傲慢の秤 (初(はじめ))
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第一章 原作開始前 一、プロローグ

 BLEACHは良いですね、自分の厨ニ的趣味全開で書けるので。
 はじめまして、初と申します。まだ慣れない投稿ですが、お付き合いいただければ幸いです。



 

 桜の花びらが舞う庭園で、その少女は空を見上げていた。

 

 澄み渡った快晴の空を横切るのは、数多の花弁。視界の中、青と薄桃色が幾度となく入れ替わる景色に、少女はただ静かに見とれていた。

 

 

 少女が空を見上げてから、どのくらいの時が経っただろうか。まさに心ここにあらず、といった様子の少女に気づき、庭園に面した縁側から声を掛けた男がいた。少女の父親だった。

 

「何をしている、桜花」

「あっ! とうさま!」

 

 桜花と呼ばれた少女は自らの名を呼ぶ存在に気づくと、その顔を桜の花のようにほころばせた。

 

「さくら、とうさまもいっしょにみましょうよ!」

「……そうだな。私も丁度、休憩をと思っていた所だ」

 

 縁側に静かに腰を下ろした青年は、駆け寄ってきた少女を抱き上げてその膝に乗せた。

 目の前にある小さな頭をなでてやると、少女は嬉しそうに笑う。普段は滅多に笑わない青年も、その声を聞いて知らず知らずの内に柔らかく微笑んでいた。

 

「あのね、とうさま。わたし、おはなしがあるの」

「何だ、言ってみろ」

「わたし、しにがみのしゅぎょうをしたいんです」

 

 でも、かあさまはまだはやいっていうの。

 つまらない、と言いたげに少女は口を尖らせる。

 

「死神の修行か……確かに早すぎるな」

「もう、とうさままで……」

「良いか、桜花」

 

 娘の体をくるりと回転させて、膝の上に横向きに座らせる。

 目が合った。青年の妻によく似た、しかし物静かな妻よりも強い意志を感じる目だ。これは立派なお転婆に育ちそうだ、と青年は思った。

 

「死神になるには厳しい鍛錬を積まねばならぬ。しかし、桜花はまだ三つだろう? せめて後五年は待て」

「ごねん?ながいなぁ……」

 

 不満げな表情の娘には悪いが、死神の修行となるとやはり時期尚早と言う他ない――と青年は結論づけた。

 少女が死神を目指す以上、将来的には死神養成学校である真央霊術院に通うことになるだろう。そして、その真央霊術院に入学するためには、多かれ少なかれ鍛錬をしなければならないのは確かだった。

 しかしまだ三つの少女には、それもまた早すぎることで。

 

「五年など、あっという間よ」

「……そうでしょうか?」

「そうだ」

 

 生え際や分け目に至るまで、愛する妻にそっくりな少女の黒髪に、桜の花弁がふわりと着地した。青年がそれを掬い取って少女に差し出すと、先程までの不機嫌な様子は何処へやら、彼女は照れたように笑った。

 

「ありがとうございます、とうさま」

 

 

 そう……それは優しく、柔らかく、ただただ幸せな記憶だった――

 

 



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二、死んだと思ったら

 連投その一。


 

 死んだと思ったら、知らない街にいました。

 

 そんな冗談みたいな意味の分からない現象にぶち当たってしまった私は降りしきる雨の中、見たことのない建物の裏手で一人、途方に暮れてため息をついた。

 

「これから、どうしようかなぁ……」

 

 私に残る最後の記憶は、地下鉄の駅のホームで後ろから突き飛ばされて、何かが身体に激突して――とまあこんな感じだ。誰が何の意図をもって突き飛ばしてきたのかは知らないけれど、どう考えても身体に激突してきたのは地下鉄の列車だし、どう考えても私はその際に死んだはずだし。

 それならどうして死んだはずの私が見知らぬ土地で、着物なんか着て突っ立っているのか――そう、今の私は着物を着ているんだ。しかも、サイズの合っていないブカブカの。輪をかけて意味が分からない。

 

「なんか、ちっちゃくなってるし……」

 

 サイズの大きい着物の隙間からちょこんと覗く手のひらは、本来の私の手より一回りも二回りも小さかった。これではまるで幼児のそれである。これが、意味が分からないことの三つ目。まさか幼児化した探偵と同じ薬を飲まされた訳ではないだろうが、だからと言って死んだはずだということ以外の心当たりがある訳でもない。

 こうなってくると、考えられるのは一つ。

 

「……てんせい、ってやつなのかなぁ?」

 

 転生。

 実際に口に出すと、本当にそうなのかもしれないという気になってくるものらしい。むしろそれ以外に何があるんだ、という気さえしてきて、私は自らの根拠のない適応力に首を傾げた。

 

 不思議な話だ。前世での私は、周りの変化にこんなにすぐ適応できるような器用な人間じゃなかったのに。

 

 前の私はこれ以上ないほどに人見知りで、不器用な女子大生だった。苦手なものは、と訊かれると人間関係だと迷わず答え、そしてそれを改善できるほどの融通は持ち合わせていなかった。

 どうにも人と関わるということが好きじゃなかったようで、当然ながら友達なんて数えるほどしかいなかった。それでも、周囲の反応を気にするような性格ではなかったおかげか、そんな自分を気に病むようなことはなかった。こんな私を「お前はそのままのお前で良いんだ」と肯定してくれる両親がいたことが、私に自信を与えてくれていたのだろう。

 

 それに対して今世での両親ときたら……と私は再度ため息をついた。何をどうしたらこんな幼い子どもを雨の中一人で放置するような事態に陥るのか、理解できない。何かの手違いで迷子になってしまった可能性はある……が、こんな誰一人として通り掛からない路地裏で、さらにはこんな激しい雨の中で迷子になるなんて不運なんてレベルじゃない。

 

「まぁ……こんなところでかんがえててもしかたないか……」

 

 幼いせいか、どこか舌足らずな口を動かして呟くと、私は一歩前に踏み出して。

 ――そのまま雨でぬかるんだ地面に倒れ伏した。

 

「――え?」

 

 一瞬、何が起きたのか理解できなかった。何か硬いものでしたたかに打ち付けた頭がぐらぐらするのが治まってやっと、私は自分が地面に横たわっていることに気がついた。そして、さっき頭をぶつけたのは地面だったらしいということにも。

 

 不思議だ、私……前に進もうとしたはずなのに。さっきまでちゃんと立ってたはずなのに。

 

「なんで……わたし……」

 

 何で、動けないんだろう。

 何で、こんなに身体が重いんだろう。

 ――何で、茶色いはずの泥が()()()()なっているんだろう。

 

 切れかけの蛍光灯みたいに視界が明滅して、ふいに電源が落ちたように何も見えなくなった。

 

 次いで雨が身体を叩く感覚も消え失せて、残った聴覚がカランという木の音を拾ったのを最後に、私の意識は暗闇に沈んでいった。

 



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三、此処は何処、私は誰

 連投その二。


 

 誰かが何やら話している声が聞こえる。その声に釣られるように目を開けると、見えたのは知らない天井と、私の近くに座って何やら話をする男性と()()だった。

 

 ……え? 猫?

 

「預かると言ってもお主、そう簡単にいくものでもあるまいて」

「しかし、病院に連れて行く訳にも警察に預ける訳にもいかない――おや、目が覚めたようっスね」

 

 猫が、猫が……と固まる私に、今の今までその猫と会話していた男が笑みを浮かべて話し掛けてきた。

 

「気分はどうスか? ウチの裏手で倒れてたんですが、覚えてます?」

「ウチの、うらて……」

「そうっス! あ、アタシはウラハラって者です。アナタは()()()サン、ってことでよろしいでしょうか?」

「おうか、さん?」

「ハイ、桜に花と書いて桜花(おうか)。違いますか?」

 

 何が楽しいのか、やたらと明るい声色で話す男ーーウラハラ、つまり裏原とか言ったか。その男の言葉を繰り返すことで、その内容を噛み砕いて理解しようとする。今この男は私の事を『桜花(おうか)』と呼んだ。聞いたことのない名前だ。まさか、それが私の今世での名前なんだろうか。

 

「おうか……それが、わたしのなまえ? あなたはわたしのこと、しってるの?」

 

 そこまで喋って一瞬、敬語で話さなかったことを後悔した。しかし、そういえば私は子どもだったと思い出したことによって、その後悔は霧散する。幼児が敬語を使うなんて不自然も良い所だ。

 

「記憶がない……なるほど、こりゃ尚更ワケアリっスね」

 

 裏原は、私の言葉を聞いたその時だけ不意に真顔になってぼそりと呟いた。けれど、次の瞬間には何事もなかったかのように元の笑顔に戻っていた。

 その変化があまりにも胡散臭くて思わず眉をひそめた私の表情に、裏原は目元を帽子に隠すようにして更に笑みを深くした。

 

「そんなに警戒しなくても大丈夫っスよ、桜花サン。記憶がないならないで結構、当面はウチに住むことに変わりはないんスから」

「えっ……? でもわたし、いえにかえらなきゃ……」

「その家がどこにあるのか、分かります?」

「あ……」

「他にも、親御サン――お父さんやお母さんのこととかはどうスか?」

「あ、えっと……その……」

 

 おかしい。

 

 前世の記憶を持ったまま新しく生を受けた、つまり生まれ変わったことにより子どもの姿をしていることはまだ納得できる。しかし、それならそれで生まれ落ちてから幼児に成長するまでの間、私は一体どこにいたのか。そして、どこの誰に育ててもらっていたのか。

 

 ()()()()()()()()()()()だなんて、おかしいじゃないか。

 

「なんで? そんな、わたし……どうして――」

 

 どうしてだろう……何も覚えていないことが無性に寂しくて、悲しかった。

 小さな両手で顔を覆う。感情の制御ができなくて、ぶわりと溢れた涙が指の隙間から流れ落ちた。

 

 どうして、こんなに悲しいんだろう。何で、私はこんなに寂しいんだろう。

 

 泣いているのは自分自身であるはずなのに、その理由が分からないまま、私は嗚咽を漏らしてぼろぼろと涙をこぼし続けた。

 

「そこまでにしておいてやれ」

 

 優しい匂いがして、気がつくと私は何か柔らかいものに顔を押しつけられていた。

 

 誰かに、抱きしめられていた。

 

「思い出したければ、ゆっくり思い出してゆけば良い。思い出せなくても、儂らがいるから大丈夫じゃ」

 

 だから、安心せい。

 

 そう言って私を撫でた手は優しかった。話し方はいかめしかったけれど、声には女性の柔らかさがあった。

 

「うん……わかっ、た……」

 

 急に胸が暖かくなったような気がして、寂しさや悲しさが薄らいだ気がして、私は目の前の女性を見上げて笑った。

 その人は、褐色の肌が綺麗な人だった。

 

 

 

 褐色の肌の美女――四楓院夜一は、腕の中で眠りについた幼子を撫でながら、ぽつんと小さく呟いた。

 

「このような情など、とうの昔に無くしてしまったものと思っておったのじゃがな……」

「……」

「いくら儂とて、あんな泣き方をされて放っておける訳がなかろう。何故、あそこまで……」

 

 それほどまでに、悲痛な泣き方だった。まだたった二、三年ほどしか生きていないだろう幼子にしては、彼女から伝わる絶望感はあまりに強く、苦しかった。

 

 同じく側に座っていた浦原喜助は、夜一の誰にともない問いに答え切れずに、しかしそのまま黙っている訳にもいかなくて、とりあえず口を開いた。

 

「……珍しいこともあるもんスね、夜一サンが人の姿に戻るなんて」

「こうするには、猫の前足では足りぬからな」

 

 浦原が自ら経営する商店の敷地内で、激しい梅雨の大雨と血に濡れて倒れ伏す少女をその息が止まる前に見つけることができたのは、全くの偶然と言って良いだろう。

 建物の中からでも分かるほど、壊れそうな嫌な音を立てる雨樋の様子を浦原が見に行っていなければ……またそれがあと一時間遅れていたら、出血多量と体温低下で彼女は衰弱しきってしまっていたはずだ。もしくは命を落としていたかもしれない。

 

「全く……どこからどう見ても人間の女の子なのに()()()()()()()()()()()()って、一体何がどうなったらそんな事態に陥るんスかねェ?」

 

 和室に敷かれた布団の側に、綺麗に畳まれていた着物を一瞥して浦原は呟いた。

 

「裸なのを不憫に思ったどこぞの霊が着せてやった……てのは流石に無理があるからの。着物の大きさが合わぬのは不可思議じゃが……少なくともそのペンダントだけは、この子自身の本来の持ち物なのじゃろう。桜花という名前も恐らくは……」

「ホント、不思議なこともあったもんス」

 

 浦原は着物の上に置かれていた、桜の花を象ったペンダントをそっとなぞる。人間の幼子が持っていたにしてはあまりにも濃い霊力で構成されたそれの裏には『桜花』の二文字。

 

「一応、行方不明者として捜索されていないか、確認しておきますかね……」

 

 すやすや眠る桜花の首にペンダントを戻してやると、浦原は静かにその場を辞した。

 

 すべきことは、いくらでもあった。

 



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四、ウラハラキスケ

 連投その三。これで最後です。
 さて、これから週一で投稿できるかどうか……


 

 そうだ、確か怪しげな男女二人に拾われて、それから何故か思い切り泣いて、それから……

 

 ゆっくりと覚醒していく意識に任せて、私はそっと瞼を開いた。

 

 私が寝かされていたのは良く言えば趣のある、正直に言えば使い古された和室だった。広さはだいたい六畳くらい。そんな部屋の真ん中に、ぽつんと取り残されたように布団が一組敷かれている。言うまでもなく私が現在寝ている布団である。

 私の左手の壁は障子張りになっていて、その白い紙の明度が、夜が明けたことを教えてくれた。

 

 恐らく昨夜と同じ部屋なのだとは思うけれど、確信はできない。何せ昨日の私は、自分でも手がつけられない程に混乱していて、部屋の内装にまで気を配ることはできなかった。

 

 とにかく、このままじっとしていても埒が明かない。勝手に部屋を出ては不味いかもしれないが、だからといっていつまでもダラダラと寝ている訳にもいかない。

 

 ゆっくりと慎重に起き上がってみるも、体調に不具合はなかった。体力は無事回復したようだ。しかし、気を失う前に地面で打ちつけた額はまだ、完治していないらしい。包帯の上からそっと触れるとズキリと鋭い痛みが走って、私はぐっと顔をしかめた。

 昨夜泣いたせいで腫れぼったい目を両手でこすりつつ、私は立ち上がる。そして、そっと部屋から顔を覗かせた。

 

 デカくて筋肉ゴリゴリで三つ編みで眼鏡のオッサンと目が合った。

 

 裏原でも褐色の美人でもなく、デカくて筋肉ゴリゴリで三つ編みで眼鏡のオッサンとバッチリ目が合った。

 

「えっ、と……おはようございます?」

「はい。おはようございます」

 

 戸惑いながらも、きちんと挨拶した私はよくやったと思う。

 

 そのオッサンは私が目覚めるのを待っていたようだ。朝食を食べさせてくれて、さらには寝起きで手つきのおぼつかない私の身支度を手伝おうとしてくれた。

 

「あの、わたし……じぶんでできるよ?」

 

 しかし、私はそれを丁重にお断りした。

 私はこれでも成人女性だ。それくらいは自分でやりたい。

 

「そうですか。ならば、私はこれで」

「え、いいの?」

「勿論です、女性です故」

 

 てっきり怒られるか凄まれるかのどちらかだと思い込んでいたけれど、筋肉のオッサンは案外あっさりと部屋が出ていってくれた。見た目のゴツさやインパクトに反して、意外と紳士なのかもしれない。

 

 表情が全く変わらないから、怒っているかどうかが分からないだけ、というのが本音だが。

 

「とはいったものの……」

 

 先程オッサンに渡された服をじっと見つめる。

 自分で着替えさせてくれるのは、確かにありがたい。ありがたいのだけれど、これは予想外だ。

 

「いや、むり。きものはむり」

 

 現代生まれ現代育ち、完全なる現代っ子である私に着付けなんてできるはずもない。死に装束と普段の着物とは襟の順番が違うってのは流石に知ってるけど……あれ、普通の着物だと左右の襟どっちを上にすべきだったっけ? 右? そういえば男女でも左右逆だったような。あれ、じゃあ左? あれ?

 

「着物なんてサッパリって顔してますね」

「……ばれた?」

 

 後ろから聞こえた声に振り返ると、いつの間にか開いていた襖の隙間から、扇子で口元を隠した裏原がこちらを覗き込んでいた。

 

「バレバレっス。手伝いましょうか?」

「……うん」

 

 裏原もオッサンの部類に入るだろうけど、それでもゴリゴリじゃない分、私の精神衛生上マシだろう。

 大人しく肌着とパンツの上から着流しを羽織った状態で裏原と向き合う。

 

「……えっと。なまえ、なんてよべばいい?」

 

 とは言え現在の状況は、精神年齢的には成人している私にとっては気恥ずかしい以外の何物でもない。そんな感情を少しでも誤魔化そうと、何とか会話の糸口をひねり出した。

 

「呼び方なんて何だって良いんスよ」

 

 素っ気なく返事しながらもテキパキと着付けていく手並みに感心しながら、裏原の呼び名を考える。普通に裏原さんで良いとは思うけどな、それだと読み方がどこぞの胡散臭い駄菓子屋の店長と被っちゃうから……呼んでて変な気分になりそうだ……あ、そうだ。

 

「じゃあ、なまえおしえてよ」

「ん?名乗りませんでしたっけ?ウラハラっスよ」

「ちがうよ。したのなまえがしりたいの」

 

 そういう渾名っぽいものをつければ、名前を呼んで変な気分になることもなさそうだ。

 

「あぁ……キスケっス。()()()()()()()

「…………」

 

 ……ウラハラ、キスケ?

 

「…………」

 

 もしかして、裏原じゃなくて()()だったの?

 

「あれ、桜花サン?」

 

 てことはウラハラキスケってあれか。

 

「…………」

 

 さっき言ったどこぞの駄菓子屋の店長か。

 

「あのぉ、どうかしましたか?」

 

 つまりは刀を持った死神が暴れ回る世界の、あの浦原喜助か。

 

「…………」

 

 確かに、このよく分からない服装といい、胡散臭い雰囲気といい、掴み所のない喋り方といい、あの浦原喜助っぽさはある……と思う。恐らく。

 

「…………」

 

 日本人らしくない色素の薄い髪と瞳も、それっぽいと言えばそれっぽい。

 昨日は状況が把握できていなかった上に、激しく取り乱してしまったから、そこまで気づけなかった……ということなんだろう。

 

 つまり。この浦原喜助は、()()浦原喜助だ。

 

「そんなに悩むなら、下の名前に『さん』づけでよくないスか?」

「……きすけさんって、こと?」

「無難でしょう?」

「まぁ、うん……」

 

 無難ではある。無難ではあるが……何だろう、多大なる違和感が拭えない。

 

 良いのか、これで。

 いや、呼び名なんて何だっていいんだから問題ないはず。

 でもなぁ、この違和感をどうすれば……

 

「よし、完成っス」

 

 悶々と考え込む私を他所に裏原さん改め、喜助さんは完成した着物を見て楽しそうにパチンと手を合わせた。

 

「おぉ……かわいい」

 

 見下ろした着物は綺麗な桜色で、裾には桜の花びらの柄が散りばめられている。お腹を締めつけない程度に縛られた細めの帯紐は濃い桃色で、先はキッチリと蝶々結びにされていた。

 かわいい。着る前から柄は分かっていたけれど、こうして着付けてもらうとまた印象が変わるらしい。

 私の名前が桜花だからこの着物にしてくれたんだろうか。やっぱりあのゴリマッチョの人、結構気が利くんだなぁ。

 下着姿を見られた羞恥心はとりあえず記憶から抹消するとして、喜助さんの呼び方のことはどうでも良い気がしてきた。着物かわいいし。

 

「でしょうでしょう! さぁさぁお披露目ですよ」

「えっ? おひろめって? ……うわっ!?」

 

 喜助さんにひょいと抱き上げられて、手足をばたつかせる。お姫様抱っこならまだ分かる。しかし実際は、まさかの俵抱き。

 私は成人してるのにこんな……いや、外見が幼児だからといってやって良いことと悪いことがある。

 

「おろしてよ! じぶんであるけるから!」

「おっと、あんまり暴れると落としちゃいますよ。桜花サン」

「おとしてもいいから!」

「駄目でしょ、落としたら」

 

 余裕だ。完全なる大人の余裕だ、これは。

 

 今が原作でいう所のどの辺にあたるのかは分からないけれど、原作開始時の喜助さんは護廷十三隊十二番隊隊長を務めていた百一年前と比べても老けたようには感じなかった。ということは、今がいつであれ現世にいる時点で百年以上……いや、数百年単位の時を喜助さんは生きていることになる。

 だからこそ、この余裕か……と私は内心ため息をついた。いくら中身が成人女性でも、私はたかだか二十年かそこら生きただけの若造だ。それで外見が幼児なら尚更勝ち目はない。

 

 私は早々に抵抗を諦めて、だらりと身体から力を抜いた。そんな私に喜助さんは苦笑して立ち止まると、着きましたよ、と言って私を下ろしてくれた。

 

「夜一サン、鉄裁サン、いますかー?」

 

 そんな気の抜けた声と共に喜助さんが襖を開いた。

 

 中にいたのは褐色の美人さんと例のゴリゴリ筋肉なオッサンだった。

 

「桜花か。ほれ、近うよれ」

「ふむ」

 

 言われた通りにトテトテと二人の元に近寄りつつ、驚きすぎて一周回って冷静になった頭で考える。

 「さっきのゴリゴリマッチョは握菱鉄裁だったんだ」とか「この褐色の美人さんが四楓院夜一か」とか「てことは昨日私を抱きしめてくれたのは夜一だったのか」とか「そもそも何で夜一は全裸なのか」とか、考えることは山ほどある。

 

 そして、それらの考え事は全て「本当に私はBLEACHの世界に入り込んでしまったんだ」という理解と、「どうして私なんかを拾って匿おうとしてくれているのか」という問いに収束する。

 

「ちゃんと様になっておるではないか」

「あ……ありがとう、えっと……」

「夜一だ」

「よるいちさん?」

「そうじゃ」

 

 不敵に微笑む夜一さんの産まれたままのダイナマイトボディにしどろもどろになりながら、褒めてくれたことへのお礼を言った。

 ……どうして誰も突っ込まないんだろう?

 

「それと、えっと……さっきはありがとう。その……」

「握菱鉄裁。鉄裁でいいですぞ」

「ありがとう、てっさいさん」

 

 礼を言って、それから先程の疑問を訊ねてみようと私は口を開いた。

 

「ねぇ。わたしけがしてるのに、なんでびょういんにいかなかったの?」

 

 喜助さん達は私からの立て続けの質問に目を丸くしたものの、すぐに優しい顔に戻って額の傷に障らないように私の頭を撫でた。

 

「桜花サンにはまだちょっと難しいんで、また今度、説明してあげますよ」

「……」

 

 私、こう見えて二十歳なんです。できれば、今すぐに話してほしいんですが。

 

「むずかしくてわかんなくてもいい! はなしてよ!」

「うーん、困ったなぁ……」

 

 という訳で必殺、駄々っ子を発動してみる。

 いい歳こいてこの演技は辛いだろうと覚悟しての行動だったけれど、何故か思ったよりずっと違和感がなかった。不思議だ。

 

「どうせ理解できんのじゃ、満足するまで話してやれば良いではないか。それにほら、今のお主の姿を見ることができる時点で既に普通の人ではない。となれば、ここにいればいずれ知ることになる話じゃ」

 

 ん?今、夜一さん何て言った?

 今の喜助さんの姿って何だ。普通の人じゃないって一体どういうことだ。

 

「まぁ、そうなんっスけどね……それでこの子が納得するかどうか……」

「のう桜花、分からなくても話を聞ければ良いのじゃろう?」

「うん!」

 

 ここまで聞いて後はお預けなんて、そんなことはありえない。

 

「それで分からなかったからと言って、お主は泣いたりはせぬよな」

「うん! やくそくする!」

 

 だから私は、夜一さんの言葉に全力で頷く。

 そんなの、約束できるに決まってる。だって、すべて理解できるだけの基礎知識と精神年齢を持ち合わせているんだから。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 喜助さんの話の中に、尸魂界や死神という単語は出てこなかった。相手は幼児なんだから当然といえば当然だけれど、そういう話が聞けなかったのはちょっと残念な気もする。

 しかしその代わり、なぜ身寄りのない私を引き取ることにしたのか、ということについては詳しく説明してくれた。

 

 曰く、この世界には幽霊が実在している。そして、浦原商店の裏で倒れていた私は『どこからどう見ても人間なのに幽霊の服やペンダントを身に着けていた』のだそうだ。

 

「幽霊だって服は着てますし、場合によってアクセサリーだってつけてます。ですが、それを人間の女の子が身につけているとなると話は変わってくる」

 

 すっと差し出された着物を手に取って眺める。いかにも高級そうなその着物には、たしかに見覚えがある。浦原商店の裏で雨の中にいた時に着ていた着物だ。そして、起きた時から私の首にぶら下がっていた桜の形のペンダントにも触れて、裏返してみる。そこには小さく『桜花』と達筆に彫り込んであった。

 

「その着物もペンダントも、普通の人には見えません」

 

 それは、死覇装や斬魄刀と同じく霊子で構成されている、ということだろうか。もしそうなら、かなり奇妙な現象なのは間違いない。なぜなら霊子の服は常人には見えない、つまりあの時の私は普通の人からすると全裸で倒れていたことになるからだ。

 

「そんなものを身に着けている時点で何か幽霊に関係していると考えて、ウチで手当したんです」

 

 どうして幽霊に関係していたら浦原商店で面倒をみることになるのか。さらには、先程夜一さんが言った「今の喜助さんの姿を見ることができる時点で既に普通の人じゃない」みたいな言葉の意味についての説明もなかった。

 それらが一番大事な気がするが、にこにこ笑って口を閉じた喜助さんはそこの部分を説明する気はないらしい。

 

 いや……原作を知っている以上、何となく予想はつくけれど……

 

「ふふ、分かったか?桜花よ」

 

 話が終わっても神妙な顔をして黙り込んでいる私に、夜一さんが楽しそうに声を掛けてきた。

 もちろん現在も、喜助さんが話をしている間も、彼女はずっと裸のままである。幽霊だって服を着ているこのご時世に、この人は一体何をしているんだろうか。

 

「わかったもん!」

「ほぉ、頼もしい。じゃあ一から説明してくれんかの?」

「何言ってんスか、夜一サン……」

「ゆうれいがふくをきてて、わたしもゆうれいがきてたふくをきてたんでしょ?」

 

 分かるもんと、口を尖らせてむっとした表情をしつつ堂々と答える。内容は意図的に少し外しておく。抜かりはない。

 

「お、意外と分かっとるじゃないか。喜助よ、こやつなかなかに頭が良いようじゃ」

 

 ちょっとズレとるがな、と夜一さんは全裸で笑っていた。

 

 全裸で。

 

 もう、この際誰でもいい。

 誰でもいいからこの人に服を着せてはくれないだろうか。

 




 鉄裁さんを始めとして、登場人物の口調が掴めない……違和感や誤字などがあれば報告してください。お願いします。


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五、腹に一物

 

 人間というものは、追い詰められた時に本性を現すらしい。だから、普段から余裕を持って行動するべきである。

 

 ――って、何かの本に書いてあった気がする。

 というのも私、演技――つまり化けの皮が剥がれるほどに追い詰められると、どうも口が悪くなるようです。

 

「うわあぁぁ!! 何だお前!! 何っだお前っ!!」

「オマエ、ウマソウダナ……」

「えぇ!? 気持ち悪っ!! 旨そうって、お前気持ち悪っ!! その、よく分かんない、見た目も相まってっ、気持ち悪っ!!」

「キモチワルイトカ、ナンドモイウナヨ……!」

 

 背負った真新しいランドセルがガチャガチャ音を立てる。前世も含め、こんなに必死になって走るのは初めてだろう。それくらい必死だ。だって、すぐ後ろには巨大な口をガパッと開けた――恐らく(ホロウ)。これ以上ない危機的状態だ。

 

「お前!! こんないたいけな、女の子に、襲い掛かるなんてっ! 良心が、痛まないの!?」

「リョウシンナンテ、アルワケガナイダロウ!」

「お前にっ、そんなの求めた私が、悪かったよ!!」

 

 あぁ私、死ぬかも知れない。

 何がいけなかったのか。小学校に入って原作メンバーと出会って、ちょっと喜んでたのがいけなかったのか。調子に乗るなってことか。

 

「どうしてっ、こんな時に限って、誰も通らな――」

 

 凄まじい破砕音が聞こえて振り返ると、私を掴もうと伸ばした虚の腕が地面に激突して、アスファルトが抉れていた。

 

「わあぁっ!! もう泣きそう!! 喜助さん! 夜一さん! 鉄裁さん! 誰でもいいから助けてよぉ!!」

 

 大声でわめきながら、心の中でも叫び続ける。

 

 あなた達強いんでしょ! 昔十二番隊隊長と二番隊隊長と大鬼道長やってたの、知ってんだからね! 見たことないけど卍解だってできるんでしょ! マジで何してんの!? あなたのかわいい桜花ちゃんが死にかけてますよ!!

 

 走りすぎて肺が痛い。叫びすぎて喉も痛い。足も、もう上手く動かない。

 

 しかし無慈悲にも後ろに感じていた気配は急激に近づいてきて、ついにはその骨ばった手で胴体を腕ごと鷲掴みにされてしまった。

 

「うわっ!! ちょ、痛っ!!」

 

 ギリギリと締めつけられる痛みに悲鳴を上げると、嬉しそうな笑い声がして更にキツく締めつけられた。それに耐えようと、ぎゅっと目を瞑る。

 

「フフ、ツーカマーエタ」

「ひっ……」

 

 あまりにも近くから聞こえた声に、痛みを堪えながら恐る恐る目を開く。

 

 目の前、顔から1メートル足らずの所に虚の顔があった。

 

 近い。近すぎる。何てホラーだ。

 

「ジャアナ、ガキ。イタダキマス」

「あ……ぁ……」

 

 駄目だ。死んだ。これもう私死んだ。全てを諦めて、再び目を閉じる。

 

 遠くで虚の雄叫びが聞こえた。これはあれだろうか、獲物を捉えた喜びの叫びだろうか。私からすればただの死刑宣告だけど。

 

 あぁさようなら、浦原商店の皆さん。今まで面倒見て下さってありがとうございました。

 

「……ただ、どうせ面倒見るんなら……さっさと駆けつけろよって、言いたい所だけどさ……」

「言いたいっていうか、もう言ってますよ」

「……は?」

 

 うそ、口に出してた?

 そこでふと気づく。そういえば、さっきから身体が痛くないような。

 

 ――いや、そんなことよりこの声は!

 

「喜助さんっ!?」

「すいませんねぇ、遅くなっちゃって」

 

 喜助さんだ。喜助さんが来てくれた。

 いつの間にか、私は喜助さんに抱きかかえられていたみたいだ。左手で私を軽々と抱え、右手で抜き身の刀を握っている。

 おぉ、これが喜助さんの斬魄刀"紅姫(べにひめ)"か。始解前とはいえ、見るのは初めてだ。

 

「オレノ、ウデガ……クソ!ナニモノダ、キサマ!?」

「名乗るほどの者じゃないっスよ、っと」

「ウッ……グアアァ!!」

 

 どうも、さっき聞こえた雄叫びは腕を斬り落とされた虚の悲鳴だったらしい。慌てたように喜助さんに襲い掛かろうとする虚に対して、喜助さんは凄まじく冷静だった。

 なんの躊躇いもなく頭を一刀両断。虚は苦しげな悲鳴を上げて真っ二つになって……そして消えていった。

 

「うわぁ……容赦ない」

「ウチの者を殺そうとしてる奴に容赦なんていらないでしょう」

「……そういうものかな?」

「そういうモンっス」

 

 お礼だけはと再び口を開く。

 

「あの……ありがとう」

「良いんスよ。ちゃんと桜花に話してなかったアタシが悪いんスから」

 

 そう言って私を下ろすと、喜助さんはどこからか取り出した仕込み杖の鞘に紅姫をしまった。これで見た目はもとの杖に戻った。しかしこの仕込み杖、鞘に収めると太さが半分くらいになるんだけど、一体どういう仕組みなんだろう。

 

「どうやら怪我はないみたいっスね」

「うん。ちょっと疲れたけど……」

 

 半分くらいは走ったせいで、もう半分は叫びすぎたせいで。

 屈み込んで私と目を合わせて訊ねた喜助さんは、私の答えを聞いて納得したように頷くと、さっと私を背負って歩き始めた。私はその好意に素直に甘えることにして、その背中にもたれかかって……ふと、思った。

 

「ねぇ喜助さん。なんで私が襲われてる間、道に誰もいなかったの?」

「……いやぁ、ホント運が悪かったっスねぇ」

「え?何その間」

 

 そういえば、こんな死ぬ直前にギリギリで助けてもらえるとか、都合が良すぎやしないか?

 というより本当にギリギリで間に合うほど危なかったなら、もっと速く移動できる夜一さんが来た方が良かったんじゃないか?

 

「……もしかして喜助さん、最初から見てた?」

「まさか、そんな意地の悪いことしませんって」

 

 いや、する。もし何らかの理由があって私が危険な目に遭う必要があった場合、そういう状況を意図的に作るくらいのことなら平気でやりかねない。この人はそのくらいする。

 

 この数年でもどことなくSっ気があるのは察していた。さらには原作でも、目的のためなら手段を選ばない節があった。

 

「本当に……?」

「当たり前じゃないスか、そんなことしてないですって」

「なら、いいんだけど……」

 

 そうかそうか、あくまでしらばっくれるつもりか。

 良いだろう、そっちがその気なら。

 

 私は、演技のスイッチを入れた。

 

「ホントに……怖かったんだからね」

「……」

 

 弱々しく呟いて緑色の羽織をぎゅっと握ると、喜助さんは見事に黙り込んだ。

 

「化け物に掴まれて、すごく痛かったんだから」

「……」

「もう死ぬかもって、思って……」

「……」

 

 もちろん六割くらいは本音だ。本気で怖かったのも、痛かったのも、死を覚悟したのも嘘じゃない。

 

 ……言い換えると、残りの四割は脚色ということになるけれど。主に羽織握ったりして、あからさまに弱々しい素振りをしてるのとか。

 

「……すぐに助けなくて、すみませんでした」

「そっか、やっぱり……」

 

 勝った。

 

 四割が演技であることに気づいているのかは分からないが、それでも私の弱々しい声に罪悪感は抱いてくれたらしい。

 それも当然、今の私はまだ六歳なのだ。相手が歳の割に落ち着いている私とはいえ、小学一年生の女の子をわざとあんな怖い目に遭わせて罪の意識がなければ、それはもう死神というより鬼だ。

 

「ねぇ、なんでそんなことしたの?」

「……しょうがないっスね」

 

 喜助さんがボソリと呟いてため息をついた。

 

「アナタにこういう経験をしてもらってから『ある事』を話して、危機感を持ってもらおうと思ったんス。……まぁ、まだ桜花には難しい話かもしれませんが」

「大丈夫だよ。私、大人だから」

「本当に桜花って、歳の割に大人びてますよねぇ」

 

 バレないと思ったんスけどね……と喜助さんがぼやいた。本当に六歳児なら騙せたかもしれないけど、あいにく私はそうじゃない。

 精神年齢二十三歳は伊達じゃない。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 浦原商店に帰ってきた私達は、とある場所を模して作ったという地下の馬鹿デカい空間にやってきていた。主人公が縛りつけられたり怪我させられたり穴に落とされたり、とにかく修行という名のイジメに遭った、あの場所だ。

 

 こんな所に連れてきてどうするつもりだ? 私もイジメられるのか? と戦々恐々としていると「さっきと違うんスから、何も取って食いやしませんよ」と喜助さんに笑われた。

 いやいや。どこぞの主人公みたいな目に遭うくらいなら、いっそ一思いに虚に取って食われた方がマシだから。

 

「じゃあまず、さっきの化け物についての話から始めましょうか」

 

 まずは座学かららしい。喜助さんは六歳児でも分かるように、虚についてしっかりと噛み砕いた説明を始めた。

 そして次は死神。喜助さん、夜一さん、鉄裁さんの三人は、その死神と似たようなものだと本人は言っていた。嘘つけ。がっつり本物の死神なの、私知ってるんだからね。

 それから話は尸魂界(ソウル・ソサエティ)、そして霊力や霊圧について、流れていった。

 

「アナタはウチに来た時から既に霊力の高い子でした。それが年を追うごとにさらに高くなっていっているようなんス」

 

 そして、あまりに高い霊力の持ち主は、上手く霊圧を抑えないと虚に狙われやすくなる……つまり格好の餌食なんだとか。

 

「一度襲われて身に染みたと思いますが、ただの人間には虚から逃げる……ましてや倒すなんて到底不可能……そこでです」

 

 桜花には虚から逃れ隠れる方法と、虚を撃退する方法……この二つを習得してもらいます。

 喜助さんは、やけに神妙な顔をしてそう言った。

 

「……」

 

 なるほど、そう来たか。だから、私が虚に襲われているのを知っててギリギリまで助けなかった……ってことか。本物の虚に相対させて虚に対する恐怖を抱かせてから、それに対抗する、そしてそれから上手く逃れる術を提示する。

 そうして私自身の戦闘力を増強しておけば、いざとなったときの戦力が増える。

 さらに言うと……そもそも私を拾ったのも、幼いながらに霊力の強い私を育てて、もっと他の何かに役立てようと考えたからなのかもしれないのは、言わずもがな。

 

 分かってはいたけれど流石は喜助さん、やり方が汚い。

 

「……良いよ、分かった。もうあんなのに襲われるのは嫌だもん」

 

 確かに汚いやり方だ。私を死ぬ寸前まで助けようとしなかったのも、かなり腹立たしい話ではある。

 

 でも、私はそのやり方が間違っているとは思えなかった。

 実際、原作ではその周到なやり方で主人公を育て、崩玉を隠し――これはラスボスに見つかっちゃうんだけど――最終的にはラスボスを封印してしまったんだから。

 

 それに、「いざ原作が始まったものの弱すぎて即退場」という結果ならまだ良い方で――そもそもこんな世界、生きていられるという保証が全くないんだ。

 

 

 私が漫画の単行本を読んで展開を知っているのは、ラスボスこと藍染惣右介が喜助さんの手によって封印されて、主人公こと黒崎一護が代償として死神の力を失って――と、ここまでだ。あと数年生きていれば最終話まで読めただろうに、残念なことこの上ない。

 

 ともかく、まさか主人公が力を失ったまま完結するはずもないから、どこかのタイミングで一護は再び死神になるんだろう。

 

 ――主人公に力が戻るということは必然的に、新しい敵が現れることに繋がる。

 

 そして、そうなった時……私が生きていられる可能性は間違いなく大幅に下がる。

 

 だから、私は喜助さんの提案に頷いた。

 せっかく大物が鍛えてくれるんだ。これから先の人生を生き抜いていきたいなら、私は強くならなければならない――

 

「了解っス。じゃあ早速、この線に沿ってぐるっと一周走ってきて下さい」

「……は?」

 

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 

 やはり、変わった子だ。

 

 地面に引かれた()5()()()の線を素直に辿って走ってきて、帰ってくるなり崩れ落ちるように地面に横たわった桜花を見下ろして、浦原喜助はそう思った。

 

 虚に追いかけられて魂を食われかけたのに、間一髪助けに入った浦原に桜花が真っ先に訊ねたのは「どうして道に誰もいなかったのか」だった。「あの化け物は何なんだ」とか「どうして浦原は化け物を倒せたのか」とか、質問なんていくらでもあるはずだ。

 それなのにどうして、浦原が()()()()()()()()()()()()理由の方に食いついてきたのか。

 

 それに、修行をあっさりと受け入れたあの態度。あれは、浦原がどういう意図をもって桜花に修行をさせたがっているのか、ちゃんと理解している目だった。

 

 ――いやはや、何て末恐ろしい。

 

 今でこれなのだ。将来的にどう化けるのか、分かったものじゃない。

 

 これでは自らの()()()()()()()()()()の一端を悟られるのも、時間の問題なのかもしれない。

 

「もうっ……私……死ぬっ……」

「大丈夫っスよ、人ってなかなか死なないもんス」

「……」

 

 息も絶え絶えな桜花の恨み言をさらりと流すと、やたらとジトっとした目で見られた。この答えでは不満だったらしい。

 

「今日はもう走らなくていいんで、ご心配なく」

「そりゃそうだよっ……! これ以上、走ったら……死ぬからね、私!」

「またまた大袈裟な」

 

 ならばと適当にフォローを入れると、今まで以上に恨みのこもった目で睨まれた。適当にあしらうな、とでも言いたげだ。それを見た浦原は、いつも通りの笑みを顔に貼りつける。

 

 ねぇ、分かってますか、桜花サン……と心の中で訊ねる。

 

 一般的な六歳児程度の理解力では、アタシが適当に返答したことには気づけないはずなんスよ。

 

「ねぇ。せめてどういう修行をするのか、だいたいで良いから教えてよ」

 

 息が落ち着いてきたのだろう、いつの間にか起き上がっていた桜花に話しかけられて、浦原は腰掛けていた岩から離れる。

 手順を教えるのは簡単だ。それに、教えた所で何の支障もない。

 

「まずは基礎体力っス。それから霊圧の感じ取り方を知っていただいて、霊圧のコントロール。最後に霊力を使った簡単な戦い方っスね」

「……それって、全部終わるのにどれくらい掛かるの?」

「ゆっくりやって半年、急ぎたいなら二週間って所──」

「よしゆっくりやろう!! ゆっくりでお願いします!!」

「ハイハイ」

 

 あまりに必死な様子の桜花に、浦原は薄く笑って応えた。

 




 浦原さん視点だと傍点がやたらと増えます。そりゃあもう、腹に一物も二物も抱えてますからね。


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六、霊圧とは

 霊圧とは。(哲学)



 

 本来半年掛かる修行を二週間で終わらせようなどという、ちょっと頭のおかしい提案をしてきた喜助さんの言葉を遮って、本来の半年という期間で修行することになってから今日でやっと一ヶ月だ。

 

 毎日の習慣となった修行場での走り込みにも慣れてきて、先週やっと霊圧感知の練習を始めた訳だけど。

 

「夜一さん夜一さん、霊力とか霊圧って本当にあるの?」

「あるに決まっとろうが。普通そこを疑うか?」

 

 夜一さんと二人でこの修行を始めて五日ほど経ったのに、私はまだ霊圧のレの字も感じ取れていないのだ。きっかけさえ掴めれば、行ける気はする……が、何かが引っ掛かっていた。

 

 そもそも、この修行自体に無理がある気がするんだ。

 

 だって、今まで感じたことのないものを指して「霊圧は存在します、では実際に感じ取ってみてください、ハイ瞑想スタート!」なんて急に言われても、感じ取れるようになる訳がないでしょ。普通に考えて。

 

「どう見ても一緒じゃん、この紙……」

「どう見ても違うじゃろう。普通の紙と霊力でできた紙じゃぞ?」

 

 私に課せられた修行はごく単純。一日一時間、霊体になった夜一さんの隣で瞑想をして、霊力でできた紙と普通の紙を見分けられるようになれば合格だ。

 

「え? 具体的に()()違うの?」

「うむ……そうじゃな、普通の紙はただ単にカチッとしておるだけじゃが、霊力の紙はフワッとしておる割にカチッとしておる。全然違うではないか」

「うわぁ……全然分かんない……」

 

 それのどこが具体的だ。擬音しかないじゃないか。これだから感覚派は……

 

 一年ほど前に、流石に全裸は止めろと痺れを切らした私が突っ込んでからしぶしぶ服を着るようになった夜一さんだけれど、今日は黒猫の姿だ。そしてまだ幼い私は、部屋を出入りする際には()()()夜一さんに抱えてもらわなければならない。

 

 つまり全裸再び。

 

「そもそも見るんじゃなくて感じるんじゃ」

「……はあ、そうですか」

 

 どこの熱血漢だ、と声を大にして言いたい。

 やはり、こういう時は理論派の喜助さんに頼るに限る。

 

 

「夜一サンは頭が良い割に感覚派スからねぇ」

 

 修行部屋を出て、一連の会話を喜助さんに伝えてみた。喜助さんは特に驚くこともなく、からからと笑ってそう言った。

 

「しかし霊圧感知に限っては感覚の問題スから、今回ばかりはアナタを手助けする訳にもいきません」

「そっか……残念」

 

 助けてくれないなら仕方ない。相手が喜助さんの場合は粘っても勝てないと、この数年で学んでいる。

 あっさりと諦めて背を向けた私に、しかし喜助さんはつけ足すように声を掛けてきた。

 

「そういや、一つ良いお話があります……アナタはもう霊体を見ることができる。それはひとえにアナタが霊圧を()()()()()()()()()からなんスよ」

「っ……!!」

 

 ガバッと勢い良く振り返る。

 喜助さんはいつもの含みのある笑みを浮かべていた。

 

「……そっ、か」

 

 腑に落ちた気がした。喉元に突っかかっていた何かをちゃんと飲み込めた、そんな感じだ。

 ……手助けできないとは、よく言ったものだ。

 

「……ありがとう、よく分かった」

「そりゃ良かったっス」

 

 お礼を言うと、私はすぐに踵を返した。そして、私達の会話を隣で楽しそうに聞いていた夜一さんと共に、再び修行部屋に戻ることとなった。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 ――霊圧なんて感じたことがない?

 

 どうやら私は、とんでもない勘違いをしていたようだ。

 

「何か、掴んだようじゃな」

「うん……ちょっと、やってみる」

「うむ」

 

 今度は裸体のままあぐらをかいて岩の上に座った夜一さんの近くで、私もあぐらをかいて地面に座り込む。

 

 そもそも霊圧とは何か。目を閉じて考える。

 

 霊圧とは霊力を持つものから発せられる力そのもの、もしくはその力による圧力のようなものだと、私は勝手に理解している。喜助さんが一ヶ月前にしてくれた霊圧と霊力の説明と照らし合わせても、それほど的外れな理解ではないと思う。

 さて、常人には感知することができない超常的な感覚である霊圧だけれど、何故か私はそれを()()()()()()()()()。その最たる証拠は、先月私を襲った(ホロウ)を視認していたこと。それから、今もずっと身につけている桜のペンダントの存在を認識できること。

 

 対してこの五日間、私がやろうとしてきたことは何だったか。

 霊圧が既に感じ取れているなんて考えもせず、未だに感じ取れていない()()を感じ取ろうと躍起になっていたんだ。何かって何だ。そんなもの存在しないのに、何をどうやって感じ取るっていうんだ。

 霊圧を感じ取れるのが当たり前すぎて、そんな単純なことにも気づけなかった。馬鹿なのか阿呆なのか知らないが、少なくとも間抜けだったのは間違いない。

 

 今現在当たり前のように感じている感覚の中から霊圧という存在を見つけ出すこと……それこそが、今回喜助さんから課された修行だったんだ。

 

 

 

 意識を、全身の感覚に集中させる。

 

 まずは触覚……ズボンを履いているとはいえ、土と石ころの硬い感覚があぐらをかいた足やお尻に伝わってくる。

 嗅覚は……土と、あとは私の髪のシャンプーの香り。

 味覚は……ここ三時間ほど何も食べていないから、特に何も感じない。

 視覚は……目を閉じているから、何も見えない。

 聴覚は……何も聞こえない。近くに夜一さんがいる気配はするけれど、服を着ていないからか衣擦れの音すらしない。

 

 あ――そうか、気配だ。

 

 霊圧とは、今感じているこの気配に近いものなのかもしれない。ならばと、夜一さんの気配に集中してみる。

 

 夜一さんの気配。確かに今、夜一さんは私の隣にいる。さっき目で見たから分かるんじゃなくて、今そこにいることが何となく分かる。夜一さんはさっきと変わらず、近くの岩の上に腰掛けて――あれ?

 

 そういえばこの人、いつの間に猫に変化して――

 

「夜一さんっ!!」

「うおっ! 何じゃ急に」

 

 咄嗟に目を開いて、夜一さんの方を振り返る。

 

 夜一さんは、()()姿()()()()()()()

 

「夜一さんって、猫の姿と人間の姿で霊圧が変わったりしない?!」

「何じゃ、急に」

「いいから!」

 

 先程と同じ言葉を繰り返した夜一さんに詰め寄る。

 夜一さんは数秒、猫のアーモンド形の目をパシパシと瞬かせた後、口を開いた。

 

「霊圧の本質は当然変わらぬ。じゃが姿形が大きく変わっとる分、その形態は多少なりとも変動するじゃろう」

「よしっ!」

「何か分かったのか?」

「うん! もう一回やってみる!」

 

 私の喜びように驚いたらしい夜一さんの問いに、思いきり頷いて応える。ようやくだ。ようやく糸口が見つかったんだ。これが喜ばずにいられるもんか。

 

 私は再び座り込み、あぐらをかいて目を瞑る。

 

 集中するのは夜一さんの気配――何故だろう、さっきよりも鮮明に感じ取れる気がする――その姿が猫であることを確認する。間違いない、普段の夜一さんとは明らかに形の違う気配をしている。

 さて、今感じているこの気配こそが霊圧というものなら、私の中にも同じものが存在するはずだ。それが判別できれば、修行は大きく前に進むに違いない。

 

 集中する。

 

 さっき感じた夜一さんの気配。

 あれと同じもの。

 私の中……いや、私の中じゃなくて。

 私の存在そのものから発せられるのが霊圧だから。

 

 私自身に集中して、集中して、集中して……

 

 ――そして私は、()()を見つけた。

 

 これって、もしかして……

 

 私の身体から出ている、どこかモヤのようなモノ。集中力を保ったまま、意識を夜一さんの方へ向けてみる。すると、夜一さんからも同じモノが出ていた。

 

 そうか、これが。

 

 これこそが、今まで感じたことのない……いや、今まで当たり前のように感じていたせいで、特に意識したことのなかった――

 

「霊圧……見っけ」

 

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 

 先程よりもぐんと上昇した少女の霊圧に、夜一は丸くなっていた猫の身体を伸ばして立ち上がった。

 桜花が切羽詰まったように自らに詰め寄ってきた時は、何がどうなったのかと思ったものだが……これなら心配しなくても良さそうだ、と夜一は大きくあくびをした。

 

 ここで桜花と生活を共にするようになってから早三年。出会った時から既に常人の域を逸していた桜花の霊圧は少しずつ、しかし着実に上昇し続けていた。浦原が本人には言わずに(ホロウ)避けの結界を張って虚から守ってはいたものの、それももう限界に達していた。そこで、まだ結界が保っている内に一度()()()結界を消して、()()()虚に襲わせ、修行する方向へ話を持っていった。

 全く……そういうやり方は、昔から少しも変わらない。

 

「相変わらず、不器用な男じゃのう」

 

 するりと人間の姿に戻った夜一は、笑みと共に小さく(うそぶ)いた。

 そして、未だ霊圧を垂れ流し続ける桜花に歩み寄り――その頭に拳骨を落とした。

 

「いったぁ!! 夜一さん何すんの?!」

「霊力切れでぶっ倒れるよりマシじゃろう」

「だからって殴らなくても……」

「で、どうじゃ? 何が霊圧か分かったか?」

 

 涙目でぶつぶつ文句を言う桜花だったが、夜一がその隣に屈み込んでそう訊ねると、しかめっ面だったその顔が一気に輝き始めた。

 

「そうっ! 私やっと霊圧がどれか分かったんだ! 夜一さんのおかげだよ、ありがとう!」

「儂のおかげ?」

「うん。私が瞑想してる間に夜一さんが猫の姿になってて、それに目を閉じたままでも気づけたから、もしかしてって」

「あぁ、なるほど。それであのようなことを訊いてきたのじゃな」

「うん!」

 

 桜花は、それはそれは嬉しそうなきらきらとした笑みを浮かべて大きく頷いた。

 時たま大人びた態度を見せてもやはりまだ子どもか、と夜一は先程拳を振り下ろした少女の頭に、今度は軽く手のひらを乗せた。そして思う。

 

 もし儂に娘がおったら、この子のように愛らしいものに違いあるまい……と。

 




 霊圧に関しては自己解釈かなり入ってます。原作で描写がないなら創作するしかないじゃない?てな感じです。


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七、何も楽しくない参観日

 

 本音としては修行場――夜一さんによると、どこぞにあるという『遊び場』を模倣して作ったという部屋のことだ――に毎日こもって、霊圧操作の修行をし続けたい所だ。理由は単純、下手に家から離れて(ホロウ)に襲われるのが嫌だからだ。

 けれど、小学校に入学して早々に引きこもりと化す訳にもいかない。

 

 一度虚に食われかけてから、喜助さんは私に旧式の携帯電話を持たせてくれた。いざとなったらそれで電話をすれば、喜助さんか夜一さんか鉄裁さんの三人の内の誰かが助けに来てくれるらしい。ありがたいことだ。死にかける前に助けてくれるなら、なお良し。

 

「ねぇ、おうかちゃん。何してるの?」

「メール。あー……この携帯電話のこと、先生に言っちゃ駄目だからね」

 

 文字を打ち終え、旧式の携帯電話を折りたたもうとして――これが折りたたみ式のガラパゴス携帯ですらないことを思い出し、私はそっとため息をついた。あぁ、スマートフォンが恋しいよ。

 

「でも……そんなの先生にバレたらおこられるよ」

「うん。だから一護が黙ってればいいの」

「えっ?でも、ぼく……」

 

 そもそもこの携帯電話は霊子でできている。つまり、この目の前の少年さえ黙っていればバレることは絶対にない。

 だから私は、渋る少年に念押しするようにつけ加えた。

 

「約束ね」

「えぇー……もう、しかたないなぁ」

 

 会話の相手――それは、主人公たる黒崎一護だ。

 

 彼に、原作のような意志の強さはまだない。しかし、その特徴的なオレンジ色の髪とブラウンの瞳は、その少年が黒崎一護その人であることを裏づけていた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 珍しくスーツを着た喜助さん――思ったより似合っていて「あれ? この人って意外とイケメン?」なんて思ったのは腹立たしいから秘密だ――に連れられてやって来た入学式で、私はやけに見覚えのある家族と出会って愕然とした。

 

 それなりにガタイの良い父親に、長い茶髪が綺麗に波うっている美人な母親、父親に抱かれている黒髪の女の子と、母親に抱かれている茶髪の女の子。

 それから両親のどちらに似たのか、オレンジという派手な髪色の少年。

 

 間違いなく、黒崎家だった。

 

「あら……一心サンじゃないっスか」

「何だ、浦原じゃねーか」

 

 しかも何を血迷ったか、二人は当然のように言葉を交わし始めた。黒崎一心さんはともかく、黒崎真咲さんは死神のことを知っているかどうかも分からないのに――

 

「お久しぶりです。浦原さん」

「真咲サンも、お変わりはないようで」

「えぇ、おかげさまで」

 

 しかし、そんなことでヒヤヒヤしていたのは私だけだったようだ。どうも、黒崎真咲さんは喜助さんを知っていたらしい。

 

 真咲さんって何者なんだろう……もしかして、全部知っているのか? まさか、真咲さんも()()()()()()人だとか?

 でも、それだと虚に殺されたということと辻褄が合わないような……

 

 ――いや、今はそんなことを考えたって仕方ない。

 喜助さんに訊いたって教えてくれそうもないし、そもそも真咲さんが虚に食われるまで二年もあるし。

 

「君が桜花ちゃんかい?」

「あ、えっと……はい。はじめまして」

 

 ふいに話し掛けられて驚きつつも、きちんと返事を返す。相手は黒崎一護の父親、一心さんだった。

 

「浦原から話は聞いてるよ。手の掛からない良い子だって」

 

 ふーん、そんなこと言ってたんだ……と振り返ると、喜助さんは何故か意地の悪そうな笑みを浮かべていた。

 

 ――ちょっと待て、その顔は何か良くないことを企んでいる顔だ。何したんだこの人……?

 

「浦原にずいぶん懐いてるって聞いたぞ」

「え? そんなことないですよ」

「照れるな照れるな! 良いよなぁ浦原は。毎朝桜花ちゃんに『いってきます』のチューをしてもらえるなん――」

「痛ぁっ!?」

 

 黒崎家の面々が驚いた顔で私を見た。

 いや、何てことはない。あり得ない嘘をついた喜助さんの(スネ)を、新品のローファーで蹴りつけただけだ。

 

「喜助さん、ちょっと気持ち悪いから黙っててくれる?」

「いや、アタシはさっきから何も言ってないん──」

「喜助さん、気色悪いから黙っててくれる?」

「……ハイ」

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 あの時は悪の根源に制裁を与えられてすっきりしていたから何も思わなかったけれど、どう考えてもあれが初対面では第一印象は最悪だ。案の定、一心さんや真咲さんはかなり驚いていたし、一護には怯えられてしまった。

 何とかアフターフォローには成功したけど、それでも結果的に私と一護との間には姉と弟のような上下関係が成立してしまった。

 ……主人公に何てことしてるんだ、私は。

 

「今日さ、おうかちゃんはおうちの人くるの?」

「多分……今メールしたら向かってるって」

 

 現在は給食後のお昼休みだ。浦原商店の面々が()()()()()つもりなのかどうか再確認したかった私は、携帯電話を使うために校舎裏にやってきていた。

 そして「ぼくも行きたい」と言って勝手についてきた隣のクラスの一護も一緒だった。

 

「さんかん日、たのしみだなぁ」

「そうだね……うん」

 

 そう、今日の五時限目には授業参観がある。私の保護者達はそれに来るつもりなんだ。

 

 ……正直、勘弁してほしい。

 

 確かに喜助さん達には、こうして育ててもらっているという恩がある。参観日に来てくれようとする意思があることは、すごく嬉しいことだし、ありがたいことでもある。

 

 しかし、だ。

 あの人達が来ると、絶対にロクなことにならない。そのことは既に入学式の喜助さんの件で立証済みだ。

 それにあの人達は()()()()()()から、人間たちに混じるとやたらと浮いて仕方ないというか……

 

 それでも来るなとは流石に言いづらくて、「いそがしいならムリしてこなくていいよ」というメールを送っておいた。しかし返信はといえば「大丈夫っスよ、今日は暇スから」だった。数百年も生きてるんだから空気を読め、と声を大にして言いたい。

 

「ぼくもね、かあちゃんがきてくれるんだよ」

「そっか、良かったね」

「うん!」

 

 かわいい。

 嬉しそうに頷いた一護は、まだまだ年相応の幼さがある。いやもう本当、ちょっと沈んでいた気持ちが上昇するくらいにはかわいい。

 

「一護はあれだ、弟みたいだよね」

「はぁ?! おない年だよ、ぼくたち!」

「うんうん、ごめんごめん」

 

 そう言って頭をなでてやると、ずいぶんとムッとした顔をされた。

 

 

 

 そうして時間は無情にも流れ去り、あっという間に五時限目の開始時刻だ。昼休みの後半辺りからちらほらと保護者の姿が見え始め、実際に授業が始まる頃には教室の後方は保護者で埋まっていた。

 

()()()()()()のおかあさん、どれ? おしえてよ」

「母さんじゃなくて……と、父さんが、来るんだ……」

「なんでそんなにイヤそうなの?」

 

 楽しそうに小声で話し掛けてきたのは、隣の席の田中くんだった。

 

 ……もちろん嫌なのもあるけれど、何よりもあの人を『父さん』と呼ぶことに対して凄まじい違和感があるんだ。

 

 けれどそれも仕方ないと受け入れなければならない。なぜなら、学校に登録された私の名前が『浦原桜花』だから。更に言うと、父親の欄は『浦原喜助』として登録されているから。どうしてこうなったのかは私にも分からない。

 

 

 

 結論から言うと、参観日に来たのは()()()()()()()()()()()()だった。

 

 二人の姿は周りの人には見えない上、見える可能性のある一護はクラスが違うから、私が心配していた「普通の人の中に入ると浮く」なんてことは当然なかった。

 どうでもいい話、物理的にはしっかり浮いていたけれど。

 

 しかしこの二人、周りから見えないのを良いことに教室内を散々うろついた挙句、夜一さんに至っては教室の備品をわざわざ手に取って物珍しそうに眺め始める始末で、授業の間中私をヒヤヒヤさせ続けた。

 そんな状況だから私は一瞬たりとも授業に集中できず、小学一年生レベルの問題を間違えるという失態を犯して、直後に夜一さんから「そのような易い問いにも答えられぬとは、情けないのう」というありがたくもないからかいの言葉を頂戴した。私もう、怒って良いよね?

 

 家に帰ってから聞いた話によると、霊体で行くように言ったのは鉄裁さんだったらしい。どうやら鉄裁さんが止めていなければ、喜助さんはいつものあの変な甚平姿で、夜一さんは隠密に向いた露出度の高い服を着て、学校にやって来るつもりだったようだ。

 阿呆かと言いたいが、それよりも止めてくれた鉄裁さんに心から感謝だ。

 やっぱり鉄裁さんは紳士かつ常識人だった。

 

 

 

 授業参観を何とか終えて家に帰ってきた私は、年相応に友達と外で走り回って遊ぶ――なんてことは当然なく、喜助さんといつものように地下の修行場にこもっていた。

 

 夜一さんとの瞑想にて霊圧というものを再認識してから、私の修行は目に見えて加速した。もちろん、普通の紙と霊力でできた紙だって簡単に見分けられるようになった。今となっては何故あんなに違うものを見分けられなかったのか分からないくらいだ。

 

「桜花も霊圧に慣れた頃ですし……今日から走り込み、二周にしましょうか」

「はぁ?!」

 

 いやいや無理だから!! と騒ぐ私に対して、喜助さんはイイ笑顔だ。このドSめ。

 

「だってこれ一周4キロくらいあるんだよ?! 二周したら8キロだよ?! 死ぬから!」

「4キロじゃなくて5キロっス」

「そんなの知りたくなかった!」

「死ぬ前に止めてあげますから大丈夫ですって」

「うわぁ……」

 

 えげつない。それって要するに、走りすぎて死にかけるまで走らされるってことじゃないか。走りすぎて死にかけるって何だ。私はマラソンの選手か何かか。

 だいたいマラソン選手でも、キロ単位の距離をいきなり倍にすることなんてない……と思う。多分だけど普通こういうのは、ちょっとずつ距離を伸ばしていくものなんじゃないのか。馬鹿なのか。

 

 しかし残念ながら、修行において喜助さんの言葉は絶対だ。強くなるためには何をするべきかなんて見当もつかない私には、反抗するための材料がないんだ。

 

「……分かったよ」

 

 だから私は文句を言いつつも、最終的にはしぶしぶ頷いた。

 そして何やら用事があると地上に上がって行った喜助さんの代わりに、地下に下りてきた夜一さんに見守られながら走り始めた。

 

 

 

 室内とは思えないほど起伏の激しい岩場の、その隙間を縫うようにして引かれた線の上を走る。

 走って、走って、走って……ようやく一周が終わる辺りで、ふと思いついたことがあった。

 

 ――走るって、そういえば死神は『瞬歩(しゅんぽ)』なるものを使って移動しているんだよね。あれって足の裏に霊圧を集めて爆発させて、その威力で瞬間的に速度を上げる……みたいな技だったような。

 

 いつか使ってみたいと思ってはいたものの、どうも喜助さん達には私に瞬歩を教える気はないらしいのは、前から分かっていた。以前喜助さんに教えてもらった修行の予定の中に、瞬歩の修行がなかったからだ。

 

 ――今ちょっと試してみれば、『瞬神』夜一さんに瞬歩を教えてもらえる良いキッカケになるんじゃないか?

 

「……私は天才か」

 

 突然降って湧いたにしては名案だった。

 

 理由だって『無茶な走り込みを命じられて、ちょっとでも楽をしようとしたから』という、私の外見年齢相応のものを後づけすることができる。

 それに失敗したって問題ない。今回使う霊力はちょっとだけだから、不発に終わる可能性が高い。それにもし霊力が多すぎても、現在いる場所の前方は開けている。だから壁に衝突することもない。

 

 よし。

 

 考えをざっとまとめた私は、そっと目を閉じた。

 走りながら目を閉じるなんて馬鹿のすることだ。しかし私の場合、それは霊圧を感じ取ることで何とかなる。なぜなら、この部屋そのものが霊力を使って作られているだけあって、同じく霊力で作られた岩壁がどこにあるかなんて、視覚に頼らなくても手に取るように分かるからだ。

 

 

 集中する。私自身から発せられる霊圧を感じ取る。

 

 ……よし、良い感じだ。この調子で全身から霊圧を集めて――私の霊圧は死神より弱いはずだからちょっと多めに――両足に移動させて。

 

 爆発させる!!

 

「うおぁっ!!?」

 

 ドゥンッ!! という腹から響くような重低音がして、私の身体はロケットのように地面から()()()()()

 悲鳴を上げる余裕すらない。凄まじい風圧に、上手く息ができない。容赦なくぐんぐん迫ってくる青い天井に、私は再び死を覚悟して――

 

 

「……何をしとるんじゃ、お主は」

 

 

 息を止めるほどの暴風がやんだ。

 後頭部に当たる程良く柔らかい何かに、恐る恐る振り返る。目の前にあったのは、二つの柔らかな――

 

「あ、ありがとう……夜一さん……」

「全く、儂だから間に合ったようなものじゃぞ」

「ごめんなさい……」

 

 今いるのは天井から数メートル離れた空中だ。

 つまり、あと一瞬でも助けが遅れていたら私は、天井に真っ赤な染みを……うわぁ、自分で言っててゾッとしてきた。

 

「何をしようとしていたのか、ゆっくり聞かせてもらうぞ」

「……はい」

 

 瞬歩、しようとしてました。

 

 なんて言えないよなぁ。

 それにしても……瞬歩って、こんなに恐ろしいものだったか?

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 死神の歩法には、瞬歩という高等技術が存在する。しかし、その瞬歩というのは足に集めた霊圧を爆発させるものではなく、霊圧を使って足元を上手く()()ものである。

 

 霊圧を足の裏で爆発させれば速く移動できると思って……とボソボソ言って口ごもった私に、夜一さんが呆れきった表情で説明してくれたことによると、そういうことらしい。

 弾くだけであのスピードが出るのに、爆発なんてさせたら手に負えないのも頷ける。

 

 原作中にはっきりとした原理の説明がなかったから勝手に解釈してたんだけど……勘違いって恐ろしい。今度からこういう実験をする時には、もっと慎重にならないと。

 

「そもそも足に霊圧を集中させて、それで速度を上げるだけなら死神見習いでもできる。難しいのは、霊圧の調整、操作の方じゃろう」

 

 霊圧を調節せずに放出したらどうなるか。答えは、先程の私の失態そのままである。

 野外で行えば、当然天井にぶつかるなんてことはありえない。しかし未調整の霊圧は、()()()()()向かって放たれるか分からない。つまり前後左右いずれかの方向に壁があった場合、屋外か屋内かに関わりなく衝突の危険性は高いということになる。

 

 今回の私はロケットよろしく天井に突撃した訳だけれど、もし仮に横にある岩山めがけて飛ばされていたら当然夜一さんですら間に合わず、私は岩壁にぶつかって死んでいただろう。

 

 そして、前に進もうとして真上に跳び上がっていることこそが、霊圧コントロールが一切できていない何よりの証拠な訳で。

 

「じゃからむやみやたらと霊圧で速度を上げてはならぬと、霊術院生の段階で学ぶものなのじゃ。死神の身体ならば死ぬことはないが、それでも怪我は負うに違いないからの。しかし、それをおぬしは生身で……分かっておるのか? 死ぬところだったんじゃぞ?」

「……すみませんでした」

 

 素直に謝った。

 死ぬところだったのも、想定以上の迷惑を掛けてしまったのもよく分かっている。

 

「まぁ……あれじゃ。ちゃんと伝えとらんかった儂らも悪かった」

 

 予想外の結果にうなだれている私の様子を見て、夜一さんもそれ以上に叱るのは止めたようだ。顔色をそっと伺う私を見下ろして、夜一さんは苦笑した。

 

「喜助にはズルをしようとしていたことは黙っておいてやるから、さっさと続きを走って来い」

「……うん、ありがとう」

 

 それは助かる。

 あの人にこんなことがバレたら、それを理由にどんな無理難題をふっかけられるか分かったもんじゃない。

 

「あ……そうだ」

 

 そして、重要なのはここからだ。大きな勘違いと命の危機、それから反省はあったものの、大筋は何も変わっていない。

 私は言われた通りに走り出そうとして、『ふと何かを思いついた風体』を装って夜一さんの方を振り返った。

 

「走り込み、さっさと終わらせてくるからさ、後でその瞬歩のやり方教えてくれない?」

「はぁ……言うかもしれぬと思っておったが、本当に言うとは……おぬし、本当に反省しておるのか?」

「してるよ。――あの時は、本気で死ぬと思ったし……」

 

 やはり、本来教える気はなかったのは確からしい。渋い顔をした夜一さんが言葉を続ける。

 

「……人の身では難しいぞ? 儂がついておれば危険ということもなかろうが、鍛錬を積んでもできぬかも知れぬものじゃ……それでもやるか?」

「やる。だってそれが使いこなせれば、虚から逃げるのだって簡単になるでしょ?」

「それは、そうじゃが……まぁ良い、話は走り込みが終わってからじゃ。ほれ、行ってこい」

「分かった、ありがとう!」

 

 まだ、教えるとは言っとらんが……と呟いた夜一さんの言葉を聞こえなかったふりで流して、私は走り始めた。この口ぶりだと、まず間違いなく教えてくれるだろうと確信しながら。

 




 瞬歩の仕組み……必死で調べたんですが明記されてなかったので勝手に想像して書きました。霊術院生の下りに至っては、完全なる創作です。
 どこかに書いてあったっけな……ご存じの方はいませんでしょうか?


