダーに所属する以上、隊務規定に準じて行動して然るべきである。

「ならば先に確認しておくべきじゃったかもな。仮に玉狛の誰かが邪魔をした場合はどう対処すべきかを。類推すれば任務を優先すべきではあったかもしれんが。ま、何にしても今となっては後のカーニバルぢゃ」

 結局のところ、自分たちの敗北が必然であったことを思い知らされたようで、三輪は吐き気に似た感覚を覚えずにはいられなかった。

「さっきも言ったが、戦闘が始まる前から勝負は決まっとった。隊務規定と任務の達成のどちらを優先すべきかをあの人らが明確に指示せんかった時点で、ね。戦闘は経過によってはこちらの負けもあったかもしれんが、そうなった所で残存戦力だけであの玉狛とやり合えたかどうかは疑問ぢゃ」

「もっとも、悪いことばかりでも無かったはずぢゃ。本部としては風刃を得ることができた。ユーマ以外には起動できんことがほぼ確実な正体不明の黒トリガーよりも、起動できる人間が多くいることがわかっている風刃を手に入れる方が本部にとってはメリットが大きい」

 奥の戸棚から取り出したプレミアムうまい棒を三輪に渡しながら清治が言う。

「さらに、ついでと言っては何だが、三輪隊が遠征隊と同格の働きを実戦で見せたのはボーダー全体にとって大きい。今後のこと、特に直近であるであろう大規模なネイバーの侵攻のことを考えればの」

 

 清治が言うには、今後予想される大規模侵攻について首脳部は頭を悩ませているようだが、相手は既にこちらに対して布石を打っているふしがあるという。

「先のイレギュラーゲートの件があったじゃろう。あれ以降の動きが侵攻を企てている連中のものだと仮定した話ぢゃ」

 まずはゲートを開いていたトリオン兵が偵察用のトリオン兵であったことだ。ゲートを開き、そこから現れた敵トリオン兵に対して、ボーダー隊員がどのように戦ったかという情報が敵に渡っている可能性が高いことになる。

「誰が対処したんじゃったか今すぐには分からんのぢゃが、たしかB級以上のそこそこまあまあの奴らじゃったはずじゃ」

 小南のようなよくわからない言い回しだが、とにかくこちらの個人の戦闘力や戦法についてはある程度見られていると考えるべきであろう。

 ちなみに、この話とは直接関係無いが、清治と小南の仲は例の『アナコンダ事件』以降も別段悪くなっていない。

 例えば、時間が合う時には清治が小南を迎えに車で向かう。しかも、なかなか無いような車で。

 清治はクラシックカー好きであり、そう呼んで差し支えのない車を2台ほど所有していた。そのうちの1台はベントレーで、それで迎えに行くのである。

 しかも、お抱えの運転手っぽい格好で行くことから、お嬢様学校に通う小南であるが、さらに別格の『お嬢様』と周囲には見られている。

 なお、同じ学校の中等部に通う木虎は、小南の運転手が清治であることを知らない。

「どうしてそう言い切れる? 単にボーダーの隊員が一般の人よりも多くトリオンを持っているからではないと言うのか?」

「確かにそうした側面もあるんぢゃろう。じゃが、出てきたトリオン兵のことを考えてみると良い」

 言われて三輪は、イレギュラーゲートから現れたというトリオン兵について考えてみた。その結果、ある共通点を見出すことができた。

 はっとして清治を見ると、清治は重々しくうなずいた。

「敵は人拐いタイプのトリオン兵ではなく、戦闘に特化したやつを送り込んできた。最後はご丁寧に空中から爆撃するタイプの奴じゃ。個での戦闘における戦闘力と対処力を確認するためではないと誰に言えるかの」

「さらに、連中が改良型ラッドをバラ撒いた後、その全てをこちらが回収するまでの時間も算定されておるはずだ。それら全てを考えると、こちらのある程度の戦力と対応力を確認されたと見るべきじゃろうね。加えて、ゲートを出さない期間も三門市をラッドは歩きまわっておるはずだ。本部基地の位置と三門市全体の地形を確認されたと仮定すれば、地の利も少なくなったと見てえぇ。敵さんの情報がほぼゼロに近いことを考えると、あまりにも不利だと言わざるを得んとは思わんかね」

 清治の話しを聞きながら、一体今ボーダーの中でここまで考えている人間が何人いるのだろうと三輪は思わずにはいられなかった。

「あくまで対トリオン兵についてではあるが、一対一の格闘戦で負けるということはほぼ無いくらいの戦闘力はある。ただ、組織的に情報を集めたり戦略を練ったりする部分ではつけいる隙があまりに多い。と、そう見られておるのではないかとわしは思っておる」

「確かに… こちらの戦闘員は学生が多い。常に全戦力が臨戦態勢にあるわけではない…」

 話しつつ、三輪が普段の調子を取り戻してきつつあることを清治は密かに喜んだ。

「とはいえ、こちらとしてはゆういっちゃんの予想する侵攻時期の前後に、普段より多めの隊員を基地に待機させるくらいのことしかできん。あとは、敵の動きを予想して冬さんあたりにトラップをしかけてもらうという手もあるが…」

「そのためには、敵がどこから現れるかを特定する必要がある」

「さすがは三輪っちじゃね。全くその通り。ぢゃが、ゆういっちゃんの能力を持ってしても知らん誰かのことは見えん。分かるのはわしらが誰かと戦うらしいという程度のことじゃ。どこからどれくらいの兵力で来るかまでは分からんそうな。結局のところ、敵はこちらのことをある程度調べているが、こちらとしては敵さんの情報がほぼゼロぢゃ。これでは、所定の規約に従って動く以外のことはできん。せめて敵の正体や規模でも分かればえぇんぢゃが、ね…」

 情報収集についてはどうしようもない部分があった。ネイバーフットは広大であり、何度か遠征をしているとはいえ、得られている情報はあまりに少ない。

 また、情報の全く無い敵が攻めてくる可能性だってある。それについては、空閑が決め手になる可能性があると清治は言った。

「アレは、父親といっしょに何年もネイバーフッドをさすらったんじゃそうな。案外こちらの持っとるよいも情報量が多いかもしれんしの」

「…!」

 三輪としては納得しかねた。確かにその通りかもしれないが、三輪としてはネイバーの手を借りるなど言語道断であった。しかし、それには多くのジレンマが伴う。

 それを言い出せば、トリオン技術のほとんどがネイバーフットからもたらされたものだからである。

 

 清治の部屋を出た三輪は、しかし思いの外すっきりしている自分に驚いていた。

 言いたいことは言った。相手の言い分も聞いた。その上で、それでもやはり自分はネイバーを敵視することを選ぶのである。

 別に何というほどのものでもなかった。単に互いの立場が明確になっただけだった。だが、たったそれだけのことであっても迷いや悩みがあった。それが今回のことで完全ではないにしても晴れたというのは三輪にとっては大きかった。

「わしにしてもゆういっちゃんにしても、自分のやりたいようにやりよるだけぢゃ。ぢゃけぇ、三輪っちも自分の思うさまやるとえぇよ。きっとそれがボーダーのためになる」

――― 言われなくても…

 分かっている。いや、最初から分かっていた。だが、周囲の動きに自分の心がついて行けてなかったのだ。

 図らずも三輪は、気に入らない人物との対話によって『自分』を取り戻すことができた。癪ではあったが悪いことでは無いようにも思えた。

 一応は礼を言うべきなのかもしれなかった。だが、敢えて三輪はそうしなかった。そうしたくはなかったというのもあるし清治がそれを望んでいるとも思えなかったからだ。

 とにかく三輪は、自分には自分のすべきことがあることを再確認した。そして、そのためにはいつまでもうなだれているわけにはいかなかった。



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第陸章 ミラクルニャンコ編
E01 2人と2人


こんな作品、こんなペースでも日々気に入ってくれている人がいるのでアップ(^^
え? 見直し? モチロンヤッテマスヨ〜(白目)


 その少年は幼い頃から祖父に剣術を叩きこまれて来た。年長者との激しい稽古に始まり、山や海で一人研鑽する日々、闇稽古… 今の時代であれば問題になるようなことばかりであった。

 最初の頃は泣くことも許されず、声を殺して慟哭するばかりであったが、少年が10歳になるころには、闇稽古で彼に比肩する者は祖父の門下の人間にはいなくなった。

 14歳なると、彼に剣を当てることができる者もいなくなった。外からやってきた若い剣士が彼に肉薄したかに見えたが、それも立合いのほんの最初のころだけであった。

 ある日、彼は祖父から木刀で自身と立合うように言われた。

 木刀の立合いは危険だ。経過によっては互いの命に関わることになる。

 しかし祖父は固く言い募る。結局少年が折れる形で、誰もいない道場で立合うことになった。

 木刀を構えると、祖父は軽やかに後ろに下がって間合いをあけた。構えにも動きにも、一毛の隙もなかった。

 少年は平青眼に構え、そのまま二人は動かなくなった。

 いつしか床を舐めていた日差しは天井に届こうとしていた。羽目板の外からは秋の虫の声が聞こえてくる。

 少年はそれまで感じたことの無い威圧感が、ふと壁のごとく前面に広がるのを感じた。刹那、祖父が凄まじい気合と共に上段から打ち込んできた。

 かたりという乾いた、しかし低い音を立てて2本の木刀が蛇のように絡みつく。二合ほどの立合いの間に祖父の木刀は少年の左手の小指をかすめたが、少年の木刀はその祖父の右肩に深々と砕いた。

 すれ違い、振り向いた少年の胴を祖父の木刀が襲う。その剣が僅かに下方に流れたのは肩を砕かれていたからだろう。

 少年は小さくはっと気合を吐くと、怪鳥のごとく跳躍した。そして、その時には少年の木刀は祖父の額を捉えていた。祖父は弾かれたように後方に飛ばされ、壁際まで滑っていくとそのまま昏倒した。

 それは、当代最強の剣客と謳われた祖父の、生涯初の敗北であったという。

 

 年が明けて数日たったその日は、灰色に曇った寒い日だった。

 立ち込めた雲の隙間から切れ切れに陽光が差し込むものの、その光には暖かさは無かった。むしろ、刺すような冷たさを感じるような光だった。

 西から追い打ちをかけるように強く冷たい風が吹きつけ、市内にある小高い山、あの日空閑と雨取が三雲と会うために時間をつぶしていた神社のある山にまばらに生えている松の木々を揺らしている。

 時折ちぎれたような黒い雲がその風に乗るかのように流れて行った。物憂い冬の一日だった。

 冷たい弱い陽光が市内の中心地にほど近い場所にある雑居ビルの無機質な灰色の外壁を美しく輝く銀のように染めた。しかし、その美しい一瞬の煌めきに目を留める者などない。

 そんなビルの周囲に目を向けると、二人の若い男が連れ立ってあるいているのが見えた。

 一人は学生のようだ。黒い制服に、首には暖かそうなマフラーをしている。彼が寒がりなのかもしれないが、マフラー無しではあまりに寒い日であるのは間違いない。

 もう一人は特に防寒着のようなものを身につけていない。緑色のショートジャケットの両肩にはボーダーのエンブレムがついている。鈴鳴支部のそれである。左手に少し大きめのタブレット端末を持ち、それを時々覗き込んでいる。

 学生服の男はボーダー所属の戦闘員、三輪 秀次だ。彼は来たるべきネイバーの大攻勢に備えて敵がどこから攻めてくるのか、その際、自分たちはどう動くべきかを確認しようと学校帰りに街を歩いていたのだ。

 もう一人は言うまでもなくボーダーが誇る『セクハラの双璧』である。彼もまた三輪と同じことを考えて街に出てきたのだが、別に二人で申し合わせて街を見て回っているわけではない。三輪は彼を嫌っているし、彼もまたそのことは知っている。というより、先日面と向かって嫌いだと言われたばかりだ。

 そんな二人が連れ立って歩いているのにはそれなりの理由があった。街でばったり会った二人は、お互いの目的が異ならないことを知ると、どちらともなく共に歩きまわっているのだ。

 1つには、一人で見て回るのには三門市はあまりに広いということがあった。己の脚で歩き回るのであれば、一定の決まりらしきものを定めて回る方が効率が良い。

 攻めてくる相手の目的が分明では無い以上、それを予想あるいは想像して歩くしかない。

 これもまた先日の会話で分かったことだが、清治は戦略面に関してはボーダーの中では頼りになる存在だということを、三輪は不本意ながら認めないわけにはいかなかった。そこで、彼の見解を聞きながら下見をする方が良いと判断したというのがある。

 もう1つには、互いに会話を交わす方が思考がより明確になってまとまりやすいということがある。ことがことである以上、自分のひとり合点で物事を考えるのは危険なことだった。

 今日二人が見て回ったのは、主にイレギュラーゲートが発生した場所だった。これには当然、三門市立第三中学校も入っている。そう。空閑や三雲たちが通っている学校である。

 途中、道端の自販機で缶コーヒーを買って一服しながら、二人は話しをしている。

「敵は警戒区域以外の場所から攻めるだろうか?」

 三輪が二本目の缶コーヒーを買おうとしている清治に問いかけた。

「いや。それは多分なかろうて。ゲートを開けるトリオン兵がおりゃぁ別ぢゃが、今はこちらの誘導装置が効いとるけぇの。ただ、警戒区域から外に出ようとはするじゃろう」

「そうなると、やはり基本は基地周辺で隊員を待機させることになるのか」

「ほうじゃの。ただ、敵の数は最悪を想定しておいた方がえぇ。規模は前回の攻勢よりも遥かにでかぁことになろうて」

 それがどれ程の規模かは、さすがに三輪と清治には想像できなかった。

「仮に敵に人型がいても、その人数は多くはないんだな」

「遠征艇をデカくするんにゃ、それなりにトリオンが必要になる。よそさまから人をさらってトリオンを補給しようなんて連中にそれが十分あるとは思えん」

 とはいえ、最低でも1人は指揮なりトリオン兵のコントロールなりを担当する人間がいるのではないかというのが清治の見解である。

「そいつが戦闘も担当する可能性は?」

「無ぁとは言えんの。ひょっとすると2人以上の人型が来て、例えば片方は船を守り、もう片方が指揮なり戦闘なりを担当するかもしれん」

 やってくる人型の数が多ければ役割分担はもっと緻密になることだろう。清治の見解では多くとも5〜6人を超えることはないだろうというもので、三輪もその意見に同意した。

 2人は次に、敵の戦略目標について考えた。基本的には『トリオン能力の高い人間の捕獲およびトリオンの確保』であるはずだ。そのための方法は前回の大侵攻と同様、市街地での人狩りであろうことは明白だった。

「前回と違い、一定のトリオン能力を持った集団がいることも連中は理解しているはずだ」

 三輪の言葉に答えて清治が言うには、市街地にいる一般人に加えて比較的捕らえやすいボーダーの人間も捕獲対象となるという。

「それなら、B級以下の隊員が散らばるのはまずいな。それに、C級隊員のみが集まるのも」

 三輪の言う通りだった。一口にB級C級と言っても戦闘能力はそれぞれだが、敵が大挙して襲って来た場合、ほとんどのB級隊員では対処できない可能性が高い。同じ理由で大勢のC級隊員がまとまっていると、それこそ一網打尽に攫われてしまう可能性すらある。

「規模も能力も分からない敵を相手に、一般市民だけでなく隊員の安全も確保する必要があるわけか。しんどいな…」

 2人はお互いの見解を併記した上申書を三輪名義で提出することにした。上層部がその意見を取り上げるかどうかはわからないが、何もしないよりは良いように思えた。

「わしゃこの後基地に戻るが、三輪っちはどうするん?」

 今日は新人隊員の入隊式とオリエンテーションがある。これから戻っても式には間に合わないが、オリエンテーションには間に合うかもしれない。

 清治にとって少なからず縁のある2人が新たに入隊する晴れの日だ。一応は顔を出しておきたい。

「俺は帰る」

 三輪としては目的を達成した以上、嫌いな人間といつまでも行動を共にする理由などなかった。それに、この後上申書を作る必要があった。草稿を作成したあと清治に渡し、問題なければドラフト版として東に渡す。

 東から返ってきたドラフト版をさらに改稿した上で上層部に提出するのだ。時間が十分にあるとは言い難い。

 2人は短く挨拶を交わすと、それぞれ自分の目的地に向けて足早に歩き去るのだった。

 

 風間 蒼也が違和感を覚えたのは、かれこれ15本目の戦闘に入った時だった。模擬戦である。対戦相手は最近B級に昇格し、それと同時に本部から玉狛支部へと転属した三雲だった。

 先の『演習』のおり、風間らがターゲットとしていたのは空閑である。彼は今日の入隊式を経て正式にボーダー所属となった。

 空閑に三雲、そして風間は面識は無いがスナイパー希望の雨取。彼ら3人の中で唯一の正規隊員は三雲だけだ。それ故、風間は彼に模擬戦を挑んだのである。

「迅の後輩とやらの実力を確かめたい」

 最初に風間がそう言った時、誰もが彼が希望しているのは空閑との対戦だと考えた。

 それもそのはずで、たった今空閑は戦闘訓練において、居並ぶ者達の度肝を抜いたばかりだった。

 訓練の相手は、全体的に小型に調整されたバムスターである。これと仮想空間内で交戦し、5分以内に倒すというものだったのだが、全般に戦力になり得るのは1分以内に倒すことができた隊員である。これまでの記録はA級草壁隊に所属する緑川 駿の4秒だった。ちなみに、今風間と戦っている三雲は時間切れだった。

 そんな中で空閑は、なんと1秒を切る記録を2回連続で叩き出した。しかも、1回目よりも2回目の方が早かったのである。驚異的であると言えた。

 先に述べた通り、このバムスターは訓練用にデフォルメされている。サイズも小さいし戦闘力も低く設定されている。敷いて言えば、オリジナルより装甲がやや固くなっているといった程度だ。

 それでも、B級上位の戦闘員であっても1秒を切るのは難しい。まさに驚異的と言うべき記録だったのである。

 誰しもが、それを見て風間が空閑に興味を持ったのだと考えた。だが、風間の考えは全く異なるものだった。

 彼は疑問だったのだ。以前あれほどまで『風刃』に執着していた迅が、それを手放してまで守ろうとした者たちのことが。

 風間には矜持があった。正規隊員である自分が実力が高いとはいえ訓練生に過ぎない空閑と戦うのは彼にとっては好ましいことではない。それに、先ほどみて彼のおおよその実力はつかめている。A級隊員と比較しても遜色ないものだ。あるいはアタッカーとしては上位ランカーとも互角にやりあえるかもしれない。

 であれば、彼が知りたいのはもう一人の迅の後輩、そして正隊員として模擬戦を行うのも問題ない人物。それが三雲だったのである。

 模擬戦開始前、その様子を見たがっていた新入隊員たちを、指導員として訓練に参加していた時枝が連れだした。実力的に考えて三雲が一方的に攻撃されることは目に見えている。彼としては、自分の隊の隊長である嵐山が目をかけている三雲が新入隊員たちの前で恥をかくような状況にはしたくなかった。

 他の理由もあった。実力はどうあれ三雲はB級隊員だ。そんな彼が、格上のA級であるとはいえ風間に一方的に負けるような姿を新入隊員が見れば、彼らがB級隊員全体を甘く見る可能性がある。これは三雲にとっても新入隊員たちにとっても良いことではなかった。

 また、戦闘がそうした経過をたどることが予想に難くないのであれば、そんな戦いを見たところで新入隊員にとって益するものは何もない。単に

「A級すげー! B級ショボっ!」

という感想を持つだけになってしまう。

 実力が伯仲した者同士の戦いであれば参考になる点も多いかもしれないが、仮に三雲と風間の実力が互角に近くても、今度はレベルが高すぎて彼らには理解できない。そんなものは見ないにこしたことはないのである。

 当初は誰しもが予想した通りの結果だった。そして、その結果をいつまでも積み重ねるだけであった。少なくとも外野から見ている分にはそうとしか見えなかった。

 実際、勝負に立ち会った木虎が、やはり後輩の様子を見にやって来た玉狛支部の烏丸にやめさせるように進言し、訓練室のオペレートを担当していた諏訪もとっととやめれば良いと考えるほどであった。

 しかし、実際に戦っている風間は違った。

――― なんだこの違和感は…

 当初は最初の一撃で難なく三雲を撃破していたのだが、戦闘回数が2桁になる頃には三雲がわずかにその攻撃を躱すような動きを見せはじめたのである。もっとも、躱すことができたわけではないし、それで止めを刺せなかった場合でも第二撃で問題なく撃破できた。

 それ自体は問題ではなかったのだが、三雲の動きそのものが風間の心を強くとらえた。三雲はまるで、そこに風間の斬撃が来ることを最初から『知っている』かのような動きを見せはじめていたのである。

 風間は、その動きを三雲よりも遥かに高い次元で行うことのできる人物を知っていた。1つ年下の、残念な毛髪の男である。彼にとって清治は極めて相性の悪い相手だった。

 誤解を恐れずに言えば、清治と模擬戦を行ったことのある人間で、アタッカーの間合いで清治に勝利しうる者は誰もいない。

 正確に言えば清治の剣戟の間合いに入った人間で清治の斬撃を防ぎ得る者はいないのである。そのため、例えば太刀川は清治の間合いの外から2本の孤月と旋空、そしてグラスホッパーを駆使した立体的な長距離斬撃を行う。これはまさに超人技だ。

 また、最近清治との模擬戦を避けている小南も、基本的にはメテオラを使用して清治を近づけないようにする戦法を基本としていた。

 多くのボーダー隊員に舐められている清治だが、ごく限られた実力者たちは清治との近接戦闘を極力避ける戦法を取った。そして、こうした戦法に清治は少なくとも近接戦闘よりは苦手なのである。

 清治の剣戟の間合いとは、単に清治の剣が届かない範囲というものではない。古流剣術である無外流の使い手である清治にとって、4間つまりおよそ7.3mほどだ。その外側から攻撃をかけるためにはアタッカーの場合は旋空孤月かスコーピオンを伸ばす、レイガストのオプショントリガーであるスラスターを使用して範囲外から飛び込むという方法しかないわけだ。

 スコーピオンでこの距離をかせぐには現時点で影浦のみが使用できるマンティスを駆使するしかないわけだ。そして、これらの方法を風間は使うことができない。

 風間にとって清治が相性が悪いというのは、つまりそういうことだ。実際の実力では風間の方が上ではあるが、こうした問題のため風間は清治に勝ち越すことができずにいるのである。

 風間のアタッカーの個人ランキングは2位だ。3位の小南が、実質は自分が1位と言い張るのは、自分より上位である風間が、自分と互角の清治に勝ち越せないこともその理由の1つだった。

 一方三雲は、手応えを得ると共に反省点も見出していた。言うまでもなくこれまでの戦闘についてである。

 師匠である烏丸と、烏丸を通して清治から指導を受けていた三雲は戦い方は勿論のこと、より高いレベルに達するために先人のログをチェックしていた。

 風間ももちろんログチェックの対象だった。清治が言うには、ポジションに関係なく風間こそがボーダーの全戦闘員の目指すべき理想形だと言う。

 何度も見た。そして、烏丸と2人で何度も学習した。風間の動き方や戦い方を参考にするのは勿論、仮に風間と戦うことになった場合はどのように対応すべきかを確認した。

 完璧とは言い難いが、その反復が三雲を強くしたことは間違いないし、その結果が風間の初撃に対応できるようになったという事実だ。

 だが、自身の考えている動きがようやくできるようになるまでに2桁もの敗北をしていれば、戦場であれば間違いなくアウトだ。しかも、それですら十分に対応できているわけではない。

 最初の一撃をなんとかしのぐことができるようになってきたものの、体勢を完全に崩されている。その状況で第二撃を受けているわけだから対処のしようが無かった。

 いうなれば、今の三雲は『死ぬのがちょっと遅くなっただけ』といった状態である。依然勝負にはなっていないということになる。

――― 反撃のイメージが全くできない…

 訓練のおり烏丸に言われたことを三雲は思い出した。隙をついて反撃する。その反撃につなげるためには隙を見出さなければならない。

 なければ隙を作る必要がある。しかし、これまでのところ三雲は風間から隙を見出すことも作ることもかなわずにいた。

 風間の初撃をしのいでの反撃はできそうにない。であれば、自分が風間に対して『先に』攻撃すべきだ。

 三雲は改めて自分の装備している武器を確認した。そして、それらを全て生かして風間に攻撃する方法を考えた。そして、ふとある考えに思い至った。

――― ここならトリオン切れは無い。だったらアレを試してみよう。

 三雲が思いついた『アレ』とは、何も以前から練習していた攻撃方法ではない。それは、訓練中にぶらりとやってきた清治とやった『遊び』を応用したものであった。




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E02 遊びと謎の動画

なんとか今日投稿できた…


「ぃよう。やっとるかね若人たちよ」

 そう言って、突然清治が訓練エリアに入って来た時、三雲は驚いたのは言うまでもないし、師匠である烏丸も驚きを隠せない様子だった。

 無理もなかった。清治はこれまで、三雲の訓練に直接顔を出すようなことが無かったのである。

 他はといえば、例えば小南と空閑の訓練の場合は、今回のように途中でイキナリ入って来ることがしばしばあった。

 どちらかと言えば直感で動くタイプの小南は、空閑に何かを教えるということは稀だった。最初に

「はっきり言ってあたし感覚派だから、他人を鍛えるのって苦手なの」

と言っていたくらいである。

 清治は無造作に入って来ると、空閑にいくつかのアドバイスをした。そして、その後に何か小南に耳打ちをしてから颯爽とその場を後にする。

 清治が去った後の二人の訓練は、オペレーションをしている宇佐美から見ても一段レベルアップしたものになっていた。

 木崎と雨取については、入る時には訓練の最初から参加する。

 そして、出来の悪い生徒然と悪い例を示すのだ。木崎がそれを指摘して清治に指導する。そして、清治は指導された通りに行動するのだ。

 こうして指導と実地を同時に行うことによって、雨取は普段受ける指導よりも多くのことを学び取る。

 こうした中にあって、清治はなぜか烏丸と三雲の訓練には手出しも何もしなかった。せいぜい宇佐美と一緒に訓練の様子を眺めるだけである。

 烏丸から指導についてのアドバイスを求められることがあれば応じてはいたが、三雲に直接何かを言ったりするようなことは全くなかった。

 それが突然無造作に訓練エリアに入って来たのである。誰しもが驚かずにはいられなかったであろう。

 先日烏丸は、清治にまたアドバイスを求めていた。三雲が徐々に力をつけているのは明らかだったしその成長に烏丸も満足していたのだが、当の本人は納得がいかないようだった。

