魔法少女育成計画routeS&S~もしものそうちゃんルート~  (どるふべるぐ)
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第一章 剣誓のラ・ピュセル
それでも僕は、夢見ている


◐<設定改変独自解釈キャラ崩壊ありありでお送りするもしものそうちゃんルート。アニメ六話のそうちゃんフルボッコシーンから始めるぽん。

注・このクラムベリーさんはちょっとコミカライズ版が入ったクラムベリーさんです。
絶望的強者なのにそこはかとなく小物臭のするクラムベリーかわいい。


 ◇ラ・ピュセル

 

 

 ――それでも僕は、夢見ていた。

 

 

 

「私は森の音楽家クラムベリー。キャンディーなどはいりません。欲しいのは強者です」

「我が名はラ・ピュセル。森の音楽家クラムベリーよ。相手になろう!」

 

 魔法少女らしく清く正しく美しく。

 騎士らしく正々堂々と格好良く。

 強い敵と全力で戦って、強くなる。

 

「あるいは罠かと思いましたが……考え過ぎだったようですね」

「人目の多い所はまずい。ここなら互いの力を存分に振るえる。正々堂々と戦おう!」

「失礼しました。強者を目指し、強者を求めて二人が全力を尽くして戦う。王道ですね」

 

 そしていつか、誰よりも強く格好いい――

 

「私は私の望む魔法少女を目指したいだけだ!」

 

 そんな理想(ゆめ)を、見ていた。

 

 だから、こいつが現れた時、僕は嬉しかったんだ。

 森の音楽家クラムベリー。

 飴色の襟止めでまとめたジャケットの若草色とフリルに飾られたブラウスの白が目にも鮮やかな衣装。すらりとした肢体には蔦が絡み、長い耳の飛び出す金色の髪に美しくも毒々しい薔薇が咲き誇っている。その見た目だけなら争い事とは無縁そうな、二十歳程の落ち着いた美女だ。けど、向かい合って分かった。

 こいつは、僕と同じだ。

 強者を。戦いを求めている。そしてそれだけの強さを持っている。

 武者震いがした。わくわくした。高鳴る胸から、熱い興奮が沸き上がった。

 こいつと戦えば、きっと――僕は理想の魔法少女に近づけると。

 

 でも――

 

「私もあなた同様強者を求めています」

 

 そうして振るった(ゆめ)は届かずに

 

「求めている……そんな生易しい物ではない」

 

 圧倒的な渇望(ちから)に、踏み(にじ)られた。

 

「飢えているのです」

 

 まず腹を蹴られ、体の中で何かが潰れる音がして。

 

「でもあなたのように自分が強くあるために戦いを望むわけではありません」

 

 戦いの場だった屋上から地に墜ち、声も出せないほどの激痛に苛まれる僕を見下ろす、血に濡れたような赤の瞳に背筋が震え。

 

「より強い者をこの手で殺したいだけなんですよ」

 

 再び蹴り飛ばされ壁に叩きつけられる。全身がバラバラになりそうなほどの痛みに意識が遠のいた後、ぼやけた視界に映る僕自身の血だまりを見た瞬間、あれほど昂っていた戦意も、戦いの興奮も何もかもを、凍り付くような恐怖が塗りつぶした。

 

「や……やだ……」

「おやおや。もう降参ですか?」

 

 何……なんだ、これ。痛い。痛い痛い痛いッ!

 血だ。僕の身体から……こんなッ……こんなに! 嘘。痛い。嫌だ。あのクラムベリーの目。本気で殺すつもりの目だ。怖い。これっ、こんなの……もう決闘なんかじゃない。こんなものはただの――殺し合いじゃないか……!

 

「僕は……僕はこんなことがしたくて魔法少女になったんじゃない!」

「あなたは戦う相手が欲しかったのでしょう?」

 

 そうだ。確かに力を振るえる相手が欲しかった。強い奴との戦いがしたかった。

 でも、違う。違うんだ。僕がしたかったのは、正々堂々全力で二人高め合って、そして最後にはお互い認め合う、そんなアニメや漫画で何度も見て憧れてきた……そんな戦いなんだッ。殺し合い(こんなもの)なんかじゃないんだ……ッ!

 

「何か勘違いをしてませんか?人知を超えた力を持つ者同士が戦うのですよ。生きるか死ぬかになるのは当然でしょう?」

 

 だけど僕の叫びは届かず。血を吐きながら訴えても詰まらなそうに吐き捨てられて

 

「あなたには幻滅しました。死んでください」

 

 そして三度目の蹴りが放たれる。僕の命を刈り取る、絶命の一撃が。

 夜気を裂き迫る、死神の鎌のようなそれ。

 僕は、死ぬのか……。ここで、こんな所で……。

 心底つまらなそうに、まるでそれこそ虫けらを潰すような目で人を殺そうとするこんな奴に、僕は――

 

 

 

『たとえこの身が滅びようとも、貴女(あなた)の剣となる事を誓いましょう。我が盟友、スノーホワイト』

 

 

 

 ――っ……いや、駄目だ!

 僕は誓ったんだ。あの子に、小雪に。

 剣となり戦う事を。盾となって守ることを。

 騎士として。魔法少女として。そして――一人の男として。

 全ての敵から総てをかけて好きな人を守る。それが僕のなりたい、僕の理想の魔法少女だ!

 そんな魔法少女が、そう誓った男が、こんなところでこんな奴に――負けていいはずがないんだ!

 

 震える身体に力を込め、想いで恐怖をねじ伏せて、僕は上空へと跳び上がり死の一撃を間一髪で回避する。そして離れた地点へと着地。すぐさまクラムベリー目がけて地を駆けながら、握った剣を天高く放り投げた。続いて僕自身も跳び上がり天舞う剣を掴み、そのままクラムベリーへと落下の勢いを乗せて、全力で……振るう!

 

 あの子との誓いにかけて、そして僕の理想(ゆめ)にかけて――

 

「だからクラムベリー……お前のような者は魔法少女とは認めない!」

 

 握る剣から伝わる、柔らかな肉を斬る確かな手ごたえ。そして新緑色の衣装に包まれたなだらかな胸元から鮮血が噴き出る。僕の剣はついにクラムベリーに届いたのだ。

 

 ……けど、それだけだった。

 

 鳴り響くサイレン。それが魔法によって作られた偽りの音だと気づいた瞬間、気を取られた隙を突かれ、首を掴まれた。

 そのまま左腕一本で宙に吊り上げられて、ギリギリと鳴る掌に締め付けられる。

 

「王道には続きがありましたね」

 

 必死にクラムベリーの腕を掴み引きはがそうとするけど、出来なくて、悲鳴すらも上げられないほどに締められた喉の奥からは血が溢れた。

 

「戦いの末強者がお互いを知りお互いを認め合う」

 

 そんな僕を、赤の瞳が――人間性が決定的に摩耗した異常者の瞳が見上げる。心の底から愉し気に。歪んだ愉悦を滲ませて。

 

「認めていただけずとても残念です」

 

 それは強者を殺す悦びに満ち満ちた、吐き気を催すほどに美しい微笑み。

 今更ながらに理解する。こいつは、僕と同じだと思っていた。けど、違ったと。

 たしかに戦いを求めている。強者を欲している。けど、その果てにこいつが求めるのは殺し合いだ。ひたすらに戦い、そして殺すだけの戦闘狂。

 殺し合いたいと思えば誰であろうと喜々として。後悔も無く、罪悪感など抱く事無く歓喜のままに。戦い殺しそして美しく笑うのだ。まるで強者の屍を苗床にして咲き誇る薔薇のように。

 きっとそれこそがこいつの願い。こいつの夢。捨てられない想いも、胸に秘めた理想も――絶望的な力でねじ伏せる渇望だ。

 

 こんな奴を野放しにしておいちゃいけない……でないとあの子が……スノーホワイトが……!

 

 守りたい。倒さなくちゃいけない。そう思う。そう思うのに……血が流れて、息が続かなくて、力が抜け落ちていく。体が動かない。何も出来ない。痛い。苦しい。悔……しい……ッ。

 血に染まった視界が、焦燥と後悔に乱れる思考が、ぼやけていく。そして、暗くて冷たい闇の中に……墜ちて……

 

 

 こゆ……き……。

 

 

 ◇クラムベリー

 

 

 傷ついたラ・ピュセルが意識を失い、そして変身が解除される。

 艶やかさと凛々しさを兼ね備えた竜騎士の姿から、まだどこかあどけなさを残した少年の姿へと。その正体――中学二年生の男子である岸辺颯太(きしべそうた)の姿に、クラムベリーは小さくも驚きの声を漏らす。

 

「少年……ですか」

 

 珍しい。変身前が動物の魔法少女というのはいるが、男の魔法少女は相当に珍しい前者と比べてさえごく僅か。それこそ統計学の俎上にのせることすら難しいほどだ。魔法少女になってから随分と長いクラムベリーでさえも、実物を目にするのは初めてだった。

 

「若い、ですね……」

 

 随分と青臭い事を言うものだと思ったが……なるほど、実際に尻の青い子供だったというわけか。現実の厳しさも、実戦の血生臭さも知らない、青い理想だけを目指す夢見がちな未熟者。

 だが

 

「そんな子供が、私に血を流させた……」

 

 パートナーであるファブからの報告によると、魔法少女相手の実戦はルーラチームに襲撃された時の一戦だけだという。魔法少女候補生のデータを私生活含め徹底的に収集する彼が言うのならば、それは間違いないだろう。そんな実戦経験すら碌に無い身で、『魔王』の娘とも言える百戦錬磨の戦闘狂である自分に一撃を与えたというのか。

 ぞくり、とした。

 

「ふ、ふふふ」

 

 ふつふつと湧き上がる戦慄とそして昏い歓喜に、クラムベリーの唇が吊り上がっていく。

 面白い。素晴らしいですね堪らない。ああどうしましょう殺す予定だったのに惜しくなってしまうじゃないですか。今がこれなら、もしこれから戦いの経験を積めば一体どこまで強くなるのか。ああ気になる気になりますっ。でもそんな可能性を秘めた若者の未来を無残に潰えさせるというのもまた悪くない……っ!

 

「嗚呼っ、悩みますねぇ……!」

 

 殺して今愉しむか。生かして後で愉しむか。

 ああ嗚呼どうしましょう脳が胸がお腹の奥が甘く激しくゾクゾクします殺したいのに殺したくないなんて私は一体どうすればっ――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

GO (ごー)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 瞬間、地面が消失した。

 足場を失ったことによる突然の浮遊感。唖然とするクラムベリーの長耳が、足元に空いた直径1メートルほどの『穴』から飛び出した業務用消火器から鳴る『心音』を聴いた。

 無機物から鳴るはずの無いその音の意味を理解した時、消火器から噴き出した白煙が視界を白く染め上げる。立ち込める粉末状の消火剤の中、クラムベリーは咄嗟に穴の側面を蹴って外側へと脱出、無事地面の上へと着地した。

 

 その間まさに刹那。凄まじい反射神経と実戦経験のなせる業だったが、それを成したクラムベリーの表情に喜びは無い。在るのはせっかくの楽しみを邪魔された事の不満と、思考に没入するあまり周囲への警戒を忘れた自分への怒りだ。

 

「周りの『音』も聞こえなくなるほど夢中になるとは……私もまだまだですね。――ですが」

 

 空間を満たす白煙の中、なおも左手で颯太の首を掴んで離さぬクラムベリーは残る右手で貫手を繰り出す。

 

「無粋な痴れ者を逃すほど甘くはありませんよ」

 

 それは穴から現れた新たな『心音』めがけ、正確にその源――心臓を貫いた……筈だった。

 だが、あるべき肉を穿ち骨を砕く手ごたえは無い。かわりに

 

「残念」

 

 凪いだ水面のように平坦な声と共に、クラムベリーの左腕に衝撃が走る。二の腕を力任せに殴りつけられ、痛みに思わず颯太の首から手を離した瞬間、意識を失っている彼の身体はそれを成した謎の襲撃者によって抱きかかえられた。

 白煙が晴れる。魔法少女『達』の肉弾戦が生み出す衝撃波によって。そして掃われた白のベールの向こうから、襲撃者の姿が現れた。

 

 月明かりの中、緩やかなウェーブを描くピンクの髪。肉感的なボディーラインを包む白のスクール水着。可憐な顔立ちでありながら、一切の感情が見えない無機質な瞳がクラムベリーの驚愕の表情を映す。

 その豊満な胸には確かにクラムベリーの右腕が深々と埋まっているが、奇怪な事に一滴の血も流れていない。だがクラムベリーは知っている。そのあり得ざる現象が、ことこの相手には当然の事だという事実を。この『どんなものにも水みたいに潜れる』というあらゆる物理攻撃を無効化する魔法を持つ魔法少女にはッ――

 

「――スイムスイム……!」

 

 その名を呼ばれた魔法少女――スイムスイムは、だが何の動揺も無く、その瞳と同じ感情の宿らぬ声で

 

「撤収」

 

 呟き、背後の穴の中へと身を躍らせた。その細い腕に颯太を抱いたまま、暗い穴の奥底へと落ちて――闇に消える。

 後には、一人佇むクラムベリーだけが残った。

 唐突に戦いが終わった第七港湾倉庫に、再び夜の静寂が戻る。近くの海から吹く海風と波音だけが流れていた。そうしてしばし、静かな時が過ぎた後、

 

「……ふっ……」

 

 かすかな、だが確かな微笑が漏れた。クラムベリーだ。

 

「追わないぽん?」

 

 そんな彼女に、魔法の端末(マジカルフォン)から現れた片羽の付いた左右白黒の球体――試験官である彼女のパートナーであり、この狂った選抜試験の共犯者である電脳妖精ファブが問いかける。

 

「スイムスイム達が掘った穴はそのまま下水道につながってるぽん。そして今はその中を通って拠点である王結寺に向かって逃走中だぽん。でもマスターが本気を出せば追いつけない距離じゃないぽん」

「ふふ……やめておきましょう」

「なんでぽん? ゲームの進行に水を差すシスターナナに同調しそうな魔法少女の中でも、強そうなのを排除しておくはずじゃなかったぽん?」

「ええ。そのつもりでしたよ……ですが、惜しくなりました。ウィンタープリズンを味わう前の前菜程度に思っていましたが、中々どうして歯ごたえがある。それでもやはり殺そうかとも思っていましたが……こうして私の手から離れたのは、今はやめておけと言う運命の導きかもしれませんね」

「いやいや何運命とか痛いロマンに浸ってるぽん。そもそもマスターがウィンタープリズンを殺すのを保留するからその代替案がラ・ピュセルだっただろぽん。ついでに事故死に偽装して、その週の脱落者無しと発表。そんで誰かが死ねば脱落者は無し、だったら生きるために殺せばいいじゃんと馬鹿共に思わせて殺し合いゲームを加速させる一石二鳥の策だったのにこれじゃ台無しぽん。こうなったらもう誰でもいいから手頃な奴をぶっ殺すぽん!」

 

 光るリンプンを激しく散らしプンスカ怒鳴るファブに、だがクラムベリーは己が左の掌――そこをべったりと濡らす颯太の血を愛おし気に見つめ

 

「生憎と、今は新たな血を味わうよりも、今宵浴びた血の余韻を味わっていたいのですよ」

 

 艶然と、呟いた。

 

「ちょっ!? そりゃねえだろぽん! このままじゃどうせ今週もキャンディーによる脱落ぽん。魔法少女が死ぬのを見るのは好きだけど三回も同じパターンとか流石に飽きるぽん!」

「だったらそもそもキャンディーの数で半分まで減らすなどという遠回りな事をせず、最初からシンプルに最後の一人まで殺し合えと命じればよかったじゃないですか」

「それじゃワンパターンな殺し合いにしかならないだろぽん! ただ戦えればいいっていう奴はこれだから分かってないぽん。あえて選択肢を与えることによって展開の幅が広がり見世物(ショー)はより面白く刺激的になるぽん! それがエンターテイメントってやつぽん! ……まったく、こうなったら予定していたイベントを前倒しにして、ついでに内容もちょっと変更して殺し合いを煽る事にするぽん。マスターの気まぐれに振り回されるファブは何て不幸ぽん」

 

「辛いぽん。悲しいぽん」とぶつぶつ不平不満を垂れ流し、今日までこつこつと用意していたプログラムの変更作業に入ろうとするファブに、ふとクラムベリーが問いかけた。

 

「そういえば……」

「なんだぽん? ファブはどっかの気まぐれマスターのせいで忙しいぽん」

「ふふ、そう怒らないでください。……ファブ、彼の名は何というのですか?」

「彼? ……ああ、ラ・ピュセルかぽん。人間としての名前は《岸辺颯太》ぽんよ」

「岸辺……颯太……。可愛らしい名前ですね」

 

 噛み締めるように、味わうように、その名を呟く。

 そんなマスターの様子に、ファブは意外気な声を漏らした。

 

「魔法少女としての戦闘力ならともかく人間時のデータにはてんで無頓着なマスターが興味を示すなんて珍しいぽん。……もしかして、惚れちゃったのかぽん?」

「さあ、どうでしょうね……」

 

 微笑するクラムベリーの瞳に在るのは、戦闘狂としての殺意か、少女としての恋慕か、それとも全く別の何かか。禍々しくもどこか寂し気で、孤独な森にも似た昏い瞳の奥にある物が何か、ファブにはわからない。いや、もしかしたら本人にすらも。

 

「……ですが、もし彼が再び私の前に現れ、その血と命と戦いで私を満たしてくれたのなら――」

 

 淡い唇が開かれ、赤い舌が伸びる。

 そして濡れ光るそれを、自らの顔の前に翳した血に濡れた掌へ、ちゅく……と着けて――岸辺颯太のそれを舐め、味わった。

 

「――惚れてあげてもいいですよ。颯太さん」

 

 未熟な強者の血潮を堪能し、舌なめずりする。

 おぞましくも妖艶な笑みを浮かべたクラムベリーの唇は、彼の色に染まっていた。

 

 

 ◇ラ・ピュセル

 

 

 殴られる。蹴られる。肉が潰され、骨が折られて、それでもあいつは、心底愉しそうな瞳で僕を――

 

「うわあああああああああああああ!!」

 

 恐怖に染まった悲鳴を上げて、僕は目覚めた。

 上半身を起こし、そして全身を苛む痛みに思わず呻き声を漏らす。

 

「く、痛ぅ……ッ!!」

 

 痛い。腕が腹が足が、何もかもが痛くて、堪らず身じろぎするその動きでさえ新たな痛みを生む。全身がぐっしょりと嫌な汗に濡れていた。そして恐怖に震える心臓はバクバクと鳴って――……生き、てる?

 

「え……?」

 

 困惑と共に見下ろした僕の身体――人間に戻っていた――は、細かな擦り傷こそあるが命に関わる大きな傷はなかった。魔法少女時に負った傷は人間時の身体には致命傷でない限りほとんど反映されないとは聞いている。ならこの痛みは、それでも完全には消しきれなかったダメージによるものか……。

 でも何でだ? 僕は……クラムベリーに負けて……あいつは僕を殺すつもりで……っ。

 生きていられるはずがない。いや、正確にはあいつが生かすはずがない。でも、なら何で僕は生きて――

 

「――ラ・ピュセル」

 

 平坦な声で魔法少女としての名を呼ばれ、思わず顔を上げる。

 そこで初めて、僕は自分が見慣れない場所にいることに気が付いた。

 寂れ、朽ち果てた部屋だ。所どころ色の禿げた朱塗りの柱。燭台の揺らめく蝋燭の明かりに照らされた首の折れた仏像。今にも抜けそうな板張りの床には、大きな穴がぽっかりと開いて、虚ろな闇を覗かせている。……思い出した。ここは前に一度だけ来たことがある。

 魔法少女活動でうっかりルーラ組の縄張りに入ってしまった時、ルーラ達に連れてこられて延々と説教を受けた荒れ寺だ。

 

 目の前には周りより一段高い上座。かつて怒るルーラが立っていたそこには、スイムスイムがいた。

 茫洋として感情が見えない、揺らぎの無い瞳で混乱する僕を見下ろしている。

 何、なんだこれ? クラムベリーに殺されかけて、目覚めたらこんなところにいて、スイムスイムがいて……なんなんだ。何が起こってる?

 

「スイムスイム……? 僕は、何で……いや、一体何が――」

 

 訳の分からない状況に、問いかけようとする。

 でも、それを言い終える前に、スイムスイムが口を開いた。

 

「私の……」

 

 僕の疑問も、混乱も、何もかも気にも留めず、ただ己が意思のままに命じる。

 

 

 

「私の――騎士(ナイト)になって」

 

 

 

 まるで、暴君のように。

 

 




お読みいただきありがとうございます。
無印二大鬼畜キャラとさいかわ大天使そうちゃんを絡ませるという誰得俺得需要なんて知らねえよな妄想そうちゃん生存ルートはいかがでしたでしょうか? いいからもっとそうちゃん苛めて欲しいという方はご安心ください。次回以降で心身ともにポッコボコにしたるけえ。ぐへへへそうちゃんは苛めて愉しいからのぅ(ゲス顔)
さて、作者は基本オリジナルの方で活動していたので二次創作は初めてです。なので色々慣れていないかと思いますが、いたらぬ点がありましたら遠慮無く指摘してください。でもお手柔らかにしてくれないと作者の豆腐メンタルが絶望したスノホワ状態になりますよ。
まあそうならないように次回以降作者なりに頑張って書いていきますので、どうかしばしこの妄想駄文にお付き合いください。

地の文を遠藤浅蜊先生の感じにしてみようかとも思いましたが無理でした。どうやったらあんなスマートかつ情報量の凝集した文が書けるるんや。あの人スゲエや。

『次回予告』

全部ねむりんって奴の仕業なんだ!


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HEARTCATCHER

◐<この物語は作者の歪んだ欲望でできているぽん。ぶっちゃけ今回はちょいエロ要素があるぽん。だから「まほいくにはエロなどいらぬ!」という硬派な読者様は今すぐブラウザバックをするぽん。いやマジでほんと無理なら見なくていいですよというか見ないで実質そうちゃん苛めたいってだけで書いた話だから……ぽん。


 ◇ラ・ピュセル

 

 何を言われたのか、分からなかった。

 それこそ、混乱していた頭が真っ白になるくらいに。

 クラムベリーに殺されかけて意識を失って、気が付いたら荒れ寺の中にいて、目の前にはスイムスイムがいる。そんな異常な状況にいる事の緊張も混乱も文字通り吹き飛ぶかのような。それほど、目の前の白いスクール水着を纏う魔法少女――スイムスイムの言葉は、意味が分からなかったんだ。

 

「……え、と……何を言って……」

「騎士になってと、言った」

 

 困惑に揺れる僕の声とは対照的に、スイムスイムの声には一切の乱れも迷いも無い。それは自分の考えが当然の事であると信じている者だけが出せる声音で、だからこそ彼女の言葉が冗談でも何でもないと分かった。

 

「その、騎士っていうのは……?」

「ラ・ピュセル、あなたのこと」

「たしかに僕……ラ・ピュセルは魔法騎士だけど……」

「うん。だから私の騎士になって」

「君の……? って、えっと……ごめん。意味がよく分からないよ」

 

 返ってくるのは、キッパリと迷いのない返答。……けど、やっぱり意味が分からない。

 茫洋としたスイムスイムの瞳は感情が読めなくて、何を考えているか全く読めない。それがまるで理解不能の生き物と対峙しているようで、ひどく不気味だった。

 けど――

 

「お姫様には、騎士が仕えているものだから」

 

 その言葉を聞いた瞬間、僕の中の困惑が別の感情に変わった。

 

「――ッ! ……それは、仲間になれっていう事か?」

「うん」

 

 頭の中が真っ赤になった。胸の奥底から熱いものが溢れて、怒声となって爆発した。

 

「ふ ざ け る な !」

「? ふざけてなんてない。私は真面目」

 

 子供のようにキョトンと首を小さく傾げるスイムスイム。何を言われているのか本気で分かっていない。そんな仕草が、僕の怒りにさらに火をつけて

 

「冗談じゃない……ッ。君は、君たちが僕たちに何をしたか覚えていないのか!?」

 

 忘れたくても忘れられない。いや、忘れてなんてやるものか。

 ルーラがまだ生きていた時、小雪のキャンディーを狙って襲いかかってきた事を。

 

「あの子が、スノーホワイトがどんなに怖かったか……ッ。どんなに怯えていたか……ッ」

 

 今でも瞼に焼き付いて、離れない。

 誰よりも笑っていてほしかった彼女の、涙を浮かべたその瞳を。キャンディーを奪われたと語る絶望の声を。そして、奪い返そうとする僕の背中に抱き着き、震えながら引き止める、その小さな体のぬくもりを。

 思い出すその度に、胸が苦しくなって、後悔が押し寄せる。

 僕がもっとしっかりしていれば、こいつらの陽動なんかに引っかからなければ――好きな子を泣かせることはなかったのにと。

 

「君には分からないだろうな。自分の目的のために、誰かを救うための力で誰かを傷つける意識の低い魔法少女には……ッ。でも、僕は覚えているし、絶対に許さない」

 

 叫ぶ声が、その振動が、傷ついた体に痛みとなって響く。

 息が苦しい。喋るごとに荒くなる。でも、言わなくちゃならなかった。

 

「だから……ッ」

 

 だって僕は約束したから、スノーホワイトを守る剣になると。僕の剣は、あの子のためだけに在るのだから。

 

「だから、あの子を泣かせた奴の仲間になんかなれない!」

「…………」

 

 ありったけの声を張り上げて、僕は僕の想いをぶつけた。

 スイムスイムは、答えない。落胆しているのか、怒っているのか、あるいは失望しているのか、何も読み取れない瞳で、荒く息を吐き睨みつける僕を静かに見つめている。

 くそっ。本当になんなんだこいつは……。

 僕はさらに口を開こうとして、横から響いた甲高い声に止められた。

 

「ちょっとちょっとー。せっかく助けてやったのにその言いぐさは無いんじゃないのー?」「そーだそーだ!」

 

 我儘な子供を思わせる声。全く同じ声音、声量、その声だけで双子だと分かるそれを発したのは、小さな頭の上に蛍光灯の輪っかを浮かべた片翼の双子天使――ピーキーエンジェルズだ。

 姉のミナエルと妹のユナエルは(どっちがどっちかは見分けがつかないが)中空にふわふわ浮きながら揃って眉を吊り上げていた。

 

「助けた……って、君達が僕をクラムベリーから助けてくれたのか……?」

「あったりまえじゃん! じゃなかったらあんたとっくに死んでるし。っていうか消火器なんかに変身したせいで今も口の中がなんか粉っぽいし」「私なんてイルカになって下水に入ったし。もう臭いし汚いし最悪だったし」

「とにかく命を助けてやったんだから身体でお礼くらいしたらどーなのよ!」「お姉ちゃんマジ正論」

 

 にわかには信じられないその言葉に、思わずスイムスイムに困惑の目を向ける。彼女は小さく頷いて

 

「たまも頑張って穴を掘った」

 

 呟き、床に空いた穴から恐る恐るといった表情で顔を出すいかにも臆病そうな犬耳の魔法少女――たまを見た。僕もつられて目を向けると、目が合った瞬間たまは何故か「にゃっ!?」と悲鳴を上げて穴に隠れてしまった。

 

「みんな頑張った。あなたを助けるために」

 

 本当に、僕はスイムスイム達に助けられたのか……。でも確かにそれなら、生きている事にも納得できる。でも、何で? 自分たちが助かるためにスノーホワイトを殺そうとした、そんな奴らがただの善意で動くとはとてもじゃないが思えない。

 

「あなたが必要だから。私がお姫様になるために」

 

 相変わらず訳の分からない言葉。けど本当なら、なんであれスイムスイム達は命の恩人だ。もし彼女たちが助けてくれなかったら、僕はあの恐ろしいクラムベリーに殺されていただろう。

 ……だけど、けれでも

 

「……ごめん。やっぱりそれはできないよ。僕の剣は、スノーホワイトに捧げたから」

 

 あの子を守ると誓ったから。盟友として――一人の男として。

 ……それにクラムベリー。あんなカラミティメアリ以上に危険な奴がいるのに、彼女を一人にはしておけない。離れるわけにはいかないんだ。

 

「だから、ごめん。……助けられたことには感謝するよ。でも――」

 

 

 

「ラ・ピュセル、死んじゃうよ」

 

 

 

「え?」

 

 突然告げられた不吉な言葉。

 その意味が分からず、呆然とする僕へ、スイムスイムは一つのマジカルフォンを掲げ、その丸い画面を見せる。瞬間、僕の全身の血が凍りついた。

 そこに、表示されていたのは――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 《ユーザー名》ラ・ピュセル。

 《マジカルキャンディー数》 0 。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――――は?」

 

 意味が、分からない。いや、分かりたくない。

 だって………これじゃあ……僕が………

 

「あなたのマジカルフォンとキャンディーは私が預かった。断るのなら、今週の脱落者は――あなた」

 

 淡々と告げる、声がする。

 足元が崩れ落ちていくかのような感覚に陥る。どこまでも深い闇の底に落ちていく、そんな感覚に。

 

「ルーラの時なんかすごかったよねー」「そうそう。全身から血がブワーって出てさー」

「……ッ」

 

 楽し気にはしゃぐ双子の声。何かに耐えるように眉を伏せたたまがぎゅっと拳を握る音。でも今の僕には、それがまるで遠い世界の音であるかのように思えて……。

 

「死にたくなければ、私の騎士になって」

「――――ッッッ!!!!」

 

 瞬間、真っ白な頭の中で一つの激情が――怒りが爆発した。

 スイムスイムの非情な言葉が、無慈悲な瞳が、何よりもその悪辣な行いが許せない。目的のためならば他者を容赦無く追い詰めるそれが、まるであのクラムベリーを思わせて――気が付けば、僕は怒りのままスイムスイムへと掴みかかっていた。

 

「スイムスイム!」

 

 叫び、白いスクール水着の胸倉を片手で掴む。

 

「お前はッ! お前はそこまでするのか!」

「する。あなたが欲しいから」

「ふざけるな!」

 

 唾がかかりそうな至近距離から怒鳴られているというのに、眉一つ歪めず返すスイムスイム。それがまるで馬鹿にされているようでたまらなく癪に触って、僕は残る手でスイムスイムが右手に持つマジカルフォンを奪うべく手を伸ばした。けど、それに指が触れる前に、スイムスイムの左手が先に動いた。僕の胸に当たった軽い掌は、だが魔法少女の力が加われば人一人の身体なんて簡単に突き飛ばす。

 

「がッ!? くうぅ……ッ!」

 

 胸が爆発したかのような衝撃。口から血の混じった酸素と苦悶を吐いて、僕は床に叩きつけられた。

 全身に響く激痛に意識が遠のくが、力の限り歯を噛みしめ耐えた。駄目だ。ここで意識を失う訳にはいかない。ここで倒れたら……僕は今度こそ終わりだ!

 痛みの中、意識を集中させる。そして思い描くのは弱く傷ついた人の身体ではなく、僕の理想(ゆめ)。強さと凛々しさを体現した姿――魔法少女ラ・ピュセルへと変身した。

 途端全身を貫く、それまでと比べ物にならない程の激痛。

 

「痛あああああああ!?」

 

 変身したラ・ピュセルの姿は、満身創痍だった。

 破れた衣装。ひび割れた鎧。柔肌には痛々しい無数の傷が刻まれ、止めどなく流れる血が纏う衣装を赤く濡らす。見るも無残なこれは、クラムベリーによって殺されかけた時のままで

 

「ルーラが言ってた」

 

 苦しみもがく僕の耳に、無感動に眺めるスイムスイムの声が響く。

 

「『魔法少女時に負った傷は、一度変身を解いてまた変身すれば全てが即座にリセットされるわけではない。特に重傷ともなれば傷跡が残るし、手足の欠損は治らない。つまり調子に乗って大怪我なんてしたら洒落にならないから肝に銘じておけ阿保共』……死にたくなければ、変身を解いた方がいい」

 

 ……ッ! 冗談じゃない。

 僕は騎士だ。魔法少女だ。

 どれだけ傷ついたとしても、クラムベリーやお前のような

 

「ああああああああ!!」

 

 他者を平気で踏み躙るような魔法少女に、二度も負けられるか!

 魔法の剣を握りしめ、スイムスイムへと斬りかかる。力の限り振り下ろした刃は、だがスイムスイムが僅かに後ろに下がったことで避けられた。

 

「まだまだあああああ!」

 

 叫び、再び剣を振るう。何度も。何度でも。体力はとうに尽きかけて、気合だけで振るう刃は遅く大振り。最小限の動きで悉く避けられる。

 魔法で剣を大きくするべきか。いや駄目だ。これ以上重くしたら今の体力じゃ握っていられなくなる。小細工は出来ない。今はただ、剣を振る事だけを考えろッ。

 スイムスイムが下がる。僕は震える足で前へと踏み出す。

 剣を振り上げるたびに、傷口から血が飛び散る。振り下ろすたびに、骨が軋み激痛が走る。それでも僕は、振るい続ける!

 

「痛くないの?」

 

 痛い。痛いさ。でも、

 

「死ぬよりは……ましだ!」

 

 僕が死んだら、誰が小雪を守るんだ。

 この狂った殺し合いの中に、あの子一人を残すだなんてそんな事できない。だから、絶対に

 

「帰るんだ……!」

「…………」

「あの子の隣に」

「…………」

「スノーホワイトの隣に……僕は」

 

 

 

 

 

 

 

『――そうちゃん』

 

 

 

 

 

 

 

「帰らなくちゃならないんだ!」

 

 後退し続けていたスイムスイムの背中が、壁に当たった。すかさず僕は、その細い首に刃を突き付ける。

 

「ハァ、ハァッ……だから、マジカルフォンを渡せスイムスイム。でないと……ッ」

「…………」

 

 ぶつかり合う、荒い息を吐きながら睨みつける僕の瞳と、スイムスイムのどこまでも無機質な瞳。喉元に光る刃も、僕の叫びにも一切揺らぐことの無いそれが、僅かに細められて

 

「それはできない」

「なら――ッ」

「でも、あなたも私を傷つけることは出来ない」

 

 呟き、スイムスイムが前に踏み出す。すると当然その首が剣に当たり、ずぶりと刃が柔肌に沈んで――通り抜けた。血の一滴も出ることなく。スイムスイムの白い首には傷一つ無く。

 

「な!?」

「全てを透り抜ける私を、あなたは倒せない」

 

 目を見開き驚愕する僕の身体にスイムスイムが圧し掛かり、そのまま僕は床に押し倒された。

 

「ぅあ……ッ!?」

 

 その動きで生じた痛みに悲鳴を漏らした隙に両手首を握られ、剣を取り落とす。そのまま両腕を頭の上で交差するように上げさせられ、その両手首をスイムスイムの右手一本で纏めて抑え込まれた。

 

「ゃっ、離…せぇ……っ!」

 

 完全に動きを封じられた。やばい。逃げたくても、身体の上にスイムスイムが圧し掛かってきて碌な身動きすらできない。

 それでも何とか振り解こうともがく僕に、スイムスイムの豊満な肢体が容赦無く絡み付く。合わさる肌と肌。交じりあう二人の熱。何とか蹴り上げようとした足には、すかさず足を絡められ。もがく度に揺れる胸元には、同じくその胸を押し付けられた。圧し掛かる圧倒的な乳房の重みに、僕の胸が歪み、圧迫される。息が苦しい。視界がかすむ。

 

「そして、クラムベリーにも勝てない」

 

 涙で滲む視界は、吐息のかかるほど近づいたスイムスイムの顏に埋め尽くされて、その淡い唇が紡ぐ言葉が、なによりも容赦なく僕を苦しめる。

 

「あなた達の戦いを見た。彼女は強すぎる。だから私も彼女からあなたを奪うには奇襲しかないと考えた。まず地下を通って近づき、イルカに変身したユナエルが地上の音を『聴』いてあなたの位置を特定した。そしてたまがクラムベリーの真下に穴を掘って、消火器に変身したミナエルが視界を塞いでいる隙に私が直接奪う。そしてたしかに不意を打つことには成功した。……でも、クラムベリーはすぐに対応して私を攻撃した。もし私でなければ死んでいた」

 

 静かに語り、ふと自らの胸元に目を向けた瞳に、その時僅かに恐怖らしき色が宿ったのは気のせいだろうか。

 

「クラムベリーは強い。あなたでは手も足も出ないほど。たとえあなたがスノーホワイトの元に戻ったとしても、あれが襲ってきたら何もできない。二人とも――殺される」

 

 その言葉に思い出す、クラムベリーの絶望的な強さ。剣も拳も届かず、総てをねじ伏せるその力。恐怖が蘇る。体の芯が凍える。痛みが、恐怖が、どの傷よりも深く僕の中に刻みつけられていた。

でも、駄目だ。諦めちゃだめだ。たとえ勝てないのだとしても、あの子を守る方法はまだある。

 

「だったら……二人で逃げてやる。名深市の外に。それなら――」

「それは無理ぽん」

 

 言い返そうとした僕を止めたのは、マジカルフォンの画面から現れたファブだった。ファブは唖然とする僕へと、軽快な、いっそのことお気楽な調子で最悪の事実を告げる。

 

「魔法少女の魔法はこの土地の魔力に依存していると言ったはずぽん。これが以前のように土地に魔力が十分にあった時ならともかく、今の魔力が不足した状態で名深市の外に出たら魔法が使えなくなるぽん。魔法少女が魔法を使えなくなったら、それは資格をはく奪された時と同じように生き物としての本質を失うってことぽん。つまりは――死んじゃうぽん」

「そ……んな……嘘だ……」

「嘘じゃないぽん。こうして教えてあげたのもラ・ピュセルに死んでほしくないからだぽん。ファブを信じるぽん。死にたくないのならよぉ……ぽん」

 

 逃げ道が塞がれていく。縋ろうとしていた希望が一つ一つ潰されていく状況が、まるでお前には何もできないのだと嘲笑われているように思えて。

 押し潰されるような絶望感に言葉を無くす僕の太ももに、スイムスイムの白い手がそっと触れた。

 

「ぁ……っ」

 

 華奢な左手の指先が、震える柔肌の上を滑り、つぅ……と上っていく。

 

「あなたには、クラムベリーを倒せない」

 

 触れられた場所から甘く広がる、痺れるような熱。僕の肌をその指先が撫でていくゾワっという刺激に、思わず声が震えた。

 

「ぁ…ぁあ……っ」

 

 艶やかな太ももから、足の付け根のラインをなぞって汗の浮かんだお腹へ。そして衣装の破れ目から覗く臍に、指先が引っかかった。

 

「ひんっ……!?」

 

 甘く弾けるようなその刺激に、上ずった悲鳴が漏れて

 

「あなたには、スノーホワイトを守れない」

 

 声が告げる。僕の無力を。成す術も無く弄ばれる屈辱を。

 

「ゃ、めろぉ……ッ」

「やだ。やめない。ルーラが言ってた。『部下が欲しいなら己の強さを示して屈服させればいい』って」

 

 最後に、スイムスイムの手は僕の胸へと辿り着き、その掌を乳房へと押し付けた。一切の手加減が無いその力に、柔らかな乳肉が歪み息もできない程の痛みが走る。

 

「痛、いぃッ……ゃ、だめだ…ッ…押し付け、ないでぇ……!」

 

 懇願しても、涙の滲む瞳で訴えても、スイムスイムは許してくれず、容赦なく押し付けられた掌が――ずぶりと沈んだ。

 

「ーーーーーーーッッッ!!!!」

 

 入って来る。僕の中に、スイムスイムが。他者が体の中に侵入するという未知の衝撃に悲鳴すらも上げられない僕の『中』へと、『どんなものでも水のように潜る』魔法で自らの一部を沈めるスイムスイムはそして――僕の体の『中心』を、握った。

 極大の圧迫感とそして激痛。声も出せず戦慄く唇を開けて全身を震えさせる僕へと、スイムスイムは静かに命じた。

 

「そんなあなたでも、私はほしい。お姫様の隣には騎士がいるものと『教わった』から。だから――」

 

 その無垢な手で――僕の心臓を握りながら。

 

「私の騎士になって。ラ・ピュセル」

 

 僕は、答えない。もう答える力すらも、無い。

 ただ何もできない絶望を感じながら、光を失った瞳で……あの子を想う。

 

 

 

「こ……ゆきぃ……」

 

 

 

 答えてくれる声は、無かった。

 

 

◇スイムスイム

 

 

 坂凪綾名《さかなぎあやな》が《騎士》という存在を初めて知ったのは、あるよく晴れたお正月の朝だった。

 その日、地元の名家である坂凪家には新年の挨拶に沢山のお客様が来ていた。大人たちは皆その対応に追われて忙しく、その時風邪をひいていた綾名はお客様にうつしては大変だからと言われ、人相がほとんど分からなくなるほど大きなマスクを付けて独り、離れの縁側に何をするわけでもなくぼうっと腰かけていた。

 

 するとそこに、大学生くらいのお姉さんが現れた。ここに挨拶に来た父について来たものの退屈だからブラブラしていたというお姉さんはほんわかとした笑みを浮かべて「何してるの?」「へ~退屈なんだ。奇遇だね。わたしもそうなんだよ」「じゃあ退屈同士、お姉さんとお話ししよっか」と言ってきた。知らない人とは喋っちゃいけませんと心配性の母親から教えられている綾名だったが、不思議とこの人ならいいかと思った。何となく見ているだけで安心して癒されるような雰囲気があったのだ。

 

 それから、お姉さんと色々な話をした。綾名は決して口数の多い方ではなかったが、お姉さんは聞き上手で、どんな話でも心底楽しそうに聞いてくれた。

 やがて綾名はお姫様が好きという事を知ると、お姉さんは「よーし、じゃあ今度は私が楽しませてあげるね」とお姫様の物語を聞かせてくれた。

 趣味がゲームと読書というお姉さんが話してくれる物語は、そのどれもが聞いたことの無い物ばかりで綾名は目を輝かせ聞き入った。でもある時、物語の中に聞き慣れない言葉が出てきた。

 

「《きし》って……なに?」

「騎士っていうのはね。お姫様に仕える人だよ」

「つかえる……?」

「えーっと、まあつまりお姫様を守ったり助けたりする人だね」

「お姫様を……」

「じゃあ今度は騎士が活躍するお話をしてあげるね」

 

 そしてお姉さんが話してくれたのは、お姫様とそれに仕える騎士が二人で様々な困難に立ち向かう物語だった。始めはオーソドックスなお子様向けの物語だったが「うーんちょっとインパクトが足りないな。じゃあすこしアレンジしちゃおうか」いつまにか二転三転し権謀術数渦巻く宮廷劇となり「やっぱり騎士と言えばバトル展開は欠かせないよね。でも守られるだけのお姫様もつまらないよね」ついには封印から目覚めた魔王との血で血を洗うバトルストーリーとなって、純粋無垢な綾名はたちまち惹き込まれた。

 

 トレードマークである白いドレスを纏い、無数の敵をちぎっては投げちぎっては投げるお姫様の雄姿に歓声を上げ。そのお姫様の隣でどんな攻撃からも彼女を守り、忠誠を捧げる騎士に感動し。クライマックスである真のラスボス究極将軍との最終決戦では、光り輝く六枚の羽を背負うお姫様の隣で根源的邪悪を従え共に戦う騎士の姿に胸を打たれた。

 そして思った。お姫様になるのは無理かもしれないけど、私もいつか騎士のようにお姫様に仕える人になりたいと。

 

 その願いは綾名が魔法少女スイムスイムになってからも変わらなかった。自分はかわいくて偉大なお姫様(ルーラ)に仕える騎士になろうと。

 でも、今は自分がお姫様だ。だったら騎士になる人がいなくなってしまう。たまは駄目だせいぜいペットだ。でもそれはそれで必要なポジションだから頑張って愛嬌を振りまいて欲しい。ピーキーエンジェルズはそもそもそんなキャラじゃない。弱くて小物で格好良くないよくてピエロだ。

 でも、大丈夫。スイムスイムは知っていた。同じ魔法少女の中に、《騎士》がいることを。

 

 お姉さんとはあの日以来会っていないが、それでもあの人が綾名の『理想のお姫様像』を作った事は確かだ。だからその言葉は、今でも綾名の胸の奥に残っている。

 

 

 

「お姫様の隣にはかっこいい騎士がいるものなのさ。だってどんな物語の中でも、好きな女の子を守る男の子と、そんな子に愛し愛される女の子のお話が一番素敵なんだからねー」

 

 

 

 お姉さん――三条合歓(さんじょうねむ)の笑顔と共に。

 

 




今回の総括・ねむりん「全部私のせいだーーーーwwww」

お読みいただきありがとうございます。作者です。
あ、エロ要素ありって書いたけど改めて見ればそんなことも無かったですね。実質スイムがラ・ピュセル押し倒してハートキャッチ(物理)しただけですし。うんセーフセーフ問題無し。だから運営に通報しないでくださいねマヂで!

あさて、ではではちと解説という名の言い訳を少々。
魔法少女の怪我がすぐには回復しない云々は捏造です。原作では特に明言されていませんから適当書きました。なんでルーラがそれを知っていたかは、魔法少女になってからすぐに『魔法少女』と言う存在についての説明をファブに根掘り葉掘り聞いたからです。まず自分がどういう物かを把握してこそ最大限の力を発揮できると考えたルーラ様は偉大ですね。さすルラ。
そして綾名の過去も捏造ですよ。とりあえずスイムがやらかす陰にはルーラとねむりんありって事にしとけば謎の説得力が出る不思議。ちなみにねむりんが最後に入った夢で綾名が昔会った子だと気付かなかったのは、当時はマスクで顔がほとんど隠されていたからです。
名深市から出たら死ぬ発言に関してはファブ氏が物真似で教えてくれるそうです。
ファブ「うううううそおおおおおおおでえええええええすッwwwぽん」

あさて、次回からはバトルとエロからいったん離れた日常回です。謎に包まれた颯太の私生活を捏造設定バリバリでお送りします。あとまだ登場してない『あの子』も出るよ。そうちゃんとがっつり絡ませますのでお楽しみに。


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ブラック&ナイト

◐<今回は特にキャラ崩壊注意ぽん。あるキャラのコミュ力を+0.2トットポップしてあるぽん。つまりトットポップ0.2人分のコミュ力をプラスしたぽん。あとそうちゃんが全編超ブルーで正常な思考力を失ってるぽん。


◇岸辺颯太

 

 

――小雪へ。

――ちょっと体調が悪くて、魔法少女活動がしばらく出来そうにないんだ。こんな時なのに、本当にごめん。

 

一文字打つごとに重くなっていく気分を感じながら、僕は完成したメールをスマートフォンで送信した。

朝の光が差し込む自室のベッドに座り、一人憂鬱な溜息を吐く。朝目覚めてから、気分は最悪だった。

 

思い出したくも無い昨日の夜。

クラムベリーに殺されかけて、スイムスイムに助け出された後「騎士になって」と脅された夜。『どんなものにでも水みたいにもぐれる』魔法を前に成す術も無く負けた僕を、スイムスイムは解放した。

 

『三日待つ。三日目、順位発表の夜にあなたの答えを聞かせて』

 

そう、あの感情の見えない凪いだ水面のような瞳で言って。

その後、変身を解除したものの体力を消耗して動けなくなった僕は、スイムスイムに背負われて帰宅した。内心複雑だけど、家までわざわざ送ってもらった事に一応礼を言うと「気にしなくていい。どのみちいざという時のために家の場所を押さえておく必要があったから」と返された。礼を言ったことを後悔した。そして自分の部屋に入りベッドに倒れ込んで、その後の記憶はほとんど無い。僅かに覚えているのは、泥の様な疲労感の中で、どこまでも深い水底に沈んでいくような感覚だけ。

 

それから一晩眠って、身体の疲労や痛みはだいぶ和らいだ。けど、心はそうもいかない。

クラムベリーとスイムスイム、魔法少女とはとても認めたくない二人に負けてしまった屈辱。スイムスイムに責められ、涙を流してしまった悔しさ。情けなさ。そして、絶望的な理不尽への怒りと恐怖。色々な嫌な感情がぐちゃぐちゃになって、今も僕の中で渦巻いている。

 

「はぁ……」

 

気が重い。本当なら学校に行くのも億劫だけど、かといってこのまま部屋に籠っていてはよけい欝々とするだけだ。だるい体を引きずるように自室を出て、洗面台の前に立つ。

鏡に映った僕の顔は、見た事も無いほど酷い顔だった。

 

「こんな顔、小雪には見せられないな……」

 

口元が自嘲に歪む。酷い顔が、もっと酷くなった。

 

 

☆ ☆ ☆

 

 

僕の家には今、僕一人しかいない。

結婚記念日を迎えた両親は夫婦水入らずで一週間の旅行に行っていて、来週にならないと帰ってこないからだ。そんな一人きりの家の中はがらんとして、いつもよりどこか寒々しかった。

そんな空気から早く抜け出したくて、僕は中学の学生服に着替えてから簡単な食事をすませ、それから家を出た。

中学校までのいつもの道を、いつもとは違う重い足どりで歩く僕の顔は俯きがちだ。ちゃんと前を見ないと危ないとは思うものの、気が付けば地面ばかりを見ている。ため息が漏れた。僕はどこまで落ち込んでいるのだろうと。

 

そんな僕の視界に、ふとある物が映った。アスファルトの黒の中で、朝の日差しを反射して銀色に光る小さなそれ――誰かの落とし物だろうか?――を拾った時、道の前方の植え込みの中に腰から上を突っ込んでいる女の子の姿が目に入った。

屈めた上半身は植え込みの背の高い植物の間に隠れて見えないが、唯一見える学生服のスカートの柄からして同じ中学の娘だろう。その子は緑の葉っぱの中に深く体を突っ込んで、何やらガサゴソやっている。その度にスカートに包まれた小さなお尻がふりふりと揺れていた。……可愛いな。――はっ!? 危ない危ない。どうやら僕は思った以上に精神がまいっているようだ。

 

「ねえ、君……」

 

危ない煩悩にとらわれかけた思考を振り払い声をかける。すると揺れるお尻がビクッと震え、慌てて上半身を引きぬいた。そして現れたその子の姿を見た瞬間、ドキッとした。

 

「小雪……」

 

いや、違う。背丈こそ似ているが、違う子だ。

日本人形を思わせるおかっぱの黒髪。あまり陽にあたっていなさそうな色白の肌。まだ幼さを残したあどけない顔立ちだが、表情が乏しいからかどこか儚げな感じのする、そんな子だった。……同い年には見えない。一年の子かな。 

いきなり知らない名前を呟かれたその子は、キョトンとして

「え?」

「いや、ごめん。なんでもないから。……その、君は」

 

苦笑して誤魔化し、問いかけると、その子は申し訳なさそうに声――抑揚は薄いが、綺麗な声だ――を落し暗い表情で

 

「落した物を探していて……。驚かせてしまいましたよね。ごめんなさい」

 

そう言って頭を下げようとするのを僕は止めて、小さな顔の前に拾ったものを差し出した。

 

「それってこれのこと?」

 

僕の掌の上でちゃりんと鳴る小さなそれ――一本の『鍵』を見た彼女の瞳が、大きく開かれて

 

「!! はい……っ。そうです。あなたが見つけてくれたんですか?」

「うん。ついさっき拾ったんだ。そのあと何かを探してる君の姿を見つけたから、もしかしたらって」

「ありがとうございます……っ」

 

細い腰を折って深々と礼をする。あまり表情は変化しないけど礼儀正しい子だな。

どこか微笑ましいその姿に小さく微笑んで、僕は鍵を手渡す。それを柔らかな掌で受け取った彼女は、大事そうに両手で握りしめて、ぎゅっと自らの胸に押し当てた。

 

「よかった……」

 

瞳を閉じて、心の底から安堵の呟きを漏らす。その姿はまるで祈りを捧げる敬虔な信徒のようで、ただ失くした鍵を見つけたにしては大きな反応だった。

 

「もしかして、そんなに大切な物だった? なにか思い出の品とか……」

「はい……。とても、とても大切な……ある人との思い出の鍵なんです」

 

その人の事を思い出しているのだろうか。そう語る彼女の瞳は、敬慕と憧れの混じった、どこか夢見るような眼差しで

 

「そっか……じゃあ、見つかってよかったね」

「はい。本当にありがとうございます。……えっと」

 

小さな眉が困ったように下がる。そういえばまだ名乗っていなかったな。

 

「僕は二年の岸辺颯太。君は?」

「私は一年の鳩田――鳩田亜子(はとだあこ)です」

 

名乗り返し、また礼儀正しくぺこりと頭を下げる彼女――亜子ちゃん。

ふわりと揺れるその髪に、その時僕はある物を見つけて

 

「ちょっとごめん」

「えっ……!?」

 

不意に腕を伸ばして髪に触れた僕に、亜子ちゃんは思わず後退る。これ以上離れられると困るので咄嗟に腕を回し、逃げる背中を掌で軽く押さえるとビクッと身を固くされた。まるで人形のように華奢な身体が、緊張に小さく震えている。

 

「……よし、取れた。ごめんね。驚かせちゃって」

「あ……」

 

謝りつつ、髪に引っ掛かっていた一枚の葉っぱを指で摘んで見せると、亜子ちゃんは安心したのかほっと息を吐く。よほど驚かせてしまったのか、白い頬がほんのり赤く染まっていた。

 

「ぁ……すみません。わざわざ取ってくれようとしてたのに。私ってば逃げようとして……」

「いや、それはこっちが突然だったし……。ごめん。先に説明するべきだったね」

「いえ、謝らないでください。気が付かなかった私が悪いんです」

「いや僕が」「いえ私が」

 

綺麗に声が重なる。それがあまりにピッタリ揃ったものだからお互いきょとんとして、思わず二人で小さく笑ってしまった。

 

「じゃあ、二人とも悪いってことで。……僕は亜子ちゃんを許すから、亜子ちゃんも僕を許してくれるかな?」

「はい……私は先輩を許します。だから先輩も、私を許してくれますか?」

 

「もちろん」と、僕は答えた。

それから僕と亜子ちゃんは、学校までの道を一緒に歩いた。

亜子ちゃんは口数の多い方ではなかったけど、話しかければちゃんと答えてくれるし、それにほんの少しではあるけれど微笑んでくれる。きっと顏に出にくいだけで、心の中は感情豊かな子なのだろう。小さな表情の変化を見るのは微笑ましい。そんな亜子ちゃんと歩いていると、ふと懐かしい気持ちになった。

そういえば………昔もよく、小雪とこうしていたっけ。二人並んで学校に行って、途中で色々な話をして、笑って……。

 

「懐かしいな……」

「懐かしい……?」

「あ、いや、なんでもないよ。ちょっと……幼馴染の子を思い出してさ」

「さっき先輩が私を見て言っていた、小雪……さんですか?」

 

頷くと、亜子ちゃんは小さく首を傾げて

 

「その人、私に似ているんですか……?」

「……かも、しれないね」

 

最初は気のせいかとも思ったけど、やっぱり亜子ちゃんはどこか小雪に似ている。具体的にどこがとは言えないけれど……。

それから僕らは暫く二人で歩いて、学校の玄関で別れた。

 

「先輩、改めてありがとうございます。鍵を見つけてくれて」

「気にしないでいいよ。僕は当たり前のことをしただけだから」

 

別れ際、亜子ちゃんは改めてお礼を言ってくれて、僕も微笑んで返し、それぞれの教室へ向かう。重かった足取りは、ほんの少しだけ軽くなっていた。

 

それにしても、学校に来てから周りの生徒達―特に一年生―が僕たちを、というより亜子ちゃんをやたらと見てきたけどなんだったんだ? なんか、嫌な視線だったな……。

 

 

☆☆☆

 

 

それから自分の教室に入った僕は、午前の授業を終えるまでなんとか何事も無く過ごせた。

先生や友達からは顔色が悪いけど大丈夫かと心配されたし、正直授業にもあまり身が入っていなかったけど、まだ痛みの残るだるい体で倒れることも無く乗り切ることが出来たのは、日頃サッカー部で体力作りをしていたからかもしれない。

でも、さすがにしばらく部活はやめておこう。怒られるかなと思いつつ部活動をしばらく休む事を部長に連絡すると、怒られるどころか心配された。『ちょっと前まで何かを振り払うかのように地獄の様な自主トレを鬼のようにこなしていたんだから、むしろ休んで体を落ち着かせとけ』とまで言われてしまったのは申し訳なかったな。あの時はとにかく湧き上がる煩悩を何かで発散させるのに必死だったんです部長。

 

そして昼休み。

いつもならクラスの友達と一緒に昼食をとるのだけど、今の僕はそんな気分にはなれなかった。というより、クラスメイト達の無邪気な明るさが、昨夜の陰惨な殺し合いをまだ引き摺る僕には辛かったんだ。

そんな教室から逃げる様に廊下へ出て、でも同じように人のいる食堂にも行く気になれず、自然と僕の足は人のいない方へと向かっていき――最後に、屋上の扉の前へと辿り着いた。

僕の学校の屋上は何年か前に飛び下り自殺があったとかで、気味悪がって利用する人はあまりいない。くわえて自殺した生徒の幽霊が出るという噂も立っているから、近づく事すら嫌がる人もいるというくらいだ。だからこそ、誰もいないここは今の僕にはうってつけだった。

扉に手をかけ――開く。

 

「先輩……?」

 

誰もいないと思っていた孤独な屋上には、もう先客がいた。

蒼く、だけど飛ぶ鳥もいないうら寂しい空の下で、一人佇む少女。

 

「亜子ちゃん……」

 

朝に出会った一年の女の子――鳩田亜子ちゃんが、意外そうな眼差しで僕を見つめていた。

フェンスを背に女の子座りしている亜子ちゃんの膝には、可愛らしい二段タイプのお弁当箱が乗っている。

思わぬ再会に僕はしばし立ち尽くして、けどいつまでもそうしているわけにもいかないので亜子ちゃんの横側、会話するには支障のないだろう少し離れた位置に腰を下ろした。

 

「朝ぶりだね」

「はい。そのせつはどうも」

「お昼はいつもここで?」

「はい。ここは静かで……誰もいませんから」

 

どうやら僕と同じような理由か。

たしかに、ここは静かで喧噪からも離れている。穏やかな日差しの中、ゆったりと吹くそよ風が頬を静かに撫でていく、そんな場所だ。

うん、今の僕には教室よりもよほど居心地がいい。といっても先に亜子ちゃんがいたわけだけど。……まあ、落ち着いた雰囲気のこの子ならいいか。

そしてフェンスに寄りかかり、僕はやっと一息つけた。ああ、なんか精神的にどっと疲れた気がするな。でも、それもこうして瞼を閉じれば、穏やかな風の音が僕の心を癒してくれるようで

 

――しゃきしゃきしゃき。

 

そうしゃきしゃきと歯ごたえの良い新鮮な音が

 

「……ん?」

「あ……、気になりましたか?」

 

屋上に響く謎の音に思わず首を傾げると、亜子ちゃんの申し訳なさそうな声が聞こえてきた。見れば、亜子ちゃんが膝に乗せたお弁当箱の中身を困ったように見つめている。二段タイプのお弁当箱の二段目らしいそれには、瑞々しい緑色が見るも鮮やかな新鮮刻みキャベツがこれでもかと詰められていた。しゃくしゃくというあの音はそれを噛む音だったらしい。

 

「気に障ったのなら、食べるのをやめますけど……」

「えっ、いやいいよ。ただ何の音かなと思っただけだから」

「はい。刻みキャベツです」

「好きなの? キャベツ」

 

割と結構な量だったのでつい聞いてみると、亜子ちゃんはこくんと頷いて

 

「私が好きだから、伯母さんが必ずお弁当に入れてくれるんです」

 

伯母さん……? お母さんじゃなくて? 

内心首を傾げるが、人の家の事情を詮索するのは褒められた事ではないので黙っておく。けど顔には出ていたようで

 

「伯父さんの家に住まわせてもらっているんです」

「そう……なんだ」

「はい」

 

何故とは聞かない。きっとそれは亜子ちゃんが自分で言ってくれない限り、聞いちゃいけない事だろうから。

だから僕は、ただフェンスに背を預け休むことにした。

 

しゃきしゃきしゃき

 

僕ら以外は誰もいない二人きりの屋上に、キャベツを噛む歯応えの良い音だけが流れていく。亜子ちゃんが無表情に奏でるそれは、淀みないリズムを刻んでいて……なんだかだんだんリラックスしてきたぞ。一定のリズムの音には神経を鎮める作用があるとは何かで聞いた事があるけど、亜子ちゃんにも癒し効果があるのかな。

そんな事を思って亜子ちゃんを見る。

ちょこんと女の子座りで、柔らかな頬を膨らませてもぐもぐしていた。……可愛い。お持ち帰りしたい。

――はっ!? いやいや落ち着け僕。それは魔法少女として以前に人として駄目だろ! ……やばい。心が疲れているせいか、上手く煩悩を抑えきれなくなってる。

 

「先輩……」

「な、なにかなっ!?」

「あの、何か悩み事でもあるんですか?」

「え……?」

「顔色が悪いですし、その……ここに入ってきた時、思い詰めたような顔をしていたので」

「そう、なんだ……」

 

自覚はしていたつもりだったけど、こんな子にまで心配されるほど顔に出ているのか……。

 

「うん。悩みっていうか……ちょっと嫌な事があってね」

 

気付けば、ぽつりと、言葉が漏れていた。

 

「そのショックをずっと引きずってて……。何とか振り払おうとはしているんだけど、なかなかね……。はは、情けないな……」

 

今日会ったばかりの年下の女の子に弱音を漏らす。そんな情けない自分を自嘲する僕を、でも亜子ちゃんは嗤いもせず真っ直ぐな瞳で

 

「いいえ。……誰にでも、嫌な事はあります。自分では、どうにも出来ない事があります」

 

抑揚は少ないけど、でも、強い意志のこもった言葉で

 

「でも、助けてくれる人は、必ずいます」

「亜子ちゃん……?」

「だからきっと、先輩の悩みも……誰かが助けてくれるはずです」

 

そう、言ってくれた。

亜子ちゃんの言う『誰か』。言葉だけならそんな人がいればいいという根拠の無い他力本願と思えるそれは、でも不思議と、確かに存在する『誰か』の事だと思った。同時に、もしかしたら彼女にもそんな人がいたのだろうかと……。

でも、たしかにそうかもしれない。ちょっと前まで、僕は別な悩みにとらわれていた。一時は魔法少女をやめようかとまで思い詰めたそれから解放してくれたのは、誰よりも大切なあの子――小雪だった。どうにも出来ない事で苦しむ誰かが居れば、笑顔で助けてくれる。そんな子だからこそ、僕は……。

 

「……ありがとう。こんな僕を元気づけようとしてくれて」

「お互い様です。私も……先輩に助けてもらいましたから」

「…………」

「先輩……?」

 

こうして亜子ちゃんの言葉を聞いて、改めて思った。

ごく自然に、困っている誰かを助けようとしてくれる。そんな亜子ちゃんは、やっぱり……

 

「……やっぱり君は、小雪に似てるね」

 

きょとんとする亜子ちゃんに、僕は小さく微笑んだ。

 

 

☆☆☆

 

 

やがて昼休みが終わり、亜子ちゃんと別れた僕はそのまま午後の授業を受けた。けど午前中ほどには辛くなくて、ほんの少しだけ気分も軽くなっていたのは、きっと亜子ちゃんとの一時があったからだと思う。お礼にいつか刻みキャベツをお腹いっぱい奢ってあげよう。

そして全ての授業が終わった放課後、部活に遊びに思い思いの時間を楽しもうとするクラスメイトたちをよそに、部活を休む僕は真っ直ぐ家に帰ることにした。

 

「……はぁ」

 

夕暮れの家路を、歩く。

独りで。ゆっくりと。いつのまにか、ため息が漏れていた。

 

「寒いな……」

 

もうそんな季節じゃない筈なのに。一人きりの帰り道が、なんだかひどく肌寒い。

 

「早く、帰りたいな……」

 

けど、誰もいない家もまた、寒々しくて。

温もりが、欲しかった。

温かで、傷ついた心を癒してくれる。そんな、温もりが――

 

 

 

 

「――そうちゃん」

 

 

 

 

とても温かな、声を聴いた。

優しくて、温かくて、僕にとってはどんな美声よりも心地良く感じる、その声は――

 

「こゆ、き……?」

 

たどり着いた僕の家。その玄関の前で。

誰よりも大切で、誰よりも会いたくて――でも、『今だけは決して会ってはいけない』僕の幼馴染が

 

「そうちゃん。――来ちゃった」

 

姫河小雪(ひめかわこゆき)が、誰よりも愛おしい笑顔で僕を出迎えた。

その時、僕の胸に湧きあがった感情が、驚愕だったか、歓喜だったか、それとも……恐怖だったか。頭が真っ白になった僕には、分からなかった。

 




お読みいただきありがとうございます。
何とか年内に投稿完了しました。やったね。後半の小雪編をぶった切っただけのことはあったぜハハハ。
…………はいごめんなさい。小雪好きの皆様方に置かれましては次回たっぷりと絡ませますので許してください。

あ、颯太と亜子が同中というのは妄想設定です。そうちゃんの制服姿がアニメには出なかったので捏造しました。

おまけ

『もしあの時、亜子ちゃんが変身してたら』

だからこそ、誰もいないだろうここは今の僕にはうってつけだった。……それに仮に幽霊がいたって、魔法少女の僕が怖がるわけないじゃないか。
苦笑しつつ、扉に手をかけ――開く。


血の気の失せた青白い肌の少女が、黒髪を靡かせ虚ろな瞳で立っていた。


無言で閉めた。
その場で静かに深呼吸。すーはーすーはー落ち着け落ち着けうん無理だ。
やばいヤバイやばい見たマジあれガチのやつだ見ちゃったよ。だって生気とかぜんぜん感じなかったし真っ黒な喪服みたいなの着てたしッ。あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ落ち着け心臓治まれ震えッ。僕は男だけど魔法少女だ。悪の魔法少女に負けて更に幽霊にも負けるなんてそんなの駄目だ! 逃げちゃだめだ逃げちゃだめだ逃げちゃだめだ「逃げちゃだめですよ♪」クラムベリー!? い、いや幻聴だ。恐怖が僕にありえない幻聴を聞かせているんだッ。立ち向かわなければ……この恐怖に、魔法少女として!
そして僕は勢いよく扉に手を掛け


「だぁれ……?」


その隙間から僕を覗く少女の瞳と目が合い気絶した。


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岸辺颯太の孤独な戦い

◐<今回の話はスノラピュでありラピュスノでもあるぽん。どっちかのみしか認めないという方は見ないでほしいぽん。あと小雪のキャラがおかしいかもしれないけど生暖かい目で許してほしいぽん。でもどうしても気になるときは指摘してもらえたら直すぽん。


 ◇岸辺颯太

 

 その時、僕の脳裏には、ある記憶が蘇っていた。

 僕がクラムベリーに初めて敗北し、そしてスイムスイムに身も心も打ちのめされた、あの最悪の夜。その終わりが。

 あの時、憔悴しきった僕を自宅まで送り届けたスイムスイムは、別れ際にこんな言葉を残した。

 

『この事は私たち以外の誰にも教えないで。助けを求めるのも、知られても駄目』

 

 そう告げたスイムスイムの底冷えのする瞳は、決してそれが脅しではない事を示していて

 

『もし知られたら、あなたのマジカルフォンを破壊する。そして――』

 

 たとえそれが倫理に反していようが、人の道に背く鬼畜の所業だろうが――必要ならば、()る。そんな狂的な信仰心にも似た確固たる意思が、そこに在った。

 その眼差しに貫かれ、僕は恐怖と共に理解した。こいつは危険だ。狂っている。そして、どこまでも本気だと。

 だから、けして知られてはならない。

 他の誰にも。特にスノーホワイト――小雪には。

『困っている人の心の声が聞こえる』彼女にだけは、会う事すらも駄目なんだ。

 魔法少女に変身している時の彼女に会えば、僕の心の声を聞かれてしまう。僕のこの痛みも、苦しみも、絶対に隠さなければならない秘密も、何もかもを暴かれてしまう。

 だから、駄目なんだ。

 どれだけ恋しくても、どんなに会いたくても、彼女にだけは、小雪にだけは、絶対に……。

 会ってはいけない。ああなのに――

 

「こゆ、き……」

 

 なんで君が、姫川小雪が、ここにいるんだ……。

 呆然とする僕の目の前に、優しい野の花の様な笑顔を浮かべて。

 

「なんで……?」

 

 それはありえない、いや、今この時だけはあってはならない光景のはずで。

 真っ白になった思考で、僕はそれでも何とか唇を動かし問い掛けた。

 

「そうちゃんのメールに体調が悪いって書いてあったから……心配だからお見舞いに来たの」

「そう、なんだ……」

 

 そうだ。小雪はこういう子だった。

 僕は馬鹿か。相棒が魔法少女活動もできない程に弱っていると知れば、小雪が何もしないはずないじゃないか!

 あまりの迂闊さに、湧き上がる苦い後悔。同時に幼馴染の優しさにこんな感情を抱いてしまう事に自己嫌悪する。

 

「そうちゃん顔色悪いよ。大丈夫?」

「だっ、大丈夫だよ!?」

 

 慌てて誤魔化そうとするけど、小雪は僕の顔を心配そうにのぞき込んで

 

「私驚いちゃったよ。体調が悪いっていうから休んでると思ったのに、学校が終わってから来てみたら誰もいないんだもん」

「いや、その、体調が悪いって言っても立てない程じゃないから……」

 

 なるべく何でもないように言って、なんとか安心させようとした。けれど、むしろ小雪は形の良い眉をむーっと寄せて

 

「油断しちゃだめだよそうちゃんっ。体調がよけい悪化したらどうするの!」

「ご、ごめん……」

 

 一転、澄んだ声で怒られてしまった。

 普段は大人しい幼馴染の剣幕に、おもわず謝る僕。

 

「もお、そういう無理しちゃうとこ、そうちゃんは昔から変わらないんだから」

「昔から……?」

「覚えてないの? 昔、そうちゃんが風邪をひいちゃった時のこと」

 

 ……そういえば、昔似たような事があった。

 まだ僕たちが幼稚園児だったころ、僕は軽い風邪をひいてしまった。本当は風邪をひいた時は大人しく休んでいたほうがいいというのは知っていたけれど、その日は小雪と遊ぶ約束があって小雪もすごく楽しみにしていたから、僕は親にも小雪にも風邪気味である事は内緒にして、一緒に日が暮れるまで遊んだのだ。

 かくれんぼをしたり、追いかけっこをしたり、おままごとをしたり……。

 

『そうちゃん。はい、あーん』

『あーん……ぱくっ』

『おいしい?』

『うん。おいしいよ。こゆき』

『えへへ……♪』

 

 風邪をひいていたから、だるくて、熱でぼーっとしてたけど、それでも大事な友達と過ごす時間は楽しかった。

 いっぱい遊んで、笑い合って……そして帰った後案の定、僕は風邪が悪化してダウンした。

 しかも小雪にもうつしてしまったらしく、小雪が風邪で寝込んでしまったと知らされて母さんからめちゃくちゃ怒られた。僕のせいで、小雪に風邪をひかせてしまった。それを知って、悲しくて、申し訳なくて、布団の中でひたすら後悔した。だから僕は、風邪が治って起き上がれるようになってから真っ先に小雪に謝りに行った。

 そして顔を合わせたその瞬間、怒られた。ただしそれは、うつしてしまった事ではなく、風邪をひいていたのに『約束』のために無理して来たことを。

 

『そうちゃんがかぜひいてるなら、わたしとのやくそくなんてやぶっていいんだよっ! だってわたし、そうちゃんとあそべないよりそうちゃんがたおれちゃうほうがかなしいもん!』

 

 うるんだ瞳から涙をぼろぼろ零し、真っ赤な顔でそう言う小雪を前に、僕も謝りながら涙がこみ上げてきて、最後は二人でわんわん大泣きしてしまった。

 思えばその時から、小雪は僕の体調について人一倍心配するようになったんだっけ……。

 

「そうちゃんは今からゆっくり休むこと。分かった?」

「あ、ああ。分かったよ……小雪」

 

 懐かしい思い出から意識を戻し頷くと、小雪は「約束だよ」と念を押してから、ふと小首を傾げた。

 

「……そういえば、おばさんたちは? 出かけてるの?」

「父さんと母さんなら今旅行に行ってるよ」

「旅行?」

「今週、結婚記念日だから夫婦水入らずで過ごしたいんだってさ」

 

 説明すると、怪訝そうに眉を寄せていた小雪の表情がぱっと華やいだ。

 

「わぁ、素敵……っ」

 

 声を弾ませ、羨ましそうに呟く。

 やっぱり女の子だから、そういうのに憧れるのだろうか。

 

「あたりまえだよー。二人っきりで旅をしながら愛を確かめ合うなんてロマンチックだよねー。ねえそうちゃん、それって毎年してるの?」

「いや、いつもはちょっとした記念品だけなんだけど、今年は結婚してから丁度節目の年だからって父さんがサプライズで母さんにプレゼントしたんだよ」

 

 再び説明すると、小雪は「きゃーー❤」と頬を染めてひとしきり興奮してから、うっとりと呟いた。

 

「いいなぁ……私もそういう人と結婚したいなぁ」

 

 ……いつか、僕と小雪が結婚したのなら記念日には絶対に旅行しよう。うんそうしよう。

 

「あれ? じゃあそうちゃんはこれから何を食べるの? 自炊できたっけ?」

 

 そういえば考えていなかった。

 これでも僕は最低限の自炊くらいなら出来る。とはいえ、昨夜のショックを今だ引き摺る身としてはどうにも料理を作る気分にはなれない。

 

「たしか……カップ麺がいくつかあったからそれを食べるよ」

「だ、だめだよそうちゃん! いい? 体が弱っている時こそ、ちゃんとした物を食べて栄養を摂らないと駄目なんだよ!」

 

 うっ、確かに……。

 まったくもってその通りだ。

 でも、やっぱり何かを作るって気分じゃないし……。

 どうしたものかと身体の健康と心の倦怠感の狭間で悩んでいると、見かねた小雪が口を開いた。

 

「……分かった。じゃあ私が何とかする」

「え?」

 

 何かを決意したような、強い意志を感じさせる幼馴染の声音。嫌な予感がした。

 なにやら雲行きが怪しくなってきた事に不安を感じて――ふと我に返る。

 ……いやまて、そもそもこんなことをしている場合じゃないだろう。

 いくら隠していても何処でボロを出すか分からないし、幼馴染だからふとした違和感でも何かを気づかれるかもしれない。だから小雪とはなるべく会っちゃいけないんだ。

 だからここは、なんとしてでも断らなくては……ッ。

 

「いや、気持ちは嬉しいけど、小雪に迷惑はかけられないし……」

「迷惑なんかじゃないよ。だってそうちゃんのためだもん!」

「――っ!?」

 

 叫ぶ小雪の顔を見た瞬間、僕の胸がドクンと高鳴った。

 僕のためと語る小雪の表情は真剣そのもので、どこか幼い頃の泣き顔とも重なって……。それが恋愛感情では無い、幼馴染への純粋な親愛の情でしかないとは分かっていても――僕の好きな子が、僕をこんなにも想ってくれていると感じた時には、もう駄目だった。

 拒絶の言葉も、決意も、驚きと、高鳴る鼓動にかき消されて、なによりも嬉しくて――僕は、言うべき言葉を失っていた。

 

「そうちゃんの夕食は、私が作るから!」

 

 絶対に止めなきゃいけないのに……その想いを、止める事が出来なかったんだ。

 

 

◇◇◇

 

 

「じゃ、入れよ……」

「うん。おじゃまします」

 

 玄関の扉を開け、僅かに緊張しながら招き入れると、小雪は礼儀正しくちょこんとお辞儀して入ってきた。

 

「さっき母さんに電話してみたけど、キッチンにある物は好きに使っていいってさ」

 

 なおその際、『いいそうちゃん? くれぐれも小雪ちゃんに強引に迫っちゃ駄目よ。女の子にはムードってものが大事で――』などとおせっかい極まる戯言を言われたのですぐさま通話を切ったのは内緒だ。

 

「じゃあ私はさっそく夕ご飯を作るから。あ、エプロン借りるね」

「僕も何か手伝おっか?」

 

 さっそくリビングからキッチンへ向かおうとする小雪に、そう問い掛けると、

 

「これは体調の悪いそうちゃんのためなんだから、そうちゃんは楽にしてていいんだよ」

「そっか……。じゃ、僕はちょっと部屋に戻って着替えてくるよ」

「うん。出来上がるまでゆっくり待っててね」

 

 そう語る小雪の笑顔に促され、僕は廊下に出て階段を上り、二階の自室に入った。

 そして扉を閉め、夕闇に沈む薄暗い部屋で一人になった時……思わず、口から重いため息が漏れてしまった。

 

「なにしてんだよ。僕……」

 

 断れなかった。断らなくちゃいけないと思っていたのに、出来なかった。

 そんな後悔が湧き上がる胸の中を、どうしようもない自責の念が満たしていく。

 なのに、でも同時に……嬉しいと思う自分がいる。身も心も傷つき、心が弱った今、小雪が傍にいてくれることに、喜んでしまう想いがある。

 

「女々しいにも、程があるだろ……」

 

 もうこうなれば、おとなしく夕食を食べてから小雪にはなるべく早く帰ってもらうしかないだろう。……夜には、僕は彼女をおいて、行かなければならない場所があるのだから。

 暗い気持ちに苛まれる僕の脳裏に、スイムスイムから言われたある言葉――否、命令が蘇る。

 

『ラ・ピュセル。これから毎日、夜は王結寺に来て私達と一緒に行動して』

 

 逃げる事など許されない。逃げ道など、元から用意されていない。

 僕の全身には、悪意という見えない鎖が幾重にも絡み付いている。それがどれだけ苦しく、嫌な物だったとしても、弱く、無力で、悪意と暴力の前に何もできなかった僕はもう……流されるまま、従うしかないんだ。

 

 ◇姫河小雪

 

 

 二階にある自室へと向かう岸辺颯太の背中を見送った後、姫河小雪はさっそく颯太の母のエプロンを借りて、夕飯の準備に取り掛かった。

 

「大丈夫かな……そうちゃん」

 

 

 心配げな呟きと共に思い出すのは、見るからに悪かった颯太の顔色。それでも心配を掛けまいとしているのか苦しそうな表情こそ出さなかったが、いつもの快活さはなりを潜め、去りゆく背中には覇気が無かった。

 

 小雪にとって、颯太は幼稚園からの幼馴染であるとともに、最大の理解者だった。

 幼いころから魔法少女に憧れてきた小雪。成長するにつれ友人たちが子供っぽいと『魔法少女』への夢を捨てていく中、颯太だけは同じ夢を見て傍にいてくれた。

 もし、彼がいなければ自分も夢を捨てていたかもしれないとすら思う。一人では諦めていた。理解者のいない孤独に押し潰されていた。でも同じ夢を語り合い、分かち合えた存在がいたからこそ、自分はずっと夢を抱き続けられたのだと。

 

 幼い時は傍にいるのが当たり前で、それが幸せな事だと分からなかった。だからこそ年を経るにつれ別々の友達が出来、自然と疎遠になっていった時はそれほど辛くはなかった。だが、中学が別々になり、周りに魔法少女への夢を抱く者が誰もいなくなった時、小雪は初めて『一人になってしまった』と気付いた。気付いてしまった時には、もう遅かった。二人の友達との色々な会話。好きなドラマ、新発売のスイーツ、流行の服、でも、そこに魔法少女の話は無い。たとえ言ったとしても子供っぽいと思われ、笑われて、誰とも語り合えぬまま一人胸の奥にしまい込む。寂しくても。辛くても。

 

 そんな一人ぼっちの寂しさを感じる日々を過ごすうち、奇跡のような出来事から本物の魔法少女になれた。そして、颯太と再会できた。それも同じ魔法少女として。嬉しかった。なによりも、一人じゃなくなったことが。『二人』になれたことが、魔法少女になれた事と同じくらい、いや、もしかしたらそれ以上に嬉しかったかもしれない。

 あの時、自分は確かに彼に救われたのだ。だから――今度は自分が彼を救ってあげる番だ。

 

「そうちゃん。私、頑張るから……っ」

 

 元気が無いのなら、元気付けてあげたい。またいつものように笑ってほしい。

 彼と共にいるだけで心が温まる。いつまでも一緒に居たいと思う。

 そんな誰よりも大切な、たった一人の相棒で――かけがえのない友達のために、小雪は包丁を握った。

 

 

 ◇岸辺颯太

 

 

 制服から私服であるオレンジ色のパーカーへと着替えた後、部屋を出て再び一階のリビングへと戻った僕を迎えたのは――キッチンから漂う暖かな空気だった。

 ぐつぐつと煮える小ぶりの鍋から上る食欲をそそる香りと、コンロで燃える火のぬくもり。それらがふわりと漂い、僕を優しく包む。穏やかで優しい、そんな香りの中で――キッチンに立つ小雪の姿に、僕は目を奪われた。

 華奢な体を包む制服の上にエプロンを着けて、穏やかな表情で料理を作る彼女は、素朴だけど見ているだけで癒されるような、そんな雰囲気があって

 

「あ、そうちゃん。もうちょっとかかるからリビングで休んでて」

「――っ! あ、ああ。わかった」

 

 振り返った小雪に、思わず見惚れてしまったのを咄嗟に顔を逸らして誤魔化しつつソファーに座る。柔らかな生地に身を沈め一息つくも、きっと僕の顔は少し赤くなっているだろう。幸い小雪は僕の内心には気付くことなく、手元のまな板の上に向き直った。

 僕と小雪、二人だけの空間に、たおやかな手が握る包丁が野菜を切る、軽やかな音が流れていく。

 

「なんか悪いな。僕のためにわざわざ……」

「何言ってるのそうちゃん。私達は幼馴染で同じ魔法少女仲間でしょ。だったら困った時は助け合わなくちゃ」

 

 申し訳なくて声をかけると、小雪はこちらに背中を向けたままでそう答える。顔は見えなくとも、その優し気な声の調子で彼女が微笑を浮かべたことは感じ取れた。

 

「それに、私はちょっぴり嬉しいんだよ。普段は私がそうちゃんに助けてもらってばっかりだから、こうしてそうちゃんを助けてあげられるのが」

 

 それはまぎれもない本心なのだろう。

 皮肉でも偽善でもなく、本心から僕の身を案じてここまでしてくれる事が嬉しくて――

 

「って、ごめん。これじゃまるで、そうちゃんが調子悪いの喜んでるみたいだね。……気を、悪くしちゃったかな?」

「いや、そんなことないよ。……ありがとな。小雪」

 

 気が付けば僕も、同じ微笑みを浮かべていた。

 そうして、しばらく穏やかな時間が流れた後――

 

「はい。そうちゃん」

 

 待ちわびた料理が出来上がった。

 優しい笑顔で小雪が運んできたのは、鍋に入った温かな湯気を上げるおじやだった。

 熱くとろりした米は勿論の事、肉と野菜もしっかりとあり、食欲をそそるその香りだけでごくりと喉が鳴る。

 それを目の前のテーブルに置いて、小雪は僕の隣に腰かけた。

 

「お肉とお野菜のおじやだよ。体の調子が悪い時は消化に良いものが一番だから。――どうぞめしあがれ」

「いただきます」

 

 手渡されたレンゲを持ち、おじやを掬って口に運ぶ。

 

「――っ美味い……!」

 

 瞬間、口の中に広がるその味わいに思わず声が漏れた。

 

「美味しくできたかな?」

「ああ。美味いよこれ。今まで食べたおじやの中で一番美味いかも」

「あはは。大げさだよそうちゃん」

「大げさなんかじゃないって」

 

 軟らかく煮た肉と野菜の旨みが染み込んだスープ。それをたっぷり吸った熱々の米は口の中でとろけて、喉を通って胃の中から全身を温めてくれる。一口食べるごとに、身体もそうだか心までぽかぽかとしてくる。作った人の優しさが染み渡るような――そんなあったかい味だ。

 

「小雪、いつのまにこんなに料理が上手くなったんだ?」

「えへへ……実はお母さんが色々教えてくれるの。将来好きな人の胃袋を掴めるようにって」

「ぶふっ!?」

 

 それはいきなり過ぎる爆弾発言。

 

「す、好きな人って――うっ!?  げほっ、ごほっ………!?」

 

 そそそそそれはまさかほぼぼぼ僕のこッッッッッ―――!?

 驚きのあまり具が喉に詰まり盛大にむせてしまった僕に、小雪は目を丸くして

 

「どっ、どうしたのそうちゃん!? ――って、あっ……!?」

 

 そこで自分が言った事の意味に気付いたのか、その頬が赤く染まった。

 

「ち、違うよそうちゃん!  お母さんたぶん冗談で言っただけだから、別に変な意味は無いんだよっ! だから落ち着いて! ね!」

「――……。だ、だよな……」

「うん。だからこの料理もそういう意味じゃなくって……えっと……とにかく違うから!」

「だよな~…は……はははは……」

 

 いや、うん……分かってたよ? ……小雪は純粋に体調の悪い友達を心配してくれただけだっていうのはだから全然ショックなんかじゃ……くすん。

 

「ごめんねそうちゃん。びっくりさせちゃって。……あの、大丈夫?」

「うんあたりまえだろ」

 

 そうあたりまえさ。だから気を取り直して食事を続けようそうしよう。

 愛情ならぬ友情たっぷりの手料理が僕の心を癒してくれるさ……ははは……。

 

 気を取り直し、僕は再びおじやを口に運ぶ。

 うん……やっぱり美味しい。口の中で熱く蕩ける優しい味わいに、食べ進めていくうちに自然と頬が緩んでいく。最初はおろおろと見守っていた小雪もほっとしたように微笑んで、ぎこちなかった空気も次第に和らいでいった。

 

「ふふっ……」

 

 ふと、小雪の唇から小さな笑い声が漏れる。

 

「? 何だよいきなり?」

「何かこうしていると、昔遊んだおままごとみたいだなって……。そうちゃん覚えてる?」

「もちろん。幼稚園の頃はよく二人でやってたよな」

「そうそう。私とそうちゃんが夫婦で」

「たしか僕がサラリーマンで、小雪が普段は主婦をしているけど実は魔法少女で、正体を隠しながら人助けをしているって設定だったっけ。小雪はあの頃から魔法少女が好きだったけど、今思えば無茶な設定だなあ」

 

 おかげで他の子はついていけなくて、いつもおままごとの相手は僕だけだった。思い出しつつ苦笑していると、小雪はむっと頬を膨らませて

 

「そんなことないよ。素敵な設定だよ。それに実際に魔法少女はいたんだし、きっとどこかにそんな魔法少女もいると思うよ」

「うーん。それはどうかな」

「いるよきっと。だって、そのほうが素敵じゃない」

「ははっ。小雪はやっぱり夢見がちだなあ」

「もう笑わないでよ~」

 

 

「ぶぇっくしょん!!」

「っ!? びっくりした。トップスピード……風邪?」

「まさか。そんなやわな体してねえよ。ちょっとくしゃみが出ただけだって。なんだよリップル、心配してくれんのか?」

「別に……。ただうつされたら嫌だから」

「ははっ照れんなよ~」

「チッ」

 

 

「――でも、懐かしいなぁ……。あの頃はいつも、二人で遅くなるまで遊んでたよね。私とそうちゃんでおままごとして……楽しかったなあ。あ、そうだ」

 

 目を細め、幼いころの思い出に想いを馳せる小雪だったが、ふと、悪戯っぽい笑みを浮かべた。

 

「そうちゃん。ちょっとあの頃の気分に戻ってみない?」

「え、戻るって……?」

 

 突然の不可解な提案に困惑する僕が持つレンゲをひょいと手に取った小雪は、おじやを一掬いして、僕の口元にそれを持っていき、

 

「そうちゃん。はい、あーん」

 

「――――――――――――」

 

 クラっとした。

 幼馴染のいたずらっぽい笑顔に、その愛らしさに、頭が真っ白になって意識が飛びかけた。

 けどドキッと跳ね上がる胸の鼓動で我に返り、かああっと全身が熱くなるのを感じる。

 頬が熱い、胸がドキドキする。これ以上小雪を見ていたらどうにかなってしまいそうで咄嗟に顔を逸らしたけど、僕の顔はきっと隠しようがないほど真っ赤になっている。

 

 やばい。可愛すぎだろ小雪ぃ……っ!

 

 ひどい不意打ちだ。ドキドキし過ぎてまともに顔を見れない。

 けど、いつまでもこうしている訳にもいけない。つばを飲み込み覚悟を決めて、僕は今も「あーん」をしている小雪へと逸らしていた顔を向け――ぽかんとしてしまった。

 

「あ……ふぁ……っ」

 

 小雪もまた、その顔を真っ赤にしていたから。

 

 

 ◇姫河小雪

 

 

 ちょっとした悪戯だった。

 笑われたお返しに、からかってやろうと思っただけだった。

 なのに、何故だろう。

 

(な、なんで……っ。何でこんなにドキドキするのぉ……!?)

 

 あの頃と同じ事をしているだけ。だから何でもない、そのはずなのに――気が付けば、胸の鼓動が止まらない。

 頬が熱くなる。思考までぽーっとして、まるで頭の中が沸騰しているようだ。

 訳が分からない。なんで、どうしてと考えても、答えは浮かばず。助けを求めて幼馴染の顔を見た瞬間――鼓動が更に高鳴った。

 

(ど、どうしちゃったの私ぃ……!?)

 

 恥ずかしい。ドキドキする。

 けどそれは、間抜けな事をしてしまったという恥ずかしさというよりも、もっと別の……そう、昨日のバスの中で、ふと颯太の顔を思い起こした時のドキドキと同じような――

 

(ふえっ!?)

 

 ぼっと音が出そうなほど、顔が熱くなった。

 

(そ、そうちゃんん~~っっっ)

 

 甘く痺れるような混乱と恥ずかしさの中で、小雪にはもう、どうしていいのか分からなくなっていた。

 

 

 ◇岸辺颯太

 

 

「…………」

「…………」

 

 二人、固まって見つめ合う。

 揃って顔を赤くして、でも、目を逸らせずに。

 小雪の瞳に映る、赤く染まった僕の顏。そして僕の瞳には、同じような小雪の顔が映っているのだろう。

 まるで時が止まったかのようなリビングに、僕と小雪の上擦った息遣いだけが響く。

 

「…え…と……」

「――っ!?」

 

 どうしていいのかわからず漏れた呟きに、ビクッと震える小雪。

 小雪も同じ気持ちなのだろうか。心細そうなその瞳が揺れて、じわりと潤む。それを見た瞬間――僕の身体は勝手に動いていた。

 考えるより先に口を開き、差し出されたレンゲを口に含む。

 

「そうちゃん……っ!」

 

 そして驚きの声を上げる小雪に見守られながら、僕はおじやを飲み込んだ。

 恥ずかしさと照れくささで心臓が痛いくらいに暴れているけど、後悔は無い。

 好きな人の涙を止めることができた。それだけで満足だった……はずなのに、

 

「(は、恥ずかしいいいいいい!)」

 

 うんやっぱり無理だ恥ずかしすぎる恋愛経験の無い中学生男子に「あーん」はやっぱり刺激が強すぎるんだよぉ!

 

 内心で悶絶する僕に小雪は、顔を赤らめたまま、いまにも消え入りそうな声で

 

「……おいしい……?」

 

 幼かった、まだ僕たちが恋を知らなかった子供だった頃のように問い掛けてきた。

 僕は、

 

「……うん。美味しいよ。小雪」

 

 そう、答えた。あの時と同じように。でも、あの時とは違う胸の高鳴りを聞きながら……。

 

 

 ―――――――――――。

 ――――――――――。

 ―――――――――。

 

 

「じゃあ、私はそろそろ帰るね」

「うん。今日はありがとうな」

 

 気恥ずかしさと何とも言えないもどかしさの漂う夕食が終わってからしばらくたち、気が付けば時計の針は八時を回っていた。

 もう家に帰らなければならない時間だという事で、僕と小雪は玄関で別れの挨拶を交わす。

 

「だいぶ暗くなっちゃったけど、一人で帰れる?」

「そうちゃん。私だってもう中学生なんだから大丈夫だよ」

 

 頬を小さく膨らませる小雪。それが可愛らしかったから僕はついからかいたくなって、

 

「ホントかな。小雪って結構うっかりしてるからなぁ」

「ほんとに大丈夫だってば。いいからそうちゃんは、今夜はぐっすり眠って体調を回復させておくこと、いい?」

「……うん。そうだね」

「それにわたしは魔法少女なんだから、何があっても大丈夫だよ」

 

 そう言って微笑む小雪。でも、僕は笑い返せなかった。

 

「…………」

「そうちゃん?」

「キャンディー集め、やっぱり一人でもするのか?」

「う、うん……」

「その、しばらくは休めないかな……。ほら、この前みたいに他の魔法少女に襲われたら危ないし」

 

 正直、小雪には危ない事をしてほしくない。今の僕に、小雪を守ることはできないから。もし一人になった彼女に何かがあったらと考えるだけで、不安で胸が張り裂けそうになる。

 だけど小雪は、顔を曇らせながらも、はっきりと首を横に振った。

 

「それは……駄目だよ。もしキャンディーの数が少なかったら、私達死んじゃうかもしれないんだよ」

「だけど……っ」

「担当地区からは出ないし、危ないと思ったらすぐに逃げるから……だから――」

 

 唇から洩れるのは、不安と恐怖を押し殺した弱弱しい声。ルーラ達に襲われた時の事を思い出したのだろう、その華奢な肩は、小さく震えている。

 でもその瞳には、たしかな決意が宿っていた。

 

「――私にそうちゃんの分までキャンディー集めをさせて。私とそうちゃん、二人で生きるために」

 

 困っている誰かを助けるために、危険を顧みず頑張ろうとする小雪の顔は、正しく『魔法少女』の顔だ。

 それは幼い日に共に見たテレビで、一緒に楽しんだアニメで、僕たちが憧れ続けた姿。

 だから、分かった。分かってしまった。

 誰よりもそれに憧れて、そう在ろうとする彼女の決意を、止めることは出来ないのだと。――そんな君の姿を僕は、誰よりも近くで見てきたから。

 

「小雪……君は、本当に……。…………ッ」

 

 その瞳に、覚悟に、なによりも清く正しく美しい『魔法少女』で在ろうとする彼女の姿に、恐怖に侵され無力感に苛まれ絶望に沈もうとしていた僕の中の何かが――打ち震えた。

 

「……わかった」

「……っ。ありがとう。そうちゃん」

「でも、一つだけ約束してくれ」

「え……?」

 

 訝し気に眉を寄せる小雪に、僕は伝える。

 昨日の夜に味わった恐怖を、痛みを、あの狂った赤い瞳を思い出しながら

 

「クラムベリー……。あいつには近づかないでほしい」

「えっ……?」

「あいつは危険だ。何をするかわからない。それこそ――何のためらいも無く人を殺せる奴だ」

「そんな……。クラムベリーが……本当なの?」

 

 にわかには信じられないだろう。実際、チャットルームに居ても一人静かに音楽を奏でているだけだったクラムベリーと小雪の接点はほとんどない。

 けど、僕は知っている。あいつがどれほど危険で、そして恐ろしいのかを。

 

 

『より強い者をこの手で殺したいだけなんですよ』

 

 

「…………ッ」

 

 脳裏に蘇る美しくもおぞましい笑みに、背筋が震える。

 

「そうちゃん……?」

「あ、いや、なんでもないよ。……とにかく、クラムベリーにだけは近づかないでくれ」

「……うん。わかった。約束するよ」

 

 小雪は、頷いてくれた。

 まだ半ば半信半疑という感じだったけど、それでも僕の言葉を信じてくれて

 

「ありがとう小雪。……じゃあ、気を付けて」

 

 礼を言うと、小雪は小さく笑みを返して、それから玄関の扉に手を掛け、開いた。

 

「うん、そうちゃんもお大事に。じゃあ、またね」

 

 そして、背中を向けて足を踏み出す。外の暗闇、光の無い夜の中へと。

 遠ざかるその背中、闇に消えていく彼女の姿を見送る僕の胸に、その時、どうしようもない愛しさと、切なさと、抑えきれない想いが込み上げてきて、僕は――その背中を抱きしめていた。

 

「そう、ちゃん……っ!?」

 

 背中から腕を回し、抱きしめた小雪の身体が、驚きに震える。

 上擦った声を漏らし、固まった肢体を僕は抱きしめ続ける。その華奢で柔らな感触を、その温もりを、もっと感じていたいから。

 小雪が今、どんな顔をしているのかはわからない。驚いているかもしれない。嫌がっているのかもしれない。……でも、今だけは許してほしい。

 

 これから何があっても――どんな苦しみと絶望の中でも、この温もりを、思い出せるように。

 

 そうして僕は、大切な女の子の存在そのものを僕自身に刻みつけるように、ぎゅっと抱きしめ続けて……、名残惜しさを感じつつ、腕を離した。

 

「ごめん。ちょっと立ちくらみがして……驚かせちゃったな」

「そ、そう……なんだ。なら……仕方ないよね……うん」

 

 我ながら苦しい誤魔化しだ。けど、突然の出来事に動揺し、衝撃から立ち直っていないらしい小雪は問いただす事無く真っ赤な顔で頷いてくれた。

 そして今度こそ、僕は立ち去る小雪を見送る。

 フラフラとした足取りで進むその背中が遠ざかり、曲がり角の向こうに消えていったのを見届けた時、

 

「ほんと、ありがとうな。小雪……」

 

 優しくて、誰よりも愛おしい幼馴染への感謝を呟き、拳を握る。

 ぎりぎりと、音が鳴るほどに。強く、強く。

 

「君のおかげで、僕は――」

 

 

 ――僕は、覚悟を決めた。

 

 

 ◇姫河小雪

 

 

 颯太の家を出てからしばらく歩いた後で、小雪はまるで全身の骨が蕩けてしまったかのようにへなへなと崩れ落ちた。

 顔が赤い。肌が火照ってたまらない。緊張が解けた反動で膝から力が抜け落ちて、それからはもうだめだった。

 

「そう……ちゃん……」

 

 今、その頭の中を占める彼の名を呟いた唇から、火照った吐息が漏れる。

 颯太はすぐに自分を離してくれた。けど、その感触は今でも覚えている。背中から回された腕の力強さも、背中に感じた胸板の逞しさも、首筋に当たる熱い息遣いも何もかも、小雪の心と体に熱く深く刻みつけられていて――

 

「~~~~~~ッッッ!!」

 

 ぼふっと、真っ赤な顔から湯気が上がった。気がした。

 今鳴り響く甘く激しい胸の高鳴りが、恥ずかしさによるものか、それとも別のものなのか……小雪には、まだ分からなかった。

 

 

 ◇ラ・ピュセル

 

 

 王結寺。

 今は亡きルーラの城だったその場所に今、四人の魔法少女がいる。

 

「ねえねえ。ラ・ピュセル来ると思う~?」

「どうかな~。昨日とか相当メンタルやられてたっぽいし、案外来なかったりして~」

 

 可憐で性悪な片翼の双子天使。

 

「く、来るのかな……来ちゃうのかなぁ……」

 

 怯える、臆病な犬耳フードの少女。

 そして

 

「来なければ、死ぬだけ」

 

 無垢にして無慈悲な白を纏う、水着の少女。

 冷たく澄んだ月光の下、集う彼女たちは皆全てが恐るべき者達だ。

 目的のため、己が生き残るためならば他者を蹴落とし、殺す事すらも躊躇わないだろう魔法少女にあるまじき破綻者共。

 

 けど、もう僕は恐れてばかりではいられない。

 例えどれほど悪辣で、圧倒的な力を前にしても、絶望なんて許されないんだ。

 だって……あの子が。小雪が。怖くても、心細くても、僕のために一人で頑張ろうとしてくれるのに、その相棒である僕が

 

 

 

「――見くびられたものだな」

 

 

 

 いつまでも怖気付いていていい、はずがない。

 だって、僕は――いや、私は

 

 

「私はラ・ピュセル。スノーホワイトの盟友にして、誇り高き魔法騎士だ」

 

 

 四人の前に立ち、高らかに、誇りと決意を込めて名乗り上げる。

 

 絶望するのはもうやめだ。無力を嘆いている場合じゃない。

 たとえ正面からでは無理でも、隙をつけばマジカルフォンを奪えるかもしれない。たとえそれが出来なかったとしても、絶対に諦めない。そのためなら、奴隷のように従ってでもチャンスを待ち、何としても生き延びてみせる。

 あの子の隣に、帰るために。

 

「私は逃げも隠れもしない。さあ――」

 

 僕の孤独な戦いを、始めよう。

 

 

 




大変お待たせしました最新話。
今回の話は小雪が上手く動かせなくてとてつもなく苦労しました。原因は作者のスノーホワイト像が「スノホワちゃん」ではなく「スノホワさん」だからです。表情筋が仕事をしていたころのスノホワを思い出すために原作無印を読み返したりBlu-ray見まくったりドラマCD垂れ流して作業してなんとか書き上げる事が出来ました。それはそうとCD版『女騎士の孤独な戦い』の小雪と颯太の『お前らもう結婚しちゃえよ感』は異常だと思う。あと颯太ママのエロボイスっぷりも。

お詫びついでのおまけ『トプリプその後』

「あ、でも風邪はうつせば治るって聞くな……。って、いきなりあからさまに距離をとるなよリップル」
「風邪が治るまで近づかないで」
「だから風邪じゃないって……。ていうか本当に俺が風邪ひいてたなら、いつも近くにいるリップルはとっくにうつってると思うぜ」
「チッッッッ!!!!」
「すげえ舌打ちだな!?」
「帰る。二度と近づかないで」
「いやちょっとした冗談だって。悪かったよ。……うん、じゃあこうしようっ(ぎゅっ❤)」
「なっ!? なに抱き着いてっ……ちょっ、頬を擦り付けるな!?」
「リップルに風邪がうつったのなら、俺にうつし返せばいいんだよ! うりうり~❤ 大人しく俺にうつさせろ~!」
「~~~~~~ッッッ!!」

その後、トップスピードは顔を真っ赤にしたリップルから三日間口をきいてもらえませんでした(ちゃんちゃん♪)。



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わんこをプロデュース

『彼女』にとって『ルーラ』という魔法少女は、いつも威張っているか怒っているかの、とにかく怖いリーダーだった。

 命令された事を少しでも失敗すれば「愚図」「とんま」「腐れ脳みそ」と罵られ、成功すれば「この私が指示したのだからこれくらい当然」「無能を上手く使うのも優れたリーダーたる証」と自慢される。とかくルーラは彼女が知る中で一番、威張りんぼで怒りんぼの魔法少女だった。

 

 でも、ほんとうに、ほんとうにほんのちょっぴりだけど、優しい所もある。分からない事があれば罵りながらだけどちゃんと教えてくれるし、待ち合わせに遅刻しても、何度も失敗しても、見捨てないでいてくれる。家でも学校でも「いてもいなくてもいい」か「いないほうがいい」と疎まれ諦められてきたのに、そんな誰にも必要とされなかった自分を、必要としてくれる。

 友達として、ではないと思う……。でも、いい。例え『道具』と思われていても、それで

 も「ここにいてもいい」「私の下へいろ」と思ってくれているのなら。それで十分だった。

 

 ルーラのおかげで、色んなことを知れた。仲間だってできた。誰かに必要とされているという喜びを、知ることができた。

 ぜんぶぜんぶ、ルーラがくれたものだ。ルーラと出会わなかった自分なんて想像できないし、したくもない。

 だからどんなに蔑まれていても、罵られても――彼女はルーラが、好きだった。

 

 なのに、なんでだろう? 今、目の前で――ルーラが死にかけているのは。

 

 王結寺の冷たく乾いた床に崩れ落ちた、ルーラ。

 ルーラが激しい痛みに苦しみもがくその度に、全身から血が噴き出し、純白の衣装を赤黒く汚していく。

 驚愕と混乱に戦慄く唇から洩れるのは、血の交じった苦悶の声。

 そこにいるのは、もはや賢く可憐で絶対的な支配者ではない。玉座から蹴落とされ、冥府へと墜ちていく哀れな敗北者。それが今のルーラだ。

 

「なんで……ッ」

 

 仲間だったはずの者達へ、あるいは己自身へと問いかけるルーラの声に、彼女は答えられない。

 なぜこうなったのか、それは彼女自身が一番分からなかったから。

 

「どうして……ッ」

 

 分からない。どうして仲間たちが裏切ったのか。ルーラを殺すのか。なにも……馬鹿な自分の頭では、何一つ理解できないから。

 ただ、怖かった。

 苦しんでいるルーラも、それを仕組んだ、仲間だったはずの魔法少女達も。

 ピーキーエンジェルズは全く同じ顔に、揃いの嘲笑を浮かべクスクスと笑っている。

 スイムスイムは、ただ無表情に、光無き深海の様な瞳で眺めている。

 そして自分は――ただ震えている。

 

 もがき苦しむルーラの下に駆け寄りたい。謝りたいし、なによりも震えるその手を握って、少しでも恐怖を和らげてあげたい。……そう思うのに、自分の身体は柱を背に、震える膝を抱えてただ恐怖に怯えているだけ。助けたいのに、人の死に逝く様を目の当たりにしているという恐怖が全身から力を奪い、立ち上がる事すらもできはしない。

 無力で、臆病で、何もできない彼女は、ガチガチと歯を鳴らし、震える瞳からボロボロと涙を流して許しを請うのみ。

 

「なん……で……」

 

 ごめんなさい。馬鹿でごめんなさい。臆病でごめんなさい。何もできなくてごめんなさい。

 

「どう、してよ……」

 

 許してください。こんなつもりじゃなかったんです。あなたを殺したくなんて無かったんです。

 

「なんで…なの……」

 

 そして、道具としか思っていなかった部下に裏切られた屈辱と困惑に、死に逝く事への恐怖と絶望に、暗く淀んで血と涙でぐちゃぐちゃの瞳が――彼女を捉えた。

 

 

 

「たまぁ………」

 

 

 

「いやあああああああああああああああああ!」

 

 恐怖に震える悲鳴を上げて、犬吠埼珠(いぬぼうざきたま)は目覚めた。

 見開いた瞳から涙を流し、震える唇からは荒い息を吐いて。自室のベッドで跳ね起きたその身体は、冷たい汗に塗れていた。

 

「っはぁ、はぁ…っ…う、ぁ…ぁ…ああああああ……ッ!」

 

 息が苦しい。暴れ狂う鼓動は痛いほどに鳴り響いて、絶えず溢れる恐怖と罪悪感に何もかもが押しつぶされそうだ。体の震えが止まらない。恐慌状態に陥った思考は千々に乱れ、汗と涙が壊れたように噴き出して、身に着けた中学校の制服をぐっしょりと濡らす。

 苦しくて、悲しくて、痛くて辛くて怖くて、悪夢から目覚めた後も、まだその中に捕らわれているかのようだ。

 そんな珠の心身が多少なりとも落ち着きを取り戻せたのは、一人ぼっちのベッドの上で暫くもがき苦しんでからようやくだった。

 

「…はぁ…ッ…はぁ……ッ…」

 

 まただ。

『あの日』から、眠るたびに悪夢にうなされ、ルーラの最期を繰り返し見せつけられる。何度も何度も、どれほど泣き叫んでも終わること無く。そして目覚めた後も後悔と罪悪感に苛まれるのだ。

 その苦しみで今だ潤んだ視界に映るのは、窓から差す赤い夕陽に染められた見慣れた自室。

 たしか……、学校が終わって家に帰ってから、スイムチームの集合の時間まで休んでいようとベッドに腰かけたまでは覚えている。つまりはそのまま眠ってしまったのだろう。

 

「もう、こんな時間か……。――ッ!?」

 

 泣き喚いた疲労感でぼうっとする頭で、はっと思い出す。

 珠たちが魔法少女として活動する時は必ず、決められた時刻までに拠点である王結寺に集合しなければならない。かつてルーラが決めたその時間厳守のルールはスイムスイムがリーダーの座を奪った今も受け継がれていて、そしてその時間まであとわずかしかない。

 慌ててベッドから下りようとして、バランスを崩しおでこから床に激突。ジンジンする痛みに呻きつつ、涙目で立ち上がり魔法少女『たま』へと変身した。

 そして窓を開け、家族にばれないように家を出ようとした時、たまは最も大切な物を忘れていることに気付いた。

 

「いけない……っ」

 

 あやうく忘れるところだった。

 急いでベッドの下に腕を突っ込み、そこにしまっている収納ボックスを取り出し蓋を開ける。

 そこには、たまの大切な物が一杯に入っていた。大好きなおばあちゃんとの写真。初めて穴を掘った時に見つけた、小さなアンモナイトの化石。友達と学校の課題で地層の調査をした時に出土した奇妙な土器の欠片。他人から見たらガラクタでしかないだろうけど、その全てはかけがえのない思い出の品々だ。そしてその一番奥に、最も大切にしまっている物がある。

 それは、鈍く光る銀色のトゲが付いた犬の首輪。

 指を伸ばし、それに触れた瞬間、胸の奥がズキッと痛んだ。

 

「ルーラ……」

 

 彼女を思い出すたびに、感じる。この首輪を贈ってくれた者を殺してしまったことの、消える事無き罪の痛みを。

 それを感じながら、たまは首輪を――犯してしまった罪の象徴を――己が首に付ける。

 何度もしてきたその行為。ルーラがいたかつては嬉しさと誇らしさすら感じていたそれが、今では絞首台の縄を首にかけているかのように思えた。

 

 

 ◇岸辺颯太

 

 

 魔法少女になる前は、魔法少女は可憐で美しいものだと思っていた。そして実際に魔法少女になった時、僕はその恐ろしさを知った。

 たしかに魔法少女は美しい。花のような美貌。瑞々しい肌。艶やかなその肢体はしなやかで力強く――ただの人間ならばトマトを潰すようにブチ殺せる。

 ただの筋力で全てを蹂躙できる圧倒的な身体能力。あらゆる法則を無視し世界の理すらも捻じ曲げる理不尽の極みたる『魔法』。それらを持つ《魔法少女》はただキラキラしただけの存在ではない。人を超え、まさしく世界すらも滅ぼしうる暴力の化身なのだ。

 

 ゆえに今、僕とスイムチームが対峙する王結寺の薄暗い堂内は、魔法少女達が放つ人ならざる者の威圧感に満ちて、空気すら軋みを上げていた。

 

「さあ、約束通り私は来たぞ。スイムスイム」

 

 開け放った障子戸から降り注ぐ月光を背中に浴びながら、魔法少女ラ・ピュセルに変身した僕は言った。臆せず、揺るがず、ただただ堂々と。凛々しく誇り高い魔法騎士として己がかく在るべきと思う姿で立つ僕に、四人の魔法少女の眼差しが突き刺さる。

 

「へえーほんとに来たんだ」

「てっきりビビッて来ないかと思ってたー」

 

 まずは、クスクスと底意地の悪い嘲笑をデュエットさせる双子の天使――ピーキーエンジェルズの、まるで愉快な見世物を見るような瞳。

 

「ぅ……うぅ……」

 

 柱の陰に縮こまり恐る恐る覗いてくる、フードを被った犬耳の魔法少女――たまの怯えた瞳。

 そして最後に、何を考えているのか一切読み取れぬ、最も不気味で恐ろしい眼差しの主が

 

「遅刻。次からはもう少し早く来て」

 

 上座に立ち僕を見下ろす白い魔法少女、スイムスイム。彼女の纏う色はスノーホワイトと同じ《白》だが、スノーホワイトの清らかで温かみのある『純白(しろ)』とは違い、スイムスイムの白はただどこまでも無機質で、人として大切な何かが決定的に足りない『空白(しろ)』だ。

 まさに四者四様。様々な感情が込められたその眼差し。もはや圧すらも感じる程のそれらは、絶望に沈みかけていた以前の僕ならば耐えられなかったかもしれない。だが今、スノーホワイトのために戦い抜く覚悟を決めてここに来た僕は、怯む事無く正面から受け止めた。

 

「で、私に何をさせる気だ? ……まさか、ただ朝が来るまで大人しくしていろと言う訳ではないだろう?」

「あなたを呼んだのは、二つの理由がある。一つは他の魔法少女に助けを求めないか、妙な事をしないか監視するため。そしてもう一つは――」

「待て」

 

 淡々とした口調で説明する声を、途中で止める。

 怪訝そうにほんの微かに眉をよせたスイムスイムに、僕は言った。

 

「他の魔法少女からキャンディーを奪えというのならば断わる。私は『正しい』魔法少女だ。たとえお前達に命を握られているとしても、悪を行うなどできない」

 

 そうだ。奪われたマジカルフォンを取り戻す機会をうかがうため、今だけは大人しく従う事は決めたけど、それでも正しい魔法少女の『道』を外れる事などできない。してはいけない。それは同じく清く正しい魔法少女を夢見て、共にそうなろうと約束した小雪を裏切る事だ。ラ・ピュセルが正しい魔法少女でなくなったら、僕は小雪の――スノーホワイトの隣に立つ資格を失ってしまうのだから。

 

 自分の発言がどれだけ危険かは分かっている。こうして堂々と立っていても、内心は心臓を握られているかのような恐怖と息苦しさが止まらない。それでも誓いを胸に、瞳に確固たる意志を込めて。決して譲れない一線を伝えた僕の言葉に、堂内に緊張が走った。

 何を言われようが大人しく従うと思っていたのだろう僕の意外な態度に、ピーキーエンジェルズは揃いの笑みを消し、たまは柱の陰で固唾をのむ。そして僕もまた、額から流れる冷たい汗を感じていた。

 

 言うべきことは言った。対してスイムスイムはどう出るのか。その唇が紡ぐのは「ならば死ね」か、それとも……。

 もしかしたら次の瞬間には、殺し合いが始まるかもしれない。誰もがその氷像の如き美貌に目を向け、空気が張りつめた。

 そしてスイムスイムの淡い唇が、動く。

 

「それはあなたが私の騎士に……私達の仲間になってからしてもらう。今は、特訓に付き合ってほしい」

 

 怒りは無く、殺意も無く、ただ淡々と答えた。

 途端、一瞬即発かと思われた張りつめた空気が緩む。ピーキーエンジェルズが強張っていた肩の力を抜き、青い顔をしていたたまはほっと息を吐いた。

 一方で、僕はその答えに眉を寄せる。

 

「特訓?」

「うん」

 

 こくんと頷いたスイムスイムは、僕に一冊の小冊子を差し出す。

 内心疑問符を浮かべつつ受け取ったその表紙には、

 

「『魔法少女への道・特訓編』……?」

 

 謎のタイトルと共に、やたらと耽美なタッチで描かれたルーラが、困惑する僕にドヤ顔を向けていた。

 

「ルーラが考えた、それぞれの魔法をより生かすための特訓方。私とピーキーエンジェルズは一人で出来る内容だけど、たまは指導してくれる相手が必要。だから、ラ・ピュセルはその特訓相手になって」

「たまの……」

 

 つい柱の陰から恐る恐る顔を出しているたまをチラリと見ると、目が合った瞬間たまは顔を引っ込めてしまった。

 

「え……と……」

 

 なんというか、物凄い怯えようだ。

 見た目の印象から気が弱そうだなとは思っていたが、これはちょっと怖がりすぎではなかろうか。というかこんな状態で特訓なんて出来るのだろうか?

 あまりの怖がられっぷりに不安を感じ、僕はつい助けを求めるようにスイムスイムを見てしまう。しかしスイムスイムはそんな内心を知ってか知らずかよどみない口調で、

 

「特訓相手になって」

「でも、たまが……」

 

「 特 訓 相 手 に な っ て 」

 

 繰り返す声に慈悲は無い。ついでにその瞳は『いいよね? 答えは聞いてないけど』と語っていた。

 ……ああ、うん。僕に断る権利なんてないよね。なんたって命握られているからね。

 有無を言わせぬ静かな眼光の前に、僕は内心白旗を上げざるをえなかった。

 

「でも、特訓って何をすればいいんだ?」

 

 僕が今までしてきた特訓なんてものは、サッカー部の特訓くらいしかない。まさかたまにサッカーを教えろというわけではないだろう。僕の頭の中にサッカーボールを蹴ろうとするたまの姿が浮かび、そのたまは足が空振りして盛大にすっころんだ。

 僕の疑問に、スイムスイムはたまが隠れている柱へと目を向けその名を呼んだ。

 

「たま。来て」

 

 返事は無い。けど柱の陰からひょっこり出た犬の尻尾がビクッと震えた。

 

「たま」

「う、うん……」

 

 再度促され、ようやくたまが姿を現した。……ものの、その表情はガチガチに強張って気弱そうな瞳はすでに涙目。見るからに恐る恐るといった足取りで、僕の前へと歩いてきて

 

「うにゃ!?」

 

 コケた。何も無い所で顔面から。

 まるでコントのようなそれに一瞬唖然としつつ、赤くなった鼻を抑えながら呻くたまに僕は手を差し伸べる。すると、

 

「ご、ごめんにゃさいっ!」

 

 謝られたうえ後退られた。

 

「………」

 

 そして差し伸べた手は虚しく宙を彷徨うのみ。

 うん、見た目同い年くらいの女の子に理由もわからず怖がられるのってかなりキツイや。

 特訓相手のあまりに散々な反応に精神的ダメージをうけ、ちょっと泣きそうになる僕の耳に、スイムスイムの声が届く。

 

「たまはとても臆病。正面から戦おうにも、足がすくんで動けない。このままじゃ不意打ちにしか使えないし、いざという時に足手まといになる。だからラ・ピュセルはたまに戦い方を教えて」

「戦い方を……」

「うん。私達には戦いの経験と力が足りない。だからラ・ピュセルと初めて戦った時も三対一なのに足止めしきれなかった。だから、まだ脱落の危険が少ない今週一杯は特訓につかう。いざという時に自分の身を自分で守れるように」

 

 たしかに、常識的に考えて今週最も脱落の可能性が高いのは16人目の魔法少女だ。今だ姿を現さない彼女は参入してほとんど時間がたっておらず、仮に今必死にマジカルキャンディーを集めていたとしても他の魔法少女達には追いつけないだろう。

 もっとも、それもあくまで可能性の話であり確実ではない。もしスノーホワイトのように人助けに特化した魔法を持っていたなら話は別だ。

 そのリスクを負ってでも、この貴重な時間を仲間達の生存確率を上げるために費やす。それが仲間を想う優しさなのか、それともリーダーとしての単なる義務感かは分からない。だがそこには確かに、誰も死なせないという意思が感じられた。

 

「できる?」

「――分かった。私に教えられる事なら、出来る限りのことをしよう」

 

 結果的には敵を強くすることになるかもしれない。けど、僕は問い掛けるスイムスイムに頷きで答えた。

 どんな理由であれ、誰かを死なせたくないという気持ちは僕にも分かるから。

 ……それに、今は少しでも信頼を稼いでおくべきだろう。マジカルフォンを奪う機会をうかがう為にも。

 

「ちなみに最終的には死をも恐れぬ狂戦士にするのが目標」

「え?」

「ルーラの小冊子に書いてあった」

 

 何やら飛び出した不穏なワード。確かめるべく小冊子をめくってみれば、確かに最後のページに記された『最終目標』の欄にしっかりとそう書かれていた。

 偉大なるリーダーに仕える部下たる者、肉の壁としてリーダーを守りその身を犠牲にしてでも敵を屠るべしって部下に何を望んでるんだルーラは。

 

「いや狂戦士って……」

 

 思わずたまを見る。

 涙目でプルプル震えるその姿は、どう見ても未来の狂戦士というより怖がりの子犬にしか見えなかった。

 

「ラ・ピュセルならできる。私の騎士になる人だから」

 

 悪いけど、そんな曇りなき目で信頼されても不安しかないんだスイムスイム。

 でも、ここで断れば信頼を得ることは出来ない。そうなれば隙を見てマジカルフォンを奪う事が難しくなる。ならばスイムスイム達に命を握られているこの状況を脱して、これから生き延びるためにも……やるしかないんだ。

 でも、本当にできるのか……?

 

「あ……ぁぅ…あの……。――っ」

 

 僕に、この子を……たまを鍛え上げるなんてことが。

 

「よっ、よろしくおねがいしますっ!」

 

 じっと見詰める僕に気圧されたように後退ろうとして、何かをぐっとこらえるように踏み止まり勢いよく頭を下げるたまを前に、僕はある意味でかつてない無理難題に頭を悩ませていた。

 




お読みいただきありがとうございます。
バレンタインデーにて妹に贈られた某インスタント焼きそばチョコレート味で地獄を見た作者です。あれは人類が生み出してはいけないものだ……(レイプ目)。

前回でようやくある程度は立ち直れた颯太ですが、今回は今回で無理難題を言い渡されます。たまが何故ここまで怯えているのかはそうちゃんの過去の所業を振り返ってみましょう。

あさて、そういえばアニメ版3巻の特典小説は颯太と亜子のエピソードらしいですね。……嘘だと言ってようるる。ファンとしては嬉しいんだけど内容次第ではこの小説の亜子周りの設定もそれに合わせてちょっと変えるかもしれません。と言いつつ変えないかもしれません。全ては読んでから決めますので変更点があれば次回以降の前書きでお知らせします。


おまけ(これが次回のあらすじだよ! byうるる)

そして始まった僕とたまの特訓は、壮絶を極めた。
朝は太陽が昇る前からランニング。昼は棒のようになった足でスクワット。夜は腹筋を気絶するまで。それを夏でもエアコン無しのお堂の中でひたすら繰り返す地獄のような日々。そんないつ終わるとも知れぬ地獄の特訓メニューをこなすうち、劇的な変化が現れた。
ある日、たまの髪の毛が全て抜け落ちたのだ。
つるっぱげになったたまを前に、僕は後悔した。もしや自分の考えた特訓が間違っていたのかと。……だが、そうではなかった。むしろ、成功しすぎてしまったのだ。

「私は森の音楽家クラムベリー」

今のたまはもう森の戦闘狂を前にしてもビビったりしない。
ただその肉球グローブでつくった拳を無造作に繰り出して

「負け犬が。墓穴は掘り終わっているんでしょうねぐはああああああああ!?」

ただの一撃で粉砕するワンパン魔法少女だ。

「この炎の湖フレイム・フレイミィに勝てると思ってんのぐはあああああああ!?」

悪の魔法少女を一撃!

「フレイミィがやられただと!?」
「くっくっくっ。だが奴は魔王塾の中で一番の格下ぐはああああああああ!?」

戦闘狂軍団も一撃!

「クビヲハぐはあああああああ!?
「プクとお友達にぐはあああああああ!?」

三賢人の現身すらも一撃!

「また、ワンパンで終わっちゃった……」

そう呟くたまの死んだような目には、戦いの興奮も勝利の喜びも無い。
敵がどんなに強かろうと、ただの一撃で倒してしまう事の虚しさだけがあった。

たまは強くなりすぎたのだ。

次回『ワンパン魔法少女たま』

これは、全ての敵をワンパンで倒す最強の魔法少女の物語である。



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たまとはこんなことを

前回で語った特典小説の内容による設定変更の有無については、この物語では三巻目の内容は反映せずラピュセルとアリスが出会わなかった世界ということで進める事にしたぽん。でもその前の一巻二巻は含める事にしたので、今話ではその内容についてちょっとだけ触れる所があるぽん。まだネタバレが嫌だという人は円盤を買ってから読むことをオススメするぽん。ダイマ?何の事だか分からないぽん♪


 ◇ラ・ピュセル

 

 僕は、魔法少女になりたかった。

 それは幼馴染の小雪も一緒で、幼稚園の頃は二人でどんな魔法少女になりたいかをいつも語り合っていた。

 そして小雪は人を助ける魔法少女になりたいと言った。困っている人を助け、泣き顔を笑顔に変える。そんな魔法少女に。

 でも、僕が憧れたのは戦う魔法少女だった。どんな敵にも負けず、どんな危機にも怯まず、力と勇気で乗り越える。そんな凛々しく格好良い魔法少女達の活躍をアニメで、漫画で、ゲームで見るたびに僕の心は躍り胸が熱くなっていった。凄い。格好いい。その姿に、その凛々しさに、そして何よりもその『強さ』に憧れた。なりたいと思った。僕もこんな、戦う魔法少女に!

 

 ……そして、僕は戦う魔法少女になった。なった、はずだった。

 なのに、僕はクラムベリーという絶対に負けてはいけないはずの相手に負け、スイム達の卑劣な策略に屈している。憧れた『強さ』を手に入れたはずなのに。戦う魔法少女になれたはずなのに……今の僕は理想からほど遠い、弱者だ。

 アニメで見てきた魔法少女達は、どんな敵にも負けなかった。そして彼女達の多くは実在の魔法少女がモデルになったらしいと、ファブから聞いた事がある。きっと実際の彼女達もアニメと同じく強く美しい魔法少女だったのだろう。キューティーヒーラー達も、マジカルデイジーも。

 僕も同じ戦う魔法少女のはずだ。なのに……同じ『強さ』になれないのは何でだ。

 なにが足りない? 何が違う? 彼女達にあって、僕に無い物は何だ……ッ。

 

 絶望の中でそう問い続けて、ようやく答えに辿り着いた。

 僕のために頑張ろうとするスノーホワイトの姿に、答えを見つけた。

 本当に正しい、戦う魔法少女の『強さ』とは――

 

 ◇◇◇

 

 名深市門前町には、その名の通り数多くの寺がある。

 その中でも特に寂れた廃寺が王結寺だ。荒れ果てたままうち捨てられ、雨風に曝されてきたその外観は夜ともなれば一層不気味で、いかにも何かが出てきそうな雰囲気が漂っている。実際に少女の生首やら名状しがたいもこもこの怪異が出たという噂話もあり、訪れる者はよほどの物好き以外誰もいない。

 そんないわくつきの寺の本堂の裏が、僕とたまの特訓の場所だった。

 

「じゃあ、始めようか……」

 

 月明かりの中、夜風にそよぐ木の葉が奏でる静かな音色に包まれて、僕とたまは向かい合っていた。

 たまはあいかわらずガチガチに緊張している。ここに来るまでだって手と足が一緒に動いていたし、だいたい三歩歩いて転んでいた。おまけに助け起こそうとすればビクッと震えて後退られる。万事そんな調子だから、

 

(きっ、気まずい……っ!)

 

 こうして二人っきりでいるのは非常に気まずかった。

 というかよく考えてみれば、港の戦いで僕はたまを文字通り踏んだり蹴ったりしたわけだし怖がられるのも当然か……。

 とはいえ魔法少女たる前に一人の男たるもの、引き受けた以上はやらねばならない。腹を括るんだ僕。

 

「えーと……。じゃあまずは君の魔法を見せてくれないか」

「うっ、うん……っ」

 

 怖がらせないようなるべく穏やかに言うと、ぎこちなく頷いたたまはさっそく、近くの地面をその肉球グローブから生えた爪で一掻きした。

 そうして夜闇に一筋の光の軌跡を描き付けられた爪痕は、瞬時に広がり直径一メートル程の穴となる。

 

「おおっ……」

 

 見事な穴だ。その形は綺麗な真円で、中の深さも三メートルはありそうだ。魔法少女ならともかく、人一人を落すなら十分な穴だろう。

 

「本当に簡単に穴が開くんだな」

 

 これが、たまの「穴が掘れる」魔法か。最初に聞かされた時はいかがなものかと思ったが、ひと掻きでこれだけできるのなら大したものだ。港で襲撃された時に危うく落ちかけた巨大な穴もこうして掘ったのだろう。

 覗き込みつつ関心の声を漏らしていると、たまはちょっと照れくさそうに小さな声で

 

「穴掘り、得意だから……」

 

 と、微笑んだ。

 

「えっと……それから、見えていれば前に付けた爪痕も広げられるよ」

「へぇ。すごいじゃないか」

「そっそんなことないよ……。ラ・ピュセルみたいに戦いに使えるわけじゃないし……」

 

 と言いつつ、その頬は確かに緩んでいる。

 それは、今夜僕と顔を合わせてから浮かべた初めての笑顔。きっとたまは自分の魔法が本当に好きなんだろう。……小雪も『人助けにすっごく役立つんだよ』と、自分の魔法をすごく嬉しそうに話してくれたっけ。

 

「……ッ」

 

 いけない。今は目の前の事に集中するんだ。

 ふと心に浮かんだ小雪の笑顔を頭を振って振り払う。

 

「にゃっ!? ご、ごめんなさいっ。弱い魔法でがっかりさせちゃったよね……」

「いや、違うんだ。気にしないでくれ」

 

 気を取り直し、改めて考える。

 たまの魔法は確かにすごい。でも、地面に穴を掘るだけじゃ罠か不意打ち、あとは移動くらいにしか使えないだろう。どう考えても用途が限られていて直接戦闘向きじゃない。

 なら、やっぱり今特訓すべきなのは、

 

「じゃあ、次は組み手をしようか」

「ええっ!?」

「魔法少女と戦うための訓練なんだから当然だろう」

 

 案の定、青い顔で声を上げるたまに僕はキッパリと言う。

 幸い組手なら時々ヴェス・ウィンタープリズンとしているので、僕にもある程度は教えられる。まあウィンタープリズン曰く、映画に出てくるようなモンスターが実際に現れた時に備えてのものらしいけど。この前やらされた対ゾンビ用格闘術なんて魔法少女相手に役立つとは思えないんだけどな……。

 ともあれ、実際魔法だけに頼りすぎるのも良くない。基本的な徒手格闘でも覚えておけば戦い方の幅がぐんと広がるし、何よりいざとなれば素手でも戦えるというのは自信にも繋がる。気の弱いたまにはむしろそっちの方が重要だろう。

 

「大丈夫。組手だから武器は使わないよ。君に怪我をさせるつもりはないから、安心してかかって来なさい」

 

 出来るだけ安心させるように、頼もしい口調で自分の胸をどんっと叩く。その拍子にたわわすぎる果実がぶるんと揺れたので慌てて手を離し、軽く拳を構えた。

 いくら特訓とはいえ、女の子を殴りたくはない。できるだけ防御と回避主体で、攻めるにも捌くか投げるかにとどめよう。けど、手加減はしても油断するつもりはない。

 たまが何をしようと対応できるように、神経を研ぎ澄ませる。呼吸を静かに落ち着かせ、眼差しに戦意を宿し叩きつける。訓練とはいえ魔法少女と拳を交える緊張を感じながら来る一撃を待つ僕に対して、たまは

 

「ひっ……あ、ぅあ……っ」

 

 完全に委縮していた。

 何とか立ってはいるものの、その足は震えて腰は引け、小さな尻尾はくるんと丸まっている。血の気の引いた顔色で、僕の姿を映す瞳は震えていた。

 いけない。相手に呑まれてしまっている。

 

「たま!」

 

 叫び、その意識を引き戻す。

 ハッと我に返ったたまは湧き上がる恐怖心をぐっと堪え、意を決して動いた。

 

「えっ、えええええいっ!!」

 

 ギュッと目をつぶりながら地を蹴り拳を突き出す。勢いはある、だがそれだけだ。狙いも何もあったものではないその拳は空振りして、たまはバランスを崩し顔面から地面へ激突した。

 

「うにゃ!?」

「勢いは良いけど、狙いが駄目だ。だいたい目を閉じていては当たる物も当たらない。たとえ当てられてもかすり傷程度じゃどうにもならないだろ」

 

 ちょうどorzの格好で倒れ込んでいるたまの背中を見下ろしつつ、駄目だった点を指摘する。

 先ずは技術……は、そもそも戦いそのものの経験が碌に無いから仕方が無いか。とすると、やっぱり当面の課題はメンタル面。その心の弱さをどうにかするしかない。

 ならばここははっきりと、あえて厳しい声で

 

「いいかいたま。怖くても相手をちゃんと見て、目を逸らさずに立ち向かうんだ」

 

 そう告げた僕の言葉に、たまの背中が震え、泣き出しそうな声が漏れた。

 

「うぅ……っ」

 

 いけない。言い過ぎたか?

