達磨少女は世界を呪う (佐倉 文)
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プロローグ

 白を基調とした殺風景な部屋。

 何の飾り気もない、そんな変わり映えのしない景色が私の世界の全て。

 

 中央の同じく白いベッドの上に放り出された私の体。

 私の意思で自由にできるのは首から上だけ。

 私はここから外へと歩いていくことはできない。

 だからこそ、この殺風景な病室が私の世界の全てなわけだ。

 

 

 事故に遭ったのは、今から一ヶ月前。

 私には何ら非はなかった。

 青信号の横断歩道を当たり前のように歩いていただけ。それだけなのに――

 

 突っ込んできたのは、赤信号を無視して暴走する乗用車。

 一瞬の出来事で、それから身を守ることなど出来る筈もなく。

 

 その後のことは何も覚えていない。

 気付けばこの病室で寝かされていたわけだ。

 そして、この病室が私の世界の全てになった。

 

 脊髄損傷による首から下の全身麻痺状態。

 それが医師の診断だ。

 回復する見込みは、限りなくゼロに等しいらしい。

 

 

 私は一ヶ月もの間、ただただ無為に時間を過ごした。

 当たり前だ。指一本動かせない私に、一体何ができるというのか?

 

 入院当初は訪れてきた学友たちの見舞いも、今は無い。

 それどころか、最近では両親ですらこの病室に足遠くなってきた。

 一人娘のこんな姿を見るのが、どうも精神的な苦痛になっているようだった。

 

 

 体の動かない私に許されたのは、ただ膨大な時間の中で思索することだけ。

 

 窓の外から射し込む陽の光。

 それを全身で感じられたらどんなに気持ちの良いことだろうか?

 

 今は四月だ。

 校門の傍らにある桜の木は、もう薄桃色の花弁を咲かせたのだろうか?

 

 外へ出たい。外へ出たい。外へ出ていきたい。

 私は奇跡を望む。

 もしも何かの奇跡で、この体が回復してくれたなら……!

 

 どうか、どうか、神様! どうか私の身体を、どうか!

 

 そんな奇跡を望む気持ちが、とめどなく溢れ出す。

 

 もしも、体が回復したのなら……。

 自分の足で外へと駆け出そう。

 今まで感じていた当たり前のこと全てに感謝しよう。

 勿論、神様への感謝も忘れない。

 

 外へ出れたなら、意義のある生き方をしよう。

 人生を大いに謳歌する。

 他人にももっと優しい人間になろう。困った人がいたら助けてあげるのだ。

 私の出来る、全てを為そう。

 

 だから、だから、神様。どうか奇跡を……。

 

 

 

 

 事故に遭ってから、一年の時が経った。

 

 まだ私の身に奇跡は起こらない。

 一年もの間、精神を黒く塗りつぶす様な乾いた時間だけが過ぎ去った。

 

 窓を見る。

 あの窓の外には、当たり前のように自由に動き回れる人々が暮らしているのだ。

 その有難みを実感せずに。そのささやかな幸福に感謝すらせずに。

 

 ああ、なんて妬ましい。なんて、憎らしい。

 

 そこまで無意識に思考し、ハッとさせられる。

 駄目だ、駄目だ。こんな醜い考えをするから、この身に奇跡は起こらないのだ。

 

 ただただ無為な時間が流れるほどに、精神が黒く汚れていくのを実感する。

 でも、それでは駄目なのだ。

 

 ごめんなさい、神様。

 私は改心します。もし奇跡が起きたなら、多くの人の為に生きると誓います。

 

 だから、だから、どうか奇跡を……。

 

 

 

 

 ある日、母が私の病室を訪ねてきた。

 珍しい。母がこの病室に来るのはいつ以来だろうか?

 

 いや、そんなことはどうでもよい。

 私は呆然と、母の膨らんだお腹を凝視した。

 

 母も私の視線に気付いたのだろう。

 気まずげに横を向きながらボソボソと呟いた。

 あなたの妹が生まれるのよ、と。

 

 ああ、ああ、ああああああ!!!!

 

 どうして!? 何で!?

 もう三十も半ばを越して、じき四十になるのに、今更子供!?

 

 私の、私の代わりなのか!?

 

 母にとって、私はもう……!

 動いて! 動いてよ、この体! 動け!

 

 この体が動いたなら、目の前の女を殺せるのに!

 

 ああああああああああ!

 

 

 

 

 事故に遭ってから、どれほどの時間が過ぎ去っただろう?

 私は未だこの病室の中。

 

 ああ、私以外の全てが妬ましい。憎らしい。

 

 もし、思い一つで人を殺せたなら、どれほど良かったろう。

 可能なら、外界の全てを呪ってやったのに。

 

 ああ、どうしてこの体は動かないのだろう?

 決まっている。この世界に奇跡などありはしないのだ。

 

 それでも、神がもし何かの気まぐれでこの体を治したなら……。

 そうなれば、私は病室の外へと駆け出して、外界の全てを破壊しにいけるのに。

 

 動け、動け、動けこの体……。

 

 

 

 

 ただ、ただ、砂のように無味乾燥した、余りに膨大な時間が流れた。

 

 今、私の傍らで心電図の音が煩わしく鳴り響いている。

 

 本当に煩わしい。

 ただ幸いなことに、その音は徐々に、徐々に遠ざかっていく。

 

 どうやら、私に終わりの時が訪れようとしているらしい。

 

 やっとか。心中でそう呟く。

 ようやく私の下に、安息の時がやってくる。

 

 心底ホッとする。

 ただ、世界に対する憎悪だけは薄れない。薄れることはない。

 

 遠ざかる意識の中、最期に一言、頭の中で呟く。

 

 

 ――世界に呪いあれ。

 



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1話

 ふと、目覚めた。

 ……知らない部屋だ。あの見慣れた殺風景な病室ではない。

 

 おかしい。何故、私はあの病室の外に?

 そもそも、私には最期の時が訪れたのではなかったか?

 

 いや、そんな疑問は些事に過ぎない。

 本当におかしいのは、失われた筈の首から下の感覚があることだ。

 

 寝かされたベッドの柔らかさを全身で感じている。

 開け放たれた窓から吹き込む風が、蒲団からはみ出た素足を撫でて行くのが分かる。

 手に触れた毛布の手触りを感じる。

 

 どうしたこと? これはいったい……?

 

 暫し呆然と、ベッドの上に寝そべり続ける。

 ただ、何時までも呆然ともしていられない。私は意を決して、感覚を取り戻した体に力を入れる。

 すると、あまりにもあっけなく上半身を起こすことが出来た。

 

「本当にどうしたことなの、これは?」

 

 思わずそんな呟きが零れ出る。

 

 上半身を起こしたことにより、視界が高くなる。

 私はゆっくりと部屋の中を見回す。

 

 洋風の寝室だ。

 一人で寝るには大き過ぎるキングサイズのベッド。

 ベッド傍のサイドテーブルには、瀟洒なテーブルランプ。

 少し離れた場所には、木製の衣装箪笥と大きな姿見がある。

 

 私はその姿見に引き寄せられるようにベッドから抜け出した。

 

 ひんやりとしたフローリングの上に足をのせる。

 やはり、あっけなく立ち上がることが出来た。

 歩き方を忘れたということもなく、問題なく姿見まで歩み寄る。

 

「………………………………」

 

 驚き過ぎて、最早言葉も出ない。

 

 姿見に映ったのは、西洋人の少女だった。

 年の頃は、十四、五ぐらいか?

 現実離れした、何とも不自然なまでに整った容姿の持ち主である。

 

 寝癖と無縁と思えるさらさらの金砂の髪。

 小さな(かんばせ)の上には、ぱっちりとした碧色の瞳。すっとした鼻筋、紅色の唇。

 個々のパーツで見てもこれ以上なく整ったそれらが、奇跡的なバランスの良さで配されている。

 

 首から下は一糸まとわぬ裸体だ。

 白い陶磁器を思わせる滑らかな肌。胸は年相応の大きさか。巨乳ではないが、美しい形をしている。

 くびれた腰に、信じられないぐらい細長い手足。

 

 美の女神ですら嫉妬するような美少女。

 そんな美少女が、困惑した表情で私を見つめ返している。

 

 右手を上げてみた。姿見の中の少女も右手を上げる。

 今度は逆の手を。やはり、姿見の中の少女も同じく手を上げる。

 

「うーん、これは………………」

 

 姿見の中の美少女が、眉を潜めながら口を開く。

 

 OK、認めよう。

 この姿見の中の美少女に私はなっているのだと。

 体が動くのも、前の体と違う体になっているからというわけだ。

 

 疑問は全て解決した。……とは、当然いかない。

 新たな疑問が湧いてくる。

 

 何故、私はこのような別の体になってしまっているのか? それと……。

 

「この黒い……靄? 靄のようなモノは何?」

 

 そう、少女の体からは、黒い靄、あるいは湯気のようなモノが立ち昇っていた。

 この現象をどう飲み込めばいいのか?

 これが、良いモノなのか、悪いモノなのかも分からない。

 

 ただ、どうしたわけか、この黒い靄を体から垂れ流している現状が、直感的にマズイことであるように思われた。

 

 どうにかして、この靄を抑えることが出来ないだろうか?

 

 私は、立ち昇る靄に意識を集中する。

 それを体に押し留めるように念じてみた。一秒、二秒、三秒……。

 

「んっ? 止まったわね。なんだか、体に纏わり付いた感じ……かしら?」

 

 黒い靄は、肌の上を厚い膜のように覆っている。

 思いの他上手くいった。上手くいったのだが……。

 

 どうも腑に落ちない。何かが引っ掛る。何だ? 何だろう?

 既視感とでも言えば良いのか? 私はこれを知っている。どうしてか強くそう思う。

 

 ……駄目だ。あと少しで思い出せそうなのに、思い出せない。そんなもどかしさを覚える。

 

 一度首を振った。気持ちを切り替えよう。思い出せないのは仕方ない。

 確認しなければいけないことは他にもある。

 

 とにかく現状を把握するために出来ることをしよう。まずは家探しだろうか?

 何かヒントになるものがあればいいのだけど……。

 

 

 まずは衣装箪笥を開く。

 家探ししようにも、裸のままでは落ち着かない。

 取り敢えず服を着ることにしよう。

 

 …………ふむ、ゴスロリか。

 いや、別にいいのだけどね。

 

 この体の本来の持ち主の趣味かしら?

 まあ、西洋人形のような美少女だ。似合わないということもあるまい。

 

 いそいそと下着を身に付ける。

 そうして、黒を基調としたフリルの付いたワンピースを身に纏った。

 

 姿見を覗き込む。こくこくと私は頷いた。

 

 ああ、やっぱり良く似合う。

 

 大きなお友達には大層人気が出ること請け合いだ。

 ……誘拐されないよう、気を付けた方がいいかもね。

 

 さて、では家探しを始めましょうか。

 ついと視線を動かす。

 

 ……この部屋の中には、もう見るべきものはないかしら?

 そうね。なさそうだ。なら、部屋の外ね。

 

 私はドアの方へと歩み寄る。そうして部屋の外へ……とはいかなくなった。

 ドアノブを握った際に、それが視界の隅に過ったからだ。

 

 どくんと、心臓が大きく脈打つ。

 

 大きなベッドの傍、床の上に男が横たわっていた。

 今までベッドの陰が死角になって見えなかったのだ。

 

 ……動かない。ごくりと生唾を飲み込む。

 

 そろそろと、ベッドの傍に横たわる男へと近づいた。

 そして、その顔を見下ろす。

 

 その男は、痩せこけ、白髪の目立つ初老の男であった。

 年齢はおそらく……五十後半から六十ぐらい?

 肌は血色が無く、酷く青白い。

 

 私はそっと、その頬に手を当てる。

 冷たい。体温を感じられぬ肌。

 

「……死んでいる」

 

 私は確認のためか、ポツリとそう呟く。

 

 さて、どうしたものか? この男は一体何者だろう?

 

 この体の父親……というには年が離れ過ぎている。

 なら、祖父か何かかしら?

 

 分からないわね。判断の材料が少ない……うん?

 

 本だ。男の傍らに一冊の本が落ちているのを見つける。

 装丁から日記だろうかと、当りをつける。

 私は屈んでそれを拾うと、遠慮なくパラパラと頁をめくった。

 

「ッ!」

 

 中身はやはり日記だった。日記だったのだが、記された文字が問題だ。

 余りに独特な、印象深い文字。

 先程とは比べ物にならない、強い既視感を覚える。

 

「ハンター文字……!」

 

 そう、それは週刊ジャンプに掲載されていた人気漫画、『HUNTER×HUNTER』の作中に登場する文字であった。

 

 何故、ハンター文字が? いや、それよりもどうして私はこの奇怪な文字を普通に読めるの?

 

 頭の中が混乱して、思考がぐちゃぐちゃにかき混ざる。

 そして、唐突にハッと思い当たる。

 

 さっきの黒い靄! あれはひょっとするとオーラではなかったか?

 そして、それを拡散しないよう留める技法……!

 

「念……能力」

 

 そう、念能力。その中でも基礎とされる四大行の一つ、纏。

 それこそが、私が行使した技法の正体。

 

「どうして……?」

 

 まさか物語の中の世界に転生、いや憑依したとでもいうの?

 そんな荒唐無稽なことが? だけど、状況証拠がそれが事実だと物語る。

 

 この馬鹿げた推測が正しいとして、どうして私はこの世界の少女に憑依したのか?

 

 私は手の中の日記を凝視する。

 これを読めば、その疑問の答えが記されているだろうか?

 

 私はベッドの隅に腰掛けると、本腰を入れて日記を読み耽り始めた。

 

 

 

 その日記の中身は、一人の芸術家が理想を追いかけた軌跡であった。

 

 憧れと言うには余りに生々しく、重く、暗い。そうね、妄執と呼ぶのが正しいだろう。

 そんなものに憑り付かれた一人の男の物語。

 

 男は子供の頃にある夢を見た。

 その夢の中で、天使かと見紛う少女と邂逅した。

 

 男はその少女に一瞬で心を奪われた。

 ただ一度切り、夢の中で出会っただけの少女。

 しかし、男は成長した後もその少女のことを忘れられない。

 

 やがて、男はその少女を確かな形に残したいと思うようになった。

 

 男は、まず絵画に手を出した。

 日々の努力のお陰で、メキメキと画力を上げる男。

 

 しかし、どれほど画力が上がろうと、キャンバスという平面上に描かれた少女は、彼の理想を体現していると言い難かった。

 

 絵画に見切りをつけた男は筆を折る。

 

 続いて彫刻に手を出した。

 絵画と違い、立体感のある創作物ならあるいはと考えたのだ。

 ただ、これも見切りをつけるに時間はかからなかった。

 

 無機質な石像や銅像では、夢の中の少女が持つ魅力を余すことなく再現できなかったからだ。

 

 次に、藁にも縋るような気持ちで人形師に弟子入りする。

 しかし、やはり上手くいかない。

 

 男は焦燥にかられる。

 他に何か手段は? 自分に後どれだけの時間が残されている?