 無理もなかった。実戦経験も豊富でさらに伸びしろもある空閑と、規格外のトリオン能力の持ち主で素直な性格であるがゆえに吸収も早い雨取。

 この二人と比べると三雲の能力は平均的に低い。どれかが突出して低いというのではなくトリオン能力においても戦闘能力においても平均より低いと言わざるを得ない状況だった。

 訓練を受けて着実に実力はついてきてはいるが、それでも他の二人ほど成長速度は速くない。本人からすれば、二人は成長しているのに自分は足踏みをしているとしか思えないのだ。三雲が焦るのも無理からぬことだった。

 そこで烏丸は清治に相談したのだが、答えはそっけないものだった。

「そりゃ本人の問題じゃけ、どうしようもなかろう」

 というものだったのである。

 それだけにこの突然の来訪は、三雲に対して何らかのアドバイスをくれるものであろうとは思われたが、その来意については烏丸でも図りかねた。

「何ぞ悩んどるらしいやんけ。そういう時ぁ、気分転換が一番じゃ」

 そう言うと、清治は先日自分が考えた『おはじきあそび』なる遊びの説明を始めた。

 概要としては、アステロイドを可能な限り細かく区切って空中に放出する。そして、ゆっくりと漂う極小のそれらのキューブを、アステロイドで全て壊していくというのだ。

「なるべく少ない手数で全部壊して、その手数の少なさを競う遊びじゃ」

「はぁ…」

 なぜこんなことを清治が言い出したのか三雲には分らなかった。むしろ、こんなことのためにわざわざ出向いてきたとでもいうのだろうか。

「ま、まずはわしとメガネくんでやってみようか。とりまる。アステロイドばらまいてくれ」

 清治に促され、いったんトリガー構成を変更した烏丸は、清治のリクエストの通りに細かく分割したアステロイドを空中にばらまいた。

 無数の小さなアステロイドがゆっくりと中空を漂う様は、まさに『アステロイド』の名にふさわしいように見える。

「んぢゃ、メガネくん先攻ね」

 清治にそう言われて、三雲は自身のアステロイドをアステロイド帯に放つ。丸のまま放たれたアステロイドの軌道にそって小さいアステロイドは破壊され、そのあとにぽっかりと穴のように空間が広がった。

「あれま。それぢゃあわしには勝てんで」

 そう言うと清治は、いくつかに分割したアステロイドを無造作に放つ。

 無造作に見えたのは清治の動きのせいだった。放たれたアステロイドは、漂う小さなアステロイドに当たり、それを弾きながら様々な方向に拡散した。

 結果、同じ大きさのトリオンキューブを放ったはずなのに清治の方がはるかに多くの穴をアステロイド帯に穿ったのである。

「こんな感じで、自分の撃ったやつだけじゃのぉで、漂っとるやつも利用するんじゃ。なるべく正確に。なるべく効率的にの」

 三雲がこのやり方を理解してくると、今度は対戦形式のルールで遊び始めた。

 一定の距離を取って対戦する2人が向かい合う。残った1人が2人の間の空間をアステロイドで埋める。

 ルールとしては先ほどと同じくアステロイドを使って細かいアステロイドを弾くのだが、前と違うのは弾いて相手を攻撃するという点だ。

「あくまでも弾くことで攻撃をすること。直接相手を撃つのは反則ぢゃ。それと、逃げたりシールドを使って防御するのも禁止。要は立ったまんまで、こまいアステロイドを弾いて相手を倒す。そんだけぢゃ」

 これは、意外なほどに戦術的な考え方が必要な遊びだった。まずは空間に漂うアステロイドの動きを見てどう弾くかを考えなければならない。初手で相手に攻撃が届くかどうかを判断し、そうでなければどうするか。

 だいたいは相手の攻撃のパターンを狭めるためにできるだけ多くのアステロイドを消滅させる方が良いのだが、それだと自分の次の攻撃もしにくくなる。

 また、直接的な防御ができないルールであるため、相手の攻撃が自分に届きにくいように自分の周囲のアステロイドを減らす作戦も取れるが、その際に間違って自分にアステロイドが当たっても負けとなってしまう。

 自分の手番になると30秒以内に撃たなければならないというルールもあるため、素早くそれらを判断する必要があった。

 また、場に漂うアステロイドの数が少なくなると、もう1人が小さいアステロイドを追加する。当然ながらその量や漂い方はランダムなので、そのたびに戦術を考え直す必要があった。

 当たり判定が難しいため、宇佐美に頼んで各々のアステロイドに色を付けてもらって行ったこの遊びは結構楽しかった。

「ぢゃ、30戦やって一番負けが多かったやつがいいどら焼きをおごるっちゅ~ことにしよう」

 そんなわけで意外な熱意でそれぞれが工夫し、最終的には大人の判断でさりげなく負けてくれた清治にどら焼きをおごってもらった三雲と烏丸は、それぞれに今日のこの遊びを単なる遊びに終わらせないように工夫を凝らしたのである。

 

――― ほう。あれを使うのか…

 風間と三雲の戦いが20戦をいくつか超えたあたりで、三雲が例の『おはじきあそび』をはじめた時に烏丸は小さく声を洩らした。

 清治からこの遊びを教わって以降、烏丸はしばしば訓練の合間にこの遊びを取り入れた。そして、ここ最近ではこの遊びについてだけは三雲に勝つことが難しくなってきているのを感じていた。

 この遊びは基本的に訓練室内の設定をトリオン無制限にして行う。元々トリオン量が水準に達していない三雲と烏丸が通常モードでこれを行えば勝負にならないのである。

 2人の対戦であるため、最初の1回はお互いに極小アステロイドを好きにばらまく。勝負が始まるのは実質2回目からだったが、三雲は最初にばらまく時点からかなり周到にアステロイドを配置した。そして、先攻であっても後攻であっても最終的には見事に烏丸を追い込んでしまうのである。

 ルール上逃げることも防御することもできないのだが、三雲は効果的に相手の攻撃を防ぎ、自分の攻撃は通りやすいように工夫しているようだった。そしてそれは、三雲の戦闘における空間認識能力が飛躍的に向上していることを如実に証明するものだったのである。

 カメレオンを使用している時は別のトリガーを併用することができない。つまり、例え威力の低い極小弾であっても確実に相手の体を削ることが出来る。この場においては有効な戦術であると言えた。

 しかしながら、これは『模擬戦』であって『おはじきあそび』ではない。カメレオンを解除して周囲のアステロイドをスコーピオンで粉砕した風間は、そのまま三雲目指して突進を開始する。

「カメレオンなしでも風間さんは強いぞ」

 烏丸の言う通りだった。単にカメレオンの性能に頼るだけの人間が、約600人にも登るボーダー戦闘隊員の中でも上位3指に入る実力者になどなり得ない。

 三雲とてその道理は理解している。風間が姿を現すまでどこに居るかが分からない分、どこで出現したとしても攻撃できるように極小アステロイドを配置していた。

 三雲がいくつかに分割したアステロイドを放った突端、疾風の如く三雲に迫っていた風間の足が止まった。訓練場にばらまかれていたほとんど全てのアステロイドが自身目掛けて飛んで来たからである。

 世の中には『弾幕』という言葉があるが、これはそんな言葉では追いつかない。四方から風間を圧殺すべく迫ってくるアステロイドの数と迫力、威力たるや、まさに『弾壁(だんぺき)』と呼ぶにふさわしいものであった。

 結果から言えば、この『弾壁』を風間はなんとか凌いだ。イルガーの背で攻撃を受けた際の木虎のように、体勢を低くした上でシールドを全身を覆うように展開したのである。もっとも、広く展開させたがために防御力が低くなり、多少ならざるダメージを受けたにしても。

 傷を負ったとはいえダウンするほどでもなかった風間は、アステロイドの大群の喧騒がやむと同時に三雲への攻撃を再開すべく相手を探した。しかし三雲の姿は目の前から消失するかの如く掻き消えていた。

 本来あるべき場所に姿が見えなくなってしまうと、人間は無意識に対象が消失したと感じて動きが一瞬遅れてしまう。風間においてもそれは例外ではなかった。そして、そのためにスラスターを利用して高くジャンプした三雲の発見に遅れが生じたのである。

「く!」

 風間が三雲の位置に気づいたのと、三雲が風間に向かってスラスターを使って突進したのはほぼ同時であった。そんな状況であるにも拘らず風間は三雲の狙いを一瞬で理解したのである。

――― あれは陽動だ!

 レイガストをブレードモードにして風間に一直線に向かう三雲の姿を見れば、誰しもが考える三雲の作戦は落下の慣性とスラスターの噴進力、さらにはレイガストの重量を頼みにシールドごと風間を貫くといったものだった。

 だが、風間は自身にそう思わせることこそが三雲の狙いだと考えた。先のような戦法の場合、風間がスコーピオンでひと薙ぎすればケリがついてしまう。先ほどから風間の斬撃をしばしばしのいでいる三雲だが、今回もそうできるとは限らない。

 もし三雲の予想した太刀筋とは違う太刀筋で風間がスコーピオンを振るえば、三雲のレイガストが風間の体に触れるより先に三雲はダウンすることになるだろう。

 そこまで考えて、三雲の狙いは風間が攻撃するタイミングでスラスターの噴射方向を変えて自身の背後へ回り込み、それと同時に大玉のアステロイドで撃ちぬくという戦法に出ていると風間は予想したのである。

「その手は喰わん!」

 風間は、三雲の術中に自身が嵌っていると三雲に思わせるためにそう言い放つと、さもスコーピオンで急速落下してくる三雲を迎撃するかのような動きを見せた。そして、予想通り三雲がその動きに合わせてスラスターの噴射方向を変えつつアステロイドを構えたのを確認する。

「言ったはずだ! その手は喰わん!」

 まるで三雲の体の流れまで予想していたかの如く風間が三雲に追い打ちの一撃を放つ。しかし、その瞬間に風間は後背から凄まじい衝撃を受けたのを感じた。

 なんと三雲のアステロイドである。風間が弾壁によって自身の姿を見失っている間に『置き弾』を仕掛けておいたのだ。そして、発見しにくくはあるがさほど時間をかけずに見つかる位置まで飛び上がったのである。

 自らを囮として風間の前に姿を晒し、置き弾に気づかないように工夫を凝らしたのだ。風間は最後の最後で読み合いにおいて三雲に上回られたのだった。

 三雲の置き弾を受けて風間がダウンするのと、着地のことを全く考慮に入れていなかった三雲がしたたかに床に体を打ち付け、その反動で自分が持っていた囮のアステロイドで自身を貫いてダウンしたのはほぼ同時だった。

 戦いを見守っていた誰しもが感嘆と絶句という、相反する感情の交じり合った複雑かつ微妙な気分でため息をついたのは仕方のないことだったろう。

 

 先ほどの戦いについてぶつぶつと文句を言っている菊地原と、それをなだめる歌川を引き連れて風間は本部の通路を歩いていた。

 菊地原の言葉はまるで風間の戦いがなっていないように聞こえるのだが、彼の本心がそこには無いことは風間も歌川も知っていた。彼はくやしいのだ。自分の尊敬する隊長がぽっと出のB級、しかも実力については下の下に過ぎない三雲にしてやられてしまったという事実が。

 もっとも、だからこそそんな三雲が風間と引き分けたという事実について、誰よりも感心していはするのだが。

「最後の攻撃だって、もっと早くスコーピオンを伸ばしてればよかったんですよ」

 確かにそうすれば、三雲が風間の動きに合わせてスラスターの噴射方向を変化させるよりもはやく攻撃ができたかもしれなかった。

「そうだな。張り合ってカウンターを狙った俺の負けだ」

 その一言は、図らずも風間自身に『負けた』という事実をより強く認識させるものだった。

 結果としては24勝1分けである。総合結果としては風間の勝利だった。もっともそれは当然の結果だとも言えた。先の通り三雲の実力はB級隊員としてはかなり見劣りするものだし、風間は個人としてはアタッカーNo.2の実力者だ。

 だが、最後の1戦についてはどうだろう。結果だけを見れば『引き分け』だが、その内容を知っている者からすれば完全に風間の『負け』である。

――― 最後の1回だけは完全に『読み』を通された。しかも…

 引き分けとなった流れが問題だった。風間は三雲の攻撃によってダウン判定を受けた。だが、三雲は風間の攻撃を受けてダウンしたわけではなかったのだ。

 結果は着地に失敗という苦笑してしまうようなものだったが、もし三雲が着地に失敗していなければどうだろうか。また、失敗したとしてもあのアステロイドを自分に対する止めとして放っていればどうだろう。

 物事の結果に『たられば』は無いというが、風間も含めて戦いを見ていた人間であれば誰しもが同じように考えているのは間違いなかった。

――― 実際には完全に俺の負けだ。

 風間本人にそう思わせるほどに、最後の三雲の戦いぶりは見事だったのである。

 着地の失敗や自弾を受けてのダウンなど良い笑い話だが、それは実戦経験の足りなさから来る詰めの甘さに過ぎない。もちろんそれは褒められるものでも擁護されるものでもないのだが、次は同じような失敗はしないだろう。

 実力はまだまだ低いと言わざるを得ないしトリオン能力もぜんぜん基準には達していない。しかし、その劣勢を知恵と工夫で盛り返し、20戦以上かかったとはいえ最後には勝ちに等しい引き分けにまで持ち込んだ三雲を、風間としては認めないわけにはいかなかった。

――― この先が楽しみだな。

 そう思った時、どこかで見たテンガロンハットの男がタブレット端末をいじりながら横の通路から姿を現した。

「おや蒼さん。隊の皆さんもお揃いで」

 基地に戻って来た清治である。結局はオリエンテーリングにもその後の訓練にも間に合わなかったのだ。

「武蔵丸か…」

「お~い。オンナの敵がいるぞ~」

「おい! すみません武蔵丸さん」

 清治が笑顔で手を振る。これは彼らと会った時の挨拶のようなものだ。

「三雲に色々教えたらしいな?」

「いやいや。最初にちょろっとですよ。んで、なんでメガネくんなんです?」

 清治に問われて歌川が先ほどの模擬戦について説明した。

「なるほど… ま、とりまるに頼まれて2、3のことは伝えはしましたが、基本はとりまるの指導ですよ。しかしそうですか。あのメガネくんが蒼さんを相手にねぇ…」

 清治としても、三雲がそれなりに力をつけてきたとは思っていたが、まさか風間相手にたった1戦だけでも良い線で戦えるなどとは思ってもみなかった。

「俺や柿崎のログをチェックするように勧めたそうだな?」

「そりゃそうでしょうよ。メガネくんは今日入った他の玉狛の子らとチームを作って、そこの隊長になるんですからね。隊の隊長として誰を手本とすべきかと聞かれりゃ、誰だって蒼さんとカッキーを上げますよ」

「ザキさんはともかく、風間さんを上げるとはセクハラさんも多少は見る目があるんすね…」

「おまっ! いくらなんでも失礼だぞ!」

「なんや。きくっち~はわしにチチ揉まれたいんかいな?」

 真顔で両手をワキワキと動かしながらそう言う清治にさすがの菊地原もたじろいだ。もちろん冗談である。

「ところで、蒼さんのログと言えば、さっき人から知らん動画を教えてもらったんで今見ちょるんですよ」

 清治がそう言い、風間が清治のタブレット端末を覗くと、ほぼ同時に二人が走りだした。風間は走りつつトリオン体へと換装している。

 突然の出来事にあっけにとられる歌川と菊地原。

「何があったんだ…?」

「さあ…」

 歌川の問いにこたえつつ、菊地原は先程風間がもらした

「きさま…」

という言葉を思い出していた。

 サイド・エフェクトに加えられるほどの聴力を持った菊地原ですらかすかにしか聞こえなかったその言葉を残して二人が去って行ったのである。

 動画とやらの内容はさっぱりわからないが、何か風間が気にするようなものが写っていたのだろう。

 清治と風間が追いかけっこをしているその時、開発室から数人のエンジニアがスナイパーの訓練場にあわてて向かっているのだった。



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E03 ウワサの3人

いたいいたいにょ〜。とか言いながらようやくアップ(^^;


 ボーダー本部基地のエンジニアが多数詰めている開発室へと通じる廊下では、無言のしかし凄まじい『おにごっこ』が繰り広げられている。やっているのは風間 蒼也と清治だった。

 先ほど清治が一瞬見せた動画を見た直後、同じくその場にいた風間隊所属の歌川 遼と菊地原 士郎があっけに取られる中、急遽始まった追いかけっこは、次第に追いかけっことは言い難いほどの熱を帯びてきている。

 清治が自身のタブレット端末で一瞬見せた動画は、風間には身に覚えのないものであった。だが、無意識下の『記憶』の中にそれらしいものがある。

 ある夜、風間は同年の諏訪 洸太郎と木崎 レイジと共に、清治のすすめる飲み屋でしたたかに酒を呑んだ。

 もちろん自身が前後不覚になる程に呑むつもりは無いのだが、諏訪が異様なまでの勧め上手だったのだ。

 自身と同じくポーカーフェイスの木崎が表情も顔色も変えずに淡々と、しかしぐいぐい呑む姿を見て、

――― まるで象が水を飲んでいるみたいだな…

 という感想を持ったあたりまでは記憶にあった。だがその後のこととなると、どこをどう歩いて自宅まで戻ったのかを、風間は全く覚えていない。

 先ほどの感想の記憶の後は、ほとんど全ての記憶が無い。あるのは、なぜか自室の入り口で下半身裸で眠っていたということと、そんな自分の状況をいぶかる暇もなく訪れた凄まじい頭痛の記憶だけだった。

 その日が非番だったのは幸いだったが、今後二度と諏訪とは呑まんぞという(何度目かの)決意の中で、風間は自身の感覚の中に、何者かと戦ったらしいような感触が残っていることに驚いた。

 腕や足から伝わるその感触には、その相手とかなり激しく戦ったのであろうという実感があった。それにも拘らず自分は無傷だ。頭痛と下半身が裸なのを除いて。

 後日そのことを諏訪と木崎に問い合わせてみたが、諏訪は曖昧な笑みを浮かべるだけだったし、木崎は帰る方角が2人とは違うため、飲み屋を出た後のことは知らないという。

 なんとも釈然としないまま日々を過ごしたわけだが、計らずも今、その応えが清治の端末に表示されたのである。

 動画には、赤い何者かに激しい攻撃を繰り出す風間の姿があった。ただ、完全に酔っ払っている風間の動きは当然ながら尋常ではなかった。動きもしない郵便ポストに何度となく斬りかかるが、その斬撃がポストに当たることはなかった。

 そして、自らの攻撃が空振るたびに

「なんという身のこなしだ…」

「今のは良くかわしたな!」

「素早さだけでは俺には勝てんぞ」

と、酒が入っているとは思えない尋常な口調で言っている。

 もっとも、全て外れているとはいえ斬撃自体は見事なものだった。酒のせいで足元が多少おぼつかない面も見られたが、おおよそB級以下で上を臨むアタッカーたちにとっては見本になりそうな見事な連撃の数々だ。とうてい酔っぱらいが踊っているようには見えなかった。

 やがて満足げに両手に持ったスコーピオンをしまうと、やはり酔っ払い然としたふらついた足取りであさっての方向に歩き去っていく風間。動画にはその一部始終が収められていたのである。

 そんなものを後輩どころか人に見せられるわけがない。映っている当人であれば誰であってもそう思うに違いなかった。況んや誇り高き男、風間 蒼也である。A級トップレベルの隊を預かる実力と、それに見合うプライドを持った彼がそれを看過するべくもなかった。

 それにしても、2人の立ち回りは見るべき者が見ればうなり声を挙げるほどのレベルだった。さほど広くもない廊下を縦横無尽に飛び回りつつ、片方が相手に飛びかかればもう片方はひらりと躱し、また片方がつかみかかればもう片方が見事な体さばきで間合いを離れる。

 互いにトリオン体に換装しているとはいえ、その動きは目を見張るものがあった。もし事情を知らずにこの様子を普段から清治を下に見ている連中が見れば、やはり驚かずにはいられなかったに違いない。

 どう見ても、清治が風間の攻撃を牽制しつつ見事に躱しているようにしか見えないのだ。

 そんな二人の傍らを、どたどたドスドスといった感じの鈍重な足音を立てて通り過ぎた一団があった。そこの開発室から出てきたエンジニアたちである。

 一応は開発室に見を置く清治が、彼らが開発室の外であんなにも慌てて動いている珍事を見逃すはずもなかった。

「要蔵さん。なんかあったんすか?」

 一団の中に親しい人物がいたので、清治は風間を目顔で牽制しつつ声をかけた。

「狙撃手の訓練場で事故発生だ! お前も来い!!」

 訓練場でエンジニアが駆け付けなければならないような事故など尋常ではない。清治も彼らに続いて走りだした。

「待て!」

 もちろん風間はそれを黙って見送ることはできない。彼を開放するのは例の動画を始末してからだ。

「蒼さん! その動画をわしに教えてくれたんは諏訪っちさんじゃ!」

 走り去りながら言い放った清治の一言で、風間は事の全てに合点がいった。つまりは、あの夜面白がって自分に酒を飲ませた諏訪は、その後何か面白いことが起こるかもしれないと密かに自分を撮影していたのだ。

 はたして彼の狙いはものの見事に的中した。つまりは、諏訪の謀に自身が見事に嵌ってしまったわけだ。

「諏訪…」

 走り去る清治の背を見送りつつそう呟いた風間が、その後どのような行動を取ったかは言うまでもないことだろう。

 

「ぅわ〜ぉ…」

 山田を含むエンジニアの一団から2、3歩遅れて訓練場に到着した清治は、普段は漏らさないような声を上げた。

 それも仕方がないことかもしれない。というのも、目の前に広がる光景に度肝を抜かれたのである。

 射撃手の訓練場は本部内の他のどの施設よりも大きく広い。10フロアぶちぬきのエリアの奥行きは確か360mにもなるはずだ。

 その広い訓練場の壁に、その広さにも見劣りしないような巨大な穴が開いている。偉観とも言えるその光景に驚かない者などいないだろう。

 ちなみに、過去にここに穴を開けたのは他でもない清治だ。自身の黒トリガーの性能チェックのための試射であけたのだが、穴のサイズはこんなに大きくはなかった。

 両手いっぱいに機器をかかえた清治は、エンジニア用の通用口から入って来てその場で思わず立ち尽くした。

 アイビスで打ったらしいその穴は、いくら威力と貫通力を重視したトリガーとは図抜けた破壊力だ。まさに規格外としか言いようがない。

 エンジニア用の通用口は訓練場の下にあり、そのままシューティングエリアに入ることができる。ちなみに訓練の際は上にある通用口から入る。

 時に、清治が他のエンジニアたちより到着が遅れたのには理由があった。エンジニアたちは訓練場の壁に大穴が穿たれたという第一報を耳にすると、全員すぐさま立ち上がった。

 誰一人として機材を持って出かけることはなかった。とにかく何が起こったのかをこの目で『見たい』一心で。

 彼らの後に続いた清治はすぐにそれに気がついた。

「何で全員手ぶらなんじゃ」

 言いつつ清治は一旦開発室に戻ると、穴のサイズを計測する機器を持ち出したのである。

 開発室のエンジニアたちは概して優秀な人々だったが、鬼怒田も含めこうした少し抜けたところもある。清治に言わせれば『ヘンな人たち』だった。

 そうした彼らを清治は好きだったし、そんな人たちの末端に自分がいるのを心地よく思っている。そして、そんな人たちと付き合っているから今回のようにさり気ないフォローが不可欠だった。

「何してる武蔵丸! 早く機材持って来い!」

 自分たちは手ぶらで出かけておいてこの言い草である。苦笑しつつ清治は彼らの方へ向かった。

 途中で大型ネイバーを模した的が置いてあるのを見た清治は、それを見た時に必ず言うことをわざわざ鬼怒田に通信で言った。

「ポンさん。これもそっと改良しましょうや。どう見ても卑猥でっせ」

『んな事言うのはお前だけだ! いいからさっさと計測せんか!』

「へいへい」

 清治が言うには、この的の意匠はどことなく多聞天の足元の餓鬼に似ているというのだ。

 多聞天とは仏教で言う四天王の一尊で、四天王としてではなく単体で祀られる場合は毘沙門天と呼ばれる神様である。

 その立像の意匠は様々だが、多聞天の足元で鬼の一種である餓鬼がひれ伏しているのだが、この姿が清治が言うには尻を多聞天に差し出しているように見えるらしい。

 そのため、清治はこの的を見るたびに卑猥だの破廉恥だのと言うのである。本人の女性職員に対するセクハラはそうではないらしい。何とも彼らしい言い草である。

――― それにしても…

 凄まじい威力だとしか言いようが無かった。勿論目の前に広がる大穴を穿った原因についてである。

 アイビスは3つある狙撃手用のトリガーで、最も弾速が遅い代わりに威力と貫通力が最も高いというシロモノだった。

 貫通性においては清治の黒トリガー『煉』の長距離射撃弾の方がスペック上は上回るが、威力はアイビスの方がいくぶん上だ。それに、聞いた話では雨取のトリオン量は規格外だという。

 しかしだ。それにしても、まさか基地の分厚い壁をただの一撃でぶちぬくとはとんでもない威力だ。しかも、この大穴である。塞ぐのに一体どれほどの量のトリオンを消費するのだろうか。