 咄嗟にフォローすべく僕は口を開こうとして――

 

「わ、かった……っ」

 

 その前に、たまは立ち上がった。

 地面に倒れた跡と手形を残し、震える足で地を踏みしめ、立ち上がった彼女の瞳には今だ怯えと緊張がある。だが同時に何か強い意志も宿したその眼差しは、今度は逸らさずにしっかりと僕を見ていた。

 

「へえ……」

 

 臆病な性格から耐えられずやめてしまうかもしれないと思っていたたまの意外な姿。それに軽く驚きつつ、僕は再び地を蹴るたまに拳を構えた。

 

 

 ◇たま

 

 

 握った拳を力一杯に突き出す。けどそれはあっさりと避けられてしまう。それでも何度も繰り返し拳を振るうが、結局一度もラ・ピュセルを捉えること無く風切り音だけが虚しく響く。

 

「はぁ……っ……はぁ……っ…くぅっ」

 

 息が苦しい。わき腹が引き絞られるようにキリキリと痛み、涙の滲む視界がかすむ。

 たまはもともと体力のある方ではなかった。それは魔法少女になっても同じで、慣れない特訓はその少ない体力を容赦なく削っていく。

 そしてなによりも辛いのが、ラ・ピュセルと向かい合うというそれだけであの忘れもしない最初の戦いの記憶が、痛みと恐怖がたまの心に蘇ってくるのだ。

 殴り合いの喧嘩すらもしたことの無かったたまが初めて受けた暴力。迫る靴底に覆われて暗くなる視界。鼻がひしゃげ、痛みが顏一面に広がって、そして暗い穴の中に落ちていくあの恐怖。

 思い出しただけで、身体が震える。たとえ今のラ・ピュセルに害意が無いと理性では分かっていても、本能が恐れてしまうのだ。

 

「………っ!」

 

 でも、それでも、やめる訳にはいかない。強くなるためには。力を得るためには。立ち向かわなければならない。ここで諦めたら、私は……。

 諦めろ逃げ出してしまえと囁く恐怖心を必死に押さえつけ、震える瞼を決して閉じずに、たまは再び拳を握りラ・ピュセルへと向かって行った。

 

 

 ◇ラ・ピュセル

 

 

 それから、僕とたまは何度も組手を繰り返しているが、あまり上手くいっているとは言えなかった。

 その瞳こそ僕を捉えているが、たまの振るう拳の軌道は単純で見切るのは容易。くわえてかつて戦った時の恐怖を引きずっているのか、極度に緊張したその身体は強張り腰が引けている。そんな状態で振るわれる拳が当たるはずも無く、僕に容易に捌かれ時には投げられる。既に何度も地面に倒れ転がったその全身は土に塗れ、魔法少女特有の美貌も流れる汗が土と汚れに交じってぐちゃぐちゃだ。

 ここまでやってきたけど、正直進歩しているとはいい難い。やっぱり根本的に、この子には戦いが向かないのだろう。性格的にも能力的にも。それは僕が最初に予想していた通りだった。けど

 

「はぁ…っ…はぁ…っ…」

 

 たまは、今だ拳を振り続けている。

 何度倒れても、何度転んでも、その度に立ち上がって来る。震える足で、唇からは疲労の滲む荒い息を吐きながら、それでも瞳だけは真っ直ぐ僕を見て立ち向かってくるのだ。

 けど、やはり技術が足りない。僕はたまが振るう単純な軌道の拳を横にずれることで避け、すれ違いざまにその背中を片手で軽く押す。するとバランスを崩したたまは再び地面に倒れ、そしてまた、立ち上がるのだ。その動きを止めず、諦めず。ただただ立ち向かうその姿には感心よりも、むしろ危うさを感じてしまう。

 必死過ぎる。いくらなんでも頑張りすぎだ。

 

「たま、少し休もう」

 

 両ひざに手を着き崩れ落ちそうになる身体を何とか支えつつ荒い息を吐くたまに、見かねて声をかける。しかし、たまは弱弱しく首を横に振って

 

「ま、まだ大丈夫だよ……っ」

「もうフラフラじゃないか。無理は良くないよ」

「本当に…はぁ…大丈夫……だから……――ぁっ」

「たまっ!?」

 

 ぐらり揺れて、倒れ込む華奢な体を咄嗟に抱き留める。

 掌で触れたその肌は熱く、汗に塗れていた。

 

「あっ。ご、ごめん……っ」

「……やっぱり休もう。いや、休まなくちゃ駄目だ」

「そ、そんなことないよ。……私は、まだ頑張れるから……頑張らなきゃ、だめだから……」

 

 苦し気な息遣いで、それでも途切れ途切れの声で拒絶するたま。

 やっぱり、おかしい。これはもう熱意とかそんなんじゃない。今たまを突き動かしているのは、まるでブレーキの壊れた機械のように自分が壊れようとも目的にむかって突き進もうとする危うい何かだ。

 

「たま、君はどうして――」

 

 そこまでするのか。

 腕の中のたまに問い掛けようとした、その時――

 

「あーー!? ラ・ピュセルとたまが抱き合ってるー!」

「おおっ! お姉ちゃんマジスクープ!」

 

 響く、愛らしいがどことなく禍々しさを感じさせる二つの声。驚いて声のする方に目を向ければ、いつの間に現れたのか、双子の天使が硬直する僕たちにニヤニヤと笑みを向けていた。

 

「いやー。今頃どうしてるかなーって見に来てみればまさか二人でイチャついてるとはねー」

「ギュッと抱き合っちゃって超ラブラブじゃーん。実は付き合ってたとかマジアンビリーバボーだし」

 

 言われて、今更ながらに異性と肌を触れ合わせている事を意識した僕とたまは、顔を真っ赤にして慌てて離れた。

 

「にゃっ!? ち、違うよミナちゃんユナちゃん!」

「そ、そうだよ! これはなんというか事故で――」

「あーいいよいいよ照れなくってもー」「そーそー。それに今更誤魔化しても遅いしねー」

「誤魔化してるわけじゃなくて……ほんとに私…っ…ラ・ピュセルとはそんなんじゃ……っ!」

 

 僕もたまも必死に言うけど、ピーキーエンジェルズは性悪な笑みをますます深めて

 

「へー。じゃあ恋人じゃないなら何で抱き合ってたのかなー? あ、もしかしてラ・ピュセルに無理矢理襲われたとかー?」

「なっ!?  ぼっ――私がそんな事するわけないだろう!」

「だってラ・ピュセルって男の子だしねー。女の子と二人きりになったらー。こうムラムラっとしたりするんじゃないのー? まして魔法少女ってみーんな美少女だし」

「………そっ、そんなわけないだろ!」

「うわっ何か間があったよ」

「お姉ちゃん。もしかしてあたし達も狙われてるんじゃない?」

「まーその時は年上として優しく受け止めてあげてもいいよー」

「お姉ちゃんマジおねショタ」

「だから違うと言っているだろう!」

 

 一向に止まらない嘲笑とからかいに思わず声を張り上げたその時、隣にいるたまがその身を震わせて

 

「………ッ」

 

 その場で爪を一閃させ地面に穴を掘り、その中へと潜ってしまった。暗い闇に、小さな涙の雫を散らして。

 

「たま!?」

 

 突然の行動に慌てて穴を覗くが、どこまで続いているのか底が全く見えず、その姿を捉えることは出来なかった。

 

「あらら。逃げちゃった」

「ちょっとからかいすぎたかなー」

 

 悪びれもせず肩をすくめる双子。その姿に怒りが込み上げる。

 

「どういうつもりだ! いきなり出てきて邪魔して、これじゃ特訓が台無しじゃないか!」

「だってあたしたちの変身できる物の種類を増やす特訓てマジ退屈でかったるいからさー」

「ユナは見るのが動物の図鑑とかドキュメンタリーだからまだマシじゃん。あたしなんて機械の設計図やら仕組みの解説書を延々と読ませられるんだよ。もうホントうんざりだし。あたしは理系じゃなくて文系だってのー」

「だから気分転換にちょっとからかってやろうかと思ってさ」

「ま、ある意味大成功みたいな?」

「お前らという奴は……ッ」

 

「くしししし」と互いに笑みを向け合う二人を僕が更に怒鳴りつけようとした時、彼女らの唇から出た不穏な一言がそれを止めた。

 

「ラ・ピュセルも大変だねー」

「よりにもよってたまの特訓相手なんてねー」

「あいつヘタレでビビりで臆病だから」

「そうそう。ルーラをやった時も膝抱えて泣いてたし」

 

 それは、まるで愉快な笑い話のように語られた、だがけして聞き逃せないおぞましさを孕んだ言葉。それを聞いた瞬間、僕の背筋にぞくりと悪寒が走った。

 

「それは、どういうことだ……?」

 

 湧き上がる嫌な予感。脳裏に蘇るのはスノーホワイトがキャンディーを奪われたあの夜、何故かスノーホワイトではなくルーラが死んだ不可解な事件。

 ……ずっと疑問に思っていた。何故スノーホワイトのキャンディーが半分残されていたのか。そして何故奪った側のルーラのキャンディーが一番少なかったのか。あの後、ルーラに何があったのか。

 全ての謎と疑問が今、たった一つの情報によってバラバラのピースから一つの恐るべき絵図へと組み上がっていく。

 リーダーを喪ったはずなのに、悲しみの色がまるで無かったスイムスイムとピーキーエンジェルズ。そして今の言葉。ルーラを――『やった』。

 ぐらりと、何もかもが揺らぐような感覚に襲われる。

 まさか、そんな……。敵同士と言うのならまだわかる。でも同じ仲間を……魔法少女が。

 信じられないし、信じたくないと感情が叫び、だが冷徹な理性がそれを否定する。それでも、僕は

 

「お前たちは、ルーラを……殺したのか?」

 

 慄く重い唇を開き、問い掛けた。

 はたしてピーキーエンジェルズは

 

「本人に聞いてみればー」

「じゃー特訓頑張ってねー」

 

 答えること無く、邪悪な笑みだけを残し去ってしまった。

 一人残された僕は、去りゆくその背中を暫し呆然と眺め、

 

「待っ――」

 

 我に返って追いかけようとしたが、寸でで思いとどまる。

 だって、僕は見てしまったのだから。逃げていくたまが浮かべていたあの悲痛な表情と、流れ落ちた涙を。なら、そのままにしていいはずがない。泣いてる女の子を放っておくなんて、正しい魔法少女が――スノーホワイトの相棒がしてはいけないんだ。

 僕はぽっかりと空いた穴の中、底知れぬ暗黒へと身を躍らせた。

 

 

 ◇たま

 

 

 何処までも続くかのような地の下を滅茶苦茶に掘り進み、出た先は薄暗い夜の森だった。

 街灯の光も街の明かりも届かず、白い月明かりだけが夜闇を静かに照らしている。そんな墓所にも似た森の奥で、膝を抱えたたまは独り泣いていた。

 細い腕で震える膝を抱いて、その小さな胸の内では悲しみが悔しさがやるせなさが、様々な感情がぐちゃぐちゃに渦巻いて、潤んだ瞳から涙となってぼろぼろと零れ落ちている。

 

 また、失敗してしまった。頑張ったのに。痛くても辛くても怖くても、我慢したのに。何度も転んでも、泣きそうになっても、それでも必死に立ち上がったのに、駄目だった。

 あげくラ・ピュセルにも嫌な思いをさせてしまった。せっかく特訓に付き合ってくれたのに自分はお礼一つ言えずに怖がってばかりで、それでもラ・ピュセルは嫌な顔一つせずこんな自分を指導してくれたのに

 

「ごめん……ごめんね……ラ・ピュセルぅ……」

 

 ピーキーエンジェルズの誤解を解かなくちゃならなかったのに、自分は一人逃げ出して、

 

「私……やっぱり……駄目なのかな……」

 

 申し訳なくて、情けなくて、悔しくて悲しくて胸が張り裂けそうなのに、こうして泣いている事しかできない。

 まるで、あの時のように。

 

「ごめんね……ルーラ……」

 

 大好きな人を喪った、あの夜から

 

「頑張ってみたけど……やっぱり……私じゃ……」

 

 自分は何も、変われなかった。

 震える手が無意識に、自らに掛けられた首輪に触れる。懺悔するように。縋るように。しかし物言わぬ首輪はもちろん慰める事も責める事も無く、ただただその首を縛めるのみ。己が犯してしまった罪からは、決して逃れられぬのだとばかりに。

 だから、もしそんな彼女に声をかける者がいるのだとすれば

 

「――たま」

 

 女の子の涙を放っておけずに追いかけてきた、お人よしの魔法騎士だけだろう。

 

「ラ・ピュセル……っ」

 

 背後から掛けられた声に驚き振り向けば、涙で潤んだ視界にラ・ピュセルの姿が映った。

 月明かりの中に立つ彼の鎧には所どころ土がついていて、白く艶やかな柔肌はほんのりと上気している。

 おそらくは必死に追いかけてきたのだろう。でも、何故?

 逃げだしてしまった自分を怒っているのかと思ったが、彼の瞳にあるのは怒りではなく、むしろこちらを心配し気遣うような眼差しだ。

 目の前に立つラ・ピュセルを呆然と映したたまの瞳は、やがて申し訳なさそうに伏せられて、淡い唇から謝罪の言葉が洩れた。

 

「ごめんね。ラ・ピュセルが一生懸命教えてくれたのに、ぜんぜんできなくて……嫌な思いさせちゃったよね」

「いや、そんなことは……」

「いいの。私……どんくさいから」

 

 首を小さく横に振り、浮かべるのは自嘲の笑み。

 

「昔から、勉強も習い事も何をやっても駄目で……皆を困らせて、愛想尽かされちゃって……」

 

 脳裏に浮かぶのは、いつも自分を弟や妹と比べてきた母の顔。教師の失望した眼差し。いない者として扱うクラスメイト達。呆れ、見下し、嘲笑う無数の瞳。瞳。瞳。

 胸が苦しくなる。縋りつくように首輪に触れる。その姿はまるで、十字架(ロザリオ)を握り神に許しを請う罪人のようにも見えて、

 

「その首輪は?」

 

 問い掛けられると、その唇が描く笑みがふっと変わった。自嘲から、儚げな微笑へと。

 

「これ、ルーラがくれたの」

「ルーラが……?」

 

 たまはこくんと頷き

 

「ルーラが初めて、だったんだ……」

 

 懐かしむように、噛みしめる様に、あるいは吐き出すように、ルーラとの思い出を語る。

 

「私、いつも臆病で、人見知りで……。頭も悪いから……おばあちゃん以外、誰も相手をしてくれなかったの。……でも、ルーラはそんな私を見捨てないで、色んな事を教えてくれたんだ。いつも失敗してばっかりだったし、何回も怒られたけど……みんなで色んな事をするのは……ルーラと一緒にいるのは……楽しかったなぁ」

 

 今でも鮮明に思い出せる、ルーラとの日々。

 人助けが上手くいかなくて途方に暮れていたたまの前に、颯爽と現れたルーラ。二人きりで肩を寄せ合って『魔法少女への道』にルビを振った夜、物覚えの悪い自分にもルーラは根気よく付き合ってくれて「親切なんですね」と言ったら顔を真っ赤にしていた。みんなで企画したルーラの誕生日パーティーは本当に賑やかだった。いくつもいくつも湧き上がるそのどれもが、大切な色褪せる事のないキラキラした思い出だ。

 どんなに怒っても、呆れても、罵っても、それでもルーラは最後までたまに向き合ってくれた。その堂々とした姿に秘かに憧れた。ずっと一緒にいたいと思った。思っていた。

 

「なのに、私……」

 

 声が、震える。ギュッと、たまが握りしめた掌が苦悶の声を上げた。

 

「ルーラを、殺しちゃったの……ッ」

「――――!」

 

 血を吐くような告白に、ラ・ピュセルが息をのむ。

 

「もし、私がもっと頭が良かったら……スイムちゃんは私にも相談してくれて……スイムちゃんを止められて……ルーラは、助かったのかなぁ……」

 

 ルーラを喪ったあの夜から、ずっと考えていた。

 どうすればよかったのか。どうしたら死なせずにすんだのか。何が悪かったのか、何がいけなかったのかを必死に考えて、悩んで、そうして行きついた答えは

 

「私が、弱かったから……何もできなかったから……ルーラは…ルーラはぁ……っ!」

 

 私の、せいだ。

 もし止められるとしたら、私だけだったはずなのに、私が、こんなだったから……。

 

「強く……なりたいよ……ッ。ならなくちゃ、だめなんだ。弱いままじゃ、また誰かが死んじゃう。そんなのは、もう嫌だよ……」

 

 もう、好きな人が死ぬのなんて見たくない。

 スイムスイムがミナエルがユナエルが死ぬ夢を見て何度目覚めただろうか。それが夢であることに安堵して、でも今日現実になるかもしれないという恐怖を味わうのは。

 誰にも死んでほしくないし、殺してほしくも無い。でも、どれだけ願おうとどれほど祈ろうとも自分には止める力も無い。

 だから、力が欲しかった。大切な人を今度こそ守る力が。

 声を震わせ、痛々しいほどに拳を握り、涙を流しながらたまは言う。

 

「だから、私は強く……なるんだっ。今度は私がみんなを守れるように……。ラ・ピュセルみたいに、強く……ッ。でないと……でないと……また、私――ッ」

 

 胸が張り裂けそうだ。吐き出す言葉が止まらない。涙が溢れてどうにもできなくて。悲しみと苦しみと激情と絶望が渦巻いて頭の中がぐちゃぐちゃになって――

 

 

 

「たま!」

 

 

 

 何か、とても強いものに抱きしめられた。

 震え、怯え、今にも押し潰されようとするたまの体を抱きしめるラ・ピュセルの腕の中で、たまは驚きよりもまず、温かいな……と思った。

 

 

 ◇ラ・ピュセル

 

 

 咄嗟に身体が動いていた。泣き叫ぶたまを、僕は強く抱きしめていた。

 だって、あまりにも見ていられなかったから。

 おそらくはスイムスイムが主犯となって、それにピーキーエンジェルズも加担したのだろう。そしてたまは何も知らされず、ルーラは殺された。

 たまはただ騙されたようなものなのに。誰も恨まず、自分を責めて、自分を嵌めたはずの仲間の事を想って、泣いている。声を震わせ、痛々しいほどに拳を握り、涙を流している。

 そんなの……そんなのって……ッ。

 

「違う。違うよたま。君は何も悪くないよ……!」

 

 その涙を止めたくて、その悲しみを伝えた言葉に、だがたまは、

 

「私が悪いんだよ……。私が弱かったから、ルーラを死なせちゃって、ラ・ピュセルにも迷惑をかけちゃった」

 

 それでも、自分を責め続ける。

 

「私ね……ほんとは……ラ・ピュセルに憧れてたんだよ。私がラ・ピュセルと戦ったあの時、ラ・ピュセルは三対一なのに堂々としてて、スノーホワイトを守るために戦って……怖かったけど、格好いいって思ったの。私も、こんな風になりたいなって……」

 

 眩しい物を見るように、僕を見つめて

 

「だからラ・ピュセルと特訓できるって知った時は、嬉しかった……。怖かったけど、きっと頑張ればラ・ピュセルみたいに強くなれるかもって……大切な人を守れるようになるって…思ったん……だ……」

 

 語る声は、暗い失意に沈んでいった。

 

「でも、駄目だった……やっぱり、私なんかじゃ……」

 

 僕の腕の中で、一人の少女が泣いている。

 自信が無くて臆病だけど、心優しい魔法少女が。己が苦しみを、嘆きを、絶望を曝している。そんな彼女を、救いたいと思った。同じ魔法少女として。そのためならば

 

「たまは、弱くなんて無いよ……」

「え?」

「それに私は――僕は、たまが思っているような奴じゃない」

 

 

 僕は僕の醜い部分を、曝してもいい。

 

「僕がクラムベリーと戦った時を覚えているかい」

「う、うん……」

 

 困惑を浮かべながら頷くたまに、僕は伝える。

 

「あの時は、本当なら別に戦わなくてもよかったんだ。クラムベリーはキャンディーが目的じゃなかった。だったら断る事も逃げる事も出来たはずなんだ。なのに、僕が戦いを挑んだのは……」

 

 彼女が憧れたモノの正体を。哀れな道化の真実を。

 

「ただ、戦いたかったからなんだよ……! 守るためとか、悪を倒したかったとかじゃないんだ。ただ手に入れた力を振るいたくて、騎士というキャラクターに酔いしれたくて、僕は――僕は、いつの間にか、誰かを守るためじゃなくて、自分の為だけに戦っていたんだ……!」

 

 振り絞るように言葉を吐き出す度、憤死せんばかりの羞恥と自己嫌悪で死にたくなる。

 なんて恥知らずだ。僕は何を勘違いしていたんだ。戦闘向きとは言えない魔法少女三人を相手しただけで英雄にでもなったような気でいたのか。その結果が――

 

「クラムベリーに負けて、そのショックに押し潰されそうになって……挙句、皆に心配をかけたんだ」

 

 その時になってようやく、自分はただの魔法騎士の夢を見ていた騎士もどき(ドンキホーテ)だったと気付いたのだ。

 

「いまこうして少しは立ち直れたのだって、大事な人に助けられたからだよ。きっと僕一人じゃ今でも絶望に囚われて、潰れてた……」

 

 もしスノーホワイトが、小雪がいなければどうなっていたかは想像するまでも無い。僕は結局、一人じゃ自分の弱さにすら負けていただろう。

 

「でも、たまは違うだろ」

 

 そして僕はたまの瞳を真っ直ぐ見詰めて、伝える。。

 僕が見てきた、自分を誰よりも弱いと嘆く彼女の『強さ』を。

 

「たまは僕と同じように無力感を感じていて、でも僕とは違って一人でそれに立ち向かおうとした。大切な人を守るために弱い自分と戦った。僕はその頑張りを知ってる。その想いの強さを知ってる」

 

 そうだ。たまは誰の助けも借りず、自分一人で己の無力と戦うことを決意し、諦めずに何度でも立ち上がったんだ。

 

「だから泣かないで。諦めないでくれ。そんな君ならきっと、強くなれるから」

 

 たまは、僕の言葉をじっと聞いていた。

 ぼうっと、まるで神託を聞く巫女のように黙して、最後まで聞いてから、ぽつりと問う。

 

「わたしに、できるかな……?」

 

 僕は、はっきりと頷いた。僕の言葉が真実であることを、彼女が持つその『強さ』――僕が憧れてきた魔法少女達が持っていたものと同じ『強さ』を、知っていたから。

 

「できるよ。それにたまは弱くなんて無い。臆病で力が足りないかもしれないけど、優しくて強い心を持ってる魔法少女だ」

 

 それを聞いたたまは、その瞼をぎゅっと閉じた。果たして僕の言葉に一体何を感じたのか、僕には窺い知ることなど出来ない。だが、次に瞼を見開いた時、その瞳には決意の光が在った

 

「ラ・ピュセル。特訓、もう一度お願い」

 

 たまは、立ち上がった。

 

 

 ◇たま

 

 

 再び戻った王結寺本堂の裏。夜天を流れる雲の切れ間から降る月光の下、たまは再びラ・ピュセルと向かい合った。

 やっぱり何度やっても、緊張はする。こうしているだけで顔は強張って、肌が小さく震えてくる。でも、今度こそ失敗するわけにはいかない。ここで頑張って、強く、強くなるんだ。

 たまはラ・ピュセルへと目を向け

 

 ――豪!

 

 叩きつけられた『圧』に、気を失いそうになった。

 眼前に立つラ・ピュセル。その総身から、凄まじいばかりのプレッシャーが噴き上がっている。対峙するだけで押し潰されそうなそれに、冷や汗が流れ息が出来ず、意識すら消し飛びそうだ。

 

「うッ……あ…っ…ぁ……!」

 

 実戦経験こそ碌に無い物の、たまとて馬鹿ではない。今までラ・ピュセルが本気を出していたなどとは思っていないし、実際に手加減されているとも感じていた。

 だから今のこれは、ラ・ピュセルがほんの少しだけ本気を出しただけなのだ。

 

 なのに、こんなにも――恐ろしい。

 

 これは殺し合いを、命と命を奪い合う地獄を潜り抜けてきた者だけが放てる修羅の気だ。

 怖い。恐ろしい。足が震え、今にも崩れ落ちそうになる身体を必死に支えるけど、心そのものが折れてしまいそうだ。

 それでも、何とか耐える。耐えなくてはならない。

 ラ・ピュセルの瞳を見たから。こちらに真っ直ぐ向けるそれは、たまを信じる瞳だ。たまならばきっと大丈夫だと信じる眼差しだ。

 ラ・ピュセルはたま自身が信じられないたまの可能性を信じて、だからこそ今、本気の戦意をぶつけている。だったら、応えたい。ラ・ピュセルの、こんな自分を信じてくれた人のためにも!

 

「いくよ……ラ・ピュセル!」

 

 恐れを振り払う様に叫び、地を蹴り拳を繰り出す。

 だがそれはラ・ピュセルの肘によって防がれ、容赦無くそのまま腕をとられて地面に引き倒された。

 身体に響く硬い地面の感触と衝撃。息が詰まり痛みも少し感じるが、たまはすぐ地面に手を着き立ち上がり再び殴り掛かった。それはまた容易に防がれ、再度地面に叩きつけられる。だがそれがどうした。たまはその手に力を込めて立ち上がり、何度でも向かって行く。

 拳を振るい、防がれ、その度に倒される。一撃も加えられないまま、地面にはたまが倒れ転がされた跡だけが増えていく。

 

 そうして何度目かの激突の末、たまは再び地面に倒れ伏していた。両手両足をつき、四つん這いで荒い息を吐くたまはもはや疲労の極み。

 対してラ・ピュセルには一切の焦りも疲れも無い。ただ悠然と対峙し、油断無く拳を構えている。まるで竜と子犬の戦いだ。基礎力が違う。経験が違う。たまが勝っている点などどこにもないのではないかと思う。

 でも、

 

「だ、めだ……諦めちゃ……だめだ……ッ」

 

 たとえ視界が霞んでも、息が苦しくても、足が震えていても、立ち上がるんだ。

 

「私は……強く、なるんだ……!」

 

 死なせてしまったルーラのために。それでも守りたい仲間のために。信じてくれたラ・ピュセルのために。

 歯を食いしばり、立ち上がろうとした時――たまは、目の前の地面に刻まれた『それ』を見つけた。

 

「これ……」

 

 凝視し、ハッとラ・ピュセルの足下を見る。その地面には――あった。同じものが。

 ……でも、体力的にまともに動けるのはあと一回が限度。もしこれで失敗したら、後は無い。

 いける……かな。大丈夫……なのかな……。いや、違う。そんなのもう関係ない!

 もう失敗なんて考えるな。自分がしなくちゃいけないことだけを、考えるんだ!

 たまは力強く立ち上がり、地面を強く蹴って――跳躍した。

 

 

 ◇ラ・ピュセル

 

 

「な……!?」

 

 己めがけて飛びかかるたまに、僕は目を見開く。

 それはまるで猛犬のごとく、己が力と想いの全てを込めて敵を倒さんとするその迫力に思わず気圧されかけ、だがすぐさまを気を引き締める。

 落ち着け。たしかに今までに無い攻撃だ。文字通りの乾坤一擲。当たればきっと受けとめきれない。……でも、当たればだ。たとえどれほど勢いはあっても、空中では軌道は変えられない。大丈夫、落ち着いて体をずらせば――避けられる。

 刹那の内に判断し、実行しようと右足を動かした瞬間――その下の地面が消失した。

 

「なにっ!?」

 

 穴が開いた。そう気付いた時、すぐさままだ地を踏んでいた左足でバランスを取ろうとして――そこの地面にすら穴が開き、僕の体は完全に宙に投げ出された。

 驚愕する僕の視界に、次々と開き地を埋め尽くしていく無数の穴が映る。もはや踏みしめるべき地面など無い。小さな爪痕はたまの『すぐに穴を掘れる』魔法によって拡大し、地の全てはたまの穴に征服されていく。

 

 穴を掘った? だが何時の間に……これほどの爪痕を?

 

「――っ! そうか……!」

 

 ハッと脳裏によみがえったのは、たまが地面に倒れる何度も繰り返された光景。あの時、たまは地面に手をついて立ち上がっていた。そのたび地面に出来ていたのは――手と、『爪の痕』!

 

「はは……じゃあ、もう逃げられないな」

 

 なにせここには、この地面一面にはたまが何度も転び、そのたびに立ち上がってきた無数の努力の爪痕が刻まれているのだから。

 やられた。たまらず苦笑を浮かべた僕の視界を、たまが伸ばした拳が埋めて――

 

 

 ◇たま

 

 

 勢いよくラ・ピュセルへと飛び込んだたまは、そのまま押し倒すように二人で穴の底に落ちた。

 

「わきゃっ!?」

 

 ラ・ピュセルの体越しに感じる着地の衝撃に悲鳴を上げ、その胸に顔を埋めるたま。そんな彼女は、ラ・ピュセルの体の上で失意のため息をついてしまう。

 激突の瞬間、無我夢中で拳を繰り出したものの……当たった手ごたえは感じられなかった。もう一度やろうにも、もう限界だ。全身に疲労が重りのようについて、立ち上がる力すら残って無い。

 

「……たま」

 

 自分の不甲斐なさに泣きそうになるたまの耳に、ラ・ピュセルの声が届く。

 怒っているのだろうか。呆れているのだろうか。いずれにせよそれも仕方ないと思う。せっかく信じてくれたのに、その期待を裏切ってしまったのだ。申し訳なくて、顔を合わせることすら出来ない。

 ラ・ピュセルの胸元に顔を埋めたまま、向けられるだろう非難の言葉を待つたまの頭に、ぽんっ……と優し気な掌が乗せられた。

 

「よくやったね」

 

 そう、まるで褒める様に撫でてくる。思わぬその反応に顔を上げたたまの瞳が、見た。微笑むラ・ピュセルの顔――その頬に確かに刻まれた一筋の爪痕を。

 

「あ……わた、し……」

「うん。この通り、掠っただけだけどしっかり当てられたよ」

 

 そう頬の傷を指さして示してくれる。その光景がにわかには信じられなくて、でも確かにラ・ピュセルは褒めてくれて。

 

「ほんとに……私……出来た……の?」

「ああ。君はやれたんだよ、たま。頑張って、諦めずに立ち上がって、私に傷をつけられるくらいに強くなれたんだ」

 

 まるで自分の事のように嬉しそうに笑って、強く優しく撫でてくれて――その瞬間、私の胸が熱くなって、体の奥から言葉に出来ないものがこみ上げてきて、私は思いっきりラ・ピュセルに抱き着いた。

 

「やったーーー! あはははっ! やった! やったよラ・ピュセルーー!」

「うわっ!?」

「私、わたし……ありがとう! ラ・ピュセルのおかげだよっ!」

 

 突然抱き着かれてラ・ピュセルは目を丸くしていたけど、やがてふっと目を微笑ましげに細めて

 

「違うよ。全部たまが頑張ったからさ。たまが諦めなかったから、大切な誰かを守るために強くなろうとしたからだよ」

「ううん。そんなことないよ………きっと、ラ・ピュセルがいなかったら諦めてた。私が頑張れたのは、諦めなかったのはラ・ピュセルのおかげだよ」

「たま……」

「……だから、ありがとう。ラ・ピュセル」

 

 私はありったけの感謝を告げる。想いを伝える。

 でも言葉だけじゃとても伝えきれなくて、むしろ想いがもっともっと溢れてきて――だから、もっとその体を抱きしめることにした。

 きっとこの想いは、全身でしか伝わらないから。

 

「えへへ……ラ・ピュセル……ラ・ピュセルぅ……」

 

 綻ぶ唇で名前を紡いで。再び顔を埋める。ラ・ピュセルの胸は柔らかで、とても温かかった。

 

 

 ◇スイムスイム

 

 

 地の底の闇の中に、声が響く。

 深海にも似た光無き地下の暗黒に、微かに、遠くから、だが確かに届くそれは、ラ・ピュセルとたまの声だ。ふそれを、地の底に『潜っている』スイムスイムは一人だけの闇の中で聞いていた。

 

 どうやらラ・ピュセルとたまの特訓はうまくいったらしい。命令をきちんと果たすのはやはり騎士を名乗るだけはある。それにルーラが考えた特訓だ。うまくいかないはずがない。

 

 改めてルーラの偉大さを感じながら、じっと息を止め、耳を澄ます。潜行時間の延長と聴覚の強化を目的としたこの特訓もまたルーラから命じられたものだ。

 ルーラを殺したのはスイムスイムだが、ルーラを誰よりも尊敬――否、崇拝しているのもスイムスイムだった。それは今も変わらず、おそらくは未来永劫に不変だろう。

 これから大変なことはたくさんあるだろうけど、ルーラから教わった事を忘れず、守っていればきっと大丈夫。

 

 だから、どうか天国から見守っていてください。あなたの死は無駄にしません。頑張ります。何人殺しても何人死なせても頑張ります。私があなたになるために。

 

 




今回も読んで下さりありがとうございます。
今回もとんでもない難産でした。
たまの口調はこれでいいのかとか悩みつつ、作業で磨り減った気力を森の音楽家ならぬ山の音楽使いの歌で回復させ何とか書き上げました。ヨングミラー
そうして出来たのがこのたま攻略編です。やったーフラグが立ったよそうちゃん。実際原作でも一級フラグ建築士だしね。もう永遠に回収できないけど

今回のたまは作者の独自解釈がかなり入ってるので人によっては違和感あるかもしれませんね。でも実際たまは友達を守るためなら頑張れる子だと思うのです。原作で敵に自ら立ち向かった時はどっちも友達のためだったし。そんなたまはだからこそシリーズ最大のジャイアントキリングができたのでしょうね。作者はあのシーンが大好きです。オチも含めてね。

ではまた次回で

おまけ『岸辺颯太の孤独な戦い。その2』

色即是空空即是色。去れよ煩悩頑張れ理性。拝啓お母さん。あなたの息子がピンチです。

「えへへ~ラ・ピュセル~♪」

僕の胸で今、たまが満面の笑顔を浮かべている。
嬉しそうにしっぽを振って全身でその嬉しさを伝えてくれる。
それはいい。素晴らしいことだ。悲しみの底にいた彼女が心の底から嬉しそうに笑っているのを見ていると、魔法少女として正しいことが出来たと思える。女の子の涙を止められた事に普段の人助けとはまた違った達成感と充足感を感じる。うん本当に良かった。やっぱり女の子は笑顔が一番だ。
が、問題が一つだけある。

「ラ・ピュセル……ラ・ピュセルぅ~……(すりすり)」

たまさんちょっと抱き着きすぎじゃなかろうか!

たまは僕の首に両腕を絡ませてしな垂れかかっている。つまり、文字通りの密着状態。そしてたまは華奢な少女の肢体を、その柔らかな頬をささやかな胸をこれでもかと擦り付けてくるのだ。

ぶっちゃけ思春期真っ盛り中学生男子にはあらゆる面でキツ過ぎるってば!

赤い髪がふわりと揺れるその度に、何とも言えず良い香りが鼻をくすぐる。僕の名前を紡ぐ唇から漏れる吐息がもろに肌にかかる。
こんなに間近で女の子の身体を感じた事なんて無い僕は、もうそれだけで頭が沸騰してどうにかなりそうだ。

(おおおおおおお落ち着け僕! 平常心そう平常心だ! とりあえず目を瞑り心を無にしてって目を閉じたら余計感触に集中しちゃうじゃないか!)
「ラピュセルって柔らかくて温かいにゃ~(ふにゅんっ)」
(ふおおおおおおお!?)

たまが動くその度に、たまの決して大きいとは言えない胸は、僕の身体にふにゅんと当たってその柔らかさを伝えてきた。
正直、たまの貧乳は全魔法少女の中でもバストファイブじゃなくてベストファイブに入るスイムスイムの巨乳とは違って、微笑ましさはあっても色気なんてほとんど無いと思っていた。
ごめんねたま僕が間違っていたよ。たまの胸は小さくても凶器だ! 僕の理性を殺しにくる大量破壊兵器だ! 誰か助けて! でもスノーホワイトは来ないで!

「なんでかな……ラ・ピュセルとこうしてると、すごく心が温かくなるんだぁ……」
(僕の心はすごく追いつめられるんだけどね!)

や、やばい。これ以上続くと僕の理性がもたない。
正直たまには悪いけど、ここは男らしくきっぱり言おう。

「た、たま……ごめん。そろそろ離れ――」
「ずっと……こうしてたいにゃぁ……」
「ごめんなんでもない」

何その笑顔反則です。そんな幸せそうに呟かれたら拒絶なんてできないじゃないか! でもやっぱりピンチ! 僕の剣が大きくなっちゃうよ! もう誰でもいいからヘルプミー!

「あーー!? たまとラ・ピュセルがまたイチャついてるー!」
「またまたお姉ちゃんマジスクープ!」

お 前 ら だ け は お 断 り だ よ !

「てかうわっ。たまなんか発情してんじゃん」
「かわいそうに。ラ・ピュセルに堕とされちゃったんだね」
「文字通りの牝犬にするとかマジ野獣じゃん。ていうか淫獣?」
「これはもう事案発生だね。さっそく女騎士は淫獣だったって拡散しなきゃ!」

「やめろおおおおおおおおおおおお!」
「ふにゃ~……ラ・ピュセルぅ~……❤」

門前町の夜空に、僕の絶叫とたまの幸せそうな声が響いたのだった。



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特報!!!!

うるる「今回は本編とは別に、作者が新しく連載するまほいく新シリーズをどどーんと紹介するよ!」


「一週間で一人が脱落か……。ま、最初はわたしだろうな~。は~あ。魔法少女ライフもこれでお終いか~。……まぁ、楽しかったから悔いはないんだけどねえ」

 

 夢は、夜見るもの。

 でも、夢は《現在(いま)》だけのものではない。

 

「でも、結局半分は誰が残るのかなあ? ネタバレはあんまり好きじゃないんだけど、最後くらいは良いよね~」

 

 《未来》を見る夢も、あるのだ。

 そして、夢を支配する一人の魔法少女が

 

「――え……?」

 

 《予知夢(みらい)》を見た時――魔法仕掛けの悪夢が幕を開ける。

 

「ここは……何処だ? 僕は確か部屋のベッドで眠っていたはずじゃ……」

「どこにいるんだナナ! くそっ……無事でいてくれッ」

「返事をしろたま! スイムスイム! ピーキーエンジェルズ! くっ……何で誰もいない!」

 

 悪夢の中に次々と捕らわれていく魔法少女達。

 

「助けて……そうちゃん。いや、死にたくない……ッ!」

「雫…雫…いやああああああああああ!」

「なにが、間違ってたのかなぁ……?」

 

 過去、現在、そして未来の悪夢(ひげき)を見せ、その精神を破壊していく恐るべき世界を支配するのは――最恐無敵の魔法少女。

 

「ねむりんで~す♪」

「何故だ! なんで君がこんな事を……ッ!」

「教えないし知らない方がいいよ~。むしろ知らないまま夢の中で永遠の眠りにつくほうがラ・ピュセル達には救いだからねぇ」

 

 響き渡る悪夢の支配者の哄笑を止める事など誰にも出来ない。ただその掌の上で踊り続けるのみ。

 それでも足掻く者達に、悪夢に支配された魔法少女達が牙を剥く。

 

「くっ!……やめろスイムスイム! この私に向かって攻撃するとはなんのつもりだ!」

「私は、ルーラになる。あなたを殺して、私がルーラになるんだ」

 

「何故だスノーホワイト! それにその薙刀みたいな武器は一体……? くそっ。僕が分からないのか!」

「そうちゃんは……――様の敵なの? だったら、ごめんね。そうちゃんでも殺さなくちゃ……――様の敵は全員、この『魔法少女狩り』が狩り尽す」

 

 そして悪夢は、ついに現実すらも侵食する。

 

「おかしいですね。私は眠った覚えなどない。ここは現実のはずですが……。なぜ、世界に悪夢が現実化しているのですか?」

「起きて見る夢もあるんだよ~。ねむりん印の《白昼夢(デイドリーム)》たっぷり楽しんでねクラムベリー」

 

 

 全魔法少女対ねむりん。この戦い――絶望的。

 

 

 悪夢を終わらせる方法は、ただ一つ。

 

「夢も希望も無いんだよ。魔法少女の未来に在るのは絶望だけ。……だったら、今死んじゃったほうがマシでしょぉ?」

 

 死の絶望に墜ちた、魔法少女(ねむりん)の心を救う事!

 

「違うねむりん! たとえどんな絶望でも、最悪の未来でも、それを光に変えるのが魔法少女だ! だから僕は、君をその悪夢から救ってみせる!」

 

 全世界の運命は今、15人の魔法少女に託された。

 

「ナナが望むなら、世界なんていくらでも救ってやろう」

「私の部下を散々傷つけた報い、叩き起こしてこの偉大なるリーダーが直々に受けさせてやる」

「もう悪夢の時間は終わりだ、ねむりん。僕達が終わらせる。――魔法少女が見せていいのは、いい夢だけだからね」

 

 

 

 新シリーズ『夢救いラ・ピュセル』

 

 

 

 これは、魔法少女を悪夢から救う、ユメとキボーのマジカルファンタジー。

 

「ね、ユメもキボーもあっただろ?」

「うん……そうだねぇ。やっと……いい夢が……見れそうだなぁ……おや…す…み……」

 

 

 近日公開!

 

 

 ◇◇◇

 

 

「初体験は16P以上と決めてました!」

 

 突如、魔法少女なら誰でも口説いてしまうビョーキが発症してしまったラ・ピュセル!

 

「どうしよう……自分じゃ全然制御できないし、口説くだけじゃなくてセクハラまでしちゃうし、このままじゃ魔法少女を続けるどころかいつか刺されちゃうよっ。うわああああああ僕はどうすればいいんだあああああ!!」

「お困りのようだねラ・ピュセル!」

「きっ、君は――たま!?」

「そんな駄目駄目でゲス野郎なキミを、このたまさんが助けてあげるから五体投地で感謝してね☆」

 

 なんか性格が豹変したたまと共に、ビョーキを治すべく彼の奮闘が始まる!

 その行く手に立ちはだかるは

 

「貴女の靴を舐めさせてください!」

「ルーラの名の下に命じる。お前は死ね!」

「どっちも付き合ってください!」

「「ふざけんな!」」

 

 ビョーキのせいで次々と巻き起こるトラブルの嵐!

 

「僕が君の新しいパパになるよ!」

「チッ!」

「三年目じゃなくても浮気っていいよね!」

「いやよくねーよ!」

 

 そして修羅場につぐ修羅場!

 

「あなたは白い魔法少女に相応しくない……死んでください」

「ゴアはストライクゾーン外だけど……君の為ならゴアでもリョナでも愛してみせる!」

「ナナは渡さない。勝負だラ・ピュセル!」

「いいでしょう。私は貴女を倒して……シスターナナとまとめて3Pします!」

 

 疲弊し追い詰められた少年の心は、遂に限界を迎える。

 

「もう駄目だ。僕は一生魔法少女を口説きまくるゲス野郎のまま生きていくしかないんだ……」

 

 そんな彼を救ったのは、愛に生きた漢達の言葉だった。

 

「俺は昔、双子の子に告白したんだ。ぶっちゃけ顔もスタイルも同じだからどっちかでいいやと思って『どっちでもいいから付き合ってください』って言ったら、見事にフラれたよ」

「そんなゲスい告白したらそうなるだろ!」

「もしあの時、どっちもって言ったのならきっと今頃は姉妹丼ができたと思うんだ。いいかい岸辺君。君は俺と同じ失敗をするな。どうせ口説いてしまうならいっそ纏めて全員ゲットするんだ! 目指せハーレム!」

「いや目指しちゃ駄目でしょ!?」

「もし本当に好きな子がいるのなら、何度蹴られても拒絶されても諦めるな! スキンシップで押し通せ! 僕は華乃ちゃんにそうしてきた!」

「おまわりさんこいつです!」

「愛さえあれば年の差なんて些細なものさ。ゆえに未成年を孕ませても無問題。そう愛さえあればね!」

「愛があっても七歳差はさすがにロリコンでしょ!」

 

 そして少年は決意する。たとえビョーキだとしても、口説いた以上最後まで貫き通すと。

 

「私の愛は殺しの愛。強者を愛する事と殺すことはもはや同義。私を愛するというのなら、あなたはこの飢えを満たしてくれるのですか?」

「もちろんだとも。僕の総てを以て君の飢えと孤独を癒してあげる。さあ、二人で愛のメロディーを奏でよう!」

 

 勃発するラブコメイベントと乱立するフラグの果て

 

「「「「結局誰を彼女にするのよ(するのですか)(するんだよ)!」」」」」

 

 果たして女の敵となってしまったラ・ピュセルの明日はどっちだ!

 

 

 

 新シリーズ『モテモテな僕は魔法少女を救っちゃうんだぜ(泣)』

 

 

 

「そうちゃん……浮気ダメ・ゼッタイだよ?」

「ま、待ってスノーホワイト! 消火器はっ、消火器はやめっ――」

 

 

 そのうち公開!

 

 

 ◇◇◇

 

 

「君たちには、アイドルをしてもらうぽん!」

 

 突如告げられた魔法少女を半分に減らすという事実。その方法は――

 

「アイドル活動をして、観客を楽しませれば楽しませるほどキャンディーがもらえるぽん。そして週に一度、一番キャンディーの少なかったアイドルには『引退』してもらうぽん」

 

 そして、美しくも苛烈なる魔法少女(アイドル)達の戦いが始まる!

 

「ねむりんのライブに来てくれてありがと~。一緒に夢のような時間を楽しもうね~。じゃあ歌うよぉ――『おやすみパラレル』♪」

 

 笑顔を振りまき心を癒し

 

「おいおいリップル~。せっかくのライブなんだから笑おうぜ。俺たちはアイドルなんだからさ」

「チッ。男に媚を売るとか絶対嫌」

「媚びって………ま、これもリップルらしくていいか。……んじゃ、いっちょアクセル全開で行くぜ! 俺たちの歌を聞けえええ!――『DESTRUCTION』!」

 

 声を張り上げ熱狂させ

 

「ああっ、私たちの歌を聞くためにこんなにも人が集まってくださるなんて」

「それだけナナが魅力的だという事だよ」

「あら、ウィンタープリズンが素敵だからかもしれませんよ?」

「いや、君の方がだよ」

「いいえ、あなたの方がですよ」

「ふっ……これじゃ日が暮れちゃうね」

「くすっ……そうですね。ではそろそろファンの皆様に聴かせてあげましょう。私達の愛を――『purest』」

 

 その愛で魅了するアイドル達。

 だが、アイドルとは決して美しいだけのものではなかった。

 

「ザッケンナコラー! 誰の許可をとってここでライブしてんだアァ! ここは今からメアリ姐御達のライブ会場なんじゃスッゾオラー!」

「チッ――イヤーー!」

「グワーー!?」

 

 ヤの付く自由業を使った他アイドルからの妨害!

 そして炸裂する文●砲!

 

「そうちゃん大変! ラ・ピュセルが実は男だって週刊誌にばれちゃった!」

「な、なんだってーー!?」

「そしたらなぜか男性ファンが爆発的に増えちゃったの!」

「いやなんでだよ!?」

 

 激化するバッシング合戦。勃発するファン同士の抗争。もはや誰も止められぬアイドル対決は、遂に命を賭けたライブバトルに!

 

「何か勘違いをしてませんか?人知を超えた力を持つアイドル同士が戦うのですよ。生きるか死ぬかになるのは当然でしょう?」

「違う……僕は、こんなことがしたくてアイドルになったんじゃない!」

「あなたには幻滅しました。死んでください――『孤独な森のメロディー』」

「うわああああああああああ!? こ、ゆき……(ガクッ)」

「そうちゃあああああん!!」

 

 パートナーを喪い、心が折れたアイドル。絶望の中で宣言された活動休止。それでも、ファンは信じ続ける。

 

「この街にアイドルなんていない! わたしは、もう、なにも、したくない!」

「この街にアイドルはまだいます」

「もういないよ。アイドルはもういなくなった」

「いいえ。います。」

 

 もう一度、ステージに立ってくれることを。

 

「あなたがいれば……私を助けてくれたあなたがいれば……この街からアイドルはいなくならない」

 

 あの歌声を聴かせてくれることを。

 

「あなたがもう一度歌ってくれるその時まで、私が代わりに歌い(たたかい)ます。どうか聴いていて下さい。あなたに捧げる、私の(うた)を――『forget me Not』」

 

 どんな悲しみと絶望にも負けず、強く美しく戦うことを!

 

「スイムスイム。トップスピードの仇……とらせてもらうぞ!」

「それは無理。トップスピードのいないソロのあなたは、私には勝てない」

「たしかに、トップスピードはもういない……でも――」

 

『何書いてるの……?』

『ん? ああ。リップルの曲だよ』

『私の……? 別にいらないのに』

『そう言うなよ。アイドルならソロ曲の一つも持ってなきゃだろ。……俺にもし何かあっても、リップル一人でやっていけるようにさ』

 

「トップスピードの遺してくれた『想い(うた)』がある!」

 

 傷ついて、喪って、泣き出しそうになっても、歌い続ける。

 アイドル達よ。想いを込めて、夢を燃やし、魂を震わせ、力の限り――

 

 

「『 叫 べ 』!」

 

 

 新シリーズ『魔法アイドル育成計画』

 

 

「どんなに苦しくて、泣き出しそうになっても、それでも笑顔で歌わなくちゃいけないんだ。聴いてくれる全ての人を笑顔にするために。それが、アイドルだから。――だからクラムベリー、私はあなたなんかに負けない。歌を殺しの道具にするあなたにだけは、負けちゃいけないの!」

「ふふっ。その覚悟だけは大したものですね。……いいでしょう。では敬意を表して――新曲で殺してあげます」

「アイドルの夢とファンの夢、二つの夢が合わさって出来る究極のハーモニー――聴かせてあげる」

 

「『森のボーイミーツガール』!」

「『 ユ メ ト ユ メ 』!」

 

 ――それでも私は、夢を歌う。

 

 

 いつかは公開!

 




ハッピーエイプリルフール。
うるるの嫌いなエイプリルフール。皆さんどうお過ごしでしょうか?
世の中にはエイプリルフールだからとこれ幸いと嘘をつく輩もいるらしいので、くれぐれも騙されないよう注意しましょうね。

本編はただ今執筆中ですのでしばしお待ちください。

おまけ キャラ公開

◆殺る気になったねむりん

ねむりんが殺る気になった状態。具体的にはエルム街の大先輩くらいには殺る気に溢れている。
予知夢と過去夢を使う事であらゆる時間軸上の出来事を見ることが可能。またそれを他者に見せることもできる。スノホワに対しては未来における彼女の最悪の記憶を見せ続けることで洗脳した。
白昼夢によって現実世界への干渉も可能に。夢の世界ほどの力は出せないものの、それでも長い時間をかければ現実世界を完全に夢の中と同じようにすることができる。

◆たまさん

たまの鈍くささとタマのポンコツぷりが合わさった究極生命体。

◆師匠

ラ・ピュセルの仇を討つため、力を求めるスノーホワイトが修行のために籠ったつくば山の山頂で出会った謎のおっさん。後にスノーホワイトは彼によってテクノの道に目覚める。


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鳩田亜子の秘密

今回はオリキャラが登場するぽん。でもってそうちゃんのモテ力が性別の壁を突破するぽん。つまりホモォが苦手な人は注意するぽん。




 ◇岸辺颯太

 

 

 たまとの特訓を終えた翌日、自室で迎えた二日目の朝はあいにくの曇り空だった。

 窓から差す朝の光を浴びながら、僕はベッドから身を起こして体の調子を確かめる。

 ……うん。昨日はまだクラムベリーとの戦いで受けたダメージによる痛みと疲労が節々に残っていたけれど、今はそれもほとんど無い。無論万全とはいえないが、これなら細かい動きや逆に激しい立ち回り――そして魔法少女相手の戦闘も十分にこなせるだろう。

 

「いよいよ明日か……」

 

 スイムスイムが返事を待つといった三日間。最後となる明日がタイムリミットだ。明日の夜、僕はスイムスイムの仲間になるか否かを問われる。もちろん、仲間になるつもりなんてない。スイムスイムは目的のためなら手段を選ばない。手を組めばきっとろくでもない事をやらされるだろう。……それこそ、誰かを殺すことを。

 

 それはスノーホワイトの相棒として、清く正しい魔法少女であるためには決して選んではならない選択肢。越えてはならない最後の一線だ。……なによりも、僕が剣を捧げるのはスノーホワイトだけだから。

 

 だからそれまでにマジカルフォンを奪い、スノーホワイトが僕のために稼いでくれているというマジカルキャンディーを受け取らなくてはならない。

 そのためには、まず

 

「どうにかして、マジカルフォンがどこにあるかを突き止めないとな」

 

 残り時間は少ない。だからこそ、今日中に切っ掛けだけでも掴むんだ。僕が生きて、あの子の隣に戻るために。

 決意を新たに、僕はベッドから立ち上がった。

 

 

 ◇◇◇

 

 

 制服に着替えてから簡単な朝食を済ませ、家を出る。

 そうしていつも通りの通学路をいつも通りに歩く。以前ならば退屈に感じたこんな時間でも、魔法少女の時間が殺伐としてしまった今となっては心休まる貴重な一時だ。

 

 周りには、同じように中学校へ向かう生徒達がいる。男子は友人と肩を並べて他愛もない話題で盛り上がり、その隣では女子達が姦しく笑い合っている。

 

「あれは……」

 

 そんな思い思いの登校風景を過ごす生徒達の中に、ふと見覚えのある華奢な背中を見つけた。

 

「亜子ちゃん」

 

 声をかけてその隣に並ぶと、物静かな雰囲気の少女――一年の鳩田亜子ちゃんは驚いたようにほんの僅かに目を見開いた後、ぺこりとお辞儀した。

 

「おはようございます。岸辺先輩」

 

 うん、相変わらず礼儀正しい子だ。親御さんの教育が良かったのかそれとも性格か、たぶ

 んどちらもだろうな。

 

「うん。おはよう。……ごめん、いきなり声をかけたから驚かせちゃったね」

 

 そんな後輩の微笑ましい姿に苦笑しつつ謝ると、

 

「いえ、誰かに声を掛けられるとは思っていなかっただけなので……。気にしないでください」

 

 亜子ちゃんはそう返して、そのまま僕らは一緒に歩き出した。

 中学までの道を、昨日と同じように二人並んで歩く。口数の少ない亜子ちゃんと僕の間には相変わらずあまり会話は無かったけれど、それは気まずい沈黙ではなく、きっと彼女の持つ雰囲気がそう思わせるのだろう、静かに寄り添うような穏やかな心地だった。

 ふと亜子ちゃんは、灰色がかった瞳に僅かに疑問の色を浮かべる。

 

「先輩は、いつもこの時間に?」

「え?」

「今まで、登校中に姿を見かけた事が無かったので」

 

 ああ、そういうことか。

 

「いつもは部活の朝練があるからもう少し早く登校するけど、今は休んでるからね」

「朝練……。運動部なんですね」

「サッカー部だよ。放課後はいつもグラウンドで練習してるんだけど……見た事無いかな?」

「学校が終わったら、すぐに帰っているので」

 

 なるほど。僕達には見事に時間的な接点が無いようだ。

 

「部活してないんだ」

「はい。今は、それよりもやらなければならない事があるので……」

 

 そう語る彼女の声には、静かだが強い想いが込められている。

 それがどういう物かは窺い知ることは出来ない。でも、必ず成し遂げようという決意は伝わってきた。

 

 やっぱり、どこか小雪に似てるな……。

 一見して大人しいのに、時にはハッとするような意志の強さを見せる所とか。

 そういえば、背丈も同じくらいだ。幼げな顔立ちから何となく小雪より低そうに感じていたけれど、並んでみればちょうど小雪の頭がくる高さに亜子ちゃんの頭がある。

 

 それは亜子ちゃんが歩く度にひょこひょこと上下して、つられてどこか日本人形を思わせる黒髪もふわりと揺れる。……撫でてみたいな。

 ハッ!?――危ない危ない。微笑まし過ぎて理性が揺らぎ危うくセクハラをする所だった。

 

「あ……」

 

 ふと、亜子ちゃんが立ち止まった。

 一瞬すわ煩悩がばれたのかと冷や汗をかいたが、その瞳は僕ではなく道路を挟んだ向かいの歩道の方を向いている。つられて僕もその視線の先を見ると、そこには一組の男女がいた。

 

 横断歩道の手前で自転車に跨ったまま立ち止まっている二十代半ばくらいの気真面目そうな眼鏡の男性と、その傍らで彼にお弁当が入っているのだろう包みを手渡す大学生くらいの快活そうな女性。一瞬兄妹かなと思ったけど、二人の雰囲気で違うと知る。甘くこそばゆくて、そして遠くから見ていても互いを想い合っていると分かる二人の優しい笑顔は、愛し合う男女の顏だ。

 おそらく、お弁当を忘れて出勤した旦那を追いかけてきた幼妻という所か。仲睦まじいその姿に、つい口から羨望の溜息が漏れてしまう。

 

 いいな……あれ……。

 僕もいつか、小雪とあんな風に愛妻弁当を手渡しで……あれ? なんだ? いつかどこかでスノーホワイトに変身した小雪に同じような事をされた気がするぞ? たしかあれは……うぅ……上手く思い出せない。でもたしかに僕は……普段のスノーホワイトよりあざと可愛くて胸もお尻もちょっと増量してる、正に僕の理想のスノーホワイトとイチャイチャして――

 

『 そ う ち ゃ ん ? 』

 

「ひいっ!?」

「!? ど、どうしました岸辺先輩?」

「い、いや、なんでもないよ……は、はは……」

 

な、何だ今のは……。なんだかわからないけれど……でも、これ以上思い出すのはやめよう……うん。

 

 突然悲鳴を上げた僕に驚いてビクッとした亜子ちゃんに、引き攣った笑みを返し誤魔化すも、脳裏には不意に浮かんだ狩人の如き無表情で業務用消火器を振り上げるスノーホワイトのイメージが恐怖と共に刻まれていた。

  気を取り直し、僕は仲睦まじい二人の姿をじっと見つめる亜子ちゃんの横顔に目をやった。

 

「亜子ちゃんも、やっぱりああいうのに憧れるの……?」

「はい……」

 

 眩しい物を見る様に僅かに細めたその瞳は、深い羨望と憧憬、そしてけして手の届かないもう喪われた何かを見るような、そんな色に染まっている。

 何故そんな瞳をするのか。その瞳の奥に在る心を窺い知ることは出来ない。でも僕は、それがひどく哀し気に思えて

 

「え」

 

 ふいに亜子ちゃんの目と口が僅かに見開かれた。何事かとその眼差しが向かう先を見れば――

 

「え」

 

 夫婦がキスしていた。

 キスしていた。

 人目もはばからず奥さんの方から大胆に、すがすがしいほど堂々と――ってえええええええ!!

 いや、えっ!? 何してんの何やっちゃってんの!? 今は朝だよ。そして公衆の面前だよ! 周りには通学通勤途中の人がたくさんいるし、ああほら傍でランドセル背負った女の子もじっと見てるじゃんなのになに二人の世界を作ってるのさ! 

 

 突然のキスシーンに顏と頭が火照って思考がまとまらない。というか人生で一番性に多感な中学生の前でやる事じゃないよね。見てるこっちが恥ずかしいよ!

 堪らず顔を逸らせば、全く同じタイミングで同じように顔を逸らした亜子ちゃんと目が合う。互いの眼差しが、紅潮した頬、そして相手の唇へと自然と目がいって

 

「「――ッ!!」」

 

 二人、顔を真っ赤にして逆方向に顔を逸らせてしまった。

 

「「…………」」

 

 面はゆいような、何とも言い難い沈黙が下りる。

 暫く二人、火照る顔で無言で立ち尽くしていたけど

 

「行こっか……」

「はい……」

 

 僕がぽつりと促し、亜子ちゃんが小さく頷いて、僕らは再び歩き出した。

 でも今度は、互いに目を合わせること無く黙々と。湧き上がる恥ずかしさを押し殺すように。

 やがて前方に中学校の正門が見えてくる。そこを抜けた先で僕らは別れ、それぞれの教室に向かう事になった。別れ際、亜子ちゃんはふと僕の顔を円らな瞳でじっと見て

 

「顔色、良くなりましたね……」

 

 その表情に微かな安堵を浮かべた。

 

「良かったです……。元気になって」

 

 それは小さな、でも温かな微笑。

 昨日までの精神的に追い詰められていた僕の事を案じてくれていたんだろう。まだ友達とも言えない知り合ったばかりの関係なのに、それでも心配してくれて、そして僕が少しは立ち直れた事を喜んでくれる。

 ……うん、やっぱり優しい子だ。

 

「亜子ちゃんのおかげだよ」

 

 僕は微笑みを返して、絶望に押しつぶされかけていた僕に最初に元気をくれた子に感謝を伝えた。

 

 

 この時、僕は気付かなかった。

 二人で微笑を交わし合う僕らを見詰める、歪んだ眼差しがある事を。

 亜子ちゃんが、この優しい子が、その小さな背中に何を背負っているのかを。

 僕は気付けなかった。

 この日の昼休み、あの屋上に行くその時までは――

 

 

 ◇◇◇

 

 

 昼休みのチャイムが鳴り、購買でパンを買った後、僕は屋上へと向かった。

 朝に亜子ちゃんの蕾の様な唇を見つめてしまって気恥ずかしい思いをさせてしまったのを改めて謝りたかったというのもあるけれど、亜子ちゃんと一緒に昼食をとるのは穏やかで心和む一時だった。生きるか死ぬかの殺伐とした現状の中、もう一度あの雰囲気を味わい癒されたかったから、僕は足を進め屋上への階段を上る。

 そして扉に手を掛け、開こうとした時

 

「いい気になってんじゃねーぞ!」

 

 苛立ち交じりの怒声とフェンスに何かが当たって軋む音が響いた。

 不穏なそれに何事かと扉を開け、僕が目にしたのは

 

「そんなつもりは……」

「はあっ!? 岸辺先輩の前でヘラヘラ笑ってたくせに何言ってんのよ! 誤魔化してんじゃねーっての!」

「……ごめんなさい。不快に思われたのなら、謝ります……」

「オメーに謝られてもキモいだけなんだよ!」

「謝れば済むとか思ってんの? あたしらナメてんの?」

「そんなことは……」

「その態度がナメてるって言ってんだよ!」

 

 三人の女子に囲まれるようにして、屋上のフェンスに背中を押し付ける亜子ちゃんの姿だった。

 亜子ちゃんと同じ一年らしき女子たちは、皆一様に苛立ちと嘲りを込めた眼差しを向け口々に罵倒している。それを一身に受ける亜子ちゃんは口ごたえも逃げ出すこともせず、ただただ浴びせられる悪意に対して申し訳なさそうに目を伏せてじっと耐えていた。

 

「何してるんだ!!」

 

 それを見た瞬間、僕は声を張り上げていた。

 鋭く響くそれに、亜子ちゃんと女生徒達はハッと顔を向けてきて、駆け寄る僕に気が付いた。

 険しい表情を浮かべる僕の姿に、女生徒のうち二人は舌打ちして気まずそうに黙り込む。だが残る子一人、おそらくはリーダー格だろう着崩した制服と派手な髪留めが印象的な女生徒だけは、悪びれることなく余裕の笑みを浮かべ

 

「べっつに~アタシ達はただみんなで楽しくおしゃべりしてただけですよ~」

「おしゃべりって……そんなわけないだろ! 今のはどう見ても――」

「だよね~鳩田?」

 

 怒りを滲ませる僕の言葉になど構わず、髪留めの子は亜子ちゃんに笑いながら問い掛ける。吊り上がった唇、甘い毒の様な猫なで声、その表情だけは笑顔の形をしているが、だがその悪意を湛えた瞳だけは笑っていなかった。

 そして獲物をいたぶる悪猫を思わせるその眼差しを向けられた亜子ちゃんは、

 

「……はい。そうです……」

 

 小さく、頷いた。

 

「なっ……!? 何を言ってるんだ亜子ちゃん!?」

 

 想いもよらぬその返答。思わず困惑する僕に、髪留めの子は

 

「ま、そういう訳なんで。アタシらはこれで失礼しますね~」

 

 ヘラヘラと笑って、屋上の扉へと歩き出す。二人の取り巻きもそれに続き、扉に手を掛けた時――髪留めの子はふいに振り返り、僕へと粘つくような眼差しを向けた。

 

「……あ、そうだ岸辺先輩。よかったら今度一緒にお茶しません? アタシこれでも岸辺先輩のファンなんですよ~」

 

 僕は答えず、ただ険しい眼差しを向ける。

 だが彼女はまったく意に介す事無く「フラれちった」と軽く舌を出し、開いた扉の向こうへと去っていった。

 最後までヘラヘラと、悪びれる事も謝る事も無く。

 何故だ。何でそんな顔をしていられる。亜子ちゃんを罵倒して、罵って、悪意をぶつけておきながら――ッ。

 体の奥底からふつふつと、言い様の無い怒りが湧き上がる。

 ふざけるな。我慢できない。僕は追いかけようと一歩を踏み出し

 

「いいんです」

 

 制服の袖を掴む小さな手と声に、引き止められた。

 

「ッでも――」

 

 振り返り、その腕を振り解こうとして――出来なかった。

 僕を引き止める亜子ちゃんの顔が

 

「いいんです……。ぜんぶ――」

 

 あまりにも、儚く哀し気だったから。

 あれほどの仕打ちを受けておきながら、その表情に怒りも憎悪も無く。ただ底知れぬ諦念と絶望に沈むその顔は、まるで

 

「ぜんぶ、私が悪いのですから」

 

 見えざる十字架を背負う、罪人のようだった。

 

 

 ◇◇◇

 

 

 結局、僕は何も出来なかった。

 亜子ちゃんの手を振り払う事も、あの女子達を糾弾することも出来ずに、ただ哀しげな瞳に見つめられるままに足を止め、立ち尽くすしかなかった。

 それからは重苦しい沈黙の中、一言も発する事無く無言で昼食を摂り、それが終わった後に亜子ちゃんは何処かへと去っていった。

 去り際に申し訳なさそうに一礼して、屋上の扉の向こうに消えるその背中を、僕はただ見送るのみ。どう声をかけるべきか、そもそも声をかけていいものかも分からずに。誰もいなくなった屋上に一人、立ち尽くしていた。

 

 それから午後の授業を受けたけど、先生が話す言葉も黒板の文字もほとんど頭に入らなかった。脳裏にこびり付いた亜子ちゃんと女子達の姿に、怒りと困惑とやるせない無力感が渦巻いて気分を陰鬱にさせたから。

 結局内容が碌に頭に入る事無く、僕はそのまま放課後を迎えた。

 チャイムが鳴り、一日の授業を終えた事からの解放感に自然と賑やかになるクラスメイト達から逃れる様に、鞄を手に教室から出る。

 皮肉にも昨日と同じように足取りは重く、廊下を歩く僕の背に――その時、張りのある声が掛けられた。

 

「よう岸辺」

 

 親し気に僕の名を呼ぶその声に振り向くと、

 

「部長……」

 

 体格の良い精悍な男子生徒――僕の所属するサッカー部の部長が爽やかな笑みを浮かべていた。

 

「あ……すいません。今日もその、部活をやれなくて」

 

 サッカーはチーム競技、そして僕は一時期、溢れる煩悩を解消するため地獄の様な自主練打ち込んだ甲斐あってレギュラーに選ばれている。それがやむをえない事とはいえ長期にわたって部活を休むのはチーム全体にとって紛れも無いマイナスだ。

 迷惑をかけてしまっている申し訳なさに、副部長に向かって頭を下げると

 

「気にするなよ。体調が悪いって奴を無理に参加させられるか。それにお前は頑張りすぎるくらいに頑張ってたから、少し休むくらい丁度いいだろ」

 

 そう、爽やかに笑って許してくれた。

 

「だから岸辺は気にせず体を休めてろ。なに、もしそれで文句を言う奴がいたら、部長権限で地獄の特訓をさせて岸辺の代わりを務めてもらうさ」

 

 ……相変わらず、凄い人だ。

 この部長は県内でもトップクラスの実力を持ち、だけど威張ることも無く後輩にも補欠メンバーにも分け隔てなく気さくに接してくれる、優れたリーダーシップと天性のカリスマでチームを強豪に押し上げた人だ。

 加えて学業優秀でスポーティなイケメンだから当然女子にもモテモテ。校内どころか他校の女子からもひっきりなしに告白されているらしい。

 

 なのに何故か今だに彼女がいないらしい。謎だ。告白は全部断っているそうだけど、他に好きな人でもいるのかな?

 不可解さに内心首を傾げていると、部長はふと僕の顔を見て眉を寄せた。

 

「顔色が悪いな? そんなに体調が悪いのか?」

 

 その心配げな声に、僕は「そんな事は無いですよ」と返そうと思った。思っていた。でも、僕の唇から実際に洩れたのは違うものだった。

 

「ちょっと、気になる事があって……」

 

 聞いて欲しかったのかもしれない。吐き出したかったのかもしれない。誰でもいいから僕のこの胸の中に渦巻く、どうしようもない感情を。

 

「知り合いの後輩の子が、絡まれているのを見たんです……」

 

 思い出すあの光景、あの瞳。何も出来なかった後悔を滲ませながら、僕は亜子ちゃんの名前を伏せた上で、屋上での出来事をぽつりぽつりと話した。それを聞いた部長は表情を硬くし、考え込むように暫し黙した後、静かに口を開いた。

 

「それ、鳩田か?」

 

 思わず部長を見る。その顔は気難し気に眉根を寄せていた。

 

「知ってるんですか?」

「直接の知り合いじゃないが、噂だけは聞いてるよ」

「噂……?」

 

 語られた不穏な言葉。それがどういう物かはわからない。けど、嫌な予感がする。

 まるで開けてはならないパンドラの箱を開けるような。おぞましい何かが埋められた墓穴を覗き込むような、そんな不安に苛まれながら問い掛ける僕に、だが部長は

 

「そうか……。いや、知らないならいい。軽々しく言っていいことじゃないからな」

 

 答えず

 

「鳩田は今、ある理由からクラスで敬遠され腫物の様に扱われているらしい」

 

 かわりに僕の瞳をその強い眼差して貫いて、言った。

 

「お前、鳩田とは距離を置いた方がいいぞ」

「なッ――!?」

 

 一瞬、頭が真っ白になった。そして思考を取り戻した時、理不尽すぎるその台詞に敬うべき先輩という事も忘れて思わず怒鳴りつけようとして――寸でで止めた。

 そう語った部長の瞳に在ったのは、悪意では無く、他者を気遣い諭そうとする意志だったから。

 

「鳩田が敬遠される理由は彼女に非がある訳じゃない。時間がたてば、無くなりはしないだろうがある程度は沈静化するだろうな」

 

 

 それは……よかった。

 でも、亜子ちゃんに絡んでいた子はとても遠巻きにしているという風ではなかった。むしろ自ら進んで何も抵抗しない亜子ちゃん罵倒し迫害していたような……――ッ!!

 

 そう、考えた瞬間。

 ようやく至った一つの答えに、僕は全身に氷水を浴びたような悪寒に襲われた。

 

「それが今悪化したのは……」

 

 そんな。まさか……信じたくない。嘘だと思いたい。……けど、僕の唇は震えながら、その答えを紡ぐ。

 

「……僕が、会っていたから?」

 

 部長は、頷いた。

 

「気に入らなかった奴らが目を付けたんだろうな」

 

 頭を見えない鈍器で殴られたような気がした。全身から力が抜け、地面が揺らぐ。暫し平衡感覚を失った僕は、壁に背中を着けて寄りかかり、ともすれば崩れ落ちる体を何とか抑える。

 

『はあっ!? 岸辺先輩の前でヘラヘラ笑ってたくせに何言ってんのよ! 誤魔化してんじゃねーっての!』

 

 脳裏に蘇るのは、屋上で聞いた女子達の罵倒。

 僕と亜子ちゃんが一緒に登校していたのは、同じく登校中だった沢山の生徒達に見られてる。別に隠していたわけではないし、隠さなければいけないとも思わなかった。けど、それがあの女子達の怒りを買っていたらしい。

 

「でも、なんで僕なんかで……?」

 

 そこまで分かっていても、腑に落ちない。

 僕は魔法少女に変身できること以外はごく平凡な男子中学生だ。女の子から告白された事だってほとんど無いし、バレンタインデーに貰うのも女子からの義理チョコよりむしろ同じ男からの友チョコが圧倒的に多かった。

 

『最近では同性への友チョコが流行っているんだぜ』とクラス中の男子から渡されたけど、あれはきっと新手の嫌がらせだったに違いない。お返しにホワイトデーに手作りチョコを渡したら全員号泣していた。

 

中にはたぶん怒りのあまりか突然獣のような叫び声をあげて僕を押し倒そうとしてきた奴もいたけど、すぐに周りの男子達に取り押さえられ事無きを得た。あの時はさすがにやりすぎたかなと反省したものだ。

 

 閑話休題。

 困惑している僕に、部長はまるで出来の悪い生徒を持った教師の様にやれやれと肩をすくめ

 

「お前自身は気付いてないだろうがな……」

 

 僕の顏のすぐ横の壁に右手をドンと叩きつけ、突然の行動に目を丸くする僕にその顔を近づけた。逃れる間もなく残る左手に顎を軽くつかまれ、そのままクイッと上げられて、僕より頭ひとつ分背の高い部長の目線に合わせられる。

 そして鼻と鼻が触れあいそうな、それこそ部長の熱い吐息のかかる距離で

 

 

 

「お前を狙ってる奴――結構いるんだぜ」

 

 

 

 見た事が無いような雄の瞳で、囁かれた。

 

 …………え?

 いや、なに………これ?

 

「ぶちょ…う……?」

 

 訳が分からない。いきなりの事態についていけない頭はパニックになって、思考が千々に乱れ四肢は硬直する。そんな僕に構わず、部長はその唇をぽかんと半開きになった僕のそれにゆっくりと近づけてきて――ってうわああああ!? 近い近い近い止めてとめて!? このままじゃホントにくっついちゃ……嗚呼……さよなら僕の初めて……。

 

そして二人の唇が触れ合う、寸前――部長はひょいと体を離した。

 

「だから下手に関わり続ければ更に悪化することになりかねん。鳩田の事を思うなら、悪い事は言わんから距離を置くんだな」

 

 僕から離れた後、そんなまるで何も無かったかのような態度でそう言ってから、部長は踵を返し背を向ける。

 

「……お前のせいじゃねえよ。気に病むな」

 

 最後にそう言って、部長はいつの間にやら出来ていたギャラリー達を押しのけるようにして去っていった。

 その背中を、僕は暫し呆然と見送る。廊下はそんな僕たちのやり取りを見て顔を真っ赤にした女子達と、何故か血の涙を流し慟哭する男子達で埋め尽くされていた。

 そして次の瞬間、男子達は獣の如き声を上げて「許さねえ!」「よくも俺達のそうちゃんを!」「ぶっ殺してやる!」と目を血走らせ部長が去っていった方向に突撃していった。

 

「はっ……!? もしかして部長……」

 

 その光景に、僕はようやく部長の考えを悟る。

 

「亜子ちゃんの代わりに、自分が嫉妬される対象になろうとして……!」

 

 何てことだ。……そして、僕はなんて情けないんだ。

 部長は、たとえ自分が嫌われる事になろうとも僕と亜子ちゃんのためにその身を顧みず行動している。

 なのに、僕は何もできない。してはいけないんだ。

 僕が亜子ちゃんに関わる、それこそが亜子ちゃんを傷つける事になってしまうのだから。

 

 哀しい程に優しくて、そして絶望に捕らわれるあの子を助ける事の出来ない苦しみに苛まれながら、僕はどうする事も出来なかった。

 魔法少女ラ・ピュセルではなく、ただの人間の岸辺颯太である僕には。

 

 

 ◇リップル

 

 

 そして、夜が来る。

 生と死が交わる、魔法少女の時間が。

 

 

「……チッ」

 

 夕日が沈み、夜闇に染まりゆく名深市の空に不機嫌そうな舌打ちが響いた。

 それを鳴らした者、ビキニを思わせる露出度の高い忍び装束を纏う忍者――魔法少女リップルは、相棒であるつばの広い尖がり帽子にマント姿という魔女の様な魔法少女――トップスピードと共に箒に乗りながら、不機嫌さを隠そうともせずに呟く。

 

「今日もボランティア?」

 

 そんな相棒に、トップスピードは大きな三つ編みを風に靡かせながら苦笑した。

 

「そう不機嫌そうにすんなよ。人助けは魔法少女の仕事だろ?」

「昨日は道路標識の撤去。おとといは放置自転車の移動。その前は不法投棄されたゴミを纏めてゴミ捨て場へ……。魔法少女というよりむしろ市役所の仕事を手伝ってる気分なんだけど」

「ギクッ!?……な、なーに言ってんだよリップルさん。市役所と魔法少女、同じ人助けをする者同士なんだから仕事内容が重なるなんて良くある事だろ~……それにあいつの仕事が減れば、帰りも早くなってそのぶん夫婦の時間が増えるし……」

「なにブツブツ言ってるの?」

「なっ、なんでもねーよ!?」

 

 刀の如き鋭い瞳でジトーっと見つめてくるリップルに引き攣った笑みでそう言って、トップスピードは何かを誤魔化すように固有アイテムである魔法の箒『ラピッドスワロー』のスピードを上げた。

 

「つー訳でさっさと仕事にとりかかろうぜ! 今日は悪ガキに剥がされた選挙ポスターの貼り直しだ!」

「それは明らかに役所の仕事だろ!」

「どっこいポスターはもう用意してあるんだな!」

「なんでそんな物を持っている!?」

 

 じゃじゃーんと相棒がマントの内側から取り出した選挙ポスターの束からは、脂ぎったおっさんが怒鳴るリップルに政治家スマイルを向けている。もし自分に選挙権があってもこいつには絶対に投票しない事をリップルは誓った。

 

「細かい事は気にすんな! じゃ、一気に行っくぜーー!!」

 

 リップルの次なる怒鳴り声はラピッドスワローが更にスピードアップした事で風を切る音にかき消される。

 

「……チッ」

 

 何だかどっと疲れた。

 キャンディー集め前だというのに余計な疲労感を感じながら盛大に舌打ちするリップル。その瞳が、ふと眼下の街並み――ビルの屋上から屋上を人ならざる跳躍力で移動する人影を捉えた。

 

「あれは……」

 

 

 ◇ラ・ピュセル

 

 

 たとえどれほど悩みに捕らわれ苦しもうとも、時間は止められない。

 だからこそ、やらなければならない事があるのならば、それをあえて一時は胸の内にしまい込んででも、強引に気を引き締めて立ち向かわなければならないのだ。

 

 そして僕は今夜も、魔法騎士ラ・ピュセルとなってスイム達の待つ王結寺にやって来た。

 本堂の扉の前に立ち、それを開く前に深く息を吸い、ゆっくりと吐く。全ての雑念を吐き出すように、身の内に渦巻く憂鬱を抑え込むように。

精神を研ぎ澄ませ、心を落ち着ける。

切り替えるんだ。未熟な中学生男子から、高潔な女騎士へと。

 

「……よし」

 

 そして静かにそれを終えた僕は、扉を開き中に入った。

 瞬間、

 

「ラ・ピュセル~~!」

 

 まるで主人の帰りを待つ子犬の様に床にちょこんと座ってソワソワしていたたまが、僕の姿を見るとパッと顔を輝かせ飛びついてきた。

 

「うわっと!?」

 

 昨日までオドオドしていたたまのアグレッシブすぎる姿に驚きつつ、僕はたまを胸元で受け止める。

 たまは僕の腰に手を回し、胸の谷間に柔らな両頬をぴったりと着け尻尾をフリフリと振りながら

 

「こんばんはラ・ピュセル。いつ来るかずっと待ってたにゃ」

 

 嬉しくてたまらないといった満面の笑顔で僕の顔を見上げた。

 そんなたまの姿に、ユナエルとミナエル――ピーキーエンジェルズがいつもの如く宙に浮きながら揃って呆れた眼差しを向けていた。

 

「あの遅刻魔のたまがアタシたちより先に来てるとかマジ驚いたわ」

「発情期のワンコが行動的になるって本当だったんだねお姉ちゃん」

「むしろあの甘えっぷりはニャンコだけど」

「キャラ振れまくりやね」

「そしてもし二人の間に子供が出来たら犬と猫とドラゴンが合わさったクリーチャーが生まれるんだよ」

「お姉ちゃんそれマジキメラ」

 

 相も変わらず好き勝手言っている。

 口の悪い性悪天使たちに文句の一つも言ってやりたいところだが、その前にこの無防備に抱き着いて全身を擦り付けてくるワンコをどうにかしなければ。いくら精神的ショックが抑制される魔法少女とは言え女の子と密着するのは流石にドキドキするよ。

 

「たま……」

 

 困ったように眉を下げ、苦笑しつつ声をかけると

 

「あ……っ。ご、ごめんねっ。私、つい嬉しくて……わにゃっ!?」

 

 たまは慌てて謝り僕から体を離して、そのままバランスを崩し尻もちをついた。

「いたた……」と呟くたまの姿勢はいわゆるM字開脚で……たまのコスチュームがスカートでなくて本当に良かった。

 内心安堵しつつ。たまに手を差し伸べ立たせてあげる。

 

「あ、ありがとう」

 

その手をとったたまは、ちょっと恥ずかしそうに顔を赤らめ

 

「……やっぱりラ・ピュセルはやさしいにゃ」

 

 そうお礼を言った後、再び声を弾ませた。

 

「ねえねえラ・ピュセル。今日はどんな特訓をするの?」

「今日、か……」

 

 考え込むそぶりを見せつつ、僕はさりげなく堂内を見渡す。

 柱の陰、床の端、そして四隅、それらに注意深く目をやるも、やはりマジカルフォンが隠してありそうな箱や壺などは見当たらない。

 勿論簡単にわかる場所になどあるはずはないだろうが、タイムリミット前日である今日は何としてもその場所だけでも突き止めなければならない。

 だから今日は、なるべくならその捜索のために使いたい。しかし、それはたまと一緒では出来ない相談だ。……ワクワクと期待の眼差しを向けてくれるたまには悪いけど、ここはどうにか言いくるめて――

 

 

 

「――駄目。今夜の特訓は私としてもらう」

 

 

 

 大気を静かに揺らす、凪いだ水面のような声が、動こうとしていた僕の唇を止めた。

 思わずその声の主へと目を向ければ、一段高い上座の中心、この王結寺の魔法少女全てを統べる者の位置に立つ少女の瞳とぶつかった。

 何度見ても底知れぬ、澄んではいるがどこか茫洋としたその瞳の主――白いスクール水着の魔法少女スイムスイムは、立ち尽くす僕を見詰め、再び淡い唇を開く。

 

「今夜は、私としよう。ラ・ピュセル」

 

 僕をこの状況に追い込み、そして今この瞬間も僕の命を握っている、ある意味ではあのクラムベリーと同じ諸悪の根源たる少女の言葉には、応じる以外の選択肢などあるはずが無かった。

 

 

 




お読みいただきありがとうございます。
レーテ様最高と叫ぶオスク派とプク様万歳と讃えるプク派のファン同士の争いを高みの見物するカスパ派の作者です。ラツム様はいいぞぉ……。

解説の前にまずはお礼から。
読者様のおかげで評価バーに色が付きました。こんなほぼ原作レイプ設定捻じ曲げまくりの地雷だらけの作品を評価して頂きありがとうございます。みんな優しいなあ。これからも読者の皆様に楽しんでいただけるよう頑張りますね。

さて、今回出したオリキャラの『部長』氏ですが、原作には地の文でしか登場しないながらも薄い本やエロSSや例のキャラスレでは大抵そうちゃんの竿役を務めておられる方です。
やっぱりそうちゃんを主役にするなら彼に出てもらわないとという事で登場させました。今作の彼の性格は爽やかなホモですが、他の方々が描く『部長』も鬼畜あり純愛ありと様々な性格で描かれているのでそれらと比べてみるのも面白いのかもしれませんね。

あともしかしたら、この作品はそうちゃん生存ルートの考察作品と思われているかもしれませんが、捏造設定過去改変ありきのストーリーなので『考察』ではなくあくまで完全に単なる『妄想』作品です。そこのところはくれぐれも注意してくださいね。

ではまた次回で


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番外編・おまけ三連発

今回はおまけのみの三本立てだぽん。
本当は前回に載せるつもりだったけど文字数がとんでもない事になりそうだったのでまとめて一話で投稿する事にしたぽん。

警告!

一・二話は変態成分増し増しの常人ならまずドン引き確定エピソードぽん。心の綺麗な人とキャラ崩壊が許せない人は絶対に見ないでほしいぽん。

三話は嘘予告『魔法アイドル育成計画』の続編だぽん。仕込んだネタを見破った優秀な馬の骨に捧げるエピソードなので完全に馬の骨向けぽん。
馬の骨? なにそれ? という穢れ無き一般人は回れ右するぽん。



おまけ1『そうちゃん女の子チェック』

 

 

王結寺の中は、魔法少女達の困惑に包まれていた。

辛くも森の音楽家クラムベリーからラ・ピュセルを奪取する事に成功したスイムチームだったが、いま彼女たちの表情にあるのは達成感よりも困惑の色だった。

その原因は、スイムチームに囲まれるように床に横たわり、意識を失ったままのラ・ピュセル――であるはずの少年である。

 

「えーと……この子が、ラ・ピュセルなの?」

「うん。状況的に間違いない」

 

大きな瞳にありありと困惑を浮かべるユナエルに、ただ一人いつもと変わらぬ無表情のままのスイムスイムはこくりと頷く。だが、他のメンバー達はやはり今だに信じられないとばかりに颯太の顔をまじまじと見た。

 

「いや、でもどう見たって男じゃん?」

「男っぽい女かもしれない」

「んな馬鹿な」

「だったら確かめてみればいい」

「確かめる?」

 

首を傾げるユナエルにスイムスイムは再度頷き、そして颯太の傍らに跪くとその胸元に手を這わせた。

 

「ん……っ」

 

細くたおやかな指先が布越しに触れた時、眠る颯太が僅かに声を漏らす。

 

「おっぱいが無い。やっぱり男だ」

 

さわさわすりすりと撫でまわす。

 

「ぅあ……んっ……あぁっ……っ」

 

柔らかな指が躍るその度に、颯太の身体は僅かに震え唇から火照った吐息が漏れた。

 

「いやなにいきなりセクハラしてんのさ」

「? 女の子ならおっぱいがあるはずだから」

「いやいやだからっていきなり胸を触るとかないわー。だいたい乳の薄い女かもしれないじゃん。というかその理屈はもしかしてあたし達に喧嘩売ってるの?」

 

自分のぺったんとスイムのボインを恨めし気に見比べるユナエル。

一方、スイムはぽんと手を叩き。

 

「たしかに。ユナエルは頭がいい」

「いや別にこれくらいで褒められても」

「じゃあ、どうすれば男の子だって確かめられるのかな?」

 

その呟きに答えたのは、静かな、だが異様な迫力のある声だった。

 

「――脱がせば、いいよ」

 

瞳をギラギラと輝かせる、その声の主は

 

「お姉ちゃん?」

 

今まで見たことのないような姉の表情に困惑するユナエル。

だがミナエルはそんな妹に構わず、真っ赤に血走った瞳で妙に荒い息づかいのまま提案する。

 

「直接脱がして確かめようよぉ。素っ裸にすれば一発で分かるからさぁ……」

 

ハァ……ハァ……。

何故かその時、ユナエルには姉が処女の血に飢えた吸血鬼に見えた。

 

「そう裸に……ハァ…ハァ…ショタの全裸(じゅるり)❤」

 

その瞬間、刹那よりも早く姉を羽交い絞めにした。

 

「放せえええええ!? あたしはショタが好きなんだ! この子がショタだからちくしょう!」

「スイム今すぐ丸太でぶん殴って! このままじゃお姉ちゃんがマジ犯罪者になるから!」

「ナイスアイディア。ミナエルも頭がいい(がしっ)」

「んぁあっ……(ビクッ❤)!?」

「ズボンに手をかけるなああああああああ!?」

 

結局、ズボンを完全に下す直前に颯太が目覚めかけたことで性別検査は中止となり、颯太の貞操は間一髪で守られたのだった。

 

 

◇◇◇

 

 

おまけ2『岸辺颯太が女の子になった日』

 

 

 

「理想の『女の子』に僕はなる!」

 

その日、岸辺颯太は女の子になる事を決意した。

 

 

 

 

 

肉体的でも精神的な物でもなく、立ち振る舞い的な意味で。

全ての始まりは、彼が魔法少女ラ・ピュセルになってからしばらく経った頃、レクチャー役である先輩魔法少女シスターナナに言われたある一言だった。

 

「ラ・ピュセルってまるで男の方みたいですね」

 

それまで露出度の高い修道服のナイスバディなお姉さんというけしからん見た目の彼女に笑顔で手を握られ、内心ドキドキしていたラ・ピュセルの真っ赤な顔はその瞬間一気に蒼白になった。

 

「あっ、いえ、別に悪い意味ではないですよ。ただ、立ち振る舞いがきびきびとして男の方みたいだったので……」

 

完全に盲点だった。背筋が凍り、冷や汗がダラダラと流れる。突如硬直した自分を気遣うシスターナナの声もひどく遠くから聞こえるように思えて「私はそれも凛々しくて素敵だと思いますよ」というセリフも碌に頭に入らない。それから彼女と別れて半ば呆然と家に帰った後、ラ・ピュセルから岸辺颯太に戻った彼は己の考えの甘さを恥じた。猛省した。

 

いくら見た目が女でも、立ち振る舞いが男のままだったら違和感をもたれるのは当たり前じゃないかっ。僕の正体が男であると絶対にバレる訳にはいかないのに……ッ。

もしバレたら、まず間違いなく変態扱いされる。そして最悪、魔法少女界隈からも村八分にされて念願の魔法少女ライフは生き地獄に……ッ。そんなの絶対に嫌だ!

 

だったら、身に着けるしかない。

清く正しい女の子の立ち振る舞いを!

 

こうして、男のプライドをかなぐり捨てた颯太の『理想の女の子』になるための特訓が始まった。

 

まず本やインターネットで女形や女装家の事を調べ、彼らがいかにして男の身で女の艶やかさを表現しているのかを学ぶ。そして家の外ではセクハラと思われないよう冷や冷やしながらも周囲の女性たちの仕草を密かに観察するなど、とにかく思いつく限りあらゆる手段を試し『女の子』になるべく努力した。

恥ずかしさで顔から火が出そうになりながらも「これはもっと女の子になるため女の子になるためだから僕は変態じゃない変態じゃないんだ」と己に言い聞かせつつネット通販で購入した女性用下着を穿いた時などは、可愛らしい下着姿の自分を鏡で見、男として大事な何かを失った事を感じ静かに涙を流した。ちなみに下着はすぐに処分した。一瞬躊躇った事なんて無かった。無かったのだ。

 

かくして色々な物を犠牲にしつつ、それでも一心不乱に特訓を続けたある日のこと……。

颯太のクラスメイトが教室で雑談していると、ふと一人がこんな事を言い出した。

 

「なあ、岸辺ってたまにすげえ色っぽくね?」

「え……っ。いや何言ってのお前。もしやホモか?」

「いやホモじゃねえよ!? ……ただ岸辺ってさ。時たまだけどふとした仕草に色っぽさが出るというか……。おもわずドキッとするというか……」

「いやもうそれアウトだろ。男の色気でドキッとする時点でもう駄目だわ。ホモ確定だわ」

「だから違うって!? それに岸辺のこう……男の色気というか女の色っぽさでよ」

「やべえ。ヤベェよお前……ッ。男に女の色気を感じるとかガチじゃねえか……ッ。あ、それ以上俺に近づいたら尻の貞操を守るためにぶん殴るからな」

「俺はホモじゃねーーーーー!!」

 

 

必死の努力の結果、颯太は徐々に女の子の立ち振る舞いを身につけていった。

 

「よしっ、だんだん女の子らしくなってきたぞぉ。……でもまだだ。人間よりずっと鋭い魔法少女の目を誤魔化すには、もっと鍛えなきゃな!」

 

……だが、彼は気付かなかった。あまりに真剣に取り組みすぎた結果、普段の生活でもふとした時に身に付けた女の子の仕草が出てしまっている事を。

 

そして数日後

 

「やべえ、俺もホモかもしれない」

「え、いきなりどうしたよお前?」

「俺岸辺と同じサッカー部じゃん。そんで昨日も部活で一緒に練習してたんだけどよ」

「ほうほう」

「練習中さ、ちょっと足がもつれて顔面から地面に転んだんだよ」

「うっわダセえ」

「うっせ。まあそこまでならただのドジで終わってたんだがよ。俺さ、倒れるとき咄嗟に何かにつかまろうとして腕を伸ばしたんだよ」

「まあ普通はそうするよな」

「でさ、掴んじまったんだよ。――たまたま前にいた岸辺の運動着の半ズボンを」

「え?」

「いやわざとじゃねえよ! マジで偶然が重なった不幸な結果、俺はそのまま岸辺の半ズボンを下ろしちまったんだ。しかも下着ごと」

「いや何してんだよお前!?」

「だから不幸な事故だって!! そして本当の問題はその後だ……。倒れたまま俺がヤベッて思いながら顔を上げたら、ぽかんとしてる岸辺と目が合ったんだよ。俺も岸辺もしばらく呆然としてたんだけど、そのうちようやく我に返った岸辺がやけに可愛い悲鳴を上げて素っ裸になった股間を隠した。童顔を真っ赤にして涙目でよ。俺はすぐに立ち上がって謝らなきゃと思ったさ。でも、できなかった……勃っちまってたんだよ。岸辺は男なのに、女じゃないと分かっていたのに俺……勃ってたんだ」

「…………」

「だから勃って起てない俺の代わりに誰か来て岸辺を慰めてやってくれと願ったけど、誰も助けに入らなかった。……みんな前屈みになってたんだよ。あげく岸辺が急いでズボン履き直した後も岸辺の痴態が頭から離れなくて、結局その後は岸辺以外全員部活が終わるまで前かがみでサッカーしたんだ」

「…………」

「はは、ざまあねえなぁ……お前をホモだって罵っておきながら、自分がホモに目覚めるなんてよ。嗤え。嗤ってくれよ……」

「嗤うかよ……嗤えるわけねえだろ……ッ」

「え……?」

「だって俺達は岸辺を――いや、同じそうちゃんを愛する同志じゃねえか!」

「お、おまえ……ッ」

「「「そうだ! お前は一人じゃないぞ!」」」

「クラスの全男子まで!?」

「「「俺達もお前と同じ、悩み、苦しんでそして真実の愛に目覚めたんだ! 一緒に貫こうぜ! この熱く燃えるそうちゃん愛を!」」」

「うお前らあああああああああ(号泣)!」

 

男たちは、熱く固く抱き合った。

愛が彼らを一つにした。もうなにも怖くない。もう悩み苦しむことはないのだ。

彼らの厚い胸板の中は、そうちゃん愛で満たされていたから。

 

 

それからしばらく経って。

 

「我が名はラ・ピュセル。清く正しい魔法少女にして、高潔なる魔法騎士だ! ――……決まった……ッ。これが、これこそが凛々しさと女の子らしさを兼ね備えた、完璧な魔法『少女』だ!」

 

颯太は、完全に女の子の立ち振る舞いをマスターした。

シスターナナに紹介された新たな魔法少女、ヴェス・ウィンタープリズンとの初顔合わせでも違和感をもたれることなく最後まで怪しまれずにやり過ごせた。

これでもう心配ない。色んなものを失って、恥ずかしさで何度も死にそうになってきたけど、僕はやり遂げたんだ!

 

颯太は達成感に舞い上がった。清々しい気分だった。

もはや何も悩みは無い。後は全力で、理想の魔法少女の道を極めるだけだ。

かくして颯太は、後にスノーホワイトと再会して死のゲームが開始されるまでの間、凛々しく美しい女騎士として平和な時間を過ごしたのだった。……時折、何故かクラス中の男子からの視線をお尻に感じる事があったけど。 

 

 

◇◇◇

 

 

おまけ3『魔法アイドル育成計画最終回』

 

 

名深市一のアイドルを決めるためのライブイベント『ムジカマギカ』。

その決勝のステージに立ったのは、戦闘狂アイドル《森の音楽家クラムベリー》と、つくば帰りの復讐鬼アイドル《スノーホワイト》。

魔法アイドルの頂点をかけた二人の対決は、圧倒的な技術と歌唱力を持つクラムベリーに軍配が上がった。

 

「きゃあっ!? ……くっ……つ、強すぎる……ッ」

 

傷付きボロボロとなった衣装でステージ上に倒れるスノーホワイト。その姿を、いっそ絶望的といえるほどのアイドルオーラを放つクラムベリーが無慈悲な瞳で見下ろす。

 

「なかなか楽しませていただきましたが……それもここまでですね」

 

手強かった獲物への敬意と殺戮の喜悦を滲ませる、血に飢えた赤き瞳。

圧すらも伴う眼差しに貫かれながら、満身創痍となったスノーホワイトは死を覚悟した。

 

「ごめんね……そうちゃん」

 

その心にまず浮かぶのは、絶望よりも深い、盟友への想い。

たとえ命に代えても仇をとると誓ったのに、それを成せず死に逝く事への申し訳なさ。

そして

 

「不甲斐無い弟子でごめんなさい……師匠」

 

かつての未熟な自分を鍛え、導いてくれた恩師。

あの人のおかげで、自分は成長し力を手に入れることが出来た。ソロでも活動できるほどのアイドルになれた。

なのに、その全てが無駄になってしまう。

何も成せず、誓いすら果たせずに、私は――

 

「――では、お別れです。せいぜいあの世でラ・ピュセルと負け犬どうし仲良く過ごしてくださいね」

 

徐々に暗くなっていく視界に、クラムベリーの嘲笑うような手向けの言葉が響く。

ああ、もう駄目だ……。せめて最期に、もう一度……聴きたかったな。

今まさに死に逝かんとする絶望の中、魔法少女は想った。願った。――夢を、見た。

 

もう一度、師匠の……うた……を……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「窮地の少女よ。私を呼びたまえ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――そして、夢は叶う。

 

スノーホワイトは、確かに聴いた。

それは、かつて最愛の盟友を殺され復讐の力を手に入れるためにつくば山に籠った彼女が、その山頂で聴いた声。

それは、復讐心のあまり己を顧みず無茶な特訓をして倒れ、寝込んでしまった彼女に高品位粗食を振る舞ってくれた声。

それは、迷える彼女を導きアイドルとしての高みに昇らせた、だがフォロワーを起こそうとしていた時いきなり何者かに背後から鈍器で殴られた日を最後に彼女の前から姿を消し、二度と会えないと思っていた者の――声!

 

再び目を見開いたスノーホワイトは、見た。

ライブという名の戦場と化したステージに悠然と立つ、一人の男の姿を。

 

 

 

「東京の師匠です」

 

 

 

「師匠!?」

「違います」

「その萌えるツンデレぷり……間違い無く師匠!」

 

ああ、師匠だ。本当に師匠だ。

深遠なる叡智を有する大学教授か、真理を探求する哲学者を思わせる無表情。ここではないどこか、遥かなるナーシサス次元の彼方を見つめているかのようなその瞳。

最後に見たあの頃のまま何も変わらない、私の師匠だ!

 

ただ静かに佇むだけでも、師匠は凄まじい存在感を放っている。常人ならば触れただけで圧倒され人ならざる馬の骨となってしまうだろうそれを前にして、だがクラムベリーは微笑んだ。

美しくも猛々しい、凶獣の如き笑みで。

 

「なかなかの強者の気配を感じますね。誰かは知りませんが……邪魔をするというのなら容赦はしませんよ」

 

一方、彼女の邪悪なる相棒――管理者用端末から自身の立体映像を投影する電子妖精ファブはおかしくて堪らないとばかりに嘲笑った。

 

「あーっはっはっは! 馬鹿な奴ぽん。魔法アイドルでもないただの人間如きがファブ達に勝てるとでも――」

「管理者用端末の拡張スロットにルーラを刺し込む(グサッ☆)」

「ぽおおおおおおおおおんッッッ!?」

 

ファブ。爆発四散。

薙刀タイプの魔法武器――ルーラを手に、磁場を縫って走り八百万の谷越えて端末を破壊した師匠は、今だ倒れたままのスノーホワイトへと目をやる。

その瞳は、不甲斐ない弟子を嘲るでもなく、叱責するでもなく、ただ静かなる大宇宙の如き眼差しで――導いた。

 

「苦難の弟子よ。私に続きたまえ」

「――っ! はいっ!」

 

そして、スノーホワイトは立ち上がる。

満身創痍のまま、ぼろぼろの衣装で。だが確かに身の内より溢れる力と、希望を感じながら。

 

「いくよクラムベリー。師匠と一緒なら、絶対に負けない!」

 

誰よりも尊敬し憧れる人の隣に並び、倒すべき者へと燃える瞳を向けて――師匠と弟子は、その曲の名を叫んだ!

 

 

 

「「『夢見る魔法少女』!」」

 

 

 

それは、師匠の代表曲をスノーホワイトがアレンジした曲。師弟が紡いだ絆の顕現。

すぐさま自分も代表曲を歌い迎え撃たんとしたクラムベリーは、すぐさま己が耳を疑った。

 

「なっ、何ですかこの曲は……!?」

 

それは、荘厳にして混沌なる音の奔流。

エレキギターに似ているがそれとは異なる奇妙な楽器を持つ二人の弾ける指先が紡ぐ旋律は、未来的でありながら同時に原始の荒々しさをもって空間を蹂躙する電子音。

いかなる型にはまらず、否、それを破壊し新たな型を創造するかの如きそれは、クラムベリーの知るいかなる音楽とも異なり、その全てを超越した音楽。

 

「これが、テクノだ!」

 

ぶつかり合う二曲が、師弟とクラムベリーの間でせめぎ合う。

大気が震え紫電を散らし、時には暴風となってステージ上を荒れ狂う。

乱舞するオーロラ。鳴り響くLOVESONG。人知を超えたそのライブはもはや誰にも止められない。

 

魔法アイドルのライブバトルとは、アイドルどうしが同時に曲を歌い、最後まで歌い切った方が勝者となる戦いだ。

アイドル達は己がアイドルオーラと歌唱力で相手を圧倒し、魔力を乗せることで物理的破壊力を得た歌声で叩きのめす事で歌えなくする。

クラムベリーは類まれなるオーラと歌唱力を持ち、くわえて自身の『音を操る』魔法によって相手の曲に巧みに不協和音を混ぜてリズムを崩しパフォーマンスがボロボロとなった所を一気に叩き潰すやり方で、あらゆるアイドル達を蹂躙してきた。

だが今、圧倒されそのリズムを崩されつつあるのは

 

「馬鹿なっ!? この私がリズムを乱されるなんて!」

 

何故だ!?

この二人はどれほど曲中に不協和音をぶつけても一切乱れず、むしろ不協和音であるはずのそれすらも取り込んで新たなリズムの一つとして昇華する。

何故だ。何故そんな芸当が出来る!? 緻密な計算? 音楽的センス? いや違う。これは、この男の音楽はそんなマトモなものではない!!

 

理解を超える存在に、困惑し混乱するクラムベリー。

そんな彼女に対して、師弟は答える。

ニューロン、倫理テノール、そしてジャス〇ックという恐るべき大敵達との戦いの果てに到達した――己が《音楽》の真髄を!

 

「リズムもへったくれもありゃしない、乗れるもんなら乗ってみてください。私たちは今日はケダモノです。何も考えておりません」

「本当に大切なのは、技術でもセンスでもない。この胸の中で熱く燃えて、溢れるこの《想い》なの。アイドルが夢を見て、ファンを魅せ続けながら叫ぶことなの! クラムベリー、これが本当の――アイドルの歌よ!」

 

音が躍る。声が弾ける。乱舞する旋律が、スノーホワイトの夢が紡いだ曲が、その師匠に導かれライブ会場を満たし――爆発した。

炸裂する閃光。押し寄せる衝撃波。天井を突き破り空に見事なキノコの雲。

物理的破壊力を伴う魔法アイドルの歌は凄まじく、幾万もの音を消し――クラムベリーの歌をも掻き消した。

 

「本当の…ッ…アイドルの歌? そんな物にこの私が、この私の音楽がッ――うあああああああああ!?」

 

やがて、旋律が止む。歌が吐息となる。ライブが、終わる。

曲が終了した時、二人の前には膝をつくクラムベリーの姿が在った。

傷つき、気力どころか体力すらも尽きかけた身で、だがその瞳だけは今だ爛々と戦意を燃やしている。

 

「くっ……まだ、まだです……ッ。私はまだ死んでいない……まだ戦えますッ!」

 

震える唇で言葉を紡ぐたびに血を吐いて、それでも死のない男の如く立ち上がろうとするその姿に、師匠は

 

「やかましい!」

「なっ!? 貴方は私には戦う価値すらないと言うのですか!」

「アンコールはやらないとゆっただろう! かえれー!!! 解散だ!」

 

無表情で叱責する師匠を、クラムベリーはしばし呆然と眺めていたが、やがて屈辱に耐えるようにその唇を咬みながらゆらりと立ち上がった。

 

「帰れー! ばかもの!」

「……わかりました。ここは退きましょう。――ですが必ず、あなたを殺せる曲を作り戻ってきます。その時、ここで私を逃した事を後悔しなさい!」

「お帰りはあちらです」

 

師匠の言葉を背に、修羅の瞳で雪辱を誓いクラムベリーは去っていった。

かくして激しいアイドル同士の戦いは終わり、ステージ上にはその勝者――魔法アイドル《スノーホワイト》と、その師匠だけが残された。

 

「ありがとうございます師匠。あなたのおかげで勝つことが……そうちゃんの仇をとることが出来ました」

 

ようやく悲願を果たせた。

感謝と、そして再び出会えたことの喜びを金色の瞳に涙をためて伝えるスノーホワイト。

そんな弟子の姿を師匠は変わらぬ無表情で一瞥した後、すっと踵を返し背を向けた。

 

「じゃな」

 

短く別れを告げ、去っていくその背中をスノーホワイトの叫びが引き留めようとする。

 

「待ってください! 私には、もっと師匠から学ばなければならない事が――」

 

 

 

「師匠というのは分かりにくくて不親切で憎たらしいんだ。あんたが期待している男じゃない。さあ、回れ右!」

 

 

 

振り返らず、その歩みを止める事無く、師匠は去っていく。

最後まで、己が背中だけを見せて。

 

「……分かりました」

 

去りゆくその背中を――ただ、己が道を征く男の背を見詰めながら、弟子は己が腕で目元を強く擦り、流れ落ちようとしていた物を拭った。

これ以上、師匠に不甲斐ない姿をさらさないために。

 

「……いつまでも師匠に頼ってばかりでは、一人前になれませんよね」

 

腕を離し、再び開いたその瞳に、もう涙は無かった。

どんなに辛くて、苦しくて、泣き出しそうになっても、夢のために戦い続ける――それはアイドルの瞳だ。

 

師匠の背が遠くなっていく。

もう、二度と会えないかもしれない。

けど――

 

湧き上がり溢れ出そうとする全ての激情を抑え、スノーホワイトは――笑った。

絶望の闇をもその輝きで消し去る太陽光(ソーラ・レイ)のような、アイドルの笑顔で。

去りゆく師匠に、誓った。

 

 

 

「私、最高のアイドルになります!」

 

 

 

ここに今、一人の少女が真にアイドルとなった。

修羅道の如きアイドル業界に足を踏み入れた彼女の前に待つのは、荒波絶えぬ嵐の海かもしれない。

だが、それでも彼女は決してその歩みを止めず、歩き続ける。

流行に流されず、権威に媚びること無く、己が征くと決めた道を。

かつて己を導いた――あの背中と同じように。

 

 

 

――それでもアイドルは、夢を見る。

 



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朧月夜の魔法少女達(前編)

この物語は基本作者の趣味とノリで出来ているけど、バトルでは特にそれが爆発するぽん。そうちゃんが主役だから原作のマジカル忍法帳ノリではなく少年漫画のノリでバトルをお送りするぽん。ある意味一番原作レイプなのがバトルシーンなので、原作遵守派の人は見ないでほしいぽん。それでもいいという読者様だけお楽しみくださいぽん。


 私が最初に《夢》を見た時のことを、私は今でも覚えている。

 

「お姫様。きれい……」

 

 きっと大人になっても、おばあちゃんになって天国へ行くその瞬間にも、忘れない。

 

「おかあさん。私、お姫様になりたい」

 

 僕が最初に《夢》を見た時のことを、僕は今でも覚えている。

 

「魔法少女ってかっこいいなぁ……」

 

 きっと大人になっても、お爺さんになって寿命を迎えるその瞬間にも、忘れない。

 

「こゆき、ぼく大人になったら魔法少女になるよ。こゆきといっしょに、キューティーヒーラーみたいにふたりで魔法少女になろう」

 

 僕は忘れない。あの胸の高鳴りを。

 私は忘れない。あの湧き上がる興奮を。

 だからこそ――

 

 

「うん、わたしもそうちゃんといっしょに魔法少女をしたいよ。……でもね、そうちゃん――」

 

「そうね。綾名は可愛いから、きっと大人になったらお姫様みたいに素敵な女の子になれるわ。……でもね、綾名――」

 

 

 

 忘れられない。《夢》を見たその瞬間、それを打ち砕かれた絶望を。

 

 

 ◇岸辺颯太

 

 

 僕が初めてスイムスイムという魔法少女に出逢ったのは、僕が人助けのためにルーラ達の担当地区である門前町にやむを得ず入ってしまった時だった。

 当然の如く僕は見つかり、お叱りを受けた。そして目を吊り上げて僕を叱りつけるルーラの傍らで、彼女は静かに佇んでいたのだ。

 自らの縄張りを侵された怒りをあらわにする主とは対照的に、氷の彫像の如く佇むスイムスイム。その澄んだ赤紫の瞳には怒りも嫌悪も無い。ぼうっとして、凪いだ水面の様なそれで、ただじっとルーラを見つめていた。

 

 不思議な少女だと思った。

 何を考えているのか分からない。何を想うのかも知りえない。その水面の底にある心を、僕には決して覗かせない。

 くわえて大人びた容姿なのにどこか雰囲気が幼くて、女の艶やかさと幼女の無垢さが混在するかのようなアンバランスさが在る。

 そんな彼女から、僕は目を離せなかった。どうしようもなく、引きつけられたのだ。

 その不思議な眼差しに、浮世離れした佇まいに、そして何よりも彼女の豊満な――いや、やめよう。今は目の前の現実に集中するんだ。

 僕が二番目に印象に残ったその瞳でこちらを見詰めている、スイムスイムに。

 

 涼やかな夜風に吹かれて流れる雲が月にかかる朧月夜、王結寺の石畳の上で、魔法少女ラ・ピュセルに変身した僕とスイムスイムは距離を取り対峙していた。

 

『今夜は、私と組み手をして』

 

 数刻前、突然の命令に困惑する僕にスイムスイムはそう言った。

 

『組み手を? でも、君の魔法なら……』

『うん。私の『どんなものにでも潜れる』魔法なら誰にも負けない。けど、それで倒せるわけでもない』

『……たしかに。防御としては最強だけど、直接的な攻撃力は無いな』

『敵を倒すには私自身の力が必要。だから、私はもっと経験を積んで鍛えなくちゃいけない。確実に攻撃を当てて、絶対に倒せるように』

 

 その静かな瞳に、だが今度は明確な意志の色を宿して。

 

『――そのためにラ・ピュセル、私の特訓相手になって』

 

 かくして今、僕はスイムスイムに向かい合っている。

 強者を前にする緊張を感じながら。肌が粟立つ、その殺気を浴びて。

 スイムスイムの総身からじわりと立ち昇るそれは、僕が今まで浴びてきたそのどれとも異なる殺気だ。クラムベリーが全てを蹂躙する荒れ狂う嵐ならば、スイムスイムは底無し沼。荒れず暴れず、ただ相手を静かに呑み込み、沈めて殺す底の無い深淵。

 

 初めて戦った時はただ無我夢中だったから気付かなかった。けど、今ならわかる。

 こいつは異質だ。具体的に何がとは言えないけど、僕がこれまで出会ってきたどのタイプとも異なる、何かが決定的に『外れた』存在だ。

 そんな彼女は、緊張を孕む眼差しを向ける僕に対して、常と変わらぬ茫洋として捉え所の無い瞳のままその唇を開いた。

 敵と対峙する緊張も、戦いへの高揚も無く、ただただ淡々と

 

「今夜の特訓は実戦形式でやる。けど、私は武器を使わない」

 

 不可解なその言葉に、僕は思わず少し離れた場所で遠巻きに見物している三人に目をやる。

 そわそわと心配そうに僕を見詰るたま。大してニヤニヤと気楽に笑い合いながら見物しているユナエルと、そしてミナエル。

『生き物以外の好きなものに変身できる』ミナエルならば、複雑な造りの銃器は無理でもシンプルな刀剣くらいになら変身できるだろう。固有アイテムの無いスイムスイムもそれを装備すれば、僕と斬り合えるだろうに。

 

「それは構わないけど……いいのか?」

 

 その真意が読めず問いかけると、スイムスイムは

 

「間違って殺したら大変だから」

「――ッ!?」

 

 あっけらかんと、言った。無造作に、嘲りも侮りも無く、ただ当然の事実を言っただけという……口調で…ッ。

 

「でも、ラ・ピュセルは剣を使っていい。どのみち、私を傷つける事は出来ないから」

 

 カチンと、頭の中で音が鳴った。

 体の奥がふつふつと煮え滾っていく。

 クラムベリーとの戦いで僕は自分の力の無さを知った。だからこそ、戦いにおいては決して冷静さを失ってはならないと思う。思っている。……けど、これは駄目だ。ここまで言われてハイそうですかと従えるほど、僕は大人じゃない。

 

「……いいや。私も素手でやらせてもらおう」

「いいの?」

 

 小さく首をかしげるスイムスイムに、言ってやる。

 プライドを傷つけられた怒りと、

 

「私は騎士だ。実戦ならばいざ知らず、丸腰の相手に剣を向ける気はない。それに――」

 

 僕を見くびった、その事を必ず後悔させてやるという、意思を込めて。

 

「私もまた、勝てないまでも負けるつもりはないからな」

 

 対峙するスイムスイムを力を込めた眼差しで見据え、堂々と言った僕を、スイムスイムはやはり茫洋とした瞳でしばし眺めていた。

 やがてその淡い唇が、開く。

 

「わかった。じゃあ……」

 

 空気が、変わる。

 引き絞られた弓の如く張り詰め、刃の如く鋭く肌を突き刺すように。

 静かに、だが確かに高まる緊張感。それを感じながら、僕は精神を研ぎ澄ませ、全ての神経を目の前の敵に集中させる。目で耳で肌でその全ての動きを感じ取るべく。拳を握り腰を落とす、片足を引き、身体は僅かに前傾姿勢に。そして地を踏みしめる足に力を込めて、開戦の時を待つ。

 

 対するスイムスイムは、何もしない。

 変わらぬ表情。薄い月明かりの中で白く佇むその肢体に緊張は無く、たおやかな細腕はだらりと下がり、いかなる構えもとっていない。どこまでも自然体で、今まさに戦いに臨む者とは思えないほどに冷たく、静かだ。だが、その瞳は確かに僕を捉えていた。ぼうとして感情の読めぬそれが、水底から獲物を狙う鮫の如く僕を捉えて逃さない。それはまさしく、狩人の瞳だった。

 僕とスイムスイム、二人の身体から人を超えた魔法少女の闘気が溢れ、この場に満ちていく。

 嵐の前を思わせる静寂の中、唯一響くは見守るたまが緊張に耐えかね固唾を飲む音。

 空気が変わる――戦いの空気へと。

 そして彼女の唇が――今夜の戦い、僕とスイムスイムの二度目の対決の始まりを告げた。

 

 

 

「――やろう。ラ・ピュセル」

 

 

 

 瞬間、僕は全ての力を前に出した軸足に込め――地を蹴った。

 踏み込んだ足裏が地面を砕き、この身は一陣の風となる。

 加速する風景。大気を貫き一蹴りでスイムスイムの懐に入った僕は、その胴体目掛け拳を放った。

 確かに、物理攻撃しかできない僕はスイムスイムの魔法能力である物質透過の前で無力だ。だったら――その魔法を発動する前に、反応できない速攻の一撃を叩き込む!

 そして放った渾身の拳は――狙い違わずスイムスイムの鳩尾にめり込んだ。

 

 水飛沫を散らし、何の手ごたえも無く。

 

「くそっ……!」

 

 それは、僕の拳が透過された証。

 スイムスイムの意識の外からの奇襲、必中を狙った一撃を魔法で無効化されたと悟った瞬間、僕は怖気を感じて咄嗟に顔を逸らせた。

 刹那、スイムスイムが放った右手の一撃が僕の鼻先を掠める。シュッ、と大気を裂いて数本の前髪を宙に散らせたそれは、指を軽く曲げた掌――掌底だ。

 それを間一髪で避けた僕の眼前でスイムスイムがくびれた腰を捻り、白いスクール水着を押し上げる豊満な胸を揺らしながら今度は左の掌底を放った。頭部を狙うそれを再び避けるも、完全には避けきれず右耳を僅かに掠める。

 

「……ッ!」

 

 耳に走る鈍い痛み。

 小さく眉を顰めるも、悪態をつく暇などありはしない。

 今まさにスイムスイムが腰だめに構えた右の掌底。それが狙うは――僕の顎先か!

 僕は全力で地を蹴り背後へと飛び退いて、下から打ち上げる様な三撃目を回避した。

 

「ハァ……ハァ……ッ」

 

 おそらく時間的には僕の初撃から三秒にも満たない攻防。

 だが、スイムスイムの間合いの外に着地し、強引なバックステップで崩れかけた体勢を整える僕の心臓はバクバクと震え、額からは一筋の冷たい汗が流れている。

 ……危なかった。あと一瞬でも遅れていれば、僕はまともに顎を打ち抜かれて下手をすれば意識を失っていたかもしれない。――いや、あのスピードと正確さならきっとそうなっていただろう。

 初戦は結果的には互いに有効打が無く終わったものの、僕かスイムスイムのいずれかが倒れてもおかしく無い内容だった。

 強敵への畏怖の念を込めて、改めてスイムスイムを見る。

 

「表情こそぼんやりしていても、やはり魔法少女という訳か……」

 

 腐っても一つのチームを率いるリーダー。甘く見ていたわけではない。だけど、ここまでやるとは思わなかった。

 

「まさか、私の策を見破っていたとはな」

 

 おそらく、開始前からあらかじめ物質透過の魔法を発動していたのだろう。

 僕はまんまとそれに乗せられ、返り討ちにされかけたわけか。

 自分の不甲斐無さに、苦い溜息が漏れる――前に、きょとんと首を傾げたスイムスイムの一言が開きかけた唇を凍り付かせた。

 

「違う。ラ・ピュセルの策なんて読んでない」

 

 何を……言っているのか、分からなかった……。

 

「目の前にいきなりラ・ピュセルが飛び込んで来たから咄嗟に魔法を使っただけ。あと少しでも遅れていたらやられてた」

 

「びっくりした」と語りながらも、息切れどころか汗一つ流さず悠然と立つスイムスイムの言葉に、背筋に冷たい戦慄が走る。

 

「なん……だと……」

 

 それが真実だとすれば、策を見破っていたなんて生易しいものなんかじゃない。

 予想などしていなかった。罠すらも張っていなかった。なのにこいつは、この今も己が成した事の異常性に何ら気付いていない魔法少女は――完全に予想外の攻撃を、ゼロコンマ以下で完璧に対応しきったというのか!?

 

 何だそれは。つまり見てから対応したと? それこそ冗談じゃない。

 魔法を使うのにも精神の集中が必要だ。それを僕の拳が当たるまでのゼロコンマ以下の時間で、奇襲の認識と状況判断そして魔法発動をほぼ同時に行うなど、どんな反射神経と思考速度をもっていればそんな事が出来るというんだ!?

 

「馬鹿な……ッ」

 

 目の前で起こったはずの現実が信じられない。いや、信じたくない。

 愕然とする僕に、スイムスイムは

 

「馬鹿じゃない。馬鹿と言う方が馬鹿」

 

 グラマラスなその外見には不釣り合いな、まるで小学生のような台詞を言ってから、

 

「……来ないの?」

 

 そう、落ち着いてはいるがどこかあどけない声音で問いかけてきた。

 まるで、遊び相手を待つ子供の様なその瞳に、僕は――答えられなかった。

 開こうとしても唇が強張り、舌は言葉を紡ぐことなく動きを止める。

 躊躇ってしまったのだ。だって、もし答えてしまったら……動くかもしれないから。

 この状況が。嵐の中でふと訪れた凪のような、この束の間の静寂が終わって、

 

「分かった。じゃあ――」

 

 来る。無敵の魔法を操る彼女を打倒しうる唯一の突破口《魔法発動前の速攻撃破》が破られた僕に、今度は奴が――自ら動く。

 

「今度は、私から征く。ラ・ピュセル」

 

 スイムスイムが、静かな足取りで──歩き出した。

 何の迷いも無く真っ直ぐ僕へと迫るその様は、まるで鮫だ。スイムスイムは深き水底から迫り獲物に喰らいつく鮫の如く、僕の間合いに入りそして――再びの掌底を放った。

 

「――ッ!?」

 

 速い!?

 顔面を狙うその一撃は先ほどの三連撃よりも明らかに速く、そして正確。

 瞠目しつつ顔を逸らして躱すも、爪が当たり右頬に一筋の傷を受ける。

 

「くっ……!」

 

 鋭い痛みに顔をしかめるも、すぐさま続く左の掌底が襲いかかった。狙いはやはり同じ頭部、だがその速度は――さらに上がっているだと!?

 そこから始まるは流れるような連撃。爪が掠め千切れた髪が舞う。更なる三撃目が左頬を擦り、間髪入れぬ四撃目はもはや避けられず掲げた腕で受けた。

 腕の肉を掌底が打つ音が響き、骨の芯まで震える衝撃が走る。

 だが幸いにも腕力自体はそれ程無いらしく、ガードが崩されることは無かった。しかし僕の心中に安堵は無く、むしろ冷たい恐怖が徐々に侵食していく。

 

 何だこれは。何なんだこれは。この戦いでスイムスイムが最初に放った一撃は大振りで隙が多い素人らしいものだった。だからこそ避ける事が出来た。

 だが今は違う。スイムスイムが繰り出すのは速くかつ精確な連打。一撃ごとにその速度は上がり、正確さが増していく。より精密に、より剣呑に。時が経つごとに隙が消え、躊躇いなど元から無く、粗削りな暴力が研ぎ澄まされた殺人技術となっていくのだ。

 

 なんだ、これ。何なんだコイツは……ッ。

 それはクラムベリーの様な完成した強者とは異なる、未熟な素人から恐るべき速度で成長していく敵。

 今まで戦ったどのタイプとも異なる全く未知の存在に慄く僕の瞳を、スイムスイムの瞳が静かに貫く。決して逃がさぬと狙い定めて。クラムベリーの血に飢えた獣のそれとは異なる――冷徹なる殺人機械の瞳が。

 

「う…ッ…うわあああああああ!!」

 

 叫び、僕は拳を放った。

 狙いなどあったものではない。ただ不気味で、恐ろしくて、お化けに怯えて泣きわめく子供の様に無我夢中で殴りかかっていた。

 そうして繰り出した拳は、だがやはり魔法によって透過され、虚しく水飛沫だけを散らして終る。

 結果、生まれた隙をスイムスイムは逃さない。

 鋭い掌底がガードする間もなく、僕の顔面を直撃した。

 鼻が潰れ、脳が揺れる衝撃。掌の最も硬い部分で強打されたことによる痛みと、なによりも衝撃で視界が白熱する。

 まるでサッカーの試合でボールを頭に受けた時のようだ。痛みよりも衝撃の方が強く、ぐらりと視界が揺れる。そのまま全身から力が抜け、崩れ落ちる様に膝をついてしまった。

 鼻が熱い。焼けるように痛む。思わず顔にやった僕の掌は、赤黒く染まっていた。

 

「ぁ……」

 

 霞む視界が、赤くなっていく。ぼたぼたと赤い雫が、僕の顏から……滴り落ちて……

 

「ぅあ……ああ……ッ」

 

 

 

 

 ――より強い者をこの手で殺したいだけなんですよ。

 

 

 

 

「ひ……ッ!?」

 

 ドクンと、絶叫するように心臓が鳴った。

 

 ――や……やだ……。

 ――おやおや。もう降参ですか?

 

 記憶の底から、赤い恐怖が蘇る。

 決して思い出さぬように押し込め、奥底に封じてきたはずのものが、癒えぬ傷痕からどくどくと血のように溢れて止まらない。

 身体が震える。歯がガチガチと怯えを鳴らす。

 刻まれた痛みが、拭えぬ恐怖が、フラッシュバックして僕の戦意も闘志も何もかもを呑み込んでいく。

 

「立って。ラ・ピュセル」

 

 震える僕を、スイムスイムは悠然と見下ろしていた。

 どうしようもなく震え、膝をつき恐怖に呑まれた僕を、蔑むでも嘲るでもなく、ただその無慈悲な瞳で――促す。

 

「もっとしよう」

 

 立って戦えと。もっと抗い足掻き糧となれと。

 

「ゃ……だ……」

 

 怖い。怖いよ。

 何をしても魔法で無効化される。絶対に傷つけられない。どんなに力を振り絞ってもどんなに策を練っても成す術も無く捻じ伏せられて、どうしたって勝てない。勝てるはずがないんだ……ッ!

 

「立てないの?」

 

 問いかけられても、もう答える事すらできはしない。

 戦意も闘志も恐怖に呑まれ潰えてしまった僕には、ただただ震える瞳でスイムスイムを見上げる事しか

 

「………そう。なら、もう『いらない』」

 

 スイムスイムの眼差しが、すうっと変わった。

 もとより温度を感じさせぬ水面が凍えて。冷たく氷りつく。何の価値もない塵芥を見るようなその瞳が湛えるものは――失望だ。

 

「あなたが欲しかった。けど――強くない騎士なら、必要ない」

 

 その瞳を、僕は知っていた。

 だってそれはあの血塗られた夜に向けられた、あいつの瞳と同じ――

 

 ――あなたには幻滅しました。死んでください。

 

 涙がにじむ視界の中、朧月を背に白い死神の如く佇むスイムスイムに、あいつの姿が重なる。あの恐ろしい──森の音楽家クラムベリーの姿が。

 

「来ない……でぇ……」

 

 もう戦う事なんて考えられなかった。ただ恐くて、目の前の恐怖からから逃れたくて、無力に怯える子供のように、僕は後退ろうと――

 

 

 

「ラ・ピュセルーーーーー!」

 

 

 

 声が、聞こえた。

 僕の名を叫ぶ、精一杯に張り上げた声が。

 呆然と振り向いた視界に、僕を見詰めるたまの姿が映った。

 

 

 ◇たま

 

 

 ラ・ピュセルは強い人だと、そう思っていた。

 いつでも凛々しくて、強い魔法と力があって、でもけして威張らず優しくしてくれる。その綺麗だけど力強い手で頭を撫でてもらうだけで幸せな気分になって、心がぽかぽかする。

 強くて綺麗で、誰よりも優しい―――たまの憧れの人だ。

 クラムベリーやスイムスイムといった強敵達にも正面から立ち向かい、たとえ負けたのだとしてもその恐怖と絶望を克服して立ち直った、どんな敵もどんな苦難も恐れぬヒーローなのだと、そう思っていた。

 でも――

 

「ゃ……だ……」

 

 それは、間違いだった。

 確かにラ・ピュセルは強い人だ。でも、アニメや映画に出てくるような何も怖がらないヒーローじゃない。

 ちゃんと『弱さ』もあったんだ。痛いのが嫌で死ぬのが怖くて、怯えて涙を流すような――自分と同じ普通の子供なんだ。

 怖くなかった訳じゃない。恐怖も絶望も無力感も、克服しきってなんかなかったんだ。ただその全てを抱えながら、歯を食いしばって必死に戦っていたんだ!

 

「来ない……でぇ……」

 

 そんなラ・ピュセルが今、たまの目の前でその『弱さ』を曝している。

 無敵の魔法を持つスイムスイムを前に、もはや立ち上がる事すらできず膝をついて、無力で幼い少女のように涙を流しながら震えている。怯えている。恐怖に呑まれてしまっている。

 必死に保ってきた心が、耐えていた恐怖と抑え込んできたトラウマに折られ押し潰されようとしている。

 そんなの、嫌だ。あの優しくてあったかい彼に……そんな顔をしてほしくない!

 だから、気が付けば唇を開いていた。か弱くて華奢なその身体に詰まった彼への想い全てを込めるように、叫んでいた。

 

「ラ・ピュセルーーーー!」

 

 亜麻色の髪を揺らしラ・ピュセルが振り向く。

 恐怖に染まり怯えるその瞳に、たまの胸がぎゅっと痛んだ。

 やめて。泣かないで。怖がらないで。お願いだからそんな顔をしないで。

 元気をあげたい。その涙を拭いたい。笑顔にしてあげたい。

 

 ――あなたが私に、してくれたように。

 

 だから伝えよう。私は頭が良くないから難しいことは言えないけど、それでも精一杯の想いを込めて。

 

 

 

「 が ん ば っ て !」

 

 

 

 少女の声は、夜の闇の中で真っ直ぐにラ・ピュセルへと向かっていった。

 

 

 ◇ラ・ピュセル

 

 

 たまの叫びは、僕の耳にしっかりと届いた。

 たまは目を潤ませ真っ直ぐに僕を見詰めて、小さな唇でありったけの声を張り上げていた。

『頑張って』と。たったそれだけの言葉にとてつもない想いを込めて。たまが、臆病で気が弱いけど誰よりも自分の『弱さ』と戦ってきた少女が、僕のために――

 

「うおおおおおおおおおおおッッッ!」

 

 腹の底から湧き上がる激情が、咆哮となって口から溢れ出た。

 そして僕は音が鳴る程に拳を握り、自らの顔面に叩き込んだ。

 轟く爆発のような衝撃音。大気が震え、座る地面すらも僅かに陥没する衝撃と痛みが僕の顔面で炸裂する。鼻がひしゃげ再び噴き出した赤黒い血が拳を赤く染めた。

 死ぬほど痛い。だが、これでいい。……いや、こんなものではまだ足りないぐらいだ。

 

「どう……したの…?」

 

 突然自らを殴りつけた僕に、スイムスイムは僅かに目を見開いた。いつもは無感情なその瞳も戸惑いと驚きの色を浮かべている。

 彼女の目にはよっぽど突拍子もない行動に映ったのかも知れないが、なんてことはない。

 ただよりにもよって、一人で恐怖に耐えて戦いそれに打ち克った女の子の前で、恥知らずにも恐怖に屈しようとしていたヘタレ野郎をぶん殴っただけだ。

 

「………すまない。たま。スイムスイム。情けない姿を見せてしまった」

 

 だから、もうこれ以上そんな姿は見せないよ。たま、君に恥じないように。こんな僕に憧れてくれた君を、二度と裏切らないために。

 すっと瞼を閉じ、恐怖と怯えに支配されかけた精神を……ゆっくり……鎮め……研ぎ澄ませた後、静かに開く。そして僕は腕で鼻血を拭い、カチカチと鳴ろうとする歯を噛みしめ、今だ震える足に力を込めて立ち上がった。

 

「ここからは、もう逃げない」

「……ほんとうに?」

「ああ。本当だ」

 

 どんなに恐ろしい敵を前にしても、どれほどの痛みに苛まれようと、たとえ絶望の中で倒れても、歯を食いしばって立ち上がり戦うのが――魔法少女だから。

 ゆえに僕はしかと大地を踏みしめ、見守るたまに、そして眼前に立つスイムスイムと――僕がいつか立ち向かうべき恐怖(あいつ)へと、誓う。

 

 

 

「私はもう、『恐怖(おまえたち)』から逃げない」

 

 

 

 一度は失った戦意を蘇らせ、そして今だ心を支配しようとする恐怖を抑えつけながらぶつけた眼差しを、スイムスイムは赤紫の瞳で静かに受け止め、そして

 

「うん……よかった。じゃあ――」

 

 すっと、その手を再び掌底に構える。

 

「ああ。仕切り直しといこうか」

 

 ぎゅっと、僕もまた拳を握り

 

「――やるぞ。スイムスイム」

 

 その言葉を合図に、僕らは同時に動く。

 あらん限りの力を込めて、己が出せる全速を以て、互いの瞳をしかと見詰めながら――二人の魔法少女の拳と掌底が、放たれた。

 

 

◇◇◇

 

 

そんな彼の姿を、『彼女』はその美貌に美しくもおぞましい笑みを湛えて見詰めていた。

人を超えた感覚を持つ魔法少女達の誰にも気付かれる事無く、夜風にそよぐ木々の枝の一つに優雅に腰かけて。

教え子の成長を見守る教師のように微笑ましく、だが情の深い妖婦のように狂おしい熱を宿した赤い瞳で彼を見る。

そして、その誓いの言葉を聞いた時、

 

「それは嬉しいですね……。でも──」

 

血に染まったかのような赤い唇が、愉し気に歪んだ。

 

「私はもとより貴方を逃がす気なんて無いのですよ。――颯太さん」

 

歌うように紡がれた呟きが、夜の闇に流れた。

 




お読みいただきありがとうございます。
フレイム・フレイミィとプリンセス・フレイミィとの関係が気になる作者です。まさかフレイミィの正体は美少女じゃあるまいな……。

あさて、今回は久々のバトルですが、書いてくうちに文字数が多くなったので前後編に分割することにしました。なので次でしっかり決着しますよ。投稿は水曜日の夜あたりになると思うのでそれまでお待ちください。

おまけ

『スイムちゃんなんで掌底なのん?』

例のお正月のある日、綾名ちゃんからお姫様について意見の合わなかったクラスメイトをポッコボコにした事を聞いた三条さんちの合歓さんがこう言いました。

「喧嘩は駄目だよ~。いい? 殴られた人は痛いけど殴った人の手も痛いんだよってこの前テレビで言ってたよ~」

その言葉に衝撃を受けた綾名ちゃん。
何を隠そう、実はクラスメイトをボコッたはいいものの指を痛めてしまって大変な思いをしたのだ。
だからこそ合歓の言葉は衝撃的で、かつ思いつきもしなかったコロンブスの卵だった。

「そっか……だったら手が痛くならないように殴ればいいんだ」

かくして綾名ちゃんは手をあまり傷めない掌底に目覚めたのでした。めでたしめでたし。

……本当の理由は作者の掌底使いは腹黒キャラというイメージからです。あとステータス的に破壊力2とかで普通に拳でパンチしてもダメージなんか碌に与えられないだろうから、当たり方次第では一撃KO狙える衝撃力重視の掌底のがまだ使えるからね。





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朧月夜の魔法少女達(後編)

今回のスイムスイムはほぼコミカライズ版のスイムスイムぽん。
そして作者はバトルに何故かおエロ要素を絡ませなければ気が済まないという歪んだ性癖を持ってるぽん。ぶっちゃけ今回のバトルはそうちゃんとスイムスイムのエロメタファーぽん。それでもいいという読者以外は回れ右するぽん。


 ◇スイムスイム

 

 

 私が初めてラ・ピュセルという魔法少女と出逢った時、抱いた第一印象は『思っていたのと違う』だった。

 

 自分達の縄張りに勝手に入った無礼者に説教するというルーラについてく時には、ちょっとだけワクワクしていた。絵本では知っていたけれど、本物の『騎士』に会うのが初めてだったから。でも、実際会ってみれば絵本のように堂々とも凛々しくもしていなくて、プンプン怒るルーラのありがたい話を上の空で聴いているばかりか、何故か横目で私の方ばかりをぽーっと見ていた。そのくせ目が合うと顔を真っ赤にして目を逸らすのだ。訳が分からなかった。

 そんなだから、ラ・ピュセルが解放され別れた後、その存在は記憶から早々に忘れられた。せいぜい期待外れのどうでもいいその他大勢になった。

 

 だからこそ、再び会った時――ルーラと共にスノーホワイトを襲撃したあの鉄塔での戦いで、足止めしていたはずのラ・ピュセルが現れたのを見た時は驚いた。

 けして戦闘向きと言えないとはいえ三人もの魔法少女を退け、スノーホワイトのために駆け付けたその姿は――絵本で見たお姫様を救う騎士そのものだったから。

 目を奪われた。ああ、やっぱりラ・ピュセルは騎士だったんだと思い、そして――欲しくなった。

 きっとこの人なら、自分というお姫様に仕える最高の騎士になってくれるだろうから。

 

 だから、この組手でラ・ピュセルが戦えなくなったのだと知った時、がっかりした。

 お母さんに読んでもらった絵本では、騎士はお姫様のために悪い魔女や怪物と戦っていた。なのに弱かったらお姫様の敵を倒せない。役に立たない騎士なんていても無駄だ。

 だから、もう殺そうかと思った。……けど、

 

「いくぞおおおおおお!」

 

 今は、違う。

 ラ・ピュセルは今、その竜の瞳に闘志を燃やし咆哮してその拳を振るってくる。

 その姿は、本当にさっきまで子供のように震えていた人物と同じとは思えないほど。

 そうだ。そうでなくちゃならない。自分の騎士になるのだからお姫様の為ならどんな敵でも恐れてはならない。躊躇ってはならない。斃す事のみを考えなければならない。

 かつての自分がそうだったように。

 

 私がルーラになるから、あなたが私にならなきゃいけないんだから。

 

 

 ◇たま

 

 

 その光景は、人の領域を超えていた。

 

「すごい……」

 

 眼前で繰り広げられる戦いに、たまは感嘆の声を漏らし、

 

「いやいやなにあれ……」

「マジでガチヤバじゃん」

 

 普段はおちゃらけたピーキーエンジェルズですらその大きな瞳を丸くして、見入り息をのむ。

 無理も無いとたまは思う。だって、恐るべき二人の魔法少女の戦いは、それほどのものなのだから。

 

「おおおおおおおおお!」

 

 まさに竜の如く咆哮しながら拳を振るうは、騎士の鎧を纏う魔法少女――ラ・ピュセル。

 一振り事に轟と大気を呻らせ拳風巻き起こすその拳は正に剛拳。

 

「凄い力……。けど、何度やっても無駄。私の魔法なら、ラ・ピュセルの攻撃は全部無効化できる」

 

 対して、茫洋として捉え所のない表情を美貌に浮かべそれを受けるは悪魔の黒き翼を背負う白スクの魔法少女――スイムスイム。

 ラ・ピュセルの咆哮と闘気を一身に浴びながらその凪いだ瞳は揺らぐことなく、不気味なほどに平然と受け止める。並みの人間ならば掠めただけで肉が抉れ、まともに受ければ大穴が空く必殺の拳は、しかし己に対しては必殺たりえないからだ。

 凄まじい速度で放たれる拳は、だがその全てが『どんなものでも水のように潜る』魔法によって水飛沫を上げて身体をすり抜けていく。肉を穿ち骨をも砕くはずの拳は、スイムスイムの身体に届くとも決して傷つけること敵わない。

 

 故に、スイムスイムは容赦無くかつ一方的に攻めたてる。

 放たれる掌底はラ・ピュセルの気合と剛力の拳とは対照的な、鋭く精確に急所を狙う精密射撃の如き一撃。それがガードの隙間をぬい、あるいは小さな隙をついて幾度もラ・ピュセルに叩きつけられる。

 

 ヒュッ!!

 

「く……ッ!?」

 

 くわえて、スイムスイムの攻撃は打撃だけではない。掌底の構え、その開いた掌が鉄槌ならば曲げた指は猛禽の鉤爪。鋭い爪は絹の様な柔肌を引き裂き、黒いマニキュアを血に染めた。

 掌と爪を巧みに使い時に引き裂き時に殴る。刻まれた爪痕から流れる血の赤が殴られた痣の青黒さと混じり合い白磁の肌に痛ましい色を添え、その猛撃を浴びるラ・ピュセルに激しい痛みと傷跡を刻んでいく。

 だが、それでもラ・ピュセルは止まらない。何度殴られようと何処を引き裂かれようとも拳を振るい、その唇から血と咆哮を吐いてなお殴り続ける。

 

「うッああああああッ!」

 

 傷つき、震えながら、たとえその拳では痛みも傷も与えられず虚しく水飛沫を上げるだけだとしても、殴る。殴る殴る殴る!

