蒼空の魔女と懦弱な少年 (sin-sin)
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1話 長く大いなる沈黙

自分はいったい何者なのだろうーーー

 

時々そう思うことがある。自分には当然名前がある。戸籍も住所もある。幽霊などではない、れっきとしたこの世の住人だ。

しかしーーーふとした瞬間にこの世界の「重み」が感じられなくなる。自分がこの世の者では無いような、まるで今まで盤石な物だと信じていた地面が豆腐の様に柔らかく、頼りない物に変化するように。信じられないのは自分自身だろうか。それともーーー

 

1947年 6月 14日

 

ガリア共和国 マルセイユより北 リヨンまで30km地点上空

 

 

重いエンジン音で目を覚ます。ここはーーー

 

「お目覚めになりましたか先生?」

 

後ろから唐突に声をかけられる。振り向くと扶桑海軍の制服に身を包んだ男性がいた。人が好さそうな温厚そのものな笑みを顔に浮かべている。

 

「あ、ええ・・・まあ」

 

返事をしたのは少年ーーーとは言っても18歳の彼は社会的には大人の仲間入りを果たす頃なのだが。銀髪に黒い瞳、中性的な趣きを感じさせる彼は普通の人が見ると、とても扶桑人とは思えない容貌だ。実際、扶桑の町中を歩いていても道行く人々に外国人に間違われる始末だった。まだ呆けている様なそんな少年の返事に満足したのか扶桑海軍の兵長はその笑みを崩さないまま言葉を続けた。

 

「そうですか、それは結構。何せ扶桑からガリアまでの長い道のりを殆どこの機体の中で過ごされてましたからね。何かあったらいつでも申しつけてください。・・・と言っても、もう少しで目的地に到着する様ですがね」

 

そうだ、思い出した。ここは扶桑海軍の零式輸送機の機内だ。扶桑飛行機と長島飛行機がダグリンDC-3輸送機をライセンス生産した機体だ。宮菱「金星」五三型エンジンが規則正しいエンジン音を奏でながら緑色の機体は青空の下をゆっくりと飛行している。太陽の光が機体側面に設けられた窓からキャビン内に降り注いでいた。ーーーまた変な感覚に囚われていたのか・・・自分でも辟易する。この妙な感覚は、ここ数年自分の中でも飛びっきりの悩みの種だ。精神鑑定を受けても異常なし、かといって心当たりが・・・無いわけではない。しかし、だからと言ってどうすることも出来はしない。いっそこのまま頭の中を開けて見てみようか。思わず自嘲的な笑みがこぼれる。

 

その時だった。輸送機の機内に置かれている無線機からノイズ混じりの音声が聞こえてきた。

 

『・・・・・・応答願う。こちら第506JFWディジョン基地。こちらの管制区域下を飛行中の機体へ。応答願う』

 

国際緊急周波数によるスクランブル通信。ただ事では無い。

 

「何だ?」

 

輸送機の機長が無線に向かって応答する。

 

「こちら扶桑海軍横須賀海軍航空隊所属武田大尉だ。そちらの所属と官名を名乗ってくれ」

 

『こちら506JFWディジョン基地。貴機に小型のネウロイが接近中。至急回避行動を取れ。繰り返す。至急回避行動を取れ』

 

相手も慌てているのだろうか、官名は名乗らずに所属のみを名乗ってきた。しかしその通信内容は一刻を争う物には違いなかった。

 

「クソ!ここまで来てか!すいません、少々揺れますぜ!」

 

少年がネウロイという単語を反芻する前に、輸送機のコクピットから武田機長の半ば叫んでいるかの様な声が聞こえてきた。キャビン内にいる人々は思わず身を固くする。その瞬間、輸送機は大きく右にバンクしこの空域から一刻も早く立ち去ろうとした。

 

しかしーーー

 

「クソ!もうすぐそこにいるじゃねえか!」

 

今度こそ叫び声に変わった武田機長の声を聞き、少年は手近の窓にその身を張り付かせた。

 

「あれがネウロイ・・・」

 

奇妙な光景だった。どこまでも続く青空の下、その一角だけが黒く染まっているかの様な、ネウロイという単語の意味を知らなければまるで空の色と地上の色、そして空に浮かぶ漆黒の物体のコントラストが鮮やかな、一種の芸術作品の様な光景だった。ネウロイという言葉の意味は知っていても実物を始めて目の当たりにする少年は思わずそんな感想を胸の中に抱いていた。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ネウロイーーー

はるか太古の世界からそれは存在していた。怪異と言われたそれは幾多の年月を経て、人類の前からは消え去ったかの様に思われた。だが1936年以来、再び人類の前に姿を現したそれは圧倒的な戦力で欧州を中心に次々と人が住む街を、空を、焦土の渦に巻き込んでいったのだ。このまま人類は滅ぶのかーーー絶望が世界を覆い始めたその時、人々の前に『魔女』が現れる。機械の働きにより、その人間が持つ魔法力を増大させる事で飛行能力やシールドを発生させる事が出来るようになる現代の魔法の箒

 

「ストライカーユニット」

 

そしてそのストライカーユニットを装着し、ネウロイとの戦いの最前線へと立つ少女達。人類の希望となった彼女たちを人々は尊敬と畏怖の念を込めてこう呼ぶ様になった。

 

「ウィッチ」と。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「このままじゃ逃げ切れない・・・!」

 

コクピットから聞こえる悲痛な声。その声を聞き少年は意識をこちらに戻した。ネウロイとの距離は目視で約2000m程。ネウロイのビーム兵器の射程がどれほどかはまだあまり分かっていないがそう短い事はあるまい。

 

「この機体に武装は!?」

 

先ほど少年に話しかけてきた扶桑海軍の兵長、少年の随行員がコクピットに向かって叫ぶ。

 

「長距離飛行だからこの機体には積んでいない・・・積んでてもあんな野郎には太刀打ちできねえさ・・・」

 

八方ふさがり、絶体絶命とはこういう事を言うのだろうか。少年の心は妙に落ち着いていた。出来れば生きて欧州の地を踏みたかったが・・・

 

その瞬間だった。接近していた筈のネウロイが動きを止めたかと思うと、ネウロイの遥か上空から凄まじい火線が舞い降りてきた。

 

「何だ!?」

 

絶望から驚愕に変わる武田機長の声。しかし少年の意識はそちらには最早向いていない。ネウロイの真上から急降下してくる戦闘機・・・戦闘機?いや、あれは違う。あれは・・・

 

『・・・こちら506JFW、B部隊所属のマリアン・E・カールだ。当該空域飛行中の機体へ!聞こえるか!?』

 

「ウィッチだ!!助けが来たぞ!!」

 

無線機から流れてくる声を聞いた瞬間、少年の随行員が歓喜の叫びを上げた。先ほど零式輸送機に対して警告電を送ってきた声は女性ではなく男性だった。おそらくあの時点でディジョン基地B部隊のウィッチ達は上空へと上がっていたのだろう。それでも間一髪な事には変わりなかったが・・・上空から降り注ぐ火線の勢いはますます勢いを増していく。どこからネウロイを攻撃しているのだろうか。少年は輸送機の外を見ようとするが機内の外壁や天井に邪魔されて思うように外の様子が伺えない。救援に来たウィッチは一人だけなのか?機内を移動して出来るだけ戦闘の状況が見えやすい場所を探す。ふと自分が立っている場所の横にある窓を見ると、さっきまで漆黒の色に染まっていたネウロイの体にかすかな異変が生じていた。

 

「コア・・・?」

 

ネウロイの弱点かつ動力源と見られているコアなる物体だった。今までネウロイのいたるところに向けられていた火線がその途端にコアに向かって集中しだす。

 

そしてーーー

 

『ネウロイ撃墜確認!』

 

無線機から流れてくる朗報。

 

「よっしゃ!」

 

輸送機の中が歓喜の声で包まれる。この機体には少年と随行員、機長と副操縦士の4人しかいないのだが、狭い機内に反響して思いの他大きい声に聞こえてしまう。

 

『扶桑軍機へ。聴こえるか?そちらの機体に異常は?」

 

無線機から再び流れるマリアンと名乗るウィッチからの声。奇麗な声だ。さぞかし容姿も美しいのだろうと邪知な想像をしてしまう。

 

「こちらは無事だ。助かったよ。礼を言う。元々あんた達の基地に降りる予定だったんでね。ちょうどいい。エスコートしてくれないか?」

 

機長が無線に応じる。

 

『うちの基地に・・・?待て、そんな話は聞いてないぞ。オーセンティフィケーションを行う。待機してくれ』

 

オーセンティフィケーション、基地内の防空指揮所に待機している要撃管制官に対し、固有識別の為の暗号を確認する事だ。これを行う事によって相手が間違いなくディジョン基地である事が証明できる。また、その基地から返ってきた命令は本物だという事も確認できる。

 

『そんな事、隊長言ってたっけ?』

 

無線機からマリアンではない別の女性の声が入ってきた。

 

『いえ・・・私の記憶には・・・』

 

と、また別の声。506という部隊には一体何人のウィッチが配属されているのだろうか?少年は無線機から流れる声を聞きながらそんな事を思っていた。

 

『こちらマリアン。貴機に対しての確認が取れた。基地まで案内する。着いてきてくれ』

 

その通信が流れるや否や、輸送機の前方200m程に長い金髪をたなびかせながら、リべリオン合衆国海兵隊の制服を着たウィッチが飛び込んできた。

 

「ほう・・・ノースリべリオンのストライカーユニットか、あやかりたいねえ」

 

ウィッチの姿を見た機長が先ほどまでの緊張はどこへやらといった風な様子で軽口を叩き始める。それを聞きながら少年は先ほどまで自分が座っていた座席へと座りなおした。ふと手を見ると細かに震えていた。これは機体のエンジンがもたらす振動のせいなのか、それとも自分の本能的な恐怖から来る震えなのかどちらなのかは分からなかった。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

地面に足を下ろしたのはどれぐらい振りだろうか。ディジョン基地に着陸した零式輸送機から降り立った少年が思ったのはまずその事だった。扶桑から地球を半周してはるばるガリアまで。長い道のりだった。

 

「君が扶桑から来た学者か?」

 

背後からいきなりかけられた声に反射的に振り返る。

先ほどのマリアンという女性の制服とは違う茶色のリべリオン陸軍の制服にジャケット、頭に略式帽を被り、そこから髪を垂らした女性が立っていた。

 

「はい・・・扶桑の登戸研究所から来ました柊伊吹です」

 

「イブキ・ヒイラギか。聞いていた通りだ。欧州に到着早々ネウロイに襲撃されるとは災難だったな」

 

自分の事を知っている人。ということは・・・

 

「貴女がUS ADC(リベリオン航空宇宙防衛軍団)のジーナ・プレディ中佐?」

 

リベリオン航空宇宙防衛軍団。主にリベリオン合衆国の本土防衛を主にする部隊である。去年に発足したばかりの組織だが、既に対ネウロイ戦闘の技術習得の為に様々な人員や佐官がこの部隊に配属される様になっていた。とは言え専ら研究畑の伊吹に取っては目の前の女性がそのジーナ・プレディなる人物なのかどうなのかがわからなかった。

 

「506JFW B部隊の隊長でもある。・・・というかもっぱらそっちが本職だ」

 

良かった。返事を聞く限りどうやらジーナ中佐その人らしい。伊吹がそのまま言葉を続けようとすると伊吹の顔をジッと訝しげな表情で見つめるジーナに気づいた。

 

「・・・何ですか?」

 

「いや、何でもない。ワイルドファイアに配属されるのが君みたいな少年だとは思ってなかっただけだ」

 

「ワイルドファイア?」

 

伊吹が怪訝そうな声を出す。何だそれは?

 

「何も聞かされてないのか?」

 

「何せここに行けと言われた三日後には木更津から飛ばされたもんで。北郷さんの差し金です。506の基地でジーナ・プレディってリベリオン人に会えとだけ・・・」

 

後半は自分をここに飛ばさせた張本人の扶桑皇国海軍大佐、北郷章香に充てた愚痴の様なものだった。いくらいくら急ぎだからとは言え、この情報だけで外国に行けと言うのは少し無茶が過ぎる。

 

元々飛び級で入った皇国大学を卒業し、神奈川は登戸の陸軍研究所で生物学の研究をしていた伊吹に接触し、「欧州でのネウロイ研究」なる交渉材料を携えてあまり乗り気では無かった伊吹をはるばるガリアの地に立たせたあの手腕はさすが軍神と言ったところか。余りに長い時間説得を受けてとうとう伊吹が根負けして折れたあの時、北郷大佐に言われた

 

『力は持つべき者に宿る。君のその頭脳にも必ず何かの意味がある筈だ』

 

という言葉が妙に心に残ったのだ。

 

力は持つべき者にーーー果たして自分にそんな意味があるのだろうか。人より少し成績が良かっただけで周りから囃したてられ、いつの間にか軍の研究所へ。

 

自分が選んだ道なのか?そんなことより平凡な人生でいいから自分に生きている実感をくれ。何か大切なものを遠いどこかに置き忘れてきた様なこの虚無感を満たしてくれる

何かを・・・

 

「・・・とりあえずゆっくり話そう。着いてきてくれ」

 

そう言うとジーナは基地内にある兵舎の方に向かって歩き始めた。危もそれに倣う。やがてジーナと危の身体は兵舎内にある隊長専用室に収まる事となった。お世辞にも豪華とは言えない、質実剛健な、いかにも軍隊組織らしい部屋にあるソファを勧められ、おずおずと座る。意外にも柔らかい。質がいい物を採用しているのだろうか。

 

「軍曹の趣味だ」

 

伊吹の詮索を感じ取ったかの様に唐突にジーナが切り出した。

 

「軍曹?」

 

「クハネック軍曹。私の副官だ。中々いい趣味をしているだろう?私はもっと地味なソファでいいと言ったのだが」

 

そう言うとジーナは伊吹の座っているソファと向かい合う形で設置されているデスクに腰を下ろした。隊長専用のデスクだろうか。デスクの上にはラジオや大量の書類が

置かれていた。クロスワードパズルか・・・?

 

「さて・・・何から話せばいいかな」

 

「ワイルドファイアって何ですか?」

 

ジーナの発言に間髪入れずに伊吹が尋ねる。思えば「ネウロイに関する研究」という事以外、「機密保持の為」と言う理由で何も聞かされていなかった。唐突に出てきた見知らぬ言葉を疑問に思うのは無理もない事だろう。

 

「・・・まずそれから話そうか。元来、ネウロイというのは超自然的な物と思われていた。しかし近年、ネウロイを科学でコントロールするという研究が進められているのは

知っているな?」

 

「ウォーロックですか」

 

墜落した一部のネウロイから細胞片を入手し、そこから得られたデータから対ネウロイ用の兵器を作ろうとした軍の勢力が一部存在していた事は伊吹も風の噂で耳にしていた。そしてそれが失敗に終わった事も。軍はこの事に対して緘口令を敷き、事態を収拾しようと試みたらしいが、いかんせん人の口に戸は立てられない。どこからか漏れた情報がその『実験兵器』の名称とされる名前と共に、世界中の研究者を中心に半ば都市伝説的な話として流布しているのが現状であった。

 

「・・・とにかく世界中でそのような研究が行われているのが現状だ。その中で我が国が中心となって世界中から研究者を集めてネウロイ研究を本格的に行う機関が設立されることになった」

 

「その名称が・・・?」

 

「そう。正確には連合軍第105技術研究団。通称ワイルドファイアチーム」

 

「ワイルドファイアチーム・・・」

 

これで全てがはっきりした。北郷大佐が言っていた言葉の意味も。何故自分がここに飛ばされたのかも。現在ネウロイの研究を行っている研究所は世界中に大量に存在する。危のいた扶桑の登戸研究所、カールスラントのアーネンエルベ、リべリオンの国立衛生研究所、フォート・デトリック、NACA(リベリオン航空諮問委員会)。しかしどの研究機関も研究所としての体面と国家機関としての体面が存在する。ガリアのパスツール研究所も額面は非営利の民間組織だが裏では政府や軍と密接に関係しており、それらの意向を簡単には無視出来ない。基本的に研究や科学と言う物にあまり造詣が深くない、上の政治家達にしてみればいつ成果が上がるかわからない研究に金を捨てるより、戦闘を行う最前線に一つでも多く戦車や武器を送った方がいいと考える者も多い。そうした『政治的判断』がネウロイ研究の妨げの一つの理由になっていた。しかし今回提示されたのはそのような足かせを捨て去り、研究者達に研究に専念してもらう為の機関を国際的に設立するという計画。それが事の真相だったのだ。だがここでふと一つ疑問が湧いた。

 

「あの・・・ジーナ中佐、少しいいですか?」

 

「何だ?」

 

いつの間にいれたのかわからないコーヒーを片手に危の方をジッと見つめる。

 

「さっきワイルドファイアは第105何とかって言ってましたよね。けどここは第506JFWの基地だ」

 

「そうだ。君たちの研究所はここじゃない。ここから北に向かったパ・ド・カレーにワイルドファイアの本拠地がある」

 

「・・・SHAEFのお膝元ですか」

 

SHAEFーーー連合国欧州遠征軍最高司令部は1944年のガリア解放以降、反撃に転じた人類連合軍の活動拠点として今まで存在していたブリタニア連邦はキャンプ・グリフィスからガリア共和国のパ・ド・カレーに位置を移していた。なるほど、比較的安全かつ前線にも近い位置、しかも軍司令部と密接に連携を行えるパ・ド・カレーならネウロイ研究の場所としては打ってつけだろう。そう思った伊吹の思いを次の瞬間に放ったジーナの言葉が打ち砕いた。

 

「ーーー最近またあの辺りにネウロイの巣が出現したらしい・・・君が行った時には最前線になっているかもな」

 

暫しの沈黙。

 

「・・・帰っていいですか」

 

「輸送機はもう飛んでいったぞ?君の随行員を乗せてな」

 

そう言いながら澄まし顔でコーヒーが入ったカップを口に近付けるジーナ、そんなジーナの言葉を聞き何も言えなくなってしまった伊吹。その場に気まずい空気が漂い、ネウロイがその身体から放射する瘴気の如く部屋を占領した。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

1947年 6月 14日

 

リべリオン合衆国 ニューメキシコ州 ロズウェルより約110km地点

 

ウィリアム・「マック」・ブレイゼルはフォスター牧場の農家だ。人がいい性格と温厚そうな顔で好々爺として近所の人々に評判の彼を迎えたフォスター牧場は今日、

昨日までには無かった異様な雰囲気に包まれていた。

 

「じゃあ昨日までこんなのはこの牧場には無かったってのかい、マック爺さん」

 

牧場の異変を察知したウィリアムから朝の早い時間から通報を受け、駆け付けたウィルコックス保安官は半信半疑という表情でウィリアムの顔を覗き込んだ。

 

「嘘じゃねえ、昨日までこんなでっかい鉄のガラクタなんてものは無かった。神に誓ってもいい」

 

そう言いながらウィリアムは牧場の一角を指差した。ウィリアムの指が指示した先にはーーー

 

直径20mはあろうかと言う巨大な鉄の塊が存在していた。付近にはこの残骸の飛び散った破片の様な物が散乱し、まだ火種が燻っているものもある。鉄の塊自体はまるで巨大な三角定規だ。二等辺三角形の頂点の部分が地面にめり込んでまるで墓標の様な佇まいを見せている。三角形の後部と思われる部分には角度が付いた板のような物も取り付けられているのが確認できた。

 

「どっかの馬鹿が一夜で作った芸術作品・・・って訳でも無いよなあ」

 

ウィルコックス保安官が訝しむように声を上げる。

 

「朝に牧場の方から変な音がしたんだ。妙だなと思って見に来てみればこの有様だよ・・・」

 

この地で勤続20年を迎えるベテラン保安官でさえこの様な奇妙な事件に遭遇したのは初めてだった。牧場のど真ん中に幾何学的なオブジェが一夜の内に作られていた?ナンセンスだ。結局対応に困った彼はニューメキシコ州警察本部に連絡し応援を待つことにしたのだが・・・

 

「おい、保安官さんよ。ありゃ軍のトラックじゃないか?」

 

「何?」

 

州警察本部に連絡してから30分後、謎の物体の「墜落」現場で待機していた彼らの前に姿を現したのはパトカーでは無くM1ガーランド半自動小銃やM1トンプソン短機関銃を手に完全武装した兵員を満載したGMC社のCCKWトラックとウィリスジープの車列だった。ジープが保安官達の前に止まる。その中から軍服に身を包んだ人間が出てきた。まだ若い。しかも女性だ。腰にはM1911自動拳銃を収めたホルスターが装着されている。

 

「貴方が州警察本部に通報したウィルコックス保安官?」

 

「あ、ああ」

 

その答えに満足したかの様に頷くと女性は言葉を続けた。

 

「私はリべリオン陸軍、第509爆撃航空群情報局所属、ジェシー・マーシャル少佐です。今からこの牧場はリベリオン軍の管理下に入ります。貴方達には当分付き合ってもらう事になるけど、いいかしら?」

 

長い金髪をポニーテールに纏めたその少女はそう言うとウィリアム達の返事も聞かずに、そのまま副官らしき男性が持つSCR-300ウォーキートーキー(無線機)に何やら喋り始めた。その会話を聞きながら、ウィリアム老人とウィルコックス保安官は自分の住む世界が根底から崩れていきそうな何とも言えない恐怖感を味わっていた。彼らが見つけたこの「オブジェ」が世界を変える事になるとは、今の彼らには知るよしも無かった。

 

 

続く

 

 

 



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2話 アイスワールド

人生は川の様なものだとよく言われる。大雨が降れば障害物が溜まり川が塞がる。そのたびに川の流れは自らの勢いでそれらの障害物を取り除き、前に進む。また途中には様々な分岐が目の前に広がっていて、それらの広がりを経て、清流の緩やかなせせらぎだった流れは大海原へと続く巨大な河川へとその身を広げていく。思考が停止した自らを詩人だと名乗るーーー世界の中心でレゾリュートデスクに座っている彼に言わせてみれば「大馬鹿野郎」な人種はこんな戯言を人目も憚らずに飛短流長してならない。

 

くだらない。人間は河川の流れの様に『あらかじめ用意されていた』道をたどるのではなく『自分が選んだ道』を自らの意思で進むのだ。結果的にそれが元来用意されていた道に見えているだけに過ぎない。しかし、そう信じていた彼は、生まれて初めてその戯言が本当なのかもしれないと感じ始めていた。自らの前には人類の運命を左右しかねない奈落の底へ通じる様な選択肢が転がっているのかもしれないと。

 

「では、ミスター。もしそのお話が真実だとしたら・・・あの忌々しいバグ共は近い将来、欧州を超えて太平洋圏にまで勢力を拡大するかもしれないと、そういう事ですね?」

 

バグズーーー誰がそう名付けたのかはわからない。一説では最前線の兵士がどれだけ倒しても、無数に復活してくるそれを軍隊アリにたとえたのが始まりだとか、その形状を揶揄した物だとか様々な説があるが・・・欧米圏で徐々に広まりつつあるネウロイの通称を口にしたリべリオン合衆国大統領科学技術補佐官ヴァネット・ブッシュはその言葉を言い終わるなり天を仰ぐ様なポーズを取った。今から7年前、当時のローズベルト大統領と会談し、NDRC(米国防研究委員会)を設立させ、自らNDRCの議長となり、軍と科学との距離を密にさせた影の実力者と呼ばれている彼がいなければ、リベリオンはネウロイの侵略に対しての対策が今から2~3年は遅れたままになっていただろうとの見方が専門家の中では大半を占めている。

 

「はい、その通りです。元来バグズ・・・ネウロイの行動原理は謎に包まれていましたが、奴らは我々人類に取って重要な戦略物資が大量に貯蔵されている太平洋、特に南方方面には何故か進出があまり確認されておりません。最後にネウロイがあの地域で確認されたのはフソーカイ・ウォーです。彼らーーー彼らと言う言葉が適切なのかはわかりませんがネウロイが本気で人類を滅亡させる気ならいつか太平洋にも進出してくるでしょう。あの海域には人類が戦争を行うのに必要な戦略物資や燃料が大量に残っていますからな」

 

リべリオン合衆国の首都ワシントン.D.C.

 

そのほぼ中心に位置する白で覆われた石造りの巨大な建物。ともすれば神殿や遺跡と勘違いされそうなその建物はワシントンのシンボル、またリベリオン合衆国のシンボルとしてリベリオン合衆国はペンシルベニア通り1600番地に聳え立ってきた。ホワイトハウスーーー時に世界の中心とも言われるその建物には3つの区画が存在する。メインハウスと呼ばれ、大統領とその家族が暮らす公邸の他、他国の首脳や議会関係者との交流場所でもあるエグゼクティブ・レジデンス。大統領夫人であるファーストレディ、及びそのスタッフのオフィスが入るイースト・ウィング、そして大統領執務室、オーバルオフィスが存在するウエスト・ウィングだ。

 

その世界の中心たる大統領執務室には6人の男性が詰めかけていた。彼らの服装はそれぞれ私服、スーツ、そして軍服姿と服装に一貫性が無くまばらだ。その中でもかつて両国間の記念にとブリタニアから送られ、現在は大統領専用のデスクとなっているレゾリュートデスクに向かい合う様な形で置かれた椅子に腰かけた白髪の老人はかつて太平洋に浮かぶ島国、扶桑皇国を襲ったネウロイの襲撃事件について言及を始めた。扶桑海事変ーーー扶桑皇国近海で突如発生したネウロイの出現事件は扶桑軍が多大な犠牲を払いながらもこれを退け、事なきを経た一連の事件は1938年以降世界中で勃発する事となった対ネウロイ戦争において大きなモデルケースとなった事は筆舌に難くない。そしてこの事件以来、扶桑を始めとする太平洋沿岸でネウロイが観測されたという情報は少なくなっていた。

 

「その根拠となるデータや資料・・・いや、率直に貴方が何故そう思うのかをお聞かせいただけないだろうか?」

 

ブッシュの横に座る男性、リベリオン合衆国国務長官J・マーシャルがゆっくりと口を開いた。

 

「根拠ですか・・・そう言われれば難しいですな。言ってみるなら学者のイマジネーションとインスピレーションとでも言っておきましょうか」

 

「インスピレーション・・・?」

 

「そうです」

 

訝しげに単語を唱えるマーシャルに老人はこう続けた。

 

「言うなればこれはゲームの様な物かもしれませんな。ネウロイはゆっくりと自分達の活動範囲を広げていく。しかしあと一歩。人類を追いつめる一歩手前でいつも退いてしまう。これは私には、彼らがこれその物を楽しんでいるかの様に見えてなりません」

 

「失礼。ミスター、お言葉ですがそのゲームという言葉に関しましては我々としては同意しかねます。わが軍始め、世界中の国や軍隊があの忌々しいバグ共と戦い重大な被害を出している。彼らにその様な言葉を聞かせてしまう、あるいは私がこの場でそれを見逃してしまうのは前線に立つ彼らへの冒涜に等しい物と考えます」

 

男性の言葉にこの場に同席していたリベリオン合衆国海軍長官のJ・フォレスタルが異議を唱える。その横に座ってじっと話を聞いていたケネス・K・ロイヤル陸軍長官もフォレスタルの発言に対し頷いていた。

 

「これは失礼しました。私としては出来るだけわかりやすい言葉で解説しようと思っていたのですが・・・生憎この様な席には慣れていない物で」

 

「ではミスター、申し訳ないがそろそろ時間も迫ってきている。今日は大変有意義な意見交換会だった。ミスターの研究がこの地で花開く事を心から祈っているよ・・・

ところでミスターは例のワイルドファイアには参加されなかったのかね?」

 

レゾリュートデスクの前に腕を組みながら座っていた男性の声が発した会議の締めくくりの言葉と共に、席を立ち、ウエストウィングのオーバルオフィスから立ち去ろうとした老人に向かって投げかけられる。

 

「非常に魅力的なお誘いでした・・・しかし私があの場にいることは他の研究者の為には絶対にならない。彼らの足を引っ張ってしまう事になるでしょうな」

 

一見すれば嫌味ごとの様に聞こえてしまう言葉だった。しかしデスクの前に座る男性はオーバルオフィスの出口に立つ老人の双眸には僅かな軽蔑や侮蔑の念さえもこもってはいなかった。自分があのチームに配属される様な事になれれば、自分にその様な能力があればどれだけ良かったか。彼の瞳に輝いていたのは混じり気の無い単純なる憧れと羨望の光だった。なるほど。流石はカールスラントが何としてでも、何を犠牲にしてでも守りたかった頭脳だ。ネウロイの脅威に晒された欧州からの大撤退作戦『大ビフレフト作戦』、『ダイナモ作戦』が発動された際にカールスラントを始めとする欧州各国がまず行ったのは自国の優秀な技術者たちを安全な海外へ脱出させる事だった。欧州、ひいては人類の至宝である頭脳をこんな場所でむざむざ失うわけにはいかないーーー欧州各国のその判断はどうやら吉と出た様だ。目の前の老人の様な優秀な頭脳を持った人物を失うことになれば人類が受ける損失は計り知れない。

 

それにしても・・・この老人の様な純粋な眼差しを持つ者がこの世界に何人いることか・・・

 

男性はそんな事を思いながら老人を見て肩をすくめるとーーー

 

「なるほど。ありがとうございました。では道中お気をつけてお帰りください。ミスターアインシュタイン」

 

白髪混じりの老人ーーーカールスラント生まれの物理学者、アルバート・アインシュタイン博士はその言葉を聞くと少しだけ笑った様な表情でオーバルオフィスを後にした。

 

「さて、諸君、今の話は聞いたな」

 

アインシュタインがオーバルオフィスから見えなくなった後、レゾリュートデスクに座っていた男性は立ちあがるとそこにいた男性達の顔を順に見つめていった。

 

「君はどう思う、マーシャル」

 

「私は彼の意見にはどう言うことも出来ません。ネウロイが太平洋に進出する事態。あるかもしれないしないかもしれない。フィフティフィフティですな」

 

「なるほど、フォレスタル長官はどう思うかね?」

 

男性に当てられたフォレスタルは先ほど、アインシュタインに抗議を行った声と変わらぬトーンで話し始めた。

 

「私もマーシャル長官と同じ意見です・・・が、もし博士の言う事が正しいなら我が合衆国は太平洋と大西洋、二方面での作戦を展開する事になります。現在我が国は世界中の同盟軍に対し技術支援や物資支援を行っていますがそれを継続したままで二方面作戦は得策とは思えません」

 

「なるほど、ロイヤル長官は?」

 

「私もフォレスタル長官に賛成ですな。もし太平洋、大西洋に同時にネウロイが出現という事になれば我が国の軍事的プレゼンスは圧倒的に低下します。正体不明の敵相手に用心しすぎる事は無いかと」

 

そこまで聞き終わると男性は最後にブッシュの方を見た。

 

「ブッシュ君、プロジェクト・ワイルドファイアはもう発動が可能なのかね?」

 

「現在最後の研究者・・・扶桑人研究者を乗せた輸送機が506JFWのディジョン基地から離陸予定です。彼以外の研究者は既にパ・ド・カレーのワイルドファイア本拠地に集合完了しているので実質発動はいつでも可能な状態です」

 

「結構、誠に結構」

 

男性は再びデスクに座ると顔の前で手を組みしばし沈黙した。5人の視線が男性に集まる。

 

「・・・よろしい。只今の時刻を持ってプロジェクト・ワイルドファイアを正式に立ち上げる。関係各機関への通達を怠るな。それとロイヤル長官とフォレスタル長官」

 

「はい」

 

男性に呼ばれたロイヤルとフォレスタルは同時に声を出す。それと同時に直立不動の姿勢を取ったのは軍人の性というべきか。

 

「環太平洋沿岸にネウロイが現れた際のシミュレーションを至急提出してくれ。ADC(米航空宇宙防衛軍団)、SAC(米戦略航空軍団)、ONI(米海軍情報局)、それからCIA(米中央情報局)の専門家にも意見を聞きたい」

 

「了解しました」

 

またも2人同時に声を上げる。

 

「マーシャル、君はプロジェクト・ワイルドファイアにおける関係各国との調整を行ってくれ」

 

「わかりました」

 

そう言うとマーシャルは駆け足でオーバルオフィスを後にする。

 

「ブッシュ、君はマーシャルの技術的な面をサポートしてやってくれ、あの石頭では他国の技術者なんぞに煙に巻かれてはたまらんからな」

 

そう笑いながら言うとブッシュは頷き、マーシャルの後を追うようにオーバルオフィスを飛び出していく。それに倣うかの様にフォレスタルとロイヤルも男性に一礼し、ウエスト・ウィングを後にした。

 

一人オーバルオフィスに残された男性はオフィスの窓に近づき見える空を見上げた。装飾が施された豪華な窓淵から見えるのはワシントンを覆うどんよりとした曇天の空。

 

まるで未来の人類を揶揄している様では無いかね?そう心の中で毒づくと男性ーーーリベリオン合衆国第33代大統領ハロルド・S・トルーマンは大量の書類に目を通す為、先ほどまで座っていたデスクに歩を戻した。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

リベリオン合衆国 イリノイ州 シカゴ 某雑居ビル

 

目の前には大量の書類の山。これを一日で片付けろ?冗談じゃない。こんな量の書類ーーーどうせ訳のわからない都市伝説やゴシップの類といった流言飛語も甚だしい噂の数々ーーーをたった一日なんかで片付けるなんてのはフーディー二の魔術でも使わない限り出来っこない。

 

はい皆さんお立会い、ここに取りだしたるやクソッたれの事務書類。今から私の力でこの書類を全てドル札に変えて見せましょう。はいワンツースリー!