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八、助けるという選択肢

 

 今年の梅雨入りは、例年よりも数日遅かった。

 ジメジメと湿った空気と共にやってきた大雨は、毎日のように地を濡らし、川の水位を上昇させ続けている。それはまるで、これまでの遅れを必死に取り戻そうとしているかのようだった。

 

 私も、それくらい必死にならなきゃいけないのかなぁ。

 

 でも、と心の中で呟く。

 必死になったとして、私はどうするべきなんだろう。

 

 

 私は一体、どうしたいんだろう?

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 小学校からの帰り道。

 雨の中傘をさして隣を歩くのは、入学式に知り合った黒崎一護と、二年生の時に一護を通して知り合った有沢竜貴の二人だ。

 家の方向がだいたい一緒だったのは偶然なのか、元々そういう設定だっただけなのか。分からないけれど、とにかく学校から一番近いのが竜貴の家で、次に一護の家、一番遠いのが私の家だった。

 

「ねぇ桜花聞いてよ。一護ってば五年も空手やってんのに、あたしに一回だって勝ったことないんだよ? 弱すぎでしょ」

「うるさいな! 今度はぜってーオレが勝つからいいんだよ!」

「ハイハイ、ガンバッテネーイチゴ」

「何だよその言い方は!」

 

 ニヤニヤしながら一護をからかう竜貴に便乗してやると、一護は面白いくらいにふてくされてしまった。もちろん、そんな一護をフォローするのも忘れない。

 

「まぁ竜貴はちょっと化け物だからね、勝てなくても気にしなくて良いんじゃない? 勝っちゃったら化け物を超える何かになっちゃうよ」

「えぇ……それはちょっとなぁ……」

「おい、化け物って何だ」

「褒め言葉だよ、褒め言葉。化け物級に馬鹿強いってこと。だって竜貴、こないだけっこう強い男子中学生に勝ったんでしょ?」

「そりゃまぁ、勝ったけどさ……」

「すごいよ、本当」

 

 どこの世界に男子中学生に勝てる小学三年生女子がいるんだよ。パワーバランスおかしいでしょ。普通に考えて勝てる訳がないでしょ。

 でも、そこを勝ってしまうのが竜貴。つまり良い意味で化け物。大学生くらいになれば、(ホロウ)とかも素手で倒せるようになってしまいそうだ。いや、冗談ではなく。

 

「桜花もやらない? 空手。楽しいよ」

「や、私はいいや。運動嫌いだし」

「前から思ってたけど、桜花ってもうちょっと身体動かした方がいいんじゃない?」

「……うん、まぁ分かってるんだけどねぇ」

 

 運動、してるんだけどね?

 毎日10キロ近く走ってるし、鉄裁さんと鬼道の撃ち合いをして走り回ってるし……あれ、走ってばっかりだな私。

 というか、これでは竜貴より私の方が化け物なのでは……?

 

 ……ともかく、これらの運動で身につけた運動神経を体育の授業で間違って発揮してしまうと困るから、私は学校では運動嫌いの運動音痴で通すことにしているんだ。

 演技は昔から得意だけど、避けられる危険性は避けておいた方が良いに決まっている。その方が将来的に運動部や地域のスポーツクラブに誘われずに済むし、そういうのに参加しなければ間違って運動能力を発揮してしまうという事故も起こりにくくなるし。

 

「そういや一護は明日道場来るの?」

 

 今日のところは私に運動を勧めるのを諦めたらしく、竜貴が一護に訊ねる。

 

「当たり前だろ! 明日こそお前を負かしてやるよ」

「ホントに? 楽しみにしてるよ」

 

 一護の言葉を聞いて、竜貴は好戦的に笑った。

 

 そこで分かれ道に差し掛かって、私は一護と竜貴と別れた。じゃあね、と手を振った二人は騒がしく話しながら、私とは別の道に歩いて行った。

 

 

 

 雨は、私が一人になろうがなるまいが、その勢いを衰えさせることなく降り続ける。その中を、青色の傘をくるくる回しながら歩く。

 

 ゴポゴポと音を立てて流れる排水溝から少しだけ水が溢れ出ていて、この分だと川はずいぶん増水しているんだろうな……と他人事のように思う。

 

 いや……実際、川の増水なんて他人事でしかない。

 それとも、()()他人事でしかないと言うべきか。

 

 そう、私はまだ、これを他人事にするか他人事にしないか決め兼ねている。

 

 

 今日の日付は、六月十六日。

 

 

 黒崎一護の母親が亡くなるまで、あと二十四時間と少し。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 できるだけ、考えないようにしていた。

 

 入学式で初めて真咲さんに会って向こう一年ほどは、虚に襲われたり修行を始めたり……とにかく集中することが他にあったから、そのことを考えずに済んでいたのもあった。

 でもそれも、いずれ限界が来てしまうのは当然のことで。

 

 私は、小学三年生になった。

 もちろん一護も小学三年生になった。一護の一人称が『ぼく』から『オレ』に変わったことに気づいた時は、まるで自分の弟の成長を見守っているかのように微笑ましく感じて――そして、気がついた。

 

 私の中で、一護の存在が大きくなってしまっていることに。

 

 あの子の母親を()()()()()()には、あの子とあまりに親しくなってしまっていることに。

 

 

 喜助さんにも夜一さんにも鉄裁さんにも言えないことだけれど、原作通りに事を進めたければ、真咲さんも原作通りに死んだ方が何事も上手くいく……これは事実だった。

 

 一護があれだけ誰かを護ろうと必死に戦えるのは、過去に一度大事な人を失って、その苦しみを知ってしまっているから。もし誰も失ったことがなければ、あそこまで必死になって戦えないかもしれない。

 そして、一護が原作ほど必死に戦えなかったら、藍染に勝つどころか、尸魂界(ソウル・ソサイエティ)に朽木ルキアを助けに行った際に、隊長格の誰かに殺されていたかもしれない。

 

 どれもこれも、全て仮定の話でしかない。

 でも、仮定の話だからと捨て置けるような内容でもない。

 

 でも、だからって。

 

 私は彼女を見捨てたくはないんだ――

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

「ただいまぁ……あれ、(ウルル)だ。何してんの? こんな店先で」

「お、おかえり。お姉ちゃん」

 

 店先にいたのは、去年からウチで暮らすことになった(ウルル)だった。

 外見年齢が五歳程度の彼女は、店長もといマッドサイエンティスト(喜助さん)の手によって生み出された改造魂魄(かいぞうこんぱく)だ。作り出した本人によると彼女は戦闘に特化した個体で、人間と同じように自我を持ち、肉体も精神もまるで人間のように成長していくらしい。普通の人間ではないと原作を読んでいた頃から思っていたけれど、まさか喜助さん自作の改造魂魄だったなんて……

 

 ともかくその倫理的にも道徳的にもよろしくない説明を聞いて「やっぱりコイツ危ない奴なんじゃ……」とドン引きしている私に喜助さんは、「ボクの最高傑作っス!」なんて満面の笑みで言い放った。そして、それに続く言葉が「良かったっスね、桜花。妹ができて」だった。

 直後、思わず彼を蹴飛ばしてしまった私に非はない。やっぱりコイツ、危ない奴だった。

 

 そして、直後に『お姉ちゃん』と呼ぶように雨にお願いしてしまった私は悪くない。

 

 だって雨、めっちゃかわいいし。

 私は小さい子に弱いんだ。

 

「えっと、その……てるてる坊主作ったから、飾ろうと思って……」

「ここのところずっと(あめ)だもんね。それ、鉄裁さんにお願いしたらいいのに」

「そうなんだけど、でも……」

「言いづらかった、と。ちょっとそれ、貸してみな?」

「え? うん……」

 

 もじもじしながら(ウルル)が渡してくれたてるてる坊主を手に取る。真っ白い布で作られたそれの頭には、かわいらしい顔が描いてあった。

 

「これ、雨が作ったんだよね。上手くできてるじゃん、顔もかわいいし」

「そんなこと、ないよ……えへへ」

 

 謙遜しながらも、褒められて嬉しいのは隠せないらしい。恥ずかしそうにはにかむ妹分の頭をなでて、それからてるてる坊主片手に辺りを見渡す。

 (あめ)のせいか、浦原商店の前の通りには車どころか人一人いない。その他にも、誰かに見られている気配もない。

 これなら大丈夫かな。

 

「……よっと」

 

 私はトントンと爪先で地面を蹴ってから軽くジャンプして──まるで見えない段差にでも乗っているかのように、()()()()()()()()立った。

 

「この辺かなぁ……」

 

 屋根の裏にちょうど上手く引っ掛けられる所を見つけて、そこにてるてる坊主の首から伸びる紐を結びつける。

 そして何事もなかったように降りてくると、(ウルル)がキラキラした目で私を見つめていた。

 

「あ、ありがとう」

「いいのいいの。大したことじゃないからさ」

「……私もそれ、できるようになりたいなぁ……」

「ん、さっきの()()のこと?」

「うん」

 

 なんてことはない。ただ霊力で足元を固めて足場にした、ただそれだけのことだ。雨なら、私よりも短い期間でできるようになるだろう。

 

「私はまだ、人に教えられるほど上手く使いこなしてる訳じゃないから……今度喜助さん辺りに頼んでおいてあげるよ」

「えっ? ホントに……?」

「ホントホント」

 

 できることなら私が教えてあげたいんだけど……この子が人間じゃない以上、修行方法が私のものと違うかもしれない。そうなると、もう私の手の出せる領域じゃない。

 

「じゃあ私、部屋で宿題してるから。何か用があったら遠慮せずに来なよ」

「うん、分かった」

 

 頷いた雨に手を振って、私は自室に引っ込んだ。二階にある私の部屋は、小学校に入学した時にもらったものだった。

 喜助さん達の霊圧は一階と地下にある。鉄裁さんと夜一さんは一階の居間に、喜助さんは……地下の研究室か。この感じだと実験中かな?そうだったらしばらく出てこないはずだ。

 

「あーあ……どうしよう、かなぁ……」

 

 着替えもせずに、ベッドに倒れ込んで呟く。

 「宿題をする」なんて、ただの方便でしかない。「何か用があったら来なよ」だなんて言われて、あの大人しい雨が来るはずもない。ごめんね、雨――

 

「私は、どうしたいんだろう……?」

 

 どうしたいか。その問いには自信を持って答えられる。「助けたい」と。

 

 グランドフィッシャーは虚の中でも手強い部類に入るだろう。だから、今の私では勝ち目がないのは明白だった。

 でも私の保護者達は、元護廷十三隊隊長の死神が二人、そして隊長格に匹敵する強さの死神が一人。彼らに頼めば、グランドフィッシャーなんて瞬殺してくれるのは間違いない。

 故に私は、自らの手で助けられなくとも『真咲さんが殺されないようにするという選択肢』なら持っているんだ。

 

 それに原作でも言われていた通り、黒崎家は真咲さんを中心に回っている。その中心がいなくなってしまったせいで黒崎家の面々が、そして一護がどれほど苦しんだか、私は知ってしまっている。

 

 竜貴に勝ってやると息巻いていた、一護の顔が思い浮かんだ。小学一年生の授業参観の日に、お母さんが来てくれるんだと嬉しそうにはにかんだ一護の笑顔が思い浮かんだ。

 私が動くだけで、その笑顔を守ることができるかもしれない。そうすれば、一護は悲しい思いをしなくて済む。私は、まだ小学生のあの子に、あんな思いはさせたくなかった。

 

「できることなら、助けたい。でも、助けると――」

 

 原作が変わってしまう。

 そして、そうなると一護は、藍染惣右介には勝てないかもしれない。

 

「もう、分かんないよ……」

 

 私は腕で目を覆って、呻くように呟いた。

 

 どれくらいの時間、そうして考え込んでいただろうか。

 家に帰ってきたばかりの頃は気にも留めていなかった(あめ)の音が、やけに耳障りなもののような気がしてきて、私は枕に顔を押しつけて――

 

 

 

 ――最悪だ。

 

 朝起きてその事態に気がついて、私はしばらく動けなかった。

 

 期限が迫っている考え事をしながら寝落ちしてしまうなんて。私は馬鹿なんじゃなかろうか。それともただ単にやたらと図太いだけなんだろうか。どっちみち、最悪だ。

 

 喜助さん達は、私が夕食前に寝落ちしてしまったことを知っていた。起床後明らかにショックを受けている私を見て、「宿題の一つや二つ、忘れたところでどうということもないだろう」と笑っていた。

 宿題をし忘れた? そんなこと、今はどうだっていい。学校で先生にちょっと怒られはしたが、どうでもいい。

 

 それより真咲さんだ。

 

 とりあえず私は、昼休み中にトイレの個室の中で「友達の家の空手道場に寄って帰るから遅くなるかも」と喜助さんにメールを送って、同じクラスの竜貴に「道場を見学してみたい」と伝えた。

 空手に興味がある訳でも何でもないから竜貴には申し訳ないけれど、仕方がない。そして、これがキッカケで空手を始めることになってしまっても、それはそれで致し方ない。

 

 私がこんな行動をとった理由はただ一つ。

 助けるか助けないかに関わらず、私はその場にいるべきだと、そう思ったからだった。

 

 

 

 道場に着いて、試合を見学して、一護が竜貴から一本も取れずに負けて……その間も私はずっと考え続けていた。一時間ほど見学した後に竜貴に礼を言ってから道場を出て、雨で増水した例の川辺の近くの建物の陰に隠れて……それでもずっと、考え続けていた。

 

 

 答えは、出なかった。

 

 そして、その時は来てしまう。

 現実は、煮え切らない私の決断を待ってくれるほど、優しくはなかった。

 

「あらあらあら、悪いトラックね。大丈夫? 一護」

 

 ――来た。来てしまった。

 

「いいの。オレこっち! オレ雨ガッパ着てるからヘーキだもん!」

 

 自らが道路側を歩くと言った女性――真咲さんに、少年の声が応える。一護だ。

 

 咄嗟に川の方を見る。

 川べりの、ガードレールの途切れた場所。

 

 

 そこに――()()()()()()()()()

 

 

 不思議な形の外套を着た、おかっぱ頭の女の子だった。

 

 

「あれ?」

 

 

 その存在に気がついたらしい一護の声。

 

 そして、一護はその女の子に駆け寄って。

 

 真咲さんが、制止の声を上げて――

 

 

 

「――破道の四、白雷(びゃくらい)

 




 (ウルル)に関しては独自設定です。
 それにしたって、(あめ)の日に(ウルル)を出してしまうとは迂闊だった……ルビ打ち疲れた……


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九、グランドフィッシャー

 

「――"破道の四・白雷(びゃくらい)"」

 

 無意識の、行動だった。

 やってしまってから「しまった」と思うも、もう遅い。

 

 私の手のひらから飛び出した"白雷"は駆け出した真咲さんを追い越して、気配を隠すことを止めたばかりのグランドフィッシャーを直撃した。

 グランドフィッシャーは驚いたように身をよじり、そして――私を見た。

 

「ひひひっ……痛いのぉ……そこな小娘か? わしの毛を焦がしたのは」

「……なーんだ、効いてないんだね。けっこう霊圧込めたのになぁ」

「小娘よ、お前はそこな小僧よりも旨そうだ……先にいただくとするかの」

「勘弁してよ。食べられるとかヤだからね、私は」

 

 手を出してしまったことへの後悔と、一護達から(ホロウ)の興味を逸らせられたことへの安堵と、自らよりも強いモノに狙われていることへの恐怖と……様々な感情でごちゃごちゃになった心を、私は得意の演技で覆い隠してのんびりとした口調で喋る。

 あくまでも余裕があるかのように、堂々と。

 

「"縛道の四・這縄"」

 

 縛道を放つ。余裕の現れなのか、グランドフィッシャーは嫌らしい笑い声を上げてそれを()()()()()()

 

「なるほど……死神の術。貴様、人の子じゃないな?」

「どっからどーみても人でしょうよ。その目は飾りかっての」

 

 恐らく奴がその気になれば、一桁台の縛道なんて数秒で破られる。

 私はグランドフィッシャーの言葉に適当に返しつつ、真咲さん達の所に駆け寄った。真咲さんはこの間に、一護を抱きかかえて奴から距離を取っていたようだ。

 見えていないはずの虚から距離をとるなんて、やっぱり――いや、今はそれより。

 

「あなた、浦原さんのところの……まさか――」

「良いですか、多分アレは私一人じゃ倒せない。私が注意を引きつけるんで、お二人はここから離れながらこれで浦原喜助に電話を」

 

 入学式で一度見ただけの私を、真咲さんは覚えていてくれたらしい。私を見て呆然としている真咲さんに、携帯電話を押しつけて踵を返す。

 

「お、桜花……何で……?」

「一護、話は後。お母さんをちゃんと守るんだよ」

「……分かった」

 

 同じく呆然としていた一護だけれど「お母さんを守る」という言葉には、しっかりと返事を返してくれた。

 

「お別れは済んだかの?」

「これが、生きるのを諦めた人間に見える?」

「見えぬな……ひひっ!」

 

 逃げていく二人の気配を感じつつ、私は静かにグランドフィッシャーを見つめる。

 バキバキと音を立てて、奴は縛道を破り始めた。私は今まで背負っていたランドセルを放り捨てて、指を二本立てた右手をまっすぐ伸ばす。

 恥ずかしいからやりたくなかったんだけどな。今はそんなこと言ってられない。死ぬよりマシだ。

 

「自壊せよ、ロンダニーニの黒犬、一読し・焼き払い・自ら喉を掻き切るがいい――"縛道の九・撃"」

 

 油断したグランドフィッシャーが二つの縛道を破る前に詠唱を終わらせると、私の指先から放たれた赤い光がグランドフィッシャーを取り巻き、その手足と餌の女の子を丸ごと固定するように縛りつけた。

 これで、奴は地面から離れられなくなった。

 

「おお、やるではないか。これは先程よりも強力なのだな」

「ずいぶんと余裕だねぇ」

「当然……ひひひっ」

 

 知っている。奴の主な攻撃手段は手足なんかじゃないことを。だから私は足に霊圧を集めて、次の攻撃に備える。

 

「青いのう小娘……これでわしを抑えた――つもりかっ!」

 

 言葉と共に襲い来るは、"撃"の隙間から飛び出した奴の体毛。

 私はそれを――()()()避けた。

 

「ほう……これを避けるか」

「や、まだ死にたくないもんで――"縛道の九・撃"」

 

 空中に降り立った私は、再度"撃"を放ち、飛来した体毛を避ける。

 

「"縛道の九・撃"、"縛道の九・撃"、"縛道の九・撃"、"縛道の九・撃"」

 

 私が詠唱破棄でも同じ威力を保てる縛道は"撃"だけだ。"鎖条鎖縛"辺りが使えたら便利なんだけれど、今の私では完全詠唱でも不可能だ。

 

「ずいぶんと慎重な戦い方をするのだな、小娘よ」

「……"縛道の九・撃"」

 

 返事の代わりに詠唱破棄の"撃"を放つ。これで七回目。

 これで奴の体毛はあらかた覆い隠せたから――

 

「――わしの毛を抑えれば、勝てると思ったか?」

「っ?!」

 

 嫌な予感。咄嗟に身をよじる。

 風切り音がして、左肩に何かが掠った。

 

「惜しい……あと少しズレておれば心臓を一突きだったのに」

 

 グランドフィッシャーの仮面に空いた穴。そこから触手が数本飛び出して、不気味にユラユラ揺れていた。そういえばこの触手、原作にも出ていたような。

 

「……うえ、気持ち悪」

 

 つまりあれが一瞬で伸びて、一瞬で縮んだ、と。

 そして、私はそれを目で追えなかった。

 

 ――これは、ちょっと不味いかもしれない。

 

「便利だね……その身体」

「羨ましかろう?」

「まさか」

 

 掠っただけにしてはひどくズキズキと痛む肩に触れる。雨の水とは明らかに違う、ぬめりのある感触にため息をついた。全く、冗談じゃない。

 明らかに勝てないと分かっていたからこその縛道だったのに……あれは反則だ。

 

「ほれほれ、どんどん行くぞ?」

「っ……"縛道の八・(せき)"!!」

 

 ヒュン、ヒュン、と音を立てて伸び縮みする触手を"斥"で作り出した盾で防いだ――いや、正しくは防ぎきれていない。

 "斥"は普通の虚相手であれば、大抵の攻撃を防いでくれると鉄裁さんから聞いた。しかし残念なことに、その持続時間は長くない。だからといって連発しようにも、どうしても隙が生まれてしまう。それに、私の霊圧だって無限じゃない。

 よって防ぎきれなかった攻撃は、濡れて身体に貼りついたTシャツの裾を切り飛ばし、同時に私の身体に浅くない傷を残していく。息が上がる。

 

 ――ああもう、勘弁してほしい。

 いっそ、逃げ出してしまえたらいいのに。

 

「どうした、小娘よ」

 

 でも、逃げる訳にはいかない。

 私が逃げたら、次に狙われるのは一護と真咲さんだ。

 

 ……そうだ、二人はちゃんと逃げただろうか?

 真咲さんにはちゃんと感じ取れるほどの霊圧がないから、現在地が分かるのは一護だけ。どうやら一護は、この河原のすぐ近くにいるようだ――

 

 ――あれ、どうして一護がこんな近くにいるの?

 

 逃げたんじゃ、なかったの……?!

 

「動きが鈍くなってきたぞ?」

「気のせいだよ、きっと……"縛道の八・斥"!」

「現実逃避か? ひひひっ」

 

 不味い。

 

 内心の焦りを隠して、ニヤリと笑ってやる。

 コイツ、今はまだ私の相手に夢中で一護の存在には気づいていないみたいだ。

 しかし、このままただ攻撃を避け続けているだけでは、恐らく数分もしないうちに急所に当てられて殺される。喜助さん達の霊圧もまだ近くにはない。一護だって、いつ見つかってしまうか分からない。

 

 だったら……アイツの注意をもっと私に引きつけて、なおかつ時間稼ぎができるような、何か派手な攻撃を――

 

「……散在する、獣の骨」

 

 触手を避ける。

 

「尖塔・紅晶……鋼鉄の車輪――っ!?」

 

 避けきれなかった。

 脇腹から血が吹き出るのを感じて、顔をしかめる。

 それに、先程からどうも視界がはっきりしない。傷口を水に濡らすと出血が増えると、どこかで聞いたことがある。まず間違いなくこれはそのせいだろう。

 

 ともかく、詠唱は止めない。

 ガス欠にならない程度に、言霊に霊圧を込め続ける。

 

「枯渇の果て……再起の礎……」

 

 それと同時に、二年前に瞬歩をしようとした時の要領で、足元にも霊圧を集めて。

 

()の双眸となりて、黒雲(こくうん)に臨む……!」

 

 ――そのまま、()()()()()()()()

 

 衝撃で真上に弾き飛ばされた私は、私を探すグランドフィッシャーの遥か頭上にて、握りしめた右拳を思い切り引いた。

 その途端、波紋のような形をした光が目の前に現われ――そして私は叫ぶ。

 

「食らえ――"破道の四十一・雷紋衝(らいもんしょう)"!!」

 

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 

 息子である一護を先に逃して、黒崎真咲は先程の河原に戻って来ていた。

 

 浦原喜助とは既に連絡を取った。何故か自らが滅却師の力を使えないこと、桜花という名の少女が一人で戦っていること、そして恐らく桜花一人で対処できるレベルではないということ。それらを聞いて「すぐに向かう」と言った浦原の声は、普段の飄々とした雰囲気が嘘のように切羽詰まっていた。

 

 目の前の河原では、宙に浮いた少女が高速で飛び回り、時折右手を突き出しては『何か』と話している。

 

 そして真咲には、その『何か』を見ることができなかった。

 

 桜花の動き方からして、恐らく相手は虚。なのに何故、滅却師(クインシー)たる自らの目に虚が映らないのか。何故、その霊圧すら感じ取れないのか。

 

「――"破道の四十一・雷紋衝"!!」

 

 その時だった。

 目で追えていた少女の姿が、不意に掻き消えた。そして、その澄んだ声が辺りに響き渡る。

 

 その数秒後、虚が倒れたらしき振動がして……真咲は思わず駆け出していた。力の抜けた桜花の身体が、空から降ってきていたからだった。しかし……

 

 ――間に合わない……!

 

 真咲は必死で土手を駆け下りながら、唇を噛み締めた。走りながら桜花を見つめて……そして、彼女と目が合った。

 

「……"縛道の、三十七……吊星(つりぼし)"」

 

 絞り出すような桜花の声が聞こえて、途端に自由落下していた彼女の身体が何かにぶつかったかのように跳ねた。そして、その間にできたわずかな時間で真咲は桜花の元へ辿り着き、転がるようにしてその傷だらけの身体を抱き止めた。

 真咲の丈の長いスカートが泥で汚れる。しかしそのようなこと、真咲にはどうでも良いことだった。

 

「真咲、さん……何で……?」

「いいから! 虚はどっちに?」

「……あっち」

「分かった。逃げるわよ!」

 

 真咲は、少女の指差した方向とは逆に向かって駆け出した。もちろん、少女を抱きかかえたまま。

 

「駄目だよっ……! 私だけなら、アイツから……逃げきれるから――」

「嘘つかないの! そんな傷で動けるはずがないでしょう!」

 

 明らかなる嘘。痩せ我慢だった。

 虚を墜落させられるだけの力を持った子が本当に万全なら、ただ抱きかかえているだけの真咲の腕を振り払えないはずがないのだ。

 

「いいから子どもは大人に守られてなさい!」

 

 桜花が驚いたように目を丸くする。

 

 真咲は、この期に及んで滅却師の力を一切使えない現実に歯噛みしながら走った。息子と同じ年の女の子に戦わせてこんな怪我をさせて、それなのに逃げる以外に何一つ策がない自分が、情けなくて情けなくてやりきれなかった。

 

 だからせめてと、真咲は少女を抱いて河原を走り続けた。

 

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 

 真咲さんが抱き止めてくれて良かった。何とか"吊星"を使って落下の衝撃を和らげはしたものの、まるで柔らかなクッションにぶつかったかのように跳ねた私は、その跳ねた勢いのまま地面に叩きつけられるはずだった。この傷で石だらけの河原に落ちるなんて、死ぬほど痛いに違いない。

 

『いいから子どもは大人に守られてなさい!』

 

 そんなことを言われたのは、この世界に来て初めてだった。

 喜助さんも夜一さんも基本的には「自分の身は自分で守れ!」っていう感じだったから。そういうのは新鮮だった。

 

 そして、その言葉を聞いて確信した。

 

 虚も見えない真咲さんじゃ勝ち目がない――そう言ったところで彼女は私を置いて行きはしないだろう、と。

 

 ならばどうしようかと、必死に策を練る。

 

 視界がぼやけて仕方ない。今すぐにでも落ちてしまいそうな瞼をこじ開けて、私は真咲さんの腕の隙間から背後を伺った。

 

「ひひっ、ひひひひ……小娘よ、余程わしを怒らせたいと見た……」

 

 目が合った。

 ゾワッとした悪寒が背筋を駆け抜ける。

 重ね掛けした縛道は、まだ解かれてはいないようだ。いくら一桁台の縛道とはいえ、七回も重ねればその分だけ強固になる。

 つまり、アイツはしばらくあの場から動けない。それでもさっき私を追い詰めた触手は、恐らく自在に動くだろうから――

 

「"縛道の二十三・曲光(きょっこう)"」

 

 私は、真咲さんにも聞こえないほど小さな声で唱えた。

 "曲光"とは、光を曲げて対象の姿を目に見えなくする縛道。私はそれを、()()()掛けた。

 

 これで、一安心。

 一護がアイツに見つかる可能性は格段に下がった。

 

 わざわざ霊圧を隠して、餌で霊圧の高い者をおびき寄せる……なんて手を使うくらいだ。グランドフィッシャーは霊圧探知が苦手に違いない。霊圧探知が得意ならそんな面倒なことはしなくてもいいはずだ。それにもしコイツが霊圧探知を得意としていたなら、破面(アランカル)化して再登場した後も、一護の身体の中にいるのがコンであるとすぐに気づいたはずなんだ。

 つまり……一度視覚的に隠してしまえば、もう見つかることはないということになる。

 

 "曲光"に込めた霊圧から判断するに、持続時間は長く見積もって五分。それくらいあれば喜助さん達だって駆けつけてくれるはずだ。

 

 私達の背後50メートルほどの位置で、ゆっくりと起き上がったグランドフィッシャーがユラユラと触手を揺らす。

 

 さて……私と真咲さんは、どうやって生き延びようか──

 

 

「──ずいぶんと、好き勝手やってくれたみたいっスね」

 

 

 そう思った時だった。

 

 

 聞き慣れた、声がした。

 




"縛道の九・撃"の詠唱を資料なしで書けてしまったことと、ノリノリで自作したオリジナル鬼道が中二病全開のシロモノになってしまったこと……この二つの事実に慄いてます。

それと真咲さんは滅却師の力と共に、霊圧そのものも失ったと勝手に解釈しています。


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十、ひねくれ者達

 聞き慣れた、声がした。

 

「――ずいぶんと、好き勝手やってくれたみたいっスね」

「喜助、さん……?」

「あ、浦原さんが来たのね……? はぁ……良かった……」

 

 私が呟いたことで、真咲さんが立ち止まる。

 

 浦原喜助。

 私の保護者の一人で、浦原商店の店長。そして科学者(マッドサイエンティスト)

 いつも飄々としていて、余裕のある態度を崩さない人だ。

 けれど、今日はどこか雰囲気が違った。

 

「何だ、新しい獲物か?ひひひっ……今日は大漁――」

「意識は、ありますか?」

 

 何やら嬉しそうに話すグランドフィッシャーを、喜助さんはキレイに無視した。

 そして私達の近くに降り立って、真咲さんに抱かれた私の顔を覗き込んでくる。ぼやけた視界の中に現れた顔は、いつも通り緩い笑みを浮かべていた。

 

 でもやっぱり、何かが違う。

 

「まぁ、あるよ……ちょっと目が、よく見えないけど……」

「…………そっスか」

 

 変な間があった。

 何だよもう、怖いんだけど。

 

「え、何? その間……?」

「……いえ。すぐに片づけてきますんで、それまで何とか耐えてください。黒崎サン、桜花を頼みます」

 

 言葉と共に、何か布のようなものを掛けられた。いつもの緑色の羽織だった。

 傷口に雨が当たらなくなって、ほっと息をつく。これで少しは出血を抑えられるといいな、なんて思う。

 

「ほぅ……その小娘といいお前といい、命が要らぬと言うのだな? 良かろう、わしが喰らい尽くしてくれるわ!」

 

 喜助さんに無視されたということが、グランドフィッシャーにとってはかなり屈辱的なことだったらしい。しかし、そんなグランドフィッシャーの言葉すらも、喜助さんにとってはどうでも良いことのようだった。

 グランドフィッシャーとの間に入るようにして私達に背を向けた喜助さんの声は、先程の緩い笑顔とはかけ離れた冷たい色を宿していた。

 

「時間がないんで、出し惜しみとかはナシでいきましょう――"起きろ、紅姫(べにひめ)"」

 

 甲高い音を立てながら、喜助さんの仕込み杖の形が変わっていく。完成したのは柄の末が少し曲がった、(つば)のない直刀。目が見えにくくても、この距離なら形や色くらい分かる。

 これが"紅姫"の始解。

 喜助さんの始解を見るのは、これが初めてだ。

 

「"縛り紅姫"」

 

 再びキィンと音が鳴って、網目状の赤い光が飛んでいく。そして、それがグランドフィッシャーを覆う前に、目の前にいた喜助さんの姿が掻き消えた。

 

「どこ見てんスか、こっちっスよ」

「なっ?! 一体……ぐあぁ!!」

 

 グランドフィッシャーが悲鳴を上げる。

 

「――"剃刀紅姫"」

 

 そして、次の瞬間には。

 

 グランドフィッシャーの身体が、仮面もろとも真っ二つになっていた。

 グランドフィッシャーの断末魔が耳に届く。

 "紅姫"の(あか)い光が瞬いて……そして消えた。

 

 

 ――何をしたのか、全く目で追えなかった。

 

 

 "剃刀紅姫"と唱えていたから、恐らく三日月状の光を剣先から飛ばして、グランドフィッシャーを両断したんだろう。

 

 でもそれは知識があるから分かることであって、きちんと何が起きたのかを見ていた訳ではない。

 距離があるから、私の目がきちんと機能していないから。もしくは、ただ単に私の動体視力が追いついていないから。

 多分、三つ目が正解だ。

 

「うわぁ……流石だな……」

「浦原さん……倒したの?」

「……みたい」

 

 ポツリと感嘆の声を漏らすと、真咲さんが静かに問いかけてきた。私もそれに静かに返す。

 

 

 グランドフィッシャーが、消えていく。

 

 

 あぁ、私は原作を変えてしまった。

 

 そんな実感が押し寄せてきて、私はそれから逃げるように目を閉じた。

 途端に、ずっと全身を襲っていた傷の痛みが遠のいていく。

 

 あ、これ気絶するな。

 そう直感したものの、もうそれに抗う必要はない。喜助さんが来てくれた。敵もいなくなった。怪我だって多分、すぐ手当してもらえる。

 

「――花? お……か……!」

 

 誰かが私の名前を呼んでいる。

 

 でも……私にはもう、それに反応するだけの力は残っていなかった。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 全身が痛い。

 どうしてこんな……と考えて、全てを思い出した。

 

 そういえば私、グランドフィッシャーと戦ったんだっけ。

 戦って、怪我して、でも喜助さんが来てくれたから助かって、グランドフィッシャーは――

 

 グランドフィッシャーは、消えてしまった。

 

 そうだ、私……原作を変えてしまったんだった。

 

「……目を覚まされましたか」

「鉄裁さん……?」

 

 枕元に座っていたのは鉄裁さんだった。いつものエプロンをつけたまま、ただ静かに座っていた。

 

「……一護達は、どうなったの?」

「ご心配なく、お二人共ご無事です」

「そっか……」

 

 良かった。

 いや、本当に良かったのか?

 

「いてて……よいしょ、っと」

「桜花殿、まだ寝ていた方が……」

「大丈夫だよ」

 

 鈍く痛む上にやたらと重たい身体を起こして、傷を負ったわき腹や肩にそっと触れる。服をめくると、そこには包帯がきれいに巻かれていた。痛みがそれほど酷くないことからして、治療はしたもののまだ完治したわけではないといったところか。

 

「鉄裁さんが治してくれたの?」

「はい。応急処置は店長ですが」

「……ありがとう」

「いえ」

 

 鉄裁さんの表情は分かりにくい。喜助さんの分かりにくさとはまた別で、ただ単に無表情だから分かりにくい。

 それでも今の鉄裁さんが、あまり穏やかな気持ちではないことぐらいは分かった。分かってしまった。

 

「鉄裁さん……もしかして、怒ってる?」

「まさか、怒ってなど」

「じゃあ何で――」

「心配は、しましたが」

「……」

 

 心配してくれたんだ。

 嬉しいような、むず痒いような気持ちになって、鉄裁さんを見上げる。

 

「今回桜花殿に非はありません。今現在生きている、それだけで十分です」

「……本当に、ありがとうございます」

 

 謝罪は不要。

 言外にそう言われて、口から出たのは感謝の言葉だった。そっと頭を下げる。

 それを聞いた鉄裁さんは私をじっと見て、それから頷いた。

 

「店長と、夜一殿を呼んできます」

 

 そう言って、鉄裁さんは部屋から出ていった。

 私はそれを見送ってから、再び布団の上に横たわった。

 

 ふと気になって、包帯をぐるぐると巻かれた右腕を電気の明かりにかざす。

 不思議だ、右手を怪我した覚えはないんだけどな。いつ怪我したんだろう。

 

「雨の日に生身で雷系の破道なんて使うからっスよ」

「全く、無茶しおってからに」

「あ。喜助さん、夜一さん」

 

 鉄裁さんが出て行ってから開けっ放しだった襖から、ひょいと二つの顔が覗いた。といっても一つは人の顔ではなく猫の顔だったけれど。

 

「これって雷系の破道使ったからなの? え、もしかして感電した?」

「いやあ、普通はしないんスけどね。雨の日だったことと、生身だったこと……理由はそんな感じでしょう」

 

 なるほど。そういうこともあるのか。やっぱり生身で戦うってのは危ないんだなぁ。

 

 私があの時使ったのは、"破道の四十一・雷紋衝(らいもんしょう)"だ。鉄裁さんに教えてもらって初めて知った破道だから、恐らく漫画には出てきていないものなんだろう。

 

 "雷紋衝"はその名の通り雷を放つ破道で、込める霊圧が大きくなればなるほど電圧が高くなる、つまり使い手によってはっきりと威力に差が出てしまうという特徴がある。そして詠唱の前半部分からも分かる通り、"破道の六十三・雷吼炮"の下位破道に相当する。

 

 詠唱の最後の一節を唱え終わって利き手の拳を引くと、目の前に直径50センチほどの白く光る波紋が現れる。その紋様を思い切り殴りつけることによって雷を落とす――どことなく脳筋御用達な雰囲気が漂うが、これでも四十番台の破道。漫画でよく使われていた"赤火砲"や"蒼火墜"よりも複雑な霊圧操作を必要とする、中級程度の破道なんだ。

 

 もちろん、雨の中で"雷紋衝"を撃つ危険性は理解していたつもりだった。だからわざわざ瞬歩を暴発させて、真上から撃ち込んだのに。

 

「おぬしも災難じゃったなぁ……儂がおったら喜助よりも早く駆けつけてやれたんじゃが」

 

 ちょっと野暮用があってのう、と申し訳なさそうに言う夜一さんに笑いかける。

 

「大丈夫だよ、私生きてるし」

「そういう問題か?」

「そういう問題だよ」

「……そうは言いますけど怪我、まぁまぁヤバかったんスよ?」

「そうなの?」

「ハイ」

 

 先程の鉄裁さんのように枕元に腰掛けた喜助さんが頷く。夜一さんは当然のように、喜助さんの膝の上に収まっていた。

 

「出血多量で意識不明の重体……どうです? 深刻度増しました?」

「あー……そうやって他人事みたいに聞くと、ヤバそうに感じるような感じないような」

「そこは素直に感じておけ」

 

 はぁい、と間延びした返事をする。夜一さんはそれを聞いて、やれやれといった様子で首を振った。

 

 

「――それとですね。もう知ってると思いますが、黒崎サン達は無事です。真咲サンは足を少し擦りむいた程度、息子サンの方は全くの無傷です」

「……そっか」

 

 小さく呟く。

 喜助さんの雰囲気が、知らぬ間に変わっていた。

 

 そうだ、私は喜助さんに言わなければならないことがあるんだ。

 良かったとか良くなかったとか、そういうのを考えるのはまた後でってことで良いや。

 

 それよりも今は。

 

「……ねぇ、喜助さん」

「ハイ、何でしょう」

 

 喜助さんは、布団の上にゆっくり起き上がる私を穏やかに見つめていた。その目を、しっかりと見つめ返す。

 

「助けに来てくれて、ありがとうございました」

 

 座ったままながら、そっと頭を下げる。

 

「いえ……こちらこそ、助けが遅くなってしまってすみませんでした」

 

 数秒後に喜助さんの謝罪が聞こえて、私は顔を上げてニヤリと笑った。

 

「流石に、今回のはワザとじゃないよね?」

「そりゃあもう、勿論っス。……()()()()

「……相っ変わらずひねくれとるのう、おぬしらは」

 

 ニヤニヤと笑い合う私達を見て、夜一さんがボソッと呟いた。それはもう、ものすごく呆れたような声色で。

 

「アハハ、そっスか?」

「……」

 

 喜助さんはそれを聞いて笑っているが……訂正したい。喜助さんがひねくれているのは周知の事実だけれど、私は違う。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、私がお礼を言うまでは自らの謝罪の意を表明しようともしなかった喜助さんとは違って、私は普段から割と素直だよ。

 

「……あれ? そういえば、(ウルル)は?」

「昼寝中じゃな。昨日の夜も遅くまでおぬしにつきっきりじゃったからの」

「昨日の夜()……ちょっと待って、私どれくらい眠ってたの?」

「あの日が火曜で今日は金曜、まぁざっと三日ってところでしょうね」

「み、三日……」

 

 どうりで身体が重いはずだ。いくら重傷でも、治療してもらって三日は寝すぎだろう。

 

「月曜には学校、行けるよね」

「えぇ、行けますよ」

「……月曜日さ。帰り、遅くなると思う」

「了解っス」

 

 何故遅くなるのか、そんなこと喜助さんや夜一さんにはお見通しのようだった。

 

 二人は特に理由を問いただすこともなく、分かったと頷いてくれた。

 

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 

 やはりまだ疲労が残っていたのだろう。再び眠りに落ちた桜花の枕元を離れた浦原喜助と四楓院夜一は、客一人いない商店の畳の上に座って言葉を交わしていた。

 

「訊かなかったな、あの母親のこと」

「ボクに訊いたって答えてもらえないの、分かってるんスよ。あの子は」

「本当に……敏い子じゃな」

「敏すぎるくらいっスよ」

 

 しみじみと、浦原は呟いた。

 あの賢さではこの度の騒動然り、これからも苦労するに違いない。

 

「時に、喜助」

「ハイ」

「あの場に桜花がおったこと……偶然じゃろうか?」

「それは何とも……偶然として片づけるにも、必然だったと断じるにも、証拠が足りないもので」

「証拠やら断じるやら、そういうことを言っておるのではない。おぬしはどう思うのじゃ、と聞いておるのだ」

 

 いつになく真剣な夜一の顔をじっと見つめた後、浦原は一つ息を吐いた。

 

「……少なくとも、偶然ではない。ボク個人としては、そう考えてます」

「やはりな……」

 

 偶然と結論づけるには、あまりにできすぎている。しかし、必然だったと言いきることもできない。何せ本人である桜花が、その話題に触れようとしなかったのだから。

 

「どちらにせよ、あの子自身に言う気がないなら、ボクらも無理強いする訳にはいかない」

「ほう、おぬしにしては穏やかな思考じゃな」

「失礼な。ボクはいつも穏やかっスよ」

「どの口が言うんじゃ」

「酷いなぁ、夜一サンってば」

「……」

 

 そう言ってからしばらくして、ヘラヘラと笑っていた浦原の表情が徐々に変わり始める。

 

「――それに……今回の件は、ボクのミスでもありますから」

「……」

「グランドフィッシャーという質の悪い虚がこの近辺をうろついていることは、先々週辺りから把握していました」

 

 夜一はポツリと話し始めた浦原の顔を見上げて、その変化に気づいて――すぐに目を逸らした。

 

「ですが、あの桜花があんなものに騙されるとは思えない上、勝手に浦原商店から離れることのない(ウルル)もソイツに襲われる危険性はない。そう思って、放置した。……それが、このザマっス」

「喜助、おぬし……」

 

 自嘲するような、そんな声色だった。

 

「挙句の果てには、グランドフィッシャーに()()()()()()()()()()()()があったことに気づけなかった。そのせいで到着が遅れたんス。あの子も危うく死ぬところで――」

「そこまでじゃ、喜助」

 

 つらつらと話し続ける浦原を止めたのは、目を閉じた夜一だった。そして、言葉を続ける。

 

「桜花はおぬしが助けた。怪我もほぼ治った。この度は、それで良いではないか」

「良くないんスよ、夜一サン。こんな初歩的なミスを犯すようでは――痛いっ!?」

 

 いつの間にか人の姿に戻っていた夜一が、浦原の頭に拳を振り下ろした。そして、畳の上で頭を抱えてうずくまる浦原の目の前で仁王立ちする。

 

「はっ! 分からん奴じゃのう。そんなもの、次はもっと備えれば良いだけのことだと言ったんじゃ。この程度でへこたれるな、おぬしらしくもない」

 

 呆気にとられて夜一を見上げる浦原に、夜一は堂々と言い放つ。

 

「おぬしは天才じゃ。じゃが、万能な者などおらぬ」

「夜一サン……」

「良いか? 間違ってもあんな表情(かお)、あやつらに見せてはならぬぞ」

 

 店内に、沈黙が満ちる。

 

 どれくらい経っただろうか。先程と比べて明らかに和らいだ浦原の表情を見た夜一は、全く手の掛かる奴じゃのうと言わんばかりにため息をついた。

 

 そして「礼はいらぬぞ」と告げようとして――気がついた。気がついてしまった。

 浦原の口角が、楽しげに上がっていることに。

 

「――夜一サンって、ボクのこと天才だと思ってたんスね!」

「なっ……」

「いやあ、自覚はしてましたが改めて言われると照れ――痛いっ!?」

 

 自業自得である。

 

 昔馴染みから二発目の強烈な拳をもらって、浦原は店の土間に転がり落ちる羽目になった。

 




もうこの二人、くっつけばいいのに。

何人もの死神を喰らってきたグランドフィッシャーなら「自身の霊圧だけではなく周りに存在する霊圧ごと遮断して隠蔽することができる能力」くらいあってもおかしくないっしょ!ってな訳で勝手に設定を加えました。浦原さんの到着が遅くなったのはそのせいですね。

……いや、後づけじゃないですよ?笑


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十一、資格というもの

 

 月曜日は、あっという間にやってきた。

 土日のほとんどを睡眠に費やしただけあって怪我は全快した。体調も万全だ。

 

 いつも通りガヤガヤと騒がしい校内を歩いて、教室に向かう。子どもって何で朝からこんなに騒げるんだろう、なんて年寄りじみた感想を抱きつつ、私は開け放された教室の扉をくぐった。

 

「あ、桜花だ。カゼはもう大丈夫なの?」

「おはよ、由衣(ゆい)。もう平気だよ」

「良かった、心配してたの」

「はは、ありがとう」

 

 ほぼ一週間ぶりに登校してきた私に真っ先に駆け寄ってきたのは、今年になって初めて同じクラスになった斎藤由衣だった。真顔なことが多い外見に反して、根は明るい女の子だ。それに、周りと比べて大人びているであろう私と仲良くしようとしてくれる良い子でもある。

 まぁ一つ、変わっているところがあるとすれば……

 

「あのね、桜花が休み始めてから隣のクラスの黒崎くんが元気ないって聞いたの。これってそういうことよね?」

「好きだねぇ、そういうの……」

 

 これである。

 小学三年生にして既に構築されている謎の情報網と、それをフル活用したゴシップ集め。

 

「桜花はどう思う?」

「あー、ないない。ないって」

「その根拠は?」

「そりゃ……まぁ、色々あるんだよ」

「色々って何よ」

 

 一護が落ち込んでるのは、まず間違いなく私のせいだ。でもそれは、恋愛関連の話にはなりえない。まず間違いなく。

 

「はいはい、この話はここまで」

「仕方ないなぁ……うん、もう訊かない」

 

 常に情報を貪欲に求める由衣だけれど、引き際は潔い。相手に言う気がないと判断したら、さっと引く。全く末恐ろしい。将来優秀なOLになりそうだよ、この子は。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

「……桜花。ちょっと、いいか?」

 

 一日の授業が終わって帰りのホームルームの後、教室で由衣と話していると声を掛けられた。一護だった。

 

「またね、桜花」

「……じゃあね」

 

 真顔ながら目だけはキラキラと楽しそうに輝かせている由衣に別れを告げて、私と同じくランドセルを背負った一護のもとへ向かう。

 

「あの、えっと……」

「ねぇ一護。今から一護ん家、お邪魔してもいい?」

「え?」

 

 外で、誰が聞いてるかもわからないのに話はできないでしょ?

 そう小さな声で指摘すると、一護は一瞬戸惑ったような顔をして、それから頷いた。

 

 いつも一緒に帰っている竜貴には、用があるからと先に帰ってもらったらしい。

 特に会話もないまま私と一護は並んで歩き、そして黒崎家に着いた。

 

「ここが、一護ん家?」

「うん……病院なんだ、ウチ」

「みたいだね」

 

 目の前にあるのは一軒の家、そして『クロサキ医院』と書かれた大きな看板。

 

 見覚えのある、黒崎一護の家がそこにはあった。

 

「父ちゃんも母ちゃんも家にいると思う」

「そっか」

 

 頷いて、玄関へ向かう一護の後をついていく。

 

「ただいま」

「お邪魔しまーす……」

 

 友達の家にお邪魔するなんて、どのくらいぶりだろう?何となく居心地が悪くて、そっと玄関から室内を覗き込む。

 

「おかえりなさい、一護……あら」

 

 真咲さんだった。真咲さんは私を見て驚いているようだったけれど、すぐに優しい声で歓迎してくれた。

 

「いらっしゃい、桜花ちゃん」

「えっと……お邪魔します」

 

 ペコリと頭を下げる。

 

「いいのいいの。ほら、遠慮せずに上がってちょうだい?」

「はい」

 

 お言葉に甘えて靴を脱ぐ。前を歩く一護と真咲さんについて行ってリビングに入って、勧められるままにダイニングテーブルの椅子に腰掛けた。

 

「ごめんなさいね。目が覚めたって聞いて、土曜か日曜に一護と浦原商店に行くつもりだったんだけど……浦原さんに止められちゃって」

「喜助さんに?」

「えぇ。月曜には完治するだろうからそれまで待てって言われたのよ。だから、これから二人で向かおうと思ってて……はい、どうぞ」

「ありがとうございます」

 

 真咲さんが出してくれたオレンジジュースをありがたく受け取る。甘酸っぱい果汁を口に含んで、考える。

 なるほど。土日に二人が来なかったのは、そういうことだったのか。

 

「あの、一護のお父さんと妹は……?」

「二階にいるわ。だから、話しても大丈夫」

「そうですか……」

 

 私がこの家にお邪魔した段階で、人払いは済ませてくれていたらしい。一心さんには聞かれても問題ないとは思うけど……まぁ、双子の娘達の面倒を見る人は必要だ。

 さて、何から訊ねるか……

 

「あの――」

「桜花!」

 

 しかし、私の言葉はすぐに一護に断ち切られた。ダイニングテーブルの向かいに座っていた一護が、椅子の横に立ち上がって私をまっすぐ見ていた。

 

「オレ、遠くから見てたから知ってんだ……桜花が何と戦ってたか。あの時は、その……母ちゃんとオレを、守ってくれてありがとう。それと、オレのせいで怪我して……本当にごめん」

「……一護」

「私からも、一護と私を守ってくれてありがとう。あんな怪我をさせてしまって、ごめんなさいね……」

「真咲さんまで……」

 

 友達とその母親の二人に頭を下げられて、私はどう反応していいか分からなかった。

 だいたい私には、そうやって謝ってもらう資格なんてないのに。

 

「やめてよ、一護、真咲さん……私はただ、自分の勝手な都合で手を出しただけで、本当に手を出すべきだったのかって今も思ってて――」

 

 むしろ、手を出すべきじゃなかったんだろうな、なんて思っている始末だ。それはつまり、真咲さんが死んだ方が良かったんじゃないかと考えているということ。そんな奴には謝罪も感謝も無用だ。

 

「んなことはどうでもいいだろっ? お前のおかげでオレと母ちゃんは死ななかった! だから――」

「こら。落ち着きなさい、一護」

 

 声を荒げた一護を、真咲さんが優しくたしなめる。

 

「でも、母ちゃん!」

「いいから。ねぇ、桜花ちゃん。もしかして、自分にはお礼を言われたり謝られたりする資格なんてない、なんて思ってない?」

「え……何で……」

 

 当てられた。

 どうして分かるのかと呆然として――私は()()()()()()()()()、真咲さんの顔を見た。

 

「あのね、これは受け売りなんだけど……何かをする資格があるかないかって、自分で決められるものじゃないって、私は思うの」

「え……?」

「だって、桜花ちゃんがもし資格がないって考えてたって、私達からの感謝や謝罪の気持ちはなくならない。その気持ちを伝えたいって思うのは、私達の自由でしょう?」

「そう、ですね……」

 

 確かに、正論だ。

 相手が感謝するかどうかを私が決めるなんて、それはあまりにおこがましいというものだ。

 

「でしょ? だったら私達が気持ちを伝えたいって思ってるっていう事実こそが、その『資格』ってものなんじゃないかなぁ?」

 

 そんな、私にとって都合の良い考え方で良いんだろうか。

 そういう――

 

「そういう、考え方もあるのかな……」

 

 そう小さく呟くと、真咲さんは胸を張って頷いた。

 

「あるわよ、世界は広いんだから」

 

 そう考えても良いんだろうか。

 そう思ってすぐに、私は苦笑と共にそれを否定する。

 

 いや、そうじゃない。

 この考え方でいくと……そう考えても良いのか――つまりそう考える資格があるのかということ自体、私に決められることじゃない。

 資格とは、そういうものだから。

 

 

 あーあ、やられたなぁ……

 

 

「……一護、あんたは幸せ者だね」

「は? 何で?」

「こんな素敵なお母さん、なかなかいないよ」

「まぁ、その……オレの……自慢の、母ちゃんだからな」

 

 そっぽを向いた一護が、頬を少し赤く染めて呟く。

 かわいいなぁ、もう。

 

「大切にしなよ、お母さん」

「……分ってる。次はオレが母ちゃんとお前を守るんだ」

「ふぅん、私を守る? これはまた、大きく出たねぇ」

 

 からかうように笑ってやると、一護は少しだけムッとした顔をした。けれどすぐにそんな表情は消え失せて、一護はニヤリと笑みを浮かべた。

 

「そうだよ、何回でも言ってやる。オレがお前を守るんだ」

「へぇ……」

 

 そこにいたのは、まごうことなき『黒崎一護』その人だった。その表情も、態度も、言葉も全て、私が漫画の中に見た彼そのものだった。

 

 今ここで、そんな一護を見られるとは思っていなかった。

 この子も、立派になったなぁ……

 

 

「桜花ちゃん。ちょっとおいで」

「……え?」

 

 一護の言動に感動していた私を真咲さんが呼んだ。見ると彼女は小さく手招きしていて、私は何事かと首を傾げる。

 

「いいからいいから、ちょっとぎゅーってするだけだから」

「はぁ?! え、いや……え?」

「何言ってんだ母ちゃん!?」

 

 唐突な人だ。

 何がなんだかよく分からなくて慌てふためく私と一護を他所に、真咲さんは満面の笑みを浮かべている。

 

「そんなに慌てなくたっていいでしょう?」

「いや、そんなこといったって――」

 

 その時……真咲さんと、目が合った。

 

 優しい目だった。

 暖かくて、柔らかい、母親の目――

 

「あ……」

 

 そうだ。

 私は、これと同じ目をした人を知っている。

 どこかで、見たことがある。

 

 でもそれは、前世ではない。前世の私の母親も私を愛してくれていたけれど、彼女はもっと気が強くて、ここまで柔らかな眼差しをしているところなんて見たことがなかった。

 

 じゃあ、一体どこで……?

 

「もう、どうしてそんなに寂しそうな顔するの。ほら、おいで」

 

 真咲さんが、にっこり笑って手を広げた。

 その姿が。その仕草が。

 

 

 重なる。

 

 

 ――『桜花、こっちにいらっしゃい』

 

 

 重なる。

 

 

 ――『良い子ね、桜花』

 

 

 ぼんやりと浮かんだのは黒髪の女の人。

 優しい声。

 顔は……見えない。

 

 

 ねぇ、あなたは誰?

 何で私を呼んでいるの?

 

 私……何でこんなに、寂しいの?

 

 

「桜花、お前……」

「――え?」

 

 一護の声が、私を現実に引き戻した。

 私はいつの間にか、真咲さんに抱きしめられていた。

 

「何で泣いて……」

「え? 私、泣いてなんか……」

 

 目元に触れる。

 

 ――濡れていた。

 

「あれ、何で私……こんな……」

 

 

 分からない。あの女性が誰なのか。

 

 分からない。何故こんなに寂しいのか。

 

 分からない。どうしたらこの涙は止まるのか。

 

 

「いいのよ、我慢しなくても」

 

 

 そう言って背中をなでてくれる真咲さんの優しさが、泣いている私を見ないようにしてくれている一護の優しさが、痛いくらい伝わってくる。

 

 私は、真咲さんの肩にしがみついて、静かに泣き続けた。

 




短いですが、キリが良かったので。

女性の正体、分かった人もいるかとは思いますが、感想などに書き込むのはお止めください。「大☆正☆解!」って言いたいけど言えない、複雑な気持ちになりそうなので。私が。

よろしくお願いします。


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十二、ハイブリッド型主人公

 

 こうやって、何故か無性に寂しくなって涙が止まらなくなることは、前にも一度あったことだった。

 

 浦原商店の面々に拾われて、初めて喜助さんたちと話をした……あの時だ。そういえばあの時も、泣いてしまったキッカケは『親』だった。

 

 それでも、あの時は今回のように見知らぬ女性が思い浮かぶことはなかった。

 

 一体あの人は、誰なんだろう?

 聞いたことがないはずなのに、どこか懐かしい声だった。

 

 単に寂しくなって泣いてしまうだけだったならともかく……こうなってくると、ただの情緒不安定だとか精神的な何かだとか、そういうものでは説明しきれない。

 

 まるで、目の前にいる人と頭の中にいる人を重ねてしまっているような――あ……もしかして。

 

 もしかして、これは――

 

「そろそろ、落ち着いた?」

「あ……はい。何か、すみません……」

「また何かあったら胸を貸してあげるから気にしないの、ね?」

「いや、えっと……ありがとうございます……?」

 

 何だかちょっと論点がズレてるような……この人意外と天然なのかな?

 

「さて、と。桜花ちゃんの用事の方、まだだったわよね?」

「あー……そう、ですね」

 

 頷く。その前の出来事が衝撃的すぎて忘れるところだった。

 

「よし、一護。遊子と夏梨のお世話、お父さんと代わってきてくれない?」

「えっ? オレだって話聞きたいよ!」

「一護にはもう話したでしょう? だから順番、ね?」

「……分かったよ」

 

 不本意そうな表情ながら一護は頷いて、二階に上がって行った。その背中を見送ってから、そっと真咲さんに訊ねる。

 

「良いんですか? 真咲さん」

「うちの主人のことかしら?」

「はい」

「良いのよ、あの人は全部知ってるから」

「……そうですか」

 

 それを私に言って良いのか。

 まぁ私としては元から知ってたから構わないんだけどさ。

 

 

 それから数分ほどして、一護と入れ替わるように見覚えのあるガッシリした体型の男の人が一階に降りてきた。

 

「お、久しぶりだな。桜花ちゃん、だっけか。オレのこと覚えてるか?」

「えぇと、一護のお父さんですよね」

「それじゃ呼びにくいだろ。一心だ。黒崎一心」

 

 リビングに入ってくるなり、一心さんは気さくな態度で自己紹介をしてくれた。

 普通のおじさんに見えるけど元は隊長格の死神なんだよなぁ、なんていう思考は置いておく。そっちを気にしていると、本題に集中できなくなってしまうからだ。

 

「今日は、真咲さんにどうしても聞きたいことがあって来たんです」

 

 これこそが、今日の私の本題だ。

 いざとなると聞きづらいものがあるけれど、そんなことも言っていられない。

 私は意を決して口を開いた。

 

「真咲さん。死神とは何か、知ってますか?」

「……」

 

 真咲さんと一心さんが、じっと私を見つめる。私もそれを見つめ返す。

 どのくらいそうしていただろうか、真咲さんはふっと息を漏らして、そして答えてくれた。

 

「……知ってるわ。死神も虚も尸魂界(ソウル・ソサエティ)も、全て」

「……!」

 

 やっぱり……と驚く私に、真咲さんは追い打ちをかけるような爆弾を投下した。

 

「桜花ちゃん。私はね、滅却師(クインシー)なの」

「はぁっ?! 滅却師?!」

 

 滅却師だって?!

 

 滅却師と言えば、真面目で眼鏡の石田雨竜とその父親、それから石田雨竜の師匠くらいしか残っていないものだと……

 

 それに……真咲さんが滅却師ということはつまり、一護って死神と滅却師の混血(ハイブリッド)ということになるのか。

 

 うわぁ、流石主人公……設定盛ってんなぁ……

 

「知ってるのね、滅却師のこと」

「いや、その……話に聞いた程度ですが……」

 

 嘘ではない。

 前に喜助さんから()()()の世界について教えてもらった時に、滅却師というワードが出たことは紛れもない事実だ。

 

「普通の人ではないとは思ってましたが……まさか滅却師だったなんて、思いもよらなくて……」

「まぁ、そうだろうな」

 

 一心さんがうんうんと頷く。

 

 ……いや、あなた当然のように会話に参加してるけど、その時点で常人じゃないって宣言してるようなもんじゃないの?

 良いのか、それで。流石にそこまで言われると、私も流しきれなくなるじゃないか。

 

「ていうか……そういう一心さんこそ、何者なんです?」

「ん? あぁ、オレは死神だよ」

「うわぁ……」

「何だよ『うわぁ』って。ちょっと傷つくじゃねぇか」

 

 そんなアッサリ答えてもらえるとは思わなかった。原作では、引っ張るだけ引っ張ってようやく出した隠し設定、みたいな扱いじゃなかったか。それを、こんなアッサリ……

 

「……それで、何番隊にいたんですか?」

「十番隊で隊長をやってた」

「……」

 

 それって、もしかしなくても現十番隊隊長である日番谷冬獅郎の前任だろうか。

 

「それって、今の隊長の……」

「前任だな」

「……」

 

 前任だった。

 もう何なのこれ、どうなってんの?

 

「オレは今、ちょっと事情があって死神の力を失っちまってるから戦えないんだが、真咲は違う。そのはずだったんだけどな……」

「あ、そうですよ! 真咲さん滅却師なら戦えたんじゃ……」

 

 あの時、真咲さんは私に「虚はどっちにいるのか」と問うた。真咲さんが滅却師なら、その問いはどう考えてもおかしい。だって滅却師が虚を見ることができない訳がないんだから。

 

「それが私、滅却師の力を失ってしまったみたいなの」

 

 それも、あの日あの時から、唐突に。

 

「片桐さんも同じらしくて……竜ちゃんが原因を調べてるみたいなんだけど、まだよく分かってないのよ」

 

 そんなことって……じゃあ、グランドフィッシャーに襲われるのが一日早ければ、原作の真咲さんが死ぬことはなかったと……そういうことなのか。

 

「オレも真咲が虚に遭遇したのは知っていた。だが真咲は強い。あの程度、本来の真咲なら問題なく倒せるはずだったんだ」

「だから、助けに行かなかった、と……」

「あぁ。もしそんなことになってるって分かってたら、オレは迷わず駆けつけたさ。例え、力を失っていようともな」

 

 真咲さんなら大丈夫。そう判断して放置したために、真咲さんは亡くなってしまった。

 そんな……そんな、悲しいことがあったのか……

 

 そして不意に、一心さんは立ち上がって居住まいを正した。

 

「だから、ありがとう。真咲と一護を、オレの家族を……守ってくれて、ありがとう」

 

 一心さんが、深々と頭を下げた。

 私はそれを前にして、言葉がなかった。

 

「桜花ちゃんがいなけりゃ、真咲も一護も死んでいたかもしれねぇ……本当に、感謝してもしきれねぇよ」

 

 そんなに感謝されるほどのことはしていない、と言いそうになって、止めた。さっきの真咲さんの言葉を思い出したからだった。

 

「いいんですよ、そんな……そもそもあの虚を倒したのは私じゃないですし……一心さん、顔を上げてください」

「…………」

「お願い、ですから……」

「……分かった」

 

 私の必死のお願いに、一心さんはしぶしぶといった様子で顔を上げてくれた。

 

 しかし、気まずい。

 

「えっと、その……あ、そうだ。さっき言った片桐さん……でしたっけ? とか竜ちゃんって、誰なんです?」

 

 いたたまれない空気に耐えられなくなって、私は真咲さんに話題を振りつつ、オレンジジュースに手を伸ばした。真咲さんはそんな私の様子を微笑ましそうに見つめて、そして言った。

 

「片桐さんは、竜ちゃんの奥さん。竜ちゃんはね、私の従兄妹なのよ。私と同じ滅却師で、名前は石田竜弦っていう――大丈夫?」

「げほっげほっ……だ、大丈夫です……ちょっと、気管に入っちゃって……」

「あらあら、ゆっくり飲まないと」

 

 滅却師の石田竜弦って……どう考えても石田雨竜のお父さんだよね?

 

 え、てことは何?

 一護と石田雨竜は又従兄弟に当たると……?

 

 うわぁ……何だそれ。えぇぇ……

 

「黒崎家と石田家は、最後の純血の滅却師の一族なのよ」

「はぁ、そうですか。……あれ、じゃあ一心さんは元々黒崎じゃなかったってことですか?」

「そうなるな」

「じゃあ、昔は……」

「あー……これ、言いふらすなよ?」

 

 一心さんはちょっと困ったように頭をかいて、それから口を開いた。

 

「志波だよ」

「ぶふっ!?」

 

 ついに私はオレンジジュースを噴いた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 幸い、私と向き合って座っていた真咲さんと一心さんには、オレンジジュースの被害はなかった。自分で拭くからと、真咲さんに借りた布巾で机を拭く。

 

「あの、本当ごめんなさい……汚くて……」

「大丈夫よ、これくらい」

 

 真咲さんは相変わらず笑顔だ。それに対して一心さんはどこかスネたような表情だった。

 

「……だから言いたくなかったんだよ」

「すみません、でも……志波って……そんな爆弾発言が来るとは思ってなくて……」

「あら、そんなに有名なの? 志波って」

「有名も有名……尸魂界の五大貴族の一つです。貴族ですよ、貴族」

「あら、まぁ……」

「もう四大貴族だろ? そもそもオレは直系じゃねぇし……家自体も没落しちまって、もう姪っ子甥っ子しか残ってねぇからな。自慢にもなりゃしねぇよ」

 

 志波と言えば思いつくのは、志波空鶴、志波岩鷲、それから志波海燕。

 彼らが一心さんの姪っ子甥っ子ということは、一護とあの三人は従兄弟同士ということを意味する。

 

 そりゃ志波海燕と一護が似てるはずだよ。

 

 だって、従兄弟だもん。

 

「ダメだ……頭パンクしそう……」

「そりゃ、いくら何でも大げさだろ」

 

 今にも死にそうな声を出した私に、一心さんは呆れ顔だ。

 

「何が大げさですか……ドン引きですよ」

「何でだよ……引かなくったって良いだろう?」

「いや……もう、一護の血筋おかしいでしょ……志波家出身で隊長やってた死神と純血の滅却師って……一体何がどうなってそうなったのか……あぁもう、何だっていいや……」

 

 度重なる『衝撃の事実』暴露に、私の脳はついに考えることを放棄した。

 




一護の血筋はどう考えても異常。(断言)

桜花は二人を助けたことで死にかけてます。自らの身を投げ打って助けてくれたということで、その分黒崎家からの謝罪と感謝の念は大きくなってます。


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十三、格上の存在

 

 小四の夏休みが始まって二週間目、ある日の昼下がり。

 毎日毎日飽きもせず照りつける太陽の下、浦原商店は今日も元気に営業中だった。

 

 夏休みの宿題を早々に終わらせた私はすることもなく、学校から借りてきた小説を片手に店番を任されていた。

 しがない駄菓子屋といえど今は夏休み、子ども達の来店はいつもの午後より断然多い。それでも、客なんて一時間に二、三人しか来ないんだけれど。

 

 最後の客が帰ってから三十分。そろそろ次の客が来るだろうとは思いつつ、小説の次のページに目を落とした、その時。ガラガラと引き戸を開ける音が聞こえた。

 

 客だ。本に栞を挟んで閉じる。

 それから、ニッコリ営業スマイルで。

 

「いらっしゃいま――」

「おうおうおう! 何やこのクソガキは? 見たことない顔やなぁ、えぇ?!」

「……はい?」

 

 ……今、クソガキって言った?

 え、初対面の開口一番に? 女の子だよね、この子?