 それまで見当違いの道を進んだばかりに、余りにも膨大な時間を無駄にしていた。

 

 この時、男は既に五十歳を超えていた。

 何かを新しく始めるには、余りに遅すぎる。

 それでも理想を諦められない。男は妄執に突き動かされながら道を探る。

 

 そんな折に、男はそれに出会った。そう、念能力である。

 常識を覆しえる超常の力。男はそれに最後の希望を託した。

 

 男が注目したのは念獣である。それも具現化系の念獣。

 これならば、今度こそ理想を体現できるのではと考えた。

 

 お誂え向きに、男の念系統は具現化系であった。

 ただ、芸術家としては一流だった男だが、念能力者としては最低限の才能しか持たなかった。

 その上、念を習得し始めたのも余りに遅すぎた。

 

 男が念能力を極めるには、あらゆるものが足りない。

 

 だが、たった一つだけ抜け道が残されていた。

 それは誓約と制約である。

 念能力を行使する上で、厳しい誓いや条件を付けることで、念能力を大幅に向上させる手法。

 

 男は誓約と制約として、己の命を懸けることにした。

 男の生涯は、理想の少女を生み出すためのもの。

 ならば、その集大成が完成する瞬間こそが、自分の人生の終わりであることが相応しいと思ったのである。

 

 かくして、自らの命を代価に念能力を完成させたのだった。

 

 

 

「……そうして生まれたのが、この体というわけね」

 

 なるほど、凡そのことは把握できた。

 何故、私がこの体に憑依したのかという謎は残るが……。

 

 その疑問にも、一つの仮説を立てることができる。

 それは死者の念だ。

 死者が遺した念はより強力なものになりえる。

 男の命を懸けるという誓約が、図らずしも死者の念へと繋がったのだ。

 

 結果として、男が想定していた以上の念能力となったのではないか?

 

 よりリアルな少女を生み出すために、死者の念が私という異世界の魂を取り込んだ。

 そう考えれば、私がこの体に憑依した理由として説明が通る。

 

 勿論、あくまでも仮説。

 真実は知りようがない。ただ、それは重要なことではない。

 

 そう、重要なことは……!

 

「ああ、本当に奇跡が起きた! 神様のクソッタレに感謝しなくてはね!」

 

 そうだ! 新しい体! 達磨のように動けない体じゃない!

 私は自分の足で外へと出て行ける! これでやっと……!

 

「やっと外へと飛び出して、色々なものを滅茶苦茶に壊しに行ける! 平凡な幸福を享受している連中に絶望を与えてやれる!」

 

 アレルヤ! なんて素晴らしいの!

 

 それに、思い一つで人を呪えたらなんて、そんなかつての細やかな願いも叶ってしまった。

 そう、念能力を以てすれば、そんなことも可能なのだ!

 

 何を壊そう? 誰を苦しめよう? どんな呪いを振り撒こう?

 ああ、心が躍るわ! 私には今、無限の可能性が存在している!

 

 はてさて、どうしようかしら? 本当に悩ましい。嬉しい悩みだ。

 何をしようかだなんて、そんな悩みをまた持てるなんて!

 

 あっ! そうだ。一つ思いついた。

 

 それは一度思いつけば、もうそれしかないってくらい魅力的な案に思える。

 

 ここは物語の世界。物語には当然主人公がいる。

 夢と、希望と、冒険に溢れた未来が約束された主人公。ゴン・フリークス。

 

 彼の希望に輝く瞳を、絶望に染め上げれば、それはどれほどの悦びになるだろう?

 

 決めた! 決めた! 決めた!

 

 待っていてね、ゴン。あなたの人生を、私が滅茶苦茶にして上げるから。

 

 

 私は恋する少女のように、まだ見ぬ少年へと思いを馳せたのだった。

 



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2話

 活気に溢れた、何処にでもあるような定食屋。

 ガラリと扉が開かれる。

 

 開かれた扉から陽の光が差し込む。

 その光は、店内に入った人物、その金砂の髪を煌めかせた。

 

「ステーキ定食」

 

 町の定食屋、そんな大衆食堂に鈴を転がしたような声が響く。

 店主のみならず、店中の視線がその声の主に向けられた。

 

 年の頃は十台半ばに届くかどうかといった具合だろうか?

 こんな定食屋には場違いな、美しい少女である。

 

 少女の声にピクリと反応した店主は言葉を返す。

 

「……焼き加減は?」

「弱火でじっくり」

 

 艶やかな紅色の唇が、再び美麗な言の葉を紡ぐ。

 ただの注文のオーダーの筈なのに、店内の客たちはそれが美しい歌声であるかのように聞き惚れる。

 

「は、はい! お客さん、お、奥の部屋にご案内します!」

 

 いかにも看板娘といった風情の女店員が、少女を奥の部屋へと案内する。

 ただ、その声は威勢の良い常のモノとは違い、若干震えた声音となった。

 同性である彼女ですら、その少女の美しさに魅せられたためだ。

 

「ありがとう」

 

 言葉短く謝礼の言葉を紡ぐと、少女は女店員に微笑みかける。

 

「ッ! い、いえ、仕事ですので……!」

 

 女店員は顔を真っ赤に染めて、明らかに動転していると分かる返事をする。

 そんな女店員の様子に、少女は笑みを深くする。

 そうして、静かに奥の部屋へと歩み去っていった。

 

 そんな少女の背中を、店中の客が見えなくなるまで見送ったのだった。

 

 

 

 

 独特な浮遊感を覚える。

 通された部屋はエレベーターとなっていたのだ。

 

 第一試験の……会場? まあ、会場へと続く下りのエレベーターだ。

 目的地は深い深い地下道。到着まで暫し時間がかかる。

 

 私の視線は自然と、部屋の中央で焼かれているステーキへと向けられる。

 

 原作知識で知ってはいたが……。

 別に、本当にステーキを出さなくてもいいのに。

 

 焼ける肉の臭いが服に染みついてしまうじゃないか。

 私はできる限り離れようと、部屋の隅に立つ。

 そうして、上着の裾をちょんと摘まんでみせた。

 

 今日の服装は、割とラフな格好だ。

 フード付きの白いパーカーに、黒いスカート。同じく黒い膝上丈のソックス。

 生み出された絶対領域は唯一のサービスだ。……誰に対するサービスかは、定かではないが。

 そして、足元は編み上げブーツ。

 

 ゴスロリは封印している。あれは、勝負服だ。文字通りの。

 

 そう、本気の戦闘の際に着用する戦闘服。

 どうしたわけか、ゴスロリを着るとすこぶる調子が良いのだ。

 

 ……間違いなく、死者の念の効果なのだろう。

 ホント、馬鹿馬鹿しい限りだが。

 

 今日着てこなかったのは、ハンター試験如きに必要性は感じないからだ。

 

 ……ゴスロリを嫌悪こそしないが、正直趣味ではない。

 だから、着るのは本当に必要な時だけ。

 

 

 ハアと、一つ溜息を零す。

 

 本当にこの体は面倒くさい。

 ゴスロリで調子が良くなるのとは逆に、調子が悪くなる服もある。

 そう、基本的に可愛らしい服から離れるほどに、体調が思わしくなくなる。

 

 今日はスカートだからまだいい。絶対領域もある。

 そう考えれば、絶対領域は死者の念へのサービスなのだろうか?

 

 ただ、ズボンなど穿いた日には偏頭痛と吐き気に悩まされる。

 男物の服など、もう最悪だ。

 過去の実験で明らかになった事実。

 私は二度と、男物の服は着ないと誓ったほどだ。

 

 死者の念恐るべし。日々の服装にまで影響力を与えてくるとは。

 本当に、この体の創造主の趣味ときたら……。

 

 チッ、ロリコン野郎め。

 私はこの体の創造主に、内心で呪詛の言葉を吐く。

 

 ああ、ヤダヤダ。

 ロリコン創造主のことを考えると気が滅入る。

 もっと、別のことを考えましょう。

 

 そうね。例えば……。

 

 さっきの女店員。

 私が微笑みかけた時のあの愛らしい様子。

 

 脳裏に赤く染まった彼女の顔が思い出される。

 良かったわね。うん、実に良かった。

 

 あの愛らしい顔を、恐怖に歪めたらどれほど心躍ったろう?

 引き攣り、涙でぐちゃぐちゃになった顔。甲高い悲鳴。

 

 それを夢想すると、下半身が熱くなる。

 

 ああ、あの時の私、よく堪えたものだわ。

 私は自身を褒める。

 いくらなんでも、本試験前に問題行動を起こすのは頂けない。

 

 だけど、頭の中で行う分には構わないだろう。

 私は逃げ惑う彼女に手を伸ばして……。

 

 そんな風に妄想に励んでいると、チンと、軽快な音が鳴る。

 そしてゆっくりと扉が開かれた。

 

 私がエレベーターから降りると、数百もの視線が一斉に突き刺さってくる。

 

 ああ、なんて鬱陶しい。

 

 少々大人げないと思わないでもないが、軽く念を込めて睨み返す。

 すると、面白いぐらい一斉に視線を外された。

 

 ……いや、依然三つの視線が向けられている。

 

 内二つは、ピエロと顔面針男。ヒソカとイルミだ。なら、もう一人は?

 

 最後の一人の顔を見る。

 二十歳ぐらいの男だ。中肉中背、それなりに整った顔立ち。オーラは淀みなくその身を包む。……念能力者。

 

 おかしい。本来いるはずのない人物がいる。

 

 ……考えられるのは二通りかしら?

 

 一つはバタフライエフェクト。

 私という異物が紛れ込んだ影響で、事象に何らかの変化が生じた。

 

 ありえなくはない。

 私は今年のハンター試験に参加することを特に隠しもしなかった。

 何か理由があって私を狙い、追う様にハンター試験に参加したのかもしれない。

 

 もう一つは、彼自身も私と同じく、この世界にとっての異物である可能性。

 つまり、何らかの理由で物語の中に迷い込んだ異邦人。

 

 ……表情を見るに後者かしら? あからさまに困惑した表情ね。

 

 彼もまた、ありえない登場人物に驚いていると見える。

 そんな風に、イレギュラーな登場人物を観察していると、小柄な人物が歩み寄ってくる。

 

「どうぞ試験番号札です」

 

 そう言って、389番のプレートを手渡してきた。

 

「どうも……」

 

 軽く会釈してプレートを受け取る。

 そうして、自然と割れる人波の間を抜けながら壁際まで歩く。

 

 気分は出エジプト。私は預言者モーゼというわけだ。

 

 壁を背にして座り込む。そうして私は目を閉じた。

 

 

 

 

 チン、開かれる扉。私はそちらに視線を向ける。

 

 エレベーターから下りてきたのは三人。

 その一人に視線が吸い寄せられる。

 ツンツンした黒髪、輝かんばかりの目をした少年。――来た。

 

 レオリオ、クラピカ、そして、ゴン。

 それぞれ、405番、406番、407番のプレートを渡される。

 

 389番の私と、317番の彼。

 この二人が加わったことにより、原作よりも二つ数字が大きい。

 まあ、この程度は些細な変化か。

 

 私はゴンを見詰める。

 表情は冷静に。しかし、内心で舌なめずりする。

 

 来たぞ、来たぞ、来たぞ。私の獲物がついに来た!

 

 獰猛な肉食獣のように心が滾る。

 そうして見詰めること暫し。ふと、ゴンと視線が合う。

 

 野性的な勘で何か感じ取ったのだろうか?

 

 私はゆっくりと目を閉じる。

 そうして、彼と交わった視線を断ち切った。

 



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3話

 首筋にチリっとした痛みを覚える。

 ゴンは引かれるようにそちらに視線を向けた。碧い瞳と視線が交わる。

 ゾクリと、心臓が騒いだ。

 

 視線が交差したのは一瞬のことで、その瞳の主は既にゴンの方を向いてはいなかった。

 それでも、ゴンの心臓は煩いぐらいに鼓動する。

 

「どうしたのだ、ゴン?」

 

 傍らの少年、クラピカがゴンに問いかける。

 

「うん。ええと……」「よお!」

 

 ゴンが何事か答えようとすると、横から別の声が差し挟まれる。

 

「ああ? 誰だ、あんた?」

 

 クラピカともう一人、ゴンの同行者であるレオリオが、近づいてきた人間を胡散臭そうに見やる。

 近づいてきた男、トンパは、そんなレオリオの様子に頓着せず声を掛け続ける。

 

「君たち、新顔だな」

 

 その言葉に、クラピカは眉を僅かに持ち上げた。

 初対面にかかわらず、自らの情報を持つ相手に、警戒心を抱いたからだ。

 もっとも、警戒心を持たない者が一人。

 

「どうして分かったの?」 

 

 何の頓着もせず、ゴンが不思議そうに問い掛ける。

 単純に疑問に思っただけなのだろう。

 

 その疑問に、トンパは得意気に答える。

 

「もう35回もハンター試験を受けてるからな。まあ試験のベテランってこと! 俺はトンパってんだ。分からないことがあったら何でも聞いてくれ!」

「35回!? そんなに!?」

 

 素直に驚きの声を上げるゴン。

 そんな組し易そうな少年の様子に、トンパは人好きしそうな笑みを浮かべる。

 もっとも、内心では嘲笑っている訳だが。

 

「へー、じゃあ、他の受験生のことも分かるの?」

「もちろんさ! 例えば……」

 

 トンパが、レスラーのトードーや、蛇使いのバーボンなど、ハンター試験の常連たちを紹介していく。

 そんな最中、地下道に絶叫が響き渡る。

 

「また今年も危険な奴が来てるな。奴には極力近づかない方が身のためだぜ」

 

 他の受験生の腕を切り落とした道化師、ヒソカを指して忠告するトンパ。

 もっとも、忠告などなくても、普通の感性の持ち主なら、あんな見るからにヤバそうな人間に近づこうともしないだろうが。

 

