過去から未来、そして久遠に (タコのスパイ)
しおりを挟む

今までも、これからも(けもフレ5周年記念)

 2020年9月22日執筆。
 けものフレンズ5周年記念に投稿したものです。元々は短編SS枠で投稿していたものですが、長編と同一のウチ園長・クオンが出演しているのでこちらに統合。
 
 時系列はネクソンアプリ版エピローグから2年後、アプリ版けもフレ3の前日譚的立ち位置。
 ここの長編と繋がっているかどうかはご想像にお任せします。


『園長、探してたのはこの子ダヨ』

「ああ。それで、君が新しくその姿、アニマルガールになったという?」

「はい、ロイヤルペンギンと言います!」

 

 河川や湖を再現したナカベチホー・水辺エリア。

 新たなアニマルガールが誕生したという報告を受け、「彼」は確認のためにこのエリアのペンギンドームを訪れていた。足元には自立歩行型調査・案内ロボットのラッキービーストも一緒だ。

 デフォルメした海鳥を模した外観のドームは、元々ペンギンの巣作りを観察する目的で作られた建物で、野生のジェンツーペンギンの繁殖地である夏の南極半島に近い室温に保たれている。本来ならヒトの身にはやや肌寒いくらいだが、今日はかなり暑いためむしろ心地よく感じられた。

 入り口で「彼」とラッキービーストを出迎えたのも、白と黒のレオタードの上からパーカーを羽織るペンギンのアニマルガールだった。腰まで届くほどの黒髪をツインテールに束ね、黄金色の冠羽(かんう)がまるで王侯貴族の被るティアラのように彼女の頭頂を飾っている。

 南極海の島に生息するロイヤルペンギンのアニマルガールである。

 

「あの、園長さん、なんですよね?」

「ああ」

「やっぱり! シロサイさんやクロサイさん、トキさんにカモノハシさん、それにスタッフのヒト達のお話を聞いてからずっと気になってたんです! けものが大好きなヒトで、私達のために何時も頑張ってくれている優しいヒトで、しかもその上セルリアンからパークを守ってくれてる素敵なヒトですって!」

「それ程でもない」

 

 赤い瞳を輝かせるロイヤルペンギンの視線が気恥ずかしくなり、ついと顔を逸らす。不愉快に感じたわけではなくただの照れだ。普段は出来る限りそれを表に出さないよう務めてはいるものの、正直彼女達のこういった真正面から向かってくるような言動には未だに慣れていなかった。とても好ましいとは思うのだが。

 だがいずれは慣れなければならないだろう。今の自分は彼ら、彼女らの園長なのだから。

 

 

 話は2年前に遡る。

 かつて超巨大総合動物園(ジャパリパーク)を混乱に陥れ、さらに全世界にまで危機をもたらそうとしていた女王事件は、「久遠(クオン)」と名乗る訪問者と、彼とキズナを結んだアニマルガール・フレンズ達の尽力によって収束した。

 セルリアンの群れを率いてパーク中心部を占拠した女王は今や力を失い、残されたセルリアン達も現時点で目立った活動を起こしていない。散発的に姿を現して暴れるものも居るが、それらもバーバリライオンやホワイトタイガー達百獣の王の一族、ヘラジカやトムソンガゼル達けも勇槍騎士団といった戦いに長けたアニマルガールにより、大事になる前に鎮圧されるのが常だった。

 その甲斐あってパークの復興は順調に進み、女王に輝きを奪われて昏睡状態となっていた副所長・カコが復帰したことで、動物研究所も無事業務を再開した。運営部門の見立てではグランドオープン可能になる日もさほど遠くないとのことである。

 だがそうしてスタッフ達が意気込む中、本来部外者である自分はどのようにすれば良いのか。このままパークに留まって良いのか。それとも去るべきなのか。

 一人で悩んでいても埒が明かないので、思い切ってその疑問をパークガイドのミライに直接ぶつけてみることにした。

 

「私達としてはこのままパークに居てくれて構わない、いえ、むしろ出来る事ならこのまま居て欲しいと思っているくらいですよ?」

 

 ずっとパークの案内役を務めてくれていた彼女は、何でもない事のようにあっさりと答えた。しかし完全な納得が行かず言い募った。

 

「これから忙しくなるのに、俺は邪魔になるんじゃ」

「ああ、その事について私からもそろそろお話ししようと思っていたのですが」

 

 ミライはクオンの言葉を遮って続けた。

 

「園長さんになってみませんか?」

 

 思いも寄らなかったその一言にクオンは思わず硬直する。静まり返ったホテルのロビーで、ミライは変わらず何時ものようにニコニコと微笑んでいる。

 言葉の意味を飲み込むまでに暫し間が空き、ようやく彼は口を開いた。

 

「園長?」

「はい、ジャパリパークの園長さん。私達は元々創立者の『会長』直々にスカウトされてこのパークにやって来ていたわけですが、実はそのスタッフの皆さんを取り纏める肝心の園長さんが未だ決まっていなかったのです。ですが貴方なら適任ではないかと」

「お誘いは嬉しい。だけど、どうしてそう思う。俺はガイドでも獣医でも学者でもない素人で、ただ変わったお守りを持っているだけでしかないのに」

「かも知れません。……でもクオンさん、貴方はけものはお好きですか?」

 

 それはミライと最初に出会った時にも問われた言葉。言うなればジャパリパークの「基礎」あるいは「根底」そのもの。

 彼女が今改めて問うた意味を一瞬考え、頷く。

 

「そう、その気持ちが何よりも大事なのです。『知識』なら後から学べば良い。『技術』だって後から身に着ければ良い。でも『気持ち』だけはそうも行きませんからね」

 

 ミライは満足げに頷き返し、自分の胸に手を当てながら続けた。

 

「貴方がパークに来て以来、私はパークガイドとして、そして一人のヒトとして貴方を間近で見て来ました。そして思ったのです、『この方なら大丈夫だ』と」

「もしミライさんの見込み違いだったら?」

「大丈夫です。私、ヒトを見る目には自信がありますもの! それにサーバルさん達、アニマルガールの皆さんもきっと同じだと思いますよ?」

 

 最終的に自分は彼女の申し出を受け入れた。いや、自分の方が受け入れられたというべきだろうか。

 その後、あれよあれよという間に正式入社するに当たっての必要書類、クオンの為に誂えられたスタッフ章と身体に合った制服、他のスタッフ達と同様の社宅などが用意され、晴れて「園長見習い」の肩書きが与えられた。

 意外な事に、見ず知らずの青年が園長となることについて、先輩に当たる他のパークスタッフ達からの反発は殆ど無かった。それについてはミライやカコの他、創立者、そしてフレンズ達が推薦してくれていたからという理由もあるのだろうが、もしかすると彼らも同じように思ってくれていたのかも知れない。

 

「いや、流石に自惚れ過ぎかな?」

 

 何れにせよ、就任するからには微力を尽くすつもりだ。

 

 

「あ、やっと見つけた!」

 

 この2年間で聞き慣れた声と共に、突然背中に体重が掛かった。真正面のロイヤルペンギンが目を丸くし、傍らのラッキービーストもその場から一歩下がる。よろめきながらも肩越しに振り向くと、そこでやはり見慣れたオレンジの瞳と目が合った。

 

「サーバル」

「もう! 昨日から管理センターにも研究所にもお家にも居なくて、私ずっと心配してたんだからね!」

「見なかったって言っても、たった1日2日そこらでしょ。大袈裟ねぇ」

「サーバル、クオンに会いたがってた」

 

 クオンにしがみ付くようにぐりぐりと顔を背中に押し付けているのは、黄褐色の尻尾と大きな耳が特徴のネコ科のアニマルガール。ジャパリパークで最初に出会ったサーバルだ。

 その背後からは、サーバルよりも幾らか年長そうな印象を与える彼女の親友・カラカルが、呆れた様子で首を振りながら歩いてくる。

 カラカルの横にはさらにもう一人。顔立ちや体格こそサーバルによく似ているが、衣装を含む全身がゴムボールのような半透明の緑色で、頭にはサーバルの耳とは異なる虹色の翼。彼女はセーバルと皆に呼ばれていた。

 

「だってだって、只でさえ最近は碌にお話も出来なかったのに、会うことすら出来なくなっちゃったらと思うと、もうジャパまんも喉を通らなかったんだもん。カラカルだって本当は気にしてたんでしょ?」

「それは、まあ……確かに、ちょっとくらいは」

 

 カラカルが口篭りながらも小さく頷く。

 

「声小さくなっちゃった」

「カラカル、ツン、デレ?」

「う、うるさいわね! セーバルも何処でそんな言葉覚えてきたのよ!」

 

 嘗ての旅ではクオンと共にパーク中を駆け回った彼女達だったが、正式に園長になってからはめっきり会う機会が減っていた。3人の様子を見ながらそう思い返す。

 何しろ見習いとはいえ、園長の職は激務の連続である。まず先輩スタッフ達から受ける研修に始まり、パーク各所から上がってくる各種報告の確認とそれに対する指示。各種ファイル作成に整理。その他広報活動。セルリアンのせいでパークの業務そのものがほぼ停止していた為、その分を取り返さなければならず、またそうでなくともグランドオープンに向けての準備も必要だ。

 それ自体は苦ではない。だが試験運用中のラッキービースト達を総動員しても中々追いつかないのが現状である。今回クオン「園長」自らが新たなアニマルガールの確認に出向いたのも、その人手不足の為だ。

 一応ちょくちょくフレンズ達、特にサーバルはほぼ毎日のように社宅に顔を出しに来てくれるため寂しさなどは感じた事こそ無いものの、それでも近頃は時間的な余裕が無いため碌に言葉も交わさず一目会って終わり……という事も少なくなかった。サーバルが言っているのはその事だろう。

 その意味では、最近新設された「調査隊」の隊長という立場で各サファリエリアを散策出来るミライに対し、多少の妬ましさが湧かないでもない。尤も、彼女を隊長に使命したのはクオン自身なのだが。

 

「園長さん、あの、そちらの皆さんは……?」

「君の先輩みたいなものかな」

「うん、セーバルもフレンズ、クオンのシンユー。よろしく、ね」

「は、はい! よろしくお願いします、セーバルさん!」

 