 

・・・そんな事が出来ればいい。現実逃避を辞め、妄想の世界から目の前の現実に帰ってきた男性ーーーマーカス・カーターは一つ大きなため息をつくと黙々と作業に取り掛かった。

 

持ち前の出不精を発揮して伸び放題になってしまったボサボサの髪にうつろな眼、アイロンも当てずによれよれになってしまったシャツには世間一般的な『編集者』のイメージは当てはまらない。これでも20を少し回ったところなのだが大体の人間はその事実に気付かない。そんなマーカスの目の前にある書類に記載されているのは大体がやれニュージャージーに羽の生えた怪物が出現しただの、オハイオに怪人カエル男が現れただの、挙句の果てにマリリン

・モンローは宇宙人だのと言ったたわいもない戯言ばかりである。まあもっともその戯言に(ギリギリではあるが)飯を食わせてもらっている手前そう無碍にも出来ないのだが・・・

 

マーカスが編集者を務める雑誌「PCI」はオカルトや超常現象、世界的な陰謀を暴き全世界の読者へ、その真実を提供する・・・と言えば聞こえはいいが要するに売れないタブロイド紙である。だいたいの人間が「PCI」の名前を聞くと

 

『あぁ、知ってるよ。編集長が危ないクスリキメてしゅっちゅうトリップしてるんだろ?』

 

とか

 

『あまりに売れなさ過ぎてMPA(リベリオン雑誌協会)から追放処分食らったんだろ』

 

とか最早この雑誌自体が都市伝説と化している気が否めない。失礼な。MPAに追放にされかかったのは「PCI」が売れないからではなくマーカスの目の前でまるで熊かと見間違えるような巨体をゆらゆらと揺らしながらいびきを立てながら惰眠を貪っているひげ面の編集長が「キング・コング」の再現をやろうとして、ニューヨークにあるエンパイアステートビルの外壁を全裸で登り、通報を受けて駆けつけたNYPDにめでたく御用となったからだ。

 

・・・正直馬鹿だと思う。ここでまた大きなため息を吐く。本日二度目。一日に吐いたため息の最高記録は四十二回だ。いっその事、記録に挑戦してみようかと思ったその時、外の廊下から編集部につながるドアが開いた。来客か?

 

「よう、マック、元気か?」

 

「ピートか、久しぶりだな」

 

「ああ、2か月間も大学の倉庫整理にこき使われててな。腰が痛いったらありゃしねえ」

 

PCI編集部に顔を覗かせた来訪者はマーカスの旧友、ピート・マクモンドだった。リベリオン合衆国、マサチューセッツ州はアーカムに所在する大学、ミスカトニック大学で考古学の教鞭を取っている人物だ。眉が太く、彫りが深い顔は連日の発掘作業で日に当たる時間が長かったのか真っ赤に焼けている。

 

「今日は何しに来たんだ?」

 

マーカスが編集室の横にある応接室のソファを進めるとピートが勝手知ったるといった具合にドカッと座りこむ。

 

「とっておきのネタを持ってきてやったのさ」

 

「おい、ピート、お前まさか、また訳のわからない石像みたいのを持ってきたんじゃないだろうな?勘弁してくれ。前にお前が発掘現場の土産だって言いながらくれた翼の生えたタコみたいな像、寝室の机に置いて寝たらその日にバケモノに襲われる夢を見たんだぞ」

 

「おいおい、夢まで俺のせいにされちゃ困る。まあそんなことよりとっておきのネタ、聞きたくないのか?」

 

とっておきのネタ、その言葉を聞くたびに自分の心の奥深くに封印したはずの記者魂が再び湧きだしてきそうな、そんな感覚をマーカスは感じ取っていた。今までに経験してきた記憶が頭の中に浮かんでは消えていく・・・駄目だ。今はこの話に集中するんだ。

 

「・・・マック、おい、マック、大丈夫か?」

 

自らの心の奥深くに沈んでいた感覚を現実世界に呼び戻す。

 

「ん・・・?ああ・・・すまない。続けてくれ」

 

「それでだ、俺はさっき話した様にこの2ヶ月間は大学の倉庫整理にこき使われてたんだ。なんせまだ準教授なもんでな。で、そこでこれを見つけた」

 

ピートがマーカスとの間に設置されているテーブルに置いたのは古い新聞だった。紙の一部が焼けて変色しかかっている。日付は・・・1930年の6月。今から17年前の新聞だ。

 

「何だこりゃ?17年前のアーカムタイムズ?」

 

「そう。俺達の大学があるアーカムの辺り一帯で販売されている新聞でな。今でも販売されてるんだが・・・まあそんな事はどうでもいい。ここの記事を見てくれ」

 

ピートは新聞を開いて一面目にある小さな記事を指差した。

 

「何・・・?マサチューセッツ州、アーカムに所在を置くミスカトニック大学地質学科教授のウィリアム・ダイアー率いる南極探検隊、極地で遭難・・・?」

 

1930年、南極の極地観測に出発したミスカトニック大学のダイアー探検隊が極地で遭難。リーダーであったウィリアム・ダイアー教授以外の全員が命を落とした。

 

見出しと記事にはそう書かれていた。

 

「これがどうかしたのか?別に今から20年も前の事なんだ。極地での遭難なんて珍しい事でもないだろう?」

 

1911年に人類史上初の南極点遠征に成功したバルトランドの探検家、ロアール・アムンセンがブリタニアの探検家、ロバート・F・スコットとどちらが先に南極点に

辿り着くかを競った時にはアムンセンのライバルであったスコットが遭難し、やはり命を落とすという事故も起きている。極地は人類に取って優しい場所では無いのだ。

 

「確かにそうだ。・・・ところで今、カールスラントやリべリオンが合同で南極に探検隊を向かわせているの、知ってるか?」

 

そう言えばその様な記事を新聞で読んだような気もする。マーカスは肯定の返事を返した。

 

「ああ、知ってる。連合軍司令部直属の探検隊だろ?」

「その探検隊が向かっている場所がダイアー教授の遭難した場所と同じと言ったらお前、どうする?」

 

「・・・何だって?」

 

今から20年も前に遭難した探検隊が目指した場所と同じ場所に連合軍の探検隊が・・・?

 

「まさか、ただの偶然だろ?」

 

思わず息を呑んだマーカスがそう言った。確かに奇妙な一致ではあるが別にだからと言ってダイアー教授達に関係があると決まったわけじゃない。今の話を聞く限りではただの偶然の可能性の方が高い。そう判断したのだ。

 

しかしーーー

 

「確かに今の話だけだとそうかもしれない。だがその探検隊が出発する前にうちの大学に連合軍の兵士が来てダイアー教授が残した南極探検のデータを根こそぎ持って行ったって言ったらお前、どうする?」

 

「・・・一つだけ確認するがその生き残ったダイアー教授とやらはその後どうなったんだ?」

 

ピートがこめかみの辺りを人差し指でとんとんと叩きながら言った。

 

「病院送り・・・こっちの意味でな。南極で遭難した時によほどショックな物でも見たのか『バケモノを見た』とか言いながら発狂しちまったらしい」

 

次の瞬間、マーカスは思わず立ち上がっていた。

 

「ピート、これは売れるぞ!!」

 

これだけ『怪しい』話は2年に1度舞い込んでくるか来ないかのレベルだ。20年前に南極で壊滅したチームと同じ場所へ国際合同の探検隊が向かっている。しかもその事件の唯一の証言者で南極から帰還後に発狂してしまった人物が綴ったデータを半ば奪い去る様な形で持って行きながら

ーーー

 

これは使える。どうせうちの雑誌の信頼性なんか地に落ちるどころか地下を潜り進めているような物だ。そうなればあとはどれだけセンセーショナルな記事を書けるか。嘘でもいい。誰かののジョークのネタにでもなればいい。それでうちの雑誌の購買部数が増えるなら誰にも文句は言わせない。

 

「ありがとう。ピート、俺は早速この件について取材を進めることにする。進捗はまた追って報告するよ」

 

「喜んでくれたなら何よりだよ。何せ像の件では迷惑掛けたらしいしな。詫び料込みってとこだ」

 

そう言うとピートはおもむろに立ちあがり応接室のドアを潜った。

 

「夜からシカゴで学会があるんでな。そろそろ失礼させてもらうよ・・・マック」

 

「何だ・・・?」

 

今までの明るい声から一転して密やかな声へと移したピートにマックが問いかける。

 

「マックお前・・・ニューヨークタイムズに戻る気は無いのか?」

 

今まで自分の心の奥底に隠していた思い、それがピートの言葉によって一気に身体の芯まで突き抜けてきた。

 

元々全米でも屈指の大手新聞社、ニューヨークタイムズの特派員だったマーカスは記事の取材の為にネウロイとの戦闘が続く欧州へ飛んだ経験があった。そこでマーカスが目の当たりにしたのは傷つき、次々と倒れていくウィッチ達や兵士の姿だった。マーカス自身、リベリオン生まれのリベリオン育ちで『戦争』の本当の意味を知らなかった彼に取ってそこは異次元の空間であり、非現実な空間であり、何より紛れもない『現実』であった。様々な兵士やウィッチに従軍取材を繰り返すうちに彼らや彼女達にインタビューを行う機会も増えていった。

 

ーーー何故軍に入ったのですか?

 

ーーー怖くはないのですか?

 

ーーーーーー誰の為に、何の為に貴方は闘っているのですか?

 

ある若い少年は笑いながらこう言った「家が軍人の家系で・・・入ることが名誉だって言われたんです。けど自分はこの道で間違ってなかったと思います」

 

ある初老の戦車兵は達観した様にこう言った「怖い?確かに相手は恐ろしいやつだよ。けど軍に入っちまったもんはしょうがねえわな」

 

あるウィッチは照れくさそうにこう言った「友達とか・・・皆が生きてるこの世界を少しでも守れるなら闘おう・・・って思ったんです」

 

マーカスが行ったインタビューや取材の記事は日に日に増えていった。しかし、それらの記事を纏めたレポートを携えてリベリオン本国に帰還したマーカスを待っていたのは

あまりにも悲しい現実だった。マーカスがリベリオンのニューヨークはニューヨークタイムズ本社に戻って最初に編集長に掛けられた言葉は今でも忘れない。

 

『お疲れ様マーカス。大変だっただろう。ところで・・・これだけの記事を持ってきてくれた君には誠に申し訳ないのだが・・・これらの記事は差し替えにさせてくれないかね。何せあまりに重くて暗い記事ばかりだと発行部数が落ちてしまうのでな。ウィッチなんかに関しては軍のプレスリリースなどで十分だろう?そんなことより今はビバリーヒルズのセレブ達に関する記事を作成していてな。そっちの方を手伝ってくれないかね?』

 

その言葉を聞いた瞬間、マーカスは絶望した。人間はここまで想像力の乏しい生き物だったのか。地球の裏側で誰か見知らぬ人達の為に血を流しながら必死で努力し、頑張っている人間達に対してここまで冷たくなれるのか。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

ここはリベリオンの何処かのごく普通の家庭である。一家の主が朝起きて、テーブルに着く。母さん、朝ご飯はまだかね?そう言いながらテーブルの上に置いてある記事に手を伸ばす。『ハルファヤ峠、陥落の危機か』新聞の見出しにはこう書かれている。母さん、アフリカでの戦争が苦戦しているみたいだよ。すると母さんはこう答える。

 

『あらそう?怖いわねえ。けどアフリカの事でしょう?ここからはうんと離れているんだし私たちには特に関係ないわよ』

 

そうして起きてきた子供とともに一家団欒の楽しい朝食が始まる。さっきまで読んでいた新聞の内容などすっかり忘れてしまったかの様に。これが今のリベリオン国内の現状

だった。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

マーカスには信じられなかった。所詮人間は自分の身にその出来事が降りかかってこない限りは痛みなどわからない生き物なのか。他人の痛みを見ないふりして平然と生きていられる様な生き物なのか。この目の前にいる醜く出っ張った腹を抱えた編集長の様に。それからの事はマーカス自身よく覚えていない。戦地でのレポートをまとめた記事を置き土産に辞表を叩きだして全米の大手上場企業の新聞社から三流以下のゴシップ紙編集部へ。我ながら馬鹿をやったと思う。自分の記事が認められなかったから?それもある。しかし一番、マーカスの心に残ったのはおずおずとインタビューに答えてくれたあの幼さが残る少年兵や本国に孫もいると語っていた老戦車兵、そしてあどけない表情を見せてくれたあのウィッチ、あの場所で出会った様々な人たちの笑顔だった。

 

「ああ、俺はここで満足さ。俺にはニューヨークタイムズはお上品過ぎたみたいだよ」

 

「そうか・・・まあまた何かあればいつでも連絡をくれ。・・・じゃあな」

 

そう言うと今度こそピートはPCI編集部から立ち去って行った。ピートの後ろ姿を見送ったマーカスは心の中であの戦地での思い出を振り返りながら新しい記事の作成に手をつけようとしていた。そうさ、俺にはまだ記事を書くチャンスがある。いつか俺もあの子達の事をちゃんと・・・

 

マーカスは机に向かってタイプライターのキーを

打ち続けた。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

「そう言えば俺達・・・いえ自分達を助けてくれたあのマリアンさんとか言うウィッチはあの後どうしたんですか?」

 

506JFW基地兵舎の廊下、まだ昼間だからなのだろうか、電球は付いておらず、日の光が廊下に設けられた窓から直接入り込んでくる。隊長室での話が終わり、パ・ド・

カレーに向かう輸送機が到着したとの事で、滑走路に向かおうとした伊吹を

 

『外まで見送ろう』

 

と言い滑走路まで同行しようとしたジーナとその横を歩く伊吹がジーナに向かって尋ねた。

 

「大尉・・・マリアン大尉達はちょうどあの周辺空域の巡回に出ていたんだ。君達を見つけたのは僥倖だった」

 

ジーナが答える。

 

ジーナが答える。引退したウィッチは主に2つのパターンに分かれる事が多い。1つは軍に残り後輩のウィッチ育成・指導に励む者。もう一つは軍を退役し民間人として第2のスタートを切る者。稀にウィッチとして軍に入隊し出世街道を邁進する人間もいるがかなり稀な例だろう。506が刷新されると言うのはこの部隊のウィッチ達が上がりを迎えつつあるという事に他ならない。しかしながらジーナ程のベテランウィッチをはいそうですかと手放すのはあまりに惜しい。結果として506刷新後の新しい配属先としてジーナにはUSADCのポストが当てられたという事を先ほど彼女自身の口から聞いていた。もっともジーナ程のベテランウィッチを~の部分は伊吹の勝手な想像であったが。

 

『今のリベリオンには優秀な人材をみすみす手放す余裕は無い。ワシントンの高官からそうまで言われたよ』

 

そう語るジーナの目にはどこか自嘲じみた物が感じ取られた。

 

「で、自分達を助けてくれた後は?」

 

再び意識をこちらに戻した伊吹が言葉を続けた。

 

「もう一度巡回飛行に。最近妙にネウロイの活動が活発になっていてな。今日もネウロイが出現するという情報は無かったのだが・・・念には念という物だ」

 

結局自分達を助けてくれたウィッチ達をこの目で直接見ることは叶わなかった。せめて一言でもお礼を言いたかったのだが・・・そんなことを考えていた伊吹はふと心の中で引っかかっていた事を思い出す。

 

「あの、中佐。そう言えば彼女達は自分達がこの基地に来る事を知らない様でした」

 

あの時彼女は『そんな事は聞いていない』と言っていた。仮にも他国の軍用機が自分達がいる基地の防空空域にやってくるのだ。事前にブリーフィングなどで知らされててもおかしくは無いし、むしろそちらの方が普通ではないか。そう考えていたのだ。その瞬間ゴウンゴウンという重いエンジン音が聞こえてきた。滑走路の横にあるエプロンに暖気運転中の輸送機、Juー52が駐機しているのが見える。伊吹をパ・ド・カレーまで運ぶ為の機体だろう。

 

「・・・私はここのB部隊の隊長だ。部下の事は信頼しているし戦友と言ったもの以上の関係だと思っている」

 

滑走路に通じる兵舎の廊下を抜け、エプロンに出た瞬間、ジーナがそう呟きだした。

 

「なら何故・・・?」

 

伊吹が更に言葉を継いで追求しようとする。その伊吹の言葉を聞いたジーナの声が今までより小さくなる。

 

「気をつけろ・・・この世界の中には君達の様な存在が鬱陶しくてたまらない様な人間達もいるようだ」

 

「?」

 

「本来ならば君達がこのディジョン基地に伝える事は部隊の全員に伝えるべきだった。しかし少しばかり『前例』があったんでね。上の人間から出来るだけこの事は内密に

頼むと釘を刺されてしまった」

 

この人は何を言ってるんだ?俺達が邪魔?前例?

 

「あの、それってどういう・・・上の人間って誰ですか?陸軍参謀本部?」

 

ジーナは首を横に振った。

 

「違う」

 

「じゃあ陸軍長官?」

 

「違う」

 

「・・・大統領?」

 

ジーナの口元が少し緩んだかと思うと首が縦に振られた。

 

「冗談だろ・・・?」

 

しかしながら、この時の伊吹に取ってそれは幸か不幸か、ジーナは嘘は付かない女性だった。

 

 

続く



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3話 何かが道をやってくる

「あのネウロイ共は何をやっているんだ・・・?」

 

リべリオン合衆国海軍遣欧艦隊に所属するバラオ級潜水艦「レッドフィッシュ」の艦橋で双眼鏡を手にネウロイの動向を観察していたルイス・D・マグレガー艦長はそう呟いた。「レッドフィッシュ」の現在地点は北海沿岸から15km地点。艦橋からはカールスラントのキールを確認できる。本来この鐵の鯨は敵国の輸送船団や戦艦・空母を魚雷による強烈な一撃により行動不能、あるいは撃沈する為の物であった。しかしその様な作戦行動はネウロイなる未知の敵により唐突に終わりを告げた。本来の敵を見失った世界各国の潜水艦はこぞって攻撃から偵察へとその任務を変更されたのだ。この「レッドフィッシュ」も漏れなくその一隻であった。ネウロイは海を渡ってはこない上、上空からの攻撃も潜水して回避する事が出来る潜水艦という艦種にとってはそれはある意味天啓ではあった。そんな中、「レッドフィッシュ」に与えられた任務は北海側からのネウロイに占領された敵地の偵察だった。偵察活動を続けて2週間、特に変わり映えの無い、黒と赤のグラデーションに見を包み、人間が育んできた文化を我が物顔で踏みにじっていく光景を見てきたルイス艦長は潜水艦内での数少ないプライベート空間である艦長室にて仮眠を取っている最中に当直のワッチ(見張り員)に叩き起こされて艦橋へと呼び出されてきた。現在「レッド

フィッシュ」は浮上航行を行い、灰色の艦橋を海面にさらけ出している。そんな艦橋

にはルイス艦長の他に5人の見張り員がいたが、どの顔も信じられないと言った表情でその光景を呆然と見つめていた。

 

「わかりません・・・しかしあれは・・・まるで建物を建てている様だ」

 

ルイス艦長の横でその光景を双眼鏡を使って眺めている副官が呟いた。彼らが目にしている光景、それはネウロイがーーーあのネウロイが建物の様な物を『建造』し始めている光景だった。場所は過去にネウロイの侵略を受け、現在も人類の手には奪還されていないカールスラントの北海沿岸地区。そんな場所で『彼ら』は一体何を作っているのか・・・「レッドフィッシュ」の艦橋上には疑問と戸惑いの念が溢れかえり渦を巻いていた。

 

「艦長、私は今まで様々なネウロイを見てきましたがあんなネウロイは見た事が

ありません。あれはまるで・・・文明だ」

 

文明ーーー人類の土地を、文化を、生命を理不尽に奪ってきた憎き敵に文明が?

馬鹿な。ルイス艦長は戸惑いながらも言った。

 

「あれが何を意味するのであれ、ネウロイに関する情報は全て本国へ提供する

義務がある。私達はこの情報を持ってパ・ド・カレーへと帰還する。後は科学者の

仕事だ」

 

ルイスの指示に戸惑いで溢れかえっていた艦橋が元々存在していた軍隊組織としての精気が蘇った。

 

「急速潜航!本艦はパ・ド・カレーへ帰還する!総員艦内に戻れ!」

 

「急速潜航、アイ!」

 

ルイスの指示で艦橋のみが海面に浮上していた「レッドフィッシュ」はその姿を完全に海中へと消した。ここからはパ・ド・カレーへ帰還するまでが勝負となる。上空哨戒を行っているネウロイに見つからずに帰還する・・・ルイス・D・マグレガー艦長以下「レッドフィッシュ」乗組員66名の孤独な航海が始まろうとしていた。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

青い空の下に軽快なBMW-132A1のエンジン音が響く。カールスラント軍のマーク

を翼に描いたJuー52型輸送機がガリアの北部、ドーバー海峡を望むパ・ド・カレー、

欧州連合軍最高司令部の滑走路にその銀翼を降ろした。ディジョンの506JFW基地を離陸してから4時間。辺りは日が落ちすっかり暗くなっていた。Ju-52のエンジン音が少しづつ弱まり、アイドリング状態となる。やがて機体は格納庫横のエプロンに駐機した。機体の横にあるドアが中から開けられ、機体の中から伊吹が姿を現した。辺りを見回す。駐機場の横には巨大な石造りの要塞とも城とも思わせる様な重厚な佇まいの建物

がどっしりとその場に構えていた。扶桑の建造物には見られない作り方だ。そんな事を考えていたその時、

 

「君がイブキ・ヒイラギかね?」

 

横からいきなり声を掛けられた。声がした方を見てみるとそこにはリベリオン陸軍の夏季略装を着用した男性が立っていた。がっしりとした身体に短髪の出で立ち、いかにも軍人といった様相を醸し出す男性だった。

 

「はい・・・貴方は?」

 

「私はマレー・サンディー。リベリオン陸軍中佐だ。ようこそ我がワイルドファイアへ。

歓迎するよ」

 

そう言うとマレーは手を差し出してきた。伊吹もその手を握り返す。

 

「君以外のワイルドファイア関係者はもう既にここにいる。付いてきなさい。まずは顔合わせと行こうじゃないか」

 

「どこに行くんですか?」

 

「あそこだ」

 

マレーが指差す方向を見ると先ほど伊吹が見上げていた建物が目に入った。あそこは兵舎

だったのか。

 

「では行こうか」

 

兵舎の方に向かって歩き出すマレーの後ろを伊吹は離れないように付いていく。

何だか兵舎自体が自分を誘いこんでいる様に思えてならなかった。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

欧州連合軍最高司令部兵舎は地下2階、地上4階建ての作りになっている。その中でも3階にある大会議室に8人の人間が集まっていた。会議室にはUの字になったテーブルが置かれており、そのテーブルの頂点に位置する場所に腰を降ろしているマレーが口を開いた。

 

「さて諸君、ここにいるイブキ・ヒイラギが今日この場所に到着した事で我々ワイルドファイアは本格的にその研究活動を実施することになる。さしあたってはーーーまずは全員の自己紹介からいこうじゃないか。我々はチームだ。お互いの事を知らずには協力しあう事も難しい」

 

「賛成だ。特にその今日来た・・・イブキ君?だっけ?その子も我々の事を知らないだろうしね」

 

マレーの提案に賛成を示した男性はテーブルの一番端に座っていた。金髪の髪は長い事散髪をしていないのかぼさぼさ、かけているメガネのレンズは埃だらけだったが目の輝きには一点の曇りも見られない。自分の身だしなみより実験結果を追い求める。ある意味、典型的な研究者タイプといった人間だろうか。

 

「じゃあまず僕から自己紹介をという事でいいかな?マレー中佐?」

 

マレーが頷く。

 

「じゃあ改めて、僕はニールス・ボーマン。バルトランド科学アカデミーからやってきた。専門は物理。特に量子力学を中心に研究している。よろしく」

 

周りの人間の反応からするにここに集まっている人間達は既に一度自己紹介を済ませているのだろう。最後のよろしくは自分宛ての物なのだろうか。伊吹の頭の中にその様な考えが浮かんでくる。

 

「では私もだな。私はモリス・ウィルキンス。ブリタニアMRC分子物理学研究所から来た。専門は生物物理学だ」

 

ボーマンの横に座っている男性が口を開いた。顎髭を生やしたいかにも紳士といった装いは流石はブリタニア人と言ったところだろうか。更にウィルキンスの横に座っている男性も連鎖反応の如く口を開く。

 

「私はアレクセイ・ぺトラチェンコ。オラーシャ科学アカデミーから来ました。元々、外科医でしたがここに誘われた時は心底驚きましたよ。どうぞよろしく」

 

顎まで生やしたひげ面。その熊の様な巨体に似つかわしくない丁寧な言葉づかいはある意味での個性に近い物を感じる。真面目な信頼出来る医学者の様だ。

 

「次は君の番の様だが?ダンチェッカー教授?」

 

マレーがそう言った先には禿げ頭にメガネをかけた男性が座っていた。男性はふうと息を吐くとゆっくりと口を開き始めた。

 

「・・・私はヴィルヘルム・ダンチェッカー。カールスラントのカイザー・ヴィルヘルム研究所から来ました。生物学が専門です」

 

そう言うとダンチェッカー教授は再び口を閉ざした。伊吹が周りを見渡すと誰もが困った様な顔を浮かべていた。なるほど。この人もある意味で研究者らしいという事か・・・

 

「あー・・・ありがとうダンチェッカー教授。次はウルスラ君。よろしく頼む」

 

「はい。ノイエ・カールスラント技術省研究部からこちらの部署に配属になりました、ウルスラ・ハルトマンです。階級は中尉ですがここではあまり関係無い様ですね」

 

マレーに促されてウルスラと名乗る女性が自己紹介を始めた。綺麗なブロンドの髪に知的さを漂わせる銀縁の眼鏡。技術者と名乗るに相応しい容貌だった。それにしても・・・女性の研究員はこのワイルドファイアに一人だけなのだろうか?

最近では女性の研究者も少なくないとは聞くがいくら何でもこの男所帯だ。女性に

必要な設備は軍の基地内であり女性職員も少なくない数が存在する連合国軍司令部

内に存在するとしても女性一人では厳しいのではないか・・・そう伊吹が感じた

その時ーーー会議室のドアがノックされた。

 

「入りたまえ」

 

マレーの声。それと同時に会議室のドアが開けられ、室内に入ってきたのは長いブラウン色の髪を肩まで伸ばした女性だった。カールスラント軍の正式な軍服を着用している。軍人か・・・?