 凛々しい美貌を獣の如く歪め、角が飛び出た亜麻色の髪を振り乱して血と汗を飛び散らせながら拳を振るうその姿、

 

「――――ッ」

 

 あまりにも凄絶で、そして痛々しい恩人の姿にたまの胸が引き絞られるように痛んだ。

 彼を止めたい。もう止めてと言いたい。もういいんだよと言ってあげたい。

 でも、それは駄目だ。どんなに止めたくても、止めちゃ駄目なんだ。

 だって――ラ・ピュセルの目は、諦めていないから。どんなに痛くてもどんなに傷だらけになっても、それでも前を見て、戦っているから。

 だから、自分も見守ろう。どんなに辛くて目を背けたくとも、決して目を逸らさず、彼の戦いを見届けよう。――それがきっと、自分が今しなくちゃいけない事だから。

 

 たまは小さな胸の前で祈るように組んだ手をぎゅっと握り、見つめる。

 己が慕う二人の魔法少女の荒々しく壮絶で――そして美しい戦いを。

 

 

 ◇クラムベリー

 

 

 森の音楽家は王結寺を囲むように生えた五番目の木の枝に腰かけて、眼下の戦いを眺めていた。その薔薇色の唇に笑みを浮かべながら優雅に鑑賞する様は、そこがまるでオペラ座のボックス席であるかのように思えてしまう。

 飛び散る血と汗を眺め、肉を打つ音と咆哮を聴き、放たれる闘気を肌で感じ、五感の全てを以て二人の戦いを味わい楽しむクラムベリー。

 そのエルフ耳が不意に、自らの管理者用端末が鳴らした無粋な音を聴いた。

 

「随分とお楽しみのようだなぽん」

 

 その画面からリンプンを散らしながら現れた電子妖精のファブは、開口一番不機嫌さを隠そうともせず

 

「まったくファブに尻拭いを押し付けて自分は優雅に高みの見物とは良い身分ぽん」

「おや、仕事とやらはもう終わったのですか?」

「や・っ・と・終ったところぽん! そんでこんな面倒な事をするハメになった原因を作ったマスターがどうしてるのか見に来てみれば暢気に戦見物とかブラック上司にもほどがあるぽん! ふざけんなぽん! だいたい電子妖精タイプのマスコットキャラのマスターってのは何でこうどいつもこいつも人使いが荒く――」

「少し黙ってくれませんかファブ。ショーの観賞中は静かにするのがマナーですよ」

「…………」

 

 全力の抗議を素気無く切り捨てられ押し黙るファブ。

 いや、いいさ分かっていた……。

 このマスターはどうにもやりたいこと以外はやろうとせず面倒事は大抵他人に押し付けてくる。そのくせ無理に自分でやらせようものなら絶対にへそを曲げるのだ。それはもう長くとんでもなく面倒に。それを長い付き合いの中で嫌というほど体験してきたファブは盛大に溜息をつき、諦念と一緒に文句と不満を飲み込んだ。

 ここは自分が大人なろう。真に出来るマスコットキャラクターは大人の忍耐と処世術を身に付けているのだ。

 

 やれやれと無い肩をすくめ、ファブはちらと眼下の戦いに円らな黒目を向ける。

 ラ・ピュセルとスイムスイムの殴り合いだ。

 実戦経験そのものが少ないからだろう技術や駆け引きは拙いが、激しさはある。

 感情そのものを拳に乗せて打ち込む様は、それなりに見ごたえがあるとも言えよう。

 

「まあファブとしてはもう少し血とか臓物がド派手に飛び散っている方が好みだけど」

 

 そもそも命のかかっていない戦いではどうにも刺激に欠ける。

 やはり互いの血と臓物と命をブチまける華やかな殺し合いこそが真の見世物だろう。

 

「マスターはどっちが勝つと思うぽん?」

「力はラ・ピュセルが。技はスイムスイムが上回っていますね」

 

 問い掛けると、クラムベリーは冷徹な試験官の眼差しで見つめながら

 

「ラ・ピュセルが猛攻に耐えていられるのも、彼自身の頑丈さはもとよりスイムスイムの非力さあってのものでしょうね。ですが……」

 

 解説しつつ、その瞳を細めた。

 

「スイムスイムの成長速度には目を見張るものがあります。今も敏捷性の低さを無駄な動きを抑え効率化することよってカバーしているように、このままでは技術が性能差を覆し手が付けられなくなるでしょう。つまりはその前に倒すしかないのですけど……」

「そもそも物理攻撃しかできないんじゃスイムスイムの魔法にはお手上げぽん」

「そういうことですね」

 

 優雅に微笑みつつ、勝ち目はないと断言した。

 

「でも、マスターはそれでいいぽん?」

「それでいいとは……?」

「ラ・ピュセルはマスターのお気に入りだよね。このままじゃ負けちゃうぽんよ?」

「そうですね……。もし、ラ・ピュセルが敗北するようならば――」

 

 そしてクラムベリーは答えた。さらりとごく自然に、それこそ夕食は何を食べるかと聞かれた子供のように無邪気な声音で

 

 

 

「殺しましょう」

 

 

 

「え? 殺すぽん?」

 

 ラ・ピュセルを随分と気にいっていた風だったマスターの意外な返答に思わず聞き返すファブ。

 

「負けるのならば所詮その程度の弱者だったという事。ならば生かしておく価値もありません。当初の予定通りに殺害するまでです」

「うわぁ……。知ってたけどマジ外道ぽん」

「殺人ゲームを楽しむ悪趣味な誰かさんの相棒ですので」

 

 悪びれもせずにそう返して、クラムベリーは眼下で激闘を繰り広げるラ・ピュセルに美しくもおぞましい瞳を向ける。

 

「なので、頑張ってくださいよ颯太さん。くれぐれも私を楽しませて、決して期待を裏切らないでくださいね。――もしそうなったら、私は思わずあなたを殺してしまいますから」 

 

 

 ◇スイムスイム

 

 

 唸るラ・ピュセルの拳が幾度も私を殴りつける。

 私の掌底なんかよりずっと力強く、破壊力が桁違いのそれを魔法で透過し続け、たまに生まれる小さな隙をついて私は掌底を放つ。

 亜麻色の髪を振り乱すラ・ピュセルの顔面を狙った掌底は、だけど最小限の動きで避けられ、逆にその拳が私の顔面に叩きつけられた。

 

「隙ありだ!」

「………っ」

 

 魔法を発動し、頭部を水に変化させる。その甲斐あって拳は水飛沫と共にすり抜けたが、一瞬視界が奪われてしまった。不味い。危険を感じ咄嗟に全身を水化させた瞬間、逆の拳が鳩尾を抉った。

 

 バシャッ。

 

 ……なんとか間一髪で透過できた。危なかった。

 この特訓はあくまで実戦経験の無い自分が正面から相手を倒せるようになるためだけの物。故に防御など必要無く、まして全ての物理攻撃を無効化できる自分が倒されるはずなど無いと思っていた。

 だが、それは間違っていた。

 忘れもしないラ・ピュセルが放った最初の一撃。完全に不意を打たれたあの奇襲は、あとほんの一瞬でも対応が遅れていたら防げなかった。今も一振り事に豪と大気を呻らす剛拳をまともに受けたらと考えると、背筋が冷たくなる。

 

 ルーラは言っていた。『追いつめられたネズミは猫をも咬む。たとえどんなに格下の相手でも勝つまでは油断してはならない』と。

 なのに、自分は油断してしまった。魔法の絶対性を過信し慢心して、あげくその油断を突かれやられる所だった。ルーラならきっとこんな事にはならなかっただろうに。

 ごめんなさい、ルーラ。いつの間にか尊敬するお姫様の言葉を忘れてしまっていた事を心の中で深く謝罪し、スイムスイムはより一層その瞳でラ・ピュセルを見詰める。

 その一挙手一投足を見逃さぬために。その拳の動きを把握しきるために。

 

「はっ! ふっ! はああッ!!」

 

 隙を探り、ガードを潜り抜けて打ち込むため、神経と精神を冷徹に研ぎ澄ませるその間も、ラ・ピュセルの拳は間断なく己を殴り続けている。

 それは頭や鳩尾といった急所だけでなく、胸や太ももといったあらゆる箇所を。たとえその全てが虚しく水飛沫を散らして透過されてもなお、あらゆる角度からタイミングすら変えて入念に。今や、スイムスイムの肢体で彼が触れていない箇所はほとんど無い。柔らかな頬も靡く髪も揺れる乳房も太ももにも、全てに彼の拳が降り注いだ。

 それは一見、絶対的なスイムスイムの魔法の前に自棄になり滅茶苦茶に暴れているようにしか見えないだろう。

 

 でも、違う。私にだけは分かる。

 ラ・ピュセルは探っているんだ。魔法で透過できない場所やタイミングが無いかどうかを。

 

 たとえ無理に攻めたせいで隙が生まれ、掌底を食らい痛みを味わってもなお、耐え忍んでひたすらあるかどうかもわからない可能性に賭けて拳を振るっている。

 それは例えるなら、嵐の海に呑まれながらも一本の藁を掴もうとするかのような足掻き。

 

「凄いね。ラ・ピュセルは」

「なに?」

「そんなに傷だらけで今にも倒れそうなのに、まだ勝負を諦めてないんだ」

 

 称賛半分呆れ半分で言うと、ラ・ピュセルはフッとその唇を吊り上げた。

 

「当たり前だろう。逆に聞くが――勝機が見つからないからといって戦いを諦める奴がお前の求める騎士なのか?」

「…………」

「前にも言ったはずだぞ。私は魔法少女で、そして《騎士》だと。たとえどれほどの強敵が相手でも、どんなに絶望的な戦いでも、一片の勝機を探して足掻き続ける!」

 

 凛々しくも獰猛な笑みで語られたそれは、あまりに無謀で現実感の無い戯言めいた叫び。

 だが、スイムスイムにそれを嘲う事など出来なかった。

 見てしまったから。例えどれ程に小さく塵芥の如き可能性でも、必ず掴んでみせるという――熱く燃えるその瞳を。

 

「……ッ」

 

 その眼差しに宿る熱を感じて、スイムスイムは小さく息を呑み、僅かに気圧される。

 たしかに、今だスイムスイムは自分が負けるとは思っていない。けど、その瞳を前にしては――絶対に勝てるとも思えなかった。

 

 

 

『真のリーダーたるもの常に勝ち続けなければならない。そしてそれはお前たちもだ。部下ならば全身全霊をもってリーダーに勝利を捧げろ』

 

 

 

「――――ッ!!」

 

 だめ。勝てないかもなんて思っちゃいけない。

 ルーラなら、お姫様ならどんな相手にも絶対に勝つ。私はルーラと同じお姫様になるんだ。なら、負けないんじゃない――勝たなくちゃ、いけないんだ……ッ。

 赤紫の瞳の凪いだ水面が、さざめき揺れる。

 静かに湧き上がるのは、初めて生まれた勝利への渇望。己が憧れの人になりたいという『夢』のために、スイムスイムは渾身の掌底を放つ。

 だがラ・ピュセルとて負けられないのは同じ事。気合の叫びと共にその拳を振り上げる。

 

「ふっ――!」

「はあああああ!」

 

 そして始まる、互いに打ち合う拳と掌底の猛ラッシュ。

 荒れ狂う拳と突き刺すような掌底が無数に交差し、激しく乱舞する。

 人域を超えたその苛烈さたるや、衝撃が大気を揺らし、踏みしめた地面がひび割れるほど。

 

「そこ……っ!」

「ぐッ……!?  なるほど手数だけは大したものだ。だが、威力そのものはどうってことない!」

「それでも平気なわけはない。素直に倒れて」

「断る!」

 

 パワーのラ・ピュセルに対して、筋力で劣るスイムスイムはスピードと手数で攻める。いくら殴られようともその全てを透過し掌底で攻め続け、たとえ一撃一撃は軽くとも確実にダメージを蓄積させていく。

 

 大丈夫。私は負けない。

 私の魔法なら、集中は必要だけど発動自体には何の動作もいらない。集中さえ切らさなければ防御は全て魔法に任せて身体は攻撃だけに専念できる。

 対してラ・ピュセルは違う。私の攻撃は全て防御するか無理なら回避しなければならない。だからこそ意識や動作の何割かは常に防御に割かなければならないはず。私は全霊を攻撃に使えるのに、ラ・ピュセルはできない。それがラ・ピュセルと私の差だ。私の最大のアドバンテージだ。

 だからラ・ピュセル。

 

「あなたは、私には勝てない……!」

 

 渾身の掌底が拳の嵐をかいくぐりラ・ピュセルを直撃した。

 

「ぐっ……!」

 

 今までで最も強い一撃をまともに受けたラ・ピュセルはよろめき、二、三歩後ずさるも倒れることなく持ちこたえる。

 スイムスイムは、追い打ちを掛けなかった。

 

「なに……これ……」

 

 ラ・ピュセルに全力の一撃を与えた時に生じた、痺れるような感覚。それがぞくぞくと掌から伝わり、その全身を駆け巡っていた。

 初めて味わうその感覚は、スイムスイムの中の何かを揺らした。

 それは例えるなら水面に生まれた小さな波紋のように、彼女の奥底から少しづつ広がって大きくなっていく。

 

 何だろう。身体の奥が、熱くなってくる。

 胸が、とくん……とくん……て鳴って止まらない。

 何、これ。よく分からないけど……嫌じゃない。いや、むしろ

 

「気持ち……いい?」

 

 こんなこと初めてだ。

 首を傾げて動きを止めたスイムスイムに、ラ・ピュセルも怪訝気に眉を寄せて攻撃の手をいったん止める。

 何らかの策を警戒しているのだろう。構えはそのままにこちらを見ている彼に、スイムスイムは問いかけた。

 

「ラ・ピュセル。気持ちいいのは何で?」

「……何?」

「今、すごく気持ちいい。こんなのは初めて……どうして、私は気持ちいいの?」

 

 そう語る唇から漏れる吐息は、どこか甘く火照っていて。

 とろんと蕩けたその瞳に見詰められ、ラ・ピュセルの頬がドキッと朱に染まる。しかし一瞬後、ハッと我に返ると何かを振り払うかのように慌てて頭をブンブン横に振った。

 

「――ッ。そ、そんなの私にわかるわけないだろ……っ」

 

 何故か微妙にスイムスイムの薄く上気した美貌から目線を逸らしつつ答えたその言葉に、スイムスイムは落胆する。

 そうか。ラ・ピュセルでも分からないのか。

 ……まあ、いい。この正体が何であれ、こんなにも心地よいのなら

 

「もっと、気持ちよくなりたい」

 

 感じたい。味わいたい。

 だからお願い、ラ・ピュセル。この快感を教えてくれたあなたなら、きっともっと感じさせてくれるよね。だから、ねえ――

 

「私を……気持ちよくして……」

 

 蕩けるように呟き、ラ・ピュセルの胸に向かって飛び込む。

 その両手を掌底に構えて。更なるこの未知の快楽を得るべく。

 繰り出した一撃と共に、掌底と拳の打ち合いが再び始まった。

 更に激しく、更に苛烈に。求めせがむスイムスイムの掌がラ・ピュセルを打ち、ラ・ピュセルの拳は返礼するかの如くスイムスイムを打つ。

 常人ならば触れただけで絶命する一撃が暴雨の如く降り注ぐ肉弾戦に、だがスイムスイムは高揚していく己を感じる。

 

 すごい。

 

 こうして向かい合うだけで胸の奥がぞくぞくする。掌底を振るうたびに気分が高揚していく。そしてラ・ピュセルの拳が水化した肌に触れるだけで水飛沫と一緒に快感が弾けて止まらない。

 

 すごいすごいすごい!

 

 初めての感覚に新しい悦びに、無垢で幼い心が無邪気に弾む。

 もっともっとと心が逸ってしかたない。

 

 例えるなら、スイムスイムは未熟な雛鳥だった。

 いくら金の卵から生まれようと、己が糧となる餌を得ること無く成長できなかった幼き凰雛。

 だが今、彼女はラ・ピュセルという最高の餌を得た。燃えるような彼の闘志に刺激され、張り巡らされた策謀が慢心を削ぎ落とし、彼との殴り合いが己の武技を磨いていく。

 一秒ごとに強くなっていく感覚がする。戦うほどに成長しているという実感が湧く。それは初めての――自分の《夢》が叶っていくという快感。

 

 ああ……ようやく分かった。

 こんなにも気持ちいいのは、近づいているからだ……。

 私の夢に。憧れ続けたあの人に。

 

 ――私は今、ルーラに近づいている……っ!

 

 もっと近づきたい。もっともっと戦って――ラ・ピュセルを倒して強くなりたい。

 

 そのためにはどうすればいいのか、スイムスイムには分かっていた。

 

 このままじゃだめだ。今までのように腕の力だけで打ち込んでも、ラ・ピュセルには効かない。倒せない。

 だったら、もっと強くするんだ。まずは地面をしっかりと踏みしめよう。脚のばねと腰の捻り腕の伸び、体全部を使って大きな力を生もう。

 

 知識ではなく経験でもなく純粋な感覚――センスのみで新たなる必殺の技を練り上げていく。

 

 そして生み出した全部の力を掌に集めて、身体ごとぶつければ――!

 

 スイムスイムには分かっていた。

 誰に教わるまでも無く、覚えるわけでもなく、この世に生れ出たその時から何となく分かっていたのだ。

 どうすれば――上手く生き物を殺せるのかを。

 

 キュドンッッッッッ!

 

 全身の関節そして筋肉全てを用いた最大威力の掌底がラ・ピュセルの胸元に炸裂した瞬間、凄まじい衝撃音が轟いた。それは衝突音というよりもはや爆発音に近く、実際二人を中心に衝撃波が生じ周囲に吹き荒れた。

 そしてその掌に集束させた破壊の運動エネルギーは、そのままラ・ピュセルの体内を蹂躙し背中から突き抜ける。

 

「がッ――ハッッッ!?」

 

 凄まじいその威力にラ・ピュセルの身体は吹き飛び、その唇から吐いた血で夜闇に赤の軌跡を描き地に激突した。

 ラ・ピュセルは、なんとかガクガクと震える体で立ち上がろうとするも、再び血を吐いて顔面から倒れる。

 

「ーーーーーっ!」

 

 その無残な姿にたまが声にならない悲鳴を上げた。

 一方、それを成したスイムスイムは今だ掌底を構えた残心のまま、会心の吐息を漏らす。

 

 ああ、うまくいった……。

 

 そこには、全く経験の無い武技を誰に教わるまでも無く、感覚のみで自ら瞬時に編み出した己の異常性への自覚は無い。

 魚が泳ぐように、鳥が羽ばたくように、考えるまでも無く出来て当たり前。ただ感覚に従っていれば何となくでやれるもの。むしろ何で他の人が分からないのかが理解できない。スイムスイムにとっての『殺し』とは、そういう物だった。

 こことは異なる可能性を辿ったある世界線において、その血塗られた生涯の中で無数の殺人者を目にしてきたある電子妖精ですら認めざる負えなかった殺しの才能。

 それはいかなる神の悪戯か、この世界が産み落としてしまった純粋なる奇形の魂。生まれながらの《無垢なる殺人鬼(てんさい)》。それこそがこの――スイムスイムという魔法少女だった。

 

 彼女はしばし乏しい表情ながら陶然と戦いの余韻に浸っていたが、やがてふと一抹の寂しさを覚える。

 ああ、終わっちゃった……。残念だ。ラ・ピュセルといればもっと成長できる気がしたのに。この戦いでもっともっと強くなれて、ルーラに近づけたのに。ああ、できればもっとラ・ピュセルと――

 

 ドンッッッ!!!!

 

 夜気を震わせ轟く突然の破砕音と叩きつけられた闘気に、スイムスイムはハッと振り向き

 

「うそ……」

 

 信じがたいその光景に、赤紫の瞳を見開いた。

 

 

 

「何を終わった気でいる……スイムスイム……?」

 

 

 

 そこには、一匹の竜が居た。

 地面に掌を叩きつけ、粉砕するその勢いで立ち上がったそいつは総身に傷を負い、罅の走る鎧を纏っている。それでいてなお、血まみれの美貌に猛々しい笑みを浮かべ

 

「私は――まだ戦えるぞ」

 

 戦意を燃やしたその瞳と目が合った。瞬間、スイムスイムの全身に甘い痺れが駆け巡る。それは身も心もその総てがゾクゾクと震えて、鳥肌が立つほどの小さな恐怖と大きな興奮。そして――はち切れんばかりの歓喜!

 

 凄い。ああラ・ピュセルは凄い。

 倒したと思ったのに、もう起き上がれないだろうと確信していたのに、私が残念に思った途端に立ち上がってくれる。

 嬉しい。もっとしよう。もっと戦ってもっと私を強くして。

 あ、でも……。

 

 ふと、スイムスイムは思う。

 

 力を加減してすらラ・ピュセルは私をここまで高めてくれた。

 なら、全力のラ・ピュセルを倒せば、もっとルーラに近づける……?

 

 ふっと生じたその魅力的な思考は、彼女の中で徐々に強く大きくなり、抗いがたく誘惑するそれが遂には、そのための手段――ラ・ピュセルの本気を引き出せるだろう最も確実な誘惑――が孕むリスクをも忘れさせる。もしその手段を用いて負けてしまえば自分は大切な物を失うことになるだろう。だが、それでも……っ。

 常に冷徹かつ合理的に思考してきたはずのスイムスイムは今や、経験したことのない感情の熱に完全に呑まれてしまっていた。

 

「ラ・ピュセル……」

 

 期待と興奮でほんの微かに上ずった声で、対峙する彼の名を呼ぶ。

 そして首から下げた水中眼鏡を軽く横にずらしてから、スクール水着の胸元を指で抓んで引っ張った。するとそれまで押さえ込んでいた布地が緩んだことで、スイムスイムの白く豊満な乳房が半ば露わになる。たゆんと音が聞こえてきそうなほどに揺れる、今にも零れ落ちんばかりのたわわな果実に

 

「ッッッッッ!?!?!?!?」

 

 ラ・ピュセルの眼が肉体の限界まで開かれた。

 視線に物理的圧力があれば間違いなく巨大な穴が開くだろう強すぎる視線を浴びながら、スイムスイムは自らの胸の谷間にその指先をつう……ともっていき。

 ずぶり……と、挿し入れる。

 

「……もし、私に勝てたら」

 

 たおやかな指を深くくわえ込む、少女の乳肉。

 ごくり……と、顔を真っ赤にしたラ・ピュセルの喉が唾を飲む音が響き

 

「勝てた……ら……?」

 

 かすれた声で問いかけられたスイムスイムは、火照った吐息を漏らす淡い唇を開き、答えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ラ・ピュセルのマジカルフォン――返してあげる」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――え?」

 

 何故かポカンとするラ・ピュセル。

 驚きすぎて頭が真っ白になったのかな?

 予想外のリアクションに、『本当に大切な物は肌身離さず身に着けておけ』というルーラの教えに従い胸の谷間に隠していた、翠色のマジカルフォンを指でつまみながらスイムスイムはきょとんと首を傾げた。

 そうしてしばし間の抜けた沈黙が下りた後、ラ・ピュセルがハッと我に返った。

 

「え……と……もし勝てたらって……それを返してくれるってことか……?」

「うん」

「そ、そっか………うん……そう、だよな………」

「? ラ・ピュセル」

 

 何やらほっとしたような残念がるような何とも言えない複雑な表情で呟く姿にますます困惑するスイムスイムの前で突然、

 

「ふんッ!!」

 

 ラ・ピュセルが自分の顔面に再び拳を叩き込んだ。まるでその心に沸き上がってしまった邪な何かを退散させるかのようにそれはもう強く。

 

「……今度はどうしたの?」

「何でもない。ただの心の弱い自分への罰と戒めだから気にしないでくれ。……それよりも」

 

 真っ赤になった鼻からぼとぼとと鼻血を垂らし、だが正常に戻った顔色で問いかけてくる。

 

「さっきの言葉は、本当なのか?」

 

 静かに問う瞳に、マジカルフォンを再び胸の間に戻してから頷く。と、

 

 

 

 ――豪ッ!!

 

 

 

 闘気が、爆発した。

 ラ・ピュセルの総身からまさに爆ぜるが如き勢いで噴き上がったそれは、余波に触れただけで肌がひりつくほどの高密度。遠巻きにしていただけのたまとピーキーエンジェルズですらビクッと震えて息を飲み、対峙するスイムスイムに至ってはラ・ピュセルから立ち昇る凄まじい炎を幻視した。

 その威容を前に、だが胸を満たすのは歓喜の念。

 

 ああ、よかった。本気にできた。

 これなら、きっと………この、ラ・ピュセルを倒せたなら私は――

 

「いくよ。ラ・ピュセル」

 

 ルーラに、なれる。

 

 その夢の成就を確信しながら、スイムスイムは地を蹴った。

 地面がひび割れるほどの足跡を刻んで朧月の空へと跳躍する。

 高く、高く、その背に黒き悪魔の翼を背負いながら、白き少女は竜の騎士へと跳びかかった。

 

 

 ◇ラ・ピュセル

 

 

 それは突如訪れた思わぬチャンス。

 探し求めたマジカルフォンを取り戻すための、最大の機会。

 

 だが、僕の身体はすでに限界に近付いていた。

 全身に重くのしかかる疲労と痛み。肌についた傷もそうだが、何よりも本当にキツイのは体の中だ。

 スイムスイムから受けたあの強烈過ぎる一撃は、肌や骨を通り越して内臓そのものを直接殴られたかのような感覚だった。ぐちゃぐちゃにかき混ぜられ弾ける様なその衝撃で、僕の体の中が今どうなっているのかは想像もしたくない。だが息を吸うだけで胸に痛みが走り喉の奥から血が溢れてくるあたり、いっそ死んでしまった方が楽なくらいか。

 

 だが、それでもやらなければならない。

 

 満身創痍の己が身体を文字通り気力のみで支えながら、宙を舞い刻一刻と迫るスイムスイムを前に思考する。自身を生存させるべく思考を加速させた脳が生み出したであろうスローモーションの世界の中で。

 

 でも、どうすればいい?

 ここまでその魔法の隙を探るため、あらゆる箇所に数え切れないほど拳を打ち込んできたが、その全ての攻撃は透過され防がれた。

 

 つまり――あいつに透過できない場所は無い。

 

 どこに打ち込もうともその全てを無効化できるなら、それは無敵だ。

 剣だろうと拳だろうとも関係ない。魔法が発動し続けている限り、僕は……かすり傷をつける事すらもできな――いや駄目だ諦めるな!

 考えろ考えろ可能性を探せ。活路を見いだせ。

 ここがきっとマジカルフォンを取り戻す最大にして唯一のチャンスだ。だから絶対に勝つ。勝つんだ! 

 スノーホワイトの隣に帰るために、考えろ。たとえ脳が焼き切れてもいいから勝つための何かを――……ッ!?

 

「痛ぅ……ッ!?」

 

 ああ、くそ……痛みで集中できない!

 思考に没頭したいのに、無数に刻まれた傷の痛みがそれを妨げる。スイムスイムの爪で引っ掻かれ、掌底で何度も殴られた……痛み、が…………――――いや待て。

 

「―――――っ!!!!」

 

 僕の瞳に映る絶望の夜闇に、一筋の光明が見えた。

 

 

 ◇スイムスイム

 

 スイムスイムは中空にあり、激突の瞬間に備えていた。大きく振りかぶった掌底を猛禽の爪の如く構えて。

 

 今度は失敗しない。落下速度と重力を乗せて威力を増したこの一撃、狙うはラ・ピュセルの頭部。そこに全力で叩きこめば、衝撃で確実に意識を奪えるはずだ。

 

 その冷徹な思考は、熱に浮かされてなお勝利への方程式を導き出す。

 

 仮に万が一避けられても問題無い。全身を水化すればどんな反撃も防げるから、着地後すぐさま体勢を立て直して攻めたてれば見るからに限界間近のラ・ピュセルは長くはもたない。大丈夫、今度こそ倒せる。倒して見せる。

 

 静かに燃える赤紫の瞳に宿るは勝利への渇望。己が夢を叶えんとする確かな意思。

 

 勝って、そして私はルーラにもっと近づくんだ!

 

 願い、祈り、スイムスイムはその腕に総ての想いと力を籠め、ラ・ピュセルを狙い定める。

 彼は果たして激突までのこの一瞬の間に何をするのだろうか。回避かあるいは防御か。まあどちらでも構わない。いずれにしても己が魔法さえあれば――対処できる。

 その動きをじっと観察する瞳の前で、ラ・ピュセルが動いた。

 ただしそれは回避でも防御でもなく、彼はその足を動かし――僅かに助走をつけてその場で軽く跳躍したのだ。

 

「?」

 

 予想外の動きに、真意が分からず困惑するスイムスイム。

 だが、すぐに落ち着きを取り戻す。

 たとえ何らかの策があっての動きだろうと、やることは変わらない。

 念のために全身を水化させた絶対の防御状態で、スイムスイムは中空で何故か上半身を背中側へと軽く逸らせたラ・ピュセルの顔面へと――必殺の一撃を放った。

 

 

 ――この時、彼女がある事を知っていたのならば、スイムスイムは絶対にその一撃を放たなかっただろう。

 

 それは、ラ・ピュセル──岸辺颯太には『夢』が『二つ』あるということ。

 魔法少女とは別に彼にはなりたいものがもう一つあり、そのために努力し己を鍛えてきた事を。

 炎天下の太陽の下でその練習に励み、冷たい雨の降る中でも技を磨き、仲間たちと共に幾度もの戦いに挑んできた事を。

 

 だが、彼女はそれを知らず、結果としてラ・ピュセルが空中でとったのが何の体勢であるかもわからずその顔面へと掌底を放ったのだ。

 

 かつて、そのスポーツ競技のボールは本物の皮を使っていた。

 牛や豚の膀胱を膨らませて作ったそれは、雨が降り水を吸い込もうものならばとてつもない重さとなり、半ば凶器となる。

 だからこそ、当時において試合でそのテクニックを行うことは命がけだった。もし失敗して下手にボールを受けようものなら頭部が挫傷するか首を折りかねない危険な行為。

 だからこそそれを行う者は、しっかりとボールを直視した。恐怖に負けて僅かでも目を逸らせば、それが死を招くと知っていたから。

 

 ゆえにそれは、恐怖に立ち向かい打ち克った者だけが出来る最高のプレイ。

 それは魔法少女ラ・ピュセルとは別に岸辺颯太が見た――もう一つの夢が生み出した逆転への一手。

 サッカー選手を夢見た少年が鍛え磨き上げた全力の頭突き(ヘディング)が、スイムスイムの掌底に『直撃』した。

 そして、

 

「――ッ痛ああああああああ!?」

 

 手首から先が爆ぜたような『痛みと衝撃』に、スイムスイムの思考は吹き飛んだ。

 

 

 ◇ラ・ピュセル

 

 

『痛み』が、最初の手がかりだった。

 

 何故痛い? 傷が痛むからだ。

 何故傷が出来た? スイムスイムの掌底に付けられたからだ。

 何故付けられた? スイムスイムが僕の肌に触れたからだ。

 

 ――では、なぜスイムスイムは僕に『触れ』られた?

 

 スイムスイムの魔法は無敵だ。

 その魔法が発動している間は、何人も彼女に触れる事は出来ない。

 だが、同時に――彼女も何人にも触れられない。

 

 ならば、そんな彼女が僕を攻撃するためには――その魔法を解くしかない!

 

 それは推測に推測を重ねただけの思考。だがようやく見つけた勝利への微かな可能性。

 だったら僕は、そこに総てを賭けるだけだ!

 

 そしてスイムスイムが放った掌底――絶対に魔法を解かざるをえないだろう攻撃の瞬間の接触面にカウンターでぶつけたヘディングは、肉にめり込み骨を軋ませる確かな手ごたえを僕に感じさせた。

 

 よしッッッ!

 内心歓声を上げるも、掌底をまともに額に受けた凄まじい衝撃に意識が……遠のい、て……――まだだぁッッ!!!。

 僕は全力で頬の内側を噛み、その激痛で遠のく意識を覚醒させる。咥内に血が溢れたが構うものか。何としてもこの唯一の勝機を逃がすな。

 僕は中空で初めての痛みに悲鳴を上げるスイムスイムの傷ついた右腕に手を伸ばし――掴む。掴めた。集中が途切れたことで魔法も解除されている!

 

「うおおおおりゃッ!!」

 

 そのまま全力で腰を捻りスイムスイムを地面へ叩きつけた。

 

「かっ…は…ぁ…っ!?」

 

 地面を粉砕し背中から衝突したスイムスイムは口から血の混じった悲鳴を漏らす。

 そんな彼女の身体にすかさず馬乗りになり、その両手首を頭上でまとめて左手で抑えつけた。

 それは奇しくも、いつか僕がスイムスイムにやられた時の体勢。だがその時の立場を全く逆にして、今度は僕がスイムスイムを追い詰めている。

 その事に何とも言い難いゾクリとする感覚を覚えつつも、僕は拳を固く握り振り上げ、組み敷くスイムスイムの顔面にッ――

 

 目が、合った。

 苦痛に歪むその儚げな美貌の中で、僕の拳を映し見開かれた、怯える幼子のような瞳と。

 

「――――ッ!?」

 

 僕の拳が、止まった。

 スイムスイムを殴りつけるその寸前、その無垢な肌を傷つけるその瞬間に。

 いや何をしている。なぜ止めたんだこの僕は? いけない。早く動かさなければ!

 我に返りそう思った瞬間――ぐらりと、視界が揺らいだ。

 

「ぁ……」

 

 四肢から力が抜け、感覚が消え失せていく。呆然と僕を見上げるスイムスイムの顔も、揺らぎ霞んで……だ、めだ……ぼくは……かた、な……きゃ……

 

 

 視界と感覚を意思で何とか繋ぎ止めようととしても虚しく遠ざかり……――そして、全てが闇に途切れた。

 

 

 ◇スイムスイム

 

 

 ラ・ピュセルがぐらりと揺らいで、変身が解ける。

 蓄積し過ぎたダメージについに力尽きたのだろう。意識を失い力無く倒れ込む岸辺颯太の身体を、スイムスイムは呆然と受け止めた。

 のしかかってくる、今だあどけなさが残るも硬くたくましい男の身体を感じながら、彼女の心臓は熱く鼓動を鳴らしていた。

 

「すご……かったぁ……」

 

 呆然と、呟く。

 息は乱れ白い柔肌は血と汗に濡れて、頭突きを食らった右手と地に打ちつけた背中がジンジンと痛む。その心にはラ・ピュセルに拳を向けられた時の恐怖が今だ残っているけど、それを上回る充足感が在った。

 

「ラ・ピュセル……」

 

 唇がふれあいそうなほど近くにある颯太の顔を熱に浮かされたような瞳で見つめ、その名を愛おし気に呟く。

 

 あなたがいれば、きっと私の夢は叶う。

 自身の今までにない成長を、確かに感じる。

 夢に近づいているという実感がこんなに在る。

 

 いま、確信した。あなたがいれば――私は、ルーラになれる。

 

 そしてスイムスイムは颯太の身体に触れて。ぎゅっと、その柔らかな胸の中に抱きしめた。

 

 その姿はまるで、愛しい王子を抱きしめる人魚姫のようであり。

 同時に、恋した男を昏き水の底に引きずり込む水底の妖女(ルサールカ)のようでもあった。

 

 

 ◇クラムベリー

 

 戦いは終わった。その全てを見届けて、クラムベリーは枝の上ですっと立ち上がる。

 

 「で、殺すぽん?」

 

 問いかけるファブに、クラムベリーはふっと微笑を返した。

 

 「いえ。やめておきましょう」

 「え? いやさっきは負けたら殺すって言ってなかったっけ」

 「たしかに負けは負けですが……彼は勝てなかったのではなく、勝たなかったのです。ゆえにギリギリですが引き分けのようなものでしょう」

 「とんだ屁理屈ぽん」

 「それに――」

 

 そしてスイムスイムにもたれかかる颯太に、ほほえましげな称賛の眼差しを向けて

 

 「期待通りに楽しませてもらいましたからね」

 

 森の音楽家は、ぱちぱちと小さな拍手を送った。 

 

 

 ◇スノーホワイト

 

 

「本当にありがとうございました!」

「お礼なんていいですよ。それよりも早く彼氏さんの所に行ってあげてください。デート、楽しんできてくださいね」

 

 自分に向かって深々と頭を下げる若い女性に、スノーホワイトはそう優しげに言ってほほ笑んだ。

 彼氏とのデートの待ち合わせに遅れそうになって困っていた心の声を聴き、そんな彼女を背負って待ち合わせ場所に送り届けたスノーホワイト。何度も礼を言った後でソワソワと待つ彼の下へと駆け寄るその姿を、彼女は優しい眼差しで眺めていた。

 

 やっぱり人助けをしている時は、心が安らぐ。この一歩間違えれば死に至る殺伐とした状況の中でも、かつての正しい魔法少女としての日常を感じる事が出来る『人助け』はスノーホワイトにとって数少ない心の支えの一つとなっていた。

 そんな彼女の瞳が見守る先では、ようやく出会えたカップルが仲睦まじく肩を寄せ合い幸せそうに笑っている。

 約束の時間ギリギリに来た事を涙目で謝る彼女を笑って許した優しそうな彼氏の姿を見ていると、不意に脳裏にラ・ピュセルではなく岸辺颯太の顔が浮かんだ。

 

『小雪』

 

「~~~~っ!?」

 

 優しく微笑みかける幼馴染のイメージに小さな胸がドキッとして、慌ててブンブン頭を振って振り払おうとする。けど、むしろイメージは加速し、消えるどころか彼に背中から抱きしめられた時の感触まで蘇ってきて、雪のように白いその頬は真っ赤になってしまった。

 

「あぅ……まただ……」

 

 颯太と別れたあの夜以来、ずっとこんな感じだ。

 ふとした時に彼との記憶がよみがえり、その度にどうしようもなく胸がドキドキしてしまうのだ。思い出す颯太の表情に、その声に、そのぬくもりに、心乱され頬が熱くなってしまう。おかげで昨日はほとんど眠れず、寝不足のまま受けた授業でうっかり居眠りをしてしまい先生に怒られクラスメイトに笑われた。

 あげく今もこうして高鳴る胸の鼓動に悩まされている。

 

「うぅ……全部そうちゃんのせいだよぉ……」

 

 ラ・ピュセルのためにキャンディー集めを頑張っているというのにこれでは碌に集中できないではないか。ここにはいない相棒に、スノーホワイトが恨みがましく呟いていると、

 

「おっ! スノーホワイトじゃねーか」

 

 頭上から降って来た人懐っこそうな声に驚いて顔を上げると、トレードマークである魔法の箒にまたがったトップスピードとリップルのコンビの姿が目に入った。

 

「あ……」

 

 自分以外の魔法少女――生き残りをかけてキャンディーを巡り争い合う存在の登場に、一瞬硬直するスノーホワイト。

 だがそんな彼女の緊張とは裏腹に、トップスピードはやんちゃな猫を思わせる笑顔を浮かべ降下し、目の前に降り立つ。穏やかなその瞳には、一片の敵意も邪念も無かった。

 

「珍しい所で会ったな。お前が担当地区の外に出るなんて珍しいじゃねえか」

 

 言われ、ここがトップスピード達の担当地区であることに気づく。どうやら女性を送り届けているうちにいつの間にか入ってしまったようだ。青くなったスノーホワイトが事情を話し謝ると

 

「あっはっはっ! 人助けでうっかり入っちまったとかスノーホワイトらしいな」

 

 トップスピードは侵入を怒るどころかそう快活に笑って許してくれた。

 その気持ちのいい態度に、スノーホワイトはこんな人を一瞬でも疑ってしまったことを深く恥じる。

 

「あの、ごめんなさい……っ」

「へ? いや別に気にしちゃいねえよ」

「そうじゃなくて、私、最初にあなた達を見て怯えちゃったんです。……その、もしかしたらキャンディーを奪うために襲ってくるんじゃないかって……」

 

 自分で言っていて死にたくなった。なんて失礼な話だろう。こんな優しい人を疑ってしまうなんて、自分の臆病さが嫌になる。

 嫌われ怒られるのを覚悟でした告白に、だがトップスピードはむしろ幼げな美貌に同情を浮かべた。

 

「あー……。まあこんな状況だから仕方ねえよ。だからそんなに自分を責めんな。まず警戒したお前の判断は正しいさ」

 

 そして小さくて。でも温かな手で頭を撫でられた。

 自分の髪に優しく触れて、よしよしと慰めてくれる優しい感触はまるでお母さんのようで

 

「ありがとう……ございます……」

 

 少し潤んでしまった声で礼を言うと、トップスピードはにかっと太陽のような笑みで

 

「よしっ。じゃあこの話はこれで終いだ。つーわけでスノーホワイトは気を取り直して笑え。せっかくかわいい顔をしてるんだから笑わないともったいないぜ」

「えっ!? ……そ、そんな可愛いって……」

「ほら真っ赤になって可愛いじゃねえか~。リップルもそう思うだろ?」

「……チッ。セクハラ親父みたいな台詞は恥ずかしいからやめて」

 

 傍らで我関せずとばかりに一人腕を組んで立っていた相棒のつれない発言に「え? これってセクハラなの?」と大きな目を丸くしていたトップスピードだったが、ふと「はて?」とその首を傾げた。

 

「そういえばラ・ピュセルはどうした? なんか違和感があるなーと思ったらスノーホワイトといつも一緒のあいつがいないからか」

 

 その疑問に、スノーホワイトはラ・ピュセルの事情をその正体などを秘密にしたうえで話した。

 本当なら相棒の不調などおいそれと他の魔法少女に話してはいけないのだろうが、この人ならば信用できると思えたから。

 案の定、一通りそれを聞き終えたトップスピードは心配そうにラ・ピュセルとスノーホワイトの身を案じてくれた。

 

「そっか……。ダチのために頑張るってのはいいけど、くれぐれも無理はすんなよ。――いいか。もし危ない事に巻き込まれそうになったら遠慮せず俺に連絡してくれ。いつでもどこでもすぐに飛んでくからよ」

「えっ……あの、いいんですか?」

「あったりまえだろ。同じ人助けをする魔法少女同士じゃねえか。それにダチのピンチに駆けつけられないようじゃ名深市最速の名が廃るってもんよ」

「……っ。ありがとうございます!」

 

 胸が熱くなり心からの感謝をするスノーホワイト。トップスピードはそんな彼女の様子に微笑んで――一方、リップルは考え込むように顎に手を当て眉を寄せていた。

 

「リップル……?」

 

 相棒のただならぬ様子に、トップスピードは怪訝気に眉を寄せる。。

 リップルは、ぽつりと呟いた。

 

「ラ・ピュセルなら今夜、トップスピードとキャンディー集めに向かう途中で見た」

「え?」

 

 その言葉に、スノーホワイトは思わず声を漏らす。

 そんな馬鹿な。だってそうちゃんは体調が悪くて今夜も家で休んでいるはずだ。

 

「んな馬鹿な。見間違いとかじゃねえのか?」

 

 困惑するスノーホワイトの内心を代弁するかのように問いかけるトップスピードに、しかしリップルは意志の強さを感じさせるその澄んだ声で、はっきりと言った。

 

「遠目からだけど間違いない。あれはたしかにラ・ピュセルだった」

 

 確信を込めたその言葉が嘘であると、スノーホワイトには思えなかった。

 たとえそう思いたくとも、思うことが出来なかった。

 

 




お読みいただきありがとうございます。
水曜日に上げるとかほざきつつ翌週の月曜日に投稿するクソとは作者の事です。あとがきを書き終えたらちょっとクビヲハネヨされてきますので許してください。

スイムとのバトル後編いかがでしたでしょう?
基本この作品では敵キャラ全てを強化する敵TUEEEEでお送りするので彼女には天才属性が付きました。うん敵キャラの中で一番強化度合いが生易しいわ。でもシスターナナは強化しないよ。あの魔法を強化したら物理殺傷力最強過ぎて一対一じゃ誰も倒せないからね。個人的にシスターナナの魔法が強化部位の調整が出来るように成長して強化上限も上昇したら、まほいく物理的殺傷力最強魔法になると思うのです。
そしてバトルそのものも作者の趣味爆発で「このキャラは絶対こんな事をしない」とは分かっていても「でもこんな事をさせたいよね」という欲望の下にバトルスタイルや技をノリノリで捏造しますので、原作を遵守しなきゃ許さないという方は引き返すのなら今のうちですよ。次のバトルからは作者本気出しますからね。

おまけ

『スイム乳がプルンプルンしていた時の音楽家ァ』

「胸で誘惑するとは何とも下品なことです。私にはとても真似できませんね」
「したくとも出来ないの間違いだろぽん」
「やる気になれば造作も無いですが趣味ではないというだけです」
「冗談はバストサイズだけにするぽん」
「(プルルルル)……もしもし。スタイラー美々ですか? 緊急の依頼です。今すぐ名深市に『ヒャッハー!』え? これから戦闘バカとの仕事がある? そんなものより私に胸が大きく見えるボディメイクを……」
「まったく貧乳はバッドステータスぽん」


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夢と理想に溺れて

今回は独自解釈設定改変過去捏造の三拍子そろった話ぽん。とくに過去話は全て捏造なので許せないという方は注意するぽん。

あとはここ最近碌な目にあってないそうちゃんへのご褒美回も兼ねているのでお色気十割増しでお送りするぽん。
原作ですら性的描写で断トツの原稿修正数を誇るそうちゃんで二次創作ラブコメするならエロくならないわけがない!……と言うわけで勘弁してほしいぽん。

※前話にクラムベリー視点を加筆したぽん


 ◇岸辺颯太

 

 

 それは忘れられない遠い昔。

 僕が無邪気で何も知らなかった、とてもとても小さな子供だった頃。

 

「うそだ!」

 

 泣きわめく僕を困ったように見つめる小雪の顔を、僕はよく覚えていない。

 止まらない涙で、ほとんど見えなかったから。

 

「うそじゃないんだよ。そうちゃん……」

 

 ぐしゃぐしゃに歪んだ視界(セカイ)の中で、哀しそうに、憐れむように、大好きな女の子の瞳が僕を見つめる。

 やめて。そんな目で僕を見ないで。

 世界がぐらぐらと揺れる。足下が崩れ落ちて、奈落の底へと墜ちていくような感覚に目の前が暗くなっていく。

 ぼろぼろと泣きながら、絶望に声を震わせて、僕はそれでも彼女の語った言葉を受け入れなかった。……いや、受け入れたくなかったんだ。

 

「やだよ……」

 

 僕は子供だった。

 

「そんなの……やだよぉ……」

 

 僕は何も知らなかった。

 

「いやだよ。こゆきぃ……ぼくは……」

 

 大人になれば何にでもなれて、頑張ればどんな夢でも叶うと信じていた。

 

「わたしだってやだよ。そうちゃんといっしょに魔法少女になりたいよ。でもね、そうちゃん……――」

 

 だからこそ、その真実は、その絶望(げんじつ)は、どんな処刑宣告よりも無慈悲に容赦なく――子供だった僕を押し潰した。

 

 

 

 

 

「男の子は、魔法少女にはなれないんだよ」

 

 

 

 

 

 僕の《夢》は、けして叶わないのだと。

 

 

 ◇◇◇

 

 

 ほの暗い水の底から浮かび上がるように、僕の意識は覚醒した。

 何だろう。頭の下がなんだかすごく柔らかくて、ほんのり温かい。

 それにいい匂いもする。微かに甘くて不思議と脳の奥が痺れてくるような、そんな香りが。

 

「ぁ……」

 

 ゆっくりと、瞼を開く。そこから一粒の涙が、頬を流れた。

 ぼやけた視界は、白で満ちていた。

 白くて、丸く大きな何かが、目の前で視界のほとんどを覆っている。

 

「おもち……?」

 

 それが何かわからなくて、ぼうっとする頭で手を伸ばす。

 

 ふにゅんっ

 

「おぉぅ………っ」

 

 沈み込む指先が感じたえも言われぬ柔らかさに、思わず声が漏れた。

 

 え、なに? なんだこれ……っ!

 

 純白の生地の滑らかな肌触り。その弾力は柔らかくも、指を沈めればしっかりと押し返してくる。吸い付くような感触はまるで極上の水饅頭のよう。そしてほんのりと温かくて柔らかいのに、掌で下から支えるように持ってみればずっしりと重い。

 

 ああ、いいなぁ……これ。なんだかわからないけど………ずっと触っていたいなぁ……。

 

 今まで味わった事の無いほど心地良い柔らかさに、何だかとても幸せな気分になりながら、僕はまだ半分夢の中にいる様な状態で目の前のおもち(?)を揉み続けて

 

 

 

 

 

 

「――ラ・ピュセル。何で私のおっぱいを触ってるの?」

 

 

 

 

 

 

 全身から血の気が引く音と衝撃に絶叫した。

 

「くぁwせdrftgyふじこlpッッッ!?!?!?」

 

 言語すらも吹っ飛んだ悲鳴を上げて僕は寝転がった状態から跳ね起きて

 

「ふぁむっ!?」

 

 結果、頭上のおもちに思いっきり顔面を激突させた。痛みはないけどずっしりとした重さととんでもない柔らかさ、そして得も言われぬ甘い香りが顔全体を包み込んで

 

「っ~~~~~~!?」

 

 今度の悲鳴は声すら出せなかった。もうこのままでは脳髄を侵す女の子の香りと感触にどうにかなりそうだったから、僕を膝枕しているスイムスイムから慌てて離れようとして、

 

「ごっ、ごめっこれは何というかそのわざとじゃ――うわっ!?」

 

 今まで寝転がっていたらしいベッドから転がり落ちた。

 その拍子に床にしたたかに頭をぶつけ、その痛みと衝撃で完全に目が覚める。

 

「痛っ~~~……!!」

 

 涙の滲んだ視界に映るのは、見覚えのある天井やポスターの張られた壁――僕の自室だ。

 あれ、なんで?僕は確か……王結寺にいたはずじゃ……?

 状況が呑み込めず混乱する僕に、ベッドの上から落ち着いた声が掛けられた。

 

「大丈夫? ラ・ピュセル」

 

 窓から降り注ぐ月光の中に、スイムスイムはいた。

 夜闇に浮かび上がる純白の肢体。月の光を浴びた肌は白く透き通り、その上を淡い桃色の髪が艶やかに流れて色を添える。穢れ無き無垢な肢体はだが豊満すぎる胸元やたっぷりと脂肪の乗った太ももがとてつもなく淫靡で、どこか背徳的な美があった。

 

「うぁ……」

 

 思わず、ため息が漏れた。それはまるで、御伽話の中から現れた水の妖精の様な少女。その茫洋とした赤紫の瞳は静かに、床で呆然としている僕を見下ろす。

 

「スイムスイム……?」

「うん」

「えっと……僕は、何で……」

 

 最後に覚えているのは、スイムスイムと戦いあと一歩まで追い詰めたこと。だがそこから記憶はぷっつりと途切れている。あれからどうなったのか。なぜスイムスイムが僕の部屋にいるのか。聴きたいことは沢山あるはずなのに、起き抜けの衝撃と、向かい合う少女の美しさに呑まれて頭がうまく回らない。

 そんな僕を見かねてか、スイムスイムは淡々と答えた。

 

「ラ・ピュセルは私にとどめを刺す前に気を失った。だから気絶したあなたを私がここまで運んだ」

「えっと……じゃ、じゃあ膝枕されていたのは?」

「うなされていたから。こうすれば落ち着くと思って」

「そ、そうなんだ……。ありがとう」

 

 平然と言われ、対して自分は今も心臓が興奮でバクバクと鳴っている事に気恥ずかしさ覚えつつも礼を言うと、

 

「別にいい。ルーラが言っていた『部下の体調を管理するのもリーダーの務め』って」

「あ、なるほど……」

 

 安定の『ルーラが言っていた』に納得。……でも、確かにほっとしたけど何となく残念なような……。

 そんな内心で複雑な思いを抱く僕に、スイムスイムは続けて言った。

 その吸い込まれるような底の見えない赤紫の瞳で、見詰めながら。

 

「それに、私もラ・ピュセルが死んじゃったら困るから」

「え……」

 

 淡い唇が紡いだその声は、静かながらも狂おしい熱の様なものを孕んでいるかのように思えて。

 機械の如く冷徹な彼女にはおよそ似つかわしくないそれに、思わずスイムスイムの捉えどころのない表情を見るも、そこにからかいや冗談の色は無かった。

 どうやら彼女は、ただごく当たり前にその本心を語っているらしい。

 ただしそれは、思いやりや優しさなどと言った物とはまた違うように思えた。そんな生ぬるい感情とは比べ物にならないもっと狂的で妄執にも似た色が、その澄んではいるが底知れぬ瞳の深淵に在ったから。

 

「……ッ」

 

 それに言い様の無い怖気を感じて、僕はその深淵から目を逸し

 

 

「も、もう大丈夫だから。わざわざ運んでもらって悪かったな……っ!」

 

 一刻も早くスイムスイムと別れるべく、少し早口にそう語る。

 感謝はある。一応ここまで運んでくれた人に対しては無礼な態度だとも分かっている。けどそれ以上に、その瞳を見続けるのは危険だと本能が叫んでいた。

 

「ほんとにありがと。じゃあもうこんな時間だし、お前もそろそろ帰――」

 

 だから立ち上がり、退室を促すべく廊下への扉に手を掛けようとして――よろけてしまう。

 今だ起き抜けであるのと、おそらくはスイムスイムとの戦闘で極度の緊張状態を長く続けた事による精神的な疲労が重なって気が付けば、ふらついた体を支えきれず僕は床へ倒れ込もうとしていた。

 

「危ない」

 

 咄嗟に何かを掴もうと伸ばした腕が華奢な手に握られ、引っ張られる。

 間一髪、僕はそのままベッドに正座するスイムスイムに抱きとめられ事なきを得た。

 

「無理しては駄目」

 

 と、再び頭を行儀よく正座した彼女の膝に乗せられる。

 

「い、いいってば別に!? 今のはちょっとそのふらっと来ただけで大したことは――」

「嘘。顔が真っ赤になってこんなに熱いのに大丈夫なはずない。ラ・ピュセルが落ち着くまではこうしている」

 

 顔から火が出そうなくらい赤面してるのは確かだけどそれは主にお前のせいだから!

 ……何てことが言える筈も無く、かといってこのままでは視界を埋め尽くす巨大なおもちが目の毒すぎてむしろ精神的に色々とヤバイ。

 と言うかスイムスイムは何でこんなに無防備なんだ。

 僕なんてこうしてるだけでむっちりした滑らかな太ももの柔らかさと女の子の臭いで脳の奥がクラクラしてきて――だめだ僕!

 

「ってええええい!!」

 

 恐るべき女体の脅威に理性が壊れる寸前、僕は全力で体を動かし寝返りの要領でスイムスイムの膝枕から脱出した。そしてスイムスイムに背中を向けるよう横向きにベッドに寝転がる。

 あ、危なかった……ッ! だが何とか膝枕から逃れられたぞ。……でも、もう少しだけしててもよかったかも――いやいや未練なんて無い! 無いったら無いんだ!

 

「ラ・ピュセル?」

「ご、ごめん驚かせちゃったな。でも実は膝枕ってそんなに落ち着けなくてさ。リラックスするならこっちの体勢のほうがいいんだよ」

「そうなの? ユナエルとミナエルは膝枕をすればどんな男でも元気になるって言ってたのに?」

 

 よしあいつら後でシメよう。

 とはいえこれでピンチからは逃れられた。後はスイムスイムを帰らせれば万事解決だ。

 

「だからもう大丈夫だから。スイムスイムはかえふおおおおおおおおおおおお!?」

 

 むにゅん!!

 

 とてつもなく柔らかくて弾力があってそして丸い大きな感触が背中に! 背中に!

 

「すすすすすすすすスイムさん!?」

 

 突然の事態に仰天する僕の首筋に彼女の生温かい吐息がかかる。つまりそれは、それほど近くに彼女がいるという事で

 

「こうすれば、もっとリラックスできる。私が夜眠れない時にお母さんがこうしてくれたから、私もしてみた」

 

 おそらくは僕の背中にぴったりと身体を寄せて添い寝しているスイムスイム。その言葉にはそれ以上の意味は無くて、でもその行動には膝枕以上の物理的刺激があった。

 具体的には、今も背中に当たっている果てしなく柔らかくてかつ弾力のあるむむむむ胸っ!!

 

「? おかしい。息が荒くなってもっと顔が赤くなった。なんで?」

 

 度重なる刺激に翻弄されまくる僕に対して、スイムスイムのその相も変わらず平坦な声に恥じらいの色は無い。

 も、もしかしてこういう……その、男と女が密着するような行為に慣れているのか?

 一瞬そう思ったが、その割には男女の手練手管を知る女のいやらしさは感じられない。ただ純粋に良かれと思ってしたことが裏目に出ていることに困惑している様子だ。

 

「もっとくっつけばいいのかな……?」

「え、いやこれはもうすでにじゅうぶ――ひゃあっ!?」

 

 ならこれはつまり単なる医療行為でありつまりは何らいやらしい物ではないので心乱される方がむしろ間違いって無理だよこんなの! こんな胸部装甲は中学生男子にとって凶器以外の何物でもないよ! ていうかちょっとマジで動かないで。お前が少しでも動くたびに背中で白いおもちがふにゅんふにゅんするから!

 

「ラ・ピュセルの鼓動、凄くドキドキしてる。こんなにプルプル震えて……寒いの? ならぎゅってする」

「ぁわわわわわっ!?」

 

 背中から腕を回され、豊満すぎる感触が更に押し付けられる。こんなに女の子と密着するのはたま以来だ。けど、その刺激たるやたまとは比べものにならない。

 たまのあどけなさの残る肢体は華奢で胸もそれほど大きくはなかった。だがスイムスイムは違う。

 彼女の肢体は豊満な胸や尻を除けば一見すらっとして余分な贅肉など無いように見えて、だが触れてみれば柔肌にはむっちりと脂肪がのっているのが分かる。だというのにそれはけしてそのスタイルを崩すことなく、芸術的なバランスを保ちながら彼女にグラマラスな艶やかさを与えているのだ。

 

「どう? 気持ちいい?」

「………ッ。……ッ!!」

 

 触ればほどよく指が沈む肌はどこまでも瑞々しく吸い付くよう。そしてなにより、僕の――ラ・ピュセルの胸はたとえ外気に曝しても形が崩れること無く、体を動かしても少ししか揺れないが、スイムスイムのそれはほんの少し身じろぎするだけでもたぷんと揺れて、今もこうして僕の背中でむにゅんむにゅんと躍るように形を変えているのだ。

 それに、匂いも危険だ。淡い唇から吐息が漏れるたび、ウェーブのかかった髪がさらりと流れるそのたびに甘ったるい女の香りが鼻を刺激して、思考すら蕩けてしまいそうだ。

 

「気持ちよくないの?」

 

 とにかくスイムスイムは何もかもが甘く柔らかで、暴力的なまでに色っぽい。

 そんな少女が、いま、僕のベッドに寝そべって、その肢体の全てを僕に密着させている!

 やばい。もうなんかいろいろとマズい。ぶっちゃけこのままじゃ、ただでさえ性に関してはチリ紙程度に薄っぺらい中学二年生の理性が持たない。

 かといって下手に振り解こうと動けばスイムスイムはますます体を当ててくるかもしれず、結果、僕は真っ赤になりながら身を硬くして、ブチブチと音をたてて今にも千切れそうな理性の糸を必死に繋ぎ止るので精いっぱいだった。

 

「どうしよう。思いついたことは全部やったはずなのに……。こんな時、ルーラならどうするのかな?」

 

 かつてこれほどに追い詰められた戦いはあったろうか。いや無い。クラムベリーとは比べ物にならない胸部装甲の強敵。ギリギリの攻防だった組手をも上回る危機感。まさにかつてない程の窮地。これは武力でも知力でもない、理性と煩悩がせめぎ合う精神の戦いッ!

 だが僕には心に決めた人がいるんだ。おっぱいなんかには負けない!

 落ち着けー落ち着けー心を無にして煩悩を捨てろっ。色即是空空即是色母さん母さん母さん母さん……!

 

「ラ・ピュセル」

「なっ、なに?」

 

 悲愴な決意を胸に孤独な戦いを始めた僕の背中で、ふとスイムスイムが動きを止めた。

 

「頑張ってみたけど、駄目だった。だから教えてほしい。……ラ・ピュセルは、私にどうしてほしいの?」

 

 問いかけるその声が、僕の耳に入り込む。

 

「教えて。ラ・ピュセルが気持ちよくなることを。私は何でもするから」

 

 え……。

 

 思わず後ろを振り向くと、赤紫の瞳と目が合う。

 無表情ながら、その瞳はどこまでも真剣に困惑する僕を見詰めていた。

 

「なん……で……も……?」

「うん。何でもする。ラ・ピュセルが気持ちよくなってリラックスできるなら」

 

 あどけなく無機質な瞳が、息を呑む僕を捕らえる。

 白い水着に包まれたはちきれんばかりの乳房が、誘う様に揺れて。その流れる髪から、漏れる吐息から、漂う甘い少女の香りが僕を包み込む。

 手を伸ばせば、すぐに届く。言葉を掛ければ何でもすると語る――極上の女が、そこにいた。

 目が、離せない。下腹部が熱を持ち、今にも猛ろうとしている。ごくりと唾を飲み込む僕へと、濡れた唇が囁いた。

 

「ラ・ピュセル………」

 

 僕の名を呼ぶ、その声に、僕は――

 

「~~~~~~ッ」

 

 バッと再び背を向けて、

 

「なっ、何か話をしよっか!」

 

 一度墜ちればどこまでも墜ちていきそうな色欲を全力で振り払った。

 あ、危なかった……ッ。僕には小雪という心に決めた人がいるのに、一時の感情に惑わされてとんでもない裏切りをする所だった。べ、別にまだ付き合ている訳じゃないけど、初めてはやっぱり好きな人とじゃなきゃ駄目だしねっ!

 

「はなしを……?」

「う、うん。その……気がまぎれてリラックスできるかもしれないし」

 

 これは半分本当だ。少なくともこれ以上、圧倒的すぎる肉感に苛まれ続けるよりはよほど精神的に負担がかからないから。

 ではとりあえず何を話そうかと考え、ふと戦う僕を心配そうに見つめていたたまの姿が思い浮かぶ。

 

「そういえば、たま達はどうしてるんだ?」

「たまは大変だった。ラ・ピュセルが気を失った後すぐに真っ青な顔で駆けつけてきた」

 ビックリさせてしまったか。でもそんなに慌てて大丈夫だったのだろうか。

 

「途中で三回転んでた」

 

 やっぱり。

 

「そして縋り付いたはいいけど、意識が無い事を知ると気が動転して慌てて人工呼吸をしようとしてた」

「ぶっ!?」

 

 えっ、じゃ、じゃあまさか僕のファーストキスはたたたたたたまにっ!?

 い、いやでもあくまで人工呼吸でいわば医療行為だしノーカンだよね! そうだよね!?

 

「でもいざ唇を付けようとしたら、今度はたまが緊張しすぎて過呼吸になってダウンした」

「そ、そうなんだ……(ほっ……)」

「それを見たピーキーエンジェルズはお腹を抱えて笑ってた」

「……へーなるほど」

 

 天使殺すべし慈悲は無い。

 

 青みがかった闇の中、ゆらゆらと朧な月明かりが夜闇に揺れるここは、まるで海の底だ。僕ら以外には誰もいない、二人きりの闇の世界。暗く、静かで、ただ寄り添う二人の息遣いと声だけが流れていく。

 僕たちは、色々な事を話した。

 だいたいは僕が話を振り、けど時折スイムスイムが問い掛けて。

 

「体はもう大丈夫?」

「え?」

「痛みとか残ってない?」

「あ、ああ……。別に致命傷じゃなかったから僕の――人間の方の身体に傷は無いよ。ちょっと体はだるいけど、それはむしろ精神的に疲れたからかな」

「そう。ラ・ピュセルを手加減しないでいっぱい叩いたから、やり過ぎたかと思って少し心配した」

「…………」

「ラ・ピュセル?」

「ごめん。ちょっと自分が情けなくなってさ……。負けるつもりはないって言ったけど、結局負けて……格好悪いなって」

「ううん。そんなことない」

「いいよ。気を使わなくて」

「気を使ってなんて無い。私も絶対に勝てると思っていた。けど、実際はラ・ピュセルが気絶するのが後少しでも遅れていたら私はやられていた。あの戦いは本当に紙一重だった。ラ・ピュセルはすごかった。――だから、格好悪いなんて思ってない」

「……そっか」

「うん。そう」

 

 

 スイムスイムは相変わらず無表情で感情に乏しく、僕は未だ緊張しなからだったから会話が弾むということは無かったけど、不思議と途切れることも無く。ゆっくり、ぽつりぽつりと、背中越しに言葉を交わし合う。

 

「そういえば……」

「なに?」

「スイムスイムのコスチュームってゲームの初期アバターのままだよな。なんで他のコスチュームにしなかったんだ?」

「これが一番『白』が多かったから」

「白が?」

「うん。だから他のコスチュームには興味なかった。けど、今は後悔している」

「似合ってると思うけど……」

「でも、ルーラのコスチュームの方が白くてフリフリだった。もっと頑張って他の物も手に入れるべきだった」

「ああ……あれは凄いよな。全身激レアコスチュームで固めてるから初めて見た時は驚いたよ」

「うん。ルーラは凄い。この白いスクール水着が一番お姫様に相応しいコスチュームだと思ったけど、本物のお姫様には敵わなかった」

「お姫様が好きなのか?」

「うん。お姫様は可愛くて賢くてかっこいいから。ルーラは誰よりもお姫様だった」

 

 静かに流れる清流の様なスイムスイムの声は、それでもルーラの事を語るその時だけは冷たい水面に熱が宿る。

 誇らしげに、憧れと崇敬を込めて。慕うアイドルの魅力を語るファンのように、あるいは神の偉大さを説く狂信者の様に。

 

 なんで、そう言えるんだ?

 なんで、そんなに声を弾ませられるんだ?

 

 

 

 ――ルーラを殺したのは、スイムスイム(おまえ)だろうに。

 

 

 

「ルーラが好きなんだな……」

 

 その真意がわからずに、問い掛ける。

 白い逆徒は、答えた。

 

「うん。好き」

 

 迷いの無い声に、曇り無き愛を込めて。

 

「…………」

 

 スイムスイムのルーラへの想いは、本物だ。

 思い返せば確かに、彼女がルーラを見るたび、ルーラの隣にいる時だけは、常なら感情の浮かばぬその瞳の中にはっきりとした歓喜と敬慕が在ったのだから。

 そのルーラを殺したのは、きっとただの野心や生き残るためだけの裏切りなんかじゃない。こいつの中でもっと大きな意味と理由が在ったはずだ。慕い尊敬した者を犠牲にしてでも求めた何か、それがきっと――スイムスイムの真の目的。

 

 思えば、僕はこいつの事をほとんど知らない。

 その感情の見えない無表情の下で、何を考え、何を願い、そして何を成そうとしているのかを。何一つ、僕は知らなかった。

 その瞳の昏き深淵を覗く事を、躊躇っていたから。

 怖かった。恐ろしかったのだ。彼女の内に在るものに足を踏み込んだら最後、その狂える深淵にどこまでも引きずり込まれそうで。

 見てはいけない。知らない方がいい。たがきっとそれは、この恐るべき魔法少女の手の中から逃れるためには知らなければならないことなのだ。

 戦いとは――打ち勝つべき敵と対峙し、その総てと向かい合うということだから。

 

 いいさやってやる。僕は誓ったんだ。二度と恐怖からは逃げないと。

 それにもし、説得できるものならばしなければならない。スイムスイムが何を目的にしているのであれ、それを諦めさせマジカルフォンを返してもらう。それが戦いでは敵わなかった僕の、最後の勝機だ。

 決意を胸に僕は、寝返りをうつように体を背後の少女に向け、スイムスイムの瞳――その赤紫の深淵を覗く。その果てを見極めるべく。

 さあスイムスイム、聞かせてくれ。お前のその深淵の底に在る――根源を。

 

「――お前は、何でルーラを殺したんだ?」

 

 合わさる、二人の眼差し。互いの瞳が、互いを映し合う。

 同じベッドの上で、向かい合うスイムスイムは静かに僕を見詰めて、その唇を開いた。

 

「お姫様になりたかったから」

 

 そう語る彼女の瞳は僕を映しているようで、だが同時に過ぎ去った思い出、遠い日々を見ていた。

 

「ずっと、お姫様が好きだった……お姫様はかわいくて賢くてかっこよくて、私はそんなお姫様になるのが夢だった」

 

 淡々とした声は懐かしそうに、幼い日の夢を語る。

 

「大きくなったらどんなお姫様になろうかといつも考えた。どんなドレスを着ようか、どんなティアラを被ろうか。お姫様になる自分を想像するのが楽しくて……幸せだった」

 

 本当に心の底から満たされていたのだろう。冷たく無機質な氷像を思わせるその無表情がふっと和らぎ、そして――凍り付いた。

 

「けど、私は知ってしまった」

 

 そこに在ったのは、失意と絶望。

 抱いた夢を喪った者の、虚ろながらんどうの瞳。

 その目を……僕は知っている。

 かつて僕も、同じ目をしていたから。

 

「お母さんから、言われたの……」

 

 

 ――綾名。お姫様は生まれつきなのよ。王様と女王様から生まれた子だけがお姫様なの。……だから綾名、あなたは、お姫様にはなれないのよ。

 

 

「ショックだった。辛くて悲しくて、胸がギュってして頭の中がぐちゃぐちゃになって、涙が止まらなくなって……」

 

 ああそうだ。僕が初めてそれを知った時、哀しくて、悔しくて、でもどうしようもなくて涙が止まらなかった。

 

「こんなに好きなのに、こんなに願っているのに、私はお姫様になれない」

 

 どんなに祈っても、どれほど願っても、こんなにこんなに愛して憧れているのに、それになる事はできないから。

 

「嫌だ。嘘だ。何でってずっと泣いて泣いて泣き続けて……」

 

 つぶらな目が真っ赤になって、細い喉が張り裂けんばかりに痛むほど訴え懇願し切望し問いかけ縋っても――何一つ変わらなかった。願いはかなわず、奇跡は起きず、世界はただ真実を告げる。

 伸ばしたこの手は届かない。抱いた夢は――叶わず潰える。無邪気で幼く、夢を見る子供が向き合うにはあまりにも冷たく無慈悲なそれこそが――現実なのだと。

 そして打ちのめされ、泣きはらして、挫折し絶望し涙が枯れる程に哭き叫び尽したその果てに――

 

「そして私は……諦めた。お姫様になるのを」

 

 ついに僕は……諦めた。魔法少女になるのを。

 

「でも、絶対になれなくても、たとえ憧れる事しかできないのだとしても、それでも……やっぱり、私はお姫様が好きだった」

 

 この手が届かないと知った。この夢が叶うことは無いのだと分かった。だがそれでも、僕は、僕が、《魔法少女》が好きだというその想いだけはどうしても潰える事は無かった。失意と絶望の奈落の底で、小さく輝く『想い』だけは、最後まで残っていた。

 

「だからせめて、お姫様に仕える人になろうと思った」

 

 だからせめて、愛し続けようと思った。

 それが他人から見てどれだけ滑稽でも、幼稚でも、侮蔑されるものだとしても、僕は魔法少女を愛すのをやめないと、誓った。

 

「そして私は、魔法少女になってルーラに出逢った」

 

 そして僕は、『魔法少女育成計画』に出会った。

 

「ルーラは賢くて可愛くて綺麗で――私の理想のお姫様。そんなルーラに仕えるのは楽しかった。ルーラに怒られたり褒められたりするのは嬉しかった。傍にいられるだけで誇らしかった。ルーラは本当にお姫様。私が憧れて、夢を見て、なりたいと思ったけど……なれなかった、わたしの理想のお姫様」

 

 理想の魔法少女を作ることができるというそのゲームに、僕は夢中になった。

 悩みに悩んでぴったりの名前を考えて、騎士のコスチュームを集めるため片っ端からクエストに挑んで寝る間を惜しんでイベントを走った。学校と部活以外の殆どの時間を注ぎ込んでのそれは大変だったけど、楽しかった。自分のアバターがどんとん理想の魔法少女の姿に近づいていくの見るだけで、心が満たされていった。

 

「でも、ある日」

 

 でも、やっぱり

 

「私でも、なれると知ってしまった。そうしたら、物足りなくなった」

 

 どこか、物足りなかった。かつてなりたかった理想の魔法少女はけして手の届かぬ画面の向こう側で、現実の僕はそれを眺めているだけ。

 

「命令を聞くだけじゃ我慢できない。傍にいるだけじゃもう駄目。ルーラの様になりたい。ううん、私は――ルーラになりたい」

 

 理想を形にしていくたびに浮き彫りになる、現実との埋められぬ隔絶。

 このゲームをしていると本物の魔法少女になれるなんて噂話は知っていたけれど、別に本当に魔法少女になりたいわけじゃない。僕はあくまで純粋にゲームとして楽しんでいるだけだ。だいたい男がなったってそれは魔法少女ならぬ魔法少年だ。僕みたいなのがフリフリのコスチュームを着ているだなんておぞましいだけだ。だいいち――男の子は、魔法少女になれないんだから。

 そう、思っていた。いや、今思えばそう己に言い聞かせていただけなのかもしれない。

 ずっと昔に諦めた叶わぬ望み。完全に捨てたと思っていたけど……僕は、やっぱりまだ魔法少女になりたかったのに。

 

「お姫様はルーラ。私がなりたいお姫様はルーラだけ。でもルーラがいたんじゃ、ルーラになれない。それでも、私はルーラになりたいから――」

 

 そして僕は、奇跡の様な偶然から本物の魔法少女になれた。

 諦めたはずのものに。なれないと思っていたものに、なれてしまった。

 そしてスイムスイムは、彼女がなりたいものになるために

 

 

 

「私は、ルーラを殺したの。私がお姫様(ルーラ)になるために」

 

 

 

 そうしてスイムスイムは、自らの根源(はじまり)を語り終えた。

 何を目指し、何を成して、何を犠牲にしたのかを。

 揺ぎ無い声と、曇り無き無垢なる狂気の眼で。

 

 それを前に、僕は言葉を発せず、呆然と理解する。

 ようやく、分かった……。彼女が、何なのかを。

 スイムスイムは狂っている。

 その夢はどうしても、どうしようもなく狂い壊れていて――でも、どこまでも純粋だ。

 その『想い』を、僕は否定できない。そのやり方を拒絶することは出来ても、その『(どうき)』が間違っているとはどうしても思えない。

 だって、僕は知っているから。残酷な現実に押し潰され、どれほど絶望し、諦めたとしても、いや、だからこそ――

 

 

 

 けして叶わないと思っていた夢に手が届くと知った時、人はその手を伸ばさずにはいられないのだと。

 

 

 

 もしかしたら説得できるかもしれないと思っていた。そんな事は間違っている。今すぐ止めるんだと言えば、何とかできるのではないかと……あまりにも無知に愚かに考えていた。

 けど、たとえどんな言葉を連ねようとスイムスイムの考えは曲げられない。どんなに倫理を説こうとも無為に終わる。

 きっと誰にも、その心をその想いを止める事など出来はしない。

 たとえその行動を拒絶できても、その夢を否定する事は、僕には、出来ない……。

 

 

「どうして……」

 

 その絶望的な渇望を前に、ただ敗北感に打ちのめされるしかない僕は――問いかけた。

 

「どうして、わざわざ僕に三日待つなんて猶予を与えたんだ……?」

 

 それほどに願うのなら。必ず叶えると誓ったのなら。

 僕のマジカルフォンを奪ったあの夜に、その場で無理矢理に従わせればいいだろうに。

 何故、選ばせる。僕がこうしているこの時間は何なんだ……?

 

「何かを選ぶということは、選ばなかった方を棄てること。たとえ必要な代償なのだとしても、何かを選ぶために大切な何かを喪うのは……とても辛いから……。その苦しみに耐えて乗り越えるまでには時間がかかる」

 

 ギュッと、スイムスイムはその豊満な胸に添えた白く細い手を握る。

 その奥に残る、喪う事の苦しみに耐える様に。

 

「私が、そうだった」

 

 それでも真っ直ぐに僕を見つめ、伝える。

 今は、選びそして切り捨てた物を喪う苦しみに耐えるための時間なのだと。

 

「それでも、選ぶ事の苦しみも、犠牲にする痛みも、受け止めなくちゃならない。それが、その苦しみこそが私が『選んだ』という証だから」

 

 朗々と、そして決断的に紡がれるそれは『誓い』だ。そうして『選んだ』からこそ、己が総てを懸けて成し遂げるという魂の宣誓。

 

「私は、選んだ。ラ・ピュセルも、選んで」

 

 その言葉を最後に、二人きりの闇の中に沈黙が下りる。

 語られた狂おしいまでの願いと決意に圧倒され、何もできないと悟った僕は語るべき言葉を持たず、震える唇の奥で敗北感を噛みしめる。そんな僕を、

 深海の底の如き世界で、時だけが静かに流れていく。

 やがて、スイムスイムはすっとその身を起こした。

 

「もうそろそろ、家に戻らなきゃ……」

 

 さらりと流れる艶やかな髪を揺らして、問いかける。

 

「私は帰るけど、大丈夫?」

 

 その問いに、僕は重い唇を動かしかろうじて「大丈夫だ」と答える。

 ……そんなはずはない。でも、そうでもしなければ耐えられそうにない。これ以上スイムスイムと一緒に居たら、彼女に対して何も出来なかったという敗北感にどうにかなってしまいそうなんだ。

 さあ、行ってくれ。打ちひしがれながらスイムスイムが去るのを待つ僕に対して、だがスイムスイムは動かず、氷の彫像の如く佇みじっと僕を見つめていた。

 何故動かない? 困惑し顔を上げた僕の両頬に、そっと彼女の白くひやりとした二つの手が包み込むように添えられて……

 

 

 ◇スイムスイム

 

 

 ラ・ピュセルは、まだ元気になっていない。

 さっきまでは林檎みたいに真っ赤だった顏は今や血の気が引いて青白く、その瞳は打ちひしがれている。

 思いつくことは全部やったのに、駄目だった。

 やっぱり、このままじゃ帰れない。帰ってはいけない。ルーラなら、何事も失敗したままでなんて終わらせないから。

 でも、どうしよう……。

 

 スイムスイムは考えた。今まで覚えた知識と見た記憶の中から、誰かを元気にするためのその方法を探して――そして、朝に見た光景を思い出した。

 

 

 ◇岸辺颯太

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――んっ…ちゅ……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 柔らかで、温かいものが、震える唇を塞いだ。

 目の前には、そう、本当に目の前にスイムスイムの瞳が在る。吸い込まれ、何処までも沈んでいきそうなその深淵に、驚きに見開かれた僕の瞳が映っていて。

 呆然とした頭で、触れ合う唇から流れ込んでくる彼女の熱と甘い吐息を感じていた。

 どれほどそうしていたのだろうか。一瞬にも、永遠にも思えたその時はやがて終わり、淡い蕾の様な唇が静かに離れた。

 

「元気が出る魔法らしい……。元気になった?」

 

 そう問いかけるスイムスイムの美貌には羞恥や色情の色は無く、平静のままの冷たい美しさを保っている。でも、僕は……。

 

「………ぅ、ぁ……」

 

 頭の中が真っ白になって、それどころではなかった。

 いま、なに……された……? 

 あまりにも突然で衝撃的で、まるで現実感が無いのに……唇には、まだはっきりと彼女の感触が残っていて、これがまぎれもない現実なのだと認識させる。

 答えられず、ただ体を起こした体勢のまま呆然とする。そんな僕をスイムスイムはしばらく眺めていたが、やがてベッドから下りて窓際に立つと、それを静かに開いた。

 降り注ぐおぼろな月光の中で、白く佇む彼女は

 

「明日の夜に、あなたの答えを聞かせて。――おやすみ、ラ・ピュセル」

 

 僕の選択を待っていると告げて、開け放たれた窓から夜闇の向こうへと去っていった。

 その後ろ姿を、僕は呆然と見送って……ぼふっと、背中からベッドへと倒れ込む。

 初めての口づけ。奪われた唇。夜闇の中に、僕の鼓動がうるさいくらいに鳴り響いている。

 混乱と衝撃に千々にかき乱される思考そして感情。脳裏を埋め尽くすのは、もちろんスイムスイムの事だ。

 

 なんだ……なんなんだ……あいつは……。

 

 今夜、スイムスイムは最後まで僕を翻弄した。

 戦いでもその後でも、僕は結局、あいつには何も出来なかった……。

 分からない。なんなんだ……。

 読めない。理解できない。何を考えている……。

 

 今日、僕はあいつについて、多くの事を知れたのだと思う。

 その根源に触れ、何を願い夢見るのかを肯定はできずとも理解することはできたはずだ。

 でも、それはスイムスイムという底知れぬ深淵のほんの一端に過ぎなくて……ますます、分からくなった。

 スイムスイム。お前は、なんなんだ……。

 クラムベリーの様に強者を求めるわけでも、カラミティ・メアリのようにただ暴力を振るいたいわけでもない。あいつはそんな分かりやすいものとは異なる存在だ。

 

 どこまでも無垢で純粋な壊れた夢見人。

 教義の為なら教祖をも殺す狂信者。

 あどけなさと淫靡さを併せ持つ魔性の美少女。

 

 そして僕と同じ絶望を知り、憧れる理想の存在になろうと夢見る――僕の同類。

 

「スイム……スイム……」

 

 戦闘も説得も、マジカルフォンを取り戻す全てのチャンスを失ってしまった以上、生き残るために残された手はただ一つ。明日の夜に、どうにかするしかない。

 スイムスイムとスノーホワイト、正しい魔法少女としてどちらと共にいるべきかは決まっている。僕が選び望むのは――スノーホワイトの隣にいる未来だ。

 でも、そのためには、あいつを、スイムスイムにうち勝たなければならないのだ。

 今さら戦う事への躊躇いは無い。けど、それでも……虚ろなる白い魔法少女の記憶に慄く胸のざわめきは、止められなかった。

 

 そして、もうすぐ明日が来る。選択が問われる明日が。

 僕の選択によって犠牲になるのは、スイムスイムかそれとも僕か。

 総ては明日――決まるのだ。

 

 

 ◇マジカロイド44

 

 

 マジカロイド44――安藤真琴(あんどうまこと)は、ここぞという所で運が悪い少女だった。

 人を見る目はあるし世渡りも上手いので要領が悪いわけではない。だが、やはり決定的なタイミングで不運が訪れるという難儀な星の下に生まれたとしか思えない人生だった。

 

 まず、ただ家賃代わりにと友人のお願いを軽い気持ちで引き受けたゲームをしていたら魔法少女になった。しかも自分の趣味とは全く完全にこれっぽっちも異なる奇妙奇天烈なロボットとして。

 そして自分の意思でなったわけでもないのにあれよあれよという間に殺し合いに巻き込まれた。ついでに他の連中と組もうにも、平和ボケのシスターやら目がやばすぎる白スクやら正義の騎士気取りに弱っちい真っ白いのなど碌な奴がおらず、さらに相性や戦闘力なども考えた結果、ほぼ消去法で組める相手が殺人狂のガンマンしかいなかった。というわけで今やそいつにヘコヘコしながらウイスキーなんぞを酌してご機嫌をとっているわけだが……正直、生き残るためとはいえやりたくもないことをやらされているのは最悪の気分だ。

 ゆえにいつか殺しの道具を手に入れた暁には真っ先に寝首を掻いてやるとは思っているものの……問題はその入手手段である。

 

 彼女の魔法は『未来の便利な道具を毎日ひとつ使うことができる』と言うものだが、腰の給食袋型のウェポンラックから何が出るのかは完全にランダムの上、一度取り出せば日付が変わるまで引き直せない。

 ゆえにもしハズレとしか思えないガラクタを引いたなら、次のチャンスである午前0時をひたすら待たなければならないのだ。

 というわけで今、マジカロイド44は本日の秘密道具(ハズレ)である『全ての時代の漫画が読める機』を手に暇をつぶしつつその時を待っていた。

 

 その赤い硝子の瞳が眺めるタブレット型の機械の画面には、遥か未来の時間軸上のとあるサラリーマン漫画が映し出されている。

 今の時代では社長だが未来では銀河皇帝に出世した主人公が浮気の末の痴情のもつれで壮絶な最期を遂げた後のページに載っていた、死後の世界で下級神として働くという新章の予告にまだこいつ出世する気かと思いつつ読み終えた時には、ちょうど日付が変わる頃だった。

 

「さてさて、少しはマシな物が出てくれるといいのデスが……」

 

 なんて呟きつつ、いつものようにウェポンラックに手を突っ込んではみるものの、今まで碌な物が出たことはない。少なくとも彼女が期待するような金のなる木とか鉄を黄金に変えるとかそんな莫大な金を稼げるものは無かった。せめてそこそこ役に立つくらいのものであってくれよと期待半分に取り出した道具は――

 

「じじゃーん!『コピー弁当』デス」

 

様式美として未来ロボっぽく名前を言う。それは青い弁当箱だった。

手に持った瞬間、いつものように頭の中に浮かんだ情報によれば『食べれば他の魔法少女一人の魔法を使えるようになるよ。誰の魔法になるかは食べてからのお楽しみだよ』らしい。ガチャで出たのが更なるガチャだった。なんぞそれ。

結局ハズレかと落胆しつつ、一応食べてみるかと蓋を開ける。

 

《コピー弁当》

 

やたらと渋い声のシステム音が鳴った。どんな仕様だ。

その中身は赤い竜田揚げから始まり蝙蝠の姿焼きに牛肉のステーキやらサイの角など無駄にバラエティー豊かな13種類(隠し味の鮫のエキスを含めると14)の具がこれでもかと詰め込まれている。栄養バランスも糞も無いなとげんなりしつつもマジカロイドはそれらを口に運び、最後に不死鳥のから揚げを呑み込んで完食した。

 

「さて、一体どんな魔法が手に入るのやら……」

 

引きの弱い自分の事、どうせ使えないものだろうと呟いた彼女が手にした魔法は、

 

「おや、これは……!?」

 

 マジカロイド44に、驚愕の声を漏らさせた。

 己が手に入れた新たな魔法。条理を捻じ曲げ定めを無視し、運命ですらも変えるその奇跡の如き能力にただただ驚きそして、それによって得られるだろう絶対的な『力』に――この殺し合いにおける己の勝利を確信した。

 

「やっと、ワタシにも運が向いてきたという事デスか」

 

 かくて、16人の魔法少女が命を賭け合う死の遊戯の盤上に新たなるカードが出された。

 この出来の悪いゲームを更なる混沌と狂乱に導き、騎士と彼の想い人の運命を大いに狂わせる――鬼札(JOKER)が。

  

 




お読みいただきありがとうございます。好きな魔法少女は『うるる』好きな魔法使いは『マナ』好きなカップリングは『うるマナ』だけど巨乳好きの作者です。

データ保存したUSBメモリの消失事件×2に遭遇したおかげで更新が大変遅くなりました。申し訳ございません。次に同じ事があった時は名探偵ベルっちに依頼したいと思いますので誰か連絡先を教えてください。

それにしても他の作者様方のSSを読んでるとやっぱり皆さまスイムちゃんのブチ殺しっぷりに力が入ってますね。もう恨みつらみ怨念がこれでもか込められた描写の数々には感嘆します。
で、そんなキャラをなにをトチ狂ったか原作でもほぼ一切絡まないそうちゃんとからませたあげく嬉し恥ずかしさせるのって需要的に大丈夫なのかしらん(笑)
ま、まあこの小説はたぶん全SSの中で一番まほいくらしくない小説なので今更だけど……。

ちなみにプロットの段階ではそうちゃんは大人の階段を上る予定でしたが、そうなったら某スノーさんが修羅雪姫化して業務用消火器でピーする地獄未来しか思い浮かばなかったのでやめました。
感想でも言われたけどそうちゃんが話が進むにつれ伊〇誠化してきてるような気がするようなしないような。あとスノーホワイトの寝取られ主人公化も(ただし恋人が寝取られる方ですが)。いや実際はスノホワ一筋だから大丈夫ですよ。安心してください。これから先は知らんけど。

それはそうとぽち先生のrestart復活祈願イラスト見ました?
あれすごいよね。ヤバいよね。
というわけで今回のおまけは衝撃を受けてその衝動のままに書いたので独自解釈過去捏造ありありなうえ文字数がアホな事になりました。そしてエロいです。だってあのイラストまじやばいもの。まだ見てないという方はTwitterでぜひご覧になって下さい。

なおおまけにはリスタートおよび『オフの日の騎士』のネタバレがあります。

おまけ
『江戸屋ぽち先生のイラストが素晴らしすぎてかっとなってやった。後悔はしていない』


深夜。岸辺颯太が眠りについた後、朧な月から降る明かりが照らす部屋の壁――その一部が、すうっと動いた。
否、動いたのは壁ではない。まるで一部の動物がする擬態の如く体色を変え、その壁紙の色と同化した何者かが、この部屋の主が意識を失ったのを確認して動き出したのだ。
一歩、見えざる足を踏み出してベッドへと近づく。修めた無音の移動術は、一切の足音を生み出さない。進むごとに、彼女が自らにかけた魔法を解き、その優美な姿が鮮やかに夜闇に現れた。

その滑らかな肌は大海にて幾人もの船乗りを狩ったという大鯨のごとき白。豊かな胸元や形の良い臍を大胆にさらすコスチュームは、だが身体の動きをけして邪魔する事の無い狩人装束だ。引き締まり張りのあるカモシカのような足を踏み出すたびに、月明かりにきらめき揺れる二つに括った柿色の髪には紫の薔薇が絡み、美しさと同時に鋭い棘を彼女に与えている。
そして彼女――魔法少女《メルヴィル》は一切の音を立てることなくベッドへと辿りつき、そこに横たわる颯太の顔を切れ長の瞳で覗き込んだ。

彼に会うのは初めてではない。いや、厳密には互いに『この姿』で顔を合わせるのは初めてだが……。ともあれ、眠る少年の顔にはかつて見た魔法少女ラ・ピュセルの面影が確かにあった。

メルヴィルがここに来た切っ掛けは、クラムベリーとのある遣り取りだった。
敬愛する師であり、いつか必ず超えようと目指す森の音楽家クラムベリーにちょっとした用事を頼まれたメルヴィルは、それが完了したという報告のために現在クラムベリーがいる名深市へと赴いた。するとなぜかクラムベリーは報告もそこそこに「そういえば、貴女は以前、颯太さんと会った事があるのでしたね」と聞いてきた。はて颯太とはいったい誰の事かと首を傾げればなんと以前とある場所で顔を合わせたラ・ピュセルだという。その後は何故だかその時のことを根掘り葉掘り聞かれ、途中でファブから何やら連絡を受けたクラムベリーが「では、これからとっておきの見世物が始まるそうなので失礼しますね」と言って何処かに出かけて行った頃には日がすっかり暮れていた。

それから話し疲れてげっそりとした疲労感を感じつつ市内で夕食をとった後、そのまま帰ろうかと思ったが……なんとなくモヤモヤする。
優雅な足取りだが浮き浮きと出かけていくクラムベリーの後ろ姿が頭から離れず、ラ・ピュセルの話を楽し気に聞くその表情を思い出すたびに胸のあたりがこうモヤモヤして落ち着かないのだ。
これはどうした事だろう? 自身の不可解な感情に戸惑い、でも答えが出ずにますます内心で首を捻っているうちに、だんだん腹が立ってきた。

そもそもなぜ自分がこうも悩まなければならないのか。それもこれもラ・ピュセルのせいだ。ラ・ピュセルの話をずっとしていたせいでこんなに疲れて、ラ・ピュセルを意識するクラムベリーを見たおかげでこんなにもやもやするのだ。全部ラ・ピュセルが悪いんじゃないか。
このまま何もせずに帰るのは気が済まない。むしろ仕返しの一つをしても罰はあたらないだろう。八つ当たりのような気もしないでもないがきっと気のせいだ。

かくてモヤモヤをムカムカに変えてメルヴィルはマジカルフォンを開きファブに連絡し、ラ・ピュセルの自宅を聞き出すと早速そこに向かった。
そしてたどり着いた一軒家にはあいにくと誰もおらず、仕方が無いので彼の自室に潜んで待つことしばらく、ようやく待ち人はやって来た――女にお姫様抱っこされて。

更にムカムカが増した。

スイムスイムが颯太の頭をむっちりした膝に乗せて、目覚めた颯太が何をとち狂ったのかその巨乳を揉みしだいた。

やばいムカムカが止まらない。

それからスイムスイムと密着した颯太が真っ赤になってどぎまぎする様子をこれでもかと見せつけられた。

脳内でこいつらを万回殺して何とか気を静めた。

そんな果てなき忍耐の時間が終わったのは、スイムスイムが出て行った後で颯太が眠りについてようやくだった。彼が完全に眠ったのを確認してから、メルヴィルは魔法を解き接近した。


◇◇◇


魔法少女《メルヴィル》こと久慈真白が岸辺颯太――ラ・ピュセルと出逢ったのは、とある魔法少女愛好サイトのオフ会だった。


崇拝する師であるクラムベリーに、参加者の中から魔法少女の才能を持つ者を見つけスカウトしてくるようにと命じられ、基本無表情ながら内心ではその期待に応えるべく都内のファミレスで開かれるそれに意気揚々と参加した真白であるが、今、彼女は最大の問題に直面していた。

「好きな魔法少女アニメは何ですか?」
「……………」
「(え? 無視?)えっと………じゃあ、好きなシーンは……?」
「……………」
「(いやいやなんでそんなに無視するのこの娘? 俺嫌われてる? 嫌われちゃってる?)………えっと、気を悪くさせたかな? ごめんね馴れ馴れしく話しかけちゃって……
俺は他の席に移動するよ。それじゃ」
「……………(ガックリ)」

真白は、コミュニケーション能力が絶望的だったのである。
例えるのならば五段階中の一。不愛想忍者や不死身ゾンビやサイコ白スクと肩を並べる最低クラスなのだ。
東北各地の方言が混ざった彼女本来の独特の口調は、通訳無しでは会話がほぼ不可能。しかし一応使える東京弁(きょうつうご)もどうにも訛って気恥ずかしい。ゆえに結果として誰とも話すことができず、他の参加者が同好の士たちと会話に花を咲かせる和気藹々としたオフ会の中、隅っこのテーブルで一人黙して彫像と化しているのである。

始めの頃こそ何人かが話しかけてきてくれたが何を言っても黙したままの真白に困惑して他のテーブルに去っていくため、真白はぽつんと一人、黙々と料理を食べて無為な時間を過ごしていた。
真白は孤高の女である。元来あまり他人に興味を持つことが無く、唯一の例外がクラムベリーであり彼女以外の人間など心底どうでもよかった。馴合いなんていらない。自分より弱い奴なんて価値が無い。強い自分は山の中一人で生きていける。ゆえに他者との会話も生活に必要なほぼ最低限ですませてきたし、それでいいと思っていた。
そうしてコミュニケーションの機会を蔑ろにしてきたその結果が……これだ。

誰にも話しかけてもらえない。ならば自分から話しかけようかと思っても、訛った東京弁が恥ずかしくて口が動かない。
何もできない。恥ずかしい。……情けない。
山で野犬の群れに囲まれた時の方がまだ気楽だった。野犬は腕っぷしでぶち殺せばいいが、今この現状は言葉によるコミュニケーションでしか打開できない。
このままでは任せてくれたクラムベリーの期待を裏切ってしまう。失望されてしまう。そんなのは嫌だ。自分が唯一関心を持った彼女は真白にとっての世界の中心で、いつかその強さを超える事は人生の目標だ。だからこそ、クラムベリーのためならばどんなことでもしようと思う。諜報だろうが暗殺だろうが言葉に出来ぬほどの汚れ仕事だろうが全て完遂するのだ。しなくては駄目なのだ。なのに……。

はぁ。

重いため息が漏れる。
自分は、こんなにも情けなかったのだろうか。無力だっただろうか。
野犬だろうが猪だろうがなんなら熊だって倒してみせるのに、人ひとりとすらまともに話すこともできないなんて……。
再び、その淡い唇から失意のため息が漏れそうになった時――



「はじめまして。『魔法少女な子』です」



真白は、『彼』と出逢った。

美しい少女だった。
凛とした切れ長の瞳。麗しくもどこか中性的な顔立ち。艶めく髪の美しい頭には全体的にストンとしたクロッシェという帽子を深くかぶり、腰にはふんわりとしたフレアが入る淡い桃色のマキシスカート。
全体的に量販店でそろえたかのような安っぽい服装だが、だからこそ彼女の美貌をより引き立たせている。靴だけは何故かアンバランスにスニーカーだったが、活動的なそれは彼女に妙にしっくりきていた。
爽やかな笑顔で声をかけて隣に座る彼女に真白もペコリと頭を下げ

「ええっと……」

何か頭の中に引っかかる物を感じて、まじまじと彼女を見た。
そしてそれがなんであるかに思い至った瞬間、思わず漏れそうになった驚愕の声を慌てて呑み込んだ。
思い出した。以前クラムベリーから、今担当している試験でもし何か手伝ってもらう時があるかもしれないから目を通しておいてくださいと渡された候補生達のリストの中で見た顔だ。名前は確か……――ラ・ピュセル。

何故ここに……? というかなんで変身している? 
突然の事態に頭は疑問符で埋め尽くされる。意地で鉄面皮こそ保っているが、その内側はもう真っ白だ。そんな混乱し慌てる真白の内心など知る事無く、ラ・ピュセルは微笑を浮かべつつ丁寧な口調で話しかけてきた。

「あなたは……?」

名前を聞かれている。
真白は答えようとして、口ごもった。どうやらこのオフ会では皆がネット上のハンドルネームとやらで呼び合っているらしい。そんな場で本名を名乗るのもおかしいし、かといって適当な偽名を言って見知らぬハンドルネームが参加していると怪しまれ追い出されでもしたら台無しだ。もちろん魔法少女名はもってのほか。なので真白は名乗れる名を持たず

「………」

黙り込むしかなかった。
ラ・ピュセルの微笑が困惑に変わる。

……やってしまった。

これでは今までと同じだ。今まで話しかけてきた人は皆こんな自分に困惑して去ってしまった。きっとラ・ピュセルも呆れて去ってしまうのだろう。そして自分は、そんな背中を情けなく見送るだけで

「今日は晴れて良かったですね」

……え?

俯いていた顔を上げて隣を見ると、ラ・ピュセルは変わらずそこにいて、穏やかな瞳を向けていた。
今までの相手とは違うその態度に戸惑いつつも、とりあえず頷いておく。
それからもラ・ピュセルは話しかけてきた。
さっきの天気の事のようなたわいもない話から、真白にはよく分からない魔法少女アニメの話題などを色々と。相も変わらず真白は黙したままで、せいぜい頷くか首を傾げるかくらいしかしないというのに。ラ・ピュセルは飽きもせずに語り掛けてくる。
まるで話の接ぎ穂を探しているかのようだが、まさかそんなことはないだろう。こんな碌に返事もしないような相手よりも、同じ話題で盛り上がれる同好の士ならそこら中にいるはずだ。それをほうっておいて、わざわざ好き好んでこんな自分と話をしようとなんて思わない……はずだ。
なら、なんでこの人は自分に話しかけてくれるのだろう……?

「魔法少女っていいですよねぇ」

分からない。分からない……けど、一人ぼっちでいた時よりは、楽な気分だった。

「……んだな」

それを意識した時、自然と、それこそあっけないくらいに簡単に――返事ができた。
その事に内心驚きつつラ・ピュセルの反応を見ると、

「はいっ」

訛りまくったぶっきらぼうな一言だというのに、嬉しそうに笑っていた。
やっと聞けた言葉に喜んでいるその瞳に見つめられているのがなんだか気恥ずかしくなって、真白はぷいっと俯いた。――ほんのりと色付いた頬を隠すように。

それからしばらく経ってから、ラ・ピュセルは席を立ち別のテーブルへと向かって行った。去り際に「それでは」と礼儀正しく頭を下げて去っていく背中を、不思議な物を見る様な目で真白は見送る。
結局、気恥ずかしくなってまた自分は黙り込んでしまい、そのまま一言もしゃべることも無く終わってしまった。なのに、ラ・ピュセルは最後まで気を悪くすることは無かった。

いや、本当はあきれ果てているのを笑顔で隠していただけではないのか。話しかけたのも単に独りでいた自分を憐れんだだけで、それも付き合いきれなくなったから離れていった。……ありうる。というかそっちの方がよほど自然だ。
そう思い至り納得するも、そうすると何故だが胸の奥がキリリと痛む。

「……?」

不可解なそれに首を傾げつつ、モヤモヤとした気持ちを抱えているうちに時は過ぎてオフ会はお開きになった。
笑顔で別れの挨拶を交わし、あるいは再会を約束しつつ去っていく参加者たち。その中にラ・ピュセルの姿もある。なんとなく、目が離せなかった。遠くから見てしまった。
すると、ラ・ピュセルの瞳がふとこちらを向いて、目が合う。たまたまではなく、はっきりと真白を探して捉えたその瞳に――悪意は無かった。自分が考えていたような呆れも失望も無く、ただ穏やかに真白を見つめるラ・ピュセルの瞳に、真白は己の考えが単なる杞憂であった事を知る。
胸の痛みが消えた。モヤモヤとしていたものが無くなった胸には、代わりに温かな気持ちが溢れてきて

ふっと、笑みが零れた。

それを見て、ラ・ピュセルも嬉しそうに微笑み返してくれた。それが別れの挨拶だった。
去っていくその姿を見送りつつ、真白は自分の唇にそっと触れる。
ほんの小さくではあるが、確かに微笑んでいる。果たして今までクラムベリー以外の他人に笑みを向けたことなどあっただろうか。……覚えている限りでは、無い。
そもそも他人には興味がわかなかったし、どうでもよかった。
でも、なんでだろう。ラ・ピュセルは違う。……気になる。
遠のいていくその背中から何故だか目が離せなくて――気が付けば真白は、ラ・ピュセルを追いかけていた。


◇◇◇


それからちょっとしたハプニングもあって、結局、何故ラ・ピュセルは自分に話しかけてくれたのか分からなかった。

眠る岸辺颯太の顔を眺めつつ、メルヴィルは心の中で問いかける。
ラ・ピュセル、お前は何で………と。
その時、

「…ぅ……ん………」

呻き、颯太の瞼が小さく開いた。
起こしてしまったかと思ったが、僅かに覗く瞳はぼうっとして焦点が合っていない。夢うつつで寝惚けているだけのようだ。
その唇が、かすかに動く。

「……ゅ……き……」

紡がれたそれは聞き取る間もなく夜気に溶けて、

「……?」

メルヴィルは首を傾げ、何を言っているのかもっとよく聞こうと颯太に体を寄せて――その腕を不意に持ちあがった颯太の手に掴まれた。
突然の行動に驚くメルヴィル。抵抗する間もなくそのままぐいっと引っ張られ、ベッドの中へと引きずり込まれたその身体は、二つの腕で包み込まれるように抱きしめられた。

「―――ッッッ!?」

かつてない程に感じる男の臭い、感触、そして熱。それらに頭が真っ白になって、颯太の胸板に当たって形を変える豊かな胸の奥で鼓動が跳ね上がり四肢が痺れて硬直する。
それでも動こうと力を籠めようとすれば、それを察したのか颯太の腕がますます力強くその身を掻き抱いた。

「……ゆ……きぃ……っ」

背中に回した右手に上半身を抑えつけられ、乳房がさらに胸板に押し付けられて柔らかに歪む。くびれた腰に回された左手はマントの内側――普段はマントに隠れているが実は臀部が半ば露わになっている――コスチュームの隙間に入り込み、たっぷりとした尻肉に直接その指を埋めていた。
颯太に触れられた場所から生じる、痺れるような刺激。何だかわからない未知の感覚に思考かかき乱されて、頬がぼっと熱くなる。力が抜け、肌が火照って止まらない。

異性に抱きしめられたのはこれが初めてではない。だが以前、山の中で突然襲い掛かられこうされた時は、すぐさま振り解いて殴り殺し夕餉の熊鍋にした。
いくら男とはいえ、颯太はあの時のヒグマよりははるかに脆弱で力も弱い。はずなのに――なぜか振り解けない。
腕にも足にも力が入らず、人間を超えている筈の魔法少女の身体は今やなすがままにされていた。

お、おれをいじくりこんにゃくする気か!?

貞操の危機を感じ、しかしどうする事もできなくて、メルヴィルはギュッと目を閉じた。
一体どうされるのだろう。瞼の裏の闇の中でその時を待つメルヴィルの尖った耳に

「こ……ゆきぃ……」

見知らぬ女の名前が、聞こえた。

「……?」

怪訝に思い恐る恐る目を開ける。
視界に映った颯太の顔は、苦悶に歪んでいた。
瞼をきつく閉じ唇を震わせるその表情は、

「こゆき……やだよ……離れないでよぉ……」

怯え、怖がり、恐れながらも

「ぜったいに……かえるから………きみの……となりに……」

それでもかけがえのない誰かを守ろうとする、胸が締め付けられるほどに悲壮な表情だった。

「守るから、ぼくが……きみを……」

眠りながら想いを紡ぐその身体は、嵐の中で雨に濡れる子犬のように震えている。

「…………」

しばしその様を静かに眺めていたメルヴィルは、そっと腕を動かして、颯太を抱きしめた。
母親が泣く幼子にするように、震えるその背中をぎこちなくも優しく撫でる。
何度も。何度も。
見るからに慣れていない手つきだったが、その掌の温もりが伝わったのかやがて颯太の表情から苦悶の色が消え、呻きは穏やかな寝息に変わった。
それを見て、メルヴィルは思う。

こいつは、死ぬ。きっとクラムベリーの試験を生き残れない。
メルヴィルは試験の生存者であり、その後もクラムベリーの協力者として多くの試験に関わってきた。そして数え切れないほどの魔法少女の生き死にを目にしてきて、ゆえに知っている。
こういう目をした奴は、ほとんどが死ぬ。

誰かを守ろうとして戦う奴は、誰かを守ろうとしたために死ぬのだ。

クラムベリーの試験は、半端者を生かさない。
ただ戦うにせよひたすら逃げるにせよ、己が全力を尽くし全霊をかけた者だけが生き残る。
迷い悩む中途半端な覚悟と力では、真に覚悟を決めた者には勝てず殺されるだけだ。
己の無力を嘆き死ぬかもしれない。絶望して死ぬかもしれない。何の意味も無く何も成せずに死ぬのかもしれない。

いずれにせよ、魔法少女ラ・ピュセルの行く先は地獄でしかない。

ならば、今は眠れ。
穏やかに、つかの間の安息を味わわせるくらいなら……せめてもの手向けとしても丁度いいだろう。 
明日にはこの街から離れるから、これが今生の別れか。
……結局、最期までこいつの考えは分からなかったな。

訳も無く胸の奥が鈍く痛むのを感じながら、メルヴィルは颯太を抱き続け

「こゆき……」

まだ見知らぬ女の名前を呟くその唇に、眉をしかめる。

「……おれは小雪でね」

むすっと呟き、なんとなく……。
なんとなく、他の女の名前を言われるのが気に入らなくて。
なんとなく、その呟きを止めたくなって。

でも両手は颯太の身体を抱きしめているので動かせなかったから――メルヴィルは別のもので彼の唇を塞いだ。

fin

※『いじくりこんにゃく』
意味その1
こんにゃくを作る際にこねすぎると失敗することから転じて、良かれと思ってやったことが裏目に出て物事を駄目にすること。

用例
『諸君らの愛したルーラは死んだ。何故だ!』『ねむりんがスイムスイムをいじくりこんにゃくしたからさ』

意味その2
愛情表現として激しく触りまくること。もしくは激しい愛撫。


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僕の友達

 ◇姫川小雪

 

 

 

 ――そうちゃん……。そうちゃんはなんで《ラ・ピュセル》なの?

 ――え? なんでって……。

 ――私は自分の名前が『小雪』だから『スノーホワイト』っていうアバター名にしたけど、そうちゃんは何で『ラ・ピュセル』って名前にしたのかなあって思って。

 ――ああ、そういうことか……。『ラ・ピュセル』っていうのはね………

 

 

 

「……ん……ぅ……」

 

 自室のカーテンの隙間から洩れる、柔らかな朝の光。閉じた瞼に当たるその眩しさに、小雪はベッドの上で小さく呻いた。

 寝不足のぼうっとした表情は物憂げで、その僅かに開いた目の下にはうっすらと隈がある。

 それは小雪があまり……いや、ほとんど眠れなかったからだ。

 

『ラ・ピュセルなら今夜、トップスピードとキャンディー集めに向かう途中で見た』

 

 昨夜、リップルから告げられた一言がずっと頭から離れない。

 それはありえない筈の言葉だった。

 だってラ・ピュセル――岸辺颯太は体調が悪くて魔法少女活動をしていなくて、今夜だって家で休んでいるはずなのだ。颯太が自分に嘘を吐くはずはない。だって私は――スノーホワイトはラ・ピュセルのパートナーで盟友だ。楽しい時も大変な時も、ずっと二人で魔法少女活動をしてきたのだ。

 そんな相手が自分を騙すはずない。だからきっとそれは何かの間違いで

 

『遠目からだけど間違いない。あれはたしかにラ・ピュセルだった』

 

 しかし、そう語るリップルの澄んだ目はどこまでも真っ直ぐで、嘘をついている者のやましさなど無かった。そこに込められた確信に、それが紛れも無い事実なのだと知った。

 それからどうやって家に戻ったのかを、小雪はよく覚えていない。

 変身を解き、ベッドに入ってからもほとんど眠れず、颯太の事ばかり考えている。

 リップルはいつも不機嫌そうでちょっと近寄りがたいけど、トップスピードの相棒だし悪い人だとは思えない。だから、やっぱり自分を騙すための嘘ではないのだろう。だったら嘘を吐いているのは颯太の方で……ならなんで、颯太は嘘をついていたのだろうか?

 

 何かやむにやまれぬ事情があるのならば、助けてあげたい。

 颯太は責任感が強い。だからもし何らかのトラブルに巻き込まれても、小雪を危険にさらさないため一人で何とかしようとするかもしれない。だったらそんな水臭い事をしたのを怒って、それから力になってあげよう。自分は戦える魔法少女じゃないけれどパートナーなのだから、どんなピンチでも二人一緒に乗り越えるんだ。

 

 でも、もし、もしも……たんに自分といるのが嫌になったからだったら?

 考えてみれば、自分と颯太が憧れる魔法少女像は異なるものだ。人助けをする魔法少女に憧れて戦いを嫌がる自分に、戦う魔法少女が好きな颯太はついていけなくなったのかもしれない。

 もしかしたら、自分なんかじゃなくて他の魔法少女の方がいいのかも……。スノーホワイトとは違う誰かの隣にいるラ・ピュセル――颯太の姿を想像すると、胸が締め付けられるように苦しくなった。鼓動が乱れ、視界は潤み、涙がこぼれそうになる。

 

 こうして独り悩んでいるくらいなら、直接その真意を聞いてみるべきなの……かな……。

 小雪は緩慢な動きでマジカルフォンを手に取り、ラ・ピュセルのアドレスを開く。

 後はメッセージを作るだけでいい。しかし――小雪の指はそこで止まる。

 

 聞いてみたいけど、聞くのが怖い。

 だって、それで拒絶されたら、スノーホワイトの隣にはもう居たくないと言われてしまったら――自分は本当に一人になってしまうから。

 結局、しばし葛藤した後に小雪は一度開いたマジカルフォンを閉じてしまった。

 

「そう……ちゃん……」

 

 その真意を知りたい。その胸に秘める思いを聞きたい。

 そう願うのとは裏腹に、自分はどうにも出来なくて。

 問い掛ける様に、助けを求める様に、小雪はか細く彼の名を呟いた。

 

 

 ◇岸辺颯太

 

 

 いよいよ、今日が来た。来てしまった。

 スイムスイムから告げられたタイムリミットの、最終日が。

 新たな脱落者が発表される今日の夜、王結寺で僕の選択が問われ――運命が決まる。

 だからか、目覚めてからどうにも気が高ぶって落ち着かず。だが胸の内は重石が入っているかのように重苦しい。

 武者震いと言う奴だろうか。その時を前に重圧と緊張感を感じるのは、仕方が無いと思う。でも、今からこんな調子では身が持たない。

 だから今だけは気分を変えて少しでも生気を養うために、僕は外出する事にした。

 

 そして四月半ばの麗らかな日差しが降る、休日の昼下がり。

 青い空に白い雲。その下を老若男女様々な人々が、休日ならではのどこか解放感の漂う表情で行き交っている。それは重く張り詰めた緊張感に苛まれる僕とはあまりにも対照的な、平穏の光景。

 そんな真昼の太陽が照らす街中を、僕はどこを目指すでもなくぶらついていた。

 時おり行きつけのゲームセンターや本屋に立ち寄り、気分を変えようとする。しかし好きなゲームをしても、サッカー雑誌を立ち読みしていても、どうしてもこれからの事が頭から離れない。

 

 僕が選ぶのは、もちろんスノーホワイトの隣にいる道だ。

 彼女の剣になるとに誓ったというのもあるが、スイムスイムの仲間になれば何をさせられるか分かったものではない。この手でスノーホワイトやウィンタープリズン達を陥れるなんて死んだほうがましだ。

 だが、そのためには奪われたマジカルフォンをスイムスイムから取り戻さなければならない。言葉による説得は無理。取引になど応じる奴ではない。できる事は全てやって、チャンスには挑戦し――そして失敗した。

 ゆえにもはや――力尽くで取り戻すしかない。

 今夜、王結寺で行われるだろうやりとりの途中で、奪う。たとえ真正面からは無理でも、隙を窺いあるいは騙してでも。そして奪った後はすぐに離脱したいところだが……最悪、戦闘になるだろう。

 

 ……だが、そうなれば、たまとも戦う事になるのか。

 

 たまの無邪気な笑顔が頭をよぎり、胸が痛む。

 僕を慕う、あの子の顔を曇らせる事になるという罪悪感に苛まれつつ歩く僕の耳に――その時、ふと小さな鳴き声が聴こえた。

 

「……?」

 

 その場で立ち止まり、耳をすます。

 ………聞こえる。小さいけれど、確かに。

 それは近くにある路地裏へと続く道、その暗がりから聞こえた――にゃあ、というか細い声。

 猫の鳴き声だろうか。暗がりから誰かを呼ぶような寂しく孤独なそれが気になって、引き寄せられるように僕は声の方へと向かった。

 

 狭い路地裏に入り、日の光の届かぬ薄暗いそこを進む。するとまもなく、地面に置かれた段ボールの箱を見つけた。

 覗いてみると、中には柔らかそうなシーツが入れられていて、それに一匹の子猫がくるまっている。チェシャ猫というやつだろうか……。豊かな毛並みでどことなく笑っているような口元が特徴的なそいつは、丸い瞳に警戒の色を浮かべて僕を見上げていた。

 

「捨て猫か……」

 

 呟きつつ手を伸ばすと、フシャーと鋭く威嚇される。

 あやうく噛まれる寸前に慌てて手を引っ込める僕に、牙と敵意を剥きだしにして唸る子猫。なんとも強い警戒心だ。その姿を前にどうしたものかと考えていると

 

「岸辺、先輩……?」

 

 その時、ふと背後から聞こえた小さな声。聞き覚えのあるそれに振り返ると、そこには――

 

「亜子ちゃん……?」

 

 意外な物を見たという表情を浮かべた、儚げな雰囲気の少女――鳩田亜子がいた。

 彼女は派手すぎないシックな私服に華奢なその身を包み、思わぬ再会に驚きの声を漏らす僕を灰色の瞳で見つめている。

 

「どうして……」

 

 人の滅多に入らないような薄暗い路地裏に君がいるんだ? そう問いかけようとした時、彼女が手に持つビニール袋に気が付いた。

 

「この子に、ご飯をあげようと思って……」

 

 そう言うと、亜子ちゃんは「失礼します」と僕の隣にしゃがみ、ビニール袋から牛乳パックと猫缶を取り出しその蓋を開ける。そしてそれを段ボールの中へと置くべく手を伸ばし「あ……っ!」先ほど危うく手を噛まれそうになった僕は慌てて止めようとして――亜子ちゃんの手に擦り寄ってきた子猫に目を丸くした。

 チェシャ猫は小さな喉をゴロゴロと鳴らして柔らかな手にすりすりと体を擦り付けている。まるで母親に甘えるかのような安心しきったその姿は、僕の時とはまるで別猫だ。

 

「懐かれてるんだね」

「そう………でしょうか……?」

 

 亜子ちゃんは小さく首を傾げるが、これを懐いていると言わずしてなんと言うのか。

 いや、考えてみれば僕はどうにも昔から猫には噛まれる体質だから、単に僕が嫌われ過ぎているだけなのか……?

 

「…………」

「…………」

 

 並んでしゃがむ僕達の間に流れる空気は、どこか重くぎこちない。最後に学校で別れた時の気まずさをまだ引き摺っていたから。

 ふと、亜子ちゃんが問い掛けてきた。

 

「先輩はどうしてここに?」

「歩いていたらたまたま鳴き声を聞いてね。それで何だろうと思ってここに来たんだよ」

 

 説明すると亜子ちゃんは「なるほど」と頷きつつ牛乳パックの中身を持参したらしいミルク皿に注ぎ、先に段ボール入れておいた猫缶の隣に置く。流れるように淀みないその仕草は、隣で見るだけでもそれが何度も繰り返されたものだと分かる。

 

「君が世話をしてるのかい?」

「はい。この子の怪我が治るまではこうして世話をしようと思って」

 

 怪我? 言われて子猫をよくよく見てみると、確かに後ろ足に包帯が巻かれている。見た限り折れているわけではないようだが、傷が痛むのか動きがぎこちなかった。

 

「これって……」

「不良の人達に虐められたんです」

 

 不穏なその台詞に、僕は眉を寄せる。

 

「夜に数人で寄ってたかって、遊び半分だったのでしょうね。……母猫はこの子を庇って死にました」

「酷いな……」

「私が不良を追い払った時には、この子は足に怪我を負いながらも亡骸にすがりついて何度も呼びかける様に鳴いていました」

 

 淡々と語る亜子ちゃんだが、その瞳は悼みの色を浮かべて己に擦り寄る子猫を見つめていた。

 一方、僕は彼女の言葉の中に在った不可解な点に気が付く。

 

「追い払ったって……亜子ちゃん一人で?」

 

 亜子ちゃんはごく普通の中学生で、見た目も華奢で力が有るようには見えない。とても不良数人をどうにかできるとは思えないのだが……。

 怪訝に思い問い掛けると、亜子ちゃんはぴたっと動きを止めて……なにやら考え込むように沈黙した後

 

「……頑張りました」

 

 と言った。

 じいぃ……っと真っ直ぐに僕の目を見て、でも小さな額からは冷や汗が一つ。

 

「頑張ったんだ……」

「はい。頑張ったんです」

 

 静かだがどことなく有無を言わせぬ声と瞳。どうしよう。ツッコミどころがあるのにツッコめない。

 何とも言えない無言の緊張感が高まる中、見つめ合う僕たちの足下で「にゃ~ご」という不満げな声が足下から響いた。

 

「あ……。ごめんね」

 

 まるで放っておかれたことを拗ねるような目で見上げる子猫の頭を亜子ちゃんが撫でると、子猫は満足げに喉を鳴らす。

 人と猫ではあるが、まるで親子の様なそのやりとりに僕は

 

「亜子ちゃんは優しいね」

 

 それは、一人と一匹の温かな光景が微笑ましくて、自然と出た言葉。

 何の悪意も無く、彼女の優しさをただ本心から褒めただけのもの。

 でも、それが――亜子ちゃんの手を止めた。

 

「優しい。ですか……?」

 

 淡い唇から漏れたのは、凍り付いたように平坦な声。

 雰囲気が、変わった。背筋にぞくりと悪寒がはしる。

 それはまるで踏み込んではいけない場所に踏み込んでしまったかのような、開けてはならない箱を開けてしまったかのような感覚。不穏なそれに戸惑いつつ、僕は返答した。

 

「う、うん。だって傷ついた子猫を世話して――」

「本当に助けたいのなら、こうしてご飯だけを与えるのではなく引き取るべきです。でも、私にはそれができません。叔父さん達にこれ以上ワガママを言って迷惑を掛けたくないから、しません。……だからしてあげられることはせいぜい、また不良に見つからないようにこうして路地裏に隠すことくらいなんです」

 

 滔々と、淀みなく語る亜子ちゃん。その声に無力感と申し訳なさと、そして己への冷たい嫌悪を孕ませて

 

「こんなのは優しさではなく――ただの偽善です」

 

 そう、吐き捨てた。

 悪ぶるでも卑下しているのではなく、ただ単に事実のみを述べている、そんな口調で。

 

「優しくなんて無いんです。私は、先輩が思っているような人じゃありません」

「そんなことは……っ――」

 

 それがあまりにも痛々しくて、見ていられなかったから、僕はその言葉を否定しようと口を開き

 

 

 

 

 

「――私は、人殺しの娘です」

 

 

 

 

 

 昏く虚ろな、その墓穴のような瞳に――言葉を失った。

 

 

 ◇姫川小雪

 

 

 姫川小雪は物憂げな表情で、街の小さな通りを歩いていた。

 別にこれと言った用事があったわけでもなく、かといって休日に散歩を楽しんでいると言う訳でもない。ただ、欝々と部屋に籠っていると嫌な想いに囚われてしまうから、逃げるように出てきただけだ。

 その胸を悩ませ、欝々とさせるのは――岸辺颯太の事。

 結局、小雪は彼に電話することができなかった。

 聞くのが怖くて、知るのが嫌で。もしも拒絶されたら、もう会いたくないと言われたら、そんな考えたくも無い未来が頭をよぎり、どうしてもマジカルフォンの通話ボタンを押す指が止まってしまう。

 

 臆病だな。私って……。

 

 こんな弱虫だから、見限られても仕方ないのかもしれない。

 自己嫌悪を孕んだ憂鬱な溜息が唇から漏れようとした時――小雪は、どこからか微かに響く耳慣れた声を聞いた。

 

「え……? この声って……」

 

 彼の事を考えるあまりの幻聴だろうか。耳を疑いつつも、小雪はその声が聞こえた方向へと足を踏み出す。――見えざる何かに導かれるように。

 

 

 ◇岸辺颯太

 

 

 思えば僕は、鳩田亜子と言う女の子のことを何も知らなかった。

 

 ――今から三ヶ月ほど前、私の父が母を刺し殺しました。

 

 そういえば、そんなニュースをテレビで見た気がする。

 

 ――父は捕まり、そのせいで沢山の人に迷惑をかけてしまいました。

 

 地元で起こったショッキングな事件に少しは驚いたけど、結局は自分には関係の無い遠い世界の出来事だと思ってすぐに忘れ去った。被害者であり加害者の『鳩田』という名前ごと。

 

 ――親戚の人達は身内から人殺しが出たと白い目で見られたそうです。

 

 気が付いていた、学校で生徒達から亜子ちゃんに向けられていた視線を。

 

 ――そして引き取ってくれた叔父さん達はけして裕福と言う訳でもないのに、こんな私のために学費を払わなければなりません。

 

 いつもこの子は、どこか申し訳なさそうにしていた。

 一緒に登校している時も、並んでお昼ご飯を食べている時も、何気ない会話の最中ですら、その微笑の中には暗い陰があった。

 

 ――関係のないはずの学校のみんなにも、それ以外の私の周りにいる誰も彼も、私がいるせいで不快にさせ気を遣わせてしまう。それが、たまらなく嫌なんです。

 

「っ……でも、それは君が悪いわけじゃないだろ。確かに君の父親は人殺しかも知れない。でも、それは君自身とは何の関係も――」

 

 亜子ちゃんは首を小さく振り

 

「いいえ。たとえ父の事が無くとも、私の血は穢れています」

 

 じっと、僕の目を見た。まるで審判を待つ罪人のように。静かに、決してその眼差しを逸らさず

 

「もし、大切な誰かのために人を殺さなければいけないのだとしたら、岸辺先輩は殺せますか?」

 

 底光りする、灰色の瞳が問いかけ――言った。

 

「私は、殺せます」

 

 それは倫理や道徳などといった人間として本来あるべき外れてはならない何処かの『タガ』が外れた――もしくはもとより欠落した瞳。

 昏く淀んだ深淵でありながら処刑鎌のごとく鈍く光る、あの戦に狂った森の音楽家と、そして憧れ故に狂気に堕ちたスイムスイムと同じ

 

「殺せるんです。自分でも分かるんです。きっと私はそれが必要なら躊躇も迷いも無く、人を殺せる。そういうモノなのだと」

 

 ――人殺しの目だった。

 

「私は人殺しの娘です。父と同じ穢れた血が流れる、まだ人を殺していないだけの人殺しです」

 

 滔々と紡がれる独白は、まるで己自身を断罪するかのように。

 哀しみと自己嫌悪の昏い陰が、彼女の能面めいた貌を染めていた。

 

「……私は誰にも必要とされません。私は迷惑を掛け続けるだけの存在です。――私は、いてはならないんです」

 

 そう、自らの存在価値を断じて、亜子ちゃんはようやくその唇を閉じた。

 そして沈黙が下りる。まるで罪人を裁く処刑場の如く、冷たく重苦しい――沈黙が。

 告げられた真実。そのあまりの重さと悍ましさに、僕は言葉を失う。

 自分の母親が、殺された。それも父親によって。

 僕の両親は仲睦まじい方だと思う。時々喧嘩もするけど、でも仲直りした後に穏やかに笑い合う姿が僕は好きだった。

 

 だからこそ、家族が家族を殺すなんて、その事実がどれ程におぞましくそして辛く悲しい事なのか、僕には想像もつかない。

 その惨劇が、どれほど一人の少女の心を切り刻み押し潰し癒えぬ傷をつけたのかも。

 そうでありながら、この子は慰めなど求めていない。赦しなど受ける資格は無いのだと、その灰色の瞳で語っている。

 

「そんなこと……言わないでくれよ……」

 

 それがどうしようもなく痛々しくて、哀しくて、でもどんな言葉を掛ければいいのかも分からず口から洩れた力無い声は、

 

「いいえ。わたしは――」

 

 否定され。亜子ちゃんがさらに言葉をつづけようとした時――

 

 

 

「――そう……ちゃん……?」

 

 

 

 背後から聴こえた、決してここで聴くはずの無い声に、僕は耳を疑った。

 驚愕と共に振り向く僕の背後、表通りへと通じる路地裏の入り口に、差しこむ光の中に呆然と佇む――

 

「その子……だれ?」

 

 姫川小雪が、いた。

 丸い瞳を見開いて、穏やかな微笑みが似合うはずの顔を戸惑いと驚きに染めて――見つめ合っていた僕と亜子ちゃんに、微かに震える声で問い掛けた。

 でも僕の頭は突然の事態に動揺して、言うべき言葉が出てこない。

 

 なんでだ。なんで君がここにいる? ……いけない。何かわからないけど、とても不味い予感がする。このままでは何か取り返しのつかない事になる、そんな予感が。

 

 理屈ではない、どうしようもなく湧き上がる悪寒。それに急かされる様にとにかく何かを言うべく僕は口を開こうとして

 

「そうちゃん。もしかして……いつもその子と会うために……」

 

 呆然と語る小雪の顏に、息を呑んだ。

 血の気が失せて青白く、表情の抜け落ちたデスマスクじみた貌。なのにその瞳の中には驚愕悲痛困惑絶望あらゆる感情がぐちゃぐちゃに混ざりあって膨れ上がっている。

 

 駄目だ。この顔はいけない。

 小雪は大人しそうに見えて意外と頑固で我慢強く、嫌な事があってもギリギリまで己の内に溜め込む性格だ。でも、ゆえに限界に達すると感情が爆発する。そうなれば落ち着くまで全てを拒絶し、半ば自暴自棄になってしまうのだ。

 今の小雪は、そうなる寸前だ。

 

「あ……ごめんね。私、そういうの鈍くて……気が付かなくて……」

 

 決壊寸前の激情を無理やりに押さえ込んだ、たどたどしくも張り詰めた声を漏らす唇が、歪んだ。

 無理に笑みを浮かべようとしたのか。小雪は泣いているようにも笑っているようにも見える歪な貌で

 

「あ、ははは……じゃあ……私、行くね……」

 

 踵を返し、立ち去ろうとする。

 

「ま、待って!」

 

 その背中に、僕は咄嗟に手を伸ばした。

 何が何だかわからない。何で小雪が突然ここに現れたのかも。そんな表情をするのかも。それでもなにか、致命的なすれ違いが起きていることだけは感じて、僕は、彼女をとにかく引き止めようと

 

「いやっ!」

 

 振り払われた手で、拒絶された。

 互いの手と手がぶつかる乾いた音が、路地裏に響く。

 

「え?」

 

 何をされたのか、咄嗟には理解できなかった。

 けど、叩かれた手が伝える痛みでようやく、目の前の幼馴染から拒絶されたのだと理解する。

 小雪もまた、自分がしたことが信じられないという表情で呆然としていたが、我に返った僕が一歩踏み出すと肩を震わせて後ずさり、じわりと、震える瞳に涙を浮かべ――言った。

 

「………そうちゃん、何で、嘘ついてたの?」

 

 氷の刃で心臓を突き刺された――気がした。

 

 だってそれは、本当の事だから。

 僕は小雪に嘘をついてきた。

 嘘をついて、騙して、心配をかけて。体調が悪いと言えば小雪は無理をして一緒に魔法少女活動をしようとは言わないだろうと――小雪の優しさを、利用したんだ。

 生き残るために。この子の隣に帰るために。全ては、自分のために。僕は――

 

「……――ッ」

 

 ぐちゃぐちゃの感情に潤んだ小雪の瞳が、答えを待っている。僕は口を開こうとして、でも、何も言えなかった。

 僕が魔法少女活動をしていないことに亜子ちゃんは関係ない。小雪はたぶん何かを誤解している。けど本当のことを言う訳にはいかない。言えばスイムスイムは僕のマジカルフォンを破壊するから。

 

 ……いや違う。本当は、罪悪感が僕から言葉を奪っていたんだ。

 この子の気持ちを弄んだ卑劣なお前に、言い訳する資格など無いだろうと。

 言葉を無くし俯く僕を、小雪は棄てられた子供のような瞳で見つめていたが、

 

「…………っ」

 

 やがて踵を返し、走り去っていった。

 通りの雑踏に紛れ、遠ざかっていく足音。その消えていく背中を見送る事しかできなかった僕に、声が掛けられる。

 

「今の人は……?」

 

 灰色の瞳に戸惑いを浮かべ問いかける亜子ちゃんに、答える。

 

「幼馴染、だよ……」

 

 そう、幼馴染で、僕の想い人で、そして――必ず守ると誓った盟友だ。

 なのに、僕は……ッ。

 

「……ごめんなさい。私のせいですよね」

 

 拳を握り、自己嫌悪に顔を歪ませる僕に、亜子ちゃんが静かに呟く。

 

「いや、違う。君は悪くないよ。だってそもそも僕が――」

「いいえ。私のせいです。私が傍にいたから。私と関わったからこうなったんです」

 

 より陰の増した表情で語るその声は心から申し訳なさそうに謝罪し、そして己を責めていた。

 そして亜子ちゃんはその小さな頭を下げ

 

「今までこんな私に構っていただいてありがとうございました。……でも、もういいです」

 

 再び顔を上げた時、その瞳には明確な拒絶が在った。

 

「もう、私なんかに関わらないでください」

 

 僕を嫌っているのではなく、ただどこまでも自分を嫌い切った灰色を前に、僕は言葉無く立ち尽くしかなかった。

 

 

 ◇クラムベリー

 

 

 一人の少年が打ちひしがれ。

 独りの少女が己を呪い。

 少年が守りたかったはずの少女は絶望した。

 

 そして、ある少女が自ら己の運命を狂わせた時、この歪んだ魔法少女選抜試験は最初の見せ場を迎える。

 その始まりは、全ての魔法少女のマジカルフォンに同時に送られたメッセージからだった。

 

 

 

 ファブ:今日はみんなに良いお知らせがあるぽん

 ファブ:魔法の端末がまたバージョンアップしたぽん

 ファブ:便利なアイテムをダウンロードできるようにようになったぽん

 ファブ:全部で五個

 ファブ:どれも先着一名様限り、早い者勝ちぽん

 ファブ:頑張るみんなにファブからのささやかなプレゼントぽん

 ファブ:アイテムはスタート画面の「アイテム購入」で確認してぽん

 

 四次元袋《1000》

 一人で持ち上げることの出来る大きさ、重さであればどんなものでも入れることが出来るよ。四次元だから入れておける数も無限大だよ。

 

 透明外套《2500》

 羽織った人が誰からも見えなくなるよ。匂いもなくなるから犬にも見つからないよ。

 

 武器《500》

 アバターのコスチュームに追加できる武器だよ。魔法少女の力で振るっても簡単には壊れないんだ。武器の種類はリストの中から選んでね。格好いい名前をつけよう。

 

 元気が出る薬《300》

 テンションマックスになる薬だよ。怪我が治ったりするわけじゃないから勘違いしないでね。使い過ぎると体に毒だよ。一(びん)十錠。

 

 兎の足《600》

 大ピンチになったらラッキーな事が起こるよ。それでピンチから救われるかどうかは君次第だからあんまり期待しすぎないようにね。

 

 

 

 そのメッセージを受け取った魔法少女達の反応は様々だった。

 目を輝かせ、どれがいいのかと選ぶ者。

 対価を考え、購入するべきかを悩む者。

 目当ての物を先に買われて嘆く者。

 勝利のためにリスクと引き換えに購入する者。

 そして――そんな物は無くとも己は生き残れるとほくそ笑む者

 

 いずれにせよ、この嵐の前の平穏にも似た凪いだ状況に投げ込まれた新たな一石が生んだ波紋は全ての魔法少女を飲みこみ、更なる混沌の中に引きずり込む。それに抗う事は、誰にもできない。

 そして

 

「やれやれ。ようやくバージョンアップが完了したぽん」

「ご苦労様です。ところで、支払いがキャンディーというのは当初の予定とは違っていますね」

「本当なら寿命を対価にして引き返すことができなくさせる筈だったのに、こうせざる負えなかったぽん」

「購入者は同時に脱落のリスクが高まり、死なないためには誰かからキャンディーを奪うしかない。手っ取り早く戦わせるには仕方がないとしても、ずいぶん強引なやり方ですね」

「いや上から目線のうえに他人事だけどそもそも誰のせいだと思ってるぽん」

「堪え性の無いファブの自業自得でしょう?」

「うっさいぽん」

 

 悪辣なる試験官(ゲームマスター)達は嗤う。

 

「これにて新たなる戦いの種は蒔かれ、まもなくこの街に赤く美しい血の花が咲き誇るでしょう。――貴方(あなた)がどのような花を咲かせるのか。それとも貴方自身が花と成るのか。今からとても楽しみですよ。颯太さん」

 

 この楽しい楽しい狂ったゲームが、より凄惨により残酷により派手で血みどろで阿鼻叫喚の修羅道へと堕ちる歓喜に、嗤う。

 

 

「ところで、ずっと不思議だったけどなんでクラムベリーはラ・ピュセルをそこまで気にするぽん?」

「おかしいですか?」

「たしかに芽があるとはいっても、所詮はボロ雑巾にして圧勝した相手ぽん」

「圧勝……圧勝ですか……ふふ」

「え、なにそのヤバげな笑み。背筋がゾゾっとするんだけど」

「失礼ですね。それに、あれは圧勝などではありませんよ。――むしろあの戦いで私は彼に徹底的に辱められ、袖にされたのですから」

 

 そう語るクラムベリーが浮かべた微笑は優雅で美しく、だが恋する乙女というにはあまりにも歪で壊れていた。

 

 

 




お読みいただきありがとうございます。
シャーロキアンの妹がシャーロック目当てにFGOを始めたので「ならワシもやろ」とプレイしたはいいものの「ひひひ、先にシャーロック当てたでえ。くやしいのう。くやしいのう」と自慢してくるのにキレて「ギギギ……みてろやワイも当てたるけえ。回すで10連。来たれシャーロック!」そして「うおおおおおおお!? ルーラーキタコレ!金や金のルーラーさんじゃ!これは間違いなくシャーロックに違いねえ!」結果→ジャンヌ・ダルクでした。……うんこれはきっと早よラピュセル書けという神からのオーダーだなと悟り早速書き上げた作者です。

あさて、今回の亜子の内面描写ですが、100%作者の独自解釈かつ設定改変です。
原作無印の『亜子の父と似た目をしていた。(中略)。そんな父の底光りする目とそっくりだった。鏡を見るたび目にする自分の顔にも二つある、父そっくりの目。あれは、人殺しの目だ』という文とキャラソンの歌詞などから妄想しましたので公式設定とは一切関係ありませんので悪しからず。たぶん作者の一番の被害者は亜子。

ではまた次回で。



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開戦

前々話のマジカロイド44のシーンに加筆したぽん。別に読まなくても問題はないけど、マジカロイドが引いた秘密道具を知りたいという方はご覧くださいぽん。
あと今回の話は夜に一人で読んでほしいぽん。



 

◇カラミティ・メアリ

 

 天井から吊り下がるシャンデリアのきらびやかな輝きに照らされた、とあるクラブのVIPルーム。

 磨き上げられた黒檀の小机、その上で芳醇な酒気を香らせるのは琥珀色の液体で満たされたバカラのグラス。敷かれた絨毯は毛が長く柔らかで、部屋を飾る他の様々な調度品と同様に質と値段の高さが滲み出ている。

 まさに贅をつくした内装は派手で豪奢だが、どこか退廃的だ。

 そしてそれは、この部屋の主にも通じる事だった。

 

 カラミティ・メアリ。マカロニウェスタンの女ガンマンを思わせる露出度の激しいコスチュームを纏う魔法少女。その女豹を思わせる引き締まった肢体は美しくも、拭えぬ血と硝煙の――暴力の臭いが染み付いている。

 名深市で最も危険な魔法少女と恐れられる彼女は、柔らかなソファーに身を横たえルージュの唇に笑みを浮かべた。

 

「あたしは袋を買ったよ」

 

 泣き黒子が色っぽい目元を細めて眺めるのは、片手に持った袋。

 

「自分の持てるサイズの物なら無限に入る四次元袋。支払うキャンディーは1000個」

 

 安い対価ではない。マジカルキャンディーが減るという事はそれだけ死の危険が高まるという事なのだが、彼女の目には新たな玩具を手に入れた子供のような満足感だけがあった。

 

「あんた何買った?」

 

 問われ、傍らに立つロボット型の魔法少女――マジカロイド44は答える。

 

「ワタシは何も買いませんでした。しかし意外デスね。先輩はてっきり武器を買うものかと思ったのデスが」

「あたしに武器は要らないよ。わざわざ買わなくとも、あたしの魔法ならそこらのナイフでも魔法少女殺しの凶器にできるからねぇ。むしろ、あたしはあんたが何も買わなかったのが意外だよ」

「ワタシは小心者デスので。余計なリスクを背負い込むなんて真似はまっぴらごめんなのデスよ」

「小心者ねえ……」

 

 くっくと愉快気に喉を鳴らすカラミティ・メアリ。

 相も変わらず食えない奴だ。小賢しくて飄々として、表向きは媚びへつらおうとも本心では己の欲望にしか従わない。だが、そこが好い。

 

「あんたの良い所はさ。いつか寝首を掻いてくれそうなところ」

「先輩の寝首を掻くなんてムリゲーデスね」

「今日が駄目なら明日。明日が駄目なら明後日ならって思ってそうなところが好きだねぇ」

 

 それはまぎれもない本心だったが、マジカロイド44はヘラヘラ笑って首を振る。

 

「勘弁デス。手下には信用第一でお願いします」

「信用ねぇ。ならテストに合格したら背中預けてやる」

「テスト?」

 

 カラミティ・メアリはにやりと口元を歪める。

 その気配だけで肌がひりつくような、血に飢えた肉食獣の笑みで

 

「一人、殺ってこい」

 

 そう命じた。

 清く正しくあるべき魔法少女にはあるまじきその命令(オーダー)に、マジカロイド44はしばし沈黙し、呟く。

 

「殺す、デスか……」

「おや。ビビッてんのかい?」

「いえ。殺すこと自体は別にいいのデスが、ただ魔法少女を殺しては運営から何らかのペナルティがあるのではないかと」

 

 なんとも小心者らしい慎重さを見せるマジカロイド44。その不安をだがカラミティ・メアリは笑い飛ばす。

 

「はっ。なら問題ないねぇ。――安心しな。たとえどいつを殺そうがどれだけ殺しまくろうがあの白黒饅頭は何も言わないよ」

 

 

 目を見ればわかる。あのマスコットキャラクターの目は人間のそれとは異なるものの、その奥に在る物は同じだ。倫理も道徳も無く、ただ己が愉しむためだけに他者を虐げ絶望させる――自分と同じくそったれの目だ。

 確信が込もったその言葉に、マジカロイド44は半信半疑ながらも頷いた。

 

「分かりました」

 

 腹は決まったらしい。

 ならそのまま出て行くのかと思いきや、彼女はその場に止まり

 

「先輩。殺しに行く前に、一つ頼みがあるのデスが……」

「あん?」

 

 その申し出に、カラミティ・メアリは眉を寄せてマジカロイド44を見る。

 訝し気な眼差しの先では、人ならざる赤いガラスの瞳が不気味に光っていた。

 

 

 ◇ラ・ピュセル

 

 

 この日の夜は、不気味なほどに静かな夜だった。

 風は無く、木々はそよがず、月は音も無く地を照らす。

 穏やかな静寂というよりは、まるで迫る嵐の気配に世界そのものが息を呑み沈黙しているかのような――夜。

 癒えぬ胸の痛みと記憶を抱えながら、魔法少女ラ・ピュセルへと変身した僕は夜闇に佇む王結寺の門をくぐった。

 

 

 小雪に逃げられ亜子ちゃんに拒絶された僕はその後、失意の中で家に戻った。戻るまでの道中は正直よく覚えていない。気付いたら自室のベッドの上に倒れ込んでいた。

 涙を浮かべた小雪の瞳と、自身を卑下する亜子ちゃんの昏い瞳が頭から離れない。亜子ちゃんに何もできなかった。小雪を泣かせてしまった。二人の姿と交わした言葉が何度も脳裏に蘇り、やるせない感情と共にぐちゃぐちゃに渦巻いている。

 

 生き残るためとはいえ、僕は確かに小雪を騙していた。

 しかたがなかった。そうしなければどうしようもなかったのだけどそれでも、それは清く正しい魔法少女としてはあってはならないことで、どう言い繕おうとも小雪の優しさにつけこみ利用したのは――紛れも無い事実だ。

 これじゃ、嫌われて当然だな……。

 

 でも、それでも、僕は――あの子の隣にいたい。

 感情的な意味でも、彼女自身の身の安全のためにも。

 この狂った状況で、彼女を一人にしてはおけない。そして守れるのは僕だけだから、僕が守りながら戦わなくちゃいけないんだ。

 戦う事の出来ない君の剣になろうと誓ったから、そうなりたいと願ったから。

 ……たとえ、土下座して謝ったのだとしても元の様な関係にはもう戻れないのかもしれない。あさましいかもしれない。女々しくて無様なのは分かっている。それでも僕は――小雪が好きなんだ。好きだから守りたいんだ。

 だから僕は、緊張を感じながら本殿の扉に手をかけ開き、選択の場へと足を踏み入れた。

 

 

「待ってた。ラ・ピュセル」

 

 そこは人ならざる気配に満ちた、ある種の魔境ともいえる堂内。燭台の火が妖しく揺れて、この場に集う魔法少女達の姿を照らす。僕を迎え入れたスイムスイムの手には見慣れない槍とも薙刀ともつかない武器が握られていた。

 見れば、床でどんよりと気落ちした様子で膝を抱えるユナエルを慰めているミナエルの手にも、カラフルな丸薬のようなものが詰め込まれたガラス瓶がある。

 

「それは……?」

 

 眉を寄せ、疑問の声を漏らす。と

 

「ラ・ピュセル。なんだか元気ないように見えるけど、大丈夫……?」

 

 突然誰もいない筈の耳元でかけられた声。驚いて声の方に目を向けるが、やはりそこには誰の姿も無い。

 

「え……っ!?」

 

 虚空に生じた不可視の声に目を丸くする僕の前で

 

「あっ、ごっごめん!? 外套を被ったまんまだったにゃ……っ!」

 

 そんな慌てた声がしたと同時、衣擦れの音と共に風景がぐにゃりと歪み、まるで見えざるベールを取り去ったかのようにたまの姿が現れた。

 彼女もまた、見知らぬ道具――華奢な肢体をすっぽりと包む赤い外套を着ている。

 

「たま? その外套は………?」

「あ、ラ・ピュセルはマジカルフォンが無いから知らないよね」

「マジカルフォンと何か関係があるのかい?」

 

 たまの言葉にますます困惑する僕に、スイムスイムが説明した。

 

「昼間にマジカルフォンがバージョンアップされてアイテムを購入できるようになった」

「それが、その武器か」

「うん。早い者勝ちだったけど買うことが出来た。私は『透明外套』を。ユナエルは『元気が出る薬』を。そしてたまがこの――」

 

 すっ……と、自らが持つ武器に目を向ける。その眼差しはただの道具に向ける物ではなく、まるで敬虔な信徒が聖なる遺物を見るかのように

 

「魔法の武器――『ルーラ』を」

「ルーラ……?」

「私が名付けた」

 

 そう語る声に抑揚こそ少ないが、その赤紫の瞳にはどことなく誇らしげな色があった。

 しかし、それはすぐ物憂げかつ鋭いものへと変わる。

 

「けど、アイテムを購入するために大量のキャンディーを失った。だから、直ぐに新たにキャンディーを手に入れなきゃならない」

 

 淡い唇が紡ぐ剣呑な響きは、それが人助けによってではない事を示して。

 僕の脳裏に戦慄が走った。

 

 まずい……っ。

 ここまで追いつめられ、僕は最悪、マジカルフォンを返してもらうために一時的にでもスイムスイムの仲間になり、その後は密かに離脱する機を伺うつもりでいた。

 だが、これでは仲間になってすぐさま罪も無い誰かのキャンディーを奪うことに――殺すことになってしまう。

 駄目だ。それだけは駄目だ。たとえ自分が生き残るためでも、誰かをを殺すなんて正しい魔法少女が――スノーホワイトの騎士がしていいことじゃない。

 現実は僕の思惑など嘲笑う様に超えて、スノーホワイトの騎士であるために考えた、せめてもの策が瓦解していく。

 

 僕は、甘かった。

 この時点でもまだ、自分には選ぶまで時間があるなどと思っていたのだ。

 だがこの残酷な現実は、最悪の選択を突き付ける。

 

 

                                                                           「ラ・ピュセルが私の騎士になったら、すぐにスノーホワイトのキャンディーを奪いに行く」

 

 

 

 

「なっ!?」

 

 耳を、疑った。

 思わず見返したスイムスイムの瞳にはだが偽りは無く、底光りする殺意がそれが本気であると伝えている。

 

「スノーホワイトを……殺すっていうのかッ!」

 

 叫ぶように叩きつけた問いにスイムスイムは

 

「もし私の騎士にならないのなら、死ぬのはキャンディーの無いラ・ピュセル。でも、ラ・ピュセルが騎士になったのならその代わりに誰かが死ななければならない。なら一番狙いやすいのは、今まで守っていたラ・ピュセルがいなくなったスノーホワイト」

 

 どこまでも冷徹に、一片の情も躊躇いも無い、深海の底から響くような声で

 

「ルーラは言っていた。倒しやすい奴から倒せって」

 

 

 そう、言った。

 

「そんな……っ!」

 

 慄く唇から愕然とした声が漏れて、薄暗い堂内に空しく響く。

 動揺する僕をスイムスイムは静かに見詰め、ピーキーエンジェルズは揃いの笑みを浮かべて見物し、そしてたまは――小さな体をこわばらせ、ただ辛そうに顔を伏せていた。

 ……すでに僕以外の意思は統一済みか。くそっ。これじゃたとえ力ずくで止めようとしても、一斉に襲われれば成す術も無く潰される……ッ。そして何もできずに、スノーホワイトが死ぬ!