 シュートレンジをチラリと見た清治は、困り顔で鬼怒田になでられている雨取と、騒ぎを聞いて彼女を心配してやって来た空閑と三雲に軽く手を振ると壁の方へ足を急がせた。

 測定用のマーカーを手に、なるだけ等しい速度で穴の内側を清治は歩いていた。測定器具の中には特殊なブーツがあって、靴底が特別な処理を施したトリオンで固められている。

 この処理の原理を清治は知らないのだが、これを施したトリオンは別のトリオンにゆっくり近づけるとまるで磁石のように張り付き、強い力で引っ張ればわりと簡単に引き剥がすことができる。

 このため、トリオンでできた壁をまるで忍者のように歩行することができるのだ。もっとも、それをやるためには多少のコツが必要ではあるが。

 マーカーの移動距離は端末によって記録され、事前に計測されたマーカーと地上との距離から穴の外周を計算する。そこから必要なトリオン量を割り出すことができるのだ。

 鬼怒田が雨取に言った通り、複雑な造形が必要とされない壁の補修などはそう時間はかからない。だが、そうであっても武器トリガーを作成するのと同様にそれなりの量のトリオンを消費することになる。

 先の改良型ラッドの一件で相当量のトリオンを備蓄できはしたが、今後の状況を考えれば備蓄は多ければ多い方が良い。ここでこれだけの量を消費するとなると、回復までにどれくらの時間がかかるのだろう。

 そう思った時、ふと清治はある考えに思い至った。

 穴の周辺をぐるりと散歩して、計測結果を待っている間、清治は再び鬼怒田に通信を送る。

「ポンさん。今回の一件、その子はともかく知っとって黙っとったモンにゃペナルティを与えんといかんでしょ」

『林藤支部長にか?』

「いやいや。いくら何でも幹部にそんなことできんでしょ。そうじゃなくて、他にも確実にこの出来事を『見た』やつがおるはずでっせ」

『…迅か』

「お誂え向けにやっこさん、今単独で防衛任務に着いとるはずです。こんだけの穴を塞ぐにゃ、トリオンをたんまり稼がんといかんでしょ」

『なるほどな… すぐに手配しよう』

 すぐに鬼怒田は開発室に詰めている人間に指示を出して、誘導ゲートをできるだけ迅の任務区域に集中させた。

 普段よりも圧倒的に多いトリオン兵を始末して一段落した迅は、今日の入隊式の様子を電話で嵐山に聞いたあと

「ところで、今日はやたらに俺のとこに敵が出てくるんだけど、何か知らない?」

と聞いたとか何だとか。

 かくして、空閑と雨取の参加した入隊初日は、何から何まで異例ずくしで終了したのだった。

 戦闘訓練で1秒を切るタイムで仮想ネイバーを斬り伏せた空閑。トップレベルの戦闘員である風間を相手に、勝利に等しい引き分けをもぎ取った三雲。そして、訓練室の壁に大穴を穿つという、前代未聞の事件を引き起こした雨取。

 ボーダー内がこの3人の噂でもちきりになるのは、それほど先のことではなかった。




ムサさんによれば、あの的は見た目がこちらにケツを向けているように見え、的の黒マークがケツホールに見えるとのことです。


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E04 歯並び☓秘剣☓のどち○こ

「そりゃしゃ〜ないじゃろ。あんな事になって、誰もお咎め無しってわけにはいかんて」

「でもさ〜。あの時俺、それなりに大変だったんだぜ」

 ボーダー本部の会議室へと続く廊下を『セクハラの双璧』が並んで歩いている。実はこうして2人が顔を合わせるのは意外に久しぶりだ。

 例の『演習』以降、2人がこうしてまともに顔を合わせるのは今回が初めてだった。迅は任務と暗躍に忙しく、清治は例の一件とその後の女子たちからの依頼、さらには先日の『トリオンモンスター事件』にと、それなりに忙殺されていたのである。すれ違ったりすることはあったが話をするのは本当に久しぶりだ。

「それにしても、あんなにたくさん出てくると、いくら俺でも疲れるよ」

 迅が愚痴っぽく言っているのは、雨取が起こしたあの事件の後のことだった。

 膨大なトリオン量を誇る彼女は、そうとは全く思わずに対大型ネイバー用の狙撃トリガー、アイビスを訓練の時に放った。

 元々アイビスが抜群の威力と貫通力を持っているというのもあったが、彼女のトリオン量とも相まってアイビスを開発したエンジニアですら想定していなかったほどの凄まじい破壊力を発揮したのである。

 その時できた穴を修復するためには膨大なトリオンを必要とした。そのトリオンを補填するために迅は強制的に働かされるハメになったのである。

「まぁえぇぢゃん。知っとって黙っとったんぢゃろ? それにゆういっちゃんなら、街を埋め尽くすほどの数のトリオン兵が出て来てもわけなかろうに」

「そりゃ俺もエリートだから強いけどさ。だからって疲れないわけじゃないいだよ?」

 壁の修復作業の最中に、清治は開発室長の鬼怒田にある提案をしたのだ。トリオンを得るには、ボーダーの場合最も効率的なのは、ネイバーフッドからやってくるトリオン兵を機能停止に追い込み、溶かしてしまうというものだ。

 そのためには大量のトリオン兵を倒さなければならない。そしてその役を迅に押し付けたのである。

 つまり、今の迅の愚痴の原因となっているのは清治の発案したそれなのだが、清治はそれが自分の発案だということは彼には黙っていた。知っているのかもしれないし、知らなければそれはそれで良かった。

 彼としては、自分たちだけが苦労しているのに、そうなることを知っていて黙っていたこの親友にも少々の意趣返しがしたかったというのもある。

「しかし、大型ネイバーを見るたびにずっと不思議に思っとったことがあるんじゃが、あいつら何であんなに歯並びえぇの?」

「気になるのそこなの!?」

「いや、他にもあるよ。なんでのどち○このとこに目があるんかとか」

「…」

 他者が迅に対して感じていることを、迅はしばしば清治に対して感じることがある。何を考えているのか分からないという点である。

 いや、この言い方は語弊があるかもしれない。清治の場合、間違いなく今言ったようなどうでも良いことを本当に気にしているのだ。分からないのは、どうしてそんなことを気にするのだろうということだ。

 もっとも、それを聞いたところで本人は

「いや、ただ何となく」

と応えるだけだろうことは明らかなのであえて聞いたりはしないのではあるが。

「お。いけん。端末持って来んの忘れても〜た。悪ぃけど先行っといて」

 そう行って急ぎ足に引き返す清治を見送ると、迅は普段の『実力派エリート』の顔へ戻る。彼がこうした愚痴めいたことを言えるのは、考えてみれば清治くらいしかいないのかもしれない。

 迅に取っても清治は得難い親友だった。なので彼は、清治が自分の所にゲートを集中して誘導することを進言したことを許してやることにした。

 

 思わぬ苦戦を強いられた。それが、たった今ランク戦を行った緑川 駿の感想だった。

 最初は三雲に対してちょっとした興味を持っただけだった。風間と引き分けるほどの人物だったらランク戦をすると楽しいに決まっている。そんな程度のことだった。

 そして、話しかけようと近づいてみると隊服のエンブレムが目についた。それは玉狛支部のものだったのだ。

 玉狛支部。そこは彼にとって尊敬を通り越して崇拝の対象となっている人物が所属していた。『暗躍エリート』こと迅 悠一である。

 緑川は以前、迅に命を救われている。突然現れたネイバーに殺されるなり誘拐されるなりしそうになった所を迅が駆けつけたのである。それが緑川がボーダーに入隊を希望した直接の動機だった。

 少しでも早く彼に近づきたかった。だから彼が迅の姿を模倣し、戦闘スタイルも彼に倣ったものとした。どちらも迅のそれと異なって来ているのは、それらを自身の本来のスタイルに照らし合わせて徐々に変化させたからである。

 それほど迅に執心している緑川が、三雲が玉狛支部のエンブレムを着けているのを見て放置するはずがない。そして、聞けばその迅の誘いで玉狛支部に転属したと言うではないか。

 その話を聞いた時、緑川の胸に去来したのは強烈な嫉妬だった。自身はどれほど望んでも転属が叶わないというのに、この一見冴えないメガネはいとも簡単に…

 おまけに、先の通り風間と引き分けるほどの実力もあるのだと言う。

 その時思いついたのがランク戦である。ロビーに座っているだけで周囲がざわつくほどの人物と、入隊間もなくA級にまで駆け上がったという自分が戦えばギャラリーが集まるはずである。

 風間と引き分けた以上それなりに実力はあるのだろうが、見たところ自分に勝ち越せるほどでもなさそうだ。そんな彼をギャラリーの前で恥をかかせてやるのは痛快なことだろう。

 緑川は普段はこうした陰険な真似をするような少年ではないのだが、こと迅絡みになると暴走してしまうきらいがある。今回もそんなところだった。

 10本勝負ということで早速に三雲を圧倒しようとした緑川だったが、この1本を取るのに意外な苦戦を強いられた。

 相手が避けるのが上手いわけではない。逃げるのもどこか動きがたどたどしかった。ただ、こちらの攻撃を『受ける』のだけが異様に上手いのである。

――― くそ! なんで当たんないんだ!!

 ほぼ完璧に入ったはずのスコーピオンの斬撃を、シールドモードのレイガストとシールドで巧みに受ける三雲に、緑川は徐々に苛立ちをつのらせた。

 1本目はまさに乱撃と呼べる攻撃でどうにか取ったが、その時雑になった攻撃の一瞬の隙をつかれてしまって2本目は不覚を取った。

 5本目までに3対2と勝ち越したが、緑川としては納得できるものではなかった。元々10本勝負だったのでそのまま戦ったが、そのあとさらに1本取られてしまった。

 勝敗としては7対3で緑川の勝利だったが、数字がしめすほど一方的な戦いではなかった。

――― …一体どういう人なんだ?

 勝負が終わった後、緑川は戦いを振り返りながらそう思った。先の通り攻撃は素人以上、初心者未満のつたないものだったし、攻撃に対する対応もお世辞にも上手いとは言えなかった。

 逃げ方に至っては到底心得がある者の動き方ではない。にもかかわらず、受けた攻撃を防ぐのだけは抜群に上手い。

 ゲームのような表現で三雲のパラメータを5段階で表現すれば、攻撃2、素早さ1、回避1、防御5といった感じだ。こんな歪な能力値のキャラクターなどゲームやマンガでもなかなかいない。

 ブースを出た緑川は、ギャラリーたちも反応に困っていることに気がついた。結果は緑川が圧倒したように見えるが、内容は猛獣のように攻撃をしかける緑川と、亀のように防御を固めた三雲を見続けたようなものだ。どう評価して良いのか分からないのも無理からぬことだろう。

 そしてそれは、実は先の風間と三雲の模擬戦の、特に最後の戦いを見ていた者たちと同じようなものだったのである。

 

「修くんを3日間、それも夜の間のみではありますがお預かりさせていただきたい」

 普段にはない丁重な言葉で母親にそう言う清治を、三雲はいくらか奇異なものを見る目で見ていた。

 いつもの調子とは全く違う、目上の者に対する丁重で、いささか堅苦しい言葉遣いで母にそう言う清治も不思議だったが、ボーダーへの自身の入隊を反対していた母がその申し出を受け入れたのも不思議だった。

 もっとも、一番驚いたのは清治が最初から母を三雲の母親だと認識していたことである。

 三雲の母親である三雲 香澄は実年齢とはかけ離れた容姿の持ち主だった。実際には既に40代に手が届く年齢なのだが、どう見ても20代半ばから後半にしか見えない。

 そのため、初対面の人間には必ず彼の姉だと勘違いされるのだが、清治は最初から分かっていたかのように話し、母もそれを不思議には思っていないようだった。

 清治が帰り、寝床についた後で三雲は清治の来意について思い返してみた。なんと清治は、自身が祖父から受け継いだ『あるもの』を三雲に伝えたいと言い出したのである。

 と言っても、何らかの訓練なり稽古なりをするというわけではない。単にその『型』を伝授するだけだと言う。それで身につくというものではないが、知っているのと知らないのでは戦闘において大きな違いが出てくると言うのだ。

「率直に申し上げれば、息子さんは1対1の戦いにおいて勝負できるタイプではありません。ですが、訓練ならばともかく『戦い』となれば、勝つことよりも負けないことの方が重要な場合が多々あります。こちらについては彼には十二分な素質がある」

 曰く、清治が三雲に伝えたいものとは彼の流派にいくつかある秘伝の剣の1つであり、その剣は守りの剣で『無敵』ではないが『不敗』なのだと言う。

 勝つことと負けないことがどう違うのか。また、無敵と不敗の違いがどういうものかという疑問は、ここでは言うべきではないような気がした。また、母もそれを問いただすようなことはしなかった。

 考えさせて欲しいと言った母は、清治を玄関まで清治を見送った後

「ずいぶんきちんとした子がいるのね」

そう言って薄く笑っていた。普段は全くと言って良いほどに表情を崩さない彼女が久々に見せた笑みだった。

 2日ほどして母の許可を得て、夜の間だけ清治から手ほどきを受けた。そして、その時得たものがどうやら一応の効果を発揮したようである。

――― 最後まで動きが読めなかった…

 それが三雲の、この戦いにおける率直な感想だった。そして、それと同時にそれでもかなりの精度で相手の剣を防ぐことができたという実感があった。

「これを伝授したとして、メガネくんがそれを体得できるとは思うてはおらん。また、仮にできたとしても飛び道具も交じるトリガー使い同士の戦闘でどれほど役に立つかも分からん」

 と、清治は三雲に言った。

「じゃが、わしよりも君の方がこの剣には向いている。これはの。臆病な者でなくては身に付けることができんのじゃ」

 『臆病』という言葉に三雲が引っ掛かりを覚えると、すかさず清治が言葉を続けた。

「臆病とはな。用心深くて思慮のあることを言うのだ。勇敢と無謀をはき違えない者でなければこれは体得できん」

 3晩を用して秘剣『柳枝』の伝授は行われ、確実に身につけたとは言わぬまでもそれなりの形にはなった。そして、その形が緑川との戦いの中で幾度ともなく現れたのは収穫だった。もっとも、結果が負け越しであるという事実に変わりはないのではあるが。

「こらおさむ! 負けてしまうとはなにごとか!」

「なんか目立ってんなー」

 ブースから出てきた三雲を出迎えたのはなぜかここにいる陽太郎といてもおかしくない空閑だった。

「おつかれさま。え〜と」

「三雲だ。三雲修」

「ああ。三雲先輩。ハッキリいって強くないけど、受けるのすげぇ上手いよね」

「はは…」

 ギャラリーの微妙なざわつきをよそに、緑川は当初の目的を忘れて普通に三雲たちと接した。

 話の流れで空閑とも戦った緑川は、今度は反対に空閑に圧倒された。後半は手も足も出なかった。

――― これが今の俺とあの人の差か…

 改めて強さとは何かを考えるきっかけと、共に研鑽することができる仲間を得た緑川だったが、自身の謀が失敗して逆に自分がギャラリーの前で恥をかくことになったことに気がついたのは家に帰ってからのことだった。



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E05 意外なお値段とまるゆさん

さぼってたんやないんや…
忙しかったんや…
疲れてたんや…
いや、今も疲れてますけどね(^^;
ヲッサンになると気力を充実させるのが年々難しくなるのです。皆さんも年取りゃわかります(´;ω;`)


 迅が三雲と空閑を呼びに出て行った後、宇佐美と清治は並んで機器の調整や接続などを行っていた。

 それまで会議は粛々と続いていたのだが、戦略的見地から意見を求められた清治が言ったのだ。

「新型と直接の交戦経験があるのは、木虎隊員と三雲隊員のみ。それと、空閑隊員も何か知っているかもしれませんな」

 珍しく神妙な顔をして発言した清治の言葉に城戸が首肯したのである。

 さて、会議が中断している間に忙しく機器の面倒を見ている宇佐美と清治を林藤はぼんやりと眺めていた。

 この2人はエンジニアとしては宇佐美が先輩で、清治は彼女に色々教えてもらうために一時期は玉狛支部に足繁く通っていた。

 例の清治の私室はその時に作られたものだったが、以降も清治は時々支部を訪れては自慢の日本料理を振る舞った。

 その時必ずと言って良いほどに宇佐美も並んでキッチンに立った。ちょうど今のようにである。

「お似合いだな。お2人さん」

 その時と同じように、息ピッタリに作業をすすめる2人に林藤が声をかける。すると

「それは無い」

とこれまた息ピッタリに2人が返事をする。以前と全くいっしょだった。

 実際の所は分からなかったが、玉狛のキッチンでそう返事を聞いた時、林藤は一応聞いてみた。

「それじゃお前らはお互いをどう思っているんだ?」

 問われて2人はしばらく考えたあと、ほぼ同時に応えた。

「めんどくさい兄貴」

「無駄に手のかかる妹」

 この後お互いのこの意見に対してどういう意味だとぎゃーぎゃー言い合っていたが、何だか見せつけられているようで林藤は苦笑したものである。

「じゃ、あとの調整はアタシがやるから」

 宇佐美にそう言われて清治は会議机のそばまで下がると、その場でポケットから煙草を取り出した。いつも吸っているパイプではなく葉巻だった。

「お。めずらしいな。どうしたんだ?」

 葉巻に興味を覚えた林藤が声をかけた。

「ああ。まるゆさんの影響ですよ」

「なんだそりゃ」

 一部の変態紳士たち(貴腐人含む)が嗜む巨乳美女と貧乳美女と美幼女(いずれも二次元)が大量に登場する、一部ではロリコンホイホイとの呼び名も高い某ソーシャルゲームから派生した非公式キャラクターのことを林藤が知らないのも無理はなかった。

 やがて清治が咥えた葉巻から、彼が普段愛用するパイプ煙草とは多少異なるものの、嗅いだ者の心を癒やすような優しく甘い香りが漂いはじめた。

「へ〜。そいつもなかなか良いもんだな」

「なんすけどね。これバカ高いんすよ」

「ふ〜ん。いくらなんだ?」

「一本3,600円」

 これには、聞いた林藤だけでなく聞くともなしに聞いていた他の連中も驚いた。

「一本て! お前そんな高級なもん吸ってんのか」

「わしもネットで注文した時は1箱の値段だと思っちょったんですよ」

「それでも十分高いだろ…」

 林藤の言う通りだった。喫煙者である彼をしてそう言わせるくらいなのだから、非喫煙者である会議室内にいた他の者たちの心中は推し量るまでもないことだろう。

「もう少し安いの無いのか?」

「5本セットで千ちょっとのやつがあったんで、今度はそれにしようかと」

「それも結構高いなぁ」

「わしゃたっさんみたくチェーンスモーカーぢゃなぁですけぇの」

「お。言ったなこいつ」

 2人の話題は、煙草からお互いの近況、果ては三門市内のいかがわしい店のことへと流れていった。

 内容が内容なのでさすがに忍田が注意しようと思った時、ちょうど迅が空閑たちを連れて戻ってきた。

 

 彼らの到着を待って会議が再開された。冒頭で空閑がここに呼ばれた理由を忍田が説明する。

 ボーダーが行った調査の結果、おそらく4年前よりも規模の大きな近界民(ネイバー)による侵攻が近い内に行われることが確定的だと言う。空閑には、近界民(ネイバー)としての彼の意見を是非とも参考にしたいということのようだ。

「おまえが近界民(ネイバー)側の人間だろうがなんだろうが、ボーダーに入隊した以上は協力してもらう!」

 いつもの高圧的な態度で言い放つ鬼怒田の言葉に、恐れ入るわけでもなければ反発するわけでもなく

「なるほど。そういうことならおれの相棒に訊いたほうが早いな」

と空閑はあっさりと言い放つ。

 空閑に促されて登場したレプリカと、レプリカがトリオン兵だという事実が議場内をざわつかせたが、『彼』はそんなことには全く頓着しなかった。

 レプリカの関心は会議に出席している面々の心象には全く向かっていなかったのである。彼が気にかけていることは1つしかなかった。

『ボーダーの最高責任者殿には、私の持つ情報と引き換えにユーマの身の安全を保証すると約束していただこう』

 レプリカのこの言葉には、当然ながらある種の『試し』だった。彼のこの言葉に対する城戸の返答はおおよその見当はつく。

 問題はその返答に『嘘』がないかということだ。この面については空閑自身のサイド・エフェクトで確認を取ることができる。

 だが、城戸が返答をよこす前に声を上げた人間がいる。

「そういやアレかいね。隊務既定に『黒トリガーを許可なく使用してはならない』とか、そんな意味の条文ってあったかいの?」

 会議の纏う空気を完全に無視した脳天気な声の持ち主が誰かなど問うまでもないことだろう。

「そんなのあったら、俺もムサさんもとっくにクビだよね」

 相方と言っても良い男が問いかけに応えた。

「ですよね〜」

 言って二人で笑い出す。ひとしきり笑ったあと

「何がおもろいねん!」

「いや、ムサさんが話ふったんじゃん!」

 何というか、特にクオリティの高いわけでもない漫才を見せられて全員がそれぞれの反応を示したのだが、この場において鬼怒田だけがこのやりとりの真意を看破していた。

――― 楔を打ちおったな!

 最初にレプリカの申し出を聞いた時、鬼怒田は

――― しめた!

と思った。従うという言質さえ取ってしまえば、後はどうとでもこちらで解釈することができる。

 一番ありそうなのは黒トリガーの使用であり、実際会議が始まる前に林藤が城戸に対してその点を指摘している。

 だが、そうせざるを得ない状況であったとしても、事後にそれを理由に空閑を処断することも、できると言えばできるのだ。

 そうした、空閑側からすれば懸念となる事項を、先ほどの清治と迅のやりとりが払拭してしまった。それぞれに理由があるのかもしれないが、そうした事が以前にあった2人を処分していない以上、空閑のみが処分されるというのは道理に合わない。

 少なくとも黒トリガーの使用について彼を処断することができなくなってしまったのである。

「ボーダーの隊務既定に従う限りは、隊員空閑 遊真の安全と権利を保証しよう」

 それぞれの考えを知ってか知らずか、城戸は無表情に言い放った。彼としては、かつての盟友の息子に複雑な感情を持っているのだろう。

――― まあいい。他にもやりようはあるはずだ。

 それにしてもと鬼怒田は思う。空閑が現れてからの清治の立ち位置がどうも曖昧だ。

 鬼怒田の感覚では、清治はいわゆる『城戸派』寄りの人間のはずだ。確かに所属は鈴鳴支部ではあるし、玉狛支部の連中とも親しく接してはいるが、清治が心底に秘めるものが『憎悪』という言葉では追いつかないほどに苛烈であることを知らない人間は、ボーダー上層部で知らない者はいない。

 そんな清治が今、空閑の擁護のために迅と結託している風に見える。迅と親しいのは先刻承知ではあるが、清治にしても迅にしても

「それはそれ。これはこれ」

という考え方のできる人間である。

 さらに言えば、清治はその辺りの線引きがかなり峻厳だ。そこのところが鬼怒田には分からない。

 だが。と鬼怒田は思った。

 清治にしても迅にしても、これまでボーダーに資する形になるように様々なことをやってきた。それぞれの能力に応じて、それぞれの形でボーダー全体に貢献してきたのである。

 今回のことにしても、おそらくそれぞれの思惑があり、結果として空閑を擁護する形になっているに違いない。少なくとも鬼怒田はそう思った。あるいは、そう思うことにした。

『確かに承った。それでは近界民(ネイバー)について教えよう』

 レプリカの持つデータを追加した配置図は、その場にいた人間がことごとく嘆息するほどのものだった。

 

 会議で防衛体勢の確認を行った後、空閑に三雲、鬼怒田と根付が退席した状態でさらに戦術、戦法についての詰めが行われた。そして、その中で重要な情報が迅からもたらされた。

「連中が攻めてきた時、ムサさんはここにはいない。そんで、間に合うかどうかは五分ってとこだな」

 彼のこの発言によって、敵の侵攻の日は3〜6日後であろうことが特定されるのだった。理由は簡単だった。清治のスケジュールだ。

 清治は意外にも上層部の覚えが明るい。そのため、根付や唐沢などは自分の次の人材として清治を見ているという面があった。現在は清治の直属の上長である鬼怒田もそれが良いと考えている。

 彼としては、開発室の中で清治を出世させるのにはためらいがある。清治の普段の行動や言動、エンジニアとしての実力を考えると、今よりも責任の思い仕事を彼にさせるのは困難だろう。

 そんなわけで清治は3日後から2日間、市外のスポンサーの元を回る唐沢と出かけ、翌日は根付と共に市内の報道各社を回ることになっていた。清治が開戦に間に合わないということは、おそらくこの期間内に敵が攻めてくるということなのだろう。

 さらに言えば、戦闘そのものに清治が間に合わないということは、清治が市外に出ている可能性が高いということになる。であれば、考えられるのは唐沢と出かける2日間ということになる。

 深刻な状況であると言えた。清治は黒トリガーの使い手である。また、他の隊員と違って『(こす)い戦い方』が非常に上手い。防衛側としては戦力の大幅なダウンを勘定しなければならない状況だ。

「ま、たいしたことねぇんぢゃね?」

 そう言うのは当の清治である。清治からすれば、当日の戦力ダウンはともかく、いつともなく現れるかもしれない敵の襲来時期が絞り込めたことの方がはるかに大きい。その日のために戦力を集中運用する方が、彼自身が戦闘に加わることよりも良いと考えているのだ。

 清治のそうした考えはともかく、迅の言葉から清治を防衛の戦力と考えることが基本的にはできない。そうした考えで戦力配置を考える必要があった。

 ここで役立ったのは三輪と清治が連名で提出した防衛案であった。基地から見て西および北西方向はなだらかな下りとなっている。

 敵は基地周辺にしか出現できないため、市街地に向かうにはこの方向に最初に向かうと思われた。その位置に迅と天羽を向かわせることが決定した。特に北西方面は空き地に近い状況のため、天羽を配置する方がより効果的だ。

 また、非番の者も含め、学業などに支障が無い者はできるだけ臨戦態勢で基地で待機する。もっとも、ボーダーの主力のほとんどが高校生以下であることから、基地に詰めることができる戦力は限られていると見て良いだろう。この他、細々としたことを決めた後、この会議も散開した。

 会議室を後にした清治を呼び止めたのは風間と三輪だった。3人で廊下を移動しながら、会議では議題にならなかったさらに細かい作戦について互いに意見を交換する。

「たっちーが基地防衛に入る以上は、蒼さんとこが機動戦力としては一番重要になります。奮戦期待しとりまっせ」

「それなら俺達より玉狛だろう。それに三輪はどうする?」

 風間の質問に対する清治の応えは、普段の彼しか知らない人間からすれば驚くほどに的確だった。

「玉狛が隊として最強なのは認めますがね。あんにらは戦闘が長引けば長引くほど不利になる。いわばとっておきの予備戦力てやつです。こうした戦力を投入するには時機を得る必要がある。蒼さんトコは違う。墜とされることがなけりゃ、最初から最後まで戦場で威力を発揮し続けるでしょうよ。三輪っちには、隊や他の連中とは別に基地周辺に張り付いてもらいます。よね?」

「ああ…」

 隊にはそれぞれ特色があった。風間隊の場合は3人で固まって連携をすることによって、他のA級部隊の3部隊に匹敵する戦いができる。彼らにしかない特色である。

 他の隊はと言えば、隊として固まって動くのもさることながら、個別に行動する方が能力を発揮できる状況もある。特に三輪隊の場合は米屋、奈良坂といった各ポジションの上位ランカーがいる。彼らは状況を見てそれぞれに動く方が良い場合もある。

 特に奈良坂はスナイパーだ。長距離攻撃ができる駒として隊とは別の場所でも必要とされる人材でもある。

 三輪は彼らと比べて突出したものを持っているわけではないが、攻撃においても防御においても隙無く行動ができる。隊での戦闘時はアタッカーの米屋の動きをサポートする役割も果たしているため、メイン・サブ両方の働きを十全に行うことができるのだ。

 基地の防衛は最重要事案ではないが、最悪民間人を非難させる必要がある場合もある。三輪が基地防衛に加わればそうした『想定外』の出来事にも上手く対処できるというわけだ。

「ところで蒼さん。夜ヒマだったら玉狛に行きませんか? 今晩はレイジさんがカレーを作るらしいから、わしがカツを揚げてカツカレーに…」

 そこまで聞いて三輪は2人の元を離れた。屋上へ出て街の様子を最終確認するためだった。

 




どうでもいいことですが、ムサさんの目下の悩みは『好きな食べ物がインスタ映えしないこと」なんだそうで。
うまい棒、唐揚げ、とんかつ、ウィンナー、カレーなどなど…
茶色い食い物ばっかりやんけ!