 

「イブキはまだ会っていなかったな。紹介しよう。元カールスラント空軍第3戦闘航空団司令でいまは我がパ・ド・カレーに本拠地を置く501JFWの司令、ミーナ・ディートリンデ・ヴィルケ中佐だ」

 

501JFWーーーかつてネウロイに占領されていたガリアを解放し、ロマーニャ地方に出現したネウロイをも破った伝説の統合戦闘航空団ーーー世界のウィッチ事情にそこまで詳しくは無い伊吹もそれぐらいは知っていた。何度か解散しては再編を繰り返していたと聞くが今は欧州連合軍のお膝元にいたのか・・・そう考えていた伊吹の思考に水を掛けるかのように女性の柔らかい声が耳に届いた。

 

「初めまして。貴方が扶桑から来た研究者の方ね。噂はかねがね、そこのマレー中佐から聞いていたわ。よろしく」

 

ミーナと名乗る女性が手を伊吹に差し向ける。その手を握り返した伊吹はミーナの後ろにもう一人女性がいる事に気付いた。紺色の軍服を着用している。曲 がりなりにも軍隊関連の研究所で研究を行っていた伊吹にはそれが扶桑海軍の軍服である事がわかった。

 

「あの・・・中佐、そちらの方は?扶桑人ですか・・?」

 

「あぁ・・・こちらは・・・」

 

そうミーナが言おうとしたその時、ミーナの後ろにいた女性が一歩前に出た。女性の肩には曹長の階級章が掲げられている。そのまま伊吹の前にやってきたかと思うと腰を10度に曲げた。着帽していない際の一般的な敬礼である。女性が顔を上げるとーーー

 

「申し遅れました!私、扶桑海軍海軍兵学校から欧州派遣隊としてここ501統合戦闘航空団で研修・研究の元、配属されております服部静夏と申します!」

 

「あ、あぁ・・・よろしく」

 

威勢のいい声、姿勢の良さ、確かに海軍兵学校の人間だろう。普段あまりしゃべらない技術職の研究者を相手にしている伊吹には何処か新鮮に映った。

 

「ごめんなさいね、伊吹さん、服部さんはいつもこうなの」

 

と苦笑しながらミーナ中佐。その声を受けて

 

「そ、そんなことはありません!扶桑海軍軍人たる物、いつも臨機応変にと坂本教官が・・・」

 

静夏が抗議する。間に挟まれた伊吹はたまった物ではないと首を窄めるが・・・

 

「申し訳ないな。お二人方、今は皆の自己紹介をしてたところでね。501の面々の自己紹介はまたするとしてミーナ君は何をしにここまで?」

 

女性二人に挟まれていた伊吹に助け舟を出す形でマレー中佐が口を出す。伊吹はようやく抗議する静夏とそれを苦笑しながら受け流すミーナとの間から抜け出る事に成功した。

 

「あぁ、すみません。マレー中佐。用といっても大したことじゃないんです。最近のネウロイの出現パターンをまとめたデータが完成から持ってきたんですが・・・まさか自己紹介の途中とは思わなかった物で。お邪魔して申し訳ありません」

 

「あぁ、前に君達にお願いしていたデータか。いや、こちらこそすまない。また後で取りに行かせてもらうよ」

 

「はい。わかりました。それでは失礼します。服部さん、行きましょう」

 

マレー中佐の言葉に満足したようにミーナと静夏は会議室を後にした。それを見ながら

さっき自分が疑問に思った事に答えが出たような気がした。何故このワイルドファイア

に女性が一人だけ放り込まれたか。答えは簡単すぐ近くに女性だけの部隊が存在するからだ。これなら昼間は他の研究者達と意見交換をし、夜はウィッチ専用兵舎に戻ればいい。何か緊急事態が起こってもこの距離なら即座に対応できるだろう。

 

「さて、あらかた自己紹介は終わったわけだが・・・伊吹、君は何か我がチームに疑問などは無いかい?」

 

再びテーブルに付いて喋り出したマレー中佐の声に伊吹の思考回路が一瞬フリーズした。何せここに来るまではまだ4.5日しか経っていない。基本的な事項は行きの輸送機の中で読んだつもりだが根本的な疑問としてはーーー

 

「何故この期に及んでこの様な部隊を結成したんです・・・?」

 

世界中の研究者を集めネウロイの研究に当てさせるーーーその様なアイデアは今までにもあったし実際に計画が立てられた事もあった。しかし、扶桑国内で伊吹が北郷大佐に言われた様に様々な思惑や利権の関係上、それらが上手く機能しなかったというのもまた事実。しかし今回この様な部隊が組織された以上、何らかの『事情』がそこに生じたのだろう。

 

「・・・なるほど。イブキ君にはまだ見せていなかったな。よかろう。付いてきた

まえ」

 

そう言うとマレーは他の人間にしばらくここで待機するようにと言った後、会議室から出るように伊吹に促した。会議室から出た2人がやってきた先は兵舎の地下に存在する巨大な倉庫の様な場所だった。この場所に至るまで、様々な場所に小銃を携行した人員が配置され、地下に入る場所で身分証のチェックを行われるといった厳重な警戒具合だ。

 

「ここは・・・」

 

あんなに厳重な警戒具合でやってきたのはただの倉庫?伊吹の口からそんな疑問を内包した様に言葉が漏らされた。

 

「本来ならこの場所は通常の倉庫として使われる予定だった。・・・今は軍事機密に指定されているがね」

 

軍事機密ーーー今まで軍の研究所に配属されていた伊吹はある程度のインフォメーション・クリアランス(情報取り扱い資格)は持っていた。しかしーーー

 

「君がこのワイルドファイアに参加した時点で君のクリアランスは最高の1に認定されている。心配はいらない」

 

伊吹の戸惑いを打ち消すようにマレーが言う。セキュリティークリアランスは主に1、2、3が存在している。1は情報の内容または情報の収集手段が一般に開示されると国家の安全保障に著しいダメージを与える情報。2はいわゆる通常の極秘情報、3は一般公開されると、その国家に致命的なダメージを与える情報。この人類が一致団結して、未知の敵と戦わなければいけない場面においてもこの様な制度が導入されている背景には連合軍、ひいては連盟空軍が犯した不祥事などを隠ぺいする為ともネウロイ大戦後の事を見据えた国家間の取引だとも言われているが実際の所は大国間のパワーバランスの駆け引きに他ならないのだろう。今までそう考えてきた伊吹にとっては別に自分の持っているセキュリティークリアランスのレベルなどに関しては無関心だったし、気にしてもいなかった。研究職である以上は研究に必要な最小限の情報だけ見せてくれればいいーーーそう考えていたのだ。しかし

 

「今から君が目にする物は連合軍の中でもトップクラスの情報だ。漏洩した場合には実刑判決が下される。いいかね?」

 

マレーの言葉に思わず身が縮む。そんな情報を自分が目にしてもいいのかーーー?

やはりここに来るべきでは無かったか?面倒な事になってしまったのか?上にいた人たちは全員『これ』を見たのか?様々な思いが現れては消え、消えては現れる。荒れ狂う思考回路の中、伊吹が口にした言葉はたった一言だった。

 

「・・・はい」

 

伊吹の言葉を聞いてマレーは頷く。

 

「よろしい。では君にも見てもらうことにしよう」

 

マレーが倉庫に付けられた厳重な鍵を解錠し、観音開きになった鉄の扇を一気に開く。その瞬間、伊吹の眼には倉庫の中央に鎮座する『それ』が見えた。一面黒一色、普段遥か彼方空の上で魔女達を相手どっている際とは体表面に色は違う物の・・・これは確かにそうだ。有志以来、人類の前に姿を現し、その圧倒的な戦力で幾多もの命と大地を奪った憎き存在ーーー

 

「ネウロイ・・・」

 

パ・ド・カレー、欧州連合軍最高司令部の地下深くにそれは漆黒の身体を横たえていた。

 

「今から数年前から世界各地の戦場でこの様な原型を保ったままのネウロイの残骸

が発見されている。これはその中でも特に状態がいい物だ」

 

驚きと困惑、それらが入り混じり、呆然としている伊吹の横でマレーが言った。

 

「数年前から・・・?ネウロイは撃破されたら光の粒子状の物質になる筈じゃ・・・」

 

「少し前まではそう考えられていた。しかしその粒子状の物質からでもネウロイの細胞片などはごく僅かだが採取されていたんだよ。極秘裏にではあるがね」

 

「そんなことを何で極秘に・・・世界中の学者に知らせればネウロイの研究はもっと進んでいたかも・・・」

 

「君はウォーロックを知っているかね?」

 

ウォーロック、その言葉を聞いた瞬間、伊吹の脳裏に浮かんだのは最早、都市伝説と化している『ネウロイの技術を利用した新兵器』の噂だった。

 

「ウォーロックは実在したのだよ・・・結果的には失敗したのだがね。それ以来連合軍はネウロイの生物学的な研究を事実上中止してしまった。ネウロイ関連の技術は人間には手に余る物と判断されたことと各地の戦況悪化に伴う研究収支予算の削減。結局ネウロイの生物学的研究に金を掛けるより、前線の兵士や装備に金を回す・・・合理的と言えば合理的ではあるがね」

 

「じゃあ何故今頃またこんな部隊を作ったんです?」

 

伊吹がマレーに再度問いかける。その様な事情があるなら何故手間がかかる割には研究が進まないネウロイの学術研究に軍が本腰を上げ出したのか。

 

「1つは対ネウロイ戦争の泥沼化が原因だ。・・・イブキ、君はこの戦争はいつ、終わると思う?」

 

「・・・率直に言わせてもらうと終わりが見えませんね」

 

「その通り、戦況の泥沼化、慢性化に伴う世界経済の悪化、増え続ける難民、日々消耗される前線の兵士やウィッチ達。君に倣って率直に言おう。世界はこの戦争に疲れ果てている。世界の政治家達の中に『この状態が続くのならいっその事、ネウロイの中身や生態学的特徴を一気に調べつくしてこの状況を打破する秘策を見つけよう』そう考える者が一定数出てきたんだ」

 

このままネウロイの確たる正体もわからないまま延々と戦争を続けるのならネウロイの正体を解明してさっさと戦争を終わらせよう。確かに今の世界の状況を鑑みるにそう考える者が出てきても不思議では無かった。更にマレーは言葉を続けた。

 

「2つ目にこいつの発見だ。さっきの政治家連中の意見には一つ穴があった。それは『どの様にして、ネウロイの原型を保ったままの死体を見つけるか』ということだった。ネウロイは通常、撃破されたら光の様な粒子になると思われていたのはさっきも言った通りだが・・・ここにある物は特別だ。何故か殆ど損害が無いままその姿をとどめている。まさに、この目的に合致している。この『死体』を解剖して奴らの弱点を見つけることが出来ないか・・・各国の研究機関はそう考えた。結果的にこの部隊が設置されたという訳だ」

 

戦争を早く終わらせたい各国政府とネウロイの生物学的研究を行いたい各国の研究者の利害が一致した瞬間だった。後の流れは伊吹にも容易に想像が付いた。

 

「あー・・・なるほど。で・・・このネウロイの『死体』で何かわかった事は?ここに保管してたって事は自分たちが来る前に米軍の研究者達が多少は『弄った』んじゃないですか?」

 

その伊吹の言葉にマレーが口元を緩める。

 

「よろしい、お見せしよう」

 

そう言うとマレーは軍服のベルトに刺していたミリタリーナイフを取り出しネウロイの『死体』に近づいて行った。そして・・・

 

「いいか?イブキ、よく見ておくんだ」

 

その瞬間マレーは『死体』の表面に一気にナイフを振り落とした。ネウロイの『死体』の表面に吸い込まれたナイフはいともたやすくその漆黒に染まった表面を切り裂いていく

 

「どういう事だ・・・?」

 

その光景を見ていた伊吹が思わず漏らした声はマレーの耳にも届いていた。

 

「驚いたか?通常ネウロイの表面は何か損傷を受けたとしても尋常ではないスピードで回復していくと言われているが・・・こいつは全くその様な傾向が見られない。受けた傷はそのままだ。そして・・・これも見ろ」

 

そう言うとマレーは伊吹が立っていた場所と反対の場所に立つように指示した。

 

「これは・・・なんです?」

 

イブキが目にしたのは一角だけ完全に表面が削り取られたネウロイの言わば「内部」だった。内部のは何か球体の様な物が入っているのが見える。ネウロイの臓器・・・?伊吹が訝しげにそれを見ているとマレーの声が倉庫の中に響いた。

 

「イブキ、下がっていなさい」

 

「え?」

 

振り向いた伊吹は伊吹の後にいたマレーの手にM1911自動拳銃が握られている事に気付いた。

 

「え・・・」

 

伊吹が声を上げようとした瞬間、3発の銃声が倉庫内に響いた。M1911のバレルから飛び出した45口径弾は寸分違わず、ネウロイ内部の『臓器』に吸い込まれた。がーーーそれらの弾丸は『臓器』に達するとカンという大きな金属音を立てて跳ね返されてしまった。跳弾が辺りに飛び散る。

 

「マレー中佐!」

 

「大丈夫だ。倉庫内は防音だから外には聞こえていない」

 

「そういう問題じゃなくて・・・」

 

「見てみろ」

 

「え・・・?」

 

いきなりの発砲に鼓膜が一瞬機能を失った伊吹は即座にマレーに抗議しようとしたが、マレーに促された光景を見て言葉を失った。

 

「傷が・・・」

 

「そう。全く付いていない。45口径弾はおろかライフル弾や12・7ミリの重機関銃でも同じ結果だったよ」

 

45口径弾3発を撃ち込まれた筈のネウロイの『臓器』は弾丸を弾いたときに発生させる筈の痕跡すら残さずに悠然とその銀色の塊をその場に存在させていた。

 

「・・・一体こいつは何なんだ?」

 

「それを調べるのが我々の役目だよ」

 

困惑を隠しきれない伊吹とそれを見つめるマレー、2人の前には謎を秘めたままその場に佇むネウロイの『死体』。2人と1つを収めた倉庫の中はまるで魔物の住処の様な妖しい空気が漂っていた。

 

 

 

続く

 

 

 

 

 



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4話 THE THING

部屋の中を沈黙が支配していた。部屋の窓からは目の前に設置された3000m級の滑走路が見える。欧州に展開している連合軍にとってパ・ド・カレーに次いで大きな基地であるこの場所を象徴する様な建造物だった。部屋の中にはリベリオン陸軍の制服を着た男性が事務机の前で腕を組みながら座っていた。制服のには少将の階級が掲げられている。その男性の前には同じくリベリオン陸軍の簡易制服を着た女性が立っている。

ふと男性が部屋を覆っていた沈黙を破った。

 

「では、ジーナ中佐、今回の扶桑軍機襲撃の件に関しては君に一切の責任があったと?」

 

男性の前に立っていたジーナが口を開く。

 

「はい。今回の件に関しては全てを把握仕切れていなかった現場指揮官のこの私に責任があります。現場で扶桑軍機の救援に向かった私の部下達はその場で適切な判断を下したと私は信じています」

 

先日に起きたガリア上空を飛行中だった扶桑軍機がネウロイに襲われた事件。その場において救援に駆けつけたディジョン基地所属のウィッチとディジョン基地司令との間で意思疎通が一部不鮮明な部分があったと両者の通信をキャッチしていた他の部隊から連合軍最高司令部に報告が上がっていた。この件に関してパ・ド・カレーに所在を置く連合軍総司令部はベルギカ王国はカストーに所在を置く連合軍作戦司令部に506ディジョン基地司令ジーナ・プレディ中佐を呼び、彼女自身に直接説明させる様にとの指示を与えた。軍の作戦などに関する人員や指揮系統はパ・ド・カレーに所在していたが、人員の管理や後方補給などに関しては、リスクヘッジの名の下にカストーに置かれていたのだ。そうしてジーナ・プレディ中佐はカストーは作戦司令部、人員整理及び後方補給、兵站に関しての権限を持つこの少将の前に駆り出されたという訳だ。

 

そんな事情も感じさせずに淡々と話すジーナの言葉を聞いて男性はゆっくりと息をついた。

 

「ジーナ中佐、君はこれからディジョン基地の司令を降りてワシントンに向かうのだったな?」

 

「はい」

 

「なら、ここで変な事を起こすのはやめたまえ。君の将来にも関わってくる事だからな」

 

「はい」

 

表情を崩さずに返事を返すジーナに根気負けしたかそれともただ単に呆れたのか連合軍の人員を預かる身分にいる目の前の少将は手を上げながらジーナに言った。

 

「もういい。今回の件に関してはこちらで片付けておく。下がりたまえ」

 

「失礼します」

 

そう言うと脱いでいた簡略帽を被り直し、ジーナは少将の事務室を後にした。用事は終わった。後はディジョンに帰るだけだ。そんな事を考えていると横から自分を呼ぶ声がした。

 

「隊長!」

 

「大尉か」

 

このカストー基地まで随伴として一緒にやってきていたリベリオン海兵隊大尉、マリアン・E・カールだった。自分が少将の部屋で詰問されている間、ずっと部屋の外で待ち続けていたらしい。ここに着いた時に随行員用に部屋が設けられていた筈だが・・・

義理堅い彼女らしい事だ。とジーナは内心感謝した。

 

「すまない、大尉、待たせたな」

 

「いえ・・・そんな事よりどうでしたか?」

 

「何も。おまえ達には何も心配しなくていいんだ」

 

「心配しますよ!!」

 

マリアンが予想外に大きな声を上げた。自分でも驚いたのかハッと周りを見渡す。

 

「大尉・・・」

 

「何であの機体が来ることを言ってくれなかったんですか?何かあたし・・・私達に言えない事でもあるんですか?それもわからないまま隊長1人が責任を取るなんてそんなの・・・」

 

そう言うとマリアンは上げていた顔を俯き気味に落とした。自分に知らされない場所で何かが起こっているのをどこかで薄々感じていたのだろう。それが予想以上に彼女達の中でストレスになっていたらしい。

 

「・・・大丈夫だ。責任とは言っても私や506の名誉に傷が付くわけでもあるまい。ここの少将が上手くやってくれる」

 

「それにしたって皆心配したんですよ。ジェニファーもカーラも・・・A部隊の奴らだって・・・」

 

参ったな・・・マリアンがここまで責任を感じているという事は他の隊員全ても同じような感じだろう。信頼している者に何か隠し事をされているかもしれない。その様な疑心暗鬼と自分たちの責任をジーナ1人が引き受けているという罪悪感。実際彼女達自身に何の責任もないのだがそこは命を預け合う仲間としての感情がそれを許さないのだろう。結局、最後は懇願する口調となったマリアンをどうにかこうにかあやしながら帰りの輸送機に乗るまで、ジーナはカストー基地のスタッフの目線を気にしながら基地内を移動する事となってしまった。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

「大尉」

 

帰りの輸送機内でふと思い出したかの様にジーナがマリアンに話しかける。

 

「はい?」

 

赤く充血した目をジーナに向けながら、マリアンがそれに反応する。

 

「大尉は今後先、いつまで自分がウィッチとして活動出来ると思う?」

 

「それは・・・」

 

ウィッチは基本的に魔力の減衰が始まる20代に差し掛かると、引退する事が暗黙の了解となっている。もちろん、20代に差し掛かってもテストパイロットなどでストライカーユニットを履き続ける者もいるが、それは例外と言うべきだろう。20代に差し掛かったマリアンにとってもそれは切実な悩みだった。

 

「もしマリアンがこの先ウィッチを限界になるまで続けたいというなら私は君の意見を尊重する。しかしこの先、ウィッチをやめて尚も軍人で居続ける気ならば・・・私に付いてきてくれないか?」

 

マリアンの表情が変わった。困惑と動揺の色が顔全体に行き渡る。

 

「それは・・・ワシントンにという事ですか?」

 

「そうだ。そこでなら全てを話す事が出来る。返事は今しなくてもいい。基地に帰ったら私の部屋に来てくれないか?」

 

ジーナがそこまで言うと、両者の間に沈黙が流れた。耳に入って来るのは自分たちを乗せた輸送機のエンジン音のみ。そうして2人を乗せた機体はベルギカからゆっくりとガリアはディジョンへと向かっていた。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

リベリオン合衆国 バージニア州 アーリントン

 

ヨーロッパ大陸からは海を隔てて存在するワシントンの空はすっかり日が暮れて、太陽の光の代わりに様々な場所に点在する建物の光が空を輝かせていた。そんな中、ここアーリントンにはひときわ目立つ巨大な白い建造物が存在していた。ワシントンの中心を流れるポトマック川沿いにどんとその巨体を構える五角形の構造物は今まで別々に分かれていたリベリオン合衆国軍の指揮系統を1つに纏め、統合組織として成立させるために作られた現代の神殿とも言うべき物だった。リベリオン合衆国国家軍政省ーーー

 

元々1945年にトルーマン大統領が発表した特別教書に端を発し、作られたこの機関は今までの陸軍省、海軍省を統括し、新たに発足するリベリオン空軍をも下部組織と置く為に作られた機関だ。巨大な軍組織を円滑に統合運用する為の機関、その為

に新たに新設された部門も数知れない。その中の最たる例がJCS(リベリオン統合参謀本部)だろう。元々1942年時から陸軍参謀総長、海軍作戦部長に陸軍航空司令官を加えて存在していた組織だが、今年に成立した国家安全保障法によりついに法的な裏付けが取れた為にここアーリントンの国家軍政省本部にその部門を新たに常設設置する事となった。その統合参謀本部は主に8つの組織、J-1と呼ばれる部署からJー8と呼ばれる部署に分かれている。栗色の長い髪を椅子の背もたれの外に放り出し、じっと部屋の中を渡している彼女はその中の情報収集・諜報を担当するJー2に配属されていた。『リベリオン合衆国国家軍政省統合参謀本部J-2航空作戦評価部門・内部査察部Lー4』いつ聞いても長ったらしい部署の名前だと彼女は内心辟易していた。本来なら兵戦略や政策部門に関する事柄は戦略計画・政策部門のJー5、並びに統合戦略開発部門のJー7の仕事の筈なのだがわざわざ諜報部門のJ-2にこの様な部署を配置したのは対ネウロイ戦争終結後を見据えた配置と巷では囁かれていた。

 

ーーー20歳近くになり、ウィッチを引退し、故郷へ戻って再び自分の事のやりたい事をしようかと考えていた時にどこからか掛かったJCS内部部局への誘い。仲間や戦友がまだネウロイとの戦闘で命を削っている中、自分だけが安全な地域に帰る事への抵抗があったのかもしれない。あるいはどこかから唐突にやってきたリクルーターが言った『ここの部署では実戦配備前の様々なエンジンやストライカーを見る事が出来る』という言葉も惹かれたのかもしれない。とにかく自分に踏ん切りを付けてワシントンのデスクワークに就いたものの、何かが違う。確かに実戦配備前の様々なエンジンやストライカーユニットを見る事は出来たし、合同会議の場で自分の経験則の応じた意見を発表し、その意見が実際に取り上げられた事もあった。しかしーーーやはり何かが違う。自分のやりたい事は果たしてこれなのか。ブリタニアやロマーニャの空で仲間達と共に空を駆け巡っていたあの頃とは確実に自分の中で何かが変わってしまった。ふとため息をついて部屋の中を見渡す。綺麗に装飾された部屋の内装に自分がここに来て着始めた陸軍航空隊(もうすぐ空軍になるが)の制服。以前着ていた簡易制服とは違う常用の、正式な制服の首元には金色に輝く『US』のピンバッジ、胸元には軍のウィッチとして配属された時に授与されたウィングマークと軍のウィッチとして対ネウロイ戦争に2年以上従軍した事をしめす徽章が輝いていた。

 

「・・・すっかりデスクワーカーになっちゃったなぁ」

 

ぼそっと呟いた声は重いの他広い部屋に反響して自分が思った以上の音量になって自分の耳に飛び込んでくる。その瞬間、ふいに部屋の扉がノックされた。

 

「あ、はい。開いてるよ」

 

「失礼します」

 

部屋に入ってきたのはこの部署の副官として配属されている男性係員だった。

 

「大尉宛にこの文書が」

 

副官は女性に茶色い封筒を差し出した。封筒には

 

 

『TOP SECRET UMBRA

 

 

TO・UNITED STATES LIBERION 

 

NATIONAL MILITARY ESTABLISHMENT   

 

JOINT CHIEFS OF STAFF J-2 

 

AVIATION OPERATION EVALUATION SECTION 

 

GENERAL MANAGER-SAVING

 

 

 

 

FROM・UNITED STATES ARMY AIR CORPS

 

THE 509 BOMBING GROUP THE INFORMATION BUREAU

 

 

FM・USL42/RF』

 

 

と書かれていた。

 

「なんだこれ?」

 

そう言いつつ封筒を開けようとすると・・・

 

「あーごめん。一応秘密扱いらしいんだ。すまないけど出てってくれないか?」

 

目の前にいた男性係員に向かって言葉を放つ。封筒には『重要機密事項』の文字が書かれていた。ここでセキュリティクリアランスを持たない彼に封筒の中身を見せるのは彼にとっても自分にとっても望ましい事とは言えないだろう。

 

「失礼します」

 

そう言って腰を折ると男性は部屋から退出した。いっそここの部屋に入る人はセキュリティクリアランスを取得した人間に限らせるといいのに・・・心の中で愚痴をこぼす彼女はしかし現在、軍の改変作業で何処も人材が不足している現実を知っていた。現場の兵員もデスクワーカーもそしてウィッチも・・・そう考えたところで視線を手に持っている茶封筒に戻す。

 

「また紙だ」

 

茶封筒の中から出てきたのはまたしても紙だった。分厚い。自分が昔使っていたP-51Dストライカーの整備マニュアルよりも分厚いのではないだろうか。

 

「ニューメキシコ州に出現した正体不明物体についての中間報告書・・・?」

 

ニューメキシコの不明物体?聞いたことがない。何故こんな物が統合参謀本部の、しかも諜報や情報収集が主な任務ののJ-2に送られてきたのか。何枚かページを捲ってみる。更に1ページ。もう1ページ、・・・彼女は気づいていなかった。報告書のページを捲る自分の手がどんどん早くなっている事に。そしてあれだけ分厚いと思われていた報告書をものの30分ほどで読み終えた時、彼女は再び先ほどの係員を呼び出す事となった。

 

「お呼びでしょうか?」

 

「うん。この報告書を書いたジェシー・マーシャルって人をここに呼んでくれないか?陸軍航空隊の第509爆撃航空群情報局所属の少佐だ。出来るだけ早くに」

 

「アイアイマム」

 

了承の返事をした彼は先ほどと同じく部屋から退出した。残されたのは彼女一人。

 

「まさかこんな事があるなんてなぁ・・・」

 

そう呟くと部屋から見えるワシントンの夜景に向かって一人呟いた。

 

「ルッキー二のやつ、今頃何してるかな・・・」

 

リベリオン合衆国国家軍政省統合参謀本部Jー2航空作戦評価部門・内部査察部L-4室長代理陸軍大尉 シャーロット・E・イェーガーは旧友の顔を胸に一人日々の日常を過ごす人々の痕跡を窓から眺めていた。そこに『戦時中』の3文字を感じ取る事は出来なかった。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

リベリオンには三大都市という物が存在する。1つはニューヨーク、1つはロサンゼルス、そしてもう一つは五大湖のほとりに存在する大都市、イリノイ州はシカゴだ。昼はビジネスで賑わい夜は奥様方のミュージカル鑑賞やショッピングで賑わうメトロポリタン。だがそんな大都市にも当然陰は存在する。今マーカスが歩いている裏路地などはまさにその典型的な例だ。じめじめして、生気や活気が感じられない人々に忘れられた場所。表通りの喧噪などがまるで聞こえない様な場所に、マーカスが目指すビルは存在していた。

 

「ビルってかアパートじゃねえか・・・」

 

そうマーカスが呟いたのも無理はない。確かに名前こそは一人前にビルとは名乗っているものの、どう考えてもその建造物は4階ほどの高さしか無くビルというよりかは、ただ単なる雑居アパートと言った方が言い得て妙な風貌だった。

 

「ここで大丈夫なのかね・・・」

 

ガセ情報を掴まされたか・・・?マーカスの脳裏にその様な思考が蔓延る。元々ここの編集部に移ってきてから積極的な取材をしなくなったマーカスがこんな場所に来たのは他でもない、自分自身が書いた記事が原因だった。今から1週間ほど前にマーカスが編集者を務める雑誌『PSI』の編集部に1枚の手紙が届いた。

 

 

『私は軍が南極で何をしているのかを知っている。至急連絡を寄越されたし』

 

 

差出人不明の手紙は人員不足の折、編集者にも関わらず自ら記事を書かねばならなかったマーカスが手がけた記事

 

 

『南極に眠る謎。軍の極秘任務とは!?』

 

 

の事を言っているらしい。当初マーカスはこの手紙を見た時、完璧に無視しようとした。この編集部に頭がイカれた変人から手紙が届く事などしょっちゅうだったし、今更こんな手紙に貴重な労力を割く事は無い。そう考えたのだ。しかしこの手紙をあのひげ面の編集長に見られた事がまずかった。このある意味・・・編集長の言葉を借りるなら『短いながらも魅力的』な文面は編集長の心を捕らえて放さなかったらしい。今までもこのひげ面編集長のわがままに付き合わされた事のあるマーカスは抵抗しながらも結局は半ば強制的に手紙に書かれていた住所を元にしてこの、まるでスラム街の様な場所に放り込まれる事となった。

 

「来てしまった物はしょうがないよなぁ・・・」

 

そうぼやきながらもここまで来てしまったのだからと自分に檄を飛ばす様にビル・・・もとい雑居アパートの中に足を踏み入れた。手紙に書かれていた階は確か4階だった筈だ。4階の405号室・・・階段を上がりながら階を去年得ていたマーカスはやがて目的地である4階の405号室のドアの前に立っていた。一呼吸置いて精神を落ち着ける。大丈夫だ。何かあればすぐ逃げればいい。この中にいる人間・・・おそらく狂人だろうがそいつがちょっとでも妙な真似をすれば即座にこの場所から逃げてやる。そう心の中で繰り返しながらマーカスは意を決してドアの横にあるチャイムを鳴らした。機械的な音が周囲に響く。

 

「留守か?」

 

誰も出てこない。留守なら留守で都合がいい。編集長には適当に誤魔化す事にして自分はとっとと・・・

 

「君がPSIのライターかね?」

 

マーカスの思考は突如として投げかけられた声に妨げられた。

 

「えっ・・・あっはい。PSI誌のマーカス・カーターです」

 

カーターの前には身長の高い男性が立っていた。全体的に四角い顔に白髪、鼻の下には四角く剃ったひげが生えていた。この男性が・・?

 

「あ、あの、以前うちの雑誌に南極の件を知っているという手紙を送ってこられたのはミスター・・・ええと、すみません。お名前を・・・」

 

「そんな事は後だ。それより君、ここに来るまで誰かに付けられたりしなかったか?」

 

「は・・・」

 

マーカスがきょとんとした顔になる。やっぱりこいつ、どこかおかしいんじゃないか?

 

「いえ、たぶんそんな事は無いと思いますが・・」

 

「なら早く中に入れ。話がある」

 

男性はそう言うとマーカスを無理矢理部屋の中に押し入れ、ドアに鍵を閉めた。

 

「そこがリビングだ。まあくつろいでくれ」

 

男性はそう言うとコーヒーを入れてくるとどこかに向かった。リビングに一人取り残されたマーカスは壁という壁に貼られている様々な紙に圧倒されていた。軍事、政治、オカルト、そして今や絶滅危惧種となった宗教まで。ありとあらゆるジャンルに関する事が書かれた紙が壁一面に貼られていた。

 

「ブラックはいける口かね」

 

振り向くと先ほどの男性がコーヒーを2つ持ってそこに立っていた。

 

「どうも」

 

というとマーカスは片方のカップを取って一口飲んでみた。味も普通のコーヒーだ。特に薬が入っているようではない。

 

「さて・・・何から話した物か」

 

男性はリビングにあるソファに座るとマーカスにも近くにある椅子に座るように促した。

 

「南極の件というのはいったいどういう事なんですか?」

 

ここでだらだらしていても仕方が無い。マーカスは単刀直入に聞くことにした。

 

「南極かね・・・なんてことは無い。奴らが計画を一段階進めたにすぎんよ。奴らは南極その物に興味がある訳ではない。南極に存在する『オブジェクト』が欲しいのだ」

 

「オブジェクト・・・?」

 

「そうだ、オブジェクトだ。これを見ろ」

 

そう言うと男性は壁からある1枚の紙を剥がした。それをマーカスの目の前にあるテーブルに叩きつけるように置く。

 

「これは?写真ですか?」

 

「そうだ。南極のあるポイントを上空から撮った写真だ。その丸印で囲んでいる場所に何かが写っているのが見えるか?」

 

男性にそう言われ、じっと写真をのぞき込む。確かに丸印で囲んでいる場所には何かが写っている。周囲の雪に同化しているがこれは・・・

 

「滑走路?」

 

「そうだ、滑走路だ。しかし世界のどの軍もそんな場所に滑走路を作ったなんて話は聞かない。そもそもこの事実を知っている軍の関係者がこの世界に何人いると思う?奴らはいつもそうだ。自分たちの都合のいい様に世界をねじ曲げる!奴らに取って末端の兵士は使い捨てに過ぎん!いや、この私ですらだ!」

 

男性の話はどんどんヒートアップしていく。ついに今まで座っていたソファから立ち上がって部屋の中を徘徊し始めた。

 

「そもそもウォーロックの制御は完璧だった!それを奴らは・・・あろう事がコントロールデータを書き換えた!奴らの技術を勝手に使用した私への制裁という訳だ。あの件で私は軍を追われこんな羽目に・・・」

 

そこまで言うと男性は電池が切れたかのようにソファの上に座り込んだ。マーカスはこの男性にどう接すればいいのかわからずただひたすら男性が落ち着くのを待つしか無かった。

 

「・・・あ、あのミスター?落ち着かれたなら何よりだ。私はこれでおいとまします。くれぐれも事故なんかにはお気を付けて・・・」

 

マーカスはそそくさと部屋を出ようとした。やはりこの男性は奇人変人の類いだ。長居してはいけない。マーカスの中の非常ベルがけたたましく鳴り響いているのを感じた。

 

「待ちたまえ」

 

さっきまでとはうって変わって落ち着いた、威厳のある声に変わった男性の言葉に部屋を出ようとしたまさにその瞬間だったマーカスの足が止まる。

 

「君は私を奇人変人だと思っているだろう・・・無理もない。私自身が未だに信じられない思いなのだから」

 

「・・・」

 

「私が軍にいた頃はこんな与太話を信じろと言われても一笑に付していただろう。君の気持ちもよくわかる」

 

「・・・あんた軍人だったのか?」

 

男性はソファから再び立ち上がると壁に貼ってあった紙を1枚剥がしマーカスに手渡した。マーカスが紙だと思ったそれは紙では無く写真だった。どこかの基地の前で男性が軍服を着てこちらの方をじっと見ている写真。写真の中に写っている男性は紛れも

無く今、目の前にいる男性だとわかった。着ている軍服からしてこの男性はブリタニアに所属していたのだろうか。しかも一兵卒などではない、かなり地位の高い階級・・・

 

「ブリタニア空軍で大将をやっとった。今となってはこの様だがね・・・」

 

そう言うと男性は自嘲気味に笑いマーカスに向かって言った。

 

「すまなかった。わざわざこんなところに呼んでしまって、もう帰りなさい。君まで危険を冒す事はない」

 

危険。そうだ危険だ。この男性の言うことは何もかもめちゃくちゃで整合性も何もない。普段のマーカスならこのままとっとと編集部に戻って暖かいコーヒーとドーナツを口に含みながらまたどうしようもない子供の作り話の様な記事を機械的に書いていくだけ・・・それでいいのか?