 

「くっ…ぅぅ…ッ!」

 

 スイムスイムの騎士になればスノーホワイトは死に、ならなければ僕が死ぬ。僕が死ねば守る者のいなくなったスノーホワイトはきっと生き残れない。

 どうする。

 どうするどうするどうすればいいッ!?

 呻り、必死に考えるも起死回生の一手など浮かばず、心は焦り、動揺が汗となって床に落ちる。

 そんな僕に、スイムスイムは問う。

 逃げる事など許さず、いかなる嘘もあらゆる偽りをも見破らんとする瞳で。

 

「聞かせてラ・ピュセル。あなたの選択(こたえ)を」

 

 どちらを選び、どちらを犠牲とするか。その、選択を。

 

「っ………――――」

 

 そして、僕は―――――

 

 

 

 

 

 

 ――いやああああああああッッッ!!

 

 

 

 

「――――ッ!?」

 

 ありえない声を、『聴』いた。

 ここにいるはずの無い、けして聞こえるはずの無いその悲鳴は

 

「小雪……?」

 

 

 ◇スノーホワイト

 

 

 時はしばし遡る。

 

 夜の街を、スノーホワイトはキャンディーを集めるために駆けていた。

 どんなに辛くても、悲しくても、死なないためにはキャンディーを集めなければいけないから。

 ……いや、本当はただの逃避だ。カーテンを閉め切った薄暗い部屋に籠って何もしていないでいると、昼間見た記憶が、見知らぬ少女と共にいた颯太の事が蘇って胸が苦しくなるから。その苦しみから逃れたくて、スノーホワイトは闇の中を彷徨う。

 

 だが、それは叶わなかった。

 ラ・ピュセルとの待ち合わせ場所だった電波塔。共に語り合った砂浜。並んで歩いた道。二人で守ってきた街並み。自分達の担当地区には、どこも彼との思い出が染み付いている。

 どこに行ってもラ・ピュセルとの記憶が蘇り、胸の痛みとなってスノーホワイトをさらに苦しめるのだ。

 

 その足はいつのまにか、人気の無い所へと向かっていた。独りになりたかった。ラ・ピュセルとの思い出のない場所に行きたかった。

 だから、スノーホワイトは人のいるだろう場所から離れ、逃げ続けて、木挽町(こびきちょう)の廃工場に辿り着く。

 周囲には民家が無く、夜闇にぼうっと浮かび上がる不気味な外観。

 かつては高度経済成長の波に乗って昼夜を問わず稼働し賑わったものの、社長一家が夜逃げしてからは寂れ廃れてうち棄てられたそこは、どこよりも今の自分には相応しいと思えた。

 月明かりだけが照らす廃墟の中に降り立ったスノーホワイトの胸に、どうしようもない想いが湧き上がる。

 

 颯太が知らない女の子と一緒にいた。

 儚げで、可愛い子だった。思わず守ってあげたくなるような、そんな子だった。

 ただの友達、ではないと思う。あの子を見る颯太の瞳は、目の前の女の子を心から守りたいと思っている瞳だった。

 今までキャンディー集めに来なかったのも、嘘をついていたのも全部あの子に会うためだったのだろう。いつ命を落とすともしれないこんな状況なら、自分なんかといるより、好きな子と少しでも多く一緒に過ごしたいはずだ。

 当り前だ。そう、当り前のことだ。

 奥手だと思っていた幼馴染にようやく春が来たのだ。黙っていたのは水臭いけど、むしろそれ自体は喜んであげるべきなのに、なのにッ……哀しくて、辛くて、苦しくて、胸がこんなにも――痛い。

 

 嘘をつかれていたから? 違う。

 相棒がいなくなって、一人でやっていかなくちゃならなくなったから? 近いけど、そうじゃない。

 

 颯太は今もあの子の所にいるのだろうか。笑いかけて。語り合って。抱きしめて。キスをして。自分じゃない女の子の隣に、いるのだ。

 

 やだ。嫌だよ……ッ!

 

 そんな事は無いって、ただの幼馴染だと思っていたのに。なのに。

 失って初めて分かった。全てが手遅れになってからようやく、気付いてしまった。

 この気持ちに、ずっと胸に抱き続けた彼への――このどうしようもない想いに。

 

「わたし、そうちゃんが好きなんだ……っ」

 

 震える両手で顔を覆う。その指の隙間からは、嗚咽と涙の雫が漏れて地に墜ちた。

 誰もいない朽ち果てた廃墟、一人ぼっちの闇の中で、スノーホワイトは立ちつくし涙を流す。喉を震わせ、悲しみと後悔と絶望を響かせて……。

 

 そんな彼女の震える耳が、ふと小さな音を聴いた。

 

「え……?」

 

 それは遠く、微かで、今にも消え入りそうでありながらでも確かに夜気を揺らして響く――音。

 

「なに……?」

 

 誰かが中にいるのだろうか。

 こんな所に? わざわざ一体誰が?

 肝試しに来た物好きか。あるいはひそかに不良がたまり場にしているのか。それとも……酔っ払いでも迷い込んだのか。

 だとしたら、不味い。泥酔した人をこんな所に放置してはおけない。風邪をひくかもしれないし、無いとは思うがここを溜まり場にしている不良なりと鉢合わせすればどんな目にあうかは想像するまでも無い。ならば魔法少女として放っておくわけにはいかないだろう。

 

 ……本当ならこのまま蹲って泣き続けていたいくらいだけど、自分は魔法少女だ。だったら、どんなに辛くても――人を助けなくちゃならない。

 頬を濡らす涙を拭い、スノーホワイトはその音が鳴る方へと足を踏み出した。

 

 闇の奥から響くそれに誘われるように、打ち付けられた封印の板が朽ちて割れている入り口を潜り、暗い室内へ。埃っぽくてぬめるような空気が纏わりつく中、一歩進むごとに、それは聞こえてくる――

 

 がんっ……がんっ……

 

 硬い何かを打ち付ける音。

 

 ごり……ごりり……っ…

 

 柔らかい物を磨り潰す音。

 

 ぐちゃ……ぐちゅ……ずる……

 

 薄暗い通路の向こう側で、怪しげな音を出すナニカが、何かを刺して、抉り、引き摺り出している。

 

 ごくっ……。

 

 おもわず、スノーホワイトは固い唾を飲み込んだ。言い知れぬ緊張と怖気にどくどくと震える胸の鼓動に同調するように、音は次第に鮮明に、段々はっきりと、そして生々しく響く。そしてそれに(いざな)われた先に――一人の少女が、いた。

 

 その少女はこちらに背中を向け、天井の破れた亀裂から降る月明かりの中にぼうっと佇んでいる。

 背はスノーホワイトと同じくらいだろうか。両脇がフリルで飾られたカチューシャを付けた小さな頭から太ももまで流れ落ちる波打つ黒髪で上半身はほとんど覆われて、その姿はよく分からない。

 まるでマネキンの様に生気が無く、だが同時に生々しい存在感を放つその威容にスノーホワイトは息を呑み、だがそれでも声を掛けようとした時――その細い右手が握るナイフに気付いた。

 月明かりを反射する剣呑な刃の輝きに、顔が強張る。その目の前で――少女はナイフを自らに突き刺した。

 

「――――ッッッ!?」

 

 漆黒の髪に遮られ、どこに刺したのかは見えない。だが刺した腕の高さからすればおそらくは首。鳴り響いたのは肉を裂く音ではなくガンと硬い物を打ちつける音だったが、赤黒い血しぶきがシャワーの如く噴き出した。

 月明かりに赤い飛沫が飛び散って、びしゃびしゃと床を濡らす音。むせかえるような血の臭い。悲鳴をかみ殺して後ずさったスノーホワイトは、足元に転がっていた鉄パイプを踏んでバランスを崩し尻もちをついてしまう。

 

「きゃっ……!?」

 

 思わず漏れてしまった小さな声。

 それに気づいたのか、少女の動きがぴたっと止まる。

 そして――

 

 ぎぎぎ……

 

 と、まるで壊れたからくり人形のような不気味な動きで、少女が振り向いた。

 可憐だが、一切の表情が抜け落ちたデスマスクめいた美貌。血の気の失せた病的な肌。黒い不思議の国のアリスを思わせるドレスは、だが赤黒く濡れて。その、細い首には……ひしゃげたナイフが突き刺さっていた。

 

「いやああああああああッッッ!!」

 

 恐怖に顔を歪め絶叫するスノーホワイト。そんな彼女を、血まみれの黒いアリスはじっと見下ろす。その紫の瞳は、驚きとそして歓喜に限界まで見開かれて、端から一筋の血を垂らした唇が――吊り上がった。

 

 

 

 

 

「やっど、みづげ…だぁ……」

 

 

 

 

 

 ◇ラ・ピュセル

 

 

 今聞こえたのは、小雪の声か……?

 困惑し、慌てて周りを見回すが、もちろんその姿は無い。目に映るのは僕の突然の行動に戸惑う魔法少女達の顔だけ。……気のせいか?

 

 ――たすけて……そうちゃん……ッ。

 

 ッ違う!? 気のせいなんかじゃない!

 

 ――嫌! 死にたくない!

 

 頭に直接響くような彼女の悲鳴。恐怖と絶望に染まったそれは、ただ事じゃない。

 

「スノーホワイト!」

 

 今すぐ行かなければとても悪い事が、なにか取り返しのつかない事が起こる。不吉な胸騒ぎと危機感を感じ、僕は外へと通じる扉へと向かおうとして

 

「逃げるつもり?」

 

 首元に突き付けられた、鋭い刃に止められた。

 返答次第では細首を掻き切らんとするスイムスイムが構える、ルーラの冷たい輝き。背筋が凍るのを感じながら、逸る硬い声で答える。

 

「っ……違う。スノーホワイトの所に行くんだ……っ」

「なんで?」

「お前も聞いたろ! スノーホワイトの悲鳴を!」

 

 焦燥感と苛立ち交じりの台詞に、だがスイムスイムは氷像めいた美貌に困惑を浮かべ、ピーキーエンジェルズも顔を見合わせ首を傾げる。

 

「え? そんな声した?」

「いや全然聞こえなかったし」

 

 たまもまたきょとんとして、僕以外の皆が一様に困惑していた。

 僕だけなのか? あの子の声が聞こえたのは……。

 

「そんな声なんて無かった。嘘をつかないでラ・ピュセル」

「嘘じゃない! 僕は確かに聴いたんだ。あの子の……スノーホワイトの悲鳴を!」

 

 嫌だと言っていた。死にたくないと叫んでいた。恐怖に震えて泣き出しそうな声で、たすけてと僕を呼んでいたんだ……ッ!

 

 焦燥。動揺。激情。荒ぶる想いを眼差しに込めて、突きつける刃よりも鋭いスイムスイムの瞳にぶつける。

 

 だから行かせてくれ。いや

 

「行かなくちゃいけないんだ! 僕があの子を守らな――」

「行かせない」

 

 ちゃきっ……と、ルーラが更に押し付けられて、僅かに切れた肌から流れた一筋の血が刃を濡らす。痛々しい光景に、たまがひっと悲鳴を漏らした。

 一気に張りつめる空気の中、対峙するスイムスイムは凍り付くような瞳で

 

「それがたとえ本当でも、行かせるわけにはいかない。ラ・ピュセルの答えを、まだ聞いていないから」

「――ッ!」

 

 スイムスイムを選べば、スノーホワイトを助けるどころか殺しに行かされる。

 でもスノーホワイトを選ぶなら、きっとここで殺される。

 どっちを選んでも、スノーホワイトは助けられない。だったら――

 

「後で必ず答えを出すから、頼む、今は行かせてくれ……ッ」

 

 絞り出すように訴えた、この状況で僕が出来る唯一の懇願は、

 

「――駄目」

 

 血に塗れた刃よりも鋭く無慈悲な声で、切り捨てられた。

 

 

 ◇スノーホワイト

 

 

 ひたひたと、血まみれの黒いアリスが近寄って来る。

 嬉しそうに、まるで想い焦がれた人をようやく見つけたかのような笑みで。

 ひしゃげたナイフの刺さった首からどくどくと血が溢れて黒いドレスを濡らし。一歩、二歩、三歩。赤い足跡を付けながら。怯えた瞳で床にへたり込むスノーホワイトの下に――来る。

 

「ひっ……!」

 

 ガチガチと歯を鳴らす唇から、漏れる悲鳴。

 逃げ出したいけど、出来ない。あまりの恐怖に腰が抜けて、足に力が全く入らないのだ。

 

「い、嫌……来ないでぇ……っ」

 

 震える声で懇願しても、黒いアリスは止まらない。

 

 ひた……ひた……

 

 嬉しそうに。

 

 ひた…ひた……

 

 血まみれで。

 

 ひた……ひた……ひたり

 

 スノーホワイトの目の前に――来た。

 目を見開きじいっと見下ろす紫の瞳が、恐怖に震える金の瞳を捉える。

 手を伸ばせば届く距離。黒いアリスの首から溢れる血の音すらも聞こえるほどの。

 ……もう駄目だ。逃げられない。助けてっ。助けて! 誰か――

 

「たすけて……そうちゃん……ッ」

 

 思わず呟くのは、愛しい、けど、もう自分の隣にはいない想い人の名前。

 女々しい。格好悪い。こんな自分だからそうちゃんに捨てられるのも無理はないな……。

 そう恐怖に呑まれながらも心の片隅で自嘲するスノーホワイトへと、黒いアリスがすう……っと右手を伸ばす。

 

「――ッ!?」

 

 いよいよかとギュッと目を閉じるスノーホワイト。ここで死んじゃうんだなと瞼の下の闇の中で絶望するも……何も起きない。

 戸惑いながらも恐る恐る瞼を開けると、黒いアリスの骨のように白い手が持つ――白い毛に覆われた《兎の足》を見た。

 

「ごれ……を……」

 

 喉が潰れているため聞き取りずらく、喋るたびに血が溢れる唇が紡いだ声には、だが敵意は無かった。

 

「え……?」

 

 その意外な態度に思わず少女の顔へと目を向けると、黒いアリスはスノーホワイトをまるで神に出会った敬虔な信者のような眼差しで見つめながら

 

「あな……たに……」

「私に……?」

 

 恐る恐る問いかけると、黒いアリスは頷くように首を前へと傾けて――ごとんと、その首が落ちた。

 赤黒い血管とぽっかりと空いた気道、そして骨の白までがグロテスクなまでに鮮やかな切断面から激しく血が噴き出し、一面に血の雨を降らせる。首を無くした黒いアリスが膝をつき血だまりに倒れ込むのを、スノーホワイトは何が起こったのかも理解できずに呆然と眺めていた。

 

「やあ、助けてしまった形になったデスね」

 

 倒れた黒いアリスの背後には、魔法仕掛けのロボットがいた。

 人ならざる白い金属の肌。薄暗い夜闇の中で爛々と光る赤いガラスの瞳。人間としてのぬくもりも、血の通った生物としての情も感じない。多くが奇妙な姿をした魔法少女の中でなお隔絶したその姿を、スノーホワイトは知っていた。

 

「これがどこの誰さんかはしりませんけど。チャットでは何度かお会いしたデスね」

 

 ――マジカロイド44。

 名深市の魔法少女の中でも特に掴み所の無い性格と異様な姿をした彼女は、返り血を浴びてへたり込むスノーホワイトに向かって右手を前に突き出し

 

「今日の秘密道具はとても使える物でよかったデス」

 

 それを振るうと、指の先から月の光を反射して極小の糸のようなものがキラキラと光り、スノーホワイトの頭上のコンクリ壁に五筋の切れ込みが入った。見えざる凶器の威力に、背筋が凍り付く。

 

「他の魔法少女を殺めるのは初めてデスが、案外あっさりと殺せるものデスね。簡単にあの殺人狂のテストをクリアできたのは良い事デスが、これではワタシ個人がしたかった性能テストにはならないデス」

 

 やれやれと肩をすくめるその姿は、たった今人一人を殺したとは思えないほど自然で、ゆえにおぞましい。

 そしてマジカロイドは、夕飯の買い物でついでにこれも買っちゃおうかなとでも言うような調子で

 

「運の良いことにラ・ピュセルはいないようですし、なら最初の予定通りアナタもやっちゃいましょう」

 

 その右手を振り上げた。

 襲いかかる死の気配。スノーホワイトは五筋の糸が己を惨殺する様を幻視する。

 死ぬ? 死ぬの、私? ここで、こんなところで、ひとりぼっちで……。

 

「嫌! 死にたくない!」

 

 嫌だ。いやだいやだいやだ!

 死ぬのは嫌だ。一人ぼっちは嫌だ!

 そうちゃん。たすけてそうちゃん!

 

「では、サヨナラ」

 

 眼前の少女の絶望など意にも介さず、マジカロイドは見えざる糸を振るおうとして

 

 

 ぐしゃ

 

 

 同時に響く、金属が打ち付けられる大きな音と、肉を突き破る生々しい音。マジカロイドは己の胸を見下ろし、そこから生える白い手を目にした。

 背後から何者かに腕で貫かれた。驚愕するガラスの瞳でそう理解した時、その身体は何者かに持ち上げられ、血溜まりに無造作に叩きつけられた。

 スノーホワイトはそれを成した者を、もはや驚き過ぎて呆然とした頭で見る。

 眼前に立つのは、首を失った黒いアリスだった。マジカロイドに殺され、首の無いまま殺し返した黒いアリスは、足元に転がった自らの頭を手に取り、首の切断面に合わせる。あまり聞きたくない類の音が響き、ほんの十秒にも満たぬ後に手を放すとその首は胴体にくっついていた。

 趣味の悪い手品めいたその光景にぽかんとしているスノーホワイトに、黒いアリスは問いかける。

 

「怪我は、ありませんか……?」

 

 はっと我に返るスノーホワイト。

 

「わたしを、助けてくれたの……?」

 

 ぎこちなく問い返すと、頷く黒いアリス。

 

「あ、ありがとう。でも、なんで……」

 

 その問いに、黒いアリスは暫し湧き上がる想いを堪えるかのように押し黙ったのち、

 

「わたしは、あなたに――」

 

 僅かに震える声で、そう、言おうとして――自らの胸から生えた、機械仕掛けの腕に止められた。

 

「――ッ!?」

「え……ッ!?」

 

 あり得ない事態に、二人は目を見開く。だって血に塗れたその手は、白い金属質の見間違えようの無い装甲は、たった今殺したはずの

 

 

 

 

 

「まったく、いきなりなにするんデスか」

 

 

 

 

 背後から、声がする。聞き覚えのある、甲高いがどこか無機質な声が。

 そして黒いアリスは、そのまま自分がしたように体を持ち上げられ、血だまりにたたきつけられた。そこに転がっていたはずの先客の姿はない。なぜならばそいつは、ついさっき黒いアリス自らが確かに殺したはずのそいつは

 

「お互いさまとはいえ。胸に大穴を開けてくれるなんて、以前のワタシでしたら死んでいたデスよ」

 

 胸に大穴を開けたまま、黒いアリスを殺し返し立っているのだから!

 

 常人ならば、否、魔法少女であっても生きている筈の無いその様に、スノーホワイトは恐怖する。

 

「な、なに……なんなの、あなたは……ッ!?」

 

 マジカロイドの魔法はたしか未来の便利な道具を使えるというものだった。

 だが、それは一日1つだけで、あの糸がそうだったのだろう。ならばこれは道具によるものではない。なら、一体何なのだ。目の前のコレは、何だ――ッ!

 

「では聞かれたのならば、あらためて名乗らせてもらうデス。ワタシはマジカロイド44改め――」

 

 マジカロイド44は、否、かつてそうだった者は――答えた。

 

 

 ◇ラ・ピュセル

 

 

 寒気がする。嫌な予感が止まらない。胸の鼓動はどんどん激しくなって、立ちつくす僕を急き立てる。

 スノーホワイトに危機が迫っている。恐怖に怯え死が迫っている。早く、速く、早く行かなくては。そう思うのに、目の前でスイムスイムがどんな壁よりも越え難く立ちはだかっている。

 焦り、だが何も出来ずにいる僕に、スイムスイムの赤紫の深淵が問う。

 ルーラの刃を、僕の首に添えながら

 

「私とスノーホワイト。どっちを選ぶのか――答えて。ラ・ピュセル」

 

 どう答えれば、スノーホワイトを救えるのか。

 こうしている間にも、スノーホワイトの身に危機が迫っている。

 死が、彼女を殺す最悪のナニかがいるというのに、この場を切り抜け彼女を救える答えを――僕は、思つけない……ッ。

 

 

 ◇マジカロイド■■■

 

 

 ――頼みというのは、ちょっとした実験ですよ。

 ――先輩の魔法は、『武器を強化する』というものデスよね。しかもそれは、本来は武器で無い物でも先輩が『武器と認識』していれば強化できると以前先輩は言ってました。

 ――そして先輩、こう考えてみてください。私は先輩の手駒、人ではなくただの『道具(ぶき)』デスと。

 ――ならば、人を人と思わない先輩がワタシを心からそう思ったのなら、このワタシも強化できるのではないデスか?

 

 それは一種の賭けだった。

 そして自分はその賭けに、勝った。

 いや、勝つと分かっていた。今日の秘密道具で手に入れた魔法は、そういうモノだったから。

 

 バキバキと、音を立てて胸の大穴が修復されていく。

 素晴らしい。なんと素晴らしい自己修復能力。そして身の内から溢れ出る無限にも思えるこの力。

 カラミティ・メアリの魔法によって、更なる高みへと昇った己はもはやかつてのマジカロイド44ではない。そう、ワタシこそは――

 

 

 

 

 

 

 

 

「――《マジカロイド555》デス」

 

 

 

 

 

 

 

 捻じ曲げられた運命が産み落とした最悪の奇跡の名が夜闇に響き、そしてこの激動の七日間――最後の戦い(クライマックス)の幕が、開いた。

 

 

 




おまけ『次回予告(地味にQUEENSまでのネタバレ有り)』

-open your eyes. for the next MAGIKAROIDO555!-

『ズイムズイムオンドゥルギッタンデスカー!』

ついにメンタルがぶっ壊れたラ・ピュセルの前に、スイムスイムが立ちはだかる!

『ルーラが言っていた。私は、お姫様の道を行き総てを司る魔法少女……』

出番がない事にイラつくアラフォーガンマン(でも中身は永遠の16歳)!。

『イライラするんだよ……』

謎が謎を呼ぶ展開に時系列を無視して二人の迷探偵が立ち上がる!

『私がしたかったのはこんな探偵じゃない!』
『なに言ってるっすかベルっち。さあいつまでもイジけてないで、息を合わせて決め台詞を言うっすよ。せーのっ――』
『『さあ、お前の罪を数えろ(っす)!』』

ついでに謎の転校生!

『プクの名はプク・プック。全ての魔法少女とお友達になる女だよ!』

鏡の中で暗躍する黒幕!

『戦えぽん……』

崩壊する平和。世界の危機とお金のために、戦えマジカロイド!

『ワタシには夢が無いデス……デスが、夢を壊すことはできる。――変身!』

お楽しみに!

『遊園地でワタシと握手!(もち有料デス)』


※実際の内容は作者の都合により予告なく変更する場合がございますのでご了承ください。




お読みいただきありがとうございます。
これでようやく血沸き肉飛び散るバトルが書けるぜヒャッハーと叫ぶ血に飢えた作者です。
いやーようやくここまで来た。ぶっちゃけ恋だの嬉し恥ずかしラキスケだのは全部の血の戦いを盛り上げるためのスパイスよくて前菜なのですよ。そして作者はついにこの最後の戦いまでたどり着いた。気分はロンドンに殴り込みかける少佐と愉快な仲間達。よろしいならば戦争だ。一心不乱の大戦争を!ジークハイル・ヴィクトーリア(←違う)!
という訳で次回からは、不意打ちさんが仕事しないまほいくにあるまじき戦闘シーンが続くので、原作の淡々とした描写を期待しているのならごめんなさい。魔法少女がド正面からぶつかり合うグッチャグチャバトルにします。それでもいいという方はどうぞついてきて来てください。楽しませられるよう作者頑張ります。

ちなみに今回出てきた555(読み方は『ファイブハンドレットフィフティーファイブ』ですよ。それ以外に読み方なんてありませんともええホント)は原作の『マジカロイド555アルティメットバースト』の下位互換というオリジナル設定です。メアリの強化魔法は機械専門のシャドウゲールとは違うのでこのレベルとなりました。
なお今回マジカロイドが手に入れた『魔法』は原作に登場するとある魔法少女の物です。それが誰かは……うんヒントばらまいてるからもう勘のいい人は気がついてるよね(苦笑)。ぶっちゃけ、ここまでの強引な展開もその魔法あってこそのものですよ。


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ショットガンロボ対チェーンソーゾンビ

今回はマヂに9割方ネタとオマージュと悪ノリで出来てるぽん。
勢いでやっちゃった系パロディーやノリでキャラ崩壊が許せないという方はホントに引き返した方がいいぽん。いやマジで

さあ警告はしたぽん。それでも読みたいという方のみどうぞご覧くださいぽん。


◇ハードゴアアリス

 

 魔法少女ハードゴア・アリス――鳩田亜子にとって、自分は生きる価値の無い存在だった。

 

 がん。

 

 誰もいない廃工場の一室。埃っぽい据えた空気と鉄臭い香りが混じり合う夜闇の中、ハードゴア・アリスは手に持ったハンマーを振り上げ、下ろす。テーブルの上に広げた左手の小指へと打ちつけたものの、硬い音はすれどその青白い肌には傷一つ無い。そのまま何度か繰り返してようやく、鉄のハンマーが変形する頃に五本の指が潰せた。

 

 アリスは折れ曲がり肉が裂け骨が飛び出た指をじっと見る。それがものの数秒で元通りに治ったのを確認した後、続いてテーブルの上や部屋のあちこちに置かれている刃物や鈍器――その多くがひしゃげ、血塗られている――の中から出刃包丁を手に取り自らの胸に突き立てた。

 

 ぐ、ぐぐ……

 

 切っ先を阻むのは、人肌とは思えぬ硬いゴムの様な抵抗。魔法少女の身体は魔法の影響が無い物質では傷つきにくく、渾身の力を込めてなんとか貫く。その傷もまたすぐに再生し、アリスは新たな凶器を手に取った。

 

 念願の魔法少女となってからずっと続けている、自分の『どんな傷でもすぐに治る』という魔法の性能を把握するための実験。己の身体を傷つけ破壊するという、常人ならば精神を病むような行為ですら、百に届く数をこなした彼女には手慣れた作業だ。

 だが今、その手つきこそ淀み無いものの、蝋人形めいた美貌はどこか暗く、心ここに在らずだった。

 

「岸辺、先輩……」

 

 沈んだ声と共に思い出すのは、あの人の顏。

 白い魔法少女との思い出の品である鍵を無くし絶望する自分の前に、まるであの人のように現れて助けてくれた人。こんな自分を気にかけ、笑いかけてくれた優しい先輩。

 良い人だった。優しい人だった。……一緒にいるだけで、胸が温かくなるような、そんな人だった。

 

 でも、自分はそんな人に迷惑をかけてしまった。

 自分と先輩の前に現れた女の人。先輩が『小雪』と呼んでいた、野に咲く素朴な花を思わせるその人は、自分たちを目にして恋仲とでも誤解したのだろう、先輩を拒絶し逃げてしまった。先輩は幼馴染だと言っていたけれど、小雪さんを見るその瞳はただの幼馴染に向ける物なんかじゃない。心から相手を大切にして……想っている瞳だった。そしてそれは、小雪さんも同じ。

 見ただけで互いが互いを大切に想い合っていると分かる、二人並ぶ姿が目に浮かぶようなお似合いの二人。

 

 ……なのに、自分がそれを引き裂いてしまった。

 関わるべきなんかじゃなかった。先輩の優しさに、甘えてはいけなかったんだ。

 先輩は優しい。だからこそ、そんな人に自分のせいでこれ以上迷惑を掛けてはいけない。――だから、自分は彼の下から去ったのだ。

 きっと自分がいなくなれば、いずれ誤解も解けて二人はまた元通りになれるはずだから。

 

 ……やっぱり、自分は迷惑をかけ続けるだけの存在なのだ。

 あの人の役に立ちたくて、魔法少女になった。

 けど、こんな自分が果たしてあの人の――スノーホワイトの助けになれるのだろうか……。

 

 血に塗れた闇の中で、独り思い悩むハードゴア・アリス。

 そんな彼女の、迷いも苦悩も何もかもを嘲笑うかのように――

 

 

 

「ワタシはマジカロイド44改め――《マジカロイド555》デス」

 

 

 

 運命はいつだって、最悪のタイミングでやって来た。

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 全ては一瞬だった。

 背後から突然胸を貫かれ、自らの血だまりにハードゴア・アリスは倒れた。

 ささやかな胸に穿たれた大穴からはどくどくと血が溢れ、不思議の国のアリスをモチーフとした黒いドレスを赤黒く染める。血流が途絶えたことで四肢に力が入らない。

 だが、いつまでもこうしているわけにはいかない。アリスをこうした相手はまだいる。恐怖するスノーホワイトの眼前に立ちはだかり、今まさに害を成そうとしているのだ。

 ゆえに心臓が再生し四肢に力が戻った瞬間、アリスはぎこちない動きながら立ち上がり、そしてスノーホワイトを背後に庇いながら己が敵――マジカロイド555に対峙する。

 

「おや、まだ生きていたデスか」

 

 黒髪やドレスからぼたぼたと血を滴らせるその凄絶な姿に、マジカロイドは己がきっちり破壊したはずの魔法少女を上から下へと硝子の瞳で見、呆れとも感嘆ともつかない溜息を漏らした。

 

「二度目は念入りに殺したのですが……。首を飛ばしても心臓を貫いても生きているとは、面白い魔法もあるものデスね」

 

 興味深そうに見るその瞳を見据えて、アリスは初めてこの異様な魔法少女に対して口を開く。

 

「私の魔法は全ての傷を治します。何をしようと私は死なないし、誰も私を殺せません」

 

 だから去れ。私がお前を殺さぬうちに。

 人形めいた無表情ながら、黒々とした隈の浮かぶ瞳に殺意を込め言外にそう語るアリスに、だがマジカロイドが返したのは不敵な笑み。

 

「死なない、ですか………。それは良いデスねえ」

 

 その声は、どろりとした殺意を孕み、

 

「実に丁度いい――サンドバックなのデス」

 

 その瞳は、冷酷な光を宿しアリスを貫く。

 

「ワタシは今日この身体になったばかりなので、まだ全ての性能を把握している訳ではないのデスよ。――不死身というのなら丁度いいデス。そんなアナタを使って性能テストといきましょうか」

 

 軽い調子で語られた血生臭いその台詞に、アリスは紫の瞳に宿る剣呑な色を強め、対する硝子の赤眼は余裕をもって受け止める。

 

「そのテストをすれば、帰ってもらえますか……?」

「まさか。本来の目的はあくまで魔法少女を殺すことデスので、テストが終わった後できっちりスノーホワイトを殺しますよ」

 

 殺す。冷たい響きと確かな意思を以て語られたその言葉に、スノーホワイトはビクッと怯え、アリスの殺意が跳ね上がった。

 

「させません。スノーホワイトは私が守ります」

「なら、そんなアナタを殺してからスノーホワイトを殺すことにしましょう」

 

 言の葉を以て交わされる殺意の応酬は五分と五分。もはや戦いは避けられぬ。殺し合いのカウントダウンはすでに始まっているのだ。

 二人の魔法少女が放つ人ならざる殺気に空気が張りつめ、今だ床にへたり込んだままのスノーホワイトの肌が粟立ち、そして――

 

「では、試させてもらうデスよ――555の力は、不死すらも殺せるのかを」

 

 マジカロイド555が拳を握り、アリスが細腕を振り上げ、

 

「まず最初は身体能力からデス」

 

 二人の魔法少女の拳が互いの頬に直撃した。

 硬い拳が肉を打つ衝突音が大気を揺らす。人を超えた暴力の激突にマジカロイドの頬には亀裂が走り、アリスの頬骨は砕け散った。マジカロイドの血が口から虚空に散るが、そこに悲鳴は無い。むしろ拳の跡が刻まれた頬を歪めて

 

「なるほどたいした力デス。以前のワタシならこれだけで首が千切れていたでしょうね。デスが――」

 

 不敵な笑みを浮かべ強烈なアッパーを放つ。

 

「今のワタシは、こんなものでは壊せませんよ!」

 

 言葉と共に繰り出された鉄の拳はアリスの下顎をかち上げ、その力で胴から千切り飛ばした。

 生首は血の尾を描き天井に激突した後、そのまま背後にへたり込むスノーホワイトの手もとに落下。思わずそれをキャッチしたものの、顎が砕け飛び出しかけた眼球と目が合い悲鳴を上げる。

 

「わざわざ……びろってぃただぎ……あぃがどうございます」

 

 顎を再生させつつ律儀に礼を言う生首に、スノーホワイトはつい「ど、どうも……」と返し、恐る恐る

 

「だ、大丈夫……?」

「はい。ちょっと首が千切れただけですから」

「そ、そうなんだ……」

「そうです」

「いや二度も首飛ばされるのは大丈夫じゃないでしょう」

 

 そんな二人のやり取りに暢気に呆れるマジカロイド。殺し合いの最中でありながらふてぶてしいまでの余裕を崩さぬ彼女に、だがアリスはギョロリと目を向け

 

「いいえ。問題ありません」

「文字通り手も足も出ない様で何を――ッが!?」

 

 瞬間、マジカロイドは腹部に強烈なパンチを受けた。殴りつけたのは首を失ったアリスの体。その拳はマジカリウム合金の塊であるボディーを凹ませ後方に吹き飛ばす。

 殴った拳が文字通り砕けるほどの威力にマジカロイドは壁に激突、それを粉砕し向こう側に消えていった。

 そして崩れた壁の破片が飛び散り粉塵が舞う中に悠然と立つアリスの胴体は、唖然とするスノーホワイトに歩み寄るとその手を伸ばし、自分の生首をむんずと掴む。そして先ほどのように頭を胴体にくっ付けた。その仕草にまるで電球の付け替えみたいだなと内心思ってしまうスノーホワイト。

 

「私は死にません。たとえこの身が何度殺されても、スノーホワイトを守ります」

「――っ!」

 

 息を飲む。その言葉に込められた揺ぎ無い決意と、恐怖に怯える自分へのいたわり。

 それはかつて、ラ・ピュセル――岸辺颯太がスノーホワイトの剣となると誓ってくれた時と同じものだったから。

 

「だから、今のうちに逃げてください」

「え?」

 

 アリスは心なしか厳しい眼差しを、崩れた壁の穴の向こうにわだかまるマジカロイドが消えていった闇に向けて

 

「この程度であの魔法少女が止まるとは思えません。殺しきれるかもわかりません。だからスノーホワイト、あなたは私があれを引き付けている間に逃げてください」

「……わ、わかった」

 

 暫し逡巡して、スノーホワイトは頷いた。

 腰が抜けて立てなかった脚に力を込めてみる――動いた。大丈夫、回復して力が入る。これなら逃げられると立ち上がろうとした――その時

 

「――逃がさないデスよ」

 

 穴の向こう側から放たれ宙を躍り、スノーホワイトの体に巻き付く極細の糸。幾重にもなるそれが、華奢な肢体を拘束しその動きを封じる。

 思わず振り解こうとするが、その動きで鋭い糸が肌に食い込み、白雪の様な肌に血が滲んだ。

 

「痛たぁ……っ!?」

「スノーホワイト……っ!」

 

 痛と恐怖に涙を浮かべ苦悶を漏らすスノーホワイトと動揺するアリス。

 

「あまり抵抗はお勧めしないデスよ。糸が肉に食い込んでズタズタになってしまいますからね」

 

 そんな彼女らを、闇の中から一対の赤い瞳が眺めていた。

 

「この真っ黒さんを殺した後であなたも殺すデスから、そこでおとなしく順番を待っていてください。」

 

 その苦しみを嘲いながら、眼差しで誘う。

 

 来い。早く来い。こっちで早く壊し合おう――と。

 

「…………ッ」

 

 

 愉悦を滲ませたそれ。アリスの噛みしめた奥歯がギリリと唸る。

 痛みに呻くスノーホワイトへと、激情を押し殺したような声で、

 

「辛いでしょうが、待っていてください。すぐに、あなたを解放しますから」

 

 そう告げて、恩人を傷つける許されざる敵を倒すべく向かおうとしたその背中を、震える声が引き止めた。

 

「ま、待って……。それって、マジカロイドを……」

「はい。――殺してです」

 

 当然だ。あいつは、あの魔法少女はスノーホワイトを傷つけ、殺すと言った。大切な恩人を。こんな自分が生きているその意味を――殺すと言ったのだ。許せるはずがない。生かしておいていいはずなど無い。

 唇から漏れた声は殺意に染まり、黒い総身から炎のような怒気が溢れ出す。

 鬼気迫るその声に戦慄しながらも、だがスノーホワイトはそれを止めた。

 

「だ、駄目!」

「……なぜですか? あれをどうにかしなければ、あなたは死んでしまいます」

「っ……たしかに、そうだけど……でも、それでも殺しちゃだめだよっ」

 

 血の気の引いた顔で葛藤し、それでも否定する彼女に首を傾げるアリス。痛みと恐怖に震えながらも、淡い唇が紡いだ答えは

 

「それ、でも……人を殺しちゃだめだよ。だって……わたしたちは魔法少女なんだよ。魔法少女は……困っている人を助けるものでしょ? 人を殺すものじゃないでしょ」

 

 清く正しく美しく。人を助け、夢を与え、笑顔にするのが魔法少女だ。

 そうであれ。そうであってほしいというその言葉に籠められたものは、単純な倫理観や道徳などではない。この恐ろしく狂った殺し合いの中で幾度も傷つき踏みにじられそれでも抱き続けた、もっと幼くてだからこそ純粋な

 

「だから……駄目だよ。どんなに死にたくなくても、生き残るためでも、魔法少女は人を殺しちゃ駄目なんだよ……ッ!」

 

 切なる信仰にも似た、魔法少女への『(おもい)』だった。

 

「スノーホワイト……」

 

 そう語るスノーホワイトの姿を、アリスは眩しい物を見る瞳で見詰める。

 嗚呼、美しい。穢れを知らないその瞳。無垢なるその柔らかな心。

 それでこそあなただ。あの夜、生きる意味を無くした私を救ってくれた、白い魔法少女だ。

 でも、だからこそ……

 

「……ごめんなさい」

 

 そんなあなたを、死なせる事なんて出来ない。

 

 彼女の尊き祈り、切なる想いを裏切る事の罪深さに頭を下げ、アリスは再び足を踏み出す。暗き穴の向こう側へ、機械仕掛けの魔法少女が待つ修羅の場へと。

 

「そんな、待って……痛ぁっ!?」

 

 スノーホワイトはなおも引き止めようとして、だが動いたために鋭い糸が柔肌を擦り痛みに呻いた。

 ……本当に、申し訳なく思う。あなたに辛い思いをさせてしまう罪悪感で死にたくなる。できるものならば今すぐ地に伏して謝罪したい。

 だが、アリスは歩みを止めなかった。

 さながらゴルゴダの丘を上る殉教者のごとく。己が信じる者のために迷い無く。一歩一歩を踏みしめ、黒い魔法少女は征く。白い魔法少女を守るために。彼女と出逢って見つけた己が生きる『意味』を果たすために。

 

「駄目……駄目だよぉ……」

 

 遠ざかっていくその背中を、白い魔法少女は涙の滲む瞳で見送る事しかできなかった。

 こんな自分なんかのためにその手を穢そうとする、人を殺すという禁忌を犯そうとするアリスを止める事の出来ない己の無力さを噛み締めて。流した一筋の涙が、血と混じり合って床に落ちた。

 

 

 ◇◇◇

 

 

「やれやれ、待ちくたびれるかと思ったデスよ」

 

 道化師じみて飄々とした声が、殺意を孕み闇に響く。

 穴の向こう側は、朽ちた鋼鉄の園だった。

 

 さっきまでいた部屋がおそらくは事務室ならば、ここは製造区画なのだろう。様々な種類の製造機械が整然と並び、在りし日は存分に稼働していたのだろうが操る者が去った今は埃をかぶり沈黙している。それが割れた窓や高いアーチ型の天井の破れ目から降る月光に照らされて、薄闇にぼんやりと浮かび上がっている光景はどこか墓所を思わせた。

 そんな全てが朽ち果てた場所に機械仕掛けの魔法少女はいた。

 赤い瞳を爛々と光らせ、対峙するハードゴア・アリスを楽しげに眺めて

 

「あまりに遅いものデスから、もしやスノーホワイトを見捨てて逃げるのかとヒヤヒヤしましたが杞憂だったようデスね」

「私は何があってもスノーホワイトを見捨てません」

 

 お前を殺し、必ず助ける。

 静かな怒りと覚悟を燃やしそう語る紫の瞳と、

 

「あんな甘っちょろい雑魚のためにそこまでするとは全くもって理解できませんが、まあ都合がいいので良しとしましょう。それにどのみちスノーホワイトを殺すのには変わりないのデスし」

 

 それはできないどちらもワタシが殺すのだからと嘲笑う赤き瞳がぶつかりあい、虚空に見えざる火花を散らす。

 

「……次に……」

「何デス?」

「次にスノーホワイトを殺すと言ったら、あなたの心が壊れるまで殺し続けます」

「それはそれは……怖いデスね。もっとも――」

 

 BONN!

 

 言うと同時、背中のランドセル型ブースターが火を噴き、マジカロイドが突っ込んできた。

 

「できるものならデスが!」

 

 突き出したその右掌は、中指と薬指の間を開いた三本爪の如き構え。

 アリスが反応する間もなく、未来のオーバーテクノロジーが生み出す爆発的推進力を乗せた鋼鉄の貫手がその胸の中心にめり込み貫いた。

 骨を砕き肉を穿ち、噴き出た鮮血が夜闇に散る。

 

「おやおや。大口を叩いた割にどうということは無いデ―――っ!?」

 

 勝ち誇った笑みを浮かべるマジカロイド。だがその表情は、アリスがその両手で自らの胸元を貫く腕を掴んだ事で凍り付く。アリスはそのまま装甲に指が食い込むほど力を込め、両手と腹で腕を固定しマジカロイドを強引に振り回した。そしてコンクリートの床や機械に力の限り叩きつける。

 

「な、んデスとぉ!?」

 

 床を陥没させ、重厚な機械を壊すほどの勢いで叩きつけられながら、その衝撃よりもそんな事をする事実に驚愕するマジカロイド。

 体内に異物を抱えたまま相手を振り回せば当然はらわたは傷つく。事実、マジカロイドは自らの腕が少女の骨を削り肉を潰す感触を感じていた。なのにこいつはデスマスクじみた表情を一切歪める事無く自分を振り回す。滅茶苦茶だ。こいつに痛覚は無いのか。

 

 戦慄するマジカロイドを二・三度床に叩きつけた後、アリスは床を踏みしめマジカロイドを捕らえたままぐるりと横回転(スイング)し、十分な勢いを乗せて手を放す。結果、マジカロイドはハンマー投げの要領で投げ飛ばされ重機に激突した。

 金属が砕ける音が響き、飛び散る破片。だがそれは衝撃で破壊された重機のものであり、そこに半ばめり込んでいるマジカロイドは装甲にヒビこそ走っているものの健在。ゆえに追撃をかけるべく、アリスは床を蹴り突進。華奢な身体に似合わぬ豪快なショルダータックルを決めようと突撃して

 

「――ッ冗談ではないデスよッッッ!」

 

 顎にカウンターのアッパーカットをブチ込まれた。

 怒りの拳は顎裏へと突き刺さり、三度その頭を千切り飛ばす。が、今度ばかりは鮮血噴き出すそれをアリスは両手でキャッチし、拳を振り上げたまま静止するマジカロイドの顔面へと叩きつけた。

 

 人体で最も硬い部分をぶつけられた衝撃に、頭が一瞬真っ白になりふらつくマジカロイド。その隙を逃さずアリスは北海のけものラッコが貝殻を割るがごとく、自らの生首で殴る殴る殴るぶん殴る!

 生首ハンマーと化したアリスの額が割れて血が噴き出す。マジカロイドの顔面がひしゃげ破片が散る。顎が砕け赤瞳にヒビが入り紫の目玉は飛び出て眼窩からピンクの脳漿が溢れた。

 

「調子にッ、のるなあああああああ!!」

 

 自らの頭部を破壊しながらの猛烈な頭突きラッシュにさらされたマジカロイドは、だが僅かな隙を突いて体当たりしアリスを吹き飛ばす。そして今度は自分が倒れたアリスへと突進し殴りかかった。

 二人の魔法少女はもつれあい、ほぼゼロ距離での壮絶な肉弾戦が始まった。

 互いの拳を振るって殴り合い、爪を剥がして引っ掻き蹴りつけなおも殴る。その度に赤黒い血肉が床に天井にとぶちまけられ、むせ返るような血と臓物の臭いが周囲を満たした。

 

 マジカロイド555とハードゴア・アリス、二人の魔法少女に格闘術の心得は無い。ゆえに肉を抉られれば骨をへし折り己が拳を砕きながら相手を殴りつけるそれは、技術も何もない再生力と自己修復システムでゴリ押す削り合い。避けず防がず己が身体を壊してでも相手を破壊する原始的暴力戦。

 

「死ね! 死ね死ね死になさいよ! ああもう十回以上も殺してるんだからいい加減死なないデスか!」

「いいえ。私は死にません。そもそも私自身も自分がどうやれば死ぬのか分かりません」

「バーサーカーだって十二回殺されたら潔く死ぬデスのにアナタには慎ましさってものが無いのデスね!」

「はい。ありません」

 

 言葉による応酬の間も攻撃の手は止めずに互いを壊し続ける戦いは、だが徐々にアリスが優勢となっていった。マジカロイドの傷が修復される前に、砕けた拳を再生させてその傷を殴りつけ広げる。それを繰り返し修復を妨害することで確実に破壊していくのだ。

 

 マジカリウム合金の装甲ゆえに表面強度こそマジカロイドが上だが、アリスの不死性及び再生力はそれをも上回る。加えて、明らかにいつもより再生速度が早い。それが魔法に慣れてきたためか、それともスノーホワイトを守ろうという想いが力となっているのか、アリスには分からない。それでも、このまま力でゴリ押せば勝てると確信した――瞬間、

 

 BAN!

 

 夜気を震わす突然の銃声。着弾の衝撃にアリスは仰け反った。

 血と肉片をまき散らすアリスが見たものは、己の胴体に大穴を穿った凶器――ハリウッド映画にでも出てくるようなショットガンの銃口。

 

「ふぅ……どうやらワタシとしたことが油断が過ぎたようデス。さすがのワタシも脳髄を破壊されてはどうなるか分かりませんからね。いやはや危ないところでした」

 

 硝煙を昇らせるそれを構え、マジカロイドは安堵の息を漏らす。

 

「だからここからは、『魔法能力』のテストに移しましょう。――以前のワタシは一日一つの秘密道具しか使えませんでしたが、今のワタシならば五つもの秘密道具を使用できます。たとえばこのショットガン……」

 

 がちゃりと、握ったショットガンをトリガー部分を軸に一回転させることで新たな弾丸をリロード。

 

「リロードの必要こそあれ無限に弾丸が尽きない、本日三つ目の秘密道具『無限ウィンチェスター1887』デス。果たして威力のほどはいかがなものかと思いましたが、なるほど素晴らしい威力デスね。……ではパワーアップした魔法で出した他の道具はどれほどか。アナタで確かめさせてもらいますよ」

 

 そして銃器としては最大級の威力を誇る弾丸を放つ銃口を、対峙するアリスへと向けて

 

「『弁当』と『糸』と『銃』は既に使ったので残りは二つ、全てテストするまで壊れないでください――デス!」

 

 BAN! BAN! BAN!

 

 闇を裂くマズルフラッシュ。轟音と共に放たれた弾丸は狙いたがわずアリスへと着弾、黒い衣装を引き裂き柔肌を穿つ。

 身体を持っていかれそうなその衝撃にたたらを踏んで耐えるも、続く二発目三発目が次々と襲い掛かり、抑えきれず後退するアリス。そして四発目で遂にその体は後方に吹き飛んだ。

 そのまま床に積まれたガラクタ類の山に激突したアリスを、マジカロイドはさらに撃ち続ける。

 胸を撃ちリロード。腹を撃ちリロード。頭を撃ってとにかくリロードし目につく全身を撃って撃って撃ちまくる!

 そしてアリスが半ば血と肉片と臓物をまき散らす人型の肉塊と化した所で、仕上げとばかりにその頭上へと銃口を向け、

 

「『Hasta la vista, Baby!(地獄で会おうぜベイビー)』デス」

 

 撃った。

 轟く砕ける鉄骨の断末魔。ハッと頭上を仰いだアリスが見たものは、弾丸に破壊され崩れ落ちる天井――視界を埋め尽くす無数の瓦礫だった。

 

 

 ◇ファブ

 

 

 電子妖精ファブの性格を一言で言うならば《鬼畜のクズ》だ。

 常に飄々とした軽薄な顔の下に吐き気を催す邪悪な性根を隠し、悲劇を導き殺戮を起こす。

 もしも迷える子羊がいれば助言を装い唆し、血に飢えた狼は言葉巧みにけしかけ、それぞれが破滅する様をせせら笑う外道。法を破り倫理を無視し人道からは余裕で外れ、ただただ己が愉悦と享楽のためにのみ生きる真性の鬼畜生、それがファブである。

 16の欲望と絶望が交差するこの殺し合いですら、単なる『刺激的なショーが見たい』という欲求のためにのみ行われているのだ。

 そんな彼にとって、ハードゴア・アリスとマジカロイド555が繰り広げる戦いは

 

「やっべえぽん! パネエぽん! 最っ高ぽんっ!」

 

 まさに最高のショーだった。

 

「可憐な魔法少女共がドロドロぐちゃぐちゃ血みどろバトル! 刺激満載楽しさいっぱい! これぞまさしく最高のエンターテイメント! 嗚呼、苦労した甲斐があったぽん……」

 

 思えば、ここまで来るのは大変な道のりだった。

 気分屋なパートナーの気紛れで本来の予定を盛大にぶっ壊された結果始まった連日連夜のデスマーチ。迫るタイムリミット、ほぼ不眠不休の徹夜作業でガリガリと削られていく気力体力精神力、脳も内臓も無いのに襲いかかる激しい頭痛とキリキリ鳴って止まらない胃、地獄の苦行めいた作業をする一方でその元凶である森の音楽家もとい脳筋ゴリラは気楽に「ファイト」とか言って手伝いもしないしああああもう本ッ当ッにブラック企業の社畜ばりの日々だったのだッ!

 

 ……だが、その苦労は報われた。それもこれ以上ない最高の形、ファブが待ちに待った展開となって。

 すなわち熱望し切望し渇望した待望のショータイム――最恐最悪Z指定魔法少女ブッ殺し合いバトルとして!

 

「うっひゃ首が飛んだのに生きてるぽん! マジ不死身ぽんスゲーぽん! ていうかどっちもチートぽん殺られたら殺りかえす倍返しバトルとかこんなのプロの魔法少女でもできないぽんいいぞもっとやれぽん殺れ殺れ殺っちまええええええぽんっ!」

 

 興奮した子供のような甲高い声で喚き叫び喝采する、極度のストレス状態にあった反動のぶっ壊れ気味ハイテンション。

 だがそれもしかたない。これまで数え切れないほどの殺戮を見てきたファブとしても、目の前の殺し合いはそれだけ規格外だったのだ。

 

 魔法少女の身体は頑丈だ。治癒力や再生力は人をはるかに超え、骨折程度なら一日安静にしてればだいたい治る。が、それでも心臓を潰されれば大抵死ぬ。ましてや首を飛ばされて生きてる者などほとんどいない(まあ気合さえあれば首なしでもちょっとの間なら戦えるが)だが、アリスときたら心臓を潰されようが首を潰されようがグチャミソ半ミンチになろうが死にやしない。

 それにもともと桁違いの再生力だったが、今やその速度すらも上がっているようだ。

 

「やっぱりあれぽん。スノーホワイトがピンチだから気合が入ってるんだろうね~」

 

 気合。すなわち『想い』と言い換えてもいい。

 

 魔法少女は『想い』の生き物だ。

 魔法少女の外見や魔法は、多くが大なり小なり元の人間の性格や個性に影響を受ける。

 たとえば動物に興味があれば『動物に変身できる』魔法が、日本文化が大好きなら純和風の外見になど、まあその程度はそれこそ人それぞれでスノーホワイトのように『人助けがしたい』という願いそのままの魔法を手に入れる者もいれば、全く関係ないような魔法を引いてしまうマジカロイドのような者もいる。

 

 とにかく、魔法少女にとって精神の影響とはかくも大きなものであり、それは魔法能力においてもまた然り。

 ただの人間でも精神力次第で俗に『火事場の馬鹿力』といわれるリミッターの解除ができるが、魔法少女にいたっては強い想いはそのまま時に限界以上の力を引き出す。気休めでも冗談でも無く大真面目に根性論がまかり通り、『勝てると思えば勝つ。魔法少女は思いが全て』と豪語する者もいるほどだ。もっとも、そのせいか断定はできないが実力のある魔法少女にはどこかしら精神のタガが外れた者が多いのだが……。

 

 そしてハードゴア・アリスは、明らかにその状態だった。

 スノーホワイトを助けたいという強い想いによる魔法のブースト。再生速度の一時的上昇。何度殺されようが起き上がり相手を殺すまで五臓六腑を撒き散らそうが戦い続ける魔法ゾンビ。能力はもとより背負うストーリーもまた魔法少女らしくて素晴らしい。うん最高だ。

 

 それに対するマジカロイド44もとい555は何だかわからないが大幅にフォームチェンジして最高クラスの耐久力を手に入れている。それに強力な武器の数々。やはり未来のロボにはショットガンがよく似合う。うん最高だ。

 

 そんな二人が対決するまさに最高のカード。最高の殺し合い。

 ゆえに――ファブはアリスが埋もれているだろう瓦礫の山へと目を向け言う。

 

「何を呑気に休憩してるぽん。さあさっさと早く立ち上がって殺し合うぽん。魔法少女なら欲望と信念と希望と絶望のために戦い戦い戦ったあげくド派手に散ってファブを愉しませるぽん!」

 

 そんな鬼畜の愉悦に応えるかのごとく

 

 GYUOOOOOOOOOOOO!!!!

 

 瓦礫を切断し、血に飢えた獣の如きエンジンの咆哮を上げて回転駆動する刃が突き出した。

 

 

 ◇ハードゴア・アリス

 

 

 私には、穢れた血が流れている。

 父と同じ、人殺しの血が。体ではなく、きっと魂に。

 

 だから、最初にロボットの魔法少女――マジカロイドを殺した時、抱いたのはただただスノーホワイトを守れたことへの達成感だけだった。

 大切な人を助けられたことが嬉しくて、たまらなくて……後悔や罪悪感なんて、欠片も無かった。

 正常な人間なら抱くだろう人を殺すことの忌避や嫌悪感も沸かず、自分でも驚くほど淡々と殺せたのだ。

 ああ、やっぱり私は穢れていた。

 元からそうだったのか、父の事件がもとでそうなったのかは分からないけれど、私の本質は目的の為なら人を殺せる人殺しだった。

 岸辺先輩のような人の傍にいては……いけなかったのだ。

 

 でも、今だけはそれに感謝しよう。

 おかげで、躊躇いや恐れで殺意が鈍る事も無い。

 スノーホワイトを殺そうとする相手を何の迷いも無く全身全霊で殺せるのなら、この『穢れた血』にも意味があるのだから。

 

 

 

 

 瓦礫に埋まった闇の中で、アリスはようやく再生の完了した手を伸ばす。

 吹き飛ばされたのがたまたまこの場所でよかった。もし運命というものがあるなら、自分にスノーホワイトを守れと命じているのかもしれない。ここには確かあるはずだ。再生力をテストするために集めこの工場のいたるところに無造作に置いた凶器の一つが。

 そして砂漠の中から一粒の宝石を探すような気持ちで伸ばした手が――掴んだ。

 

 BALBALBALBAL!

 

 瓦礫を切り裂き、立ち上がる。崩れ落ちた天井から降り注ぐ青白い月光の中に立ったアリスの右手で唸りを上げるのは――血に塗れたかのような深紅のボディーのチェーンソー。

 生理的恐怖を掻き立てる駆動音と共に高速回転する刃が、月光を反射し残忍な光を放っていた。

 

「おお。Groovy(イカしてる)デスね」

 

 紅いチェーンソーを構える黒いアリスの姿はまるでスプラッターホラーから抜け出たかのようにマッチしていて、マジカロイド555は思わず感心の声を漏らす。

 そして再びショットガンをくるりと回し新たな弾丸をリロード。その銃口をアリスに向け、応じてチェーンソーの刃もまたマジカロイドを向いた。

 ショットガンとチェーンソー、ことスプラッター映画において二大巨頭ともいえる二つの凶器が対峙し、殺戮の始まりを待つ。

 

「ではテストを再開しましょうか。それにしてもショットガン対チェーンソーとは、B級映画みたいな組み合わせデスね」

 

 そして軽口まじりにマジカロイドが発砲し、それが再開の号砲となった。

 放たれた弾丸は虚空を貫き、発砲と同時にチェーンソーを振り上げ突撃してきたアリスの脇腹に命中。だがアリスは倒れることなく持ちこたえ、破れた腹から大腸を溢しつつマジカロイドへとチェーンソーを振り下ろす。

 

「おおっと!?」

 

 咄嗟にバックステップしそれをギリギリで避けたものの、その凶悪な咆哮にマジカロイドの背筋に冷たいものが走った。それを振り払う様に再び構え発砲。狙いたがわずアリスの顎から上を消し飛ばすも、直ぐに残った下顎の肉が蠢き再生が始まる。

 だが、それでいい。視力を失い動きが鈍った僅かな隙に背中のブースターを起動し大きく後方に飛び退く事でチェーンソーの間合いから脱出。そしてこの距離はショットガンに最適なリーチ。ゆえにこれを保ちつつ銃撃し続ける!

 

 未来技術によって作られたショットガンは現代のそれよりはるかに強力で威力射程速度ともに上、その性能を最大限に生かした銃撃がアリスに襲い掛かる。無論アリスもまた無抵抗ではなく、チェーンソーとそれを持つ腕の被弾にのみ注意しつつ後はどこを撃たれようとも構わず斬りかかっていた。だがマジカロイドはブースターを用いた機動力で巧みに距離をとり、間合いに捉える事すらできない。

 

「どれほど強力な武器でも、当たらなければどうということはないのデスよ!」

 

 勝ち誇るマジカロイド。このままでは一方的に攻撃を受け続けジリ貧になることを悟るアリス。

 何か打開策は無いものかと焦る紫の瞳が、ふと自分の腹から飛び出たはらわたを見た。

 

「よそ見デスか? 余裕デスね。それとも勝てないと分かって諦めましたか?」

 

 一方、マジカロイドは勝利を確信しつつも注意深く一定の距離を保ち撃ち続ける。

 大丈夫。順調だ。ここならば一方的に攻撃できる。殺しきれるかどうかは微妙だが行動不能には追い込めるかもしれない。いや、きっと出来る。なにせあいつには何もできない。この距離にいる限り決してアリスの攻撃が届くことはな――

 

 

 GYUOOON!

 

 

 ほくそ笑んだその顔を、宙を奔るチェーンソーの刃が斬りつけた。

 

「ひ、ぎゃああああああ!?」

 

 顔面に爆ぜた激痛にマジカロイドは絶叫。傷そのものはそれ程深くなく致命傷には至らなかったが、それでも回転する刃が蹂躙した装甲は醜く罅割れドクドクと血が溢れている。

 

「な、んで……!」

 

 堪らず顔面を抑えた手を鮮血に染めつつ疑問の声を上げるマジカロイドの赤眼は、決して届かない筈の己を傷つけたチェーンソーを捉え、その答えを知る。

 刃を血に濡らして宙を奔るチェーンソーにはあるものが巻きつけられており、それがアリスとチェーンソーを繋いでいた。それはぶよぶよとして、ぬめる粘液に塗れた赤黒い臓器――すなわち魔法少女(アリス)(はらわた)だった。

 アリスは先端をチェーンソーに巻き付けたそれを手に掴み、鎖付き鉄球(モーニングスター)のように振り回していたのだ。

 

「はあああああああああ!?」

 

 滅茶苦茶という表現すらも生ぬるい光景にたまらず叫んだマジカロイドを誰が責められよう。人間の腸の長さは平均5~7メートルでありかつ丈夫で伸縮性もあるから出来ない事は無いのだろうが、実際にやるかというのはまた別だ。

 今彼女は確信した。こいつ頭おかしい。

 

 そんなマジカロイドの驚愕など意に介さず、アリスはチェーンソーを一度手もとに引き戻すと何を思ったのかその回転を停止――そしてすぐさまマジカロイドに向け全力で投げつけた。

 凄まじいスピードで宙を奔り迫るそれを、痛みによって動きの鈍ったマジカロイドは回避できず胸に受け、深々と貫かれる。

 

「がッはぁ……ッ!?」

 

 胸を貫かれるのは二度目だが、チェーンソーの刃は前回とは比較にならぬほど痛い。

 アリスは刃が根元まで埋まったのを確認した後、巻き付けた腸を勢いよく引っ張ると同時に地を蹴り、引く力を利用しての大ジャンプ。一気に飛びかかりマジカロイドの血塗れの顔面に拳をブチ込んだ。

 顔を襲う更なる激痛に声にならぬ悲鳴を上げるマジカロイド。アリスは殴りつけたその反動でチェーンソーを引き抜くと、スターターグリップを口にくわえ引っ張ることで起動。再び獰猛な咆哮を上げて回転する刃で袈裟切りに斬りつけた。

 

「ひぎぃああっ!?」

 

 血を吐く絶叫とデュエットするかの如く更に吠え猛る刃をすぐさま反転し斬り上げ、胸部装甲にV字型の傷を刻む。

 そして猟奇的な連撃の仕上げ、血みどろのマジカロイドを頭頂部から両断して止めを刺すべく、アリスは高々と掲げたチェーンソーで最後の一撃を振り下ろし

 

「転移マシン起動!」

 

 突如、虚空に出現した魔法陣から飛び出た鉄筋によって防がれた。

 太く硬いその鉄筋はマジカロイドの盾となって、チェーンソーの刃をその半ばまで切断された状態で受け止めその体を守っている。

 

「これは……?」

「ギリギリですが、何とか間に合いましたよ」

 

 必殺の一撃を思わぬ方法で防がれ驚愕するアリス。それを前に、寸でで一命をとりとめたマジカロイドは胸をなでおろした。

 

「紹介します。これが四つ目の秘密道具《物質転移マシン》デス」

 

 一転、再び余裕を取り戻した声で紹介する。

 魔法陣は直径1メートルほどの淡く光るサークルで、複雑な文様の描かれた中心部から鉄筋が突き出ている。

 

「いわゆるワームホールのようなものデス。あいにく生物は無理デスが、それ以外の物質ならこのサークルに入るサイズで何でも転送できる優れものデスよ。――こんなふうにね!」

 

 瞬間、アリスの頭上に新たな魔法陣が出現、そこから勢いよく鉄筋が落ちてきた。

 大重量のそれに貫かれては、いかなアリスだろうとたまらない。串刺しにされる直前に飛び退き回避するも、避けた先でも次々と魔法陣が出現し間髪入れぬ鉄筋の雨を降らす。それを走り飛び退き時には転がって何とか躱し続けるアリスだが、避けるほどに床に刺さった幾多の鉄骨が障害物となって空間を塞ぎ、移動を制限されたアリスは徐々に追い詰められていく。

 

「ふむ。このままでもいけそうデスが……」

 

 呟くと、マジカロイドはショットガンの銃口を天井のまだ無事な部分へと向け、

 

「念のため一気に決めさせてもらうデスよ」

 

 それを支える鉄骨や屋根板を撃ちまくった。

 同時に頭上を覆い尽くすほどの数の魔法陣が出現。破壊され轟音と共に崩れ落ちた天井部の瓦礫がその中に次々と吸い込まれていく。

 その光景の意味を、アリスは背筋の凍る戦慄と共に悟った。

 

 これは入り口だ。転移する物体を入れるゲート。ならば、その出口は――ッ!

 

 ハッと息を飲むアリスの目の前に出現する魔法陣。咄嗟に飛び退こうとするも、背後にもまた魔法陣。なら右は――視線を向けた瞬間、嘲笑うように第三の魔法陣が。残る左もまた新たな魔法陣に塞がれ、容赦無く更なる魔法陣群が全方位を覆い尽くすように展開しアリスは十を超える魔法陣によって取り囲まれた。

 四方を囲み八方を塞ぎ、完全に包囲するそれらは銃口だ。弾丸をリロードし獲物に突きつけた――必殺の銃口。それが一斉にマズルフラッシュめいた光を放ち、無数の瓦礫がアリスへと撃ち放たれた!

 

 鉄塊とコンクリートとガラス片が怒涛の散弾となってアリスを襲い、その身体を抉り潰し挟み貫き切り裂き叩き折り粉砕し打ち砕きぶっ壊す。

 ここはマジカロイドが作り出した殺戮の檻の中、逃げる事などできはしない。ゆえに囚われたアリスは抵抗すらできず荒れ狂う破壊の礫に蹂躙される。

 

「これで終わりデス!」

 

 最後に全ての魔法陣から鉄骨が撃ち出され、既に満身創痍となったアリスは全身を貫かれた。

 

「う……ぁ……」

 

 裂けた唇から、力無い呻きが漏れる。腕も足も全身総てが鉄骨によって床に縫い付けられ、身動きがとれない。月光のスポットライトの下、鉄骨に突き刺され血とはらわたを垂れ流すその姿は、まるで狂った芸術家が作り上げた猟奇的なオブジェのようだった。

 それをマジカロイドは満足げに眺める。

 

「うまくいったデスね。といってもまあ、アナタの事だからこの程度では死なないのでしょうけど……」

 

 肩をすくめた後、その赤い瞳をある方向へと向けた。冷たく酷薄なその眼差しが向かった先は、最初の戦いで崩れ落ちた壁の向こう側――そこで今だ糸に拘束された、スノーホワイトだった。

 

「ですが、ワタシがスノーホワイトを殺すまで動きを封じるには十分デス」

 

 にやりと口の端を吊り上げ、言う。

 その言葉で、アリスは全身の血が凍り付いたかのような感覚に襲われた。

 

「わだしは…っ…まだ……死んでまぜん……ッ」

 

 自分が死ぬまでは、テストが終わるまではスノーホワイトには手を出さない。そのはずだ。そう言っていたはずだろう!

 

 傷ついた唇と千切れかけた舌を動かし訴えるも、マジカロイドは返すのはそんな彼女を嘲笑うかのような笑み。

 

「いやいやアナタいつまでたっても死にそうにないデスし、このまま結果発表の時間が来て万が一ワタシが最下位になったらとてもじゃありませんが笑えませんからね。デスから念のため今ここでスノーホワイトのキャンディーを奪った後で殺しておくデス」

「そ……んな……!?」

「悪く思わないでくださいよ。余計なリスクを背負うのはまっぴら御免なのデス。ワタシは小心者デスので」

 

 肩をすくめ悪びれもせず飄々と言った後、マジカロイドは踵を返しゆっくりと歩き出す。身動きのとれぬ弱く哀れな獲物――スノーホワイトの下へと。

 白い悪魔のようなその背中を、アリスは見つめる事しかできない。

 自らに近づいてくるマジカロイドに怯えて逃げ出そうとし、だが動けず痛みに呻くスノーホワイトに対して、何もできないのだ……ッ。

 

「逃げ……て……スノー……ホワイト……ッ!」

「生憎ですが逃げられませんし、逃がさないデスよ。まあせめてもの情けに苦しめず一撃で殺してあげますのでそれで我慢してください」

 

 苦笑交じりに語ったマジカロイドの無慈悲な『慈悲』に、「ひっ」と小さく悲鳴を上げるスノーホワイト。

 死の恐怖に染まった瞳に涙を浮かべガチガチと小さな歯を震わせるその姿に、アリスの胸は痛い程に締め付けられた。

 

 

 死ぬ。このままではスノーホワイトが死ぬ。殺されてしまう。

 助けたい、今すぐ助けに行かなくちゃいけないのに、出来ない。肉体の再生にはまだ時間がかかる。再生を終わらせて鉄筋から脱出するまででは間に合わない。それよりも早くあいつがスノーホワイトの下についてしまう。

 

 

 

 神さま。ああ神様。

 これは罰なのでしょうか。

 穢れた血の流れる私が、あの夜生きる意味を見いだせず死のうとした私がこうして浅ましく生を望んだことの罰なのでしょうか。

 

「やあ、待たせてしまいましたね。気分はどうデスかスノーホワイト?」

「いや……来ないで……ッ」

 

 私は、スノーホワイトを守りたいです。

 私は、スノーホワイトに必要とされたいです。

 私は、スノーホワイトに愛されたいのです。

 

「おやおや随分な怖がりようデスね。まあこれから自分が死ぬわけデスから無理もありませんけど」

 

 神様。これは分不相応な願いなのでしょうか。

 穢れた血の流れる子が願う事は罪なのでしょうか。

 なら、私はもう願いません。

 私は、彼女に愛されなくてもいい。

 ただ、どうかお願いです。せめて彼女の傍に――跪かせて下さい。

 穢れた血でさえも生きていていいと思えた、その理由を喪わせないでください。

 

「まあワタシは鬼ではないので神様にお祈りするくらいならさせてあげるデスよ。もっとも部屋の隅でガタガタ震えて命乞いされても殺すデスが」

「ひっ……いや……殺さないで……っ」

 

 だから神さま――いえ、もう誰でもいい。神でも人でもなんなら悪魔でも、どうかスノーホワイトを助けてください。

 私はどうなっても構いません。

 この祈りを聞き届けてもらえるのなら、私は身も心も私の総てを捧げます。

 だから、誰か――

 

「では、今度こそサヨナラ」

 

 そして慈悲も無く、マジカロイドはショットガンの銃口を向ける。

 スノーホワイト、その小さくか弱い命を殺すためにトリガーにかけた指を――引いた。

 轟音と共に弾丸が放たれ、スノーホワイトへと飛んでいき――

 

 

 二人の少女は、祈った。

 

 

 

「どうか……スノーホワイトを……」

「たすけて……ッ!」

 

 

 助けを、求めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ゆえに、『魔法少女』はやって来る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 まず轟くのは何かが天井を突き破る音。

 そして落ちてきたのは巨大なる刃。

 それが床に突き立ち、スノーホワイトの盾となって弾丸を防いだ。

 弾丸が弾かれる甲高い音が響き、突然の事態にマジカロイドは驚きの声を上げる。

 

「ちょっ!? 今度は一体何デスか」

 

 動揺するその問いに答えたのは、凛々しくも美しき声。

 

「――私は剣だ」

 

 堂々と、気高く、清廉で、そしてなによりも強き『想い』のこもった声が、絶望の闇を斬り裂き光をもたらす。

 

「たとえこの身が滅びようと、我が盟友のための剣となることを誓った騎士だ」

 

 巨大な刃は、大剣の刀身だった。横幅が巨大すぎて最早銀の壁にしか見えなかったそれが輝き、消失する。

 そして現れるは、神でも悪魔でもなく己がただ一人の盟友を救うべく、凛々しくも力強いまさしく竜の如き瞳で恐るべき敵に対峙する魔法少女。

 

「ゆえにマジカロイド。スノーホワイトを泣かせる――お前を倒す!」

 

 ラ・ピュセル。

 聖女の名を冠する竜の騎士が、参上した。

 




お読みいただきありがとうございます。
実は変身前なら真琴ちゃんが外見的に一番好きな作者です。ぐわし

作者は大体いつもノリで書いてますが今回はマジで悪ノリしまくり好き放題しました。ええその結果がこれですとも反省はするが後悔はしません。
ぶっちゃけアリスにチェーンソー振り回させたくて書いただけの戦闘です。ゾンビがチェーンソー使うってあべこべのような気もしますが何分悪ノリなので許してください。マジカロイドはアレです、原作やアニメでも機動戦士ネタで弄られてるのでこっちでもやってみました。まほいく場外乱闘の「ツノの無いモブwww」は笑った。

ちなみに魔法少女は思いがうんぬんでブーストがかかるというのは完全に独自解釈です。もしくは設定改変。少なくともこの物語では『魔法少女は思いが全てブースト』有りでお送りします。

あと魔法少女の外見や魔法には個性が関係するというのは、とらのあなファンブックで人造魔法少女の説明文にあった「通常の魔法少女とは違い変身前の個性は影響しない(うろ覚えでごめんなさい)」とかまあそんな感じの一文を独自解釈した設定です。なので実際の所はどうなのか分かりません。くれぐれも信じないで。

さて、長らく続いたこのシリーズですが次回でいよいよ最終回です。正確にはその後にエピローグが続きますが、まあおそらくは年内には投稿できるでしょう。……そうしたいなあ。うん頑張ろう。
では残りわずかですが次回の投稿をお待ちください。


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ぼくの誓った魔法少女(前編)

前の話で次が最終回と言ったけど、文字数が膨れ上がって大変なことになりそうなので前後編にするぽん。後編は今週末に投稿するのでしばしお待ちくださいぽん。


 ◇たま

 

 魔法のアイテムの代償は、死の危険(キャンディー)だった。

 他の魔法少女と戦うための力が手に入る代わりに、キャンディー数が最下位で死ぬ危険が高まる悪魔の取引。はじめはそれがよく分かってなかったけど、スイムスイムからそう教えられ理解した時、たまは全身から血の気が引く思いがした。

 

 このままじゃ自分が、みんなが死んじゃう。

 だから、スノーホワイトを襲う事に賛成した。

 今でも人を殺すなんてゾッとするしルーラを死なせた事を後悔しているけど、それでもみんなに死んでほしくないから……。なのに、それなのに……。

 

 ああ……まただ……。

 また……大切な人が、大切な人を殺そうとしている。

 

「行かなくちゃいけないんだ! 僕があの子を守らな――」

「行かせない」

 

 王結寺の薄暗い堂内に、ラ・ピュセルの凛々しくも焦燥の滲む声と、その細首に魔法武器ルーラの刃を突き付けるスイムスイムの美しいが冷たい声が響く。

 ほぼ同時に発されようとも決してまじり合わぬそれは、そのまま二人の主張が決して相容れぬ事を示していた。

 

「それがたとえ本当でも、行かせるわけにはいかない。ラ・ピュセルの答えを、まだ聞いていないから」

「――ッ!」

 

 案の定、ラ・ピュセルの必死の訴えは非情の拒否で切り捨てられる。

 重く張りつめる空気の中、それぞれの想いゆえに対峙する二人を前に、たまは動く事も止める事も出来ず、無力な子犬のようにただ震えて立ちつくしていた。

 

 ラ・ピュセルを冷たく見つめる絶対零度の瞳を、たまは知っていた。あれはあの時と同じ瞳だ。思い出すだけでも胸が苦しくなって後悔と悲しみに押し潰されそうになる、ルーラを殺したあの夜と同じ――叶えたい夢の為なら全てを殺し尽す瞳だ。

 本気でスイムスイムは、ラ・ピュセルを殺そうとしている。

 

「後で必ず答えを出すから、頼む、今は行かせてくれ……ッ」

「――駄目」

 

 お願いだから、諦めて。そう願うが、ラ・ピュセルはきっと諦めないだろう。

 だって、そういう人だ。強くて、格好良くて……優しい人なんだ。たとえ自分が死ぬかもしれなくても、大事な人を……スノーホワイトを見捨てられる人なんかじゃないんだっ。

 

 でもそれじゃ死んじゃう。このままじゃ、ラ・ピュセルは――また、私の大切な人が死んでしまう。

 嫌だ。そんなのは嫌だ。もうあんな思いは、嫌だ。

 そう思う。思うのに……自分は、怖くて、震えて……また、それを見ている事しかできなくて……っ。

 

 あの時と同じように。

 

 

 

『なんで…なの……? たまぁ………』

 

 

 

 ルーラが死んだ時と、同じように。

 

 脳裏に蘇る倒れるルーラ苦しみもがいて血を流して赤黒く染まる衣装あんなに苦しそうに顔を歪め嫌だ怖い何で何でと呟いてもがき苦しみ絶望してごめんごめんなさい何もできなくてごめんなさい私はやっぱり弱くて臆病で何もでき

 

 

 

『できるよ』

 

 

 

 絶望に覆われていく心の中で、声が響いた。

 それはかつて、今と同じように己の弱さに絶望した時、涙する自分に彼がくれた(ことば)

 

『それにたまは弱くなんて無い。臆病で力が足りないかもしれないけど、優しくて強い心を持ってる魔法少女だ』

 

 

 思い出す。そう言ってくれたラ・ピュセルの、温かさ。優しい笑顔。そしてこんなに弱い自分の『強さ』を信じてくれた――瞳。

 

「――――っ!」

 

 気が付けば、たまの体は動いていた。

 震える手足に力を込め、己を縛る見えざる鎖を引き千切るかのように床を蹴り、恐怖も弱さも振り払い駆けだして――スイムスイムへと飛びつき床に押し倒した。

 思わぬ相手からの予想外の奇襲に魔法を使う間すらなく倒されたスイムスイムの肢体の上で、必死に圧し掛かりその動きを抑えるたまは、突然の事態に唖然としているラ・ピュセルに――叫んだ。

 

「行ってええええ! ラ・ピュセル!」

 

 

 ◇スイムスイム

 

 

 たまの叫びを聞いたラ・ピュセルが、ハッと我を取り戻す。そして刹那たまを一瞥した後、床を蹴り外へと飛び出していった。地面に深々と足跡を刻むほどの激走で瞬く間に遠ざかるその背中を、たまに押し倒されたスイムスイムは成す術も無く見つめる。

 速い。もうこうなっては敏捷性に劣る自分達ではラ・ピュセルの全速力には追いつけないだろう。

 

 逃がしてしまったか……。

 スイムスイムは、その事実を落胆と共に受け止める。

 ……まあ、いい。ラ・ピュセルのマジカルフォンはこちらにある。そしてキャンディーは未だゼロのまま。自分が手を下さずとも、どのみち彼は今夜最下位となり命を落とす。ならば、今すべき事は……。

 スイムスイムは、顔を伏せ震えながら自分にしがみ付くたまへと赤紫の瞳を向け

 

「たま。なんで邪魔したの?」

 

 問い掛けると、たまはびくんと震えた後、顔を上げる。

 震える瞳、真っ赤な目元、嗚咽を漏らす唇、魔法少女特有の可憐な美貌は、涙と鼻水でぐしゃぐしゃだった。

 

「嫌……だよぉ……っ。もう、友達が死ぬのは……嫌だよぅ……!」

 

 頬を伝いぼたぼた落ちると涙がスクール水着の白い生地を濡らす。

 

「誰にも死んでほしくないよ……っ。殺してほしくないよぅ……っ! うっ…っひぐっ……ごめん…っ…ごめんねスイムぢゃん。スイムぢゃんは私たぢのだめを思ってくれただけなのに、でもっ……ラ・ピュセルが死ぬのは…っ…ルーラみだいに死んじゃうのだげは嫌なのっ! だから…っ…だがら……っ……うあああああああああああああんっ!」

 

 たまの言葉は最後にはほとんど涙声になって聞き取れなかった。

 その泣き声は、スイムスイムもピーキーエンジェルズも誰も言葉も発せず沈黙する堂内に響く。

 それを聞きながら、スイムスイムは静かに目を閉じ、去っていった騎士に想いを馳せる。

 

 残念だ。本当に残念だ。ラ・ピュセルとなら、自分はルーラになれると思ったのに。ルーラを超えられると思っていたのに。彼は去ってしまった。……自分より、スノーホワイトを選んで。

 ずきん……と、豊かな胸の奥が小さく痛んだ。失意や落胆とも違うその痛みに眉を顰めるも、スイムスイムにはそれが何の痛みかは分からなかった。

 

 

 ◇◇◇

 

 

 王結寺を飛び出したラ・ピュセルは、駆ける。

 時折聞こえるスノーホワイトの『声』を頼りに。

 誰よりも愛しい少女の悲鳴に心が焦り危機感に突き動かされ、早く速くと足を動かし道路を駆け坂を上りビルを飛び越えそして――

 

「そしてようやく、貴方は来た。スノーホワイトのために、マジカロイドの前へ――この私の下へ」

 

 夜天に座す月の下、大部分が崩れ落ちた天井の(ふち)に優雅に腰かけ、森の音楽家は高みより眺める。

 傷つき縛められたスノーホワイトを背にマジカロイドへと対峙する騎士の姿を。

 己の命が今夜まさに潰えようとしているにも関わらず、守ると誓った少女のために戦う魔法少女のその顔を。

 赤く血塗られた瞳を細め、美しくも妖しい微笑を浮かべながら

 

「果たして貴方が弱者(ドンキホーテ)として終わるのか、それとも私の求める強者(クリスティーヌ)と成るのか……。今から結末がとても楽しみです」

 

 艶めく唇が紡ぐ美声の調べが、歌の様に闇に響く。

 それは愛しい者への恋歌か。それとも死に逝く者への鎮魂歌か。

 

「では見せてもらいますよ颯太さん。これから貴方が、何を選び、何を失うのか……」

 

 戦に狂った音楽家が観賞する中、魔法少女を愛し、夢見て、そして魔法少女となった一人の少年――岸辺颯太(ラ・ピュセル)の運命が決まる時が来た。

 

「――貴方の征く(Route)の、選択(Select)犠牲(Sacrifice)を」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 魔法少女育成計画Route S&S

 

 最終話『ぼくの誓った魔法少女』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇ラ・ピュセル

 

 

 今夜、僕は死ぬ。

 

 結局マジカルフォンを取り戻すことは出来ず、キャンディーは未だゼロのまま。

 そしてスイムスイムは、スノーホワイトを選んだ僕をきっと許さないだろう。

 スイムスイムがどれほど強く『理想(ルーラ)』に憧れ、それを叶えようとしているのかを僕は痛いほどに知っている。最愛の人をその手で殺し、その痛みを胸にそれでも突き進もうとするその狂的な想いは決して止まらない事も。だからこそ、スイムスイムを選ばず自らの障害となるだろう僕を生かす理由は無い。

 だから、僕の命はここまでだ。

 たとえこの戦いを乗り越えられたとしても、キャンディーの数で死ぬのだ。一度投げられた賽は戻らず……僕の『(けつまつ)』は変わらない、

 

「なに……それ……?」

 

 呆然とした声が、背後から聴こえる。

 振り返らなくとも分かる。可憐で優しいその声に、僕はいつも密かに胸をときめかせていたから。

 目をやれば、やはり極細の糸の様なもので拘束されたスノーホワイトが震える瞳を見開き僕を見ていた。

 

「死ぬって……何で……そうちゃんが……」

 

 青ざめた唇が呆然と呟くその問いに、けど僕は答えられない。

 君のためにスイムスイムを振り切り、君のためにここに来て、君のために死にに征くなんて、この優しい幼馴染に言えるわけ

 

「スイムスイムがなんなの……? それに私のためって……どういう……――っ!?」

 

 困惑していたスノーホワイトが、ハッと息を呑む。その顔から血の気が引き、瞳が震えた。まるで聞きたくも無い声を聴いてしまったかのように、知らない方が良かった真実を知ってしまったかのように。

 ……ああ、僕は本当に馬鹿だ。こんなにも『困っている』のに、スノーホワイトに『心の声』を隠せるはずなんてないじゃないか。

 

「そんな……嘘…っ…嘘だよねそうちゃん……っ!」

 

 問い掛けるその瞳。驚愕と絶望に染まる悲痛な眼差しに、

 

「……ごめんね。スノーホワイト」

 

 そんな顔をさせてしまう申し訳なさを感じながら謝罪して、僕は前へと向き直る。そして眼前に対峙するもう一人の白い魔法少女――マジカロイドを睨みつけた。

 大事な女の子を傷つけられた。その煮え滾る怒りを込めて叩きつけた眼差しは

 

「やはり来ましたかラ・ピュセル。まったく、お邪魔虫がこうも次々と……やってられませんね」

 

 飄々とした態度で受け止められ、マジカロイドは肩をすくめる。その余裕が不気味でならない。

 .僕の知るマジカロイドは様々な未来の道具を操るが、けして戦えるような魔法少女じゃない。カラミティ・メアリやウィンタープリズンは勿論、意外と力が強いシスターナナにだって正面からでは勝てないだろう。

 その、はずだ……。だが今、こいつは

 

「まあ、湧き出てくるなら端から全て潰すまでデスが」

 

 ――あまりも余裕過ぎる。

 どころか、威圧感がまるで桁違いだ。以前はせいぜい猫型ロボットくらいだったが、今はまるで、全てを押し潰す巨大戦車の前にいるかのような……。

 

「――ッ」

 

 知らず気圧されかけていた心を引き締め、構えた大剣の柄に力を込める。

 

「とはいえ実際は面倒なので、アナタが大人しく退いてくれるのでしたら見逃すデスよ」

「戯れ言を。私は騎士だ。守るべき者を背にして逃げる事などしない」

 

 はっきりと言う。愛しい物の笑顔を守るために戦う高潔な魔法騎士がぼくの理想、僕の魔法少女としての在り方(ロールプレイ)だ。

 たとえ今宵限りの命だとしても、いやだからこそ――最期まで理想の魔法少女として在り、胸を張って死のう。

 魔法騎士ラ・ピュセルは気高く、愛しい人を守り切って死んだのだと。

 だから

 

「マジカロイド44、お前を倒し、スノーホワイトも守ってみせる!」

 

 覚悟と誇りを込めた、決意の叫び。

 

「そうちゃん……」

 

 高らかに響き夜気を雄々しく震わせるそれに、スノーホワイトは涙を浮かべた悲痛な表情で呟き、マジカロイドは苦笑した。

 その赤く冷たい瞳に殺意が宿り、レーザーサイトめいた眼差しが僕を照準(ロックオン)

 

「威勢だけは大したものデスが、その言葉には間違いが二つありますね」

 

 ざわりと、肌が粟立つ。首筋に冷たく走るは、生存本能が告げる危機感か。

 

「まずはワタシを倒すという出来もしない戯れ言。そしてもう一つは――」

 

 来る。奴の攻撃が。未来の凶器が。

 

「私の名はマジカロイド555デス」

 

 その言葉と共に目の前に淡く光る魔法陣が出現、中央部から鉄柱が飛び出してきた。

 僕を貫かんと迫るそれを素早く剣で打ち払うも、直後に左横から新たに出現した魔法陣から放たれる第二の鉄柱。迎撃による隙を狙ういやらしいそれを、思い切り腰を捻り返す刀でなんとか切り捨てる。

 が、それすらも予想していたのだろうマジカロイドがすかさずショットガンを構え発砲。剣を振り切った体勢のまま立て直せぬ僕の瞳――魔法少女の人を超えた動体視力が、猛烈な勢いで迫る弾丸を捉えた。

 ショットガンの弾というと『散弾銃』という和訳通り散弾を思い浮かべてしまうが、今まさに迫り来るそれは無数の鉄球ではなく一粒だけの、しかし遥かに巨大で剣呑な弾丸。ゲームや漫画からの拙い知識だが、いわゆるスラッグ弾というやつだろうか。なら――ッ

 

「ふんッ!」

 

 そして響く、弾丸が硬い物に直撃する音。

 骨の芯まで震わす衝撃が尾骨から全身に走るが――大丈夫。体には傷一つない。間に合った。

 僕の腰から生える太く力強い黄金の尻尾――それが巻き付いた魔法の鞘から、ひしゃげた弾丸が床に落ち無念そうに音を鳴らす。

 鎧を貫き柔肌を穿つはずだった弾丸は間一髪、腕も足も動かせない僕が唯一動かせる尻尾で掴み盾にした『鞘』で防がれたのだ。

 

「なんとまあ、尻尾なんて飾りデスかと思ってましたよ」

 

 硝子の目を丸くするマジカロイド。僕は素早く体勢を立て直し、再び剣を向ける。

 

「スノーホワイトを守るためならなんだってするさ。お前のような意識の低い魔法少女にはそれが分からないだろうな」

「なるほど『なんだって』デスか……では、こうすれば何をしてくれますか?」

 

 ニヤリと口元を吊り上げると同時、ゾワッと怖気を感じて振り返る。瞬間、いきなり振り向いた僕に驚いたのか小さく震えるスノーホワイト――その頭上に、魔法陣が出現した。

 

「!? スノーホワイト!」

 

 鋭く叫ぶ。そのただならぬ声で異常を察したスノーホワイトも魔法陣に気が付き――だが、糸で拘束された彼女は動けない……ッ。そして魔法陣から今まさに己を串刺しにせんと鉄筋の先端が現れ、金色の瞳が絶望に染まった時――僕は全力で剣の鞘をスノーホワイト目掛け投げつけた。 

 凄まじい速度で飛ぶ鞘を視界に捉えながらすぐさま『剣の大きさを自由にできる』魔法を発動。何倍にも拡大したそれでスノーホワイトをすっぽりと覆い、落ちてきた鉄筋を紙一重のタイミングで防いだ。

 

 あ、危なかった。もしあと0.5秒でも遅ければ、今頃スノーホワイトは……。

 僕は安堵の息をつき、すぐさま怒りを込めてマジカロイドを睨みつける。

 

「貴様、よくもスノーホワイトを……ッ」

「殺そうとしたなデスか? やれやれ、これは殺し合いデスよ。油断する方が悪いのデス」

 

 対して、マジカロイドは悪びれもせず肩をすくめ

 

「とはいえ、まさか鞘まで大きくできるとは思いませんでしたよ」

「……鞘だって『剣』の一部だからな」

 

 僕の魔法は固有武器である魔法の剣の『全て』に適応される。刀身と柄だけでなくそれを納める鞘もセットで『剣』なのだ。

 

「なんというか屁理屈じみた話ですね。もしかして他にも何かできるのデスか?」

「身を以って確かめてみるか?」

 

 ちゃき、構えた大剣が好戦的に音を鳴らし

 

「ならばワタシも秘密道具最後の一つ、アナタで試してあげるデス」

 

 がしゃ、ショットガンの冷たく剣呑な銃口が僕を捉え

 

「何っ、これ……いきなり暗く……そうちゃん! どうなってるの!?」

 

 僕の背後、シェルターの如く立つ巨大化した鞘の中から、空洞部分にいるスノーホワイトの悲鳴のような声が響いた。

 突然の暗闇に戸惑い混乱する彼女を安心させるべく、なるべく穏やかに声をかける。

 

「怖がらせてごめんスノーホワイト。でもその中にいれば安全だから、少しの間だけ我慢して」

 

 そう、少しの間だ。君はこんな所にいてはいけない。君の様な『正しい魔法少女』はこんな戦い――いや、殺し合いなんかに巻き込まれていい人じゃないんだ。それに、一分一秒たりとも、大切なスノーホワイトに辛い想いなんてさせたくないから。だから

 

「すぐにこいつを倒して――君を助け出すから!」

 

 決意を叫び、床を蹴る。

 駆けながら柄を握る手に力を込め、倒すべき敵――マジカロイドへと大剣を振り下ろした。

 

「見えたデス!」

 

 だがマジカロイドは赤瞳を不気味に光らせ見切り、ずんぐりむっくりした体型には似合わぬ素早さで刃を回避。お返しとばかりにショットガンを発砲し、その銃撃を僕は剣の腹を盾にして防御。マジカロイドはなおも続けざまに撃ち、連続で放たれる弾丸の衝撃は受ける剣を震わせ腕の芯にまで響く程。

 さすがに銃器の中でも特に強力な威力を持つだけはある。刀身が砕ける事は無いにしても、これ以上受け続けるのはマズイか……ッ。

 

「ふっ……」

 

 剣を盾に踏ん張りながらも考えを巡らせていたその時、マジカロイドがニヤリと口元を歪めた。その笑みは、まるでカモを上手く嵌めた詐欺師のような――ヤバいッ!?

 脳裏に走る本能的な危機感。僕は咄嗟に飛び退き――その鼻先を、いつの間にか頭上に出現していた魔法陣から落ちた鉄筋が掠めた。

 

「ちっ……やはり戦う魔法少女。戦闘勘は良いようデスね。ですが――いつまで避けられますか?」

 

 言葉と共に更なる魔法陣が次々と現れ、砲火の如く輝き攻撃を放つ。

 間断無く様々な角度から飛来する凶器群。その全てを迎撃することは出来ない。僕は舌打ちしつつすぐさま床を蹴り、降り注ぐ鉄の豪雨から逃れようと駆ける。が、幾多の鉄筋がコンクリートがガラス片が肌に掠り痛みと傷を付けていく。

 くわえて廃工場の中はただでさえ重機や整備道具がそこら中にあるのに、放たれ床に落ちた凶器はそのまま障害物となって動きを邪魔するのだ。このままじゃ不味い。いずれは逃げられなくなる。だったら……ッ――。

 

 避けたそれらが床を砕く音と振動を背中に感じながら走り続ける僕は、目の前にあった大きめの瓦礫に剣を突き刺す。そして思いっきり腰を捻りそれをスイング。同時に剣を『消し』、遠心力を乗せマジカロイド目掛け投げつけた。

 己を貫く刃から解き放たれた瓦礫が人間など容易に押し潰す重量と勢いで迫るのを前に、だがマジカロイドはやれやれと肩をすくめ

 

「何をするかと思えばこんなもの……」

 

 呆れ交じりの笑みと共に構えたショットガンで瓦礫を撃ち砕いた。

 

「ワタシには牽制にもなりはしないデスよ」

 

 轟音と共に瓦礫の破片が飛び散り、響く嘲笑。

 ああ、そうだろうな……。僕だってこれでお前を倒せるだなんて思っていない。――でも

 

「目くらましにはなったぞ!」

「なっ――ぶはっ!?」

 

 瓦礫を迎撃する一瞬の隙、そこを突いて一気に接近した僕は手元に『出し』た大剣を振りかぶり、硬い剣の腹を驚愕するマジカロイドの顔面に叩き込んだ。

 それは紛うこと無き直撃(クリティカルヒット)。感じる芯を捉えた確かな手応え。殺さずに意識を飛ばすつもりの渾身の一撃に――だが、マジカロイドは小さな悲鳴を上げるも耐えきった。

 ぐらりと揺らぐ体をたたらを踏んで持ちこたえ、殺意に輝く赤い眼差しで僕を貫く。

 

「……これは、一本取られたデスねぇ」

 

 憎々し気呟く顔に走る、蜘蛛の巣のようなひび割れ。だがそれはパキパキと音を立てて消えていき、その傷を付けた僕を嘲笑うように完全修復される。

 恐るべき回復……いや自己修復力だ。そしてその装甲もまた叩きつけた剣を握る手が軽く痺れるほどの硬さ。その全てが人はもちろん尋常の魔法少女すらも超えている。

 なるほど、これが……555か。

 

「積み重ねた戦いの経験から思いつく小細工。性能差を埋めるための策デスか。なるほどアナタが複雑怪奇な搦め手でくるならば、こちらは単純明快な力押しといきましょう」

 

 言葉と同時に目の前に魔法陣が現れ、咄嗟に横幅を拡大した剣を盾にし放たれた瓦礫を防いだ。だが第二第三第四の――幾多の魔法陣が一斉に輝き中身を射出する。

 殺到する凶器の弾幕。それらが盾にした剣の腹にぶつかり砕ける凄まじい衝撃が柄を握る腕から全身に走り、僕は歯を食いしばり足を踏ん張ってそれに耐える。

 

「くッ…おお……ッ」

 

 間断無きそれはまさに機関銃の一斉射撃の如く、一瞬でも気を抜けば剣ごと身体を持っていかれる。ゆえに必死に受け止め耐え続ける僕に、無情なショットガンの銃口が向けられた。

 

「どうデス。力押しというのも悪くないでしょう?」

 

 そして撃ち放たれた弾丸が剣に激突。すでに限界近くだった防御への、それが止めの一撃だった。ついに耐えきれず、僕は剣を掲げたまま衝撃で弾き飛ばされてしまう。

 着弾の瞬間少しでも衝撃を和らげるべく咄嗟に飛び退くように床を蹴ったが、そのせいで僕の身体は後方に10メートル以上も宙を舞う。幾つもの棚や重機に衝突しそれを倒しつつ、最後に十個近くの鉄筋が鉄の林のごとく床につき立った場所へと突っ込んだ。

 

「がっ……くそ……っ」

 

 人間ならまず間違いなく粉砕骨折するか内臓破裂で死亡するだろう勢いで鉄筋に激突し、それをなぎ倒しつつようやく停止。仰向けに倒れ、痛みに呻く唇の端から血が漏れる。

 けど、呑気に倒れてはいられない。さっき倒した機械類や棚が積み重なり偶然にもバリケードとなっているから、マジカロイドはその陰にいる僕の姿を見ることが出来ないだろう。が、あの魔法陣はどこにでも現れる。追撃される前に、早く移動しなければ……っ。

 

 そうして立ち上がろうと床に伸ばした手が――何か柔らかい物を噛む。

 それはひんやりとしているのに柔らかく、軽く力を込めればふにゅんと指が沈む。小ぶりのおもちのような……。なんだ、これ……?

 

 弾雨吹き荒ぶこの修羅場においてなんとも場違いな心地良さに戸惑いつつも僕は目を向け、悲鳴を上げそうになった。

 そこには体中を鉄骨に貫かれ、血塗れになった少女の亡骸があったのだ。

 見知らぬ少女だ。華奢な肢体を包む黒いドレスも青白い肌も血に塗れ、凄惨な傷口からは骨どころか内臓まで零れている。ちなみに僕の手はドレスが破れてむき出しになった小ぶりな胸を掴んでいた。柔らか冷た気持ちいい――ってそんな場合じゃない。

 

「まさか、マジカロイドに……」

 

 あいつの攻撃に巻き込まれたのか、それともたまたまスノーホワイトを襲う現場を見てしまい、口封じのために殺されたか。

 いずれにせよ、僕がもっと早くここに来ていれば防げたかもしれない事態だ。僕が遅かったばかりに、何も関係のない一般人が死んでしまった……ッ。

 

「ごめん……ッ」

 

 僕は魔法少女なのに、君を救えなかった。

 どうしようもない後悔に胸が締め付けられる。声を震わせながら謝りつつ、僕はせめて虚空を眺める彼女の瞼を閉じさせてあげようと手を伸ばし

 

「――安心してください。生きてます」

「ぎゃああああああああああっ!?」

 

 死んでいるはずの少女の紫瞳にギョロっと見られ、今度こそ盛大な悲鳴を上げてしまった。

 って、え、いや、ちょっ、何でこの子生きてるの!?

 驚愕のあまり尻餅をついてしまった僕に対して、黒い不思議の国のアリスみたいなその子は顔色一つ変えず

 

「申し訳ありませんが、鉄骨を抜くのを手伝っていただけますか」

 

 と言うので、僕はまだ驚きから立ち直ってない頭ながらとりあえず頷き、全身を貫く鉄骨の一つを掴む。血と骨の欠片と何であるかあまり知りたくもない肉片がこびりついたそれらを全て引き抜くと、解き放たれた黒いアリスの体中に刻まれていた痛々しい傷口の周りの肉がぶくぶくと盛り上がり、徐々に傷口を覆い尽くしていった。

 

「これは……魔法? 君も魔法少女なのか?」

「はい。私は16番目の魔法少女――ハードゴア・アリスです」

 

 淡々と名乗る黒いアリス――ハードゴア・アリス。

 その間にも出血が止まり抉られていた肉は増えて新たな皮膚が傷を塞いでいく。なんと破れていた衣装までひとりでに修復され、見る間に暗い色遣いだがメルヘンチックな傷一つ無いドレスと、それを纏う青白い肌に黒い髪の少女の姿が完全に再生した。

 凄い魔法だ……。感心しつつ僕も名乗り返す。

 

「私はラ・ピュセル。君と同じ魔法少女で――」

「知っています。白い魔法少女――スノーホワイトの……相棒ですね」

 

 烏の濡羽を思わせる艶めく黒髪がふわりと揺れて、アリスは深く頭を下げた。

 

「助けていただき、ありがとうございます」

 

 淡々としているが、確かな感謝のこめられた声。その律儀な態度と礼儀正しさは、どこかあの子を――亜子ちゃんを思い出させる。

 

「礼はいらない。私がしたのはただ鉄骨を抜いただけだよ」

「いいえ。私もそうですが、スノーホワイトの窮地を救っていただいたことです。……あのままでは、スノーホワイトは殺されていました」

 

 紫の瞳が、自分の不甲斐なさを悔いるように揺れる。そしてまた、さっきよりもさらに深く頭を下げた。

 

「本当に、ありがとうございます」

 

 そんな彼女の真摯な態度に、だが僕は首を横に振る。

 

「……なら、やっぱり礼は言わなくていいよ。まだマジカロイドはスノーホワイトを狙っていて、私は窮地を救いきってないのだから」

 

 言うと同時に、重い銃声が轟き眼前に積み重なった瓦礫のバリケードが揺れる。

 その向こう側から死神めいた甲高い嘲笑が響いた。

 

「どうしましたラピュセルー? 勇ましいセリフを言っていましたがビビッてかくれんぼデスか? それともまさか死んじゃったデスか? ま、どっちだろうがすぐに瓦礫を吹き飛ばして確かめてあげますがね」

 

 再びの銃撃。更なる振動と瓦礫の一部が砕ける音が、スノーホワイトを救いたければ早く戦えと急き立てている。

 

「――ああ、戦ってやるさ」

「私も戦います」

「君も……?」

 

 目を向けると、アリスは切なる決意を宿した瞳で

 

「私も、スノーホワイトを助けたいんです」

 

 静かながら毅然としたその言葉に、ようやく気付いた。

 何故、さっきアリスがあれほどの傷を負っていたのか、何故スノーホワイトが僕が来るまで無事だったのかを。

 

「……っ! まさか、さっきの怪我はスノーホワイトを守るために戦ってたからなのか……?」

 

 アリスは頷いた。

 やはりこの子が僕の代わりにスノーホワイトのために戦って、あんな姿になるまで守っていたんだ。そうして時間を稼いでくれていたからこそ、僕は間に合ったのだ。

 

「なら、礼を言うのは私の方だ。ありがとう。スノーホワイトを守ってくれて」

 

 湧き上がる感謝をこめて、アリスがしたよりも深く頭を下げる。

 

「いいえ。あたりまえの事です。あの人を死なせることだけは、できませんから」

「――ああ、そうだな。早くマジカロイドをどうにかして、スノーホワイトを助けなくてはね」

 

 こうしている間にも銃撃は鳴り続けている。飛来する弾丸が瓦礫を砕き、やがてこのバリケードも完全に破壊されるだろう。猶予は無い、早く打って出るべきだ。が、果たして二対一になった所であの魔法陣とショットガンによる死の弾幕を突破できるか……?

 

「囮でも盾にでも好きにしてください。私はあなたの命令を何でも聞きますから」

 

 眉を寄せて考え込む僕にアリスが提案する。その気持ちは嬉しいが、女の子を盾にするのは魔法少女以前に男としてしたくない。だから、

 

「……かなりギリギリだけど、一つ作戦がある」

「それは、どのような……?」

「あの厄介な転移魔法がどういうものか、朧げだけど分かって来た。とはいえ正直まだ確証は無いから博打みたいなものだ。……それに、一歩間違えばそこで終わるし、最悪死ぬかもしれない。君はそれでも――」

 

 やるかい? という問いかけは、言い終える前に毅然とした声に断ち切られた。

 

「それでも、スノーホワイトを助けられるのなら――やります」

 

 一切の迷いも一片の躊躇も無く、力強く答える黒い魔法少女。静かながらも頼もしいその姿に、思わず温かな苦笑が漏れてしまう。

 ああ、僕はやっぱり馬鹿だな……。

 わざわざ聞かなくとも、この瞳を見ればわかるじゃないか。

 この子もまた僕と同じ――命に代えてでもスノーホワイトを守ると誓った同志なのだと。

 

 希望が見えた。小さく微かにだけど、この絶体絶命の窮地をひっくり返せる確かな可能性が。なら、あとはそれを現実にするだけだ。

 

「征こうアリス。――スノーホワイトを救うために」

「はい。必ず助け出しましょうラ・ピュセル。――あなたと一緒なら、きっと出来ます」

 

 同じ魔法少女を想い、同じ誓いを胸に燃やして、僕たちは頷き合い――反撃への一歩を踏み出した。

 




お読みいただきありがとうございます。
最終回と言ったけど文字数が膨れ上がったあげく今月中には間に合いそうにないので前後編にした計画性皆無の作者です。後編はただいま死ぬ気で書いている最中なのでしばしお待ちください。

あさて、作者は実は一つの字を打つのにキーを二つ押すのがめんどくさいという理由で日本語入力を使っているのですが、そのせいでたまにひどい打ち間違いをしてしまいます。なのでもし誤字がありましたら遠慮なく指摘してくださいすぐに直しますから。
そしていつも誤字報告してくださる方々は本当にありがとうございます。この作品のクオリティが保たれているのはあなた方のおかげですこれからもどしどしお願いしますね。ではまた次回で。

ちなみに具体的にはこんなのです。

『主な誤字の例』

正・魔法少女
誤・魔法処女

たまにタイトルが魔法処女育成計画になってます。あらやだエロス。でも主人公は処女ではなく童貞なので明らかな間違いです。

正・ルーラ
誤・ルーラー

ルーラ様はサーヴァントではありません。たとえそうだとしてもキャスターです。でも原作では巻を追うごとに英雄化が進んでるので英霊の座にいける可能性は無きにしも非ずかも。

正・クラムベリー
誤・クランベリー

アニメを何度見返しても『クランベリー』にしか聞こえないためよく間違えます。正確に聞き分けるためクラムベリーの聴覚が欲しいです。

正・たま
誤・ぽち

アニメスタッフですらも間違えたくらいなので作者もよく間違えます。たぶんきっと原作で『ぽち』なるキャラが出たら猫耳猫尻尾の魔法少女でしょうね。

正・亜子
誤・アコ

ネトゲの嫁は魔法少女ではありません。


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ぼくの誓った魔法少女(中編)

本当にごめんぽん。
投稿まで長くなったあげく例によって前中後編になったぽん。
後編は来月中には上げるのでそれまで待っていてほしいぽん。



 ◇マジカロイド555

 

 別に、安藤真琴は魔法少女になりたかったわけじゃない。

 そりゃ自分だって女だ。昔は同年代の女子達の間で流行っていた魔法少女アニメを見て無邪気に「大きくなったら魔法少女になりたい」なんて思っていたけど、それも幼稚園くらいまでの話で、中学を卒業するころには「大きくなっても好きな事だけして生きてきたい」になっていた。

 

 まあその事については特に未練も後悔も無いのだ。当時にしたって単に思い入れも無く流行りに流されていただけだし。だいたい魔法少女なんて子供っぽいものに無邪気に憧れるのが許されるのは精々幼稚園か小学生まで、中学生にもなって魔法少女になりたいなんて思っている奴がいたら失笑者だろう。

 

 なのに、なのに、自分は魔法少女になった。……なってしまった。

 それが運命の悪戯かはたまた神の気まぐれかは分からないが、なってみて改めて思う。――やはり魔法少女になりたいなんて言う奴は馬鹿じゃなかろうかと。

 仕事は人助けという名の無賃労働(ボランティア)。元来利己的な性格の自分としては、赤の他人の世話を焼く時間があるならその分をバイトに使って金を稼ぎたい。ぶっちゃけ割に合わない。むしろ珍妙な外見で助けた相手からすらドン引かれる精神的ダメージを考えたらマイナスではなかろうか。まったくもってやってられない。嗚呼金にならない商売さ。儲かる魔法なんてありはしない。

 

 だから、ぶっちゃければ今まで魔法少女を続けていたのは渋々だった。

 もしかしたら、いつか何百万分の一くらいの確率で奇跡的に《金の成る木》や《石ころを黄金に変える機械》なんて一攫千金な金儲けアイテムを引けるかもしれないという、か細い希望を胸に魔法を使い(ガチャを引き)、「ガチャ依存症ってこんな感じなんデスかね~」なんて自嘲しながら。

 

 だが、今は違う。

 

 マジカロイドはショットガンの引き金を引き、己が正面にうず高く積もった瓦礫の山を撃つ。腹に響く反動と共に放たれた弾丸はバリケード状にそびえるそれに着弾。その衝撃はバリケードを崩さぬまでも、表面の瓦礫のいくつかをを粉砕し破片を撒き散らした。

 

 素晴らしい威力だ。さすが外見は同じでも現代のショットガンとは桁違いの未来武器。

 取り出せる道具が四億四千四百四十万四千四百四十四から五百五十五万五千五百五十五兆五千五百五十五億五千五百五十五万五千五百五十五種類に増えた事で新たにラインナップに加わったこれは、かつてならば絶対に手に出来なかった純粋凶器(レアアイテム)だ。

 

「ふ、ふふふふふ……」

 

 指一本、引き金一回でいっそ冒涜的なまでにあっさりと命を奪う凶器を、まるで玩具のように扱い撃ち続けるマジカロイド。

 

「良い。実に良いデスね」

 

 身体の奥から溢れ出て全身を駆け巡る(エネルギー)を感じる。

 視覚聴覚触覚各種センサーは最高精度に研ぎ澄まされ、動力炉(しんぞう)の稼働率は今までに無い最高潮。これが以前までの脆弱な――そう、今になってみれば何と脆弱だったのだろうか――ボディならば強大過ぎる力に耐えられず自壊していたかもしれないが、この555(からだ)は違う。

 

「ああ。ようやくわかりましたデス……」

 

 そう今なら分かる。魔法少女に憧れる者を小馬鹿にしていたが、間違っていた。

 憧れるのは当たり前だ。もし最初からこれほどのモノだと知っていたなら、どんなものを差し出してもなろうとしただろう。

 魔法少女とはただの物好きなお人よしではなく、その本質は最高の肉体に最強の力を備えた――人を超えた存在(バケモノ)なのだから!

 

「これが、これこそが魔法少女デスか!」

 

 思わず吊り上がった口元が歪み、醜悪な笑みを描く。

 人ならざる魔法少女の力に酔いしれ、狂い、飲み込まれた笑みを。

 

「さあどうデスどうなるどうしますかラ・ピュセル! この力を前に! このワタシを前に! ビビッて隠れてガタガタ震えてるだけですかあ? ほらほら早く何とかしないとワタシがバリケードを壊してしまいますよー! それが嫌ならやってくださいよ悪足掻きを! 嗤いながら叩き潰してやるデスから! さあどうするのデ――」

「黙れマジカロイド!」

 

 溢れ昂る無敵感のまま挑発するマジカロイドの狂笑。

 それを拒むように、瓦礫のバリケードの陰から一人の魔法少女が躍り出た。

 その姿はしなやかで美しい少女の肢体にだが人ならざる竜の角と尾を持つ鎧の騎士。――古の聖女の名を冠する魔法少女ラ・ピュセルが、崩落した天井から降り注ぐ月光のスポットライトに照らされながら雄々しい竜の瞳に戦意を燃やして床を蹴り、マジカロイドへと向かってくる。

 その手に剣は無い。少しでも身軽になるためか、……それともまたぞろ小賢しい策でも練っているのか。

 

「ま、どっちでも構わないのデスが」

 

 単なる特攻だろうが策を秘めた奇手だろうが、それがどうした。

 自分には力がある。かつてとは比べ物にならない無敵の力が。ならば何が来ようとも

 

「策ごと正面から押し潰してやるデスよ」

 

 硝子の赤眼を殺意に光らせ、視覚センサー(しかい)に捉えたラ・ピュセルの眼前に転移魔法陣を展開。その疾走を阻み思惑ごと撃ち砕くべく鉄柱を射出した。

 だがラ・ピュセルは迫るその軌道を冷静に見極め回避。その勢いをほとんど衰えさせる事無く駆け続ける。続けざまに新たな魔法陣から射ち出す瓦礫も同様に最小限の動きで避けられ、躱された瓦礫は床に当たり悔し気に砕けた。

 

「やるじゃないデスか」

 

 今度は三つ同時に展開させ攻撃。三方向から狙うそれにさすがのラ・ピュセルも足を止め――鋭い眼差しで三つの魔法陣をさっと一瞥すると体を捻り、直後、射出された三つの鉄柱は鎧に包まれた身体を絶妙な間隔で掠め、かすり傷すらもつけられず外れて終わった。

 全弾命中とはいかずとも一つは当たるだろうと思っていた攻撃を紙一重で避けられたマジカロイドは目を見張る。

避けた? 今のを避けられただと? いや違う。射出の直前で体を捻り回避行動をとっていたラ・ピュセルの一連の動きは見てから避けたというよりも、むしろ

 

「あらかじめどこに攻撃が来るのかを分かっていた……?」

 

 馬鹿な。その事実を否定するべく、更なる魔法陣を展開。視界に映る様々な角度から攻撃するも、やはりラ・ピュセルはその全てを躱す。顔を逸らして顔面を串刺しにせんとする鉄パイプを避け、ならば頭上から押し潰さんとした瓦礫は飛び退き逃れ、あらゆる角度からの全ての攻撃を防ぎ躱しやり過ごす。そして少しずつ、だが確実に進み、迫って来るのだ。

 

「ちいぃ……ッ」

 

 驚愕が苛立ちとなり、焦りに変わっていく。

 おかしい。つい先程まではラ・ピュセルとて掠り傷をいくつも受けていたはずだ。避けたとしてもそれはギリギリで、事実盾にして防ぐも受け止めきれず吹き飛ばされたではないか。

 なのに今、目の前のラ・ピュセルはその全てを落ち着いて、まるで激しいディフェンスを避けゴールへとひた走るサッカー選手のような足さばきで魔法陣の連続射撃を躱している。

 

「なぜ当たらない……なんで防げるデスか……ッ!」

 

 いっそのこと超多数同時展開による避けようの無い一斉掃射を――いや、だめだ。残弾が足りない。

 この物質転移マシンは取り込んだ物質を異空間にストックできるが、その量も有限。物量で押し潰すとなればアリスの時に天井を破壊したように大量に調達しなければならないのだが、それを行う隙をラ・ピュセルは逃さないだろう。一気に接近され最悪、脳髄を破壊されては555といえども助かるかどうかは分からない。

 マジカロイドの無敵感に高揚していた胸に、初めて冷たい死の予感が走った。

 

 

 ◇ラ・ピュセル

 

 

『――これが私の作戦だ。アリス』

『分かりました。確かに、これならあの魔法少女を倒せるかもしれません。ですが、そのためには……』

『ああ。まず私がマジカロイドに接近し、動きを止めるよ』

『……危険すぎます。あの転移魔法の弾幕を無傷で突破するのは無理です。やはりラ・ピュセルの安全を考えるなら、もう少し安全性も確保できるよう複雑に練り直した方が……』

『いや、これでもぎりぎりで可能な手なんだ。出会ったばかりの私達ではまだ複雑な連携は出来ないから、単純でリスクも高いがこれしかない。――それにさっきも言ったけど、あの転移魔法の性質と対処法がある程度は分かってきた。だから私の分析が正しければ、あれをやり過ごしつつマジカロイドの下に辿り着くのは不可能じゃない』

『……分かりました。その言葉を信じます。――どうかご武運を。ラ・ピュセル』

 

 

 床を蹴り、駆ける僕の目の前に魔法陣が出現。

 僕の疾走を阻まんと現れたそれをまず視界で捉え、今までで見てきたこの魔法に関する記憶をもとに分析を開始する。

 まずこの武器は展開から攻撃まで約一秒のタイムラグがあるので、その間に位置と角度から射線を計算。完了と同時に割り出した射線から身を退くことで射出されたバールのようなものを回避した。

 

 続いて現れた魔法陣の狙いは胴体か。一瞬後、予想通りに瓦礫が放たれるもあいにくと飛翔体の軌道を読むのは得意なんだ。時にフェイント交じりに放たれ曲線を描いて飛ぶボールを捉え、未来位置を予測してキャッチするサッカーに比べれば、いくら速かろうとも単純な直線軌道の攻撃などタイミングさえ読めれば――避けるのはそう難しくない。

 さっきはスノーホワイトを守らんと心が逸るあまり冷静な思考ができなかった。けど、少しは落ち着きを取り戻せた今なら対処できる。

 ゆえに迫る鉄塊を余裕をもってサイドステップで躱し――その先で待ち受ける新たな魔法陣が放ったコンクリート片を殴って粉砕。砕け散る粉塵の灰色が夜の黒を穢した。

 

 ……なるほど、避けようの無いタイミングで仕留めようという訳か。ああ、まあ悪くないというか当然の考えだろう。

 が、お前は分かっていないぞマジカロイド。

 魔法陣の展開から発射までの一秒と言えば確かに人間にとってはほんの一瞬だろう。だが、瞬き一つの間に人を殺せる魔法少女にとっては、視認し行動(アクション)するのに十分な時間だと。

 発射は必ず中央部分からで展開後に角度調整は出来ないゆえに、射線さえ読めれば一定速度で放たれる攻撃を迎撃するのは容易いという事を。

 

 確信した僕を試すように、眼前に新たな魔法陣が出現。落ち着いて頭を少し下げて射線を避けると、読み通りに頭上を鉄筋が通過。続いて真横に新たな魔法陣が現れるが、このまま前に進めば問題無い!

 その後も次々と現れる魔法陣の攻撃をサッカーで鍛えたテクニカルな足運び(ステップ)で避け続けながら、僕は徐々にマジカロイドへと接近し、

 

「いい加減に――当たれデス!」

 

 焦りと苛立ちを込めた叫びと共に繰り出された魔法陣の射線は丁度いい高さ。そして放たれたのはお誂え向きの鉄球。良い選択だマジカロイド――僕にとってのな!

 

「あいにくボールは友達なんだ!」

 

 猛る笑みを浮かべ僕は跳躍し、サッカーで何度も繰り返してきた動作――オーバーヘッドキックで鉄球をマジカロイドめがけ蹴り飛ばした。

 

「んなっ!?」

 

 鋼鉄の砲弾と化して迫るそれをマジカロイドは慌ててショットガンで迎撃し、あわや直撃するかというタイミングで何とか撃ち落とす。

 その間――一秒。すなわち、魔法少女がアクションを一つ起こすのに十分な時間だ!

 

「うおおおおッ!」

 

 千載一遇の今こそ好機。僕は全力で床を蹴り陥没させ、一気に駆けて今だショットガンを構えたまま硬直するマジカロイドに飛びついた。

 

「ようやく捕まえたぞ……ッ」

 

 そのまま手足を機械仕掛けのボディーに絡め、その動きを全身で封じる。

 その際に暫しもみ合ったためマジカロイドの手から零れ、足元に落ちるショットガン。触れるマジカロイドの白い体はプラスチックのような感触で、硬く冷たく、だがしがみつく僕を振り解こうと凄まじい力で抵抗した。

 

「なっ、一体何のつもりデスか!?  くっ……離れろデス!」

 

 驚き混乱し、滅茶苦茶に振り回される拳が肘が僕を殴りつけてくる。碌に勢いが付けられないほぼゼロ距離であるにもかかわらず、機械仕掛けの拳はまるでハンマーで叩かれるかのような凄まじい硬さと衝撃だ。当たる度に肌が痛み骨が震え内臓が破裂しそうなほどのそれを受けながら、叫ぶ。

 起死回生の一手。共にスノーホワイトを救うと誓った仲間の名を。

 

「アリス!」

「――はい。ラ・ピュセル」

 

 それに力強く応じる様に、瓦礫のバリケードを突き破り黒いアリスのごとき魔法少女――ハードゴア・アリスが現れ、身を包むドレスの裾を靡かせ床を蹴る。そして僕に拘束されたマジカロイドへと背筋をピンと伸ばしたやたらと良いフォームで突撃。

 

「この声はまさか……ッ!? もう復活したというのデスか!?」

 

 驚愕するマジカロイドが振り向こうとするも、僕はその顔を掴み絶対にアリスに目を向けさせないよう妨害した。

 ぐぐぐ……と動こうとする顔を全力で抑えつけつつアリスに目を向ければ、あれほど展開していた魔法陣は一つたりとも現れず、阻む物の無い黒い魔法少女は全速力で迫って来る。

 

 やはりそうか。

 バリケードに隠れている間は魔法陣による攻撃を受けなかったのでそんな気はしていたがこれで確信した。――この魔法の発動範囲はマジカロイドの視界だ。視認している場所にのみ展開でき、それが出来ない場所には何もできないのだ。

 

「ぐぐぐっ……この手を、離せえ!」

「絶対に……ッ、離すものかぁ!」

 

 刻一刻と迫るアリスを何とか捉えんとするマジカロイドが必死に抵抗し、しがみつく僕を殴りつけてくる。何度も何度も。繰り返される衝撃と痛み。だが僕は耐え続け、そして

 

「いいから離っ――ふごぁっ!!」

 

 鬼気迫る形相で叫ぶ顔面を、突撃の勢いを乗せたアリスの拳が殴りつけた。

 まるでトラックが激突したかのごとき衝撃。しがみつく僕が危うく引き剥がされそうな程のそれをまともに受けたマジカロイドは苦悶の声を上げ、だが追撃の拳が次々とめり込み悲鳴すらも潰される。

 

「ッごは……ぐぼ…ッ……やめ……ッ!?」

 

 殴る。僕に拘束され避蹴る事の出来ないマジカロイドの顔面を、アリスは殴り続ける。

 絶え間ない打撃音。ひび割れた顔面から飛び散る血が僕の髪に降り注いだ。

 

「ぐはっ……がっ……離、せえええ!!」

 

 その時、絶叫と共に繰り出された強烈な膝蹴りが腹部にめり込んだ。腹を守る鎧が砕け、体の中で何かが潰れる感覚。激痛に呻けば唇からドス黒い血が溢れ床を染めた。

 

「ラ・ピュセル!?」

 

 激痛で一瞬遠のきかけた意識が、名を叫ぶアリスの声で引き戻される。

 見れば、アリスは紫の目を大きく見開き動揺して、攻撃の手を止め――いけないッ。

 

「攻撃を止めるなアリス!」

 

 血を吐きながら叱咤し、しがみ付く腕に力を籠める。

 それだけで体内に激痛が走り口から血が溢れ出るが、叫んだ。

 

「ぐぅ……ッこれが最後のチャンスなんだッ。私になんか構うな……」

 

 これが、僕がこのマジカロイド555を倒すために考えた作戦――いや実際はお世辞にも策とは呼べないだろう単純極まる力技。僕がこいつの動きを封じ、意識を失い変身が解除されるまでアリスが殴るというだけの、泥臭く暴力的で魔法少女のキラキラとした綺麗なイメージなど無い、でも僕らが出来るたった一つの勝ち方だ。

 だから、だからこそ

 

「たとえ死んでもこいつにしがみ付くから…ッ……君は意識を飛ばすまで殴り続けろ!」

 

 血に染まり叫ぶ僕の言葉で、アリスは再び拳を握った。

 

「……はい。殴ります」

 

 ギュッと、硬く握ったそれを振り上げ再びマジカロイドの頬へと打ち込む。

 先程よりも強く、一刻も早くその意識ごと殴り飛ばすため、血に染まる拳がマジカリウム合金の肌へと降り注いだ。

 

 

 ◇クラムベリー

 

 

「おーこれはそろそろ決着かぽん」

 

 眼下で繰り広げられる一方的なタコ殴りを前に、呑気に呟くファブ。

 絶対安全圏鷹から高みの見物を決め込む者ゆえの余裕と傲慢さの滲む声で、

 

「ま、中々に楽しめたし今夜は満足ぽん。後はマジカロイドの死に様でもせいぜい拝むとするぽん」

 

 満足げに呟く。

 だが、ともに眺めるパートナー――森の音楽家クラムベリーだけは、真意の読めぬ妖しい微笑を浮かべた。

 

「さて、それはどうでしょうね」

「クラムベリーはマジカロイドが勝つと思ってるぽん?」

「そうですね………。確かに今、ラ・ピュセル――颯太さんとハードゴア・アリスが優勢ですが、このままでは絶対に勝てません」

 

 優雅で麗しくも、冷徹な確信をもって魔法騎士の敗北を断じるその声に、ファブは内心で首を傾げる。

 

「うーん……そうは思えないぽんが……?」

 

 一方、クラムベリーは血に塗れたような赤い瞳で、観賞する。憐れむように、愛おしむように。

 かつて自らが死の寸前まで痛めつけ、そして最後まで彼女を■そうとしなかったラ・ピュセルの姿を。

 

「だって、颯太さんは――」

 

 

 ◇ラ・ピュセル

 

 

 全ては、一瞬で崩れ去った。

 アリスは更なる激しさでマジカロイドを殴り、僕は必死にしがみ付きその動きを封じた。

 けして完璧ではないが、それでも僕らが勝てるただ一つの戦法だから。たとえ振り解こうとマジカロイドがもがき暴れ、それを抑え付けるため力を籠める度に激痛が走り血を吐いても、耐える。勝つために。スノーホワイトを守るために。痛みと衝撃と疲労に耐えて耐えて耐え続けて、そしてこのままいけば勝てると確信した時――限界が、来た。

 

 ぶつり……と、体の中で見えない糸が切れるように、力が抜け落ちる。

 絶対にしがみ付いていなきゃいけない。そう思っているのに、意思に反して指が剥がれ、腕が離れ、木偶人形のように何も出来ず床に倒れる身体。

 

「ぐっ……あぁ……っ!」

 

 血を失い過ぎたか、体力が限界に達したのか。だが駄目だ。早く立たなくちゃ。立ってしがみ付かなくちゃ……マジカロイドが……ッ

 

「ッあああああああ!」

 

 そう思った時には、もう何もかもが遅かった。

 霞む視界に映るのは、解き放たれたマジカロイドが獣めいた叫びを上げてアリスを殴る光景。怒りと憎悪を込めた拳は頬にめり込み、頬骨の砕ける音を響かせアリスを床へと殴り倒す。

 

 まずい。まずいまずいまずい!

 

 全てが崩れ落ちていく。掴みかけたはずの勝利が、零れ落ちようとしている。

 絶望的な焦燥感が心を覆い尽くす中、同じ物を感じたのだろう仰向けに倒れていたアリスが上体を起こし――床に落ちていたショットガンを手に取った。

 その銃口をマジカロイドの頭に向け、細い指が引き金に掛かり――

 

 

 

 

 

 

 

 

 僕は、分かっていた。

 アリスがその引き金を引けば、弾丸がマジカロイドを撃ち、その脳髄を破壊することも。

 マジカロイドを殺し、この戦いが終わる事も。

 その引き金さえ引けば、スノーホワイトを救えることも。

 僕は、分かっていた。

 

 だから――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やめるんだアリス!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 僕は、止めた。

 

「……っ!?」

 

 その叫びに、アリスの指が止まる。止まった。

 それは時間にして、僅か一秒ほどの停止。

 

 

 

 

 

「リミッター解除――全機関解放」

 

 

 

 

 

 

 だがそれは、魔法少女が行動を起こすには十分な時間で

 

 

 

「視覚聴覚触覚及び各センサー精度上昇――動力部稼働率100……500……1000%突破――クロックアップ開始――」

 

 

 

 最後の勝機が潰える。

 希望が砕かれ、絶望が始まる。

 

 

 

「《アクセル装置》――起動!」

 

 

 

 音速の暴力が、全てを蹂躙した。

 

 マジカロイドの瞳が赤く太陽の如く輝き、一瞬でその姿がかき消える。

 次の瞬間、顎先を蹴り上げられる感覚。うつ伏せに倒れていた僕の身体はその衝撃で宙を舞い、中空で驚愕を浮かべた顔面に更なる一撃を受けた。

 今、殴られたのか? 何に?