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E06 茶色な弁当

年も変わり、年度も改まり、仕事場も変わり。
わ〜ぷあおっさんにも色々あったとです。
変わらんのは腰が痛いことだけ(´;ω;`)


 清治と風間の元をつと離れた三輪は、そのまま基地の屋上へ向かった。1人になりたかったというのもあるし、今一度市街地の様子を遠望したいというのもあった。

 まずは北西方面に目を向けた。上空から見ている分には分からないが、注意して歩けばなだらかな下りになっているのが分かる。意識せずに歩いていた時に清治に指摘されたのには驚いた。

「普通に歩く分にゃどういう事もなぁが、体調が悪かったり疲れとる時にゃ意外にしんどい。案外この方向に最初に敵が向かうかもしれんの」

 そう言った清治だった。さらにやや北寄りの方向を指差して

「向こうは建物も少ないから、大軍を展開するのに向いとる。そこにトリオン兵を集合させてから各方面に広がるなんて作戦を取るかもしれん。できりゃぁこっちが早めに確保しときたいの」

 ひょっとすると清治は、既にあの時点でこの方面に天羽を向かわせることを考えていたのかもしれない。

 戦略や戦術の基本に『衆寡敵せず』というものがある。多くの兵に少ない兵で勝つことはできないということだ。例えボーダーの戦闘員が精鋭であっても数は十分とは言えない。そんな状況で多数のトリオン兵を運用されたらどうだろうか。

 さらに、今回の大侵攻では人型の参加も念頭に置かなければならない。彼らの能力は基本的にA級上位ランカーと同格かそれ以上と考えるべきであり、そうした連中と圧倒的多数のトリオン兵を相手取って戦うことになれば勝利はおぼつかない。

 いわば、序盤にここを抑えることができるかどうかが戦局全体の帰趨を決めることになるかもしれなかった。

 三輪は次に南方面に目を向けた。迅と天羽を配置する予定の地域を除けば、東、南、南西だった。それ以外の方角に進むためには街そのものを破壊する必要があり、時間が経てばともかく開戦当初にそちらに向かうことは考えにくかった。

 このうち、比較的道が広い南西の方角に進む敵が動く可能性が高い。そのため、そちらの方面を中心として警戒区域内に多くのトラップを配置することが決まっている。トラップの配置は主に開発室が主導するが、A級トラッパーである冬島もその動きに参加することになるだろう。

――― 足止めが成功すれば。

 基地待機の隊員や他の隊員も追いついて来るはずである。そこまで来れば序盤戦はボーダーの勝ちと見て良いだろう。油断はできないが、その後は戦闘の推移によって戦術や戦法を各々で考える必要がある。

 清治が言うには

「高度な柔軟性を保ちつつ、臨機応変に」

ということだそうだ。意味が分かりにくいがそう間違った指示でもない。首脳部が区々たる戦術や戦法にいちいち口出ししていては現場は混乱し、最終的には戦局全体が大混乱を起こしてしまう。

 相手の戦略的目標は分からないが、こちらのそれは敵を撤退させることだった。そのために何をすべきかはそれぞれが考えなければならない。その辺りがこの防衛戦の難しさであるとも言えた。

 その辺りを清治に聞くと

「お帰り頂くまでが戦闘ぢゃろうねぇ」

との応えが返って来た。

 つまりは敵を撤退に追い込む必要があるということだ。人型の撃破が最も有効だという考えは一致しているが、三輪と清治はさらに一歩考えを勧めている。

「敵の戦法と能力を引き出させるために、人型はある程度戦場を泳がせる」

 というものだった。こちらの方が有利な状況であればそれは不可能ではないだろう。だが、もし戦局が不利な状況であれば有無を言わさず撃破しなければならない。果たして今のボーダーにそれだけの戦闘力があるだろうか。

 南の方角は道が広いとは言えない。そこで進路を塞ぐような策を立てれば、敵の侵攻を少し遅らせることができるかもしれない。

 そう思った三輪は、例えば敢えて狭矮な道に大型トリオン兵を誘い込んで倒すことで道を塞ぐことはできないかと考えた。それを清治に話したところ

「連中が大型の腹ん中に何を入れとるかわからんで」

と婉曲に否定的見解を示した。言われてみればその通りである。

 先の改造ラッドは大型トリオン兵であるバムスターの体内に格納されていた。同じようなことが今回も無いと誰が言えようか。さらに清治は

「あのたい焼きのお化けはでかかったの。あれより小さめの偵察に特化した飛ぶやつがおっても不思議じゃぁなぁ」

とも言った。いちいちもっともだった。

 改造ラッドと言えば、ゲートを開く能力を持ったラッドが現れれば、そこから新手も登場するだろう。敵がそうするのはどこだろうか。考えるべきことは山ほどあった。

 だからというわけではないのだが、屋上に現れた迅の姿を見た三輪は、険悪な表情を浮かべないわけにはいかなかったのである。

 

「…なんの用だ。迅」

 一人で考え事をしたいタイミングで、よりによって嫌っている人物が現れたのだから不機嫌なのは仕方ないが、仮にも先輩である人物に対してはあんまりな挨拶だった。

 ただ、迅にしても清治にしても、そうしたことを気にするタイプではない。

「実はおまえに頼みたいことがあるんだ」

 意外に思いはしたが、それはそれとして即答で断る三輪に、迅はそれでもと話しはじめた。

 なんでも、今回の大規模侵攻で三雲が生死の際に立たされることになるが、その場に駆けつけることができそうなのは三輪しかいないというのだ。

 奇妙な縁だった。思えば三雲が空閑と出会わなければ、三輪の中で迅や清治に対する考えが変わることは無かっただろう。だが、それとこれは話が別だった。

「三雲は正隊員だ。自分の始末は自分でつけさせろ」

「城戸さんが」

 三輪が話を打ち切ろうとしたその時に、迅は急に城戸が風刃の使い手を悩んでいることを告げた。使用者の第一候補だった風間が隊のことなどを考慮して辞退したことや、嵐山、木虎といった外向きの仕事がある人物たちも候補から外れている。

「今候補に上がっているのは、ムサさんを除けば加古さん、佐伯、生駒っち、片桐、雪丸、弓場ちゃん、鋼、そんでお前だ」

 どういうワケか清治も風刃を起動できる。もっとも既に黒トリガーの煉の使い手であるから、風刃の使用者候補には入らない。

「おまえがおれの頼みを聞いてくれるなら、おれはお前を推薦する」

「何…?」

 魅惑的な申し出だった。確かに今の三輪が風刃を手にすれば、大きな戦力の底上げが期待できる。三輪個人としても、彼の本懐である『姉の仇』を討つことができる可能性が高くなる。

「あんたの一存で黒トリガー持ち手が決まるわけがない。話は終わりだ」

 迅の相方とも言える無責任男との会話では出てこない、理由の分からない苛立ちと反発を覚えつつ三輪が言い放った。

「おまえはきっとメガネくんを助けるよ。おれのサイド・エフェクトがそう言ってる」

 知ってか知らずか、三輪が彼のことを嫌っている一因である一言、迅にとっては決まり文句であり決め言葉である一言を放った。

 いつもの通りだと思った三輪の背中に、いつもとは違って迅が言葉を続ける。

「今ごろムサさんも城戸さんにお前に風刃を持たせるように言ってるよ。おれと違ってもっと論理的な理由でね」

「ムサさんが?」

 意外な言葉に三輪は驚いたが、驚いたのは迅も同じだった。今の自分とのやり取りから考えると、三輪が清治を『ムサさん』と呼ぶとは思っていなかったのだ。

 どうやら三輪は、自分よりも清治に信頼を寄せているようだ。

 そう感じた迅が笑っているのを見て、三輪はひとつ咳払いをすると言い直した。

「武蔵丸さんがどうした?」

「さっきムサさんが城戸さんにつかまってたからな。きっとランチミーティングでもしてんだろ」

 

 上司との食事というものは、基本的には楽しいものではない。酒でも入れば多少事情は変わってくるかもしれないが、基本的には窮屈で肩が凝るものだ。

 それでもそうしなければならない事があるのは、どのような組織でも同じことだ。今日に関しては清治がそうだった。

 もちろん清治は、たとえそうする場合であってもいつもと態度が代わることはない。ただ、今回のように城戸司令とのランチミーティングの場合は、食べるものを買いに行くという任務もあるのだった。

 ボーダーの最高司令官である城戸は、執務室の隣に面会用の部屋を持っている。主に外部の来賓との会談の場合に使う部屋だが、幹部や隊員との密談をする場合に使用することもある。

 今回の清治とのランチミーティングはそうした類いのものでは勿論ない。単に『風刃』を持たせる隊員の人選についての意見を求めただけである。

 迅が空閑のボーダー入隊の見返りに本部に返上した『風刃』は、起動できる隊員が多いことでも有名な稀有な黒トリガーだった。

 迅の師匠である最上が黒トリガーとなったもので、起動できる人材の多さは最上の人柄を端的に現すものであったと言える。何せ清治にまで起動できてしまうのだから。

 他ならぬ迅が、師たる最上の化身である『風刃』に執着することは至極当然のことであり、その大切な『風刃』を手放す決意をする程に、空閑のボーダーへの参加は重要なことなのだろう。

 ところで、その『風刃』を持たせる隊員を選ぶのに苦慮しているのはなんとも皮肉な話だった。

 起動できる隊員の中で最も実力が高いのは風間なのだが、彼は自身が迅に勝利したわけでもないのにそれを持たされることを嫌った。

 彼らしい意見だが、『風刃』を入手した時点で風間に持たせることを想定していた上層部としては、新たな候補者を探すのに苦労する必要があった。

 多くの人材に起動できるとはいえ、実力の伴わない者に持たせるわけにはいかない。

 実力的に見て加古、嵐山、三輪、木虎の他に、佐伯、生駒、片桐、一条、弓場、村上が候補だが、この内嵐山と木虎は外向きの仕事があるため候補から外れた。

 残る8人の中で誰に渡すべきか。これが現在城戸を悩ませる最大の問題だった。

「加古、片桐、弓場の3人を候補から外す理由は何だね?」

 清治が買ってきた弁当をつつきながら城戸が尋ねる。

「単純な話です。風刃はアタッカー向きであって、ガンナーにゃ向きまへん」

 同じく清治も弁当をつつきながら応える。2人の目の前に置いてあるのは、基地から最も近い位置にあるスーパー『盛高』の名物弁当だった。

 特徴としてまず大きい。一般的なスーパーの弁当の優に2倍はありそうだ。

 おかずも特徴的だった。大人の手のひらくらいの大きさのとんかつに、それに負けないくらいの大きさのハンバーグ。鶏の唐揚に白身フライ、エビフライ。

 これでもかというほどの大きさのウィンナー。そしてスパゲティナポリタン。野菜っぽいものと言えばポテトサラダくらいである。

 いかにも男が好きそうな、それでいて若干健康には悪そうな食べ物をこれでもかと言うほどに詰め込んだその弁当は、破格の1つ350円で販売されている。

 その色味から、いつしか『茶色弁当』と呼ばれるようになったそれは、中高生を中心に人気の高い商品である。

 既に中年と呼ばれる年齢になった城戸だが、清治とのランチミーティングの時は好んでこの弁当を食べる。理由は清治もこの弁当が好きだからだ。2人とも高血圧とプリン体を恐れない、デブまっしぐらな食生活である。

「ならば、佐伯、三輪、一条、村上、生駒ということになるが…」

「一条、村上、生駒隊員は生粋のアタッカーです。遠いモンに攻撃を当てるのはあまり上手くない。わしも試したことがありますが、風刃の遠隔斬撃は思った以上に旋空と違います」

「それであれば、やはり加古隊員などに使わせても良いと思うが」

「それだと寄られた場合に弱い。一番良いのは、接近戦でブレードを上手く使えて、遠くにも攻撃を当てられるアタッカーベースのオールラウンダーです」

 よく一口で食えるなと言いたくなるような大きな唐揚げを食べながら清治が言う。元々がブレードタイプのトリガーである『風刃』を使用するのは、やはりアタッカーの方が向いている。それでいて遠隔斬撃を効果的に使用できるのは、ガンナーの資質を持った隊員だと清治は言っているのである。

「なるほど… そうなると、佐伯、三輪のどちらかということになるが、佐伯隊員は今ここにはいない」

 この城戸の一言で、三輪が『風刃』を持つことが決まったのだった。




さて。ぼちぼちやって来ますよあの連中が。
ちなみに、作者の現年齢は城戸さんよりちょっと上です。


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第柒章 スペシャルニャンコ編
F01 変化するのは戦況だけじゃない


腰に続いて、今度は百日咳とは… おかげで3週間近く会社を休むハメになりましたよ。来月の生活のことを考えると頭痛くなってきた…(´;ω;`)


――― これはとても勝てん…

 若者はまだ打ち合う前からそう思った。相手は10歳になったばかりの少年である。

 時間は少し遡る。若者は師である人物の紹介でこの道場にやって来た。なるほど、師が言うだけあってなかなかの遣い手が揃っている。

 しかし、どうも自分に比肩するものは多くは無さそうだった。事実、紹介を受けたあと4席だという人物と立ち合ったがさほど苦戦もしなかった。

 続けて3席、次席の遣い手と立ち合ったが次席の相手に少々苦戦したものの、どうにか勝つことができた。

 休憩を挟んで席次1番の者と立ち合うことになったのだが、それがこの少年だった。若者は馬鹿にされたように感じた。

 だが、すぐに彼はそれが間違いであることに気付くことになった。幼いその目に宿る光は、到底その年代の少年のそれとは思えぬほどに鋭い。まるで若者を刺し貫くかのごときものであった。

 やわらかに竹刀を絞った手、年齢を感じさせないほどにしなやかに座った腰、静かで鋭い足配り。まさにそれは、一流の剣士のそれであった。

 若者は足構えを踏み変えたり、切っ先をやや激しく動かしてみた。そうして相手の変化を誘おうとしたのだが、少年はひたと若者に視線を向けたまま、ぴたりと正眼に構えて微動だにしない。

 若者は動いた。このままでは目の前の少年の言い知れぬ圧迫感によって押しつぶされそうに感じたのである。走り出した瞬間に勝負は見えていた。

 すべるような足運びで、居並ぶ道場の門人たちが息をする間もなく相手との距離を詰めた若者は、おそるべき速さで相手の肩に打ち込んだ。その尋常ならざる鋭い一撃は、しかし相手の少年によって軽々と跳ね返された。

 恐るべき返し技だった。その返しのあまりの強さに、若者は手から竹刀がすり抜けてしまうのではないかと思ったほどである。

 若者は後ろに下がると十分に距離を取った。少年は最初に構えた位置から一歩も動いていなかった。

「もうその辺でよかろう」

 道場主のその一言で構えを解いた時、若者は自分が全身に尋常ではないほどにびっしょりと汗をかいていることに初めて気がついた。

 

 敵襲来ル ―――

 その一報を受けた時、清治は唐沢と共に三門市から新幹線で二駅ほど離れた仁別郡に来ていた。三門市と同じ県内で駅周辺こそ発展しているものの、少し駅から離れるとすぐに田園風景が広がるという、典型的な郊外の田舎だった。

 そこには、ボーダーの有力なスポンサーである八陽(はちよう)電産という会社があった。日本屈指の大型企業体である八陽グループ傘下で主に家電とITソリューションを提供している企業である。

 昨今の低価格嗜好に押されて日本の家電メーカーは苦戦を強いられていたが、そんな中でも八陽電産はその流れにはあえて乗らない戦略を取った。

 現在の会社のトップである杉田(すぎた) 武之助(たけのすけ)が打ち出した方針は、そうした低価格帯のものを生産するのではなく、同じ価格帯にしてはハイスペックと言える機能を持った『ちょっとだけ贅沢』な製品の開発・生産だった。

 この戦略は当初、海外に電気メーカーを売却した他のグループと比較すると苦戦を強いられたが、異様なまでの低価格嗜好が一段落すると、消費者は比較的低価格なのに1ランク上の機能を持った八陽の製品を求めるようになった。

 これは他の国内家電メーカーが低価格競争に参加してジリ貧になっていく中で、劇的なV字回復を達成して経済界など各方面からおおいに注目されることになった。必然的に経営者としての杉田にも注目が集まることとなったのである。

 多くの大企業経営者に少なくない武道経験者がいる中で、杉田もまたそうした例に漏れない人物だった。剣道の世界では高名な無外流・武蔵丸 政実の高弟であったことはあまりにも有名な話だ。

 さて、武蔵丸の名の通り、政実氏は清治の祖父であり師でもあった。強制的に武蔵丸流の、昨今であれば幼児虐待案件と言える苛烈な修行において、杉田もまた幼少期の清治の頭を(力加減はともかく)しこたまに打ち据えた人物の一人だった。

 そして、10歳になった清治に自らの剣が届かないことを悟った杉田は、以降清治を「若先生」と呼び師弟としての礼を持って接するようになった。

 そんな杉田が、清治が参加するボーダーに対して手厚いスポンサードをするのは当然のことなのかもしれなかった。また、家電メーカーとして未知の技術であるトリオン技術について、一方ならぬ関心を持ったのも当然のことだと言えるだろう。

 杉田と会談して久闊を詫び、ボーダー職員としての打ち合わせや折衝を行い、杉田に請われて剣の手ほどきをしている最中に三門市が近界民の襲撃を受けているとの報が入ってきたのであった。

「すんませんね杉田さん。どうやらわしもそちらに向かわなければならんようで」

「いや若先生。若先生の本分はそちらなのでしょうから、こちらについてはご心配なく。後のことは唐沢さんときちんと詰めておきますよ」

 

 その場で清治は今後の自身の行動について確認した。さしあたり公共交通機関はすぐにも止まってしまうだろうから、移動は自前の移動手段を確保する必要があった。

「駅前にデカいハーレーのショップがあったんで、そこで買えるやつ買って移動します。ちょうど欲しいのもあったんで」

「そうか。それなら、所轄の白バイに先導を頼もう。おそらく高速道路も閉鎖されているだろうから、きみ一人で行っても通してもらえないだろう」

 所轄の警察には唐沢から連絡を入れてもらい、清治はその足で駅前にあるバイクショップへと向かった。

 駅前は予想通りの大混乱だった。一報が入って鉄道がストップしてどれ程の時間も経っていないというのに、既に駅はごった返している。ほとんどが三門市に親族なり友人なりがいて心配している人々なのだろうが、中には情報を得ようとするマスコミ関係者や、単に騒ぎたいだけの不心得者もいることだろう。

 清治の姿はいかにもボーダー隊員であるため、こうした連中に捕まるのは面倒だ。清治は巧妙に人混みにまみれてショップの入っている建物の裏に回り込んだ。

 ショップの中は静かなものだった。表がああした状況だから商売にならないのだろう。店員も所在なさげに立っているか、互いにこの状況について不毛な推論を披露し合っていた。それだけに、ひと目でボーダー所属の人間とわかる清治がぶらりと裏口から入って来たのには驚いた様子だった。

「すんまへんね。ご存知の通りの状況なんで、一刻も早く現場に戻って戦闘に参加せんといかんのですわ」

 本当にそう思っているのかさえ疑わしいような呑気な口調でそう言う清治に、店員たちは最初度肝を抜かれたが、落ちつくとすぐに矢継ぎ早に口々に質問を投げかけてきた。

「詳しい状況はわしもここにおるんで分からんのですがね。ただ、この状態を一刻も早く通常に戻すためには、どうしてもわしが帰らんといかんのですわ」

 実際には多少イラつきつつも、清治はそういって店員たちをなだめ、到着時にチラッとみて気になっていた型落ちながら慣らし運転済の新車(いわゆる新古車)のFAT BOBについて説明を求めた。

 排気量1.6リッターで118Nmのエンジントルク、18.9リッターの巨大なタンクを搭載した、まさに『アメリカ・オブ・アメリカ』なそのマシンに密かに魅了されていた清治は、細かな手続きはショップに任せてそのバイクを購入した。

――― 面倒ごとが終わったら、まっさんをツーリングに誘ってみるかねぇ。

 そんな事を考えながら、購入手続きを済ませた清治は駅に押し寄せる人波とは逆方向に走り出した。

 高速道路の入り口は、予想通り規制が張られていた。口々に不満を言い募る人々の中をかき分けて規制線のそばに行き、そこに立っている警官に名乗ると、警官は胡散臭そうな目で清治を一瞥すると、いかにも厭そうな態度で清治を中へ案内した。

「先導させていただきますぅ。よろしくお願いしますぅ」

 案内の警官とは真逆のえらく腰の低い、どこかオネェちっくな口調でそういう人物が、清治を先導する警察官のようだった。移動中に唐沢からもらった連絡によると、所轄の交通機動隊に所属する凄腕の巡査部長らしい。

――― マジか… じぇんじぇんそうには見えんのじゃけど。

 そう思いつつもホンダと名乗るその巡査部長に、清治は丁寧に礼を言った。

 バイクに跨ると

「それじゃ行くぜ! しっかりついて来いよにいちゃん!!」

と、これまた到底同じ人物とは思えない表情と口調で言い放つホンダ巡査部長。そのまま、まるでカタパルトでも装着しているかのような凄まじい勢いで白バイを発車させる。

「オラオラどけどけてめぇら!」

 先程までの態度もさることながら、『お巡りさん』のイメージとは真逆の口調で疾走するホンダ巡査部長のバイクを追いかけるのは、トリオン体とはいえ一般的なバイク乗りに過ぎない清治にとっては大変な仕事だった。

 

 清治がホンダ巡査部長とバイクスタントを繰り広げている頃、三門市ではボーダーが奮戦していた。

 当初の予定の通り迅と天羽をそれぞれ西、北西方面に配置して敵を殲滅し、それ以外の方面に拡散していく敵を他の部隊が追う。

「おお…! こういう時は頼もしいねぇ…!」

 普段彼らの問題とも気まぐれとも言える行動に苦虫を噛み潰す思いを味わっている根付ですらそう言うほど、戦闘時における迅と天羽は首脳部においても絶大な信頼を勝ち得ていた。

 とはいえ、現在の防衛体制では手薄である感は否めない。実際に各部隊が揃うまでにはまだまだ時間が掛かりそうだし、清治のように所用で遠出してしまっている隊員もいる。

 非番の隊員の中には休暇を満喫するために出かけてしまっている者もいるから、とにかく可及的速やかに集まることのできる隊員で場当たり的に対処する必要がある。

 防衛戦であるとはいえ後手に回ってしまっている状況だ。現に東・南・南西の方角に広がる敵に対して攻撃できる範囲に隊が到達していない。

「防衛部隊が追いつく前に市街に入られるわけにはいかない」

 もちろんそれについても対策は練られている。開発室長の鬼怒田は勿論、トラップ関連のトリガーの開発を主任務としているエンジニアたち、さらには現役トラッパーとしてA級トップの隊を率いる冬島、極めつけはそうしたものを最も効果的に運用する(こす)い頭脳の持ち主である清治を加えて、念入りに準備をしていたのである。

 効果的かつ辛辣な位置に配置されたトラップの数々は、配置を指示した鬼怒田自身が驚くほどに効果的に敵のトリオン兵を排除していった。

 とはいえ、それで完全だというわけでは勿論無かった。何しろ敵の数が多い。現時点で正確な数を把握できているわけではないが、本部の試算では、今回の攻勢は4年前のそれと比較すると、およそ2〜6倍程度と予想されていた。

「いざとなれば基地から砲撃もできるが、早う隊員が着かんと基地のトリオンが空っケツになるぞ」

 しかし、それは無用な心配だった。えげつなく配置されたトラップを突破できない敵がまごついている間に、ボーダーの主力であるB級の各隊が敵の尻尾を捉えたのである。

「諏訪隊現着した!」

「鈴鳴第一現着!」

「東隊現着」

 この他にも荒船隊、柿崎隊、茶野隊、さらにA級部隊である風間隊と嵐山隊も敵を掃討しつつ先着の隊と合流すべく移動している。序盤の戦いにおいてはまずまずだと言える状況だった。

 同じ頃、戦闘区域へと急ぐ三雲と空閑、レプリカは戦況を確認しつつ先を急いでいた。

『数ではトリオン兵が圧倒しているが、敵はなぜか戦力を分散している。後続の部隊や非番の隊員が駆けつければ、戦況はボーダー有利に傾くだろう』

 事前の情報や予知によってしかるべく準備をしていたことが奏効していると言って良い状況だ。

 だが、もちろんそれで安心できるわけではないことを空閑が指摘する。

「今攻めて来てんのがこないだのラッド騒ぎと同じ国のやつらだとしたら、ボーダーの戦力が大体どのくらいかは予測済みのはずだろ」

 こちらのある程度の数と戦闘力、対処力を把握した上で仕掛けてきた。ということは、それでも勝算があるということになる。

 偶発的な遭遇戦ならばともかく、戦略的目標を掲げて戦闘を挑んで来ている以上、そのための対策は十分に練られていると考えるのが妥当だった。

「やつらが戦力を分散させたのには、きっと何か狙いがある」

 有り余るパワーを持った新しいバイクと、それを上回る荒々しいホンダ巡査部長に振り回されつつも、戦況の報告を逐次受けていた清治もまた、空閑と同じようなことを考えていた。

 戦闘に勝利することを考えた場合、大兵力ならばそれを逐次投入したり分散したりするのは愚策だった。集中的に運用して短時間で敵を叩くのがもっとも理想的な方法だ。

――― 敵はこっちの戦力をある程度把握しとったはずじゃ。なのに、一気呵成に殲滅戦を仕掛けて来ん。つまりは、敵の戦略的目標はわしらの壊滅や占領なんかではなぁっちゅ〜こっちゃ。

 そこまで考えた時、清治はふと思い出した。彼らのこちらに対する欲求は、国は違えども全て同じはずだ。

――― トリオンか!

