EFFECT (蛇騎 珀磨)
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黒い部屋

 黒い部屋。

 椅子も、机も、本も、本棚も、壁も、床も、全てが黒い。

 世界を行き来する度に、部屋の色は白と黒を繰り返す。もう、何度目の黒だろうかも覚えていない。

 

「暇」

 

 部屋の主、自分を《死神》と名乗る青年は静かに呟いた。

 

「あ...。そうだ、確か...この辺に〜......」

 

 青年は、本棚を探り一冊の本を取り出す。背表紙も、表紙も黒で染まった少し厚めの本。この本棚に納められている物は全て異なる世界の記録。頭では覚えていられない記憶を、本という形に変えて保存しているのである。

 数日しかいなかった世界。数分しかいなかった世界。十年いた世界。百年いた世界。千年存在し続けた世界。そのどれもが、本の形となって本棚に納められている。

 青年が手にしたのは、ざっと二百年程前に立ち寄った世界の本。青年が《死神》のルールを護らなかった世界。

 

「あー、そうだった。これは終息させないと...」

 

 

 

 これは、青年の記憶と記録の物語。

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて......ここは、何処だ?

 

 見慣れ無い風景に建築物。行き交う人々の中に、俗に言う『普段着』を身に着けている者はいない。マントにトンガリ帽子。その殆どが黒。中には、暗い緑や暗い紫色が見受けられるが、光の無い場所ではやはり黒に見える。

 さて、先程から周りの輩達がコチラをちらりと観察してくるのだが、この格好に何か不満でもあるのだろうか?

 ......ん?

 

 はて? 俺の手はこんなに小さかっただろうか。いや、手だけではない。俺自体が小さくなっているのか。

 俺の思考を邪魔するかのように、何か大きな物がぶつかる。小さい体は見た目以上に軽いらしく、踏ん張ったつもりだったが簡単に弾き飛ばされた。

 

「おお、すまんかったの」

「前ばかりではなく、下にも注意して歩くことだな。いつか痛い目に合うぞ」

 

 ぶつかったのは物ではなく人間だった。それも、大きな老人だ。俺が注意するように言い聞かせると、周りの輩達がざわつきだした。人を軽蔑するような、珍しい物を見るような、そんな視線がうっとおしく感じる。

 老人が差し出した手を借りず一人で立ち上がると、その視線は更に集中した。

 

「名前は何と言う?」

「まだ無い、と言った方が分かり易いか? だが、お前の長ったらしい名前は知っているぞ」

「...なら、儂について来なさい」

 

 なにが“なら”なのか分からないが、このまま周囲からの視線を浴び続けるつもりも毛頭なかった為、助かったと素直に喜んだ。

 大きな老人が進むと、ごった返していた人の群れが別れて道を作り出す。俺もその後に続いた。

 やがて人気の無い住宅街にやって来ると、老人は歩きながら口を開いた。

 

「お主...何者じゃ?」

 

 俺は只、「死神」とだけ答えた。それに対して老人は、俺が異世界の住人であると見抜く。

 更に足は進み、一軒のドアをくぐった。

 中には誰もおらず、埃と蜘蛛の巣に塗れたテーブルに誘われる。老人は軽く埃を払い落とし、汚れてしまうのも気にせずそこに座った。俺も同じようにして腰を降ろす。

 「さて...」と、口火を切ったのは老人のほうだった。

 

「お主は、異なる世界の住人で間違い無いかの?」

「厳密には違うが、まあそんなところだ」

「と言うと?」

「異なる世界と異なる世界の境の向こう側...つまり、狭間だな。俺は、そこの住人なんだ」

 

 老人の質問にはなるべく答えるようにした。まあ、秘密事項も多々あるが、老人はそれに引っ掛からないような質問ばかりする。時折、意地の悪い子供のような顔をして、カマを掛けようとしたりもした。

 このジジイ...。予想以上に喰えない男だ。

 老人の質問の中には、俺が答えられないものもあった。

 それは秘密事項という訳ではなく、俺にも分からない事だったのだ。

 “何故、この世界に訪れたのか”。

 分からない。覚えていないのだ。白い部屋にいたのは覚えているんたが...。

 

「そんな事より、問題は今後だな。この世界に来たからには、何かやらねばならん事があるんだろうし。只、留まれる場所も無いし、金も無いしな...」

「ならば、儂の処に来るといいじゃろう」

「はあ? 俺に魔法使いになれってのか。生徒としてか? 先生としてか? 言っておくが、俺は《スリザリン》にも《グリフィンドール》にも《レイブンクロー》にも《ハッフルパフ》にも入るつもりはないからな」

 

 老人は「そうだろうな」と笑った。長い髭を撫でながら、悪戯を思いついた子供のような表情で加えて言葉を紡ぐ。

 

「......じゃが、ホグワーツに入れば住まう場所も食事もある。その代わり金は掛からん。条件さえ飲んでくれれば、お前さんの教材費などは工面してやれんでもない。勿論、どの寮にも属さんで済むように取り計らってやれるじゃろう。どうかね...?」

「......条件は?」

「儂の『孫』になるのじゃ」

 

 

 ............は?



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魔法の世界

 出会った老人の『孫』としての生活が始まって数週間。

 ホグワーツ魔法魔術学校の入学の為、ダイアゴン横丁に訪れていた。

 ああ、そうだった。老人の名前は、アルバス・パーシバル・ウルフリック・ブライアン・ダンブルドア。俺が入学する事になったホグワーツの校長である。因みに、彼の意向により「爺様」と呼ぶようにしている。

 

 その“爺様”から教材費用には充分過ぎる金を受け取り、横丁を散策している途中だ。目的地は三つ。

 一つは、衣服店。入学するにあたって、制服の着用は避けられない。俺の体はだいぶ縮んでいるらしく、それを知るいい機会だと思ったのも事実だ。

 一つは、動物店。魔法使いの者は、一人に一匹のパートナーとなる動物が必要らしい。猫、ネズミ、フクロウ、蛙などがポピュラーだ。

 一つは、杖専門店。杖無しでも困りはしないが、折角魔法使いの為の学校に入学するのだから、杖くらいはこだわりたいと思っていた。まあ、この世界に俺だけの杖があるのかどうかは不明だが...。

 

「“マダム・マルキン”......ここだな」

 

 まずは衣服店。制服を仕立てている間に、杖をじっくり選べる時間が出来る。

 店内に入ると「いらっしゃいませ」の声と共に、全身藤色の衣装に身を包んだ女店主が姿を見せた。彼女がマダム・マルキンなのだろう。マダムは俺の姿を見るなり高い声を上げて駆け寄って来た。

 

「まあまあまあまあ...! ホグワーツの新入生ですか!? なんて白い肌!白い髪!そして、なんて黒い瞳...! ああっ、腕が鳴りますわっ!!」

「いや、普通の制服でいいんだが......って、聞いてないな」

「ええ、ええ、ええ、ええ...! 勿論、お代は戴きますよ。でも、格安にしておきますわ!」

 

 マダムのテンションはヒートアップし、巻尺やまち針やローブ用の生地までもが宙に浮き、まるで舞っているようだった。

 出来上がった物は爺様の処へ送ってもらうように注文し、自分の身長が150cm以下だったことにショックを受けつつも、次の目的地へと足を運ぶことにした。

 そうだな...。次は、オリバンダーの店に行くとしよう。

 

 

 休日でもないというのに、ダイアゴン横丁は人で埋め尽くされている。小さな体では不自由で仕方が無い。

 

 舌打ちの後、指を振るう。

 ほんの少しだけ《死神》の力を使うと、目の前で邪魔をする人間達が自然と避けて行く。オリバンダーの店まで道なりにそれが続いていた。本人達も、周りの人間達も気付かない。いや、気付けない。

 

「まったく...いい能力だよ」

 

 人混みを掻き分けることもなく、すんなりと目的地に辿り着いた。

 

「失礼。邪魔をするぞ」

「いらっしゃいませ。どんな杖をお探しで?」

「俺に合う杖を...」

 

 店主のオリバンダーは、話の途中で姿を消す。視界に映らない場所に山積みにされた箱の中から、一つを選び出し持ち手を俺に向けて差し出した。

 

 芯にドラゴンの琴線。

 材木は白樺。

 杖の性格は冷やかな程に冷静。

 

 その杖を手にしてみると、店内の灯りが点滅を繰り返す。俺とは相性が悪いらしい。オリバンダーは「違うな」と、別の杖を差し出した。

 

 今度のは、不死鳥の羽の芯。

 材木は樫。

 杖の性格は頑固。

 

 手に取るまでもなく、これは違う。差し出された瞬間に、火花が飛び散った。またもや、オリバンダーは別の杖を差し出す。

 

 次はユニコーンの毛の芯。

 材木は檜。

 杖の性格は生真面目。

 

 おお? 全く違う手応え。......だが、これでもないな。

 

「ふむ...。実に難しい」

「見つかりそうか?」

「勿論。ピッタリの物を見つけてみせます」

「最後のユニコーンが芯になってるのは実にいい。ただ、何かが違う......いや、足りないのか...?」

 

 俺の意見に反応し、奥へと引っ込んだオリバンダーが持って来た物は、銀色の杖だった。所々に飾り細工が施してあり、影が差すと銀と黒が混ざり合って細工の部分が浮き上がって見える作りになっている。外見は気に入った。やや細めのシルエットがまたいい。だが、この美し過ぎる銀色は何だ...?