 それからも、トンパは色々とアドバイスをしていく。

 全ては目の前の獲物から警戒心を削ぐために。

 

 

「さて。取り敢えずはこんなものか。まだ何か聞きたいことは?」

「あっ! そうだ、トンパさん! あの人のこと分かる?」

 

 そう言ってゴンが指し示したのは、先程視線が合った少女だ。

 

「389番か……。いや、知らないな。君たちと同じ新顔としか。ただ……」

「ただ?」

「……大きな声じゃ言えねえが、あの女はヤバい。恐らくヒソカレベルの危険人物だ。命が惜しけりゃ関わらねえ方が……」

「おやおや、陰口は感心しないわね」

「ッ!」「なっ!」「いつのまに!」

 

 話題の少女が、いつのまにかトンパのすぐ後ろに立っている。

 誰もが彼女が声を出すまで、傍に寄られていることに気付けなかった。

 

 先に危険人物と聞いていたこともあり、クラピカとレオリオが警戒心を高める。

 戦闘になることも考慮に入れて、いつでも動けるよう身構える二人。

 哀れトンパは完全に色を失い、顔面蒼白である。

 

 そんな三者の様子を見てとり、笑みを深める少女。

 一触即発の緊張感が漂う。しかし、そんな空気を場違いな発言が霧散させる。

 

「すごいや! 今のどうやったの!?」

 

 危機感のない、ただ少女の隠行の業に感嘆したという声音。

 少女は面食らったように目をパチクリとする。

 次いで微笑みを浮かべると、口を開く。

 

「ありがとう。ただ、企業秘密なのよねー」

「えーー!」

 

 少女の返答に、ゴンが不満そうな声を上げる。

 ここでようやく冷静になったクラピカが、一歩前へ踏み出す。

 

「先程はすまない。確かに褒められた行為では無かった。謝罪しよう。……私はクラピカという」

「……レオリオだ」

「俺はゴンだよ!」

「…………と、トンパだ」

「私の名前はリンドウよ。さっきのことは別に気にしていないわ。それじゃあ、また縁があれば……」

 

 そう言って、あっさりと踵を返す少女、リンドウ。

 四人はその背中を見送る。

 

「……はぁー。助かった……」

 

 どっと肩の力を抜き、大きく息を吐き出すトンパ。

 

「おいおい、トンパさんよ。ちょっと大袈裟じゃないか? 別にそんな危険人物に見えなかったぜ」

「そうだな。ただ、先程の隠行、只者ではなさそうだ」

 

 そんなレオリオとクラピカの言葉に、トンパが言い返す。

 

「エレベーターから下りてきた時の様子を知らないから、そんなことが言えるんだ」

「エレベーター?」

「いや、いい。折角命拾いしたんだ。これ以上余計なことは言わないでおくさ。それじゃあ、頑張れよ新人(ルーキー)

 

 そう言って、トンパも三人から離れていく。

 恐怖と、それを脱した安堵感から、下剤入りジュースを渡すことも忘れて。

 

「何だ、何だ。思わせぶりなことを言って去りやがった。気になるじゃねえか。なあ、ゴン。……ゴン?」

「…………」

「……? どうかしたのか?」

「……うん。どうしてかな、すごく胸がドキドキするんだ」

 

 ゴンはリンドウが去って行った方向を見ながら呟く。

 

 

 ジリリイリリリッリリリリ、けたましいベルの音が地下道に鳴り響いた。

 

 

****

 

 

 ゴオン、ゴオン、ゴオン。駆動音を立てながら飛行船が飛んでいる。

 私はその中で、壁を背に座り込んでいた。

 

 飛行船での夜はゆっくりと更けていく。

 明日には三次試験会場のトリックタワーにつくだろう。

 

 一次試験と二次試験を通過した私は、次の試験会場に着くのを待っている。

 やることは特にない。

 

 ただ待つだけという手持無沙汰から、何となくこれまでの試験を振り返ってみる。

 もっとも、特筆すべきものは何も無かった。

 うん。原作通りつまらない試験だ。

 

 一次試験は、競歩チャンプのサトツさんとのハイキング。

 

 ホント、退屈極まりない。

 唯一の見どころは、三兄弟に潰されるニコル君ぐらいのもの。

 彼の心が折れる様は、退屈を一時紛らわせてくれた。

 

 ただ残念なのは、三兄弟と裏で糸を引いたトンパ、連中の手ぬるさだ。

 心が折れたといっても、まだニコルには立ち上がる手足がある。

 可能性は低いのかもしれない。それでも、再起の可能性はゼロではない。

 

 私なら、あんな中途半端に終わらせない。

 やるなら徹底的に。そう、どうしようもない絶望を味あわせてやったのに……。

 

 

 二次試験は、美女と野獣の美食ハンターコンビの課題。

 前半の豚の丸焼きに、後半の握りスシ。

 

 前半は問題無く通過。後半はどうしようもないので、傍観しただけだ。

 

 美食ハンターが満足するレベルのスシなんぞ握れるわけもない。

 傍観が正解でしょう。

 そして、クモワシの卵を無難にゲットして通過と相成った。

 

 ただ、今になって、毒魚の握りスシでも食わせたらよかったかしら、なんて未練が湧き起る。

 

 美食ハンターは胃腸が丈夫そうだし、通用しなかったかしら?

 

 そんな疑問に首を傾げてみる。

 

 

 ……まあ、ともかく、これまでの試験はそんな感じだ。

 

 退屈も退屈。本当につまらない。

 試験の様子を一通り書いたが、つまらなくて全カットしたほどだ。

 それぐらいの退屈さ。

 

 ……うん? 何だ今のメタ発言は? 何か電波を受信したような……?

 

 思わず首を捻る。……気にしたら負けかしら?

 

 そんな風に、取りとめもなく物思いに耽っていると、強い視線を感じた。

 そちらに目を向ける。

 

 317番。私と同じイレギュラーたる青年の姿。

 ……そうね。特筆すべき存在として、彼がいたわね。

 

 これまでの試験中も、目を離さないと言わんばかりに、ずっと熱視線を向けてきていた。

 

 あれはロリコンね。間違いない。

 幼気な少女を視姦するなんて、ロクでもない男だ。

 

 ……とまあ、冗談はさておいて。

 

 彼の視線が強まったのは、私が地下道でゴンと接触してから。

 

 私がゴンに何かしでかすのではと、警戒している?

 きっと、そんなところだろう。

 

 ふん、御苦労なことね。

 ただ、無意味な労力を払ったもの。

 何故なら私は、試験中に手出しをする積りなんて、これっぽっちもないのだから。

 

 だって、そうでしょう?

 

 ヒソカじゃないけど、御馳走を食べるには、それに相応しいシチュエーションというものがある。

 ただゴンを潰すだけなら、そもそもくじら島でしている。

 

 彼を絶望に突き落とすのは、彼にとって特別な瞬間でなければ。

 より高い所から突き落とすからこそ、より深い絶望を与えられるのだ。

 

 その時はもう決めている。

 それは、ハンター試験を合格し、仲間と共に旅立つ瞬間。

 その輝かしい門出を、黒く塗り潰してやる。

 

 まずはレオリオとクラピカを殺す。

 出来る限り無残に、ゴンの目の前で。

 

 そして、怒りと無力感に叫ぶ彼に、更なる絶望をプレゼントするのだ。

 

 殺しはしない。殺してあげない。

 私の念能力で呪ってやろう。嘗ての私と同じ絶望を呉れてやる。

 

 キルアは……まあ、いいでしょう。

 彼は現時点では幸福な人種ではないし……。

 ゴンに救われなければ、勝手に闇に落ちていくだろう。

 

 それに、ゾルディック家を丸ごと敵に回すのもおっかないしね。

 

 ともかく、今はゴンだけが狙いね。

 他はおまけに過ぎない。

 

 ゴンに絶望を与えるその瞬間を想像するだけで、胸が騒ぐ。

 ああ、その瞬間が待ち遠しい。

 

 ふふ、そしてお前はその邪魔をできないの。

 

 ゴンのガード気取りの青年を心の中で嘲る。

 

 だって、お前はそれより前に、物語の舞台からドロップアウトするだろうから。

 

 あの青年は、今でこそ見張っているだけだが、その内私に接触してくるはず。

 今は周りの目があるからできないだけ。

 

 そうね。きっと、四次試験かしら?

 そこで私たちは相対することになるだろう。

 

 あそこなら、周囲の目を然程気にせず済む。

 他の受験生を殺しても、不自然ではないしね。

 互いに邪魔は入らない環境だろう。

 

 そう、私も彼を放っておくつもりはない。

 障害になるものは、積極的に排除しよう。

 

 そこまで思考して、私は唐突に立ち上がった。

 そうして、先程チビッ子ズが走り去った方向に足を向ける。

 

 目的? 青年への嫌がらせですが、何か?

 

 慌てたように立ち上がる青年に向き直る。

 そうして、両手の人差し指を立てた。

 

 常人には意味不明のポーズ。だが、念能力者には確かなメッセージだ。

 青年は凝をして、私がオーラで描いたメッセージを読み取る。

 

『追ってこないで、ストーカーさん。大丈夫、ゴンにはまだ(・・)手を出しませんよ』

 

 青年はそれを読み取ると歯噛みする。

 

 私はそんな青年に微笑みかけてやった。

 



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4話

 ――転生。死んで、生まれ変わること。

 信じ難いことに俺はこの転生を経験した。それも漫画の世界に。

 他人に話せば、頭の病気を疑われかねないが、本当のことだ。

 

 俺が転生したのは、前世で好きだった漫画、『HUNTER×HUNTER』。

 

 別に神様に会うとか、トラックに轢かれるなんてこともなく。

 普通に死んだ後に、何の脈絡もなく転生を果たした。

 

 当初は、大いに混乱したものだったが……。

 だが、どんなに頭を悩ませたところで、自分が転生した理由なんて分からない。

 偶々幸運に恵まれたのだと、そう飲み込むことにした。

 

 それからは、転生とか漫画の世界とか、特に気にせず普通に暮らした。

 まあ、念の修行だけはしたけどな。

 

 何せ、念能力は覚えていて損はない。むしろ得ばかりあるといってよい。

 それに俺も男だ。そういったモノに、多少の憧れもある。

 

 ただ、一般の家庭に生まれた俺に、念能力者の知り合いなど当然いない。

 だから、独学での修行となった。

 

 もっとも、前世で原作を読み込んだので、ある程度の知識はある。

 独学と言っても、それほど見当違いな修行をしていたということもあるまい。

 

 最初は座禅しながらの瞑想だ。

 念を自然に起こしたのは、かなりガキの頃。

 

 今世の母親は、ジークは大人しい子ね。手間がかからなくていいわ。

 なんて、呑気なこと言っていたっけ。

 

 今思えば、小さなガキが瞑想なんて、不気味がっても可笑しくないのに。

 のほほんとした親を持ったのは、幸運なことだった。

 

 そうやって密かに念能力を身に付けた俺だが、特に目的もなく、暫く漫然と過ごした。

 そう、ある可能性に思い至るまでは。

 

 

 

 ある日のことだ。

 ハンター試験の話を聞いた。今年は281期の試験なのだと。

 

 それを聞き、原作まであと6年か。

 もし、俺以外に転生者がいれば、287期のハンター試験は、転生者がこぞって参加するだろうな。なんて、そんな感想を持った。

 そして、その直後に、ぞっとする可能性に思い至ったのだ。

 

 

 何故、転生者が自分一人だと思い込んでいたのか?

 いるんじゃないか? 俺以外の転生者が……。

 

 そう、いてもおかしくない。むしろ、そう考えた方が自然ではないか?

 とにかく、転生者が俺以外にいたと仮定しよう。

 

 原作に介入しようとする輩は、一体どれほど現れる?

 

 ゴンたち主人公が好きだ。彼らと冒険をしたい。彼らの力になりたい。

 そんな転生者ならいい。

 

 だが、全く逆の目的でゴンたちに近づく転生者がいないと、どうして断言できる?

 そう、悪意を持ってゴンたちに近づく転生者。

 

 マズイ。それはマズイ。

 

 この世界は漫画の世界だけあって、人類規模の危機が平気で存在する。

 そう、キメラアントだ。

 

 ゴンたちにもしものことがあれば、この世界は一体どうなる?

 それを思うと、恐怖に震えそうになる。

 

 この世界で普通に生まれ育った俺には、もうこの世界が架空の世界とは思えなくなっていた。

 家族や友人、大切な人、守りたいと思える人がいる。……失うわけにはいかない!

 

 その可能性に思い至ってからは、念の修行に本格的に取り組んだ。

 自らを苛め抜き、メキメキと力を付けていった。

 

 そして、いよいよ287期のハンター試験に参加したのだ。

 

 

 

 俺が渡されたプレートは317番。

 確かゴンの405番で最後だから、今回の参加者の8割近くが既に揃っていることになる。

 俺は300人以上の受験者たちを具に観察する。

 

 ……いないか。念能力者はヒソカとイルミだけ。

 どうやら今の所、転生者はいないようだ。

 

 それからも、エレベーターから下りてくる受験者たちを確認する。

 

 320番――340番――360番――380番。

 

 だが、念能力者と思しき人物は現れない。

 

 400番台も、もうすぐだ。

 ……何だ、俺の杞憂だったか。馬鹿な心配をしたものだ。

 俺は苦笑しながらも、確かな安堵を噛みしめていた。なのに……!

 

 ――最悪だ。

 エレベーターから下りてきた少女を一目見て、頭を抱え込みたくなった。

 

 原作に登場しない筈の念能力者。つまり、俺の同類。

 その存在自体は想像できた。だが、こんなヤツをどうして想像できたか?

 

 389番のプレートを渡された少女と視線が合う。

 背中に言いようのない寒気が走った。

 

 何だ、アレは? ヤバい、ヤバすぎる!

 

 その瞳に自らを映されただけで、金縛りにあったかのような錯覚を覚える。

 蛇に睨まれたカエルってやつか? ハハ、笑えない。

 

 それに何だ、あの黒く滲んだオーラは? あんなオーラを纏う人間がいていいのか?