 強烈かつ不可解な痛みと衝撃に慄きながら考えるも、分からない。――僕の瞳は何も捉えなかったのだから。

 

 困惑する僕を嘲うかのように、不意に赤い光が宙を奔る。同時にアリスの銃を握っていた右手が手首の先から消失。まるで無理矢理もぎ取られたかのような折れた骨と千切れた血管が残された切断面から血が噴き出す――間も無く、尻餅をついていたアリスの身体が僕と同じように見えざる何かによって中空に蹴り上げられた。

 その周りを再び奔る赤光。光が高速で飛び交う度にアリスの身体に衝撃と共に拳の形が刻まれ、足形が付き、伸ばした細腕が叩き折られ脚がもがれて腹を貫かれ柔肌が抉り裂かれ瞬く間に壊されていく。

 

「ま……さか……っ!」

 

 絶え間無く衝撃を与える続ける事で落下すら許さず宙に拘束する、余りに一方的な蹂躙劇。悪夢的なその光景を前に、ようやく理解した、

 霞む僕の視界に、マジカロイドの姿は無い。ただ、赤き閃光が闇に超高速の軌跡を描き乱舞するのみ。いや、それすらもおそらく残光に過ぎないのだろう――マジカロイドは、奴はその先にいるのだから。

 

 超高速移動。

 

 古今、古典SFから映画や漫画アニメそして特撮まであらゆる物語において登場し、そのシンプルながら強力な性能で時間停止に次ぐ最強格とされる能力。

 それこそが今の光景。不可視の――否、動体視力すら超える暴力の正体だ。

 だが、それが分かったとしても何ができるのか。おそらくは対策を思い付くまでの思考速度よりも早く僕たちを殺せるだろう、この超速の殺人機械に。

 

 そして実質十秒ほどでありながら永遠にも思えた蹂躙劇は、砂時計の砂が落ち切るようにあっさりと終わった。

 疾走する赤がふっとその速度を落とし、像を結ぶ。夜闇に現れるは――マジカロイド555。

 荒い息を吐き、空気抵抗によるものか本来は白いはずの全身が赤熱している。夜の闇に赤く浮かび上がるその背後ではほぼ肉塊と化したアリスがようやく落下し、遅れて全身から噴き出した血が装甲に当たり蒸発した。

 

「ハァッ……ハァ……ハッ…ハハハッ!」

 

 全身から血の蒸気を噴き上げ哂うその姿、まさに白い悪魔。

 

「ハァ……危なかった……ッ。ええまったく本当に死ぬかと思いましたよ! デスが、デスがッ――ワタシの、勝ちデス!」

 

 血塗れの笑顔で勝ち誇る。

 そして足を振り上げ、横たわるアリスを踏んだ。踏んだ。踏んで踏みつけ踏みにじった。

 肉を潰し骨を砕き、内臓をぐりぐりと執拗に。何度も何度も。

 

「死ににくいだけの雑魚が調子に乗ってえ! よくも好き勝手してくれましたねよくもよくもよくもぉッ! でも、でもねぇ、ワタシの方が強いんだよおお!」

 

 血と肉片をまき散らして狂笑するマジカロイド。

 その強大な能力よりも、悍ましい行為よりも、その己が力に飲まれた醜悪な笑みが、僕には最も恐ろしい。

 

「ゃ…めろ……マジカロイドぉ……!」

 

 余りにも凄惨なその光景が見ていられなくて、喉奥からこみ上げる血を吐き痛みに震える足で立ち上がる。

 マジカロイドの赤い瞳が、僕を見た。

 

「ふぅ……おやぁラ・ピュセル。止めるのデスかぁ…ハハッ…アナタが?」

 

 嘲りを含んだ粘つく声で

 

「よりにもよってアナタが、ねぇ……」

「なん、だと……どういう……意味だ?」

 

 問い掛けるもマジカロイドは答えず、ただ口元を吊り上げ――嘲う。

 そして溢れ出る、殺気。

 

 ――キィィィイイイイ……

 

 熱で赤く染まったボディ、その内部から甲高い音が鳴る。それは戦いを前にあらゆる機関と全システムが猛る唸り。再び蹂躙せんとする超速の殺戮装置の起動音。

 

「まあいいデスよ。止めたいというのならば止めてください。――この最後の秘密道具《アクセル装置》の超加速を」

 

 甲高いそれが最高潮に達した瞬間――

 

  ヒュンッ――

 

再びその姿がかき消え、音速へ至る。そして赤光と化し突っ込んできた。

 

「く――ッ!?」

 

 避けなければ。そう思った瞬間には衝撃が右頬に炸裂。回避する間もなくおそらくは殴られ、たたらを踏んで堪えようとするも、すぐさますれ違った赤光がターンを描き戻って来る。

 避けられぬならせめて迎撃しようと手元に出現させた剣を振るうが、刃が斬るのは虚空に残された残光のみ。赤熱する本体は僕が刃を振り切るよりも先に左頬を殴りつけていた。

 

「がっ…くそっ…速すぎる!? 赤いのは伊達じゃないか……ッ」

「遅い鈍いとろ過ぎます! その角は飾りデスか? ワタシを捉えたくばせめて三倍速く動きなさい!」

 

 嘲笑を撒き散らし赤光が躍る。翻弄しながら背中を蹴られ、仰け反る腹に打ち込まれる拳の感触。赤光が飛び交うその度に、体中に襲い掛かる目にも止まらぬ連続攻撃。

 それでさえ、痛みと衝撃でようやく攻撃を受けた事を知るのだ。

 横から迫るそれをせめて回避しようと飛び退けば、即座に軌道を変えた赤光が追撃し今だ滞空中の身体を攻撃される始末。

 

「どうしましたラ・ピュセル止まって見えるデスよ! まあワタシが速すぎるんデスがね!」

 

 避ける事も、捉える事すら出来はしない。

 高速のビジョン。超えていくスピード。全てが違い過ぎる。

 

「ハハッこればかりは使うのを躊躇ってましたが、こんなことなら最初から使っておけばよかったデス。手こずらされたあなた達をこれほど圧倒できるのデスから」

 

 勝ち誇る声すらも置き去りにして加速し続ける暴力の嵐。

 避けようとしても追いつかれる。まぐれでもいいから当たってくれと願い振り回す抵抗の刃は掠りもしない。頬を殴られ腹を蹴られただただ一方的に嬲られてしまう。

 くッ……駄目だ。このまま闇雲に剣を振り回してもいずれ――いや、すぐにやられてしまう。考えろ考えろ考えろ! どうすれば勝てるかどうすれば倒せるのか早く早く早く考え――

 

「だから遅いのデスよ!」

 

 殴られる。音速の痛みと衝撃に思考が飛びかけ駄目だ持ちこたえろじゃなきゃ

 

「おやおやそのままじゃすぐにやられてしまうデスよ!」

 

 すれ違いざまに蹴られバランスが崩れていくけど勝たなきゃ負けない負けちゃいけないんだじゃないとあの子があの子がスノーホワイトが

 

「手も足も出ない何もできないのなら――」

 

 勝ちたい。守りたいとそう思う。思うのに、逸る思考とは裏腹にこの肉体はあまりにも鈍重で音速の猛威を捉える事すらできず

 

「これで終わりデスねえ!」

 

 腹部を撃ち抜かれたかのような衝撃。思考速度よりも速く拳が鳩尾を直撃し、僕は吹き飛ばされた。

 口から悲鳴と鮮血を撒き散らし、何も出来ず、虚空を舞う。そしてこれまでの戦闘によって幾つも出来ていた瓦礫の山の一つに激突。

 無数の鉄とコンクリートを粉砕する痛みと衝撃に、僕の意識は闇に途絶えた。

 

 

 ◇スノーホワイト

 

 

 姫川小雪スノーホワイトは、岸辺颯太――ラ・ピュセルが好きだ。

 今までも、これからも、ずっと一緒にいたいと思っていた。

 友人として一緒にいてくれたから。相棒として助けてくれたから。そして男として、恋ををしたから。

 

 彼はいつも一緒にいてくれる。笑いかけてくれる。語り合ってくれる。守ってくれる。

 だから自分も、彼にそうしたいと思った。

 彼の助けになりたい、支えとなってあげたいと。けど……今の自分はどうだ。

 己を守るラ・ピュセルの鞘――その内部に満ちる闇の中で、スノーホワイトは涙を流す。

 

「……わたしの、せいだ……」

 

 その唇から漏れるは、悲しみに染まり後悔に震える嗚咽。

 鞘に隔ていられようと聞こえる、ラ・ピュセルの心の声への懺悔だ。

 光無き闇に響く声が、教える――

 彼がこれまで味わってきた恐怖を。スノーホワイトを守るためにその心を利用し欺いてきた事への自己嫌悪を。その苦しみを。その痛みを。

 

 己を殺しかけたクラムベリーを恐れていた。スイムスイムに命を握られ従わざる負えなかったことを嘆いていた。愚かな自分への憤りがあった。スイムスイムへの選ぶ道は違えど同じ夢を見る共感があった。逃がしてくれたたまへの感謝があった。そして、そのどれに比べても強く大きな――想いがあった。

 

 傷付けられて痛いと、戦いは怖いと、ラ・ピュセルの心が苦しんでいる。けど、それでも戦意だけは変わらない。負けたら困る。勝てなきゃ困ると言って、何度苦しみ痛めつけられようとも立ち上がるのだ。痛いのに、苦しいのに、怖いのにそれでも戦っている理由を、スノーホワイトは分かっていた。

 彼を死地に駆り立てているのは――私だ。

 死にたくなくて、でもそれ以上に、私を失いたくないから戦っているのだ。

 

 それなのに、私は――

 

 ――ごめんね。スノーホワイト。

 

「ぅ……ぅ……違うよぉ……」

 

 ――騙してごめん。嘘をついてごめん。君の優しさにつけ込んでごめん。

 

「ごめんって言うのは……わたし、だよ……」

 

 ――君を傷つけさせてごめん。怖がらせてごめん。泣かせてごめん。

 

「そうちゃんが、こんなに苦しんでいるのに、わたし、何も知らないで……っ」

 

 ――こんなことになったのは、きっと僕のせいだ。

 

「私のせいだよぉ……」

 

 そうだ。自分のせいだ。

 彼が秘めた苦しみに気付いてあげられれば、運命は変わったのかもしれない。

 自分は戦えないし、泣き虫で臆病だけど、それでも彼の傷つく背中を支えて、一緒に立ち向かえたなら希望は在ったのかもしれないのだ。

 

「助けられたかもしれないのに……力になれたはずなのに……ッ」

 

 なのに自分は、気付けなかった。

 連絡のつかなくなった颯太を心配して会いに行ってその憔悴した姿を見ておきながら。

 料理を作って話して、それで少しでも助けになれたなどと思っていたのだ。

 彼の笑顔の裏に隠された苦悩も知らずに……ッ。

 

 挙句、それを知ってもなお、己の中に彼への心配や懺悔とは別の想いがあるのだ。

 颯太に無邪気に懐くたまを羨ましがっている。

 颯太の唇を奪ったスイムスイムに嫉妬している。

 颯太に優しくされる亜子と言う子を疎ましく思っている。

 それは魔法少女のように清く正しくなんてない、女のあさましく醜い感情で

 

「わたし……最低だ……ッ」

 

 闇に木霊する、全てを知ってしまった少女の嘆き。

 すすり泣き、金の瞳から溢れ白雪の頬を濡らす涙の雫がいくつもいくつも地に落ちて。

 

 ふっと、闇に覆われていた視界が開けた。

 突如消失する鞘。硬く大きく堅牢なそれが幻であったかの様に消えた事で、破れた天蓋より降る月明かりがスノーホワイトを照らす。何事かと困惑するその金の瞳に飛び込んできたのは

 

「そうちゃん……!?」

 

 血に濡れた瓦礫の上に立つマジカロイド。そのマジカリウム合金の手に首を掴まれ吊り上げられた――『()()()()』の姿だった。

 




お読みいただきありがとうございます。
週末には上げると3週間前に言っていた作者ことのろまな亀です。はいごめんなさい。遅れに遅れたあげく例によって一万字超えたので中編として投稿する事となりました。
続きは年内には投稿できるようにしますのでお待ちください。


『ほんとのほんとに最終回予告』



地獄の門に曰く――この門を潜る者、全ての希望を捨てよ。



『――もしあの時に戻れたのだとしても、僕は同じ選択をする。勝ちたい。死にたくない。生きたい。でも、それ以上に僕は――僕たちは魔法少女でありたいんだ』

少年は戦う。理想を掲げて、己が夢見た魔法少女で在るために。

「ありがとうございますスノーホワイト。……あなたのおかげで私は、穢れた血でも生きていいのだと思えた。だからあなたのためなら、私は死んでもいいと思えるのです」

自分を穢れた血と呼ぶ少女は捧げる。その全てである恩人のために。

「ごめんね……そうちゃん……私……なんにもできなかったよ……」

二人に想われ、守られる少女は己が無力を嘆きそして――

「夢を見れば叶うとでも? 理想を語れば実るとでも? アナタ馬鹿ぁデスか現実見ましょうよ。今日日ガキでも知ってますよ。何かを成すために必要なのは夢でも理想でもなくただ一つ――『力』なのデスよ」

嘲笑うは力に溺れた少女。その音速の暴力は儚き夢を蹂躙し、現実を突きつける。

「しかし無慈悲な現実の中では、絶望的な力を前にしては、貴方の理想は所詮、儚く幼稚で現実性のない夢物語」

高みから全てを鑑賞する音楽家が目にするのは、果たして全てが救われる大団円か。

「や、やだよ……そん……なんで、こんな………ッ」

それとも何もかもが死に絶える惨劇か。

「スノーホワイトおおおおおおおおおおおおおおお!!」

魔法少女育成計画routeS&S

「ああ颯太さん貴方こそは正しく――《殉教の聖処女(ラ・ピュセル)》の名に相応しいですね」

次回 最終回

嘘じゃないよ! byうるる


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ぼくの誓った魔法少女(後編)

やべえ……やべえぽん……。
作者には文章を短くまとめる才能が欠落してるぽん。
ぶっちゃけ二万字超えちゃったけど許してぽん。


 ◇岸辺颯太

 

 

 首を掴まれ持ち上げられる感覚で、目を覚ます。

 気だるさと疲労感が重く纏わりつく,力が入らない体は半ば膝立ちの姿勢にされ、覚醒しきっていないぼんやりとした意識を、万力の如き強さで首を掴む手の、硬く、だが火傷しそうなほどの熱さが叩き起こした。

 

「っあああああ!?」

 

 熱い。まるで熱した鉄を押し当てられたかのようだ。高温の苦痛にもがき苦しむも、その手は決して離さず、僕は悲鳴を上げることしかできない。

 

「そうちゃん!」

「――ッ!? スノー……なんで……痛ああ…ッ」

 

 目を向けると、鞘の中にいるはずのスノーホイトの姿が。

 床にへたり込み、極細の糸にか弱い身体を縛られながら、蒼褪めた貌と震える瞳で僕を見ている。

 なんで、鞘が……っ危ないスノーホワイト。すぐに隠れるんだ……!

 祭壇に乗せられた生贄の子羊のように無防備な彼女に警告しようとするも、喉から絞り出した声は言葉とならず苦悶に消える。

 そんな僕を――奴が嗤っていた。

 

「ゼェ……ハァ……これはこれは……ハハハっ傑作デスね」

 

 マジカロイド555。

 先程よりも更に赤く染まったこいつが、何故か僕の顔をしげしげと眺め、愉快気に頬を歪める。

 

「前々からヅカ系を気取っているとは思っていましたが、まさかアナタが本当に男だったとは思いませんでしたよラ・ピュセル」

「っ……!?」

 

 くっくと喉を鳴らし嘲りを含んだその言葉に、はっと自分の身体を見下ろせば、そこにはあるべき魔法少女ラ・ピュセルの胸の谷間ではなく、見慣れたオレンジ色のパーカーとジーンズを着た中学二年生の――『岸辺颯太』の身体が。

 変身が解けている! 意識を失ったから…魔法も一緒に解除されたのか……ッ

 

「ち……っ」

「おっと変身などさせませんよ」

 

 咄嗟に変身しようとしたものの、意識を集中させるより先にマジカロイドがその手に力を籠め――ミシッと骨が軋むほどに首を絞められ意識は激痛にかき乱された。

 

「かはっ…げほっ…ごほっ!?」

 

 息苦しさに集中できず変身が阻まれ、激しくせき込む。

 窒息寸前にまで締め上げられ涙の滲む視界に映るは、獲物をいたぶる愉悦に歪む加虐的な笑み。せめてもの抵抗に睨みつけるが、マジカロイドは

 

「おやおやそう怖い顔をしないで欲しいデスね。そもそもこうなったのはアナタの自業自得でしょう? アナタがあの時、ワタシを撃ち殺そうとしたハードゴア・アリスを止めたから、ワタシはその隙にアクセル装置を起動できたのデスから」

 

 その言葉に、胸の奥がズキッと痛んだ。

 自らの手で勝機を捨てた後悔は確かにある。ああ分かっているさ。この事態を招いたのが僕であることぐらい。でも、

 

「しかし何故アナタはあの時止めたのデスか? あのまま勝てたのに? ワタシを殺せたかどうかは分かりませんが行動不能くらいには出来たかもしれないのに何故あんな真似を?」

 

 それだけは、できない。しちゃいけないんだよ。

 

「……あたり、まえだろ……魔法少女は、殺しなんてしないんだ」

 

 清く正しく美しく。それが魔法少女。

 それが、僕とスノーホワイトが夢見た存在だ。

 だから、己のために誰かを殺そうなんて、そんなのは違う。

 そんな奴はもう、魔法少女じゃない。

 ルーラ達に襲われたあの夜、キャンディーを奪われこのままでは死ぬしかないと分かっていても最後まで戦いを拒んだ――スノーホワイトの想いを穢してはいけないんだ。

 

「そんな理由ですか。そんなもので、せっかくのチャンスを無駄にしたと?」

 

 語った理想は、だがマジカロイドに嘲笑れた。

 

「ハハハッ――これは戦いデスよ。殺されたくなければ相手を殺して生き延びるしかない殺し合いに、そんな甘っちょろい考えで挑もうとは……呆れましたよ」

「だ、まれ……」

「ああ全くもって下らない。夢を見るのはそっちの勝手デスが、所詮、夢は夢でしかないのデスよ。この無慈悲でくそったれな現実(リアル)の前では何の役にもたちはしない。夢を見れば叶うとでも? 理想を語れば実るとでも? アナタ馬鹿ぁデスか現実見ましょうよ。今日日(きょうび)ガキでも知ってますよ。何かを成すために必要なのは夢でも理想でもなくただ一つ――『力』なのデスよ」

 

 黙れ。馬鹿にするな。

 お前に何が分かる。あの子の夢が、僕の理想がどれほど強くひたむきで切なる物かを、お前なんかに……ッ。

 

「僕は、お前とは違う。力に溺れて……正しく在ろうとしない……意識の低い魔法少女とは……ッ」

「力に溺れてデスか……まあそうデスねええその通り。ワタシは力に溺れているデスよ。この圧倒的なパワー。無限に溢れて尽きないこのエネルギー。これで溺れないわけがないじゃないデスか」

「俗物め……ッ」

「俗物大いに結構。まあたしかにワタシは碌な人間ではありませんし力こそ正義とは言いませんよ。デスがラ・ピュセル、アナタよりはましでしょう?」

 

 硝子の赤瞳が冷たく光る。

 冷酷で加虐的なその眼差し。捕らえた獲物をじりじりと絞め殺す毒蛇にも似たそれに、背筋に冷たいものが走った。

 

「なん……だと……」

「清くとか正しさとか上辺だけの言葉を掲げても弱いから誰も守れない。力が無いから何も出来ない。そのくせ誰も殺さずに全てを救おうだなんて甘すぎる願いを抱く。ああまったくどんなたちの悪いジョークですか笑えませんよ。こんなものに付き合わされた挙句ズタボロになったアリスには同情するデスよ」

「――ッ」

 

 滴る毒の牙のような言葉(あくい)。アリスへの罪悪感が胸を締め付ける。

 確かに、勝機を捨てアリスがやられたのは――僕のせいだ。勝機を捨ててでも不殺を貫くことを僕が選ばなければ、今も彼女は無事でスノーホワイトも助け出せただろう。

 ――けど、もしあの時に戻れたのだとしても、僕は同じ選択をする。

 勝ちたい。死にたくない。生きたい。でも、それ以上に僕は――僕たちは魔法少女で(ただしく)ありたいんだ。

 

 

 ◇クラムベリー

 

 

「――あの時も、貴方はそうでしたね」

 

 辛うじて残った屋根の淵に腰かけ、眼下の戦いを観賞する森の音楽家クラムベリー。

 血の赤に彩られたその瞳が、かつての夜に見た光景を思い出す。

 

「忘れもしない。いいえ、忘れようとしてもできるはずなどないあの戦いの最後で、貴方は私を斬りました」

 

 今でも鮮明に思い描ける。血の高揚と戦いの歓喜と共に脳裏に焼き付いて離れない、あの燃える様な瞳。硬く雄々しい切っ先で柔肌を抉られるあの痛み。

 

「この胸を裂き、血が飛沫となって噴き出る程に――しかしそれは、致命傷ではなかった」

 

 期待外れと思っていた者から受けた反撃の刃は、落胆していたクラムベリーを一転歓喜させた。まさにサプライズ。あの歓喜と興奮の中でなら、あるいは死ぬのも悪くなかったかもしれない。

 だが自分は死ななかった。剣を掲げて斬りかかるラ・ピュセルを見た時は確実に殺されるのだと思ったのに、死んでいなかった。

 あの状況ならば受けるのは致命傷であるはずなのに、真っ二つにされているはずなのに、

 

「剣の長さが足りなかったから? いいえ。貴方に限ってそれはありません。足りないのなら、その魔法で刀身を巨大化させ両断すればよかったのですから」

 

 ゆえに斬られた時、己の胴体が分かれていない事にむしろ呆気にとられたものだ。

 

「その判断力とセンスがあれば思い付かなかったはずは無い。反射神経、発動速度も十分に間に合うはず。なのに貴方はそれをしなかった――私を殺さなかった」

 

 その事実を認識した時、思わず嘲笑してしまった。

 

「なんと甘い。この期に及んで殺人を拒むとは、殺し合いにおける覚悟の無さに呆れましたよ」

 

 そして音で気を逸らし、首を掴み吊り上げた。

 ちょうど今、マジカロイドがそうしているように。

 

「ですが、貴方の目を見てそれが間違いであることに気付きました」

 

 声も出せぬほどに細首を握り絞められ、血を流し激痛に顔を歪めてもなお睨みつけてくる龍の瞳。その奥底で最も強く燃えていたのは、悪を倒さんとする正義感や敵にすら情けをかけようという慈愛の心――などでは無い。

 

「たしかに殺しに対する生理的嫌悪はあったでしょう。良心の呵責もあったのでしょう。ですが貴方が最後まで私を殺さなかった最も根源的な理由は、覚悟の甘さでも意思の弱さでもなく、まして倫理や道徳などと言ったまともな物ですらなかった」

 

 それは理性を凌駕し道理に背き生存本能すらねじ伏せる――全てを超えた渇望。

 

「――『理想の魔法少女で在りたい』」

 

 これほどの痛みと暴力を受けてもなお諦めぬその想い。理解を絶するその覚悟に、総身が震えたのを今でも覚えている。

 

「私がどれほど危険かを知り、絶望的実力差を悟り、まともに戦えば勝機など無きに等しく、ならば我が身とスノーホワイトの安全を考えれば絶対にここで殺すべき。それでも、貴方はその総てを承知した上で私を生かした。――己が理想とする正しい魔法少女は決して人を殺さない。ただそれだけの理想論(りゆう)で」

 

 これまでも、理想を掲げた魔法少女はいた。愛や正義と言った夢見がちな理想に燃えて己に挑みかかってきた者達など血に彩られた半生で何人も見てきたし、飽きる程に殺してきた。

 だが、これは違う。夢見がち程度では説明できない。もはやタガが外れている。

 これは、目の前にいるこの魔法少女は、倫理観の下に正気で理想を掲げてきた奴らとは明らかに異なるモノだ。

 

「長く魔法少女への夢を隠し続けてきた抑圧ゆえか、それともまた別の理由か、何が彼をそうさせているのかは分かりません。ですが、勝利よりも人倫よりも己が命にすら優先させて理想(ゆめ)を貫くその在り方は――もはや狂信ですよ」

 

 だからこそ、殺害という確実な方法ではなく、クラムベリーを殺さず倒すという選択をしてしまったのだろう。そうしてしまっては、己は理想の魔法少女ではなくなってしまうから。

 

「しかし無慈悲な現実の中では、絶望的な力を前にしては、貴方の理想は所詮、儚く幼稚で現実性のない夢物語」

 

 なんと愚直なのだろう。なんて哀れなのだろう。

 だが、嗚呼だからこそ、悪意に傷つき現実に踏みにじられても教義(りそう)にその身を捧げるのならば

 

「だとしても、その全てを承知してなおも己が信仰に殉じるというのなら、ああ颯太さん貴方こそは正しく――《殉教の聖処女(ラ・ピュセル)》の名に相応しいですね」

 

 

 ◇岸辺颯太

 

 

 マジカロイドは嗤う。

 

「さて、奪う事も出来ないくせに守りたいと泣いて喚くだけの清く正しい弱者と、何でもできて好きに奪える悪逆非道の強者。はたしてどっちがマシなのでしょうね?」

 

 僕の理想を。正しい魔法少女で在りたいと願う僕の夢を、弱者の戯言と断じて。言葉で嬲り、力で虐げ、夢も理想も凌辱する。

 力を信望する彼女と理想を信仰する僕。決して相容れない者同士が、己と異なる信仰を力で弾圧する――まるで異端審問だ。

 そこでは神の子もその使徒もそして聖女も、皆己が信仰を語り理想を説き、だが誰一人として理解される事無く異端の烙印を押され裁かれる。

 今まさに吊るし上げられている僕のように――

 

「まあとはいえ、そんな甘っちょろさのおかげで勝てたのデスから感謝しないといけませんね」

 

 ガチャリと、いつの間にかマジカロイドがその右手に持っていたショットガン――アリスから回収したのだろう――の銃口を持ち上げる。そしてそれを僕の胸―――心臓の真上に押し当て、

 

「だからせめてものお礼に、一発で殺してあげるデスよ」

 

 引き金に指を掛けた。

 それが意味するものに心臓が凍り付く。これが引かれた瞬間、胴体に大穴が空き僕は死ぬのだ。

 

「駄目っ……止めてマジカロイド! そうちゃんを殺さないでッ!」

 

 月下の処刑場となったこの場に、スノーホワイトの悲痛な叫びが響く。

 大切な人を喪ってしまう恐怖に震える涙声で叫びながら、華奢な身体を縛る糸から何とか抜け出そうともがくも、出来ない。むしろそのせいで擦れた糸が服を切り皮膚に食い込み、白雪の肌を赤く染める。その鋭い痛みに呻き涙を流すもスノーホワイトは止めない。僕を助ける為に、血を流し足掻いている。

 

「スノーホワイト……ッ!」

 

 嫌だ。駄目だ。僕は死ねない。あの子を残して死んではいけない。だってここで死んでしまったら次はスノーホワイトが、あの子が殺されてしまう。嫌だ。それは、それだけは、絶対に……ッ。

 

「は…な…せぇ…ッ」

 

 白い装甲に覆われたマジカロイドの腕を両手で掴み、力ずくで引き剥がそうとする。だが魔法少女の腕は人間ごときの力でなどびくともせず、むしろ嬲るように力を込められた。

 

「がッ……ぁぁ…っ…」

 

 機械の指先が喉に食い込むその痛みに漏れる、かすれた呻き。

 これじゃあ、あの時と同じだ。今だこの脳裏に恐怖と共に刻まれたあの夜。血と絶望に彩られたクラムベリーとの戦いと。

 あの時の僕は力に酔っていた。英雄願望で目が曇って冷静な判断が出来ず、命のやり取りだという自覚も覚悟も無く圧倒的な格上に挑んで――負けた。

 もし、スイムスイムに助けてもらわなければきっと僕はあの時に死んでいただろう。

 だから今回は油断も慢心も無く、一歩間違えば殺される戦いなのだと最初から覚悟して臨んだのだ。圧倒的な力の差があろうとも、最後まで諦めず全身全霊で勝利を掴んだたまのように。スノーホワイトを守るために、命を賭けて。

 なのに……くそ……ッ!

 

「おやおやそんなに睨まないでくださいよ。恨むならワタシではなく――」

 

 嘲る瞳が覗き込む。もがく僕の瞳の奥の、魂すらも嬲り穢すように。

 

「奪う事も出来ないくせに夢を見て、浅はかな命を落とす自分を恨むことデス」

 

 そして、引き金にかけられた指が無情にも動き――

 

 

 

 

 

 

「待って……ください……ッ!」

 

 

 

 

 

 突然に響いた声に、止められた。

 僕でもスノーホワイトでもないその声。

 目を向けると、

 

「アリス……」

 

 月光を浴びて夜闇に赤く浮かび上がる血だまりに立つ、ハードゴア・アリスの姿が。マジカロイドによって半ば肉塊になっていたその身体は既に人の形を取り戻し、紫の瞳が僕を見る。

 

「あなた……だったんですね……」

 

 僅かに見開かれたそこに驚きが浮かび、だがすぐに納得の色となった。

 

「やっぱり、あなたは………」

「え……」

 

 眩しい物を見る様な眼差しで呟くアリス。困惑するも、その意味を問う前にマジカロイドの苛立たしげな声が殺意を孕み響く。

 

「またアナタですか。いい加減しつこいデスよ」

 

 今だ僕に押し付ける銃口よりも冷たく剣呑なそれにアリスが向けたのは――懇願。

 

「どうか、その人たちを殺さないでください……」

「ハッ! 何を言いだすかと思えば……寝言は寝てから言うデス」

 

 未だ傷が完全には癒えていないのか蒼褪めた唇から血を垂らしながら言うアリスに、だがマジカロイドはやれやれと肩をすくめ一笑に付す。そして再び、引き金にかけた指に力を――

 

 

 

「――かわりに、私が死にますから」

 

 

 

 

「な……ッ!?」

 

 低く、だが悲壮な響きで紡がれたその言葉。

 僕が思わず絶句してしまった一方、マジカロイドは

 

「へえ……」

 

 その指を再び止めて、問う。

 

「アナタが、この二人と引き換えに命を差し出すと?」

「はい」

 

 躊躇いなく頷くその顔を、マジカロイドの赤い瞳がじぃっと見つめる。そこから何やらキューンと機械音がするのは、もしかしてセンサーか何かを使っているのだろうか。

 

「……なるほど、何故こいつらなんかのためにわざわざ死ぬ気になるのかは全くもって理解できませんが、どうやら本気のようデスね」

 

 ふむと呟いたのち、僕の首から手を離した。

 いきなり解放され、僕はそのまま床に倒れ込む。

 

「がっ……げほっ…ごほっ…はあっはあっ……!?」

 

 息苦しく涙が滲む視界。蹲り咳き込みながら、酸欠寸前だった肺に必死に空気を送り込んだ。

 アリスが心配げな眼差しを向けてくれるが、マジカロイドはそんな僕の様子など一瞥すらせず

 

「まあいいデスよ。こいつらを殺すのは簡単デスが、アナタは違います。不死身なんてチート持ちのアナタを今ここで殺せるのなら、これを逃しておく理由は無いデスし」

「それは本当ですか……?」

「ええ本当デスよ。まあぶっちゃけこの二人を殺して怒り狂ったアナタを相手にするのも面倒デスから」

 

 ため息交じりに言われたその言葉に、アリスは小さく安堵の息を吐いた。

 なんで……なんで、そんな表情が出来るんだ?

 

「交渉成立デスね。では、早速ですが変身を解いてもらえませんか。ああくれぐれも妙な真似はしないで下さいよ。その時はすぐにラ・ピュセルとスノーホワイトを殺しますから」

「はい。分かりました」

 

 それはつまり、自分が死ぬ事が決定したという事なのに。

 君は、なんでそんなに迷い無く、

 

「だ……めだ……アリス……ッ」

 

 長く絞めつけられたために息を吐くだけで痛む喉で、呼びかける。

 出会ってからまだほんの短い間だけど、それでもこの黒い魔法少女が素直ないい子で、僕と同じくスノーホワイトを心から想っている同志だと分かり合えたから。

 失いたくない。そう思い必死に止めようとした声はだが何も出来ず

 

「ごめんなさい……先輩」

 

 黒いドレスを纏う華奢な身体から光が溢れ、アリスを包み込む。

 これは変身を解除する光。途中でキャンセルすることは出来ないそれが頭頂部から下へと流れていき

 

「―――――え……」

 

 現れたその姿に、僕は言葉を失った。

 だってそれは、その黒髪は、月光を浴びて闇により白く浮かぶ色白の肌は、まだ幼さを残したあどけなくも儚げな顔立ちは、

 

「亜子……ちゃん……?」

 

 赤黒く濡れる血だまりの中に、あの子が――鳩田亜子がいた。

 

 

 ◇鳩田亜子

 

 

「そんな……君が……」

 

 明かされた黒い魔法少女の正体。それを目の当たりにしながらなお信じられないと目を見張る颯太に、亜子は静かに頷く。

 

「はい。私が、ハードゴア・アリスです」

「じゃあ、前に言っていたやらなくちゃいけない事って……」

「ずっと、スノーホワイトを探していました……」

 

 言って、白い魔法少女を向く灰色の瞳。

 

「私を……?」

 

 その言葉に、スノーホワイトは今だ縛られたまま困惑した。

 

「なんで……もしかして、私達どこかで会った事があるの?」

「……はい」

 

 どうやら覚えてはいないらしい。

 ……無理も無いか。自分と彼女が会ったのは失くした鍵を手渡されたあの時だけ。スノーホワイトからすれば数え切れないほどしている人助けの一つに過ぎないのだから。

 でも、それでも構わない。例え貴方の記憶には無くとも、あの時の記憶は感謝と共に自分の胸に刻まれているのだ。それにこうして魔法少女となってその恩を返すことが出来るという時点で奇跡のようなものなのに、それ以上を望むのは高望みが過ぎる。

 本心からそう思いながら、マジカロイドへと向き直る亜子。

 

「ラ・ピュセルに続いてアナタもこんな子供とは。……とはいえ容赦はしないデスよ」

 

 破れた天井から差す月明かりに佇むその儚げな身体を、ショットガンの冷たい銃口が捉える。

 獲物を食い殺さんとする獣の口腔にも似たそれを前に、だが亜子は微動だにしなかった。

 

「抵抗はしません。命乞いもしません。ですが、約束だけは……」

「ええ守りますとも。商売人たるもの誠実さがモットーですから」

 

 あまりにも淡々としたその会話。今まさに自分達のために殺されようとしているのに余りにも迷いの無いその瞳に、スノーホワイトは息をのむ。

 

「なんであなたは……ッ」

 

 その金の瞳に困惑と戦慄を浮かべ、

 

「そんなに……私なんかのために……」

 

 震える声で、問いかけた。

 

「――私は」

 

 亜子は答える。淡い唇が紡ぐ言の葉に、想いをのせて。

 

「かつて、自分が生きていてはいけない存在だと思っていました」

 

 思い出すのは、かつての絶望。母が死に、父親にすら突き放された少女が抱いた想い。

 その小さな胸を覆い尽くし、嘆き悲しむ度に膨れ上がり、遂には自分を押し潰そうとしていた物。

 

「誰にも必要とされない。誰の役にも立てない。迷惑をかけ続けるだけの存在だと。だから――死ぬ事にしました」

「……ッ」

 

 静かに語られる暗い過去に、スノーホワイトが目を見張る。

 

「あの頃は、ただ死ぬためだけに生きていました」

 

 一刻も早く確実にこの世から去るために叔父の睡眠薬を少しずつ拝借し、遺書も書いた。だがようやく致死量まで溜まりようやく死ぬると思った夜――家の鍵を無くしてしまったのだ。

 

「でも、出来なかった。」

 

 学校から帰り、これでようやく死ねると思った矢先の事に、亜子は絶望した。

 自室の机の中に隠した睡眠薬でひっそりと死ぬつもりだったのに、これじゃあ出来ない。恥知らずにもまだ生きてしまう。また迷惑をかけてしまう。鍵を必死に探して探してでも見つからなくて目の前が真っ暗になってしまった時――

 

「スノーホワイト――あなたに救われたのです」

 

 全てに絶望した自分の前に現れた白い魔法少女は、探していた鍵を手渡してくれた。

 差し伸べられたその手は白雪のように清らかで、誰かを助けられるのが嬉しくてたまらないという思いに溢れた優しい笑顔に、冷たく凍えていた心が温かく包まれるのを感じたのだ。

 何て清く、正しく、美しい人だろう。

 穢れた血の流れる自分とはあまりにも違う、清く尊いその姿。

 そしてなによりも、こんな自分にそんな笑顔を向けてくれる事が、嬉しかった。

 もはや、死にたいという気持ちなど無くなっていた。

 かつて神の子に出会い救われた人々もこのような気持ちだったのだろう。嗚呼、この人の力になりたい。この人のために――生きていきたい。

 

「思い出した……あなた、あの時の……」

 

 スノーホワイトの金の瞳に浮かんでいた困惑が理解の色となる。

 語った出会いの物語は、その記憶を呼び起こしたようだ。

 

「でもどうして……私は、たった一度だけあなたを助けただけなんだよ……ッ」

「たった一度でも、私はそれで救われました。それだけで十分なんです」

 

 最期に、この胸に溢れる感謝をあなたに伝えよう。

 

「ありがとうございますスノーホワイト。あなたのおかげで私は、穢れた血でも生きていいのだと思えた。だからあなたのためなら、私は死んでもいいと思えるのです」

 

 本当はもっとあなたと話したかった。あなたの傍にいたかった。

 でも、あなたにこの思いを伝え、その命を救えるのなら、これでいい。

 

「ッ……! アリスぅ……ッ……!」

 

 名残り惜しく思いながらも、涙ぐみながら引き止めるように名を呼ぶスノーホワイトからマジカロイドへと目を移し

 

「最後の会話は終わりましたか?」

「はい。……待っていてくれたんですか?」

「ワタシは卑怯者かもしれませんが鬼ではないデスよ。三分だけ待ってやるくらいの情けは有ります」

 

 余裕の笑みで語るそれは、勝利を確信した慢心ゆえだろうか。でも、ありがたいことに変わりはない。

 

「お気遣い感謝します」

 

 これから自分を殺す相手に律儀にも礼を言い――そして、最期の会話が終わった。

 

「礼は結構デス。ではこれで思い残すことは亡くなったでしょうし――心置きなく死んでください」

 

 亜子に突き付けられたショットガン。その引き金にかけられた指が、動く。死を放つ銃口を前に、小さな胸にふとよぎるのは岸辺先輩には結局なにも出来なかったという後悔。

 あの人には結局、最後の最後まで迷惑を掛けてしまった。もっと謝りたかったけどもう時間は無い。次の瞬間には、弾丸に穿たれ自分は死ぬのだから。

 せめて生きて、あの人――小雪さんと幸せになってほしいな。

 そう思いながら、最期の瞬間を受け入れるべく亜子が静かに瞳を閉じると―――

 

「駄目だ亜子ちゃん!」

 

 覚悟していた銃声の代わりに響く鋭い声。続いて金属同士がぶつかり、揉みあう音が鳴った。

 それに何事かと亜子は目を開き、見た。マジカロイドの腕にしがみ付き力ずくでショットガンを逸らす――ラ・ピュセルの姿を。

 

「なっ!? まだ邪魔するデスか!」

「痛ぅっ……やらせはしないぞ。絶対に……ッ」

 

 突然の、それも思わぬ邪魔に驚愕するのはマジカロイドも同じ。そののっぺりとした顔に苛立ちと怒りを浮かべ、ラ・ピュセルを引き剥がそうともがく。

 まさかもう一度変身するだけの力があるとは思わなかった。だってラ・ピュセルの身体はもはや傷だらけで、鎧はひび割れ服は破け、血を流していない箇所を見つけるのが難しい程の満身創痍。

 だというのに、なぜこの人は立ち上がる? 力むだけで唇から血が溢れ立つのもやっとのはずのその身体で、こんな自分のためになんでそこまでするのだ?

 

「やめてください先輩っ。先輩が死んでしまいます……!」

「やめ……ないさ……ッ。だって、このままじゃ君が死んじゃうだろ」

「それでいいです。スノーホワイトと先輩が助かるのなら、私は死んでも――」

「よくないッ!」

 

 血を吐きながらの一喝。

 夜気を震わせ鋭く響く激情に亜子は、いやスノーホワイトやマジカロイドですら気圧された。ラ・ピュュセルは言う。

 

「死ぬんだぞ! 死んじゃうんだぞ! 君みたいな子が! こんな所で!」

 

 亜麻色の髪を振り乱し、震える身体で必死にしがみ付いて

 

「それでいいわけないだろ! たとえ君がそう思っていも僕は嫌だ。だいたい……――」

 

 叫ぶ。血を流し傷つきながらそれでも捨てられない

 

「友達を死なせても生きたいだなんて、魔法少女が思っていいはずないだろ!」

 

 ――己が理想を。

 

 その姿に亜子は、この少年の本質を悟った。

 この人は、本当に《魔法少女》だ。ただひたすらに魔法少女が好きで、己もまた理想の魔法少女で在りたい人なのだ。

 たとえどれだけ脆く儚い、現実という苦難の前では容易く壊されかねない幼子の夢想だとしても、胸に抱いて傷つきながらそれでも理想の姿を求め足掻き続けるのがこの人の在り方(ロールプレイ)なのだと。

 

 なんて、なんて綺麗で――そして哀しくなるほどに痛々しい人なのだろう。

 そんなに傷だらけで、血を流して、いっそそんなものなど捨てて諦めた方が楽なのに。そうしない――いや、出来ない。きっとそれは、この夢見る少年には死ぬ事よりも辛いのだろうから。

 でも、それは――

 

「どこまでお花畑なんデスかアナタはッ!」

 

 怒りと侮蔑をこめマジカロイドが叫ぶ。

 

「綺麗事ばかりいつまでもぉ…ッ…いい加減にしなさいよ!」

 

 聞き分けの無い子供を折檻するようにラ・ピュセルを怒鳴り殴りつけ

 

「力も無いくせに! 弱いくせに! その理想とやらでは何もできないのデスから諦めなさい!」

「誰が……諦めるか……ッ。僕は魔法少女だ! スノーホワイトの騎士だ!」

 

 対して、たとえ勝てなくとも、倒すことは出来ずともスノーホワイトを守り抜くとラ・ピュセルは燃える瞳で語り、叫ぶ。

 

「逃げろ亜子ちゃん……ッ! 僕がこいつを抑えるから、君は変身してスノーホワイトを抱えて逃げてくれ!」

「そんな……ッ。それじゃ先輩が……」

「僕に構うな!」

 

 死んでしまう。そう言おうとしたのを悲壮な叫びが切り捨てる。

 

「僕はもとから死ぬつもりでここに来たんだ。だからたとえ殺されても、君とスノーホワイトが生き延びてくれるならそれでいい……ッ」

 

 そう語り、血に塗れながら彼は微笑むのだ。

 己が理想に殉ずる覚悟を決めたその表情は凄絶なまでの美しさ。それは蝋燭が消える瞬間の輝き、死に逝く者の美しさだ。

 

「嫌っ……やめてそうちゃん!」

 

 だが、それは皮肉にも彼自身が拒絶したアリスと同じ自己犠牲。ゆえに正しい魔法少女たるスノーホワイトが受け入れるはずも無く、金の瞳から涙を流し止めようとする。

 

「もういいよ……! 私だってそうちゃんを犠牲にしてまで生きたくないよ!」

「ごめん……でも僕は――」

 

 いやいやと拒むスノーホワイト。それを何とか説得しようとラ・ピュセルがスノーホワイトへ目を向けた――その瞬間、

 

「ッ離れろデス!」

「うわっ……!?」

 

 注意が逸れた一瞬の隙を突かれ、ラ・ピュセルは力づくで振りほどかれてしまった。

 もともと体力は限界に達していたのだ。それを気力のみで支えていたラ・ピュセルはもはやマジカロイドの全力を抑えきれるはずもなく、そのまま床に倒れた彼へと向けられる――銃口。

 

「アナタ目障りすぎデス。――死ね」

 

 その声は怒りと殺意に煮え滾り、マズルフラッシュと共に銃声が轟く。

 そして夜闇に赤く飛び散り咲いた血の花は、だがラ・ピュセルの物ではなかった。

 

「あ………」

 

 鮮血とそれに混じった肉片が、亜子の顔にべちゃっとかかる。

 だが、その不快な感触より生々しい温かさよりも、眼前の衝撃的な光景に目を見張る。

 その灰色の瞳に映るのは、発砲の瞬間ラ・ピュセルの前に割って入りその身を盾にして弾丸に貫かれた一人の魔法少女の姿。

 

「スノー……ホワイト……」

 

 亜子は、己が全身の血が凍りつくのを感じた。

 

 

 ◇ラ・ピュセル

 

 

 撃たれる。そう思った時、死への恐怖はあったけど後悔は無かった。

 もともと捨てた命だ。僕が撃たれる事で生まれる隙に、亜子ちゃんが変身したアリスがスノーホワイトと共に逃げてくれるならそれでいいと、そう心から思っていた。

 

 なのに、なんで……君が盾になるんだ、スノーホワイト……ッ。

 

 床に倒れた僕の前に、スノーホワイトが背を向け立っている。

 僕を守るように両手を広げて。僕の代わりに弾丸を受けて。

 

「大丈夫……そうちゃん……?」

 

 か細く震える声で問い掛け、崩れ落ちた。

 血を撒き散らして倒れるスノーホワイトを慌てて受け止める。

 その身体は、ゾッとするほど軽かった。それはつまり、あるべき体積がごっそりと抜け落ちたからで……

 

「スノーホワイト!」

「そうちゃん……怪我は、無い……?」

「僕なんてどうでもいいだろ! それより君の方が……ッ」

 

 おそらくは肌に食い込む糸から無理やり抜け出したのだろう。滑らかだったスノーホワイトの肌は傷つきズタズタで中には肉が削げ落ちている箇所まである。そして苦し気な呼吸に合わせて僅かに動く胸の下、弾丸を受けた腹部は……ああ、なんてことだ……ごっそりと抉れ、衝撃でグチャグチャになった赤い肉の間から砕けた骨の白が覗いている。

 そこから溢れる血が止まらない。白い服を赤黒く染めて、その度にスノーホワイトの身体が冷たく、軽くなって……ッ。

 

「あ、うあっ……駄目だ! 止まれ、止まって!」

 

 傷口に手を押し付け塞ごうとするけど、血は指の隙間から止めどなく流れ落ちていく。スノーホワイトの中から、命が消えていく……!。

 

「ごめ、んね……」

「なんで……なんで君が謝るんだよ……ッ」

「そうちゃん……苦しかったよね……辛かったよね……一人でずっと戦って……」

「それが何だっていうんだよ! だってそれは――」

 

 君のためだから。

 そう言おうとした僕は、けど

 

「私のせいだよね……」

 

 スノーホワイトが紡いだ声に宿る後悔と絶望、そして自分自身をどこまでも責め苛む思いに、言葉を無くした。

 

「違うスノーホワイト。そんなことは……」

「私の……せいだよぉ……コホッ」

 

 否定した唇から溢れる血。血の気の引いた口元を赤く染めるそれを慌てて拭う。

 

「駄目だ。もう喋らないで……ッ」

 

 懇願するも、スノーホワイトは言葉を紡ぐのを止めない。

 それはまるで、死に逝く身体に残る己が命そのものを声にして絞り出すかのように。

 

「私が気付けてたら……力になれていたら、こんなことにならなかったのに……ッ」

 

 僕を見詰める瞳から後悔の涙を流して

 

「ごめんね……そうちゃん……私……なんにもできなかったよ……」

 

 その涙は白雪の頬を濡らし、床に広がる自らの血だまりの中に落ちて――呑まれた。

 そして微かに動いでいた唇が、動きを止める。弱弱しくも紡がれていた言葉が、途絶える。

 

「スノーホワイト……?」

 

 その様に言い様の無い悪寒を感じ呼びかけるも、答えは無い。色の抜けた唇から漏れるのは、血の香りの交じる吐息だけで

 

「スノーホワイトっ……ねえお願いだ返事をしてよ!」

 

 どんなに語り掛けても、縋るように揺すっても、沈黙するスノーホワイト。――まるで、ただの死体のように。

 それがたまらなく怖くて叫ぶ僕に、温もりを失い冷たくなっていくその肌が、か細い呼吸が、どうしようもなく伝えてくる。僕の腕の中の女の子にはもう、声を出す力すら消え失せてしまったのだと。

 

「や、やだよ……そん……なんで、こんな……ッ」

 

 やめて。返事をして起き上がって声を出してくれよ。

 怒りでも罵倒でもいいから、僕に話しかけてくれよ。

 たとえ嫌われてもいい。君が生きていてくれるなら僕はそれでいいんだ。

 ねえ、お願いだよ――

 

「スノーホワイトおおおおおおおおおおおおおおおお!」

 

 

 ◇ハードゴア・アリス

 

 

 胸が張り裂けるような竜の慟哭が轟く。

 墓所にも似た廃工事の夜闇に木霊する悲しみと絶望の中――

 

「スノー……ホワイト……」

 

 亜子は、呆然と白い魔法少女の名を呟く。

 けど、返るのは冷たい沈黙のみ。その人は慟哭する竜の騎士の腕の中で、血と傷に塗れて死に逝こうとしているのだから。

 

「あ、ああ……――――ッ!」

 

 その事実に目の前が暗くなり、世界は色を失う。

 小さな胸を覆い尽くした絶望が殺意となるまで、刹那ほどもかからなかった。

 

 ――殺してやる。

 

 憎悪に滾る決意のままに変身。亜子――ハードゴア・アリスはせめて恩人の仇を討つべくマジカロイドへと向き直り

 

 

 

 

「ああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」

 

 

 

 

 その時、ハードゴア・アリスは地獄のような熱を感じた。

 それは爆発の如く激しく噴き上がり凄まじい勢いでこの場全てに吹き荒れる、熱さすら感じる程の激情。それは、地獄の底で燃え上がる業火の如き――憤怒の念。

 その凄まじい怒気に肌がひりつく。戦慄が止まらない。

 だがこれは直接向けられたわけでは無いあくまでも余波。だというのに肉を炙り骨をも焦がし魂すら焼き尽くされるかのような感覚を味わいながら、アリスはその発生源へと目を向け――燃え上がる竜を見た。

 

 

 ◇森の音楽家クラムベリー

 

 

 その時、森の音楽家クラムベリーは薔薇色の唇を吊り上げた。

 妖精の如き美貌を歓喜に歪め、血色の瞳を輝かせて

 

「ああ、やっと………やっと『それ』を外しましたか」

 

 他の魔法少女には聞こえなかっただろうが、音楽家の人ならざる耳は確かに捉えていた。総身から怒気を炎の如く噴き上げる竜の、見えざる枷が外れる音を。

 

「待ち焦がれていましたよ颯太さん。その清く正しく美しくも、目障りで忌々しいそれが外れるこの時を……」

 

 ようやく。嗚呼ようやくだ。

 彼が理想の魔法少女で在るために己自身にかけたもの。何よりも固く強くその魂に結ばれて、どれほど絶望的な戦いでも、死にかけるほどの暴力を振るわれようと、決して超えようとはしなかった最後の一線。クラムベリーが外せなかった――《不殺》の枷。

 

「――そして今、貴方はそれを振り払った」

 

 眼下からひしひしと感じる。なんと心地良い怒気。そして凄烈な殺意か。

 これほどの闘気を放てるのは、プロの戦う魔法少女でもそうはいないだろう。

 

「ですがまだです。まだ足りない……」

 

 これはあくまでも抑えうる限界を超えた怒りによって一時的に枷を外したに過ぎない。この戦いが終われば彼はまた己が殺意を縛り付け封じるのだろう。

 それは駄目だ。それでは困る。ここまで期待させて――あの夜のように二度も袖にされてはたまらない。

 

「どうか至ってください。堕ちてください。私の下へ。この私の世界(となり)へと」

 

 憤激する竜の騎士へ、森の音楽家は(こいねが)う。

 聖女を導く天使のように純粋に、地獄へと誘う悪魔の如く禍々しく。

 薔薇の唇が紡ぐ切なる祈りが、この血と怒りと戦いの果てに叶うことを願って。

 

 

 ◇マジカロイド555

 

 

 そしてマジカロイド555はその時、叩きつけられた怒気に圧倒された。

 余波ですらアリスを怯ませる怒りの奔流。熱く煮え滾る超密度のそれを真面に浴びて、マジカロイドはまさしく蛇に睨まれた蛙のごとく硬直し、震えて息を飲む。

 それも仕方がない。いかに圧倒的な力をえようともマジカロイド自身は非戦闘系の魔法少女であり、戦う者としては未熟すぎる素人に過ぎないのだ。ゆえに戦士ならば持つべき、相手の殺意や怒気を前にして心を保つ術など身に付けていなかったマジカロイドは成す術も無く気圧され、

 

「おおおおおおおおああああああああああッッッ!!!」

 

 怒号を上げて殴りかかって来たラ・ピュセルの拳を頬に受けた。

 

「がッ……ッ、ひぃ!?」

 

 爪が掌を突き破る程に固く握られていた拳の衝撃は凄まじく、それがめりこんだ頬の装甲が砕ける痛みと――そしてなによりもラ・ピュセルの凄まじい殺意に悲鳴を上げるマジカロイド。

 それでも反撃すべくショットガンを向けようとするもその銃身を横から殴られ、衝撃でショットガンは手から離れてしまう。再び床に墜ちたそれをマジカロイドは拾おうとするも、怒れる竜がそれを許さない。

 間髪入れず新たな拳が顔面を直撃、視界が白熱し痛みが弾ける。新たな悲鳴と共に鮮血を夜闇に飛び散らせながら、ラ・ピュセルは更に拳を振るい殴りつけてくる。

 柔肌ならぬ赤く熱したマジカリウム合金を殴りつける事で拳が傷つき血を流そうとも、凛としていた美貌を憤怒に染めて、その瞳を己が怒りで焼却した理性の代わりに殺意で満たしながら。

 

「うああああああああああああああ!」

 

 もはやその口から溢れるのは人の言葉ではない。

 それは怒りが悲しみが後悔が自責がありとらゆる激情が迸る――慟哭。

 

 

「先輩……ッ」

 

 あまりにも荒々しく、そして悲壮なその姿に、見つめるアリスの胸が痛んだ。

 あの優しくて、理想を追い求めた彼が、あそこまで誰かを殺そうとする。その姿がたまらなく辛く――哀しい。

 ああ、そうか………。だからマジカロイドを殺そうとした自分を、二人は止めたのか。

 小さな胸を締め付ける痛みと悲しみで、アリスはようやく理解した。大切な誰かが人の道から外れて堕ちるのは、ここまで辛い物なのだと。

 

 轟く慟哭の中、マジカロイドの全身を襲う攻撃は激しさを増し止まる気配はない。拳どころ蹴りや尻尾すらも使い、もはや全身を凶器にして殺しにかかるようなその暴力を受けるマジカロイドは

 

「ぐがッ、はッ……! くッ……やってられませんよ!」

 

 僅かな隙を突いて背中のランドセル型バーナーを吹かし宙に逃れた。

 拳の届かぬ中空で静止し荒い息をつくマジカロイドは全身がラ・ピュセルの攻撃で傷つき、致命傷こそ無いものの、肌を埋め尽くすような罅割れから流れる血が赤熱した装甲を更に赤く染めている。

 そして慄くその瞳には、今も手は届かずとも眼光だけで射殺さんとするかの如く己を睨みつけるラ・ピュセルへの恐れがあった。

 

 ……もういい。スノーホワイトは即死こそしなかったが虫の息だ。もはや何があろうとも助かるまい。そうだもう魔法少女一人を殺すという目的は達成したのだ。きっとあの殺人狂も満足するだろう。ならもうここで、こんな奴の相手をしてやる必要などない。

 

 そう結論し、そのままラ・ピュセルに背を向け更なる上空へと飛び立とうとした瞬間――豪と大気を呻らせる巨大な刃が横から迫り、慌てて回避しようとしたものの背中のブースターを斬りつけられた。

 深々と亀裂の入ったブースターはその機能を失い、成す術も無く墜ちるマジカロイド。

 

「ぐはっ…が…こ、こんな……まさかアナタ本気で、殺す気デスか……」

 

 受け身も取れず床に叩きつけられた彼女は戦慄する。

 なぜならば今の大剣の一撃は、それまでのように刃を寝かせた不殺の剣ではなく、己を明確に両断しようとしたもの。殺さずならぬ必殺の殺人剣。

 もし避けるのが後一瞬でも遅れていたら、自分は二つに断たれて死んでいた。

 その事実に体の芯が凍り付くような恐怖を感じ震えるマジカロイドの瞳に映るは――血に濡れた剣を握り、慟哭しつつ迫るラ・ピュセルの姿。

 

 逃がさない。絶対に殺す。どこまでも追いかけ追いつめ殺す殺してやる。

 

 もはや立っている事すらも不条理な程の満身創痍でありながら、全身でそう語る様は正に修羅。

 

「ひぃいいいッ!!」

 

 逃げられない。嗚呼きっとこいつはどこまで逃げても追って来る。自分を殺すためにどこまでもいつまでも永遠に。まるで逃れられぬ悪夢のようにッ。

 ならっ、だったら……ここでッ――――殺すしかない!

 

 死にたくない。その手でスノーホワイトを死の淵に立たせておきながらあまりにも身勝手ではあるが、ゆえに何よりも強いその想いが一時ではあるが恐怖を上回り、マジカロイドにその奥歯の下に仕込んだ最終兵器―――『アクセル装置』を起動させる。

 

 キュイィィィィィィイィ―――

 

 三度鳴る起動音と共に己の全機関が急稼働し、それによる熱で更に赤熱する身体。

 熱い。三度目とはいえ内部から熱せられるその感覚は筆舌に尽くし難く、まさに内臓総てが燃える様なオーバーヒート状態だ。

 そんな永遠にも感じる辛苦の時に耐え――そしてマジカロイドは超速の領域に至った。

 思考すらも加速させた己以外の全てが停滞する音速の世界の中、赤き閃光と化しラ・ピュセルへと疾走する。

 

 早く、一刻も早く殺さなければ……ッ!

 

 その心を満たすのは恐怖と焦燥。

 この一見無敵とも思える『アクセル装置』だが、その凄まじい性能ゆえに消耗が激しすぎるという弱点があった。全ての機関のリミッターを解除しボディが耐えられる限界まで稼働させるゆえにエネルギーの消費が凄まじく、またオーバーヒートによる苦痛は長時間使用すれば精神が壊れかねないほど、ゆえにマジカロイドはこの秘密道具だけは使用を躊躇っていたのだ。

 事実、既に二回の使用だけでもエネルギー残量は危険粋近くまで消耗している。

 そしてそれは現在も減り続け、起動できるのはこれが最後だろう。ゆえに

 

 殺す! 絶対に何としてもエネルギーが尽きる前に刹那を超えて殺す!

 

 

 必殺の決意を燃やし、体感時間の差ゆえスローモーションで動くラ・ピュセルの胴体を貫かんと突き出した貫手は―――虚空に突如出現した鞘によって防がれた。

 

「んなっ!? 」

 

 それは厚さはそのままにラ・ピュセルを覆い隠すほどの幅となって貫手を受け取め、主を守る――超高速をも超える固有武器の《瞬間展開》による防御。

 そして必殺を期した攻撃を防がれた驚きで一瞬動きが停止したマジカロイドへと、その隙を逃さず振り下ろされた大剣が襲いかかった。

 咄嗟に横に跳び避けるも、いかな超速とはいえ完璧に隙を突いたそれを躱しきることができず、左足の太腿を深く斬りつけられてしまう。

 

「痛ああ……ッ!?」

 

 悲鳴と共に血が噴き出る。最悪な事にそこは利き足だった。

 そんな苦しむマジカロイドに追い打ちをかけんと容赦無く繰り出される二太刀目の斬撃。それを何とか加速して躱すも、利き足のダメージによってその速度は明らかに減じている。

 

 一端距離を取り自己修復システムによる回復を待つか? 

 駄目だ。完治するより先にアクセル装置』のエネルギーが尽きる。こいつを殺せるのは、今この超加速の時の中しかない!

 

「――ッいきます!」

 

 内より焼かれるかのような熱に耐えつつ、マジカロイドは咆哮する竜へと殴りかかった。

 

「ああああああああああああああああああああああ!」

 

 対してラ・ピュセルには、もはや正常な思考など無かった。

 あるべき理性は荒れ狂う怒りに焼却され、守るべき倫理も殺意に呑まれ、正しくあろうとする意思すらも愛しい者がもうすぐ喪われる哀しみとそれを成した者への憎悪に狂った。

 嘆き叫び暴れ狂いながら、ラ・ピュセルは速度が落ちたとはいえそれでもなおゼロコンマを凌駕して襲いかかる超高速の攻撃を捌き続ける。

 だがその動きには、どう捌くか、どう対応するかという思考は無い。

 ただこれまで積み上げその身に沁みついた戦いの経験――もはや本能とも言うべき思考ならざる反射と、その身も魂も焼き尽くす《怒り(おもい)》によってラ・ピュセルは戦っていた。

 

 とはいえそれまでの思考速度によるロスが無くなったため渡り合えているのだから、却ってそれが幸いしたともいえる。しかしそれを喜ぶ理性などとうに無く、いや、そもそも彼の狂乱する思考はとうにただ一つの《問い》にのみ向けられていたのだ。

 

「なんで……ッ」

 

 轟く憤怒の慟哭に、初めて人の言葉が混じる。

 

「なんでだ……ッ」

 

 怒りと悲しみと憎悪がぐちゃぐちゃ混じり合い震える声が叫ぶその問いが向けられたのは、眼前のマジカロイドか、あるいは己か、もしくはこの残酷で不条理な世界その物への――

 

「なんでだあああああああああああああああああああああああ!!!!」

 

 

 ◇ラ・ピュセル

 

 

 スノーホワイトは――小雪は、僕が知る限り誰よりも正しい魔法少女だった。

 あの子が夢見ている魔法少女像は僕が目指していた物とは違うけれど、それでも誰よりもひたむきにそれを愛して、そうであろうとする小雪が――僕は好きだった。

 

 そしてこの狂った殺し合いで他の魔法少女達が命惜しさに次々と道を踏み外していく中で、マジカルキャンディーを奪われた君は自分が死ぬと分かっていても、取り返すために戦おうとする僕を拒絶した。拒絶してくれた。

 ……あの時、僕は君に『いいわけないだろ! 死んじゃうんだぞ!』と言ったけど、でも同時に嬉しかったんだ。

 だって、君は死の恐怖よりも友達を危険な目に合わせないことを、魔法少女として正しくある事を選んだのだから。

 正直、僕もいざ自分が死ぬとなったら同じ選択を出来るかどうか分からない。自分の命が助かるのならば誰かの命を危険にさらすことを選ぶかもしれない。

 

 だからこそ、君の言葉が何よりも眩しかった。その意思が本当に尊いと思った。

 だからこそ、僕もまた、君のためにキャンディーを捧げるという、正しい魔法少女として死ぬ事の覚悟が出来たんだ。

 きっとあの時初めて、僕は真に魔法少女として生きて死ぬ決意が出来たのだと思う。

 君が、僕を《魔法少女》にしてくれたんだ。

 

 だから、君には生きてほしかった。君は僕の憧れで恩人で――好きな人で、たとえ僕が死んでも君さえ生きていてくれるのなら、僕が夢見た《魔法少女》はいなくならないとそう思っていた。なのに……なのに……ッ

 

「なんでなんだよおおおおおおおおおおおおおおお!!」

 

 叫ぶ。

 それだけでズタボロの身体に痛みが走り何本か折れているだろう骨が震え口から血が溢れるがかまうものか。

 こんな痛みなんてあの子が死に逝こうとしている苦しみに比べればどうでもいい。

 

「なんでだ!? なんでスノーホワイトが死ぬんだ! あの子が誰かを傷つけようとしたか!? 誰かを悲しませたのか!? 違うだろ……ッ。あの子はただ、誰かの幸せのために頑張って、正しい魔法少女であろうとしただけじゃないか!」

 

 死んでいいはずはないんだ。あの子が死ななくちゃいけない理由なんてどこにもないんだ……ッ。

 なのにスノーホワイトは……。そして僕は……ッ!

 

「なんで守れなかった!? 何で救えなかった!? 何で僕は、あの子を! スノーホワイトを……ッ!」

「ガキだからデスよ!」

 

 不意に頬に炸裂する衝撃。防ぎきれなかったマジカロイドの拳が、僕を殴りつけた。

 だがその痛みよりも、その言葉が荒れ狂う胸を冷たく穿つ。

 

「アナタがいつまでも理想やらにこだわってたせいデスよ当たり前でしょ! だからスノーホワイトは死ぬしアナタは誰も守れないんデスよ!」

 

 さっきまであれほど否定した言葉が、スノーホワイトが倒れた今はどうしよく突き刺さった。

 

「いい加減目を覚ましなさいよ現実見ろよ! アナタの理想なんて幻なんデスよ! 全部全部間違ってるんデス!」

 

 それは肉体を壊せないなら心を折ろうという企みからの言葉だろう。でも、それは確かに僕の心の――最も深く大事な根源を揺さぶっている。

 

 間違っていた……のか………?

 

 僕はただ、正しい魔法少女であろうとした。

 アニメで漫画で映画で見た、弱きを助け強きをくじく、どんな悪を前にしても正しく在り、そして大切な人を守り抜く。そんな魔法少女に。

 だから僕は、クラムベリーの暴力にもスイムスイムの狂気にも耐えて決して屈せず、ここまで頑張ったんだ。

 だから僕は、マジカロイドを殺そうとしたアリスを止めようとしてでもそのせいでスノーホワイトが撃たれて血が出て倒れ死にそうになって………ああ違う違うんだそんなつもりじゃなかったんだ君を傷つけさせるつもりは無かったんだ僕はただ……ただ……ッ――魔法少女は正しくあるべきという、理想を信じていただけなんだ。

 

 それが……間違っていたのか?

 

 なら、なら僕が信じて、守ろうとしていたものは、ただの――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「理想の魔法少女? そんなものは――どっかの誰かが馬鹿なガキ共を釣るために考えた嘘っぱち(フィクション)でしょ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 あ、ああ………ッ!

 ああ………ッ!

 ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

「そんな! そんなそんなそんなウソだうそだ嘘だあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」

「嘘じゃありません真実デスよ! 嘘なのはあなたが今まで馬鹿みたいに信じてた――」

 

 涙が溢れる。壊れたみたいに止まらない。視界が滲み歪んでぐちゃぐちゃになって訳が分からなくなってでもマジカロイドは止まらずに騒ぎ続け黙れええええええええええええええええええ!!!

 

「アナタじゃ――ぐえっ!?」

 

 なおも罵るその首を掴む。そのスピードにもいいかげん目が慣れてきたから、攻撃を防御した際の隙を突いて捕らえられた。

 そしてもうこれ以上こいつの言葉を聞きたくなかったから、拳を叩き込む。その顔面を殴りまくる。

 怒りよりも憎悪よりも、このどうしようもない激情を何かにぶつけなければ気が狂ってしまいそうなんだ。

 

「黙れだまれ黙れええええええええ!」

「ぐ…がっ………ぁぁっ……ぎあっ……ッ!?」

「僕はずっと夢見ていたんだ! 魔法少女になりたくてでもなれなくてやっとなれたから正しい魔法少女であろうとしたんだ! それだけなのにただそれだけなのに何で僕が正しくあろうとすればするほど全部壊れていくんだよおおおおおおおおおお!?」

 

 今、飛び散っているのはどっちの血だろうか。僕が吐き出す血か、マジカロイドの顔面から溢れる血か。

 殴る僕と殴られるマジカロイド、この身体の内から何もかもが狂い壊れていく痛みはどっちの――

 

「正しくあろうとしたのが間違いなのか!?  それとも魔法少女になろうとしたことがあああああああいったい何がどこからどこまでが間違いなんだあああああああああ!?」

 

 狂乱する思考と激情のまま、僕はマジカロイドを振りかぶり床へと叩きつけた。

 

「ぐごはぁッ……!?」

 

 コンクリ―トを粉砕しつつバウンドし、どさりと床に転がるマジカロイド。

 手足がひしゃげあらぬ方向に曲がり、全身に走る亀裂から血を垂れ流して痙攣するもまだ生きている。ならば大質量で押し潰すべく、僕は再び剣を出し、それを10メートルほどに巨大化させ振り下ろした。――が、それは刃の軌道上に出現した10の魔法陣から飛び出た鉄筋によって防がれた。

 

「い、いやだ……ッ…わたしは……まだ、死ねない……ッ!」

 

 喉が潰されかけたからかひび割れた声で、それでも己を圧し潰さんとする刃を鉄筋で必死に支え抵抗する。

 血まみれでスクラップのような姿になってもなお、マジカロイドは生きようとしていた。

 スノーホワイトを殺そうとしておきながら。……でもそれが魔法少女として間違っているのか、僕にはもはや分からない。

 

 ああ、もう……分からない……分からないよ………。

 何が正しくて、何が間違っていたのか………。

 スノーホワイトを守るために誰かを殺すのが正しいのか。理想の魔法少女であろうとしたのが間違っていたのか。もう、ぼくには……なにも………――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「だめ…だ…よ………そうちゃん………」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――――――ッ!?」

 

 耳に届く、微かで、今に消えてしまいそうなほどに弱弱しい、でも確かに聞こえた――愛しい声。

 

 

 

 

「殺しちゃ……だめ………」

 

 

 

 降り返らずとも分かる。あの子が、横たわるスノーホワイトが、もうほとんど力なんて残ってないはずなのに、それすら吐息に変えて、語りかけているのだと。

 

「そうちゃんが……私たちが夢見た魔法少女はね……」

 

 道を見失いかけた僕に、それを示すために。

 

「清く……正しく……美しく……」

 

 魔法少女とは何かを、その命を懸けて

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「みんなを……幸せにする人……でしょ……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 ………ああ………。

 そうだ……そうだった……。僕たちは、魔法少女のそんな姿に憧れて、なろうと夢見たんだ。それが、その清く正しい在り方がたまらなく眩しくて――何よりも美しかったから。

 

「だから……ね……そうちゃんは、間違ってないよ………」

 

 確かに、スノーホワイトがこうなってしまったのは僕が理想を捨てなかったからかもしれない。でも、それでも……。

 

「そうちゃんは………そうちゃんはちゃんと……魔法少女だ……よ……」

 

 声が途切れ……消える。吐息はまだか細くも続いているので死んではいない。なけなしの力を使い果たし、完全に意識を失ったのだろう。再び声が聞こえる事は無いが、その意思は、誰よりも魔法少女だったスノーホワイトの言葉は、僕の迷い狂乱する心に確かな光をもたらしてくれた。

 

 間違いなんかじゃないんだ。

 ああそうだ。たとえ子供の夢に過ぎないのだとしても、清く正しく美しく在りたいという尊いその想いが――間違っているはずがない!

 

 心を覆う靄が晴れる。狂気が消えて理性が戻り、体の奥から湧き上がる怒りとは違う温かなぬくもり。

 目が、覚めた。

 今なら迷わず言える――僕の理想は正しいのだと。

 そして同時に、ようやく――何がこの結果を招いたのかを、悟った。

 

「ああ……そうか……こうなったのは、全部――――」

 

 そして僕は――大剣の柄を握る手に力を籠める。

 長大なる剣をしっかりと支え、マジカロイドを――圧し潰すべく。

 

「なっ!? ……ワタシを殺す気デスか!」

「ああ……そうだ」

「何故デス……ッ? スノーホワイトは殺すなと――」

「分かったんだよ。何なのか……」

 

 理想を貫く覚悟はあった。

 驕りは既に捨てていた。

 命を懸ける意味も、戦う理由も全て定めていた。

 そのどれもが間違いではなかった。僕は何も間違えてはいなかったんだ。

 だとしたら、正しい道を選んでされでもなおこの惨劇に至った全ての原因は――

 

 

 

 

 

「今の僕には、理想を貫き全てを守る力なんてなかったんだよ」

 

 

 

 

 

 そう。ああ認めよう。マジカロイド、お前の言葉もこれだけは正しかったのだと。

 僕にはただただ《力》が足りなかった。それだけの救いようが無い程にシンプルな話なのだ。

 もし僕にもっと力があれば、理想を貫き誰も殺さずみんなを救うことができただろう。マジカロイドを正面から打倒し、スノーホワイトを助けだすことが。

 いや、そもそも誰も巻き込まずにスイムスイムからマジカルフォンを奪い全てを解決できたかもしれない。

 でも、それは叶わず、スノーホワイトは傷ついた。

 つまりは全部、ああ全部――

 

 

 

「理想を叶える力の無かった、僕のせいなんだよ」

 

 

 

 誰も巻き込まないようにした。誰も殺さないと決めた。理想の為ならば、こうするしかなかった。

 それ以外の選択肢なんて無かった。だってそれが、僕が理想の魔法少女でいるための唯一の(route)だから。

 でも、その先に在ったのは――これだ。

 誰よりも守りたい女の子が死に逝こうとしている。こんな結末だ。

 

 

 

 いやだ。いやだいやだいやだ!

 僕が死ぬのはいい。けど、君が死ぬのなんて耐えられない!

 

 

 

 今ならまだ間に合うかもしれない。

 死んではいないのだから急いで病院に届ければあるいは、芥子粒ほどでしかない可能性、ほんの僅かな希望でしかないとしてももしかしたら――助けられるかもしれないのだ。

 だが、たとえ幸運にも一命をとりとめたとしても、生きていると知られたらマジカロイドはまた殺しに来るのだろう。こいつが生きている限り、スノーホワイトは命の危険にさらされるのだ。そしてこの恐るべき魔法少女からスノーホワイトを守り続ける自信は、僕にはない。きっといつか、スノーホワイトは殺されてしまう。

 

 だから僕はこれから――――『間違える』よ。

 

「誰も殺さないという理想を守ってスノーホワイトを死なせるしかないのなら――僕は、理想を捨てる」

 

 そう口にした瞬間、自らの心臓を引き千切るかのような痛みが胸を襲うも、歯を食いしばり耐える。己という存在のアイデンティティーそのものともいうべき物を切り捨てる苦しみはもはや死よりも辛いが、この決断に迷いは無い。

 魔法少女として絶対にしてはならない間違った選択だとしても、この瞬間に、理想の魔法少女でなくなるのだとしても。

 

 

 

 僕は、あの子を守る《剣》になると誓ったのだから。

 

 

 

 この命よりも、理想よりも大切な――ぼくの誓った魔法少女(スノーホワイト)を救うためならば

 

「お前を殺す――マジカロイド」

 

 宣言し、僕は更に剣を伸ばす。

 柄の部分はそのままに刃だけを拡大させ、ついには15メートルにも届くだろうそれはもはや剣というよりも白銀の巨塊。魔法少女の膂力をもってしても両腕にずっしりとくるその重量を支えるだけで、全身に刻まれた傷口から血が溢れ肌を濡らす。

 

「ぐっ……くぅ……ッ」

 

 力を込めれば体の内側が酷く痛み、これまでに幾度となく受けた攻撃で既に満身創痍の身体が悲鳴を上げた。

 それでも僕は渾身の力で剣を押し込めようとするも――出来ない。

 既に一トン近くあるだろう刃を、10本の鉄筋は軋みを上げながらも今だ受け止め続けているのだ。

 

「くうぅ……ッ絶対に、こんな所で死ぬものデスか………ッ! ワタシは……ワタシはあっ!!」

 

 血に塗れ罪を重ねながら、それでも生きたいと願うマジカロイドの叫びに呼応するかのように鉄筋が更にせり出し、刃を押し上げてきた。

 

「負ける……かッ。僕はあの子のために……ッ……お前を……ッ!」

 

 負けじと僕もまた剣に力を籠めるも、死に抗う思いを力に抗う鉄筋に徐々に押し返されていく。

 

「くっ……そぉっ……ッ!」

 

 腹に力を入れ、足を踏みしめ歯を食いしばっても、刃の後退を止められない。

 既に90度近くまで戻されて、このままでは完全に押し負けてしまう。スノーホワイトが死んでしまう!

 

 剣をもっと大きく重くできれば鉄骨ごと押し潰せるのだろうが、いくら魔法を発動しようとしてもこれ以上は大きくならなかった。

 僕の魔法の上限は自分が支えられる大きさまでだ。通常時なら更なる拡大が可能だが、今の満身創痍の身体では……これが限界なのか……ッ。どう頑張ってもこれ以上は出来ない。これが僕の限界で――――

 

 

 

「 知 る か あああああああああああ!」

 

 

 生まれかけた諦めを吹き飛ばす咆哮。

 喉奥から溢れた血が飛び散るがそれが何だ。

 震える体に力を籠める。血が噴き出そうが骨が軋もうが構うことなく。荒れ狂う意識を集中し――願う。

 

 更なる大きさを。全てを圧し潰す重さを。スノーホワイトの敵を倒す――力を!

 

 限界なんて知るものか。これが極限なんて誰が決めた。

 僕は知っている。こんな時にどうすればいいか。

 子供の頃から何度も見てきた。決して諦めないその姿に教えられた。

 自分の限界にぶつかった時、キューティーヒーラーは、マジカルデイジーは、ひよこちゃんは、僕が夢見て憧れた全ての魔法少女は――ッ

 

 

 

 限界なんて―― ぶ っ 壊 す ん だ !

 

 

 

 そして僕の思いが、限界を壊した。

 

 

 ◇森の音楽家クラムベリー

 

 

 クラムベリーは歓喜していた。

 待ちわびた瞬間の到来に。望んだ存在の誕生に。

 

「そうです。それこそが魔法少女です」

 

 その凪いだ魂を熱く震わせて、喜びに満ち満ちた笑みを浮かべ高らかに謳う。

 

「人は限界を超えられない。自らに定められた領域からは飛翔出来ない。己が限界に縛られた者でしかない」

 

 砕かれる鎖の音が聞こえる。新たなる強者の産声が聞こえる。

 

「ですが魔法少女とは、人を超えて不可能を可能とし、その思いで全てを超越できる存在――決められた限界など壊してしまえる者なのです。ゆえに――」

 

 ゆえに祝おう。祝福しよう肯定しよう。

 たとえ貴方がどれほど己自身の選択を間違いだと断じようとも。私が望み求め待ち望んだ――

 

「貴方は――貴方こそが魔法少女(きょうしゃ)です!」

 

 まるで恋人に語りかけるかのように声を弾ませるクラムベリー。

 その目の前で、銀の刃が膨れ上がり天へと伸びた。

 

 

 ◇◇◇

 

 

 その時、名深市に住むほぼ全ての者が同じモノを感じた。

 老若男女区別無く、獣も虫も草木すら、理屈でも経験でもなく生物的な本能で感じる――圧倒的な《力》の気配を。

 寝ていたものは飛び起き、室内にいる者は外に飛び出し、窓から、路上から、あるいはビルの屋上からそれを見た。

 

 夜天に突き立つ――銀の巨刃を。

 澄んだ月の光を浴びて、暗い夜空に白銀に輝くその威容。切っ先は雲に隠れて全長は分からず、されどその巨塔の如き幅と大きさに誰もが息を飲む。

 あれは何だ。何なのだ。男が女が若者が老人がその存在に圧倒され疑問を抱くも、答えなど得られない。あまりにも想像を超え、理解を絶していたから。

 

 ゆえにそれを唯一理解できたのは、同じように人ならざる者達だった。

 

 

 

「おいおいリップル。アレ見ろよアレ!?」

「言われなくてももう見てる」

 

 いつものように箒に乗って行動していたリップルとトップスピードは、上空からそれを目撃した。

 

「何なんだよアレは。銀ギラでバカでかくて………。あそこにあんなモン建ってなかったよな?」

「当り前だ。それにあれが建物だとしたら、こんな一瞬で建つはず無い。だとしたらおそらく――何かの魔法」

「だよなぁ……。くっそ、ここからじゃ何なのか分からねえ。もっと近くまで行って――」

「やめて。こんな状況によく分からない物に関わるなんて危険すぎる。それにあれは、何だかわからないけど――すごくヤバい気がする」

 

 

 

 無法に生きる暴力の権化、カラミティ・メアリは根城にするクラブの屋根からそれを眺め、獰猛に笑う。

 

「誰かは知らないけど、随分と派手な事をしてくれるじゃないか」

 

 しばらくは静観しようと思っていたが、これほどの盛り上がりならばそろそろ混ざるべきなのかもしれないと。

 

 

 

「あれは、何なのでしょう……」

「分からない」

 

 自室の窓から見える銀の威容を不安げに見つめるシスターナナを、その傍らにナイトの如く寄り添うヴェス・ウィンタープリズンは優しく抱き寄せた。

 

「けど、あれがたとえ何であろうと、私は君を絶対に守るよ。シスターナナ」

「ウィンタープリズン……」

 

 

 

 そして、王結寺に集う魔法少女達は、一目でその輝きの正体を理解した。

 その清廉なる銀の輝きを、それをただ一人振るう騎士を知っていたから。

 

「すげー……」

「マジでけー……」

「あれは……剣だよね。あれってまさか……」

 

 揃ってあんぐり口を開けるピーキーエンジェルズと、その正体を悟ったたま。

 一方、夜天を貫く巨刃を静かな瞳でじっと見つめるスイムスイムは

 

「ラ・ピュセル……」

 

 小さく、その名を呟いた。

 

 

 

 それは、一人の少年の思いが成した奇跡。

 決められた限界を壊し、成長した魔法。

 もはや限界など無い。その剣は、彼が望む限り無限に拡大する。

 それは理想を棄てた少年が、それでも成さんとする誓いの顕現。

 それは愛しい少女を守るために、彼女を害さんとする敵が何処にいようと世界の果てまでも届き断ち斬る――万里断つ無限の剣。

 その名は――――

 

 

 

 《ぼくの誓った魔法少女-unlimited sword extend-》

 

 

 

 ◇ラ・ピュセル

 

 

 限界を超えて拡大した剣の重さが、一気に圧し掛かる。

 支えられる限界を超えた超重量を強引に支えるその負担は、僕の身体を容赦なく壊していった。

 握る腕の筋肉がブチブチと音を立てて千切れていく。骨が軋み罅割れ、幾つかは耐え切れずに折れた。踏ん張る脚も足首までが床に埋まり、いずれは自重で潰れるだろう。

 これが限界を超えた代償。許容量を超えた力は己自身に牙を向く。

 だがこれなら――殺れる!

 

「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」

 

 筋肉を千切らせいくつかの骨を犠牲にして、大剣を振り下ろす。

 鉄筋がそれを阻もうとするが絶望的重量に敵うはずも無く、刃はその全てを潰して落ちていく。

 そして、マジカロイドは――

 

 

 

「おっちゃ――」

 

 

 

 その瞳を絶望に染め、最期に何かを口にしようとして――超重量に押し潰された。

 

 天が堕ちたかのような轟音と振動。それは全てを揺らし、ただでさえ朽ちていた廃工場の一部が耐えきれずに崩れ落ちる。それはほんの一瞬の事だったが、まるで永遠のようにも感じる程の衝撃だった。

 それが治まった時、僕はようやく剣を消す。

 すると一気に疲労感と脳内麻薬で誤魔化していた痛みが押し寄せ、倒れ込みそうになるが何とか耐えて、前方に目をやった。

 

 そこには――超重量による破壊の爪痕が在った。

 刃が突き破った壁は崩壊し、そこから外のアスファルトを超えて郊外に広がる田園地帯の果てまで、深い陥没が一直線に刻まれている。目を凝らせば近くの山にはちょっとした谷が出来ていた。

 

「我ながら……すごいな……」

 

 ここが郊外で、向こう側が人家の無い田園地帯でよかった。これならきっと、巻き込まれた人はいないだろう――一人を除いて。

 マジカロイドがいた場所には、人の形をした物は無かった。

 在ったのは潰れた肉片と砕けた骨が飛び散った血だまりだけ。

 あのくすんだピンク色は脳髄だろうか。ならその近くにある白い粒は歯で小さな肉塊は舌か……。

 それが今際のきわに何を語ろうとしたのかは分からない。最期の言葉すらも言い終える前に――僕が殺したから。

 

「うぷっ……!?」

 

 喉の奥から血と一緒にこみ上げる物を、口を手で押さえて耐えた。

 口の中に血と吐しゃ物の香りが充満する。気持ち悪い。人を殺した生理的嫌悪が止まらない。

 けど、駄目だ。

 こいつを殺した僕は、僕だけは絶対にそれをしてはいけない。

 ここで罪悪感のまま全てを吐き出してしまえば楽になるだろうけど、僕は――目をギュッと閉じ、こみ上げた物全てを呑み込んだ。

 

「――ッはぁっ……はぁ……ッ!」

 

 膝に手を突き呼吸を整え、口を拭う。口元を抑えていた手には、僅かに漏れた吐しゃ物が血と混じり合いこびり付いていた。

 

「スノー……ホワイト……」

 

 それを拭うことなく、僕は歩き出す。

 あの子の下へ。誰かを殺してでも僕が守りたかった、誰よりも愛しい子の所へ。

 

「はやく……連れて行かなくちゃ……病院に……」

 

 もう無事な骨の方が少ないけど、足だけは折れていなくてよかった。

 

「助けるから……ぜったいに……死なせるもんか……きみを……ッ」

 

 

 壊れかけの身体を引きずるように、床にぼたぼたと血を垂らしながら進んで……進んで……そしてようやく、僕はスノーホワイトの傍まで――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「先輩…っ…ごめん……なさい。………スノーホワイトは……もう…っ…――手遅れ、です……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――――え?」

 

 紫色の瞳から涙を流し、喉を震わせるアリスの足元に――彼女はいた。

 いつの間にか変身は解けたのか私服姿で、動かずに、横たわっている。

 その肌は最期に見た時よりもずっと白く、血潮の色が抜け落ちて。

 その薄く開いた目には――もうほとんど、光が無かった。

 

「スノー……ホワイト……?」

 

 名を呼ぶ。返事は無い。

 

「小雪……?」

 

 幼馴染の名前で呼んでも、その唇は――動いてくれない。

 

「そ……んな……」

 

 全身の血が凍り付いたかのような感覚。視界がぐらりと揺れる。見えざる支えを失ったのように僕の身体から力が抜け、僕は前のめりに倒れた。

 変身が解け、同時に激痛が襲い血を吐き散らす。

 変身中に受けたのは殆どが致命傷だったのだ。当然人間の方の身体も無事では済まず、目立った傷は無くとも中身は――もう壊れている。

 

「がはッ……! げっ……ごはっ…ああああ…ッ!」

「先輩!」

 

 止めどなく溢れ出る血で床を濡らしながら、僕は震える手を伸ばした。

 

「こゆ……き……」

 

 血に塗れた指で、床に力無く投げ出された彼女の手へと

 

「こゆきぃ………ッ」

 

 触れたくて、あの子のぬくもりを感じたくて……僕は……

 

 

 

 ――私子供の頃からずっと魔法少女に憧れてきて、やっとその夢が叶ったんです! だから理想の魔法少女を目指したいんです!

 

 

 夢を語る君の笑顔に心を奪われた……

 

 

 

 ――……小雪が止めても行くよ。

 ――駄目だよそんなの!

 ――もし……うまくいかなかったら僕のキャンディーは全部小雪にやる。

 ――駄目! 絶対行かせないから……

 

 

 

 奪われたキャンディーを取り戻すために戦おうとする僕を引き止めたきみの力強い優しさを、本当に眩しく思ったんだ……

 

 

 

 ――小雪って昔から泣き虫だったよな。誰かが喧嘩してると関係ないのに泣き出したりして。

 ――争い事は……昔から嫌い。

 ――うん。だから小雪がすごく辛いのも分かってる。でも頑張ってほしいんだ。

 ――はい。

 

 

 

 君は優しいから……そんな君に……傷ついてほしくないから……僕は……

 

 

 

 ――……そうちゃんがいれば、私頑張っていけそう。

 

 

 

「こ……ゆ……きぃ…」

 

 声が、うまく出せない……。

 寒い……身体から……熱が消えていく……。

 音がだんだん聞こえなくなって……目の前が、暗く……暗く……。

 ああ……きみが……よく見えないよ………。

 

ゆ……き…………

 

 声を、聴かせてよ………

 君に、触れさせてよ………

 僕はね……君のぬくもりが………大好きなんだよ………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そぅ……ちゃ……………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 伸ばした手が、落ちる。

 視界の全てが闇に包まれ、熱も思考もそして光も何もかもが喪われていく。

 その中で微かに聞こえた声は……すぐに潰えた。

 そして……僕…………も………―――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 こうして、理想に生きて、だが誰も守れず何も成せなかった《ラ・ピュセル》という魔法少女は

 

 

 

 死んだ。

 

 

 




お読みいただきありがとうございます。あけましておめでとうございます今年もよろしくお願いします作者です。

なぜ年内には完結させる(キリッ)と言いつつ新年のあいさつをしているかといえば、長くなりすぎて余裕で年をまたいでしまったからです。ふふふ……おかしいなあ作者の脳内では一万字くらいで収まるはずだったのになあ……(白目)。その謎を解くカギは作者の文章構成力のゴミカスさですね分かっております。

とはいえ何とかお届けする事が出来ました最終話完結編。作者は自分の物語を読む人が少しでも幸せな気持ちになれいいなあという気持ちでいつも書いてます。だからきっとこのあとがきもみんな笑顔で読んでくれているのでしょうねウフフ(*´ω`*)
……あら何故かしらどこからか殺気を感じるわ?
ですかこの後はまだエピローグが残されております。書きあがり次第上げますのでしばしお待ちください。

ちなみに今回のおまけはマジカロイドこと安藤真琴の短編です。時間軸的にはマジカロイドが秘密道具のコピー弁当を使用してから555になる間にあった一幕です。
ぶっちゃけ作者は幾多のまほいくカプの中でもこの二人の組み合わせが大好きなんですよ(笑)


おまけ


「……と……ちゃん……」
「んぅ………」
「起きなよ。真琴ちゃん」

自分の名を呼ぶ馴染みの声に、安藤真琴は微睡から目覚めた。
起き抜けのぼうっとする頭で寝惚け眼をこすり、欠伸をしたところで自分が寝ていたのがたまに帰る自宅のベッドでも友達の家でもなく、段ボールハウスに敷かれた布団の中だと気付く。

「あれ……私……なんでこんなとこ……っうぅ……気持ち悪い」

突如襲いかかって来た吐き気と頭痛に呻くと、ダンボルハウスの入り口から顔をのぞかせていた口髭のダンディな男――真琴が親しく付き合っているホームレスのおっちゃんは呆れた表情で

「覚えてないのかい? 真琴ちゃんは昨日の夜――いや日付はもう変わってたか――いきなりやけに上機嫌で訪ねてきてそのまま俺と酒盛りしたんだぜ。なんかお祝いだの幸運のおすそ分けだってどっさりと酒とつまみまで持ってきて……」
「ぅ……あ~思い出してきた……。そういえばそうだっけ……」
「そうとも。そんでそのまま酔いつぶれて寝ちゃったんだよ。で、そのまま外で寝てたんじゃ風邪ひくだろうから俺の寝床に運んどいたってわけだ」
「あっちゃ~……そりゃあ世話掛けたね……――うぷっ!?」
「だからあんなにかっぽかっぽ飲むもんじゃねえって言ったろ。――ほれ、水飲み場から組んできた水」
「ごくっ…んくっ………ぷはぁ……。ありがと……」

受け取ったコップに入っていた水を喉に流し込み、少しは気分が落ち着いた真琴は、ふと自分の格好を見る。多少は乱れているがたぶん寝ている間に身じろぎしたためだろう。それ以外には怪しい――たとえば悪戯されたような痕跡は無かった。

「おっちゃん意外と紳士なんだね」
「おいおい見くびるなよ。おっちゃんは見ての通りホームレスしてるが、性根まで堕ちちゃいねえさ。寝ている女の子に乱暴なんてしねえよ」
「ふーん……」

実を言えば、こうしておっちゃんの寝床の世話になったのは初めてではない。
たとえばホテルやネットカフェに泊まる金も無く、頼れる友達も見つからなかった時、何度かここで寝かせてもらった。
でも、今もそうだが何かをされたことは一度も無い。
自分は女で、おっちゃんは中年とはいえ中々にガタイがよく、力ずくで迫られたら抵抗なんて出来ないというのに。

「おっちゃんて不能なの?」
「ぶっ!? 女の子がなんてこと言ってんだ!」
「いたっ!? 叩くことないじゃんかよ~」
「うるせえ。真琴ちゃんが馬鹿なこと言うからだ」

ぽこっと叩かれたせいでずり落ちたニットキャップを直していると、おっちゃんはやれやれと腕を組み

「だいたいなあ。若いもんが朝っぱらから俺みたいなのと付き合ってるなんて駄目だぜ。真琴ちゃんくらいの若者ならほら、こう自分の夢を追いかけて同じくらいの連中たちと頑張ってる年頃だろ」
「うわ説教とか親父臭いよ」
「まあオヤジだからな。とにかく真琴ちゃんにはなんかないのか? そういう夢みたいなの」
「ん~~……特にこれといったのは無いかな。ぶっちゃけ金は無いけど現状にはそこそこ満足してるし」
「これが今どきの若者って奴なのかねえ。おっちゃんがこうなる前の若い頃は自分の夢に向かって我武者羅に突っ走ったもんなんだがなあ」
「や、私はやりたい事しかやらない主義なんで……。ていうかおっちゃんホームレスしてんじゃん。それって夢を追いかけて大失敗したってことじゃん」
「ぐうっ!? 痛い所を容赦なく抉るね真琴ちゃん。……まあ実際そうなんだけど」
「ほら、夢のために頑張っても報われないんじゃ結局くたびれ損じゃん。だったら夢なんて無くていいよ」
「まあ確かにくたびれ損なんだけどな」

真琴の言葉におっちゃんは溜息を吐くと――ふと、遠い目を浮かべた。

「でもな真琴ちゃん。確かに何も得る物は無いかもしれない。疲れるだけかもしれない。けど、それでも夢のために頑張ってる間ってのはすげえ楽しいんだよ。どんなに大変でしんどくても、『生きてる』って感じがするんだ。それを知らないままってのは、もったいないぜ」

そしてニカっと笑い、大きな掌で真琴の頭を撫でる。

「だからな、真琴ちゃんにはどんなにささやかでもいいから、なんか一つ夢を見てほしいと思う訳よ」

まるで、父親が幼い子に語り掛けるように。
そう穏やかに言うおっちゃんに、真琴は

「おっちゃん。女の子にいきなり触るのはセクハラだよ」
「容赦ないなホントに!?」

慌てて手をどけるその姿が可笑しくて、クスリと笑みが零れる。
親しいとは言っても、自分とおっちゃんは別に男女の関係ではない。
ただ気が向いたら会って、一緒にすごして別れるだけの間柄。
けど、野良猫と野良犬のじゃれ合いじみたこの関係が――なんとも心地よかった。

「ふふっ……ねえおっちゃん。今ね、一つだけなら夢ができたよ」
「おっ。言った傍からいきなりだな。まあ聞かせてくれるかい」

やりたいことというよりも、そうなったらいいなというものだけど

「おっちゃんとずっと、こんな風に過ごしてたいなあ………ってね」

うん、おっちゃんとこうしてたわいも無い話をして、何をするわけでもなく穏やかに過ごす。
こんな日々がずっと続けばいい。それが自分の夢でいいや。

満足げに一人頷く。そんな真琴に、おっちゃんは

「え、つまりおっちゃんと結婚してくれるの?」
「いやそれはないから」
「ひでえ!? 今のはどう聞いてもプロポーズだろ!」
「いや自意識過剰だから。大体おっちゃんタイプじゃないし。私を嫁にしたけりゃ億万長者になって出直して来いだし」
「真琴ちゃんはおっちゃんに恨みでもあんの!?」

容赦なさすぎる言葉の暴力にガックリと膝をついたおっちゃんだったが、しばらくすると気を取り直したのか

「まあ、何はともあれ真琴ちゃんに夢が出来てよかったな。じゃあお祝いに豪勢な朝飯を奢ってやるよ」
「え、それは嬉しいけどおっちゃん金ないじゃん」
「心配すんなって。釣り竿一本あればすぐに魚料理が用意できるから」
「って要するにいつもの釣り魚じゃん……。まあいいや、じゃあ私もついてくよ」
「お、珍しいな。でも真琴ちゃん、たしか前にアイナメを釣った時にもう二度と釣りなんてするもんかって言ってなかったっけ」
「ふっふーん。今日の私は一味違うから。たぶん高級魚とかバンバン釣っちゃうよ」
「おいおいなんかすごい自信だな」
「今の私の運は人生最高だからね。なんたって幸運の契約書にサインしたから」
「なんだそりゃ? 何だかよくわからねえが変な契約するとロクな事にはならんぜ。いやマジで……うん……ホントになぁ……」

なにやら妙なトラウマが刺激されたのか、死んだ目でブツブツ呟くおっちゃん。

「いいから早く行こうよっ。おっちゃん」

そんな彼にはお構いなく、真琴は晴れやかな笑顔で言った。
もしたくさん釣れたら、今日は日ごろの感謝を込めて特別に自分が手料理を作ってあげようかなと思いながら。


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ラ・ピュセル

やあやあお待たせ。泣いても笑ってもこれでエピローグぽん。でも怒るのは無しぽん。いやマジで。

ではではさっさくご覧くださいぽん。これぞ作者一世一代のちゃぶ台返し。ラテン語で言えばアクタ・エスト・ファーブラ!(←違う)


 ◇スイムスイム

 

 

 夜闇に佇む、うち捨てられた廃寺――王結寺の堂内は重い空気に包まれていた。

 張り詰めた沈黙の中、燭台の揺らめく明かりに照らされて闇に浮かぶ魔法少女達――たま、ユナエル、ミナエル。彼女らの人ならざる美貌には一様に不安と緊張が浮かび、今だ受けた衝撃から立ち直れていないようだった。

 

 ……無理も無い。

 その姿を上座から眺めるスイムスイムは、あらためて思う。

 今日という日はあまりにも波乱に満ちていた。

 魔法の端末のバージョンアップに伴う新たなアイテムの登場。ラ・ピュセルの離反。おそらくは彼の魔法だろう夜天に突き立つ巨大すぎる剣。

 そしてなによりも、先ほどのランキング発表で告げられた魔法少女の事故死と、ゆえに脱落者は無しという言葉が意味するあまりにもおぞましい事実が、皆の言葉を奪ったのだ。

 

 スイムスイムもまた内心では動揺していたが、リーダーたるもの常に堂々と振る舞うべしというルーラの言葉を思い出してそれを押し殺し、常である氷像の如き平静さを保つ。

 そしてかつての偉大なるリーダーから受け継いだ部下達に、言った。

 

「たま、ユナエル、ミナエル、動揺するのは分かるけれど、今は今後どう動くかの対策を決めるべき」

 

 ルーラはもういない。だから今、彼女らを導くのは自分なのだ。

 

「誰かが死ねばその週は脱落者がいなくなると分かれば、もうキャンディーの奪い合いではなく、直接的な殺し合いが始まる」

 

 確信を込めて告げると、たまは怯えてびくっと肩を震わせ、普段は軽薄な笑みを絶やさないピーキーエンジェルズですら押し黙り息を飲んだ。

 

「私たちがやることは変わらない。他の魔法少女を襲い、今度はキャンディーではなく命を奪うだけ」

 

 それだけならば、むしろ一々マジカルフォンを奪わずにすむ分楽になったとも言えるかもしれない。それだけならば……

 

「けど――もう一方的にはやれなくなる」

 

 それが最大の問題だ。

 これまでは、自分達のみが襲う側だった。

 キャンディーを集める事にのみ集中する獲物達を奇襲する。まさか自分が襲われるとは思いもよらないからこそ、生まれる隙は大きく仕とめるのは容易い。

 それこそがお世辞にも直接戦闘向きではない自分達の唯一にして最大のアドバンテージ。事実、だからこそスノーホワイトのキャンディーをギリギリながらも奪う事に成功したのだ。

 

 だが、これからは違う。

『殺し合い』が出来ると分かれば、もう誰も油断しない。戦う力の無い者は常に警戒し、戦う力のある者は――容赦躊躇い一切無く殺しにくる。

 もはやワンサイドゲームではなくなった。ここからは互いに殺し殺される殺戮戦。今この瞬間にも、かつての自分たちのように他の魔法少女が襲いかかってくるかもしれないのだ。

 

「ここからはほんの一瞬の油断でも死に繋がる。戦う魔法少女を正面から相手しなくちゃならなくなるかもしれないから」

 

 これが以前までならば、それでもどうにかなると思えたかも知れない。なんたって自分たちは戦わない魔法少女とはいえ人数で言えば最大だ。数を生かして行動すればどうとでもなると。

 だが、スイムスイム達は見た。知ってしまった。

 戦う魔法少女の、限界を破壊したその魔法(マジカルリミットブレイク)を。

 

 

 

 《ぼくの誓った魔法少女-unlimited sword extend-》

 

 

 

 理解を絶し想像を超えて夜天を貫くその剣は、あまりにも巨大で凄まじく、神々しさすらも感じる程に絶対的な――力。

 一度振るわれれば全てが破壊される、もはや災害にも等しい、己が持つ全力をもってしても抗うことすら出来ぬ絶望的暴力。

 本能が絶叫し理性が断じた。あれは違う。あれの前では自分たちの魔法など児戯に過ぎぬ。

 あれはスケールもパワーも何もかもが隔絶した、――ジャンル違いの存在だと。

 あんなことが出来る連中と戦うのか。いや、戦いにすらなるのか……。

 

 スノーホワイトに勝利しルーラをも出し抜いたという自信と矜持を打ち砕かれ、誰もが不安に顔を曇らせている。

 だからこそ、自分が先頭に立ち導かねばならない。鼓舞し士気を上げ勝利に導く、かつてルーラのように――

 

「だから私たちは、――――ッ静かに……!」

 

 口を開き紡いだ声が、ふいに張り詰める。

 何事かと問う部下達の視線に、外へと続く扉へ鋭い眼差しを向けたスイムスイムは答えた。

 

「……外に誰かがいる」

 

 その一言で、たまとピーキーエンジェルズの表情が強張り緊張が走る。

 

「ちょっ、マジで!?」

「まさかさっそく私達を襲いに……!?」

「どっどうしようスイムちゃん……っ」

 

 慄き驚愕する三人。

 そんな彼女らにスイムスイムは、薙刀のような武器――ルーラを構え冷静に指示する。

 

「ミナエルは武器に変身、ユナエルはそれを構えて。たまは透明外套を被って息をひそめて、私が囮になるから敵が来たら隙を突いてピーキーエンジェルズと一緒に飛びかかって」

 

 素早く的確なその言葉。揺るがず冷静に状況に対応しようとするその頼もしさに三人は今だ硬い表情ながらも落ち着きを取り戻し、頷くとそれぞれ指示されたポジションについた。

 迎撃態勢が整った事を確認し、スイムスイムは切っ先を扉へと向ける。来たるべき来訪者、それが敵ならば迎え討つべく。

 そして全員が息を殺し、鋭い眼差しで見つめる中――扉が、開いた。

 

 夜の冷たい風が流れ込み、燭台の炎をかき消す。

 たちまち夜闇に沈む堂内に、射し込むは白き月明かり。闇を切り裂き、開け放たれた扉から降り注ぐ澄んだ月光の中に――その魔法少女はいた。

 

 その姿を目にした部下達が息を飲む音を聞きながら、スイムスイムはやはりかと思う。

 先程のランキング発表でその名が呼ばれなかった時、こうなる予感はしたのだ。

 

「あなたが死んでいないと知った時、きっと来ると思っていた……」

 

 一対の角を戴く亜麻色の髪を靡かせ、しなやかに引き締まった肢体を包む鎧は月の光に煌めいて、その竜の瞳に強き意思を宿し佇む、その名は――

 

「――ラ・ピュセル」

 

 

 ◇ハードゴア・アリス

 

 

 ――時は暫し遡る。

 

 人を超えた力による大破壊によって、半ば瓦礫の山と化した廃工場。

 戦いは終わり、再び墓所の如き静寂が下りたそこには、血に塗れ横たわる一人の少年と一人の少女、そして――そんな二人を絶望の瞳で見下ろす黒い魔法少女がいた。

 

 ハードゴア・アリスは、絶望する。

 なぜだ。なぜこうなった……。

 自分はスノーホワイトの助けになりたかった。守りたかった。彼女のために戦い、そして死ねるのならばこの命を犠牲にすることさえ惜しくは無かった。

 ラ・ピュセルは優しい人だった。こんな自分の命を救うために我が身をなげうってマジカロイドに挑み、死ぬなと言ってくれた。

 どちらも素晴らしい人だった。穢れた血の流れる自分なんかとは違う、清く正しく美しい存在。けして、こんなところで死んでいい人達などではなかったのだ。

 なのに二人は死んで……二人のために死のうとしたはずの自分だけが、生きながらえてしまった。

 

「なぜ……ですか……」

 

 どさりと膝をつき、力無く呟く。

 

「どうして……私なんかが……」

 

 力無きその問いに答えられる者は、誰もいない。

 物言わぬ恩人達が流した血だまりの中で、アリスは独り、その死を悼み己が生を呪う。

 

「なんで、どうして………私は何もできなかったのですか……ッ」

 

 自責の念が溢れる。自己嫌悪が止まらない。

 震える唇からは嗚咽交じりの慟哭が漏れ、顔にやった両手の指がどうしようもない程の悲憤に強張り、めり込んだ爪が皮膚を裂く。噴き出した血が血涙の如く頬を濡らした。

 

 何も、何も出来なかった。救うことも身代わりに死ぬこともできず……。

 いや、そもそも――生きている価値の無い、誰にも必要とされない自分が、なぜ誰かを助けられるなどと思ったのだろうか……?

 やはり自分など、生きているべきではなかった……。

 死のう……。せめてあの世で、二人に役に立てなかったことを謝ろう……。

 

 どのみちスノーホワイトのいない世界なんて、自分が存在する意味など無いのだから。

 世界に、何よりも己自身に絶望して、アリスが自らの命を絶つべく変身を解除しようとした――その時

 

「……え?」

 

 輝きを失った紫の瞳が、瓦礫の散乱する床の片隅に突如生じた――《光》を見た。

 

 

 ◇岸辺颯太

 

 

 音も、風も無いどこか。

 痛みも、熱も、身体の感覚も感じない場所で――遠いかつての、夢を見た。

 

 ――そうちゃん……。そうちゃんはなんでラ・ピュセルなの?

 ――え? なんでって……。

 ――私は自分の名前が『小雪』だから『スノーホワイト』っていうアバター名にしたけど、そうちゃんは何で『ラ・ピュセル』って名前にしたのかなあって思って。

 

 それはいつだったか、いつものように夜のパトロールが終わってから、あの鉄塔で二人きり、宝石をちりばめたような星空の下で語った、まだ何もかもが穏やかだった頃の思い出。

 

 ――ああ、そういうことか……。『ラ・ピュセル』っていうのは、憧れている人の二つ名なんだよ

 ――憧れている人? 魔法少女じゃなくて?

 

 小さく首を傾げる君に、僕は言った。

 

 ――《ジャンヌ・ダルク》。フランスの聖女さ。14世紀から15世紀にフランスとイギリスが戦った百年戦争で、神からお告げを受けた彼女はフランスを救うために男の格好をして戦ったんだ。そして女なのに男ばかりの戦場で旗を振って兵を鼓舞し続けて、ついに敵国を破って戦争を終わらせた。

 ――すごいね。

 

 ああ、すごい。ごく普通の少女が不思議な物に導かれて英雄となり、大切な人たちのために強大な敵に挑み、滅びの運命を変えて国を救う。そんな魔法少女アニメのような事が現実にあったなんて、僕には衝撃的で、そして何よりも心を打たれた。

 ジャンヌの清く正しく美しい、理想の魔法少女そのものの在り方に。何よりも、女の子という超えられない性別の差を男装をすることで覆し、男達だけの領域だった戦場で誰よりも勇敢に戦ったというその事実が、『男の子は魔法少女にはなれない』という現実の前に夢を諦めてしまった僕には、あまりにも眩しかったんだ。

 

 だからこそ、その最期を知った時、僕は涙を流した。

 

 ――でも、聖女として崇められた彼女はやがて魔女の烙印を押されて火刑にされる。

 ――そんな。ひどい……

 

 最大の味方であったはずのフランス王からは見捨てられ、同じ神を信じる教会すらも異端の烙印を押し、敵に囚われて自由も名誉も尊厳も何もかも奪われ辱められた挙句――ジャンヌは魔女に堕されたのだ。

 

 ――それでも、聖女から魔女に堕とされても彼女は最期まで神への信仰を失わなかった。世界の全てが敵に回っても、たった一人で己が信念を貫いたんだ。

 

 あまりにも哀しくて救われない、でもどこまでも美しく高潔なその輝き。

 感極まった。魅せられた。ただ独りであっても己が道を征ったこの聖女のように、僕もなりたいと思ったんだ。

 

 ――どんな苦しみと絶望の中でも信念を失わず、愛する者のために戦い続ける。そんな彼女に僕は憧れてね。だから理想の魔法少女を名付ける時――《ラ・ピュセル》にしたんだよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――……ん………ぱい……っ」

 

 遠くから、声がする。

 

「……しべ……先輩……っ」

 

 必死に、まるで絶望の中でやっとみつけた小さな希望に縋り付くかのように、僕の名前を呼ぶ、声が――

 

「岸辺先輩っ!!」

 

 慣れ親しんだその声に耳朶を打たれて、僕の意識は過去の夢から浮上した。

 ぼんやりと瞼を開くと、薄く霞む視界いっぱいに映る、不安と期待に揺れる紫瞳で僕の顔を覗き込む黒い少女の美貌。

 

「……アリ……ス……」

 

 未だ体の中に残る鈍い痛みを感じながら唇を動かし、微かな声でその名を呟くと、

 

「っ……岸辺先輩……生きているんですね……っ!!」

 

 アリスの顔が安堵の色に染まる。

 名前を呼んでもらえた、それだけの事を心の底から喜ぶ笑みを見ながら「生きている」というその言葉で、僕はようやくこれまでの事を思い出した。

 

「あれ……? 何で……僕は……」

 

 なぜ、生きているんだ……?

 疑問と共に脳裏に蘇る、最期の記憶。僕は壮絶な戦いの果てにマジカロイドを斃したものの、そのまま力尽きたはずだ。

 守りたかったスノーホワイトを死なせてしまう悲しみと絶望の中で、傷つき壊れきった身体から血と熱が失われ全てが消え失せていくあの恐怖を、無念を、確かに覚えている。

 あの時に僕は間違いなく死んだ。なのに、なぜ……?

 戸惑い、思わず顔を手で覆おうとして、

 

「これは……?」

 

 その手が――いや、僕の全身が淡い光に包まれているのに気が付いた。

 それは白く優しい――まるでスノーホワイトを思わせる温かな光。徐々に体の中から痛みが消えていく、力が、命が蘇ってくるのを感じる。

 

「これの、力だと思います」

 

 いまだ事態を理解できないでいる僕に、そっとアリスが差し出してきた手の中にあったのは、白く柔らかな毛皮のマスコットの形をした何か。

 

「使用者がピンチになったらラッキーな事が起こる《兎の足》です。私が、スノーホワイトにあげました」

「ラッキーな……そうか、小雪が死にそうになったから発動して……それで僕は―――ッそうだ! 小雪はっ!!」

 

 ハッと跳ね起きて、傍らに横たわる小雪へと目を向ける。

 まだうまく力の入らない脚を動かして立ち上がり、駆け寄った彼女の身体には一切の傷は無かった。

 

「小雪っ……小雪っ!!」

「スノーホワイト……スノーホワイトっ!!」

 

 その事に安堵の息をつくも、彼女はまだ目覚めてはいない。だからアリスと一緒に必死に呼びかける。けどどれだけ叫んでも呼びかけても、その瞼は開かず淡い唇も動かない。返事は無い。してくれない。

 

「――っ!?」

「まさか、そんな……スノーホワイトだけは助からなくて――」

「そんなことないっ!」

 

 最悪の想像が頭をよぎり、けどそんな絶望は絶対に受け入れたくなくて、僕は藁にも縋るような思いで屈みこみ小雪の胸に耳を当てた。

 お願いだから……。心の底からそう祈りながら目を閉じ、耳を澄ませ――

 

 

 

 とくん、と鳴る――命の音を聞いた。

 

 

 

「あ……あぁ……っ」

 

 とくん、とくんと、鳴り続ける小さな鼓動は、彼女の身体に血(いのち)が巡る音だ。小雪が、僕たちが守りたかった女の子が――生きている証だ。

 

「……生きてる……生きてる……っ!」

 

 湧き上がる安堵と歓喜に体が震える。僕が死ななかったことよりも、この子が生きていてくれるという事の方が比べ物にならないほど嬉しくて、潤んだ視界から熱い涙が溢れた。

 

「生きているんですね、スノーホワイト……よかった……本当に……っ」

 

 傍らではアリスもまた涙を流し、その生を喜んでいる。

 小雪の柔肌に落ちて、温かく濡らす涙の粒。それを感じてか、口元が僅かに動き頬が頬が揺れる。それすらも嬉しく愛おしい。

 その想いが新たな涙となって、また溢れる。

 

「ありがとう……生きていてくれて……ありがとう……っ」

 

 大切な人を喪う絶望を知った僕は今、大切な人が生きているという事の幸せを噛み締めた。

 

 

 ◇スイムスイム

 

 

 真っ先に動いたのは、透明外套を被り息をひそめていたたまだった。

 

「ラ・ピュセルーー!」

 

 外套を脱ぎ捨てて虚空から姿を現したたま。

 ラ・ピュセルに最も懐き、ランキング発表でその無事を知った時に安堵していた彼女は、再び会えたことの喜びに目を潤ませながらラ・ピュセルに飛びつこうとして

 

「たま、動かないで」

 

 鋭い眼差しを向け、それを制す。

 

「えっ……っ!? スイムちゃん、何で……?」

「今のラ・ピュセルは敵。今度また邪魔したら、たまでも容赦しない」

「そんな……っ」

 

 一度目は許したけれど、二度目は許さない。

 有無を言わさぬ口調で言うと、悲し気に眉を寄せ、その場に止まるたま。

 だがその瞳は縋るようにラ・ピュセルを見て

 

「ラ・ピュセルは、私達と戦いに来たの……?」

 

 震える声で、問いかける。

 

「私達を、殺す気なの……?」

 

 空気が、更に張り詰めた。

 スイムスイムは静かにルーラを握る手に力を籠める。ラ・ピュセルの答えによってはその瞬間に斬りつけられるように。おそらくはもう潜在能力的には己が上だろうが、今眼前に立つラ・ピュセルは、最後に見た時とは明らかに違う。

 あの時はまだ、何か迷いを抱いていたようにも見えた瞳は確固たる意志を宿し。清廉な闘気を纏い迷い無く凛と立つその姿は、まさに一皮剥けたようだ。

 

 以前とは一回りも大きくなったかのようなその存在感に頬を一筋の冷たい汗が流れるのを感じながら、戦いに備えるスイムスイム。

 誰もが月光に立つ竜の魔法少女へと目を向ける中、その唇が――動いた。

 

「――いいや。僕は戦いに来たわけじゃない。ここへは交渉に来た」

 

 戦うつもりはない。その言葉にたまはほっと胸をなでおろしたようだが、スイムスイムは今だ構えを解いてはいなかった。

 

「なにを交渉するの? 先に言っておくけど、マジカルフォンなら渡さない」

 

 もはやキャンディーの意味など無いに等しいが、それでも他の魔法少女への連絡手段を渡す気は毛頭無い。

 だが、ラ・ピュセルは首を横に振り

 

「もし二つ、条件を飲んでくれるなら――」

 

 静かに、だがこの場の全員を驚愕させるセリフを言った。

 

 

 

「――僕は、君の下に(くだ)ろう」

 

 

 

 ◇ラ・ピュセル

 

 

 突如、拍手の音が鳴り響く。

 

 初めは小さく、だがしだいに高らかに、月光射す廃墟に鳴り渡り喝采する、心からの歓喜と感動を伝えてくるのにどこか不吉な胸騒ぎがするその音。

 

「――ッ!」

 

 直感した。ざわめく胸の奥、魂に刻まれた決して消えない恐怖と痛みが叫んだのだ。これが、この美しくもおぞましいこの音色を奏でるのが誰であるのかを。

 

「岸辺先輩、これは……?」

 

 隣で戸惑うアリスに僕は答えを返さず、ともすれば恐慌状態に陥りそうな意識を集中させて《ラ・ピュセル》に変身する。

 説明はしない。だってきっと、そうする前に奴が来るからだ。

 誰よりも恐ろしく、血に飢えて、そして鮮やかに咲き誇る――あの音楽家が!

 

 そして、積みあがった瓦礫に遮られ生まれた、月明かりの届かぬの闇の奥から

 

「おめでとうございます。――ラ・ピュセル」

 

 祝福の言葉と共に――森の音楽家クラムベリーが姿を現した。

 

 その姿を目にした瞬間、心臓が恐怖に震える。

 声を聴くだけで鳥肌がたち、薔薇の冠を戴く金の髪も、若草色と白のコントラストが映える優美な衣装に包まれたその肢体も、耐えがたい喜悦を湛えるその美貌も――何もかもが恐ろしかった。

 

「ずっと、ずっと貴方を見ていましたよ」

 

 微笑みを湛えて、クラムベリーはひどく楽し気に歩いてくる。

 

「忘れ難いあの夜から、今この瞬間まで――貴方が奏でた戦いの全てを鑑賞しました」

 熱っぽく、まるで夢見るように語るその声が、新たな恐怖を生む

 

「見て……いた……? 僕を、ずっとだって……?」

 

 全く気付かなかった。それ以前に、強者を求めるこいつは無様に負けた僕になど興味を失ったものだと思っていた。だからこそまた殺しに来るのではなく捨て置いているのだと。

 でも、違った。こいつは常に僕を見ていたのだ。一切悟られること無く、この次の瞬間にも僕を容易く縊り殺せるだろう最恐の魔法少女は……ッ。

 

「なんで……」

「それはもちろん――」

 

 そして遂に僕の眼前、手を伸ばせば触れられる距離に立ったクラムベリーは――言った。

 

「貴方ですよ。ラ・ピュセル――いえ、岸辺颯太さん」

 

 艶めく唇が紡いだ僕の、魔法少女ではない本当の名に背筋が凍った。

 震える声で問いかける。

 

「なんで、僕の名を知っているんだ……ッ?」

「なぜとは心外ですね。愛しい殿方の名を知りたいと思うのは女として当然でしょう」

「愛しい……だって」

 

 言葉だけ聞けば、愛の告白だ。だがそう語るクラムベリーの瞳に在るのは単なる恋情などではない。それよりも遥かにか狂おしく絶望的に歪んだナニかだ。

 何を考えているか分からない。理解できない。ゆえに不気味で、恐ろしい。

 

「なんでだ。なんでお前は、そこまで僕を……ッ」

 

 くすりと、クラムベリーは嗤う。

 

「全部、颯太さんのせいですよ」

「僕の……?」

「ええ」

 

 語られたその理由は、でも到底理解できるものでは無くて、困惑する僕にクラムベリーはますますその笑みを深め、吊り上がった唇を動かす。

 

「あの夜を覚えていますか? 私と貴方が初めてリアルで出逢い、戦い逢ったあの夜を」

 

 もちろん覚えている。忘れられるはずなど無いじゃないか。あの血と恐怖の戦いを、僕とこいつの――始まりの夜(ビギンズナイト)を。

 

「貴方は最高でした。貴方は理想と戦意を燃やして全力で挑み、傷つき倒れ血を流し、一度は絶望しながらも再び立ち上がり――私に傷をつけた」

 

 その時を思い出しているのだろうか。クラムベリーの白い手が、自らの胸元へ伸びる。

 僕が斬りつけ傷をつけた。魔法少女らしからぬ成熟したその肢体で唯一そこだけは幼子のようなその胸に指を這わせ――愛おし気に撫でた。

 

「残念ながら傷はもう消えてしまいましたが、あの時の感触は今でもここに残っていますよ」

 

 艶めく唇から吐息が漏れ、指が躍る。

 

「硬く鋭い切っ先がめり込み、私の肉を切り裂き抉るあの痛みが。冷たい刃から流れ込む戦意の熱さが。そして何よりも剣を通してあなたと一つに繋がったかのような――あの得も言われぬ一体感!」

 

 頬を上気させ、高揚のあまり震えながら語るその声が――ふと沈んだ。

 

「嗚呼、きっと破瓜の感覚とはあのような物なのでしょうね……。本当に愉しく、そして嬉しかったのです。――だからこそ……この思いを裏切られた時、とても傷つきましたよ」

 

 あれほどに華やかだった笑みが消え、失意に染まる。それはまるで本当に、男に弄ばれた傷心の乙女のような顔で

 

「貴方は、私を殺さなかった。私は本気で心の底からあなたを殺そうとしていたのに、貴方は殺さなかったのですよ……ッ」

 

 僕を糾弾する。

 

「私が望むのは互いに命を懸け、全てをぶつけ合い触れ合う殺し合いでした。だからこそ、貴方が再び立ち上がってくれた時は嬉しかった。命を奪い合う覚悟の無かった貴方が遂に覚悟を決めたのだと。ああ、これでようやく殺し合えると思ったのに――貴方は、そんな私の心を弄んだ!」

 

 戦闘狂の瞳が命を奪わない戦いになど価値は無い、ただの遊びでしかないのだと断じ、責めたてた。貴方のしたことは、殺し合いに生きてきた私の誇りに対する最大の凌辱なのだと。

 

「ひどいじゃないですか。あんまりじゃないですか……ッ。私はこんなにも颯太さんを思っているのに、殺したいのに。私にとっては真剣な殺し合いでも、貴方にとっては遊びでしかなかったのですか……?」

 

 呟き、縋り付くようににじり寄る、鬼気迫るその姿は恐ろしくも、どこか泣き喚く小さな子供のように思えたのは、果たして僕の気のせいだろうか。

 分からない。何もかもが。こいつの言う事ははあまりにも壊れていて、価値観が隔絶しすぎしている。

 確かに目の前にいる筈なのに、まるでこいつだけが別の世界に存在しているような感覚に陥る程に――クラムベリーという女はずれていた。

 危うい。危険だ。戦闘狂とかそういう以前に、こいつはもっと根源的な何かがどうしようもなく破綻している。

 

 でも、だからこそ――

 

 湧き上がる恐怖を抑え、この手に剣を展開する。

 呼吸を整え、柄を強く握る。

 心を鎮め、クラムベリーに圧倒され潰えようとしていた戦意を再び燃やして――僕はクラムベリーの向かって剣を突きつけた。

 

「それ以上、スノーホワイトに近づくな」

 

 背後に横たわる小雪を背に庇い、立ちはだかる。

 これ以上、こんな奴を小雪に近づけてはならない。これ以上、小雪を傷付けさせはしない。絶対に。

 決意を込めて睨みつける僕の眼差しに、クラムベリーはその歩みを止めた。

 赤い瞳をじっと細め、見極めるように僕の瞳を覗き込み、

 

「もしも、私がその女に近づいて害するというのなら、貴方はどうするのですか?」

 

 静かに、問う。

 

 それに答えるのを、以前までの僕なら迷ったかもしれない。

 誰も殺さずすべてを守るという理想を貫き戦うには、こいつはあまりにも強すぎるから。

 

 だが、今の僕には、もはや『理想』は無い。

 在るのは、愛しい人を喪うことの恐怖と、二度と失わせはしないという思い。

 この子の剣となり仇なす全てを斬り捨てる――『誓い』だけだ。

 ゆえにこの子を害するというのならば、僕はお前を

 

「――殺してやる。クラムベリー」

 

 誓いの下、全霊の殺意を以って宣言した。

 そしてクラムベリーは、

 

「ふ……ふふふ……――あはっ」

 

 その唇が、吊り上げる。

 小さく漏れた声は、やがて弾ける狂笑となって溢れ出た。

 

「あっはははははははははははははははははははははっ! 素晴らしい! ようやく、嗚呼ようやく決めてくれましたか! 私を殺すことを、命を奪い合い殺し合う覚悟を!」

 

 より高らかに。よりおぞましくより狂おしく。

 何処までも純粋に闘争を望み、血と死と殺戮に飢えた音楽家は狂い笑う。

 嬉しいと。嗚呼まったくもって素晴らしい最高だよくぞ吠えたと。

 向けられる歓喜の眼差し、その喝采に込められた狂気と狂喜に総身が震えた。

 そして全てが破壊された戦場に響き渡る、謳い上げるかの如き狂える賛辞。

 

「ずっとずっと待っていましたよこの時を! 望み焦がれ待ちわびて、そしてついに貴方は堕ちた。堕ちてくれました!」

 

 まるで長い間想い焦がれた恋が成就したかのように、待ちわびた運命の人ど出会えたかのように

 

「ならば殺し合いましょう。貴方の全力と全霊と全殺意を以って私を殺してみなさい。私もまた身も心も総てを捧げて貴方を殺します。健やかなる時も病める時も――死が二人を分かつまで殺し合いましょう!」

 

 狂笑と共にその全身から噴き出るは、濃密な殺意。

 肌が粟立ち血も凍る超密度のそれを浴びて、生存本能が絶叫する。

 マジカロイドを始め僕が対してきたあらゆる敵達の物とは比べ物にならない、浴びるだけで精神が壊されかねないの程のそれ。いったいどれほどの修羅場を潜り、どれだけ殺し尽せば、こんなものを出せる領域に至れるのだろうか。

 

 ――ッいや、呑まれるな。

 深く息を吸い、そして吐く。歓喜する戦闘狂のあまりの規格外ぶりに戦慄する心を、だが僕は戦意を以って奮い立たせ、眼に力を込めて睨み返した。

 するとクラムベリーはますますその美貌を蕩けさせ

 

「ああ、素晴らしい。今のあなたならばきっと、私を恐れながらでもそれに屈せず戦えるでしょうね。その戦意その覚悟は正しく強者の心です。――ですが」

 

 陶然と呟いた、―――次の瞬間、僕は唇を奪われていた。

 

「――ん……ちゅぅ………」

「………ッ!?」

 

 押し当てられる、艶やかな唇の感触。

 それは柔らかく扇情的で、だが軽く触れ合うだけだったスイムスイムの物とは異なり、まるで喰らいつくような口づけ。

 だがそれよりも、その動きが全く見えなかった事に僕は戦慄する。集中し、全神経を研ぎ澄ませ一挙手一投足ですらも見逃すまいとしていたのに、気が付けばまるでコマ落としのように触れられていたのだ。

 驚愕と共に直感する。これはマジカロイドのような超スピードなんてチャチな物ではない。今の僕では認識すらも出来ないほどに隔絶した――純粋にして圧倒的な戦闘技術なのだと。

 

「ふふっ……ちゅくぅ……っ」

 

 愕然とする僕の瞳を映すクラムベリーの血色の瞳が嗜虐的に細められ、突然、硬直する唇を割って熱く濡れた舌を押入れられた。

 

「ん!? んんぅ……ッ!?」

 

 滑る唾液と共に咥内に侵入したそれが、縮こまる僕の舌を絡めて捕らえる。

 味わうように舐められ、絡みつき嬲られ思うがままに蹂躙するクラムベリーの舌。

 反射的に顔を逸らし引き剥がそうとするも、素早く伸ばされた掌に後頭部を抑えられ動きを封じられる。

 ざらり舌裏を舐められるたびに背筋がぞくぞくと痺れ、苦しくて息を吸えば(むせ)かえるような薔薇の香りが鼻から流れ込み脳髄を侵し、その度に強くなる、お腹の下がきゅんと甘く痺れるような感覚。

 

「んっ…ちゅ………はぁっ…や、めろぉ……っ!!」

 

 味わった事の無い全く未知の感覚に翻弄される僕を楽しむかのように、クラムベリーの口づけはますます激しくなり、そして――

 

「痛ああっ!?」

 

 硬い歯に舌先を強く噛まれる痛みで、終わった。

 口の中に血が溢れ鋭い痛みに顔を離した――いつの間にか抑えていた手は外されていた――僕の唇と、僕の血の色で更に鮮やかさを増したクラムベリーの唇の間に赤の混じった唾液の橋がかかり、名残り惜し気に切れる。

 

「――ですが、貴方は私から見ればまだ隙が多く、今だに未熟。私の相手をするには力が足りません」

 

 ふぅ……と、火照った吐息を漏らし、艶やかに微笑むクラムベリー。

 血に飢えた期待に満ちて欲望に燃える瞳が、僕を捉えた。

 

「ゆえにもっともっと修羅場を潜り戦ってください。立ち塞がる敵全てを捻じ伏せ斃し血肉と成し、己が武を鍛え上げてください。血を吐き涙を流し死を撒き散らす破壊と殺しと闘争の果てに屍山を登り血河を越えて――この私の領域へと辿りついてみせなさい!」

 

 白い月光のスポットライトを全身に浴びて、血に濡れた笑みでまるでオーケストラの指揮者の如く両手を広げ、音楽家は高らかに謳う。

 

「ようこそめくるめく修羅道へ。夢と魔法の殺し合いへ」

 

 それは新たなる強者の誕生を祝う祝辞であり、己と同じ悪鬼外道の道へと堕ちた者への歓迎の言葉。

 そしてクラムベリーは今宵の惨劇を締めくくり――新たなる恐怖劇(グランギニョル)の開幕を告げた。

 

「これより始まるは血花咲き乱れ断末魔鳴り響く鬼畜外道のオーケストラ。すなわち希望満ち絶望溢れ互いの夢を喰らい合う地獄ですが、屍喰らい血を啜る人でなし(わたしたち)にとってはこれ以上ない楽園ですよ。さあ共に歌い踊り奏でましょう。心ゆくまで死に逝くまで。この地獄は貴方を歓迎します――ラ・ピュセル」

 

 

 ◇◇◇

 

 

 その後、クラムベリーは言うべき事を言い終えたのか、背を向けて歩き出し、闇の中へと姿を消した。いつでも貴方を見ていますよと、赤い瞳で語る微笑を残して。

 その姿が消えてからしばらくたっても、僕とアリスは声を出せなかった。僕はあの口づけで噛まれた舌先からの出血が止るまで時間がかかり、アリスは――完全に気圧されていたから。

 

「なんですか……アレは……ッ」

 

 呟く声は震え、もとより血の気の無いその顔はもはや屍蝋の如き白となっている。

 無理もない。アレはそれほどまでに理解を絶して、対峙するだけで肉体どころか魂すら破壊されると思えるほどの真性の怪物なのだから。

 

「分からないよ……。あいつが一体何なのかは、僕が知りたいくらいだ。」

 

 あいつに関しては何も知らない。その本名も年齢も経歴も、普段はどこにいて何をしているのかすらも。誰とも交わらずただチャットルームの片隅で音楽を奏で続ける、16人の魔法少女の中で最も謎に満ちた存在、それが森の音楽家クラムベリーだ。

 

 

「一つだけ言えるのは――」

 

 ただ、その目的だけは、奴が何を求めているのかだけは知っている。

 

「あれは殺し合いが出来ればそれでいい――最凶で最悪の戦闘狂だよ」

 

 あの血に飢え殺戮を愉しむ笑みを思い出しつつ言うと、アリスは息を飲んだ。

 改めてその恐ろしさを感じているのか、言葉を失っている。

 再び下りる沈黙。

 余計なショックを与えてしまったかと後悔するが、その謝罪は後回しに、僕は口を開いた。……僕にはもう、時間が無いのだから。

 

「ありがとう、アリス」

「え……?」

 

 唐突な感謝の言葉に困惑するアリス。

 僕は頭を下げた。

 

「君が小雪に兎の足をあげなければ、僕たちは死んでいた。僕たちが助かったのは君のおかげだ。本当にありがとう」

「そんな……いいえ。あれはスノーホワイトへ助けていただいたお礼をしたかっただけで、それを言うなら岸辺先輩がいなければあの魔法少女は倒せませんでしたし…っ…」

「それでも、最後に全てを救ったのは君のあげたアイテム――君のスノーホワイトへの思いだ。だから、ありがとう」

「っ……はい。どう、いたしまして……」

 

 心からの感謝をこめて言うと、アリスはしばし紫の瞳をおろおろと徨わせた後、やがて観念したように呟く。

 あまり人から感謝されることに慣れていなのだろうか。俯いたその頬が微かに色づいていた。

 それを微笑ましく思いながら、僕は再び口を開く。そんな彼女にしか頼めない、僕の最期の願いを伝えるために。

 

「どうかこれからも、小雪を、スノーホワイトを支えてほしい。――僕の、代わりに」

 

 恥ずかし気に俯いていたアリスが、怪訝気に僕を見る。

 

「代わり……ですか?」

「うん。僕はもう、小雪を守ることは出来ないから……」

「どうして――」

 

 問いかけるその瞳を真っ直ぐに見つめて、答えた。

 

「僕は、今夜死ぬんだよ」

 

 アリスが息を飲む音が、響く。

 

「どういう……ことですか……?」

「クラムベリーは知らなかっただろうけど、僕のマジカルキャンデーの数はゼロなんだ」     

「――ッ!?」

 

 告げた事実に驚愕する紫の瞳。

 信じられないと語るそれには、微かな絶望の色がある。

 このキャンディー争奪戦において、命と同義であるそれを失った者がどうなるかを知っているのだ。

 

「どうして……?」

「スイムスイム――別の魔法少女に全部奪われてね」

「――ッ! なら、私のキャンディーを全部あげます……!」

 

 その言葉に思わず苦笑してしまう。かつてまったく同じことを、僕も言ったから。

 ああよかった。やっぱりそんな君なら、僕の代わりにスノーホワイトを任せられる。

 穏やかな笑みで、僕は首を横に振った。

 

「気持ちは嬉しいけど、マジカルフォンごと奪われたから転送できないよ。今からじゃもう、奪い返す時間も無いしね」

「そん……な……」

「そんな顔をしないでくれ。これは全部僕の自業自得なんだから」

「なんで…っ……どうして…先輩こそ…そんな穏やかな顔が出来るんですか……っ」

 

 紫の瞳を悲しみに潤ませ、嗚咽が漏らしながら問うアリスに、答える。

 死に逝く胸に、確かな希望を抱いて。

 

「君のおかげだよ。アリス」

「わた、しの……?」

「前も言ったけど、僕はもともと死ぬつもりでここに来たんだ。そしてスノーホワイトを守れて、ただ一つだけ心残りだったあの子を託せる相手も見つかった。君が希望をくれたんだ」

 

 この絶望的な殺し合いにスノーホワイトを独り残して逝くのだけが不安だった。けど、それも消えた。これからはこの子が、僕に代わる存在となって守ってくれるのだから。

 だからこそ、僕はここで笑って逝ける。

 

「っ……でも……私は――」

 

 

 

『はい。それじゃ今日も元気に報告するぽん』

 

 

 

「――っ!?」

「来たか……」

 

 アリスとスノーホワイトのマジカルフォンから聞こえる、マスコットキャラの甲高い声。

 ついに、来た。チャットのランキング発表が。その週の脱落者を告げる、死の時間が。

 そして、僕の最期が。

 

『参加者は……クラムベリーだけぽん? まあいいけどとりあえずBGMの音量をちょっとだけ下げてほしいぽん。ていうか『Phantom of the Opera』とかどう考えても合わないだろぽん雰囲気考えろぽん』

 

 始まりから間の抜けた会話だが、それを聞くアリスの蒼褪めた表情はまるで自分の方が死ぬかのようだ。

 一方、僕はふと、もしラ・ピュセルが死ぬことが分かったらクラムベリーはどんな顔をするのだろうかと思った。

 

『良いお知らせと悪いお知らせがあるぽん』

 

「なに……?」

 

 おかしい。

 今までの流れならすぐに脱落者が発表されるはずなのに。

 不穏な違和感に、言い様の無い胸騒ぎがする。

 

『まずは悪いお知らせから。マジカロイド44――いや555だったかぽん? まあどっちでもいいぽん――が事故で死んじゃったぽん』

 

「事故……だと……?」

 

 違う。マジカロイドは僕がこの手で確かに殺した。断じて事故ではない。マスコットキャラクターならばそれを知らないはずはないだろうに……。

 思わず傍らのアリスと顔を見合わせれば、彼女もまた困惑していた。

 

『悲しいぽん。つらいぽん』

 

 そう悼む声が、だがどこか嘲笑っているように聞こえるのは、果たして僕の気のせいだろうか。

 分からない。今何が起こっているのかすらも。

 僕たちの手の届かない場所で、恐るべき何かが動いている。そんな予感に慄く僕は、だが次の言葉に今度こそ絶句した。

 

『そして良いお知らせぽん。マジカロイドが死んじゃったから今週の脱落者は無し。というわけでまた来週~』

 

 チャットは終わった。

 だが、僕たちはしばらくどちらも声を発することが出来なかった。

 ファブの言葉があまりにも衝撃的で、そして自分が今だに生きていることが信じられなくて、僕はそれこそ彫像にでもなったかのように呆然と立ち尽くし、そして――

 

「先輩……っ!」

 

 胸に飛び込んできたアリスの衝撃でようやく我に返った。

 

「あっ、アリス……!?」

「よかった……よかった……です……」

 

 慌てて受け止めた腕の中から聞こえてきたのは、潤んだ声と、胸に感じる温かな雫の感触。

 

「死ななくて……先輩が生きてて……っ」

「アリス……」

 

 その思いに胸が温かくなる。僕は頬を緩めて、感極まって震えるアリスの頭を撫でた。

 

「ごめんね。心配かけちゃって……」

「いいんです……先輩が生きててくれるなら、それで……」

 

 顔を上げたアリスは紫の瞳に涙を溜めて微笑んでいた。それは微かな、だが僕の無事を心から喜ぶ安堵の笑み。

 それを前にして、あらためて自分が生き残ったという実感が湧き、僕とアリスは、しばらく抱き合っていた。

 

 やがて、嗚咽を漏らしていたアリスは落ち着きを取り戻し、僕の胸から身を離した。

 

「これで先輩も、スノーホワイトと一緒にいられますね」

 

 本当に嬉しそうに、そう語りかけてくる。

 けど、僕はそれに答えなかった。

 押し黙り沈黙する僕に、アリスは笑顔を曇らせ問いかける。

 

「先輩……?」

「……悪いけど、アリス」

 

 僕は、首を横に振った。

 

「やっぱり僕は、スノーホワイトの隣にはいられないよ」

「そんな……どうしてですか……だって先輩は生きて――」

 

 共にスノーホワイトといられると信じていたのだろう。愕然する彼女に申し訳なく思いながらも、言った。

 

「――僕はもう、『正しい魔法少女』ではなくなったからね」

「え……?」

「僕は、マジカロイドを殺した。スノーホワイトを救うために、自ら進んで殺したんだ」

 

 あの時の感触を、今でも覚えている。

 振り下ろした剣から伝わる、肉が潰れ骨が砕ける、人の命が潰えるその感触。

 それがこの手に拭えぬ血糊の如くべったりと残り、きっと死ぬまで消える事は無いのだろう。

 

「僕にはもう、あの子の隣にいる資格は無い」

 

 きっとマジカロイドを殺したあの時、清く正しく美しい理想の魔法少女『ラ・ピュセル』もまた死んだのだ。――僕がこの手で、殺したのだ。

 

「あの子の隣にいた、理想に生きた『ラ・ピュセル』は死んだんだ。ここにいるのは――あの子の想いも願いも総てを裏切った、ただの穢れた魔法少女だよ」

 

 殺してはいけないと言っていたのだ。

 清く正しく美しく在って欲しいと願っていたのだ。

 その尊い願い、自らの命よりもなお友が堕ちる事を拒んだその切なる想いを統べて裏切った、そんな奴が――

 

「――そんな奴が、スノーホワイトの隣にいていいはずがない……ッ」

 

 吐き捨てた声は己への怒りと嫌悪に煮え滾り、それに気圧されたのかアリスがビクッと後ずさった。

 

「……ごめん、怖がらせて。それに僕は何も、それだけでスノーホワイトから離れるわけじゃない。むしろもう一つの理由が重要なんだ」

「もう一つの……? それは一体……?」

「スノーホワイトを守るためだよ」

 

 言うと、だがアリスは怪訝気に眉を寄せる。

 

「どういうことですか? 傍にいた方が守れるのでは……?」

「守りながら逃げることに専念すればね」

 

 魔法少女は強大だ。

 その魔の手からスノーホワイトを庇うというのは、守る事のみに専念してようやく可能なのだ。それ以外で戦ってはいけない。倒そうなんてもってのほかだ。

 それを知らなかったから、僕はルーラたちの襲撃からスノーホワイトを守れなかった。

 

「でも他の魔法少女、カラミティ・メアリやウィンタープリズン、そしてクラムベリーは正真正銘の戦う魔法少女で、僕の遥かに格上だ。きっと戦わずにやり過ごす事なんてできない」

 

 そうなれば、守りながらという生半可な姿勢では死ぬ。

 全身全霊を以って倒しにかからねば戦いにすらならない。

 

「そして僕には、スノーホワイトを守りながら戦う力なんて無いんだよ」

 

 そしてきっと、スノーホワイトは殺されるのだ。

 攻撃のために防御を疎かにして生まれた隙を突かれて殺されるか、攻撃に専念できず僕が殺された後で殺されるか。

 特にあのクラムベリーは、たとえアリスと二人がかりで挑んでもスノーホワイトを守れる気がしない。

 

「だからこそ、僕はスノーホワイトと離れて――彼女の剣として敵を倒すことに専念する。アリス、君は戦わず生き残ることだけを考えて盾としてスノーホワイトを守ってくれ」

 

 それが、僕が考えたスノーホワイトを生かすための最も現実的な方法だ。

 オフェンスとディフェンスに別れ、アリスという最高の耐久力を持った魔法少女に守ってもらうことで、僕は心置きなく戦いに専念できる。

 何よりもそれならば、アリスとスノーホワイトという大切な二人の女の子を戦いから遠ざけられるのだから。

 

「頼めるかい? アリス」

「でも、先輩はそれで本当に……」

 

 アリスは迷っているようだが、これだけは譲れないのだ。

 僕は未だ逡巡するアリスの手を強く握り、想いを込めて訴えた。

 

「これは君にしか頼めない、いや、君だからこそ頼むんだ。頼むよアリス。僕には――君が必要なんだ!」

 

 

 

「――――――――っ!!」

 

 

 

 もはや叫びとなった僕の言葉に、アリスの動きが止まった。

 目を大きく開いて、息を飲み、沈黙する。

 まるでそう、何か途轍もない衝撃を受けたかのように。

 

「……アリス?」

 

 その思わぬ反応に戸惑いつつ呼びかけると、淡い唇が震える声を漏らした。

 

「私が……必要なのですか……?」

「あ、ああ――うん、君が必要だよアリス」

 

 頷くと、アリスは恐る恐る問う。

 

「こんな……私でも……?」

「君しかいないさ。僕がスノーホワイトを託そうと思えるのは世界中で君だけだもの」

 

 その言葉に、アリスは静かに目を閉じ、再び沈黙した。

 今度は声をかける事はしない。僕には何故か、その姿がとても侵し難く神聖な物のように思えたのだ。

 そうして、暫し何かを味わうように、あるいは噛み締めるように閉じられていた瞼がそっと開き、唇が動く。

 

「――はい。分かりました」

「――っじゃあ……」

「はい。私はスノーホワイトの盾となることを――貴方に誓います」

 

 神に誓う信徒のような敬虔さで語られた、宣誓の言葉。

 静かながらも、己の全てをかけて果たさんとする意思が籠められたそれに、安堵の息が漏れた。

 

「ありがとう、アリス……」

 

 本当に、ありがとう。

 君のおかげでもう、憂いは無い。

 これで僕は、心置きなく――地獄に堕ちれる。

 

 

 ◇◇◇

 

 

「一つ目の条件は、スノーホワイトとハードゴア・アリス――16番目の魔法少女の二人をターゲットから外す事だ」

 

 君の下に降ろうという僕の言葉に驚き固まるスイムスイム達へ、その条件を言う。

 あくまでも堂々と、迷いや不安など欠片も見せずに、ここが僕の運命を決める最後の舞台。生死を分ける分水嶺なのだから。

 

「…………」

 

 スイムスイムは、答えない。深く底の見えぬ深海の瞳で僕をじっと見て、その手に魔法武器ルーラを握り向かい合っている。

 たまは固唾をのんで僕達を見守り、おそらくはどこかに潜んでいるのだろうピーキーエンジェルズも同じだろう。

 未だ誰一人言葉を発さず――だが、否定の言葉も無かった。

 ならば、まだ交渉は終わっていない。

 

「そして二つ目、最後の条件は――」

 

 勝負はここからだ。

 

「必ず、森の音楽家クラムベリーを斃す事だ」

 

 そこでスイムスイムの眉が初めて動いた。

 小さく震えるそれは、きっとクラムベリーの姿を思い出したから。

 あの魔法少女の強さと恐ろしさは、僕を助け出す際に直接対峙したという彼女たちの脳裏にも刻まれているのだろう。

 だからここからが本当の勝負所。絶対に負けられない、真のクライマックスだ。

 

「もちろんスイム達だけにはやらせない。奴とは僕が直接やり合う。この僕が出せる全力で相手をするから。君達は僕が作った隙を突いてクラムベリーに止めを刺してほしい」

 

 アリスにはああ言ったけど、僕一人ではたとえ命を捨てて挑んだとしても到底クラムベリーに敵う気はしない、だからこそ、不意打ちに特化した彼女たちの力が必要なのだ。

 正々堂々では勝てないのなら卑劣外道に騙し討つ、到底、正しい魔法少女のやり方じゃないな……。

 思わず漏れそうになった自嘲の笑みを抑え、スイムスイムに目で問う。

 

 さあ、答えはいかに――?

