Fate/XXI :2―間桐慎二はくじけない (荒風)
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プロローグ

ジョセフ「お前の次のセリフは『今年もハリキッて書くのよォォォォン』だ!」
荒風「今年もハリキッて書くのよォォォォン!」
荒風「ハッ!」



 ズブッ……ズブリッ……

 

 ゆっくりと突き刺さる切っ先。

 喉から滴る血が肌を汚す。

 

「ごぼっ……ごぶっ……」

 

 口からも血を吹きながら、心の内で驚愕していた。

 痛みがある。苦しくはある。だが何故か、死ぬことはないと確信できたのだ。

 

「生きていたな……おめでとう」

 

 そう少年に言ったのは、少年を刺した男だった。年齢は20代、黒い髪を背中まで伸ばした男だ。

 

「とはいえ……お前が『選ばれた』ことはわかっていたがな。それでも、刺されることを『選んだ』のはお前だ。その『覚悟』は褒めてもよかろう」

 

 男は無造作に、少年の喉に刺さった『矢』を抜き取る。喉にはポッカリと穴が空いているのに、血はもう出ていなかった。

 

「う……うう……?」

 

 少年は、体の奥底、いや、心の根元の方から、強い衝動がこみ上げてくるのを感じた。

 自分の身から、体とは別の何かがはじき出される。

 自分の魂から、己と同じ何かが増えて溢れる。

 

 樹から枝が生えるように、卵が産み落とされるように。

 少年は、自分と繋がる半透明の奇妙な『何か』を見つめた。

 

「ゆ……幽霊……?」

「違う。それはお前自身だ。お前自身の精神の(ヴィジョン)。お前の精神が強ければ、それも強く在る。お前の心が真っ直ぐであれば、それも真っ直ぐ成長する。それはお前と共に立つモノ、お前の隣に立ち続けるモノ、お前の敵に立ち向かうモノ、『立つ者(スタンド)』……そう呼ばれる能力だ」

 

 男は、少年を刺した『矢』についた血をぬぐう。その『矢』は、金属ではなく石でできているようだった。しかし、ただの石ではない。黒曜石でも火山岩でもない、不思議な石でつくられている。

 

「この『矢』はお前に反応して動いた。それは、お前がこの『矢』に選ばれたということ。お前がその『スタンド』を持つ資格を得たということ。お前がこの『矢』に刺されても生き残ることはわかっていた。だが……」

 

 男は、少年の目を真っ直ぐに見る。その男の態度は、少年を子供として扱っていなかった。自分より弱く、劣るものとしては扱っていなかった。

 

 対等に、見ていた。

 

「お前は、それを知ることなく受け入れた。死を覚悟した。己の信念のために、命を賭けた。それは魔術師の精神だ。死への覚悟、命を捨てる覚悟を、一概に良しとは言えんが、それこそ魔術師の在り方だ」

 

 初めてだった。少年にとってそれは、初めてのことだった。

 

 己の誇りを、認められたのは。

 

 同情や憐憫ではない。

 嘲笑や無関心ではない。

 

 真実から目を背ける愚者に呆れるでもなく、物のわからぬ子供をあやすようにでもなく。

 

「常人からすれば馬鹿げたことだろうが、誰からも理解されぬ信念に命と人生を賭けるのが、魔術師というものだ。お前はそれを示した……ゆえに」

 

 真剣に、向き合ってくれたのは――初めてのことだった。

 

 

「誰が何と言おうと、私が認めよう。間桐(まとう)慎二(しんじ)……お前は魔術師だ」

 

 

 少年はその日――運命に出会った。

 

 

   ◆

 

   ◆

 

   ◆

 

 

 夜の学校、月明かりに照らされる校庭。

 町中においては広い、障害物の無い平地において、二つの人型がぶつかり合う。

 

 高速で衝突し合う、二つの影は、常人では目で捉えられぬ速度。

 傍らで見る、少女――遠坂(とおさか)(りん)も、魔術によって視力を強化していなければ、何もわからなかっただろう。

 

 片や、赤い外套を纏う、白髪の男。引き締まった筋肉は褐色の肌に覆われているが、顔立ちは東洋的だ。手には、白と黒の、二刀一対の中華剣。

 片や、体に張り付くような、青い服を纏った男。猟犬のように鋭く、研ぎ澄まされた肉体。獣の野生と、槍の鋭利さが同居したような美丈夫。手には、奇妙な文字が刻まれた槍が一本。

 

 剣と槍がぶつかり合うだけで、雷もかくやという轟音が起こり、衝撃波で地面が砕ける。

 

 誰が見ても、この二人が、人の姿をしているだけで、人間とは呼べない領域にいるとわかってしまう。

 

 それは校舎の屋上で、戦いを見つめる者も当然、よくわかっていた。

 

   ◆

 

「……やってるねぇ」

 

 人影は、薄く笑う。このまま自分は手を汚すことなく、二人の英雄の力を、存分に観察するつもりだ。

 

「まったく、サーヴァントがものを見ることもできないんじゃ、マスターがしっかりするしかないからな。ほんっと、ハズレを引いたもんだよ」

 

 自らを主人(マスター)と呼ぶのは、まだ二十歳にも達していない少年であった。そして彼に使い魔(サーヴァント)と呼ばれたのは、彼の背後に立つ女性だ。

 モデルのように高い背に、グラマラスな体つき。腕を露出した黒いドレスを着て、顔はバイザーのような眼帯で目を隠している。紫色の髪は地に着くほどに長い。

 随分な物言いをする少年に対して、背後に立つ女性は表情一つ変えず、文句一つ口にせずにいた。

 

「……ちっ、何か言えよ。つまんない奴」

 

 舌打ちし、彼は双眼鏡を覗き込む。視力の強化などできないため、こういった小道具に頼るしかない自分に若干苛立ちつつも、彼は自分の仕事を始める。

 

「召喚したばかりだってのに、いきなりバトルか。らしいっちゃらしいけどねぇ。ま、高みの見物とさせてもらうよ……遠坂」

 

 少年は、チロリと舌なめずりをし、始まったばかりの激戦を見下ろし、その音に耳を澄ます。

 

 彼らの名を見極めるために。

 

 名前は、この戦いにおいて重要な意味を持つ。

 真の名が暴かれれば、それは知られた者にとって不利に繋がる。

 名がわかるだけで、その長所短所、欠点弱点、特技や武器など、多くの情報が相手に知れてしまう。それほどに、今戦っている彼らは有名な存在なのだ。

 テレビに映る、芸能人やスポーツ選手など及びもつかぬ。人類の歴史に刻まれた名前を持つ者たち――すなわち、英雄。

 

 これより始まるは、名高き英雄たちが織り成す、欲望の泥に塗れた戦争の物語。

 

 

 戦争の名は、『聖杯戦争』である。

 

 

   ◆

 

   ◆

 

   ◆

 

 

 1月31日の朝、歴史の長い冬木の町の中でも、特に大きな屋敷の中で、一人の少女が、己の手を見ていた。

 

 黒く長い髪を、ツインテールにした美少女。学業に優れ、運動にも秀で、学友たちからの評判も良い、絵に描いたような才女。

 彼女の名は遠坂凛。

 魔術師の名家、御三家が一つ、『遠坂(とおさか)』の若き当主。

 父親を十年前に失い、母親も数年前から実家に戻り、現在は一人で暮らしている。

 

 そんな彼女は、手の甲にできた紋様を睨んでいた。

 その眼に宿るは覚悟。己の宿命に挑む、覚悟。

 

「聖杯戦争――あと50年先の話だと思っていたんだけどね……。幸か不幸か、前回から、たった10年……いいえ、幸にしてみせるわ。この私が」

 

 その紋様――『令呪』。それは戦争への参加チケット。英雄の馭者たる資格。

 聖杯戦争を形作りし、御三家が一つ、『間桐(まとう)』が生み出した魔術の産物。

 

 それを手にしたということは、英雄の主人(マスター)になれるということ。

 それが現れるということは、戦争が始まるということ。

 

「常に余裕をもって、優雅たれ――勝つのは、私よ!」

 

 決意を新たに――遠坂凛に、怯懦(きょうだ)はなかった。

 

   ◆

 

 衛宮(えみや)士郎(しろう)は朝食の片づけをしながら、ふと、隣を見る。

 隣に立つのは、間桐(まとう)(さくら)。士郎の学校の後輩で、同じ弓道部に所属していた。ゆえあって、士郎は弓道部をやめたが、そのやめた原因の一つが、桜にも関わりがあり、そのお詫びとして、『毎朝』士郎の家に通い、家事手伝いをしてくれている。

 士郎は、桜が責任を負う必要はないと断ったが、桜に押し切られた。彼女は、時々謎の迫力を見せる。

 桜の兄の間桐(まとう)慎二(しんじ)にも話し、慎二からも桜に自分を助けるなんてしなくていいと言ってくれ、と頼んだのだが、慎二は、

 

『……お前マジか』

 

 と、壮絶に呆れて、立ち去って行った。解せぬ。

 

 ともあれ、士郎は桜に対し、余計な手間をかけさせているという負い目があるのだ。

 

(この礼に何かしなきゃなぁ……)

 

 そんなことを考えていると、士郎は桜の左手に、痣らしきものがあることに気づく。

 

「桜、その手、どうしたんだ?」

「え?」

 

 桜は食器を拭く動きを止め、食器を置いて、左手を抑える。

 

「ああ、いえ、ちょっとぶつけてしまって……」

「そうか……? 何か、あるんだったら言わなきゃ駄目だぞ?」

 

 桜の様子が、ただ不注意によってできた痣について指摘されただけにしては、動揺しているように見えたので、士郎は少し突っ込んで聞く。

 彼女は、大人しく、以前、他の女性部員から雑用を押し付けられるなど、イジメを受けていたことがあるので、士郎は気になった。

 

「いえっ……本当に、大丈夫ですから」

「……そうか、ならいいんだ」

 

 そう言う桜に、士郎は納得することにして、食器洗いを再開する。

 それでも、少し桜のことに注意を向けておこうと頭の中でメモをする。

 

 それが、衛宮士郎の日常が崩壊する、兆しであった。

 

   ◆

 

 穂群原学園の社会科・倫理の教師を務める葛木(くずき)宗一郎(そういちろう)は、柳洞寺の石階段を降りきったところで、妙な格好をした人物を視界にとらえ、立ち止まった。

 手入れされた黒い口ひげを生やした、中年の西洋人男性。

 チェック模様のカラフルなシルクハットを被り、燕尾服に蝶ネクタイで着飾り、左手にステッキを握っている。もう一方の右手では、サンドイッチを掴み、口に運んでいた。

 この町には多くの人間がいるが、これほどに寺とミスマッチな人間もそうはいないだろう。

 葛木の視線に対し、その男は柔和な視線を返した。

 

「……貴方は?」

 

 不審人物と言えないこともない相手が気になり、葛木は尋ねた。対する男はサンドイッチを口から離し、答える。

 

「なに、怪しい者じゃないさ。ただの旅行客だよ。ここは……柳洞寺という、なかなか格の高い(テンプル)だと聞いてね。朝の散歩がてら、足を延ばしてみたんだよ。このサンドイッチは朝食に持ってきたものだ……よければ一ついるかい?」

 

 男はそう言い、足元に置かれたバスケットから、サンドイッチを取り出そうとする。

 

「いや、朝食はとってきたので、気持だけ貰っておく。失礼をしてすまない……良い旅行を」

「いやいや、こんな格好のおっさん、不審がられても仕方ないさ。自分では気に入っているのだけどね……気にしないでおくれ。それでは、私ももう行くとしよう」

 

 そうして、葛木と、おかしな西洋人は別の道を分かれて行き、二度と出会うこともなかった。

 

(――それにしても)

 

 葛木は、西洋人の立ち振る舞いを思い出し、胸中で呟く。

 

(あの男……まるで隙というものがなかった。常人ではあるまい)

 

 これまでの人生のほとんどを『暗殺の道具』となることに費やした男は、口ひげを生やした奇妙な男の実力を見抜いていた。葛木の身に着けた武術は、奇襲に優れているが、あの男相手に通用したかはわからない。

 葛木は、相手もまた、拳での戦いに精通していると見ていた。

 

(……無意味な思考だな。あの男に敵意はなかった)

 

 殺し合いになるようなことはない。考えても無駄なことだと、葛木は西洋人について考えるのをやめ、次のテストの問題をどうするかに、思いを巡らせることにした。

 実際、葛木宗一郎がこの先、人間や、人間に近いモノを殺す機会を得ることはなく、この時の思考も無駄に終わることとなった。

 

   ◆

 

 学校に着くと、階段の踊り場で、少年が一人、凛を待っていた。

 細身で、背もそれなりに高く、顔立ちもいい。黒髪はやや波打ったような癖がついており、彼の特徴になっている。

 名を間桐慎二。凛もよく知る相手であるが、彼女は彼が、あまり好きでなかった。

 

「おはよう遠坂」

「おはよう慎二くん……何か用?」

 

 笑顔で挨拶する慎二に、凛は表情を変えずにそっけなく返す。それを気にした様子もなく――内心はわからないが――慎二は、凛に近づき、凛以外に聞こえないように小声で、本題を切り出した。

 

「聞いたか? 教会のスティクス神父――死んだってさ」

 

 スティクス神父――ただの神父ではない。聖堂教会から送られた、この世界の裏を知る男であった。10年前の戦いの中で、命を散らした言峰璃正と言峰綺礼の親子に代わり、この地に派遣された。

 常に酒の匂いをプンプンさせており、日本に来たことを『極東に飛ばされた』と不満を隠さぬ態度であった。

 暴力を振るったり、職権を乱用したりすることは無かったものの、『神は俺をくせーところに送るのが好きなようだ』と、酒瓶を片手に言う彼に、好感を抱いていた人間はいない。

 酒に関して言えば、『主の血』とも表される葡萄酒を使った防衛魔術を、常に行っていたという側面もあるのだが、日本と日本人に差別意識を持っていたのは間違いない。

 とはいえ、どんな人物であれ、死は死である。それを笑ったまま言う慎二を、凛はやはり好かないと思いながら、頷いた。その辺りの感傷は、むしろ凛の方が魔術師として珍しいのだが。

 

「聞いているわ。教会に火をつけるほどの徹底ぶりだったそうね。犯人はいまだ全く不明。好きな性格じゃなかったけど、実力は中々のものだったはず――それを殺しおおせたんだから、只者じゃないわよね」

 

 スティクス神父は、かつて死徒に襲われた恐怖がトラウマになり、いつ襲われても対抗できるように、酒を使った魔術で身を守っていた。

 身に染み付いた戦闘術も、酔いに乱されることなく発揮できたはずだ。凛が彼に対して挑んでも勝率は低いだろう。それくらいの凄腕であった――であったにもかかわらず、スティクス神父は殺害された。

 

「まだ下手人は不明だけど、聖杯戦争前夜という時期に殺されたんだ。タイミングからして、まず間違いなく、犯人は聖杯戦争にも介入してくる。まず監督役を殺したってことは……監督役がいたら、邪魔になるようなことをするんだろうね」

 

 聖杯戦争を円滑に進めるための、監督役の仕事は多岐にわたる。その中でも特に基本的な仕事は、大規模な戦いで、周囲に被害が出たとき、その被害によって、一般人に魔術の秘密がばれないようにすること。

 もし、隠蔽のことを考えず、あまりに被害を出し過ぎるようであれば、監督役が他の陣営をまとめあげて、被害を出し過ぎる陣営を袋叩きにするよう、要請することもある。

 だが、監督役がいなくなった今、そういった仕事もできなくなり、度が過ぎた外道を行う輩がいても、野放しになる。

 既に、聖堂教会に戦争を仕掛けるも同然の真似をするほど、手段を選ばない過激な参加者がいるというのに。

 

「何をする気かしら……犯人は」

「前回では、キャスターが子供を無差別に何十人と浚い、挙句の果てに町中で英霊の力を使い、ゾンビをつくって大暴れしたらしい。そこまでとは思いたくないが……派手なことをする気じゃないかねぇ」

 

 慎二は不愉快そうに言う。人一倍、魔術師にこだわりを持つ彼にしてみれば、魔術師としての基本、『神秘の隠蔽』を破ろうとしている誰かに、怒りを覚えずにはいられないのだ。そのこだわり――誇りとも言えるそれが、遠坂凛にとって嫌いな要素の多いこの少年を、明確に敵と見なさない理由となっていた。

 

(魔術回路が駄目なわりに、魔術師としての心構えはできてるのよね……。それが、こいつにとって幸福になるのかは、わからないけれど)

 

 つらい試練を乗り越える精神力はあるのに、そもそも試練に参加する資格を持つことができない。それは悲劇であろうが、凛は慎二に同情する気はなかった。そんな同情を、慎二が嫌うことはわかっていたからだ。

 

「まあそんな最初からルール違反しようとするのは、ルールを破らなくちゃ勝てない弱虫って、自分から宣言しているも同じ……僕の敵じゃ、ないね」

 

 慎二は不敵――と、自分では思っているだろう笑みを、顔に浮かべる。

 

「へえ、聖杯戦争に参加するつもりなの?」

「ふん……言いたいことはわかるけど、別にいいさ。後で驚くんだな」

 

 凛のちょっとした挑発(ジャブ)を、慎二は気を悪くしながらも、受け流し、会話を終わらせて、歩き去っていった。

 

(あいつには魔術回路がない……いくら御三家とはいえ、それじゃマスターになる権限は与えられないはずだけど……)

 

 しかし、没落してきているとはいえ、間桐は聖杯戦争を創った魔術師の家系だ。特に当主である間桐(まとう)臓硯(ぞうけん)は、聖杯戦争を創った当人であり、何百年も生き続けている怪物。何かしら、抜け道はあるかもしれない。

 

(そーなると、あいつは自分もルール違反をしようとしているってことに、なるけれど……)

 

 凛は若干呆れた目で、慎二の後ろ姿を見送るが、まあいいかと気にしないことにした。

 

 目的のために手段を択ばないのが魔術師であり、ルールを違反することで目的を達成するのなら、堂々とルール違反を犯すのもまた、魔術師だ。あとは、どこまでのルール違反を犯すことを、己の美意識が許すかの問題である。

 そして凛の美意識が我慢ならないほどのルール違反を、慎二がしない限り、凛が慎二の行動に口を挟むことはない。

 

(あんたは嫌いだけど、本格的に、敵対したいとも思ってない。だから……どうか馬鹿をやらかさないでよね、慎二。あんたは今じゃ、一応、あの()の義兄なんだから)

 

   ◆

 

 この世界には魔術が存在し、魔術師が存在し、魔術師たちのコミュニティが存在する。

 魔術協会と呼ばれ、その中の一つがロンドンにある『時計塔』である。魔術師の研究機関であり、学校であり、自衛・管理団体である。

『時計塔』内部は幾つもの部門に分かれており、部門ごとに部門をしきるロードが置かれている。

 その中で『現代魔術論』のロードを任されている男――ロード・エルメロイⅡ世と呼ばれる男は、一人、書斎で報告書に目を通していた。

 報告書の内容は、冬木で起こった、スティクス神父殺害と、教会への放火についてと、それによる聖杯戦争への影響についてである。

 今のところ、犯人は全くわかっていない。ただ、犯人は聖堂教会側の勢力を排除したいのだろう。聖杯戦争開始直前の町は、既に魔術師の領域だ。

 教会としては、犯人を捕縛、あるいは始末するために、凄腕の執行者を送り込みたいだろうが、今、それをすれば、聖杯戦争進行の邪魔になり、魔術師たちを刺激する。魔術師だけならまだしも、召喚されたサーヴァントを相手にしては、教会側に勝ち目はない。無駄死にを量産するだけだ。

 だから、今はまだ実力行使はしない。聖杯戦争が終わるまでは。

 

 それが犯人の狙い通りだとしても、そうするしかない。魔術協会と聖堂教会の全面戦争になることは避けねばならない。

 

「少なくとも、聖堂教会が勝てるように準備を整えるまでは――そう思っているのだろうな。本当は我々のような冒涜者は絶滅させたくて、ウズウズしている奴も多いはずだ」

 

 報告書によれば、新たな監督役は置かず、聖杯戦争で起こる被害などを隠蔽する活動だけをするとのことだ。つまり、教会は、次に送る監督役も害されることを恐れ、聖杯戦争に干渉する権限を放棄した。

 

「――ように見えるが、責任や義務を背負わず、聖杯戦争で起こることを見定めつつ、戦力を準備し、不意打ちする機会をうかがおうという腹だな」

 

 世界を変えてしまうかもしれない、あらゆる願いを叶えると謳われる『聖杯』から、教会が完全に手を引くとは思えない。聖杯戦争を止めることは叶わない以上、最後の最後で台無しにしてしまおうという目論見だろう。

 

「……本来、私が出たかったところだがな」

 

 ロード・エルメロイⅡ世は、机の上に置いた一振りの剣を見つめ、様々な感情を込めて呟く。

 

「私が出られない聖杯戦争など、どうにでもなれと言いたいところだが……不肖の弟子が出る以上、ほってもおけん。少し教会と交渉してやるか……それに」

 

 彼の脳裏に、10年前の最後の夜がよぎる。あの、降り注ぐ黒い悪意を見た夜を。

 

「聖杯には何か裏があるかもしれんからな」

 

 エルメロイⅡ世は、ロードでありながら魔術の素養は低い。自分が教えている弟子たちよりも遥かに。だがそれでも彼は『時計塔』のパワーバランスを担うほどの存在――大切な場面では、とても、そう、悲しいくらいに頭が良かった。

 

   ◆

 

 焼け落ちた教会跡。

 立ち入り禁止のロープが張られ、幾人もの警察官が動き回っている。

 人を殺したうえに火をつけるという凶悪犯罪に、当然ながら物々しい雰囲気が漂っている。そして、こんな事件に好奇心を抑えられない野次馬もまた多少はいるものだ。

 そんな毒にも薬にもならぬ輩に混じり、他の者たちとは確実に違う目つきの人物がいた。

 

 黒い髪を肩まで伸ばした女性。冷たく静かな空気をまとう、中性的な美人。容姿はまだ若々しいが、印象は冷たく静かで、老成した感じさえあり、歳は見た目では判断がつかない。

 

 その眼は教会の惨状に対し、他人事と思っている者のそれではなく、次は我が身かもしれぬという警戒と、犯人への敵対心が宿っている。同情の類は一切なく、冷徹にその有り様を確認していた。

 

(証拠隠滅にしても強引なやり方……神秘の漏洩を防ぐという意味では、警察を介入させる時点で失格。犯人は魔術師とは言い難い……魔術使い)

 

 魔術使い。

 魔術の追求により、万物の根源を目指さんとする魔術師にとって、魔術は人生そのものだ。対して、魔術をただ、利益を得るための手段として使う者は、魔術使いと呼ばれる。

 魔術師にとって、魔術に誇りを持たず、本来の目的を捨てた魔術使いは、蔑視の対象である。

 

(けれどこと戦争において誇りなど邪魔なもの……倫理的に外れた手段をとることを厭わない相手は、危険。注視しなくては)

 

 女性は見るべきものは見終えたと、(きびす)を返し、その場を後にする。

 歩きながら、ポケットから携帯電話を抜き出し、

 

「……私よ。ええ、そう……予定通りに」

 

 電話の向こうから聞こえてくる、男の声に受け答えし、

 

「早く終わらせなくてはならない。運命というものは、人間を引き寄せ、巻き込むもの……これは勘だけれど、因縁の深い彼はきっと巻き込まれる」

 

 そして、最初から胸に抱いていた決意を口にする。

 

「衛宮士郎は私たちで護る。あの子の性格なら、きっとこの戦いにじっとしてはいられず、介入して、危険な目に遭う」

 

 彼女は、幼い頃より知り、育つ様を見続けてきた少年の行動を予測する。

 

切嗣(きりつぐ)の子は、死なせはしない」

 

   ◆

 

「ただいま……」

 

 桜は我が家の戸を開ける。

 出迎えの声は無いはずと思っていた。兄が今の時間、家に帰っていることは少ない。

 

「帰ったか。桜」

「あ……」

 

 だが出迎える者はいた。

 桜の顔が固まる。いつになっても、その顔に、その存在に慣れることはない。恐怖が、彼女の骨の髄にまで染み付いている。

 

「お爺さま……」

 

 桜の前に立つのは、和装の老人。皺くちゃの矮躯は、子供の力でも折れそうに見えたが、同時に肌に触れただけで爛れそうな妖気を漂わせている。

 老人の名は、間桐臓硯。慎二と桜の祖父となっている男。

 

 だが実際は数百年を生きる、彼らの遠い先祖にあたる怪物。

 家族のことなど、いや他の何であろうとも、平等に道具として扱っている魔術師。

 

「慎二の奴はまだ帰っておらん。魔術師でもないくせに、聖杯に随分入れ込んでおるようじゃ。まあ頑張ってほしいものじゃ」

 

 その言葉と裏腹に、老人の言葉に期待は一切含まれていない。道化を嘲る悪意のみがあった。

 

「…………」

「ん? まさか慎二が何か成し遂げられると、そう思っているのか? カカカ、確かに奴は、非才の身で何やら怪しげな知り合いをつくって、ふらついているようじゃが……所詮は失敗作よ。何ができようはずもない。あの、雁夜(かりや)のようにな」

 

 ビクンと、桜の身が震える。10年前のことは、今でも桜の心に焼き付いている。

 あの人の、最期が。

 

「愚かなことをするなよ、桜。雁夜のように、わしに逆らうような真似をすれば……何もなせずに、無様に死ぬだけよ。貴様らは……無力ゆえに」

 

 臓硯は桜に言い聞かせ終えると、『ゾワリ』とその身を崩し、霞みのようにその場から消え去った。

 どこへ行ったのかはわからない。あの怪人は怪人で、裏で何か動いているのだろう。何を企み、何をしようとしているのか、桜ごときではわからない。だが、桜ごときでは、止められないことをしようとしているのだろう。

 桜ごときでは、歯向かえば、無様に死ぬだろう。

 

「でも……あの人は綺麗だった」

 

 桜は、誰にともなく、呟く。

 かつて自分を護ろうとしてくれた人への嘲笑に、歯向かう言葉を。

 

   ◆

 

(ちょっと遅くなったな……)

 

 すっかり暗くなり、街灯に照らされる道を、衛宮士郎は歩いていた。

 

(藤ねえからは、遅くならないようにって言われたのにな……)

 

 士郎は、自分の家に入り浸っている、長い付き合いの女性の言葉を思い浮かべる。

 藤村(ふじむら)大河(たいが)。士郎の学校の教師であり、彼の幼いころからの顔見知りであり、今でも夕ご飯を食べに通っている半居候的存在である。

 彼女の言うことには、最近、彼女の実家に外国人が出入りしているらしい。この町で商売をするために、彼女の父親に挨拶と交渉を行っているということだ。

 彼女の父親というのは、町の顔役と言えば聞こえはいいが、要するにヤクザの元締めである。そんな彼に挨拶しなければならない立場ということは、彼らもそういう職業なのだろう。

 彼ら自身は中々紳士的だそうだが、言葉も文化も違う人間が急に交流を持てば、トラブルはどうしても発生するものだ。

 そんなピリピリした時だから、面倒事が起きて巻き込まれないように、早めに家に帰っておけと、藤ねえは言っていた。

 

(慎二には馬鹿にされるけど……性分だしな)

 

 今日も慎二には嫌味を言われた。

 慎二とは中学からの付き合いで、高校からの付き合いである一成とのそれよりも長い。

 一成からは、友人はもう少し選んだ方がいいんじゃないかと訝しがられるが、長く付き合うと、慎二の憎まれ口も一つの味だと思えてくるものだ。

 士郎がそのようにとりとめもないことを思っていると、士郎が進もうとしている方向から、人影が姿を現した。

 

 相手は、雪の妖精のような美しい少女であった。

 

 シルバーブロンドの綺麗な髪に、ルビーのような赤い目をした、西洋人。年齢は10を過ぎるかどうかというところ。紫の上着に白いスカート、その上から紫のコートと円帽子(カミラフカ)を身に着けている。

 ただ立っているだけでも品の良さが感じられ、上流階級のお嬢様という表現が自然と浮かんでくる。

 

「ふふっ」

 

 少女は士郎をじっと見つめて、やがて無邪気に笑うと、すっと士郎の脇を通り過ぎながら、

 

「早く呼び出さないと、死んじゃうよ。お兄ちゃん」

 

 謎の言葉を投げかけた。

 

「……?」

 

 士郎は一瞬、言葉の意味をとらえかね、硬直する。すぐに振り向いたが、そこには誰の姿もなかった。

 

(……なんだったんだ?)

 

 曲がり角も、隠れるような物もない一本道で、少女の姿が消えたことに首を傾げる。少女の言ったことは気にかかったが、本人がいない以上どうにもならず、士郎は諦めて歩き出す。

 

 この日が、彼の最後の平穏な日常となることを、神ならぬ士郎が知る由もなかった。

 

 

 

 

 ……To Be Continued

 

 




 スゥ~~~~、ハ~~~~、スゲーッ、爽やかな気分だぜ。新しいパンツをはいたばかりの正月元旦の朝のよーによォ~~~~~~~~ッ!

 というわけで、新作を開始します。書き溜めてないので、更新は遅くなると思います。気長にお待ちいただきたい。


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ACT1:新たなる戦い

 

「……もう行くのか?」

 

 間桐慎二は、玄関に向かう妹に向けて言う。

 振り向いた拍子に、妹――間桐桜の長い髪が揺れた。

 

「ええ、先輩を待たせちゃいけませんから」

「待ってるのはむしろタイガーの方だろう」

 

 柔らかで可愛らしい顔に、笑顔を浮かべる桜。まだ朝日も弱い、暗いうちに外に出ることなど苦にもならないと言わんばかりの表情に、慎二は呆れる。

 ちなみにタイガーとは、藤村(ふじむら)大河(たいが)のことだ。慎二たちの通う学校の、英語教師である。桜がこれから会いに行く、衛宮士郎の保護者代わりで、明るくドジで、自堕落かつ、お調子者の女性だ。タイガーというあだ名がつけられているが、このあだ名を本人は激しく気にしている。

 ついでに言えば彼女は、おいしい料理が大好きで、桜の料理も大好きなのだ。

 

「まあいいさ。好きにしろよ。僕に迷惑をかけなければね」

「はい。兄さんも、早く先輩と仲直りしてくださいね?」

「っ! お前なっ!」

「ふふっ、行ってきます」

 

 慎二が怒鳴りつける前に、桜は玄関の戸を開け、逃げ去ってしまう。それを見送り、慎二は舌打ちして頭を掻く。

 

「くっそ……妹の分際で……」

「仲がいいようで羨ましいことです」

 

 後ろから声をかけられ、慎二は後ろを振り向く。

 そこに立っていたのは、背の高い女性。紫の長い髪をし、肩と太ももを露出した、ボディコン・ドレスを着ている。ただ、バイザーのような目隠しをしているので素顔はわからないが、顔の輪郭や鼻の形から、絶世の美女であるとわかる。その長い手足が滑らかに動くさまは、妖しい蛇を思わせた。

 

 彼女はライダー。間桐のサーヴァントだ。

 

「どこに目をつけて……ああ見えないのか。どこに耳をつけてるんだ」

「サクラは『兄さんは口が悪いが、慣れるとあれも一つの味だと思える』と言っていましたが……ちょっとずつわかってきました」

 

 慎二は顔を更にしかめるが、これ以上言っても無駄に終わると察し、ムカつきを胸に押し込めた。

 

「……僕は朝食をとる。お前は今日も偵察だ」

 

 ライダーを召喚してから、彼女は毎日偵察を行っている。聖杯戦争の序盤は、まず情報を集めることが常道だ。

 アインツベルンの森は既に結界が強化されており、主人が城に入っていることがわかった。

 遠坂はまだ召喚した様子はない。

 魔術協会から派遣された魔術師も、既に冬木に入っているようだ。

 しかし、まだサーヴァントは発見できていない。全員、様子見に回っているのだろう。

 

(……あいつは、情報を持ってこれるかな)

 

 慎二は、知り合ったばかりの顔を思い浮かべていた。

 

    ◆

 

 ホームルーム前の教室は、まだ騒がしい。生徒たちが好きなように集まり、おしゃべりを楽しんでいた。

 

「美術部のストーブは、昼だな」

「ああ」

 

 友人である柳洞(りゅうどう)一成(いっせい)に頼まれ、朝からストーブなど学校の備品を修理していた士郎は、まだ残っている故障品を直す予定を確認する。

 生徒会長である一成は、日々、生徒会に与えられた予算をいかに使うか、頭を悩ませている。しかしどんなにやりくりしても、古い備品全てを買い替えるほど予算は潤沢ではない。壊れたら修理するしか道はなく、修理できるような生徒は、士郎くらいしかいない。

 生徒たちのことを常に考え、生徒会長としての職務を遂行しようとしている一成に頼まれて、断るような衛宮士郎ではない。それで多少、自分の時間が削られ、帰途につくのが遅くなったとしても、まったく苦労とも思わない人間が、士郎なのだ。

 そうして話しながら教室に入った士郎に、声をかける者がいた。間桐慎二だ。

 

「朝から騒がしいね、衛宮。部活をやめてから何をしているかと思えば、生徒会長の太鼓持ちかい?」

 

 その言い草に、一成は怒りの表情を浮かべ、慎二に対し口を開こうとするも、士郎が押しとどめる。士郎は侮辱の言葉をかけられた本人にも関わらず、笑みさえつくって言った。

 

「慎二も何かあったら言っていいぞ? 手伝えることがあったら、手伝うぜ。(つら)()りとか弓の直し、慎二は苦手だったろ?」

 

 挑発的な言葉を、柔らかに受け止められ、好意で返される。その反応に、慎二は一瞬虚を突かれた表情をし、すぐに、苛立たし気に顔をしかめる。

 

「っ……余計なお世話だ! とにかくもうお前は部外者なんだから、道場に近づくなよ!」

 

 別に弓道部をやめたからと言って、道場に近づいてはいけないという法はなく、慎二がそんなことを決める権利もない。しかし、士郎はそれ以上何を言うでもなく、憤然と自分の席に戻る慎二の背を見送った。

 

「ふざけた奴だ。自分から衛宮を追い出しておいて、よくもあんな口が利ける」

「いいんだよ。あれが慎二の味なんだ。付き合いが長いと慣れてくる」

 

 先日、士郎はバイト先で肩を火傷してしまったのだ。弓道では、『礼射』という仕草の時に肩を露わにしなくてはならず、火傷をさらしてしまうことになる。

 慎二は、その火傷を見苦しいと言い、いっそ辞めろとなじった。他の部員もいる前でそれをやったので、誰もが士郎が弓道部を辞めたのは、慎二のせいだと思っている。桜が士郎の世話をしているのも、慎二の行為の謝罪の為ということになっている。

 けれど、士郎は他人の目を気にしない人間だが、悪意に全く鈍感というわけではない。

 

 自分の火傷を、不快なものとして見ている部員が、何人かいることには気づいていた。

 

 更に慎二は、士郎が弓道に打ち込めていないことを知っていた。士郎には、弓道以上にやりたいことがあるのだと知っていた。何せ、士郎は慎二に、自身の弓に対する想いを話していたのだから。

 

 だから慎二は、士郎に弓道を辞める機会を与えるために。そして、自分の火傷が他の部員に、これ以上不快に思われないように、進んで悪者になったのだろうと、士郎は思っている。

 勝手な思い込みかもしれないが、士郎は悪友の捻くれ具合からして、そう間違ってもいないだろうと踏んでいた。

 

「ふぅん、そんなものか」

「そんなものです」

 

 疑わし気に首を捻る一成に、士郎は頷くのだった。

 

   ◆

 

 冬木の町を駆け抜ける、妖艶な美女。しかしそのグラマラスな長身を、誰かが目にすることはない。なぜなら、彼女は今、霊体化し、物理的な束縛を受けぬ身であるから。

 誰の視界に入ることなく、彼女は町の隅々を見て回る。遠坂邸やアインツベルンの森などの、彼女に気づく者が存在しうる、幾つかの場所は除いてだが。

 

(大分、この町のことにも詳しくなりましたね……)

 

 できれば霊体化などせずに飛び回りたいものだ。風を身に受け、空気の香りを嗅ぎ、現世をこの肌に実感したい。

 

(それはシンジが許してくれませんが……彼は少し臆病ですからね)

 

 彼女は仮初とは言え、自分のマスターに辛口の評価をくだす。

 とはいえ、それもここ数日で、大分軟化した方だ。第一印象はかなり悪かった。

 

『なんだそりゃ……英霊どころか化け物じゃないか』

 

 それが慎二の、彼女に対する評価だった。間違った評価ではないが、本人の前で正面から言うようなことではない。

 

(あれは首を引きちぎってやりたくなりましたね)

 

 彼女のこめかみ辺りに、血管が浮き出る。

 あの後、桜に宥められたものの、怒りはいまだに燻っている。

 

(けれど……無能ではない)

 

 慎二は彼女に偵察させ、自身も情報を集めている。ただ攻め込むだけの猪ではない。

 とはいえ無理はさせず、徹底して不用意な戦闘を禁じていた。自信家を気取っているが、慎重に自陣の戦力をわきまえている。

 それに女を見下したような態度をとりはするが、それでも奴隷や道具のように扱うことはない。美女の体を辱めることもなく、部下として扱っている。

 また、ライダーが慎二に怒りを抱き、殺気を放っても、表面上は強気を装っていた。手足の震えは隠しきれていなかったが、この平和な国で、本物の殺気を浴びても耐えられる根性は褒めてもいいだろう。もっとも、敵意や殺意に対しては平静を装う気概を持っているものの、好意を見せる相手や、度量の大きい態度をとる相手には、妙に弱いようだが。

 

(口も態度も、性根も悪い。それに、相手を挑発して、その内面を見定めようとする悪癖があるときている。どうにも気に食わぬ男ですが……私が大人になって折れてやりますか)

 

 我慢できないことはないし、こちらが余裕を持って接していれば、案外面白いところもある。それが現状、彼女の出した評価であった。

 

   ◆

 

 学校が終わった後、とある喫茶店で、慎二は2人用のテーブルにつき、文庫本を読みながら待っていた。他の客はいない。

 その喫茶店はバス停から徒歩で10分程度のところにあった。定年退職した店主が老後の趣味で始めた店で、落ち着いた英国風の様相を演出していた。細い道にひっそりとある、穴場的な店のため、客は少ない。何とか赤字にならないくらいの収益は出している程度の、小さな店だ。

 

「ふん……話題の新作なんて言っても、大したことないな。内面の描写が浅すぎんだよ」

 

 慎二が愚痴を漏らしていると、その相手は来た。時計の針はちょうど午後5時を指している。待ち合わせの時間より、1分と早くも遅くもない。

 彼は、慎二の後ろの席に、慎二と背中合わせになるように座る。慎二は視線を向けることもなく、声さえ出すこともなかった。

 

『慎二。召喚はどうだった?』

『ライダーを召喚したよ。宝具を多く持っているクラスだっていうから期待したが、戦闘じゃ使えないのばっかりのハズレだよ。ったく』

『使えるか、使えないかは、使う奴次第……それは君も知っているはずだ』

『ふん、偉そうなこと言われなくても、わかってるさ』

 

 そして、二人は声を出すこともなく、会話を成立させる。彼らの持つ能力が、それを可能とした。

 慎二は後ろを振り向きもしなかったが、彼は相手のことを知っている。

 歳は二十代半ばの青年。整った顔に、理知的な瞳。長く伸ばした前髪が、顔の片側を隠している。服装は大分奇抜で、果物の苺を柄としたネクタイを、首に直接巻き付けている。長袖のシャツと長ズボンを一枚ずつ身に着けているが、その服は上下とも、チーズのように穴が空き、素肌をさらしている。

 

『……この冬に、その格好は寒くないか?』

『いや、慣れればそうでもない』

『なんだそれ。慣れなきゃ寒いんじゃないか』

 

 慎二は呆れて、やはりこの男は変わり者だと再確認した。

 師を通じて、変わり者の知人は結構多い慎二であるが、この男も中々のものだ。

 

 相手の男の名は、パンナコッタ・フーゴ。

 

 イタリアの、いわゆるギャング――『パッショーネ』の一員である。

 

 彼と知り合ったのは、1年前のことだ。

 フーゴたち、『パッショーネ』は3年前から、冬木に入ってきていた。土着の組織である藤村組に筋を通し、話し合い、平和的進出を行っていた。活動も、高利貸しや売春、武器売買、盗品売買といった非合法なものではなく、あくまで料理店や服屋などの、合法的な店を出すにとどめた。

 日本進出の理由は、『パッショーネ』と敵対しているアメリカン・マフィアが、日本進出を目論んでいるので、それに先んじて、というものである。あくまで、敵対組織の日本進出、利益拡大を阻むのが目的であるため、パッショーネ自体が日本で強い影響力を持つ必要は薄く、大規模な活動はしないと説明し、藤村組に進出の了解をもらった。藤村組の一人娘が、イタリア料理店ができることを喜んだことも、多少は後押しになったかもしれない。

 フーゴたちは、順調に冬木に己が拠点をつくり、情報網を構築していった。

 

 しかし、藤村組も、パッショーネの組員にも、日本進出の本当の目的を知る者は少ない。はっきりと言えば、本当の目的を知る者は、フーゴと、パッショーネのボスしかいなかった。

 

 慎二とフーゴが接触するまでは。

 

『そんなことはいい。それより、情報だ。ここ最近、この町に入ってきた外国人について、怪しい奴のリストをつくった。特に、中東の大富豪を自称している奴が怪しい。こちらで更に絞り込む。ムーロロ……ハッキングが得意な奴に、出生届やらを調べてもらった。明日には白黒はっきりするだろう』

『ハッカーに魔術師の偽装が見破られる世の中か。教授の言う通り、今回がまともに進められる、最後の聖杯戦争になるかもしれないな』

 

 この情報社会において、多くの人間がいる町の中で、大規模な破壊をもたらす聖杯戦争を行うなどというのは、もはや限界だ。聖杯戦争に限った話ではない。遠からず、魔術師は科学の情報網から神秘を護るため、対策を行わなければならないだろう。

 そんな慎二のぼやきを無視して、フーゴは伝えるべきことを伝える。

 

『こちらでわかるだけの情報はまとめておいた。駅のロッカーに、その他もろもろと一緒に入れてある。鍵はお前の隣だ』

 

 慎二が右を見ると、テーブルの端に先ほどまではなかった鍵が置かれていた。慎二はそれを手に取ると、立ち上がる。

 最後まで顔を見合わせることさえなく、二人は別れていく。どこにどのような目が光っているかわからない。魔術という、隠し通されてきた事象に対し、用心の上に用心をして、足らぬということはない。

 特に彼らが最終的に戦わなければならない相手は、一流という枠組みではすまぬ、怪物の類なのだから。

 

『……ここは一流店じゃないが、ミルクティーはそこそこいける。食事ならビーフシチューがオススメだ。逆にハーブティーだけはやめとくんだね』

『アドバイス感謝するよ。そっちも上手くやってくれ。今後も協力はするし、手が届くなら、僕自身も体を張るつもりだ』

 

 フーゴは手を挙げて店員を呼びながら、慎二へと思考を伝える。

 

『これは、10年前のやり残しだ。あの時にいた人間は、もう僕だけだ。ブチャラティも、アバッキオも、ナランチャも、雁夜も、もういない。だから、僕が彼らの分まで背負う責任がある。そのために……君に手を貸そう。そして、手を貸してもらおう。慎二』

 

 誰が思い至ろうか。パッショーネという、イタリア全土に影響力を持つ大組織が、数年の時と莫大な予算を投入し、日本に進出した理由が、『たった一人の少女』を救うためであろうとは。

 

   ◆

 

 夕食を終え、雑事を片付けた後、士郎は毎晩の日課へと向かい合う。

 土蔵の床に、あぐらをかいて座ると、目の前の鉄パイプに両手を当て、目を閉じた。

 

同調開始(トレース・オン)

 

 呪文を唱えた。

 

「基本骨子、解明……構成材質、解明……」

 

 やがて、士郎の手が光を放ち、鉄パイプへと浸透していく。

 士郎は魔術回路を動かし、魔力をその身から汲み上げている。

 

「基本骨子、変更……構成材質、補強……」

 

 なさんとする魔術は『強化』。文字通り、物体の性能を強化する、初歩の魔術だ。

 

 だが、成功を目前として、バチンと士郎の中のイメージが砕ける。

 

「くそっ、また失敗か」

 

 士郎は荒く乱れた息を整えながら、鉄パイプを放り出し、自分の才能の無さに絶望する。

 

「いまだにこんな初歩が上手くいかないなんて。何時まで経っても半人前だ」

 

 ため息をついて、その場に疲労した体を横たえる。

 

「一体、どうしたら正義の味方になれるんだろう……」

 

 正義の味方。

 毎週、テレビの中でわかりやすい悪役を倒し、ちびっ子たちの声援を受けている者たち。けれど、現実にそういう者になるには、どうすればいいのか。

 警察やレスキュー隊員になればいいのか。ボランティアで人を助け続ければいいのか。

 いや、人助けと、正義の味方は、おそらく違うものだ。

 

『僕は、正義の味方になりたかった』

 

 脳裏に浮かぶのは、自分を助けてくれた人の言葉。

 自分にとっての、正義の味方の言葉。

 

「あんたは……どんなふうになりたかったんだ? 爺さん……」

 

 あの10年前の謎の連続火災で、自分の命を救い、家族を失った自分の家族になってくれた人。

 

 衛宮(えみや)切嗣(きりつぐ)

 

 自分は、彼が死ぬ前に約束したのだ。

 

『爺さんの夢は、俺がきっと形にしてやるから』

 

 自分は確かに言ったのだ。

 切嗣の想いを知っているのは、自分と、あとは多分、切嗣にずっと付き添っていた、あの人だけだ。

 

「そういえば、今頃どうしてるかな……舞弥(まいや)さん」

 

 士郎の夜の時間は、いつも通り過ぎていった。

 

   ◆

 

『慎二。はっきり言って、お前は魔術を使うことはできない。才能以前の問題だ。足を持たぬ者が走ることはできない』

 

『それでもお前が走りたいというのなら、まず足を手に入れなくてはならない』

 

『生身の足と同等の義足など、現状生み出すことはできないが、一歩踏み出すくらいはできるだろう』

 

『疑似魔術回路――生来の魔術回路に比べればお粗末なものだ。寿命を縮めるほどに体を蝕むうえに、生み出せる魔力は雀の涙。それでもなお、目指すか?』

 

『心を決めているのなら、高校を卒業した後、私の所に来るがいい』

 

『今すぐ? 馬鹿が。お前はまだ土台さえ作り終えていない。魔道は、基盤のできていない者が歩めるような安い道ではない。やわな者では、いずれ自分自身を見失い破滅する。まずは、魔術師になる前の自分をしっかり固めてからにしろ』

 

『――本当の意味で強い人間になれ。胸を張って、誇り高く生きろ。そう在れれば、(ディオ)に祝福されなかったお前でも、夜の(スター)のような微かな光明程度は、見つけることができるだろう』

 

 

 

 2月1日――朝6時。

 夢から醒めた慎二は、ゆっくりと目を開ける。

 

「……くそ、まだ寝ていられるじゃないか」

 

 時計を確認し、慎二は悪態をつく。だが二度寝していたら今度は寝坊するかもしれない。彼は不承不承起き上がり、冷たい空気の中、寝間着から学生服へと着替えだす。身が震えるのを耐えながら、、彼は今見ていた夢のことを思い出していた。

 

「ちぇっ、やっぱりすぐにやっておいた方がよかったじゃないか。教授め」

 

 その呟きは、後輩に面倒な雑務を押し付ける時の、立場を笠に着た上から目線のものではなかった。自分の欲望を無理矢理押し通す時の、相手の心を踏み躙るような悪意をこめたものでもなかった。彼にしては珍しい、子供が親に我儘を言うような、信頼する相手への甘えが垣間見えた。

 

「……マスター」

「うお!?」

 

 上半身裸になったところで、背後から声をかけられてビビる。振り向けば、自分を見下ろすように立つ女がいた。

 

「な、なんだライダー! 着替え中だぞ!」

「安心してください。見えていません」

「見なきゃいいって問題じゃない! 男女の区別の問題だ!」

 

 慎二は混乱して怒鳴る。言っていることはもっともだが、普通こういうイベントは男女を逆にして行われるものではなかろうか。

 

(くうっ……こんなことで動揺するなんて僕らしくないっ!)

 

 自分は女慣れしている色男であると自負している慎二は、今の自分を恥ずかしく思う。自分の素直な部分を漏らした瞬間に、声をかけられたせいだ、とは、慎二自身は認めやしないが。

 それにしてもこのライダー、桜に何を吹き込まれているのか知らないが、慎二を舐めてかかっている気配がある。

 

「はぁ……はぁ……とにかく出ていけ。主人の部屋に断りなく入るんじゃない!」

「わかりました」

 

 ライダーは思いのほか素直に部屋を出ていく。スッとその身を霊体化させ、ドアを素通りして部屋から去っていった。

 

「ドアくらい開けていけ……くそっ」

 

 ペースを狂わされ、朝からとんだ災難だと、慎二は苛立つのだった。

 

   ◆

 

 冬木市市街から、西へまっすぐに30キロほど進んだ辺りにある森林地帯。

 その森林はアインツベルンが買い取った私有地である。森林を丸ごと外部から隔離する結界が張り巡らされており、内部には本拠地から運び、組み立てなおした西洋の城がそびえ建っている。

 アインツベルンが聖杯戦争の拠点として設置したその城で、一人の少女がつまらなそうにしていた。

 

「退屈だなぁ。早く夜にならないかなぁ……」

 

 真っ白の肌と髪の少女は、同じように色の無い女たちに身の世話をさせながら、まだ朝だというのに夜を待っていた。

 人目のつく昼間は、魔術師の時間ではない。

 戦争は夜の闇に密やかに行うのが、淑女の嗜みというものだ。

 

「セラ、お兄ちゃんはまだサーヴァントを召喚していないの?」

「その気配は無いようです」

「ふぅん……見た感じ、ちょっと鈍そうだったけど大丈夫かなぁ」

「……イリヤ様、あのような裏切り者の養子など、気に掛ける価値は無いかと。それよりも前回の聖杯戦争で、アインツベルンと遠坂を抑え、最後まで残った間桐の動向について……」

 

 少女は侍女の一人に問いかけるが、望みの答えが出なかったので、すぐに興味をなくす。

 

「いいよそんなの。私の召喚したバーサーカーに勝てる奴なんて、いないんだから」

 

 絶対の自信を込めて、少女は侍女の言葉を断ち切る。

 

「すぐ死んじゃったらつまんないんだから。ちゃんと遊んでほしいものね。昨夜はちょっと顔を見ただけだったし……早くちゃんと話したいなぁ。キリツグが、私たちを捨てて、拾った子と」

 

 少女は美しく微笑む。その微笑みは、天使のようでも、悪魔のようでもあった。愛しさと憎しみが一つとなった表情。自分の父から、自分が受けるはずだった愛情を注がれた、まだ見ぬ『兄弟』を想い、少女は時を待つ。

 

「早く夜にならないかなぁ……」

 

   ◆

 

 夕暮れの校舎の階段を、慎二は二人の女生徒を連れて、降りていた。

 女の子たちは弓道部の後輩で、慎二は気持ちよく自慢話を楽しんだ。

 

「ははは、そんなに凄いかい?」

 

 笑う慎二に、笑い返す後輩たち。とはいえ、彼女たちが心から、自分を尊敬しているなどと考えるほど、慎二は愚かではない。

 虫も殺さぬ、清らかな女子高生を装うこの二人だが、実際のところ、強い者、立場が上の者に媚びへつらうタイプであると知っている。彼女らが好きなのは、間桐慎二ではなく、弓道部副部長という学生内での地位と、多少持ち上げれば気前よく奢ってくれる財力である。

 

(そこがいいんだけどねぇ。女の子は顔と体だけ良けりゃいいのさ。軽い方がいい)

 

 楽しむ分にはそれで十分。真面目な交際なんてごめんこうむる。責任なんて、冗談ではない。お互いに、割り切った付き合いが最良である。

 どこぞの、悪人に好かれるたちの背の低い男と、長く美しい黒髪をしたちょいと恐ろしい女性のカップルのような関係などは、やりたい奴だけがやればいい。自分には合わないと、慎二は思っている。

 

(昨日は遊びもせずに、男と待ち合わせして、重たい荷物持って帰ったんだ。リフレッシュしなきゃ)

 

 慎二は指定されたロッカーから持ち帰った物のことを思う。

 聖杯戦争の参加者と思われる人物についての資料。これはいい。

 問題は、他の、聖杯戦争に役に立つだろうと、用意された品々。

 

(拳銃にスタンガン、防弾チョッキに手榴弾、大振りのナイフ、各種薬物――僕をテロリストにするつもりか?)

 

 目にして顔が引きつった。置きっぱなしにするわけにもいかないので、必死で急ぎ持ち帰ったが、誰かにばれたらと思うと気が気ではなかった。

 

(とはいえ、あんな物、聖杯戦争には役に立たないだろうな。普通の戦争ならともかく、これは魔術師の戦いだ。サーヴァントはもちろん、魔術師にだって、あの程度の近代武装が効くものか)

 

 銃弾程度を防ぐ魔術はいくらでもある。無論、魔術師はそもそも研究者であり、戦闘が得意なわけではない。銃で殺すこともできるだろう。

 だが聖杯戦争という儀式は、そもそも戦うことが前提だ。戦闘のできない魔術師が参加するなどということはないだろう。少なくとも、戦闘用魔術礼装を準備してくるはずだ。

 そんな魔術礼装を備えた相手には、機関銃だろうが爆弾だろうが無意味だ。魔術を貫いて、魔術師を殺しうるとすれば、対戦車ライフルなど、そもそも人間に使うには強力すぎる威力の武器が必要だ。だが、それほどのものは流石のギャングも簡単には調達できない。

 たとえ持ってこられても、慎二に使えるわけもない。

 

(捨てる……わけにもいかないし、一応身に着けてはいるけど)

 

 案外、防弾チョッキというのは重いのだと初めて知った。

 

「慎二」

「あん?」

 

 声をかけられ振り向くと、見慣れた赤毛が目に入った。

 慎二はフンと鼻を鳴らし、

 

「よお、衛宮。まだ学校に残ってたのかい?」

「ああ、一成に頼まれて、備品の修理をな」

 

 昨日話していたヤツ、まだやってたのかと、慎二は呆れる。

 それと同時に、なんだか腹が立っていた。惰性でやっていた弓道部をやめ、それでやることが他人の手伝いときた。

 慎二にはまったく、理解できない。他人にこき使われて何が楽しいのか。自分の時間は、自分のために使うべきだ。

 

「ああ……そういえば、昨日、手伝えることがあったら手伝うって言ってたよなぁ? じゃあ、手伝ってくれよ。うちの弓道場さぁ、今、わりと散らかってるんだよねぇ。片付けといてくれない? 衛宮くん?」

 

 イライラのままに、慎二はねちっこい口調で士郎に言い放った。

 

「えぇ……それ、それって先輩が藤村先生に言われたことじゃ」

「そうですよ。ちゃんとやっておかないと」

 

 背後で、後輩たちが慎二を責める声をあげる。慎二は振り返り、

 

「いいんだよ。大体、今から片付けしてたら店閉まるじゃん。」

 

 そう言うと、慎二を責めていた少女たちは押し黙り、お互いを見る。どちらがどう決めるか伺っているのだ。

 慎二の方が間違っているのはわかっているが、ここで士郎を援護すれば、慎二に嫌われ、自分の立場が悪くなるかもしれない。だから、自分ではなく、別の誰かが代わりに面倒事を引き受けてくれないものかと、そう考えている。

 

(そうだよな。貧乏くじは、他人に引かせるものだ)

 

 少女たちの考えは自然だ。不自然なのは、

 

「ああ、俺は構わないよ」

 

 慎二の自分勝手な頼みを断りもしない士郎の方だ。

 

「ッ……じゃ、後はよろしく」

 

 文句ひとつ言わずに、笑顔で快諾した士郎に、その顔を見たくなくなるほどイラつき、背を向けて慎二は歩き去る。

 慎二自身、なぜこうもイラつくのかわからない。士郎以外の人間が同じように自己犠牲的な行動をしても、こうはならないというのに。

 おそらくは、士郎と他の人間があまりに違うから。普通の人間の自己犠牲は、人間関係を良くするとか、恩を売るとか、打算が含まれているものだ。だが士郎にはそれがない。たとえ恩を仇で返されても、人のために動く。それが慎二の心の何かにひっかかるのだ。

 

「あっ、待ってよ先輩!」

「じゃ、じゃあ、後はよろしくお願いします」

 

 二人の少女はなんだかんだ言って、士郎を残してついてくる。士郎に掃除を押し付ける慎二の方を選ぶ。その方が、自分が楽だからだ。

 

(そう、こういうのでいいんだよ。こういうので……人間、自分が良けりゃいい。自分に良くなるように動くべきなんだよ)

 

 士郎への怒りを胸に押し込め、慎二は学校から出て行った。

 

   ◆

 

「――凛、止まれ」

 

 凛に対し、彼女が召喚したサーヴァント――アーチャーが声をかけた。

 霊体化しており、今は人間の目には見えないが、実体化すれば、赤い外套をまとう、褐色の肌の青年の姿が見える。

 彼を召喚したのは、昨日の夜。本来は最優と謳われる剣騎士(セイバー)を召喚したかったのだが、召喚されたのは長距離武器を得意とするクラスである弓騎士(アーチャー)であった。しかも、召喚に何か問題が生じたらしく、記憶喪失で自分の真名もわからないときている。

 そして、主を主とも思わない、捻くれた性格。戦闘は自分に任せて、引っ込んでいろとまで言われ、怒り心頭した凛は、思わず令呪を用いて叫んだ。

 

『私に従いなさい!!』

 

 ぶっちゃけ、そんな曖昧な命令はろくに効果がなく、令呪の無駄遣いもいいところだ。

 サーヴァントに自害さえ命じられる絶対命令権にして、瞬間移動や傷の回復をも行える切り札でもある令呪を、勢いで無駄打ちした自分に、凛は頭を抱えた。しかし、その令呪の威力が思いのほか強力であったことから、アーチャーは凛の実力を認め、自分のマスターとして受け入れた。

 あまり人様には話せない、サーヴァントとの初コミュニケーションであったが、結果は良好に終わったと言えるだろう。

 その日はアーチャーに、召喚のドタバタで乱れた部屋の掃除を押し付けて――アーチャーは愚痴っていたが――終わった。

 そして今夜は、これから戦うことになる冬木の町を案内して回っていたのだ。

 

 戦いにおいて、地の利を得ることは重要。

 主な公共施設や霊地、10年前に聖杯戦争が終結した地などを、一日中見て回った。無論、学校はサボった。

 日も暮れて、凛とアーチャーの主従は、遠坂邸への帰路を歩いていた。

 アーチャーが声をかけたのは、その途中だ。その声に、張りつめたものを感じ、凛もまた緊張を懐いて、聞き返す。

 

「何?」

「……サーヴァントがいるぞ。露骨に殺気を放ち、挑発してきている。こちらを誘っているな」

「……どこへ誘おうとしているか、わかる?」

 

 相手が罠を仕掛けているところに突っ込むなら、それなりに覚悟がいる。そう考える凛に、アーチャーは今日案内されたこの冬木の地理を思い返し、場所を特定する。

 

「この方向で、戦うに適した場所は……おそらく、マスターの通う学校の校庭だな」

「学校? 確かに、今の時間はみんな帰ってるでしょうけど、明日には人がまた通ってくる所に、罠をかけることもないでしょうし……いざ尋常に勝負ってこと? 本気で?」

 

 罠を仕掛けること自体は可能だが、あとでその罠を解除しなければいけなくなる。解除の時間がとれるとは限らず、もし解除できなければ、明日登校してきた生徒や教師が罠にかかり、大騒ぎになってしまう。

 ばれぬように行わなければならない聖杯戦争で、そんな真似をするとは思えない。

 ならば、これは正面から勝負にきているということになるわけだが、それはそれで凛には驚きだ。まだ戦争は探り合いの時期だ。そんな中で、情報をさらけ出す羽目になるかもしれない、真っ当な戦いを行おうというのだから。

 

「そういうことだ。乗らないという手もあるが、どうする?」

「決まってるでしょ。逃げるのは性に合わない。ぶちかますわよ!」

「……そうだろうと思ったよ」

 

 アーチャーは肩をすくめたが、反対することもなく、敵の待つ地へと足を進めた。

 そして、穗群原学園の校庭に着くと、思ったとおり、校庭の中央に一人の男が待っていた。

 

「お誘いどうも。来てやったわよ」

 

 開口一番、居丈高に言い放つ凛。

 相手は、その物言いをむしろ気に入ったように口角を吊り上げる。

 

「いいねぇ。いい女だ。少なくともマスターの方は見どころありだな。さて、サーヴァントの方はどうかな?」

 

 朱色の槍を構え、青い髪を短く切りそろえた男は、鋭く殺気を放つ。さしもの凛も、背筋が寒くなるが、アーチャーの方は、怯むことなく、前に出た。

 

「御託はいい。やる気ならば早く始めるといい。それとも、槍よりも口を動かす方が得意かな?」

「……言ってくれるじゃねぇか」

 

 アーチャーの挑発に、槍持つ男は凶悪に顔を歪める。次の瞬間、その姿が消えた。

 

「っ!?」

 

 凛が驚くと同時に、鋭い衝撃音が響く。一瞬にして間合いを詰め、そして繰り出された槍が、アーチャーによって防がれたのだ。褐色の肌の男の手には、いつの間にやら、二振りの剣が握られており、それが相手の槍を止めていた。

 

「いいねぇ……そうこなくちゃな」

 

 ランサーは機嫌良く殺気を振りまく。

 

 遠坂凛とアーチャーの、最初の戦いが始まった。

 

 

 

 

 ……To Be Continued

 



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ACT2:運命の呼び声

 

 

 女の子たちとデートを楽しんだ慎二は、リフレッシュした気分で帰路についていた。

 本来だったら、彼女たちともっと、夜遅くまで楽しみたいところだが、なにしろ戦争中だ。自重しなくてはいけないという意識は、慎二にもあった。

 

「……うん?」

 

 そうして夜道を歩いていた彼の前に、見知った人影が降り立つ。

 その目障りな長身は、ライダーだった。

 

「なんだ? 何かあったか?」

「いえ、マスターを探していたわけではありませんが、会えたのは幸運です。サーヴァントを見つけました」

「……なんだと?」

 

 ライダーの言葉に、慎二は息を呑む。覚悟はしていたつもりであるが、実際に命を賭けた戦闘に直面することになると、やはり恐怖に襲われる。

 その恐怖を押し込め、慎二は必要なことを問う。

 

「どこだ? どんなサーヴァントだ?」

「場所は貴方の通う学校の校庭です。どうやら、他のサーヴァントを誘っているようです。体に張り付くような青い服を着て、手には赤い長槍を持っていました」

 

 随分好戦的なサーヴァントだ。まだ情報もさして集まっていないだろうに。よほど自分の力量に自信があるのか。

 

「槍か。単純に考えればランサーだが……戦うかどうかはともかく、見てみるべきだな」

 

 多くの情報を得られるチャンスを逃す手はない。ライダーと戦わせるかはまだ決断していないが、ともあれ慎二は、学校へと向かった。

 

   ◆

 

 赤い弓兵の姿が消えたかと思うと、青い槍兵の背後に回り込んでいた。瞬間移動したのかというほどの速度で、まるで目に見えない。

 しかし、その速度に容易く反応し、槍兵は剣撃をはね返す。それからは、目まぐるしい、消えては現れる、必殺の応酬。互いの武器が振るわれるごとに、余波だけで周囲の地面が砕け、剝がれ跳ぶ。

 

 やがて、アーチャーの手の中の剣が、槍に吹き飛ばされる。空中に跳ね上げられ、砕けて消える黒の剣。そして、とどめとばかりに突っ込むランサーだったが、アーチャーは涼しい顔で、空いた手に再び黒い剣を出現させた。

 眉を顰めたランサーが繰り出した槍を受け止め、アーチャーは戦いを続ける。

 

 そして幾度となく吹き飛ばされるアーチャーの剣。しかし、そのたびにアーチャーは剣を出現させて対応する。

 同じことが続き、単調な作業のようになってきたところでランサーが手を止める。フンと鼻を鳴らし、戦士の魂と言うべき武器を、使い捨てる戦法を取る奇妙な敵に、言葉をかけた。

 

「27……それだけ弾き飛ばしても、まだあるとはな」

「どうした? 様子見とはらしくないな。先ほどまでの勢いはどうした?」

「へっ……減らず口を。いいぜ、聞いてやるよ。貴様、どこの英霊だ? 二刀使いの弓兵なんぞ聞いたこともねえ」

「そういう君はわかりやすいな。槍兵には最速の英雄が選ばれると言うが、君はその中でも選りすぐりだ。これほどの槍手など、世界に三人といまい。加えて、獣の如き敏捷さと言えば、おそらく一人」

「ほぉ……良く言った、アーチャー」

 

 自らの正体について言及され、ランサーはより獰猛に笑う。朱色の槍に尋常ならざる魔力が籠り、強烈な闘気が吹き上がる。

 英霊の切り札。英雄の象徴。宝具の展開に他ならなかった。

 

「ならば喰らうか……我が必殺の一撃を」

 

   ◆

 

「ふぅん……青い奴が持っている槍。ギリシャ・ローマや中世ヨーロッパの槍じゃないな。北欧、あるいはケルト辺りの英霊かな?」

「その上で、あの槍捌き……かなり絞り込めますね」

 

 ライダーは、慎二の言葉を聞きながら自分でも候補をたてる。サーヴァントは聖杯でこの現世に召喚されたとき、聖杯から知識を送り込まれている。その知識には、現代社会の常識や、聖杯戦争の基本ルール、そして、英霊についての知識もある。召喚された時代より過去の時代に生きた英霊についてであれば、たとえ、その英霊が生きた時代や場所が違っていても、その名や業績を、少なくとも一般に出回っている情報と同じ程度には知っているのだ。

 

「でも、これ以上の情報収集は、見ているだけじゃ難しいな。さて……じゃあそろそろ始めるか」

 

 慎二は己が右手を前に伸ばし、手のひらを開く。

 同時に、喉元の古傷がズクリと疼く。『コレ』をする時はいつもそうだ。

 

 慎二がしようとしているのは、魔術とは別の異能。

 幼少の頃、師と出会った日に手に入れた力。

 

 自分の腕から、自分自身が溢れて、外へと飛び出そうとしているのを感じる。

 

「――」

 

 慎二が、自分自身の力の名を、口にしようとした直前、

 

「衛宮?」

 

 校舎から、慎二の見知った人間が現れた。

 

   ◆

 

 慎二に押し付けられた道場の掃除を、日が沈むまでかけて片付けた士郎は、校舎を出たところで、異様な物音を耳にし、その音源の方へと足を延ばした。

 

 そして士郎は、その信じられないような光景を見つけてしまった。

 

 二つの人型による嵐。

 

 大気を切り裂く速度。大地を抉る剛力。磨き抜かれた技巧は、至高の美へと達する。その尋常を遥かに超える凄まじさに、士郎は見入る。

 けれど、その光景への衝撃に慣れ始めると、その戦いの外を見る余裕が生まれた。

 つまり、視界の片隅に立つ、見覚えのある少女のことだ。

 

(遠坂……?)

 

 密かに憧れを懐く、学校でも評判の美少女は、この夢物語のような戦いを黙して見守っている。

 そう、見守っているのだと、士郎は理解した。彼女の様子に、緊張はあれど混乱はない。士郎のように、偶然この戦いに遭遇したのではない。確かな関係者として、彼女はそこに立っているのだ。

 

(一体……?)

 

 士郎は戦闘から、遠坂凛へと注目を移す。そしてそれゆえに、気が付いた。

 凛の背後に立ち、悪意の笑みを浮かべる男の姿に。

 

「遠坂っ! 危ないっ!」

 

 士郎は、考えるより前に声をあげていた。

 

  ◆

 

「えっ?」

 

 凛は、彼女にしては間の抜けた声をあげて、声のした方を向く。

 しかし、その声の主が誰か確認するより前に、背後におぞましい気配を感じ、反射的にその場から右に跳んだ。

 まさに危機一髪。その一瞬後、凛の首があった空間を、鋭い斬撃が薙いでいた。

 

「ちっ!」

 

 凛は着地するよりも前に首を捻り、自分を襲った相手を見る。

 

 ガッシリとした、逞しい筋肉の大男。口ひげを生やし、薄手のTシャツと長ズボンを着て、首にスカーフを巻いている。

 そして、その男の背後には、薄く光る人形の像があった。凛の目には、ぼんやりとしかわからないが、何かがあることだけはわかる。

 

「お返しっ!」

 

 凛は、右手の人差し指を、その男に向けた。凛が魔力を腕に通すと、指先から魔弾が発射される。北欧に伝わる『指差しの呪い』――それを極めて強力にしたものだ。本物の銃弾並みの殺傷力を持つ。

 

「フッ!」

 

 しかし、対する男は背後に立つ光の像を動かした。像は腕を振るい、魔弾を弾き飛ばす。

 

「くっ、こいつっ」

 

 着地した凛は、その速度とパワーに侮れないものを感じた。

 そして、聖杯戦争のマスターとしての眼力は、相手の男が『サーヴァント』であることを看破する。

 

(ステータスはわからない……。何かの隠蔽?)

 

 しかし、マスターに備わる、サーヴァントの能力を読み取る力が、効力を発揮しない。正確には、発揮してはいるが、読み取れないのだ。ステータスが黒く塗り潰されたように見える。普通ではありえないこれは、このサーヴァントの能力か宝具によるものだろう。

 

(さてどうするかしらね……。ランサーを相手にしたまま、こいつまで相手にできるか……)

 

 凛は目の前の男とどう戦うかに意識を向け、ついうっかり重要なことを忘れていた。

 男の攻撃を避けられたのは、『誰か』の声がしたからだということを。

 

   ◆

 

 慎二は混乱していた。

 この戦争に参加する前に、自身が危機にさらされることに対しては、覚悟を済ませていた。何も知らない人間が巻き込まれることも、理解していた。けれど、知人が犠牲になるという事態には、心の準備ができていなかった。

 

 ゆえに、思わず彼は命令してしまう。

 それは、かつて慎二の師も行ったもの。他の参加者から見れば、まったく聖杯戦争というものを舐めた偽善的行為。

 

「あ、あいつを助けろライダー!!」

 

 ライダーはふぅとため息を一つつく。それが、どんな心境で行われたものかは、慎二にはわからなかったし、気にする精神的余裕も無かった。

 ただ慎二は、ライダーに腕を掴まれ、

 

「えっ?」

 

 そのままライダーに引きずられて、校舎の屋上から足場のない空間へ、身を躍らせていた。

 

「はぁっ!?」

 

 ライダーは命令を達成するため、現場への最短距離を行く。すなわち、屋上から真っ直ぐ跳び下りた。当然、サーヴァントとしてはマスターを無防備な状態で放置するわけにはいかず、一緒に連れていくことにしたのだった。

 絶叫するマスターの声は、この際、些末なことだ。それに、その悲鳴を聞いていると、正直ちょっとスッキリした。

 

(初対面の暴言は、そろそろ許してあげましょうか)

 

 ライダーが胸中にそんな思いを浮かべた時には、ライダーは現場にたどり着いていた。

 

「フッ!!」

 

 よって、彼女はまず、青い服を着こんだ槍兵を、思い切り踏みつけた。

 

   ◆

 

 ランサーは士郎の声を聴き、アーチャーとの間合いを広げ、一度戦闘を中断する。そして、主人からの命令に従い、殺気を『見るべきでないモノ』を見てしまった、不幸な目撃者に向けた。

 その殺気を感じた士郎は、背を向けてその場から走って逃げていく。

 生物の本能に突き動かされた、正しい行動と言える。けれど、到底その逃げ足はランサーには敵わない。すぐに追いついて刺し殺せる未来を想い、ランサーは嘆息する。

 

(逃げるガキを追って殺すか。くだらん仕事だ)

 

 ただ目撃しただけの、罪もない人間を殺す。

 英雄の行動とは到底言えない。ランサーとて決して乗り気ではないが、仕方ないとも思っていた。

 元より、現代日本に生きる人間とは、倫理も価値観も違う人間だ。いつ、どのような死をとげてもおかしくない、命が木の葉より軽い時代の存在だ。

 彼が生まれ育った社会では、男は17歳で成人となる。ランサーも元服してすぐに戦場に出て、自分の所属する国と敵対関係にあった国へと侵攻した。そして、戦士として名高かった『ネフタンの3兄弟』を皆殺しにし、館に火を放って焼き払うという戦功をあげたのだ。

 理由なく殺すような殺人鬼ではないが、理由があれば躊躇なく殺せる男であった。

 

 なにせ、彼は筋金入りの戦士なのだから。

 

 ランサーは少年の背中に、正確に槍の穂先を向ける。

 外しようもなく、草を毟るように容易く、その心臓を抉ることができた。

 

 あまりにも簡単な行為。

 あまりにもか弱い獲物。

 

 だからランサーは、油断した。

 

「ぐぅっ!?」

 

 メキャァッ!!

 

 頭上から降って来た一撃が、ランサーの背中に直撃。視界の死角から放たれたそれに、ランサーは押し潰される。重力加速度を味方につけた相手は、大地に倒れたランサーに、追撃を与えようとする。

 だが、それはやすやすと実行させるランサーではない。一度は不覚を取ったが、すぐに腕に力を籠め、地を押して身を起こし、背中に乗ったままの襲撃者を振り落とす。そして、槍を振るって、襲撃者へ反撃に出た。

 

「フッ!」

 

 しかし、襲撃者は身軽にその槍の一閃をかわし、距離を取る。

 

 そこでランサーは、襲撃者の姿を確認する。

 長身の美女。艶めかしく、妖しく、恐ろしい空気をまとうサーヴァント。

 右手に、マスターと思しき少年を掴んでいる。少年は地に膝をつき、顔を蒼白にして荒い息をしていたが、サーヴァントの方は手を放し、ランサーに向かって進み出た。ランサーも合わせて動き、サーヴァントたちは慎二たちからある程度離れた場所で停止する。慎二を巻き込まぬようにだ。

 ランサーの方は、慎二が巻き込まれてもむしろ好都合のはずだが、どうやらライダーに合わせてくれたらしい。おそらくは、ライダーと互いに全力で戦うために。

 

「女かい。だがこの臭い……真っ当な英霊じゃなさそうだな? 魔物の類か?」

「これはこれは、犬のように鼻で相手を測るとは無作法な。では、犬らしく鎖で縛ってあげましょうか?」

 

 ライダーは、ランサーの挑発じみた言葉に、挑発で返し、杭剣のついた鎖を取り出す。ライダーは、先ほどまでのランサーの戦いぶりから、ランサーの真名をある程度検討をつけていた。その推測から乗っ取った挑発は、中々効果的であったようだ。

 ランサーは忌まわしそうに眉をしかめ、怒気を含んだ言葉を口にする。

 

「貴様……俺を『犬』と言ったか?」

「おっと失礼。確かに犬なんて愛らしいものじゃないですね。せいぜいドタバタと騒がしくして寝た子を起こす、ドブネズミがいいところです」

「……ほざいたな? 女とはいえ、侮辱は許さん」

 

 青服の槍兵は、血のように赤い槍をクルリと回して、構えをとる。対するライダーも、腰を落とし、身構える。互いに身を低くした姿は、飛びかかる寸前の獅子のよう。

 

「…………」

「…………」

 

 空気が悲鳴をあげるような緊張感が空間を満たす。どちらも、歴史に名を刻んだ存在同士、互いに油断の欠片もない。

 横合いから隙をうかがっていたアーチャーも同様に、攻撃するチャンスは見つけられなかった。むしろ、下手に動けばアーチャーの方が、二人から同時に襲われて真っ先に潰される。無論、それはその場の全員が同じ立場だ。

 三すくみであった。

 

 

   ◆

 

「し、慎二?」

 

 いきなり落下してきた美女が、ランサーを押し潰す様に凛は呆気に取られていたが、その女性が傍らに放り出した少年に気づき、思わず声を上げる。その声で、同じように意表を突かれ驚きを顔に浮かべていた、口ひげを生やした大男が、ハッと現状を認識した。

 ニヤリと笑い、凛に向かって、また『光の像』を出現させ、凛の背後から襲い掛からせる。

 

「おい遠坂っ! 後ろっ!」

 

 だが、今度は慎二がそれに気がつき、声を張り上げた。

 慎二の眼には、ハッキリと見えていた。『四つ目の奇怪な半魚人』が、鋭い爪を振り上げている姿を。

 

 

「ッ! このっ!」

 

 凛は背後に、『魔弾(ガンド)』を撃ち放つ。銃弾並みの威力を誇る魔術に、『光の像』は1メートルほども吹き飛ばされたが、痛痒はまるでないようで、すぐに体勢を立て直し、凛と向かい合う。しかしその時には凛は『光の像』から離れ、すぐに攻撃できない間合いを確保していた。

 

「そ、それっ、お前、『スタンド使い』かっ!」

「へえ……兄ちゃん……知っているのか」

 

 慎二が叫び、口ひげの大男は眉をしかめ、面倒そうに言う。

 

「魔術師なんて連中の間でも、知っている奴は少ないって話だったが……こんなに早く知られちまうとはなぁ」

 

 男は頭を掻きながら、渋い顔になる。そして『光の像』――『スタンド』を消した。

 

「どうも、今夜はツキがねえようだ」

 

 クルリと踵を返すと、凛たちに背を向けて走り出す。

 

「って、逃げんじゃないわよ!」

 

 凛は怒鳴って、男の背中を攻撃しようとしたが、スタコラと走り去るその姿は、夜の空気に溶け込むように、すぅっと消えて、見えなくなった。

 

「ちっ、霊体化したか」

 

 霊体化されると、同じように霊体化したサーヴァントでないと手出しできない。しかし、凛のサーヴァントであるアーチャーは、ランサーと戦っているため、追うことはできない。

 残念ながら、見逃すしかなかった。

 

「ああもう……まあ、次に見つけるまで生かしといてやるとして……」

 

 凛は憎々し気に吐き捨てながら、慎二へと冷たい視線を動かした。

 慎二は肩をびくつかせ、腹部に手を回す。制服の下には、一冊の書物があった。

 

(『偽臣の書』……)

 

 それは、サーヴァントへの絶対命令権である令呪を利用してつくられた礼装。一人のマスターに三画与えられる内の一画を使用して造り出した、マスターの権限を他者に与えるアイテム。

 本来、魔術師ではない慎二はどうあがいてもマスターにはなれないが、これを使い、桜のサーヴァントであるライダーに、言うことを聞かせることは可能としている。

 そして、これを利用すれば、多少の魔術を行使することもできる。もちろん、凛ほどの魔術師には遠く及ばないものだが、無いよりましである。

 

「慎二……どうやらあんたもマスターになったようね? どんなイカサマしてるのか知らないけど、その辺はどうでもいいわ。正々堂々叩きのめせば済むだけの話だしねぇ?」

 

 凛は雄々しい台詞と共に、高い殺傷性を持つ人差し指を、慎二に向けた。

 

(やべえ、逃げなきゃ)

 

 戦う選択肢はすぐに消す。自信家で自惚れ屋の彼も、勝ち目は低いと悟らざるを得ない。それ以前に、こんな凶暴なのは普通に怖い。

 しかし、ライダーの方も戦闘中だ。そう簡単に抜け出して、慎二を助けてはくれないだろう。

 

(しょうがない。こうなりゃ『スタンド』を使ってでも……)

 

 自分の力を早々とさらすのは、賢いやり方ではない。よほど高い実力があり、能力がばれても問題なく戦える超一流ならともかく、常識的に考えれば、手の内は秘するものだ。

 だからできるだけ使いたくはなかったが、命の危機の前にはそうも言っていられない。

 

(ならば先手必勝で……!)