 

「芯にはユニコーンの毛。材木は桜。そしてユニコーンの血」

「ユニコーンの血!? おいおい...。なんでそんな物が仕込まれているんだ」

「まあ、物は試しだ。手に取ってみなさい。その杖の性格は、気まぐれ」

 

 オリバンダーから差し出された銀色の杖を握る。

 ああ。これだ。全身の毛が逆立ち、全身の血が体中を駆け巡り、決して嫌ではない強く優しい風が巻き起こった。

 

「......店主、これは誰から譲り受けた物だ?」

 

 俺の脳裏に、ある事が浮かんだ。それを確かめるべく、オリバンダーにこの杖の出処を尋ねる。オリバンダー本人も驚いた様子で、俺の手の中にある杖を見つめたまま硬直していた。「おい」と少し強めに呼び掛けると、肩をビクッと震わせて俺からの問いに答えた。

 

「この杖は、今から五十年程前に店に訪れた人物が置いて行った物なのです。それがどんな人物だったのか、男だったのか、女だったのかも覚えていません。まるで、その人物の記憶だけ抜け落ちてしまったかのように......」

「...そうか。よし、店主。これはいくらになる?」

「いえいえいえ...! このような代物を売るわけには...!!」

「じゃあ、この杖を俺に譲ってくれ。勿論、この杖の出処は絶対に言わない。なんなら《破れぬ誓い》を掛けようか?」

「と、とんでもない! そこまで言うのならば、この杖は貴方に差し上げますよ!」

 

 おお。言ってみるもんだな。一つ得した。

 早速手に入れた杖を懐に納め、店主オリバンダーに会釈した後、俺は店を出た。

 

 オリバンダーの店を出て、次に向かったのは動物店。

 杖程にこだわりなんてモノは無いが、どうせ傍に置くなら自分の目で見て選びたいと思った。ただ、フクロウにする気は無い。特に理由は無いが、あえて挙げるなら“いつも傍らにいるわけではないから”...だろうか。

 近くにあった動物ペット店に足を踏み入れる。

 見たところ客は俺だけのようだ。店主の姿は無い。だが、奥で物音がする。...店主だろうか?

 

「失礼。誰かいるか」

 

 やや強めに声を出す。

 奥の物音が慌ただしく鳴り、同じように慌ただしい足音の後、この店の店主らしき男が目の前に立った。

 ぽっちゃりした体つきに、無精髭。服のあちこちに動物の毛がくっついている。

 

「へぃ、いらっしゃやせい。すいやせんねぇ...ウチは、他の店とは違って爬虫類、両生類を専門としていやして。餌用のネズミならいるんでやすが、それ以外の猫やネズミを希望されてるんでやしたら......」

「いや、参考程度に廻らせてもらっているだけだ。店主の一押しの動物を見せてくれ」

「え、いや...へぇ。少々お待ちを...」

 

 店主は再び奥へと引っ込んだ。すぐに、重そうな何かを引きずる音がしたかと思うと、離れた場所から「お客さぁん!」と呼び掛けられた。

 

「すいやせんが、こちらへ来て下せぇ! オレにはそこまで『コイツ』を連れて行けそうに無ぇです」

「...わかった」

 

 体格の割りに力が無いのか、それとも、それ程までに重い動物なのか...。期待していないと言えば嘘になる。

 俺は、店主の言う『コイツ』とやらが見たい一心で足早に動いた。

 そこにあったのは、人の背丈程の大きな檻。中には不思議な色の鱗に覆われた大蛇がいた。思わず「おお...っ」と声が漏れる。

 

「見た目の美しさで選んだんでさぁ! でも、コイツ...餌を喰ってくれねぇんですよ」

「そりゃあ、そうだろうな。コイツは肉を糧としていない。コイツが喰うのは“魔力”だ」

 

 自慢と不安でコロコロ表情を変える店主に、真相を告げる。店主は驚いた様子で「大変だ」と顔を青くしていたが、怖がるような事は無い。これがフクロウや猫だったら大変だっただろうが、蛇だったから良かった。

 蛇は大喰らいのイメージがあるが、餌の捕食は少なくとも月に一度。平均でも年間に二十回程しか捕食を行わない。それに、これだけ大きな蛇となると“拒食期間”というものが四ヶ月~五ヶ月程続く。要は、この世界の魔力とは違う能力が強過ぎる俺にとって、絶好のパートナーだという事だ。

 

「店主、この蛇を貰いたい。...いくらだ?」

「へっ!? お客さん、コイツでいいんですかぃ?」

「ああ。それに、このままここにいたら他の魔法使い達の魔力を勝手に喰らってしまうぞ。まあ...無理に、とは言わないが」

「いやいやいやいや...! 本当は大金で売ろうと考えてたんでやすが、お客さんにならその半分......いや、三分の一の値段で結構だ!」

「......いいのか?」

 

 この店主は、この蛇の価値が分かっていないらしい。本来ならば今の値段の十倍~二十倍でも安いだろうに。まあ、得したことに変わりはない。喜んでその値段を支払った。

 さて、教材の殆どはお下がりでいいとして、あとは俺の趣味に使う物だな。鍋と、フラスコと、スポイトと、簡易発火装置。それらで調合する薬草や薬品の数々...。

 それに、薬草学の書籍を数冊。

 

 思わず胸を踊らせ、意気揚々と横丁の中を進むのだった。



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ホグワーツ魔法魔術学校

 朝だ。

 今日から、ホグワーツ魔法魔術学校の生徒となる。

 

 寮生を免除された俺は、校内の隠された部屋の一部で暮らしている。今、校内にいる生徒は俺だけだ。

 入学を祝う為の宴は夕刻を過ぎてからになる。どんな子供達が来るのだろうかと考え、リズを傍らに呼んだ。

 ああ、リズはこの間の蛇の名前である。

 性別が雌である事は分かっていたし、どうせ長く付き合うのだからと可愛らしい『リズ』という名前にしたのだ。だいぶ昔に赴いたことのある世界の狙撃手の名前を拝借させてもらった。あの人は、可愛らしいというより美人だったか...。

 さて、昼過ぎまでリズと話し込む前に朝食にしよう。

 

 出来上がった物は、ドロッとした緑の液体。

 なんてことはない。只の野菜ジュースだ。ちょっとばかり魔法を使って五倍くらい凝縮してあるが...。これを更に凝縮させ、小さな錠剤をいくつも作り出す。......よし。これでいいだろう。

 こんな事をしている理由は、腹を満たす為だ。いつでも、どこでも、好きな時に腹を満たす為の代物だ。本来ならば食事など摂取せずとも生きていられる体だが、腹が減らない訳ではない。そして、俺はリズと違って大喰らいなのだ。成人男性の一日分の摂取量が、俺にとってはオヤツ感覚でしかない。以前訪れたことのある世界でも驚かれたくらいだ。

 この世界では、一日に摂取出来る時間が少ない。と言うのも、一日の大半を授業を受けて過ごすからである。まあ、俺自身は何の影響も受けないが、周りの生徒達はどうだろうか。「腹の虫の音で集中出来ない」などと暴行されそうになるのではないだろうか?

 そんな事にはならないようにしなくては。

 人殺しで退学だけは免れたい。

 

 一粒、口へ放り込み胃へ流す。

 

「ごちそうさまでした」

 

 うん。味も悪くない。腹も膨れた。満足だ。

 さあ、リズと話し込むとしよう。彼女の生まれ故郷の話。家族の話。鱗の秘密。......年齢? いくら動物と言えど、女性に年齢を尋ねるのは失礼ではないか?

