甘い珈琲を君と (小林ぽんず)
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① こうして彼女の終わっていた物語が始まる。
第一話 再会とはじめまして


なんとなくパッと浮かんだアイデアを形にしてみた感じです。

もう一つの作品もあるので投稿ペースはそんなに早くないと思いますが、読んでくださる方はよろしくおねがいします。


「じゃあいろは!また明日ねー!」

 

 そう言って最近出来た彼氏と歩いて行く友人を見送る。

 

 はぁ…。

 

 高校三年生の時に届いた一つの知らせ。それから私の中の時間は止まっている。

 

 見た目を必要以上に気にするのもあざとくするのもやめたおかげで同性の友達はできたけど。

 

 というか、見た目とかそんな事に気を使う必要がなくなった。

 

 なんでかって?

 

 

 ……一番私の事を見て欲しかった人の中に私はもういないから。

 

 

  ☆ 甘い珈琲を君と ☆

 

 

 大学から駅までの道。今日はいつもと違う道を歩いてみようと思った。

 

 なんでそんな事を思ったかって?なんとなくだ。

 

 友人に彼氏ができ、いつもなら二人で歩いていた大学から駅までの道のりを一人で行く事になったから、少し遠回りしてみようと思っただけ。

 

 そういえばすこし行ったところに商店街があったな。

 

 そんな事を思い出し、商店街に足を向けた。

 

 大学がある以外は特に特徴の無い街。

 駅前こそ少し栄えてはいるがあとはただの住宅街。

 

 そんな街の商店街はちらほらとシャッターの目立つ、少し寂れた商店街だった。

 

 午後三時、人はまばらで活気はない。

 青果店のおばあさんはあくびをしながら船を漕いでいる。

 

 …来るんじゃなかったなぁ

 

 特に何もなかった。

 今の私と同じだ。空っぽだ。

 

 そんな事を考えて余計惨めな気持ちになった。

 

 商店街を抜け、今度こそ駅に向かって歩みを進める。

 

 何の変哲も無い住宅街を歩く。

 

 ふと、どこからか鼻孔をくすぐる珈琲の美味しそうな香りがした。

 

 沈んでいた顔を上げるとそこには喫茶店があった。

 

 こんな所に喫茶店があるんだ。

 

 住宅街の一角に現れた個人経営であろうどことなく昭和感の漂う喫茶店は住宅街からそこだけ切り離されたような、そんな不思議な雰囲気をしていた。

 

 少し興味が湧いた。

 

 ガラス張りになっていて中の様子が見える。

 

 店の外観通りのレトロな店内。

 モダンな濃い茶色をしたテーブルなどで統一されていた。

 壁に貼ってあるポスターなどは少し色褪せていて、どこかノスタルジックな、そんな雰囲気にどことなく魅力を感じた。

 

 ふと、そんな店のカウンターに店の雰囲気には似合わない女子高生の姿が見えた。イケメンな店員さんでもいるのだろうか?

 

 少し気になってカウンターの中を覗ける位置に移動して中を見てみる。

 

 そこにいたのは眼鏡を掛けた一人の男性。白いシャツに焦げ茶のエプロンという喫茶店らしい格好をしている。その少しボサボサの頭からはぴょこんとアホ毛が跳ねていた。

 

 ……え?

 

 ………なんで?

 

 …………信じられない。でも、間違いない。

 

 眼鏡をかけているし、ここからじゃ遠いから自信はない。

 

 けれど、そうに違いない。

 

 カウンターに座る女子高生3人組と仲良さげに話すマスターさんの穏やかな笑顔に見覚えがあった。

 

 いつぞや生徒会室でわたしに向けられていたある男性の笑顔を思い出す。

 

 そしてじわっと涙が目尻に溜まる。

 

 ふと、ガラス越しに不思議そうな顔をしたマスターさんと目が合った。

 

 …やっぱりそうだ。

 

 ………なんで?どうして?

 

 色んな感情が込み上げて来る。

 心臓は煩いし頭は働かない。

 

 けれどその店に吸い込まれるように足はまっすぐ喫茶店の中へ向かう。

 

 ドアに手を掛け、押す。

 

 カランカランと小気味好くなるドアに付けられたベルの音と共にさっきよりも濃くなった珈琲の良い香りが立ち込める。

 

「いらっしゃいませ」

 

 そう言って私の目の前に出て来るマスターさん。

 

 その声は、やっぱり聞き覚えがあって。

 

 その顔は間違いなく私が恋した人で。

 

 けれどその顔に浮かぶ笑顔は知らない誰かの物で。

 

 色んな感情がさっきよりもぐちゃぐちゃになって、涙が溢れそうになる。

 

「あ、あの!」

 

 けれど無意識に口が動く。

 

「私たち、どこかで会ったこと、ありますか?」

 

 途切れ途切れにそんな事を聞いてしまった。

 答えは分かっているのに。

 

「………すみません。記憶にないです」

 

「で、ですよね!かんちがいでした。すみません、あの、ブラックコーヒーいただけますか、マスターさん」

 

 そう誤魔化すとマスターさんはニコッと笑って対応してくれる。

 

「かしこまりました。お好きな席へどうぞ」

 

 そう言って『先輩』はカウンターに戻って行った。

 

 整理はついていないし、頭はまだ混乱している。心臓は相変わらず煩いし、脚は震えている。

 

 けれど、心の底から込み上げて来る嬉しさと、それと比例するように湧き上がってくる悲しさ、寂しさ、切なさ。

 

 そんな長らく感じていなかった感情達が私にこれが現実だと告げる。

 

 そう、この日、たまたま寄り道をした平日の午後、私、一色いろはは比企谷八幡と再会した。

 

 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

 いつもお店に来てくれる女子高生達とお話をしていた。

 

 たわいもない学校の話を聞くのは楽しい。

 

 友人がどうとか、テストがどうとか、彼氏がどうとか。

 

 学校の話を聞くといつも何かを思い出しそうになる。

 

 どこからか紅茶の香りが漂ってくることもある。

 

 そんな風にして女子高生の話を聞く、いつも通りの午後を過ごしていた。

 

 女子高生のうちの一人に名前を呼ばれ、洗い物をしていた顔を上げるとガラスの向こうにこちらを見ている女性がいた。

 

 その女性はなぜか泣きそうな顔をしていた。

 

 っ!瞬間、頭にズキっと痛みが走った。

 

 ……ぃ!……ん…ぃ!

 

 頭の中でそんな声が聞こえる。

 

 紅茶の香りといいこの声といい、これは僕の失った記憶が関係しているのかもしれない。

 

 そんな事を考えながら店に入ってきた女性を迎える。

 

 亜麻色の綺麗な髪ですこし大人しめの格好をした、そんな女性だった。

 

 ナチュラルなメイクが彼女の素材の良さを引き出し、可愛らしさと美しさの両方を醸し出していた。

 

 ……ぃ!…ん…い!

 

 相変わらず頭の中は女性の声が鳴り響いている。何かを思い出しそうで、思い出せない。

 

 いらっしゃいませ、そう言うと、

 

「あ、あの!私たち、どこかで会ったこと、ありますか?」

 

 女性はそう言ってきた。

 

 不思議なことにその女性の声はどこか聞き覚えがあるような気がしてすっと耳に入ってきた。

 

 頭の中に鳴り響いていた声はいつの間にか止んでいた。

 

 そういえば、どことなく頭の中の声とこの女性の声が似ているような…?

 

 気のせいだろう。

 

 そう決めつけ、いつも通りに接客した。

 

 カウンターに戻り、ブラックコーヒーを用意する。

 

 女子高生達はもう帰るらしい。ご馳走様でした〜と言って帰って行った。

 

 ちょうどカウンターから見える二人席に座っているさっきの女性にブラックコーヒーを出す。

 

 ごゆっくりどうぞ、と声をかけて戻ると背中越しに

 

「やっぱりせんぱいだよね…」

 

 と聞こえた。

 

『せんぱい』その言葉は初めて言われるはずなのにやっぱりスッと自然に耳に入ってきて、どこか懐かしい気持ちにさせた。

 

 ……やっぱり。

 

 恐らくあの女性は僕の無くなった記憶と関係があるのだろう。

 

 そんな事を不意に思った。

 

 僕はなんとなく気になって、それからの時間はその女性を眺めながら過ごした。

 

 女性は一度ブラックコーヒーをお代わりした後、「コーヒーおいしかったです。また来ますね」と泣きそうな顔に笑顔を浮かべて帰って行った。

 

 あの女性と居れば無くなった記憶の事が何か分かるかもしれない。

 

 別に今更記憶が戻って欲しいとか、そんなことは思わないけれども、そんな考えが浮かんだ。

 

 その日、いつも通りの平日の午後。

 

 僕、比企谷八幡は不思議な女性と出会った。

 




少し沈んだ感じと不思議な雰囲気を文で表現できていたら嬉しいです。

この文を読んでどんな風に思ったでしょうか?
感想等頂けると嬉しいです。
あと、追加した方が良いタグとかもありましたら是非教えてください。
では、読んでいただきありがとうございました。


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第二話 彼の名残と答えあわせ

話が割とすぐに浮かんだので投稿します。

よろしくお願いします。


 昨日、久しぶりに夢を見た。

 

 紅茶の香りがする部屋で、三人の先輩と過ごす放課後の夢。

 

 特に何もない。紅茶を飲んでおしゃべりをするだけの放課後。

 

 雪ノ下先輩がせんぱいに絡んで、せんぱいは嬉しいくせにめんどくさそうに答える。

 

 そんな様子を結衣先輩はニコニコしながら眺めていて、自分も楽しそうに参加する。

 

 そして私はそんな三人に癒されつつせんぱいをからかったりする。

 

 そんな放課後が私は大好きだった。

 

 多分私の人生の中で私が一番輝いていた時期。

 

 生徒会長をやって、好きな人がいて、自分の大好きな場所があって。

 

 そんな懐かしく、今の私とはまるで違う、暖かで優しい夢を見ていたからだろうか、目覚めると一筋の涙が頬を伝っていた。

 

 今日はどうしよう…

 

 あの喫茶店に、せんぱいに会いにいくかどうか。私はそんな事を迷いながら一人朝食の用意をするのだった。

 

  ☆ ☆ ☆

 

 昨日までもほとんど聞いていなかった大学の講義は昨日までよりもずっと早い速度で過ぎていった。

 

 気が付けば今日の講義も終わり、昨日と同じ時間。

 

 まだ心の準備出来てないのになぁ…

 

 昨日と同じ様に彼氏と歩いていく友人を見送り、とりあえず歩きだす。

 

 私と美沙は雪ノ下先輩と結衣先輩のようになれるだろうか。

 

 そんな事を考えたのは昨日夢を見たからで、せんぱいに会ったから。

 

 やっぱりせんぱいと再会した事、あの二人に報告したほうがいいのかなぁ…

 

 そんな事をぐるぐるととりとめもなく考えながら歩いているとまた珈琲の香りで気がついた。

 

 どうやら無意識に昨日と同じ道を歩いていたらしい。

 

 ガラス越しにせんぱい…マスターさんと目が合った。

 

 マスターさんはニコッと微笑みかけてくる。

 

 ドキッと心臓が跳ねる。

 

 あぁ…やっぱりせんぱいだ……

 

 高校時代は中々見る事のできなかったせんぱいが自然に笑った綺麗な笑顔。それを見ることができた。

 

 …まぁ同じせんぱいでも別人なんだけど。

 

 目の腐った猫背のせんぱいの姿を思い出し、今ガラス越しに居るせんぱいとのギャップに思わずふふっと笑みがこぼれた。

 

 どうやら一日経ったことで私の中でも少し余裕が生まれたらしい。

 

 私は店に入るかどうか少し逡巡した後、やっぱり少しでもせんぱいと一緒にいたくて、店に足を踏み入れる事にした。

 

 相変わらずなんだか気まずいし緊張するけれど、少し楽しみな気持ちも持ちつつ店内に入る。

 

 今日は店内に誰もいなかった。

 

 勇気を出してカウンターに座ってみる事にした。昨日女子高生達がいた席だ。

 

 心臓がトクトクと音を立てはじめ、だんだんとその動きが早くなる。

 

 これは恋心なのだろうか、それとも緊張しているだけなのだろうか。

 

 この人は確かに私が恋した人と同じ人だけれど、私が恋したせんぱいではない。

 

 そんな事を思って悲しくなって、そしてそんな事を思ってしまった自分を少し恨めしく感じた。

 

 カウンターに座り、荷物を片付けていると私の前にそっとブラックコーヒーと昨日より少し多めのミルク、そして一本のスティックシュガーが出された。

 

 え?そんな表情を向けるとマスターさんは笑顔で言う。

 

「昨日はブラックコーヒーにミルク全部とスティックシュガーを一本で飲まれていたので、ミルクを多めにしてみました。お嫌いでしたか?」

 

 ……そんなところまで見てくれていたんだ…やっぱりせんぱいなんだなぁ…

 

 そんな昔と変わらず色んな所に気が付けて、そして相変わらずの優しさを持つせんぱいについそんな事を思ってしまう。

 

 というか、どうしても私の知っているせんぱいと結びつけてその名残を探してしまう。今だってそうだった。

 

「わたしのこと、覚えていてくれたんですね」

 

 そう言うと、

 

「初対面で泣かれちゃっては、忘れられませんよ」

 

 そう悪戯っぽく笑う姿はなんだか可愛らしかった。

 

 初対面、そっか。そうだね。そういう風にしないとなぁ。

 

 出されたブラックコーヒーにミルクを流して、スティックシュガーを入れて少しかき混ぜて飲む。

 

 昨日よりも少し苦味の薄まったコーヒーは昨日よりも美味しく感じた。あるいはせんぱいの思いやりを感じるからかもしれない。

 

「おいしいです」

 

「そうですか、それはよかったです。どうぞごゆっくり」

 

 それからは無言。

 

 私はコーヒーを飲んで、たまに少し横目でせんぱいを盗み見た。

 

 てきぱきと仕事をこなすせんぱいはやっぱり生徒会室で文句を言いながらも仕事を手早くこなすせんぱいと重なって見えてしまう。

 

 色々と聞きたい事がある。

 

 色々と聞いてほしい事がある。

 

 せんぱいに会いたい。私の知っているせんぱいに。

 

 目の前のせんぱいを見ながら、やっぱりそんな事を思ってしまった。

 

「比企谷八幡です。マスターさんって呼ばれるのは逆にムズムズするというか、お客さんは皆さん比企谷さんとか呼んでくださるので」

 

 私の視線に気が付いたのかせんぱいは不意にそう話しかけて来た。

 

 比企谷八幡…やっぱり。

 

 確信がより強固になった瞬間だった。

 

「じゃあ私も。私は一色いろはと言います。よろしくお願いします」

 

 座ったまま頭をぺこりと下げてそう言うと、せんぱいはなぜかぼーっとしだす。

 

「どうかしたんですか?」

 

「いや、一色っていう苗字を昔呼んだ事がある気がして。それも何回も。思い出せないんですけど、なんだか懐かしく感じて」

 

 確かめるとしたらここだ。私は答えあわせを求めるように言う。

 

「もしかして、記憶喪失…ってやつですか?」

 

「はい。実は。二年前に事故にあったらしくて」

 

 隠さないんだ……でも、これではっきりした。

 

 目の前のこの人は、私が恋したせんぱいで間違いない。

 

 心臓の音がまた一つ大きくなった。

 

 二年前の十二月。

 生徒会室で仕事をしている小町ちゃんを見ながら受験勉強をしていた時の事。

 唐突にせんぱいが事故にあったという連絡が小町ちゃんのケータイに入った。

 それからの事はあまり覚えていない気がする。

 ショックで記憶がハッキリとしていないのだ。ただ小町ちゃんと病院に駆け込んで、そこには服に血のついた雪ノ下先輩と結衣先輩がいて、それから結局お父さんが迎えに来るまで病院で泣いていたと思う。

 せんぱいとの面会許可も貰えずに、何もやる気がおこらずに学校も休んでて、いろんな事が知らされたのは二週間後。

 知らされたと言っても知ることができたのはせんぱいは記憶喪失になったという事と治療の関係で家族ごと東京に引っ越すという事だけだった。

 

 一応小町ちゃんには新しい家の住所と連絡先は貰ったけれど、そこに連絡をする気にはなれなかった。それは雪ノ下先輩と結衣先輩も同じだろう。

 

 引っ越し前日に会った小町ちゃんはなんだかやつれていて、それでも無理に笑顔を浮かべていた。

 

 そんな小町ちゃんを見てとてもせんぱいのことを聞く気にはなれなかった。

 

 だからそのまま。財布に入れたままのせんぱいの家の住所と連絡先は一度も仕事をした事はない。

 

 やっぱり、彼女達にはこの事は言わない方がいいかな。

 

 多分彼女達はまた自分を責めてしまうから。事故の後の彼女達のことを思い出してそう決めた。

 

 そんな事を思い出していた時、せんぱいの声がした。

 

「あの、一色さん。その…えっと。また、このお店に来てくれますか?」

 

 え?

 

「いや、一色さんと居るとどこか懐かしい様な、なんだか暖かい気持ちになるんです。多分、無くなった記憶と関係あるんだと思うんです。だから、また会いたいなって」

 

記憶を失ってもせんぱいはせんぱいなのか、中々鋭い。昨日からの少しの関わりだけで私を自分の過去と関係があると導き出したらしい。

 

 せんぱいは恥ずかしいのか、少し躊躇いながらもそう言った。

 

 顔が熱くなるのが分かる。

 

 そんな告白もどきをされたって…てか半分告白じゃん…!

 

 はっ!そうだ!

 

 こんなせんぱいのあざとさを受けた時、いつもこうしていたではないか。

 

そんな事を思い出した。

 

喉は多分大丈夫。二年前はほとんど毎日やってたんだから、多分噛まない!

 

 やってやりましょう二年ぶりに一色いろはのひっさつわざを!

 

「な、なんですかもしかして口説いてますかごめんなさい二年ぶりに会えて嬉しいしむしろ会うどころか一緒に住みたいくらいですけどまだちょっと気持ちの整理が出来てないですなので私が後一ヶ月くらいこのお店に通ってからにしてくださいごめんなさい無理です」

 

 っはぁ…はぁ…

 

 やりきった。やっぱり相変わらず全然振れてないけど。

 

「えーっと…じゃあ一ヶ月の間はブラックコーヒーとミルクを用意して待ってますね」

 

 と、せんぱいは少し頬を赤くして、頭をポリポリと掻きながら言った。

 

 あっその仕草…私の知っているせんぱいが少し顔を覗かせたのがたまらなく嬉しい。

 

 でもね。

 

 どうやら現在のせんぱいには私の早口も全部聞き取られてしまうようだ。

 

 昔のせんぱいならほとんど聞いてなかったから言いたい事言えたのに…今思えばあれ半分私から告白してたもんね…

 

 盛大な自爆によってさっきよりも赤くなる顔を両手で抑えつつ、

「は、はい…よろしくお願いします…」と小声で言う事しかできなかった。

 

 




二話でした。
次は八幡視点での二話になります。
いろはの友人。あの彼氏出来た子の名前が美沙です。
そのうちプロフィール紹介します。
記憶喪失ですが、なんで人って記憶喪失になるんだ?事故だろ。って感じで決めただけです。
なのでその辺は気になる点があっても見逃してください。

その他、評価や感想お待ちしております。記憶喪失などの設定についてでも、なんでも気になることがあればどうぞ。大体のことはネタバレしない限りでお答えします。

では、今回もありがとうございました。


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第二話-another- 断片と約束

anotherは八幡視点です。

基本的にいろは視点の補完という形になると思います。

では、今回もよろしくお願いします。


 昨日、見慣れない夢を見た。

 

 僕はどこかの学校の教室にいた。

 

 紅茶の香りが漂ってくる、暖かで柔らかな雰囲気の部屋だった。

 

 誰がいるかは分からないけれど、僕の他にも三人いた気がする。

 

 一人が何かを言えば一人は返す。

 

 また一人はその様子を眺めていては、その話に参加する。

 

 そしてもう一人が僕に話しかけてくる。

 

 せんぱい。

 

 その一人にそう呼ばれた気がした。

 

 僕はなんて返したのだろうか。

 

 出てこない。なんて答えたのかも、その人の顔も、名前も、何も思い出せないままだ。

 

 けれどそんな夢は心地が良くて、僕は幸せな気持ちに包まれていた。

 

 ふと気が付くといつのまにか目が覚めていた。

 

 夢のおかげだろうか、なんだか不思議な力に包まれているような、何かに見守られているような気がする目覚めの良い朝だった。

 

  ☆ ☆ ☆

 

 モーニングの時間も終わり、お客さんが居なくなったお昼時少し前、オーナーさんがやってきた。

 

 オーナーさんはカウンターに座りいつもと同じサンドイッチを食べながら言った。

 

「あれ?八幡君今日はご機嫌がよろしいようだね〜お姉さんと付き合う気になったのかな?」

 

 オーナーさんは僕の考えていることなんてすぐに見抜く。

 

 そしてオーナーさんはそんな事を言っていつもからかってくる。

 

 見た目は美人なんだからもっといい人を探せばいいのに、なんて思ったりする。

 