 相手の狙いは、つまりはより多くのトリオンを手に入れる事。また、状況によってはトリガーを使用することに長けた人材の確保である。平たく言えば、敵の目的は戦闘に勝つことではなく人を攫うことである。

 とはいえ、先程の通りこちらにも既に近界民に対する戦闘能力を持った集団がいることを敵も把握している。そのため、より多くの戦力を使ってこちらに攻撃を仕掛けてきたわけだ。

――― そうなると狙いは…

 既に一定以上のトリオン量とトリガーを使う才能を有している者。つまり、ボーダーの戦闘員ということになるのではないか。

 清治の思考がようやくそこまでたどり着いた時、現場ではまさに戦況が変わろうとしていた。新型の登場である。




先導の白バイ隊員は、某伝説のジャンプ漫画のあの人ではありませんよ。ええ違います。じぇんじぇん別人ですとも(白目)


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F02 居なくても物事は続く

ホンマは先週2、3話アップするつもりだったのに、諸事情で結局今日やっと1話(´;ω;`)


 現状、三門市における戦闘は、清治の懸念と三輪が計画した作戦案の通りに推移していると言えた。

 清治が示した懸念は主に2つ。1つは敵ラッドによる索敵行動だった。

 当初から清治は、例の改良ラッドは単にゲートを開くことを目的としていたとは考えていなかった。ラッドの本分は『偵察』だ。

 トリオン能力が高い人間がより多くいる場所。想定される出現可能地点からその場所までの距離と経路。

 それらを総合して、敵は既に三門市全域を攻略するための地形図のようなものをある程度以上の精度で手に入れている可能性が高いと考えていたのである。

 現に敵は、裏通りの小道… とまでは行かないまでも、効率的にトリオン兵を展開できる場所と移動できる経路を、ほとんど迷うことなく移動している。

 清治からその推測を聞いた三輪は、早速東と共に地図を広げて検討に入った。そして、実際に基地に待機できる隊の数から最低限抑えておかなければならないポイントを割り出した。

 東らの導き出したそのポイントは非常に的確で、彼らはさらにそれらを3段階のレベルへ分割した。1はそこで敵を食い止めるのが最善と思われるポイント。2はできることならそこから先に行かせないことが望ましいポイント。3は言うまでもなく、絶対に突破されてはならないポイントである。

 現状では、ほぼ全ての交戦地がポイント2よりも警戒区域寄りだった。序盤としてはまずまずの展開と言えた。

 しかし、この展開も清治にとっては懸念材料の1つだった。

 現在のボーダーの戦力と投入できる人員のことを考えれば、これが最善であることは清治も理解していた。しかし、まだこれ以降も到着する隊員がいるとはいえ彼らはまだ戦場に到着していない。

 その到着も人によってまちまちで、早い者もいれば遅い者もいるだろう。こうした状況では戦力の逐次投入以外の戦略を立てることができないのだ。

 兵法家である清治にとっては、この状況は好ましく無かった。最も良いのは、序盤において全戦力で敵を圧倒し、しかる後に防衛体制に入るのが一番望ましい。

 だが、城戸の手腕によって人員が増補された現在のボーダーであっても、そうした理想的な戦いに近い方法を取るには人手が足りないのである。

 ボーダーは防衛組織ではあるが軍隊ではない。このことが、現在のような状況においては致命的ではないにしても不利に働くのは仕方のないことだろう。

 もちろんこれには様々な事情があった。ボーダーは日本に存在する組織だが、国家機関でもなければ国際機関に所属しているわけでもない。あくまでも1民間組織だ。

 そうした組織が徴兵のような制度で人を集めることなどできない。

 仮に徴兵制度を敷いたとしても、招集された人間全てがボーダーに参加できるわけではない。トリオンという特殊な生体エネルギー。それを体内に内蔵する量は人によってまちまちであることは語るまでもないだろう。

 そして、トリオンを利用して作られた道具、武器と言っても良いのかもしれないが、これらを有用に扱うにはトリオン量とはまた違ったタイプの才能が必要だった。

 つまるところ向き不向きなのだが、結局誰でも入ればボーダーの仕事に就けるといった種類のものではないのである。

 4年前の大侵攻の頃と比較すると人は増えたし、相対的に戦力は増した。だが、その戦力を一時に運用する『強さ』を、現在のボーダーは持ち得ないのである。

 1つには、ボーダーの主任務である防衛に当たることができるのは、基本的にはティーンエイジャーの若者であるという点が上げられる。トリオンを体内で発生させるトリオン器官は第二次性徴を迎える前後に急激に発達し、成人を迎える頃には徐々に衰えて行く。

 そのため、一般論ではあるがボーダーの戦闘員として動くことができるのは長くとも20代前半まで。以降は例えば沢村 響子のようにボーダーの職員として働くか除隊するかのいずれかとなる。

 先の通りボーダーは民間組織であり、通常は日本の法律の元に動く必要がある。そして、この国の3つの義務として教育があることは小学校の社会科で習うことだ。

 ボーダー戦闘員に限れば、そのほとんどが中高生だ。そして、彼らは任務も重要だが学業こそが本分である。これが一時に戦力を集中投入できない理由の1つだ。

 もちろん他にも理由はいくつかあるが、現状戦力を集中運用できない辛さは、早くも最悪の形で現れようとしていた。

『新型トリオン兵と遭遇した!』

 外でもない、今回の防衛作戦の概要を策定した功労者の1人である東からその情報がもたらされたのは、何とも言えない皮肉だった。

 

 三輪にしても東にして、もちろん清治や忍田にしてもそうだが、新手が登場するということまでは想定していなかった。彼らにしても預言者などではないのである。

 たが、清治は現状のように戦力が薄く広がって膠着状態になった時に、交戦状況から敵がもっとも戦力が低いと判断した場所にトリオン兵を集中運用し始める可能性は考慮していた。

 そのため、非番隊員もできるだけ警戒区域から離れないように通達を出していた。特にB級隊員はボーダーの主力だ。戦いの基本はいつも同じだ。衆寡敵せず。少数のA級隊員よりも多くのB級隊員の方が主戦力となるのである。基本的には。

 東の隊を始め、新型に遭遇した隊の全てがその主力たるB級だった。そして、登場した新型はそうした戦いの基本をいとも簡単に覆す戦闘力を有していたのである。

 実際、最初に会敵した東隊は、そこから少し離れた場所に現れた新手の敵兵の群れに一瞬気がそらされた。そう。わずか一瞬だった。

「東さんはむこうをやってください! こいつはオレらが…」

 隊員の奥寺 常幸がそう東に声をかけたほんの一瞬の隙をついて、新型トリオン兵は一気に間合いを詰めてきたのである。

「奥寺!!」

 東の一声で再び奥寺が向き直った瞬間は手遅れで、既に新型は彼の攻撃の間合いに入っていたのである。

 腕を振り回す新型の『雑な』攻撃を、奥寺は反射的に孤月でガードした。通常の攻撃であれば楽に防御できていたはずだった。

 しかし、新型の一撃はあまりに重すぎた。奥寺の体は一瞬で東と同僚の小荒井 登の視界から消え去った。しかも、隣接した路地の塀、その向こうにある数件の民家を貫いて。恐るべき一撃だった。

「奥寺! 応答しろ!」

 東の通信になんとか奥寺が応えるが、さすがにこの一撃は堪えたようだ。

「この野郎!!」

 同僚、というよりは相棒の奥寺がやられて小荒井は怒り心頭だった。比較的冷静な奥寺と比べると、小荒井はむしろ『アタッカーらしい』性格をしている。そんな直情的な彼が相棒をやられて黙っているわけがなかった。

「止せ小荒井! 奥寺が戻るまで待て!」

 新型の狙いが、小隊単位で手強く戦う彼らの分断であると感じた東が制するよりも早く小荒井は敵に飛びかかった。

 奥寺にしても小荒井にしても、アタッカーとして非凡な能力の持ち主というわけではなかった。だが、彼ら個人の能力は決して低いわけではない。

 また、彼らの連携攻撃は上位アタッカーのそれをも上回るとボーダー内では非常に評判が高い。とはいえ、片翼をもがれてしまい、逆上して雑になった小荒井の攻撃を、新型は軽くしのいでしまった。

 わずかに刃先を首筋にかすられながらも、たいしたダメージを受けることなく新型は飛びかかってきた小荒井の体を片手でかるがると掴むと、手近な塀にそのまま押し付けた。

「離せこの…」

 叩きつけられたダメージも気にせず、反撃しようとした小荒井をあざ笑うかのように、新型はもう片方の手で小荒井の両腕を掴むと、まるで不要なプラモデルを破壊する子供のようにもぎ取ってしまった。

 驚く小荒井と東をよそに、新型は腹部パネルを開くと細い触手のようなものを小荒井に伸ばす。状況から即時に敵が小荒井を捕獲しようとしていると判断した東は、スナイパーとしては至近と言える距離でアイビスを放つ。

 スナイパーの取るべき行動としては下策ではあったが、今はそのような場合ではなかった。東としては隊員を守るために必死であったし、弾速が遅い代わりに威力と貫通力が高いアイビスであれば、むしろ素早い新型に対してはこの距離から放つ方が良いかもしれなかった。だが。

――― アイビスを弾いただと…

 小荒井を捉えている方とは別の腕を軽く伸ばして、新型は東の放ったアイビスを事も無げに弾いたのである。

 ボーダーきっての戦術家として名高い東ではあるが、戦闘員としてはスナイパー。しかも、ボーダー最初のスナイパーであり、培われた狙撃技術は超一流だった。

 個人ランキングこそ、気鋭の当真や奈良坂に追い抜かれたものの、堂々の3位にランキングしている。スナイパーに適正があるためトリオン量とて一般のボーダー戦闘員の平均よりは多く質も高い。

 そんな東が放ったアイビスを至近で受けて、片腕で弾くというのは東でなくても度肝を抜かれることだろう。

 しかし、そんな余裕は東にはない。今まさに小荒井が敵に捕獲されようとしているのだ。

「うわあああ! 東さん!!!」

 恐怖に彩られた声音で叫ぶ小荒井の頭部を、東は躊躇なく撃ち抜いた。こうした真似を平気で行えるのは、ボーダー広しと言えども多くない。

 頭部が破壊された小荒井は、トリオン体の活動限界を超えたためそのまま緊急脱出した。

 ひとまず捕獲の危機から救い出されたわけだが、経験の無い恐怖と、やむを得なかったとはいえ味方に撃たれて『死んだ』という事実は、小荒井の心に小さくはない傷を残したのは間違いなかった。

「コアラ大丈夫!?」

 隊のオペレータールームへと戻って来た小荒井に、オペレーターの人見 摩子が愛称で呼んで声をかける。恐ろしい経験をした小荒井だったが、いつもの姉御の声にようやく普段の自分に戻ることができた。

「た、助かった…!」

 ようやく一言を絞りだした小荒井は、現状の自分の能力に悲嘆し、相棒がやられたことで冷静を欠いた自分を省みてうなだれた。

 それと共に、戦術の師であり隊長でもある東に汚れ役のような仕事をさせてしまったことを大いに反省するのだった。

 

 東から新型の報告を受けた本部はかなりざわついた。

 人に近い形状で二足歩行で移動し、高い戦闘力を誇る上にアイビスを弾く外殻の硬さ。何より隊員を捉えるような動きを見せたということ。

 攻撃力と防御力、敏捷性が高いレベルでまとまっているタイプの新手が、ここへ来て現れるとは。清治が当初懸念していた出来事が、清治が考えよりも悪い形で的中してしまった。

 この報告を聞いたレプリカから、さらなる情報がもたらされると、本部はさらなる驚きで満たされることになる。

 曰く、新型の名前はラービットと言い、トリガー使いを捕獲することに特化したトリオン兵だと言う。

 大型のバムスターやバンダーも捕獲用トリオン兵ではあるが、この連中は戦闘力が低い。一般的なボーダー隊員からすればお粗末なほどのレベルだ。

 それを考えれば、ラービットの戦闘力は相当なものだと言える。実際、レプリカもラービットは他のトリオン兵とは別物だと考えるように促した。

『A級隊員であったとしても、単独で挑めば喰われるぞ』

 ここへ来て、ボーダーは戦術の転換を決断する必要に迫られた。しかし、その決断は首脳陣の中でも異論を呼ぶことになる。

 その頃、某黒トリガーの使用者は未だに地獄のようなツーリングを敢行するハメになっているのだった。

 現に、B級でも上位の隊である東隊が既に崩されている。B級では、隊単独では難しい相手だと判断すべきだ。




ね。あのハゲ出番なかったでしょ(^^)b
武:そりゃねぇぜ次元〜〜…


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F03 野暮な口出しは大得意

 諏訪がラービットに捕獲され、その諏訪を風間隊が救出すべく動いている頃、清治はホンダ巡査長と共に防音壁の上を走っていた。立ち往生している車の数は少なくなって来たが、それでもポツリポツリと道路を塞ぐように点在している。

 そうした場所に来ると、距離が短い場合は防音壁を疾走し、長い場合は今のように防音壁の上を走行するのである。

 清治がそうした走行ができるのはトリオン体だからである。トリオン体に換装することによって、運動能力は格段に向上しているからこその芸当だった。生身の体では到底ここまではできはしない。

 もっとも、清治は右腕と左足、そして頭部と共に脳の一部も失っているため、生身では一人で歩行することも困難なのではあるが。

 対して、彼を先導している白バイ隊員であるホンダ巡査長は生身だ。であるにも拘らず、彼の走行はトリオン体である清治のそれよりも遥かにアグレッシブである。

「ちゃんとついて来てるか兄ちゃん! まだまだぶっ飛ばすぜ!!」

 バイクを降りていた時のなよっとした印象とは真逆の態度で、さらにアクセルを開けるホンダ巡査長。清治はついて行くのがやっとという始末だった。

 そんな中でレプリカがもたらしたラービットの情報を聞いた清治は、余裕の無い中でも奇妙だと感じた。

 曰く、至近での東のアイビスを弾く装甲。片腕のひと振りで奥寺を吹き飛ばしたパワー。取り付いてきた笹森を退けた電撃。いずれもかなりトリオンを消費して作られていることを物語っている。

 そうしたトリオン兵を数体持ち込んでまで実現しようとしている敵の戦略目標が、清治にはイマイチ理解できない。

 もしこちらを殲滅した上で市街地を蹂躙しようと言うのであれば、最初からラービット数体で本部を攻めるだろう。情報の無い強力な新手で強襲されれば、こちらとしても初動にかなりのロスが出ることは明白である。

 いくら忍田や太刀川らの凄腕たちを本部で待機させていたとしても、数によってはその全てを手際良く始末することは難しかったはずである。

 にも拘らず、敵の初動はこちらの予想を超えるものではなかった。いや、むしろ思った通りのベタな動きであったとも言える。それでも対処に多少の苦労はあったにしても。

 敵はそれをも見ていたはずである。その上でトリオンを大量に使用して作った新型を投入して来た。ということは、敵は敢えて戦線を拡大し、戦力が薄くなったこちらを各個撃破にかかってきているという想定が成り立つ。

――― それにどれほどの意味がある?

 敵の目的はトリオン供給源となるこちらの人間の誘拐または殺害であることは間違いない。しかし、それだけ多くのトリオンを自前で消費して、果たして採算が取れるのであろうか。

 確かに三門市在住の全ての人間からトリオンを奪ってしまえば帳尻は合うかもしれない。だが、そうするためには先にボーダーを殲滅する必要がある。

 敵の遠征の規模は不明だが、こちらに橋頭堡となる場所を確保することがほぼ不可能なことを考えれば、交戦可能時間はそう長くはない。

 一般的には2時間が限度だろうし、ネイバーフッド最大の軍事国家であるとは言っても、こちらにトリオンを獲りに来なければならない実情を考えれば、最大でも半日程度であろうと予想される。

 戦術レベルに目を向けると、戦術の基本に『衆寡敵せず』と並んで『兵は拙速を好む』というのがある。戦術的に見れば、例え行動が稚拙であったとしても、速いことの方が重要であるということだ。

 そういう意味では、やはりやり方がたとえ拙くとも、数体のラービットを使って本部を急襲すれば、陥落は不可能でもこちらの出足を挫くことはできたし、トリオンの強奪という観点から見ればそちらの方がメリットは大きいはずだ。

――― あえてその戦術を取らなかった目的は何だ?

 清治の中に、今回の敵は少なくとも単純なトリオンの確保以外の別な目的があり、そちらの方が主眼なのではないかという疑念がこの時生まれた。ただ、その『何か』が何なのかは分からない。

 すぐにでも本部にそう報告したい所だったが、交戦中に憶測に過ぎない事を伝えれば余計な混乱を招くだけだった。

 今清治がすべきことは、とにかく急ぐことと、この状況でもできることが出て来たら対処することだけだった。そして、その機会は意外な早さでやって来ることになる。

 

 同じ頃、本部では敵に対する対処で少し揉めていた。根付がすぐにも市街地の防衛を主張したのに対し、忍田は戦力の集中運用を主張したのである。

 ラービットの出現によって、戦況は徐々に傾きつつあった。諏訪が捉えられたことによって諏訪隊の隊としての機能が失われたのが大きい。また、小荒井が戦線から離脱したことによって東隊の受け持つ地域も難しい状況になった。

 この他の部隊も次々にラービットとの交戦に入った。そのため、各所から他のトリオン兵が再び市街地へと向かい始めているのである。由々しき事態と言えた。

「市民に被害が出ればボーダーの信用が…」

 これまでボーダーの対外的なイメージの向上に腐心してきた根付にとっては大きな問題だったし、それはボーダー全体においても同じことだった。

 だが、戦局的にはまだ敵の市街地到達まで時間があった。今のうちに戦力を糾合して敵に当たらせなければ、結果的に敵に市街地を蹂躙させることになる。可及的速やかに戦力をまとめて、優先順位をつけて敵の排除にかかることが戦術的には望ましかった。

 難しい判断だ。どちらも正しい意見だ。片やは防衛隊たるボーダーの姿として。こなたはこの状況における戦術として。互いに正しい判断だからこそ、意見の相違があればどちらの意見を是とするのかは、総司令たる城戸の権限に帰することになる。

「戦力を失えば、この先が苦しくなる。私は本部長の判断を支持する」

 城戸の下した決断はボーダーの総意だ。誰も異を唱えることはできない。

「だが…」

 下した決断に対し、城戸としては確認する必要があった。

「そのやり方では… 新型に手古摺れば、その間に市街地が壊滅するぞ」

「わかっている。待つのはA級が合流するまでだ」

 忍田の構想では、新型の相手はA級が行い、その間に合流したB級が全部隊合同で市街地に向かうというものだ。新型は確かに手強いがA級が隊で当たれば勝てない相手ではない。

 しかし問題が無いわけではない。それでは防衛できる市街地エリアが1区画に限られてしまう。防衛が必要なエリアは東、西、南西だ。このうち1箇所しか回ることができないことになるのだ。

「助けに行く地区の順番はどう決める? 後で文句が出るぞ」

 もっともな疑問を鬼怒田が投げかける。だが忍田はその問いに対する答えは既に準備済みだった。

「避難が進んでいない地区を優先する。他に質問は?」

 忍田の答えは至極まっとうなものであった。城戸が最後に確認しなければならないことを口にしようとした時、横から聞いたことのある声が聞こえてきた。

『まっさん。それじゃ足らん』

「武蔵丸くん?!」

 清治がようやく通信可能なエリアまで引き返して来たのである。

 

『お待たせしましたな。真打ちは最後に登場するとでも言いたい所ですが、そんな状況じゃなさそうだ』

 珍しく清治が、お国訛りではなく標準語で喋っている。そのせいか、口調もいつもの軽々しいものではなかった。相手に的確に自分の意図を伝えるにはそのほうが良いだろうという彼独特の判断だった。

「足らんとはどういうことだ?」

 清治の戦略眼を密かに高く評価している鬼怒田がその先を促した。

『B級の隊全体で防衛にあたるという基本方針は間違ってはいません。ただ、それをそのまま実行しては戦力が過大になります」

 清治の意見では、既にC級にもトリガーの使用を許可している現状であれば、新型はともかく通常のトリオン兵であれば対処できる者もいるという。

 避難誘導に当たっているC級隊員を細かくチェックしたわけではないが、B級部隊が到着するまでに対処するのは問題無いように思われた。

『戦力を分散するのは本来良い方法ではありませんが、この場合全方面をフォローが可能なように隊員を配置すべきです。そのためには…』

「! 二宮隊と影浦隊か!!」

 清治が言わんとすることを、忍田はすぐに理解した。確かに彼らは既に隊として合流しつつあるし、戦闘力で言えば十分にA級に匹敵する。

「しかし、それではボーダーとしてのルールが…」

 根付が異を唱えるのももっともだった。彼らはそれぞれの理由で不行跡を咎められ、懲罰人事でA級からB級へと落とされた隊である。緊急時とはいえ、彼らを特に理由もなくA級として扱ってはボーダーは規律がゆるいと対外的に印象付ける結果になりかねない。

『野戦任官という言葉をご存知か』

 清治の言う野戦任官とは、本来は軍隊の使用する人事の1つだ。戦闘時、何らかの理由で例えば部隊の隊長が戦死するなどした場合、下位の士官や下士官が一時的に上位階級者となって指揮官の不在という不具合を是正するといったものだ。

 こうした措置はあくまでも一時的なものであり、非常時が終了すれば元の階級に戻されるのが通例である。例えば、第一次世界大戦において、当時陸軍大尉だったジョージ・パットンは戦車部隊の指揮官を務めて大佐にまで昇進したが、平時つまり終戦後には中佐に階級を戻されている。

 清治の意見具申は、今は非常な場合であり、それに対処するため敵が撤退するまでの間のみ彼らをA級部隊として扱い、その後は通常に戻すというものだった。

 ボーダーは防衛組織ではあるが防衛軍ではない。そういう意味ではこうした人事について、後々外部から何か言われる可能性がある。だが、清治が言うには、それが妥当な判断であることは間違いなく、そう言い切ることが根付にはできると言った。

『ついでに言や、そうした応変の決断をボーダーは下すことができると示すこともできるでしょう』

 それくらいの印象操作は、根付にとっては何ということもなかった。彼を殴ったことで降格させた影浦隊を一時的にとはいえ昇格させることに抵抗が無いわけではないが、市街地の防衛の成功とボーダーのイメージアップが同時に行えるのであれば否やはなかった。

「良いだろう。ただし、万一のことがあるため影浦隊には予定通りB級全部隊への合流を命じる」

 

 清治の進言を容れての城戸の決断は、すぐに二宮隊に伝えられた。彼ら自身戸惑いもあったが、現状では妥当な判断だと思われた。

「迷っていても仕方ない。敵を排除すつつ西地区へ向かうぞ!」

「「「了解!」」

 隊員に命じて西地区へと向かいはじめた二宮へ、未だに戻って来れていない男から通信が入った。

『にのみ〜。南西地区に玉狛のC級の隊員がおるんよ』

 この緊急時に、普段と変わらない口調でどうでも良さそうなことを言ってくる清治に二宮は一瞬苛ついたが、すぐに清治がこうした状況で無駄なことは一切しない人間であることを思い出した。