 

「・・・待った。もう少し話を聞かせてくれ。与太話かどうかはこちらが判断する」

 

マーカスの目の前にいる男性は心底驚いた様だった。鳩が豆鉄砲どころかアハト・アハトで撃たれてもこんな顔はしないだろう。

 

「私の話を信じるのか?」

 

「まだ信じるとは言っていない。だがただの狂人がブリタニア軍の幹部にまで上り詰める事など出来ないだろ?話してくれ。狂ってるかどうかはこっちが判断する」

 

最初の丁寧な言葉使いをやめたマーカスの目には再び光が宿っていた。かつて欧州各地の戦場で取材をしていた時の目だ。

 

「君の身が危険にさらされるかもしれない。今ならまだ奴らは君の存在を知らないがこの話を聞けば確実にマークされる」

 

「しつこいぞ。危険なら何度も経験済みだ。いいから話してくれ」

 

マーカスの真剣な表情に一瞬言葉を無くした男性は次の瞬間には意を決した様に口を開いた」

 

「よかろう・・・全て話そ・・・」

 

「あ、ちょっと待った」

 

男性の言葉をマーカスが遮る。

 

「何だ?」

 

「あんたの名前、教えてくれないか?取材対象の名前を知る事はジャーナリストとしての第一歩だ。俺はそう教わった」

 

「・・・名前か。暫く人から名前を呼ばれる事など無かったよ」

 

そこで男性は一呼吸置いた。

 

「マロニーだ。トレヴァー・マロニー。元ブリタニア空軍大将だ」

 

「マーカス・カーターだ。よろしく大将」

 

元大手新聞社の落ちこぼれジャーナリストと元ブリタニア空軍大将が初めてお互いの名前を交わした瞬間だった。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

「あいつらどうする?」

 

マロニーのアパートから200mほど離れた別のアパートの屋上に2人の少女が佇んでいた。

 

「現状待機」

 

最初に問いを出した少女の横で双眼鏡を覗いていた少女が声を出す。

 

最初に声を上げた少女はブラウン色の髪を長く伸ばし、服も年相応の物を着ていた。彼女を見た大人の多くは大きな目と眉はその少女自身が持つ活発さを身体全身から感じる事になるだろう。双眼鏡を覗いていた少女の容貌はそれとは打って変わり、肩の上まで切った黒髪と都会の人混みの中では見つける事が困難なほど地味な服装で、自分の存在を世の中から隠そうとしている

様だった。

 

「けどもしあいつらが委員会までたどり着いたらどうすんの?」

 

ブラウン色の髪の少女が再び問いかける。

 

「その時は・・・また別の手段を考えるさ」

 

そう言うと黒髪の女子はにこりと笑うと手に持っていた双眼鏡をおもちゃの様に弄び始めた。何故だろう。今日は腰のベルトに引っかけてあるホルスターに入れている、コレットM1903自動拳銃がやけに重く感じる。少女はそのまま双眼鏡を弄り続けた。

 

「大丈夫。何かあればすぐに連絡が入る筈さ」

 

「大丈夫かな~」

 

「大丈夫さ」

 

そう、大丈夫だ。少なくとも今は直接手を下す時ではない。黒髪の少女はそう言おうとして口を開いたがやめた。今はこれ以上何も言う必要は無い2人の少女はそれっきり黙ったままじっと下界に広がる景色を眺めていた。大都会と言う光の裏にある陰。ありとあらゆる物が絡まり、混ざり、溶けるカオス。黒髪の少女はそれが自分たちの運命であるかの様な錯覚を覚えていた。少女が首から掛けているペンダントが光る。そのペンダントはコインだった。都市の光を受けてその表面が反射したのだ。そのコインには『GETTO』の文字が刻まれていた。

 

 

 

 

続く

 



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5話 所有せざる人々

筆者のsinーsinです。更新速度が不定期で誠に申し訳ありません。今後は短めのストーリーなども交えて出来るだけ更新を継続していきたいと思いますのでどうかよろしくお願い致します。


リベリオン合衆国 マサチューセッツ州 アーカム

 

1797年にここアーカムに設立されたミスカトニック大学は考古学部、人類学部、歴史学部に加え、副専攻科目として医学部も存在し大学院まで備えている正に総合大学として長年多くの卒業生を輩出していた。その中でもミスカトニック大学付属図書館には世界でも珍しい書籍などが多数存在し、中にはかつて存在していたとされる宗教関連の魔道書なども存在しているという噂まであった。

 

そんな大学の敷地に足を踏み入れたマーカスとマロニーの2人は一息つく暇も無く、大学の総合案内所に足を進ませた。マロニーのアパートからここまで鉄道でまる1日間。鉄道で移動している最中、マーカスはずっとこの男の言うことを信じていいのだろうという葛藤に襲われていた。あの後マロニーが語った事。あまりに非現実的で突拍子もない内容に一時はやはり編集部に帰ってしまおうかと考えたほどだ。

 

しかし、目の前にいる男性の真剣な表情。そしてもし・・・もしこの話が現実の物だとするなら世界中にセンセーショナルを巻き起こす事間違い無しな話の内容には、言葉に出来ない妙な整合性が存在している様に思えた。どうせこの話が与太話だったとしても妙ちきりんな男と取材旅行に出かけたと思えばいい。いつしかマーカスは最初にマロニーに言われた『命の危機』という言葉を頭の中から消し去ってしまい、今回の一件を気軽な取材と思い始めていた。ひげ面の編集長には取材対象と共に更に綿密な取材を進めると言ったところ大喜びで取材許可をくれた。編集部お墨付きのサボりという事だ。かくしてマーカスとマロニーはその日のうちにシカゴから東海岸へ向かう鉄道に乗り込み、はるばるこの町までやってきた。

 

「失礼、ここの考古学部で准教授をやっているピート・マクモンドという人物にお会いしたいのですが・・・」

 

総合案内所では眼鏡を掛けた老婦人が椅子に座りながら新聞を読んでいた。そこにマーカスが声を掛ける。昨日の段階でまずはこの情報源となった人物に話を聞いてみる事にするという事は2人の中で決まっていた。いずれにしてもそこからで無いと話は進まない。

 

「ピート先生にご用が?」

 

「ええ、私は彼の友人で。近くに来たのでちょっと挨拶をと・・・」

 

すると老婦人は一瞬困った様な顔になる。次に話し始めたのは意外な言葉だった。

 

「実はピート先生、先日から行方不明になっているんですの」

 

マーカスの動きが止まった。後ろから思い切り冷水をうなじ当たりにぶっかけられた気分だ。

 

「行方不明?」

 

マーカスの横にいたマロニーが老婦人に問う。

 

「ええ・・・なんでも最近全く連絡が取れないので先生の家に学生さんが行ってみたら家の中がめちゃくちゃになってたとか・・・ついさっきもFBIの方が来てらっしゃって・・・」

 

FBI。その言葉を聞いたとたんマロニーの顔色が一変した。

 

「そうですか、すみません。お時間を取らせました」

 

そう言うと挨拶もそこそこにマロニーはマーカスを引っ張るようにして総合案内所、そしてミスカトニック大学の敷地から離れた。

 

「いきなりどうしたんだよ?」

 

大学から500mほど離れた所でようやく落ち着きを取り戻したらしいマロニーに向かってマーカスが詰問する。

 

「FBIは駄目だ。もう既に奴らの手中に入っている。彼らが来ているという事は連中も私達の事に感づいているかもしれない」

 

マーカスの脳裏に昨日マロニーが言っていた言葉が反芻する。

 

『命の危機』

 

その後にこの情報を持ってきてくれた友人の大学助教授が行方不明になった。

 

「冗談だろ・・・」

 

与太話だと思っていた。この事件も偶然の一言で片付けられる事かもしれないーーー出来すぎている。彼が失踪したタイミング。まるで誰かがこの目の前にいる男性の話は本当だと証明しているかのように。もしそうだとすると未だに実態が見えないピートを拉致した人間達の言いたいことはただ一つ

 

『この件から手を引け』

 

だ。これはマロニーにも、そしてマーカスに対しても共通の警告だろう。しかし・・・

 

「まさか。あり得ない。あんたの話が本当だったとしてもあまりに対応が早すぎる。その・・・何だ?何か変な団体がピートを拉致したとして一体いつの間に俺とあんたが接触したなんて情報を?偶然だよ。だいたい、あんたの話を聞いてたらたちの悪いSF小説みたいだ」

 

「タチの悪いSFか・・・そうだ、奴らはその通りなんだよ。そんな絵空事を本気で考えている・・・」

 

そこまで言うとマロニーは言った。

 

「やはり君は帰りなさい。元の生活に戻るんだ。今なら奴らもまだ見逃してくれる。事件を大事にしたくないはずだからな。付き合わせてすまなかった」

 

マロニーはそう言うとゆっくりとマーカスの前から離れていった。マロニーの背中が遠ざかっていく。マーカスはその場で呆然と立ち尽くしていた。今まで自分がどんな戦場でも生き残って取材を続けられていたのは危ない事には極力首を突っ込もうとしなかったからだ。ジャーナリストの使命はどんな状況でも生きて情報を持って帰る事。どんなに新鮮で貴重な序湯法でも持って帰る者がいなければそれはただの無価値な『モノ』と化す。

 

マーカスはどんな状況下でも自分が生きて帰る事を優先して行動してきた。それが正しいジャーナリストの姿だと思ってきたから・・・今回もそうだ。奇妙な男から奇妙な情報を入手して助湯方言の元まで来てみたらその情報源自体が謎の失踪を遂げていた。危ない匂いしかしない。マーカスは火薬庫の中でたばこを吹かしながら歩けるほど肝の座った男では無いと自覚していた。だから今回もこのまま編集部に帰って編集長に何の手応えもありませんでしたと報告して叱責を受けるだけ・・・そうだそれで何もかも元に・・・なるのか?友人一人失った挙げ句何もわからず仕舞いで?今目の前をこちらに背を向けて歩いている男の言うことが正しいのかわからない。もしかしたら危険がつきまとうかもしれない。だが自分は何も情報をつかめてやしない。これでいいのか?これで本当にーーー

 

「マロニーさん」

 

気づいた時には声が出ていた。

 

「こっちも友人一人いなくなってるんだ。このままああそうですかと引き下がれると思うか?」

 

振り返ったマロニーがじっとマーカスを見つめる。

 

「・・・これからどうすればいい?」

 

マーカスの顔には笑顔が浮かんでいた。その口元が引きつっていた事は彼以外が知るよしもなかった。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

「これ、本当に提出するんですか?」

 

連合軍第105技術研究団の部隊に割り当てられたパ・ド・カレー欧州連合軍本部兵舎の一室。その部屋に立つ伊吹の手には分厚い書類の束。一番上の書類には

 

『Real nature ignorance object experiment observation

 

first interview report』

 

(正体不明物体実験観察所見報告書)

 

の文字が書かれていた。

 

「ああ、そうだ。何分こんな部隊でも軍隊組織が軍隊組織でな。上に出す書類ちゃんとしなければならないんだ」

 

とマレー中佐。なるほど。確かにこれだけの分厚さの書類を提出されれば軍上層部の人間はひとまずは安心するだろう。これだけの報告書を提出するからには何か収穫があったに違いないと。科学知識に疎い彼らがこの報告書を読んで以前まで研究が進んでいた程度の事を小難しく書き直しただけだと気づくまでにざっと2週間ぐらいはかかるだろうか。

 

連合軍第105技術研究団。通称ワイルドファィアが本格的にチームと始動し始めてから約1週間。この間マレー中佐をリーダーとする研究者達は既に研究が進んでいるネウロイに関する生態やブリタニア軍から提供されたデータなどを用いてネウロイのあらゆる情報を収集する事に努めていた。データが足りていなかった訳ではない。むしろ多すぎたのだ。ワイルドファイアの元に寄せられた情報は正に玉石混淆。有用な情報もあれば眉唾ものの情報もあり、それらを解析していくだけでも大変な量だった。本来その様な情報の仕分けなどはワイルドファイアに至るまでに軍当局の研究機関などが行うべき類いの作業だったが彼らにもその様な余裕がなかったのが理由の1つ。そしてもう1つの理由がワイルドファイアに所属する研究者のほとんどが自分で情報を見極めないと気が済まないとマレーに申し出たからだ。

 

「研究者の性ってやつかな。自分で使えるモノかそうじゃないかを区別しないとどうにも安心できない」

 

バルトランド人の物理学者、ニールス・ボーマンは隣で資料の仕分けを手伝っていた伊吹に向かって笑いながらそう話しかけてきた。本業が外科医で研究者の立場ではないペトラチェンコも彼らのやり方に文句を付けず黙々と作業を手伝っていた。そうしてようやく全ての資料に目を通し終えたのがつい昨日の事だった。更にそこから軍の上層部に提出する『所見報告書』とやらを提出する為にもうひと作業。結局出来上がったのは今までの研究結果と大して変わらない『インチキ文書』だった。実際ワイルドファイアの面々はこの1週間資料の整理に追われていたのだから研究どころではなかった。文句を吐いてこの部隊から離脱する人間がいなかったのが不思議なくらいだった。

 

「何はともあれこれでようやく研究を進める事が出来る。今後はこういった作業はご勘弁いただきたい物ですな」

 

マレー中佐の横に立っていた生物学者、ダンチェッカーが口を開く。窓から差し込んでくる太陽の光が彼の眼鏡のフレームに当たって反射する。彼に取ってこの作業は決して愉快な物ではなかったらしい。

 

「全くですな」

 

生物物理学者、ウィルキンスも同意の意を示した。

 

「皆、よくやってくれた。私はこれからこのインチキ・・・失礼。所見報告書を上に提出してくる。戻るまでしばらくゆっくりしていてくれ。お偉方の会議に巻き込まれるとは思うがおそらく夕方には戻れると思う。それでは解散してくれ」

 

マレー中佐の言葉を聞き終えると同時に部屋の中にいた研究者は思い思いに動いた。自室に戻り自分の研究のレポートを纏めようとする者。同じく自室に帰り休息を取ろうとする者。

 

「伊吹はどうするんだい?」

 

伊吹に声を掛けたのはボーマンだった。理由がわからないが伊吹がこの基地に来てから何かと基地内の情報を教えてくれたり色々と親身になってくれた人間だった。お世辞にも社交的とは言えない伊吹もそんなボーマンの事を最初はいぶかしげに思いながら今はきさくとまではいかないまでも普通に話せる様にはなっていた。

 

「ちょっと外に。しばらく部屋にこもりっきりだったからちょっと外の空気を吸ってくるよ」

 

 

そう言うと伊吹は兵舎のすぐ横にあるエプロンに向かって歩き出した。ボーマンは肩をすくめながら黙って伊吹の後ろ姿を見送っていた。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

思えばここに来てから1週間も経つのにこの基地の建物の位置関係などは全くと言っていいほど把握していなかった。まあ軍の部隊とはいえど所詮は一研究集団に過ぎない自分たちがここの基地について詳しくなったところでどうと言う話でもないのだが・・・そんな事を考えながら伊吹は兵舎と滑走路を挟むようにして鎮座しているエプロンを歩いていた。本来ならば輸送機や偵察機、連絡機などのエンジン音が響いているであろうこの場所はしかし今日はやけに静かだった。周りを見渡してみても機体などの類いの陰は見当たらない。最近はこの辺りにネウロイが出たという情報も少ないし殺気立って貴重な予算を無駄にしたくないという事なのだろうか。

 

「エプロンは関係者以外立ち入り禁止な筈だが?」

 

いきなり後ろから声を掛けられた。勝手にここに入るのはまずかっただろうか。振り向いて詫びの言葉を入れようとした伊吹が目にしたのは整備員などの姿では無くその場に仁王立ちする女性の姿だった。端正に揃えられた前髪と意思が強そうな目。もう夏場だというのに律儀に扶桑海軍の制服をキチッと着こなしている。

 

「・・・以前どこかで会いましたか?」

 

詫びの言葉より先に伊吹の口から出てきた言葉がそれだった。だから自分は人付き合いが苦手なんだと内心毒づきながらも目の前の女性はそれに気を悪くした様子もなくこちらの様子を伺っている。ふとその女性が口を開いた。

 

「・・・なるほど。北郷先生から前途有望な子を送ったとは聞いたが確かにその通りみたいだな」

 

「は・・・?」

 

女性の口から出た『北郷先生』という言葉。この女性はもしかして自分をここに寄越したと言っても過言ではないあの北郷大佐の事を言っているのか?

 

「もしかして北郷大佐の事ですか?」

 

「大佐・・・そうだ。自己紹介が遅れたな。私は扶桑皇国駐欧武官、扶桑海軍所属の坂本美緒だ」

 

思い出した。坂本美緒。かつて501JFWにて戦闘隊長を務め、華々しい戦果を上げた扶桑海軍きってのエースウィッチ。ウィッチなどの情報には疎い伊吹でも毎度の如く新聞やラジオから流れてくるその名前に聞き覚えが無い訳がなかった。そういえば新聞記事に目の前の女性の写真が掲載されていたのを見たことがある。さっきの既視感はそのせいだったのか・・・

 

「そういえばまだ君の名前を聞いていないが?」

 

「え?」

 

唐突に坂本が切り出した。そういえばまだ自分は名前すら名乗っていない。目の前の坂本少佐の如く有名人でもない自分を目の前の女性が知っている訳がない。そう思った伊吹は素直に自己紹介をする事にした。

 

「自分は・・・扶桑の登戸研究所からここに派遣されてきた柊伊吹です。一応軍の研究所にいたから軍属扱いにはなるのかな。けど軍人じゃないですね」

 

「なるほど。君は研究者か」

 

そう言うと坂本はいきなり笑い出した。

 

「どうしたんです?」

 

「いや、すまない。実は君の事は名前も立場も既に知っていたんだ。さっき北郷せん・・・大佐から君の事を聞いたと言ったろう?」

 

そういえばさっき初めて話しかけられた時そんな事を言っていた。自分が間抜けになったような気分が身体の奥深くから脳内に流れてくる。

 

「じゃあ何でいちいち話かけたんです?」

 

「いや、すまない。一度君と話してみたかったんだ。ところで・・・」

 

坂本はそこで一旦話を切ると急に神妙な顔持ちになった。伊吹が怪訝な顔をする。

 

「研究の方は上手くいっているのかな?」

 

この類いの質問には現状では伊吹は困り果てるしか道がない。伊吹含めワイルドファイアチームやそれに属する人間達が握っている情報はセキュリティクリアランス的には最上位に位置するレベルの物である。そんな情報をうかつに外部の人間にぺらぺら喋ってしまう事など出来ない。下手すればMPに連れられてそのまま刑務所行きという事も考えられる。すみません、それは答えられないんです。伊吹がそう答えようとしたその時、

 

「大丈夫だ。さっきも言った通り私は北郷大佐から全て聞いている。今君が思っている情報なども全てだ。間違っても君が刑務所に送られる事はない」

 

伊吹の懸念をくみ取ったかのような坂本の発言。その言葉を聞いた伊吹は1つため息をつくと観念したように口を開き始めた。

 

「・・・正直な話を言うと何もわかりません。ブリタニア軍から寄せられたウォーロックのデータはネウロイの表面上の細胞を採取してそこから人工的に『ネウロイのコアの様な物』を作り上げたに過ぎない。だからあれは厳密に言うとネウロイじゃない。『ネウロイの形をした兵器』だ。しかも不確定要素が多すぎる。事実あれはコントロール不能になって暴走した。この1週間色んな資料に目を通したけど有用な物はほとんど見つからなかったんです。生物学的見地からネウロイを見る為のデータが圧倒的に不足してるんだ。最近面白い論文が出た。リベリオンのハーシーとチェイスって人が書いた論文。簡単に言うと生物を構成するタンパク質のアミノ酸配列が遺伝物質であるって事を書いてた。バクテリオファージを用いて実験したらしいがまあそれはどうでもいい。とにかくそのアミノ酸配列・・・DNAって言うんだけど・・・そのDNAもゲノムってやつを解析したら色々とわかるんだ。人間のゲノムは多分ヒトゲノム。このゲノムってのは『1つの生物を構成するのに必要なDNAの塩基配列全体』を指す言葉なんだ。もし奴ら・・・ネウロイにもネウロイゲノムなんて言える物質があるのならそれを解析する事が出来れば奴らの設計図が手に入ったも同然。そもそも塩基配列自体本当は塩基じゃなくてヌクレオチドの連なりだから今の説明は若干難ありなんだけど・・・」

 

一気に喋りつくした伊吹はふと気づくと坂本がこちらの方をじっと凝視しているのに気が付いた。しまった。言い過ぎた。研究者には共通の癖がある。それは『自分の世界に入ると周りが全く見えなくなる』というある意味悪癖とも言える性質だった。その性質は伊吹にも漏れる事なく備わっていた。後悔しつつも坂本の方を伺う。『意味がわからない』と言われるか『もっとわかりやすく言え』と言われるかーーーだが次の瞬間坂本の口から出てきた言葉はそんな伊吹の予想のどれにも当てはまらない言葉だった。

 

「凄いな」

 

「え?」

 

「実を言うと君の事をすこし疑っていた。本当に研究者なのかと。だが今の発言を聞いて確信したよ。すまなかった」

 

そう言うと坂本は腰を曲げ綺麗に伊吹に向かって頭を下げた。

 

「・・・大丈夫ですよ。慣れてますから」

 

『本当にあの年で研究など出来るのか?』

 

『あんな若造を引き抜くとは北郷大佐も頭が狂ったか』

 

ここに来る前に色んな人から様々な声を受けた。中には純粋に欧州での研究を応援してくれる物もいたが圧倒的に多かったのは自分より若い人材が欧州というネウロイ研究の最前線に引き抜かれた事に対する嫉妬混じりの中傷だった。そんな声を背中に受けながらこの値にたどり着いた彼に取ってたとえ軽く見られていようが素直に頭を下げる事の出来る目の前の女性は信頼出来る人物に写った。何か超えを掛けようとしたその時、

 

「美緒!こんな所にいたの」

 

「ミーナか」

 

頭を上げた坂本がこちらに走りよってくる501JFW司令官、ミーナ中佐に呟きかける。

 

「心配したのよ。急に部屋からいなくなっちゃうんだもの」

 

「すまない。彼と少し話をしたかった物でね」

 

「あなたは・・・確かワイルドファイアの人ね」

 

ミーナと坂本の視線が伊吹に集まる。

 

「はい、ワイルドファイア所属の柊伊吹です」

 

「伊吹さん、ここは関係者以外立ち入り禁止区域です。許可が出ない限りこの辺りには近づかない様に」

 

「はい、すみません」

 

ミーナの注意に素直に謝る伊吹。ここでもめ事を起こす道理は何処にも無い。そもそも勝手にここに入った自分が悪いのだ。そんな伊吹の様子を見て

 

「よろしい」

 

と注意していた時の顔とは一変優しげな表情になるミーナ。

 

「彼を引き留めてしまった私にも責任はある。それよりミーナ、聞いてくれ。彼はなかなか凄い研究者でな。いつの日か宮藤博士をも追い抜くかもしれん」

 

2人のやりとりを横で見ていた坂本も会話に参加してきた。夏の日のパ・ド・カレー、ここにはまだ戦時下といえどもこんな会話を楽しむだけの余裕が確かに存在する。その余裕はいつか壊れるのだろうか。ミーナと坂本に挟まれながら伊吹は1人その様な事を心の中で反芻していた。ずっと、ずっと・・・

 

 

 

続く

 

 

 



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5.5話 COMMUNION

今回は短編となります。キャラを自分の中で上手く生かしていくのが中々難しい・・・と言うか短編にしても投稿頻度がそれほど上がってませんね・・・申し訳ない。


「完全に迷った・・・」

 

柊伊吹はさまよっていた。階段を上ったのは覚えている。廊下を歩いていたのも覚えている。ここがどこかは・・・わからない。

 

「まずいな・・・」

 

何故こんな事になってしまったのか。事態は30分前に遡る。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

「まったく持って理解に苦しみますね。奴らの感覚器官は一体全体どうなっているんだ」

 

会議室に置かれたテーブルの前に立っているウィルキンスが書類を持ちながら呟いた。

 

「ネウロイの表面には感覚器官らしき物は存在せず・・・か。これほどうしたものかな」

 

ウィルキンスの横にいるボーマンが困り果てた様な苦笑を浮かべながら発言する。

 

1週間の地獄の様な書類整理の器官を終えたワイルドファイアチームはいよいよ本格的にネウロイの解析に取りかかろうとしていた。その中でまず彼らが行おうとしたのが『ネウロイの感覚器官に関する解析』だった。本来動物の感覚器官という物は動物を構成する器官の内、何らかの物理的、化学的刺激を受け取る受容器として働く器官の事を指す。各器官は感覚器系と呼ばれそれぞれの器官が繋がる末梢神経系を通し神経系を構成する細胞、ニューロンを介して中枢神経系に伝えられる。感覚器の種類には視覚器、聴覚器などが存在し、視覚器は目。聴覚器は耳といった様に動物が外界の情報を取得するのに必要不可欠な器官であるが、ネウロイにはこれらの感覚器官という物が今の所確認できておらず長年ネウロイがどの様に外界の地形や景色といった情報や音を検知しているのかが謎のままとなっていた。その謎に立ち向かおうとしたワイルドファイアチームはたちまち壁にぶつかってしまう。まず彼らが行ったのはネウロイの表皮を採取してそこに感覚器官の類いがあるのかを解析する作業だった。ネウロイの一細胞を採取しただけのブリタニア軍研究チームには出来なかった芸当だ。その結果驚くべき事実が判明した。

 

「ネウロイの表皮はハニカム状の分厚い装甲になっています。しかもそれぞれの孔の面積が均一になっていて最も強度が損なわれない形状になっている。これは人為的な設計以外あり得ません」

 

人類史上最初にこの事実に気づいた生物学者となったダンチェッカーは断言した。こんな形状は生物界では蜂の巣などで見られるがそれでも各孔の形状や大きさにはばらつきが出てくる。これほど正確に、精巧な作りになっている形状は自然界ではあり得ないと。感覚器官の謎を解析する筈がそれ以上の難題にぶつかってしまった。しかも当の感覚器官に準ずる様な器官は表皮上には確認出来なかったとダンチェッカーは続けて報告した。その報告書を閲覧したウィルキンスが呟いた一言が先ほどの台詞である。

 

「1つ謎を解明しようとすると2つも3つも新たな謎が出てくる。全くもって厄介な敵だな」

 

その場の中心にいたマレー中佐が忌々しそうに口を開いた。

 

「ダンチェッカー教授の言う通りなら奴らは人工物かそれに準ずる生物って事になる。いや、生物ですらも怪しいが・・・伊吹、君はどう思う?」

 

「え、俺?」

 

ボーマンにいきなり話を振られた伊吹が困惑した表情を浮かべる。伊吹自身今の話を聞いていて理解出来ない事が多すぎるのだ。明らかに自然物体では無いようなネウロイの構造。その体内は未だに人類の手が入ったことのないロスト・ワールド。今の時点で考察出来る事と言えばごくごくわずかな事だけだ。

 

「・・・これは単純に思ったことなんだけど。ネウロイって本当に生物なのかなとは思った」

 

「ほう」

 

伊吹の発言に最初に反応したのはボーマンでもダンチェッカーでも無い、ワイルドファイアのリーダー、マレー中佐だった。

 

「続けて」

 

マレーが促す。

 

「なんて言うか、人為的な意思が介入してる気がする。奴らの戦い方を見ても」

 

「戦い方ですか」

 

ワイルドファイアの紅一点、ウルスラ・ハルトマン中尉が反応する。

 

「ああ、戦い方。奴らは欧州で人類と散々戦ってる癖に太平洋沿岸や人類にとって重要な拠点や戦略物資が大量にある場所は攻めてこない。まるでゲーム感覚みたいだ」

 

「なるほど・・・興味深い考察だな。ありがとうイブキ。皆少しここで気分を入れ替えよう。30分休憩にする。各自ゆっくりしてくれ」

 

マレーの言葉が会議室の中に響く。その言葉を聞いた瞬間各自がばらばらに散る様はこの1週間ちょっとで何度も見た景色だ。伊吹も固まった身体をほぐす為に運動がてら少し兵舎の中を動いてみようと思い会議室を後にした。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

「完全に迷った・・・」

 

ここで話は冒頭に戻る。

 

「まずいな・・・」

 

辺りを見回してみても廊下に存在するのはドアと日が差している窓のみ。案内板の様な物は見当たらない。基地の中で迷子になるとは。途方に暮れかけたその時

 

「ハルトマン大尉!今日こそはちゃんと部屋を掃除してもらいますよ!」

 

廊下に怒声の様な物が響いたかと思うと伊吹の前を何かが一瞬で通り過ぎた。

 

「うわっ」

 

思わずバランスを崩しかけた伊吹の身体を横から伸びてきた腕が支えた。そのまま手を伸ばしてきた人物に声を掛けられる。

 

「大丈夫?」

 

伊吹の身体を支えた人物は女性だった。どこかで見たことがある。そうだ、ワイルドファイアのウルスラ中尉だ。でも何でこんな所に・・・?その時、廊下の角から別の女性が飛び込んできた。

 

「ハルトマン大尉!!」

 

「うわっ、ハットリ。まだ追ってきたのかぁ・・・じゃあね」

 

目の前のウルスラ中尉はそう言うと伊吹の前から素早く姿を消した。その場に取り残された伊吹は呆然と事の成り行きを眺めるしかなく・・・その時伊吹の横に先ほど廊下の角から姿を現した女性が息を切らしながらやってきた。

 

「大尉・・・本当にすばしっこい・・・ん?」

 

「あ、、、」

 