 

 衝撃で頬が引きつりそうになるのを抑えつつ、営業スマイルは崩さない。

 

「あ、どーも……桜花っていいます、はじめまし――」

「誰もお前の名前なんか聞いとらんわ! あんのクソボケと似たよーなユッルイ喋り方しよってからに! 何や腹立つなぁ!!」

「あの……えっと……」

 

 派手な金髪でツインテール。真っ赤なジャージ。つり上がった大きな目。そばかす。

 そしてこの、口の悪さ。

 

 ……私、この人のこと知ってるかもしれない。

 

「ウチはココのハゲ店長に用があるんや! モゴモゴ喋くっとらんでさっさと呼んで来んかいクソガキ!」

「えぇぇ……理不尽だなぁもう……」

 

 黙っていればかわいいだろうに……全く……

 

 営業スマイルを保つことを止めた私は苦笑いで場を濁して、喜助さんを呼びに店の奥に引っ込んだ。

 

「喜助さん、何かあり得ないくらい口が悪い女の子が呼んでるけど……知り合い?」

「あぁ、そういえばもうそんな時期ですね」

 

 居間で鉄裁さんとくつろいでいた喜助さんに声を掛ける。喜助さんは「そういえば」とポンと手を打って、それからニヤリと笑った。

 

「……強烈でしょう? 彼女」

「強烈っていうか……刺激物だよ、あれは」

 

 喜助さんの知り合いだった。

 つまり、私の予想通り。

 

「ハハハ、あながち間違いでもないっスね……じゃ、行きましょうか。あまり待たせるとまた面倒なことになる。鉄裁サン、店番よろしくお願いします」

「承知いたしました」

 

 店番? 今から店に出るのに?

 私は首をひねりつつ、喜助さんの後について店先に向かった。

 

「いやあ、お久しぶりっスね。ひよ里サ――ぶっ!?」

「遅いわ! ハゲェ!!」

「えぇぇ……」

 

 喜助さんが店内に顔を出した途端、その身体が後ろに吹っ飛んだ。

 とんでもなく口の悪い女の子――猿柿ひよ里さんがその顔面に飛び蹴りを食らわせたからだった。

 

「イテテ……久しぶりなのに酷いなぁ、ひよ里サン……」

「蹴飛ばしとうなるよーな顔しとるお前が悪いんや!」

「そんなこと言われたって……」

 

 喜助さん、何でもないように笑ってるけど鼻血出てるよ……良いのか、それで……

 

「桜花、今日は特に予定とかないっスよね?」

「ないけど……いや、それより大丈夫?」

「これくらい余裕っス。それより、今からちょっと出かけ――」

「あぁん?! 余裕ゥ?! 誰の蹴り食らってそないなハゲたこと抜かしよるんやハゲコラァ!?」

 

 ダメだ、この人刺激物なんてヤワなもんじゃなかった。

 

「……爆発物だな、この人」

「誰が爆発物や!!」

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 グランドフィッシャーの一件から、一年と少し。

 私は十歳になった。

 

 年齢不詳で拾われた私だから、誕生日がいつなのか、それどころか実際は何歳なのかすらはっきりしないんだけどね。

 

 とにかく。

 あの事件によって私は、浦原商店の人達に多大な心配を掛けてしまったみたいだった。

 

 喜助さんはグランドフィッシャーと戦う直前、少し様子がおかしかった。今考えるとあれは多分、そういうことなんだと思う。

 鉄裁さんは、心配していたと言ってくれた。

 夜一さんは、自分がいればもっと早くに助けられたのにと申し訳なさそうにしていた。

 

 そして、それが特に酷かったのは(ウルル)だった。あの事件があった週の土曜日、夕方頃に目を覚ました私に抱きついてきた雨は、それはもうボロボロに泣いていた。そこで初めて、「あぁ、私死にかけたんだな」という実感と「心配掛けて悪かったな」という気持ちが湧いてきたんだ。

 あれ以来、心配だからと家にいる間は片時も私から離れなくなってしまった彼女をなだめるのに、まさか半年近く掛かるとは思っていなかった。

 まぁ……そこまで大切に思ってくれるのは、ものすごく嬉しいことでもあるから、別に嫌でも苦でもなかったんだけどね。

 

「じゃあね、雨。ちょっと喜助さんと出掛けてくるから」

「……うん、いってらっしゃい」

「いってきます」

 

 ほら、今ならこうして穏やかに見送ってくれる。雨がお姉ちゃんっ子になってくれるのは嬉しいけれど、重度のシスコンになってほしいとは思わない。だから、これくらいでちょうど良いんだ。

 

「荷物、持ちました?」

「何に使うの? これ」

「後で説明してあげますから。今はほら、行きますよ」

「……はーい」

 

 何やら布らしきものが入った小さな包みを渡された。

 それを指差して訊ねるも、喜助さんは笑みを浮かべるだけで教えてくれなかった。

 

「どこに行くの?」

「それも、着いてからのお楽しみっス」

「そればっかりだね」

 

 どうやらとことん勿体ぶるつもりらしい。

 ひよ里さんが来ているってことは、仮面の軍勢(ヴァイザード)に関連することなんだろうけど。仮面の軍勢の拠点にでも行くんだろうか?

 

 何が何だか分からなくて首を傾げる私と、何に対してなのかは不明だけれどとにかく不機嫌そうなひよ里さんを他所に、喜助さんは何やら楽しそうだ。私のものより何倍も大きい包みを抱えているにも関わらず、その足取りは軽い。

 

 そんな喜助さんだが、今はいつもの甚平姿ではない。Tシャツとジーパンにサンダルと、現代風な服装だ。理由は簡単、私が先程これに着替えてくれと渡したから。霊体でもないのにあんな変な格好で隣を歩かれてはたまらない。きっと、周りから浮くとかそういう次元じゃない。

 本人は甚平の方が楽だと文句を言っていたけれど、私の「似合ってんだから良いじゃん」の一言で機嫌を直していた。単純なのか複雑なのか分からない人だ。

 

「あら? ひよ里サン一人で来たんじゃなかったんスね」

「まぁ、あの見た目だからね。保護者がいた方がいいだろう?」

 

 真っ先に店から出た喜助さんが、ふと左を向いて立ち止まった。

 店先に誰かいるらしい。聞いたことのない声だった。誰だろう、と包みを抱えて店から出る。

 

「久しぶり。毎度毎度悪いね」

「お久しぶりっス。良いんスよ、気にしなくて」

 

 そこにいたのは長いウェーブのかかった金髪に、襟にフリルのついた長袖のシャツを着た、どことなく薄幸そうな男の人だった。

 あ、この人……

 

「ローズッ! 誰が保護者や!!」

「ボクが保護者。キミが保護者な訳ないだろう? ほら、行くよ」

「そないなこと言うてるんとちゃうわ!!」

 

 いきり立つひよ里さんに対して、ローズと呼ばれた男性は冷静そのものだ。

 

 それより『ローズ』といえば確か三番隊隊長だった人だよね……あれ、フルネーム何だっけ? 『鳳』だったか『凰』だったか、そういう字が入ってる、やたらと長い名前だったような。

 

「あれ、その子は?」

 

 フルネームを思い出そうと俯いて思案していると、その張本人から声を掛けられた。慌てて顔を上げる。

 

「はじめまして。桜花っていいます」

 

 きちんと自己紹介。

 第一印象って大事だからね。小学校の入学式のような失敗は二度としたくない。

 

「桜花ちゃんか。キミは彼の弟子かい?」

「はい、そんな感じです」

「そうかい。ボクは鳳橋楼十郎(おおとりばしろうじゅうろう)、よろしくね」

 

 そうそう思い出した、鳳橋楼十郎。

 

「よろしくお願いします、鳳橋さん」

「はは、鳳橋じゃ長いだろう? ローズでいいよ」

 

 名前が長いのは本人も自覚していたらしく、ローズさんは苦笑してそう言った。

 

「しゃあないな! ウチの名前も教えたるわ。ウチは猿柿ひよ里や。ちゃんと『さん』づけで呼べや、クソガキ」

 

 どうして名前を教えるだけでそんなに偉そうなんだ。

 そう言いそうになったが、言わなかった。あえて喧嘩を売る必要もなければ、喧嘩を売るほど嫌っている訳でも腹を立てている訳でもない。

 

「はい、ひよ里さん」

「なっ……」

「よろしくお願いしますね」

 

 年齢的にも実力的にも明らかに私の方が下だ。だからと思って笑顔で答えると、ひよ里さんは明らかに動揺していた。まさかこんなに素直に呼んでもらえるとは思っていなかったらしい。

 

「そっ……それでええんや! 見たかローズ、ウチかてちゃんと威厳はあるんや!」

「それ、ひよ里の威厳じゃなくて桜花ちゃんが大人なだけだと思うよ」

「じゃかしいわ!!」

 

 ひよ里さんが顔を赤くして怒鳴る。

 この人、これで百年以上の年月を生きてるんだよね。

 ……見えないなぁ。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 霊子で構成された荷物を背負ってやって来たのは、隣接する県の北端にある小さな市街地だった。時間が掛かるとは聞いていたけれど、鈍行の電車で三時間半も掛かるとは思わなかった。

 

 鈍行じゃなくて高速列車なり急行列車なりに乗れよって話だ。

 しかし突然の長旅にうんざりしている私と違って、他の三人は静かに座って高速で流れゆく景色を眺めていた。喜助さんやローズさんが騒がないのは分かるとして、ひよ里さんも大人しくしているとは思わなかった。

 やっぱり数世紀生きた死神と百年も生きられない人間では、時間の感じ方が違うんだろうか。

 

「着いたよ、ここが今のボクらの家だ」

 

 最寄りの駅から歩いて数分。

 昼間の暑さが少し弱まった夕暮れ前、商店街を抜けた先にあったのは、雑草が生い茂ったただの空き地だった。

 

 ローズさんは、その空き地を指して『ボクらの家』と言った。

 

「は?」

 

 不思議そうな顔をしているだろう私を見て、喜助さんとローズさんが楽しげに笑う。

 

「結界だよ。霊力のない人間には、この空き地の存在自体が認識できないようにしているんだ」

「あぁ、そういうこと……」

「そうそう。じゃ、行くよ」

 

 そう言ったローズさんが空き地に一歩踏み入った。

 そして、不意にその姿が掻き消えた。

 

「うわ、消えた」

「ほらほら、驚いてないで行きますよ」

 

 ポン、と喜助さんに肩を叩かれて頷く。そして、恐る恐る足を踏み出した。

 

 その瞬間、目の前に古びた建物が出現した。

 

 十年以上前から放置されている町工場……そんな感じの建物だ。コンクリートの壁は所々剥がれ落ち、トタン屋根は錆びついている。

 ただ、工場に至るまでの砂利道に雑草はほとんど生えておらず、玄関付近には傘が数本立て掛けてあり、確かに人が住んでいる雰囲気はある。

 

 こんなものを隠せるなんて、結界の技術ってすごいな。

 

「いつまでそないなとこに突っ立っとるつもりや。はよ入れやクソガキ」

「あ、すみません」

 

 いつの間にか入り口の前にいたひよ里さんに声を掛けられて、我に返る。

 私は小走りで彼女のもとへ向かった。足元の砂利がやかましく音を立てる。

 

 喜助さんとローズさんは、もう中に上がってしまったようだ。入り口の前にいるのは私と、私に胡乱げな眼差しを向けているひよ里さんだけだった。

 

「お前なぁ、何でウチにヘコヘコできんねや」

「え? そうしろって言ったの、ひよ里さんじゃないですか」

「そりゃ、そうやけど……」

 

 ひよ里さんは言葉に詰まって、そして黙り込んでしまった。

 もしかして。

 

「見た目が同じくらいなのに……ってことですか?」

「……そうや」

 

 ひよ里さんは、ふてくされたようにそう返した。

 

「それはまぁ、ひよ里さんは人間じゃないですから」

 

 さらりと言うと、ひよ里さんが少しだけ目を見開いた。

 

「……全部知っとるんか? お前」

「全部?」

「知らんのか。やったら何で……」

「いやぁ、よく分かんないんですけど、喜助さんの知り合いって大抵人じゃないんですよね。それに――」

 

 ひよ里さんが浦原商店に来た時から背負っていた、()()()()を指差して続ける。

 

「斬魄刀を持っているあなたが、人間の私と同年代な訳がないでしょう?」

 

 まさか、「原作知識があったので」なんて言えるはずもない。ひよ里さんが分かりやすく斬魄刀なんて持っててくれて良かった。

 

「……あのハゲの弟子ってのは、伊達やないんやな」

「これでも一応、普通の(ホロウ)くらいなら倒せますから」

 

 斬魄刀持ってないんで襲われない限り虚征伐なんてやりませんし、大虚(メノスグランデ)なんかを連れてこられたら泣いて逃げますけどね。

 

 そう言って笑いかける。

 けれど、私の言葉は彼女のお気に召さなかったようで。

 

「……しょーもな。置いてくで」

 

 複雑そうな顔をしたひよ里さんは私を見てそう呟くと、さっさと室内に入ってしまった。

 置いて行かれた私はしばらく何か失言でもしてしまったかと思案していたけれど、何も思い当たらず諦めて建物の中に入った。

 

 

 廃工場だからワンフロアぶち抜きだろうと思っていた建物の中は、思っていたより普通の家に近い造りをしていた。

 まず床が全面フローリングだった。

 そして玄関、廊下を抜けた先にあったのは、広めのリビングルームだ。そこには大きなソファとテレビ、それからダイニングテーブルが設置してあった。

 

 と、そこまで観察したところで私は硬直した。

 そんな余裕なんて、なくなってしまったからだった。

 

 私より先に入っていた喜助さんとローズさんは、リビングのソファに腰掛けていた。そして、そのソファには二人以外にも見知らぬ人達が四人。それから、ダイニングテーブルの椅子にはひよ里さんを含め、三人が座っている。

 

 ──合計、九人。

 

 余裕がないのも当然だ。

 私が部屋に入った途端。

 

 それらの視線が、一斉にこちらを向いたんだから。

 

「……」

 

 正直に言おう。

 

 めちゃくちゃ怖い。

 

 生まれ変わって私の性格はガラリと変わった。だからこれは人見知りとか、そういうことじゃない。

 

「……何や、お前」

「ぁ……」

 

 明らかに、私だけが場違いだった。

 

 この人達は全員、数百年の時を生きた隊長格……圧倒的な実力者だ。

 

 そんな人達が揃って、部外者の私を冷たい目で見つめている。

 義骸に入っているからだろうか、彼らから漏れ出ている霊圧の量はそれほど多いという訳でもない。

 しかし。その密度は桁外れに高い。

 

 そんなものを前にして、そんな濃い霊圧を浴びて、怖くないはずがない。

 

「っ……」

 

 噴き出した汗もそのままに、私は震える拳を握りしめる。恐怖で塞がれてしまった喉からは、掠れた声さえ発することができない。

 

 ダメだ、少しでも気を抜いたら泣き崩れてしまいそうだ。

 

「……聞こえんかったか?お前は何やと訊いとるんや」

「……っ!」

 

 呑まれるな、と自分に言い聞かせる。

 

 俯きそうになる顔を必死で上げて、知らず知らずの内に噛み締めていた唇を解く。

 

 そして、持てる全ての勇気を振り絞って口を開いた。

 

「は……はじめまして! 喜助さんの所でお世話になってます、桜花という者です! よろしくお願いしますっ!!」

 

 言い切って、それから私は勢い良く頭を下げた。

 頭の上げ時が分からないが……だったら何か言われるまで下げ続けよう、とその体勢を保ち続けることにした。

 

 その時だった。

 

 

「アカン、もうカワイソなってきたわ」

「…………え?」

「もうええやろ喜助。嬢ちゃんも顔上げぇ」

「え……は、はい……」

 

 先程と同じ人の、しかし先程よりずいぶんと気の抜けた声に恐る恐る顔を上げると、目の前に金髪でおかっぱ頭の男の人が立っていた。あ、この人は……

 

「喜助に助け、求めんかったな。根性座っとるなぁ、お前。オレは平子真子(ひらこしんじ)言うモンや。よろしく」

「はあ……そう、ですか……」

 

 ポンポンと頭を撫でられた。

 え、何がどうなって……だって、今の今まであんな……

 

「何や理解できとらんっちゅう顔やな。ほれ、説明したり」

「ハイ」

 

 ソファから立ち上がった喜助さんがニッコリ笑う。

 いつの間にか、張り詰めていた空気は霧散していた。

 

「皆サン! 突然のお願いでしたが、協力ありがとうございました」

「ほんっとお前、意地が悪いよなぁ……大丈夫か、ガキ」

「全く……可哀想に」

「ごめんね、桜花ちゃん」

「何言ってるんスか。ノリノリだったくせに」

「……は?」

 

 私に同情する言葉を掛けてくれたのは銀髪のゴツい青年と、星型の髪の毛をしたおじさん、それからローズさんだった。

 

「ねぇ喜助さん……どういうこと?」

「いやぁ。ここらで一回、本物の実力者ってモンを体感させておくのもアリかなって思いまして」

 

 喜助さんが、楽しそうに笑う。

 

「……え、じゃあ何。あれ、喜助さんがワザと()()()状況ってこと……?」

「大正解っス! ビックリしました?」

 

 そうか。出発前にやたらと楽しげだったのは、こういうことだったのか。

 

「……」

 

 私は迷わなかった。

 

 今にも泣きそうな顔を()()()ダッと駆け出すと、そのまま喜助さんに抱きついた。

 

「よしよし。もう大丈夫っスよ、桜――うぐぅっ!?」

 

 

 そして、その股間を全力で蹴り上げてやった。

 

 

 声にならない悲鳴を上げて、喜助さんが床に崩れ落ちる。

 

 そりゃあ痛いはずだ。

 片足だけ瞬歩みたいに霊圧でブーストしたんだから。私の膝も痛かったくらいだ、それ相応の威力はあったに違いない。

 

 

「……改めまして、桜花といいます。皆さんのお名前、伺っても良いですか?」

 

 倒れ込んだ喜助さんは当然放置して、私はニッコリ笑う。

 仮面の軍勢の人達は、快く名前を教えてくれた。あだ名に『さん』づけで呼ぶことも許してくれた。

 

 その内の男性五人が引きつった表情を浮かべていたのは、きっと私の気のせいに違いない。

 




普段は穏やかな桜花ですが、怒ったら実力行使に出ます。今のところ主な被害者は浦原さんだけですが。


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十四、中途半端な位置

 

「二回目ですよ、ああいうの。信じられます?あ、そこの菜箸取ってもらって良いですか」

「はいよ。一回目は何されたん?」

「ありがとうございます。一回目はまだ戦い方も何も知らなかった頃に、虚をワザとけしかけられて……食われる寸前まで放置されました。その時六歳ですよ、私」

「そりゃまた……ちょ、それ野菜入れ過ぎとちゃう?」

「良いんですよ、キャベツは炒めたら縮むんで」

「常識やぞ。いい加減学習しいやあ、真子」

「やかましいわ」

 

 現在私は料理をしている。

 平子さんと矢胴丸リサさんと私の、三人で。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 フローリングの床に倒れて死にかけていた喜助さんは、復活するなり大きな荷物を抱えて地下に続いている階段を降りて行ってしまった。

 私もそれについて行って、唖然とした。

 

 それは、地下に浦原商店の勉強部屋によく似た空間が広がっていたからだった。

 

 そしてその一角で始まったのは、よく分からない機械の設置と調整だった。

 何をしているのかと訊ねてはみたけれど、明確な返答は返ってこなかった。まだ仮面の軍勢(ヴァイザード)について、私に教える気はないみたいだ。というより、彼ら自身が私に言うまでは口に出さないつもりなんだろう。喜助さんらしいと言えば喜助さんらしい。

 そんな状況では当然手伝うことは何もない。トドメには「桜花はその辺でのんびりしといて下さい」なんて言われてしまい、私は手持ち無沙汰もいいところだった。

 

 どうやら私を連れてきたのは本当に、さっきの『隊長格による威圧ドッキリ』のためだけだったようだ。確かに良い経験にはなったけれど、喜助さんのあの楽しそうな様子はいただけなかった。

 

 ともかく、時刻はちょうど夕飯時。

 大柄で星型アフロの男性、ラブさんこと愛川羅武さんが「なぁ喜助、今回はどれくらい掛かりそうか?」と言ったことから話は始まる。

 

 喜助さんは私には何も教えてくれなかったけれど、それでもここに来た目的くらい何となく分かる。

 商店から担いで来たあの大きな荷物は恐らく、仮面の軍勢の人達を検査するためのもの。拳西さんがどこからか運んできた寝台らしきものの周りに、よく分からない画面やらコードやらを配置していたから、多分間違ってはいないと思う。

 

「今回はだいたい一人一時間ってとこっスね」

「お、かなり短くなったな」

「こいつを改良したんスよ」

 

 喜助さんが、何かの画面らしきものを軽く叩いて笑う。

 

 いやちょっと待て。

 一人一時間。仮面の軍勢は八人。

 つまり計八時間。そして、今は夕方。

 

「もしかして、朝帰り?うわ、お風呂どうしよう」

「言葉のチョイスが卑猥ッスね」

「うるさい」

 

 喜助さんの阿呆な発言は置いておいて、ここで一晩過ごすとなると色々と問題が出てくる。さっき言ったお風呂とか着替えだけじゃない。夕食と朝食もそうだし、寝る場所もないし。

 

「なら今日の晩飯は十人分だな」

「うわ、今日の当番オレやん。メンドクサ……」

「どうせお前は何もせぇへんやろ」

 

 どうやら仮面の軍勢の面々は、シェアハウスをする学生の如く当番制で家事をしているらしかった。ちなみに今夜の当番は平子さんとリサさんの二人。

 護廷十三隊の隊長格達が揃いも揃って当番制ってちょっとかわいいかもしれない、なんて思いつつ私はその手伝いを申し出たんだ。

 

 

「真子お前、何突っ立っとんねん。役に立たへんなら立たへんなりにすることあるやろ。調味料片づけるとか皿用意するとか」

「へいへい……分かりましたよって」

「よし、完成っと。平子さん、大きいお皿あります?」

「リサ、大きい皿とかあるか?」

「ホンッマに無能やなコイツ」

 

 スープの味を整えていたリサさんが、軽蔑の眼差しを平子さんに向ける。対して平子さんはキッチンの壁に寄りかかって笑うだけで、それを全く意に介していない。

 

 今夜の献立は、春雨が入った野菜スープと豚肉入り野菜炒め、それから魚の煮付け、白米……とまぁこんな感じだ。夕方の六時頃から一時間弱で作ったにしては、しっかりした夕食だろう。

 

 二人は、私が料理ができることに驚いていた。そりゃそうだ、私はまだ小学四年生なんだから。

 でも、だ。考えてみてほしい。浦原商店の大人達が、料理なんてするように見えるか?

 そう訊ねただけで、リサさんも平子さんもすぐに納得してくれた。

 

「地下の奴ら呼んで来い、真子」

「えー、何でオレやねん」

「皿の一つも出せんボケでも、それくらいはできるやろボケ」

「何度もボケボケ言いなよ……しゃあないなぁ」

 

 そう言って面倒そうに地下に降りて行った平子さんを尻目に、私は自力で探し出した大皿に野菜炒めを盛りつけていく。今回は家で作るより量が多めだったから味つけが心配だったけれど、どうやら上手くできたみたいだ。味見のために口に放り込んだキャベツを咀嚼しながら一人で頷く。

 

「わぁー!いい匂いだぁ!」

「つまみ食いすなよ、(ましろ)

「はーい!」

 

 一番乗りは緑色の髪の女の子、久南白(くなましろ)さんだった。スープをよそいながら、リサさんが声をかける。

 その後も続々と仮面の軍勢の人達がリビングにやって来て、席についていく。

 

「今日は豪勢やな、流石はリサや」

「いいや、野菜炒め作ったんと魚さばいたんはこの子やぞ」

「は?そいつが?」

「魚の味つけはリサさんにお願いしたんですけどね」

 

 ひよ里さんの言葉にリサさんが答える。それに横から補足しておく。

 

「オメーその歳で魚なんてさばけるのか」

 

 ラブさんが感心したようにそう言った。

 そう言われるとちょっと照れるな。

 

「ウチでまともに料理できるの、桜花と鉄裁サンくらいっスからね」

「ほう。鉄裁殿が料理をなさるなんて、知りませんデシタ」

 

 驚いた、と声を上げたのは、身長も横幅も巨大な有昭田鉢玄(うしょうだはちげん)さん、通称ハッチさんだった。

 

「鉄裁サンも桜花に教わったんスよ」

「じゃあ、その子はどこで教わってきたんだ?」

「友達のお母さんがすごく料理上手なんで、その人に」

 

 言わずもがな、真咲さんのことだ。

 皆さんご存知、黒崎一護の母親ですよ。いや、まだ知らないだろうけど。

 

 前世で大学生だった頃から、料理は嫌いじゃなかった。だから、こっちに来てからも作ろうと思えば作れたんだ。けれど、浦原商店の三人の中に料理ができる人なんていなかったから、誰に教わったのか明言できない料理の腕を披露する訳にもいかなかった。

 だからこの一年、私は何度も黒崎家に遊びに行き、真咲さんに料理を教わってきたんだ。

 本当に真咲さんがいてくれて助かったよ。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 リサさんのスープと煮付けは美味しかったし、私の作った野菜炒めも割と好評だった。嬉しい限りだ。

 

 食事中の雰囲気は穏やかなものだった。会話はといえば雑談が主で、例えば私のことだったり、ひよ里さんが近所の猫に引っかかれたことだったり、近所の子どもにデブだなんだと言われてハッチさんが凹んでしまったことだったり。

 とにかく、仮面の軍勢の人達自身の事情についての言及は一切なかった。きっとまだ、私に教えるつもりはないんだろう。

 

 

 そして、夕食後。三人で手分けして後片づけを終わらせてから、私はお先に風呂をいただくことになった。

 どうやら仮面の軍勢と喜助さんは夜の九時辺りから検査を始めてそのまま徹夜するらしく、風呂はその後に各々のタイミングで入るのだそうだ。湯は張っていないとはいえ人の家にお邪魔しておいて最初に入るのは少し申し訳なかったけれど、そういう事情があるなら仕方ない。

 

 私は素直に頷いて、着替えを持って風呂場へ向かった。ちなみにこの着替え、私が商店から背負ってきた包みの中に入っていたものだ。他にも歯ブラシなど日用品から始まり、ご丁寧にも下着類まで入っていた。

 当然、私の部屋に勝手に入って勝手に下着まで持ち出した喜助さんに対して、私の拳が唸ったのは言うまでもない。今回は避けられてしまったけれど。次は絶対に当ててやる。

 

 

 シャワーと歯磨きを済ませて洗面所から出てくると、リビングルームには誰もいなかった。キッチンも廊下も玄関も無人だった。他にも個人部屋らしき扉はいくつかあったけれど、その中からも彼らの霊圧は感じられなかった。恐らく、全員が地下に降りてしまっているんだろう。

 当然地下に通じる階段の扉はきっちり閉められていて、中からは音も霊圧も伝わってこない。それら全てを完全に遮断する、そういう仕組みに違いない。

 

「……あれ」

 

 これはちょっと、寂しいなぁ……なんて思いながらソファに座って、気づいた。そこに折りたたまれたブランケットと小さなメモが置いてあったことに。

 

 『地下にいます。用事自体は明日の朝には終わるんで、それまでここで休んでいてください。降りてきても構いませんが、ボク個人としては来ないことをオススメします。それと、冷蔵庫の中に入っているものは好きに食べて構わないそうです』

 

「降りてこないことをオススメします、かぁ……」

 

 何が『降りてきても構いませんが』だ。

 これって要するに、降りてきたら駄目だってことじゃないか。

 

 私は仮面の軍勢がどういう集団なのか、詳細に把握している。けれど彼らの中の私は虚化も何も知らない、ただ喜助さんの世話になっているだけの人間の子どもに過ぎない。つまり今の私には、虚化の情報を教えるだけの信頼がない。

 それなのに私が今地下に降りてしまったら、それは彼らの触れてはならない部分をこじ開ける行為になってしまう。霊圧に怯える私に言葉を掛けてくれた、そして私の料理を美味しいと言って食べてくれた、そんな彼らとの距離感を縮めたい私にとって、それはやってはならないことでしかないんだ。

 だからこその『降りてきても構いませんが、ボク個人としては来ないことをオススメします』という言葉だ。

 

 本当に分かりにくい人だ。

 こんなの、私じゃなかったら理解できなかったはずだ。普通の十歳児なら『降りてきても構いません』の言葉があった時点で好奇心に負けてしまうに違いない。

 

「……寂しいなぁ」

 

 冷蔵庫から出してきた麦茶を一息に煽った。湯上がりの火照った身体に冷たさが行き渡るのを感じながら、ため息と共にポツリと呟く。

 

 このまま部外者として一人で寝て、朝が来たらすぐに家に帰るのは寂しすぎるなぁ、と思う。

 人間の私が部外者なのは当然だ。でも数年前からとはいえ死神に囲まれて育ち、霊力だって持っている私は()()()()()()に片足を突っ込んでいる、いわば死神と人間の中間地点にいる存在なんだ。

 そんな私では、今更人間の中に混じって人間として生きていくには異端すぎる。だからといって、根本が人間の私は死神の中に受け入れてもらえる訳でもない。

 

 中途半端なんだ。要するに。

 

 馴れ合いが全てとは言わない。それでも、受け入れてもらえないというのは悲しいものだ。

 

 私は二杯目の麦茶を飲み干すと、ガラスのコップをキッチンで洗ってからソファに戻る。

 それからその上に横たわり、柔らかなブランケットにくるまった。

 

 それでも……悲しいなんて思ったって仕方ない。

 

 受け入れてもらえないなら受け入れてもらえるまで、根気よく信頼関係を築いていくしかないんだから。

 

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 

 虚化してしまった八人の死神達の定期検診。それが、浦原喜助が彼らの拠点を訪れた最大の理由だった。

 

 その検診に桜花を連れて行ったのは単純に彼らとの顔合わせのため、そして浦原商店にいる自分達とは別の実力者に会わせることによって経験を積ませてやろうという意図があったからに他ならなかった。

 

 しかし、まだ子どもとは言え桜花は人間だ。仮に彼らに冷たく当たられるようなら何とかして庇ってやるつもりで連れてきたのだけれど、そのような心配は無用だった。

 彼女は、浦原を迎えに来た猿柿ひよ里と鳳橋楼十郎が人間ではないことを見抜いていた。そして仮面の軍勢の拠点に着いてからも、彼らとの距離を一定に保ち、彼らから歩み寄ってくれるのを大人しく待っていた。まず間違いなく気になっているであろう仮面の軍勢の正体のことすら、訊ねようとしなかったのだ。

 

 だから浦原は地下に降りる前に、桜花にメモを残した。

 

「こないなこと書いてええんか?これやとあの子、降りてくるやろ」

「いえ、これで良いんスよ」

 

 桜花宛のメモを見て、彼らは揃って訝しげな顔をしていた。

 

「これで、ボクの言いたいことは伝わりますから」

 

 そんな疑問の声に、浦原は薄く笑って応えた。

 




八人もいると全員を均等に喋らせるのは無理ですね……贔屓は避けられない……


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十五、物理で起こす

 

 何かが割れるような派手な物音がして、目が覚めた。

 

 薄っすらと目を開けると窓の外は既に明るくて、私は朝の訪れを知った。

 私は寝ぼけ眼でソファの上に起き上がると、音の発生源を探して辺りを見渡して……ガラスのコップを落とした体勢のままキッチンの入口付近で固まっている拳西さんと目が合った。

 えっと、とりあえず。

 

「……おはようございます?」

「あー……起こしちまったか。悪いな」

「大丈夫です、どうせもう朝なんで」

「そりゃそうだな」

 

 納得したように頷いた拳西さんは、コップの破片があちこち散らばっていることを気にも留めずに泰然と一歩踏み出した。

 

「あ、ちょ……怪我しますよ」

「いいんだよ、んなもんで怪我するほどヤワじゃねーからな」

「今は義骸なんですから普通に怪我しますって」

「……どっちみち動かなきゃ片づけらんねーだろうが」

「私がやりますから、拳西さんはそこ動かないで」

 

 部屋の隅に置いてあった掃除機とゴミ箱を引っ張ってきて、まずは周囲に散らばった小さなガラス片を掃除機で吸い取る。それから大きな破片を拾ってゴミ箱の中に放っていく。最後にもう一度万遍なく掃除機をかけて、終了だ。

 

「なぁお前、義骸っつったよな」

「はい」

「どこまで知ってる?」

 

 掃除機を片づけて、そして歯を磨きに行こうとしたところで、拳西さんにそう訊かれた。その目は、やけに真剣だった。

 ここは勝負所だな。そう思った。

 

「どこまでって……拳西さん達が何かしらの事情を抱えた元死神だってことくらいですね」

「……喜助に聞いたのか」

「まさか。あの人に訊いたって何も教えちゃくれませんよ」

 

 下手なことは言えない。

 原作で知ったことは口に出してはならない。

 私は頭を回転させながら、慎重に口を開く。

 

「死神だった喜助さんの知り合いで、霊力からして人間じゃない。こんな大きな建物を隠せるだけの結界を張っている。変わった(つば)の刀を持っている人がいる。これだけ情報があれば誰だって辿り着けますよ」

「喜助が死神だったっつーことは、あいつから聞いてたのか」

「死神みたいなものって本人は言ってましたけど……斬魄刀を解放できる以上、死神の力を持ってるのは間違いない。でも死神っていうのは尸魂界(ソウル・ソサエティ)の組織に所属する存在のことだから、元死神ってところかなぁ、と」

「見たのか、あいつの始解」

「見ました。一度、その始解で命を救われたことがあって」

「なるほど。お前、歳の割に頭良いんだな」

 

 不意に、荒っぽい手つきで頭を撫でられた。

 あまりに唐突のことに少し照れてしまう。

 

「ふふ、大人っぽいって良く言われます」

「そうかよ。全く、(ましろ)やひよ里にも見習わせたいぜ」

 

 照れ隠しにドヤ顔で笑みを浮かべてみたけれど、そんなものは見抜かれてしまっているらしい。それでも、そのことについて指摘しないでいてくれる。

 そっか……そういえばこの人って、何やかんやで子どものように駄々をこねる白さんの世話を焼いていたりする、面倒見の良い人だったような。

 

 つまりこれは、上手くいったということなんだろう。

 

「朝ごはんの当番、拳西さんなんですか?」

「オレとラブだな」

「じゃあ私、歯磨きしてきたら朝ごはん作るの手伝いますね」

「あぁ? ガキは気ぃ使わなくていいんだよ」

「だって私、ずっと暇なんですもん……」

 

 昨日の夜だって放置されてて暇でしたし?

 暗にそんな意図を込めて口を尖らせる。

 

「あー……ったく……ほら、手伝わせてやっから今すぐ顔洗って歯磨いてこい」

「はい!」

 

 やった。料理の手伝いまで断られたらどうしようかと思った。これ以上疎外感は味わいたくない。

 嬉しくなった私は大きく頷いて、すぐに身だしなみを整えに向かった。

 

 

 

 洗面所から出てきても拳西さんは1人だった。まだラブさんは来ていないらしい。

 

「ラブさんは?」

「まだ寝てる。オレはちょっと寝たから良いんだが、あいつは徹夜したみてーだからな。まぁお前が手伝ってくれんだし寝かせといてもいいだろうよ」

 

 確かに。

 長く伸ばした真っ黒な髪をさっと後ろで一つにまとめてから、私はキッチンに入った。そして、手際良く卵焼きを作っている拳西さんの手元を覗き込んだ。

 

「……料理、上手いんですね」

「ずっとやってりゃ自然と上手くなる。意外か?」

「意外です。卵を割ろうとして握力で握り潰しちゃうイメージでした」

「お前意外と失礼なんだな……」

「素直なだけですー」

「へーへーそうだな。見てないでお前も何か作れ」

 

 何かって言われても……

 指定がないなら味噌汁でも作ろうかな。

 

「ここの人達って味噌汁は濃い方が好きですか? それとも薄めの方が良いですか?」

「濃い方だな。つーかお前、今から味噌汁なんて作んのかよ」

「二十分あれば余裕です」

「すげーな」

 

 そりゃあもう、慣れてますから。

 

 そうして味噌汁を手早く作った後、私は拳西さんに言われて地下に皆さんを呼びに行った。「叩き起こしても構わない」とのことらしい。私が行っても良いのかと疑問に思ったが、どうやら用事は一通り終わって寝ているだけだから大丈夫なんだそうだ。

 そこで私は遠慮なく地下に降りたんだけれど。

 

「生きてるの? これ」

 

 正しく死屍累々。

 徹夜したのが響いているからなのか、検査が体力を使うものだったからなのか。私には分からないが、とにかく皆さん倒れ込むようにしてあちこちで眠りについている。ローズさんとハッチさんの二人は普通に起きているみたいだけど、残りは喜助さんも含め全滅だ。

 

「一応生きてるさ。一応だけどね」

 

 私の独り言に、ローズさんが返事をしてくれた。

 

「徹夜なんてするから……そもそも何で深夜に?」

「ちょっとした手違いでね」

「はあ……」

 

 手違いって何だ。

 何をどう間違えたらこの人数が行き倒れみたいに眠ることになるんだ。上がれば自室なり何なりもあるだろうに。どうしてわざわざ土の上で寝るんだ。

 それにしても。

 

「起こすの気の毒だなぁ」

「良いんデスよ、気にしなくて。彼らにとっては朝食を食べそびれることの方が問題デショウ」

「えぇ……そうなんですか……」

「ボクも起こすの手伝おうかな」

「あ、お願いします。こっちは多分時間が掛かるんで」

 

 腑に落ちないがとりあえずは、床にうつ伏せに倒れて動かない喜助さんを起こすとしよう。

 

「喜助さーん。朝ごはんできたよー」

「…………」

「ほら、帰りの電車の中でも寝られるし、家に帰れば好きなだけ寝られるんだから」

「…………」

「ちょっと聞いてる?早く起きろー」

「…………」

「――"起きろ、喜助"」

「…………」

 

 駄目だ、起きそうにない。

 他の人達はちらほら起き始めているみたいだ。それなのに仰向けにして何度揺すっても声を掛けても、喜助さんは目を開ける素振りすら見せない。

 徹夜していたとはいえ本当に朝弱いよね、この人。

 こうなったら。

 

「三秒以内に起きないと蒼火墜当てるから。はい三、二――」

「──お、起きますっ! 起きますからそれは止めて!」

「おはよう、喜助さん」

「……はよっス」

 

 今までの様子はどこへやら。とんでもない勢いで飛び起きた喜助さんを見て、起こされたばかりの平子さんが含みのある笑みを浮かべていた。

 

「昨日から思とったけど、大人しそーな顔してエグいよなぁお前さん」

「喜助さんを起こそうと思ったらこれくらいしないと」

 

 夜一さん直伝、()()()起こす。

 もちろん最初は警告ぐらいじゃ起きないけれど、警告と共に何度か物理を体験させればいずれ本能的に学習するんだとか。夜一さんらしい暴論だが、あながち間違ってもいないから馬鹿にできない。

 

「……今、何時です?」

「朝の九時過ぎくらいかな」

「あぁ……三時間しか寝られなかった……」

「無理に起こしてごめんね。私、先に上がってるから」

「了解っス……」

「喜助お前、斬魄刀になっとったで」

「……はぁ?」

 

 平子さんはニヤニヤしていたけれど、本人は分かっていないみたいだ。

 ともかく配膳とか、その辺りを全て拳西さんに任せてきてしまったから、私はさっさと戻らないと。

 

「あー……そういやオレ、朝飯当番だったわ」

 

 忘れてたぜ、と寝起きにも関わらず星型を保っているアフロをガシガシ掻きながらラブさんがぼやいた。

 

「拳西さんが寝かせとけって言ってたんで……」

「そうか、代わりに嬢ちゃんが手伝ってくれたのか。悪いな」

「良いんですよ、どうせ暇でしたし」

「はは、違いねぇ」

 

 私の言いたかったニュアンスはちゃんと伝わったらしく、ラブさんは苦く笑っていた。

 

 最後まで起きなかった白さんは、ラブさんに俵抱きにされて連れて行かれていた。それなのに、食べ物の匂いを嗅いだ途端に飛び起きたのは流石だ。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 朝食後、喜助さんと私は早々にお暇することになった。次は二十年後だとか何とか言っていたことから、この検査が定期的に行われているものだったことが分かった。二十年後といえば、まず間違いなく原作は終わっているんだろうなと思う。

 

「ひよ里さんひよ里さん」

「何や、何べんも呼ぶなや」

「今週の土曜日に空座町で有名な花火大会があるんですけど、良かったら来ません? その日の夜はウチに泊まっていっても構わないんで」

「嫌や」

 

 即答。条件反射のように断られた。

 喜助さんにこっそり許可を取ってから、帰り際にダメ元で提案してみたんだけれど……ここまでキレイに玉砕してしまうと流石にちょっと凹む。

 もちろん、何の考えもなしにあんなことを言った訳ではないけれど……断られてしまっては仕方がない。

 

「えーっ! 何? 花火? お祭り? 行きたい行きたいっ! 行こうよ、拳西!」

「何でそこでオレの名前を出すんだよ。オレはテメーの保護者じゃねーんだよ」

 

 そこで唐突に話題に食いついてきたのは白さんだった。指名された拳西さんはすこぶる面倒そうだったが。

 

「ねぇ、()()()()っ! あたし行きたい! 行っていいっ?」

「もちろん、いいですよ」

「あーもう、勝手に話進めんなよな」

「えー?! 拳西行かないの? ねぇ行こうよ行こうよぉー!」

「行かねぇ」

「行こうよ行こうよ行こうよ行こうよ行こうよ行こうよ行こうよ行こうよ行こうよ行こ――」

「だぁーうるせぇ!! 行きゃいいんだろ、行きゃあ!!」

「やったー!!」

 

 騒ぎつつも結局は妥協してあげている辺り、やっぱりこの人は面倒見が良い。

 

「おい、そっちは何人くらい泊まれそうか?」

「五、六人は余裕っス。ですが、それ以上となると……」

「そうか、十分だ」

 

 拳西さんが頷く。

 ひよ里さんが来てくれるのがベストだったけれど、それでも拳西さんと白さんが来てくれるなら十分だ。私が上手くやれば()()は達成できる。

 

 どのメンバーが来るのかはまだ分からないが、土曜日の昼頃にはこの中の何名かが浦原商店にやって来るのは確定だ。

 

 なるほど、本命がダメだからといって諦めたりせず、周りを落としたり外堀から埋めたりするのも作戦の内なのかもしれない。

 今度また何かで試してみよう。

 




次は季節外れの花火大会です。
仮面の軍勢の話は二話くらいで終わらせるつもりだったのに、どうしてこうなった……原作開始まであとどのくらい掛かることやら……


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十六、花火の中で

 

 八月の第一土曜日。

 待ちに待った花火大会当日だ。

 

 前々日から天気予報をチェックして雨天を心配していたのが馬鹿らしくなるくらい、今日の空は濃い青に晴れ渡っていた。

 そんな昼間の殴りつけるような強烈な日差しの中、浦原商店にやって来たのは仮面の軍勢(ヴァイザード)の拳西さんに白さん、リサさん、それからひよ里さんの四人だった。

 

 ――そう、ひよ里さん。ひよ里さんが来てくれたんだ。

 

 まず間違いなく来ないだろうと思っていただけに驚いた。

 良かった。これで、自然な流れで二つの目的を達成できる。

 

 

「この三人は私と同じ学校の……左から一護、竜貴、由衣ね。それから後ろにいるのが一護のお父さん」

 

 原作メンバーである一護と竜貴がいるのは決定事項、そして由衣を誘ったのも相応の理由があった。

 

「こちら、ひよ里ちゃん。同い年で隣の県に住んでるんだ」

「ひよ里? 可愛い名前じゃん」

「よろしくな!」

「よろしくね」

「……よろしく」

 

 この子達は皆人見知りもしないし、良い子ばかりだ。

 口々に笑顔でよろしくと言った彼らに、いつものジャージ姿のひよ里さんは嫌そうに応えた。

 

「……あ。ついでに、この人が私の父さん」

「ついでって何スか……」

 

 私とひよ里さんの保護者という名目で、喜助さんにもついてきてもらった。

 一護はこれから嫌でも喜助さんに関わることになるんだから、会って打ち解けてもらうに越したことはないし……何よりひよ里さんの性格を把握している喜助さんがいてくれると心強いし。

 

 ちなみに、一緒に来た他の三人は今ここにはいない。

 拳西さんは一護達と合流する前に、屋台を見て食欲の化身と化した白さんに引きずられて行ってしまった。リサさんに至ってはそもそも花火大会ではなく、尸魂界(ソウル・ソサエティ)の物資を秘密裏に仕入れる喜助さんの搬入経路が目的だったようだ。

 「金のニオイ……今日こそは見つけ出してやるで!」と真顔で息巻いて商店内を探し回るリサさんは、夜一さんとは別のベクトルで怖い女性だった。

 

 そして、残されたのはひよ里さんだった。

 

 どうして来てくれたのか訊きたかったけれど、それに下手に触れて不機嫌になっても困る。そこでとりあえず、一護達と合流するにあたって予め作っておいた()()を説明しておくことにした。

 

 一つ目、ひよ里さんは私と同じ小学四年生だという(てい)にすること。二つ目に、『ひよ里さん』ではなく『ひよ里ちゃん』と呼ばせてもらうこと。

 そして最後に、学校では喜助さんが私の父親役だから、私が喜助さんを『父さん』と呼んでも驚かないでほしいということ。

 

 最初は嫌な顔をしたひよ里さんだったけれど、怪しまれないためには必要なんだと説得し、腹が立ったら喜助さんを蹴飛ばしてもいいからと言うと、やっと頷いてくれた。

 本人は蹴飛ばされることに抗議していたが……特に問題はない。

 

 

「珍しいよな、お前が友達連れてくるなんて」

「そうかな?」

「そうそう、桜花ってあたしら以外に友達なんていたんだ」

「……いや、いるよ」

「わたし最初は聞き間違いかと思ったもん」

「…………」

 

 友人達による悪意のない口撃が私を襲う。

 この子達、私が傷つかないとでも思っているんだろうか?精神年齢がこれだから、そこまで気にしてはいないとはいえ……

 

「アンタ……友達おらへんのやな」

「……可哀想に」

「…………」

 

 だからそんな、変に気を遣わないでほしい。特にそこの父親役の人、「可哀想に」とか言いながら帽子の下でニヤニヤするのは止めようか。

 

「そういえば、ひよ里ちゃんって関西弁なんだね。どこから来たの?」

「隣の県や言うとったの聞いとらんかったんかハゲ」

 

 花火会場に向かう道すがら屋台で買ったフランクフルトを頬張りながら、由衣が楽しそうに訊ねる。対してひよ里さんは、それに心底どうでも良さそうに応えた。こうして適当にあしらっておけば、これ以上話しかけられずに済むとでも思っているんだろう。

 

 しかし、甘い。

 

「そうじゃなくて、どこ出身なのかなって訊いたのよ」

「あぁん? どうだってええやろ、そんなもん」

「言いたくないならもう聞かないけど……それより、このフランクフルトおいしいよ。一口食べない?」

「いらん」

「じゃあ、あっちのリンゴ飴はどう?」

 

 こんなことで由衣はめげない。鋼の心臓の持ち主でなければ、学校の裏情報という裏情報を把握することなんてできないんだから。

 

「お前、そんな意地張ってっと友達できねーぞ」

「そうだよ」

「大きなお世話やっ!」

「なぁ、あそこの綿菓子買いに行こうよ。ひよ里」

「行かん!」

「もう、しょうがないなぁ」

 

 さらに主人公たる一護も、下手な男より男らしい竜貴も、少々冷たい態度を取られたくらいで引いたりはしない。

 ……あれ、私の友達マトモなのがいないな。

 

「夕飯時ですし、何か食べません?」

「いらん」

 

 私もお腹が空いてきた。隣を仏頂面で歩くひよ里さんもそうに違いない。

 そこで小声で訊ねたものの、それもすぐに拒絶されてしまった。どうやら私達と仲良くする気はないらしい。

 本当に、何で来てくれたんだろう?

 

「ちょっとごめん、私焼きそば買ってくるから待ってて」

「あ、ボクの分もついでに頼みます」

「了解ー」

「オレも何か食べようかな」

 

 そう呟いた一護は一心さんと一言二言言葉を交わしてから、焼き鳥の屋台の方へ歩いていった。私も道端にある焼きそば屋へ向かった。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

「あれ、皆は?」

 

 焼きそばを両手に一つずつ持って戻ってきたところ、何故かそこには一護一人の姿しかなかった。

 

「先に行った。親父が場所取りしてるから」

「一護その場所分かるの?」

「分かるに決まってんだろ」

 

 そう言う一護の両手には、これまた大量の焼き鳥が。

 

「それ全部一護の?」

「んな訳ないだろ。親父とオレのだよ」

「そりゃそうか。……そういや、妹ちゃん達は来るんだっけ」

「母ちゃんが連れてきてる。多分もう場所取りんトコ来てんじゃないかな」

「やった、二人共来てるんだ」

「何でお前が喜ぶんだよ」

「だってあの二人かわいいし」

「……否定はできないけど」

 

 一護は、斜め上を見ながら小さく言った。

 見事なシスコン。しかし、これでこそ一護だ。

 

 ガヤガヤと騒がしい人混みを掻き分けるように、二人で歩く。一護も私も運動神経は良い方だから当然、誰かにぶつかって大事な夕飯をひっくり返すようなヘマはしない。

 

「なぁ桜花」

「ん」

 

 駆けてきた小さな女の子をするりと避けて、一護が口を開く。私もその子を避けて応える。

 

「浦原さんってさ、本当にお前の親父なのか?」

 

 一護は既に喜助さんと面識がある。

 入学式の時だけじゃない。例の一件の翌日……私が死んだように眠っている間に、喜助さんへの謝罪と感謝の言葉を告げに来ていたんだそうだ。

 

 いやしかし、それにしても。

 

「おぉ、デリケートな話題をそんなサラッと。流石は一護」

「……どういう意味だよ」

「そういう意味だよ」

 

 よく分かっていないみたいだけれど、これは一護の短所であると同時に長所でもあるからこれ以上指摘はしない。仮にこれが将来、様々な人の様々な地雷を踏んづけることになるとしてもだ。

 

「私、小さい頃にあの人に拾われたんだ」

「っ……! 拾われたって、お前……」

「うん。いわゆる捨て子なのかどうかは分かんないけど……ともかく、私は本当の両親の顔を知らない」

「…………」

 

 ようやく一護は、自分がどういう類の話題を振ってしまったのか気がついたらしい。まだ十歳だから、原作より察しが悪いのは致し方ないだろう。

 絶句して足を止めてしまった一護を混み合っていないところまで連れてきて、それから大丈夫だよと笑いかける。

 

「でも私には喜助さんがいるし、夜一さんだって、鉄裁さんだっている。むしろ、他の人より親が一人多いくらいなんだ」

 

 彼らは人間じゃない。私は人間だ。

 

 それでも……そんな壁を感じさせないほどに、彼らは私のことを気にかけて育ててくれた。

 

 もちろん、まだ話してくれていないことはたくさんある。例えば、あの三人が紛れもなく元死神だったということ、それから何故尸魂界(ソウル・ソサイエティ)を追放されてしまったのかということ。

 それでもそれは、仮面の軍勢の人達との間にあるような壁とは別のものだった。

 

 だから何も、気にするようなことではないのに。

 

「何か……ごめん。変なこと聞いて……」

 

 一護の顔を見る。

 大方、私が泣いてしまった時のことでも思い出しているんだろう……表情が真っ暗だった。

 

「……ていっ」

「痛っ? 何で蹴るんだよ!」

「っとに、一護はすーぐウジウジすんだから」

「あぁ?!」

 

 両手は焼きそばで塞がっていて使えない。だったら足だ。私は一護の足をあくまでも優しく蹴った。せっかくの焼き鳥を散乱させる訳にもいかない。

 

「今の私、凹んでるように見える?」

「……見えない」

「なら、そういうことなんだよ。ほら、ご飯冷めないうちに行くよ」

 

 しかし一護の場合、すぐ凹むぐらいが丁度良いのかもしれない。

 容姿端麗・成績優秀・運動神経抜群の三拍子が揃った一護がメンタルまで頑強だったら、完璧超人すぎて近寄りがたかったに違いない。

 

「……うん」

 

 渋い顔はしていたものの、それでも一護はしっかりと頷いた。

 

 

 グランドフィッシャーの一件以降、一護が私の力について触れてくることは一度もなかった。あの記憶を消す道具でも使ったのかと思って真咲さんに聞いてみたところ、どうやらそういう訳でもないらしい。

 

 曰く、命を助けてもらっておいて記憶を消してしまうなんてとんでもない。それでは私と喜助さんに申し訳が立たない。だからといって一心さん真咲さん共に戦う力を失ってしまっている今、何も守れなかったと落ち込む一護に戦う力をつけさせる訳にもいかない。

 それは、一護が下手に力を持てば、家族全員を護ろうと身体を張るに違いないからなんだとか。確かに一理ある。

 

 しかし一護は、そんな理由でハイそうですかと納得するようなタマでもない。両親からそう告げられた一護は、強くなりたいからと今まで以上に空手に打ち込むようになったと聞いた。

 

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 

 人間の祭りになんて、興味はない。

 

 ただ、この祭りに自分を誘った少女にはほんの少し……いや、全く興味がないと言い切れる訳でもなかった。

 

 

 しかしこの桜花という人間といいその友人達といい、一体どうなっているんだと猿柿ひよ里は辟易していた。

 

 どんなにつれない態度を取っても凹まない。どんなに冷たい言葉を投げつけても笑顔で打ち返してくる。

 例えば、どんなに酷いことを言っても何食わぬ顔で踏み込んでくる由衣という少女、全てを無条件で突っぱねるひよ里に呆れつつも世話を焼いてくれようとした竜貴という少女、そしてひよ里が密かに気にしていたことを無遠慮に言い放った一護という少年。三人とも、この短時間でも顔と名前を覚えてしまうくらいには強烈な子ども達だった。

 

 

「遅くなってごめん、けっこう混んでてさ。はい、父さんの分」

「いやいや、いいんスよ。ありがとうございます」

「ねぇ、呼ぶ度にニヤニヤするの止めてってば」

「それは無理っスよぉ。何なら普段からアタシのこと――」

「断る」

「えぇ……残念だなぁ」

 

 桜花は焼きそばを一つ差し出しながら、じっとりとした目を浦原喜助にぶつけている。

 この男を父親と呼ぶなんて、想像しただけで寒気が走る。演技とはいえよくやるよな、と感心しないでもない。

 

「ひよ里ちゃん、隣良い?」

「好きにせえ。どうせ断っても座るんやろ」

「うん」

「ホンマ鬱陶しいやっちゃな」

 

 前より格段に馴れ馴れしく話しかけてきた桜花を適当にあしらう。友人達も大概だが、やはりこの少女が一番厄介だ。

 

「……なぁ」

「ん?」

 

 割り箸を片手で割ろうと口に咥えた間抜け面のまま、二重まぶたの大きな瞳がひよ里の方を向いた。

 

「何でウチを誘ったんや」

 

 数日前、花火大会に来ないかと誘われた。それも自分だけ名指しで。あの時は咄嗟に拒絶したけれど、ずっと気になってはいたのだ。

 

「何で、ウチだけを誘ったんや」

 

 気になっとんなら、本人に訊けばええやないか。

 知った風にニヤニヤと笑う昔馴染みにそう言われて、ひよ里は六車拳西達と一緒にここに来ることを決めたのだ。

 

「理由は何個かあるけど……やっぱり、一番嫌われてたからってのが大きいかな」

 

 パキ、と乾いた音を立てて割り箸を割って、それから桜花は口を開いた。一度焼きそばに視線を落とした黒い目が、再びひよ里を見つめる。

 

「単純に私が気に入らないのか、それとも他に理由があるのか。それは分かんないけど……それでもその人と距離を縮めたいって思うのは、そんなにおかしいことじゃないでしょ」

「……おかしいやろ、どう考えたって」

 

 おかしいに決まっている。誰だって自分を嫌う者とは関わり合いになりたくないものだ。だから嫌いな者を拒絶し、自分の内に入れないようにするのだ。そうすれば向こうから近づいてくることはないから。

 それはまさに、人間や死神に対するひよ里自身のように。

 

「おかしくないよ。だってあの時、寂しかったから」

「…………」

「一緒にご飯を作って話をして、それなのに私だけ何も教えてもらえない。皆で地下に行って何かしてたのに、私だけ入れさせてもらえない」

「アンタ……」

 

 それは、彼女の嘘偽りのない本心のように思えた。

 仲間外れが寂しかった。この嫌に大人びた少女でもそんな感情を抱くのか、とひよ里は少し驚いた。

 

「そんなの寂しいし……何より悔しいから、何としてでも仲良くなってやろうって。だから、まずは私を一番嫌ってたひよ里さんからです」

 

 桜花は、照れくさそうに微笑っていた。

 演技が剥がれてしまっていることに、果たして本人は気づいているのかどうか。

 

 

 ――刹那、その微笑みを黄の光が彩った。

 

 

 ドン、と腹に響く爆発音が響き渡る。

 

 始まった。

 

「おー、始まった始まった」

 

 綺麗だと騒ぐ桜花の友人達やその家族達を他所に、彼女自身は大人しいものだった。のんびりとした口調の声が、花火の大音量の合間に聞こえる。

 

「そういえば!! ひよ里さ――痛っ!」

「やかましい!そない叫ばんでも聞こえるわ!」

 

 不意に、耳元で花火に負けないように声を張り上げた桜花を殴って黙らせる。相手は人の子だが……大丈夫、手加減はした。

 

「いてて……ひよ里さん、お腹空いてるでしょ?」

「空いとらん」

「嘘だぁ、今お腹鳴ったくせに」

「っ?!」

 

 慌てて腹を押さえる。腹が減っているのは事実だけれど、まさか音まで聞かれてしまっていたとは。

 ひよ里の顔が真っ赤に染まる。

 

 そして、そんなひよ里の顔色が赤い花火のせいではないと気づいたらしい桜花が、ニヤリと意地悪げに口角を上げた。

 

「嫌だな、こんな花火の中でそんなの聞こえる訳ないでしょう?」

「……っ!!」

「そんなひよ里さんには――痛い!!」

 

 今度は容赦しなかった。脳天にひよ里の全力の拳を受けて、桜花はその場にうずくまってしまった。その拍子にひっくり返りそうになった焼きそばは、ひよ里がすんでのところで救出してブルーシートの上に置いた。食べ物に罪はない。

 

「うあぁ……頭……割れる……」

「そういうトコ、腹立つくらい喜助のハゲによう似とるな」

「……え……何です?」

「……何でもええわ」

 

 頭を押さえてうずくまっていたからか、こちらの声は聞こえていなかったらしい。

 こんな馬鹿はもう知らん、と桜花から視線を外して、ひよ里は次から次へと空に打ち上がる花火を見つめることにした。

 

「……ひよ里さん。はい、これ」

「あ?」

 

 ふと横を見るといつの間に復活したのか、桜花が焼きそばをひよ里に差し出していた。

 

「私ものすごくお腹が空いてたんで自分用に二食買って一つバッグの中に隠してたんですけど、どうも食べ切れそうにないんで食べてくれませんか? ……おっと、偶然にもこんな所に割り箸の余りが」

「はぁ?」

 

 馬鹿なのか、と思った。そんな分かりやすい嘘で騙されると、本当にそう思っているのだろうか。

 

「……あれ、聞こえてました?ひよ里さん?」

「…………」

「おーい、ひよ里さーん」

「…………」

 

 数秒間逡巡した末に、ひよ里は無言で焼きそばをひったくった。

 

 そして、呟く。

 

「……礼は言わんで」

「はい」

「チッ……それとお前、さっきから化けの皮剥がれとるで」

「えっ、あ……本当だ」

 

 嬉しそうに笑って頷いたその顔が腹立たしくて、先程から思っていたことを指摘してやる。しかし、その顔から笑みが消えることはなかった。

 全くもって、腹立たしい。

 

「ありがとう、ひよ里ちゃん」

「……『ちゃん』言うな、気色悪い。喋り方もそのままでええ」

「へ?」

 

 そう言われた本人は何が何だか分かっていないようで、不思議そうな顔で首を傾げている。

 やっと笑みが消えたというのに、言いたいことが伝わらないなんて……とひよ里は嫌そうにぐっと顔をしかめた。

 

「どうしたの、急に?」

「あーもう!! 分からんやつやな!」

 

 悪いのは察することができない桜花ではなく、言葉が足りない自分なのだということは、ひよ里にだって分かっていた。

 だから、ひよ里は怒鳴った。

 

「鬱陶しいからもう二度と敬語で話しかけんな言うとんや!! 分かったかハゲ桜花!!」

 

 言ってしまってから、しまったと思った。

 最後の一言は余計だった。

 

 さて。

 桜花がその言葉の意味を理解して、花火に負けない満開の笑みを咲かせるまで、あと数秒。

 




ここからちょっと展開が変わるので、ストックをもう少しためてから投稿します。二週間くらいは掛かるかもしれませんので、気長にお待ちいただければと思います。


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十七、桜舞う庭園で

 

 桜の花びらが舞う庭園で、私は空を見上げていた。

 

 澄み渡った快晴の空を横切るのは、数多の花弁。視界の中、青と薄桃色が幾度となく入れ替わる景色に、私はただ静かに見とれていた。

 

「何をしている、桜花」

 

 ふと、後ろから声を掛けられた。振り向く。その声の主、それは私の父様だった。

 父様は庭園に面した縁側に立って私を見ていた。

 

「あっ! とうさま!」

 

 父様が声を掛けてくれた。

 珍しいこともあったものだと冷静に考えながら、しかし自然と頬が緩むのは止められなかった。

 

「さくら、とうさまもいっしょにみましょうよ!」

「……そうだな。私も丁度、休憩をと思っていた所だ」

 

 縁側に静かに腰を下ろした父様のもとへ駆け寄る。すると父様は私を抱き上げてその膝に乗せ、私の頭を撫でてくれた。こうしてもらうのも久しぶりだった。

 

 そこでふと、父様に話があったことを思い出して口を開く。

 

「あのね、とうさま。わたし、おはなしがあるの」

「何だ、言ってみろ」

「わたし、しにがみのしゅぎょうをしたいんです」

 

 でも、かあさまはまだはやいっていうの。

 そうつけ加えて、口を尖らせる。

 

 私だっていずれは死神になる身だ。何事も、早めに備えておくに越したことはない。

 

 しかし、私の父様はそうは思わないらしく。

 

「死神の修行か……確かに早すぎるな」

「もう、とうさままで……」

「良いか、桜花」

 

 私の身体がくるりと回転させられて、死覇装を着た父様の膝の上に横向きに座る格好になる。

 目が合った。

 

「死神になるには厳しい鍛錬を積まねばならぬ。しかし、桜花はまだ三つだろう?せめて後五年は待て」

「五ねん?ながいなぁ……」

 

 やっぱり、父様と母様はちょっと過保護だ。

 他の家では七歳で真央霊術院に入った人だっているという話なのに、八歳まで鍛錬もさせてもらえないなんて。

 

「五年など、あっという間よ」

「……そうでしょうか?」

「そうだ」

 

 そりゃあ、父様にとっては五年なんてあっという間だろう。その若々しい見目に反して、一世紀近くは生きている存在なんだから。

 

 髪に触れられて、父様の顔を見上げる。どうやら父様は私の髪についた桜の花弁を取ってくれたようだった。

 一体いつからついていたんだろうか。桜を見上げていた時からだろうか。全く気がつかなかった。

 私は少し照れくさくなって、それを誤魔化そうとはにかんだ。

 

「ありがとうございます、とうさま」

 

 早くから修行ができないのは残念だけれど、何もかもが思い通りになるはずもないのはよく分かっている。

 それに……何よりこれは、父様と母様が私を愛してくれているからこその結論でもある。

 

 だから、私は文句なしに幸せだった。

 

 

 ――そう、幸せだったのに……

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 変な夢だった。

 

 初めて見るにしてはやけに懐かしく、それでいてリアルな夢だった。

 

 出てきたのは私と、見知らぬ男性。顔は全く思い出せないが、夢の中の私は彼のことを『父様』と呼んでいた。その父様は死覇装を着ていて、真央霊術院の名を出していた。

 

 次に気になるのが、『母様』の存在をほのめかすような私の言動。

 

 そしてもう一つ、引っかかることがあった。

 夢の中の私は幼かった。三つ、などと言っていた。

 そして私が喜助さんに拾われたのは、私の外見年齢が三歳程度だった頃であった。

 

 果たしてこれは、偶然なんだろうか。

 

 

「ふわぁ……」

 

 大きく欠伸をして、布団の上で手足を伸ばす。

 何がともあれ今日は土曜日、学校は休みだ。そう思ったその時、指先に何が硬いものがぶつかった。カチャン、と硬質な音がした。

 

「何だ、もう……またジン太が――刀?」

 

 刀だ。刀が枕元に置いてあった。

 

 ――え、ごめん。ちょっと意味が分からない。

 

「か、刀……えっと、本物……?」

 

 いや、本物のはずがない。落ち着け。

 きっとこれもジン太による新手の悪戯に違いない。

 

 ジン太は、半年前からうちで一緒に暮らすことになった改造魂魄だ。例のマッドサイエンティストが性懲りもなくやらかした結果とも言う。

 あの子は(ウルル)と違って手の掛かる子だからなぁ。根はいい子なんだけどね……

 

 私はのっそりと起き上がって、再度刀に手を伸ばした。

 

 ここで、違和感が一つ。

 

「……服、いつ着替えたっけ」

 

 寝る前に来ていたパジャマとは明らかに違う。あのパジャマは水色で、今私が着ているのは黒い着物。

 

 そう、黒い着物。

 

 黒い着物?

 

「…………」

 

 視線を下にずらしていく。

 黒い着物、黒い袴、白い足袋、そして草履。

 

「…………」

 

 いや、そんなはずはない。見間違えただけだ。もう一度、視線を上から滑らせる。

 

 黒い着物、黒い袴、白い足袋、そして草履。

 

「……はは」

 

 おもむろに、刀を手に取る……プラスチックの重さではなかった。

 数センチだけ抜いた刃に掛け布団の端を滑らせてみる……あり得ないくらいスッパリ切れた。刃を収める。

 

「……は、はは」

 

 喉から乾いた笑いが溢れる。

 

 つまり、である。

 

 私が着ているのは死覇装。

 手に持っているのは浅打(あさうち)

 

 

「喜助さんかっ!!?」

 

 

 とりあえず、叫んだ。

 まず間違いなく元凶であろう男の名を。

 

 鞘に入った刀を引っ掴んで、扉を壊れるほどの勢いで開けて、それから全力疾走。数秒も経たない内に喜助さんの寝室に辿り着いた私は、ノックもせずにその扉を開け放った。

 

「ちょっと喜助さん!! 私に何したの?!」 

「……何スかもう。朝から騒々、し……い……」

 

 眠そうに身を起こした喜助さんが、言葉を不自然に途切れさせて目を見開いた。

 

「桜花……それって、まさか……」

 

 しかし、喜助さんの様子がおかしい。

 私の目には、彼が驚いているように見える。

 

「えっ……喜助さんの仕業じゃないの……?」

「いえ、ボクは何も……」

 

 あの喜助さんが本気で戸惑っている。珍しい。

 それだけ喜助さんにとってもよく分からない現象だと、そういうことなんだろうか。

 

 だんだんと、頭に冷静さが戻ってくる。

 

「身支度を整えたらボクも向かいますんで、先に居間に行っておいてください」

「……分かった」

 

 喜助さんは布団をはねのけて立ち上がると、口を開いた。

 私は素直に頷くと、それに従って居間へ向かった。

 

 

 喜助さんは、思っていたよりすぐにやって来た。猫の姿の夜一さんと鉄裁さんを連れて。

 

「おぉ、本当に死覇装じゃな」

「やっぱり死覇装なんだね……」

「見間違い、などということはないでしょうな」

 

 元死神達にそう言われたんだから、もう間違いないだろう。

 

「桜花のベッドの上に、これ()()が」

 

 そう言って喜助さんが差し出したのは、昨晩まで私が着ていた水色のパジャマだった。

 

「私のパジャマ……いつ着替えたんだろ」

「まさかおぬし、気づいとらんのか?」

「何が?」

 

 夜一さんが尻尾をゆらりと振って言う。

 

「この服は器子。今のおぬしは霊体じゃぞ」

「……あ」

「今問うべきはそれではなく、おぬしの()()()()()()()()()()()()()()()()()()じゃろうて」

 

 そうだ。人間が死神化した場合、元の器子でできた肉体はその場に残るものだ。けれど、喜助さんは私のベットの上にはパジャマしかなかったと言った。

 

 だとしたら、私の身体はどこへ……?