 見知らぬ相手に緊張するロイヤルペンギンの質問に答えつつ、クオンはセーバルに目を向ける。瓜二つの同じ顔でも、サーバルのようにくるくる表情が変わったりはしない。だがそれでも初めて出会った時の、能面を通り越して彫刻の如き無表情に比べれば雲泥の差だと思う。彼女も日々成長しているのだ。

 セーバルは他のアニマルガール達のように生身の動物を素体とはしていない。元は独自の「輝き」を宿したセルリアンの一匹だ。ある意味ではオイナリサマや四神ら守護けもの達以上に特異な存在であると言える。

 力の源たる砂の星(サンドスター)自体もそうだが、あれから2年経った今でもセルリアンは以前として謎だらけの存在であり、さらにそのセルリアンから進化したアニマルガールともなれば前代未聞だ。かつて女王の支配下にあった頃のようにふとした事で突然牙を剥く……とまでは行かずとも、唯一無二のレアケースゆえに予測が付かないのは事実。よってデータ収集を兼ね、現在セーバルの身元は動物研究所のカコのチームの預かりとなっている。カコから定期的に上がって来る報告とセーバル自身の話によれば、現在これといった問題は生じていないそうだ。

 そんな彼らの背後では、サーバルとカラカルのやり取りがまだ続いている。

 

「私としては、あんたとは違う意味でクオンを気にしてたのよ。だって独りきりにしたら、何処かで行き倒れてそうじゃない」

「あー……私もちょっと分かる気がするなぁ。クオンって頼もしい筈なんだけど、放っておけないっていうか、ちょっぴり危なっかしいところあるよね」

「でしょ? 要はサーバルと似た者同士って事ね」

「そこ付け足す意味あるかな!?」

 

 クオンの背中に抱きついたままサーバルが抗議する。クオン自身としても流石に今の発言は聞き捨てならず、サーバルごとぐるりとカラカルに振り返る。

 

「心外な。俺はサバイバルには自信がある」

「ふーん、具体的には?」

「昔、訳あって物置で半年間寝泊まりしていた事がある。狭苦しくて埃っぽい、電気も水道もない不便な生活だったが、俺は無事に徳用素麺のみで乗り切ってみせた」

「……一応聞くけど、素麺どうやって食べてたわけ?」

「生のまま齧って水で流し込んだ」

「えー……」

 

 そういった経験もあって、空調の利いたジャパリバスはまるで天国のようだったとクオンは続ける。

 しかしカラカル達の反響は芳しくないようだ。先ほどまでのからかうような薄ら笑いが、細い眉を顰めた困惑顔に変わっている。恐らく背後のサーバルも同じような表情をしているだろう。ロイヤルペンギンとセーバルは生まれて間もないからなのか、話には入って来れず首を傾げている。ラッキービーストの場合はそもそもランプの瞬き以外に表情の変化が無いため、何を思考しているのか分からない。開発に関わっていた技術者達なら分かるかも知れないが。

 暫しの沈黙の後、サーバルが言いづらそうに口を開く。

 

「……ごめんクオン。ある意味珍しい経験だけど、その……あんまり自慢出来る事じゃない、かも……」

「そう、なのか」

「うん……」

「その心底意外そうな顔止めなさい。大体、どうしたら物置暮らしする羽目になるのよ」

「色々あった」

 

 カラカルがため息を付く。

 

「とにかく、俺の生存能力の高さを分かって貰えたところで」

「そうね」

「俺は黙って居なくなったりはしない。絶対に」

 

 咳払いの後に放たれた声が思いの外真剣だったからであろうか。半ばどうでも良いと言わんばかりの呆れ顔だったカラカルが、虚を突かれたように目を瞬かせた。

 サーバルがおずおずと問いかける。その声は何処となく不安げに聞こえる。

 

「本当? 本当に本当?」

「ああ。俺には君達の園長としての責任があるし、何より『ずっと一緒に探検しよう』とあの時俺を誘ったのは君だ、サーバル」

 

 実を言えば。2年前のあの日、園長にならないかと誘われたものの依然として迷っていたクオンの心を決めたのは、あの一言だったのだ。

 

「……そう、そうだよね。うん、ずっと一緒だって約束したんだもんね!」

「ああ。今ではこのパークが俺の帰る場所。だから信じてそろそろ離してく」

「駄目、それとこれとは別なの!」

 

 クオンの言葉を遮り、サーバルはクオンの胸の前に回した腕に力を込めた。背中に顔を擦り付けているのが分かる。

 中型ネコ科動物の腕力はアニマルガールになっても衰えない、むしろヒトと変わらぬ細腕に筋肉が凝縮された分強くなっている気さえする。柔らかい感触と共にやや圧迫されるような傷みを感じた。

 

「えへへ、一月くらいぶりのクオンの匂い~」

 

 これではネコというよりイヌだ。カラカルの視線が痛い。

 

「園長さんとサーバルさんって、とても仲良しなんですね。良いなぁ」

「まあ、クオンと一番長く一緒に居たのがあの子だしね。……あれは少々行き過ぎてる気がしなくもないけど」

「……もしかしてカラカルさんも混ざりたいって思ってたり?」

「ち、違うわよ!」

「あ、ヤキ、モチ?」

「セーバル! だから違うっての!」

 

 ロイヤルペンギンとカラカルに何やら話していたセーバルが、不意にくるりとこちらを向く。赤い瞳には今までになかった、少しばかり悪戯っぽい光が宿っていた。

 

「じゃみんな、で」

「えっ、あっ」

「は、ちょっと、セーバル!?」

 

 セーバルの様子をロイヤルペンギンとカラカルが訝んだ頃には遅かった。セーバルが不意に二人の手を掴んだかと思うと、そのままクオン目掛けてぴょんと飛び掛かって来た。抱きついたままのサーバルは勿論クオンも反応し切れなかった。

 幾らフィールドワークで身体が鍛えられていようとも、流石にヒト一人でアニマルガール3人分の体重と勢いを支えきれるはずがない。クオンはサーバルを巻き込み、そのまま5人で背後の湖へと転落した。大きな水柱が立ち上り、サーバルとカラカルのネコそのものの悲鳴が水音に混じる。

 二人が泳げないのは相変わらずだが、しかしながら本気の悲鳴というわけでもない、何処か楽しげな響きも帯びていた。実際セルリアンの存在を気にする事無く水浴びに興じれるのは久しぶりだったのだろう。クオンにとってもそうだった。

 

『……涼むのは良いけど、程ほどにして早く帰ってきてちょうだいね、クオン「園長」? 彼女達だけじゃなくて、私達も貴方が必要なのだから』

 

 ラッキービーストに内蔵された通信機から女性の声がする。パークセントラルからモニタリングしている、研究所副所長のカコだ。呆れたように急かす彼女の声から、何処か嫉妬のような声色が含まれているように聞こえたのは気のせいだろうか。

 スケジュールが立て込んでいるのは分かっている。パークセントラルに戻ったらロイヤルペンギンとナカベチホーの報告書を書き上げ、さらにスタッフ募集やパーク建設についての会議にも出席しなくてはならない。しかしもう暫くこのままで居たいとも思う。「今」という時間は有限なのだから。

 ミライの言ではないが、彼女達と出会えて、こうして同じ時間を過ごせる奇跡に感謝を。

 

「あれ、そういえばカラカル、セーバル。私達PIPライブのチケット持ってたんじゃ」

「……あっ」

「あっ」




 ロイヤルペンギンはネクソンアプリ版には登場していませんが、3の5章及びフレンズストーリーからすると、恐らく3が始まる直前辺りにアニマルガールとして誕生したのではないかなと。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

七分桜の下で(けもフレ7周年記念)

 実に早いもので、けものフレンズ7周年目突入おめでとうございます!
 長編の合間を縫う形とはなりますが、自分もささやかながら記念SSをば。

 時系列はアプリ版3の何処か。例によって長編と繋がっているかについてはご想像にお任せします。


 私は覚えている。貴方の手も、声も、温もりも、そしてその優しい心を。

 どれだけの時が流れようとも、私は決して忘れたりしない。

 

 

 仲春。パーク中に植えられた桜の木が七分咲き、即ち「見頃」を迎える時期である。

 その日、薄紅色の花びらが舞い散るスタッフ用居住区の街道を、純白の尾を揺らしながら進む姿が一つ。ジャパリパークの守護けものの一角、豊穣を司るオイナリサマ。彼女は黄金色の瞳をゆったりと動かし、目的の人影を目指して歩んでいた。

 探し人は程なくして見つかった。数えて七番目の桜の木陰に設置されたベンチに腰掛け、寝息を立てているヒトの青年。垂れた前髪はオイナリサマのそれとよく似た白銀色。数奇な(えにし)からジャパリパークを訪れ、今現在根を下ろしている彼の名は久遠(クオン)。かつて多くのアニマルガール達と共に女王セルリアンを退けたジャパリパーク現園長であり、それ以上にオイナリサマにとっては何者にも代え難いヒト。

 クオンは完全に熟睡しているようで、すぐ隣にオイナリサマが座っても身じろぎ一つせず静かに寝息を立てている。無理もない。パークの運営計画、アニマルガールや各種動植物についての報告、そしてセルリアン対策会議。ジャパリパークの新しい責任者としての日々の激務に疲労が溜まっているのだろう。

 オイナリサマは持ってきた重箱の包みをそっと脇に置き、銀の前髪を掻き分けて額を撫でる。

 

「……本当に大きくなりましたね」

 

 しみじみと呟く。女王の間で顔を合わせた時はとても再会を喜ぶどころではなかったから、こうして間近で顔を見るのは本当に久しぶりだ。

 クオンと初めて出会った日も、確か今日のような桜の花びらが舞う日だった。森の中の神社を秘密の遊び場としていた当時七歳の彼は、拝殿(はいでん)の軒下に隠れていた白い子ぎつねの世話を焼いた。晴れの日も、雨の日も、雪の日も、暇を縫っては顔を見せに来るヒトの子に、最初は警戒していた子ぎつねもやがて気を許すようになっていた。