 

 慎二が覚悟を決めようとしたとき、

 

「……勝負は預けたぞ」

 

 ランサーが退いた。

 

 残る2体のサーヴァントが対応する暇もなく、最速のクラスであるランサーは、風より速く翔け去り、その青い戦装束は瞬く間に見えなくなった。

 

「……潮時ですね」

 

 ライダーもまたポツリと呟いた直後、軽やかに身をひるがえらせ、慎二の傍に跳ぶ。そしてようやく立ち上がっていた慎二の胴に腕を回すと、彼を抱えて、更に高く跳び、校舎の壁を駆け上がっていった。

 

「追うかね?」

「……いいわ。今夜は」

 

 ライダーの姿が、校舎の屋上に昇りつめて見えなくなるのを見送り、凛は首を振った。

 

「まさか、こうもサーヴァントが集まるとはね。一気に3体も見つかるなんて……大盤振る舞いだわ」

 

 それでも10年前の第4次聖杯戦争の派手さには遠く及ばないと、凛が知る由もない。

 

「ところで……さきほど、私とランサーの戦いの目撃者の方はどうするつもりだ?」

「…………あっ!?」

 

 完全に忘れていたと、その声と表情でわかった。アーチャーは深くため息をつくのだった。

 

   ◆

 

 ライダーは慎二を抱えて走り、学校から2キロほど離れた場所で適当な公園を見つけて、そこで足を止めた。オートバイも顔負けの速度は、強化魔術も使えぬ慎二の体には少々きつく、ライダーの手から離れた慎二はげんなりとしていた。

 

「初手からグダグダだなクソ……」

 

 今回の件は、慎二にとって失敗だった。

 慎二としては、見られていることさえ気づかれずに、2体のサーヴァントの能力と正体を存分に知るチャンスだったのだ。あそこで横槍を入れるつもりなどなかった。それが自分までサーヴァントをさらしてしまった。

 

「貴方の命令に従ったまでです」

「わかってるよ! クソッ!」

 

 余計なことを言う下僕に苛立ちながら、せめて得られた情報を整理する。

 

「あのランサー。十中八九、クー・フーリンだろう。ケルト最大級の英雄だ」

 

 クー・フーリン。幼名セタンタ。光明神ルーの息子とも言われる、アルスター国の赤枝騎士団においても最強の使い手。元服してすぐに敵国コナハトに侵攻して戦功をあげ、死ぬまで幾多の武功をたてて、『英雄の王』と謳われるまでになった、大英雄。

 その力は少年の頃より強く、鍛冶屋のクランという男が飼っていた、並みの戦士より強い番犬に襲い掛かられた時、返り討ちにして殺した逸話がある。その実力を、国王をはじめ誰もが褒めたたえたが、クランは自分の犬が死んだことを嘆いた。それを哀れんだ少年は、『代わりの犬が育つまで、自分が貴方の砦と家畜を護る番犬の役目をしよう』と申し出た。その優しさを讃え、彼は『クランの猛犬(クー・フーリン)』と呼ばれるようになったのだ。

 また、彼は複数のゲッシュを抱えている。ゲッシュとは、ケルト文化において、戦士が守る誓いである。この誓いを守っている間、その力は増すが、破れば力は大幅に落ちるのだという。彼のゲッシュは『犬の肉を食べない』『目下の者から食事の誘いを受けたら断らない』というもので、最後には『目下の者から犬肉の食事に誘われる』という、どうあがいてもどちらかのゲッシュを破らなくてはいけない状況に陥り、力を削られて戦わなくてはならなくなり、死に至った。

 

 ランサーがライダーに『犬』という言葉を使われて苛立ったのは、彼にとって『犬』というものがそんな自分の栄光と破滅の両方をもたらした、複雑な対象だからであろう。

 

「さすがに犬肉の食事に招待なんて二番煎じは通用しないだろうが……戦術は多少予測できるな。しかしアーチャーの方はまだわからない。服装は洋風なのに、手にしているのは中華剣……一体どういう」

「ところでマスター。あの目撃者はどうしますか?」

 

 考え込んでいたところで、ライダーに面倒なことを言われる。

 目撃者、衛宮士郎。彼をどうするかは問題だ。身元はわかっているのだから、記憶を消せば簡単だが、慎二は魔術が使えない。凛が記憶消去をしてくれるだろうか……あの状況では士郎だとわからなかったかもしれないので、あまり期待はできない。

 

「まあ、あいつは魔術を知っているはずだから、比較的大ごとにはならないと思うが……」

「そうなのですか?」

 

 慎二は、士郎が魔術を習っているかどうかは知らない。しかし、『衛宮』が魔術師であることは知っている。師匠から、聖杯戦争のことを幾らか聞いたついでに、魔術師・衛宮切嗣のことも少し聞いているのだ。

 魔術師を父親に持っているのだから、子も当然魔術師だろうと考えていた。

 

「衛宮士郎っていう、お人好しさ。あの性格じゃ、とても真っ当な魔術師じゃないだろうがね。父親は魔術使いだったっていうし、実力も大したものじゃないだろうさ」

 

 魔術使いという、魔術を私利私欲に使う者の対する偏見を混ぜつつ、慎二は言う。

 しかし、ライダーは慎二の声質に、言葉ほどの嘲りが含まれていないことから、軽蔑の対象というわけではないと判断する。

 

「友人なのですか?」

「ハン、あいつは単なる馬鹿だよ。まあそこそこいい仕事するけど、やっぱり馬鹿さ」

「そうですか……では急いで彼を追いかけた方がいいかもしません」

「ん? なんでそうなるんだ?」

 

 ライダーが神妙な様子になったことに、慎二は首を傾げる。

 

「おそらく、ランサーはそのシロウという少年を追ったでしょう。先ほども目撃者として始末しようとしていましたし、まず間違いなく」

「……え? だ、だけど、ランサーは衛宮の家も知らないんだぞ?」

 

 どちらに行ったか分からない者を、追いかけることなどできるのかと疑問を投げかける慎二に、ライダーは無情に答える。

 

「一流の狩人にとって、獲物の痕跡を追うことなど、造作もありません。そして、あのランサーは超一流の猟犬です。目を付けた兎は決して逃がしません」

「……もっと早く言えよ!!」

 

 慎二は血相を変えて、駆け出した。

 

 

 

 

 ……To Be Continued

 

 




 凛を背後から襲った男、一体何者なのか……。
 いや実際、オランウータンや数百年前の刀鍛冶、床屋や赤ん坊にも名前があるのに、こいつだけ本名不詳なんですよね。


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ACT3:愚か者の讃歌

 

 衛宮士郎が我に返ったのは、自宅へ帰りついた時だった。

 

「……なんだあれは」

 

 アニメやゲームでしか見ないような情景。

 格闘技の世界チャンピオン決定戦も、お遊戯にさえならない、人の領域を超えた殺し合い。

 

 そして、その傍に佇む、密かに憧れていた同級生の少女。それを背後から襲おうとした外国人。

 

 最後に、声を上げた自分に迫りくる、深紅の槍。

 

 思い浮かべられるのはそれで終わりだ。後は、本能に急かされてその場を逃げ出した。後方で、何かがぶつかった鈍い音がしていた気もするが、振り返ることなく、ただ脚が動くのに任せて走っていた。

 無我夢中で家に帰りつけたところを見ると、人間の帰巣本能はまだ捨てたものではないらしい。

 

「……夢じゃ、ないよな」

 

 屋内に入り、目に焼き付いた光景を分析する。普通の人間ならば、どんなに『現実』であると本当はわかっていたとしても、『現実的にありえない』という理由で、夢や幻であると判断し、真実から目を逸らそうとするだろう。

 しかし、士郎には幸か不幸か、非現実的な事象が、存在しうることを知識として持っていた。

 

「魔術……」

 

 天地自然の摂理を誤魔化し、物理の法則を曲げる、科学と逆方向の技術。

 魔術について、三流以下の知識しかない士郎であったが、ゼロでない以上、可能性を見つけることはできた。

 

 あのような冗談のような存在も、魔術であれば存在させられるかもしれない。

 

 そんな真実に辿り着く。だが辿り着いたところで、

 

「ご名答」

 

 実質的な死を向けられて、何の役に立つわけではなかった。

 

「な……!」

 

 青い衣服をまとう、猛獣の如き美丈夫。先ほど、一瞬であるが鮮烈に、士郎の目に焼き付いた戦士の片割れ。それが微笑みを浮かべて目の前に立ち、布に針を通すような軽い仕草で、槍を突き出した。

 

「ッ!!」

 

 士郎はその突きをすんでのところでかわし、床に転がる。そして、畳の上にたまたま転がっていた、商店街のセールを知らせるポスター――藤ねえが持ち帰り、いらないからと置いていった物――を丸められた筒を拾い上げる。

 

同調開始(トレース・オン)……構成材質、補強」

 

 巻かれた紙の棒に魔力を通す。

 そして、続けて繰り出された槍を、かろうじて受け止めた。

 

「ほう」

 

 窮鼠の意外な抵抗に、襲撃者は少し面白そうだという顔をする。もちろん、襲われる方はちっとも面白くはない。一瞬、攻撃がやんだのを好機と、走り出す。

 

「おっと、二度も逃がすか」

 

 しかし、槍使いは容易く距離を詰め、槍を振るう。必死の想いで士郎はその槍を受け止めるが、衝撃は殺しきれず、ガラス戸に叩き付けられる。ガラスは砕けて、士郎は庭に転げる。それでも死は免れるが、それは相手が全く本気でないからに過ぎない。

 槍使いは油断しているわけではない。士郎を嬲っているのでもない。むしろ、善意だ。

 どうせ死ぬのならば、全力で抵抗し、力を出し尽した果てに。可能な限り生き抜いたうえで、死なせてやろうという、戦士の情けだ。

 だからといって、士郎は全く嬉しくはないだろうが。

 

 それから、士郎は逃げる間に幾度か槍をしのぐが、所詮、強化された紙にすぎぬものが、そういつまでも耐えられるわけはなく、ついには引きちぎられた。そして、士郎もまたその身を吹き飛ばされる。

 

「よくここまで逃げたもんだな」

 

 ランサーが言う。士郎は、衛宮邸から窓を体当たりで突き破り、外に出て、土蔵まで逃げていた。吹き飛ばされた士郎は、土蔵の扉に叩き付けられ、土蔵の中へ転げる。

 

「くぅぅ……」

 

 体が痛む。士郎は立ち上がろうとするが、既に、その首には槍の穂先が突きつけられていた。

 

「ここまでだな。中々筋は良かったが……もしや、お前が7人目だったのかもしれないが……ここまでだな」

 

 そして槍がそのまま、士郎に刺し込まれようとした、まさにその瞬間、

 

「ッ!?」

 

 ランサーが背後を振り返り、暗闇に向かって槍を振るった。槍に手ごたえを感じ、ランサーは自分が攻撃を受けたことを確信する。

 

「飛び道具か?」

 

 ランサーは目を凝らすが、投擲物と思しき物は見当たらない。

 しかし、自慢の槍を見た時、少し気になる変化があった。

 

「……濡れている?」

 

 槍には、僅かながら水滴がつき、ポツリポツリと垂落ちていた。校庭での戦いからここまで、水に濡れるようなことがあった覚えはない。

 攻撃の正体を推察しようとしたランサーだったが、背後で強力な魔力が膨れ上がるのを感じ、それどころではなくなった。

 

「!?」

 

 振り返ったランサーは、先ほどまでそこにいなかった存在を確認した。烈風と閃光と共に現れた『彼女』は、即時、状況を読み取り、剣を振るった。

 

「7人目のサーヴァントだと!?」

 

 驚愕の声を上げたランサーは、その剣撃に対する防御が間に合わず、土蔵から叩き出される。放物線を描いて飛んでいくランサーから目を逸らし、攻撃を繰り出した人物は士郎へと顔を向けた。

 

「…………」

 

 美しい金髪の少女が、士郎を真っ直ぐ見据えている。

 その眼差しが士郎には、暗闇の中に太陽が現れたように、眩しく感じられた。自分と同い年が、もっと年少であろう彼女が、人間を超えた何かを宿していることを悟っていた。

 

「問おう……貴方が、私のマスターか」

 

 その問いかけの意味を、士郎は知らない。

 

「マス、ター……?」

 

 困惑する士郎へ、鎧をまとう少女は言葉を続ける。

 

「サーヴァント・セイバー。召喚に従い参上した。マスター、指示を」

 

 剣騎士(セイバー)と自らを称した少女は、踵を返し、ランサーを叩き出した方向を見て、様子を探る。

 

「これより我が剣は貴方と共に在り、貴方の運命は貴方と共に在る。これにて契約は完了した」

 

 矢継ぎ早に放たれる言葉を、士郎が理解する前に、セイバーと名乗った少女は、外へと駆け出した。いや、その表現は正確ではない。彼女の足元から爆発するような魔力が放たれ、その勢いを持って、彼女は射出された。

 外には、赤い槍を構えた戦士が待ち構えていたが、セイバーは勢いのままに攻めかかっていった。

 

   ◆

 

 慎二が衛宮邸に着いたとき、今日2度目の戦闘は始まっていた。

 

(ど、どういうことだぁ……?)

 

 こっそり衛宮邸に忍び込み、酷い衝撃音が繰り返し起こっている方に向かった慎二は、土蔵の陰に隠れながら戦闘現場を見つけ、首を傾げた。

 間に合えばランサーと戦うことになり、間に合わなければ士郎の死体と対面することになる。その二つについては概ね覚悟していた慎二だったが、これは予想外だった。

 

「ランサーは予想どおり……もう一方は、セイバーでしょうか」

 

 先ほど校庭で行っていた戦闘に、勝るとも劣らぬ激戦。

 聖杯戦争に召喚される七つのクラスの中で、上位のクラスである三騎士。すなわち、剣騎士(セイバー)槍騎士(ランサー)弓騎士(アーチャー)

 その内の一体であるランサーと互角にやり合っているのだから、相手もかなり強力な英霊だと推測される。アーチャーは先ほど校庭で確認した。ならば、相手は三騎士の残る一体である、セイバーである可能性が高い。

 

「女騎士か……」

 

 鎧をまとう、麗しい女剣士。ただ、肝心の剣は透明で、目に映らぬようになっていた。

 

「透明な剣の逸話……知らないな。だが剣を透明するくらいなら魔術でもできるし、真名の推理材料にはならない、っと違う。衛宮の奴はどうした!?」

 

 そもそもここに来た理由を思い出し、慎二はキョロキョロと首を左右に動かす。

 幸い、目当ての人物は無事見つかった。多少傷を負っているようだが、五体満足だ。安堵しようとしたが、慎二は士郎の手の甲に、嫌な物が浮かび上がっているのを視認してしまった

 

「令呪……だと?」

 

 それは、あのイラつく馬鹿が、自分の敵になってしまったということだ。

 

「……どうしますか?」

 

 隣のライダーが、感情を乗せない声で言う。その冷たく聞こえる声は、慎二の混乱を鎮めてくれた。

 

「そ、そうだな……まあ、どっちが勝とうが負けようが僕らに関係ない。もう少し様子を見るか」

 

 ひとまず、士郎の方は安全のようだから、手を出さずともいいだろう。彼に危害が及ぶようであれば乱入すればいい。何にせよ、この状況、何がどうなっているのか教えてもらうためにも、士郎には生きていてもらう必要がある。

 まずはこの場が多少収まり、話し合えるような状態になるのを待つことにした。

 

「その心臓……貰い受ける」

 

 そうしている間に、ランサーが動いた。馬鹿げた量の魔力が溢れる槍が、渾身の力を込めて投げ放たれる。

 

刺し穿つ死棘の槍(ゲイ・ボルク)!!」

 

 吹き出る魔力が爆発するように噴出し、踏み込みだけで大地が砕ける。そして放たれた槍は、一瞬でセイバーに届き、次の一瞬で、ランサーの手元に返ってきていた。

 

「かわしたなセイバー……我が必殺の一撃を」

「呪詛……いや、今のは因果の逆転! 刺し穿つ死棘の槍(ゲイ・ボルク)……御身はアイルランドの光の御子か!」

 

 どうやら、ランサーの正体がクー・フーリンであるという推測は正しかったようだ。

 ゲイ・ボルク。それはクー・フーリンが使っていたという魔槍の名。彼が師である魔女スカサハから賜ったもので、投げると30に分裂し、敵を撃ち抜いたという。

 

(今のは30に分裂、とはいかなかったが……あるいはまだ本気じゃないのか?)

 

 慎二がクー・フーリンの伝説を思い出しているうちに、どうやら戦いは終わったらしい。ランサーは槍を引き、その場から姿を消した。この勝負は痛み分けとなった。

 士郎は困惑した様子でセイバーに話しかけている。どうも、完全に何もわからないまま、偶発的にセイバーを召喚したらしい。

 

「運がいいのか悪いのか……どうせなら僕がセイバーを召喚したかったよ」

「マスター、それはどういう意味です?」

 

 チクリと突っ込むライダーを無視し、慎二は物陰から出る。そして、

 

「よう衛宮。中々いい夜だな」

 

 内心を隠した笑みを浮かべ、7人目のマスターに話しかけた。

 

   ◆

 

 慎二を追って土蔵の陰から、身を現しながらライダーは、自分の仮初のマスターについて、少し考えていた。

 

(この捻くれた男に友人がいるとは、少し驚きですね。よほど出来た人物なのでしょうか)

 

 短い付き合いだが、この少年は中々の難物だ。

 初対面の相手には、まず毒舌で傷つけて反応を試し、その内面を見定めようとする。他人が自分をどう見ていても意に介さず、傍若無人の態度を貫く。基本的に、他人を信じておらず、友好的な態度で接してくる相手は、自分を利用したいだけだと考えていて、更に悪いことに、慎二のその考えは正しい。

 慎二は、優秀な成績、弓道部副部長といった立場から、意外と学校におけるヒエラルキーが高い。慎二と仲が良いように見える人間は、慎二に取り入りたがっている者ばかりである。

 前にこっそり慎二の様子を、隠れて探っていたライダーは、そんな冷たい利害と打算の関係の中、割り切って笑っている慎二に、何とも不快な気分になったものだ。

 逆に、美綴という弓道部部長は、そんな慎二にも真っ当に対応していた。慎二のことを抜きにしても、正しく真っ直ぐな心根の少女に、ライダーはかなり好感を抱いた。彼女と少し、ガールズトークというやつを試みたくなったほどだ。

 

(どうせなら、あのような女性と仲良くすればよいものを。シンジは本当に性根が悪い)

 

 しかし、友人を心配して慌てふためく慎二は、少し可笑しく、愉快だった。このプライドの高い少年が、見栄を張ることを忘れてしまうような対象がいることに、何だか少し安心していた。

 

(私の真のマスターは桜、ただ一人。あの家から、あの『怪物』から、桜を救うためなら、手段を選びはしない。どんな罪も行いましょう。時が来れば、間桐を裏切ることになるかもしれない。しかしシンジは……一応、サクラの兄ですしね。今は面倒を見てやりますか)

 

 出来の悪い弟を見る姉とは、このようなものだろうか。

 二人の姉を持つ、末の妹であるライダーは、初めての体験に、予想だに出来ぬ楽しさを感じていた。

 

   ◆

 

 士郎は悪友の登場に、今夜幾度目かの驚愕を体験した。

 一方、セイバーの方は驚くどころか、冷静に見返し、目に見えぬ剣を構える。

 

「先ほどから覗き見ていたのには気づいていました。ランサーの次に相手をするつもりでしたが、そちらから出てくるとは思いのほか、胆力があるようですね」

 

 物理的な力があるかのような威圧感を発するセイバーに、慎二は背中につららを入れられたような恐怖に囚われる。隣にライダーが立っているが、この距離で剣の達人に斬りかかられたら、騎兵である自分のサーヴァントが対応しきれるか、自信が無い。

 今にも斬りかからんとしていたセイバーだったが、慎二にとって幸いなことに、士郎が我に返り、セイバーを止めてくれた。

 

「ま、待て、えーっと、セイバー! そいつは俺の友人だ!」

「友人? しかし、この者はサーヴァントを連れたマスターです。聖杯戦争において、敵対する存在です」

「いやだから……そもそも聖杯戦争ってなんだよ! こっちはさっぱりわからないんだから、マスターって言うんなら説明してくれよ……」

 

 慌ててセイバーを宥める士郎に、慎二は胸を撫でおろす。今まで付き合いのあった士郎が、上辺だけの仮の姿であり、本来は己が目的の為なら殺人さえ行う『典型的な魔術師』であった、などというオチは無いと、完全に確信できた。

 

「フンフン……なるほどなぁ。つまり、お前は素人のマスターだってことだな? 衛宮」

 

 上から目線で慎二は言う。割とイラッとくる慎二の態度だが、士郎は慣れているのでどうとも思わない。

 

「その狂犬じみた奴を押しとどめておくと約束するなら、僕から説明してやってもいいぜ? この聖杯戦争についてさ」

「……わかった。セイバー、いいか?」

 

 右手を掲げて提案する慎二に、士郎は頷き、セイバーにも確認する。セイバーはあまり機嫌が良くない様子であったが、剣を降ろし、戦闘をしないという意思を示した。

 

「いいでしょう。しかし……」

 

 セイバーは冷たい視線を慎二に浴びせかけた。

 

「もし、貴方がマスターとの友情と信頼を、裏切るような真似をすれば……その裏切りを後悔する時間さえ与えません。それを肝に銘じておきなさい」

「……呼び出されたばかりだろうに、中々の忠犬じゃないか。本当に、ウチのと交換したいくらいだよ」

 

 冷や汗を額ににじませながらも、慎二は強がる。

 どんな強敵であっても、どんな不利な状況であっても、プライドを忘れるな。意地を張れ。強気で踏み込め。それが師の矜持であり、慎二がそうあろうとする姿である。

 

「じゃあ、こっちに来てくれ。茶くらい淹れるよ」

 

 士郎に促され、慎二たちは衛宮邸に入る。セイバーは終始、ライダーを警戒し、ライダーの方はセイバーを無視しながらも、その仕草の端々からセイバーへの悪感情が垣間見えていた。

 

(見たところ、セイバーは正規の英雄……反英雄のライダーが仲良くなれないのは無理もないか)

 

 一般的に英雄とは、偉業を達成し、信仰の対象となった存在である。一方、反英雄とは、『悪行を為したが、それが人にとって良い結果となった者』『滅ぼされることで、善を明確に知らしめた者』といった存在のことだ。

 ライダーはその反英雄――人類史に、悪として刻まれた存在だ。正統派の英雄には、コンプレックスがあってもおかしくない。

 

(何だかんだで口の減らないあいつが、こうも無口なのは珍しい。よっぽどセイバーと交流したくないらしい。まあ、僕の邪魔にならなければ、それでいいことだがな。別に嫌いな相手と、無理に仲良くなる必要は無い。無論、僕とも仲良しこよしにならなくていい。命令をちゃんと聞いて、従えば、それ以上は望まないさ)

 

 その考えは正しい。ライダーは嫌いな相手とは、限りなく無言になるタイプであるようだ。しかし慎二は、ある別のことに気がついていない。気に食わない相手とは、口をきかないという態度をとるライダー。そんな彼女が、自分には頻繁に口を開いているという事実を。

 

(いつライダーは僕を裏切ってもおかしくはない。奴は桜の味方……あいつが、桜をただ召喚主以上の相手として見ていることくらい、態度でわかる。なら、桜の敵をどう見るか、考えるまでもないことだ)

 

 慎二は、『ライダーは自分を敵だと見なしている』――そう思い込んでいた。何せライダーの本来のマスターは桜であり、自分は桜を魔術師の因襲に縛り付ける、間桐の一員なのだから。

 

   ◆

 

「まず結果から言おうか。お前は聖杯戦争のマスターに選ばれたんだ」

 

 砕けた窓ガラスから、冬の風が入る中、寒さを我慢しながら慎二は話す。畳の部屋に置かれた、大きな木製のテーブルに向かい合わせの形で、慎二と士郎は座る。ライダーとセイバーも座布団の上に、綺麗に正座していた。日本人であるマスターたちは胡坐であったが。

 

「なんで割れた窓ガラスも直せない程度のお前が、最優とされるセイバーのマスターになれたのか甚だ疑問ではあるが……いや案外、聖杯がハンデをつけたのかな」

 

 いつもならライダーがすかさず、『マスターなら直せるのですか?』とツッコミを入れたところだろうが、今、彼女は正面に座るセイバーと顔を合わせもせず、斜め横と向き、黙して座っている。

 

「聖杯……?」

「その手の甲にある聖痕(せいこん)……それがマスターの証、令呪だ。サーヴァントを支配する力。三度だけだが、現在の人間を凌駕するサーヴァントを、絶対服従させることができるのさ」

 

 別に自分の手柄でもないのに、得意げに言う。令呪のシステムを開発したのは間桐の家なので、関係あるといえばあるが。

 

「ついでにサーヴァントの力を一時的に増幅するドーピングの役割も果たす。ただし、繰り返すが三度まで。使い切ったら、お前殺されるから気をつけるんだね」

「……殺される?」

 

 令呪の説明を終えた慎二は、士郎が淹れた緑茶をすする。一方、士郎は説明の一番物騒な部分に反応する。

 

「聖杯戦争はサーヴァントを殺すより、マスターを殺した方が簡単だからな。それにサーヴァントによっては、無能な自分のマスターを殺して、別の有能なマスターに乗り換える選択もあるしね」

「聞き捨てなりませんね、慎二とやら。私は騎士の誇りに誓い、マスターを裏切るような真似はしません」

 

 自分が士郎を殺す可能性を示唆されたセイバーが、怒りの表情を見せる。

 

「騎士ねぇ。騎士物語なんて、裏切りと痴話喧嘩がテンプレみたいなもんだけどねぇ。ま、とにかく、誰も彼も、マスターもサーヴァントも、聖杯を手に入れるためなら手段を選ばず、殺しにかかるってことさ。何せ、聖杯を手に入れたら、どんな願いでも叶うんだからな」

「……さっきから言っている、聖杯ってなんなんだ?」

 

 そもそも大前提から理解できていない士郎に、慎二は無知な者に対する優越感を含ませた表情で、優しく説明してやる。

 

「まず、聖杯戦争ってのは、魔術の儀式だ。聖杯って名前だけど、キリスト様の血を受けた、なんてのは関係ない。七人の魔術師がマスターとなり、殺し合い、生き残った一人が、ただ一人だけが、魔術の産物である聖杯……ゲームでいや、超レアアイテムを手に入れられるのさ」

「殺し合い……!」

「そう、その殺し合いのための道具が、お前のセイバーや、僕のライダーのように、聖杯の力によって召喚された使い魔――サーヴァントさ」

 

 士郎は、セイバーとライダーへ視線を向ける。しかし、彼女たちは、凄まじく美しいが、人間に見える。

 

「使い魔になんて、見えないけど……」

「使い魔だよ。マスターに与えられた武器。過去の英雄を、聖杯の力で実体化させた存在。その力は、現代の魔術師とは比べものにならず、近代兵器よりも強力だ。それが、僕らマスターは好きに使えるわけさ」

 

 慎二は菓子に手を伸ばしながら言う。セイバーは自分たちを道具扱いする慎二に苛立ちに顔をしかめるが、ライダーはもう慣れたもので、我関せずの姿勢で、いつの間にか茶を飲んでいた。

 

「そして、お前はその武器を使って戦うしかない……。マスターの権利と義務は、脱落するか、死ぬか、戦争が終わるまで、やめられない。まあとっとと脱落して、町の外に2週間ばかり逃げることを勧めるよ。本来なら、教会を避難所として設置し、聖杯戦争に参加したくないマスター、敗北したマスターを保護していたんだが……ついこないだ、焼かれちまったからな」

「……先日、神父が殺されて、教会も火をつけられて焼かれたって事件か」

「そう。この町の教会は、聖堂教会の息がかかっていた。魔術師の組織である魔術協会とは、本来反発しあう仲だが、聖杯戦争という儀式は規模が大きすぎるため、聖堂教会も嫌々ながら協力してくれている。本来なら監督役として、参加者がルールを逸脱するのを監視していた。実際、前回の聖杯戦争じゃ、一般人を誘拐して、何人も殺していたサーヴァントに対し討伐令を出している」

 

 だが、

 

「もういなくなった」

「じゃ、じゃあ、今はブレーキを踏む奴がいないのか!? それに……前回、ってことは今回が初めてでもない……? それに一般人を殺しただって……?」

 

 士郎は次々と浮かび上がる疑問点を口にしていく。それに対し、慎二は面倒そうな表情になりながらも、教えてやる。

 

「ブレーキ役と言っても、そこまで大したものじゃなかったが、名目上であっても抑えがなくなったのは確かだ。まず間違いなく聖杯戦争参加者の仕業だろうな。抑えを排除したってことは、抑えがあったら困るようなことをやらかすつもりってことだろうねぇ。で、聖杯戦争は今回で5度目……前回起こったのは10年前だ。第四次聖杯戦争は、特に被害が大きかったそうだぜ? 確か……お前自身、経験したんじゃなかったか? 10年前の連続火事を」

 

 士郎は目を見開いた。呼吸が一瞬止まる。

 

「お……お前、何で知って……」

「間桐はこの町に長くから定住する魔術師の家系……そもそも、聖杯戦争という儀式を始めたのは、僕ら間桐を含めた三つの家系だ。全部の聖杯戦争に参加しているし、その内容も知っている」

 

 慎二の知る聖杯戦争の内容は、そこまで深いものではないのだが、彼は自分の知識量を誇大に語る。それに、前回の聖杯戦争についてなら、臓硯経由ではなく、師から多少聞いている。

 

「お前が、火事で家族を失い、魔術師である衛宮切嗣の養子になったこと。それに、聖杯戦争自体を知らないってことは、知らないんだろうが、お前の義父も、聖杯戦争の参加者だったんだよ」

「……!! 親父が!?」

 

 これまでで最大の驚愕に、士郎は震える。同時にセイバーの眉がピクリと動いたが、それに気づいた者はいなかった。

 

「そうさ。いや、お前の義父について詳しく聞いちゃいないけどね。ただ、前回の聖杯戦争じゃ、間桐の参加者……よくは知らないけど、僕の叔父も死んだ中で、7人の中でたった2人の生き残りの1人だった」

「そんな……そんな犠牲を払ってまで、聖杯が欲しいのか!?」

「欲しいとも。どんな願いでも叶う、万能の杯だぜ? 金も、女も、それどころか、永遠の命や、死者の蘇生だって……それがほんの6人殺せば手に入るんだぜ? 死ぬのが6万人だって、全然おかしくないシロモノだ。そりゃ参加しない手はないだろう」

 

 慎二はストレートな欲望を、士郎にぶつける。だが、士郎には理解できない。そういう考え方もある、とは思うが、実感できない。士郎には、欲望の主体である自分自身が、酷く希薄なのだ。

 

「そんな……!」

「それが嫌だっていうんなら、お前が止めてみるかい? 聖杯戦争で手に入る聖杯は、霊体であるサーヴァントしか触れられないようになっている。だから、サーヴァントの方だけ倒せば、マスターの方は殺さずに聖杯戦争から脱落させられる。全部のサーヴァントだけを倒し、お前とセイバーが優勝すれば、誰も死なずに戦争は終わるわけだ。サーヴァントは元々、過去の亡霊で、とっくに死んだ存在なんだからさ」

 

 言いながらも、慎二は無理だと思っていた。慎二ほどでないにせよ、士郎は基礎の基礎もろくにできない、へっぽこ魔術師だ。魔力供給もおぼつくまい。

 そんなざまでは、いかに最優のセイバーとはいえ、強敵ぞろいのサーヴァントを6体全部討ち果たすなど、笑えない笑い話である。

 

「……そうか、それなら」

「……お前マジか」

 

 慎二は士郎を底抜けの馬鹿だと再認識した。もちろん、笑えなかった。

 まさか、命がかかっていると理解していながら、まだ自分を犠牲にするほど、友人のタガが外れているとは、慎二も思っていなかった。

 

「マジ!? マジで言ってんのお前!? いいか、マスターはサーヴァントに到底敵わないが、役割はある! サーヴァントはマスターから与えられる魔力によって、存在を維持している……マスターが魔術師として優秀であればあるほど、サーヴァントも強くなる! 逆も真なりだ! へっぽこなお前がマスターで、勝ち進めるわけないだろ!!」

 

 ライダーは内心で『貴方が言いますか、それを』と思っていたが、黙って煎餅をかじっていた。間桐の家では口にしたことのない菓子だったが、中々いける。

 

「今持っている令呪を適当に使い切って、セイバーとの繋がりを絶てば、セイバーは消滅する! いっそ、令呪で命令して自害させちまってもいい! とにかくとっととやめちまえ! お前なんかに何ができるって言うんだよ!」

 

 自己犠牲的な人間なら、慎二は何人も知っている。誰かのために死地に出る者を、何人も知っている。だが、彼らは皆、強かった。力という意味でなく、精神の意味で。だが士郎はまだ、自分の在り方に悩み、自分がどう進むべきか迷っている。自分が何をすべきかは異様に強固に決めているが、いかにして為すかはわかっていない。その不安定さは、戦場では致命的だ。

 慎二には、士郎が生き残れる未来が見えなかった。満足して死ねる未来も、また見えなかった。

 

「……確かに、俺は弱いけど、聞いた話じゃ一般人にも被害をもたらしかねない奴が、教会を焼くような奴が、暗躍しているんだろ? なら、それを黙って見ているわけにはいかない。あの夜の火災が、聖杯戦争のせいだって言うなら、尚更だ。このままにしていたら、災厄を起こすような奴が、聖杯を手に入れてしまうかもしれない。俺は……聖杯戦争に参加する。戦争を止めるために」

 

 慎二は頭を抱えた。士郎が本気であるのはわかっていた。

 士郎の夢が、『正義の味方』であるというのは聞いていた。初めて聞いた時は大笑いし、ぱっと思いつく『正義』についての問題――例えば『病気の子供の治療費を稼ぐために、犯罪に手を染めている人間を捕まえた結果、子供が死んでしまったら、それは正義が為されたと言っていいのか』などを羅列して苛めたものだが、士郎が本気で考え込んでしまったため、笑いが引っ込んだ。

 ちょうど今のように。

 一方、士郎はセイバーに顔を向け、

 

「そういうことだ、セイバー。俺はマスターとして戦うって決めた。俺がマスターとして、納得してくれるか?」

「……納得も何も、貴方は初めから、私のマスターです。この身は、貴方の剣となると、誓ったではないですか」

 

 士郎としては、こんな巻き込まれの、三流魔術師では、セイバーの方は不服かもしれないと考えていたのだが、セイバーは気にしていなかった。前回のマスターのことを思えば、士郎は実力こそないが、心情的には遥かに良いマスターであった。

 

「そうか……なら、俺は、お前のマスターになる。よろしく頼む、セイバー」

 

 そして士郎は、セイバーへと手を差し出す。驚いた顔をしたセイバーだったが、やがて微笑み、自分も手を出し、士郎の手をとった。

 

「今一度誓いましょう。貴方に令呪ある限り、この身を貴方の剣となると」

 

 清々しい誓いと共に、二人は握手を交わした。

 そんな『騎士の誓い』とでも題名がつく絵のような光景を、苦虫を嚙み潰したような顔で眺めながら、慎二はフンと鼻を鳴らした。

 

「……なら、お前は僕の敵だ。容赦しないからそう思え」

 

 慎二は席を立ち、出口へと足を向ける。

 

「行くぞ……おい? いつまで煎餅かじってんだ!」

「……これ、後で買ってください」

 

 ポリポリと音をたてながら、ライダーは士郎たちと出会ってから、初めて声を出した。

 

「ったく……今夜はもう戦いの空気じゃないから見逃してやるが、次会ったら覚悟しろよ! 殺されても恨むなよ!!」

 

 士郎に向けて指を差し、怒鳴りつける慎二だったが、士郎は慎二の怒気を受け流し、

 

「ああ、知ってる。悪いな、心配してくれてるのに」

「んなっ……心配だとぅ!? 馬鹿言ってんじゃ……」

「できれば敵同士にはなりたくないんだけどな……けど、ありがとう、慎二」

 

 殺し合いを宣言した相手から笑顔を向けられ、慎二は言葉を失くし、言いようのない感情にフルフルと震える。

 

「もういい! じゃあなっ!」

「それでは、良い聖杯戦争を」

 

 言い捨てて衛宮邸を後にする慎二と、ペコリと一礼し去るライダー。二人を見送り、士郎の激動の夜は終わる。

 そして、激動の日々が始まることに、思いを馳せるのだった。

 

   ◆

 

「ふむ……これは吉と出るか、凶と出るか」

 

 セイバーやライダーにさえ気づかれることなく、衛宮邸での話を聞いていた男は、衛宮邸を出た後で、言葉を漏らした。殺気があったらサーヴァントたちは気づいただろうが、男には敵対する意思は無かった。

 男はふと、手に持っている、水の入ったペットボトルに目を向け。

 

「……どうせならワインを持っていきたかったが、戦闘用なら高いワインなど使わなくていいと言われちゃ、反論できないね」

 

 この時代のワインに興味があるのだがと、肩を落とす。

 

「しかし危機一髪だった。もう少しで、士郎くんがランサーに殺されるところだった」

 

 先ほど、ランサーに『飛び道具』を放った男は、安堵の息をつく。

 しかし、ランサーの邪魔をしたのは良かったが、その後でセイバーが召喚されたのは予想外だった。彼のマスターは、士郎が聖杯戦争に参加することを快く思わないだろう。

 

「しかもセイバー……いや、聞いた話からすれば、当然の縁なのかな。ふぅ~~、さてどう説明したらいいかなぁ」

 

 かつて、理由あってのこととはいえ、家族を捨てた過去を持つ男は、家族の身を案じている自分のマスターのことを思う。しかも、自分のマスターと、士郎は、血の繋がりは無いという。

 

「血の繋がりはない、しかし、息子のように思える相手、か……」

 

 これもまた縁かと、男は、人生の終りの方で巡り合った、弟子のことを思い出す。

 良き男だった。弟子であり、親友であり、息子であった。最後に彼を助けるために、その身を犠牲にして彼の人生は終わったが、一切の後悔は無かった。

 

「……さぁて、早く帰らなくちゃ」

 

 少し微笑み、派手な帽子をかぶった男は、夜の街を走る。誰にも見られず、知られず。

 自分のマスターの下へ。

 

 

 

 ……To Be Continued

 

 



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ACT4:傷痕疼く

 男は、必死で走っていた。

 彼はサーヴァントであるが、その身体能力が常人とさして変わらない。だが、死にもの狂いで走っているためか、それなりの速度は出ていた。

 しかしそれは、何の意味もないことであった。

 

「ギャアッ!!」

 

 暗い夜の闇に、悲鳴が響く。

 男の右足が砕かれ、その場にすっころんだ。男の全速力も、敵対者にとってはなにほどのことでもない。追いつかれた男は、自分を見下ろす凶暴な視線を見返し、恐怖に固まる。

 

「鬼ごっこは飽きちゃった。そろそろお開きにしましょう?」

 

 自分を見下ろす英雄の主が、英雄の背後の向こう側で冷酷に言い放つ。その声には、微塵の容赦もない。

 

「ひ、ひいっ!」

 

 やや太った男は、情けない悲鳴をあげながらも自身の最強の力を、己自身の内から呼び出す。

 

「【太陽よ、我が勝利を照らせ(サン)】!!」

 

 夜の街が、突如、昼に塗り替えられた。気温が70度も跳ね上がり、僅かの時間で人を渇き死にさせるほどの環境へと変える。

 それを為したのは、空中に放たれた、『太陽』にしか見えぬ、男の宝具。

 スタンド――【太陽よ、我が勝利を照らせ(サン)】。

 

 タロット、大アルカナの19番。

 正位置においての意味は、成功、誕生、祝福、約束された将来。

 逆位置においての意味は、不調、衰退、落胆、流産。

 そのカードに暗示されるスタンドを持つ男、アラビア・ファッツは、その全力で迎え撃つ。

 

「くらえぇっ!!」

 

 アラビア・ファッツは【太陽よ、我が勝利を照らせ(サン)】から、鋭い光線を発射する。鉄板も貫く強力な光線が5発、敵へと降り注いだ。爆発が起き、道路のアスファルトが砕け飛び、土煙が舞う。

 

「や、やったか!」

 

 期待と希望を込めて、アラビア・ファッツが叫んだ。しかし、それを嘲笑う声が、彼の耳に届く。

 

「クスクス……バカみたい。こんな程度で、私のバーサーカーに勝てるわけないのに」

 

 雪の妖精のごとき少女の言葉を合図としたかのように、アラビア・ファッツの体を鋭い激痛が貫く。

 

「ゴファッ!?」

 

 血を吐くアラビア・ファッツは、自分の身が破壊されたことをようやく理解した。霊核が破壊され、もはやこの世に留まっていることはできない。

 

「はい、おしまい。それにしても、貴方は正規のサーヴァントじゃないわね? サーヴァントを召喚する宝具でも使われたのかしら? 前回にも、そういうサーヴァントがいたって聞いたけど」

 

 勝利への感慨もなく、敗者への哀れみもなく、ただ一仕事こなしたことに一息つくだけの少女。ただ作業として殺されたサーヴァントは、悔しく思うことさえできず、ただ絶望し、自分の不幸を呪った。

 

(ちくしょう……! なぜ、こんな奴が召喚されたんだ!? か、勝てるわけが……)

 

 それが、彼の最後の思考であった。

 姿を薄れさせ、消えていくアラビア・ファッツのことを最後まで見守ることもなく、少女は踵を返して、その場を立ち去っていく。

 

「まあ、どんなサーヴァントだって、私のバーサーカーに勝てるはずないんだけどね」

「――――――ッ!!」

 

 再び夜のとばりが降り、冬の冷たい風が吹き出した街の中、少女の自慢気な呟きに応えるように、狂える戦士は唸りをあげた。

 

   ◆

 

 老人は、手駒が一体、消滅したことを感じ取る。

 

「フン……アインツベルンは、此度も中々強力なサーヴァントを召喚したようだのう」

 

 臓硯は警戒を強める。弱いとは思っていなかったが、予想以上に難物であった。

 

「このまま、単純に力押しでは勝てぬかもしれんな……しかし、どちらにせよ、我が戦力は限りない。負ける要素は無い。くくっ、まあ、せいぜい慎二も頑張るとよいが」

 

 孫を応援する気のまるでない呟きを漏らす。

 その手には、人皮で造られた表紙の書物があった。表紙の中央には、白い骨が嵌め込まれ、異様な魔力が漂っていた。10年前に手に入れた魔の書物。かつて老人自身、信じられぬほど心惹かれた相手が、手にしていた禁断の書。

 かつて【螺湮城教本(プレラーティーズ・スペルブック)】と呼ばれたそれを、老人は枯れ枝のような指で愛撫するように扱う。

 

「我が力となれ……【世界王名簿(ディオズ・リスト)】よ」

 

   ◆

 

 慎二は、夢を見ていることを何となく理解していた。

 これは確か、そう、1年前のことだ。

 

『慎二か? 少し手伝ってほしい仕事がある。お前の力が必要だ。助けてくれ』

 

 あの日、教授から呼び出された。電話で、彼が既に日本に来ていることを聞き、もっと早くに連絡しろなどと、文句を言いながら駆け付けたのを憶えている。

 

『くらえぇぇぇぇ! 火炎瓶だぁぁぁぁ!』

 

 そして、駆け付けたところで、いきなり戦いに巻き込まれた。

 ビルの中、机も自動販売機も植木鉢も、何もかもが風船のようにふわふわと浮き上がる中、弾丸が飛び交い、爆風が吹き荒れる。

 

『おうこら絶対領域マジシャン先生。何が起こっている』

『後で蹴るが、教えてやろう。復讐だ』

 

 後で聞いた話だと、時計塔内での政治闘争で教授に敗れ、失脚した魔術師が、スタンド使いと組んで襲ってきたらしい。もっともそれは表面的なことで、もっと裏があったようだが、単に助っ人である慎二は深く踏み込むことはしなかった。

 下手に知りすぎると危険であると、教授が教えなかったためでもある。

 

『ええい、とにかく僕の能力を使えばいいんだな?』

 

 首の傷痕を疼かせながら、慎二は自分のスタンド能力を幾度か発動し、教授の期待に過不足なく応えた。

 結果、教授はヒントを得て、真犯人の正体や動機を推理し、解決まで導くことになった。それまでに、犯人側と組んだ『周囲を無重力状態にするスタンド使い』との戦いに苦労させられたが、そのスタンド使いは、教授が呼んだ別の友人によって成敗された。

 なんでも、普段は海洋生物学者をやっているというその人物は、慎二をして悪態をつく気が失せるほどの迫力を持つ男だった。彼もまた、この復讐の関係者であった。何でも、教授と敵対している魔術師が、過去に『とある吸血鬼』に協力していたことが、その男と繋がっているのだという。

 その後、慎二とも知り合いであるフラットやスヴィンといった、教授の弟子たちも一行に参加し、結局、時計塔の勢力図を変化させるほどの大ごとになり――そして慎二は全身打撲でエジプトのミイラもかくやというほどに、包帯だらけになるのだった。

 そのあと、魔術を用いた治療で早急に癒したため、学校の出席日数には問題なかったが。

 

『後で蹴ると言ったが、もう蹴る場所が残っていないようなので許してやろう』

 

 教授はこの言い草である。多少の小遣いや、教授が初心者向けに書いた魔導書を報酬としてもらったが、そんなことでは誤魔化されない。

 疲労と苦痛に塗れた全身を横たわらせ、慎二は誓うのだ。もう教授の頼みなど二度と聞いてやるものかと。そう誓ったのは、その時で確か三度目だったと思う。

 それでも、また教授の呼び出しを受ければ、駆け付けることになるのは、自覚している。

 

『まあ……お前はよくやってくれた。ありがとう……感謝している』

 

 間桐慎二という人間は、頼りにされるとつい気分がよくなり、調子に乗ってしまう奴なのだから。

 

   ◆

 

「……嫌な夢を見た」

 

 2月2日の朝、しかめっ面で起き上がる慎二は、夢のせいで過去の傷を思い出し、全身が痛くなったような錯覚に陥った。

 

「人助けなんて暇な夢見たのは、衛宮の馬鹿にあてられたせいだ……」

 

 愚痴りながら着替え、部屋を出る。今日はライダーの奇襲を受けなかったことに安堵していた。

 

「あ……おはようございます、兄さん」

 

 廊下で、衛宮邸に向かう準備を整えた桜と、顔を合わせる。彼女は随分暗い表情であった。

 

「……なんだよ、朝から辛気臭いな」

 

 挨拶を返しもせず、辛辣な言葉を投げるが、桜はただ黙って、視線を足元に向けている。その受け身の姿勢が気に食わず、慎二は妹の傍を通り過ぎようとしたが、

 

「兄さんっ……そ、その」

 

 桜が、振り絞るような声をかけた。

 

「……なんだよ」

「その……兄さんは、衛宮先輩と……戦うんですか?」

 

 桜は昨夜、衛宮がセイバーを召喚し、聖杯戦争のマスターとなったことを、慎二の口から聞いた。ショックを受けていたようだが、思いがけぬことではなく、ついに来てしまった、という受け止め方だった。

 そもそも衛宮は、前回の生き残りの一人。それを警戒するのは、前回の聖杯戦争を知る者なら当然の行動だ。臓硯は、慎二と桜にそのことを言い含め、士郎の様子を報告させていた。士郎に近づく口実になるのだから、臓硯の指示は、桜にとっては願ったり叶ったりというものであったが、こうなってはそうも言っていられない。

 

「当たり前だろ……戦争なんだからな」

「そ、そうですよね。し、仕方ない、ですよね……」

 

 慎二は、煮え切らない桜の態度に苛立ちを高めていく。

 

「じゃあ何か? やっぱりお前がやるのか桜? お前が、戦争が怖いっていうから、僕がマスターを代わってやったんだぞ?」

「そ、そんな……私は、そんなこと……」

 

 ガンッ、と壁を叩き、桜を威圧する。桜はびくついて、身を引く。その様子もまた、慎二の苛立ちを助長させるものであった。

 

「最初からっ、お前がやればよかったのに僕がやってんだぞ! 魔術師の、お前の代わりになぁっ!」

 

 なんで、この少女はこんなに弱く、臆病で、逃げてばかりいるのか。

 この少女は、慎二がどうしようもないものを、生まれつき持っているというのに。

 

「令呪はまだ二つ持ってるんだろ! マスターの権利を奪い返せよ。それで家を飛び出して、衛宮の側についたらどうだ? へっぽこでも二人で同盟を組んで戦えば、勝つ目もあるかもしれないぜ? どうした……やれよ」

 

 魔術師の資格。魔術回路。慎二が持てなかったそれを、桜は持っている。

 そのくせに、魔術師になることを厭い、嫌い、逃げたがっている。

 それが慎二には、気に入らなくてたまらない。

 自分が死ぬほど欲しいものを、溝に捨てている彼女が、妬ましくてたまらない。

 その上、桜は慎二が嫉妬していることを知っていて、それに優越感を抱くどころか、負い目にしている。兄より才能があることを、申し訳なく思っている。

 そんな、自分を哀れんでいる妹が、嫌いでたまらない。

 

「ち、違……そんなつもりじゃ……」

「……自分で何もする気がないなら、黙ってろよ」

 

 それ以上、桜の顔を見ていることも嫌で、背を向ける。

 

「……ごめんなさい」

 

 そんな慎二の背に、桜はそう言葉をかけ、家を出ていく。責めることも、要求することもなく、慎二の憤激を背負う彼女を、慎二は見送ったりしなかった。

 

「……マスター」

 

 桜がいなくなった後で、ライダーが慎二に声をかけた。桜との会話を聞いていたらしい。

 

「……何か言いたいことでもあるのか?」

「そうですね……マスターの言い分も、間違いであるとは言い切れません。しかし、強く言い過ぎでは? あれでは桜は、ますます自分の思いを言い出せなくなってしまいます。誰もが、マスターのように強く、自分の意思を貫けるとはいきません」

 

 言われて、慎二は若干困惑する。

 

 強い? 誰が? 間桐慎二が、か?

 馬鹿を言うな。本当に強い奴というのは、傍にいるだけで誇り高くなるような、勇気が湧いてくるような――周りの他人をも、強くしてしまうような奴のことなのだ。

 そう、彼らのように。

 

 もし自分がそんな、本当に強い奴ならば、もっと、もっと――

 

「ハッ、何言ってんだ、お前。何にせよ、僕があいつに優しくする義理はないね。あいつの方から、頭を下げて頼んできたら、考えてやらないこともないけどね」

 

 うっとうしい蠅を払うように、手を振りながら慎二はライダーに言う。ライダーが気を悪くしようが、桜を可哀そうだと同情してやる気はなかった。

 

「自分から頼んできたら……ですか。しかし、桜は我慢強い娘です。自分から、我儘を言おうとはしないでしょう。どうかマスターの方から」

 

 なおも言い募るライダーに、慎二は勢いよく振り向き、睨み付けた。その瞬間は、慎二自身、驚くほどに熱い怒りが、その眼から噴き出ていた。

 慎二はライダーに詰め寄る。ライダーが召喚されてから、ライダーが気に食わないことを言っても、慎二は本気で怒りはしなかった。文句を言い返すことはあっても、このように互いの距離を詰めて、迫ってくるようなことはなかった。

 

「『我慢強い』だと?」

 

 ああ、確かに我慢強いとも。

 あの扱いに、あの地獄に耐え、人の心を保ち、日常を送ることができるのだから。

 それはさぞかし、強いだろうとも。

 もちろん――褒めてやる気は欠片も無いが。

 

「ふざけるなよ……」

 

 果たして、慎二は吠えるように言い放った。

 

「僕はなっ、あいつのそういう……『自分さえ我慢すればいい』ってところが一番嫌いなんだよッ!」

 

 それは、この素直ではない、捻くれ者のマスターが出した、かくも珍しい本音なのだろう。

 そう理解したライダーは、もうそれ以上のことを言い出せなかった。そして、今日も探索を言い渡され、慎二は学校に行ってしまう。

 結局、何を言っていいかわからず、ライダーは慎二に従うことしかできなかった。

 ことは、一つの行動が為されれば、とても簡単に解決する問題だ。しかし、その一つの行動が難しい。

 けれど、慎二はその一つの行動がどうしても譲れない。桜はその一つの行動がどうしても踏み切れない。おそらく、互いが互いを想うゆえに。

 

 兄は誇りを尊ぶゆえに。妹に己の人生を、己の誇りによって決めさせるために。

 妹は苦痛を恐れるゆえに。兄に苦痛を負わせぬがために。

 

(自分ごとき、過去の亡霊ごときが、長年の兄妹の確執に首を突っ込むなど、傲慢なのかもしれませんが……)

 

 慎二の足音が遠くなっていくのを聞きながら、ライダーは決意する。

 

 桜を助けなくてはいけない。ただ彼女の身だけではなく、彼女の大切なものも、全て。

 

(全部やらなくてはならないのが……英雄のつらいところ、ですか)

 

 反英雄に過ぎぬ、自分のなせることではない。そうわかっているのに、諦めようとは、これっぽっちも思えなかった。

 

   ◆

 

 学校にやって来た慎二は、凛と顔を合わせ、そしてすぐに逸らした。

 教授を見習い、意地は限界まで張るべきものだと思っている慎二だが、その慎二も意地を張ろうと思う間もなく、反射的に逃げを選択するくらい、凛の顔は恐ろしいものだった。

 

(笑ってやがる……!)

 

 睨まれた方がまだマシだ。だが慎二がその場を去る前に、凛はごく自然な動きで間合いを詰めてきていた。鍛錬を積んだ中国拳法の成果だ。亡き父のコネを伝って探した拳法家から教わったというそれは、十分に実戦レベルに達していた。

 ちなみにその師匠について何の気なしに聞いた時、凛は、

 

『パンダ……いや、やっぱり聞かないで』

 

 酷く複雑な顔で、視線を逸らしていた。慎二は好奇心をそそられたが、それ以上に悪い予感がしたので、深くは聞かないことにした。

 

「おはよう、慎二くん」

「や、やあ、遠坂……きょ、今日も綺麗だね?」

 

 引きつったものではあるが、笑みを返す慎二。中々の胆力だと、アーチャーがいたら感心したかもしれない。だが、凛はそれを無視して追撃する。

 

「ちょっと、空き教室についてきてくれる? 話したいことがあるの」

「あ、朝から熱烈なお誘いありがたいところだけど、その、つまりだね……」

「ハイか、YESで答えてほしいんだけどなぁ?」

 

 凛は笑顔のまま、人差し指を向ける。脅迫である。

 

(この悪魔……!)

 

 慎二は内心絶叫しながら、諦めて頷くのだった。

 

   ◆

 

 士郎は凛と慎二が、連れ立って歩いているのを見つけた。

 慎二の顔は、看守に引きずられる囚人のような、絶望的な影があり、誰が見ても、色っぽい話ではないのはわかった。

 

(そういえば、昨夜は遠坂のこと、聞かなかったな……)

 

 衝撃的すぎる前夜、あまりに聞くべきことが多すぎて忘れてしまっていた。

 慎二が出て行った後、セイバーから、聖杯戦争の基本構造、それぞれのクラスについての説明を受けた。そして、セイバーが、士郎から魔力供給を受けることもできていないということ。士郎が魔術師として、あまりに基本を知らないため、改善のしようもない。

 

(これは慎二に馬鹿にされて当然だよなぁ)

 

 これでは犠牲者を出さないどころか、自分が最初の犠牲者になってしまう。セイバーが強力なサーヴァントであったから、まだどうにかなりそうだが、並みのサーヴァントではお手上げ――それ以前に、サーヴァントに見捨てられていたかもしれない。

 セイバーが召喚されてくれたのは、不幸中の幸いだったとしみじみ思う。そのセイバーでさえ、士郎があまりに未熟なので、自分の真名を教えることは控えた。士郎では、他の魔術師に精神を読まれ、セイバーの正体を喋ってしまうかもしれないという危険性を、考えてのことだ。セイバーも申し訳なさそうにしていたし、士郎は仕方ないと思っていた。

 

(とはいえ、どうしたらいいか……)

 

 自分は強化もろくに使えない。セイバーやランサーのような、英雄同士の戦いでできることがあるだろうかと、士郎は自問自答する。

 

(あるとすれば、この身を挺して盾をなることくらいだな)

 

 士郎は、自分の情けなさ、至らなさに歯噛みする。眉根を寄せて悩む士郎だが、彼はどうしても気づけなかった。その思考があまりにも、自分を投げうちすぎているということに。

 

   ◆

 

「それで、昨日の目撃者、どうなったの?」

 

 凛からまず切り出されたことは、士郎の件だった。しかし、わざわざ慎二に聞くということは、凛はあの目撃者が士郎であったことも気づいていないようだ。

 

「ああ、それは大丈夫。僕が後始末してやったよ」

 

 だから慎二は恩を売ってやることにした。目撃者が士郎であることは言わない。セイバーのマスターが士郎であるという情報は、秘密にしておいた方がいい。情報面で凛より優位に立つためだ。

 

「始末……あんたまさか」

「なんだよ。魔術師たる者が、人殺しはいけないなんて、真っ当なこと言うんじゃないだろうねぇ?」

 

 慎二は煽るが、凛の目つきが更に剣呑になったので、身の危険を感じ、悪ぶるのはやめる。

 

「落ち着けよ。別に殺しはしていないさ……魔術の隠蔽はしてある。それでいいだろ」

「…………」

 

 凛は首を傾げる。慎二は魔術を使えないから、記憶操作等で、目撃者の口を封じることはできない。教会も現状では、大規模破壊などの大掛かりな情報操作が必要なこと以外は、いちいち動かないはずだ。

 

(あとは慎二でない誰かが……慎二のサーヴァント? あるいは当主の間桐臓硯……は、さすがにこの程度じゃ動かないか。あと可能性は……)

 

 見知った少女の顔が思い浮かぶが、かき消す。その少女が、殺し合いに関わっていると、思いたくないが故の『逃げ』であった。

 

「まあ、問題はないというのは信用するわ」

「おいおい、聖杯戦争を目撃されたのは遠坂のミスだぜ? その尻ぬぐいをしてやったんだ。それに、昨夜はピンチのところを教えて、命を助けてやったんだ。ありがとうございました、くらい言えよ、んん?」

 

 凛は壮絶にウザいものを見る目で、表情を歪める。この物言いさえなければ、慎二はもっと凛と仲良くなれるだろうが、そこは慎二を良く知る者曰く『慎二の味』という奴である。仕方がない。

 

「そうね……今日一日だけ、学校では見逃してあげるわ。たとえ人目がつかないところであってもね」

「……おう」

 

 凛は、昼日中の学校で聖杯戦争は行うまいと考えた慎二は、甘かった。慎二は凛がそう考えているだろうという裏をかいて、奇襲を仕掛けるのもアリだと考えていたが、大抵のことは誰でも思いつくものである。いざとなれば大声を出して助けを呼ぶつもりだったが、これは声を出す前に瞬殺される気迫だ。

 

(……準備がないわけじゃないけど)

 

 一応、制服の下には防弾チョッキを着こみ、合法レベルを超えた出力のスタンガンを隠してはいる。フーゴからの貰い物だ。折角だから持ち歩けるだけ、持ち歩いている。細身に見えて、弓道部の副部長だ。体力は並みよりもあり、多少の武装を身に着けても重荷にはならない。

 

「あと一つ……桜は元気?」

 

 何気ない風を装っての質問に、慎二は答えた。

 

「……本人に聞けよ」

 

 慎二は踵を返して、空き教室を出ていく。凛と桜――かつての姉妹の関係が、どうというわけではない。慎二の方から、間を取り持つ義理もない。というか、下手に凛が首を突っ込めば臓硯の餌食だ。関わらない方が互いのためである。

 そのはずだが、慎二はどうにもムシャクシャしていた。

 

   ◆

 

 昼の衛宮邸に一人、セイバーは昼食をとっていた。衣服は鎧を消し、青を基調としたドレスだけになっている。

 献立は、士郎が朝につくってくれた、おにぎりと卵焼きである。更に、朝にやってきた桜という少女がつくってくれた味噌汁を温める。

 

「すぐに暖かい食事を用意できる。なんと素晴らしい……」

 

 昼食だけでなく、セイバーの胸まで暖かくなるように思えた。軍事にせよ政務にせよ、仕事が忙しすぎた生前は、落ち着いた食事などほとんどとれなかった。基本は干し肉などの保存食だ。食事なんてものは、とにかく腹持ちのする食べ物を、味わいもせず飲み込んで、胃袋に落とす作業であった。それでも食事をとるのは好きであったが、しかし、今朝はじめて食べた現代の食事は次元が違った。

 前回の聖杯戦争においては、サーヴァントが食事をとることなど考えもしなかったし、マスターも思いつかなかった。だから、セイバーが現代の和食をとることは初めてだった。

 人間は食べることさえできれば、多少なりとも心が落ち着くものだ。血の涙を流したほどの絶望も、更に強固になった願いも、忘れることなどできないが、それでもこの時ばかりは、少しだけ癒される。

 

「……いただきます」

 

 士郎に教えられた、食前の挨拶をすませ、まず味噌汁をすする。今朝より少し濃くなっているが、やはりブリテンの料理とは比べものにならない。ブリテンのスープは塩の味がすればいい方であった。味噌という独特の香りに満足しながら、おにぎりを手に取る。雪のように白く美しい米を見つめ、さあ口にしようとしたその瞬間、セイバーは気配を感じた。

 

「…………」

 

 セイバーの意識が、戦士のものに切り替わる。渋面になりながらも、おにぎりを皿に戻す。空になった手をギリギリと拳の形に固め、忌まわしい来客への怒りを表した。

 

「誰だか知りませんが……いい度胸です」

 

 立ち上がると同時に、セイバーは魔力で鎧を編む。戦闘態勢になり、戸を開けて庭を見据えた。そしてすぐに、気配の主を見つける。

 

「初めまして、お嬢さん。名乗ることはできませんが、どうぞよろしく」

 

 テンガロンハットを被った西洋人が、気障な仕草で会釈する。中々顔立ちのいい男だが、軽薄な空気が漂っていた。しかし、その姿勢に隙は無く、戦いの玄人であることは、セイバーにはすぐに理解できた。そして、男がサーヴァントであることも。

 セイバーは挨拶を返すことなく、問答無用で斬りかかっていった。

 

   ◆

 

 昼休み、士郎は慎二へと近づいた。

 慎二とは朝から声を交わすことはおろか、顔も合わせていない。朝、教室に入って来た慎二が、士郎の顔を見て、ため息をついて顔を背けただけだ。

 

「慎二、昨夜の続きをしたい。いいか?」

「嫌だ」

 

 にべもなかった。慎二はやはり士郎と視線を合わせようとしない。

 

「僕とお前は敵同士だ。話をしようと言われて、のこのこついていったら、待ち構えていたセイバーにズバッ、なんてのは、僕はごめんだ」

「そんなことはしない。約束する」

 

 慎二は実際に士郎が、そのような策を弄するとは思っていない。むしろ、そういった罠を仕掛けるか、あるいは仕掛けられることを警戒するくらいの、心構えでいろと、遠回しに諭しているのだ。

 

「とにかくごめんだ。お前は生徒会長のご機嫌とりするか、桜と乳繰り合うかしてろ」

 

 シッシッと、聞き分けの無い犬を追い払うように、手を振る慎二。しかし、士郎はその言葉に反応し、更に詰め寄る。

 

「そうだ。お前が魔術師ってことは、桜も魔術師なのか? あいつは、聖杯戦争に関わっているのか?」

 

 慎二はその問いにすぐに反応できず、黙り込む。ややあってから、答えを返した。

 

「……魔術師は、基本的に一子相伝だ。二人に教えたら、その分、魔術は分散して、質が半分に落ちる。それに、あんなトロい奴が聖杯戦争で、何かできるとでも? 何もしてないさ」

 

 その説明に、士郎は『一子相伝の後継者』が慎二の方であると思い、可愛い後輩が、血を血で洗う戦いに参加していなかったことに、安堵する。慎二は、嘘は言っていない。

 

「そうか……。そうだ遠坂は? 昨日、彼女が戦いの傍にいたのを見たんだ」

「……遠坂も魔術師だよ。っていうか、この冬木の町を管理する、土着の魔術師の家系だ。聖杯戦争のシステムを作った、間桐とアインツベルンに並ぶ御三家の一つ。当然、聖杯戦争には最優先で参加する。もし説得して戦争を降りてもらうとか考えているなら、十割善意で言ってやるが、やめておけ。ぶっ殺されるだけだ」

 

 話し合うことはできないかと考えていた士郎は、混じりっ気なし、本心からの慎二の忠告を聞き、すぐには行わないことにした。

 それからもまだ話したかった士郎だが、慎二のポケットで音が響いたため、勢いを殺がれた。

 

「電話だ。サービスは終わりだな」

 

 携帯電話を取り出し、慎二は教室を出ていく。それを見送りながら、士郎は自分の力の無さを痛感する。戦争を止めるどころか、最低限の情報も持たず、情報を集める手段もない。慎二の甘さに頼っている有り様だ。

 

(俺に、何ができるか……)

 

 そこで何もできないと諦観するのではなく、できる何かを死ぬ気で見出そうとするのが、衛宮士郎だった。

 

   ◆

 

 慎二は通話ボタンを押し、携帯を耳元に当てる。

 

『もしもし、フーゴだ』

「ああ、慎二だよ。で、何だ」

 

 電話の向こう側にいるのは、パンナコッタ・フーゴだった。

 

『少しばかり、本業で忙しくなってね。今日と明日は連絡が取れないだろう。その前に、伝えられるだけの情報は、伝えておく』

 

 じきに、ニュースでも流れるだろうが、と前置きし、さきほど入った情報を語った。

 

『昨夜から今朝にかけて、現在わかっているだけでも、家が三軒襲われ、家族が皆殺しにされている。総被害は15人。老若男女全員だ。殺されたうえで、庭に積み重ねられて、原型がなくなるまで念入りに焼かれていた。金や貴重品は手付かずだから、物取りではない』

「……魂喰いだと?」

 

 サーヴァントを強める方法として、人間の生命力を吸収させる方法がある。これが『魂喰い』と呼ばれ、手段を選ばないマスターなら、やってもおかしくはない。だが、強化と言ってもそこまで劇的な効果はなく、どちらかと言えば、魔力供給が心もとない場合に行うことだ。

 

「焼いた、というやり方からすると、やはり教会の神父を殺して焼いた奴と、同一犯と思えるな。一般人の殺害を、聖杯戦争を行う前から計画していたというのなら、監督役を始末する理由にもなる。どんなに隠蔽しようが、大量殺人は騒ぎになる。監督役の人間性にもよるだろうが、討伐対象になってもおかしくはない。袋叩きにされることを懸念し、先手を打っておいたんだろう」

 

 狡猾で、残忍で、躊躇の無い奴だと、慎二は推定する。そして、後先を考えていない、狂気じみた奴であると。

 

『だが聖堂教会というのは、魔術協会と対立する立場で、しかも実力も備えた組織なんだろう? それに手を出せば、後で報復は必ずあると理解できないはずはない』

「つまり、そいつは聖杯を手に入れられば、後はどうでもいいんだ。もしも聖杯を手に入れられなかったら、なんて、考慮にも入れていない。保身もない。命を捨てる覚悟があるのか、自分は絶対成功すると自惚れているのか、どちらにせよ、かなりやばい奴だ。こいつは、何でもするだろうよ。本当に、何でもだ」

 

 魔術の隠蔽など考えるような奴ではない。情報が拡散すれば戦いでは不利になるから、ある程度は隠すだろうが、自分の利に関係のないところであれば、幾らでもことを起こすだろう。

 

『この件は最優先で調べることにしよう。この手の不安定な要素は、早めに取り除いておいた方がいい。盤面がどうなるかわかったもんじゃない』

「ああ、任せる」

 

 使い魔を放って情報を集めることのできない慎二にとって、フーゴの組織力、情報収集力は、正直言って助かる。

 

『また、まず間違いなく、参加者だと言える人間を二人、絞り込んだ。名前は本名のようだが、経歴に不自然さがある。詳しい資料はまた置いておく。取りに行ってくれ』

「へえ……名前は」

 

 フーゴは答えた。

 

『一人は、バゼット・フラガ・マクレミッツ。もう一人は……アトラム・ガリアスタ』

 

   ◆

 

 テンガロンハットの男が、電柱に寄りかかり、ぜいぜいと息をついていた。その表情は、いまだに恐怖の色を残している。

 

「はあはあ……なんておっそろしい女だ。この俺が女に暴力を振るわないと心に決めているのをいいことに、滅茶苦茶しやがって。くっそぅ……俺はコンビを組んで実力を発揮するタイプだってのに、単独任務なんてよ……」

 

 日本の町には似合わぬカウボーイは、自身のあちこちを手で撫でまわし、どこも斬れていないことを確認する。透明な剣も危険だが、そもそもセイバーの動きが速すぎて、身のこなしもほとんど見えない。武装を弾き飛ばして無力化しようと攻撃しても、全て避けられ、弾かれる。

 常軌を逸した速度の敵に慣れている男であるから、どうにか逃げ延びることができたが、生きた心地がしなかった。

 

「それでも、これでセイバーの情報はつかめた。戦いを制するにはまず情報だからな……」

 

 息が落ち着いたところで、男は顔をあげる。戦闘が始まってから10分ほどしたところで限界になり、隙を見て逃げ出した後は、もう滅茶苦茶に走り回り、自分でもどう動いたのかわかっていない。

 つまり、ここがどこだかわからない。

 

「あー、ちくしょう。帰りが遅くなったら、また殴られるかもしれねぇってのに」

 

 セイバーも恐ろしい女であったが、自分のマスターは更に恐ろしい女である。

 見た目は麗しい、赤い髪の美女であるが、サーヴァントである自分の首を吹き飛ばしそうなほどの『拳』を放つ、ツワモノである。

 特に、昨日得た情報の報告を聞いた際には、『自分もケルトのランサーが欲しかった』と、大変機嫌が悪くなり、周囲の空気が濁って、生きた心地がしなかった。

 

「何がランサーだよ。ちぇっ……そりゃ、確かにあの野郎も強いけどよ」

 

 それに美形である。カウボーイ風の男も中々きまった顔立ちだが、神話に語られるような美丈夫を相手にしては相手が悪い。

 

「でもまぁ……この聖杯戦争、最強が誰かっつったらよぉ」

 

 呟く男は、唾を飲み込む。今まで集めた情報を統括して、結論を出した。その存在は、考えるだけで怖気が背中に走る、他のサーヴァントと一線を画す存在。

 

「まず、バーサーカー以外にいねえよなぁ……」

 

 

 

 

 

 ……To Be Continued

 

 



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ACT5:血河の底


 今回の話は、この作品で、『特にやりたかった部分』その1です。



 

 

『桜ちゃん……助けに来たよ』

 

 夢だと、すぐにわかった。

 また、いつもの夢だ。

 このあと、どうなるのかはわかっている。

 辛い夢なのに、もう見たくないと思ったことは無い。それは、もうこの人と出会えるのは、夢の中だけだから。

 

『大丈夫。もうあいつの手の届かないところへ行くんだから』

 

 色の抜けた髪。半分が引きつり歪んだままになった顔。片方の足を引きずる歩き方。

 幽鬼のような醜い姿。けれど、その慈しむ微笑みに、少女は嫌悪を感じたことはない。

 

 そして、自動車に乗せられて夜道を行く。おぞましい悪魔の手から逃れるために。

 ああだけど。

 

『どこに行く気かえ? 雁夜よ』

 

 声が聞こえる。魂をしゃぶり、コリコリと噛んで嬲るような、あの声が。

 この時、自分の身は縮こまり、恐怖に固まり、息をすることさえ辛かったのを覚えている。

 

『……臓硯』

 

 なのにあの人は立ち向かった。勝てないことなどわかっていたはずだ。逃げるなど、不可能事だとわかっていたはずだ。

 それでも、あの人は戦った。それは愚かなことだ。それは無意味なことだ。

 

『怖くないよ、桜ちゃん。あんなクソジジイ、恐いもんか。弱いものいじめしかできない奴だ。自分より強い奴を相手にだって立ち向かう、本当の勇気を持った人たちに比べれば、なんてことない』

 

 あの人の人生に、意味はなく、何も為せずに終わってしまった。

 

『宝石言葉は、忍耐、努力、そして幸福。強い出会いを呼ぶ、『恋の石』でもあるそうだよ。あいつが、遠坂時臣が、君のお父さんが、桜ちゃんを助けるために、俺にくれた宝石だ。俺が弱いせいで、君を助けることはできなかったけど、君を愛している人はいた。これからもきっといる。それを忘れないで……つらくても、耐えて、そして幸せになるんだ』

 

 父が自分を愛していたと言われて、戸惑った。自分は必要ないから、捨てられたのだと思っていた。自分は何か悪いことをしたから、姉とは違い、家族でなくなってしまったのだと、諦めていた。

 けれど、あの人は、そうではなかったと言った。自分は愛されていると、自分は愛してくれる人は、これからも現れると。ああ、そんなこと信じられない。

 

『君は、独りじゃない』

 

 そんなことは……そんなことは……

 

『……さあて、最後の勝負だ。臓硯』

 

 戸惑う自分を置いて、あの人は立ち向かう。

 数百年を生きた魔物に。人の命と尊厳を、喰らい尽くしてきた魔術師に。

 勝負になど、なるはずがない。それでも、あの人は一歩たりとも退かなかった。正面から、臓硯を見据え、その奢りを砕き、余裕を傷つけた。

 

『今のお前は馬鹿丸出しだッ! あの世でお前が来るのを楽しみに待っててやるぞッ!!』

『雁夜ァァァァァッ!!』

 

 それでも、結局あの人は炎に消えた。老人に一矢報いることもできず、骨の欠片として残すことなく、彼の体は灰になった。

 

『蟲蔵に戻れ、桜。雁夜は失敗した。次の聖杯は確実にとるため、貴様には良き子を孕んでもらわねばならぬ。体をもっと馴染ませねばならぬでなぁ』

 

 そして老人は、また自分を地獄へと引き戻す。

 腕が捕まれ、燃え盛る人影から遠ざかっていく。

 その時、煉獄の中へ散っていったのは、ただ一人だけであったはずだ。

 けれど、その炎の中に、別の顔が見え、そして彼らも燃え尽き、姿を消していく。

 

 あの人に力を貸してくれた、強く優しい、イタリアからやって来た少年。

 宝石をあしらった杖を持つ紳士と、自分に似た面影のある大人の女性。

 自分の呼び声に答えてくれた、目を隠した長身の美女。

 黒い髪をツインテールにした、赤い服の似合う、かつて同じ家で過ごした女性。

 自分などをかばい、助けてくれた、弓道部の先輩。

 

 この忌まわしい家で、自分を対等な人間として見てくれた、血の繋がらぬ兄。

 

 あの人の言ったことは、信じられないことだが正しかったらしい。

 自分のような人間でも、人を好きになることはできた。

 自分のような人間でも、思いやってくれる人はいた。

 自分のような人間でも、家族でいてくれる人がいた。

 

 でも、自分などのために、きっと彼らも――

 

   ◆

 

 同じ夢を頻繁に見る。10年前のあのときの夢を。

 気がつけば思い出す。10年前のあの人のことを。

 間桐雁夜が死んだあの夜。あの人が、気高く、最後まで戦い抜いて、決して屈することなく死んでいったのを、桜は知っている。

 なんと、綺麗だったことか。

 それに比べ、なんと自分の醜いことか。

 

 昨夜、帰って来た兄から、衛宮士郎がセイバーのマスターになったことを聞かされた。

 その時抱いた感情は、なんと呼ぶべきものだったか、自分でもわからなかった。余りにも衝撃が大きすぎて、測りかねた。

 

『あんな三流がマスターになったって、上手くやれるはずがない。初戦で死ななきゃ幸運だろうね。まあ僕が参加している限り、間違っても優勝なんてできっこないけどさ』

 

 慎二は、衛宮を嘲りながら、桜の様子に視線を向けていた。けれど、桜は俯き、蒼白になって『そうですか』と、口から声をこぼすのみだった。

 

『……それだけか?』

『仕方ないことですから……』

 

 そう答えた桜に、慎二は顔をしかめて、それ以上何も言わずに部屋に戻った。

 なぜ兄が嫌な顔をしたのか、桜は察している。

 間桐慎二は、自分の意思に従って、望むものへと向かって生きている。

 魔術師という、才能の無いものでは決して届かない存在へと、手を伸ばしている。

 どんな侮蔑も嘲笑も、慎二は跳ねのけて、夢へと進んでいく。

 多くの欠点があり、他人と馴染みにくい捻くれた男なれど、それは間違いのないことだった。

 だからこそ、桜のように、自分の意思を封じ込めて、やりたくもないことをやっている人間が嫌なのだ。

 

(なんで、私が魔術師になれて、兄さんがなれないんだろう……)

 

 望む者に与えられず、望まない者に与えられる。

 なんと、世界の上手くいかないことか。

 なんと、神様の意地の悪いことか。

 

 慎二は、魔術師としての精神を持っている。

 強い意志。命をも超えた覚悟。自分の道を、自分で決める誇り。

 魔術師の美徳を備え、常人としても外れていない。桜から見ても、慎二は良い魔術師になれると思える。

 

(でも、だから兄さんは、私を助けない)

 

 慎二は桜に手を差し伸べない。同情しない。哀れまない。

 なぜなら、桜は『助けて』とも、『逃げたい』とも言っていないのだから。

 自分で、してほしいことも、したいことも、訴えようとしないのだから。

 慎二は、自分の人生を自分で決めることを、誇りと思っている。提示された選択を、自分で決断したことが、今の彼をつくっている。

 だから、桜が何も言っていないのに勝手に行動すれば、それは桜の誇りを無視することになると、考えているのだ。

 それは雁夜やブチャラティとは違う在り方。だが、生命より精神を尊重する魔術師として、慎二はそうする。どちらかが間違っているということは無い。どちらも、桜のためにそうしている。

 

(私の意思を……私の選択を……待ってくれている)

 

 それは、ずっと前からわかっている。10年以上も兄妹だったのだもの。それはわかっている。

 それでも桜は、慎二までが、雁夜のようになってしまったらと思うと、とても助けてなどと、言えはしないのだ。

 

   ◆

 

 ガランとした、荷物の置かれていない貸倉庫。その中央に、顔面を腫らし、背中も生々しい傷痕にまみれた半裸の男が、縛られて横たわっていた。

 

「喋る気になりましたか?」

 

 フーゴは、縛られた男の頭を足で小突く。男は、アメリカを根城とするマフィアの一員であり、この町に麻薬ルートを作ろうとしていたのを、捕まえたのだ。

 フーゴの所属するパッショーネは、麻薬を禁じており、麻薬を扱う相手への対応は自然ときつくなる。特にフーゴは、麻薬を嫌う幹部として知られている。

 本当は、フーゴ自身が麻薬を嫌っているのではなく、彼に深い影響を与えた人物が麻薬を忌避していたがゆえだ。

 

「麻薬なんて、新規参入が難しいものを扱うからこんなことになる。盗品売買程度にとどめていれば、こちらも話し合いでけりをつける余地はあったんですが……もはや我々も優しくはしていられない」

 

 穏やかに語りながら、フーゴはサッカーボールを蹴り上げるような、容赦の無い渾身の蹴りを、男の腹に放つ。

 

「ごぶっ!」

「そういうわけで、もう一度質問です。貴方たちの取引相手と、次の取引の日時は?」

 

 男はフーゴの問いに答えない。どうやらこの男も筋金入りのギャングのようだ。口を割らせるのは中々骨が折れそうだ。どんな人間でも、数日眠らせもせず痛めつけていれば、意識が朦朧として、喋る気がなくてもいつの間にか喋ってしまうものだが、時間が足りない。

 藤村組にも協力を仰ぎ、調査させているから、男が白状せずとも、いずれ情報は手に入ると踏んでいる。焦る必要は無い。この男に加えている拷問は、どちらかというと見せしめの要素が大きい。

 

(よその国であまりはしゃぐわけにもいかないし、こいつは半殺し……いや八割殺しくらいにして、警察に押し付けるとして、厄介だな。聖杯戦争の最中に、こんなトラブルなど、人員を割かれてしまう)

 

 しかし手を抜くわけにはいかない。この麻薬取引を潰せば、数年にわたるアメリカン・マフィアとの抗争にも終止符がうてる。

 

(……いっそ慎二に協力してもらった方がいいだろうか?)