 

「消えた。そう判断するのが妥当でしょう」

「消えたって、そんなことが……」

「桜花は寝る時、いつも上の服をズボンの中に入れていますよね。お腹が冷えるからって」

「え、気持ち悪。何でそんなこと喜助さんが知ってんの」

「その状態のまま、置いてあったんスよ。まるで、ベッドに横たわっていた身体だけが消え失せてしまったかのように」

「無視か」

 

 それは確かに気味が悪い。

 そして、何故か私の癖を把握している喜助さんも気味が悪い。

 

「恐らく桜花は、もともと()()()()()()()人間の身体に入っていた。そしてその身体が()()()()()()()消えてしまった……そういうことでしょう」

「『何らか』ばっかりじゃん」

「仕方ないでしょ、ボクだってまだよく分かってないんスから」

 

 そうは言っても、喜助さんなら前からこれを想定していたと言っても驚かないし、既に予測の一つや二つは立てているに違いない。具体的なことを言わないのはきっと、私が入っていた人の身体が消えてしまった理由を口に出すには、まだ確証が足りないからだ。

 

「……ん?」

 

 そこで、引っかかりを覚えた。

 

 私が入っていた人の身体?

 

「あれ、ちょ……ちょっと待って。人間の身体に入ってたって……それじゃ私はもともと人間じゃなかったって、そういうことなの?」

「やはり気づきましたか。……そこに関しては、()()()()()()()

「そんなっ……!」

 

 私が人間じゃなかった?

 そんなこと……だって、私は拾われた時から人間で――

 

「いつから……」

「はい?」

「……いつから、私が人じゃないと?」

「可能性として考慮していたのは、アナタに初めて会ったその時からです」

「最初からって……」

「もちろん、確信したのは先程ですが……」

 

 拾われた時の私は、身体は器子なのに着物は霊子という歪な状態だった。その時点で喜助さんは、私が人間ではないかもしれないと当たりをつけていたんだそうだ。

 

 そして、成長するにつれて異常な増大を見せた私の霊力も、その仮説を支える要因の一つになっていたんだとか。

 

「五年前、桜花が初めて虚に襲われた以前からボクらは桜花に虚避けの結界――つまり、霊圧を虚から隠す結界を張っていました」

 

 そうでもしないと、虚を無尽蔵に呼び寄せてしまいかねなかったから。それほどまでに、私の霊力は常人の域を逸していたんだそうだ。

 

「最初は身体の成長に伴う霊力上昇だと考えていましたが、それにしては伸び方が普通じゃなかった。だから、思ったんス……成長ではなくて、()()なのではないかと」

「回復……もともとあった霊力が何かの理由で急激に減って、それが元に戻ろうとしていた、ってこと……?」

「そういうことっス」

 

 それが事実なら、私の霊力が増えて最終的には死神になってしまったことの説明()()はつけることができる。

 

「ともかく、桜花が人間ではないかもしれない可能性に行き当たった時点で、ボクは瀞霊廷における行方不明者名簿を調べて『桜花』の名を持つ者を探しました」

「――あったの?」

「ありました」

 

 ヒュ、と自らが息を吸い込む音が、どこか他人事のように遠くから聴こえた。

 

「しかし、不可解な点が一つ。その方が行方をくらましたのは三十五年前……当時彼女は十五歳だったそうっス」

「え……でも、私は……」

「そう、明らかに年代が合わない」

 

 私が浦原商店で世話になることになったのは八年前……私がおおよそ三歳だった頃の話だ。行方不明になった時期も、その時の年齢も、その人とは合致しない。

 

「知っての通り、死神は人間とは違う速度で成長します。ですから彼女も人間の十五歳の外見ではなかったはず……しかし霊力を持ち、数十年間生きた彼女が、幼児の見た目のままなんてことは流石にあり得ない」

「そう、なんだ……」

「よって彼女とアナタが同一人物かどうかは、今の段階では断言できない……それに――」

「当然、別人かもしれぬ。そもそもおぬしの本来の名前が『桜花』であるとも限らんじゃろうしな」

 

 そう言ったのは夜一さんだった。

 

「考えてもみろ。おぬしが『桜花』足り得る証拠が、その首飾り以外に存在するか?」

「それは……ない、ね……」

 

 常人には見えないからと、学校でも常に身につけていたペンダントに触れる。どうやら霊子で構成されたこれは、死神になってもつけたままでいられるらしい。

 

「私……一体、何なんだろうね」

 

 前世の記憶があって、それなのにこの世界での幼い頃の記憶がなくて……さらには人間ですらなく、その身元ははっきりしない。

 

 このペンダントも、私自身の物であるとは限らない……いや、仮にその人と私が別人なら、私の物であるはずがない。

 だって、それほどありふれた名前ではない『桜花』がその行方不明者と同じなんて偶然、そうそう起きることじゃないはずだから――

 

 

「さて! ここらでちょっと昔話でもしましょうかね」

「……ったく」

 

 唐突に場にそぐわない能天気な口調で話し始めた喜助さんを、夜一さんがやれやれといった目で見やった。鉄裁さんは相変わらず真顔だ。

 

「……え? どうしたの急に」

「そういう気分なんスよぉ、今は」

「何それ」

「いいからいいから」

 

 考え込んでいたせいで反応が遅れてしまった。どうしたんだろう、こんなにあからさまに話題を切り替えるなんて。

 

 気分が落ち込んでいた私と違って、喜助さんはいつものように胡散臭く笑っている。……何か、企んでいるんだろうか。

 

「平子サン達の了承は、既に取ってあります。後はタイミングの問題でした」

「あ、それってもしかして……」

「ハイ、その通りっス」

 

 ――仮面の軍勢(ヴァイザード)虚化(ホロウか)のことだ。

 

「今から話すことは、他言無用でお願いします。……もちろん、雨やジン太にも」

 

 波が引くかのように、その顔から胡散臭さが消え失せていく。

 あ、これ真面目なやつだ……そう気づいて、私も表情を引き締めた。

 

「……分かった」

「では、私は二人の足止めに」

「すみません、鉄裁サン。頼みます」

 

 私が了承した直後、立ち上がった鉄裁さんに喜助さんが軽く頭を下げた。

 厳重なことだ。しかし話題が話題なだけに、やり過ぎた対応だとは思えなかった。

 

「全ての始まりは、九十七年前のある事件でした」

 

 そうして始まった話はやはり、私の知っている虚化事件そのものだった。

 謎の魂魄消滅から始まったこの事件は、現五番隊隊長で当時五番隊副隊長だった藍染惣右介、同じく五番隊三席だった市丸ギン、そして九番隊だった東仙要の三人によるものだった。

 彼らがやっていたのは虚化の実験だった。命令を受けて現場へ向かった平子さんたち八人は、抵抗も虚しくその実験体にされてしまった。

 

 そこで駆けつけたのが、喜助さんと鉄裁さんだった。

 しかし、物事はそう上手くはいかない。

 

 実験体として虚化してしまった八人を救うために禁術を行使した鉄裁さんは、牢へ投獄されることになった。喜助さんも藍染に実験の罪をなすりつけられて、現世へ永久追放となってしまった。総隊長命令を破って無断で現場に駆けつけたことを、藍染達に利用されてしまったんだ。

 

 その後夜一さんの協力で喜助さん達は何とか逃げ出して、八人の虚化を止めることに成功した。しかし、尸魂界に彼ら十一人の居場所はなくなってしまった。

 

 仕方なく彼らは霊圧遮断型義骸に入って尸魂界から隠れつつ、喜助さん達三人は闇商人として、虚化した八人は仮面の軍勢として、現世に身を潜めることとなった。

 

 喜助さんの語る話は、私が物語として見た内容とほぼ変わらないものだった。それはつまり、脚色も省略も何もされていない真実を、私に話してくれたということだ。

 

「……良いの?それを私に話して」

 

 一度も口を挟まずに話を聞いていた私は、喜助さんが語り終えた数秒後にやっと口を開いた。

 

「言ったじゃないスか、彼らからの許可は取ってあるって」

「そう、だったね……」

 

 嬉しかった。

 

 去年の花火大会以来、彼らと会う機会は一度もなかった。だから、ずっと気になっていたんだ。もう敬語で話すなと言って名を呼んでくれた、()()()の顔が思い浮かぶ。

 

 そっか。皆さん、許可してくれたんだ。

 

「……アナタの素性はどうあれ、アナタがアナタであることに変わりはない」

「え……?」

「彼らは……仮面の軍勢は、アナタが『桜花』だから了承した訳じゃない。アナタがアナタだから許したんスよ」

 

 その意味、アナタなら分かるでしょう?

 

 そう言って、喜助さんは笑みを浮かべた。珍しく、何の含みもない柔らかい笑顔だった。

 

 

「……当然」

 

 

 自信ありげに見えるような顔をして、一言。それしか言えなかった。

 

 凹みかけていたことを看破されて、なぐさめられた。そんなことをされるなんてらしくなくて……私は一番言いたかった、そして言うべきだったことが言えなかった。

 だから、心の中で呟く。

 

 

 ――ありがとう。

 

 

「さぁて。ボクはちょっと義骸でも作ってきますんで、桜花は夜一さんと腕試しでもしてきてください」

「義骸? あぁ、私のか」

 

 理由はともかく、消えてしまったものは仕方がない。このままでは学校にすら行けないんだから、義骸が必要なのは当然だった。

 

「ほれ。行くぞ、桜花」

「はーい」

 

 浅打を握って立ち上がる。

 ふとそこで、まだ訊いていないことがあったと思い出した。

 

「……そういえば、喜助さん」

「何です?」

「行方不明者名簿に載ってる『桜花』ってどんな人なの? 瀞霊廷の名簿に載ってるってことは、流魂街の人じゃないんでしょ?」

「……その通りっス」

 

 

 私の問いに、喜助さんは少し迷うような表情を見せて……それから静かに目を閉じた。

 

 

 

 

 

「彼女の名は、朽木桜花――正一位の大貴族、朽木家現当主の娘サンっス」

 

 

 

 

 



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十八、受け継いだもの

 

 朽木桜花――苗字の通り四大貴族朽木家に連なる者、そして現当主の娘。

 

 

 その名を聞いて真っ先に脳裏をよぎったのは、昨夜見た不思議な夢のことだった。

 

 もし仮に……あれが、私自身の記憶だったとしたら?

 

 

「朽木……って、まさか……」

「あぁ。儂が昔当主をやっておった四楓院家と同じ、四大貴族の一つ……そんな家の一人娘がいなくなったのじゃ、とてつもない騒ぎになったことじゃろうて」

 

 現当主の一人娘。

 

 それはつまり、朽木家当主であり六番隊隊長でもある朽木白哉の娘ということを意味する。そして朽木白哉が愛妻家であることは、原作でもはっきりと描かれている。

 

 ということは、『朽木桜花』の母親は朽木緋真ということで間違いない。三十五年前に十五歳だったということは、ストーリーが始まる四年前である現在は五十歳となり、年代的にも合致する。

 そして朽木緋真の娘ということは、『朽木桜花』はあの朽木ルキアの姪にあたるということだ。

 

 ……そんなキャラクター原作にいたっけ。

 いなかったよね、確実に。

 

 

「驚くのも無理はありません。なんせ四大貴族っスからね、夜一サン」

「何故そこで儂に振るんじゃ……嫌らしいやつじゃのう」

「いやあ、そんなに褒めても何も出ませんって夜一サン」

「誰がいつ褒めたんじゃ」

 

 何やら楽しげな二人を横目に考える。

 

 原作のイレギュラーである『朽木桜花』という存在。同じくイレギュラーである私の存在。そして、あの夢。やけに広い庭園に、まるで高貴な家の生まれであるかのような私の話し方。『父様』『母様』という呼び方。そして、その『父様』の口調や態度。

 

 もう、間違いなかった。

 

「ん? どうしたんじゃ、桜花。難しい顔をして」

「いや、びっくりしちゃって……同一人物じゃないにしても、そんな偉い人と関わりがあったかもしれないんでしょ?」

 

 しかし私は、その確信を胸の奥に隠した。

 

 イレギュラーがどうのこうのなんて、原作の主要メンバーたる彼らに言えるはずもない。

 

 それに……そんなことを口に出してしまえば、ここでの居場所がなくなりそうな、そんな気がしたからだった。

 

「そうなると夜一サンはどうなるんスか、先代当主っスよ」

「うーん、夜一さんは夜一さんだからなぁ……特に何も……」

「いくらなんでも率直すぎますって。気持ちは分かりますけどもっとこう、遠回しに言わないと」

「ほう……よくわかった。そこに直れ、二人共」

 

 結果、私と喜助さんは揃って夜一さんから拳骨をいただいた。死神になって身体が頑丈になったらしく、生身の時より痛くなかったのが幸いだった。

 

 

 さて――これで私は、上手に誤魔化せただろうか。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

「"破道の三十一・赤火砲"」

 

 手のひらを岩山に向けて一言唱える。瞬間、放たれた赤い火の玉が爆音と共に岩壁を大きく抉った。外の世界と隔絶された修行部屋に、吹くはずのない風が吹く。

 

「うっわ……やっぱり全然違うな」

「詠唱破棄でこれか……どうじゃ鉄裁、おぬしの目から見て」

「威力は以前の詠唱つき"赤火砲"の倍以上。発動速度も段違いです。まさかここまで変わるとは……」

「人間の身体って、死神の出力には向いてないんだねぇ……」

「当然です。我々とて、義骸に入ったまま本気を出すことなどできませんから」

 

 鉄裁さんが頷く。

 確かにその通りだ。鉄裁さんレベルの人が義骸で本気なんて出したら、義骸の方がその出力に耐えきれなくなりそうだ。

 

「瞬歩もかなり扱いやすくなったし……まさかあの量の霊圧込めて暴発しないだなんて」

 

 いつものように足裏に集中したところ、いつもの倍近くの霊圧が集まってしまったのには驚いた。だからと言って一度出したものを引っ込める訳にもいかず、私は暴発覚悟で足元を弾いた。

 しかし、結果は成功。倍の速度で目的地に到達してしまい、私は状況が理解できず突っ立ったまま呆けることとなった。そんな私を見て、夜一さんは大笑いしていた。

 いやいや、笑い事じゃないから。

 いくら死神の身体が人間のそれより頑丈とはいえ、あの速度は、人間を辞めたばかりの私には刺激が強すぎた。

 

「斬拳はともかく、走鬼はそこそこか……実力的には七席ぐらいじゃろうなぁ」

「七席かぁ……それってすごいの?」

「悪くはない。じゃが、儂らには到底及ばぬな」

「それは当たり前。揃いも揃って隊長格なんだから反則だよ」

 

 思えば、私の知り合いの元死神には反則級の人しかいない。夜一さん達にせよ、仮面の軍勢(ヴァイザード)にせよ。比較対象が強すぎるんだ。反則だ。

 

「反則? まさか。おぬしはこの儂に瞬歩を、鉄裁に鬼道を、喜助に剣術を教授してもらえるのじゃぞ。その方が余程反則じゃろうて」

「それは……否定できない……」

 

 反則は私もそうだった。師匠がこの三人だなんてムチャクチャだし、血筋的にも強くなれないはずがないし、その気で修行すれば隊長格にだってなれるだろうし。

 

「よし。おぬしの瞬歩も成長したことじゃし、ここらで一つ鬼事でもしようではないか」

「は? ……きょ、拒否権は」

「ない」

 

 ですよね。

 流石は夜一さん、唐突にも程がある。

 

「儂に捕まる度に拳骨じゃからな」

「ひぃっ……そんな無慈悲な……」

「はっはっはっ! ほれ、かうんとだうんとやらを始めるぞ! 十九八七六――」

「ちょ、早い早い早い!」

 

 夜一さんの瞳が妖しく光る。

 これは怖い。怖すぎる。トラウマになりそうだ。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 屋敷の中は広い。それこそ、一日に二度は迷ってしまうほどに。

 

 居心地が悪いからと、付き人を連れずに歩き回る私が悪いのは分かっている。だから毎日毎日迷子になっているからといって、不平を言うつもりはなかった。

 それに迷子になってしまっても、この家にはたくさんの従者がいる。彼らに頼めば自室まですぐに連れて行ってもらえるのは分かっているからこそ、私は何の心配もなく迷うことができるんだ。

 

「お嬢様! お嬢様ぁー! どこにおられるのですかー?!」

「おっと」

 

 すぐ近くから私を呼ぶ声が聞こえて、私は迷わず縁側の下に入り込んで霊圧を消した。

 私につけられた付き人達は皆、腕が立つ。特に私の付き人筆頭の芦谷(あしや)という若い男に至っては、護廷十三隊の席官クラスの実力者だ。何で私なんかの付き人に収まっているのか全く理解できない。

 

「お嬢様! そこにいるのは分かっているのですよ!」

 

 真上からその芦谷の声が聞こえた……が、その手には二度と引っ掛からない。

 これを言われて渋々姿を現したものの、実は居場所がバレていたわけではなかった――という悲劇は二日前に味わったばかりだ。

 

「いい加減にしないと当主様に言いつけますよ、お嬢様!」

 

 甘いな、芦谷。父様と母様は既に説得済みだ。私が芦谷との隠れんぼを楽しんでいるのは二人共よく知っている。身分故に遊び相手のいない私を案じてくれる二人は、私が遊ぶことに関して寛容なんだ。

 

 それに私の本当の()()は、屋敷内を走り回っていることではない。これに関しては二人にも芦谷にもバレていないから、そこさえ隠しておけるなら後はどうだっていいんだ。

 

「お嬢様ぁー!」

 

 まだ三つになったばかりの私では、瞬歩なんて高等技術は扱えない。けれど、一つだけ年齢にそぐわないほど得意なことがあった。

 

 それは、霊圧の隠蔽だ。

 

 もちろん父様の手に掛かれば一瞬で見つかってしまう程度ではあるけれど、前に霊圧探知が苦手だとぼやいていた芦谷から逃げるにはそれで十分だった。

 

 芦谷の声が遠ざかっていく。やっぱり私を見つけていた訳ではなかったらしい。出ていかなくて正解だった。

 

「きょうはどこにいこうかな……」

 

 しゃがみ込んだまま思案する。一度は離れにも行ってみたいけれど……離れは今は使われていないと父様が言っていたから、万が一迷ったら面倒なことになる。

 

「よし」

 

 結論はすぐに出た。どこへ行くか決められない時は、あそこに行くに限る。

 

 縁側の下から飛び出した私は、霊圧を消したまま走った。従者達に見つからないように時に隠れ、時に走り、また隠れては走り……そうして私は目的の部屋の前に辿り着いた。

 

「おうかです。おへやにはいってもいいですか?」

「ええ、もちろんよ」

「しつれいします」

 

 返事はすぐに返ってきた。

 どうやら今日は調子が良いようだ。襖を開ける。

 

「ちょうしはどうですか? かあさま」

「今日はいつもより元気ですよ。ほら、こちらにいらっしゃい」

「はいっ!」

 

 声を掛けられるやいなや、私は母様の元へと駆け寄った。母様は、文机の前に座って読み物をしていたようだった。

 

「芦谷が呼んでいましたよ」

「はいっ、きょうもにげきりました」

「あまり困らせてはなりませんよ」

「こまってませんよ! あしやはわたしとかくれんぼしてくれただけです」

「あら、それなら後で一緒にお礼を言いましょうね」

 

 そう言って、母様は私の頭を撫でてくれた。

 前世の記憶があって精神年齢だって高いのに、それでも頭を撫でられると嬉しい。それくらいには、私は父様と母様が大好きだった。

 

「とうさまはきょうもおしごと?」

「もちろん。あなたの父様は隊長ですから」

「たいちょうかぁ……いいなぁ」

「桜花は死神になりたいのかしら?」

「はいっ!」

 

 大きく頷く。

 せっかくこんな血筋に生まれたんだ、上を目指さないともったいないじゃないか。それに死神になれば、父様や母様以外の人にだって会えるようになる。

 死神なんて、きっと楽しいに違いない。

 

「わたし、しにがみのしゅぎょうがしたいなぁ……」

「ふふ、それは桜花にはまだ早いでしょう?」

「はやくないですっ」

 

 早いだろうか? いや、霊力の扱い方くらいは教えてくれても良いような気がする。独学ながら私は既に霊圧の抑え方を知っているんだ、それくらいなら早すぎるも何もないと思う。

 

「誰に似たのかしら? こんなに元気いっぱいだなんて……」

 

 そう言いつつも、母様は嬉しそうだった。確かに私の性格は父様とも母様とも、それに前世での気性とも違っている。

 実はまだ父様も母様も知らないことだけれど、私の性格が誰に似ているのか……その見当は大体ついている。

 

「この歳で芦谷から逃げ切るなんて、やはりあなたは父様に似て強くなりそうね」

 

 そして私の戦闘能力は恐らく、父様の血を引いている。いくら霊圧探知が苦手な芦谷といえど、総合的な実力は席官クラスだ。そんな相手から逃げ続けられるんだから、それは間違いない。

 いやはや、ありがたいことだ。

 

「私の身体が弱いところ、あなたに似なくて本当によかったわ」

 

 そう言って私を見下ろす慈愛のこもった瞳だけを見つめていると、まるで鏡でも見ているかのような錯覚に陥る。

 瞳の色は父様似だった。けれどそれ以外は全て、母様似。つまり、私は鏡写しのように母様にそっくりだった。

 

 顔立ちは私、瞳の色は白哉様に似ているのですね――そう言って少女のようにはにかんだ母様の表情が、昨日のことのように思い出される。そんな母様を見て父様は柄にもなく照れていた。

 そんな時私はといえば、子どもの前でイチャイチャするなよ……と目のやり場に困っていた。しかし当時まだ一つだった私では空気を読んでその場を辞すことなどできず、両親による桃色な雰囲気をやり過ごすしかなかった。

 

「そんなこと、いわないでください……かあさまはすぐにげんきになるんですから」

「ふふ、そうね。ありがとう、桜花」

 

 そう言って儚く笑った母様に抱きつく。

 

 このままだと母様は来年には亡くなってしまう。何としても、それだけは避けなければならない。

 

 

 原作通りになんて、絶対にさせるもんか。

 



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十九、覚悟しろ

 

 「人生とは選択の連続だ」とはよく言ったものだが、私の前に現れる選択肢はちょっとばかりハードすぎやしないか。

 

 神様は私のことが嫌いなのか。この世界に神様なんているのかという問題は別にしても。

 

 

「アンタ、新入生のクセに生意気なんだよっ!」

「地毛ですぅ、じゃねーんだよ。ぶりっ子しやがって!」

「やめてっ……痛っ……!」

 

 中学校に入って以来、私はとある少女のことを意図的に避け続けていた。

 話しかけられたのを無視するなんてことはできないと自分が一番よく分かっていたから、そもそも話し掛けられないように。そして、関わらないように。

 

「便器の水ブッかけてやろうよ。そしたらコイツだって反省すんじゃない?」

「アハハ! それ名案!」

「マキってばアッタマイイー!」

 

 あぁ胸糞悪い。だから、この子とは関わらないって決めてたんだ。

 

 だって、分かってた。

 こんな場面に出くわして、放置なんて選択ができる訳ないって。

 

 私は大きく息を吸った。

 

「センセーこっちです! 早くしないとイジメてる犯人逃げちゃう!」

「なっ……ヤバくない?! 逃げようよマキ!」

「チッ、行くよ!」

「アンタっ! 後で覚えときな!」

 

 私が物陰から大声を上げると、上級生達は悪役……それも雑魚中の雑魚みたいな捨て台詞と共に、女子トイレから飛びだして走り去って行った。こういう手合は得てして頭の悪いやつらばかりだから、捨て台詞だってひねりのないワンパターンになってしまうんだ。

 

「……だ、誰?」

 

 私と同じ学年の少女が、恐る恐るといった体で問いかける。

 

「あのね、えっと……助けてくれて、ありがとうございます」

「…………」

 

 さて、ここで再び選択肢。

 この子の言葉に応えて姿を現すか、そのまま何も言わずに立ち去るか。前者を選びたい……当然のようにそう思ってしまった自分の甘さに、ため息をつく。

 あぁもう、だから関らないつもりだったのに。

 

 

 私は黙ったまま女子トイレに背を向けて、歩き出した。

 

 その女子生徒の名前は井上織姫。

 

 私はこれから、盾舜六花(しゅんしゅんりっか)という彼女特有の能力のためだけに、その兄を見殺しにしようとしている。

 

 

 

 見殺しがどうのと考えると、やはり思い浮かぶのは真咲さんのことだ。

 

 もちろん真咲さんを守ったこと、それに後悔はない。

 けれど反省もないかと問われると、そんな訳ないじゃないかとすぐに答えるだろう。

 

 真咲さんが生きることのデメリットは、一護の『護る理由』がなくなってしまうかもしれないという一点に尽きる。そしてそれは、結果的に命をかけた私と真咲さんの二人がその理由になることで解決することができた。

 

 しかし、それはただの結果論でしかない。

 

 あの時はたまたま上手くいってデメリットをなくすことができた。けれど仮に喜助さんの到着がもっと早くて、私が死にかけなかったとしたら? 真咲さんと一緒に逃した一護が河原に戻って来ていなかったら? そう……一つでもパズルのピースがズレていたら、こうしてデメリットが消化されることもなかったかもしれないんだ。

 そんな博打みたいな行動、再び取れるはずがない。

 

 バタフライ効果とは恐ろしいもので、私の身の回りでそれが分かりやすく表れているのが(ウルル)とジン太である。

 原作が始まるまで夜一さんの存在を知らなかったはずの二人が、何故か現段階で夜一さんが猫に変身できる人だということを把握している。それどころか二人揃って夜一さんに懐いている。

 具体的に何がその結果を招いたのかは分からない。けれど、この浦原商店には私というイレギュラーな存在がいる。原作とこの世界の差異が私だけな以上、原作との乖離が生まれたらそれは全て私のせいだと言っても過言ではないんだ。

 

 だからこそ私は、井上織姫の兄を見捨てることにした。

 

 井上織姫が盾舜六花の能力を手に入れられたのは、それこそ全てを補うには多すぎる数のピースが組み合わさった結果だ。

 彼女が盾舜六花に目覚めたのは、死神化した一護の霊圧を魂魄状態で浴びて彼女自身の霊力が一定以上に上昇した後に、滅却師(クインシー)の石田雨竜による虚の撒き餌で命の危機に陥り、竜貴達を護ろうとしたからだ。井上織姫があれほどまでに竜貴を護りたいと思ったのは、兄を亡くした穴を埋めたのが竜貴の存在だったからとも言える。

 そして、彼女が魂魄の状態で一護の霊圧を浴びるなんて状況に陥ったのは、亡くなった後に(ホロウ)と化した兄に襲われたからだ。

 霊力も何もなかった井上織姫が虚に狙われるには、その虚が井上織姫の親族であることが条件……つまり井上織姫の兄が死んだことが、彼女の盾舜六花の開花の間接的な理由になっているんだ。

 

 そんな複雑なものに下手に手を加えて、それを補いきれず……いざ原作が始まったものの盾舜六花の能力は目覚めませんでした、では洒落にならない。

 盾舜六花の能力は必要だ。後にそれがキッカケで虚圏(ウェコムンド)に連れ去られることになるとしても、それを補って余りあるほどの価値がある。井上織姫がいなかったら、一護は原作を乗り越えられずに死んでしまっていたかもしれないと言えるほどに。

 

 それに何より、会ったこともない井上織姫の兄の命か幼馴染の命か――どちらが大事かなんて天秤にかけるまでもない。

 

 だから私は一人の人間の生き死にを、デメリットがあるとか価値があるとか、勝手に理由をつけて決めることにした。そうすることを選んだ。

 

 

 果たして神様とやらが本当に存在するなら、私のこの選択を傲慢だと断ずるだろうか。

 

 

 ――それは、傲慢だよ。

 

 

 心のどこかで、誰かがそう言って嘲笑した。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 十一歳で死神になって……いや、死神の力を取り戻して以来、私は心の中で声を聴くようになった。その声はいつも同じ幼い少年のものだった。そしてそれは、私の心の声にしてはやけに物事を客観的に捉えているように思えた。

 

 最初は気のせいだと思っていた。けれど、同じことが何度も続くと流石に気味が悪くなってくる。どうすべきか考えに考えた挙句、私はそれを喜助さんに相談した。

 

「あぁそれ、斬魄刀じゃないスか?」

「私の?」

「えぇ。名前さえ聞き出せば、そこまで頻繁に声を掛けてくることはなくなりますよ」

 

 そして勧められたのは『刃禅(じんぜん)』という、斬魄刀の解放には欠かせない修行だった。

 最初は鬼道の詠唱に初めて挑戦した時のような恥ずかしさがあったものの、手本だと言って喜助さんが大真面目に抜き身の刀を両手に持って座禅を組んだのを見て、認識を改めた。オッサンに片足突っ込んだ人がやるより、小柄な女の子である私がやった方がまだマシってものだ。

 

 小柄といえば、死神化してから私の身長が急に伸びなくなってしまったことが、今の私の悩みでもある。あれから二年も経つのに私の背はほとんど変わっていない……つまり未だに小学四年生の平均身長の枠から出ていないんだ、悲しいことに。

 

 

「精が出ますねぇ」

「今日も聞こえたから……いい加減鬱陶しくって」

 

 イジメの現場に出くわしてしまった日の、放課後。特に部活動に所属している訳でもない私は、教室で同じく帰宅部の由衣と駄弁った後で家に帰った。

 

 それからいつも通り刃禅をしようと地下に降りると、喜助さんが修行部屋にある研究室から顔を出したんだ。

 

「まぁまぁ。向こうから語り掛けてくれるってのは、要するに桜花に興味があるってことっスから」

「それはありがたいんだけどね……」

「それより、終わったらちょっと手伝ってもらいたいことがあるんですけど、良いスか?」

「良いよ。今は何作ってるの?」

「マトモな性格の改造魂魄っス」

商品(アレ)がマトモじゃないってのは分かってたんだね……」

 

 基本的に、死神の感覚は人間のそれとはかけ離れている。そのズレがはっきりと表れているものの一つとして挙げられるのが、尸魂界(ソウル・ソサエティ)特製の改造魂魄である。

 理想的な性格の改造魂魄を作るために、投票をしたとかアンケート調査をしたとか言われているが……あれがその結末なら、死神は人間のことを何一つ理解していないということになる。それくらいぶっ飛んでいると思う。

 

「ちなみにそれ、どんな性格?」

「ざっくり言うと、ボクと夜一サンを足して二で割ったみたいな性格っスね」

「……それ多分、どう頑張ってもマトモにならないやつだと思う」

 

 何て化け物を作り出そうとしているんだ、この人は。二人共が怪物級の個性の持ち主なのに、足してどうする。足した数で割ったくらいで緩和されるようなヤワな性格じゃないんだから、足した分だけ化け物に近づいていくということに何故気づかないんだ。

 

「まさか! もともとがベクトルの違う性格なんだから、足して二で割って丁度良くなるハズなんスよ」

「いやならないから。二で割った上で十倍くらいに希釈してかろうじて世間にお見せできるレベルだから」

 

 そもそも何で、一番常識人な鉄裁さんを使わなかったんだ。その鉄裁さんでさえ、時々頭のネジが飛んだような行動を取ることがあるのに……

 

「ましてや頭のネジなくしたまま数百年生きてるような人の性格を二つも足すなんて……」

「……酷くないスか? 夜一サンに言いつけますよ」

「ごめん謝るからそれだけは止めて」

 

 

 そうやっていつものように喜助さんとじゃれ合ってから、私は義骸を脱ぎ捨てた。研究室から少し離れた岩山の上に登り、刀を持って座禅を組む。

 

 今日こそは話せたらいいなぁ、と目を閉じて――

 

 

「――やあ、ようやく会えたね」

 

 

 確かに私は目を閉じた。目を閉じてもなお視界に映るものなんて、真っ暗なまぶたの裏くらいしかないはずだ。

 

 そのはずなのに、目の前に広がるこの景色はもしかして……

 

「驚くのも無理ないよ。きみをここに呼ぶのは初めてだからね」

「誰……?」

「もう、そんなに警戒されたら傷ついちゃうよ」

 

 いつも聴こえていた、少年の声だった。慌てて周囲を見渡す。しかし、声の持ち主の姿はどこにも見えない。

 

 私がいるのは家一軒の大きさはありそうな巨大な天秤の、両端から吊り下げられた皿のうちの一つ……その上だった。

 不思議なことに、ここにはこの天秤しかない。見渡す限り真っ白な空間の中に、黄金色の天秤だけがぽっかりと浮かんでいる。

 

「そっか……きみにはまだ、ぼくの姿は見えないんだね」

 

 年齢で言うと十歳にも満たないであろう幼い声が、寂しそうにそう言った。

 

「あなたは……私の斬魄刀、なの?」

「うん、その通り。よかった、それは分かってるんだ」

 

 少年は、少しホッとしたような声色で肯定した。

 

「今日はね、きみに話があってここに呼んだんだ」

「話?」

「そう。きみには今、悩んでることがある……お友達のお兄さんを助けようかどうか、迷ってるんだよね」

「……友達じゃないけど……全部知ってるの?」

「もちろん! 例えば、きみが前世の記憶を抱えたまま生まれ変わってしまったこと……とかさ」

「……それ、他の人に言わないでよ」

「分かってるって」

 

 斬魄刀は私の一部だ。幼い声をしているからといって、その頭脳まで幼いとは限らない。だからきっと、私のことなんて全てお見通しなんだろう。

 

「それでね、ぼくから一つアドバイスがあるんだ」

 

 少年の声から緩い雰囲気が消えていく。無邪気な声色に知性が宿っていく。

 

「生きていれば、感情論だけではやっていけないこともある。冷酷にならなきゃいけない時は、きちんと冷酷になるんだ。いつまでも半端じゃロクなことにならないからね」

「何を……」

「全てを知っているからって、全てを救うことはできない。きみにとって何が一番大切なのかちゃんと自覚して、取捨選択するんだ」

 

 つまり……デメリットや価値から判断する今回のやり方こそが正解なんだと、そういうことだろうか。

 

「でも、さっきは『傲慢だよ』って……」

 

 こうして刃禅をする前、学校で上級生達を追い払った直後に聴こえた声は、間違いなくそう言っていた。それと矛盾するではないか。

 

「うん、言った。でもね、ぼくはきみに引き下がってほしいからそう言ったんじゃない。きみに覚悟をしてほしかったから言ったんだ」

「覚、悟……」

「そう、覚悟。どんなに傲慢なことでも、自分の決めたことに責任を持って……そしてそれを最後まで背負い続ける覚悟。あの時ギリギリまで黒崎真咲さんを助けるか迷ってたのは、きっとその覚悟ができてなかったからなのさ」

 

 自分の決断のせいで、人が一人死ぬ。そのことを永遠に忘れず、背負い続けることができない者は、そんな重い決断をするべきじゃない。

 

「……厳しいね」

「厳しくないさ、人が死ぬんだから」

 

 少年は、そう言って口をつぐんだ。私も何と返していいか分からなかった。

 

 その時、視界に黒いラグのようなものが走った。

 

「……おっと、時間みたいだね」

「え……もう?」

「今のきみじゃこのくらいが限界さ。……じゃあね。次はぼくの姿、見せられたらいいなぁ――」

 

 少年の言葉が遠ざかると同時に、今まで見えていた景色が掻き消えていく。

 

 そして、視界が再び真っ黒に染まった。そっと目を開く。

 

 

「今のが、私の精神世界……?」

 

 気づけば私は、元いた修行部屋の岩山に腰掛けていた。

 

 不思議な感覚だ。今の今まで違う場所にいたのに、私はこの場から一歩も動いていないだなんて。

 

 手元の斬魄刀を見下ろす。いつも通り、なんの変哲もない浅打だ。剥き出しの刃をそっと鞘に収める。

 

 ――きみにとって何が一番大切なのかちゃんと自覚して、上手く取捨選択するんだ。

 

 少年の言葉が、胸の奥でフラッシュバックした。

 

 ――厳しくないさ、人が死ぬんだから。

 

 

 覚悟をしよう。

 

 自らの決断に責任を持つ覚悟を。

 そして、その結末を最後まで背負い続ける覚悟を。

 

 

 

 

 数ヶ月後、私は中学校の廊下で井上織姫とすれ違った。

 

 彼女は、酷くやつれていた。

 



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二十、ぼっちが二人

 

 授業中の静まり返った教室に突然、けたたましい電子音が響き渡った。

 

 携帯電話のアラームのような甲高いその音は、隣の教室からでも聞こえる程の大音量だった。しかし、それに驚く生徒は一人もいない。

 それも当然だ。この電子音は、(ホロウ)の襲来を告げるものなんだから。

 

 関数の解法を黒板に書き連ねていく教師を見て、私はため息をついた。この教師、私のことを嫌っている節があるから、解説した直後に当てられるかもしれない。そして私なら簡単に解ける数学の問題が、私の改造魂魄に解けるとも限らない。というより、間違いなく解けない。

 

「何よりここで途中式は省かないこと! 慣れてきたからと言ってケアレスミスがなくなる訳じゃないからな」

 

 しかしこのやかましい電子音も虚自体も、都合がつかないからと放置していいものでは決してない。

 私はポケットから小さな巾着を取り出すと、その中に入れていた義魂丸を教師がこちらに背を向けた隙を突いて口に放り込んだ。

 

「あーもう、うるさいなぁこれ」

 

 義骸から抜け出した私は、無機質な音を立て続ける携帯電話を死覇装の懐にねじ込んで、開け放たれた窓から飛び出した。

 

 季節は秋も半ば頃。時には舞い落ちる黄色い葉の下をくぐり抜け、時には赤い葉をまとった木の枝を足場にして、私は駆ける。

 せっかくのきれいな景色なのに、懐で激しく自己主張する携帯電話のせいで台無しだ。音量をもう少し小さくしてもらえないか、後で喜助さんに掛け合ってみよう。

 

「……お、いたいた」

 

 学校から西に1キロの場所。ちょうど空座町と鳴木市との間に位置する公園に、原因の虚はいた。幸いにもこの近辺にはまだ、(プラス)の霊が襲われた痕跡は残っていない。

 

 私は音もなくソイツに近寄ると、背後から仮面ごとその身体を両断した。虚が断末魔を上げて消滅していく。

 

「よっと……」

 

 さて帰ろうかと、私は浅打を軽く振って収めた――その瞬間、携帯電話が再びやかましい音を立て始めた。

 

「次は……うわ、うちの学校だ」

 

 画面に虚を示す点が浮かび上がる。その点は紛れもなく、私の通う馬芝中学校の校庭を指し示していた。

 反応の大きさからして長い時を生きた虚か、巨大虚(ヒュージ・ホロウ)か。どちらにせよ、ただの虚でないことは確かだ。

 これは急がないと不味いかもしれない。私の中学校には霊力の高い一護がいるんだから。

 

 私は夜一さん直伝の瞬歩を発動して学校へと戻った。

 携帯電話を確認した数秒後には、私は校舎の屋上から静かに校庭を見下ろしていた。

 

「……来た」

 

 風が吹いた。空間が揺れて、ねじれて……そして、黒に裂けた。

 

 現れたのは、芋虫のような姿をした巨大虚だった。

 

「グオオオォォ!!!」

 

 鼓膜がビリビリと痺れるような大音響で、ソイツは吠えた。相当な手練なんだろう、咆哮と共に周囲に撒き散らされた霊圧はただの巨大虚とは思えないほど重い。これを抵抗のない者が浴びれば、命を落とすとまではいかなくとも気を失ってしまうに違いない。

 

「あー……これ面倒なやつだ」

 

 ここは霊力を持たない普通の人間がわんさかいる学校で、その周りにはたくさんの民家が並んでいる。つまり、霊障で気絶する人間がボロボロ出てくるということになる。

 

 とりあえず、抑えておくか。

 

 私は巨大虚が未だ私の存在に気づいていないことを確認して、それから屋上のコンクリートを蹴った。

 

「"縛道の五十三・魄閉(はくへい)"」

 

 頭から自由落下しながら、生徒達のいる校舎を向いて唱える。

 

 その途端、構えた手のひらを中心として私と巨大虚を閉じ込めるように、ゆるゆると薄水色の膜が伸び始める。

 そして私が体勢を立て直して着地する頃には、校庭にドーム型の結界が完成していた。

 

 これで、私と巨大虚の霊圧は一時的にこの膜の中だけに限定された。

 しかしこれは応急処置、それも詠唱破棄だ。これでは保って三分といったところか。

 

「私、虫ってあんまり好きじゃないんだよなぁ」

「オマエ、誰だ……? 殺す、殺してヤル……」

「お、やっと気づいたか」

 

 この巨大虚、一番近いのはアゲハ蝶の幼虫だ。それを長さ15メートルくらいまで巨大化させて、頭に虚の仮面をくっつけたらコイツになる。

 

 制限時間は三分……三分クッキング? 芋虫の?

 あ、駄目だ。気持ち悪くなってきた。さっさと退治してしまおう。

 

「殺す……殺す、殺ス、コロス、コロスコロスコロス――」

「っ!」

 

 唐突に飛んできた糸を浅打で叩き落とした。

 "魄閉"は霊圧は閉じ込めても攻撃は閉じ込めない。こんなものが人のいる方へ飛んでいっては大変なことになる。

 

 芋虫の姿をしている割に、この巨大虚は足が速いらしい。短い足を器用に動かして、凄まじいスピードで私を追いかけてくる。あの身体のどこから出しているのかわからないが……飛んでくる糸は数え切れないほどで、一々叩き落としていては反撃の隙もない。

 

 残り時間はあとわずか、それなのにこんな状況では、多少時間の掛かる"魄閉"を再度放つこともできない。厄介な相手だ。

 

 しかし、手がない訳ではない。

 

「"縛道の二十六・曲光"」

 

 "曲光"は、二十番台という手軽さに反して便利な縛道だ。どうして皆使わないのか。こんなに使いやすいのに。

 

「どこだ……どこにイル?!」

 

 想定していた通り、戸惑った巨大虚は一瞬だけ糸を飛ばすのを止めて静止した。

 私はその間を利用して巨大虚の背後に回る。そして小さく呟いた。

 

「――こっちだよ」

「なっ?!!」

 

 慌てて振り向いた瞬間の敵は、大きな隙と共に、弱点である顔をこちらに晒すことになる。

 

 私は、これを狙っていたんだ。

 

「じゃあね」

 

 迷わず一閃。巨大虚の悲鳴が上がる。

 

 今の私の斬術では、巨大虚を相手に全身を一刀両断なんてことはできない。けれど、虚の命でもある仮面は真っ二つに斬った。虚を退治するにはこれで十分足りる。

 

「"縛道の五十三・魄閉"」

 

 私は崩れるように消えていく巨大虚を横目に、消えかけていた"魄閉"を掛け直した。それから携帯電話を懐から取り出して通話回線を繋ぐ。

 

『ハイ、父さんっスよ! どうしまし――』

「…………」

 

 速攻で切ってやった。

 しかし、すぐに向こうから電話が掛かってきた。

 

「……もしもし」

『はははっ、すいませんってば』

 

 電話の向こうで喜助さんが明るく笑っている。

 ……楽しそうで何より。

 

『それより巨大虚、倒したみたいっスね』

「……あぁうん。そのことだけど、霊障で何人かやられてるだろうからフォローお願いして良い? 一応"魄閉"は張ったんだけど、出た瞬間にぶっ放してきた分は間に合わなくて」

『了解っス。じゃあ被害者の治療は任せますね』

「はーい」

 

 業務連絡を終えて、巨大虚がいた場所に残留している霊圧の濃度を確かめる。

 ――特に問題はなし。このまま放置しておけば、"魄閉"が消える頃には正常に戻っているだろう。

 

 さて、後始末だ。フォローと銘打って喜助さんにぶん投げた記憶置換の作業よりはマシだけれど、それでもこれから一つ一つ教室を回って治療していくと考えると気が滅入る。果たして私は数学の授業が終わるまでに教室に戻れるのか、と大きく息をついた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 全ての後始末が終わる頃には、授業の終わりを告げる鐘の音は鳴り終わってしまっていた。

 

 私が教室に戻ってくると、改造魂魄入りの私の義骸が机に突っ伏して凹んでいた。何だ、何があった。

 

「そんなに凹まなくたって大丈夫よ。ほら、チョコあげるから」

「うん……ありが――っ!」

「え? 何、どうしたの?」

 

 ガバッと顔を上げた義骸が、私を見て申し訳なさそうな表情をした。

 

「先生に怒られちゃったよぉ……」

「あー……事情は分かったけど、そうやってあからさまに反応するの止めなって。今の私は、他の人には見えてないんだから」

「あ、そっか」

「はぁ……反応するなってのに……」

「あ。そうだった」

「もう駄目だこの子」

「桜花? どうしたの、さっきから一人でブツブツ」

 

 さっきまで私を励ましてくれていた由衣が、怪訝そうに義骸の私を凝視している。駄目だ、由衣は鋭いから早いところ義骸に戻らなければ。

 椅子に座った義骸に近づくと、私は吸い込まれるようにその中に潜り込んだ。代わりに口から飛び出しそうになった義魂丸を冷静に舌で押さえて止める。

 

「いや、ちょっとした考え事をね……」

「ふーん。お悩みなら私が聞いてあげなくもないわよ」

「聞くって言うけどさぁ、由衣の場合はただゴシップ集めたいだけでしょ」

「失礼な。私のこれは、正当で健全な情報収集だってば」

「はいはい」

「いい? 何かあったら私に言いなさいよ。恋愛でも進路でも、サンプルは山ほどあるんだから」

「サンプルねぇ……」

「お、言う気になった?」

「例えば恋愛ならどんなサンプルがあるの?」

「そうね、それこそ純粋な片想いから赤ちゃんのつく――」

「はいストップ! それでも健全と言い張るかっ!」

 

 この子ホントに女子中学生か。この年齢で眉一つ動かさず、真顔でその手の話題を持ってくるなんて……

 

「具体的なワードを出さなければ何事も健全なのよ。桜花は子どもね」

「大人だよ! 少なくとも由衣よりはね!」

「具体的に、どこが?」

「うぐっ……」

 

 精神年齢なんて証明しようがないし、身長は私の方が15cmくらい低いし、顔は私より大人びているし。

 それに、何より……

 

「か、完敗だ……」

「ふふん」

 

 勝ち目なんてあるはずもない。何がとは言わないが、由衣が富士山なら私は高尾山だ。

 他に身近な女性で言うと、夜一さんのはK2だ。もっとすごい人がいたときのための保険である。

 

「――とにかく、あなたがわたしに何か隠し事してるのは分かってるのよ。いつか明かしてやるから覚悟しておくことね」

「おー、頑張れ頑張れ。……まぁ、無理だろうけど」

「言ってなさい」

 

 そう呟いたその時、始業ベルが鳴った。

 由衣はほんの一瞬だけ口元に不敵な笑みを浮かべると、何も言わず席に戻っていった。やる気満々な由衣には悪いが、霊感のない彼女が私の正体に気づく可能性はゼロに等しい。

 

 それに……できればこのまま気づかないでいてくれたら、それが一番だ。

 一護や井上織姫が争いに巻き込まれるのは既に決まっていることだ。それを妨ぐつもりはない。けれど、由衣は違う。彼女を守るには、何も知らせず何にも関わらせず、最後までただの一般人でいさせるしかないんだ。

 

 ごめんね。

 

 そう心の中で小さく呟いて、私はカバンから次の授業の教科書を引っ張り出した。

 

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 

 斎藤由衣は一人っ子で、そしていつも一人だった。

 

 同じ家に住む両親は、成長していく由衣に興味を示さなかった。暴力を振るうことはなかったことが、不幸中の幸いと言うべきか……しかし彼らはただ業務のように由衣に食事を与え、身の回りの世話をしていただけだった。

 そのくせ、両親は由衣の振る舞いにだけはやかましく口を出した。世間の白い目が自らに向けられることを極端に恐れた両親は、由衣に『普通の枠からはみ出ない』ことを強要したのだ。しかし由衣は『普通の枠』が何たるかを知らなかった。自分に対して冷たい両親は、ただ怒るだけで『普通』の説明をしてくれなかった。そして、由衣は両親以外の人間と関わったことがなかったからであった。

 

 そんな彼女の生活が一変したのは、幼稚園に入園した時だった。そこにはたくさんの人がいた。様々な性格の人がいた。由衣に関心を向けてくれる人だっていた。

 無色透明だった由衣の世界に、色が溢れたかのようだった。

 

 知りたいと思った。

 世の中にはいろんな人がいる。その人達が何を思っているのか、知りたくなった。由衣はこれまでの無機質だった生活を塗りつぶすように、足りていなかったコミュニケーションを補充し始めた。

 貪欲に他人の趣味嗜好や考え方、家族関係、友人関係……総括して、他人の()()を求めるようになったのだ。

 

 知れば、自分も皆と同じようになれると思っていた。

 

 しかしその行為は、両親の求める『普通』ではなかった。

 由衣が両親の前で情報を集める度、由衣が両親の情報を聞き出そうとする度、彼らは由衣を叱った。けれどやはり、幼い由衣にはその『普通』が何なのか分からなかった。だからこそ両親が何を考えているのかを知ろうと、彼らをさらに質問攻めにした。そのやり方が既に彼らの求めるものからも、世間一般のものからも、逸脱しているということに気づきもせず。

 

「さいとうさんって、ヘンだよね」

 

 それがおかしな行為であると気づいたのは、小学校に入ってすぐにクラスメイトにそう言われたからであった。

 

「どうして? わたしはヘンじゃないよ」

「ヘンだよ! だって、おしえてないのにしってるなんてきもちわるいじゃん!」

 

 なるほど、だから両親は自分を叱ったのか。知りすぎていて気持ち悪いから、それは『普通』じゃないと怒ったのか。

 

 そうやって妙に冷静に納得している自分と、だったら一体どうするのが正解なのかと途方に暮れる自分が、由衣の中で同時に存在していた。それ以外のやり方を知らなかった由衣には、これからどうやって人と関わっていけばいいのか、皆目見当がつかなかったのだ。

 

 だからクラスメイトに言い返すこともできず、黙ってうつむくしかなかった。

 

 そんな時だった。

 

「はいはい、喧嘩はそこまで。変だっていう奴が変だっていうの、聞いたことない?」

「ケンカじゃないよ! それにうらはらさんだってヘンじゃんか!」

「え、私って変なの?」

「ヘンだよっ! ときどきなにいってるのかわかんないし、まえがみもヘンだし!」

「……前髪、やっぱ変かなぁ? いっそのこと短くして横に流すか……?」

 

 本人には悪いけれど、確かに変な子だった。

 

 やけにはっきりと話すところもそうだが……何より気の弱い子なら泣き出してしまいかねない罵倒にもけろっとして、挙句目の前のクラスメイトの存在を忘れてしまったかのように自らの前髪をつまみ上げて考え込む始末だ。これにはクラスメイトもうんざりしてしまったようで、「つまんない」と吐き捨てて二人の前からさっさといなくなってしまった。

 

「ところで、何が変って言われたの?」

 

 少女がコテンと首を傾げた。その顔に悪意などは存在せず、ただ単に興味があっただけだということは由衣にもすぐに分かった。

 だから由衣は少しだけ逡巡した後に、その子に話してみようという気になったのだ。

 

「おしえてないこと、しってるからきもちわるいって……」

「教えてないこと?」

「そう。わたしが……みんなのヒミツとか、ぜんぶしってるから……おしえてないのに、なんでって……」

「あぁ……そういうこと……」

「ともだちになりたかったから……わたし、いろんなひとにきいて、いっしょうけんめいしらべたのに……それなのにっ……!」

 

 話しているうちにこらえきれなくなって、嗚咽が漏れる。

 

 何で……どうしていつも、こうなってしまうのか。

 さっきの子とだって、仲良くなりたかったからこそ知ろうとしたのに。それを気持ち悪いなんて言われて、嫌われてしまった。

 思えば幼稚園の時から友達という友達はいなかった。だからこそ、仲良くなるためにはもっとその子のことを知らなくてはと必死になって……それがまさか、逆効果だったなんて。

 

「なるほど、天性の()()()か……。ねぇ、私で良ければ友達にならない?」

「え……?」

 

 涙で濡れた瞳で、由衣はその少女を見つめた。

 

 ――この子は、何を言っているのだろうか。

 

「小学生の友達なんていてもいなくてもいいって思ってたけど、斎藤さんと一緒にいるのは楽しそうだなって」

「はあ……?」

「どう? 駄目かな?」

 

 そんな言葉と共に、手を差し出された。

 

 その手を取っても良いものかと由衣は迷う。

 

「……いいの? わたし、きもちわるいよ?」

「気持ち悪いっていうか、才能だと思うよ。それ」

「さいのう……?」

「だって私にはそんなことできないよ。きっと私のことだって知ってるんでしょ?」

「うん……おうちはだがしやさんで、ねこをかってて、おとうさんはいっつもみどりいろのふくをきてるってことなら……」

「ほらぁ、そんなの私誰にも言ってないもん。すごいことなんじゃない? それって」

 

 すごいねと興味津々な目を向けられるのは、これが初めてだった。そんなふうに言ってくれる人が、そんなふうに由衣に興味を持ってくれる人が、いるとは思っていなかった。

 

 今度は迷わなかった。

 

 差し出されたままだった、少女の手を取る。

 

「……ありがとう。これからよろしくね、おうかちゃん」

「呼び捨てで良いよ。よろしくね、由衣」

 

 そう言ってその少女、桜花はニッコリと笑った。

 

 

 

 あれから七年の歳月を経て、由衣と桜花は中学二年生になった。

 

「――とにかく、あなたがわたしに何か隠し事してるのは分かってるのよ。いつか明かしてやるから覚悟しておくことね」

「おー、頑張れ頑張れ。……まぁ、無理だろうけど」

「言ってなさい」

 

 桜花が隠し事をしているのは、前から知っていたことだった。そして桜花はそれを話さないつもりでいることも、そして話す気がないのを申し訳なく思っていることも、察しのいい由衣には手に取るように分かっていた。

 この友人は昔からそうだ。変に大人びている割に、そういうところに関しては鈍感というかむしろ繊細というか。

 

 その時、始業の鐘が鳴った。

 

 隠し事の一つや二つごときで自分が桜花の隣から離れる、もしくはその程度で自分が情報を諦めるとでも思っているのだろうか。

 

 だとすれば桜花もまだまだ甘いな、と由衣は珍しく少しだけ口角を上げた。

 




ほとんどオリキャラしか出ないという悲劇。ごめんなさい、必要な話なんです……


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二十一、崩壊の足音

 

 思うに学校の制服というものは、概して防寒機能の足りないものばかりだ。そしてそれは、我らが馬芝中学校の制服にも当てはまることでもあった。

 

「制服をミニスカートにした人って頭おかしくない? 絶対犯人は男だと思うんだよね、だって丈の長さに男の願望溢れてるし」

「え? 確かあれは、普通に女の子が可愛いからって言って短くしたんじゃなかった?」

「頭おかしいのは女もだった……」

 

 どちらにせよ、一月の寒空の下を歩くのに広範囲に渡る素肌を晒すようなミニスカートを強要するなんて、正気の沙汰じゃない。さらにうちの中学ではタイツの着用すら禁止されている辺り、何か執念のようなものを感じるレベルだ。

 

「桜花ってそういうところババ臭いわよね」

「ババ臭いって……」

 

 あながち間違いでもないのが悲しいところだ。私の精神年齢は現段階でどう見積もっても三十代……人間だと、人によっては喜助さんや夜一さんより歳上に見える年代だ。そりゃババ臭くもなる。

 

「分かったら、もう文句言わないの」

「えぇー……由衣は寒くないの?」

「寒いに決まってるじゃない。でもわたしは言ってもどうにもならない文句は言わない主義なの。あんまりグチグチ言うようなら、うちの担任と教頭の交際話聞かせるわよ。とんでもなく生々しいやつ」

「生々しいのはヤだなぁ……ていうか、あそこ付き合ってんの?」

「え? 知らなかったの? これけっこう有名なのに」

 

 終業後は由衣と二人で、下らない話をしながら帰る。八年前に知り合ってから、ほとんど変わらない習慣だ。

 学校では未だに由衣と一護と竜貴を含む数人しか友人のいない私はともかく……昔はぼっちだった由衣も、今では大量の知り合いや友人がいる怪物みたいなコミュニケーション能力の持ち主だ。それなのに何故私と行動を共にしてくれるのか……

 

 それが、一番仲の良い友達だから、なんていう理由であってほしいと思うのは欲張り過ぎだろうか?

 

「わたし、生徒会に入ればよかったって後悔してるのよね」

「生徒会? 何でまた」

「生徒会に入れば、もっと活きのいい情報が入ってたかなって。役職は……書記辺りが動きやすくて丁度良さそうね。高校でやろうかしら」

「結局はそれか」

「今の時代、情報を持ってる奴が勝つのよ」

「否定はできないけど――っと」

「どうしたの?」

 

 由衣が、どうしたのかと首を傾げる。

 

「あぁいや、ちょっと用事思い出して……悪いけど先に帰っててくれる?」

「良いけど……何の用事?」

「ただの忘れ物。……じゃあね、また明日」

「……うん。またね」

 

 そう言って見送ってくれた由衣の表情はいつもと変わらなかったが……怪しまれている。確実に。

 

「もうちょっとマシな言い訳があればいいんだけど……」

 

 何日の何時に来ると数日前から分かる訳もなし。急に現れる虚を狩りに行くのに、咄嗟に理由をでっち上げなければならないんだから大変だ。まさか、毎回毎回仮病を使う訳にもいかないし、だからと言って毎回忘れ物を取りに行っていては健忘症を疑われかねないし。

 

 私は走りながら、ポケットから義魂丸を取り出した。それを口に放り込む。

 ポン、と何かに弾かれるような感覚がして、私は死覇装姿になった。

 

「先に家に帰ってて」

「りょーかい!」

 

 直立して了解とポーズを決める改造魂魄を置き去りに、私は瞬歩でその場から離れた。

 

 

 虚は、先程由衣と歩いていた通りから1キロも離れていない住宅街の中に現れた。

 仮面がやけにのっぺりとしている以外に特徴はない、ごく普通の虚だ。ソイツはすぐに私の存在に気がついて、勢いよく突進してきた。刀を持った死神相手にがむしゃらに突っ込むのは下策でしかない。きっとまだ経験の浅い虚なんだろう。

 

 私はスラリと刀を引き抜くと、ソイツが間合いに入った瞬間を見定めて振り下ろした。

 

「ガアァアアァ!!」

 

 脳天から尻尾の先まできれいに裂けた虚が絶叫する。

 勢いは向こうがつけてくれた。だから私は刀を振るだけでよかった。ここまで簡単だと、もう作業でしかない。

 

「こんなの、こっちに駐在してる人が処理すればいいのに……」

 

 重霊地で手が足りないからって、物には限度ってものがある。いちいち私を駆り出さないでほしい。

 先月学校に現れた巨大虚クラスならともかく、この程度なら席官じゃなくたって勝てるはずだ。給料だって尸魂界(ソウル・ソサエティ)から出ているんだから、その分くらいはちゃんと働けという話だ。

 

 今度、空座町担当の死神が店にやってきたら蹴飛ばしてやろう。

 

 そう決意して、刀を収め――

 

「……なぁんちゃってぇ」

「――っ?!」

 

 後方から聴こえた、粘着質な声。

 ぞわっと鳥肌が立って、振り向きざまに飛び退る。

 

「ねぇ、僕の演技どうだったぁ? 僕が死んだと思ったよねぇ? そうだよねぇ、僕ってば真っ二つだったもんねぇ。酷いことするもんだよぉ。お前には心ってもんがないのかい?」

「お前……何で……」

 

 確かに斬った。手応えもあった。

 だから、この虚は崩れて霊子になるはずだったのに。それなのに。

 

 ――どうして、真っ二つになったまま言葉を話しているのか。

 

「仮面は割ったのにぃ……って顔してるねぇ」

 

 左右に割れた身体が震え、ユラリと形を崩した。粘り気のある液体のように不安定に揺れていたソレは、自慢げな言葉と共に二つに分かれたまま形を成し始める。

 

「いいよぉ、教えてあげる。僕はねぇ、斬れば斬るほど分裂してぇ、数が増えていく特別な虚なんだよぉ」

「…………」

 

 その説明が終わる頃には、二つの粘体は二匹の虚の形に変化していた。サイズは元の半分程度……どうやら分裂すればするほど小さくなっていくようだ。

 

「だからねぇ、刀を使うことにしか能がない死神に僕は倒せないんだぁ! それにぃ、僕には人げ――」

「ご丁寧にどうも。"縛道の九・撃"」

「うわぁっ!?」

 

 詠唱破棄でも威力は五年前の数倍だ。この程度の虚に使うには強力すぎるくらいだけれど、逃げられてしまっても困る。念には念を、だ。

 

「何だそれっ! 卑怯だよぉ!」

「鬼道を知らない、か……」

 

 達者なのは口だけのようだ。"撃"の赤い光で二体まとめて縛られた虚が叫ぶ。

 

 卑怯も何も、もともと私が得意なのはこっちだ。

 まだ始解もできない私は下手に刀を使うより鬼道の方が威力があるというのに、刀が通用しないだけで呑気なものだ。

 

「君臨者よ、血肉の仮面・万象・羽搏き・ヒトの名を冠す者よ、真理と節制、罪知らぬ夢の壁に僅かに爪を立てよ――"破道の三十三・蒼火墜"」

 

 構えた手のひらに集まる光を、虚は呆然と見つめていた。やがて集まった光は、拘束された虚に吸い込まれるかのように真っ直ぐ飛んでいった。

 

 断末魔。

 

「簡単な話だよ。斬っても倒せないなら、燃やし尽くして灰にしてしまえばいい」

 

 虚の身体が少しずつ崩れて消滅していくのに従って、悲鳴もだんだんと萎んでいく。詠唱ありの"蒼火墜"だ、この程度の虚ではひとたまりもないだろう。

 

 やがて、声は消えた。姿も、霊圧も、ソイツを形成していた霊子そのものも消え失せてしまった。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 翌朝。訳あって学校に到着するのが遅くなってしまった私は、珍しくチャイムと共に教室に滑り込む羽目になった。

 

 危なかった。あと十数秒遅れていたら遅刻だった。

 

「どうしたの浦原さん、あなたが遅刻ギリギリなんて珍しいわね」

「ちょっと寝坊しちゃいまして……すみません」

「まぁ……そんな日もあるわよね。気をつけなさいね」

「はい」

 

 これこそ、普段の生活態度の賜物だ。

 規則に厳しいうちの担任が、寝坊で遅刻しかけたのを見て『そんな日もある』だなんて、めったにあることじゃない。先生に好かれるような『いい子』振っといてよかった。

 

「何かあったの? 桜花ちゃんが寝坊なんて珍しいね」

「ちょっと遅くまで本を読んでて……」

 

 本を読むのが好きなのは事実だけれど、寝坊に関しては嘘だ。

 登校中にも関わらず出現する虚と、手が回らないからと私に出向かせるこの町駐在の死神と、先に学校へ行けと言いつけたのに寄り道をしていた改造魂魄と。悪いのはその全員だ。

 

「ほら、その話は後でね。先生に怒られちゃうから」

 

 そう言って、さっさと話を終わらせてしまう。

 

 なぜなら、隣の席から小声で話しかけてきたのがあの井上織姫だったからだ。

 

 

 井上織姫――そう、去年私が死なせた人の妹だ。

 

 

 もちろん井上織姫は、その事実を知らない。そして、そんなことを隠しながら表面上だけでも彼女と親しくできるほど、私の面の皮は厚くなかった。だから、せめて原作に入るまでは絶対に関わらないと決めていたのに。

 

 それなのに、この子は中学二年生になってクラスが同じになるや否や、何故か私に頻繁に話しかけてくるようになった。大した用がなくても、だ。

 

 それに彼女は、同じくうちのクラスである竜貴と行動を共にしている。そしてどうしようもないことに、その竜貴と私と由衣は仲が良い。結果的に、どう足掻いても井上織姫と関わらなければならない状況に追い込まれてしまうんだ。

 

 

 ――どう足掻いても逃げきれやしないって、分かってるでしょ?

 

 

 心の中で男の子の声がした。こいつは私の斬魄刀だ。まだ、名前は教えてもらっていないけれど。

 

 

 ――それ以上は逃げちゃダメだよ。それも引っくるめての、覚悟なんだから。

 

 

 分かってる。分かってるよ。だからほら、今もちゃんと対応したじゃないか。

 

 

 ――返事が固すぎなんだって。彼女、桜花に冷たくされて悲しんでるよ。

 

 

 そんなの分かんないでしょ。

 

 

 ――分かるに決まってるじゃないか。

 

 

 何が決まっているのか。そう訊ねたものの、それきり斬魄刀は沈黙してしまった。どうやら、これ以上の問答をするつもりはないらしい。

 

 

「――これでホームルームを終わります。一限は体育ね。皆、遅れないように!」

 

 担任のその言葉で、ホームルームは終わりを告げた。斬魄刀と対話していた私はほとんど担任の話を聞いていなかったけれど、多分大丈夫だ。中学校の朝のホームルームなんて、どうせ大したことは言っていないんだから。

 

 私はゾロゾロ歩くクラスメイトに混じって更衣室に向かい、服を着替えた。

 

「何よ、その顔」

「体育が……やだなぁって……」

「まーた言ってる。嫌だって言ってもどうにもならないのに」

「そうだけど……」

 

 人間基準の平均的な運動神経に合わせて微調整するのは面倒。さらには、その調整に失敗して全力を出してしまえば人外確定。だったらいっそのこと常にビリを狙った方が無駄な体力を使わずに済む上、入る気もない運動部の勧誘を受けずに済むのではないか。

 そもそも、そういう理由で作った『設定』だった。けれど――

 

「あれ? 桜花ちゃん、元気ないね」

 

 由衣と連れ立って体育館に入る。集合場所は体育館のステージの前だ。

 

「元気? ある訳ないじゃん」

「全くあんたは……」

 

 体育教師がまだ来ていないからと、のんびり歩く私達に後ろから声を掛けた人がいた。井上織姫と竜貴だった。

 

「本当は運動神経いいのに……もったいないよなぁ」

「えっ! そうなの?」

「織姫、気づかなかったの?」

 

 そう――この嘘、既に竜貴にはバレている。そして竜貴にバレているということは、由衣にもバレているということだ。ついでに言うと、今井上織姫にもバレた。

 一護に関しては、バレるバレない以前の問題だ。あいつは私が鬼道をバンバン撃って宙を走り回るのを見ているんだから。

 

「普通は気づかないもんなの。そんなの気づく竜貴がおかしいんだよ」

「身体の動かし方を見れば、運動神経なんてすぐ分かるって言ったろ?」

「だから普通はそれが分かんないんだって」

「たつきちゃん、流石にそれは普通の人には分かんないと思う」

「そうかなぁ?」

 

 小学四年生の時、竜貴に言われたんだ。「あんた、ホントは運動神経いいでしょ」と。

 上手に流せたらそれが一番だったけれど、身体の動かし方という視点から指摘されてしまってはもう否定のしようもなかった。

 

「他のことは真面目なのに、何で体育だけサボるかな」

「身体動かすの好きじゃないって前に言ったでしょ? そもそも全部に力入れてたら、あっという間にガス欠になるだろうしねぇ……」

 

 むしろ学校で力を抜かなければいつ抜くんだという話だ。私にとって今一番どうでもいいのが学校の授業なんだから。

 

「……あれ」

 

 ふと、そこで気がついた。

 さっきから由衣が一言も喋っていないことに。

 

「どうしたの由衣。さっきから黙っちゃって」

「…………」

「……調子でも悪いの?」

 

 うつむいたまま何も言わない友人の顔を、何気なくヒョイと覗き込もうとして――腕を掴まれた。

 

 

 

「――つぅかまぁえたっ」

 

 

「っ……?!」

 

 

 背筋に、何か冷たいものを押しつけられた――まさに、そんな感覚。

 

 

「ふふふ、僕に攻撃しちゃ駄目だよぉ? だってぇ……この身体はお前のオトモダチのものなんだからぁ」

 

 

 由衣の口が小さく動いて、由衣の声でささやくような言葉を紡ぎ出す。

 しかし、その言葉は彼女のものではない。彼女の意思に基づいて発せられた言葉ではない。

 

 

「本当はもうちょっと隠れておくつもりだったんだけどねぇ……我慢できなくなっちゃってねぇ……ふふ、ふふふっ」

 

 

 由衣は……いや、由衣の皮を被ったソイツは。

 

 ただ愉悦だけを含んで――嗤っていた。

 



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二十二、私のせいだ

 

 黙っている斎藤由衣を心配して顔を覗き込んだ桜花が、唐突に動きを止めた。

 そのまま十秒が経過した辺りで、不審に思った有沢竜貴は二人に声を掛けた。

 

「なぁ、どうしたん――」

「下がっててっ!!」

「はぁ?!」

 

 今まで聞いたことのないような大声。いつも落ち着いている桜花にしては、やけに切羽詰まっていて余裕のない声色だった。

 

「な、何だよ急に……」

 

 訳が分からなかった。強い口調でそう言い放った桜花は、どうしてか由衣を鋭く睨みつけている。由衣の表情は、竜貴のいる場所からは見えない。

 竜貴は困惑して桜花を見つめた。先程まで仲良く談笑していた由衣との間に、一体何があったというのだろうか。

 

「桜花ちゃん……?」

 

 井上織姫も、不穏な空気を感じ取って眉をひそめている。他のクラスメイト達も、何事かと桜花に視線を向けている。

 

「お前……この子に何をした?」

 

 絞り出すように、桜花が言った。

 由衣は何も言わない。

 

「黙ってないで何とか言え!」

 

 それが気に入らなかったのか、桜花の怒声が体育館の広い空間に反響する。

 

「ちょ、ちょっと落ち着けって桜花!」

 

 下がっていろとは言われたものの、友人としてこれ以上静観し続ける訳にはいかない。竜貴は二人の間に割って入ると、今にも相手に掴みかからんばかりに激高する桜花を、由衣から引き剥がした。

 

「ありがとう、竜貴……でも、わたしが悪いのよ。わたしが余計なこと言ったから……」

 

 由衣は相変わらずの真顔だったけれど、申し訳なく思っているのはその声色から感じ取ることができた。対して桜花は、まるで仇を目の前にしているかのような様子である。

 

「竜貴、駄目だよ! ソイツから離れてっ!」

 

 桜花が、竜貴の肩を引き寄せるように掴んだ。竜貴はその手から逃れようと身じろぎするも、抜け出すことは叶わなかった。一体、小柄な彼女のどこからそんな力が出ているのだろうか。

 

「あんたさぁ……何言われたか知らないけど、親友に対してそんな言い草はないだろ? 本当どうしたんだよ、こんなに強く掴んだりして」

 

 竜貴の言葉に、桜花の顔が歪んだ。

 これは、怒り? ……いや、そうじゃない。焦っているんだ。

 でも、何に対して?