 どこか仮面を被ったような、けれど僕の前ではすこし寂しそうに笑うそんなミステリアスな女性。

 

 なんでもオーナーさんは名家のお嬢様らしく、そんな人がなんで古い喫茶店を自分のお金で買って僕をマスターとして雇ってくれているのかは不明だ。聞いたって教えてくれない。

 

 そんな彼女に僕は釣り合わないし、多分あの人も冗談で言っている。

 

 でも、もし僕が記憶を失わないままであの人と出会っていたら。

 

 なんて、そんな事を考えても意味は無いか。

 

 昔の事は分からない。憶えていない。

 

 今の僕にあるのはこの店と、事故にあったらしい僕が意識を取り戻した後からずっと、そして今でも毎日家で家事をして僕のことをお兄ちゃんと慕ってくれる優しい妹と毎日働いて僕たち兄妹を養ってくれている両親だけだ。

 

 オーナーさんが去った後は、そんな事を考えていた。

 

  ☆ ☆ ☆

 

 チラホラと来ていたお客さんが全員帰った後、一人ぼっちの店内で時計を見ると時間は午後三時過ぎを指していた。

 

 昨日、あの人が来たのもこれくらいの時間だった。

 

 つい、外に目がいってしまう。

 

 あの人が来るのを心待ちにしているような、そんな気分になる。

 

 そして、少しの間仕事をしながら外をチラチラと見ていると、その人はやって来た。

 

 昨日と同じ位置。

 

 またガラス越しに見つけた。

 

 今日は泣いていない。よかった。

 

 その女性は店の前で少し立ち止まった後、入って来てくれた。

 

 そして僕の目の前、カウンターに座った。

 

 予め用意しておいたブラックコーヒーと、昨日より少し多めのミルクと、昨日のものより一回り大きいサイズのスティックシュガー。

 

 昨日は少し苦そうに飲んでいたから工夫してみた。

 

 それを彼女の前に出す。

 

 彼女が不思議そうな顔をしたので、

 

「昨日はブラックコーヒーにミルク全部とスティックシュガーを一本で飲まれていたので、ミルクを多めにしてみました。お嫌いでしたか?」

 

 と説明すると、彼女は一瞬何かを懐かしむような笑みを浮かべていた。

 

 そしてコーヒーを飲んで

 

「おいしいです」

 

 彼女はそう言ってくれた。

 

 それから無言が訪れた。

 

 彼女がチラチラと見てくる視線を感じながら洗い物をする。

 

 なぜだか、こんな距離感でチラチラと見られた事があるような気がした。

 

 ……生徒会室

 

 頭に浮かんだ単語。

 

 けれど、急にそんな単語が浮かんだ意味が分からなかったのでなんとなく意識を切り替えるために彼女に話しかけてみた。

 

 確認の意味も込めて、

 

 比企谷八幡です。と。

 

 彼女は一瞬ハッとしたような表情を見せた。

 

 やっぱり…この人は僕の事を知っている。

 

 僕の知らない僕を知っている。

 

 昨日から考えていた仮説が、現実味を帯びようとしていた。

 

 そんな彼女の名は一色いろはだという。

 

 自己紹介をして頭をぺこりと下げる一色さん。

 

 一色。

 

 珍しい苗字だと思った。

 

 けれど、彼女の口から出てきた一色という音はスッと綺麗に溶けた。

 

 そしてその溶けた何かは頭に染み込み、身体を巡り、心に訴えかけ、頭の奥の栓を、心の中のわだかまりをほんの少しだけ解いた。

 

 そんな気がした。

 

 僕はその苗字を呼んだことがある。

 

 亜麻色の髪をした女の子に、そう呼びかけた事がある。

 

 そんな気がしてやまない。

 

 何かを思い出したわけじゃない、ただ漠然とそう思っただけ。

 

 けれど、そんな経験は初めてだった。

 

 そんな初めての経験が

 

 一色さんが目の前にいるだけでどこからか感じるこの懐かしさが

 

 つい一色。と呼び捨てで呼んでしまいそうになる感覚が

 

 そして、昨日一色さんの口から出た『せんぱい』という言葉が

 

 夢で聞いた気がする『せんぱい』という言葉が

 

 全てが寄り集まって、そうして一つの答えを導き出した。

 

 一色いろはというこの女性は、僕の過去を知っている。

 

 僕はそれを知りたいのだろうか、思い出したいのだろうか。

 

 それは分からない。

 

 けれど、目の前の彼女にはもう一度会いたいと思った。

 

 なぜだかたまらなく愛おしいから。

 

 離してはいけないと思った。

 

 昨日、僕に再会出来たと思って泣いていた彼女と、

 

 今日、またここに来てくれた彼女と、

 

 ここでお別れしてはいけないと思った。

 

 だから言う。

 

 記憶喪失かと聞かれ、記憶喪失だと告白した。

 

 彼女は驚かなかった。

 

 どこか安堵のような表情を浮かべていた。

 

 それで仮説は本当に真実と化したから。

 

 だから言う。

 

 彼女とまた会うために。

 

「また、会えますか?」

 

 これだけ言うつもりだった言葉は勝手に溢れ、なんだか恥ずかしい事まで言ってしまった。

 

 みるみる赤くなる一色さんと、その口から飛んでくる早口言葉のような何か。

 

 その言葉はしっかりと届いた。

 

 届いてしまったからたまらなく恥ずかしさを感じたけれど、一色さんがまたこの店に来てくれる。その事実だけでたまらなく嬉しかった。

 

 恥ずかしそうに俯く一色さんの頭を撫でたくなったけれど、さすがにやめた。

 

 それから一色さんは黙ってしまった。

 

 その頬には朱色が差したままで、こくこくとコーヒーを飲む彼女を眺めながら、昨日見た夢のような暖かさに包まれていた。

 

 

 彼女の帰り際、ある約束をした。

 

「明日。明日だけまた来てください。その約束をしてください」

 

 そう言って、一色さんと指切りげんまんをした。

 

「明日だけでいいんですか?」

 

 そう言う彼女の不思議そうな顔がなんとなく愛おしかったから、少しだけからかうようにして言った。

 

「明日は、明後日も来てくださいって貴女に言います。そうしてまた指切りげんまんをしましょう。そうすれば、貴女にまた触れられるから」

 

 その言葉でまたその顔を真っ赤に染めた彼女を見送った。

 

 明日からが、ひどく楽しみだった。

 

 止まっていた僕の時間が、二年ぶりに動き出すような気がして。

 

 

 

 

 

 その日、僕は違う夢を見た。

 

 亜麻色の髪の少女が居眠りをしている横で、何かの書類のチェックをしている夢だった。

 

 パソコンがあって、机がいくつか並べてあって、その机にはたくさんの書類が積まれた、そんな部屋。

 

 その部屋の黒板にはいろんな仕事の締切や会議の日程が所狭しと書き込んであった。

 

 居眠りをしている少女の肩に自分の着ていたブレザーを掛けて、そうしてまた書類に向かう。

 

 そんな夢だった。

 

 




思ったより甘くなってしまった。
これじゃ主人公いろはとオリジナルヒロインのお話みたいになってますね。逆に新しいかもしれない。

このお話の本当のスタートはここからですので、これからもよろしくお願いします。

オーナーさん。誰か分かったでしょうか。分かりましたよね。

そのうちでてきます。

では、今回はこの辺で。
感想、評価等、お待ちしております。
今回もお読みいただき、ありがとうございました!



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小休止 私とせんぱいの金曜日

【忠告】
いろはの砂糖をそこかしらに振りまいた3000文字弱のモノローグ的なものです。

第三話ではありません。小休止です。
次回から本格的にお話が始まるので、それに合わせて時系列と二人の関係についてまとめたって感じです。

では、今回もよろしくお願いいたします。


 あの日から三日が過ぎた。

 

 あの日から毎日あの喫茶店に通っている。

 

 あの日というのは初めての約束をした日。またお店に来ますと言った日だ。

 

 せんぱいはなぜ掛けだしたかは知らないが掛けているメガネのおかげか女性に人気があるらしく、店でお客さんを見かける時は女性客ばかりだった。

 

 まぁ元々目以外は顔整ってるしね。

 

 奉仕部の部室で寝ているせんぱいの寝顔をこっそり撮った写真は今も残っている。

 

 そんなメガネイケメンと化したせんぱいはその敬語キャラとエプロンの執事感も合わさって地元では少しだけ有名らしい。

 

 大学の食堂に置いてあった女性向け地元誌に載っていた。

 

 美味しい珈琲と眼鏡イケメンのお店。

 

 そんな評価に思わずむーっとしたが、周りから見たら私もそんなイケメン目当ての客だし、実際そうだから何とも言えない。

 

 ただし女性諸君。

 

 せんぱいがメガネ取ったらすごいんだからな!覚えとけよ!

 

 と、こう言ってやりたい。

 

 さて、である。

 

 今日も今日とて喫茶店に脚を運ぶせんぱい想いの健気な私だが、他のお客さんがいる時はせんぱいと話せない。

 

 大体いつもカウンターに誰かしらが座っているから。

 

 大学が終わってから喫茶店に行くと割とお客さんが多い。

 

 せんぱいと再会した日、そしてその翌日がたまたま人が少なかっただけらしい。

 

 そんな他のお客さんにカウンターをとられてしまった時、私は初めてこの喫茶店に行った時に座った、カウンターが見える席に座ってせんぱいを見つめている。

 

 せんぱいはカウンターに座る女性と仲睦まじげにお話ししている。

 

 女性が笑えばせんぱいも笑う。

 

 せんぱいが何かを言えば女性は嬉しそうに手をパタパタとさせる。

 

 ……むー。

 

 少しだけもやっとする。

 

 あ、せんぱいが来た。

 

 せんぱいは私の視線に気がつくといつもクッキーを持ってやってくる。

 

 注文していないクッキーはせんぱいからのサービス。

 

 クッキーのお皿の端にはいつも四つ折りになったメモ用紙が乗っている。

 

 それを広げて、読む。

 

『今日はなかなか帰ってくれません』

 

 お客さん相手にそれはどうなの…

 

 なんて思うけれど、裏を返せば私と話したいと言ってくれているようで、とても嬉しい。

 

 私は読んだメモ用紙を財布にしまう。

 

 これで三枚目。

 

 私の宝物だ。

 

 因みに一枚目の内容は『来てくれてありがとうございます。サービスです。食べててください。』で、二枚目は『もう少しお待ちください』だった。

 

 そう考えるとやっぱりせんぱいはせんぱいで私に会いたいと思ってくれているらしい。

 

 そんな事を考えて少しの優越感に浸りながら私は甘いクッキーといつものブラックコーヒーを楽しみつつ、カウンターが空くのを今か今かと待つのだった。

 

 

 

 お客さんがみんな帰って、それからやっと私とせんぱいの時間は始まる。

 

 せんぱいは私の席にブラックコーヒーを持ってやってくる。

 

 私と違ってミルクもお砂糖も入れていない。

 

 甘い時間を過ごすからコーヒーくらいは苦くていいんですよ。

 

 なんて言うせんぱいに思いっきり赤面してしまった二日前の事を思い出してまた恥ずかしくなる。

 

 今日は金曜日。

 

 明日から二日、せんぱいに会えない。

 

 土日は一度実家に帰って来なさい。

 

 最近帰ってないからと、そうお父さんとお母さんから連絡があったからだ。

 

 それを言うとせんぱいは少しだけ寂しそうな顔を浮かべてくれた。

 

 私も同じ気持ちですよ。なんなら、私の方が寂しく思ってます。

 

 なんて、そんな事は言わないけれど。

 

 二年ぶりに出会った大好きなせんぱい。

 

 私の知っているせんぱいとは違うけれど、それでもせんぱいなのには変わりない。

 

 だから好き。

 

 たまに私の知っているせんぱいが顔を覗かせる瞬間や、私の知っているせんぱいなら絶対にしなかった事をするせんぱいが、たまらなく愛おしい。

 

 だから幸せ。

 

 昔のせんぱいと今のせんぱいを重ねる。そのどっちもが魅力的で、私にはない素敵なところをたくさんもっている。

 

 だからもっと好きになる。

 

 まだ聞きたいことも話したいこともたくさんある。だからこれからもこの店に通おう。

 

 そう思って、憂鬱だった毎日がちょっとだけ楽しくなる。

 

 コーヒーをおかわりして、二人でもう一皿のクッキーを口に運んで、二人だけの時間を過ごす。

 

 失った時間は取り戻せないけれど、ならまた一から新しい時間を築けばいい。

 

 一度失った関係ならば、ゼロから作り直せばいい。

 

 昔のせんぱいも恋しいけれど、あの頃のせんぱいに会いたいけれど、せんぱいの記憶が戻って欲しいとも思うけれど、それを言うのは私からではない。

 

 今のせんぱいには今の生活、関係、そしてこのお店があるから。

 

 でも、せんぱいがもし、もしも記憶を取り戻したいと言ったのならば、その時は全力で協力しよう。

 

 そう決めている。

 

 …まぁ、今のせんぱいの少女漫画に出てきそうなイケメン感もたまらないからこれはこれで……

 

 なんてよこしまな気持ちもあったりするけれど。

 

 とりあえず、そんな理由で私は昔の話はしない。

 

 聞かれれば軽く教えたりはするつもりだけれど、今のところ、それもない。

 

 それでもせんぱいは私といる時に唐突に訪れる、せんぱい曰く不思議な懐かしさなんかを楽しんではいるようだけれど。

 

 大学の話をして、せんぱいの話を聞いて、くだらない事を言い合って、そして無言を楽しむ。

 

 一緒に本を読んだり、そんな事をしても楽しいかもしれない。

 

 そんな事を考えていると頬が緩む。

 

 そしてそんな私を見て正面のせんぱいは微笑む。

 

 その微笑みにえへへーと微笑み返す。

 

 二人だけの店内で、珈琲の香りに包まれて、大好きなせんぱいを独り占めして。

 

 まるで世界から切り離されたような、そんな暖かな微睡みの中にも似た不思議な感覚の中で私は幸せな時を過ごすのだ。

 

 そんな時間は、そんな時間だけは、たまらなく好きだ。

 

 けれど、

 

 楽しい時間はあっという間に過ぎる。

 

 気付けば窓から漏れる光には赤みがさしはじめ、街が夕焼けに赤く染まる時間になっていた。

 

 そして、それがお別れの時間。

 

 せんぱいは空になった二つのグラスとクッキーのお皿をもって立ち上がる。

 

 それをカウンターに置いて、外に出る。

 

 それに着いて行く。

 

 そうしていつもの約束をする。

 

 今日はいつもと少しだけ違った。

 

「月曜日は、カウンターに座ってください。予約席にしておきます。約束してくれますか?」

 

 予約席なんてあるんだ…

 

 いや、そんなのないよ。多分。

 

 もしかして土日に私に会えないから月曜日は長く一緒に居たいのかな?

 

 そう考えてにやけそうになる頬を抑え、

 

「はい、よろこんで」

 

 と答えて指切りげんまんをする。

 

 たった数秒。

 

 せんぱいの小指と私の小指が絡まる。

 

 それだけなのに、とっても幸せな気持ちになる。

 

 一日、二十四時間もある一日の中でせんぱいといれる時間はたったの数時間、お話できる時間はもっと少なくて、こうやって触れ合える時間はたった数秒。

 

 そのたった数秒が、私の一日の中で一番幸せな時間だ。

 

 指を離して、少し見つめあって、恥ずかしくなって目を逸らして、そうして本当のお別れ。

 

 手を振ってくれるせんぱいに手を振り返して、駅に向かう。

 

 それが、今の私の日常だ。

 

 せんぱいからもらった暖かさを抱きしめて、それを逃してしまわないように、せんぱいの事を考えながら帰る帰り道。

 

 電車の窓からは夕焼け。

 

 さっきまでせんぱいと見ていた綺麗な夕焼け。

 

 けれど、一人で見る夕焼けは、ひどく寒々しくて、寂しいものだった。

 

 また会いたい。早く会いたい。

 

 せんぱい、月曜日が楽しみです。

 




はい、こんな訳で、一週間でいろはは完全に落とされました。
もうベタ惚れです。
元々気質はあったしね、高校時代は好きだったしね、会えなくて寂しいと思ってたしね、その辺は惚れても仕方ないかなーなんて思っていてください。

作中の時系列というか季節ですが、この話の時点で五月です。ゴールデンウィークは明けてます。

では、今回もまた感想評価お気に入り等お待ちしております。もっと送ってくれると僕は喜んで小躍りします。
そんで家族に白い目で見られることでしょう。

では、本当に今回もお読みいただき本当にありがとうございました!

ー追記ー
少しおかしかった点を直して、少し文を足したりしました。
メガネのくだりとかですね。
では、お楽しみください(投稿日同日)


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② きっと、誰しも等し並みに悩みを抱えている。
第三話 独白と久しぶり


①、②と章をつけました。
少しは読みやすくなるかと思います。
第三話、小休止の続きです。
ここからお話は動き出します。

では、今回もよろしくお願いします。


 ねぇねぇせんぱい。

 

 お話ししたいことがいっぱいあるんです。

 

 せんぱいと一緒に行った場所を巡ったんです。

 

 一緒に卓球しましたよね。とっても楽しかったです。

 

 ラーメンも食べました。悔しいけれど、おいしかったです。

 

 お洒落なカフェにも行きましたね。写真は今でも宝物です。

 

 これが最初のデートでしたっけ?

 

 たしか、葉山先輩を理由に使って無理やり取り付けたんですよね。

 

 懐かしいです。

 

 それからも、何回もデートしてるんですよ?

 

 って、せんぱいは憶えてませんよね。

 

 でも、私にとっては全部がせんぱいとの大切な二人での思い出なんです。

 

 忘れたくない宝物なんです。

 

 そしてきっと、私の本物の一部なんです。

 

 本当は、せんぱいにとってもそうであってほしいんですよ?

 

 いつか、二人でその時のことを笑いあって話したいです。

 

 あんな事があったねって。

 

 そうやって笑いあって、一緒に幸せな時間を過ごしたいです。

 

 なんて、願ってもいいですか?

 

 いつか、二人でもっといろんな事をしたいんです。

 

 なんて、願う事は許されませんか?

 

 昔のせんぱいも今のせんぱいも好きです。

 

 だって、せんぱいはせんぱいだから。

 

 記憶がなくなってしまっても、私が好きになったせんぱいの根っこのところは何も変わっていないから。

 

 でもね、せんぱい。

 

 ちょっとだけ、ちょっとだけですよ?

 

 恋しくなっちゃったんです。

 

 会いたくなっちゃったんです。

 

 あのどうしようもなく捻くれてて、気持ち悪くて、嫌われ者の、そんなせんぱいに。

 

 また会いたくなっちゃったんです。

 

 あざといって、また言われたくなっちゃったんです。

 

 せんぱいはどう思ってますか?

 

 記憶、取り戻したいですか?

 

 私のことはどう思ってますか?

 

 私の知らないせんぱいの二年間は、どんなことがあったんですか?

 

 ねぇねぇせんぱい。

 

 ほら、聞きたいことがこんなにたくさんあるんです。

 

 それで、言いたいことはもっとたくさんあるんです。

 

 もっとたくさん、先輩と話したいんです。

 

 だからねせんぱい。

 

 はやく会いたいです。

 

 二日会えないだけでこんなに胸が締め付けられるんです。

 

 せんぱいの事を考えて、胸がいっぱいになるんです。

 

 一人でいる時は相手の事を想って幸せになれて、そして二人でいる時はもっと幸せ。

 

 なんて、そんなのが片想いなんですって。

 

 だけどねせんぱい。

 

 二人でいる時は幸せです。とっても幸せですよ?

 

 でも、一人でいる時は苦しいです。寂しいです。

 

 私は一人が怖いです。

 

 もう、一人ぼっちは嫌なんです。

 

 だって、二年も一人ぼっちだったんですよ?

 

 せんぱいが私をほったらかすから。

 

 急にいなくなっちゃうんですもん。

 

 でも、やっと見つけてくれた。

 

 だから、今回だけは許してあげます。

 

 今、私の世界に色はないけれど、せんぱいと居るときだけは暖かいせんぱいの色が私の世界にも届いて、私の世界はせんぱい色に染まるんです。

 

 たった数秒。小指と小指が絡まる夕暮れの瞬間、私の世界はせんぱい色で溢れるんです。

 

 明日からも、また染めてくださいね。

 

 なんて、こんな事考えてたらまた会いたい気持ちが溢れ出して止まらなくなっちゃいますね。

 

 じゃあせんぱい。

 

 明日、会いに行きますね。

 

 

  ☆ ☆ ☆

 

 

 時計の針は進んで欲しい時に限って進んでくれない。

 

 せんぱい。せんぱい。せんぱい。

 

 月曜日最後の講義が終わったのは三回目のせんぱいエンドを妄想し終わった後だった。

 

 ……二回目がベストエンドだったなぁ…

 

 妄想でにやけそうになった顔を引き締めつつ私は急いでノートを片付けて、早歩きでせんぱいの元に向かった。

 

 荒れた息を落ち着けて、乱れた髪を手櫛で整えて、ふぅっとはやる気持ちを抑えて店のドアに手をかける。

 

 カランカランというベルの小気味いい音と二日ぶりの珈琲の芳ばしい心落ち着く香りに心が弾む。

 

 カウンターに目を向けると、せんぱいはいた。

 

 やっとだよ!