 

 フーゴが、慎二と最初に接触したのも、アメリカン・マフィアとの抗争が最も激化していたときのことだ。マフィアのボスが直々に来日して指揮をとり、雇った殺し屋を送り込んで、銃撃戦やビルの爆破まで起こった。

 幾らフーゴがスタンド使いでも、一人でできることには限りがある。フーゴと藤村組により、一般人の死傷者は出なかったが、パッショーネの構成員は少数ながら被害が出てしまった。実行犯の殺し屋たちや、マフィアの多くは、フーゴが『始末』したが、敵のボスはまだ捕まえられていなかった。敵のボスと思われていた男は殺したが、それは影武者に過ぎず、本当のボスは、マフィア構成員に紛れて、陰から戦況に対応しているらしかった。

 そんな中で銃撃戦に巻き込まれた少年が慎二であり、その窮地を慎二がスタンドを使って脱するのを見て、フーゴから接触した。既に間桐桜の身辺情報を調べ、慎二の存在も知り得ていたフーゴだったが、彼がスタンド使いであることは知らなかった。

 桜と深くかかわる人物に下手に関わると、臓硯の目をひいてしまうのではないかという危惧はあったが、この偶然は好機と判断し、彼を引き込むことに決めた。そしてその判断は正しかった。

 慎二の能力により、敵のボスの正体を突き止めることに成功した。その後、ボスを捕まえて警察に渡した。ボスは終身刑となり、もう彼がシャバに戻ることはない。パッショーネがそれを許さない。

 抗争がひと段落したところで、フーゴは慎二に、自分の事情を話した。その頃には、フーゴも慎二という人間が、少々歪みはあるが、良いところもあるとわかっていた。悪党であることについては、フーゴも言えた義理じゃない。

 ゆえに、フーゴはできるだけ丁寧に、慎二に話した。かつての聖杯戦争や、間桐雁夜や桜との関わりについて、何もかも。

 

『いきなり、ギャングに協力してくれなんて言われても、コイツ頭がおかしいのか、という感想しか出ないかもしれないが――僕はこの日本に一人だ。事情を知りながらも、助けてくれる人間が必要だ。君の力が欲しいんだ』

 

 かつてブチャラティが、フーゴをパッショーネに勧誘した時と、同じ方法をとった。

 すなわち、何も包み隠すことなく、ただ真実を、本心のみを口にし、相手を真っ直ぐに見た。

 

『……マジなんだな。わかったよ……僕の邪魔にならない限りにおいて、協力してやるよ。桜を助けてやる気なんてないけど、お前が勝手に助けるのを止めやしないさ』

 

 慎二はそう答えた。『自分からは助けない』というところに、妙なこだわりを感じた。金銭的な報酬などの話はしてこなかった。

 フーゴは、少し慎二に共感した。物質的報酬より、精神的報酬に重きを置く者はいる。フーゴ自身、地位や名誉や金銭ではなく、自分の心を埋める、黄金のようなもののために、パッショーネに身を置いているのだから。

 

(黄金……か。僕は、周りから一歩引いて冷めた目で見ていたが、ナランチャは周りと自分を重ねて、共感し、手を出さずにいられなかった。慎二はその中間か。一歩引いて見ることを心がけながら、手を出せないことに苛々している、そんな奴だ)

 

 慎二との出会いを思い出したフーゴは、やはり慎二の手を煩わせることはよそうと決める。頼めば慎二は、口ではなんだかんだ言いながらも手を貸してくれるだろうが、それに甘えたくはない。こちらは慎二にも、冬木の町にも関係ない、パッショーネとくだらないマフィアどもだけの事情だ。

 

(さて、ではもう一度考えてみよう。今のマフィアのボスは、残酷で粗暴で、殺人もためらわない男。それなりに用心深く、知恵も働く。だが、何かあれば暴力に訴えることを好む、器の小さい男。暴力で周囲を押さえつけてはいるが、部下からの信望はない)

 

 現在、アメリカン・マフィアを従えているのは、新たにボスになった――『スポーツ・マックス』という男だ。表向きは自動車のディーラーだが、裏では凶悪な手口でのし上がった悪党である。この麻薬取引の情報をアメリカの警察に渡せば、彼も前のボス同様、一生を刑務所暮らしにできる。

 だからスポーツ・マックスは焦っているはずだ。今までよりもっと、自分の一番の武器である暴力で、周囲を威圧しているはずだ。

 だから、フーゴは足元の男に声をかける。

 

「……ところで貴方、ここで口を割れば、後でスポーツ・マックスに殺されると考えて耐えているのなら、無駄ですよ? 一度ヘマをして捕まった貴方を、あの暴君が許すと思えますか?」

 

 男の口元が一瞬動いた。だがすぐに唇を引き結ぶ。フーゴの言葉に、スポーツ・マックスへの恐怖が呼び起こされたが、それでも一欠けらの希望を無理矢理に信じて、無言を通そうとしているのだ。

 

「そんなにスポーツ・マックスが怖ければ、我々が『始末』してあげます。はっきり言って、麻薬取引で儲けを得ようと、この町に犯罪者を呼び込もうと、今更そちらに勝ち目はない」

 

 前回の抗争で、アメリカン・マフィアの被害は甚大である。このままでは日本に進出するどころか、アメリカの本拠地も危うい。体勢を立て直さなければ、周囲の別のマフィアに嚙み殺され、食い物にされてしまう。

 だが、スポーツ・マックスはそうしなかった。マフィアにとって面子は何より大事なものであるがゆえ、わからなくもないが、愚行には違いない。

 

「君らがすべきことは、日本から手を引くことだったのに、意地を張って徹底抗戦に踏み込んでしまった。我々としても、こうなれば行きつくところまで行くしかない。そして、最後には我々が勝つ。麻薬ルートづくりなんて、重要任務を任されるくらいの賢さがあれば、わかりますよね?」

 

 元々、イタリア全土を掌握するパッショーネと、一介のアメリカン・マフィアでは勝負にならない。日本という異国への進出争いだから、張り合えたのだ。だが、もう無理だ。それを、フーゴは諭す。男の目が泳ぎ、迷いが生じているのがわかった。

 

「……我々は麻薬を禁じている。麻薬を扱う貴方たちへの対処は、厳しいものになります。今のうちに、恩を売っておいた方がいい……。今なら、見返りも約束しましょう」

 

 パッショーネにより麻薬取引が潰れ、日本に派遣されたアメリカン・マフィアが全滅したのは、フーゴの言葉が放たれてから23時間後。

 フーゴの情報提供により、スポーツ・マックスがフロリダで警察に捕まったのは、3日後のことであった。

 

   ◆

 

「襲撃!? 本当かセイバー!」

 

 家に帰って来た士郎は、セイバーの報告を聞いて驚いた。

 

「はい。テンガロンハットを被った、聖杯から受けた知識でいうと、西部のガンマンのような男でした。自在に軌道を変える銃弾を駆使する、中々面倒な相手です。一番特筆すべきは、逃げ足の速さでしょうが」

 

 実力はセイバーに遠く及ばなかったらしいが、勝てないと判断したらすぐさま全力で逃亡に移る、見切りの良さと、セイバーの追撃を避けるほどの戦線離脱能力は脅威と言えるほどだったと言う。

 

「クラスはわかりませんが、アーチャーというには弱い。アサシンかもしれません。本来はハサン・サッバーハしか召喚されないクラスですが、やり方によってはハサン以外のサーヴァントを召喚できます」

 

 ルール違反と言えるが、できないことではない。

 

「サーヴァントは7人だったな……。まずはセイバーだろ。それに俺が、校庭で戦っているのを見た2人。その戦いに乱入した1人。慎二のライダーに……今回のを合わせたら、6人。あと1人か」

 

 まさか白昼堂々、自宅を攻めてくるとは思わなかった。戦闘力は高くないサーヴァントで良かったが、何も知らないところでセイバーが負けていたらと思うとゾッとする。

 士郎は窓の外を見る。冬の太陽は、既に沈んでいた。

 

(もう一度、慎二に会ってみるか)

 

 セイバーが戦ったサーヴァントの情報を渡せば、向こうも情報を交換してくれるかもしれない。その辺り、慎二は律儀なところがあると、士郎は知っている。魔術師の原則とされる等価交換に、こだわりがあるのかもしれない。

 

(学校でも民家襲撃と殺人が話題になっていた。あれも、ひょっとしたら)

 

 証拠があるわけではないが、今の時期と重なって殺人事件が起こると、関連性を感じる。実際、士郎の予感は正しかった。

 自分の知らない所で、自分の手が届かない所で、人が犠牲になり、何もなせないうちに終わってしまう。そんな現状に、士郎は焦燥をかきたてられる。

 

「セイバー、俺は慎二の家に行く。話してもらえるかわからないが、俺が情報を得られる手立てはあいつの口だけだ」

「わかりました。護衛します」

 

 セイバーも否とは言わなかった。セイバーにとって慎二の印象は良いものではないが、あの程度の捻くれ者など、どうということはない。義兄や、師である魔術師をはじめ、彼女の生前の知己は、それこそ奇人変人しかいなかった。

 

(ケイ卿に比べれば、可愛いものです)

 

 あの頃の喧騒を懐かしみながらも、ちょっと疲れてくるセイバーであった。

 

   ◆

 

 暗い道を、遠坂凛は歩いている。

 一人に見えるが、隣には霊体化して姿を消したアーチャーが共に歩いていた。

 

「気配はない?」

『ああ……やはり少々非効率的ではないか?』

「使い魔だけじゃ足りないんだから仕方ないでしょ。教会が動かない以上、参加者でどうにかしないと」

 

 凛の目的は、一般人に牙を剥いたサーヴァントの征伐である。ほっておけば、神秘の隠蔽を破り、聖杯戦争そのものの進行が危うくなる。遠坂の人間として、土地の管理を任される立場からしても許せなかったし、そもそも凛という人間が、こうした凶行が大嫌いであった。

 討ち取らぬ理由はない。しかしキャスターやアサシンならともかく、情報収集に向いたサーヴァントでない以上、地道に探すしかない。だから凛は、こうして夜の街のパトロールを行っているのだ。

 

『……凛』

「いたの?」

『サーヴァントの気配だ。しかしこれは……』

 

 アーチャーが凛に伝えている間に、気配の主が道の曲がり角から、姿を現した。

 

「慎二?」

「……遠坂」

 

 見慣れた顔に、凛は拍子抜けする。しかし、いくら見知った相手とはいえ、サーヴァントのマスターであり、聖杯戦争における敵対者だ。

 慎二があの殺人を行っているかもという疑いを持つほど、凛も暇ではない。が、このままほっといて探索を続けるというのも参加者の行動ではない。

 

「偶然ね、慎二くん。それでどうする? 朝に学校で、今日一日、学校では見逃すって約束したわけだけど、もう学校じゃないし。なんなら期限を延ばして、この場は見逃して上げてもいいけど?」

「はっ、そりゃご親切なことだけど、見逃すの立場にいるのはどちらかな? 僕の方から逃げる気はないけど、そちらが逃げるなら追いはしないぜ?」

 

 言葉の応酬の結果、二人の意思は互いに伝わる。つまり、やろうということだ。

 

「あっちに、ビルが壊された後、まだ何も建てる予定の無い空き地があるわ。学校のグラウンドくらいに広い。戦闘には十分な広さよ」

 

 凛が好戦的な笑みを浮かべ、左の道を指差す。慎二は頷き、戦地へと向かった。

 

『良いのですか? マスター』

「ランサーの真名はわかったが、アーチャーの方はわかっていない。それを探るチャンスだ。もしまずくなったら逃げればいい」

 

 ライダーの敏捷性を考えれば、アーチャーから逃げることは難しくない。いざとなれば宝具を使うことも視野に入れる。

 

『……わかりました。しかし、始めから逃げる前提というのは面白くありませんね。私はそれほど弱くはないということを、見せてさしあげましょう』

「……ふん?」

 

 何やら怒っているライダーに、慎二は首を傾げる。プライドを傷つけたようだ。

 

「まあやる気ならそれでいいさ」

 

 小声で話しているうちに、空き地についた。

 

「それじゃ、始めましょうか。死んでも化けて出ないでよ?」

「誰に向かって言ってるんだい? 鏡にかな?」

 

 慎二は、凛の挙動を注視する。マスター同士の戦いになったら、勝ち目は薄い。それでも戦いになるなら、先手必勝で攻撃をぶち込むのが吉だ。

 魔術を多少使えるようになる『偽臣の書』と、フーゴから貰った武器を準備する。

 

 そうしている間に、戦闘は始まった。ほぼ、前夜の戦闘と変わらない。

 二振りの剣を手にしたアーチャーと、鎖付きの短剣を構えるライダー。

 技術ではアーチャーが上、力と速さではライダーが上。

 戦況は、互角に見えた。だがまだ互いに様子見、手の内の探り合い。どちらが先に相手を見極めて、次の段階に進むかが勝負の分かれ目である。

 

 しかし、そこまで戦況が進むよりも前に、戦いは中断された。戦闘が始まって、まだ1分と経っていない段階で、そこに新たな登場人物が加えられた。

 

「何やってんだお前ら!」

 

 衛宮士郎と、セイバーである。

 

   ◆

 

 士郎の顔を見た慎二は、煩いのが来たと顔をしかめ、士郎が参加者と知らなかった凛は、キョトンとした表情を見せる。

 

「へ? え、衛宮くん? なんで?」

 

 わけがわからないという様子の少女に、ここで不意打ちしたら勝てるかなと若干思いながらも、慎二は優しく答えてやる。説明することで得があるわけではないが、慎二は人に教えることは好きなのだ。程よい、優越感を得られるから。

 

「こいつがセイバーのマスターだよ。ついでに、昨夜の校庭にいた、目撃者だ」

「…………はぁ!?」

 

 更にわけがわからなくなった凛である。

 

「慎二に……遠坂。戦うのはやめてくれないか? 同級生だろ?」

「嫌だって言ったら?」

「……それは、止める。昨夜も言ったはずだ。殺し合いなんて、見過ごせない」

 

 決意した眼をしていた。本気であることを、凛も感じ取り、困惑をやめて、話に入る。

 

「衛宮くん? 昨夜は貴方が声をかけてくれたから、命が助かったわけだから、そこは感謝しているわ。ありがとう。だけど……戦いを止めるって、どういうこと?」

「こいつはさぁ、聖杯戦争で、殺し合いが起きていて、町にも被害が出るかもしれないってこと説明したら、それは間違っているって言うのさ。どんな邪悪な願いを持つ者がいるかもしれないから、自分が優勝して聖杯を手に入れるんだと。ろくに強化の魔術も使えないへっぽこの分際でね」

「ええ……? それは、無茶じゃない?」

 

 凛は士郎の連れているセイバーを見る。正規のマスターとして、彼女はサーヴァントの能力を読み取ることができる。セイバーの能力は、かなりの高水準であった。

 

「な、なにこれ! 未熟者の魔術師が、こんな強力なサーヴァントを引き当てるなんて……くうっ!」

「そ、そんなこと言われても……」

 

 ハンカチを噛みしめそうな表情で、妬みの視線を向ける凛。士郎は少し怯む。

 

「とにかく、俺は聖杯戦争をやめさせたい。前回も凄い被害が出たそうじゃないか。そんな儀式、するべきじゃない!」

「ふーん……本気みたいね。昨日のことには感謝するけど、貴方の意見は聞けないわ。衛宮くん。貴方の言い分が、普通に考えて、正しい意見なのは認める。勝利は、私が父から託された、遠坂家の悲願だもの。けど、私は同時にこの土地の管理者でもあるから、被害を出すようなことはしないし、そんな真似を許す気もないわ。だから、安心して負けていいわよ?」

 

 凛は、士郎の言葉を是としたうえで、否と答えた。

 士郎のやりたいことは、自分が代わりにやるから、退場しろということだ。しかし、士郎もセイバーと共に戦うと誓った以上、頷くことはできない。他者の戦いを止めようとする者が、自分は戦いをやめられない矛盾。それを突き付けられる士郎だが、ならばと提案する。

 

「行動が同じなら、聖杯戦争終盤まで休戦する気はないか? この町には、教会を燃やすような奴がいるんだろう? そいつを脱落させるまでは協力できないか?」

「ふぅん? ちょっとは考えたじゃないか衛宮。けど、セイバーはともかく、素人のお前じゃ、お荷物なんじゃないか?」

「あんたが言うな」

 

 凛のツッコミをスルーして、慎二は言い募る。

 

「確かにセイバーは強力なサーヴァントだ。そこは協力するメリットもあるけど……最終的に敵になるってのなら、僕と遠坂の二人がかりでお前を潰して、後顧の憂いを絶つって選択肢もある。二つの陣営の戦いやめさせようとする奴は、双方にとって敵になるんだぜ?」

「なに私があんたと組む前提で話が進んでんのよ」

 

 スルーし続ける慎二に、士郎は少し考えて、真顔で答えた。

 

「……それで二人が傷つけあわないなら、それでもいい。遠坂は、周囲に被害を出すような奴じゃないとわかったし、慎二は最初から心配ない。まあ、二人がかりで来られたら、その場合は流石に逃げるけどさ」

「……ああ、そういう奴だったよ。お前は」

 

 慎二は頭を抱える。

 勝敗の問題以前に、知己に敵意を向けられるということを、気にしていないのが問題なのだ。友人が敵に回るということは、一種の裏切りである。それを平然に受け入れられる精神は、やはり狂っている。

 

(言っちまったものの……どうするかな)

 

 このまま三つ巴の乱戦になると面倒だ。戦闘を続けるか、逃げるか、悩む慎二であったが、すぐにその悩みも消し飛んだ。

 4組目が、現れたために。

 

「こんばんは。あら、思ったよりたくさんいるわ。今夜は随分(はかど)ってしまうわね」

 

 鈴の鳴るような綺麗な声が、その場にいる者の耳に届いた。

 

 振り向けば、真っ白な少女が、ルビーのような目で面白そうに慎二たち3組を見つめていた。

 その少し後ろには、男が立っていた。その気配はサーヴァントのものだ。

 

「アインツベルン……」

 

 凛が、話に聞いたアルビノの姿から、相手が御三家の一つ、アインツベルン家からの刺客であることを見抜く。

 

「そうよ、初めまして、凛。私はイリヤ。イリヤスフィール・フォン・アインツベルン」

 

 イリヤと名乗った少女は、口を開いた凛へと声をかけ、次に慎二は無視して、士郎へと視線を向ける。

 

「こんばんは、お兄ちゃん。こうして会うのは二度目だね。やっとサーヴァントを召喚したんだ。良かった。これで少しはマシに遊べそう」

 

 浮かべた微笑みは、諦観、憎悪、嫉妬、興味、憤怒、親愛、殺意――酷く複雑な感情が混じり合ったものだった。幼げな外見と合っていないこともあって、非常に恐ろしいものに見えた。

 

「……で、そっちがあんたのサーヴァント。これはまた、随分変わっているわね」

 

 凛の指摘はもっともであった。

 

 御三家の呼び出すサーヴァントとしては、あまりに『弱い』。

 

 凛のマスターとしての眼力で見ても、そのステータスは随分と『低い』。

 姿にしても、イリヤの隣に立つサーヴァントは、到底、歴史や伝説に語られる英雄の格好には『見えなかった』。

 

(とはいえ、宝具までは測り切れない。宝具特化の強力なサーヴァントかもしれないし、油断はできないわね)

 

 たとえ『弱そう』に見えても、相手はアインツベルンが召喚したサーヴァント。油断はできないと気を引き締め、魔力を込めた宝石を手に取る。

 その程度の警戒では到底足りないことを理解していたのは、ただ一人だけだった。

 

「あ……あ……?」

 

 慎二は、口を半開きにし、思考を消し飛ばされていた。見たものが、あまりにも絶望的であったために。

 その意地も、誇りも、折れ砕けるほどに。戦意を失い、くじけて倒れてしまいそうなほどに。

 

「士郎。ここは私が斬り込みます」

「大丈夫か、セイバー?」

 

 慎二の様子に気づかず、最優のサーヴァントは打って出ようとしていた。

 

「ま、待て、勝手に動くな! あいつは正面から勝てるような奴じゃない! いや、逃げるんだ! 早くっ!」

「お、おい、どうしたんだ慎二?」

 

 士郎とセイバーの会話に、慎二が割り込んだ。その顔は蒼白になり、危険を訴えている。士郎は慎二が必死になっている理由を聞こうとするが、先にセイバーが動いていた。

 バーサーカーは、精神を狂わせることを代償にポテンシャルを上昇させるクラス。しかし狂化しているがために、宝具を使うタイミングが正確でない。強力な力を持っていても、それを使う前に倒しきるべきだと、セイバーは一気呵成に攻める。

 

「はぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

 セイバーが見えざる剣を振りかぶり、攻撃を繰り出す。体から魔力を噴出し、凄まじい速度で突進する。

 対して、男の方は全く動きを見せない。構えをとることもなく、ズボンのポケットに手を突っ込んだまま、立っているだけだ。けれど、このままというわけがない。防ぐか、避けるか、迎撃するか、何らかの行動をとるはずだ。

 セイバーは、どのような行動にも対応できるよう、意識を集中させたうえで、斬りつけた。

 

「……え?」

 

 そう、声を漏らしたのは士郎だった。

 士郎の視界から、バーサーカーを切り裂く寸前だったセイバーの姿が消失したのだ。瞬間移動でもしたかのように、急に消えた。後には、ポケットに手を入れて立つ、バーサーカーの姿が変わらずあるだけだ。

 

「ど、どこだセイバー!」

 

 士郎が叫ぶ。返事は、士郎の背後からあった。

 

「……し、ろう」

 

 士郎が振り返ると、倒れ伏すセイバーの姿があった。鎧が割られ、血が滲んでいる。

 

「セ、セイバー!」

「何……? 何が起こったの?」

 

 士郎が叫び、凛が困惑の声をあげる。

 バーサーカーに斬りかかったセイバーが、なぜ、いつの間にか士郎達の背後に、倒れているのか。

 

「わかりません……いつ、私は攻撃されたのか……」

 

 やられた本人さえ、何をされたのかわかっていない。斬りかかったと思ったら、いきなり吹っ飛ばされていた。吹っ飛ばされる、要因も感じられぬままに。剣を杖代わりに使って立ち上がるが、ダメージは中々に深いようだ。自前の魔力で強引に傷を癒すが、士郎との魔力供給ができていない現状、何度も同じことをしていれば消滅してしまう。

 

「へぇ……バーサーカーが殺しきれないなんて、流石にやるわね。セイバー」

 

 その様子を、イリヤが上から目線で褒める。

 

「くっ!」

 

 謎の攻撃に危機感を抱いたアーチャーが、行動に移る。素早く、二振りの中華剣を生み出して、鋭く投擲する。空になった両手に、再び中華剣を造り、今度はアーチャー自身が地を蹴って跳躍した。回転してバーサーカーに迫る剣に対処した直後の隙を、突こうというのだ。

 セイバーが直接斬りかかったのを防がれたという、前例を見たうえでの、二段階に分けた攻撃。高く空中に舞い上がったアーチャーは、重力加速度をつけた攻撃を、バーサーカーへ繰り出そうとする。

 

「冗談じゃないぞ……」

 

 この場でイリヤを除けばただ一人、バーサーカーの『真名』を知っている慎二が、恐怖に震える喉から、声を絞り出す。慎二は、アーチャーの作戦が無駄に終わることを知っていた。しかし、衝撃(ショック)のあまりにアーチャーを止められるほど、強い声を出すことができない。

 

「なんで……嘘だ……なんで召喚されてんだよ……」

 

 慎二が精神的に立ち直る前に、バーサーカーへと剣が突き刺さろうとしていた。しかし、

 

 バキィッ! ベキィッ!

 

 バーサーカーと、剣を投げた時のアーチャーの距離は約30メートル。気がつけば、バーサーカーがいた位置より、手前15メートルの時点で、投げられた剣は折れ砕けて、地面に転がっていた。

 そして、バーサーカーの姿はアーチャーの視界から消えていた。鷹のように優れた視力を誇るアーチャーをして、その動きを全く捕えられなかったのだ。

 

(防御や攻撃どころか、移動さえ補足できないだと……!?)

 

 あのランサーでさえ、ここまでどうしようもない速度ではなかった。そして、アーチャーは敵を見失ったことに焦るが、すぐにバーサーカーがどこにいるのかわかった。

 

「――――ッ」

「な……!」

 

 まだ空中にいたアーチャーの隣に、彼はいた。彼もまた跳躍していたのだ。

 まるで、気がつかぬうちに。俊足や気配遮断などでは説明がつかない。

 

(何を、どうやって……!?)

 

 アーチャーは、バーサーカーの姿を改めて見る。

 そのバーサーカーは、歴史に名を刻む英傑にも、神話に伝説を残す勇者にも見えなかった。

 狂戦士とは思えぬ、静かで端正な顔立ち。黒い髪や、肌の色からして日本人のようだが、やや緑色の瞳には、西洋人の血が感じ取れる。背は高く、2メートル近くある。

 確かに相当な美丈夫ではあるが、服装が問題だ。

 

(学ランと学帽……!)

 

 神秘とは程遠い服装。

 その姿は、一昔前の高校生にしか見えなかった。

 けれど、かつて多くの悪党が、その姿を恐れ、警戒したのだ。

 

 そして、アーチャーに向けて、姿と共に恐れられた雄叫びが向けられる。

 

「オラオラオラオラオラオラオラオォォォォラァァァァッ!!」

 

 吹き飛ばされる、赤い弓兵。その惨状を震えながら、慎二は見ていた。見ていることしかできなかった。

 

「なんで……あんたが……」

 

 慎二はその男(バーサーカー)を知っている。

 その男の行ってきた冒険と、その実力を知っている。

 

 その、男の名は、

 

空条(くうじょう)……承太郎(じょうたろう)ぉぉぉッ!!」

 

 

 

 

 ……To Be Continued

 

 





 常時『てめーは俺を怒らせた』状態(バーサーカー)である。
 ヘラクレスファンの方々、ごめんなさい。


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ACT6:裁きの拳

 

 ここに、3人のサーヴァントがいるッ!!

 

 セイバー! 7つのクラスで最優とされる、剣の英霊。見えぬ剣は単純ながらも効果的で、凄まじい直感で危機を嗅ぎ取り、魔力放出によって生み出される破壊力と速度で勝負を決める。最優の名に恥じぬ大英雄!

 

 アーチャー! サーヴァントの中でも強力とされる、三騎士の内の一つ。トリッキーな戦術で相手を翻弄する、奇異な弓兵。飛び道具だけでなく、双剣による白兵戦にも優れた、謎の戦士!

 

 ライダー! 多様な宝具を所持する、騎乗兵。俊敏さと、人ならざる怪力を誇り、三次元的な機動で襲撃する反英雄!

 

 誰もが、紛れもなく英雄。

 一挙手が大気を切り裂き、一投足が大地を砕く。

 一騎当千、万夫不当。近代兵器など及びもつかぬ、伝説の具現。

 

 ――これから、彼ら3人は敗北するッ!!

 

   ◆

 

「がっはぁ!」

 

 重い拳の連撃を受け、アーチャーは大地に叩き落とされる。咄嗟に身をかばい、霊核を腕で護ったものの、ダメージは浅くない。手にした剣は既に砕け、拳の凄まじさを表していた。

 

「アーチャー!」

 

 凛が叫ぶのを聞きながら、アーチャーは身を起こし、危なげなく着地したバーサーカーを見据える。

 

 学ランと学帽をまとった、一昔前の高校生。端正な顔立ちと高い背丈の、どこにでもいるとは決して言えないが、あくまで常人の域にいる男に見えた。しかし、その身にまとう気迫、振り撒かれる怒気は、確かに常人を超えていた。

 

 彼の背後には、古代ローマの拳闘士のごとき精悍な人型が浮き出て、鋲を打った黒グローブを嵌めた拳を、構えていた。獅子の鬣のように振り乱される髪、夜の闇にもはっきりと輝く星の如き眼光。上半身は肩当と、首に巻いている布程度しか身に着けていないが、その逞しい筋肉だけで、十分に頑強と思えた。

 それが、バーサーカーの力にして、バーサーカーそのもの。

 

 タロット、大アルカナにおける17番目。希望、願いの達成を意味するカード、『星』の暗示を持つスタンド。

 

 その名は【星の白金(スター・プラチナ)】。

 

「――――ッ!!」

 

 バーサーカーが吠える。決して大きな雄叫びではない。だが、音の大きさとは別のものが、大気を震わせる。狂戦士の纏う、威圧感。凄みとでも表現すべきものが、相対する者を怯ませる。

 

「慎二……このサーヴァントを知っているのか?」

 

 士郎が尋ねる。慎二は、まだ震えそうな喉で、言葉を紡ぐ。

 

「……空条承太郎。今は、海洋生物学者をやっている。目の前にいるのは、全盛期である高校生の頃だろうけど」

「今は、って……サーヴァントとして召喚されているのに、まだ生きてるっていうのか?」

「サーヴァントに、過去とか未来とか関係ない。時間軸を無視して召喚されるものらしい。そんなことより問題は、あいつが僕の知り合いの空条承太郎だとすれば、あいつは『最強』だということだ」

 

 スタンドに強弱の概念は無いと言われる。王には王の、料理人には料理人の生き方があるように、それぞれが別の力、別の在り方、別の居場所がある。適材適所。ゆえに、誰のスタンドが一番強いか、などという問いは意味が無い。

 それでも、子供が無邪気に『ゴジラとガメラが戦ったらどちらが強いか』というように、問いかけられて答えるならば、多くの者が『最強』と言えば、この【星の白金(スター・プラチナ)】を選ぶことだろう。

 それほどに、飛び抜けた存在なのだ。

 

 空条承太郎と、【星の白金(スター・プラチナ)】は。

 

「あら、バーサーカーのこと知ってるんだ」

 

 イリヤスフィールが機嫌良さげに言う。自分が好きなものを、他人が知っていたときの親近感が、その声には感じられた。それまで、慎二のことなどまるで見ていない様子だったが、急ににこやかに話しかける。

 

「それなら、早く諦めた方がいいんじゃないかな? バーサーカーの『スタンド能力』、知ってるんでしょ?」

「……まあな」

 

 慎二は苦々しく答える。当然知っている。どうにもならないということも含めて。

 

「えっと……『スタンド能力』ってなんだ?」

「とりあえず、魔術とは別物の、超能力と考えればいい。詳しいことは後で説明してやるさ。まあ、『後』があったらの話だけどな」

 

 士郎の疑問に、慎二は冷や汗を流しながら答える。

 

「ちょっと……『スタンド能力』なの? 今のが」

 

 今度は、凛が口を開ける。異能の一種として、凛はスタンドの知識を持っていた。昨夜、慎二が口を滑らせたため、襲ってきた相手の使っていたのがスタンドであることも、わかっていた。

 しかし、基本的に魔術師がスタンドに対する評価は、『半端な異能』という程度だ。魔術が様々なことで尋常ならざる力を発揮できるのに対し、スタンドは専門的なことしかできないし、できることも魔術に比べて優れているとは言えない。魔力の消耗などは気にしなくていいので、それは便利であるが、せいぜい便利どまりの力というのが、魔術師の一般的な認識だ。

 英霊を一方的に叩き伏せるようなものなどとは、思っていなかった。

 

「スタンド能力は多岐に渡る。くだらないものから、常軌を逸するものまで、ピンキリさ。そして、こいつの能力は」

 

 ゴクリと唾を飲み込み、慎二は決意して言う。今にも心が折れそうだった。バーサーカーの能力が、あまりにも恐ろしすぎたから。

 

「『時を止める能力』」

「そう、世界の時の流れを止めて、自分だけが好きに動くことができる。それが私のバーサーカーの宝具――【世界果てるとも星は輝く(スター・プラチナ・ザ・ワールド)】なんだから」

 

 凛は唖然とした。

 それはもはや魔法だ。魔術でも、個人レベルの時間の流れ程度はどうにかできる。だが、全世界の時の流れを止めるなど、人の業ではない。しかも見たところでは、負荷も無いようではないか。

 スタンドとは、そんな桁外れな真似のできるものなのか。

 

「……時を、止める?」

 

 セイバーが反応した。それは、彼女が前回戦った、最悪の敵の力であったからだが、慎二は、単にその能力の異常さに驚いただけだと思った。

 

「安心しろよ。時を止めると言っても、制限はある。時を止められるのは数秒だけ。時が止まっているのに数秒ってのもおかしいが、まあ感覚にして、5秒程度……まず10秒はない」

「ふーん……本当に詳しいんだ。貴方、間桐でしょ? 名前は知らないけど。没落した家系の名前なんて、憶えていても仕方ないからって。知ってるのは、今の間桐の長男は、魔術回路を持っていないってことだけ」

 

 慎二の最も気にしていることを、無邪気に言われ、慎二の目つきがきつくなる。

 

「……間桐慎二だ」

「シンジね……思ったより面白そうだから、憶えておいてあげる」

 

 慎二は精一杯怒りを込めた声を出すが、イリヤは意にも介さずに微笑む。どうやら彼女にとって、自分たちは敵でさえないらしい。いまだにバーサーカーを攻撃に使わず、お喋りを楽しんでいるくらいに。

 

「……衛宮、遠坂。あいつのヤバさはわかったと思う。ここは一時共闘しないか?」

「……俺はいいけど、セイバーは」

「私も賛成です。『時を止める能力』を使えるのなら、今の私では勝ちきれない」

 

 かつての敗北が、セイバーの脳裏をよぎる。あの時に使えた宝具は、今は無い。『時間停止』を無効化できる、セイバーの真の宝具が。

 無い以上は、あるものを使わなければならない。

 

「アーチャー、どう?」

「悔しいが、確かに厄介だ。下手な攻撃では届きもしない。倒されたこともわからぬうちに、倒れているようではな。だが、共闘すると言っても、何か策があるのか?」

 

 凛は、実際に戦う褐色の弓兵に意見を求め、弓兵は共闘に賛成する。全員の賛意を得たうえで、慎二は方針を話す。

 

「策なんて大層なものはない。どうせ本来敵対する者同士、自分の情報も言えないだろ? 連携なんて期待はしない。ただ、3人で同時にかかって、誰か辿り着いた奴がバーサーカーを……倒せばいい」

 

『倒せばいい』と口にする前に、少し間が空く。慎二にとって、バーサーカーとなっている彼は、恩人であり、尊敬に値する数少ない人物であった。それを倒すというのは、愉快な話ではない。それでも、慎二は戦う者として、すべきことをする。

 

「ふむ……ならば、誰が貧乏くじを引いても、恨まないということで」

 

 ライダーもまた、臆することなくバーサーカーに向けて攻撃する体勢をとる。

 時が止まった中でバーサーカーの攻撃は避けられない。だが、敵が複数である場合、これら全てを倒しきる前に、時は動き出す。再び、時間停止を行うには一呼吸置く必要がある。その間に、バーサーカーを倒す。

 スタンド能力が無ければ、バーサーカー自身はステータス通り、決して強力なサーヴァントではない。本体には、音速級の速度で動き、拳で大地にクレーターをつくるほどの力はない。

 勝機は十分にある。

 

「作戦会議は終わったみたいね。それじゃ……やっっちゃえ、バーサーカー!」

「――――ッ!!」

 

 バーサーカーが走り出した。

 同時に、セイバーたち3人も、各々行動を開始する。

 

「ふっ!」

 

 アーチャーは、今度は剣を出さず、弓兵らしく戦うことを選んだ。後方に跳び、距離をとる。手近な電柱の上に、1秒で駆け上ると、その手に黒塗りの弓を出現させた。続いて矢を数本取り出すと、目にも止まらぬ速さで矢をつがえ、撃ち放つ。射出された矢は、赤い光線のように輝き、バーサーカーに飛来した。一本一本が、戦車を撃ち抜く兵器に匹敵する威力だ。

 その矢よりも速く翔けるのはライダーだ。バーサーカーの右側に回り込むと、いの一番に攻撃を仕掛ける。鎖付きの短剣を振り回し、遠心力の利いた刺突を投げ放つ。たとえ短剣を交わしても、鎖が巻き付き、動きを阻害することになる。

 ライダーが仕掛けるのと逆、左側からはセイバーが迫る。先ほど、スタンドによる痛烈な洗礼をくらっても、まるで恐れを見せていない。たとえ、時が止まった中で何十発の拳を打ち込まれようとも、怯まず、時が動き出した瞬間に斬りつける覚悟を決めて、渾身の剣を振り下ろす。

 そしてバーサーカーは、この3対1の中、時を止める――ことはしなかった。

 

「――――ッ!!」

 

 セイバーとライダー、左右からの攻撃を見て、バーサーカーはまず、先に自分に届く、ライダーの鎖付き短剣の方から対処した。

 

 ガチィッ!!

 

 投げられた短剣を、バーサーカーの背後から現れたスタンド【星の白金(スター・プラチナ)】が抑えた。短剣が飛んでくる方向に顔を向けたスタンドは、短剣をあろうことか、『歯』で噛みついて受け止めたのだ。一瞬でもタイミングがずれていたら、口の奥を貫かれて、重傷だったはず。

 

「――――ッ!!」

 

 ライダーからの攻撃を抑えたあと、次はセイバーへと鋭い視線を向けた。既にセイバーの剣は振り下ろしの体勢にあった。

 

 バシィィィィッ!!

 

「こ、これはっ!!」

 

 斬りかかってくるセイバーの、目に映らぬ剣を、剣身を両手のひらで、挟み込んで受け止める。いわゆる『真剣白刃取り』を、見事に成功させていた。

 

(馬鹿な……私の不可視の剣を、受け止めるなど!)

 

 セイバーの宝具【風王結界(インビジブル・エア)】により、不可視になった彼女の剣は、その長さも幅も知覚できない。ゆえに、どれほどの達人でも、白刃取りのタイミングを合わせることなどできないはずだ。まして、理性を失っている状態で。

 だが、バーサーカーはやってのけた。実は先ほど、時を止めてセイバーを殴り飛ばしたとき、【星の白金(スター・プラチナ)】は剣も共に殴っていた。その時に、剣の形状は把握していたのだ。

 無論、剣の形状がわかったからと言って、セイバーという大英雄が繰り出す必殺の一撃を、受け止めることは至難の業だ。体に触れるほどの至近距離から撃たれた銃弾を、指で摘まんで受け止めるほどの、速度とパワー、超精密な動きとを、兼ね揃えたスタンドの真価である。

 

「――――ッ!!」

 

 そしてバーサーカーは、今度は自分目がけて飛んでくる赤い矢の群れを見据えると、剣ごとセイバーを持ち上げ、

 

「な、何をっ……まさかっ!」

 

 そして、空高く投げ飛ばした。自分に飛来する矢へと向けて。

 

「おのれっ!」

 

 セイバーは仕方なしと、空中で剣を構える。しかし、幾本もの矢を、空中ですべて切り払うことは流石にできない。ならば、一撃で矢を全てまとめて、薙ぎ払うしかない。

 

「風よ……」

 

 セイバーは、剣にかけられた不可視の結界を、解き放つ覚悟を決めた。剣身にまとわり、超圧縮された空気を、一気に解き放つことで、一度限りの強力な衝撃波を繰り出す。

 

「【風王鉄槌(ストライク・エア)】!!」

 

 ゴッ!!

 

 剣が振るわれ、振るわれた方向へと突風というには激しすぎる、指向性と持った嵐が撃ち出される。風の一撃は、アーチャーの放った矢と、正面からぶつかり合い、

 

 ドッゴォォォォォォォォッ!!

 

 巨大な爆発を巻き起こした。矢に込められた魔力が炸裂したのだ。セイバーの小さな体は、木の葉のように爆風に飛ばされ、くるくると回転する。それでも、懸命に体勢を立て直し、なんとか両足から着地することに成功し、大地に倒れて隙を作るような、無様はさらさずに済んだ。

 しかし、これで3人のサーヴァントによる攻撃は、全てしのがれてしまうという結果になった。

 

   ◆

 

「時を止めなくとも……これほどとは」

 

 ライダーは歯噛みする。

 油断していた。甘く見ていた。

 時を止めるという、魔法級の能力ばかりを警戒し、それ以外の能力を軽視していた。

 

「――――ッ!!」

 

 そうしている間に、バーサーカーは噛みしめていたライダーの短剣を手に取り、鎖を引いて、ライダーを自分の間合いに引き寄せていた。

 

「おのれっ!」

 

 ライダーは悔しがりながらも、自身の武器を手放すことを選択する。確かにライダーは怪力であるが、白兵戦の経験はあまりない。バーサーカーとの殴り合いは不利だ。

 武器を失いながらも、ライダーはバーサーカーとの距離をとろうとするが、残念ながら、その判断は少し遅かった。

 

「ッ!? ガハッ!!」

 

 ライダーは、激痛に苦しみながら、地面に転がっている自分を発見した。

 

(時間……停止っ!)

 

 ついに使われた。3体同時攻撃を崩し、1体ずつ倒す算段がついたからだ。幸い霊核は傷ついていないようだが、もう少し、バーサーカーとの距離が短ければ危なかった。より早く近づかれ、より長く殴られ、消滅していたかもしれない。

 

(しかし、くっ……動けませんね。シンジでは、この傷を癒す力はない……魔力を費やして傷を治すには、多少時間がかかる。これは、まずいですね……)

 

   ◆

 

 その有り様は、電柱の上で戦況を見据えていたアーチャーも見ていた。

 

「巧妙な戦闘、慎重な戦術、冷静な判断……本当に奴はバーサーカーか?」

 

 アーチャーは忌々し気に唸る。もっとも、バーサーカーを知る者ならば、決して驚くまい。むしろ、理性があればもっと上手くやったと、低い評価を下すだろう。

 空条承太郎。その知識は、聖杯からほとんど与えられていない。人々に、ほとんど知られていないためだろう。決定的な情報不足。

 間桐慎二から、詳しく聞いている時間はなかった。

 

「だがこの距離であれば、時間停止の間に距離をつめることはできない。見下ろせば、時間停止中に動いていても、すぐにどこに動いたか見つけ出せる……我が骨子は捻じれ狂う(I am the bone of my sword)

 

 アーチャーは弓を構え、空いた手に、一振りの剣を造り出した。剣身が、螺旋状になった奇妙な剣。それを更に変形させ、矢として弓につがえる。

 

「くらえ……【偽・螺旋(カラド)ッ!?」

 

 突如、アーチャーの額と左胸に、鋭い衝撃が襲い掛かった。弓騎士は、電柱から落下し、地面に激突した。落下の衝撃は、サーヴァントにとって問題ではない。しかし、疼く痛みと、攻撃された動揺は抑えきれない。

 

「こ、れはっ」

 

 大地に倒れながらも、アーチャーの鋭敏な視力は、自分と一緒に落下してきた物体を捉えていた。地面に転がった物体に手を伸ばし、摘まみ取ると、それはアーチャーがよく生前に目にしたものだった。

 

「ライフル弾……!」

 

 本物ではない。本物であれば、霊体であるサーヴァントを傷つけることはできない。それは、サーヴァントの魔力によって編まれた、魔力の塊だ。ライダーの鎖付き短剣や、セイバーの鎧のように、宝具には至らぬが、サーヴァントに通用する武装。

 

「バーサーカーの……!」

 

 狂戦士は、飛び道具まで備えていたということだ。それを、時を止めている間に、アーチャーに撃ち込んできた。額と左胸、脳と心臓、霊核のある位置を、正確に狙われた。

 距離の問題で、威力が落ちていなければ。アーチャーが構えた弓の邪魔がなく、急所をより的確に狙撃できていれば。凛からの魔力供給が十分でなく、アーチャーの耐久がもっと弱かったら。

 

「ほんの少しの幸運がなければ……今ので、私は死んでいたということか」

 

 額と左胸から血を流しながら、ぞっとする。バーサーカーの恐ろしさを思い知ったばかりだというのに、まだ足りないというのか。

 アーチャーは身を起こすが、本調子とはとても言えない。霊核に傷はないが、衝撃は響いていたらしい。最初に殴り倒された負傷もあって、全身が痺れ、立ち上がるのにも苦労する。

 

「……くそっ!」

 

 畏怖の次に、アーチャーの心に湧いたのは、激しい屈辱と、自分への怒りである。

 よりによって自分が、『飛び道具』で、『遠距離攻撃』で、敗北した。『弓兵(アーチャー)の領分』で、狂戦士(バーサーカー)に敗北したのだ。

 悔しさに震えるアーチャーであったが、今の状態では、最後に残ったセイバーと、バーサーカーの戦いを見守ることしかできなかった。

 

   ◆

 

「これで、後は貴方だけね? セイバー」

 

 最初から、今この時まで、ずっと余裕の態度で戦いを見つめてイリヤは、少し退屈そうに言った。

 

「でもつまんない。一晩で、聖杯戦争の半分が終わっちゃうなんて。折角だから、もう少し長く楽しもうと思ったのに」

 

 随分な言い草だが、セイバーに文句を言うことはできなかった。現状の圧倒的な戦果を見れば。

 

「とんでもないわね……それにしても、生粋の魔術師のアインツベルンが、なんでこんな隠れた逸材に目をつけたのかしら?」

 

 マスターであるイリヤを攻撃する隙を伺いながら、凛が疑問を口にする。話すことで、アーチャーの回復などの時間を稼ぐという意図からのものだが、不思議なのは確かだ。古くからの魔術の家系であるアインツベルンにとって、スタンドなどという最近知られるようになった異能力など、良くできた手品程度としか評価していないはずだ。

 一族の悲願である大勝負に、いくら魔法級の能力と言えど、歴史や伝説に名を知られた英雄ではなく、現在を生きる存在をサーヴァントに選ぶなど、分が悪い賭けだ。普通はしない。

 

「それは簡単なことよ、凛。10年前の、第四次聖杯戦争……大英雄が跋扈する中で、その半数を討ち取るという、最大成果をあげたサーヴァントがいたの。三騎士ではなく、アサシンのクラスでね」

「アサシン……!? 暗殺者が、まさか」

 

 凛は目を見開く。彼女は、前回の聖杯戦争の情報をほとんど持っていない。参加していた父が死に、町も重大な被害を受け、詳しい情報が伝えられなかったのだ。

 

「アインツベルンは、そのとき、マスターを送り込んだだけじゃなく、マスターの助手として、二人のスタンド使いを雇っていたの。その二人が、アインツベルン本家に逐一、戦況を報告していた。その時のアサシンは、スタンド使いの間では有名だったみたい。死徒にしてスタンド使い。このバーサーカーと同じく、時を止める能力を持ち、多くのスタンド使いを配下にした男――DIO」

 

 イリヤは楽し気に話す。どうやらお喋りは嫌いではないようだ。あるいは、バーサーカーのことを自慢したいのか。

 

「最終的に、アサシンもまた破れたけど……総合的な評価として、アサシンが第四次聖杯戦争で最強であると、アインツベルンは判断した。だから、このバーサーカーを召喚することに決定したの。なぜなら」

 

 次の言葉に、セイバーは強い衝撃を受けることになる。

 

「そのアサシンであったDIOを殺した者……正面から打ち破った相手こそが、このバーサーカーなんだから」

「な……!!」

 

 セイバーの驚愕の理由を、誰も正確には測れなかった。セイバーから少し説明を受けた士郎以外は、彼女が前回の聖杯戦争に参加していたことを、知らなかったのだ。イリヤも知ってはいたが、前回の聖杯戦争で呼ばれたセイバーと、今回の聖杯戦争で呼ばれたセイバーは、同じだけど『別人』だと思っていた。サーヴァントは基本的に、本物の英雄のコピーであり、聖杯戦争の都度、召喚される。

 したがって、別の聖杯戦争で召喚されれば、同じ英雄を召喚しても、厳密には別人であり、前回の記憶など残っていないのが普通なのだ。

 しかし、ここに例外が存在する。普通は、召喚される英雄は死者だ。死んだ後、信仰され英霊となる。だが、セイバーはまだ死んでいない。死ぬ前に、『世界』と契約することで、生きながら聖杯戦争に召喚されるようになっているのだ。

 ゆえに、彼女だけはコピーではなく、本当の彼女自身が、何度も聖杯戦争に召喚される。ゆえに、記憶も受け継いでいる。ゆえに、バーサーカーが、生前のアサシンを打倒した相手と聞き、動揺してしまった。

 彼女は、あのアサシンに対し、完全に敗北したのだ。ただ力量ではなく、『王』として。彼女が持てなかったものを、彼女が最も認められない、邪悪な存在が容易く手に入れていたという現実に、激しく打ちのめされたのだ。

 

(あの男を……)

 

 セイバーの心に刻まれてしまった、黒い傷。それが、バーサーカーに対しての劣等感となり、士気が揺らぐ。自分が敗北した相手に、勝利した存在に対し、自分の勝利が信じきれなくなる。

 

「だから、貴方たちじゃバーサーカーには勝てないわ。最強を打ち破った勇者に、敵う者なんていないということよ。わかったら……そろそろ終わらせましょうか。やりなさい! バーサーカー!!」

 

 マスターの命令に、学ランの狂戦士が動く。彼のスタンドは近距離パワー型。本体から離れられる範囲は、約2メートル。それ以上離れると、パワーが弱まる。

 近づいてくるバーサーカー。その足取りには何の躊躇もない。もとより、恐怖を抱く理性など無いのがバーサーカーである。

 対して、セイバーはバーサーカーに怯む。彼女は強さを恐れない。敗北を恐れない。

 だが、自分が勝てなかった相手に、勝った男。自分に苦い涙を飲ませた、あの男を破った戦士。それを前に、自信が揺らいだ。ただ剣を振るうだけで、勝利を得る未来が、どうしても浮かばなかった。

 ゆえに、彼女は安易な選択をとってしまう。彼女は、手にする剣を、両手にて強く握る。

 風の守護を、撃ち放ってしまったため、今、彼女の剣は不可視ではない。美しく輝く剣身がはっきりと見え、夜の暗黒を照らしていた。

 

(宝具を、使う)

 

 らしくない判断であった。彼女の宝具は対城宝具。敵陣を滅ぼす大威力を誇るそれを、バーサーカーに向けるのは、歩兵一人にミサイルを撃ち込むようなもの。みだりに使うべきではない。いかにバーサーカーが強敵とはいえ、安易に頼るような、生易しい武器ではないのだ。

 つまりは、セイバーは怯えていたのだ。バーサーカーが近づいてくることに対し、その距離が狭まっていることに対し。だから、その拳が届く距離になってしまう前に、吹き飛ばしたくてたまらなかった。弱い犬が、恐慌をきたして無闇やたらに吠え掛かるのに似た、失態であった。

 前回の戦いでアサシンが残した傷の、深さが垣間見えた。

 

「バーサーカー……我が力の真を、見せてやろう」

 

 セイバーの剣が輝きを強め、膨大な魔力が吹き上がる。

 時を止めて走り寄っても、間に合わないギリギリの距離だ。いや仮に、攻撃をくらったとしても、必ずこの剣を振り下ろして敵を討つという覚悟で、セイバーは宝具の真名を解放しようとする。

 

「【約束(エク)――】

 

 ドガァッ!!

 

 しかし、やはり彼女は冷静でなかった。あまりに単純なことを見落としていた。

 

「――――ッ!!」

 

 まず、相手の能力を完全に把握し切れていなかったこと。バーサーカーとの距離は、確かに走り寄っても、宝具発動に間に合わない距離であった。だがバーサーカーは、ここでスタンドの足で大地を蹴り、跳躍する方法をとった。生前、DIOとの戦いで、夜の街を飛び回ったやり方である。

 走るより速く、セイバーの前に立ったバーサーカーは、間合いを詰められても構わず、宝具を放つつもりであったセイバーに、拳を振りかざした。

 もう一つ、セイバーが見落としていたこと。負傷を顧みず、敵を倒すことを優先するのは、狂戦士の領分であったこと。セイバーは、自分の身の危険を無視した戦闘を覚悟したが、バーサーカーにとってそれは覚悟するまでもない、当然のことであった。

 

「オラァァァァァッ!!」

 

 ゆえに、より躊躇なく、より速い攻撃が、セイバーへと繰り出される。

 

 怯えた攻撃より、遥かに勝る拳が。

 

 バーサーカーの拳が、戦局を見誤った愚者の罪を、裁く。

 

 ゴッ!!

 

「かはっ!!」

 

 心臓部を打たれ、セイバーは血を吐いた。ダメージは浅くない。だが、鎧が砕けただけで、心臓を貫ききることはできなかった。さすが、セイバーの耐久力というところか。だが、最強と謳われたスタンドの拳は、瞬時に次弾を放つ。

 

(耐え切れないっ!)

 

 セイバーは、次の攻撃で確実に霊核を貫かれることを悟るしかなかった。

 しかし直前、

 

「セイバァァァァァッ!!」

 

 ドンッ!

 

 セイバーが宝具を使おうとした時点で、ほぼ本能的に、セイバーの敗北を察した士郎が、走ってきていた。セイバーに体当たりするように押しのけ、バーサーカーの拳から、セイバーを逃がす。だが代わりに、

 

「って、何やってんだ衛宮ぁぁぁっ!!」

 

 慎二の絶叫する中、かつて多くの悪を打ちのめしてきた拳が、士郎へと迫る。

 士郎を一撃で潰し殺すのに、十分な威力の鉄拳が。

 

 ガオンッ!! パッ!

 

 ギュオンッ!!

 

 だが、血しぶきが飛び散らんとする直前、士郎の姿が搔き消えた。虚空に消えるように、突如、消失したのだ。

 

「え? え? どうなった?」

 

 まるで、先ほどバーサーカーの姿が消えたのと同じような現象に、慎二は混乱する。

 

「……貴方」

 

 そんな慎二より前に、その現象の正体を悟ったイリヤは、初めてその可愛らしい顔をしかめ、不機嫌を表した。

 彼女の視線の先、バーサーカーから若干離れた位置に、士郎が立っていた。彼自身、何が起こったのかわからず、困惑しているようだったが、イリヤが見ているのは士郎ではない。

 士郎の後ろに立つ男。美形とはとても言えない、少し間抜けそうな顔。しかし、親しみやすく、楽し気な様子の男。

 

「よおっ、元気してたかい。イリヤス……ス……ス……?」

 

 アインツベルンの少女の名前を呼ぼうとして、長い名前を憶え切れていなかったらしく、悩み出す男。そんな男をフォローするためか、男の隣にいた女性がイリヤに呼びかける。

 

「イリヤスフィール・フォン・アインツベルン。貴方は彼を殺すべきではない」

 

 黒い髪を肩まで伸ばした、冷たげな顔の女。整った顔立ちと、細身の体。その声を聞いて、士郎は振り返り、驚いて口を開いた。

 

「舞弥さん! なんで……!」

「……今は説明している時間はありません。ただ、この場を切り抜けましょう」

 

 久宇(ひさう)舞弥(まいや)。士郎にとって、家族の一人である女性。彼女は、その右手に拳銃を握りながら、傍らの男に言う。

 

「頼みましたよ、億泰(おくやす)

「任しておいてくれよ。それに……承太郎さんに、子供を殺させるわけにはいかないからよぉ」

 

 かつて、冬木の地で戦い抜いた男の背には、ロボットのような顔の人型が、自信ありげに、右手をかざしていた。

 

 

 

 

 ……To Be Continued

 

 



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ACT7:スタンドよ、力を示せ

 

 

 久宇舞弥。10年に渡る付き合いでありながら、士郎にとって、彼女は謎だらけの女性であった。

 初めて彼女を目にした時、彼女は切嗣の奥さんなのだろうと、幼い頃の士郎は思った。

 しかし、紹介された時に、どうも違うようだと理解した。

 

『彼女は、久宇舞弥……その、僕の家族だ』

『初めまして、士郎。私は……いわば、貴方の【先輩】です。わからないことがあれば、できる限りは力になりましょう』

 

 愛想笑いの一つもしない舞弥に、困ってしまったことを憶えている。先輩だと言われても、相手の立場が得心できず、どう対応すればいいのかわからなかった。怖いとか、嫌いとかではなく、なんだか難しい人だというのが、第一印象であった。

 共に生活する中で、少しずつ彼女のことを知っていったが、わからないことはより増えていった。

 

 家事については、切嗣と同様にまるで役に立たなかった。家事が下手であるという以前に、家事をすべきという考えが無い。

 食事は、レトルトか総菜、あるいは外食。調理器具や食器はそもそも使わない。

 掃除は最低限。どれだけ散らかっていても、どこに何があるかは把握しているが、片付けようと言う必要性を感じる神経が、最初から無い。

 衣服は同じものを何日も着ることはざら。洗濯は着るものがなくなりかけたら、洗濯機を作動させる。洗濯によって、色落ちや縮みがあるかもしれない衣類であっても、気にせずまとめて洗ってしまう。

 

 子供心に、これは無いと思ったものだ。

 見た目が美人で、できる女という風情なので、ギャップが酷い。私生活でも、裸で士郎の前に現れたりする。士郎が慌てても、無感情に首を傾げるほどだ。情緒が無さすぎる。

 たまりかねて切嗣に、彼女に注意してやってくれと頼んだが、

 

『ごめん、士郎。彼女をああいう風に育てたのは僕の責任だ。日本における常識というものが身についていないのを許してほしい。そして、どうか見守っていてほしい。君も大変だと思うけど、彼女もまた、大変な思いをしているんだ。今までの生き方を捨てて、僕に付き合ってくれているんだから』

 

 切嗣は静かな表情であったけど、その眼が今にも泣きそうに見えた。

 結局、士郎は折れて、どこかずれた舞弥を受け入れることにした。

 

 士郎が、切嗣の養子になってから、舞弥は常に切嗣と共にいた。表情は常に変わらず、切嗣が旅行に行くと言って家を空ける時は、必ずついていった。体調を崩し始めた切嗣にも、何も不平不満を見せることなく、黙々と介護を務めた。

 士郎も、あまり清純でない男女関係の概念を、知識に加えるようになり、切嗣と舞弥の関係に居心地の悪い思いを抱いた時期もあった。しかし、そんな時期は長くなかった。二人の大人に流れる空気は、そんな甘さや熱や、背徳感といったものがなかった。むしろ、間にある空気というものが無いと言った方がいい。

 まるで、二人で一つのような。舞弥が切嗣の体の一部のような。人と人の付き合いというには、欠けているような、あるいは繋がりすぎているような、言い表しきれないものがあった。

 切嗣が亡くなった時、葬式の手配は、周囲の力を借りながらも、舞弥主導で行われた。しかし、それは舞弥の意思ではなく、切嗣の残した遺言に従い、舞弥が動いただけであった。葬式や、遺産相続などの手続きを終えた後、舞弥はしばらく何もしようとしなかった、人形遣いがいなくなった操り人形のように、士郎が言わなければ、ものを食べようともしなかった。

 士郎も大河も心配し、医者に見せるべきか相談しだした頃、急に荷造りをはじめ、旅行に出ると言い出した。

 どこに行くのかと聞けば、

 

『人を探しに行きます。どこにいるのか、生きているのかもわかりませんが、それが……私の責任なのだと、決めました』

 

 彼女の中で、どういった結論が出たのかはわからない。しかし、それが、切嗣に従い続けた彼女が、初めて士郎に見せた、己自身の選択であり、行動であった。

 だから、士郎は心を込めて祝福し、送り出した。この頃には、士郎も初対面の日、なぜ彼女が自分を【先輩】だと言ったのか、理解していた。

 切嗣と共にある人間ということや、切嗣に拾われ、育てられた人間ということだけではない。

 自分自身の中身の無い人間という意味で、彼女は言ったのだ。

 

『同類』の旅立ちを見送った士郎が、次に舞弥と出会うのは、それから3年後のことであった。

 

   ◆

 

「うっす、イリヤ。10年ぶりだが、大きくなってねえなぁ、全然」

 

 少女の冷たい空気をものともせず、億泰はフランクに話しかけた。10年前、アインツベルンの城で、切嗣ともども雪塗れになり遊んだ思い出を共有する二人の再会である。

 

「ええ……本当に久しぶり」

 

 イリヤも億泰のことは憶えている。何せ、アインツベルンの城に訪ねてくる者などほとんどいない。いたとしても、面会するのはアインツベルンの現当主であるアハト翁であり、イリヤが会うことはない。

 そんな環境で、他にない、共に遊んだ相手だ。彼女の優れた記憶力は、ちゃんとその顔と声を憶えていた。

 

「けど、残念。今回は雪合戦じゃすまないわ」

 

 しかし、浮かべた笑顔には、親しみの温もりは籠っていない。

 

「聖杯戦争に敗北して逃げ出したのを、見過ごしてあげていたのに……わざわざ処刑されに来るなんて、馬鹿だね」

 

 父である切嗣同様、アインツベルンにとっては敗残兵である。容赦する理由は無い。

 

「やりなさい、バーサーカー」

「――――!!」

 

 狂戦士は、並みならぬ付き合いのある億泰を前にしても、戦意衰えることなく、拳を握る。

 それが『バーサーカー』のクラスというものだ。いかに英雄とはいえ、狂気に侵されている状態では、どのような非道も行える。

 それに対し億泰は、

 

「じゃあ、俺逃げるから、あとは頑張れよ!」

 

 クルリと回れ右して、走り出した。

 

「ええ?」

 

 士郎が間の抜けた声をあげ、

 

「ちょっ……何ふざけているのっ! バーサーカーっ!」

 

 イリヤが怒って、バーサーカーに追いかけさせる。バーサーカーからイリヤが離れれば、彼女は無防備になるが問題ない。既に、サーヴァントたちは傷つき倒れている。英霊なしの戦いでなら、イリヤは誰にも負けない自信があった。

 その自信ゆえの、バーサーカーへの命令であったが、もしもバーサーカーに理性があったら、安易にその命令に従いはしなかっただろう。

 

「――――ッ!!」

 

 無言の雄叫びとでも言うべき、威圧感を放ちながら、バーサーカーは億泰を追う。追われる億泰の表情は、その場の誰にも見えなかったが、恐怖で引きつっていた。

 

(うおおおぉぉぉ! 超コエェェェ!! 承太郎さんとボコり合いなんて冗談じゃねーよ!!)

 

 億泰は、承太郎の強さを知っている。自分の知っている者の誰もが、彼に勝てるとは思わないだろう。

 億泰のスタンド能力【ザ・ハンド】は強力な能力だ。右手で掻きとったものを、何であろうとも削り取る能力。空間ごと物体を削り取るため、削られた物体はこの世から消失し、どこに行くのかは、億泰自身にもわからない。

 また、先ほど士郎にやったように、空間を削り取ると、削られた空間を埋めるために周囲の物体を『瞬間移動』させて引き寄せる現象が起きる。

 防御無視の破壊力と、『瞬間移動』によるトリッキーな戦術。もう一度断言しよう。

 億泰のスタンド能力【ザ・ハンド】は、非常に強力な能力だ。

 

「オラァッ!!」

「ひいっ!」

 

 しかし、空条承太郎の【星の白金(スター・プラチナ)】は、最強の能力だ。強い弱いは、相性や使い方次第というが、それでも【星の白金(スター・プラチナ)】が最強であると多くが認める。億泰もそうだ。

 背後から放たれた拳を、背後に回したスタンドで防御するが、逃げながら精密な動作はできない。あまり長くは防げない。

 いつ時を止められて、殺されたことさえ気づかぬうちに死んでも、おかしくない。

 その恐怖に、耐えながら、億泰は逃げる。ここまでは、どうにか作戦通りであった。

 

(賭けだぜコイツは。いつまで、時を止めずにいるか……そういう賭けだ)

 

 時を止められたら、もうそこまでだ。サーヴァントのような耐久力も再生力も無い、生身の人間である億泰は、死ぬ事さえ気づかぬうちに殺される。

 だが、時を止める能力も、決して完全無欠ではない。攻撃をくらわせる手はある。

 まずは、不意打ち。時を止めるよりも前に、気づかれずに攻撃すること。

 次に、遠距離攻撃。時を止めても、時が動き出すまでに近づいて殴り倒せない間合いからの攻撃。それなら少なくとも、こちらは攻撃を受けることはない。一度時を止めれば、もう一度時を止めるには一呼吸の間を置かなくてはいけない。その間に攻撃できる。

 そして、人質。バーサーカー自身ではなく、バーサーカーが大切にしているものを狙う。今回の場合はイリヤになる。イリヤを攻撃すれば、バーサーカーは身を挺して、彼女を護るだろう。かつて、億泰の友人でもある広瀬(ひろせ)康一(こういち)を、爆弾のスタンドから助けたように。

 

(けど3番目は使えない……。なら、1番と、2番!)

 

 億泰が、時間停止の間に追いつかれる距離まで、バーサーカーとの間合いが縮まった瞬間、

 

 パパウゥゥッ! パウパウッ!

 

 透明の薄い円盤が複数、バーサーカーに向けて飛来した。

 

「ッ!」

 

 スタンドの拳を素早く反応させ、バーサーカーはその円盤を叩き落とす。打ち砕かれた円盤は、液体となって落ち、地を濡らす。円盤の正体は、ただの水。ただし、強い圧力で押し出されて、刃と化し、金属や大理石も切り裂く切れ味を備えたものだ。

 スタンドで的確に平面の側を叩いたから容易く落とせたが、バーサーカー本体の方なら、切り刻まれていただろう。

 

「うーむ、波紋カッターをあっさり防ぐか。確かに、そこらの屍生人(ゾンビ)よりは遥かに強力なようだ」

 

 ウォーターカッターを放った男は、防がれたことを悔しがるでもなく、余裕の態度で現れた。

 

「しかし、狂える戦士など、所詮は真の戦士ではない。それを教育してあげるとしよう」

 

 派手なシルクハットを被った『キャスター』は、500mℓの水入りペットボトルを片手に、悠然と最強のサーヴァントに挑む。

 

「――――ッ」

 

 バーサーカーは、キャスターを叩きのめすために近寄ろうとして、すぐに足を止める。彼の頬に、薄くではあるが傷が開き、血が流れ出していた。

 

「気づいたか。なぜ、最初から私が出なかったか。君が億泰くんと追いかけっこをしている間に……すでに我が陣地はできあがっていたのだ」

 

 バーサーカーの周囲には、無数の円盤が浮遊していた。宙に浮くほどに軽い、僅かな量の水でつくられたそれらは、電気ノコギリのように高速回転し、触れたものを切り刻む。先ほど飛来してきたものよりも、もっと小さく、薄く、透明なそれは、夜の闇の中では容易に見つけ出すことはできない。

 しかも、キャスターは目の前で水を口に含み、次々と新たな波紋カッターを生み出している。

 億泰がバーサーカーの注意を引き付けている間に、キャスターの行動は開始されており、そしてバーサーカーは、用意された罠の中に、突っ込まされたのだ。

 

   ◆

 

「へぇ……ちょっとは頭を使ったみたいね」

 

 罠に嵌ったことに勘付いても、イリヤの余裕は変わらなかった。

 いくら【星の白金(スター・プラチナ)】でも、無数の刃を無傷で潜り抜けることは不可能。狂気に侵されていない状態であれば、その精密動作性をフル活用して、的確に波紋カッターを叩き落とすことも可能であったが、バーサーカーでは無理だ。

 時を止めたとしても、脱出した直後に時は動きだすだろう。次の時間停止が使えるようになるまでの間という、バーサーカー最大の隙が生まれてしまう。バーサーカーの能力を知らないものならまだしも、彼の能力を良く知る虹村億泰は、その隙を決して逃すまい。

 中々に悪い状況のはずだが、イリヤは動じない。

 

「ひょっとして、バーサーカーじゃなくて、私を殺せば勝てるって思ってる? でも、そっちのサーヴァントはほとんど重傷。マスター同士の戦いなら、私に敵う者はいない。サーヴァントの傷を治したとしても、令呪を使えば、すぐにバーサーカーは手元に戻せる。無駄なことじゃない?」

 

 最強を自負する幼き少女の姿をした魔術師、イリヤスフィールは舞弥を嘲笑う。

 

「私は、バーサーカーのいない間に、貴方を殺すなどという策をとったのではない。ただ、貴方と話す時間が欲しかったのです。イリヤスフィール・フォン・アインツベルン」

「話ってなぁに? 貴方、確かマイヤでしょ? 資料にあったわ。キリツグの愛人だって」

「愛人とは違うかもしれませんが……貴方と敵対するつもりはありません」

 

 カナリアを虐めようとする猫のような微笑みで、イリヤは父の愛人とされている女と相対する。

 

「敵じゃない? じゃあ、なぜ聖杯戦争に参加したの?」

「一つは、士郎を護るために」

 

 衛宮士郎。切嗣が最後に救い、救われた存在。切嗣の忘れ形見。そして、久宇舞弥の同類。

 

「そしてもう一つは……貴方を護るために」

 

 アイリが最後まで案じた存在。切嗣とアイリの愛娘。幾度となく、彼女をまたその手に抱くために、切嗣はアインツベルンの城へ赴き、そのたびに追い返された。

 それを知っている。舞弥だけが、切嗣の息子と娘のことをわかっている。

 だから、舞弥は二人が殺し合うことだけは、絶対に止める覚悟であった。

 

(覚悟……この私が)

 

 切嗣に拾われる前も、拾われた後も、彼女には覚悟するような心など持っていなかった。

 戦乱の地に生まれ、道具として扱われてきた。ただただ流され、依存して生きてきた。そうせずに生きるには、彼女にとって世界はあまりに残酷すぎた。

 だが、今や彼女は道具ではない。使い手であった切嗣が亡くなった時、彼女は動くのをやめなかった。

 

『たとえ生んだだけだとしても、酷い親だとしても、それでも親にはいて欲しいと望むのが子供なんだよ。だからよ、会ってやれよ。そうすりゃよ、あんたも、あんたの子も、ひとりぼっちじゃなくなるぜ?』

 

 静かに朽ちていこうとする舞弥の胸に、その言葉が反響した。そして、彼女は歩き出した。

 

 故郷へと帰り、忌まわしい記憶を辿り、自分が飼われていた部隊の情報を探り、『我が子』を探した。3年かけて、彼女は『我が子』の足跡を追い、ついに辿り着いたのは、『我が子』が死んだという、決定的な情報であった。

 手榴弾の爆発で、死体は半壊していたらしい。それでも、残った肉体から行ったDNA鑑定の結果、その死人が舞弥の子であることは、確定してしまった。

 その日、舞弥は泣いた。驚くべきことだった。自分に、まだ涙を流す機能が残っていることに、舞弥は心から驚愕した。

 丸1日、何もせずにただ泣き尽した後、舞弥は日本へと向かい士郎に会った。

 士郎は、舞弥が出て行った頃より、背が伸び、料理の腕も上達していた。そして舞弥は決めたのだ。

 せめて、切嗣の子は護ろうと。自分は切嗣の一部だったのだから、切嗣の子は、自分の子供も同然であると。

 それは所詮、代替行為に過ぎぬのかもしれない。ただ自己満足の、自慰行為に過ぎぬのかもしれない。それでも、舞弥は決めたのだ。道具としてではなく、身勝手な人間として、決めたのだ。

 けれど、イリヤはそんな舞弥の思いなど知らず、興味も無い。

 

「護る? お母さまを守れなかった貴方が?」

 

 仇の片割れの言うことに、耳を貸す気も、もちろん無かった。

 

「舞弥さん……どういうことだ? この娘が、爺さんと何か関係あるのか?」

「士郎……」

 

 舞弥は迷う。この状況で話を進めて、平和に終わるとは思えない。

 士郎が巻き込まれることは予測の範疇だったが、こうも早くイリヤとぶつかるとは思っていなかった。昨夜にキャスターから、士郎がセイバーを召喚したという報告は受けていたので、今夜、話をしようとしていたのだが。

 

「貴方は何も話さなくていいわ」

 

 イリヤは髪の毛に魔力を注ぐ。

 髪の毛は、空中で編み上げられ、立体的な形になる。美しい鳥の造形の使い魔。それが2羽。

 

「死になさい」

 

 髪の毛で造られた使い魔は、羽ばたきながら、舞弥に嘴を向け、

 

 バシュッ! バシュッ!