 

 彼女の存在が、ゴンたちにとってプラスに働くか、マイナスに働くかなんて、論ずるまでもない。

 

 せめて、せめてもの希望は、彼女がゴンたちに何ら興味を抱かないことだ。

 そうでなければ、俺はあの少女と……。

 最悪の予想に、胃が捻じ切れそうな心地を味わう。拳をきつく握り締めた。

 

 

 

 一次試験、二次試験と、俺は少女、どうやらリンドウという名前らしい彼女のことを、注意深く観察した。

 

 リンドウがゴンたちと接触したのは、地下道の一度切り。

 それ以降は特に目立った行動を起こしていない。

 

 拍子抜けだが、しかし、安心することができない。

 むしろ、嵐の前の静けさのような、そんな不気味さを覚える。

 だから、リンドウの動向を見落すまいと、常に彼女を視界の隅に置くよう努めている。

 

 今は、三次試験の会場に向かう飛行船の中。

 リンドウは一人、壁に背を預けて座っている。

 

 目を閉じて、微動だにしないその姿は、まるで一枚の絵画のように現実味がない。

 ――美少女だ。それも絶世、あるいは、傾国と枕詞の付く類の。

 

 彼女、リンドウの脅威を恐れるばかりに、今更そんなことに気付いた。

 

 静かに佇む麗しい少女。その腹の内では、一体何を思っているのか?

 それを見抜ければと、リンドウのことを見詰め続ける。

 

 すると、不意に彼女が立ちあがった。

 それまで微動だにしなかっただけに、虚を突かれてしまった。

 思わず反応が遅れる。呆然と見ている内に、スタスタと歩いていくリンドウ。

 

 その方向は、先程ゴンとキルアが走り去っていった方向ではなかったか?

 

「ッ!」

 

 俺は弾かれたように立ち上がる。

 すると、くるりと振り返って、リンドウがこちらを見詰めてきた。

 即座に警戒心を引き上げる。

 

 だが、リンドウはその場で立ち止まったまま、何もしてこない。

 いや、両手の人差し指を立てた。

 

 その意図に気付き、俺は凝を行う。

 

『追ってこないで、ストーカーさん。大丈夫、まだ(・・)ゴンには手を出しませんよ』

 

 リンドウは妖しげな微笑みを浮かべた。

 そして、呆然とする俺を置き去りに、歩み去っていった。

 

 そうか……。『まだ』、『まだ』、か。つまりリンドウは……!

 

 俺はついに腹をくくる。

 正直逃げ出したい。だが、そういうわけにもいかない。

 

 脳裏に、のほほんとした母の姿が過った。

 

 ああ、そうとも。逃げ出すわけにはいかないのだ。

 俺は、あの少女、リンドウを……。

 

 手刀の形にした自らの手の甲に視線を落とす。

 

 そう、この断罪の剣で、必ず彼女を……!

 

 俺は覚悟を決め、決意を新たにしたのだった。

 

 

****

 

 

「よっ、ほっ、はっ……と」

 

 どこか気の抜けた声を出しながら、次々と作動するトラップを避けていく。

 どうやら、私が選んだルートは、罠が盛り沢山のルートらしい。

 

 ここは、三次試験の会場、トリックタワーの中。

 ふふ、その名に恥じぬギミックの多さね。

 

 もっとも、私にとっては刺激がイマイチだけど。

 

 オーラを自らの周辺、半径10メートルに展開。

 知覚範囲をより広く、より鋭敏にする念能力の応用技、『円』。

 それを行使しながら、通路を走り抜ける。

 

 別に円を使わなくても問題無い。トラップが発動してからでも十分対処可能だ。

 でも、それでは美しくない。

 全ての罠を事前に把握し、無駄なく、より華麗に……って。

 

 そんな自らの思考にげんなりする。

 

 私はそれほど美意識が高いわけでもない。

 にもかかわらず、自然と浮かぶ先程のような思考。

 

 ったく、本当にこの体は……!

 

 内心で悪態を吐く。

 

 そんな間にも、次々とトラップが作動する。

 落とし穴、壁から飛び出す仕込み槍、中には火炎放射器なんかもある。

 それらを避け、かわし、潜り抜けていく。

 

「ん? 広い部屋に出るわね……」

 

 罠盛り沢山の通路を抜けると、開けた部屋へと出る。

 その中央には、まさにと言わんばかりのステージ。

 

 ここで戦闘……か。さて、対戦相手は?

 

 ステージの上にはまだ誰もいない。

 私は向かいにある奥へと続く通路へと視線を向ける。

 

 すると、カツカツカツと、響く足音が近づいてくる。

 

 現れたのは一人の男。

 年は三十前後。筋肉質の長身、坊主刈りの悪人面、囚人服。そして念能力者。

 

 こいつは、ここに囚われた囚人。試験官に雇われた試練官だろうけど……。

 

 へー、ほー、ふーん。念能力者……ね。

 

 このトリックタワーの内部は、試験官が全て監視している。

 だから、受験者に合わせて、対戦カードを組むぐらい造作もないだろう。

 

 思えば、ヒソカも去年半殺しにした試験官、つまり念能力者と当たった筈だ。

 つまり、そういうことか。

 

 この試験では、念能力者には、念能力者が当てられる……と。

 

 私は獰猛な笑みを浮かべると、唇を舐める。

 

 さて、こいつは私を楽しませてくれるかしら?

 せめて、317番とやり合う前の準備体操ぐらいにはなってもらいたいものね。

 

 私はゆっくりとステージに上がる……とっ!

 

 ったく! 落ち着きのないこと。気の早い殿方は、女性に嫌われるのよ!

 

 私は一気にオーラを発散させる、『練』。次いで、その状態を維持する、『堅』。

 地面を蹴りながらこちらに急接近する試練官を迎え撃つ構えを見せた。

 

 振りかぶった右手を打ち抜いて来る。

 私は左斜め後方へと滑るように移動してかわした。

 

 続いて相手が逆の左手を繰り出してくる。

 互いの身長差から振り下ろす様な一撃。

 

 攻防力、7対3……くらいかしらね?

 

 目算で当たりを付けると、オーラを左手に多めに振り分ける、『流』。

 文字通り、流れるようスムーズにオーラ移動させた左手で、相手の左腕を弾くようにして受け流す。

 

 ガツンとした衝撃。その反動を推進力に、くるりとターン。

 攻撃を受け流され、前のめりの状態で死に体になった男の後ろに回り込む。

 

 そして遠心力を乗せた中段蹴りを見舞う。

 ヒットの直前に、脚の先へと全オーラを集中させる、『硬』。

 

 ぐちゃり、人体から決して鳴ってはならない音がした。

 肉を破り、骨を砕く。試練官の体がくの字に折り曲がる。

 

 ……あっけない。これじゃあ、準備運動にもならないわ。

 

 まあ、当然かしら?

 一流の念能力者が、早々捕まるとも思えないしね。

 

 私は倒れ伏した試練官を放置して、奥へと歩を進める。

 広間を出ると、また罠盛り沢山の通路。

 

 かわして、かわして、かわして走り抜けていく。そして……。

 

『――389番リンドウ。三次試験通過第二号。所要時間6時間47分』

 

 はい、ゴールっと。

 うーん? それにしても第二号? つまり……。

 

「やあキミが二番手か♥ どうだい? 暇潰しにトランプでも……」

「結構です」

 

 変態ピエロと二人きりということね。最悪。

 

 私はヒソカの誘いをにべもなく断ると、出来る限り離れた位置で座る。

 

「残念♦ つれないなぁ♠」

 

 何か言っているが、無視だ、無視。

 

 我関せずといった姿勢を貫きつつ、三人目が訪れるのを待ち侘びる。

 

 

 ただ、三人目は三人目で、顔面針だらけの変人であることを、この時の私は失念しているのであった。

 



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5話

 ひっそりとした森の中、一人佇みながら先程引いたくじを見る。

 ――281番。誰よ、これ?

 

 ハア、てんで見当がつかないわね。

 ま、どうでもいいか。

 私はポイッと、木々の中へと、そのくじを放り投げた。

 

 

 ここはゼビル島という無人島。四次試験の会場だ。

 ここでは、受検者たちは狩る者であり、狩られる者でもある。

 

 ようは、プレートの奪い合いというわけね。

 自分のプレートが3点、くじで引いたターゲットのプレートも3点、それ以外のプレートが1点。

 試験終了時に、合計6点分のプレートを所持していれば合格である。

 

 

 先程放り投げたのが、私が試験前に引いたくじ。

 そこに記されている番号が、私のターゲットの番号なわけだが……。

 

 全く以って心当たりがない。

 ただまあ、然程の問題でもないでしょう。

 

 

 既に317番を狩ることは決まっている。それで1点。

 後、ターゲット一人狩るのも、それ以外を二人狩るのも、大した違いはない。

 

 むしろ、ターゲットを探す手間が無い分、無造作に二人狩った方が楽だと思う。

 

 

 うん。ということで、今重要なのは317番の彼。

 私と同じイレギュラーたる青年。

 

 オーラの流れから、それなりに鍛えていると見える。

 少なくとも、三次試験の試練官よりも手強いでしょう。

 

 そうでなくても、私と同じイレギュラーなんて、レアな獲物だ。

 否応なしに期待が高まる。

 

 彼は何を思って、ハンター試験に挑んだのか?

 

 その意志の籠った目を見るだけで、単なる物見遊山ではないと察せられる。

 彼は確かな信念を持って、ここに来た。それは間違いない。

 

 ああ、ならば私がすることは一つだけだ。

 

 彼の思いを、信念を、全て台無しにしてやるのだ。

 呪ってやろう。私の念能力で。彼に絶望を与えてやる。

 

 その時の彼の表情を想像するだけで……!

 

 私は口の端を吊り上げた。声もなく哂い続けたのだった。

 

 

 

 

「見つけたよ。リンドウ、でよかったのかな?」

 

 森の木々の陰から現れた男。317番の彼が、そんな声をかけて来る。

 

「ええ。リンドウです。そういう貴方の名前は?」

「ああ、すまない。俺はジ-クだ」

「そう。で、そのジ-クさんが何の用です?」

 

 まあ、聞かなくても、凡その見当はついているが。

 

「……まず、君に聞きたいことがある。答えてくれるか?」

「何でしょう?」

「君は俺と同じ転生者だな? 何故今期のハンター試験に? ……いや、迂遠な問いは止めにしよう。君はゴンに危害を加える気があるのか?」

 

 転生者……なるほど、転生者か。そういうこともあるのね。

 私は目の前の転生者、ジ-クの問い掛けに笑みを浮かべる。

 

「答えはイエス。貴方の想像通り、私はゴンを狙っています」

 

 私の返事に、ジ-クは拳を握り締める。

 

「何故だ? 何故、そんな……。君は、ゴンがいなくなれば、この世界が大変なことになるのが分からないのか? キメラアントだ! 未曾有のバイオハザードになるぞ!!」

 

 ああ、キメラアント。成程、それがあったか。

 

 つまり、ジ-ク、彼がゴンを守る動機は、バイオハザードの回避、人類全体を守る為というわけだ。

 

 ハハ、大層ご立派なことだ。

 しかし、説得の仕方を間違えたわね。

 

 全ての人類が絶望の内に死んでいくのなら、そんな嬉しいことは他にない。

 余計やる気が出るというもの。

 

 ああでも……。虫けらに人類が負けるというのも業腹ね。

 特に、あの蟻の王様。あの鼻っ柱を盛大に圧し折ってやりたい気分だわ。

 

 その辺は、検討の余地ありね。

 ただまあ、ゴンを標的にすることを止めることはありえないけれど。

 

「……何を笑う?」

「いえ。虫けらのことは……そうね、気が向いたら、私がゴンの代わりになりましょう。そう、舞台からドロップアウトする彼の代わりに」

「お前……!」

 

 ジ-クが体を震わせる。そのオーラが迸った。

 握り締めていた両手を解く。そうして手刀の形を作る。

 

 ボッと、両腕に纏うオーラが1メートルほど伸びる。

 そして、まるで刀身の様な形状へと変化していく。

 

「最早問答はいらない。お前をこの『断罪の剣(エクスキューショナーソード)』で裁く!」

 

 ふーん、オーラを刃状の性質に変化させたのか。それにしても……。

 

 名前といい、形状といい、まんまアレだ。ほら、ネギまの。

 うわー、引くわー。こやつ、真正のロリコンだったか。

 

 まあ、能力の着想は置いておいて……。

 ふむ、トリッキーな能力ではなく、シンプルな能力だ。

 

 まさか、本物のように、物質を強制的に気体へと相転移させる能力というわけではないでしょうし。

 少なくとも、初見殺しの能力ではなさそう。

 

 もっとも、油断していい能力でもない。

 確かにシンプルな能力。だが、だからこそ、弱点らしい弱点もない。

 

「いくぞ!!」

 

 両腕にオーラで象った刀身を纏わせたまま、ジ-クが駆け出す。

 

 取り敢えずは様子見かしら?

 あの念剣の切れ味は分からないけれど……。

 対処法として、あの念剣は防御ではなく、回避した方がよさそうね。

 

 一旦距離を取るため後方に跳んで……ッ!

 ジ-クが距離を詰め切る前に、その右腕を横一文字に振り抜いた。

 

 私は体勢を低くし、頭を下げる。

 その直上、念剣が空を切り裂いていった。

 髪の毛が二、三本斬り飛ばされ、空へと舞う。

 

 私は足を止めぬまま、ジ-クを視界に捉える。

 一瞬の内に、右手の念剣は、元の長さへと戻っていた。

 

 なるほど。念剣の刀身は、伸縮自在、そういうことね。

 

 さてさて、ではその長さに限界は?

 

 私は更にジ-クから距離を取る。

 仮に刀身の長さが無制限だったとしても、切れ味は落ちる。

 刀身が伸びれば、オーラの密度が薄くなるから、それは間違いない。

 

 

 ジ-クの動きを注視しながら動き回る。

 今度は右腕を大上段に振り上げた。……くる!