 リズとの会話を楽しんでいる中、突然部屋をノックする音が響いた。この部屋の事を知っているのは、俺以外には爺様と数名の教師くらいしかいない。

 

「今行く。少し待て」

 

 まあ、こんな事言っても、外側には何も聞こえないのだがな。扉まで近付くがリズが警戒していない。つまり、扉の向こう側の人間は敵ではないということだ。

 扉を開くと、そこには予想通りの人物がいた。

 

「準備は万端かの?」

「何の用だ、爺様」

「うむ...。一つ伝え忘れていた事があっての。今夜の宴の席で、お前さんには余興をしてもらう事になっておる。今の内に考えて...」

「余興...? まあ、構わんが。何でもいいのか」

 

 このジジイ...。俺が焦る姿を見たかっただけだろう。

 その手には乗らん。余興が見たいと言うのであれば、見せてやろうじゃないか。

 俺がすんなりと承知すると、爺様は少しつまらなそうに「頼む」と呟いて姿を消した。

 

 さて、どんな余興にしてやろうか...。

 

 

 身支度を終え、部屋の隅にある鏡の前に立つ。

 黒いシャツに白のズボン。どこにも属さないという意味で、白いネクタイの首に巻く。

 マダム・マルキンの暴走で出来上がった制服である。

 「普通でいい」と言った俺の注文など一つも耳に入っていなかったようだ。...まあ、他の生徒と区別がつく分には、悪い事だけではないということにしておこう。

 

 さて、そろそろ新入生の組み分けが始まる頃だろうか。

 リズに留守番を頼んで、隠された部屋を後にする。今からなら、全員の組み分け後に登場出来るだろう。

 

 

 

「今年度から新たな制度を設ける事になった。グリフィンドール、スリザリン、ハッフルパフ、レイブンクローのいずれの寮にも属さない...言うならば《インディペンデント》じゃ。......おお、来たようじゃの。彼が、そのインディペンデント生...トール・オルフェウスじゃ」

 

 扉を開いたのと同時に、全生徒と全教師の視線が集中する。その視線の中を進み、教師側のテーブルへ向かう。爺様は《インディペンデント》についての補足条項を語り始めた。

 

「インディペンデント生は、他の寮生とは違って得る得点は存在せん。代わりに、毎週一番得点が良かった寮に属し、インディペンデント生が取った得点はそのままその寮の得点となるのじゃ。...もし、この中に《インディペンデント》になりたい者がおるのなら、我々教師全員の推薦状と、森の番人と城の番人の推薦状が必要となる事を付け加えておこうかの」

「御紹介に預かった、トール・オルフェウスだ。新入生一同は、俺と同級生という事になる。せいぜい頑張って勉強に励んでくれ。──さて、ここで俺からの贈り物だ。清聴してもらえるとありがたい...」

 

 鼻から大きく息を吸い込み、喉を震わせて音を奏でる。

 雑談に湧いていた者、一人だけの思考に浸っていた者、批難の声を上げていた者。この場にいる全ての者は、俺の歌声に惹き付けられていた。

 静寂の中で響くのは、異なる世界で神に捧げるモノとして祝いの場でよく歌われていた曲。曲名は覚えていない。彼らには、聞いたことのないリズムとメロディと言語が一度に耳に入って行く。全ての意味を理解する事など不可能だろう。それでも、静寂が崩れる事はなく歌い切った。

 色々な表情の者達がいる中、役目を終えた俺は「御静聴、感謝する」とだけ告げてその場を離れ、爺様が特別に用意したインディペンデント生用のテーブルに着いた。目の前に並ぶ料理の数々に舌鼓を打ちながら、各寮の監督生との雑談を楽しんだ。

 

 

 翌日。少し早く教室に向かおうとしていた俺を足止めしたのは、眼鏡を掛けた男子だった。背丈、顔付きからして俺と同じく一年生と見ていいだろう。...あのローブの色からするに、グリフィンドール生か。

 

「おい!」

「そんなに怒鳴らなくても聞こえている。それに、俺は『おい』なんて名前ではない」

「うるさい! お前、いい気になるなよ。あんな歌で、僕の心が動かされたと考えるなよ! いつか、お前を超えてやるからなっ!!」

「......そうか。頑張れよ」

 

 威勢のいい少年だな。...さて、どこの教室だったかな?

 眼鏡の少年をその場に残して、教室のある棟へと急いだ。

 

 

 

「おーい、ポッター! 早く行こーぜ!」

「あ...ブラック」

「シリウスでいいって! 今の、昨日歌ってたオルフェウスって奴だろ? どうしたんだ?」

「......絶対に、超えてやるっ...!」

 

 去って行くトールの背中を睨み付けながら呟いた一言に、全てを察したシリウスは気まずそうに「あー」と声を漏らした。

 

「女子の目がハートになってたもんなぁ。ほら、あの子も...えーと、リリー・エバンズだっけ?」

「絶対に負けないんだからな!」

「じゃあ、この後の飛行訓練で勝負したらどうだ?」

「それだ!! 僕の事はジェームズと呼んでくれ、シリウス!」

 

 ガッチリと交わされた握手。その後、彼らの関係が友人から親友という悪友になるとは誰も思わなかった。たった一人を除いて...。

 

 

 

 

 

 

 

 

「よし、勝負だ!」

「......」

 

 午後からの箒を用いた飛行訓練の授業にて、目の前に現れた少年の第一声がそれだった。まあ、教師からも、自由に飛行して良いとの許しが出ていた事だし、問題は無いかと思われた。だが、勝負...ねぇ。

 

「まあ、飛行の勝負だとは思うが...。どんな勝負なのか聞いても構わないか?」

「箒に乗って、あそこの鳥を先に捕まえた方が勝ちだ!」

 

 少年は箒に跨ると、ふらつきながら浮いて行く。

 堂々とフライングか。ふっ...。駄洒落のつもりだろうか。いや、単なるズルだな。

 勢い良く飛び出した少年は、逃げ回る小鳥達を追い掛ける。初めての飛行にしては上手い方だろう。だが、小鳥は追い掛ければ追い掛ける程逃げ回る。いつまで経っても、距離は縮まる事はない。

 俺は、箒の柄に足を掛け浮かび上がる。

 箒に乗るのも久しぶりだが、どこの世界も変わらないな。

 

「そこの小鳥。来い」

 

 少年から逃げ回っていた小鳥達が、こちらに向かって飛んで来る。嬉しそうな小鳥もいれば、必死に向かって来る小鳥もいた。まあ...どう来ようが、俺の勝ちに変わりない。少年が悔しそうに睨んでいるが、元々は少年が持ち掛けてきた勝負だ。文句はあるまい。

 

「俺の勝ち、だな」

「ぐっぅぅう...! 次の授業で勝負だ!!」

 

 少年の宣言通り、次の授業でも勝負を持ち掛けられた。その次の授業でも。その次も。その次も。その次も...。

 入学早々から退屈せずに一週間が過ぎた。少年は休日にも勝負を持ち掛けてきたが、それは流石にお断りさせてもらった。俺にもやりたい事があるのだ。全ての挑戦を受ける程、俺は暇ではない。

 そう言えば...一週間の内に、変化があった。主に、少年の周りに付いている人間の事だ。黒髪の少年の他に、彼らの後ろを付いて回る気弱な少年をよく見るようになった。そして、彼らが俺の他に目の敵にしている人物がいる事が分かった。

 翌週からはスリザリンと共に行動する機会が増えるだろう。少年の例の勝負癖は、グリフィンドールを減点に繋げる行為として定着しつつある。現に今、グリフィンドールの獲得点数の半分を少年一人が台無しにしている。

 しばらくは静かな授業が臨めるだろう。

 

 

 さて、今日は禁断の森に行く予定だ。爺様にも許可を貰ったし、森の番人であるルビウスに同行してもらう手筈になっている。禁断の森にしか棲息していない動植物の採取が主な目的だ。課題? いやいや。単なる趣味に過ぎない。

 

 城の外は未だ霧に包まれており、視界に映るものは限りがある。ルビウスは「危険だからやめておけ」と諭したが、この霧が出ている間にしか姿を見せない動植物がいるのだ。これ程までいい機会は滅多に無い。これを見逃す理由はどこにも無い。ルビウスは諦めた様子で付いて来ているが、少し離れただけで彼の大きな体さえ見えなくなる。

 どうも俺は熱中しがちなようで、ルビウスが連れて来た番犬のファングによく吠えられた。俺がはぐれてしまわないように...というのは理解出来るが、そこまで吠えられてしまうと貴重な動植物達が逃げてしまう。注意しなくては......。

 

「──お...!」

 

 目的の物が見つかった。思わず大声を上げそうになってしまったが、なんとか堪らえる。

 俺の目前には、黄色や紫、緑に青...といった様々なイボを背中に生やした大きなカエル。カエルを傷付けずにイボを採取する事が出来れば、様々な実験が可能になる。

 さて、とりあえず──

 

「──ペトリフィカス・トルタス(石になれ)」

 

 人間以外の生物にも呪文が効くかと少々不安だったが、俺の声を聞いたカエルは石のように固まってしまった。実験は成功と言える。

 すぐに試験管を数本とピンセットを取り出し、色の違うイボを一つずつ採取していく。カエルを傷付けないように、イボを潰してしまわないように神経を尖らせる。

 

 全てのイボを取り終えるまでに三十分も掛けてしまった。

 

「フィニート(終われ)」

 

 呪文終了を唱えると、カエルは逃げるように去って行った。まさか、己が呪文を掛けられるとは思いもしなかっただろう。驚かせてしまったな....。

 さて...。あとは霧が晴れるのを待って、夜まで散策を続けるつもりなのだが、ルビウス達はいつまで付き合うつもりだろうか?それにしても静かだな。微動だにしないし、まるで石のよう......。