 

 魔力弾を放つ。

 舞弥は、士郎の身を突き飛ばして、魔力弾から逃がし、自分も飛び退る。

 

「舞弥さん!」

 

 士郎は舞弥の身を案じて声をあげるが、それは無用というものだった。舞弥は素早く銃口を、空に浮かぶ使い魔に向け、撃ち放つ。

 この時のために準備した魔術弾。舞弥自身の魔術の腕は、見習いより少し上程度。イリヤに魔術戦で勝つなど不可能。ゆえに、実力は道具で補う。

 

 バジュゥッ!! ドジュウッ!!

 

「へえ?」

 

 イリヤは少しばかり感心する。その魔術弾の威力は相当のもので、イリヤの使い魔は、弾丸を自動的に回避したにも関わらず、軌道を変化させた弾丸によって一撃で破壊された。それを為したのは『人間の指』を加工した弾丸。北欧の指さしの呪い(ガンド魔術)と、死霊魔術(ネクロマンシー)の組み合わせの産物。知人の、魔術使いから買い取ったものだ。

 高価な品のため、多用することはできないが、威力は十分。ただ問題は、強力すぎること。手加減ができないため、イリヤに直接攻撃することはできないということだ。

 もっとも、舞弥のそんな考えは、イリヤをまだ甘く見た考えだった。イリヤの力はまだ、この程度ではない。

 

「じゃあ、次は4羽」

 

 すぐさまイリヤは、新しい使い魔を補充する。しかも倍の数だ。

 

「なんて馬鹿げた魔力……!」

 

 その行為を見て、凛が呟く。飛び道具と自動操縦を兼ね揃えた使い魔。ミニ魔術師のような、高性能の使い魔を量産するなど、飛び抜けすぎている。凛とて一流の魔術師だが、イリヤの力はそれ以上だ。桁が違う。

 

「慎二! あんた、何か手は無いの? あんた、スタンド使いなんでしょ?」

「……えっ、な、なんでっ?」

 

 なんで知っているのか、そう聞き返しそうになる。だがそれが、自分がスタンド使いであると認める返しであることに気づき、慌てて口を噤むが、遅かった。してやったりという顔で、凛が言う。

 

「間抜けは見つかったようね? スタンド使いについて、私もそんなに知識はないけど、スタンドは、霊視のできる魔術師か、スタンド使いにしか見えないっていうのは知っているのよ。魔術を使えないのに、昨日の夜、あんたはスタンドが見えていた。消去法で、あんたはスタンド使いってことになる」

「うぐぐ……!」

「スタンドには色々と、特殊な固有能力があるんでしょ?」

「くそっ! わかった使ってやるよ! けど、後で何も言うなよ! 何もな!」

 

 慎二はやけっぱちになって怒鳴り、イリヤに向けて右手をかざす。そして、

 

「【マイキー・ザ・マイクマン】!!」

 

 慎二の右手から、彼の分身が飛び出した。

 大きさは30センチもない。メタリックなボディは、ロボットのようであったが、卵型の黒い頭部についた、カタツムリのように突き出た目や、カエルのような口は、生物的であった。首は無く、頭が直接くっついている棒状の胴に、マッチ棒のように細い手足が生えていた。

 尻からは尻尾のようなものが生えているが、尻尾というには長すぎる。細いロープのような、犬につけるリードのようなその紐状のものは、慎二の右手に繋がっていた。

 パッと見て、それを簡単に言い表すなら、『マイクに顔や手足をつけて擬人化させたもの』であった。そいつは飛び出てから、スタッと着地すると、軽妙な動きで手足を動かし、身を捻り、ビッと音が鳴りそうな動きで、イリヤに右手を突き付けた。

 

「っ!」

 

 何をするつもりかと、イリヤが身構える。警戒する美少女に対し、慎二のスタンドは、

 

『レディィィィス・アァァァンド・ジェトルメェェェンッ!! 赤コーナー! 聖杯戦争、御三家からの使者! ホムンクルスの少女! バーサーカーのマスター! イリヤスフィール・フォン・アインツ、ベルゥゥゥンっ!!』

 

 高らかに、イリヤのことを周囲に紹介した。

 

「……え?」

 

 何がどうなっているのか、予想外の行動をしたスタンドに、イリヤは可愛らしい声をあげた。

 

『青コーナー! 同じく、御三家の末裔! 魔術回路ナシ! からっきしの魔術師未満! 間桐慎二ィィィィっ!!』

「うるさいぞ、この馬鹿スタンドがっ!」

『ギャフンッ!』

 

 顔を真っ赤にして、自分自身のスタンドにディスられた慎二は、己がスタンドを蹴りつけた。スタンド【マイキー・ザ・マイクマン】は悲鳴めいた声をあげたが、スタンドは基本的にスタンドでなくては傷つけられないため、あくまでポーズにすぎない。

 そんな、慎二とスタンドのいわば一人漫才を見ながら、凛は戸惑いつつ口を開いた。

 

「え~っと、間桐くん? ひょっとして……それだけ?」

 

 なんか、相手と自分のデータと名前を周囲に紹介した――それだけ。

 

「……それだけだよっ! 他には何もできないよ僕のスタンドはっ! 悪いかっ!」

「え、ええ……? あー、あの、そのぉ……何か、ごめん……」

「謝るんじゃねえよ! 余計つらいわ!」

 

 本気で申し訳なさそうな凛に、慎二は若干涙目で憤る。そんな弛緩した空気に、イリヤでさえも困った顔をしていたが、やがて手をあげ、針金細工の使い魔たちを動かしだした。

 

「……ちょっと、面白かった、かな? うん、できるだけ苦しまないように殺してあげるから、動かない方がいいわ。下手に避けて急所を外すと、死にきれずに苦しむから」

 

 イリヤがパチリと指を鳴らす。すると、使い魔の形状が変化し、剣の形となった。そして、剣の切っ先を、慎二に向ける。慎二にそれを防ぐ術はなく、まさに風前の灯火であった。

 そのとき、

 

 コツン

 

 イリヤの靴に何か軽くぶつかった。

 

「?」

 

 足元を見ると、小さな筒状の何かが落ちている。それが転がってきていたようだ。

 

「…………!!」

 

 魔力は何も感じ取れない。だから気づきもしなかったが、その『異物』に、イリヤは危険を感じ取った。反射的に使い魔を移動させ、自分の前に置いて盾にする。直後、その筒状の物体が破裂した。

 

 ドカァァァァァァッッッ!!

 

 閃光と轟音が解き放たれた。

 

「なんっ!?」

 

 盾でも防ぎきれぬ、目を眩ませる光と、耳を痺れさせる音。

 

 スタングレネード。

 

 人質などを取られ、殺傷力の高い武器を使うと人質まで巻き込みかねないような状況下にて、敵の行動を鈍らせるためなどに使用される、手榴弾の一種。音と光で、相手の視覚、聴覚にダメージを与え、戦闘を困難にすることができる。

 魔術師として育て上げられたイリヤの知識には存在しない、近代技術が生み出した非致死性兵器。

 慎二が、パンナコッタ・フーゴから貰い受けた装備品の一つ。これを、慎二は周囲の目が【マイキー・ザ・マイクマン】に集まっていた瞬間を狙って、投げていたのだ。スタングレネードが地面にぶつかった時の音は、【マイキー・ザ・マイクマン】の口上によってかき消された。

 

「今だ逃げろっ! それくらいできるだろライダーっ!」

 

 慎二が駆け出す。呼びかけられたライダーも身を起こし、血だらけの体に無理をして、走り出す。

 

「えっ! あっ、待ちなさい!」

 

 眩んだ目を抑え、イリヤは使い魔の攻撃を放つ。しかし、

 

 ザグンッ!!

 

「無様をさらしました。申し訳ありません、マスター」

 

 剣の使い魔は、立ち上がった『剣の使い魔』によって破壊された。

 

「セイバー、大丈夫か!」

「ええ、しかしまだ回復しきってはいません」

「ああ、ここは逃げよう!」

 

 ようやく、2本の足で立ち上がれるまでに調子を取り戻したセイバーは、悔し気ではあったが、やむを得ず、士郎と共に逃走を開始する。その背中に攻撃を仕掛けようにも、目の眩んだイリヤでは、繊細な追撃はできそうになかった。無闇な追撃では、セイバーに容易く防衛されてしまうため、無意味だ。

 

「アーチャー、あんたもいい?」

『残念だが、仕方ないな。援護する』

 

 念話で凛とアーチャーが互いの意志を確認する。アーチャーは再び弓に矢をつがえ、放った。その矢は、イリヤに向けて鋭く飛来した。

 

   ◆

 

「――――ッ!!」

 

 イリヤの危機に気づいたバーサーカーは、すぐさま行動する。いや、『すぐ』なんて言葉では遅すぎる。一瞬後、バーサーカーは波紋カッターの檻を突破していた。そして、キャスターたちのことなど目もくれず、イリヤのもとに走る。

 その背中を、キャスターと億泰は攻撃することはできた。だが、しなかったのは、卑怯な行為を嫌ったため――だけではない。単純に、リスクが大きすぎたためだ。

 子を護ろうとする親よりも、恐ろしい生物はいないのだから。

 

「オラオラオラオラオラオラァッ!!」

 

 矢がイリヤに当たるよりも先に、バーサーカーはイリヤの前に立ちふさがり、雄叫びをあげる。

 爆裂弾の如き威力を持った矢を、【星の白金(スター・プラチナ)】の『突きの連打(オラオララッシュ)』が破壊しつくす。イリヤにもバーサーカーにも、傷一つなく、アーチャーによる攻撃は終わった。

 しかし、その攻撃をしのぎ終わった後、その場に、イリヤとバーサーカー以外の人影は無かった。

 

「……あ~あ、逃がしちゃったか。まあいいわ、せっかくのお祭りだもの。すぐ終わっちゃ、つまらないわ」

 

 悔しそうな様子はない。本気で、イリヤは言っている。イリヤにとって、この聖杯戦争はお祭りだ。人生で最初にして、勝とうが負けようが、最後になる『遊戯(ゲーム)』だ。

 どう転ぶにせよ、イリヤはこの地で終わるのだから。

 

「帰ろうかバーサーカー」

 

 そのイリヤはまるで、思う存分遊んでから、明日何をして遊ぼうか考えている子供のようだった。

 きっと、その通りだったのだ。

 

   ◆

 

「どうやら、逃げ切ったみたいね」

 

 全力で走ったことで乱れた息を整え、凛は周囲を確認して言う。慎二がつくった、イリヤの目が眩んでいる微かな隙がなければ、逃げ切れたかわからない。

 

「それにしても、恐ろしい相手だ。3対1で圧倒されるとは」

 

 完敗したアーチャーは、苦い表情を浮かべる。

 

「……あれ? 慎二とライダーは?」

「どうやら、別の方向に逃げたようですね」

 

 士郎は、悪友とそのサーヴァントがいないことに気づく。セイバーも、自分と士郎の撤退に集中し、慎二たちまで見ている余裕はなかったため、今まで気づいていなかった。

 

「あいつ、あのバーサーカーを承太郎って呼んでたわね。もっと詳しく聞きたかったんだけど」

「承太郎さんのことだったら、俺が知ってるぜ?」

「億泰。余計なことは言わないように」

 

 慎二がいないことで、情報源がなくなったことを残念がる凛に、億泰が手を挙げる。しかし、舞弥は彼の発言を押しとどめた。

 

「……そういえば、貴方もマスターのようね。衛宮くんの知り合いらしいけど」

 

 別のマスター、それすなわち敵対者。凛は剣呑な目つきになる。舞弥もまた、火のように苛烈な凛に対し、氷の眼差しで対抗する。

 熱さと冷たさ、二つの視線が睨み合った。

 

「おいおい、どうにか逃げ延びられたんだぜ? もう今夜はお開きにしとかねぇ?」

「私もそれがいいと思うね。皆、満身創痍だし、いつバーサーカーが追いついてこないとも限らない」

 

 億泰とキャスターが二人を宥め、

 

「……まあ、結果的には私も助けられたわけだしね」

「別に貴方を助けたわけではないですが、いいでしょう」

 

 凛と舞弥は、矛を収める。

 

「それじゃ士郎くん。共闘は今回だけよ。次に会ったときは、もう戦いをやめろだなんて言わないように。言うだけ無駄だから」

「そうか……けど、できれば俺、遠坂と戦いたくないな。俺の言うこと、聞いてくれたし……俺、お前みたいな奴、好きだ」

「んなっ!?」

 

 何の気なしに思いの内を口にする士郎と、瞬時に赤くなった顔で、慌てふためく凛。

 士郎はただ、自分の説得を聞き、『対戦相手以外を傷つける気はないし、そんなことする奴は自分も許さない』と、明言してくれた凛に、素直な好感を示しただけなのだが。

 

「……氏より育ちと言いますが、切嗣の子だけのことはありますか」

「え? あの人もこんなだったの?」

 

 無駄に冷静な舞弥の呟きを聞いた億泰は、自分の記憶に残る、冷徹な殺し屋としての切嗣が、女性を口説く姿を想像できず、ギャップに苦しむ。

 死闘の直後とは思えぬ、緩い空気の中、彼らは帰途についたのだった。

 

 

   ◆

 

「よし……気づいていないな」

 

 慎二は、住宅の影に隠れ、士郎たちを見ていた。

 

「上手い具合に見つけられた。ベストのタイミングだ」

「見つけたのは私です。褒めていただいても構いませんが?」

「あ~、偉い偉い」

 

 別の道を逃げた慎二だったが、すぐにライダーにサーヴァントの気配を探させ、士郎とセイバー、凛とアーチャーの背中を見つけていた。そして右手を広げ、

 

「【マイキー・ザ・マイクマン】」

 

 スタンドを出現させた。

 手から飛び出したスタンドは、シュタッと着地してポーズを決め、そしてまずセイバーの背中を指差す。

 

『レディィィスッ・アンドッ・ジェェェントルメェェェンッ!』

 

 そして先ほど同様、紹介を始めた自分のスタンドの声に、耳を澄ませる。

 先ほどよりは声は小さい。士郎たちに聞こえない程度の声にしているためだ。慎二のスタンドであるため、声の大小くらいは思う通りにできる。

 

(あいつら、僕のスタンドが『使えない能力』だと思っているだろうな。けど、『使える』か、『使えない』かは、『使い手』次第なんだぜ?)

 

 慎二は、この能力を初めて発動させたときのことを思い出す。

 まだ幼いと呼べる年齢の頃、初めて『教授』と出会った日。スタンドを目覚めさせる矢により、スタンド能力を発現させたあの日を。

 

   ◆

 

 あの日、慎二の体から飛び出したスタンドは、開口一番、

 

『レディースッ・アンドッ・ジェントルメェェェンッ! 青コーナーッ! 我が本体ッ! この私、【マイキー・ザ・マイクマン】のスタンド使いッ! マキリの末裔、間桐慎二ィィィッ!!』

『…………はぁ?』

 

 いきなり(まく)し立てられ、混乱する慎二をよそに、スタンドは続けて叫ぶ。

 

『赤コーナーッ! 時計塔、現代魔術科の若きロード! でも、魔術師の階位は第四階位の『祭位(フェス)』どまり! 魔術の凡才、教育の天才! ロード・エルメロイⅡ世こと、ウェイバー・ベルベットォォォ!!』

『凡才で悪かったな……』

 

 額に青筋をビキビキと立て、無表情で怒る『教授』。しかしその怒りを抑え、そのスタンドを見極めにかかった。

 

『しかし……喋るタイプのスタンドか。【エコーズ】など、たまにあることはあるが……便利と言えば便利だな。おい、そいつに、能力は何か聞いてみろ。喋るタイプなら、答えてくれるはずだ』

『あ、えーと、マイキーとかいったか? お前、何ができるんだ?』

 

『教授』に促され、質問した慎二にスタンドは答えた。

 

『ワタシは【マイキー・ザ・マイクマン】ですぞ、我が本体! ワタシの能力は今行ったとおり! 名前とデータを紹介することッ! 以上!』

 

 きっぱりと言われ、慎二は立ち尽くし少し呆然とする。頭の中で理解するにしたがって、表情が歪んでいく。

 

『……紹介、するだけ? ビームを出すとか、バリアーを張るとか、そういうのは無いのかよ?』

『ありませんぞっ!』

 

 はっきりと言われ、慎二は頭を抱えて軽く絶望する。なんで命を賭けて手に入れた能力が、こんなものなのかと、運命を恨む。

 しかし、『教授』の方は、別のことに気づき、その能力の有用性を見出した。

 

『【マイキー・ザ・マイクマン】……今、貴様は私のことを、ウェイバー・ベルベットと言ったな。確かに私の本名はウェイバー・ベルベットだが、それはまだ、名乗っていなかったはずだ。それに、時計塔のロードであるという情報も、まだ言っていない』

 

 いまだ魔術の重鎮たちに比べればはるかに若いが、経験においてはかなりの修羅場を潜り抜けてきた男は、目の前の、一見ふざけたスタンドが『危険』でさえあることに気がついていた。

 

『お前は、本体である慎二も知らない情報を、知ることができるのか?』

その通りでございますッ(エグザクトリィィィッ)! 私の能力は、先ほども言った通り、【名前とデータを紹介すること】ですゆえに!』

 

   ◆

 

 名前と、ほんのわずかな情報を手に入れることができる能力。

 

 条件は、慎二の目が、テレビや写真などではなく、本人を直接見ることである。一度に二人まで、情報を引き出すことが可能。名前は確実に知ることができるが、共に紹介されるデータに関しては、まったくのランダム。その人物の、銀行口座の暗証番号だったり、浮気相手のことだったり、好きな食べ物だったり、過去の業績や役職だったり、様々だ。役に立つとは限らないが、繰り返して行えば、必要な情報を手に入れられる可能性も高まる。『教授』が慎二を呼び出すときは、大抵、事件解決のためのヒントを手に入れるためだ。

 

(そして、聖杯戦争では更に重要性が増す。聖杯戦争においてサーヴァントの『真名』を隠すことは基本。英霊は有名であるがゆえに、名前がわかれば調べて、対策を立てることもできるからだ。だから、名を知ることができる能力を持った僕は、聖杯戦争においてかなり優位な場所にいる!)

 

 内心、得意になって、慎二は【マイキー・ザ・マイクマン】が抜き出す、相手の情報を心待ちにする。そして、セイバーを指差したスタンドは言い放つ。

 

『青コーナー! ブリテン最後の王! そして未来の王! 聖剣の担い手、アーサー王こと、アルトリアァァ・ペェェンドラゴォォォン!!』

 

 次に、アーチャーを指し示し、

 

『赤コーナー! かつて目指した正義の味方! 未来より呼ばれて来ました、この過去に! かつての自分に何を想う、エミヤァァァ・シロォォォッ!!』

 

 そう言って、紹介を終えた。

 

「…………はぁ?」

 

 慎二は自分のスタンドを初めて使ったときと、同じ声をあげたのだった。

 

 

 

 

 ……To Be Continued

 

 





◆マイキー・ザ・マイクマン

破壊力・E
スピード・D
射程距離・B
持続力・B
精密動作性・A
成長性・D

本体・間桐慎二
能力・慎二がその場にいると視認できる、二人の人間(幽霊も可)の本名と、少しのデータを紹介する。本名は確実にわかるが、データはどんなデータが紹介されるかランダムである。慎二が能力の対象となる人間の、本名やデータを知らなくても、関係なく明らかにできる。

 元ネタはキン肉マンの29周年記念企画本『肉萬』に、荒木先生が描いたオリジナル超人、『マイキー・ザ・マイクマン』。

◆荒木先生が描いた『マイキー・ザ・マイクマン』

出身・大阪―日本
年齢・1905年生まれ
身長・25m
体重・未計測
超人パワー・データなし
弱点・たまにかむ
解説・リング上の照明ライトのところからスルスル降りてきて、「レディース&ジェントルメン! 青コーナー!」とか「赤コーナー!」とか、リングに乗った超人たちのデータをアナウンスしてくれる。そしてスルスルと上へ帰っていく、それだけの超人。
 ミュージシャンの「スティング」に声が似ている。友人はテリーマン。好きな食べ物はブタキムチ。ワイヤレスマイクに嫉妬している。


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ACT8:それは思ってもみない言葉だった

 

 

 歴戦。彼の経歴はまさにそれ。

 英傑。彼の人生はまさにそれ。

 

 敵の偽装を見破り、相手の独壇場であったはずの海の中で倒した。

 文字通り、周囲の全てが敵である船の中、四肢を拘束されてなお、指一本で逆転を果たした。

 打撃も、炎も、冷気も、あらゆる攻撃を吸収する粘液に喰われながら、その弱点を見出した。

 鋼鉄の武装を誇る怪物自動車の執拗な追撃を、ことごとく打ち破った。

 実体を持たぬ魔性の霧を、ただ一息で押さえつけた。

 仲間を人質にとった卑劣な敵を、機を逃さずに叩きのめした。

 砂漠の空から炙り殺そうとした太陽の主の隠れ場所を、撃ち砕いた。

 ダイヤモンドと同等の硬度だという巨大な歯を、掘り崩した。

 遥か遠くから操られた恐怖の水の使い手から、勝ちを手にした。

 際限なく強くなり続ける妖刀を、幾度も新たな手段を使って圧し折った。

 賭けによって魂を奪い取る兄弟を、知恵と精神をもって圧倒した。

 

 そして――世界を支配する力を持った悪の帝王との戦い。

 彼は、敵の領域に足を踏み入れ、敵と同質の力を手に入れ、そして、ついに『世界王』に、勝利した。

 

 どれほどの苦戦、どれほどの困難。

 けれど、彼は故郷に残した母のため。共に戦う友のため。

 苦を苦ともせず、ただ一言呟いて、死地に臨むのだ。

 

『やれやれだぜ』

 

   ◆

 

「あ…………」

 

 朝、湯船に浸かっていたイリヤは、目を覚ました。いつの間にか、風呂に入りながら寝ていたらしい。

 

「イリヤスフィール、聞いているんですか?」

 

 おつきのメイドが、話しかけていた。それで目が覚めたのかと納得する。

 

「ごめん。聞いてなかった。何?」

「もう……昨夜のことです。なぜ、衛宮士郎を見逃したのですか? 追おうと思えば、追えたでしょうに」

 

 メイドの諫言に、イリヤは強い感情を出すことなく答える。

 

「すぐ殺すなんて、面白くないわ。兎はギリギリまで追い詰めて、怯え切ったところを仕留めるものでしょ?」

 

 子供らしい残酷さを口にするイリヤに、メイドのセラはなお言い募る。

 

「ですが……バーサーカーの宝具を明らかにした以上、殺しておくべきだったかと」

「問題ないわ。バーサーカーの宝具に対応策なんて、無いもの」

 

 イリヤの答えに、セラの隣に立つ、胸の大きい方のメイド、リーゼリットが口を開いて同意する。

 

「うん、時間停止は……時間停止でなければ対抗できない」

 

 それでも納得しきれないセラは、疑念を口にした。

 

「まさか、お嬢様。衛宮士郎にお情けを」

「そんなもの、かけているに決まっているでしょ」

 

 イリヤは肯定する。けれど、決して親愛などの(ぬる)い感情ではない。

 

「キリツグの代わりに……たっぷりと苦しんでもらうんだから」

 

 その言葉を口にしたとき、イリヤは笑顔であった。

 

   ◆

 

 2月3日。

 慎二は、昨夜手に入れた情報を思い返し、唸る。

 時間は正午。場所はファミレスのチェーン店。美味しくも無いランチを食べる気はなく、コーヒーだけ注文する。真面目な学生は、まだ学校にいるべき時間だったが、気乗りのしなかった慎二はサボって、もっと重要な今後の戦いについて考えることにした。

 

「あいつが、衛宮だと……?」

 

 未来の英霊、衛宮士郎。

 背格好も、口の利き方も、まるで違う。だが、【マイキー・ザ・マイクマン】の紹介したプロフィールに嘘はない。アーチャーはあの衛宮士郎の未来の姿だ。

 

「だとしたら……どうすりゃいいんだ?」

 

 この情報で、聖杯戦争で有利になるかというと、そうでもない。

 普通なら、英霊の真名がわかれば、特技や弱点を知ることができるのだが、今回は別だ。何せ、今の士郎が何をどうすれば、あの弓兵になるのかまるでわからない。魔術はからっきし、運動能力も常人を凌駕するようなものじゃなかったはずだ。それが、伝説の大英雄と肩を並べるようになるなど、慎二の想像の限界を超えている。髪や肌の色からして違うではないか。

 どうしてそうなったのか? それに、士郎だということは、この聖杯戦争を経験しているはず。その未来の知識はあるのか?

 

「直接本人に聞いてみるしかないだろうが、どう話したもんか」

 

 ここに召喚された以上、彼にも願いはあるだろう。容易く、自分のことを話すものだろうか?

 

「あ~~、あいつはもういいや。もう一人、セイバーの方を考えよう」

 

 セイバーの真名、アルトリア・ペンドラゴン。

 これまた信じがたい名だ。イギリスに伝わる大英雄、アーサー王が、あんな小柄な少女だというのだから。

 イングランドのかつての支配者であったケルト人。その伝説に謳われる、誉れ高き王。

 円卓に集う、綺羅星のごとき騎士たちを統括する、まさに騎士王の名に相応しき大英雄。

 ブリテンの内乱を終わらせ、異民族の侵略を追い払い、ついには地中海世界の覇者たる大ローマへと遠征して勝利を手にした、無敗の剣帝。

 ブリテンの最も偉大なる時代を築き、そして終わらせた最後の王。

 アヴァロンの地で眠りにつき、いつか目覚めると伝えられる、未来の王。

 

「宝具が何かとすれば、間違いなくエクスカリバーだよな」

 

 アーサー王が持つとされる武器や道具は数多い。

 

 反逆の騎士モードレットを貫いた聖槍【最果てにて輝ける槍(ロンゴミニアド)】。盾、【夕べの顔(ウィネブ・グルスヴッヘル)】。短剣、【小さな白い柄手(カルンウェンハン)】。魔法の船、【綺麗な形(プリトウェン)】。姿を見えなくする魔法のマント【(グウェン)】――このマントの伝承は、あるいは剣を透明化させていた術を元にしているのかもしれない。

 しかし、アーサー王の所有物の中でただ一つを選ぶとすれば、聖剣エクスカリバー以外にありえない。

 かつてブリテンの地に、大岩に突き立てられた剣があった。その剣にはある予言がかけられていた。すなわち『この剣を抜いた者が、ブリテンを統べる王である』という予言が。

 幾人もの猛者がその【王者の剣】を抜き放ち、王になろうと夢見たが、誰一人その剣を抜いた者はいなかった。

 その剣を抜いた者こそが、いまだ若きアーサー王。そして剣の名はエクスカリバー。

 

 数多の英雄を討ち、巨人を斬り、ローマ帝国を降すことになる、剣の中の剣。

 松明を30本束ねたよりも、なお眩く輝くと伝えられる剣。

 

「教授の持つ【他が為の憤怒(モラルタ)】は『多重次元屈折現象(キシュア・ゼルレッチ)』を起こし、一振りで複数の斬撃を行うが……」

 

 伝説においては、ただ頑丈で、凄まじく切れ味のいい剣ということしか語られてはいないエクスカリバー。だが、人の持つ剣の中で最高峰の聖剣が、ただ良く斬れるだけのものとは思えない。

 

「だが剣は剣。振るう隙を与えずに倒すことができれば、どんな力があろうと発揮できずに終わるはず」

 

 実際、バーサーカー相手には宝具を発動できずに打倒されていた。大英雄と言えど、やりようによっては勝てることは確かだ。こちらのサーヴァントの正体が知られていないうちに、対策を立てていけばいい。

 剣以上に重要なのは鞘の方であり、鞘がある限りアーサー王は無敵であったというが、これは伝説上では魔女モリガンによって奪われている。昨夜の戦いで傷を負っていたことを考えても、鞘は持っていないと見ていいだろう。

 

「だがやはり……問題はバーサーカー……」

 

 慎二は苦虫を噛み潰したような表情をする。

 

 最強のスタンド使い、空条承太郎。

 時を止めるスタンド、【星の白金(スター・プラチナ)】。

 

 狂気に侵され、冷静さを失ってなお、その戦闘センスは卓越していた。正面からの戦いでは、勝てないことははっきりしている。

 だが、その理性と知性が発揮されていない承太郎ならば、裏をかいた戦いならば可能性はある。これが本来の承太郎ならば、裏の更に裏をかき、敵を追い詰めるだろう。それよりはマシだと思おう。

 

「バーサーカーのスキルに対魔力はない、ならばライダーの【魔眼】が通用するはず……」

 

 対策を練る慎二の耳に、携帯電話のコール音が届いた。

 

「誰だ?」

 

 通話ボタンを押して、耳に当てる。

 

「もしもし?」

『慎二か? 私だ』

「……教授?」

 

 電話の向こうの声は、ロード・エルメロイⅡ世のものだった。

 

「ちょうど良かった。実は少し不味いことがあって」

『こちらは、少しどころではなく不味いことになっている。次に話せるのがいつになるかわからん。何せ、時計塔の執行者に追われているのでな』

「…………は?」

 

 執行者。

 それは、『封印指定』を受けた魔術師を捕縛、あるいは始末するエージェントだ。

 誰かに受け継がせることのできない、特殊で希少な力を持つ魔術師は、魔術協会から『封印指定』を受ける。つまり、その魔術師が死ねば失われる魔術を『保護』し、『管理』するということだ。

 封印指定を受ければ、一生幽閉されることになるため、封印指定を受けた魔術師は、大抵逃げることを選択する。そのまま逃亡した魔術師が、騒ぎを起こさずに暮らすなら魔術協会は静観する。しかし、封印指定を受けた魔術師が、神秘の秘匿に失敗し、犯罪が漏洩した場合、それを隠蔽するため、戦闘に長けた執行者が送り込まれ、封印指定の魔術師の処置を行う。

 封印指定を受けるほど強力な魔術師を、狩るのだから、執行者の力は想像を絶するものである。

 その執行者に追われているということは、ほとんど死刑の確定宣告だ。

 

「な、ななな、なんでだよ!? あんた封印指定受けるようなレベルの魔術師じゃないだろ!」

『……次に会った時は3回、いや、5回蹴る。それはそれとして、執行者が動くときは、封印指定の執行を行う場合以外にもある』

「……魔術犯罪者を討つ場合。でも、それでもなんでっ!」

 

 魔術師は所詮、外道の者。人倫を踏み越えて、自分だけの法を歩む者。

 だから一般社会の法律を破ったところで罰されることはない。人を殺そうと、犯そうと、喰らおうと、奪おうと、魔術協会は気にもしない。ただ、その犯罪が表に出て、神秘が漏洩することに関しては、徹底的に隠蔽してかかる。

 神秘が漏洩すれば、魔術師の存在そのものが無価値になるからだ。また、魔術協会と対立する組織、聖堂教会が動く可能性も高い。魔術犯罪者が討たれるだけならまだしも、そこから聖堂教会との抗争に発展してはとんでもない被害になる。

 とはいえ、教授が神秘を漏洩するようなヘマをするなど、慎二は到底思わない。教授は腕こそ平凡だが、魔術師としての在り方と誇りは一流だと慎二は信じているのだ。

 しかし、次に教授の口から出た言葉に、慎二は引きつった叫びをあげることになる。

 

『実はな、そちらで神父が殺され、教会が焼かれた事件。それの犯人が、私だということになってしまった』

「……なんだって!?」

 

 聖堂教会に喧嘩を売るどころではない。宣戦布告なしの奇襲攻撃。その犯人は、聖堂教会からしたらどんなことをしても、討伐する対象。魔術協会からすれば、聖堂教会との戦争を起こしかねない爆弾。どちらからしても、早急に滅殺しなければならない怨敵だ。

 

『お前が私の、正式でないとはいえ、弟子のようなものであることは、少し調べればわかることだからな。そのお前を聖杯戦争に勝たせるため、教会勢力を排除したのだという声が出てきてな。それを受けて、法政科が動き出した』

 

 法政科。魔術協会を構成する学部のうちの一つであるが、学部の一つとして数えられることのない異端の学部。魔術を学び、研究するのではなく、魔術教会の秩序を保ち、発展させることを目的とする『政治』を行う部門だ。

 

『私が犯人だという奴らも、別に本当に私が犯人だと信じているわけではなかろう。ただ、魔術協会としても聖堂教会との仲が不穏なままでは、色々と面倒だ。だから、適当なスケープ・ゴートを用意し、処罰することで、聖堂教会の怒りを和らげようということだろう。法政科の役目は、時計塔の問題を解決することであり、真実の追求ではないからな』

 

 たとえ教授が犯人でなかろうと、真犯人が野放しになっていようと、教授が犯人となることで、問題が収まるのなら、そういうことにする。

 法政科はそういうところだ。

 

『だがこれは法政科の行動としても、強引すぎる。真犯人の捜査をせず、私を犠牲にすることに力を注ぐなど……聖杯戦争の過程で、真犯人がわかれば、誤魔化しをしようとしたこともわかり、聖堂教会の心象はより悪くなるだろう。まだ様子を見るべきだろうに、この行動は拙速すぎる。何か、裏にある』

 

 魔術協会に、陰謀と権力闘争は日常茶飯事だ。現代魔術科のロードである教授を、排除しておきたい思惑があるのかもしれない。

 

『私はこれからアメリカに行く。私が犯人であると言い出した魔術師……そいつがいるのが、アメリカだとわかった。そいつを捕まえて話を聞く。どうも……都合がよすぎる気はするがな。掴まされた情報なのかもしれん』

 

 教授を罠に嵌めた魔術師……そいつの居場所の情報が、容易く手に入ったこと自体が、罠なのかもしれない。

 

『だが、どうしてもこれ以外に手がかりがない。こうなったら、敢えて罠に踏み込んで、敵の反応を見るしかない』

「ライネスや、エルメロイ教室の連中は?」

『そちらも動いているが、執行者を止めるのは難しいようだ。相当に事前準備をして仕組んでいる。この分だと、私を嵌めた奴と、冬木教会を襲った奴は、結託しているかもしれん、今はまだ憶測の域を出んが、そちらも注意しろ。冬木教会を襲った参加者は、ただ単に暴走しているだけの輩ではないかもしれん』

 

 慎二は冬木教会の襲撃者は、聖杯戦争のことのみを考え、それ以外を見ることなく突き進むような奴だと、考えていた。だが、教授に濡れ衣を着せたのも、襲撃者の仕込みだとすれば、視野を広く持ち、計算をしたうえで、暴挙を行う――より恐るべき相手なのかもしれない。

 

『次に連絡を取れるのがいつになるかわからん。何せ命の保証もないのでな。それでは、そろそろ切るぞ』

「あっ、待ってくれ! 実は……」

 

 電話を切ろうとする教授に、慎二は慌てて自分の事情を話す。特に、バーサーカーとして空条承太郎が召喚されていたことを。

 

『……それは、マズイな』

 

 教授の声は、執行者に追われていると言っていたときより、ずっと途方に暮れていた。

 

『まあ、バーサーカーであったことは救いだな。承太郎の真骨頂は、その理性と知性だ。それがなければ、奴などせいぜい、時を止めれて、遠近両方の攻撃手段があり、べらぼうに強いスタンドを持っているというだけだ』

「せいぜい、ってレベルじゃないだろ……」

 

 慎二の声も、改めて途方に暮れていた。

 

『手があるとしたら、どこかの陣営と限定的な同盟を組むことだな。お前たちだけの力ではまず勝てん。セイバー陣営とアーチャー陣営は顔見知りなのだろう?』

「やっぱそれしかないか……」

 

 慎二としては士郎や凛に頭を下げたくないので、できれば向こうから頼んでくる形にしたいところであった。

 

『それと、念を押しておくが、聖杯には用心しろ。私が10年前に見た聖杯は、悪意に満ちていた。当時召喚されたアサシンの願いのせいかとも思うが、あるいは聖杯のシステムそのものに異常が発生している可能性は否定できん。勝ったと思って、酷いしっぺ返しがあるかもしれない。気をつけろ』

「ああ……耳タコだよ」

 

 10年前の聖杯戦争の顛末は、何度も聞いた。慎二としては、先祖の栄光ある儀式が壊れていると考えるのは、愉快な話ではないが、教授の実際に見た事実を切り捨てることもできない。聖杯にかける願いがあるとしたら、慎二を魔術師にするというもの以外に無いが、聖杯が願いをまともに叶えないものだとしても、勝利への意欲は失われない。

 その勝利を持って、今までの屈辱の日々を見返してやるのだ。

 

『お互い、生きてまた会いたいものだな。では、健闘を祈る』

 

 そうして、教授との会話は終わった。それが今生の最後の会話にならないことを、慎二は祈る。

 教授の身は心配であったが、慎二は自分の身の心配もしなければならない。これで、頼れる助言者と連絡を取ることは、容易にできなくなった。

 バーサーカーとの戦いも、自分で考えるしかない。

 

「昨日は3体がかりでも勝てなかった……いくら同盟を組んでも、正攻法じゃ勝てない。この戦いはむしろ、アサシンやキャスターの領分だ」

 

 セイバーの戦い方では正直すぎる。アーチャーやライダーは多少からめ手や邪道も使うが、それでも足りない。もっと、承太郎の戦い方を知っている者がいなければ。

 慎二のあては教授であったのだが、今の教授はそれどころではない。

 

(どうしたもんかな……)

 

 ファミレスの支払いを済ませ、慎二は外に出る。

 今はフーゴも本職(ギャング)の方が忙しく、相談はできない。悩んでいると、その悩みを解決する者――承太郎の戦い方を知る者が、向こうから現れた。

 

「よおっ! 昨日ぶりだな。待ってたぜ」

 

 睨み付ければ中々に恐ろしいが、笑えば意外と愛嬌のある顔が、慎二を出迎える。

 

「お前……っ!」

「ああ、そんな身構えなくてもいい。戦う気はないよ」

 

 別の声が、慎二のすぐ後ろから聞こえた。慌てて振り向くが、すでにそこに姿は無い。

 

「だからぁ、戦う気はないってばさぁ。慎二くん?」

「このっ……気安く呼ぶな!」

 

 もう一度前を向くと、今度はそこに、派手な帽子のキャスターの姿があった。

 

「おっと、そういやよぉ、自己紹介してなかったよな。俺は虹村億泰」

「うーん、私は有名じゃないから、名前を隠してもそんなに意味は無いんだけど……言ってもいいかい? マスター」

 

 キャスターが、慎二の後ろ側にいる人物に、許可を求める。

 

「いいえ、念には念を入れるに越したことはない。キャスターの真名は言わないように」

 

 残念ながら、許可は下りなかった。慎二の背後に立つ黒髪の女性は、冷たく却下した。

 周りを3人に囲まれ、慎二は苦い顔をする。彼らに敵意があろうがなかろうが、これでは逃げることはできない。

 

「キャスターが言ったように、戦う気はありません。ただ少し、話をしたいだけです。間桐慎二」

「そういうあんたは、久宇舞弥、だったか」

 

 首を捻り、昨夜は良く見ている余裕のなかった彼女の顔を良く見る。少し影があるが、中々の美人だと評価するも、これから彼女と話すことはあまり楽しく思えなかった。

 

   ◆

 

 霊体化したライダーは、慎二から受け取った情報をもとに、町を跳び回っていた。

 

(バゼットとアトラム、ですか)

 

 この町に入って来た、経歴を偽装した外国人二人。どちらも、ホテルや民宿、どの宿泊施設も利用しておらず、所在不明。しかし、町中の防犯カメラの画像を手に入れられるだけ手に入れ、調べた結果、彼らが映っているものを見つけた。

 映っている防犯カメラが仕掛けられた地点を中心に、ライダーは調査を行っている。

 

(しかし、どこからこのような情報を得ているのでしょうね)

 

 慎二は情報の出どころは口にしない。ライダーの方も突っ込んでは聞かないことにしている。知る者が少ない方が、いいこともある。言わないのなら、言わない方がいいことなのだろうと、ライダーは慎二を信じることにしたのだ。

 

(さて、この辺りにアトラムという男の方が、良く映っていたらしいですが)

 

 新都の街並みの中、拠点として使えそうな場所を探るライダーであったが、本当に偶然、彼女はサーヴァントの気配を感じ取った。眼を閉ざしているライダーであるからこそ、視覚以外の感覚は鋭敏で、気配を嗅ぎ取ることには長けているのだ。

 

(!! これは……)

 

 気配を殺し、そっとそのサーヴァントの気配がある方へと向かう。

 

「あ~あ、ったくあの女……サーヴァントに買い出しまでやらせるかぁ? 見てくれはいいが、ことあるごとに殴りにかかるし、散々だチクショウ……」

 

 ぶつくさ言いながら歩くサーヴァントが確かにいた。攻撃を仕掛けるような真似はせず、音もなくその後を追う。

 やがてサーヴァントは、新都の中では古ぼけたビルへと入っていく。かつては飲食店や算盤教室などが運営されていたが、今ではどの階も空いており、解体されるでもなく、取り残された目立たないビル。

 しかし、ライダーにはそのビルに、魔術による結界が張られていることがわかった。

 

(見つけましたよシンジ……誰かはわかりませんが、聖杯戦争のマスターの拠点を)

 

 親鳥が留守の巣の中に、卵があるのを見つけた蛇のような、恐ろしい微笑みが、美しい女の顔に浮かぶのだった。

 

   ◆

 

「単刀直入に言うと、我々と手を組んで頂きたい」

 

 手近な公園に慎二を連れて来た舞弥は、最初からズバリと自分たちの要求を言い放った。

 

「私たちの目的は、衛宮士郎と、イリヤスフィール・フォン・アインツベルン。この二人が無事なまま、聖杯戦争が終わることです」

「あんたについての情報は聞いている……衛宮切嗣の助手をしていたって」

 

 臓硯から渡された情報の中に、2、3行程度だが、彼女のことも書かれていた。

 

「そう考えてもらって、問題はありません。私は、切嗣が養子とした士郎と、切嗣の実子であるイリヤ。彼らを護りたいのです」

「イリヤ……バーサーカーのマスターが、衛宮切嗣の娘だって? それ、衛宮……いや、士郎の方は、知っているのか?」

「昨夜、話しました」

 

 昨日、士郎と舞弥は、共に衛宮邸に帰り、事情を話し合ったのだという。

 

   ◆

 

「まず、今夜出会ったマスターの少女、イリヤですが、彼女は切嗣の実の娘なのです」

「爺さんの!?」

 

 のっけから驚愕する士郎。義父の過去についてはろくに知らないが、家族がいたとは。

 

「切嗣が聖杯戦争の参加者であるということは、もう知っているようですが、彼は御三家の一つアインツベルンに雇われ、マスターとなりました。そしてアインツベルンの令嬢、アイリスフィールと出会い、恋仲となり、子を為した。その子がイリヤです」

 

 愛人かと思われていた女性の口から語られる、義父の恋物語。何やら複雑な気分で士郎は聞く。

 

「切嗣は終盤まで残りましたが、ついには敗退。アイリスフィールも死亡。アインツベルンは、勝利できなかった切嗣を切り捨て、イリヤの身も取り上げました。何度か、切嗣が外国に行くと出て行ったことがあったでしょう? あれは、イリヤを取り戻しに行ったのです。結果は、惨敗でしたが」

 

 聖杯戦争の負傷で、力の衰えた切嗣では、舞弥の助けがあってもどうにもできなかった。

 

「昨夜の様子を見るに、切嗣はアイリスフィールを見殺しにして敗北し、イリヤのことも捨てて失踪したと思われているようです。そして、士郎のことも憎んでいる」

「俺が、爺さんの義息子だから……」

 

 イリヤが士郎を『お兄ちゃん』と呼び、奇妙に親し気な様子を見せながら、同時に冷たい殺意も向けてきた、ちぐはぐな感情。それも、今の話を聞けば納得できる。

 

「自分から、親の愛を奪った者。ということだろうね。同時に、父親を同じくする義兄弟でもある」

 

 複雑だ。キャスターは哀し気にため息をつく。

 

「何にせよ、イリヤは最後には士郎を殺すつもりでしょう。私は貴方を死なせたくはない。聖杯戦争を降りて、逃げてほしい。逃走手段は私が用意します。イリヤの方も、私が無事に終わるようにします。私に任せて、身を引いてほしい」

 

 このまま聖杯戦争を続ければ、父を同じくする者同士の殺し合いとなる。それだけはしてはならないと、舞弥は士郎を説得する。

 士郎は答えた。

 

「……ごめん、舞弥さん。それはできない。セイバーとの約束もあるし……親父がやり残したことなら、俺が何とかしないと。舞弥さんにだけ押し付けるわけにはいかない」

「……貴方は、やはりそう言うのですか。多分、そうだろうと予想はつきました」

 

 舞弥はため息をつく。この結果は予想できた。義父同様、この少年は人に頼ることが、恐ろしく下手くそだ。自身の価値を顧みることに、どうにも盲目だ。

 保身を知らない。自分の身を危ぶむ人間がいるということを、頭ではなく心で理解するということができない。舞弥は文句を言えるような立場ではないけれど。

 

「では、私は私で、別行動を取ります。こうなれば、強制的に脱落させるしかない。セイバーとバーサーカーを討ち取り、戦闘手段を奪わせてもらいます」

 

 舞弥は、士郎の横に座るセイバーに目を向ける。冷たい眼光が向けられたセイバーは、毅然とそれを受ける。

 

「貴方の、シロウを想う気持ちは正しいと私も思う。けれど、私も私の目的を捨てるわけにはいかない。話し合いで解決できない以上は、剣を持って結果を為させてもらいます」

「ええ。貴方はせいぜい、士郎を護ることです」

 

 二人の女に、互いに恨む物は無い。けれど容赦もない。恨みも憎しみもない相手との戦いなど、慣れたものだ。

 

「行きますよ、億泰、キャスター」

「あいよ、それじゃ、頑張れよ士郎。お茶、ごちそうさん」

「士郎くん、君に生きていてほしいと願う人間がいる。それだけは、忘れないでくれ。ではまた会おう」

 

 話し合いは成立せず、舞弥一行は、衛宮邸を後にした。

 

   ◆

 

「衛宮士郎と組めば良かったんじゃないのか?」

 

 どうせ士郎が戦いをやめないならば、傍で護った方が、士郎の安全という意味では良かっただろうと、慎二は言った。

 

「そうしたら、イリヤは更に私に敵対的になるでしょう。イリヤを護ることも考えれば、士郎と組むことはできない。今はまだ、イリヤは士郎を敵として見ているのだから」

「ドロドロの人間関係だな」

 

 愛された養子と捨てられた実子。死んだ本妻に、子供を護ろうとする愛人。昼ドラもびっくりの濃さだ。

 

「そういうわけで、士郎とイリヤ、どちらとも直接組むわけにはいかない。しかし、私たちだけでは、戦力に不安がある」

 

 聖杯戦争で戦い抜くのなら、彼女たち3人は悪い戦力ではない。

 

 魔術師としては大したことはないが、戦闘と殺人に長け、強力な魔術礼装を用意しているマスター。

 応用の利く能力を使いこなし、自分より強力な相手との戦いを心得たキャスター。

 破壊力に優れ、特殊な運用も可能な、強力なスタンド使い。

 格上とも渡り合える、いいチームだ。

 

 しかし、勝利以上のものを求めるのなら、力はいくらあっても十分ということはない。護り、生かすということは、殺すより何倍もの労力を要するのだ。

 だから、舞弥たちは別の陣営と組むという選択をした。組む対象として、思い当たるのは二つ。昨夜にイリヤとの戦いに乱入したことで、ピンチを救い、多少は恩を売ることができた、遠坂か間桐。

 

「遠坂の方ではなく、僕を選んだ理由は?」

「より、恩の売れそうな方を選んだ結果です」

 

 優秀な魔術師である凛より、この聖杯戦争でも最弱のマスターである慎二の方が、舞弥たちの力を高く買ってくれるだろうという判断。それを、舞弥はオブラートにくるんで端的に答えた。

 

「……まあいいさ」

 

 慎二の方も願ったり叶ったりだ。バーサーカー対策に悩んでいたところ、昨夜バーサーカーを多少なりとも抑え込んだキャスター陣営が、手を結びにきたのだから。

 

「けど、聖杯を手に入れられるのは最終的に一組。いつかは、ぶつかり合うことになる。いつまで、同盟を組むつもりだ?」

「私の目的は、士郎とイリヤの安全のみ。キャスターも、聖杯を手に入れなくてもいいそうです」

「えっ?」

 

 慎二はキャスターの方を向く。人間を超えた存在である英雄が、使い魔に成り下がることを是とするのは、あらゆる願いを叶える聖杯を手に入れるためだ。なのに聖杯を手に入れる気が無いとは、どういうことか。

 

「うん、私が召喚された目的は、私が死んだ後の世界を見たいと思ったからなんだ。私は、志半ばで死んだ。その志を継いでくれる者と会うことができたから、後悔は無いが……その後がどうなったか、一目見てみたかった。だから、私の願いは召喚された時点で叶っている」

 

 キャスターは満足げに微笑む。

 

「どうやら、彼は勝ってくれたようだ。世界は救われたんだ」

 

 キャスターがどのような冒険を潜り抜け、何を想って生き、死んでいったのかは知らない。だが、その言葉に嘘は無いと感じた。キャスターは、確かに願いを叶えたのだと、理解できた。

 

「だから私に聖杯は必要ない。しかし、戦いは真面目にやるよ? 家族を想うマスターには、共感もしているし、することが外道なことでなければ死力を尽くすとも」

「……わかった。思いのほか、割のいい取引らしい」

 

 士郎や凛に頭を下げることなく、バーサーカーとの戦いにおいて頼りになる相手と同盟を組めるのは悪い話ではない。それに聖杯戦争以外を視野に含めても、『魔術師殺し』の相棒という存在は、都合がいい。

 敵はマスターばかりではないのだから。

 

「細かい内容は後で決めるとして……聖杯を手に入れるのが僕だということを確約するのなら、同盟を組もう」

「士郎とイリヤの無事を保証するのなら……全てにおいて力を貸しましょう」

 

 二人のマスターにより、同盟が締結した。

 

(もっとも……彼の希望は叶えられないかもしれませんが)

 

 舞弥は、士郎にも慎二にも言わなかったことがある。

 聖杯の汚染。もはや、聖杯は万能の願望器などではなく、呪いを振りまく地獄の鍋になっていることを。第四次聖杯戦争で、彼女はそれを知ったのだ。

 マスターの方はともかく、サーヴァントの方は、一縷の望みをかけて、聖杯を得るために召喚に応じた者たちだ。その救いの糸を断つことで、彼らがどんな行動をするか読むことができない。

 誰が勝利しようと、幸福な結末を迎えることはない。その事実を知っているのは、舞弥、億泰、そしてキャスターだけだ。

 

(士郎の友人として、不幸にならないよう心掛けはしますが……それでも、士郎とイリヤの安全を天秤にかけるのなら、手段は択ばない)

 

 舞弥が鉄面皮の下、慎二の犠牲を含めた、今後の行動を模索する。その間、億泰とキャスターは舞弥の考えていることを予想し、もう少し、全方面に救いのある結果を出すために努力することを考えていた。

 舞弥自身への救いも含めて。

 

(誰も彼も……自分の身を削りすぎだよなぁ。自分がいい目を見たって、いいじゃねーか)

 

 億泰は彼らしく単純に考え、決める。

 みんなにとっての幸福な結末(ハッピー・エンド)を、手にすることを。

 

 

 

 

 

 ……To Be Continued

 





・アーサー王の装備に関する参考文献
・『マビノギオン・中世ウェールズ幻想物語集』/訳・中野節子:協力・徳岡久生/JULA出版局/2003.3.27刊行


 事前に書いておきますが、メインは慎二であって、エルメロイⅡ世の方は本筋には関わりません。


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ACT9:地に降り立つ

 

 

 夕方の校舎内で、衛宮士郎は降り注ぐ弾丸から、必死に逃げ走っていた。

 

「や、やめろ遠坂!」

「やめろと言われて、やめる敵がいるかっての!」

 

 遠坂凛の指先から、魔弾が次々に放たれる。彼女自慢のガンド魔術。腕の刻まれた魔術刻印に魔力を通すだけで、呪文詠唱などしなくても発動できる。一発一発が、コンクリートも砕く、本物の銃弾に勝る殺傷力だ。

 爆音をあげ、校舎が破壊される。凛の運動能力も強化されており、駆けっこで逃げ切るのは厳しい。

 

「あいつ、隠蔽とかどうする気だ!?」

 

 教室に逃げ込み、戸を閉めて鍵をかける。戸を壊すなりしているうちに、窓から逃げようとしたが、教室全体に結界を張られ、閉じ込められてしまう。

 

「あいつめ……!」

 

 士郎が行えるのは、基礎的な強化魔術のみ。置かれていた机を強化し、盾として構える。対する凛は教室に向けて、数百発の魔弾を同時に叩き込んできた。

 嵐のような弾丸が過ぎ去った後の教室には、士郎が強化した以外の備品は、全て砕け散り、もはや教室としては使えない有り様になっていた。

 

(終わったか……?)

 

 砕けた机の脚を手に取り、強化して武器として使えるようにする。

 一か八か、立ち向かうべきか考えていると、窓が割れて、光り輝く宝石が投げ込まれた。その美しさに目を奪われる士郎だが、理解もしていた。それが『爆弾』であることを。

 

 ズガァッ!!

 

 教室を埋める爆発。その爆風に押し飛ばされた士郎は、戸を破って廊下に転げ出た。

 

「がっはぁっ!」

「ようやく出てきたわね? 衛宮くん?」

 

 士郎は、歓迎する凛に、『机の脚』を剣のように構えた。

 

「そのヘンテコな武器を捨てなさいよ。衛宮くんに勝ち目なんてないでしょう?」

「そんなの、やってみないとわからないだろ?」

 

 苦しい言い分だと、士郎自身思う。だが、可能性がゼロでない限り――否、ゼロであっても、諦めることだけはできない。

 

「……これが最後の忠告よ。大人しく武器を捨てて、令呪を出しなさい。最悪、腕の神経を剥がすことになるけど。命を取られるよりマシでしょう?」

「断る。それは、俺にセイバーを裏切れと言っているのと変わらない!」

 

 遠坂凛は優しい人間だ。普通の魔術師なら、この力量差で、こんな忠告など行わない。呼吸するのと同じように殺し、令呪も奪い取るだろう。

 しかし、凛が善性の人間であったとしても、士郎は彼女に従うわけにはいかなかった。

 

「そう……3秒あげるわ。自分の命だもの。自分で選びなさい」

 

 凛は人差し指を士郎に向け、魔力を集中させる。

 猶予を与えられた士郎だったが、もう彼は覚悟を決めていた。

 

「……3秒」

 

 凛もガンドが放たれ、士郎に撃ち込まれる。少年の体は後ろに飛び、背中から倒れ込み、動きを止めた。

 

   ◆

 

 偶然にも、士郎と凛が戦っているのと同時刻、慎二と舞弥も行動を起こしていた。

 場所は新都。ライダーが見つけた、別のサーヴァントが出入りする、5階建ての古いビルを慎二は見つめる。事前に調べられるだけ調べたが、もう3年前から店舗も住人もなく、ほったらかしになっている空きビルらしい。舞弥はビルに、人避けの効果と、侵入者の訪れを知らせる警報の役割をする結界が、張られていることを確認する。ビルの入り口付近には罠は無い。

 

「じゃあ、計画通りに」

「ええ、億泰、キャスター、段取りはいいですね?」

 

 慎二と舞弥は、事前に立てた計画に基づき行動を開始する。

 まず慎二、ライダー、億泰がビルの頂上から侵入。舞弥とキャスターが、ビルの正面口から乗り込む。挟み撃ちの形にするわけだ。

 ライダーが、慎二と億泰をそれぞれ左右の腕で脇に抱え、壁を駆け上ってあっという間にビルの屋上に到達する。それを見届けた後、舞弥とキャスターもビルに足を踏み入れた。

 

   ◆

 

 屋上と屋内を繋ぐドアは、鍵がかかっていたが、ライダーが無理矢理ドアを破壊し、慎二たちは内部に入っていった。

 

「……すぐには攻撃してこないみたいだな」

「罠とかも無さそうだぜ」

 

 恐怖を押し殺した慎二と、呑気な口ぶりの億泰が言う。

 ビルの中は明かりもついておらず、暗い。視力を強化することのできない慎二は、フーゴから貰った暗視ゴーグルをつけ、周りを見ていたが、すぐに襲い掛かってくる様子はなかった。

 慎二と億泰の話声は、携帯電話によって、舞弥の耳にも届いていた。

 

『しかし気づかれています。その為の結界です』

『ふむ……君の目から見て、危険だと思うかね?』

 

 キャスターではあっても、彼に魔術の知識は無い。慎二は知識だけは詰め込んでいるが、実践することはできない。この一行の中では、舞弥が最も魔術に詳しかった。

 それでも見習いよりマシという程度のものであったが。

 

『攻撃性はそぎ落とされている代わり、感知に偏った構成。私でもわかるくらいに』

『……なるほどなるほど』

 

 キャスターが深く頷く。

 

「なんだよおっさん。なるほどって、何かわかったのかい?」

 

 慎二は早速、無礼な口ぶりでキャスターに話しかける。しかしキャスターはおっさんと呼ばれても、怒りもしなかった。むしろ生前に出会った誰かを懐かしむような表情を、ふと見せた後、慎二に説明してやる。

 

『うむ、憶えておきたまえよ少年。戦いには、そのための『思考』というものがある。第一に……【相手の立場に立って考える】』

 

 彼は、かつて弟子に教えたことを、100年の時を経て、再び語り出す。

 

『いいかね? ここは敵の本拠地で、敵以外は住んでいない空きビル。ならば罠は仕掛け放題だ。ならばなぜ、感知用の結界だけしかないのか……』

「サーヴァントに結界は通じないからじゃないか? 現代の魔術師じゃ、英霊には通用しないからさ」

 

 古い神秘の塊であるサーヴァントの前に、現代の薄まった神秘の産物など、相手にならない。せいぜい足止めが関の山だ。それならいっそ無い方がいいと考えたのではないか、そう意見した慎二に、キャスターは、

 

『それもあるだろう。しかし、もう一歩深く考えてみたまえ。感知さえできればいい。このビルの住人が、そう考えたのだとしたら……この敵はとても攻撃的な奴だ。奇襲や暗殺の類さえ受けなければ、必ず勝てる。こいつには、そういう自信があるのさ』

 

 もしも臆病で、敵の侵入を察したらすぐに逃げようとする相手であれば、足止めの罠くらいは仕掛けているはずだ。つまりこの敵は、迎え撃つ気でいるのだ。

 

『こちらが2陣営でも勝てる……それほど強力なサーヴァントだと?』

「おいライダー、お前はそのサーヴァントをどう思った?」

 

 舞弥が警戒を強め、慎二がサーヴァントを最初に発見したライダーに印象を聞く。

 

「何というか、中々共感を覚えるサーヴァントでした。マスターにこき使われている感じが」

 

 慎二に嫌味を言いながら、ライダーは昼間に発見したサーヴァントのことを思い出す。かつて、自分を討伐するためにやってきて、返り討ちにしてきた戦士たちと比較し、そこまで強いとも思えなかった。まして、最後に自分の首を刈り取った、ゼウスの息子である大英雄ほどではない。

 

「少なくとも、負ける気はしませんね。セイバーのように、強者の気配というものは感じませんでした」

「強者の気配ってのは良くわかんねえけど、油断はしないようにしようぜ? 俺が昔やり合った殺人鬼は、一見してスゲー普通っぽい奴だったが、その実トンデモねえ奴で……」

 

 億泰が自分の経験をもとに、忠告を口にした時。ちょうど、5階を調べても変わった様子が無かったので、4階に降りる階段に、ライダーが足をかけようとしたのとも同時であった。

 

 ドゥンッ!

 

『はっ!』

「ど、どうした!?」

 

 携帯電話の向こうから聞こえた銃声。慎二は飛び跳ねそうな自分を抑え、現状の把握をしようと携帯電話に話しかける。

 

 ズウンッ!

 

『ぐっ! これは、後ろからっ!』

『こいつっ、スタンドっ! バキャッ! ツーッ、ツーッ……』

 

 キャスターと舞弥の声の後、破壊音が響き、通話が途絶えた。

 

「もしもしっ! もしもしっ!」

 

 もはや返事は無い。慎二の叫びにも似た呼びかけに、返す声は無かった。向こうの携帯電話が破壊されたのだ。

 

「落ち着きな。キャスターがいるから、向こうは大丈夫だろう。それより……こっちの心配をすべきだぜ?」

 

 億泰の声にハッとし、慎二はコツリコツリという足音が、ゆっくりとしかし確実にこちらに向かっていることに気づいた。下の階からだ。

 

「…………っ!!」

 

 そして、5階と4階を繋ぐ階段の踊り場に、女性の影が現れた。

 

「ライダーっ!!」

「ハッ!!」

 

 慎二は迷いなく、ライダーをけしかける。この場で、単純に戦えば最強の戦力だ。億泰のスタンドも相当強いし、上手くやればライダーをも仕留められるが、総合的なステータスを考えれば、流石にサーヴァントには及ばない。

 そして、ライダーも目の前の相手に、サーヴァントの気配がない事がわかっていた。目を閉ざしてる分、彼女は気配に関しては敏感なのだ。相手は人間だ。おそらくは、下の階で戦っているサーヴァントのマスター。ならば、過去の神話に刻まれたライダーに、敵うべくもない。

 

 それは当然のこと。慎二も凛も、イリヤであっても、この場ではサーヴァントの勝利を疑いはしない。

 

 だから、それを油断というのは酷な話であった。

 

 ズガァァァァンッ!!

 

「かふっ!?」

 

 踊り場に現れた人影に、ライダーが腹を殴られて吹き飛んだ。ライダーは殴り上げられ、自分が降りて来た上階に逆戻りさせられることになり、凄い勢いで慎二の真横を通り過ぎて、壁に叩き付けられた。衝撃でコンクリートが砕け飛ぶ。

 

「ええ……?」

 

 慎二は見た。電灯の点いていないくらい屋内に、君臨するが如く立つ、女性の姿を。

 

「バ、バゼット・フラガ・マクレミッツ……?」

 

 誰が予想できようか。サーヴァントに殴り勝つ、マスターの存在など。

 

   ◆

 

「はっ!」

 

 2階にいたキャスターの真横の壁に突如、穴が開いて弾丸が飛び出し、彼に襲い掛かった。彼はそれを、波紋によって強化した拳で受け、弾き飛ばす。

 

『ど、どうした!?』

 

 慎二の声に答える余裕はない。キャスターはまた攻撃がくるかもしれないと、壁側を警戒するが、

 

 ズウンッ!

 

「ぐっ! これは、後ろからっ!」

 

 攻撃が来たのは、背後からだった。キャスターの右肩が、背後からの弾丸に撃ち抜かれた。先ほどキャスターが弾き飛ばした弾丸が、反転してきたのだ。そして弾丸は、再度Uターンして更にキャスターを襲う。普通なら在り得ない軌道だ。

 

「こいつっ、スタンドっ!」

 

 舞弥がそれを悟り、声をあげた瞬間、彼女の手にしていた、連絡用の携帯電話が砕かれた。もう一発、撃たれていたスタンド弾によって。

 

「くっ!」

「落ち着きたまえマスター……何、場所はすぐにわかる」

 

 キャスターは、水入りのペットボトルをかざし、

 

「コォォォ…………」

 

 特殊な呼吸音を響かせると、水に変化が発生する。水面に波が生まれ、波紋となる。波紋を生み出しているのは、キャスターが呼吸によって血液中から汲み上げる生命のエネルギー。そして生命エネルギーは、周囲に存在する別のエネルギーに呼応し、反応を示す。

 腕を伝わり、体を伝わり、床を、壁を伝わり、『敵サーヴァント』の生命の震動を、キャスターに教える。

 

「今、この水は波紋探知機と化した……敵は」

 

 キャスターは、天井の一画を睨み、指差した。

 

「あそこだ!」

 

 その指差した点に向け、舞弥は魔術弾を撃ち込む。呪詛の籠った弾丸は、物理現象以上の破壊力を発揮し、天井の板を粉砕した。そして、ちょうどその上に隠れていたテンガロンハットの男は、足場を失って落下する。

 

「うおおお!?」

 

 目を白黒させたカウボーイ風の男は、キャスターと舞弥から8メートルほど前の廊下に落ちる。何とか足から着地し、転ぶことは免れたものの、姿はさらけ出されてしまった。

 

「くっそ、やってくれるぜ……」

 

 テンガロンハットのサーヴァントは愚痴りながらも、手の銃をキャスターに向けて、戦闘続行の意志を見せた。

 

「……サーヴァントの戦いに、私では力になれない。頼みます」

「うん、任せてくれ」

 

 拳銃を構えるサーヴァントをキャスターに任せ、舞弥はその場を離れる。背中に遠ざかっていく足音を受けながら、キャスターは口を開く。

 

「撃たないのかい? マスターを狙うのが聖杯戦争のセオリーと聞いたが?」

「んんー、俺は女を傷つけない主義なんでね。だからもう一人のサーヴァントとは戦いたくねえし、あんたを相手にするのは、むしろ願ったりだ。男はぶっ殺しても心が痛まなくていいぜ。俺の名はホル・ホース……ま、自分を仕留める相手の名前くらい、憶えておきな」

 

   ◆

 

(…………)

 

 倒れ伏した士郎。その体はピクリとも動かなかったが、その意識はしっかりしていた。

 

(……強化した教科書を重ねて、服の下に入れておいたのが良かった。ギリギリ、守ってくれたようだ)

 

 宝石が爆発する直前、教室で壊れた机から落ちた教科書を、拾っていたのだ。学生服の下で穴の開いた教科書に感謝し、士郎は凛が過ぎ去ってくれるのを待つ。このまま、勝ったと思って行ってくれれば一番いいのだが。

 

(もし、令呪を取り上げるために近づいてきたら……一か八か……)

 

 昨夜、アーチャーが見せた、剣や矢の投影を思い浮かべる。剣を振るい、投げ放つ姿を。自分に同じことができるだろうか?

 

(やるしかない!)

 

 至近距離に凛が近づいてきたら、不意を突いて攻撃することを決める。

 今、凛は離れたところから、じっと士郎を睨んでいる。この距離からガンドを駄目押しで撃たれると一番まずい。心臓がバクバクと音をたて、立ち上がって逃げ去りたい誘惑にかられるのを抑える。

 

「死んだふり……してたりして?」

 

 ポツリと凛が呟く。士郎は、至近距離まで凛が近づいてくれる可能性は諦め、別の好機が訪れるのを待つ。

 敵手が最も隙を見せるのは、勝利の直後。その次に大きい隙が、攻撃の一瞬前だ。攻撃に移ってからでは、もう防御はできないため、その瞬間を狙われたら防ぎようがない。西部劇のガンマンの対決のように、凛の動きを感じ、その一瞬を静かに待つ。

 

「…………」

(…………)

 

 呼吸も忘れる緊張の時間。

 そして、

 

「っ!!」

「っ! あんた、やっぱ死んだふりっ!」

 

 跳ね起きた士郎に向かい、凛は魔弾を放つ。対する士郎は、今度は逃げも守りもせず、正面から凛に向かい走り出した。魔弾が頬を掠め、二の腕を穿つ。血が飛び、激痛が士郎を苛む。それでもなお、士郎は止まらない。

 

「な! 自殺する気!?」

 

 あまりに無謀な行為。それが予想外であったからこそ、凛は一瞬、攻撃の手を止めてしまった。気圧された自分に気づき、攻撃を再開しようとするが、もう遅い。士郎は、凛の間近に届いていた。

 

(やばっ!)

 

 凛はその鬼気迫る接近に怯む。士郎が女を殴ると言うのは、あまり想像がつかないが、そうされるくらいのことをした自覚はある。せめて、顔ではないといいなと思いながらも、衝撃と痛みを覚悟した。

 

「危ない遠坂っ!」

「へ!?」

 

 士郎が凛を抱き込み、その身を押し倒す。仰向けになった凛の視界に、一瞬前まで自分の心臓があった位置に、何者かの腕が突き込まれるのが見えた。

 

(な……)

 

 凛は理解した。そして、自分の間抜けさに心底、腹を立てる。まるっきり同じではないか。

 最初の夜、ランサーと戦っていたときと。

 

(同じ失敗をして……同じ奴に助けられるなんてっ!)

 

 乱入者だ。

 漁夫の利を狙う敵がいる。

 

 見えるのは腕だけだが、胴体がある方向に指を向け、魔弾を放った。大きな音をたてて、腕が後方に消え去るのが見えた。乱入者を吹き飛ばすことに成功したようだ。

 

「くっそぉっ! 衛宮くん! 一時停戦ってことでいい!?」

「ああ、願ったり叶ったりだ!」

 

 士郎としても、確実に競争相手を殺す気でいる相手よりかは、まだ手心を加えようとしてくれる凛の方につくことに、躊躇いはない。

 二人は起き上がり、乱入者が吹き飛んだ方向に目を向ける。

 

「っちぃ……アジな真似……よし、今回は憶えてたぜ……アジな真似してくれんじゃねぇかよぉ」

 

 魔弾をくらっても、ダメージは無いようだった。忌々しそうに呟きながら、平然と立って、二人を睨む。

 全身を、ダイバースーツのような奇妙な服で多い、泥沼のように濁った目だけを出した異様な男。凛の目には相手がサーヴァントであることがわかった。

 だが、凛の目を引いたのは、男の格好ではない。男の足が、学校の床にめり込んでいることだ。それも床を破壊してめり込んでいるのではなく、足が床に沈みこんでいるように見えた。男の足元の部分だけ、床が液状になっている。

 

「だが……所詮この俺に敵うわけはねえ……くたばりな……俺の【心乾きし泥の海(オアシス)】でなぁ」

 

   ◆

 

「……ぶ、無事か? ライダー」

 

 敵から目を逸らすわけにもいかず、自分の背後に倒れているだろう使い魔に、慎二は何とか声を絞り出す。

 

「かふっ、こほっ……何とか」

 

 慎二の声に答え、ライダーは身を起こすが、その動きは良くない。腹に響いたダメージは浅くないようだ。

 

「おいおい、本当に大丈夫かよ。今のは半端じゃなかったぜ?」

「私もそれなりに半端では無いつもりです。この程度」

 

 億泰は心配気に声をかけるが、ライダーは強がり半分ながらも戦意を失うことなく、前に足を踏み出し、慎二の横に立つ。

 

「お前が吹っ飛ばされるとはな。体格的にもお前の方が有利なはずだろ?」

「……体格とか背丈とかについて、あまり言うようなら反乱も辞さないと思いなさいマスター。それは後にして、おそらく魔術によるものなのでしょうが……彼女、下手をすれば私よりも怪力かもしれません。今の拳、咄嗟に身を引いていなければ、腹を貫かれていたかも」

 

 回避運動をとったうえで、殴り飛ばされたというのだ。ますます人間離れしたマスターである。

 

(だがそうとわかっていれば……)

 

 相手が高い白兵戦能力を備えているとわかっていれば、それに応じて行動すればいい。慎二がそう考えた時、その姿が突如消え、

 

「!?」

 

 いきなり目の前に出現した。

 

(早っ!)

 

 そう思考することさえやっとのこと。慎二の運動能力は学生としては高い方だが、これから振り下ろされる赤毛の女の拳は、もはや兵器のレベルだ。躱せはしない。

 

「【ザ・ハンド】!!」

 

 そこで慎二の命を救ったのは億泰であった。スタンド【ザ・ハンド】の右手が、何もない前方の空間で、弧を描く動きで振るわれる。すると、その能力により空間が削り取られ、

 

 グォンッ! パッ!!

 

 慎二の体が、その『削られた空間』を穴埋めする形で、瞬間的に移動させられる。慎二という叩き付ける対象を失った拳は、慎二の背後にあった壁に撃ち込まれ、コンクリートを豆腐のように粉砕する。

 

(魔術……!? いやでも……乱暴すぎだろ!)

 

 助かったことを喜ぶ余裕もなく、慎二は必死でフーゴから渡された拳銃を抜き、女に向けて撃つ。しかし、至近距離から放たれた弾丸を受けても、彼女は当然の如く微動だにしなかった。

 

「私を無視しますかっ!」

 

 自分が傍にいると言うのに、マスターへの攻撃を許してしまったライダーは激昂し、彼女に襲い掛かる。大木も容易く圧し折る拳が放たれる。

 

 バッシィィィィ!

 

 しかし、ライダーの【怪力:B】を伴った拳を、赤毛の女はキャッチャーがボールをしっかりとミットで受け止めるように、完璧に抑え込んだ。

 

「貴様っ!!」

 

 だがライダーもこの程度で怯みはしない。更に力を込め、敵マスターに押し込んだ。勢いよく背中から壁に打ち付けられた衝撃で、壁は砕け、彼女は壁の向こう側の部屋へと、ライダーごと転がり込んで行った。

 

「ライダッ……」

 

 メメタァッ! ズガァッ! バキャァァァッ! ドズヴッ! ベキャァッ! ビキィッ!!

 

 叫んで後を追おうとした慎二だったが、砕けた壁の穴から鈍い打撃音や、破砕音が連続して聞こえ続け、止む気配がない。

 どうやら、向こう側で拳の応酬が行われているらしい。

 

「……なあ慎二。これ、中に入ったら巻き添えで死にそうなんだが」

「……うん、僕もそう思う」

 

 億泰が及び腰で言うのに、慎二も同調せざるを得ない。正直、このまま逃げ出したい。

 けれど、

 

 バキャアアアアッ!!

 

 逃げる間もなく、壁に新たな穴が開き、掴みあう女が二人、廊下に躍り出る。空中でライダーの方が身を捻り、相手の女を慎二たちのいるのとは逆の側に放り投げた。

 

「ふっ!」

 

 強く投げられた赤毛の女は、顔を天上に向け、後頭部を床に叩き付けられる体勢にあった。しかし彼女は呼気を一つ吐いたかと思うと、頭部が床に触れる直前、裏拳を床に叩き込み、その反作用で身を浮かせ、反転宙返りを決めると、足から鮮やかに着地する。

 

「マジで何者だ? 魔術師かホントに!」

 

 英霊並みの動きを見て、慎二は呻く。到底、魔術師とは思えない。囲碁の大会に、オセロの名人が乱入してきたような、恋愛ゲームにゾンビが殴りこんできたような、そんな場違いな相手であった。

 

「……さんざん殴ったつもりですが、あまり手ごたえは無いようです。いざとなれば、宝具を使うこともあり得ます」

 

 慎二の前に降り立ったライダーが言う。ライダーの宝具は、ミサイルにも匹敵する兵器並みのシロモノだ。それを使う必要があるかもしれない。それほどの相手だと言うのだ。

 慎二は冷や汗を流しながら呟く。

 

「……策が、間に合うかどうかによるな」

 

   ◆

 

「先ほどの銃弾……アーチャーが他にいることを考えると、君はアサシンかね?」

「惜しいが違うな。この俺は『銃士(ガンナー)』。エクストラクラスという奴さ」

 

 ホル・ホースと自ら名乗りをあげた型破りなサーヴァントは、クラス自体が型破りであった。キャスターの問いに笑って答えた後、先手を取って行動を開始する。

 

「【拳銃皇帝(エンペラー)】!!」

 

 メギャン!