 

「ごめんなさい、桜花……わたしが悪かったの……」

「ほらな。由衣だって謝ってるんだから、もうこれくらいで許して――」

「……いい加減にして」

「はぁ?」

「つまんない芝居は止めろって言ってんの」

 

 冷たい声だった。桜花の尖った視線は、未だ真っ直ぐ由衣に注がれたままだ。つまりあれは、竜貴ではなく由衣に言ったということだ。芝居とは一体、どういうことなのだろうか。

 

「何やってる! さっさと集合しろ!」

 

 その時だ。この妙な空気を壊す大声が響いたのは。

 体育教師だった。

 

「ねぇ桜花ちゃん、由衣ちゃん。授業始まっちゃうから……とりあえず、行こう?」

「ふふふっ……」

「え……?」

「分かったよぉ、止めればいいんだろぉ止めればぁ。そんなに怒るなよなぁ」

 

 織姫が恐る恐る二人に声を掛けた。

 しかし返ってきたのは妙に粘ついた笑い声、それから間延びした言葉のみであった。

 

「全く……ちょっとふざけただけなのに大袈裟だなぁ」

「何を、言って……」

「僕はただぁ、オトモダチの真似をしてただけなのにねぇ……」

 

 おかしい。

 

 由衣は自らのことを『僕』なんて呼ばない。こんな喋り方はしない。それに人間関係を何より大切にする由衣が、友人である織姫の言葉を無視するはずがない。

 

「――気づいた? 今話してるのが由衣じゃない、ってこと」

 

 由衣に視線を留めたまま、掠れた声で桜花が言った。

 

「竜貴、織姫ちゃん」

「な、何……?」

「逃げて」

「はぁ?」

 

 今話しているのは由衣じゃない?

 これはつまり、由衣から逃げろということなのか?

 

 一体、何が起きているのか。

 

「コイツは何を隠し持っているか計り知れない……だから目を離せない」

 

 早く整列しろと怒鳴る体育教師の声と、授業開始を知らせるチャイムと、何事かとざわめくクラスメイト達の声と。それら全てが遠くから聴こえる。竜貴にも織姫にも、そんなことに構っていられる余裕がなかったからだ。

 

 そうやって混乱してただ立ちすくむ二人とは対照的に、激高していた桜花はいつの間にか冷静になっていた。

 

「詳しいことは後で話す。だから、二人は今すぐ皆と一緒に体育館から逃げ――」

「そんなこと、させると思ったかぁい?」

 

 由衣が、ふと構えるように身体を沈めた。まるで、走り出す直前のように。

 

 

 嫌な、予感がした。

 

 

「――"縛道の一・塞"」

「うわっ!」

 

 

 桜花の言葉と共に、由衣がひっくり返った。二人の目の前で、唐突に。

 

 人が倒れる、鈍い音がした。

 

 あまりに理解の範疇を超える事態に、だだっ広い空間が水を打ったような静けさに包まれた。

 誰も何も喋らない。ただ皆が皆、食い入るように桜花と由衣を見つめるだけであった。そしてそれは、竜貴と織姫も同じだった。

 

 

 何が起きたんだ?

 

 

 ――今、桜花は何をした?

 

 

「はぁ……()()()()のが分かってたから、さっさと逃げてほしかったのに……」

 

 静まり返った体育館に、桜花のため息と独り言だけが木霊する。

 

「浦原!! 何をしたんだっ?!」

 

 そんな桜花の言葉を聞いて、最初に我に返ったのは体育教師だった。肩を怒らせながら、倒れた由衣の元へ駆け寄ってきて――

 

「"破道の四・白雷"」

「うおっ?! 何だこれ!?」

 

 しかし、すぐに足を止めることになった。

 

 桜花が手を差し伸べて呪文のようなものを唱えた途端、体育教師の目の前の床に穴が空いたからであった。穴の付近は焼け焦げ、細く煙まで立ち上っている。

 

 竜貴と織姫は、呆然とその穴を見つめる。

 由衣を倒れさせた時といいこの穴といい、これではまるで魔法のようではないか。

 

「逃げてください。……次は、当てますよ」

「ひぃっ……!!」

 

 桜花の顔を見た体育教師の顔が、みるみるうちに青褪めていく。しまいには情けない悲鳴を上げて、転がるように体育館の出口へと逃げ出してしまった。

 

「おい……何かヤバくねーか……?」

「逃げようよ、ねぇ……」

 

 そのただならぬ様子にクラスメイト達はざわめき、恐怖に駆られて一人また一人と出口に向かって走り始める。

 そんな中竜貴と織姫は、どうすればいいのか分からなくて……ただ桜花を見つめていた。

 

 彼女は横からでも分かるくらい真っ暗で重たくて、見たことのないほど怖い表情をしていた。

 

 

 その灰色がかった黒い瞳が、こちらを向いた。

 

 

「っ!?」

 

 

 殺される。

 

 ここにいては、殺される。死んでしまう。ここにいてはいけない。

 

 

 そんな危険信号じみた言葉が竜貴と織姫の頭の中をぐるぐると周り、警鐘を鳴らし続ける。恐怖に思考を支配されて、他のことは何も考えられない。

 

 早く。早く、逃げなくては。

 

「何度言わせるつもり? 早く、逃げなよ」

「……っ!!」

 

 その言葉が契機だった。

 

 竜貴は、隣で震える織姫の腕を掴むと踵を返した。ともすれば力の抜けてしまいそうな両足を必死に動かして、出口に向かって全力で走った。

 

「――ごめん、織姫……大丈夫?」

「はぁっ……はぁ……う、うん……」

 

 やっとの思いで体育館から飛び出した竜貴は、息を切らす織姫の腕をそっと離した。そして、今出てきたばかりの体育館の中を振り返った。

 

 遠くに見えた桜花の横顔には、先程のような恐ろしさはなかった。

 

 ただ、何かをこらえるような……苦しげな表情(かお)をしていた。

 

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 

 人間に対して――それも親しい人に殺気をぶつけたのは、初めてだった。

 

 思い浮かぶのは、心から私を恐れているあの表情。あれは、ただ私から逃げることだけを考えている者のする顔だった。

 

 記憶は消せる。それに、そもそもそうなるように仕向けたのは自分だ。それなのに、思ったよりも堪えるものだなぁ……と私は長く深く息を吐いた。

 

「ふふふっ、気分はどうだぁい?」

「……最高だよ」

 

 ソイツは、立ち上がっていた。

 "塞"は、いつの間にか破られていたらしい。身体が人間とはいえ中身は虚だ、何もおかしなことではない。

 ただ、その行為によって由衣の身体と魂魄が傷ついていないか、心配ではあるけれども。

 

「お前のそういうところぉ、嫌いじゃないよぉ」

「お気に召したようで」

 

 どうする? 由衣を救うにはどうすればいい? 頼んで了承してくれるような相手じゃないのは分かっている。だからと言って、由衣の身体ごと吹き飛ばす訳にもいかない。

 

 それに、もしかしたら……もう既に――

 

「もう一度だけ言うよ……由衣から、出ていけ」

「それは、できないねぇ」

「そっか……なら、強硬手段と――」

「しないんじゃない……()()()なんだよぉ」

「っ?! そんな、まさか……」

 

 さっき頭をよぎった最悪の事態が、今度は脳内を埋め尽くしていく。

 

 不可能?

 まさか、それって……

 

「あぁ、安心しなよぉ……食べちゃいないからぁ。僕ってぇ、魂魄を食べたいって欲求が少ないんだよねぇ」

 

 由衣の皮を被ったこの虚、相変わらず口は軽いままのようだった。これが事実なら、由衣を助ける手立てはまだ残っているということだ。

 よかった……後は勝手にベラベラ喋ってくれる、この虚の話を大人しく聞いて――

 

「僕はねぇ……人間の魂を身体から弾き出してぇ、その中に入れるんだぁ! それでねぇ、弾き出された魂魄の因果の鎖はぁ――」

 

 大人しく……聞い、て……

 

「例外なく千切れてしまうんだよねぇ」

 

 

 ――因果の鎖が千切れる。

 

「何……だって……?!」

 

 

 ――駄目だ、敵の言うことを鵜呑みにするな。

 

 頭を振って自らに言い聞かせる。

 

 そもそも因果の鎖が切れているのなら、既に由衣の胸から鎖が生えているはずなんだ。

 

 昨日、敵の言葉をちゃんと最後まで聞かなかったのは失策だったけれど、だからと言って逆に敵の言葉をすぐに信じるのも悪手でしかない。だから――

 

「ふふふっ……ほらぁ、見てよこれぇ」

 

 そんな言葉と共に、ソイツは不意に現れた()()()をジャラジャラと鳴らして笑った。

 

 そう、鎖。

 ……これは、間違いなく因果の鎖だ。

 

 今までどこに隠していたんだろうか。

 由衣の胸元から長く伸びた鎖を目で追う。その先は――

 

 

「……嘘、だ」

 

 

 その先は、まるで引き千切られたかのように寸断されていた。

 

 

 ――由衣の魂魄の姿は、どこにも見られなかった。

 

 

 それが意味するのは、肉体の。

 

 

「嘘だ……」

 

 

 肉体の。

 

 

「うそだ……」

 

 

 死。

 

 

「嘘じゃないよぉ。この子の脳から記憶を読み取ったんだけどねぇ、どうやらお前の秘密を調べようとして近くまで来てたみたいなんだよねぇ……」

 

 

 死んだ。

 

 

「お前のつまんない隠し事のせいでぇ、この子は近くまで来てしまった……そしてぇお前が僕を取り逃がしたせいでぇ、僕はこの身体を見つけた……これってさぁ――」

 

 

 死んだ。

 

 

「――お前のせいで死んだ……って、ことだよねぇ?」

 

 

 私のせいで、死んだ。

 

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 

 死神になってから、桜花は霊圧を隠すのが格段に上手くなった。

 

 才能なのか、何か他の要因があるのか……その技量は浦原商店に住む三人の元死神達ですら、油断すると見失ってしまうほどであった。

 当然、彼女に張られていた(ホロウ)避けの結界は浦原喜助の手によって解除済みである。彼女自身はその技能にも、結界を解除されていることも気づいてはいないのだが。

 

 その桜花の霊圧が、虚も出現していないのに上昇した。

 

 それは、中学校から少し離れている浦原商店からでも感じられるほどに急激な上昇だった。この様子では恐らく、霊圧を閉じ込める縛道である"魄閉"すら使っていないのだろう、と浦原は思った。

 人間だった時期が長かったこともあり、桜花が常人への配慮を忘れたことなど今まで一度たりともなかった。そんな桜花が何の対策もなしに周囲の人間を軒並み気絶させてしまうような霊圧を放出するなど、異常な事態であった。しかも、その力を振るう対象であるはずの虚の反応がないのだ。

 

 ――明らかに、何か良からぬことが起きている。

 

 そう直感して、浦原は握菱鉄裁と共に商店を飛び出した。

 

 

 二人が学校に着いた頃には、桜花の霊圧はさらに膨れ上がっていた。

 

「鉄裁サン、頼みます!」

「分かっておりますとも!」

 

 そのやり取りだけで全てを察した鉄裁は"魄閉"を二重に展開し、浦原はその横を走り抜けて体育館へと向かう。

 

「テメェ桜花じゃねーだろ! 離せよ!」

「ごめんね、それはできないの」

「できない、じゃねーよ!! 中に桜花と由衣がいんのは分かってん――」

「どーも、黒崎サン。体育館にはアタシが向かうんで、ご心配なく」

 

 体育館の入り口から数十メートルほど離れた場所で、桜花の義骸に取り押さえられて騒ぐ黒崎一護と、地面に倒れ込む二人の女子学生を見つけて浦原は足を止めた。

 

「あ、店長」

「浦原さんっ?! 何でここに?」

「詳しいことはまた後で。それより今は、そこの倒れてる子を運ぶのが先っス。この霊圧濃度だ、常人には刺激が強すぎる」

「あ? 何がどうなって――」

「了解!」

「頼みましたよ」

 

 改造魂魄の返事を聞くやいなや、浦原は再び走り出した。会話に置いていかれていた一護には、改造魂魄が上手く説明してくれるだろう。

 

 浦原は数十メートルの距離を一瞬で縮めると、閉ざされた体育館の鉄扉に手を掛けて一気に開いた。

 

「っ?!!」

 

 浦原はその光景に一瞬息を詰め、目を見開いた。

 

「これは、一体……」

 

 

 床に散らばる鮮やかな赤。

 

 側に転がる赤に濡れた浅打。

 

 死覇装姿の桜花は、その色の中心にいた。

 

 

 桜花は――光の消えた瞳で、腕の中の血塗れの少女を静かに見つめていた。

 



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二十三、諸悪の根源

 

 真っ暗な空間にポツンと浮かんだ巨大な天秤――その皿の上に、私はぼんやりと突っ立っていた。

 

 前回ここを訪れた時、この空間は真っ白だった。その時とはずいぶん様子が異なっているものの、ここが私の精神世界なのは間違いない。こんなに大きな天秤が、私の精神世界以外の場所にあるはずがないからだ。

 

「やあ」

 

 聞き慣れた声がして、振り返る。

 天秤のもう片方の皿の縁。そこに着流し姿の一人の少年が腰掛けて、宙に投げ出した足をぶらつかせていた。長い黒髪を後ろで結わえた、十にも満たない幼い少年だった。

 

「あなた……」

「そう、ぼくは मेघव्यक्त 。きみの斬魄刀さ」

 

 少年は、親しげな笑みを浮かべていた。

 

 名前はまだ聞こえない。日本語であるということは分かっているのに、その意味が全く理解できない……そういう不思議な感覚だった。

 

「……そっか」

 

 けれど、今はそんなことはどうでもよかった。今の私には斬魄刀の名前がどうとか、そんなことに構っていられる余裕がない。

 

 そんな思いを私の呟きから拾ったんだろう、少年が笑みを深めた。

 

「それどころじゃない……って感じだね」

「…………」

「ぼくはきみの一部だからね、きみが何を考えているかぐらいは分かるのさ」

 

 それどころじゃない――全くもってその通りだ。

 分かっているなら、どうして私を呼び出したんだろうか。今は一人にしてほしいのに、どうしてその通りにしてくれないんだろうか。

 

「ま、どちらにせよ……きみみたいな馬鹿で意志薄弱で腰抜けな奴に教える名前なんて、どこにも存在しないんだけどね」

「……え?」

 

 驚いた。一瞬だけ、今の状況を忘れかけるくらいには。

 

「自分自身のことを理解していないから馬鹿、自分の願望も何もはっきりしないから意志薄弱、自分で決断する勇気がないから腰抜け。――どう? 自覚症状ある?」

 

 どう? などと急に訊かれても分かる訳がない。

 何も言わずに静止する私をみて、少年は心底呆れた様子でため息をついた。

 

「ほら、何も分かってない。だからきみはいつまで経っても始解すらできないんだよ。……まぁ、こんな役立たずでもぼくの主だからね。一つ自己理解を深めさせてあげるよ」

「役立たずって……」

「はい、ここで質問」

 

 私の言葉をきれいにスルーした少年は、ともすればかわいらしくも見える無邪気な笑みを浮かべて首を傾げた。

 

「きみは親友を亡くした。それなのに、どうしてそんなに冷静なんだい?」

「…………」

 

 確かに、今の私は冷静だ。

 

 状況を鑑みれば、それが異常なことであるとすぐに分かる。あんなに仲の良かった親友を自らの手で殺しておいて、どうして私は取り乱さないのか。どうして、自らのせいで親友を死なせてしまったと泣きわめかないのか。

 

 少年は私の答えを待ってくれるつもりでいるようだ。静かに私を見つめている。

 

「…………」

 

 私は数分の間考え込んで――そして、一つの結論を出した。

 

「多分……私が、この世界の人達との間に一線を引いてるからだと思う」

 

 こちらの世界で目を覚まして以来、私は浦原商店の人達と家族のように接し、主人公達と関わろうとし、仮面の軍勢と親しくしようとしてきた。

 もし仮にこれらが、自らが違う世界の人であることを補うために、私が無意識下で行ったことだとしたら? 世界規模の仲間外れの寂しさを紛らわせるための行為だとしたら?

 

 もしそうなら、これほど滑稽な話はない。

 心のどこかでは私が彼らの輪の中に入るなんて不可能だと分かっていて、彼らと自分との間に明確な線を引いておきながら、そんな努力をしていたなんて。これでは、全くの無駄骨じゃないか。

 

「馬鹿だよ、私……違う世界の人だって分かってたのに『私もこの世界の一員だ』って信じたくて、無理矢理そう思い込もうとした。挙句、そのうちの一人――いや、二人を死なせてしまった」

 

 井上織姫の兄のことを、忘れてはならない。

 彼は由衣と違って、もともと死が決まっていた人間だった。けれど未来を知る私にとっては、助けようと思えば助けられる――つまり生きていられる人間だったんだ。

 でも、私は彼を見捨てた。

 

 だから、井上織姫の兄を殺したのは私だ。

 

「人殺しなんだよ、私は」

 

 どうして私は、記憶を持ったまま生まれてきてしまったんだろう? 記憶がなければ、こんなに迷うこともなかったのに。

 

 

 ――あぁ、そうか。

 

 

 私は、この世界にいてはいけない存在だったんだ。

 

 私がいなければ由衣は死ななかった。

 私の存在が消えてしまえば、もうこんなに迷う必要もなくなる。

 

「――それが、きみの結論か」

 

 少年が呟いた。

 

「きみは一つ、勘違いをしているよ」

「……勘違い?」

 

 私は、顔を上げた。

 いつの間にか、彼の余裕のある笑みは消え失せていた。代わりに浮かんでいたのは――『悲しみ』。

 

 どうして、この子がこんな顔を……?

 

「きみは未だに、この世界を物語だと思っている。きみの思考は矛盾しているんだよ、根本的にね」

「はぁ……?」

 

 いきなり、何を言い出すのか。物語に決まっている。

 主人公から始まりその他登場人物達が勢揃いしていて、彼らは当然のように元のストーリーに沿った行動を起こしていく。これを物語の中の世界と言わずして、何が物語だ。

 

 それに――

 

「矛盾って、一体何が――うわっ!?」

 

 その時、天秤が大きく揺れた。皿から振り落とされそうになって、慌てて縁にしがみつく。

 

「……今回はここまでかな」

 

 少年は天秤の揺れなんてものともせずに軽々と立ち上がると、反対側の皿の上でうずくまる私に言葉を投げかけた。

 

「絶望するにはまだ早い。きみの存在がどういうものなのか、じっくり考えてみるといいよ」

「え……? ちょっと、待ってよ……」

「じゃあね、暫しの別れだ――」

 

 みるみるうちに暗くなっていく視界の中で、悲しげな少年の瞳から何故か目が離せない。

 

 やがて眼前は真っ黒に染まった。まぶたの裏に少年の瞳の残像を残して、私の意識はだんだんと遠のいていった。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 目を開いてまず見えたのは、薄暗い自室の天井だった。私はベッドの上でゆっくりと身を起こした。外は既に日も暮れて、部屋の中には明かりがない。窓から流れ込む淡い月の光が、かろうじて私の視界を保っていた。

 

 ――いつの間に、ここに帰ってきていたんだろう?

 

「気がつきましたか」

「……喜助さん」

 

 開かれた扉のすぐ隣。その壁にもたれて立っていたのは、喜助さんだった。

 

「あのままではいけないと思い、アナタを気絶させて連れ帰りました。……気絶する前のこと、覚えてますか?」

「気絶する、前……」

 

 ……そうか。()()()の私は、放心状態だった。だから、喜助さんは私を気絶させてここまで連れて帰ってくれたんだ。精神世界で斬魄刀と話していたのは、この間のことだったのか。

 

「……覚えてるよ」

「そっスか」

 

 喜助さんは縞模様の帽子の陰から、気遣うように私の様子を伺っている。

 

「あの子は――」

「死んだんでしょ? 分かってる」

「……ずいぶんと、冷静なんスね」

「まあね……泣きわめくとでも思ってた?」

「…………」

 

 痛ましげな視線が刺さる。私が無理をしているように見えるんだろう。けれど、私は無理なんてしていない。我ながら薄情なものだ。

 

「……あぁ、そうだ。由衣を、魂葬してあげないと」

「それについて、なんですが……」

 

 喜助さんは少しだけ言葉を濁して、おずおずと口を開いた。彼にしては珍しい、遠慮がちな態度だった。

 

「理由ははっきりとしませんが……彼女の魂魄は、虚に堕ちる寸前でした。なので――」

「あぁ……魂葬済み、なんだね」

 

 由衣の魂魄は虚によって押し出された。その時に虚の力を浴びたと考えると、何もおかしなことじゃない。

 

 そっか。

 

 ――私は……あの子を見送ることさえ、できなかったんだね。

 

「喜助さんが、送ってくれたの?」

「……ハイ」

「そっか……そんな役目を負わせてしまって、ごめんなさい」

「……いいんスよ。それは」

 

 ――彼女と、最期にどんな話をしたの?

 

 そう訊こうとして、やめた。

 

「喜助さん。ちょっと、一人にしてくれないかな?」

 

 その代わり私は、静かにそう訊ねた。

 

 ――きみは未だに、この世界を()()だと思っている。きみの存在がどういうものなのか、じっくり考えてみるといいよ。

 

 斬魄刀は、そう言っていた。

 

 私の存在がどういうものか? そんなこと、分かりきっている。どんなに気をつけていても、私が存在しているだけで少しずつ物語は崩れていく。今回は、それが転じて由衣を殺すに至ってしまった。

 

 だから。

 

「まだ整理がついてなくて……その辺、散歩してきてもいい?」

 

 次は誰を殺すことになるのか、私には分からない。そしてそれは、目の前にいる喜助さんかもしれない。

 

 だから。

 

「えぇ。草履はそこに置いてあるんで」

「うん」

 

 だから。

 

「じゃあね、喜助さん。夜一さんと鉄裁さんによろしく」

「……はい。いってらっしゃい」

 

 

 ――だから私は、諸悪の根源を絶つ。

 

 

 窓枠に足を掛けて、一気に外に飛び出した。誰が着替えさせてくれたのか分からない、死覇装の裾が風ではためく。

 私の死覇装は返り血で汚れてしまっていたはずだった。でも今の着物は、未使用のものと見紛うほどに綺麗だ。喜助さんか夜一さんかが着替えせてくれたんだろう。

 

 ――あぁそうだ。私はあれだけ世話になった彼らに、恩返しどころかお礼すら言えなかった。夜一さんと鉄裁さんに至っては、別れの言葉を告げることさえできていないというのに。

 

 それに、尸魂界(ソウル・ソサエティ)にいるであろう両親のことも気掛かりだった。

 

「どうあれ……そんなこと、今更考えても意味はない、か……」

 

 私はそんな言葉と共に方向転換すると、霊圧を隠して瞬歩を発動した。

 喜助さん達が追ってくる気配や霊圧は感じられない。それに、虚避けの結界が必要なほどに霊圧操作が苦手な私がこんなことをしても意味はないかもしれないが……ともかく念には念を、だ。

 喜助さんに見つかるというリスクを考えると、対策はするに越したことはない。

 

「この辺でいいかな……?」

 

 人気のない雑木林の中に降り立った私は、腰に差した浅打(あさうち)を抜き放った。そしてそれを、月に向けてかざす。刀身が鈍く光った。

 

 ――こんなことに使ってごめんね。

 

 心の中で、着流し姿の少年に語りかける。

 彼の言葉は返ってこなかった。

 

 左の肋骨の隙間に刃をあてがった。浅打は私の右腕よりも長い。だから右斜め前からになるけれど、このまま刀を押し込めば上手く心臓に到達させられるはずだ。

 

「はぁ……」

 

 深呼吸を一つ。

 

 よし、覚悟は決まった。

 目を閉じる。

 

 

 そして、刃先を胸に沈めようとして――

 

 

「――何を……してるんスか?」

 

 

 腕が、動かない。

 

 どうして……と開いた私の両目が、私の右腕を掴んでいる人物の姿を捉えた。

 

 最悪だ。

 

「何で、来ちゃうかなぁ……」

 

 霊圧を遮断する真っ黒な外套を身にまとったその人物――浦原喜助が、私の言葉を聞いて少しだけ苦い顔をした。

 しかし、そんな表情は瞬く間に消え失せ、後に残ったのはいつもの緩い笑みだった。

 

「いやぁ……危うく見失うトコでしたよ、危ない危ない」

 

 ヘラリと気の抜けた笑顔を浮かべながらも、私の腕を掴む力は緩まない。

 

 どうしたら、この人は諦めてくれるだろうか。失望させれば、あるいは嫌われるようなことを言えば、この場から立ち去ってくれるだろうか。

 

「――放っておいてよ」

「ボクからすりゃあ娘みたいなもんっス……そんな子が死ぬのを、黙って見ていろと?」

「…………」

 

 駄目だ。どんな嘘を言おうともきっと喜助さんは見破ってしまう。何があっても、私を見捨てようとはしない。

 

 やっぱり、もっと早くにいなくなるべきだったんだ。浦原商店とも仮面の軍勢(ヴァイザード)とも主人公達とも……そして由衣とも、距離を縮めるべきじゃなかった。本当に彼らのためを思うのなら、私に対して情が湧く前に消えなければならなかったのに。

 

「難しいことなのは分かってる。でも……それでも私は、ここにいてはいけないんだ」

「……いてはいけない、ですか」

 

 どうしよう。喜助さんは絶対に引き下がらない。

 

「まぁ、とりあえず帰りましょ? 話はそれから――」

「駄目だよ、そんなことしたら……」

 

 ズルズルと先延ばしにしてしまう。それではいけないんだ。一刻も早く……

 

「お願い、喜助さん……お願いだから」

 

 目は見ることはできなかった。だから、俯いて懇願する。

 

「あれ……」

 

 その時、地面をぼんやりと見つめていた両目が、何か光るものを拾った。

 

 私の浅打だった。

 

 私は、無意識のうちに刀を取り落としてしまっていたようだった。

 

「どう、して……」

 

 どうして、いつの間に、私は刀を手放したんだろう? これ以上ないほどしっかりと握りしめていたのに。もしかしてこの期に及んで『死にたくない』なんて、甘えたことを考えているんだろうか?

 

 いや、そんなはずはない。私はちゃんと覚悟して、刀を握った。だって、それ以外にいいやり方が思いつかない。だから私は、私自身を――

 

「桜花」

 

 柔らかな声が聞こえて、思考の波から抜け出した。恐る恐る、顔を上げる。

 

 伸びてきた手のひらが、私の頭の上に乗った。

 

「……そんなに怯えなくて、いいんスよ」

「っ……!」

 

 いつもと何ら変わりない穏やかな表情に、目頭が熱くなった。

 

「私は、怯えてなんか……」

「いいえ、怯えてますよ」

「そんな……違う……」

 

 その声から、そして頭に乗せられた手のひらから逃れようと、その場にしゃがみ込んで顔を膝に埋める。

 

「…………」

「いいですか? 数百年の時を生きる死神にだって、万能な人はいないんです。ボクだって、万能には程遠い」

 

 ポン、と再び頭を撫でられた。

 

「独りでは自らの生さえ抱えきれない。だから、ボクらは群れて生きるんスよ」

「…………」

 

 両目を押しつけた膝が、じんわりと熱を帯びていく。

 

「そうやって独りで抱え込んでいたって、苦しいだけなんス。だから、全てとは言わない……ほんの少しでいい、ボクに分けてみちゃくれませんか」

「…………」

「ね?」

 

 柔らかな声が、頭に乗せられた温もりが、私の気を緩めていく。

 

 そのせいだろうか、ふと思ってしまった。

 

 私の全てをさらけ出したら、この胸の奥で凝り固まった()()を溶かせるだろうか。私の呼吸を阻害するような、心臓をキツく締め上げるような()()を解せるだろうか。

 

 その()()から開放されたら、一体どれだけ楽になれるだろうか。

 

 

「――もう、嫌なんだ」

 

 

 気づけば、弱音を吐いていた。

 

 言ってはならない。分かっているのに、止められない。堰を切ったように言葉が溢れ出す。

 

「私のせいで人が死ぬ。私の無意識の行動が、私の身勝手な選択が、人を殺す。もう、たくさんだっ……」

 

 死覇装の袴では受け止めきれなくなった涙が頬を伝う。私はそれを袖で乱暴に拭って、さらに縮こまった。

 

 私は……私だけは、物語の登場人物じゃない。だから彼らとは一線を引いていた。だから冷静だった。

 

 

 だから、()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 それなのに――

 

「由衣が死んだのは私のせいだ……あの子は、死ぬはずじゃなかったのに……!」

 

 哀しかった。

 自分の軽はずみな言動のせいで、大切な親友を失ってしまったことが。

 

「相談できる人なんていない……だって物語のイレギュラーは、私だけなんだからっ……」

 

 淋しかった。

 私と同じ境遇の人がいなかったことが。

 

 しゃくり上げながら、消え入りそうな言葉を絞り出す。

 

「こんなこと、言える訳ないよ……言ったらまた()()()()()()から……。死なせてっ、しまうからっ……」

 

 恐ろしかった。

 また誰かを失ってしまうかもしれないということが。

 

 次は浦原商店の誰かだろうか。

 友人のうちの誰かだろうか。

 黒崎家の誰かだろうか。

 仮面の軍勢(ヴァイザード)の誰かだろうか。

 

 彼らの、一人一人の顔が浮かんでは消える度に、涙が溢れて止まらない。身体中の水分が全部、両目から流れ落ちてしまいそうだった。

 

 もしそのうちの誰かの命が潰えてしまったら――なんて考えるだけでも恐ろしい。それなのに、それが100%私のせいだなんて……とても、耐えられそうになかった。

 

「でも私はっ、哀しんじゃいけないんだ……それを利用して一人、殺してるから……由衣の死だけを哀しむなんて身勝手、私が許さない……」

 

 だから、押さえ込んだ。「所詮は物語の中の出来事だから大したことはない」と思い込むことによって、無意識に感情に蓋をしたんだ。

 そうしないと、壊れてしまいそうだったから。

 

 その蓋が、喜助さんによって引き剥がされてしまったんだ。

 

 

「――ただの自意識過剰……では片づけられない問題のようっスね」

 

 

 いつの間にか、頭の上の手のひらは去ってしまっていた。少しだけ顔を上げて喜助さんの様子を伺う。

 喜助さんは、私の目の前に胡座をかいて座っていた。顎に手を当てて、何やら考え込んでいる。

 

「死ぬはずではなかった……物語のイレギュラー……言ったら()()()()()()……」

「っ……!!」

 

 あぁ、駄目だ。

 

 先程までの激情が嘘だったかのように、突然感情の波が静まり返った。それはまるで、頭から冷水でも浴びせられたかのようでもあった。

 

「物語……それを利用して、一人殺している。……あぁ、なるほど」

 

 どうして私は、そんな手掛かりになるようなことを打ち明けてしまったんだろう。

 

 喜助さんは鋭い。そして、賢い。天才と言っても全く差し支えないほどに。

 

 それを分かっていながら、何故。

 

 

「――未来、知ってるんスね」

「…………」

 

 

 喜助さんが、静かにそう告げた。

 

 私は育ての親からそっと目を逸らして……そして、何も返さなかった。いや、何も返せなかった。ただ、否定の言葉が思いつかなかったんだ。

 

「沈黙は、肯定と見なしますよ」

「……言い訳が、思い浮かばなかっただけだよ。それに――」

 

 私は大きくため息をついて、意図的に外していた目線を喜助さんに合わせた。

 

 何故、打ち明けてしまったのか。多分それは、さほど難しい話ではない。

 誰かに頼りたくて仕方なくて、でもそうする訳にもいかなかった。そうやって張りつめていた糸を切られてしまったんだ。分かりやすい、何とも単純な理由だ。

 もしかしたらあの優しげな態度そのものも、私から話を聞き出すための作戦だったのかもしれない。喜助さんならそのくらいやりかねない。

 

「もう……今更何を言ったって、誤魔化されてはくれないだろうから」

 

 季節は夏の一歩手前。とはいえ、宵の闇には未だひんやりとした風が残っている。

 温度の低い風が、濡れた頬をサラリと撫でた。その冷たさが、私の気を引き締めてくれた。

 

 

「――『BLEACH』っていう、漫画があるんだ」

 



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二十四、手遅れ

 

 とりあえず、浦原商店の地下に場所を移した。

 長くなるからとストーリーを大幅に端折りつつ、私の知っている限り全ての出来事の始終を話した。喜助さんは、私の夢物語のような話全てを信じた。信じてくれるだろうと、分かっていた。その上で、私を受け入れてくれるだろうということも。

 だから言わなかったのに。信じてもらっては困るから、告げないようにしていたのに。

 

「これで、物語の歯車は完全に狂ってしまった。もう取り返しはつかない。……だから私は、できるだけこのズレが小さい間に姿を消しておきたかったんだ」

 

 とは言いつつ、これもただの建前だったのかもしれないけど……と私は内心で自嘲した。

 きっと最もらしい理由を見つけて、それをもってこの厳しい状況から逃げる口実にしていたんだ、私は。

 

「いっそのこと『物語の中の話なんだから』って、死も犠牲も割り切られたら楽だったんだろうけど――」

「あの、ちょっと良いスか?」

 

 私の呟きを聞いている間中、ずっと何か言いたげな表情で黙っていた喜助さんが、やっと口を開いた。

 

「さっきから物語の中とか言ってますけど……違いますよ、それ」

「ん……?」

「ここは物語の中なんかじゃないっスよ」

「同じこと、斬魄刀にも言われたけど……」

 

 きみはこの世界を物語だと勘違いしている――そんな感じのことを言われたのを覚えている。

 何故あの少年はあんなことを言ったのか……その理由は、未だに分からないままだ。

 

「そりゃ、喜助さんから見たらそうかもしれないけど……私から見ればここは『BLEACH』の中でしかないんだよ」

「いや、そういうことではなく。桜花の言ってる漫画の中に、桜花自身の存在はなかったんでしょう?」

「うん、まぁ……」

 

 喜助さんは私の返答に満足げに頷いて、人差し指を立てた。

 

「ということはつまり――桜花の命が母親の胎内に宿ったその瞬間から、今のこの世界は『BLEACH』とやらの世界線から分岐したってことなんスよ」

「平行世界ってこと……?」

「似たようなもんっス。誰かに作られた漫画の中とは言え、桜花がいない世界というものが存在したのは事実――ということは、です。桜花が産まれたことによって、この世界は漫画の中の流れの定められた物語から外れた……こちらの方がしっくりくるとは思いませんか?」

「確かに……」

「つまり()()()()()()()()()()既に、歯車は壊れてしまってるんスよ。だから、今更桜花が命を絶とうが絶たまいが、もう手遅れでしかない」

「あ……そっ、か」

「自殺なんて、アナタにしちゃ珍しい軽挙でしたね。どっちみち手遅れなら、その記憶を元に対策を立てる方が余程建設的でしょうに」

 

 考えてみると、確かに軽挙。

 しかし、手遅れだからと言って一体何になるんだろうか。私が自殺に逃げた一番の理由は、自らのせいで人が死ぬ辛さから逃げたかったからだ。これじゃ、逃げられない根拠はできても、どうやってその辛さと向き合えばいいのかが分からないじゃないか。

 

「でも、さ……仮に世界が物語じゃなかったとしても、何の解決にもならないんじゃない?」

 

 私がとある人を見捨てた事実はなくならないし、親友を死なせてしまった原因になってしまった現実は消去できないし。

 

「これから私は、どうやって生――」

 

 言葉にしかけて、はたと気づいた。

 

「――あー……ごめん、今のナシ」

 

 私の抱えているもの全てを分けてくれ……なんて、誰も言っていない。誰にも頼らないやり方はあまり褒められたものではないが……だからといって、何もかも誰かに投げるのは違うんじゃないか?

 少なくとも今のは、私が自分で考えなければならないことだった。決して、人に訊くようなことじゃない。

 

「危なかった……今のセーフだよね」

「セーフってことにしておいてあげます」

「ありがとう。……情に流されたくらいで、喜助さんが見境なく人に優しくする訳がないもんね」

「もちろん。極めて重大な情報を握っているアナタが『とりあえず生きてみよう』って気にさえなってくれれば、もう後は知ったこっちゃないんスから」

「うわ……私から言っといて何だけど、そういう所は流石だと思うよ」

「惚れてもいいんスよ」

「遠慮しとく。でも……とりあえずは、私の気を紛らわせてくれてありがとう、って言っておく」

「いずれは撤回するんスね」

「そりゃ、喜助さんが私の知ってることを使って何を企んでいるのかによるから」

 

 身内の生き死にを、将来のための備えの一部として、手のひらの上で転がすような人だ。きっと、この人も覚悟をして生きているんだ。

 

 ――覚悟? 

 

「あっ……覚悟だ……」

「へ?」

 

 そうだ。そうだった。

 

 去年、斬魄刀に言われたじゃないか。人を死なせるなら、それ相応の覚悟を決めなければならない……って。

 

「――そうだ……多分、モヤモヤを取っ払おうとするから、行き詰まるんだ」

 

 正直、今の私はまだ現実を受け入れられていない。由衣のことも井上織姫の兄のことも、考えるだけで苦しくなる。そしてそれは何年、何十年経とうと変わらないだろうと思う。

 

「だから、『受け入れられないこと』を受け入れろってことか……キッツいなぁ……」

 

 自分のせいで人が死ぬ。それを永遠に忘れず背負い続けることが、覚悟だ。

 

 井上織姫の兄を見殺しにした時、人を死なせる覚悟とはどういうものか、ちゃんと認識したはずだった。認識して、受け入れていたつもりだった。

 

「覚悟したつもりが、できてなかったんだろうね」

 

 故意だろうが事故だろうが、私のせいで死ぬという括りの中に身近な人が入るかもしれない、ということ。斬魄刀はそこまでひっくるめて助言してくれていたのに、私は気づけなかった。

 でも、今は分かる。

 

「全部が全部、救える訳じゃないからなぁ……」

「漫画の中で死んだ人全てを覚えてるハズもないでしょうし。全く、えげつないもん抱えてますねぇ」

「ホント、勘弁してほしいよ……」

 

 私が何をしたんだ、ってんだ。

 人生最初からやり直したいとか、物語の中に入りたいとか言う人はたくさんいるけれど、実際はそんな良いものじゃないってのに。

 

「それでも……死ぬはずだった人を護れる可能性があるんだから、それだけはありがたいんだけどね……」

「黒崎真咲サン……ですか?」

「えっ、そんなすぐに具体例がでてくるとは……そんなに違和感あった?」

「違和感しかないっスよ。あれで隠してるつもりなら笑える話だ」

「ちょっと言い過ぎじゃない?」

「夜一サンも違和感は抱いていたみたいですし、鉄裁サンも桜花が何か隠していることには気づいてます。演技は上手くとも、詰めが甘いんじゃあバレるのも時間の問題っス」

 

 そんなに分かりやすかったか。

 しかしそこまでバレかけているなら、夜一さんと鉄裁さんにも知らせておくか……? いや、やっぱりそれは止めておいた方が良さそうだ。

 

「――喜助さん。このことは、二人には隠し通すつもりだから」

「それは、二人のために? それとも――」

「両方だよ」

 

 知らないなら、知らないままでいた方が楽に違いない。彼らにとっても、そして私にとっても。

 

「なるほど、じゃあ共犯者はボクだけっスか」

「いいじゃん。好きでしょ、そういうの」

「……否定はしませんが」

 

 喜助さんにも私と同じ選択を強いてしまうことになるのが申し訳ないが、そこはもう弱っている所を突いてまで私から聞き出した喜助さんの自己責任。本人も理解した上で私を死から引き戻してくれたんだろうから、しっかり協力してもらうつもりだ。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 大人二人は私に何かあったのは把握しているみたいだったけれど、子ども達は何も知らないようだった。よかった。この子たちには変な心配は掛けたくない。

 

 腫れてしまった目を回道で治して、それから上で休息と食事を済ませ、私と喜助さんは再び地下へ降りてきた。

 二人で両手いっぱいに抱えた尸魂界(ソウル・ソサエティ)の資料を喜助さんの研究室の隠し部屋に運び込む。どうやらここを臨時の作戦室とするつもりらしい。

 

「この部屋の存在は夜一さんと鉄裁さんしか知りません。まぁ、入り口を知ってるのはボクだけなんスけどね」

 

 私だって、こんな廊下のど真ん中の壁に隠し扉があったなんて知らなかった。間取りから考えても、こんなところに部屋一つ入るような隙間はないはずなんだけど……相変わらずよく分からない技術力だ。

 

「で、崩玉はこの部屋のどこにあるの?」

「やはり、この部屋にあると思います?」

「……ないの?」

「さぁ、どうでしょう? あると言えばありますし、ないと言えばないっスねぇ」

「…………」

 

 言う気はない、か。煙に巻かれた感じがしてちょっと腹が立つけれど、喜助さんが言わないと判断したならそれに従うのが吉だ。

 そんな私を見て笑いながら、喜助さんは資料の山に手を突っ込んで一冊の本を引っ張り出した。

 

「これが現在の護廷十三隊席官名簿っス。聞く限り桜花の話と違う名前がいくつかあったと思うんで、一通り確認してもらってもいいスか?」

「え? うん、いいけど……」

 

 渡された名簿のページをパラパラとめくる。まずは隊長副隊長からだ。やはり隊長の名前は私が知っているものと全て一致するが、副隊長の名前は二人ほど知らない名前が――あれ? ちょっと待った。

 

「私……この人知ってる」

「どれです?」

「ほら、この隊の副隊長」

 

 ひょいと覗き込んできた喜助さんに、一人の名前を指差して示した。

 

「知らない名前っスねぇ。これがどうしたんスか?」

「おかしいんだよ。この人、ストーリーには一度だって出てきてないのに何で……」

「出てきていないのに知っているんスか? ――まさか、昔の記憶が?」

「それはまぁ、何年も前から思い出してたから。三歳までの、それも断片的な場面だけなんだけどね」

「…………」

「だから私の本名は朽木桜花……それで間違いないと思うよ」

「……言ってくださいよ、そういう大事なことは」

「それに関しては悪かったと思ってる。でも今はそれどころじゃ……」

 

 『副隊長』のという文字の隣にはっきりと印字された名前を凝視する。この人が副隊長なのはまだいいとして、じゃあ物語開始時に副隊長を務めていた人は一体どこの隊に――

 

「六番隊四席って……何で……?」

「何をそんなに驚いてるんスか」

「おかしいって……この人が六番隊所属だったはずがないんだよ」

 

 これ、もしかして他にも大前提だと思っていたことが変わってたりするのか……?

 

「まさか……」

 

 この人と関連して一つ思い当たることがあって、ある隊長のページを開く。

 

「……やっぱり同じだ」

「本来は違うんスか?」

「違うよ……違うはずなんだよ……」

 

 頭を抱えつつ、再びページをめくっていく。

 

 その時だった。()()()()()が目に飛び込んできて、私は勢いよく名簿を閉じた。何事かと言いたげな喜助さんの視線を感じる。

 

「……生きてた」

「はぁ?」

 

 喜ぶべきなのか、驚くべきなのか。一体どう反応すればいいのか。

 もう訳が分からなくて、私は名簿を閉じたままポツリと呟いた。

 

「あの、さ……」

 

 本来のストーリーとこの世界の違いは、私が存在するか否か――それだけだ。

 

 だったら。

 

「こういう違いって、私のせい……?」

「え? まぁ常識的に考えて、そうでしょうね」

「何やってんだ私……」

 

 これだけ前提条件が変わっていたんじゃ、どうしたって違う流れになるのは必定だ。手遅れも手遅れ、まさかこんなことになっているとは……

 

「こんな重大なことに気づけないって……ホント馬鹿だ……」

 

 下手したら、もっと大きな所が変わっているかもしれない。例えば誰かの性格とか判断基準とか。しかしその辺りは変わっていたとしても、現世にいる私達ではそれを知る術がない。そんなものの対策を立てるとは、なかなか骨が折れる作業に違いない。

 

「となると、本格的に対策を練っていかないとマズいな……」

「可能性を一つずつ潰していくしかないでしょう……ですが、やることはこれでハッキリした」

「うん」

 

 私は苦笑いと共に立ち上がると、積み上げられた資料に向き合った。

 

「朽木家についての資料って、この中にある?」

「あぁ、四大貴族についてはこの山の……あったあった、これっス」

「ありがとう」

 

 とにかく、まずはこの資料全てを頭に入れることからだ。

 

 私は喜助さんから受け取った冊子を読んだ。

 

 それが終わってから次の資料を読んで、それからまた違う冊子を――

 

 

 

「――どうやら、頭の整理はついたみたいだね」

 

 そんな言葉で、不意に我に返った。

 視界いっぱいに広がるのは真っ青な空。下方には柔らかそうな白い雲海。

 

 ……ここ、空の上?

 

「うわっ! えっ、何これっ?!」

「あのさぁ、足場はいつも通りあるでしょ? 見苦しいから落ち着きなよ」

「――あ、私の斬魄刀……」

 

 金色の天秤は相変わらず宙にぽっかりと浮かんでいるし、私は天秤の皿の上に座り込んでいるし、反対側の皿の上には桜模様の着流しを着た少年が腰掛けているし……つまりここは私の精神世界か。

 多分、私は資料を読みながら転寝でもしているんだろう。だから、隠し部屋の中で読書をしている所で記憶が途切れているんだ。

 

 ……それにしても、来る度に景色が変わっているのはどうしてなんだろう?

 

「初めて来た時はきみが力不足だったから真っ白、つまり空ですらなかった。前回は力は足りていたものの、きみの心を反映して新月の夜になっていた……って具合かな」

「あぁ、そういう」

 

 私の心次第で空が変わるなんて、一護の精神世界みたいだ。案外どの精神世界も、感情と空模様は関連しているのかもしれないが。

 

「そんなことも言われなきゃ分かんない辺り、相変わらず自分のこととなると途端に雑になるよね。きみは」

「雑、かぁ……どっちかって言うと繊細な方だと思ってたんだけど」

「分かってないなぁ。繊細なのに鈍いから、きみは誰にも頼れないんでしょ?」

 

 そういえば前も『自分のことを理解していない馬鹿』って言われたような。

 

「繊細なのに、鈍い……」

 

 繊細ってのは、分かる。一人でウジウジ悩んで、最終的に自殺を選ぶような私だ。元来、何事も気にしすぎる質なんだろう。

 

 しかし、鈍いってのが分からない。何をもってして『鈍い』なのか……

 

「今はまだ、分からないだろうね――でも、今はそれでいいんだ」

「はぁ? いいの?」

「いいに決まってるよ。大切なのは、自分で考えて自分で答えを出すことさ。時間が掛かるかどうかは問題じゃないんだから」

「あー……うん、そうだね」

「本っ当に、手の掛かる主だよ。ぼくがせっかくあんなに分かりやすいヒントをあげたのに、あっさり諦めてあっさり逃げ出そうとした。他人に励まされなきゃ、立ち直ることもできなかった。挙句の果てには、自分で気づかなきゃならないことを人に訊ねようとした」

「…………」

 

 耳の痛い話だ。

 今更死んでも手遅れなことにも、覚悟ができていなかったことにも、自分一人では気づけず逃げ出そうとした。前者はともかく、後者に気づけないのはマズいだろうに。

 

「でも……これで始解の条件は満たしたから、とりあえずぼくの名前は教えてあげる」

「えっ……教えてくれるの……?」

「ただし。今度同じことしたら、始解だろうが卍解だろうが何もかもまとめて封印するからね」

「……き、気をつけます」

「本当、頼んだよ?」

 

 目が本気(マジ)だ。これは本当に封印しかねないな……気をつけよう、本当に。

 

 

「よし」

 

 少年は私が頷いたのを確認すると、流れるように立ち上がった。その左手には、いつの間にか一本の刀が握られていた。金属が擦れる澄んだ音を立てて、それが引き抜かれる。

 

「――始解の条件は『未来を知っているということを受け入れて、人の生死を握る覚悟を決める』ことだった」

 

 刀の切っ先が、私の方を向いた。

 不思議だ。数メートルは離れているはずなのに、刃が眼前に突きつけられているように思える。それくらい近くに刀の気配を感じる。

 

「過程はどうあれ、きみはそれを達成した。とりあえず、おめでとう」

「……うん」

「情けない主だけど、それでもぼくはきみに生きていてほしい。だから、教えるね」

 

 風もないのに、少年の一つに結わえた髪がふわりと揺れた。

 

 刀の形が、色が、緩やかに変わっていく。

 

 

「いいかい? ぼくの名前は――」

 

 

 少年は――斬魄刀は、いつになく真剣な眼差しで口を開いた。

 




とりあえず、これで原作開始前のお話は終了です。次回からはやっと原作がスタートします。長かった……

活動報告にこれからの更新について上げてますので、よければ見ていってください。


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第二章 死神代行篇 二十五、そういうのは刺さるから

やっと原作開始!
プロットはあるものの、忙しくて全く書き溜めていないので、のんびり投稿していくことになると思います。


 

 場所は空座町。ある金曜日の午後八時頃。

 

 立ち並ぶ民家の屋根の一つに降り立って、少女は小さく息をついた。不可解だ。確かに近くで(ホロウ)の気配を感じるのだけれど、肝心の発生場所が判然としない。まるで、何か分厚い壁のようなものに阻害されているような、そんな感覚だ。

 

 この少女――朽木ルキアは現世駐在任務により、担当地区である空座町に滞在することとなった死神だ。こちらに着いたのはつい先日のことで、ルキアにとってこの任務は初めての現世駐在であった。

 

 つまり……言うなれば初心者である。死神としては数十年の時を生きてきたルキアだが、現世での経験はまだまだ浅いのだ。

 

 それならば、このような不可思議なことがあったとて、別段気にせずとも良いのかもしれぬ。

 ルキアは一人でそう納得すると、霊圧の源を探して屋根を蹴った。

 

 そして、次に降り立ったのはとある民家の一室だった。その部屋には一人だけ住人がいたが、ルキアはその存在を当然のように無視した。人間の存在など、一々気にしていては死神の仕事は務まらないのだ。

 

「近い……!」

 

 もしかしたら、この家には(プラス)が住み着いているのかもしれない。それを目当てに虚が現れる、そういう具合なのだろう。

 ルキアは、隣の部屋の様子も見ようと部屋を横切って――

 

「近い……! じゃあるかボケェ!!」

「……? ……?」

「不法侵入って言葉知ってっかコラ。説明してやろうか?」

 

 後ろから蹴飛ばされて床にひっくり返ったルキアは、何が何だか分からなくて目を白黒させた。慌てて振り返る。

 そこにいたのは、人間の少年だった。オレンジという変わった髪色のその少年は仁王立ちして、呆れたような表情でルキアを見下ろしている。

 

「ったく……何でわざわざ壁から出て来んだよ、ビックリすんだろうが。来るなら普通に玄関から来いよ」

「き……貴様……私の姿が見えるのか……? ていうか今、蹴り……」

 

 まさか、この少年はどこからどう見てもただの人間だ。ならば何故、死神であるルキアの存在を視認し、あまつさえ蹴飛ばすことができたのだろうか?

 

「あ? 何ワケ分かんねぇこと言ってやがんだ? つーか喋り方ヘンだし何か雰囲気違うし……桜花お前、アタマでも打ったか?」

「――っ!」

 

 一瞬、息が止まるかと思った。

 懐かしい名前だ。屋敷でさえ耳にしなくなって、何年経つだろうか。

 

 しかし、こんな所で同じ名を聞くことになるとは思わなかった。偶然とは恐ろしいものだ。ルキアは昔の記憶に思いを馳せて――そしてふと、気がついた。

 

 この少年は先程、私の顔を見てその名を呼ばなかったか?

 

「き……貴様っ、もしや……!!」

「お前なぁ、さっきから貴様貴様って――ん?」

 

 オレンジ色の少年が、疑いの目でもってルキアを見つめる。出会って初めて、真正面から視線が交わった。

 

 正面からルキア見たことで何かに気づいたらしい。その表情がだんだんと驚愕のものへと変わり――そして彼は大声で叫んだ。

 

「ちょっと待て!! お前、桜花じゃねぇな!? 誰だテメェ?!」

「貴様こそ何者だ!! 私の顔を見て『桜花』と呼ぶなど……もしや桜花を連れ去ったのは貴様かっ?!」

「はぁ?! 何意味分かんねぇこと言ってん――」

「うるせぇぞ一護! 二階でバタバタすんなァ!!」

 

 唐突に部屋に飛び込んで少年を蹴飛ばした、中年男性……年齢層的にこの少年の父親といったところかと、その乱入により少し頭の冷えたルキアは当たりをつけた。

 

「やかましい! これがバタバタせずにいられるか!! 見ろよコイツ――あ、そうか。親父には見えねぇんだったな」

 

 やはり父親だったか。

 しかし、瞬時に実の父親を蹴り返すとは……なかなかに愛情表現の激しい親子だ。

 

「また幽霊かっ! 自慢か?! 自慢なのかっ?! 自慢なんだなっ!?」

「あぁもうハイハイ、自慢で良いからさっさと

部屋から出ていけよ」

「何だとぅ息子よ! 親に対して何てことを――って痛い痛い痛い、分かった! 分かったから! 出てくから蹴るの止めてっ!」

 

 ルキアは黙りこくって親子のやり取りを眺める。この少年、やはり異常だ。死神であるルキアに触れ、話しかけるだけではない。ルキアの存在を常人には視えないものとして、冷静に認識しているのだ。

 少年の父親が部屋から出ていってから、ルキアは口を開いた。

 

「貴様、何故私が人ならざるものだと分かった? 死神の存在を知っておるのか?」

「あ? 死神? でっかい鎌持ってて、人の命奪うっていうアレか?」

「……知らぬのか」

 

 人間は死神という存在を誤認していると、そう霊術院で教わったが、それは今の時代でも健在らしい。

 

「ならば何故、貴様は桜花という名を知っているのだ?」

「あぁ、桜花は俺の幼馴染だよ。お前と間違えたのは、あいつとお前がめちゃくちゃ似てっからだ」

「幼馴染、か……つまり人間、ということなのか……? しかし顔が似ている上にその名とは、単なる偶然とは思えぬな……」

「あー、いや……人間じゃねぇのかもな、あいつは」

「はぁ?」

「あいつ時々さ、お前と同じ真っ黒な着物着て走り回ってんだよな。刀は差してるわ、よく分かんねぇ魔法みてぇな術は使うわ、ホロ……何とかっていう化け物と戦うわ――とにかく普通じゃねぇんだよ」

「…………」

 

 俺以外の奴には隠してるみたいだから、普段はフツーの女子高生なんだけどな。

 

 そう言って笑う少年の声が、遠い。

 

 自らと同じ真っ黒な着物……それは間違いなく死覇装のことを指している。刀とは斬魄刀のことで、魔法みたいな術とは鬼道のこと、化け物とは虚のこと。

 

 ……死神だ。この少年の言う『桜花』は死神だ。

 

 つまり――桜花は、生きている。

 

「つーかお前、桜花と知り合いなのか?」

「あぁ……」

 

 知り合いなんて、簡単な言葉で片づけられるものではない。同期で、恩人で、姪で、そしてその姿形から自らの半身にも思えるような、そんな存在だ。

 

 込み上げてきたものを必死で堪えて、ルキアは静かに瞳を閉じた。

 

 

「桜花は私の、大切な仲間だ」

 

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 

 死神化した一護が、肥大した斬魄刀を振るって虚を沈め――そして、力尽きたように倒れ伏した。

 

 私達はその一連の出来事を、コンクリートの塀の陰から眺めていた。ここまではストーリー通り。藍染惣右介が手を回しているだろうからあえて手を出さなかったが、これで正解だったらしい。ともかく、一安心だ。

 

「……そろそろ行きますか」

「ん、了解」

 

 囁くように言ったのは喜助さんだ。私達の視線の先では、白装束を血で染めた朽木ルキアが途方に暮れたように座り込んでいる。

 

「どうやら、お困りのようっスねぇ。義骸でも、お貸ししましょうか?」

「……何者だ、貴様」

 

 そんな彼女に、喜助さんが下駄を鳴らして歩み寄る。当然朽木ルキアは警戒して、一護を庇うように身を引いた。

 

「まぁまぁ、そんなに警戒なさらずとも」

「……そんな怪しいナリして『警戒するな』なんて無理な話だよ」

「っ……!!?」

 

 ぼやきつつ、私も塀の陰から姿を見せる。

 さて、朽木ルキアの反応は――

 

「お、桜花……なのか……?」

「あー……ハイ。多分()()桜花で間違いないかと」

 

 やっぱり知り合いだったか……まぁ、そりゃそうか。何てったって姪なんだ。その事実関係を本人が知っているのかどうかはともかくとして。

 

 朽木ルキアは、目玉がこぼれ落ちそうな程に大きく瞳を見開き、私を凝視している。

 

 数秒間の沈黙。

 

 そして次の瞬間には、その両目からポロポロと大粒の涙を落とし始めていた。

 

 ――涙?

 

「えっ、ちょ……大丈夫で――」

「馬鹿者っ!!!」

 

 続いて、衝撃。

 駆け寄ってきた朽木ルキアが私に抱きついたからだった。……誰が? 朽木ルキアが。誰に? 私に。

 

「あのぉ……」

「このたわけがっ!!! 急に行方をくらましおって!!」

 

 身長は同じくらいだった。体格も恐らく同じ。顔も瓜二つと言える程にそっくりで、違いといえば髪型くらいか。

 そんな相手が、自分にすがりついて泣きじゃくっている。そう考えるとどこか妙に落ち着かなくて、私は微かに身じろぎした。

 

「四十年だぞ!? 生きておったのなら何故連絡を寄越さなかった?! 皆がどれほど心配したと……私とて……!!」

 

 怒られるだろうな、とは思っていた。

 朽木家の記録には失踪の原因は不明、と記してあった。つまり私は何も言わずに唐突にいなくなった、という訳だ。そこにどんな理由があろうと、残された者が怒るのは当然だ。そして、そこに親しい関係があったなら、泣かれるのもおかしなことじゃない。

 

「…………」

 

 でも……私は、彼女の言葉に何も返せなかった。

 だって何も覚えていない。私の朽木桜花としての記憶は三歳くらいで止まっていて、その中に朽木ルキアの存在はないというのに、一体何を言えばいいんだ?