 それはとても静穏で、とても幸せな時間だった。

 だから突然会えなくなってしまった時は生きた心地がしなかった。ジャパリパークに流れ着いて、守護けもの(オイナリサマ)と称されるようになってからパークの守護に努めるようになったのは、勿論「神」として生けとし生けるものを守るという責務も勿論あるが、それ以上に居場所を二度も失くしてしまう事が恐ろしかったのだ。

 

 

「貴方とパークを守る為ならば、私はどんな事だって……」

 

 その呟きが聞こえたわけではないだろうが、クオンが僅かに唸りながら身じろぎする。手を引っ込めたオイナリサマの姿を6、7回ほど瞬きして捉える。

 

「オイナリサマ」

「おはようございます。……起こしてしまいましたか?」

 

 クオンは問題ないと首を振る。

 

「一人でここに来るのは珍しい」

「ギンギツネが探検隊の皆さんのお手伝いに行ってから、ちょっぴり寂しくなってしまいまして。……そういえば珍しくサーバルさんも居ないんですね」

「探検隊の手伝いに行っている。近々ダイオウセルの駆除作戦が始まるから」

「ダイオウ……ヤタガラスさんが仰っていた巨大セルリアンでしたね」

「ああ」

 

 探検隊だけじゃない。自分達もこれからきっと忙しくなる。そうクオンは続けた。

 ここ数か月、管理センターや動物研究所が(にわ)かに慌ただしくなっている事はオイナリサマも知っていた。同格の守護けものたるシーサー達とゴシンギュウサマもまた、パークの地脈の乱れを悟って有事に備えている。その一方、東西南北の守りを司る四神達は相変わらず沈黙を保ったままだ。彼女らにも考えがあるのかも知れないが。

 だがダイオウとの戦いが本格的に始まるとなると、こうして彼とは滅多に会えなくなってしまうであろう事は目に見えている。ダイオウセルの名を聞いてからその結論に至るまで僅かコンマ7秒。オイナリサマの行動は速かった。何も言わずクオンに身体を預けそのまま膝に頭を乗せる。流石にその脚は子供の頃より随分と硬くなっているが、それでもズボン越しに伝わる温もりはかつてと変わりなかった。

 僅かに驚いたように息を詰まらせるのが頭上から聞こえ、やがてふぅというため息に変わった。

 

「ギンギツネが見たら何と言うか」

「良いのですよ、見られても。私は私のしたい事をしているだけで、恥じらう事など何もないのですから。……それとも、もしかして貴方のほうが恥ずかしいのでしょうか」

 

 答えに詰まったクオンの沈黙に小さく笑う。 

 変わりゆくものもあれば、変わらないものもある。恐らく彼は依然として自分の事を思い出していない。口数も随分と減った。しかし自分の髪を撫でる手つきも、そして自分を含むけもの達に向けられる眼差しも、何れもかつてあの神社で逢瀬(おうせ)した頃のままだ。ならば今はそれで良しとしよう。

 そう納得しながら白いきつねは目を伏せ、囁きにも等しい声量で呟く。

 

「私は今幸せですよ」




 3章カコ編の描写からして、オイナリサマ=幼少期の園長が助けた子ぎつねでほぼ確定ではないかなあとタコのスパイは思っています。
 またネクソン版のプロフィールで「パークを守るためなら私はどんな事だって…」と思いつめた文体だったのは、子ぎつね時代に園長と離れ離れになったのがトラウマになっていたからなのでは…という妄想。
 …もしこれで違ったら恥ずかしいな!

 何にせよ、今後ともよろしくお願いいたします!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

肉食の鳥と猫(ディアトリマ実装祈願)

 2021年11月13日執筆。
 書けば出る!出るはずだ!…という勢いで書き上げた、個人的な最推しフレンズ・ディアトリマさんの3への実装祈願(兼園長の動向妄想)SSです。こちらも統合してしまおうかと。

 アプリ版3のメインストーリーシーズン1直後~セーバルぶらり旅の幕間という設定です。


 ジャパリパーク保安調査隊・通称「探検隊」による巨大セルリアンの討伐。

 その報せを聞いた時、現園長たるクオンを含めたパークスタッフ全員が安堵のため息を漏らしたのは記憶に新しい。「一山越えた」と言ったところであろうか。

 女王事件解決後もパークを悩ませ続けているセルリアンの出現は依然として収まっていないものの、少なくとも二度もパークセントラルを占領されるような事態は避けられたわけだ。

 加えてマイルカやシロナガスクジラ達からの報告によれば、件の巨大セルリアンは海底を自在に歩行する事まで可能だったという。通常のセルリアンであれば、水圧やエネルギーの関係上そうした移動は不可能だ。もし倒せないままパークの外……最悪本土までの進出をも許してしまっていたら、完全に打つ手が無くなっていただろう。

 

「自衛隊がセルリアンを相手取るのは危険すぎるか」

 

 園長用執務室でクオンは「隊長」の報告書に目を通しつつ、マンモスが淹れてくれたジャム入りの紅茶を啜りながら呟いた。

 セルリアン全てに共通する模倣能力は、調べれば調べる程に空恐ろしくなるものだ。パーク内に当たり前に存在する日用品や玩具の輝きを模倣したセルリアンですらあれ程に手古摺るのに、もしその対象が銃や戦車などだったらどうなるか。そんなif(もしも)など、想像だってしたくない。

 そんなセルリアンに対してアニマルガールが有利に戦う事が出来るのは、彼女らの能力が全て「自前」であるからだ。だが彼女らはサンドスターの無い場所では長く活動する事が出来ない。事実、それが原因で探検隊は一度瓦解しかかっている。

 新しく嘱託研究員として迎えたカレンダ、というよりCARSCの「セルリアン及び、その構成物質・セルリウムの存在を正式に公表すべき」という提案に、パーク責任者として簡単に頷く事が出来ない大きな理由はそこにある。

 

「ナナさんが『思い付き』だと言っていたサンドスター瓶の開発、実際に検討するべきかな」

「良いねそれ、私もヒトの世界を見てみたいもの! どうせなら飛べる子も誘ったりしてね」

「本土まで飛んでいくのか。まあ渡り鳥達なら出来そうではある」

 

 ところで、と椅子を回す。

 

「なあに?」

「どうしてここに居る」

 

 クオンの視線の先には、黒檀のデスクに両肘を付く長身のアニマルガール。燃えるような真紅に青の混ざった髪と尾羽は一度見たら忘れられないほどの存在感を有し、こちらを見つめる瞳はカチューシャの飾り石と同じ黄金色。6千万年前に地上を席巻したという恐鳥類、ディアトリマだ。

 

「どうしてだなんて冷たいなあ。お姉さんの事嫌いになっちゃったの?」

「そんな筈はない。だけどデータ整理しているところなんて、見ていてもつまらないだろうに」

「あら、そんな事ないわよ? お姉さん的にはトリ大好きなクオン君の顔も声も、一日中見ていたって飽きないわ!」

「トリ好きなのは確かとはいえ、流石に気恥ずかしい」

 

 湧き上がってきた気恥ずかしさを誤魔化すようにディアトリマから視線を外し、再び資料に目を向ける。

 そういえば子供の頃、病院の近所で巣を作っていたカラスやツバメ(と子供を連れた野良ネコ)を一羽一羽識別を試みては心中で名付けていたのを、入院中の暇潰しとしていた事を不意に思い出した。最初全て同じなように見えても、毎日観察するうちに少しずつ個性が分かるようになって来るのが面白かったのだ。トリ、ひいては動物そのものへの興味は当時に培われていたものだったのかも知れない。

 確か「ディアトリマ」というトリの存在を初めて知ったのも、同じ頃だった筈だ。古生物図鑑で目にした全身骨格の写真と復元図の挿絵。こんなにも強そうなトリが実在するのかと胸を躍らせ、そして次のページを捲って既に絶滅していると知って落胆したものだった。

 だからジャパリパークでディアトリマのアニマルガールと対面した時、積年の夢が一つ叶ったような、何処か不思議な高揚感を感じたのを覚えている。

 それもあってか、今でもディアトリマと居ると少し気分が落ち着かない。表情には出していないつもりでいたが、サーバルはもしかしたら気付いているかも知れないが。そういえばバードガーデンで初めて出会った時も、彼女は何処かそわそわしていたような……?

 

 とその時、目の前のパソコンからメールの着信音が鳴る。差出人は研究室のカコ。中身を開封すると、それは彼女が現在生態データ復元中の絶滅動物に関する論文だった。研究内容はセンター内で情報共有する必要があるので、発表する前に目を通しておいて欲しいとの事である。

 圧縮されていた添付ファイルに目を走らせつつ、クオンはふと隣にいるディアトリマにある疑問をぶつけてみた。

 

「前から気になっていたんだが、君らは肉食なのか草食なのか」

 

 何時だったかカコが話していた事を思い出す。

 ディアトリマを含む恐鳥類はそれまで哺乳類すら捕食する地上最強の捕食者……というのが定説であったが、近年はそれとは異なる説が浮上し、学会を沸かせてているらしい。最大の特徴である大きな[[rb:嘴 > くちばし]]は動物の骨よりむしろ木の実を砕くのに適した形なのではないか、という説だ。

 となれば、いっその事本人に直接聞いてみるのが早いだろう。元々パークではアニマルガールのお陰で動物の研究が進んでいるのだから。

 

「ふむふむ……つまりお姉さんが肉食系か草食系か知りたいって事だね?」

「ああ」

「なら……」

 

 言いながらディアトリマが突然ずいっと距離を詰めてくる。彼女は頬杖を解いて立ち上がると、背中をクオンに預けるような体勢で身体を寄せる。豊かな尾羽のこそばゆさと体温がベスト越しに伝わった。

 

「確かめてみる?」

 

 どんな風に、と問いかけたところで、がしゃーんと戸口のほうから何かを落とす音がした。

 見てみると、いつの間にか執務室の戸口に立っていたサーバルがジャパリまんじゅうとカラフルラムネの入った紙袋を床に落とした音だと分かった。袋の中で瓶が割れたのか、しゅわしゅわと泡立てながら緑やピンクのラムネが絨毯の染みへと姿を変えてゆく。