 

 誰もがそう思ったのだろう。一気に張り詰める空気。あまりの緊張感に時すらも凍り付いたのかと思えるほどの沈黙が過ぎ、そして――スイムスイムが答えた。

 

 

 

「――わかった」

 

 

 

 それは、僕の勝利が確定した瞬間だった。

 安堵のあまり全身からどっと力が抜けて、膝をつきそうになるのを何とか堪える。

 

「ありがとう。スイムスイム」

「礼はいらない。私はただ、これからを考えて一番いいと思う選択をしただけ。ラ・ピュセルは、ちゃんと約束を守ってくれればそれでいい」

「ああ、そうだな……」

 

 交渉は成立した。

 ならば、契約を果たそう。

 

 僕は足を踏み出し、スイムスイムの下へと歩み、膝をつく。

 魔法騎士であるラ・ピュセルをロールするうえで必要な騎士の知識を集める過程で知った、騎士の誓いの儀式を思い出して。

 そしてこの後の流れをスイムスイムに教えようとした時、僕の肩にルーラがすっと置かれた。

 

 ……知っているとは驚いたな。お姫様に憧れていたというからもしかすると、彼女が見たことのあるお姫様と騎士の物語に誓いの儀式が描かれていて、それを覚えていたのかもしれない。

 

 そして、スイムスイムが問う。

 これより騎士となる者へ、主が贈る宣誓の問いを。

 

「汝ラ・ピュセルは、我スイムスイムの騎士となり、忠義を貫き裏切ること無く、あらゆる法と全ての道徳よりもなお主命を尊び、忠誠こそ我が名誉としてその身を捧げることを誓うか?」

 

 僕は――

 

 ――ねえ、アリス。この子はね、とても寂しがり屋なんだ。

 

 僕は、魔法少女になりたかった。

 

 ――だから、魔法少女でいる時は出来るだけ一緒にいてあげて。一人でいると、きっと泣いてしまうから。

 

 清く、正しく、美しく

 

 ――それに争い事が嫌いで、昔は喧嘩を見ただけで関係なくても泣いていたんだよ。

 

 強きを挫き弱きを守り、

 

 ――だから、もしも敵が来たら戦わず逃げてほしい。血の穢れも戦いの恐怖も、この子に感じさせないで。この子はきっと、自分を殺しに来た相手の死でも涙を流してしまう。

 

 大切な誰かの涙をぬぐうことのできる、

 

 ――君はこの子と一緒に逃げる事だけを考えて。何も心配しなくていい。大丈夫。敵はこの子の見えないところで、僕が殺すよ。

 

 そんな魔法少女に、なりたかった。

 

 

 

「――たとえこの身は滅びたとて、貴女の騎士となることを誓いましょう。我が姫、スイムスイム」

 

 

 

 かくて宣誓は成され、契約は結ばれた。

 その夢を成就させる為ならば悪魔よりも残酷になれるだろうスイムスイムの騎士となった僕が征くのは、血塗られた地獄への道だろう。

 かつて、己が信仰を貫いたゆえに魔女に堕ちたジャンヌ・ダルクは火刑台の炎に消えた。

 ならば、僕もまた最期は地獄の業火に焼かれるのだろうか。

 だが、それでもかまわない。たとえ僕が地獄に墜ちても、それで正しい魔法少女が救われるのなら笑って死ねる。

 たとえ魔女と責められ悪鬼と罵られようとも、僕は諦めない。

 

 

 この地獄の果てに、あの子が生きる未来があることを――――それでも僕は、夢見てる。

 

 

 fin




お読みいただきありがとうございます。
そして読了おめでとうございます。こんなクソ長い話を最後まで読み終えた貴方はたぶん忍耐力が三つくらいレべルアップしたことでしょう。ヤッタネ★

こんな魔法少女育成計画という極上の食材を好き放題に鍋にぶち込んだあげく勢いのままかき混ぜまくった闇鍋的作品を読んで下さった物好きもとい読者様には感謝してもしきれません。
初めての二次創作という事もあり、この作品を書くのはそれはもうとんでもなく苦労しましたが、皆さまに支えられてなんとか一区切りさせることが出来ました。
たくさんのご感想やランキングに入れてもらえるくらいの評価やお気に入りをいただけて嬉しかったです。

いやほんと読者様にこの作品が曲がりなりにも認めていただけて本当に良かったですよ。
だってラ・ピュセルと無印最多アンチ数を誇るだろうスイムスイムを絡ませた挙句キスさせたり、クラムベリーを殺し愛系ストーカー女にしたりマジカロイド555を出したあげくショットガン持たせて未来の殺人ロボの台詞(なっち訳ver)喋らせたり最後はパロネタのパロネタであるアンリミテッドソードエクステンドぶっぱしたりといやホントと我ながら正気じゃねえなこの作品。読者様いくらなんでも心が広すぎやしませんかね。

とまあ言いたいことはまだまだありますが、あまり長くなるのもあれですしおすしこのあたりで締めさせていただきます。

本当にありがとうございました。この物語を読んでくれた全ての読者様に感謝します。この作品を書いたのは作者ですが動かしたのは間違いなく皆様方です。
この物語はここでお終いですが、次はオリジナルまほいく物を書きますので、よければそこでまたお会いしましょう。

ああっ……畜生終わらせたくないなぁ。でもね、どんなに続いてほしい物でも必ず終わりがくる物なのですよ。ENDマークを打たれて初めて物語は真に完成するのです。だから作者は、本当に、ここで終わらせます。ああ、この物語をかけて本当に良かった。
ではではあらためまして万感の想いを込めて、この三文字で終わりとさせていただきます。






END










おまけ


ドジでのろまで何をやってもダメな魔法少女たまの下に、ある日未来から送られてきた猫型ロボット魔法少女のマジカロイド。
たまが巻き込まれるトラブルを不思議な未来の秘密道具で解決しつつ、愉快な日々を過ごしていた二人でしたが、ある日、唐突に別れの時がやって来ました。

「突然ですが未来に帰らなければならなくなったデス」
「ええっ!? なんでどうして!?」
「それはこの作品がこれで完結デスので、このおまけコーナーも本編が終わる以上今回で終了するからデスよ」
「なにそのメタい理由!? うえーんやだよいなくならないでよーマジカロイドー!」
「ちなみに延長料金は一日一万円デスが中学生には払えないでしょう。金の切れ目が縁の切れ目と申しますし潔く諦めるデス」
「そ、そんにゃぁ~……」

たまがどんなに引き止めても、マジカロイドはうんと言いませんでした。大人の事情だからしかたないのです。
ついにはたまも諦めました。ですがある夜、偶然、寝惚けて空き地を徘徊する森のゴリラことクラムベリーに遭遇したのです。

「キミに勝たなきゃ、マジカロイドが安心して未来に帰れないんだにゃー!」
「負け犬が、墓穴はぐはあああああああああ(ボーン★)!?」

喧嘩の末にボロボロになったたまを発見したマジカロイドはたまを背負って家に帰る事にしました。

「マジカロイド……私やったよ……」
「あの森のゴリラを倒すなんてすごいじゃないデスか」
「うん……強者だ何だとか言ってたけどワンパンで殺れたよ……」

次の日の朝、たまが目覚めた時にはマジカロイドはもう未来に帰った後でした。
ですがたまはマジカロイドがいなくなってももう泣きませんでした。未来に帰ったマジカロイドに笑われないように頑張ってそれからの日々を過ごしました。
ですが、ある日どうしても寂しくなったたまは、マジカロイドが残してくれた最後の秘密道具『言ったことが全部嘘になる薬』を飲みました。それをつかってしばらくは孤独を忘れて楽しく過ごしましたが、やはり寂しさは消えません。

「もうこの作品は終わっちゃう!マジカロイドはどうせ帰ってこないんだ!」

そうしてわんわん泣くたまの下に、しかしなんとマジカロイドが帰って来たのです。

「なんで!? どうして!?」
「いや~なんかいきなり『終わり』じゃなくなったんですよ」
「え、それって……」
「どうやらもうしばらくはアナタに付き合わなければならないようデスね。やっと解放されたと思ったのにやれやれデス」
「うっ……うえーん! マジカロイドー! よがっだよおおおおおおお!!」
「まったく、アナタはワタシがいないとホント駄目駄目デスね」

やれやれと肩をすくめるマジカロイドの顔には、まんざらでも無い笑みが浮かんでいました。
それから二人はドタバタで夏には大長編な冒険をしつつもいつまでも二人楽しく暮らしましたとさ。

めでたしめでたし。




というわけでたまが秘密道具を使ったため続編決定です。いやー秘密道具のせいならしかたないねっ(テヘペロ★)
なお現在プロット製作中につき、投稿はオリジナルまほいく終了後になる予定ですぜ。
 


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設定・キャラクター紹介

第一章終了時点でのキャラクター紹介ぽん。
なので一章のネタバレがあるぽん。未読の方は注意するぽん。
なおここでの設定はあくまでこの作品内のみのものなので、原作の設定とは一切関係ない事を心得てほしいぽん。

まだラ・ピュセルのみだけど、他のキャラクターも順次追加していくぽん。


◇キャラクター

『ラ・ピュセル』

本名・岸辺颯太

 

本作品の主人公。竜と騎士をモチーフにした魔法少女。

常に凛々しく堂々とした騎士の立ち振舞いをロールし、清く正しく美しくという己の『理想の魔法少女』を目指す求道者タイプ。ただしガチガチの原理主義という訳ではなく『何が正しいかは人それぞれ』と他者の正義には寛容だが、反面正しくあろうとしない魔法少女には嫌悪を抱く。

 

原作では幼なじみである姫川小雪=スノーホワイトに淡い恋心を抱き、スノーホワイトもまた自覚こそしていなかったが同じように彼を想い、だだ二人の想いは届かず無慈悲に消えた。

本作では同じようにスノーホワイトを想い、正しい魔法少女として彼女の隣に戻るべく過酷な運命に立ち向かった。己が死が迫っていようとも理想の魔法少女として正しくあろうとした彼だったが、死に逝こうとするスノーホワイトを前についに理想を棄て彼女を生かす事を決意。マジカロイドを殺害し、スノーホワイトとバードゴア・アリスの助命と引き換えにスイムスイムの騎士となった。

ただし彼自身はかつての『理想』を棄てても否定はしておらず、今の自分こそを間違っていると断じている。

 

・ステータス(五段階評価)

 

破壊力  ♥♥♥♥

耐久力  ♥♥♥♥

敏捷性  ♥♥♥

知性   ♥♥♥

自己主張 ♥♥♥

野望/欲望 ♥♥♥♥

コミュ力 ♥♥♥

経験   ♥♥

メンタル ♥♥♥

素質   ♥♥♥

魔法のポテンシャル ♥♥

 

ステータス的には全体的にバランスが取れており、よく言えばオールラウンダーだが、悪く言えば飛び抜けたものが無い、せいぜい中の上から上の下ほどの身体能力。

とはいえ咄嗟の判断や応用力には優れており、ポテンシャルの低い自身の魔法を最大限に活かした戦闘スタイルで圧倒的格上であるクラムベリーに傷を負わせ魔法を使わせるほど。アニメではその死の際にクラムベリーが彼を『強者』と認めるような言葉を贈っていた。

 

・魔法

『剣の大きさを自由に変えられるよ』

 

《ぼくの誓った魔法少女》

 

対軍宝具。ランクA+

敵全体に超強力な攻撃[Lv.1]&宝具威力アップ〈オーバーチャージで効果アップ〉&自身のHPを減少〈オーバーチャージで効果アップ〉+スタン付与(1ターン)〈デメリット〉

 

違った。訂正☆。

 

覇道型の〈創造〉。

かつては己の理想を体現せんとする求道者だったが、死に逝かんとする想い人を前に、その渇望がスノーホワイトを生かしたい、彼女には真の魔法少女であってほしい、そのために理想すら棄ててスノーホワイトを傷つける全てを駆逐してやるという覇道の渇望に変化したため発現した。

もし彼が流出位階に至り神座をとったならば、万民はスノーホワイトに救われるために絶望し悪はスノーホワイトに討たれるために罪を犯し善はスノーホワイトを支えるために在る、スノーホワイトというただ一人のためだけに森羅万象が存在する愛の地獄が降臨するだろう。

 

これも間違い再訂正(てへペロ♥)。

 

理想を棄てる哀しみとそれでも救いたいスノーホワイトへの想いで限界を壊したことで成長した魔法。『変化の限界は持てる大きさまで』という制限を一時的に解除する。発動条件は剣に触れ支えている状態であること。

理論的には無限に大きくなる剣はそれだけで究極の質量兵器である一方、支えられる限界を超えたその重量は無理をすれば肉体への深刻なダメージとなる諸刃の剣である。

 

余談だが、その魅力的なキャラクターゆえに一部からカルト的な人気があり、彼を愛する変態紳士淑女らによってまほいく二次エロ作品における覇権を築いた(ただし竿役としての出番は無い。何を言っているか分からないかもしれないが『ほぼ』無いのだ)。

というか原作でもお色気要員になりつつあり、彼が登場する際は高確率でエロい事が起こるので次の登場を全裸待機である。

 

 




どもども。新章を本格始動させる前に本作におけるキャラクターの設定を開示しておく必要を感じた作者です。

というわけで第二章の次話が来たかと期待された方には深くお詫び申し上げます。しばらく待っててくださいね。
その代わりと言っては何ですが、読んで下さる読者様方へ日ごろの感謝を込めて番外編である『魔法少女育成計画routeS&S~もしものR18ルート~』を投稿しました。良識あるアダルトの皆さまはよければお楽しみください。ティーンの方々はしかるべき時まで待っていてくださいね。絶対に見ちゃだめだよ。ウェディンと約束だっ。


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第二章 狂獣絶望要塞プリーステス
プロローグ


次はオリジナルほいくやるとか言ったな。あれは嘘ぽん!
……何故かこっちのほうが先に完成しちゃったぽん

訂正・ユナエルをミナエルと間違えてたから訂正したぽん。あいつら見分けつかなすぎぽん(泣)


 逸る心臓の鼓動を感じながら、僕――魔法少女ラ・ピュセル――は廊下を駆ける。

 緊張の滲む険しい表情で、どこからか血の香りが漂う中を急ぎ、だが決して警戒を怠らず。

 曲がり角の向こうから、壁に等間隔で並ぶいくつもの扉から、いつ敵が現れようとも迎え討てるよう剣を手に周囲に鋭い眼差しを走らせ、僕は同時に、共にここに来た仲間達の姿を探した。

 

 どこにいる? 彼女たちは無事なのか? 急いで見つけなくちゃ。

 だが焦るな。今の僕は仲間たちとはぐれて一人きり、だからこそ慎重に行動しろ。――ここでは、少しの判断ミスが命を落とす。

 

 そう己に言い聞かせ動揺と焦燥感を圧し殺そうとするも、つい剣を握る手に力が籠り、足は自然と速くなってしまう。そして脳裏に蘇るのは、仲間達とバラバラになった時の記憶。あの強大にして凶暴、生物どころか魔法少女としての常識すらも超えた『あいつ』の圧倒的暴力によって床が崩れ、瓦礫と共に階下へと落ちてゆくスイムスイムとたま、そしてミナエル達の光景が何度もフラッシュバックして心をかき乱されてしまう。

 

「駄目だ。落ち着け僕…っ!」

 

 ここはもうただのホテルじゃないんだ。ここはあいつ、カラミティ・メアリの手によって造られた戦場――最強の生命体である魔法少女を狩るための最凶の狩場なのだから。

 

 僕の前に広がるのは、鏡の如く磨き上げられた床、絵画や壺などの調度品が華やかに飾られた壁、そして煌びやかな照明がそれらを輝かせている光景。だが、もはやそれは見せかけだ。

 名深市の中でも一二を争うだろう豪華ホテル《ホテル・プリーステス》の内部は今、その豪奢さとは裏腹に恐るべき要塞と化していた。

 張り巡らされた幾重ものトラップ。弾ければ無数の鉄球が人体を破壊するクレイモア地雷。肉を貫き骨にすら食い込むトラバサミ。どこからでも飛び出し突き刺さる仕掛けナイフ。エトセトラエトセトラ……。壁に、床に、あるいは天井に仕掛けられたそれらが、それを仕掛けた主と同様に囚われた哀れな獲物がかかるのを虎視眈々と待っているのだ。

 

 ゆえに絶対に嵌るわけにはいかない。ああこんな所で死んでなるものか。たとえこの身が堕ちようともあの子を、スノーホワイトを救うと誓ったんだ。だからこそ僕はスイムスイムの騎士となり、ここにいるんだ。

 

「生き残ってやる。絶対に……ッ」

 

 この狂った殺し合いが終わりスノーホワイトが真に助かる、その時まで。

 決意を新たに、まずは落ち着くべく僕はいったん立ち止まり、深く息を吸おうとした、その時―─

 

あ゛あ゛あ゛あああああああああああ!!

「なっ――!?」

 

 真横のドアを突き破り、目を見開いた男が掴みかかってきた。

 どこにでもいるようなサラリーマン風の中年男性だが、その目は血走り獣じみた呻きを上げて。

 驚愕しつつ咄嗟に剣を掲げ盾にしようとするも、それよりも先に男に肩を掴まれ、凄まじい力で押し倒されてしまう。

 硬い床に背中がぶつかる衝撃に一瞬息が詰まり、剣を取り落とす。そんな僕の喉元に向けて、男は歯をむき出しにして齧りつこうとしてきた。ヤバい。僕は咄嗟に右手で男の額を、左手で肩を掴みそれを間一髪で押さえつける。

 

「ぐぁうっ!? う゛あ゛おおおおおおおお!」

「くっ……なんだこの力は……!?」

 

 なんとか喉を食いちぎられる事は防げたものの、なおも執拗に齧りつこうと暴れる男。

 まるで狙ったようなタイミングの襲撃だったが、濁り切って焦点の合っていない瞳には一片の理性も無い。正気を失い意思を壊され、そこに在るのは殺意と暴力衝動のみ。限界まで開かれた口から涎と絶叫を撒き散らすその姿は怖気がはしるほど悍ましく――そしてどこか憐れだ。

 だが憐れんで加減する余裕などありはしない。こいつの外見は只の人間だが、そのパワーは魔法少女であるはずの僕が力を込めてようやく抗えるほど。到底常人のそれではない。これもまた己と同じ、条理から外れた異常の存在なのだ。

 

「くうぅっ……離せえっ!!」

 

 このままではまずい。そう判断し腹を蹴り飛ばして離れさせる。その勢いで背中から壁に激突した男は衝撃で内臓が傷ついたのか大量の血を吐いて倒れ、だがすぐさま起き上がってきた。

 

「あ゛……ぉあ゛あ゛・・・・・・」

 

 ぼとぼとと垂落ちた血が床を濡らす。

 両目両耳そして鼻と口から血を流し、全身を己が血で赤黒く染めながらもぎこちない足どりで近づいてくるその様にゾっと鳥肌が立つのを感じた時、

 

 

 

「「「 あ゛あ゛あ゛゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ 」」」

 

 

 

 地獄から響くかのような幾重もの唸り声。振り向けば、廊下の向こう側から群れを成して迫る者達の姿が。

 蠢きひしめき合いながら、奴らは一様にこの血まみれの男と同じように理性無き瞳を殺意で濁し、それを満たすための血肉を求めて指を広げ両手を前に突き出しやって来る。

 

「僕たちが争う音を聴いて集まって来たのか……っ?」

 

 なんにせよ、不味い。

 目の前の男一人でも厄介だというのに、それ以上の数を相手にしては――殺しでもしない限りは――到底抗えない。

 僕は舌打ちしつつも急いで立上がり、奴らが来るのとは反対側の廊下へと逃れようと足を向けて――そこからも現れた新たな集団を目にした。

 

「嘘……だろ……」

 

 更なる危機に、背筋が凍る。

 

 何てことだ。これでは逃げる事も出来ない。ならば戦うか……殺すのか? 魔法少女でもないただの人間を。彼らは、メアリによって正気を奪われた被害者なのに……ッ。でも、このままでは僕は……――

 

 退路をも防がれ、それでも絶望的な状況を打開する方法は何かないかと逡巡するも焦りと葛藤で思考が纏まらず――答えを出すより先に、二つの群れが僕の下へと到達した。

 怒涛となって廊下を進み、視界を埋め尽くす奴らに一斉に圧し掛かられ、再び床に倒される。伸ばされた無数の手に四肢を掴まれる痛み。重なり合う不気味な呻き声の恐怖。そして押さえつけられ死の予感に戦慄する僕の血を肉を骨を喰い千切るべく、歯を剥き出しにした無数の口が殺到し――どこかでかちりと音が鳴り、直後、轟音と衝撃が炸裂した。

 呻き声の大合唱をもかき消す爆発音。そして床も壁も男たちも何もかもが激震する衝撃が襲い掛かり、僕は成す術も無く吹き飛ばされた。

 僕の身体は爆風で宙を舞い、床に叩きつけられる。

 

「がっ!? ……ぐ、うぁ……一体、何が……――ッ!?」

 

 その衝撃に呻きつつも、何とか震える足で立ち上がった時、目の前には地獄絵図が広がっていた。

 穴が開き黒く焼け焦げた天井。凄まじい衝撃にひび割れ、一部が崩れ落ちた壁。そして、その全てに飛び散り、赤黒く濡らして染め上げる、血と肉片とそして千切れた臓物をぶちまける無数の屍。そのいずれもが衝撃でひしゃげ、手足があらぬ方向にねじ曲がるか千切れている。中には完全にミンチとなっている者もいて、それらは赤いクヂャグチャの塊となって壁に天井にこびり付き、ぼたぼたと床に血肉を滴らせていた。

 

「酷いな……。でも、そうか……」

 

 咽かえるような濃密な血と臓物の臭いに込み上げる吐き気を堪え、その惨状を観察し何があったのかを理解する。

 あの時『かちり』と鳴ったのはおそらく、この廊下に仕掛けられたトラップの作動音だったのだろう。それが地雷なのか何なのかは想像するしかないが、それを男達のうち誰かが偶然作動させてしまい、爆発した。

 その衝撃をまともに受けた男たちはこうして正真正銘の屍となったが、僕は頑強な魔法少女であったことに加えて、圧し掛かっていた男達が偶然にも盾となったから助かったのだ。

 

 故意でないにせよ罪も無い人を犠牲にして生き延びてしまった。その事実に罪悪感の混じる複雑な想いが湧き上がるも、

 

「ぅ、ぁ……あ゛あ゛……」

 

 再び聞こえた呻き声にハッと息を飲む。

 見れば、血に染まる床に折り重なった屍の中から何人かがもぞりと立ち上がっていた。

 おそらくは辛うじて生き残った者達だろうが、そのいずれもが肌が傷つき肉が見え、中には破れた腹から内臓を垂らしつつも歩いてくるその姿は、まるでウィンタープリズンと見たZ級ホラー映画に出てくるゾンビそのもの。

 くわえて、奴らような者達はまだこの館内に無数にいる。また囲まれる前に直ぐにここから離れなければ。僕は床を蹴り、その場から逃げ出した。

 

 そしてしばらく廊下を走るも、やはりどこもかしこも奴らが彷徨っている。このままではいけない。一端はどこかに身を潜め対策を考えるべきか。とりあえず僕は見つけた大きな扉を開けて中に飛び込み、素早く扉を閉めた。そして取っ手の間に閂代わりの鞘をねじ込み完全に封鎖してようやく、安堵の息を吐く。

 

「ふぅ……これでひとまずは……――ッ!?」

 

 ふと、背後から聞こえる何者かが駆け寄って来る足音。

 手元に剣を出現させると同時に、僕は振り返り斬りかかろうとして

 

「ラ・ピュセル~~!」

「たまっ!?」

 

 大きな瞳に安堵の涙を浮かべて飛び付いて来ようとする犬耳の魔法少女――たまの姿に、慌てて剣を止めた。

 

「わにゃあ!?」

 

 刃は何とかたまの喉を切り裂く寸前で停止したものの、喉元に突き付けられた刃に驚いて飛び退こうとするもすってんころりんと尻餅をつくたま。

 

「うぅ……お尻が痛いにゃ」

「ご、ごめんっ……!」

 

 まさしく犬の『おすわり』のように、ぺたんと小さなお尻を床に付けて呻くたまに僕は手を差し伸べ、立たせてあげた。

 

「でも、よかった。たまが無事で……」

「うん。私もラ・ピュセルが死んじゃったらどうしようと思ってて、心配で……心配で……っうあああああああああああ無事でよかったおおおおラ・ピュセルうううう!!」

 

 大声で抱き着いてくるたま。はぐれてからきっと今まで不安でたまらなかったのだろう。濡れた瞳から大粒の涙をボロボロとこぼして「よかった……ひっく……よかったよぉ……」と僕の胸に顔を埋めて泣くその頭を、労りを込めて優しく撫でる。

 

「ありがとう……たま。それとごめんね。心配かけて」

「うぅ、別にいいよぉ……ラピュセルが元気なら、それで……。ってうにゃあ!?  ラ・ピュセルの身体血がべったりだよっ!?  だっ、大丈夫なの!?」

 

 顔を真っ青にして叫ぶたま。僕の姿はさっきの爆発で吹き飛んだ奴らの血をもろに浴びてしまったため酷い有様だった。

 

「大丈夫だよ。これは全部返り血だから。たまの方こそ怪我とかしてない?」

「私は大丈夫だよ。……っでも、スイムちゃんが……」

「っ。スイムスイムも一緒なのかい?」

 

 たまは頷くと、僕の手を引いてそこに案内する。

 おそらくセレモニーや宴会用の大部屋なのだろう広い室内の一角、床に敷かれたカーペットの上に――力無く横たわるスイムスイムがいた。

 だがその白砂のような肌は血の気を失って青白く、なのに不吉な汗が絶えず吹き出てじっとりと全身を濡らしている。淡い唇からは苦し気な吐息が漏れて、薄く開かれた瞳は焦点が合わず霞んでいた。見るからに危険なその状態に、思わず駆け寄り呼びかける。

 

「スイムスイム!」

 

 生気を失いつつあるその顔を覗き込み名を呼ぶも、スイムスイムは答えを返さない。いや、返せないのだ。

 原因は今も彼女の体を蝕み、意識を混濁させ、命を奪わんとする物。それは

 

「メアリから受けた毒か……ッ」

 

 床が崩れ全員がバラバラに落ちる前に、彼女はメアリによる攻撃を受けていた。通常の毒物ならばよほどの物でもない限り魔法少女に効果は無いのだろうが、この状態を見る限りあれはメアリの魔法によって強化されたものだったのか。

 

「皆とはぐれたすぐ後、私は倒れてるスイムちゃんを見つけたの。その時にはもうこうなってて、とりあえず動けないスイムちゃんを背負ってここまで逃げてきたんだけど。でもそれからどうしていいかわからなくて……ッ」

「いや、たまは良くやったよ。奴らで一杯のこのホテルの中を一人で、スイムスイムをここまで運んできてくれたんだから」

「ラ・ピュセルぅ……」

 

 実際、行動不能となったスイムスイム一人ではすぐに殺されていただろう。そう感謝を伝えたその時、スイムスイムが苦し気な咳を漏らし、震えていた肢体から力が抜ける。

 見れば、その瞼が徐々に落ちようとしていた。

 

「いけない……っ!?」

 

 このまま意識を失わせては絶対に不味い!

 不吉な直感につき動かされ僕は咄嗟に、以前に一粒だけ手渡されていたカラフルな丸薬――魔法のアイテム《元気の出る薬》をスイムスイムの血の気を失った唇に押入れた。飲んだ者のテンションをマックスにするというこの薬ならば、薄れゆく意識を覚醒させることが出来るかもしれない。一縷の望みをかけて口に含ませた薬を、

 

「ぅっ……けほッ!」

 

 だがスイムスイムは上手く呑み込めずに咳込み吐き出してしまう。

 しかしこの薬を飲ませなければスイムスイムは……ッ。だから僕は

 

「……っごめん!」

 

 薬を自らの口に含んでガリガリと噛み砕き、そのままスイムスイムに口づけした。柔らかな唇を濡れた舌で無理やり押し開き、熱い咥内にねじ込む。冷たくも甘いスイムスイムの香りを感じながら、僕は唾液ごと口移しで薬を流し込んだ。

 

「んくっ…!? ちゅ……やぁ……っ」

 

 スイムスイムは無意識にか嫌々するように顔を動かし唇を離そうとするも、僕はその火照った頬を両手で抑え無理やりにでも飲ませ続ける。細い喉がこくんこくんと動き、やがて薬を全て飲ませ終えた時、スイムスイムの身体がビクンと震えて、今にも落ちようとしていた瞼がはっきりと開かれた。

 焦点を結んだ赤紫の瞳が、僕を見る。

 

「ラ・ピュセル……?」

 

 呟く、小さく、殆ど囁くような、でも確かに意思のある声。

 僕とたまは安堵の息を漏らした。

 

「気がついたんだね。スイムスイム」

「よかったぁ……。スイムちゃん大丈夫? 痛い所は無い?」

「たま……?」

 

 自分の顔を覗き込む僕達に、スイムスイムはぼうっとした表情にかすかな困惑を浮かべて

 

「ここは……? わたしは……なんで……」

 

 朦朧としていた間の記憶が曖昧なのか、状況を把握できずにいるスイムスイムに、僕は今までの――皆がバラバラになり僕とたまが合流するまでの――経緯を伝えた。

 

「そう……ありがとう二人とも。……ぅうっ!!」

「スイムちゃん……!?」

 

 全てを聞き終えたスイムスイムは体を起こそうと身じろぎするも、苦し気に呻く。

 無理も無い。意識が覚醒したことで生気は多少戻ってきたが、今だに全身の汗は止まらず呼吸は苦し気で、その身体は毒に蝕まれ続けているのだ。

 

「動かないで。無理はしない方がいい」

「はぁ……はぁ……うん」

 

 こくんと頷くスイムスイム。

 その動作すらも緩慢で、もはや自分で立ち上がる力すらも無いのは明白だった。

 これではもう戦えないだろう。本当なら絶対に動かさず安静にしているべきなのだろうが……状況がそれを許さない。

 今は安全とはいえ、あのメアリが相手である以上、何が起こるか分からない。この部屋に実は時限爆弾が仕掛けられていたくらいならまだしも、下手に籠城戦などすればそれこそ痺れを切らして僕達ごとビルを爆破すらしかねない。カラミティ・メアリとはそういう魔法少女なのだ。

 

 それに残りの仲間の行方も気になる。

 腐っても魔法少女、簡単には死なないとは思うが、それでも安否が心配だ。

 なにより戦うにしても僕一人ではメアリならともかく――『あいつ』には絶対に勝てない。

 ゆえに一刻も早く合流しなければ。

 

「スイムスイム。とりあえず、これからどうするかを――」

 

 考えよう、そう言おうとした時

 

 

 

 ああ嗚呼ああああアアアあああああアあああああ嗚呼あああああ!!

 

 

 

 凄まじい獣の咆哮が轟き、全ての音を掻き消した。

 それは痛みと悲しみと絶望に震える――慟哭。大気を震わせ、このホテルの全部屋全階層にまで鳴り響き、聴いた者の背筋を凍らせ本能的恐怖を掻き立てる狂気に満ちたそれ。

 そして同時に、ドンという振動が床を震わせた。

 地震などではない。ドン! ドン! と鳴り続き、むしろ段々と強く、近づいてくるこれは――足音だ。

 あいつが――あの獣がやって来る音だ!

 

「ひっ……この声って……まさか……ッ」

 

 顔を青ざめ恐れを浮かべて、慄く唇から悲鳴を漏らしたたまを臆病とは思わない。

 だって僕は知っているから。あの絶対的な力を。絶望的な狂気を。戦う魔法少女であるはずの僕達全てを相手にしてなお圧倒せしめる、その恐怖を。

 

 勝てない。僕一人では、いや、仮にたまと二人がかりだろうとも絶対に。

 ならばどうする? 逃げるか? いや、逃げられるのか?

 一人では立つことすらも出来ないスイムスイムを抱えながら、奴らで一杯の廊下を駆けて? 

 ……駄目だ。どてもじゃないが奴らに対処しながらでは、追いかけてくるあいつを振り払えない。いずれは追いつかれ、殺される。

 

 なら、今ここですべきは

 

「――たま。今すぐスイムスイムを抱えて逃げてくれ」

「え……?」

「あいつは廊下を通ってあの扉から来るだろうから、君は壁に穴を開けて隣の部屋か別の通路へと逃れてくれ」

「でも、ラ・ピュセルはどうするの?」

 

 僕は、答える。

 

「――僕はここで、あいつを足止めするよ」

 

 たまの瞳が大きく開かれた。

 

「そんなっ!? 危険すぎるよっ!」

「でも、遠くまで逃げるまでの時間を誰かが稼がなくちゃならないんだ。……それが出来るのは、僕だけから」

 

 目を向ければ、スイムスイムは依然として力無く横たわっている。

 蒼褪めた唇は言葉を紡ぐこと無く苦し気な吐息を漏らし続けて、もしかしたら再び意識が朦朧とし出しているのかもしれない。ならばやはり、このまま戦いに巻き込む事など出来ない。

 

「でも、そんな……っ」

 

 それしかない。それが生き延びるための最善手だ。

 そう分かってもなお、僕の身を案じて目尻に涙を浮かべるたまを少しでも安心させたくて、僕は微笑んだ。

 

「別に倒そうと言う訳じゃないよ。ただしばらくの間――そうだな、五分間だけ足止めするだけだ。五分経ったら僕も隙を見て逃げ出すよ。……大丈夫。僕は死なない。死んでなんていられないから」

 

 スノーホワイトの為に、絶対に。生きてやる。何が相手でも。

 

「うん……わかったよ」

 

 決意を込めた僕の言葉に、たまもまた覚悟を決めたようだ。

 己の涙を肉球の付いたグローブで拭うと、潤んでいた瞳に力を込めて

 

「私が絶対にスイムちゃんを守るから、ラ・ピュセルも……ううん、()()()()絶対に死なないでね」

「ああ、約束しよう」

 

「絶対だよ」たまはそう念押しすると、素早く、だが丁寧にスイムスイムを背負った。そして近くの壁に爪を一閃させて穴を開け、最後にもう一度だけ僕に目を向けた後、その中へと迷い無く飛び込んで行った。

 穴の中へと消えるたまの背中を見送った僕は、剣を構えて扉へと向き直る。いずれあいつが現れるだろうそこが、地獄の門に見えた。

 

 足音はどんどん近づいてくる。

 大きく、激しく。床を揺らして大気を震わせ、轟く慟哭がやって来る。

 

 

 

 どこおおぉぉおおどこにいるのおオオおおおおおおおおおお!

 

 

 

 足音に混じってぐしゃりと鳴るのは、廊下にいた奴らが撥ね飛ばされあるいは踏み躙られる音か。たとえ奴らがどれほどいようとも、あいつを止める事など出来ないだろう。あれにはもはや正気は無く、目に付く全てを壊し砕き殺し尽すモノだ。

 

 

 

 頭が痛いいぃぃいいいいイイイい怖い怖いよおおおおオオお!

 

 

 

 泣き叫ぶ、殺戮の行進(マーチ)が聞こえる。

 たまには五分足止めするだけとは言ったが、その五分がなんと長く困難な地獄であることか。足止めだけだから安心しろとは我ながら酷い冗談だ。

 あいつを正面から相手する。その時点で十分すぎるほどの自殺行為だろうに。

 だけど、

 

 

 

 たあアあすけてえェェええエエえええええエえええええ!

 

 

 

「ああ、助けるさ」

 

 

 轟く慟哭と破砕音。目の前の扉が凄まじい力で周囲の壁ごと粉砕され、粉塵が舞い上がる。衝撃で配線が切れたか大部屋の照明が消える。そして崩れ落ちた壁の大穴から差し込む逆光の中に――一匹の獣がいた。

 

 視界を覆い尽くすほどの巨体。それを覆う、これまでの犠牲者の物とおぼしき血と肉片がべったりとこびりついた剛毛。もうもうたる粉塵に映し出されるそのシルエットは、奇怪な事に絶えず蠢き変化している。うねる頭足類の触手が見えた。爬虫類の尻尾がしなり偶蹄類の蹄が床を叩く。そして爛々と光り、眼前の獲物である僕を見下ろす魚の犬のトカゲの鳥のあらゆる動物の瞳。

 それはまるで、この地球上に存在する全ての獣を滅茶苦茶に混ぜて形としたかのような異形。

 恐るべき狂える獣。

 

 だが、僕は殺されるわけにはいかない。そしてこいつを殺しもしない。

 なぜならば

 

「僕は、君の姉とも約束したんだ」

 

 

 

 たすけてよぉォオ! おねえぢゃあああぁぁああああアアあああああああんッッッ

 

 

 

 

「絶対に、君を救うのだと――ユナエル」

 

 

 僕の誓いと狂獣の慟哭が、絶望の要塞に鳴り響いた。

 

 

 

 

 

 魔法少女育成計画routeS&S

 

 第二章

 

 

『狂獣絶望要塞プリーステス』

 

 

 開幕

 




なぜか新章タイトルがFGO っぽくなってしまった。ソシャゲのやりすぎかしら( ´-ω-)
ともあれお読みいただきありがとうございます。この物語を書きはじめた頃にジャンヌが来たと思ったらラピュの闇落ちENDを書き終えたらジャンヌオルタが来た作者です。これが書けば出るというやつか……。

第二章では一章で出番の少なかったキャラ達にもスポットライトがあたる予定なのでお楽しみに。


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新連載大発表!(前編)

うるる「ハッピーエイプリルフール! 今日は作者が新しく連載を開始するまほいくクロスオーバー作品のお知らせだよ! みんな大好き魔法少女育成計画と『このライトノベルがすごい!2017』文庫新作ランキング一位の人気作を混ぜるな危険をあえて混ぜてクロスオーバーするよ! 連載開始は近日予定。みんな楽しみにしててね♪ ――でもでも、それまでに待てないという読者のために、なんと第一話を前後編で先行公開するよ! これでプク様も大喜びだね!プク様万歳!」

注・まほいく二巻以降及び両原作の軽いネタバレがあります。

注2・なお主に作者の実力不足のせいで両原作の雰囲気や文体を全く再現できてませんので、文体の再現度にこだわりのある方はそっとブラウザバックしてください。

注3・世界観の違う原作同士を強引にクロスオーバーさせたので、設定の改変や独自解釈を多数しています。これが不快である方もブラウザバックをお勧めします。

注4・作者は割と二次創作だから許されるギリギリのネタをノリでぶち込みますので、「このキャラはこんな事をしない」的キャラ崩壊があります。これを受け付けない方はレッツブラウザバック。

以上、全てを了承してくださる方だけお楽しみください。


 からころころり。

 

 神様がサイコロを転がします。

 ここではないどこか。はるか遠く、いえいえもしかしたら意外と近くにあるのかもしれないどこかの世界では、今日も今日とて神さまたちが盤面(せかい)を囲んでサイコロ遊びに興じています。

 

 《真実》という神様がころんとサイコロを転がせば、新たな冒険者の駒が作られて盤上に置かれ、冒険に旅立ちました。

 《豊穣》という神様が触手をくねらせサイコロを転がせば、そんな冒険者を迎え撃つべく盤上に大迷宮が出来上がります。

 冒険者がどうなるのかは、次に《幻想》という神様が振る《宿命》と《偶然》のサイコロ次第。出目は果たしてクリティカルかはたまたファンブルか。《真実》も《豊穣》も《幻想》も他の神さま達もドキドキワクワクしながら見守り、そして出た目に皆で一喜一憂しました。

 

 いけ、そこだ、よっしよくやった。あっちゃー、いやあ惜しかった。次はこうはいかないぞ。

 わいわいと盛り上がりながら神さまたちはまたサイコロを振りだします。

 

 ころころころり。ころころり。

 

 次は一体どんな物語になるのだろうと胸を高鳴らせながら。

 切ないラブストーリーか血沸き肉躍る英雄譚かあるいは血塗られた復讐劇か。神さまは冒険者たちが描く物語が大好きなのです。

 

 そんなある時、「あれ?」と《幻想》の神様が首を傾げました。隣にいた《真実》もなんだなんだと《幻想》が見ている物を見て、同じく首を傾げます。

 そんな二柱の様子に周りの神様たちも気づいて、今度は皆で首を傾げました。

 

 

 

 いつの間にか盤上に、誰も知らない駒が置いてあったのです。

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

新連載

魔法ゴブリンスレイヤー育成計画

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 ◇スノーホワイト

 

 息を吸えば、充満する血と汚物の臭いが鼻腔を侵す。不快な湿り気を帯びた空気は、肌にべったりと纏わりつくようだ。

そこは暗く、深く、どろりと濁った闇に満ちていた。

 おそらくは洞窟か坑道だろうざらついた岩肌が剥き出しとなったその中を、白い魔法少女──スノーホワイトは慎重に、だが決断的な足取りで進んでいた。

 

「──ファル。あいつの反応は分かる?」

 

 可憐な少女の淡い唇が紡いだのは、だが冷たさすら感じるほどに鋭い声。獲物を追う狩人そのものの問いに答えるのは、彼女の肩のあたりに浮いている白黒饅頭か潰れた金魚のようなデザインの電脳妖精タイプのマスコットキャラクター──ファルだ。

 

「間違いないぽん。この通路の先にあいつはいるぽん」

 

 頷くように丸いからだを揺らすと光るリンプンが散って、スノーホワイトの姿と、その横の岩肌に飛び散った血痕を照らし出す。

 

「でも気をつけるぽん。……ここがどこなのかは分からないけど、どう考えてもマトモな場所じゃないぽん」

 

 重い声で呟き、見下ろした床には──赤黒い血だまりが広がっていた。それもまるで悪童が赤いペンキを滅茶苦茶にぶちまけたかのように壁まで飛び散って、悪趣味極まる前衛芸術のごとく辺り一面を染め上げている。

 そしてその中に浮かぶのは、──肉の塊。

 そう、塊だ。そうとしか言えぬ、男か女が大人か子供かも分からぬ、原型も留めぬほどに斬られ抉られ潰された肉片がいくつも床に壁こびりつき、噎せかえるような死臭を放っていた。

 

 しかもそれはまだ乾ききっておらず、新しい。

 おそらくは自分達がここに来る正にほんの少し前にこの惨劇が起こったのだろう。

 自分達が追っている相手の仕業かとも考えたが、スノーホワイトはすぐにそれを否定した。あいつにはそこまでの力は無いし、どうしようもない性格破綻者の悪党ではあるが自分達に追われている最中にわざわざそんなことで時間を潰すほど馬鹿ではない。ならば残る可能性は、自分達の知らない第三者によるものだ。

 そしてそいつは恐らく、今もこの血と屍と汚物の臭い渦巻く闇の奥に蠢いている。

 

 ぎゅっと、薙刀のような魔法の武器《ルーラ》を握る手に力をこめた。強く、強く握り、思う。

 だとしても、もしここが地獄の入り口だというのならば上等だ。その底まで追い詰めて捕まえてやる。

 自分は魔法少女狩りなのだから。

 

 

 ◇ファル

 

 

『クラムベリーの信望者が、担当する魔法少女選抜試験で殺し合いをさせている』

 

 そうとある人物から通報を受けたのは、つい先日の事だった。

 森の音楽家クラムベリー。恐るべき戦闘狂にしてスノーホワイトの運命を変えた希代の魔法少女のカリスマはその死後に到っても呪いのごとく現世に残り、その血塗られた思想に魅せられた者達は後を絶たない。

 今回もまたその手合いで、加えてご丁寧にもその証拠と共に提供された情報によれば、なんと試験官ばかりかそのサポートとして本来ならば凶行を止めるべきマスコットキャラクターまでもグルになって犯行を行っていたというのだ。

 

 早速その試験官達を捕まえるべく行動を開始したスノーホワイトだったが、どこからか情報が漏れていたらしく、駆けつけた時には件の試験官が今まさに異世界に通じる魔法のゲートを作り出して逃げようとしていた所だった。

 間一髪で間に合い、何とか試験官を捕まえる事が出来たスノーホワイトだったが、共犯であるマスコットキャラクターは取り逃がしてしまう。

 勝ち誇った笑みと共にまんまとゲートを通り異世界に逃れたマスコットを追おうとしたスノーホワイトを、ファルは止めた。

 

 このゲートはどこに繋がっているかわからず、しかも急拵えのため不安定で間もなく消えてしまう。つまりは行ったきりの片道だ。そして向こうにこの世界に帰るための手段があるかも分からないのだ。

 危険すぎると訴えるファルの言葉に、だがスノーホワイトは

 

「『異世界に行けば魔法少女狩りから逃れられる』そんな前例を作るわけにはいかない。目をつけられたら誰も逃げられない。それが魔法少女狩りだから」

 

 そう言って、躊躇わずゲートに飛び込んだのだった。

 

 

 その時の相棒の顔を思いだし、ファルは内心で重いため息を吐く。

 この魔法少女が冷徹とも言える判断力を持つ一方で、全てを顧みない信念を──否、激情を胸に燃やしているのは知っていた。そこためならば己が命を危険にさらすことすら厭わぬことも。ならばこそブレーキ役となるのが自分であるはずなのに、出来なかった。

 いや、そもそも自分が彼女を止められた事がはたして何度あったろうか……?

 これまではそれでも何とかやってこれた。

 それはスノーホワイトの力とファルのサポート、そして相手が同じ魔法少女だったからだ。

 

 しかし、ここからは違う。この見知らぬ世界ではそうもいかない。

 かつて歪んではいたが魔法少女という存在を愛していたキークの下で、あらゆる魔法少女に関するデータを──他の世界での活動記録にいたるまで──収集していたファルは知っている。

 たしかに自分達の世界では魔法少女こそが最強の存在だった。だが異世界にはそれぞれの強者が、自分達の世界とは全く異なる環境で進化し、弱肉強食の頂点に立った『最強』がいる事を。そしてそれらは人を超越し、中には魔法少女にすら並ぶ力を持つ者達がいるのだとも。

 

 たとえばとある世界に存在する、コトバによって生まれしケモノ。たとえば世界を蝕むバグを消すウィザード。もしくは小樽の大詩人。初対面で鎖骨を踏み潰す暴走少女。二つ名が《噛ませ犬(エンハンサー)》。恋の伝説の桜を咲かせたモテ男。

 そしてとある世界の《美少女》なる上位存在の中でも《大量破壊が可能な美少女(メアリー・スー)》と呼ばれる者達にいたっては、あの魔王パムとすらやりあえる強さだという。

 

 さすがにそこまでの超越存在がそうそう居るとは思わないし、そもそもいたら自分ではどうしようもないが、それ以外の脅威からならば何としてでもスノーホワイトを守ろうと思う。 

 彼女は確かに強く、冷静沈着ではあるが、その在り方はあまりにも危うい。

 だからこそ、自分が守らねばならぬのだ。かつてスノーホワイトに救われた者として。そして――かつての主を救えなかった者として、今度こそ。

 

 そうファルが決意を新たにした時

 

 

「GOGGBR!」

 

 

 背後の闇の奥から、『奴ら』が現れた。

 

 

 ◇◇◇

 

 

 闇の奥から、奴らはずっと可憐な侵入者を見ていた。

 細く節くれだった、だが鋭い爪の生えた手で、先の犠牲者の血と肉片がべったりと付着した武器を持ち。

 その白雪を思わせる柔肌を切り裂き蹂躙する想像に涎を垂らし、股ぐらをいきり立たせて。

 

 その姿は小さく、だが爪と牙を持ち腰に襤褸布だけを巻いた醜い生き物――小鬼(ゴブリン)

 醜く不潔で、背丈、知性、力は共に子供並みしかない、この世界に数多蠢く混沌の勢力――《祈らぬ者(ノンプレイヤー)》どもの中で最も弱い怪物。

 強者にはへつらい、だがその実世界で最も偉いのは自分だと疑わず、弱者を蹂躙する事を悦びとする文字通りの鬼畜生。

 

 奴らが何処から来たのかは分からない。

 只人(ヒューム)は誰かが一つ失敗すると一匹湧いてくると伝え。

 蜥蜴人(リザードマン)は地の底に王国があるのだと教わり。

 鉱人(ドワーフ)森人(エルフ)の堕落した姿だと聞き。

 森人(エルフ)は黄金に魅せられた鉱人(ドワーフ)の成れの果てと聞き。 

 そしてある男の姉は――天に浮かぶ緑の月から来たと、かつてまだ幼い子供だった男に教えた。

 はたしてそのどれが真実なのかは分からない。ゴブリンならざる《祈る者(プレイヤー)》には。いや、もしかしたらゴブリン共自身にも。

 だが、奴らがなぜ生きているのかと問われれば、全ての者達はたった一つの答えを断言するだろう。

 

『ゴブリンはただ奪い、犯し、殺すために生きているのだ』と。

 

 ゆえに今、スノーホワイトを見つけたゴブリンたちの汚らわしい脳髄を占めるのは、仲間を守らねばという思いでも強者に挑もうという戦士の誇りでもなく、いかに彼女を蹂躙するかという鬼畜の欲望だった。

 

 見つけた。冒険者だ。

 だがこの臭いは只人でも森人でもない。何だあれは。

 知るものか。どうでもいい。たとえなんであろうとあれは女だ。

 ならば犯せ。犯して孕ませ仲間を増やし、最後は餌にしてしまえ。

 なら最初に犯すのは俺だ。いやいや俺だ。何を言っている俺の方が偉いだろ俺に寄越せ。

 

 ゴブリンに譲り合いの心など端から無く、同族からすら奪うことを躊躇わぬ。

 ならばあいつを倒した奴が一番先だと一匹が言い、全員が――もちろんいざとなったら自分が倒したと言い張るつもりで――同意して、一斉にスノーホワイトへと襲い掛かった。

 視界の届かぬ背後からの奇襲(ランダムエンカウント)

 くわえて向こうはたった一人だがこちらは三匹いる。

 失敗するはずなど無かった。事実、こいつの前に侵入した冒険者もこれで容易く斃せたのだ。

 冒険者というのは本当に馬鹿な奴らだ。それに引き換え自分は何と賢く運が良いのだろう。さっきの奴は男だったが今度は女、さてどのように犯して殺して喰らってやろうか。

 

 そう穢れた脳髄を肉欲に満たしていた先頭の一匹の笑みは――スノーホワイトが振り向きざまに薙ぎ払った刃で脳髄ごと断たれた。

 

「GORO!?」

 

 鼻から上を斬り飛ばされた同族。それを間抜けな奴だと嗤った二匹目は、一匹目を屠ったルーラが虚空を滑るように翻り頭頂部から股間まで真っ二つにされる。

 断面を曝し、薪割りのように左右に崩れ落ちる二匹目の姿に、最後の一匹は驚き立ち止まった。

 息を飲み、蛇に睨まれた蛙の如く硬直する。下りる沈黙。

 白い魔法少女と目が合った。

 恐怖も怒りも無く、ただ己が獲物を冷徹に狩り、その手に握る血を滴らせる刃よりもなお冷たい――氷獄のごとき瞳と。

 

「GOOBROーー!」

 

 ゴブリンは逃げ出した。

 心臓すらも凍るような恐怖に怯え、スノーホワイトを奇襲するために掘っていた横穴に飛び込もうとして

 

「GOBGO!?」

 

『まるでそうするのがあらかじめ分かっていたかのように』正確な軌道と無慈悲な速度で投げられたルーラに背中から貫かれ、岩肌に縫い付けられてしまった。

 悪趣味な標本のようになったゴブリンは必死にもがくが体内を貫通し岩に深く突き刺さった刃から逃れる事は出来ず、むしろその動きで傷口が広がり、刃が肉を裂く痛みに絶叫する。

 そんなゴブリンの下にスノーホワイトはゆっくりと近づき、

 

「ここで、小さな妖精を見なかった……?」

 

 たった今凄惨な命のやり取りをしたとは思えぬ程に淡々とした表情で、問いかけた。

 ゴブリンは答えない。ただ血と涙を垂れ流して悲鳴とも罵倒ともつかぬ声で喚き散らすのみ。

 

「答えて」

 

 有無を言わせぬ声で言い、ルーラの柄を握って力を込めぐりぐりと動かす。

 刃が肉を抉り傷口をみちみちと広げ、噴き出した血がスノーホワイトの白い頬を濡らした。

 ゴブリンは更に絶叫した。

 

 止めろ痛い動かすなやめてくれ畜生なぜこんなことをする自分は何も悪い事など何もしていないのに痛い痛い痛いくそくそ糞がッ殺してやるッ絶対にお前を死ぬまで殴って犯して孕ませ――ッ

 

 その憎悪と獣欲の叫びが終わる前に、スノーホワイトの足が無言で振り上げられ

 

「GOBGRO!?」

 

 ぐしゃりと、硬いオーバーニーブーツの底でいきり立った股間を踏み潰され――ゴブリンは死んだ。

 

 

 ◇スノーホワイト

 

 

「殺してよかったぽん?」

 

 背中と股間から血を吹き出し痙攣するゴブリンの屍からルーラを抜き、虚空に振って刃についた血を払うスノーホワイトは、ファルにそう問われた。

 その声に非難げな響きが混じっているのは気のせいではないだろう。この電脳妖精タイプのマスコットキャラクターは、名前も思い出したくも無いあいつと同じFシリーズとは思えないほどに常識的で、まさに正しく魔法少女のマスコットらしい善意と良識を持っている。

 だからこそ、人間ではないとはいえ現地の生き物を半ば問答無用で殺した事を快くは思っていないのだろう。

 

「ここがこの生き物の縄張りだとすれば勝手に入って来たのはファルたちぽん。たとえ襲われたとしても正当防衛とは言えないぽん」

 

 正しい言い分だと思いつつ、だが確信をもって答える。

 

「大丈夫。こいつらは殺していい奴らだから」

「殺していいって、いったいどんな心の声が聞こえたぽん?」

 

 スノーホワイトの魔法『困っている心の声が聞こえるよ』は、たとえ人ではない者の心の声でも人語で聞こえる。動物は勿論、虫から魚からゆうれ――いや、何でもない。あれはたぶん絶対きっと幻聴だったのだ――まで、無機物以外のあらゆる者の困っている声を聞くことができ、それはこのゴブリンですらも例外ではなかったのだが

 

「知らない方がいい。私も聞いたことを後悔しているから」

「……スノーホワイトがそう言うのなら、わかったぽん」

 

 静かな声に紛れも無い嫌悪を込めて言うと、そう納得するファル。

 こんな自分を支えようとしてくれているのはありがたいが、ときどき心配性過ぎるのが玉に傷だ。

 そんなことを思いつつ、ルーラの血を払い終えたスノーホワイトは再び歩き出す。

 人と人ならざる者の血と屍の散乱する穴倉の向こう側、底の見えぬ闇の奥へと。

 

「気を付けるぽん。こいつらは弱かったけど、この先にはもっと強い奴がいるかも知れないぽん」

「分かってる。でもそこにあいつがいるのなら、私は行かなきゃ」

 

 呟き、白い魔法少女は闇を進む。

 己が獲物を狩るために、この先から微かに聞こえてくる、『死にたくない……誰か助けて……』という心の声に導かれて。

 その後には、血塗られた足跡が刻まれていた。

 

 

 ◇◇◇

 

 

 いきなり盤上に現れた謎の白い少女の駒に、神さまたちは大いに驚きました。

 それは例えるのなら、チェスボードの上に何故か将棋の駒が紛れ込んだかのようなありえない事態だったのです。

 なので、さてどうするかどうしようかと皆で顔を見合わせ話し合いました。

 

 このままではゲームバランスが崩れて盤上の全てが台無しになってしまうかもしれない。けど強引に取り除けば、その歪みがどこでどう影響するかも分からない。

 いっそこのまま放っておくのはどうだ。いやいや何を言っている万が一があってからでは遅い。そうだそうだ多少のリスクは覚悟してでも危険な駒は取り除こう。まてまてそれこそ危ない。強引にやったせいで却ってバランスが崩壊したら本末転倒じゃないか。ならどうしろと言うのだ。ふむどうしようか。ふむふむふむむ……。

 

 それぞれが自分の考えを言って、けれども誰かに否定されての繰り返しです。あーでもないこーでもないと会議はくるくる踊ってされど進まず、時間だけが虚しく進んでいきました。

 そんな時、白い駒が置かれているゴブリンの巣穴の中に、また新しい駒が現れました。

 

 それは白い駒とは違って元から盤上にあった駒なのですが、《幻想》は一目見た瞬間

 

「げっ……」

 

 っと、声を漏らします。

 何だかとてつもないトラブルに直面したかのようなその声に、どうしたどうしたと盤上を見た他の神様たちも「げげげっ……」と顔を青くしました。

 

 その駒は、この盤上に在ってある意味では最も神さまの手に負えない存在。

 その駒は、常に考え策を練り行動し、全てを決定するはずの《宿命》と《偶然》のサイコロを決して振らせぬプレイスタイルを貫く、なんか変なの。

 

 もちろん神さまはそんな駒でも好きですが、かつてないイレギュラーが発生している今この時だけは決して来てほしくは無かった、下手すれば事態を更なる混沌へと突入させかねない極大の危険要素。

 

 

 

――『彼』が、来たのです。

 

 

 




うるる「盛り上がってきたところだけど今回ははここまで。後編は明日に投稿するよ! みんな楽しみにしててね! ……え? 嘘じゃないかって? そそそそそんなことないよ!! うるる嘘つかないもん! ……え? じゃあウェディンと約束しろって? ついでにネフィーリアに契約書を用意させるからサインしろって? ・・・・・・・・あーそういえばプクさまによばれてるんだったはやくいかなくちゃーじゃーねー。プク様万歳!(ダッシュ)」 


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新連載大発表!(後編)

 

 そうして辿りついた闇の最奥は、殺意と獣欲と血肉と冒涜の坩堝であった。

 聞こえてくる心の声を頼りに辿りついた穴の果て、そこは大部屋と思しき開けた空間。

 まずスノーホワイトの金の瞳が捉えたのは、闇に蠢く何匹ものゴブリン達。そして腐ったゴミや糞尿などの汚物が散乱した床に、まるで壊れた玩具のように無造作に転がされた、裸の女性だった。

 

 傷つき血の気の失せた肌には無数の歯型や爪痕が刻まれ、悪臭を放つ汚汁が塗りたくられている。どれ程の凌辱をその身に受けたのだろう。すでにその瞳は焦点を失い虚空を向いて、ただ涙を溢すのみ。健常な精神の持ち主ならば思わず目をそむけたくなる無残なその姿が、彼女がゴブリン共に何をされたのかという事をスノーホワイトに教えていた。

 そしてこの部屋の一番奥、只人(ヒューム)の骨で作ったとおもわれる悍ましい玉座には、明らかに他とは異なるゴブリンが座っている。

 

 醜い顔の上に髑髏を被り、ねじれた杖を握るそのゴブリンこそが小鬼どもの酋長(ボス)なのだろう。

 酋長は自らの領地に踏み入った招かれざる侵入者を睨みつけ、それが可憐な少女だと分かると肉欲に歪んだ笑みを浮かべ、同じように笑う部下達に叫んだ。

 

「GRRROB!」

「GROB! GROB!」

 

 下された命に喜んで従い、全部で五十を優に超えるゴブリンの群れがスノーホワイトへと襲いかかる。

 薄汚い黄色い目を欲望で爛々と光らせ嗜虐の笑みで迫る小鬼どもに対して、だがスノーホワイトはどこまでも冷静だった。

 恐れず怯まず静かにルーラを構え、迎え撃つ。

 まず錆びた剣を振り上げ跳びかかる先頭の一匹を突き出したルーラで貫き、続く二匹目を引き抜きざまの横薙ぎで両断し、卑怯にも背後から跳びかかった三匹目には裏拳を見舞う。その後も次々と襲い来るゴブリンの群れをルーラと体術で捌きつつ、スノーホワイトはファルに問うた。

 

「ファル。あそこの女の人は生きてる?」

「微弱ながら生体反応はあるぽん。でもこのままじゃ危険ぽん。いつ死んでもおかしくないぽん! スノーホワイト、早く保護するぽん!」

「分かってる。だから早くこいつらを全員斃さなくちゃ」

「ファルも全力でサポートするぽん!」

 

 そう叫ぶファルの声に、もはや非難の響きは無い。あるのは、悪しき者への怒りだ。

 彼もまた床の女性の姿を見て気付いたのだ。こいつらは生かしておいてはいけない。人として、否、魔法少女として絶対に存在を認めてはいけない奴らなのだと。

 

 相棒の全面的な理解と協力を得て、スノーホワイトは更にルーラを振るう。

 より速く、より精確に、より無慈悲に。

 血塗られた刃で跳びかかるゴブリンの腹を突き、噛みつこうとしてきたゴブリンの首を飛ばし、その強さに驚き立ち竦むゴブリンを斬りつけ。とにかく間合いに入るゴブリンを殺しまくる。

 柔らかなピンクの髪を靡かせ、白い衣装を躍らせて、スノーホワイトはたった一人で小鬼どもの群れと渡り合っていた。

 その姿は凄惨でありながも美しく――それが酋長にはたまらなく腹立たしい。

 

 何をしている無能共が。揃いも揃ってたった一人の小娘も殺せんのか。犯して殺す事しか能の無い無駄飯喰らいめ。せめて刺し違えるくらいはしてみせろ。やはりこいつらに期待したのが間違いだった。ここは自分が指示してやらねば。

 

「GROOBG!」

 

 そうして酋長が放った新たな命令。

 同時に『失敗したら困る』というその心の声を聞いたスノーホワイトがそれを阻止しようとするも、させじと三匹のゴブリンが同時に飛びかかり、それを切り捨てている間に命令は完了していた。

 

「GORBU……!」

 

 他のゴブリン共とは一回りも二回りも大きい、はち切れんばかりの筋肉を纏った大柄のゴブリンが、床にうち捨てられていた女性の髪を太い指で握り無理やり立たせ、ぐいっとスノーホワイトに見せつけたのだ。

 そして卑劣さを恥じることなく勝ち誇った黄瞳で、こいつがどうなってもいいのかと問いかけていた。

 

「人質ってことかぽん……ッ!」

 

 その光景を前に、ファルの声が怒りに震える。

 今すぐにでも彼女を助けてこいつらをブチのめしたい。

 だがどうする。周囲は依然としてこいつらに囲まれて、スノーホワイトが助けに動けば必ず邪魔してくるだろう。そしてそれに対処している間にきっと彼女は殺される。だが仮に幸運にも彼女を助け出せたとしても、果たして動けない彼女を庇いながら一人で戦えるのか……? だがここで見捨てるなんてことがスノーホワイトに出来る訳が無いし自分だってしたくない。だがかといって、助けるのは危険がありすぎる。

 どうする。どうすればいい。

 灰色の脳髄ならぬ電脳をフル回転させて打開策を考えるファル。

 

 対して一方のスノーホワイトは、何もしていない。

 ただ静かに瞼を閉じ、呼吸を整えている。

 それは一見して何もかもを諦めたかのような――事実、周囲のゴブリン共は勝利を確信して歪んだ歓声を上げた――だがファブにはまるで、狩りをする獣が好機を伏して待つ姿のようにも思えて

 

「スノーホワイト?」

「待って。もうすぐだから……もうすぐ……――来た」

 

 スノーホワイトがカッと目を見開くのと、広間の入り口の向こう側から放たれた一本の剣が宙を奔り、玉座に座る酋長を貫いたのは全くの同時だった。

 

「GOORBBーー!?」

 

 胸を貫かれる激痛に酋長は醜い悲鳴を上げ、驚き動揺して一斉に己が主が血を吐く姿に目を向ける手下たち。

 全員の視線がもだえ苦しむ酋長に集中した瞬間、スノーホワイトは動いた。

 素早く地を蹴り、突然の事態に驚愕し立ち尽くすゴブリン共の間を駆け抜け、女性を捕らえる大柄のゴブリンへと迫る。白き疾風の如きその姿に大柄のゴブリンはハッと我に返るも最早遅い。その懐に飛び込んだスノーホワイトが振るった斬り上げの一閃が、女性の髪を掴み拘束していた右腕を斬り飛ばした。

 

「GOOOGURB!?」

 

 肘から先を失った腕から血を吹き出し絶叫する大柄のゴブリン。

 仕上げにその側頭部にリップル仕込みの空中回し蹴りを叩き込み、衝撃で意識を刈り取る。

 巨体がぐらりと崩れ落ち、その下敷きになる前にスノーホワイトは女性を抱きかかえ跳び退く。直後、どしんと重い音を立てて大柄のゴブリンは倒れた。

 それを確認し、相棒の腕の中の女性を見るファル。依然として半ば瀕死で意識は朦朧としているようだが、確かに呼吸をしている。生きている。

 

「よかったぽん」

 

 助けられた。その事に深く安堵するファルだったが、すぐにある疑問が湧き上がった。

 

 一体誰が、あの剣を投げたのだ?

 

 円らな瞳に戸惑いを浮かべ、剣が飛んできた先――広間の入口の向こうに蟠る闇の中に目を向ける。

 その答えはまもなく――やって来た。

 

 

 ◇◇◇

 

 

 ぼうっ……、と、冥府の底を思わせる闇の奥に小さな光が灯る。

 まるで鬼火の如く妖しく、不吉に。揺らめくそれが、無造作で、かつ決断的な足音を響かせこちらへと近づいて来るのだ。

 

 ザカッ……。

 

 揺らめく光は松明の炎だった。先端が赤々と燃えているそれを、使い込まれて傷だらけの小さな盾を括りつけた左手が掴んでいる。

 

 ザカッ……

 

 続いて闇に光ったのは、右手に握るあまりにも中途半端な長さの剣が炎の明かりを鈍く反射する光。その所どころ欠けた刃にはべったりと血と肉片がこびり付き、先端から赤い雫を滴らせている。

 

 ザカッ……。

 

 そして最後に現れたるは、凄惨な血飛沫の跡が付いた革鎧と鎖帷子を纏い、角の折れた鉄兜を被ったその全身。

 まるで中世ヨーロッパを舞台とした物語――それも血と惨劇のダークファンタジーからそのまま現れたかのような鎧兜姿の男が、そこにいた。

 

 闇に浮かび上がったその姿は血と泥で薄汚れていて、あまりにもみすぼらしい。

 だが、この場にそれを笑える者は一人とていなかった。

 その男の全身から溢れ出る超濃度の殺意が、皆殺しの意思が、この場全ての小鬼共に叩きつけられ、その背筋を冷たく震わせていたのだから。

 

 直接浴びせられた訳でもないファルの心胆さえも寒からしめたそれは、男が纏う安っぽくみすぼらしい装備とはかけ離れた、まるで何年にもわたって煮え滾り濃縮されたかのような殺意の塊。いったいどれだけの憎悪を、どれほどの怒りを魂に燃やせばこんなモノが放てるというのか。それがあまりにも異様で、恐ろしかった。

 

 息を飲み戦慄するゴブリン達を前に、男の頭部を全て覆う兜の隙間から、声が漏れる。

 

「残り三〇」

 

 緊迫し張り詰めたこの場に在って不気味なほどに冷静なその声は、眼前に集うゴブリンの数を正確に呟く。

 そして兜の隙間の奥、素顔を覆い隠す闇の中から、赤い瞳が気絶し倒れた大柄のゴブリンを見た。

 

「ホブ 一」

 

 続いて、玉座にて胸から剣を生やし悶え苦しむ酋長へと目を移し

 

「シャーマン 一」

 

 最後に、抱きかかえていた女性をそっと地面に寝かせ、彼女を守るように立ち上がりルーラを構えたスノーホワイトを見て……しばし思案するように言葉を止めた後、問いかける。

 

「ゴブリンか?」

「いいえ。魔法少女です」

「そうか」

「そうです」

 

 対してこちらも冷静極まりすぎる声で答えたスノーホワイト。

 彼女の金の瞳と、男の赤い瞳が交わり、互いをしかと捉える。

 ぎゅっと、ルーラを握る小さな手に力が籠った。

 すっと、男の血を滴らせる剣の先端が持ち上がる。

 高まる緊張感。ひりつく空気が一気に張り詰め、そして――二人は同時に地を蹴った。

 

「ふっ……!」

「…………ッ」

 

 スノーホワイトは鋭く息を吐き、男はただただ無言で、互いに己が武器を振り上げ相手に迫る。

 その動きに迷いは無い。ただ己の全力を以って殺すべき敵を殺すためスノーホワイトと鎧兜の男は疾走し、そして二人の身体が同時に互いの間合いに入った瞬間――ルーラが、剣が、闇に刃の軌跡を描き宙を奔った。

 

 かくして響くは、柔らかな肉を断ち切る音。

 赤黒い二つの血飛沫が虚空に飛び散り、そして

 

「GORBU!?」

「GOBRO!?」

 

 二匹のゴブリンが、二人に斬られて死んだ。

 

「まず一つ。残り二九」

 

 男の粗末な剣は、だがスノーホワイトの背後から跳びかかろうとしていたゴブリンの心臓を正確に貫き

 

「ではこれで残り二八ですね」

 

 スノーホワイトが薙ぎ払ったルーラは、男を背中から突き刺そうとナイフを構えて走って来たゴブリンの首を刎ね飛ばした。

 仲間の不意打ちを容易く防がれ、ゴブリン達に動揺が走る。

 役立たずめと罵りならばどうするかと顔を見合わせているその隙を逃さず、スノーホワイトと男は素早く床の女性を挟んで背中合わせに立ち、互いの背中を守り合いながら戦う態勢をとった。

 これならば死角を補い合うと同時に女性を守りながら戦える。

 示し合わせたわけでは無い。ただ互いの思考がこの場における同じ最善手を導き出したがゆえのコンビネーションであった。

 

「私の前の敵は私が全員殺します。だから、私の後ろの敵をあなたが殺してください」

「わかった」

 

 背中越しにかけられたスノーホワイトの申し出に男がそれだけを言って、ここに新たなパーティーが誕生する。

 血と殺意を纏う異様な鎧兜の男と、白く可憐な衣装の魔法少女。

 全く正反対な見た目の、だがその雰囲気だけは鏡合わせのように似通った二人。

 世界の境界を隔てて決して交わるはずなど無かった者達による奇跡のクロスオーバー。

 その迫力に怯み、後ずさろうとしたゴブリン共であったが、歯軋りの音を鳴らして堪える。

 

 相手は増えたが所詮たった二人、そして自分たちはその何倍もいる。ならば数で押せば勝てないはずはない! 仲間の仇を討て! 犯して殺せ!

 

 断じて勇気などではない蛮勇と憎悪を燃やし、ゴブリン共は醜い雄叫びを上げ一斉に襲いかかった。

 その猛り狂う幾多の貌はだが、間もなく恐怖に凍り付く事となる。

 そうして突入した新たな戦い(バトルフェイズ)はゴブリン共が考えていたような数による圧殺ではなく、魔法少女と鎧兜の男による殺戮だったのだから。

 

 

 ◇◇◇

 

 

「二つ。残り二十七」

 

 まずスノーホワイトがルーラを突き出し眼前のゴブリンを貫けば、その背後で男の剣が横から跳びかかってきたゴブリンの腹を抉る。

 

「これで三つ。残り二十五」

 

 剣先で臓腑をかき回しつつ事務的に呟く男。その声に興奮による抑揚は無く、あくまで淡々と。

 一方、ルーラに貫かれたゴブリンは、せめてもの悪あがきと胸に刺さったルーラの柄を握り抜かせまいとする。スノーホワイトはその顔面に蹴りを叩き込んで引き剥がすも、生まれた僅かな隙を突いて新たな一匹がナイフを手に斬りかかった。

 

「四つ。油断するな」

「GORB!?」

 

 だがそのゴブリンは割って入った男の剣によって両断される。

 が、すでに刀身がボロボロで廃品同然だった剣はついに衝撃に耐えきれず根元から折れ、武器としての役目を終えてしまった。

 武器を失った男に、これを好機とすかさず左右から襲い掛かった二匹のゴブリンは、

 

「私も四つ。お互い様です」

「GOBR!?」「GOUB!?」

 

 すでに体勢を立て直していたスノーホワイトが横薙ぎで纏めて切り捨てた。

 

「武器を失いましたが大丈夫ですか?」

「問題無い」

 

 丸腰になったというのに『困った心の声』が聞こえない事を疑問に思い問いかけるスノーホワイトに、男は慌てることなく彼女が今殺したゴブリンの屍へと手を伸ばし

 

「武器ならいくらでも転がっている」

 

 鋭い爪の生えた指が握っていた同じような剣を奪い、近くの一匹に叩きつけた。

 問題ないという言葉の通り一撃でゴブリンの顔面を真っ二つにした男に、なるほどと納得して自らも眼前の一匹の顔を突き刺すスノーホワイト。

 かくして背中合わせの二人はそれぞれ正面の敵に向かい合いながらも、必要とあらば身をひるがえして互いをカバーし合う。故に実質的に隙など無く、それを理解できず蛮勇のままに突っ込んで斬るゴブリン共などもはや哀れなカモに過ぎない。

 

「五。残り二〇」

 

 血塗られた剣が、魔法の薙刀が、闇に殺戮の軌跡を描く度に血飛沫が弾け骸が転がる。

 流れる血は血河となり、重なる骸が屍山を築く。

 

「十。残り十五」

 

 悪鬼よりも凄惨に、死神よりも容赦無く、屠り続ける二人の前に、広間に蠢きこの巣穴を力と数で支配していたゴブリンどもはついに半数となった。

 数で押し込めば勝てる。そう高をくくっていたゴブリンどもの顔にも不安と焦燥が浮かび、中には背を向けて逃げようとした者すらいた。が、二人の殺戮者がそれを許すはずも無く、男が放った短刀に後頭部を貫かれ絶命する。

 

「十一。一匹も逃がさん」

「GOOBUU……」

 

 もはや逃げる事すら出来はしない。ここにきてゴブリンどもはようやく気が付く。

 追いつめられていたのはこいつらではなく、自分達なのだと。

 

 ぶざけるな! そんな馬鹿な事があってたまるか! 殺す! 絶対に殺してやる!

 

 無論ゴブリンにそんな事実を素直に受け入れる潔さなどあるはずも無く、黄色く濁った瞳を理不尽な怒りで見開き、見苦しく憤慨した。対してスノーホワイトと鎧兜の男は、凍り付くような殺意でもってそれを迎え撃つ。

 

「この男、一体何者ぽん……ッ」

 

 一糸乱れぬ二人の連携に、そしてそれを初対面にも関わらず事も無げにこなす得体の知れぬ男に、ファルは戦慄の声を漏らした。

『魔法少女狩り』として基本的には一人で戦うスノーホワイトだが、もともと他者との連携は抜群に上手い。たとえそれが初めて組む相手だろうと、その『困った心の声が聞こえる』魔法で共闘相手の思考を常に把握することで、サポートなどの連携も問題なく行えるのだ。

 

 だが、これは違う。この男とのそれは、他の相手とは比べ物にならないほど()()()()()()()()()

 呼吸、足さばき、攻撃のタイミングから身のこなしまで何もかもが、体格や武器が異なるにもかかわらず、その機械的に相手を屠る手際がまるで鏡合わせのようなのだ。

 

「十三。床を這う一匹は任せる」

「では代わりに死体の下に潜って隠れている一匹をお願いします」

 

 それはきっと、その戦い方が、二人が極め到達した所が同じだから。

 華やかさなどいらぬ。拘りなど不要。慈悲や躊躇など元から無い。

 ただ殺す。速やかに確実に最大効率で相手を殺すことのみを突き詰めたそれは、ゆえに恐ろしい程に似通っている。

 そしてなによりも、その在り方だ。

 スノーホワイトとこの男は――自分自身を己が成さんとする目的のための道具としか思っていない。たとえ肉が裂け骨が砕けようとも心の臓さえ動いていれば立ち上がり、四肢がもげようとも歯を使って敵の喉首に喰らい付けばいいのだと。

 狂っている。どうしようもなく壊れている。だがそれでいてこの二人、その思想は壊れても思考だけは精確なのだ。

 怒りと憎悪に魂を燃やしても決して我を忘れることなく、冷静に狂える復讐の鬼。

 これほどに悍ましく、そして酷く哀しい存在がいるだろうか。

 

「十五。そして十六」

 

 共にタガが外れ、壊れるまで回り続ける歯車となった二人は故にカチリと噛み合い、二人で一つの殺戮装置となってゴブリンを屠りまくった。

 前に現れたら殺す。後ろから襲いかかっても殺す。逃げようとした奴も殺す。殺す殺す殺す。

 大量の血飛沫を浴びて全身を赤黒く染めながらそれぞれの武器を振るい、そしてついに残りが片手で数えられる段階になった時――

 

「GOOORBB!」

 

 憤怒を燃やし空気を震わせる大咆哮。意識と右腕を失い地に伏していたはずの大柄のゴブリン――ホブゴブリンが突如起き上がり、鎧兜の男に残った左の剛腕を振るったのだ                                                             

 他のゴブリン共とは比べ物にならない分厚い筋肉に覆われた拳が兜に覆われた頭部に迫る。それを咄嗟に掲げた剣の腹を盾として間一髪で受け流すも、代償に剣の刀身は無残に砕け散った。

 ならば足元に転がる死体の武器を奪うことを考えるも、ホブゴブリンは既に二撃目を放とうとしている。間に合わないか……ッ。

 

「これを!」

 

 果たして攻撃が届く前に武器を拾い構えることが出来るか刹那の間思案する男に、スノーホワイトが鋭い声と共に何かを投げ渡した。

 反射的にそれをキャッチし、とりあえず棍棒代わりに叩きつける。

 渾身のフルスイングはホブゴブリンが拳を放つよりも僅かに早く、その道具の赤く染まった筒状の箇所が横っ面を直撃した。

 

「GOOBGR!?」

 

 致命的一撃(クリティカルヒット)とはいかなかったものの、衝撃で脳を揺らし怯ませることに成功。ホブゴブリンはぐらりと上体を揺らし、再びどうと音を立てて仰向けに倒れた。

 

 なるほど。初めて見る道具だが剣よりは頑丈なようだ。感心しつつ、男は自らの手にある未知の物体――細いホースと持ち手とレバーが付いた赤い筒――に目をやる。

 見たところ金属製のようだが、これは鈍器か? 少なくともそこらの棍棒よりは硬そうだが……

 

「これはなんだ?」

業務用消火器――火を消すための道具です。ピンは既に抜いてあるのでレバーを握り込めばホースの筒先から消火効果のある粉末が噴射されます」

「なるほど」

 

 呟き、男は消火器のホースを握ると、その筒先をホブゴブリンの口にねじ込んだ。

 痛みと息苦しさにくぐもった悲鳴を漏らすホブゴブリンを押さえつけ。ホースを握る拳に当たった歯が折れ、咥内が傷つき血が溢れるにも構わず、力ずくで奥へ奥へと突き入れそして――持ち手を握りこみレバーを押した。

 

「GOBUGOO…ッ!?!?!?!?」

 

 瞬間、喉奥の筒先から消火剤が噴射。凄まじい勢いで噴き出したそれが、喉奥から胃袋、更にその先のあらゆる臓器へと流れ込む。

 体内を満たす大量の異物によって腹部が破裂寸前の水袋のように膨れ、口からは血と唾液と消火剤が混じったピンク色の粘液が溢れた。想像を絶する苦しみに白目をむき暴れるホブゴブリンを、男は一片の加減無く足で踏み動きを抑え、消火剤が全て出し切ったのを確認した後ようやく筒先を引き抜く。

 そして消火器を振り上げ、これでようやく終わりかと安堵したろうホブゴブリンの顔面に叩きつけた。

 

「GOBRU!?」

 

 上がる悲鳴と鈍い打撃音。飛び散る血。

 硬い消火器の底でホブゴブリンの鼻を潰し、また振り上げ――落す。

 額が割れ血が溢れたがもう一度。前歯が全て折れ眼球が飛び出し顔面が陥没しようと何度でも。男は無慈悲に、そして確実に、繰り返し消火器を振り上げ殴り続ける。

 鬼気迫るその姿に、堪らず目を逸らすファル。

 やがて肉を打つ音が湿った水音となってからようやく、ホブゴブリンの顔面を殴り潰した男は攻撃の手を止めた。

 その死を確認し、血と骨片と脳漿がこびりついた消火器を見て一言。

 

「悪くないな」

 

 呟き、続いて鬼火の如き赤い瞳を動かして、それを見た。

 この屍山血河の地獄絵図で、まだ唯一息のあるゴブリンを。

 

「十九。残り一」

 

 最後はおまえだ。

 凍える様な殺意の眼差しでそう伝え、骨の玉座――そこで胸を剣に貫かれ今にも息絶えようとしている酋長へと近づいていく。

 その隣にはスノーホワイトも並び、ゆっくりと、だが決断的な歩みで近づいて来る二人が、酋長にはまるで死神に見えた。

 

 ◇◇◇

 

 

 いやだ。死にたくない。

 

 胸を貫く痛みと、自らの肉体から徐々に熱が失せていく感覚に恐怖しながら、酋長はそれでも必死に死にたくないと願い生にしがみ付いていた。

 だがいくら上位種は丈夫とは言っても、臓腑を穿たれ血を流し過ぎたその身体ではどの道助からず、男が手を下さずとも間もなく死が訪れるだろう。

 

 いやだぁ……ッ!

 

 半ば朦朧としながらも意識を保ち、生き汚く願う。強く願い死の恐怖にもがき嫌だ嫌だともはや動かせぬ舌の代わりに心で叫び足掻いてそれでも傷口から血が流れ続けて命が失われ嫌だ嫌だ嫌だあああああああ!!

 

 

 

──生きたいの?

 

 

 

 その時、靄がかかり暗くなっていく視界に、見た事の無い生き物が映った。

 それは背中に透き通った虫の羽根を生やした、手のひらほどの小さな人間。まるで一流の職人が最高の技術で作り上げたビスクドールのようなそれが、可憐だが邪悪な笑みを浮かべ、死に逝かんとする酋長へと問いかけた。

 

──死にたくないの?

 

 当り前だ!

 叫ぼうとしたが、喉奥から漏れたのは僅かな呻き。

 それでも謎の生き物は笑みを深め。

 

──なら、一緒に楽しい事をしてくれるなら助けてあげるよ。

 

 そう、問いかける。

 子供のような笑みで、優しげな声で、ファウストを誘惑する悪魔のごとく。

 一方、その生き物を目にしたスノーホワイトは目を見開いた。

 その生き物――自らが追っていた妖精タイプのマスコットキャラクターが何をしようとしているのかを察し、鋭く叫ぶ。

 

「やめて!」

 

 だが、そんな言葉が外道になど届くはずもなく、再度問う。

 

──あいつらが憎いでしょ? 殺したいでしょ? このまま何もできないで死ぬのなんて我慢できないでしょ? だったら、生きて復讐して犯して殺したいでしょう?

 

 ならばさあどうするという問いに、酋長は最後に残った力を振り絞り、ほんの僅かだが確かに――頷いた。

 

 瞬間、玉座に剣で貫かれていた酋長の身体が輝き、不可思議な光に包まれる。

 

「――ッ!」

「くっ……!」

 

 突然の異常事態に、警戒して歩みを止め身構える男。

 一方、スノーホワイトは目の前の光景が、その光がなんであるかを知っていた。なぜならばそれと同じものを、かつて自身も体験していたから。

 これは誕生の光だ。魔法の才を持つ生き物がマスコットキャラクターと契約を交わし――新たな魔法少女として変身する光だ。

 

 何故止められなかったのかと彼女を責めるのは酷だろう。

 スノーホワイトは知らなかった。酋長がゴブリンの中でも魔法の才に長けたシャーマンであることを。

 そしてなにより――この戦いの結末を決めるために神が振った『偶然』と『宿命』のサイコロの、出目が悪かったのだから。

 

 かくて眩くも不吉な胸騒ぎのする光がおさまった時、玉座からゴブリンの姿は消えていた。

 代わりにいたのは、人ならざる異形の鬼気を放つ一人の少女。

 

 あどけなさの残る可憐な美貌を邪悪な笑みで歪め、くすんだ緑の髪を波打たせ。杖を手に堂々と立つその肢体に纏うのは、豪奢なれど露出の激しい冒涜的な衣装。

 何もかもが変身前とは異なる中でただ一つ変わらぬのは、爛々と光り眼前の怨敵二人を睥睨する――ゴブリンの黄眼。

 魔法少女無きこの世界に初めて誕生した魔法少女――小鬼魔法少女(ゴブリンマジカルガール)が、そこにいた。

 

 

 ◇◇◇

 

 

「まずい……まずいぽん……」

 

 思わぬ事態に、ファルは動揺する。

 ここまでスノーホワイトは、元の世界で試験官と、そしてこの世界ではゴブリン共と、二つの戦いをほぼ休みなしで行ってきた。特に試験官はクラムベリーと同じく『力』を信望していたとあって強敵であり、いかに魔法少女狩りとはいえ無傷では倒せなかった。ゆえに表情にこそ出していないもののスノーホワイトの身体には連戦による疲労とダメージが確実に蓄積されているはずであり、ここに来て更に魔法少女との戦闘ともなれば最悪力尽きてもおかしくは無い。

 

「スノーホワイト。ここは撤退を――」

「駄目。ファルの考えていることは分かるけど、あの敵は今魔法少女になったばかりで魔法少女の戦い方をまだ分かっていない。だから経験を積んで手強くなる前に、ここで倒す」

 

 たとえそれで命が尽きようとも、引き換えに悪党魔法少女を倒せるのなら構わない。

 

 そう金の瞳で語る魔法少女を、だが認める事など出来るはずが無かった。

 スノーホワイトがこんな所で死んでいいわけなど無い。いや、たとえどんな所だろうと死んでほしくなどあるものか!

 だが一体どう言えば彼女を説得できるのか、ファルが必死に頭を振り絞り考えていると

 

「それで――」

 

 ふと、焦るファルの声とは全く逆の、異様に落ち着きすぎた声がかけられた。

 その主、鎧兜の男は、隣で小鬼魔法少女にルーラの切っ先を向け身構えるスノーホワイトへと無造作に問いかける。まるで業務連絡を教えてくれとでもいうかのような調子で

 

「あれはゴブリンか?」

「はい。ゴブリンです」

「そうか」

「そうです」

 

「ならば」そして男は――表情は見えずともどこか嬉し気な雰囲気で――血の付いた消火器を握る手に力を込めて、構えた。

 落ち着いて淡々と。焦ることも猛る事も無く。

 たとえ何であろうとどんな姿になろうとも、アレがゴブリンならばやることは変わらないと。

 

 それは白い魔法少女もまた同じ。

 たとえここがどんな場所であろうとも、そこに悪しき魔法少女がいるのならば、己が成すべき事はただ一つ――

 

 

 

「ゴブリン共は皆殺しだ」

「悪い魔法少女は狩ります」

 

 

 

 ゴブリンを殺す男と魔法少女を狩る少女の宣言は、同じ必滅の意思を燃やして闇に轟いた。

 

「――ッ!?」

 

 凄まじいその迫力。肌が焼けつくような闘志と全身が凍り付くようなその殺意を、まともにぶつけられた小鬼魔法少女がその笑みを消す。

 悟ったのだろう。たしかに目の前の怨敵は疲労困憊し、己はかつてない力を手に入れた。だがそれでもこいつらは――その命を躊躇い一つなく引き換えにして己を殺せるのだと。

 

「GOOBURR……ッ」

 

 淡い唇から漏れるのは、苛立ちに煮え滾る――紛れも無いゴブリンの唸り。

 小鬼魔法少女は黄色い瞳で、ルーラの切っ先を向けるスノーホワイトを、血の滴る業務用消火器で今にも殴りかからんとしている男を憎々しげに睨みそして

 

「《閃光(フラッシュ)》!」

 

 杖の先から閃光が迸る。

 先程の変身の光とは比べ物にならないほどの凄まじい光量で闇を白く染め、視界を焼きつかせるそれ。堪らず男は腕に括りつけた盾で、スノーホワイトは腕を目元に翳して閃光を防ぎ、耐えるしかなかった。

 そして暫し時が過ぎ、ようやく光がおさまった時、小鬼魔法少女の姿は二人の前から消えていた。

 

「逃げたか」

 

 あるいはそう思わせて油断した時を襲うつもりかとも考え男は警戒を続けたが、しばらくたっても何のアクションも起きないのを確認し、掲げていた消火器を下ろした。

 

「ファル。周囲に反応は?」

「……無いぽん。少なくとも探知できる範囲に魔法少女反応は見つからないぽん。完全にロストしたぽん」

 

 スノーホワイトは相棒に問うも、申し訳なさそうに帰って来た答えに小さく溜息を吐く。

 逃げられてしまったか。これで事態は振り出しに……否、あいつに加えて悪の魔法少女が敵に増えた事を考えるとむしろより悪化したと言える。

 もう少し早くゲートに飛び込みこの世界に来ていれば、あるいは奴らが接触する前に捕まえられたのではないか。そう己の不甲斐なさを責めるスノーホワイトの耳が、ふと鎧が擦れる音を聴く。

 

 それは鎧兜の男が床に倒れた女性の下に屈みこむ音だった。

 

「ゴブリンに攫われたという娘だな」

 

 静かに問いかけると、女性は僅かに頷いたように見えた。

 それを確認し、男は腰のベルトポーチから無造作な手つきで小瓶を取り出す。

 

治癒の水薬(ヒールポーション)だ。飲め」

 

 ガラスを透かして薄く燐光を放つ緑色の薬を、その力無く開いた唇に流し込んだ。

 すると体力の低下で青白かった女性の肌に血の気が戻り、今にも途切れそうだった呼吸も安定し安らかなものとなる。

 自分たちが知る通常の薬とは比べ物にならない効果と速効性だ。あるいは魔法が関係する物なのかもしれない。

 とはいえ、今は驚くよりも感謝が先だ。もはや手遅れかもと思っていたが、これならば女性は治療を受け安静にしていれば助かるだろう。

 

「ありがとうございます。私一人ではこの人を守り切れませんでした」

「礼はいい。ゴブリンを退治し娘を救うという依頼で、俺はゴブリンを殺しに来ただけだ」

 

 感謝を伝え頭を下げるスノーホワイトに、男は照れ隠しでも格好をつけるわけでもなく無造作に言い、そして問いかけた。

 

「あのゴブリンシャーマンは途中で姿が変わったが、お前はあれが何だか知っているか?」

「はい」

「教えろ」

 

 簡潔で、なおかつ有無を言わせぬその言葉。そこに込められた強い意志を感じながら、スノーホワイトは問う。

 

「それを知ってどうするつもりですか?」

「殺す」

 

 

 

 返ってきたのは、あまりにもシンプルな答えで

 

「あれは人知を超える力を持つ存在です。単純な身体能力だけでも人体を容易く引き千切り、更には恐るべき魔法を操ります。ただの人間では殺されるだけですよ」

 

 共に戦っていて分かった。

 この男は経験と思考力こそ並外れているが、その他の戦闘技術はよくて達人レベル。それは努力と鍛錬でいきつける限界値ではあるが、そこから先の天才や英雄といった者達の領域には及ばない。ましてや魔法少女には。

 

「関係ない」

 

 なのにこの男はこう言うのだ。

 それが強がりでも、まして己が実力を弁えていない蛮勇でもない事は心の声を聞けば分かる。

 

「たとえアレが何であろうと、正体がゴブリンであるなら――」

 

 この男が戦う目的が、世界を救うためでも、英雄になることでもない事も。

 この血塗られた鎧のなんか変なのは、ただ

 

 

 

「ゴブリンは、俺が殺す」

 

 

 

 世界最弱の怪物を殺すためだけに戦うのだと。

 

 スノーホワイトの唇が微かに綻んだ。

 世界には自分に似た人が三人いるとは聞くが、まさか異なる世界でこうまで自分と似通った者に出会うとは。その偶然があまりに奇妙で、可笑しくて。

 肩の上で驚愕するファルの気配を感じながら、スノーホワイトは自分でもいつ以来か思い出せない微笑で口を開いた。

 

「なら、一緒に戦いましょう。私もまた、悪い魔法少女を倒さなければいけませんから」

 

 どのみちこの見知らぬ世界でマスコットキャラクターと小鬼魔法少女を独力で探す事は困難なのだ。ゆえに協力者が、この世界の住人でなおかつ魔法少女と化したゴブリンの生態を知り尽くした人物の――この男の協力が不可欠なのである。

 

 そんなスノーホワイトの申し出に、男は

 

「……好きにしろ」

 

 無造作に呟き、了承した。

 望んだ答えに笑みを僅かに深め、スノーホワイトは名乗る。

 

「私はスノーホワイト。《魔法少女狩り》と呼ばれる魔法少女です。あなたは?」

 

 男は、答えた。

 ドラゴンでも魔王でもなく、冒険も世界を救うこともせず、ただただゴブリンを殺し続けるその名を

 

 

小鬼を殺す者(ゴブリンスレイヤー)

 

 

 

◇◇◇

 

 

神ですらも予想がつかない、小鬼殺しと魔法少女狩りの邂逅。

果たしてどうなるものかとハラハラ見守っていた神さま達の表情は、てすがだんだんハラハラからドキドキそしてワクワクへと変わっていき、最後には拍手喝采となりました。

二人の出会いと戦いは、神さまですらも予想できない故に先が読めず、ゆえに最高の見世物だったのです。

いや―面白かった。まさかゴブリンがあんなことになるとは。こんなに驚いたのは久々だよ。

笑顔を浮かべ、口々に感想を語り合う神さまたち。

もう白い魔法少女を無理やり取り除こうかと思っている者は誰もいません。それよりも、この二人が紡ぐ物語をもっと観てみたいとみんなが思っていました。

ワクワクしながら、神さまは《偶然》と《宿命》のサイコロを振ります。

 

からからころり。からころり。

 

出目はクリティカルかファンブルか。はたして二人の物語の結末は感動のハッピーエンドかそれとも悲劇のバッドエンドか神さまにもわかりません。

魔法少女狩りと小鬼殺しの冒険(シナリオ)は始まったばかりなのですから。

 




次回予告!

かくしてゴブスレのパーティーに加わったスノーホワイト。
しかしそれこそが波乱の始まりだった!

ゴブスレ「ゴブリンだ」
スノホワ「ゴブリンです」
ゴブスレ「ゴブリンを退治した」
スノホワ「では次のゴブリンを狩りに行きましょう」(最初に戻って延々リピート)
女神官「ゴブリン退治のペースが…はぁはぁ…いつもの二倍に…私…もう駄目ですぅ(ばたんきゅー☆)」
ファル「このハードワーク……昔の納期間近デスマーチを思い出すぽん(死んだ目)」

寝ても覚めてもゴブリンゴブリンしか言わない二人に、女神官とファルの疲労とストレスが早くも天元突破! 

ゴブスレ「ゴブリンは臭いに敏感だ。特に女子供の臭いには」
ザクザク(ゴブリンの死体を剣で〇〇〇する音)
妖精弓手「ちょっとオルクボルグ。いくら何でもこんな純真そうな子にいきなりそれは無理よ。それにこんなこともあろうかと、私がこの子の分の臭い袋もちゃんと用意して――」
スノホワ「なるほど血の臭いで体臭を消すんですね。分かりました」
ひょいっ(〇〇〇したゴブリンの死体を頭の上に持ち上げる音)どばどばー(傷口から滝のように落ちる血と〇〇〇を頭から浴びる音)
妖精弓手「…………( ゚д゚)ポカーン」
スノホワ「もっと浴びた方がいいですか?」
ゴブスレ「いや。充分だ」
スノホワ「ではゴブリンを狩りに行きましょう」
ゴブスレ「ゴブリン共は皆殺しだ」

妖精弓手「オルクボルグが増えた……((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル」

適応力高スギィのスノホワに妖精弓手もドン引きィ!
だが彼女の不幸はそれだけではなかった!

妖精弓手「ねえスノーホワイト」
スノホワ「(ギンッ)」
妖精弓手「ひっ!? だから何であんたはいちいち私に殺気を向けてくるのよ!?」
スノホワ「あ、ごめんなさい。別にあなたが憎いわけじゃないんです、ただ……――」
妖精弓手「ただ?」
スノホワ「『緑で貧乳のエルフ』とか生理的に狩りたくて仕方がないんです」
妖精弓手「何でよ!? Σ(lliд゚ノ)ノ」

一方で芽生える種を超えた友情!

ファル「お互いパートナーには苦労するぽんね……」
女神官「分かってくれますかファルさん……っ」

やめて!ゴブリンのライフはもうゼロよ!

ゴブリン「ゴブリンの巣穴に火を放つ」
妖精弓手「だからそういうのは絶対に駄目だって言ってるでしょ!」
スノホワ「そうです。それはやめましょう」
妖精弓手「あんた……。オルクボルグ2号とか思ってたけど誤解だったみたいね」
スノホワ「ここは徹底的に山ごと爆破しましょう」
ゴブスレ「それだな」
妖精弓手「もうやだこいつら(泣)」

死なないでゴブリン!! あと貧乳エルフも!!

『魔法ゴブリンスレイヤー育成計画』
次回『ゴブリン死す!』

お楽しみに!

うるる「読んでくれてありがと! そんな皆にお知らせがあるよ。――実はこれ、嘘企画なんだよ!エイプリルのジョークでした! エイプリルフールはみんながうるるを騙してくるから今度はうるるがみんなを騙してやるんだ。やったね大成功!」
宇宙美「うるるちゃん。エイプリルフールはもうとっくに過ぎてるよ」
うるる「……え?」
宇宙美「いやだからエイプリルフールは何日も前に過ぎたって」
うるる「嘘!? だってこの前エイプリルフールだと思って嘘つこうとしたらプク様が『今日はまだエイプリルフールじゃないよ。エイプリルフールはあと〇日後だよ』って言ってたもん!」
宇宙美「あーたぶんそれこそがエイプリルフールの嘘だったんだろうね」
うるる「じゃじゃあ今日は……っ」
宇宙美「エイプリルフールじゃなくてごく普通の日」
うるる「ウゾダドンドコドーン!?」
宇宙美「いやショックのあまり言語機能がオンドゥルになっても事実は変わらないから」
うるる「じゃ、じゃあうるるがしたことって……((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル」
宇宙美「嘘が許されるのはエイプリルフールだけだから、その日以外で嘘を吐くのはもう正しい魔法少女としてアウトだね。魔法少女狩り案件だね。あっ、噂をすれば……」
魔法少女狩り「悪い魔法少女はいねがー。食ーべちゃーうぞー」
うるる「修羅雪姫キターーーーー!?」
ゴブスレ「ゴブリンか? なら殺す」
うるる「なんか変なのもキターーーー!? うわーん嘘ついてごめんなさーい!」

うるる「エイプリルフールはもうこりごりだよ~o(T□T)o」チャンチャン♪



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猫は魔法少女に似合う

大変長らくお待たせしたぽん。
礼によってアホみたいに長くなったけど許してぽん。
新章ではついにアニメで大活躍した《あの男》が動き出すぽんよ。


 この選択が間違っていることを、僕は知っている。

 たとえどんな理由があろうとも、正しい魔法少女であるならば決して選んではいけない手段だと。これが愛しい人との別離を意味するのだということも。

 でも、それでも、僕はあの子に生きてほしいから、だから――ッ

 

 握り締めた大剣の柄に力を込める。それだけで痛みが全身に走り、無数に刻まれた傷口から血が噴き出ても構わない。もっと強く。もっと強くッ。

 迸る激情を力に変えて剣を握り、超重量に軋む足で床を踏みしめ、血を吐き咆哮を上げて、天を衝く巨大な刃を――振り下ろした。

 

 

 

「おっちゃ――」

 

 

 

 ぐしゃりと、命が潰れる音がした。

 

 猛烈な不快感で、目を覚ます。

 まず感じたのは、胸が張り裂けるような苦しみと暴れ狂う心臓の鼓動。

 息が苦しい。まるで直前まで暗い水底に沈められていたかのように、僕は全身から冷たい汗を流しながら荒い呼吸を繰り返した。

 窓から淡い朝の光が差し込む、見慣れた自分の部屋。ベッドに横たわる身体が重く、気怠い。不快な疲労感が纏わりつき、湧き上がる途轍もない罪悪感に吐き気すら覚える。

 なぜこんなに気分が重苦しいのか。考え、そして思い出す。

 

「ああ、そうか……」

 

 この手に今も残り、きっとこの命が尽きるその時まで決してこびり付いて離れないだろう、人間の血を肉を骨を――命を潰す感触(きおく)を。

 

 

 

 ――僕は昨日、人を殺したんだ……。

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 

 ──ホテル・プリーステスの戦いの5日前。

 

 

 

 ◇岸辺颯太

 

 あの辛く、激しく、そして死よりもなお苦しい喪失を味わったマジカロイドとの戦いから一夜が過ぎた。

 

 あの戦いのあと、ウサギの足によって一命をとりとめる事が出来た僕はアリスと共に、今だ意識を取り戻していない小雪を彼女の家へと運んだ。

 おそらくスノーホワイトに変身して外出する時に鍵を開けていたのだろう自室の窓から密かに入り、ベッドにそっと小さな身体を横たえた。静かに瞼を閉じて、でも頬に涙の後が残るその寝顔に、この子だけは絶対に守らなくてはと改めて決意を固めながら。

 

 それから僕はアリスと別れ、王結寺へと向かう。スノーホワイトを生き残らせるために、必ず戦わねばならないだろうあの戦闘狂を倒す戦力を得るべく。

 たとえそれが正しい魔法少女とは対極たる悪と手を組み外道に落ちる事を意味するのだとしても、僕はスノーホワイトとアリスの助命を条件に──スイムスイムの騎士となったのだ。

 

 そうして迎えた新たな朝は、心機一転という言葉の明るいイメージとは裏腹に最悪の気分だった。

 それはあのクラムベリーに敗れスイムスイムに騎士となる事を迫られた後の、自分が進むべき道を見失った『迷い』とはまた異なる、マジカロイドを──人を殺したことの罪悪感によるものだ。

 

 思えば、昨夜までは生死をかけた戦いによる緊張と興奮そしてスノーホワイトを守らなければという思いに心が張り詰めていたため、他の事を思っている余裕などなかった。

 ゆえに戦いが終わり一つの区切りが付いた今、あの時の苦しみが、痛みが、哀しみが、見えざる罪の十字架となって僕の背に一気に圧し掛かっていた。

 

 敵とはいえ生きている人間を殺す事の生理的嫌悪と、それまで魔法少女としての存在意義にも等しかった理想を喪ったことの喪失感。

 寝間着から中学の制服に着替えて朝食を作るために台所に行ってからもそれらは鎖のごとく心身に絡み付き、解ける気配は無い。

 結局僕は手間のかかる料理など作る気になれず、レトルトのカレーを温めて食べることにした。

 

「いただきます」

 

 そして白米を盛った皿にルーを流し込み、ダイニングのテーブルの上に置く。僕は手にもったスプーンを湯気のたつカレーライスの中に挿し入れて──

 

 柔らかな米を潰すぐしゃりという感触。赤黒いルーのなかに白い粒が混じり合ってぐちゃぐちゃになってまるであのマジカロイドだった血と肉と骨のように

 

「うッ………!?」

 

 襲いかかるおぞましいフラッシュバック。吐き気と共に喉奥から込み上がる物を手で口を塞ぐことで押し止め、どうにか堪える。

 

「ぷはっ……はあ…っ…はぁ…っ…はぁ……くそっ」

 

 しばし経ち、ようやく吐き気が治まるも、もとから乏しかった食欲はもはや完全に失せてしまった。

 

『──……こちら、現場からの中継です』

 

 あまりの気持ち悪さに悪態をついたその時、朝のニュース番組を流していたテレビが見覚えのある光景を映し出す。

 

 遠くに山々を望む、名深市郊外に広がる田園地帯。普段ならば農家の者以外あまり人影の無いそこには、だが今は警察関係者と思われる者達と多くの報道陣、そして野次馬らによって黒山の人だかりができていた。

 本来ならば平和そのものであるはずの田園風景に、多数のテレビカメラと車両が乱雑に並び、険しい面持ちの警官達が行き交う異様な緊張感にその光景はいっそ非日常的でありながら、確かな現実として画面に映し出されていた。

 小さく息を飲んだ僕の耳に、張り巡らされた黄色い規制線の前に立つリポーターの声が入る。

 

『ご覧の通り、現場となるここ名深市郊外からN山の麓にかけて数キロにわたって謎の溝のようなものが刻まれています!』

 

 アップにされた画面に映るのは、大地を深々と抉る斬痕。土も岩も木々も軌道上の全てを押し潰し、ただ真っ直ぐに伸びる破壊の跡。

 

『溝の深さは浅いものでも2メートルから深い箇所では20メートルを超えるものもあり、あちらが見えますでしょうか……小高い丘が割られて谷のようになっているのが分かります』

 

 きっとこの場の誰にも、これが何かは分からないだろう。これは常識の埒外であり、限界すらも破壊した魔法によるものなのだから。

 我ながら凄まじく、そして恐ろしい。

 郊外だからよかったものの、もしこれを都市部の中心で使用していたら、いったいどれ程のビルが、車が、そして人が刃に潰されていたか……。

 

『そして昨夜は奇妙な物体が多くの市民に目撃されており、それがこの事態を引き起こした原因であると思われます』

 

 怖気のする想像に小さく身震いしていると、画面が切り替わり眼鏡をかけた小肥りの中年男性が映る。

 

『いやあ本当に驚きましたよ! 家出した娘を探してたらいきなり凄いプレッシャーというか気配というか、まあそんな感覚がして空を見たら銀色のでっかい柱みたいなのがそびえてたんですよ!』

 

 街頭インタビューだろう。脂ぎって豚を思わせる男性は向けられたマイクに向かって興奮した様子でまくし立てた。

 

『ビル? いやいや違いますって、あれはそんなモノとは比べ物にならないくらい高くて大きくて、今まであんなの見たことないですよ! 僕なんて思わず腰を抜かしちゃって……あぁ、華乃ちゃん大丈夫かなぁ……驚いて転んで怪我してないといいけど……。もし華乃ちゃんの珠のようなお肌に傷がついたらと思うと僕は興奮っ……じゃなかった心配で心配でぇ……』

 

 娘の安否を鼻息も荒く心配する男性の姿に、胸が痛む。

 そうさせたのは僕だ。僕の魔法がこの名も知らぬ父親の優しい心を苛ませているのだ。

 言い様の無い罪悪感を覚える僕をよそに、また新たな人物が映される。

 胸元を飾る青いネクタイが印象的なその女性は、凛々しい美貌に怒りを浮かべ、憮然とした表情で

 

『ああ忘れもしない。あれは滅多に現れないという幻の屋台を求めて三日三晩の張り込みのすえにようやく見つけ、そこの看板メニューである濃厚豚骨ラーメンを味わっていた時にアレは現れた。天を衝き月をも貫かんとするかのごときその偉容に、思わず私の麺を啜る手が止まったぞ。そして次の瞬間、アレが傾いたかと思うとそのまま倒れ、凄まじい轟音と地を揺らす振動が発生した。それに屋台の店主が驚いて倒れそうになったところを私はすかさず助けたものの、犠牲は大きかった……ッ』

 

 そこで女性はくわっと目を見開き、握った拳を怒りに震わせて

 

ラーメンの丼がひっくり返ったのだッ!! 絶妙なコシのある麺はこぼれ落ち濃厚スープは飛び散って、あの至高の一杯が無惨にも……ッ! 赦せん。もしアレをやった者を見つけた時は○○○を××してラーメンのダシにしてやる!!』

 

 おでこにビキビキと青筋を浮かべた悪鬼のごとき形相がテレビに大写しとなり、また画面が切り替わる。

 今度は先ほどよりも画質が荒く枠の狭い、おそらくはスマートフォンか何かのカメラで撮影した映像に。

 

『当時の様子を視聴者が撮影した映像がこちらです』

 

 暗い夜空を映したその映像。中心には確かに銀色の何かが映っているものの、辛うじて分かるのはその色だけで具体的な形は判別できない。なぜならば、その姿は壊れたフィルターを通したかのように歪み、まるで魔法少女を撮影した時のようにぼやけていたから。

 

『画面中央のこの何かがこれを引き起こした原因と思われますが、この箇所だけ奇妙に映像が歪んでおり詳細は確認できません』

 

 やがて天高くそびえていたそれは、ぐらりと揺れて地に落ちる。まるで断頭の鎌のように。直接、凄まじい轟音と振動がカメラを揺らし、映像は終わった。

 そして画面が現場の様子に戻る。

 

『なお現場付近の工場跡から一人のものと思われる遺体が発見されており、損傷が激しく現在身元の確認を進めています。同市内では山林で木王早苗さんの遺体が発見されており、今回の事件との関連性は不明です。この物体の正体は現在調査中であり、詳細が分かり次第お伝えしたいと思います。現場からでした』

 

 リポーターがそう締め括り、中継からスタジオの映像に移った。

 それからスタジオでは、専門家としてのコメントを求められた老タレントが宇宙人の仕業と断言し隣に座っていたオカルト否定派の教授と口論になっていたが、そんなドタドタ劇は、僕にはまるで頭に入らなかった。

 胸が苦しい。痛みと共に膨れ上がるストレスに視界が歪む。

 当たり前だ。僕がした事による結果を、それによって起こった罪もない人々の怒りと苦しみを、あらためて突き付けられたのだから。

 

「分かってはいたけど、キツイな……ッ」

 

 そうだ。分かっていた事だ。

 僕の選んだ道はどうしようもなく間違っていて、そこは誰かの血と涙で塗りたくられているということは。

 でも、それでもこればかりは………ッ。

 

『続いて世界のニュースです。中東の――国において現地時間の昨夜未明、軍によるクーデターが発生しました。市街では政府側が雇った傭兵団との激しい戦闘が発生しており――』

「――え」

 

 突如耳に飛び込んできたそのニュースに、それまでとは違う悪寒がはしる。

 

『なおこの国は旅行先としても人気があり、現地には多くの邦人旅行者がいるものと思われ──』

 

 ああ知っている。だってそれは、その国は、今まさに僕の両親が旅行に行っている国なのだから。

 僕は弾かれたようにスマートフォンを手に取り、動揺に震える指で画面を操作し、両親へと国際電話を掛けた。

 焦る心を嘲笑うかのように、繰り返される無機質なコール音。祈るような気持ちでそれを聞きながら待っていると、間もなく母親に繋がった。

 

『もしもし、母さんっ!』

 

 無事だった。良かった……。

 安堵のあまり大きなため息をつき、両親と久々の会話をする。

 どうやら現在、父と母は現地のホテルに泊まっているらしい。幸いにも市街地からは離れているので戦闘に巻き込まれること無く無事だが、政府要人の国外脱出を防ごうとする軍によって空港が占拠されているため、しばらくは帰国が出来なさそうだとも。

 

『いざとなれば大使館に駆け込んで保護してもらうから、母さんたちの事は心配しないでいいわよ』

「うん、分かったよ」

『……そうちゃん、元気なさそうだけど大丈夫?』

「え……っ」

 

 不意に言われたその一言に、小さく驚きの声を上げる僕。

 

『何年一緒に暮らしてると思ってるのよ。息子のことなんて声を聴いただけで分かるわよ』

「そう、なんだ……」

『当たり前でしょ。で、大丈夫? 体調でも悪いの? ちゃんとご飯食べてる?』

「食べてるよ」

『じゃあ何か悩んでるの? ほらあんたって昔から他の人の悩みまで背負い込んじゃう所があるじゃない』

「……まあ、そんな感じかな。でもこれは誰かのじゃなくて僕自身の問題だから、自分で何とかするよ」

 

 うん。そうだ。そうしなければならないのだ。

 今だ治まらぬ胸の痛みを感じつつもそう答えると、電話ごしの母親は小さな溜息を一つし、だが優しい声で言ってくれた。

 

『そう……。まあ思春期だし色々な悩みはあると思うけど、あんたなら何とかできるわよ。自信を持ちなさい。なんたってそうちゃんは私達の自慢の息子なんだからね』

「…………ッ」

 

 

 

 ――でもね母さん。その自慢の息子は、昨日人を殺したんだよ。

 

 

 

『……そうちゃん?』

 

 何も知らない両親の愛は、だが凄まじい罪の意識となって僕の胸を突き刺した。

 しばし言葉を失った僕を心配する母親に、僕は苦しい笑みを浮かべて誤魔化そうとする。

 

「あっ、いや、なんでもないよ」

『本当に? 無理してない?』

 

 嘘だ。

 

「本当だって。僕が嘘を嫌いなのは知ってるだろ」

 

 だから嘘をつく自分が嫌いだ。

 

『そうね……』 

 

 僕は、母さんを騙している。

 たとえそれが誰かを助けるためだとしても、そのために悪を働くのなんて魔法少女として許されていいはずはないと知っているのに。

 

『じゃあ私たちはこの騒ぎが落ち着くまでは帰ってこれないから、そうちゃんはくれぐれも体調には気を付けて、あんまり無理しちゃだめよ』

「うん。分かった。僕はもう大丈夫だから、母さんこそ気をつけて」

 

 偽りの笑みで嘘を紡ぎ、大切な人を騙して、僕は通話を終えた。

 ひどい気分だった。

 湧き上がる罪の意識と止まらない胸の痛み。

 

「ごめん。母さん……」

 

 僕は、最低の息子だ。

 

「けどもう、止まるわけにはいかないんだ……」

 

 耐えろ。耐えろ。耐えろ。

 胸の痛みは止めどなく、罪の意識はこの身に重く圧し掛かる。

 だが、それに潰されてはいけない。この歩みを止めてはならない。あの子を救おうとするのなら、この痛みに耐えて耐えて耐え続けなければならないのだから……ッ。

 

 深く息を吸い、吐く。スプーンに手を伸ばし、握る。

 そして僕は、温かみがとうに失せて冷たくなってしまったカレーをかきこんだ。

 

 

 ◇細波華乃

 

 

 カーテンの隙間から射し込む柔らかな朝の光とは裏腹に、細波華乃(さざなみかの)の目覚めは爽快とは言い難かった。

 最低限の家具だけが置かれた、年頃の女子高生が一人で住んでいるにしては余りにも殺風景なアパートの一室。おそらくは華乃が生まれるより前の昭和時代から在るのだろう古びた部屋の中心に敷いた布団からむくりと身を起こして、呟く。

 

「……眠い」

 

 寝癖ができてしまった腰まで流れる黒髪を揺らし、気だるげに呟いたその声は、ひどく不機嫌なものだった。

 

 細波華乃──魔法少女リップルは、忍者をモチーフにした魔法少女だ。

 無駄な脂肪の一切無いしなやかに引き締まった肢体を、忍び装束をベースにより動きやすさを追及したかのような露出度の高いコスチュームに包み、16人の中でもトップクラスの敏捷性で夜を駆ける魔法の忍者、それがリップルである。

 他者との余計な交わりを好まぬ一匹狼然とした態度だが、彼女には相棒である魔法少女がいた。

 トップスピード――魔女のコスチュームを着た魔法少女という何ともややこしい姿の魔法少女。そしてこの、リップル曰く『おせっかいで押しつけがましい先輩ぶった馬鹿』こそが華乃の不機嫌の原因だった。

 

 昨夜、華乃――リップルはトップスピードと共にいつものようにキャンディー集めをしている途中で、『アレ』を目撃した。

 

 まるで神が降臨する光の柱の如く、あるいは人が神の域に至らんとしたバベルの巨塔の如く、地より伸び天を貫く――白銀の輝きを。

 

 それが何がは分からない。それは彼女の人生で、一度たりとも見たことも聞いたことも無い物。――だが一目見た瞬間に、分かった。

 

 あれに触れてはならない。

 あれは触れる全てを圧し潰す。肉の一欠片骨の一粒までも粉砕し、形在る総てを鏖殺する――殺戮の『力』だ。

 理性ではなく生存本能でそう直感したリップルによって引き止められ、接近し正体を見に行こうとしたもののここは素直に従うトップスピード――ではなかった。

 自称・名深市最速魔法少女はあろうことか「やっぱ気になる!」と言って現場に行こうとしたのだ。

 普段はリップルのブレーキ役を自任しているが、ひとたび何かに夢中になるとリップルをさらに上回る暴走をする相棒をリップルは必死に止めた。

 主に言葉で無理なら力ずくで。結局、ついには上空100メートルの箒の上で羽交い絞めにするというマジカルアクロバティックな力技(ワザマエ)でもってようやくトップスピードを諦めさせた頃にはすでに夜の二時を回っていた。

 おかげで碌に眠れなかった。ゆえに猛烈な寝不足だ。今日も学校の後はバイトがあるというのに居眠りでもしたらどうしてくれるのだ。あの魔女っ娘いっぺんシメてやろうか?

 

 お気楽能天気な相棒を未だ眠気のさめぬ頭でひとしきり呪いつつ華乃は立ち上がり、壁のハンガーに掛けていた高校の制服に着替えるべく寝間着がわりのTシャツに手をかける。そんな主とは対照的に、なだらかな胸元ではプリントされた子猫がゆるくも可愛らしい顔を向けていた。

 言っておくが別に自分の趣味ではない。たまたま行きつけの量販店で売られていたTシャツの中でも最も安かったから買っただけだ。それだけだったらそれだけだ。

 

 誰にともなく言い訳しつつTシャツを脱ぎ、下着も替えようとして、はたと気付く。そういえば普段使っていた下着類は全て洗濯物用の袋にまとめていたのだった。それを昨日、本当ならば魔法少女活動が終わった後にコインランドリーで洗濯・乾燥しようと思っていたのだが、終わってみればとにかく精神的にも体力的にも疲れていて早く帰って寝る事しか考えられなかった。ゆえにトップスピードとのやりとりで疲れ果てた華乃はそのまま帰宅し布団に撃沈してしまったのだった。

 

 ……かくて現在、いつも使っている下着類は全て未洗濯のままであり、年頃の女の子としては流石にそれを着ていくわけにもいかない。

 ならば万事休すかというと、そうでもない。

 実は、実家を出て行って一人暮らしを始めた頃に値段が安いので買ったものの主にビジュアル的な理由で一度も着用していなかった下着があるのだ。

 

 だが、自分にアレを履けというのか。

 

 しかめ面でタンスを開けてそれを手に取り、眺める。

 

 ……ないな。うん。

 

 見れば見る程自分のような女が身に付ける物では断じてない。というかもし自分なら他人がこれを着用しているのを見たとしたらまず間違いなく人格を疑うだろう。

 だが、もはや着られる下着はこれしかない。ないのだ。

 

「…………」

 

 洗濯していない下着を履き続ける事とコレを身に付ける事、どちらが女の子としてより恥か葛藤すること暫し、

 

「まあ、別に誰かに見せるわけでもないし……」

 

 妥協の台詞を呟き、華乃はしぶしぶながらそれに履き替えようとして――ふと鳴りだしたスマートフォンの着信音を聞いた。

 新着メールを知らせるそれに、バイト先からの連絡だろうかと手を伸ばし、画面を確認する華乃。そして一目見て盛大な舌打ちをした。

 

 

 《FRM 母 おはよう華乃。昨日の夜はあんな事があったけど華乃は大丈夫だった? お母さんは家にいたんだけどもうびっくりしちゃって、あの人なんてその後の揺れで転んじゃったわ》

 

 それは大事な一人娘を心配する母の言葉。

 だが一文字読むごとに、華乃の瞳は険しさを増していく。

 

 《すごく怖かったけど、けどそれよりもお母さんは華乃が心配で心配でたまらなかったの。だって愛しい娘で大切な家族なんですもの。それで今回の事で思ったの。やっぱり家族は一緒にいるべきなんじゃないかって。ねえ華乃、いつでも帰ってきていいのよ。私もお父さんも待って――》

 

 最後まで読むこと無く、華乃はメールを削除した。

 反吐が出る。心配しているだと? 娘の身体に邪な目を向ける男を再婚相手として連れてきたあんたが?

 あまりの不快感に怒りすら込み上げ、もともと悪かった機嫌はもはや最悪なものとなっていた。

 

 偽善者め。誰があんな家に、あんな母親の下になど帰るものか。あんたはせいぜいあの男に尻でも振って、可哀想な娘を想う優しい母親という自分に酔いしれていろ。

 もしこれが親不孝というならば上等だ。

 

 私は、最低の娘で構わない。

 

 心の中でそう吐き捨て、華乃は乱暴な手つきで下着を履いた。

 

 

 ◇岸辺颯太

 

 

 腹に無理やり詰め込むように朝食を済ませた後、向かった学校ではやはり昨夜の話題――僕が使った魔法――で持ちきりだった。

 

 通学路で、廊下で、教室で、二人以上が顔を合わせれば誰もがその話をしている。あれは何だったのか男子達がやれ宇宙人の仕業だの自衛隊の極秘兵器実験だのはたまた集団幻覚ではないかなどとその正体を熱く議論している隣では、もしもう一度現れたらどうしようと女子達が不安げに話していたりと、先週までの平凡ながらも穏やかな日常風景はたった一晩で様変わりして、校内は異様な興奮と喧騒に満たされていた。

 

 だが、それも仕方ないことだろう。中学生といえば一番多感で夢見がちな年頃だ。僕だって魔法少女でなければ皆の中に混じって同じようにしていたさ。

 彼らにとって初めて見るだろう《魔法》とは、今までの常識を打ち壊すほどの存在。退屈な日常を吹き飛ばす圧倒的すぎるインパクトだったのだから。

 

 そんないつもとは異なる空気に包まれた時間は終業のチャイムが鳴っても続き、連続する事件の発生から生徒の安全を鑑みて放課後の全部活動が中止され速やかに帰宅するよう促されてもなお、興奮冷めやらぬのか放課後の教室で幾人かが話し込んで先生に大目玉を喰らっていたほど。これがおそらくは明日も明後日も続くのだろう。さすがに七十五日とはいかなくとも、終わるのはいつになるやら。

 

「私のクラスでも同じですよ。岸辺先輩」

「ああやっぱり……」

「はい。むしろ町中がその話題で持ちきりでした」

 

 自分がした事の影響をあらためて思い知らされ、僕は自業自得ながらうんざりと溜息が漏れた。そんな僕の姿を、隣を歩く物静かな少女――鳩田亜子(はとだあこ)が薄い灰色の瞳を揺らし見つめている。

 黄昏に染まる色白の肌。短くお下げにした黒髪。どこか日本人形を思わせる彼女は僕と同じ中学校の後輩で、不死の魔法を持つ16番目の魔法少女――ハードゴア・アリスだ。

 ようやく訪れた放課後、夕陽に染まる茜色の空の下を、僕たち二人は並んで帰路についていた。

 

「まあ、あれだけ派手にやれば当然か……」

「そうですね。今思い出しても身震いします」

 

 凄まじい戦い。そして恐ろしい敵だった。

 もし僕が間に合わなければ、もしアリスが兎の足を手渡さなかったら、もしスノーホワイトが僕を庇わなければ、あの戦いで歯車が一つでも狂えばまず間違いなく僕たちは全員死んでいた。もう一度やれと言っても絶対に不可能な、今こうして生きている事がまぎれも無い奇跡だ。

 いや、それを言うなら一度は「もう関わらないでください」とまで言われたこの子とまたこうして話すことが出来るという事もまた、か。

 

「亜子ちゃんはあの後は大丈夫だった? 体調とかは平気?」

「私は大丈夫です。けど……」

「けど?」

「先輩のほうこそ大丈夫ですか? その、顔色が悪いようですが……」

「ああ、大丈夫だよ。ただちょっとまだ、昨日の疲れが残っているだけだから……」

 

 嘘は言っていない。確かに体の傷は癒えた。

 だが精神に刻まれた傷のほうは今も残り、僕のこの手にはあの時の感触が──人を殺す手応えが──こびりついている。

 けどその苦しみをこの優しすぎる少女には見せたくないから、僕は何でもないと無理やりに笑顔を作った。

 

 僕と彼女が会えるのは学校が終わって人目の少ないこの時だけ。その理由は亜子ちゃんに対する心無い生徒達からの迫害だ。

 僕と一緒にいるというただそれだけで亜子ちゃんを虐げる彼女らを刺激しないよう、僕たちは校内では顔を会わせないようにしたのだ。僕が下手に関われば事態が余計に悪化しかねないから仕方がないとはいえ、こんな手段で沈静化を待つしかないというのは何とも歯がゆい。+

 だからこれ以上、この子には精神的な負担を掛けたくないのだ。

 けれど、そんな我ながら下手なごまかしはやはり見破られて

 

「……無理しないでください。岸辺先輩、辛そうですよ」

「疲れが酷いだけだってば。家に帰って休めば明日には平気だよ」

 

 

 

「――あの魔法少女を、殺したからですか?」

 

 

 

「…………ッ」

 

 否定の言葉は、出てこなかった。

 脳裏にマジカロイドだった血と肉と骨の残骸がフラッシュバックし、一瞬呼吸が止まってしまったから。

 

「やっぱり、そうですよね……」

 

 強張り、血の気が引いているだろう僕の表情を見た亜子ちゃんは、哀し気に目を伏せる。

 

「先輩は優しいから、人を殺すのなんて辛すぎますよね」

「……でも、スノーホワイトを救うためにはそれしかなかったから……仕方がないんだよ」

 

 そうだ。仕方がないのだ。

 僕は殺した。スノーホワイトを救うために、マジカロイドを殺した。

 人間として、否、魔法少女としても絶対にしてはならない最悪の禁忌と知りながら、殺したのだ。

 ゆえにこれは、この胸が張り裂ける苦しみは、

 

「たしかに辛いけど、これは当然の罰なんだ」

 

 確信を込めて偽りない気持ちを言う。けれど亜子ちゃんは小さく首を横に振って

 

「それでも、これ以上先輩の心が傷つくのなんて嫌です。もしこれでまた人を殺したら、岸辺先輩はもっと苦しむじゃないですか……ッ」

 

 まるで我が事のように辛そうに、僕の瞳を見て

 

「やっぱり、私が先輩の代わりに戦って――」

 

 

 

「それは駄目だ」

 

 

 

 鋭く発した声は、確固たる意志を宿して彼女の言葉を止めた。

 

「君は穢れちゃ駄目だよ、亜子ちゃん。穢れてしまった僕の代わりに、君は正しい魔法少女としてスノーホワイトと共にいて欲しいんだ」

 

 スノーホワイトの隣には、彼女と同じ道を行ける者が必要だ。寂しがり屋な彼女を癒し、共に歩き、支えていける、そんな存在が。……もう正しい魔法少女ではなくなった僕の代わりに、必要なんだ。

 そしてそんな人は、僕が知る限り世界でたった一人――

 

「スノーホワイトを託せるのは君だけなんだよ、亜子ちゃん――いや、ハードゴア・アリス」

 

 真剣に僕を見詰める亜子ちゃんの瞳を、僕もまた真っ直ぐに見返し伝えた。

 二つの意思がせめぎ合う沈黙が、下りる。立ち尽くし見つめ合う僕たちの間を吹き抜ける、黄昏の風。

 それに撫でられ靡く黒髪をそっと手を添え押さえて、亜子ちゃんは口を開いた。

 

「先輩は、ずるいです……」

「え……?」

 

 ぽつりと漏れた言葉に、意味が分からず疑問の声を漏らしてしまう。

 そんな僕に亜子ちゃんは微かに苦笑を浮かべ、どこか拗ねたような声で

 

「そんな事を言われてしまったら、私はもう何も言えなくなってしまうじゃないですか」

 

「ほんとうに、ずるい人です」と、かつて誰よりも自分の居場所を、自分を必要としてくれる誰かを求めていた女の子は呟いていた。

 何だかその気持ちを利用したようで――いやまあ半ばその通りなのだが――申し訳なくなり僕は頭を下げる。

 

「ごめんね。僕の我が儘に巻き込んじゃって」

「いいえ。これは私が選んだ道でもあります。私も、スノーホワイトのために生きて行くと決めたんですから」

 

「でも……」亜子ちゃんは僕の目を真っ直ぐに見て、真摯な瞳で

 

「無理はし過ぎないでくださいね。先輩が傷つけばスノーホワイトが……いいえ、私も哀しいですから」

「……うん。分かったよ。無理はしないようにする」

 

 できるだけ、だけど……。

 自分でも、これから待ち受けるだろう戦いの数々を無傷で潜り抜けられるとは思っていない。未だ生き残っている魔法少女は多く、そのほぼ全てが恐るべき魔法を使うのだ。マジカロイド一人でも死の淵を彷徨ったというのに、果たして生きてその全てを倒せるのか、断言などできはしない。

 それでも、この優しい魔法少女には哀しい思いをしてほしくないから、

 

「約束ですよ」

「うん。約束だ」

 

 また風が吹く。だが今度はより冷たく、まもなく訪れる夜闇の気配を孕んで。

 夜は近い。黄昏に沈む世界の中で、僕たちは愛しい魔法少女のために約束を交わした。

 

 

 ◇◇◇

 

 

 それから僕と亜子ちゃんは再び歩き出し、しばらく共に黄昏の道を歩いていたが、やがて分かれ道に辿りつく。そこでふと亜子ちゃんは立ち止まった。

 

「私はこれからスノーホワイトの家に行こうと思います。まだしっかりとは話せてはいませんし、これからの事も相談しなければいけません」

「そうだね。じゃあ……ここでお別れかな」

「先輩は、会いに行かないのですか?」

「会っちゃいけないんだよ。僕にはもう、スノーホワイトの――小雪の隣にいる資格は無いからね」

「岸辺先輩……」

 

 そうして亜子ちゃんとはそこで別れ、僕は独り黄昏の街を歩く。

 寂しいとは……正直、思う。小雪の顔をもう一度見たい。愛しいあの子に会いたいと叫ぶ女々しい未練が痛む胸の奥から湧き上がるも、僕はそれを振り払うようにただ足を動かした。

 そうして小雪の家から一歩でも遠くへ、少しでも離れようと歩き続けていた時

 

 

 

「ハァハァ……お嬢ちゃん。僕と一緒にいい事しない?」

「いいことってなに?」

 

 

 

 目の前で事案が発生していた。

 そう、事案だ。

 具体的には僕の目の前の路上で、ランドセルを背負った小学生の女の子に肥満体の中年男性が息を荒げてこんな事を言っていたのだ。

 うん。どこからどう見ても紛うこと無き声かけ事案だ。

 

「実はねぇ。僕の娘が家出しちゃって困ってるんだ。だから探すのを一緒に手伝ってくれないかなぁ。……ハァハァ……」

 

 などと胡散臭すぎる事を言う中年男。発情期の豚を思わせるその顔はどこかで見た事があるような気がしたが今は置いておこう。

 今最も重要なのは目の前で起きている声かけ事案だ。言っておくが勘違いなどではない。

 見よ。あの中年男の邪な欲望にぎらついた瞳を。そしてすぐ傍の路肩に駐車してあるハ●エースを! トップクラスの車内空間を誇り、『マジカルデイジー』TVシリーズ第一期第4話『逃がすなデイジー! 幼女誘拐犯追跡24時!』では悪の人身売買ヤクザが何人もの子供達を誘拐するのに使っていた国産車両。すでにそのドアは開かれ、幼女を今か今かと待ち受けているそれこそが何よりの証拠だ。

 

「人助けは確かにいい事。うん。分かった」

 

 なのに女の子は悪魔の囁きに躊躇うこととなく頷いてしまった。嘘だろ!?