 

 私は大木の後ろに回り込むように動く。

 そして、袈裟切りに振るわれる念剣の軌道から外れる位置に体をずらす。

 

 音もなく念剣は大木を切り裂いた。

 何ら抵抗感を見せることなく。まるで空を切るよう自然に。

 

 ドシーンと、地響きを立てながら木が倒れる。

 

 彼我の距離は、目算15メートルばかし。

 にもかかわらず、この切れ味とは……。

 

「ああ。お前の考えは分かるよ。刀身が伸びれば、切れ味が落ちる。それを期待したんだろう? それは正しい。だけど、元の切れ味が段違いなら、多少落ちたところで、どうということもない」

 

 ジ-クが自らの能力を誇るように言う。

 

「……ふーん、その切れ味、どうやって実現しているのかしら?」

「気になるかい?」

「少しね。ただ、ある程度の予想はつくけど」

「へえ?」

「誓約と制約でしょ? そしてその内容は、念能力の名前から推測できるわね」

 

 私の指摘に、ジ-クは感心したような表情を浮かべる。

 

「……正解だ。この能力は、お前のような転生者、この世界を危機に曝す、人類に対する絶対悪と戦う時にのみ振るわれる。それが、俺が自身に課した制約だ」

「へー、それは、それは……」

 

 御大層な制約ね。馬鹿だわ、こいつ。弱点を見つけた。

 私はニヤリと嗤う。

 

 

 ふー、取り敢えず、距離を取っても意味が無いなら、詰めましょう。

 こちらから一気に距離を詰めていく。

 

「くっ!」

 

 ジ-クはその両腕を振るって、近づいてくる私を迎撃する。

 

 かわす、かわす、かわす。

 

 かわしながら、彼我の距離を詰めていく。不思議と掠りもしない。

 難なくかわしていける。ああ、やっぱり……。

 

 なんとなく、戦い始めた時にも気付いていた。

 

 ジ-ク、彼は洗練されたオーラの持ち主だ。動きも悪くない。

 念能力も、身体能力も、相当鍛えたと窺える。

 

 だが、にもかかわらず、何処かぎこちなさが目立った。

 恐らく、対人戦闘の経験が少ないのだ。

 

 そして、先程話した、能力にかけた制約。

 実戦で、あの念剣を用いたのは今回が初めてに違いない。

 

 だから粗が目立つ。動きに無駄が多い。避けるのは難しくない!

 

「くそ! くそ! どうして当たらない!?」

 

 立場が逆転した。

 距離を詰める私と、後退しながら無茶苦茶に両腕を振るうジ-ク。

 

 勿論、そんな鬼ごっこが長続きするわけもない。

 じりじりと彼我の距離は近づく。ついに一足一刀の間合いに!

 

「くそが!」

 

 振るわれる左腕。

 念剣が私の頬を掠めていった。鮮血が舞う。

 

 さすがにこの距離では、完全に避けることはできない。だが……!

 ついに、ゼロ距離まで詰めた!

 

「死ねよ! 死ね!」

 

 大上段から真っ直ぐ振り下ろされるジ-クの右腕。

 私はその腕を、左手で受け止めた。ハハ、掴まえた!

 離さないよう強く握り締める。そして呪歌を紡いだ。

 

「だーるまさんがこーろんだ♪」

 

 ――『達磨地獄(ヘリッシュテトラプレジア)』!

 黒い、黒いオーラが、ジ-クの右腕に纏わり付く。

 

「――? あ? うわぁぁああああ!?」

 

 だらんとぶら下がるジ-クの右腕。

 

 ふふ、どうかしら、その喪失感は?

 

 私はニヤニヤと嗤いながら、驚愕に染まるジ-クの顔を眺める。

 

 それは単純に力が入らないだけではない。

 一切の感覚を失った筈だ。痛みや温度、触角の全てを喪失した筈だ。

 私はその喪失感を知っている。誰よりも知っている。

 

 どう? 耐え難いでしょう?

 

 引き攣ったジ-クの顔を眺めながら嘲る。

 

 だけど、まだよ。まだ終わらない。達磨はまだ完成していない。

 さあ、私が呪ってあげましょう!

 

「く、来るなぁぁああ!!」

 

 じりじりと、後ずさりしながら残った左腕を振るうジ-ク。

 私は難なくかわして、その左腕を掴む。そして、再度呪歌を紡ぐ。

 

「だーるまさんがこーろんだ♪」

 

 能力を発動。そして一拍置いて……。

 

「ああ、ああああああ!!」

 

 ジ-クの悲鳴が上がる。

 両腕をだらんとぶら下げて、泣き出さんばかりの表情を浮かべるジ-ク。

 

 ああ、なんて……!

 

 その表情を見ているだけで、全身が火照るようだ。

 胸の内が歓喜に震える。

 

「嫌だ……。もう嫌だ!!」

 

 踵を返して逃げ出すジ-ク。

 私は気持ちゆっくりと走りながら、そんな彼を追走する。

 

 さあ、さあ、逃げろ、逃げろ。

 

 逃げるジ-クのスピードは余りに遅い。

 当然よ。だって、走る時に両腕を振らない馬鹿はいないでしょう?

 

 だらんとぶら下がった両腕は重荷以外の何物でもない。

 スピードが出ないのは当然だった。

 

 私はそんなジ-クを弄ぶように追いかける。

 まだ、時間制限には余裕がある。

 

 だから……。あは♪ もう少し楽しみましょう! ねえ?

 

 追走すること一分ばかり。

 哀れジ-クは、木の根に躓き盛大に転ぶ。

 

 私は走るのを止めると、一歩一歩、彼に近づく。

 

「ああ……。来るな……。来るなぁぁああああ!!」

 

 立ち上がるや、右足で上段蹴りを放つジ-ク。

 あら、なんて都合の良い。

 

 パシンと音を立てて、その足を掌で受け止める。そして呪歌を。

 

「だーるまさんがこーろんだ♪」

 

 三度能力を発動する。これで後は左足だけ……。

 

「あ、ああ、ああああ……。……うわ!?」

 

 私がジ-クの右足を離すと、彼は無様に地面へと倒れ込んだ。

 その足元に歩み寄る。

 そして屈みこむと、ジ-クの左足を掴んだ。四度目の呪歌が紡がれる。

 

「だーるまさんがこーろんだ♪」

 

 私の能力、『達磨地獄(ヘリッシュテトラプレジア)』が発動する。

 さあ、これで達磨が完成した。

 

 私は立ち上がると、哀れな達磨さんの顔を見下ろす。

 

「あは♪」

 

 言いようのない快感に体が震える。思わず内股になってしまった。

 

 見下ろした達磨さんの表情は、汗と涙と鼻水で濡れている!

 さらに、これでもかと顔を歪めて、恐怖を如実に表している!

 

 ああ……。いい。いいわ! 何度見下ろしても、この表情は堪らない!

 

 きっと、今の私の顔は、歓喜の余り酷いモノになっている。

 でも、それすらも気にならない。

 そんなこと、この歓喜に比べれば……!

 

「お、俺を殺すのか、リンドウ?」

 

 その謎の問い掛けに、正気に戻る。

 パチクリと目を瞬いた。

 

 どうして殺されると思ったの? お馬鹿さんね、この達磨さんは。

 死は時に安息になりえる。そんな簡単に解放して上げないわよ?

 

「殺さないわ。貴方は何も為せず、何者にもなれず、ただ無意味な時間を垂れ流すのよ。いつ終わるとも知れぬ絶望の中でね」

 

 達磨さんの未来を親切に教えて上げると、そのプレートを奪い取る。

 

 私は達磨さんから離れると、振り返りもせず歩き出す。

 もうアレに興味は無い。

 

 だって、アレに救いは存在しないもの。

 

 私が呪歌を四度紡ぎ、完成させた達磨は、二度と体の自由を取り戻せない。

 可能性だけを言うならば除念があるが……。

 

 除念もノーリスクじゃない。

 除念対象の念が強力であるほど、そのリスクは高まる。

 

 そして私の念は、呪いは、強力で、凶悪よ。

 きっと、このどす黒いオーラ、死者の念が原因だろう。ふふふ……。

 

 確か、ハンター教会に専属の除念師が一人いたかしら?

 でも、除念するとは思えない。

 

 達磨さんに、命の危機があるというならまだしも、そうでもないのに、そんなハイリスクな依頼を引き受けるものか。

 協会の人間も無理強いはできないでしょうよ。

 

 

 ふふ、中々楽しめたわね。

 レアな獲物とはいえ、あんな三下でこれなら、ゴン相手ならどれほどかしら?

 

「ああ……。楽しみよ、本当に楽しみだわ」

 

 待っていてね、ゴン。

 私があなたのことを呪ってあげる。達磨に変えてあげるから……!

 

 

 私はじきに訪れるであろう未来に、胸を震わせたのだった。

 




断罪の剣(エクスキューショナーソード)
 
ジークの能力。オーラを刃状の性質に変化させる。
伸縮自在の念剣。誓約と制約で切れ味を極限まで高めている。

誓約と制約
①ジ-クが絶対の人類悪と断ずる者にのみ使用可能。



達磨地獄(ヘリッシュテトラプレジア)

リンドウの能力。
対象となる四肢のいずれかに触れながら、「だるまさんがころんだ」と唱えることで発動。
対象となった四肢の身体機能を停止させる。

誓約と制約
①停止させる部位を触れたまま、「だるまさんがころんだ」と宣言することで能力が発動。
②身体機能を停止できるのは両腕両足のみ。
③停止させる順番は、必ず右腕、左腕、右足、左足の順でなければならない。
④四肢全ての身体機能を停止させることで、能力の効果を永続化。ただし逆に、10分以内に四肢全てを停止できねば、呪い返しが発動。10分間、それまで機能を停止させた身体部位と対応する自身の身体部位の機能が停止する。


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6話

 恐怖に顔を歪めながら見上げて来る、黒服を纏った達磨さん。

 私はその表情を見下ろしながら、片足を上げる。

 

 そして、『硬』を行使して、足に全オーラを乗せると、勢い良く踏み下ろした。

 ぐちゃりという音。ブーツを赤い血が汚した。

 

「ふふん♪ 首なし達磨、なんつって」

 

 機嫌良く、そんな言葉を口ずさむ。

 

 今顔を踏み潰した達磨さんは、ジ-ク付きの監視員だ。

 彼は、先程のジ-クと私の戦闘を観察していた。

 

 固有の念能力である『発』は、その情報が他者に知られるのは面白くない。

 戦う上で、敵の能力が未知であるのと、既知であるのでは大きく違う。

 既知であるなら、入念に対策を練ることが出来るからね。

 

 つまり、自身の能力を知る人間は、少ないに越したことは無い。

 だから、首なし達磨を製造したのだ。

 

 ……なんていうのは唯の建前。

 本当は、人の目の無いこの試験で、存分に呪いを振り撒きたいだけ。

 

 ああ、後、単純に覗き見されるのがイラッとしたということもある。

 うん? なら、自分に付いた監視員はどうしたか?

 

 当然殺りましたが、何か?

 ジ-クとやり合う前に、真っ先に頭を潰してやったわ。

 ホント、女の子をストーカーするなんて、万死に値する罪よね。

 

 

 さて、感情の赴くままにやらかした後に、ふと冷静になる。

 そんなことって、誰にでもあると思う。

 

 ハンター協会の人員を二人も殺っちゃった……。

 

 はてさて、どうしたものやら。どうしよう?

 うーん、怒られてしまうかしらね? やっぱり怒られるよね。

 

 ……でも、私が殺ったって証拠はない。白を切り通そうか?

 よし! その為にもまず、現在の状況を整理しよう。

 

 私の監視員とジ-クの監視員が死亡。

 ジ-クは再起不能。プレートは奪われている。

 一方、私はピンピンしている。更に、ジ-クのプレートを所持。

 おう、状況証拠は真っ黒だ。なんてこったい!

 

 いや待て! まだ慌てるような時間じゃない!

 そう、疑わしきは罰せずと言う。

 白を切り通せば、大丈夫さ。

 合言葉は、それでも私はやってない。これに決まりだ。

 

 うん、なるようになるさ、ケセラセラ。

 きっと、恐らく、メイビー、大丈夫に違いない。

 さあ、気持ちを切り替えましょう。

 

 

 現在、私は317番と、389番のプレートを所持している。

 保有点数は、4点。合格の為に、後2点が必要ね。

 

 ターゲットは不明。なら、後二人、適当に狩るとしましょう。

 

 ……これ以上、協会員を殺らないよう、暫く達磨地獄は封印するか。

 そう決めると、『円』を行使する。

 

 その半径は、40メートルほど。これが今の私の限界。

 この『円』を展開したまま森の中を走り回れば、次の獲物も見つかるでしょう。

 

 さあ、行きましょう。

 

 地面を強く蹴る。飛ぶような速さで木々の中を縫うように駆ける。……っと。

 早速、一人見っけ。

 

 ほぼ直角に、進行方向を転回する。

 そして『円』で感知した人物の目の前へ……!

 

「なっ!? お、お前は!」

 

 その人物は驚愕の声を上げながらも、こちらに弓矢を放つ。

 私は首を捻ることで、飛んできた矢を避けた。

 そうして足を止めると、目の前の人物をまじまじと観察する。

 

 特徴的な帽子。弓矢で武装した小柄な男。

 ポックルさん! ポックルさんじゃないか!

 あの、『あっ、あっ、あっ、あっ』のポックルさんじゃないですか!

 

 ダメだ! 私に貴方を襲えない!

 

 だって、NTRはいけないと思うの。

 そう、ポックルさんはピトーのものだもの!

 

 だって、『あっ、あっ、あっ、あっ』よ! 『あっ、あっ、あっ、あっ』!

 

 ダメだ、ダメダメ。手を出しちゃダメよ、リンドウ!

 

 私は涙を飲んで堪える。

 そして、こちらを警戒の眼差しで見る彼に声をかけた。

 

「私はもう6点分のプレートを持っています。退くなら、追いかけませんよ」

「くっ!」

 

 そんな虚言を弄してまで、ポックルさんとの戦闘を避けようと努める。

 ポックルさんは、悔しげに表情を歪めながらも、大人しく退き下がる。

 私は黙って見送った。

 

 ピトーと、末短くお幸せに。そんな祝福の言葉を内心贈る。

 

 うーん、失敗、失敗。次の標的を……うん?

 

 ひらひらと、蝶が数匹飛んでくる。

 

 確か、好血蝶といったかしら?

 動物の血を吸う習性を持った蝶。血に吸い寄せられてくる生き物だ。

 

 二匹が、黒服達磨を潰したブーツへと。

 それと一匹が、私の頬へと飛んでくる。

 

 ん、何で頬に? ……ああ、思いだした。

 ジ-クの念剣が掠めていったのよね。それで血液が付着したままなのか。

 

 私は服の袖で頬を拭う。うん、これでよし!