 

「ク、クオンに一体何しようとしてたの……?」

 

 自慢の大きな耳をひくつかせ、わなわなと震えながらサーバルはこちらに指を差す。

 

「私だって……私だって……私だって、そんな大胆な事したこと無いのに!」

 

 室内に駆け込み、ディアトリマを引き剝がすようにクオンの胸にしがみつく。ネコ科のけもの特有の柔らかくて暖かい感触が胴を包むが、首回りに腕が回されたせいで少し息苦しい。

 

「前に言ってたじゃない! クオンは取らないよーって!」

「確かに言ったね。でも、クオン君がお姉さんの事を知りたいだなんて言うんだもの……ね?」

「に゛ゃ゛あ゛!?」

「確かに言ったが何か違う気がする」

 

 脱線しているのかしていないのか、今のクオンには判別が付きかねた。

 

 ジャパリパークの新たな脅威・ルーラーセルの存在が報告される一週間前の出来事であった。




 タコのスパイは園サバを主に推してします。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

出立前夜(3前日譚妄想)

長い事リアルが立て込んでいるもので、本編更新に手を付けられず申し訳ありません。
現在執筆中ですが、気分転換がてらウチの園長・クオンで『3』の前日譚的なものを投下します。
もしメインストーリーで内容が全然違ったら笑ってやってください。


 __思っていたより物が少ないな。

 [[rb:超巨大総合動物園 > ジャパリパーク]]に夜の帳が降りた頃、クオンは自分に宛がわれた園長用私室を眺めながらふと思った。

 スーツケースに詰めたのは幾らかの着替えと生活用品、書籍。残されたのは「手荷物」とするには大きすぎる家具に家電、それから本土から持ち込んだ恐竜や深海魚のボトルキャップコレクション程度だ。何も最小限主義者(ミニマリスト)というわけではないが、元々が苦学生だっただけに、せっかくの高給を贅沢に費やす気分にはなれなかった。もっとも、離島に位置するジャパリパークで買い物をする機会と必要性自体あまり無いからだ、という理由もあるが。

 何にせよ、しばらくはこの部屋ともお別れだ。明日からは本土、そして海外へ飛ばなければならない。朝一のフェリーに乗り遅れないよう、今夜は早めに床に就く事とする。

 

 深夜1時。目を閉じて少し経った頃、ごそごそとベッドの中で何かが動く気配を感じた。軽く毛布を捲って中を覗くと、爛々と光るオレンジ色の瞳と目が合った。暗がりで瞳孔が広がるのはネコらしいな、と思った。

 

「サーバル?」

「あっ、クオン。……今日は一緒に寝ていい?」

 

 普段のこの時間帯ならサバンナの(ねぐら)に帰っている筈なのに、珍しい事もあるものだ。だが拒む理由は無い。了承の意を込めて毛布を広げると、彼女は擦り寄るようにクオンに密着してきた。両手を背中に回し、額を胸元に押し付けて来る。

 サーバルとこうして一緒に寝るのは、まだ園長と呼ばれる前__かつてセーバルを追ってパーク各地を巡っていた時以来だっただろうか。あの頃の寝泊りは狭いバスの車内ばかりで、同乗するアニマルガールの人数が増えるたび、自分のスペースを確保するのも一苦労だった。特にカラカルの寝相が酷かったのをよく覚えている。

 回顧しながら、自然とサーバルを抱き枕のように抱える体勢になる。

 

「明日、行っちゃうんでしょ」

 

 どれくらい経ってからか、サーバルが口を開く。胸元に顔を埋めながら喋ったため少しくぐもっていたが、それでも声が震えているのは分かった。

 少し前から、ジャパリパークの希少動物保護施設としての側面を外部に周知・啓蒙する目的のため、園設のジュニアスカウトを立ち上げる計画が持ち上がっていた。既に協力者となる動物園や水族館、その他参画企業・団体との話は付いている。後は代表者である自分が直接先方に向かい、実際に段取りを整え、そして活動を始めるだけだ。だが当然それは一日二日で終わるようなものではない。規模によっては数週間から数カ月、長ければ年単位でパークを空ける事になるだろう。

 サーバルが言っているのはその事である。

 

「あぁ」

「……ねぇ、本当に行くのはクオンじゃなきゃ駄目なの? 他のスタッフさんでも……」

「俺でなきゃ駄目だ。これはパークのグランドオープン、それからその先も見据えた一大事。そんな時に、仮にも園長を名乗らせてもらっている俺が人任せにするわけにはいかない」

「うん……うん、大事なお仕事なのは分かってる。でも、私だって単なる我儘で言ってるわけじゃないの。クオンも知ってると思うけど、パークにはまだセルリアンも残ってるんだよ? そんな時に監督(フォロー)してくれるクオンが居なくなるなんて__」

 

 背中に回された腕の力が強まる。サーバルがどんな表情をしているか見えなくとも分かる。

 だが、それに対する答えは決まっている。

 

「君らが居るじゃないか」

 

 サーバルが顔を上げる。その目には困惑の色が宿っている。

 

「今の君らは俺が細々(こまごま)口出ししなきゃいけないほど弱くない。ミライさんも居る。だから出来たんだろう、探検隊が」

 

 あっ、とサーバルが声を漏らす。

 探検隊、正式名「ジャパリパーク保安調査隊」。残存セルリアンの駆除及び、これから先新たに誕生するアニマルガールの捜索・発見・保護を目的に結成された部隊(チーム)。構成は、しばらくの間パークガイドとしての仕事が無いと目されるミライが隊長__本人はアニマルガール達の活躍を直で見れると喜んでいた__を務め、名乗り出たアニマルガールの有志が実働隊員となり、そして副隊長はサーバル自身。

 パークに来て以来、彼女らの強さは誰よりも間近で見て来た。何も心配していない。

 当面の間の業務も、副園長としてカコが引き継ぐ手筈となっている。……ただ、探検隊より彼女のほうが心配である。仕事疲れのせいか、彼女は先日「見て見て、資料室にスティラコサウルスが居るわ」などと意味不明な言動を取り始め、最終的に園長権限で強制的に有給休暇を取らせるに至ったのだから。普段からカコの世話を焼いているマンモスとサーベルタイガーには、もし休暇期間中に研究室に近づいたら力づくでも社宅に送り返して良いと伝えてある。

 閑話休題。

 

「前にも約束しただろう、俺は黙って居なくなりはしないと。だから俺が帰って来るまでパークを守っていてくれ」

 

 __[[rb:きみ > サーバル]]は帰る場所だから、と付け足す。

 普段寡黙なクオンの口からそんな言葉が出て来たのが意外だったからか。自分でも似合わない台詞だという自覚はある。

 一方のサーバルは暫し呆気に取られたように目を瞬かせていたが、やがて顔を引き締めると何度も頷いた。それでも両目の端に浮かぶ光るものは隠せていなかったが、少なくとも意思は十二分に伝わった筈だ。

 伊達に2年もパークで共に過ごしてはいない。だが言葉にしなければ伝わらないものもある。

 

「そうだね……うん、分かったよ。そこまで頼られちゃ仕方ないよね! パークは私達に任せて安心してお出かけして来てね、『園長』さん」

「頼りにしているよ、『副隊長』」

 

 

(どうしよう、全然眠れない……)

 

 言い終えたクオンが寝静まった後も、サーバルはまだ起きていた。むしろ先ほどよりも目が冴えている。クオンの口から本心を聞いてしまった為と、そしてその流れで自分の本心を強く自覚してしまった為に。

 結局のところ、自分はクオンを引き留める理由、一緒に居てもらう理由が欲しかったのだ。「ただの我儘で言ってるわけじゃない」どころか「我儘そのもの」だ。その事実に軽い自己嫌悪を覚えるものの、それ以上に激しい羞恥で頭が茹だりそうだった。昔__アニマルガールとなる前後は考えた事も無かったが、クオンと出会ってからの2年間は違う。自分は雌で、クオンは雄なのだと意識するようになってしまったから。

 元来サーバルキャットは決まった[[rb:番 > つがい]]を持たない。縄張りの中で出会った同種の個体を気に入れば雌雄の関係を持つし、気に入らなければ追い出すか自分が去るだけ。パーク生まれのサーバル自身には勿論その経験はないが、本能で先祖がそういった生き方をして来た事は知っている。ゆえにクオンが雄のヒトだからといって、そこまで深く気にする必要は本来無い筈なのだ。そもそも種族が違う。

 だが、スタッフから与えられる本やテレビを通してヒトについての見識を深める中で、彼らが自分達と違い、特定の雌雄で番う事を常とする生態だと知った。同時に、今の自分の体質がヒトの「雌」に限りなく近いものになっている事も。そんな中で出会ったのが、「雄」のヒトであるクオン。誰よりも近くでパークを駆けて来て、誰よりも長く接してきた彼に特別な感情を抱かない筈が無かった。

 とてもじゃないが他のアニマルガールには相談出来そうにない。特にもしカラカルが聞いたら「あんたも成長したって事じゃない。良かったわねぇ、こういう時ヒトはお赤飯を炊くそうよ?」とでも茶化してくる事だろう。

 

(ああぁぁ……想像したらもっと恥ずかしくなってきた……。これじゃ、朝どんな顔して会えば良いか分かんないよ……)

 

 自分の顔に血が集まり、熱くなるのを感じる。心臓の鼓動もいつもより激しくなるのが分かった。それこそ、鼓動の音をクオンに聞かれて起きてしまうのではないかとさえ思うほどに。

 誤魔化そうとクオンの胸板にさらに顔を強く押し付ける。普段なら安心する筈の嗅ぎ慣れた匂いと鼓動が、今は激しく心を乱してくる。いつもは自慢の鋭い鼻と耳が少し恨めしかった。

 

 __翌朝。船着き場に見送りに来たサーバルが何故か寝不足気味だったが、その理由は当人以外には(あずか)り知らぬ事だ。




原作サーバルは一夫多妻制で、かつ決まった繁殖期が無い(=年中繁殖の可能性がある)そうです。
だから何とは申しませんが。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