伊吹と女性の目が合った。伊吹は新しく目の前に現れた女性には今度こそ間違いなく見覚えがあった。この基地に着任した初日、地下の倉庫に保管されていたネウロイを見せてもらう前に会議室にやってきたミーナ中佐の後ろにいた女性。確か名前は・・・

 

「服部さん・・・だったっけ?」

 

伊吹の眼前で棒立ちになっていた少女、服部静夏は伊吹の言葉を聞いた途端直立不動の姿勢になった。

 

「扶桑皇国海軍海軍兵学校からやって参りました・・・」

 

「いや、いいから。それも前も聞いたから」

 

依然と同じ自己紹介を始めそうになった静夏を制止する。

 

「それより元の場所・・・会議室に戻りたいんだけどさ。帰り道知らない?迷ったんだよ」

 

きょとんとする静夏。

 

「ここはウィッチ隊の宿舎ですよ?」

 

「・・・は?」

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

「マジかよ・・・どうやったらそんな所まで来るんだ」

 

結局あの後全ての事情を説明して静夏に会議室まで送り届けてもらうことになった伊吹は改めて自分の奇跡的なまでの勘違いに心底あきれ果てる事になった。伊吹が自分で登ったと思っていた階段を実は下っていたのだ。その結果1階まで降りてきてしまった伊吹は連絡通路を渡ってそのまま横の宿舎に設けられているウィッチ隊の宿舎へ入りそこを気づかぬままうろうろしていたという訳だ。

 

「この基地は広いですからね」

 

そう横にいる静夏が言ってくれるのがせめてもの救いと言うべきか。そんな事を思いながら先ほど渡ってきた連絡通路を静夏と渡っている途中、向こう側から2人組の女性が歩いてきた。

 

「ハットリ、そいつ誰だ?」

 

2人組の内片方の女性は静夏に声を掛けた。美しい白銀の長い髪に陶器を思わせるような白い肌。まるでモデルの様なプロポーションからは想像出来ないほど雑な言葉使いだ。

 

「駄目よ。エイラ、初対面の人にそいつなんて言っちゃ」

 

「うっ・・・」

 

エイラと呼ばれた方とは違う女性がその言葉使いを窘める。エイラと呼ばれた女性はその子には逆らえないのか俯いたままになってしまった。

 

「エイラ大尉、サーニャ大尉」

 

「あーその言い方堅苦しいからヤメロって」

 

「いえ、規則ですから」

 

「最近ちょっとは堅苦しくなくなってきたと思ったのになぁ・・・」

 

エイラと静夏の会話を楽しそうに見つめるサーニャと呼ばれた女性はその容姿通りの穏やかそうな声の持ち主だった。

 

「静夏ちゃん、そちらの方は?」

 

サーニャが伊吹の方を向きながら静夏に訪ねる。

 

「こちらの方は・・・」

 

「この基地に駐屯している研究部隊の研究員をしてます柊伊吹です。よろしく」

 

静夏が口を開くより先に伊吹が自己紹介を手早く済ませる。ここで妙な話の流れになるのはごめんだ。

 

「研究部隊?お前研究なんか出来るのか?」

 

「エイラ」

 

伊吹の方を訝しげに見るエイラをまたしてもサーニャが諫める。

 

「そう言えば大尉達はどうしたんですか?」

 

「少し司令部の方にミーナ中佐から言われた用事があって」

 

「サーニャと一緒に行ってきたんだ」

 

静夏の問いにエイラとサーニャが答える。

 

「まあこれから宿舎に戻るつもりだったんだけど・・・ハットリは何でその・・・えっとイブキ・・・だっけ?イブキと一緒にいるんだ?」

 

今度はエイラが静夏に問いを投げかける。確かに普通ではおなじ基地内の人間とは言えあまり接点が無い者同士だ。事実彼女達とイブキが顔を合わせるのもこれが初めてなのだから。

 

「えっとそれは・・・柊さんが兵舎の中で迷っていまして。ハルトマン大尉を追いかけてる時にそれを見かけたので元の場所に案内しようと」

 

「兵舎の中で迷子?大丈夫かよ・・・?」

 

「ここの基地はかなり広いから・・・気を付けてくださいね」

 

エイラの苦言とサーニャの心遣いが交互に伊吹の脳内に侵入してくる。有り難いのか貶されているのかよくわからない。

 

「じゃあ、私達は宿舎に戻るから・・・またね、静夏ちゃん。イブキさんもまた・・・」

 

「あっ、待ってくれよサーニャぁ」

 

伊吹達から遠ざかっていく2人を見ながら伊吹はほっと息をつく。本当に・・・人付き合いは苦手だ。人に合わせよう合わせようとして必ずどこかでボロが出る。そんな事を何回も経験しているからこそ余計に人との接し方がわからなくなっていく。今は上手くやれていただろうか。そもそも人付き合いなど殆ど縁が無いのだから今更人からどう見られようが自分の知った事ではない・・・そんな事を考えていると

 

「行きましょう。柊さん」

 

横から響く静夏の声。

 

「・・・あぁ」

 

口から出た言葉は結局その一言だけだった。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

「ここが会議室のある兵舎です」

 

伊吹がウィッチ宿舎の中をさまよい始めて30分。ようやく元いた兵舎に戻る事が出来た。

 

「ありがとう。助かった」

 

「いえ、では私はこれで失礼致します」

 

「あ、そういえばさ」

 

背を向けて立ち去ろうとした静夏に伊吹が声を掛けた。

 

「はい・・・?」

 

「最初に会った時ハルトマン中尉を追いかけてたみたいな感じだったけど、何で追いかけてたんだ?」

 

「あぁ・・・あれはですね・・・ちゃんと言いますとハルトマン大尉です」

 

「ハルトマン大尉・・・?ウルスラ技師は中尉だろ?」

 

「それは双子の妹さんの方です。501統合戦闘航空団に着任しているのは姉のハルトマン大尉です。エーリカ・ハルトマン大尉」

 

「・・・マジ?」

 

頭の中で電光が炸裂した。そう言えば扶桑本国でカールスラント宣伝省が発行している雑誌にさっき廊下ですれ違った女性と同じ顔が掲載されていた。人類史上最もネウロイを撃墜した人物。戦乙女。扶桑語に翻訳された記事にはその様に書かれていた。しかし・・・

 

「自分が雑誌で見た時にはもっと凜々しい感じだったような・・・ってか双子だったのか・・・」

 

伊吹がこぼした一言に静夏は苦笑した。

 

「ちょっと印象のすれ違いがあるみたいですね・・・本当はもっとおおらかと言うかいい加減というか・・・あっ、いい人なんですよ?凄く。ただ柊さんが見た記事の感じとは若干違いがあるかな・・・とは。ウルスラ中尉は凄くしっかりした方なんですけど」

 

取り繕う様に言葉を並べる静夏。こころなしかフォローになっているようでなっていない気もする。今の話を聞いた上で伊吹が扶桑で見た『凜々しい』ハルトマンの写真と照らし合わせてみると要するに・・・

 

「・・・プロパガンダって凄いな」

 

見たくも無い世界の一面を目の当たりにしてしまった伊吹とそれを見せたくなかった様な静夏のなんとも言えない表情が2人の間を取り巻く空気を名状しがたい物へと変えていった。

 

 

 

続く

 



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6話 結晶世界

リベリオン合衆国、バージニア州アーリントンに居を構えるリベリオン合衆国国家軍政省の建物は巨大な五角形の姿をしている事から巷では「ペンタゴン」という渾名が付けられているらしい。そうシャーロット・E・イェーガー『空軍』大尉が知ったのは先ほど昼食を買いに行こうとして訪れたペンタゴン中庭にあるホットドッグ屋に訪れた時の事だった。

 

「大尉さん、知ってますかい?このホットドッグ屋はこんな場所にあるもんだから他の国の諜報機関とかに、ここが軍政省の一番重要な場所だって思われてるらしいですぜ」

 

初めて訪れた中庭のホットドッグ屋の店主は他にこんな話もしてくれた。中々愛想がいい店主だ。着任してあまり間も無いシャーリーに対して軍政省だったり、色んな戦場での出来事だったり、様々な事を教えてくれた。元々陸軍の兵員として欧州に派遣されていたが負傷して内地に帰還し、なし崩しでこの稼業にたどり着いたと店主はシャーリーに説明していた。そして、自分が戦場にいた時にシャーリーの様なウィッチに命を救われたとも。恥ずかしくなったシャーリーがはにかみながら、

 

「今はもうウィッチじゃないよ」

 

と言っても

 

「いやいや、何を仰います。俺はあんた達みたいなウィッチに助けられたんだ。助けられた恩は返しますよ」

 

と言い結局昼食の代わりとして買ったホットドッグとポテトのセットの金額をかなりサービスしてくれた。

 

「有り難いけど太るかな・・・」

 

そう呟きながら昼食を終え自分のオフィスに帰ってきたシャーリーはデスクの上にメモが置かれているのに気が付いた。

 

「なんだこれ?」

 

メモをテーブルから取り上げ目で追ってみる。

 

『15時30分 来客予定』

 

「来客・・・?」

 

おかしい。今日は誰もこのオフィスに来る予定は無かったはずだ。

 

「変だな」

 

そう訝しげに思いながらシャーリーは副官の男性の元を訪ねる。副官はシャーリーのオフィスを出てすぐの所に設置されている机に座って書類を整理していた。報告書などを整理するのはシャーリーの役目だが、そこに至るまでの細かな書類整理などは主に副官が担当する。今回の様な来客に関する手続きなども一旦この男性副官を経由してからシャーリーの手元まで届く事になっていた。

 

「おーい、ちょっといいか?」

 

「はい、なんでしょうか」

 

シャーリーの声に気づき、書類から目を離した副官が答える。

 

「この来客予定ってどこの誰の事なんだ?自分の予定には無かった筈だけど」

 

そう聞くと副官は怪訝そうな顔をした。

 

「え、大尉。聞いていらっしゃらないのですか?」

 

「え?」

 

「さっきここの回線に送られてきたんですよ。以前に大尉がコンタクトを取って欲しいと言われていた第509爆撃航空群所属のジェシー・マーシャル少佐という方からです。『後でそちらに向かうので大尉に知らせておいて欲しい』と。大尉に前もって許可はいただいているとも話されていましたが」

 

「なんだって!?」

 

そんな事は一切聞いていない。確かに以前マーシャル少佐にこちらからコンタクトを取ったことはあったし、近いうちにワシントンに来てもらうといった事も話していた。しかし今日ではない。それどころか彼女がワシントンに来る日も未だに決めていなかった筈だ。マーシャル少佐にはあれ以来こちらからメッセージを送っていないはず。なのに・・・

 

「ちょっ、ちょっと待て。それ本当?」

 

「はい・・・大尉は聞いておられなかったのですか?」

 

当たり前だと言いたくなる気持ちをぐっと抑える。実際この副官に何か言っても始まる事では無いし、マーシャル少佐にはいつかワシントンに来てもらわなければならなかったのだからその予定が少し早まったと考えればいいだけの事だ。唐突な情報に混乱し、熱が籠もった脳内がだんだん冷えていき、落ち着いてくるのが自分でもわかった。頭に手をやりヒートアップしかけた頭を元に戻す。

 

「・・・今日の15時30分だな?」

 

「はい、そのようにと」

 

前に501にいた時はこんな事無かったのにな・・・ワシントンに来てから色々な物を見て、色々な物事に追われている内にどこかで何かが変わってしまったのだろうか。こんな姿、ルッキー二に見せられないな・・・

 

「わかった、ごめん。ありがとう」

 

目の前で困惑している副官にそう言うとシャーリーは副官の元を後にした。自分のオフィスまでの道をたどりながらリベリオン軍から支給された腕時計で現在の時間を確認する。14時27分。あともう少し時間がある。その間に何をしようか・・・と考えた矢先にさっき自分のオフィスに入った際に山の様にデスクに積まれていた書類を思い出してしまった。

 

「・・・」

 

陰鬱な顔を隠そうともしないまま自分のオフィスに帰ってきたシャーリーは結局、相手が指定してきた15時30分まで自室のデスクで報告書群と格闘しなければならない羽目になってしまった。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

「リベリオン陸軍、第509爆撃航空群情報局所属ジェシー・マーシャル少佐です」

 

シャーリーのオフィスに入ってくるなりジェシー・マーシャルと名乗る女性は挙手の敬礼を行いながら言葉を続けた。

 

「今回は事前に十分な説明もないままこちらに押しかけてしまう様な形になってしまい申し訳ありません」

 

「今度からは事前にちゃんと教えてくれると有り難いかな」

 

あくまで階級上ではシャーリーの方がマーシャル少佐より下になる。しかし曲がりなりにもワシントンの本庁舎で部署の担当者を務めているシャーリーと一地方爆撃群の情報部所属の士官では軍の階級バランスが壊れてしまう事は想像できる事であったしシャーリーもマーシャル少佐も殊更その様な事を気にする柄ではなかった。以前501にいた時は一応は敬語だったんだけどな・・・と内心独りごちる。ワシントンと501JFWでは現場の空気など、全てが違ってしまっていた。

 

「今回はニューメキシコ州に現れた未確認物体の事についてとの事ですが・・・」

 

「そう。一つ報告書を読んでて気になった事があったんだ。だから少佐にわざわざ来てもらう事にした」

 

意識を戻したシャーリーが椅子に座ったままマーシャル少佐に話し始めた。あくまで少佐はシャーリー、ひいては国家軍政省Jー2の『情報提供者』としての扱いだ。

 

「私の手元に来た報告書には『今回ニューメキシコに現れた未確認物体は完全に乗物、しかも人間が使用していた物』って書かれてたんだ。・・・この報告書を作ったのは少佐。あなたが?」

 

「はい。そうです」

 

「何であんな断言できる様な書き方を?」

 

「失礼ですがこの部屋には盗聴器の様な物はありますか」

 

「・・・何でそんな事を?」

 

「念のためです。本事案は国家の最高機密として扱われる案件になる事も考えられますので」

 

部屋に入り挨拶もそこそこに盗聴器の有無を確かめてくる。尋常じゃない。そう思いつつもシャーリーは否定の言葉を発した。

 

「無いよ。こんな部屋を盗聴しても特に役に立つ事は見つからないだろうしね」

 

シャーリーがそう言った瞬間、少佐が手元にあった鞄の中から何枚かの写真を取りだし、シャーリーのデスク上に置いた。

 

「これは?」

 

「我々はあの後、農場にあった未確認物体を基地まで運び、綿密に調査しました。その結果驚くべき事実が浮かびました」

 

どこか狂言師の様な言い回しをする少佐はそのまま言葉を続ける。

 

「1枚目の写真をごらん下さい」

 

そう少佐が指し示したのは未確認物体の破片らしき写真だった。写真の中には五角形に似た形の破片が写っている」

 

「これがどうかしたのか?」

 

「その破片にはアルファベットの文字が書かれていました」

 

「これに・・・?」

 

そう言うとシャーリーは食い入る様に写真を眺め始める。確かによく見ると五角形の内側にうっすらと文字の様な物が見える。更にその文字の上には何かのマークの様な物が書かれていた。

 

「何て書いてあるんだ?」

 

「我々が解読したところアルファベットの大文字で『EG』その下にその文字よりは小さく『33 OG AF 0748』と書かれていました。上のマークの様な物については今のところ不明ですが何かしらの部隊記号では無いかとの見方が大きいです」

 

「・・・他に文字か何かは?」

 

「2枚目の写真をごらん下さい」

 

シャーリーが手に持つ写真を入れ替える。今度は元の形状を想像するのが困難なほどバラバラになった破片の様な物が写っていた。しかしその壊れ方からはこの残骸が元々は何らかの機械であった事が想像出来る。

 

「そちらの写真こそが我々がその未確認物体を人工物であると判断した最大の要因です」

 

「どういう事?」

 

「そちらにもアルファベットで文字が書かれていました。矢印の様なマークの中に『RESCUE』その横には我が軍の所属を表すマークに類似した星形のマークも確認されました」

 

そこでシャーリーがハッとした表情で写真から目を離し少佐の方を見た。

 

「リベリオン軍のだって?」

 

「正確に言えば『リベリオン軍機の国籍マークに酷似したマーク』です。大尉」

 

もしこれが本当にリベリオン軍機かそれに属した物ならばこれは航空機という事になる。・・・聞いたことが無い。こんな形をした航空機など。そもそもこんな五角形の様な部品を積んで空を飛べるのだろうか?いや、そもそもこれが航空機という確証は何処にもない。どっかのいたずら坊主が1夜で組み立てたガラクタ芸術品・・・いや、これはもしかして・・・

 

「新種のネウロイ?」

 

「いえ、それはありません。この物体からはネウロイのコアに当たるような物は何も検出されませんでした。その代わり・・・」

 

「何?」

 

「残骸の後部からはエンジンの様な物が発見されました。魔道エンジンとも、従来のレシプロエンジンとも異なる未知の推進器です。今現在調査中ですが・・・もっともこれがエンジンかどうかすらわかりません」

 

シャーリーの頭の中に次々と飛び込んでくる情報は報告書を読んだ時よりもはるかに凄まじい威力を持っていた。全く未知の推進器で移動する未知の乗物?

 

「わからないなぁ・・・」

 

首をひねるシャーリー。それを見つめる少佐はどこかその様子を面白おかしく見ている様に思える。

 

・・・シャーリーが以前にこの件に関する報告書を読んだときに感じた違和感。それを証明し、解読する為に報告書を書いた本人をわざわざワシントンまで呼び寄せたのに担当者の話を聞くたびに更に話がややこしくなっていく。意味がわからない。そこまで考えた時ある疑問が頭に浮かんだ。

 

「そういや少佐はなんでこれを私の所に送ってきたんだ?」

 

この報告書の内容云々以前の話だった。今目の前にいるマーシャル少佐から報告書を送られた後に、副官に命じてこの方向書がNACAといった研究部門に送られているのかを確認させたことがあった。結果はNO。報告書が送られたのはシャーリーの手元とあと1つ、欧州のとある研究グループにのみという事がわかった。何故少佐はこれを軍の解析機関やCIAの様な情報機関に送るようなそぶりも見せずに自分自身の所にだけ送ってきたのか。その疑問を今ここでぶつけてみようと思ったのだ。

 

「それは・・・」

 

シャーリーの問いにマーシャル少佐が答えようとしたその時、鋭いブザー音が鳴った。外部からこのオフィスの中に連絡する際になるブザーだ。シャーリーがデスク近くにある受話器を取る。

 

「はい、こちらシャーリー」

 

「大尉ですか?」

 

501のメンバーとはいかないまでも既に聞き慣れた声。先ほどの男性副官だった。

 

「シャーロットだけど何かあったのか?」

 

その途端男性副官が慌てたように喋りだした。

 

「今さっき庁舎の玄関で2人組の男が暴れてたんです。その連中はすぐに取り押さえられて別室に運ばれたんですがーーー」

 

 

「それで?」

 

「その男達がさっきから509爆撃群のジェシー・マーシャル少佐を出せと騒いでるんです」

 

その瞬間目の前にいた筈のマーシャル少佐がシャーリーのすぐ横に立っていた。そのままシャーリーから受話器をひったくり受話器の向こうに向かって話し始める。

 

「わかりました。すぐそちらに向かいます」

 

「ちょっ、おいおい・・・」

 

困惑するシャーリーの言葉など耳に入らないという様に少佐は手に持っていた受話器を元の位置に戻す。そしてーーー

 

「行きましょう。大尉。本件の重要参考人の方々がお待ちです」

 

そうシャーリーに語りかけるとそのままオフィスから出て行ってしまった。後に残されたシャーリーは暫くその場で呆然とした表情で立ち尽くしていた。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

「お前じゃ話にならん!!ジェシー・マーシャル少佐を出せと言っとるんだ!この建物に入ったのをちゃんと見たんだぞ!!」

 

国家軍政省地下の警備保安室、お世辞にも広いとは言えないこの殺風景な部屋で、周りを警備員に囲まれながら1人の男が口角泡を飛ばしていた。その横にいるもう一人の男は全てをあきらめた表情でそれをその様子をじっと見つめている。

 

「全く・・・こんな事をしている暇は無いんだ。少佐がいないのならすぐに私達を解放しろこのリベリアン共め!」

 

男性の言うことがそろそろ罵声に変わろうかという正にその時、警備保安室の扉が開き、2人の女性が警備員に囲まれながら入ってきた。その内の1人の女性は保安室で警備員相手に諍いあっていた男性、トレヴァー・マロニーを見た瞬間驚きの表情を見せた。マロニー自身もその女性を知っていた。何を隠そう自らの暗躍で潰そうとした部隊のメンバーだったのだから・・・

 

「あんた何でこんな所に・・・」

 

警備保安室に収容されていたマロニーを見た瞬間に驚愕の表情を見せた女性、シャーロット・E・イェーガーが困惑の色を隠せないまま呟く。

 

「お知り合いですか?」

 

マロニー達を取り囲んでいた警備員がシャーリーに向かって問いを投げかけた。

 

「いや・・・そういう訳じゃ」

 

「トレヴァー・マロニー。元ブリタニア空軍将軍。もう一人はマーカス・カーター。雑誌の記者・・・あの売れないゴシップ誌ですね」

 

少佐が警備員から渡された『被疑者』のデータを淡々と読み上げていく。

 

「・・・私の名前を呼んでいたのはどちらの方かしら」

 

データをそばにいた警備員に返すと氷の様な声色で目の前にいる男性2人に呼びかける。研ぎ澄ます様な視線を向けられて反応したのはマロニーだった。

 

「私だ」

 

「貴方は何故私の事を?」

 

「以前、雑誌で見てね。君のファンになった。是非一度お会いしたいとワシントンくんだりまでやってきたはいいが君に会う方法がわからない。ここに来れば君の居場所がわかるかなと思ってきたら運命だろう。君がこの建物に入ってくるのが見えた。そして今君は私の目の前にいる。・・・ああ、そうだ。この紙にサインしてくれないかね」

 

そう言うとマロニーはポケットの中から何も書かれていないメモ用紙を取りだした。さっきまでの様子とは全く違う落ち着いた態度、そして彼がこんな騒ぎまで起こした理由の馬鹿らしさ。シャーリーを始めその場にいた少佐とマロニーを除く全員が呆気にとられ呆然とした表情になる。マロニーの横にいる男性もポカンと口を開けた間抜けな表情となっていた。

 

「・・・まず私はワシントンの本省勤務ではありません。私の部隊はロズウェル陸軍飛行場・・・先日付でウォーカー空軍飛行場になりましたが。私はそこの基地所属の人間です。ここに来ても私に会えるという事はありません」

 

そう言いながら少佐はマロニーが差し出したメモ用紙にサインの様な物を書き込んでいく。

 

「それと・・・このような方法は迷惑極まりないので金輪際お止めいただきたい」

 

「・・・なるほど、わかったよ少佐」

 

何かを書き終えたメモを少佐から受け取りながらマロニーが呟く。

 

「お連れして下さい。用事は済んだ様です」

 

少佐は警備員にそう言うと、そそくさとシャーリーを連れて部屋から出て行こうとする。後に残されたのは成り行きを見守っていた警備員達とマーカス、そしてシャーリー達の後ろ姿をじっと見つめるマロニーのみだった。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

「おい、どうするんだよ!ただあの軍人達を怒らせただけじゃないか!!いい案があるってあんたが言ったからワシントンくんだりまで来たのにこれか!?あんたがペンタゴンの玄関で騒ぎ出した時必死で止めたよな!?」

 

国家軍政省の前に位置する小さな公園。そこに先刻国家軍政省の警備保安室から解放された2人の男性、マーカスとマロニーがいた。

 

「あの時とっとと、あんたから離れとけばよかった・・・おかげで俺はペンタゴンのブラックリスト入りだ。・・・もうここに取材で入ることも出来ない・・・」

 

目の前で先ほど女性の少佐からもらったメモをまじまじと眺めているマロニーに向かって恨み辛みを吐きだしていくマーカス。この男性と関わってからという物、あっちに行ったりこっちに行ったり振り回されっぱなし。挙げ句の果てにリベリオンの軍事の中枢部で騒ぎを起こされこの狂人と同じく地下の営倉行き。もう沢山だ。

 

・・・しかしよくよく考えてみよう。そもそもこの目の前の狂人としか言いようが無い老人に着いていこうと決めたのは誰だ?

 

ーーー俺だ。

 

マロニーがワシントンに行こうと言った時着いていこうとしたのは誰だ?

 

ーーー俺自身だ。

 

自業自得。初めから、あのシカゴのボロアパートでとっととこんな奴から離れていればよかったんだ。行き場の無い怒りを洗いざらいぶちまけたマーカスはエネルギー切れの様に手近にあったベンチに腰掛ける。

 

ーーーこれからどうする?マロニーから離れて、編集部に帰って今までの経緯を編集長に話してそれでーーー

 

「言いたいことは言い終わったかね?」

 

マロニーが投げかけた言葉に脚の間に埋めていた顔を上げる。最早怒る気力も無い。

 

「ふむ・・・言い終わったようだな。では行こうか」

 

そう言うとマロニーはメモ用紙を腰のポケットに入れ公園から出ようとする。

 

「行くってどこへ?」

 

「見たまえ」

 

マロニーがポケットから再びメモ用紙を取りだしマーカスの前に掲げる。

 

「5日後、扶桑大使館で。 ジェシー・マーシャル・・・なんだこれは」

 

「彼女も『我々側』の人間だという事だ。なるほど、扶桑大使館なら奴らも迂闊に手出し出来ない。彼女も考えたな」

 

「どういう事だ?あんたらはグルか!?」

 

先ほど、警備保安室に入れられていた時、マロニーはジェシーとか言う女性が現れたときにそれまでの態度を一変させた。それは彼女が現れた事で『目的を達成したから』なのでは・・・?マーカスの脳細胞が一斉に回転し始める。

 

「積もる話もあるだろう。今まであちこちに連れ回して申し訳なかった。とりあえずは扶桑の大使館に行こう。ようやく落ち着いて話が出来る」

 

真剣な声で話すマロニーの持つ雰囲気は初めて会ったときの狂人のそれでは無かった。確固たる意思を持ち行動する人間が持つ雰囲気。ある意味でマーカスが失ってしまった物dだった。

 

「ここまで言っておいてなんだが・・・分水嶺は今回で最後だ。君は私と着いてくるか?それとも全てを忘れて日常に戻るか?」

 

マロニーが提示した分水嶺という言葉。それはおそらくここで足を進めると本当に後には引けなくなると言う事だろう。だがマーカスに迷いは生まれなかった。

 

「あんたと一緒に行く。言っただろう?こっちも友人一人いなくなってるんだ」

 

「・・・いい目つきだ。よし、行こう」

 

夕焼けに紅くなるワシントンの空の下、2人の男が扶桑大使館に向け歩き出した。確固たる決意を固め混沌の渦中に飛び込んでいく。何が起こるかわからないが気分は風車に立ち向かうドンキホーテの気分。ここ数年味わったことの無いような恐れと高揚感を胸にマーカスは歩き出す。今の2人に取っては2人とも、駐ワシントン扶桑大使館の居場所を知らない事など微々たる問題でしか無かった。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

「説明してくれ」

 

シャーリーは自分のオフィスに入るなり目の前のジェシー・マーシャル少佐に鋭い視線を向けた。

 

「何であのブリタニアの将軍がここにいるんだ?あんたは彼に何を渡したんだ?そもそも何で私をあの場に連れて行ったんだ?明確な『答え』を私にくれ」

 

「わかりました大尉」

 

先ほどと変わらない声のトーンで少佐が話し始める。

 

「ですがーーー」

 

「?」

 

「5日お待ち下さい」

 

「5日?」

 

「先ほど彼らにある指示を下しました。その指示が効果を発揮するのが5日後です。その時に・・・その指示が効果を発揮する場面に貴方も立ち会っていただきます」

 

「・・・何だって?」

 

「5日、5日後です。その時に大尉には全てをお話します」

 

そう言った少佐の表情はどこか仮面の様に堅く、人間味を感じさせない様子だった。何か自分がとんでもない事に巻き込まれている様な気がして、シャーリーは思わず身構えそうになる。

 

ーーー事実、そのシャーリーの予感は外れてもいなかった。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

全てが氷に覆われた不毛の地、南極。この場ではいかなる生物も生存を厳しくされ、ほんの僅かにこの地に生息している生物達は極限までその身体を極地の生活に適応させている。

 

ーーー残念ながら人間は極地での生活には向いていないらしい。そう感じたのもつかの間、夜は太陽フレアで飛び散った電子などの粒子が織りなす幻想的なオーロラが空を覆い、このような天体ショーが見られるのであればここに住むのも吝かでは無いなとも思わされる一幕も確かに存在する。そんな極寒の世界において、連合国合同極地探検隊は『ある物』を探していた。南極大陸の沿岸部に位置しながら複雑な地形と厳しい環境に閉ざされ未だかつて人間の手が入った事のない禁断地帯。そこに分け入って既に1ヶ月弱。ついに探検隊は『それ』を見つけた。ノイエ・カールスラントの技術省から送られてきたデータとそっくり。いや、全く同じ物体がそこにはあった。船だった。全体的な形は上部が完全に平面となっており、その左後ろには艦橋の様な物が鎮座している。この海域に入って何年経過したのかはわからないが周りを凍りに囲まれて完全に身動きすら出来ない様な状態なのは目に見て取れる。それにしても・・・

 

「大きいのう・・・」

 

カールスラント空軍から今回の連合軍合同探検隊に派遣された数少ないウィッチ、ハインリーケ・プリンツェシン・ツー・ザイン・ウィトゲンシュタイン中佐は思わずそう口にした。

 

全長は約300mほどあるだろうか。戦艦よりも、空母よりも遙かに大きい。形状さえ違っていれば船とはとてもじゃないが思えるサイズでは無い。ノイエ・カールスラントにてブリーフィングを受けた時はとても信じられなかった物だが、いざ実際にそれを目の当たりにすると得も知れぬ現実感が轟々と大きな音を立てて迫ってくる。ハインリーケが今まで戦ってきたどんなネウロイよりもそれは大きかった。

 

「姫様はこんな物は信じられぬと言っておりましたが今の感想は如何かな?」

 

いつの間にかハインリーケの横で、1人の男性が立っていた。アルフレッド・リッチャー。カールスラント皇帝腹心の部下で、今回の探検隊の隊長を務める男性だ。

 

「うむ・・・話で聞いておっただけではとても信じられぬ物だったが。いざ見てみると信じざるを得んな」

 

「全くです。私も長い間各地を探検してきましたがまさかこの様な物に出会うとは・・・」

 

そう言うと2人はもう一度目の前の巨大な物体を見返す。人間が生存する事が困難な場所に放置されていた謎のオブジェクト。ハインリーケもリッチャーもそのオブジェクトの名前が厚く氷の張った船体に隠されているとはこの時は思ってもいなかった。

 

ーーー氷に覆われたその船体には確かに

 

 

『JOHN・C・STENNIS』

 

 

の文字が描かれていた。

 

 

 

 

続く



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6.5話 時の声

前回から結構間が開いてしまいましたが短編となります。


夕日が滑走路に繋がるエプロンを照らしていた。

 

「総員、ジーナ・プレディ中佐、マリアン・E・カール大尉に対し、敬礼!」

 