 

 しばらく私にしがみついて肩を震わせていた朽木ルキアから、ふっと力が抜けた。私は咄嗟にしゃがみ込んで、その線の細い身体を支えた。……私ってこんなに華奢だったんだ。

 

「落ちましたか」

「みたい。……この手負いでここまで走ってくるとは思わなかったよ」

「火事場の馬鹿力ってやつでしょうねぇ」

「言わないで。そういうのは刺さるから」

 

 私は朽木ルキアを抱え直すと、ひょいと立ち上がった。

 

「という訳で後片付けよろしく」

「あ、また面倒な方を……」

「じゃあねー」

 

 不満げな顔はしているが、喜助さんだって理解しているはずだ。彼女に色々と説明するなら私の口からの方が都合が良い、ってことくらい。

 

 自分と同じ体格の人を丸ごと抱えて走り回れるなんて、私もそれなりに人外だ。瞬歩で民家の屋根から屋根へと跳び移り、同時に回道で止血しながらそう思う。

 

「ただいまぁ」

 

 浦原商店にはすぐに着いた。裏口の引き戸を足で開ける。

 朽木ルキアを一度床の間に寝かせてから、草履を脱いでいると、居間へ続く廊下から鉄裁さん、ジン太、(ウルル)の三人が顔を覗かせた。

 

「おかえりなさいませ、桜花殿」

「こんな時間にどこ行って……って、うわっ! 誰だソイツ!?」

「……おかえり、お姉ちゃん」

「あれ、ジン太に雨まで。何やってんのこんな遅くに」

「子ども扱いすんなよな! まだ九時にもなってねぇのに」

「あぁハイハイ、ごめんって」

 

 そこで「まだ九時になってない」って言っちゃう辺りが、子供っぽいってのに。何やかんや言ってかわいいやつだ。

 

「鉄裁さん、この人をお願いします。一応止血はしておいたけど、まだ完治はしてないから」

「承知しました」

「なぁなぁ店長は? 一緒だったんだろ?」

「あぁうん、ちょっとした騒ぎがあってね。後片付け全部押しつけてきちゃった」

「またか。相変わらずだなぁ」

 

 一階の和室に敷いた布団に朽木ルキアを寝かせ、私は手を洗ってから服を着替えに自室へ戻った。それなりに血だらけになっちゃってるからなぁ、洗濯で落ちたらいいんだけど。

 

 替えの死覇装に着替えて、ベッドに寝かせてあった義骸へ入る。霊圧を完全に抑えてくれる、喜助さん特製のものだ。

 

 階段を降りて朽木ルキアの元へ向かうと、回道で治療をする鉄裁さんの側で、ジン太と雨が朽木ルキアの顔を覗き込んでいた。

 

「しっかし似てんなぁ、間違えそうだぜ」

「私は、間違えないよ……?」

「うるせぇ! 間違え()()()っつっただけだろっ? 俺だって間違えやしねーよ!」

「痛いっ……止めてよぉ……」

「ハイそこまで」

「ってぇ!!」

 

 雨に掴みかかったジン太の頭に拳を落とす。

 

「ったく、すぐに手が出るんだから」

「人のこと言えねぇだろテメェっ!?」

 

 頭を押さえて涙目で文句を言うジン太をスルーして、私は朽木ルキアの枕元に座り込んだ。完治まで、もう少し時間が掛かりそうだ。

 

「なぁ。それにしたって、こりゃいくら何でも似過ぎだろ。もしかしてコイツ、姉貴の親戚だったりするのか?」

「そうだよ」

「……え、マジで?」

「そうなの……?」

「うん」

 

 朽木ルキアのまぶたがピクリと動いた。微かに身じろぎをしたようにも見える。

 ……下手だなぁ、この人。ちょっと試してみるか。

 

「私の叔母さんなんだよ、この人は」

「はぁっ?! でも見た目大して変わんねぇぞ?」

「あのねぇ、死神の年齢は外見じゃ測れないって知ってるでしょ?」

「知ってる。知ってるけど……何かこう、違和感が……」

「それは私もだよ。何せ、なーんにも覚えてないんだから」

「覚えていない?! 一体それはどういう――痛っ!!」

「厶ッ、まだ動いてはなりませんぞ」

 

 突然、朽木ルキアが勢い良く飛び起きた。叔母だと言った時は無反応だったのに、『何も覚えていない』という言葉には反応した、か……なるほどね。

 それにしても、朽木ルキアは私と違って演技が苦手らしい。狸寝入りが下手過ぎる。

 

「やっぱり起きてんじゃないですか」

「おい、桜花! 覚えていないとは一体どういうことだ?! それに何だ、その気色悪い喋り方はっ!」

「ちょ……ちょっと落ち着きましょ? 傷が開いてもあれですし、ね?」

「落ち着いてなどいられるかっ!!」

「まぁまぁまぁ」

 

 今にも私に飛びかかりそうな朽木ルキアを、鉄裁さんが肩を掴んで止めた。

 彼女もすぐに冷静になって、再び布団に横たわってくれた。その紫紺の瞳だけは、私を鋭く射抜いたままだったけれど。

 

「……さて、そろそろ雨とジン太は部屋に帰んな」

「えー、何でだよ姉貴!」

「どうせあんた、宿題だってやってないんでしょ? さっさと終わらせてきなさい」

「……分かったよ、ったく」

「ごめんね、雨はもう終わらせてるんだろうけど。でも二人にずっと見られてちゃ、この人も落ち着けないから……ね?」

「……うん、分かった」

「おい、差別だろそりゃ! 何でそんなに雨に優しいんだよテメェ!」

「日頃の行い。ほら、早く行った行った」

「ちぇー……」

 

 子ども二人を二階の自室へ向かわせて、私は朽木ルキアの治療が終わるまで静かに待つことにした。

 

 

 そして傷が完治して鉄裁さんが部屋から出ていってすぐ、朽木ルキアは私に詰め寄ってきた。

 私は考え考え、慎重に口を開く。

 

「うーん、どこから説明したものか……。とりあえず……私とルキアさんに血の繋がりがあることは、ご存知ですよね?」

「あ、あぁ……当たり前だ」

 

 ルキアさんが頷く。当たり前、か。つまり知ってから長い時が経っている、ということだ。……また私が何かやらかしていたんだな、これは。

 

「実はですね。私、三歳くらいまでの記憶しかないんですよ」

「っ?!」

「だから父様と母様の記憶はあっても、その他の人のことは全く覚えていないんです」

 

 私もなかなか失礼な奴だな、と自分でも思う。血縁者に向かって「あなたのことは記憶にありません」って断言するなんて。

 

「資料によると私が生まれたのが五十四年前、行方不明になったのが三十九年前。つまり……十二年分の記憶がキレイさっぱり消えてしまっているんです」

「そん、な……まさか……」

 

 ルキアさんはかなりショックを受けているようだ。言葉がない、まさにそんな感じだった。

 

「――もしや、知らぬのか……?」

「え? 何をです?」

「……いや、いい。気にするな」

「はあ、そうですか」

 

 ルキアさんは何か引っ掛かっているようだった。

 かなり気になるが、とりあえずは話を進めよう。

 

「えっとですね……最初、この店の店長に拾われた時、私には三歳までの記憶すらありませんでした。まさに『ここはどこ、私は誰?』ってやつです。名前は、この首飾りから知りました」

 

 ルキアさんにも見えるように、私は桜のペンダントを胸元から引っ張り出した。義骸に入ってもつけたままでいられるようにしてほしいと、喜助さんに頼んで調整してもらったんだ。

 

「それは、兄様からの……」

「……父様からのものだったんですね」

 

 道理で、常に身につけておきたいと思う訳だ。

 

「三歳までの記憶が戻ったのも、つい最近のことで……何故行方不明になったのか、何故現世で拾われたのか、そして何故記憶がないのか……何もかも、不明なままなんです」

「……なるほど、だから音沙汰なかったと。覚えておらぬのなら無理もない、か……」

「……はい。少ない記憶を辿って、私が朽木家の者であることは突き止めましたが……原因も何も分かっていない状況で、何の策もなく尸魂界(ソウル・ソサエティ)に戻る訳にもいかない」

 

 もしかしたら私は、尸魂界で何か事件を起こした後にいなくなったのかもしれない。あまりに重大な事件というのは、はっきりとした記録には残らないものだ。百年前の、魂魄消失事件の結末のように。

 

「朽木家ともなれば資料は豊富ですから、血縁関係なんてのは調べればすぐに分かりました。だから……あなたのことも、名前だけは知っていました。それがあなただと確信したのは、先程あなたの顔を見た時なんですけどね」

 

 こんなにソックリな人との間に、血の繋がりがないハズがないですから。そう言って苦笑すると、ルキアさんが顔を歪めた。今にも泣き出しそうな、表情。

 

「本当に、何も覚えておらぬのだな……」

「……すみません」

「謝るな、おぬしのせいではない」

「ですが……」

「申し訳ないと思うのならば、まずその気色悪い口調を何とかしろ」

「…………」

 

 それはつまり友人のように振る舞えと、そういうことなんだろうか。だとすれば残酷な申し出だ。私は彼女との記憶をなくしていて……そして物語の通り、崩玉を埋め込んである義骸を彼女に差し出すつもりなんだから。

 

 ……これも、自分で決めたことだ。今更罪悪感がどうとか甘いことを言って、ぐずぐずするつもりは毛頭ない。

 

「私のこともルキアと、呼び捨てで構わぬ」

「……分かったよ、ルキア」

 

 よろしいと言わんばかりに、ルキアは満足げに頷いた。

 

「おやぁ、どうやらお目覚めのようで」

 

 良いタイミングで、喜助さんが和室に顔を出した。まぁ、部屋の外で盗み聞きしてたみたいだからね。納得のタイミングの良さだよね。

 

「あれ、喜助さん遅かったね」

「誰かさんが押しつけていった後片付けに手間取ってましてね」

「そっかーお疲れ様ー」

 

 視線を外して棒読みで返した。

 あ、そうだ。ルキアに紹介しておかないと。

 

「あ、ルキア。このあからさまに怪しい人が、さっき言ってた店長ね」

「酷い言い草だなぁ」

「貴様、さっきの……」

 

 喜助さんは私の横に腰を下ろすと、目元を隠したままニッコリと笑みを浮かべた。うわぁ、胡散臭。

 

「初めまして、浦原喜助と申します。以後、お見知りおきを」

「……朽木ルキアだ。貴様、どうせ人間ではないのだろう? 桜花を拾ったと聞いたが、貴様は何も知らぬのか?」

「残念ながら、何も。それより今は、アナタの話をしませんか?」

「私の……?」

 

 ルキアは一瞬呆けて、そして何かを思い出したかのように不意に顔を引きつらせた。

 

「……あ、もしかして忘れてました?」

「忘れてなど……そ、そうだ! 貴様のせいだぞ、桜花!」

「忘れてたんじゃないスか」

「や、やかましいっ!」

 

 ルキアが顔を赤くして怒鳴る。

 喜助さんはそんなルキアを見て、しみじみと呟いた。

 

「いやぁ……同じ顔なのに桜花と違ってかわいらしい方っスねぇ。これはイジメ甲斐がありそうだ」

「なっ……?!」

「喜助さん、初対面でその変態発言はないと思う。ほらルキア引いてるよ」

「あらら、そりゃすみません」

「いや……その、構わないが……」

 

 喜助さんの少しも悪いと思っていないであろう謝罪を、ルキアは真面目に受け取っていた。……まぁ確かに、からかったら楽しそうではあるけども。

 

「それはさておき――ご存知の通り、アナタは大半の霊力を失ってしまっている」

「あぁ、そうだな」

 

 ルキアがコクリと頷く。

 

「護廷から支給されている義骸では、アナタの霊力を回復させるには機能が足りない……これもご存知で?」

「……分かっている」

「そっスか。なら話は早い」

 

 先程も言いましたが、と前置きして、喜助さんが口角を上げた。

 

「専用の義骸、お貸ししましょうか? 桜花の知り合いが困っているとあれば、手助けしない訳にもいかない。もちろん、お金は取りません」

「…………」

 

 ルキアは私の顔をチラリと見て、向き直ってしばらく考え込んで、そしてもう一度私の方を見て、それから意を決したように口を開いた。

 

「……分かった。桜花が関わっているのならば、信じる他あるまい」

「…………」

 

 ですって、信用されてますねぇ。そう言いたげな喜助さんの面白がっているような瞳を睨みつけておいた。

 

 刺さるから、そういうこと言うなっての。

 




直後の会話。

「……喜助さんうるさい」
「アタシは何も言ってないんスけど」
「目が言ってた。雄弁に語ってた」
「ほら、そういうトコがかわいくないんスよ。朽木サンと違って」
「やかましい」
「……? 何の話だ?」


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二十六、生き別れの双子

 

 ストーリー開始のXデーから一夜明け。朝の八時過ぎ頃、私は義骸に入ったルキアと共に高校に向かった。実は一護の家の前の通りが通学路だったりするんだけど、そこは当然迂回した。

 

 職員達は、あまりに瓜二つな私達を見て目を丸くしていた。事情があって別々に暮らしている一卵性の双子だという、喜助さんが流した嘘の情報を信じ込んでいるようで、転入手続きも済んでいるとのことだった。

 夜が明ける前にそこまで手回ししてしまうなんて、あの人きっと昨晩は寝てないんだろうなぁと思う。他人事のように。いつも研究のために何徹もしているんだから、このくらい何てことないに違いない。

 

「朽木ルキアだ。よろしく頼む」

 

 そう簡潔に言って軽く頭を下げたルキアに、クラスの皆は釘づけだった。いや……ルキアにというよりは、ルキアの外見に、かな。

 

「気になってる奴も多いだろうが、朽木は浦原の双子の姉だそうだ。苗字が違うのは別々に暮らしているからで……あとは、まぁ……あれだ。質問ある奴は休み時間にでも聞いとけ」

 

 そんな越智先生の緩い言葉でホームルームは締められた。明らかなる説明不足だ。絶対あれ途中で面倒臭くなっただけでしょ。

 当然、そんな紹介ではクラスメイトの興味や関心は煽られるだけで……よって次の休み時間、私とルキアは凄まじい質問攻めに遭った。

 

「ちょっと桜花! 双子だったなんて聞いてないよ!」

「や、そりゃ言ってないし。訊かれてないし」

「……ちょっとコイツ殴っていいか?」

「止めてたつきちゃん! 桜花ちゃん死んじゃう!」

 

 他にも、竜貴に撲殺されそうになったのを織姫が止めてくれたり。

 

「ルキアちゃん、だっけか。ホント、ビックリするぐらい似てんなぁ。違うのは目の色くらいか?」

「ふふん、血が繋がっているからな! 当然のことだ!」

「何でそんなに嬉しそうなのルキア……」

 

 啓吾に私と似ていると言われて、ルキアが無い胸を張っていたり。

 

「浦原さんより話し方が堅いんだね、朽木さんは」

「む、これは癖のようなものでな。変か?」

「まさか。良いギャップになってると思うよ」

「うわ、気をつけてルキア。水色の魔の手が」

「失礼だなぁ。ぼくの恋愛対象が年上の人だけなの、知ってるでしょ?」

「……ルキア、マジで気をつけなよ」

「何を気をつけるのだ?」

 

 ルキアに、水色は危ないと忠告したり。

 

 とにかく、ルキアは漫画よりもあっさりクラスに溶け込めたみたいだ。潤滑油として私がいたのと、少なくともお嬢様口調よりは親しみやすい話し方が理由だろう。

 

 授業中は、ルキアの補助で正直授業どころではなかった。何せルキアは義務教育を受けていない。書類仕事のための簿記のようなものは真央霊術院で身につけたようで、そのため一限目だった数学は何とかなりそうだった。

 が、問題は他の教科だ。二限目の英語なんて、もう壊滅的だった。

 

 ルキアの席が私の隣だったことが唯一の救いか。越智先生が気を回してくれたのか、喜助さんが手回ししてくれていたのかは謎だが、とにかく助かった。

 

「そういや遅いね、一護」

「え?」

「一護のこと、考えてたんでしょ」

 

 二限目と三限目の間の休み時間、ぼんやりとする織姫に向かって竜貴が言った。中学生の頃から変わらず織姫は一護一筋のようで、楽しげに一護の魅力を語っていた。そんな彼女を見てルキアが、「貴様、正気か?」と言いたげな顔をしていた。

 うん、その気持ちはすごく分かる。一護に関してはもう、私にとっては幼馴染というより弟でしかないからね。何がどうひっくり返っても恋愛対象にはなりそうもない。

 

「今日休みかもしんないよ、一護」

「え、何で?」

「あれ? 浦原さん、いつも一護ん家の前通るよね?」

「……あぁうん、今日はルキアもいたから違う道通ったんだよね。知り合いに会ったら絶対質問攻めにされるでしょ? あんなのは一度で十分だから」

「あはは、確かにね」

 

 私は困ったように笑ってみせた。

 事前に考えておいた訳でもないのに、流れるように嘘が口から出てくる。そして、もうこんなことでは心も痛まない。

 

「で? 何で一護は休みなんだよ」

「あぁうん。今朝一護ん家に寄ったら壁にでっかい穴が空いててさ、何か夜中にトラックに突っ込まれたって言ってた」

「トラックゥ!? じゃあ何? あいつ怪我したの!? それとも死――」

「でねぇよ」

 

 慌てる竜貴の頭にカバンをぶつけて、その言葉を遮ったのは一護だった。早とちりに気づいた竜貴は殴られた後頭部に手を当てて、照れたように口を尖らせた。

 

「ウチの連中は全員無傷だ。残念だったな」

「黒崎くん! おっ……おおお、おはよう!」

 

 織姫が嬉しそうに声を掛ける。幸せそうな顔しちゃってまぁ。

 

「お、おうっ……? 今日も幸せそ――」

「……? どうしたの、一護。って……あぁ、そういうことね」

 

 話しながら席についた一護が、私の方を見て静止した。何事かと首を傾げた水色も、すぐに察してなるほどと頷いた。

 

「遅いぞ、黒崎一護」

「なっ……おおお、お前……!! 何でここに……?!」

「おはよう一護。何ビックリしてんの? ルキアのことは知ってるくせに」

「そりゃあ……知ってるも何も――」

 

 昨日会ったし。恐らくはそう言いかけて、しかし踏みとどまった一護が何かを飲み込むように口をつぐんだ。いくら平常心ではないとは言え、昨晩の出来事を大衆の面前で暴露するのはマズい、という判断力くらいはあったらしい。

 

「えぇっ?! 一護あんた、ルキアのこと知ってたの?!」

「ずるいぞ一護ぉ! お前だけ知ってるとかっ!」

 

 何やら騒いでいるクラスメイトたちは、とりあえずスルーだ。まずは一護に色々と説明しておかなければ。

 

「ねぇ一護。積もる話もあることだし、ちょっと顔貸してくれない?」

「おまっ、どこの不良だよ!」

「ほら、ルキアも行こう?」

「そうだな、ちょうど三人だけで話がしたかったところだ。三人だけでな」

「何っでだ! だいたい何でコイツが――」

「ねぇ」

 

 騒ぎ続ける一護を遮る。

 私は努めて友好的に笑って、幼馴染の肩に手を置いた。

 

「黙ってついて来ないと飛ばすよ」

「…………」

 

 何を飛ばすのかは言わずもがな。掴んだ肩を引き寄せ、顔を近づけて小声で囁いてやると、それだけで一護は全てを察して瞬時に口を閉ざした。

 小学一年生の時に確立した上下関係は未だ健在。いつの間にか30センチ近く身長差ができてしまったけれど……中身と身長は関係ないし。

 

「あんたら授業はどうすんの?」

「サボタージュ」

「出たよ、桜花のサボり癖。体育以外は真面目にするんじゃなかったの?」

「いやぁ、まぁ……次、越智先生だから大丈夫でしょ。そうだ、腹痛でトイレに行ってるって先生に伝えといてくれない?」

「はぁ? 三人とも? 嫌だよ、あたしが嘘ついてるみたいになっちゃうじゃん」

「みたいじゃなくて、つくことになるね。まぁ、その辺適当によろしく」

「はぁ……。っとにこの子は……」

 

 そう言いつつも、本気で私を引き留めようとはしない竜貴には頭が上がらない。事情があるとはいえ、不真面目な私の相手をし続けてくれるんだから。

 

 私は一護とルキアを伴って教室を出た。目指すは校舎裏。あそこなら誰にも邪魔されることなく一護と話ができる。校舎を出た途端、始業のチャイムが鳴ったが無視した。

 半強制的に連れてこられた一護は若干不機嫌だった。まぁ、その怒りももっともだ。こんな訳の分からない状況、私だったとしても怒るに違いない。

 

「んで? こんなトコにまで連れてきてどうするってんだ」

「ちょっと説明をね」

 

 長い間、手入れがされていないからか。風雨に晒され続けたアスファルトには大きな亀裂が走っていて、その隙間から生えた雑草が小さな白い花を咲かせていた。

 私はその割れ目に靴の爪先を引っ掛けて、外してを繰り返しながら、前置きの言葉を選ぶ。

 

「話が長くなっちゃうかもだけど、付き合ってくれるとありがたい。一護にとってすごく重要なことだから」

 

 一護にとってというよりは、私にとっての方が正確かもしれない。そんなこと、口には出さないけれど。

 

「……しょうがねぇな」

 

 一護は少し間を置いて、そして頷いた。

 

 話したのは、尸魂界(ソウルソサエティ)と死神のこと。(ホロウ)のこと。浦原商店の裏の顔のこと。私の生まれと本名のこと。私には昔の記憶がほとんどないということ。私とルキアとの間に血の繋がりがあること。

 

「まさかマジで親戚だったとはな……つーか、桜花お前、やっぱり人間じゃなかったんだな……」

「やっぱりって何」

「いや、空中飛び回って変な術使って化け物……虚、だっけか? そんなのと戦ってる時点でヒトじゃねぇだろうよ」

 

 ……もっともである。

 

 その後ルキアの口から、今の彼女には死神の力がないということと、その代わりに一護に死神業を手伝ってもらわなければならないことが告げられた。

 

「今の私に戦う力がない以上、これも致し方ないことなのだ。虚退治は桜花も手伝ってくれるが、担当外の者に全てを任せる訳にもいかぬだろう」

「おいおい、俺だってその担当外ってやつじゃねぇのかよ」

「たわけ! 担当である私の力を使っている時点で、私の仕事は貴様の仕事だ!」

「そりゃ屁理屈ってんだろ……」

 

 これから一護は見ず知らずの死神である藍染に、成長を促すために幾度となく死地に送り込まれることになる。全く、一護からしてみればとんだ災難だ。

 

「…………」

 

 考え込む一護を見て、即答ではないにせよ最初は断られるんだろうなと思った。何が嬉しくて、自ら進んで危険な戦いに飛び込むのか。

 

 しかし、一護の答えは私の予想とはかけ離れたものだった。

 

「……いいぜ。死神とやらの仕事、手伝ってやろうじゃねぇか」

「ほう、なかなか話の分かる奴ではないか」

 

 一世一代の決意をしたような、それでいてどこか嬉しそうな表情で、一護は私達をまっすぐ見つめていた。

 

「……どうして嬉しそうなのか、とか。訊いてもいい?」

「あー……それは、まぁ……あれだ」

 

 一護は自らの頭をガシガシ掻き、そして照れたような、気まずそうな顔で口を開いた。

 

「昔、さ……お前が化け物から俺とおふくろを助けてくれたこと、あっただろ? あの時は……俺が馬鹿で頼りなかったばっかりに、お前に怪我をさせちまった。本当に、情けなかったよ」

「…………」

 

 何のことだ、と私を見たルキアに首を振った。後で説明してあげるから、さ。

 

「親父もおふくろも、ぜってー何か知ってんだ。あの時襲ってきた奴が何なのか、二人には分かってたんだ。でも親父達は、二度とああいう化け物には近づいちゃならないってことしか教えてくれなかった。桜花にも化け物のことは訊いちゃ駄目だって念押しされてなかったら、きっとお前を質問攻めにしてただろうな」

 

 あの時は、俺にだけ秘密にするなんてズルい、だなんて考えてたんだけどな。

 そう言って一護は足元に目を落とし、それから再び私の目を見た。

 

「今なら分かるよ。あんな怪物、ちょっとユーレイが視えるだけの俺にどうこうできる代物じゃねぇ、ってな。親父達は俺に何も言わないことで、俺を護ろうとしてくれてたんだ」

 

 お前も、そうだったんだろ? 言外にそう言われた気がして、私は居心地の悪さから目を逸らした。

 

「由衣の時だって……俺に力さえありゃ、お前一人に全部を背負わせなくて済んだかもしれないってのに――」

「ちょ、っと待って……あんた、どこまで知ってるの?」

「どこまでって、そりゃ由衣の、その……死因ってやつが、ただの事故なんかじゃねぇってことは、知ってるけど……」

 

 別に今更、その程度の話を聞いたくらいで落ち込むほどヤワじゃない。だから、そんなに気を遣わなくてもいいのに。

 

 でも今はそんなことより、だ。

 私は言いづらそうにモゴモゴと喋る一護に詰め寄った。

 

「……それ、誰から聞いた?」

「浦原さんだけど」

「あんの下駄帽子が……」

「まぁ、あの時も詳しい話はしてくれなかったんだけどな」

 

 一護に教えるなら教えるで、私に一言あっても良かったんじゃないか。いくらあの時の私がぶっ壊れてたからって、その件について触れないまま数年過ごすなんて。あの喜助さんが言い忘れるなんてことはあり得ないから、これは絶対に確信犯だ。

 アスファルトに視線を落として、ため息をつく。今の私は相当に苦い顔をしているに違いない。

 そして私は、再び一護の顔を見て――驚いた。

 

 一護が、今まで見たことがないほど清々しい笑顔を浮かべていたからだった。

 

「でも、この力を手に入れた途端、お前は全てを話してくれた。つまり虚っつー化け物と渡り合えるだけの力を、俺が手に入れたってことだ。これでやっと、俺にも護れるんだ……嬉しくねぇハズがねぇだろ」

「あ……そっ、か……」

 

 報連相がなっていない喜助さんへの怒りが、一護の言葉で一気に霧散した。

 

 悔しかったんだ、一護は。戦う術を持たないからと、知ることすらできずに保護されることが許せなかったんだろう。

 戦わなくても誰かに守ってもらえるならその方が良い、私ならそう考える。でも目の前の幼馴染は違ったらしい。

 

 それは彼が男の子であるからなのか。それとも彼が黒崎一護であるからなのか。いずれにしても――

 

「なぁにニヤついてんだ」

「いや、ね。体はデカくなっても、根っこは相変わらず素直なんだなぁって」

 

 お姉さん嬉しいよ、と口元を緩めると軽く頭を叩かれた。

 

「いてっ」

「誰がテメェの弟だよ。いい加減そのネタやめろよな」

「いやいやー、私からすれば一護はまだ子どもだから」

「嘘つけ、お前俺と同い年じゃ――ちょっと待て。そういやお前ヒトじゃねぇんだったな。ホントはいくつなんだ?」

「まぁ……五十はいってる、かなぁ。ただ、尸魂界(あっち)での記憶と現世(こっち)での記憶を合わせても十五、六年分ってとこだから、一概に五十歳だとは言えないんだけどね」

「五十って、お前……ババアじゃねぇか――痛ぇっ!」

 

 失礼なことを抜かした一護を蹴飛ばしてやった。コントみたいにキレイにひっくり返っていた。ざまぁみろ。

 まぁ確かに、高校生の幼馴染が実は五十代の中年女性でしただなんて、かなりショッキングな事態であることは間違いないが。

 

「ふむ……記憶がなくとも、精神年齢は身体の年齢に引きずられるのか」

「ん?」

 

 その時、ルキアが独り言のように呟いた。

 

「しかし人間の幼馴染とは、身体の成長を合わせるのは大変だったろうに。義骸でも使ったのか?」

 

 なかなか鋭い指摘だ。いずれ突っ込まれるだろうとは思っていたが。

 

「まぁ、そんなとこかな。喜助さんはああ見えて天才だから」

「なるほどな」

 

 ルキアが納得したように頷いて、自らの手のひらを見下ろした。喜助さんの技術力の高さは、ルキアも身をもって知っている。

 

 例えば今ルキアが入っている、()()()()霊圧完全遮断型義骸……とか、ね。

 



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二十七、改造魂魄

お久しぶりです。投稿再開します。
限定に関しては本当にすみませんでした。不定期更新であることに変わりはないですが、何とか完結させられたらなと思っています。


 

 ルキアの伝令神機の音が鳴り響いて、私達の会話は途切れることとなった。時計を見る。午前十一時四十五分……なるほど、一護の初仕事の時間だ。

 悟魂手甲で死神姿になった一護は、ルキアと連れ立ってギャーギャー騒ぎながら走り去って行った。

 私? 私は一護の身体を隠すついでにサボり延長中だ。いくら手を抜けるところは手を抜くのがデフォルトな私でも、(ホロウ)も出ていないのに授業を丸ごとバックレた経験は一度もない。これはこれでたまには良いもんだなぁ、と校舎の壁にもたれて座り込んで空を見上げた。

 

「曲光を張るあたり徹底しとるの、おぬしも」

「のわぁっ!?」

「何じゃ、色気のない声を出しおってからに」

 

 隣から突然聞こえた声に飛び上がりそうになった。見ると、アスファルトに座った黒猫が大きな欠伸をしているところだった。霊圧を消して近づいてきたのか、余程私が気を抜いていたのか。全然気がつかなかった。

 

「……何で曲光掛けてるのに見えてるの。夜一さん」

「見える訳なかろう。曲光の分の霊圧がだだ漏れじゃったからの」

「あぁそう……」

「それにしてもあの小僧、ババアとは言い得て妙じゃのう」

「……私がババアなら夜一さんはお婆さん、いや年齢的にはもう死んでる――痛っ!?」

「口には気をつけることじゃな」

 

 何故見えていないのに拳が当たるのか。霊圧だって曲光を保っている分が漏れてるだけで、私自身の居場所を特定できるほどのものじゃないのに。規格外か。

 

「……うわ」

 

 夜一さんの霊圧が変わったことに気づいて何気なく隣を見ると、夜一さんが人型になっていた。流石にそれはマズいだろうと口を開く。

 

「屋外で全裸って……早く猫に戻りなよ」

「む? おぉ、そういえば裸だったな」

 

 ポン、と軽い音と共に、夜一さんの霊圧が再度変わる。

 便利だよなぁこの術。四楓院家の秘術だとか何とか言って、結局仕組みは教えてくれなかったんだよね。

 

「帰ってきてたんだ」

「あぁ、先程な。……しっかし似とる似とるとは聞いておったが、想像以上だったのう」

 

 あれではまるで双子ではないか。そう言って夜一さんは楽しそうに、からからと笑った。

 

「夜一さんもしかして、商店の皆から話聞いてわざわざルキアを見に来たの? 学校まで?」

「何、大した距離ではなかろう」

 

 暇か。

 そんな言葉を飲み込んで、私は代わりに小さく呟いた。

 

「まぁ、妙な気分だよ。私がもう一人いるみたいでさ」

「その上、相手は自分のことを知っておるのに自分は相手を知らない……とな」

「そう、問題はそれなんだよ」

 

 何かこう、これで良いのか? なんて思ってしまうんだ。

 でも、気にしたって記憶が戻ってくる訳でもないし。崩玉を埋め込むなんていう非人道的なことを容認してしまっている以上、下手に記憶なんて戻ってきたらそれはそれで厄介だし。

 

「そう気にするな。慣れじゃ、慣れ」

「だよねぇ。とりあえずは現状を楽しむとするか」

 

 一護の物語が始まったんだ。これからは、今まで以上にたくさんの漫画の登場人物達に会うことになるだろう。

 私の記憶に関しては前途多難だけれど、考えても解決しないなら気にしないのが吉だ。

 

 その時、終業を告げるチャイムが鳴った。途端に、校舎からザワザワとした喧騒が聞こえ始める。生徒が何人か目の前を歩いていったけれど、彼らは夜一さんにも私にも気づかない。片や霊体で、片や姿を隠す縛道である曲光を掛けているんだから当然だ。

 彼らが完全に去ってしまってから、私は口を開いた。

 

「んー……そろそろ二人も帰ってくる頃かなぁ」

「ただの虚退治じゃろう?」

「うん」

「ならば、そろそろじゃろうな。さて、儂も戻るとするかの」

「一護とルキアには、正体明かさないの?」

 

 実を言うと一護は、夜一さんとも鉄裁さんとも面識があったりする。ただ一護に会った時の夜一さんは黒猫だったし、当然口もきいていない。だからきっと一護は、未だに夜一さんをただの猫だと思っているはずだ。

 

「いずれは明かすことになるじゃろうて。しかし、それは今ではない」

「そっか」

 

 夜一さんに言う気がないなら、私は別にそれで構わない。

 いつ明かすにせよ、夜一さんの一糸まとわぬ姿を見て焦る一護の姿が目に浮かぶようだ。

 

 そうそう、こういう面白そうな出来事だってあるんだから。

 

「じゃあの」

「んー、じゃあね」

 

 夜一さんは来たときと同じように、音もなく去っていった。それと入れ替わるように、虚退治に出掛けていた一護とルキアが帰ってきた。

 相変わらず何やら騒いではいるが、いいんだろうか。今の状態だと一般人からは、ルキアが一人で大声を出しているようにしか見えないだろうに。

 

「あれ? あいつどこ行ったんだ?」

 

 夜一さんみたいに詳細な位置まで特定せずとも、何となくこの辺にいる、くらいは分かってもいいんじゃなかろうか。私自身の霊圧は霊圧完全遮断型義骸で隠匿されているものの、曲光の分の霊圧は微細ながら漏れ出ているんだから。

 

 霊圧の多くを失っているルキアはともかく、万全のくせしてキョロキョロと辺りを見渡している一護は、早急に霊圧探知能力を鍛える必要があると思う。死神になったばかりだから、それも致し方ないと言えばそうなんだろうけど。

 

「妙だな、貴様の身体もないとなると……どこかへ隠れたのか?」

「俺の身体どこやったんだよ、あいつ……」

 

 二人ともそれなりに焦っているようだ。当の本人は2メートルと離れていない場所で、のほほんと座っているにも関わらず、だ。

 

「おいおい嘘だろ、どーすんだこれ!」

「どうするもこうするも……私に力があれば、霊圧探知で見つけられるのだが……一護、ちょっと桜花の霊圧を探ってみろ」

「無茶言うなよ! 俺昨日死神になったばっかだぞ?!」

「うん、霊圧探知はとりあえずの課題だね。今度特訓つき合ってあげるよ」

「おう、悪ィな……って、桜花?!」

「どこにいるのだ!?」

 

 面白いくらい想像通りの反応を返してくれて満足した私は、二人が他所を向いた隙に曲光を解いた。おぉ、驚いてる驚いてる。

 

「曲光だよ」

「あぁ、なるほど」

「何だ? キョッコー?」

「曲光ってのは、さっき話した鬼道の一種。死神はこういう術も使えるんだよ。そうだ、鬼道も今度一通り見せておくね」

 

 得心して頷くルキアとは違って、何のことやら分かっていない一護に説明する。

 

「いつでもいいから、暇な時にウチに来なよ。いい訓練場があるんだ」

「お、おう。分かった」

 

 見せておくに越したことはないだろう。一護はこれから、全死神を敵に回すことになるんだから。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 ストーリーは順調に進んでいるようだった。先週は織姫の家で戦いがあったし、昨日はチャドこと茶渡泰虎が学校に喋るインコを連れてくる事件もあった。

 そして、私はそれら全ての場面を陰からずっと眺めていた。チャドのインコ事件はともかく織姫の件はあまり見たくない、というのが本音だった。けれど、私には責任がある。勝手な取捨選択をした、責任が。

 

「おい桜花、ルキア見てねぇか?」

「ん? 見てないけど。そういや、学校来てないね」

 

 ボキャブラリーの減ったチャドのインコを覗き込んでいると、後ろから一護に声を掛けられた。振り向きもせずそれに答える。

 何気なく鳥籠にそっと指を入れると、遠慮がちに甘噛みされた。……かわいいな、こいつ。

 

「あれ? 浦原さんって今は朽木さんと一緒に住んでるんじゃないの?」

「住んでないよ。ただルキアの家族がこの近くに越してきたってだけ。家族は別だからさ」

「そっか……複雑なんだね」

「今時よくある話だよ」

 

 水色にしれっとそう返すと、一護から視線を感じた。振り返る。お前マジか、みたいな微妙な顔をしていた。嘘つくの上手すぎって? 今更だ。

 

 それから少しして、ルキアは何食わぬ顔で元気そうに登校してきた。気分が悪かったから、なんて言っていたが嘘が下手すぎだ。先程まで私に向けられていた一護の微妙そうな視線は、今度はルキアに向けられることになった。

 

 インコの一件の直後にルキアが遅刻してきたとなると、次に起こるのは確か改造魂魄のコンによる騒動だ。あれは商店の皆が発端で起きた事件だから、私も少なからず関わることになりそうだ。

 

 話があると言ったルキアが一護を引きずるように連れ去るのを見送って、私は再びインコに指を差し出した。

 あの子の魂は尸魂界に送られた。そして近い将来、尸魂界でチャドとあの子は再会することになる。

 

 私も尸魂界(あっち)に行けば、由衣に再び会えるだろうか?

 織姫は、兄である井上(そら)に会えるだろうか?

 

 ううん……会えるだろうか、じゃない。私が二人を見つけるんだ。絶対に。

 

 少年のいなくなったインコと戯れながら、私は決意を新たに小さく頷いた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 一年三組の教室が悲鳴で包まれた。

 

 原因は一つ、教室の窓枠に仁王立ちする一護……いや、改造魂魄(モッド・ソウル)の存在だった。

 

「あ……ああああんた! 今どうやって上がってきたのよっ!?」

「どうやって……? 今見てたろ? 跳んで上がってきたんだよ。ビックリしたか?」

 

 大声で叫ぶように問う竜貴。ただざわめくだけの他のクラスメイト達とは違って、咄嗟に織姫を庇う構えを取った竜貴は流石だ。そこらの男より確実にイケメンだと思う。

 

 そんな中で得意そうにニヤつきながらクラス中を眺め回す改造魂魄は、教室の隅でクラスメイトに紛れる私の存在には気づかない。私の顔なんて見たら、一瞬で逃げ出すに決まってる。低身長がこんなところで役に立つとは思わなかった。

 

 義魂丸を飲み込んで、義骸を脱ぎ捨てる。代わりに私の中に入った彼女は、少なくとも今騒ぎを起こしている改造魂魄よりは物分りが良い。私が何も言わずとも、目配せしただけで一瞬で状況を把握してくれたようだった。

 

 そうしている間にも状況は動き、気づけば改造魂魄が織姫の手の甲にキスをしようとしているところだった。

 

「初めまして、美しいお嬢さん。ボクに名前を――教えて下さいな」

 

 私はその光景を、陰からスマホ型伝令神機のカメラ機能で連写しておいた。後でからかってやろう。

 

「ちょ……一護あんた! 自分が何してるか分かってんの!?」

 

 ブチ切れた竜貴が改造魂魄を後ろから羽交い締めし、そして一護の姿をした改造魂魄が本日二つ目の爆弾発言を投下した。

 

「……お前も、近くで見るとかわいいなぁ」

 

 そして、頬にキス。私は再びそれを激写した。

 

「死ねぇっ!!」

「うおぁっ!? 危ねぇ!!」

 

 竜貴がそれなりに重量があるであろう机を軽々と持ち上げ、改造魂魄目掛けて放り投げた。机の中にあった教科書や文具類がバラバラと床に散らばる。

 

 ……ちょっと待って、あれ私の机じゃない? 何てことしてくれるんだ、竜貴……

 

「ち、ちづるぅ……止めてよぉ……」

「バ、バカ言わないでよ……あんな嵐の中に飛び込めるのはブルース・ウィリスぐらいだわ……」

 

 小川みちると本匠千鶴が涙目で恐れ慄いている。そろそろルキア達が追いつくはずなんだけどな。というか、早くしないと竜貴が教室を全壊させてしまいそうだ。……あ、竜貴が私の筆箱踏んだ。中身、壊れてないといいな……

 

「そこまでだ!!」

 

 その時、教室の引き戸を勢いよく開けた者がいた。ルキアだ。

 案の定、改造魂魄はルキアの顔を見た瞬間逃げに転じた。しかし、窓枠に飛び乗った一護が立ち塞がる。

 追い詰められた改造魂魄は一護の脇をすり抜けて、迷わず窓から飛び降りてしまった。

 

「待てコラァ! こんなトコから飛び……誰の身体だと思ってんだぁ!?」

「奴はまさか……いや、間違いない……奴は、改造魂魄だ!!」

 

 そう叫んだ一護も、信じられないと言った様子で窓に駆け寄ったルキアも、二人揃って呆然と眼下を見つめている。

 とりあえず、この二人には改造魂魄を追わせるか。

 

 私はクラスメイトの陰から飛び出して大きく息を吸った。

 

「何ぼやっとしてんの! 早くアイツを追って!」

「桜花っ!? お前、その姿……」

「私は皆の記憶を書き換えてから追いかけるから! ほら、急いで!」

「お、おう! 頼んだ!」

 

 駆け去っていく二人を尻目に、私はクラスメイト達に向き合った。懐から取り出した記換神機のスイッチを入れる。

 瞬間的に広がった白い煙は、霊力を持たない人間の中から先程の一護とルキアの言動に関する全ての記憶を消し、代替として違う記憶を差し込む特殊な煙だ。

 

「さてと、一護の霊圧は……あっちか」

 

 そんな白煙に紛れて教室から飛び出した私は、一護達の元へ向かうべく瞬歩を発動したのだった。

 



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二十八、モラトリアム

 

「ああっ! ちくしょう!! 見失っちまったじゃねぇか!! 俺を!!」

「モラトリアムだな」

「ふふっ!」

 

 追いついたと思った途端これだ。こんな状況なのに吹き出してしまった。

 

「おい桜花! 笑ってる場合かよ?!」

「いや、笑うでしょこれは」

「笑ってる場合でも、そんな分かりづらいツッコミしてる場合でもねぇんだよ! つーかクラスの奴らの記憶はちゃんと消えたんだろうな?!」

「そこは抜かりなく」

 

 ニヤリと笑って、親指を立てた。

 

「いやぁ、良い物を見た」

 

 ちなみに写真も撮りました。良い絵が撮れたよ。

 

「お前……もしかして全部分かっててワザと止めなかったのか?!」

「そりゃ、故意だけど」

「意味分かんねーよ止めろよ馬鹿かお前!!」

「いやいや。あんな面白いもの、止める理由がないって。もったいない」

「もったいない訳があるかっ! 俺……ていうかアイツは俺の身体使って……き、ききき……」

「キッスをしたようだな」

「だああああっ!! 言うなボケ恥ずかしい!!」

 

 初心なやつだ。そして、接吻など挨拶のようなものだという、書物から得たであろう知識を披露するルキアもきっと、実際は同じくらい初心に違いない。私も……まぁ、似たようなもんだけど。

 

 そして、ルキアによる改造魂魄の説明が始まった。

 が、そんなにのんびりしていて良いハズもない。

 

「ねぇ、説明はいいけどさ。せめて歩きながらにしない?」

「あ、あぁ。そうだな。行くぞ一護」

「おう。……それで? その改造魂魄が何だって?」

 

 そうして説明を受けながら、私達は改造魂魄を探し回る。

 

 実はもう改造魂魄の霊圧は小学校付近に見つけていたりするんだけど、それを二人に告げる気はない。それに一護がちょっと怪我しちゃうことだって、私は知っている。

 

 悪いね、一護。したとしても軽傷だろうし、それくらいなら私が責任持って治療してあげられるから。

 

 改造魂魄を探し始めて数十分、二人がそろそろ見つけないとマズいんじゃないかと焦り始めた頃、ルキアの伝令神機が思い出したように電子音を発した。

 

 確か、虚と改造魂魄が戦ってるところに乱入するんだっけか。

 

 伝令神機に従って……というか虚の気配に従って走る。方向は、夏梨や遊子が通う小学校付近――お、あれかな?

 

「見えた! あれか!?」

「ムカデだ……気持ち悪」

「言ってる場合か! ……まてよ、もう既に誰か戦ってんじゃねぇ――」

 

 そこまで言って、一護が息を呑んだ。

 もう肉眼でも見える距離だ。一護の身体に入った改造魂魄が、虚に向き合っているのを見つけたんだろう。

 

「む、あれはもしや改――」

「あのボケェ……!!」

「あっ!? おいコラ一護っ!?」

 

 怒り心頭、といった形相で一護が駆け出した。これでは、生身のルキアは追いつけないだろう。

 

「ルキア、抱えて連れて行こうか? 義骸じゃ走るのしんどいでしょ」

「……そうだな、頼む」

 

 遺憾そうに眉根を寄せて考え込んで、それからルキアはボソリと呟いた。

 分かるよその複雑な気持ち。似たような見た目だもんね、私達。

 

「なら、ちょっと失礼してっと」

「ひゃあっ?! なっ、何故こんな……」

「俵抱きよりマシだと思ってさ」

「いや、それは……そうなのだが……」

 

 いわゆるお姫様抱っこってやつだ。真っ赤になって悲鳴を上げられたが、気にしないようにしつつ地を蹴って走る。二、三歩目で地を離れて、今度は宙を踏みしめた。瞬歩は使わない。生身にはキツいかもしれないからだ。

 

「てんめこの、ケガしてんじゃねぇか!! 誰の身体だと思ってんだコラァ!!」

 

 屋上に降り立ってルキアを下ろす。

 ちょうど一護が、改造魂魄に掴み掛かって怒鳴りつけていたところだった。

 

「こんな雑魚にそんな血塗れにされるぐらいなら戦おうとかすんじゃねぇよ!!」

 

 一護が怒鳴りつつ、同時に振り返りもせずに刀で虚を突き刺した。悲鳴が上がる。

 そして、そんな一護に改造魂魄が勢いよく言い返す。

 

「何言ってんだ! あんたがさっさと来ないからオレが戦ってたんだろ!」

 

 一護達を食い入るように見つめているルキアを他所に、私は屋上のフェンスに腰掛けて観戦モードだ。

 

「うるせぇっ!!」

 

 二人の声が重なって、一護の斬撃と改造魂魄の蹴りが同時に炸裂した。これで虚の仮面は割れた。あとはもう、放置しておけば勝手に消えるだろう。

 それなのに。

 

「……優しいんだね」

 

 改造魂魄は吹き飛んだ虚を追いかけた。追いかけて、着地する前に蹴り上げた。

 どうしてこんなことを、と怒る一護に改造魂魄の示した答えは「アリの行列を潰さないため」だった。

 

「オレは……オレは何も殺さねぇんだ!!」

 

 そして、改造魂魄が過去を語り始めた。

 重い話だ。魂を作り出すなんてロクなもんじゃない。普通の神経をしている者なら、手を出すことのない実験だろう。

 

 そして私は、そんな実験にも平気で手を出す天才科学者(マッドサイエンティスト)を一人……いや、会ったことのない人も含めると二人ほど知っている。あぁ、破面(アランカル)も含めたら三人か。

 

 ――まぁ、今はそんなことどうだっていい。

 

 私は、本音を叫ぶ改造魂魄を見つめた。

 生殺与奪を他人に握られ、自分は自らの意思で動くこともままならない。それはきっと、私には想像もつかないほど恐ろしいことなんだろう。

 

「こうして生まれてきたんだよ! 自由に生きて、自由に死ぬ権利くらい、あるハズじゃねぇか!!」

 

 だからこそ、優しいなと思う。

 

「虫だろーが人間だろーが、オレ達だって同じだ。だからオレは殺さねぇ……何も、殺さねぇんだ……!」

 

 そこで諸悪の根源である死神達に復讐しようとか、何の疑いもなく当然のように生を享受する人間達が妬ましいから皆殺しにしてやるとか、そういう方向に思考が向かないなんて。

 

 漫画を読んだ時は特に気にも留めなかったったけれど、こうして場面に立ち会ってみるとよく分かる。

 

 こいつは、今まで私が死なせてきた人と何ら変わりない、命を持った存在だってことが。

 

「――あなたさ、約束できる?」

 

 だからだろうか。気がついたら、そいつに話し掛けていた。

 

「二度とこんな騒動は起こさない、って」

「え? 何を、言って――」

「できるなら、破棄を無期限延期するよう説得してみるけど。どう? 悪い提案じゃないと思うよ」

「……!?」

 

 改造魂魄が息を呑んだ。破棄、という言葉に驚いたか。それとも――

 

「おい桜花、破棄って何だよ」

「何って、破棄は破棄だよ。見たところ、ウチの店の不手際が原因でしょ? だったら後始末するのもウチの仕事だから」

「もしかして、初めっからそうするつもりで……?!」

「そりゃそうでしょ。人に害なすやつは、さっさと捕まえて処分しなきゃマズいからね」

「おい……何言ってんのか分かってんのかお前!」

 

 一護が、つかつかと歩み寄ってくる。

 

「コイツには意思があるんだぞ?! それを破棄って……そんなの、ほとんど人殺しじゃねぇか!!」

「人殺し、ねぇ……」

 

 あながち間違いでもないのが、痛いところだ。

 ただ早とちりというか、勘違いも甚だしい。

 

 私は静かにフェンスから飛び降りた。遥か上にある一護の顔を見上げる。

 

「……あのさ、人の話聞いてた? 大人しくしてるなら、破棄しないように喜助さんを説得するって言ったでしょうが」

「あ……」

 

 一護が言葉に詰まって黙り込んだ。

 

「言いたいことは分かるけどさ……もしそいつが殺人に走るような凶暴なやつだったら、嫌でも手を下さなきゃならないことくらい、一護にだって分かるでしょ? 私はその可能性も考慮に入れて動いてたってだけの話」

「…………」

「でも今の話を聞いて、そいつを死なせるのは違うんじゃないか、って思った。だから大人しくしてろって言ったの」

 

 それにしても、だ。

 こんな話をしなくたって、こいつが破棄されないのは事実として知っている。だから私は黙って様子を眺めているだけでよかったのに、どうして……

 

「あー、その……悪い、酷いこと言って」

「ううん、一護は間違ってないよ。人を殺しちゃいけないって、常識だからね」

「そりゃまぁ、そうだけどよ……」

「――んで? 改造魂魄くん、返事は?」

 

 悪い、とモゴモゴ呟いた一護に笑みを返して、未だに固まったままの改造魂魄に向き直る。

 私の言葉に、俯いていた彼の肩がびくりと跳ねた。そんなに怯えないでほしい。私が虐めたみたいで、いたたまれないじゃないか。

 

「……分かった。もう騒ぎは起こさねぇ」

 

 改造魂魄の返事は、思いの外早かった。

 

「約束だよ?」

「おうよ」

 

 再度問うと、彼は落ち着いた態度を取り戻して、そう返してくれた。

 

 結末は知っていたけれど、こうなってくれてよかった。私は内心、ほっと息をついた。

 

「おーやおや。やーっと見つけたと思ったら、ボロボロじゃないスか」

 

 聞き慣れた声がした。深緑の羽織が、風に煽られて翻った。

 

「あれ、改造魂魄を捕まえに来たにしては軽装だね。皆は?」

 

 唐突に現れた喜助さんに、一護もルキアも改造魂魄も、呆気にとられているようだった。

 私はさらりとその雰囲気に乗っかって、喜助さんに話し掛けた。

 

「桜花がいるみたいだったんで、人数も準備もいらないかと思いまして……っと、これで完了っスね」

 

 なんて話しながら、喜助さんは片手間で義魂丸を抜き取った。中に一つの魂が入っているようには思えないほど軽い音を立てて、小さな玉がコンクリートの上に転がった。

 私は黙ってそれを拾い上げる。

 

「さて、と……帰りましょうかね」

 

 私達の会話を盗み聞きしていたであろう喜助さんは、まず間違いなく今までの話の流れを全て把握している。その上で、何も知らないふりをしている。

 どうやら、私が引き止めて喜助さんが妥協するという茶番が必要らしい。

 

「ねぇ喜助さん。この改造魂魄、処分しないでほしいんだけど。そういうのは無理かな?」

「えぇー……色々と面倒なんでさっさと処理したいんスけど」

 

 えぇー、じゃないよ。わざとらしい。

 

「なぁ、浦原さん」

 

 さて、これからどうやって話を持っていこうかと考えた、そんな時だった。

 口を開いたのは私ではなく、私と喜助さんのやり取りを呆然と眺めていたはずの一護だった。

 

「……何でしょう、黒崎サン?」

「はた迷惑な奴だったけどよ……でも悪いやつじゃねぇんだ。だから、そいつを殺さないでやってくれねぇか?」

「……私からも頼む、浦原」

 

 一護と、そしてルキアが、喜助さんをまっすぐ見つめている。黙っていたルキアにも、思うところはあったんだろう。

 喜助さんが感心したように小さく、へぇ……と呟いたのが聞こえた。

 

「……いいでしょう、分かりました。ただし……妙なことになったら、アタシら姿くらましますからね」

 

 譲歩したように見せかけて、実は掌の上ってやつだ。姿をくらますってのも、半分冗談だ。喜助さんが重霊地である空座町から離れるはずもない。

 

「ねぇ。その場合、私は姿をくらます側? それともくらまされる側?」

「くらます側に決まってるでしょう」

「そっかぁ」

 

 決まってるのかぁ。そっかそっか。

 

「何でお前はそんなに嬉しそうなんだよ」

「……そう見える?」

 

 適当にはぐらかしつつ、ルキアに改造魂魄を渡した。

 そして、魂の抜けた一護の身体の側に座る。手をかざして集中すると、私の手のひらから緑色の光が溢れた。

 

「お前……そんなこともできたのか」

「覚えといて損はないし……まぁウチにはプロがいるから、普段はあんまり使わないんだけどね」

 

 怪我は見た目の派手さに反して浅いものだったようで、傷口が完全に塞がるまで五分と掛からなかった。制服が駄目になってしまったのは、もう諦めてもらうしかない。

 

「なぁ桜花、浦原さんって何者なんだ? 商店の裏稼業のことはこないだ聞いたけどよ、それにしたって怪し過ぎるだろ。何だよ、姿くらますって」

 

 そうしている間に喜助さんは商店に帰ってしまった。

 治療を終え、さて私も帰るかと立ち上がった時、肉体の中に入って起き上がった一護にそう尋ねられた。

 

 何者って言われても……

 顎に手を当てて考える。

 

「うーん……変態マッドサイエンティスト?」

「ただの悪口じゃねぇか」

 

 これも間違いではないし、まさか現段階で本当のことを言う訳にもいかないし。

 

「私も気になってはいたのだが……あの男、ただの強欲商人ではないのだろう?」

「お前もほぼ悪口じゃねぇか」

 

 ルキアも続ける。

 で、どうなんだ? と二対の目が私に集中する――が、私に答える気はない。

 

「……企業秘密」

「え」

「は?」

「まぁ、そういうのは本人に直接訊けってこと」

 

 戸惑っている二人を、意味深に口の端を吊り上げることで誤魔化した。

 

 いずれ彼らも、喜助さんの正体を知ることになる。

 でも、それはきっと今じゃない。

 




モラトリアムの下りがすごく好き。
かなり高度なツッコミだと思うのは私だけだろうか。


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二十九、朽木桜花と浦原桜花

 

 グランドフィッシャーの一件で私が死に掛けてから、今日でちょうど六年になる。

 

 身長はあの頃と比べて15センチくらいしか伸びていないけれど、中身はそれなりに成長できているんじゃないかと我ながら思う。戦闘力だって、あの時とは雲泥の差だ。特に死神の力が戻ってからの成長は早かった。始解だって習得した。

 しかし、始解の取り扱いには苦労させられた。ちょっとややこしい能力だったからね。

 

 ともかく。

 今日は、六月十七日。あの日と違って天気は晴れ。

 

 梅雨の真っ只中にも関わらず、殴るように照りつける陽光の中、浦原商店に二人の訪問者がやってきた。

 

 黒崎夫妻だった。

 

「おーい、浦原。いるか?」

「お邪魔します」

「どーも、こんにちは。黒崎サン」

 

 事前に二人の訪問を喜助さんから知らされていた私は、当然のように学校を欠席した。この二人が動いたということは、何か原作に関わる話があるに違いない。喜助さんもそれを分かっているようで、私が学校をサボることに対して何も言わなかった。

 

「あー……その、桜花ちゃんは……」

 

 居間に入るなり当然のように喜助さんの隣に座り込んだ私に、一心さんが気まずそうに視線を投げかける。真咲さんもどこか申し訳なさそうな表情で私を見ている。

 そんな二人を見て、喜助さんが小さく笑った。

 

「大丈夫っスよ。この子はアタシの共犯者ですからね」

「共犯って浦原、お前なぁ……この子は人間だろうが……」

「人間じゃないですよ」

 

 正座した足の上で両手を握って、私は一心さんの非難を訂正した。私は人間じゃない。だから、共犯者でいることに問題なんてないのだと。

 

「ちょっと待て……! 人間じゃないって一体……」

「言葉の通りです。私は、死神ですから」

 

 喜助さんが意外そうな顔で私を見た。

 人に腹を割って話してもらうなら、私も腹を割るのが道理でしょ?

 

「……私の本名は、朽木桜花。四十年前に行方不明になった、朽木家の一人娘です」

「朽木家っ!!?」

 

 一心さんが大声を上げて、少しだけ腰を浮かせた。

 そんなに驚かなくても……と思ったが、すぐに思い直した。そういえば、一心さんが志波家の者だということを知った時の私も、似たような反応をしていたような。

 

「確かに朽木家当主の娘がいなくなったって一時期大騒ぎしてたが……あれは桜花ちゃんのことだったのか……」

 

 再び畳に腰を下ろした一心さんが、しみじみと呟いた。

 

「やっぱり大騒ぎでした?」

「当たり前だ、朽木家のたった一人の娘だぞ。騒がねェ方がどうかしてるぜ」

「ねぇ、桜花ちゃんも貴族だったの?」

「あぁ。志波家なんかよりよっぽどデカい家の、それも直系だからな」

「あら、桜花ちゃんはお嬢様なのね」

 

 真咲さんがふわふわした笑顔で言った。

 確かにお嬢様だけれど、今の私は庶民も庶民。貴族だ何だと言ってもあまり実感が湧かないのが本音だが。

 

 

「……ではそろそろ、本題といきましょうか」

「あぁ、そうだったな」

 

 四十年前に一体何があったのか。そう訊かれるかもしれないと思っていたが、一心さんも真咲さんもそこに触れようとはしなかった。私から言い出さないことを深堀りして訊くつもりはないらしい。つくづく私の周りは()()()()()人が多い。

 

「話すタイミングを窺っていた話があるんだ」

 

 そう言って、一心さんは話を切り出した。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 黒崎夫妻が帰宅して二時間ほど経った頃、今度は一護とルキアの二人が浦原商店にやって来た。どうやら学校終わりに寄ったらしく、二人とも制服姿だった。

 

「どうせ風邪なんて嘘だろうと思ってな」

「最初から嘘だって決めてかかるのはどうかと思うよ」

「でも嘘だろ?」

「嘘だけど」

 

 そんな会話をしつつ二人を居間に通すと、開け放った襖から喜助さんが顔を出した。

 

「どーも。黒崎サン、朽木サン」

「あ、どうも」

「何だ、浦原か。邪魔するぞ」

 

 お邪魔している家主に向かって『何だ、浦原か』なんて言い放ってしまうルキアに小さく笑う。

 そんな適当な扱いも喜助さん自身は全く気にしていないようで、いつもの緩い笑みを浮かべている。物語の根幹を担う二人の来訪に、胡散臭さも八割増しだ。

 

「桜花、すぐに行きます?」

「え? もう良いの?」

「ハイ。片付けるだけっスから」

 

 喜助さんは何食わぬ顔でそう言うが、一口に片付けると言っても自室の片付けとは訳が違う。

 特に地下の修行場には、とてもじゃないが他人には見せられないモノが無造作に置いてあったりするから、何の準備もなしに客人を招き入れる訳にはいかない。それに修行場の片隅に建てられている研究室だって、客人の目に触れないように隠す必要がある。

 だから喜助さんには一応、近いうちに一護たちに鬼道を見せるからと話を通しておいたんだ。

 

「あ? どこに行くんだ?」

「地下」

「地下ァ?! なんちゃら道を見せてくれるんじゃなかったのかよ?」

「鬼道だ、たわけ」

 

 ルキアが呆れたような顔で一護を見た。

 私も、似たような感情を乗せた苦笑と共に立ち上がった。

 

「鬼の道と書いて鬼道ね。種類は三つあるんだけど……実際に見せた方が早いよね」

 

 そして、二人と喜助さんと共に地下への梯子を降りる。最初は訝しげだった二人も、いつも通り馬鹿みたいにだだっ広い修行場に、ポカンと口を開けて驚いていた。

 

「どっひゃー!! 何だこりゃーっ!!?」

「…………」

「あの店の地下にこんなバカでかい空洞があったなんてー!!」

「……ウルセーな、わざわざ代わりに叫ばなくても充分ビックリしてるよ!」

 

 ただただ呆ける二人の代わりにわざとらしいリアクションを取った喜助さんが、楽しそうに笑う。対して巨大な地下室への驚きも落ち着いた一護とルキアは、不審者でも見るような目を喜助さんに向けている。

 

「いやぁ、これだけの空間ですから造るのにも苦労したんスよ? 何せ真上は住宅街ですからね、バレないようにするのも一苦労で――」

「おい、浦原。そんな下らぬことより鬼道を――」

「見てくださいよ、閉塞感をなくすための空のペイントに、心に潤いを与えるための木々! どうです? ビックリしましたか?」

「……桜花、おぬしの店長は客を無視して話を進める主義なのか?」

「いや……うん、まぁ……だいたい、そんな感じかなぁ」

 

 私が初めて地下にやってきた時は、ここまでオーバーじゃなかった気がする。でも発明品の話をする時はだいたいこんな感じだ。例えば(ウルル)の時とか。

 

 

 それから私と一護は死神化して、肉体を安全な場所に置いた。人間の身体が巻き込まれでもしたら大変だ。

 

「鬼道には三つ種類があるってさっき言ったよね」

「あぁ」

 

 一護が頷く。

 

「まずは破道ね。破道っていうのは攻撃用の鬼道で、例えば――"破道の三十一・赤火砲"」

「うおっ!?」

 

 私の手から飛び出した赤い火の玉が、爆音と共に硬い地面を抉った。その光景を見た一護は、地下室に入った時より驚いていた。

 

「マジかよ……」

「うん、マジ。じゃあ次は捕縛用の鬼道である縛道ね。ねぇ一護、ちょっと良い?」

「何だ?」

「"縛道の四・這縄"」

「えっ? ちょ、待っ……のわぁっ!?」

 

 私の指先から飛び出た光の縄が、一護の腕を這い上がり背中で縛り上げた。驚いた一護が地面にひっくり返る。

 

「うわっ、何だこれ!? おい、桜花!」

「どう? 外せそう?」

「外れねぇから困ってんだろーが!! 早く取れよ!」

「そっか、まだ外せないかぁ。まぁ火事場の馬鹿力となれば話は別なんだろうけど……っと」

 

 すぐに解術すると、いきなり何すんだよとぶつぶつ文句を言っていた一護がのっそりと起き上がった。

 倒れた時に打ちつけたのだろう、少しだけ擦りむいている一護の腕に私はそっと手を添える。フワリと柔らかな緑の光が私の手を包んだ。

 

「で、最後に回道。傷を癒すための鬼道なんだけど……よし、治った」

「お、おう。サンキュー」

 

 私が不意討ちで意図的に転ばせて怪我させたのに、それを治した私に礼を言うなんて、相変わらず素直な子だ。

 

 一護は怪我の完治した腕をまじまじと見つめている。そして、感心したように言った。

 

「にしても、これじゃまるで魔法じゃねぇか。死神はこんなこともできるんだな」

「まぁ、今見せたのはどれも規模が小さい方なんだけどね。縛道とか回道はともかく、破道のヤバいやつだったらビルの一つや二つ軽く吹っ飛ぶんじゃないかな」

「ビルが吹っ飛ぶって……」

 

 一護が引いている。

 こんなことで引いていられるのも今のうちだ。あんたの"月牙天衝"の威力だってなかなか凄まじいんだから。

 

「鬼道には難易度や威力を元に一番から九十九番まであるんだけど、さっきの"赤火砲"は三十一だから……ビル一つ吹っ飛ばそうと思ったら、七十番台くらいは必要かなぁ」

「へぇ……なら桜花は何番までできるんだ?」

「私? 私は詠唱なしなら五十番台までだけど……詠唱ありなら、七十番台でも可能かな」

「てことはお前、ビル吹っ飛ばせんのか……?」

「あー……まぁ、そういうことになるよね」

「――桜花。一つ訊いても良いか」

「ん?」

 

 ルキアが神妙な顔をしている。何かマズいことを言っただろうか?

 

「七十番台の鬼道が使えると言ったな」

「うん」

「一体、誰に習ったのだ?」

「…………」

 

 そう来たか、と思った。

 

 やっぱり私には、詰めが甘いところがある。

 喜助さんは、こうなる可能性に気づいていたんだろうか? いや、気づいていたに違いない。

 

「昔の桜花は詠唱ありでも四十番台までしか使えなかった。あれから数十年、おぬしは現世で生きてきたと言ったな。しかし現世にいながらにして鬼道の修練を積める環境など、そうあるものではない。ましてや六十番以上の上級鬼道を教えられる者が現世にいるとなると……」

 

 ルキアは言葉を止めて、喜助さんを見た。睨んでいると言っても過言でないくらいに強い眼差しだった。

 

「浦原。貴様が教えたのだな」

「だとしたら、どうします?」

 

 違う。私がそう答えるより先に、喜助さんが意味深長に微笑んで言った。

 ルキアの視線がさらに鋭くなる。

 

 同時に私の胸の中で、モヤモヤした嫌な予感がジワリと滲んだ。

 

尸魂界(ソウル・ソサエティ)には、現世追放という罪科がある。怪しい奴らだとは思っていたが……貴様も、あの鉄裁という男も、そうなのだろう?」

「…………」

 

 喜助さんは何も言わなかった。

 ルキアは、その無言を肯定と捉えた。

 

「とすれば貴様らは犯罪者……もしや、桜花を拐ったのも貴様らなのでは――」

「ちょ、ちょっと待って! 流石にそれはないって!」

「しかし、おぬしには当時の記憶がないのだろう?」

 

 確かに記憶はない。

 だからと言って、それは有り得ない。

 

 そう信じているし、そう信じていたい。

 

「喜助さんたちは、記憶をなくして途方に暮れてた私を拾ってくれて……それで、今まで私の親として面倒を――」

「おぬしの親は! 白哉兄様と緋真姉様だろう!」

「……っ」

 

 知っている。そんなこと、言われなくても分かっている。

 下唇を噛んで、目を伏せる。

 

 ジワジワと胸を侵食していく、この感情は何だろう?

 

 家族とも呼べる人を否定されたことへの悲しみか? 生みの親を忘れて他人を親と呼んでいたことへの後ろめたさか?

 それとも、彼らを親と呼んでいたことを「後ろめたい」と思ってしまったことへの自責の念か。

 

「……ごめん」

 

 怒りの感情を顕にするルキアを目の当たりにして、私は顔を上げることができなくなった。

 誰に宛てたものか分からない謝罪が口をついて出る。

 

「…………」

 

 ルキアは何も言わない。

 どうしたら良いか分からなくて、私もそれきり口を閉ざした。

 

「ルキア」

 

 そんな時、一護の声がした。

 

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 

 死んだと思っていた家族が生きていた。

 

 何より喜ぶべきことであるハズなのに、しかし、ルキアは諸手を挙げて喜ぶことができなかった。

 

 

「とすれば貴様らは犯罪者……もしや、桜花を拐ったのも貴様らなのでは――」

「ちょ、ちょっと待って! 流石にそれはないって!」

 

 何とも言い難い違和感と不快感。

 人間に死神の力を与えた己の罪のことを棚に上げて、ルキアは眉根を寄せた。

 

 

 再会した桜花は、人間の顔をしていた。

 見ず知らずの男の苗字を、何の躊躇もなく名乗っていた。

 時たま、その男のような胡散臭い態度を取るようになっていた。

 

 受け入れることなど、できる訳もない。

 

 朽木家の息女が、現世で人間の中に混じって人間のように暮らしているなんて。

 「これからよろしくね」と言って嬉しそうに笑った姪が、ルキアの存在さえ忘れて、別の姓を名乗っているなんて。

 行方をくらませる直前に()()()()()があったのに……その事実さえも忘れて、白哉兄様の哀しみを知りもせずに生きているなんて。

 

 けれど、受け入れられない一方で、ルキアは気づいていた。

 別人のようになってしまっていても、それでも桜花は桜花だということに。

 

 お嬢様と呼ばれる存在なのに、躊躇いなく女の子をお姫様抱っこしてしまうような、男勝りでサバサバしているところも。

 歳の割に場の雰囲気によく気がついて、気の利いた行動を取れるところも。

 妙に人懐っこくて、誰かの仲間でいることに喜びを感じる、寂しがり屋なところも。

 そういうところは全部、ルキアの知っている桜花だった。

 

 

 だからこそ、ルキアは自らの複雑な心境を胸の奥にしまい込んだ。 

 桜花は桜花だ。生きていたのだから、それで良いではないかと。

 

 しかし――

 

「おぬしには当時の記憶がないのだろう?」

「確かに記憶はないけど……でも喜助さんたちは、記憶をなくして途方に暮れてた私を拾ってくれて……それで、今まで私の親として面倒を――」

 

 私の()として。

 

 何気なく発せられたその言葉は、今まで抑えていたルキアの感情を爆発させるのに、充分な威力を持っていた。

 

「おぬしの親は! 白哉兄様と緋真姉様だろう!」

「……っ」

 

 自分でも驚くほどに、感情のこもった声が出た。それを聞いた桜花の表情は、今にも泣き出しそうな子どものようであった。

 

「……ごめん」

 

 そして、桜花は消え入りそうな声で謝罪を口にした。

 俯いたまま、それきり黙り込んでしまった。

 

「…………」

 

 そんな桜花を目の当たりにしてやっと、ルキアは我に返った。

 

 ――何故、私は桜花を責めているのだ?