 

「フィニート(終われ)!」

「っぶはぁ!!」

「すまん。どうやら、呪文が広範囲に拡散していたらしい。......何気に制御が難しいな」

「一生あのまんまかと思っちまった...」

 

 ルビウスに続いてファングも弱々しく吠えた。

 その後、小屋をずっと留守にはしておけないと言ってルビウスは帰った。まだ採取を続けたい俺には番犬のファングを残したが、大丈夫なのか、こいつ...。尻尾が下に巻いているし、小さな音に敏感過ぎて悲鳴と威嚇が混ざったような吠え方をするし....。

 

 

 この時、もし早めに散策を切り上げていたら『彼』に気付くのが遅れてしまっていたかもしれない──。



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交渉

 禁断の森にて、番犬ファングと動植物の採取を続けていたのだが、ファングの様子と雲行きが怪しくなっていた。森の奥に進む度に吠えられてしまい、採取どころではなくなっていた。

 まだ月が昇って間も無いというのに......。

 仕方がない。ここら辺で中断するとしよう。それにしても、こんな様子でよく番犬が務まるな。まあ、ルビウスの飼い犬になってしまったのが運のツキだな。

 

「......分かった。帰るよ」

 

 口から「ぶっ殺すぞ」などと物騒な言葉が出そうになるのを抑えつつ、森から出る道を進む。木々の隙間から満月の月明かりが照らし、いい具合に道標となっている。

 残念なのは、隣にいるのが弱虫の番犬である事だけだ。

 

 ──ふと、何かが聞こえた。

 ......獣の、鳴き声......?

 

 おかしいな...。

 この森に入ってから敵対しそうな生き物だけに殺気を放っていたのに、この獣の鳴き声はそれらとは異なる...が、明らかに敵対心を剥き出しにした声だ。

 ならば、この声の主は? 森の生物ではない獣か......?

 

「ファング。お前は先に帰れ。夜が明けても俺が帰らなかったら、爺様に知らせろ」

 

 ウオゥッ!

 ファングの鳴き声は喜々としていた。

 

 駿馬の如く駆け抜けて行く姿を見送り、あれが脱兎でなければなぁ...などと考えながら鳴き声がした方へ足を向ける。俺の殺気を物怖じしない生物をこの目で見ておきたいと思ったからだ。

 さて、森の木々たちの声に耳を傾けてみようか。

 

 

 

 

 ──......ォォ...ォォォ......ン...。

 

 森を進む度に、鳴き声が近付いているのが分かった。

 この鳴き声は狼に似ている。

 

「......やはり、お前か...」

 

 俺が声を掛けると、鳴き声の主は吠えるのを止め、こちらを見る。歪な体。獣のようで人のような姿。大きく裂けた口からは唾液で濡れた長い舌が垂れ下がっている。月明かりに照らされ、そいつの姿が顕になった。

 

「人狼......。リーマス・J・ルーピン...だな」

 

 確か、こいつは俺と同じ新入生。幼い頃に別の人狼に噛まれ、同じく人狼になったと聞く。まさか、こんなにも早く接触出来るとは思ってもみなかったが、これはこれでいい機会だろう。

 

「お前、その姿の時でも人間の言葉が分かるのか?」

「グルルルル...」

「警戒しているな。賢い判断だ。俺を八つ裂きにしたいか?」

「ガゥルルル......ゥゥゥ...」

「言葉は通じているようだな。頭もいい。俺に手を出さないだけ冷静だと言える」

 

 だが、それもあと何年かすればコントロールが効かなくなるだろう。これは好都合だ。いい実験台を見つけた。

 

「──そこにおるのは誰じゃ...?」

 

 人狼の背後に《姿現し》でその場に降り立ったのは、見慣れた姿の老人。若干、慌てた様子なのは初めて見る。

 

「よお、爺様。夜の散歩か?」

「トール...!? お主、ここで何をしておる」

「何って、動植物の採取に決まっているだろう。爺様には許可を貰っていたはずだが?」

「わしが許可したのは禁断の森だけじゃ」

 

 はて? いつの間に禁断の森を出たのだろうか。そもそも森を抜けた記憶は無い。ならば、ここはどこだと言うのだろうか。

 首を捻っていると、爺様から呆れたような溜息が漏れるのを聞いた。

 わざとではないと理解したらしい。

 人狼は俺を警戒しつつ、噛み付く隙を狙っていた。しかし、爺様が現れたことで状況は悪くなり、低い唸り声を響かせながら体勢を低くし、いつでも飛び出せる姿勢で構えている。逃がすわけが無いだろう。

 

「“動くな”!」

「グッガアァ...!!」

「危ない、危ない...。逃げられでもしたら大混乱に陥るところだ。おい爺様。こいつを匿える建物は無いのか?」

 

 状況の把握が追い付いていない様子の爺様に簡単な説明をした後、その爺様の案内で“叫びの屋敷”へと移動した。

 

 

 

 

 叫びの屋敷に辿り着き、少しばかりの休息を取る。

 禁断の森からいつの間にかホグズミード域まで足を運んでいたらしく、10点の減点を喰らった。...すまん。スリザリン生。更に、同伴無しで禁断の森を彷徨いていた事も10点の減点対象となった。つくづくすまん。スリザリン生。来週からマイナス20点からのスタートとなる。......まあ、頑張ればいいか。

 さて俺が減点対象の行動を取っている間、爺様は何をしていたのかと言うと......リーマス・J・ルーピンの隔離、だそうだ。

 そもそも、満月の夜に変貌を遂げてしまう運命にある人間が何故入学を受け入れられたのか。それが爺様の仕業である事は承知している。爺様は、満月の夜には必ずこの叫びの屋敷へ赴き、リーマス・J・ルーピンを隔離していたようだ。

 人狼となって人格を失った彼は、爺様の隙を突いて屋敷から逃げ出したらしい。そして、森で俺と出くわした...というわけだ。

 

「彼はいくつの時から人狼に?」

「お前さんなら、知っておると思っておったがの...」

「残念ながら俺が知るのは未来で騒がれる事くらいだ。過去の事は知らん。記憶から探るのは可能だが、この世界の理(ことわり)と異なる為かやたらと疲れる。出来ればあまり使いたくないのでな」

 

 爺様の話によれば、彼が人狼になったのは今から六年程前。5歳の誕生日を迎える前だったらしい。

 彼の父親が人狼を侮辱した事が原因で、侮辱された人狼の一人がその腹いせにリーマスに噛み付いたのだとか...。気の毒としか言いようのない状況だな。

 爺様は11歳の誕生日の前日に彼らの家族の前に現れ、リーマスをホグワーツへ入学させると告げたらしい。それまで家に閉じ込められ、他人との関わりを遮断されていたリーマスにとって、それはそれは嬉しかったに違いない。満月の夜には叫びの屋敷に閉じ込める、という条件の基、ホグワーツへの入学を許されたのだ。

 彼にとって、我慢するのはそれだけだ。あとは、いくら他人と付き合っても叱る人間はいないのだ。「家にいた頃よりも自由だ」と爺様に話した事もあるらしい。

 

「爺様。こいつ、俺の実験台にしてもいいか?」

「何をする気じゃ」

「独自開発した薬品を試したいだけだ。無論、危険だと判断したら止めればいい。...因みに、俺が試したい薬品の名は《脱狼剤》だ」

「.........」

 

 生徒を実験台に...などと言われて二つ返事で了承するはずはない。だが、このジジィに嘘をついたところで瞬く間にバレるのは目に見えている。そのせいで交渉の機会が無くなるより、美味い餌をチラつかせてみた方が可能性はあると考えた。その鍵となるのが《脱狼剤》だ。

 脱狼剤は、人狼にならないようにする薬などではなく、人狼になった際に本人の意識を保たせる為の薬だ。つまり、人間の人格や理性を保たせる.......という代物である。

 爺様にもその餌の効果はあったらしく、渋い顔をしたまま首を縦に振った。但し、条件付きでだ。

 

 条件その一。実験をするにあたり、生徒には極力秘密にし、先生方には報告すること。

 条件その二。危険な薬物を使用する際には、爺様に前もって報告すること。

 条件その三。リーマス自身が拒絶した場合、即中止とすること。

 条件その四。実験の結果と効果の記録を爺様に定期的に提出すること。

 

 以上の条件で手を打った。

 

「そんな事でいいのなら、喜んで手を打とう。もうすぐ夜明けだ。では爺様、俺は授業がありますので失礼。──おやすみなさい」

「うむ。...おやすみ」

 

 さて、さっさと我が部屋に戻るとしよう。明日からは忙しくなる。そう思うと思わず浮き足立ち、早足で帰るつもりが全力疾走していた。

 