 

 やっと会えた!

 

 つい抱き着きたくなる衝動を抑える。

 

 せんぱいの顔を見た瞬間に高鳴りだす胸が、大きくなる心臓の音が、私の居場所はここだと告げる。

 

「お久しぶりです。一色さん」

 

 そう言って笑うせんぱいの声は耳を優しく撫で、私の心をじんわりと溶かした。

 

「お久しぶりですって、二日しか経ってませんよ?」

 

「その二日が長かったんですよ」

 

「……そうですか」

 

 顔が紅くなるのが分かった。

 

「一色さんはどうでしたか?二日間。短かったですか?」

 

「なんでそんなこと……まぁ…長くないこともなかったですけど……」

 

「ふふ、そうですか。それはよかったです」

 

 また悪戯に成功した子供のような笑顔を見せるせんぱい。

 

 この人はなんでこんなに…変わりすぎじゃない?変な人にでも会ったんじゃないの?

 

 ……はるさん先輩とか?

 

 ……だったらせんぱいがこんなSっ気があるのも頷けるかも…

 

 ……いやないな。ないと信じたい。

 

 あんな人に今のせんぱいが会ったら危ないよ。

 

 カウンターの席。せんぱいがいる場所の正面の席に座る。

 

 注文しなくても出されるブラックコーヒー。

 

 ミルクとお砂糖を入れて飲んでいると、目の前にクッキーのお皿が出された。

 

 今日は別に待ってないのにな?

 

 今日もちゃんとお皿に載っているメモ用紙を見る。

 

『さっき、照れてましたね』

 

 ……ほんとにこの人は………

 

 カウンター越し、少し奥には洗い物をしながら私の反応を見て笑いを堪えているせんぱいの姿。

 

 なんだかすっごく悔しいんですけど…

 

 まぁ、楽しそうだし、楽しいし、許してあげますか。

 

 ……ちょっとだけやり返してやるけど。

 

「ほら、比企谷さん。お客さんもいないんでしょう?隣どうぞ。クッキー食べましょうよ!」

 

 そうやってせんぱいを隣に座らせる。

 

 今日は、いつもより少し、一緒の時間が長くなりますね。

 

 隣に座ったせんぱいの耳元でそう囁いてやった。

 

 ビクッとして顔を真っ赤にするせんぱいに

 

「ふふ、お返しですっ!」

 

 そう返してウインクをしておいた。

 

 そんな事したのは何年ぶりだろう。

 

 ただ、やっぱりせんぱいにはこうやってするのがしっくりきた。

 

 

 ーーーあぁ、染まる。

 

 せんぱいの声が横からする。

 

 せんぱいの笑顔を近くで見れる。

 

 だから私も繕わないありのままの私でいられて、自然な笑顔を浮かべられる。

 

 そして、私の世界はせんぱいの色に染められる。

 

 そんな時間を少しでも長く味わっていたいと、そう強く思った。

 

 

 ねぇせんぱい?

 

 私は幸せです。

 

 せんぱいといる時間が。

 

 せんぱいといる時間だけが。

 

 私は苦しいです。

 

 せんぱいと会えない時間が。

 

 せんぱいの事を想っている時間が。

 

 私は辛かったです。

 

 せんぱいに会えないと思っていたあの時間が。

 

 でも、もう大丈夫ですよね?

 

 せんぱいと会えました。

 

 今、せんぱいは私の前にいて、せんぱいの前には私がいます。

 

 二人だけの店内で、珈琲の香りに包まれて、一緒に少し苦い珈琲を飲んで、甘いクッキーを食べて。

 

 そんな時間は、終わりませんよね?

 

 でも、せんぱいには一度前科がありますもん。

 

 だから約束です。約束してくださいね。

 

 これからも、一緒にいてください。

 




というわけで②きっと、誰しも等し並みに悩みを抱えている。スタートです。

このタイトルは原作アニメ一期第二話からの流用です。
原作リスペクトです。パクリではありません。パクリではありません。

というわけで今回のお話から物語の本当のスタートですね。

彼女の独白と過去。そして三つの時間。
彼の時間が終って、そして彼女の時間は止まりました。
そして彼女はそんな彼と再会します。

さて、ではその空白の二年間は?

そんな所が主題になると思います。
今回のお話にヒントを入れておきました。
色々考えてみてくれると嬉しいです。

第三話-another-は1/1か1/2かに投稿します。多分後者です。
八幡視点。彼の土日と二日ぶりの彼女との時間。
そんな事を書いていきます。
そんなところからもこのお話が見えてくると思います。

ちょっと痛々しく長々と書いてしまいました!
では、今回もお読みいただきありがとうございました!
今年もどうぞ宜しくお願いします!
皆様どうぞよい一年をお過ごしください。


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第三話-another- 僕の気持ちと彼の気持ち

昨日に投稿するって言って今日になりました。

この話詰め込みたい事がありすぎてまとまりませんでした。

多分今もまとまってません。

それでも、よろしくお願いします。


「ねぇねぇお兄ちゃん?」

 

 土曜日の晩御飯中、僕の向かいに座る比企谷小町、僕の妹は唐突に声を上げた。

 

「ん?なに?」

 

「いや、小町の勘違いかもなんだけど…陽乃さんと付き合うことにしたの?」

 

「…?なんで?」

 

「いや、ここ最近お兄ちゃんが少し元気だから。何か良いことでもあったのかなーって!」

 

 妹は僕の事に関してはなぜか鋭い。

 

 その点に関してはオーナーさん以上の観察眼だと思う。

 

「そういうことか。まぁ良いことはあったけど。それにオーナーさんとは付き合えないよ」

 

 なんて、当たり障りなくいつものように答える。

 

「そー?小町的にはおすすめ物件だよ陽乃さん!」

 

 そりゃあおすすめ物件だろう。駅から徒歩十歩くらいの感覚だもんね。

 

 近すぎて騒音とかの他の問題が起こる所とか、多分そっくり。

 

「僕なんかじゃあの人の弱点にしかならないからね。あの人も僕のことなんて好きじゃないさ」

 

 小町ちゃんは僕とオーナーさんとをくっつけたいのか、こんな話をよく持ち出す。

 

 そしてそれを毎回の様に適当に躱す。

 

「相変わらずだなぁ…あ、じゃあじゃあ!その良いことってなに?」

 

 どうやら小町ちゃんはとにかく何があったかを聞き出したいらしい。

 

 こういう時の小町ちゃんからは逃げられないので逃げるのは諦める事にしている。

 

「んー。最近話の合うお客さんが来てくれるようになったから、お話が楽しいんだよ」

 

「へぇー…女の人だよね?」

 

「なんで分かったの?」

 

「だってあのお店いつ行っても女の人しかいないもん」

 

「まぁ、確かにそうかも」

 

「で、その新しいお義姉ちゃん候補のお名前は?!誰なのさお兄ちゃん!」

 

「言ってもわからないでしょ?」

 

「分からないならいいでしょ?気になるもん。将来比企谷さんになる人だよ?」

 

「いやそういう対象じゃないんだけどね?まぁ、一色さんっていう人だよ」

 

 一瞬、小町ちゃんの肩がぴくっと動いた気がした。

 

「…ふーん?一応聞くけど、下の名前は?」

 

「……いろは…さん」

 

 なんとなく名前で呼ぶのが恥ずかしくなってさんをつけておいた。

 

「……………」

 

 小町ちゃんはなぜか黙っている。

 

「ん?どうかしたの?」

 

「……っ!い、いや!なんでもないよ!小町のクラスメイトにも同じ名前の子がいるから驚いただけ!じゃ、じゃあその一色さんと仲良くね!小町は勉強してくるよ」

 

 と、小町ちゃんはそう早口で言ったあとごちそうさま、と食器を片付けて自分の部屋に戻っていってしまった。

 

 ちょっと様子が変だったような…

 

 なんて思ったけれど、その時の小町ちゃんの顔は、日曜の夜にはもう忘れてしまっていた。

 

 

  ☆ ☆ ☆

 

 

 月曜日の午前中は幸か不幸か、人が来ない。

 

 というのも当たり前で、毎週オーナーさんが来るので午後からの開店になっているからだ。

 

 そんなオーナーさんと僕しか居ない店内の時計は中々進んでくれない。

 

 一色さんの来る時間まであと…五時間くらいもあるのか……

 

 いっそのことすごく忙しい方が時間が早く経ってくれるから嬉しいなぁ。

 

「八幡くーん。コーヒーおかわりね」

 

 オーナーさんの声ではっとなった。

 

 また一色さんのことを考えていたようだ。

 

 オーナーさんはいつも直火式で抽出した少し濃いエスプレッソを飲む。

 

 この店のマスターをする事になった時に最初に教えられたオーナーさん用のエスプレッソ。

 

 いつもお店でお客さんに出すものとは違うものだ。

 

 オーナーさんはそんなエスプレッソのおかわりを飲みながらパソコンをカタカタとしていた。

 

「八幡くん、おいでー」

 

 そう言われてオーナーさんのとなりに座る。

 

「先週の売り上げとしては週単位ではここ五ヶ月で最高。月単位でも今月を後一週間残して先月より10%の成長は凄いことだと思うよ。調子上がってきたねぇ偉い偉い!」

 

 そう言ってオーナーさんは何故か頭を撫でてくる。恥ずかしいからやめてほしい。

 

 オーナーさんはいつもただ本業をサボりにここにきたり、こうやってオーナーさんとしての仕事をしにきたりする。今日は後者だ。

 

「ただちょっと回転率が悪いかな…一人で切り盛りするのはちょっと厳しいかもね。うーん、そろそろアルバイトを一人か二人雇うことを考えてもいいかもねー」

 

 オーナーさんとはこうやって月に一回は真面目なお話をする。

 

 それ以外の時は大体上司が無能とか部下が無能とかそんな愚痴を聞いたり、からかわれたりだ。

 

 というかオーナーさんに有能って認められる人なんていないから仕方ないんだけどね。

 

 昔面白そうな高校生を見つけたらしいけれど、高校生でオーナーさんに目を付けられるなんて可哀想だと思った。

 

 そんなこんなでオーナーさんと二時間ほど真面目な話と雑談をした後、オーナーさんはお昼過ぎに帰っていった。

 

 一色さんがくるまであと三時間…。

 

 オーナーさんが飲んだカップとサンドイッチのお皿を洗いつつ、ため息を吐いた。

 

 

  ☆ ☆ ☆

 

 

 アルバイト。

 

 アルバイトなんて雇ったら一色さんと二人になれなくなる。それは大きな問題だ。

 

 じゃあ一色さんにバイトとして入ってもらう?

 

 それは多分とても楽しい。

 

 でもそのうちオーナーさんにも小町ちゃんにもからかわれる。

 

 それに一色さんの都合もあるし。

 

 じゃあアルバイトはやめておく?

 

 でも、オーナーさんは恩人だ。

 

 僕にこの場所を作ってくれて、この仕事を始めるにあたって何から何までお世話をしてくれた。

 

 そんな彼女へ恩は当然返したいし、そのためにこのお店を繁盛させるのが大事であるとも思う。

 

 このお店は僕とオーナーさんの場所だった。そこに小町ちゃんがたまに来たり、今は一色さんが来てくれる。

 

 そんな場所に知らない人を招き入れるのは気が進まなかった。

 

 でもオーナーさんが僕の負担の事を考えて提案してくれた事だ。アルバイトの事も考えないとな。

 

 そんなことを考えていると三時過ぎになっていた。

 

 ブラックコーヒーとクッキーを用意しながら待っていると、カランカランとドアを開ける音が聞こえた。

 

 二日ぶりの一色さん。

 

 カウンター越しの彼女は僕を見つけてくしゃっと笑顔を浮かべてくれた。

 

 その笑顔はどこまでも可愛らしくて、少しのあどけなさが残っていて、どこか甘えるような、そんな笑顔だった。

 

 その二日ぶりの笑顔は僕の心を優しく溶かした。

 

 そうだ、ちょっといたずらしてみよう。

 

 なんて、そんな事を思ったりして。

 

 今僕の目の前に座って美味しそうにコーヒーを飲んでくれている彼女は今日、どんな可愛いところを見せてくれるんだろう。

 

 そんな事を思うだけでもうたまらなく幸せだった。

 

 

 一色さんは不思議だ。

 

 一色さんと一緒に居るとあんなに前に進むのを拒んでいた時計は急にやる気をだしてぐんぐん進んでいく。

 

 そしてあっという間にお別れの時間になってしまう。

 

 出来ることならもっと一色さんと一緒にいたい。

 

 もっと幸せな気持ちを味わっていたい。

 

 もっといろんな一色さんを見てみたい。

 

 笑った顔も、喜んだ顔も、ちょっと拗ねた顔も、困った顔も、照れた顔も、もっともっと見ていたい。

 

 楽しそうに笑う声も、穏やかに話す声も、照れて上ずった声も、むぅぅと唸る声も、少し不機嫌になった声も、もっともっと聞いていたい。

 

 一色さんといると感じる懐かしさにもっと浸っていたいし、そうして心に沁みてくるあったかい気持ちを味わっていたい。

 

 僕の知らない一色さんが顔を覗かせた時の胸がドキッとする感じをもっと感じてみたい。

 

 彼女に関する事は思い出してみたいとも少しだけ思う。

 

 彼女は僕とどんな関係だったんだろう。

 

 そんな事をふと日曜日に思ってしまったから。

 

 でも、記憶のことを聞くのは少し怖い。

 

 だからね。

 

 僕はもっと一色さんと話したいし、記憶の事を聞くにはちょっとの勇気が必要です。

 

 つまり時間が必要なんです。

 

 だからね、時計さん?

 

 だから、時間を進めるの、もうちょっと待ってもらってもいいですか?

 

 

  ☆ ☆ ☆

 

 

 なんてそんな願いは通じる訳なく、一色さんとの幸せな時間はあっという間にすぎる。

 

 窓から差す夕焼け色が店内を淡い赤色に染め上げ、僕たちに時間切れを告げる。

 

 いつもの様に一色さんのグラスとクッキーのお皿をさげると、一色さんはあっ…と、どこか寂しげな声をもらした。

 

 その表情は夕焼け色に染められてはっきりとは分からないけれど、目元が涙ぐんでいる気がした。

 

 一人ぼっちを嫌がっている様な、例えるなら親と離れるのを嫌がる小さな子供の様な、そんな表情だと思った。

 

 それでも彼女はそろそろ行きましょうか。と少し震えた声に笑顔を張り付けてそう言うと、立ち上がった。

 

 なんでさっきまで笑ってくれていた彼女がこんなにも悲しそうな、寂しそうな表情を浮かべているのか、僕にははっきりとは分からないけれど、このまま彼女を帰してはいけないと思った。

 

 彼女が寂しがって帰りたくないというならば、そんな彼女を帰してはいけないと思った。

 

 だから、動く。

 

 小さな歩幅で歩いていく彼女の腕を掴む。

 

 えっ?と小さな声が上がった。

 

「えっと…一色さん。今…ランチメニューを新しく考えてて、それで、その。もし一色さんに夕飯をどうするかの予定がないのであれば、その試食ってことで、一緒にどうですか?」

 

 そんな嘘で無理やり引き止めた。

 

「ふふ…やっぱりせん……はやさし…です」

 

 僕に背中を向ける彼女の口からそんな言葉が聞こえた。

 

 彼女はくるっと振り向くと、

 

「比企谷さんがそこまで言うなら、私が試してあげますそのメニューを!私は料理には煩いですよ?」

 

 そう言ってまた満面の笑みを浮かべてくれた。

 

 ……よかった。

 

 僕は何故だか彼女に救われたことがある様な気がするから、彼女に恩を感じていた気がするから。

 

 だから、彼女を悲しませたくはない。

 

 そう、強く思った。

 

 というか、何かに思わされている感覚がした。

 

 

 

 作ったのは普通のオムライス。

 

 オーナーさんから教えてもらったメニューだから他のメニューよりも自信があった。

 

 一緒に食べることにした。

 

 もう陽の落ちた店内はいつもの雰囲気とは違ったけれど、彼女と二人というのは変わらない。

 

 いつもより長く一緒に居られるのが、嬉しかった。

 

 彼女はオムライスを一口口に運んで、おいしい。とそう言った。

 

 それだけですごく嬉しかった。

 

 それから彼女は笑顔で、たまにこちらを見たりしながらオムライスを食べだした。

 

 そんな姿に安心して、僕もオムライスを食べるのだった。

 

 初めてご飯を一緒に食べた。

 

 そんな僕が持っていなかった思い出というものが出来ていく感覚はなんだかむず痒かった。

 

 オムライスのお皿を洗っていると一色さんの視線に気がついた。

 

 ん?と視線で問うと、彼女は笑いながら

 

「いや、なんだかこうやって思い出が出来ていくんだなーって思って、幸せだなって思ってました」

 

 ………同じことを思ってくれていたんだ。

 

 胸が暖かくなるのを感じた。

 

 小町ちゃんならこんなのを恋と言うんだろうか。

 

 恋。付き合う、か。

 

 小町ちゃんが言っていた事を思い出した。

 

 …いや、ないな。

 

 僕は一色さんとも釣り合わない。

 

 記憶も無ければ、他にも何もない。僕にはこのお店しかない。

 

 そんな僕が大学生の将来の足手まといになんてなれるわけがない。

 

 この関係はいつか終わってしまうんだろう。

 

 いや、終わらせないといけない時は必ず来る。

 

 僕は恋愛なんてしませんよ。

 

 昔、そうオーナーさんに言ってしまったから。

 

 いや、言ってなかったとしても多分しない。

 

 する資格なんてないから。

 

 そんな余裕もないから。

 

 このお店を通じてオーナーさんに恩を返す。

 

 小町ちゃんには幸せになってもらいたいし、毎日僕のお世話をしてくれている恩返しが必要だろう。

 

 毎日働いてくれている両親にもしっかりと恩返しをしないといけない。

 

 それだけだ。

 

 事故で助かった命はそれを実行するためのものだ。

 

 他のことなんか、していてはいけない。

 

 そう、決めているから。

 

 そのはずなのに、僕はなんで一色さんと居るんだろう。

 

 どうして一緒に居ようと思ったのだろう。

 

 自分で自分がわからなかった。

 

 その時初めて自分を変な気持ちにさせる懐かしさに、昔の自分に、嫌悪感を抱いた。

 

 

  ☆ ☆ ☆

 

 

 一色さんを駅まで送ることにした。

 

 もう外は真っ暗で、住宅街からは星がそこそこはっきりと見える。

 

 そんな景色もまた好きだった。

 

 街灯は頼りなく点滅したり、点いていないものもあった。

 

 そんな中を無言で歩いていると、隣から一色さんの声がした。

 

「ねぇ比企谷さん。新作の試食なんて、嘘でしょう?私が帰りたくないって思ってるのを察して、気を使ってくれたんですよね。ありがとうございます」

 

「なんのことですか?」

 

「だって、オムライスって普通にメニューにあるじゃないですか?」

 

 そう言ってふふっと笑う一色さん。

 

 どうやらバレていたようだ。どう答えようか答えに困っていると、また隣から声がした。

 

「だから、ありがとうございます。嬉しかったです。本当に美味しかったです。あと、迷惑かけてすみませんでした」

 

「気にしないでください。勝手にやったことですから。お節介にならないでよかったです」

 

 お店から駅までは近い。

 

 そんな話をしていると、駅に着いてしまう。

 

 あ、約束。

 

「一色さん」

 

 そう呼びかけて小指を出す。

 

 一色さんは笑顔で応じる。

 

「明日も、待ってます」

 

「はい。きっと行きます」

 

 指切りげんまん!と夜空にそんな明るい声が響いた。

 

「私からも約束したいことがあります」

 

 一色さんは指を離さずにそう言った。

 

 彼女は頬をほんのり赤く染めている。

 

 駅の灯りがスポットライトのように彼女を照らしていた。

 

 その少し頼りないスポットライトの中心で輝く彼女はどこか儚げだった。

 

「今度は…他のメニューも試食させてください」

 

 あぁ…だめだ。この人には逆らえない。

 

 なんとかしてあげたくなってしまう。

 

 彼女のために働きたくなってしまう。

 

 これも、過去の僕のせいなんだろうか。

 

 分からない。だけど、その約束を断る事は僕には出来ないと思った。

 

 だから、

 

 だからその約束をしてしまった。

 

「はい、今度こそ新作メニューを」

 

 そう言って、二回めの指切りげんまんをした。

 

 指から伝わる彼女はとても暖かい。

 

 そしてそれは心地の良いものなのだろう。

 

 それこそ金曜日までの僕なら幸せを感じていただろう。

 

 けれど、あんな事を思ってしまった今では幸せよりも、罪悪感と自己嫌悪で押しつぶされてしまいそうだった。

 

 彼女とは離れないといけない。

 

 それなのに彼女から離れられない。

 

 昔の自分が離してくれない。

 

 そんな酷い矛盾を抱えてしまって、どうしようもなくなってしまった。

 

 彼女を見送ってからの帰り道。

 

 横に彼女がいないと寂しいはずなのに、どこか安堵している自分がいて、消えてしまいたくなった。

 

 一色さん。

 

 すみません。

 

 僕には分かりません。

 

 昔の僕に会いたいですよね?