プロローグ
ようこそジャパリパークへ


 2020年12月14日改訂済み。


(目が覚めた時、あなたは忘れてしまうでしょう。共に過ごした日々と、私の事を……)

 

 子供の頃をよく覚えていない。そういう人はさほど珍しくないだろう。

 記憶というものは時間の経過と共に現像が薄れて行き、思い出すのに時間が掛かるようになる。言うなればそれはアルバムを箪笥(たんす)の奥に仕舞い込んだのと同じようなもので、完全に消えることは無くともすぐには取り出せなくなる、というわけだ。

 だが自分の場合それとは違うとはっきり断言出来る。自分には箪笥から取り出すべきアルバムそのものが存在しない。

 文字通り10歳より前の記憶がすっぽりと抜け落ちているのだ。どんな家族とどんな風に暮らしていたのかも、どんな友達とどんな風に過ごしていたのかも、全て。

 

(私は忘れない。あなたの声、あなたの温もり、あなたの優しい心。どれほどの時が流れようと、あなたが例え全てを忘れてしまおうと、私は決してあなたの事を忘れたりはしない)

 

 記憶の始まりは病院のベッド。心電図モニターの規則正しい電子音が響く中、人工呼吸器と無数の点滴管に繋がれていた。

 眩しい視界に映るのは、自分を取り囲み涙を流している4人の男女。うち二人は年配だった。彼らは自分達を両親と兄姉だと言い、看護婦や医師もそう呼んでいた。しかしそれまでの記憶の無い自分にとってはまるで実感が沸かなかったし、むしろ見覚えの無い人間達に親しげにされて困惑すらしていた。今でも本当に実の家族だったのかどうか確信が持てないでいる。

 幸い、日常の生活や復帰した小学校での勉強に支障は無かった。後で本を読んで知った事だが、人間の記憶は物事の知識や意味を司る「意味記憶」と体験や思い出を司る「エピソード記憶」の2つに分かれるのだという。つまり何かしらの理由で後者が丸ごと失われてしまっても、前者には影響は無いという事だ。もしそうでなければ生まれたての赤ん坊同然に言葉を話すことも、二本足で立って歩く事さえままならなかっただろう。

 自分の名を久遠(クオン)だと認識しているのも、そうやって後から得た知識に過ぎない。少なくとも鞄や本などの持ち物(とされている物品)にはそう書いてあって、「家族」や「友達」もそう呼んできたので「クオン」が名前で合っているのだろう。仮に違ったとしても他に名乗る名前など無い。だから他者にはそう名乗っているし、そう呼ばれたら応える。

 だが何年掛けてもとうとう誰の事も、そして自分の事さえも思い出す事が出来なかった。写真を見ても、自分と同じ顔をした子供が見覚えの無い景色を背景に写っているようにしか感じられないのだ。

 そして相手は自分を知っている。しかし自分は相手を知らない。そして自分でも自分の事を知らない。この認識のズレは、恐らく他者が想像する以上のストレスだろう。

 ゆえに面倒事を避けようと何時しか最小限にしか口を開かなくなった。

 

(本当に、ありがとう)

 

 他人同然の相手とのぎくしゃくした生活が数年続き、都会の高校へと進学してからは一人暮らしを始めた。

 学業とペットショップでのアルバイトの両方をこなす生活は決して楽なものではなかったが、どうせ誰のことも分からないのであれば、最初から誰にも知られていない場所に身を置いたほうが良い。それが第一ではあるが、同時に「あの田舎町に居ても自分が求めるものは見つからない」というような切迫感があった。

 何年も面倒を避けて生きて来たはずの自分を突き動かすそれが何なのか、自分でも未だに分からない。

 そういえば何時だったか、同じ講義を受けていた同級生に「お前って何時もぼうっとしてるけど、心の落ち着くようなお気に入りの場所ってないのか」と聞かれた事があった。その時自分は神社、それも初詣などで賑わっているのではない、山林の中に佇む静かな神社だと即答した。

 随分変わった好みだなと笑われたが、ただふっと口からそう出てきただけで、これまた答えた理由は分からなかった。

 

(私達は何時か必ずまた会えるから。その時はあなたから教えてもらったものを、今度は私があなたに教える番)

 

 近頃は何度となく夢を見る。夢とは無意識に脳内の情報を再生しているのだと言うが、全く覚えのない光景だ。妄想だと言われたほうがまだ納得が行くかも知れない。

 豊かな白毛。此方を見上げる金色の瞳。柔らかな掌と整った爪。細い足首に結わえられた鈴の澄んだ音。記憶に無い神社の境内で彼女(大切な誰か)と居る間、自分は微笑していた。表情筋の凝り固まった今の自分の顔では、到底浮かべられそうに無い、優しい微笑み。

 夢を見た翌朝は何時も胸が痛くなる。その理由もまた分からなかった。

 

(今はさようなら、クオン……)

 

 

「もしもーし、起きてくださーい」

 

 誰かに肩を揺さぶられて、まどろみから意識を浮上させる。

 目を開くと、見知らぬ女性が顔を覗き込んでいた。現在18歳のクオンより2つか3つ年上だろうか。眼鏡をかけていて、黄緑色のロングヘアーを赤いリボンで結わえている。白い半袖のサファリジャケットに身を包み、頭には羽飾りのついた白いピスヘルメット。顔以外に肌の露出は無いが、細身ながらも均整の取れた身体つきだと分かる。

 中学時代の修学旅行で行ったサファリパークのガイドがちょうどこんな格好をしていた気がする。確か高温乾燥のサバンナを散策する為に考案された機能服だったはずだ。

 

「あ、やっと起きましたね。……何か夢を見ていたんですか? 眠りながら泣いていたようでしたけれど」

 

 目元を指で触れると確かに薄らと濡れていた。何でもないと軽く首を振り、改めて辺りに視線を走らせる。

 

「ここは?」

「ジャパリバスの中です。夜行運転になりましたが、只今目的地に到着いたしました」

 

 どうやらバスの座席に座っていたらしい。青いシートはふかふかとしていて中々のの座り心地だ。しかしバスに乗った覚えは無い。高校卒業を機に一人旅にこそ出ていたが、それも電鉄を利用していた筈である。

 だが眠っている間に誘拐された、などというわけでもないようだ。それにしては女性の表情や語調は親しげで、後ろめたい事情があるようには見えない。

 自分の身体を見下ろす。別に縛られたりなどはしていない。自分が最も気に入っているモスグリーンのケープ付きトレンチコートに、足元には小旅行用に買ったバッグ。何も問題は感じない。

 一体どういう事なのだろうか。

 

「バス?」

「ええ。……何だか状況が飲み込めていない、といったお顔ですね。うーん……急な展開でしたから、混乱してしまっているのでしょうか。それとも一晩中バスを走らせていたし、乗り物酔いのせいかしら?」

 

 疑問が表情に出ていたらしい。彼女は少し考え込むようなそぶりを見せた。

 

「ひとまずバスを降りてみましょうか」

 

 言いながらパークガイドの彼女は車内ボタンを叩き、ドアを開く。特に逆らう理由は無いので彼女に従い、昇降口から地面に降り立った。

 視界いっぱいに広がるのは見渡す限りの青空と大平原(サバンナ)。地平線の彼方まで果てなく広がるような大地をまばらに草が覆い、ところどころから伸びたアカシアやバオバブの木が枝葉を茂らせている。遮るものの無い風が二人の服と髪を揺らし、程よく乾燥した空気が心地良かった。

 所々が緑化されただけのモノクロームのビル街に慣れきった現代社会において、一生に一度見られるかどうかも分からない雄大な景色である。

 しかしここは何処なのだろう。先ほど浮かび上がった疑問は解消されるどころか、ますます膨れ上がった。少なくとも日本とは思えない。

 

「ようこそ、超巨大総合動物園(ジャパリパーク)へ!」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

アニマルガール

 2020年12月14日改訂済み。


「ジャパリ、パーク」

 

 告げられた名を復唱しながら振り返る。そこで自分の乗ってきたジャパリバスが、黄色の地に黒い斑模様が走るネコ科の動物を模したデザインである事を知った。

 

「クオンさん、あなたはジャパリパークを運営する財団に招かれてここにやって来ました。そしてパークガイドの私はクオンさんの案内をするよう仰せつかり、昨夜このジャパリバスであなたをお迎えに上がったのです」

「招かれた? 俺が?」

「はい!」

 

 聞き覚えの無い名。身に覚えのない招待。そもそもどうして自分の名前を知っているのだろうか。思わず首を捻る。

 それを見て笑顔から一転、パークガイドの形の良い眉が困惑に顰められる。

 

「……その釈然としないというお顔。もしかして私、それもちゃんとお話ししていませんでしたか?」

「初めて聞いた」

「あらら、私としたことが……それでは混乱するのも無理はありませんね。えっと、ジャパリパークとはですね」

 

 そうして彼女が口を開きかけた瞬間。

 

「助けてー!」

 

 悲鳴が空気を引き裂いた。

 二人して声の方向に向くと、草を蹴散らしながら一人の少女が駆けてきた。黄褐色の地に斑模様が彩られた蝶ネクタイとスカートが特徴で、大きな目をぱっちりと開いた活発そうな顔立ち。特殊な趣味の持ち主でもなければ、10人中10人が「可愛い」と評するだろう。

 しかし普通の少女、とは評せない部分もあった。黄褐色のショートヘアーの頂点に、ふわふわとした毛で覆われた大きな耳が突き出ていた。飾りではない。ホームセンターなどで売っているパーティーグッズのようなカチューシャや留め具の類は見当たらず、何より息を切らす持ち主に合わせるように、時折ぴくぴくと動いているのだ。

 腰からは同じく黄褐色の尻尾。やはり毛で覆われているそれは完全に作り物の質感などではなかった。

 

「サーバルさん! どうしたんですか……って、あれは!?」

 

 サーバル。確か何処かでそんな名前の動物を耳にしたことはある、が?