 

「ルキア」

 

 そんな時、一護が自らの名を呼んだ。

 ハッとして、一護の顔を見る。

 

「オレが首を突っ込むことじゃないかもしれねぇけど……」

 

 言い辛そうに言葉尻を濁しつつ、一護は話し始めた。

 

「確かに浦原さんは変な人だけどよ、それでも悪意を持って桜花を騙すようなことはしないと思うんだ」

「……貴様に何が分かるというのだ」

「分かんねぇよ」

 

 罪悪感の混じったルキアの呟きは、想像していた以上に刺々しくなってしまった。しかしそれに対する一護の返答は、ルキアのものよりずっと落ち着いていた。

 

「お前と桜花との関係も、尸魂界とやらでのことも、オレにはさっぱり分かんねぇ。でも桜花のことは、それなりに分かってるつもりだ」

 

 低い位置にある桜花の頭を、一護がわしゃわしゃとかき混ぜる。

 

「……止めてよ」

「へーへー」

 

 驚いて顔を上げた桜花が嫌そうに、それでいてどこか照れくさそうにその手を振り払った。

 

「昔な、こいつに訊いたことがあるんだ。浦原さんはお前の本当の親なのか、ってな」

「それは……流石に……」

「あぁ、今思えばスゲー無神経な質問だったよ。でも桜花は、怒るどころか落ち込みもしなかったんだ」

「ちょっと一護、それは――」

「自分にはちゃんと親代わりの人がいるから大丈夫だ、ってさ。嬉しそーに笑ってたぜ、こいつ」

「一護!」

「良いじゃねぇか、そのくらい」

「良くない! だいたい笑ってなんかないし!」

「笑ってたよ」

 

 ほんの少し頬を染めた桜花が、長いポニーテールを揺らして一護の口を塞ぎにかかった。しかし残念ながら背と腕の長さが足りず、一護に簡単に押し戻されてしまった。

 

「こいつにあんな顔させられるんだ。そういう意味では信用できる人だと思うぜ、オレは」

「一護……!」

 

 一護を恨めしげに睨んでいた桜花が、躊躇いがちに浦原の方を見やった。そして、人をからかうようにニヨニヨと笑う浦原に気づいて大きく目を逸らした。

 

 そんな穏やかな光景を眺めながら、ルキアは考えていた。

 

 桜花とて、好きで記憶喪失になった訳ではない。

 ここがどこなのかも分からず、頼る者もいなかった。そんな状況で手を差し伸べてくれた彼らに、桜花は縋りついた。そして今、穏やかに暮らしている。

 

「まぁ、こいつが信用できるって選んだ奴なんだからよ、お前も信じてやっても良いんじゃねぇか? 姪っ子なんだろ?」

「そう、か……あぁ、そうだな」

 

 だんだんと、頭の中がクリアになっていく気がした。

 

 ルキアは一護に同意の言葉を返すと、桜花に向き直った。

 

「おぬしが悪い訳ではないと、分かっていたつもりだったのだが……いや、言い訳はよそう」

「え……?」

「済まなかった」

 

 きょとんとする桜花に、素直に謝った。

 

「私は尸魂界で『朽木桜花』として暮らすおぬししか知らなかった。だから、今のおぬしを受け入れられなかった」

「そっか……」

「私は私の思いばかりをぶつけて、おぬしの思いなど考えもしなかった。一護の言う通りだ」

 

 恥ずかしい限りだ。

 我を忘れて、齢十五の人間の子どもに諭されるなど――

 

「いやぁ、若いっスねぇ!」

「……え?」

「喜助さん……空気読むって言葉、知ってる?」

 

 ルキアの神妙な思考は、浦原喜助の能天気な声と能天気な拍手に遮られた。

 同じく神妙だった雰囲気が一息に霧散したのを感じて、浦原以外の者たちは脱力してしまった。

 

「友の助言に過ちを認め、胸の内を告白し、相互理解を深める……素晴らしい関係だ」

「無視か」

「……桜花お前、苦労してるな」

「うん、まぁね……」

 

 一護とルキアの同情の眼差しが桜花に注がれる。

 そんな三人のやり取りを軽やかに無視して、浦原が人差し指を立てた。

 

「そこでですね。アタシからも助言を一つ……」

「助言?」

尸魂界(あっち)の方々には、桜花の生存を告げない方が良い」

 

 尸魂界の者に、桜花の生存を知らせない。

 つまり桜花が生きていることを意図的に隠す、ということだ。

 

「何故だっ! この知らせで喜ぶ者が何人いることか……!」

「それがマズいんスよ」

 

 いつものように軽い雰囲気の浦原が、カラカラと下駄を鳴らして三人に歩み寄った。

 

 浦原の言葉の意味が理解できないルキアだったが、桜花は全て分かっているようだった。

 

「生存を知るのが早ければ早いほど、期待は高まっていくものだ。しかしそれでは、この子に会えた時の落胆を徒に大きくしてしまうだけなんスよ」

「落胆など……」

「昔の桜花をよく知っているからこそ、今の桜花は受け入れ難い……どうです? 身に覚えがあるでしょう?」

 

 ある。先程の桜花とのやり取り、そのままだ。

 

 あれと同じことが、尸魂界の桜花の知り合い全てに起こったとしたら。

 

「それは……面倒なことになるな」

「でしょう? あれは、桜花自身が向き合わなければならない問題だ」

 

 この事実を、白哉兄様にさえ伝えられない。

 

 辛いことだ。

 しかし桜花のことを考えるなら、その方が良いに決まっている。

 

「……うん、そうだね。分かった」

 

 桜花が静かに頷いた。

 

「お願いしても良いかな、ルキア」

 




全ては浦原さんの掌の上です。


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三十、憂さ晴らし

 

 「ボハハハハーッ!!」でお馴染み、奇天烈な格好で全国各地の霊を祓ってまわるドン・観音寺。

 彼が出演するテレビ番組は視聴率25%を超える大人気番組で、ウチの子どもたちも毎週欠かさず視聴している。

 

「……ねぇ、毎度毎度思うんだけどさ」

「何だよ」

 

 テレビにかじりついていたジン太に、CM中を見計らって声を掛ける。

 

「ドン・観音寺だっけ? あれのどこが良いの?」

「はぁ? 分かんねぇのかよ。ダメだなぁお前は」

「ホント、ダメダメっスねぇ桜花は」

 

 私はダメらしい。便乗してきた喜助さんの足をちゃぶ台の下で踏みつけて、ジン太に再度問い掛ける。

 

「いやいや。だって、イケメンな訳でもハンサムな訳でもないじゃん。決め台詞ダッサいし」

「ダサくねぇよ!! カッコいいじゃん! スメルズ・ライク・バッド・スピリッツ……ってな!」

「ふーん……よく分かんないや。(ウルル)は?」

「私は……えっと――」

「あー!! 始まった! ちょっと静かにしろよ!」

「あ、うん……ごめん」

 

 ジン太に遮られて悲しげな顔をした雨だったが、番組が始まったと分かると途端に元気になった。二人は揃って嬉しげにテレビを観ている。

 

「どう見てもエセなんだけどなぁ……」

「この子たちだって分かってますよ、そのくらい」

「……分かった上で好きなの?」

「特撮ヒーローものが好きな少年の心理っスよ」

「あぁ。そりゃ理解できないハズだ」

「あ、ボクのあられ……」

 

 ぼそぼそ喜助さんと話しつつ、食後のお茶を啜る。

 喜助さんが食べていたお茶請けのあられを一粒摘んで口に放り込んだ。

 あ、これ美味しい。

 

「それにしても、あの人ちゃんと除霊できてないよね。棒で突いてるようにしか見えないんだけど」

「やだなぁ、棒で何を突くんスか? 痛ぁっ!」

「……これ没収ね」

「あぁっ! ボクのあられが――」

「静かにしろってば!!」

「……すみません」

 

 蹴飛ばすついでに袋ごと奪い取ったものの、あられは三粒しか残っていなかった。残念。

 

 悲壮感漂う喜助さんを無視して、今度は同じちゃぶ台を囲んでいた鉄裁さんに話し掛ける。

 

「鉄裁さんはどう思う?」

「除霊ですか? できていないでしょう。その地区担当の死神の苦労が目に浮かぶようですね」

「だよねぇ」

 

 今は(プラス)の霊でも、下手に手を加えると一瞬で(ホロウ)になってしまう危険性がある。そして、そのシワ寄せを食らうのは現地駐在中の死神だ。ご愁傷様である。

 

『次週は緊急生放送スペシャル!! 東京空座町(からくらちょう)の廃病院に突・撃!!』

 

 ……そして、来週ご愁傷様なのは私たちである。

 

 

 その翌日。

 大スターが町にやってくるとあって、学校はお祭り騒ぎだった。実際に騒いでるのは私の周りだけなのかもしれないけど。

 

「桜花ちゃんも観た? ボハハハハーッ!!」

「あぁ、うん。観た観た」

「反応薄いなぁ、もう!」

 

 竜貴の手によって一護から引き剥がされた織姫が、今度は私に向かって例の笑い声を上げた。私も同じ笑い声で返す……ハズもなく。

 

「あんたも冷めてるからねぇ……」

「そういう竜貴こそ」

「あたしはそういうの興味ないから」

「私も。別に嫌いな訳じゃないんだけどねぇ」

「どうして? 一緒にしたら楽しいよ! ほら、ボハハハハーッ!!」

 

 楽しそうで何よりだけど、問題が発生することを知っている私はイマイチ盛り上がれない。もともとそんなに興味はないし。

 

「ボハハハハーッ!!」

「ルキア……それ、楽しいか?」

「あぁ。悪くはないな」

「おおー! 朽木さんもいける口ですか!」

 

 嬉しそうな織姫と一緒にボハハと笑うルキアに、一護が眉間のシワを深くしていた。そういえば一護はあの番組が嫌いなんだっけ。確かにその気持ちも分からなくもない。

 

「桜花は行くの? 来週の生放送」

「んー……多分行かないと思う」

「えーっ!? 浦原さん来ないのかよ!」

 

 先程まで一護を相手に騒いでいた啓吾が不満げに言った。

 もちろん、私だって理由がなければ撮影くらい見に行っても構わない。でも、そういう訳にもいかないんだ。

 

「くッ……浦原さんが来れば男女比が釣り合うのに……!!」

「紛うことなき馬鹿だな」

「何おぅ!?」

「おーい、授業始まるぞ。教室入れ」

 

 教室に入ってきた先生の一言で、騒がしかった生徒たちはすぐに静かになった。一護に馬鹿と言われた啓吾も、すごすごと席に戻っていく。

 私も、大人しく席についた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 奇声を上げて襲い来る(ホロウ)を正面から叩き斬り、下ろした刀で振り向きざまに斬り上げた。

 

 被った真っ黒いフードのせいで視界が悪い。

 斬っても斬っても虚が尽きることはない。

 住宅街のど真ん中で強力な破道を使って一掃する訳にもいかない。

 

「っとに! アイツ! 後で蹴る!」

 

 悪態と共に下級縛道を放ち、斬魄刀と下級破道で仮面を破壊していく。流れるように数体倒すと、私は霊圧を探りつつ瞬歩で移動した。移動した先には、またもや虚、虚、虚。

 

 振り向きもせず後方の虚に"縛道の四・這縄(はいなわ)"を投げつけて、その命中すら確認する間もなく駆け出す。

 目前の虚を右手の刀で斬り伏せて、左手から無言で放った"破道の四・白雷(びゃくらい)"で左の虚の仮面に穴を開ける。

 最後に勢いをつけた右回転で、後方でもがく虚の仮面を斬りつけた。

 

「ハァ……」

 

 精神的な疲労の混じった息を吐いて、私は斬魄刀を腰に収めた。こうして虚を退治し始めて、どのくらい経っただろうか。

 倒した虚の数は、百を超えたあたりから数えるのを止めてしまった。

 

 実のところ、私はこの出来事に関わらないつもりでいた。ドン・観音寺の時のように、商店の皆で解決してもらう気でいた。それは、漫画に死人が出る描写も(プラス)が犠牲になる描写もないからだった。

 しかし、そういう訳にもいかなくなってしまったのが、滅却師(クインシー)の石田雨竜が虚の撒き餌を砕いた数分後のこと。「整の被害が広がりそうなんで、メインの方々のいないところの掃除をお願いできますか?」という頼みを受けてのことだった。

 

「喜助さんも、簡単に言ってくれるよ……」

 

 霊圧を消すためというより、顔を隠すためにまとった霊圧遮断型外套のフードの下の、額に滲んだ汗を拭った。日頃の鍛錬のお陰か息はまだ切れていない。ただ、いつ終わるかも分からない連戦を、時たま飛んでくる滅却師の光る矢を避けながら延々と続けるのは骨が折れる。

 

 石田め……「虚は僕が全て倒すから、人間に被害は出ない」とか何とか言っていたような気がするけど、よくそんな無責任なことを言ったもんだ。藍染が裏で工作してるから、仕方ないといえば仕方ないんだけど……それでも撒き餌なんてものを使ったことに関しては許すまじ、だ。

 

 私が働かなかったら、何人の整がやられていたことか。一護の周りの人たちも軒並み襲われてるってのに。

 

「……生きてるよね、皆」

 

 先程、町内の二箇所で爆発的に増大した霊圧は、恐らく織姫とチャドのものなんだろう。ということは、無事彼らの力が覚醒したということになる。

 

 ――竜貴も千鶴も織姫も、それにチャドも、きっと大なり小なり怪我を負ったんだろう。

 

 無事であってほしいと願いつつも、任された役目から離れる訳にはいかなくて、私はそっと目を閉じて……そして開いた。

 

「……よし、行くか」

 

 気合いを入れ直すために呟いて、私は再び走り出した。

 

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 

 破れた空から現れた、巨大なバケモノ。

 

 それを倒したのは、織姫が想いを寄せる黒崎一護その人だった。

 その頃には織姫の隣にいた茶渡にも、一護の姿がはっきりと見えるようになっていた。

 

 そして、二人は考えていた。

 果たして自分たちは、どうすれば良いのだろうか。どうしたら良いのだろうか、と。

 

 そんな時だった。

 

「……あれ? 誰だろう? ほら、あの人」

「厶……?」

 

 不意に湧いて出るように現れた黒い人影が、おもむろに座り込んだ石田雨竜に近づいていく。そして――

 

「え、嘘……蹴った……?」

「……蹴ったな」

 

 信じられない思いで窓ガラスの向こう側を凝視していると、気を利かせた茶渡が窓を開けてくれた。小さくお礼を言って、織姫は窓枠からその身を乗り出した。

 

「何なんだ君はッ!? いきなり蹴るだなんて!」

「何だも何も……憂さ晴らし? もうスッキリしたから、別に気にしなくても良いよ」

「気にするに決まってるだろう!」

 

 横っ面を蹴飛ばされてひっくり返った石田の前で、小柄な人が仁王立ちしていた。声色からして、女。それも、どこか聞き覚えのある――

 

「ていうか誰なんだ君は!」

「お前……何で……」

「あら一護、お疲れ様。怪我治そうか?」

「お……おう。悪いな」

「人の話を聞いているのかッ!?」

 

 外套姿の彼女の顔は、織姫たちのいる位置からはよく見えなかった。しかし織姫は、一護との気易いやり取りを聞いて何となく確信していた。

 

「つーか、石田に何の恨みがあったんだよ」

「アイツの尻拭いさせられたの。まぁ整も被害に遭ってたみたいだから、仕方ないんだけどね」

「あー……虚か」

「そう。延々と虚退治。それも、時々飛んでくるアイツの矢を避けつつだから。フラストレーション溜まるでしょ」

「……おい、諦めろ石田。これに関しちゃ完全にお前が悪い」

「…………」

 

 石田がムスッとした顔で黙り込んだ。

 しかし、フードの少女を顔を見上げて、そんな不貞腐れた表情は消え去ってしまった。

 

「君はっ……!?」

「あれ、分かってなかったの?」

 

 フードの端から長い黒髪がちらりと覗く。

 

「浦原だよ、浦原桜花。実は死神やってます。……あ、もしかして私のこと知らない?」

「知ってるさ! でも君からは……」

「霊圧を感じない、でしょ。まぁ、霊圧隠蔽は得意だからねぇ」

 

 目を見開いて驚く石田と同じ思いで、織姫は眼下を見下ろしていた。

 

 浦原桜花。

 

 有沢竜貴を通して知り合った中学からの友人で、小柄で優しくて、双子の姉がいて――そして、何年経っても織姫に心を開いてくれない女の子。

 

「この僕が気づけないなんて、得意なんてレベルじゃ――」

「そうだ、石田も怪我治しとく?」

「人の話を聞け!」

 

 彼女の存在を初めて知ったのは、織姫が女子トイレでイジメられていた時だった。人よりも明るい髪色に目をつけられて、危うく頭から便器の水を掛けられるところだった。

 それを、一人の少女の言葉が止めてくれた。けれどその姿は見えず、礼を言った織姫の声にも返事は返ってこなかった。

 

「で、治すの? 治さないの?」

「……まさか。死神に施しを受けるなんて願い下げだ」

「うわぁ、可愛くない奴」

 

 その正体を知ったのは、翌年のクラス替えの時だった。

 

 たまたま話し掛けた後ろの席の女の子の声に、聞き覚えがあったのだ。まさかと思って顔をじっくり見つめると、困ったような表情で目を逸らされた。

 

 最初は嫌われているのかと思った。けれど、嫌っている相手をわざわざ助ける道理はない。彼女は織姫を嫌っていないのに、何故か織姫と親しくなることを避けようとしていたのだ。

 そしてその理由は、今もまだ分からない。

 

「全く……何やってんスか」

「ストレス発散」

「ただの虚相手っスよ? 大して疲れてもないでしょうに」

 

 カランコロンと古風な足音を立てて歩くのは、織姫たちをここに連れてきた男だった。どうやら桜花はその男と親しいらしい。

 

「ただの虚でも、百匹以上相手にしたら気疲れするって。ただでさえ私の能力は殲滅戦に向いてないんだから」

「まぁまぁ、もう全部片付いたみたいですし。良い運動にはなったでしょう?」

 

 織姫があれだけ必死になって、やっと一体倒した虚を百匹以上……しかも、そんなに倒しておいて殲滅戦は得意でないと言う。

 

「まさか、桜花ちゃんも……」

 

 何か複雑な事情を抱えていることは、彼女の織姫に対する煮え切らない言動から何となく予想はついていた。けれど、

ここまで規模の大きい事情だとは思いもしなかった。

 

 知らなかった。

 

 そう零しかけた時、頭の中に流れた言葉があった。

 

 ――本当に、あたしは何も知らなかったの?

 

「おーい、そこの二人。ちょっと降りてきてくれる?」

「……え?」

 

 桜花の声がして、織姫は顔を上げる。

 

「……あたしたちに言ってるの?」

「そうみたいだな」

 

 ――本当に、何も知らなかったの?

 

 織姫の思考の中に揺蕩(たゆた)っていたその言葉は、しかし、桜花の呼び声で簡単に立ち消えてしまった。

 



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三十一、羨望と

 

 石田による傍迷惑な騒動の翌日。

 

 無傷の千鶴と竜貴にほっと息をついた織姫と私に対して、三時限目が始まった頃に登校してきた石田は彼らのことを見もしなかった。

 昨日だって、彼らに対する謝罪はなかったし……やっぱり私、アイツとは合わないのかもしれない。

 

「喧嘩でもしたのかな」

「喧嘩? あの石田が?」

 

 あの真面目な秀才が遅刻、それも両腕に怪我をしていたとあって、教室はあからさまにざわついていた。

 そして、その光景を見ても、全く動揺しない者が私を含め数名。一護、ルキア、織姫、茶渡、私、そして竜貴だ。

 

 それぞれがそれぞれの思いを抱えて、この教室にいるのだろうと、どこか上の空で考える。

 

 そういう私だって、頭から離れない物事があるから上の空な訳で。

 

「じゃ、これで授業は終わりね。お待ちかねの飯時だぞー」

 

 気づいた時にはチャイムは鳴り終わっていて、私が我に返ったのは、越智先生の気の抜けた掛け声を聞いた時だった。途端に騒がしくなる教室内に、私は目を瞬かせてノートを見下ろした。真っ白だった。

 

「ねー浦原さん、ご飯食べに行こーよ!」

「んー」

 

 級友の声に緩慢に頷くと、ノートをパタンと閉じて教科書と共に鞄の中にしまう。

 

 ――もう既に、()()()()は空座町にやってきている。

 

「あれ? 朽木さんは?」

「どこ行ったんだろ? なぁ桜花、あんた知ってる?」

 

 ウチの高校からは距離があるものの、同じ町内だ。ルキアが見つかるのも時間の問題……恐らくタイムリミットは、今夜だ。

 

 細かい原作の流れなんて忘れていたけど……そうか、これらの出来事は立て続けにあるんだね。

 

「ねぇ聞いてんの、桜花? 桜花ってば!」

「……え? あ、ごめん。何?」

「もう、朽木さんの居場所、知ってるかって訊いてんの」

「ルキア? んー……」

 

 居場所なんて正確には分からない。

 でも、原作知識なら持っている。確か、木の上にいたような。

 

「そうだなぁ……人気のないところだとは思うんだけど……」

「へー、そういうの分かるんだ!」

「まぁ何となくだけどね」

「第六感ってやつかな? 流石は双子ね」

 

 ごめんなさい、原作知識です。

 そもそも双子じゃないです。

 

 そうしてルキアを探すこと数分。思っていたより早く見つかったルキアは、案の定一人で木の枝に腰掛けていた。

 

「おーい、ルキア。お昼食べよう」

「……桜花か。分かった」

 

 ルキアの分の弁当を持ち上げてみせると、ルキアはこくんと頷いて枝の上から飛び降りた。

 その身軽な動作に、千鶴を始めとした級友たちは感心したような声を上げた。それを見て、竜貴が訳知り顔で頷く。

 

「へぇ、やっぱり運動神経も似てるんだ」

「どういうこと? たつきちゃん」

 

 ルキアのいた木の下で弁当を広げながら、織姫が訊ねた。

 

「だって桜花も、このくらい余裕で飛び降りられるでしょ?」

「木の上から? まぁ、そのくらいなら」

「えっ!? 浦原さんもできるの?」

「でもあんた、運動音痴じゃない」

 

 みつると千鶴が口々に言う。

 そんな二人に竜貴が手をひらひら振って答えた。

 

「まさかぁ。運動音痴振ってんのよ、この子は」

「言い方に悪意があるって……」

「でも本当でしょ。ホントはあたしより運動できるくせに、そうじゃないフリしてんの。運動部に誘われるのが面倒だからって、普通そこまでする?」

「するよ。私にとっては死活問題なんだから」

「大袈裟だなぁ」

 

 みつると千鶴と夏井マハナの三人は、目を丸くして竜貴と私のやり取りを見ている。

 でも、国枝鈴は――

 

「たつきより運動神経が良い、か……ねぇ、桜花。あなた100メートル何秒?」

 

 怖い。目が笑っていない。

 静かにそう問い掛けてきたのは、今まで黙っていた鈴だった。

 

「えっと……その、本気出して走ったことがないから、何とも……」

「ふぅん。じゃあ、14秒は切ると思う?」

「えぇ……14秒? ごめん、基準が分かんないから……」

「分かったわ。じゃあ、ちょっと走ってみましょう」

「ほらぁー! こうなるから嫌なんだってば!」

 

 私が嫌そうに叫ぶと、竜貴と織姫が楽しそうに笑った。

 しかし、14秒か……瞬歩だったら余裕で1秒切るからなぁ……

 

「ウソウソ、冗談よ」

「……冗談に聞こえないんだけど」

 

 だよねぇルキア、と同意を求めると、ルキアは曖昧に笑って頷いた。そして、黙ったままストローに口をつけた。

 ……どうしたんだろう?

 

「ところでさ。朽木さんって黒崎のこと好きなの?」

「……はい?」

 

 マハナの唐突な言葉に、ボフッと音を立ててルキアがオレンジジュースを噴き出した。ボタボタ液体を垂らしながら、固まっている。

 数年前、黒崎夫妻との会話中に私もオレンジジュースを噴き出してしまったことを思い出しながら、未使用だったハンカチを差し出す。

 

「ほら」

「……す、済まぬ」

「ていうかぶっちゃけ今、黒崎とどういう関係?」

「ちょっとマハナ! その訊き方ストレートすぎるよ!」

 

 みちるがマハナをたしなめたが、マハナは全く気にしていないようだ。

 一方で千鶴は、頼み込むようにルキアの手を握り「ヒメの純潔を我が手に!!」なんて宣言している。相変わらず千鶴はヤバいな。

 

「千鶴ちゃん……」

「昼間っからデカい声で何つー台詞を吐いてんだ、あいつは……」

「で? 結局のとこどうなのよ? 黒崎のことどうこうって訳じゃないの?」

 

 呆れる竜貴と織姫。そして、マハナは身を乗り出した。

 それに対してルキアは、さっきと同じ曖昧な笑みを浮かべて首を横に振った。

 

「あやつは……ただの、友人だ」

「え、ホントに?」

「恋愛感情ないの……?」

「ないな」

「これっぽっちも?」

「あぁ」

 

 恋愛の話にならなかったことに、女子たちは残念そうだった。

 うーん、一護とルキアか……ないこともないとは思うけど……

 

「じゃあ桜花、あんたは?」

「……はぇ?」

 

 次の被害者は私らしい。

 思わぬ指名に変な声が出た。

 

「むしろ本命はこっちなんじゃないかって、私は思うのよね」

「ちょっと、マハナってば!」

 

 みちるが注意するが、楽しげなマハナは止まらない。

 今度は竜貴や織姫も興味があるようで、揃って私を見つめている。

 

「は? 本命?」

「あー……この際だから言うけど、クラスの連中はだいたいそう思ってるよ。あんたと一護が付き合ってるんじゃないかって」

「えっ!? 桜花ちゃんも黒崎くんのこと好きだったの?!」

 

 竜貴の思わぬ言葉に、織姫が驚きの目で私を見た。

 

 ……え、何これ。どういうこと?

 

「ごめん、ちょっと待って話がよく分かんない。一護と付き合ってるって? 私が?」

「そーそー。小六ぐらいの頃から噂はあるんだけどさ、あんた気づいてなかったの?」

「何それっ! そんなに前から?!」

「やだ、早く言ってよ! そんな面白いこと!」

 

 高校からの友人たちも、織姫と同じく驚いているようだ。

 

 ……いや、それ以上に私が驚いてる。

 小六から? そんなに早くから噂が立っていたなんて。

 

「あんたと一護、昔っからやたらと距離が近かったからね。そう思われても仕方ないって」

「距離は……そりゃ、近いけど……」

「ありゃ。ホントに気づいてなかったのね」

 

 竜貴がやれやれと首を振る。

 

「あんたが中学高校と誰にも告られなかったの、誰のせいだと思ってんのよ」

「誰のせいって……単純に私がモテなかっただけじゃ?」

「まさかぁ。その見た目と性格で、一人も男が寄ってこない訳がないじゃない」

「……そうかなぁ」

「そうだよ。自覚なかったの?」

 

 外見については、自信がない訳ではない。遺伝子学的にそれは証明されている。

 でも、中身は……うーん。

 

「そういうのはだいたい一護のせいよ。しょっちゅうコワモテ不良の一護と一緒にいるのに、そこらの男共が近づけるハズがないでしょ?」

「それは、確かに……」

 

 そういえば、学校の帰りに時々不良に絡まれることがあった。その度に一瞬で伸した上で記憶を改ざんしてたんだけど、もしかしたらそれはそういうことだったのかもしれない。黒崎の女を捕まえてやろう、みたいな。全くもって、見当違いも甚だしい。

 

「ねぇ、黒崎って桜花のことが好きなのかな?」

「もう! マハナ止めなよ! 織姫だっているんだよ!」

「……あ、そっか。ごめん」

 

 ついにみちるが怒り始めて、流石のマハナも我に返った。が、そんなことを気にする織姫じゃない。というか、そんなことに気づく織姫じゃない。

 

「え? 何であたしがいると駄目なの?」

「は?」

「それは、その……」

「あー、はいはい。分かんないなら気にしなくても良いんだよ、織姫」

「……?」

 

 ぽんぽんと竜貴に撫でられた織姫の頭から、次々と飛び出すクエスチョンマークを幻視しそうだ。

 この子は多分、大丈夫だ。そう判断して、私は口を開いた。

 

「一護と私はね、姉弟みたいな関係なんだよ」

「キョーダイ?」

「そう。小一の初対面で、ちょっとビビらせちゃってさ。それ以来、上下関係って言うの? そういうのができちゃったんだよね」

「あの黒崎をビビらせるって、どんな子どもだったのよ……」

「桜花は昔っから変な子だったよ」

「ちょっと竜貴、別に普通だってば。まぁ、ともかく……未だに本人は認めないけど、私はあいつのこと弟みたいに思ってる。当然、そこに恋愛感情はないよ」

 

 仮にあれがワザとだとしても、姉を守ろうとする弟の行動だと思えば納得だ。

 

「だって、かわいい弟に恋するやつはいないでしょ」

「かわいい……黒崎が……?」

「ごめん、ちょっと私らには辿り着けない境地だわ」

「これは……恋人というより飼い主ね。猛犬の」

 

 酷い言い草である。

 これくらいなら、別によくある関係性なんじゃないの? 幼馴染だって、恋愛に発展しない関係だってあるんだから。

 

「酷くない? ねぇ、ルキア」

「……あぁ、そうだな」

 

 やっぱりルキアがおかしい。

 私と色違いの瞳の中にあるのは、漫画通り仲良く話す学生達への羨望、だろうか? いや、それだけじゃない気がする。何だろう……もっとこう、寂しそうというか……

 もしかして、喜助さんが何か言ったんだろうか?

 

「そっかぁ、でも残念だなぁ。桜花ちゃんと朽木さんも黒崎くんのことが好きなら、三対一で私たちの圧倒的勝利だったのに」

「まーたこの子はワケ分かんないことを……」

 

 皆、織姫の頓珍漢な発言に呆れているだけで、ルキアの異変に気づいている者は一人もいない。

 

 私は授業に支障が出るほど上の空でも、話をするだけで気を紛らわせることのできる友人がいる。けれど、現世に来たばかりのルキアにはそこまでの関係性の人物はいない。姪である私ですら、記憶がない以上そういう存在にはなり得ない。

 

 ルキアの様子が変なのも、それに誰も気づかないのも、きっとそういうことなんだろう。

 だからこういう時は、せめて気づいた私が悩みを聞いてあげるべきだし、できるならそうしてあげたいし。

 

 でも……そういう訳にも、いかないんだよなぁ……

 

 内心ため息をつきつつふとルキアに目をやると、紫の瞳が私を見つめていた。

 何? と首を傾げると、穏やかな声で何でもないと返された。

 




思ってたより石田に激おこの方が多くて笑いました。


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三十二、今も昔も

 

 物憂げなルキアが、何も気づいていない一護と帰宅するのをこっそり見送ってから、私も浦原商店へと帰宅した。

 店先に大人三人の姿はなく、ジン太と(ウルル)が座っているだけだった。

 

「お、帰ってきたか」

「おかえりなさい……」

「ただいま。大人組は地下?」

「あぁ。何か知らねーけど、ピリピリしてるぜ」

 

 どーしたんだよ一体、と問うジン太の頭をぐしゃぐしゃと撫でた。反対の手で、同じように雨を撫ぜる。

 

「うわっ! 止めろよ桜花!」

「えへへ……」

 

照れたように頬を染めて私の手を受け入れた雨と違って、ジン太はすぐに手を振り払ってしまった。

 

「そんなんじゃ、誤魔化せねーからな!」

「あら残念。いけると思ったのに」

「おい!」

「はは、冗談だよ。冗談」

 

 この子たちもどんどん成長して、賢くなっていく。

 だからこそ、全てを黙っている訳にはいかない、か……

 

「そうだなぁ……じゃあ、尸魂界(ソウル・ソサエティ)絡みなのは気づいてる?」

「うん……それは、何となく」

 

 時間はある。

 少しだけ話をしても、今夜の邂逅には間に合うハズだ。

 

 私は、離れて座っていた二人の間に腰掛けた。

 

「実はね、今朝から尸魂界の死神がこの町に派遣されてるの」

「はぁ? 何で?」

「ルキアを捕まえるため」

「え……」

 

 二人の顔が驚愕に染まる。

 

「何でだよ、アイツ何かしたのか?」

「あー……そこからか」

 

 いつものごとく、喜助さんは秘密主義らしい。

 子どもたちに伝えていないだけではなく、共犯者の私にも隠し事をしていることも多々あるから本当に笑えない。報連相、大事。

 

「死神の力を人間に渡すのは、尸魂界において重罪。ルキアは、その罪を犯してしまった」

「もしかして、その人間って一護っつー奴のことか?」

「そう、黒崎一護。私の幼馴染だよ」

「……すごい、偶然だね」

 

 雨がぽつりと呟いた。

 その言葉に、ジン太がハッとした顔をする。

 

「そうだよ! そんな偶然あるか? たまたまこっちに来た死神が叔母さんで、ソイツがお前の幼馴染に力を渡すなんてよ!」

「うん。普通はないよね。だからこそ、それが本当に偶然かどうか調べなきゃならない」

 

 BLEACHの悪役は、藍染惣右介だ。

 一護が死神になったのも、一護がルキアに出会ったのも、全て藍染の計画によるものだ。だから、それらの事象は偶然ではない。

 けれど、イレギュラーな私が『この時期にこの町にいる』という事実まで、藍染のせいにすることはできない。

 だから、調べなければならない。

 

「尸魂界だって馬鹿じゃないから、いつまでもルキアを隠しておくことはできない。だから今回は様子見のつもりでいるんだよ」

「え? 止めないの……?」

「うん、止めない」

「それって……アイツを見捨てる、ってことか……?」

「簡潔に言えば、そうなるね」

 

 血の繋がった身内を見捨てる。

 その言葉は、子どもたちに少なからずショックを与えてしまったようだった。

 

「そんな……」

 

 雨が悲しげに俯いた。ジン太は、複雑そうに目を彷徨わせていた。

 しかし、「優しい子ね」と二人の頭に再度伸ばしかけた手は、すぐに止めざるを得なくなってしまった。

 

 次いで放たれた、雨の言葉が原因だった。

 

「じゃあ……私たちのことも、いつか見捨てちゃうの?」

「っ……!?」

 

 ――私たちのことも、いつか見捨てちゃうの?

 

 たったそれだけの言葉が、胸の中で重石となってのしかかってきた。

 

 私は息をするのも忘れて、二人の顔を凝視することしかできなかった。

 

 血の繋がった身内を見捨てるつもりでいること……それから、血の繋がった身内を騙して崩玉を埋め込んだこと。

 

 私のやっていることの非人道性を、改めて叩きつけられた思いだった。

 お前がやったこと、やろうとしていることは、そういうことなんだぞと警告された気分だった。

 

「雨……ジン太……」

 

 私が、二人を見捨てるハズがない。

 浦原商店の皆、クラスの友人たち、黒崎一家、そして尸魂界の父様と母様。彼らのことを、私は見捨てることができない。

 

 しかし……果たしてその中に、朽木ルキアは含まれているのだろうか。

 

「これだけは、信じてほしい。私には、雨とジン太を見捨てることはできない」

「でも……本物の家族のことを見捨ててんのに、偽物の家族を見捨てないってのもオカシイだろ! だから――」

「おかしくないよ」

 

 ジン太の言葉を遮って、言った。

 

 おかしくない。

 おかしいのは私の思考であって、私と子どもたちの関係は何もおかしくないんだから。

 

「確かに、私のやっていることは赦されることじゃない。でも……だからといって、私たちの関係が紛い物だとは限らない。それとこれとは、別の話なんだよ」

「別の、話……」

「そう。例えば、喜助さんと知らない他人が(ホロウ)に襲われてて、どちらかしか助けられないとしたらどっちを助ける?」

「他人だろ」

「え……即答?」

「だって……キスケさんなら、虚くらい倒せるもん」

「あぁ、そりゃそうだ」

 

 例えが悪かったか……じゃあ、これなら。

 

「単純に……喜助さんと他人、どちらかが死ななきゃいけなくなったら、どっちに生きててほしい?」

「そりゃキスケさんだろ」

「私も……」

「でしょ? それと同じで、私にも絶対に見捨てられない人たちがいる。その中にはもちろん、血の繋がりのない人だっていて……雨とジン太も、その中に入ってる」

 

 だから、不安に思う必要はない。そんな、捨てられた仔犬のような表情(カオ)はしなくてもいい。

 

 そんな思いを込めて、両腕で二人を抱き寄せた。

 今回はジン太も、私の腕を拒絶しようとはしなかった。

 

「そっか……ならいいや」

「……うん、分かった」

 

 二人が頷いた感触が両肩に伝わってきた。

 そして、ジン太が言った。

 

「……なあ。あのルキアってやつは、その中に入ってないのか?」

「…………」

 

 私は、その問いには答えられなかった。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 時刻は深夜一時を回り、草木も眠る丑三つ時まであと少し。喜助さんと私は、空座町上空に佇んでいた。

 

 霊圧を完全に隠蔽できる私は普通の死覇装姿で、喜助さんは霊圧を遮断する外套姿で。さらには"曲光"まで掛けて、準備は万端だ。

 これで、私たちがここにいることは誰にも判別できない。

 

「いよいよっスね」

「うん」

「大丈夫っスか?」

「うん」

「彼らに話し掛けちゃ、駄目ですからね」

「うん」

「……えーっと、桜花サーン?」

「うん」

 

 朝からずっと捕捉していた二人分の霊圧は、今もなお動き続けている。それらが止まるその時を、私たちはこうして待ち続けている。

 

「……喜助さん」

「ハイ」

「私が変な真似したら、止めてね」

「何スか、変な真似って」

「…………」

「はぁ……しょうがないなぁ……」

「ありがと」

 

 うんざりしたようなため息が聞こえた。

 私は呟くように礼を言って……そして、気づいた。

 

 二つの気配が一箇所に留まっているということに。

 

「……行きますよ」

「うん」

 

 私たちは、ほぼ同時に宙を蹴った。

 二つの気配にぐんぐん近づいていく。

 

 一つは知らないもの。恐らくは、阿散井恋次のものだ。

 

 そして、もう一つは――

 

「とう、さま……」

 

 姿が見えた。

 

 屋敷でよく見た、隊長羽織なしの死覇装。

 僅かに残った記憶の中のものと、同じだった。

 

 何も、変わっていない。

 

 あの時の姿形のままの朽木白哉が、そこにいた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 父様に抱きかかえられて隊舎を訪れたことが、一度だけあった。

 

 本当は何度も行ったことがあったのかもしれない。けれど、私の記憶の中に残っているのは、その一回のみだった。

 

 あれは、私が尸魂界に生を受けてニ年ほど経った頃だった。まだ早くは歩けなかった私は、父様の腕の中の高い目線から、立ち並ぶ隊舎の様子をまじまじと見つめていた。

 

「あれ? 隊長、今日は非番では?」

「あぁ、野暮用だ。気にするな」

「こんにちは!」

「あら、こんにちは。娘さんですか? 可愛いなぁ……」

「当然だ」

 

 話し掛けてきたのは、恐らく六番隊の上位席官だったのだろう。でなければ、私服姿の父様を六番隊隊長だと判別した上で、とっつきにくい父様に気軽に話し掛けるなんてことはできないハズだ。

 父様は親馬鹿な台詞を素っ気なく吐くという器用な真似をしてから、また歩き始めた。私が肩越しに彼女に手を振ると、席官らしき女性死神は笑顔で振り返してくれた。

 

「どこにいくのですか?」

「十三番隊舎だ」

「じゅうさん?」

「そうだ。浮竹隊長が連れてこいと喧しくてな」

 

 浮竹隊長!

 生まれてこの方、ほとんど家から出たことがないから実感がなかったけれど、ここは瀞霊廷だ。さらには父様が隊長だから、他の隊長や貴族とも関わることができる。

 あぁ、もっと産まれるのが早ければ、四楓院夜一とか浦原喜助とか、仮面の軍勢(ヴァイザード)の面々とかにも会えたかもしれないのに……もしくは現世に産まれていたら、黒崎一護にだって会えたかもしれないのに……。

 まぁ、だからといって現状に不満がある訳ではないんだけど。

 

 父様の歩くスピードは、その高身長に見合うだけ速い。だから、私がそんな脳天気なことを考えているうちに、目的地に到着してしまった。

 

「邪魔をするぞ」

「白哉か、いらっしゃい」

「よく来たねぇ。お、その子が娘さん?」

 

 庭園の池に面した離れにいたのは、ストレートな白髪の男性と、癖毛な黒髪の男性の二人だった。

 

「……何故、兄まで居るのだ」

「別に良いじゃない、ボクも会いたかったんだよ」

 

 呆れの混じった父様の言葉にへらりと笑うのは、八番隊隊長の京楽春水だ。まさか、この人にまで会えるとは思わなかった。

 

「はじめまして、くちきおうかともうします」

「おぉ、そうかそうか! 偉いなぁ、挨拶もできるなんて」

 

 ともかくまずは挨拶だと小さく頭を下げると、二人の隊長は分かりやすく相好を崩した。

 

「俺は浮竹十四郎。十三番隊の隊長をやってるんだ」

「ボクは京楽春水っていうの。よろしくね」

 

 二人の雰囲気はひたすらに柔らかい。父様以上の実力者であることを忘れさせるくらいだった。

 

「うきたけさまと、きょうらくさま?」

「そうそう。あ、ボクのことは春水でも良いよ」

「え? しゅんすいさ――」

「桜花、普通に京楽と呼べ。それから『さま』ではなく『さん』で構わぬ」

「あ……はい、わかりました」

 

 被せるように注意した父様に、大人しく頷いてみせた。言葉遣いを綺麗にしろと言われることはあっても、「この程度で構わない」と言われることは初めてだった。

 

「あらら、残念……」

「余計な真似はしないでいただきたい」

「はは、お前も人の子だな」

 

 立派な親馬鹿じゃないか、と浮竹さんが笑う。

 

 確かに『春水様』っていうのは、ちょっとアレかもしれない。だからといって『様』呼びを回避させた父様も、ちょっとアレだと思う。

 これは将来、私が夫となる人を見つけた時に「娘が欲しくば、私を倒してみよ」とか言いそうな感じだ。何だか嬉しいような、大変なような。

 

「あぁそうだ。お菓子はいるかい?」

 

 にこにこ笑っていた浮竹さんが何かを思いついたように手を打った。

 

「はいっ!」

 

 お菓子はほしい。私は元気良く頷いて、父様の腕からするりと抜け出した。「あ」と小さな声を漏らした父様を尻目に、畳に並ぶ湯呑みを蹴飛ばさないように浮竹さんの元へ駆け寄る。

 

「大福は……まだ早いか。喉に詰まらせたら大変だからな。他には、煎餅と饅頭と金平糖と羊羹と……あとは苺もあるけど、どれがいいかい?」

「……ちょっと多過ぎやしないかい、浮竹」

「そうか?」

 

 浮竹さんの膝に乗せられて見ていると、まぁ出てくる出てくる。和菓子だけでなく果物まであるとは流石に思わなかったが。

 それだけ種類があると迷ってしまう。私は少しだけ考えて、手を汚さず簡単に食べられる金平糖を選んだ。

 

「えっと、じゃあこんぺいとうください」

「金平糖か。ほら、どうぞ」

「わぁ! ありがとうございます!」

 

 浮竹さんが開けてくれた瓶には、色鮮やかな金平糖がぎっしり詰まっていて、食べるのがもったいないくらいに綺麗だった。

 私は薄桃色のものを一粒つまみ上げて、じっくり眺める。そして、もったいぶって口の中に転がした。桃風味の優しい甘さが、ほんのりと口内に広がる。

 

「おいしいなぁ……」

「そうだろう? 俺のお気に入りの店のなんだ」

「岩戸庵のやつかい? ボクももらおうかな」

「白哉もどうだい」

「済まぬが、甘い物は苦手なのだ」

「そうか……なら、この激辛煎餅はどうだ?」

「……頂こう」

 

 私と母様が甘い物好きなのに対して、父様は辛い物に目がない。父様が手に取った煎餅は真っ赤な粉がまぶしてあって、「私は辛いですよ」と激しく主張していた。

 そんなのよく食べられるよなぁ、と遠い目をしていた私だったが、急な来訪者の声で我に返ることとなる。

 

「隊長ー! 休憩中すいません、こないだの書類のことなんすけど――」

 

 ひょい、と離れの簾をめくって顔を覗かせたのは、目つきの悪い黒髪の青年だった。青年は私たちの存在に面食らったように瞬きを繰り返し、そしてバツの悪そうな顔をした。

 

「あー……失礼しました。隊長方がいらっしゃってるとは……」

「良いよ良いよ、気にしなくて。ねぇ、朽木隊長?」

「あぁ」

「ありがとうございます」

 

 京楽さんが気にするなと笑い、父様は落ち着いた様子で頷いた。二人の怒気のない反応に、死神の青年は安堵したようだった。

 

「急用かい? 海燕」

「はい、実は――」

 

 カイエンと呼ばれた青年は、さっと真面目な表情になって話し始めた。ただ、未だに浮竹さんの膝の上に納まっている私の存在が気になるのか、ちらちらと私に注意を向けているのはご愛嬌だ。

 

 カイエン、と聞いて思いつくのは志波海燕ただ一人。志波家の長男で、槍型で流水系の斬魄刀を操る十三番隊副隊長だ。

 今はこうして何事もなく立っているけれど、彼は十数年、もしくは数十年の後に亡くなってしまうことを私だけが知っている。

 

 何だか複雑だなぁ、とどこか他人事のように感じながら金平糖を口へ運ぶ。何気なく彼の顔を見上げると、目が合った。どうやら急用とやらは片付いたらしい。

 

「それで、この子はどうしたんです? 隊長の親戚とか?」

 

 やはりずっと気になってはいたようで、志波さん――いや、志波さんだと紛らわしいか――海燕さんが浮竹さんに訊ねた。

 

「いや、白哉の娘さんだよ」

「……は?」

 

 浮竹さんの隣にしゃがみ込んで私の頬をつついていた海燕さんが、私の頬に指をくっつけたまま静止した。

 

「くちきおうかともうします。はじめまして」

「お、おう……はじめまして……?」

 

 固まってぎこちなく答えた海燕さんは、数秒で全てを理解したらしく、ブリキ人形のように不自然な動きで父様の方を向いた。そっと頬から指を離す。

 

「……あの、朽木隊長。すみません」

「構わぬ」

「かまわぬ!」

 

 元より、父様も私も大して気にしていない。

 場を和ませようと父様の真似をして胸を張ると、父様を除く大人たちが吹き出した。

 

「ははは、そっくりじゃねぇか」

 

 海燕さんが、笑いながら私の頭を撫でる。

 

「俺は志波海燕、よろしくな!」

「はい!」

 

 その笑顔は、まるで太陽だった。

 ありふれた表現だけれど、それ以外に当てはまる言葉が見当たらなかった。

 おそらくこれが、こういうふとした時の表情が、この世界の主人公とされる少年と似ていると言われる所以なんだろう。

 

 そう密かに思って、私もにっこり笑ってみせた。

 



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三十三、護りたいもの

 

 久々に、昔の夢を見た。

 

 私の記憶は夢を通してしか戻ってこなかったけれど、それでも三歳までのほとんどの出来事は思い出していた。

 けれど、今回のものは初めて見る夢だった。だから知らなかった。尸魂界(あっち)での私が、他の隊長格とも面識があったなんて。

 

「……はは」

 

 頬が妙に冷えていて、触れると僅かに湿っていた。呆れて、掠れ声で笑う。また、泣いてたのか。

 

 記憶の中の父様は相も変わらず物静かで……それなのにとんでもなく親馬鹿で、優しかった。

 漫画の中で、ルキアを席官に就かせないように取り計らっていた、あの不器用さも私には理解できる。父様は、そういう方だ。

 

「あ、そういえば……」

 

 私は確か、喜助さんと二人で父様の元へと向かって、そして――

 

「父様っ……!!」

 

 跳ね起きる。

 ここは、自室だ。

 

 おかしい。記憶がないなんて。

 まるで父様の姿を認めたその瞬間から、ぷっつりと意識が途切れたかのように。何も、覚えていない。

 

 私はのっそりと立ち上がって、窓の外を見る。

 

 ――外は、明るかった。

 

「喜助さんかっ!!?」

 

 何だろう、前もこんなことがあったような。

 妙なデジャヴを感じながら、私は扉を蹴破る勢いで開けた。階段を駆け下りる。

 

 現在、夜一さんは外出中。

 鉄裁さんは居間。

 昨日で小学校も終えた子どもたちは店番。

 そして――

 

「ちょっと喜助さん!! 何があったの!? ていうか私に何したの?!」

「…………」

「起きろ!!」

「うわっ……!!」

 

 敷布団を引っ掴んで容赦なく持ち上げると、眠りこけていたその人は悲鳴を上げて畳に転がった。そして、壁にぶつかって止まる。

 

「痛たた……寝てる人に何てことを……」

「昨日、何があったの?!」

「布団返してくださいよ……さっき寝たところなんスから……」

「昨日! 何があったの?!」

「……霊圧が漏れそうだったんで、止めたんスよ」

 

 畳に仰向けに寝転んだままの喜助さんが、寝癖で毛先があちこち跳ねた頭をかきつつ、ぼそりと呟いた。

 

 そういえば、霊圧遮断型外套の着用を断ったんだった。私は自力で霊圧を消せるから、大丈夫だと判断したんだっけ。

 

 あの時は確かに吸い込まれるように父様に釘付けになっていたし、あのままでいれば感情の揺れと共に霊圧が漏れ出てしまっていてもおかしくなかったのは事実、か……

 

「あのままだと、確実に彼らに見つかっていたでしょう。だから外套を着ろと言ったのに……」

「いや……うん、ごめん。それは私が悪かった」

 

 それに関しては私に非がある。

 上の空でマトモな判断ができなかったこと、そして案の定霊圧が不安定になってしまったこと。

 

 でも、である。

 

「――でも、さ」

「え?」

 

 でも私が怒っていたのは、そのポイントに対してではない。

 

 そもそもの問題として。

 

「次の日まで気絶させる必要、あった?」

「…………」

 

 喜助さんが滑るように目を逸した。

 

「時計見える? 今何時かな?」

「……朝の、九時」

「正! 解!」

「ちょっ……!」

 

 喜助さんの最後の砦――大事そうに掴んでいた掛け布団も引っ剥がしてやった。

 

「すいませんって! ちょっと縛道の調節をミスっちゃったんスよ!」

「ミス、ねぇ」

 

 ミス? よりにもよって喜助さんが縛道の調節をミスった? 

 まさか、そんなハズはない。

 

「今日って終業式なんだよね。知ってた?」

「当たり前でしょう」

「もう間に合わないよね」

「義魂丸に向かわせたんで、大丈夫っスよ」

「一護、立ち直れた?」

「それも、ご心配なく」

「……父様は、私に気づいてた?」

「…………いいえ」

「そっか」

 

 ――ミスだなんて絶対に嘘だよ。追及しないのかい?

 

 心の中に響いたのは斬魄刀の声だ。

 追及は、しない。したいけど。

 

 ――へぇ、どうして?

 

 分かってるくせに。

 そう言葉を返すと、彼はけらけらと楽しそうに笑った。

 

 ――まぁ、そうだよね。それでずいぶん、助けられた訳だし。

 

 そうだよ。そもそも訊いたって答えてくれないだろうし。どうせ変な気を遣ったとか、何かの策略があるとか、そんな感じでしょ。

 

「……一護は、学校終わったらすぐに来るの?」

 

 はぁ、と大きなため息をついて掛け布団を投げ渡すことで、「ひとまずこの話は終わりだ」と示してみせる。喜助さんは、私の切り替えにすぐに反応した。

 

「……でしょうね。薬も渡しましたし、万全の状態で戻ってくると思いますよ」

「薬……嫌な予感しかしないんだけど」

「大丈夫っスよぉ、ちょーっと細胞分裂のスピードを上げるだけですから」

「あ、そう……」

 

 もう寝るのは諦めたのか、ヘラヘラ笑う喜助さんが布団を畳みながら言った。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 そして、正午を少し過ぎた頃。

 義魂丸入りの私の義骸が帰ってきて……そしてその一時間後に、私服姿の一護がやってきた。

 

「よろしくお願いします!!!」

 

 大気が震えるほどの大声で叫んで、一護が頭を下げた。何があったのかと問う喜助さんに「別に何も」と答え、そして店先に立つ私に向き合った。

 

 やけに眩しい、強気な笑顔が私に向いた。

 

「見てろよ、桜花」

「……は?」

「お前が護りたいもん……オレが全部、護ってやるからよ」

 

 驚きと混乱で、二の句が継げなかった。

 

 一護が何を言いたかったのかは分からなかった。けれど、ニカッと笑ったその顔には見覚えがあった。

 

 そうだ。あの顔は、昨日の。

 

「おい、何ボンヤリしてんだ。修行、地下でやんだろ? 早く行こうぜ」

「……え?」

 

 一方で、言いたいことを言ったらしい一護は、すっきりした表情で私の肩を叩いた。そして、既に店内に入ってしまった喜助さんの後に続いて、私の横を通り過ぎていった。

 

「ちょっと、何? どうしたの、急に――」

「何だって良いだろ。ほら、早く来いよ」

 

 良い訳がない。

 

 が、その張本人は店内にいる。仕方なく私もそれを追いかけ、『本日閉店』の紙を扉に貼り付けて駄菓子屋の引き戸を施錠した。

 

 「お前が護りたいもん」が何なのか訊ねても、一護は「何でもない」の一点張りでついに教えてはくれなかった。

 

 その後……してやられた感じがしたのが何だか悔しくて、チマチマと梯子を降りる一護を引っ掴んで一気に地面まで飛び降りてやった。

 殺される直前のような悲鳴を上げた後、ぐちぐちと文句を言っていた一護を、ジン太が指をさして笑っていた。

 

「桜花、テメェ……!!」

「まーまー。大人になりなよ、一護」

「お前が言うな!!」

 

 肩を怒らせていた一護だったが、しばらくして諦めたように息を吐いた。

 

「ったく……まぁいいや。時間がねぇんだろ? さっさと始めちまおうぜ」

「おや、良い心掛けっスねぇ。そんじゃ、お望み通り……」

 

 喜助さんが、ひらりと杖を振り上げる。そして、一護の額を一突き。

 

「さっさと始めましょ」

「おギャー!!!」

 

 本日二度目の絶叫だ。

 ただ単に魂魄を抜き取るだけにしては突き飛ばす力が強過ぎな気がするが……お気の毒に、としか言いようがない。

 

 今から一護は父様に壊された、霊力の発生源である魄睡(はくすい)と、ブースターである鎖結(さけつ)を再生させなければならない。魄睡と鎖結を破壊するだなんて、なかなかにえげつない……が、状況を鑑みるに、そうなっても仕方なかったんだろうと思う。いや、思わざるを得ない。

 

「……よ、よろしくお願いします」

 

 ペコリと頭を下げたのは、二人分のサポーターを抱えた(ウルル)だった。こんな子どもとは戦えないと騒いでいる一護の気持ちはよく分かる。だって、私には絶対に殴れない。

 

「これ……ちゃんとつけてくださいね……」

 

 雨は自分のヘッドギアを装着し、グローブをはめる。

 そして、一護の分のサポーターをボトボトと地面に落とした。

 

「死にますから」

 

 一護がそれらを拾うより早く――雨が、地面を蹴った。

 

 爆音と共に硬い地面が砕ける。砂埃が舞い、一護の姿は見えなくなった。

 

 一応漫画とは違って、拳が当たっても死なないようにサポーターを加工してあるとはいえ……心配だよなぁ……

 

「――あ、出てきた」

 

 しかし、一護は無傷で煙の中から飛び出した。そして、雨をスルーしてサポーター目掛けて駆け出した。

 

「おおっ! 向かっていった! スルーした!!」

「……楽しんでるね、皆」

「えぇ、そりゃあもう」

「楽しまなきゃソンだろ」

「……私は楽しんでませんぞ」

「まぁ……鉄裁さんはそうだろうね」

 

 ホッと胸を撫で下ろす私の横で、喜助さんとジン太は完全に観戦モードだ。否定する鉄裁さんだって、割と他人事な雰囲気である。

 

 というか、そもそも最初の一撃を躱した時点で第一段階はクリア、じゃなかったっけ?

 

 あーあ……頑張れ一護。私は応援してるよ。

 

「どうやって着けんだよコレー!?」

「黒崎サン黒崎サン!」

 

 全力疾走しながら、拾ったヘッドギアを握りしめて叫ぶ一護に、喜助さんが声を掛けた。

 ……うわぁ、悪い顔してるなぁ。

 

「おでこにこうやってくっつけて、思いっきり叫ぶんス。『受けてみよ、正義の力! 正義装甲ジャスティスハチマキ!! 装・着っ!!』」

「そ、そうか! こうやっておでこにくっつけて……って、できるかー!!」

 

 見事なノリツッコミと共に、一護はヘッドギアを投げ捨てた。けれど雨の追撃は止みそうにない。仕方なく、一護は例の恥ずかしい詠唱をこなしてみせる羽目になった。

 

「うっ……受けてみよ、正義の力! 正義装甲ジャスティスハチマキ!! 装・着っ!!!」

 

 こういうのを、事故現場っていうんだと思う。

 

「うわぁ……ホントにやっちゃったよ、この人……」

「てめえ!!!」

 

 ドン引きする喜助さん。そして、身体を折って爆笑する私。

 

「おい桜花ァ!! お前も知ってただろ!」

「いやー……あははっ……お、応援してるよ……頑張れ、いち――ぶふっ!」

「てんめぇ……」

 

 そうしているうちに一護は何とかヘッドギアを装着し、ついには雨の攻撃を正面切って躱せるようになった。

 そこで私は、そっと喜助さんに訊ねる。

 

「ねぇ。これ、いつ止めるの?」

「そろそろっスねぇ」

「そろそろっていうか、最初の一発で止めても良かったんだけどね」

「それは言わない約束っスよ」

 

 のんびりと話してはいるが、事態はなかなか不思議なことになっている。

 

 逃げの一手から正面からの殴り合いにシフトチェンジした一護が、予想外に強かったんだ。

 

 むやみやたらと拳を突き出すのではなく、適切な場所に、そして適切な速さで繰り出される突き。この無駄のない動きは、チンピラ共との喧嘩から得たものでは決してないハズだ。

 

「しっかし……ものすげー攻めるな、アイツ」

「これは予想外っスねぇ」

 

 ――これはもしかして、空手?

 

 そう思い当たったその時、ついに決着がついた。

 

 雨のヘッドギアに掠らせた拳が、雨のバランスを崩し……後は体格差を利用した一護が雨を押さえ込んだ。一つの掠り傷も負わせずに、である。

 

「よっしゃあ!!」

 

 勝鬨は上げたものの、すぐに雨の上から退けた一護が、悪かったなと雨に手を差し出す。怪我のない雨は暴走などせず、それどころか普段の雨の様子のまま恐る恐るその手を取った。

 

「勝っちゃったよ……」

 

 目が点になる思いだった。

 これって漫画では負けてたよね? 我を忘れた雨に蹴られて終わり、だったような気がする。それなのに何故……と考えて、ふと先程頭を過ぎった単語を思い出した。

 

 ――空手だ。

 

「いやはや、まさか勝てるとは……何かの武道でもやってたんスか?」

「四歳の頃から空手をな。一応、黒帯は持ってる」

「黒帯?! いつの間にそんな……」

 

 そういえば、この世界の一護は未だに空手を続けている。

 

「いつまでもお前に護られてばかりじゃいられねぇだろ。だから空手だけでもって、ずっと続けてたんだ」

「あぁ、あの時の……」

 

 バタフライエフェクトって本当に侮れない。

 

 思い出されるのは、グランドフィッシャーを喜助さんが倒した翌週のこと。一護は確かに、私のことも護ると宣言していた。

 あれ以降、空手に打ち込むようになったとは知っていたけれど、まさか黒帯を得るほどに強くなっているとは思わなかった。

 

「おい、浦原さん! この子を伸すのは無理だからな」

「分かってますって。間違いなくアナタの勝ちっスよ」

 

 喜助さんが「ピンチ時に霊力が上がる」という説明をしている間に、私は無傷でヘッドギアを外した二人の元に歩み寄り、雨の頭を撫でる。

 

「相手が体格のある有段者じゃ仕方ないよ。お疲れ様」

「……うん」

 

 そして、説明を聞き終えた一護の顔を見上げた。

 

「ここから先の修行……っていうか次の段階は、かなり厳しくなる。正直、私だったらやりたくないし、下手したら死ぬかもしれない。……それでも、続ける?」

 

 「死ぬ」という言葉に表情が引きつっていた一護だったが、それでも続けるかという問いには即答した。

 

「当たり前だ。ここまでやって、引き返すも何もないだろ」

「なるほど。じゃあ、このまま――」

 

 鉄裁さんが、大きな斧を振り上げた。

 一護は、喜助さんと私に気を取られていて気づかない。

 

 そして斧は、一護の因果の鎖を断ち切ってしまった。

 

「なっ……!?」

「――レッスン2に突入しちゃっても、構いませんよね」

 



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三十四、護れなかったもの

連休で暇なので、ストックが溜まっていないにも関わらず投下。
硬い文章って書いてて楽しい。



 

 尸魂界(ソウル・ソサエティ)の最高司法機関、中央四十六室。

 死神の犯した罪は全てここで裁かれ、例え護廷十三隊の隊長であろうとその裁定に口を出すことは叶わない――そういう機関である。

 

 四十六室の構成人員は裁判官と、尸魂界の誇る賢者と()()()者たちである。

 しかし、彼らを本当に誇りに思っている者など、上層部の事情を何も知らない護廷十三隊の平隊員くらいのものである。

 何故なら立場が上の者だけが知っているからだ。彼らが、非常に頭の固い頑固者の集まりであるということを。

 

「第一級重禍罪・朽木ルキアを極囚とし、これより二十五日の後に真央刑庭(しんおうけいてい)にて極刑に処す」

 

 そして、罪人の属する家の当主であるために、裁定の場にいることを許された朽木白哉。六番隊隊長である彼も、四十六室の頑迷の程をよく知る者であった。

 

 だから、白哉は分かっていた。

 朽木家当主であり六番隊隊長でもある己でさえ、この決定を覆すことはほぼ不可能であるということを。

 

「……発言を、許してはいただけぬだろうか」

 

 それでも、白哉は口を挟まずにはいられなかった。

 

 ほぼ不可能……それでも、極僅(ごくわず)かながら可能性が残っているのならば、黙っている訳にはいかなかった。

 

「良いだろう。発言を許可する」

「感謝する」

 

 四十六室の賢者の一人が、尊大に頷いた。

 形ばかりの礼を述べ、白哉は一歩前へ進み出る。

 

「此度の義妹の仕出かしたことは、赦されることではない。当然、極刑を処されることに疑問などない」

 

 単に事実を述べただけの白哉に、何が言いたいのだろうと四十六室の賢者たちは一様に疑問を抱いた。

 しかし次に発せられた白哉の言葉は、彼が何を言わんとしているかを賢者たちに悟らせるのに、十分な意図を有していた。

 

「だが、そうせねば義妹の命はおろか、周囲にいた人間まで犠牲になっていたのもまた事実」

「ほう……」

 

 ざわつく四十六室から片時も目を離さず、白哉は床に片膝をついた。

 

「結果論ではあるが、義妹の愚かな行いが救った命もある。そのことも、ご考慮いただきたく存ずる」

 

 大貴族は、そう易易と頭を下げてはならない。

 そのため片膝をつくという行為は、朽木家当主という立場にある者として、最大限の礼の尽くし方であった。

 

「なるほど……貴様は、我ら四十六室の決定に異論を唱えるつもりでいるのだな」

「愚かなのは貴様の方だ。誰に向かって物を言っておるのだ」

 

 次々と飛び出す高慢な台詞に、白哉は不快な心情を表に出さないよう努めた。今ここで、彼らに反抗していては元も子もないのだから。

 

「そうではない。私は……この期に及んで、情けなくも義妹の減刑を乞うているのだ」

 

 四十六室のざわめきが、嘲笑に変わる。

 それを感じつつも、白哉は決して顔を下げなかった。

 

「自分が何を言っているか、分かっているのか?」

「大貴族の誇りはどうした。この、恥晒しめ」

「……恥など、いくらでも晒そう」

 

 恥晒し。その言葉は、確かに白哉の心に突き刺さった。

 けれど、彼は折れなかった。

 白哉は、芯の通った声で語る。

 

「掟を守り、貴族として在ることは、私の朽木家当主としての誇りだ。しかし……護るべき者を護ることもまた、私の誇りなのだ」

「それが、朽木ルキアとでも言いたいのか」

「その通りだ」

「……堕ちたものだな、朽木白哉」

「これを堕ちたと断ずるならば、それも甘んじて受け入れよう。私は、どんなに恥をかこうとも、私の誇りに泥を塗るような真似はしない」

 

 減刑を乞うことにより、朽木家を汚してしまうかもしれない。

 だが家族を見捨てて朽木家の看板を守るという行為の方が、当主である白哉の誇りを汚す耐え難い屈辱であったのだ。

 

「――当主である私が護らずして、誰が朽木家の者を護るというのだ」

 

 静かな、それでいて迫力のある宣言に、四十六室の者たちは確かに呑まれていた。

 

 広い空間が静寂に包まれた。

 

 けれど……それも数秒のこと。

 プライドの高い彼らは、自らが臆してしまっていたことに愕然とし、そして激昂した。

 

 そして、彼らは決して言ってはならないことを口にしてしまう。

 

「ハッ! 護るべき者? 笑わせる!」

「その『護るべき』妻子をむざむざ失った貴様が何を言うか!」

「…………っ!!!」

 

 視界が真っ赤に染まった。

 

 そう錯覚させる程の怒りが、白哉の全身を支配した。噴き出した強大な霊圧が大気を揺らす。

 

 むざむざ失った……確かにそうだ。

 私は二人を護れなかった。胸の奥に凝り固まったその後悔を、その悲哀を、今日まで殺して生きてきた。

 それを、何も知らぬ貴様等にあれこれ言われる筋合いはない――

 

「朽木白哉! 霊圧を抑えよ! 此処を何処だと心得る!!」

「っ……!」

 

 ぐっ、と声にならない息を押し殺して、荒れ狂う感情を必死になだめる。白哉は初めて視線を床に落として、無表情の仮面を顔に貼り付けようと唇を引き結んだ。

 

 ここで、これ以上霊圧を暴走させる訳にはいかない。落ち着け、と己を説き伏せる。

 そして、規則正しい呼吸ができるようになるのも待たず、白哉は絞り出すように言った。

 

「……済まぬ。少々、取り乱した」

 

 目を閉じる。

 

 緋真と添い遂げ、愛情というものを知った。

 桜花を授かり、一家の長としての役割を知った。

 そしてルキアを朽木家に迎え入れ、当主としてのもう一つの誇り――すなわち、朽木家の者を護るという誇りを知った。

 

 だからこそ救いたかった。

 けれど、二人を護れなかった。

 

 だから、今度こそ。

 

「再度、乞う」

 

 灰色の瞳を開いて、白哉は立ち上がった。そして、高みより白哉を見下ろす彼らの顔を見据えた。

 

「朽木ルキアの減刑を――」

「ならん」

 

 有無を言わさぬ返答だった。

 握り締めた拳が、微かに震える。

 

「我等の裁定に間違いはない。よって極刑は覆らぬ。いくら朽木家当主とはいえ、そのような身勝手が許されると思うな」

 

 裁定は下された。

 

「朽木家当主・朽木白哉の請願は、中央四十六室の名の元に却下された。これにて、閉廷とする」

 

 ――だが、まだだ。まだ、希望が潰えてしまった訳ではない。

 

 堂々と胸を張り、何食わぬ顔の仮面を被ったまま、白哉は扉へと踵を返した。

 

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 

 この部屋には小さな窓がある。

 

 その僅かな隙間から差し込む日の光だけが、牢の中にいるルキアに現在時刻を伝えてくれる唯一の存在だった。

 

「……私は、極刑となるのだろうな」

 

 ルキアは誰にともなく、消え入りそうな声で呟いた。

 

 しかし看守を務める平隊員の死神も、ルキアの呟きには気がつかなかったようだ。

 もしかしたら心の中で呟いただけで、実際は声に出ていなかったのかもしれないが……どちらにせよ、ルキアにはそれを確かめる術がなかった。

 

 そうして静かに物思いに耽っていた時、ふと外へと繋がる扉の外によく知る霊圧を二つ感じた。

 

 ――白哉兄様と、恋次だ。

 

 扉に背を向けるように置かれた椅子から立ち上がって、ルキアは格子の正面にある扉の方を向いた。

 

 恐らく、四十六室の裁定が下ったのだ。

 腹に響くような重低音と共に、『六』と刻まれた分厚い扉が開く。

 

「白哉兄様……恋次……」

 

 入ってきた二人はいつもと変わらないように見えた。

 

 強いて言えば、恋次が若干不安げなくらいか。

 極刑だなんて言えば、恋次が狼狽えるのは分かりきっている。だから恐らくルキアの刑罰について、まだ知らされていないのだろう。

 

「兄様、四十六室は何と……?」

「そうっスよ隊長! 教えて下さい! ルキアは一体どうなるんスか?!」

「……そう急くな」

 

 義兄は落ち着いた態度で、懐から取り出した書類を広げる。

 その冷静な言動に、ルキアは自らの刑を悟った。

 

「……第一級重禍罪・朽木ルキアを極囚とし、これより二十五日の後に真央刑庭にて極刑に処す」

「まさか……!」

 

 恋次が悲痛な声を上げた。

 それに対して、ルキアは顔色一つ変えなかった。

 

「朽木隊長……どういう……」

「聞いた通りだ。何度も言わせるな。……これが、尸魂界の最終決定だ」

 

 白哉の表情は、これから義妹を失う者のするものではなかった。そんな白哉を、恋次が信じられないものでも見るような目で凝視している。

 

「このルキア、覚悟はしておりました。このような場所にまで来ていただき、ありがとうございました」

 

 しかしルキアは穏やかな声色で礼を述べ、頭を下げる。その心中は風一つ、波一つ立たない海のように凪いでいた。

 

 緋真姉様を亡くした時や、桜花がいなくなった時とは違うのだ。白哉とルキアは家族のように親しげに会話をする間柄ではないし、ましてや血が繋がっている訳でもない。

 家族を失った当主と、繋がりが切れてもその当主の厄介になり続けている義妹――ルキアがどんなに家族としての繋がりを欲していても、二人の関係はその程度のものでしかなかったのだ。

 

 だからむしろ、恋次のように「白哉はルキアを助ける」と本気で信じていた者の方がおかしいのだ。

 

 白哉がルキアを朽木家の者として扱ってくれたのは、失った二人によく似ていたからでしかないのだから。

 

「ルキア……」

 

 そう考えていた故にルキアは、不意に呼び掛けられた義兄の声が不自然に揺らいでいるという現実を、理解することができなかった。

 

「……兄様?」

 

 何事かと、恐る恐る白哉の顔色を伺う。

 白哉の出で立ちは先程と全く同じ、冷静で堂々たるものであった。

 

 ならば、今の揺らぎは一体何だったのだろうか。もしや己の願望が勘違いを生んだのでは、とルキアが思った――その刹那。

 

 くるりとルキアに背を向けた白哉が、呟いたのだ。

 

 

「済まない」

 

 

 ルキアは息を呑んだ。

 

 小さな謝罪。それはつまり、極刑を防げなかったことへの謝罪だ。

 

 すなわち、白哉はルキアを救う気があったということで、先程の声の揺らぎは聞き間違いなどではなかったということで。

 

「――白哉兄様っ!!」

 

 我を忘れて、義兄の名前を呼んだ。

 その背中が、ほんの僅かに揺れたように感じた。

 

「兄様は独りではありませぬ! 私がおらずとも、兄様には――」

「ルキア。下らぬことを言うな」

 

 ――兄様には、桜花がおります!