 

 僕も貴女にちゃんと会いたいです。

 

 記憶を取り戻した僕なら、ちゃんと会えるんでしょうか?

 

 今の僕では無理なんでしょうね。

 

 そして、昔の僕になら貴女のその寂しそうな、悲しそうな表情をなくすことができる。

 

 貴女を救う事ができる。

 

 でも、だからこそ。

 

 僕には分かりません。

 

 今の僕がどうしたらいいのかも、どうしたいのかも。

 

 ねぇ一色さん。

 

 すみません。

 

 明日会うのが、少し怖いです。

 

 でも、貴女に会いたい自分もいるんです。

 

 僕はそんな僕をどうしたらいいんでしょう?

 

 

 

 貴女と居たら、その答えも分かりますか?

 

 なんて、分かりませんよね。すみません。

 

 じゃあ、一色さん。

 

 明日も待ってます。




6000文字くらい行きました。
すみません、その上読みづらいと思います。

基本的にいろはサイドと八幡サイドをどっちも読んでその一日が終わるという形にしています。
なのでオムライスのところ以降はいろはサイドのその後の部分ですね。

それにしても読みづらい、書きづらい。
なんでこんなテーマに手を出してしまったのか。
でも書きたいか書きます。
②きっと、誰しも等し並みに悩みを抱えている。ですが、こんな感じで一回沈みます。
いろは、八幡、小町、陽乃。この全員に八幡の事故の後の二年間はあります。そしてその事故が少なからず作品現在に結びついています。
例えば八幡が小町ちゃんと呼んだり、それこそ陽乃さんが喫茶店のオーナーをしていたりする理由も、そしてそこには彼女たちの考えや意思があります。

それを解き明かしながら進んでいこうと思います。
その第二弾ですね。
第三話いろは編はまだいろはの思考の表面部って感じで、これからすすんでいきます。
八幡視点では、まぁこんな感じです。
と言ってもこの話では分かりにくいですよね。これからのお話補完させてもらいます。
小町と陽乃さんはそのうちだします。喋らせます。なのでお待ちを。

そんなところで、②は少し重くなるかな。
でもバッドエンドとかはないです。
なので、読んでみて八幡の思考や意思を考えてみてくれると嬉しいです。
では、今回もありがとうございました!


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第四話 親友とありがとう

今回もよろしくお願いします。


 

「で、いろは。あんたは最近何に悩んでるの?」

 

「………へ?」

 

 唐突にそんな事を美沙に言われたのは六月に入って少し経った金曜日のお昼。大学の食堂での事だった。

 

「いやへ?じゃなくてね。あんたが悩んでることくらい分かるよ。まぁ言いたくない事なら無理には聞かないけど」

 

「…それは、その…なんと言いますか……」

 

 言いづらそうにしている私を見た美沙の目が獲物を見つけた目になった気がした。

 

「…ふーん?いろはにも男?」

 

 ……うっ。

 

 やめて!ニヤニヤしながら言わないで!

 

 そりゃあ男の事だけれども…

 

 私の悩み。

 

 そんなの簡単で、せんぱいのことだ。

 

 千葉に帰ったあの日からずっと頭に残っていて、そしてせんぱいに会う度に少しづつ大きくなっていく自己嫌悪。

 

 私はせんぱいのことが好き。

 

 それは自信を持って言える。

 

 あのお店に来ている誰よりも、そしてきっとあの二人の先輩にも負けないくらい好きだ。

 

 けれど、だからこそ分からなくなる。

 

 じゃあ、比企谷さんは?

 

 そんな問いを自分にぶつけたとき、私は自信を持って比企谷さんを好きだと言えるのか。

 

 そんな事を思ってしまうから。

 

 比企谷さんに会う度に。そしてその中にせんぱい見つける度に。

 

 私が好きなのは昔のせんぱいなのか、今のせんぱいなのか、分からなくなる。

 

 せんぱいと過ごす午後。

 

 それは幸せな時間だけれど、最近私の正面に座る比企谷さんに、どうしても私の知っているせんぱいを探してしまう。

 

 一緒にコーヒーを飲んで、クッキーを食べて、おしゃべりして。

 

 私と一緒にそんな時間を過ごしてくれているのは比企谷さんなのに、そこにせんぱいを見出そうとしてしまう。

 

 でもそれはきっと仕方のないことで、どうしようもないことで、気にすることでは無いのかもしれない。

 

 けれど気にしてしまうのだ。

 

 それは失礼なんじゃないかって。

 

 言葉にしていないだけで記憶喪失の事を責めてしまっているのではないかって。

 

 今、私の見ているものは目の前の比企谷さんとは違うものなんじゃないかって。

 

 同じ世界にいないんじゃないかって。

 

 私は比企谷さんを通してせんぱいに会いたいだけで、本当は比企谷さんの事は好きじゃないんじゃないかって。

 

 そしてどうしたらいいのか分からなくなって、考えるのをやめて、逃げて、比企谷さんに、その中にいるせんぱいに甘えてしまう。

 

 それは絶対にいけないことで、少なくとも私にはそれが許せない。

 

 それなのに、そんな日々を送ってしまっている。

 

 そんな悩み。悩みというか、嫌なこと?

 

 けど美沙になら…そう思って口にしてみる。

 

「例えば、例えばね」

 

 そう前置きをして語り出す。

 

「例えば高校時代、一年生の時から大好きで片想いをしていた先輩が居て、けどその先輩にはもう会えないの。その先輩はいないの」

 

 美沙はは?って顔をしてるけど、続ける。

 

「その先輩を失って、ずっと悲しくて、孤独で、そして何かを諦めてしまっていた時に、ある人に出会うの」

 

 美沙は何だか変な目をしてるけど、続ける。

 

「その人はその大好きだった先輩とは全然違う人なんだけど、同じくらい素敵で、そしてその先輩の面影があるの。先輩の影をその人を通して感じるの」

 

 美沙はむ?んん?と軽く唸っている。ごめんね分かりにくくて。けど続ける。

 

「その人は真っ直ぐ私を見てくれるのに、私は真っ直ぐにその人を見てないの。大好きだった先輩の面影を探してしまうの。そして先輩の面影を探している自分に気がつく度にそんな自分が許せなくなる。

 こんな感じなんだけど………分かった?」

 

「………あんた、小説家にでもなるの?なに、ネタなの?」

 

 …ですよね。その反応が普通だよね……

 

「いや、ちがうけど…分かりにくかった?」

 

「分かりにくいどころか何も分かんなかったんだけど……まぁ、あんたが本気でその人に恋してるってのは分かったよ」

 

 そう言って美沙は優しく笑いかけてくる。

 

 でもそれは私にとっては予想外の言葉で。

 

「…え?だって私は…」

 

 美沙は私の顔から察したのか、説明してくれる。

 

「確かにあんたが何を悩んでるかは良く分からない。けどね、最近のあんたの顔とか、今こうして話してくれた時のあんたの顔とか、それは間違いなく恋してる人の顔だよ?」

 

 最近噂になってるしね、一色いろはの彼氏は誰だ?って。美沙はそう付け足す。

 

「え?顔?…へ?……噂?…え?」

 

 そんな私の様子を見て美沙は面白そうに笑い出す。

 

 …そんなに笑われる筋合いないもん……

 

 わたしの不機嫌そうな顔に気が付いたのか、美沙は少し姿勢を正して優しい声で言った。

 

「いい?さっきも言ったけど、私にはあんたの悩みは分からない。そんな状況なった事ないから何も言ってあげられないし、それはあんたが解決するしかない。

 けどね、その人の事をそんだけ必死に、周りに悟られるくらい考えて、苦しんで。

 それって、その人が好きだからこそでしょ?好きだからこそ相手とおんなじ目線に立ちたいんだよね?でも立ててないから立ててない自分の事が許せないんだと思う。

 私はあんたの過去にどんなことがあったのか知らないし、わざわざ聞くつもりもないよ。でもね、なんか大変な事があったってのはなんとなく分かった。

 だったらそんな事をすぐ振り切れる訳ないじゃん?だからゆっくりでいいと思うよ。今は自信を持てないのなら、ゆっくりでいい。

 最後に自信を持ってその人の事が好きって言えればいいじゃん。焦ったっていい事ないよ。

 今のその人の事をちょっとずつ知っていって、いろはの想いも知ってもらって。分かりあって。

 そしてどんどん好きになればいい。ね?違う?」

 

「そんなもん…なのかな?本当にそんなんでいいのかな?」

 

「さぁ?」

 

 返ってきたのは予想外すぎる答えだった。

 

 さぁ?って…

 

「さぁ?って!それは酷くない!?」

 

「だってあんたの事なんて心配してないもん。何があったか聞いてみたけど、心配するまでもないなってすぐ分かっちゃったし。

 後はあんたが自信を持てるかどうかでしょ?だって絶対好きでしょその人の事。違う?」

 

「それは……ちがくない……かもしれないけど…」

 

「はぁ……じゃあいろは。その人と手繋げる?ハグできる?キスしてみたい?」

 

「な、なんでそんなこと………」

 

 せんぱいとじゃなくて比企谷さんと手を繋いで…

 

 うん、余裕。なんなら毎日小指繋いでるし。

 

 せんぱいにじゃなくて比企谷さんに抱きしめられて……

 

 抱きしめられたら嬉しいだろうなぁ…頭も撫でてもらいたいかも…

 

 せんぱいとじゃなくて比企谷さんとキスして………

 

 それは流石に恥ずかしいけど、まぁ…多分嬉しい…かな?

 

 …ってあれ、全部超余裕じゃん私。

 

 しかもこれいつもしてる妄想じゃない?

 

 そういえば妄想も比企谷さんバージョンが増えてるような…

 

 あれ?もしかして私ってちゃんとどっちのせんぱいも好きなの?

 

 今度はさっきまでとは別の考えが頭の中をぐるぐるしだす。

 

「…あんた鏡見たら?すんごいニヤケてるけど……」

 

「………え、嘘」

 

「嘘じゃないよ。だらしないだらしない。でもまぁ、その様子なら心配ないね」

 

 どうやら、美沙からしたら私の悩みは大したことじゃないらしい。

 

 そんなもんなのかな?

 

「うん、少し楽になったよ。美沙。ありがとう」

 

「ううん、どういたしまして」

 

 そう言って美沙は優しそうに笑った。

 

 

 あの後、明日美沙と買い物に行く約束をした。

 

 たまには服でも買ってその人にアピールでもしろ。とのことだった。

 

 本当に、面倒見が良くてカッコよくて。

 

 いい親友を持ったと、改めて思えた。

 

 

 美沙に言われた事。

 

 全然前向きになれない私にとって美沙の言葉は予想外の物で、ちょっと受け入れ難くて。

 

 でも、私の事を思って言ってくれたその言葉はとても優しかった。

 

 私は悪い。いけない。早くなんとかしなきゃって、ずっと自分を責めてたから。

 

 だからゆっくりでいいという美沙の言葉はあったかくて、少しホッとした。

 

 だからといってすぐに美沙の言葉を信じて、考える事をやめてはい解決!とはいかないけれど、それでもいくらか前に進めたと思う。

 

 ゆっくり知っていく。分かっていく。

 

 今のせんぱいの事を。比企谷さんの事を。

 

 同じように知ってもらう。

 

 私の事を。

 

 そして記憶の事も。

 

 そして、私の答えを出す。

 

 たぶん、考えても分からない物は分からないのだ。

 

 少なくとも今はまだ。

 

 だから時間をかけよう。

 

 ゆっくり、ゆっくりでいいから歩み寄ろう。

 

 そうしていつの日か、比企谷さんの事もせんぱいに負けないくらい好きだと胸を張って言える日が来たら、どれだけ幸せだろうか。

 

 その時に比企谷さんも私のことを好きだと言ってくれたなら、最高じゃないか。

 

 あの日私にまた会いたいと言ってくれた比企谷さん。

 

 少なくともあの日、私もまた比企谷さんに、せんぱいに会いたいと思った。

 

 そしてその想いは今でも変わらないから。

 

 今でも家に帰れば明日のコーヒーが待ち遠しいし、一人クッキーの紙を眺めてはニヤニヤしてしまう。

 

 だから今はそれでいい。

 

 ゆっくり進んでいこう。

 

 多分、せんぱいはずっと一緒に居てくれるから。

 

 というか、逃がすつもりもないから。

 

 だから、今は純粋にこの日常を楽しみつつ、ゆっくりと私の答えを探していけばいいのだ。

 

 美沙のおかげでそう思えた。

 

 

  ☆ ☆ ☆

 

 

 喫茶店に着いてみると、ラッキーな事にガラス越しに見えるお客さんはいつもより少なかった。

 

 いつもより長く一緒に居られるかも。

 

 それだけで頬が緩んで、幸せな気持ちになれる。

 

 いつものようにベルの音と珈琲の香りに迎えられて店内に入ると、珍しくせんぱいがドアのところで迎えてくれた。

 

「こんにちは、一色さん」

 

「こんにちは。比企谷さん。今日はお客さん少ないんですね」

 

 こんにちは。

 

 せんぱいは少し前から私にだけ「いらっしゃいませ」じゃなくて「こんにちは」と言うようになった。

 

 たった少しの変化。

 

 それでも他のお客さんより特別扱いしてもらえてるようで嬉しい。

 

「そうですね。だいたい飲み物の提供も済んでいるので、もうすぐお帰りになられる方も多いと思いますよ」

 

「本当ですか?じゃあ待ってますね!」

 

 せんぱいから聞かされた話に心が踊る。声が弾む。

 

 それもそのはずで、最近このお店に来るお客さんの数が増えてきているのだ。

 

 それも女の人ばっかり。

 

 そのおかげでせんぱいと居れる時間が削られてしまう。

 

 そんな事もまた最近の悩みの一つだった。

 

 だから、今日は長く一緒に居られそうで嬉しい。

 

 そう思っていつもより軽い足取りで歩き出そうとすると、あ、一色さん。と呼びとめられ、一枚のメモ用紙を渡された。

 

 いつもならクッキーのお皿に乗っているはずの紙だ。

 

 せんぱいは私に紙を渡すと、じゃあまた後で。と言って行ってしまった。

 

 どうして今日は手渡しなんだろう?

 

 いつも通りのカウンターの見える席に座って、紙を開いてみる。

 

『月曜日は何の日でしょうか?答えあわせは月曜日。正解したら賞品です。』

 

 いつもより少し丁寧な字で書かれたその文字に、私の身体は熱くなる。

 

 せんぱい。

 

 数えててくれてたんですね。

 

 そんなの数えるの私だけかと思ってました。

 

 でも、こんな簡単な問題で賞品貰っちゃっていいんですかね?

 

 貰えるなら遠慮なく貰っちゃいますよ?

 

 問題の答えは簡単だった。

 

 だって、せんぱいとの日々を忘れるわけがないから。

 

 再会した日も、初めて約束をした日も、それからの日々も、全部昨日のことの様に思い出せる。

 

 そんな日々はあっという間で、気付けば一ヶ月が経とうとしているのだ。

 

 せんぱいと再会して、月曜日で一ヶ月。

 

 私だけが意識しているの思っていた、私が勝手に決めていた記念日。

 

 それをせんぱいも意識してくれていたのが、たまらなく嬉しかった。

 

 それだけでいつものコーヒーが、苦くはないけれど決して甘くはないコーヒーが、とても甘く感じた。

 

 

 小説を読みつつ一杯目のコーヒーを飲み終わった頃、丁度最後のお客さんが帰って、せんぱいが軽く後片付けをしているところだった。

 

 カウンターからちょっと待っててくださいねーなんて声がする。

 

 なんか新婚さんみたいだな。

 

 昔専業主夫になりたいとか言ってたもんね。

 

 せんぱいと結婚するなら私が働いてもいいかなとか思ってたっけ。懐かしいな。

 

 そんな事を思っているとせんぱいはクッキーを持ってやってきた。

 

 …なんか、あんな事があった後だと恥ずかしいな。

 

 それになに新婚さんとか考えてるの私自爆じゃん。

 

 比企谷さんはコーヒーを飲んで一息ついている。

 

 そんな比企谷さんに声をかける。はやく声が聞きたかった。

 

「最近忙しいですね」

 

「嬉しい事なんですけどね。流石にちょっと疲れますね」

 

 せんぱいはちょっと疲れたような笑顔でそう言った。

 

「ずっと一人で動き回ってますもんねー。たまには休んだらどうですか?」

 

 なんて、心配してるのは本当だ。

 

「そんな簡単には休めませんよ。あ、でも明日お店をお休みにしようと思ってまして」

 

 私は土曜日もこのお店に来ている。

 

 だいたい本を読んだり勉強をしたり。

 

 自動的に飲み物も出てくるから便利だ。

 

 比企谷さん万歳。

 

 そんな土曜日、会えなくなるのはちょっと辛いけど丁度よかった。

 

「そうなんですか?しっかり休んでくださいね!」

 

「あー…まぁ、はい。そうですね。ありがとうございます」

 

「ダメですよ?倒れたら心配しますから。今でもけっこう心配してるのに。働きすぎですよ」

 

 なんて、お節介かもしれないけれどそんな事まで言ってしまう。

 

 お店がお休みになったら会えなくなるから。

 

「そうですね。一色さんに会えない日は面白くないですからね」

 

「……そ、そうですか。ふーん……」

 

 私は相変わらずせんぱいに弱い。

 

 せんぱいはからかって言ってきているのかもしれない。

 

 それでも嬉しいから。

 

 掛けられる言葉が。

 

 呟かれる名前が。

 

 その全てが私の心を甘やかに溶かしていく。

 

 惚けそうになって、

 

 身体が熱くなって。

 

 そうしてより惹かれるんだ。

 

 なんだろう。今日はいつもよりドキドキして、心臓がうるさくて、せんぱいが眩しくて。

 

 きっと、お昼にあんな事があったからなのだろう。

 

 けれど、嫌な気持ちでは全然なくて、むしろ逆。

 

 せんぱいに会うたびに私を包んでいた不安と自己嫌悪が今この瞬間には無くて、ただ幸福感だけが身を包む。

 

 そんな気持ちを口にしたくなった。

 

 比企谷さんの事を真っ直ぐに見つめられるのはいつぶりだろう。

 

 また、美沙に感謝しないと。そう思った。

 

「ありがとうございます。比企谷さん。私、今幸せです」

 

「急にどうしたんですか?」

 

「いや、言いたくなったんです」

 

 改めて考えると少し照れくさくて、それを隠すようにえへへと笑いかけると、比企谷さんも笑ってくれる。

 

「僕も、一色さんと出会ってから幸せなんでしょうね。だから、僕からも。ありがとうございます、一色さん」

 

「……これ、言われる方も恥ずかしいですね」

 

「そうですね」

 

 なんて言いあって、また笑いあえる。

 

 ゆっくり。ゆっくり。確実に。

 

 言葉にして。

 

 伝え合って。

 

 分かりあって。

 

 解り合って。

 

 その度にせんぱいに、比企谷さんに惹かれていくんだろう。

 

 その中でせんぱいが、比企谷さんが私に惹かれてくれるなら嬉しい。

 

 私は比企谷さんを見て、その中にいるせんぱいも見て。

 

 そうしてこんな幸せな時間がずっと続いていけばいいと、そう思った。

 




最近いろは編と八幡編とで一日が終わるという形にハマっています。
なので二人の金曜日の終わりは八幡編までお待ちください。

今回も6000文字を超えまして、それにいろはの頭の中が前半と後半で真逆ですね。
あくまでいろはは普通の女の子で、置かれている日常が非日常なだけだと分かっていただけると幸いです。
親友に言われた事を真っ直ぐ受け止められるいい子なんですね、多分。
いろははまだいいんですよ。
問題は八幡です。書くのが難しい。

今回、美沙さん初登場でしたね。
書いてみた感想。
使い勝手が良過ぎて比古清十郎みたいだと思いました。
これは多用すると簡単には話は進むけどつまんないですね。
そんな美沙さん。
三崎美沙。大学二年生。
専攻は英文学。
最近出来た彼氏とは良好。
性格は面倒見が良くてお姉ちゃんみたいな。
出会った時のいろはが心配で、それから面倒見ている。
といった感じ。今一分くらいで決めました。
見た目はどうしましょう。自分は絵が下手なので描けません。
なので美沙さんの容姿は勝手に決めていいですよ。

次回は八幡視点。その次は土曜日。美沙さんとのデートですね。
八幡とのデートよりも先にオリサブキャラとデートという謎さ。
その辺からお話が動く予定なので、よろしくお願いします。
それでは今回もありがとうございました。


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第四話-another- 日常と初めて


この話を読む前に第三話の八幡視点読んだ方が分かりやすいかもです。
もしは?なんだこれ?ってなった方いらしたら、第三話に一度お戻りください。

あと第三話から一週間と少し経っているとお思いください。

では、よろしくお願いします。


 

 考えても出ない答えを求めて考え続ける。気付けば時計は頂点を跨ぎ、金曜日になっていた。

 

 ここ一週間ほど、こんな日々が続いている。

 

 どうしても考えてしまう事があるのだ。

 

 答えは出ないと分かっているのに、考えずにはいられない。

 

 もはや誤魔化せず、認めざるを得ない事なのに僕は頑なにそれを認めない。

 

 それを認めたくはないから。

 

 いや、認めてはいけないから、と言った方が正しいか。

 

 そしてそんな最近の夜はいつも寝付けない。

 

 そんな日はベランダで風を浴びたり、星を見たりして心を落ち着ける。

 

 今日もコーヒーカップを片手に風を浴びていた。

 

 考えすぎて頭が痛くなってきたのだ。

 

 思考はあっちこっちに流されながら飛び回り、その正しい飛び方も着地するべき場所も見出せないまま飛び続けている。

 

 いつ墜落して爆発するとも分からない。

 

 そんな思考。

 

 そんな思考に蓋をしてコーヒーカップを傾ける。

 

 砂糖を沢山入れた、風味も何もない甘い甘い珈琲。

 

 ただ甘いだけのソレは珈琲っぽくなくて、あんまり美味しくないはずなのに、その甘さが妙に心地よかったりする。

 

 無性に飲みたくなる時があるのだ。

 

 まぁ喫茶店のマスターが好んでそんな珈琲を飲んでるのもかっこ悪いので僕一人の時だけの限定だけど。

 

 そんなのを飲みながら星を見ていると、ポケットの中のスマホが震えだした。

 

 珍しく働いた僕のスマホ。

 

 小町ちゃんと連絡を取る以外ほとんど使わないスマホ。

 

 何かと思えば電話だった。

 

 それもオーナーさんから。

 

「もしもし、比企谷です」

 

『ひゃっはろー八幡くん。こんな時間にごめんねー』

 

 え、なにそのあいさつ。

 

 なんだかテンションの高いオーナーさん。

 

「ひゃ、ひゃっはろー?…それで、何の用ですか?」

 

『あ、うん。土曜日お店休みにしてね。オーナー命令。そんでお姉さんとデートしよっか!これもオーナー命令』

 

 じゃあしよっか。なんて提案しないでほしい。

 

「え、でもなんで急に」

 

『取材だよ取材。最近カフェ巡りしてなかったでしょ?最近気になるお店がいっぱいあるんだよね!』

 

 取材とはまた懐かしい。

 

 喫茶店を始めるにあたって僕とオーナーさんは色んなカフェや喫茶店に行ったりした。

 

 それが役に立っているかと言われれば微妙で、ほとんどオーナーさんの暇つぶしに付き合わされただけなんだけど。

 

「仕事で何かあったんですか?」

 

 だから気になった。急にまた取材だなんて言いだしたから。

 

『んーん?そんな事ないよー?仕事なんてすぐ終わりすぎて暇なくらい?』

 

 たまには八幡くんと仕事以外の付き合いってのもいいでしょ?とオーナーさんは付け足した。

 

「ならいいですけど。土曜日でしたっけ?」

 

『うん、土曜日。お店休みにすれば予定も無いでしょ?』

 

「…はい、大丈夫ですよ」

 

 日曜日にしませんか?