 

 テンガロンハットのサーヴァントは、空っぽの手にリボルバー式の拳銃を出現させる。

 この拳銃が、彼のスタンド宝具。

 タロットの大アルカナにおける4番目『皇帝』のカードの暗示。

 正位置においては、支配、安定、成就、行動力。

 逆位置においては、横暴、傲岸不遜、傲慢、身勝手。

 また、統治、防御、そして同盟を意味する解釈もある。

 

「脳みそ、床にぶちまけやがれ! キャスターよぉ!」

 

 銃口から、自在に動く弾丸が3発、連続で発射された。

 

「スタンドの弾丸……生前の私であれば危なかったかもしれないが……」

 

 キャスターは弾丸が発射されると同時に、自分の首元に巻かれた蝶ネクタイを解いた。一本の帯となったネクタイが、彼の手の中で揺れる。そして、

 

「キャスターとして召喚されたのは正解だった!」

 

 ネクタイが奇妙に蠢き、蛇が獲物に襲い掛かるように弾丸を絡めとる。ネクタイはスタンド弾に巻き付いて、その動きを抑え込む。前から迫る3発の弾丸を瞬時に捕え、

 

「ふっ!」

 

 次にキャスターの背中側へと伸びて、後方から迫っていた『4発目』、否、『先に撃たれたまま宙を飛んでいた1発目』をも防ぎ、捕まえる。

 

「な、なにぃっ!?」

 

 自分の自慢の弾丸を、正面から捕らえたうえに、背後から仕掛けた奇襲をもしのがれた。ホル・ホースはその鮮やかな手際に驚愕する。

 

「スタンドはスタンドでしか攻撃できない。だから、私にスタンドを倒すことはできないが、防ぐことくらいならできる」

 

 キャスターの手の中で、四つの結び目ができたネクタイがクネクネと踊るように動く。

 そのネクタイは、キャスターがサーヴァントとして召喚されたことで身に着けたスキル【道具作成】によって作り出したものだ。

 東南アジアに生息する、サティポロジア・ビートルというカブトムシの糸によって作ったネクタイを魔術で再現したもの。100パーセント波紋を通すことができる。波紋使いが持つ武器としては最高の物だ。波紋を流すことで自在に動かせ、鉄のように硬くすることができ、生命レーダーとして死角からの攻撃も察知することも可能なのだ。

 

「むっ……」

 

 キャスターは、自分の手のネクタイから、銃弾の手ごたえが消失したことに気づく。ホル・ホースが【拳銃皇帝(エンペラー)】の弾丸を消したのだ。

 

「やるな、おっさん。だが、防ぐだけじゃ、俺には勝てないぜ」

 

 いくらスタンド弾を防ぐことができても、キャスター自身が言うとおり、スタンドを倒せるのはスタンドだけ。なら、距離を置いて戦えば、ホル・ホースが一方的に攻撃できる。防戦一方のキャスターは、どう頑張っても負けないのがやっとだ。勝利は得られない。

 

「ああ、君の言う通りだ。この勝負に、私の勝利はない」

 

 自身の不利を認めながら、しかしキャスターの表情に屈辱や失意は浮かんでいない。ただ静かに微笑み、

 

「あるのは、彼女の勝利だ」

 

 直後の爆音と、ビルの震動を迎え入れた。

 

   ◆

 

 凛の放つガンドが、士郎を狙っていたときよりも、更に激しく放たれる。威力もより強力だ。士郎相手のときは手加減していたというのは、本当であったらしい。

 けれど、

 

「ふん」

 

 魔弾の雨を、両拳によって叩き落とし、士郎と凛に向かって近づいてきた。

 

「こ、この程度なら……能力を使う、までもねえ……」

 

 凛の魔弾よりも、なお速く強い、拳の連打。海を割り裂くモーゼのように、弾雨を割って、男が迫る。

 

(この程度は、予想の範囲内……)

 

 凛は、魔弾を撃つ方とは別の手でポケットをまさぐり、一粒の宝石を取り出す。

 

Anfang(セット)

 

 宝石を軽い手つきで投げ放ち、同時に呪文を口にする。放たれた赤い宝石は、敵サーヴァントの目前で炸裂した。炎が弾け、風が激しく周囲を叩く。

 

「どうよ……!【対魔力】を持たないサーヴァントなら、ちょっとは」

 

 相手のクラスはわからないが、既に【対魔力】を持ち、魔術師の天敵とされるサーヴァントは全員知っている。相手が魔術に耐性がある可能性は少ないと見えた。

 凛は、爆発から顔を庇いながら、相手の様子をうかがう。しかし、爆発の炎や煙が弱まったあとの爆心地には、誰の姿も見当たらなかった。

 

「……今ので倒した、なんてわけないわよね。気をつけなさい、どうやら逃がしたわ」

「ああ……一体どこに」

 

 凛が汗を一筋垂らしながら、士郎に声をかける。士郎は頷き、周囲を探すが、気配も感じ取れない。霊体化した可能性もある。

 

(セイバーを呼ぶか……?)

 

 貴重な令呪を消費してでも、サーヴァントの応援を呼ぶべきか判断に迷った瞬間、士郎の足元が『膨れた』。熔けたガラスに、息を吹き込んだように。

 

「っ!?」

 

 膨れた床が弾け、内部から現れたのは禍々しい死の手。まず放たれたのは手刀。刃物でもないのに、その速度によって士郎の胴体を切り裂き、鮮血を飛び散らせた。そして士郎が悲鳴をあげることも許さず、彼の首を掴んで抑える。

 

「ぐっ!」

「大人しくしろよ……? おい女のガキ……こいつを殺されたくなきゃ……令呪を使って自分のサーヴァントを……殺しな……」

 

 床を水のように潜り、泳ぎ、浮かび上がって来たサーヴァントは、凛へと命じる。士郎の喉は、既に少し解け始めていた。

 

「……そいつとは元々敵同士よ? 人質になると思ってるの?」

「へっ……本気で言ってるなら……こいつごと俺を仕留めるんだな」

 

 男の口元に卑しい笑みが浮かぶ。彼には確信があった。サーヴァントを自害させることはできないかもしれないが、人質が通用することは、確信していた。生前、邪悪に手を染め続け、浸り続けてきた彼だからこそ、相手が善人かどうかくらいすぐにわかる。

 

(こういう奴は、人質を見捨てることを気にするからなぁ。ウヒヒ……たとえこっちの言うことを聞かなくても……見捨てたという心の重荷を抱えた相手なんざ、ラクショーで殺せる……)

 

 悔し気に黙る凛に対し、男は士郎を殺して、その生首を投げつけてやろうかなどと考えながら、士郎の方を見る。士郎の顔は、さぞ恐怖に歪んでいるだろうと思っていた男だったが、

 

「…………!?」

 

 その顔を実際に見て、驚く。士郎の目は男を睨み、その眼差しに、恐怖は含まれていなかった。いや、それどころではないことを、男は理解してしまった。

 

(なんだこいつ……!?)

 

 彼は生前、『相棒』と共に悪事を行っていた。『相棒』の生きがいは、『他人が絶望に落ちるときの表情』を見ることであった。人間が死ぬ瞬間の表情こそが、『相棒』の研究対象であり、最大の幸福であった。男も『相棒』のその研究に付き合い、幾人もの絶望と死の表情を眺め、ビデオに録画してきた。

 だが、士郎の浮かべる表情に、これまで数えきれないほど見て来た、絶望はなかった。

 それでも、それが生前の自分を打倒した男、ブチャラティのように、覚悟によって死の恐怖と絶望を乗り越えたようなタイプなら、理解はできずとも『そういう奴もいる』と受け入れることはできた。

 だが士郎は違う。死に対する恐怖がそもそも無い。絶望も無い。自分の命を大切にしていないということは、自分が無いのと同じことだ。人間を構成する要素が欠けている。砕けて外れてしまったかのように。

 

(なんだ……こいつはッ!?)

 

 見たことのない相手。未知の存在。幾人もの人間を躊躇いもなく、無造作に殺してきた男は、ただただ純粋に、心の底から思った。

 

気持ち悪い(・・・・・)

 

 自分が得体の知れないエイリアンを掴んでいるような思いに囚われ、男は士郎を反射的に投げ放していた。

 

「ううっ!」

「衛宮くん!?」

 

 士郎を投げつけられ、咄嗟に受け止めてよろめく凛。

 一方、男は士郎を掴んでいた手を、薄ら寒い思いで見つめた後、その身をズブズブと床へと沈めていった。

 

「気分が悪い……今日はもうやめだ」

 

 その台詞を残し、男は姿を消す。その後もしばらく、士郎と凛は周囲を警戒していたが、本当にその場を離れたらしく、攻撃は無かった。

 

「どうやら本当に行ったようね……衛宮くん? その傷……」

 

 ほっと息をついたところで、凛は士郎の傷を気にする。サーヴァントの手刀によってつけられた傷からは、血が止まらずに流れていた。

 

「ああ……見た目ほど大したもんじゃないさ」

「ちょっとは気にしなさいよ! ああー、もうっ! ちょっと助けられちゃったし、もう戦う気も失せたから、私の家に来なさい! 手当くらいしてあげるわ!」

 

   ◆

 

「なんだっ!? 何があった!!」

 

 ホル・ホースが揺れるビルの中で叫ぶ。壁がミシミシと鳴り、天井から埃や砕けたコンクリートの破片が落ちる。廊下が傾き始め、窓ガラスが嫌な音を立てて割れていく。

 

「これからこのビルは倒壊する」

「はぁ? そんな大規模な魔術や宝具が使われたような魔力の動きは……まさかっ!」

 

 ホル・ホースは自分の間抜けさに気づいた。魔術などというものを知る前なら、容易に辿り着けただろう答え。

 

「爆弾かっ!」

「そう。これが私たちの策。私たちの決め手は、私でもライダーでもない。私のマスターだったのさ」

 

 サーヴァントにも気取られず、結界にも反応しない、単純明快な物理的破壊。

 爆破解体(デモリッション)――爆発物による建築物解体技法。爆弾で支柱を破壊することで、建築物を自重によって圧壊させるという、衛宮切嗣が精通していた技術である。

 それを切嗣から学び、身に着けた久宇舞弥が、今回の策の主役であった。幸い、このビルはありふれた技法で建てられており、外観を観察するだけで設計は八割以上正確に推察できた。支柱の位置も簡単に掴めた。後は、敵の目が舞弥へと向けられない時間を作り出すだけ。

 

「君や私は、ビルの倒壊に巻き込まれてもなんてことはない。マスターたちも避難の準備や心構えはしている。だが、何の準備もしていない君のマスターはどうかな?」

「ちぃっ!!」

 

 ホル・ホースが事態を把握したときには、もうビルは音を立てて崩れようとしていた。

 

   ◆

 

 爆音が響いたとき、慎二は策が成ったことを知った。ならばもう戦う必要はない。早く逃げねば諸共潰されてしまう。

 

「行くぜ!!」

 

 ガオンッ!!

 

 億泰が右腕で円を描いて壁を大きく削り、大人でも通れる丸い穴を空けた。後はそこから出るだけだ。

 だが、赤毛の女魔術師は揺れる床を蹴って、慎二たちに向かって走る。その動きは、このビルから避難するための動きではない。

 

「こいつっ、まだやる気だっ!」

 

 なんと飽くなき闘争心。ビルの異常がわかっていないはずはないのに、それでも自分は生き延びれる自信があるのか。並みの魔術師では、落下の衝撃と、瓦礫による圧迫に耐え切れず死んでしまうのは必至であるのに。

 

「残念ですが、我々にはもう、やる気はありません」

 

 流石のライダーも付き合っていられず、鎖をしならせて振り回し、投げつける。鎖を巻き付けて、動きを封じようと言うわけだ。だが、その鎖が巻き付くよりも前に、彼女は床を砕いて階下に落ちていった。次に取る行動は明白。

 

「下からっ」

 

 次の瞬間、億泰の足元が砕けて、グローブのはまった拳が襲い掛かる。

 

「【ザ・ハンド】!」

 

 億泰は自らのスタンドで、その拳をガードするがあまりの威力に、腕を弾き飛ばされそうになる。

 

(こいつっ、クレイジー・ダイヤモンドやスター・プラチナ並みのパワーだぜ!)

 

 スタンドをもってしても、簡単に倒せる相手ではないが、もう時間がない。既に天井から瓦礫が落ち、床も傾き始めている。

 

「一抜けたぜっ!」

 

 億泰は床を飛び、先ほど開けた穴から、地上から10メートル以上の高さにある空間に躍り出る。それを逃すまいと、鉄腕の女魔術師も手を伸ばすが、その後頭部に急な打撃をくらい、動きを止めることになった。

 

「っ!?」

『レディィィィ!』

 

 敵マスターを驚かせたのは、慎二の行動だった。彼は、億泰を追おうとした女の赤い頭に向けて、自らのスタンド【マイキー・ザ・マイクマン】を投げつけたのだ。手足の生えたマイクのようなスタンドが、勢いよく頭部にぶつかったため、一瞬注意がそちらに向いてしまった。結果、億泰はもう完全にビルの外だ。

 残った慎二も、ライダーが横抱きに抱え、壁を体当たりで破壊して脱出していった。そして直後、ビルは完全に大地に向かって崩れ落ちていく。赤毛の女魔術師が、外に出る前に。

 3秒後、5階建ての空きビルは、完全に瓦礫の山と化した。

 

   ◆

 

「勝った……のか?」

 

 ライダーに横抱きにされたままの慎二は、夕日の沈んだ暗闇の中、瓦礫の惨状を見つめて呟いた。

 

「見ていましたが、サーヴァントもマスターも、出てきた様子はありません」

 

 慎二の呟きに応えたのは、舞弥だ。慎二が見ると、舞弥と、そして舞弥に横抱きにされた億泰がいた。舞弥よりも大柄で背も高い億泰が、舞弥にお姫様抱っこされている様は非常に珍妙なものであった。筋力を魔術で強化してあるからできることだ。

 

「おい……早く降ろしてくれよ」

 

 億泰が若干頬を赤くして言う。落下してきたところを、受け止めてもらった手前、強く言うことはできないのだろうが、流石に成人男性がこんな格好になっているのは恥ずかしい。

 

「……これは失礼」

 

 そう答えた舞弥の声が、彼女にしては楽しそうに聞こえたのは気のせいだっただろうか。

 ともかく、億泰と慎二は彼女たちの腕から降ろされた。

 

「勝ったってことでいいのか?」

「拠点一つを台無しにしたわけだから、損害という意味では向こうの負けさ」

 

 慎二はそう言うが、敵マスターがどうなったのかはわからない。ああも化け物じみた戦闘的魔術師なら、あるいは生きているかもしれない。だが、拠点が潰れた以上、町に出ていくしかない。そして、町にはフーゴの情報網が張り巡らされている。どこにいたってすぐにわかる。追撃も奇襲も容易い。

 そして、サーヴァントの能力も知ることができた。かなり追い詰めたと言っていいだろう。

 

「ここは長居しない方がいい。人も集まってきたし、いつ警察が来てもおかしくない。事情聴取は面倒だろう?」

 

 今まで魔術により人を遠ざけていた効果が消えた今、ビルの突然の倒壊を知った通行人や、周囲の建物にいた人々が集まってきている。キャスターは早くこの場を離れることを提案した。一同は賛成し、その場を自然な素振りで立ち去るのだった。

 

「キャスター。敵のサーヴァントはどうしました?」

「お互い、ビルの完全に崩れる前に霊体化して、外に逃げたんだがね。あちらがどうなったかはわからないな」

 

 ホル・ホースはビルの倒壊が始まると、すぐにその場から逃げ出した。マスターを気に掛ける様子もなく、脇目も振らぬ逃走ぶりはいっそ見事だったとキャスターは語った。

 

「だとすれば、やはりマスターは生き延びているかもしれませんね。サーヴァントがマスターの魔力供給なしに存在できない以上、マスターが死ぬ可能性があるのなら、そんなにあっさり逃げられるものではない。マスターがこの程度で死ぬはずがないという信頼があったのでしょう」

「いやどうかな。あれは単に彼の性根のような気もするよ?」

 

 キャスターは舞弥の意見に、苦笑を混じらせて返答する。

 

「とはいえ、中々厄介な相手ではあるね。自分の強さと弱さを良く知っている手合いだ」

 

 ガンナーへ、油断してはいけないという評価を下すキャスターに、ガンナーのことを良く聞こうとした慎二であったが、彼のポケットの中で携帯電話が鳴る。フーゴからの連絡だ。

 

「もしもし、フーゴか。そっちは片付いたのかい? こっちは例の情報から、バゼット・フラガ・マクレミッツと戦闘したところだよ。たった今、拠点を潰して引き上げているところ。詳しい経緯は……え? 何? 何だって?」

 

 慎二は、フーゴの言ったことを聞き返す。聞こえなかったのではない。その内容が、非常に不思議でおかしなものであったからだ。

 

   ◆

 

「だから、バゼットと戦ったはずがないと言っているんだ。バゼット・フラガ・マクレミッツは……」

 

 フーゴは電話をしながら、傍のベッドに横たわる女性に目を向け、

 

「今ここにいるんだから」

 

 彼女がバゼットその人であると確認した。

 今日の『仕事』でアメリカン・ギャングを完全に潰した終えた後、部下からの連絡を受けて彼女のことを知った時、自分も慎二同様にその連絡を疑った。彼女が見つかったのは、新都とは川を挟んで逆側、深山町の古い廃屋の中であった。たまたま、その廃屋を夜の寝床にしようと入り込んだホームレスが倒れた彼女を見つけて、死体かと思って驚き騒いでいたのを、フーゴの部下が聞きつけたのだ。

 美しい顔立ちの赤毛の女性。左目の下に泣き黒子。耳にはイヤリング。鍛え上げられた体に男性用スーツをまとい、右手には手袋をはめている。しかし、問題は左手。

 

 左手は、肘から先が切断され、失われていた。

 

 しかも奇妙なことに、その切断面からは血が出ていなかった。刃物で断ち切られたり、衝撃でちぎれたりといった、普通の傷ではない。

 一度ドロドロに肉と血と骨が、『溶けて』から、手がちぎれた後に、また固まって傷口が塞がったように見えた。チーズとトマトソースが混ざったピッツァのように。

 

 

 

 

 

 ……To Be Continued

 

 



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ACT10:敵と味方と

 

 

 ガンナーと『バゼットではなかった女』との戦いの後、慎二たちはすぐにフーゴから教えられたホテルに向かった。舞弥が用意していたワゴンカーを飛ばし、新都にある高級ホテルに辿り着く。

 ホテルの前で口ひげを生やしたイタリア人男性に出迎えられ、部屋へと案内される。ドアを開けると、フーゴと、ベッドを占領する赤毛の女――本物のバゼット・フラガ・マクレミッツがいた。右手から点滴を受けながら眠りについている。その寝顔は、あまり良いとは言えない。悪夢にうなされているようにしかめられ、唸っている。

 慎二は彼女を見つめながら、スタンド【マイキー・ザ・マイクマン】を出現させた。

 

『レディース・アァァァンド・ジェントルメェェン!! 青コーナー! 素直になれないお年頃! 穂群原学園弓道部副部長! 実は子犬好き! 間桐慎二ィィ!!』

(……また余計なことを言いやがって!)

 

 自分のスタンドに内心で悪態をつきつつ、背後でこちらに向けられるライダーの気配を気にする。だが問題はここからだ。

 

『赤コーナー! 時計塔の執行者! 行きつけの店は牛丼屋! 特技は人を殴ること! バゼット・フラガァァ・マクレミィィッツ!!』

 

 プロフィールの内容はともかく、これで彼女が本物のバゼットであることは確定した。

 

(失敗したな。あいつにも【マイキー・ザ・マイクマン】を使っとくんだった)

 

 てっきりガンナーのマスターがバゼットだと思っていたが、明かりも点いていないビルでは、顔は良く見えなかった。髪の色だけで判断してしまった失点を悔やむ慎二。

 舞弥は過ぎたことはどうしようもないと切り捨て、今後のために推測を開始する。

 

「彼女がバゼットで、魔術師であることも確か……そして左手が失われているということは、おそらく令呪を奪われたということ」

「つまり、彼女もまたマスターであったということか。早い段階で彼女は敗れ、しかし殺される前に逃げ延びて、隠れていたところを見つかった。令呪を奪ったと言うことは、彼女のサーヴァントはまだ現界している可能性が高いな」

 

 舞弥の言葉を聞き、キャスターが状況を判断する。

 バゼットがサーヴァントを奪われたとするなら、犯人は誰か? 慎二、士郎、凛、舞弥はまず除外される。イリヤは既に最強のサーヴァントがいて、他人のサーヴァントを奪う理由はないので違うだろう。だとすれば、先ほど戦った謎の女マスターか、まだ見ぬランサーのマスターか。

 

(いや、それだけじゃない……)

 

 慎二はここに来るまで、自動車の中でキャスターからガンナーについて聞いたのだが、その容姿も能力も、アーチャーとランサーの戦いの最中、凛を襲おうとしたサーヴァントのものとは異なっていた。つまり、8人目のサーヴァントということになってしまう。

 しかし、それは情報共有をしている舞弥も不思議がる事柄のはずなのに、舞弥はそれを気にした様子がなかった。慎二がそれについて聞くと、

 

「ああ、確かに8人目のサーヴァントがいることは問題ですが、在り得ることではあります。前回の聖杯戦争では、サーヴァントを召喚するサーヴァントが2体いました。一人はライダー、征服王イスカンダル。もう一人はアサシン、世界王ディオ・ブランドー」

 

 どちらも、生前の部下をサーヴァントとして召喚することができたのだと言う。無論、本来の数を超えるサーヴァントがいること、今後も更に新たなサーヴァントが現れる可能性があることは大変なことである。だが、不思議がるようなことではない。

 

「そういうこともあると受け入れ、なぜそうなったか、誰がそうしたかを突き止めればいいだけの話です」

 

 流石に、戦場の経験は舞弥に敵わず、慎二は若干面白くなさそうであったが、押し黙った。

 

「新たな情報を知るには、まず彼女に起きてもらうのが一番早い。だが、かなり体が弱っているようで目が覚めない。医者にも診てもらったが、出血多量、栄養不足、体力低下……普通なら死んでいるって驚いていたよ」

 

 今まだ生きているのが、魔術によるものか、単純にバゼットという女性が規格外の肉体を持っているからなのか、わからないが、今まだ息があるのは僥倖であった。発見されたとき、体は冷え切っていたという。

 フーゴの指示で体を温め、点滴で栄養や薬を投与し、輸血も行った。だが、発見した時点で既に消耗しすぎていた。取り返しがつくかわからない――いつ死んでもおかしくないというのが、医者の判断だ。

 

「我々ではこれ以上の対処はできない。君らには、他にできることはあるか?」

 

 慎二はまず力になれない。魔術は使えないし、ライダーはむしろ生命力を吸い取る側の存在で、治癒することはできない。舞弥も治療のための術や礼装は所持していない。億泰も同様。

 ゆえに、役に立つのはただ一人。

 

「キャスター」

「ああ、やってみよう」

 

 髭の紳士は、眠れる美女に歩み寄ると、失われた左手の傷口に触れ、

 

「コォォォォォォ……」

 

 特殊な呼吸を開始した。キャスターの手に優しい輝きが生まれ、傷口を通してバゼットの体を伝わっていく。光が伝わることでバゼットの肌に張りが生まれ、血の気の失せた顔色が、良好になっていくのが、見ていてはっきりとわかった。

 

「本来、波紋法とはこういう使い方をすべきなんだよねぇ」

 

 キャスターは、生前に初めて波紋法と巡り合ったときのことを思い出す。

 彼が目にした若き波紋使いは、当時の医学ではもはや断ち切るしかない傷口から腐ってしまった脚を、見る見るうちに再生させたのだ。

 彼の生涯を賭けた宿敵――吸血鬼。その逆の力。生命を与え、救う力。

 血液から呼吸によって、太陽光と同質の生命エネルギーを汲み取り、増強し、放つ力――『波紋法』。太陽の光と同じ波長の波紋を生み出し、力とする術。

 

「……これで、大分体力は回復したはずだ。まず命の危険は無くなった。じきに目覚めるよ。多分、明日には」

 

 肌の血行が良くなり、ピンク色になった頬。苦しみ魘されている様子もなくなり、安らかに寝息をついている。キャスターによる治療の効果は目に見えて明らかだった。

 

「ご苦労でした」

「ふむ……これは使える能力だな」

 

 フーゴはキャスターの能力に感心する。戦闘はどうあがいても傷つき消耗することは避けられない。ゆえに、戦闘は戦士だけでは成り立たない。回復役を始めとするサポートを行える人員は不可欠だ。

 

「さて、久しぶりだな。あんたとまた共闘することになるとは思わなかったが」

「10年ぶりですね。パンナコッタ・フーゴ……今ではパッショーネの幹部だそうですね。この町の現状を調べ直して、貴方の顔を見たときは少々驚きました」

 

 かつての聖杯戦争のセイバーの陣営にいた舞弥と、バーサーカーの陣営にいたフーゴ。敵対し、最後にはアサシンの陣営と戦うために、流れで協力することになった間柄。あの時別れた後、こうしてまた出会うことになるとは、思っていなかった。

 

「見ての通り……今は慎二に協力している」

「ええ、深く聞く気はない。間桐ではなく、慎二と組んでいる。それならば、何も問題ありません」

「ああ。こちらも問題はない。お互い、邪魔にならないようにしっかりやろうじゃないか」

 

 舞弥とフーゴは、あくまで慎二を通じての繋がりであり、フーゴは積極的に舞弥を助けることはせず、舞弥はフーゴに協力することもない。下手に目的を告げれば、それが弱みとなって相手に利用されるかもしれないから、自分たちのことは何も喋らない。

 フーゴも舞弥も、慎二の味方にはなるが、それ以上の協力はしない。しかし、進んで敵対もしない。その辺りで折り合いをつけようということだ。

 片や、犯罪を生業とするギャング。

 片や、金で人を殺してきた仕事人。

 お互い、信頼されるような立場でないことは百も承知であったから、気を悪くすることはなかった。

 それを傍らで見ていた億泰は、『めんどーくせーことやってんな』と思っていたが、リーダーである舞弥の行動に口を挟むことはなく、あまり使うこともない高級ホテルの部屋を、物珍し気に見ているのだった。

 

「そういうわけで、仲介人は任せるよ慎二」

「パッショーネが掴んでいる情報の提示を求める時は、貴方を介して行います。こちらからパッショーネに接触したいときも使者となってもらうので、よろしく」

「……おい、スムーズに僕をパシリにするんじゃない」

 

 慎二は勝手に仕事を増やす協力者たちに文句を言うが、

 

「他に人がいないんだ。君を信頼して任せるんだぜ慎二」

「私たちキャスター陣営、そしてフーゴたちパッショーネ。二つの勢力の間を取り持ち、情報操作の手腕によっては双方を手玉にとれる、大変得な立場が手に入ると考えてみては?」

「勝手なこと言いやがって……」

 

 互いに信用も信頼もしないという立場でありながら、フーゴと舞弥は仲良く慎二に自分たちが協力するための潤滑油という役目を押し付けるのだった。

 慎二は顔をしかめながらも、頷く。

 

「まあいいさ。やってやるよ。で、この後のことだけど」

「この本物のバゼットが目覚めれば、かなりのことがわかるだろうが……それまでにやれることが一つ」

 

 フーゴはホテルの備品であるデスクの引き出しを開け、中にあった書類の束を取り出す。

 

「昨夜、港の防犯カメラに、見覚えのある姿があった」

 

 防犯カメラの画像を引き延ばし、解像度を高める処置を行ってつくった写真には、長い金髪をした、褐色の肌の美青年の顔があった。

 

「アトラム・ガリアスタ……」

「そう。入って来た船から積み荷を受け取り、そのまま運び去っていった。荷物の中身まではわからない」

 

 荷物はおそらく、聖杯戦争に使う魔術礼装の類であろう。

 

 

「船は奴の所有物で、厳重に情報を隠している。調査の手を入れる隙がない」

「……金持ってやがるな」

「表向きの顔は、石油の採掘権を所有する富豪のようだ」

 

 歴史の古い魔術師は概ね大富豪だ。何せ、魔術の研究は金がかかる上に、研究成果は金にならない。金持ちでなければやっていけないのだ。

 間桐家も冬木以外にも霊地を所有しており、他の魔術師に貸して収入を得ている。

 

「この後、荷物を運ぶトラックの進行方向にある防犯カメラを残らず洗わせて、アトラムが潜伏していると思しき場所を、絞り込んである。ここから探してみてくれ。普通ならすぐに調べがつくはずなのに……なぜか見つからない。恐らくは、魔術による隠蔽だろう。意識を向けられないようにしていると考えられる」

 

 フーゴは地図を見せ、他にアトラムの姿を映した防犯カメラの設置場所を示し、それらから判断した、アトラムの拠点があると思われる地域を示す。

 

「なるほど……では、バゼット君が目覚めるまで、この辺りを調べるとしよう。私や魔術師のマスターには、多少の結界は通じない。億泰くんもスタンド使い故か、精神に作用する暗示は効きづらいしね」

 

 キャスターの提案に、異議は出なかった。

 

「それと、もう一つ。先ほど、遠坂邸に、遠坂凛と衛宮士郎が連れ立って入っていくのが確認された」

「……なんですって?」

 

 舞弥が子煩悩な母親のように過敏な反応を見せる。遠坂家は最初からマスターになるとわかっている人間の住居である。当然、フーゴたちは慎二に会うより前から、その周辺を監視できるように細工してきた。遠坂邸に繋がる道にある店の防犯カメラを見れるように働きかけ、周辺の家に監視の人員を送り込んだ。

 とはいえ、手口のわからない魔術師相手だ。盗聴器を屋敷に仕掛けるような直接的なことはせず、人の出入りを監視する程度にとどめている。しかし成果はあった。

 

「怪我をした衛宮士郎に、遠坂凛が肩を貸していたようだ」

「……また無茶をしたのですか」

 

 舞弥の不機嫌そうな様子に、億泰が困った顔になる。慎二はため息をつき、

 

「明日、話を聞いてみてやるよ。一応、危ない真似はするなと釘刺してみるから。無駄だろうけど」

「……お願いします。聞いてはくれないでしょうけれど」

 

 これをもって、その夜は解散となった。

 バゼットが起きたら連絡するという約束をフーゴにしてもらい、慎二は間桐の屋敷に戻った。舞弥たちもワゴンカーに乗り込んで去っていった。慎二は舞弥の拠点を聞いたが。舞弥たちは一か所に留まらず、車内を寝床にしているということだった。

 舞弥がそのことを慎二に教えたあと、『男と女が狭いとこに寝泊まりしてるからって、別にやましいことはしてねーぜ』と言ったのは、顔を赤らめた億泰である。

 

   ◆

 

 遠坂邸。

 包帯を巻いてもらった士郎は、凛と向かい合ってソファーに座っていた。

 

「ねえ、とりあえず休戦しない?」

「え? 俺と遠坂で?」

 

 話しを振って来た凛に、士郎は少し驚く。

 

「さっき乱入してきたサーヴァント……あれはおかしいわ。今までの戦いで、すでに7体のサーヴァントを私は確認している。なのに、8体目のサーヴァントが現れた。この聖杯戦争、教会が焼かれたことを始め、イレギュラーが起こりすぎている。流石に、もう少し状況を見定めたいの。だから、状況の全貌をつかむために協力しない? どう? 悪い話じゃないでしょう?」

 

 その申し出に、士郎は明るい声で答える。

 

「ああ、遠坂が力を貸してくれるなら頼もしい」

 

 慎二あたりが見れば、もう少し罠を疑う脳みそは無いのかとこき下ろすところだが、士郎には、凛を疑う気持ちはまるでない。今までの凛の人となりから、彼女がそう言った小賢しい罠を仕掛ける性格ではないと信頼しているのだ。

 それにしたって、二つ返事過ぎるところはあるが。

 

「別に私は衛宮くんに力を貸すわけじゃぁないわ。休戦協定を結んだだけよ。けど、貴方が私を裏切らない限り、私は衛宮くんを助けるから」

「何だ。なら、ずっと一緒じゃないか。よろしくな、遠坂」

 

 士郎があっさりと言って、手を差し出す。

 

「っ!……フ、フンッ、短い間だろうけどっ、せいぜい役に立ってよねっ?」

 

 凛は、やや動揺し、頬を赤らめながらも、士郎の手に自分の手を重ねた。

 ここに、剣と弓、三騎士の内の二つが手を結んだ。

 

「ところで、慎二の方には話さないのか?」

 

 士郎は、素直ではないが頭を下げれば、割と調子よく力を貸してくれることの多い少年の名前を口にする。

 しかし、凛は眉をしかめ、

 

「……遠坂と間桐は、家の事情でちょっと複雑なのよ。それにあいつとは相性があまり良くないし」

 

 慎二に聞いた話では、遠坂家と間桐家は、御三家として聖杯戦争をつくった同志であり、同時に数百年勝負を続けて来た仇敵でもある。簡単に協力し合うのは、気が進まないのだろうと士郎はそれ以上、とやかく言いはせずにおく。

 

(仕方ないか)

 

 場合によっては自分が、慎二と凛の間を取り持てないか考えながら、士郎は遠坂凛と共に戦う道を選ぶのだった。

 

   ◆

 

「クハハハハ……慎二め。中々頑張っておるの……」

 

 警察によって、立ち入り禁止にされた、ビルの跡地。瓦礫の山を前に、矮躯の老人が笑う。調査する警官も、野次馬も、通行人も、誰一人その老人の存在に気づくことはない。

 

「まさか奴と組むような物好きがいたとはのぉ。世の中わからんものじゃ」

 

 それは孫の健闘を褒めたたえるものではなく、涙ぐましい足掻きを嘲笑うものであった。

 

「しかし……もう参加者のほとんどが、この聖杯戦争のイレギュラーに気づいているじゃろう」

 

 臓硯の手の中の書物。かつて老人の盟友となったサーヴァントが手に入れた魔書。第四次聖杯戦争において、聖杯崩壊の時に浴びた泥の影響で、主無き後もこの世に残った宝具。

 

 名を冠するなら、【世界王名簿(ディオズ・リスト)】。

 

 とはいえ、ただ形が残ったのみで、ここ十年の間はただの革製の書物として保管されていたのだが、聖杯戦争の兆しが見え始めたころ、聖杯の影響を受けて力を取り戻していた。

 その力は、前回の戦争を蹂躙したサーヴァント、アサシンの生前の部下を召喚すると言うもの。無論、現界のために魔力は欠かせないし、力も正規のサーヴァントに比べれば弱いものであるが、元より彼らの力は『強い弱い』で測れるような容易いものではない。

 適材適所――それが上手くはまれば、大物食い(ジャイアント・キリング)も可能な異質の戦士たち。【世界王名簿(ディオズ・リスト)】により召喚された、言うなれば【世界王の刺客(ディオズ・サーヴァント)】。

 それらが、この聖杯戦争には散らばっていた。

 

「ばれているのなら、そろそろ派手に動こうか。既に二人のディオズ・サーヴァントが敗れたとはいえ……残っているディオズ・サーヴァントは……『五人』」

 

 老人の手の中で、魔導書が怪しく脈動する。脱落した陣営はまだ無いまま、聖杯戦争は更に激しく、破壊を求めて動き出していた。

 

   ◆

 

 遠坂邸から、自宅への道を歩く士郎は、背中に突き刺さる気配に振り返り、口を開いた。

 

「……ここまででいい」

 

 その言葉に答え、空間が揺らいで一人の男が姿を見せる。霊体化していたアーチャーだ。

 

「ほう? 護衛はいらぬと?」

「そんな殺気だった護衛があるものか」

 

 士郎が不機嫌に言い放つと、アーチャーは煽るように笑みを浮かべ、

 

「見直したよ。殺気を感じられる程度には心得があるらしい。見送るお前を襲うなという、凛の指示には従うさ」

「……別に、やるって言うんなら、相手になるけどな。たとえ半人前でも、俺は魔術師だ」

 

 吠える士郎であったが、赤い弓兵は鼻で笑う。

 

「たわけたことを。血の臭いのしない魔術師など、半人前以下だ。成果のために冷血になるのが魔術師という生き物……。凛などは、多少甘いところはあるが、心構えは完成されている。間桐慎二でさえ、覚悟は決めている。お前が一番、半端だ。むしろ、お前だけが半端だと言ってもいい」

「くっ……」

 

 アーチャーの抉るような言葉を、士郎は否定できなかった。直視したいものではなかったが、自覚はあったからだ。士郎には、自身の『核』や『芯』とでも言うべき、揺るぎないものが定まっていない。

 

「……殺したところで、『どう』ともならん。せいぜい、凛の足を引っ張るなよ」

 

 背を向けて、再び霊体化し消えるアーチャーを見送り、士郎は帰途に戻る。その胸中にはアーチャーの言葉が突き刺さり、包帯の下の傷よりも強く疼いていた。

 

   ◆

 

 2月4日。

 士郎は疲労と痛みを背負って登校していた。

 昨日、帰宅した士郎はセイバーにみっちりと叱られ、戦闘の基礎を叩き込むための訓練を課されることとなった。剣の英雄による、剣の修行。武を学ぶ者が聞けば生唾ゴクリで羨む話である。士郎としても願ったりであるが、当然ながらキツい。

 

「少しでも……セイバーの力になれるようにしないと」

 

 自分のような未熟者と共に戦ってくれるサーヴァントのためにも、士郎は決意を改めて口にし、自分を叱咤する。

 そこに、

 

「よう、衛宮。朝からまた頭でも痛そうな顔してるなぁ」

 

 慎二がからかいながら近寄って来た。

 

「ああ……おはよう」

「剣呑なのか呑気なのか……で? 何か成果はあったかい? お前なんかが走り回ったところで、情報一つ手に入らないだろうけど」

 

 慎二にしても、フーゴがいなければ使い魔一つ操れない情報弱者の立場なのだが、自分のことを棚に上げるのは、長年磨いた慎二の得意技である。

 

「いやその……」

「なんてな。知ってるんだぜ? 昨日、戦ったんだろ?」

 

 慎二の言葉に、士郎は目を丸くしてわかりやすい驚きを表す。

 

「なんで知ってるんだ?」

「……ま、お前とは違うってことだよ。それに、遠坂とも大分うまくやってるみたいだしぃ。案外、手が早かったんだな。何? 付き合うことにでもなったのか?」

「な! そんなんじゃない。ただ同盟を組んだだけだ!」

 

 士郎の反論に、慎二はニヤリと笑った。

 

「ああ、わかってたさ。けどお前はマヌケだ。そうか、遠坂と同盟……なるほど」

「あっ……慎二、引っかけたのか!?」

 

 士郎は自分の口を手で押さえるが、今更遅い。

 

「引っかかる方が悪いのさ。そうかそうか……戦闘の情報をくれるなら、こっちの持ってる情報をくれてやってもいいぜ? 同盟相手の許可が必要だって言うなら、昼まで待っても構わない」

「……わかった。相談してみる」

 

 完全に慎二のペースに呑まれた士郎は、渋い顔で頷く。いきなりばれたことで、凛に怒られるだろうことを思い、気が重くなる。

 

「……ただ、これは善意で言うんだが、お前に出来ることなんてたかが知れてるんだ。早めに諦めて、手を引くことだね」

 

 悪ぶった口ぶりだが、慎二は慎二なりの親切で言っていることは、士郎にもわかる。けれどそれでも、士郎はその親切心に対し、首を横に振る。

 

「……たかが知れたことでも、出来ることがあるなら、俺は手を出すよ」

「……ちっ。馬鹿は死ななきゃ治らないって奴か。勝手にしろよ」

 

 苛立たし気に早足で歩き去っていく慎二を見送り、士郎は苦笑する。わざわざ口出しをする、悪友のわかりづらい心配の仕方が、有難いやら可笑しいやら。

 と、そこで慎二が振り向き、

 

「ああ……そうだ。衛宮、桜を家に泊めたらしいな」

「えっ? あ、ああ、夜道は物騒だし、特に今は……け、けど別にやましいことは」

「……どこぞのスタンド使いみたいなこと言わなくてもいい。別にやましいことしたって構わないんだぜ? それより……これからもあいつは、お前ん家に泊まらせるからな」

「えっ……?」

 

 後輩が、この戦場と化した夜の町を歩くことは士郎も反対である。ゆえに慎二の言うことに反対はしない。

 

「けど何で急に……」

「ふん……トロい奴がいない方が、動きやすいからな」

 

 慎二がそういうふうに言うことは、わかっていた。だから士郎は苦笑し、友人の頼みを引き受ける。

 

「そういうことにしておくよ」

「……それに、このままだと桜の奴、持ってかれそうだからな」

「?」

 

 そっと呟かれた慎二の声は、士郎に届くことはなかった。

 

   ◆

 

 冬の弱い日の光が、降り注ぐ公園。

 

「よっす。こないだも言ったけど、ちっさいなぁ。ちゃんと飯食ってんのか? 美味いイタリア料理屋、紹介してやってもいいぜぇ?」

 

 アトラム探しのため、町を巡っていた億泰は、見覚えのある顔を見かけて、声をかけた。

 

「……貴方」

 

 イリヤスフィール・フォン・アインツベルン。ほんの短い間だけ同じ場所で過ごしただけの相手。

 幼い姿に、かつて億泰自身が宿した『暗い熱』を籠らせて、彼女は立っていた。

 

 

 

 

 ……To Be Continued

 



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サーヴァントステータス1

 今回は、Fate原作にも登場するサーヴァントのステータスをまとめておきます。


 

【クラス】セイバー

【マスター】衛宮士郎

【真名】アルトリア

【性別】女性

【属性】秩序・善

【ステータス】筋力B 耐久C 敏捷C 魔力B 幸運B 宝具C

【クラス別能力】

・対魔力:A

 A以下の魔術は全てキャンセル。事実上、現代の魔術師ではセイバーに傷をつけられない。

 

・騎乗:A

 幻獣・神獣ランクを除く、すべての獣、乗り物を自在に操れる。

 

【保有スキル】

・直感:A

 戦闘時、つねに自身にとって最適な展開を“感じ取る”能力。研ぎ澄まされた第六感はもはや未来予知に近い。視覚、聴覚に干渉する妨害を半減させる。

 

・魔力放出:A

 武器、ないし自身の肉体に魔力を帯びさせ、瞬間的に放出する事によって、能力を向上させる。

 

・カリスマ:B

 軍団を指揮する天性の才能。カリスマは稀有な才能で、一国の王としてはBランクで十分と言える。

 

【宝具】

風王結界(インビジブル・エア)

ランク:C 種別:対人宝具 レンジ:2~4 最大捕捉:1個

 

 不可視の剣。シンプルではあるが白兵戦において絶大な効果を発揮する。強力な魔術によって守護された宝具で、剣自体が透明という訳ではない。

 

約束された勝利の剣(エクスカリバー)

ランク:A++ 種別:対城宝具 レンジ:1~99 最大捕捉:1000人

 

 光の剣。人造による武器ではなく、星に鍛えられた神造兵装。

 聖剣というカテゴリーの中では頂点に立つ宝具である。

 所有者の魔力を“光”に変換し、収束・加速させることにより運動量を増大させ、神霊レベルの魔術行使を可能とする聖剣。

 

全て遠き理想郷(アヴァロン)

ランク:EX 種別:結界宝具 最大捕捉:1人

 

 エクスカリバーの鞘の能力。

 鞘を展開し、自身を妖精郷に置くことであらゆる物理干渉をシャットアウトする。

 

   ◆

 

【CLASS】アーチャー

【マスター】遠坂凛

【真名】エミヤ

【性別】男性

【属性】中立・中庸

【ステータス】筋力D 耐久C 敏捷C 魔力B 幸運E 宝具?

【クラス別能力】

・対魔力:D

 一工程(シングルアクション)による魔術行使を無効化する。

 魔力避けのアミュレット程度の対魔力。

 

・単独行動:B

 マスターからの魔力供給を断ってもしばらくは自立できる能力。

 ランクBならば、マスター不在でも2日間現界可能。

 

【保有スキル】

・心眼(真):B

 修行・鍛錬によって培った洞察力。窮地において自身の状況と敵の能力を冷静に把握し、その場で残された活路を導き出す"戦闘論理"。

 

・千里眼:C

 視力の良さ。遠方の標的の捕捉、動体視力の向上。

 ランクが高くなると、透視、未来視さえ可能になる。

 

・魔術:C-

 オーソドックスな魔術を習得。得意なカテゴリーは不明。

 

【宝具】

無限の剣製(アンリミテッド・ブレイドワークス)

ランク:E~A++ 種別:? レンジ:? 最大補足:?

 

 アーチャーが可能とする、固有結界と呼ばれる特殊魔術。

 視認した武器を複製する。ただし、複製した武器はランクが一つ下がる。

 防具も可能だが、その場合は通常投影の二倍~三倍の魔力を必要とする。

 

   ◆

 

【クラス】ランサー

【マスター】アトラム・ガリアスタ

【真名】クー・フーリン

【性別】男性

【属性】秩序・中庸

【ステータス】筋力B 耐久C 敏捷A 魔力C 幸運E 宝具B

【クラス別能力】

・対魔力:C

 魔術詠唱が二節以下のものを無効化する。

 大魔術・儀礼呪法など、大掛かりな魔術は防げない。

 

【保有スキル】

・戦闘続行:A

 往生際が悪い。

 瀕死の傷でも戦闘を可能とし、決定的な致命傷を受けない限り生き延びる。

 

・仕切り直し:C

 戦闘から離脱する能力。

 不利になった戦闘を戦闘開始ターンに戻し、技の条件を初期値に戻す。

 

・神性:B

 神霊適正を持つかどうか。高いほどより物質的な神霊との混血とされる。

 

・ルーン:B

 北欧の魔術体系。

 原初の18のルーンを習得している。

 

・矢避けの加護:B

 飛び道具に対する防御。

 狙撃手を視界に納めている限り、どのような投擲武装だろうと肉眼で捉え、対処できる。

 ただし超遠距離からの直接攻撃は該当せず、広範囲の全体攻撃にも該当しない。

 

【宝具】

刺し穿つ死棘の槍(ゲイ・ボルク)

ランク:B 種別:対人宝具 レンジ:2~4 最大捕捉:1人

 

 彼が編み出した対人用の刺突技。

 槍の持つ因果逆転の呪いにより、真名解放すると「心臓に槍が命中した」という結果をつくってから「槍を放つ」という原因を作る、必殺必中の一撃を可能とする

 

突き穿つ死翔の槍(ゲイ・ボルク)

ランク:B+ 種別:対軍宝具 レンジ:5~40 最大捕捉:50人

 

 魔槍ゲイ・ボルクの本来の使用方法。ランサーが全身の力と全魔力を使い、魔槍の呪いを最大限発揮させた上で相手に投擲する特殊使用宝具。

 

   ◆

 

【クラス】ライダー

【マスター】間桐桜

【真名】メドゥーサ

【性別】女性

【属性】混沌・善

【ステータス】筋力B 耐久D 敏捷A 魔力B 幸運E 宝具A+

【クラス別能力】

・対魔力:B

 魔術への耐性。三節以下の詠唱による魔術を無効化し、大魔術・儀礼呪法など大掛かりな魔術を持ってしても傷付けるのは困難。

 

・乗騎:A+

 乗騎の才能。獣であるのならば幻獣・神獣のものまで乗りこなせる。

 ただし、竜種は該当しない。

 

【保有スキル】

・魔眼:A+

「宝石」に位置する高位の「石化の魔眼・キュベレイ」を持つ。

 魔力C以下は無条件で石化、魔力Bでもセーブ判定次第で石化、魔力A以上ならば全ての能力を一ランク低下させる「重圧」をかける、強力な魔眼。スキルの「対魔力」によっても抵抗できる。

 

・単独行動:C

 マスターからの魔力供給を断ってもしばらくは自立できる能力。

 ランクCならば、マスターを失ってから1日現界可能。

 

・怪力:B

 一時的に筋力を増幅させる。魔物、魔獣のみが持つ攻撃特性。

 使用する事で筋力をワンランク向上させる。持続時間は“怪力”のランクによる。

 

・神性:E-

 元は土着の女神であったが、魔物としての属性を得た為に殆ど退化してしまっている。

 

【宝具】

騎英の手綱(ベルレフォーン)

ランク:A+ 種別:対軍宝具 レンジ:2〜50 最大捕捉:300人

 

 あらゆる乗り物を御する黄金の鞭と手綱。単体では全く役に立たないが、高い騎乗スキルと強力な乗り物があることで真価を発揮する。

 制御できる対象は普通の乗り物だけでなく、幻想種であっても、この宝具でいうことを聞かせられるようになる。また、乗ったものの能力を一ランク向上させる効果も持つ。

 真名解放すれば、限界を取っ払って時速400〜500kmという猛スピードで、流星のごとき光を放った突貫となる。

 

自己封印・暗黒神殿(ブレーカー・ゴルゴーン)

ランク:C- 種別:対人宝具 レンジ:0 最大捕捉:1人

 

 対象に絶望と歓喜の混ざった悪夢を見せ、その力が外界へ出て行くことを封じる結界。普段のライダーはバイザーとして使用し、自身のキュベレイや魔性を封じている。使用中、視覚は完全に絶たれるため、ライダーは視覚以外の聴覚、嗅覚、魔力探査などを用いて外界を認識している。

 

他者封印・鮮血神殿(ブラッドフォート・アンドロメダ)

ランク:B 種別:対軍宝具 レンジ:10〜40 最大捕捉:500人

 

 形なき島を覆った血の結界。

 内部に入った人間を融解し、血液の形で魔力へと還元して、使用者が吸収する。形はドーム状をしており、内部からは巨大な眼球に取り込まれたように見える。ただし、結界外からは敵に察知されないようにするために、そのようには見えないようになっている。

 

 



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ACT11:懐かしき思い出に

「何よ、失礼しちゃうわ。レディに向かって」

 

 イリヤスフィール・フォン・アインツベルンは、冗談めかして言う。しかし、その口ぶりと違って、その目からは冷たく鋭い視線が放たれ、億泰へと突き刺さって来ていた。

 

「おいおい、レディっつーんなら、そんな言い方するもんじゃねぇぜ?」

 

 しかし、億泰はまるで動じずに、変わらぬ態度をとる。

 億泰にしてみれば、この程度の殺気はどうと言うことも無い。友人と交際する、黒く長い髪が自慢の女性が、友人の浮気を疑った時に流れ出す瘴気の方が、遥かに恐ろしい。

 イリヤの放つ殺気は強くはあるが、億泰に言わせれば『ドス黒さ』が足りない。

 

「……いいわ。聖杯戦争は、夜にするのがルールだものね」

 

 イリヤは諦めてため息をつく。

 

「それで? なんでこんなところにいるの、オクヤス」

「そりゃ、お前と違って大人だからな。仕事に決まってるだろ」

 

 億泰は偉そうに笑って言う。

 

「仕事?」

「舞弥に頼まれて色々と調べてんだよ。お前こそ、なんでいるんだ?」

「散歩よ? アインツベルンの城から出るなんて初めてだもの。折角なんだから、楽しまなくっちゃ」

 

 イリヤの答えに、億泰は羨まし気に唸る。

 

「気楽なこと言ってくれるぜ! 俺なんか、まったく昼も夜も働きづくめで、嫌になるぜ。昨日も倒れるビルから逃げたりよぉ」

「あら、あのビルの倒壊は貴方たちのせいだったの。派手にやるわね?」

 

 イリヤのその小生意気な表情に、億泰は自分が余計な情報を漏らしたらしいことに気がついた。億泰は、目を左右にキョロつかせ、すっとしゃがんで目線をイリヤに合わせ、気まずげな表情をイリヤに近づける。

 そして、

 

「今のは、舞弥には内緒にしてくれ。な?」

 

 ぼそっと、頼み込んだ。

 それは素の行動であった。イリヤを油断させるなどといった演技ではない。

 そんな計算をして動けるほど、億泰は頭が良くない。そのエサを食べ損ねた大型犬のような、情けない表情につくったものなど何もない。全くの自然体で、億泰はイリヤと話しているのだ。

 先日殺し合った相手だというのに。懐かしくも変わらぬ友人として。

 

「……プッ、ククク……アハハハハ! 何よオクヤス! 貴方の方こそ、全然成長が無いじゃない! アハハハ!」

 

 イリヤはよくわからない笑いの衝動がこらえきれず、お腹を抱えて笑う。

 笑われた億泰は渋い顔をして、

 

「ちぇっ。けどよ、もう雪合戦では負けないぜ?」

 

 そんなおかしな負け惜しみを口にし、イリヤをますます笑わせる。戦争の町に、不思議に温かな空間が生まれていた。

 

「あ~、とにかく、黙っていてくれるんなら、なんか美味い物奢るぜ?」

「仕方ないわね。殺しちゃう前に、ちょっとだけ遊んであげるわよ」

 

 コロコロと鈴のように笑いながら、イリヤは億泰の提案に頷いてくれた。それを受けて、億泰は冬木の観光案内パンフレットを取り出し、近くのレストランや喫茶店を探す。今の財布の中身でもなんとかなりそうな店を。

 

(思いつくまま話していたら、なんか上手くいきそうだぜ)

 

 イリヤの殺気は本物で、あとで殺そうと言う言葉も本気だろう。

 けれどそれだけだ。

 

(殺し合いになっちまったっていう、ただそれだけのことだぜ。仲直りできるさ)

 

 他人が聞けば正気を疑うかもしれないが、億泰は本気だった。何せ、成功例がある。

 億泰は、今では親友となっている男と、初対面で殺し合ったのだ。自分も舞弥も、勿論士郎も、イリヤと仲良くすることは十分できるはずだ。

 そして、イリヤが復讐以外の道を歩むことも、当然できるはずなのだ。

 

 もちろん、億泰も簡単にそこまでいけるとは、考えていない。

 

『本心はてめーが答えねェーことを願ってンだよォォォォ――――ッ! てめーを削り取りたくてウズウズしてんだぜェッ! このボゲェ――ッ!!』

 

 かつて、億泰は兄を殺した男に、そう叫んだ。

 その時の狂おしい怒りは、今でも胸の奥に焼き付いている。友の手前、冷静になろうとしながらも、噴き出ることを止められない殺意は、今も心の底で燻っている。

 兄の仇に勝利し、越えてなお、全てが消えることはきっと無いだろう。

 兄との思い出がある限り。兄を好きだったという感情が消えない限り。つまりは、億泰が生きている限り、その『黒い炎』が消えることはないだろう。

 けれど消えなくても――人は生きていくものなのだし、幸せになることだってできるのだ。

 

   ◆

 

「マスター」

 

 一人、男子トイレで用を足していたときに女の声で呼びかけられ、危うくファスナーで股間のものを挟むところだった。

 一瞬の間を置き、その声が聞き覚えのあるもので、少なくともトイレの怪談めいたものでないことを理解し、慎二は振り返る。

 思った通り、そこにはバイザーをかけた女がいた。

 

「……ライダー。男子トイレに入ってくるんじゃない」

 

 まだ動揺を鎮め切れてなかったらしく、そんなどうでもいいことを口にしていた。

 

「安心してください。何も見えてはいません」

「そういう問題じゃねえよ……!」

 

 怒ればいいのか、呆れればいいのか、わからず慎二は呻いて、顔を手で覆う。

 

「で、なんの用だ。アトラムを見つけたか?」

「いえ、聖杯戦争とは関係ないのです。ただ少し……話したく思いまして」

「何?」

 

 慎二は予想外の言葉に驚く。

 

(嫌いな奴と何を話すっていうんだ?)

 

 桜を束縛し、苦しめる間桐の一員たる慎二に、ライダーが聖杯戦争のこと以外に話すようなことなど思いつかない。

 

(まさか、このタイミングで反旗を翻す、なんてことはないよな?)

 

 ライダーの目的は桜だ。間桐の家に囚われた桜を解放するために、ギリシャの女怪は戦っている。だが、間桐の支配者である間桐臓硯は一筋縄でいく男ではない。

 数百年を生きる老魔術師を排除する手段を見つけてからでなければ、慎二に手を出すようなことはないと思っていたが。

 

「桜のことです」

 

 ライダーの言葉に、慎二は得心がいった。それなら、わざわざ嫌いな相手と話す意味もわかる。桜の何を話す気か知らないが、まだ殺されるようなことはなさそうだ。

 

「……いいだろう。屋上に行くぞ」

 

   ◆

 

「へえ、ニホンのお菓子も結構美味しいじゃない。おじい様は、腐った豆とか生卵や生魚を食べてるって言っていたけど」

「……間違ってるわけじゃねえが偏見たっぷりだな。あれだ。アインツナントカの爺さんはすっかり日本嫌いになっちまったっぽいな」

 

 和菓子屋に入って、みたらし団子を手にしながらイリヤが言う。億泰の方はお茶だけだ。あまり小遣いは渡されていないのだ。

 

「まあ娘さんさらって行ったようなもんだからな。承太郎さんのお袋さんも、日本人の旦那と結婚して家を飛び出していったっていうぜ。ジョースターさんはそれから日本人が嫌いになったって……うん? でも仗助のお袋さんは日本人だよなぁ。それはそれ、これはこれって奴かぁ?」

「ジョータロー? バーサーカーのことよね? オクヤスはバーサーカーと仲いいのね」

 

 茶をすすりながらとりとめもなく呟く億泰の言葉に、イリヤは興味を惹かれて声をかけた。

 

「おう、まあな。イリヤは承太郎さんのこと好きらしいな」

「うん! 強いしカッコいいし、傍にいてくれるもの!」

 

 承太郎さんモテるなぁと思いながら、億泰は頷く。確かに空条承太郎はそこらの俳優など足元にも及ばない、ルックスとスタイルの持ち主だ。そして中身は外見以上に男前である。

 

「……敵に回したくない相手№1な人なんだけどなぁ」

「逃げるなら別に追わないから、今からでも聖杯戦争降りてもいいんじゃない? 私は士郎さえ殺せばいいから」

 

 あっさりと言ってくれるが、イリヤに士郎を殺させるわけにはいかないのである。

 

「う~ん、お前の方は降りれないのか? アイリさんのことからすると、今回の『聖杯』はお前なんだろ?」

 

 億泰の指摘に、イリヤは息を呑む。呑気な様子から、何の気なしにアインツベルンの重要な秘密を口にされ、一瞬うろたえてしまったのだ。しかし、億泰は前回の聖杯戦争に、アインツベルンの一員として参加している。アインツベルン製ホムンクルスのマスターの正体を知っていても、むしろ当然である。

 

「……そうよ」

「だったら、この聖杯戦争に勝とうが負けようが、お前死んじまうってことだよな? アイリさんみたいに」

 

 十年前、土蔵に力なく横たわる、イリヤの母の姿を思い起こし、痛みをこらえるような表情を浮かべる。案外涙もろい億泰の目じりには、微量の水が湧いていた。

 

「そうなったら、もう団子も食えねえし、雪合戦もできないんだぜ? そこまでしなくちゃいけないことなのか?」

「……気軽に言ってくれるなぁ」

 

 真正面からの素直な問いに、イリヤは怒るでもなく、やや呆れながら微笑む。

 

「雪合戦なんてするほど子供じゃないけど、美味しいものはちょっと惜しいかな。けど、一族の悲願だから……お母さまも、そのお母さまも、ずっとずっと、この日のために身を捧げてきたのだもの」

「……アイリさんは、イリヤの身を捧げさせないために頑張ってたんだぜ?」

 

 億泰は言うが、声には力がなかった。アイリの頑張りを知りながら、その願いを叶えられなかった後ろめたさが、力を失わせるのだ。

 

「アイリさんが最後に、俺に言った言葉だ。『ごめん』ってな。『でも、切嗣も私も、あの子のことを大切に思ってる』ってな」

「…………」

 

 イリヤは俯き加減で億泰の声を聞いていた。

 

「今更……」

「ん?」

「今更じゃない、そんなの……。私にはもう……他に道なんてないのに」

 

 顔をあげたイリヤが、億泰を見つめる。睨んでいるのではなく、ただ静かに見ている。殺気もなく、ただ見ているだけであったが、億泰にはその眼差しが、殺気を伴う眼光よりも恐ろしく感じられた。

 

「キリツグが何を思っていたところで……私を独りぼっちにしたのに変わりはないのに。シロウが何も知らなかったところで……キリツグを盗ったことに変わりはないのに」

 

 イリヤのしている目を、億泰は客観的に見たことがある。

 こちらを見ているようで、何も見てはいないような暗い双眸。

 敵を見ているようで、ただ自分自身の憎悪のみを見つめているような眼差し。

 一冊の書物と、幾本ものナイフを手に、億泰と戦った少年と同じ目であった。

 

『母の死体を、拾いに行ったんだ……。父に復讐を。それだけを考えて、生きて来た』

 

 億泰を殺しかけた少年は、そう言ったのだと聞いた。

 

 蓮見(はすみ)琢馬(たくま)

 

 億泰にとっては、億泰の友人である東方仗助の母親を傷つけた男。他にも殺人を犯し、町を騒がせたスタンド使い。

 スタンドは、本の形をした『The Book(ザ・ブック)』。本のページを見せることで、自身の体験した記憶を、相手に追体験させられる。自動車事故にあった記憶を見せれば、相手を自動車にはねられて重体になった状態にすることができた。億泰自身、重度のインフルエンザ患者にさせられてしまった。

 億泰にとって、琢馬はただの敵でしかなかったが、後から推測するに、彼もまた復讐者であったのだろう。余裕の態度を崩さず、冷たく、億泰を侮辱して煽りながら、自分のことは何も話さなかった。

 

『俺のことは、ただの冷酷な殺人者だとでも思ってろ』

 

 自分の内面に、人生に、決して立ち入ることを許さなかった。

 

『明日の朝には、母の復讐が終わり、真の意味での俺の人生はスタートする』

 

 しかし、一つわかることは、彼もまた生きようとしていたことだ。復讐の先を求めていた。

 それはきっと、あの少年と同じ目をしているイリヤだって同じなのだ。

 

「なあ、イリヤ。切嗣や士郎を、恨む気持ちや復讐してえっていう気持ちはわかるぜ?」

「嘘。わかりっこない」

 

 イリヤはあっさり否定する。大事なものを失った気持ち、奪われた気持ちは、体験者にしかわからない。だから、自分のことをわかるなどできるはずないと、容易く言い返した。

 けれど、

 

「わかるんだよ。俺も、兄貴を殺されたからな。イリヤも知ってるだろ。形兆の兄貴だよ」

 

 イリヤは一瞬言葉を失くし、億泰をまじまじと見つめる。あの、自分がもっと幸せだと無邪気に笑っていられた頃の思い出と、まるで変わらぬ呑気でお馬鹿なこの男が、そんな悲劇を通過してきたなどと、とても思えなくて。

 

「兄貴は……ま、酷いことをしてきたし、自分の都合で何人もの人を殺しちまった。自分が殺したように、自分も殺されるのも、しょうーがねぇっつうことかもしれねえ。だけど、その時に殺されるのは、本当は俺のはずだったんだ。兄貴は、俺を助けて、身代わりになって死んだ。だから……絶対に、仇はとらなきゃいけねえと、誓ったよ」

 

 億泰は馬鹿だ。だから、嘘をついたり、作り話を本当のことのように話したりなんて、器用な芸当はできないと、イリヤは十分に理解していた。だから、億泰の言葉を信じる以外、ホムンクルスの少女にできることはなかった。

 

「……オクヤスは、復讐したの?」

 

 兄を殺した相手を、殺したのかと問う。

 

「いや……ぶちのめして、警察に突き出した。殺人は証拠がなかったが、盗みとかが発覚したからな」

「……なんで?」

 

 イリヤは重ねて問う。なぜ殺さなかったのかと。

 億泰のスタンドを使えば、証拠を残すことなく人を殺せる。躊躇う理由など、見当たらないのに。

 

「なあイリヤ。復讐ってのは、どうしても殺さなくちゃ駄目なのか?」

 

 逆に問われ、イリヤは言葉を返せなかった。聖杯戦争は殺し合いだ。復讐の相手が参加するなら、殺す。復讐と勝利を同時に遂げられるのだから、それで問題はないと思っていた。

 けれど、そう言われると困る。シロウにはキリツグの代わりに苦しんでもらいたい。けれど、自分はシロウを殺したいのだろうか?

 

「復讐っていうのはよ、自分の人生に決着をつけるためのものだと俺は思うぜ。復讐を果たさなくちゃ、自分の大切な人が浮かばれねえ。復讐を終わらせなくちゃ、その先に進むことができねえ。だから、何が何でも復讐しようとする……けど、復讐の相手を殺すことは、絶対の条件じゃねえって思うんだ」

 

 かつて億泰は、友人に言われた。

 敵討ちだとか、勝つとか負けるとかを考えるんじゃなく、護ることを考えるのだと。それが、敵を倒すことに繋がるのだと。

 そのときまで、兄の仇をぶちのめしてぶち殺すのだとしか、考えていなかった億泰であったが、自分個人の為ばかりではなく戦うことを学んだのだ。復讐の為ばかりでなく、復讐の先の意味を、見ることができるようになったのだ。

 

「重要なのはよ、乗り越えることじゃねえかな。自分の辛い気持ちを乗り越えること……別に敵を許せとか言ってるんじゃねえ。俺だって、別に許してるわけじゃねえ。ただ……自分の復讐心を超えることができれば、お前はもっと成長できるんじゃねえか。もっと、大切なことを見つけられるんじゃねえかと……クソ、自分で何言ってるのか良くわからなくなってきちまった」

 

 頭悪いなぁ俺と、苦い表情で悔しがりながら、何とかイリヤに想いを伝えようと、億泰は懸命であった。

 

「とにかくよっ! 俺はイリヤが人殺しになるなんて嫌だし、士郎を殺されるのも嫌なんだよ! だからよ、仲直りしようぜっ! なっ!」

「……もうちょっと頑張れば、感動的な説得になったような気がするけどなぁ」

 

 最後には単なる自分の願望を言うことになった億泰に、イリヤは呆れてため息をつく。

 

「やっぱ、駄目かぁ?」

 

 眉をハの字の形にし、情けない顔をする億泰は、お腹を空かせてご飯を待つ、大型犬を連想させた。

 

「……しょうがないわねぇ。レディとしては、そこまで言われて断っちゃ礼儀知らずになってしまうわね」

「! じゃあ!」

「話し合うのは承諾してあげる。ただし、話し合いが決裂したら、やっぱり戦争よ」

「おっしゃぁ! いつにする? 放課後でもいいか?」

 

 殺気を滲ませ、話し合いはするが仲直りするかはまだ決まったわけではないと、釘を刺すイリヤ。だが、億泰はまるで意に介さず、すぐにでも士郎の首根っこをひっつかみ、アインツベルン城に乗り込みに行く構えだ。

 

「……準備があるから、今日は駄目。明日の午後ならいいわ」

「よっし! 俺の方も話しておくから、美味い茶菓子用意しておけよな!」

 

 ルンルンという擬音が浮かびだしそうな勢いでうかれ、喜びを全身で表現しているような億泰。そのあまりにわかりやすい態度に、イリヤは殺気を出して本気になる方が馬鹿な気がしてきた。

 

「……アインツベルンは、古い名門よ? もてなしだって最高に決まっているでしょ? せいぜい恐れ入るといいわ」

 

 気がつけば、イリヤはそんな軽口を叩いていた。笑顔と共に。

 

   ◆

 

「昨夜……キャスターが使った術をどう思いますか?」

 

 屋上に昇ったライダーは、慎二にそう切り出した。

 

「バゼットを回復させたアレか? 魔術じゃないが、中々のものじゃないか?」

 

 現代医療では回復は運に任せるしかないような重傷。魔術師でも、一流でなければ癒せない傷だった。それを、息と血によって蘇らせた、あの技術。慎二の目からしても、いい仕事であった。

 

「貴方は……あれで桜を癒されると思いますか?」

 

 なるほど。慎二は納得できた。

 傷を癒し、生命をコントロールする脅威の技術。

 しかも、魔術ではないゆえ、魔術と同じやり方では防げない力。

 桜の体内を蝕む、『蟲』を排除しうる。少なくとも可能性はある。

 

「『波紋』か。確かにあれはジジイも知らない力だろう。対抗できるかも、な」

 

 そして、キャスターの人柄からして、事情を話して頼み込めば、少女を救う協力を惜しむことはないだろう。億泰も同様だ。舞弥は渋るかもしれないが、話し合う余地はある。

 

(問題はだ……キャスターが桜を助ける力になると決まった場合、僕は用済みになるってことだ)

 

 死を受け入れるのが魔術師の在り方とはいえ、まだ何もしてないうちに死にたくはない。

 もっとも、今のところ、慎二は自分がライダーにどうかされるとは思っていない。ライダーが離反するつもりなら、慎二に黙ってキャスター陣営に話をつけるはずだ。それをせずに話をするということは、何か交渉をするつもりであるということになる。

 

「貴方の目で見てもそうならば……期待できるということですね」

 

 ライダーが頷く。そして、

 

「マスター……はっきりさせておきましょう。私は、間桐を裏切るつもりでいる」

 

 堂々と宣言した。だが、慎二にとっては驚くほどの内容でもない。

 

「ふぅん? 雇用条件に不服があるのかな? まあ条件を変える気もないが……で、裏切ると言っても、『契約書』がある限り、逆らうことはできないはずだけど?」

 

 慎二は肌身離さず持ち歩いている『偽臣の書』を手に取って見せる。

 

「そう、そこが問題ですが……一つ簡単な解決策があります」

 

 ライダーは指を一本立てて言う。

 

「シンジ……貴方も一緒に裏切ればいい」

「……気軽に言ってくれるなぁ」

 

 慎二は、いや、桜も、慎二の父も、叔父であった雁夜も、誰もが、あの間桐の家の囚人であるのだ。看守は勿論、あの間桐臓硯。恐怖の絶対支配者。

 幼い慎二にとって、魔術の家とは、魔術師の血統とは、有象無象とは違う、特別な存在であるという誇りであった。だが、実際のところは、間桐の家はただ臓硯のためだけの道具であった。家は牢獄であり、血統は奴隷の鎖であった。

 その鎖から解き放たれたいと願ったのは、『本物』を知ったときからだ。いや、本来は

臓硯の家族をも犠牲にする、手段を選ばない姿勢こそが魔術師としての真実なのかもしれないが、そんなものは糞くらえだ。

 

『――本当の意味で強い人間になれ。胸を張って、誇り高く生きろ。そう在れれば、(ディオ)に祝福されなかったお前でも、夜の(スター)のような微かな光明程度は、見つけることができるだろう』

 

 あれこそが、慎二にとっての『本物』だと、自分でそう決めたのだから。

 

「つまりクソジジイを裏切るっていうことだろ? だがあいつは、何百年生きてるかわからない、下手すりゃお前よりもっと化け物だ。力や体よりも、もっと根本的な部分からな。そんな奴を敵に……元々味方になってもいないが……まわすのは問題だ。もともと、僕を聖杯戦争に出したのは、自分が裏で動くための囮程度の役割だろうさ。あいつがどう動いているのか知らないが、『本来より多いサーヴァント』が、あのジジイの仕業であっても驚きはしないね」

 

 あてずっぽうで、真実に近いことを言い当てていたなど、この時の慎二が知る由も無かった。

 

「ともあれ、今までは敵と見なしてもいなかったのを、完全に敵対するとなれば、相当にヤバいぜ? いくらあいつでも、英霊と正面から戦って勝てるわけはないが、絶対裏で暗躍して最悪のタイミングで仕掛けてくる。お前そんなに頭良くないし、罠にかかってやられるのが目に見えるようだぜ。僕にそんな危険な道に誘うって言うんなら、それなりの対価はあるんだろうな?」

 

 相変わらず、相手を苛立たせ、煽っていく慎二。しかし、ライダーはあくまで冷静に、

 

「対価ですか。そうですね……ずっと考えていました。貴方に報いる対価を」

 

 へえと、慎二の口からやや驚きを含んだ声が漏れる。同時に興味も沸いた。ギリシャの神話に伝わる反英雄が、いったいどんな対価を考えたのか。

 しかし、慎二の期待は、ある意味裏切られることになる。

 

「……ですが、所詮は仮初に顕現した、影に過ぎぬ身。実のある物は何も渡せません。対価となるようなものは、何も思いつきませんでした」

「なに? それじゃ……」

 

 慎二が文句を言おうとした時、ライダーはその高い位置にある頭を深く下げた。

 

「えっ?」

「それでも、それでもどうか、桜を助けるために。私の願いを叶えるために、力を貸してほしい。どうか、どうかお願いします」

 

 ライダーは、ただ真摯に頼み込んだ。報酬を与えることはできない。何も約束できない。

 それでも助けてほしいと、ムシのよすぎることを、口にする。

 

「お前、自分で何言ってるかわかってる?」

「恥知らずなことを言っている自覚はあります。けれど……それでもどうか、お願いしますと、言うしかないのです。『偽臣の書』の拘束だけのことではない。確かに臓硯は危険な魔術師です。魔術や戦術についての知識のない私だけでは、対処しきれないかもしれない。臓硯のことを良く知り、多くの知識を持った貴方の協力が欲しい。私にできることなら何でもしましょう。だからどうか……」

 

 ライダーは、ひたすら言い募る。

 

「貴方の協力が、必要なのです」

 

 そう言われ、慎二は顔を手で覆う。

 

「んなこと……言われてもな……」

 

 そして、指の隙間から空を見た。

 

「お前のお願い、なんて、なぁ……」

 

 顔から手を放し、いまだに頭を下げているライダーの後頭部を睨み付け、

 

「~~~~っ! しょうがない奴だなっ、やってやるよ!」

 

 口で何を言おうと、どんな態度を取ろうと、結局のところそう言うのだ。

 そういう奴なのだ。

 

 間桐慎二という少年は。

 

   ◆

 

 バゼット・フラガ・マクレミッツが目を覚ましたのは、午後5時のことであった。

 目を開けたまま、数秒黙って天井を見つめた後、静かに上半身を起こす。

 

(点滴……)

 

 何を投与されているかはわからないが、精神や肉体に異常を感じられないことから、害のあるものではないと判断する。

 

(病院ではないですね。ホテルのようだ)

 

 点滴の針を抜こうとして、針の刺さっていない方の手が無いことを思い出す。

 

「……不覚」

 

 自分の身に起きた出来事を思い起こし、渋面をつくる。自分自身を殴り倒したい気分であった。もちろん、敵の方はその3倍も殴りたいが。

 しかし何より気になるのは『奪われたサーヴァント』が、今どうしているのか。

 

「おや、丁度よく、目を覚ましたようですね」

 

 部屋のドアが開き、振り向くと若い男が立っていた。

 

(日本人ではない……今のはイタリア語ですが、さて何者か)

 

 治療をしてくれていたのだから、ひとまず危害を加えるつもりはないのだろう。まず話を聞くことを選択する程度の理性は、バゼットにも存在した。

 

「はじめまして。僕の名はパンナコッタ・フーゴ。聖杯戦争に、ちょっと首を突っ込んでいる人間だよ。ミス・マクレミッツ」

「なるほど……こちらのことを知っているわけですか」

 

 どこまで知っているかわからないが、ヘマをして令呪を奪われたということは知っているのだろう。敗北者をわざわざ助ける理由があるとしたら、情報を聞き出すことくらいだろうが、

 

(用済みになったらどうなることか)

 

 片手でどこまで戦えるか、あまり楽観するわけにもいかない。見たところ、このフーゴという男、中々修羅場を潜っている物腰だ。

 

「大したことは知りませんよ。特に、君が何者にそんな目にあわされたのか、なんてことは全くわからない。つまり、そこを話してもらいたいわけですが」

「やはりそういうことですか。しかし、話した後、私を無事に解放してくれる保証はしてくれるのでしょうか?」

 

 ふむとフーゴは考え込み、

 

「わざわざ生かした奴を、もう一度殺し直すなんて無駄なことをする気はないですが。さて、どうしたら信頼してくれますか?」

「……そう聞き返されると、確かに難しいですね。どうも思ったより、頭の働きが鈍っているらしい」

 

 バゼットは首を振ってため息をつく。信頼をするとは容易いことではない。短絡的な言葉や行動で培うことはできず、常日頃からの行動をもって、時間をかけて生まれるものなのだ。

 この状態では何も保障になるものはない。しかし、拷問や催眠術などで聞き出すことなく、真摯な対話を行おうというフーゴの姿勢に、バゼットは賭けることにした。

 

「仕方ない。うだうだ言っていても話が進まないし、ずっとこうしてもいられない。話すとしましょう」

 

 赤毛の烈女は覚悟を決め、フーゴを睨むように見つめる。

 

「……お手柔らかに。けどまずは、飲み物でもどうです? 点滴だけでは本調子が出ないでしょう」

 

 食べ物はすぐには体が受け付けないだろうが飲み物くらいならどうかと、フーゴが提案した途端、

 

 グウ~~~~!!

 

 大きな音で、バゼットの体の半ばあたりが主張を行った。既に臨戦態勢にあるのだと。どんな相手でもかかってこいと。

 

「…………」

 

 彼女の顔が、髪の毛と同じような色に染まる。笑えばいいか、慰めればいいか、何を言おうと怒りそうなバゼットに、フーゴは出来るだけ表情を変えないように務め、部屋に備え付けられたルームサービスのメニュー表を取って差し出す。

 

「好きな物を言ってください」

 

 バゼットは顔を真っ赤にしたまま、注文したいものを指差していった。

 

   ◆

 

 コツコツという音を、士郎はその耳で聞いていた。しかし、その音が意味することはわからなかった。わからないようにされていた。

 それが自分の足音であるということを。

 自分が、自分の意思によらず歩かされているということを。

 

(…………)

 

 やがて、音が止まる。士郎が立ち止まったからだ。

 そして、その瞬間に士郎は我に返った。

 

「っ!? ここはっ!」

 

 既に日は沈み、暗くなった空の下、士郎は見知らぬ場所に来ていた。

 

「ようこそ。セイバーのマスター」

 

 見知らぬ場所で待っていたのは、見知らぬ男。

 長い金髪をした、褐色の肌の美青年。しかしその口元は士郎への嘲笑を浮かべ、目は欲望と殺意にぎらついていた。

 

「ふん、それにしても、こんなに簡単に暗示にかかるとはな。これは神代の魔術など使わずともよかったか」

 

 そう言う青年の足元の地面には、直線で形作られた模様が刻まれていた。それは、北欧地方に伝わる魔術文字『ルーン』。士郎を呼び寄せた、術の根源であった。

 それを為したのは、この聖杯戦争で唯一、ルーン魔術を身に着けたサーヴァント。

 

「なあ、ランサー」

 

 青い髪をした、狼や猟犬を思わせる鋭さを持った男――ランサー、クー・フーリン。

 ランサーは褐色の青年に答えることなく、朱色の槍を片手に、面白くも無さそうに立っていた。

 

(ランサー……ということは、こいつがランサーのマスターなのか!)