 部屋に到着後、俺はすぐ眠りについたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

「リーマス!」

 

 次の授業がある教室へと向かう途中、やや猫背の少年に声を掛ける。振り向いた少年の顔色は悪く、俺とは違った青白い肌をしていた。呼び掛けたのが俺であると気付いたらしく、少年は安堵の表情を見せた。

 

「トール...どうしたの?」

「姿が見えたからな。ついでに状態観察でもしておこうかと」

「だいぶ楽だよ。この間は二百まで数を数えられたし...」

 

 爺様との交渉から既に三ヶ月が経つ。

 リーマス自身、最初は抵抗が見られたが一度目の実験結果が思ったよりも良かった事から、しだいに彼から声を掛けて来るようになった。今では、互いにファーストネームを呼び合う仲だ。

 さて、リーマスの言葉を疑うわけではないが、脳や神経に耳を傾けてみる。彼自身が気付いていない事柄を知る為には必要なのだ。リーマスもそれを嫌がりはしない。結果的に自身の体への負担を軽減する事に繋がると理解しているからである。

 

「......なるほど。お前の言う通り、経過は順調のようだな」

「本当に!? よかった...。ねえ、トール。その...薬の味は...変えられないのかな......」

「時間が無くて試してはいないが、苦味を抑えられるか実験してみようと思ってはいた。なんだ? 苦いのは嫌いか?」

「......うん」

 

 消え入りそうな声で頷く姿に、思わず吹き出してしまった。それとほぼ同時に予鈴の鐘が鳴り、一旦別れてそれぞれの教室へと足を早めた。

 

 

 

 

 今週はスリザリン生との授業。

 グリフィンドールでは相変わらず眼鏡の少年が大暴れしているらしく、あまり顔を合わせる事が無い。

 勝負を申し込まれるのは毎度の事だが、そもそも何故俺との勝負にこだわるのかが分からん。少年の名前さえ知らん状況だ。今度、リーマスに尋ねてみるとしよう。

 さて、次の授業は魔法薬学だったか。

 先週の授業では別の寮生での参加だったが、なかなかに面白かった。

 独自開発した薬品があるとはいえ、独学だけでは些か頼りない。リーマスを危険な目に合わせる気は無いし、俺自身がそれに巻き込まれるつもりも無い。一年生の内は基本的な事しか習わないが、無知であるよりいくらかマシだ。

 

「失礼だが、隣は空いているだろうか」

「ああ...」

 

 教室に入るなり空いている席を探す。だが、残念ながら一人になれそうな席は空いておらず、通路側の席を大幅に空けて座る少年に声を掛けた。誰かと待ち合わせでもしているのかとも思ったが、あっさりと相席を許す辺りそうではなかったらしい。

 さて...。隣の少年、先程から睨んで来るのだが。

 何かしてしまったのだろうか?

 それを尋ねてみようとすると、体中から「関わってくんな」と拒絶のオーラが溢れ出す。......まあ、いいか。

 

「はい! 皆さん揃っていますか? 揃っていなくても始めます。では、28頁(ページ)を開いて!!」

 

 28頁...。先週習ったばかりだな。項目は“地上と水中の薬草の見分け方と採取方と使用方”。50頁に渡り薬草の種類が詳細に記されており、その生息地、採取方、使用方が簡潔に記されている。見分け方については、項目のすぐ下に「地上にあるか、水中にあるかである」とだけ...。もっと他に言いようがあっただろうに。

 そう言えば、38頁に気になる植物があったな。確か...苦味を消す効果のある薬草だった。ただ、生息地が遠かった事を覚えている。

 

「失礼」

「──であるから...ん? なんだね、Mr.オルフェウス。私の貴重な受講時間を無駄にす」

「ただの質問だ。38頁の薬草について、一つ質問したい」

「......ふむ、何かね?」

 

 俺の口調が気に食わないのか少々不貞腐れていたが、そんな生徒から質問された事に喜んでいるようにも見える。無駄にプライドの高い教師はあまり好かない。相手をするのは面倒だ。

 

「とある薬を処方中である事はご存知だと思うが、この苦味を消す効果のある薬草は効果的であると思えるか?」

「んん? “シムガニ藻草”かね。この薬草は確かに苦味を消す効果があるが、調合される薬草によっては強い酸味を出す。そもそも、ホグワーツには生息しておらんよ。因みに──」

 

 生息云々は分かっている。効果があるかどうかを聞いているのだ。答えは簡潔に済ませてもらいたい。長話が始まる前に早々と切り上げ「先生、流石ですね」と心にも無い事を言葉にする。その言葉を間に受けたらしく、教師は機嫌良く受講に戻った。

 

 はあ...疲れた。

 この教師には、お礼としてこの間のカエルのイボの珍しいサンプルを渡しておく事にする。



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『とも』と呼べるモノ

 魔法薬学の授業が終了し、退席しようと席を立つと背後から「待て」と声を掛けられた。

 俺の隣に座っていた少年だ。

 

「何か用か?」

「ふんっ。用件がなければ声など掛けはしない」

 

 まあ、それはそうだ。俺とてそんな無駄な事はしないだろう。

 

「貴様、オルフェウスと言ったな。さっきの話だと、薬を処方中らしいが誰に許可を取っている。薬によっては魔法省も出てくる問題になり兼ねないぞ」

「...ふむ。最もな意見だな。訳あって処方中の薬品は明かせないが、危険な物では無い。許可なら爺様にもらっている」

「爺様...?」

「おっと、すまない。普段の癖でな...。ダンブルドア校長に許可をもらっている」

 

 爺様が校長であると話したのは随分と久しぶりだな。リーマスに紹介した以来になるだろうか。目の前の少年も、あの時のリーマスと同じように青ざめた顔で固まっている。リーマスと違うのは気絶しなかったくらいか。

 

「あまり他言してくれないと助かる。いずれは知れ渡るとはいえ、大袈裟にはしたくないのでな。...名前を聞いても差し支えないか?」

「............セブルス・スネイプ」

 

 何だ、今の“間”は。

 名乗りたくなかったのなら、名乗らなくともどうこうする気は無かったのだが。それ程まで自分の名が嫌いなのか、それとも、俺に名を知られるのが嫌だったのか...。授業中の視線とも何か関係があるのだろうか?

 スネイプは「他言はしない」と呟いた後、俺より先に教室から出て行った。

 さて、次は何の授業だったか...。

 

 

 

 次の授業が変身術だと思い出し、別の棟へ移動する途中で彼と鉢合わせになった。

 

「勝負だ!」

「......」

「こら、無視するな!」

 

 眼鏡の少年。お前は暇なのか?

 因みに俺は移動中だと、声を大にして言いたい。

 

「次の授業、グリフィンドールとスリザリンの合同授業だろう? そこで、お前と勝負だ!どちらが上手く変身術を使えるかどうか!」

「先生が良いと言えば考えてやる」

 

 よくもまあ飽きないものだと関心してしまう。

 眼鏡の少年。その変身術の授業があと5分程で始まってしまうと気付いているだろうか? 今から行けばギリギリアウトになる時間だ。それを知ってか知らずか、少年はそのまま走り去って行ってしまう。

 変身術の先生はマクゴナガルだったな。

 彼女はどの寮の生徒も平等に扱う事で多くの生徒からも評判だ。その代わり、平等であるが故にとても厳しい事でも有名だ。遅刻などすれば少なくとも5点は減点される。

 まあ、それは然程問題ではない。問題は、減点分を取り戻すだけの行動を起こさなければならないという事だ。

 

「...なんとかなるだろう」

 

 

 

 

 

 

「Mr.オルフェウス。遅刻した罰として5点の減点です」

「了承した」

「何か言いたい事はありますか?」

「いいや。先生の授業に遅れたのは事実であるし、それについての言い訳になるような事実も無い。ならばスリザリンの皆には悪いが、その減点を受け入れるしかあるまい」

「結構。...では、授業に戻ります」

 

 マクゴナガルは背にしていた黒板に向きを変え、途中であったであろう記述の説明に戻った。

 本日の授業は物体の変化。物体を別の物体に変化させるというものだ。

 黒板には、それぞれの物体の違いと、それをしっかりと把握する事の大切さが記されていた。

 まずはマクゴナガル自らが手本を見せる。呪文を唱え、傍らのガラス細工の鳥をみるみる間にゴブレットに変えてしまった。

 

「それでは皆さんもやってみましょう。ゴブレットでなくとも、自分が想像し創造しやすいと思える物なら何でもよろしい。出来た者には5点を差し上げましょう」

 

 それを聞いて勢い良く立ち上がったのは、他でもない眼鏡の少年だ。

 

「先生! オルフェウスとの勝負の許可をください!」

「急に何です、Mr.ポッター。そんな事をして何の意味があると言うのです?」

「少なくとも、僕のやる気が出ます!」

 