 クオンの思考を断ち切らせるように、少女を追っていたもの達の姿が見えてきた。

 それらは正しく異形だった。風船に似た球体から細長い尾が伸びているもの。三日月形に歪曲した痩身に複数の目が並んでいるもの。空中に浮かぶツルハシともエイとつかないもの。プロペラのような羽の中央に一つきりの目玉がついたもの。形や色こそ様々だが、その全てに共通して弾力感のある身体は半透明で、背後の景色が薄らと透けて見える。生物と呼ぶには不自然としか言いようの無い風貌、しかし無機物と断じるにはあまりにも生々しかった。 

 気がつけばサーバルを追っていた数体だけではなく、何時の間にか現れた別の群れがジャパリバスごと3人を取り囲んでいる。軽く数えて10体は下らないだろう。怪しく光る幾つもの目は全てクオン達に向けられていた。

 視線に悪意や殺気の類は感じられない。感じるのは肌がひり付くような「欲」だけ。サーバルの、いやクオン達の持つ「何か」を強く求めている。そんな印象だった。

 

「セルリアンがこんなに……これは大変です! 急いで管理センターに連絡を……!」

 

 隣に立つパークガイドの彼女が無線機に手を伸ばしかけたのとほぼ同時に、突如としてクオンの胸元から強い光が溢れ出た。誰もが驚いて動きを止めたが、当のクオンは自分自身でも意外な程に落ち着いていた。こんな状況だというのに、何処か心地良い温もりすら感じていた。

 コートの襟口に手を差し入れる。日の光を反射しているわけではないのにも関わらず、掌の中で太陽の如き輝きを発しているのは紐で首からぶら下がった円盤。銀の枠の中心に透明な水晶がレンズのように嵌めこまれている。

 それは8年前のあの日、病院で目覚めた時から握り締めていたお守り。記憶の無いクオン自身は愚か家族でさえ見覚えがなかったが、正体の分からない「手放してはいけない」という感情からずっと肌身離さず身に着けていた物だった。

 

「クオンさん、それはお守り……ですか?」

 

 こちらを見たまま呆気に取られている彼女を他所に、水晶の面から発せられる光はますます強くなり、やがて何条もの光線となって四方八方へ伸びた。その殆どは地平線の彼方へと飛んだが、一条の光がこちらを振り向いているサーバルの胸を打つ。

 サーバルは一瞬目を見開いてたたらを踏み、やがて胸を押さえていた両手を目の前でかざす。指の隙間からは火の粉のよう虹色の光が零れ落ち、それををまじまじと見つめる。

 

「不思議な光……何だか力が湧いて来たみたい……」

 

 呟きながら手を握ったり開いたりを繰り返し、やがて顔を上げる。彼女のオレンジがかった瞳と目が合った。

 

「あなた、クオンっていうの? じゃあこれはクオンの力?」

「この反応はもしかすると……クオンさん、あの怪物達、セルリアンを撃退出来るかも知れません!」

 

 事情は相変わらず飲み込めないが、何にせよもう考えている暇は無いだろう。セルリアンというらしい怪物の群れも状況の変化に戸惑うように暫しざわついていたが、段々と落ち着きを取り戻し始めている。

 改めてサーバルと視線を交わす。

 

「サーバル」

 

 一言名前を呼ぶ。初対面の筈なのに、不思議ととそれ以上の言葉は不要だった。

 

「うん、私頑張るよクオン!」 

 

 サーバルも勢い良く頷く事で応える。そしてまさしくネコそのものの前傾姿勢を取り、セルリアンの群れの中にまっしぐらに突っ込んだ。

 セルリアン達がすぐさま反応する。そのうち水滴のような外見の一体が振るった触手を、ネコ科肉食獣特有の鋭い鉤爪を右手の五指から伸ばして一閃。そのまま返す左手の爪で武器を失った本体を横に両断した。真っ二つになったセルリアンは血の一滴も零すこと無く草むらに転がり、やがてキラキラ光る塵となって風に溶けて消えた。

 仲間が倒されたことなど気に留める事無く、手足の無いテディベアに似た別の一体がサーバルの背中目掛けて突進する。しかし奇襲は意味を成さなかった。気配を察したサーバルは素早く飛び退り、すかさずのっぺりした頭部にハイキックを見舞う。硬いゴムボールを強く蹴ったような音が響く。頭に大きな凹みを作ったセルリアンが群れへ吹き飛び、ボウリングピンのように仲間を巻き込んで盛大に転倒した。

 凄い。クオンは率直に感じた。これがサーバルの元々の身体能力なのだろうか。しかし直前までセルリアンから逃げていたところからするとそれだけとは考えづらい。サーバル自身の言葉通り。先ほどお守りから放たれた光に秘密があるのか。

 視線の先でサーバルが次々にセルリアンを虹色の塵に変えて行く。その間を掻き分けるようにプロペラか、あるいは扇風機の羽のような形状をしたセルリアンが高速回転しながらサーバルに襲い掛かる。しかしその刃がサーバルを切り裂く事は無かった。突如として頭上から叩きつけられた黒い何かによって粉々に砕け散ったのだ。

 バスの上から地面に降り立ったのは、黒いショートボブに小さな丸い耳を持つ少女。胸元に青いリボンの付いたカッターシャツと黒いスパッツに身を包み、先ほどセルリアンを粉砕した鉤爪付きの熊手をまるで竹箒でも扱うかのようにくるりと振り回して見せた。

 

「何だか大変な事になってるねサーバル。でもセルリアンと戦えてるって事は、見ないうちに修行でもしてたのかな?」

「ヒグマ! ちょっと私だけじゃ大変そうなの、二人を守るのに力を貸して!」

「良いよ。元々そのつもりだったからさ」

 

 ヒグマはのんびりとした口調で応えながらも、鋭くセルリアン達を見据えていた。まるで冬眠明けに獲物を狩るクマそのもののように。

 そこからの展開は一方的だった。サーバルが俊敏な身のこなしでセルリアンの攻撃を避けてはその鉤爪で切り裂き、ヒグマが力任せに熊手を振り回してセルリアンを打ち砕く。辛うじて耐えたものも衝撃に負けて吹き飛ばされていき、体勢を立て直す間も無くサーバルの鉤爪によって沈黙した。一体として彼女達に傷の一つも付けられないでいる。

 

「セルリアンをこんなに軽々と倒してしまうだなんて……」

 

 パークガイドが隣で唖然としているのが分かる。しかしクオンは今まさに目の前で繰り広げられている光景のほうに目を奪われていた。非常識かつ危険極まりない状況だというのに、もっと見ていたいという興味のほうが勝ったのだ。

 

 粗方セルリアンを倒し、一息付いたサーバルとヒグマが塵を払うように腕を振った瞬間、ちょうど彼女達の死角になっていたバスの陰から新たな影が飛び出した。走りながら鉤爪を振りかぶってきたそれに対し寸でのところで反応したサーバルが打ち払い、すかさずヒグマが熊手を振り落ろす。しかし襲撃者は飛び退り、二人の攻撃は掠りさえせず宙を薙いだ。

 日光に照らされ、その姿が露わになる。まず目を引いたのはピンと立った耳と大きな瞳。続いて華奢ながらも引き締まった身体。両腕を覆う長手袋と五指の鉤爪。胸元の蝶ネクタイ。腰から伸びる太い尾。

 その様相に二人は反撃の構えを取るのも忘れ、目を丸くした。

 

「私そっくりのセルリアン!?」

「おやまあ……」

 

 そう、それの容姿はまさしくサーバルと瓜二つだった。ゴムのようにつるりとした全身が半透明で、服も肌も髪も区別無く緑色である、という以外は。

 身じろぎ一つせずじっとサーバルを見つめる赤い目からはまるで感情が伺えない。仲間を倒された事に対する焦燥や怒りは勿論、先ほど自分が攻撃を仕掛けた相手であるサーバルに対する敵意すらも無い。例えるならば、目の前にあるものをただ記録するカメラのレンズに似ているだろうか。

 

「これは一体……とにかく解析、解析しなきゃ!」

 

 クオンとサーバルだけでなくパークガイドの彼女にとっても、それの出現は全く想定外のものだったようだ。慌てて眼鏡の弦に手をかける。人差し指が(よろい)部分のボタンを押すと同時に、青い瞳の上を覆うレンズが淡い緑の光を発する。先ほどセルリアンが現れた時も操作していたその眼鏡は、どうやら視力補正器としての機能以外にもスキャナーを兼ねているらしい。

 暫しサーバルと見つめ合っていたそれが不意に視線を逸らし、抑揚のない声で一言だけ呟く。

 

「行カナクテハ」

 

 そうしてくるりと背を向ける。サーバルが制止しようとするのも一切構わず走り去り、やがてそれは地平線の向こうに姿を消した。

 

「あ、行っちゃった……あの子、何だったの?」

 

 首を捻るサーバルと一緒に、クオンはパークガイドに問うた。あれほど目立つ外見であれば、目撃例は他にあるのではないか。あるいは似た例は無いのか、と。

 しかし彼女はその疑問を否定した。予兆無く何処からとも無く出現しては、見境無く人や動物を襲う正体不明の怪物セルリアン。その姿かたちは様々で、器物や動植物を模したような特性を持つ個体も少なくない。しかしそれはあくまで「何処か似ている」「彷彿とさせる」という程度のものでしかなく、あれ程までにはっきりと個人・個体の容姿を模倣し、さらに拙いとはいえ言葉を発したという事例はこれまでに一度も報告されていないのだという。

 

「ですので、他のセルリアン達ならともかく、あのサーバルさんそっくりのセルリアンについては一切情報が無いのですよね……」

「つまり私に似てとっても可愛い、という以外は何にも分からないんだね」

 

 沈黙。

 

「じょ、冗談で言ったんだから突っ込んでよ……クオンもガイドさんも、そんな可哀想な子を見るような目で私を見ないでぇ」

「ま、それはともかく」

「流された!?」

 

 熊手を担ぎながらサーバルの脇を通り過ぎたヒグマがクオンに視線を向ける。

 

「こっちの子はパークに来たばかりなんでしょ? 訳分かんないって顔してるし、そろそろ説明なり紹介なりしたげても良くない?」

「そうですね、では改めまして。ここジャパリパークは世界最大の動物園を目指して現在鋭意建造中のテーマパークです。そしてこちらが……」

「はいはーい! 私はネコ目ネコ科ネコ属のサーバルだよ。よろしくね!」

「同じくネコ目クマ科クマ属のヒグマだよ。君はクオンで良いんだっけ?」

 