 拭い取った血の下から、美しく滑らかな白肌が露わになった筈。

 

 

 さあ、次の獲物を探しましょう。

 

 

****

 

 

 四次試験終了のアナウンスが流れた。

 

 私は奪ったプレート3枚を手の中で弄びながら、浜辺へと向かう。

 その番号は、198番、294番、317番。

 

 狩ったのはジークと、もう一人。

 ズバリ、忍ばない忍者、ハンゾーである。

 

 私がハンゾーと遭遇した時点で、彼は自身ともう一人分のプレートを所持していた。

 それを奪い、自分のプレート含め4枚を確保。合計6点と、合格ラインを達成したわけある。

 

 ちなみにハンゾーをどうしたかというと、別に殺してはいない。

 達磨にも変えていない。

 

 それまでの戦闘で、既に満足していたので、寛容な対応をして上げましたとも。

 人間、心に余裕があれば、他人に優しくなれるものである。

 

 もっとも、私のゴン君の腕をへし折るような、躾のなってない両腕は叩き折ってやったわけですが。

 

 え? まだゴンの腕を折ってない? ふふ、知りませーん。

 

 まあともかく、ハンゾーは死んでない。

 ただ、代わりに全身から湯気のようなものを立ち上らせてはいたけども……。

 それも、私は知りませんとも。

 

 きっと、ジャポンの忍者は、人間湯沸かし器の術でも使えるのでしょう。

 忍者怖い、忍者怖い。

 

 

「あっ!」

 

 そんな声が、浜辺に付いた私を出迎えた。

 声の主は、他ならぬゴンである。

 

「どうかしたの? 確か……ゴン、だったわね」

「うん。……リンドウも合格したんだね」

 

 おや? どうも様子がおかしいわね。

 ゴンが何やら難しい顔つきをしている。

 

「ええ。見ての通り、3枚プレートを確保してね」

 

 私は内心首を捻りながらも、3枚のプレートをゴンに見せる。

 

「……317番。やっぱり」

 

 うん? どういう意味かしら? ゴンとジークに接点は無かった筈だけど……。

 

「317番がどうかしたかしら?」

「四次試験が始まって、リンドウが出発した直後に、317番、ジークが俺に話し掛けてきたんだ」

「へえ……」

 

 何だ? 何を話したのかしら? あのお馬鹿さんは。

 

「俺は今からリンドウに挑むって。四次試験が終わって、俺じゃなくリンドウが現れたら、俺は殺されてる。その時は、リンドウに気を付けろ。リンドウは君を狙うだろうからって、そう言ったんだ」

「……………………」

「リンドウは、ジークを殺したの?」

 

 真っ直ぐこちらの目を見詰めながら、問い掛けてくるゴン。

 私は首を左右に振った。

 

「いいえ。殺してはいないわ(・・・・・・・・)

「そっか。よく分からないけれど、殺す以上のことをしたんだね」

 

 うーん、どうして分かるかなぁ。

 私の言葉尻で判断した?

 それとも、野生の勘? なら、最早エスパークラスの勘なんですけど。

 

「……だとしたら?」

「どうもしないよ。……ジークのことは仕方ない。ジークの方から戦いを挑んだんだ。返り討ちに合うことだってあると思う。だけど……」

「だけど?」

「もしリンドウが、俺や、俺の周りの人間を傷つけるっていうのなら、全力で戦うよ。絶対、そんなことさせない!」

「そう」

 

 意思の籠った瞳で、こちらを真っ直ぐ見据えるゴン。

 あれだけ野生の勘が働くのだ。彼我の実力差に気付けぬ筈もないのに。

 

 ……これが、物語の主人公か。

 不屈の精神。決してめげず、逃げず、諦めない。それが主人公。

 

 そんな様を見ていると、胸の内からどす黒い感情が湧き上がる。

 

 不屈の精神? そんなもの、ゴンがまだ本当の絶望を知らないからよ!

 

 ギリッと、歯噛みする。

 

 そうよ、私と同じ絶望を知れば、その光は失われる。

 誰だって、そうなるはず。そうでなければならない。例外は無い。

 

 その瞳は黒く濁り、その口は世界への怨嗟を吐き出す。

 いずれ、呪いそのものに成り果てる!

 

 そうだ! そうでなければ私は……!

 

 拳を強く握り締める。

 そうすることで、ゴンの右腕へと伸びそうになる自身の腕を抑えた。

 

 まだだ。まだよ。ゴンを呪うのは、ここじゃない。

 

「……やって見せなさいな、できるものならね」

 

 ボソリと呟くと、ゴンとすれ違うように前へと歩を進めた。

 背中にゴンの視線を感じる。

 

 ああ、胸の中を黒い炎に焼かれるような心地だ。

 

 心がどうしようもないほどに掻き乱される。

 

 

 

 その時の私は、明らかに冷静さを欠いていた。だからだろうか?

 

 気付けなかった。

 遠目に私たちの遣り取りを観察していた、道化師の存在に。

 




 リンドウは、ピトー×ポックル推し。


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7話

 通されたのは畳が敷かれた和室。

 正面に一人の老人が座っている。

 ――ネテロ。ハンター協会の会長であり、念能力者最強の一角。

 

「よく来たの。まあそこに座りなされ」

「失礼します」

「ほっほ、そう固くならんでよいよ」

 

 私は曖昧に微笑むに留める。

 そんな私に、ネテロは何かを言うでもなく、視線を手元の資料に落す。

 おそらく、私に関する資料だろう。

 

 暫く眺めていると、ようやく視線を上げて口を開く。

 

「389番、リンドウ。ふむ……。これからいくつか質問をするがいいかの?」

 

 私は一つ頷いてみせる。

 

「ではまず、何故ハンターになりたいのかな?」

 

 ふむ。原作通りの質問ね。取り敢えず無難な回答をしましょうか。

 

「ライセンス自体が目的です。色々と便利ですから」

「ふむ。ハンターそのものには興味ないと?」

「正直に言えば。……いけませんか?」

 

 私が尋ね返すと、ネテロは首を振る。

 

「いや。お主に限らず、そういった受験者は少なくない。別に問題ないぞい。ただ、合格することになれば、ハンターとしての活動に興味を持ってくれれば有難いがの」

「そうですね。善処しましょう」

 

 そんな心にもないことを口にする。

 

「是非そうしてもらいたいのう。ではお主以外の8人の中で一番注目しているのは?」

 

 私以外の8人。

 私とジ-クというイレギュラーが加わった試験だが、ハンゾーと私が入れ替わった以外では、最終試験の顔ぶれは変わっていない。

 

 結局、最後まで勝ち上がってくる実力者は、早々変わらないということね。

 

 さて、この質問は中々重要ね。

 

「……一番と言われれば難しいですね」

「そうかの? 別に複数でも構わんよ」

 

 よしよし、回答の幅を広げることが出来た。

 

「そうですね……。まず、99番と407番。あの年であれだけできるなら、将来有望そうですね。後は……44番と301番。理由は言うまでもないですよね?」

「そうじゃの。ふむ……。では、今一番戦いたくないのは?」

「先程と同じく、99番、407番、44番、301番」

 

 ネテロが、戦いたくないと言った相手を外してくるなら、それで問題無い。

 逆に敢えてぶつけてくることも考えて、複数名の名前を挙げておいた。

 

 これで、ピンポイントでゴンをぶつけられる可能性も減ったはず。

 

 なるほどのうと、顎鬚をしごくネテロ。

 

「質問は以上でしょうか?」

「うむ。御苦労じゃった。下がって良いぞ」

「いいえ、大したことでは。それでは失礼します」

 

 そう言って立ち上がる。踵を返そうとして――

 

「ああ。そうじゃ、もう一つだけ」

 

 そんなネテロの言葉が、私を引き留める。

 

「……何でしょう?」

「うむ。実はな、四次試験でそれぞれの受験者に、協会の人間を監視員として付けていたのじゃが……」

「はあ」

「気付いておったかの?」

「いえ。念能力者である私に付けた監視員です。当然、『絶』を得手とする尾行のプロフェッショナルでしょう? 恥ずかしながら気付けませんでした」

 

 私の言葉を受けて、顎鬚をしごくネテロ。

 心なしか、その眼光が鋭くなったように感じる。

 

「ほう? そうか。いや確かに、尾行のプロッフェショナルじゃった。しかし、試験中に何者かに殺されてしまったのじゃ。317番の監視員共々のう」

「それでも私はやってない」

「……まだ何も言っとらんぞい」

 

 鋭い眼光が若干和らぐ。そこには呆れの色があった。

 こちらを見るその目は、いわゆるジト目というものだろうか?

 

 あらあら、少しばかりフライングしてしまったかしら?

 

「いえ。どうしたわけか、そう不思議と、あらぬ嫌疑をかけられることが多くて。ついつい先回りしてしまいました」

「ほう。不思議とかね?」

「ええ。不思議と」

 

 私は困ったように微笑む。

 

「……それは難儀じゃのう」

「本当に」

「……つまり何も知らんということじゃな? よう分かった。今度こそ下がって良いぞ」

「はい。失礼します」

 

 私は軽く会釈すると、部屋を出ていく。

 

 よし、勝った。

 私は内心ガッツポーズを決め込んだのだった。

 

 

****

 

 

 飛行船で飛ぶこと暫し。

 私たち四次試験通過者は、ハンター協会の経営するホテルへと移動した。

 そのホテルの一室が、最終試験の会場というわけだ。

 

 発表された試験内容は、負け上がりトーナメント。

 一勝すれば合格。負ければ、トーナメントを負け進み、最後まで負けた者、トーナメントの頂点になった一人が不合格者だ。

 

 さて、重要なトーナメント表だが……。

 原作通りとなった。ハンゾーの部分が、私に入れ替わった以外は。

 

「何……だと……?」

 

 待って、待って! おかしい、おかしい!

 どうしてそうなるわけ!?

 

 印象値。ハンターとしての資質評価。

 自分で言うのもなんだけど、私ってそんなに高くないよね?

 

 正気!? ネテロは何を思ってこんな……。

 普通駄目でしょう! 私のような危険人物を高評価しちゃ!

 

 何の嫌がらせだと、ネテロを睨み付けるが……。

 あのジジイ、こちらに見向きもしない。

 平然と試験の説明を続けている。

 

「戦い方も単純明快、武器OK反則なし、相手に『まいった』と言わせれば勝ち! ただし、相手を死に至らしめた者は即失格! その時点で残りの者が合格、試験は終了じゃ、よいな」

 

 いいえ、何も良くありませんのことよ。

 

 内心テンパッている私を置いて、審判が前へ進み出る。

 そうして、第1試合の選手をコールする。

 

「それでは最終試験を開始する!! 第1試合、リンドウ対ゴン!」

 

 うへぇー。マジですか。マジですね。

 

 私は渋々と前へと進み出る。

 それとは対照的に、ゴンは目を爛々と輝かせている。

 傍目から見ても、分かり易くやる気満々である。

 

 四次試験後のやり取りがあったからねぇ。

 それは、それは、やる気が漲っているのでしょうよ。

 

 でも私は違う。

 まだよ、まだなのよ。君とやり合うのは。

 

 試験が終わって、このホテルを出た後。

 その輝かしい門出の瞬間に、君を呪ってあげるわけ。分かる?

 

「……リンドウ。俺負けないよ。必ずリンドウに勝って見せる!!」

 

 はい、全然分かっていませんね。

 

 はあ。駄目だ。取り敢えず、この試合を何とかしましょう。

 呪わずに、無難に試合を終わらせる。

 

 さて、どうしましょうか……。

 原作を見れば分かる通り、ゴンは強情だ。

 彼に『まいった』と言わせるのは至難の業。ならば……。

 

「それでは、始め!!」

 

 審判が試合開始を告げる。

 私はその声と同時に、強く息を吸い込みながら踏み込んだ。

 

「まいったぁーーーー!!!!」

 

 そう叫びながら、呆然としているゴンの顎を強く蹴りあげる。

 そのまま後ろ向きに倒れたゴン。

 

 試験会場であるホテルの一室は、しーんと静まりかえる。

 ゴンは立ち上がらない。

 

「ふう。審判、私の負けですね」

「何じゃ、そりゃぁぁああああー!!」

 

 レオリオが大声を上げた。煩いわね。

 また、視界の隅では、ヒソカがくくくくと笑い声を零す。

 笑うな、変態奇術師。

 

「何って、何よ?」

「いやいや、おかしいだろう!? 一体全体何のつもりだ!?」

「だって、この子、相当面倒臭そうなんですもの。絶対、『まいった』って言いそうにないわよ」

「むっ……」

 

 レオリオと、その後ろに控えるクラピカが、どこか納得したような表情になる。

 

「う……。いや、それでもよぉ」

「私がどう試験に臨もうと、私の勝手よ。文句を言われる筋合いはないわ」

「……レオリオ、リンドウの言うことは正しい。ここは引こう」

 

 そんなクラピカの言葉に、レオリオは渋々と引き下がっていく。

 

 

 さて、何とかなった。

 どうしたわけか、会場中から嫌な視線を向けられているが……。

 

 最大の山場は去った。

 私は安堵の吐息を深々と吐き出す。

 

「くっ! これで俺の相手はリンドウに決まったか……」

 

 そんな呟きを私の耳が捉える。

 私はまさかという心境で、恐る恐る声の発生源に視線を向ける。

 

 特徴的な帽子。弓矢で武装した小柄な男。

 

 おう、神は死んだ。

 次はあなたですか、ポックルさん。

 

 

 私は内心で頭を抱え込んだのだった。

 



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8話

 ポックルさんに手出しは出来ない。

 NTRはダメなのだ。そう、タグを増やさなくてはならなくなる。

 ……タグ? また電波を受信したような……?

 

 ……まあいいでしょう。

 兎に角、ダメなものはダメ。

 例えそれが自分の首を絞める行為でも。

 そう、私にはポックルさんに手出しすることは出来ない。

 

 なので、やはり開始早々降参しました。

 もっとも、今回は開幕まいった攻撃ではなく、普通に負けを宣言した。

 

 レオリオが、『またかよ!』なんて叫んでいたが、無視よ、無視。

 

 私は次の試合のために中央を開ける。

 そしてフロアの隅で腕組みした。

 

 順当に負け続けた私の次なる相手は、ゾルディック家の御曹司、キルア君である。

 

 しかし、暗殺一家の息子に、御曹司という呼び方が不自然でないとは、何とも恐ろしい世界だなぁ。

 

 なんて、どうでもよい考えを弄びながら、眼前の試合を見るともなしに見る。

 私が関わる試合以外は、原作と変わりなく進行していく。

 

 

 ふと、視線を感じた。そちらをチラリと見やる。

 

 銀の髪。整った、しかし生意気そうな容姿。キルアだ。

 

 合わさった視線を、不自然さを感じさせず切り離すキルア。

 ただ、こちらを見てなくても、依然こちらに意識を傾けているのが手に取るように分かる。

 

 対戦相手である私のことが気にかかる。そんなところかしら?