「それがどうした?」

『その隊員なんぢゃけど、雨取っちゅ〜んじゃ』

「!!」

 二宮としては聞き捨てならない話だった。なぜなら、『雨取』という名の人物こそが、彼らの隊としてのB級降格に大きな関わりがあるからである。そしてそれは、そうした事情とは別に二宮が個人で行っている調査にも関わりのあることだった。

「なるほど… だが、俺達は南西ではなく西へ向かうように言われた。命令に反するわけにはいかない」

『じゃが、そっちに向かう最中に通るじゃろ?』

 これで二宮は、清治が言わんとしていることが理解できた。彼は二宮隊に、南西地区に向かう敵を一時的に足止めして欲しいと言外に言っているのだ。

「それだけで良いのか? そいつらが後から来る敵に喰われたらどうする?」

 二宮の問いももっともだったが、清治はそれについては気にしていないようだった。

『まあ玉狛じゃしね。知っとるじゃろ? あの連中は揃いも揃って身内にゃぁ甘いんじゃ』

 酷い言い草ではあるが、確かにその通りだった。身内に甘いという言い方は少々言葉が悪いが、彼らは皆一様に仲間思いなのだ。

――― 仲間に甘いのは、お前も同じことだろうに…

 そう思いはしたが、二宮はあえて口には出さなかった。

 部隊としての玉狛の強さは、二宮も厭と言うほど知っている。そして、玉狛には『あいつ』もいる。何かあれば彼らが動かないわけがない。

「…足止め程度で良いんだな?」

『助かるよ。そんだけやってもらえりゃ、後は連中が何とかするじゃろ』

 かくして二宮隊は、本部が想定していたよりも長い時間をかけて西地区へと移動することになる。




もしかしたら、今週中にもう1話アップするかも。


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F04 対新型戦

ちょい短めで。


 風間隊が新型との戦闘に突入した。彼らの主目的は敵の撃破と共に諏訪の救出だったが、直前になって清治から妙なオーダーが入った。

『ちょい長めに戦って』

 その一言だった。そして、風間にはそれで十分だった。要するに情報を取って欲しいということなのだろう。

 清治は新型がこのタイプだけではないと推察したのだろう。今目の前にいる敵は近接戦闘が得意なタイプのようだが、例えば防御に特化した遠距離攻撃が得意なタイプがいないと誰が言えるだろう。

 打撃と電撃だけのタイプならそれで良い。だが、次に始末する相手がそうであるとは限らないというわけだ。

 ならばなぜ風間隊だったのか。その答えは単純明快で単に彼らが『強い』からだ。

 隊の成績こそA級3位ではあるが、隊長としての資質も高く戦闘力も高い風間。彼の考えを体現できるだけの強さを持った歌川 遼と菊地原 士郎。彼らを完璧なサポートで勝利へと導くオペレーターの三上 歌歩。

 A級2位の冬島隊は前衛向きではないし、1位の太刀川隊については今回は隊としてよりも個として動いてもらうことになっている。隊として動く場合どうしてもガンになる人物が所属しているというのもあるが、太刀川隊の面々はどちらかと言えば戦闘に特化した隊でデータを取るための戦い方は不得手であるということもある。

 ラービットに遅れを取るどころか、その気になれば圧倒することもできる彼らは、必要であればデータロガーになることもできる。

 何にしても、現状新型の情報が少なすぎる。そして、東をはじめ戦略・戦術への理解度の高い者ほど情報がどれだけ重要かを理解している。

 単に戦闘力で圧倒するだけでは勝てない相手も存在する。特に今回は防衛戦であり、敵を完全撃破することよりも、いかに敵に多くの出血を強いて早めに撤退させるかがポイントになる。

 風間の感覚では、ボーダーにおいて清治以上にその面でアテになる人間はいない。彼の言葉で清治を表するなら

「最も効率良く味方を消費して敵に多大な打撃を与えるのが上手い」

人材だそうだ。

「掴まれるなよ! 電撃にも注意しろ!」

 戦いつつ風間が部下に注意を促す。だが、この場合菊地原の返事は端的にこの敵への的確な評価だったかもしれない。

「捕まりっこないですよ。こんな単純な動き…」

 まさしくその通りで、ラービットのこれまでの攻撃はその腕を振り回す単純なものだった。確かに驚異的なスピードとパワーではあるが、見切るのはさほど難しいものではない。

 だが、次の敵の攻撃はまるで菊地原のそんな言葉に反応したかのようなものだった。なんと、自らの足元を攻撃し、その衝撃で粉塵を巻き上げたのである。これには全員が少々驚いた。

 これまでのパターンでは、敵の攻撃は基本的に一定だった。モールモッドはブレードで最短かつ最適な斬撃を繰り返すし、バンダーは適した状況であれば遠距離攻撃をしかけてくる。バムスターは捕獲用であり、こうした武器は持っていなかったが堅い装甲と重量を活かした突進はそれなりに破壊力がある。

 だが、どれもこれもそれだけだ。モールモッドの攻撃は合理的であるが故に慣れてしまえば読みやすい。バンダーは接近してしまえばバムスターとさほど変わらない。で、そのバムスターも弱点である『眼』を狙いさえすれば苦戦するような敵ではない。

 だが、ラービットはそれらとは完全に違う個体であるということがこれでハッキリした。この敵は状況によってはこちらを牽制したりフェイントを仕掛けてくる。これまでの敵よりも複雑な動きをすることができるのだ。良いデータだ。

 風間と歌川は素早く彼らの得意なステルス戦術に出た。菊地原は囮となる。これには当然ながら理由があった。

 まずは風間・歌川と菊地原の攻撃力だ。風間らの方が菊地原と比較すると攻撃能力が高い。

 次に、実はこちらの方が風間隊にとっては重要な理由だが、菊地原のサイドエフェクトだ。

 単純に言えば耳が良いというだけだった。地味と言えば地味だが、その話を聞いた清治が真っ先に情報を渡したのは当時B級隊員だった風間と、その頃は本部に所属し、風間隊の1人だった宇佐美だった。

 彼らは早速当時はまだC級だった菊地原に誘いをかけ、彼が加入すると彼の『強化聴覚』を全隊員が共有するという前例の無い戦闘スタイルを編み出したのである。

 菊地原のサイドエフェクトもさることながら、このシステムの構築には宇佐美の手腕に依るところが大きかった。また、早くから俊敏な戦闘スタイルで高い評価を得ていた風間と、新人王争いに食い込む高い実力を持った歌川の戦闘力も相まって、まさに破竹の進撃で風間隊はA級へと駆け上がったのである。

 この場において言えば、たとえ粉塵による目くらましに遭おうとも、菊地原の耳を持ってすれば、敵がどの方向から、どういう角度で、どれくらいのスピードと威力の攻撃を仕掛けてくるかなどまるわかりだ。

 そして、風間隊に入って鍛えられた菊地原の今の戦闘能力を持ってすれば、その気になればカウンターを食らわせることも可能なのである。だが、清治のオーダーを受けた風間からの指示は迎撃ではなく囮だった。

「うわぁ… やだなぁ…」

 至極当然のセリフを吐いた後、菊地原はラービットの攻撃を真正面から受けるハメになった。もっとも、先の通りどんな攻撃が来るかは分かっているので問題なく受け身を取ることができる。

 全ての衝撃をというわけにはいかないが、攻撃を受け流して吹っ飛ぶ菊地原をラービットが追う。その隙を風間と歌川が見逃すはずが無かった。

 ほんの一瞬の差で弱点である『眼』をガードされたが、データを取るためにはそれで十分だった。装甲の硬さと敵のセンサーを把握するには申し分ない。

「菊地原。装甲が堅いのはどのあたりだ?」

 これまでの戦いで、菊地原は他者には雑音でしかない戦闘時の音で敵の装甲についてかなり正確に把握していた。特に堅いのは両腕と背中、そして頭部だ。

「これ削り切るのけっこうしんどいですよ」

 だが菊地原の言葉に対する風間の返答は不敵なものだった。

「薄い所から解体(バラ)していけばいい。まずは耳、足、それから腹だ」

 実に清治の好みそうなセリフである。

 

 彼らが玄界(ミデン)と呼ぶこちら側の世界と、彼らの住む近界(ネイバーフッド)の境にある、仮に緩衝空間と呼ばれる場所に、アフトクラトルからの遠征隊の艦が浮かんでいる。

 『人』がやってくる以上は遠征艇が必要なのはボーダーにしても彼らにしても同じことだ。背の高くない椅子と細長いテーブルが置いてある。ちょっとした会議室のように見えなくもない。

「おいおい… もうラービットとまともに戦えるヤツが出てきたぞ」

 戦況的にはあまり良くない事実を、さも楽しそうに語っている。酷く無骨な声音の持ち主だ。

「いやはやこれは… 玄界(ミデン)の進歩も目覚ましい… ということですかな」

 やや年かさな印象を受ける落ち着いたその声音には、やはりこの状況をどこか楽しんでいるかのような楽しげな響きがあった。

「たいしたことねえよ。ラービットはまだプレーン体だろうが」

 他者を嘲弄するような響きの声音で若者がそう言い放つ。

「いやいや。分散の手にもかからなかったし、なかなかに手強いぞ」

 最初の無骨な声が応える。かなり上背のある男のようだ。

「我々も出撃しますか? ハイレイン隊長」

 先程の相手を見下したような口調の若者よりも若干若い響きの声が、隊長たる人物に問いかける。

「お前たちが出るのは玄界(ミデン)の戦力の底を見てからだ」

 ハイレインと呼ばれた彼らの隊長がそう応えた。

 彼は様々な手を打ってきた。彼らの目的はトリオンの奪取ではあるが、彼らの『事情』を鑑みれば、単純にトリオン量の多い人間を攫ってくれば良いというわけではなかった。

 だからこそ事前に可能な限り相手側の情報を入手し、念入りに作戦を練って来たのである。

 彼らの隊長は慎重だった。前回の改良型ラッドの一件からボーダーの隊員の数(彼はそれを兵の数と捉えているようだ)から、今ラービットと交戦している風間隊以外にも、それに比肩する戦闘力を持った小隊がいる可能性がある。

 部下の戦闘力に疑いを持っているわけではないが、風間隊と同等レベルの複数の小隊に囲まれれば彼らとて敗北しかねない。貴重な戦力は然るべきタイミングで投入するというのが彼の基本スタイルだった。

玄界(ミデン)の猿相手にビビりすぎなんじゃねーの? 隊長さんよ」

「口を慎めエネドラ。上官に対して無礼だぞ」

 軽薄な物言いでそう言う若者に、もう一人の若者が苦言を呈する。もっともな諫言だが、エネドラと呼ばれた相手の若者にはただ不快なだけだったようだ。

「あ? てめーこそ誰に口利いてんだ? 雑魚が」

 このやり取りで十分に彼らの関係性が分かるというものだ。

「お二人にケンカをされては船がもちませんな」

 初老の男に穏やかに諭され、若い男は舌打ちしてその矛先を遠征艇と隊長に向けた。自分を出せば敵を一掃できるとわめき始める。

「確かにそろそろ体を動かしたいものだな」

 『皆殺し』という物騒な言葉を否定しつつも、大柄な男も自ら出撃したいようで、兄でもある隊長に談判する。

「もう少し我慢しろ。すぐにお前たちの出番は来る」

 ハイレインはそういうと、自らの傍らに控える者に声をかけた。

「ミラ」

「はい。次の段階に進みます」

 ミラと呼ばれた副官と思われる女性が静かに応えた。

 実に清治の好みそうなタイプである。




あ。また主人公出番ナシ(^^;


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F05 Long Distance

なんやかんやで、7月にできなかったことをしようとしている(^^;


 現場では、ちょっとした混乱が起こっていた。きっかけは空閑だった。

 到着した現場で何とか踏みとどまっていた空閑と三雲、レプリカだったが、徐々に流れてくるトリオン兵の数が増え始めてため押され気味になっていった。

 また、B級は東の元に合流し、全員で市街地の防衛に当たるように命令が出された。

 この指示は的確なものであったと言える。実際レプリカもB級の1つの隊ではラービットに隊員全員が捕獲されてしまう懸念があると言う。

 実際、風間隊の到着があと僅かでも遅れていれば、諏訪隊は全員捕獲されてしまっていたことだろう。

 諏訪隊は20隊ほどあるB級部隊の中でも中位クラスの実力だ。ということは、それ以外のB級部隊は軒並み喰われてしまうだろうし、諏訪隊よりも実力上位であってもそう差の無い部隊でも同様の結果となることが予想される。

 そうなると、ボーダーの全戦力の60%以上が失われる計算になる。そのような状況を看過することなどできはしないのだ。

「千佳たちはどうなるんだ!?」

 全体を見れば正しい判断ではあっても、個々においてそれが最良であった試しは古今東西稀なことだ。今回の本部判断についても同じことが言えた。

『トリオン兵の排除は、避難の進んでいない地区を優先するとのことだ』

 その事実は、三雲にとっては雨取を見捨てるに等しい出来事だった。

 とはいえ、実は彼らが思っているほど状況は悪くはなかった。清治の依頼で敵の足止めをしていた二宮隊が、清治が考えていたよりも長い時間その場で戦ってくれていたからだった。

「二宮さん。そろそろ行きましょう。これ以上は…」

 二宮としてはここで踏みとどまるには理由があった。『雨取』という人物のこともあるが、依頼主が清治であるということもあった。個人的な事ではあるが、二宮は例の『トリガーチャーハン』から、清治に何度も救われている。

 だが、確かに犬飼 澄晴の言う通りだった。既に足止めのレベルを越えているし、そろそろ移動しなければ西地区の防衛にも障りが出る可能性がある。

「よし。お前たちは先に離脱しろ。俺はここを一掃してから行く!」

「犬飼了解!」

「辻了解!」

 この後、一時的にではあるが南西地区に流れ込む敵の数が著しく低下したのは間違いない。

 さて。混乱の方である。三雲が自身の行動が結局裏目に出てしまったのではないかと逡巡している時に、突如としてラービットが出現したのである。

 間髪入れず襲いかかって来た敵の一撃を、三雲はレイガストをシールドモードにして受け止めた。以前の彼ではできなかったであろう見事な防御ではあったが、この場合は相手の攻撃が強すぎた。

 さすがにレイガストが破壊されるほどではなかったが、上空から飛び降りてきた勢いも乗せられたその一撃は、三雲の動きを止めるには十分過ぎた。

「……!!」

 予想していたよりも遥かに強力なラービットの一撃に動くこともできない三雲に、敵はとどめとばかりに次の攻撃を仕掛けてくる。だが、攻撃にうつる一瞬の隙を衝いたのが空閑だった。

『強』印(ブースト)五重(クインティ)

 自らの黒トリガーで強化した体を使い、強烈な蹴りをラービットに食らわせた。

 凄まじい衝撃を受けてラービットは吹き飛んだが、破壊するには至らない。黒トリガーで強化した一撃でも破壊できない程にラービットの外殻は堅いのだ。

「うお。こいつかってーな」

 素直な感想をもらした空閑を、三雲が諌める。

「黒トリガーは使うなって言ったろ! ぼくや林藤支部長がかばえなくなるぞ!」

 言っていることはもっともだったが、これは杞憂であることが分かるのはもう少し後になってのことだった。

「出し惜しみしてる場合じゃない」

 正しい判断だった。いくら空閑でも、不慣れな上に出力が抑えられた訓練用のトリガーを使っていたのでは、ラービットの相手などとてもできそうにない。仮に正規隊員の使うトリガーを使用できたとしても、1対1では厳しい戦いになったかもしれない。

 さらに言えば、ラービットとの交戦はおそらくこの場だけでは済まないはずだ。風間の言い草ではないが、さっさと倒して次に移らねばならない。

 だが、これが混乱を作り出す契機となってしまったのである。空閑が横合いから急に射撃を受けたのである。

「やっぱこいつボーダーじゃねーぞ!!」

 そこに居たのは、B級下位部隊である茶野隊に所属する茶野 真と藤沢 樹だった。

「本部!! こちら茶野隊!! 人型近界民(ネイバー)と交戦中!!」

 彼らはB級隊員ではあるが、空閑たちとはまだ面識が無い。その状況で交戦している現場にボーダーのトリガー以外のトリガーを使用している空閑を近界民(ネイバー)と誤認してしまうのは仕方のないことだった。

 さらに空閑に攻撃を加えようとする横合いから、先程空閑に蹴り飛ばされたラービットが迫る。

「待っ…!」

 三雲が警告を与えるよりも早くラービットが2人を一掴みにしてしまった。

「新型…! しまった…!!」

 ラービットが今まさに彼らを捉えようとした時だった。空閑が攻撃をかけた側に集中砲火を浴びせる一団が現れた。嵐山隊である。

 

 駆けつけた嵐山隊がラービットを片付け、ついでに茶野隊の誤解も解いた頃、本部は思いもよらない攻撃を受けていた。イルガーである。

 敵は、爆撃可能なこの飛行トリオン兵を最初から自爆モードにしてボーダー本部に特攻を仕掛けてきたのである。

 突入してくるイルガーに、本部は激しい砲撃で応戦する。だが、強力な砲撃にはそれだけ多くのトリオンが必要になるため弾幕を張るには至らない。

 また、自爆モードに入ってイルガーは破壊が難しいほどの硬度になる。飛来した2体のうち1体はなんとか撃墜に成功したが、もう1体には突入を許してしまった。

「1体撃墜! もう1体が来ます!!」

 本部作戦室で筆頭オペレーターを務めている沢村 響子が叫ぶ。

「衝撃に備えろ!」

 忍田本部長が間髪入れずに言葉を発するが、その直後にイルガーの直撃を食らってしまった。

 その衝撃は想像以上に凄まじく、基地から距離のある場所にいた三雲たちですら、衝撃波に耐える必要があった。

「基地が…」

「やられた…!」

 茶野隊の2人が思わずそう漏らすほどに凄まじい一撃だったのである。

 確かに以前の基地では、今の攻撃に耐えられなかったかもしれない。だが、今の基地は違った。

「この間の外壁ぶち抜き事件以降、装甲の強化にトリオンをつぎ込んで正解だったわい」

 衝撃で倒れ込み、ようやく起き上がった鬼怒田がそう洩らした。これには、強制的にトリオン集めに協力するハメになった迅の功績でもあると言えた。だが。

「第2波来ます! 3体です!!」

 再び基地内に緊張が走る。

「装甲の耐久度は!?」

「あと1発まではなんとか持たせる!」

 鬼怒田とのやり取りの後、忍田は矢継ぎ早に指示を出した。各砲門にトリオンをつぎ込み、砲撃を1体のイルガーに集中させると同時に、基地内の各職員にはシェルターへの避難を命じた。

「!?… いや… 1体だけでは…」

 根付の疑問はもっともだったが、もちろん忍田には策があった。

「問題ない。残りは1体だ」

 その瞬間だった。空中を基地に向かって飛来するイルガーのうち、より基地に近い方の個体が突然四散した。基地に詰めていた太刀川 慶がトレードマークである二刀流の旋空孤月でイルガーを切り伏せたのである。

 恐ろしい手並みだ。先の通りイルガーは自爆モードになると驚異的な硬度を誇る。自爆しなくとも墜落するだけで地上に甚大な被害をもたらすほどである。

 それを、まるで切れ味の良い包丁で魚を調理でもするかのように事も無げに切り裂いたのは、やはりアタッカートップでありボーダー現役戦闘員最強と呼ばれる彼だからこそできた芸当だった。

 だが、そこまでは忍田の予定の通りであったが、その後起こったことは忍田のプランをも上回った。

「もう1体来ます!」

 沢村がそう言った瞬間だった。どこからともなく飛来した弾丸が正確にイルガーの『眼』を一撃で撃ち抜いたのである。

 均衡を失ったイルガーはそのまま失速し、基地脇の空き地へ墜落して行った。

「し… 忍田本部長…?」

 あらかじめ迎撃のプランがあるのであれば、先に言っておいて欲しかったと根付は言ったが、少なくとも最後の攻撃をしのいだのは忍田の計画ではなかった。

「…! 武蔵丸め」

 しばらく考え込んだあと、苦々しげな笑みを浮かべつつそう言ったのは鬼怒田であった。

 

 ボーダー本部基地から、直線距離で約28kmと離れた高速道路、その防音壁の一番上に1人の男が立っている。その辺のフェンスの上に立ちたがらアホガキのような佇まいは、高速道路という場所で見かけるにはあまりに不自然だった。

 男の手には、銃剣付きの三八式歩兵銃のようなものが握られていた。この場に警官がいれば銃刀法違反で逮捕されるかもしれなかった。

 もっとも、彼はつい先程まで白バイ警官と共にしかるべき方法では無い形で三門市へと向かっていた。白バイ警官は三門市は管轄外だったため、市域に入る少し手前で引き返して行ったのである。

 男は直立したまま、しばらくは遠くを眺めていた。やがて得心したかのように1つ頷くと、銃をしまって道路へと飛び降りて来た。

 言うまでもなく、この男は清治だ。仁別郡で外務・営業部長の唐沢 克己と別れたあと、ホンダ巡査長の先導(?)でここまで戻って来たのだが、あらためて基地に目線を向けた時に基地が攻撃を受けているのを『見た』のである。

 サイドエフェクトによって視覚が強化されている清治は、遮蔽物がなければ半径100km程度であれば視界におさめることができるし、遮蔽物がトリオンで作られたものでなければ、その向こう側にいる(あるいはある)トリオンで作られた物なり人なりを見ることができる。

 脳の一部を失っている清治がそれを使うのは少なくはない負担を強いられることになるが、ホンダ巡査長と別れた後に一応現状を確認しようとした所、まさに第1波の攻撃を基地が受けている最中だったのだ。

――― もう1発くらいなら保つはずじゃが…

 後続の攻撃が無いとは言い切れない状況だったので、清治としては出来る手を打つことにしたのだ。そして、それが奏功したことになる。

 以前にも少し述べたが、清治の保つ黒トリガー『煉』は狙撃と中距離射撃、そして銃剣を使っての近接戦闘が可能だ。ちなみに、銃剣は銃から外すことも可能で、どちらか片方を他のトリガー使いに貸し出すことも可能だ。

 さて、狙撃銃としての『煉』の性能は、これも以前に述べた通りだ。威力としてはイーグレットを上回り、連射性と弾速についてはライトニングを上回る。そして、弾丸の威力こそ劣るものの、貫通性についてはアイビスのそれを遥かに上回る。

 以前玉狛支部のオペレーター兼エンジニアの宇佐美 栞が解析した所、事実上『煉』の弾丸を防御するのは不可能なレベルだという。

 そして、さらに特筆すべきは射程だ。『煉』の長距離狙撃時の射程は使用者の目の届く範囲だ。どこかで聞いたことがあるのではないだろうか。

 単純な言い方をしてしまえば、どこまでも見晴らすことのできる清治の、視界の範囲は全て清治の射程距離ということになる。迅と『風刃』と同様、清治と『煉』の相性も良すぎる程に良いのである。

 さらには、清治の特殊な射撃能力だ。例えばノーマルトリガーで清治と他のスナイパーを比較した場合、清治はランク的には5〜12位くらいの間を行き来することになる。優秀な部類ではあるが抜きん出るというほどではない。

 だが、一般的なスナイパーの射程である800〜1200mを超えると、どういうわけか清治の成績は徐々に上がってくる。およそ5000mあたりで通常射程におけるランキング3〜5位クラスと同等、10000mを超える辺りでトップの当真のそれを上回る。

 そして、およそ80000mまではその能力を維持し、それ以降は徐々に精度が落ちて行く。100000mくらいまで来ると普段の清治の能力と同等になる、120000mが限度ということになる。

 整理しよう。射程1.2kmくらいまでは上位クラス、5kmくらいまでがトップクラス、10〜80kmまではランク1位レベル、80〜100kmまではトップクラス、そして100〜120kmは上位クラスとなる。

 早い話が、清治にとっては120km以内は十二分に射程内ということになる。驚異的であると言えた。

 先の射程と射撃精度を考えれば、清治にとってここから基地までの距離は最適な距離の範囲内だった。防音壁に登ってしまえば遮蔽物も無いため、射線が歪む心配もない。

 1仕事をしてバイクの所に戻って淡々としている清治を見る人がいれば、これだけのことをやっても眉一つ動かさないその様子に畏怖すら感じることだろう。だが。

――― うおおおおおおぉぉぉ! すげええええぇぇぇ!! あ、当たった! 当たったあああぁぁぁぁ!! すげ!! すっげ!!!