 改めて目の前で名乗ったサーバルをまじまじと見つめる。

 頭頂の耳を除けばクオンより頭一つほど背の低い彼女の容姿は、これまでの知識と常識からイメージ出来るネコの姿と全く一致しない。確かに耳や尻尾、それから瞳などは似ている気もするが……。 

 

「ますます分からないというお顔ですね。まあ無理も無いでしょう、私も初めてお目見えした時はあなたと同じ顔をしましたから。サーバルさんとヒグマさんは本物のけものさんがこの姿になったんですよ。私達はそうしたけものさん達を『アニマルガール』と呼んでいます」

「本物のけもの? 本当に?」

「そうだよ、他にも色んなけものの子がパークに居るの! 多分パークのヒト達もびっくりしたと思うけど、私達もびっくりだったよ。何しろ急に話したり二本足で歩いたり出来るようになったんだもん」

「私なんて身体も小さくなってたしね」

 

 先のセルリアン達を見た時からそうだが、正直理解が追いつかない。白昼夢でも見ているのだろうか。

 

「ふふ、今はとっても素敵な奇跡のお陰で、という事にしておきましょうか。まあ詳しいお話はジャパリパークの説明をしながら追い追いと……そうそう、申し遅れました。私はこのジャパリパークで3号バスを担当させて頂いているパークガイドのミライと申します」

「さっきも創設者が俺を名指しで招待したと。けれど俺には動物園を開いているような知り合いは居ない、と思う」

「ふむ。……実を言うと、私もその辺りの詳しい経緯は知らされていなかったので……ただクオンさんをお迎えするようにとしか」

「もしかしたらクオンの昔の友達とか親戚とかだったりするのかな。だからクオンを呼んだのかも」

 

 サーバルの無根拠な推測を否定する自信は無い。

 何しろ自分自身、幼少期の記憶は完全に忘却している身だ。ジャパリパークを造った「創設者」とやらがクオンの身の上を知る誰かだったとしても不思議ではないのかも知れない。

 

「何れにせよ明確な理由は分かりませんが、創設者はクオンさんならばアニマルガール達と親交を築き、真の友情を育めるとお考えのようです。なのでクオンさんにはこれからジャパリパークを巡り、彼女達と『フレンズ』になって頂きたいのです」

「フレンズに」

「はいはい、じゃあ私はクオンのフレンズ第一号ね!」

 

 思わず鸚鵡返しするクオンの隣で、サーバルが大きく右手を挙げる。

 

「ねえねえ、私も付いて行って良いかな。他にもセルリアンは居るだろうし、お手伝いするよ!」

「そう、だな。断る理由も無い。ならこれからよろしく頼む」

「うん!」

「可愛らしいサーバルさんも一緒にガイドして下さるなんて……ああ、これからの旅がますます楽しみです!」

「ミライさん、涎」

「あ、これは失礼を……」

 

 気恥ずかしそうに口元を拭うミライにヒグマが苦笑する。

 

「じゃ私はフレンズ第二号って事で。でも私はそろそろ行くよ。これからキンシコウ達と修行する約束なんだ」

「はい、手助け有難うございましたヒグマさん!」

「またね。もしまた機会があったら声掛けてくれると嬉しいな」

 

 ヒグマが手を振って見送ってくれるのを背に再びジャパリバスに乗り込んだ。今度はサーバルも一緒である。

 どのみち高校を卒業して、明確な目的地も無い一人旅の最中だったのだ。今まで一度も聞いた事の無い、誰も知らないような場所に行ってみるのも悪くない。

 

「それではだいぶゴタゴタしてしまいましたが、ジャパリパークの冒険へ出発です!」

 

 

「……水晶のお守りに銀髪。年恰好から見ても間違いないわね」

 

 そんな彼らの様子を茂みの中から注視する影が一つ。彼女は黒い毛で覆われた尾を揺らしながら、その切れ長の目で中央の見慣れぬ青年の背をじっと見据えていた。深緑色のトレンチコートを着込み、つばの広い帽子を目深に被っている。明らかにパークの職員ではない。

 注視するその瞳に宿るのは警戒心と好奇心、そして探究心。

 

「貴方の事、これから見定めさせてもらうわよ、クオン」




サーバル(Leptailurus serval):
 中型のネコ科動物。名称はスペイン語で「猟犬」の意。
 ネコ科の中でも際立って大きく敏感な耳を持ち、その聴力は地中で活動するネズミの動きすら感知出来るという。
 気性は荒いが若いうちから訓練すれば人間にも良く懐き、その気持ちを読み取る能力に長けている。しかし基本的には獰猛な肉食獣である為、2020年現在日本では特定動物として指定され、愛玩目的での個人飼育は禁止されている。

ヒグマ(Ursus arctos):
 ホッキョクグマと並ぶ世界最大のクマの種。日本を始め、北半球を中心に多くの亜種が分布する。
 食性は肉食寄りの雑食性であり、シカやイノシシといった大型動物は勿論の事、河を遡上するサケやマスなども好んで捕食し、冬眠に備える。
 日本に限らず獣害事件が最も多く報告されている動物の一種。特に自身が捕らえた獲物に対し強い執着心を抱く事で知られており、もし登山中に荷物を奪われたとしても取り返すのは大変危険である。
 


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

キョウシュウチホー・平原エリア
旅の始まり


 6月31日、ネクソン版に続いてリリースされたけものフレンズぱびりおんが終わってしまった…オフライン版あるとはいえ、やはり一つの歴史に節目が付いてしまった感があって寂しいなあ。
 ずっと3年間変わらず週一更新を貫き、様々なフレンズ達の模様を描き続けてくれた事に、この場を借りて感謝を。

 2021年7月12日改訂済み。


 ~ミライの日記~

 3月16日。クオンさんをジャパリパークへご招待しました。初めてのガイド、頑張らなくては!

 到着早々セルリアンに襲われるというアクシデントこそありましたが、サーバルさん達と共にこれを撃退する事に成功。

 無事、私達はパークの旅をスタートする事が出来たのでした。

 

 

 ジャパリパーク。「地球に生きるあらゆる動物達とその情報を集め、後世に保存し、人々に動物の事を知ってもらう」事をテーマとして掲げる超巨大総合動物園。

 創設者たる財団の会長自身の長年の夢でもあったパークの建設計画は、本土からやや離れた火山島を舞台に産声を上げた。まず敷地となる火山島の買取りと整地から始まり、続いて各種施設の設計と建造。パークで働くスタッフ達の募集と人選。そして園内で飼育・研究する動植物の収容。何しろ史上最大の動物園を作ろうというのだ。資金に時間、人材はどれだけあっても足りない。だが創設者はこの一大プロジェクトに、それまでの人生で築いて来た全てを惜しむ事無く注ぎ込んだ。

 そうしてその熱意は報われ、粗方の施設完成後に実施された試験開園(プレオープン)でスタッフの家族を招いた結果は上々。あとは正式開園(グランドオープン)に向けて最後の準備に取り掛かるだけ……と思われていた。

 全てが一変したのはとある夜。休火山だった筈の島の火山から、噴煙のようなものが立ち上っているのが観測された。地震や噴火の予兆など一切無かったにも関わらず。キラキラと虹色の燐光を放つ塵はやがて遥か上空で結晶化し、まるで流星群のようにジャパリパーク中に降り注いだ。幸い一粒一粒はとても小さく軽かったため、目立った被害を出す事はなかった。虹色に淡く光る金平糖のようなその結晶はパークの学者達によって回収され、それを構成する粒子は砂の星(サンドスター)と名付けられた。

 だが本当の異変が起きたのはその後だった。サンドスターに触れたパークの動物達が光に包まれ、あたかも繭から羽化するチョウの如く、ヒトの少女のような姿を取り始めたのだ。哺乳類、鳥類、爬虫類、両生類、魚類、果ては研究所内に保管されていた絶滅動物の化石や剥製までもが。この夢か幻としか思えない事態には誰もが驚愕した。

 またも幸いな事に彼女達は皆人語での対話が可能で、かつ概ねヒトに対し好意的であった。獣医や飼育員達の普段からの丁寧なケアのお陰かもしれない。

 ジャパリパークの新たな住人・アニマルガール誕生の瞬間である。

 

「では、これからクオンさんが色んなけものさん達と出会い、友情を深めていけるよう、この私ミライがパークをご案内して参ります!」

 

 ジャパリバス。最先頭の座席にクオンが座り、すぐ隣にサーバルが腰を下ろす。真正面の運転席からガイド兼運転手のミライがマイク片手に声を張る。

 ちなみにジャパリバス自体は手動運転とは別に、静止衛星を用いたGPS(全地球測位システム)及び中央管理センターからの遠隔操作による完全な無人走行も可能であるらしい。もし運転手の身に何かトラブルが起きたとしても、安全に乗客乗員を送り届けられるようにしているのだ。

 

「まずはここキョウシュウチホー・平原エリアを巡って行こうと思いますが、さて何処からご案内致しましょうか」

「はーい」

 

 サーバルが手を挙げた。

 

「まだ行き先決まってなかったら、一緒にカラカルに会いに行かない? 私と同じネコ科なん」

「カラカルさんですか!」

 

 被せ気味に発せられたミライの大声に、聴覚の鋭いサーバルがひゃっと声を上げる。

 

「ああそっか、ガイドさんはまだカラカルと会った事無いんだっけ」

「はい……お恥ずかしながらまだパークに来て日が浅いもので、お会いしていない方も多いのです。カラカルさんについてもまだ資料でしか存じておらず、その為是非ともお会いしたく……うふふ、待ち遠しいです!」

「ミライさん、涎」

「あー……クオン。ガイドさんは無類のけもの好きだから時々、いやよくこうなっちゃうけど、気にしなくて大丈夫だよ」

「よくある事?」

「初めて会うけものの前とかだと特にね。まあ、慣れれば楽しいヒトだけど」

 