 

 まあ、さもありなん。

 念能力者でないとはいえ、彼も既にそれなりの実力者。

 私が只者でないことぐらい、簡単に察知できるはず。

 なら、警戒心を抱くのも当然でしょうね。

 

 さて、次のキルアとの試合だが、ここらで真面目にやろうと思う。

 

 別に試験に受かる必要性は無い。

 無いが、落第なんてみっともないじゃない。

 そう、美しくない。華麗に合格をって、またか……。

 

 ハアと、内心溜息を吐く。ホント、この体は。

 

 まあいい。いや、良くは無いけど……。

 兎も角、試験に合格する上で、キルアは都合の良い相手と言える。

 

 ――『勝てない相手とは戦うな』。

 そんなイルミの教えを叩き込まれて、いや、突き刺されているキルア。

 そこを突けば、キルアを降参させることができる。

 

 そして、それは難しいことではない。

 互いの実力差を見せつけるだけで良いのだから。

 

 いくら高いポテンシャルを有していても、念を覚えていない彼に勝ち目はない。

 あっさりと、勝敗はつくことだろう。

 

 

 ただ、一点だけ気になるのは……顔面針男の存在。

 なんとも、おどろおどろしい兄弟愛の持ち主であるイルミだ。

 彼の逆鱗に触れぬよう、気を付ける必要がある。

 

 殺しは、そもそも試験のルールでNGだから論外として……。

 再起不能の大怪我を負わせるのも不味かろう。ブラコンイルミが許すとは思えない。

 手荒な『洗礼』もアウトでしょうね。『達磨』なんて論外も論外。

 

 はあ、下手に気を使うのも面倒ねぇ。

 だけど、ここで降参すれば、件のブラコンイルミが次の相手だ。

 

 それは全力で回避したいところ。

 なら、多少面倒でも、キルアとやって合格する必要があるわけだ。

 

 

 そんなことを考えている内に、試合は消化されていく。

 そして、ついに私とキルアの番になった。

 

「第5試合。リンドウ対キルア! 両者前へ!!」

 

 審判からのコールがかかる。

 私とキルアが、ゆっくりとフロアの中央に移動する。

 そうして、相対した。

 

「ねえ、俺にも降参してくれるの? だったら楽でいいなぁ」

「いいえ。君を倒して、合格させてもらうわ」

「……へぇ。俺のこと甘く見てる? これでも結構強いんだぜ、俺」

 

 何の気負いも無いような表情で、軽口を叩くキルア。

 しかし、それは見せかけだけだ。

 ピリピリとした空気を隠しきれてないぞ、チビッ子。

 

 ふふ、可愛らしいなぁ。

 

 むくむくと壊してやりたい衝動が湧き起る。って、ダメ、ダメ。

 それをやっちゃうと、私の背中に痛い位の視線を寄越しているブラコンが動く。

 

 全身針だらけにされちゃ堪らないわ。我慢、我慢。

 

「それでは、始め!!」

 

 審判の宣言と同時に、足を踏み出すキルア。

 ゆっくりと緩急をつけながら円を描く独特の歩法。

 

 ふむ、確か肢曲といったかしら?

 

 キルアの姿がぶれて見える。

 ゆっくりとした動きにかかわらず、本来の位置を見失いそうになる。

 暗殺者らしい業だ。だけど――。

 

 私は大人げなく、『円』を行使する。

 注意深く目で追いかけるなんて、面倒だしね。

 

 暫く円を描くように歩くキルア。そして、丁度キルアが私の死角に入った瞬間、その動きに変化が現れる。

 瞬きの内に、私との距離を詰めるその瞬発力は、猫を連想させるしなやかさだ。

 その辺の雑魚では、反応すらままならないに違いない。

 

 ふふん、でも残念。君の動きは、私の『円』が捉えている。

 私は突き出されるキルアの右腕を掴み取る。

 

「ホント、猫さんみたいだこと」

 

 ナイフの様に鋭く尖った爪先を見ながら独りごちる。

 

「ッ!」

 

 キルアは掴まれた腕を振り解きながら、後方に跳躍する。

 私は逆らうことなく、その腕を開放してやった。

 

 表情を歪めながら、こちらを睨み付けるキルア。

 その頬に一筋の汗が伝い落ちる。

 

「どう? 降参する気になった?」

「……クッ! 誰が!!」

 

 キルアはギリッと歯噛みした。

 その表情には最早、当初のポーカーフェースは見られない。

 

 うーん、もう一押しかな?

 

 先の一瞬の攻防で、十二分に実力差を窺わせることができた。

 もっとも、それだけで、キルアの戦意を折るまでに至らなかったようだが……。

 

 ただ、それは最後のやせ我慢。あと一押しで、脆くも崩れ去る。

 だって、彼は主人公ではないのだから。

 

 

 私はキルアに向けて真っ直ぐに右腕を伸ばす。

 その掌から、悪意を込めてオーラを放出する。

 

 はい、そうです。イルミの真似です。

 

 うん。非念能力者の心を折るに、有効な手段だ。

 遠慮なく真似させてもらいましょう。

 

 

 その効果は、目に見えて現れ始めた。

 キルアの額からは、マラソンを終えたランナーの様に汗が滴り落ちている。

 全身の筋肉を強張らせ、棒立ちになっている。

 あれでは、先程のようにしなやかな動きは披露できないでしょう。

 俯かせた顔からは表情を窺えないが、苦痛に歪んでいるのは想像に難くない。

 

「どうするの?」

 

 言葉短く問い掛ける。

 その声に、キルアの体はビクッと跳ねる。

 空気が張り詰める。凍りついたような沈黙。そして――

 

「…………まいった」

 

 やがて、ポツリと絞り出すような声が漏れる。

 私はゆっくりと右腕を下ろした。

 

 ふふ、効果覿面ね。

 極寒の地で云々という、ウイングの喩も的を射たもの。

 そう、非念能力者では決して耐えることなど叶わないのだ。

 

 

 さて、予定通りスムーズかつ穏便に試合を終えれた。

 

 うん。良くやったぞ、私。

 偉い、偉い。ねえ、偉いでしょ? だから……。

 

 だからいい加減、そのドギツイ視線は止めてもらえませんかね? ブラコンさん。

 

 私はゲンナリしながら、溜息を吐いたのだった。

 

 

 

 かくして、私のハンター試験合格が決定した。

 

 その後の流れは原作通り。

 イルミがキルアを威しつけ、降参させた。

 その後、レオリオとポドロの試合にキルアが乱入。ポドロを殺し、失格となった。

 

 

 そして現在、講習の最中に登場したゴンが、イルミに喧嘩を売り終わったところ。

 その講習も終了し、キルアを連れ出すと、ゴンが息まいている。

 

 でも残念、君がゾルディック家の屋敷に行くことはない。

 そう、達磨と化して、これからはベッドの上で無為な時間を過ごすのだから。

 

 たった一部屋。狭い狭い世界が、君の世界の全てになる。

 そこにワクワクする冒険などありはしない。

 

 あるのは、掛け値なしの絶望だけ。

 

 

 ホテルから出ていく三人の背中を見る。

 

 時は来た。さあ、君を呪ってあげましょう。

 

 



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9話

 ホテルのエントランス傍にあるカフェで時間を潰す。

 

 ゴンたちの行先は分かっている。

 ゾルディック家の屋敷があるパドキア共和国へ向かうため、まず空港へと足を運ぶ。

 

 すぐ後ろをついてくのもあれなので、暫し時間を置いて後を追うことにする。

 

 コーヒーを飲みながら、さりげなくホテルの正面玄関を窺う。

 丁度二人の男が連れ立って出ていくところだった。

 

 隙の無い身のこなし。洗練されたオーラ。ヒソカとイルミだ。

 ホテルを出たところで、最後に一言二言話すと、二人は別々の方向に歩き出す。

 

 ……行ったか。あるいはと、その可能性を警戒していたのだけど。

 無用の心配であったらしい。

 これなら、怪しまれぬよう時間を置く必要もなかったわね。

 

 

 私は伝票を取ると、席を立つ。

 そうして、会計を済ませるとカフェを出た。

 メインストリート沿いに歩く。

 

 二、三分ほど歩くと、タクシーが通りかかったので、手を挙げて止める。

 自動で開かれたドアから車内へと身を滑り込ませた。

 

「お客さん、どちらまで?」

「空港まで……」「やあ♥ ボクも相乗りさせてもらっていいかな?」

「…………どうぞ」

 

 まだ閉じていなかったドアの傍に、いつのまにか変態ピエロが立っていた。

 私の返事を聞くや、ヒソカも車内に入ってくる。

 そして、私のすぐ横に腰掛けた。

 

 走り出すタクシー。

 暫し車内に沈黙が落ちる。私は意を決してヒソカに話しかけた。

 

「行先は空港ですけど、貴方も空港でよかったのかしら?」

「行先は関係ないかな♦ ボクは君に用があっただけだし♠」

「私に? ……一体何の用でしょう?」

「くくっ、分かっている癖に♥」

 

 ヒソカが忍び笑いを漏らす。

 もっとも、その眼は笑っていない。ギラギラと妖しげに輝いている。

 

 そんなヒソカに対し、私は反応に困った様な笑みを顔に張り付ける。

 ついでに小首を傾けてみせた。

 ただ、私の態度を気にも留めず、ヒソカは言葉を重ねる。

 

「ボクは青い果実が好物でね♥ 将来熟して、甘く芳香な香りを放つ、そんな実へと成長する果実♦ それが熟すのを見守り、熟し切った時に摘み取る♠ それが何よりの楽しみだ♥」

「はあ……」

「当然、横取りされるのは大嫌いでね♠ ましてや、まだ青い内に摘み取ろうなんて輩には、怒りすら覚えるよ♦」

「あの、何が言いたいの?」

「バレバレだよ♠ あれで隠していた積りかい? 君もゴンを狙っているんだろう?」

 

 私は曖昧な笑みを消して、真顔になる。

 

「…………仮に」

「うん?」

「仮にそうだったとして、それなら私は何故、最終試験でゴンとの戦いを避けたのかしら? 絶好の機会の筈でしょう?」

「さあ? 分からないけれど……♠ 君なりの拘りかな? だからあの時は戦いを避けた♦ でも、今はヤル気だろう? 君の纏う空気が雄弁に物語っているよ♥」

 

 ……誤魔化すことは無理そうね。仕方ない。

 

「運転手さん、車を停めて下さい」

「はい? ですが、まだ空港には……」

「停めて下さい」

「はあ……」

 

 タクシーが路肩に停まる。

 私は料金を支払うと、ヒソカと共にタクシーを降りる。

 そして、ヒソカを先導するように人通りの少ない路地の奥へ、奥へと歩を進めた。

 

 そして、周囲に人気を感じない路地裏で足を止める。

 くるりと振り返った。

 

「ここでヤリ合おうってわけかい?」

「ええ、そうよ」

 

 私はヒソカの問い掛けに、こくりと頷く。

 

 仕方ないけど、戦闘は避けられない。

 もとより、その可能性は考慮に入れていた。

 

 獲物が被っている以上、私とヒソカがぶつかる可能性は常にある。

 互いに譲る気が無いのだから当然だ。

 

 出来るなら避けたかったけど、こうなっては仕方ない。

 ヒソカを倒した上で、ゴンの下へ行くとしましょう。

 

 私は黒く滲んだオーラを迸らせる。『堅』を維持しつつ、ヒソカと相対する。

 

「その色、中々興味深いオーラだ♦」

「それはどうも」

 

 愉しげに笑うヒソカを睨みつける。

 ヒソカもまた、見事な『堅』を行使している。

 

 ……強い。

 間違いなく、私がこれまで戦ってきた中では、最強クラスの敵。

 

 だけど付け入る隙はある。

 それは、彼が生粋のバトルジャンキーであること。

 

 戦いを愉しむために、いきなり全力で敵を殺しにかからない。

 まずは小手調べと、敵の出方を窺うような戦い方をする。

 つまり、スロースターターなのだ。

 

 なら、最初の『右腕』は、そう難しくない。たぶんね。

 

 そうなると、ヒソカは片腕を封じられたハンデ戦を強いられる。

 勝ち目は……十分にある!

 

 ダンと、強く地を蹴る。

 攻防力を6対4。右腕を繰り出すのとほぼ同時に、右手にオーラを多めに振り分ける。

 もっとも、『凝』を怠りはしない。

 

 ……まだ、『バンジーガム(伸縮自在の愛)』を使う気はないようね。

 目を凝らしても、『隠』で隠している様子も見られない。

 安心して右ストレートを放つ。

 

 難なく、こちらの攻撃をいなすヒソカ。

 まあ、そうでしょうね。

 落胆することなく、次なる攻撃に移る。

 

 踏み込みと同時に、体勢を低くする。

 イメージは潜り込む様に。

 身長差を活かそうというわけだ。

 近く、低く、そんな位置取りをする相手の対処は、容易ではないでしょう?

 

 事実、ヒソカは嫌がる様に距離を取ろうとする。

 ――逃がさない!

 私は牽制に放たれるヒソカの攻撃をかわし、懐に潜り込む。

 

 そして四肢を存分に振るって、コンビネーション攻撃を見舞う。

 一打、二打、三打、四打、五打……。チッ、上手く防ぐじゃない。

 

 有効打が入らない。そればかりか、連携の間隙を狙って反撃までしてくる。

 そしてついに、力強い蹴りをクロスガードするも、その強烈さから弾き飛ばされるような形で、ヒソカとの距離が開いてしまう。

 

「体術は悪くないね♦ オーラ移動も淀みない♠ うん、見事な『流』だ♥」

 

 ヒソカはそう口にしながら、トランプを取り出す。

 パラパラパラと、両手の中でカードをシャッフルし始めた。

 

「今度はこちらからいこうか♠」

 

 その言葉と同時に、トランプが四枚投擲される。『周』で強化されたカードだ。

 私は横に跳躍し、そのカードをかわす。

 

 着地の瞬間を狙って、距離を詰めたヒソカが右手に握ったカードの切っ先を振り下ろしてくる。

 もっとも、本気で当てる気はないようだ。

 牽制の一撃。本命は、これをかわした後に来る。

 

「――!?」

 

 ヒソカが初めて驚きの表情を見せる。

 私が避けることなく、敢えて振るわれるカードへと踏み込んだからだ。

 鮮血が舞い散る。

 

 左肩に痛みが走る。……問題ない。致命傷には程遠い。

 私はすかさず、カードを振るったヒソカの右腕を掴み取る。

 そして、振り払われぬよう強く握り締めながら、呪歌を紡いだ。

 

「だーるまさんがこーろんだ♪」

「……? ……!?」

 

 黒い、黒いオーラが、ヒソカの右腕に纏わり付く。

 ふふふ、右腕もーらいっと♪

 

 更に左腕も狙うが、これは上手くいかない。

 するりと、掴もうとする私の手から逃れていった。

 

 その攻防を最後に、一旦仕切り直しと、互いに距離を取る。

 

 ヒソカはピクリとも動かない自身の右腕を見る。

 

「……へえ。これが君の能力か♥」

 

 厄介だね、なんて嘯きながら、感覚を失った右腕の様子を確認するヒソカ。

 

「ゴンを譲る気になったかしら? 厄介と思うなら逃げてもいいのよ」

「まさか♠ むしろ興奮してきたよ♥」

 

 ヒソカのオーラが迸る。

 ゾワリと、背中が総毛立つ。ッ、来るか!