 本人の内心はこの通りである。

 もっとも、これもまた無理からぬことだった。訓練の中で仮想空間内でこの超長距離射撃をすることはあっても、現実空間では清治も初めてのことである。

 ボーダーの仮想訓練技術がいかに優れたものであったとしても、現実空間では想定できないこともありえるということはエンジニアでもある清治も良く知っていた。

 そうした中での今回の射撃成功は、基地の防衛においてもそうではあるが『煉』の性能データの取得においても貴重なことであった。

 とはいえ、その代償が無いわけではない。

――― う〜… 頭がくらくらしゃ〜がる…

 視覚を酷使するということは、清治にとっては重労働だった。

 その場で深呼吸をして再びバイクに跨ると、清治はまた戦場へと続くこの道をひた走る。既に退避が完了している三門市市域の高速道路内は、それまでとは比較にならないほどに広々としていた。



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F06 戦略と計略

『ムサシマル。ちょっと良いか?』

 戦場に向けて疾走中の清治に通信を入れて来たのはレプリカだった。彼は三雲、木虎と共に雨取達のいる南西地区に向かっている最中だった。

 時間は少し遡る。イルガーの件が落ち着き、嵐山隊がラービットを仕留めたことと撃破に至る経緯を報告していた時だった。

「ぼくたちをC級隊員の援護に向かわせてください!」

 三雲の嘆願を聞いた忍田が、玉狛支部の隊員である三雲と空閑に別行動の許可を与えようとしたのだが、本部内で異を唱える声が上がった。総司令たる城戸だった。

 彼が言うには、情報がほとんどない黒トリガーを使用する空閑が市街地に向かえば、先程の茶野隊のような誤認が起る可能性が高いというのだ。もっともな意見だった。

「黒トリガーの使用自体は禁じてはいない。だが、こちらの指揮には従ってもらう」

 城戸のこと一言は、本部も含め聞いているものに小さくはない驚きを与えることになった。彼のスタンスからすれば、てっきり黒トリガーの使用について何らかの苦言くらいはあるであろうと思っていたからだ。

 今回の大侵攻に対する対策会議で行われた、迅と清治のくだらない漫才が奏功していたのかもしれなかったが、実際には非常にじ黒トリガーという大きな戦力を温存させるという愚を犯すような城戸ではないということもある。

「黒トリガーを使わなかったらオサムについて行っていいの?」

「無意味な仮定だな。事に臨めばおまえは必ず黒トリガーを使う。そういう人間だ」

 空閑の行動原理を知り尽くしているかのように城戸が言う。

「おまえは父親に似ている」

 冷淡に言い放ったその一言に、実は万感の思いが込められているということは、しかし当人以外の何者も知り得ることはなかった。

『逡巡しとる間に状況は悪なるで。じゅんじゅん。誰か1人メガネくんに貸したって』

 移動中の清治から通信が再び入ったのはその時だった。彼もまた城戸の心の深淵を知るよしもないが、状況的に城戸の判断がもっとも適正かつ的確だと判断したのである。

 城戸の懸念はつまり、市街地に近界民(ネイバー)と思しき人物がうろつくのがよろしくないということだ。であれば、三雲に正隊員が付き添う事は問題ないということになる。

 この場に関して言えば茶野隊が付いて行っても良いところだが、それでは戦力的にキツい。三雲と彼らでは、行った先に新型が現れてしまえば対処のしようがないのである。

 結論から言えば、木虎が自ら動向を申し出た。以前のイルガーの件において、彼女は三雲と空閑に借りがあるという。

 前回のイルガー騒ぎの際、清治も当事者だったのだがケリが着きそうな段階で気を失ってしまったため、実際の経緯を知らない。

 ご存知の通り爆撃モードに入ったイルガーを、空閑&レプリカのコンビが川へ引きずり下ろしたからこそ事なきを得ているのだ。

 先程太刀川が自爆モードに入ったイルガーをノーマルトリガーに過ぎない孤月で切り裂いたという情報を受けた時の空閑と三雲の会話を聞いた木虎は、あの時自分を助けたのは空閑であったということを確信したのである。

 三雲にしても空閑にしても、それで木虎に貸しを作ったという意識は無かった。三雲は己の信じるものに従って行動しただけだし、空閑はとりあずそれを手伝ったとしか思っていない。

 だが、木虎としてはあの時の『失態』を、彼らがフォローしてくれたのだという思いがある。ここで借りを返しておかなければ、次にこうした機会がいつやってくるか分からなかったし、防衛という面で言えばむしろその機会が永久に来ない方が望ましい。彼女にとっては、とにかく『今』なのである。

 木虎の言葉を受けて、忍田に了承を取った嵐山はその場で素早く指示を出した。

「茶野隊はB級部隊に合流しろ」

「俺たちは警戒区域内のトリオン兵の排除。特に新型を優先して狙う」

「木虎と三雲くんはC級部隊の援護だ」

 それぞれの役割を確認すると、各隊自らの目的へ出発したのだった。

 

「はいはい。どったの先生」

 遮るもののない道を疾走している清治には、ホンダ巡査長と走っていた時と比べれば余裕があった。

『この通信はここに居るオサムと木虎、本部にもつながっている。君の見解を聞きたい』

 レプリカが言うには、ラービットを解析した所、莫大なトリオンを使用して作られている。目安としてはイルガーおよそ4体分ものトリオンを使用しているのだそうだ。

 ラービットは1体ではないし、先程の特攻に使用されたイルガー、その他のトリオン兵のことを考えればとんでもないコストになる。

 それほどのトリオンを今回の侵攻に使えば、本国の守りが手薄になるのは必至だ。にもかかわらず、それだけの大きな戦力をあえて分散させている。その意図が見えないというのだ。

「敵の狙いならもうわかってるわ」

 木虎が言うには、敵の狙いは即戦力のトリガー使いであり、分散してこちらの戦力が薄くなったところをラービットで捕獲するのが敵の意図らしい。

「…えぇ読みぢゃがちぃと違うの。それではトリオンの収支が向こうさんのマイナスになる」

 清治はみそっかすとはいえエンジニアである。現在戦場に展開されている敵トリオン兵のおおよその数とレプリカからもたらされたラービットの情報から、消費されるトリオンについてある程度の総量の目星がつくのである。

「それなら敵は何を狙っているんですか?」

 三雲の問いかけに対して、清治は応えるのに逡巡した。というのも、この応えは彼にとって冷静ではいられない内容であるからだ。

「これはあくまでもわしの憶測だが、敵の狙いはおそらくC級。それも大量ゲットを狙っとる」

『!!』

「!」

「!!」

 驚くべき内容だった。しかし、それだと少し疑問が残る。

「敵がC級を狙っているのであれば、わざわざ新型を投入する必要はなかったのではないか?」

「それに、C級を捉えたところで取ることができるトリオンの量なんて知れてますよ」

 当然の疑問だが清治はそれにも澱みなく応える。

「まず新型じゃが、敵さんは例の改造ラッドでこちらの戦闘員の戦闘能力について偵察しとった。その結果、万難を排してC級を捉えるには、モールモッドくらいは倒せる程度の相手に勝てるトリオン兵が必要だった。新型による捕獲はついでであると共に、真の目的であるC級からこちらの目を反らせるためのカモフラよね」

『確かにラービットの出現で、ボーダーは強い敵であるラービットに対処せざるを得なくなった』

「そこがキモぢゃ。おそらく敵は、こちらがラービットの対応に手一杯になるタイミングで人型を投入してくることぢゃろう」

「人型だと!?」

 確かにそれについては失念していたかもしれない。今回の敵は、おそらく数人の人型近界民(ネイバー)が来ている可能性が高いのだ。

「しかし、なぜ基地を攻撃して来た? C級が狙いなら基地を破壊せねば意味がなかろう」

 鬼怒田の問いかけに清治が応える。

「基地の攻撃は、おそらく叩いただけですよ。あんだけ派手に叩きゃ、中におるC級が飛び出してくるとでも思うちょったんでしょうよ」

 それにしても、先に木虎が上げた疑問はどうなのだろうか。基本的にC級はトリオン能力にしても戦闘能力にしても正隊員と比べれば劣っている。彼らを捉える理由が分からない。

「単純に数じゃ。C級は戦力的にも劣るが一定以上のトリオン能力がある。訓練用のトリガーにはベイルアウトも無いから、固まっとりゃぁまとめて捕まえられる」

 これについて清治は、シロナガスクジラの食性を例に上げた。シロナガスクジラは地球の歴史上でも最大の生物だが、彼らの食料はと言えばオキアミである。

 目に見えるサイズとはいえ、オキアミは小さなプランクトンに過ぎない。だが、それらを大量に効率良く捕獲することによって、彼らはあの巨体を維持しているのである。

「C級はオキアミ… それじゃあ!」

「ほうじゃの。急いだ方がえぇ」

 

 通信が終わった清治は、進む速度をやや遅めた。

「もうすぐメガネくんらがおチカちゃんらの所に着く、か。敵さんの偵察兵も連れて…」

 清治には考えがあった。そして、その考えについては出発前に城戸にだけは伝えていた。

 城戸は厭な顔をした。言ってしまえば、その考えは極めて非人道的な考えだったからだ。

 清治からすれば、寡兵で敵と戦うための奇策に過ぎなかった。危険ではあったが不可能ではないはずだ。

「何せ玉狛じゃけぇのぉ…」

 仲間思いの玉狛。A級最強部隊の玉狛。迅のいる玉狛。彼らなら、自分が考えるような最悪の事態を避けることができるはずだ。

 いずれにしても、今の清治がすべきことはできるだけ早く現場に到着する。ということではなかった。

 然るべきタイミング、もっとも望ましい時期に基地に到着するということだった。

 遅れることは、最悪の結末へとつながる。かといって、早く到着したのでは清治の構想した戦略的意図が果たせなくなる。

「可能な限り長く、できるだけ安全に敵を引きつけてくれよ… おチカちゃん」




今回はチラッとわっるいハゲが出ます(^^;


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F07 ガラにもないことはせんだらええ

 三雲と木虎、そしてレプリカが雨取たちのもとにたどり着いた時、現場は相当な混乱をきたしていた。

 1つには、避難が完全に完了していないにもかかわらず、ついにトリオン兵がなだれ込んで来たことにある。ここ最近平和な日常が続いていたとはいえ、三門市民にとってはトリオン兵は多大なトラウマを抱えた存在であることは間違い無かった。

 現れたのは捕獲用のバムスターではあったが、交戦が禁止されているC級隊員は基本市民を誘導しつつ逃げるしかない。

 しかし、どういうわけかバムスターは現れたその場で立ち止まった。そして、まるで周りの様子を伺うようにあちこちを見ている。

 おかげで市民の退避の助けになりはしたが、その奇妙な動きは逆にC級隊員の目を引くものになった。

 間髪入れずに別個体のバムスターが現れたが、こちらも妙な動きをしている。どうも、どうにかしてあの巨体で隠れる場所を探しているかのように見えた。

 隠れようとしている後から来た個体を、先に現れてキョロキョロしていたバムスターが見つけて追いかけ始める。追いかけられた方は驚いたように見えなくもないリアクションを取ると、1も2もなく逃げ出した。

 さらにモールモッドが現れたが、そのモールモッドも瓦礫の影から顔(?)を出して、まごつくような仕草をしながらバムスターの追いかけっこを見ている。

 さらにさらに新たにモールモッドが出現したが、追いかけっこを繰り広げるバムスターを止めようとするような動きを見せる。そして、その場をぐるぐると走り回るバムスターの目の前に立ちはだかるが、構わず疾走するバムスターに吹き飛ばされてしまった。

 まるで1昔以上前のコメディ・アニメの1場面のようだが、サイズがサイズなだけに迷惑なことこの上ない。

「なんなのコレ…」

「さあ…」

 この場合、おそらく誰もが漏らす感想を木虎と三雲が口にする。だが、レプリカは得心していた。

『どうやら、ムサシマルが言っていた「イタズラ」とやらが発動したようだ』

 以前ボーダー本部が空閑の黒トリガーの奪取を試みた時、迅をはじめとした有志がそれを阻止するという出来事があったことを、この2人は知らない。

 そして、その時の副次的な出来事として清治が相手側のトリオン体にハッキングをかけるという出来事があった。

 基地本部の作戦コンピュータにも入り込まれるという事態に、開発室を上げて対策に乗り出したわけだが、その際担当エンジニアの1人であった水戸 裕子がふと洩らした一言がきっかけだった。

「トリオン体に入り込めるなら、トリオン兵にも入れるんじゃないかしら?」

 これを受けて、清治が抜けた後の対策チームはトリオン兵を無力化させる研究プロジェクトへと移行したのである。

 セットされた行動パターンを、こちらの用意したものに書き換える。行動内容は寺島が用意したそれだ。映画好きな彼らしい、60年代のコメディ映画のワンシーンから選んだものだった。

 やがて怒ったモールモッドが追いかけっこに加わり、影で見ていた別のモールモッドがそれを止めようとしてこれらを攻撃する。

 モールモッドのブレードの硬度は既にご存知の通りだ。ちょっとした攻撃でバムスターは簡単に倒され、モールモッド同士は相打ちになって機能を停止した。実にアホな結末だった。

 ところで、全てのトリオン兵に対してこの手が通じたわけではない。各個体すべてに違うパターンのロックがかかっているというほど高セキュリティではないが、別パターンのプログラムがされたトリオン兵には効果は無いようだ。

 新手のバムスターはそうだった。

輝く鳥(ヴィゾフニル)!!」

 戦闘を禁止されているはずだが、C級隊員の甲田 照輝、早乙女 文史、丙 秀英がバムスターに攻撃を仕掛け、見事に仕留めた。

 バムスターとはいえ訓練用トリガーで普通のC級隊員が倒すのはなかなかだ。彼らはしばしばランク戦などで空閑のカモにされてはいるが、全体的に見れば優秀な戦闘力を有した有望株であった。

 後で叱責されるのは免れ得ぬところではあるが、この戦闘はそれで終わるようなものではなかった。バムスターの中から、彼らでは到底手に負えない敵が新たに登場したのである。

 現れた敵は、挨拶とばかりに周囲に対して砲撃を加えた。ラービットではあるが、どうやらこれまで登場した者とはタイプの異なる相手のようだ。

 この一撃は、退避途中の市民の心胆を寒からしめるには十二分であった。

「ててて撤退! 戦略的撤退ーーーー!!」

 清治でなくてもどういう戦略に則っての撤退なのかと聞きたくなるような形で、甲田たちが逃げ出して行く。撤退なら撤退で、他の隊員などとも連携して敵の注意を引いたり、可能であれば逆撃を加えつつ統率の取れた動きで整然と行うものである。

 ラービットが威嚇砲撃から実際の攻撃に移ろうとした時、木虎と三雲が一撃を加えた。かっこ良い登場の仕方であるが、今はそんなことを言っている場合ではなかった。

「この新型、さっきのと色が違うわね」

「形もちょっと変わってるような…」

『気ぃつけんちゃいよ。そいつぁ多分さっきまでのとは違う』

 清治からの通信が入ったかのようなタイミングで、横合いから新手が乱入してきた。()()()なモールモッドである。実に厄介なタイミングである。

「カバーに行って…」

 と木虎が三雲に声をかけようとしたその時だった。

「スラスターオン!」

 レイガストのオプショントリガーであるスラスターを使って、三雲が真正面からモールモッドに突入したのである。

 単純な動きだ。当然ながらモールモッドが、ブレードで一閃しようとした。その時、三雲はスラスターを一瞬逆噴射した。

 予想していた攻撃点まで三雲が来ないため、モールモッドの攻撃は盛大な空振りになった。弱点の『眼』ががら空きである。そこに三雲は、アステロイドを丸のままぶつけた。

「…!!」

 さすがの木虎も瞠目した。見事な手並みだった。

 三雲が研鑽を続けているのは知っていた。玉狛で烏丸からも薫陶を受けている。だから、木虎もモールモッド1体なら今の三雲になら任せられるだろうとは思っていた。

 だが、ここまで鮮やかに倒してしまうとは思っていなかった。

 さて。いつまでも感心しているわけにはいかない。確かに三雲の成長には驚いたが、それでも新型と戦えるほどの力があるとは思えなかった。この新型は自分が始末しなければならない。

「本部。こちら木虎。新型と交戦します」

 ここからがA級部隊の隊員にして嵐山隊のエース、木虎 藍の真骨頂だった。

 

 新型は木虎に任せて、三雲は雨取たちC級を率いて、未だ避難が遅れている一般人の誘導を開始した。

 その頃清治は、本部と敵戦力の投入が予想されるポイントについてやり取りをしていた。

 本部は清治が敵の目的がC級隊員の捕獲であると予想したことを受けて、現在木虎と三雲が戦っているポイントに人型も含めた戦力の集中運用に出るのではないかと考えている。だが、清治はその考えに異を唱えたのである。

『戦線が拡大した今、敵が戦力を集中運用するのは最終局面でしょう。それよりは、回収を効率良く行うために目障りなこちらの駒を各個撃破に出る可能性の方が高い』

 敵の人型の数がどれだけかは予想がつかないが、出てくるとすれば今現在こちらの戦力が高い場所、B級部隊が集結している地点、風間隊のいる地点、嵐山隊の地点、太刀川のいる地点、そして本部も予想した三雲たちのいる地点だった。

「これ以上敵が戦力を分散されるのか?」

『元々連中は、戦力の集中運用なんて考えとらんかもしれません。こちらの人数をある程度把握している以上、それが出払って広がるのを待っとったんでしょう。現に今そうなっちょります』

 清治の指摘はもっともなふしがあった。

『既にC級が集まっとる場所は割り出されとります。敵はそこと、それ以外でC級の回収の邪魔になるこちらの戦力を削ぐ、とまでは行かんでも足止めするための手を打ってくるでしょう。とはいえ、もう残弾も少ないはずです。一定以上の戦闘力ただしサシでは自分らに分がある場所に人型を投下する可能性が高い』

「なるほど…それであれば、人型を仕留めた実績のある戦力は避けるかもしれん」

『その可能性が高いですが、どっかに黒トリガーをぶつけてくる可能性も低くぅはなぁでしょう。そうですねぇ… わしが敵ならたっちー、風間隊、嵐山隊のいずれかに黒トリガーをぶつけます。B級部隊には火力が高く短期決戦が得意そうなやつを投げます。こいつが黒かノーマルかはわかりませんが』

「わかった。太刀川と風間、嵐山両隊、それにB級部隊に警戒するように伝えよう」

『それとは別に、玉駒がまだ動いてないならC級のフォローに当たらせてください。あっこにゃ連中の後輩もおりますし』

「伝えよう」

 通信を終了すると、清治は1つ大きく息を吐いた。玉狛の面々がC級のフォローに遅れるようなことがなければ、雨取を敵に奪われるという事態は避けうるはずだ。それに、何か本当にマズい事態に陥りそうになった時は、迅が動くはずである。

 迅はひょっとしたら気づいているかもしれない。いや、仮に気づいていないとしても、雨取がもうすぐ敵の注意を引きつけることになるであろう未来を見ているはずだ。

 さすがにそれを清治が密かに画策したとまでは思わないかもしれないが、その状況をどう考えるかは清治にも分からなくはない。

「じゃが…」

 その面において迅が責任を感じる必要は無いのである。なぜなら、そうした状況を作ったのは他でもない清治だからだ。そして、清治はもし敵に雨取が奪われるような状況になり得るのであれば『始末する』事さえ考えている。

 城戸にその話をした時にはさすがに厭な顔をされはしたが、やめろとは言われなかった。思うところはあったにしても、戦力的に劣るこちらとしては、そうした策が有効であることを指揮官として認めざるを得なかったのである。

 なんと度し難い生き物であろうか。参謀と指揮官とは、時に部下を物扱いして消費することを前提に物事を考えなければならないのである。

 清治は心底それを嫌っていた。そして、そういう判断を下し、実行する自分をもっと嫌っていたのである。

 それでいて、清治の思考は常に最も合理的な決断を行う方向に進むように幼い頃から教育されてきた。それはいわば、呪いのようなものだった。

 ところで、おそらく本部とのこうしたやり取りは最後になるだろうと清治は考えていた。今度通信する時は、自分も戦禍の中にいるはずだ。いや、いなければならなかった。

 清治は自分を有能とも無能とも思ってはいないが、とにかく手にした『じいさん』はボーダーにとって有用なはずだ。

 じりじりと近づいてくる最終局面において、自分がどのような役割を演じるのかは現時点ではわからないが、少なくとも良く知る人物を潜在的な『囮』に利用した責任だけは取らなければならない。

 おそらく真実を知れば、誰も彼を赦しはしないだろう。実際城戸も、あの城戸が厭な顔をしたくらいの卑劣な作戦だった。

 それでも。誰の赦しがなくとも責任は取らなければならない。あるいは、背負って行かなければならない。

――― ガラぢゃなぁの…

 思いつつ清治は、目的地に向かって速度を上げて疾走すべく、アクセルを開けるのであった。



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F08 ブリリアントではない

今回の話は飲み食いしながらでは読まん方が良いです。そんな人おらんじゃろうけど(*´ω`*)


 当たり前のことではあるが、何でもかんでも清治の意図の通りに物事が進むわけがなかった。なんと木虎が倒されてしまったのである。

 1体目こそ自らの成長を示す見事な戦いぶりで討ち取った木虎だったが、さらに3体の新型が現れたのである。

「追加オーダー3点で入りま〜す」

 清治なり迅なりであれば、内心や実際の状況はともかくそう本部に通信したに違いないが、木虎は彼らほど愉快な生き物ではない。すぐさま臨戦態勢に入りつつ、とにかく三雲らに退避を命じた。

 まさにその瞬間だった。敵の1体が自らの体の一部を液状にし、木虎の足元から斬りつけてきたのである。これではさしもの木虎もひとたまりもなかった。

 あるいは木虎に菊地原のような聴覚があれば、少なくとも初撃は凌げたかもしれなかった。だが、いずれにしろ初戦で片足を失ってしまっていた彼女では、3体のラービット相手ではそう長く戦線は支えられなかったかもしれない。

「三雲くん!あなたは本部に連絡を…」

 両腕を切り落とされ、敵に掴まれたままであっても、気丈にそう言い放つ木虎だが、既にラービットは彼女を捕獲しつつあった。

 まさに木虎がキューブ化されようとしていたその時だった。どこからともなく飛来した弾丸が正確に木虎の頭部と、彼女を捉えていたラービットの眼を撃ち抜いたのだ。

 結果として木虎は捉えられることを免れたが、その場にはまだラービットが2体残った。

 木虎とラービットを狙撃したのは、言うまでもなく清治だ。大型バイクの走行時の直進安定性は知らない人には想像もつかないもので、清治はなんと両手をハンドルから離した状態で煉での狙撃を敢行したのだ。

 そして彼は、この行動によって『ガラぢゃない』責任とやらをちょっぴり取ることになった。近づいているとはいえまだまだ通常射程の遥か外である。

 そこへもってサイドエフェクトを使用し、さらに煉の速射性を利用した同時狙撃を行ったがために、脳と体に相当な負担をかけてしまった。端的に言えばリバースしているのである。

「おえっ… おげろヴぇろヴぇろヴぇろヴぇろヴぇろヴぇろヴぇろ…」

 この状態がしばらく続くのであった。

 それはそれとして、2体の新品のラービットがC級を攫うべく襲いかかって来た。1体は先程木虎が倒したものと同じタイプであり、飛翔しながらやや遠目にいるC級に迫る。

 もう1体は後にプレーン体と呼ばれていることが判明する個体で、嵐山隊とつい先程風間隊に始末されたタイプである。こちらは行きがかりの駄賃と言わんばかりに三雲に右腕で凄まじい打撃をしかけて来た。

「くっ!」

 三雲は体の軸を僅かに後方にずらしつつ、シールドモードのレイガストの下側の先端をラービットの方に向けると、角度の低い斜面で打撃を受けるかのように攻撃を受け流した。受けつつ自らの体を後方やや下方向にずらす。

 それで全ての衝撃を受け流すことができたわけではないが、見事に敵の攻撃をそらした。そして、難しい体勢からではあるものの丸のままのアステロイドを敵にぶちこむ。

 ラービットもさしものもので、左の腕でとっさにガードをして致命的なダメージとなるのを防いだ。だが、体の内側に近いあたりで受けたためか、左腕にわずかながら亀裂が入った。

 もしこれを木虎が見れば、さらに三雲に対する評価を改めることになったろうし、清治が見ていたらむせび泣いて涙の海に沈むかもしれない。

 というのも、今三雲が見せた動きこそが、清治が3晩かけて三雲に教え込んだ『秘伝の剣』の体捌きなのである。

 伝書には『柳ノ枝ノゴトク風ヲ受ケ、柳ノ幹ノゴトク動カザル也』とある。三雲の動きは、レイガストを柳の枝、自らの体を柳の幹と例えて動かす秘伝の剣の基本中の基本の型を、未熟ながらやって見せたのである。

 レイガストの角度も重要だった。傍目には水平にみえる程に角度を持たせて打撃を当てさせ、自ら体を沈み込ませると同時にわずかに押し出すことによって強力なラービットの打撃を受け流したのである。

 盾をあえて大きく寝かせるこの方法は、実は現代の戦車の装甲で同じような理論が用いられている。

 現在地上で最強とされるM1エイブラムスという戦車がある。正面の装甲を見ると、下側は履帯に沿うように下側に大きく流れているが、砲塔側の装甲は限りなく水平に近いゆるい傾斜となっている。

 これによって、強度で敵の攻撃を弾くだけでなく、強度と推進力と角度によって相手の攻撃を逸らすように設計されているのだ。

 三雲のこうした防御の動きは、清治の助言を受けた烏丸が徹底して彼に叩き込んだものである。清治と烏丸は、三雲にはとにかく戦線を維持するための力を持たせるべきだと判断したのだ。

 それは三雲が攻撃にあまり向いたタイプではないということもあるが、近い将来空閑や雨取と隊を組んだ際は彼が隊長となる。隊長はともかくできるだけ長く戦場で生存しておくべきだというのが清治と烏丸の一致した考えだった。

 残念ながら清治は、それを見て涙の海に沈むどころかゲ○の海に沈むハメになってはいるが、彼の成長ぶりには本当に見るべきものがある。これが、トリオン能力およびトリガーを扱う能力が低く、向上する見込みも無いとしてボーダー入隊試験に落ちてしまった少年と同じ人物なのだろうか。

 しかしながら、三雲はラービットを倒したわけではないし、もう1体、先程木虎と戦ったものと同じタイプのものがまだピンピンしている。こちらは飛翔して一気にC級隊員たちとの距離をつめてしまった。

「う、うわああああ!」

 彼らは、先程ラービットが木虎を倒したのを目撃している。と同時に、その前にプレーン体を倒した時の彼女の凄まじい戦いも目にしている。

 そんな木虎が倒されてしまった以上、自分たちにラービットに対抗することなどできはしないと考えるのは当然のことだった。

 蜘蛛の子を散らすかのように逃げていくC級隊員の中で、ただ1人動かない人物がいた。雨取である。逃げないのではない。逃げられないのだ。彼女は近づいてくるラービットを見て、すっかり固まってしまっている。

「何やってる千佳!! 早く行け!!」

 しかし三雲の言葉を受けても雨取は動かない。

「う… ぐ…」

 彼女の脳裏には、先程倒されてあわや捕獲されそうになった木虎、自分のことを信じたが故に(そうであるかは分からないが)行方不明となってしまった親友、自分を置いて近界(ネイバーフッド)に行ってしまった兄の姿が次々と浮かんできた。

「はあ、はあ、はあ、はあ…」

 呼吸を荒らげ、心拍も相当高くなっていると思われる彼女に、自ら動くことなどできるはずもない。

「まずい!」

 このままでは、何の抵抗も示すことなく雨取が捉えられてしまう。三雲は危険を承知で正面の敵に構わず雨取のフォローに向かおうとした。その時だった。

 どこからともなく飛来した弾丸が雨取に迫っていたラービットの右側頭部へ直撃した。雨取と親しいC級隊員の夏目 出穂が放ったアイビスである。

「チカ子に手ぇ出してんじゃねーぞこんにゃろー!!」

 なかなかの一撃ではあったが、彼女のトリオン能力、しかも訓練用のトリガーではアイビスを持ってしてもラービットの堅い頭部を破壊するには至らなかった。すぐさま第二撃を放つ夏目だったが、攻撃の出処が分かっているため、ラービットは難なく腕でガードしてしまった。

 そのままラービットは夏目をつかむと、先程と同じく捕獲にかかる。

「わっ ちょっ タンマ!! キモいキモいキモい!!」

 このままでは夏目の捕獲は確定的だ。

「出穂ちゃ…」

「チカ子逃げろ!! 走れ!!」

 絶望的な状況であるにも拘らず、夏目は雨取に逃げろと言う。ご丁寧に一緒に逃げて来た猫もなんとか退避させようとしていた。

「逃げろ、千佳!!」

 プレーン体の猛攻をなんとか凌ぎながら三雲も雨取に逃げるように促す。

「う… ううう…!!」

 逃げ出したい自分と、自分だけが逃げる申し訳なさと、怖さと悲しさと、情けなさと怒りで、雨取は完全にパニック状態になっていた。ほんの一瞬の時の間が、まるで数時間のように感じられた。

 聴力が衰え、周囲の音が遠ざかっていく。視界も狭まり、かすんでいく。目の前のことがすべてうすぼんやりとしたずっと遠くのことのようだ。

 これまでにあった出来事が、まるで幻燈のように明滅して眼前に浮かんでは消えていく。微かな物音や話し声も聞こえるが、そんなものはほとんど耳には残らない。

 そんな中で、唐突にハッキリと自分に向けられた言葉が聞こえた。

――― そりゃもちろん戦闘員でしょ。

 空閑の声だった。ボーダーへ入隊することを決めて、どのポジションになるかという話し合いをした時の空閑の言葉は、自分も戦えるようになりたいと願う彼女の思いと一致していたのである。

――― おチカちゃんの希望を叶えるためにゃ、ユーマの言う通りオペ娘よりも戦闘員の方が良かろうて。

 現在絶賛ゲロリアント中の無責任男の声も聞こえた。彼は当初、雨取の入隊に否定的ではあったが、入隊以降は訓練に付き合ってくれたり、何くれと世話をしてくれていた。

 気づけば雨取は、夏目が取り落としたアイビスを手にしていた。視界はまだかすんでいるが、撃つべきものの位置は把握している。そちらに銃口を向けて引き金を引くだけであった。

――― 今度こそ、友達はわたしが助ける!!