 

 なんて事を言いそうになってしまった。

 

 土曜日は一色さんが来るから。

 

 オーナーさんと一色さんを比べるなんてどうかしてる。

 

 どう考えてもオーナーさんの方を優先させるべきなのに。

 

『うん、りょーかーい。じゃあ土曜日、十一時に駅前ねー!』

 

 オーナーさんはどこか嬉しそうな様子でそう言うとそれじゃあね!と電話を切った。

 

 相変わらず自由だなぁ。

 

 妙に嬉しそうだったけど、僕を暇つぶしに誘うくらい仕事でストレスでも溜まっているんだろうか。

 

 まぁ、一色さんに新作メニューを試食してもらう約束もしたし、何か使えそうなアイデアがないか探す日にしようかな。

 

 そんな事を決めて、その日はもう寝る事にした。

 

 

  ☆ ☆ ☆

 

 

 お客さんに珈琲を出したりケーキを出したり。

 

 そうして少しの雑談なんかをしながら三時過ぎを待つ。

 

 これが一色さんが来るまでの過ごし方。

 

 そんな風に一色さんを待ちながら今日はどんな話をしようか、なんて考える時間は心地が良い。

 

 あ、今日のメニューは何にしようか。

 

 麺類なんかはあらかた出し尽くしてしまったし。

 

 たまにはメニューに無いものにしようか。

 

 初めて一緒にご飯を食べたあの日から、二、三回彼女と晩御飯を一緒に食べた。

 

 これからもたまにお世話になりますと彼女も言っていた。

 

 僕としては彼女と居る時間がのびるので普通に嬉しい。

 

 ご飯を食べている時の彼女は少し表情が柔らかくなる。

 

 それを見ているのが最近のマイブームである。

 

 カウンターのお客さんと雑談していたり、帰っていくお客さんを見送ったりしている内にいつの間にか時計は三時を過ぎていた。

 

 そろそろ、気を引き締めないとな。

 

 彼女の前ではいつも通りの比企谷八幡である為に。

 

『比企谷さん』である為に。

 

 彼女に、この僕の悩みを、醜い部分を見せないように。

 

 

 一色さんはいつも通りの時間に来た。

 

 お客さんが少ないからか、その表情は少し嬉しそうだった。

 

 それだけで僕まで嬉しくなった。

 

 紙を渡す。

 

 今日の朝から用意しておいたものだ。

 

 因みに字に納得がいかなくて二回書き直した。なんとなく綺麗な字で書きたい内容だったから。

 

『月曜日は何の日でしょうか?答えあわせは月曜日。正解したら商品です。』

 

 そんな内容。

 

 商品というかプレゼントというか。

 

 本当は何か用意する時間も無いのでケーキか何かを作る予定だったけれど、丁度良いので明日オーナーさんに買い物に付き合ってもらってちゃんとした物を買おうと思っている。

 

 来週の月曜日は、僕と一色さんが出会って一ヶ月の記念日だから。

 

 記念日かどうかは分からないけれど、僕の中では大きな意味を持つ日になったから。

 

 でもなんとなくだけど、一色さんなら月曜日で一ヶ月だと分かってくれている気がしていた。

 

 ほら、やっぱり。

 

 紙を広げる彼女の顔を見るに、おそらくもう答えは分かっているのだろう。

 

 月曜日は、良い日にしないとな。

 

 紙を見ながら頬を緩ませる彼女を見て、そう思った。

 

 そうして時間は過ぎていき、一色さんのコーヒーが残り半分くらいになった頃、最後のお客さんが帰っていった。

 

 自分のコーヒーとクッキーを持って一色さんの元に行くと、一色さんは笑顔でお疲れ様です。と言ってくれた。

 

 僕が疲れた顔をしていたのか、一色さんは僕を心配してくれた。

 

 ここ最近はお客さんが増えて来たからだろう。

 

 純粋に心配してくれている一色さんの気持ちは嬉しかった。

 

 けれど、嘘をついてしまった。

 

 明日、お店を休みにする理由だ。

 

 僕が休む為じゃない。

 

 本当はオーナーさんと取材に行くのだ。

 

 それを言わなかった。

 

 理由をぼかせば彼女は僕が明日は休養に当てると思ってくれる。そう思ったから。

 

 いや、正確には本当の事を言えなかったのだ。

 

 言いたくなかったのだ。

 

 オーナーさんと取材だから。

 

 そんな本当の理由を、言えなかったのだ。

 

 何故言えない?何故言いたくない?

 

 その理由は、もう分かっていた。

 

 けれど、認めるわけにはいかなかった。

 

 

「ありがとうございます。比企谷さん。私、今幸せです」

 

 一色さんは急にそんな事を言ってきた。

 

 そう言った彼女の表情は僕から見ても分かるくらい、嘘なんて全くついていないような表情で。

 

 心底素敵な表情だと思ったし、改めて彼女を素敵な女性だと思った。

 

 けれど、僕はその顔を直視できなかった。

 

 直視する権利が無かったのだ。

 

 僕には、眩しすぎるから。

 

 昨日、あのベランダでしっかり蓋をしたはずの思考が溢れ出す。

 

 その顔を、その表情を、その言葉を。

 

 彼女が僕に向けるたびに僕の中の自己嫌悪は大きくなる。

 

 申し訳なさで胸がはち切れそうになる。

 

 彼女はこんなにも真っ直ぐだ。

 

 僕とは違って。

 

 そんな僕と彼女の違い。差。溝。

 

 それを感じるのだ。

 

 それでも、返す言葉は決まっていた。

 

 僕も一色さんと出会って幸せだから。

 

 幸せなはずだから。

 

 そうして取り繕った言葉にも、彼女はほんのり頬を赤く染めてくれる。

 

 僕は僕を嫌いになりそうだった。

 

 それでも、今だけは。

 

 彼女の前では『比企谷さん』でいるために。

 

 彼女に笑顔でいてもらうために。

 

 僕は僕を演じ続けた。

 

 彼女の言葉に返して、話を振って、笑いあって。

 

 そんないつも通りの時間を過ごした。

 

 いつもは経つのが早すぎて嫌になる時間も、今だけは早く過ぎてくれればいいと思った。

 

 今日の彼女は昨日までより元気な気がしたから。

 

 どこかいつもより笑顔が自然な気がしたのだ。

 

 最近は少し悩んでいるような顔を見る事もあったから。

 

 だから、その姿を見られただけで僕は幸せだった。

 

 多分。

 

 多分、幸せだったはずなのだ。

 

 分からないけれど、多分これが幸せなのだ。

 

 これが幸せだと、少し前までは断言できたはずなのに、断言できなくなっていた。

 

 それでも、これが一ヶ月前、僕が望んだ物なのだ。

 

 そう信じていないと、ダメになりそうだった。

 

 自分の気持ちに蓋をして、昔の僕から逃げて、彼女とは向き合えずに、自己嫌悪だけが残る。

 

 分からない。分からない。分からない。

 

 ただ、分からなかった。

 

 一色さん、僕はどうしたらいいですか?

 

 なんて事は聞けなくて。

 

 自分では答えが出なくて。

 

 そうして今日も頭の中でただ繰り返す。

 

 ごめんなさい。一色さん。

 

 

  ☆ ☆ ☆

 

 

「喫茶店で食べるチャーハンって変な感じしましたね。美味しかったですけど」

 

 そう言って笑う彼女の横を歩きながら、お店から駅までの道を行く。

 

 昨日の夜とは違って雲に覆われた空に星は見えなかった。

 

 見上げても星は見えない。光は見えない。

 

 僕は上手く演じていられるだろうか。

 

 そんな事ばかり考えていた。

 

 夜でよかった。暗くてよかった。曇っていてよかった。

 

 僕の顔が見られなくていい、彼女の顔を見なくていい。

 

 きっと、今の僕はひどい顔をしているから。

 

 きっと、今の彼女は素敵な顔をしているから。

 

 自分が何を言って、彼女が何を言ったのかも分からなかったけれど、気付けば駅についていた。

 

「比企谷さん、はい」

 

 出された小指。

 

 一瞬手を出すのを躊躇って、でもやっぱり出した。

 

 小指が絡む。

 

 その瞬間だけは心地が良かった。

 

「じゃあ月曜日に、また」

 

「はい!楽しみにしてますね!」

 

 駅の灯りに照らされてやっと僕の目に入ってきた彼女の顔は、やっぱり僕には眩しかった。

 

 去り際、一色さんは急に立ち止まり、何かを思い出したように振り返って言った。

 

 

 

 

「私、『比企谷さん』と一緒に居れて幸せですよ?だから、そんな顔しないでくださいね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………ぇ…?ひ…ひきがやさん?」

 

 

 

 気が付けば、彼女を抱きしめていた。

 

 分からない。

 

 ただ、抱きしめていた。

 

「……ぇ?…あ、あの………うぅ」

 

「…すみません。後少しだけ、このままで」

 

「……ぇ…ぁ……はぃ…」

 

 遠慮がちに僕の背中に添えられた彼女の両手の感触が無性に愛おしい。

 

「…あ、あの……比企谷さん?」

 

「はい」

 

「ど、どうひたんですか?」

 

「分かりません」

 

「……ふぇ?」

 

「分かりません。けど、今はこうしてたいんです」

 

 それが今の本当の気持ちだった。

 

「………ふふ。なら仕方ないですね」

 

 一色さんのその返事を聞いてから、僕たちは無言で抱き合っていた。

 

 どれほどそうしていただろうか。

 

 数十秒かもしれないし、数分かもしれない。

 

 ふと、僕の胸元に顔を埋めていた一色さんは顔を上げて、僕を見上げて言った。

 

 その顔は何かを決意したような顔だった。

 

「私、悩んでることがあったんです。考えても答えが出なくて、幸せなはずの時間が幸せだと思えなくて。

 でも、今日親友が色々と言ってくれたんです。それで少し、救われたんです。

 そして今日比企谷さんを見て思ったんです。何も言わないでいるのはダメだなって。

 だって、私が悩んでるのと同じように、比企谷さんも何か悩んでるのに気がついたから。

 そしてそれはきっと私が比企谷さんとの事で悩んでいたように、私が原因で悩んでいる。そうですよね?」

 

 僕の胸元から優しいトーンで届いたその声は僕を包んでいた空気ごと溶かすような、そんな暖かさをもった声だった。

 

 一色さんは続ける。

 

「もっと、比企谷さんの事を知りたいです。もっと、私の事を知ってもらいたいです」

 

 だから、と彼女は続ける。

 

「月曜日、お話しましょうね。きっと、ちゃんと」

 

「………はい」

 

「ふふ。よかったです。じゃあ、はい!」

 

 一色さんは僕から離れて二、三歩後ろに下がると、右手を出した。

 

「ほら、約束。ですよ?」

 

「…………はい」

 

 やっと笑った僕に、彼女はこれ以上ないくらい屈託のない笑顔を見せてくれた。

 

 駅の灯りに照らされたまま笑う彼女の頬は真っ赤に染まっていて、どこまでも可愛らしかった。

 

 不思議と、今はその顔を見ることが出来た。

 

 そうして僕たちは二回目の指切りげんまんをした。

 

 

 

 

 

 

 何かが解決したわけでもない。

 

 何かが前に進んだわけでもない。

 

 それでも、救われた。

 

 僕の悩みに、僕の苦悩に、僕の苦しみに。

 

 彼女の言葉はきっと僕が欲しかった言葉だった。

 

 僕はただ、昔の僕じゃなくて今の僕が受け入れられている実感が、その証拠が欲しかったのだ。

 

 あるいは、嬉しかったのかもしれない。

 

 彼女も同じように悩んでいた事が。

 

 僕のために悩んでいてくれた事が。

 

 我ながら単純だと思う。

 

 それでも、駅からお店までの帰り道、こんなに幸せな気持ちで帰るのは久し振りだった。

 

 それもこれも、全部一色さんのおかげ。

 

 彼女の言葉は優しくて、柔らかくて、暖かくて。

 

 ついさっきまであった腕の中の暖かさは、初めてのもので。

 

 ついもっと欲しいと思ってしまう。

 

「…………あつい」

 

 思い出しただけで体温が上がったような気がした。

 

 多分僕の顔はまだ赤いことだろう。

 

 そしてきっと一色さんもまだ赤い。

 

 そんな事を考えて、さっきの彼女の顔を思いだしてふふ、と笑い声が溢れてしまった。

 

「……明日お店休みにしといてよかったな。不本意ながらオーナーさんに感謝だ」

 

 だって明日なんて恥ずかしくて会えないし。

 

 そんな事を呟きながら、一人歩いた。

 





あぁ書きづらかったです。
二回書いたのを消しました。
一回目はこれ八幡自殺するだろってくらい病ませてしまって。
二回目はこれただのイチャコラやってなって。
そうしてこれが三回目です。

なんとか不自然な点が無く形になっていたらいいのですが、もはや自分でも書いてて分かりません。
自分的にはちゃんと前話までとつながっていると思うんですが。

その辺はなんとか皆さんの読解力というやつでなんとかしてください。よろしくお願いします。

そうそう、土曜日。買い物…取材…同じ日…あっ…ってヤツですね。
そんな土曜日を書きます第五話をお楽しみに。

では。今回もありがとうございました。


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幕間 一色いろはと物足りない珈琲

お久しぶりです。
皆さんこんな作品の事忘れてしまった頃だとは思いますが、こんなタイミングでさらに本編に関係ない話を投稿する事をお許し下さい。

これからの事についてあとがきにそれなりに長々と書きたいと思います。ヒントは僕が受験生だと言う事です。

ついでに羽休めかつ練習がてら三人称視点文を初めて書いてみました。もしよかったら改善点など教えてくれると嬉しいです。
それでは、今回もよろしくお願いします。


 人もまばらな地方都市の住宅街の外れにある駅。

 金曜日という事もあり、あと一時間もすれば帰宅ラッシュと飲み会で賑わうのだろうが、今この瞬間は二人を除いて駅前に人はいなかった。それは偶々電車の発着時間でもないタイミングだったのか、それとも運命めいた何かがその状況を作ったのか。

 駅舎から洩れる灯りにーーーその儚げで頼りないスポットライトのような灯りに照らされた彼はともすれば消えてしまいそうな、そんな顔を浮かべていた。

 それを見て彼女、一色いろはは何を思ったのだろう。

 きっと、ただ心配だったのだ。笑っていてほしかったのだ。

 好きな人には笑っていてほしい。

 昼間の親友への相談によって多少なりとも気持ちが軽くなり、いつもより彼の様子をしっかりと見る事が出来た彼女は何かに思い悩むような顔を浮かべたと思ったらすぐに取り繕ったような笑顔を浮かべる彼を見てそう思ったのだ。

 だから、笑っていてほしい。彼の悩みを知る機会が欲しい。親友が今日自分にそうしてくれた様に。たったそれだけの理由で何気なくかけた一言。

 それが今の彼にとってはまさに急所を撃ち抜く様な一言だったのは、それこそ運命めいた因果なのかも知れない。ひとえに勝ち目の薄い片想いを抱き続け、その恋が実るのが絶望的になった後でも心の何処かで彼を数年間ひたすら想い続けていた彼女へのラブコメの神様からのプレゼントだったのかもしれない。

 とにかく、彼女が何気無く、それでいて彼を心から想って放った一言は彼が心の底で欲していた言葉だったのだ。

 

 そんな彼がとった行動は彼女にとって予想外としか言いようが無かった。

 彼女には自分の一言が彼にとってどれほど価値のある言葉で、また心の底で欲していた言葉だったのかを正確に理解出来ていないのだから。

 

 そんな彼女、一色いろはのそれからの様子を語ろう。

 あれから彼女は上の空といった様子で家に帰り、毎日していた一通りの勉強も手に付かず、お風呂に入っている間もあの場面がリフレインし続け、遂にはのぼせかけ、そして普段なら就寝する時間になっても眠れずにいた。

 ベッドに横になり、思い出しては悶え、枕に顔をうずめたりその足をバタつかせてみたり、身体の熱を冷ますかのようにガバッと起き上がってみたり、そして最後にはまた彼が恋しくなって思い出してはにやけて見たり。かれこれ三十分ほどおよそ健全な人間がその様子を見たら精神科に通う事をお勧めするような奇行を彼女は繰り返していた。

 別に本当におかしくなっただとか、そういう訳ではない。ただ彼の行動の意図を図りかね、それでも喜びと幸福感に包まれ、かと思いきや無性にその身を恥ずかしさが襲う。というスパイラルを繰り返していただけである。

 

 ………寝れない。

 そうぽしょっと呟いた彼女はいそいそとベッドから降り、キッチンに立っていた。

 先程からの奇行で体力を消耗し、うっすらと汗をかき、そして喉が渇いていたのだ。完全にアホの子である。

 

「…ほんとに、あの人はせんぱいの五倍はあざといんだから気を付けてほしいよ…まったく。おかげで寝れないじゃん」

 

 そんな聞く人が聞けばお前が人をあざといと形容するな。と突っ込まれそうな独り言をブツブツと言いながらも手元は器用に作業をこなしていく。といっても彼女が用意しているのはただの珈琲なのだが。

 彼の事を考えていると何処からか珈琲の香りがするのだ。そして無性に珈琲が飲みたくなる。元々珈琲がそんなに好きでは無い彼女ももうすっかり珈琲に染められていた。珈琲というより比企谷八幡に染められていた。

 そんな彼女は口元に微笑みを浮かべながら習った通りの手順で珈琲を淹れていく。以前彼に教わった『家でも出来る美味しい珈琲の淹れ方』を実践しているのである。因みに使っている珈琲豆はその時に彼にオススメされた物である。この女、もしも比企谷八幡から壺を勧められたら買ってしまうのでは無いか、と思うほどには彼にべた惚れであった。

 家でも出来る、と言っても特殊な器具も道具も何も無い彼女の家で出来ることなど限られており、美味しい珈琲の淹れ方と言っても精々彼の店で飲む珈琲に近付ける方法を聞いただけである。出来る事なんて本当に少ない。抽出する豆の量に気を使ったり、お湯の温度を気にかけたり、しっかり蒸らすという工程を踏んだり、精々その程度である。けれどもその程度でも、彼女にとっては大切な手間であった。彼の事を想い、彼との時間を思い出しながら丁寧に珈琲を淹れる。彼の店で飲む珈琲と少しでも近い味になれば、きっと一人で飲む珈琲も幸せだから。だから彼女はゆっくりと愛しむ様に珈琲を淹れた。「好きです。今も昔も」そんな本人の前では言えない事を心の中で呟きながら。美味しくなれ。と願いながら。