 

 最初に目にしたサーヴァントであり、自分を殺しかけた相手を見つけ、士郎が瞠目する。

 

「フン……まあいいさ。それより、セイバーのマスター。君に提案がある。何、簡単でありきたりなものだ」

 

 自分の言葉に反応する様子を見せないランサーに、褐色の男は肩をすくめた。そして、士郎に向かって右手を差し出しながら、言葉を紡ぐ。

 

「貴様の令呪と、セイバーのマスター権を渡せ。そうすれば、命だけは助けてやろう」

 

 男の名はアトラム・ガリアスタ。士郎は知らないが、慎二たちが探す聖杯戦争のマスターの一人。

 

「……頷くと思うか」

「なるほど。確かに、死の危険にさらされても『死そのもの』への恐怖が見えない。イカレているな」

 

 アトラムは、士郎に断られても気分を害した様子は無かった。別に怒るほどのことでもないからだ。

 

(手間は増えるが、まあ数秒余計に時間がかかるだけだ)

 

 士郎の背後の地面から、一本の『腕』が生える。

 奇妙な衣服に覆われたその腕は、次の瞬間には放たれた矢のような勢いで、士郎の令呪の宿る手に向かって手刀を繰り出した。

 

(これで、『3体』のサーヴァントを保持できる)

 

 アトラムは内心ほくそ笑む。魔術にせよ、戦闘にせよ、力を振りかざしての略奪が彼の本領であった。

 士郎は、目の前のアトラムとランサーに気を取られ、背後には全く気付いていない。

『マスター一人につき、サーヴァントは一体』。それが聖杯戦争の基本であると教わったがゆえに、例外への対処に気が回らなかった。

 

 ザンッ!

 

 斬撃音が響いた。

 しかし、それは士郎の手首が切り落とされた音ではなかった。

 

「!?」

 

 今度はアトラムが瞠目する番であった。

 斬撃音の発生源は、地面に深く突き刺さった、一振りの中華剣。

 

「ちぃっ!」

 

 腕を引いたセッコは忌々し気に自分を狙った、赤い外套の男に目を向けた。士郎のことをつけていたのか、まったくいいタイミングで現れる。

 

「アーチャー……組んでいたのか」

 

 しかし、アトラムの余裕は崩れない。彼には二体のサーヴァントがいるのだ。たとえセイバーが令呪で呼ばれても、マスターの差は覆せない。彼にはその自信があった。

 彼はスーツの内側より、小さな壺のような物を取り出す。それは彼の自慢の魔術を発動させる礼装だ。紀元前二百年ごろまで遡る、古き技術を受け継ぎ、利用した魔術。

 

猛れ(ガッシュアウト)

 

 呪文と共に、激しい光と音が、空間を引き裂いて力を撒き散らした。

 

   ◆

 

 自動車が一台、猛スピードでかっ飛ばしていた。スピードは言うに及ばず、二車線道路の左右は勿論、反対車線の隙間を縫って走り、信号もまるっきり無視する。警官に見られれば、免許取り消し程度で済まない勢いだ。しかし運転手は見られる危険性は考えていないし、見られてパトカーで追いかけられても吹っ切るだろう。

 そもそも、運転手の免許証自体が偽造なので取り消しも糞もない。

 

 その運転手の名を、久宇舞弥と言った。

 

「うおおおお!」

 

 いつ事故になっても対応できるようにスタンドを準備し、億泰は震えあがりながら助手席にしがみつく。

 後部座席の方では、その運転に対して顔を蒼褪めさせていたのは慎二だけだ。他の同乗者たちは、ギュウギュウに押し込められて狭苦しいのが嫌なだけで、運転の速度や荒さは気にしていない。

 

「な、なあ、もうちょっとスマートな運転できないのか?」

「士郎のためです。我慢しなさい。あと、下手に喋ると舌を噛みますよ」

 

 左右に車体を滑らせるように動かしながら、舞弥は冷徹な声を慎二に返す。

 舞弥が士郎につけていた蝙蝠の使い魔を通じ、士郎の危機を知ったのが数分前。急いで舞弥の自動車に乗り込み、舞弥、億泰、キャスター、慎二、ライダー、フーゴ、バゼットという大所帯で救援に走り出した。

 使い魔は、アトラムが放った『稲妻』の魔術により、撃ち殺されてしまった。今どうなっているかわからないため、舞弥の焦燥は深まるばかり。

 それゆえか、その異常に最初に気づいたのはフーゴであった。

 

「……すみません。さっきから、変な車がずっとついてきているようですが」

 

 言われ、舞弥はサイドミラーとバックミラーを交互に見る。

 背後についた自動車は、古い形の外国車であった。

 ガラスは薄汚れて曇り、中が見えないほどだ。そのためか窓ガラスを開けているが、運転手は腕しか見えない。腕はとても筋肉のついた逞しいものであった。

 車体にはサビが浮き、到底、舞弥の運転についてこれるようなものには見えない。しかし現実として、その古い車は舞弥の運転する車にピッタリとついてくる。どう曲がろうと、車線を変えようとだ。

 

(こいつは……)

 

 たまたまなどではありえない。舞弥はその車を敵と確信する。彼女は礼装の魔弾を装填した拳銃を抜き、窓から手を出して、相手のタイヤに向けて銃口を構える。しかし、トリガーが引かれる前に、相手の車の助手席側のドアがバタンと開き、人影が車の屋根に飛び乗った。

 

「っ!? あれは!」

 

 舞弥は、思わず窓から顔を出して後ろを見る。バックミラーの確認では気が済まなかったのだ。肉眼で確認した、屋根の上の人影、――舞弥は『彼女』を知っていた。

 女の姿は、『かつて見た時』とまるで変っていない。

 

「昨日のお返しと……そして『十年前』のお返しを、させてもらいに来たわ」

「なるほど……私たちがバゼットだと思っていたのは、貴方だったのですね」

 

 舞弥は、昨夜戦った相手である、『赤い髪の美女』を見つめて言う。

 

「生きていたのですか。ソラウ・ヌァザレ・ソフィアリ」

「当然でしょ? 愛は不滅なのよ」

 

 

 

 ……To Be Continued

 



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ACT12:盗みを重ね、悪を束ね

 恥ずかしながら、帰ってまいりました。


 

 

 バゼットは望み通りのサーヴァントを召喚することに成功していた。

 

 ケルト最大級の戦士。

 アイルランドの伝説における頂点。

 一つの時代において、『英雄の王』と謳われた存在。

 影の国の女王スカサハに教わり、ルーンの魔術を極め、魔槍ゲイ・ボルクを携えた最強の戦士。

 

 クー・フーリン。

 

 憧れていた英雄を召喚し、順風満帆と言えた彼女たちの前に、立ちはだかった最初の敵が、アトラム・ガリアスタであった。

 

   ◆

 

 突如現れた、見覚えのある顔。それと対峙しながら、舞弥は冷静に問いかけた。

 

「全身を銃弾で撃ち抜かれ、炎に崩れ落ちる建物の中に取り残され……あの状況では魔術師であっても逃げ切ることなどできない。まして調べた限り、貴方の魔術の腕は大したものではなかった。どうやって、生き延びたのです?」

「……言う必要はないわ」

 

 舞弥の問いに答えず、ソラウはぞっとするような鬼気をまとう笑みと浮かべる。

 

「そんなことより……自分の身を心配した方がいいんじゃなくて?」

 

 ソラウが乗る車が、メキメキと音を立てて変形を始めた。機械的な変形ではなく、生物が成長するように、薄汚れた車体が膨れ上がり、タイヤからスズメバチの針よりも鋭いスパイクが、無数に飛び出した。ヘッドライトが目のように舞弥の方を睨み、バンパーが歪んで、裂け目が生まれて、牙の生えた口となる。運転席の窓からは、逞しい男の腕が伸びていたが、フロントガラスは曇っていて、運転手の顔はわからない。

 

「紹介するわ。【運命車輪・鋼鉄餓獣(ホウィール・オブ・フォーチュン)】のズィー・ズィー。私の愛を叶えるための、愛の天使(キューピッド)というところかしら」

「これはまた……随分いかついキューピッドだねぇ」

 

 怪獣じみた自動車を目にし、キャスターが顔をしかめる。しかし、怖気づくような様子は当然のごとくありはしない。

 

「とりあえず、私の希望は、ここで二組を潰してしまうこと。その内に、もう一組が潰れるし、今晩だけで大分はかどるわ」

「……背後での繋がりが、中々気になる所ですが」

 

 舞弥は顔色を変えることなく、何気ない動作で銃口をソラウの額に向ける。

 

「聞き出している時間的余裕がないので、早々にご退場ください」

 

 魔術師の指を加工した魔術弾が放たれる。しかし、それらはソラウに当たる前に、全て空中で破壊された。

 

(今のは……)

 

 一瞬であったが、舞弥には何が起こったのか見ることができた。

 全く未知のものであれば、この段階では見切れなかったであろうが、それを彼女は『十年前』に既に見ていたのだ。

 

(あの言峰綺礼の……)

 

 舞弥がソラウの目を鋭く覗き込むと、彼女は妖艶な微笑みを浮かべる。さながら、猫が小ネズミを前に浮かべるような笑みを。

 

 ダンッ!

 

 ソラウが車体を蹴り、高く跳びあがった。夜の空に、赤い洋服が美しく映える。

 

(この身体能力‼ しかも、これは魔術による強化ではない!)

 

 舞弥がいる運転席に、飛びかかろうとするソラウ。だが、今度は舞弥の運転する自動車の屋根が開き、影が素早く飛び出した。

 

「昨日の続きと行きましょうか、お嬢さん!」

 

 ボンテージ姿の、蛇の如き美女が躍動する。

 まだ空中にいるソラウに、ライダーが突進する。

 

 赤と紫の影が、激突した。

 

「ゴフッ!」

「カハァッ!」

 

 空中で、お互いの拳が顔面を抉る。クロスカウンターが、互いの身を吹き飛ばし、アスファルトの道路に落下させた。

 ソラウとライダーが乗っていた自動車は、両方とも走り去っていき、二つの人型が取り残される。

 ライダーがまず立ち上がり、少し遅れてソラウが立ち上がる。サーヴァントの、スキル【怪力】の持ち主の拳を顔に受けて、立ち上がるのだ。

 並ではない人間であっても、首から上が吹き飛んでいるはずなのに、少し頬が腫れている程度。否、その腫れも急速に引いていく。凄まじい治癒力である。

 

「血の香り……今夜の食事は済ませてきたようですね」

 

 ライダーの敏感な鼻が、ソラウから漂う異臭を嗅ぎ取る。それはライダーにとってもなじみ深いものだ。何せ、彼女もまた、同じことが出来るのだから。

 ゆえに、彼女が他の誰かから、『生命』を盗み取ってきたのだと、理解できた。

 

「昨夜ははっきりしませんでしたが、貴方は死徒(しと)の類ですか。ここ最近の殺人事件も貴方の仕業……!」

 

 死徒。地球の影法師。人類史を否定する者。

 血を吸う鬼。死と共に歩き、命から遠い者。

 けれど、ソラウは嘲りの笑いを浮かべた。

 

「フフ……死の、(ともがら)?」

 

 威圧感を高めるライダーに、ソラウは人間離れした鋭い牙をさらして笑った。

 

「違うわね。私は死と友人になるつもりはないわ。私は死なない。永遠に生きる! 愛しいあの人と共に、絢爛たる永遠を!」

「……貴方の事情は知りません。どうも私たちの協力者と因縁があるようですが」

 

 高らかなるソラウの宣言に、感情が動いた様子もなく、ライダーはそっけなく言う。

 

「私たちにも邪魔なようなので、ここでその永遠とやらを……終わらせていきなさい」

 

   ◆

 

「降りてしまったねぇ。まあ、彼女は強いから大丈夫だろうが……むしろ問題はこっちだね」

 

 キャスターは、派手な帽子の位置を整えながら、隣を走る怪物自動車(モンスターマシン)を睨む。

 

「スタンド使いの知識は君たちの方が豊富だろう……どう見る?」

 

 話しを振られ、慎二と億泰は窓から敵の偉容を見つめる。

 

「道具と一体化するタイプみたいだな。実体があって、スタンド使いでなくても見ることができるタイプだ」

 

 物質同化型。現実に存在する物質と一体化しているため、一般人にも見ることができるし、触れることもできる、例外的なスタンドである。

 慎二は、自分のスタンド能力を素早く発動させた。

 

『青コーナー! タロット十番目のカード、【運命の車輪(ホウィール・オブ・フォーチュン)】のスタンド使い! 今は【運命車輪・鋼鉄餓獣(ホウィール・オブ・フォーチュン)】のサーヴァント! 雄々しき腕の下は意外と貧弱! ズィー・ズィー!!』

 

 牙を剥く自動車に乗る相手を、『マイキー・ザ・マイクマン』の【真名看破】の力が見抜く。

 

「ズイー・ズィーねぇ……しかし、あれはまたサーヴァントだぞ? 一体何体のサーヴァントがいるんだ」

「それは重要な問題ですが、今は今のことに対処しましょう。それで、あれはスタンド使いでなくても見ることができるといいましたが……他に特徴は?」

 

 魔術師は、『見えないもの』を見ることができるため、スタンドを曖昧な形でなら、見ることができる。しかし、しっかり見ることができるというなら、戦いやすい。

 舞弥は、それ以外に何かあるか、慎二に確認を取る。

 

「そうだな……まず、スタンドを発現させているエネルギーが、物質と一体化することで節減されるのか、持続力が高いことが多い。持久戦はあまりお勧めできないな。あと、スタンドでなくても触れることはできるし、傷つけることもできる。もっとも、傷つくのは物体の部分だけで、スタンド自体はスタンドでなければ傷つけられないから、力を削ぐくらいの意味しかないが」

 

 現実にある物質と一体化しているため、依り代となっている物質の部分に力を加えれば、影響を与えることもできる。

 が、『スタンドはスタンドでなければ傷つけられない』というルールは生きている。依り代がどれだけ砕けようと、本体は傷つかない。依り代が完全に破壊されても、別の依り代を使って再戦してくるだけ。結局、攻撃する側が、いたずらに力を消耗するだけだ。

 

「足止めできれば十分です。ミスター・フーゴ、運転を変わってください。億泰……オートバイを出してください」

「お、おう!」

 

 けれど、舞弥は十分だと判断した。指示を飛ばされた億泰は、状況の流れに驚きながらも、(おのの)くことはなく、狭い車内を動き、固定されたオートバイを引っ張り出す。

 

「いいのかい?」

 

 キャスターの問いかけは、自分に呼びかけなかったことによるものだ。舞弥は、サーヴァントの力を借りず、億泰と二人だけで対処しようとしている。

 

「キャスターは士郎を助けてやってください。危険になったら逃げるくらいはできます」

「フ~~ム、わかった。士郎くんは任せておいてくれ」

「はい」

「こっちは行けるぜ!」

 

 億泰が、自動車のバックドアを開きながら呼びかける。フーゴと素早く席を交代すると、舞弥は起こされたオートバイに跨り、後ろに億泰が座る。

 

「では、後は任せます」

「ここは俺たちに任せて先に行きな! へへっ、やっぱかっこいいなぁ、この台詞」

 

 億泰の言葉が放たれてすぐ、舞弥がオートバイのエンジンに火を点ける。

 ドッドッドという鈍い音が鳴り始めたかと思うと、排気ガスを噴き出しながらタイヤが回転する。

 黒い二輪車が二人の戦士を乗せ、路上に跳び下りて行った。

 

「ふう……随分広くなったな。フーゴ、急ごうぜ」

「カーチェイスは、ミスタの方が経験豊富なんだけどなぁ」

 

 慎二の急かす言葉に、パンナコッタ・フーゴは強くアクセルを踏み込んだ。

 

   ◆

 

 オートバイが飛び出してきたとき、ズィー・ズィーは身構えたが、すぐに興味を失くした。

 オートバイに乗っていたのが、サーヴァントではなかったからだ。仮にもサーヴァントとして召喚された身である以上、相手が魔術師であろうとスタンド使いであろうと、負けはしないという自負があった。

 

(特に、俺はライダーとして召喚されているから【対魔力】がある。魔術師相手には有利だ!)

 

 またサーヴァントである以上、身体能力も幾らか向上している。少なくとも、並みの人間よりはしぶとく、死に難い。

 相手もその程度はわかっているはず。となれば、彼らは足止めに過ぎない。

 

(そんなものに構ってやる義理はねえ。とっとと追い越して、車の方を潰してやる)

 

 機動力を削げば、ひとまず救援に駆け付けることはできなくなる。そう考えたズィー・ズィーは、相手の車体の背後にまわり、攻撃を仕掛けようとしたが、

 

「【ザ・ハンド】ォ!!」

 

 億泰の方が、一手早かった。

 

 ガオォンッ!!

 

 歩道の脇を走るオートバイに乗った億泰が、横一文字に【ザ・ハンド】の右手で、空間を薙ぎ払う。次の瞬間、自動車スタンド【運命車輪・鋼鉄餓獣(ホウィール・オブ・フォーチュン)】の車体が、引き寄せられ、一車線ずれた。

 前を走る車に放たれた攻撃は、ちょうど運悪く前方を走っていたホンダ製の自動車に直撃し、後輪を破壊した。哀れ自動車は衝撃で吹き飛んで横転する。

 

「あちゃあ……生きてるといいけどなぁ」

「日本の自動車は世界一です。大丈夫でしょう」

 

 億泰は巻き添えになった運転手を心配したが、そちらに心囚われて殺されるわけにはいかない。気持ちを切り替え、少なくとも十メートルは離れていた地点にいた軽自動車を吹き飛ばした攻撃について、考えてみる。

 

「どうやらあいつ『飛び道具』を持ってるみたいだな……。よく見えなかったけど」

「ふむ……見当はつきます。似たようなのを知っていますから。ひとまずは警戒しましょう」

 

 億泰と舞弥が、【運命車輪・鋼鉄餓獣(ホウィール・オブ・フォーチュン)】の能力を見定めようとしている一方、ズィー・ズィーの方も顔をしかめていた。

 

「なんだ……? 俺を移動させただと? 無視できないってわけか。やってくれるねぇ」

 

 仕方ない。ここは早急に、オートバイの組をぶっ殺してから、自動車の方を潰すことにしよう――速やかに決断し、ズィー・ズィーは自慢のマシンをオートバイの方へ寄せていく。

 

 決死のカーチェイスが、いよいよ始まった。

 

   ◆

 

 吹き荒れた稲妻が、空間に散り、消えていく。

 獣の牙のような雷の攻撃を、防ぐ素振りさえなく、立ち塞がるだけで容易く防いだのは、青い衣のセイバーであった。

 

「令呪を使われる前に、と思ったがな。間に合わなかったか」

 

 アトラムは残念そうに言いながらも、焦った様子はない。そこまで都合よくことが進むとは、最初から思っていなかった。うまくいけば、幸運だとは考えていたが。

 

「士郎、状況は?」

 

 令呪の力で、衛宮邸から急に瞬間移動させられたため、セイバーには現状が把握できていない。

 視線を巡らしてみたところ、どうやらビル建築の工事現場らしい。まだ骨組みが出来上がったばかりのビルの下に、彼らはいる。セイバーは不可視の剣をかざし、どこから攻撃されても対処可能なようにしながら、説明を求めた。

 

「すまんセイバー……どうやら、魔術で誘い出されたらしい。マスターが一人と、サーヴァントが……2体。あと、なぜか……」

 

 士郎が訝し気に視線を向けた先には、

 

「フン。礼を言うなど期待はしていないが、その目つきはどうかと思うがね」

 

 中華刀を手にした、アーチャーが立っていた。

 

「……助けてくれたのは感謝する。けど、なんでここに」

「なぁに、一番喰いやすいエサに魚が食いつくのを待っていた。それだけのことだ」

 

 士郎を囮として、アトラムたちを誘い出したと言うアーチャー。

 その物言いに腹が立つものの、助けられた手前、文句は呑み込み、代わりに尋ねた。

 

「遠坂は、来ているのか?」

「いいや……こいつら程度、彼女の力を要するほどではないさ」

 

 その言葉に反応したのは、青い衣装の槍兵であった。顔に血管を浮き立たせ、獰猛に歯を剥き出す。

 

「へえ……言ってくれるな。色男!」

 

 キュガッという空気が引き裂かれる音を置き去りに、ランサーの朱槍がアーチャーに叩き付けられる。その破壊力を巧みに受け流しながら、アーチャーは後方に跳んだ。

 それを追い、槍を振るうランサー。最初の夜の攻防戦が、再び開始された。

 

「あちらは、あちらに任せるとしよう。さて、セイバー……提案がある」

 

 アトラムが整った容姿に、信用のおけない笑みを浮かべ、話しかける。

 

「マスターを変える気はないか? 私なら、もっと効率よく君を勝たせることができる」

「断る」

 

 一秒もかけずに返された返答に、アトラムの顔がしかめられる。頷いてくれると思っていたわけではないにせよ、セイバーの返答はまさに斬って捨てるような態度であった。考える素振りも無く、嫌悪感さえ込めて返された否定。

 プライドの高い魔術師は、『たかだか使い魔』ごときに、そのような態度を取られたことが許せなかった。

 

「……ならいい。やれ、『アサシン』」

 

 クラス名で呼ばれたセッコが動いた。その身が、ドプリと地中に沈み込む。

 

「む……」

 

 姿を消したセッコに、セイバーは感覚を研ぎ澄ませた。足裏から地面の震動を感じ取り、相手が近づいてきていることを悟る。

 

(シロウから話は聞いている。地面でも人間でも柔らかく溶かし、液体のようにする力を持っていると……おそらく、私の鎧や剣でも溶かせるだろう。しかし、攻撃するときは直接触れてくる)

 

 現れた瞬間を狙い、切り裂く。仮に足元から現れたとしても、蹴りつけて叩き伏せてから、とどめを刺す。

 

(クラスは『暗殺者(アサシン)』と言いましたが……ならば、正面からの戦いで、(セイバー)が負ける道理はない!)

 

 やがて、気配がすぐ傍に近づいて来る。腕を伸ばせば、触れられる距離にまで来たと同時に、セイバーの背後で地面が盛り上がった。

 

「甘いっ!!」

 

 セイバーが最優のサーヴァントと呼ばれるのは、伊達ではない。あらゆる戦闘力が並みではないがゆえに、セイバーとして召喚されるのだ。

 当然、反射神経も、速度も、平均を圧倒的に上回っている。背後をとられたところで瞬時に対応し、返り討ちにすることくらいは、容易い。

 

「ハァァァァッ!!」

 

 後ろを振り向きながら、遠心力を加えた剣を振り下ろす!

 その先には、確かに濁った眼のセッコが、地面から顔を出していた。セッコが白兵戦に優れているとは言っても、セイバーの剣は『透明』である。初見で見極めて防御することはできない。

 セッコに、その身を守る術はない――かに思われた。

 

「ブフォォォォォォッ!!」

 

 だがその斬撃がアサシンを両断する前に、セッコの口から液体が噴き出した。

 液体は雫となって撒き散らされ、雫はセッコの身から離れたらすぐに、『元に戻る』。

 

「っ!? これはっ!」

 

 セッコが口に貯め込んでいたのは、能力で液状化させた『鋼鉄』であった。

 鋼鉄は鋭く尖り、『矢』となってセイバーに突き刺さった。

 神秘無き、ただの物質にサーヴァントは傷つけられないが、セッコが噴き出した『矢』には、セッコのスキル【武器改造】が付与される。日常的に転がっているあらゆるものを、人を殺す武器とする、暗殺者としての力。

 宝具化させるほど強力なものではないが、それでも、サーヴァントにも通用する武器となり、セイバーの斬撃を押し返し、突き飛ばしてしまうことはできた。

 そして、体勢を崩したセイバーに、セッコは邪悪にほくそ笑み、拳をつくる。

 

「【心乾きし泥の海(オアシィィィィス)】!!」

「っ! まだだっ!」

 

 セイバーの剣が爆殺したように、傍からは見えた。剣先から砲撃の如き突風が走り、土砂が巻き上げられる。

 余波だけで拳を振るうセッコを吹き飛ばし、進路上で戦っていたアーチャーとランサーの間で炸裂し、大地を抉り砕いた。

 

「ぬおぉ……あ、味な真似を!」

 

 セッコの殴撃が決まらんとする直前、セイバーは【風王鉄槌(ストライク・エア)】を放ったのだ。さしものセッコも集中させた嵐の如き威力の前には、押しのけられるしかなかった。

 

「大丈夫か、セイバー」

「ええ。しかし、大丈夫なのは相手も同じ……。どうやら思っていた以上に、応用の効く力を使えるようです」

 

 窮地を切り抜けたのは良かったが、セイバーの言う通り、セッコにダメージを与えるまではいかなかった。セッコが口から吹き出した鉄の矢を受け、体勢を崩していたため、正確に狙いをつけてセッコを撃墜することはできなかったのだ。

 風自体は掠めた程度で、セッコの腕のガードを突き破れるほどのものではなかった。大地に叩き付けられるときも、大地に泥化をかけ、クッションのように柔らかくし、衝撃を和らげられてしまった。

 

「けれど、やはり正攻法での戦いなら我が剣の方が上。今度こそは斬り伏せて見せましょう」

 

 自信を持って、透明化の解けた剣を両手で構えるセイバー。剣身から溢れる輝きが、夜の空間を照らす。その光がセイバーの剣気と一体化し、敵に対しての威圧となっていた。

 対するセッコは口を閉ざし、濁った眼でセイバーを見つめる。空間を澱ませるような暗い視線に、セイバーへの恐怖などはない。ただ粘りつくような殺意があった。

 互いに睨み合い、いつ動くか、西部劇でガンマンが向かい合って勝負するのと同じく、機を待っている。

 

 そのまま流れた時間は数秒程度であったが、見守る士郎にとっては酷く永く感じられた。そのまま世界が終わるまで続くかと錯覚しそうな、息も絶える時間。アーチャーとランサーの交える刃の音は、絶え間なく響いているが、それもどこか遠くに感じる。

 

(くそっ……このまま、見ているだけだなんて)

 

 士郎は自分の無力を噛みしめ、呪う。士郎程度の魔術では支援にもならない。令呪によるバックアップ程度は士郎にも可能だが、少ない令呪をみだりに使うのは憚られた。アドバイスなどできるはずもない。

 何もできず見守り続ける士郎であったが、その懊悩の時間を貫くように、乱入する者があった。

 

 ドゥルルルルルルルルル!!

 

 そこにエンジンの雄叫びをあげて、戦場に駆け込んできた一台の自動車。その窓から上半身を出し、不機嫌な表情を士郎に向けている、見慣れた顔。

 

「慎二! なんでここに!」

「お前が馬鹿だからだよ! 衛宮!」

 

   ◆

 

 セッコは新たな顔ぶれが現れたのを見て、舌打ちしていた。邪魔な蠅が増えるのを喜ぶアホはいない。だがいずれにせよやることに変わりはない。今こそ、誰もが恐れ、おぞましさに震えた自分の力の真価を発揮するときだ。

 

「【心乾きし泥の海(オアシスゥゥゥゥゥ)】!!」

 

 全てをグチャグチャに蹴散らす悪意の力を込めて、彼はその拳を自分の足元に向けて叩き付けた。

 

   ◆

 

 ガクンと車体が揺れ、タイヤがギュルギュルと嫌な音を立てて空回りする。

 

「なんだ! 落とし穴にでも嵌ったか!」

「似たようなものだが……車体が沈みこんでいる! 地面が泥沼みてーになって、走れない!」

 

 運転するフーゴに、窓から外の様子が見えていた慎二が状況を伝える。その通り、この戦場一帯が、セッコのスタンド能力によって柔らかく泥化していた。

 慎二たちの車だけでなく、士郎やセイバーも足がズブズブと地面に沈み込んでいく。

 

「これは……自分の触れるものだけではなく、周囲まで溶かせるのですか……!」

 

 セイバーは表情を険しくする。足を取られては、戦力は半減以下となろう。

 特にセイバーは水の精霊の加護を持っており、水面に立って歩くこともできた。決して溺れることはない特性を持っているだけに、『溺れかねない状況』での戦いは初めてであった。

 

(まさか、陸地で沈むなんてことがあり得るとは、思ってもみませんでした)

 

 アトラムは姿を消している。時間的に遠くに逃げているわけではなく、魔術的に姿を消し、沈みこまない場所にいるのだろう。あるいは浮力や重量を変化させる魔術で沈まないようにしているのか。

 

(こやつを相手にしながら、マスターを探すという行動は現実的ではない……)

 

 純粋な戦闘能力で言えばセイバーの方がセッコより遥かに上だろう。だが、セッコのスタンド能力がその戦力差を覆している。

 

 ――『底知れぬ』。

 

 まさにその言葉が相応しい、スタンド使いの力。魔術のように汎用性が効くわけでもなく、一つのことしかできない『専門バカ』――にも関わらず、その認識を嘲笑うように、様々な戦術を繰り出してくる。

 セイバーの頬を冷や汗が伝い、セッコの澱んだ目が暗い歓びの色を浮かべ――跳ねた。

 

「っ‼」

 

 直感に従い振るわれたセイバーの剣。それが辛くもセッコの攻撃を弾いていた。

 だが、今までにない速度と瞬発力に、セイバーの肝が冷える。

 

(今のは、体全体を『柔らかくした大地』で弾ませて、バネで弾かれるように跳んできた……!)

 

 セイバー自身、己が魔力を爆発させるように放出して、推進力に変えて攻撃している。それゆえ、セッコの能力もすぐに察することができた。

 同時に、その強さと、現状の危機にも。

 

(こちらは足を絡めとられ、思うように動けないのに、あちらは存分に動き、苛烈な攻撃を叩き込んでくるっ!)

 

 単純明快な窮地。今まさにセイバーは追い込まれていた。

 

   ◆

 

 しかし、アトラム陣営にとっていいことばかりではなかった。

 

「ぬおっ……あの野郎、なにやってやがる!」

 

 自陣の戦力であるランサーもまた、泥に足を捕られている。セッコの能力は細かいコントロールが効くものではない。セッコ自身、周囲に配慮するような性格ではないのも合わせて、見境なく攻撃をかけている。

 俊足を自慢とするクラスであるランサーにとって、動きを奪われることは大きな問題だ。泥から無理矢理足を引き抜いて動くことはできるが、それでは今までの疾風をも追い越す走りなど望むべくもない。それでも動かずにいたら下半身がまるごと沈むので、動かないわけにはいかないが。

 

「厄介な……」

 

 アーチャーの方も剣を振るった戦法は使えない。しかし、セッコに攻撃を仕掛ければランサーに対して隙を見せることになる。自分以外の戦力に任せる他なかった。

 遠距離攻撃を得意とするアーチャーにとって、機動力が大幅に削がれるデメリットは、ランサーに比べれば、まだマシである。とはいえ、あまり破壊力のある攻撃を放てば、この距離ではアーチャー自身をも巻き込む。中華剣を生み出し続け、それを投げ続けると言う手段をとる。

 要は牽制である。ランサーも、槍が届かないために剣を弾き飛ばし続けることしかできない。アーチャーもランサーも、思い切った行動をとれないわけではないが、今は良い機会ではないと、互いに読んだ。

 弓兵と槍兵は、互いに足の全てを沈ませないように動きながら、全力を出せない戦闘を続けていた。

 

   ◆

 

「オォォォォォォ‼」

 

 セイバーに向かい放たれる無数の拳。一撃一撃が、肉を溶かし、骨まで崩す、悪夢の拳。

 さすがに神造兵装たる、セイバーの聖剣までは溶かせないらしいのが救いであるが、それは不幸中の幸いでしかない。

 なにせ、今のセイバーは防戦一方であり、しかも全力なのだ。

 

(この、ままではっ!)

 

 焦りが生まれる。

 もし、セッコの攻撃が現状より更に強力なものとなるのであれば、もはやセイバーにはしのぎきれない。

 

(口惜しいが……シロウに令呪を)

 

 令呪により短時間の強化を施さざるをえないかと、セイバーが考えていたところで、狙いすましたかのようにセッコが動いた。

 おそらくは頭脳で考えた洞察ではなく、魂の嗅覚で嗅ぎ取ったことによる反応。相手の弱みを見つけ、鋭く突く、邪悪な嗅覚による才能。

 

「オォォォォォアァァァァァァ‼」

 

 セッコの蹴りが、泥化したコンクリートを抉って撒き散らした。

 空中に蹴り出された泥はセイバーの顔に降りかかった瞬間、泥化が解けて固体に戻り、セイバーの顔にこびりついた。

 

「むっ……くっ……」

 

 仮面のように顔を覆ったコンクリートに目や口を塞がれ、セイバーは声に出して士郎に呼びかけることもできなくなってしまった。すぐさまコンクリートの覆いに手をかけ、握り潰して破壊したものの、セッコの方はそのわずかの間に次の行動をとっていた。

 

「シィィィィィ‼」

 

 再び、セッコの体が大地に沈み込んでいる。また弓矢のように自らを発射させる戦法だ。だが、その視線に向きは、セイバーではない。

 

(こいつっ、シロウを先に……!)

 

 セイバーが移動できない今、士郎への攻撃を食い止めることはできない。ならば、マスターである士郎を殺した方が、当然簡単だ。

 

「アアアアアアッ‼」

「スゥッ‼」

 

 セイバーがなりふり構わず斬りかかるが、その斬撃を潜り抜けるように、セッコは射出された。

 

(終わったっ!)

 

 セッコは確信していた。

 この泥の海のフィールドで、自分以外に自由な行動をとれる者はいない。セイバーはもちろん、この場の誰も空を飛ぶことなどできない。

 ゆえに、誰も間に合わない。

 

 衛宮士郎はここで死ぬ。

 

「フヘハハハハハッ!」

 

 一つの陣営がここに崩れる。

 

「ハハハハハッ」

 

 その確信は、

 

「げぶぅぅぅっ!?」

 

 蹴りの一撃によって吹き飛ばされた。

 

「フゥゥ~~……セイバー君。選手交代だ。こいつとは私が戦う」

 

 歯を圧し折られる痛みに呻きながら、セッコはありえぬと思っていた乱入者の姿を見る。

 ペットボトルを片手に身構えるキャスターの足元は、全く泥に沈むことなく――大地は波紋を帯びて輝いていた。

 

「キャスター……」

「士郎くん。大方、誘い出されたのだろうが、あまり私のマスターたちに心配をかけさせないでくれたまえ」

 

 たしなめるキャスターに、士郎はバツが悪そうな顔をする。

 話しているうちに、バゴンッという大きな破裂音がして、セイバーが文字通り飛んできた。彼女は士郎の横に立つと、剣を振るって士郎の足元の泥を薙ぎ払い、泥の拘束をお取り払った後、士郎を抱きかかえる。

 

「うわっ、ちょっ、セイバー?」

「少し我慢していただきたい、マスター。まったく危ないところでした……礼を言わせてもらいます、キャスター。貴方がいなければ今頃は」

「なに、お節介をしたまでさ。ただし、士郎くんには後でお説教があると思うがね。ともあれ、ここは私に任せたまえ。この敵……私との方が、相性が良さそうだ」

 

 セイバーはキャスターの申し出に、若干迷いを見せた。彼女の人柄からして、自分の敵を他者に押し付けるような真似を渋ったのだろう。だが、キャスターの言うように、セッコの能力に対抗するにはキャスターの方が向いていることも理解できた。

 

「……感謝します」

「なに、適材適所さ。それより、あちらの方を」

 

 キャスターが視線で、セイバーに示したのは、アーチャーと対峙するランサーであった。いまだ、千日手の状態で攻防を続けている。

 

「わかりました。任せてください」

 

 頷いたセイバーは、脚にまとわる泥を弾き飛ばしながら高く跳躍した。セイバーに抱きかかえられた士郎が慌て、声を上げるのを聞き流し、キャスターはセッコに神経を集中させた。

 

   ◆

 

 ドスンと、自動車の屋根の上で音がした。窓から身を乗り出した慎二は、屋根の上に立つセイバーを見つける。ついでに、お姫様のように横抱きにされた士郎も。

 

「なんだ。いつから正義の味方からピーチ姫になったんだ?」

「うっさい」

 

 慎二が意地悪気な笑みと共に発した軽口に、士郎は短く言葉を返した。セイバーに抱えられているのは流石に恥ずかしいらしく、頬を染めて視線を逸らしている。

 

「マスターはここにいてください。私はランサーを倒します」

「あ、ああ……わかった」

「では」

 

 士郎を腕から降ろすと、再び跳躍してアーチャーとランサーの戦いの中に躍り込んでいく。その足の踏み込みで、自動車の屋根が深く凹んだのは、かえりみられなかった。

 車内のフーゴは、かつて仲間の拳銃使いが何故か自動車の上に降ってきたときと、同じ顔をしていた。舞弥に弁償するのは彼の仕事になるだろう。

 一方、まだ回復しきっていない女魔術師は、ずっと黙ったまま、体力を温存していた。ただ一つ起こした行動は、痛む体を起こして、窓から最大の目当てであった人影を見つめることのみ。

 

「……ランサー」

 

 彼女の唇は、望まぬ別離に至った相棒の名を呟いていた。

 

   ◆

 

「てめぇ……どういうことだ。なぜ沈まねえ……」

 

 セッコの力、【心乾きし泥の海(オアシス)】は、セッコがその身にスーツのように纏っている能力。触れた物質を泥状に変質させる。

 かつて彼と戦った男は、『触れた物体にジッパーを張りつけ、ジッパーを開くことで空間を作り出す』能力を持っていたため、泥化した地面に穴をつくり、地面の中を移動することができた。

 だが、そんな能力でもない限り、泥の中に沈んだらセッコ以外は泳ぐことなどできない。泥化を解除して生き埋めにしてしまえばいいだけのことだからだ。

 ゆえに、現状は沈むまで待つ時間があれば、セッコの勝利は揺るぎないはずだった。

 

 だが、今かつて戦った相手よりも、自分の能力に対抗できる相手がここにいる。

 

(このオヤジ……情報では水をカッターのように飛ばすとかいう話だったが)

 

 セッコは、自分の支配するフィールドを踏みつけて平然としている、憎き敵を睨みながら、考察する。学はないが、戦闘と殺害については、セッコは決して無能ではない。

 

(ペットボトルの水を、地面にこぼして……その水が輝いている。やはり……水を扱う力? それに蹴りの威力……殴り合いでも、そこそこはやる……か)

 

 キャスターの能力を静かに分析していく。

 一方、キャスターの方も、セッコの攻略法を思案していた。

 

(こいつの能力……ただ液状にするというのではない。触れた感触からすると、この地面は『硬いままに泥のようになっている』。奇妙な感覚だが……グニャグニャになっているにも関わらず、土や石としての性質を失っていない)

 

 固体は波紋を通しにくいため、少しばかり水を地面に振りかけ足元だけを濡らす。水に濡れた大地には波紋が流れやすくなり、波紋の反発作用が発揮されセッコが泥化した大地にも立つことができているのだ。

 なおかつ、キャスターは落ちれば確実に死ぬような高所で、ただ一本の縄を足場とした状況においても、冷静に呼吸を乱さずにいられるように修行を積んでいる。この程度の足場の悪さなど、苦にもならない。

 また、常識を超えた吸血鬼や屍生人(ゾンビ)と戦ってきたため、思いも寄らぬ戦法にも慣れている。地中に潜り込んで襲い掛かってくる相手であっても、必要以上の怯みはなく、かと言って相手を侮るような愚を犯すはずもない。

 かつて、『真紅の帝王』でさえ使うことを躊躇うほどの、凶悪なスタンド使いの片割れであろうとも、練達の波紋使いは静かに相対する。

 

 相手を変えて、戦況は再び動く。

 

   ◆

 

 もう一つの戦場――真夜中の車道でも、戦いは続いていた。

 

「億泰っ」

「どらぁっ!」

 

 億泰の【ザ・ハンド】が空間を抉り、バイクを真横へ瞬間移動させる。

 そして、先ほどまでバイクの位置していた空間を、何かが通り過ぎるのを、舞弥が魔術で強化した五感で感じ取っていた。

 

「眼ではとらえきれませんでした。速度もさることながら、小さく、そして無色透明であったためでしょう。しかし、微かな風切り音にくわえ、強い臭気。間違いなく、敵が飛ばしているのはガソリンです」

 

 舞弥は自分の結論を億泰に伝える。

 ズィー・ズィーの【運命車輪・鋼鉄餓獣(ホウィール・オブ・フォーチュン)】は、自動車につきもののガソリン燃料を武器として射出しているのだ。

 高気圧で液体を発射して攻撃することは、魔術でも良く行われている。第四次聖杯戦争ではロード・エルメロイが水銀を操作していたし、水を操るスタンド使いも登場した。

 今回、舞弥が召喚したキャスターも、水に圧力をかけて飛ばすことで、鉄をも切り裂く波紋カッターとすることができる。

 そういった経験もあり、舞弥は相手の攻撃方法をいち早く暴いていた。

 

「なるほどぉ~、けどどうすんだ? 俺のスタンドは近距離型だから飛び道具持ってる奴は苦手だぜ。相手はスタンドだから銃とかも効かないしよぉ」

 

 一撃目は、背後につかれたことで何か狙っていると直感した億泰が、本能的にズィー・ズィーを自動車ごと強制移動させたことでかわした。

 二撃目は、舞弥が相手の攻撃に準備し、身構えて集中していたから避けられた。

 だが、何度も回避できるかはわからない。ただでさえ速く鋭く、避けづらい攻撃なのだ。まして運転手の舞弥が、敵自動車にばかり集中しているわけにはいかない。

 

「ええ、防御に回っていては、いずれ命中するでしょうね。ならば」

「攻めに回るってことだな。いいぜ……シンプルで俺に向いてる」

 

 億泰はニッと笑って、誰もが恐れる己のスタンドを構えた。

 

 一方、彼らと並走し、ときに上空に舞い上がる二つの美しい影は、幾十回目かの衝突を迎えていた。

 

 ゴガッ! ゲズゥッ! ズブムッ! ミシィッ! メメタァッ!

 

 顔と言わず、腹と言わず、二人の女は拳と蹴りを相手に叩き込んでいた。

 常人であれば一撃で骨を砕き、肉を潰すそれらは、まことに容赦というものがなかった。

 

「ぶふっ、かはっ、このデカ女がっ!」

「ふぅっ! ふぅっ! いい加減に堕ちなさい、メンヘラ女っ!」

 

 億泰たちの頭上で拳を交わし合った彼女らは、アスファルトの地面に降りると今度は罵り合う。

 どちらもまだまだ元気そうだが、分が悪いのはやはりソラウの方であった。

 ソラウの拳には対サーヴァント用の魔術強化が施されているが、神代の魔女にでも術をかけてもらったのならともかく、現代の魔術によるものでは大した効果は望めない。

 今は吸血鬼の再生力で食い下がっているものの、いずれはエネルギーも切れ、力尽きるだろう。流石にサーヴァントであるライダーとは地力が違う。

 

(しかし……予想以上に時間がかかりそうですね。ここは、さっさと終わらせてしまいましょう)

 

 そう決めたライダーは、顔に手をやり、その双眸を隠すバイザーを手早く剥ぎ取った。

 

「……⁉」

 

 ソラウは、自分を見つめるその『眼』を見た。不思議な長方形の瞳を。

 

「固まりなさい……死人のように」

 

 ソラウは、ゴキリと自分の関節が固まるのを感じた。

 命である血が冷たく凍てつき、循環が堰き止められる。

 魂そのものが停滞し、次第に硬く縮まっていく。

 

 まさしく『石』になる感覚。

 

(これ、が……ゴルゴンの……)

 

 ギリシャ神話を読んだことのない人間でも、まず耳にしたことはあるだろう、あまりにも有名な伝説。

 その顔を見れば、あまりの恐ろしさのために血が凍り、身が固まって石になるとされた、世界で最も有名な怪物の一体――『石化の魔眼』のメデューサ。

 

 完全に停止したことを確認し、ライダーは彫像のようになったソラウへと近づく。

 人間ならともかく、ソラウは吸血鬼だ。まだ死なないかもしれない。

 

「完全なるとどめを、刺します」

 

 俗に不死者の王(ノーライフ・キング)などとも呼ばれる、死にぞこない(アンデッド)の中でも特に滅ぼしがたい怪物に対し、ライダーは丁寧に殺しきることを決めた。

 ライダーの持つ【怪力】ならば、造作もなく人型を微塵にできるだろう。

 

「ではまず脳から」

 

 腕を振るおうとしたライダーは、ふとソラウの顔を見つめて違和感を覚えた。

 

(……妙だ。固まって動けなくなったというのに、表情に恐怖の色がない)

 

 身動きがとれず、敵にいいようにされることになるというのに、ソラウの固まった顔が最後に浮かべていたのは、冷酷な敵意のみ。

 怯えや焦りといった、危機感が見られなかった。まるで、身動きがとれなくなるという状況が、危機ではないというような。

 

「っ‼」

 

 本能的に、ライダーは自身の方が危機感を覚え、咄嗟にその場から飛び退く。

 それは正解だった。その直後、ライダーに向けて鋭い拳が振るわれていたのだから。

 

「何者だっ!」

 

 ライダーが見たのは、奇怪な人影。

 常人では見ることは叶わない。魔術師でさえ、はっきりと見切ることはできない。

 その特殊な、エネルギーの(ヴィジョン)。それは滑るように空中を飛び、ライダーとの距離を詰めてくる。

 シルエットは人型だが、顔は目鼻も何もなく、宇宙飛行士のヘルメットと覆面を混ぜたようなものだった。ゆったりとした格子模様の服をまとい、手は金属的な装甲を嵌めている。

 

「スタンド……! ソラウ……貴方はスタンド使いっ!」

 

 言いながらライダーは鎖短剣を投げつける。だが、その切っ先は人型に突き立つことなく、まさしく影のようにすり抜けてしまう。

 そして、スタンドの方はライダーでも避けるのは難しいほどの速度で、拳を繰り出してきた。

 ライダーは腕を上げ、顔を防御したが、

 

「ぐぅっ⁉」

 

 顔面に拳が叩き込まれた。

 腕のガードを崩されたのではない。

 防御を素通りしたのだ。

 アスファルトに倒れ込みながら、ライダーはその単純かつ危険な能力を理解した。

 

(『すり抜ける能力』……! こちらの攻撃も防御も、受け付けないというのですかっ!)

 

 ライダーの視界から外れ、ほんの少し動けるようになったソラウは、ニヤリと嘲笑を浮かべ、自分の奥の手の名を呟く。

フワフワと空中に浮かぶ幽霊のような影の名を。

 

 

 

「【遠隔操作の恋(リモート・ロマンス)】……どのような障害であれ、私の『愛』は止められない」

 

 

 

 

 ……To Be Continued

 





◆リモート・ロマンス

破壊力・A
スピード・B
射程距離・A
持続力・C
精密動作性・D
成長性・E

本体・ソラウ・ヌァザレ・ソフィアリ
能力・物質やスタンドを透過できる。どのような障害もものともせず、標的をしとめる。

 元ネタは『荒木飛呂彦原画展:ジョジョ展』に登場した連載25周年記念スタンド。ファンがスタンド使いとなり、遠隔操作で深夜の会場をネット中継した。



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ACT13:残る者は

 

 アトラムが召喚したサーヴァントは、極めて特殊なアサシンであった。

 

 まずアトラムは、召喚の術式に特殊な改造を加えることで、本来ハサン・サッバーハの内の誰かしか召喚されないはずのアサシンのクラスに、ハサン以外の英霊を割り当てて召喚した。前回に召喚されたアサシンが強力であったため、それに習ったのだ。

 

 そして呼ばれた彼の名は、チョコラータ。

 

 神代の英雄でも、偉業を為した傑物でもない。だが戦争という、結局は『殺戮』を最も求められる地獄において、彼らほどの適任はなかった。

 彼らを支配下に置いた犯罪組織のボスでさえ、そのおぞましさゆえに動かすことを躊躇ったほどの暗殺者。

 暗殺者となる前には、医者として仕事をしていた。もっとも、その医学知識は人を救うのではなく、できるだけ苦しめながら生かし続け、その絶望を観察することに使われていたのだが。

 

 チョコラータはカビを振りまき、他者を無差別に虐殺するスタンド【生命侵食・失墜深緑(グリーン・デイ)】を操り、深い医学知識を悪用して的確に人間を殺害することができた。

 そして、そのチョコラータの恐ろしい能力を、より最悪なものにする方法があった。

 

 そのために使われたのはチョコラータの宝具、【泥へと投げる角砂糖(コーリング・セッコ)】。

 

 その効果は生前の相棒であったスタンド使い、セッコの特殊召喚。

 

 チョコラータのカビは、カビさせる対象がそれまでいた場所から下の方へ移動することで繁殖する特性を持っていたが、セッコの【心乾きし泥の海(オアシス)】は地面を泥化させ、沈めることでカビの繁殖を助けることができた。

 

 まさに相性最高のコンビと言って、言いすぎることはない二人であった。

 

 彼らはアトラムに対し忠実とは言い難く、下剋上を狙っている気配があったが、能力において不満はなかった。

 

 大気には虐殺兵器を撒き、大地は誰も立つこともできない死沼と化す。

 

 並大抵の英霊など、血肉も霊体を食い殺すカビと、逃げ場を失くす泥化現象のコンボの前に、敗退せしめることができただろう。

 

 不運は、並大抵の範疇ではない英霊と、初戦で当たってしまったこと。

 

 アイルランド最強級の大英雄、クー・フーリン。

 

 単純な戦闘能力では圧倒され、殺人カビもルーン魔術によって防御されてしまい、善戦はしたもののチョコラータは討ち取られてしまった。

 セッコに、クー・フーリンのマスターであるバゼットの手首を斬り落とさせ、令呪を奪っていなければ、アトラムが最初の聖杯戦争の敗退者となっていただろう。

 

 泥化する能力のみを使わせて潜伏させ、姿をさらさずに温存しておいたのが功を奏した。

 

 スタンド使いに詳しい者であれば、スタンド使いは二人いると察することができただろうが、バゼットはどちらもチョコラータがやっているのだと思い込んでいた。

 

 こうして彼は九死に一生を得て、クー・フーリンを奪い自らのサーヴァントにすることに成功した。魔力供給も、奴隷として買った女たちを供給源にしているので問題ない。

 

 アトラムは、魔術礼装である壺を手の中で弄りながら、状況の変化にどう対応するか考えていた。

 建てかけのビルは身をひそめさせる場所はいくらでもあり、魔術で気配なども消しているため、すぐに見つかる心配はない。

 

(新たに増えたサーヴァント、キャスター。キャスターでありながら魔術師でない変わり種であるが、【対魔力】というスキルを無意味にできる分、普通のキャスターより便利かもしれない。侮るべきではないな)

 

 数の上で逆転され、3対2となってしまったが、アトラムは焦らない。当初の目的も諦めてはいない。むしろ好機かもしれないとさえ思う。

 

(ランサーは実に使い勝手のいい駒だ。だが、セイバーはそれ以上だ。ここでランサーを失っても手に入れたい)

 

 元々、聖杯戦争において最優とされるセイバークラス。素人同然のマスターに召喚されながらも優れたステータスを示す彼女を、自分のような一流の魔術師が持てば、その力は更に上昇するはず。

 

(今は手を組んでいる『奴ら』も、いずれは戦わなくてはならない。そのための手駒として、ランサー以上に有用だ。単純に、戦闘力がより高い)

 

 アトラムは今後のことについても考慮し、セイバーを『強奪』することを決意していた。

 とにもかくも、第一に鎖を手にする元のご主人様を除かねばならない――アトラムの視線が、半ば地面に埋まった自動車に向かった。

 

猛れ(ガッシュアウト)

 

 呟きと共に稲妻が躍り上がり、鎌首をもたげ、そして空間を走り抜けた。

 アトラムの手にかざされているのは、『原始電池』を原型とした魔術礼装。

 世界最古の電池であるそれを伝え、発展させてきた魔術師の一族がいた。彼らが没落した時、ガリアスタ家がその魔術を金で買い取ったのだ。

 神の力として世界中で恐れられてきた『雷』を操ることができる魔術は、ガリアスタの繁栄を支える代表的な力だった。

 

 そんな自慢の雷光がエンジンを射抜き、アトラムの口元が満足げに微笑みの形をつくる。

 その眼には、火を噴いて弾け飛んだ車体が映っていた。

 

   ◆

 

「……チ、戦いの最中に嫌な声を出されちまった」

 

 ランサーは眉をしかめる。アトラムより令呪の消費と共に放たれた命令。

 

 ――『取り得る手段全てを尽くし、全力でアーチャーを始末せよ』

 

 その命令に応えるため、令呪の魔力がランサーのステータスを向上させていくのを感じながらも、ランサーの気分は良くなかった。

 無論のこと、アーチャーは倒すつもりであるが、端的に言えば『勉強をしようとしたところで、親から勉強をしろとせっつかれた子供』のように、やる気を殺がれたようなものだ。

 

「楽しめる気分じゃねえ。悪いが、手早く終わらせるぜ」

 

 ランサーの槍を持つ方とは逆の手が、三個の小さな石を掴み出す。石の一つ一つには、単純な模様が刻まれていた。ヨーロッパに古来より伝わる魔術文字――『ルーン』だ。

 ランサーは俊敏な動作でそれらの石を、アーチャーに投げつけた。刻まれている文字の意味は、それぞれ、太陽(ソウェル)松明(ケーナズ)勝利(テイワズ)

 その効果はすぐに表れた。飛来する石から火花が弾けたかと思うと、次の瞬間には輝く炎が猛々しく噴き上がった。

 

「くっ!」

 

 その炎の激しさは、アーチャーの護符(アミュレット)レベルの【対魔力】ごときで防げるような威力ではない。赤い弓騎士は逡巡する余裕もなく、手にしていた中華剣を投げ放つ。

 炎は回転する中華剣によって空中で散り消えたが、剣の方も金属が沸騰するほどの熱にさらされて焼滅した。

 

「手放したな!」

 

 今までにはなかった行動パターンに、アーチャーのリズムがずれる。踏み込んできたランサーに対して、新たな中華剣を生み出すのが間に合わない。

 拙速で造り出した剣を交差させ、上から振り下ろされた槍を受けたが、容易く砕かれる。

 

「ぐっ!」

 

 肩口が切り裂かれ、赤い血が噴き出す。槍が引かれ、ランサーの眼光が弓兵を射抜いた。眼光に半瞬遅れて、魔槍の穂先がアーチャーへと突き出され、

 

「ちぃっ!」

 

 アーチャーが無手の右腕を振るう。右手が穂先に抉られて、指がちぎれ吹き飛ぶ。だが槍の軌道はどうにかそれて、霊核を貫かれることは防げた。衝撃でアーチャーの体は吹き飛ばされ、泥化した大地に倒れる。

 

「悪あがきを。だがもう、この先はねえ!」

 

 追撃に迫るランサーだったが、その前に青い影が割り込んだ。

 

「っ! セイバーっ!」

「横槍御免! だが、この先からは私が相手だ!」

 

    ◆

 

 拳の一撃一撃が人型ごとき、血塊に変えて土に還す威力。セッコの猛襲がキャスターへと降り注いだ。それはたとえ防御しても、防御ごと煮溶けた砂糖のように、蕩かして貫く。

 

「フゥム……やはりな」

「うぐぐぐっ!」

 

 だが必殺の拳の連打はことごとくキャスターに弾かれ、一方的に攻撃する側のセッコの方が忌々し気に呻く。

 

「なぜ溶けねぇ‼」

 

 涼しい顔のキャスターに、セッコは怒声をあげた。

 セッコの拳は確かにキャスターに触れていると言うのに、キャスターの体は泥化しない。

 今まで人も石も、ありとあらゆるものをドロドロに果てさせたセッコの力が、通用しない。

 

「そう怒るなよ。こっちだって手が痺れてしまっているさ」

 

 キャスターの手は、淡く輝きを帯びていた。その波打つ輝きは仙道によって編み上げられた『波紋』の力。手を濡らす水に帯びた波紋は硬化し、キャスターの手を覆うグローブとなっていた。

 

 キャスターの波紋は、水を固体のようにできる。

 優れた使い手であれば、コップの水を指一本で持ち上げることもできるし、棒の両端に、紐状にした水を絡ませて立たせ、アーチをつくって鉄棒のようにぶら下がることもできる。

 

 元より液体であるものを、液状化させることはできない。

 

 固体を泥化するセッコとは真逆の現象をもって、【心乾きし泥の海(オアシス)】を防いでいたのだ。

 

(もっとも、能力は防げてもパワーやスピードは変わらないからね。いかに波紋で筋力を上げ、痛覚を弱め、再生力を高めているとはいえ……分が悪いな)

 

 キャスターの波紋をまとった拳にも、レンガを粉砕するくらいの力はあるが、セッコの拳はそれ以上だ。泥化抜きでも強い。正面対決を続けていれば、いずれは競り負ける。

 

(だが、これで単純に殴り勝つのは難しいと、向こうに印象付けられたはずだ)

 

 キャスターの戦闘への思考の一つ――『相手の側に立って考える』。

 

 セッコからしてみれば、殴り合いでは自分の方が不利だと、事実に反した思い込みをしてしまっているはずだ。キャスターへの攻撃が効いていないように見えるために。

 そんなキャスターの狙いは上手く嵌った。

 

「クソっ……だが、俺が溶かすことしかできないと、思ってるんじゃねえぞ」

 

 キャスターに向かい指を突き付け、言い捨てると、ドプンと勢いよく地面に沈む。

 セッコが姿を消し、どこから攻撃してくるかわからない状況になっても、キャスターは焦らずに、地面を濡らす水と、水に伝わる光の波紋を見つめる。

 

(大地の震動や、サーヴァントの生命エネルギーが波紋に伝わる。それを読み取れば、たとえ地中に隠れていても、どこにいるかはわかる)

 

 キャスターはセッコが大地の下を泳ぎ、自分から離れて行っていることは簡単にわかった。だが、それをセッコが自分から逃げているのだとは思わない。

 セッコは自分の能力に自信があり、そのプライドを傷つけるような逃亡をするはずがない。ならば、この行動は逃げではなく――

 

(攻撃のために距離を空けているということ!)

 

 キャスターの予測は当たっていた。

 光射さぬ地中で、セッコは耳をすまし、音で地表の様子を捕らえる。キャスターが立ったまま移動していないのを確認し、

 

「ウケ、クケケ……くらいなっ!」

 

 セッコは暗い土の下で腕を振りかぶり、渾身の力を込めて『大地』を殴りつけた。

 泥化した大地は殴り飛ばされ、押し込まれる。地面が波打ち、衝撃がキャスターに向かって突進していく。

 

「むっ!」

 

 波紋の様子を見る間でもなく、キャスターは足裏から伝わる振動で攻撃が向かってくるを知覚する。

 波紋使いのサーヴァントは、咄嗟に地を蹴って跳躍した。その直後、地面が爆ぜた。

 

 ッパァァァァァン‼

 

 風船が割れて飛び散るような音と共に、地面が炸裂した。セッコの打撃の衝撃がキャスターの足元に直撃し、その威力が破壊を生み出したのだ。土石が飛び、空中に弾丸となって巻き放たれる。

 

「うぬぅぅ……!!」

 

 そして、それらはさながら散弾となって、空中に跳んだキャスターへ襲い掛かった。

 

   ◆

 

 アトラムはまず自動車を破壊した。

 命を奪うのが目的ではないので、攻撃はやや手加減した。自動車が燃えてもせいぜい大火傷は負っても、即死はしない程度に。

 令呪を奪う前に殺してしまっては、セイバーを支配する令呪を手に入れることができなくなる。火傷を負ってそのまま悶え死ぬのはいいが、令呪を奪うまでは生きている時間を残しておいてもらわねば困る。

 

 適当に虫の息になってもらうのが最良だが、自動車から逃げられても問題ない。

 セッコの能力で底無し沼と化したフィールドにおいて、自動車はいわば浮島。数少ない土台であり砦だ。時間が経てば沈み切るだろうが、わずかながら余裕がある。だが、自動車を離れ、一歩でも足を地につければ、泥に足を呑まれ、まったく動けなくなる。

 そうすれば後はただの的だ。どうとでも料理できる。

 

 それがアトラムの作戦であったが、

 

「フン、流石にそう簡単にはいかないか」

 

 自動車が雷に打たれ、爆発炎上する一瞬前、ドアが蹴破られて四つの人影が外に飛び出していた。

 自動車のドアを蹴破ったのは、フーゴの【パープル・ヘイズ】であった。このまま動けない自動車の中にいても、自動車を棺桶にくたばるだけだ。

 しかしアトラムの考えどおり、外に出るのは尚のこと自殺行為だ。泥の海を移動する『手段』がなければ、自動車内で踏ん張るしかない。

 

 泥の上を移動する『手段』がなければ。

 

 だがその『手段』が彼らにはあった。

 

「くっ、さすがにきついぞ! いつもの自己犠牲の精神を発揮して降りろよ衛宮!」

「無茶言うなよ!」

 

 本を片手に持った慎二が、狭いながらも確かな足場に立ち、同じ足場を使っている士郎に怒鳴っていた。フーゴもまた足場から落ちないように苦心している。バゼットは【パープル・ヘイズ】に抱えてもらっているため、この中では一番楽にしていた。

 

「もっと広い足場はできないのか?」

「贅沢言うな。元々、足場をつくる術じゃないんだよ!」

 

 その足場は慎二が『偽臣の書』を使って生み出した『影』。

 本来は『影の刃』をつくり、攻撃する魔術だ。影は、海面から突き出ているサメの背びれのような形の刃となって、地面を滑り標的を襲う。

 今、慎二はこれを横倒しにして寝かせ、刃の『腹』の部分に乗っているのである。できればもっと大きな足場を用意したいが、慎二の力ではこれが限界であった。

 慎二たちは、三人横並びに刃の足場に乗り、アトラムのいる一角に向かっていた。

 雷撃が来た方向から、アトラムの居場所は知れている。

 

「バゼット……あいつもいたのか。野たれ死んでいたかと思ったが……いいだろう。たかが未熟者の魔術師ごとき、まとめて打ちのめしてやる」

 

 迫る四人をアトラムは自信たっぷりに迎え撃つ。

 その眼には勝利のみが映っていた。

 

   ◆

 

 セイバーは放出した魔力を爆発させ、推進力となってランサーに襲い掛かる。

 泥の海の主であるセッコが相手であれば、このような乱暴な突進は隙を晒すだけであっただろうが、今の相手は同じ条件のランサー。泥が足に絡みつくこの大地で、優勢なのは明らかにセイバーの方であった。

 

「くそっ……よりによって……!」

 

 しかも、ランサーは令呪の効果によってアーチャーを仕留めろと命令を受けている。ゆえに、その意識はどうしても、今戦っている目の前のセイバーより、後ろに下がっているアーチャーの方に向いてしまうのだ。

 集中力を欠いた状況で、セイバーほどの強敵に攻撃を受け、なおもしのいでいられるのはランサーが卓越した凄腕であると賞賛するしかない。

 だが、いつまでもは続かないことが、ランサーにはわかっていた。そして、マスター。アトラム・ガリアスタの思惑も。

 

(倒せと言われたのはアーチャーのみ。つまり、奴はまだセイバーを欲しがっている)

 

 自分と同じように、三騎士の一隊であるセイバーを手札に加えようとしたのが、そもそも今回の戦闘の起こりである。状況はもはや混沌とし、五体のサーヴァントが戦闘を繰り広げる修羅場と化しているが、アトラムは初志貫徹の姿勢らしい。

 

(そして、ここで俺を使い潰すことになってもより良い駒(セイバー)が手に入るなら構わないと思ってやがる。糞が)

 

 忌々しい主人だが令呪の強制力が反逆を邪魔する。奴隷(サーヴァント)とはよく言ったものだ。

 

 仕方ない。こうなったら、もともとここに召喚された目的――強者との戦いを最後まで貫くのみ。

 

「見せてやる……我が槍の真価、神髄を!」

「ムッ!?」

 

 セイバーの大地を割り裂く斬撃を弾き返し、渾身の力で踏み込む。

 踏み込みに押し負けた泥が弾け、撒き散らされる中、ランサーの青い影が夜空を駆け昇る。

 

「あれは……!」

 

 空中でランサーの真紅の長槍が振りかぶられる。その全身全霊、全知全能が、魔獣の骨を刻んで造られたという魔槍に注ぎ込まれ、

 

「くらえ……【突き穿つ死翔の槍《ゲイ・ボルク》】!!」

 

 放たれた槍が、閃光となった。

 

 幾つもの光の一本一本が、音を超える速度と人型など消し飛ばす威力を備え、城をも粉砕する対城宝具。

 分裂し、敵を八方より強襲する死の獣。

 ランサーの必殺の奥義が、神話の時代からこの世界に蘇った。

 

 広範囲に降り注ぐこの攻撃は、セイバーのみならずアーチャーも攻撃の範囲内であるため、令呪の縛りもクリアでき、むしろ通常より威力が上がっている。アトラムやセッコも巻き込むかもしれないが、そこはご愛敬としてしまおう。

 

(こちらの宝具は――駄目だ。間に合わない!)

 

 ランサーの奥義を相手取るには、セイバーもまた宝具の神髄を解放させなければ対応できない。だが、宝具を放つにはほんの少し時間が足りない。

 セイバーがせめて聖剣を振るい、一本でも多くの槍を受け止めてしのごうと覚悟したとき、彼女の前に美しい七つの花弁が咲き開いた。

 

「!? これは!」

 

 セイバーは思わず背後を振り向く。そこには、先ほどランサーに砕かれた手をかざし、宝具を生み出しているアーチャーの険しい表情があった。

 

「時は稼ぐ。攻撃を頼んだぞ!」

「……はいっ!」

 

 セイバーが宝具を振るうために集中に入ったのを見届け、アーチャーは自分の使える中で、最上の防御力を誇る宝具の名を高らかに叫ぶ。

 

「【熾天覆う七つの円環《ロー・アイアス》】!!」

 

 かつてギリシャの名だたる大英雄たちが二つに分かれて相争った、トロイア戦争の中に登場する宝具。あのアキレウスと双璧を為した大英雄ヘクトールの攻撃さえも防いだ、英雄アイアスが手にしていた楯。

 だが、その鉄壁をしてなお、魔槍の雨は容赦なく穿ち抜く。音を立てて破壊される盾を見つめ、アーチャーの顔の焦燥が色濃くなる。

 

(北欧主神の大神宣言(グングニル)でさえこれほどではなかろう……。このままでは、持たない!)

 

 あと一枚、あと一秒。そこまで迫った死の槍を目前に、

 

「待たせました」

 

 清廉なる声が間に合った。

 彼女の手には、かつて『三十の松明を束にしたよりも明るい』とされた、眩い輝きが握られている。

 

「二人がかりで戦うこと、申し訳ないが……手心をくわえるわけにはいきません」

 

 強き勇者への賞賛を込めて、尊き祈りの結晶が、その真価を今こそ開く。

 

「【約束された勝利の剣(エクスカリバー)】!!」

 

 最後の花弁が散ったと同時に、光の奔流が闇夜に打ち上げられた。

 いまだ空から大地に降りずにいたランサーに向けて、名高き最強の一角に座す力が注がれる。盾によって力を殺がれた槍では、押し勝つことはできなかった。

 

「……ちぇっ、最初に戦えていたらな」

 

 マスターが変わる前であったら、たとえ二人がかりで来られても、勝っていたのは自分の方だったろう。

 そんな想いを抱きながらも、ランサーは自身の敗北を受け入れて、星の輝きをその身に受けたのだった。

 

   ◆

 

 火山噴火のように下から噴き上がり、襲い掛かってくる(つぶて)。一つ一つがセッコの【武器改造】によって、サーヴァントも傷つけられる凶器と化している。

 

(これはまともにくらえば、全身ズタズタだな)

 

 逃げ場のない範囲攻撃に対し、しかしキャスターには経験があった。かつて、同じような攻撃を喰らったことがあった。当然、対処法もある。

 キャスターは空中で体を回転させ、足を下にしてビシリと背すじを伸ばし、腕は胴体にぴったりとつけて一本の棒のような姿勢をとる。

 そして、

 

「フゥ~~~~!!」

 

 強く深く、キャスターは呼吸を行う。呼吸によって生まれた、血液のリズムが生命エネルギーを汲み出し、増加させ、強化していく。刻まれた波紋のビートを、キャスターは足の裏へと導き、集中させる。

 

「当たる面積を最小にして、一点集中の波紋防御!」

 

 全波紋エネルギーを足裏にのみ集中させ、他の部分の防御を捨てる。直立姿勢をしているため、足裏からはみ出る部位は殆どない。

 攻撃を受ける面積を最小限にし、攻撃を受ける部分にのみ強固なガードをかけたのだ。

 下から襲い掛かる礫の弾丸は、時折足裏にブチ当たるが、波紋ガードを破ることができずに跳ね返される。さすがに全身を足裏に隠すことはできず、礫がかすってキャスターの体に切り傷をつけていくが、正しく掠り傷であり致命傷にはならない。

 

「ぬおおおおおっ!」

 

 とはいえ、傷ついていることは確かであり、攻撃を受けた衝撃で体の軸がずれれば、防御していない部位にモロに攻撃を喰らう。

 常に姿勢を微調整しながら、永い瞬間を耐える。散弾攻撃がやむと、ようやくキャスターは地面に降り立つことができた。

 

「むっ!」

 

 

 だが、降り立ってすぐにキャスターは、自分が地面に流した波紋に乱れを感じた。セッコから再び攻撃が放たれ、衝撃がこちらに向かっているのだ。

 

「だが、二度は通じない!」

 

 キャスターは強く深く、呼吸を行う。そして優しく強い光をまとった拳を、大地に向けて振り下ろした。

 

山吹色の波紋疾走(サンライトイエロー・オーバードライブ)‼」

 

 呼吸法によって生み出された生命エネルギーの波紋は、拳を通して大地に伝達。波は唸りを上げて地面に浸透し、キャスターへと迫る衝撃波とぶつかった。

 

 波と波。二つの波が綺麗に重なり、互いを中和し合う。衝撃波はキャスターにぶつかる前にゆったりと、かき消された。

 

「!?」

 

 優れた聴覚で周囲を把握していたセッコは、自らが放った衝撃波が消えたことに驚愕する。

 

「お、俺の攻撃が、ク、クソ、パクリだっ! パクリやがってあの野郎!」

 

 セッコはキャスターが自分と同じ『波』による攻撃をしてきたことを悟り、怒りに震えて毒づく。

 

(んん……? 同じような攻撃っつうことは)

 

 攻撃――すなわち、防ぐだけではない。それに遅ればせながら気づいたセッコは、

 

「やべえ、オアシ――!」

 

 慌てて拳を振るおうとしたが、その時には既にキャスターの第二波が放たれていた。

 太陽の輝きを帯びたエネルギーが、地中のセッコへと襲い掛かる。

 

 バチィィィィィィッ!!

 

「うげぇぇぇぇぇっ!!」

 

 電撃のように痺れる痛みに、セッコは悲鳴をあげて仰け反る。常人なら気絶してしまう衝撃をくらい、泥の暗殺者は慌てふためいた。

 環境を自分の有利なように作り替え、安全な場所から攻撃を仕掛けて来た彼にとって、『反撃』をくらうなど滅多にないことだった。ゆえに、冷静に対処することができず、思わず肺の中の空気を吐き出してしまった。

 

(やべっ……息がっ……吸わねえとっ)

 

 更なるパニックに憑りつかれたセッコは、逃走を選択してしまう。まっしぐらに地表へと浮かび上がり、空気中に顔を出す。

 

「プハァッ! ヒュウゥゥゥ、ゼェェェッ! ハァッ、ハァッ……」

 

 空気を吸い込んだセッコはようやく落ち着き、自分に醜態をさらさせた憎き敵を睨み付ける。

 

「このクソパクリ野郎がぁっ!」

 

 怒りながらも、また地中に戻ったところで波紋を流し込まれて痺れさせられるだけと、理解はしていた。ゆえにセッコはセイバーとの戦いでしたように、地面を弾力のある状態に変え、トランポリンのように弾み、勢いをつけて跳躍する。

 ただし、その視線はキャスターへ注がれてはいない。目当てはランサーと向かい合っている、セイバーの後ろ姿。

 

(あいつとの相性は悪くねえ! あいつを捕まえて人質にして脅せば……!)

 

 自力での戦いが不利であると理解したセッコは、恥も外聞もなく正面からの戦いを避け、人質を取る策に出た。卑怯卑劣と罵られようと構いはしない。

 自分が勝ち、相手を殺せれば手段などどうでもいいのだから。

 

 だが、キャスターはその行動も既に読んでいた。

 

「んなぁっ!? なぁんだとぉっ!?」

 

 セッコは驚愕する。

 

 セイバーへと跳んでいたはずなのに、真っ直ぐにキャスターへと飛びかかっている自分自身に。

 

 波紋。その効力は多岐に渡る。

 生命磁気の強化。肉体の治癒力、筋力などの増強。

 痛覚などのコントロール。吸着と反発。吸血鬼の破壊。

 

 そして、生物への催眠効果。

 

 先ほど大地に流し込み、セッコに浴びせかけた波紋は攻撃のためのものではない。

 この暗殺者(アサシン)に対し、ある催眠を仕込むことにこそあった。

 

 無論、敵対者を完全にコントロールするほど都合のいいものではない。例えば、自殺するようにしむけるなどといったことは、流石にできない。

 だが、ほんの少し、思っていたのと違う行動を肉体にとらせることはできる。

 行こうと思っていた方向と、違う方向に進ませるという程度のことは。

 

 そしてまんまと、セッコは飛び込んできた。

 応じる準備を完全に済ませたキャスターへと、無防備に。

 

 こちらに迫るセッコに対し、キャスターもまた、力強く跳躍する。

 岩をも割り砕くほどの脚力で高みに跳んだかと思うと、その身を捩じり、独楽(コマ)のように激しくきりもみ回転しながら、足先に波紋の力を集中させる。

 

 一回転ごとに太陽の強い輝きが夜闇に弾け、その激しさは大気を引き裂く!

 

 英霊的スピンと波紋エネルギーが織り成す、人体工学の限界を凌駕した超次元的蹴撃!

 

 標的に向けられた足先に込められた、その驚異的突貫力はまさに!

 

 超ドリリング乱気流の交響曲(シンフォニー)

 

波紋乱渦疾走(トルネーディ・オーバードライブ)――ッ!!」

 

 ドッズゥンッ!!