 不味い。このままでは女の子は目の前の声かけ犯の毒牙にかかってしまう。ならば今すぐに魔法少女ラ・ピュセルに変身して割り込むべきなのだろうが、あいにくと近くを見渡しても人目から隠れて変身するための物陰がどこにもなかった。あるいはもう少し遠くに行けば見つかるのかもしれないが、それでは最悪手遅れになってしまうかもしれない。

 

「ありがとう! 君は良い子だねぇ」

「お礼はいい。キャンディーを増やす機会があるのなら逃す手は無いから」

「キャンディー? まあいいや、じゃあ早速あそこに停めてある僕の車に乗って探そうねぇ」

 

 にやついた笑みを浮かべた中年男の脂肪がたっぷりとついた腕が女の子に伸ばされ――た瞬間には、僕は駆けだしていた。

 女の子の前に割って入り、立ちはだかって男の魔の手を防ぐ。

 

「やめろ! この子に触るな!」

 

 突如乱入してきた僕に、中年男は目を丸くして

 

「なっ、なんだ君は!?」

「ただの通りすがりです。でもこれ以上この子に近づくなら警察呼びますよ」

 

 一応年長者だから口調こそ敬語だが、睨み、鋭い口調で言う。

『警察』という言葉に、中年男は目に見えて狼狽した。

 

「けっ、警察だって!? い、一体僕が何をしたっていうんだ!?」

「どう見ても今のは声かけでしょ」

「ごっ誤解だよっ! ぼ、僕はただ家出した娘を一緒に探してほしくて声をかけただけで……っ。ほらぁ、探すなら同じ女の子の意見を参考にした方がいいだろぉっ?」

 

 などと意味不明の供述を繰り返す声かけ犯。生え際の後退した額から脂汗をだらだらと流し必死にまくしたてる姿は、語るに落ちるとはこの事かと呆れてむしろ哀れになってくる程だが、かと言って許す事など出来はしない。

 

「ねえ……」

 

 困っている人を助けるのは魔法少女の仕事だ。

 

「ねえ……っ」

 

 ……僕はもう正しくは無いけれど、それでも魔法少女だから。

 

「ここで立ち去ってくれるなら通報はしませんから、こんな事はもう二度と――」

「えいっ」

「あ痛ぁっ!?」

 

 脛を!? いきなり背後から向う脛を蹴られた!?

 弁慶も涙する痛みに堪らず悲鳴を上げて蹲ると、その犯人――背中に庇っていたはずの女の子と目が合った。

 

 なんで。どうして。一体何が、間違ってたのかなぁ……?

 

 激痛に悶える脳裏に幾つも浮かんだ疑問は、だが次の瞬間には──涙の滲む視界に映ったその顔に、吹き飛んででいた。

 黄昏の風に小さく靡く、細く柔らかな髪。幼いゆえに一片の穢れも無い無垢な柔肌。その可憐な顔だちは今だあどけない蕾なれど、いずれ誰もを魅了するだろう美しさとなって花開くことを確信させる。対して表情は乏しく、その美しい容貌とも相まってどこかビスクドールを思わせる浮世離れした雰囲気があった。

 だが何よりも、僕を惹き付けたのはその瞳。そこに宿る、幼いからこそ純粋で危ういほど真っ直ぐに夢を見る子供の、強い意志の輝きだ。

 そんな女の子の円らな瞳が、僕をじいっと見つめていたのだ。

 

「(じぃ~~……)」

 

 見ている。微動だにせず超見ている。

 

「えっ……と……」

 

 ゴゴゴゴゴ……なんて音が聞こえてきそうなほどの無言の眼差し。息を飲み暫し呆然としていた僕だが、その円らなれど圧すらも感じる瞳に流石に戸惑いを覚えた時

 

「やあっ」

「痛い! ってまたぁ!?」

 

 また蹴られた!? 今度は反対側の脛を!

 彼女が着ている学生服。一目でわかる上質な生地と洗練されたデザインのそれは、名深市の中でも良家や有力者の子息が多く通うことで知られる有名学校の物だ。当然履いている靴も艶のある高級革靴で、見た目はもちろん頑丈さも折り紙付き。硬い爪先なんてもはや凶器だよ。いま身を以って知ったからね!

 けっきょく両方の脛に手をやってしゃがみ込む羽目となった僕を、女の子はやはり感情の読めない人形めいた表情で眺め、小さな唇を開いた。

 

「邪魔しないで」

「じゃ、邪魔って……? ていうか僕何で二回も蹴られたの!?」

「せっかく人助けをする所だったのに邪魔されたから」

「そ、それはごめん――って違うよっ!」

 

 あどけなくも有無を言わせぬその口調。それがあまりにも堂々としたものであるから僕はつい反射的に謝ってしまいそうになるが、寸ででハッと我に返る。

 

「僕はむしろ君を助けに来たんだ!」

「助けに?」

 

 きょとんと小さく首を傾げる女の子。大人びた態度とのギャップで可愛い。

 っていやいや和んでいる場合じゃないだろ僕。早く誤解を解いてこの子を犯罪者から助けなくちゃ!。

 

「そいつが言ってることは嘘だ。君は騙されてるんだよ……っ」

「嘘? ……そうなの?」

「うっ!? そ……それはだねぇ……なんというかぁ……」

 

 呟き、横に立っている中年男に目を向ける女の子。ジロリと真っ直ぐな眼差しで問われ、中年男はビクゥッと脂肪を揺らして震えた後、何やらしどろもどろに呟いている。

 見苦しい。さっさと観念して立ち去ればいいのに。

 僕は呆れつつも解決を確信する。が、中年男はここで思わぬ行動に出た。

 

「だっ騙されちゃいけぬああああああいッッッ!!」

 

 甲高い声で突如絶叫し、いきなりの事に唖然とする僕をその太い手でズビシッと指さしたのだ。

 

「嘘をついてるのは僕じゃない! こいつだああああ!!」

「……は?」

 

 いったい何を言い出すのか。思わず疑問の声を漏らしてしまった僕に構わず、中年男は唾を飛ばしながらまくしたてる。

 

「こいつこそ甘い言葉で君を騙して色々とうらやまけしからん――もとい卑劣外道性犯罪をしようとしてるんどぅあ!」

「はあああっ!?」

「『せーはんざい』ってなに?」

「詳しく知りたければあっちのハ●エースの中でおじさんが手取り足取り教えてあげるよぉ!」

「いや何言ってんだあんた!?」

 

 いきなりとんでもない事を口走りだした中年男に、もはや敬語すら忘れてツッコむ。

 だが中年男は止まらない。ここが無罪(せい)と(社会的)死の正念場だと言わんばかりの必死の形相で僕を悪者に仕立て上げようとする。

 

うるさああああい! お前みたいな爽やかスポーツ少年みたいなのが人畜無害そうな顔して女の子を食い散らかしてるんだ! 僕知ってるんだぞ!」

「な!? そんなわけないだろ!」

「しらばっくれるな! 口ではどう言おうが裏では純真無垢な女の子をあの手この手で次々と籠絡したあげく酒池肉林ハーレムを作ってるんだろ! 僕は(薄い本で)詳しいんだ!」

「そうなの?」

「違うよ!」

 

 女の子の純粋無垢な眼差しが今度は僕へと向いて問いかける。

 けど当然、僕は全力で否定し――

 

「嘘だああ! どうせラッキースケベとか称して女の子の胸やお尻に触ったりパンツ見たり嬉し恥ずかしセクハラ三昧してるんだ! お前のヤッてることは全部まるっとお見通しどぅるあ!」

「そうなの?」

「……ぇえっとぉ……」

 

 言われて、うわぁ脳裏に蘇ってくるぞ。スイムスイムのたわわなお餅の柔らかさと以前ハプニングで触ってしまったリップルのお腹の滑らかな感触が。

 い、いや……でもあれはワザとじゃないし。幸運……じゃなくて不幸な事故だし。第一胸は触ったけど誰のお尻も触った事なんて無いしっ!

 

「そっ、その反応わまさか本当に経験済みなのか!? くうぅぅぅッッ! 死ね! 氏ねではなく死ね! 女の子の愛に恵まれない全世界の非モテ男の恨み辛み嫉妬と怨念を受けて爆発して死ねリア充!

 

 遂にはギリギリと歯軋りして、今にも両目から血涙を流さんばかりの中年男。

 そのあまりの迫力に僕はたじろぎ、だがここで引くわけにはいかない。反論するべく口を開こうとした時――

 

 

 

「店の前で騒がないで」

 

 

 

 凛と澄んだ、だが地獄の底から響くかのような殺気を孕んだ声が、僕と中年男の言い争いをその迫力で止めた。

 思わず声の方に目をやると――ヤバイ奴がいた。

 

「店の迷惑になるから今すぐ消えて。早く」

 

 僕らの横にあるカフェの入り口の前で仁王立ちしながら僕らを見据えるのは、腰まで届く艶やかな黒髪が印象的な女子高生くらいの少女。

 ここでバイトしているのだろう。綺麗に整った顔立ちで、その手足はすらりと伸びてアスリートのように引き締まっている。猫のマークが付いたエプロンの下の胸は乏しいようだが、それがかえって彼女のスマートな長身の美しさを引き立てていた。

 率直に言って美少女である。

 

 だがでかい。そして目つきがヤバい。

 いくら向こうは年上とはいえ僕だって成長期の男子だ。162㎝の身長は同年代では決して低くないだろう。が、この目の前で仁王像の如き威圧感で立つ女子高生には到底及ばない。

 高い。というかデカい。どう低く見ても170㎝以上はある。ラ・ピュセルの時の身長でも(169㎝)敵わないとは……ッ。

 

 なかつその切れ長の瞳から放たれる眼光たるや、どこまでも鋭く冷たくなおかつ激しく、なまじ顔が美しい分迫力が増して、気の弱い者なら一睨みで泣き出してしまいそうなほどに強烈。

 そんな凶器レベルのそれが、170越えのガタイの長身から『これ以上騒ぐようならどうなるか分かってんだろうな?』と無言の殺意と共に叩きつけられるのだ。

 

「ひぅっ……!」

 

 精神耐性が強化される魔法少女時ならともかく今の僕はごく普通の男子中学生。結果、僕は成す術も無く蛇に睨まれた蛙の如く硬直した。

 ついでに死も覚悟したがけしてオーバーではない。だってこの子の目は本気で人を殺れる目だもの。

 せめて女の子だろは守ろうと、この身を盾にして庇うべく咄嗟に手を伸ばし抱き寄せる。

 

「ぁ……っ」

 

 小さな声を漏らし、腕の中にぽすんと収まる小さな体。柔らかな髪からふわりと幼い香りがした。

 ついでに女子高生の眼差しが性犯罪者を見る目に変わり殺意が十割増しになった。

 

 あ、これは死んじゃうやつだ。

 

 妙に凪いだ心地でそう自らの死を悟る僕。

 ごめんね亜子ちゃん……君との約束守れないや。

 絶対に死なないと約束した後輩に心の中で謝った時、

 

「華乃ちゃわあああああああああん!」

 

 爆発した奇声が処刑場めいた空気をぶち壊した。

 え? 今度は何?

 もはや何度目かも分からないそれに唖然とする僕など見向きもせずに、その発生源たる中年男は喜色満面の笑みで女子高生に語りかける。

 

「やっと見つけたよぉ華乃ちゃん!」

「なんで……あんたがここに……ッ」

 

 一方、女子高生は苦々しく美貌を歪め、ゴミを見るような目で呟いた。

 

「決まってるじゃないか! 華乃ちゃんを探してたんだよ!」

「なんで私を……」

「家出した娘を心配するのは当然でしょぉ!」

 

 忌々しげに睨みつける恐怖の眼光などものともせず目をぎらつかせて詰め寄る中年男。

 あいつすごいな。僕なんて一睨みで声も出せなくなったのに。

 ここまでくれば天晴な変態ぶりにもはや感心しつつ、対照的な二人を見る。まったく似ていないがどうやら親子らしい。

 しかしその関係は女子高生の嫌悪にそまった表情を見る限り、良好ではなくむしろ最悪なようで

 

「娘って……あんたのことを父親だなんて思った事なんかない。だいたい血も繋がってないのに父親面しないで」

「血なんて繋がってなくとも愛でつながってるよぉ! 父と娘の愛で!」

「父親って言っても五人目でしょ」

 

 おおぅ。なにやら複雑な家庭事情のようだ。

 そう吐き捨てる女子高生の取り付く島もない態度に、ついに中年男は業を煮やしたのかその両手を広げて

 

「そう言わず一緒に僕らの家に帰ろうよ! お母さんだって華乃ちゃんを心配して帰りを待ってるんだよおおおおおお!」

 

 叫び、女子高生に無理やり抱き着こうとしてきた。

 

「ッ! やめ――ッ」

 

 これは流石に見過ごすことはできない。

 僕は咄嗟に抱き寄せていた女の子を離し、二人の間に割って入るべく立ち上がうとして

 

「……チッ」

 

 舌打ちの音と共に女子高生の総身から噴き上がった怒気に、再び硬直した。

 一瞬で鳥肌が立ち気圧される程の凄まじいそれ。煮え滾る溶岩のような声が響く。

 

「あの女が心配してるはずなんてない。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……ッ」

 

 吐き捨て、その脚が振り上げられる。

 ヒュンッ! 鞭のように放たれたそれが、風を切る音と類まれなる筋力が生む破壊力を纏って虚空を裂き

 

「寝言は寝てから言って」

 

「ぶふおおおおおおおおおおおおおおおお!?

 

 今まさに抱き着かんと迫る中年男の側頭部へと命中。

 叩き込まれた凄まじい衝撃に、見るからに肥満体だったにもかかわらず中年男の身体は吹き飛び近くのゴミ捨て場へと激突した。

 かくして積み上げられたゴミ袋の間に埋まるように倒れた男。その身体からはぐったりと力が抜けて、完全に白目をむいている。気絶したようだ。

 

 凄い。というか人間の身体ってあんなに飛ぶものなんだ……。

 と、普段の僕ならその光景を前にそんなことを思っていただろう。

 だが今、僕の視界はそちらを向いていなかった。

 僕が呆然と見ていたのは、

 

「もう二度と来ないで」

  

 

 

 その姿をもはやゴミ以下の物へと向ける目で見、吐き捨てる女子高生――のハイキックで舞い上がったスカートの中身だったからだ。

 

 

 

 誓うがわざとではない。

 女の子から受けた脛キック×2のダメージで僕はしゃがみ込んでいた。

 でもって女子高生は仁王立ちをしていて、なおかつその状態でハイキックをしようものなら多少スカートが舞い上がってしまうのは物理法則上仕方のない事なのだ。

 むろん舞い上がるとは言っても古いモンロー映画のようなほぼ直角ではなく精々90度か少し下程度なのでそう簡単には見えないはずだが、不幸にも位置的に下から見上げる形となっている僕にはこうしてバッチリと見えてしまっていると言う訳だ。

 うん。僕は悪くない(現実逃避)。

 

 そんな事を考えていると、女子高生は今度は僕へと瞳を移し

 

「あんたもさっさとどこかへ――」

 

 あ。目が合った。

 そして今の状況に気が付いた。

 目を見開いてビキッと硬直してる。

 

 下から呆然と見上げる僕の瞳と、女子高生の上から唖然と見下ろす瞳。

 二つの眼差しが重なり合い、時が止まる。

 そして空気も死んだ。どうしたらいいの。

 

「…………」

「…………」

 

 や、やばい。ほんとどうしよう。何か言わなきゃ。嗚呼とにかく何でもいいからッ何かこうこの状態を切り抜ける起死回生の一言を……何でもいいからッ!

 

 この時、僕の脳髄は突然のパンチラに混乱しきっていていた。だから正常な判断など下せるはずも無かったんだと先に言っておく。

 でなければ、僕は少なくとも絶対にこんな事を言わなかったからだ。

 

 

 

「可愛い猫ちゃんだね!」

 

 

 

 結果、僕の意識は側頭部に叩き込まれた衝撃に体ごと吹き飛ばされた。

 ブラックアウトする視界に最後に映ったのは、一瞬で顔を真っ赤に染めて二発目のハイキックを放った女子高生。その舞い上がるスカートの向こうで無邪気に笑う、純白の生地にプリントされた猫ちゃんのスマイルだった。

 

 

 ◇カラミティ・メアリ

 

 黄昏から夜の闇へと沈みゆく街の中を、カラミティ・メアリは歩いていた。

 暴力団やアウトローの多く集う城南地区の中でも特に治安が悪く、堅気の者ならば絶対に立ち入ろうとしないその一角を、後ろに数人の黒服の男達――暴力団『鉄輪会』の構成員――を従え悠然と進む彼女の足取りはごく自然に、だがどこか浮足立っているようにも見える。

 対してヤクザたちの表情は一様に緊張し、強張っていた。

 彼らは知っていた。

 この女がこういう雰囲気の時は、必ず何かが起こる前触れだと。

 それが具体的には何なのかは、用件も聞かされず『付いて来い』とだけ言われた男達にはわからない。

 

 だが、一つだけは断言できる。

 今までがそうだったから。

 これから、雨が降るのだ。鉄と血の――全てを巻き込みぶち壊す、破壊と暴力の雨が。

 

「なあにビビッてんのさ」

 

 戦慄し、その恐怖に震えた男達へとメアリは可笑しそうに笑いかけた。

 だが、その笑みは男たちを安堵させるどころか、さらなる恐怖へと叩き込む。

 

「別に鉄火場に行こうってんじゃないよ。ただちょっと、注文してたパーティーの小道具を取りに行くだけさ。これからおっぱじめるそいつを盛大にド派手に愉しくするための――ね」

 

 そう心底愉し気に語る笑みが、まさしく血に飢えたケダモノのそれだったのだから。

 

 




お読みいただきありがとうござます。
自分の書いている物が果たして面白いのか全く分からなくなるという物書きの職業病を発症するも、好きな漫画の『本当に面白い物が出来た時はうぬぼれでなく分かるもの』という台詞に感銘を受け「あ、やっぱこれ面白くないんですねうん知ってた。でもそろそろ投稿せんとヤバイしもうこれでいっちまえ!」というノリで投稿した作者です。

でも基本クッソ長いうえにグダグダなのはいつもの事か。つまり世はなべてことも無し。これが作者の平常運転だ。うん死んだ方がいいよね分かっております。

今回の話で登場した五人目のパパはアニメ版のパパです。変態を書くのが楽し過ぎて気付いたらこのありさまだよ! ちなみに原作者はおっさん魔法少女を登場させようとはしたものの担当に止められたらしいけどまさかそれって五代目パパかしらん? 真相はベルッちあたりにでも調べてもらおうそうしよう。

はてさて次回は謎の小学生の正体が遂に明らかになります。衝撃の正体を今からお楽しみに。
でもその前にIFルートの方も書かにゃならんかぁ。
でもでもこれからリアルがちと忙しくなりそうなので投稿と感想返しが遅くなります。うんマジごめん。時間が空き次第書き上げたいと思いますので気長にお待ちください。でわ


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三角形の此方

今回のエピソードにはオリキャラが登場するぽん。
ほぼ一発のちょい役で終わらせるので許してぽん。
あと世界観にたいする独自解釈というか設定改変もあるのでどうか広い心でご覧くださいぽん。


窓から差し込む夕陽が壁に付けられたランプの灯と混じり合って、喫茶店の落ち着いた内装を温かな色合いで照らしている。

 

カウンターの上で回るレコード盤から流れる軽やかな音楽はジャズだろうか。それが初老のマスターが熟練の手つきで珈琲を淹れる音とデュエットしているようで面白い。

古く有る店なのだろう。木目調のカウンターも、僕たちが座っている窓際の席の椅子やテーブルも長く使い込まれたせいか僅かに黒ずんでおり、だがよく磨き上げられているので不潔ではなく、むしろ新品には無い長い年月を経たゆえの味わいがあった。

 

それは他の調度品も同じ。全体的に古びているがそこがまた趣があり、古い時代の温かさを感じさせる、僕たちがいるのはそんな場所だった。

 

が、生憎と今の僕には、そんな雰囲気を味わう余裕なんて無かった。

感じているのは、迷惑をかけてしまった人物と向かい合う緊張とどうしようもない気まずさ。身体は強張り、どうにも落ち着かない。

それはその原因――僕の向かいの席に座る黒髪の女子高生もまた同じであるらしく、整った顔の眉間に皺を寄せ、硬い表情でどうしたものか視線をさ迷わせている。

そんな中でただ一人、小学生の女の子だけが、お人形のように静かな表情で僕の隣に座っていた。まだほんの子供だというのに背筋がピンと伸びていて実に御行儀が良い。

それは普通なら大変結構な事だけど、今だけは子供らしく笑うなりはしゃぐなりしていいんだよ。お願いだからこの空気を変えてっ。

 

半ば不可抗力でパンツを見てしまった自分と、見ず知らずの少年を蹴り飛ばしてしまった女子高生、そしてその義父にあやうくハ●エースされかけた小学生。なんだこのカオス。

 

「………………っ」

「………………」

「………………(ぼー)」

 

女三人寄れば姦しいとは言うけれど、生憎ここには女二人と男一人。会話なんて無い。あるのはぎこちない沈黙だけ。

いいかげん何でもいいから話しかけようとは思うのだけど、さりとてどう声を掛ければいいのか分からず、出来ない。ゆえに終わらぬ無言の無限ループ。

おかしいなぁ……。近距離で美少女と向かい合っているという全男子が夢見るシチュエーションなのに、ちっともときめかないや。むしろ今すぐ逃げ出したいなあははははー……はは……。

 

カチ、カチ、カチ、カチ…………。

 

時計が我関せずとばかりに無機質に時を刻む音と、こちらの気も知らずに能天気に歌うレコード盤のデュエットが虚しく響く。

心地好い音楽と珈琲の香りを楽しむ癒しの空間のなかで、まるでここだけが異空間となってしまったかのごとく、何とも言えない空気に包まれていた。

 

なんでこうなったのかなーー……。

 

途方にくれながら、僕は半ば現実逃避でこれまでの事を思い出す。

 

不幸な事故からこの女子高生のパンツを見てしまった僕は、それはもう見事なキックを側頭部に受け気絶してしまった。

そして次に目覚めた時、僕はこの喫茶店のソファの上に寝かされていた。そして目の前でここのマスターを名乗る壮年の男性が真っ青な顔で頭を下げていたのだ。なんでも気絶した僕をここへ運び解放してくれたらしい。

 

うちのバイトがとんでもない事をしてしまったとダラダラと冷や汗をかきながら謝るマスターは続いて『お詫びにどうか当店のメニューをご馳走させてください。好きなだけ飲み食いしていただいて構いません。だからどうかこの件は警察にだけは……』後半は小声だったがしっかりと聞こえた。食べ物で子供を釣ろうとか大人って汚い。

 

特に体に異常は感じなかったこともあり僕は断ろうとしたが、『ここで不祥事がばれて警察沙汰になったらただでさえ遠のいている客足が完全に消えるんですよおおおお!! そしたらせっかく脱サラして起ち上げたうちの店はもうお終いなんですううううう! 何でもしますから警察だけはやめてえええええ!』と号泣しながら足に縋り付いてくる店長。見苦しいとは思うなかれ、生きるか死ぬかの人生をかけた戦いがそこに在った。

結果、その断ろうものなら切腹すら辞さないのではないかという鬼気迫る迫力に負けて僕は頷いてしまい、今に至る。ちなみに何故か小学生もついてきた。

そして三人でテーブルに着いてからもうすぐ10分程。その間一切会話無し。

 

「はぁ……」

 

いい加減らちが明かないなぁ。

そう、自分の不甲斐なさに溜息を吐いたところで、

 

「……身体は、平気?」

 

それまで沈黙していた女子高生がすっと顔を上げ、僕の目を見て口を開いた。

 

「身体ですか?」

「その、思い切り蹴ったから……」

 

いきなりの質問に内心驚きながらも問い返すと、返ってくるのは気まずそうな答え。

 

「ライダーに蹴られた怪人みたいに飛んでた」

 

横から小学生も補足し――って僕はそんな状態だったのか……。

まあ確かに蹴られた瞬間、衝撃と一緒に両足が地面から離れる浮遊感がしたし、路面に激突したからか背中や腰が痛いけど……あれもしかして割と地味に大ダメージ負ってないか僕?

でもまあ……とりあえずはこうして生きてるんだし、僕は責めるつもりはない。

 

「えっと……大丈夫ですよ。それはまあ蹴られた時は衝撃が凄くて、正直首が飛んだかと思いましたけど、幸い痛みを感じるより先に意識の方が飛びましたから、体の方は何とも……」

「それは本当に大丈夫なの?」

 

うん自分で言っててだんだん不安になってきた。けど、これ以上心配を掛けたくない。

ここは安心させるように頷いておこう。……後で一応病院で検査してもらうとして。

 

「だ、大丈夫ですって。ほんと何ともないですから」

「本当……?」

「本当ですっ」

 

精一杯頷くと、女子高生は納得したのか小さく安堵の息をもらし、そして背筋をすっと伸ばしてばして居住まいを正す。真剣なその様子に、僕もまた姿勢を直し、真っ直ぐにこちらを見る瞳を見つめ返した。そして艶やかな黒髪がさらりと揺れて、彼女の頭が深く下げられた。

 

「ごめんなさい。あの時は頭に血が上ってて……、蹴って悪かった」

「そんな、謝らないでくださいよ。別に怒ってませんし、あれは仕方のない事ですから」

 

これは本当だ。あれは実際事故のようなものだし、だいたい見知らぬ異性にラッキースケベもとい(偶然ながら)痴漢行為をされて冷静でいられる女子なんていないだろう。……いや、約一名ほど胸を揉まれても眉一つ動かさなかった白スク魔法少女がいたけどあれは例外だ。

ゆえに本心からそう言うも、女子高生はその頭を上げなかった。

 

「たとえそうだとしても謝らせて。これはケジメだから」

 

答える迷い無き声に宿るのは、己が筋を通すという確かな意志。

一匹狼然とした近寄りがたい雰囲気から粗暴な人物かと思っていたが、その真摯な姿にそれが間違いだったと僕は知る。

世の中には例え自分が悪いと分っていても素直に認める事の出来ない者がいる。保身のためだったり高すぎるプライドを守るためなどその理由は様々だが、いずれにせよそういう者達は自分のために他者に迷惑をかけることを厭わぬ卑劣漢だ。

そんな輩に比べれば、彼女の自分の非を認める潔さと、その一本気な姿勢は好感が持てた。そして、年上とはいえ女の子にこんな姿を見せられては、男として責める気になどなれる筈もない。

 

「――分かりました。でも、謝るなら僕の方こそですよ」

「え?」

 

だから僕もまたしっかりと言葉にして、その謝罪を受け入れる。

そして、その瞳に戸惑いを浮かべた彼女へと頭を下げ

 

「僕もごめんなさい。わざとではないにせよ、恥ずかしい思いをさせてしまいました」

「別に、あなたは謝らなくても……」

「いいえ。男として女の方にだけ謝らせるなんて出来ません。――これが、僕のケジメですから」

 

先程言われたものと同じ言葉を、今度は僕が言う。

そんな事を言われるとは思っていなかったのだろう。彼女は暫しぽかんと僕を見つめ――ふっ……と、その表情を微かに和らげた。

 

「わかった。じゃあ、許す」

「ありがとうございます」

 

互いに謝り、そして僕たちはそれぞれを許した。

すると自然と張り詰めていた雰囲気も緩み、僕らの間に流れる空気が穏やかなものとなる。

永遠に続くのではないかとも思えた緊張が、あっけないほどにあっさりと消えて。こんなに簡単な事だったのに、ここまで来るのにあれほどギクシャクしていたのが我ながら可笑しくなってきた。

内心で苦笑しつつ、ふうっと息を吐き、知らず緊張していた肩の力を抜く僕。すると

 

「なら、それでいい」

 

何故か妙にどっしりとした口調で口を開いたのは、それまで声を発することなく円らな瞳で僕らのやり取りを眺めていた小学生。

 

「部下の屈辱は主の屈辱。相手には三倍返しで思い知らせるべしと言われたけど、ラ……あなたがそれでいいなら私も許す」

「え? いつから僕は君の部下になったの?」

 

唐突に明かされた衝撃の事実。僕はいつの間にやら幼女の手下になっていたらしい。

 

いやいやそんなわけはないって。

いきなり何を言い出すのかと戸惑っていると

 

「小学生に部下って呼ばせてるの……?」

「いや違うよ!? 誤解だからそんな目で見ないで!」

 

ヤバイ。向かい側に座った女子高生の目が、完全に変態ペド野郎を見る目に逆戻りしてる。

再び蹴り飛ばされる前に誤解を解かねばっ。

 

「というか僕とこの子は初対面だから」

「知り合いじゃないの?」

「ええ。さっき初めて会ったばかりですよ」

「それなのに助けたの……?」

 

意外そうに問う声。

そう思われるのも仕方のないことかもしれない。

確かに、見ず知らずの子供のためとはいえ性犯罪者に正面から挑むというのは危険だ。もし逆上されれば何をされるか分からないし、万が一凶器など持っていたのならば命の危険すらありうる。それでなくとも厄介事には関わりたくないものだ。事実、あの時周りにいた通行人たちは皆助けに入らず遠巻きに見るのみだった。

 

それを全面的に肯定するつもりは無いが、かといって罪とは思わない。誰だって自分の命は大事だし、大人ならば養うべき家族が、子供なら悲しませてはいけない親がいる。困っている他人を助けようという正義感は大事だが、自分が傷つくことで大事な誰か――親、兄弟、友達、あるいは愛しい人――の心も傷付けてしまうのなら、それを厭う心もまた正しいと僕は思う。

 

だからもし僕が魔法少女ではなく、只の普通の中学生だったのなら、他の皆と同じように見捨てていたのかもしれない。

けど、僕は魔法少女なのだ。だから――その問いに、僕は頷きで答えた。

すると女子高生は僅かにその切れ長の瞳を見開き、

 

「そう……」

 

柔らかく、呟く。

それが感心ゆえか、それとも単に呆れているからかは分からない。

けど、僕を見る眼差しが僅かに和らいだように思えるので、そう悪い物ではないだろう。

 

「細波さん」

 

ようやく見る彼女の顰め面以外の表情を眺めていると、それまでカウンターの向こうで珈琲を入れていた初老の店長が声をかけてきた。『細波』というのは女子高生の名前らしい。名前を呼ばれた彼女――細波さんは席から立ち、カウンターへと向かう。

僕らのやり取りが平穏無事に終わった事に、胸を撫で下ろして安堵の笑みを浮かべる店長と一言二言会話した後で戻って来た彼女の手には、温かな湯気を上らせる二つのカップが載せられたトレイがあった。

 

「はい。どうぞ」

 

かちゃりと、軽やかな音を鳴らして目の前のテーブルにカップが置かれる。

ふわりと香る、仄かに苦く、だが心地良い珈琲豆の香り。

 

「おぉ……」

 

その香りに、思わず声を漏らす。僕はコーヒーに詳しいわけでは無いけれど、これは味わう前でも香りだけで良いコーヒーだと分かった。椅子に腰かけつつ、鼻腔をくすぐる芳香を味わっていると、

 

「苦いのは苦手……」

 

 

目を向ければ、女の子が横から僕のカップを満たす濃い黒を見つめていた。ただし形の良い眉を僅かに下げ、くりくりとした丸い瞳にげんなりと不満を浮かべて。

 

「あなたにはこっち」

 

そんな彼女に、コーヒーを持ってきた細波さんがトレイに載っていたもう一つのカップを取り出して、女の子の前に置く。

そこに注がれていたのは、子供が好みそうな茶色いカフェラテ。しかもその表面には、ラテで描かれた子猫が可愛らしく浮いていた。

 

「わぁ……っ」

 

何とも愛らしいラテアートに、曇っていた女の子の顔が和らぐ。

小さな蕾が綻ぶような微笑。これまで落ち着き払った表情しか見ていなかったためか、そんな年相応の反応はなんとも微笑ましい。

ほんわかとした気分になりつつ、僕はカップに口を付ける。一口飲めば、口の中に広がる仄かな酸味と深い苦み。うん、やっぱり美味しい。

 

「でも本当にいいんですか? こんな美味しい珈琲をただで頂いて」

「気にしないで。これはお詫びだから。……えっと……」

 

ふと困ったように眉を寄せて、言葉を詰まらせる細波さん。

そういえば、まだ名乗っていなかったか。

この場で何を話すべきか考えるあまり、そんな本当ならば一番最初に行うべき事を忘れていたとは。自分が恥ずかしい。

 

「岸辺。岸辺颯太です」

 

あらためて名乗ると、彼女もまた口を開き

 

細波華乃(さざなみかの)

 

涼やかなその美貌に良く似合う、綺麗な名を言った。

 

「――それと、敬語は使わなくていいから。別に同じ学校の先輩後輩じゃないし、堅苦しい」

「わかりま……うん、わかったよ。細波さん」

 

続いて最後の一人――小学生の女の子は空気を読んでくれたのだろう、カップに浮かぶラテの猫から目を離して

 

「―─坂凪綾名(さかなぎあやな)

 

鈴のような声で、そう名乗ったのだった。

 

「よろしく。綾名ちゃん」

 

これが細波さんと綾名ちゃんとの――今日初めて会ったはずなのに、何故かずっと前から知っていたような気がする、不思議な二人との出会いだった。

 

 

◇◇◇

 

 

こうしてそれぞれが名乗り合った所で、細波さんは小学生――綾名ちゃんにも頭を下げた。

 

「あなたもごめん。うちの義父(クズ)が迷惑かけて」

 

クズって……。まあ確かに見た目がダメ人間っぽかったけど。

でも、考えてみれば、こんな子供があんな変質者に目を付けられ絡まれて、あやうくその毒牙にかかる寸前だったのだ。結果的に何事も無く澄んだとはいえ、トラウマになっていてもおかしくは無い。

大人しく椅子に座っているその表情こそ平然としていても、心には深い傷と恐怖を負ってているかもしれないのだ。――クラムベリーの恐怖に心が折れかけていた、かつての僕のように。

そう思った時、いてもたってもいられず僕は話しかけていた。

 

「気分は大丈夫? 怖かったよね」

「別に問題ない」

「……ごめん。僕がもう少しでも早く駆けつけていれば、君に怖い思いをさせずすんだのに……ッ」

「怖い思いなんてしてないけど」

「もし君が僕に怒ってるのなら、罵倒してくれて構わないよ。それで君の気が少しでも済むのなら、僕は……ッ」

「? なんで怒るの?」

 

あ、あれぇ……?

僕の言葉に淡々と答える綾名ちゃん。それに戸惑いつつ改めて見れば、きょとんと小さく首を傾げる愛らしい仕草に、強がっている様子は一切無かった。

くわえてなんだろう、なにやらこの会話が根本から噛み合っていない気がする。

 

「えーと、ほんとに怖がってないの……? まだショックが残ってたりは……」

「全然」

「べつに強がらなくてもいいんだよ。嫌な気持ちになったら素直に泣いたっていいんだ。君はまだ子供なんだから――」

「子供だけどそれがなに?」

「…………」

 

すがすがしい程の連続即答。

うん。なるほどようやく理解した。

これは素だ。あんな事があったというのに本気でこの子は平然としているんだ。

度胸があると誉めるべきなのかもしれない。もしくは、小さいのに凄いねと言ってあげるのが正しいの対応なのだろうか。

……けど、僕にはそうは思えなかった。むしろ

 

「度胸があるのね」

 

小学生とは思えない肝の座った態度に細波さんは感心したように呟き、だが「けど」と続けて

 

「あのろくでなしの関係者である私がこんな事を言う資格は無いかもしれないけど、妖しい大人には関わっちゃ駄目。絡まれたら直ぐ周りに助けを求めたほうがいい」

「学校でもそう習った」

 

「でも」と、綾名ちゃんは返す。

 

「助けを呼ぶのは弱い人のする事。私は強くなりたいから、一人で何とかしなくちゃならない」

 

はっきりと、そう語る。

幼い声に確固たる信念を宿して。ただ静かに、だが熱く、どこまでも真っ直ぐに。

 

「もし襲われそうになったらやっつける。どんな敵にも怖がらないで、戦って勝つ。それが私のなりたい……だから。強くなるために、私は逃げない」

 

後半はよく聞き取れなかったが、強くなりたいと、そう語る声は決して冗談や格好つけではなく、それがこの幼い少女が心の底から望み叶えようとしている『夢』なのだと伝えていた。

けれど、

 

「それは強さじゃなくて無謀だよ」

 

それはとてもキラキラとして、美しくて――そして、危うい。

 

「君の夢を否定はしないし、むしろ応援したいと思うよ。けど、だからこそ、今の自分の『弱さ』を自覚しなくちゃ駄目だ」

「弱さ?」

「うん。君は大人びてて、きっと頭も良いんだろうけど、単純な力はまだ子供のままだよね」

「それでも男子よりは強い。クラスの田中くんを叩いてやっつけた。あなたも蹴って膝をつかせた」

「うんクラスメイトに暴力はやめようか。あと硬い革靴は凶器だから二度と武器利用しないでね。──けど、それは相手が同じ子供だからだよ。今回のように大人相手なら力じゃ敵わないんだ」

「……………」

 

『強くなりたい』とは、たまも語っていた願いだ。

だがこの少女が語るそれは、違う。たまはあくまで大切な者達を守るため、他者のための力を求めていた。対してこの少女が抱く夢は己が身を省みず高みに至らんとする物。誰かの為ではなく――己のための強さだ。

この危うさを、僕は知っている。かつて、全く同じ熱に浮かされていたのだから。

だから僕は、語りかけていた。

 

「僕もついこの間までは、君と同じように思っていたよ」

 

かつての自分の愚かしさを。『夢』を見て、その眩い輝きに盲いて現実を見ることが出来なかった愚者の末路を。

 

「一人で何でもやろうとして、自分の強さを過信して、あげく相手の強さも分からずに無謀に挑んで負けて――大切な物を失った」

 

沸き上がる羞恥と痛み、そして理想を喪い虚ろな穴の開いた胸の痛みを感じながら、

 

「あの時、僕が自分の力では何ができて何が出来ないかを知っていれば、きっと何も失わずにすんだと思う。けど僕は、自分がまだ未熟者でしかないという現実から目を背けていたんだ」

 

もしあの時、僕が自分の実力を自覚し、クラムベリーとの力の差を悟れていたのなら、戦わず退いて、戦うとしてもウィンタープリズンに協力を仰ぎ殺さず勝つことを選んだはずだ。そしてきっと、今でも正しい魔法少女でいられたのだろう。

だが、そうはならなかった。

僕はあまりにも無知で、己の弱さを認められなかったのだから。

 

現実を見ろと、かつての僕に言ったマジカロイドの言葉は、ああ正しかったのだと思う。すくなくともあの時の僕は、今の己に信念を貫くだけの『力』が無いと悟れなかった。

けれど、だから諦めろという言葉は否定しよう。現実を見る事と夢を諦める事は、それでも違うと思うのだ。

 

「夢を見るのなら、だからこそ現実から目を背けてはいけない。そうして地に足をつけて進んで行かないと、きっとどこかで躓いて大切なものを失ってしまう」

 

静かに語る僕を、幼い瞳が見つめている。

その無垢で、ひたむきで、狂おしい程の想いを宿した夢見る瞳が──ある魔法少女のものと重なった。

……ああ、どうりで初めて会った気がしなかった訳だ。この子はよく似ているんだ。かつての僕に、そして──スイムスイムに。

 

 

 

『お姫様はルーラ。私がなりたいお姫様はルーラだけ。でもルーラがいたんじゃ、ルーラになれない。それでも、私はルーラになりたいから――』

 

 

 

彼女と戦ったあの夜、二人きりの部屋で、己の夢を語るスイムスイムに――僕は何も言えなかった。

 

 

 

『私は、ルーラを殺したの。私がお姫様(ルーラ)になるために』

 

 

 

彼女が味わった絶望と、それでもなお諦めきれない渇望に共感し、そして狂的なまでの覚悟に打ちのめされて。僕は、何を言うべきかも分からなかったのだ。

そして、僕は全てを失い此処にいて、スイムスイムは今も己が手を血に染めて進み続けている。全てはもはや手遅れとなったのだ。

 

だからせめて、僕はこの子にだけは言わなければならない。あの時に言うべきだった言葉を。伝えられなかったものを。スイムスイムと同じ危うさを抱えたこの子に

 

「僕と同じ絶望を、君に味わってほしくないんだよ」

 

もう手遅れとなった僕のかわりに、自分の夢を叶えてほしいと思ったから。

 

「…………」

「…………」

 

伝えるべきことの全てを語り終え、僕は口を閉じる。下りる沈黙。

 

ふぅ……。

 

そうして、無意識に肩にこもっていた力を抜き、息を吐いた。

喋り続けたからか、何だか疲れたな。

気だるい疲労感を感じていると、ふと細波さんと目があった。クールな表情だった彼女が今、呆気にとられたような目で僕を見ているのは、いきなり柄にもなく熱弁をふるってしまったからか。

急に恥ずかしくなって、僕は熱くなった頬を隠すようにうつむき

 

「ま、まあ……その……そんなわけで、悪い大人に会ったら戦わないで逃げたほうがいいと……思うん……だよね……」

 

最後の方はほとんど消え入るように、呟いたのだった。

 

さて、言うべき事は全部言った。

細波さんとは対照的に、綾名ちゃんはただ静かに、瞬きひとつせず僕を見つめている。

僕の言葉は、果たしてその淡い胸の奥に届いたのか。

綾名ちゃんの小さな唇が動く。

そして、そこから答えが紡がれる──前に、僕のスマートフォンが突如震え、着信を知らせた。

液晶画面に表示された送り主の名は

 

「亜子ちゃん……?」

 

何かあった時のためにと番号を交換していた後輩からだった。それを見た瞬間、何だろう……胸騒ぎがする。

不吉な予感を覚えつつ、僕は細波さんと綾名ちゃんに一言断ってから通話ボタンを押した。

そして───告げられた言葉に、スマートフォンを取り落とした。

 

 

 

◇カラミティ・メアリ

 

 

寄せては返す波の音と共に、吹き抜ける海風がカラミティ・メアリの金の髪を撫でる。

手下を引き連れ訪れた港の倉庫街は、波音のみが流れていた。

常ならば聞こえる筈の作業員たちの声も、船舶から届けられた荷物を運ぶ運搬車の走行音も、ここには無い。一ブロック隣では彼らが忙しなく行き交い作業しているというのに、この箇所だけはまるでそんな日常の空間から切り離されたかのように、人影は殆ど無く、不気味な静寂のみが支配していた。

 

明らかに空気が違う。そも光景からして異様。

近くに建つ倉庫の壁はひび割れ、足元のコンクリートには深く亀裂が走っている。すぐ横の壁面などは何かが激突したかの如く陥没して、あらゆる場所が崩れ壊れている。経年劣化ではありえない剣呑なそれらは、圧倒的な暴力による破壊の爪痕に他ならない。ここはまさしく戦場跡なのだ。

いったいどれほどの力の激突がこの光景を生み出したというのか、ただの人では想像もできないだろう。だがそれでも、この場に今も残る死闘の残滓は、それだけで生存本能に警鐘を鳴らし、言い知れぬ怖気として人々をこの場から遠ざけていた。

 

そんな、ある種ひとつの異界と言ってもいい場所で――その少女は待ち受けていた。

 

「ウェルカム。お客さん」

 

おそらくは十代の後半頃だろう。スレンダーな肢体に纏うのは、だらしなく、というよりは柄が悪く着崩したビジネスマン風の衣装。左手には重厚なアタッシュケース。小さな頭にかぶった帽子からは癖の強いくすんだ金髪が飛び出し、黄昏の光を浴びて鈍く光っている。

そのどこかネコ科の獣を思わせる野性味のある美貌は、だが唇や瞼の上に付けられた刺々しいピアスのせいで見る者に可憐さよりも危険な香りを感じさせた。

日本人ではないのだろう。その人懐こそうな笑みを湛えた唇を開いた彼女は、外国語圏の人間が日本語を話す際の独特の訛りのある声で

 

「久しぶりぃメアリの姉御。相変わらず良~い硝煙の匂いをさせてんなア。死んでなくて安心したゼ」

「あんたこそしぶとく生きてるようじゃないか。てっきりどこかでくたばってるんじゃないかと思ってたよ」

 

明らかに堅気ではない。極道として鉄火場に慣れている筈の手下達ですら顔を強張らせ冷たい汗を流すこの異様な場に、この少女――いや、少女達は実に馴染んでいた。それはこの少女の形をしたものが『そちら側』という証。

 

「なあに。世の中ってのは憎まれっ子がはばかるように出来てんダヨ」

 

外人特有のオーバーな仕草で肩をすくめ、飄々と笑う少女。。

 

「まあもっとも、中東のアホな国で政府と反乱軍の両方に武器売ってたら憎まれ過ぎて危うく殺されそうになったからトンズラしてきたんだけどなァ!」

「はっ、相変わらずだねえ。相変わらずの愉快なろくでなしだ」

 

HAHAHA! と陽気な声を上げるその姿に、カラミティ・メアリもまた艶めく唇を愉快気に吊り上げる。

依頼があれば何処にだろうと向かい、あるいは自ら血の臭いを嗅ぎつけて現れ殺しの道具を売る死の商人――そしてフリーランスの魔法少女。ありていに言えば、女はそういう物だった。

 

名深市を根城とする暴力団『鉄輪会(てつわかい)』に用心棒として雇われているカラミティ・メアリは、自分の武器を主に彼らから調達している。同じく名深市で活動する上海系チャイニーズマフィア『金幇梅(きんほうばい)』と骨肉の争いを繰り広げる『鉄輪会』にとって、事実上の最強戦力である魔法少女(カラミティ・メアリ)は手放し難く、その機嫌を取るためとあってか注文すれば大抵の武器は与えられるのだ。が、それでも日本のヤクザが手に入れる事の出来る武器の種類には限界があり、仮に調達できたとしても何日もかかる品物も多い。

そんな時、メアリが利用するのがこの武器商人だった。

 

「取引先が無くなったってのに随分と楽しそうじゃないか」

「なに、両方にありったけバラ蒔いてやったからあと10年はドンパチしてるだろうヨ。そんで良い感じに弾が無くなったらまた売り付けに行くサ。問題はそれまでどこと商売するかだったんだが、タイミング良く姉御から連絡を貰えて助かったぜ。まったく持つべきものは金払いの良いお得意様ダナ。――んじゃ、さっそくビジネスといこうカ」

 

そして武器商人は物騒な商談の始まりを楽しげに告げ

 

「ではではお客様。銃か刃物かそれとも鈍器か。お望みは何だイ。好きなモノをくれてやる。お代が釣り合うなら核爆弾だって用意してやるよ」

 

飄々としたお調子者から貪欲な商売人の顔になった少女に、メアリは腰に提げた四次元袋の中から分厚い札束を取り出し、投げ渡そうとして――自らに向けられる剣呑な眼差しに気付いた。

恨み、妬み、そしてなによりも強烈な殺意が籠ったそれに反射的に銃を握り、その眼差しの主へと目を向ける。

 

向かい合う自分達のすぐ近く、10メートルと離れていない場所に――その異様な老人はいた。中国映画でしかお目にかかれないような古めかしい導師服に身を包んだ老体。腰は曲がり、長い髭の生えた顔中には深い皺が刻まれて、まさに枯れ木のようなという言葉がぴったりだというのに、その白い眉の下で爛々と光る瞳だけは、凄まじいを殺意を宿して二人の魔法少女を睨みつけているのだ。

 

そんな老人の傍らには、老人を守るように無言で立つ二人の男の姿が。揃ってダークスーツを着たこちらは、老人のように睨み付けてはこない。否、むしろその瞳には一切の意識が宿っていなかった。まるで人形のような虚ろな瞳と青白い肌、そして額に貼られた紋様の書かれた札が醸し出す不気味な雰囲気に、手下達は息を飲む。

 

いったい何時からそこにいたのだろうか。突如現れたとしか思えない乱入者に、メアリの眼差しが鋭さを増す。

 

「爺さん。どこの誰だか知らないけど、こっちは大事な商談の最中でねえ。用があるなら終わるまで待って、用がないなら今すぐ消えな」

 

自信と余裕を崩さす、だが銃の劇鉄をカチッと落として。

返ってきた返答の声は、しわがれていた。

 

「──ごく初歩の隠形ですら見破れんかったとは、魔法少女なぞといきがっていたとて所詮は素人か。それで魔道の者とは片腹痛い」

「言うじゃないか。面白い。名前を聞いてやるよ」

 

歯が何本か抜け落ちた口腔が紡ぐは侮蔑の言葉。暴力の化身と言ってもいいメアリを前に臆することなく、老人は問う。

 

「そのガンマン染みたふざけた格好。魔法少女カラミティ・メアリとお見受けするが如何に?」

「『カラミティ・メアリに逆らうな』」

 

轟音と共に放たれた弾丸が、老人のこめかみを掠めて髪を数本吹き飛ばした。

 

「聞いてるのはあたしだ。次は殺すよ。オーケイ?」

 

目にも止まらぬ早撃ちに手下達が目を見張り、武器商人が口笛を吹く。

対して当の老人は悲鳴すら上げず、僅かに不快げに眉を潜めるのみ。まるでただの鉛の玉など恐れるに値しないとばかりに

 

「図に乗るなよ日本鬼子が。お主などより遥かに長く魔道の奥義を修めた儂を鉛玉なぞで殺すじゃとぉ? 戯れ言もここまでくるとむしろ笑えぬな。……死ぬのはお主よ魔法少女。『金幇梅』の命により、その命頂戴する」

 

『金幇梅』。仇敵の名を聞き、それまで空気に飲まれ固まっていた『鉄輪会』の者達はハッと我に返った。

 

「テメエ『金幇梅』の刺客か!?」

 

叫び、それぞれに身構えいきり立つ。彼らとて暴力に生きる者。逆らう奴には目に者見せんとする気概なくば極道は名乗れない。

そしてその中の一人が肩を怒らせ老人へと迫り、その胸ぐらを掴もうと太い腕を伸ばして、

 

「何のつもりか知らねえがタダですむと思──うぎゃああああ!?」

 

老人の左側に立つ男に腕を掴まれ、引きちぎられた。

力ずくで腕を千切られる痛みによる絶叫と、傷口から吹き出す血が周囲に撒き散らされる。

 

「痛ええええ! 俺のッ、俺の腕があああああ!?」

 

叫ぶ男の声は、だがすぐさま今度は右側の男がその絶叫する頭部を掴み、握りつぶしたことで潰えた。

ぐしゃり、砕けた骨の欠片と脳漿を飛び散らせ呆気ないほど簡単に崩れ落ちる手下──だった、血塗れの骸。

思わね展開に言葉を無くす手下達。一方、容易く人体を破壊した男らは、やはり静かに佇んでいる。まるで殺すことしか出来ない人形のごとく。何事も無かったかのように全身を血で染めて立つその姿に、手下達の背筋が凍りついた。

 

立ち向かえば、自分達も殺される……!!

 

人間を素手で破壊する異形。死の恐怖に、何人かが耐えきれずこの場から逃げ出そうと後ろを振り返り──自分達を囲む幾人もの人影を見、絶句した。

 

「ひい!? いつの間にこいつら!」

「逃げ場がねえだど……畜生、いったいいつからいやがったんだッ!?」

 

夕日を影に浮かび上がるその数は優に30を超え、しかも一様に額に札を貼っていることから、こいつらがあの恐るべき二人の男と同種の存在であることを知り、恐怖が更に膨れ上がる。

理解を絶する敵、迫る死の予感に誰もが戦き震える中、流れるは老人の死神めいた声。

 

「魔法少女は通常の手段では殺せぬ。ゆえに儂が──同じ魔の術で相手をしよう」

 

魔をもって魔を滅する。そう語る老人は、確かにメアリ達と同じ魔法の使い手であった。……だが、それは起源を共にするという意味ではない。

 

「お主たち魔法少女どもは知らぬじゃろう。自分達以外の魔法の徒を。忌々しき『魔法の国』が接触する遥か昔より、この世界には魔の術が在ることを」

 

この世界には二つの魔法がある。

一つは、異世界である『魔法の国』が外部よりもたらした異界の魔法。

そしてもう一つは、人類史が始まった遥か昔より発生し、原始を超え中世に飛躍し現代に至るまで連面と紡がれてきた『この世界』の魔法。 

そしてこの妖しき老人こそは、古代中華にて発祥し、人を導き時には国すらも動かしてきた導術を現代にて受け継ぐ者。

 

「偉大なる中華が誇る四千年の魔法。屍を御し屍を生む霊幻導師の術。とくと味わいそして死ね」

 

己が魔法への誇りを。四千年の歴史を背負う覚悟を。その瞳に燃やし、老人──老練なる霊幻導師(れいげんどうし)は討つべき魔法少女らを睨み、告げた。

 

「もはや魔法の国の時代は終わる。お主らを殺し証明しよう。我らの世界の魔法は既に魔法の国を超えたこ── 

 

ガンッ

 

──!?」

 

その言葉を遮るは再びの銃声。

傍若無人で一切の遠慮のない弾丸は、だが今度はこめかみではなく頬を掠めて傷をつけた。

僅かに割けた頬から血を垂れ流し、霊幻導師の顔が驚愕に歪む。

 

「くう……ッ!? 貴様ぁ!!」

 

対してそれを成した魔法少女──硝煙立ち上る銃を構えたカラミティ・メアリは、憎々しげに睨むその眼差しに怯むことなく、否、むしろ愉快げに唇をつり上げて

 

「『カラミティ・メアリを煩わせるな』話が長いし下らないねえ。要するにあたしと闘りたいんだろ? だったらとっととかかってきな。ダラダラ前置き垂れ流すなんざ白けるだけだよ」

 

ばかりか、傍らの武器商人ですらやれやれと肩をすくめ

 

「ヘイヘイ爺さん。いくらなんでも女の誘い方がヘタ過ぎダロ。チェリーボーイだってもうちょい上手くやれるゼェ。姉御口説き落としたきゃ流行りの壁ドンの一つでもやってみナ。きっと感激して熱くて硬いのを額にブチこんでくれるだろうヨ」

 

あまりにも余裕。恐るべき霊幻導師への恐怖に支配された手下達に比べて、場違いなほどに自然体。

だが、そんなことは当然だ。

 

「まあいいさ。闘りたいのなら闘ってやる。ちょうど試し撃ち用の的が欲しかったから大歓迎だよ」

 

恐れる? 何を馬鹿な。

殺すだと? いいぞ上等だ。

 

「オーケイ姉御。ジャンジャンやろうぜガンガンいこうぜェ。マネーさえ払ってくれんならどんな武器でも用意するから心ゆくまでブッ放っしてくれヤ」

 

我らは魔法少女。夢と希望と──暴力の化身。

ならば、命を奪い合い殺し合う修羅場こそが真骨頂(ホームグラウンド)

 

「『カラミティ・メアリをムカつかせるな』これ以上白けさせんじゃないよ。せいぜい血反吐はいて内臓ぶちまけ死に花咲かせて、ちっとはあたしを楽しませな!」

「調子にのるなよ。この魔法少女風情がああああ!」

 

霊幻導師の怒号と皆殺しの命を受けて、一斉に地を蹴りメアリ達へと殺到する周囲の男──中華においては最も有名であろう屍の怪異『キョンシー』達。

対するメアリの銃はそれを楽しげに捉え、爆笑するように火を噴いたのだった。

 

日が沈む。黄昏が終わる。

愛する人の平穏を願う一人の少年の思いなど嘲笑うかのように、愉快痛快残虐無比な夜の宴が幕を開けようとしていた。

 

 

◇岸辺颯太

 

 

亜子ちゃんとの通話を終えた瞬間、僕は駆け出していた。突然席から立った僕に何事かと思ったであろう細波さんと綾名ちゃんに事情を説明する間すら惜しく、店の外に飛び出した後は夕闇に沈み行く街の中をひた走りそして──目的地の病院にたどり着く。

 

喉が痛い。肺が軋むようだ。ここまでの全力疾走でとうに息は上がり、視界すらも霞みかけていたが、そんな疲労感をもねじ伏せる焦燥感にせき立てられて、僕は正面玄関を潜り階段を昇って駆け続けた。

 

速く。早く。蛍光灯の冷たい光が照す、壁も天井も無機質な白に彩られた廊下を。

早く、ああくそまだ着かないのか。そう焦り、逸りながら。

やがて僕は集中治療室の扉の前へと辿り着き、扉を──開く。

 

 

 

 

そこには、美しい絶望があった。

 

 

 

 

その空間を染めるのは、窓から降り注ぐ黄昏の光。

消えゆく夕陽が壁を天井を、そして中心に置かれたベッドとその周辺の医療機器が鮮やかに照らす光景は、幻想的でありながらも無機質で、奇妙に現実感が無かった。

そこに響くのは、心電図モニターが鳴らす電子音と、それに混じり、ともすれば掻き消されてしまいそうなほどに微かな寝息のみ。

その寝息を漏らす者を見た瞬間、僕の全身から力が抜け落ちた。

崩れ落ちそうになるのをこらえ、見る。

静かに瞼を閉じて、身じろぎ一つすらせずに眠る、誰よりも愛しいその顔を。

 

「小雪……」

 

震える声で、呼ぶ。

けれど、淡い唇は返事を返す事も無く静かに閉ざされて、僕の声は空しく虚空に溶ける。

縋り付くように見つめる僕の目の前で、まるで童話の白雪姫のように横たわる少女は――姫川小雪は、眠り続けていた。

 




お読みいただきありがとうございます。
ロシアで雷帝殴ったり20万年後の地球でメカゴジラさんのイメチェン振りに衝撃を受けたりナチの集まりに参加してギロチンを讃えてたりしたらいつの間にか二ヶ月近く経っていた作者です。どうかノロマな亀と罵って下さい(ただし幼女に限る)。

自分の中では一週間くらいで書き上げるはずだったのに気がついたら二ヶ月ですよ。笑っちまいますねアハハハハー………うん死んだ方がいいですね。ちょっくらギロチンに飲み物を注いできます。ちっちっちっー

あさて、今話では地味にオリ魔法少女が出てきましたが前書きでも言った通り今話と次話限りの登場となります。この物語のオリキャラはあくまでサブであって、メインストーリーは原作キャラのみで進めていくスタイルでいきますからね。ではまた次回で。

おまけ『作者的には割と似た者同士だと思う』

そうちゃん「でも本当に暴力はだめだよ。暴力じゃなにも解決しないからね」
あやな「え?」
そうちゃん「いやそんな何を言ってるのか分からないみたいな顔しないでよ」
かの「え?」
そうちゃん「いやなんで君までそんな顔するのさ!?」
かの「話して分からない奴には殴って分からせるしかないでしょ」
そうちゃん「そしてまさかの暴力言語派!?」
あやな「お姫様は言ってた。この世界の共通言語は笑顔じゃなく拳だと思う」
そうちゃん「何で君たち揃って世紀末思考なのさ!?」


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キョンシーウエスタン

今回のエピソードにはまほいくの世界観に関わる設定捏造があるぽん。原作で触れられてないのをいいことに過去の魔法の国と地球との対立を好き勝手に書いたので、そこら辺はこう……まあ二次創作やし(目そらし)でゆるしてくださいぽん。


◇ラ・ピュセル

 

 柄を握る掌に、力を込める。指が白く変色し、痛む程に。たとえギリリと呻こうが構わず、僕はありったけの力を込めて剣を振り下ろした。

 重厚な刃は唸りを上げて虚空を奔り、夜闇に銀の軌跡を描く。

 続けて剣先を跳ね上げ突きを放ち、すぐさま腰を捻っての横薙ぎ、からの更なる斬撃を繰り出さし新たな銀線を宙に刻みつけ――そしてまた剣を振るう。

 

 黄昏すらもとう過ぎた闇の中、夜闇に沈む王結寺の裏庭にただ独りで、何度も、幾度も、繰り返し。

 これは決して、鍛錬などと言う上等な物ではない。技巧など無く、感情を理性で御すのではなくただ激情のままに剣を振り回す、まさに子供の癇癪のようなものだ。

 

 だが、今の僕――魔法少女ラ・ピュセルには、これこそが必要なのだ。

 この胸の中に荒れ狂い、今にも膨れ上がって爆ぜそうなそうな怒りと悲しみと悔いを吐き出すためには。

 

 

 

 ――昏睡状態、だそうです。

 

 

 

 何も考えず、ただ無心で剣を振ろうとしても、心臓を引き絞られるような痛みと共に蘇る――黄昏の病室での記憶。

 集中治療室のベッドに横たわる小雪を、冷たいガラス越しに呆然と眺める事しかできなかった僕に、隣で一緒にその姿を見つめる亜子ちゃんは語った。

 

 ――岸辺先輩と別れた後、私は小雪さんの家に行きました。でも誰もいなくて、しばらく家の前で待っていたら、入院のための荷物を取りに戻って来た小雪さんのお母さんと会って、話を聞きました。

 

 ぽつりぽつりと語られる言葉はどこか遠くから聞こえるかのようで、奇妙に現実感がなかった。

 

 ――小雪さんは朝からずっと目を覚まさずにいるそうです。病院に連れて行った所、脳に異常は見つからなかったとのことですが、今だに意識は回復していません。

 

 あるいは、僕の精神がそれを現実だと受け入れたくなかったからかもしれない。

 理解したくない。嘘だと言いたい。こんなのは悪い夢で、目覚めればいつものように笑顔を浮かべる小雪に会えるのだと、思いたい………ッ。

 けれど、目の前の光景が、無機質な機械に囲まれて横たわる小雪の姿が、これが否定しようのない現実なのだと僕に突き付けていた。

 

 ――原因が全く分からないので、いつ目覚めるかは不明だそうです。

 

 不明。

 それはつまり、今この瞬間、あるいは明日にもにも起きるかもしれないという希望であり、同時に──永遠に目覚めない事もありうるという絶望。

 ぐらりと、視界(セカイ)が揺れた。

 小雪……。己が立っているのかも分からない感覚の中でで、愛しい名を呼ぶ。

 か細く震える声は、僕らを隔てる冷たく無慈悲なガラスの壁に阻まれて、向こう側には届かない。

 駆け寄ることも、その閉ざされた瞼に触れることも出来ず、僕はただ、立ち尽くすことしかできなかった。

 

「うああああああああッ!!!!」

 

 煮えたぎる腹の底から叫ぶ。

 やり場のない激情ごと虚空に刃を叩きつける。

 

 病院から出て亜子ちゃんとも別れた僕は、だが家に帰らなかった。頭の中がぐちゃぐちゃで、どうにかなってしまいそうで、気が付けば足は自然とこの王結寺へと向かい、こうして剣を振るっている。

 

「ふんっ………はっ!! ……ああああ!!」

 

 感情に苛まれて剣を振るうのはこれが初めてじゃない。心が乱れた時、あるいは耐え難い感情をもて余した時、僕は精神を保つためにこうして一人剣を振ってきた。

 こうすればいずれ心は鎮まり、落ち着きを取り戻せるはずなのだが──今夜は違った。

 

 どれだけ叫んでも、いくら剣を振ろうとも心が鎮まらない。怒りが燃えて悲しみは尽きず、時がたつごとに心が荒れていく。

 

「くそ………!!」

 

 昏睡の原因は不明だと言っていたが、その原因はおそらく、昨日の廃工場での闘いで負ったダメージだろう。

 あれはかつて僕がクラムベリーから受けた物とは比較にならない、瀕死どころか文字通りに死ぬほどの傷だったのだ。

 幸い僕は甦生後は疲労と倦怠感くらいで済んだが、魔法少女の中でも特にか弱く、ラ・ピュセルと比べれば耐久力が低いスノーホワイトには何らかの後遺症が残ったとしても不思議ではない。……いや、その身を案じていたはずの僕が真っ先に気付くべきだったのだ。なのに……

 

「くそ……ッ!!」

 

 何が、守るだ。

 何が、スノーホワイトの剣だ。

 僕がマジカロイドに殺されてしまいそうだったから、スノーホワイトは僕を庇って――ああなったというのに。

 

「くそぉっ……!」

 

 何だこの様は。何て、不甲斐ない。

 己への怒りに思考が沸騰する。悔しさのあまり唇を噛み締める。歯が皮膚を突き破り、熱い血が溢れた。

 

 スノーホワイトを救ったと思った。もう傷つくことは無いと安堵したのに。この手を血で穢し、抱き続けた夢を棄ててまで守り抜いたと思っていた大切なあの子は――いつ覚めるとも知れない眠りについてしまった……ッ。

 

 「くそおおおおおおおおおおおお!!!!」

 

 荒れ狂う慟哭となって爆ぜた激情ごと叩きつけた刃が、地面を粉砕した。

 轟音と共に爆ぜる土煙。衝撃で夜天に巻き上げられた土砂が、剣を振り下ろしたまま立ち尽くす僕の総身に雨の如く降り注いだ。

 

「はぁ……ッ……はぁ……ッ」

 

 気が付けば、僕の全身は汗にまみれていた。

 叫び過ぎた喉が痛い。吐く息は荒く、肺が引き絞られるようだ。大剣を握る腕も、地面を踏みしめる足も力任せに扱い続けたせいか小刻みに震えて、ともすれば崩れ落ちてしまいそうになる。

 

 そして眼前には、刃で砕かれ、大きく抉れた地面が。

 ……以前の組手でこの場所に出来た無数の穴をたまと二人で埋めて元通りにしたというのに、これでは台無しだ。

 剣を叩きつけたというよりは、もはや爆撃の跡にしか見えないほどのクレーターじみた大穴。激情のままに暴れ、ただ力任せにぶつけた無様な暴力の傷痕は、まるで荒んだ僕の心を映し出しているかのようだった。

 

「はぁ……はっ、はは……無様だな、僕は……」

 

 悔しくて、虚しくて。血の滲む唇に自嘲を浮かべて、呟く。

 白く寒々とした月の光の中で、独り。誰にも届く事無く、夜闇の中に消えるはずのそれに

 

 

 

「――たしかに優雅さには欠けますが、己の無力を怒り、哭き叫ぶ貴方の姿はいじらしく……微笑ましい。私は好ましく思いますよ」

 

 

 

 慈しむようにそう評す声が、背後で笑った。

 

「――――ッッッ!!!!」

 

 瞬間、背筋が凍る。全身の血液が凍てついて、凄まじい悪寒に肌が粟立った。

 だってそれは、僕の耳元で楽し気に囁く、美しくも悍ましいこの声は――ッ

 

「昨夜ぶりですね。颯太さん」

 

 弾かれたように振り返った僕から、おそらくは僕から十歩も離れていないだろう距離に、あいつはいた。

 暗い森に咲く一輪の薔薇のように夜の闇に悠然と佇み、突然の遭遇に目を剥く僕を愉しげに見つめる魔法少女は――

 

「クラムベリー……ッ!」

 

 驚愕しつつも素早く剣を構え、切っ先を向ける。

 真っ直ぐに対峙し、決して赤い双眸から目を逸らさずに。

 底冷えするような恐怖は確かにあるが、以前のようにそれに飲まれかける事無く向き合えるのは、今の僕が確かな戦う覚悟を決めているからか。

 

「何の用だ。クラムベリー……?」

 

 戦う者としての己の成長を実感しつつ、だが呑気に喜ぶ余裕など無い。

 クラムベリーは強者と戦い――殺す事だけを求める戦闘狂だ。

 最後に会った時は、今だ未熟な僕が己と戦えるだけの力を得るまで待つというような趣旨の言葉を言っていたが、それをこいつが律儀に守るとは思っていない。

 

 己に向けられた鋭い切っ先など恐れるに値しないとばかりに動じず、むしろ小さなやんちゃ小僧でも眺めるかのように微笑むこいつは――どこかちぐはぐだ。

 立ち振る舞いは妙齢の美女という見た目に相応しい、知性を感じさせる優雅なものだが、対してその行動は合理性よりむしろ感情でのみ動いている節がある。大人びた知性と子供じみた感情で気の向くままに動くこいつを、僕は計れない。

 それほどに何もかもが予測できない存在なのだ。この――森の音楽家クラムベリーと言う魔法少女は。

 ……やはり気が変わって我慢できず殺しに来たと言われても、納得するほどに。

 

 この一瞬後に戦いが始まっても対応できるよう、剣を握り睨みつける。そんな僕を暫し鑑賞するように眺めていたクラムベリーの瞳が、ふっと悪戯っぽく揺れた。

 

「美しい月の夜、乙女が焦がれる殿方と逢瀬をすることに理由など必要ですか?」

「ふざけるな」

 

 殺意を込めて言うと、クラムベリーはそれすらも愉しむかのように微笑んで

 

「そう睨まないでください。今宵は殺し合うために来たのではありませんよ」

「なに……?」

「僭越ながら、弱さを嘆く貴方を援けてあげたいと思いまして」

「……どういう意味だ?」

 

 困惑する僕に、クラムベリーは言った。

 男を誘う妖婦のように、あるいは悪戯を仕掛ける幼女のような声色で

 

 

「今宵、私が貴方に魔法少女の戦い方を教授(レクチャア)しましょう――颯太さん」

 

 

 ◇霊幻導師

 

 

 かつて、偉大なる中華を支配したのは自分たち魔術師だった。

 風水、導術、仙術、天地の気を操り呪を唱える妖しの術をその身に修め、天の星を読み未来を知り、万事の吉凶を占いて人を導き、時の皇帝に天の意思を伝えて国すらも動かす。

 古代ブリテンにはマーリンなる伝説の宮廷魔術師がいたというが、所詮はただ一代のみに仕えたに過ぎず、比べる事すらおこがましい。

 遥か神代に天地が分かたれ最初の国家が生じた時より、中華の魔術は国家と共に在り、そして皇帝の後ろには常に魔術師(われわれ)が居たのだ。

 四千年の歴史の中で幾つもの国が生まれては滅び、皇帝が何度代替わりしようともそれは変わらず、故に魔術師たちは皇帝などよりも自分達こそが真の中華の支配者なのだと、そう誇っていたのだ。

 

 

 

 そう、『奴ら』が現れるまでは。

 

 

 

『魔法の国』を名乗る者達が現れたのは、かつての清朝が隆盛を極めていた頃だった。

 国交の樹立のために訪れたという使者は、自分たちは争いを望まず共に世界平和のために協力したいのだと(のたま)った。

 だが、当然のごとくそれは突っぱねられる事となる。当時の清を皇帝の陰から支配していた魔術師達からすれば『魔法の国』など聞いたことも無く、また異界から訪れたなどと言う話は一笑に伏すしかない戯言。そんな胡乱な者共など相手にする価値は無く、そもそもこの中華は先祖代々より我らが導いた地なのだ。今更それを治めるのに余所者の手など借りる必要など無い。だいたい何だその態度は。高貴なる中華の民ならざる蛮族の分際で、まるで我らと対等の如きその振る舞い、全くもって許し難い。

 

 などなど、無知蒙昧な者共に当然の理を解いてやると、果たして使者達は大人しく引き下がった。

 去っていくその姿を、ここまで言われても怒る気概も無いのかと魔術師達は嘲笑い、やがて数日も経つ頃にはこの無礼な余所者の事などすっかり忘れていた。

 

 そしてまもなく、清朝に暗雲が立ち込める。

 

 大英帝国から大量に密輸入されてきた阿片が蔓延し、国中が中毒者で溢れ返ったのだ。

 その惨状に皇帝は嘆き、そして宮廷魔術師達を問い詰めた。

 貴様らの占いにはこのような事になるとは出ていなかったではないか。これはどういう事だ、と。だが誰よりも困惑していたのは当の魔術師達自身だった。

 ありえない。朴、易、あらゆる占いにおいて清朝の未来は安泰と出ていたはず。まして一つ二つならばともかく全ての占術でこれ程の凶事を見逃すとは思えなかった。

 ……だが実際、自分たちはなんの凶兆も察する事は出来ず、祖国は深刻な病理を抱えてしまった。かくなる上は、この現状を打開する術(すべ)を占う事で名誉を挽回するしかない。

 

 皇帝の信頼を取り戻すため、そして何よりも己の誇りをかけて、宮廷魔術師達は修めた業の全てを以って打開策を占い――そのことごとくが外れた。

 起死回生となるはずの良策は実行に移してみれば愚策であり、重用すべしと出た人材はとんだ悪徳役人であり自ら進んで阿片の密売をする始末。やること成すこと全てが裏目に出、混乱をさらに助長させるだけの結果に終わった。

 ここにきて、魔術師達はようやく悟る。――何者かが我らの魔術を妨害していると。

 

 だがその時には、既に全てが手遅れとなっていた。

 もはや皇帝は完全に魔術師達に失望し、かつては天にも届かんばかりだった権威は奈落へと失墜したのだ。

 かくて清朝の運命は転がる石の如く荒廃へと転げ落ち、大英帝国との無謀な戦争が始まる。

 

 後の歴史書に阿片戦争として記されるこの戦いの顛末は、もはや語るまでもないだろう。

 そして戦争が終わった後、皇帝の後ろにはもはや魔術師達の姿は無かった。

 そこにいたのは、無能の烙印を押され政治の場から放逐された彼らに取って代わった『魔法の国』の者共だったのだ。

 

 今だ神秘の息づく中華を治めるにやはり魔法の力は必要、我々ならば平和的かつより効率的にお力添えが出来ます。

 そう言葉巧みに皇帝に取り入り、自分達に成り代わったその姿に、誰が自分達の占いを妨害していたのかようやく悟った魔術師達は怒り狂う。

 名誉と誇りを踏みにじられた彼らの憤怒は凄まじく、すぐさま魔法の国の者達に呪いをかけ──その全ては解呪、あるいは呪い返しによって跳ね返され無残に敗北した。

 

 業腹ではあるが、奴らの魔法技術は我らより遥かに発展している。このままでは勝てない。力を付けなければ、編み出さねば、奴らを上回る大魔術を……ッ。

 

 自らが放ったはずの呪いをその身にうけ、一人また一人と死んでいく中、生き残った僅かな者達は復讐を誓い身を隠す。

『魔法の国』の者達の目の届かぬだろう、中華の果ての辺境に逃れた彼らは、憎悪を糧に禁忌とされた邪法にすら手を出して己が魔術の研鑽に励んだ。

 いずれ魔法の国を上回る好機到来した暁には、あの憎き『魔法の国』の者共らを一人残らず縊り殺し、再び中華の支配者の座へと返り咲くために。

 

「――(ころせ)!!」

 

 その末裔たる老人から殲滅の命を下された黒スーツの男達は、一斉に(てのひら)を下に向け両手を前につき出すという奇怪な姿勢をとると地を蹴り、跳ねた。

 ぴょおんぴょおんと跳ねながら迫る男達を、だがそれに囲まれたメアリの手下達は滑稽と笑うことなどできない。

 生気の失せた青白い顔で、無表情に跳び跳ね迫ってくるその姿は不気味であり、目にするだけで背筋が凍るような死の予感があったのだ。

 

「くっ、来るんじゃねえええ!!」

 

 恐怖に耐えきれず、手下の一人が目の前の男に発砲。構えたトカレフから放たれた弾丸が胸に命中し、男は衝撃に仰け反ると──何事もなかったかのように体勢を立て直した。

 

「へっ!? な、何で──うぎぃッ!?」

 

 弾丸に抉られながら悲鳴も上げず、どころか痛がる様子すらない。あり得ない事態に驚愕する手下は、だが次の瞬間には飛び掛かってきた男に喉を噛まれ、そのまま食い千切られた。

 破れた喉元から噴き出す血。飛び散り、絶句する周囲の手下達の服を赤く染める。

 男は噛み千切った肉片をしばし歯で咥えていたが、やがてどす黒い血の付いたそれを、ごくりと呑み込んで――喰った。

 

「ひいいっ!?」

「うぷ……ぅげええええッ!!」

 

 人が人を喰う。

 裏社会に生きる者たちとは言え、その行為の悍ましさは常人が耐えられるものではなかった。多くが顔を引きつらせ悲鳴を上げ、中には堪えきれずおう吐する者までいる。瞬く間に恐怖が伝播する一方で、だが仲間を殺された怒りで恐怖に抗い、銃を向ける者達がいた。

 

「死ねやあ!」

 

 怒号と共に放たれた幾つもの弾丸が男に当たるも、だが――やはり倒れない。

 

「畜生!! 何で死なねえんだよ!?」

「馬鹿野郎いいから撃ちまくれ! 撃ってりゃそのうち死ぬはずた!」

 

 頼む。そうであってくれ。心から祈りながら撃ち続けるも、男は死なない。死ぬべきであるのに、死なない。

 否、正確には──既に死んでいるのだ。

 

 《キョンシー》

 

 三魂七魄のうち魂がなくなり、風水的に正しく埋葬されなかったか、死しても消えぬ怨みを持っているか、もしくは呪術師や道師の儀式によって魄(はく)を入れられた屍が蘇り、誕生するこれは、数ある中華の妖怪変化において最も名が知られていると言ってもいい屍の怪異である。

 

 曰く、正者の首をも容易くねじ切る怪力。

 曰く、銃剣にすら耐えるほど硬化し、血の気が失せた青白い肌。

 曰く、両手を伸ばし、足首のみで跳ねる奇怪な動き。

 曰く、常に血に餓えて正者を襲い──喰らう。

 

 年月を経れば生前に修めた武術も使えるようになるなど、その力はまさしく脅威。だが真に恐るべきは、ヴァンパイアやグールなどといった他のアンデットとは異なり──完全に制御する術が確立されているという事実である。

 

 ただの理性無き獣であれば知恵で倒せよう。殺しの本能のみで動くのならば容易く読める。が、そこにもし人間の知恵が、狡猾さが加わったとすれば、それはもはやただの群れに非ず。人ならざる暴力を備え、人の意思によって完全に統制された屍の軍団。

 魔法の国に一矢報いるべく老人が長年に渡って作り上げてきたその脅威が、今、哀れな獲物達に襲いかかった。

 

「こ、この化け物がぁッ──ぎぃあッ!?」

 

 あまりにも理不尽な存在に怒りと絶望を叫んだ手下の顔面は噛み砕かれ、それを眺めていた別の手下もまた背後から飛び掛かってきた他のキョンシーに心臓を抉られる。

 ドスを構えて突撃した者は毒の滴る爪に裂かれ、逃げようと背を向ければたちまち追い付かれ、泣きながら命乞いする頭部を背骨ごと引き抜かれる。

 殺到する屍の軍団に、なす術もなく次々と餌食になっていく手下達。

 

「畜生……ッ!! ああ糞が死にたくねえ!」

「だ、誰か助け──ひぎっ!?」

「やめっ、殺さな……ぎゃあああ!!」

 

 夜の港に響き渡る幾重もの断末魔。波音すら掻き消し響く、この世の地獄めいた惨劇の調べを、老人は心地良く聴き入っていた。

 

「く、くはははは……」

 

 つり上がった唇から漏れるは、隠しようの無い愉悦の笑み。

 

「冥府におります我が師よ弟子よ同胞よ。ご覧あれ。我らが作り上げたキョンシーが、我らが術の集大成が今、憎き魔法の国の尖兵共を殺戮するこの光景を」

 

 地獄絵図を眺める瞳は、長年の恨み、重ね続けた呪い、全てを奪われた憎悪と屈辱を晴らす復讐の悦びに満ちていた。

 

「くひひひ……殺せ殺せぇ。儂らが味わった痛みを、苦しみを、今度は奴らに味わわせてやれい」

 

 正確には尖兵のさらに手下程度だろうが構うものか。同じ地球人類だろうと魔法少女にすり寄り頭を垂れる者など死ねばいい。

 

「なぁに安心せい。貴様らだけでは終わらせんから、冥府で寂しい思いをする事は無い。いずれ魔法の国に関わった全ての者がそこに逝くからなぁ……!」

 

 そうだ。これは始まりに過ぎん。

 あくまで復讐の第一歩。この戦いで魔法少女を討ち取ることで我が魔術が魔法の国に対抗できることを証明し、そしてさらに戦力を増した後に、奴らと地球の覇権をかけた大戦争を――ッ

 

 

 バンッ!!!!

 

 

 老人の哄笑を掻き消す銃声が、一体のキョンシーの頭を吹き飛ばした。

 血と脳漿が飛び散る中で、銃声が更に鳴り響く。

 

 

 ババババババババンッッッ!!!!

 

 

 切れ目すら分からぬ連続射撃。絶え間ないマズルフラッシュが夜闇を焼くその度に、同数のキョンシーの頭がザクロの様に弾け飛んだ。

 首から上を失ったキョンシー達は正真正銘の死体となり、噴水のように血を噴き出しながら崩れ落ちていく。

 

「なにぃっ!?」

 

 無敵のはずの魔術兵器が、目の前で次々と破壊されていく。あり得ざる光景に、愕然と目を見張る老人。

 その姿を嘲笑うかのように、折り重なる血と臓物に塗れた屍の中心で、その魔法少女は嗤っていた。

 硝煙を立ち昇らせ黒光りする無骨な回転式拳銃(リボルバー)を手に、血煙混じる海風に金の髪を靡かせ、匂い立つほど蠱惑的で、血に飢えて獰猛な――牝豹のごとき笑みを浮かべて。

 

 

 ◇ラ・ピュセル

 

 

「戦い方を教授……だと?」

「はい」

「それはつまり……お前が僕に戦いの指導をするという事か?」

「ええ。その通りですよ颯太さん」

 

 思わず問いかけた僕に、クラムベリーは答えた。

 その真意が分からず困惑する僕の顔を、悪戯が成功した子供の様に愉しげに眺めながら

 

「強くなりたいのでしょう? 弱いのはもう嫌なのでしょう? ならばこれは貴方にとって悪くない申し出だと思いますが」

「……ああ、そうだな。確かに悪くない――それが本当ならな」

 

 睨みつけ、言う。握る大剣の切っ先を威嚇するように突き出し、決して相手から逸らさずに。

 戯れ言ならば切り捨てる。眼差しに殺意を込めて伝えると、はたしてクラムベリーは余裕を崩さず、小さく弧を描く唇を開いた。

 

「おや、私が嘘を言っているとお思いですか?」

「素直に信じる方がどうかしているだろ」

「悲しいですね。私はただ健気に頑張る貴方の力になってあげようと思っただけなのですが……」

「それが嘘ではないという証拠は?」

「ありません」

 

 硬い声で問う僕に対して、苦笑して小さく肩をすくめるクラムベリー。

 少々芝居がかった仕草だが、ファンタジーの世界から現れたかのような幻想的なその姿と相まって良く似合っている。

 

「言葉巧みに騙し、罠にかけて殺そうとしているのかもしれない。そう思われるのは、たしかに私が颯太さんにした事を思えば仕方のない事なのかもしれませんね」

 

 実際、誰とは言いませんがそのようなことを嬉々として行う鬼畜はいますし。と、小さく呟き

 

「その疑いを晴らすための物理的証拠はありませんが――」

 

 とんっ……。

 

 台詞の途中で、裾の短いスカートから伸びる美脚の爪先が軽やかに地を蹴り――僕の首に白い手が触れた。

 触れ合う肌から感じる手の感覚は、柔らかく冷やりとして絹のような肌触りなのに――ゾッとするほどに恐ろしい。

 

 背筋が凍るようなこの感覚は、二度目だ。

 あの廃工場での戦いの終わりにも、こいつは全く同じように僕の下にやって来たのだ。

 あくまでも自然に、気負いも緊張も無く、ゆえに全く反応できない動きで。

 動作の起こりが見えない。気が付けば、こうして致命的に距離を詰められていたのだ。

 

 戦慄し言葉を失う僕を、まさに目と鼻の先で、踊り子のような一ステップで間合いどころか懐にまで潜り込んだクラムベリーの赤い瞳が、からかうように僕を見つめていた。

 

「わざわざそんな回りくどい事などしなくとも、今の貴方なら正面から容易く手折れる。……そうしない事が、罠ではない証では駄目ですか?」

 

 問いかけながら、冷たい汗が浮かんだ首を指がそっと撫でる。

 今この瞬間にも、へし折ることも、引きちぎることも、まさに花を手折るよりも容易く出来る、森の音楽家の恐るべき魔手が

 

「私を信じてくださいますか。颯太さん?」

 

 僕の(いのち)を、握っていた。

 

「っ…………」

 

 そして僕は――ゆっくと、剣を下ろした。

 まるで首を垂れるように地へと向いた刃を一瞥したクラムベリーの手が、そっと離れる。

 冷たい指の感触が消えた瞬間、引きつっていた口からぶはっと息が漏れた。

 あまりの緊張感で、呼吸すらも出来なかったのだ。

 ばくばくと鳴る鼓動を感じながら荒い呼吸を繰り返すたび、ふき出した汗が額から流れ、滴り落ちていく。

 

 言い訳のしようもないほど完全に、手玉にとられた。

 やはり、強い。身体能力以前に、戦闘における技術が。

 ……もし仮に、僕がクラムベリーを上回る身体能力を持っていたとしても勝てないだろう。そう確信できるほどの技術の差が、僕たちの間に広がっていた。

 

 だがそれでも、せめてもの矜持として瞳に宿した戦意だけはそのままにクラムベリーを睨みつける。

 

「そんな目で見つめないでください。それに、これで分かったでしょう。今夜の私は誘惑の悪魔(メフィストフェレス)などでは無く、迷える子羊を導く音楽の天使(エンジェル・オブ・ミュージック)なのですから……」

 

 そんななけなしの抵抗すらも愛でるように微笑みながら、問いかけてくる赤い瞳。

 

 さて、どうしますか?

 

 深い血の色に染まった音楽家の眼差しが、答えを待つ。

 僕は、

 

「…………――ッ」

 

 脳裏に蘇ってくるのは、力無く眠る幼馴染の姿。力の無い僕のせいでそうなってしまった、大切な女の子。

 

 僕は、強くならなくてはならない。

 守ると誓ったあの子を――救うために。

 そのためなら、何でも利用すると決めたのだ。『正しい魔法少女』であることを辞めたあの夜――スイムスイムの狂気を以ってクラムベリーの暴力に対抗しようとしたように。

 もはや手段を選んではいられないのだ。

 たとえ、悪魔の誘いに乗ることになろうとも

 

「……わかった。今夜だけ、僕はお前の教えを受けてやる」

 

 君だけは守りたい。そう誓ったのだから。

 

「ありがとうございます。颯太さん」

 

 血を吐くような思いで言った、答え。

 それを聞き届けたクラムベリーの唇が、更に笑みを深め、その瞳が妖しく光り、僕を捉える。

 

「力を得るためなら、倒すべき敵にすらも教えを乞う。そんな貴方の気持ちに応えるため、私も誠心誠意レッスンをいたしましょう。未だ小さな蕾である貴方が、更に強く美しく咲き誇れるように。――私の渇望を満たせるように」

 

 艶やかな唇が紡ぐは祝福の言葉。

 だが、その美しくも、怖気がするほどの愉悦を滲ませた歪んだ笑みは──捕らえた無垢な獲物をどのように己好みに染め上げようかと愉しむ、悪魔の笑みに思えた。

 

 

 ◇カラミティ・メアリ

 

 

 血と臓物の香りに満ち満ちた修羅場で、血に飢えた魔法少女が嗤う。

 

「なかなか良い的じゃないか」

 

 吊り上がった唇。ハスキーな声に宿るのは、暴力的な喜悦。

 

「数が揃ってて……」

 

 続く言葉と共に銃口が連続で火を噴き、数体のキョンシーらへと弾丸が撃ち込まれる。

 

「そこそこ頑丈で……」

 

 殆どは血飛沫を散らして倒れたが、しぶとく致命傷を免れた一体が人間離れした跳躍力カラミティ・メアリへと跳びかかり

 

「おまけにぶっ壊し甲斐もある」

 

 その艶めかしい肌に喰らい付く直前、額に押し付けられたリボルバーの零距離射撃によって脳天を粉砕された。

 

「まったく、パーティー本番前の肩慣らしには丁度いい玩具だよ」

 

 あまりにも鮮やかなカウンター。

 今まで自分達を兎を狩るように虐殺してた相手を鼻で笑ってブチ殺すその様に、手下達は喝采するよりも前に戦慄し、老人は言葉を失った。

 

 見開かれた幾多の瞳と脳漿交じりの鮮血を浴びながら、カラミティ・メアリは銃の回転式弾倉(シリンダー)をずらし薬莢を排出。空薬莢が軽やかな音を立てて地に落ちるまでに流れるような手つきで弾丸を全装填し、構え――呆然と立ち尽くし、あるいは尻餅をつく手下達に気が付いた。

 

「なんだい。その情けない面は?」

 

 覇気の欠片も無いその姿を眺め、呆れたように溜め息を吐くカラミティ・メアリ。

 

「御法に背いて真っ当な道から外れて清く正しく生きられないヤクザ者が、あげくにタマまで無くしちまったのかい?」

 

 呆れて、嘲りを込めて、図体ばかりデカくて揃いも揃って醜態をさらす玉無し共に言う彼女の瞳が、問う。

 で、お前らはそれでいいのか? と。

 

「目の前に自分を舐め腐ってる奴がいる。だったらやることは一つきりさ」

 

 カラミティ・メアリは彼らを哀れんだりしない。

 力の無い奴が力のある奴に殺されるのなど当たり前のことだ。まして抗うこともせず諦める奴など死ねばいい。

 カラミティ・メアリは彼らを励まさない。

 雑魚の生き死になどどうでもいい。この世界において自分より優先すべき者など何も無く、ただ思うがままに力を振るい、望むがままに暴れまわる。己とは――カラミティ・メアリと言う魔法少女はそういうモノだ。

 

 故に、メアリが語りかけるのは絶望に囚われている彼らを鼓舞する為ではなく

 

「『そのニヤケきった面をぶちのめす』。痛い目見せられたなら倍返しでシメてやらなきゃ、極道の名が廃るってもんじゃないか。……だろう(オーケイ)?」

 

 これから楽しもうってのに周りでヘタレられてたらシラケるだろ。だからさっさと立って手前の鉄砲(エモノ)をぶっ放して盛り上げろ。

 あくまで己の戦いを盛り上げるための『賑やかし』になれと、その戦意にぎらつく瞳で命じているのだ。

 

 血も涙も無い、己の都合のみで仲間を死地に追いやろうとする外道の言葉は、だがしかし、ゆえにこそ――ろくでなし共の心を、震わせた。

 

 ああたしかに。そりゃあそうだ。

 何だこの様は情けねえ。今にも化け物共に殺されそうになっている――たかがそれだけで、なにダッセェ醜態曝してやがる……。

 

 一人、また一人と。カラミティ・メアリの言葉を聞いて、恐怖と絶望に染まっていた男達の瞳が――輝きを取り戻していく。

 だがそれは勇気とか希望とか、そんな清く正しい真っ当な意思ではなく

 

 俺たちゃ極道。安らかに死ぬなんざ出来る筈もねえヤクザ者だ。

 碌な死に方しねえのは分かってる。

 だがよぉ、ダセェ死に方だけは御免だぜ。

 化け物に殺される? 良いぜ上等ロクデナシにはふさわしい末路ってもんだ。

 ただし、ただじゃあ死なねえよ。極道は極道らしく命尽きるまで暴れて暴れて暴れまくって、いっちょ派手に死に花咲かせてやろうじゃねえか!

 

 それは極道の矜持(プライド)。血と暴力に生きるろくでなし共の(おとこ)道。

 今だ震えていようが己の足で地を踏みしめ、腹に気合を込めて、次々と立ち上がる『鉄輪会』の男達。

 己や殺された同胞の血に濡れた手にそれぞれの武器(エモノ)を握り、ここまでコケにしてくれた礼を百倍返しで思い知らせてやるべき敵達(クソども)へと向けて

 

「くっ……な、なんじゃこいつら……つい先程まで怯えていたというのに……ッ」

 

 全身から怒りと殺気を立ち上らせる手下達。その狂暴な眼差しを受け、霊幻導師は思わずたじろいだ。そしてキョンシー達もまた、主の動揺を感じたか、それとも彼らすら豹変した獲物達に気圧されるものがあったか、僅かに後ずさる。

 

「はっ。少しは良い顔になったじゃないか」

 

 カラミティ・メアリは笑う。

 美しく、そして獰猛に。

 死兵と化した手下達を率い、リボルバーの引き金にかけた指に力を込めて

 

「仕切り直しだ。派手にいくよ!」

 

 反撃のマズルフラッシュが、夜の闇を吹き飛ばした。

 




お読みいただきありがとうございます。
キョンシーなんて昔の中国映画か漫画のグレイトフルデッドくらいでしか知らないニワカの作者です。
とりあえず額に符つけてピョンピョン跳ねてりゃキョンシーだよね(適当)

原作では魔法の国は地球の魔法組織と平和的な関係を築いているようですが、作者的にはでも絶対中にはアンチ魔法の国で攘夷運動した奴らとかもいたろうな~~という邪推から今作ではこうなりました。
本エピソードでは魔法の国がアコギなマッチポンプをしてますが、もちろん原作の魔法の国はこんなにブラックじゃないですよ。きっと平和的な話し合いとラブ&ピースの精神で仲良しこよしになったんだようんホント(  ̄▽ ̄)

本当はもう少し早く投稿したかったのですが、プロットを考えようとしても別な作品のアイデアばかりが浮かんで止まらないという病気にかかってしまいましてここまでかかってしまいました。

おまけ

※キャラ崩壊注意

『教えてクラムベリーせんせー(その1)』

ラ・ピュセル「え、突然何が始まったの?」
クラムベリー「ふふ、戸惑っているようですねラ・ピュセル。これはベテラン魔法少女である私が、胸ばかり育ってそれ以外はまだぺーぺーのひよっこである貴方に魔法少女のあんなことやこんなことを教えるコーナーですよ」
ラピュ「胸ばかりって……いきなりセクハラから始めるとか不安しかないんだけど」
クラ「そんな駄肉をこれ見よがしにぶら下げている貴方の自業自得でしょう」
ラピ「駄肉って……いくら自分は絶壁だからってそこまで言わなくともいいだろ」
絶壁「(^ω^#)」



しばらくお待ちください♥



ファブ「ボコボコにして国道に放置とかいくらなんでもやり過ぎぽん」



気を取り直してレッスン開始♪



クラ「ぶっちゃけスイムスイム倒すのに音も光も必要ありませんよ」
ラピュ「え!?」
クラ「ずばり重力攻撃で殺れます!」
ラピュ「な、なんだってー!?」
クラ「もしも重力まで透過できるなら魔法を発動した時点でふわふわ浮き上がるじゃないですか。つまり重力波は透過できないかあるいはしていないのですよ」
ラピュ「な、なるほど……。って、それがわかっても僕はそもそも重力攻撃なんてできないよ」
クラ「出来ます」
ラピュ「なんで断言するの!?」
クラ「中の人繋がりで出来ます(ドン!)」
ラピュ「中の人って誰!?(あやねるボイス)」
クラ「貴方なら出来るはずです。自分の個性を信じなさい」
ラピュ「魔法じゃなくて個性なの!? いやいや絶対無理だよていうか意味わかんないしっ」
クラ「ふぅ……(ため息)。分かりました。そこまで言うのならばいいでしょう。この私が直々に貴方の個性を伸ばす特訓をつけてあげます」
ラピュ「ありがた迷惑や(ブハッ)!?」
クラ「つべこべ言わずにさあ始めますよ。合言葉は『プルス・ウ●トラ』!」

かくして始まったクラムベリーせんせーの地獄特訓。ラ・ピュセルは果たして厳しいシゴキに耐えられるのか!?
次回『僕の魔法少女アカデミア』をお楽しみに!(by うるる)


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特訓イベント発生中!

今回からいわゆる特訓編ぽん。
作中でクラムベリーが言ってる説明は作者が独自解釈の名の下に適当に考えた設定なので、色々とおかしい事があっても生温かい目でスルーしてほしいぽん。


◇ラ・ピュセル

 

夜の空気を唸らせ、拳を突き出す。

狙うは眼前に立つ魔法少女――森の音楽家クラムベリーの余裕の笑みを顔面ごと殴り飛ばそうとした一撃は、だが軽やかに避けられてしまう。

思わず舌打ちする僕の視界に映る、振り上げられたハイヒールの爪先。カウンターで放たれた首を狩るような回し蹴りを、僕は咄嗟に目の高さに手を上げて防ぐ。

鋭く尖ったハイヒールと強固な籠手が衝突する音と衝撃が、夜の採石場に響いた。

 

荒涼とした石と砂の大地が広がる、名深市郊外の採石場。重機によって山の斜面が切り崩され、まるで山々の間に造られた闘技場(コロセウム)のようになった此処が、僕とクラムベリーの特訓の場だった。

 

 

◇◇◇

 

 

『場所を変える?』

『ええ。ここではレッスンをするのに少々手狭ですから』

 

クラムベリーから『戦い』の手ほどきを受ける事を了承した僕に、まず彼女はそう提案してきた。

 

『僕は別にここのままでも構わないが』

『そうですか。まあどうしてもと言うのならこのまま王結寺の裏庭で特訓をやっても構いませんが……おそらくは境内が滅茶苦茶になりますよ?』

 

それは……不味い。

今後の戦いを生き抜く上で、人目につかずに集まれる拠点は必要不可欠。そしてなにより、スイムスイムからしてみればルーラから受け継いだ大事な城だろう。もしそれが瓦礫の山になったとなれば……想像したくも無い。

『ゴゴゴゴゴ……』という効果音を背にルーラを振り上げるスイムスイムの姿が頭をよぎり、身震いしながら僕はやっぱり場所を変えようと言ったのだった。

 

『ここならば人目も無く、大立ち回りをしても誰にも気付かれることは無いでしょう』

 

そして案内されたのが、この採石場だった。

十分な広さを持ち、障害となる物は見当たらず、なにより人気が無く人家から遠く離れたここは魔法少女が暴れてもバレる心配は無い。なるほど、まさに理想的な空間だ。

 

『良い場所でしょう?』

『ああ、そうだな。確かにここなら思う存分動ける』

『ええ。それになにより──人知を超えた力を持つ者が特訓をするのなら採石場というのが伝統ですから』

『そうなのか?』

『そうなのです』

 

聞いたことも無い話だが、妙に自信たっぷりと断言するクラムベリーの態度にそういうものかと納得する。うん、覚えておこう。

 

『――で、具体的には何をするんだ?』

 

恐るべき戦闘狂――森の音楽家クラムベリー。今はこちらに害意は無いとはいえ、ただ共にいるだけで、肌がざわつき背筋が冷たくなる。

その緊張を押し殺しつつ問うと、クラムベリーはそんな内心などとうに読んでいるのかクスリと微笑み、答えた。

 

『基礎体力や身体能力などは長い時間と回数を重ねて鍛え上げるもの。一朝一夕でどうにかなる物ではありません。ですので、今あなたに教えるのはあくまでも『戦い方』。魔法少女としてどう戦うべきかです』

『どう、戦うべきか……?』

『ええ。貴方のこれまでの戦いを鑑賞してきましたが、貴方の戦い方にはまだ『人間』の部分が残っているようです。それを今宵限りで棄ててもらいます』

 

さながら無知な生徒に授業方針を教える教師の様に、スラスラと淀みない口調で言った後

 

『百聞は一見にしかずと言いますが、ここで百の言葉で教えるよりも――まずは体で知りましょう』

 

「ファイト!」という明るいエールと共に、鉄をも砕く拳を送ってきたのだった。

 

 

◇◇◇

 

風を切り、砂塵を巻き上げ、僕とクラムベリーは拳を交える。

砲撃にも等しい威力を持つ魔法少女の拳を繰り出し、蹴りを放ち、幾重もの衝撃音を響かせながら。

連なる打撃の音に乗せて、クラムベリーの解説が流れる。

 

「魔法少女の特訓というものは実戦形式の組み手が最も効率的です。魔法少女は一人一人異なる魔法を使うので、それを指導できるのは同じ系統の魔法を使う者のみ。ですので、系統の全く異なる私ができるのは、こうして拳を交え、貴方が戦いの中で己が魔法を更に知り、可能性に気付き、自ら新たな境地に至る、その手助けをする事だけです」

「つまり、力が欲しければ自分で学んで掴めってことか」

「不満ですか?」

 

問うクラムベリーに、僕は唇の端をニヤリとさせて、

 

「いいや。ああしろこうしろと知識と技術だけを一方的に詰め込まれるより、よっぽど──僕好みだ!!」

 

少なくとも後輩の意思を無視して頭ごなしに指示してくるサッカー部の一部の理不尽な先輩よりもよほど好感が持てると、返答を乗せて拳を打ち込んだ。

 

「それはなによりです」

 

クラムベリーもまた微笑みで応じて、打撃の応酬が続く。

 

「ふっ……ハッ……やああっ!」

 

握る拳を、唸る蹴りを、目の前の音楽家に向けて何度も繰り出す。

その速度、鋭さは、先日までとは明らかに上。自分でもわかる。死線を潜り、マジカロイド44という強敵を倒してきた今の僕は、かつてとは明らかに成長していると。

 

「くっ……ッ」

 

だが――当たらない。

ひらりひらりと踊る様に、新緑色の衣装を白く飾るフリルをふわりと揺らして躱し続けるクラムベリーを、拳で捉えることが出来ない……ッ。

 

「ふふっ。焦っていますね?」

 

拳を振るい続け、すでに額に汗をにじませている僕に対して、クラムベリーの顔はあくまで涼し気。

僕が全力で攻撃を続けているというのに、こいつはまるで大人が小さな子供と遊んでいるかの如く、汗の一つもかかず、呼吸すらも全く乱さずに流麗な身のこなしを保ち続ける。積極的に攻める事も無くほぼ受けに徹していてなお崩れぬ余裕の表情が、僕とこいつの実力差をそのまま表しているかのようだ。

 

「何故私に攻撃を当てられないのか。なぜこうも容易く防がれるのか、と。ちなみに――ヴェス・ウィンタープリズンの拳は私を捉えてていましたよ」

「ウィンタープリズンと戦った事があるのか?」

 

不意に出た意外な名に、思わず聞き返す。

 

「ええ。丁度この場所で、貴女と同じように月の下で拳を交わしました」

 

かつての激闘を思い返しているのだろう。そう語る音楽家の瞳には、血生臭い愉悦が滲んでいた。

 

「マフラーを翻して戦う強者と採石場で戦うというのは一度はやってみたかったのですが、……ええ、久しぶりに心が昂る悦い一時でしたよ」

 

ああ、そうだろうな……。

 

《ヴェス・ウィンタープリズン》

僕の魔法少女としての師であるシスターナナの恋人(パートナー)で、おそらくは名深市で最も強い魔法少女の一人。

常に冷静沈着で、どんな危機的状況でも正確な判断を下し、愛する女性のためならばいかなる敵にも立ち向かい守り抜く――まさに僕が理想とする騎士像を体現するかのような人だ。

そして、真に凄まじいのはその戦闘力。彼女の拳は速さ鋭さ精確さの全てを備え、魔法少女としては僕の妹弟子にあたるのに、互いに徒手空拳での組手では一度たりとも勝った事が無い。

剣道三倍段――剣に拳で勝つには三倍の強さが必要なんて言葉があるけど、逆だ。たとえ剣で挑んだとしても、僕は素手のウィンタープリズンに勝てる気がしないのだ。

 

「ヴェス・ウィンタープリズンの拳と貴方の拳。その差こそが、今宵貴方が超えるべきものです」

 

ぱしっ――と、打ち込んだ左拳を躱され、中空で伸びきった腕をクラムベリーの右手に掴まれた。

マメの一つも無い白くたおやかな手は、だが咄嗟に振り解こうとした僕の腕を万力のような力で握って離さない。

ならば残る右手で殴ろうとすれば、まるでそれを読んでいたかのように筋肉に力を込める前の絶妙なタイミングで、クラムベリーの左掌に包まれる形で拳を掴まれ、両手を封じられてしまう。

 

「確かに、貴方の拳は以前より速く、鋭さを増しました。甘さや手加減も捨てています。ですが――やはりまだ『人間』が残っている」

「『人間』だと……?」

 

腕を捕らえて離さぬまま、クラムベリーが、すっと顔を近づけ言う。

その言葉の意味を掴めず呟く僕の顔を、底知れぬ赤の瞳で愉し気に眺めながら

 

「貴方は自分でも気づかない無意識化で、まだ己の身体は『人間』であると思っていますね。人間ならばこうする。人間はこうできない――その固定された意識(じょうしき)が貴方の枷となり、魔法少女としてのあるべき『戦い方』を縛っているのです」

 

ゆっくりと、囁くように、耳朶を侵し脳に直接沁み込む様な声で、

 

「魔法少女に人間の戦いかたなど必要ありません。あれらは人間の身体機能に合わせて考えられたもの。対人のみしか想定されていない『人間用』の格闘技術など、人を超えた魔法少女にはあまりに非効率的」

 

両手を囚われ耳をふさぐこともできない僕に、語りかける。

 

「スイムスイムに関節技がかけられますか? あるいは触れれば即死するような魔法への対処方は? 何もありません。だって『人間』はそんなことは出来ませんから。ですが……魔法少女ならば出来る」

 

その言葉にハッと思い出すのは、あの夜の、クラムベリーに殺されかけた僕が王結寺で目覚め、そしてスイムスイムに敗北した記憶。

あの時、僕はスイムスイムを脅してでも奪われたマジカルフォンを取り戻すべくその首に刃を突き付け──そして、彼女の魔法で無効化された。

そして思わず驚愕している隙をつかれ、容易く捩じ伏せられたのだ。

 

「…………ツ」

 

ああ、今なら分かるさ。

あの時の最大の敗因は、スイムスイムの魔法を攻略できなかったことでも、僕が満身創痍であったことでもなく──『驚いてしまった』ことなのだと。

魔法少女の魔法は千差万別。何が起こってもおかしくはない。

そう頭では理解していたはずなのに。やはり僕は、どこかで魔法少女に人間の常識(わく)を当てはめていたのだ。スイムスイムに──そして己自身にすら。

 

「人間の戦いかたなど忘れてしまいなさい。貴方は魔法少女。その角も爪も尻尾も、ただ己を飾るためにあるのでは無いのでしょう?」

「──ツ!!!!」

 

この愚かさを嘲笑うように、あるいは甘く誘うように囁かれた言葉が、僕の身体を突き動かした。

ぐっと上体を反らし、そして亜麻色の髪を激しく揺らして、そこから突き出た二つの角を正面目掛けて振るう。頭突きではない。この鋭く尖った先端で――クラムベリーの顔面を切り裂くのだッ。

 

「ようやくそれを使いましたか……。ですが、いささか単純ですよ」

 

今まさに己の美貌を傷つけんと迫る竜角を目にして、だがクラムベリーの艶めく唇が浮かべるは絶望ならぬ余裕の微笑。

まるでこの程度の危機など飽きるほどに経験してきたとばかりに、クラムベリーは僕の両腕を拘束していた手を瞬時に離し、竜角が己に届く寸前に地を蹴った。そうして軽やかなバックステップで後方へと逃れることで反撃を避け――た瞬間、その右脚に竜の尻尾が巻き付いた。

 

「おや……!」

「逃がすか!」

 

もとよりこいつが正面からの攻撃を容易く受けるなんて思っていない。だからこれが僕が角を囮に繰り出した起死回生の一手。いかなる地球生物とも異なる金色の甲殻に覆われた竜の尾で、純白のタイツに覆われた美脚の(くるぶし)付近をガッチリと捕え、そのまま力の限りに音楽家の肢体を中空へと持ち上げて

 

「うっ、おおおおおおおおおお!」

 

全力で地面へと振り下ろすッ。

 

「ふふっ……」

 

その身が地へと叩きつけられるまさに刹那、クラムベリーは悲鳴ではなく笑みを漏らし――『音』が爆発した。

それはこれまでの人生で聴いたどの音よりも凄まじい大音量。超至近距離からの轟音が鼓膜に直撃し、のみならず骨を伝って脳髄をも揺さぶり視界を明滅させた。

 

「ぐうぁ……ッ!? なんだ……これッ!?」

 

崩壊する平衡感覚。三半規管すら狂わされた事で襲いかかる目眩と虚脱感に全身から力が抜け落ちて――その好機をクラムベリーは逃さなかった。

自らを掴む力が緩んだ瞬間に身を捻り、僕の手を振り払って鮮やかに地面に着地、と同時に鋭い蹴りを放ったのだ。

 

「がッ――ハぁッ!?」

 

今だ轟音のダメージから立ち直れない僕はそれをまともに受け、蹴り飛ばされる。

そしていつかのように宙を舞い地面に激突。地への衝突と蹴りの衝撃による激痛が全身を襲った。

涙が出そうなほどに痛い。そして爆音に曝されたせいだろう。肉体のダメージはもとより、酷い耳鳴りがする。苦悶の声を漏らしつつも立ち上がり、目を向けると、眼前には悠然と佇むクラムベリーの姿が在った。

 

「……そう。それですよ颯太さん。私の知る他の尻尾持ちの魔法少女に比べればいかんせん粗削りな戦法ですが、それでよくぞ私に魔法を使わせました。人ならざる魔法少女としての戦い方、その第一歩としてまずは及第点を差し上げましょう」

 

今の『音』は、こいつの魔法か……ッ。

ただ音を鳴らす。それだけの魔法でも、この大音量ならばもはやれっきとした音響兵器だ。

背中に氷を入れられたかのようにゾッとする。

ならば鼓膜が破れるかと思うほどのこれを浴びて、意識を飛ばされなかっただけでもむしろ幸運か。

 

だが僕を真に戦慄させたのはその威力だけではない。真に恐るべきは、眼前で優雅に微笑みながら語る森の音楽家の美しさに、一片の陰りも無いことだ。

攻防が終わり改めて見れば、月明かりに光る金の髪も、闇に浮かぶ白い肌も、暗い森に棲む妖精を思わせる美貌にも、ほんの小さな傷や微かな汚れすら無く、この特訓を始めた時と変わらぬ姿を保っている。

それが示す事実に背筋が震え、悟ってしまう。僕がこれまでに繰り出してきた拳は残らず防がれ、渾身の反撃もこの魔法少女の『音』の衝撃で容易く振り払われ、かすり傷すらも与えられなかったのだと。

 

「ですので、ここからは魔法少女の真髄――すなわち『魔法』を用いた戦闘訓練に移りましょう」

 

圧倒的過ぎる。それはスイムスイムの天性の才能による強さとはまた異なる、いくつもの実戦を潜り、血と屍を糧に鍛え上げた修羅の『強さ』。

勝てるビジョンなど全く浮かばない。今の僕がいくらこの手を伸ばそうとも決して届く気がしない遥かな高みに、こいつはいるのだ。

 

だが、それでも

 

「……ああ、わかった」

 

震えそうになる両足に力を込めて地を踏みしめ、鞘から剣を抜き構える。

ずしりとくる重量を両腕で支え。切っ先は真っ直ぐ、クラムベリーへと向けて。

実力差などはとうに承知している。心構えすらも未熟な事も痛感した。

それでも、今この時が『好機(チャンス)』なのだ。そのために、僕はクラムベリーの誘いにに応じたのだ。ここで、この特訓(たたかい)で僕はもっと強くなって、そして同時に――

 

「いい顔ですね。それでこそです。それでいいのです」

 

覚悟を込めた切っ先を前に、クラムベリーは微笑む。

 

「いくら力を持とうとも、格下としか戦おうとしない者など所詮は『弱者』に過ぎない。たとえ己より強く、強大な相手だろうとも血反吐を吐きながら挑み打ち倒す者にこそ、『強者』と成る資格があるのですから」

 

その心意気は認めよう。そう、遥かな高みから見下ろす眼差しで言い――すっ……と、その右手を優雅に差し出して

 

「さあ、来てください。――ああ、遠慮はいりませんよ。挑戦者の全力を受け止めるのもまた強者の務め。もちろん最初に言った通り殺す気などありませんから怖がることはありませんよ」

 

まるで小さな子供に言い聞かせるように語ってくる。

そのからかう様な言葉に、余裕の態度に、僕の頭に血が上り、胸の中心にカッと火が着いた。視界が真っ赤に染まり、思考が沸騰して――いや、堪えろ……ッ。これは挑発だ。僕を怒らせ、戦う気を出させるための分かりやすい手だ。

感情のままに向かっていってもこいつには勝てない事など、あの港での戦いで思い知ったはずだ……ッ。

 

ぎりりと唸る歯を食いしばり、今にも怒号と共に斬りかかろうとする衝動を堪える。

それでもなお身の内から爆ぜようとする激情は、

 

「そしてだからこそ、私の誘いに応じてくれたのでしょう?」

 

そんな僕の姿を、赤い瞳で愛でるように見つめていたクラムベリーが口にした言葉で、一気に凍りついた。

 

「殺気は頑張って抑えていたようですが、瞳に宿る殺意までは隠せていませんでしたので、とうに分かっていましたよ。――貴方が『ここ』で私を殺そうとしている事は」

「……とっくに、見抜かれていたと言う訳か……」

「ええ」

「そう……か……」

 

見抜かれていた。最初から、僕がクラムベリーの申し出を受けたその瞬間、いや、もしかしたらその前から、胸に秘めていた真意は知られていたらしい。

僕は小さく溜息を吐き――戦意の裏に隠し、押し殺していた殺意を解き放つ。

 

豪!

 

爆ぜる殺気で大気を震わせて、僕は剣を握り龍の双眸に紛うこと無き殺意を燃やして睨みつけた。

 

「――ならばもう、隠すことは無いな」

 

クラムベリーの申し出を受けたのは、力を得るためだけではなかった。

誰にも邪魔されない場所でクラムベリーと一対一、しかも殺す気はないと明言している。まさしく千載一遇。考えるまでも無く、こいつを斃すのにこれ以上の好機は無いからだ。

 

故に――ここで殺す。

 

相手の情けを利用して討つ。騎士どころか人としても最低の戦法だが、僕が夢を棄てて選んだのは、これだ。愛する人を守るためならばどこまでも堕ちていく地獄の道なんだ。

 

「以前に戦った時の貴方には無かったその殺意(かくご)。素晴らしいですよ颯太さん。かつての澄んだダイヤモンドのような穢れ無き瞳よりも、漆黒の殺意に染まったボルツの如きその瞳は何倍も素敵です」

 

そう語るクラムベリーの瞳は、だが殺意に燃える僕のそれとは対照的に静かに凪いでいた。こうして艶やかな唇を緩ませ愉悦の言葉を紡ごうとも、そこだけは再会してから今に至るまで変わらぬ静寂を保ちつづけ、波紋一つ立たぬ血だまりのような赤で、僕を見つめる。

 

「ではそろそろ次のステップに進みましょう。もちろんそのまま殺すつもりでやってもらって構いません。たとえそれで死ぬのならば、私は所詮その程度だったというだけです。それに――」

「『人知を超えた者同士が戦うのなら、命のやり取りになるのは当たり前』か?」

「ええ。分かっていただけたようで嬉しいですよ」

 

己がかつて言った台詞に愉し気に微笑んで首肯した――瞬間、クラムベリーの総身から『音』が鳴り響いた。

高く、低く、高音と低音が重なり鳴り響く多重奏が採石場に木霊し、同時にブワッと押し寄せる圧倒的なプレッシャー。真に力ある者だけが放てる極限の闘気に、背筋が震え肌がぞわりと総毛立った。

 

「気張ってください。これより貴方が学ぶのは魔法少女が最強種たる所以。人の理を超えた暴力の真骨頂」

 

この場の空気が一気に冷えて重力が何倍にもなったかのような感覚に、僕の中の戦士の本能が悟る。これより戦いのレベルが、一段階上がるのだと。

 

駄目だ。呑まれるな。

 

ともすれば後ずさりしてしまいそうになるほどの『強者』の圧を前に、それでも己を保ち、奮い立たせる。もう恐怖には屈しないと、そう決めたのだから。

目を閉じて、深く息を吸い、吐く。心を落ち着かせたのち、キッと目を開くと同時に構えた剣に力を込め魔法を発動。一回りも巨大化した刃の切っ先を、対峙する音楽家へと突きつける。

 

「では、レッスン2――スタートです」

 

採石場の闇に、鳴り響く音色と銀の軌跡が奔った。

 




お読みいただきありがとうございます。
例の短編『魔王塾地獄サバイバル』を読んでいないのでクラムベリーの戦い方がいまいち分からず、でもそれ以上にラ・ピュセルというか大剣での戦い方のイメージが掴めずウンヶ月もスランプに陥った中なにげなく視聴したベルセルク(2016、17版)のアクションシーンに「これや!」と感銘を受け、それを参考にしつつ『灰よ』を作業用BGMに無限ループで流しながらようやっと投稿した作者です。

何か月も待たせてしまって申し訳ありませんでした。
すべては自分の生産力がうんこなせいです。
特訓編は次回で終わらせる予定なのでしばしお待ちください。

おまけ

次回予告(BGM『灰よ』)

ハイマエー!

――だから温いっていうんだよ。あたしを殺りたきゃ全員纏めて来な。

――舐めるなァ! 魔法少女おおおおおおおお!!

――ここからはテンポを上げますよ。ついてこれますか?

――僕の魔法の…可能性……ッ?

――ラ・ピュセル。次に殺す魔法少女が決まった。

『魔法少女育成計画routeS&S~もしものそうちゃんルート~』

次回『スキルアップのお知らせ!』



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スキルアップのお知らせ!

 ◇霊幻導師

 

 

 採石場跡から遠く離れた港の倉庫街にもまた、音楽が鳴り響いていた。

 だがそれはクラムベリーの流れるような音色とは異なる、荒々しい獣の咆哮の如き轟音。金の髪を翻して撃ちまくるカラミティ・メアリがかき鳴らす銃声のシャウトだ。

 闇を焼くマズルフラッシュと共に吐き出された幾つもの弾丸は、標的であるキョンシー達に殺到し肉を骨を容赦なく撃ち抜いていく。

 

 「ぎっ……ッ――」「がぁッ……――」

 

 断末魔すらも銃声に掻き消され、着弾の衝撃に身を捩りあるいは仰け反りながらもがく様はまるで奇怪なダンスを踊っているかのよう。

 無論、キョンシー達とてただ無抵抗に蹂躙されているわけでは無い。生者に有らざる頑強さで銃撃に耐え踏み止まり、あるいは同胞を盾にしてでも弾幕を掻い潜りカラミティ・メアリに接近しようとするも――

 

「はっ、温いねえ」

 

 いずれの者達も一矢報いる前に、嘲笑うかのように放たれた弾丸に脳天を吹き飛ばされた。

 そして脳髄を失った身体は、血と骨と脳漿の欠片を撒き散らす肉袋と化してバタバタと倒れていく。

 あり得ない。あってはならないその光景に、霊幻導師は老いた顔を蒼白にさせ慄いた。

 

「馬鹿な……ッ」

 

 あまりにも一方的で絶望的な戦い――否、殺し合いですらないワンサイドゲームなど戦いとすら呼べぬだろう。

 これは災害だ。

 霊幻導師とキョンシー達は今、カラミティ・メアリという災害に襲われていた。

 

 

 ◇ラ・ピュセル

 

 

 大剣が躍り、魔法の刃が虚空を裂く。

 しなやかな手足から放たれる拳と蹴りが、肉を鎧を打ち据える。

 薔薇の冠を戴く金の髪と、一対の竜角が生えた亜麻色の髪が夜闇に靡いて、森の音楽家と竜の騎士による戦いの音色が採石場跡に響き渡っていた。

 港での戦いがダンスパーティーならば、こちらはさながらオーケストラか。

 二人が奏でる打撃の音が、空気の唸りが、混じり合い激突し血沸き肉躍る調べを奏でている。

 

「ああ。良い音色です」

 

 僕が放った斬撃を軽やかに躱しながら、心地良さげに呟くクラムベリー。

 

「刃が鳴らすこの風切り音。強く、真っ直ぐで、荒々しくも迷いの無い殺意ゆえの音色です。――ただ、もう少し余裕があってもいいと思いますが」

「ちっ……。挑発のつもりかっ!」

「指導者としての指摘ですよ。これは貴方へのレクチャアなのですから」

 

 艶やかな唇を綻ばせて優雅に語る美貌を、首ごと刈り飛ばしてやろうと大剣を振るう。

 

「僕にとっては殺し合いだッ!」

「私にとっては逢瀬ですよ」

 

 刃を二倍近くも伸ばした事でリーチと威力を増した横薙ぎは周囲の岩を断ち切りながら虚空を奔り、だがその首を切り落とす寸前にクラムベリーがひらりと跳び上がった事で回避され、どころか宙で一回転したクラムベリーが放ったカウンターの踵落としが僕の肩を直撃した。

 

「ッぐあっ!?」

 

 装甲で守られていない箇所に受けた一撃による激痛に、堪らず声を上げる。

 苦悶に歪む僕の顔を、クラムベリーは愉し気に眺めて

 

「動きのリズムが少し乱れていましたよ。焦りで少々力を込め過ぎましたか」

「うる……さいッ!」

 

 クスリと笑う声を怒号で掻き消して、再び振るう刃は――やはり届かない。

 今度こそ、次こそはと念じて、夜闇に幾重もの銀の軌跡を描きながら刃を走らせるも、クラムベリーはその全てを避け、あるいは掌で刃に触れて捌き、容易くいなしていく。

 

「なぜだ……ッ!」

 

 焦燥が戦慄に変わり、声が震える。

 技術、経験、そしておそらくは才能に至るまで、こいつが何もかも格上の相手だというのはこれまでの戦いからとうに分かっていた。

 だが、これほどまでなのか……ッ。

 

 殺意を隠して戦わなければならなかった先刻とは違って、今は刃だけではなく尻尾による殴打や角での突きをも織り交ぜ全力で攻め立てているのに――読まれている。

 完全に。どうしようもなく。でなければ、この状況は説明が付かない。

 経験による予測か。それとも魔法か。クラムベリーは僕の攻撃の全てを察知し読み切っているのだ……ッ。

 

「何もそう驚く事ではありませんよ。私は『森の音楽家』なのですから」

「どういう――うあッ!?」

 

 焦りからくる一瞬の隙を突かれ、組みつかれる。振り解かなければと思う間もなく、そのまま華奢な見た目からは想像もできないほどの力で地面に押し倒された。

 硬い地面に背中を打ちつける衝撃と、重く、だが柔らかな物が圧し掛かる感触が僕を襲う。呻きながら目を向ければ、仰向けになった僕の腰の上に跨り、夜天に白く浮かぶ月を背に僕を見下ろすクラムベリーの赤い瞳と目が合った。

 

「ふふ――今度は私が捕まえました」

 

 やられた。完全なマウントポジションをとられた。

 動きをほとんど封じられた、文字通りに手も足も出ない状況。何とか逃れようとするも、馬乗りになった音楽家の柔らかくも強靭な太腿と臀部が僕の腰にぎゅっと密着して押さえ付け、捉えた獲物を逃がさない。

 

「ぐぁっ!? ……離せ……ッ」

「つれない事を言わないでください颯太さん。それにこれから特に大切なポイントを説明するのですから、大人しく聞いてくださらないと」

 

 抵抗への罰か、張りのある太腿に万力のような力で締められる痛みに呻く僕を嗜虐的な笑みで眺めながら、クラムベリーは口を開いた。まるで未熟な生徒に教え聴かせる先生のように、耳にすうっと流れ込むような淀みない口調で

 

「多くの場合、魔法少女の外見には何らかのモチーフがあります。そしてその魔法もまた、己がモチーフに関係している場合が多い。これは外見と固有魔法が共に本人の個性が影響しているからです。そして――魔法とは別に持つ特性もまた然り」

「特性……?」

「はい。これはむしろモチーフの影響が強いですが、つまりは魔法少女それぞれに元々備わっている特技――いわばスキルの事です。例えばそうですね……分かりやすい所では、カラミティ・メアリでしょうか」

 

 

 ◇霊幻導師

 

 

 降り注ぐ弾丸は大気を貫き、死の豪雨となってキョンシー達を屠っていく。

 たとえどれほど抵抗し防ごうとしても、哄笑と共に暴れ狂う災害の化身は止まらない。

 獲物の精一杯の足掻きすら愉しむかのように撃ちまくる。

 

「ぐっ……ッ。糞ッ!」

 

 忌々し気に悪態をつき、霊幻導師は己の前方に数体のキョンシーを立たせ肉の壁とする事で何とか弾丸から身を守っていた。

 だが恐るべき弾丸の嵐は、盾であるキョンシーの肉を穿ち骨を削り、血飛沫と共に徐々にその身を破壊していく。生者ならざるゆえの耐久力で耐えているねのの、いずれ完全に肉塊とされるのも時間の問題だ。

 

「ちいぃ…ッ!」

 

 焦りと恐怖が冷たい汗となってふき出し、老人の幽鬼の如き顔を濡らす。

 ともすれば全身が震え出しそうになるのを、たかが小娘一人――それも忌々しい魔法少女に追いつめられているという屈辱と怒りで抑えながら、老人は配下へと一つの命を下した。

 

 「「「知道了!」」」

 

 瞬間、メアリの近くにいた十数体のキョンシー達が了解の声を上げ、一斉にメアリへと跳びかかる。

 もはや回避も防御も無く、一部の隙も無い肉の波となって全方位から殺到する屍の群れ。

 一か八か。こうなれば少々の犠牲など構わず、数の暴力によって文字通りに圧し潰す!

 

「はンっ」

 

 漏れる嘲笑。カラミティ・メアリは腰に吊った袋に左手を突っ込み新たな拳銃を引き抜くと、そのまま勢い良く地を蹴りスピン。ブレイクダンスさながらに横回転しつつ、迫るキョンシー達へ二丁拳銃の引き金を引いた。

 鳴り響く銃声のデュエット。弾ける頭部。飛び散る鮮血。

 血と脳漿を撒き散らす切れ目無い銃撃音が止んだ時には、カラミティ・メアリに突撃したキョンシーらは残らず頭部を撃ち抜かれ地に斃れていた。

 

「だから温いっていうんだよ。あたしを殺りたきゃ全員纏めて来な」

 

 まさに死屍累々。折り重なる屍の山の中心で、銃口から硝煙を立ち昇らせながら不遜に嘲笑う魔法少女の姿に、霊幻導師は目を疑う。

 

「馬鹿な……ッ!?」

 

 全方位から迫る、それも十を超える人数を過たず撃ち抜く。何だそれは。いくら魔法少女の身体能力は秀でているとはいえ、それだけでは説明出来ない。圧倒的な、それこそ人間離れした技術がなければ到底不可能なはず。

 何故、そんな真似ができるというのだ……ッ。

 

 その問いの答えを、同時刻、遠く離れた採石場で、カラミティ・メアリの師である森の音楽家が語る。

 

 ――魔法少女となる前の彼女は、ごく一般的な女性でした。素行こそ悪かったようですが、それでも暴力団などとの関わりはなく、ましてや銃など握ったことすらありません。

 

 二丁拳銃が咆哮する。

 それは軍人のように合理と効率性を追求した射撃姿勢ではなく、マカロニウェスタンめいたド派手で滅茶苦茶な射撃(ガンアクション)だと言うのに、吐き出される弾丸が機械めいた精確さでキョンシー達を次々と撃ち抜いていく光景はまるで悪い冗談のようだ。

 

 ――ですが、魔法少女となった瞬間、彼女は凄まじい射撃技術を手に入れた。なんの経験も鍛練も無く。

 

 もし只人がこれほどの技量を身に付けようとするならば果たしてどれ程の時間と鍛練が必要なのだろうか。いや、たとえ生涯をかけてすら到達できるかどうかだろう。

 だが彼女は魔法少女。条理の外、理不尽そのもの。

 

 ――当然です。鳥が空を飛ぶように。魚が海を泳ぐように。ガンマンは銃を撃つもの。そうあるべきというのなら、魔法少女はそういう力を備えて誕生するのです。

 

 

 ◇ラピュセル

 

 

「貴方にも、そういった点があるのではないですか?」

 

 朗々と語るクラムベリーの問いに、僕は確かに思い当たる点があった。

 僕――魔法少女ラ・ピュセルの武器である魔法の剣。身の丈ほどもあるその剣身は見るからに重厚で、そして長大。普通ならたとえ握れてもまともに振り回すことすら苦労するだろう、まさに鉄の塊と言って良い代物だ。

 

 だが、僕は最初から──文字通り初めて握ったその瞬間から──これを使いこなせた。

 確かにずっとサッカーに打ち込んでいるから運動神経はそう悪くないとは思うけれど、今まで真剣はおろか剣道の竹刀すら触ったことがないというのに。

 なるほど。つまりそれが、僕の魔法少女としてのスキルだったというわけか。

 

「っ――!!」

 

 なるほど。ああなるほど、そういうことか……っ。

 

 そこまで考えて、僕はようやく理解する。

 魔法少女がそれぞれに特技を持つのならば、このクラムベリーにもあるはずだ。

 そしてそれこそが、僕の攻撃が全て先読みされる原因。

 

 クラムベリーの外見にヒントはある。

 人間とは明らかに異なる長く尖った耳。妙齢の美女と言うその見た目からは

 あり得ないほどにつつましい胸。おそらくは多くのファンタジーに登場する種族『エルフ』がモチーフだろう。

『エルフ』は森に棲み、狩猟が得意で――音楽にも秀でている。

 そして戦っている間の台詞にいくつかあった『音』という言葉、『森の音楽家』という名も含めて導き出せる答えは――

 

「僕が出す『音』を聴いて、動きを読んでいるのか……ッ」

「はい。正解です」

 

 おそらくは心音すらも聴き取るほどの超聴力。それがこいつのスキル。

 看破されたにもかかわらずクラムベリーは狼狽えることも無く、涼し気な表情で種を明かす。

 

「私の耳はエルフの耳。そして世界に溢れる音を一つでも聞き逃すようでは音楽家など名乗れません。筋肉の収縮、血流の流れ、骨の軋み、貴方の身体が鳴らす音楽を聴けば、どのように動くのかは読めますよ」

 

 ヒントはいたる所にあった。いや、むしろ隠すどころか気付くのを待っていたように思う。その美貌が浮かべるのは、出題にした問いに答えられた生徒を誉める教師の微笑だったのだから。

 

「そしてそれが、貴方が今行った一連の考察こそが魔法少女の戦いにおいて最も大事な事の一つです。魔法少女とはあらゆる理に縛られず常識の通じない理不尽そのもの。ゆえに――」

 

 覗けば魂ごと呑み込まれそうな赤い深淵が、僕を見る。艶やかに濡れた唇が、囁いた。

 

魔法少女(わたし)を殺したいのなら、私の総てを知ってください」

 

 その言葉と共に彼女の手が躍るように動き、僕の左手を掴む。決して離さぬとばかりに重ねられたその掌は誘うように僕の手を動かして――自らの太腿に押し当てた。

 

「……っ!?」

 

 触れた掌から伝わる、棘の付いた蔓の模様をあしらったストッキングに包まれた柔肉の感触。むっちりと脂肪の乗ったスイムスイムのものとはまた違う、掌を押し返すほど張りのある感触は、おそらくは脂肪の下に強靭な筋肉が隠されているからだろうか。

 

「なにを……っ!?」

 

 咄嗟に引き剥がそうとするも、重ねられた掌は逃れようとする僕の手を押さえつけ、むしろ更に柔肉の中へと指を沈み込ませた。

 

「抗わないで、今はただ私の肢体(からだ)を観賞してください。脂肪の乗り方を。筋肉の付き方を。硬い所も、柔らかな部分も、見て、触れて、確かめるのです」

 

 困惑する僕の掌は、続いて太腿からくびれた腰へ、ゆっくり、丹念に、成熟した肢体を味わわせるように、さらにその上へと重なったクラムベリーの掌によって這わされていく。

 

「私が纏う服がどのような造りで、その意匠には何のモチーフが籠められているのかを見抜き……」

 

 胸元を飾るフリルが、汗ばむ掌をふわりと撫でる。純白の生地のくすぐったくも心地良い感触は、戸惑う僕をまるでからかっているかのよう。そしてその下にある柔肌の熱と弾力が触れる指先から神経を伝わり、僕の脳髄を痺れさせていく。

 

「何を好み何を嫌い何を望み何を成そうとしているのか、身も心も何もかもを知って……」

 

 美しい女の熟れた肢体に囚われ、漂う蠱惑的な薔薇の香りに包まれて、まるで自分が食虫植物に捕らえられた羽虫にでもなったかのような感覚に陥る僕へと、クラムベリーは命じた。

 

「暴いてください。――私の殺し方を」

 

 そう、愛を語る乙女のような声音で、悪魔のようにおぞましく。

 その真摯な響きには一片の嘘も偽りも何も無い。だからこそ、背筋に怖気が走った。

 

「お前は……殺されたいのか……?」

 

 慄然としながら問うと、赤と青の混じる異形の薔薇が揺れ、人ならざる魔法少女の肢体がしなだれかかってきた。互いの胸が当たり、鼓動すらも感じられるほど近くで、ともすれば触れ合いそうなクラムベリーの唇が――歪に吊り上がる。

 

「殺し合いたいのです」

 

 それは生を望み、天寿を全うする事を是とする人の道とは絶望的に外れた笑み。死を望み、殺戮を是とする修羅の凶相。

 

「一方だけが殺せるのではただの蹂躙――それではだめです。私が望むのは互いに命を懸ける戦い。そしてそれは、より深くより激しく生と死のギリギリで凌き合うものであればなお素晴らしい。だから貴方にはもっと強く、恐ろしく、私が挑むに値する強者となってもらいたいのですよ」

 

 赤い瞳が、僕を見る。

 この瞳が、僕は恐ろしい。

 いくら頬を緩め、唇を吊り上げ笑みの形を浮かべても、その瞳だけはこの戦いが始まった時から変わらないのだ。たとえ何らかの感情を映そうともそれはあくまで表層のみで、その奥は――異様なまでに凪いでいる。

 

 それは感情に乏しいゆえの《虚無》ではなく、何も感じないという《不感》。

 スイムスイムと似ているようで、だがこれは異なる(いぎょう)。スイムスイムのそれが底の見えぬ深海ならば、これは森だ。昏く、閉ざされて、迷い込めば二度と出られない深淵の森だ。

 これ以上見てはならないと本能的恐怖が叫ぶのに、目を逸らせない。壊れ、狂い、破綻しきったその寒々しい赤は、抗えぬ強制力で僕の瞳を捕らえている。

 

「拳を交わし殺意を語り命を奪い合い、どうかその最期の断末魔まで堪能させてください――颯太さん」

 

 深淵がこちらを覗く時、こちらもまた深淵を覗かされるのだ。

 

 ぞわりと、背筋が凍る。かつてこいつに刻まれた恐怖が、再び蘇ろうとしている。茨のように僕の全身に絡みつき、心すらも覆い尽くさんとして――

 

「――ごめんだッ!!」

 

 完全に呑みこまれる寸前、僕は全力で尻尾を地面に叩きつけ、その反動で身を捩った。そのまま圧し掛かる身体を撥ね退けようとするも、クラムベリーは地面に振り落とされる前に自ら飛び退き、ふわりと着地。

 僕もまた素早く立ち上がり、拾い上げた剣を向ける。

 

「はぁ…はぁ……お前の望みなど知ったことか……ッ」

 

 荒い息を吐き、震える肌に汗を浮かべ、

 

「僕はあの子を――スノーホワイトを守るためにお前を殺す。それだけだ!」

 

 叫んだ誓いに、音楽家の笑みがより剣呑に深まった。

 嬉し気に、愉し気に、己に向けられる殺意が心地良くてたまらないのだというように。

 濃密な戦意がその肢体から溢れ出、戦闘の再開を告げる

 

「ここからはテンポを上げますよ。ついてこれますか?」

「当り前だ……ッ。全力で縋り付いて、喰らい付いてやる……!」

「素晴らしい返事です。殿方にそこまで想われているのならば、応えなければ女が廃ると言うもの。なので――」

 

 

 ガン!