 

 たった一杯の珈琲を淹れただけで、部屋中に珈琲の香ばしい独特の香りが漂っていた。その香りは彼を思い出させる。その香りは丁度彼の腕の中に包まれて、その胸板に体を預けた時に鼻腔をくすぐった、彼のエプロンに染み付いた珈琲の香りであったから。

 それだけで幸せだった。幸せだったのだがやはりあの瞬間を思い出して一気に顔が熱くなる。それを冷まそうと彼女は淹れたての珈琲をぐいと勢い良く口に運んだ。淹れたての珈琲を、だ。

 

「……あっつ!」

 

 およそ女性の出す声では無かった。

 

「……にが」

 

 そして流れるような二連コンボだった。

 熱い珈琲によって攻撃を受けた唇を軽く手で押さえ、半分涙目になりながら牛乳と砂糖を用意する。その姿はやはり完全にアホの子であった。どうやら彼女は一人の時はどうしようもないらしい。よく一人暮らしを一年間もやってこれたものである。

 

 ミルクと砂糖を適当に珈琲の色が何時もくらいになる様に入れ、ふーふーと冷ましながら飲む。やっと落ち着くことができた。香りを楽しみ、昼間に飲んだ珈琲とは違うけれど、似た様な風味の珈琲を口に運ぶ。

 さて、しかし、である。彼女は言って仕舞えば彼に会えるのが喫茶店だから珈琲を飲んでいるだけであり、珈琲の違いなんて分からない。それまではたいして珈琲を飲んだ事も無かったのだから、当然と言えば当然だ。

 ましてミルクと砂糖を入れた状態でどちらの珈琲が美味しいかなんて分かるはずもない。実際は当然彼の店で飲む珈琲の方が良い物なのだが、そんな事は分かるわけなかった。それでもなんとなく珈琲が飲みたくなり、そして飲んでみたら彼と一緒に飲む珈琲の方が美味しいと感じてしまうのは彼女が恋する乙女だからであろう。

 ほぅ。と落ち着きながらも鼻腔をくすぐる珈琲の香りが不意に彼を思い出させ、少しだけ淋しくなった。彼を感じる為に淹れた珈琲が皮肉にもより淋しさを感じる切欠になってしまった訳だ。

 それでも今はその淋しさも心地が良かった。少しだけ軽くなった心で、今日初めて気付いてあげられた彼の悩みを抱えている姿。昨日までは気付いていなかったと言う事は、彼女もそれなりにいっぱいいっぱいだったと言う事の証拠であるのだが、そんな事実に彼女は気付いていない。ただ彼女の胸の中にあるのは彼への恋心と彼を心配する心、そして早く逢いたい。という思いだけであった。

 少しだけ物足りない珈琲を飲みながら、彼への想いを巡らす時間は中々悪い物ではない。これから彼女が自分で珈琲を淹れる度に彼の味に近付いて、同じ味が出せる様になる頃にはきっと彼との関係も進展しているだろう。そう思えば、今はこの物足りない珈琲で丁度いいのかもしれない。その分だけ自分達の関係も進展する余地があるのだから。

 

 まぁでも、初めて淹れた珈琲にしては上出来かな。

 今度、また色々聞いてみようかな。

 

 なんて、ちょっぴり自分に優しくそんな事を思いながら少しだけ物足りない珈琲をゆっくりと飲んでいく。

 その時の彼女の表情と言ったら、彼女の尊厳を守る為にも人には見せてはいけないと、おそらく彼女の親友がその姿を見ていたらそう思うであろうほどには力が抜けた表情であった。

 

 

 後日談と言うか、今回の落ち。

 

「…………でも、なんかちがう」

 

 淹れた珈琲を飲み終えた後、そう呟いた彼女はどうせ眠れないのだから、と何を思ったか無謀にも二杯目に挑戦。

 元々眠れなかった状態でのカフェイン摂取により、さらに眠れなくなった彼女は翌朝寝坊、そして親友との待ち合わせ時間に遅刻をしたのだった。それも盛大に一時間。その間親友からの着信で鳴り続けた彼女の携帯電話を彼女が携帯することはなく、朝目覚めた後焦って準備をしたばっかりに家に放置されたままとなるのであった。

 そしてそんな彼女が親友の怒りを鎮めるために親友にお昼ご飯を奢る羽目になったのは、言うまでもない。

 




読み辛かったですかね。だとしたらすみません。頑張って読んで下さい。

というわけで第四話のその後、金曜日の夜の話でした。
三人称視点でもいろはの可愛さが伝わっていたら嬉しいです。

そして本題。
一週間前にセンター試験が終わりまして、現在は国公立二次試験に向けて勉強をしているわけですが、流石に投稿をしていくことが難しくなりそうです。なのでしばらくはお休みさせてもらいたいと思っております。といっても三月の半ばにはどう転んでも結果は出るので、それ以降は投稿していけると思っております。
一応活動報告の欄でお知らせしようとも思ったのですが、どんな形であれ作品の投稿という形で皆さんにお知らせした方がこの作品を読んでくださっている方には伝わりやすいと思ったので今回の様な形にさせてもらいました。
なのでこの幕間は本当におまけみたいなものです。あまり気にしなくても本編にはそこまで関係がないので大丈夫です。

そして、その間連絡お知らせ近況報告等々できないのは心苦しいと思ったので、Twitterを用意してみました。あと単純に勉強が辛いので誰かラノベとかアニメのこと、当然俺ガイルの事お話しましょう。というアカウントです。
因みに僕は今は弱キャラ友崎くんにハマっています。三巻で本当に化けました。読んでみてください。そして僕をフォローして感想を言おう!

@ponzuHgir

というやつです。誰か現時点でフォロワー0のネット上でもぼっちな憐れな僕をフォローしてやってください。
では、長々と失礼しました。
またこの場に作品を投稿する事を楽しみに、構想をしっかりと練りながらそれなりに勉強して大学生になりたいと思います。
それでは、今回もありがとうございました。


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第五話 魔王と魔王Jr.


お久しぶりです。

お久しぶりぶりです。

お久しぶりぶりぶりです。


「なぁおい一色、あいつら部室で待ってんだけど」

 

 

 

 そんな声を無視して、一色は俺のブレザーの袖口をきゅっと掴んだままズンズンと進んでいく。そして連れられた先は校舎裏。三月と言えども校舎裏の日陰はまだ寒い。

 

 卒業式後の校門特有の喧騒も校舎を挟んでここまでは届かず、辺りはしんと静まりかえっている。そして当然こんな場所に人はおらず、俺と一色だけが卒業式の雰囲気から切り離された様な、そんな錯覚さえ感じる。

 

 

 

「先輩、改めて。卒業おめでとうございます」

 

 

 

 こちらに背を向けたまま、どこか涙声のような声色で一色が呟く。その背中と声から表情までは読めない。

 

 

 

「おう、あんがとさん。で、何か用事でもあんのか?早く部室行かないと雪ノ下に怒られるんだけど」

 

 

 

「先輩」

 

 

 

 俺の文句は遮られる。

 

 

 

「あ?」

 

 

 

「私は、先輩と知り合えてよかったです。仲良くなれてよかったです。先輩は、私の事……どう思ってますか?」

 

 

 

 由比ヶ浜結衣と出会えて良かった。

 

 

 

 雪ノ下雪乃と出会えて良かった。

 

 

 

 そして、一色いろはと出会えて良かった。

 

 

 

 数えだせば出会えて良かったと思える人間はたくさんいるのだ。いるはずなのだ。それこそ中学の時からは想像も付かないつらい。

 

 

 

 それなのに、たったそれだけの事実を伝える事も出来ずに、

 

 

 

「なんだそれ、いきなりどうしたんだ?そりゃあ、アレだろ。仕事は押し付けられるし告ってもないのにフラれるし、こっちは疲れまくってたっての」

 

 

 

 口から出たのはいつもと同じ様な悪態で。

 

 

 

 それでも、いつもと同じ様な悪態に返ってくるのはいつもの様な文句ではなくて。

 

 

 

 肩をビクッと震わせ、そっか…と力ない声を溜め息と共に漏らした一色を見て、俺は選択を間違えたのだと、否が上にも理解させられる。

 

 

 

 結局俺は最後まで変わらなかった。変われなかった。

 

 

 

 一歩踏み出すのが怖くて、一歩踏み込まれるのを嫌がって。そうしてここまで来てしまった。

 

 

 

 もう卒業だというのに。

 

 

 

 どこかのお調子者が何かやったのか、門のあたりで一際大きな歓声が上がる。それは校舎を越えてここまで届いた。

 

 

 

 今日は卒業式。この総武高校からの卒業。三年間の終わり。雪ノ下との、由比ヶ浜との、そして、一色との別れ。

 

 

 

 それは、俺の間違い続けた青春の終わりでもある。

 

 

 

 もし、もしも、だ。

 

 

 

 今、最後の問題が出されたのなら、俺は正解する事ができるだろうか。

 

 散々間違え続けた俺が、正解なんてする事が出来るのだろうか。

 

 正解が何かも分からない。正解の出し方も分からなくなってしまった。もっとも、最初から分からなかったのだが。

 

 

 

 だが、だがしかし、だ。

 

 

 

 最後くらい、俺は一歩を踏み出せるのだろうか。

 

 正解を求めてもいいのだろうか。

 

 目の前の一色にも。部室で俺を待つ二人にも。一歩を踏み出して、変わる事はできるのだろうか。

 

 彼女たちはそれを許容してくれるのだろうか。

 

 

 

 分からない。

 

 

 

 何を今更と一蹴されるかもしれないし、そもそも何勘違いしてるのだと笑われるのかもしれない。

 

 

 

 そんな考えがよぎって。

 

 

 

 だから怖い。

 

 

 

 だから躊躇う。

 

 

 

 だから結局俺は何もしてこなかった。全てから逃げてきた。分からないから。知るのが怖いから。

 

 

 

 分からないことは、知らないことは酷く怖い事だから。

 

 

 

 それでも、分からないからこそ踏み出してみるのではないのか?

 

 

 

 先が見えないからこそなんとか先を照らす方法を探して、先が分からないからこそ勇気を出して一歩踏み出して、そしてその先を得るために進むのではないのか。

 

 

 

 ならば俺は、ここで一歩を踏み出すべきではないのか?

 

 

 

「先輩」

 

 

 

 一色の声がする。

 

 

 

 一色が振り向く。

 

 

 

 太陽が雲の中から姿を現し、校舎から顔を覗かせた。日陰が切れる。太陽の光が振り向いた一色を包む。日向の一色と、日陰の俺。

 

 

 

 闇から光へ。一歩踏み出せば。一歩進めば。

 

 

 

 俺は、彼女たちに近づくことができるだろうか。

 

 

 

 分からない。

 

 

 

 でも、だからこそ俺は、ここで踏み出さなければならない。

 

 

 

 根拠も何もないけれど、それだけは確かに間違っていないはずだ。

 

 

 

「………っ、なぁ一色。俺は…………っ!お前と……お前らと出会えて…」

 

 

 

 視界が霞む。口が渇く。

 

 

 

 それでも、言わなきゃいけない気がして。

 

 

 

 なんとか言葉を探して、口を動かす。

 

 

 

 

 

 ………一色さん

 

 

 

 

 

 それは紛れもなく俺の声だった。

 

 

 

 一色さん?

 

 

 

 目の前の一色の顔は太陽の光に包まれてここからでは良く見えない。

 

 

 

 そこで、世界が暗転する。

 

 

 

 鼻先をくすぐる珈琲の香り。そうだ、僕は喫茶店で…

 

 

 

 ………珈琲?喫茶店…?

 

 

 

 俺は総武高校生で、奉仕部で……

 

 

 

 あれ、僕って…なんだっけ?

 

 

 

 暗転していた世界が割れる、裂ける。

 

 

 

 そして落ちる。墜ちる。堕ちる。

 

 

 

 目の前の女性の顔は、最後まで見えなかった。

 

 

 

 でも、その女性の声が聞こえた。確かにそう言ったんだ。どこか懐かしい声で…

 

 

 

「比企谷さん!」

 

 

 

 そう、言ったはずなんだ。

 

 

 

 

 

  ☆ ☆ ☆

 

 

 

 

 

 ……………え?

 

 

 

 目の前に広がる小町ちゃんの心配そうな顔。

 

 

 

 かわいい………じゃなくて!

 

 

 

 …夢?

 

 

 

 あれは、卒業式?そして、一色さんに…あいつらって……誰だ?

 

 

 

「おにいちゃん?大丈夫?」

 

 

 

 小町ちゃんの声にハッと我に帰る。

 

 

 

「え、あ、あぁ…うん。大丈夫だよ。ありがとう」

 

 

 

「そっか、大丈夫ならいいんだ。何かうなされてるみたいだったからさ。まぁ、小町的には本当はあんまり大丈夫じゃないと思うけどね?」

 

 

 

「え?僕なら大丈夫だよ?」

 

 

 

「いや、おにいちゃんじゃなくて、陽乃さん」

 

 

 

「へ?オーナーさん?オーナーさんとは今日約束してるけど…っっ!」

 

 

 

 約束の時間は十一時、場所は駅前。

 

 

 

 駅前といっても、オーナーさんの言う駅前は最寄り駅から電車に乗って十分ほどのターミナル駅、要は都会まで出る必要がある。

 

 

 

 そして今は十時半。

 

 

 

 今から一番早い電車に乗れても時間ぎりぎり、今から用意していては遅刻確定である。

 

 

 

 あの、えっと…流石に寝すぎじゃないかな、僕。

 

 

 

 ここまでくると流石に急ぐ気も起こらない。

 

 

 

 オーナーさんにそっと謝罪のメールを入れて、小町ちゃんの朝ごはんを食べた。

 

 

 

  ・

 

 

 

  ・

 

 

 

  ・

 

 

 

「それで、何か言い残す事はあるかな?」

 

 

 

「えーーっと…その服、似合ってますね?」

 

 

 

「………」

 

 

 

「す、すみませんでした…」

 

 

 

「デートに遅刻とは、中々勇気があるね〜八幡くん?」

 

 

 

「いや、あの…これデートじゃ」

 

 

 

「ん?」

 

 

 

「だからこれはデートじゃ…」

 

 

 

「なにかな?八幡くんはこんな美人なお姉さんを1時間も待たせたんだよ?そんな人に人権がまだあると本気で思ってるの??」

 

 

 

「……」

 

 

 

「唯一あるのは、これからお姉さんとデートしてお姉さんを満足させる為に身を粉にする事が出来る権利だけだよ」

 

 

 

「いや。それってもしかしなくても義務ですよね?」

 

 

 

「私、秋物の服が欲しいかも」

 

 

 

「え、無視?」

 

 

 

「ん?何か言った?」

 

 

 

「いえ、喜んでお伴します!」

 

 

 

「うんっ!それでよし!それじゃあ、れっつごー!」

 

 

 

「はぁ…はいはい。………あ、取材は?ねぇ!取材は?!…また無視!?」

 

 

 

 こうして、僕とオーナーさんの取材、もといデートが始まった。

 

 

 

 なぜか腕を組んで歩くというオマケ付きで。

 

 

 

 

 

 

 

  ☆ ☆ ☆

 

 

 

 

 

 

 

「………うん。やっぱ似合うわ。ムカつく」

 

 

 

「え?!ひど!」

 

 

 

 私の遅刻を昼ごはん奢りという罰でなんとか許してもらった後、私と美沙は服を買いに来ていた。

 

 

 

「ねぇねぇ美沙さん?私もう疲れたんですけど…」

 

 

 

「はい!じゃあ次これね」

 

 

 

 美沙は私の試着姿を写真に納めると次の服を渡してくる。

 

 

 

「まだやるの?」

 

 

 

 うんざりとした声色で美沙にそう尋ねてもしっしっと手で追い返される。酷くないかにゃー?

 

 

 

 仕方ないのでガクッとうなだれながら試着室へと戻る。

 

 

 

 はい、そうです。私一色いろはが今何をしているかと言うと、一人ファッションショー・一色いろはコレクションです。

 

 

 

 需要ないよねこんなの。てへ。

 

 

 

 それにしても、だ。

 

 

 

 さっきからこんな露出度高い服着るの?って服ばっかなんだけど…。肩出てるし、背中もけっこう空いてるし、丈は短いし…。え?痴女なの?ワンピースってもっと清楚なイメージに仕上げる物なんじゃないかな?

 

 高校の時から太ったりはしてないから多分大丈夫だけど、正直抵抗が半端ない。

 

 

 

 なにより、こんな服を平気で着て、男子にあざとく可愛らしく振舞ってた自分が凄く怖いです。

 

 

 

 なんて、渡された服にそんな感想を抱くくらいにはこんな服を着るのは久し振りで。

 

 

 

 それもそのはずなんだ。こんな服、せんぱいが事故にあったって聞いてから着てなかったね…。

 

 

 

 そんな事を思い出したりしながら、もう何十回繰り返したか分からない着替えをするのだった。

 

 

 

 

 

 

 

  ☆ ☆ ☆

 

 

 

 

 

 

 

 買い物を終えて再び駅前まで帰ってくると、空は夕日で赤く染まっていた。

 

 

 

 結局取材なんてこれっぽっちもしない辺り、オーナーさんらしいと言えばらしいな。

 

 

 

「あーー!楽しかったねー!八幡くん!」

 

 

 

 そう言ってくるっとこちらを向くのは僕の横を歩いていたオーナーさん。

 

 

 

 いや、僕は死ぬほど荷物持ってるんだけど…。取材の事なんて忘れてるだろこの人…。

 

 

 

 そんな文句もオーナーさんの笑顔のせいで引っ込んでしまうから恐ろしい。そんな完璧な笑顔。

 

 

 

 でも、オーナーさんは元気すぎるくらいには元気そうだったし、偶にある仮面を被っているような素振りもなかったし。

 

 

 

「でも、買い物するだけなら都築さんの方がよっぽど優秀なんじゃないですか?」

 

 

 

 オーナーさんの笑顔を見ているのがちょっと照れくさくて、そんな事を言ってしまう。

 

 

 

「遅刻もしないしねー」

 

 

 

 うっ。

 

 

 

「あははっ。顔に出てるぞ〜うりうり!」

 

 

 

 そう言って僕の頬を指でつんつんするオーナーさん。周りの眼が痛いのでやめてください。あと当たってます。

 

 

 

「本当は分かってるでしょ?八幡くんとが良かったから八幡くんを誘ったんだよ」

 

 

 

「………そうですか」

 

 

 

「また照れちゃった?」

 

 

 

 オーナーさんのクスクスと笑う声が届いてくる。

 

 

 

 オーナーさんは、僕の事をどう思っているんだろう。

 

 

 

 そんな事を考えてしまうのは、人の気持ちが気になってしまうのは、きっと僕が持ってはいけない感情を一色さんに持ってしまっているからで。

 

 

 

 オーナーさんの荷物とは別に僕が買った物。月曜日に一色さんに渡すプレゼントが入った袋を、くしゃりと強く握った。

 

 

 

 僕は、なにがしたいんだろう。

 

 

 

 やっぱり、分からない。

 

 

 

 

 

 

 

「八幡くん」

 

 

 

 

 

 

 

 唐突にかけられた声はいつものオーナーさんの声だけど、いつものオーナーさんの声とは違って。

 

 

 

 それが気になって。

 

 

 

 だから沈んでいた顔を上げる。

 

 

 

 けれども、僕はオーナーさんの話を聞くことはなかった。

 

 

 

 顔を上げると、丁度駅前広場のモニュメントに差し掛かった辺り。

 

 

 

 噴水のすぐ側。

 

 

 

 偶然。

 

 

 

 本当に偶然。

 

 

 

 その姿を見つけた。

 

 

 

 次の瞬間、僕はオーナーさんの話も聞かずに歩き出していた。

 

 

 

 歩くスピードは上がり、早歩きになり、気付けば走る自分がいた。

 

 

 

 そして、辿り着く。

 

 

 

 腕を掴む。

 

 

 

 そして、掴んだ腕を返し、極め、思いっきり絞り上げた。

 

 

 

「ひ、ひきがやさん?!」

 

 

 

 男の小さな悲鳴をかき消す大きさで、一色さんが声を上げた。

 

 

 

 周りの人がその声につられてこちらに注目する。

 

 

 

 すると男はバツが悪そうにそそくさと去っていった。情け無さすぎる。が、好都合だった。

 

 

 

「大丈夫ですか?一色さん」

 

 

 

 そう、声をかける。

 

 

 

「ひ、ひきがやさん…」

 

 

 

「気を付けてくださいよ。変な人もいるんですから」

 

 

 

「助けてくれて、ありがとうございます」

 

 

 

 一色さんと、その横にいた女性がそうお礼を言う。

 

 

 

「でも、比企谷さん。なんでここに?今日は家でお休みになるって……」

 

 

 

 一色さんのどこか不安そうな、不満そうな声は、遅れてやってくる人の声に飲み込まれる。

 

 

 

「八幡くん!急にどうしたの…」

 

 

 

 小走りで追いついてきたオーナーさん。

 

 

 

 その目が一色さんを捉えて、一瞬ハッとしたような表情になる。

 

 

 

 ナンパ男を撃退した事に気がついたのかな?