 

 ドリルのような蹴撃(キック)がセッコの心臓に突き刺さった。回転の破壊力と共に、キャスター全力の波紋が注ぎ込まれ、霊核が撃ち抜かれる。

 分厚い鉄板に弾丸が叩き込まれるような音を響かせ、花火より短く鮮烈な光が閃いた。

 

「がぁっ………!!」

 

 自分の行動に混乱したまま、防御もままならずにまともにキャスターの波紋蹴りをくらい、セッコは自分がどうして敗北するのかも理解できない。ただそのまま、その身をちぎれさせるように消滅したのだった。

 

    ◆

 

 慎二は歯を食いしばり、必死で『影』を操っていた。

 頭上から、雷が叩き付けられてくるのだ。左右に動かしてかわしていくが、おかげで中々近づけない。

 

「くそっ、嬲ってやがる!」

 

 慎二は、アトラムが本気で攻撃していないと見ていた。もっと広範囲に雷を流せば、逃げ場なく自分たちを黒焦げにできるはずだ。

 それをしないのは、向こうが本気を出していない。遊んでいると取るしかなかった。

 

 慎二は屈辱に怒り心頭であったが、アトラムの方は望んで手加減しているわけではない。

 セイバーの令呪を士郎から奪うため、うっかり殺してしまわないようにしているのだ。しかし一気に片を付けない理由はそれだけではない。

 

 警戒しているのだ。

 

(『偽臣の書』の力を借りなければ魔術を使えない、素人以下のマスター。地を滑る刃を足場に使う発想は中々だが、敵ではない)

 

 アトラムは、間桐慎二については敵と見なすほどの評価はしていなかった。衛宮士郎もだ。

 だが傷を負っているとはいえ凄腕の戦闘魔術師であるバゼットと、もう一人の男、パンナコッタ・フーゴに関しては警戒していた。

 

(裏社会の顔つきに違いないが……情報によればあの『パッショーネ』の一員)

 

 世間知らずな、多くの魔術師ならばいざ知らず、現代的な富と権力にも精通しているアトラムにとって、『パッショーネ』の名は重かった。

 危険な新興の超能力者、『スタンド使い』を多数抱え込む、非合法組織。

 

(特に奴に関しては、能力も知れ渡っている)

 

 知れ渡っていると言っても、無論、裏での話だが、それでも珍しいことだった。自分の能力を知られれば、敵に対策をとられるがゆえに、多くのスタンド使いは自分の力を隠している。

 だが、フーゴの場合はあえて能力を隠していない。周囲への脅しのためにだ。

 

(『大量殺戮を引き起こす殺人ウイルス』……ぞっとしない話だ)

 

 どのようなウイルスなのか、どのように感染させるのか。そんな細かい情報はないが、決定的な効果だけは確かな事実として、知られていた。

 圧倒的に凶暴で、獰猛な能力。

 

 ならば近づかせないのが一番だ。外に放っていた使い魔の目で、慎二たちの位置を確認し、相手から見えない位置から雷で攻撃。消耗させ、隙を伺う。あくまで慎重に。

 焦ることは無い。勝利は自分のものだと、アトラムは内心で笑っていた。

 

 アトラム・ガリアスタは多くの魔術師とは異なり、戦いを好む。競い合い、鎬を削る戦いではなく、一方的な勝利を得られる戦いのみを、であるが。

 

 逆に、一方的な敗北を突き付けられようとしている慎二は、必死で考えていた。

 

(とにかく近づけなきゃ話にならない。こちらの戦力はフーゴと僕だが……フーゴの能力は教えてもらっているが、この夜の中では使いづらい)

 

 フーゴの使用する殺人ウイルスは、生物の新陳代謝を破壊し、細胞を死滅させて溶かし、死体も残さずに消し去ることができる。その弱点は光。光に照らされれば殺菌される。

 だが、光がなければ敵味方関係なく襲い掛かり、皆殺しにしてしまう。使い手のフーゴでさえ例外ではない。

 

(単純にスタンドで殴るだけでも強力なはずだが、やはり奴に近づかなきゃならない。僕の影の刃で攻撃はできるか……? いや、悔しいが、魔術戦で勝てるとは思えない。この距離ではジリ貧だ。とにかく近づくには……)

 

 雷撃が飛び出している場所は、建設中の家屋の二階。アトラムの姿は見えないが、外から眺めても視線のとどかない奥の方に潜んでいるのだろう。

 一気に近づく方法がないわけではない。ただ、その場合近づけるのは一人。

 

「衛宮、お前何ができる? 魔術でも護身術とかでもいい。僕が知らない特技か何かあるか」

「え? 魔術は、強化と投影くらいできるけど……どちらも大したもんじゃないぞ」

 

 大したことがあろうがなかろうが、『使える』だけで慎二にとっては狂おしい渇望と嫉妬の対象であったが、それを飲み込む。

 

「投影ね……日用品を数分くらいは投影できるのか?」

「あ、ああ、それはできるけど……」

「そうか……。衛宮、ちょっと命かけてくれるか?」

「わかった。何をすればいいんだ?」

 

 恐れる様子もなく答える士郎がちょっと嫌になるが、贅沢は言ってられないので慎二は答えた。

 即興の作戦を。

 

「……無茶苦茶というか、出鱈目だな」

「うるさい。他に案があるのか?」

「ない。それでいこう」

 

 士郎の了承を得ると、次にフーゴが動いた。スタンド【パープル・ヘイズ】の腕が降り、抱えられていたバゼットが、本体のフーゴの腕に手渡される。

 

「ちょ……」

「すみませんが、我慢してください」

 

 フーゴに横抱きにされて慌てるバゼットに、年若いギャングは冷静になだめる。

 若干、頬を赤らめて黙るバゼットに代わり、【パープル・ヘイズ】の手が次に抱えたのは士郎であった。

 

「変に動くなよ。危ないからな」

 

 士郎にそう言ったのは、誇張でもなんでもない。士郎が身動きして、【パープル・ヘイズ】の手の甲についたカプセルが割れたら、カプセル内部のウイルスがばら撒かれ、この場の全員が死んでしまう。

 言われた通りじっとしていた士郎を、『パープル・ヘイズ』は振りかぶり、

 

『ぐあああるるるる、うばぁっしゃぁぁぁ!!』

 

 投げ放った。

 

「なんだとっ!?」

 

 自分の方に目がけて、ボールのように飛んでくる士郎という冗談のような光景に、アトラムはたじろいだ。

 

(だ、だが、飛んで火にいる夏の虫だ。手首を切り落として、セイバーのマスター権を)

 

 アトラムは身を乗り出し、士郎を捕らえようとした。

 その直後、

 

 ドウンッ!

 

 鈍く鋭い。そんな日本においては聞き慣れない音が、夜の空気を震わせた。

 

「うっ……!」

 

 足に衝撃を受け、アトラムがその場にすっころんだ。

 痛みに顔をしかめ、褐色の肌の魔術師は足を見る。ズボンに突き刺さった、一つまみの異物。

 外の方を見れば、フーゴから渡された拳銃を握る慎二の姿。

 

「ぬかった……! 銃弾など……!」

 

 近代兵器の活用。魔術師という生き物の中では、俗世間に交わることの多い方のアトラムであっても、魔術師同士の戦いで魔術的に強化しているわけでもないただの拳銃を用いると言うのは、予想外であった。

 物理的な魔術防御はしてあったため、銃弾は防がれて傷はない。しかし、全く何も感じないわけではなかったため、足を取られてしまったのだ。

 遠距離攻撃のできるまともな魔術師がいれば、即座にとどめを刺されているだろう失態である。アトラムは屈辱に歯を食いしばりながら立ち上がる。

 

(セイバーのマスターを投げて来たのは、注意をそちらに引きつけるためか……!)

 

 ドタドタという音がした方に顔を向ければ、士郎がアトラム同様に立ち上がりながら睨んでいた。

 先ほどの音は、士郎が二階に投げ込まれて転がったことでたった音だ。

 

(まんまと反応させられ、外から見える位置におびき出されてしまったというのかっ!)

 

 そして、そこを撃たれた。

 外を見れば、もう慎二たちの姿はない。雷撃による邪魔が途絶えた隙に、下の階まで辿り着いたのだろう。じきに二階に上がってくるはずだ。

 

「やってくれる……! だが、貴様から令呪さえ奪えばっ!」

 

 セイバーのマスターとなり、命令を飛ばせば逆転できる。

 

(ガッシュ)――」

 

 死なない程度に――障害が残るかどうかなどの考慮をする気は無論なく――電撃を浴びせかける。

 その行動が成就する前に、

 

 ベコォッ!!

 

 いまだしっかりとした建材が張られていない、二階の床を突き破った手が、アトラムの足首を掴んだ。

 

「っ!! 猛れ(ガッシュアウト)!」

 

 咄嗟に標的を変更し、床に向けて雷光を飛ばす。落雷の破壊力が床を貫いて、向こう側の敵へと向かう。当たったのかは判然としなかったが、足首は解かれた。

 

(小癪な……こうなれば、この場の全員を始末してやる! セイバーを諦めることになるが、まだ奪う相手は残っている! ここは離脱して……)

 

 士郎と慎二を殺し、セイバーとライダーを脱落させることに方針変更を決めたアトラムであったが、彼は既に後手に回っていた。

 

「ヘイッ! こっちを見な、アトラム・ガリアスタ!」

 

 背後から声をかけられ振り向けば、既に慎二が昇ってきていた。

 もはや猶予はないと見たアトラムは、全力で雷撃を振りまくことを決める。地盤が泥化している今、あまり衝撃を与えるとこの建物が崩れる恐れがあるが、威力を落とすつもりはない。

 

「くらえ……」

 

 精神を強く集中し、特大の雷を舞い踊らせようとした瞬間、

 

 パシィッ!

 

 アトラムの手の中の壺がはじかれ、褐色の手の中からこぼれ落ちた。

 

「!?」

「【マイキー・ザ・マイクマン】!」

 

 すかさず慎二がスタンドを繰り出す。小人のようなスタンドと慎二の右手を繋ぐ、コードのような紐が壺に絡みついた。慎二が右腕を引くと、コードも引き戻され、壺を投げ縄のように捕らえて、慎二の手元に運ぶ。

 

「よしっ、いい仕事だったぞ。衛宮」

 

 壺をはじいたのは一条の矢。ただの木製の、競技用の矢。

 アトラムが視線を向けた先には、弓道で扱う弓を構えた、士郎の姿があった。

 

「貴様っ……そんなものどこに隠し持って」

 

 先ほどまでは確かに、士郎の手には何もなかった。

 たった今、この場で造り出したのだ。

 

 士郎が唯一、まともに行うことができる『投影魔術』によって。

 

「そんな質問してる場合か? 魔術礼装のなくなったあんたに、もう勝ち目があるとは思えないがね?」

 

 慎二は周囲に影の刃を走らせながら脅しをかける。

 自動車に乗っている間に、バゼットから聞いたアトラムの戦術への対抗として考えついたのが、この作戦であった。

 

(……コケにしやがって)

 

 アトラムは屈辱に唇を震わせながら、しかし現状が窮地であると認めざるを得なかった。

 雷を操る魔術はアトラムの最強の技だ。もともと、彼が得意とするのは部下の魔術師に協力させて、連携して強力な魔術を創り出すものだ。独力では限界がある。

 それが失われた今、慎二や士郎だけならまだしも、フーゴやバゼットまで階下に控えているとあっては、脱出すらできるかどうか。

 

 一つ、手があるとすれば、まさに彼の手にある――令呪。

 ランサーのものは使い切ってしまったが、アサシンであるセッコの令呪はまだある。今すぐここに呼び出し、士郎がセイバーを同じように令呪で呼び出す前にけりをつければ、勝ち抜けられる。

 

「令呪をもって――!――?――!?」

 

 そしてアトラムは命令を下す言葉を放とうとしたが、自分を追い込んだ敵への怒りと苛立ちの表情が、訝し気なものになり、強い焦りと必死さを表すものとなる。

 彼は気づかなかったが、先ほど掴まれた足首――そこには、幾何学的な紋様が刻まれていたのだ。

 

 その図形の意味するものは『(イーサ)』。ルーン文字の一つである。

 その文字に込められた概念は、アトラムの足首から浸透し、喉を、舌を、凍り付いたように動かなくしていた。

 

「いかんせん本調子ではないので、これが精一杯ですけどね」

 

 カツカツと足を鳴らし、上がって来たのは赤毛の女性。左手を失っているため、若干バランスが悪くなり歩きづらそうであったが、真っ直ぐにアトラムの方に向かってくる。

 

「ですが、十分でしょう。ええ」

 

 その視線は苛烈な怒りに満ちていた。先ほどアトラムが浮かべていた屈辱への怒りなど、これに比べれば風前のろうそくの火にもひとしい。

 不遜な魔術師の表情が哀れなほどに引きつり、彼女の放つ圧力に気圧されて後退する。

 

「……せっかくの再会なのに、そんなゲロ吐きそうなほど怖がらなくてもいいでしょう? 私の方はとても嬉しいと言うのに」

 

 女性の残った右手がギリギリと握りしめられる。そのグローブはルーン魔術の達人である彼女が、酷く直接暴力的なルーンを刻んだ自慢の一品。先ほど天井を突き破ったほどのパワー。

 

「安心してください。とりあえず聞きたいこともあるので、命まではとりません」

 

 大きく振りかぶられ、

 

「……死ねぇっ!!」

 

 二秒前に吐いた台詞とは思い切り矛盾する雄叫びと共に、放たれた。

 

 

 

 アトラム・ガリアスタ――敗北(リタイア)

 

 

 

 

 ……To Be Continued

 



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ACT14:光の系譜

 

 

 機動性に優れた青い衣服をまとった美丈夫が、光となって次第に消えていく。

 騎士王の放つ、至極の一撃にさらされて形が残っているだけで偉業と言っていいが、もはやこの世にとどまることはできない。

 人類史上最高位の槍使いと位置付けても反論はないだろう大英雄は、静かな表情で消滅を待っていた。

 

「……ランサー」

 

 バゼットは、短い時間であったが確かな相棒であった、憧れの英雄の前に立つ。もしも自分がアトラムに令呪を奪われなければと、後悔が胸を刺す。

 だが、沈痛な面持ちの女に、槍騎士は消えかけてなお力強い笑みを浮かべるのだ。

 

「そんな顔するなよ。サーヴァントはマスターを護る者。お前を守れなかった俺の責任だ。それに……中々楽しい戦いもあった。そう悪くも無かったさ」

「……なら、気に病むのはむしろ貴方への侮辱になるでしょうね」

 

 泣きたい気持ちを堪え、凛々しき赤毛の美女は笑顔をつくる。

 

「それでいい。小さいことは忘れて、先に進みな。それが生きている者の特権だぜ」

 

 ランサーは安堵したように目を瞑り、ついに影一つ残すことなく、消え去った。

 光の神ルーの子。光の御子クー・フーリンは光となって座に還った。

 所詮サーヴァントは現世においては客人に過ぎない。立つ鳥であるからには、跡を残すことはできない――ただ、人の心の中を除いて。

 

「忘れられるほど、小さい男ではなかったですよ。さよならです……ランサー」

 

 今少し、感傷にふけっていたくもあったが、あまり待たせておくのも忍びない。

 バゼットは後ろを振り向き、

 

「さて……どうしてくれましょうか」

 

 縛り上げられたアトラム・ガリアスタの、真っ赤に腫れあがった顔を睨み付けた。

 

   ◆

 

 暗殺者と槍騎士を失い、マスターではなくなったアトラムは、意識を取り戻したとき既に縛り上げられていた。魔術師にとって四肢を拘束されることくらいは、大した束縛ではない。舌が回れば呪文を紡ぎ、脱出することができる。

 しかし、人間よりも格上の存在である英霊が目を光らせている中、下手の行動は無意味だ。

 

「…………」

 

 屈辱に身を焼かれながらも、必死で自己を抑制し冷静であろうとしている。

 

 慎二の方は、意地を張るアトラムに多少共感を抱いていた。あの拳をくらってなお、態度をとりつくろえるのは大したものだ。

 バゼットの殴りっぷりを見た時は正直死んだと思った。首がちょっとヤバイ角度に捻じれていて、手先だけがヒクヒクと震え、呼吸は既になかったかもしれない。すぐにキャスターが波紋で治療していなければ、実際あの世行きだったと思っている。

 

「……しばらく足腰立たないくらいに殴り倒して病院送りにするとか、すべきなんだろうけれど、ある仕事をしてくれたらこれ以上痛めつけることなく、解放してやる。どうだ?」

「…………聞くだけ聞こうか」

 

 憎らし気に睨みながらも、アトラムは耳を傾ける。

 

「僕の師匠……ロード・エルメロイⅡ世を助けてほしい」

「何?」

 

 思わぬ名を聞いたアトラムは、思わず声を漏らした。

 

「師匠だと? 貴様が、あのロードの弟子? 魔術を使えない者を弟子になど、まさか……いや、彼ならば在り得るか?」

 

 エルメロイ教室には、魔術的な才能に満ち溢れているが、同時に問題も満ち溢れた生徒が集まっている。他の魔術師たちが手に負えなくなった生徒を押し付けてくるためだ。

 色物揃いと評判の教室の中、どんな奴がいてもおかしくないと、アトラムは納得したようだった。

 

「……『彼』? ひょっとして教授と親しいのか?」

 

 アトラムの口ぶりから、慎二はエルメロイⅡ世と近い関係にあるものと感じ取る。

 この男は非情であり、他者の命を使い捨てることも平然となすタイプだ。善悪で言えば考えるまでもなく悪党である。慎二の知人が知れば、有無を言わさず殴り倒すことだろう。

 だが魔術師とは善悪を踏み越えたところに立つ者。教授とて決して正義の味方ではない。自分の『領域』に手を出されない限りは、見過ごすこともある。

 知人の一人である漫画家が、取材しているうちに何かしら悪事を犯した者を見つけても、積極的に『動かない』ように。

 だから、エルメロイⅡ世とアトラムが友人であってもおかしくはない。

 

「まあ、中々話せる男だとは認めているよ。しかし助けだと? どうしたっていうんだ?」

「教授は今、執行部に狙われている。時計塔の法政科が聖杯戦争の中で起こった聖堂教会への襲撃……それを教授のせいにしてことをおさめるために。教授は、この法政科の行動が強引すぎるため、何か裏があると見て、自分を犯人と決めた相手がいるアメリカに向かった」

 

 簡単に事情を説明すると、アトラムは得心がいったようで、嫌な微笑みを浮かべた。

 

「なるほど……私に弁護しろと」

「ああ。聖堂教会を襲ったのは消去法で考えて、さっき路上で僕らを襲ってきた女だろ? ソラウとかいう」

 

 この聖杯戦争に関わるマスターは、慎二、士郎、凛、舞弥、イリヤスフィール、バゼット、アトラムの七人。あのソラウはなぜだかサーヴァントを使役しているが、正規のマスターはこの七人だ。だが、少なくともアトラム以外の六人は、聖堂教会の影響力を邪魔に思うほどの無茶はやらかしていないことを慎二は知っている。

 

「あんたが聖堂教会を焼いた可能性もなくはないが……あんたの戦術は安全圏から一方的な蹂躙を好んでいた。聖堂教会を敵に回すほどのリスクを背負うほど、イカレてるとも思えない」

「フン……まあ正解だよ。聖堂教会を襲い、神父を殺したのはあの女だ。わかっているだろうが、彼女は死徒だ。イレギュラーな手法で非正規サーヴァントを従えているが、魔力は普通に必要となる。だから民間人を殺し、血をすすり、魔力を補充している。それがばれたら、討伐対象になるのは間違いない」

「だから事前に、敵になるものを始末したわけか」

 

 聖堂教会にとって死徒は絶対的な抹殺対象である。見つけ次第殺さなくてはならない相手だ。

 聖堂教会の在り方においても、聖杯戦争の規則においても、排除すべき存在がソラウ・ヌァザレ・ソフィアリというイレギュラーだ。

 

「よくもまあ、そんなものと組んだものだな」

「組んだと言ってもそこまで濃密なものじゃない。不戦と情報提供くらいのものだ。コンビを組んで敵を襲うほどじゃない。路上で襲われたと言っていたが、別に私が頼んだわけじゃない。横合いから不意打ちするのに都合がいいと見ただけだろう」

 

 救援にいかねばならないという焦りを持った慎二や舞弥たちを、精神的に余裕がない、脆い敵と見なしたのだろう。ソラウの狙いは外れ、彼らは冷静に二手に分かれる行動をとったわけだが。

 

「教授をはめたと思われる人物について、知っていることは?」

「そちらは何も聞いていないな。さっきも言ったように、互いに争わないという程度の関係だ。向こうがどういうつもりで、どのように動いているかは知らないね」

 

 親密な関係でないことを強調し、責任をとらなくてはならないような立場にはないと言いたいらしい。

 

「けれど組んだことには変わりない。下手すれば、聖堂教会から敵対認識されるかもしれないなぁ。ここは、そうじゃないことを示すべきじゃないのか?」

「そう来るか……ソラウたちを売ることで安泰を図れと」

「うまくやれば、教授に恩を売ったと認識させることもできる。何より、今ここで顔面を破壊されることから免れるんだ。悪い取引じゃないと思うぜ?」

 

 アトラムの視線が慎二の背後に立つ、赤毛の女の右拳に注がれ、すぐに逸らされる。その顔からは血の気が引き、頬はズキズキと痛みを増していた。

 

「……わかった。だからその女をけしかけるのだけはやめてくれ」

「約束しよう。フーゴ、一番早いロンドン行きの飛行機を頼む」

 

 フーゴは無言で頷くと携帯を取り出し、通話先の誰かに指示を飛ばす。

 

「いや、アメリカ行きにしてくれ。裏があるということなら、ロード・エルメロイの無実を証明したところで執行部や法政科は止まっても、黒幕は止まるまい。無実は証明されたが、ロード・エルメロイは黒幕に殺されました、では話にならないだろう? 時計塔には訴えを送るだけにして、私自身は直接ロードを助けに行った方が良いだろう」

「一理あるが……アメリカのどこに教授がいるかは知らされてないぞ?」

「時計塔に訴えを送るついでに、誰がロードを犯人扱いしたのかも聞いておく。それに私の諜報力もそう馬鹿にしたものじゃない……。教授の行き先くらいは飛行機に乗るまでには調べられるさ」

 

 安全圏にいるよりも、体を張って助けた方が、エルメロイⅡ世や聖堂教会に与える印象は良いものになるだろうと考えているのだろう。

 慎二としてもそこまで言うのなら、強硬に反対する気はない。エルメロイⅡ世を助けてくれるのなら、文句はないのだ。

 

「……バゼット」

「いいでしょう。私は貴方たちに助けられた恩がある。少々の怒りは呑み込みます」

 

 アトラムへの復讐は、先ほどの一撃で終わったことにすると、マクレミッツ家の女魔術師も頷いてくれた。

 

「衛宮」

「ああ、俺も無事だったから、とやかくは言わないよ」

 

 直接襲われた士郎の同意も得て、アトラムは条件付き釈放となった。

 

「そういうことだ。頼むぞ」

「……本当に頼んでいいのか? このまま逃げるかもしれないが」

「あり得る話だな。けど、裏切りを止める手段を僕らは持っていない。だからまあ……信頼するしかないだろう」

 

 裏切りのリスクはあるが、そのリスクを回避することはできない。セルフギアス・スクロールのような便利な契約書の用意もない。

 なら、リスクは甘んじて受け入れるしかない。慎二はそう覚悟したのだ。

 

「フン……なるほど。弟子か。師匠同様、悪くない取引をしてくれる。頼まれてやるとしよう」

 

 魔術を使えない、魔術師の弟子。

 しかし確かに、間桐慎二はロード・エルメロイⅡ世の系譜に連なる者だと、アトラムは認めた。身を斬る覚悟がある。傷つく誠意がある。危険を冒す勇気がある。

 

 一方的に上から押し付けてくる命令なら、隙を突いて反攻したくもなるが、上下なく対等な交渉をしてくれるなら、アトラムも少しは手を貸してやる気になる。勿論、貸した分は、いずれ返してもらうつもりだが。

 

(エルメロイⅡ世の弟子。エルメロイⅡ世の系譜。時計塔の勢力図を書き換え得るもの。どいつもこいつも……苛立たしくも、中々やる奴らだ)

 

 そして十分後、アトラムはフーゴの手配したタクシーに乗り、空港へと向かった。朝一番の飛行機でアメリカへ飛ぶために。

 

   ◆

 

 アトラムを見送った慎二は、聖杯戦争からは脱落したもう一人の魔術師、バゼット・フラガ・マクレミッツに視線を向ける。瀕死の状態からやっと回復したばかりだというのに、アトラムに洗練された拳を捻り込んだ女だ。

 戦場に立ったことでむしろ調子を取り戻してきているらしく、もう体調はほとんど万全と思われた。

 

「あんたはどうする? ついでに飛行機の座席を用意してもらうか?」

 

 自分が手配するわけでもないのに、勝手なことを言う慎二。対してバゼットは慎二とフーゴへ交互に視線を向け、

 

「アトラムが拠点に使っていた工房に、まだ私の腕があるということなので、まずはそれを取りに行きます。ルーン魔術を使えばくっつけられるでしょう」

 

 先ほど、アトラムから聞き出した情報。

 折角手に入れた封印指定級の魔術師の腕。何かの実験に使えるかもしれないと思い、保存しておいたそうだ。

 アトラムの工房は、今頃連絡を受けたアトラムの部下が片付けていることだろうが、バゼットの腕は残しておくと言っていた。この期に及んで、無駄にバゼットの恨みを買うことはないだろうから、信じていい。

 

「その後は……そうですね。貴方たちに協力させてもらいます」

「何?」

 

 慎二が目を丸くする。戦闘に長けた凄腕の魔術師が、手を貸してくれるというのだ。願っても無い事であるが、美味しい話すぎてすぐには飛びつけない。

 

「なんでまた……」

「恩を返すだけです。フーゴには命と一宿一飯の恩がある。アトラムへの報復や、腕の奪還も貴方たちのおかげです。借りっぱなしというのは良くないですからね」

 

 ゆえに返すと、バゼットは言う。魔術師というよりは騎士のような女だと、慎二は思った。

 

「……ま、そういうことなら当てにさせてもらう。いいよな、フーゴ」

「人材はいくらでも欲しいからな。ホテルの部屋はそのままにしておくから使ってくれ。ただ……食事はほどほどに」

 

 一飯どころの量ではなかったとぼやくフーゴにバゼットは、体が回復のための栄養を必要としていただけですと、頬を赤らめながら言い訳した。

 

「では、日が昇る前に済ませておきます。また後で」

 

 力強い足取りで、バゼットはその場を後にした。またタクシーを呼ぼうかというフーゴの提案に、リハビリのために歩いていくと断って。

 正直リハビリは必要ないと思いながら、慎二はバゼットの雄々しい背中を見送った。

 

   ◆

 

「どうやら、無事に終わったようですね」

 

 そんな言葉と共に夜空から、紫の長い髪をなびかせる美女が降って来た。

 

「あ」

「あ、って何です? さては忘れてましたね?」

「……そんなことはないぞ。遅かったじゃないか。敵はどうなった?」

 

 やや逸らされた視線に、感情のこもらない口調。誰が見たところで、慎二がライダーたちの方を忘れていたのだと容易に気づくことができた。

 ライダーは一つため息をついたものの、それ以上追究しても面倒なので話を進める。

 

「あちらの方はですね……」

 

   ◆

 

 黒い幽霊のようなスタンドと拳を合わせ、ライダーはその厄介さに舌打ちした。

 

(すり抜けてくる……。まったく単純で、だからこそ対処し難い能力ですね)

 

 ガード無効。拳が防御を透過し、ライダーに叩き付けられる。その威力はかなりのもので、空条承太郎の【星の白金(スター・プラチナ)】にも匹敵した。

 そのうえこちらの攻撃は通り抜け、魔眼も意味をなさなかった。射程距離も長く、本体であるソラウから十メートル以上離れても活動できるタイプで、ソラウの方を狙っても回り込まれて防がれてしまう。

 

(しかし、サーヴァントを相手にするには決定力に欠ける。【星の白金(スター・プラチナ)】のように時を止められて無防備な状態で攻撃を受けない限り、やすやすと霊核を攻撃されはしない)

 

遠隔操作の恋(リモート・ロマンス)】の攻撃手段は、あくまで拳をはじめとした肉体のみであり、飛び道具や武器は持っていない。

 ソラウの方も同様で、魔術にしてもサーヴァントに通用するものは会得していない。

 

(こちらの攻撃は効かない。あちらの攻撃は通用するにしても、避けられないわけではない)

 

 いっそ宝具を使用するかという考えが脳裏をかすめる。ライダーの宝具は、ライダー自身よりも速度がある。スタンドでも護り切れない速度で突っ切り、ソラウを撃破することは可能だ。

 

(しかし、サーヴァントでもない相手に切り札を使っていいものか……)

 

 七体のサーヴァントは全て出そろっている。マスターもわかっている。

 にもかかわらず、他にも何体ものサーヴァントが存在し、暗躍している。

 この異常の鍵となるのは、おそらくこのソラウに違いない。彼女をここで仕留めることは、大きな意味があるだろう。だが、彼女の背後関係もわからぬまま倒してよいものか。

 

(この女に仲間がいれば、この女を殺したところでサーヴァントは止まらない。みすみす、手札を晒すことになる)

 

 情報を漏らすことへの危険が、ライダーを気後れさせる。

 ライダーは高い戦闘力を誇るが、戦士ではない。戦いを学んだこともなく、戦況において自身で判断をくだすという機会を持ったこともなかった。

 そのため、手札の切り時というものを見定め、決断することに慣れていない。これが重荷を背負わぬ身軽な身であれば、適当な判断を下して行動できただろう。しかし、今のライダーは共に戦う『主人(マスター)』が存在する。

 慎二の意にそぐわぬ行動をとりかねないことへの抵抗は、彼女自身が思っているよりも強く、彼女の自由を鈍らせていた。

 

(情けないことです……)

 

 ライダーは苛立ちながらも、家族以外の誰かと触れ合っている今の自分の在り様が、嫌ではなかった。

 

(今は機を待ちますか)

 

 もとより、自分の役目は慎二たちを救援に向かわせるために、敵を引き付けておくこと。倒す必要はない。

 慎二のことは心配ないわけではないが、

 

(彼は欠点だらけの人間ですが、思いのほか、やる(・・)男です)

 

 そう信じ、目の前の相手に集中する。

 

 自分だけの力で敵わぬことがあっても、焦ることはない。彼女は一人で戦っているのではないのだから。

 

   ◆

 

 もう一組の戦いはより激しく展開していた。

 アスファルトを凶悪なスパイクで穴だらけにしながら、怪物自動車が走る。

 

 タロット、大アルカナの10番。

 正位置においての意味は、転換点、幸運の到来、変化、定められた運命、結束。

 逆位置においての意味は、情勢の急激な悪化、別離、不幸の到来、解放。

 

『運命の車輪』の暗示を持つスタンド、【運命車輪・鋼鉄餓獣(ホウィール・オブ・フォーチュン)】。

 

 その右を並走するオートバイから、人型が浮かび上がり右手を振り上げる。

 

「【ザ・ハンド】‼」

 

 存在するものの一切をこの世から消し去る手。強度や材質にかかわらず、この手にかかれば使い手である億泰自身にもわからぬ、どこか彼方へと消えるのだ。

 だが、その攻撃を自動車は巨体に見合わぬ動きでかわす。すると、空振りして削り取った空間を埋めるために、自然の作用として億泰たちの乗るオートバイが引き寄せられて移動させられる。また【運命車輪・鋼鉄餓獣(ホウィール・オブ・フォーチュン)】との距離が詰まる。

 これではイタチごっこだ。

 

 だがそれも舞弥の冷静で正確な運転技術あってこそだ。

 並列して走っているこの状況を崩さずにいられるからこそ、何とか戦えている。背後に回られたら、速度を上げて潰されるか、ガソリン弾で狙い撃ちにされるか、防戦一方になってしまう。

 

(こちらの機動力は把握されたと見ていいでしょうからね)

 

 パワーはオートバイよりスタンド自動車の方が上。スピードでもあちらの方が少し上だろう。機敏さではこちらが上回っていると思うが。

 

「奴に後ろに回られたら、こちらが一方的に不利」

 

 それがこの戦いの基本。

 

「ち……せこいことしやがるねぇっ! ゴキブリみてーにチョコマカとよー!」

 

 ズィー・ズィーも当然それはわかっている。だから、そうなるように行動する。

 

「くらいなぁっ!」

 

運命車輪・鋼鉄餓獣(ホウィール・オブ・フォーチュン)】が跳ねた。

 普通の自動車では出来っこない行動。高低差の無い道路で、高くジャンプしてのけたのだ。位置は、オートバイの真上。そして上空で最大限に車体を膨らませる。車体の大きさを制限はあるがコントロールできる能力によるものだ。

 これにより、瞬間移動でもギリギリかわすことができなくなってしまった。

 

「来るぜっ!」

「わかっています!」

 

 オートバイに影が落ちる。すぐに、影の主もオートバイに落下し、押し潰しにかかるだろう。

 仕方なく、舞弥はオートバイの速度を最高にする。風を切ってその場を駆け抜けた直後、道路が砕けるほど重い音がすぐ後ろで響いた。

 

「よく切り抜けたな! だが後ろにつけたぜ!」

 

 落下攻撃からは逃げられたが、それは死の運命をわずかに伸ばしたに過ぎない。

 ズィー・ズィーは舌なめずりして笑う。

 

「ぶっ潰れなぁっ!」

 

 勝利を確信したズィー・ズィーが、真っ直ぐに突進を仕掛ける。

 そのままなら撥ね飛ばしてズタズタにするか、轢き潰して道路の染みにする。

 車体を跳び越えてかわそうとするなら、ガソリン弾を発射して蜂の巣にする。

 いずれにせよ、この距離ならば逃れようはない。【ザ・ハンド】を繰り出したとしても、一振りで抉り取れるのは装甲どまり。勢いのついた車体を止めることはでいないだろう。

 

 だが舞弥はいつもと変わらぬクールな表情のまま、ハンドルを握り締める。そしてオートバイの速度を、

 

「フッ!」

 

 上げずに、思い切り倒れ込んだ。

 

「あぁ!?」

 

 ズィー・ズィーが目の前で転倒した獲物に、疑問符のついた声をあげる。今までどれほど攻撃を仕掛けてもゆらがなかった運転技術が、ここで急に乱れたことに、喜ぶより先に疑念がわく。

 

「どらぁっ‼」

 

 そしてその疑念は正しく、彼らは倒れ込むだけでは終わらなかった。

 まず倒れて一瞬宙に浮いたオートバイは、【ザ・ハンド】に強く蹴りつけられ、【運命車輪・鋼鉄餓獣(ホウィール・オブ・フォーチュン)】のフロントガラスに向かって飛んでいく。

 叩きつけられたオートバイは、衝撃でガソリンに火がつき、小さいながらも強い爆発を起こした。巻き上がる炎が車体の前半分を覆い、ズィー・ズィーの視界が塞がれる。ガラスを割るような力はなかったものの、その衝突に驚いたズィー・ズィーは、彼自身の分身である怪物自動車を思わず停止させてしまった。

 

「くそっ! 小細工を!」

 

 ズィー・ズィーがワイパーを動かし、火のついたガソリンをこそぎ取って視界を開く。そして再び走り出す。しかし、フロントガラスの向こう側の光景に、億泰と舞弥の姿が無い。

 

「ど、どこに隠れたっ!」

 

運命車輪・鋼鉄餓獣(ホウィール・オブ・フォーチュン)】の進路方向から外れたのかと、ズィー・ズィーは左右に視線を向ける。しかし、二人を探していたズィー・ズィーに思わぬ衝撃が走った。

 彼の体が、否、車体全てが上方向へと跳ねあがったのだ。

 

「こいつはっ! まさかあいつらっ!」

 

 空中に舞い上がった車体。その真下から、億泰のスタンド【ザ・ハンド】が高々と腕を突き上げて立っていた。

 

   ◆

 

 オートバイを犠牲にしてわずかに稼いだ時間を、億泰は無駄にしなかった。

 

 宙に浮いた二人の体をスタンドによって受け止め、安全に着地すると、億泰はただちに次の仕事にかかる。

【ザ・ハンド】の右手が道路に向かって繰り出され、深くえぐり込む。寝そべれば億泰と舞弥が嵌り込むことができるような穴を掘るのに、使用した時間はほんの三秒。それでも大分ギリギリであったが、彼らは穴に体を投げ込むように隠れた。

 そして【運命車輪・鋼鉄餓獣(ホウィール・オブ・フォーチュン)】が自分たちの真上を通るのを待ち、そして通った瞬間に拳を叩き込んだのだ。

 ハリネズミしかり、クワガタムシしかり、頑丈な装甲を持ったものは、腹の下は案外弱いもの。無防備な車体の裏側を襲われた怪物自動車は、思っていた以上にあっけなく吹き飛ばされ、そして屋根を下にして墜落した。

 

「ウゲェッ!」

 

 ひっくり返ったこと自体はダメージではない。物質と融合したタイプのスタンドであるため、一時的に車体がひしゃげ、ガラスが割れたが、すぐに再生させられる。問題はスタンドとはいえ自動車を基盤とした【運命車輪・鋼鉄餓獣(ホウィール・オブ・フォーチュン)】は、当然のように車輪が地面に接していないと移動できないということ。

 もちろん普通の自動車と違い、無理矢理に身をよじり動くことも可能だが、

 

「【ザ・ハンド】ォッ!!」

 

 一手、出遅れた。

 

 すぐさま立ち上がった億泰のスタンドが、空間を削り取る。すると、その空間の虚無を埋めるために、周囲の物体が強制的に移動させられる。

 割れたガラスを更に砕き散らしながら、運転席にいたズィー・ズィーを引きずり出した。

 

 ただ自動車の腹を一度削り取るだけでは、深いダメージにはならない。あえてひっくり返したのは、こうして本命を引っこ抜くためだ。

 そう。これが舞弥と億泰の作戦。

 

『背後に回られたら負ける』――という状況に見せかけて、あえて背後に回らせて、敵に勝利を確信させる。

 勝利を確信したとき、最も身も心も油断する。それが、二人の勝利の筋道だった。

 

「うぉぉぉぉっ!?」

 

 はっきりと車内が見えなかったため、億泰たちがズィー・ズィーの姿をはっきり見たのは、これが初めてであった。

 

「なんだオイ。バランスの悪い奴だなぁ」

 

 億泰が思わず口にしてしまったのも無理はない。

 ズィー・ズィーの体型は、両腕は重量上げの選手のように鍛えられた太く逞しいものであるのに、胴体や脚といった腕以外の肉体は痩せており、いかにもアンバランスだった。

 

「ま、いいや。くらいなっ!」

「ヒッ!」

 

 たとえ物理的な攻撃は無効化するサーヴァントであろうと、スタンド能力は通用する。ましてや防御力に関係なく万物を削り取る、【ザ・ハンド】の右手だ。ズィー・ズィーに対抗手段はなかった。

 

 ガオンッとスタンドの右手がズィー・ズィーに振り下ろされる。

 だが、それがズィー・ズィーの脳を消滅させることはなかった。

 

【ザ・ハンド】の右手が繰り出されるより一瞬早く、ズィー・ズィーの襟元を掴んで引きずり上げた者がいた。その者はズィー・ズィーを掴んだまま高く跳躍する。

 

「ッ! ソラウっ!」

 

 億泰の後ろに控えていた舞弥が、ズィー・ズィーを救った者の顔を見て反射的に銃撃を行う。魔術による自動誘導の弾丸はソラウへ迫るが、彼女はその人間を遥かに上回る視力を持って弾丸を睨み、

 

「……『空裂眼刺驚(スペースリパー・スティンギーアイズ)』」

 

 その眼から圧縮された体液を発射。視線を向けた位置へ正確に飛ぶ、水流カッターが魔弾を迎撃した。

 

「使えない男ね。けど、こいつの能力は乗り物として有用だから、まだとっておきたいのよね」

 

 呟いて、ソラウは獣じみた脚力で道路を横断し、夜の闇に消えていった。

 魔術で肉体強化も施しているのだろう。石仮面の吸血鬼と比べても、その身体能力は相当なものだった。

 

「逃げやがったか。くっそぉ~~」

「あくまで彼女たちの目的は時間稼ぎ。自分の陣営に損害を出してまで、続行するようなことではなかったということでしょう」

 

 悔しがる億泰と、冷静に状況を推察する舞弥。そこにソラウのスタンドと戦っていたライダーが駆け寄る。

 

「すみません。ソラウをそちらに向かわせてしまいました」

「いえ、こちらに負傷はなく、相手の手の内も知れた。痛み分けというところでしょう。それより士郎を助けに行きませんと」

「おっと、そうだったぜ!」

 

 しかしオートバイは爆発四散。代わりに使えるようなものを、と周囲を見回すと、ズィー・ズィーが放置していった怪物自動車――の、なれの果てがひっくり返ったまま転がっていた。

 

 怪物自動車の正体は、中古ショップでも捨て値で売られているようなオンボロであった。ペンキも剥がれてあちらこちらに地肌が見えて、錆さえ浮いている軽自動車である。それにスタンドパワーを被せて、巨大な自動車に変化させていたのだ。

 とりあえずもう一度ひっくり返し、正しい格好にして動かしてみると、一応エンジンはかかるし、ガソリンも入っていた。

 

「……徒歩よりマシでしょうから、これで行きます」

「恥ずかしいなオイ……」

 

 愚痴る億泰だったが、それ以外の手段と言ったら、通りがかる自動車を強奪するくらいしかない。

 仕方なく二人はオンボロ軽自動車に乗り込み、ライダーは先に走って士郎たちのところに向かうこととなった。

 

   ◆

 

「どうやら無事のようですね」

 

 ライダーがソラウたちとの戦いの顛末を説明し終えたとほぼ同時に、舞弥たちがオンボロ自動車に乗って到着した。

 

「……よくもまあ途中でエンストしなかったな」

 

 実物を見て、慎二は呆れた声を出す。いくらスタンドで強化できるからって、これはない。ゴミ捨て場で拾ってきたのではなかろうか。

 

「私たちの自動車は……」

 

 舞弥は尋ねようとして、燃え散った残骸を見つけ、顔に手を当ててため息をつく。

 

「一応、まだ使えそうな装備は拾っておいたよ」

「気が利きますねキャスター。ありがとうございます」

 

 キャスターに差し出された銃や魔術礼装を見て礼を言うものの、やはり大半は失われてしまっている。出費は痛かった。

 

「しかし士郎が助かったのだから、良しとしましょう。それで、士郎。やはり手を引く気はないのでしょうね」

「……ああ。俺はやめない」

 

 一歩助けが遅ければ死んでいたというのに、士郎の意志は何も変わりはしなかった。

 

「では一つ吉報があります。正確には、吉報にするように努力してほしい報告、でしょうか」

「おっ、そうだった」

 

 そこで士郎は、億泰の口からアインツベルン城への招待の話を聞く。

 もちろん士郎は二つ返事で頷いた。

 

「マスター……罠の可能性が」

「それは多分大丈夫だろうぜ。あの強力なバーサーカーを従えていることを思えば、罠なんて使うまでもないだろうからさ」

 

 セイバーの懸念を、慎二が払拭する。もともとイリヤスフィールはそういった絡め手を使うような性格とは思えない。正面から叩き潰す自信家であり、それだけの力を持っている。

 

「もっとも、話し合いが上手くいかなければ、その場で戦闘ってこともありえるがな」

「ああ。けど、爺さんの娘なんだ。行かないわけにはいかない」

 

 その決意は固いようだった。慎二はそれ以上口を差し挟まない。これは聖杯戦争の問題でさえない。

 ただの衛宮家の家庭事情だ。

 

(ただでさえ、間桐の家庭事情を抱えてるんだ。他人さまの方まで首を突っ込んでいられるか)

 

 ただ気になることがあるとすれば、

 

(アーチャー……)

 

 素知らぬ風を装っているが、聞き耳を立てていることは感じ取れた。表情は変わっていないが、気にしている。これでも多くの人間と会ってきた慎二には、その程度のことはわかった。

 

(そもそも、あいつはそんなに感情隠すのが得意じゃないからな)

 

 その行動。その在り方。似ても似つかないように見えて――理屈ではなく感じ取れてしまうものがある。

 

(やっぱり、衛宮、なんだろうな)

 

 なぜ、どうして、英霊として召喚されているのか。そして、過去の自分に対して向ける敵意ときては、なんとも明るい事情が想像できない。

 英雄なんてのは、悲劇に見舞われているものと、相場が決まっているのだから。

 

(どうするか。何か、するべきなのか……?)

 

 家庭事情以上に面倒そうなものを知ってしまった慎二は、思い悩みながらなんとなしに周りを眺め、ふと気づく。

 

(フーゴ?)

 

 慎二の頼もしい(金銭面で特に)協力者であるパンナコッタ・フーゴが、鋭い目で士郎を睨み付けていた。好ましいもののない、敵対とまではいかないにしても、酷く不愉快そうな顔つきで。

 

   ◆

 

「ふぁっふぁっふぁっふぁ……我が孫は、本当に頑張っておるのぉ」

 

 魔蟲を介して一連の動きを監視していた妖翁が、温かみの欠片もない声をあげていた。

 

「これで、ついに正規のサーヴァントが落ちたわけじゃ」

 

 アサシン――チョコラータとセッコ。

 ランサー――クー・フーリン。

 7体のサーヴァントのうちの、二体が消滅した。

 

「残る五体。そして、儂らが召喚した、【世界王の刺客(ディオズ・サーヴァント)】も……残り五体」

 

 ディオズ・ランサー――グレーフライ。

 ディオズ・アーチャー――アラビアファッツ。

 

 アインツベルン陣営の情報収集に赴いたグレーフライから連絡が途絶えた後、アラビアファッツを向かわせて、ようやくアインツベルン陣営のサーヴァント――バーサーカーの情報を手に入れることができた。

 情報を伝えることには成功したものの、アラビアファッツ自身は追いつかれて倒されてしまったが。

 

「情報収集だけで二体も失うとは。流石は……と言うべきであろうかな」

 

 しかし情報収集はもう十分。活発に動き出してもいい頃合いだ。

 ディオズ・サーヴァントをどうぶつけるか。五体一斉にかかれば、正規サーヴァントであっても十分仕留められるだろう。だが、一体や二体はやられるかもしれない。

世界王名簿(ディオズ・リスト)】の召喚限界は、七人まで。既に限界であり、これ以上はまともなやり方では召喚できない。それでは最後まで勝ち残れない。

 

「盤上は面倒なことに、セイバー、キャスター、アーチャー、ライダー……四陣営が顔見知りで仲良しこよし。しかもバーサーカーを要するアインツベルン陣営とまで友好を結びかねない」

 

 キャスター陣営はセイバー陣営の完全な味方。遠坂凛と間桐慎二は戦う意欲はあるが、イレギュラーである謎のサーヴァント、すなわちディオズ・サーヴァントの正体を掴むことを優先して動いている。

 

「全陣営が組んで、我らを先に仕留めるという方針になることも、十分あり得るのぉ……」

 

 ディオズ・サーヴァントの所有権はソラウに渡してある。魔力と戦闘力はある彼女だが、戦術的に上手く立ち回れるかといえば、疑問が残る。そもそもディオズ・サーヴァントは誰も彼も協調性がない。チームワークなど期待できない。

 

「更なる戦力が……望まれるのぉ」

 

 

 

 ……To Be Continued

 



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サーヴァントステータス2

【CLASS】アサシン

【マスター】アトラム・ガリアスタ

【真名】チョコラータ

【属性】混沌・悪

【性別】男性

【ステータス】筋力D 耐久D 敏捷D 魔力C 幸運B 宝具EX

【クラス別能力】

・気配遮断:B+

 サーヴァントとしての気配を絶つ。身に着けた医術を利用し、自分自身を解体して狭い場所に潜むことができる。

 

【保有スキル】

・医術:A

 人間の肉体を治療するスキル。人体を知り尽くしており、どこならば切り裂かれても死なないか、逆にどこを傷つければ致命傷を負わせられるか、理解している。

 

【宝具】

生命侵食・失墜深緑(グリーン・デイ)

ランク:EX 種別:スタンド宝具 レンジ:1~1000 最大捕捉:1~1000人

 

【原作ステータス】

破壊力A スピードC 射程距離A 持続力A 精密動作性E 成長性A

 

 生物を腐らせるカビを操るスタンド。カビが付着した生物が低い位置に降りた時、カビは成長して生物の体を蝕む。カビは生物の死体から次々に繁殖して射程距離を広げるため、死体が死体をつくり無限に広がっていく。

 

泥へと投げる角砂糖(コーリング・セッコ)

ランク:B 種別:対人宝具 レンジ:2~4 最大捕捉:1人

 

 サーヴァント・セッコを特殊召喚する。召喚されたセッコはそのまま独立したサーヴァントとして現世にとどまり、チョコラータが消滅してもセッコに影響は無い。また、あくまで召喚するだけであり、セッコを支配できるわけではない。

 

   ◆

 

【CLASS】アサシン

【マスター】アトラム・ガリアスタ

【真名】セッコ

【属性】混沌・悪

【性別】男性

【ステータス】筋力C 耐久C 敏捷B 魔力E 幸運D 宝具EX

【クラス別能力】

・気配遮断:B

 サーヴァントとしての気配を絶つ。泥化した地面の下で、気づかれることなく行動できる。

 

【保有スキル】

・聴力:C

 純粋な耳の良さ。視力が役立たない地下であっても、耳で微かな音も聞きつけ、敵の位置を確認できる。

 

・武器改造:B

 身近な物体を、他者を傷つける道具として利用する技術。触れた物体にサーヴァントにも通用する力を付与する。

 

【宝具】

心乾きし泥の海(オアシス)

ランク:EX 種別:スタンド宝具 レンジ:1 最大捕捉:1人

 

【原作ステータス】

破壊力A スピードA 射程距離B 持続力A 精密動作性E 成長性C

 

 本体がまとっている近距離パワー型のスタンド。触れた物を泥化する能力を持つ。

 

   ◆

 

【クラス】ディオズ・ライダー

【マスター】ソラウ・ヌァザレ・ソフィアリ

【真名】ズィー・ズィー

【性別】男性

【属性】中立・悪

【ステータス】筋力D 耐久E 敏捷E 魔力C 幸運E 宝具EX

【クラス別能力】

・対魔力:C

 魔術詠唱が二節以下のものを無効化する。

 大魔術・儀礼呪法など、大掛かりな魔術は防げない。

 

・乗騎:C

 乗騎の才能。機械の乗り物であれば、スタンド能力を使わずとも乗りこなせる。

 

【保有スキル】

・単独行動:C

 マスターからの魔力供給を断ってもしばらくは自立できる能力。

 ランクCならば、マスターを失ってから1日現界可能。

 

【宝具】

運命車輪・鋼鉄餓獣(ホウィール・オブ・フォーチュン)

ランク:EX 種別:スタンド宝具 レンジ:2~10 最大捕捉:20人

 

【原作ステータス】

破壊力B スピードD 射程距離D 持続力A 精密動作性E 成長性D

 

 タロット、大アルカナの10番。

 正位置においての意味は、転換点、幸運の到来、変化、定められた運命、結束。

 逆位置においての意味は、情勢の急激な悪化、別離、不幸の到来、解放。

 自動車と一体化するタイプのスタンド。車体を変形させ、地面の掘削やスパイク装着で岩肌をよじ登ることもできる。ガソリンを超高圧で発射して弾丸にするという遠距離攻撃もでき、攻撃力はかなり高い。

 

   ◆

 

【クラス】ディオズ・アーチャー

【マスター】ソラウ・ヌァザレ・ソフィアリ

【真名】アラビア・ファッツ

【性別】男性

【属性】中立・悪

【ステータス】筋力E 耐久E 敏捷E 魔力D 幸運D 宝具EX

【クラス別能力】

・対魔力:D

 一工程(シングルアクション)による魔術行使を無効化する。

 魔力避けのアミュレット程度の対魔力。

 

・単独行動:C

 マスターからの魔力供給を断ってもしばらくは自立できる能力。

 ランクBならば、マスター不在でも1日間現界可能。

 

【保有スキル】

・ 気配遮断:D

 サーヴァントとしての気配を絶つ。身を隠しながらスタンドで攻撃する戦術を得意としている。

 

【宝具】

太陽よ、我が勝利を照らせ(サン)

ランク:EX 種別:スタンド宝具 レンジ:30~99 最大捕捉:100人

 

【原作ステータス】

破壊力B スピードE 射程距離A 持続力A 精密動作性E 成長性E

 

 タロット、大アルカナの19番。

 正位置においての意味は、成功、誕生、祝福、約束された将来。

 逆位置においての意味は、不調、衰退、落胆、流産。

 太陽そっくりの形状をしたスタンド。対象範囲の温度を急上昇させる。100メートル以上本体から離れて行動でき、強力かつ精密な光線を発射できる。ただし、本体まで高温にさらされてしまうので、その準備が必要であり、また本体が攻撃されると防御手段がない。

 

   ◆

 

【クラス】ディオズ・ランサー

【マスター】ソラウ・ヌァザレ・ソフィアリ

【真名】グレーフライ

【性別】男性

【属性】混沌・悪

【ステータス】筋力E 耐久C 敏捷E 魔力D 幸運D 宝具EX

【クラス別能力】

・対魔力:C

 魔術詠唱が二節以下のものを無効化する。

 大魔術・儀礼呪法など、大掛かりな魔術は防げない。

 

【保有スキル】

・ 気配遮断:D

 サーヴァントとしての気配を絶つ。身を隠しながらスタンドで攻撃する戦術を得意としている。

 

【宝具】

殺戮に沸く灰の塔(タワー・オブ・グレー)

ランク:EX 種別:スタンド宝具 レンジ:2~99 最大捕捉:1~5人

 

【原作ステータス】

破壊力E スピードA 射程距離A 持続力Ⅽ 精密動作性E 成長性E

 

 タロット、大アルカナの16番。

 正位置においての意味は、破壊と災害、旅の中止、洗脳、精神の不安定、不名誉。

 逆位置においての意味は、必要悪、誤解、屈辱、不幸、天変地異。

 クワガタ虫に似た形のスタンド。1センチメートルの距離から、10丁の銃を撃ったとしてもかわしきれる速度を誇る。口から伸びる針状の器官、『塔針(タワーニードル)』を武器とする。

 



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ACT15:平穏までの数歩

 燃え堕ちる建物。

 溢れ出す暗黒。

 顕現する地獄。

 その中心で狂い笑い慟哭する、一人の老婆。

 この世の終わりをも思わせる、救いのない光景。けれどそれもすぐに消える。

 救われぬままに、一切残さず滅び去り、わずかに生き残った幾人かの心に、晴れることのない黒い影を残したままとなるだろう。

 

 そのはずであった。

 

「まだ……よ」

 

 老婆の枯れ木のように細い足を、誰かが握った。老婆が思わず視線を落とすと、血まみれの女が這いずって、老婆の足を掴める距離まで来ていた。

 

「なんじゃ。生きていたのか」

 

 銃弾に全身を貫かれたのだ。一足先にあの世へ旅立ったかと思っていた。

 しかし、向こう側の景色が透けて見えそうなほどに穴だらけになり、元々の髪の色をより赤く染めて、なお彼女は生きていた。

 ソラウ・ヌァザレ・ソフィアリは、生きていた。

 

 暗く燃え盛る執念をその目に宿し、彼女たちの周りで一切のものを焼き滅ぼさんとする炎よりもなお熱く。

 

「私と……契約なさい。そうすれば、聖杯の力が残存している微かな間は……まだとどまれるはず……私を、生かしなさい……!」

「儂に、何の得がある?」

 

 今にも死にそうな体を、精神力だけで生かしている。魔術などという小細工ではない。気力だけで生きながらえている。今にも消えそうでありながら、その意識は明確で、言葉は明瞭であった。

 もはや何も希望を持てぬエンヤ婆であったが、死にかけのこの瞬間に、最も強烈な命の在り様を見せつけるソラウに、少しだけ興味を抱いて、問いかける。

 

「……次の聖杯戦争で、貴方の主を復活させてあげるわ」

「ふん……良かろう」

 

 期待をするわけではない。だが、自分の全ては偉大なる主――ディオ・ブランドーのためにある。ならば、どれほどか細い希望であっても、残しておくべきだ。

 すべては我が(ディオ)のために。

 

「結ぼう。契約をな」

 

 瀕死のソラウの体から、魔力が吸い上げられる。今にも意識と同時に消えてしまいそうな命を、ソラウはまさに死に物狂いで燃やしていた。

 

「……【妖霧嘲笑・幽街結界(ジャスティス)】」

 

 そして、彼女は成し遂げた。

 魔力を必要なだけ供給されたエンヤ婆は、白い魔の霧を顕し、世界を塗り替える。己の世界に。屍のさまよう霧の町に。

 己がマスターとなったソラウを霧で飲み込み、燃え盛る冬木市民会館から二つの人影は消え去った。

 

 一切残さず滅び去るかに思われた『悪』は、跡を継ぐ者を逃し、未来への災いを残した。

 

 ちょうど十年前のことであった。

 

   ◆

 

「……懐かしいものね」

 

 エンヤ婆の固有結界【妖霧嘲笑・幽街結界(ジャスティス)】に入れられたソラウは、市民会館の外に落とされた。エンヤ婆は老人の姿からは思い描けぬような体力でソラウを担ぎ、安全地帯にまで移動させてくれた。

 

『死ぬでないぞ……おぬしには二つの秘密を教えてやる。それを使い、必ずやDIO様を復活させよ』

 

 死体も同然のソラウにエンヤ婆は一方的に喋っていた。意識は朦朧とし、五感も歪み、血濡れた体の痛みさえ感じられない状態。にもかかわらず不思議なことに、ソラウはエンヤ婆の教えてくれたことを、一語一句、明確に憶えていられた。マスターとサーヴァントとして、パスを繋いでいたからだろうか。

 

『いい……の? 約束を守ると……本当に思ってる……?』

 

 エンヤ婆はソラウの目的を知っている。

 ディルムッド・オディナ。自分の人生で、初めて魂を震わせた相手。彼を手に入れる事こそがソラウの願い。DIOの手を取ったのも、それを叶えてくれる相手であったからだ。

 聖杯に願うことでディルムッドを手に入れることができれば、DIOを復活させるまでもない。だから、DIOを復活させるという約束を果たす必要性はない。

 

『フン、あの聖杯を見よ。あの聖杯は既に邪悪に染まっておる。あれを使ってあの槍騎士を復活させるなど、まともにやっては不可能じゃろうて。あの槍騎士は輝く者……あの聖杯とは真逆の者よ。あれで復活させられるのは……悪しき者のみよ』

 

 確かに、あの穢れた聖杯を使い、ディルムッドを蘇らせることなどできるとは思えない。ディルムッドを呼び出すという願いも歪曲させて災いを起こすのが関の山だ。だが、DIOの復活なら聖杯は正常に機能することだろう。DIOの復活――それは歪ませるまでもなく、多くの人間にとって不幸となる、悪しき願いに違いない。

 

『だがそれを置いても……おぬしは裏切るまい。おぬしもまたDIO様に魅了された人間。悪に心を満たされた人間。恋や愛とは違う形で……やはりDIO様を求めているのじゃ』

 

 ソラウは反論できなかった。ケイネスを裏切り、ソフィアリ家を裏切り、それでも求めた禁断の愛を、DIOは嘲笑しながらも許し、肯定してくれる。『悪』を受け入れてくれる。

 それはソラウに大いなる安心感を与えてくれた。さながら、結婚式において神の名のもとに夫婦の誓いを承認する神父のような、自分と、その愛を、認めてくれる相手。

 思い返せば、求めてやまない――あのまどろむような夢を。悪夢であると、わかっていてもなお。

 ゆえに彼女はここまで来た。DIOのかつての友人とも出会い、持てる力の限りを尽くして。

 

「DIO……貴方を蘇らせる。だから私にディルムッドをちょうだい。蘇り、目指すべき力に辿り着いた貴方なら、できるはず」

 

 今回の協力者である神父――彼から聞かされた、DIOの向かうべき『天国』。魔術師であるソラウには、それが究極の根源である「」に連なるものであると、直感した。魔術でも達成できぬ、魔法の領域。

 

「DIO、貴方がそこに辿り着くだけで満足するはずがない。根源の力と繋がったうえで、必ずこの世界を支配しようとするでしょう。その力であれば、きっと私にディルムッドをもたらすことも……」

 

 ソラウは、エンヤ婆の言葉に従い、二つのものを手に入れた。

 エジプトにおいて、かつてDIOたちが隠れ家としていた屋敷とはまた別のところに建つ、隠し倉庫として使っていた家。そこにはDIOの信奉者から差し出された、無数の財宝が積まれていたが、ソラウの目当てはその中のたった二つだった。

 

 金銀財宝や美術品の中に埋もれた、しかしそんなものより遥かに価値ある二つ。

 

 一つは仮面。古代中国の墳墓から出土したという工芸品。

 一つは矢じり。エジプトの遺跡から発掘されたという石の矢。

 

 共に、一般人からしてみれば古美術品として以上の価値など、見い出せようもないそれらは、この世界を根底から覆しうる力を持っていた。

 たった四年。海の底より引き上げられて、たった四年のうちにどれほどのことを行い、どれほどの爪痕を遺したのか。その影の暗さと深さに、ソラウの背すじが寒くなるほどだ。

 魔術師として教えを受けてきたソラウをして、戦慄するほどのそれ。だが、それも彼女が真に求めるものではない。

 

 ソラウ・ヌァザレ・ソフィアリが求める、唯一真なるもの――

 

「――『愛』。それだけよ。それだけが、私の望み」

 

 そのためならば、この世を滅ぼしたって構わない。

 

   ◆

 

「大丈夫ですか? 先輩」

 

 間桐桜は愛らしい顔に心から心配そうな表情を浮かべ、士郎の顔を覗き込む。慎二からの頼みもあって、現在、衛宮家に寝泊まりしている桜が、登校前に問いかけてきた言葉がそれだった。

 可愛い後輩にそんな顔をさせていることを心苦しく思いながら、士郎は平気だと頷いた。

 

「ちょっと転んだだけさ。青痣とかは少しあるけど、学校を休むような傷じゃない」

 

 昨夜の戦い、致命傷などは負わなかったものの、色々と転げ回ったのだから、怪我くらいはする。細かいことは桜には話していないが、体を引きずるようによろよろと帰って来た士郎を見て、彼女は大変狼狽していた。

 怪我の手当てまで手伝ってもらい、士郎はまったく申し訳ないったらないと思っていた。年頃の女性にとって、上半身だけとは裸身の男を治療するのは恥ずかしかっただろう。

 

「……本当につらかったら、言ってくださいね。私で頼りなければ……兄さんに」

「慎二に?」

 

 ええ、と桜は首肯する。その表情には少しの寂しさと信頼が宿っていた。

 

「兄さんは素直じゃないけど、頼りにされるのが結構好きなところありますから」

 

 普段、他者に頼まれることはよくあるが、こちらから頼むことは少ない士郎には、慎二にそんな一面があるとは思っていなかった。頼みをまったく聞いてくれないとまでは言わないものの、頼みを聞くのが好きとまでは。

 しかし妹である桜の兄評価であるから、そんなものなのだろうと納得した。

 

「へえ、じゃあ桜も、慎二には結構頼みごとをしてるのか?」

「え……」

 

 そして軽い気持ちでそう言った士郎の前で、桜は虚を突かれた表情をし、やがて暗い表情でうつむいてしまった。

 

「ど、どうしたんだ? 変なこと、言ったか?」

「い、いいえ……先輩は何も。ただ……私は、頼みごとなんてする資格は……」

 

 思いのほか落ち込んだ様子の桜に、士郎は慌てた。しかし桜は首を横に振って、何事かを呟いた後、顔を上げて笑顔を見せる。しかしその笑顔は、敏感とは言えない士郎にも無理があると悟ることができるものだった。

 

「……なんでもないです。すみません。あまり兄さんにワガママは言いたくないので、頼みごとはしてない……だけです」

 

 さあ、遅刻しちゃいますから行きましょうと、桜は歩き出す。士郎はその背中に、問いかけを拒絶するものを感じた。下手に触れたら崩れそうな弱さと儚さ。けれどそれ以上に、そのままにしておけば桜が暗闇に呑み込まれて消えて行ってしまいそうに思え、気がつけば言葉が口から飛び出していた。

 

「なあ桜……慎二はさ、強くてしっかりした奴だ。俺なんかよりよっぽど」

 

 だからさ、

 

「妹のワガママくらい、受け止めてくれると思うぞ」

 

 兄妹(きょうだい)なんだから。

 

 桜は歩く足を止め、しばしたたずんでいた。士郎にとって酷く長く、空恐ろしいような時間が流れる。

 やがて振り向いた後輩の少女の顔は、困ったように微笑を浮かべていた。

 

「……兄妹……家族ですか。そうかもしれませんね……」

 

 ありがとうございます、先輩。

 桜の感謝の言葉が、形だけの空虚なものではなく、本音からのものであると感じ、士郎は安堵の息をついた。

 同時に士郎は、自分が口にした言葉が自分に対して言ったものでもあることに気づく。

 

(家族、だもんな)

 

 きっと話すだけの価値はあると、白く可憐で、少しこまっしゃくれた少女の姿を思い出していた。

 

 そして士郎と桜は、柔らかな空気の中で何気ないことを話しながら、学校へと向かう。少しの間であったが、士郎は一寸先を死の爪が迫る戦争の残酷さから、離れることができていた。

 

 それは貴重な時間だった。

 

   ◆

 

 濃く淹れたコーヒーを飲みながら、眠気で今にも潰れそうな目を覚ます。

 パンナコッタ・フーゴは昨夜帰ってからも、ろくに休むことはできなかった。聖杯戦争のこともあるが、表向きにはパッショーネの日本進出のためということになっているのだ。レストランやブティック建設の仕事もちゃんとしなくてはいけない。

 15歳には既に大学に入っていたフーゴの頭脳でも、無茶をせずに仕上げられる仕事量ではなかった。

 

(藤村組が友好的なのは幸いだったが、昨夜は公共の道路で派手にやり合ったからな……。僕が関わっていることがバレたら、追い出されても文句は言えない)

 

 いつもなら揉み消し役になってくれる教会が機能していないのだ。自動車より速く走りながら殴り合う美女二人や、牙を唸らせる自動車の化け物など、聞いても信じる者はいないだろう。実際見ても信じられるかどうか。

 だが信じなくても、面白がって調べたり探したりする者がでてきたら、動きづらくなる。

 

(早く終わらせなくては)

 

 臓硯を殺し、桜を解放する。聖杯戦争の勝利は二の次であり、フーゴの目的は常にそれである。もしもの時の為、聖杯を手に入れるにこしたことはないが、前回の顛末を考えると聖杯にはあまり期待ができない。

 

「ブチャラティ、アバッキオ、ナランチャ……雁夜。思い返せば、いいチームだったな。いや……」

 

 過去形ではない。まだ一人残っている。まだ為すべきことは続いている。まだ彼女は待っている。

 終わらせるわけにはいかない。

 

「あのチームで一番未熟な僕だけが残っちまったが……まだゼロじゃない。十年前から続く任務は必ず達成する」

 

 フーゴの高い知性は現実をよく見据えていた。

 

 まだ勝利には遠い所にあることを。

 

 今のところ仲間を増やし、失うこともなく勝ち続けている。だが聖杯戦争には勝ち抜いているものの、臓硯の情報は何もつかめていない。無論、臓硯も聖杯を求めているのだから、必ず動くときはくるだろうが、その時は絶対に入念に練った策と罠をもってかかるに違いない。

 数百年の時を生きた魔術師の老獪を甘く見ることはできない。醜悪なまでの執念に、自分たちは勝てるだろうか。

 

「いや……必ず勝つ。臓硯の倒し方は必ず見つける。そうだよな? ブチャラティ」

 

 フーゴのかつての上司であり恩人であった男は、確かに己の為すべきことを為しきった。

 あの時、自分は何もできなかった。ほんの『数歩』を踏み出せなかったことを、今でも悔やみ続けている。

 

 ブチャラティと共に行かなかったことは、組織の人間として、決して間違った選択ではなかった。

 けれど、誇ることもできなかった。だからこそ、今度こそは。

 

「僕は自分の信じられる道を……歩いてみせるぞ」

 

   ◆

 

 授業の始まる前、遠坂凛は士郎に目で合図して校舎の屋上に連れ出すと、それまでまとっていた猫の皮を脱ぎ捨て、不機嫌な空気を撒き散らした。

 女心というものをまるで解さぬ朴念仁も、生物的な危機感知の本能は多少なりとも備わっていたと見え、若干及び腰になってしまう。

 それでも引きつった顔を無理矢理笑顔にしながら、努力して話しかけた。

 

「と、遠坂……なんか、怒ってるか?」

「ええ、ええ、怒っておりますことよ? いろいろとね」

 

 士郎の背中を嫌な汗が流れる。猫科の猛獣と一緒に檻の中いるような心境である。

 

「昨夜の戦い……サーヴァントが二体も脱落するほど大規模な戦闘に、この私が蚊帳の外! しかも自分のサーヴァントは勝手に参加して、後になって報告してくるなんて! 私を何だと思ってんのよあいつ!」

 

 怒りの大部分はアーチャーに向けられたもののようだ。地響きの如き効果音が聞こえてきそうな迫力で、凛は真っ赤な怒りを滾らせていた。

 

「アーチャーはいっしょにいないのか?」

「フン、今頃あいつは家の片づけをしているわ……。今朝随分散らかったから」

 

 どうやら今ここで表している怒りなど、残りカスのようなものであったようだ。昨日のことを聞いた彼女が、その怒りをいかに爆発させたか考えるだにゾッとする。

 

「それで……貴方、アインツベルンに行くって話だそうね?」

 

 少し気を落ち着けた凛は、過去のことから未来のことに話題を移した。

 

「ああ。虹村さんが話し合いの場をつくってくれたからな。行かないわけにはいかない」

「そこは家庭の事情だし……私が口挟むようなことでもないからいいけど、なんか陣営が知り合い同士ばかりになってるわね……」

 

 凛の言う通り、バゼットやアトラムが脱落した現在、もう繋がりのある陣営ばかりである。

 そしてその繋がりの中心にいるのが士郎である。慎二とは友人であり、凛と同盟を結び、舞弥とは親戚同然で、イリヤとは血の繋がりはないながらも家族になる。

 士郎だけが全員と縁があるのだ。そのため、本来は関わりのない間柄が、家族の友人や、仲間の家族になってしまい、戦いにくい状態になってしまった。

 

(こいつが参加してなければ、まっとうに戦争になってたはずなのにねぇ)

 

 奇しくも、士郎の望む通りに殺し合いをやめさせることが出来つつある。このまま全陣営で相談して、健全にスポーツ的な戦いを行い、死傷者が出ないようにして優勝者を決めるなんてことにできたかもしれない。

 だが、どうにもそう都合よくはいかない。

 

「結局、ソラウっていう前回の聖杯戦争の生き残りが、イレギュラーだってことね」

 

 凛には第四次聖杯戦争の知識はほとんどない。父が挑み、そして弟子である言峰綺礼に裏切られて死んだこと。それを間桐雁夜が伝え、そして雁夜もまた死んでいったこと。そのくらいしか知らない。

 第四次聖杯戦争はあまりに混沌としていて、参加者である舞弥たちでさえ全貌はつかめていないのだから、それも仕方ない。

 凛もそれを気にしている様子はない。彼女の思考はいたってシンプル。

 

 敵がわかれば、後は仕留めるのみ。

 

 謎があるがゆえに不気味で動きを取れないのだ。正体が知れれば、怖くはない。

 

「まずはそいつを倒さなくちゃ、おちおち優勝もできないってことね」

 

 遠坂凛は不敵に笑う。此度の聖杯戦争でまだイマイチ活躍できていない彼女は、腕を振るいたくてたまらないようであった。

 

「舞弥さんが一度、慎二といっしょに襲撃したそうだけど、おそらく複数の拠点を持ってるんだろうって話だ」

「ふーん……けれど、多くのサーヴァントを抱えているがために、その魔力供給は大きな負担になるはず。それを補うために、毎夜一般人を襲って回っているとなると……」

 

 今夜も襲撃に出るだろう。昨夜、ダメージを負ったのなら尚更のことだ。

 だがすでに顔も手口も割れている現状、動けば今までより察知しやすい。しっぽは必ず掴める。

 

「アインツベルンでの話し合いが終わったら合流して、夜の散歩といきましょう」

 

 デートね。と言う凛の表情は、美しくはあったが女性的ではなかった。戦場を前にした荒武者の笑みのような。いや、それそのものか。

 いずれにせよ学校でも評判の美少女に誘われながら、士郎の表情は若干引きつり気味であった。

 

   ◆

 

「ふーむ……波紋による治療か」

 

 時は正午。慎二とライダーの訪問を受けたキャスターは、自分の力でどれだけのことができるのか相談を受けていた。

 

「確かに、波紋は西洋医学の常識からすれば切断しなくてはいけないような、腐った傷をも快癒させることができる。疑似的なものといえど生命体に近いものであるのなら、その刻印蟲とやらもおそらく操り、摘出することも可能だろう」

 

 表情を変えないライダーであるが、隣に座る慎二には、彼女のまとう空気が暗闇の中に光明を見つけた迷子のように、やわらいだのを感じていた。

 刻印蟲。それはいわば生きた魔術回路。宿主の精と生を貪りくらい、魔力に変換する魔蟲。

 かつて、慎二はそれを使って魔術師になれないか師に相談したことがあるが、『代償に対して効果が見合わない』と反対された。高い効果があるのなら、魔術師の中でも疑似魔術回路はもっと主流になっているはずであり、そうなっていないのはやはり本来の魔術回路には敵わないからだ。

 桜の体には、その刻印蟲が巣食い、苦しみを与え続けている。取り除こうにも抵抗があるうえ、既に臓器の一部も同然となった蟲を下手に引っこ抜けば、かえって命にかかわるかもしれない。

 おそらく、魔力を増やすという目的以上に、桜を間桐の家に縛り付けるための鎖として、刻印蟲は機能しているのだ。

 その鎖を解く鍵が見つかりかけている。桜を何より大事に思うライダーが喜ぶのも当然だ。

 

「では」

「しかし、刻印蟲とやらを今すぐ取り除くのが正解かはわからない。臓硯とやらがいる以上は」

 

 勢い込んで早速、桜の治療を頼もうとするライダーを押しとどめ、キャスターは話を続ける。

 

「刻印蟲を取り除けば当然、蟲の主に気づかれる。そのとき、相手は次の手を打ってくる。どんな手を打ってくるがわからないが、数百年を生きる怪物……用心し過ぎるということはないだろう」

 

 キャスターの意見に、ライダーも頭を冷やし、緊張感を取り戻す。

 間桐家の絶対支配者、間桐臓硯。その身を蟲へと変え、聖杯戦争が始まったころから生き続ける人外存在。

 

 英霊という人間より上位にある彼らであっても、決して油断がならないと思わせる相手。

 

 力や頭脳はもちろんだが、恐るべきはその『邪悪』。

 

 自分の子々孫々を地獄に堕とし、嘲笑いながら道具にするその傲慢。

 他者の隙に忍び入り、目的の物をかすめ取って呑み込むその狡猾。

 

 目的のために手段を択ばず、念願のために卑劣をいとわず。

 

 本当の本当に、どんな手でも使う。まともな人間であれば、まともな英雄であれば、思いもつかぬ残酷なことも微笑みながら行い、恥じる気持ち一つ持たない。

 その邪悪こそ恐怖。

 

 そんな相手を前に、性急に動くのは危険だと言っているのだ。

 

「わかりました。確かに焦り過ぎていたようです……」

「あのクソジジイをどうにかしなくちゃ、根本的解決にはならないってことだ。けど、どうやったら死ぬんだかわからない……。不死を求めているとは知っているが、今でも十分不死身だぜ?」

 

 臓硯いわく、肉体が朽ちていくのは今なお止められないのだと言う。魔術の粋をこらそうと、完璧な不死は達成できない。聖杯にでも求めなくては真なる不老不死には届かないと。

 

「不死なんて……いいもんでもねえのによ」

 

 何か思うところがあるのか、億泰は彼らしくない陰鬱な表情で呟く。その顔に視線を向けた後、話をそらすように舞弥が口を開いた。

 

「かつての聖杯戦争において、私たちは臓硯とは戦っていません。ですから彼の特徴や能力などは知りませんが、魔術師殺しとしての経験上、多少はアドバイスできます」

 

 多くの魔術師は寿命を延ばそうとするものだ。人が道を踏み外し、文字通りの冥府魔道に堕ちてなお求める目的を達成するためには、大抵百年程度では足りないからだ。達成のためには次世代に託すか、自身の寿命を延ばすかしかない。

 ある者は吸血鬼のような人ならざる者に変わり、ある者は他人の魂を取り込んで寿命を注ぎ足し、ある者は記憶や意志を別の人間に移し替える。

 そのように、方法は違えども魔術師にとって不老不死たらんとするのは定番であり、魔術師を殺すならば、不死者をも殺せなければ話にならない。

 

「体を蟲に変え、群体として生きているタイプの魔術師。しかし、その蟲一匹一匹全てが臓硯と言うわけではない。一匹、魂を宿した本体がいるはず」

「そいつを叩けば殺せるか……。だがどこにいる? 蟲一匹見つけ出すなんて難しいぞ?」

「少なくとも、人前に姿を現している体はダミーでしょう。もっと安全な場所に隠れている可能性が高い」

 

 攻撃にさらされやすい体が本体であるはずはない。しかし、魔術師にとって土地は重要なものである。土地と結びつき、霊脈を利用し、拠点を築き、発展を図る。間桐は冬木の土地が合わず零落してしまった家系であるが、それでも土地を捨てるわけにはいかない。

 たとえ本体がダミーの体を遠隔操縦しているとしても、この冬木の中にはいると考えるのが妥当だ。臓硯にとって、この冬木が最も力を振るえる土地。他の土地に本体を置き、何らかの不幸で危機にさらされたら、的確な対応ができなくなる。そんな危険を冒すとは考えにくい。

 

「その論理からすれば、間桐の力が及ぼしやすい場所だな」

 

 遠坂やアインツベルンの手が伸びにくい場所。一番防御を固められるのは当然、間桐の館に他ならないが、それもわかりやすすぎる。

 

「自分の家だといっても、どんな秘密が隠されているのかわかったもんじゃないからな……。僕らはあのジジイを知らなすぎる」

「情報がないのであれば、ダミーだとわかっていてもあの老人を叩くのも手でしょう。いかにダミーであれ、本体に繋がっているのだから傷つけられれば『痛い』はず。本体も反応を示すかもしれない」

「手探りだな……」

 

 結局、臓硯に有効な手立ては見つからず、ひとつひとつできることをやっていくしかない。慎二好みの華々しさのない、地道な作業。もっとも、今まではそんなこともできなかったのだから、大した進歩だと言えるのだが。

 少なくとも、勝利のために行動できるのだから。

 

「イリヤとの話し合いが上手くいったら、間桐の情報を持ってないか聞いてきてやるよ。長い付き合いってんだから、知ってることもあるかもしれねーし」

「同じ御三家だからってあのジジイが仲間意識持つとは思えないが……気を使ってくれたことには感謝するよ」

 

 魔術師というのは基本的に引きこもりで、自分の胸の内をさらけ出すほどの付き合いをするものではない。だからアインツベルンが何か情報を持っていると期待はしなかったが、億泰の根っからの善意の言葉に、捻くれ者の慎二も珍しく素直に礼を言う。

 

「ライダー。僕はこの後、フーゴと話してくるから、お前は桜に伝えておけ。波紋の情報について……いつ治療することになってもいいようにな」

「ええ、わかりました」

 

 治療と言うのは患者の準備も必要だ。何もわからないまま急に治療を受けても、混乱して抵抗する可能性がある。緊急時に説明で余計な時間をとらないようにするため、慎二はそう指示した。

 対するライダーは頷きながら、小さく微笑む。

 

(よい方向に向かっている……。これならばきっと桜を救える)

 

 初めて召喚されたとき、桜の惨状を理解し、この希望を閉ざされた少女をなんとかしたいと思った。

 桜を取り巻く状況を知り、敵の名前とそれを打倒することの困難を理解した。

 

 だが絶望ではなかった。

 希望を抱けた。

 

 力弱く、心をさらさず、面倒くさい根性の持ち主だけど、『信頼』できる相棒がいてくれたから。

 

(シンジとならば、きっと)

 

 平穏を、平和で穏やかな時間を取り戻すまで、あと数歩まできているのだ。

 

   ◆

 

 学校が終わり、士郎が家に帰ると舞弥たちが待っていた。士郎は鞄を置き、着替えるとセイバーを伴い、舞弥の用意したワゴンに乗り込む。

 昨夜破壊された自動車とは別に買い付けたスペアの車だ。ただし銃火器や魔術礼装までは備え付けていないため、本当にただの自動車である。しかしまだ日は沈んでおらず、サーヴァントが2体も乗り込んでいるのだから、安全性は問題ないだろう。

 舞弥が運転し、助手席に億泰。後部座席に士郎、セイバー、キャスターが乗り、ワゴンは快調に走っていく。

 

「しかしマスターから話は聞いていたけれど、本当にアーサー王なんだねぇ」

 

 街を出て郊外に差し掛かったあたりで、キャスターはセイバーを見つめながら言った。

 気品のある美しい顔立ち。月の輝きを想わせる金髪。均整のとれたしなやかな体格。

 同時に湧きあがる、王者の貫禄と、騎士の覇気。年若き少女が持つものと思えぬそれは、確かに名高い英雄の風格を感じさせた。

 それでもやはり、この麗しい少女が英国に知らぬ者のない大英雄アーサー・ペンドラゴンであると、一体誰が予想できるだろうか。

 舞弥とて、前回の戦争で知らされていなければ思いもしなかったはずだ。

 

「若い頃は、父の率いる考古学チームに混ざり、歴史の知られざる真実を追い求めていたものだが……こんな真実は聞いても信じやしなかったろう」

「当時は女では誰もついてきてくれないので、男ということで通していましたから」

 

 セイバーはキャスターの話に付き合う。協力し合う相手であり、昨夜も助けてくれた人物。バーサーカーとの戦いのときから世話になっていた相手との会話を無視するほど、セイバーは狭量ではない。

 

「そうか? セイバーなら女だってわかっても、ついていったと思うけど」

 

 士郎が話に加わり、自分の見解を口にする。確かに古代は男女格差が今より激しかったかもしれないが、セイバーにはそのような俗な物差しなどが通用するとは思えなかった。誰であれ、その清く正しく、堂々とした姿を前にしては、彼女を召喚した直後の自分のように目を奪われるに違いないと。

 

「それはわかりませんが……無駄な危険は冒せません。失敗は許されなかったですし」

 

 予言されたブリテンの滅び。それを押しとどめるために、あらゆる危機を回避し、全てにおいて正しい手を打った。期待を抱かず、希望を信じず、ただ正しき回答を得るための公式を、ただ順当に推し進めた。奇跡を起こすことはなく、不可能を可能にするわけでもなく、ただ為せることを為すべきように為した。

 だがだからこそ……どうにもならないことは、覆せはしなかった。

 

「……マスターから聞いた話によると、君はやはり、『やり直し』を望むのかい? ブリテンの滅びをなかったことにするために」

「おかしいですか? 私の至らなさのせいで、私のせいで、国は滅び、民は苦しみ、騎士たちの献身は無に帰した。それを覆そうとするのは、愚行だと思いますか?」

 

 踏み込んできたキャスターに対し、セイバーの声にほのかに敵意が混ざる。

 かつての聖杯戦争でライダーから否定された望み。

 過去の否定。未来の改変。

 

 あの時と比べると願いは別のものになってしまったが、それでも根は変わらない。

 ブリテンに救済を。祖国に平穏を。

 

 あの人たちに幸福を。

 

 それは決して変わらない。王として。

 至らず、護れず、正しからず、無力な王であったけれど、王として責任をとれるのならば――その願いだけは譲れない。

 

 その気概を胸に内心身構えるセイバーに、士郎の方は何か言いたげな表情をしている。彼にとって、セイバーの願いの良し悪し以前に、彼女が自分を卑下し、否定することそのものが、身を斬られるような気持がしていたのだ。

 しかし一方、キャスターは穏やかな面持ちで口にした。

 

「いやぁ、おかしくなんかないさ。ごく当然の願いだと思うよ?」

 

 それは何の含みも偽りもない、単純に正直な感想であるとセイバーには直感できた。ゆえに彼女は少しキョトンとした、外見年齢相応の無防備な表情を見せてしまう。

 

「やり直せるものなら、そりゃやり直したいことはたくさんあるさ。失敗しない人生なんてものはないからね。ただ……」

 

「――――」

「え……?」

 

 そしてごく軽く、自然に語られた言葉にセイバーは戸惑い、言葉を返すのが遅れてしまった。口を開こうとしたときには、

 

「……ようこそいらっしゃいました」

 

 白い独特なメイド服をまとったホムンクルスの美女二人が、彼ら一行を出迎えており、会話を中断せざるを得なかった。

 

(どういう意味ですか……?)