 

 右腕を封じられたのも何のその、ヒソカは戸惑い無く踏み込んでくる。

 私は『凝』でヒソカの動向を注視する。

 

 まだ活きている左手で攻撃を仕掛けて来るヒソカ。

 ……やはり使ってきたわね。

 ヒソカの左手の先、巧妙に『隠』で隠されたそれを見つける。

 そう、『バンジーガム(伸縮自在の愛)』だ。

 

 あの左拳を受けるのはマズイ。

 きちんと防御しても、その上からオーラを張り付けられる。

 

 だから、思わず防御したくなりそうな攻撃――勿論、ヒソカが意図して行った攻撃だろう。回避よりも防御を選択したくなりそうなそれ――を無理に回避する。

 

 そうして空を切ったヒソカの左腕を掴みにいく。

 だが、また避けられた。バックステップでヒソカが距離を取る。

 

「……何やら執拗にボクの左腕を追ってないかい? 右腕を潰したら、次は左腕、そんな思考は理解できるけど……♥ どうもおかしい♦ 腕だけが君の能力の対象? いや、違うな♠ 順番だろう? 右腕の次は左腕、そんな制約がある、違うかい?」

 

 滔々と推論を述べながら、最後にはビシリとこちらを指差す。

 私はひょいっと、飛ばされたオーラを避ける。

 

「おや、残念♦ でも、もう一つ確信できた♥ 君、ボクの能力を知っているね♠」

 

 ……先の攻防で、防御ではなく回避を選択したのは、やはり不自然に映ったか。

 今の指差しで、『隠』で隠しながら飛ばしたオーラを避けたのもそうね。

 普通、自身の念能力を言い当てられている場面で、あんな自然に回避できないか。

 

 これらから、私がヒソカの『バンジーガム(伸縮自在の愛)』を事前に知っているのだと、そう確信されたわけか。

 それに、たった二回左腕を狙った動きだけで、私の制約も言い当てる。

 

 ……驚異の観察眼、それとも戦闘勘か。本当に恐ろしい相手。

 万全のヒソカとは戦いたくないわ……。そう、万全のヒソカとは。

 

 ふふ、まだ私の優位は覆らない。ヒソカは、利き腕を封じられているもの。

 手数が一つ足らない状況で、呪いを齎す私の両手から逃げ切れるかしら?

 

 私は両手から黒いオーラを迸らせる。

 

「くくっ、いいねその顔♥ ゾクゾクするよ♥」

 

 顔? 私はそっと口元に触れる。その口角は吊り上がっていた。

 ああ、そうか。そうね、笑っているのね、私……。

 

「あは♪」

 

 愉しい。ヒソカの様な強者、しかも、かの漫画の重要人物を呪う。達磨にする。

 自然と笑みが浮かぶのも当然……よね!

 

 私は狂笑を浮かべながら、一気にヒソカとの距離を詰める。

 そうして、呪いの両手を存分に振るう。

 

 ヒソカはするり、するりと、こちらの両手を逃れる。

 時折反撃も繰り出す。流石ね。……でも!

 

 ふふ、いつまで避けられるかしらね? 私はニヤリと嗤う。

 

 ヒソカの動きは必ずしも良くない。いや、ハッキリ言って精彩を欠いている。

 右腕だ。右腕が封じられた影響は、単に手数が減るだけではない。

 

 全く動かないそれは、お荷物だ。

 全体の動きを、どうしても阻害してしまう。

 

 私は左腕を狙うと見せかけて、ローキックを放つ。

 ヒソカの足が止まる。私は改めて、ヒソカの左腕を狙った。

 

 ヒソカは咄嗟に体を捻って半身になり、左腕を遠ざけようとする。

 

 ふん、無駄な足掻きね。

 

 予想していた私は大きく一歩を踏み出す。真っ直ぐ左腕目掛けて。

 そして――掴んだ! 後は……。

 

「だーるまさん……グッ!」

 

 なんだ? 世界が揺れる? 違う、揺れているのは私の頭、いや、脳だ。

 でも、どうして……?

 

 掴んでいた腕を振り払われる。

 それだけで体勢を崩して倒れそうになる。

 何とか踏ん張ったが、自身の両脚が覚束ない。まるで船の上にいるよう。

 

 マズイ、マズイ。どうして? どうして?

 

 頭の中を焦りと、疑問が駆け巡る。

 そしてそれが視界に映った。

 動かない筈のヒソカの右腕。それが、ぶらん、ぶらんと揺れている。

 まるで振り子のように。惰性のような動きで。慣性の力で動く。

 

 ああ、そうか! そういう……!

 

 私は得心する。

 

 きっとヒソカは、バンジーガムで建物の壁か何かと、自身の右腕をくっつけたのだ。

 そして、私の注意の全てが左腕に注がれた瞬間だろう。

 その瞬間に、ゴムの性質を利用して、限界ギリギリまで右腕をしならせる。

 そしてバンジーガムを解除。

 解き放たれた右腕が、私の頭を襲った。きっと、そうに違いない。

 

 

 失敗した、失敗した、失敗した!

 

 動かないはずの右腕を、完全に意識の外へと追いやってしまった。

 ヒソカはその隙を見事に突いたのだ!

 

「楽しかったよ、リンドウ♥ そして……」

 

 マズイ、マズイ! 避けろ、避けろ! ダメ、足が……!

 

 バックステップでかわそうとするが、足がもつれる。体勢が崩れる。ああ……!!

 

「さようなら♥」

 

 カードを握ったヒソカの左腕が振るわれる。

 すっと、首筋を何かが擦り抜けていく感触。

 一拍置いて、冗談のように鮮血が噴出する。そう、頸動脈を切られたのだ。

 

 痛みよりも、熱さを感じる首筋。

 思わず傷口に手を当てるが、そんなことで鮮血は止まらない。

 

 

 私は自身の血で汚した地面の上に崩れ落ちた。

 

 




 年内最後の投稿になります。
 皆様、どうか良いお年をお過ごし下さい。


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10話

 地面に倒れ伏す。

 首筋を押さえてもどくどくと流れ出す命の源。体から急速に熱が失われていく。

 

 霞む視界の中、遠ざかる男の後ろ姿を捉える。

 

 ……は、早く……早く……早くいってしまえ。じゃないと、この体の能力が……!

 

 おぼろげな意識の中、ただそれだけを願う。

 見詰めていた男は、細い裏路地から大通りへと繋がる地点まで歩む。

 そうして、そこを曲がって行った。

 道化師を模した、その特異な姿はもう見えない。

 

 冷たく、動かなくなった体。霞がかり、朦朧とした思考。

 にもかかわらず、私はほっと安堵の息を吐いた。

 

 

 ほどなくして、ゆっくりと死へ近づいていた体に、急速な変化が現れる。

 黒いオーラが全身から迸る。一秒、二秒……私はむくりと起き上った。

 まるで何もなかったかのように自然と。

 

 ポケットからハンカチを取り出す。

 それを使って、自身の血で濡れた首筋を拭う。

 そうすると、滑らかな白い肌が現れる。そう、傷一つない柔肌が。

 

 致命傷を負ったはずの首筋。

 しかし、そんな事実が無かったかの如く、綺麗なものだ。

 

 服や、路地裏を汚す血の痕だけが、確かに私が致命傷を負った事実を示している。

 

 

 この現象は当然、念能力によるものだ。

 ただし、私の念能力ではない。これは、この体の創造主の念能力。

 

 彼は、彼が遺した死者の念は、この体が美しさを損なう事を決して許しはしない。

 理想の美少女に、完璧なる美に、僅かな瑕疵も許されないのだ。

 

 

 この能力、私の念能力ではないので、当然私のコントロール下にない。

 だからこそ、ヒソカの姿が見えなくなる前に発動しないかと、気を揉んだわけだ。

 

 悔しいが、今の私ではヒソカに勝てない。

 それを先の戦いで実感させられた。

 

 私の傷が修復されるのをヒソカに見咎められ、戦いが再開されるようではまずかった。

 

 ……どんな傷も修復されるなら、戦っても最終的に勝てるのでは?

 そんな思いが無くもない。

 

 ただ、本当に、どんな傷を負っても問題無いかの保証はない。

 例えば、首を完全に刎ねられたり、体をバラバラにされたり。

 そんな状態からも、問題無く修復されるのか?

 

 過去に、それほどの欠損を、この体で負ったことが無い。

 だから、何の保証もない。

 当然、検証をできるわけもなく。今後も分からないままだ。ただ……。

 

 直感でしかないが、それほどの欠損はマズイのだと感じる。

 

 いや、きっとこの体自体は当然の如く修復されるのだろう。

 だが、『私』自身がもたない。漠然とそんな風に感じる。

 

 ただの直感と馬鹿には出来ない。

 何せ、念能力なんてものがある世界だ。そういった感覚を無視するのは危険だろう。

 

「あっ……」

 

 不意にそれが訪れる。

 右手に握っていたハンカチが、ひらひらと地面に落ちる。

 右腕がだらりと、力なく垂れ下がった。

 

「あっ、あっ、ああああああ……」

 

 どす黒いオーラが、私の右腕を蝕んでいく。蘇るかつての喪失感。

 

 ――時間切れだ。ヒソカの右腕を呪ってから、10分の時が経ったのだ。

 呪い返しが発動し、私の右腕の自由を奪っていく。

 

「ああああああああ!!!!」

 

 久しく覚えていなかった喪失感に、気が狂わんばかりに、感情が揺さぶられる。

 

 分かっている。これは一時的なもの。

 10分経てば、右腕は元通りだ。ああ、理性の声がそう告げる。

 

 しかし、荒れ狂う感情は、そんな言葉に慰められはしない。

 

 私の腕が……また……!

 

「……許さない。……絶対に許さない。ヒソカああああ!!!!」

 

 奴を避けて、ゴンを狙う? そんな考えをかなぐり捨てる。

 この際、ゴンは後回しだ。先に奴を、ヒソカを必ず……!

 

 後悔させてやる。死よりも残酷な絶望へと突き落とそう。

 そうとも、必ずヒソカを……。

 

「待ってなさい。必ず私が呪ってやるから」

 

 

 言の葉に憎悪をのせて口から吐き出す。

 その声が、私しかいない路地裏にポツリと零れ落ちた。

 

 

****

 

 

 空港のロビーを歩く。

 

 ごった返す人の群れ。それらが濁流のように流れている。

 私はその流れに逆らうことなく、空港の外を目指した。

 

 ふと、視線を上に向けると、『ようこそ、ヨークシンシティへ』と掲げられた看板が目に入る。

 

 そう、ここは、毎年9月に世界最大規模のオークションが行われることで有名な、かのヨークシンシティだ。

 

 この人の多さはつまり、一年に一度の大規模オークションに参加すべく、世界中から人が集まってきたためというわけだ。そして――。

 そして、この漫画の世界における重要人物たちもまた、同様に集まってきている。

 

 ゴンたち主人公組に、幻影旅団。……そう、ヒソカも。

 

 

 看板から視線を外して、人の流れに沿って歩いていく。

 そうして暫くすると、やっとのことで空港の外へと出た。

 

 ふう、と一つ溜息をこぼす。

 さて、まずはホテルへと向かおう。……タクシーでも拾いましょうか。

 

 視線を左右に走らせる。

 早々に、タクシー乗り場を見つけたので、そちらに歩み寄っていく。

 

 人の山を抜け、視界が開けた場所に出たからか、そこかしこから視線を感じる。

 主に男性の視線だが、中には呆けたように見詰め続ける女性もいる。

 

 無理もない。この体は、非現実的なまでの美しさだもの。

 更に、今日の装いもまた、一段とその美に磨きをかけている。

 

 黒を基調としたドレスは、レースやリボンで飾られた華美な装い。

 スカートはパニエで脹らませ、靴は編み上げブーツ。

 ブーツから伸びるソックスも黒。そこにも純白のレースがあしらわれている。

 また、スカートとソックスの合間に僅かに覗かせる絶対領域が眩しい。

 

 まあ、それらを一言に要約すれば、とどのつまりゴスロリだ。

 

 一切の手を抜かず、この体が最高のポテンシャルを発揮する装いを身に纏う。

 常在戦場の心構えだ。

 そう、この都市は、これから戦場になるのだから。

 

 私はタクシーに乗り込むと、予約をとっているホテルの名を告げる。

 

 

 ゆっくりとタクシーは、昼下がりのヨークシンシティを走り出した。

 




完全なる美(パーフェクトビューティ)

リンドウの体を創造した男の能力。
理想の美少女をかたどった念獣を具現化する。

より真に迫った、生きた少女を実現するため、死した魂を取り込み稼働する。

また、創造主の妄執によって、決して色褪せることなき美を堅持する。
例え、物理的、あるいは時間的な外的影響を受けても、元の最も美しい状態へと自然と回帰する。

ただし、元の状態に回帰するのは、あくまで体だけであり、取り込んだ魂に対しての配慮はなされない。
そのため、中の魂が耐えなれないような事態に陥れば、体が無事でも、魂が破壊されることはありえる。

仮にそうなった場合は、新たに別の死した魂を取り込むことで、稼働し続ける。

つまり、除念されぬ限り永劫廻り続ける一種の呪いである。


誓約と制約
①念能力を起動するために自身の命を捧げる。


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