 

 

 

「はじめまして、雪ノ下陽乃です」

 

 

 

 そして、オーナーさんはそう言った。

 

 

 

 え、なんでいきなり自己紹介?

 

 

 

 不思議に思って目線をオーナーさんに向けると、オーナーさんはニコッと笑って、

 

 

 

「さて。八幡くん、私たちは行こうか。電車の時間もあるしね!お二人とも、変な男に気を付けてね!」

 

 

 

 とだけ言い、歩き出してしまった。

 

 

 

 一色さんも、その横の女性も何も言わない。いや、言えないのだ。今のオーナーさんの雰囲気は、有無を言わせない圧力があった。

 

 

 

 だから、何かおかしい。なんとなく、そんな気がした。

 

 

 

 けれどもオーナーさんを放って置くわけにはいかず、一色さんに軽く挨拶して僕も続いて歩き出す。

 

 

 

「比企谷さん」

 

 

 

 そう呼び止められる。

 

 

 

 はい?そう言って振り返ると、

 

 

 

「月曜日、楽しみにしてますね?」

 

 

 

 そこにはこれまた謎の威圧感を漂わせた一色さんがいて、

 

 

 

「八幡くん?何してるのかな?早く行くよ?」

 

 

 

 そして前方には最早魔王と化したオーナーさんがいる。

 

 

 

 前方の魔王、背後には魔王Jr.

 

 

 

 正に四面楚歌。

 

 

 

 僕と一色さんの友人が溜め息を吐くのは、奇しくも同じタイミングだった。

 




とりあえず、大変お久しぶりです。

受験が終わったのが3月20日。それまでは浪人覚悟して勉強してました。
その後は一人暮らしの準備に奔走し、大学入学後一ヶ月は一人暮らしに苦戦しまくったせいで碌に書けず、なんやかんや文章書くリハビリしてたら、こんな時期になってしまった。

おそらくこんな作品覚えている人いないだろうし、書いてる自分でさえ作品を掴み直すのにプロットやら投稿された文章やらを一週間くらい読んでました。


というのが、言い訳です。

更新が予定より二ヶ月とかの単位で遅れて、本当に申し訳ありませんでした。

これからなんとか書いてきます。

クオリティ上げるどころか下がってるのはご愛嬌。

なんとか改善していきます。これからもよろしくお願いします。


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第六話 せんぱいと比企谷さん

お待たせしました。

原稿紛失からなんとか持ち直しました。


「………ねぇ、一色さん?俺は小町に呼ばれたから帰ってきたんだけど…なんでお前朝から乗り込んできて俺の部屋で受験勉強してんの?」

 

「せんぱいちょっとうるさいです。今集中したいんで静かにしててください」

 

「あっそう…」

 

 そういってせんぱいを黙らせる。

 

 嘘だ。

 

 さっきから心臓はうるさいし、顔は熱いしで、自分から小町ちゃんに頼み込んでせんぱいの部屋まで来たくせにまともにせんぱいの顔すら見れてない。

 

 もっとも、おかげで問題集を眺めるしかなく、集中して勉強してる風な雰囲気になっているからある意味助かってはいる、かもしれない。

 

「……はぁ。おい、一色。そこのwhichは連鎖関係代名詞だから掛かってるところはそこじゃないぞ」

 

「……は?あ、んん?…あぁ……!そ、そっかぁ!あ、ありがとうございます!」

 

 びっっっくりしたーー!

 

 いきなり声掛けてくるから何事かと思ったよ。そういえば勉強してるていでした。いけないいけない。

 

 ふふ。それにしても。

 

 なんだかんだしっかり見てくれてるんだなー。

 

 久しぶりに会ったせんぱいはやっぱり少し不器用で、優しくて。

 

 そんな変わってないせんぱいと一緒にいれるのが楽しくて。

 

 だから、やっぱり私はせんぱいの事が好きなんだなーって思う。そして、じんわりと心が溶けていくような、心地よさが広がっていくような、そんな感覚を覚える。

 

「えへへ。せ〜んぱい!」

 

「はいはいあざといあざとい。んで、なに?」

 

「いや、呼んだだけです!」

 

「またかよ…」

 

 なんて会話にもならない会話をさっきから何度もして、ベッドに腰掛けるせんぱいを見上げるのは、無性にせんぱいの声を聞きたくなって、顔が見たくなるから。

 

 興味無さげに本を読んでるくせに、私が問題につまづいていると毎回質問する前に的確にアドバイスしてくれる。そんなせんぱいに癒されながら、感謝しながら。いつも家で勉強してるときなんかよりよっぽど良い集中状態で目の前の問題を解いていく。

 

 なんだかんだ世話を焼いてくれるせんぱいは、やっぱり優しい。

 

 いつもより効率良く進む勉強に満足感を覚えながら、教科を英語から古典に変えたタイミングで気が付く。

 

 

 ……………普通に受験勉強しちゃってるじゃん!!!

 

 

 予定では卒業してから会えなかったせんぱいにたっぷり甘えて困らせてやる予定だったのに!

 

 これじゃただの受験生じゃん!いやまぁ、受験生なんだけど。

 

 ……まぁいいか。

 

 そもそもこんなに受験勉強してるのは、せんぱいと同じ大学に行くためだし。

 

 今日の勉強には最強の癒し成分且つ家庭教師いるんだから!

 

 

 とは言ったものの。

 

「いろはさーん!あとついでにおにいちゃーん!晩御飯どーするー?」

 

 せんぱいの部屋のドア越しにそんな小町ちゃんの声が聞こえてきて気がつく。

 

「……んん?せんぱい、いま何時ですか?」

 

「…ん?あぁ。そういやもう七時だな」

 

 うそ!全然気がつかなかった。

 

 いやね、勉強頑張るとは決めたけどさ…がんばりすぎじゃないかな?流石にせんぱい成分が足りない!

 

「晩飯食ってくか?」

 

「ん〜。ご馳走になりたいのは山々なんですけど、流石に帰ります。一日居座って、お昼ご飯までご馳走になっちゃいましたし」

 

「そうか。ならまぁ、なんだ?家まで送るぞ」

 

「なんですかそれ、せんぱいらしくないです」

 

「きみ酷くない?ほら、いいから行くぞ。てか送ってかないと小町に晩飯抜きにされる。多分」

 

「そういう理由なら…せんぱいらしいですね」

 

 そういってふっと笑うと、

 

「だろ?」

 

 そういってせんぱいもニヤッと笑う。すみません、それは気持ち悪いです。

 

 

 

 せんぱいの家を出て、並んで歩く。

 

 せんぱいは部屋着に何故か鞄だけ持ってるし、猫背だし、ポケットに手を突っ込んで怠そうに歩いてるし、欠伸までしてるし、誰よりもかっこ悪い。でも、誰の前でも飾らない、マイナスの面も当たり前の様に見せる。そして、誰よりも優しい。そんな誰よりもかっこいいせんぱいなんだ。

 

「にしてもお前、結構勉強頑張ってるんだな、正直指定校推薦とか狙ってるのかと思ってたわ」

 

「それは私が指定校推薦を狙って楽しそうな人間に見えるって事ですか?」

 

「そういう事じゃねぇよ。ほら、あれだよ。城廻先輩も指定校推薦だったろ、確か。だからそういう選択肢もあるんじゃないのかって話だ。受験なんてクソだるいもん、苦労なしで乗り切れるならそれが一番だろ」

 

 そういう辺りはやっぱりせんぱいらしい。

 

 確かに、私には生徒会長を二期連続でやっているという強みもあるし、指定校推薦も狙えなくもない。

 

 でもね、せんぱい?

 

「確かに〜、それもありなんですけどね?ダメなんですよ、それじゃあ」

 

 私のそんな言葉に、せんぱいは少し面食らった様な表情になる。…ちょっとそれは失礼じゃないですかね?

 

「私には目標があって、それを成し遂げる為には絶対に自分の力で第一志望に合格するんです。そうしないと、ダメなんです」

 

「ほーん。じゃあ、その第一志望ってのはどこなんだ?」

 

「ふふ。内緒ですっ」

 

 だって、恥ずかしすぎて言えないから。

 

 せんぱいと同じ大学に、同じ学部に、同じ方法で入って、今度は私がたまたまあの部室を訪れた時みたいな偶然じゃなくて、自分からせんぱいに会いに行って、また先輩後輩の関係になりたいだなんて。それだけじゃなくて、付き合いたい。だなんて。

 

 もっと好きな人の近くにいたいなんて、そんなくだらない動機。

 

 その好きな人と同じ道筋を辿りたいだなんて、そんな自己満足な目標。

 

 それでも、私にとってはとても大事な事だから。

 

 しょうもないですか?くだらないですか?確かにそうかもしれません。でも、仕方ないじゃないですか。

 

 それもこれも、せんぱいのせいなんだから。

 

 そんな目標を立てて、その為に頑張れてしまうくらい、せんぱいの事が好きなんだから。

 

 なんて、そんな事。

 

 恥ずかしすぎて、言える訳がなかった。

 

 

 

 あっという間に時間は過ぎる。気が付けばもう私の家の前に着く。

 

 今日の次はいつ会えるんだろう?そんなことを考えてしまう。せんぱいの事だから、会いたいと言えばなんだかんだ時間をつくってくれるんだろう。

 

 それでもせんぱいに迷惑をかけたくないと思ってしまう自分もいて。

 

 だからすっごく不安になる。

 

 それでも、今日はこれでお別れ。

 

「一色、これ」

 

 私がお礼を言うよりも早く、せんぱいの声が耳に届く。そして手渡されるのは可愛くラッピングされた細長い箱。

 

「え?な、なんですか?これ?」

 

「開けてみれば分かる」

 

 せんぱいはそう言ってそっぽを向いてしまう。

 

 その頬に朱が差しているように見えるのは、夕日のせいなのかもしれない。

 

 手渡された箱のラッピングを解き、箱を開けると出てきたのはシンプルなデザインの、ピンク色をした可愛らしいネックレス。

 

「どうしたんですか?これ…」

 

「あー、あれだ。誕生日、四月だろ。一応用意したはいいが四月は忙しすぎたし、本当は夏休みに帰省した時に渡せたら良かったんだが、タイミングが合わなくてな。半年くらい遅れた事になるけど…まぁ、一応、誕生日おめでとう…?」

 

「…………っっっっっ!」

 

 そっか…誕生日、覚えてくれてたんだ。

 

 じゃなくて!

 

 うわぁぁ!なんかもう!なんかもう!この人は本当にもう!

 

「ず、ずるいです!あざといです!」

 

 本当に、この人はずるいし、あざといんだ!

 

 言葉はまとまらず、どう反応したらいいのかも分からず。

 

 それでも、嬉しいという気持ちだけがこの身を包んでいく。

 

「こんなの…こんなの……」

 

 分かっている。せんぱいにとっては知り合いに誕生日プレゼントを渡す、たったそれだけの事なのだと。

 

 それに、どうせプレゼントを用意してくれたのも小町ちゃんあたりの差し金だってことも。

 

 それでも、それでも…

 

 こんなの、ひきょうだ。

 

 だって。

 

 だって。

 

 好きな人にこんな事されたら、

 

 好きが、とまらなくなってしまうじゃないか。

 

 

  ☆ ☆ ☆

 

 

「あぁ、一色さん。こんに」

 

 ドアを力一杯開けると同時に聞こえてくる比企谷さんの声を遮って、一直線にカウンター席、つまり比企谷さんの正面の席に座る。

 

「こんにちは比企谷さん。それじゃあ、話を聞かせてもらいましょうか」

 

 比企谷さんは少しポカンとした顔を浮かべた後、何か納得したように小さく頷いた。

 

 そしてそのまま、ややあってから比企谷さん。

 

「えっと……怒ってます?」

 

「怒ってません」

 

「いや、でも…」

 

「怒ってません!いいから、はるさ…あの土曜にいた女の人は誰なんですか?」

 

 一刻も早く話を聞きたくて、こちらから本題を切り出す。

 

 大学から早歩きで来たから息は切れ切れ。

 

 正直すっごい疲れたし、喉も渇きすぎて言葉もうまく出てこない。

 

 それでもまっすぐに比企谷さんを見つめて、言葉を待つ。

 

 とりあえず、焦っていた。その焦りの正体はハッキリしない。いろんな不安が混ざりすぎていてよく分からない。ただ単に焦っていた。

 

 そんな私を見透かしたように、宥めるように、落ち着かせるように、それでも少しの戸惑いとともに、心地よい声が鼓膜を震わせる。

 

「ええと…コーヒー、飲みます?」

 

 紡がれたのはそんな言葉で。

 

 貰います。と言いそうになって我慢する。そんな言葉に屈してはいけない。喉の渇きに負けてはいけない。

 

 雪ノ下陽乃、彼女のことを聞くまでは。

 

「…………………………」

 

 無言が答えだ。屈してはいけない。

 

 さぁ、話してもらおうか。

 

「い、いらないですか?」

 

 たんたんとコーヒーの準備をしながらそう聞いてくる比企谷さん。

 

 屈しては…いけない。

 

 グラスと氷が軽快な音を奏でる。

 

 慣れた手つきでコーヒーが淹れられていく。

 

 美味しそうだ。でも、屈してはいけない。

 

「……………………………………のみます」

 

 はい、無理でした。だって喉渇いたんだもん!

 

 でも、

 

 かしこまりました。

 

 そう笑顔で言う比企谷さんは、やっぱり素敵だった。

 

 

  ☆ ☆ ☆

 

 

 比企谷さんの話が終わったのは、私が丁度二杯目のコーヒーを飲み終わったくらいのタイミングだった。

 

 急いでお店に来て、肩で息をしていた私のためか、飲みやすいようにいつもより甘く、そしてミルクが少し多めに入れられた、そんな甘く、優しいコーヒーだった。

 

 ふぅと一息。

 

 比企谷さんは話し終えると何も喋らず洗い終わったグラスを拭いている。

 

 おそらく、私の反応を待ってくれているのだ。

 

 だから私は落ち着いて比企谷さんの話を整理する。

 

 比企谷さんの話はこうだ。

 

 土曜日、私にはお店を休みにして自分も休むと嘘をついた事を申し訳ないと思っていること。

 

 はるさん先輩は比企谷さんが退院してから喫茶店をオープンするキッカケを作ってくれたり、今でもオーナーとしてお世話になっていること。

 

 そして土曜日ははるさん先輩と喫茶店めぐりの取材に出かけていたということ。

 

 …うん。なんではるさん先輩は当たり前のように比企谷さんと関係性を築いているのか。やっぱりあの人はすごい。なんというかもうヤバい。何がヤバいってもう超ヤバい。それくらいの衝撃受けた訳だけれども、これを考えるのは多分今じゃない。

 

 今日私を比企谷さんの元へ急がせた理由、それはきっと、単純に嫉妬という感情だった。

 

 私はきっと、浮かれていて、そしてどこかで今を嬉しく思っていた。

 

 昔は敵うはずもなかった二人のライバルはもういないと、無意識のうちに思ってしまっていたのだ。不謹慎極まりないけど。

 

 それなのに。

 

 見つけてしまったのだ。

 

 二年前の残り香。比企谷八幡を知る人。

 

 雪ノ下陽乃。

 

 ただ遠ざかる二人の後ろ姿を眺める事しかできなかった土曜の夕方。

 

 心の底から楽しそうなはるさん先輩と、穏やかな表情でその隣を歩く比企谷さん。昨日今日出会ったような感じではない、旧知の仲の様な親しげな様子。記憶のない比企谷さんに旧知の仲など、いるとは考えにくいのに。

 

 なぜ?一度考え出せばキリがないのだ。いや、今までの私が自分の事ばかりで、少し考えれば分かる事にも考えが及んでいなかっただけかもしれない。

 

 果たして記憶を失った人間が二年やそこらで喫茶店を開き、平凡な日常を手に入れる事ができるのか。

 

 それに当時大学一年生のせんぱいにそんな余裕もなければ、必要な準備等を行える知り合いなどいなかったはずだ。考えられるのは協力者、援助者が存在した可能性。そしてそれが可能な人間など、当時のせんぱいの人脈から考えれば、雪ノ下陽乃と言う人間しか出てこない。

 

 なんでこんな単純な答えにたどり着かなかったのか。

 

 それに、はるさん先輩のことだけではない。

 

 この事実を知っている上で私にはもちろん、結衣先輩や雪ノ下先輩にも連絡していない小町ちゃんのことも、だ。

 

 比企谷さんを取り巻く環境は、おそらく思ったよりも普通ではないのだ。

 

 でも、比企谷さんはそんな事実をカケラも知らない。

 

 雪ノ下陽乃は、比企谷八幡と全く新しい関係を築き、比企谷小町はそれを認知しながらも干渉はしてこない。

 

 それが答えなのだ。きっと、小町ちゃんの意思と、願いと。それと雪ノ下陽乃と言う存在による協力。

 

 だからこれは、私のわがままで、独善的で、利己的で、自己中心的な私の願い。

 

 小町ちゃんはきっと悲しむし、はるさん先輩は敵に回るだろう。

 

 それでも、それでもだ。

 

 私は、また見たいのだ。浸りたいのだ。

 

 あの空間に。

 

 今はもう霞んでしまったあの空間を取り戻したいのだ。笑い合う三人と共に居たいのだ。

 

 そして何より。

 

 願わくば、せんぱいの隣に。

 

 たったそれだけ。

 

 それだけのために私は小町ちゃんがしたであろう苦悩も葛藤も、はるさん先輩がしたであろう努力も苦労も、全てを知らないままで踏みにじる。

 

 その行動に、私はきっと後悔なんてしないから。

 

 だから私は1人グラスを拭く比企谷さんに、せんぱいに、声をかける。

 

「ねぇ、比企谷さん?」

 

 せんぱいがこちらを向く。

 

 せんぱいと同じ顔をしたせんぱいではない男の人に、私はただその眼を見つめて、ゆっくりこう言うのだ。

 

「記憶、取り戻しませんか?」

 

 

 




前回復活投稿してから約2週間経ちました。
色々ありました。
感想たくさんもらいました。ありがとうございました。お世辞でもクオリティ落ちてないと言ってもらえて救われました。
何故かランキングに乗りました。これまたありがとうございました。
そしておきにいりが100以上増えて500になりました。もう意味が分かりません。でもありがとうございました。

さて、今回の話についてですが。次の話を待ちましょう!以上です。
考えようと思えば考えられますが。考えたい人はご自由にどうぞ!です。

ではでは、今回もありがとうございました!


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第六話-another- 想いと言葉

おきにいり600行きました。ありがとうございます!