『統合506JFW新司令』ペリーヌ・クロステルマンの凜とした声が滑走路に響き渡る。ここは506JFWセダン基地。今まで2つに分かれていた506JFWの基地が統合される事が決定し、長年続いた歪な506の部隊構造に終止符が打たれる最中に行われたジーナとマリアンの離隊式は従来までの『Aチーム』『Bチーム』に所属する部隊員全員に加え、『名誉506JFW司令』であるロザリー・ド・エムリコート・ド・グリュンネ中佐、更には501JFWを経て新たに『統合506JFW新司令』となったペリーヌも参加していた。

 

「長い間世話になったな」

 

部隊員の敬礼に答礼していたジーナがゆっくりと口を開いた。506Bチームの隊長を担っていた際には自分で『一応の隊長』などといっていた彼女だが今までの実績やその人となりから彼女を慕う者は少なくない。少なくとも506に取っては必要不可欠な人材であった事という事に異論を挟む者はこの場には誰一人いなかった。

 

「マリアンさんも本当に行っちゃうんですね~」

 

この場に似合わない何とも気の抜けた声を上げたのは506部隊唯一の扶桑人、黒田邦佳中尉だった。

 

「姫様も本国に行っちまったしな」

 

ロマーニャ出身のウィッチ、アドリアーナ・ヴィスコンティ大尉が邦佳に同意する。

 

「永遠に離ればなれという訳でも無いですし・・・中佐もマリアンも向こうに行っても時々は連絡、下さいね」

 

その横からリベリオン海兵隊所属のジェニファー・デ・ブランク大尉が2人に声を掛ける。

 

「またあっちに着いたら連絡くれよ~コーラのケース3個は送るから」

 

軽い調子でそう言うのはリベリオン陸軍中尉、カーラ・J・ルクシックだ。

 

「ああ、今まで本当に世話になった。・・・AチームにもBチームにも。また向こうに着いたら連絡する」

 

ジーナがそれぞれに向かって最後の挨拶をする。長年在籍した部隊の面々や基地とも今日でお別れだとなると無性にこの場所、この空間が恋しくなってくる。

 

「ジェニファー、カーラ、今までありがとな。・・・Bチームの奴らも」

 

マリアンも同じような心境なのだろう。長い間諍い合っていたBチームの面々にも自然と感謝の言葉が口から漏れる。

 

「中佐、大尉。お時間です」

 

ジーナ達をリベリオンへと送る輸送機のパイロットだった。

 

「わかった」

 

パイロットに向かって了解の返事を送るジーナ。

 

「・・・後は任せました。ペリーヌ少佐」

 

「ええ、ジーナ中佐やグリュンネ中佐が守ってきたこの部隊、確かに受け継ぎましたわ」

 

ペリ-ヌ少佐は責任感の強い女性だ。任せて大丈夫だろう。そう確信するとジーナは輸送機に向かって歩き出した。マリアンもそれに倣う。

 

ーーー大丈夫だ。私達がリベリオンに行く以上この部隊に危害が加わる要素は少ない。私とマリアン大尉以外何も知らないこの部隊の人員に危害を加えて『彼ら』が得をする事は何も無い。そう思える事がせめてもの救いだった。皆は私達がリベリオンに行く事を『栄転』と言う。

 

・・・違う。ただ飛べなくなった魔女、羽をもがれた鳥が地上でもがき苦しむ事になっただけだ。今から向かうワシントンは決して栄転として行き着く先では無い。そこに待っているのは・・・

 

「中佐、どうしました?」

 

ふと我に返る。マリアンが横から不安げな表情で除いていた。彼女の場合は事の真相を知っているだけに心情も私と同じような感じであろう。私だけが苦しむのでは無い。彼女も苦しむ事に・・・しかしここで自分が弱気になる訳にはいかない。

 

「いや、大丈夫だ」

 

平然とした様子を見せる。大丈夫だ。あっちに行ったからと言って必ずしもすぐに何かが起こる訳では無い。大丈夫だ・・・

 

自分の中にそう言い聞かせるジーナ。しかし彼女は忘れていた。自分の渾名が不幸を呼び寄せる女、『アンラッキー・プレディ』だと言う事を。そしてその渾名の由来となったジーナ自身の不幸を呼び寄せる体質が、自分たちがワシントンに着いた後、遺憾なく発揮されると言う事に・・・

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

「ホシが暴れ出した?」

 

リベリオン合衆国東海岸最大のメガロポリス、ニューヨーク。リベリアンドリームを追い求める人々の活気で賑わうこの街はその活気とは裏腹に凶悪犯罪の温床でもあった。そんな魔都の治安を守るのは北米最大の警察組織、ニューヨーク市警だ。そのNYPDの中でもニューヨークの中心街、マンハッタンが所轄となる17分署はジャンキー、浮浪者、ホームレスが現れては出て行きを繰り返す正にニューヨーク治安の最前線とも言える建物だった。

 

「毎日毎日よくも飽きずにヤクだのアル中だのがやってくるねえ・・・やってらんねぇ」

 

呆れた様な表情を浮かべながらそう呟くのはNYPDでも数少ない女性警察官、サマンサ・スペード2級刑事だった。

 

「全くだ。こんな場所で人生を終えたくはないね。オハイオかアーカンソーにでも行って悠々自適な老後生活にしたいもんだ」

 

サマンサの愚痴に反応した腹の突き出た男は相棒のハーランだった。この冴えない男ともなんだかんだで長い付き合いになる。最初にサマンサがこの17分署に配属された際にここでの『仕事のやり方』を教えてくれた人物だ。

 

 

 

ハーラン流NYPD17分署での過ごし方

 

1・人を見たらジャンキーだと思え

 

2・こっちに向かって突進してくる奴がいれば挨拶の前に45口径をぶっ放せ。挨拶はその後。

 

3・始末書を書くときは『生命の危機』を感じましたと書け。このフレーズはパトロール中にトイレに行きたくなった時、他のオフィサーの前から急に消えた時にも使える

 

etc

etc

etc・・・

 

 

 

 

「どうしたサマンサ、にやけてるぞ」

 

 

そんな事を思い出してる内に思わず顔がほころんでいた様だ。慌てて顔を戻す。その時

 

「誰か来てくれ!取調室でジャンキーが暴れ始めたんだ!取り押さえるのに人出がいる!」

 

捜査課のオフィスに怒号が飛んだ。しかしここはニューヨーク、こんな事は日常茶飯事とばかりにサマンサが落ち着いた様子でオフィスから出て行こうとする。

 

「俺が行く」

 

「はいよ」

 

ハーランの何ともやる気の無さそうな声に見送られてサマンサは捜査課オフィスを後にした。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

拍子抜けした。サマンサが取調室に着いた時にその『暴れていた筈のジャンキー』はすっかり大人しくなってぽつねんと取調室に置かれた椅子の上に座っているのだ。

 

「なんだよ来ること無かったな」

 

そう言いながら取調室から立ち去ろうとすると1人の老刑事に足を止められた。口元に白いひげを蓄えた17分署の古参の警部だった。何でもジャンキーを取り押さえることには成功したが彼の言っていることが支離滅裂で何の事だかさっぱりわからない。ジャンキー慣れしているお前なら大丈夫だろう。ちょっと取り調べを変わってくれとの事だった。言い方を変えれば

 

「俺たちはこんなのに付き合ってる暇無いからお前変われ」

 

と言う事であった。いつものサマンサなら無視してさっさと引き上げる所だが頼まれている相手が頼まれている相手だ。階級の違いやそもそもこの老刑事には今まで始末書の件などで散々世話になっている。その人物の頼みを無碍には出来ない。という事でしぶしぶサマンサは取調室の中に入ることとなったのである。取調室にぽつねんと座っているのは40代程の男性だった。ジャンキーにしては服装や髪型は整っており一件すると何故こんな場所にいるのかがわからない程だった。取調室に入る前に今までこの男性を取り調べていた刑事から渡された事件の調書を改めて取り出す。名前はデビッド・カーラム。職業はニューヨーク証券取引所の案内員。

 

「・・・証券取引所のエリートさんまでヤクに手を出すとはこの国もそろそろ終わりかねぇ」

 

思わず口に出してしまったサマンサの一言にカーラムという男性が反応した。

 

「違う。麻薬になんか手をだしてはいない」

 

「・・・どういう事だ?」

 

「頼む。私の話を聞いてくれ。さっきの刑事にも全部話した。私の妄想だと一笑に付されて挙げ句麻薬中毒者扱いだ。先ほどは思わず腹が立って・・・すまない事をした」

 

・・・こいつ本当にジャンキーなのか?サマンサの脳内が回転し始める。麻薬中毒者、ジャンキーに多いのはまず意味不明な発言と支離滅裂な論理思考だ。先ほどの老刑事も『意味不明な発言を繰り返す』と言っていたが今サマンサの目の前にいる男性からはその様な様子は見受けられない。覚醒剤などに特有の舌のもつれや目の異常移動なども見受けられない。そんなサマンサの観察する様な目を察したのかカーラムは更に懇願する様な口調で言う。

 

「頼む。信じてくれ。神に誓ってもいい。私は嘘などついていない。話を聞くだけでもいい。とにかく聞いてくれ。お願いだ。私をジャンキー扱いして独房などに入れないでくれ」

 

「神・・・?」

 

「ああそうだ。神に誓う」

 

暫くサマンサとカーラムの視線がぶつかりあった。永遠に続くかと思われたにらみ合いは突如サマンサが発した言葉によって終わりを迎えた。

 

「・・・わかった。あんたの話を信じるかどうかはともかく、とりあえず話してみろ」

 

その瞬間カーラムの表情が若干和らいだような気がした。

 

「あ、ありがとう。ありがとう・・・」

 

「いいから、早く続けろ」

 

「・・・思い出したんだ」

 

そうして目の前にいる男性。カーラムの話が始まった・・・

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

「MV22?そんな機体は聞いた事が無いですね・・・海兵隊の機材なんでしょうか」

 

506セダン基地所属のウィッチ、ジェニファー・J・デ・ブランクがおずおずとした態度で電話の向こうにいるサマンサ・スペードに対して応対する。2人は以前この506JFW全体を巻き込んだある事件の際に顔見知りとなっていた。故にお互いの連絡先も知っていたのだが、実際に一方が電話を掛けてきたり逆に掛けられたりする事は希だった。電話越しに聞こえてくるサマンサの声はぶっきらぼうだったが時差を考えるとリベリオンは今早朝の筈だ。こちらの時間に合わせてくれている所を見ると彼女なりの気遣いを感じ取る事が出来る。

 

『俺も聞いた事が無いんだ。海兵隊員のあんたに聞いてみたらもしかしたら・・・と思ったんだが』

 

サマンサの困ったような声が受話器越しに伝わってくる。サマンサがジェニファーにわざわざ朝早くから電話を使って聞いてきた事は『リベリオンや各国の軍でMV22という名前の機体を使っている軍隊はあるか、もしくはそんな名前の航空機を聞いた事があるか』という事だった。しかしジェニファーはそんな名前の航空機など聞いた事はない。おずおずとその事を話すとサマンサの落胆した様な唸り声が聞こえてきた。

 

「もしかしたら実験機とか新型機かも知れないので、一度他の方にも聞いてみます・・・お役に立てなくてごめんなさい」

 

『いや、いいんだ。いきなり電話なんかかけて済まない』

 

ジェニファーの心からの申し訳なさそうな声にサマンサが慌てて反応する。

 

『ありがとう。参考になったよ・・・ところで』

 

「はい?」

 

『506の前の隊長さん、今こっちに来てるんだって?』

 

ジーナの事だ。サマンサはあの事件がきっかけでジェニファーも含めた506の各隊員の連絡先を知っている。おそらくジーナの口本人から耳にした事なのだろう。

 

「ええ・・・」

 

『大変だな。そっちのウィッチもあんまり多くないんだろう?』

 

「はい・・・けど新しい隊長さんもいい人ですしカーラや黒田さんとかもいらっしゃいますし・・・それに・・・」

 

『それに?』

 

「マリアンと約束したんです。マリアンや中佐が本国へ行っても欧州の空は皆で守り抜くからって」

 

『・・・』

 

一瞬の沈黙が2人の間を漂った。

 

『・・・そうか。俺に出来る事はあんまり無いかもしれないけど何かあったらいつでも相談に乗るよ』

 

「ええ、ありがとうございます。言われてた先ほどの件は何かわかったらまた連絡します。それじゃあ」

 

『ああ、ありがとう』

 

会話が切れた受話器を元の場所に戻す。

 

「欧州の空を守る・・・か」

 

前はあれだけ頼りにしてた中佐やマリアンはもうここにはいない。カーラはあれでも歴戦のウィッチだ。それに比べて私は皆のヤクに立っているのだろうか。言い様もない焦燥感がジェニファーを襲う。

 

「あれ、ジェニファー、どうしたの?」

 

後ろから不意に声を掛けられた。カーラだった。

 

「い、いえ、何でもない・・・」

 

「あ、そう」

 

突然の事に動揺したのかジェニファーが必要以上に身体を動かして何も無いことをアピールする。しかし、それが却って怪しげな感じになってしまう。

 

「・・・まあ何かあったら言ってね」

 

そうカーラが言った時、突如甲高いサイレンが基地の中に響いた。

 

「ジェニファー!」

 

「うん!」

 

ネウロイの襲撃を示すサイレン。2人の身体はそのサイレンに突き動かされる様にストライカーのあるハンガーへと向かって走り出していた。

 

難しい事は今は考えなくていい。大丈夫。その内にきっと自分にしか出来ない事、自分が成すべき事がちゃんと見つかる筈・・・

 

ジェニファーの頭はコンマ1秒でその事を考えると次の瞬間には意識は目の前の危機へと向いていた。カーラとジェニファー、2人の小さな身体はストライカーを保管している大きなハンガーへと吸い込まれるように消えていったーーー

 

 

 

 

続く

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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7話 R Is for Rocket

暗い。怖い。寂しい。

 

ここに入れられた時はまだそんな事を考える事もあった。今ではもうそんな事も無くなってしまった。周りの人たちは私をどの様に扱うかを決めあぐねているようだ。腫れ物を扱うかの様に接し、必要以上には意思疎通をしようとはせずに生きるのに最低限の事だけを私に施して去って行く。もう嫌だ。何度そんな事を考えたかわからない。こんな世界いっそ・・・この世界が憎い。無くなってしまえ。滅んでしまえ。口から出た呪詛の言葉はしかし叶う事は無かった。驚く程時の流れが遅いこの箱の中では全てが無意味で、無為で、空疎で、虚ろで、空っぽだ。

 

「リー・・ネちゃん・・・」

 

スプリングが氷の様に堅いベッドに横たわっている、私の乾いた唇の間から無意識のうちに漏れた言葉。かつての友の名前だった。あの頃に戻れれば。今更そんな事を思った所で時間が巻き戻せる訳でも無い。口をついて出た友の名前はそのまま冷たい石の壁へと吸い込まれていった。

 

 

 

そして私はここに来て、何度目かもわからない意識の喪失を経験した。

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

「プロジェクト・サイン?」

 

「そう。こいつを見てみなよ」

 

そう言いながら伊吹にボーマンが手渡してきた分厚い紙の束の一番上には

 

『PROJECT・SIGN』

 

と書かれていた。

 

「何だこれ?」

 

「リベリオン合衆国の地球外生命体研究機関」

 

「・・・冗談だろ?」

 

特段重要でも無い様な事の様にさらっと口にするボーマン。しかしその内容は明らかに軽い様な事では無かった。

 

「本当だよ。NACAにいる友人が送ってきてくれたんだ。まあ大事な部分は流石に教えてくれなかったけどね」

 

「民間が主導してるのか?こんな大規模なプロジェクト・・・」

 

伊吹が紙の束を捲る度に目に飛び込んでくるのはその道の著名な研究家や様々な軍の実験部隊、研究機関の名称だった。これを民間が主導しているというのはどう考えても無理がある。

 

「表向きは・・・ね」

 

手元のワイングラスを揺すりながら呟く様にボーマンが話す。

 

「表向き?」

 

「実態は主導してるのはCIAと空軍らしい」

 

「CIA?何だそれ何かの研究機関か?」

 

「ああ、イブキは知らないのか。リベリオン中央情報局。昔のOSSだよ。スパイ機関さ」

 

ボーマンの言葉を聞き、伊吹が納得した様な表情を見せる。リベリオンの諜報機関と空軍が主導ならこれほど大それたプロジェクトも実行可能だろう。しかし・・・

 

「地球の上ではネウロイと絶讃戦争中だってのにエイリアンとは・・・よく政府がゴーサインだしたもんだ」

 

呆れた様な口調で伊吹が言う。そんな予算があるならこっちに回して欲しい。せめてワイルドファイアで無くても前線で戦っている兵士達に回してやればいい物を・・・そんな考えが頭の中をよぎった時、横からボーマンの声が飛び込んできた。

 

「その計画、金出してるのは8割民間らしい」

 

「え?」

 

「何でもあのハワード・ヒューズが出資してるらしい。世界の富の半分を持つ男だよ」

 

ハワード・ヒューズ。リベリオンの実業家。資本主義の権化とも言われ、様々な分野に対して投資を行ったり自ら研究所を立ち上げている大富豪だ。

 

「彼は宇宙とか飛行機に目が無いらしいからね。今回の投資もそういうとこじゃないかな」

 

と、ボーマン。

 

「金持ちの道楽に軍が食いついたってとこか」

 

「そうだろうね。軍としちゃ地球外生命体の研究しますって言いながら民間から金ふんだくって宇宙開発やネウロイの研究を進める糧にしようって腹づもりじゃないか?」

 

そこまで言うとボーマンはワイングラスに入っていた黒ワインを一気に飲み干した。

 

・・・なるほど。前に何処かで聞いた『各国の政府や軍の上層部はネウロイ大戦が終わった後の青写真を描き始めている』というのはあながち嘘でもないのか。おそらくネウロイの危機が去った後に起こる、各国の様々な利権争いや資源を巡る争いの主導権を握るべく、今の内から様々な研究を行おうとしているのだろう。大国間の争いでも戦火を交えない戦いという物が存在する。いわゆる冷戦というやつだ。その戦いではお互いの科学力や技術力の争いとなる。その際に宇宙開発分野で相手の国よりリード出来る事が出来れば相手に対して相当なプレッシャーを掛ける事に成功する。おおかたリベリオン政府のお偉いさん型が考えているのはそういう事だろう。伊吹はそこまで考えてほぅとため息をついた。

 

「呆れるな」

 

「まあどんな形であれ、宇宙にメスが入るのは歓迎すべき事だよ。平和な世界に乾杯さ」

 

ボーマンがそう言った後、

 

2人の間に一瞬の沈黙が訪れた。

 

「そういや・・・」

 

その沈黙を破ったのは伊吹だった。

 

「ん?」

 

「何で俺にそんな話を?」

 

そう言うとボーマンは破顔した。

 

「イブキ、好きだろ?宇宙。イブキがいつも使ってる本の栞、見たよ」

 

「・・・見られてたとは知らなかった」

 

「あれを栞に書いてるって事はそういう事だろ?」

 

「昔の名残。もう忘れた」

 

そう伊吹が言うとボーマンが『素直じゃないなぁ』と言う様に苦笑する。

 

「ちょっと飲み物を取ってくるよ」

 

ボーマンはそういうと『パーティ会場』に設置された仮設のバーに向かった。ボーマンが去った後、改めて伊吹はこの歪な空間を横目で見渡す。本来ならストライカーユニットの整備・保管を主な目的とするこの巨大なハンガーは今日は国際連盟空軍参加各国の国旗がはためき、スーツやドレス、略衣ではない軍服に袖を通した軍人の姿であふれかえっていた。そこにいる各々が豪華な食事と酒に舌鼓を打ち、内地から呼び寄せたジャズバンドの演奏に拍手を送る。言われなければここが対ネウロイ戦争の前線基地とは気づけない程の明るい雰囲気がその場には漂っていた。

 

『新しい部隊がたった1個創設されただけでこんな事する必要あるのかね』

 

伊吹はこのパーティが始まる前にマレーが苦々しそうに言っていた一言を思い出す。そう、本来伊吹はこのパーティにおいてここにいる人々から祝われるべき立場の人間なのだ。『第105技術研究団創立記念祝典』この騒々しいパーティの正式な名称。マレー曰く『うちの部隊と501の予算獲得の場』である、これに出席する為にワイルドファイアの面々はもちろんの事、この基地に同居している501JFWの面々まで巻き込んで2日前から綿密に準備されたこの茶番劇にうんざりし始めていた伊吹はこの喧噪にまみれた場所から一刻も早く立ち去りたかった。せめて立ち去れないならこのハンガーから外に出て行きたい。そう言えばさっき飲み物を取りに行ってくるとったビーマンは何をしているのかと思い、周りを見渡してみると何処の国の軍人かに捕まって色々話をさせられている現場を目撃してしまった。彼には申し訳ないが自分だけでもここから退散させてもらう事にしよう。落ち着いた所でついでに先ほどボーマンから渡されたプロジェクト・サインの書類も読んでみたい。ささやかな『脱柵』を決意した伊吹は、しかし2秒後にドレスを着た1人の少女に行く手を阻まれることになった。

 

「あ、前にハットリといたやつだ」

 

「あんたらたしか・・・ユーティライネン大尉か」

 

「お、私の事覚えてたか。エラいな」

 

感心した様にエイラが言う。前にあった時にも思ったが話し方が妙に女子っぽく無いというか、何というか残念な感じがする。プロポーションは北欧のおとぎ話に出てくるお姫様の様な出で立ちで、いかにも美少女という感じだ。現に今彼女が来ている純白のワンピースをもう少し長くした様なドレスと相まって何処かの国の姫様と言っても違和感は無い。・・・容姿だけなら。

 

「何だ?」

 

「これ、食わないか?」

 

エイラが差し出してきたのは黒いビー玉の様な代物だった。

 

「何だこれ?」

 

「サルミアッキ。スオムスのお菓子」

 

「美味いのか?」

 

「まあ1回食ってみろって」

 

「・・・あんたその喋り方直した方がいいとか言われないか?」

 

苦言を呈しながらエイラの手のひらに転がるサルミアッキに手を伸ばす。いずれにせよ断れる雰囲気では無いし、特段断る理由も無い。見た目はこんなんだが案外美味いのだろう。その伊吹の予想はサルミアッキを口に入れた5秒後に覆される事となる。

 

「・・・何だこれ」

 

ふと横にいるエイラの顔を見てみるとニヤニヤしている。この野郎・・・

 

最初にサルミアッキを口に入れた瞬間はまだ良かった。少し苦みはあるがまあまあ食べられない事は無い。問題はその数秒後にやってきた。

 

「・・・焼いたタイヤを食ってる感じだ」

 

その言葉に耐えきれなくなったのかエイラが思い切り笑い出した。

 

「あのなぁ・・・」

 

 

 

 

 

 

『泣くな少年、ほら、これでも食うか?』

 

 

 

 

 

 

・・・今のは何だ?脳裏から聞こえた確かな声。周りを見渡してもそばにいる女性は目の前にいるエイラのみ。幻聴・・・?

 

ふと、エイラの方を見るとバツの悪そうな顔でこちらの様子を伺っている。

 

「そこまでまずかったか?」

 

どうやら自分が狼狽している理由があまりにアルミサッキがまずすぎたからだと思っているらしい。少し心配そうな顔をしている。どうやら根はいい子らし・・・。その瞬間、伊吹の脳裏にある事が浮かんだ。

 

「・・・あんた、俺がここに来るまでに、今までに何処かで会った事あるか?」

 

エイラがきょとんとした顔をする。

 

「はぁ?そんな訳無いだろー?大丈夫か?」

 

さっき、サルミアッキを食べた瞬間、どこかから聞こえてきた女性の声の様な物と同時に何故か浮かんできた漠然とした疑問。何故そんな事を唐突に思ったのか。混ぜ目の前にいる女性と会うのがここに来て初めてでは無いのではないかと心の奥底で一瞬でも思ってしまったのか。既視感・・・?いや、おそらく気のせいだろう。前にユーティライネン大尉と似た女性の何処かで会ったのだろう。実際これまでに欧州には来た事が無い。彼女と扶桑国内で出会う事などまず無いのだから。

 

「いや、何でもない。気にしないでくれ」

 

すると、どこかホッとした様な表情を浮かべながらエイラが言う。

 

「ごめんごめん、普通に美味いっていう人もいるんだけど・・・えーと、何だっけ?名前」

 

「柊伊吹だ。人の名前もちゃんと覚えとけよ・・・」

 

「イブキの口には合わなかったんだな。けど、あの医者の人とかは結構美味しいって言ってたぞ」

 

「あんたもしかして俺以外の人間にも食わせたのか?」

 

悪びれる様子も無くエイラが頷く。

 

「ま、なんてことないって」

 

「ったく・・・」

 

そう言うと伊吹はハンガーの出口に向かって歩を進め始めた。

 

「何処行くんだ?」

 

「ハンガーの外。こういう人が沢山いるとこ苦手なんだ」

 

後ろから聞こえるエイラの声に反応しつつ伊吹は新鮮な空気と静けさを求めてハンガーから立ち去ろうとした。その時、

 

「あ、そうだ」

 

またも後ろから聞こえるエイラの声。

 

「今度は何だ?」

 

「サーニャ、見なかったか?」

 

「サーニャ?」

 

「サーニャ・V・リトヴャク大尉。前に私の横にいた女の子」

 

前にいた女の子。そう言われて伊吹は前に兵舎で迷って静夏に案内してもらっていた際にエイラの横にいた少女の事を思い出す。まるで陶器の様な白い肌で、触れてしまうと崩れてしまう様な儚さを持った少女だった。

 

「ああ、あの子か。いや、見てないな」

 

「うーん、そうか。ありがとう」

 

エイラの問いに答えた伊吹は今度こそハンガーの出口を求め歩き出す。後ろからエイラの『何処行っちゃったんだぁ』という悲痛な声が聞こえてきたが今はこの人間の坩堝から一刻も早く抜け出したい気分でいっぱいだった。

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

「ここなら大丈夫か」

 

喧噪にまみれたハンガーから脱出した伊吹がやってきたのは、兵舎の5階にある大きなバルコニーだった。バルコニーと言っても、兵舎から外に出っ張った場所にベンチなどを置いた簡素な物で普段は兵員達がウィッチの誘導に使用したり、大口径の双眼鏡を持って基地の近くの空域を監視したりする際に利用するスペースだった。バルコニーに通じるドアを開けた瞬間、涼しい風が兵舎の中に入り込んできた。あまり厚着をしなくてもよさそうだ。冬場になるとぐんと気温が冷え込む地域だが、季節柄もあるのだろう。これ幸いとバルコニーに足を踏み入れた瞬間、誰かが据え置きされているベンチに座っているのが見えた。

 

「先客か?」

 

小さな声で呟いたつもりのその声は、重いの他その場に大きく響いてベンチに座っている人物の耳まで届いたらしい。その人物が少し驚いた様な表情で伊吹の方を見てきた。

 

「あんたは確か・・・リトヴャク大尉」

 

バルコニーにいた先客、それは501JFW所属のウィッチであるアレクサンドラ・ウラジミーロヴナ・リトヴャク大尉だった。

 

「ヒイラギ・・・さん?」

 

「名前、覚えててくれたのか」

 

さっきのユーティライネン大尉とはえらい違いだ。内心そう呟きつつも相手の様子を伺ってみる。少し不安げな顔。そりゃそうだ。1度合ったとはいえ殆ど見ず知らずな男性とこんな場所で2人きり。年頃の女性なら不安にならない訳がない。ここは早い内に退散するか・・・

 

「悪い、邪魔したな」

 

そう言いつつバルコニーから出ていこうとする。そこで伊吹はユーティライネン大尉がこの女性の事を探していたのを思い出した。『ユーティライネン大尉があんたの事を探していたぞ』振り返って、そう言おうとした時、後ろから声が聞こえた。

 

「あ、・・・待って下さい!大丈夫ですから・・・」

 

「え?」

 

後ろから聞こえたリトヴャク大尉の声に思わず振り返る。

 

「ここのベンチ、まだ場所があるんで・・・どうぞ」

 

「・・・いいのか?」

 

「はい」

 

「・・・そういう事なら」

 

大尉が譲ってくれたスペースに腰掛ける。それほど小さいベンチでは無いといえ、お互いの距離は60cm程。

 

「そういや、ユーティライネン大尉があんたの事探してたぞ」

 

「エイラが・・・そうですか」

 

それだけの会話だった。元々人とあまり会話しない伊吹に取って殆ど見ず知らずの女性と2人きりというこの現場はさっきまでいたパーティ会場よりも別の意味で更に厳しい環境と言えるかもしれない。どうすればいいかわからず、とりあえず伊吹は当初の目的を達成する事に決めた。相手の邪魔にならない様にそっと今まで手に持っていた物を身体の前にやる。本だった。今まで読んでいたページには栞が指している。そのページを開こうとした瞬間、栞が本の間から抜け落ちた。

 

「ん」

 

ひらひらと木の葉の様に落ちていく栞。それを空中で取ろうと伊吹が手を伸ばした瞬間、横から伸びてきた手が伊吹よりも早く栞をキャッチした。

 

「あ、ありがとう大尉」

 

栞が地面に落ちる寸前でキャッチしてくれたのはリトヴャク大尉だった。礼を言って栞を受け取ろうとした伊吹だったが、そこである事に気づいた。

 

「大尉?」

 

栞をキャッチしたリトヴャク大尉が、その栞を熱心に眺めている。もしかしてアレを読んでるのか・・・?