 ああ...。この少年がジェームズ・ポッターだったのか。ならば、その近くにいる黒髪の少年がシリウス・ブラック。気の弱そうな少年がピーター・ぺティグリューか。すぐ後ろにリーマスの姿もある。なるほど。噂通り、傲慢な性格をしている。

 

「Mr.オルフェウス。彼はこう言っていますが、どうしますか?」

「先生が許可すると言うのなら考えてやると既に告げてある」

「では、この結晶の欠片を使って何かを創ってごらんなさい。優れている方に10点をあげましょう」

 

 そう言って教卓に結晶を山になる程ジャラジャラと落とす。結晶の色は無色透明。欠片と言うだけあって、小指の第一関節程度の大きさしかない。

 ポッターが先に杖を構える。

 呪文を大声で唱え杖をリズムよく振ってみせると、沢山の結晶の欠片は白鳥の形に様変わりした。結晶にはくすみも濁りも無く、蝋燭の灯りを反射させて綺麗に輝く。

 ほう...。なかなかだな。

 

「次はあなたです。準備はよろしいですか?」

 

 残った結晶の欠片を手に取る。無色透明なのは不純物が一切含まれていないからであると分かる。なら、アレを創造しておけばいいだろう。

 懐から銀色の杖を取り出し、円を描くように振るう。

 欠片は宙を舞い、俺の手の中で渦を巻く。欠片同士を繋ぎ合わせて一つにする。そこに現れたのは赤から青へのグラデーションがかかった結晶の玉。

 マクゴナガルが拍手をする中、生徒だけがポカンとしていた。ふむ。...彼らにはまだコレの価値が分からなかったらしい。

 

「では、勝負の結果を発表します。──スリザリンに10点!」

 

 マクゴナガルの結果発表に、グリフィンドールからは溜め息。スリザリンからは歓喜の声が上がった。それを掻き消すような鐘の音が授業の終了を告げた。...さて、こちらを睨み付けているポッターに説明してやるとしようか。

 

 

 

 

 

「納得出来ません! 説明してください!」

 

 授業の終わりと共にポッターが喰って掛かる。

 マクゴナガルの判断は間違ってはいない。だが、この玉の正体が理解出来ていないポッターには納得し難いものだったようだ。まあ、この玉は魔法だけで創った代物ではないからな。それも仕方あるまい。

 

「ポッター。これは水晶玉ではありません」

「はっ? え...?」

「手に取って、よくご覧なさい」

 

 マクゴナガルは玉をポッターへ手渡し、それの観察を勧めた。ポッターは言われるがままに観察を始める。マジマジと見つめ、光に当ててみる。それでもまだ、この玉の正体に気付けないでいるようだった。

 

「マクゴナガル。いくらポッター家の者とはいえ所詮は子供。これの価値を理解するにはまだ早いだろう。......いいか? お前が白鳥にした物はコランダム鉱石の結晶だ。不純物が一切含まれていない為に、ここまで澄んだ結晶となっている」

 

 だからなんだと言わんばかりに顔をしかめるが、気にせずに話を続ける事にする。

 

「俺が行ったのは結合魔法。物と物を一つにする魔法だな。お前が結晶と結晶を結合させたように、俺も結晶とある物を結合させた結果がこれだ」

「結晶以外の物を使ったのか!? ルール違反だぞ!」

「おそらく、お前が言うルール違反とは結晶以外の物体を混ぜた...という事だろう。残念だが、半分は違う。俺が使ったのはこれだ」

 

 そのまま人差し指を上に向ける。そう。これが、俺が使った物。指が示す場所には何も無い。いや、目視出来ないのだ。もちろんこの場にいる全員に当てはまる。俺も例外ではない。

 

「そう睨むな。誤魔化している訳ではない。...さて、俺が使った物は物体ではなく物質。この空気中にあるクロムとチタンだ」

「クロム...? チタン...?」

「ふむ...。この空気の中には目視出来ない程小さな物質がある。酸素や二酸化炭素などがそれだ。俺が使ったクロムとチタンも同じくな」

「お、おう...」

「この無色透明の結晶と、先程の二つをそれぞれ結合させると面白い事が起こる。クロムを結合させると赤く、チタンを結合させると青くなる。──因みに、赤い方がルビー。青い方はサファイアだ」

 

 名付けるならば『紅蒼玉』。

 ポッターは、手に取っている物が大きな宝石の塊であると知って目を丸くする。

 魔法の世界での宝石の価値がどんなものなのか知らずにいたのだが、彼の反応を見る限り底辺という訳ではないらしい。高額で売れそうだな。

 

「さて、納得してもらえただろうか? 用が無いなら、俺は失礼させてもらう」

「......」

 

 返事は無い。

 待つ理由も無いし、帰るか...。

 

「マクゴナガル。紅蒼玉はあなたに贈らせていただく。オブジェにするなり、誰かに贈るなり、好きにしてくれ。では、失礼」

 

 一礼し、踵を返す。

 さて、今日の授業は全て終了したし、スプラウトの所に訪ねて薬草を.........。誰だ? 俺のローブを掴んでいるのは。

 振り向くと、ポッターが悔しそうに眉間にシワを寄せていた。彼の手は、俺のローブをしっかりと掴まえて離さない。

 言いたい事があるのだろう。だが、その言葉が出て来ない...と。唇を噛む姿が痛々しい。

 

「勝負はもう終わりか...」

「はっ!?」

「何だ? “参りました。もう勝負は挑みません”と言いたいのかと思ったのだが...違うのか?」

「なっ! そ、そんな訳ないだろう!? 次こそ勝ってやる!!」

 

 ポッターはそう叫んで走り去る。

 意外と単純だな、と密かに思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ポッターを煽り立ててから三日目。

 周りの雰囲気の違いが目立って来ていた。

 

 全体的にそわそわしている。...そのような感じだ。

 外は鉛色に染められ、上空からは純白の淡雪が音も無く地上降り立つ。月日が経つのは早いもので、もう十二月となっていた。

 

「リーマス、今月の分だ」

「ありがとう。あ、そういえば明日は何か用事があるの?」

「いや。リズの冬眠予定の日にち確認以外の用事は特に無い。...明日、何かあるのか?」

「何か...って、クリスマスイブパーティだよ」

 

 クリスマスイブ?

 はて? そんな予定があっただろうか? 確か、物語には無かったような...。見落としたのか?

 

「トール」

「あ、爺様。...何か用でも?」

 

 リーマスが慌てて頭を下げると「よいよい」と笑って許す。この笑顔の時は、また面倒臭い仕事を持って来たに違いない。

 

「明日のパーティの余興に、お前さんの歌を是非にと言う者がおっての。頼まれてくれんか」

「......はぁ。分かった」

 

 どうせ嫌だと言っても聞いてはくれないのだろう。

 “是非にと言っている者”というのも爺様以外に考えられんしな。諦めるのが最も有効な手段だ。

 さて、そういう事となれば選曲しなければならんな。

 そんな風に考えている中、爺様の「それとじゃな...」という声が俺の思考を遮った。嫌な予感しかしないのだが......。

 

「その余興では是非、お前さんの友人を出席させてほしいのじゃ。パーティにはパートナーが必要じゃからの」

「爺様......まさか...」

「うむ。では、明日を楽しみにしておるからの」

 

 自分だけの用件を済ませ、さっさとその場を去る。そんな爺様の背中を眺めながら俺は落胆せざるを得なかった。空気を読んだリーマスが慰めてくれるが、それがかえって惨めになる。

 リーマスには、明日の余興の準備に入ると告げて別れ、自分の部屋へ直行した。

 

 

 

 俺の往く道を遮ったのは、プラチナブロンドの長髪をなびかせた青年。その立ち振る舞いからして上級生だろうか。

 横暴な雰囲気が滲み出している青年に知り合いはいない。だが、心当たりはある。試しに、その名を呼んでみる事にする。

 

「──ルシウス・マルフォイ」

「ほぉ...。私の名を知っていたとは光栄だ。だが、目上の者への敬意が欠けているようだな」

 

 当たっていたようだ。

 口を開いても横暴な雰囲気に変わりは無い。

 

 ルシウス・マルフォイ。物語に多く登場し、闇の帝王の味方に付く闇の魔法使いの一人。未来では、魔法省の偉い立場に身を置くらしいが、実力かどうかは不明だな。

 さて、こいつは俺に何の用なのだろうか。

 

「目上...? 俺よりも目上の者がこの場にいるのか? まさか、自分の事を言っている訳ではあるまい。上級生だからといって、俺よりも優れていると本気で思っているような、そこらの底辺の奴らと同じ考えでの発言だろうか」

「貴様...っ!」

「何だ? 呪いか。唱えられるものなら唱えればいい。お前が闇の魔法使いである事は既に気付いているぞ。隠す必要は無い」

 