 話し終えて、一色さんの反応を待つ。

 

 土曜日、一色さんに嘘をつく形になってしまったこと。

 

 オーナーさんとの出会いや、関係性のこと。

 

 あいもかわらず一色さんは不機嫌で、オーナーさんの話になると頬を膨らませて。なんでこんな事が気になるのか分からないけど、ヤキモチだと嬉しいな。と思ってしまうのは仕方ない事だと思う。だって、見るからに不機嫌そうに頬を膨らませた一色さんは可愛くて仕方がないから。そんな事言うと余計に怒らせるから言わないけど。

 

 それにしても、だ。

 

 僕の話を聞いた後、何かを思案する様な一色さんの顔を見ているとやっぱり僕の記憶と何か関係があるのだろうか、と思ってしまう。

 

 そしてそれはきっと、土曜日。一色さん達と別れた後のオーナーさんの言葉があったからだ。

 

 その言葉は今まで考えもしなかった可能性をもたらすもので、でもそれが本当なら一色さんの反応や一色さんへのオーナーさんの対応にも納得が出来て。

 

 そして、小町ちゃんの考えが分からなくなる。

 

 そんな謎と厄介事しか生まない言葉はオーナーさんらしさ極まりない言葉で、そしてだからこそ今でもはっきりと耳の奥で反芻される。

 

『八幡くん。それがすぐなのかもっと後になるのかは分からないけれど、きっと君は今の君じゃいられなくなる。きっかけは彼女。それが正しいのか間違っているのか、それは私にも分からないけれど』

 

 妙に深刻な顔で、そっと紡がれた言葉は、

 

『もし彼女が望んで、君が受け入れて、そうして今が変わり始める。でもね、もしそうなっても、私は何もしてあげられない。小町ちゃんとの約束があるから』

 

 今の僕にはその真意を理解する事が出来なくて、

 

『本当は一番君の力になるのは私でいたいんだけどね』

 

 少し渇いた笑いと。

 

 何処か遠くを見る様な。

 

 過去を振り返る様な。

 

 そんな、僕に向けられた言葉。

 

 僕の為を想った、そんな優しい言葉。優しい語り口と共に、僕の耳に溶けるように届く。

 

『それでも、私は君の味方だから。君の幸せを想ってるよ。これは、私の本心』

 

 そうしてそのまま僕の体はそっと彼女の両腕に包まれた。

 

『だからね、"比企谷くん"。君は君の気持ちを大事にして、君のしたい様にしたらいい』

 

 僕の頭を優しく撫でる彼女の手が心地よくて。

 

『未来の君が八幡くんなのか"比企谷くん"なのか、それは分からないけれど、私はどっちの君でも君の味方だし、きっと未来の君も君の選択を責めない』

 

 きっと、僕の顔は真っ赤に染まっていて。

 

『だから』

 

 そんな彼女の顔も真っ赤なのは、きっと夕陽のせいではなくて。

 

『今の気持ちを大切にしなさい』

 

 最後、耳元でそっと呟かれた言葉は、瞬間夕焼けの中に消える。

 

 両腕を僕から離し、恥ずかしそうに視線を斜め下に逸らしはにかむ彼女の姿は今まで見た事がなかった姿で。

 

 だからこそ、この言葉と行為には大きな意味と想いが込められていて。

 

 だから僕はそんな彼女の言葉に、今僕が込められる最大の感謝を込めて、

 

「ありがとうございます」

 

 そう、返したのだった。

 

 

 

「ねぇ、比企谷さん」

 

 不意に掛けられた言葉で我にかえり、

 

「記憶、取り戻しませんか?」

 

 続く言葉に絶句した。

 

 僕が言葉を返す間も無く、一色さんの話は続く。

 

「前から思ってはいたんです。でも、私は逃げてたんです。比企谷さんがそれを望んだ時にそのお手伝いができればいいって自分を納得させて、行動を起こす事を怖がっていたんです」

 

 でも、それって卑怯ですよね。

 

 そう言って笑う一色さんに、僕はやっぱり返事ができなくて。

 

「だから土曜日、決めたんです。なんで決めたかっていうと、半分くらい嫉妬なんですけど」

 

 そう言ってまた笑う一色さんは、今度は少し恥ずかしそうで。

 

 やっと僕も言葉を取り戻す。

 

「記憶を取り戻す。それって…?」

 

「ああ、単純なことですよ。比企谷さんが記憶を取り戻すお手伝いを、私がするんです。具体的にって言われると、まだあんまり決めてませんけど…昔の比企谷さんが行った場所に言ってみるとか、ですかね?」

 

 離し終えてから、一色さんはあっと声を洩らし、あわてて繋げる。

 

「あ!も、もちろん比企谷さんの同意を得た上での話です!嫌なら全然気にしないでください!これは私のワガママですから」

 

 私のワガママという単語が、やけに気になって、

 

「ワガママ、ですか?」

 

「はい、ワガママです。なんていうか、説明するのは難しいですけど…」

 

 そう言って考え込み始める一色さん。

 

 だんだんとその顔が赤くなるが、ばっと顔を上げ、意を決した様子で話し始める。

 

「一ヶ月前、私が初めてこの店に来た日の事、覚えてますか?はい、初対面の比企谷さんを前にして泣いちゃった日です」

 

 ああ、その日の事か。今でもはっきり覚えている。

 

「その日、比企谷さんにとってははじめましてでも、私にとってははじめましてじゃなかったんです」

 

 うん。そうだろう。それくらいでは今さら驚かない。

 

「ふふ。驚かないんですね?でも、次は驚くと思いますよ」

 

 悪戯っぽく笑った一色さんはそのまま、何でもないことのように言う。

 

「泣いちゃった理由は簡単です。突然記憶喪失になって私の前から消えた、私の想い人と二年ぶりに再会できたからです」

 

 え?

 

「え?………え?」

 

 ………え?

 

 予想どうりの反応だと言わんばかりに笑い出す一色さん。

 

 やがて落ち着くとまた話しだす。

 

「そうです。私は記憶喪失になる前の比企谷さんに恋をしていました。まぁ、叶いっこない片想いだったんですけどね」

 

 でも、と。

 

 少し語気を強めて言葉は続く。

 

「だからこそ再会した後は悩んで、悩んで、苦しくて」

 

「でも、それ以上にあったかくて、癒されたから」

 

 だから。

 

 少しの間をとって、一色さんは僕の目をじっと見つめたまま。

 

「結局私はせんぱいにも、比企谷さんにも、恋してるんです。今はもう会えないせんぱいに。毎日会える比企谷さんに。そのどちらにも恋をしていて、だからきっと苦しい。この気持ちを理解してしまったから。抜け駆けなんて、したくないから」

 

 一色さんの声は僕に掛けられたものなのだけれど、それは自分に言い聞かすような音で響く。

 

 その言葉の意味は、今はまだはっきり分からないけど、その表情から嘘じゃないことは分かる。

 

 だから、だから僕は。

 

 どうしたらいいのか、分からなくなる。

 

「え、あ、あの…い、いまのは…?」

 

 なんとか絞り出した声は一色さんに笑われる。ひどい。

 

「ふふ。きょどりすぎじゃないですか?そうです、告白です。でも、返事は今じゃなくていいです。比企谷さんは、少なくとも後二回、いや三回かな?まぁ、それくらいは違う人から告白されます。多分。なので、返事はその後でいいです」

 

「だから、これは宣戦布告です!」

 

 ーーー逃がしませんからねっ?

 

 そう言って笑う一色さんの笑顔は、声色は、音符が付くんじゃないかってくらいなんというか、きゃぴっとしていて。

 

 今までの優しい表情ではない、どこか強かさと狡猾さを感じさせる小悪魔めいた、ある意味で女性らしい素敵な笑顔だった。

 

  ☆ ☆ ☆

 

 どうしようか、迷っていた。

 

 もちろん、記憶の事で。

 

 迷っていることに、困惑していた。

 

 だってそれは、僕の認識が変わり、今の僕が揺らぎかけているという証明だったから。

 

 少し前、正確には一ヶ月前。一色さんと出会った。全てはそこから始まったのだろう。

 

 それまででは得る事のない過去の自分が一気に手の届く位置に現れて。

 

 手を伸ばせば一色さんはいつでも僕に記憶をくれる。

 

 そして今それは一色さんの想いと共に言葉となって、形となって僕の前に在る。

 

 それまでの僕は失った記憶というものを余り気にしないようにしていた。

 

 怖い。

 

 そう、思ったから。

 

 記憶が戻れば僕は今まで通りでは居られなくて、僕の今は失われて。僕はきっと僕ではない誰かになる。

 

 だから、そんな中途半端な僕だったから、一色さんといるのが辛かった。過去の僕を知る彼女は、きっと今の僕を見ていろんな事を思い、思い出し、考えている。その事実が怖くて、何よりも、今の僕を見てほしくて。

 

 それほどに、僕にとって彼女の存在は大きすぎるものになってしまった。

 

 抑えようとすればするほど、それは大きくなって、やがて抑えきれなくなる。

 

 恋なんて、恋愛なんて、必要ないと。そう思っていたのに。

 

 彼女に言葉を掛けられた夜、不意に彼女を抱きしめてしまった夜。

 

 自覚してしまった。もう戻れないと分かってしまった。そして、先に進みたいと思ってしまった。

 

 彼女とは対等で居たいと思ってしまった。

 

 彼女との過去を知りたいと願ってしまった。

 

 今日の一色さんの想いと、僕の思いと。

 

 そして何より、あのオーナーさんの想いが、言葉が。

 

 記憶を失ってからの僕を誰よりも知る彼女が、僕を肯定し、過去の僕を認めてくれた。

 

 したいようにしたらいいと言ってくれた。

 

 それはきっと僕の事なんてなんでも見通せる彼女だから掛けられた言葉で。

 

 僕の事を誰よりも考えてくれる彼女だから分かってくれた僕の葛藤で。

 

 誰よりも優しい彼女だから辿り着けた僕への優しさで。

 

 だから、だから僕は。

 

「一色さん、記憶、取り戻しましょうか」

 

 夕焼けの中いつも通りに小指を繋いで、一色さんにそう告げる。

 

 驚いたような顔を見せる一色さん。

 

「………はい!」

 

 でも、それも本当に一瞬。

 

 それからたっぷりの間の後にあったのは、夕焼けよりもあったかい、僕の想い人のとびきりの笑顔だった。

 

 

「あ、あと。一色さん。はい、これ」

 

「え、なんですかこれ?」

 

「金曜日言ってた、出会って一ヶ月のプレゼントです」

 

「いま?」

 

「はい」

 

「このタイミングで?」

 

「…はい」

 

「ムードは?雰囲気は?」

 

「……ない、ですね。すみません」

 

「ふふ。いいですよ。その方が"せんぱい"らしいです」

 

「せんぱい、ですか?」

 

「あー、はい。私が比企谷さんと居たのは高校生の時なんですよ。その時、せんぱいって呼んでたんで、そーいう小さいところから変えてみようかなー。なんて?」

 

「あ、そうなんですね。分かりました」

 

「だからせんぱいも、私の事、名前でいろはって呼んでくださいね?」

 

「高校生の時の僕はそう呼んでたんですか?」

 

「はい!」

 

「…ほんとですか?」

 

「っ…。いいから!いろはって呼んでください!」

 

「えぇ…じゃあ…いろはさんで、いいですか?」

 

「んん…まぁ、今はそれでいいです。

 

 でも」

 

「でも?」

 

「後からいろはって呼びたくなっても、知りませんからねっ?」

 

「………それは、困りますね」

 

「ふふ、後から後悔しても知りませーん。さて、そろそろ行きますね!さよーなら、せんぱいっ!」

 

「はい、じゃあまた明日。いろは」

 

「はい、また明日ですーって…ええ!もっかい!もっかい!ふいうちはノーカンですよせんぱいっ!もっかいお願いしますー!」

 

「はいはい、また明日、いろはさん」

 

「ちがーーーーーーーう!」





ツイッターやってます。@ponzuHgirです。
基本どうでもいい事をたまに呟くくらいですが、作品の事とか更新についても呟いてます。気が向いたら覗いてやってください。
そろそろ新作の事も考え出す頃なので、それに付き合ってくれる人もフォローしてください。まぁ、気が向いたらでいいですけどね!
では、また次話もよろしくお願いします


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③ 時は埋まり、流れ。想いは募り、交錯す。
第七話 彼女の夜と彼の夜


お久しぶりです。


 悩んで、悩んで、悩んで。けれど答えはでなくて。だから、あえて苦くした珈琲をぐいりとあおってから一つ、はふぅとため息。

 

 何度も思考を繰り返した。何度だって論理的に、理性的に。それでダメならと感情論も用いてみた。けれど、その度その度導かれる答えは同じ物になった。

 

 出発点を変え、アプローチを変え。私に考え得る全てか、それに近いほど多く、考えに考えて。それでもダメで、だからもっともっと。足りない頭をフル稼働させる。

 

 それでも、また導かれる答えは同じで。

 

 つまり、私は行き詰まっていた。

 

 記憶を取り戻しましょうと、そのお手伝いをしますと、せんぱいにそう大見得切った筈が、数時間後には家で一人行き詰まっているのだから、とんだお笑い種だ。

 

 残り少なくなった、もうすっかり冷めた珈琲を飲み干し、のろのろとキッチンへ行く。珈琲のおかわりを淹れながら、はぁ。とため息。これで何度めのため息なのかも最早分からない。

 

 そんなため息と共に口から溢れるのは当然の如く弱音だった。

 

「小町ちゃん、何考えてるの……?」

 

 分からなかったのだ。それが。まぁ、いくら考えたところで兄妹の居ない私には彼女の苦しみも、悩みも分かるはずもないのだけれど。

 

 淹れ終わった珈琲にミルクと砂糖を入れ混ぜつつ状況を軽く整理する。

 

 せんぱいが今置かれてる環境、それは小町ちゃんとはるさん先輩が大きく干渉した結果として形成された物だという事は確かな事で。それに少なくとも小町ちゃんはせんぱいの記憶を戻す事にあまり乗り気ではないのだろう。

 

 だから、小町ちゃんとはるさん先輩とは会って話をしなければならないし、きっと結衣先輩と雪ノ下先輩にも今のせんぱいの話をしないといけない時がくる。これだけでも控えめに言って諦めたくなるようなくらい問題もするべき事も山積みで。ちなみに控えなかったら諦める。それくらい、大きな問題で。

 

 そもそもせんぱいの記憶を戻すには何をしたらいいのか、何をすれば効果があるのか。これも大きな大きな問題で。

 

 それでも、とりあえず行動は取らないといけない。後者は思いつく物から試してみて、それでダメならグーグル先生にでも相談しよう。と早々に議論を打ち切ったのだが、どこか頭の中で小町ちゃんに会ってお話しするくらいでいいも思っていたものがまさかこんなに大きな問題だったとは。小町ちゃんとはるさん先輩。そして今のせんぱい。点と点が繋がり、人間関係が見え隠れし、そして思惑が顔を覗かせている。考えれば考えるほどに難易度を増すその問題。

 

「どうにかしないといけないんだけど…」

 

 そんな事実は分かりきった事で。それでも思わず愚痴っぽく独り言を溢してしまったのは、きっとしょうがない事だ。

 

 カップをかき混ぜながらそんな風につい言葉になったのは、やっぱり考えても考えても答えが出ない、堂々巡りの小町ちゃん問題についてだった。

 

 当然、誰よりもせんぱいの近くにいる、肉親である小町ちゃんに黙って事を進めるなんて、そんな事できない。小町ちゃんとは二年連絡を取ってないとはいえ、私の大事な友達なんだから。

 

 そんな友達の想いを、考えを、彼女が大切な兄の為に下した決断を、何も知らないまま、知ろうとしないまま踏み躙るのは、余りにも傲慢で、自分勝手で。決してあってはならない事だ。

 

 でも、その想いは私には到底理解出来なくて、理解できるはずもなくて。

 

 だから彼女の想いを知り、私の想いを伝える為に彼女に会うという事が私が何度も何度も導き出した答えで。そしてそれはきっと間違ってはいないはずだ。

 

 はずなのに、それなのに。

 

 いつか貰った彼女の新しい連絡先。財布の中に二年間入れっぱなしの、もう黄ばんでしまってそこに書かれた字が見辛いくらいに霞んでしまった紙は、その役目をやっと果たそうとしているのに。

 

 躊躇ってしまう。他の方法は無いのかと、無意味にも考えてしまう自分がいる。逃げようとしてる自分がいる。

 

 怖かった。

 

 恐怖が勝つのだ。いざとなって初めて分かる、二年という時間の長さと、そしてその重さ。

 

 黄ばんでしまった紙が、まるで本当の妹の様に可愛がっていた友達を思い出させる筆跡が、そして私の頭の中に広がる考えられるあらゆる可能性が、二年という月日の重さを私に突きつける。

 

 怖い。ただただ怖い。私の知らない二年間を知るのが怖い。彼女に会うのが怖い。彼女に嫌われてしまうかもしれないのが怖い。彼女の理解を得られないかもしれないのが怖い。ただ、ひたすらに怖かった。

 

 でも、やるしかない。あとは覚悟だけだ。

 

 と、ここまで至って。

 

「………ふぅ。とりあえず撤退。大丈夫、これは逃げてるんじゃない。戦略的撤退だ。そうだ、お風呂。まずはお風呂に入ろう。その後晩御飯を食べて、それからまた考えよう。そうしよう」

 

 なんとも情けない一人言の後、とりあえずごちゃごちゃになった頭を整理する為にもお風呂に入ろう。散り散りになった思考をそうまとめあげる。そうして立ち上がっておかわりも飲み終わったカップを片付けようとしたところで、私はさっきまでそれどころじゃなくてすっかり忘れていた、大事な大事な物の存在を視界に捉えた。

 

 

 

  ☆ ☆ ☆

 

 

 

 いつも通りの食卓。

 

 小町ちゃんがいつも通りに作ったいつも通りに美味しい筈の晩御飯も、どこか味が薄い感じるのはきっと小町ちゃんのせいではなくて。

 

 それはきっと僕がしている考え事のせいだと思う。

 

 リビングの四人掛けの食卓の、僕の席の正面。目の前でお行儀良くお箸とお椀を持って、丁度今お米を口に運んだ小町ちゃんの事を考えていた。

 

 小町ちゃんが煮物に箸を伸ばし、もう一度お米。そして味噌汁のお椀に口を着けたところで、その様子をぼーっと眺めていた僕と目が合った。

 

「どしたの?」

 

 美味しくなかった?と少し不安げな目がそう問うてきている気がした。

 

 いや、そんな事ないよ。と伝わるように首を横に振ってから、

 

「ごめん、何でもないよ」

 

 と言って手が止まっていた食事を再開する。

 

 これで、とりあえずは誤魔化しておこう。

 

 その後は小町ちゃんの何か言いたげな視線と、何かを疑うような様子に目をそむけながら、相変わらず薄い味のする食事を続けた。

 

 

 

 二人きりの食事も終わり、僕は小町ちゃんが淹れてくれたお茶を飲みながらさっきまでの考え事の続きをしていた。

 

 小町ちゃんは僕の視界に入る範囲、ダイニングキッチンで鼻歌を唄いながら洗い物をしている。

 

 お茶碗を洗い、大皿を洗い。手際の良い小町ちゃんは二人ぶんの洗い物を手早く終わらせる。そして手を洗い、顔を上げたところでまたまた小町ちゃんの様子をぼーっとみていた僕と目が合った。

 

 一瞬の静謐の後、

 

「どしたの?なんかあった?」

 

 かけられたのは僕を気遣った優しい声で。

 

 いつも通りの兄思いな妹がそこにいて。

 

 だから、余計に彼女の思惑が分からなかった。

 

 どうして小町ちゃんとオーナーさんは繋がっているのか。約束とは何なのか。一色さんとの面識はあるのか。そしてなにより、小町ちゃんはどうして僕が記憶を失ったと分かっているのにその記憶を戻そうとしなかったのか。

 

 聞きたいことも、話したいことも山ほどある。でも、それをする権利が僕にはなくて。

 

 なぜなら、一色さんに任せてしまったから。彼女に、頼ってしまったから。

 

 だから僕がここで下手に行動して、それが彼女の邪魔になってしまう可能性があるなら、僕はここで行動するべきでない。だから、多分今僕がこの場において出来る事はない。

 

 僕に出来るのは記憶を戻すという行為に真摯であることだけだ。

 

 それでも、これだけは確かめておきたかった。この質問だけは、僕から小町ちゃんへ、しとかなければいけないと思った。

 

 小町ちゃんはもう一色さんの存在を知っている。オーナーさんと繋がっている小町ちゃんなら話しを聞いている可能性はあるし、何より一度僕は小町ちゃんの前で彼女の名前を出している。

 

 ならば。今の僕に許されるギリギリを攻める。今の僕が、しなければならない質問を。

 

 だから僕は相変わらずこちらに優しい目をしている小町ちゃんに、

 

「小町ちゃん。記憶を失くす前の僕って、どんな人だったの?」

 

 そう、尋ねた。

 

 小町ちゃんの顔から笑顔が消える。

 

 やがて現れた表情は。

 

 困惑と、動揺と。そして少しの憂いと哀しみ。そんな様々な感情の入り混じった、そんな表情で。

 

 その表情に、僕は驚きを隠せなくて。

 

 なぜなら、その時の小町ちゃんの表情は、この二年間僕が見る事のなかったものだったから。

 

 初めて僕が、目の前の彼女によって作られた二年間と空白の人生の内側に、ようやく一歩。足を踏み入れた様な気がした。

 

 

 

 夜は深く、月は高く。されど厚い雲に覆われその姿は見えず。

 

 吹く風が頬を撫でたと思えば、続く強風に髪は乱れ、お風呂上がりの身体は寒さを覚える。

 

 けれど、高くなりすぎた体の熱を冷ますのに、今だけはその寒さが心地良くすらあった。

 

 異常なまでに煩い心臓を無理矢理押え付けるように、恐怖心を吹く風と共に体内から放出するように、深く息を吐き、代わりに冷えた空気を肺に取り込む。

 

 それを数度繰り返し、左手で握り締めたネックレスを胸に当て、そうしてやっと覚悟が決まる。

 

 いつか貰った半年遅れの誕生日プレゼント。それとは色だけが違う、シルバーのネックレスは今日せんぱいに貰った物だ。

 

 せんぱい。勇気、分けてくださいね。

 

 それからまた数度深呼吸。

 

 そうしてやっと、やっと。

 

 私と小町ちゃんを二年ぶりに繋ぐコールが夜空に細く響きだした。

 

 一つ。

 

 ゆっくり。

 

 二つ。

 

 ただゆっくり。

 

 三つ。

 

 無機質な音が耳を、世界を包み込む。

 

 四つ。

 

 懲りずに煩くなった心音を殺すように、大きく息を吐き。けれどその息は震えた。

 

 五つ。

 

 無限に思える静寂の中で。再び吐いた息が震えたのをぐっと呑み込み。

 

 たっぷり六つのコールの後、酷く懐かしいけれど、酷く他人行儀な、或いは排他的な、攻撃的な、そんな声が耳に届く。

 

 その声は、決して聞きたくなかった温度で。酷いくらいに冷たく、凍えるような声色で。

 

 けれど、それに屈する事だけは、あってはならない。胸元のネックレスをもう一度きゅっと握り、息を大きく吐く。

 

 努めて平静に、友好的に。やるべき事は決まっている。分かっている。後はやるだけだ。

 

 さぁ、やってやりますかっ!

 

 




大変遅くなりました。復活です。

Twitterやってます。@ponzuHgirです。よかったらどうぞ。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。


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