 

「あの・・・この栞に書かれてる数式みたいなのって・・・」

 

大尉が栞から目を外し伊吹に問いかけてきた。やはりそうか・・・まあいいかと思い伊吹がゆっくりと口を開く。

 

「・・・ツィオルコフスキーのロケット方程式」

 

伊吹の栞に書かれていた文字。そこには

 

 

 

ΔV=ωIn(mo/mT)

 

 

 

と書かれていた。

 

「推進剤を使う全てのロケットに共通する方程式だ。どれぐらいの速度で、どれほどの量の推進剤を後方に向かって吐き出せば、どれぐらいの重さの物体が、どれぐらいの速度を得る事が出来るのかを計算する為の式・・・今から半世紀も前にあんたの国の学者さんが発見した方程式だよ。宇宙屋はその方程式を覚えないとやっていけない」

 

「・・・ロケットが好きなんですか?」

 

淡々とツィオルコフスキーの方程式について話す伊吹にサーニャが問いかけた。

 

「好き・・・そうだな、それよりもっと・・・宇宙に行きたいって思った事はあるな」

 

伊吹はす呟くと自分の手元に置いてある本に視線を落とした。寸分ためらってから、その本をサーニャに渡す。

 

「月世界旅行・・・」

 

本を渡されたサーニャが表紙に書かれたタイトルをゆっくりと読み上げた。

 

「ジュール・ヴェルヌの本。その本、好きなんだ。初めて読んだのはいつだか覚えてないけど、何だか生まれた時からその本を読んでた様な気がする。何回も何回も読んで、俺も月に行きたいとか馬鹿な事ずっと考えてた。いつかあの綺麗な衛星の上に自分も旗を立ててやるんだ・・・って」

 

「・・・そうなんですね」

 

サーニャが手元の月世界旅行のページをざっと捲る。ところどころのページが変色したり、破れ掛けていたりしているがその度に補修が入っていたりしている。この本の持ち主が大切に読んでいる事がうかがえた。

 

「その本の中だと月まで大砲を使って行ってるけど大砲じゃ駄目だ。第1宇宙速度にも届かない。推進剤を使うロケットじゃないと・・・」

 

そこまで言って伊吹は口を閉ざした。

 

「ロケットじゃないと・・・?」

 

サーニャが怪訝そうな表情で伊吹を覗き込む。

 

「今のロケット技術はそんなに高くない。とてもじゃないが第3宇宙速度を振り切って太陽の重力を振り切る速度なんて・・・そんな事を考えてたら急に宇宙だ何だかんだ考えるのが馬鹿らしくなって、気づけば生物学なんてやってた。一応物理学の博士号も取得したけど未練だらけだ」

 

「けどまだ本は読んでるじゃないですか」

 

「ん?」

 

「昔、私の友達が出来ない事を諦めようとしてたんです。何度やっても無理な物は無理って。私は出来ないからって諦めちゃ駄目って言って・・・そのまま喧嘩になりました」

 

「・・・それで?どうなったんだ?」

 

「その友達は諦めませんでした。出来ないって言ってた事を私の為に頑張って努力して出来る様にして助けてくれたんです」

 

そう言った後、サーニャは顔を俯かせたまましばし沈黙した。

 

「・・・いい友達だな」

 

「私の大切な友達・・・大切な人です」

 

「俺にはそんな人はいなかったよ。扶桑にいた頃も皆が皆、他の人の足の引っ張り合いで醜いもんだ」

 

信用出来る人間も、喜びや悲しみを心から分かち合える友人なんかもいなかった・・・そこまで考えて、伊吹はふと我に返る。

 

「・・・こんな話、今まで誰にもした事は無かったよ」

 

「そうなんですか・・・」

 

「あぁ」

 

「きっと、ヒイラギさんなら出来ます」

 

「何がだ?」

 

「月まで。宇宙まできっと、届きます」

 

「・・・そうだといいな」

 

そう言うと伊吹は微笑する。自嘲や人付き合いで必要な定型的なぎこちない笑いでは無く、心の底から面白いと思って頬を緩めたのはいつぶりだろうか。目の前のリトヴャク大尉を見ると彼女もつられたのか頬を緩めている。彼女の肩までかかる、白銀の長い髪が軽風に吹かれて靡く。自分たちの足下で未だ行われているパーティの喧噪も、バルコニーへと続くドアの陰でサーニャと共にいる伊吹を睨み続けているエイラの棘のある視線も関係なかった。ただ、今、この空間にだけ流れている幸福とも、平穏とも違う何かを噛みしめていたかった。ふと空を見上げれば満面の星空。そこにぽつんと浮かぶ満月の月明かりが彼らを優しく照らしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

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地球から約38万キロ、音も、大気も無いその空間は一面が砂と岩で覆われていた。太古の昔から地球の衛星として天球上の白道をほぼ4週間の周期の間で回り続ける天体、月。その天体の静かの海と呼ばれる場所にそれは落ちていた。月面の岩石などを採取する際に使われるプラスチックの容器、金のオリーブの枝、ユージン・シューメーカーの位牌を入れた壺。そして、それらが置かれている中心にひっそりと横たわっている物。赤と白のストライプに左上部が青地、その上には無数の白い星が書かれている。ところどころレゴリスや太陽の紫外線などで変色しているが、その旗のデザインははっきりと見えた。ここに持って来られてからこの場所にずっと置かれ続けていた星条旗は今日も伊吹やサーニャ、様々な人間や動物が生存している地球をじっと、いつまでも見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

続く

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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8話 名誉のかけら

CGSC(リベリオン陸軍指揮幕僚大学)どこまでも広がる緑の大地。その遙か上空を悠然と飛行する1機の輸送機。リベリオン空軍のCー46コマンドーだった。P&W社製のRー2800-51ダブルワスプ18気筒星形エンジンが起こす凄まじい馬力は燦然とそびえ立つ西アルプス山脈の峰峰をも悠々と飛び越え、目的地であるロマーニャ皇国はヴェネツィアに向かっていた。

 

「もう少しでアヴィアーノ基地に着陸します。支度を調えて下さい」

 

Cー46のコックピットから半身乗り出した様な体勢で、服部静夏が機内に響くエンジンの轟音に負けないように言った。

 

「了解」

 

静夏の声にキャビンに設置された座席に座っている伊吹が反応した。

 

「だそうですよ、ペトラチェンコ先生」

 

伊吹に促され、伊吹の隣に座っているオラーシャ人外科医にして、ワイルドファイアのメンバーであるアレクセイ・ペトラチェンコも降機の用意をし始めた。そもそも何故、伊吹達がこのような場所にいるのか。そもそもの話はあのパーティの2日程後、アレクセイにヴェネツィアで開かれる医学学会の案内状が届いた事に端を発する。

 

 

 

 

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ワイルドファイアの人員には大きく分けて2つのタイプが存在する。前者はマレーやウルスラの様に軍に所属する研究者としての立場。後者は軍人では無いが軍に協力する立場。つまる軍属と呼ばれる人間達である。後者の軍属の人間は、軍に協力しているとは言えど、当然自分たちが当初にしていた研究などを続行する権利は存在するし、学会などの外部の研究機関に出席する事も『自分たちが軍の研究に協力している内容などを漏らさない事』を絶対条件として、認められている。今回のアレクセイもその様なパターンだった。話が拗れだしたのはここからだ。ペトラチェンコの随行員には欧州の文化などを知りながら、与えられた任務を絶対に遂行する人物として501JFWの服部静夏が選ばれた。ここまではまだいい。適材適所というやつだ。しかし、静夏に加えて何故か医学学会などに全く関係の無い伊吹までもがマレー直々の命令で随行員に命じられたのだ。当然伊吹は訳が分からず、その後適当な場所でマレーを捕まえて

 

『何故自分まで?(要約)』

 

という事を聞いてみた。

 

すると帰ってきた返事は

 

『君はまだ欧州に来て日が浅い。この機会に欧州の文化や風習に触れてくるといい。医学学会なども君の知的好奇心を揺さぶるに違いない(要約)』

 

と言った様な返事が返ってきた。要するに観光ツアーの様な物である。自分はネウロイの研究をしにわざわざ欧州くんだりまでやって来たのに観光ツアー?伊吹の脳内は疑問で脹れ上がったが、正直医学学会に興味が無い訳でも無いし、今後長い間、この欧州に滞在するとなると何処かでこの地域の文化や風習を知る必要が出てくるかもしれない。

疑問だらけの自分の脳内を何とか納得させ、伊吹は他の2名と共にヴェネツィアに向かう輸送機に乗り込んだーーー

 

 

 

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「・・・美しい景色だった」

 

「え?」

 

降機準備をしていた伊吹が耳にしたのは紛れもなくペトラチェンコの声だった。

 

「何が・・・?」

 

「この飛行機から見下ろす全ての景色がですよ。私のいたオラーシャとは大違いだ」

 

「オラーシャはそんなに景色が酷いんですか」

 

冗談めかして言った伊吹に真剣な顔でペトラチェンコは続けた。

 

「オラーシャは美しい国です。緑があり、雪が積もり、動物の力強い鳴き声を聴く事が出来る。素晴らしい国です。しかしその国に住む人達はどうでしょうか。戦争が長引く事に国民の生活は困窮し、貧富の差がますます広まっていく。戦争で儲かっているのはモスクワなどにいる一部の人間達だけで、田舎や農村部の人間などにその恩恵が享受される事は無い・・・」

 

ペトラチェンコがそう呟いた瞬間、伊吹達のすぐ横にある窓から雷の様な轟音が聞こえてきた。

 

「護衛の戦闘機ですね。この機体が基地にアプローチする邪魔にならない様に近くの空域に離脱する様です」

 

後ろから静夏の声。さっきまでコックピットの近くにいたが、いつの間にかここまで移動していたらしい。

 

「ジェット戦闘機か・・・ストライカーユニットの開発に予算が割かれてるって聞いてたけどこんなもん作る金もあるもんだ」

 

伊吹達が乗ったCー46をここまで護衛していたのはウィッチでは無く、リベリオン海軍のジェット戦闘機、Fー2Hバンシーだった。

 

「私達は本来の作戦要員では無く補給物資を運ぶ連絡機に便乗している形なので、ウィッチによる空中哨戒などの支援は受けられないと・・・すみません」

 

「あんたが謝る事じゃないよ。それにしても兵站を重視しないとはいよいよこの戦争ヤバくなってきたかな・・・」

 

「ジェット戦闘機を開発する予算はあるのに、かね?」

 

ふいに横から聞こえてくるペトラチェンコの声。

 

「・・・違いない」

 

ため息まじりの伊吹の返事と共に、Cー46はアヴィアーノ基地へのファイナルアプローチへと侵入した。

 

 

 

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「暇だな・・・」

 

夜もたけなわなパ・ド・カレー基地の食堂にはテーブルに緩みきった様子で座っているエイラ・イルマタル・ユーティライネン大尉以外の姿は見受けられなかった。今日は夜間哨戒はウィッチでは無く、パ・ド・カレー基地に常駐している第501哨戒飛行隊のハリケーンMkⅡ及び、カタリナMkⅢ飛行艇によって行われる事になっていた。元々501がガリアを奪還してから主戦場は西部戦線から徐々に東部戦線、及び北ヨーロッパへとシフトしていった。その事を受け、このパ・ド・カレー基地では『ウィッチという貴重な戦力を夜間哨戒などという任務には使わずに、極力通常の飛行隊によって行わせて戦力を温存させるべし』との上からの命令が下令されていた。なんだかんだと言ってはいるが、要するに戦場の主戦力と化したウィッチに対するあてつけと、権力を取り戻したい一部勢力の暗躍などが見え見えとなっている。なまじ501哨戒飛行隊の人間などはその事にうすうす気づいているせいか、時折ハンガーなどで顔を合わせるときは気まずそうな顔をしている。別に彼らあ悪いわけでは全くと言って無いのだが。しかし、そんな事は今のエイラにはどうでもいい些細な事だった。

 

「ったく・・・何だよサーニャのやつ・・・」

 

この1週間程、何をやっていてもあのパーティの夜、扶桑人の研究者と一緒に楽しそうに喋っていたサーニャの顔ばかり思い浮かぶ様になってしまった。哨戒任務の途中も、ストライカーを自分で整備している時も、本を読んでいるときもずっとだ。

 

「私じゃ駄目なのか・・・?」

 

サーニャの事は大好きだ。けど、サーニャは私の事をどう想ってくれているんだろう。無論、今まで長年サーニャと一緒に色んな事をやってきた。サーニャの事なら誰にも負けない自信がある。けどよくよく考えたらサーニャが私をどう想ってくれているのかをサーニャ自身の口から聞いた事が無い。もしかしたら私の事を鬱陶しく想っている・・・?

 

「・・・ないない」

 

頭の中に広がり始めた暗雲を振り払う様に口に出した言葉。しかしそれは本当にそうなのだろうか。冷静に考えてみよう。鬱陶しく思っている相手とこれほど長い間、一緒にる事は出来るだろうか?おそらく出来ないだろう。つまりサーニャは私の子とを鬱陶しくなどとは絶対に思っていない。・・・多分。ならこの私が抱えてるもやもやは・・・?もしかして・・・

 

「妬いてるのかなぁ・・・」

 

そう言えば前にもこんな思いを経験した事があった。あれはまだ501がガリアを解放していなかった頃、501に坂本少佐が連れてきた新たな新人が入ってきた時の事だった。あの時もその新人とサーニャが楽しげに会話しているのを見て何とも言えないもやもやした気持ちになったのを覚えている。

 

「あー、もー!何でこんな気持ちになるんだ~!」

 

「どうしたの、エイラ?」

 

「え!?」

 

おそるおそる後ろの様子を伺ってみる。サーニャがいた。

 

「や、やあ・・・サーニャ・・・」

 

「どうかしたの?大きな声出してたみたいだけど・・・」

 

「いや、何でも無い何でも無い・・・大丈夫大丈夫」

 

そういいながら笑う。

 

「そう・・・」

 

サーニャはそれを見て不思議そうな表情をしていたけど、それ以上何か言うことは無かった。

 

「・・・」

 

2人の間を覆う沈黙。その中で先に口を開いたのはサーニャだった。

 

「ここも随分と寂しくなっちゃったね」

 

「そうだな・・・」

 

私とサーニャ以外誰もいない食堂を見渡す。欧州軍最高司令部として、本来はもっと規模が大きな部隊が入る予定だったのが501の移転と共にその計画に変更が入り今は501専用と化している場所だ。当たり前と言えば当たり前なのだがやはり何か寂しい。

 

「リーネもルッキー二とかも今頃何してるんだろうな」

 

かつての501の仲間、家族と言っても差し支えない人たちの名前を呟く。あの時、ガリアを解放した後やロマーニャに駐屯していた時の事は今でも鮮明に思い出せる。楽しかった・・・というのは流石に不謹慎だろうか。

 

「芳佳ちゃん・・・今何してるんだろう」

 

サーニャが発した名前にハッとする。

 

「サーニャ」

 

「でもエイラ」

 

「駄目なんだ」

 

「でも芳・・・」

 

「サーニャ!」

 

私の声が誰もいない食堂にこだまする。

 

「・・・ごめんサーニャ。でも駄目だよ。宮藤はもう・・・」

 

「・・・いいの、エイラ。私の方こそごめんなさい」

 

そう言うとサーニャは食堂から出て行こうとする。

 

「サー・・・」

 

サーニャの後ろ姿に向かって超えを掛けようとした。

 

掛けられなかった。

 

さっきまで思い浮かんでいた『嫌な想像』が現実になる様で。

 

「私だって・・・心配なんだぞ」

 

私の発したつぶやき声はさっきの様に食堂の空気を振るわせることは無かった。

 

 

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夏も終わりに近づいてきた。しかしワシントンD.C.にほど近いここ、メリーランド州はアンドルーズ空軍基地の気候は温暖で、昼間はワイシャツ1枚で過ごせる程だった。しかし、そんな時でも制服はきちんと着なければならない。かつてガリアやロマーニャにいた時にはどんな格好をしていても特に何も言われなかったのにな・・・そう思いながらシャーロット・E・イェーガー大尉は約3000m級の滑走路のすぐ脇に立っていた。脇にはジェシー・マーシャル少佐もいる。両名とも空軍の制服をきちんと着こなし、略式帽では無い制帽まで被っていた。

 

「・・・あんたの話、まだ全面的には信用した訳じゃないからな」

 

唐突にシャーリーが口を開く。

 

「私達に取っては我々の話を聞いてくれる。それで十分です」

 

シャーリーの声にジェシーがそう呟く。

 

「そういえば・・・何で私にこんな事を言ってきたんだ?ペンタゴンの中だったら私より影響力のある人間なんか山ほどいる筈だろ?」

 

ジェシーの呟きを耳にしたシャーりーが言った。あのペンタゴンの警備保安室での出来事以降にシャーリーが今、こうして横に立っているジェシーから『事の顛末』を耳にした時からずっと抱いていた疑問だった。

 

「・・・一言で言えば貴方の人柄・・・でしょうか」

 

「人柄?」

 

「ペンタゴンの内部でしかるべき部署に配属されていて尚且つ信頼の置ける人物。特に貴方達の様な通常の軍組織の常識が通用しない人物では無いといけなかった物ですから」

 

「貴方『達』・・・ね」

 

シャーリーがジェシーから聞いた『事の顛末』は一言で言うなら奇想天外、支離滅裂、不筋にして不合理。とてもじゃないが信じられる代物では無かった。証拠を見せられるまでは。

 

「まあ、とりあえず話は中佐達が着いてからだ。・・・そういやあのマロニー達はどうしたんだ?もうとっくに約束してた5日の期限は過ぎてるだろ?」

 

「念には念を、です。用心しすぎるに超した事はありません。何なら今から私達がペンタゴンに提出するスケジュールは全て虚偽の報告にしてもいいくらいです」

 

シャーリーの問いにそうジェシーは言い切った。

 

「念には念・・・か。あんたの事だから私とあいつの関係とか知ってるんだろ・・・?」

 

「シャーロット大尉がかつて所属していた501JFWをマロニー将軍が自らの画策の為に潰そうとした事案ですか」

 

「やっぱり知ってるんだな」

 

「申し訳ありませんが過去の因縁はこの際捨て置いて下さい。シャーロット大尉の気持ちもわからないではないですが今の彼は重要な参考人です。何せ元『委員会』側の人間なのですから」

 

シャーリーがほうっと息を付く。かつて自らのいた部隊を無き物にしようとした人物を匿う事に対して未だに自分の中で整理が付いていないのは否めない。しかし、今現在の脅威が彼では無い以上、それを掘り返すのは無意味な事だろう。こんな時、あの堅物軍人ならどうしただろうか。そんな思いが頭の中をよぎったその時。

 

「来ました」

 

ジェシーの声と共にだんだんとその音は大きくなってくる。P&W Rー1830レシプロエンジンが奏でる心地よい重低音がアンドルーズ空軍基地の大気を振るわせていく。

 

「Cー47か」

 

シャーリーの声。アンドルーズ空軍基地上空に姿を現したリベリオン空軍のCー47スカイトレインは、1度滑走路の上空をフライパスすると再び滑走路へのアプローチコースを取り始めた。そして滑走路へ接地。後部ギアが滑走路に接すると、エアブレーキを作動させる。エンジンの音がだんだんと小さくなっていく。スカイトレインがシャーリー達の目の前まで来た時にはプロペラは殆ど惰性で回っていた。やがて機体側面のランプドアが開き、中からタラップが下ろされる。そのタラップから降りてきた人物はーーー

 

「アンドルーズへようこそ。ジーナ中佐、マリアン大尉」

 

ジェシーがそう言うと同時にシャーリー、ジェシー両名がスカイトレインのタラップを降りるジーナとマリアンに向かって挙手の敬礼をする。ジーナ達もそれに向かって答礼した。

 

「久々の本土は如何ですか?中佐」

 

挙手の敬礼を解いたジェシーがジーナに向かって話しかける。

                               C G S C

「残念だが実はこっちには1週間程前には着いていた。・・・リベリオン陸軍指揮幕僚大学の連中が課程の修了報告をしに来いとうるさかったんでね」

 

「なるほど」

 

「あれから何か変わった事は?」

 

「マロニー将軍、失礼。マロニー元将軍は扶桑大使館に隔離してあります。彼らも迂闊に手出しは出来ないかと」

 

「ふむ・・・」

 

シャーリーがジーナとジェシーの会話を横で聞いていると妙に横から視線を感じた。ふと視線を感じる方を見ると・・・

 

「あの・・・シャーロット・E・イェーガー大尉ですか?」

 

「あ・・・そうだけど」

 

「本物の?」

 

「そうだよ」

 

「あの、私リベリオン海兵隊のマリアン・E・カールと申します。以前からシャーロット大尉には1度お会いしたいと思っておりました!」

 

「そうか。シャーリーでいいよ。呼びづらいだろ?階級も同じだし」

 

「い・・・いえ、その様な事は・・・」

 

歩きながら会話する2組の女性達。かたや会話している内容は全く異なると言う不思議な空間が彼女達がアンドルーズ空軍基地の兵舎に入るまで暫く繰り広げられていた。

 

 

 

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「疲れたな」

 

ペトラチェンコがロマーニャはヴェネツイアの老舗ホテル、セントゥリオン・プレイス・ホテルのロビーに入った時の最初の一言がそれだった。アヴィアーノ空軍基地から車で約1時間半。ロマーニャ共和国はヴェネト州の州都、ローマやナポリに次ぐ第三の都市であるここヴェネツィアは、ガリアと同じく、第501JFWの手によって、ネウロイの脅威から解放された後、急速に経済発展し、観光地としても栄えていた。そんなヴェネツィアの運河、カナル・グランデ沿いに位置するセントゥリオン・プレイス・ホテルに到着した伊吹達はチェックインもそこそこにボーイに案内された部屋に入った。現役ウィッチで毎日体力鍛錬を行っている静夏はともかく普段は研究畑でろくに身体を動かした覚えが無い伊吹などに取ってはこの旅路はいささか性急に過ぎる節があった。

 

「ガリアからこのロマーニャまで片道4時間半か・・・自動車に比べたら遙かにマシだけどね」

 

ホテルの5階、運河に面するペトラチェンコの部屋でソファに座りながらそう呟く伊吹の顔にも疲れが見えていた。

 

「あれだけ堅いシートに4時間半も座りっぱなしなんです。無理もありませんよ。医者の観点からから言わせてもらうと身体の血流が悪くなる」

 

伊吹に対面する様に座りながらグラスを傾けるペトラチェンコが伊吹の意見に同意する。

 

「私の様なおじさんには少々キツい旅のプランでしたね」

 

「そんなに歳取ってましたか?」

 

「今年で40歳です。まあこの容貌のせいで普段はもう少し歳を取ってると思われがちですがね」

 

そう言いながらパブリチェンコは顎を覆うような感じで伸びる立派な白髭を撫でる。なるほど、もう少しどころかその巨体と相まって田舎の村の村長です。と、言われても違和感は特に無い。

 

「ところで明日はどうします?」

 

ふいにペトラチェンコが声を出す。

 

「え?」

 

「明日の事です。どうしますか?」

 

ペトラチェンコの問いに伊吹が一瞬フリーズする。明日は何をするも学会では無いのか。

 

「ああ失礼、明日の昼の事です。何せ学会が始めるのは夕方からな物で。昼間はどうしますか?」

 

「ああ・・・特に俺は何も考えてなかったけど・・・」

 

「ならちょうどいい。この美しい街を見学するのはどうです?」

 

伊吹の脳裏にこのロマーニャの地に降り立つ時にペトラチェンコが言っていた言葉が浮かび上がる。この人はこういう美しい町並みや景色を見るのが好きな人なのか。

 

「いいんじゃないですか。自分は特にノープランだったもんで。そもそも何でここに来させられた物やら」

 

「ははは、君は見た所欧州に不慣れと見受ける。早く慣れろとの無言のメッセージでは?」

 

「・・・違いない」

 

「ところで・・・」

 

「ん?」

 

「あの同行してくれている随行員のウィッチは何処へ?」

 

ペトラチェンコが唐突に切り出してきた話題は静夏の事だった。

 

「さあ、まあ彼女の事だから部屋で精神鍛錬でもしてるんじゃないですかね。さっきでかい背嚢担いで部屋に入っていったのは見たけど・・・多分マレー中佐に報告でもしてるんじゃないですか?」

 

「ふむ・・・彼女もウィッチとはいえ1人の女性だ。明日この美しい街を見ればきっと感動するだろう」

 

「ですかね・・・」

 

そんなやりとりを繰り広げながらペトラチェンコは自分のグラスに更に透明な液体を注ぐ。そこにはロマーニャに着陸する寸前に見せたあの悲壮な顔をしたペトラチェンコは見受けられなかった。ふと、伊吹は部屋の窓から見える眼下の景色に目をやる。眼下の運河では荷物や人々を乗せたゴンドラや船がひっきりなしに航行している。たった数年前まで欧州の中でも激戦地だった年が物の数年でここまで復興するとは。窓の外に広がる人間が作り上げたまばゆい人工の灯が伊吹達がいるホテルを輝かせる。ヴェネツィアの夜はそこにいる全ての人々を包み込みながら、更に更けていった・・・

 

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「はい・・・まだ何も。わかりました。引き続き監視します」

 

伊吹やペトラチェンコがたわいも無い会話に精を出している部屋と廊下を隔てて向かい側に位置する部屋に宿泊する事になった服部静夏は見慣れない長方形の箱から伸びた受話器の様な物を手にしていた。

 

「はあ・・・何か凄く悪い事してるよね・・・」

 

罪悪感にまみれた悲痛な声もすぐ目の前の部屋にいる伊吹達には聞こえなかった。

 

 

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「ここは・・・?」

 

ペトラチェンコは1人で彷徨っていた。周りを見渡すと爆撃で損傷した住宅。弾痕だらけのブロック壁。荒廃した景色が辺り一面に広がっていた。ふと誰かの気配を感じて前を見てみる。

 

「誰だ?」

 

目の前には人が1人、立っていた。カールスラント軍の制服を着ているのだろうか。腰の辺りまで伸びた長い髪からその人物が女性である事が窺える。

 

「あ・・・」

 

ペトラチェンコが声を掛けようとした瞬間、その女性は歩き始めた。

 

「ま、待ってくれ」

 

慌ててペトラチェンコも後を追う。女性の歩く速度は速く、ともすれば置いていかれそうだ。後ろにいるペトラチェンコの事などそしらぬ顔でどんどん歩を進めていく。どれほど歩いただろうか。唐突にその女性は足を止めた。それに釣られてペトラチェンコも足を止める。

 

「ここは・・・野戦病院?」

 

女性が足を止めた場所、そこは処置器具や医薬品などがそのまま放置された野戦病院だった。大きく赤十字が書かれた天幕がだらしなく垂れ下がっている。人の影は見当たらない。

 

「君・・・何故ここに?それよりここが何処か教えてくれないか?」

 

ペトラチェンコがそう言おうとしたその時、微かな声が聞こえた。

 

「・・うして?」

 

「何?」

 

その微かな声はペトラチェンコのすぐ前、つまりこの野戦病院まで歩を進めてきた目の前の女性から聞こえてきた。

 

「どうしたんだ?」

 

「どうして・・・?」

 

女性の声はどんどん明瞭になっていく。同じ言葉ばかりを繰り返す女性に埒があかないとばかりにペトラチェンコは近づいた。女性の肩をそっと掴み女性の顔を覗き込もうとする。その瞬間、頭の中に直接響く様に先ほどまでとは違う言葉が聞こえた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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                     」

 

 

 

 

 

 

その瞬間、女性はペトラチェンコの方を振り向いた、目から血を流し、顔の半分が焼きただれた女性の双眼がペトラチェンコをじっと捉えた・・・

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 

「うわああああああ!!」

 

 

バネ仕掛けの人形の様にベッドから跳ね起きる。鼓動が荒い。額に手をやると汗でぐっしょりと濡れていた。周りをゆっくりと見回してみる。そうだ、自分は学会に出るためにヴェネツィアに・・・そこまで考えてようやくペトラチェンコは先ほどまでの恐怖が全て夢の中での出来事だという事に気づいた。

 

「・・・まだあの事を」

 

そう呟くとベッドから降り、部屋の窓を開ける。顔に地中海からの海風が当たるのをはっきりと感じられた。

 

「・・・見捨てたわけじゃないんだ」

 

そう呟くと、ペトラチェンコはテーブルの上に置いてあったウォッカを掴むと、グラスに入れ一気に飲み干した。この夢を見た日は酒の力を借りないと眠ることは出来ない。あの日以来そうなってしまった。ペトラチェンコはじっと窓の外に広がる運河を見ながら過去の記憶に封印していた出来事を頭の中で何度も何度も反芻した。結局、再びベッドの中に入れたのはヴェネツィアの港に朝一番の競りに備える為に漁師達が集合し始める時刻になってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

続く

 

 

 

 

 

 



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9話 回帰祭

「一体いつになったらあいつらは戻ってくるんだ?」

 

リベリオン合衆国はワシントンD.C.マサチューセッツ通りに位置す駐米扶桑皇国大使館のゲストルームの中でマーカス・ライトは唸っていた。ペンタゴンでの騒ぎから早1週間弱。あの時、突然部屋に現れマロニーに5日後にとメッセージを送ったあの女性はあれ以降姿を見せず、横でコーヒーを飲みながらじっと新聞を読んでいるマロニーはそれを気にとめる様子は無い。

 

「なあ、あんたやっぱりだまされたんじゃ無いのか?」

 

優雅にコーヒーブレイクを楽しんでいるマロニーにマーカスがそう語りかけた。あの日、ペンタゴンから出た後、扶桑大使館の位置がわからずに地元の住民や警察官に場所や道筋を聞きながら何とか扶桑大使館にたどり着いた2人は大使館職員に事情を説明した所、何も言われず大使館にある応接間に入れられる事となった。朝、昼、夜ときちんと食事が出され、望めばシャワーなども浴びれる日々、最初は警戒して出された食事を口にしようとはしなかったマーカスもマロニーに促されゆっくりとその生活に適応する事となった。外に出られない事を別とすれば大使館での生活はそれほど苦ではなかった。しかしながら自分たちをここに入れた張本人達は一向に現れない。マーカスの忍耐はここでの生活に対する慣れとは反比例してゆっくりと限界に近づきつつあった。

 

「得体の知れない、身元不詳の人物にだまされて扶桑大使館のこんな場所にいられると思うかね?」

 

「それは・・・」

 

マロニーの発言にマーカスは言葉を詰まらせる。そう、もしマーカスの言った通り身元不詳の人物にだまされていたとしたら自分達はこんな場所にいられる筈が無い。即座に不審者扱いで警察に引き渡されるだろう。

 

「まあ待つことだ。君も焦ってばかりいるといいジャーナリストにはなれんぞ」

 

「・・・ジャーナリストか。今の俺はそんな崇高なもんじゃない」

 

「そうかね?」

 

マーカスの沈んだ声にマロニーが大げさに反応する。

 

「ジャーナリストってのは誰かの為に情報とか、言葉を届けるのが真のジャーナリストってやつだ。今の俺は・・・」

 

「今の俺は?」

 

「『恐竜時代の化石から人類の足跡が見つかった』だの『北極に古代遺跡が云々』とかそういう事ばっかり追いかけてる。俺にジャーナリストを名乗る資格なんて無い。せいぜい怪しいオカルティストが関の山だ」

 

「ふむ・・・」

 

マーカスの言葉を聞いたマロニーが自分の腕で口ひげを撫でる。

 

「まあジャーナリズムの筋の通し方という物も一つでは無いと思うがね」

 

「あんたからジャーナリズムの講釈を受ける謂われは無いがね」

 

「それもそうだ」

 

そう言うとマロニーは大口を開けて笑い出す。それを見たマーカスがため息まじりにマロニーが読んでいた新聞に手を伸ばそうとした瞬間、ゲストルームの扉が開いた。

 

「何だ?食事にはまだ・・・」

 

マーカスが扉の方を見た瞬間、思わず動きが固まった。

 

「お久しぶりです。長い間待たせてしまい申し訳ありませんでした」

 

「やっとか・・・随分遅かったじゃないか」

 

フリーズしているマーカスの後ろからマロニーが扉の前に立っている人物達に向かって話しかける。

 

「どうも、ここでの生活は如何ですか?」

 

部屋の前に立っていた人物、ジェシー・マーシャルは旧友に会うかの様な口ぶりでマロニー達に言葉を投げかけた。

 

「まあまあかな。扶桑の食事は実に美味い」

 

「それは結構。実は是非お2人にご紹介したい方がいるんです」

 

そうジェシーが言った時、マロニーとジェシーの横でフリーズしていたマーカスがようやく言葉を発した。

 

「あ、あんた今まで何を・・・5日間はとっくに過ぎてる・・・」

 

「申し訳ありません。ですが敵を騙すにはまず味方からというではありませんか」

 

ジェシーはそういうと再びマロニーの方を向いた。

 

「で、その紹介したい人とは誰かな?」

 

マロニーがジェシーに向かって肩をすくめながら言った。すると扉の方からまた1人、女性の声が聞こえた。

 

「私の事かな」

 

マロニーとマーカスが声がした方を向く。

 

「ご紹介します。US ADCから今回ペンタゴンのJCS Jー2に配属される事になったジーナ・プレディ中佐です」

 

「よろしく」

 