 

 セイバーは自動車を降り、メイドたちの案内に従って歩きながら、キャスターの台詞を胸中で反芻する。しかしイリヤと会うまでの時間で、その意味を理解することはできなかった。

 

   ◆

 

 フーゴは時計を確認する。午後6時。

 

(慎二とバゼットが来るのはそろそろか)

 

 バゼットが協力者となったことで増強された戦力だが、互いにできることを知っていなければ、せっかくの力を効率的に使えない。そこで互いに紹介し合う時間をとり、集合することになっていた。

 フーゴの仕事も済み、後は待つばかり。

 

「茶と菓子でも用意しておくかな……」

 

 冷蔵庫に苺のショートケーキがあったはずだ。茶葉やコーヒー豆にも余裕はある。

 

「ミルクは……どうだったかな」

 

 確認しようと、仕事机から立ち上がったフーゴだったが、ふと首筋にチクリとした痛みを感じた。反射的に首後ろをさすると、指先で何かを潰す。

 

「虫……?」

 

 小さな羽虫。ハエより一回り小さいくらいか。

 

「……待て。この寒い季節に、虫だと……?」

 

 違和感が芽生えたのと、フーゴの足が砕けるように力を失くし、倒れ込んだのはほぼ同時だった。

 床に崩れ落ちたフーゴの体は、ピクリとも動くことが無い。それどころか痛みも、床に触れている感触さえもない。苦しさも気持ち悪さもなく、ただただ体が急速に停止させられていく状態。

 

(しまった……虫……蟲だぞ……奴に、決まっているだろう……!)

 

 暗く閉ざされていく視界。ブレーカーが落ちようとしている意識。

 それを必死で保ち、意識の喪失に抗いながら、先ほど潰した蟲を探す。眼球だけはまだどうにか動き、床に落ちた虫がゆっくり這い寄ってくるのを見つけた。

 

(やば……い…………駄目……いし、き……消え……)

 

 やがて若きギャングの思考は途絶え、暗闇に堕ちていく。後には、冬のナマズのように動かず手も足も出なくなった、肉体が横たわっていた。

 

『他愛ないものよ……』

 

 蟲に宿る黒い意識が嘲り、

 

『真っ当な魔術師であったら、無意識防御レベルの魔蟲にすら気づけぬとは……』

 

 潰れた体を引きずり、フーゴに向かって這いずっていく。

 

『所詮、慎二めと共に戦う程度の輩……この程度のものよ……』

 

   ◆

 

 ソラウは手鏡を見て化粧の具合を確認する。吸血鬼とはいえ、伝説のように鏡に映らないなんてことはない。

 

「朝に試した口紅は、やっぱり色が合わないわね……」

 

 ポケットから別の口紅を取り出し塗り直す。もう一度鏡で映して満足し、口紅を仕舞い直した。

 

「んっん~~、うん、こちらの方が断然いいわね。上手くいかなかった化粧は、早めに塗り直さないとね……常により良いものに変える。それが成功のポイントだって思わない?」

 

 ねえ? と、ソラウは声を投げかける。手の中の鏡から移った視線の先に、褐色の肌をした白い髪の男がいた。

 

「あなたもね……合わない相手は変えるべき。恋も、戦争も、万事がそういうものでしょう?」

 

 彼女は赤いハイヒールのつま先で、足元に落ちていたものを蹴る。吸血鬼としては手加減した蹴りであったが、それなり以上に衝撃があったらしく、蹴られたそれは数歩分転がり、苦し気に咳き込んだ。

 

「凛!」

 

 白い髪のアーチャーが声をかけて近寄ろうとしたが、ソラウはさっと鏡を掲げる。すると、ソラウに蹴飛ばされた凛の肩口が裂け、赤い血が迸った。誰も近寄らず、誰も触れていないというのに。

 

「私、つい昨日にお友達を失くしてしまったの。だから、貴方が新しいお友達になってくれない? アーチャー?」

 

 赤い外套をまとう弓兵は、苦々しい表情をしながらも、相手の言葉に耳を傾けるしかなかった。既に彼らは、チェスや将棋で言うところのチェックメイトに嵌っているのだから。

 微笑むソラウの手鏡の中には、苦し気に息をつく凛と、彼女に覆いかぶさる痩身のミイラ男のような怪人が映し出されていた。

 

 

 

 

 ……To Be Continued

 

 



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ACT16:間桐臓硯の企み(前)

 

 

「ようこそ、アインツベルンの城へ」

 

 涼やかな声が響く。大きなテーブルの上座に座るイリヤの向かいに、士郎たちの席が用意されていた。メイドたちが椅子を引き、士郎たちに座るように促した。

 

「承太郎さんはいるのかい?」

「バーサーカーは隣の部屋よ。戦いとなれば、壁を突き破ってここに来るわ」

 

 億泰が無遠慮に部屋を見回してたずねるのに、イリヤが答えた。前の戦いで殴り倒されたセイバーが、少し表情を硬くする。

 

「戦いにはならないさ」

「そう? 戦争なのに?」

 

 士郎たちが座ると、メイドたちが紅茶を注いでまわる。豊かな香りが漂う中、士郎はイリヤスフィールを真っ直ぐに見て訴えた。

 

「戦うなんてしたくない……まして、家族とは」

「家族かぁ。簡単に言うのね。何も知らなかったのに」

 

 猫がカナリアを弄ぶような、愉し気な微笑みを唇に顕す。残酷な眼差しが士郎に注がれ、赤毛の少年は気圧されそうになる。可愛らしい少女の姿であるが、牙を剥けば士郎に勝ち目はない。サーヴァントを除けばこの場にいる誰より強い。

 舞弥は優れた戦闘者であるが魔術師としては大したものではなく、サポート型だ。億泰は強力なスタンド使いだが、凛をも上回るイリヤの魔術を相手にするのは厳しい。

 三人がかりなら勝てるだろうが、サーヴァントやメイドたちを含めばまた不利になるであろうし、そもそも士郎たちの目的がイリヤとの和解である以上、戦闘になった時点で、目的不達成により敗北同然である。

 

「知らなかった……。切嗣は教えてくれなかった。けど、切嗣はよく一人で海外に行っていた。動きづらい体を引きずるみたいにして、本当に動くことができなくなるまで」

「…………!」

 

 イリヤの表情がかすかに動く。

 

「切嗣は、決してイリヤを忘れてなんかいなかった。俺はイリヤの言う通り、イリヤのことも切嗣の過去も何も知らなかったけど……イリヤを忘れるような、そんな人じゃなかった。それだけは断言できる」

 

 我が子を愛さないような男ではなかった。

 いっそ愛を抱かなければ、もっと楽な人生を生きられただろう。背負うものもなく、割り切った生き方ができただろう。けれど、楽な人生よりも、切嗣という父親にとって(イリヤ)は大切だったのだ。

 

「その通りです、イリヤ。私も切嗣と共に、アインツベルンへと赴きました。体を壊した切嗣と、魔術師としては半端な私では入り口を閉ざされたアインツベルンに足を踏み入れることもできませんでしたが、切嗣は貴方を迎えにいこうとしていました」

 

 舞弥が士郎の言い分を肯定する。アインツベルンの長であったアハト翁の思惑により阻まれたが、幾度も切嗣は挑んでいたのだ。

 二人の言葉を、イリヤも虚偽とは思わなかった。

 

 周囲が心配するほどに偽ることを知らない士郎はもちろん、切嗣の為の道具として自分を律してきた舞弥もまた、嘘が得意な人間ではないと見なしていたから、彼らは真実を言っていると信じられた。

 

「……それで?」

 

 動いた表情が消え、千年も溶けない氷のような面持ちが、士郎を見つめる。

 

「愛とか家族とか……それが戦いをやめる理由になるというの? 遥かな時を重ね、他のすべてを投げうって、屍を積み上げ続けたアインツベルンの悲願を捨てろと? 私たちは……使命以外の全てを捨ててきたのよ? 自分たち自身さえも。それを」

 

 イリヤスフィール。彼女こそはアインツベルンの最高傑作。アインツベルンのやり方では、彼女以上の者を生み出すことはできない。そう言い切れるほどに、イリヤは優れていた。つまりイリヤでさえ勝利できないのなら――アインツベルンはもはや無駄だ。

 アインツベルンでは至れない。そう諦めて、永い年月と途方もない犠牲を、全ては無駄な浪費であったのだと納得するしかないのだ。

 

 アインツベルンの悲願も、聖杯戦争も、戦いに身を投じたマスターたちも、全ては無駄――無駄死に。

 イリヤの母、アイリスフィールのことも含めて。

 

「認められるわけ、ないでしょ」

 

 たとえ父を憎まずとも、自ら降りることはできない。

 戦うしかないのだと、イリヤは改めて確認し――

 

「んん? 自分自身を捨てたぁ? いや、イリヤはここにいるじゃねえか?」

 

 深刻さの欠片もない声に、水を差された。

 

「オクヤスぅ……」

 

 思わず永久凍土の表情を崩し、恨みがましい視線を向けてしまうイリヤ。士郎も急にシリアスが破壊されことに戸惑い、億泰の方を見つめている。

 一方億泰は、メイドに差し出された焼き菓子を飲み込んだ後、自身の意見を述べ始める。

 

「いや、アイスクリーム……アインシュタイン……えっと、とにかくイリヤの一族がなんか目標のためにすげぇ頑張ってんのは知ってるぜ」

 

 一応、聖杯により何ができるか、アインツベルンが何を悲願としているかは、十年前も兄から何度も教えられ、今回も舞弥から聞いているのだが、億泰の頭脳では『根源の渦』とか『魂の物質化』とかは難しすぎて、イマイチ理解できていないのだ。

 ただノーベル賞とかオリンピックの金メダルみたいな凄いものとだけ捉えており、勉強なり訓練なりを毎日頑張ってきたのだと考えている。

 

「それを諦めなきゃいけねえってのはそりゃ辛いよな……けど他に何もないってことはねーだろ」

「無いわ」

 

 イリヤはきっぱりと言い切る。そこに躊躇は無い。魔術師という生き物は、目的のために今も未来もすべてを火にくべるのだ。目的のための機械。そこに余分な機能はない。ゆえに、目的が消えれば他には何もない。そういうふうに生きるものだ。

 それがイリヤの、アインツベルンの信念であった。が、

 

「う~ん、それは……嘘だね」

 

 そこで口を挟んだのは、紅茶の香りを楽しんでいた髭の紳士であった。

 

「私は『相手の身になって考える』ことが大切だと思っているのだが、それによると……君は決して、使命以外のものを持っていないわけではないね」

「何よ。あんたに何がわかるっていうの?」

 

 キリリと空気が張りつめるような殺気が、イリヤから放たれる。しかし、キャスターにとってその程度の殺気はそれこそ児戯でしかない。

 

「わかるも何も……こうした場を設けていること自体が、家族と話したかったということに他ならないのではないかな?」

「んぐっ……それは、オクヤスがしつこいから仕方なく……」

「なら、億泰くんの言うことを聞くくらいの余裕はあるわけだ。使命以外の何物も拒絶するような機械ではない」

「だからっ……それは、気まぐれのお遊びで」

 

 ちょっと意地悪な態度のキャスターに、イリヤは反論するのだが、図星を突かれてむきになっているように見えた。いかに凄腕の魔術師とはいえ、対人関係の経験は全く薄い。悪意ある相手との口論に勝利する弁論術は知っていても、まっとうな大人に、敵意もなく穏やかに接されることへの対処法など学んでいない。

 狡知に長け、謀略を得意とする間桐臓硯などよりも、例えば藤村大河などの方が、この場合よほど手強い相手となる。何せ、前者は遠慮なく叩き潰せるが、後者はまず争う意欲がわかないのだ。

 天然な昔なじみの億泰と、教師的な年長者のキャスター。イリヤにとっては天敵に等しい。

 

「だからっ……私は」

 

 苦し紛れに否定の言葉を紡ごうとしながら、上手く反論できないでいるイリヤ。話し合いが上手く和やかな方向に向かいつつある中、

 

 ドザアッ!!

 

 突如、何かが降って来た。

 

「な、なんだっ?」

 

 士郎が慌てて立ち上がり、部屋の隅に落ちたそれに目を向ける。

 

「うっ、くっ……」

 

 苦し気な様子で倒れ込んだ身を起こそうとしていたのは、赤い外套を纏った白髪の男だった。

 

「アーチャー!?」

 

 叫んだ士郎に視線を向けたアーチャーは苦々しい顔をしたが、すぐに一息ついて気を落ち着ける。立ち上がって首を動かして周囲を見る。その場にいる面々の顔を一つ一つ見据えた後、

 

「凛め。まったく……とんだことになったものだ」

「凛? どういうことだ。何があったんだ」

 

 士郎に訊かれて、アーチャーは気に入らなそうな表情のままに口を開く。

 

「襲撃を受けた。ソラウと彼女の率いるイレギュラーのサーヴァントによってな」

 

   ◆

 

「悪あがきしてくれるじゃない」

 

 少し不愉快そうに眉を吊り上げ、ソラウは床に転がる凛を踏みつける。狙いは血が流れ落ちる肩の傷だ。

 

「ッッッ‼」

 

 骨が軋む音をたて、惨い痛みが凛を襲うが、彼女は歯を食いしばって悲鳴をあげることに耐える。

 

「つまらない意地を張って……令呪のなくなった貴方の利用価値はかなり落ちているところだけど、セイバー陣営への人質になるかもしれないから、とりあえず生かしておいてあげる」

 

 凛の手の甲には、三分前までは残っていた令呪が消滅していた。アーチャーに対し、こう命じたためだ。

 

『今すぐにアインツベルンの城に転移せよ』『士郎に状況を説明せよ』

 

 アインツベルン城では同盟相手である士郎がイリヤと話し合いをしているはず。悔しいが自力でどうにかできない以上、士郎に救援を求めることが最善手と判断し、凛はこの二つの命令を下した。

 とはいえ、勝算はかなり低かった。どうやら生かしておいてくれるようだが、すぐに殺されていても当然であったのだから。

 

(私が死んでも、アーチャーには【単独行動】のスキルがある。しばらくはマスターの魔力供給がなくても現界は可能。私が詰んでも、アーチャーには希望がある)

 

 できればアーチャーには生き延びてほしい。敵の手に落ち、人質にされたマスターとしてのせめてもの『かっこつけ』だ。

 邪魔されずに目論見を達成できた凛は、口を微かに緩ませ、笑みを見せた。それが勝ち誇っているように見えたソラウは、若干腹を立て、

 

「先に舌を抜いておくべきだったかしら。いえ、初手で手首を切り離しておくべきだったわね」

「ッ~~~~~‼」

 

 更に強く足に力を込める。グリグリと傷口を踏み躙られる痛みは、想像以上のものであっただろう。だがそれでも一言も悲鳴を発することなく、凛はやがて意識を手放し、気を失った。

 

「フゥ…………ガンナー。運びなさい」

 

 つまらなさそうに踵を返したソラウは、背後で待っていたテンガロンハットの男に命令すると、遠坂邸を出て行く。まだ太陽が沈みきっていないが、魔術を使えば陽光を屈折させて遮ることは可能である。戦闘で激しく動き回るとなったら、魔術行使にブレが生じて陽光をその身に受けてしまう危険があるが、普通に散歩する程度なら問題ない。

 外に待たせているズィーズィーの自動車へと、足を向ける向かうソラウの胸中には、もう遠坂邸の何物にも興味はない。当然、カウボーイ姿のサーヴァントが、気絶した少女を痛まし気に見つめていたことに気づくこともなかった。

 

   ◆

 

 それまで漁夫の利を狙う戦法や、情報収集を第一とし戦果を求めない行動をしていた、非正規のサーヴァントとマスターが、いよいよ積極的な攻勢に出た。

 新たな展開に、その場の全員が大なり小なり緊張感を纏う。

 

「それで……貴方はこれからどうするつもりですか? アーチャー」

 

 舞弥からの問いかけに、弓兵は考える間も置かず答えた。

 

「しれたこと。凛を救出する。令呪が切れたからと言って鞍替えするほど浅ましくはないつもりだ」

 

 幸い、アーチャーのクラスに常備される【単独行動】により、2日間はその身を保っていられる。

 

「それなら俺たちも行く」

「フン、半人前以下にくっついてこられても足手まといだ。セイバーだけならともかく、貴様は引っ込んでいろ」

 

 立ち上がる士郎に、アーチャーはにべもなく言い放ち、足早に城から出て行こうとするが、

 

「面白いじゃない。私も行くわ」

 

 思わぬ声に、アーチャーは足を止めて振り返る。視線の先には、悪戯を思いついた猫のような顔のイリヤスフィールが椅子から降りていた。

 

「……どういうつもりだ?」

「別に。言葉通り、面白そうだって思っただけよ。リンを助けたら、彼女がどんな顔するか見物でしょう?」

 

 聖杯戦争の敵手に救われるということは、さぞかし凛のプライドに(ひび)を入れることだろう。悔しさに引きつりながら、それでも礼を言うだろう。凛にはそういう律儀なところがある。一方、イリヤにはそういうのをとても面白く感じるところがある。

 

「それに、ソラウとかいうオバサンを何とかしないと、おちおち優勝もできないみたいだしね……。それにいつまでたっても私の中に『来ない』のよね。多分、あのオバサンが『横取り』してるんだと思うから」

 

 イリヤは自分の胸に指をあて、触診するかのようにトントンと数度叩いた。その後、イリヤの目くばせを受けたホムンクルスのメイドの一人が、屋の扉を開ける。部屋の外の廊下には、バーサーカー・空条承太郎が腕組みをして壁に背をつけながら、静かな風格を纏いながら待っていた。

 

   ◆

 

 慎二とバゼットは、フーゴが短期契約で借りているマンションに着き、ベルで呼び出すが返事がない。

 慎二が事前に渡された鍵でドアを開けると、床に散らばった書類や砕けた机の中央に、倒れた男性の姿が目に映った。

 

「フーゴっ!」

 

 慎二は叫びながらも、すぐに部屋に飛び込んだりはしなかった。その理由は、倒れたフーゴの向こう側にうずくまる、奇怪な人影。

 シュウシュウと唸り、涎を床に零すそれはフーゴのスタンド【パープル・ヘイズ】であった。そいつは慎二が部屋に入ったのに気づくと、異様な目つきで睨み、激しい勢いで立ち上がる。じっとしていた猛獣が、獲物が射程範囲内に入って来た途端、目にも止まらぬ速さで襲い掛かるような動きだ。

 まだ攻撃は仕掛けてきていないが、拳は構えられている。もう少し近づけば、殺戮ウイルス兵器を備えた拳が叩き付けられるだろう。

 

(まずい、動けないぞ)

 

 蛇に睨まれた蛙のように、慎二は動きを止めるしかなかった。代わって動いたのはバゼットであった。

 

「『サガズ』っ」

 

 小さな石が素早い動きで投げられ、倒れたフーゴの肩に当たった。

 

「うぐるるぅぅッ!」

 

 それを攻撃と思ったのか、【パープル・ヘイズ】がバゼットに体を向け、激しく拳を振るってくる。白兵戦に長けたバゼットでも、近距離パワー型スタンド相手では少々分が悪い。だが、【パープル・ヘイズ】の一撃を喰らう前に、バゼットの放った小石――いや、小石に刻まれた魔術文字の効果が発動した。

 

「ハッ‼」

 

 フーゴの体がビクンと跳ね、驚いたように目を見開く。同時に、【パープル・ヘイズ】の動きが止まり、スゥッと搔き消えた。フーゴの意識が戻ったことで、コントロールを失っていたスタンドが鎮まったのだろう。

 さっきの石に刻まれたルーン文字は『サガズ』。昼や日を表すルーンであり、すなわち『目を覚ましている時間』に通じる。それを利用して、フーゴを目覚めさせたのだ。

 

「ううっ……僕は……」

 

 苦し気に起き上がるフーゴは、床の一部が砕け、罅が入っているのを見つけた。更にその破壊の中心に汚らしい液体が染み付いているのを認め、何があったのかを思い出す。

 

 蟲を使った魔術により、体の自由を奪われ、意識も消えようとしていたその瞬間、フーゴは最後の力を振り絞ってスタンド【パープル・ヘイズ】を出現させた。

 

(動くものは……全部ぶちのめせッ‼)

 

 自分を嵌めた敵に強い怒りを込め、そう命令したフーゴが気を失った後、【パープル・ヘイズ】は命令どおり、拳を振るった。

 スタンドは精神力によるものなので、意識を失っている間は使えないことが多いが、例えば眠る前にスタンドを出現させておくと、眠った後もスタンドを出したままにできる。そして特に【パープル・ヘイズ】はフーゴの意思を離れて動くことがままあるタイプのスタンドであった。

 

 フーゴは気絶する前にスタンドを出すことで、身を護ったのだ。だがこれは賭けだった。

 

 事前の命令は聞いているとはいえ、敵味方の判断もつかず、暴走しているようなものだ。そして【パープル・ヘイズ】ほど暴走が恐ろしいスタンドもいない。なにせ【パープル・ヘイズ】が放つウイルスは、解放されたが最後操ることはできず、本体のフーゴさえも殺してしまうのだから。

 

 ただ命令のときにフーゴが強い怒りを込めていたのが吉と出た。怒りによって【パープル・ヘイズ】の殺人ウイルスが通常より凶悪になり、広範囲に広まる前にウイルス同士で食らい合って、消滅してしまうようになっていたからだ。

 敵意を強めれば強めるほど、殺傷力が弱まる『ねじれ』た性質――【パープル・ヘイズ・ディストーション】――それが、フーゴの命を救った。

 

 獰猛なるスタンドは、フーゴの体を支配しようとしていた魔蟲を叩き、ウイルスによって徹底的に殺し尽した。その後も臓硯は何匹か魔蟲を飛ばしたが、ことごとく叩き落とされ、原型も残さず腐った液体になって消えた。

 蟲を殺したウイルスはすぐに共食いし合い、消滅してしまうため至近距離で横たわるフーゴが感染することはなかった。結果として、フーゴは賭けに勝利し、臓硯の企みを打破したのだ。

 

「臓硯……奴が、とうとう積極的に動き出したようだ」

 

 まだ本調子ではないものの、フーゴは最も重要な案件を伝える。それを受けた慎二は、顔色を蒼くし、唇を引きつらせた。無理もない。

 慎二にとって、間桐家の人間全てにとって、臓硯とは絶対支配者なのだ。それもおぞましく邪悪な。

 いかに覚悟し、いつか来ると理解していたとしても、いざその時が来て全く恐れないというわけにはいかなかった。

 

「……家にはもう戻れないな」

 

 息を恐怖で荒げ、バクバクと暴れる心臓に手を当てながら、慎二は懸命に冷静であろうとする。間桐の家はもはや敵地である。ならば、

 

「衛宮の家に行こう……。ライダーと桜もいるしな」

 

 今頃、ライダーは桜に肉体から蟲を取り除き自由になれる可能性について、話し終えているだろう。桜を士郎に家に泊まらせていたのは正解であった。こうなれば、桜の力も使い、臓硯と戦わなくてはならない。

 本音を言えば、自分から戦う意志を固めてほしかったが、状況はもはや戦わないことを許してはくれないようだ。

 

「正直……直接、手を出す可能性は低いと思っていたんだがな……。奴が僕のことを気にしているとは、思っていなかった」

 

 慎二もフーゴも、魔術師でさえない人間だ。スタンド使いとはいえ、サーヴァントのマスターにさえなれない人間は、聖杯戦争の中では問題外である。ゆえに、臓硯が動いたとしても、真っ先に狙ってくるとは思っていなかったのだ。そこまで重要視はしていないだろうと。

 

「案外、臆病なんだろうさ」

 

 臓硯を嘲る慎二であったが、無理をしているのは見え見えだった。拳を強く握って体が震えるのを堪えていると、フーゴもバゼットもわかっていたが、指摘はしない。少年の強がりに水を差すほど、二人とも悪趣味ではなかった。

 

   ◆

 

 士郎たちが遠坂邸についたときには、夕暮れから夜になりかけていた。

 士郎、セイバー、舞弥、億泰、キャスター、イリヤ、アーチャー、バーサーカーという大所帯。正規サーヴァントの七体中四体という半数以上を要する、大戦力だ。

 およそ作戦も何もなく物量で押し切れる集団は、正面から屋内に入り、アーチャーの案内でリビングルームに向かう。しかしそこには人影一つなく、ただ凛のものであろう血痕が残されていただけであった。

 

「死体がないところを見ると、おそらく生かされたまま連れていかれたのでしょう」

「うん、不幸中の幸いというところかな」

 

 舞弥の推測にキャスターも同意する。用済みと見なされたのなら、すぐさま始末され、この辺りに死体が転がっているはずだ。死体を隠すような手間をかけるとも思えない。ゆえに死体がない以上は生かされていると見なすのが妥当だ。

 ただ、生きているのと無事なのとは別問題のため、楽観はできないが。

 

「どこに連れていかれたんだろうなぁ。前に見つけた拠点のビルは潰したし……」

 

 億泰が頭を掻きながら言う。以前、ソラウが潜伏していたビルは、舞弥が爆弾で倒壊させた。その後にソラウがどこへ行ったのかの情報はない。

 

(フーゴによるギャングの情報網からも怪しい場所を見つけられていない。よほど周到なのか……?)

 

 舞弥は首をひねるものの、答えは出ない。元より、舞弥は周囲から思われているほど柔軟な思考は慣れていない。本来、切嗣の一部として行動してきた彼女にとって、自分で考えるということは切嗣が亡くなって長い時間が経過した今でも、難しいことであった。

 

「どこかの空き家を勝手に使っているというわけじゃないのか?」

「そういうところは一番先に調べています。見知らぬ他人に催眠術か何かをかけて操り、家を乗っ取っているという線も考えましたが、今のところそれも……」

 

 士郎の素人考えを否定する舞弥だったが、答えながらふと思いつく。

 

(他人の家に強引に割り込めば不自然さが目立つ。しかし、最初から協力者がいたら? アトラム・ガリアスタのように、必要とあれば手を組む流儀のようですし、ありえないことではない)

 

 今までの調査は、ソラウ個人の隠れ家を対象にしていたが、家を持っている誰かが、隠れ家として自分の家を快く提供していたとしたら? その場合、調べ方を少し変える必要が出てくる。

 

(慎二とフーゴに提案を……)

 

 舞弥が今後の方針を考えていると、

 

「――――ッ‼」

 

 突如、士郎の背後に人型が立ち上がった。凄まじい威風を纏い、爆発するような闘志を放ちながら、力の張りつめた拳が振り上げられる。

 

「!? 承太郎さん!?」

 

 億泰が慌てた声をあげるが、バーサーカーは聞く耳持たず、己が分身に拳を振るわせる。吸血鬼の頭蓋も一撃で粉砕する鉄拳が、嵐のように撃ち込まれる。

 

 バシィッ‼

 

 拳は士郎の額すれすれの空間を抉り、そして何かが殴り飛ばされる音が響いた。

 

「…………!」

「バーサーカー?」

 

 バーサーカーの睨み付ける方向に、イリヤもまた視線を向ける。だがそこには壁しかないように見えた。

 

「……まさかっ!」

 

 同じものを見た億泰がスタンド【ザ・ハンド】を出現させ、右手を振り下ろして空間を抉った。すると、

 

 グンッ!!

 

 壁の一部が盛り上がり、弾けて引き寄せられる。しかし、削り取られた空間を埋めるべく引き寄せられたのは、実際は壁ではなかった。壁に張り付いて壁と同じ色になり、壁に擬態していた奇妙な塊であった。粘土のような不定形なものだが、質感的には肉のような、アメーバのような、なんとも言えぬ気色の悪さが怖気を誘う。

 

「いやまったく……隙が無くて恐ろしいぜ」

 

 そして、壁を覆っていた肉塊が引きはがされ、その裏に隠れていた者たちの姿が露わとなる。隠れていた人数は二人。だがただの二人なはずはない。

 うちの一人が、壁を模倣していた肉塊を削り取って消滅させようとしていた【ザ・ハンド】に向かって銀色に輝く何かを発射した。

 

「クッ!」

 

 その銀色の飛来物を削り取って防いでいるうちに、奇妙な肉塊はグニャグニャと形を変えて、男たちの方へ這いずって戻っていった。

 

「お前……あの夜に遠坂を襲おうとした……! 遠坂はどうした!」

 

 銀の飛来物を投擲した男の顔に、士郎が反応する。忘れもしない。士郎がはじめてサーヴァントを見て、聖杯戦争というものに触れた夜。アーチャーとランサーの戦いの中、凛を襲い漁夫の利を得ようとした男だ。

 

テニール船長(キャプテン・テニール)……俺のことはテニールとでも呼んでくれ。どうせ本名じゃないがな……ククク。ここにいたガキなら、マスターのとこで寝ぼけてるんじゃねえかな。ここにはいねえ」

 

 士郎にからかうように名乗ると、バーサーカーへと意識を向ける。

 

「渋いねぇ……。いやまったく、空条承太郎……バーサーカーになっても渋いことをしてくれる」

 

 テニールと称する、逞しい体つきをした口髭の男が進み出る。ニタニタと嫌な笑みを浮かべ、背後に奇怪な半魚人のごときスタンドを出現させた。

 その右に立つのは、先ほどまで壁に変化していた奇妙な肉塊を足元に引き寄せた、背の高い男。長い黒髪を後頭部で束ねており、たくましい体格をした、中々の美青年であるが、どこか軽薄で信用ならない雰囲気がある。

 

「借りを返してやるぜぇ? 承太郎先輩?」

 

 二人は、共にバーサーカーへと意識を向ける。一方、士郎たちの側でいち早く動いたのはアーチャーだった。

 

投影開始(トレース・オン)

 

 彼は両手に白と黒の中華剣を生み出すと、

 

「バーサーカー以外眼中にないとは、舐めてくれる!」

 

 プライドを傷つけられた怒りと共に投げ放つ。白の剣はテニールと名乗った男に、黒の剣は長髪の男に。

 電柱や大木でさえ斬り落とせる威力を乗せて、一対の剣は斬りかかった。

 

「頼むぜ、ラバーソウル」

「へっ、【護り喰らえ黄の節制(イエロー・テンパランス)】!」

 

護り喰らえ黄の節制(イエロー・テンパランス)】と名を呼ばれた肉塊が蠢き伸び上がって、男たちの前で壁となった。飛来した二振りの中華剣は肉塊を斬りつけるが、肉塊は持ち前の弾力で衝撃を吸収し、剣の威力を消滅させる。剣は受け止められて、床へと転がった。

 

「くっ、擬態だけではなく、防御力もあるのか」

 

 アーチャーが舌打ちする。今の攻撃を防いだことから、自分の力では直接斬りつけても、肉塊の防御を突破することは難しいと察した。

 一方、この場で最も小さな背丈の、最も強いマスターは動じずに目に出て、

 

「その変な粘土、気持ち悪いわ」

 

 冷たく吐き捨てる。

 しかし殺気は薄い。殺そうと言うほどの興味を、目の前の二人に抱いていなかった。イリヤスフィールはただ汚物に対する蔑みの視線を投げかけ、

 

「やっちゃいなさい、バーサーカー」

 

 殲滅を命じた。

 

「―――――――ッ!!」

 

 最強のバーサーカーの咆哮と共に、遠坂邸での戦いが幕を開けた。

 

   ◆

 

「ウイルス使いはものにしそこなったわい……」

『そう。でもいいんじゃない? 遠坂の方は捕らえたことだし』

 

 暗がりの中で矮躯の老人が、さして残念そうでもない声音で呟く。その言葉を聞く赤髪の女も終わったことには興味を持っていない様子であった。魔術的な通信で会話する二人は、それぞれの行動の結果を報告し合う。

 

「まあのぉ……だが所詮はどちらも些事よ。これからが重要なのじゃからな」

 

 パッショーネの情報網を握り、凶悪なスタンド能力を持つパンナコッタ・フーゴ。

 御三家の末裔にしてアーチャーのマスターであり、この聖杯戦争の参加者の中でトップクラスの魔術の腕前を持つ遠坂凛。

 

 そのどちらをも『取るに足らない』と言い放ち、間桐臓硯は余裕のない厳めしい顔でソラウに告げる。

 

「急げよ。好機なのだからな」

『ええ、ズィーズィーの【運命車輪・鋼鉄餓獣(ホウィール・オブ・フォーチュン)】なら、もう数分もかからないわ』

 

 道なき道を走る【運命車輪・鋼鉄餓獣(ホウィール・オブ・フォーチュン)】の速度は、従来の自動車など足元にも及ばない。目撃者を気にしなければの話だが――今更気にするような彼女ではない。

 生粋の魔術師である臓硯からすればあまり気持ちのいい話ではないが、一般人に見られても、せいぜい猛スピードで暴走する自動車の怪談が流行る程度だろう。

 

「よもやアインツベルンが衛宮の(せがれ)と共に来るとは……予定がちと狂ったが仕方あるまい」

 

 臓硯は目の前にあるものを睨む。前回の聖杯戦争が終わってから十年かけて組み上げた『作品』を。

 

 黒より黒く、この世の何よりも黒く――光を一切受け入れぬ闇の塊のようなソレ。漆黒の繭のような、楕円球のナニカ。

 

 それこそは、かつての聖杯戦争で砕けた聖杯の欠片をベースに、臓硯が自分の都合のいいように手を加えてつくりあげた『マキリの聖杯』。

 

 黒く黒く黒く――この世で最も邪悪な器。

 

「これにて我らは望みを叶える……」

 

 かつて人類から悪を根絶しようとした魔術師は、その悲願のすべてを忘れ去り――ただ願いの果ての残骸のみを追い求める。

 

「我らがあげる祝杯のため……贄となってもらおうぞ」

 

 端的に言って――世界は危機に瀕していた。

 

 

 

 

 ……To Be Continued

 

 



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ACT17:間桐臓硯の企み(中)

 テニール船長(キャプテン・テニール)と名乗ったサーヴァントに向かい、バーサーカーが走り、間合いを詰める。

 バーサーカーのスタンド、【星の白金(スター・プラチナ)】の射程距離は約2メートル。殴るにはその範囲内まで近寄らなくてはならない。

 

「おぉっと、まずは俺の相手をしてもらうぜ? 承太郎先輩?」

 

 バーサーカーの前進を阻み、ラバーソウルが立ちはだかる。彼の身にへばりついた肉塊こそは彼のスタンドにして宝具、【護り喰らえ黄の節制(イエロー・テンパランス)】。

 

 タロット、大アルカナの14番目、『節制』の暗示。

 正位置においては、節制、自制、調和、献身。

 逆位置においては、浪費、消耗、生活の乱れ。

 

「オラオラオラオラッ!!」

 

 星をも砕かんばかりの剛拳がラバーソウルに向かい叩きつけられる。しかしラバーソウルは余裕の笑みを浮かべたまま避ける素振りも見せなかった。

 

「なっ……!?」

 

 士郎が思わず声を上げた。かつて士郎の目の前でセイバーを始め、三体のサーヴァントを蹂躙したバーサーカーの拳の連打(ラッシュ)が、

 

「効かねえよ、この田吾作がァ!!」

 

 完全に防御され、弾かれたのだ。

 

「馬鹿めがっ! 前にも言っただろうが! 俺のスタンドは『力を吸い取る鎧』! 『攻撃する防御壁』! どんな攻撃だろうとエネルギーは分散されて吸収されちまうのだ! てめぇの拳でも【護り喰らえ黄の節制(イエロー・テンパランス)】を破壊することは不可能よ!」

 

 ラバーソウルのまとう肉塊は、拳を叩き付けられても若干へこむのみで、貫かれることなく、その威力を本体まで決して届かせなかった。それどころか、大きく広がった肉塊は大きく顎を開いた鮫のように、バーサーカーへと迫る。

 覆い被さり、食らいつくために。

 

「かつてのように水に沈める戦法は使えねえ! つまりッ! 今の俺には本当にッ、何一つぅッ! 弱点はないッ! わかったかビチグソがっ!」

 

 ラバーソウルにとって、バーサーカー・空条承太郎との戦いは二度目であった。サーヴァントになる前、ラバーソウルはDIOに雇われた刺客としてジョースター一行を襲ったことがある。

 スタンド【黄の節制(イエロー・テンパランス)】に守られた彼は、承太郎の攻撃をすべて無効化したが、川の中に沈められ、呼吸を塞がれてしまった。【黄の節制(イエロー・テンパランス)】に包まれたまま呼吸はできず、しかたなくスタンドの防御を解いたところをぶちのめされたのだ。

 だがサーヴァントになった彼に呼吸は必要なく、溺死する心配もない。したがって同じ負け方をすることはない。安心して下品な罵声を放ち、ラバーソウルは得意気に笑う。しかし次の瞬間、

 

「ぼげえっ!?」

 

 ラバーソウルの目の前からバーサーカーの姿が消え、【護り喰らえ黄の節制(イエロー・テンパランス)】の邪魔が無い横合いから、【星の白金(スター・プラチナ)】の拳が抉り込まれた。

 ラバーソウルは無様に殴り飛ばされ、床をもんどりうって倒れ込む。

 

「はひぃ~、はひぃ~」

「移動した瞬間が、スタンドの視覚をもってしても見えなかった……『時間停止』か」

 

 かつてテニールの主だった男と、同じ種類の能力。

 

 サーヴァントとなったことで宝具へと昇華されたその力。

 

 

 世界の時の流れを止める――【世界果てるとも星は輝く(スター・プラチナ・ザ・ワールド)】。

 

 

 だがその最強無敵のスタンドもさることながら、テニールの背すじを冷たくするのはバーサーカー自身の洞察力と判断力であった。

 

(本当にバーサーカーかよ……。的確に能力を使ってきやがる)

 

 テニールはかつて自分を殺した相手の脅威を、改めて思い知る。絶体絶命に陥ってなお、冷静に計算して一発逆転を果たした機転と知性は、狂気を伴いながらなお健在と見るべきだと認識した。

 

(もともと、アーチャーがこの家に戻ってくるだろうってことで待ち伏せていたが……アインツベルンまで来るってのは計算外だしな。さすがに多すぎる。ここは……数を減らさなくちゃな)

 

 心の中で算段をつけ、赤っぽい髪の少年へと顔を向ける。その視線に気づいた少年は急に自分を見たことを妙に思いながらも、睨み返して問う。

 

「なんだ?」

「お前は衛宮士郎だったな?」

「……だから、なんだ」

 

 嗜虐的ににやつきながら、テニールは言った。

 

「てめえの家は、今どうなってるだろうな? 確か藤村大河……だったか」

「っ!!」

 

 士郎の顔色が変わる。恐怖、怒り、不安、焦り、敵意、痛み。

 多くの感情が()()ぜになったため、逆に激発する寸前で止まり、不安定に混乱したまま体を硬直させて、言葉もなく立ちすくむ。わかりやすい感情と共に動いたのは、別の人間であった。

 

「テメエ! 何しやがったァッ!!」

 

 虹村億泰が血相を変え、率先して怒鳴る。舞弥の眉もかすかながらつり上がった。セイバーの殺気が増し、誰も気づくことは無かったが、アーチャーも奥歯を噛みしめていた。

 士郎たちには敵が何体いるのかわからない。大河にまで手を回しているのが本当かどうか、判断できない。

 だがもしも本当に邪悪そのものの連中が、あの朗らかで子供っぽい女教師に手を伸ばしているとしたら……。考えたくもない話であった。

 特に士郎にとって、大河は最も身近な日常の幸福を象徴するような人物だ。自然と体が震え、血の気が引き、顔が青ざめる。しかし、うかうかと敵の言葉に乗せられていいものか。

 今すぐにでも駆け出し、手のかかる姉のような女性の安否を確かめたいが、そうしていいのか――わからない。士郎をはじめとして、この場にいる大河と既知の者は全員、そう考えて迷っていた。

 

「ふぅ……シロウ、ここは私とバーサーカーだけでいいわ。貴方は家に戻りなさい」

 

 行動に迷う士郎たちを救いあげる言葉を、イリヤはこともなげに言った。

 

「え……? だけど、相手は2体も」

「あら? 3体まとめて圧倒したところを、その眼で見たはずだけど」

 

 士郎が心配そうな顔で躊躇いの言葉を口にするが、イリヤはその心配を笑っていなす。

 

「早く行きなさい。私との話はまだ全然終わってないのだから……些末事はさっさと片付けないと、続きを始められないでしょう」

 

 弟をしつける姉のように、優しくも有無を言わせぬ口調で、士郎に言い聞かせる。

 

「……行きなさい。士郎」

「舞弥さん」

「私たちも残ります。大河さんは貴方とセイバー、アーチャーに任せます」

 

 舞弥も士郎に、ここは分かれて行動すべきと促した。

 

「なぁに安心しろよ」

 

 億泰もまた、口を開いて言う。

 

「承太郎さんがついてる。絶対負けやしねーさ」

 

 全幅の信頼が籠った言葉。それを向けられた最強のスタンド使いは黙して立つのみ。だがただ立つだけの姿にさえ、誇り高さを感じさせる。

 

 それが空条承太郎という男だ。

 

「…………わかった。必ずすぐに、また話そう」

「ええ。楽しみしてるわ。シロウ」

 

 言葉を終えると同時に、イリヤは美しく整った腕を、指揮棒のように強く振るって見せた。それを合図に、バーサーカーが吠える。

 

「オラァッ‼」

 

 バーサーカーが掛け声を轟かせながら拳を叩き付けたのは、敵二人ではなく、自分の足元だった。部屋の床を構築する木材が、スタンドの激しい拳打を振るわれて砕ける。拳の一発で床全体の半分が割れ、建材が跳ねて周辺に飛び散った。足元を中心に、床全体に亀裂が走り、亀裂はすぐさま壁を伝って部屋全体を砕いていく。

 間髪入れず、スタンド・【星の白金(スター・プラチナ)】は更に拳を重ねていく。

 

「オラオラオラオラオラオラオラッ‼」

「オイオイ、まさか……」

 

 テニールが少し慌てた様子になる。既にバーサーカーの足元はクレーターのように、陥没していた。拳が叩き付けられるごとに、部屋全体が震え、天井から破片が剥離して落ちてくる。電灯が罅入り、割れて砕けた。部屋の震動は次第に大きくなり、もはや壁にも天井にも亀裂が入り、家具が倒れ込む。

 

「崩れるっ!」

 

 アーチャーが叫んだとほぼ同時に、天井が崩れて落下。壁も崩壊し、部屋全体が倒壊していく。

 崩壊が始まったが最後、天井全体が落ち、部屋全てが潰れるのに三秒とかからなかった。その余波を受け、遠坂邸の一角、建物全体の約二割が壊滅することとなる。

 イリヤが合図をくだしてから、十秒足らずの時間で起きた惨事であった。

 

 

   ◆

 

 土煙を立てて崩れた瓦礫の山の一部が盛り上がり、下から二人のサーヴァント――テニールとラバーソウルが這い出した。サーヴァントである以上、ただの物理的な質量で傷を負うことはないが、視界が塞がれると敵を見失いはする。

 

「埃塗れだぜ。ビチグソがぁ……!」

 

 忌々しいと、ラバーソウルがその辺りの木材の破片を蹴り飛ばす。士郎たちを逃がすために、派手な行動をとったのだろう。実際、いきなりの破壊行動で状況が混乱し、テニールとラバーソウルも機敏に行動できなかった。

 おかげで士郎たちがどちらへ行ったのかもわからない。

 

「あの雑魚野郎ども……まんまと逃げやがったな」

 

 テニールが苛立たし気に唸る。逃がすのは狙い通りだったが、隙あらば逃げる背後から撃つことも考えていた。それが隙を狙うどころの騒ぎではなくなり、士郎たちを脅すことで握った、場の空気の主導権も奪われてしまったのだ。

 その場において精神的に上に立つことは戦況のコントロールにも繋がる大事な要素であるが、特にスタンド使いの戦いでは精神的な有利さが、そのまま戦闘力の向上になる。強気であればそのまま強くなり、弱気になれば弱くなるということだ。

 

「あら、ようやく出て来たのね」

 

 ゆえに、こういう上から目線で畳みかけられるのはあまりよくない。

 月明かりを浴びる妖精のような魔少女と、凄味を撒き散らす偉丈夫のサーヴァントと対峙しながら、テニールは舌打ちした。

 

「チッ……ガキが調子に乗りやがって」

「ふぅん? 調子に乗ってたら……どうするつもり?」

 

 冷たく見下すイリヤスフィールに、キャプテン・テニールは邪悪に笑いかけ、

 

「こうするんだよ! お嬢ちゃん!」

 

 イリヤの足元から、瓦礫を吹き飛ばしながら鱗の生えた腕が伸び上がった。指の一本一本を飾る鋭い爪が、荒々しく少女の白い肌に襲い掛かる。

 

「殺せっ! 【深く沈みし暗青の月(ダークブルームーン)】!」

 

 テニールが潰れた屋根の下から出て来た時、すでにテニールのスタンドは潜航し、身をひそめながら瓦礫を掻き分け、イリヤの足の下にまで辿り着いていたのだ。

 

 タロット、大アルカナの18番目のカード――『月』の暗示のスタンド、【暗青の月《ダークブルームーン》】。

 正位置においては、不安定、潜在する危険、虚偽、猶予の無い選択、洗脳、トラウマ。

 逆位置においては、失敗にならない過ち、未来への展望、優れた直感。

 

 水のトラブル、嘘と裏切り、未知の世界への恐怖を表す――幻惑と偽りのスタンド。

 

 半魚人のような不気味な格好(フォルム)をしたスタンド、【深く沈みし暗青の月(ダークブルームーン)】はパワーもスピードも、バーサーカーの【星の白金(スター・プラチナ)】には敵わない。

 しかし一点、【星の白金(スター・プラチナ)】より優位なことがある。

 

 それは『射程距離』。

 

【<ruby><rb>星の白金</rb><rp>(</rp><rt>スター​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​・​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​プラチナ</rt><rp>)</rp></ruby>】も近距離パワー型のスタンドの中では、射程距離の広い方であるがテニールのスタンドはそれを上回る。本体は船の上にいながら、スタンドは水中で行動させることができることも可能だ。

 本体に注意を引きつけ、スタンドで不意を打っての攻撃。人食い鮫を両断し、頑強な船のスクリューでもズタズタにできる爪は、か弱い人型なぞ薄紙のように引き裂くだろう。

 

 当たればの話だが。

 

「【ザ・ハンド】!」

 

 イリヤが切り裂かれようとした瞬間、少女の姿がかき消えた。爪は虚空を薙ぎ、無為に終わる。

 

「――――ッ!」

 

 そして瓦礫から上半身を突き出した体勢の半魚人スタンドに、近距離パワー型の拳が打ち込まれる。下から繰り出されたアッパー系の一撃は、【深く沈みし暗青の月(ダークブルームーン)】を高く上空へ叩き上げた。

 

「げふぅっ!」

 

 中々長い滞空時間を経て、やがて落下して転がる【深く沈みし暗青の月(ダークブルームーン)】。ここにテニールの奇襲は失敗を迎えた。

 

「へっ、その程度の策は織り込み済みなんだよッ!」

 

 脇にイリヤを移動させた億泰が得意気に言う。

 

「……別に、あのくらい防げたわ」

 

 一方、素っ気ない口ぶりでイリヤは人差し指を振った。少女の服の下から銀色の針金が伸び、空中を走って形を作り、針金細工の鳥となる。錬金術を得意とするアインツベルン家の魔術であり、その強度も中々のものだ。確かに爪の斬撃にも耐えられたかもしれない。

 

「ともかく、これで一体仕留めたわね。バーサーカーの拳を防御もできずに喰らって、無事で済むはずが」

 

 イリヤは自慢のサーヴァントのパワーを信頼していた。実際、【星の白金(スター・プラチナ)】の一撃は大型トラックだとて正面から殴り飛ばす。少なくとも戦力は相当に減少するはず――

 

「ククックク……やるねぇ」

「……まさか」

 

 イリヤは素直に驚きの表情をつくる。【深く沈みし暗青の月(ダークブルームーン)】は平然と立ち上がり、爪を構えていた。

 

「なるほど……厄介な『鎧』を着込んでいるね」

 

 キャスターの目が鋭くなり、声に危険への緊張が混じる。半魚人じみたスタンドの体に、おぞましい粘液がへばりつき、蠢いていた。【護り喰らえ黄の節制(イエロー・テンパランス)】――『力を吸い取る鎧』『攻撃する防御壁』。

 

「まあそういうことだ……お嬢ちゃんたちの攻撃はほぼ、俺たちには通用しない」

 

 注視すれば、テニールの身にも【護り喰らえ黄の節制(イエロー・テンパランス)】が絡みついていた。

 イリヤは顔をしかめる。彼女は夢の中でバーサーカーの記憶を見聞きし、ラバーソウルのスタンドについての知識を得ていた。

 

 物理攻撃の一切を跳ね返し、高熱も冷却も通用せず、むしろ力を増してしまう。吸収するエネルギーに上限があるのかは不明だが、試す気にはならない。今はこの場から離脱しているが、もしもセイバーの【約束された勝利の剣(エクスカリバー)】の力さえ吸収されてしまったら目も当てられない。

 

「ちょっとばかり厄介かもね……貴方たちも気をつけなさい。あのスライムに食いつかれたら、取り外す手段はないわ。肉ごと抉り取る以外にはね。それでも外さなければ、だんだん侵食されて食われ果てることになるけれど」

 

 ゾッとするような事実をイリヤに説明され、滅多に表情を変えない舞弥でさえ眉をしかめる。

 

「確実に破壊することができるものがあるとすれば、億泰くんの【ザ・ハンド】か……」

 

 キャスターは正確に敵味方の能力を分析し、結論付ける。確かに【ザ・ハンド】ならば防御力など無視して粘液を削り取れる。しかしそれは相手もわかっている。おいそれと削らせてはくれないだろう。

 いくら【ザ・ハンド】が万物を抉り消せるとはいえ、あくまで右手で触れたものだけだ。他の肉体部位を【護り喰らえ黄の節制(イエロー・テンパランス)】に攻撃されたら防げない。そして抉り取るときは大きな動作になるため、隙も出来やすい。

 

「億泰くん。まずは私が仕掛けるからサポートを頼む。チャンスがあれば必殺の右手をお見舞いしてやってくれ」

「おう! 任されたぜ!」

 

 決め手となる億泰を最初から矢面に立たせるのは危険と判断したキャスターが、前に出る。

 キャスターとラバーソウル、バーサーカーとテニールが噛み合う構図となり、戦いが再開された。

 

   ◆

 

 道なき道を二つの影が疾走する。一つは赤き弓兵、一つは少年一人を抱きかかえた青い鎧の剣士であった。

 草木の生い茂る山道も、立ち並ぶ住宅の屋根の上も関係なく、一直線に突き進んでいく。走り、跳び、越えて、目的地である衛宮邸まで最短ルートに。

 流石の士郎もジェットコースターよりも速く激しい機動には吐きそうな気分になるが、必死に耐えていた。

 

「っ……あれを」

「……衛宮?」

 

 そんな人が目を向けぬ屋根の上の爆走を、気配を感じて捕らえたのは時計塔の執行者であるバゼットだった。彼女が指差した先によく知る相手がいることを、慎二も認める。

 慎二たちもまた衛宮邸に向かおうとしていた。今彼らが使っているのは、パッショーネで使っている自動車、運転はまだ本調子でないフーゴの代わりにバゼットだ。

 運転に関してバゼットは、飛行機の運転もできる達人である。非常事態においてはとても役に立つ女だ。しかし慎二は、エルメロイ教室の面々に通じる一般社会との不適合性――いわゆる『残念さ』をバゼットから嗅ぎ出しているのだが。

 

「方角的に衛宮の家に向かっているな。こいつは……向こうでも何かあったか?」

「……飛ばします」

 

 バゼットが強くアクセルを踏み込み、ハンドルを回し、反対車線に飛び出した。当然向こうから走ってくる自動車とぶつかりそうになるのを辛くも避けながら、車線を時速100キロで逆走していく。

 

「うおっ!?」

「少し荒っぽくします。ご注意を」

「おい? あまり表側で目立つと僕が、後でボスや藤村組から怒られ……」

 

 慎二の声やフーゴの訴えを無視して、バゼットは鋭い運転を開始した。慎二たちにとって気の休まらないドライブの幕開けであった。

 

   ◆

 

「俺の【護り喰らえ黄の節制(イエロー・テンパランス)】に弱点はないッ! 磨り潰されて養分になりなッ! カスがぁッ!」

 

 罵声を飛ばしながら、ラバーソウルが動いた。自分の纏う肉塊の鎧を四割ほど分裂させて、鎌首をもたげる蛇のように動かし、キャスターへと襲い掛からせる。

 

「まったく……口汚い男だ」

 

 辟易した様子で呟くキャスターであったが、侮る気配は微塵もない。実際、ラバーソウルは強敵であった。キャスターには【護り喰らえ黄の節制(イエロー・テンパランス)】を破る効果的な攻撃手段がない。波紋法と体術を駆使して強力な打撃を放つことはできようが、そんな単純な物理攻撃は無効化されてしまう。

 

「まずは……パウッ! パウパウッ!」

 

 素早く携帯していたペットボトルの水を口に含み、口内で高圧力をかけてウォーターカッターとして吐き出す。鉄をも切り裂く波紋カッターが、迫りくる恐怖映画のスライムの如き、醜悪な怪粘液へと飛来した。

 

「チャチな攻撃よのぉ~! 打撃も斬撃も無駄なんだよぉ! ドゥー・ユゥー・アンダスタンンドゥ!」

 

 しかし肉塊の障壁は回転する液体の刃も通用しなかった。水に波紋を含ませて流し込んでもいるが、波紋エネルギーさえ吸収し、むしろカッターが斬りつけた部位の体積が増し、膨らんでしまう。

 

「ううむ、こりゃ厄介だ」

「よぉし俺が!」

 

 後退するキャスターを見て、この中で【護り喰らえ黄の節制(イエロー・テンパランス)】に対し最も有効な能力を持つ億泰が、加勢しようとする。

 しかし敵はそれを良しとしない。

 

「動くんじゃねえ! 【深く沈みし暗青の月(ダークブルームーン)】!!」

 

 テニールのスタンドは大きく腕を振るい、腕に生えている鱗を飛ばした。生前は得意な水中に敵を引きずり込んでから使っていた鱗の刃。陸上では敵も逃げ回れるため効果でいえば水中より落ちるが、殺傷力は中々だ。特に数が多ければ、凶悪な攻撃手段になる。

 

「魔力が供給されていれば、鱗は何枚でも生やせるッ! 弾数は無限よ!」

 

 一つ一つが刃のように鋭い鱗が、散弾銃よりも広範囲に放たれ、彼の敵対者たちに浴びせかけられる。

 

「オラオラオラオラオラァッ!」

 

 真っ先に反応したのはバーサーカーであった。

 スタンド【星の白金(スター・プラチナ)】のラッシュは、強烈かつ正確に、鱗の散弾を叩き落としていく。宝具【世界果てるとも星は輝く(スター・プラチナ・ザ・ワールド)】を使うまでもなく、鱗の半分は彼によって防がれた。

 

「こっちにも来やがったぜ!」

 

 残りの半分の鱗弾に、億泰のスタンドが右手を振るう。だが、【ザ・ハンド】の右手は強力であるが、弧を描き削り取る動きであるゆえに、動作が大きく、すなわち一撃一撃の多くの時間を必要とする。さらに言えば、億泰自身の性格もあって正確さはあまり高くない。当てれば確実に破壊できるが、遅く、狙いが甘い。防衛にはやや不向きなスタンドなのだ。

 よって、取りこぼしが出てしまうのは自然の流れであった。

 

(しまった!)

 

 鱗弾を一つ、削り切れずに素通りさせてしまう。そして、その鱗弾の弾道上には――舞弥が立っていた。

 

「舞弥さんっ!」

 

 億泰が慌てた声を上げるが、当の本人はいたって涼しい顔で動く様子もない。

 

 鱗弾は夜の暗さの中で、月の光に微かに煌めきながら飛び、そしてガチンッと弾かれた。

 

「なっ……こいつは」

「気づかなかったのオクヤス。言ったでしょう? あの程度は防げたって」

 

 鱗弾を弾いたのは銀色の鳥――アインツベルンの金属鳥。イリヤの操る使い魔が飛来し、舞弥の盾となったのだ。

 

「感謝します。イリヤスフィール」

「別に……話が終わっていないのは、貴方ともだし、ね」

 

 イリヤのその言葉は士郎と共に、テーブルにつく資格が舞弥にもあると認めているということ。家族であると認めていることの裏返し。この子供らしい酷薄さを孕む少女が、どうでもいいものをわざわざ護る理由はないのだから。

 

「俺からもありがとうだぜ! イリヤ!」

「はいはい……とにかく、こいつらを片付けるわ。やっちゃえ、バーサーカー!」

 

 イリヤの下した命令に、バーサーカーの姿が消えた。同時に、テニールが5メートルばかり後方に倒れていた。

 吹き飛ばされて倒れたのではなく、吹き飛んで倒れた状態に気がついたらなっていたのだ。

 

世界果てるとも星は輝く(スター・プラチナ・ザ・ワールド)】だ。感覚にして5秒、バーサーカーは世界を支配していた。

 

「ぐぬ……また時を止めたか」

 

 先ほどまでテニールのいた位置――その近くに立っているバーサーカーを見て、テニールは状況を把握する。時を止めて、近づいて殴った。それだけのことだが、時の流れに抗えない身では決して避けられない攻撃だ。

 

(だが、ダメージはねえ。一見、顔などの【護り喰らえ黄の節制(イエロー・テンパランス)】に覆われていない露出した部位があるように見える……。だが実際は肉のスタンドは俺たちの全身を余すところなく覆いつくし、擬態しているにすぎない。つまり、どう殴ったところで致命傷にはならね~~)

 

 かつて、ラバーソウルが【黄の節制(イエロー・テンパランス)】を全身まとわらせて変形させ、花京院典明という承太郎の仲間に化けていたように、先ほど、壁の一部に成りすましていたように、ラバーソウルのスタンドはかなり精密に変形することができる。

 先ほどバーサーカーは、テニールの顔や腕の一部など、見たところ【護り喰らえ黄の節制(イエロー・テンパランス)】の防御がされていない部位を狙って拳を叩き込んだ。バーサーカーとは思えない、急所への的確な攻撃であるが、実際のところは見せかけで弱点ではない。そこもまた完璧に防御していたのだ。

 先ほどラバーソウルが無防備な顔面に一撃喰らったのは、『防御が完全でない』と敵に思い込ませるための策略である。今頃は、ラバーソウルの方も顔を完全に覆い、もう一度殴られても防げるようにしている。

 

(隙があるように見せて無意味な攻撃をさせ……逆にこちらが隙を突くって寸法よ!)

 

 ヨロヨロと、拳が効いたふりをしながら立ち上がる偽テニール船長(キャプテン・テニール)。テニールと連動して吹き飛び、倒れていた【深く沈みし暗青の月(ダークブルームーン)】もまた立ち上がり、無理しているような動きで構え、腕を振るう。

 再び、鱗弾が次々に発射された。

 

「今度はさっきより多く、広範囲にだ! てめえ自身はともかく、仲間まで護り切れるかなぁっ!?」

 

 時を止めたところで、【星の白金(スター・プラチナ)】の射程距離では、広く撒き散らされた鱗弾全てには届かない。イリヤの使い魔でも同様だ。これを何度も繰り返せば、いずれ誰かを負傷させられる。そう思い、昂ぶり嘲るテニールを、バーサーカーは狂戦士らしからぬ冷たい目で見た。

 

「――――」

 

 時が止まり、そして動き出した瞬間、カカカカーーーンッという甲高い打撃音が響く。光の線が縦横無尽に空間を走り、別の光と衝突して明後日の方向に飛んでいく。数十個もの微かな光は、鱗弾だ。鱗が互いをビリヤードのように弾き合い、狙いとは違う方へと飛んで行ってしまう。

 

「なんだぁっ!? こいつはまさかっ、貴様っ、こんなことを狙って……!?」

 

 テニールは目の前で起きたことが信じられなかった。時を止めたのは予想内だが、それによってただ鱗弾を弾き飛ばしただけではない。弾き飛ばした鱗弾をまた別の鱗弾に当てて弾き、更に弾かれた鱗弾は別の鱗弾を弾く。その繰り返しによって、わずかな動作で広範囲に放たれた多くの鱗弾を、全て吹き飛ばしてしまったのだ。

 

(バーサーカーだろっ? バーサーカーのはずだろぉっ!?)

 

 内心、悲鳴をあげるテニール。無理もない。こんな複雑で精密な回避方法、バーサーカーにできる方法ではない。できるはずがない。バーサーカーにこんな計算しつくされた動き、可能なはずがない。

 それとも本能か? 獣であっても、本能が研ぎ澄まされれば人間以上に知的な行動をとることがある。鼠が跳弾を利用したり、猫が血管に空気を送り込んできたりすることもある。それと同じ、本能のおもむくままに知性を超えた最善手を打って来たのか?

 

(違う)

 

 テニールは直感的に悟った。バーサーカーがこちらを睨む、恐ろしく強い眼光を浴びて、魂が理解した。

 

(こいつは計算で俺の鱗を防いだんじゃねえっ!『凄味』だッ! こいつは『凄味』で俺の攻撃を防ぎやがったッ‼)

 

 ジャンケンの勝負は運が決定するのだろうか?

 

 いいや違う。

 

 運によるものには違いないが、運を呼び込むものは精神のパワーだ。精神的に相手を上回ることが強運をもたらす。強き者は運命を味方につけることができる。

 

 バーサーカーもまた、その精神的な凄まじさによってテニールの戦術を上回ったのだ。

 

(ヤバイっ! バーサーカーであるこいつは理性的な判断ができないと思っていた! それがこちらのつけいる隙になると思っていた! だが違う! この男にはそんなものは何の障害にもならない! このままじゃっ!)

 

 顔を蒼白にしたテニールは、自分たちがいかに侮っていたかを痛感した。無論、理性の在る状態であれば、これ以上に抜群の知力と判断力を発揮でき、更に強力になるのだろうが、バーサーカーだから弱体化しているなどと考えるのは誤りであった。

 

 空条承太郎が弱くなっていると期待するなど、愚かしいことだった。

 

 だが今更、他に手札はない。

 

「【深く沈みし暗青の月(ダークブルームーン)】ッ!! 全ての力を振り絞れぇぇぇぇぇッ!!」

 

 まさに鬼気迫る、という言葉の当てはまる形相で両腕を振るい、先ほどに倍する数の鱗弾を発射する。

 

「――――ッ!」

 

 バーサーカーもまた両の拳を握り、目にも映らぬラッシュを繰り出した。拳に弾かれた鱗弾は、またしても他の鱗弾に当たり、次々と本来の射線から外れていく。たとえ鱗弾の数が3倍であろうと、バーサーカーたちに掠り傷一つ負わせられないだろう。

 絶望から額に汗をにじませ、テニールは呻く。だが彼の寿命を延ばせそうな手は、他になかった。

 

 一方、もう一人のディオズ・サーヴァント――ラバーソウルはテニールの様子に慌てていた。

 

(おいおい……ひょっとしてヤベーのかぁ?)

 

 テニールほどバーサーカーの脅威を実感したわけではないが、悪い流れであることは感じ取れたラバーソウルは、自分だけ逃げてしまおうかと、邪魔者のいない方向に視線を向ける。しかし、

 

「おっと……そちらから仕掛けておいて、勝手に逃げようなんてムシが良すぎるんじゃないかね?」

 

 その目つきに気づいたキャスターが回り込み、立ち塞がった。

 

「ジジイっ! さっき何もできなかったくせに、邪魔すんじゃねえっ! スカタンがっ!」

 

 ラバーソウルの纏っていた【護り喰らえ黄の節制(イエロー・テンパランス)】の体積が、倍以上に膨れ上がり、爆発したように襲い掛かる。大顎を開いた鰐のように、キャスターへと喰らいかかった。

 

「確かにさきほどは決め手がなかったが……今は違う」

 

 普通、醜悪な粘液が飛びかかってきたら、身を退くところだろうが、今のキャスターは違った。

 

「むぅんっ!」

 

 足を踏み込み、腕を振るった。右腕がグーンと伸び、本来の射程距離を超えて、届かないはずの間合いを詰める。だが顔面に迫る拳を見ても、ラバーソウルは薄ら笑いを消さなかった。パンチ程度では【護り喰らえ黄の節制(イエロー・テンパランス)】の防御を破ることはできない。波紋の力を流し込まれても吸収することができることは証明済みだ。

 

(調子に乗りやがって! 俺のハンサム顔に触れた瞬間、喰らいついてやるぜ!)

 

 内心で高らかに嘲笑うラバーソウルだったが、その拳が当たる直前で形を変えようとしているのを察した時、余裕が凍り付いた。

 

(こっ、こいつッ‼ 気づいてやがるのかっ!?)

 

 キャスターの手が拳の形から、人差し指と中指を伸ばし、ピースサインのような形になる。そしてそのままラバーソウルへと伸び、

 

(うぉぉぉぉぉっ‼ やめっ―――!)

 

 ズンッと、ラバーソウルの両目に2本の指が突き刺さった。

 

「ドベェェェェェェェッ!!」

 

 激痛に襲われたラバーソウルが絶叫した。普段、【護り喰らえ黄の節制(イエロー・テンパランス)】の絶対的な防御に守られている彼は、痛みに酷く弱い。かつて承太郎との戦いでは一撃殴られただけで情けなく戦意を喪失したほどだ。

 

「てめっ! やめろっ! やめてやめて許してくれぇぇぇぇぇっ!」

「そうはいかない。こんな機会はもうないだろうからね」

 

 懇願するもキャスターはかぶりを振る。

 自慢げに弱点は無いと語ったとおり、【護り喰らえ黄の節制(イエロー・テンパランス)】はまさに鉄壁だ。少なくともキャスターの力で突破できるものではない。

 しかし『穴』はあった。キャスターはそれをその身に刻み込んだ『戦いの思考』をもって、見つけだしたのだ。

 

(相手の立場になって考える……テニールの反応。明らかに怯えていた。【護り喰らえ黄の節制(イエロー・テンパランス)】が完全であれば、怖がることはない。つまり彼の行動は、弱点があると教えているも同じ)

 

 そして弱点になりうる部位を探した。普通の鎧に当てはめて考えると、どうしても隙間を空けておかなくてはならない部分が存在することに気づく。すなわち、『目』だ。

 粘液状の防御壁は、関節部もくまなく覆えるが、目はそうはいかない。目を覆ったら視界が塞がれる。どうしても開けておかなくてはいかないのだ。テニールの場合、【深く沈みし暗青の月(ダークブルームーン)】の腕もそうだろう。鱗弾を発射するため、肉塊で覆うわけにはいかない部位だ。

 このように、防御してしまうことで本来の役割を果たせなくなる部位は、防御するわけにはいかない。それが【護り喰らえ黄の節制(イエロー・テンパランス)】の弱点だ。

 

「くらえっ! 緋色の波紋疾走(スカーレット・オーバードライブ)‼」

 

 眩い光がキャスターの指先から弾け、稲妻のような衝撃がラバーソウルに流し込まれた。

 

「ウギャギャギャギャギャギャァァァァァァァ!!」

 

 耳を塞ぎたくなるような悲痛な絶叫があがり、波紋エネルギーによって発生した熱がラバーソウルの両眼を焼き焦がした。顔が炭化し、キャスターの指が引っかかっていた部分が崩れる。

 

「ひぃぃぃぃぃぃっ!」

 

 指が顔から離れたことで、ラバーソウルはこの時しかないとばかりにキャスターに背を向けて転がるように逃げ出す。しかし、

 

 ガオンッ!!

 

 逃げるラバーソウルが5歩と走らぬうちに、彼の左胸を妙な感覚が通り抜けた。殴られたのではない。叩かれた感触はなく、衝撃で身が押しのけられるということもない。

 

(なんかスースーするような……)

 

 左胸に手を触れようとしたが、その時には既に手はなくなっていた。

 

(あれ? 俺の手はどうした?)

 

 目を失ったラバーソウルが、腕を動かす感覚が消えていることに気づいた直後、イレギュラーなサーヴァントの姿は光の粒子となって消滅した。

 

「いっちょうあがり……ってとこだがよぉ。何度やっても不思議だよなぁ。俺のスタンドで削り取ったやつは、一体どこにいっちまうんだろう」

 

   ◆

 

「ぐっ……ラバーソウル……ギャッ!」

 

 相方がやられたことに気づき、更なる焦燥に襲われるも、直後足に痛撃を受けて転倒する。テニールが右足に視線を向けると、ふくらはぎが抉れて、骨まで見える有り様だった。

 だが痛みは大して感じていない。それ以上の恐怖に囚われているため、痛がるような余裕がないのだ。その恐怖の対象は悠然と立ち、倒れたテニールを見下ろしていた。

 

「ヒィッ……ま、待て、待ってくれッ!」

 

 ラバーソウルが敗れ、【護り喰らえ黄の節制(イエロー・テンパランス)】が消失した今、テニールを護るものはない。弱点である目だけでなく、どこを殴られてもそこでジ・エンド。テニールはこの世から消滅するだろう。

 

「士郎が行ってから10分くらいかしら。追っかければ間に合うかもね」

 

 イリヤは遠坂邸の門に目を向ける。既にイリヤには、偽テニール船長(キャプテン・テニール)に対する関心は微塵もない。

 視界に入れられることさえなく、鉄拳によって滅びさる直前のテニールだった。だが、

 

「えっ?」

「明かり!?」

 

 その周囲は突然浴びせかけられた強い光に照らされ、昼間のように周囲が明瞭に見えるようになる。その降って湧いた突然の光源は、一部崩れた遠坂邸の屋根の上にあった。

 

「あいつは……こないだの自動車スタンド!」

 

 顔を上げたキャスターは、その眼に屋根に乗っかった、奇怪な自動車を発見した。前方のライトから、ただの自動車が出すにしては強い光線を放っている。だがそれだけだ。光自体は、こちらを傷つけるようなものではない。

 ただ、舞弥は周囲を見てふと気づく。

 

「……? これは、なんだかキラキラしているような」

 

 周囲のあちこちで、小さな粒が煌めいている。ただライトの光を浴びるだけでなく、光を反射し、キラキラと輝いている。

 

(家が崩れたときに割れたガラス片……? いや違う!)

 

 それは『鱗』だった。【深く沈みし暗青の月(ダークブルームーン)】がばら撒いていた、鱗弾。それが何百枚も周囲に突き刺さり、光り輝いている。見方によれば、地上に星空が降りたかのような、美しい光景。けれど、舞弥の感想は違った。

 

(まずい……これは何か、意図的な状況!)

 

 ひりつくような空気。突き刺すような冷や汗。誰が何を狙っているのかはわからないが、舞弥の歴戦の嗅覚とでもいうべきものが、自分たちが罠の真っただ中にいることを悟らせる。

 

「みんな、一旦……」

 

 舞弥はまず、【運命車輪・鋼鉄餓獣(ホウィール・オブ・フォーチュン)】を叩くことを、周囲に呼びかけようとする。急に現れ、それでいて攻撃してくるわけでもなくライトを浴びせかけている――それだけであることがむしろ怪しい。何かあると睨んだのだ。だが、

 

「……!? ごふっ」

 

 指示を出すよりも先に、舞弥は口から血を吹いて倒れ込んでいた。

 

「っ! 舞弥さぁんっ!」

 

 億泰が叫ぶ。彼は泡をくって駆け寄り、彼女を抱き起した。その身にはバッサリとした切り傷があり、ぞっとするほど多くの血が流れ出している。

 

「なんでっ、誰も、どこからも攻撃なんてっ!」

 

 確かに億泰の言う通り、舞弥の傍には誰もおらず、飛び道具で攻撃された様子も無かった。

 

 誰も気づくことはない――バーサーカーでさえ。実際に『そいつ』と戦ったのは彼ではないのだから。だが彼の仲間が共に召喚されていたら、気づいただろう。その攻撃の正体に。

 

 彼のことはアーチャーから説明されていたが、凛のときとは状況が違うために、同一の敵だと結び付けられなかったのだ。

 

 今はまだ誰もいかにして襲われたかを理解できるものはおらず、ただ、ライトを浴びせかけられた無数の鱗が煌めいていた。

 

『クククク』

 

 

 

 ……To Be Continued

 



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