 何にしても急ぐ旅ではない。我に返ったミライがカーナビを設定し、いよいよジャパリバスは動き出した。最初の目的地はカラカルが(ねぐら)にしているという木立だ。

 到着までにはまだまだ時間があるという事で、ハンドルを握りながらミライはパークの解説に戻った。液化水素をエネルギー源とするジャパリバスの燃料電池は、従来のガソリンエンジンやディーゼルエンジンなどと違って汚染物質を出さない上に騒音とは全く無縁で、彼女の話を遮る事は無い。環境と動物への配慮の賜物である。本土では一部の民間車両向けの実用化が始まったばかりであることを考えると、創設者の技術力と資本力の高さを伺わせた。

 

「ここ平原エリアは地球上の平原地帯、主にアフリカやオーストラリアに生息するけもの達が過ごしやすい環境をほぼ完璧に再現しています。平原のけものの多くは外敵から身を守る為、また固い草を食べる為の消化器官の発達などの理由から、身体が大きくなる傾向があります。同時外敵から隠れる場所も少ないので、速く走れるよう脚の長いけものが多いのも特徴ですね。これは肉食、草食ともに共通です」

「ガイドさんが、ガイドしてる……!」

 

 と、サーバル。ミライ自身も今回が初のガイドらしいとはいえ、失礼な驚き方ではないだろうか。

 思いつつふと窓の外に目をやると、視界に何かが高速で飛び込んで来た。目を凝らすと、それは二人のアニマルガールだと分かった。茶色いセミロングヘアと細い尾をなびかせる一人はネコ科のようで、遠目からでもすらりとした長身である事が分かる。

 彼女と並走するもう一人はやや小柄で、ツインテールにした茶髪の間から細く捻れた角を生やしている。ミライの説明を証明するように二人とも脚は長い。

 

「あちらに見えますのは、ピューマさんとインパラさんですね。脚力自慢のお二人は何時もこの辺りで競争しているんですよ。そうそう、インパラさんは細身ですが、実はウシの仲間だとご存知でしたか?」

 

 片手にマイクを持ったままミライが解説する。

 北米大陸とアフリカ大陸で厳密な生息地こそ違えど、ピューマもインパラも平原に生息する動物としては有名な部類である。しかし中型肉食動物と草食動物と言えば、本来であれば天敵同士の間柄ではないだろうか。少なくともこうしてバスから見る限り、追い越し追い越される二人の姿からは追う者と逃げる者の切迫感は見受けられない。それどころか楽し気だ。

 その疑問にも当然のようにミライは答えた。

 

「ええ。アニマルガールになるとヒト同様の雑食性に変わるので、それに伴って被食・捕食の関係も無くなるのです」

 

 なおサーバルの補足によれば生来の狩猟本能までが完全に消え失せるわけではないため、時折あのように身体の疼きを発散しているとの事である。

 当のピューマとインパラは窓から顔を出して手を振るサーバルに気付くと、スピードを緩めつつ二人して大きく手を振り返し、そのままジャパリバスを追い抜いて駆けて行った。

 

「お陰で皆さんは仲良く暮らす事が出来ていますし、何より私達ともお話出来るようになるなんて素晴らしいですよね!」

「私と初めて話した時、ガイドさん興奮しっ放しだったもんね」

「それはそうでしょうとも! ずっと書類やモニター越しでしか見る事の出来なかった皆さんと直にお会い出来た上、お話まで出来るだなんてもう夢のようで……!」

 

 当時の感動を思い出しているのか、自身の掌に包まれるミライの頬は紅潮している。

 確かに動物と話すのはヒトであれば、一度は誰しも夢見る事であろう。ゆえにその気持ちはクオンにも分からないではない。出来る事なら自分も一度で良いから彼女(大事な相手)と言葉を交わしてみたかった。

 ……彼女、とは? 今自分は誰の事を考えた?

 

「私も私も! スタッフのヒトやガイドさん達と話せるようになって嬉しいんだよ!」

「好きな食べ物をお願いしたり、テレビやゲームを楽しめるようにもなりましたしね」

「そ、それだけじゃないもん、ただ単にお話するだけで楽しいの! 確かにジャパまんは好きだけど……」

 

 考え込むクオンを他所に、ミライの揶揄うような茶々にサーバルが頬を膨らませる。

 

「ふふ、ジャパリパーク特製のジャパリまんじゅうはパークを訪れるお客さんだけでなく、アニマルガールの皆さんも大好きですものね。勿論私も大好きです」

「私、昔は魚の切り身とか挽き肉とか貰ってたけど、ジャパまんの味知ってからは世界が変わった気がしたね!」

 

 どれだけ考えても、その肝心な彼女の顔が頭に浮かんで来ない。思い出せるのは澄んだ鈴の音だけ。ただの幻想や夢の話と片付けるにはあまりにもはっきりと覚えている。いや覚え過ぎている。それ以外は何一つとして思い出せないのにも関わらず。

 そこでサーバルに肩を揺さぶられ、クオンはようやく我に返った。

 

「大丈夫? バス酔いしちゃった?」

 

 心配げに顔を覗き込んで来るサーバルに、大丈夫だと首を振る。こんな自分自身でも整理の付いていない事で余計な心配をさせたくない。

 サーバルも気がかりそうな顔をしながらも、そっか、と特に追及はしては来なかった。

 

「じゃあねじゃあねクオン、荷台にジャパまん積んであるから後で一緒に食べよ?」

「ジャパまん。ああ、ジャパリパーク名物だと今話していた」

「そう! すっごく美味しくってね、きっとクオンも気に入ると思うよ!」

「興味ある」

「でしょー! パークのギフトショップとかにも売ってるから、お土産に買って行ってね! あ、勿論ゴールドがあったらで良いから」

 

 ここでいうゴールドはジャパリパーク内の各種施設や自動販売機でのみ使用出来る園内通貨で、見た目は肉球のマークが刻印された金貨である。

 本来はパークエントランス併設の受付窓口で購入する物なのだが、クオンの場合は先ほどミライから「特別ですよ」と30枚入りのがま口財布を貰っていた。彼女自身のポケットマネーで購入したものらしい。大事に使うとしよう。

 

「漉し餡とか粒餡とか、抹茶にチョコ味とか色々あるんだけど、クオンはどんなのが好き?」

「レモン餡」

「結構渋いところ突くなぁ。でもこの前パイナップル味とかバナナ味も見たし、多分レモン味もあると思うよ」

「それは良い。俺はレモンが好きなんだ。普段もレモン100%のレモネードを飲むのを朝の日課にしている」

「レモネードって呼んで良いのそれ……?」

 

 

 そんな会話を交わしながら順調に目的地へ進むジャパリバスからだいぶ離れた丘の上。

 サーバルの姿をしたあのセルリアンは、岩の上に立って辺りを睥睨していた。雄大な平原を見渡す瞳には何の感慨も浮かんでおらず、全身を打つ乾いた風にも表情を変えない。ただ無機質なガラス玉のように景色をその目に映しているだけだった。

 

「あ、サーバル」

 

 岩の下から声をかけたのは、サーバルよりも頭一つ半ほど背丈の高いアニマルガール。くすんだ灰色の髪と同色の大きな耳を持ち、顎下まで届く程の長いもみ上げは象牙のように白く染まっている。肉付きの良い身体を薄手のジャケットに包み、首には身長とほぼ同じくらいのマフラーを巻いていた。

 現生する陸上動物では最大とも言われるアフリカゾウである。

 

「この前言ってたゲーム、スタッフさんから借りてきたんだよ。そんなところに突っ立ってないで、一緒にやろ?」

「……シッテルニオイ。イカナクテハ」

「サーバル? 行くって何処に?」

 

 また吹いてきた風の中に混ざっていた匂いが自分のものではない記憶(サーバルの記憶)を刺激した。

 逆光のせいで細部が見えていないのだろうか。自分を自身にそっくりのけものと誤認しているアフリカゾウに構わず、それは匂いの元を求めて岩から飛び降りた。さながらボブスレーか何かのように、盛大に土埃を上げながら斜面を一直線に滑り降りていく。

 

「あれれ? おーいサーバル、危ないよー!?」

 

 幾ら無鉄砲なサーバルでも、自分からわざわざ怪我をし兼ねないような真似はしない筈だ。

 見知った相手の突然の奇行に、携帯ゲーム機を掲げたままアフリカゾウは声を上げる。しかしそれは一切耳を貸さず、全くスピードを緩める事無く平原に降り立ったかと思うとそのまま走り去って行った。奇しくもジャパリバスが向かうのと同じ方角、カラカルの塒へ。

 

「……はて。あんなに急いだりして、ジャパまんの賞味期限でも思い出したのかな」

 

 一人丘の上に取り残されたアフリカゾウは、友達の普段の姿を思い浮かべながら首を捻っていた。無論、何も事情を知らない彼女に答えが出る筈も無かった。  




ピューマ(Puma concolor):
 大型のネコ科動物の一種。別名アメリカライオン。
 生息域が非常に広い事で知られ、カナダ北端部から南アメリカ南端部までの森林やサバンナ、高山地帯、果ては植生の点在する砂漠など様々な環境に適応している。
 ネコ科の中でも眼球が大きく、視力に優れる。

インパラ(Aepyceros melampus):
 細身だがれっきとしたウシの仲間。角は雄にしか無い。
 一頭の雄と多数の雌によって構成されるハーレムを形成し、繁殖期にはあぶれた雄が別の雄のハーレムを奪いにかかる。
 跳躍力に優れており、チーターやライオンなどの天敵を見つけると群れ全体がバラバラに跳ね回りながら逃げ出す。捕食者にとって、時に10m以上を跳ぶインパラを捕らえるのは容易ではない。

アフリカゾウ(Loxodonta africana):
 ゾウ目最大の動物で、同時に現生する中では事実上最大の陸生哺乳類。
 主に平原や森林に生息し、母親を中心とした群れを作る。霊長類以外の草食動物としては最も知能が高く、群れ内で餌場や水場の情報を継承するのだという。また長い鼻は豆腐をも掴める程器用であり、嗅覚は犬の3倍強にも達する。
 象牙目的、あるいは村や田畑を襲う害獣としての乱獲が相次ぎ、絶滅が懸念されている。


目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
一言
0文字 ~500文字
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。