ジーナと紹介された女性はそのまま部屋に入ってくると、さっきまでマロニー達が座っていたソファに腰を下ろした。そのジーナに続いてもう1人、女性が部屋に入ってきた。マーカス達はその女性に見覚えがあった。マーカス達がペンタゴンの警備室で拘束されていた時、ジェシーと共に警備室に入室してきた女性。

 

「シャーロット大尉」

 

ジェシーがそう言うとシャーリーは観念した様に手を上げながら

 

「わかったよ」

 

と言うと、ジーナが座っているソファの横に置かれている1人用の椅子に腰掛けた。それを見届けたジェシーは部屋の扉を閉める。続いてジェシーはポケットから小型の機械の様な物を取り出した。

 

「おそらく無用だとは思いますが・・・」

 

ジェシ-はその機械を部屋のあちこちに向けていく。

 

「何をしてるんだ?」

 

「盗聴器の有無を確かめています」

 

マーカスの問いに応えたジェシーはこの部屋に盗聴器の類いが接地されていない事を確かめると、その機械を再びポケットの中に直す。

 

「さて・・・どこまで話したのかな?」

 

一連のジェシーの行動を見届けたジーナがマロニーに対してそう切り出した。

 

「さあ、詳しい話は何も?」

 

「ではここでお教えしよう。・・・その前に。貴方の名前は?」

 

ジーナがマーカスの方を向いてそう言った。

 

「俺・・・マーカスだ。マーカス・ライト」

 

「マーカスさん・・・今ならまだ間に合う。この大使館から出て行く気は・・・」

 

「くどい」

 

「ん・・・?」

 

「俺はもうこの穴に落っこちる覚悟決めてんだ。ここで引き返すなんて野暮な事はしない。いいから全て教えてくれ。友人が1人いなくなってる。あんた達が知ってる事全てだ」

 

部屋に沈黙が流れた。

 

「・・・わかった。では話そう」

 

マーカスの口上を聞き終えたジーナはゆっくりと口を開き始めた。その頃、大使館付近ではさっきまで快晴だった空模様が急激に悪化し、雨模様となっていた。それは、まるでジーナの話す内容を隠喩している様にも思われた。

 

 

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同時刻、扶桑大使館から500m先にあるアパートの一室では2人の少女が会話していた。

 

「あいつら何してんだろう?さっき「シャーロット」とかいう人が大使館の中に入っていったけど」

 

「さあね・・・」

 

「まだ何も言われないの?」

 

「ああ。もう少し待機だ」

 

「ふーん・・・まあいつでもやれるしね。焦る事は無いよね」

 

「ああそうだ。焦る事は何もない・・・」

 

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休日の昼下がりのヴェネツィアは数多くの人で賑わっていた。ヴェネツィア中心部に位置する広場に設置されたオープンカフェで注文したエスプレッソを啜る伊吹の耳にも様々な人の声が聞こえてくる。

 

「人、多いですね」

 

テーブルの向かい側に座りながらコーヒーを片手に静夏が喋りかけてきた。

 

「欧州の復興の中心部だからな。ここにネウロイが来なくなってどれだけ経つ?」

 

「501がここを解放して以来ですから・・・もう2年でしょうか」

 

「それだけ経てば人も疎開してた人も戻ってくるって事だろ」

 

「そう言えばペトラチェンコ先生。大丈夫でしょうか?」

 

「何が?」

 

「昨日、あまり眠っていられない様でした」

 

心配そうに伊吹に向かって静夏は言う。それを聞いて伊吹も確かに今日、ホテルのレストランで全員揃って朝食を取った時に、ペトラチェンコが少し眠そうにしていたのを思い出した。

 

「・・・大丈夫だろ。あの人も医者なんだ。医者の不養生なんて事にはそうそうならねえよ」

 

そう言いながら伊吹は脇から大きな紙を取り出す。

 

「何ですかそれ」

 

「新聞。さっき買っておいた」

 

静夏の疑問に答えながら伊吹は新聞のページを捲る。新聞の広告欄には様々な企業の広告などが並ぶ中、軍の兵員募集の記事も掲載されている。白黒だがスタイルのいい女性がこちらを指指している絵柄がはっきりと見てとれた。その下には『I WANT YOU』の文字。1年ほど前から新聞にちょくちょく掲載されている広告だった。それらをざっと見ながら、経済や時事問題のページに目を通していく。

 

「何かニュースでも載ってますか?」

 

「新聞なんだから載ってるにきまってんだろ」

 

「そうじゃなくて、何か戦線の変化とか」

 

そう静夏に言われて今まで読んでいたページとは違うページにも目を通してみる。だが、

 

「・・・駄目だ。あんまり何も載ってねえな。前線は今まで通り停滞って感じだろ」

 

「そうですか・・・」

 

少し落胆した様な静夏をよそに伊吹はどんどん新聞のページを繰る。

 

「経済も戦線も冷え切ってるってとこだな。見ろよ。今週のウォール街の有様。戦争が長く続けば続く程、資源の乏しい貿易大国の為替問題はアキレス腱だ。飢餓輸出を続けて赤字地獄になり始めてるのが目に見えてきた。投資家達は世界的な低金利で行き場を失った資金を更に財政基盤のしっかりしている大国ばかりに投資して更に小国の立場は悪化する・・・ネウロイを倒すのが先か経済が倒れるのが先かってとこだな」

 

「・・・あんまりそういう事には興味が無いんだと思ってました」

 

「え?」

 

静夏が溢した一言に新聞のページを追っていた伊吹の顔が上がる。

 

「いえ、あまりそういう『外』の事には興味が無さそうだと・・・」

 

「・・・興味が無くてもこんな職業についてる以上は少しでも知っとかなきゃいけないんじゃないのか?」

 

「・・・そうですか、いえ、そうですよね。すみません。変な事言ってしまって」

 

「別に。言われそうな事だし。・・・しかし美味いエスプレッソだな」

 

「おかわり、いりますか?」

 

エスプレッソの味に感嘆する伊吹に静夏が問いかける。

 

「ん?・・・ああ、頼む」

 

「はい」

 

そう言うと静夏は今まで座っていた椅子から立ち上がると、広場に設置されている移動式のカフェの元に向かっていった。それを見届けながら伊吹は再び新聞のページを繰り出す。

 

「ん?」

 

ページを繰る伊吹の手が止まった。伊吹のページを繰る手を止めたのは新聞の中に掲載されている1つの見出しだった。

 

 

 

『マイケル・フリュー氏、リベリオン合衆国大統領ルーズベルトと会談。ネウロイ大戦への更なる協力を確約』

 

 

 

マイケル・フリューという名は伊吹にも聞き覚えがあった。ブリタニア出身のリベリオン人。あの『世界の半分の富を持つ男』ハワード・ヒューズにも劣らない資産を持つ大富豪だ。『ハワードが持たない富は全てマイケルの物』というジョークがあるくらいなのだからその資産額は相当な物なのだろう。見出しの下にはその大富豪がリベリオン大統領と笑顔で握手している写真が掲載されていた。何故こんな記事に手を止めてしまったのだろう。しかし、何か脳裏に浮かぶ物がある。このマイケル・フリューとかいう男、以前何処かで見たことがある様な・・・何処で見た?頭の中に次々と浮かぶ既視感。『気のせい』で済まされない何かがそこにあった。だが、どうしても思い出せない。手を自分の額に当てる。何か・・・何か引っかかる様な・・・何が

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『大統領は?』

 

 

 

 

 

『NEACPでシャイアンマウンテンに・・・』

 

 

 

 

 

『空軍は10時間以内にバークスデールのB-52がここを空爆すると・・・』

 

 

 

 

 

『非常線を超えた。駄目だ。もう感染拡大は止められない。フィラデルフィアとニューアークは放棄する』

 

 

 

 

 

『市民の皆様は落ち着いて行動を・・・』

 

 

 

 

 

 

『今回の事態に対して連邦緊急事態管理庁は・・・』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・・・何だ。今のは。頭の中にはっきりと聞こえた。焦っているような、半ば悲鳴に近い様な声。1人2人ではない、もっと多くの人の声。幻聴なんかではない、それは確かに『生きた人間』の声だった。何だ?何だ?何・・・

 

 

 

 

「伊吹君」

 

 

 

 

自分の名前を呼ぶ声。脳内に埋めていた意識を現実の世界へと戻す。

 

「大丈夫かね?」

 

ペトラチェンコだった。側には静夏もいる。2人共心配そうな表情で伊吹を見つめている。

 

「何かうなされている様だったが。寝ていたのか?」

 

「いや・・・大丈夫。大丈夫」

 

そう言うと伊吹は今まで座っていた椅子から立ち上がろうとする。

 

「ん?」

 

ペトラチェンコの側にいる静夏と目があった。静夏の手には買ったばかりであろう、湯気が立ち上っている紙コップ。

 

「さっき言ってたやつ?」

 

「え・・・?」

 

「俺のおかわりがどうこう・・・」

 

「あ・・・はい。これ、新しく買ってきました」

 

一瞬きょとんとしていた静夏が紙コップを伊吹に差し出す。

 

「ありがとう」

 

差し出された静夏の手から紙コップを取るとそのまま自分の口元まで運んだ。ぼうっとしていた脳内が霧が晴れる様に鮮明になっていく。

 

「本当に大丈夫かね?」

 

「ええ、大丈夫です。それよりペトラチェンコ先生は何か見つけたんですか?」

 

「あ、ああ・・・やはりここは水の都だね。街路の居たる所に水路が行き渡っていてまるで一種の芸術品の様だ」

 

「ならその芸術品巡り、付き合いますよ。行きましょう」

 

心配そうに声をかけてくるペトラチェンコをよそに伊吹は自分が飲んでいるエスプレッソを一気に飲み干すと、手近にあるゴミ箱に投げ入れる。

 

「行きましょう」

 

伊吹のその言葉で一行はカフェから再びヴェネツィア市街へと足を踏み入れた。

 

 

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「しっかし・・・いくら休日だからとはいえ人、多過ぎないか?」

 

「え?」

 

伊吹の一言にペトラチェンコが反応する。あの後、カフェを離れた一行はヴェネツィア中心部を散策していた。

 

「ほら、いくら休日って言ってもこんなに人多い物なんですかね。ただ賑わってるって言うか祭りみたいだ」

 

「それはきっとあのせいじゃないかね」

 

 

そう言うと、ペトラチェンコは街角にある掲示板を指さした。

 

「ヴェネツィア解放記念パレード?」

 

「ちょうど今日らしい。さっき街を散策している時に色々話を聞いたよ。何でも街の復興事業の一つらしい。去年から始めている様だ」

 

「へえ・・・だからこんなに人が」

 

ペトラチェンコの言葉に納得した様に伊吹が言う。

 

「そういえば彼女・・・服部さんはどこに行ったのかな?」

 

「服部?・・・あれ、そういえばさっきまでここに・・・あ、」

 

「ん?」

 

「あそこですね・・・」

 

伊吹が指さした先には、洋服屋と思われる店舗のショーウィンドウに飾られている豪華絢爛なドレスをまじまじと見つめる静夏の姿があった。

 

「何やってんだあいつ・・・」

 

そう言いながら伊吹は静夏に近づいていく。

 

「おい、何やってんの?」

 

静夏まで残り2m程の距離に近づいた時、伊吹が静夏にそう話しかけた。

 

「え・・・うわっ!ひ、柊さん・・・」

 

「欲しいのか?」

 

「え?」

 

「それ」

 

伊吹が顎でショーウィンドウの中のドレスを指す。

 

「い、いえ・・・そんな事は」

 

「すっげえ欲しそうにしてたけど」

 

「わ、私はこれでも扶桑海軍の軍人です!そんな事が・・・」

 

「その扶桑海軍の軍人サマが随行対象置いてけぼりでドレスに囓りつくか?」

 

「うっ・・・」

 

その時、横で2人の会話を聞いていたペトラチェンコが話の間に入ってきた。顔には笑みを浮かべている。

 

「まあまあ、いいじゃないか。いくら軍人だと言っても服部さんだって年頃の女の子なんだ。こういう物に興味も持ちたくなるさ。そんな格好では特にな」

 

そう言ってペトラチェンコは静夏が今来ている服を顎で示す。なるほど。今彼女が来ている服は扶桑海軍の海軍下士官一種軍衣。ここヴェネツィアの街に相応しいとはお世辞にも言えない服装だった。

 

「・・・まあなんとなくわかるっちゃわかるがな」

 

伊吹もペトラチェンコに同意の言葉を示す。

 

「すみません・・・」

 

「謝る必要は無い。だが、今度から見に行く時は私達に一言掛けてくれたまえ」

 

その時、ヴェネツィアの各地に設置されている情報伝達用のスピーカーから陽気な男性の声が流れてきた。

 

 

 

『ヴェネツィア市民の皆様、そしてここヴェネツィアに訪れていただいた皆様にお伝え致します。ただいまよりここ、ヴェネツィア、そしてアルプス南方の防空任務に当たっている連合軍第504統合戦闘航空団、アルダーウィッチーズ所属のウィッチによる観閲飛行を開始致します。観閲飛行に当たるのは、ロマーニャ公国空軍 第4飛行団 第10航空群 第90飛行隊よりあのガリア、そしてここヴェネツィア解放を成し遂げた第501統合戦闘航空団着任を経て第504統合戦闘航空団へと着任したフランチェスカ・ルッキー二大尉。華麗な空中機動をとくとお楽しみください』

 

 

 

「ウィッチの観閲飛行だと?」

 

「どうやらこのイベントのプログラムに組まれている様だな」

 

伊吹の呟いた一言にペトラチェンコが応える。

 

「フランチェスカ大尉が演じられるんですね」

 

「知ってるのか?」

 

「はい。以前501でお世話になりましたから」

 

「なるほど。そういう事か。腕前はいいのか?」

 

「こと射撃に関しては右に出る人はいませんでした。少々癖のある方でしたが・・・」

 

静夏が伊吹に説明する。その時、ヴェネツィアの上空に聞き慣れないエンジン音のストライカーが飛来した。

 

「あのストライカーユニットは?」

 

「ファロットG55Sチェンタウロスペチアーレですね。フランチェスカ大尉の愛機です」

 

「ほう・・・」

 

そんな伊吹と静夏の会話をよそに、ヴェネツィア上空に飛来したストライカーはいきなり急減速した。そのまま機体を一気に反転させる。登場早々の派手な演技に地上の観客のボルテージも上がっていく。周りでは早くも拍手や歓声が巻き起こっていた。ルッキー二が操るストライカーは、体勢を整え空域に再アプローチする為、一旦先ほどまで演技を行っていた空域を離れた。

 

「ハイGバレルロールからのインメルマンターン・・・やっぱり凄い・・・」

 

それを見た静夏が感嘆の声を上げた。

 

「そんなに凄いのか?」

 

「少なくとも私にはあんな組み合わせはまだ・・・」

 

「お二人さん、ここで談義もいいがもっと見やすい場所に移動しないかね?」

 

ペトラチェンコの一言にお互い顔を見合わせる。

 

「そうですね。ここじゃ見にくい。時間もまだありますしね」

 

伊吹の言葉にペトラチェンコは頷きながら言葉を続ける。

 

「そういう事だ。もしかしたら彼女も下に降りてくるかもしれない。そうなったらまた話を聞くことだって出来るかもしれないぞ?」

 

そう言うと、伊吹と静夏を引き連れてペトラチェンコは歩き出した。それを見て再び伊吹と静夏は顔を見合わせる。

 

「・・・」

 

先に苦笑の表情を浮かべたのは静夏だった。

 

「・・・行きましょうか」

 

「・・・そうだな」

 

2人は人波をかき分け、パレードの中心部へ向かって移動している大柄なオラーシャ人を追う事にした。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

「どうだ?異常は無いか?」

                                                                             

北海沿岸を航行中のリベリオン海軍空母『レンジャー』に乗艦している、リベリオン合衆国海軍第8任務部隊司令官(TF8)のウィリアム・ハルゼー少将が通信室に詰めている通信参謀にそう聞いた。

 

「今の所は異常無しです。カールスラントにいるバグ共は大人しいですね」

 

「以前他の艦から『ネウロイが街らしき物を作っている』という妙な報告も上がっていたがな。他にも各地から『鳥の様な形をした翼の長い奇妙な物体』なんかの報告も上がっている。全く、話を聞くだけでも忌々しい」

 

「新手のフーファイター(戦場伝説)ですか?」

 

「さあな・・・最近めっきりこの辺りのネウロイ出現率が減少しているが・・・如何せん注意するに超した事は無い。何か報告があればすぐにブリッジまで上げてくれ」

 

「アイアイサー」

 

そう言うとハルゼーは通信室の壁に掛けていた制帽を取り、部屋から出ようとした。その時

 

「何だこれは・・・?」

 

「うん?」

 

先ほどまで話していた通信参謀が妙な声を上げる。

 

「どうした?」

 

「いえ、レーダー室からここから北東の方角に奇妙な陰を確認したと」

 

「陰?」

 

「ええ、陰です。一瞬スクリーンに写ってすぐに消えたと・・・」

 

ハルゼーは唸った。南洋島は真珠湾に置かれている連合国海軍司令部からはこの辺りの海域上空を飛行する機などのフライトプランは提示されていない。希に緊急の要請などでフライトプランを提出しない機体もあるが、それならばネウロイなどとの誤解を回避する為に自機に搭載した無線から国際周波数に合わせてこちらにコンタクトするなどの何らかのアクションがあるはずだ。それにすぐに消えたとなると・・・

 

「現在は写っているのか?」

 

「いえ...」

 

「ふむ...」

 

ハルゼーが腕を組みながら唸る。

 

「...偵察爆撃隊(VS)ドーントレス(SBD)を空域に上げろ。もしかしたらこいつは・・・」

 

「バグズの可能性も?」

 

「・・・そうじゃなきゃいいがな。大きめの鳥かもしれん。クソ、508は今は『プリンストン』だ」

 

そう言うとハルゼーは通信室に設けられている受話器に手を伸ばした。これがあることにより、艦内の何処からでも艦橋にコンタクトを取ることが出来る」

 

「私だ。TF8各艦に伝達。対空戦闘用意並びに空と海の見張りを厳にせよ。それから南洋島の連盟海軍司令部並びに連盟空軍司令部にスクランブル通信を開け」

 

ハルゼーが出した指示に伴いTF8主力の空母『レンジャー』並びに第4巡洋艦戦隊(CD4)に属する重巡『インディアナポリス』『ポートランド』『シカゴ』その他4隻の駆逐艦は即座に臨戦態勢に移行した。

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

ルッキー二による飛行展示は終わり、彼女の姿は今は大空の彼方からヴェネツィア市街の中心部に設けられた特設のステージの上にあった。伊吹達がこの場所に着いた時、彼女の姿は既にそこにあった。ヴェネツィア市街上空を飛び回る彼女を追いながら、ここまで来るだけでかなりの時間が掛かってしまい、結局特設ステージを群衆の間から僅かばかりに見渡せる場所を見つけるまでに既に彼女は地上に着陸しており、ステージに上がる瞬間を見る事は出来なかった。ステージまではかなりの距離があり、伊吹達が『フランチェスカ大尉』の姿をキチンと見る事は叶わないが、ステージの上でじっと待機している純白の軍服に身を包んだ女性がその人であることは容易に予想出来た。その暫定『フランチェスカ大尉』の横にはもう1人、美しい衣装に身を包み、長い赤毛を1つに纏めた女性が立っていた。

 

「ロマーニャ公国第1公女、マリア・ピア・ディ・ロマーニャさんねぇ・・・ウィッチってのはそんな人とも付き合いがあるのか?」

 

感嘆半分、呆れ半分といった様に伊吹が言う。

 

「凄い人だ」

 

それを聞いたペトラチェンコが感心した様に呟いた。

 

「ルッキー二大尉はロマーニャの英雄ですから」

 

そういう静夏の口調は何処か誇らしげに聞こえた。彼女と一緒に戦えた事が誇らしいのだろうか。伊吹がそんな事を考えていると、ステージ上にもう1人、スーツに身を包んだ男性が上がってきた。銀縁の眼鏡の下に知的な眼差しを含み、落ち着いた雰囲気を漂わす男性。

 

「!?」

 

その男性を見た瞬間、伊吹の身体が一瞬膠着した。

 

「どうしました?」

 

異変を感じ取ったのか、伊吹に対して横から静夏が声をかける。

 

「いや、大丈夫。何でもない」

 

ステージ上に上がった男性。それは誰でもない、先ほど伊吹が読んでいた新聞の記事にもなっていたマイケル・フリューその人だったからだ。

 

『今回、我がヴェネツィアの復興行事に力をお貸し下さったマイケル・フリュー氏に惜しみない感謝の念を捧げます』

 

マリア公女がマイクに向かってそう言った。どうやらあの男性はこのイベントにも協賛という形で力を貸したらしい。リベリオンでは大統領とネウロイ対策について話し合い、ロマーニャでは傷ついた国を復興させる為に庶民達に力を貸す。

 

「とんだ聖人君子振りですね」

 

伊吹の横で静夏がそう呟いた。

 

「え?」

 

伊吹は思わず静夏の方を見た。普通に考えればあのフリューという人間は賞賛されてしかるべきだ。人類の為に自分の持つ財力を使い人々の助けとする。正に聖人君子だ。しかし、今目の前にいる静夏はそんなフリュー氏に対して冷たい目で見ていた。氷の様な鋭い目。嫌悪?いや、この眼差しはまるで彼の事を心底嫌悪している様なそんな眼差し・・・

 

「・・・どうした?」

 

「え?」

 

「いや、何かあのフリューって人を睨み付ける様な感じだったから・・・」

 

「そ、そんな・・・凄い人だと思います。自分のお金を色んな人の為に使ってて・・・」

 

「じゃあ何であんな眼で?」

 

「そ、それは・・・すみません」

 

静夏のいつになく厳しい表情。口では何ともないと言っておきながら、その癖何故か睨むような視線を送っていた事を認めるような口調で謝ってくる。何か言えない事でもあるのだろうか。そんな思考が伊吹の頭の中を巡り回る。しかし・・・

 

「・・・いや、まあいいんだ。別に人のプライバシ-まで介入する気は無いし。忘れてくれ。悪かった」

 

別に彼女がその人の事をどう見ていたって自分には関係の無い事。そんな事まで自分がいちいち聞いていく権利は無いし、彼女にも話す必要も義務も無い。そんなのは当たり前の事だ。何故だろう。扶桑にいた頃は他人が何をどう考えていようがどうでもいいと考えていた筈なのに欧州に来てから感覚がおかしくなった。疲れているのかそれとも・・・その瞬間、静夏の後ろから何かがもの凄いスピードで近づいてきた。伊吹がその事に気が付いた瞬間にはその『何か』は既に静夏のすぐ後ろまで来ていた。そして・・・

 

「しっずか~~~!!!」

 

「え・・・?きゃっ!!」

 

その『何か』は静夏の後ろに飛びついた。伊吹もペトラチェンコも突然の出来事に動揺し、すぐには動けなかった。

 

「な、何を・・・って・・・フランチェスカ大尉!?」

 

「な・・・」

 

「マジかよ・・・」

 

静夏の驚愕を隠せない一言に伊吹もペトラチェンコも絶句する。

 

「やっと気づいた!遅いよ~」

 

目の前にいる長い黒髪をストレートに下ろし、ロマーニャ空軍の白い軍服を身に纏っている女性。間違いない。さっきステージの上に立っていた女性だ。というか何故こんな所に?

 

「フ、フランチェスカ大尉。驚かさないでください!だいたい人もこんなに多い・・・の・・・に?」

 

「あ~静夏君。言いにくいのだが君と伊吹君が喋っている途中にここでのイベントは一旦終了したんだ」

 

「え・・・」

 

静夏と伊吹が慌てて回りを見渡す。確かに先ほどまであれだけ周りにいた群衆が今はまばらになっている。各々で屋台やカフェなどで時間を過ごしているのが目に付いた。

 

「静夏、全然気づいてくれないんだよね。あたしなんか空から気づいたのに」

 

「そ、空からですか・・・」

 

「うん。そんな目立つ格好してる人、見つけられないのがおかしいよね」

 

そう言ってルッキー二は笑う。その時

 

「こら、ルッキー二!また勝手な事して・・・!」

 

「あ、フェルだ」

 

ルッキー二の後ろからもう1人、別の女性が現れた。そのままこちらに近づいてくると、ルッキー二の襟首を後ろから掴み、そのまま猫の様に引きずっていく。

 

「ほんとにアンタは・・・あんな展示飛行のやり方誰がしろって言ったのよ・・・」

 

「く、首が絞まるから・・・ごめんごめん・・・」

 

謝りながらも抵抗しようとするルッキー二とフェルと呼ばれた女性の引っ張る力が相反し、ルッキー二の首がどんどん絞まっていく。それを呆然としながら見つめる伊吹達。結局一番初めに動いたのは静夏だった。

 

「す、すみません!フェルナンデス大尉!私達がここに来てフランチェスカ大尉もつい張り切ってしまったみたいで・・・」

 

「ん・・・?貴女は確か501の。・・・なるほどねぇ」

 

そう言うと彼女はルッキー二の襟首から手を放す。

 

「首締まっちゃうよフェル・・・」

 

フェルと呼ばれる女性から襟元を放されたルッキー二は抗議する様に話しかける。

 

「あんたが勝手な事するからいけないんでしょうが・・・まあ面白かったけど」

 

「でしょでしょ!」

 

「調子に乗らない」

 

「はーい・・・」

 

「あの・・・失礼ですが貴女方は?」

 

ルッキー二ともう一人の女性の会話を半ば呆然とした面持ちで聞いていたペトラチェンコが会話の中に入り込んだ。

 

「こちらの方は504JFWのフェルナンディア・マルヴェッツィ大尉です」

 

ペトラチェンコの横にいた静夏がペトラチェンコと伊吹に向かって説明した。

 

「今、静夏が言ったけど504JFWのフェルナンディア・マルヴェッツィです。今日はパレードの警備兼このルッキ-二の飛行展示のアシストで来てたんだけど・・・」

 

「っていう事はマルチナさんやルチアナさんも?」

 

フェルの話を聞いた静夏が疑問を口にした。

 

「ううん。彼女達は今日は基地で警戒待機。私なんかはもう上がりだから基地にいても仕方ないしね」

 

「あ・・・すみません・・・」

 

「いいよいいよ、気にしなくて。私1人じゃないしね。それより静夏は何でここに?というよりその殿方達は?」

 

「この方達は・・・」

 

「連合軍第105技術研究団『ワイルドファイア』のアレクセイ・ペトラチェンコです。こちらはイブキ・ヒイラギ君。そちらのハットリさんには今回ヴェネツィアで開かれる学会の為にわざわざ随行役を買って出てもらっていたのですよ」

 

「ワイルドファイア・・・もしかしてあの新しく出来たって部隊!?」

 

「ええ、そうです」

 

「へぇ・・・何だか面白そうね」

 

「ねえ!学会っていつから始まるの?」

 

ペトラチェンコの話に興味深そうに相づちを打つフェル。そんな中、ルッキ-二がいきなり声を上げた。

 

「ん?あ、あぁ。学会は夕方からだからあと2時間くらいは・・・」

 

「ならいい場所教えてあげる!静夏達も来て!」

 

「こら、あんたまたあそこに行く気じゃ・・・」

 

「いいからいいから!」

 

「え?あ、ちょっとフランチェスカ大尉!?」

 

「こ、こらルッキ-二!」

 

フェルの制止も空しく。静夏の服の袖を掴んだルッキ-二はそのまま今までいた場所とは反対側に向かって走り出した。フェルもその後を急いで追っていく。後に取り残されたのはペトラチェンコと伊吹の2人のみ。

 

「・・・どうします?」

 

先に声を上げたのは伊吹だった。

 

「うーむ・・・まあ行ってみない事には始まらんだろう。我々も行こう」

 

「・・・わかりました」

 

そう言うと2人も急いでルッキ-二達の後を追い始める。夏も半ばを過ぎているというのに、まだまだ照りつける日差しが眩しかった。

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

「到着!」

 

様々な裏道を通り、くぐり抜け、たどり着いた先は表通りからは程遠い、ヴェネツィアの運河などが入り交じる裏通りだった。表はあれだけパレードやイベントの活気で賑わっていたのに対してここはそんな雰囲気とは真逆の、生活感などが全く感じられない場所にそれはあった。

 

「これは・・・バラック街?」

 

ルッキ-二に連れられてここまでやってきた静夏が眼にした光景は、小さなバラックなどが転々とし、そこでみすぼらしい格好をした大人達が座り込んでいたり、泣きわめく赤ん坊をあやそうとしている場面だった。

 

「フランチェスカ大尉・・・これは?」

 

「うん・・・東部戦線とかから逃げてきた難民の人たちだよ」

 

「難民・・・」

 

今現在、ネウロイと人類間の戦争の最前線はかつての西部戦線から東部戦線へと移り変わっていた。かつて東部に疎開していた人間達が故郷への帰還を果たしている裏では、逆に今まで戦闘とは無縁だった東部の人間達が難民として西部地方に流入しているという現状が存在していたのだ。

 

「なるほどねえ。難民か・・・」

 

静夏のすぐ後ろで呟かれた一言。慌てて静夏が振り返ると、そこには伊吹の姿があった。その横にはペトラチェンコと、ここに来るまでに合流したのであろうフェルの姿も見受けられた。

 

「そういやロマーニャとガリアが難民の受け入れを大量に行ってるって前にラジオで聞いたな。最も、何処も実態はこんなもんなんだろうが」

 

「どういう事ですか・・・?」

 

伊吹が続けて口にした言葉に静夏が問いかける。

 

「簡単な話だろ。まず文化が違うのさ。いきなり難民ですって言って異なる異文化の国に放り込まれてその人達がまともに生きていけると思うか?言葉もろくに通じないんだぞ?どうやって金を稼ぐ?その国から難民募金でも貰うのか?国連が何とかしてくれる?今の連盟空軍のごたごたすら解決できない国連が?」

 

「それは・・・」

 

「よしんばこの国の言葉が喋れて職につけたとしよう。この国の雇用を奪う外国人に対してここの住人達は寛容になれるのか?言葉を話せない人間達の怒りや我慢もどんどん蓄積されていくし、この国の住民達との溝もどんどん深まっていく。ただでさえ不景気で雇用状況が悪化してるんだ。政府が難民対策の支援用資金なんか付けてみろ。暴動が起きるぞ。いっそ難民なんか取るのやめて国境辺りにでかい壁でも作る方がこの国の為なんじゃねえか?」

 

 

 

「確かに今、この国を取り巻く状況は芳しくありません。しかし、我々は目の前で困っている人達を見捨てる事は出来ないのです」

 

 

 

伊吹の声に重なり合うようにこのバラック街に、凜とした声が響いた。その声を認めた瞬間、今までバラックの中で寝転がっていた人々や、外でうずくまっていた子供達が一斉に顔を上げる。その声は伊吹達の正面から聞こえていた。

 

「マリア!」

 

ルッキー二が歓喜の声を上げる。そこにいたのは、赤髪をストレートに伸ばし、青いワンピースを身につけ背筋を伸ばし毅然とした表情でその場に立っている女性だった。

 

「まさか・・・」

 

驚愕の余り、伊吹の横にいたペトラチェンコが小さな声でそう呟いた。そこいたのは、先ほどまでヴェネツィアの中心部で人々を前に喝采や拍手を浴びていたロマーニャ公国公女、マリア・ピア・ディ・ロマーニャその人だった。

 

 

 

 

 

続く

 

 

 

 



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