 こんな簡単な挑発に乗って来るようなら大した事は無い。相手にするまでも無い人間だという事だ。爺様に報告していないだけでも感謝してほしいところなのだがな。

 純血主義の彼にとって、どこの馬の骨とも分からない俺を見下したい気持ちは分からなくは無い。

 死神の俺にとって、人間とは見下せる存在でしかないのだ。先代の死神は、人間を見下し、操り、己の快楽の為に使役していた程だ。流石にそこまでやるつもりは無いが...。

 逆上し懐の杖に掛けた手をゆっくりと離す。マルフォイは、挑発には乗らずに何かを悟ったかのような笑みを浮かべた。

 

「素晴らしい。貴様になら、我らが主に仕えてもいいかもしれん」

「断る。ヴォルデモートは好かん。顔も、性格も最悪な男だ」

「あの方をそんな風に語るな!問答無用で殺してやるぞ!」

「ほぅ...。殺れるものなら、やってみるがいい」

 

 再び逆上し、今度は懐の杖を取り出した。

 主君の為に尽くす姿はなかなかに感心出来る。しかし、感情をコントロール出来ないのであれば、いくらセンスが良くても二流だ。故に、彼が今、放とうとしている呪いに掛かる義理は無い。

 

「クルーシォ......ッ!?」

「......」

 

 手首だけを動かし、マルフォイの杖を弾く。

 弾かれた杖は重力の抵抗を受けながら落下し、遥か後方にカランと音をたてて地に着いた。

 

「目上と語るならば、俺から武器を取り上げられないようになってからにするんだな」

「ぐっ......!」

「では、失礼」

 

 さて...。背後からの襲撃の危険も心配無さそうだ。

 あれが何年後かには、死喰い人(デスイーター)となり闇の帝王と共に魔法界を絶望に追いやるのかと思うと、その時が楽しみで、思わず口端が吊り上がりそうになる。

 まあ、その時までこの世界にいるとは限らんし、期待し過ぎるのは止めておこう。

 とりあえず、今は明日の事を考えなければ...。

 今から行うべき事項をイメージし、マクゴナガルのもとへと足を早めた。

 

 

 

 

 

 

 道中、遭遇したMrs.ノリスにマクゴナガルの居場所を聞き出し、中庭の石像の前で待ち伏せている。

 数分後出て来たマクゴナガルに声を掛けると、予期してなかったらしく若干驚いた顔を見せた。

 

「どうしたのです? 校長に何か用事でも?」

「いや、マクゴナガルに用がある。急遽、変身術を行わなければならなくなってな。手ほどきをお願いしたい。......文句は爺様に言ってくれ」

 

 彼女は困惑気味に聞いていたが、最後の一言に納得したのか「ああ...」と声を漏らす。予め爺様から何か言われていたのかもしれないが、あの一言だけで納得される程、爺様の奔放さは昔から変わらないという事を示した態度だった。

 

「いいでしょう。ところで、いったい何に変身するつもりなのです?」

「変身するのは俺ではない」

「では、誰を...?」

「それは──」

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日。夕刻に差し掛かり、私服姿の生徒達が広間へ集まる。友人と固まっているグループもあれば、男女で楽しそうに寄り添う者もいる。テーブルには、七面鳥やブッシュドノエル、その他様々な国や地域のクリスマス料理が並べられた。

 全ての生徒が席に着いたのを確認し、爺様の号令を合図にパーティが始まった。

 ヒキガエル合唱隊を拍手で送り、広間が再び雑談で賑わい始めたのを遮るように、爺様の無駄に響く手拍子が静寂を生み出した。──そろそろ出番か......。

 

「ここで、トール・オルフェウスから歌のプレゼントじゃ」

 

 その言葉に反応して様々な声が上がった。

 女子による黄色い歓声。男子による野太い歓声。一部から聞こえるブーイング。それら一切を気にする事なく、俺は設置された壇上に足を掛ける。──一人の女性を引き連れて。

 

「今宵の宴に相応しい歌を贈ろう。では、挨拶を...」

 

 俺の隣に立つ女性が頭を下げる。

 銀色の柔らかい長髪に、満月のような金色の瞳。人形のように整った顔。絹のように滑らかで白い肌。

 生徒だけでなく先生の席からも聞こえるざわめきが、俺の心の達成感を満たした。

 

「わたくしの名は、シュア・アルクス。僭越ながら、私も皆様方に歌声をプレゼントさせていただきますわ」

 

 「では......」と始めて、俺の声を邪魔せず劣らず美しい歌声に誰もが耳を傾けている。三曲ほど続けて歌い、曲名は忘れたがいずれも異なる世界の“聖夜”と呼ばれる政(まつりごと)で歌われていたものだ。

 これを彼女に憶えてもらうのに一日を費した。結局、全てを憶える事は出来なかったが、シュアの透き通った高音の歌声は心地よく響いた。

 

 

 

 

 

「トール!」

 

 パーティも終わり、部屋へ戻ろうかと腰を上げた俺を誰かが呼び止めた。俺の名を呼んだ少年は、人混みを掻き分けながら走り寄る。その後方から何人か付いて来るが、全員に見覚えがあった。

 

「リーマスか...。それに、ブラック。ポッター。ぺティグリュー。...彼女は、エバンズだな」

「君の歌、やっぱり凄いね! 外国語だったみたいだけど、凄く綺麗だった!」

「ありがとう。...あと、少し落ち着け」

 

 深呼吸を促すと素直に応じる。その姿にクスクスと声を漏らすシュアを、全員が取り囲んだ。初対面である人間を再確認するように、頭から爪先までじっくり観察する。そして、そのパートナーである俺の方に視線が集まった。

 

「オルフェウス! こんな彼女がいたのか!?」

「彼女ではないが、同じ部屋で暮らしてはいるな」

「ええ!?」

「ええ!?」

「ええ!?」

 

 リーマス、ぺティグリュー、エバンズの声が揃う。

 まあ、無理もない。寮生同士でも男女は別の生活スペースがある。同じ部屋で暮らす事は不可能なのだ。

 

「おいっ! そこの一年は早く寮に戻るんだ!」

 

 監督生の生徒が声を荒らげる。

 ローブを着ていない為どこの寮の生徒かは分からないが、確かにもう遅い時間だ。俺やシュアが気になるのは理解出来るが、今は早く戻るべきだろう。

 上級生からの注意に反発せず、素直に従い各自寮へと進み出す。互いに「おやすみ」と声を掛け合い、それぞれの足取りで帰路に付いた。さて、俺も帰るとしようか。

 

 

 誰もいない冷え切った石畳の廊下をシュアと並んで進む。

 会話は無い。コツコツと足音のみが響いた。

 無言の世界に痺れを切らしたのか、シュアはやや立腹した様子で口を開いた。

 

「眠い」

「文句は爺様に言え。それと、鱗が見えているぞ──リズ」

「貴様が未熟者だからだろう。それこそ、文句はあのジジイに言うのだな」

 

 なびかない者に文句を言っても意味は無い。

 俺は、深い深い溜息を吐くのだった。



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宿命

 12月31日。

 世間がニューイヤー・イベントで盛り上がる中、寮生でない俺はホグワーツ城の中にある『必要の部屋』を自己流に改造した自室に引き篭もっていた。

 最近交流していた数名は遅れてクリスマス休暇を取り不在。リーマスには数回分の脱狼剤を手渡し済みだ。

 リズも冬眠中。

 無論、クリスマス休暇の間は授業も無い。

 

 つまるところ、暇が出来たのだ。

 これで、兼ねてより思っていた実験が出来る。

 

 俺の手元には、光の加減で色彩が変化する(リズ)の抜け殻がある。既にその一部を煮込んだり、火に掛けたり、天日に干したりして実験済みであるが、未だに結果を確認出来ていない。と言うのも、予想以上に丈夫すぎたのだ。

 煮込んでみても煮崩れる事もなく。

 火に掛けても焦げ目すら付かず。

 天日に干しても干乾びる気配すらない。

 魔法も試してみたが、大した結果には到らなかった。いや、逆にこれは凄い事なのではないだろうか。これを防具として活用出来ないか?と思い付くのに時間は掛からなかった。

 

 まず取り掛かったのは抜け殻の強化。あまり意味は無いと思われたが、備えあればなんとやらだ。

 次は形状変化。抜け殻を直径1mm以下の細い糸状に五本。それを編み込み、一本にする。不思議とすんなり変化したのが気にはなるが、あとはこれを編んでいくだけだ。

 あらかじめ用意していた編み棒を魔法をかけて動くようにすれば、あっという間に一枚のローブが出来上がった。

 

「美しいな......」

 

 思わず呟きが洩れてしまう程の美しさだった。

 極端に細くした為か、透けた状態を保っており他の布地と重ねても違和感は無い。俺のローブと結合魔法で一体化させてしまえば、元々そうであったかのように馴染んだ。

 

 

 

 

 

 

「“シナモンチュロス”」

 