 

 

 響く拳と金属の衝突音。台詞の途中で放たれたクラムベリーの拳が、咄嗟に盾にした大剣の腹を直撃した。

 

「全力は無理ですが、敬意を込めて少し本気でいきますよ」

 

 握る柄から掌に伝わる凄まじい衝撃。受け止めた剛力に刃がビリビリと震え、強く握らねば剣が弾き飛ばされそうなほど。

 

「くぅ……ッ!」

 

 これが、あの白くたおやかな腕が生んだ力なのか……ッ!?

 歯を食いしばり、骨にまで響く衝撃に硬直しそうな身体を無理やりに動かす。そうしなければ、間髪入れずに放たれた蹴りにこめかみを打抜かれてしまうから。

 咄嗟に上体を反らすと間一髪、ハイヒールの爪先が額を掠め、千切れた数本の前髪と引き換えに回避に成功――から今度はこっちが剣を振るうッ。

 

 夜気を裂き振り下ろした刃は、だがクラムベリーに余裕をもって避けられ、お返しにと拳が突き出された。豪と音を鳴らすそれを何とか躱すも、クラムベリーは新たな攻撃を繰り出し、蹴りが、拳が、次々と襲いかかる。

 それは受けに徹していた先程までとは明らかに異なる――攻勢の連撃。

 

「――ッ……負けるかあああああああああ!」

 

 ここで、この戦いでケリを付けるんだ。

 こいつは強く、恐ろしい。だからこそ、その魔の手がスノーホワイトに向けられるその前に、これまで鍛えた力を、培った技を、僕の全部をぶつけて――お前を斃す!

 

 迫る拳ごと両断すべく僕もまた斬撃を放ち――戦いは刃と拳の打ち合いとなった。

 刃が奔り拳が唸る。互いが生む剣風と拳圧がぶつかり合い、石と土塊の舞台に吹き荒れる。

 

 幾度も剣を振るいそれ以上の拳を防ぐ攻防の中、プリマドンナを思わせる躍動的な動きで放たれた蹴りを何とか躱し、攻撃直後のクラムベリーに袈裟斬りを放つも、やはり軽やかに避けられる。

 大剣と素手。リーチの差は歴然であるにもかかわらず、両断せんと振り下ろした刃を容易く避け、横薙ぎを掻い潜り、突き出した切っ先を掌で軽やかに逸らして、拳を蹴りを打ち込んでくるクラムベリー。対して僕は剣どころか角も尻尾もフルに使って攻めているというのに今だ有効打は無く、どころかテンポを上げるという言葉通りに威力と速度を増した拳の猛攻に徐々に圧されつつあった。

 

 やはり……『音』か。

 僕の出す『音』を聞かれる限り、こいつにはどうしても察知されてしまう。だが音を出さずに攻撃できるような手段なんて無い。とはいえこのままでは埒が明かないのは事実。ならば、僕ができるのは……――

 

「そうです。考えなさい」

 

 考え、打開策を見出さんとする僕を鑑賞するのは、音楽家の血色の瞳。そこに危機感は無く、ただただ愉し気な眼差しで

 

「激情のまま我武者羅に挑むのも嫌いではありませんが、それで勝てるのは格下かせいぜい同格。格上を倒したければ、戦いの中で血沸き肉踊らせながらも思考は冷静に、あくまで冷徹な倫理を以って最適解を見つけ、勝利の方程式を導き出すのです」

 

 ――せめて『音』を最小限に抑える事!

 そのためには余計な動きを極力減らせ。無駄な力が入ればそれだけ筋肉の収縮音が増し、いらぬ動作は服や鎧を更に擦れさせ、それら全てから生じる雑音が音楽家の耳に攻撃の始まりを知らせるのだから。

 

「ハッ――!」

 

 ゆえに新たに繰り出した斬撃は、先ほどよりも小さな動きで、しかしより研ぎ澄まされ鋭さを増して。

 

「もっと鋭く……もっと滑らかに……もっと……もっとだ……ッ!」

 

 最適最良の動作を思い描き、最大の効率で実行しろ。

 どれだけ血潮が猛ろうと、決して押し流されるな。焦る気持ちを押さえつけ、ただ冷静に対処するんだ。――斃すべきこの魔法少女が、そう言っていたように!

 

「動きが良くなりましたね。一撃ごとに雑音が減っています。そして次第に筋肉の関節の血流の全ての音色が集束し、澄んだメロディとなっていく……。そうやって己が肉体と言う楽器を上手く調律してください。貴方の思い描く音楽(つよさ)を奏でられるように」

 

 もっとも――。語る赤い唇が嗤う。

 

「たとえどれほど音を小さく、少なくしようとも私の可聴域(みみ)から逃れられませんよ。もし逃れようと思うのなら、せめてあの子のように無音の歩行術を身に付けてください」

 

 どれほど動きを研ぎ澄まし、音を少なくしようとも、やはり所詮は付け焼刃。僕の出す『音』は今だ音楽家の超人的な聴力に捉えられ、振るう刃は届かない。

 

「なら――ッ」

 

 届く刃へと変えるだけだ!

 剣の大きさを変える魔法はなにも全体のサイズではなく一部分のみに絞る事が可能だ。実際、僕が魔法を使う時は柄はそのままに刀身のみを大きくしている。

 だったらできるはずだ。今この場で振るうべき、もっと相応しい刃に――ッ。

 

 

 ヒュ――ウォンッ!

 

 

 突如、剣戟の音が変わった。音程が変化した風切り音と共に、一枚の花弁が宙を舞う。

 クラムベリーの金の髪を彩る薔薇の冠からそれを断ち切ったのは、大剣の刃――ではない。

 

「……今のは、少し危なかったですね。ですがなるほど、そう来ますか」

 

 僕が今握るのは、重量の代わりにより細く鋭さを増した両手剣(ツーハンデットソード)。いつもとは逆に、刀身を細く短くした事によって格段に扱いやすくなった刃の斬撃はクラムベリーといえど避けきれず、薔薇の花弁の一枚を散らしたのだ。

 音で動きを察知できようが、攻撃の最中に変化する武器の軌道は流石に予測しきれないか。きっとこれが僕とクラムベリーの間に(そび)える壁を打ち壊す――突破口!

 

「いくぞ!」

 

 叫び、僕は文字通りに変幻自在の剣を振るう。振り回す際はより素早い両手剣で、薙ぎ払い振り下ろすのは重さで断ち切る大剣に、牽制には短剣、突きでは先端を極限まで細めてレイピアに。その攻撃における最も適した剣の形で攻めかかる。

 

 一太刀ごとに変化するトリッキーな剣筋。複雑さを増した刃を捌くためか、徐々にクラムベリーの動きから回避が減り、防御が主となっていく。もちろん隙あらばその拳は僕の身体に降り注ぐが、それでも一時は押し切られるかと思われた攻防は一進一退にまでは持ち直せた。

 

「そう、それでいいのです。戦いの中で考え工夫し技を磨き己を修羅へと鍛える事が真の強者へと至るただ一つの道。とはいえ――まだ足りません」

 

 ……だが、やはりそれ以上は押し返せない。

 一歩。あと一歩できっと僕の刃はこいつに届く。だが――その一歩がどうしようもなく遠いのだ。

 

「あと少し、もう一段階進めなければ私には届かない」

 

 何かが足りない。実力の差という遠い一歩を埋めるための、もう一段階上の何かが……ッ。

 

 それが分からない以上、僕は新たな戦法を取るしかなかった。

 攻防の間に生じた一瞬の隙に僕は全力で飛び退き十数メートル離れた位置に着地、距離をとる。

 そして大剣を足元に突き刺し、魔法で刃を拡大。

 

「これなら――どうだッ!」

 

 脚を踏みしめ力を込めて、地面をスコップで掘り返すように剣を振り上げた。

 土が、砂が、一抱えほどもある岩が、巨大な刃によって地中から弾き出されクラムベリーへと降り注ぐ。

 

「なるほど。察知しようとも防げない物量をぶつけてきますか。確かに、これは拳では捌けません」

 

 もちろん、こんなものでこいつが倒せるとは僕も思っていない。だが、一瞬でも隙を作れたなら、そこを突いて叩き斬る。

 姑息だろうが、これが今できる唯一の──

 

「──起死回生の策。などと思っているのなら、教えてあげましょう。確かに相手が私でなければ悪くない手です。ですが」

 

 クラムベリーはスッと片手を伸ばし、視界を覆うほどの土砂と、その向こう側に立つ僕へ白い掌を向けて

 

「相手が私ならば、これは最低の悪手ですよ」

 

 苦笑とも嘲笑ともつかない笑みを浮かべた瞬間──破壊の『音』が全てを粉砕した。

 それはまさに荒れ狂う音の激流。先刻の音の爆発とは違い確かな指向性を持つがゆえに、より凄まじく振動する空気が衝撃波となって石礫を割り、岩を砕き、無数の土塊すら容易く吹き飛ばす破壊音波に僕は呑み込まれた。

 

 人よりはるかに強靭なはずの魔法少女の肌がビリビリと震え、血を噴き出し裂けていく。纏う甲冑も形無き音は防げず成す術も無く罅割れ、臓腑を揺さぶり骨の髄まで響く激痛に堪らず上げた悲鳴すらも怒涛の『音』に掻き消された。

 

「私は確かに教えたはずですよ。『推測せよ』と。私の魔法が音を操るという事は知っていたでしょう。ならば、『音』は他にどのように使えるのかを更に考えるべきだったのです。音を『鳴らす』ことが出来るのならば、それを『ぶつける』事も出来るのではと」

 

 今にも意識ごと身体を吹き飛ばされそうなほど凄まじい痛みと衝撃に耐える僕の耳に届くは、呆れ交じりの音楽家の苦言。

 

「思考停止――いえ、この場合は発想の自縛ですね」

 

 全てを掻き消す音の暴威の中で、その声だけがはっきりと聴こえるのは、彼女の魔法によるものか。

 攻撃と通信を同時に行う。たいした操作と、そして応用力だ。まさしく己が魔法の全てを把握し、完全に使いこなせているからこその芸当。

 

「『この魔法はそういうもの(・・・・・・)だからこうとしか(・・・・・)使えない』そう決めつけているから、私の――そして貴方自身の魔法が持つ可能性に気付けない。本来ならば無限の可能性を持つ『魔法』の用途を限定し自らの発想を縛っているのですから」

「…ッ…僕の魔法の…可能性……ッ?」

「かつて貴方は己が魔法の限界を超えて見せた。なら次はその可能性を解き放ちなさい」

 

 何を言っているのか分からない。

 可能性と言われても、僕は自分の魔法で出来る事は全てやり尽している。

 そのはずだ。なのにこいつは、何でそんな残念そうな瞳で僕を見る……ッ。

 

「それが出来なければ、貴方はこれからの戦いには勝てません。いずれ強者に無様に斃され屍を曝し――スノーホワイトも殺されるでしょうね」

「――――ッッッ!!!!」

 

 

 

 ――先輩…っ…ごめん……なさい。………スノーホワイトは……もう…っ…――手遅れ、です……

 

 ――そぅ……ちゃ………

 

 ――昏睡状態、だそうです。

 

 

 

「ッ黙れえええええええええ!!!!」

 

 

 こいつへの、そして何よりも己への怒りが、スノーホワイトへの想いが、胸の中心で爆ぜ上あたりる。それは血と傷に塗れ満身創痍の身体を突き動かし――限界を再び破壊した。

 音波の激流に曝されながら僕は大剣を振り上げ、天へと突き立った刀身に魔法を発動。

 蘇るは昨夜の感覚。あの時と同じように、膨れ上がる想いが爆発し己の中の見えざる壁を吹き飛ばした瞬間、凄まじい勢いで刃が巨大化する。

 

「目にするのは二度目ですが、やはり見事なものですね。ただ剣を大きくしただけと言えばシンプルですが、この刃の悲壮な輝きには覚悟の美しさがあります」

 

 天へと伸び、胸を焼く激情と共に膨れ上がる刃。

 踏みしめた地面に亀裂が走る。ブーツが沈み、足首まで埋まっていく。刻々と増大し続ける重量を支える骨が軋み、筋肉が悲鳴を上げて激痛に襲われようとも、圧しかかるその重みに耐えながら、僕は魔法を発動し続ける。

 もっと大きく。もっと重く。防御も回避も許さず、この砕石場ごとあいつを圧し潰すために!

 

「ぐぅっ、うおおおおおおおおおおおおッ!」

 

 

 ゴガンッ!!

 

 咆哮を打ち消す、鈍く重い殴打の音。

 全ての魔力と激情を込めた僕の叫びは――鳩尾に拳がめり込む衝撃に断ち切られた。

 腹部を守る装甲を砕き、抉り込むように打ち込まれた拳の衝撃は、皮膚を貫通して体内で炸裂し五臓六腑に襲いかかった。

 

「が――ッはァ!?」

 

 悲鳴と共に喉奥から込み上げた鮮血を吐く僕の耳元で、咎める様な声が囁く。

 

「それは確かに強力無比ですが――遅い。遅すぎです」

 

 全てを圧し潰す刃に対して回避でも防御でもなく、自ら相手の懐に飛び込み拳で止めたクラムベリー。僕が吐いた血を浴びて赤く彩られた美貌が、失望を浮かべて唇を開く。

 

「剣を構え、伸ばしきるまでの時間が長すぎます。多人数の乱戦や不意打ちならまだしも、一対一で正面からならばこの発動時間は致命的ですよ。まして発動中は剣を支えるために隙だらけというのならば――それを突かない理由などありません」

 

 どう……っ――と、集中が途切れた事で魔法が解除され、元の大きさに戻った剣が手から零れ音を立てて地に落ちた。

 拳のダメージによって動けず今だ立ち尽くす僕は、それを拾うことすらもできず、ただ音楽家の声を聞くのみ。

 

「激情に流され、やるべき事を間違えましたね」

 

 僕の目を見つめる、血色の瞳。凪いだ赤の奥底が、僅かに揺れた気がした。

 

「颯太さん。貴方は私が見染めた、私と殺し合える強者です。貴方ならばきっと、私の飢えを満たしてくれる。そう――」

 

 くるりと、クラムベリーが踊る様に身を翻した。同時に振り上げられる爪先。

 憶えがある。この死神が鎌を振るうような軌道は、クラムベリーと初めて戦った時に受けた、あの――ッ。

 

 避ける事など出来はしない。軽やかで、だが凄まじく重い回し蹴りが直撃し僕の身体は弾き飛ばされた。

 拳以上の剛力で蹴り飛ばされた僕は凄まじい勢いで岩壁に激突。硬い岩に全身を叩きつける痛みにもはや悲鳴すら出せず崩れ落ちる。

 ぼたぼたと、全身の傷から垂落る鮮血。痛みに明滅する視界に、暗い闇の中に独り佇む、音楽家の姿が映った。

 

「――私は、信じていますよ」

 

 呟く声は、まるで乞い祈るような響きで。

 なぜだかひどく寂しげに思えるそれを聴きながら、僕は激突の衝撃で砕け崩壊する岩壁に呑まれた。

 

 

 ◇霊幻導師

 

 

 魔法の国の陰謀によって権力の座を奪われ都を追われた魔術師達。魔法の国の目が届かぬだろう中華の辺境へと逃げ延びた彼らが復讐を誓い、臥薪嘗胆の日々を送り幾星霜。ついに対魔法の国の戦力が整った。

 血と汗と財の全てを注いで造り上げた千を超えるキョンシーの軍勢。これで怨敵共に目にもの見せてやれる。待ちに待った反撃の時が来たことに昂る魔術師達の前に――『魔法少女』が現れた。

 手駒であるキョンシーを製造するために近隣の町や村から生きた人間を(さら)っていたのだが、流石に派手にやり過ぎたらしく、連続失踪事件の陰に魔術師ありと突き止めた『魔法の国』が事件解決のために魔法少女を送り込んできたのだ。

 

 初めて見る魔法少女と言う存在を魔術師らは恐れなかった。

 身体能力こそ高いようだが、使える魔法がたったの一つとは笑うしかない。そんな弱者に幾百もの術を修めた我らが負ける物かよと嘲笑った者達は――圧倒的暴力によって己が無知の報いを受ける。

 

 魔法少女が使う魔法は凄まじく、想像を絶していた。

 詠唱すら無いにもかかわらず発動される高位魔術クラスの一撃が、自分達が張った結界を容易く壊し防御魔術が施された衣装ごとその身体を破壊する。人ならざるゆえに人を超えた怪力を持つはずのキョンシーは更なる剛力によって捻じ伏せられ、赤子の手をひねる様に肉塊に変えられた。自分達とは比べ物にならない膨大な魔力。そして力。

 戦慄し、恐れおののく魔術師達は成す術も無く蹂躙され、奇跡的にその場から逃れる事の出来た一人を除いてキョンシーの軍ごと魔法少女に殲滅された。

 

 ゆえに、その最後の生き残りである老人は改めて誓った。

 必ずや、再び力を蓄え魔法の国に、そして魔法少女共に復讐する。己と同胞たちが味わった者と同じ、否、比べる事すらできぬ苦痛と絶望を与え皆殺しにするのだと。

 それがただ一人生き残ってしまった己の……死んでいった同胞達へと捧げられる唯一の手向けなのだから。

 

 だというのに

 

「化物ってのはいいもんだねえ。ただの人間は脆すぎてちょっと撃っただけで楽しむ間もなく死んじまうからさあ。こっちはしぶとい分壊し甲斐があるよ」

 

 なぜだ。何故だ何故だ何故だ!?

 

 かつてより更に性能を強化させたはずのキョンシー達が、目の前で撃ち抜かれていく。

 まるで玩具を力任せに壊すのを愉しむ悪童のような笑みで弾丸を撒き散らすカラミティ・メアリによって次々と殺され――いや、遊ばれている。

 それだけではない。

 

「姐さんに続けえええええ!」

 

 鉄輪会の組員達もまた、それぞれのエモノを握って暴れている。つい先程まで未知の存在に恐怖し怯え心折れかけていたというのに、今やメアリの狂喜が燃え移ったかのように吹っ切れた顔でキョンシー達へと突っ込んでいく。

 

 無論、身体能力に圧倒的な差があるのは今だ変わらず多くは返り討ちにされるが、それでもある者は自らの頭を握り潰されながらも相手の眉間を撃ち抜き、またある物は心臓を抜き手で貫かれるのと引き換えに相手の心臓に日本刀を突き刺し、文字通り己が命を鉄砲玉としてキョンシーを道連れにして逝くのだ。

 その誰も彼もが『してやった』という笑みを浮かべて。

 

 なんだそれは。

 血の滲む思いで作り上げたキョンシー達が魔法少女どころかただの人間に倒されるだと?

 そんなふざけた事があってたまるものか!。

 

 屈辱に噛み締めた唇が破れ、血が溢れる。幽鬼の如き青白い面は耐えがたい憤怒に赤く染まり――苦悶に歪んだ。

 

「ぐっ……くうぅ…ッ」

 

 それは急激な体内魔力の消耗による苦しみ。老いさらばえた身体にはもはや、若き日に在った溢れる様な魔力は無い。僅かに残った魔力を振り絞ってキョンシーの群れを操る負荷は、すぐに片が付くと思っていた戦いが思わぬ長期戦になった事により危険な域に達していた。

 もし奴らを倒せずこれ以上に長引けば……先に己の方が力尽きるやもしれぬ。

 

 馬鹿な。

 

 大陸から逃れ、ほうぼうの体でこの島国へと渡り、新たなキョンシーを製造するための資金と材料を得るためにゴロツキ共の用心棒などになるという屈辱を味わい、寝食すらも惜しんで戦力を増やし、この身を削りながら今日まで生きてきたのだ。

 その結果が、その末路がこんなものだというのか……ッ!

 

「認めん……ッ。認めんぞぉ……!」

 

 もはや目の前の総てが、亡き同胞達への、そして老人の人生にそのものに対する冒涜だった。

 

 魔術師ならざる只人の分際で刃向かい笑って死ぬ極道も。そしてなにより――

 

「良い目だねえ。怒りと殺意でグチャググチャに歪んだ、そういう顔は大好きさ。――その心を力尽くでへし折って絶望させた時の面が最高だからねえ!」

 

 我が血と汗と誇りと同胞らへの誓いの結晶たるキョンシーを(わら)って殺す、この魔法少女だけはッ!

 

「認めるものかあああああ!!」

 

 こいつへの、そして何よりも醜態をさらす己への怒りが、老いた胸の中心で爆ぜる。それは長年の苦難でボロボロとなった身体を突き動かし――禁断の魔術を発動させた。

 

「グゥっ!?――オオオオオオオアアアアッッッ!!

 

 突如もがき苦しむキョンシー達。目を見開き悍ましい叫び声を上げる様子に何事かと驚く組員達の前で、その額に張られた呪符が怪し気な輝きを放ち、死せる身体が膨れ上がった。ありえないほど膨張する筋肉に服が弾けるように裂け、骨格がメキメキと音を立てて変形していく。

 同時に、老人は己が血肉を無理やり搾り取られるような痛みを感じ呻いた。だが、もとより覚悟の上。これぞ術者の命その物を魔力へと変えて行う禁術。霊幻導師たちがいざという時は己と引き換えに魔法の国を道連れにすべく編み出した最終手段なのだから。

 

「舐めるなあ! 魔法少女おおおおおお!!」

 

 怒りに燃える瞳から血を噴きだしながら叫ぶ霊幻導師。

 もはや己は魔力が枯れ果て、まもなく死ぬだろう。

 だが命と引き換えに彼奴等だけは必ず道連れにせんとする決死の命を受け、全てのキョンシーが地を蹴った。

 怒号を上げて突撃し、狙うはただ一人――こちらを舐め切った瞳で眺め、嘲笑う災厄の魔法少女!

 

 戦法こそは二度目なれど、最初の突撃とは比べ物にならぬ殺意と勢いで迫る屍の群れを前に、カラミティ・メアリは

 

「いいねえ。こういうのを待ってたんだよ」

 

 艶めく唇を吊り上げ、血に飢えたケダモノの笑みで

 

「一匹ずつちまちま潰すのにも飽きてきてたんだ。纏めて歓迎してやるよチャイニーズ。――とっておきのエモノでねえ!」

 

 言うと同時に腰に下げた袋から札束を引き抜き、投げた。かなりの勢いで投じられたそれをキャッチしたのは――それまで戦いに参加せずちゃっかり安全圏から呑気に見物していた武器商人の魔法少女。

 

「オーダーだ。とびきりイカす奴を出しな!」

「オーケー姉御まいどありぃ。確かに受けたまわったゼェ」

 

 守銭奴丸出しの笑顔を浮かべ軽快な手つきで諭吉の数を数えた武器商人は、抱えていたアタッシュケースを足元に置き蓋を開く。そこに在ったのは――闇。ケースのサイズから奥行きは30センチも無いだろうというのに、そこにはまるで奈落の如く底知れぬ暗黒が在った。

 武器商人が札束にチュッとキスをした後そこに投げ入ると、札束を呑み込んだ闇が七色の光を放ち、武器商人は続いて己の手を突っ込む。

 

「さァて……お代に吊り合う商品の中でもナンバーワンなのはっと……オウ、見つけたゼェ」

 

 ニヤリと猫のような笑みを浮かべて、彼女は七色の光の中に入れた手を引き抜いた。その指が握るは黒鉄の銃身の一部。姿を現したそれは、奇妙な事に明らかにアタッシュケースよりも大きい到底収まりようがないはずのサイズにも関わらず、一切つっかえる事無く引き出され、カラミティ・メアリへと投げ渡された。

 

「ご注文の品はコイツでいいかい姐御ォ?」

 

 受け止めただけでズシンと地面が揺れるほどの大重量。だが返って来たのは満足げな口笛。

 

「ははっオーケイ注文通りさバッチリだよ。こいつなら――あたしもアイツらも気持ちよくイケる」

 

 新しい玩具を手にした子供のような表情で構えたそれは――まさに死の鉄塊。

 円形に連なる六本もの銃身と、モーターに電力を送るためのバッテリーを納めた巨大な弾倉。重厚にして無骨だが、ただ標的を蜂の巣にする事のみに特化したゆえに一種の機能的な美を感じさせるフォルム。100㎏を超える総重量もさることながら、毎分2.000~4.000発もの弾丸を撃つ際の強力な反動ゆえに生身では絶対に扱えないとされるその兵器の名は――

 

「《M134ミニガン》――の、試作携行版だ。宇宙から来たハンターだろうが未来ロボとだろうが殺り合えるシロモノだゼェ。最後の晩餐にたっぷり鉛玉を味わいナ」

「楽しませてくれた礼さ。全員仲良く逝(イ)っちまいなあ!」

 

 かくて引き金は引かれ、鋼鉄の死が起動する。

 被弾すれば痛みを感じる前に肉塊と化すがゆえに《無痛ガン(Paineless gun)》の異名を持つ回転式多銃身機関銃(ガトリングガン)が咆哮を上げ、撃ち出された秒速100発の弾丸が老人の視界を埋め尽くした。

 

 

 ◇クラムベリー

 

 激しく鳴り響いた戦いの音も今は消えて、静寂に包まれた闇の中で、音楽家は物憂げな吐息を漏らす。

 乾いた大地の上で独り佇み、ラ・ピュセルが埋まっているだろう土砂の山を血色の瞳で見つめながら。

 

 うず高く積もった石と土は常人ならばまず圧死するほどの量だが、魔法少女ならば大丈夫だろう。蹴り飛ばした際の手応えからして骨に罅くらいは入っているかもしれないが、その程度でくたばる程やわでもあるまい。じきに脱出し、再び立ち向かってくるだろう。

 問題は……。

 

「はたして彼は、成長できているのでしょうか……」

 

 相手の特徴を見抜き、その魔法を分析し可能性を考察せよ。

 ラ・ピュセルに語ったその教えは、クラムベリー自身も実践している事である。

 ゆえに、彼女はラ・ピュセルの魔法が持つ可能性について、本人よりも更に深く理解していた。魔法とは無限の可能性。固定観念に囚われなければ、発想の数だけ用途がある。それを知り、だからこそ多種多様な魔法を相手に勝利を収めてきたクラムベリーにとってラ・ピュセルの戦い方はたまらなくもどかしい物だった。

 

 違う。そうではない。貴方の魔法の可能性はもっと幅広く、もっと自由度があるはずだと。

 気付いてほしい。そして更なる境地へと至った刃に挑ませてほしい。

 そうすればもっと愉しく、素敵で、身も心も解け合い一つとなれるような殺し合いが出来るのに……ッ。

 

「思えば、私がこれほど肩入れするのは貴方が初めてですね……颯太さん」

 

 幾度も繰り返した殺し合いと言う試験の中で、目を掛けた魔法少女は何人かはいた。

 だが、自ら特訓を施すほど肩入れした――そう、肩入れだ。アドバイスくらいならばともかく、これは明らかに試験官としての公平さを逸脱している――のは、記憶にある限りラ・ピュセルだけだった。

 

 それは彼が今まで見てきたどの候補生よりも有望だから――ではない。

 彼よりも強い魔法を持つ魔法少女は何人もいた。

 例えば視界に入る総てを剣を触れずに断ち斬る者。指からあらゆる物質を分解するビームを放つ者。はたまた完全無敵の防御力を持つボディスーツを纏う者。

 より優れた身体能力を備える者もまた同様に。技術、知能、そして精神力、どれをとっても彼を上回る者はごまんといたはずだ。

 事実、この名深市における試験にもヴェス・ウィンタープリズンという己と互角に殴り合えるかつてない強者がいる。他に飢えを満たせる相手がいる。

 

 ならば何故ラ・ピュセルにこれ程執着しているのか。……実の所、クラムベリー自身にもよく分からなかった。

 彼に抱くこの想いは、ウィンタープリズンに感じた全力で戦える者に対する脳の奥が光り輝くような喜び、まるで自分が恋する乙女にでもなったかのような感覚とも似て非なる物。

 幼い胸の奥の昏く寂しいがらんどうがどうしようもなく彼を求めている。何故、どうしてと思っても、理性すらも超えた狂おしい何かが彼と■■合いたいと叫んでいる。

 

 あの忘れ難き夜。夜天を貫く剣を目にし、かつてなくこの胸が震えたあの時から、ずっと――森の音楽家の魂(こころ)は、竜の騎士に惹きつけられているのだ。

 

「本当に、なぜなのでしょうね……。どうして、私は……」

 

 分からない。それを知るには、その心はあまりにも幼くて、どうしようもなく狂い壊れ果てて、もう戦いでしか■■と■がれなかったから。

 だから――崩壊した岩壁が内側から吹き飛び刃の切っ先が飛び出した時、その心の戸惑いは一瞬にして戦闘狂の闘志に塗り潰された。

 

 

 ◇ラ・ピュセル

 

 

 人はどうしようもない危機が迫った時、生きなければと願う脳が自身の奥底に眠っていた記憶を再生させ、助かる術を探そうとするらしい。だからきっと、今僕が見ている物もそういう物なんだろう……。

 

 

 

「どうして、あなたはそんなに強いんですか……?」

 

 過ぎ去ったいつか。もう二度と戻れない穏やかな日常。僕のスノーホワイトと再会する前の記憶。

 地面に大の字で寝そべり、泥のように重く圧し掛かる疲労と幾度も拳を受けた鈍い痛みに荒い息を吐きながら、僕はあの人に――組手で僕を叩きのめしたヴェス・ウィンタープリズンにそう問いかけた。

 

 自分の方が早く魔法少女になり、それなりに鍛錬もしてきたつもりだったのに、妹弟子にあたるウィンタープリズンとの手合わせでは手も足も出なかった。本来のスタイルとは違う徒手空拳だとしても、こうも一方的にやられては情けない。

 魔法少女としての経験的にはこちらが上だというのに、なぜこうまで差が付くのか。

 やはり元々の資質や才能の差なのだろうか。

 憧憬と僅かな嫉妬を込めた問いに返って来たのは、どちらとも違う答えだった。

 

「ナナのおかげかな」

「シスターナナの?」

 

 シスターナナ。修道女をモチーフにした魔法少女。優し気な雰囲気で慈愛に満ちた笑顔を浮かべ常に他者を気遣う僕達共通の指導者で、そしてヴェス・ウィンタープリズンの相棒にして――恋人。

 

「『ナナの為に』そう思っているだけで、どんどん力が湧いて来るんだ。ナナの望みを叶えるために、ナナの笑顔を守るために、私はもっと強くなる。強くならなくては駄目なんだ、とね」

 

 ぎゅっとコートの胸元で拳を握り、己が強さの理由を語る怜悧な美貌に、嘘は無かった。心の底からそう思い、そう在らんとする決意が瞳の中で静かに燃えている。

 

「それで、そこまで強くなれるものなんですか……?」

 

 それでもどこか納得しきれずにいる僕に、彼女は

 

「愛しい人のためなら、魔法少女はどこまでも強くなれるのさ。ラ・ピュセル。君にも分かる日が来るよ。いつか――」

 

 閉じ込められた闇の中で、体の奥から湧き上がる『思い』を感じた。

 かつてあの人から言われた言葉が――傷付き徹底的に叩きのめされたこの身体を内から衝き動かす。

 何をしていると。こんな所で倒れている場合ではないだろうと。

 

 ああ、分かっているよウィンタープリズン。今なら、あなたの言葉の意味が分かるから。

 

 

 

 ――いつか君にも、守りたい大切な誰かが出来たらね。

 

 

 

 圧し掛かる無数の岩と土を撥ね退けるように、力を込めて立ち上がる。

 そして咆哮と共に剣を握り、突き出した。前へ、前へ――立ちはだかる見えざる壁を貫くがごとく。

 

 

 ◇クラムベリー

 

 

 土砂を吹き飛ばすかのようにして再び立ち上がったラ・ピュセル。その手元から放たれた刃の煌めきが一条の光となって闇を裂く。

 凄まじい速度で迫るそれを、だが音楽家は美しくも剣呑で、そしてどこか子供のような笑みで迎えた。

 

「嗚呼……」

 

 漏れる吐息が、熱くどうしようもない程に昂っている。

『音』が聞こえるから。

 あの日あの時あの夜に、愛しい魔法少女が限界を壊したあの音に勝るとも劣らぬほど胸の高鳴る――己を縛る型を破った音が!

 

「そうです。この音色を聴きたかったんですッ」

 

 沸き上がる歓喜とともに右腕を振り上げ、掌から音の波を放った。

 それは先程土砂を一蹴した時よりも更に凄まじき大音波。地面を抉り岩すらも吹き飛ばしながら刃にぶつかり、その進攻を阻み破壊せんとする。

 だが、魔法の刃は止まらない。

 音波の激流を切り裂くべく刀身はより細く平たく縮む事で鋭さを増して、それを伸び続ける柄が押し出し荒れ狂う大気を突き進んでいく。

 穿ち貫くことに特化したその形は、もはや剣ではない。

 それは《槍》。愛しき者を守らんとする誓いを貫き、突き進む――騎士の槍だ。

 

 その穂先は襲いかかる音波によって表面が砕けようとも、破砕面の大きさを瞬時に変える事で元通りに成形し直し音楽家へと迫る。

 全体ではなくパーツごとにサイズを操作する事で遂に『剣』の形からすらも脱却したそれは、まさに『剣の大きさを変える』という魔法の真骨頂。限界を壊して能力上限(パワー)を増すのではなく、従来の型を破り発想を変えた事による新たなる応用法(カード)。クラムベリーが望んだ、ラ・ピュセルと言う魔法少女の強者としての『成長(スキルアップ)』だった。

 

「素晴らしい……ッ」

 

 感じる。

 槍の穂先が纏う、全てを貫かんとする魔力の迸りを。

 この身を魂ごと熱く焦がすような彼の『殺意』を。

 

 嗚呼、来る来る来る!

 近づいて来る!

 私の下へ。強者の高みへ。奈落の底へ!

 彼が昇り、そして堕ちてくる!

 

 想い人がその激情を以って強者への階段を駆け上がる――あるいは天から堕ちる――音を昂ぶる胸で感じながら、歓喜するクラムベリーは破壊音波の出力を更に上げ、魔法の槍も負けじとその突撃速度を増す。

 

 

 ◇ラ・ピュセル

 

 

 刃を砕き、音を斬り裂き、せめぎ合う二つの魔法。

 ここまであらゆる罠は食い破られ、小細工は容易く捻じ伏せられた。故にもはやここに至っては策など無い。

 だが、感情だけで斃せる相手では断じてない。

 だから激情を燃やしつつも決して呑まれるな。我を忘れるのではなく理性を保ちながら己が魔法を制御するのだ。

 慎重に、だが全力で、更なる完成度(クオリティ)へと。

 僕が望み求める、スノーホワイトのための『力』へと――ここで成長させるのだ!

 

「おおおおおおおおおおおお!!」

 

 叫べ。そして突き出し続けろ。スノーホワイトのために、あの森の音楽家へと!

 

 荒れ狂う魔力の余波に、地面が震え、岩壁に亀裂が走り、そして――

 

 

 

 

 

 刃の砕ける澄んだ悲鳴が鳴り響く。

 パッと赤い血の雫が、薔薇の花びらのように夜闇に散った。

 その赤と共に舞う小さな無数の光は、月光に煌めく穂先だった物の破片。

 

 全ての思いと力を込めて放った僕の槍は、クラムベリーを貫く寸前に砕け散ったのだ。

 霞む視界でその事を確認した時、辛うじて槍を握っていた身体からプツリと見えざる糸が切れるように力が抜け、僕は呻きを漏らし片膝をつく。

 全ての力を、絞り出した。半ば無理やり動かしてきたこの身体はもはや限界。全身に圧し掛かる疲労感に荒い息を吐く度に、震える肌から血と汗が滴り落ちて地を濡らすほどに。

 

「はぁ……はぁ…っ…くそっ…仕留められなかったか……ッ」

 

 全力を出した。思いを込めた。僕が今出来る全てを以ってしてもなお、届かなかった……ッ。

 

 己の不甲斐なさに怒りすら込み上げて、噛み締めた歯を悔し気に軋ませる。と

 

「顔を上げてください」

 

 かけられた澄んだ声に俯いていた顔を上げれば、暗い空の下、妖しく光る月を背に愉し気に僕を見下ろすクラムベリーの瞳と目が合った。

 

「そう悔しがることもありませんよ。たしかに貴方の槍は私を貫くに至らなかった、ですが……」

 

 そして、気付く。

 その本来ならば白いはずの頬は、だが今、己が瞳と同じように赤く染まっている。――そこに刻まれた傷口から溢れる鮮血によって。

 僕の槍は、確かにその身体を貫けなかった。だが、刃は砕け散りながらもその破片によってクラムベリーに傷を付けたのだと。

 

「良くできました。満点とはいきませんが、それでも及第点です」

「……ッ。どこがだ……。ほんの掠り傷だろ」

「ええ確かに。幸いにも(・・・・)ただの掠り傷で済みました。ですがもし、それが眼孔や喉元だったらどうなっていたでしょうか……。破片が喉を裂き、あるいは眼球を貫き脳髄に達していたのなら……ッ」

 

 己が死の可能性を語るその声は微かに震えている。

 だがそれは恐れでも死を逃れた安堵でも無く、生と死の狭間でしか得られぬ戦いの愉悦にゾクゾクと昂る声で

 

「ほんの僅かであっても確かに死に至る可能性があった、紛れも無く私を殺せる一撃だったということです。ならばそれを認めず何が強者でしょうか」

 

 僕の両頬に、そっと添えられる二つの手。ふわりと撫でる様な力加減のはずなのに、けして逃がさぬと絡みつく薔薇の蔦のようにも感じるそれに顔を強張らせる僕へと、クラムベリーはまるで口づけをするように顔を寄せ、

 

「誇ってください。摘み取るには至らずとも、貴方は私の命に確かに指を掛けたのですよ。颯太さん」

 

 そう、血に塗れた美貌で微笑みかけてきたのだった。

 

「……………」

 

 言祝がれ、僕はこの手に握る槍に目を落とす。刃が砕け、鍔と柄だけになってもなお迫力のあるそれは、以前までならば決して手に出来なかった武器(ちから)。

 戦っている時は無我夢中だったが、大きさをより細かく操作する事で事で剣そのもののタイプを変えるなんて、今まで考えもしなかった。騎士と言えば『剣』を振るう者と言う僕の理想像(イメージ)もあって、『剣を大きくする』という魔法ゆえに僕の武器は『剣』としてしか使えないと、無意識にそう思い込んで自分の発想を縛っていたから。

 

 あるいは完全に棄てたつもりでも、無邪気に騎士にロールして(あこがれて)いた理想(ゆめ)の欠片が、僕の心にまだ残っているのか……。

 

 いずれにせよ、あれは戦いの中、先入観も固定観念も捨てて、ただ勝つための手段のみを追求したからこそ出来た事。そうでなければおそらくは一生至る事の無かっただろう境地に、僕は目覚めたのだ。

 

『私ができるのは、こうして拳を交え、貴方が戦いの中で己が魔法を更に知り、可能性に気付き、新たな境地に至る、その手助けをする事だけです』

 

 クラムベリーの言葉が、あの時は無かった確かな実感と共に脳裏に蘇る。

 そしてこれは、この力は魔法少女達による殺し合いに勝ち残りスノーホワイトを救うために必要な力なのだとも確信した。

 たとえそれを手に出来たのが仇敵の手によるものだとしても、新たな力を得た高揚と僅かな達成感を感じていると

 

「ああ……ですが……これは少々まずいですね……ッ」

 

 笑みを浮かべていたクラムベリーの唇が不意に歪み、苦し気な――いや、何かを堪える様な声を漏らした。同時に僕の両頬に触れる掌から伝わる温度が徐々に上がっていく。熱く、熱く、内なる炎に熱せられるように

 

「痛い……痛いですよ……ッ。裂かれた頬が……熱く、鋭く痛んで……血がこんなにも……ッ」

 

 震える声は熱情に濡れて、血に染まった頬は上気して赤みを増し、纏う薔薇の香りが一層濃くなっていく。

 

「いけませんよ颯太さん。私は今夜は本当にレクチャアだけで終わらせるつもりだったのに……殺さないつもりだったのに……ッ貴方がこんなにも激しく責めるせいで……――私はこんなにも昂ってしまったではないですか……!」

 

 熱に浮かされた様に語るクラムベリー。その瞳を見た瞬間、僕の全身の血が凍りついた。

 

 今までずっと凪いでいた彼女の瞳が――赤い深淵の奥に広がる暗い森が、騒めいている。

 そこにはもはや墓所を思わせる静寂は無い。ざあざあと葉を揺らし、無数の枝をぎしぎしと鳴らして、身の内から巻き起こる激情の嵐に森が狂喜の唸りを上げているのだ。

 

「………ッ」

 

 殺意に染まったその笑顔に、かつての恐怖が甦る。

 この殺意は、この怖気は、あの時と同じだ。

 初めてこいつと戦い、そして成すすべもなく打ちのめされた時、痛みと恐怖に戦意を失った僕を嬉々として殺そうとした──あの狂喜の笑みだ。

 

「飢えて疼いて止まらないのですよ。理性(あたま)は必死に止めるのに心臓(こころ)が昂って――強者(あなた)殺したくて(もとめて)たまらないんです!」

 

 叩きつけられる圧倒的な強者の戦意。迸る殺気に曝された生存本能が絶叫する。ぞわっと総毛立った肌がひりつき、甦る恐怖に身体が震えだして──その総てを奥歯を噛み締め捩じ伏せて、僕は震える足に力を込め立ち上がった。

 

「……ああ、いいだろう」

 

 互いの額が触れ合いそうなほどに顔を近づけ、殺意に昂る瞳を睨み、はっきりと言う。

 

「殺し合いたいのなら。元より僕はそのつもりだ」

「本当に、いいのですか……? 貴方は酷い有様ですよ。血と傷に塗れ、魔力の消耗も激しく、それで本気の私に勝てるとでも?」

「そんな目をして白々しい事を言うな。たとえ僕が断ったとしても、お前は僕を逃がす気なんて無いだろう?」

 

 答えを聞くまでも無い。艶めく唇を悍ましく吊り上げたその笑みは、獲物を絶対に逃がさぬと猛る狩猟者の顔なのだから。

 ゆえに逃げられぬ。戦うしか選択肢はない。

 だが、それで絶望するつもりなど毛頭無い。希望など無くとも、ただ無為に死ぬなんて僕自身が許しはしない。

 

 僕はスノーホワイトを守り切れなかった。

 彼女は今も、いつ目覚めるともしれない眠りについている。

 結局今も僕は弱いままで、夢を棄ててて大切な物を犠牲にしても望む結果すら得られなかった愚か者だ。でも、それでも――僕はスノーホワイトを守ると誓った騎士なんだ。

 相討ち上等。刺し違えて共に地獄へ逝けるならああ本望だとも。

 

「それに、勝てないとしても無意味に死んでやるつもりは無いさ。たとえ僕が殺されようと、次にお前と戦う魔法少女がお前を殺せるように、手足の一・二本は貰っていく。出来ないとは思うなよ。――大切な人のためなら、魔法少女はどこまでも強くなれるんだ」

 

 

 

 そうだろう? ウィンタープリズン……――。

 

 

 

「愛しい人のためなら……ですか」

 

 勝利などいらない。あの子のためならばこの命すら棄ててみせる。僕の覚悟を聞いたクラムベリーの瞳の奥がその時――ぐにゃり、と歪んだ。

 

「ええ……ええ知っていますよ。誰よりもそう、私だからこそ(・・・・・・)……っ

 

 静かに呟く声に、不気味な熱が籠る。じわりと、純粋な闘志と殺意に満たされていた瞳の奥底から、それらとは異なる思い(ナニカ)が滲み出る。

 優雅な微笑を浮かべていた唇は吊り上がり、亀裂のような笑みとなった。

 

 悪寒が走り、鳥肌が立つ。様子の変わったクラムベリーから、これまでとは明らかに違う異質な恐怖――あるいは危うさを感じてしまう。

 

「交わした笑顔。育んだ。心から繋がりあった仲間達を守るために戦う時に体の奥から湧き出る力を、熱く燃える胸の鼓動(リズム)を、他者のために命を懸ける尊い魂の輝きを……ッ」

 

 勇気と友情を語っているというのに、その声音はどうしようもなく歪みひび割れていて。

 懐かしさと喜びと愛おしさと悲しみと苦しみとそして痛み、そんないくつもの感情(おもい)がグチャグチャに混ざり合い狂い壊れた声は、まるで地獄の底から響いてくるかのよう。

 

 胸が苦しい。目の前の狂気に、冷たい汗が止まらない。

 僕はきっと、触れてはならないナニカに触れてしまったのだ……ッ。

 

「先ほどの不粋な質問をお許し下さい。私達が戦うのに実力差など些細なものでしたね。そんなものは己の思いでどうとでも覆すのが魔法少女」

 

 ……だが、それがどうした。

 そんなものに屈するほど、僕の誓いは脆くないッ。

 震えそうになる歯を怖気ごと全力で噛みしめ、僕は瞳に力を籠める。クラムベリーの狂気に、己が闘志を叩き付ける。

 

「ゆえに喜んでお相手しましょう。ええ油断などしませんとも。――大切な人のためなら、魔法少女は悪魔をも斃せるのですから!!」

 

 そして互いの闘志と狂気がぶつかり合い、大気すらも震わせながら膨れ上がり、爆発するその刹那―

 

 

「「――ッ!?」」

 

 

 僕たちは同じ方向へと弾かれたように顔を向けた。

 見開いた眼を向けたその先――ちょうど僕とクラムベリーが初めて戦った倉庫街のある方向から、魔法少女の鋭敏な第六感が凄まじい殺意の爆発を感じたのだ。

 それはクラムベリーやスイムスイムのように冷徹な理性と計算のもとに研ぎ澄まされたものとも、あるいは僕のように何かを守るために己が手を汚すことも厭わぬ悲壮なそれとも異なる、ただ荒れ狂い衝動のままにあらゆる物を破壊する、まさに獣のごとき殺意……ッ!!

 

「なんだ……ッ。いや、誰だ……!?」

 

 この凄まじい、あるいは危険度ならばクラムベリーをも上回るかもしれない殺意を誰が放てるというんだ!

 

「これは……。ああ、成程……この殺意を感じるのは戦場を共したあの時以来ですね」

 

 訳も分からず戦慄する僕とは違い、クラムベリーにはその発生源が何者かを直ぐに悟ったようだ。

 懐かしそうに切れ長の目を細め、同時にその総身から禍々しく噴き出ていた殺意の圧(プレッシャー)が、ふっと消えた。

 肌がひりつくほどの殺気が唐突に納まった事に、目を向ければ――

 

「ああ、いけませんね……。私はどうにも我慢が苦手です。危うく貴方が育ち切る前だというのに勿体無い事をするところでした」

 

 艶やかな唇が描くのは、先刻までの狂笑ではなく苦笑の笑みで、その美貌にもはや殺意の色は無かった。

 それでも僕は警戒を緩めず、切っ先を向けながら問う。

 

「……その顔は、もう戦うつもりは無いという事か」

「ええ。名残惜しいですが今宵はここまでです。……もちろん貴方とは心ゆくまで殺し合うつもりですが、まだその時ではない。いずれその命を摘み取るにもっと相応しい舞台――血沸き肉躍り歓声と絶叫鳴り響く最高の戦場が開幕した時にこそ、私たちの身も心も蕩けて一つになるような殺し合いを愉しみましょう」

 

 その時を夢想しているのか。白い頬を微かに薔薇の色に染め、意中の男を寝所へと誘う妖婦の如き笑みで

 

「そう遠くはないはずです……――彼女が動くというのなら、きっと『そう』なるでしょうから」

 

 くすりと呟くと、そのまま優雅に身を翻し、背中を向けた。

 

「ではおやすみなさい颯太さん。今夜はとても楽しめました。私も――よく眠れそうです」

 

 穏やかな声で別れを告げ、そのまま夜の闇の奥へ歩き去ろうとするクラムベリーを――僕は呼び止めていた。

 

「待って」

 

 声をかけて、そんな自分の行動に戸惑う。

 考えての行動ではない。気が付けば、口が動いていたのだ。

 あるいは今だ僕の脳裏に残るあの時の彼女の顔が、崩れ落ちる岩壁に飲まれる寸前に目にした

 

 

 

『――私は、信じていますよ』

 

 

 

 そう語りかけるクラムベリーの小さな姿がどうしてか――小雪に似ていると、そう思ってしまったからかもしれない。

 

「……なにか?」

「えっ……と……」

 

 とはいえ、呼び止めてしまった以上は何か話しかけねばならない。

 足を止め顔を向けるクラムベリーへと、暫し逡巡した後、僕が口にしたのはこんな問いだった。

 

「殺し合うのってさ、そんなに楽しいのか……?」

「――はい?」

 

 うわっ。あのクラムベリーがきょとんとしている。

 赤い瞳をちょっと丸く した初めて見るその表情は、成熟した外見に反してまるで子供のようで。けど素っ頓狂な質問をしてしまった僕にはそれを眺めている余裕なんてある筈もなく、微妙にあたふたしながら

 

「えっとさ……その、なんていうか僕も戦うこと自体は嫌いじゃないし……っていうかちょっと前までは魔法少女の力を思う存分に揮って強い奴と戦いたいってずっと思ってたし。……ホントは今日お前と戦ったのもちょっとだけ楽しかった。けどさっ、だからって殺したいとは思わない。――っていや、違う。もちろんスノーホワイトのために絶対に生かしておけないんだけど、それを楽しもうとは思えないんだ。というか殺し合いなんて生き残ったとしても後味悪いしっ……僕はそういうんじゃなくて勝っても負けてもお互い生きて健闘を称え合うとかそういうのがしたいから……だからそのっ、クラムベリーはどんな気持ちで殺し合いを楽しんでるのかって気になったというか……そのっ……まあそんな感じっ!」

 

 うああああっ自分でも何を言ってるのかよく分からない……っ。

 もうこれは絶対に馬鹿だと思われてるっ。だってこれって食いしん坊に「食べるのって楽しいの?」って聞くようなものだし。どうせクラムベリーだって、ただ感覚的に楽しいからやってるだけで理由とか無い戦闘狂だろうから「楽しいものは楽しいからですよ。当たり前じゃないですか」としか答えられないのは目に見えてるっていうのに僕ってやつはぁ……っ

 

「ぷっ」

 

 思わず頭を抱えて悶絶しそうになっていた僕の耳が、小さく吹き出す音を聞いた。

 ぎょっと見れば、クラムベリーが口元に手を当てて面白そうに僕を見ている。

 

「ふっ、ふふっ……失礼しました。そんな事を聞かれたのは初めででしたので、つい……」

「そ、そうか……っ」

「それに貴方の態度が必死すぎて、先ほどまでの凛としながらも悲壮な姿とのギップが……っふふ」

「笑うなよっ!」

「ああ申し訳ありません。私を殺したければ私の総てを知りなさいと言いましたから、ええお答えしますよ。……そうですね。殺し合いの魅力というのは様々ですが、私にとっては何よりも――満たされるからです」

「満た……される?」

 

 その唇が語った答えは、だが僕の思っていたそれとは違っていた。

 

「強い者へと挑み、全身全霊を以てぶつかり合う興奮。傷つけ傷つけられる刺激。そして戦いの果てに強者を打倒した時の快感は、あらゆる痛みも苦しみも飢えも……何もかもを忘れさせてくれます。それだけで、後は何もいらないと思えるほど……」

 

 語る思いは血に飢え戦に狂った修羅のそれだというのに、静かに言葉を紡ぐ唇に笑みは無く、その瞳は愁いを帯びて、

 

「どれだけ飢えて乾いて堪らなくとも、誰かと命を奪い合う、殺し殺されるその時だけは、私は……

 

 この時だけは、目の前の誰よりも恐ろしいはずの魔法少女が、ひどく小さく、今にも暗い闇の中に独り消えてしまいそうなほど儚く思えた。

 

 

 なんでだろう……。

 顔立ちは全然違うのに、誰かを救うことを願うスノーホワイトと誰かを殺す事を望むクラムベリーは正反対の魔法少女のはずなのに、やっぱり……どこかが重なる。

 

 けどそれは、亜子ちゃんのように他人を思う優しさでも、いつかのオフ会で会った名前も知らないあの娘のように似た雰囲気を感じるという訳ではなく――もっと、そう、もっと別の……二人の心が共に抱く何かが……――

 

「だから颯太さん」

 

 澄んだ声で名を呼ばれ、ハッと我に返る。

 戸惑い、思考の渦に沈み込んでいた僕の瞳を、クラムベリーが覗き込んでいた。けして逸らせず、けして逃さず、何処までも僕を捉えて離さない飢えた瞳で。

 

「私が貴方を殺したいと求めるように、あなたもまた私を殺したいと求めるならば、間もなく『彼女』が引き起こす災禍の中でその身を鍛え技を磨き、屍の山を登って更なる強者の高みへと至ってください。夢も理想すらも贄として、ただ一心に私を求め続ければ――いずれその剣は私を倒し、あるいは魔王にすらも届くやもしれませんよ」

 

 やはりどこかあの子と重なるその瞳の、けれど何が共に通じているのか……この時の僕には分からなかった。

 

 

 

 

 ――分かっておくべきだったのだと後に悔いる事になることも、まだ、この時は。

 

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 その後、クラムベリーはいつかのように夜闇の向こうへと去り、残された僕はスイムチームが集まっているだろう王結寺へと戻ることにした。

 今後の方針を伝えるから必ず来るようにとスイムスイムから厳命されていたため、遅れるわけにはいかない。今だ痛みの残る身体を動かし何とか遅刻ギリギリで間に合ったものの、傷だらけで現れた僕に皆は何事かと驚いた。

 

 特にたまは軽くパニックを起こして「どっどどどどうどどどうどどどうっ……!?」と涙目で風の又三郎みたいな呪文を唱えながら(たぶん「どうしたの」と言おうとしたんだと思う)僕の体をペタペタと触り、しまいには傷をペロペロと舐めようとしてきたので(たぶん動物的本能だと思う)慌てて引きはがすという場面はあったものの、頭を撫でて「大丈夫だよ」と言うとようやく安心して落ち着きを取り戻してくれた。

 そしてスイムスイムは、

 

「その傷はどうしたの?」

「クラムベリーと戦ったよ」

 

 そう答えると、赤紫の瞳をほんの少しだけ見開いて沈黙した後、

 

「勝った?」

「……いや、負けた。生きてるのは見逃されただけさ」

「そう」

 

 相変わらずの落胆や安堵などといった感情のほとんど読み取れない凪いだ声で呟き、ポツリと言った。

 

「無事でよかった」

「えっ!?」

 

 思いがけない台詞に反射的にミナエルの隣を見ると、そこにはちゃんとユナエルがいて、二人そろって信じられない物を見る目でスイムスイムを凝視している。ということはこのスイムスイムは本物か。

 

「これからの戦いに必要な戦力を失わなくてよかった」

 

 よかったいつものスイムスイムだ。

 単なる戦力扱いでホッとするのも変な話だが僕は内心安堵し――スイムスイムが語った不穏な言葉について、顔を引き締め問いかける。

 

「『これからの戦い』ということは、決まったのか?」

 

 問う声が僅かに固くなったのは、その言葉が示す悍ましい事実を悟ったから。

 スイムスイムはゆっくりと頷き、言った。

 

「ラ・ピュセル。次に殺す魔法少女が決まった」

 

 瞬間、空気が張り詰め、緊張が走る。

 まるで氷の海にいるかのように、空気が重く、冷えていく感覚。ピーキーエンジェルズすらいつものおちゃらけた笑みを消し、緊張に顔を強張らせたたまがごくりと唾を飲む音が沈黙の場に響いた。

 そんな魔法少女達の視線を一身に受けながら、スイムスイムは告げる。

 彼女の夢を叶えるために捧げられる――次なる生贄の名を。

 

「シスターナナとヴェス・ウィンタープリズンを殺す」

 

 告げられたその名に、たまたちが小さく息をのむ。

 肉弾戦最強とも噂されるヴェス・ウィンタープリズンの強さは、パートナーであるシスターナナ自身が広めたカラミティ・メアリとの大立ち回りの武勇伝で皆が知っている。

 そして、師弟関係にある僕が彼女らと親しくしていることも。

 

「作戦はもう考えた。それにはラ・ピュセルの力が絶対に必要。――できる?」

 

 シスターナナは優しい魔法少女だ。

 魔法少女になったばかりで右も左もわからなかった僕を優しく丁寧に指導してくれて、魔法少女として一人立ちした後も何かと目をかけてくれた。

 そんな慈しみに満ちた暖かな彼女が指導してくれたからこそ、僕は魔法少女としてやってこれたのだと思う。

 

 そしてヴェス・ウィンタープリズンは、僕に色々な事を教えてくれた。

 もっと強くなりたいと思う僕に、快く組み手で付き合ってくれた。休日には一緒にA級からZ級までたくさんの映画も見た。初めのうちはいまいち良さが分からなかったけど、最近では通な感想を語り合って盛り上がれるくらいになれた。

 

 そしてなにより、魔法少女として大事なことを教えてくれた。

 今夜の戦いで自分を奮い立たせることができたのも、ウィンタープリズンのおかげだ。あの日のウィンタープリズンの言葉がなければ、僕はクラムベリーに対して一矢報いる事すらもできず無様に地に伏していたままだったかもしれない。

 

 二人とも僕のかけがえのない仲間で、師弟で、友達で、そんな彼女たちを――

 

「――ああ、もちろんだとも」

 

 

 

 殺す覚悟なら、とうにできている。

 

 

 

「僕は君の騎士だ。誓いの下、立ちはだかる全ての者にこの剣を振るおう。たとえそれが誰であろうとも――斬る覚悟なら、とっくに決めている」

 

 夢を捨てたあの時に。正しい魔法少女であることを辞めたその時に。

 何の罪もない者でも、たとえ笑いあった仲間達すらもこの手にかける地獄に墜ちると。

 

「我が姫スイムスイム。その命確かに承った。シスターナナとヴェス・ウィンタープリズンは、僕が殺す」

 

 大切な人(スノーホワイト)のためなら、魔法少女(ぼく)はどこまでも強く(ざんこくに)なれるのだから。

 

 

 ◇カラミティ・メアリ

 

 

 永遠に続くかと思えるほどの銃声が止んだのは、獲物達の断末魔すらも潰えてからだった。

 敵と味方の入り混じった死体の山と撒き散らされた鉛玉から漂う血と硝煙の香りに包まれて、カラミティ・メアリは殺戮の余韻に浸る。

 

「じゃあね爺さん。そこそこ楽しめたよ」

 

 笑みを浮かべた唇が呟くも、それを言われた当の本人はガドリングによってキョンシー達ごと無数の肉片となって飛び散り、原型すら留めることなく血の海に浮かぶ骸の一つとなっている。

 それを路傍の石に向けるような目で眺めるカラミティ・メアリ。その背後で、何かがもぞりと動いた。

 それは奇跡的な偶然か、あるいは無残に散った老人の最後の執念か、辛うじて破壊を免れた唯一のキョンシーが立ち上がり、憎き魔法少女へと襲い掛かる。

 しぶとく生き残った何人かの組員達が慌てて『姐さん』と叫ぶ中、鬼火のごとき瞳を血走らせ眼前の細首に喰らい付かんとしたキョンシーの顔面は――振り返りもせずひょいと向けられたリボルバーの銃口が放った弾丸によって粉砕された。

 

 どさり、ではなくぐちゃりと崩れ落ちる音が鳴ってから後ろを振り返ったカラミティ・メアリは、正真正銘の死体となったキョンシーの姿に、おっと小さく声を漏らす。

 

「はっ、こいつは驚いた。こんな有様で動いたのかい」

 

 辛うじて人の形は留めているものの、肉は抉れ、折れた骨が肌を突き破り、破れた腹から腸をこぼすその様は、半ば肉塊と言ったほうが相応しい状態だった。

 意思の無い傀儡人形のごとき存在だからこその頑丈さに呆れ交じりに感心していたカラミティ・メアリだったが、やがてその唇の端がにやりと不穏に吊り上がる。

 

「追加注文だ。今から言うもんを用意しな」

 

 傍らにいた武器商人に声をかけ、あるものを注文した後、続いて自分のマジカルフォンを操作しファブを呼び出すカラミティ・メアリ。

 光るリンプンを散らしながら現れた電子妖精に、言った。

 血と暴力に飢え、次なる獲物を求めるケダモノの瞳で

 

「――マジカロイドを殺った奴を教えな」

 




あけましておめでとうごいます。たとえお正月はとっくに過ぎようとも新年一発目なら年明けの挨拶をする作者です。
前回の投稿からはやウンヶ月、大変お待たせしました作者は死ねばいいのに(レイプ目)

ともあれ何とかかんとかどうにかこうにか投稿できた今話ですが、何が苦労したかって音楽家ァの描写に苦労しました。
自分がクラムベリーに感じる魅力は戦闘力的強さと内包する弱さのアンバランスさなので、本作では彼女の弱い部分をこれでもかと描こうと思ってます。なので本作の音楽家ァはメンタルくそ雑魚ベリーさんです。もちろん解釈違いはあるとは思いますが、あくまで作者の独自解釈なので生暖かい目で許してください。

おまけ1

武器商人の魔法少女の魔法

『いろんな武器を売るよ』

魔法のポテンシャル❤❤❤❤❤

お代に応じて魔法のアタッシュケースから過去及び現代の全ての実在していた武器を出せる。武器は全てコピーであるため、性能はオリジナルと同一。魔法の武器も出せる。

お代は購入希望者の価値観が基準。つまりは希望する商品に価値を見出していればいるほど要求されるお代もまた吊り上がる。今回の場合はメアリが渡した札束に見出す価値に釣り合う商品までがリストアップされた(なお登場したガトリングガンは米軍が次代の主力装備となる軍用パワードスーツ用装備の一つとして秘密裏に開発していた物。……というインチキ設定をぶっこんでまで作者が出したかった妄想武器。だって手持ちガトリングは男のロマンだもの)。

なおお代はアタッシュケースの中に文字通り『消えて』しまうので、魔法を使用する前にその何割かを手数料として頂いている。


おまけ2


短編『ナブカ・ラプソディ』

※クラムベリーの設定およびねむりんの解説は、ほぼ全て設定捏造というか独自解釈というか要するに適当ぶっこいてるぽん。公式と違ってても生ぬるい目でスルーしてほしいぽん。

※『このラノ文庫』繋がりでちょっとしたクロスオーバーがあるけどストーリーにがっつり絡ませるわけではないので許してぽん。

※なおねむりんの扱いがほぼフレディぽん。

◇■■■■■


暗い暗い森の中。
夜 闇にぽつんと佇むうち捨てられた廃墟の軋む扉を開き、中に入ったクラムベリーは、念のため周囲に超音波を放ち誰もいないことを確認して、ようやく変身を解いた。

「……っ」

途端、羽のように軽く感じていた身体に自重の負荷がずしりと圧し掛かる。葉のこすれる音さえも鮮明に聴こえるほどに鳴り響いていた無数の音が遠のく。月明りを頼るまでもなく果てまで見通せたはずの暗闇は途端にその濃さを増し、視界を夜のヴェールで覆い尽くした。

魔法少女からただの人間に切り替わるこの瞬間だけは、何度経験しようとも不快なものだ。
全能感すらも感じるほどの力が消えて、心身共に脆弱な状態になるこの喪失感と不快感に耐え切れず、中にはずっと魔法少女に変身し続けている依存症じみた者達もいるというのも納得できるというもの。

かくいう自分もまた似たようなものか。
人間に戻った時から苛まれる猛烈な空腹感と眠気に小さく舌打ちしつつ、■■■■■は幾日かぶりの食事の準備に取り掛かった。

一般的に魔法少女には寝食が不要というのはよく言われる事であるが、それは正確ではない。より正しく言うのならば『魔法少女の体』は確かに寝食はいらないが『人間の方の体』には必要である、だ。

魔法少女の体に切り替わっている間、本来の人間の体は休眠状態となる。なお代謝速度も低下し老化が遅くなるため一部では魔法少女アンチエイジングなどとも呼ばれているが、それでも時間が止まっているわけではない以上、睡眠と食事を摂らなければいずれは餓死してしまう。
なので魔法少女は特殊な例を除いて全員が定期的に人間の体で寝食を摂らねばならず、あの魔王パムですらその仕組みからは逃れられない。

そしてそれは、魔法少女が最も無防備となる瞬間である。たとえどれほど強大な力を持とうとも、ただの人間の状態であるならば容易く屠ることができる。ゆえに自分のような誰に狙われるかの心当たりが多すぎる魔法少女は、完全に安全が確認できるような場所と時間に変身を解き寝食を摂るのだが、今回は少々事情が違った。

『ねむりん』がいたからだ。
いつもチャットルームにいて、ほわほわとした表情と雰囲気で場を和やかにする――夢の世界を支配する魔法少女ねむりん。
そんな彼女が有するのは、数ある魔法の中でも最上級の一つである『空間支配』タイプの魔法だ。その中でも特に、ねむりんのそれは規模と支配力――そして脅威度においては規格外だった。

自分の意のままになる空間を持つこのタイプの魔法を相手にするのに、最も有効かつ唯一の選択肢はその空間に入らないことである。地形どころか物理法則すらも意のままになるフィールドでは、相手から受ける魔法そのものを完全にシャットアウトでもしないかぎりどうやっても勝負になるはずもなく、ゆえにいかに相手の空間に引きずり込まれることなく戦えるかが鍵となるのだが、ねむりんが支配するのは『夢』。
この世に生きるあらゆる生き物が絶対に逃れられぬ『睡眠』という行為をすれば必ず入らざるおえない空間なのだ。かといって生物である以上、眠らなければ死んでしまう。

夢の中で戦えば死。戦いを避けても睡眠不足による衰弱死。
仮にねむりんが敵に回った場合、彼女は自ら手を下す事すらも必要ないだろう。どこか絶対に安全な場所にでも閉じこもっていれば、相手は勝手に死ぬのだから。
こちらが眠る前に、ねむりんの精神が籠城生活に耐え切れず外に出る事を期待しての我慢比べも現実的ではない。
何故なら、ねむりんは暖かいベッドと美味しいおやつとネット環境さえあればこの世の終わりまで閉鎖空間に引きこもれる反社会的種族ヒキニートなのだ。

ゆえにねむりんが生きている間、■■■■■は決して眠らず、ねむりんが死亡し死後にも魔法の影響が残っていないか確認できる今日まで寝食を摂らなかったのだ。
そしてようやく久方ぶりの食事を味わい、だが舌鼓を打つこともなく単なる栄養補給でしかないとばかりに事務的に終わらせた後、■■■■■■はベッドに寝転がった。

そうして訪れるのは、静かで、何もない空虚な時間。いつもならば夜が明けるまで一つだけ置かれたピアノでも弾いて無聊を慰めるのだが、魔法少女時とは指の長さも聴力も異なるこの体ではそんな気にもならない。かといって唯一の話し相手となるファブには、魔法の国へ提出する試験の中間報告書作成を押し付けているので今は電子空間内でデスクワークにかかりきりだ。

小さく息を吐き、■■■■■は枕元に置いてあった、表紙に『大詩人柏木の大詩集』と書かれた文庫本サイズのノートを手に取ると、仰向けに寝転がったまま気だるげに開いた。
何も語ることなく、安っぽいノートに書かれたいくつもの詩に目を通していく。
そうしてしばらく、ページをめくる音だけが廃墟の静寂に響き、やがて最後のページを読み終えた■■■■■は、詩集を再び置いてから明かりを消し、瞼を閉じた。



『ねえねえクラムベリー。今度夢の中に遊びに行っていい?』
『何ですかいきなり』
『ほらねむりんって大体の魔法少女の夢に入ったことはあるけど、クラムベリーはまだだからさあ。名深市で唯一の夢の中担当魔法少女としては一度くらいはお邪魔したいなーって』
『夢とはいえプライベートな空間に立ち入られるのは遠慮してほしいのですが』
『もちろんただでとは言わないよ。ねむりんの力でとっても楽しい夢を見せてあげるよ』
『結構です』
『やったーありがとう』
『NOという意味の結構です』
『ぶーケチー』
『貴女が気安過ぎるんですよ』
『つれないなあ。でも気が変わったらいつでも声をかけてね。怖い夢を見た時はねむりんを呼べばいつでも参上して最高の夢にしてあげるよ』



瞼の裏の闇の中で、ふと、いつかの記憶が浮かんでくる。
たしか、ねむりんとチャットルームで二人きりだった時、交わされたやり取りの一つだったか。
『楽しい夢を見せてあげる』とねむりんは言っていたけれど、結局一度も招くこともなく夢の魔法少女は脱落した。
それをもったいないとは思わない。
楽しい夢を見ることなどとうの昔に――あの時から諦めているのだから。
夢に見るのはいつも同じ。何度眠ろうとも、どれほど時が経とうとも

「私が見る夢など、決まっています……」

夜の闇が、彼女を包む。
押し寄せる静寂が、セカイを満たしていく。
意識がだんだん、深い底に沈みこんでいく。
ああ、ここはとても静かで、誰もいなくて……なにもみえない……ほんとうに、くらく……くらい……。


ぞわりと、闇の中で何かが蠢いた気が、した。

「――――っ!?」

違う。気のせいだ。
ここには誰もいない何もいないいるはずがないんだ!

乱れる鼓動と震えだそうとする体を自ら抑えつけるようににかき抱いて、胸の奥底から溢れようとしているものに耐える。

ああ……寒い。
夜はこんなにも、肌寒かっただろうか。
こんなにもくらくて、しずかで、■■しいところで、わたしは……。

「そうた、さん………」

気が付けば小さな唇が、彼の名を呼んでいた。
自らの片頬――今夜、彼の刃を受けた場所に――そっと触れる。
傷つけられたのは魔法少女の体であり、人間の方のそこには何の痕も無い。しかし、そこに触れていると、あの時の刃の感触が、肉を裂かれる熱い痛みが、触れる指先から蘇ってくる。
己を全力で殺しにくる相手と対峙する緊張感と、血が沸き立つような興奮。蘇る戦いの愉悦が、耐えがたい寒さを身の内から温めてくれる。怯える鼓動を悦びのリズムにしてくれる。

独りきりの闇の中で、小さく名を呼び続ける声は……やがて、微かな寝息へと変わった。

Fin

※なお詩集は異世界の小樽で購入。


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僕とあなたの間に壁

◑<半年以上ぶりの更新なので作者も前回までの細かい伏線とか覚えてない部分があるぽん。設定の矛盾とか描写がアレなところがあっても生暖かい目でスルーしてぽん。


 ◇ヴェス・ウィンタープリズン

 

 

 亜柊雫(あしゅうしずく)はその人生において、それなりの人数と男女の交際をしてきた。

 その「王子」や「プリンス」などと称されるほどの人並み外れた中性的な美貌、175センチの恵まれた八等身に似合うボーイッシュなスタイル、ノーブルな雰囲気は男女問わず魅了し、誰もが彼女との交際を望んだ。

 

 だが、ならば雫が恋多き女かというと、否と言わざるおえない。

 そもそも付き合った理由も多くは相手の熱意に根負けした結果であったりと、雫の方から交際を申し込んだ事は一度たりとてなかったのだ。

 

 いくら言葉を交わし、幾度身体を触れ合わせようとも、その心までは誰とも重ねない。雫にとって恋情とは向けられるだけのもの。拒みはしないが、さりとて返す事は無い。そんな真の意味で己に振り向かない雫に耐え切れず、やがて誰もが長続きせず別れていく。己の下から去り行く彼や彼女らを、雫は誰も引き止めなかった。悔いは無く、未練など抱かず、ただ「ああ、またか」と思う……それだけだ。

 

 だから雫は、恋多き女などではない。

 いや、むしろ──誰もを魅了し恋に落とす彼女こそが、本当の『恋』を知らなかったのだ。

 

 

 

羽二重奈々(シスター・ナナ)』に出逢う、その瞬間までは。

 

 

 

「どうしても、行くのかい?」

 

 マンションのベランダから差し込む夕日に照らされて、黄昏の色に染まる二人きりの空間。二人で半同棲生活をしている愛しい奈々の部屋で、雫は憂いを帯びた声で向かい合う恋人に問いかけた。

 

「はい。もちろんですよ雫」

 

 形の良い眉を曇らせる自分とは対照的に、その体付きと同様に柔らかな笑顔で答える奈々。

 普段ならばそれを見ただけで心が満たされる愛しい笑みも、今この時ばかりは雫を癒さなかった。むしろその聖女のような笑顔が苦悶に変わるかもしれない絶望(かのうせい)を思えば、胸が締め付けられてしまう。

 

「考え直す気は無いんだね?」

「はい。せっかくスイムスイムの方から連絡していたたけたのですから、これは私たちの考えに賛同して貰えるか、そのために話し合いたいという事だと思うんです」

「スイムスイムが、か……」

 

 スイムスイムから会いたいと連絡が来たのは、昨夜のことだった。

『話があるから明日の夜9時に王結寺に来てほしい』、そのメッセージを目にした時、ようやく自分達の考えに賛同する魔法少女が現れたのだと喜ぶ奈々とは裏腹に、雫の胸中は強い不安と不審を覚えていた。

 

 スイムスイム。

 雫の記憶において、彼女はいつもルーラの傍に家来のように控えている姿しかほぼ見たことがない。天使のように優しいシスターナナに対してすら高圧的な態度をとるいけ好かないルーラにこき使われているのに、不満に思っているのかそうでないのか淡々と従い、その感情の色に乏しい瞳の底で何を考えているか全く読めない、そんな得体の知れない魔法少女だった。

 加えて、ルーラが脱落する直前に行った大量のマジカルキャンディーの無償提供という不可解すぎる行動を考えれば、その後のルーラの脱落には彼女が関わっている可能性すらある。

 

 あるいは先日戦った森の音楽家クラムベリ──―あの度し難い戦闘狂のように、スイムスイムもまたキャンディーによる生存以外の目的で動いているのか……。

 いずれにせよ、危険だ。

 安易に関わっていい相手ではない。

 もしもスイムスイムの目的が危険な物であった場合、このキャンディーの奪い合いが更なるカオスとなるかもしれないのだから。

 

 けれど──

 

「お願いします雫。私の身を案じるあなたの気持ちは痛いほど分かります。けれど、それでもこの殺し合いを止めるための希望(かのうせい)があるのなら、私はそれに賭けてみたいのです」

「奈々……」

 

 自ら茨の道を行こうとする恋人を、雫は強く止める事ができなかった。

 

 その思いを語る声に、一片の迷いも無く。揺れ動く雫の瞳に向けられるのは、揺るがぬ強い意思の眼差し。そんな彼女の姿は、まさに今起こる悲劇を憂い、身を挺してでも止めようとする慈悲深い聖女のそれ──そう、『雫には』思えたから

 

『他の魔法少女などどうなってもいい。それで君が傷つくかもしれないなんて耐えられない』

 

 その言葉(おもい)が、どうしても口に出せない。

 他者を救おうとする奈々の思いに比べれば余りにも身勝手な己だけのエゴ。そのために彼女の尊い意思を止める事は、何よりも罪深いと思えたのだ。

 

「……分かったよ。奈々」

 

 ゆえに、雫は小さく息を吐きながら奈々の王結寺行きを許した。

 諦めではない。自分の独占欲交じりの浅ましい思いよりも、奈々の清らかな思いをこそ認めたがためだ。

 

「雫……ありがとうございます」

「奈々のためだ。君が茨の道を進むというのなら、私はそれを支えるだけさ」

 

 だがやはり危険が潜む事に変わりはなく、たとえスイムスイムとの和解が成ったとしても、クラムベリーやカラミティ・メアリといった絶対に分かり合えないだろう者たちがいずれ奈々の前に立ちはだかるだろう。

 ゆえに、己も共に征こう。

 

 君が躓きそうになったら、隣で支えよう。

 君を傷つけようとする者がいたら、前に出て戦おう。

 いつも傍らに。決して離れはしない。

 君に微笑んでほしいから。君が望むのなら、理想の『王子様』として振る舞ってみせる。

 

「奈々は私が守るよ。絶対にね」

「はいっ……守ってくださいね。雫」

 

 頬を鮮やかに染め感極まったように抱き着いてくる恋人を優しく受け止める雫。その脳裏にふと、かつて自身が言った台詞が蘇った。

 

 

 ──大切な人のためなら、魔法少女はどこまでも強くなれるんだ。

 

 

 それは、自分と同じように愛しい人のために強くなろうとする騎士へと送った言葉。

 ルーラ脱落後しばらく経った頃から彼女とは連絡が取れていないが、はたして無事なのだろうか……。

 

 愛しい人の温もりを感じながら、雫は姉弟子にして同好の士であるたった一人のモンスターフレンド──ラ・ピュセルへと暫し思いを馳せるのだった。

 

 

 ◇ラ・ピュセル

 

 

 ──小雪

 ──聞こえる? 

 ──聞こえていなくてもいいか……。しょせん、これは僕の独り言だ。

 ──これから僕はね、とても酷い事をするんだ。

 ──シスターナナとヴェス・ウィンタープリズンを、殺すんだ。

 ──君に生きていてほしいから。クラムベリーを殺す前に、僕は死ぬわけにはいけないから。

 ──僕達にいつも優しくしてくれて、色々な事を教えてくれたあの二人を、僕は自分の目的のためだけに殺すんだよ。

 

 ──酷いだろ。醜いだろ。人間の……いや、清く正しく在るべき魔法少女のやることじゃないっていうのは……痛いほど分かってるさ。

 ──優しい君は、きっと悲しむよね。あの二人を殺す僕を……許さないよね。

 ──……うん。それでいいよ。

 ──正しい魔法少女なら、それでいいんだ。

 ──身勝手な理由で誰かを傷つける悪い魔法少女なんか、許しちゃいけない。

 

 ──でももし、私のせいだなんて君が思うのなら、それは違うよ。

 ──僕がこれから犯す罪も、悪も、君のためなんかじゃない。

 ──僕はただ僕のために、『君がいない世界なんて耐えられない』なんて度し難い我が儘で、望んで地獄に堕ちるんだ。

 

 

「それじゃ、いってくるよ……」

 

 答えが返ってくることのない独り言をそう終わらせて、僕は小雪が眠る冷たい病室から去る。振り返ること無く。ただ今宵の戦場へと向かう。

 

 そして彼女が入院する病院から西門前町へ着いた頃には、黄昏の空には夜の帳が下りて、赤い夕陽に代わって白い月が静かに王結寺の朽ちた姿を夜闇に浮かび上がらせていた。

 

 とうに打ち捨てられた荒れ寺には街灯の類は無く、いくつかある灯籠も明かりを灯すことなく闇の中に寂しく佇んでいる。常人なら足元を見る事すら覚束ないだろう暗い境内を、だが人ならざる夜目を持つ魔法少女へと変身した僕は淀みない足取りで進み、本堂へと辿り着く。

 そして本堂の扉を開けると──目に飛び込んできたのは、修道女を思わせる魔法少女の穏やかな微笑みだった。

 

「シスターナナ!?」

 

 目の前に確かに立つ、いるはずのない人物に驚きの声を上げてしまう。

 

 何故だ。作戦決行の時間はまだ先のはず。なのになんでこの人がいる? 

 まさか何かハプニングが? シスターナナがいるならウィンタープリズンはどこだ? 

 

 完全に想定外の遭遇にいくつもの思考が脳裏を駆け巡る。今にもパートナーであるウィンタープリズンがどこからか襲い掛かってくるのではと警戒し、顔を強張らせる僕の姿にシスターナナは──ぶほっと噴き出した。

 

 微笑を浮かべていた唇から盛大に空気が漏れ、続いて響くのはしてやったりという笑い声。普段の穏やかな表情とは真逆のおちゃらけた軽薄そうな笑顔に、僕は覚えがあった。

 

「いえーいドッキリ大成功~!」

「やったね~ユナ!」

 

 今まで隠れていたのか、どこからか飛んできた(文字通り)そっくり同じ笑顔を浮かべた三等身の天使──魔法少女ミナエルと陽気にハイタッチを交わすシスターナナ。──いや、

 

「もしかして、ユナエルか?」

 

 今だ半信半疑で問いかけると、シスターナナ──の姿をしたユナエルは、これ以上ないドヤ顔でどっしりとした胸を張った。

 

「そうだよー。でも最初は完全に騙されてたでしょ?」

「ああ。すっかり騙されたよ。……人間にも変身できたのか」

 

 ユナエルの魔法を見たのは二度目だが、最初に見た時に変身していたのはカラスだった。あの時も本物のカラスだと思って騙されたが、今目の前にいるシスターナナは頭では偽物だと分かっていても、やはり本物にしか思えないほど精巧な変身だ。

 とはいえ本人ならば絶対にやらないだろう、得意気になって踏ん反りがえった姿で色々と台無しになっているのだが……。

 

「それにしても大したものだな」

「でしょでしょー」

「ラ・ピュセルにも分からなかったならウィンタープリズンも騙せるね。ユナ」

「ウィンタープリズンを?」

「そうそう。今夜の作戦はウィンタープリズンを上手く騙せるかにかかってるらしいから、まずはあたし達の中で一番シスターナナと付き合いのあるアンタでテストしたってわけ」

 

 なるほどと思い、改めてシスターナナに変身したユナエルの姿をまじまじと見る。

 ふわりと緩くウェーブした髪も、修道服をモチーフとした露出の多い衣装も細かな細工までそのままだ。そして女性らしい包容力を感じさせる豊満なスタイルもまた……いや、これは

 

「……しいて言うなら、少し小さいかな」

「げっ、マジ?」

「えっ、どこが?」

「(……ハっ!?) っと……まあその張りというか重量感というか……っ……まあ全体的なバランス的な印象かなっ!!」

「なんかしどろもどろになってね?」

「目が泳いでるような気がするけど?」

「いや気のせいだから!」

 

 思わず口から出てしまった台詞がどの部分を指しているのか慌てて誤魔化す僕を、ピーキーエンジェルスの二人はしばし訝しげな眼で見ていたが、すぐに互いに顔を付き合わせての検討会を始める。

 

「小さいだってお姉ちゃん」

「でも言われてみれば確かにちょっと痩せてるかも」

「えーそうかなー。アタシ的にはこれがジャストサイズだと思うけど。──じゃ、こんなカンジでどう?」

「いやそれじゃ太過ぎだから!? ボンレスハムみたいになってるから!」

「案外こっちの方がウィンタープリズンの気を引けるかも」

「ないないこれで気が引けるとかどんなデブ専だっつーの」

 

 それは一見すれば軽口を叩き合っているだけのように見えるが、色々な意味でボリュームが増したシスターナナとなったユナエルの姿を、ミナエルが文字通りつま先から頭のてっぺんまで念入りに確認するその瞳は真剣そのもの。改善点があれば指摘し、互いに相談し合うその姿は、口調の軽さとは裏腹に全力で事に当たる者特有の緊張感すらも漂っていた。

 

「意外だな」

 

 そんな二人に、思わず声を漏らす。

 

「え、何が?」

「お前たちが思った以上に真面目にやってるというのが意外だった」

 

 正直、不真面目とはいかないまでも多少は遊び交じりなんだろうと思っていた。いつもおちゃらけている彼女らなら、この殺し合いもゲームの延長感覚で楽しんでいてもおかしくはない。そう考えていたのだ。

 そんな僕の考えを知った双子の天使は心外だと声を荒げて、

 

「シツレーな事言わないでよ!」

「言わないでよ!」

 

 甲高い抗議の声すらユニゾンさせ、言った。

 

「「わたしが頑張らないと「ユナエルが」「お姉ちゃんが」死んじゃうんだよ!!」

 

 互いを指さしながら叫んだその言葉に、頬を思い切り叩かれた気がした。

 物理ではない精神的な衝撃に言葉を無くす僕の前で、ピーキーエンジェルズは言う。

 

「そりゃドンパチは痛いし怖いし疲れるし正直かったるいけど──ユナが死ぬのはもっと嫌だし」

「私も生き残れたとしてもお姉ちゃんと一緒でなきゃ駄目だし」

「ていうか生まれてからずっと一緒なんだから、今さら一人きりになるなんて考えられない」

「というか考えたくない」

「ユナを守るためなら大統領だってぶん殴ってみせるよ」

「お姉ちゃんマジクール」

「だってユナのお姉ちゃんだもん」

「お姉ちゃんマジベストシスター」

 

 同じ朗らかな笑みを浮かべ、親愛の眼差しを向け合う双子たち。

 そこには一切の嘘も偽りも無く。

 目的のためならば他者を傷つける事など躊躇わない悪党なのだが、それは確かに互いを守ろうとする姉妹の姿だった。

 

「──すまない。今の言葉は忘れてくれ。……君たちを侮辱したことを謝るよ」

 

 僕は、頭を下げる。

 

「ふふんっ。分かればいーのよ」

「いーのよ」

 

 謝罪する僕にお揃いのドヤ顔で言って、ピーキーエンジェルズは再び変身の練習に戻った。

 スタイルや顔の作りが微妙に異なるシスターナナに何度も変身を繰り返し、互いに意見を交わして話し合う。仲睦まじく、だがハッとするほど真剣で、何としても二人で生き残ろうという意思が伝わるその姿に、改めて双子の絆の深さを感じていると

 

「ユナちゃんの変身は本当にすごいよね。私も全然わからなかったよ」

 

 不意にかけられた可愛らしい声に目を向ければ、何時の間にいたのか、たまが僕の隣に並んで大きな瞳に感心の色を浮かべ双子たちを眺めていた。

 

「もしかしてたまもやられたの?」

「うん。びっくりしてひっくり返っちゃった」

 

 なるほど。偽シスターナナとばったり鉢合わせして『うにぁっ!?』と悲鳴を上げる光景が目に浮かぶようだ。

 その時のことを思い出してか、柔らかな頬をほんのり赤くして恥ずかし気にテヘヘと苦笑いするたまだったが、

 ふと気遣わしげな表情で僕の顔を見つめ

 

「……その、大丈夫?」

 

 小さな眉を下げて、心配そうに聞いてきた。

 

「大丈夫って……僕がかい?」

「えっと、今日のラ・ピュセル。何だか顔が強ばって、ぴりぴりしてる……? ううん。無理してる……でもなくて……えっと、とにかく何だか苦しそうな気がしたから」

 

 たどたどしく、それでも一生懸命に思いを伝えようとするたま。

 自分の感じた事を上手く言葉にしようと頑張る、そんな彼女の姿に、僕はふっと笑みを漏らす。

 

「そうか。……うん。そうかもね」

 

 これから、戦いが待っている。

 魔法少女アニメのようなキラキラした勇ましい物ではない、どこまでも醜く血生臭い命のやり取り。紛れもない殺し合いが。

 ゆえにほどよい緊張感を持って臨もうとしていたが、どうやら自分が思っていた以上に張り詰めすぎていたらしい。

 

 それは、不味い。

 過度な緊張はかえって心を乱し、焦りを生む。そんな精神状態で勝てるほど、ヴェス・ウィンタープリズンは甘くない。

 

 だから僕はその場で目を閉じ、すぅ……っと深く息を吸い、吐く。

 色即是空。空即是色。心の中でお経の一節を唱えながら。

 いつもどうしても乱れる心を鎮めるためにそうしてきたように。これは余計な力を抜き、精神を整える一種のルーティーンのようなものだ。

 それを一通り終えれば、心なしか、ほんの少しだけ楽になれたような気がした。

 

「ありがとうたま。君の言う通り、少し張り詰めすぎていたみたいだ」

「それは仕方ないよ。だって……」

 

 漏れた言葉を最後まで言えずに、顔を曇らせ俯くたま。

 知っているのだろう。シスターナナ以外には割りと素っ気ない態度をとる事が多いウィンタープリズンが、僕とだけは比較的親密であることは、チャットルーム内のやり取りでも分かるだろうから。

 だからこそ、この小さな優しい魔法少女はこれから親しい人と戦う僕に気を使ってくれているのだ。

 

「……──ッ」

 

 そんなたまは何かを言おうとして、だが──堪えるようにそれを胸の奥へと飲み込み、開きかけた淡い唇をきゅっと引き締めた。

 かわりに俯いていた顔を上げ、僕の瞳をしかと見つめて

 

「私、頑張るから……っ!」

 

 そう、言った。

 小さなお尻でプルプル震えながらもピンと立った犬尻尾と、ハッとするほど真っすぐな眼差しで、その意志の強さを伝えながら。

 

 ……ああ、まったく。

 

 きっと、まだこの娘自身は他者を傷つける事に抵抗を抱いているんだろう。たとえ生き残るためでも、自分が、そして仲間達が誰かを犠牲にするのは、とても怖くて哀しい事だと誰よりも知っているから。

 

 だがそれでも、その全てを飲み込み背負って、たまは戦場(ここ)にいる。──大事な仲間を守り、共に生き残るために。

 

 僕を止めない優しさと、そして強さに、強張っていた口元に自然と微かな笑みが浮かぶ。張り詰めた胸に生じた温かさを感じながら、僕は、この臆病で、そして強い魔法少女の思いに応えた。

 

「うん。頑張ろう。一緒に」

 

 共に戦おうと。この血塗られた夜を、痛みと苦しみを共に分かち合おうと。

 目の前の魔法少女と同じ強い意志を以て、その瞳をしっかりと見つめながら。

 

「──そろそろ、時間」

 

 氷の海に吹く寒風のような、冷たくも澄んだ声。

 精神を統一していたのか、あるいは何か思索にふけっていたのか、それまで氷像のごとく静かに最奥で佇んでいた白い魔法少女──スイムスイムが、その赤紫の瞳で己が部下である僕達を見、告げる。

 

「もうすぐここに、シスターナナとヴェス・ウィンタープリズンが来る」

 

 瞬間、走る緊張。堂内の空気が張り詰め、たまの細い喉が首輪越しにゴクリと音を鳴らす。

 ピーキーエンジェルスですらいつもの軽薄な笑みを消し、真剣な表情でスイムスイムの言葉を聞く。

 

「作戦は前に伝えたとおり。まずは……──」

 

 それぞれに顔を引き締める部下達に対して、昂らず緊張の色も見せず、ただ冷徹なまでに淡々と作戦事項を伝えるスイムスイム。

 だがその瞳の奥深くでは、迷い無く突き進む意思、屍を積み上げて夢見る高みへと至らんとする覚悟が静かに燃えていた。

 

 そんな彼女の声を聞く僕の身体が、ぶるりと震える。微かに、だが確かに。

 これは、武者震いか。それとも……──いいや、もう関係ない。

 皆は覚悟を決め、己が望みのために力を尽くし、その役割を果たそうとしているのだ。

 

 ならば僕もまた戦い、斃すのみ。

 

 決意を込めて握った拳が、低く獣のごとき唸りを上げた。

 

 

 ◇ヴェス・ウィンタープリズン

 

 

 嫌な場所だ。

 辿りついた王結寺の門前で、ヴェス・ウィンタープリズンは形の良い眉を微かに顰めた。

 周囲に民家は無く、街灯も遠く、人々の営みからはとうに捨て去られ、夜の闇だけが門の向こうに黒々とわだかまっているようなそこ。

 

 この不穏な不快感は、覚えがある。

 肌が粟立ち、背筋にぞくりと走るこの悪寒は、かつてリバイバル上映された伝説的Z級ゾンビ映画を初鑑賞すべく軽い気持ちで映画館に入ってしまった時と同じ──決して入ってはならない危険地帯に足を踏み入れる感覚だ。

 

 あの時に味わった苦痛と絶望は、今でも己の胸に癒えぬトラウマとして刻まれている。

 ゆえに今すぐ引き返すべきだ。そう告げる本能的な危機感に従いたくなるのを、だがウィンタープリズンは堪えた。

 自分がそう望んでも、隣を共に歩く最愛の人が、決してそれを望まないだろうから。

 

「ナナ。気を付けて。くれぐれも警戒を怠らないようにね」

「はい。心配してくれてありがとうございます。ウィンタープリズン」

 

 警告に、柔らかな笑みを浮かべ頷くシスターナナ。

 豊満な肢体を包む修道服と相まって、その姿はまさに聖なる戦いへと赴く慈悲深い聖女のよう。

 見惚れそうになって、だがハッと我に返り、ウィンタープリズンは気を引き締めなおした。同時に、愛しい人に見惚れることもままならない現状を苦々しく思いつつ

 

「もしスイムスイムが少しでも妙な動きを見せたら、すぐに逃げる。いいね?」

「そなことは起こらないと思いますが」

「念のためだよ、ナナ。君の他人を疑わない心は素晴らしいけど、それが仇となる相手もいるんだ。……またクラムベリーの時のようにならないとは限らないからね」

「クラムベリー……ですか」

 

 シスターナナの表情は曇り、澄んだ声は憂いを帯びてその名を呟く。

 異形の薔薇を纏う森の音楽家。妖艶な美貌に凄絶な笑みを浮かべ、肉弾戦においては名深市の全魔法少女中トップクラスと自負する自分と互角に殴り合う──度し難い戦闘狂。

 

 呼びだした自分達に騙し打ち同然に襲い掛かり、なにより殺し合いを止め平和を望むシスターナナの理想を『くだらない』と言い捨てた事は、いま思い出すだけでも(はらわた)が煮えくり返るようだ。

 

「あの時は残念な結果に終わりましたが、叶うのならあの方とももう一度話をして分かり合えたらいいのですけれど……」

 

 悲し気に言う彼女を抱きしめ慰めてあげたくなるのをぐっと堪えて、歩みを進める。

 そして遂に、二人は本堂の障子戸の前へと辿りついた。

 その奥から感じる、濃密な気配。どんな獣よりも強く、常人とは比べ物にならない魔法少女特有の存在感に首の裏がひりつくのを感じながら、二人は戸を開き──足を踏み入れた。

 

 はたして燭台の明かりにぼんやりと照らされた薄暗い堂の中に──スイムスイムはいた。朽ちて所々が破れた御簾を背に、相も変わらず心中の読めない茫洋とした瞳をこちらに向けて無言で佇む白い魔法少女。その不気味な様子に警戒を崩さないウィンタープリズンとは対照的に、シスターナナは一片の疑念も抱かない無い柔らかな笑みのまま、スイムスイムの下へと近づいていく。

 

「お邪魔します。お久しぶりですスイムスイム。先日はキャンディの贈り物をありがとうございました」

 

 そう感謝の言葉と共に足を進めていくあまりにも無防備な姿に、さすがに引き留めるべきかと思ったその瞬間、静かに閉じられていたスイムスイムの唇が僅かに開き──凄まじい悪寒が背筋を貫いた。

 

「ッ……止まれ! スイムスイム!!」

 

 何か、途轍もなく嫌な事が起こる。そんな予感に咄嗟に前に出、シスターナナの盾となるようにスイムスイムの前に立ちはだるウィンタープリズン。だが

 

 

 

GО(ごー)

 

 

 

 守るためとはいえシスターナナから一瞬でも視線を外したそれが──致命的な失敗であった事を、背後から響いた何かがぶつかり床に倒れる音と短い悲鳴で知る事となる。

 

「ナナ!?」

 

 何事かと振り向いたウィンタープリズンの瞳が驚愕に見開かれる。その瞳に飛び込んできたのは、豊かな肢体を床に倒し──重なり合う二人のシスターナナの姿。

 十字の浮かんだ瞳を驚きと困惑で揺らすシスターナナ。そしてその上に圧し掛かるのもシスターナナ。

 同じ顔。同じ衣装。同じ姿。

 

 ナナが二人!? 何だこれは……ッ。幻覚? 分裂? まさか何かの魔法にかけられて──ッ

 

「助けて! ウィンタープリズン!」

 

 困惑する思考。焦燥する感情。

 上にのし掛かっていた方のシスターナナが縋り付いてきても、混乱の極致にあるウィンタープリズンは咄嗟に抱き留めることもできない。

 心も、身体も、まるで渦潮に飲まれ水底へと引きずり込まれていくように、成す術もなくスイムスイムの策略に沈んでいき──激しい痛みが、乱れる思考を白く焼いた。

 

 胸元に生じた、悍ましい異物感。硬く鋭い物に自らの肉を抉られ、押し広げられる感触。戦慄く唇が、灼熱にも似た激痛と共に喉他奥からせりあがってきた血を吐いた。

 

「か──はッ……ぁ……!?」

「ひ──っ!?」

 

 突然の惨劇に、押し倒されていた方のシスターナナが引き攣った悲鳴を漏らして口元を両手で覆う。一方、それをなした方のシスターナナは凶器のサバイバルナイフをウィンタープリズンの腹部から引き抜き、ニヤリと残酷な笑みを浮かべた。

 躊躇いや後悔など一片たりとも無いそれは、断じてウィンタープリズンの愛する心優しい彼女の笑みではない。

 

 つまりは──偽物か……! 。

 そう悟った瞬間、まるでトリックのタネを披露するかのように偽りのシスターナナと彼女が握っていたナイフが光に包まれ、子供ほどの背丈を持つ片翼の双子天使へと姿を変えた。

 

「「やったーやったーやったったー!」」

「うあああああああああああッッ!!」

 

 堂内に響く、楽しげに宙を舞いながらハイタッチを交わすピーキエンジェルスの歓声と、絶望に染まったシスターナナの悲鳴。

 愛する者のそれが痛みと驚愕に掻き乱されていた精神を引き締め、ウィンタープリズンに次の行動を決めさせた。

 

「そういうことか……逃げろ!」

 

『守らなければ』

 

 それは己が痛みよりも命よりも何よりも大事な信念(おもい)。ゆえにウィンタープリズンは『何もないところから壁を出せる』魔法を発動させ、丁度入り口の手前にへたり込んでいたシスターナナを出現させた石壁によって強引に外へと押し出した。

 

「きゃっ!?」

 

 突然の衝撃に、短い悲鳴を上げながら壁の向こう側へと姿を消した恋人に心の中で謝りながら──覚悟を決める。

 これでひとまずはシスターナナの無事は確保できたと思っていいだろう。彼女には前もって、もしもの時は自分に構うこと無く逃げてくれと伝えてある。

 ならばここからは、己が殿(しんがり)となってこいつらを相手にするのだ。絶対に彼女を追わせてはならない。追わせはしない。

 たとえこの命と引き換えにしようとも、彼女を害そうとする奴は全員──皆殺しだ。

 

 バチバチバチィッッッ!!

 

 文字通り血を吐きながら行った大出力の魔法の発動に、緑に輝く魔力を電流のごとく迸らせながら複数の壁が出現。凄まじい勢いで床からせり上がったそれらは宙にいた双子の天使を囲み、覆い、驚愕する双子を自分ごと重厚な檻として閉じ込めた。

 

 

 ◇ミナエル

 

 

「閉じ込められた!?」

 

 薄闇に閉ざされた内部で、互いに同じ顔を見合わせるピーキーエンジェルス。

 周りの壁は見るからに厚く隙間無く、可愛らしくデフォルメされた天使というその見た目に違わず非力な彼女達の筋力ではどうすることもできない。

 ハンマーかツルハシ……いや、いっそ自分がドリルにでも変身して壁を貫くか……ッ。姉のミナエルが焦る頭で思考を走らせたその時──

 

「──っ!? 逃げて……!」

 

 鋭い声とともに伸びてきた小さな掌に突き飛ばされた。

 一体何事かと妹へ目を向けた直後、切羽詰まった表情を浮かべたユナエルが──その顔面を黒いグローブに包まれた手に鷲掴みにされたのを見た。

 

 ヴェス・ウィンタープリズンだ。 

 小さな頭蓋を締め付ける全魔法少女中トップクラスの握力に、堪らず苦悶を浮かべるユナエル。だが石牢の主の手は決して緩まない。ギリギリと音が鳴ろうが容赦無く力を込めるその顔は、さながら修羅の如く。

 殺意に燃える瞳には、妹の絶望に染まった顔が映っていた。

 

「感謝する。お前が彼女の姿のままだったら……」

 

 その瞳を見た瞬間、全身から血の気が引き、ひっ、と引き攣った悲鳴を漏らしてしまう。

 初めて間近で浴びせられた、濃密な殺意。

 手が、足が、凍り付いたように動かない……ッ。

 

 いや、駄目。

 動け動け動け! 

 このままじゃユナエルが! 優奈が! 

 助けなきゃ。何でもいいどうにかして妹を助けなきゃいけないのにッ。なんで、私はッ──

 

「偽物だったとしても手出しできなかっただろう」

 

 心は動けと叫ぶのに、竦む身体が言うことを聞かない……ッ。

 ウィンタープリズンの腕に更なる力が──捕らえた罪人(えもの)を処刑すべく込められる。

 だが自分は何もできず、助けに動くことも叶わぬまま、一瞬後には妹の頭蓋が血飛沫を散らせて潰される──その直前、

 

 床板を突き破った白銀の鉄塊が、視界を覆い尽くした。

 

 

 ◇ヴェス・ウィンタープリズン

 

 

 その瞬間、ヴェス・ウィンタープリズンが咄嗟にユナエルを掴んでいた手を放し腕を引いたのは、全くの直感だった。

 根拠があったわけでも予測していた訳でも無い、ただゾクッと首筋に走った悪寒のままに行動し──それが巨大な刃に腕を切断されるという危機を寸前で回避する結果となったのは、やはりウィンタープリズンが並々ならぬ戦う魔法少女である証であった。

 

 だが、そんな彼女ですら──新たに現れた魔法少女を目にした瞬間、驚愕で全ての思考が停止した。

 

「なっ──!?」

 

 停止せざるを得なかった。

 何故ならそれは、床板を破壊し石の天蓋を穿ち抜いた巨大すぎる白銀の刃を──騎士の大剣をその手に握る彼女は、今この場にいるはずの無い存在なのだから……! 

 

「なんだと……ッ」

 

 目を見張り絶句すると同時に耳に届いたのは、小さく、だが不吉に鳴る、壁に亀裂が走る音。大剣によって内部から穿たれた石壁の檻が崩れ落ちようとする断末魔。

 ハッと我に返ったウィンタープリズンは素早くその場から飛び退き、直後、石牢は轟音と共に崩壊する。

 間一髪で脱出したウィンタープリズン。その見開かれた灰色の瞳の先に──破壊された壁の残骸の上で大剣を構える、魔法少女がいた。

 

 その姿を、ウィンタープリズンは知っている。

 

 黒く鋭い竜の双角を戴く亜麻色の髪。凛々しい騎士の鎧を纏う、艶やかで美しくも一切の無無く引き締まった肢体。

 

 ああ、知っている。今まで何度も見てきた。

 なにせシスターナナを除けば最も親しくしていたのだから。気の置けない姉弟子で、自分のただ一人の同好の士。誰よりも凛々しく理想の魔法少女になろうとしていた──竜の騎士。

 

 ああ、けれど。

 けれど、あの目は何だ? 

 あんな目を、彼女はしない。するはずがない。

 だってあれは、あれはあのカラミティ・メアリや森の音楽家クラムベリーと同じ──

 

「騙し討ちで斃せるのならと思っていたけど、やはりそんな小細工では討たれてくれないか……流石ですね。ウィンタープリズン」

 

 冷たく、剣呑で、底冷えのする──人でなしの瞳だ。

 

「やはりあなたを斃すなら──」

 

 豪! 

 

 凍り付いたような低い声に重なるは刃の唸り。振り下ろされ、自らを両断せんと迫る大剣をウィンタープリズンは半ば反射的に躱す。しかし振り下ろされた刃は床板を削りつつ跳ね上がり、間髪入れぬ斬り上げとなって再び襲い掛かった。

 

「僕がこの剣で、仕留めるしかなさそうだ」

 

 凄まじい速度で奔るそれを、咄嗟に身を捻ることで幾本かの髪が宙に舞うのと引き換えに何とか回避するも、その一太刀に込められた決して逃がさぬという殺意に背筋に冷たいものが走った。

 あと一瞬でも遅れていれば間違いなく胴体を斬りつけられていた。文字通りの間一髪。本気だ。本気でラ・ピュセルは、自分を殺そうとしている……ッ! 

 

「どういう事だ……君は……ッ」

 

 偽物ではない。

 続く横凪ぎを出現させた壁で防ぎながら目を向ければ、唯一変身能力を持つユナエルは殺される寸前だったショックから腰が抜けたのか、床で茫然としている。

 ならば幻覚かという半ば祈るような期待も、新たな一閃を受けた魔法の壁が激しく揺れる物理的衝撃が否定した。

 壁が砕ける。以前に組み手の延長で行ったラ・ピュセルとの模擬戦では砕かれるにしても二撃は耐えられた壁が、一撃で。

 

「くっ……ッ」

 

 壁を斬る隙に後ろへと飛び退き大剣の間合いから脱するも、顔にまで飛び散ってきた破片に顰めた目元に流れる冷たい汗。

 

 強くなっている。最後に会った時よりも確実に。

 最後に会った……──あの時の彼女は、決してこんな事をするような魔法少女ではなかった。

 清く正しく美しく、青臭いと思える理想像を真っすぐに語る、そんな魔法少女だった……ッ! 

 

「何故だラ・ピュセル! なぜ君がこんな事を……こいつらの味方をする!」

「問答は無用です」

 

 友だったはずの者に刃を向けられる困惑と動揺に堪らず叫んだ問いを、冷たく切り捨てるラ・ピュセル。

 その言葉と同じく容赦無き刃で、ウィンタープリズンが次々と出現させる壁を叩き割り、切り崩しながら

 

「一つだけ答えるのなら、ただ、僕の目的のために」

「目的……? ──ちっ!」

 

 更に問いかけたいが、迫る刃がそれを許さない。

 その歩みを止めるべく進路上に出した壁は両断され、ならばと横合いから斜めに飛び出させた壁もラ・ピュセルの身体を跳ね飛ばす前にフルスイングで叩きつけられた剣の腹で粉砕。

 そして驚くべきは背後を狙った壁への対処。彼女は振り返りもせず、太い尻尾を鞭のように振るい打ち払ったのだ。

 

 それは何度も組み手の相手をしてきたウィンタープリズンが一度も見たことの無い攻撃法。そして改めて観察すれば、その戦い方はかつてのラ・ピュセルが理想の騎士として考えた凛々しく見栄えのいい物ではなく、荒々しくもより実戦に特化したスタイルへと変貌しているのに気付く。

 

 一体、何があったというのだ? 何がラ・ピュセルをここまで変えた? 

 

 胸中を掻き乱すような困惑と焦り。

 大剣が閃く度に征く手を塞ぐ壁は斬り払われ、じりじりと、だが確実に彼我の距離を詰められていく。幸いにも狭い堂内で振り回す為かこれ以上刃を大きくは出来ないようだが、このままでは再び間合いに捕らえられるのも時間の問題か。

 ならば──ッ

 

 ガッ──ギギィッ……──! 

 

「なにっ……!」

 

 それまでの破砕音とは異なる鈍い衝突音と、硬い手ごたえに眉を顰めたラ・ピュセルの声。

 その大剣の刃は──二つに重なった壁にめり込んで止まっていた。

 二つの壁を重ね合わせるように同時に出現させた二重防壁。単純ながらも二倍の防御力は恐るべき大剣の斬撃を確かに受け止め、捕らえたのだ。

 すぐさま剣を引き抜こうとするラ・ピュセルだが、壁は主を守る役目を果たさんとばかりにがっちりと刃を咥え込み──結果、決定的な隙を作る。

 

 そしてこの好機を逃すほど、ヴェス・ウィンタープリズンという魔法少女は甘くない。

 

 刹那にも満たぬほどの間に精神を集中させ、大出力で魔法を発動。緑の魔力を迸らせ現れた壁が次々とせり上がり、ラ・ピュセルを取り囲む。それは先ほどと同じ光景に思えたが、完成した石牢をさらに覆うように新たなる壁群が出現。二重の壁が三重に、三重が四重に、四重が五重六重七重八重九重十重二十重……絶え間なく築かれる多重防壁が、竜の魔法少女をその堅牢なる内部に完全に閉じ込めたのだ。

 それはさながら、御伽話に語られる悪しきドラゴンを封じる牢獄か。

 

「……はっ……はぁっ、はあっ……がはッ」

 

 完成したそれを前に荒い息を吐くウィンタープリズン。

 その唇から、苦し気な呻きと共に僅かな鮮血が漏れる。

 腹部に深い傷を負いながらの魔法行使は、傷ついた肉体に大きな負担を強いたのだ。

 だが、この身を苛む痛みと疲労を癒すべく休息をとる暇などは、無い。

 

 なぜならば

 

「…………」

 

 まだ、終わっていない。

 自分とラ・ピュセルとの戦いを、底知れぬ深海のごとき瞳で静かに眺めていた白い魔法少女──スイムスイムが残っているのだから。

 

「…………」

 

 ピーキーエンジェルズは戦意喪失。ラ・ピュセルは封じられ、残るは自分一人となったというのに、その茫洋とした表情には、相変わらず何の感情も窺い知れない。

 焦りも、恐怖も、怒りすらも浮かべずに。その白魚のごとき細腕に握る槍とも薙刀ともつかぬ異形の凶器が、燭台の明かりに照らされて冷たく光るのみ。

 

 不気味だ。そして──危険だ。

 警鐘を鳴らす危機感が告げる。

 目の前の、この無機質な白を纏う魔法少女は、カラミティ・メアリや森の音楽家クラムベリーと同様に──いや、もしかしたらそれ以上に危うい存在かもしれぬのだと。

 

 すぐさま斃すべきだ。直感し、確信するも、

 

「……一つ、聞かせてもらおうか」

「なに?」

 

 殴りかかるよりもまず、問いかける。そうせずにはいられなかった。

 

「ラ・ピュセルは何故お前の味方をする? 私はあの娘とはそれなりの付き合いだが、決してお前のような奴の下に付く魔法少女ではなかった」

「それを聞いてどうするの?」

「とてもじゃないが本心から従っているとは信じられない。可能なら、彼女を説得し目を覚まさせる。言葉で駄目なら、この拳で」

 

 誤った道を征こうとしているのならば、殴りつけてでも止めてやるべきだ。

 なぜならばラ・ピュセルは、自分のたった一人の──

 

「モンスターフレンドだからな」

「もんすたー……?」

 

 決意を込めて、言った。

 あまり理解できなかったのか、小さく首を傾げたスイムスイムだったが、やがて──ぽつりと、問いに答えた。

 

「──騎士だから」

「なに……?」

 

 返されたそれは、だが不可解で。戸惑いの声を漏らしたウィンタープリズンへと、スイムスイムはさらに言葉を続ける。

 

「ラ・ピュセルは騎士。騎士はお姫様に仕えるものだから、ラ・ピュセルは私と一緒にいる」

 

 朗々と、淡々と、だがそれまでになかった確かな熱を声音に宿して。まるで御伽話の一節を諳んじるようなその語り。

 不可解で一方的。聞かせるつもりはあっても理解させる気は欠片も無い。

 

「やっと見つけた私の騎士。私だけの騎士。私に仕えて、忠誠を誓って、戦ってくれる。ラ・ピュセルがいれば、私はもっとお姫様になれる。──だから、あなたにはあげない。ラ・ピュセルは、わたしのもの」

 

 紡がれる声は静かに、だが水面の下で沸々と昂ぶり。光無き深海を思わせていたその瞳には、まるで夢見る幼子のように無垢な輝きが灯る。

 

 ぶわっと鳥肌が立つのを感じながら、ウィンタープリズンは悟った。

 

 こいつは、駄目だ。

 

 言葉を交わし合っていても、根本的な所で噛み合っていない。

 常識が違う。倫理観が違う。生きている世界がずれている。

 到底理解などできないし、こいつ自身もそれを求めてはいない。

 相互理解など不可能。言葉を交わしたことが間違いだった。

 ならばスイムスイムと対峙した場合の最適解はただ一つ、拳を以てその夢ごと全力で潰すのみ。

 

「……もういい。聞いた私が愚かだった。お前はナナに刃を向けたことを後悔しながら──死ね」

 

 あるいはスイムスイムが死ねば、ラ・ピュセルも目を覚ますかもしれない。

 

 一縷の望みを抱き拳を構えるウィンタープリズン。

 スイムスイムは、だがそれに対しても動かない。握る武器の切っ先すら上げず、静かに佇み眼前の魔法少女を見つめ、唇を開く。

 

「それは無理。あなたに私は殺せない」

「余裕のつもりか? ……舐めるな。確かに傷を負っている私は斃れるかもしれないが、それでもお前を道連れにする事はできる」

 

 侮られたと感じ声に怒りを滲ませるウィンタープリズンに、スイムスイムは小さく首を横に振り、答える。              

 はっきりと迷い無く。彼女にとっての自明の理を。

 

「絵本で何回も読んだ。テレビで何度も見たから知ってる。──お姫様のピンチは、騎士が必ず救ってくれるって」

 

 その言葉に応えるように、石壁の牢獄に『穴』が開いたのはほぼ同時であった。

 

「なっ!?」

 

 硬く堅牢なはずの石壁に生じた蟻の一穴ほどの小さな穴が、一瞬で広がり大穴となる。

 おそらくは牢獄の内部から深く穿たれただろうそれは、即ちそこに囚われていた者を解き放つ脱出口。

 絶対に逃がすものかと全霊を込めて造り上げたはずの牢獄の崩壊に目を見開いたウィンタープリズンの耳が、地獄の入り口めいた昏き穴よりやって来る騎士の声を聞いた。

 

 

 

「──ああ、そうだとも。僕は騎士だ」

 

 

 

 一切の迷い無き決断的な靴音を響かせ、一片の容赦も無い刃を握り──ラ・ピュセルが、再びウィンタープリズンの前へと姿を現した。

 

「僕がいる限り、()()は誰にも殺させない。殺そうとする者は誰であろうと全て──僕が殺す」

 

 

 ◇ラ・ピュセル

 

 

 シスターナナを除いて、ヴェス・ウィンタープリズンという魔法少女を最も知っているのはこの僕だろう。

 その力を、技を、そして愛を。

 だからピーキーエンジェルスの騙し討ちによって彼女を斃せるとは、元より思っていなかった。

 いかにユナエルの変身が完璧で、スイムスイムの謀略が悪辣でも、あの拳にはその全てを真っ向から打ち砕く強さがある。

 そう確信するがゆえに、僕はスイムにこう提案したのだ。

 

 

 ──僕は床下に潜み、万一に備えて待機していようと思う。

 ──それは何で? 

 ──ピーキーエンジェルスの騙し討ちで斃せたならそれでいい。だが、もしそれでもウィンタープリズンが生きていたのなら断言する。彼女は死ぬまでに必ず誰かを道連れにするぞ。

 ──なんでそう言い切れるの? 

 ──僕が一番、ウィンタープリズンを知っているからだ。

 ──……わかった。ラ・ピュセルはもしもの時のために床下に隠れていて。出てくるタイミングは任せる。

 ──感謝する。それと出来れば、彼女も一緒にしてくれないか。

 ──えっ、わ、私も!? 

 ──ああ、もし僕の不意討ちも失敗して正面からぶつからなければならなくなった時、君がきっとウィンタープリズンへの切り札になる。

 

 

 そして、それは正しかった。

 

「大丈夫? ラ・ピュセル」

「ああ。君のおかげだよ。──たま」

 

 僕に続いて穴から出て問いかけるたまに、僕は感謝の念を込めて答える。

 本当なら頭でも撫でてあげたいところだが、そんな余裕などこの状況には無い。故に、今だ渾身の牢獄を破られた衝撃に顔を強張らせるウィンタープリズンへと、剣を構える。

 

「たまのおかげ……だと?」

「……ウィンタープリズン。確かにあなたの魔法の壁は硬く分厚く、一枚ならともかく何枚も重ねられては傷つけることはできても打ち破る事は『僕には』無理でした」

 

 事実、先程の牢獄は僕の剣ではどうにもできなかった。

 幾重にも連なる石の壁。加えてその厚さも、硬度も、確実に以前のそれよりも上がってる。

 スターナナを守ろうとする思いが形を成したかのような堅牢極まるそれは、並みの魔法少女であれば小さな傷一つつけるだけで精一杯だろう。

 

「だけど、小さな傷一つでその全てを穿てる魔法少女がいるんですよ」

「それが、たまだと言うのか……?」

 

 俄かには信じられない。

 そう語る瞳を僕の傍らに立つたまへと向けるウィンタープリズンに、ああやはりかと納得する。

 なるほど、確かに色んな意味で際立つ個性が多かったルーラチームの中で、引っ込み思案の彼女は弱く頼りない存在だと思っていたのかもしれない。それこそ無意識に脅威対象から外し、姿を見せないことを気にも止めなかったほどに。

 

 だがウィンタープリズン、あなたは知らなかった。

 かつてならともかく、今この場で緊張に顔を強張らせながらも決して臆することなく立ち向かうこの子は──

 

「たまは、あなたが思うよりずっと強くて正しい魔法少女ですよ」

 

 それこそ、僕なんかよりずっとね。

 

 あの夜たまへと送った言葉を、今度はウィンタープリズンへと叩きつけながら、柄を握る手に力を込める。

 

 状況は整った。不意討ちこそ逃したものの、結果としてウィンタープリズンとシスターナナを分断し、誰も欠けること無く多対一でウィンタープリズンを包囲している。

 

 だが、かといって安堵も油断も出来ない。できるはずがない。

 たとえ手負いといえど、相手はあのヴェス・ウィンタープリズン。

 カラミティ・メアリ、そして森の音楽家クラムベリーと正面から渡り合い生き延びた名深市最強の一角が──この程度の窮地で容易く墜ちるはずなどないのだから。

 

「……あらためて、聞かせてくれないか?」

 

 渦巻く闘気。引き絞られた弓矢の如く張り詰める空気を、彼女の唇が静かに揺らす。

 

「ラ・ピュセル、君がここでスイムスイムの側に立ち、剣を向けるのは本当に君の意思なのか?」

 

 問いながら、揺れる栗色の髪の隙間から見詰めてくる灰色の瞳。

 真摯な眼差しが、真っすぐに語り掛ける。

 

「もしそうでないのなら、力になろう。事情があるのなら話してくれ。たとえそれがどんなものだろうと絶対に、私がスイムスイムから君を解放してやる」

 

 きっとまだ、この人は僕を引き戻そうとしている。

 かつての理想を棄て、どうしようもなく正しい魔法少女から外れたこんな僕を今だ信じ、

 その手を伸ばしてくれているんだ。

 

「……ありがとうございます。──でも、それは違いますよ。ウィンタープリズン」

 

 そんな彼女の気高い想いに、だからこそはっきりと告げる。

 躊躇も躊躇いも無く、その友情を切り捨てるのが──かつてのモンスターフレンドへのせめてもの誠意だから。

 

「誰でもない、僕は僕の判断でここにいます。そしてただ己の目的のために、剣を執っているんです」

「……ッ。スノーホワイトは──」

「スノーホワイトは何も知りませんよ。これはあくまで僕一人の行動ですからね」

「スノーホワイトを、捨てるという事か……」

「……似たようなものですね。少なくとももう、あの子の隣は僕の居場所じゃない」

 

 漏れるのは、凍り付いたように冷たく乾いた声。淡々と語る僕の唇が、自嘲の笑みに歪む。

 

 ああ、そうだ。僕はもうあの子の隣には戻れない。

 この手を自ら血で汚し罪に穢れたこの僕が、無垢で綺麗なスノーホワイトと共にいる資格などあるはずが無いのだから。

 

「問答は終わりです。これ以上はいくら問いを重ねようと、答えは決まっている」

 

 僕はもう、日向の道は歩けない。

 僕が征くのは──

 

「僕は()()で、僕の意思で──あなたを殺します。ヴェス・ウィンタープリズン」

 

 かつての友すらも手にかける、地獄の道なのだ。

 

「そう……か……」

 

 僕の決意、その全てを聞き終えたウィンタープリズンはぎゅっと瞼を閉じ──刹那、カッと見開いた瞳は失望と怒りの炎に燃えていた。

 

 バチバチバチィッッッ!!

 

「残念だ……ッ」

 

 震える声。炸裂する魔力のスパーク。呼気すらも熱く煮え滾るような怒気が、総身から迸る。

 

「君のことは友達だと思っていた。本当に、そう思っていたんだ。たとえこんな狂った状況の中でも、君だけは私達の味方だと──信じていたんだ」

 

 ……そうですね。こうなる前の僕もそう思っていた。

 この誰もが騙し合うような殺し合いの中でも、あなただけは敵にならないと思っていましたよ。

 

「だが私の──何よりもナナの敵となるのなら、容赦はしない」

 

 容赦なんてしないでください。許さず、哀れまず、怒りのままに殺しに来てください。

 

「かつて友だった者として、せめて私の手で──君を斃す。ラ・ピュセル」

 

 愛しい人を守るために、正しい魔法少女として悪い魔法少女に立ち向かう。

 あなたはそれでいいんですよ。ヴェス・ウィンタープリズン。

 

 そして僕らは互いに剣を、拳を振りかぶる。

 言葉は交わした。意思はぶつけ合った。故に最後は、互いの武を以て決着させるべく。

 僕とウィンタープリズンが同時に一歩を踏み出そうとした──瞬間

 

 VROOOOOOOМ!!!! 

 

 轟音と共に障子戸を外側から粉砕し、鋼鉄の塊が僕達を遮るように襲来した。

 

「「「「「「ッ!?」」」」」」

 

 六人の魔法少女の驚愕の声をもかき消す甲高いエンジン音。障子戸を突き破り中空に躍り出た重厚な車体。眼光の如く爛々と光るヘッドライトが、何事かと目を見張る僕達を照らし出す。

 

 互に相手を斃すために意識を集中させていた故に全く予期せぬ異常事態に誰もが唖然とし、硬直。

 僕もまた突然の襲撃に思考が一瞬停止し──だが、現れた大型バイクの乗り手が構えた銃口を目にした瞬間全力で叫んだ。

 

「避けろおおおおおおおおおお!!」

 

 BAAAAAAAAAANG!! 

 

 瞬間、暴雨のごとき銃声が轟きマズルフラッシュが炸裂。両手のサブマシンガンが吐き出す幾つもの弾丸が押し寄せてきた。

 大気を裂き獲物を穿たんと迫るそれが纏うのは紛れもない魔力の燐光。通常ならば掠り傷すらも付けられぬはずの鉛の礫が魔法少女を殺せる兵器となった証! 

 

「くっ──!」

「わっ!?」

 

 咄嗟に剣を巨大化させ、近くにいたスイムスイムの腕を掴み、強引に引き寄せる。

 驚きの声を漏らすスイムスイムを抱き締めるように腕の中に収めた瞬間、盾にした刀身に鉛玉の暴雨が着弾した。

 

 ガガガガガッ──連続する着弾音と衝撃で激しく震える大剣。ともすれば弾き飛ばされかねない刀身を全力で支え、僕は柄を握る手をギリリと唸らせ耐え続ける。

 そうして何分か、いや、もしかしたらほんの数十秒か。とにかく絶え間ない衝撃に僕の手が痺れた始めた頃、不意にカチッと響いた弾切れらしき乾いた音とともに、ようやく破壊の暴雨は途切れた。

 

「はぁッ……はッ……怪我はないか? スイムスイム」

「大丈夫。ラ・ピュセルは?」

「なんとか無傷だよ。たま達は……──」

 

 腕の中でこくりと頷くスイムに安堵しつつ、仲間の安否を確かめるべく周囲に素早く目をやる。

 

 たまは……──いた。

 おそらくは発砲の瞬間、咄嗟に床に穴を掘り身を隠したのだろう。床に空いた穴の縁(ふち)から、恐る恐る顔を出した彼女と目が合った。

 見たところ怪我は無い様だ。良かった。

 

 残るピーキーエンジェルズは……──ッ。

 

 

 彼女たちがいたのは、大型バイクのすぐ近くだった。

 それはすなわち至近距離で発砲されたという事だが、幸いにも姉のミナエルは三等身の小さな身体ゆえか被弾せず無傷のようだ。だが、妹のユナエルは

 

「い、たいぃ……ッ……痛いよおお!!」

「ユナ!? ユナ──!!」

 

 痛々しい悲鳴を上げながら床に倒れる彼女の右足には、血を噴き出す弾痕が。

 経験したことのない痛みと恐怖に十字の浮かんだ瞳から涙を流して苦しみ悶える度、どくどくと傷口から血が溢れ衣装を赤黒く染めていく。

 そんな妹の姿に顔を真っ青にした姉が必死に傷口を両手で押さえて止血しようとするも、細く小さな指の間から血が流れ、止まらない……ッ。──まずいッ。

 

 僕は反射的に駆け寄ろうとし──その瞬間、首の裏がヒリつく程の危機感に咄嗟に顔を引く。直後、銃声が鳴り弾丸が鼻先を掠めた。

 まさに間一髪。少しでもタイミングが遅ければ、飛び散っていたのは数本の前髪ではなく僕の脳髄だっただろう。

 

 

 

「──へえ。案外良い勘してるじゃないか」

 

 

 

 避けなければ死んでいた。そう戦慄する僕の耳に届く──茶化すような女の声。

 

 艶やかにして退廃的。澄んではいるが、どこか肉食獣の唸り声を思わせる危険な響きを孕むその声音。

 僕とウィンタープリズンが雌雄を決する場に突然に現れ、弾丸によって何もかもを滅茶苦茶にした暴力の化身。ハリウッド映画に出てくるような大型バイクに悠然と跨り、不遜な笑みでこの場の魔法少女達を見下ろすガンマンの魔法少女は

 

「直接顔を会わせるのは初めてになるか。あんたを仕留め損ねたのはこれで二度目だねえラ・ピュセル」

「──カラミティ・メアリ」

 

 名深市で最も危険な存在の一人。

《災害》をその名に冠する魔法少女が、そこにいた。

 

「カラミティ・メアリ……?」

 

 腕の中のスイムスイムがぴくりと反応し、声を漏らす。

 おそらくは僕などよりよほど策士である彼女ですら、想定外の人物の登場に対して細い眉をほんの僅かに寄せていた。

 それほどの異常で、危険な状況なのだ。この魔法少女と対峙するという事は。

 ゆえに油断無く、最大限に警戒しつつ、問う。

 

「何をしに来た?」

「オモチャを持って遊びに来たように見えるのかい?」

 

 そんな僕をおちょくるように、軽い口調で返すメアリ。

 一瞬怒りが湧きそうになるも、抑える。駄目だ。冷静になれ。少なくともこいつを前にキレるのは危険すぎると、本能が警鐘を鳴らしているのだ。

 

「まあ、そう大した違いは無いか。今夜はあんたらをパーティーに誘いに来たんだよ」

「パーティーだと……?」

「ああ。あんたがマジカロイドを殺した礼にね。ラ・ピュセル」

「……ッ」

 

 マジカロイド。

 その名を聞いた瞬間、脳裏に蘇る血だまりの光景。

 

 何故、それを知っている?  

 

「……マジカロイドが死んだのは事故だとファブが言っていたはずだが」

「とぼけるんじゃないよ。処女(おぼこ)ぶってても、あんたがそうでない事くらいは目を見れば分かるさ。あたしと同じくそったれの目を見ればね」

 

 そう確信をもって断言するメアリのそれは──どろりと濁った人殺しの目。鏡を覗けば見る瞳と同じもの。

 

「……つまり、敵討ちというわけか? お前たちが仲間だったとは初耳だが」

「ハッ、そんな殊勝なもんじゃないさ。ああ別に恨んでるわけでもない。ただ──あたしの身内に手を出したってことは、あたしを舐めたって事だろ?」

 

 そう獣が牙を剥くような笑みを浮かべた瞬間、獰猛な殺意が全身に叩きつけられた。

 背筋が凍り、鳥肌がぶわりと全身を覆い尽くす。

 ひっ、という引き攣った小さな悲鳴はたまの物だろうか。メアリが放ったそれはただの余波ですらも浴びれば恐怖を禁じ得ない、まさに埒外の荒々しさで

 

「ああまったく──最ッ高にイライラさせてくれるじゃないか……!

 

 危機感が絶叫し鼓動すらも慄くこの殺意は、覚えがある。

 クラムベリーのように理性を以て完全に制御されたそれとも、スイムスイムの冷徹に研ぎ澄ませたものとも異なる、荒ぶる衝動と感情のままに暴れ狂う獣の殺意──クラムベリーとの特訓の最後に感じたあれは、こいつだったのか……! 

 

「だからあんたに──いや、あたしをムカつかせた奴ら全員のためのパーティーを用意してやるんだよ。カラミティ・メアリを舐めた報いを味わわせてやるための、とっておきのね」

「それを知って僕がわざわざ行くと思うか?」

「来るに決まってるだろ。──こうすればねえッ!」

 

 言うと同時、ウェスタン風の衣装のスカートから伸びる脚がヒュッと風を切り、ウェスタンブーツの爪先がちょうど足下で撃たれた妹にすがり付いていたミナエルの顔面を直撃した。

 余りにも突然で容赦の無い一撃に、鼻がひしゃげる鈍い音と共にサッカーボールのごとく蹴り飛ばされるミナエル。

 

「っおねえちゃ──ひぎぃッ!?

 

 そしてべっとりと鼻血を付けたブーツの底が、残された妹の側頭部を間髪入れず踏みつける。

 

「ユナエル、ミナエル!? ──メアリお前ッ!!」

「おっとカッカするのはいいけど、あんたがその大層な剣を振る前にあたしがコイツの頭を踏み潰すよ」

 

 思わず斬りかかろうとした僕に見せ付けるように、脚に力を込めるカラミティ・メアリ。頭蓋骨が軋む音が聞こえそうなほど強く、その上こめかみをぐりぐりとやる残酷な踏みつけにミナエルの悲痛な絶叫が響いた。

 

「ひぎッ……いだっ、やめてえぇぇ痛いいいッ!!」

「ははっ、なんなら小さなおつむがド派手に飛び散るのを皆で見物するかい? それが嫌なら大人しくするんだね。オーケー?」

「……くっ」

 

 振り上げようとした剣を下げる。そうしなければ、きっとコイツは言葉を通りに笑いながらユナエルを踏み殺すと分かったから。

 それは他の魔法少女も同じらしく、反射的に飛び出そうとしたたまも、静かにルーラを構え直そうとしたスイムもその動きを止めた。止めざるを得なかった。

 

 彼女を除いては。

 

「──それがどうした」

 

 ヴェス・ウィンタープリズン。揺るがぬ闘志を示すかの如く緑のスパークを放つ彼女の前に転がる大小の破片は、弾丸を防ぐのに使った壁の残骸か。

 

「あんたも久々だねえウィンタープリズン。まさかマジカロイドを殺した奴の所にカチコミに来たらあんたまで居るとはね。まああんたにも誘いをかけるつもりだったから手間が省けたよ」

「そうか。私もまた手間が省けたよ。お前とはいずれ決着をつけなければと思っていた」

「へえ。気が合うじゃないか」

「だからお前がそいつを人質に取ろうが私には関係無い。どの道ナナのためにこの場の全員殺し尽くすつもりだからな」

 

 地獄から響くような低い声で語る鏖殺の意思。

 殺意に燃える瞳は、カラミティ・メアリを新たな獲物として捉えている。

 今にも暴れ出しそうな鬼気迫るその姿は──非常に不味い。カラミティ・メアリに逆らえば、ユナエルが殺されるのだ。

 流石に止めなければと僕が動こうとした直前、その危機的状況を変えたのは誰であろうカラミティ・メアリ自身だった。

 

「だろうねえ。──だからあんたにはピッタリの人質を用意してある」

「それはどういう──ッ!?」

 

 嘲笑うような笑みでかけられた不穏な台詞。訝しげに問いかけたウィンタープリズンの瞳が、カラミティ・メアリがどこからか取り出した小振りの布袋から引きずり出した物を目にし、驚愕に見開かれる。

 

「ナナ!?」

 

 どう見ても納まるはずは無い大きさであるのに、袋の口からずるりと出されたのは修道女を思わせる魔法少女──ウィンタープリズンが逃がしたはずのシスターナナだ。

 

「ここへ来る途中で見つけてねえ。ありがたく手土産にさせてもらったよ」

 

 シスターナナはロープで拘束され、幾重もの縄が豊満な肢体に食い込み、その動きを封じている。恐怖の叫びか助けを求めているのか、震える瞳に涙を浮かべ声を上げているが、猿轡がかけられた口からはくぐもった呻き声しか漏らせない。その悲惨な様が、より一層彼女の窮地を物語っていた。

 

「というわけであんたも大人しくしてな。まあ、恋人の頭の中のお花畑がどんな色してるかどうしても知りたいってんなら構わないけどさ」

 

 囚われた恋人の姿に堪らず助け出そうとしたウィンタープリズンだったが、怯えるシスターナナの頭に見せつけるように向けられた銃口に、寸での所で動きを止めた。

 最も、肉体の方は自制できたとしてもその感情は抑え切れぬらしく、ギリギリと震える拳を握り締め凄まじい形相でカラミティ・メアリを睨みつけている。

 

「ぐっ……くぅぅ……殺してやるぞッ……カラミティ・メアリ……ッ!!」

「ははっ。良い面だねえ。いつもは澄ましたあんたのそんな顔が拝めただけでも、わざわざ来たかいがあったよ」

 

 そんな彼女の憤怒ですらも嘲笑い、カラミティ・メアリは二人の人質の身体を無造作に掴むと袋の中へと詰め込む。

 人間二人を軽々と持ち上げるその腕力は、魔法少女とはいえ凄まじい。銃の腕だけではない、こいつは筋力においても突出した魔法少女なのか。

 

 そしてカラミティ・メアリは、その一部始終を最後まで眺める事しかできなかった僕達へとこう告げたのだ。

 

「こいつらを取り戻したけりゃリップルを連れてきな」

「リップルを……?」

 

 急に出てきた思わぬ名前。困惑する僕に、解放のための更なる取引内容が語られる。

 

「ラ・ピュセルとウィンタープリズンとリップルの三人であたしが指定する場所に来な。そこでリップルと引き換えにこいつらを返してやるよ」

「つまり、リップルをお前に売れっていう事か……」

「嫌なら別に断ればいい。かわりに死体を二つ送り付けるだけだからねえ」

 

 軽い調子で語られたそれが嘘でない事は、もはや問うまでも無い。こいつはやる。笑いながら一切の躊躇無くユナエルとシスターナナを殺す。カラミティ・メアリとはそういう魔法少女だ。

 

 ここまでの非道でそれを痛感させられたからこそ、僕達は決して断れない。

 僕も、ウィンタープリズンも、ただ歯をくいしばり拳を握って、仲間のためにその悪魔の取引に頷くしかないのだ……ッ。

 

「じゃあそういうわけで、リップルの奴を捕まえたら連絡しな。その時に改めて引き渡しの場所と時間を教えてやるよ。くれぐれも遅れるんじゃないよ。そうなったら死体を引き取る羽目になっちまうからねえ!」

 

 そう愉快げに笑いながら、カラミティ・メアリは大型バイクのアクセルを握り急発進。ターンし、甲高いエンジン音を轟かせながらこちらに背を向け夜闇の向こうへと走り去っていく。

 

「やだ……駄目っ…行かないで…ユナを連れてかないでよ……ッ!」

 

 ユナエルとシスターナナを閉じ込めた袋と共に。

 

「ユナああああああああ!!」

 

 最愛の妹と引き裂かれた姉の悲痛な叫びを耳にしながら──僕たちはそれを、ただ見送る事しかできなかった。

 




お読みいただきありがとうございます。半年以上ぶりの更新と相成りました作者です。
これまでの間はあーでもないこーでもないと悩みつつ執筆してたらこんなに遅れました。

そんなこんなで大変おまたせした今話からはいよいよこれまで絡んでこなかった魔法少女たちが本格的に活躍します。とりあえずはシスナナとヴェスプリの百合っプルからですね。原作でも歪な純愛が大変に尊い二人なので今作でもそこらへんをたっぷれねっとり描きたいと思います。

なのでヴェスプリには王結寺バトルを生き延びてもらいました。やったね。
ついでにユナエルも頭はいいけど詰めの甘い白スクにラピュが入れ知恵したおかげで助かりました。やったね。

なお生き延びた結果が天国か地獄かは今後の展開をお楽しみに。

次回はみんな大好きリップルの話ですよ。
忍者バトルとか描写するのはほぼ初めてだけどご安心あれ。決戦アリーナと対魔忍RPGとアクション対魔忍をやり込んだ作者は忍者には詳しいんだ。


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