 強い思いとともに引き金を引いた雨取は、直後の衝撃で思い切り尻もちをついてしまった。臨時で接続された他人の訓練用のトリガーとは思えないほどの凄まじい一撃は、あの堅い堅いと多くのボーダー隊員に言われているラービットの右半身のほとんどを、ただの一撃で吹き飛ばしてしまったのである。

「どわあ!」

 間一髪で助かった夏目だったが、あと少し遅ければ、そしてあと少し雨取の射線がずれていたら危ないところだった。

「こらチカ子! アタシも吹っ飛ばす気か!!」

「ご、ごめん…」

 絶体絶命の危機からようやく脱した直後とは思えないゆるいやりとりをしているが、まだラービットを仕留めたわけではない。

「スラスターオン!」

 間髪入れず三雲が、スラスターを使ってブレードモードのレイガストをラービットの急所に叩き込む。

「!」

「うおっ! まだ生きてた!?」

 この場に残るのはあと1体である。




こちらのメガネくんは、原作より少々お強いです(^^


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F09 間に合うらしいけど

連載再開を祝して!って言うには少々遅いでつが(^^;


 ここへ来て、ついにボーダー最強の部隊が戦線に参加した。多くのボーダー参加者と違う学校に通っている小南 桐絵をピックアップするために到着が遅れていたのである。

 だが、結果的にはこれが奏功した。これで迅の予知はより良い方向に向かったし、城戸や清治からすればまさに絶妙のタイミングに一番来て欲しい地点に彼らが参入したのだ。もっとも、只今アレな最中の清治は、この時点ではその事を知るよしもない。

 同じ頃、敵遠征艇の中ではちょっとしたざわつきが生まれた。先程の雨取の『砲撃』が小さくはない波紋を呼んだのである。

「なんだ…!? 今のトリオン反応は…」

 隊長であるハイレインは驚きを隠せない。彼も本国では相応の地位の持ち主で、軍事国家でもあるアフトクラトルにおいては実戦経験もそれによる功績も少なくはない人物だ。

 さらに言えば、単に戦略や戦術だけでなく謀略についても高い能力を有している。ある意味では清治に似ていると言えた。違いがあるとすれば、彼は冗談とセクハラはあまり好きそうではなかった。ご存知の通り清治は、冗談が服を着てセクハラのことだけを考えながら歩いているような生き物である。最低である。

「反応は通常のトリガー… のはず、です」

 黒トリガーなのではないかというハイレインの問いかけに、ミラが彼女にしては珍しく歯切れ悪く返答する。彼女にしてもこれまでの知見ではありえない出来事だった。

 これは、彼らアフトクラトル遠征隊にとっては思わぬ収穫だった。彼らとしては『彼らの事情』で、どうにかして強力なトリオン能力を持った者を自分たちの手で捕獲なり懐柔なりしたいところだったのである。

 状況的に懐柔はありえなかった。であればやるべきことは当然ながら前者である。そして、そんな能力を持った相手と対峙するには、出し惜しみをするわけにはいかない。

「ランバイネン。エネドラ。お前たちは予定通り(ゲート)で送り込む。玄界(ミデン)の兵を蹴散らしてラービットの仕事を援護しろ」

「ヴィザ。ヒュース。お前たちは『金の雛鳥』を追え… もしかすればここで、新しい()を拾えるかもしれない」

 彼らは予定を変更し、単にC級隊員を攫うだけでなく雨取を最優先ターゲットとした。戦場における応変の妙ではあったが、これは迅が敢えてねらった、そして清治が能動的に意図した形になっているということを彼らは知る由もなかった。

 

――― 思った通りの形になってはいるけど、正直状況的にツライなー。

 敢えて雨取に敵の注意を集中させる。迅がこの『未来』を視た時に考えたことだった。

 兆候はあった。清治が唐沢と出発する直前に城戸と会い、会話の中で城戸が見たこともないような厭な顔をしていた。おそらく清治は、城戸ほどの人物であっても割り切ってそれを実行することが困難な、効果的でそれでいて非人道的な、しかし実効性を認めざるを得ない提案をしたに違いなかった。

 詳細までは分からなかった。いつものことだが、迅は未来が『視える』のであって、『聴こえる』わけではない。何を言っているかは、いわゆる『読唇術』のようなもので読み取るくらいしかできず、それも正しい方法のレクチャーを受けているわけでもなかった。

 結局のところ、会話の内容はあくまでも推測や憶測の域を出ない。それも含め、いくつかの断片的な視覚情報から彼なりに分析し、状況を推測するのだ。

 自身の能力に初めて気づいた頃からずっと行って来たことで、今は亡き師である最上からのアドバイスもあってかなりの確度で未来を『予見』して来たのである。

 城戸と清治の会話の直後に見えた最悪の未来。それは回避できそうだった。どうやら清治の参戦がギリギリ間に合いそうなのだ。

 清治が間に合わなかった場合にのみ起こり得た最低最悪な未来が避けられそうな今、その次に悪い未来を避けなければならなかった。

 雨取が拉致されてしまう未来は無かった。迅が見たのは、彼女がこちらで生存している未来と清治に殺害される未来だ。

 後者は清治がやむを得ず例の超長距離射撃で狙撃することになるのだが、彼が間に合うことによってその線は消えた。未だ戻ってきていないが、間に合うのは確定だった。

 だが、複数の未来の多くのパターンの中に現時点での最悪な未来である『三雲の死』があった。

 清治が間に合い、市街に殆ど被害が出ず、人型近界民《ネイバー》を悉く打ち破ってでさえその可能性が完全に消えることはなかった。

 問題は三雲の会敵状況だった。彼がどんな場面でどんな敵と遭遇するかによって未来は異なる。だが、その殆どの場合において彼の死は確定的だった。

 ポイントとなるのは雨取だった。おそらく清治がそう企図し、迅も敢えてそれに乗ることにした、彼女に敵を集めて周辺の状況の好転を図るという狙いが、この場合には悪い方に流れてしまうのだ。

 新型トリオン兵も含め、敵が雨取を『運ぶ』三雲に集中する。もちろん多くのボーダー隊員が彼の仕事をサポートする。だが、手ごわすぎる敵が集中する中で戦闘能力の劣る彼が命を落とす。要約すればそんな未来だった。

 これを防ぐためには、敵の戦力が上手く分散している現時点で可能な限り敵主力である人型を各個撃破することだった。それができなくても、できるだけ多くのトリオンを消費させる。

 トリオンが枯渇してしまえば戦闘の継続が不可能になる。そうなれば敵も撤退以外の選択肢は無いのである。

 言うのは簡単だが実行は難しい。何せ出てくるのは6人らしいが、その過半数は黒トリガーだ。しかも、そのうち2人はトリガー使いとしての力量は自分たちよりも上の者である。まともに戦って敵うとは到底思えなかった。

 だから、勝てる可能性の高い敵を相手取る必要があった。単純な力量比べであればこちらが不利だということは動かしようもない事実だが、相性というものがある。

 それに、何も1対1で戦う必要はない。これは戦闘であって決闘ではないのだ。

 状況を整理すれば、二宮隊が予想外に敵の流れを長時間に渡って食い止めてくれていたのは良かった。

 この状況であれば、天羽に自身の担当区域を任せる必要は無さそうだった。彼の能力は確かだが、被害も相当なものになる。敵に対する抑止力としては有効ではあるが、市街地での局所戦闘には向かない。

 とにかく後は、本部に出向いて許可をもらうだけだ。

 

「失礼します」

 太刀川らと一戦交えた後、会議室へ現れたあの夜と同じように、迅はぶらりと本部司令室へとやって来た。

「迅!? お前は基地の西側を担当しとったはずだろう!」

 鬼怒田が声を荒らげるのも無理はなかった。戦闘に疎い彼をしても現在の戦況は宜しくはないことはハッキリと分かるし、そうした状況におて戦闘力の高い迅が現場ではなくここに来ているというのは看過できないことだった。

 迅はその能力と手腕を買われて単独で基地の西側のエリアの防衛を担当していた。その彼がここに来ているということは、今現在そのエリアの防衛能力は0ということだ。鬼怒田でなくても由々しき事態だと考えるだろう。

「まあまあ。鬼怒田さん。二宮さんたちが予想外に粘ってくれたから、俺も直接城戸さんにお願いに来れたんだ」

 いつもの通り飄けた感じで言いつつ、迅はチラリと城戸の方に視線をやった。

「城戸さん。俺と遊真をメガネくんのサポートに向かわせて欲しいんだ」

 迅のこの発言に本部作戦司令室の中はザワついた。

「本気か!? 迅!」

「どういうことかね? 彼1人のために西エリアを放棄するとでも言うのかい!?」

 そんなことはさすがに許されない。鬼怒田と根付の言葉には言外にその意が含まれていることは明らかだった。

「メガネくんを助けるのは、単にメガネくんだけを助けるためじゃない。千佳ちゃんもそうだし、他の皆だってそうだ。メガネくんがいなくなると、城戸さんの『真の目的』の達成が難しくなる。俺のサイドエフェクトがそう言ってる」

 付け加えれば、迅の見た最悪の未来の先には、さらなる最悪の事態が待っていた。迅が見た未来の最後は、川へと入った清治が、そこでトリガーをオフする光景だったのだ。

 三雲を亡くし、清治が消える未来。ボーダーのためだとかどうとかだけではない。それは迅にとっては耐え難いことだった。

 先の通り、迅は今の状況を『知って』いた。もちろん、そうならないように手を回すこともできたが、敢えてそうしなかった。それは、清治がこの状況を作り出すために自らの命を賭しているという確信が迅にはあったからだ。

「ムサさんが城戸さんに、なんて言ったかは俺は知らない。けど、メガネくんが死んだらムサさんがどうするかは知ってる。城戸さんもわかってるはずだよ」

 流石にこの場で、城戸と清治が共謀して雨取をデコイに利用したとは言わない。実際、確信はあっても確実なことではないからだ。

 ただ、先に『視た』城戸と清治のやりとりの状況や現状の戦局を考えれば、確度はかなり高いだろう。そして、清治の人となりからして、目的が果たされなかった時の身の処し方は城戸でなくても分かる。

 結局のところ、清治は『剣客』なのだ。その剣客が『破れた』時の末期は、彼にとっては昔から何も変わっていないのである。

 いずれにしても、三雲が死ねば、ボーダーは清治も失うことになる。おそらく彼以外誰も起動することのできない貴重な黒トリガーも失うことになるのだ。

「それで、具体的にはどうするつもりだ?」

 僅かな時間沈思したあと、城戸が迅に問いかける。

「遊真を連れて、メガネくんたちを迎えに行く。C級も連れてきてるだろうから一石二鳥だよ」

「確かに武蔵丸くんの予想の通りなら、C級を大勢連れている三雲くんたちの援護に向かうのは理にかなっている」

 迅の意見に忍田は同意したが、城戸は異なる意見を口にした。

「だが、彼らはまだ警戒区域の外側にいる。空閑の今の姿では区域外へ出ることは許可できない」

 先程城戸は、黒トリガーを許可無く使用した空閑を咎めなかった。だが、同時に現場での混乱を避けるために警戒区域外への立ち入りを禁じている。さっきの今で命令を変更するのは朝令暮改も甚だしい。

「大丈夫。俺が遊真を連れて駆けつける頃には、メガネくんたちも警戒区域に入ってるはずだ。区域内なら問題ないよね?」

 城戸は考え込まざるを得なかった。空閑に警戒区域の外に行くことを禁じたのは、彼に嫌がらせをしたかったわけでも何でもない。単に現場の混乱と、避難している一般市民への悪影響を避けたかったがためだ。

 彼が警戒区域のギリギリまで行ってしまうと、場合によっては彼の姿を一般市民が目撃してしまうかもしれない。そうなると、明らかにボーダーの制服とは異なる格好の空閑を見て、人形近界民《ネイバー》がやって来たと思うことだろう。

 こうした場合、敵よりも混乱した非戦闘員の方が厄介で、現状敵の対応に手一杯な中で混乱した市民を誘導して避難するのは至難の業だ。

「城戸司令。その区域の市民の避難は終了している。遊真くんが彼らに目撃される可能性は無いに等しいだろう」

 忍田のこの言葉に城戸は決心した。迅が言う以上、三雲を失うのは自分にとって、ひいてはボーダーに、いや大きく言ってしまえば近界《ネイバーフッド》も含めた世界にとっても良いことではないはずだ。

「よろしい… 空閑 遊真と共にC級の救援に行くことを許可する。ただし、少なくとも空閑隊員が警戒区域の外に出ることは固く禁ずる」

「サンキュー城戸さん。それじゃ!」

 希望が通って、満足げに去っていく迅は、しかし密かに見えた『空閑がうっかり警戒区域にちょっとだけ出てしまう』未来については黙っておくことにした。




また主人公出番ねぇんでやんの(^^;


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F10 な〜んか不気味

恥ずかしながら帰って参りました!


 無人の荒れ野と化した、かつては市街地であった三門市の一角を、清治は目的の人物のいる方へ向けてバイクを疾走させていた。

 つい先程、高速道路から三門市へ向かうインターチェンジを降りた清治は、予想はしていたものの目の前に広がる光景にさすがに言葉を失った。

 荒れ地だ。全く何も無い荒れ地が目の前に広がっている。とても日本国内の光景には見えなかった。

――― ここは確か…

 清治の記憶が正しければ、インターチェンジから降りてきてすぐの辺りが警戒区域の北限に近いはずだった。そして、そのエリアから基地に向かう土地がものの見事に更地になっているのである。

 ケースがケースでなければ、ここに郊外型の大店舗が建つのではないかとワクワクするところだが、警戒区域となれば話は別だ。

 現在アフトクラトルと思われる(この時点で確定していたが清治はまだ知らない)敵と警戒区域の各所で交戦している最中である。これは土木工事のたまものではなく作戦行動の一環であることは間違いなかった。

――― それにしても、改めてみると凄ぇのぉ…

 驚嘆せずにはいられなかった。警戒区域とはいえ、この辺りはまだ比較的『街』の姿をとどめていたはずだ。

 以前、いわゆる演習を繰り広げた区域もそうだったが、警戒区域とされた地域からは一般の人間はすべて退去した。立ち入れるのはボーダーの関係者だけだが、それも基本的には戦闘員に限られている。

 そんな状態だから、そこにあった建物も、4年の歳月のうちに崩れたり、外観はともかく内部は散々に荒れたりしていた。

 それも区域によって進み具合はまちまちで、北側の地域は比較的近年に開発が始まり、多くの住宅や店舗が作られていた。

 建物が新しいということは、それだけ耐久性も古いものよりは高い。また、技術的にも新しい技術で作られているので、朽ちるまでには相当時間がかかるはずである。

 この地域の開発には大手不動産グループと共に、やはり大手の住宅メーカーが関与していた。彼らは自身の戸建て住宅の宣伝文句に『200年は保つ家』というフレーズを使っていた。

 それだけ少なくとも外壁や屋根などは国内メーカーはおろか、世界の住宅メーカーにおいても屈指の耐久度を誇っていた。そうした家が立ち並んでいたはずである。

 ところが今は、まさに見渡す限りの平地だった。とても同じ地区の風景とは思えないほどだ。

 整地が成されているわけではないので徒歩では大変かもしれないが、道順がどうのこうのちうことを考える必要もなく、ただただまっすぐ目的地に向かえば良いだけの状態になっている。

 こんな真似ができるのは、ボーダーの中では彼一人しかいない。トリガー以外の方法でこれを成そうとするのであれば、MOABかデイジーカッターが必要だろう。

――― うん?

 ふと清治は、西部方面に敵が集まりつつあるのを視界の隅に捉えた。どれほどの距離があろうと、トリオン兵である限り清治の視界から逃れるのはほぼ不可能である。

 ところで、あちらは確か清治の親友である暗躍エリートが受け持つ区域のはずだ。数こそまだ少ないが、彼がそれに対処しないというのはいかにもおかしい。

 この場合、迅がそこにいないと考えるのが妥当だろうと清治は思った。

――― 何ぞ理由があって、あの場から離れる必要があったらしいの。

 良いこととは言えない出来事に清治も少々渋い顔をする。

 もともとこの作戦は、迅と天羽がある意味防衛線の肝として機能することを前提としていた。

 迅本人も当然ながらそのことは重々理解していたはずである。にもかかわらず、彼は持ち場を離れた。ということは、そうせざるを得ない事態に物事が進んでしまっているということである。

 幸いなことに、清治が二宮隊に敵の足止めを依頼した影響で、敵の集まりは思った以上に多くはなかった。だが、それでも放置しておくことはできそうにない。

 見れば、北西エリアはもう何もすることは無さそう見える。であれば、やはり彼に西エリアにも出張ってもらうしか無さそうだった。

 

 自らが築いたと言って良い、無人の荒野の真ん中で天羽 月彦が佇んでいる。なんともそぐわない姿である。

 というのも、彼はまるで近所のコンビニにでも行くかのうような格好で座っているのだ。市街地であればそれも不思議ではない。いや、ここも彼が『こう』するまでは市街地とほぼ同じ姿ではあったが。

 だが、今はそうではなかった。見渡す限りの平地である。このそぐわない状況こそが、彼のトリガーの特異性を物語っているとも言えた。

 ところで、彼としては彼の任された仕事は終わった。とはいえ、他の隊員がまだ戦闘中である以上、その場を離れるのはともかく帰るわけにはいかない。

 つまりは暇を持て余すことになる。彼は退屈だった。

 そんな彼の耳に、轟くようなバイクの走行音が聞こえてきた。ずっと遠くに聞こえるそれは、徐々に自分の方に近づいてきている。

 やがて走っているバイクの姿が見えると同時に、乗っている人物の『色』も見えてきた。天羽の持つサイドエフェクトだ。彼はこれによって、視ている対象の強さを色で選り分けることができるのである。

――― 相変わらず不気味な色だなぁ。

 先の通り、彼は色で相手の強さを読むことができる。どうやら先程現れた人型近界民(ネイバー)の中には、戦ってみたいと思うような色をした者もいるようだった。

 強い色と弱い色。それは彼の中でははっきりしていた。そして、先程まで自分の周りをうろついていたトリオン兵などは、どれもこれも弱い色の雑魚ばかりだった。

 当然ながら、ボーダーの中にも彼が『強い』と感じる色の持ち主がいる。本部長の忍田はその筆頭だし、他にも現役でならば迅や太刀川、二宮なども強い色の持ち主だ。

 その中にあって、清治はそれほど強い色の持ち主ではなかった。ボーダー全体で見れば強い方に入るが、彼の感覚では『強い』というほどでもない。しかし、彼にとって清治の色は、分類できる色ではないのである。

 多くの場合、どんな人でも何色なのかを言うことができた。強さをそう呼ぶのは彼独特の感覚としか言いようがなかったが、とにかくほとんどの場合において、その色が何色であるという風に彼には分類ができた。

 だが、清治においては全く表現のしようのない色だった。既存の色の名前ではどうも分類できないのだ。

 だからと言って、新しい色の名前をつけるのも難しかった。つけてしまうと、それよりもふさわしい名前があるのではないかと思うような不思議な、表現のし難い色なのである。

 ただ1つ確実に言えるのは、その色についての感想はどんな名前をつけようとも『不気味』以外の表現はできなかった。もっと言えば『怖い』色かもしれない。

 そんなわけで、天羽は当初清治を苦手としていた。だが、ほどなくこの不気味な人物が、不気味なほどにのんき者でお人好しで、少なくとも敵対するような態度を示さない限りは馬鹿にされようが悪口を言われようが気にしないらしいことに気がついた。

 以降は距離を詰めるでもなく、ともかく当たり障りのない付き合いをしていた。

「ぃよう。だいぶ派手にやっとるのぅ」

 近くにバイクを止め、いつものような気軽な感じで清治が声をかける。

「ムサさん…」

 彼もまた、いつもの通り物静かに清治に応える。

「相変わらずすげぇのぉ。加減とかできりゃ、もっと遊べるじゃろうに」

「やだよめんどくさい…」

 これも彼らのいつものやり取りである。

 天羽の黒トリガーは、トリガーを起動するとその姿が一変する。見た目の破壊力も、物理的な破壊力も。多くの黒トリガーの中でも彼のそれは超常的と言えた。

 以前清治は、メテオラを上回るトリオン爆弾の話を三輪としたことがある。天羽のそれは、研究すればそうした爆弾の開発につながる可能性がある。良いか悪いかは別にして、だ。

「どいつもこいつもつまんない()のザコばっか。全然やる気起きないよ…」

「そりゃお前さんから見れば、大概のやつが雑魚なんじゃろうけどな」

 そう言って苦笑する清治に

「あんたは雑魚だけど怖いよ」

と言いたくなる衝動を、天羽はとっさに押さえ込んだ。なぜそうしたのかは彼自身にも分からなかったが、どういうわけかそれは言わない方が良い気がしたのである。

「ま、それはそれとして、悪いんじゃが、西っかわも見てやってくれんかね」

「ええー… なんで…?」

 彼の記憶が正しければ、そちらは迅の受け持つエリアだ。わざわざ自分が出張る必要などないはずだ。

「それがの。どうも担当者が席外しとるみたいなんじゃ」

 清治は端的に、敵がその辺りに再集結していることと、迅がその場になぜかいないことを告げた。

「あんにの事じゃけぇ、何らかの事情があって持ち場を離れとるんじゃろう。とはいえ、戦況が膠着しとる中であそこを放っとくこともできんしの」

「しょうがないなぁ…」

 清治の言う通り、迅がこうした場合に不必要に持ち場を離れるような人間ではないことを知っている。その彼がその場にいないということは、そうせざるを得ない状況に今現在なっているということなのだろう。

 あるいは先程ちらっと見えた『強い色』の敵と関係があるのかもしれない。そして、おそらく清治の懸念は、そいつらと今がら空きの西側エリアに集結している敵が有機的結合を図ることなのではないかと天羽は感じた。

 雑魚であっても敵であることには変わりないし、彼にとっての雑魚が他の隊員にとっても雑魚であるわけでは当然ながらない。強い色の敵が西側にいる雑魚たちを使って、本部が考えている以上の脅威になりはしないかという懸念は確かにある。

「わかったよ。面倒だけど…」

「すまんの。おおそうじゃ。お礼というわけではないが、出先でもらったこれをやろう」

 そう言って清治が取り出しのは、ご存知うまい棒の詰め合わせである。

 もっとも、これは以前清治がゲームセンターでゲットした同じ味の詰め込み品ではない。プレミアム商品も含めたいろいろな味のものが40本も入っている代物である。

「ありがと…」

「それとな。この手のもん食うと喉がかわくじゃろ」

 そう言ってペットボトルに入ったお茶も手渡した。

「じゃあの。よろしく~~~」

 そう言って手を振って走り去る清治を見送りながら

――― ああ。やっぱり不気味だ…

と思いながら、テリヤキバーガー味のうまい棒を取り出してかじってみる。

「…うまい」

 こちらは不気味でも何でもないようだった。




でもまだ戦闘には出番なし(^^;


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