 ガーゴイルを象った石像の前で、菓子の名を挙げるとその奥に繋がる道が現れる。

 更に奥には巨大な両開き扉があり、その先には一人だけで甘い菓子に舌鼓を打つ爺様の姿がある。俺の姿を確認すると、食べかけの菓子を持って「一つ、どうじゃね?」と訊ねたが「いらん」と短めに断った。

 

「──して......何用かね?」

「クィディッチの競技場の使用許可を貰いたい」

「それは構わんが、クィディッチに興味があったとは思わんかったの」

「クィディッチに興味など微塵も無い。ただ、こいつの性能を屋外で試したいだけだ」

 

 自室で試せる事は全て試したし、環境の変化によってどんな性能を見せるのかを調べるだけだ。と、手にしたローブを広げて見せながら言えば、爺様は長い髭を二度、三度と撫でた後、ローブを手に取ってまじまじと眺めた。

 

「リズの抜け殻が材料だ。いずれは脱狼剤にも使用するつもりだが、実験の過程での副産物のようなものだな。魔法も物理も並大抵の物は防いでしまう代物ではあるが......」

 

 だからこそ、屋外が必要なのだ。

 人家の無い、マグルも立ち寄らない、暴れても大丈夫な土地はいくらでもあるだろう。しかし、今の俺はホグワーツの外で魔法を使えないのだ。いくら実年齢が百を超えていようが、この世界ではまだ成人していない為だ。少しでも可能性があるのなら、面倒事は避けるに限る。

 

「あまり危険な事はしてはならんぞ」

「ああ。先生方の方はよろしく頼む」

「可愛い『孫』の頼みじゃからの」

「『爺様』には感謝してるよ」

 

 帰り際に「どうやって試すつもりか?」と訊ねられたが、答えてやる義理も無いので「秘密だ」と伝えておいた。

 

 

 

 

*****

 

 

 ──さあ、準備完了だ。

 

 目の前には、俺と瓜二つの人間が立っている。

 少し違うのは、髪と目の色が逆ということくらいだ。まあ、この人間も俺なのだから瓜二つであるのは当たり前なのだが、その原理を話すのは面倒なので省略することにする。因みに魔法ではない。

 

「いくぞ」

 

 懐から銀の杖を取り出し、黒髪の俺に杖の先を向ける。

 思い付くだけ呪文を唱えると面白い反応を見せた。

 

「《アグアメンティ(水よ)》」

「《インセンディオ(燃えよ)》」

「《エクスパルソ(爆破)》」

「《コンフリンゴ(爆発せよ)》」

「《レダクト(粉砕せよ)》」

「《レヴィコーパス(身体浮上)》」

「《ディセンド(落ちろ)》」

 

 ──以上、揃って反応無し。

 

 立ち上がる炎や爆音や土埃に、何事かと様子を見に来る先生方や生徒もいたが黙々と続ける。

 今度は“俺”が命令すれば、これもまた面白い反応を見せた。

 

「“裂けろ”」

「“燃え上がれ”」

「“爆ぜろ”」

「“雷”」

「“閃光”」

「“水弾”」

「“落下岩”」

 

 ──以上、一部を除き反応無し。

 ──“雷”、“閃光”のみ反射反応あり。

 

 俺の分身体は多少の傷を負ってはいたものの、命に関わる程ではなかった。禁じられた呪文を試せないのが残念に思えるが、機会さえあれば可能であると思われる。

 それはそうと、呪文を弾き返すのには感心がいった。

 

 リズの主な糧は魔力である。あらゆる人種、あらゆる時代(とき)の魔法使いや魔女達の魔力を糧にしてきたからこそ、その躯に蓄積された魔力で長い年月をかけて少しずつ、少しずつ、防魔するようになったのだろう。

 これは使えるのではないか?と思ったものの、少しばかり違和感があった。

 

 この世に完璧は存在しない。いくら完璧だと名乗っていても、必ず弱点や欠点が存在する。完璧を名乗っていられるのは、それを有知しているか否かで大きく変化してくるのだ。

 

 魔法はほぼ効かない。ならば、物理はどうだ?

 そう思い、殺傷性の低いナイフ数本を魔法で数倍に増やし“刺せ”と命令する。しかし、傷が付いたのは分身体のみでローブは無傷のままだった。それならば...と懐から出したのは、限りなく本物に近い銃を模した玩具。これに、本物の弾丸を詰めて発射する。

 ギャラリーから悲鳴に似た制止の声が上がったのも無視して銃爪を引けば左手と共に玩具は吹き飛び、発射された銃弾は分身体の身体をローブごと貫いた。

 

「Mr.オルフェウス! 何をしているのですか!? 早く医務室へ!!」

 

 ギャラリーの群れの中からマクゴナガルが青い顔をして飛び込んで来る。

 辛うじて繋がっている指がちぎれないようにすくい上げ止血を試みるが、それが意味を成さないとまだ気付いてはいないようだ。「必要ない」と宣言するも、世話焼きの性分なのか、懸命に止血に取り組んでいた。

 

「──“戻れ”」

 

 俺の言葉に反応し、倒れて血を流す分身体も、その辺の芝生に飛び散った血液も、皮一枚でぶら下がった自身の指も、再び一つに戻る。ズルズル...ズルズル...と地を這い、重力も関係なく巻き戻る。

 マクゴナガルは目の前で起こっている事実に驚愕した様子で、開いたままの口元を隠すように手を添えていた。

 

「寝る」

 

 女性に寄りかかるような格好にはなるが、気にすることもないと思えた為、俺はあっさりと意識を手放したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

「──さて、説明してもらいましょうか?」

 

 医務室で目覚めると、眉間に皺をグッと寄せたマクゴナガルに詰め寄られた。逆サイドにいた爺様も一緒になって詰め寄られている。

 ──説明と言っても、おそらくは分身体や“俺の言葉”についてだと思うが、知ったところでどうするつもりなんだろうか? 迷わず訊ねてみれば、呆れた様子で「生徒の身を按じているだけです!」と断言されてしまった。

 ならば好きなだけ按じていろ、と言いたいところだが、爺様に無言で止められてしまった為、仕方無しに暴露する事にする。

 

「では、マクゴナガル先生。貴女が使う呪文とは何であるか?」

「ええ、ええ、答えましょうとも。呪文とは、『呪』──つまり、呪いです」

「そう。言葉に呪を掛け、縛り、実行させる事だ。その原理に当て嵌めるならば、俺は呪文を必要としない体質なのだ。つまり、俺自身が『呪』であると考えていい」

 

 そんな、まさか!

 マクゴナガルは思わず声に出していたが、先程の俺の言葉を思い返してようやく納得したらしい。

 

「ただ、リスクが無い訳ではない。魔法とは違う魔力を使い過ぎれば意識を手放す。もしくは、先程のように自分から休眠を行う。こればかりは、どんな偉大な魔法使いであっても解決する術が無い。爺様であっても、だ。しかし使わなければ、この小さな身体に蓄積出来る量を超えてしまい、最悪の場合......そうだな、暴走すると思われる。確実に死人が出るだろうな」

 

 彼女は、俺と爺様の顔を交互に見比べながら、その情景を想像したのかどんどん顔色が悪くなっていく。「そうはなりたくないだろう?」と伺えば、無言のまま頷き、呆れと悲嘆交じりの溜息を吐いた。

 

「そこで相談なんだが、爺様と貴女にとある許可を出していただきたい」

「許可......ですか」

「ああ。この間の宝玉の事は覚えているか? あれとほぼ同じ物を創造、貯蓄する許可だ」

 

 あの宝玉には俺の魔法と死神の能力が掛け合わさって出来ている。魔法とは別の魔力が少なからず込められているのだ。つまりは、リズに魔力供給するだけでは充分に減少しない魔力を、宝石(かたち)にして貯めておくことが可能となる。

 

「それは、何の為にです?」

 

 何の為?

 そんな事、決まっているではないか。

 

「約25年後。来たる決戦を乗り越える為に」

 

 

 

 

 

 

 

 

 幾つかわかった事がある。

 一つ目は、この世界がとある物語の過去である事。まぁ、これは最初に爺様とぶつかった時に気付いていたが......。

 

 二つ目は、この体の事。

 年をとらないはずの俺が成長している。入学前は150cmにも満たなかった背丈はグンと伸び、今や160cmに届きそうだ。約10cmの成長は大きい。

 恐らくは、世界が見積もった魔力量では足りなかったのだろう。入れ物(からだ)が大きくなれば、そこに溜まる魔力の量が増えるのは必然だからだ。

 

 三つ目は、リズの鱗の事。

 彼女の鱗は防魔が備わっている、という事がわかっている。

 あの時、玩具で放った銃弾が貫通したのは完全マグル製だったからだ。ほんの僅かでも魔法が関わる物には鉄壁の防御を。完全マグル製の物にはそれ相応の耐久性しかない。

 

 そして四つ目。

 どうやら、俺はこの世界に求められたらしい。

 未来を救う『布石』として──



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