 

 他ならぬ桜花に口止めされていたことも忘れて、続けようとした言葉。

 それを、背を向けた白哉が遮った。

 

 

「他に誰が居ようとも、それはお前が居なくても良いという理由にはならぬ」

 

「っ……!!」

 

 

 白哉にとっては、何気なく放った一言に過ぎなかったのだろう。

 

 だが、ルキアは自らの耳を疑った。

 白哉の言葉を、自分の都合の良いように脳内で書き換えたのかとすら思った。

 

 それほどまでに、義兄の言葉は耳触りの良いものだった。

 

「兄様……?」

「…………」

 

 縋るように問いかけたルキアに、白哉は何も返さなかった。背を向けたまま、重苦しい扉を潜って退室してしまった。

 

 白哉のいなくなった空間に残されたのは、視線の遣り場を失って俯いたルキアと、そのルキアを黙って見つめる恋次の二人だけであった。

 

 一分か二分か。はたまた一時間か。

 

 時間感覚を狂わせる沈黙を破ったのは、ルキアの方だった。

 

「恋次」

「……どうした」

 

 呼び声に、恋次は短く応える。

 

「私は……緋真姉様や桜花の代わりでは、なかったのだな」

「はぁ?!」

 

 恋次が素っ頓狂な声を上げた。

 

「二人がいなくなってしまった以上、血の繋がりのない私を朽木家に置いておく理由はないだろう? だから、私に姉様と桜花の面影を重ねているのだとばかり――」

「んなワケねぇだろうが! そんなつまんねぇこと考えてたのか!? お前は!」

「……あぁ」

 

 ルキアは顔を上げることなく、篭った声で応えた。

 

 その胸に湧き上がってくるのはこの上ない歓喜と、そして――

 

「なぁ、恋次……」

 

 一滴、また一滴と、ルキアの足元に雫が落ちる。

 

 ルキアに面影を重ねていた訳でも、妻子を失った悲しみをルキアで埋め合わせていた訳でもなかった。

 

 朽木白哉は、朽木ルキアのことを()()()()()()、そして義妹(いもうと)として扱ってくれていたのだ。

 

「罪を犯したその時より、腹は括っていた。だが……」

 

 心積もりなど、あの一瞬で弾け飛んだ。

 ルキアは代わりなどではないと。暗にそう言われた、あの瞬間に。

 

「私は、死にたくない……」

 

 ついに両の足から力が抜けて、牢の檻に縋りつくように屈み込んだ。

 

 義兄がルキアに「絶対に助ける」と断言しなかったのは、こうしてルキアの覚悟が揺らいでしまうことが分かっていたから。

 

 そして恐らく彼は、ルキアがあのような勘違いをしていたとは夢にも思っていなかったのだろう。

 

 だからこその、守れなくて「済まない」という言葉だったのだ。白哉に守られることを当然と考えている者ならば、「済まない」という言葉程度で喜ぶ筈がないのだから。

 

「死にたく、なくなってしまったのだ……!」

 

 その優しさが嬉しくて、それなのに何故か傷口に染みるように痛くて……ルキアはもう、どうすれば良いか分からなかった。

 

「私は兄様の隣で、『朽木ルキア』として生きたい……!!」

 

 そしてあわよくば、桜花の戻ってきた朽木家で共に――

 

「それで良いんだよ」

「え……?」

 

 しばらく黙っていた恋次が、不意にぶっきらぼうに言い放った。 

 

「誓ってもいい、隊長はお前を見捨てねぇよ。あの人は――俺の憧れた隊長は、やる時ゃやる人だからな」

 

 涙を拭くのも忘れて、ルキアは恋次の顔を見上げる。

 照れているのだろうか。見慣れたその顔は、前向きで明るい言葉の割に不機嫌そうに(しか)められていた。

 

「良いか、お前は俺たちが助ける。だから、死ぬ覚悟なんてするんじゃねぇよ」

「…………」

 

 白哉とルキアのやり取りの意味を理解しているのか、していないのか……どこか論点のズレた励ましの言葉だった。

 

 けれど、格好つけた癖にどこか間抜けになってしまったその台詞は確かに、沈み込んでいたルキアを掬い上げてくれた。

 

「ふふっ……」

「んだよ、何笑ってんだ」 

 

 この憮然とした態度はきっと、そういうことなのだ。ルキアに吐いた言葉の恥ずかしさを包み隠そうとしているだけなのだ。

 

 そっと目尻の水滴を指先で拭う。

 良い仲間を持ったものだ、とルキアは頬を緩めた。

 

「流石、副隊長ともなると良いことを言うものだな」

「……副隊長は関係ねぇだろ」

「大アリだ。私の知らぬ間にえらく派手に昇進しおって。……よっ、すごいぞ副隊長!」

「おい」

「格好良いぞ副隊長! 変な眉毛だ副隊長!」

「うるせぇ!! 変な眉毛は余計だ!!」

 

 そしてこの軽口も、柄にもない励ましを受け取ってしまった照れ隠しでしかないのだということ。

 

 それは、ルキア本人ですら気づいていない真実であった。

 



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三十五、現実を見せる

 

 (ウルル)とジン太が共同で掘った、深い深い穴の底。

 

 今、一護はそこでもがき苦しんでいる。

 

「って考えると、リラックスできないんだよなぁ……」

「当たり前だろ。むしろできたらサイコパスだよ」

 

 幼馴染なんだろ? とジン太が他人事のように呟いて、昼食の白米を頬張った。

 

「気になって眠れないし、だからといってずっとあの場に張り付いてるのは精神にくるし……一護大丈夫かなぁ……?」

「そんなに気になるなら様子見に行きゃいいじゃねーか。朝メシをテッサイに届けるついでによ」

「ううん、行かない。私が行ったところで、何の助けにもならないし……」

「だったらいつまでもウジウジ言ってんなよ」

 

 ジン太はなかなかに男前なことを言って、それからごちそうさまと手を合わせた。

 

「そうだよねぇ……」

 

 茶碗に張り付いた白米を一粒一粒剥がして口に放り込みながらも、私の頭の中は地下にいる一護のことでいっぱいだった。

 

 まず間違いなく、一護は死なない。無事に死神の力を取り戻せるはずだ。

 一護とは十年弱の付き合いだ。漫画から得た知識によるものではない、「あいつならできる」というある種の確信めいたものが、私にはあった。

 

 けれど成功すると信じていたって、一護が今大変な思いをしていることは事実で、それにやきもきしていることも、どうしようもない事実だった。

 

「じゃあオレら、テッサイとオレンジ頭にメシ持っていくから」

「行ってきます……」

「あぁ、よろしくお願いしますね」

 

 喜助さんが、箸を持った手をひらりと振って言った。

 

 ジン太と、既に食事を終えていた(ウルル)の二人が出ていって、居間に残ったのは喜助さんと私だけだった。

 

「桜花も大変っスねぇ、気を揉む対象が多くて」

「別に……だいたいそんなもんじゃない?」

「ボクは現世(こっち)の人間にも、今の尸魂界(あっち)の方々にも執着はないっスから」

「あるのは商店の皆と、平子さんたちくらい?」

「いやぁ、隊長格の彼らに気を揉むなんておこがましいですよ」

 

 ボクより強い方もいますし、と喜助さんは笑う。

 きっとその「彼ら」には、夜一さんと鉄裁さんも含まれるんだろう。

 

「雨やジン太はともかく。桜花ももう少し強くなれば、そこから外れるんスけどねぇ」

「もう少しかぁ。例えば?」

「そっスね……卍解とか」

「うっ……」

 

 痛いところを突かれて、私は言葉に詰まった。

 

 確かに私に卍解はできない。何とか原作開始までに間に合わせようと頑張りはしたものの、ついに到達できなかった高みだ。

 

「転神体も結局ダメだったからね……」

「まぁ、アレはボク以外に成功例がありませんから。仕方ないっスよ」

 

 当然、喜助さんの発明品である転神体は試した後だ。

 私は喜助さんの定めた三日という期限内に、卍解を習得することができなかった。中三の夏のことである。

 

「そんなに焦らなくて良いんスよぉ。そもそも始解して二、三年で卍解なんて、流石のボクでも無理っスから」

「一護は一ヶ月でやるけどね」

「そっちが異常なんですって」

「それは私もそう思う」

 

 あれのおかげで具現化はできるようになったから、本当にあと一歩なんだとは思う。でも、肝心の斬魄刀が心を開いてくれない。「まだ、きみには早い」と繰り返すばかりだ。

 

「じゃあ卍解を習得すれば一人前って認めてくれるってこと?」

「まさか。卍解を完全に使いこなして初めて一人前でしょう」

「うわぁ、先は長いなぁ」

「少なくとも百年はダメっスね」

「ひゃ、百年……」

 

 規模がおかしい。百年って、死ぬから。

 ……いや、死なないか。死神だし。

 

 咄嗟に浮かんだ突っ込みを自分で否定する。

 いつまでたっても、死神の時間感覚には慣れないままだ。

 

「でもさ、その条件じゃ隊長以外の死神は全て半人前ってことになるよね」

「いえ、隊長でも使いこなせていない方はいますから」

「え……理想高過ぎない? そりゃ、喜助さんは使いこなしてるみたいだけどさ」

 

 直接見せてもらった訳でも、本人や他の誰かから話を聞いた訳でも、ましてや漫画の中で見た訳でもないが、私は喜助さんの卍解がどういうものなのかを()()()()()

 

 というより……事故で()()()()()()()、というのが正しいか。

 

「一般隊士としての一人前じゃなくて、隊長格としての一人前スよ? そのくらい当然でしょう」

 

 ともかく、確かに喜助さんは自らの卍解の力をきちんと把握しているから、本人の言う一人前の基準は満たしている。

 一方で、例えば現十番隊隊長の日番谷冬獅郎は、その若さ故に卍解が未完成だ。きっと、彼のような隊長は半人前なんだろう。喜助さんからすると。

 

「私も、もっと修行しなきゃ」

 

 何気なく呟いた。

 そして、ちゃぶ台に並んだ空の食器をいくつか持って立ち上がる。それに続いて卓上に残ったケチャップと2リットルの緑茶ボトルを手に取り立ち上がった喜助さんが、楽しげに笑った。

 

「じゃあ黒崎サンに死神の力が戻ったら、彼と一戦やってみます? もちろん始解で」

「いいけど、勝負にならないんじゃない?」

「でしょうね。けど、彼に現実を見せることはできる」

「このドSめ……」

 

 手に持った冷蔵品をしまいながら言った喜助さんに、呆れた目を向けた。

 

 

 ――さっき喜助さんは、強くなれば気を揉むことはないと言った。猶予は百年、とも。

 

 修行しなきゃとは思ったけど、一刻も早くその庇護下から抜け出したいとは思わなかった。だって強くなったら、喜助さんだけでなく夜一さんや鉄裁さんにも気に掛けてもらえなくなるかもしれない。

 それは、ちょっと寂しい。

 

 大丈夫、まだ百年はある……なんてことを考える私は、甘えているんだろうか?

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 その数時間後。

 一護は無事に死神の力を手に入れ、そして斬魄刀の名前まで聞き出した。

 

 その段階では、流石の私も立ち会って様子を見ていた。

 

虚化(ホロウか)……」

 

 一護が虚に堕ちかける瞬間に見覚えがあった。

 思わず溢れたその言葉が、ジン太や雨の耳に入っていなければ良いんだけど。

 

 その後、一護は丸一日眠りこけていた。無理もない。三日間飲まず食わずで命の危機に瀕していたんだから。私だったら一週間くらい寝込むかもしれない。

 

「黒崎サンにはまず、桜花と戦ってもらいます」

「はぁ?! あんたとじゃねーのかよ?」

「もちろん、アタシともやります。でも、まずは桜花からだ」

 

 一護が目を覚まして、食事を摂り、一段落してから私たちは再び地下室に降りてきた。

 

 当然のように背負っていた大刀――"斬月(ざんげつ)"を抜いて喜助さんの方を向いた一護に、喜助さんがひらひらと手を振って否定した。そして放ったのが「桜花と戦ってもらう」というさっきの言葉だ。

 

「桜花か……やりづれぇなぁ……」

「おや、できないとは言わせませんよ」

「できない訳じゃねぇけどよ……」

 

 一護がゴニョゴニョと言葉尻を濁す。

 相手は幼馴染の女の子だ。そんな子に刃を向けられることに抵抗があるのは当然だ。

 

「そりゃ私だって、一護とやり合うのは抵抗あるよ。小さい頃からの付き合いだからね」

「だろ? 危ねぇし」

「大丈夫だよ。殺しはしないから」

「……え」

 

 ピシリ、と一護が動きを止めた。

 何か衝撃的なことに気づいたような、ドン引きしたような目を向けられた。

 

 そこでふと気づく。

 もしかして刃を向けられることじゃなくて、刃を向けることに抵抗があった、とか?

 

「……もしかして、だけどよ」

「うん」

「危ねぇの、オレだけか?」

「うん」

「マジか……」

 

 始める前から割と本気で引いているようで、一護は頭を抱えて大きなため息を吐いた。

 

 しかし、今回に限って時間は有限だ。一護の心情を(おもんばか)ってばかりはいられない。

 

「大丈夫だって。私は喜助さんより優しいからさ」

 

 一応のフォローをしつつ、私は斬魄刀を抜き放った。それと同時に、私の中にあった素人へ刀を向けることへの抵抗感を投げ捨てた。一護はもう、素人ではいられないんだ。

 

 そうやって心を決めたところで、私は緩やかに刀を構える。

 

 ――さて、いきますかね。

 

「ほら、構えて……いくよ」

「えっ? ちょっ……!」

 

 パチン、と足裏の霊圧をごく小さく弾いた。

 途端に加速する周囲の景色と、急速に近づいてくる一護の引きつった顔。

 

 一瞬で近寄ってきた私に、一護は――

 

「――っぶねぇな!!」

 

 何とか反応して、"斬月"で私の刀を受け止めた。

 

「おぉ、間に合ったね」

「当然だっ……!」

 

 間に合わなくても寸止めできる程度の瞬歩だったが、正直間に合うとは思っていなかった。

 

 金属が擦れる音を聞きながら、"斬月”と比べて華奢な刀身に体重を掛けていく。普通の刀なら間違いなく折れているが、これは私の斬魄刀だ。折れる訳がない。

 

「ぐっ……!!」

 

 オレンジ色の髪に半分隠れたこめかみを、かいたばかりの汗が伝った。

 

 刀に力を込めるという行為に慣れていないんだろう。私よりは力が強いはずなのに、私より必死で柄を握り締めている。

 

 しかし不思議なことに、どんなに必死に見えても、その目の奥には依然として冷静さが残っていた。

 

「おわっ!?」

 

 ならばそれを崩してやろうと唐突に力を緩めると、支えを失った一護は分かりやすくもたついた。

 

 私は前のめりになった一護の刃を軽く受け流し、その脇をすり抜けて背後に周った。

 そして、勢い良く刀を突き出す。

 

 派手な音が木霊して、刃先と刃身がぶつかった。

 

「やるじゃん」

 

 私の刃先を、振り返った一護が刀身で受け止めていた。

 

 思わず独り言を溢すと、一護は歯を食いしばってニヤリと好戦的に笑った。

 

 なるほど、確かに一護は強い。始解済みとはいえ、まだ刀を握って半年と経っていない初心者がここまで反応したんだ。きっと『戦いのセンス』というものを持っているんだろう。

 

 この様子なら喜助さんの言う通り、始解して戦ってみるのもアリかもしれない。

 

「ねぇ、一護」

「んだよ……!」

 

 斬魄刀の刃先を"斬月"にギリギリと押しつけたまま話し掛けると、何とかそれに耐える一護が絞り出したように言った。

 

「ちょっと本気出すから、よろしく」

「は……?」

 

 呆気に取られる一護を置き去りに、私は空いた左の指先で斬魄刀の(つば)を優しくなぞった。

 

 そして、語り掛けるように囁く。

 

 

「――(かす)め」

 

 

 ゆらり、と刀身が霞む。

 

 私の言葉に呼応して、霊圧が高まっていく。

 

 

「"雲透(くもすき)"」

 

 

 その一言が契機だった。

 

 刹那、刀身から噴き出すのは真っ白な霧。

 ふわふわと雲のように刃を取り巻き、そして数秒後には刀から離れて周囲に広がっていく。

 

 そして、完全に刀身が姿を現すその瞬間に、私は軽くなった刀を前へと突き出した。

 

 

 金属で金属を貫く硬い感覚。

 そして、肉を断ち切る生々しい感触。

 

 

「桜、花……おま、え……!」

 

 

 大きく目を見開いた一護が、掠れきった声を漏らす。

 

 

 "斬月”をいとも容易く貫通した刃は、一護の身体をも貫いていた。

 




雲透(くもす)き:薄明かりの中で物を透かして見ること。

斬魄刀の名前や能力はかなり前から決めていました。
やっと出せた……


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三十六、雲透

お久しぶりです。お待たせしました。



 

「――(かす)め、雲透(くもすき)

 

 何気ない朝の挨拶でもするような気軽な声で、桜花が呟いた。瞬間的に広がった霊圧と白煙に思わず怯んだ、その時だった。

 

 腹部に走った衝撃と、何とも嫌な感覚。

 

 気がつくと一護は、手に握った斬魄刀と共に串刺しにされていた。

 

「桜、花……おま、え……」

 

 痛みよりまず感じたのは、驚愕と戸惑いだった。

 

 どうして。"斬月"で受け止めていたはずなのに。まさか、あの細い刀で"斬月"諸共貫いたってのか……?

 

「くそっ……!」

 

 どうあれ、このままではマズい。

 相手は金属をも軽々と貫通させる強度の刀だ。横に払われでもしたら、上半身と下半身を分離されかねない。

 

 流石にそこまではしないだろうという希望的観測は、腹を貫かれたあの瞬間に捨て去った。桜花ならやりかねない。何が「私は喜助さんより優しい」だ。

 

 それにしても、こんな緊急事態にしては頭がよく回る。これも慣れってやつなのか――

 

「あれ、意外と冷静だね」

 

 言葉の割に驚きのない顔で、桜花が呟いた。

 そして、貫通したままだった刀をズルリと引き抜いて飛び退った。

 

 一護は咄嗟に貫かれた腹を押さえて――そして、ふと違和感に気がついた。

 

 ……血が、出ていない?

 

「は? え……?」

 

 見下ろす。

 

 痛みなど、あるはずもなかった。

 血どころか、そもそも傷口すら存在していなかったのだから。

 

「なぁんだ。冷静なんじゃなくて、気づいてなかっただけか」

 

 よく見ると、"斬月”に空いているはずの穴もない。

 

 一体何が起きているのかと立ち尽くす一護を見て、けらけらと笑った桜花が刀をかざしてみせた。

 

「私の"雲透"じゃ、人は斬れないんだよ」

 

 "雲透”と呼ばれたその刀には、本来あるはずの鍔がなかった。

 灰色と銀色の入り混じった糸が巻きつけられた柄と細身の刃との間にあるのは、鍔とは呼べない簡素な金具だけだった。

 

 そして何より目を引くのは、その華奢な刀身だ。

 細くて薄い"雲透"の刃には、根本から刃先までびっしりと雲文様の透かし彫りが施されていた。

 

 今にも折れてしまいそうな、美しく繊細な刀だ。

 その様は、まるで精緻な手作業によって作り出された美術品のようでもあった。

 

「折れねぇのか……?」

「折れないよ」

 

 知らぬ間に言葉に出していたらしい。

 そんなに華奢で折れないのかという一護の疑問に、桜花が答えた。

 

「そもそも打ち合いを前提としてないからね」

 

 人は斬れない。

 そして、打ち合いを前提としていない。

 

 それが本当ならば、あの斬られた感触は何だったのだろうか。あの独特な、刃物が体内に入り込む感覚は幻だったのだろうか。

 

 そんなはずはない、と一護は内心強く否定した。

 死神になって何度も怪我を負ったから分かる。あれは、本当に刺されている感触だった。

 

「なぁ、桜花。その"雲透”ってのはどんな力があるんだ?」

「秘密」

 

 いたずらっぽく笑った桜花が、左手の人差し指を立てる。

 

「私に勝ったら、教えてあげても良いよ」

「おい、教える気ねぇだろ」

「いつになく弱気だねぇ。私に勝てないとでも思ってるの?」

「…………」

「そんなんじゃ、尸魂界(ソウル・ソサエティ)で生き残れないよ」

 

 確かに、その通りだ。

 

 桜花の能力の得体の知れなさに怖気づいていた。勝てる訳がないと一瞬でも思ってしまった。

 

「…………」

 

 一護は"斬月”を地面に突き刺す。

 そして、空いた両手で自らの頬を思い切り叩いた。

 

 ちょっと刺されかけたくらい何だ。そんな些細なことで足を止めていられるほど暇じゃないだろ、オレは。

 

「……悪ィ、仕切り直しだ」

「次はないよ」

「分かってる」

 

 『勝つ』という気合と共に、斬魄刀を掴み取って構える。

 

 "雲透"とやらの能力を知るためには勝たなければならないが、そもそも勝つためには能力を知らなければならない。一見矛盾しているようだが、一護が取るべき行動ははっきりしている。

 

 戦いを通して、能力を見抜く。

 そして、勝つ。

 

 これしかないのだ。

 

「うおおおお!!」

 

 大声と共に斬りかかる。

 狙いは桜花の胴体だ。こうすれば、いくら刀身が細くともその刀で"斬月”を受け止めざるを得なくなる。そうなれば、刀が折れはせずとも隙はできるかもしれない。

 

「うわ、危ない」

「思ってもねぇこと、言うなよっ!」

 

 桜花は一護の一振りをごく小さな動作で避けた。一護の目から見ても分かるほど余裕のある動きだった。そこを指摘しつつ、さらに"斬月"を振りかざして桜花を追い詰めていく。

 

「思ってるよ……っと」

 

 またもや、避ける。再び胴を狙うが、やはり桜花は避ける。先程のように、突き攻撃を仕掛けてくる様子もない。

 

「……なるほどな」

 

 そんなやり取りを十数回繰り返した頃には、一護も気がついていた。

 

 あんなに刀で受け止めやすい箇所を狙っているのに、桜花が一度も刃を合わせようとしないことに。そして、あの刀では人は斬れないという桜花の言葉が、嘘偽りないものだったということに。

 

「何となく分かってきたぜ。その刀、"雲透"なんていうだけあって、雲みてーにものを通り抜けるんだろ?」

 

 だから刺された感触があっても傷は負わなかったし、痛みを感じることもなかった。貫通されたはずの"斬月”の刀身に穴がなかった。

 そして桜花は、斬魄刀の名前を呼んでからというもの、刀を使おうとしなくなった。

 

「一回そうなったら戻せねぇんだろ? だから、オレの攻撃をずっと避けてる。攻撃もしてこねぇ」

 

 十メートルほどの距離を挟んで対峙する。

 一護と対照的に、涼やかな顔をした桜花は息一つ乱していなかった。

 

 その事実に悔しさを感じつつも、一護は短時間で答えに辿り着いたというある種の高揚感を抱いていた。

 

「どうだ? 合ってるだろ」

「うん、合ってる」

 

 しかし、桜花の反応は非常に薄かった。ただ、呆れたように半笑いしているだけであった。

 

 ――あの目は、オレが何かミスった時の感じだ。

 

 フワフワとした高揚感が、引き潮のように消え失せていく。

 

 怒っているというよりは、姉が弟の失敗に呆れている姉のような表情。弟と見なされることが不満な一護にとっては、あまり歓迎できない顔であった。

 

「合ってる。でも、不正解だよ」

「何でだよ、合ってんなら正解だろ」

「何でって……じゃあ聞くけど」

 

 桜花が自然な動きで刀を持ち上げ、そして切っ先を一護に定めた。正確には一護の胴、先程貫かれた腹部にだ。

 

「さっき"雲透(これ)"で刺されたこと、忘れてない?」

「はぁ?」

 

 忘れている訳がない。こいつは何を言っているのか、と首をひねる。

 

 鈍い反応しか返さない一護に、桜花はいよいよ呆れ返って「えぇ……?」と声を漏らした。そして刀を持った腕を下ろすと、ついでに全身の力を抜いた。

 

 そんな桜花の態度を心外に感じながらも、一護は考える。

 

 刺された。それは分かっている。

 ならば、桜花の言いたいこととは――

 

「そこまで見抜いてて、どうして『"雲透(これ)"で斬られるとどうなるか』ってところまで考えなかったかな」

「っ……!?」

 

 その意味を頭が理解した途端、全身の血が一気に下がったような気がした。

 

 あの時……あの時オレは、何をされた?

 

 刀で貫かれた、あの行為に意味がない訳がない。

 だとすれば、まさか……

 

「まさか、オレはもう……」

 

 呆れていた幼馴染の顔が、笑みに彩られていく。

 

 同時に、一護はハッと息を飲んだ。

 

 彼女の背格好は、一護の小学生の妹たちとあまり変わらない。けれどその顔に浮かべられた笑みは、小学生の少女にはできない類のものであった。

 

「正解」

 

 婉曲な表現を使うならば、大人びている。

 

 普段学校でへらへら気楽に笑っている彼女とは、まるで別人のようであった。

 

「さぁて、私はあなたに何をしたでしょうか?」

 

 一護は、身体中に意識を向ける。しかし手も足も胴体も頭も、どこにも異変は認められなかった。

 

 この見慣れぬ笑顔には、理由があるはずなのだ。先程の一突きで、何かされたのは間違いないのだ。それなのに分からない。

 

 何とも言えない気持ちの悪い違和感に、一護は顔をしかめた。

 

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 

 どうもかなり悩んでいるみたいだけど、分かる訳がないんだよなぁ……と私は内心ぼやいた。

 

 だって"雲透"で斬ったって、一護自体には何の変化もないんだし。それに、今の一護を斬ってもあんまり意味がなかったりするし。

 "雲透”は一護のような初心者より、喜助さんみたいな強い人の方が効く……そんな能力なんだから。

 

「じゃあ……そろそろ、終わりにしようか」

 

 知能がある、なおかつ能力が分からない敵と戦う厳しさを伝える――つまり、現実を見せることはできた。

 

 だから私は、これ以上続ける意味のなくなってしまった戦いを終わらせるべく、そっと"雲透"を掲げた。

 

 そして、()()()()部分をさらりとなぞる。

 

「――もう良いよ。ありがとう、"雲透"」

 

 「久々だってのに、短くない?」と文句を垂れる斬魄刀に「ごめん」と返して、始解を解いた。

 別に戦いを止める訳じゃない。浅打じゃないと決着がつけられないだけだから、と説得の言葉を掛けると、不満げながらも同意の声が返ってきた。

 

 始解する時と違って、解除する時は地味なものだ。特に雲が噴き出す訳でもなければ、霊圧が漏れる訳でもない。だから、上手くやれば相手にバレることなく始解を止めて攻撃に移ることができる。

 

 霊圧に関しては、始解する瞬間に漏れ出す分も隠そうと思えば隠せるけど……まぁ、そんなこと今はどうだって良い。

 

「まぁ、安心して。すぐに終わるからさ」

「安心できねぇよっ!」

 

 戸惑いを隠せない一護に、私は容赦なく駆け寄った。慌てて構えられた"斬月”の下をくぐり抜けて、さっと足払い。短い悲鳴と共にひっくり返った一護の首元に、"雲透"の刃先を突きつければ……終了だ。

 

「はい、終わり」

「……え?」

「ね、すぐに終わったでしょ?」

 

 今までの打ち合いと比較して、あまりに呆気ない終わり方。一護は頭がついていかないようで、倒れ込んだまま固まっている。

 

 「結局短いじゃん!」なんて言う斬魄刀に再度謝って、私は浅打を腰の鞘に納めた。

 




能力についてですが、伏線は張ってあります。
分かった方は是非感想欄へ!m(_ _)m

正確に当てられることはないと思うので、たぶんネタバレにはならないと思います。……たぶん。


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三十七、あんたまで

またもやお久しぶりです。お待たせして申し訳ありませんでした。

今回は二話まとめて投稿しています。こちらは一話目です。



 

「一護、手」

「お、おう」

 

 倒れ込んだ一護の手を掴んで、引っ張り起こした。

 

「……オレの負けだ」

 

 私の手を借りて立ち上がった一護が、眉間に深いシワを寄せてため息をついた。

 

「さっきまで手加減してたんだろ。だからあんな一瞬で終わったんだ」

「そりゃ、してたよ。叩きのめすことが目的じゃないんだから」

「……そうかよ」

 

 一護は私から視線を外した。

 暫しの間、沈黙が流れる。

 

「強く、ならなきゃな」

 

 そして、言い聞かせるように、宣言するように一護は言った。

 どこか決意を秘めた目をしている一護を見上げて、私は冗談めかして笑った。

 

「そうそう。私のことも護らなきゃだもんね」

「あぁ、安心して待ってろ。すぐに、お前を護れるくらい強くなってみせるからよ」

「…………」

 

 小さな頃の一護の発言をからかうつもりで放った言葉は、あまりにも真っ直ぐな答えとなって返ってきた。驚いて、思わず口をつぐむ。

 

 何だか、最近こういうことが多い気がする。私より年下とは思えないような、そんな言動にペースを乱されることが。私に簡単に言い包められてオドオドしていた一護はどこへ行ったのか……

 

「お前の能力だって、すぐに聞き出してやるからな」

「……ん? それ気になってたの?」

「当たり前だろ。あんなこと言われて、気にするなって方が難しいって。……まぁ、負けたからお預けだけどな」

「いや、別に教えてもいいよ」

「はぁ?!」

「焚きつけようと思ってああ言っただけだし」

 

 勝ち負けで言うと、この戦いは私の勝ちだ。約束では、私に勝てば私の能力を教えるということになっていた。しかし、だ。

 

「味方なんだから、だいたいの能力は知っておくべきじゃない? 私はそこにいる下駄帽子みたいに秘密主義じゃないから」

「ちょっと、アタシのことっスか? それ」

 

 離れた所から口を挟んできた喜助さんを無視して、私は腰に戻した刀に優しく触れた。

 

「私の"雲透(くもすき)"の本質は『天秤』。その天秤で、相手を()()()ことができるんだ」

「はかる……?」

「そう。簡単に言うと、『相手の能力を知る能力』ってところかな。例えば……」

 

 先程一護が背負い直した、"斬月"に目を向ける。

 

「刀の名は"斬月”。始解済みで多分、常時開放型。能力は、死神の力を取り戻した直後に喜助さんに放った技、アレがメインだと思う。あんた自身は、斬術は初心者に毛が生えたレベル。素手での戦いは私よりも上で、もしかしたら隊長格とも渡り合えるかもしれないくらい強い。でも、残りの瞬歩と鬼道はただの素人。……まぁざっと、こんな感じかな」

「……は?」

 

 一息に言って、そして私は小さく笑った。

 

「ま、この程度の情報なんて、わざわざ斬らなくたって分かるんたけどね」

 

 "雲透”が量り取れるのは、相手の現状のみ。だから、一護みたいな初心者に使っても大した意味はなかった。

 

「逆に効果抜群なのが、喜助さんみたいな実力者を相手にした時だね」

 

 くい、と顎で喜助さんを指し示した。

 

「喜助さんの始解、一護も見たよね」

「おう。何か井上みたいな名前だったような」

「それは織姫。喜助さんの刀は"紅姫"ね。"紅姫"にはいろんな能力があるんだけど、中でも特にヤバいのが――」

「ちょ、ストップストップ!! どさくさに紛れて何てこと口走ってるんスか!」

「ふふっ、大丈夫大丈夫。言いやしないから」

 

 喜助さんがわざわざ瞬歩まで発動して、猛スピードで私の口を塞ぎに来た。その余裕のない反応が可笑しくて、私は口を覆う手を剥がして再度口を開いた。

 

「更に言うとね、もっとエグいのが卍か――」

「桜花!!」

「あはは、冗談だってば!」

 

 藍染惣右介が倒されるまでのストーリー上では、喜助さんは一度も卍解していない。そのことを私の口から聞いて知っている喜助さんは、私にすら卍解のことは伝えないつもりだったんだろう。

 

 しかし、まだ"雲透"に慣れていない頃……喜助さん相手に発動されてしまった"雲透"の力のせいで、私は喜助さんの始解も卍解も含めた能力の全貌を知ってしまったんだ。

 その時に私は「何てえげつない能力だ」とドン引きして、うっかり彼の卍解の名を呟いてしまった。

 

 その時の喜助さんの驚いた顔は……もう、忘れられない。

 とりあえず、数年経った今でも思い出すだけで笑えるような表情だった、とだけ付け加えておく。

 

「見ての通り、強い人ほど実力を隠している場合が多い。だから実力者には効果抜群ってワケ」

「なるほどな……」

 

 喜助さんだって、私がそんなことを簡単にバラすほどの馬鹿だとは思っていない。それでも反応せざるを得ないのは、私の握る情報がそれだけ大切だということに他ならないんだ。

 

「あんたや喜助さんみたいに、普通は始解したら強力な技が使えたり、刀の形が大きく変わったりするんだけどね」

「形はお前のも変わってんじゃねぇか」

「それは、まぁね。でも"雲透"は直接のぶつかり合いには向いていない。それは事実だよ」

 

 ――さっきからぼくの愚痴かい? きみってぼくのこと、そういうふうに思ってたんだね。

 

 そう言って若干へそを曲げたような素振りを見せる"雲透"に触れて、苦笑いする。私の心を読めるんだから、別に嫌っている訳じゃないことくらい分かっているだろうに。

 

「よし、じゃあ話はここまで。次は喜助さんが相手してくれるから、心の準備はしておいた方が良いよ」

 

 この人、本気で殺しにくるから。

 

 そう言って私は、既に余裕を取り戻している喜助さんを指し示した。

 本当に、この人の修行は容赦がない。「まぁ死んでも自己責任ってことで」なんて言いながら、赤く発光する"紅姫"を楽しげに振りかぶる姿はトラウマものだ。

 

「あー……そうだろうな」

「あぁそっか、経験済みだもんね。……まぁ、どんまい」

「……おう」

 

 私はげっそりとした様子の一護の肩を、慰めるように軽くたたいた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 私の能力は戦闘に向いてない。

 

 その言葉の裏に「だから何かあった時はちゃんと守ってね」という意図を含めて、一護をさらに焚きつけたつもりだった。

 その甲斐あって、なのかどうかは分からないが、一護は無事に喜助さんとの修行を乗り越えた。

 

 そして、ルキア救出に向かう一週間前。私は、夏祭りへと出かけていた。友人たちとではなく商店(うち)の子どもたち、それから一護を除く黒崎家の面々と、である。

 

「何やってんだ、桜花」

「桜花ちゃん、早く行こうよ!」

「あー、ちょっと待って。(ウルル)とジン太のご飯買ったら行くからさ」

「なーなー桜花!」

「ん?」

 

 今にも走り出しそうな夏梨(かりん)遊子(ゆず)を引き止めた。そして、主張を通そうと私の服の裾を引っ張るジン太と雨を見下ろす。

 

「オレ焼きそば食いたい!」

「うん、焼きそばね。お金あげるから買っておいで。(ウルル)は何が食べたい?」

「えっと……たこ焼き、かな……」

「オッケー。はい、お金。私はここで待ってるから、二人とも買ったらここで集合ね。あ、迷子にならないように」

「分かってるっつーの!」

「ねぇ、お姉ちゃんは食べないの?」

「……あ、忘れてた。じゃあ雨、私の分のたこ焼きもついでに買ってきてくれる?」

「うん……分かった」

「ありがとね」

 

 雨の頭をなでて、たこ焼きの屋台へと向かう後ろ姿を見送った。

 それから再び、黒崎家の姉妹へと向き直る。

 

「夏梨、遊子。二人は家でご飯食べてきたの?」

「ううん。さっきお母さんに買ってもらったの」

「まだ食べてはないよ。ほら、これ」

 

 夏梨が差し出したビニール袋からは、焼き鳥とフランクフルトの棒が何本も飛び出していた。

 

「そっか。なら大丈夫だね」

 

 これで全員分の晩ごはんは揃った。お菓子は家から何袋か持ってきてるし、後は飲み物を買えば十分かな。

 

「一護たち、もう着いてるかなぁ?」

「あ……そのことなんだけどさ……」

 

 何気なく一護の話題を出すと、途端に双子はバツの悪そうな顔になった。

 

「何か、悪かったなって……」

「お姉ちゃんも友達と行きたかったよね……ごめんね、ワガママ言って……」

 

 どうやら子どもたちの世話をしているせいで、私が友人たちと回れなくなってしまったと思っているらしい。

 

「いや、最初から友達と行く気はなかったから大丈夫。今、うちの保護者は忙しくってさ。雨とジン太と三人で来るつもりだったんだよ」

 

 だから黒崎家から一緒に行こうと誘われた時、二つ返事で頷いた。一心さんも真咲さんも来るから心配はないだろうと思ったんだ。

 

「それに、私は二人と回れて楽しいよ」

「……ほんと?」

「そんな下らない嘘、私がつくと思う?」

「ううん、思わない」

「でしょ? そういうことだよ。ほら、もう気にすんなって」

 

 双子の頭をわしわしとかき混ぜた。

 ショッキングなことに、高校生の私と小学生の双子とはあまり背が変わらない……が、例え腕を持ち上げないと頭をなでられないとしても、同じサイズの服を着るような背格好だとしても、かわいいものはかわいいんだ。

 

「いやぁしかし、お姉ちゃんってのも大変だねぇ……」

「まぁ、懐いてくれてるってのも嬉しいもんですけどね」

「ったく何で俺のとこには一人も寄ってこねぇんだよ……あぁ、寂しいなぁ……」

 

 そう言ってうなだれる一心さんを、真咲さんが呆れた笑みを浮かべながら見ている。

 双子の姉妹は基本的に真咲さんか私にくっついているし、うちの子たちは私から離れない。よって一人余った一心さんは、オマケのように黒崎家の女性陣の後ろをついてくるだけだ。流石に気の毒である。

 

「雨は人見知りだし、ジン太もなんやかんやで人に心開かないですからねぇ」

「その子らは仕方ねぇけどよ、夏梨と遊子は俺の娘だぞ? 真咲との愛の結晶、かわいいかわいい愛娘たちだぞ? 俺はこんなに愛しているのに何故……?」

「原因、そういうところだと思うわよ」

 

 要するに愛が重い。そういうことなんだけど、真咲さんも容赦ない。娘たちも一心さんを冷たい目で見つめている。

 しかし喜助さんといい夜一さんといい仮面の軍勢(ヴァイザード)といい一心さんといい、過去に護廷十三隊の隊長副隊長をやってた人って変な人しかいないのか。それとも強さが突き抜けている分、他の部位がぶっ飛んでしまっているのか。

 

 そんな下らない話をしているうちに、夕食を手に入れたうちの子たちが帰ってきた。それからそれぞれの欲しい飲み物を買って、私たちは移動を始めた。

 

「ほら、行こう。一護たちもそろそろ着いてるはずだから」

 

 友人たちとは、一心さんが事前に確保してくれていた土手のスペースで待ち合わせている。待ち合わせ時間は花火が始まる少し前だから、漫画みたいに竜貴と織姫が遅れるなんてこともないだろう。

 

「あっ! 桜花ちゃん、こっちこっち!」

 

 騒がしい雑踏の中でも、織姫の声はよく通る。やっぱり、既にスペースに辿り着いていたらしい。

 土手の斜面という足場の悪い所なのに、器用にピョンピョン飛び跳ねながら私に手を振る織姫と、その度に大きく揺れる胸を凝視する周囲の男共を睨みつけて牽制する竜貴に、私は笑顔で手を振り返した。

 

 そして、他の人が敷いたブルーシートを避けるように、その場所へと歩いていく。

 

「久しぶり……って竜貴、どうしたの? その手」

「ちょっとインハイでね」

「あー、インハイかぁ。結果どうだったの?」

「コレのせいで準優勝。ったく、やってらんないよ」

 

 竜貴が、腹立たしげに右腕を持ち上げた。確か原因は自動車事故だったような。

 

「それさ、事故にでも遭ったの?」

「そうそう。準決勝前にジュース買いに行った時に車に轢かれちゃって」

「それは……ご愁傷様……」

「ちょっと待て、何で事故って分かったんだ?」

 

 訝しげな一護の左隣に座って、私の右隣に座り込んだ雨からたこ焼きを受け取った。ちなみにジン太は、少し離れた所で何やら楽しげに夏梨と話している。

 

「いや……竜貴と戦って腕を折れるのって、もう熊かゴリラくらいしかいないでしょ」

「さらっと失礼だな、お前」

「おいコラ。それはあたしがゴリラだって言いたいのか」

「違う違う、ゴリラぐらい強いってだけ」

「それフォローになってねぇぞ」

 

 誤解を解いたつもりだったが、果たして本当に解けたんだろうか。私を睨みつける竜貴をどうどうとなだめて、まだほんのり温かいたこ焼きを口に放り込んだ。

 

「……なぁ、桜花」

「ん?」

 

 しばらく経って、私を睨むのを止めてため息をついた竜貴が、ぽつりと呟くように言った。

 

「さっき話してたんだけどさ。織姫、夏休みはずっと忙しいんだって」

「らしいね」

「あんたも夏休み、忙しいんだっけ?」

「うん。ちょっとね」

「……あたしはさぁ」

 

 いつもより大人しい声のトーンに、私は竜貴の顔を見た。どこかうんざりしたような、困ったような目をしていた。

 

「織姫のことも心配だけど」

「うん」

「あんたのことだって、心配なんだよ」

「うん。……うん?」

 

 心配? 私が?

 

「何ていうか、織姫とは違う理由で目が離せないのよ。あんた昔っから妙にフラフラしてるから」

「…………」

 

 他にも人がいるからか慎重に言葉を選ぶ竜貴に、私は無言で続きを促した。

 

「……()()()()()いなくなったら、あたし本気で怒るからね」

 

 そこまで聞いてやっと「あぁ、そういうことか」と合点がいった。私は小さく頷いて、竜貴から目を逸らした。

 

「そんな心配しなくたって、別に戦場に向かうって訳じゃないんだからさ」

「……そっか。うん、そうだよね」

 

 竜貴は、無理に明るさを取り戻そうとしているような声で言った。

 

 私は、友人の様子に気づかないフリをして、隣で不安げに私を見上げる雨の肩を抱き寄せた。

 




という訳で、こんな感じの能力でした。ありがちな能力ではあると思います。

前話の後書きで恥ずかしげもなく感想をねだった結果、何人もの方が予想してくださいました。
投稿してから少し経って「あれ、これ恥ずかしいやつなのでは? でも今更変更するのもなぁ」と頭を抱えていたので、本当に嬉しかったです。ありがとうございます。


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三十八、断界

連投二話目です。お気をつけください。



 

 ――時間の流れだけは、できるだけ漫画のストーリーに沿わせよう。

 

 それが、今回私と喜助さんが立てた計画の基礎となっている。だからこそ、()()()()()()()()()()()穿界門(せんかいもん)を作るためだと銘打って、一週間の休みを一護に与えた。予定通りの休みを与えられるように、一護の修行のスケジュールを詰めた。

 

 恐らく、拘突(こうとつ)により尸魂界(ソウル・ソサエティ)を訪れるのが数日前後したとしても、一護たちが尸魂界に入ること自体がトリガーである以上、特に問題であるとは考えにくい。けれど、私の保護者である店長が「他の部分に手を出すんスから尚更、時間経過だけでも再現すべきっス」なんて言うから、それがそのまま私達の()()()()()()()()基本方針となった。

 

 ところで既に完成している穿界門だけれど、実のところ、私が高校に入る前の春休みには完成していた。

 

 織姫たち人間のための霊子変換機は当然として、拘突に追われた際に起こる時間のズレの補正機能や、術者が一人でも開門状態を維持できる機能、さらには門を通過する際に通過者の霊圧を一時的に変質させる装置まで組み込んであるんだとか。どうやらその最後の装置が一番の難関だったようだけれど、私にはそのすごさはよく分からなかった。

 

 というよりむしろ、拘突による時間のズレを抑える機能の方が断然すごいんじゃないか?

 拘突は死神でも操れない『(ことわり)』なのに、それに手を出して、あまつさえ操作までしてしまうなんて。

 

 マッドではあるものの、喜助さんは紛うことなき天才なんだろう。本人には言わないけど。

 

「お前は来るのに、浦原さんは来ねぇんだな」

「色々と事情があるんだよ」

「何だよ事情って。相変わらず胡散臭――」

「ハイハイ、皆サーン! こっちにちゅうもーく! いきますよー!」

 

 喜助さんが、一護の悪態を遮るように手を叩いた。そして、皆の視線が集まったのを確認してから、やたらと楽しげに指を弾いた。

 

「……っ!?」

 

 黒い湯気のようなものがジワリと滲むように湧き出した、その瞬間。

 

 四方から飛び出したのは、大量の結合符で覆われた四本の柱だった。

 

 その威圧感に、一護を始めとしたクラスメイト四人がたじろぐ。その制作過程まで知っている私は、さほど驚きもせずに門を見上げた。

 

「さ、これが尸魂界へ続く門――穿界門。よーく聞いといてくださいね。これから教えるのは、この門を()()()()()()()()()()()っス」

 

 その前に仁王立ちする喜助さんは、味方というよりラスボスのような雰囲気を醸し出していた。

 

 喜助さんがラスボス……これ、案外間違っていないのかもしれない。敵に回したら藍染より厄介なんじゃないだろうか。

 崩玉を手に入れることで圧倒的な力を手にしたのは藍染だったけれど、そもそも崩玉というとんでもない物質を創り出したのは喜助さんだし、他の死神では手も足も出なかった藍染を封印してしまったのも喜助さんなんだから。

 

「断界には(ホロウ)などの外敵の侵入を防ぐため、拘流と呼ばれる――」

 

 どこか他人事のような喜助さんの説明を聞き流しつつ、私はぼんやりと考えていた。

 

 尸魂界への旅には、当然私も同行する。同行して、裏で立ち回って、私達の望む方向に物事を進めなければならない。

 そんな中で避けられないのは、朽木白哉――父様との再会だ。いや、別に避けたい訳じゃない。むしろ早く会いたいくらいだけれど……それでも、大きな関門であるのは間違いない。

 

 私の実父は確かに父様なんだろう。けれど、私にとって父様と過ごした時間はたったの三年程度。一方で浦原商店で過ごした年月は十年をゆうに超える。さらには、私は三歳から十五歳までの記憶を全て失ってしまっている。

 こんな私を見て父様がどう思うかなんて、火を見るより明らかだった。

 

 ルキアの時だってそうだった。

 私が尸魂界で行方不明になってから、およそ四十年。変わってしまった私にルキアは戸惑い、そして怒った。

 

 だからこそ喜助さんは、ルキアに口止めをした。

 せめて、本人同士が直接再会するまでは余計な混乱を招かぬように。

 

「――問題は『時間』なんス」

 

 軽い調子で話していた喜助さんの表情が、不意に真剣なものへと変わった。スッと人差し指が立てられる。

 にわかに、クラスメイト達の雰囲気が引き締まった。

 

「我々が穿界門を開いて尸魂界へと繋いでいられる時間は……もって四分!」

「四分……!」

 

 この四分という時間、実は真っ赤な嘘だったりする。

 

「それを過ぎると門は閉じ、アナタ達は現世と尸魂界の狭間である断界(だんがい)に永久に閉じ込められることになる!」

 

 これは嘘でもなんでもない事実だけれど、問題は制限時間だ。実際は四分ではなく十分と少しは保つということを、商店の者だけが把握している。

 万が一間に合わなかった時のことを考えて、保険に保険を重ねた結果が四分(これ)だった訳だ。

 

 私だって、断界に行くのは初めてだ。だから多少なりとも緊張はしている。

 

 ……何か、素直に喜べないんだよなぁ。

 

 私はぼんやりと穿界門を見上げたまま、そんな消極的なことを内心考えていた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 迷わず、恐れず、立ち止まらず、振り返らず。

 そして、遺していくものたちに思いを馳せず。

 

「さあ! 呆けるな! 走れ!!」

 

 実際には確かめる余裕もないが……夜一さんに急き立てられて走る私達は、相当に必死な表情をしているのだろうと思う。

 

「ホ、ホントに壁が追いかけてくるぞ!」

 

 石田が叫んだ。

 確かに拘流(こうりゅう)が迫ってくる様は、壁が追いかけてきているように見えるだろう。

 

「振り返る暇があるなら一歩でも進め! 拘流に呑まれれば終いじゃぞ!!」

 

 夜一さんが怒鳴った。確かに、怒鳴るのも分かる。そのくらい皆の足は遅かった。

 

 もしもの時に備えて、瞬歩が使える私が最後尾を引き受けていた。そのおかげか、今のところ拘流に巻き込まれるようなヘマをする者は出ていない。しかしいくら安全でも、このままのペースでは仮に漫画通りに拘突が現れた場合、逃げ切れるかどうか……

 

 まぁ門が閉じるまでの時間には余裕があるし、万が一に備えた保険はまだ残ってるから、断界を抜けられないなんてことはないだろうけど……と密かに考えていた、まさにその瞬間。

 

「……っ!!」

 

 如何とも形容しがたい気配のような、存在感のようなものを背後に感じて、私は断界に入って初めて後ろを振り返った。

 

「まさか……!」

 

 音は拘流の轟音によってかき消されてしまっている。よって()()の存在を示すのは、その独特な気配だけであった。

 それなのに、私には()()が何であるのか分かってしまった。初めて直面したはずなのに、何故か妙な確信があった。

 

「石田!! 飛廉脚(ひれんきゃく)!」

「はぁ!?」

「飛廉脚でチャドを少しでも引っ張って!」

 

 唐突に大声を上げた私に、一行は走りながら私を怪訝そうな目で見た。

 どうして皆、気づかないのだろう? 私が最後尾にいるから、私だけが気づいたのか? 

 

 いや、そんなこと今はどうだっていい。

 

「拘突が来てる!」

「何じゃと!? しかし、そんな様子は――」

 

 訝しげだった夜一さんが、不意に言葉を詰まらせた。ようやく、その存在に気づいたらしい。

 

 一気に走る緊張の中、私は一護と織姫の間に滑り込んで二人の腕を引っ掴んだ。

 

「二人共! 肩脱臼したくなければちゃんと掴まってて!!」 

「え? 何を――」

「いいから!!」

 

 そして、二人が私の手を掴んだのと同時に、私は今でき得る最速の瞬歩を発動した。

 しかし発動して、すぐに後悔した。

 

 ――二人の、というより私の肩が外れそうなんだけど……

 

 私よりも大きい人間二人を運ぶのは、流石に無理があったらしい。私は歯を食いしばって足を動かし、数秒の後には門から飛び出していた。

 

「うわっ!!」

 

 しかし、門の出口は空中である。

 咄嗟に足場は作ったものの……正直、久しぶりの尸魂界の空気を味わっている余裕なんてあるはずもない。

 

「――あ、これ無理だ」

「……へ?」

 

 空中に立てるのは私だけ。つまり二人分の体重が……そういうことになる。

 

「さよなら、一護……」

「お、お前……まさか……」

 

 一護がしがみつく右手に霊圧を集めていく。そして、一言。

 

「"破道の一・(しょう)"」

「いってぇ!」

 

 私の掌から飛び出した小さな衝撃が、一護の腕を直撃した。あの程度じゃ傷一つつかないだろうけど、それでも驚きで手を離してしまうのは必然だ。

 

「あっ、嘘だろ……あああぁぁー!!!」

 

 よって一護は、キレイなエコーを響かせながら自由落下していった。ドーンと派手な音を立てて墜落して、落下地点には土煙がもうもうと立ち込めている。

 

「……よいしょっと」

 

 織姫一人なら、抱えることだってできる。

 前にルキアにやったように姫抱きで織姫を抱えたその時、私達の隣を手を繋いだ男二人がきりもみ回転しながら落ちていった。

 

「わぁ、シュール」

「……皆、大丈夫かなぁ?」

「あぁ、大丈夫大丈夫。あいつら頑丈だから」

 

 私はヒラヒラと手を振って、気楽に笑った。

 

 

 ――こうして私は、感慨も感傷も覚える余裕がないほどに慌ただしく、三十九年ぶりに尸魂界に帰還したのだった。

 




これで、死神代行篇は終了となります。
次からは尸魂界篇……一応プロットは最後まで完成しているので、何とかなるかと思われます。

今後とも、よろしくお願いします。


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第三章 尸魂界篇 三十九、わからない

 

 

 

 目が見えない。

 音が聞こえない。

 匂いが分からない。

 

 霊圧さえも、感じられない。

 

 なにも、わからない。

 

「……最悪だ」

 

 ポツリと呟いた……が、そんな自分の声すらも耳に届かない。果たして私は本当に呟いたのか。それすらも知りようがない状況下で、私は妙に冷静な頭に思考を巡らせていた。

 

「っ……!」

 

 恐らく、背中を袈裟斬りにされた。

 今までとは桁の違う激痛に、触覚は消えてても痛覚は消えないんだな、と今更なことに気づく。

 

 私の五感が『こう』なる前から、傷はいくつも負っていた。だから、その分の疲労や痛みが重なって、とうとう足の力が抜けてしまった。直後、膝と胴体に響くような痛みを感じたから、恐らく私は地面に倒れ込んでしまったんだろう。

 

 ――私、死ぬのかな。

 

 この度の騒動はどう終結するんだろう?

 尸魂界(ソウル・ソサエティ)で私に与えられた仕事は全部終わらせたから、きっと騒動はきちんと収まるはずだ。そうなることを願うしかない。

 

 その時ふと、左胸にチクリとした痛みを感じた。

 

 刃先を突き立てられたのか。

 そう気づいたものの、抵抗できるほどの体力も気力も残ってはいなかった。抵抗したってやられるのは時間の問題だ。こんな、相手の独壇場じゃ、もうどうしようもない。もう、諦めるしかない。

 

「ねぇ、本当にそれで良いの?」

 

 不意に、声が聞こえた。

 

 何だ、雲透(くもすき)か。

 どうやら斬魄刀の声は、消されてしまった五感には含まれないらしい。

 

「諦めるの?」

 

 完全に止まってしまった体感時間の中、真っ暗な世界で声だけが響く。

 

「諦めるも何も、死神だって死ぬ時は死ぬんだよ」

「死んでも、良いの?」

 

 だって仕方ないじゃん。だって、だって。

 

 言い訳じみた「だって」が空回る。

 一体私は何から逃げようとしているのだろうか。

 

「いなくなっても、良いの?」

 

 私がいなくたって、世界は正常に廻り続ける。

 

「きみは、生きたくないの?」

 

 だから、大丈夫だ。私がいなくても、大丈夫。

 

「きみは、死にたいのかい?」

 

 大丈夫だから……

 

「私は――」

 

 

 

 ◇  ◇  ◇

 

 

 

 土埃が落ち着いてきた頃を見計らって、私は織姫と共に地面へと降り立った。

 

「おーい皆、生きてる?」

「生きてるわっ!!」

 

 流石は一護だ。特に怪我もないようで、地面に胡座をかいて私を睨みつけていた。石田とチャドも無事のようで、のそのそと起き上がっているところだった。

 

「お前、普通あそこで攻撃するか?!  自由落下だぞ!?  死ぬわっ!!」

「ごめんごめん。でもピンピンしてるじゃん」

「結果的にはな!」

 

 ずいぶんと不満げな様子だけど。でも、ちょっと考えてほしい。

 

「右手に一護、左手に織姫。そのうちどちらかしか支えられないあの状況で、織姫を振り落とす訳がないでしょ。ねぇ二人共」

「……ああ」

「確かに、仮に僕でも黒崎を落とすだろうな」

「ぐっ……」

「えっと……何か、ごめんね?」

「……いや、井上は悪くねぇよ」

 

 チャドも石田も、私に同意して頷いた。

一護も私の言葉に同意してはいるようで、謝った織姫に「まぁ、お前が無事で良かった」と少しだけ照れたような声で言った。

 それをニヤニヤしながら眺めていたら、一護に頭をはたかれた。女の子になんてことを。

 

「あ!  そういえば夜一さんが……」

「そうだ、夜一さん!  大丈夫なのかよ、猫なのに――」

「誰の心配をしとるんじゃ」

「夜一さん!」

 

 猫の姿の夜一さんが、何食わぬ顔でひょいと現れた。こういう場面で夜一さんの心配をするのはお門違いだ。何せ、"瞬神"だし。

 

「夜一さんは私より速いから大丈夫だよ」

「……は?  猫なのに?」

「猫なのに。速度で勝てた試しがないし、これからも勝てる気がしないし」

「へぇ、そうなんだ!」

 

 感心した織姫が楽しそうに笑った。

 

 そんなやり取りをしつつ、私はそれとなく周りの様子を伺っていた。あちらこちらから人の気配が感じられるものの、誰一人として姿を現そうとしない。警戒しているんだろう。それも当然だ。

 

「じゃ、私そろそろ行くから」

「は?  行くってどこに?」

 

 一護が素っ頓狂な声を上げた。

 

「あれ、言ってなかったっけ?  私、今回は別行動なんだよ」

「はぁ?  聞いてねぇよ」

 

 そりゃ、聞いてないだろう。言ってないんだから。

 

「なぁ、今度は何を企んでんだ?」

「やだなあ、企むだなんて人聞きの悪い。そんな後ろ暗いことはしないよ。ただ、ちょっと暗躍しようかなって」

「暗躍の方が後ろ暗いだろ」

「どっちでも良いじゃん」

「お前が言ったんだろうが」

 

 図らずもツッコミ役に徹することの多い一護が、いつものように雑な私の返事に突っ込んだ。それから、呆れたような表情のまま言葉を続ける。

 

「お前さ、前から思ってたけどよ」

「ん?」

「浦原さんに似てるとこ、あるよな」

「…………」

 

 何てこった。心外だ。

 いろんな意味でそれはない。そう信じたい。

 

 だって喜助さんだよ? あのマッドで変態な科学者と、私が似ているだって?

 

「参考までに……どの辺が?」

「喋り方とか、言い回しとか。緩い感じが、何となく」

「…………」

 

 え? 私って人から見るとあんな感じなの? 嘘だぁ。

 

「そんなに嫌そうな顔をしてやるな。喜助が泣くぞ」

 

 全自動地雷製造機の本領発揮だ。私がこれを食らうのは、小学生の頃の夏祭り以来か。

 だなんて下らないことを考える私を見上げた夜一さんが、猫の顔でも分かるくらいニヤニヤ笑いながら言った。

 

 そして、そんな私たちを複雑そうな目で見る人が三人ほど。

 

「桜花ちゃん、大丈夫なの?  一人じゃ危ないよ」

「確かに、敵地で単独行動はちょっと……」

 

 織姫は不安げに私を見つめ、石田は「それは駄目だろう」と眉をひそめる。黙ったままなチャドも、なにか言いたげではあった。

 

「現状、おぬしらの中で一番強いのは桜花じゃ。隠れて動くだけなら、むしろ一人の方が楽なくらいじゃろうて」

 

 織姫やチャドはその言葉を聞いて納得したようだったけれど、石田はさらに眉間のシワを深くさせていた。さらっと足手まとい扱いされたことが不満なんだろう。

 

「じゃ、そういう訳だから。そろそろ行くね」

「気をつけろよ」

「うん、ありがとう」

 

 そんな彼らに私は軽く手を振って、瞬歩でその場を離れた。

 

 離れるなり、懐から取り出した霊圧遮断型外套を頭から被った。そして――

 

「ちょっとヒドくないっスか?」

「だって嫌だし」

 

 思いの外近くから聞こえた声に驚きつつも、その問い掛けには正直に答える。

 

「流石のボクも泣きますよ」

「嘘つけ」

 

 泣く、だなんて。言葉面だけ見るとは悲しそうだけれど、実際その声色に負の感情は含まれていなかった。むしろ楽しげですらあるくらいだ。

 

「ま、その様子なら大丈夫そうっスね」

「うん。大丈夫みたい」

「では作戦通り、頼みますね」

「了解」

 

 短く返して、それから“曲光(きょっこう)”の詠唱をする。

 外套がなくとも霊圧を隠すことはできるが、姿を消すことはできない。以前雲透が「できなくもない」といったことを仄めかしていたから、もしかしたら将来的にはできるようになるのかもしれないが。

 

「……気をつけて、くださいね」

 

 足を一歩踏み出したその時、独り言のような小さな声が聞こえた。私は振り返りもせず、足を止めようともしなかった。

 

 ただ、五歩目に一言。

 

「……喜助さんもね」

 

 

 




お久しぶりです。
お待たせしてしまって、すみませんでした。

尸魂界篇を全部書き終えてからまとめて投稿しようと思っていたのですが、このままではいつまでたっても終わりそうにないと判断したので、今できている分だけでも小出しにしていくことにしました。

今後も投稿は続けていくつもりです。
よろしくお願いします。


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四十、まずは味方から

前話に引き続き、それなりに短いです。
でも、区切りが良いので。



 

 

 

 瀞霊廷(せいれいてい)流魂街(るこんがい)を区切る、四つの門。

 

 そのうちの一つ、白道門(はくとうもん)を守護する兕丹坊(じだんぼう)が、一護との戦闘に負けて門の通行を許可してしまった。

 

「これは……確かに『あかん』ねぇ……」

 

 糸目の三番隊隊長の顔を思い浮かべながら、私は物陰で小さく呟いた。そして、いつでも走り出せるように身構える。

 

「腰抜がすなよー、一気にいぐどー……」

 

  そう言って、兕丹坊は白道門を一息に持ち上げてしまった。あの大きさの門を、一人で。しかもあのスピードで。

 そういうところは門番を任されるだけあるんだなぁ、と感心しつつ、私は一歩目で足元を弾いた。二歩目はもう瀞霊廷の中だった。

 

「あァ、こらあかん」

 

 数メートル先から聞こえた京都弁に、私は「そりゃそうだ」と密かに頷いた。

 

 今回は、相手が一護達だったからまだ良かった。彼らは確かに旅禍(りょか)だけど、明確な害意を抱いて瀞霊廷に乗り込もうとしている訳ではなかったからだ。

 しかし、それでも旅禍は旅禍。瀞霊廷の者から見ればただの不審者でしかない。それに対して兕丹坊は、現代風にいうと警備員という立場だ。

 

 つまり兕丹坊という警備員は、規制された区域に無断で侵入しようとした一護達不審者を、上の指示を仰ぐこともなく自己判断で勝手に通してしまった……ということになる。

 

 これはアウトだよね、どう考えても。

 

「あかんなぁ……門番は門開けるためにいてんのとちゃうやろ」

 

 その時。京都弁を使う三番隊隊長――市丸ギンの霊圧が、ほんの一瞬だけ膨らんだ。そして兕丹坊の悲鳴と、何か重いものが地面に落ちる音。

 

「門番が"負ける"ゆうのは、"死ぬ"ゆう意味やぞ」

 

 だからといって、流石にそれは極論だと思うけども。

 

「何てことしやがんだ、この野郎!!」

 

 現世の人間とはあまりにも違う価値観だ。

 そんな市丸ギンに、我慢できなくなったらしい一護が突っかかった。

 

「おもろい子やな。ボクが怖ないんか?」

 

 全然、と言いかけた一護に、夜一さんが大声で怒鳴った。そのやり取りから一護の名を知った市丸ギンが、ニヤリと意味深長な笑みを浮かべる。そして、一護から遠ざかるようにゆったりと歩き始めた。

 

「ほんなら尚更……ここ通す訳にはいかんなぁ」

 

 これは、早急に逃げた方がいいかもしれない。あんなのに巻き込まれてはたまらないと、私は隠れられそうな物陰を探して、そこに飛び込んで――

 

 慌てて自らの口を塞いだ。

 

 そこに六番隊副隊長、阿散井恋次がひっそりと立っていたからだった。

 

「っ……!!」

 

 び、ビックリした……まさか、飛び込んだところに阿散井恋次がいるとは思わなかった。

 

 思い返してみると、漫画にもこんな描写があったようななかったような……というより、何でこの人ここにいるの? こんなところで何してるの?

 

射殺(いころ)せ、"神槍(しんそう)"」

 

 さっきと同じような霊圧の膨張。

 そして先程まで瀞霊廷の中にいた一護が、ふらつきながら門を支える兕丹坊もろとも、流魂街に弾き出されてしまった。

 

「バイバーイ」

 

 支えがなくなって勢いよく閉まる門の隙間から、市丸ギンはヒラヒラと手を振った。その一瞬の後には門は閉ざされ、胡散臭い笑みをたたえた市丸ギンはくるりと踵を返した。

 

 私の隣にいる阿散井恋次は、その一部始終を黙って見つめていた。市丸ギンがいなくなった後も、静かに壁にもたれかかって何やら考え込んでいるようだった。

 

「…………」

 

 この人は恐らく昔の私のことを知っている。その上、ルキアを助けたいと願っているはずだ。だから上手くやれば味方に引き入れられるに違いない。

 

 話し掛けるには、今が絶好のチャンスだ。現実主義な喜助さんだったら、まず目の前の阿散井恋次から取り掛かるに違いない。

 

 でも。最初に会うべきなのは、この人じゃないんだよ。

 

 少し効率は落ちるけど、それも致し方ない。私はさっと頭を切り替えた。

 切り替えた頭の隅で「それにしてもすごい髪色だなぁ」なんて至極どうでもいいことを考えながら、私は忍び足でその場を離れたのだった。

 

 

 

 ◇  ◇  ◇

 

 

 

 門が開いたその瞬間に瀞霊廷内に踏み込んだのは、私一人だけではなかった。互いに姿が見えないから断言はできないけれど、少なくとも計画では二人揃って侵入することになっていた。

 

 つまり。漫画では現世で待機していた喜助さんが、今回は尸魂界にやってきているんだ。

 

 喜助さんは一行が穿界門に飛び込んだ直後に、霊圧遮断型外套と"曲光"で存在を隠して私達の後を追ってきていた。だから、一護を始めとするクラスメイト達は、喜助さんまで来ていることを知らない。知っているのは私と夜一さんだけだ。

 

 穿界門の開門状態を一人で維持できるようにしたのも、門をくぐった者の霊圧を変質させる機能をつけたのも、全て喜助さんが尸魂界に入るために行ったことだった。そうやってこっそり侵入して、藍染にさえ悟られないのをいいことに裏で思う存分動き回る気らしい。

 計画を立てる際に、「敵を騙すならまず味方からって言うでしょう?」と得意げに語った喜助さんに、何故か若干イラッとしたのを覚えている。

 

「…………」

 

 どこか懐かしいような気がする瀞霊廷を眺めながら、消費霊力を抑えた遅めの瞬歩で移動していく。向かう先は、六番隊の隊舎だ。

 瀞霊廷の地図は、ここに来る前にだいたい頭に入れてしまっている。念のため紙媒体の地図だって持ってきているから、万が一にも迷うことはないだろう。

 

「おい、白道門から侵入した奴らがいたらしいぞ。それも旅禍だとよ」

「マジかよ! それで何かピリピリしてるんだな」

「旅禍なんて、何年ぶりだろうなぁ」

 

 すれ違う平隊員達は、私の存在に気づかない。本気で霊圧を隠せば商店の大人達にも感知されない私が、霊圧を確実に遮断する外套をまとい、さらにその上から"曲光"までかけているんだ。気づかないというより、気づける訳がないといった方が正しいのかもしれない。

 

「…………」

 

 そうして誰にも見つからずに辿り着いた、六番隊舎。自然と、足が止まる。

 入り口の門にでかでかと書かれた、『六』という漢数字を無言で見上げた。

 

 ここに、いるんだよね。

 

 日はまだまだ高い。この時間帯なら勤務中であることは間違いない。だから、いるはずだ。この中の、どこかに。

 早く会いたい。こうやって、こそこそ隠れて向かわなければならないのがもどかしい。それくらい切羽詰まった感情だった。

 

「何で……」

 

 それなのに、その感情に嘘はないのに、私の足は決定的な一歩を踏み出せずにいた。

 

「おい、今何か言ったか?」

「いいや、何も」

「んー……気のせいかなぁ」

「気のせいだろ」

 

 さして気にする様子もない隊士達に、私はホッと息をついた。どうやら、知らぬ間に独り言を漏らしてしまったようだ。

 

「俺さぁ、隊長にって届け物を頼まれてるんだよな……」

「は? 直接渡しに行くのか?」

「おう、普通は席官を通すんだけどな。ただの菓子だからってさ」

「菓子? 誰からだ?」

「浮竹隊長からだとよ」

「あぁ、なるほど」

 

 彼らは迷わず六番隊舎に入っていく。

 そうか、この人達は六番隊所属なのか。しかも隊長に会いに行く、とのことだ。

 

「しっかし、隊長も不運な方だよな……」

「隊長の妹さん……ルキアさん、だっけか?」

「あぁ、それで合ってるぞ」

 

 突っ立ったまま、遠ざかっていく隊士達の話に耳を澄ませる。

 

「酷い話だよな。()()()()娘さんもいなくなって、ついに妹さんまで……」

「ここまで来たらもう、呪いだよな」

 

 ()()()()いなくなった。

 

 その言葉は、私の心の奥底に押し込めていた何かを引きずり出した。

 

「…………」

 

 今度は、ちゃんと足を踏み出すことができた。隊士達の後を追う。

 先程までの躊躇いは、跡形もなく消え失せていた。

 

 

 



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四十一、再会

 

 

 

 「久しぶり、元気にしてた?」なんて気軽に話し掛けることのできる相手でもなければ、そういうシチュエーションでもない。だからといって出会い頭に謝罪するのも違和感があるし、開口一番「実は生きてました」なんて告げるのも違う気がする。

 

 果たして、何と声を掛けるべきか……

 

 そんなことをうだうだ考えていても、隊士の後を追いかける足は止まらない。

 

 そしてとうとう、隊首室に辿り着いてしまった。

 

「くっ……くくく、朽木隊長はいらっしゃいますか!」

 

 包みを携えた隊士が、神妙な面持ちで隊首室の扉をノックした。緊張のせいでどもってしまった隊士の様子を、付き添っていた他の隊士二人がくすくす笑いながら見守っている。

 

「あぁ。入れ」

 

 父様の声だ。この中にいるんだ。

 やっと、会えるんだ。

 

「はいっ! 失礼しますっ!」

 

 ガチガチな隊士が、扉を開ける前に一度礼をした。「開けてからじゃないと見えないだろ」と隣の隊士達が笑っているが、緊張しきっている本人は気づかない。

 

「…………」

 

 私は、その様子を息を止めて凝視していた。そのことに自分で気づいて、自嘲するように小さく笑った。

 

 私も彼と大差ないじゃないか……と目を閉じて、静かに息を吐く。

 

 扉の開く音がして、それから私は目を開いた。

 

 薄暗かった廊下に、光が差す。

 私はその光に向かって、開いた扉と平隊士の隙間に滑り込んだ。

 

「う、浮竹隊長から菓子だそうです。こちらに手紙も……」

「……あぁ」

 

 ――いた。

 

 隊首室は、まるで現世の社長室のような造りをしていた。窓に背を向けるように置かれた隊長の机の前には、ソファとローテーブルが整然と並べられていた。

 

 そんな隊首室で朽木白哉は――父様は、然るべき席について手元の書類に目を落としていた。

 

「菓子か……そういえば、そんなことを言っていたな」

 

 父様は泰然と顔を上げると、差し出された届け物を机に置くように目配せした。それを察した隊士が、さっと包みを机の端に乗せる。

 

「わざわざ御苦労だった」

「いっ、いえ! とんでもないです!」

 

 父様はにこりともせず、労いの言葉を口にする。

 それを受けた隊士は、慌ただしいながらも嬉しそうに一礼した。それから、入室した時と同じようなぎこちない動きで退室していった。

 

 そして……隊首室に残ったのは、父様と私だけになった。

 

「…………」

 

 決して狭くはない室内が、沈黙で満たされる。

 

 相変わらず無表情な父様は、手に取った包みを机の中にしまって、添えられていた手紙を読み始めた。

 

 一方で私は、これからどうしようかと思案していた。思案しながらも足だけは、父様の方へと勝手に動き続ける。音を立てないように、忍び足で。

 

 一歩、二歩。

 

「……痛っ!」

 

 踏み出した、三歩目。

 その左足に痛みと衝撃が走って、私は小さく声を上げた。どうやらソファの足を思い切り蹴飛ばしてしまったらしい。

 

「…………」

 

 あれ? 声を、上げた……?

 

「何だ」

「っ……!!」

 

 やってしまった。

 

 空気が凍る、というのはこういうことを言うらしい。警戒心を多分に含んだ父様の声を発端に、室内のありとあらゆる気体がピキピキと音を立てて凍りつく様が目に見えそうだ。

 

 慌てて口を押さえるが、今更何の解決にもならない。既に声は出してしまっているし、蹴飛ばしたソファは少しだけズレてしまっているし。

 

「……何者だ」

 

 私の姿は見られていない。それなのに父様は、鋭い目線でこちらの方を睨みつけている。

 それどころか、立ち上がって身構えていて……何かの弾みで抜刀しそうな勢いですらあった。

 

 ちょっと、マズいかもしれない。

 

「ちょ……待ってください! て、敵じゃないんです!  断じて!」

「一体、何を……」

 

 実の父親に誤って斬り捨てられるなんて、笑えない。

 

 まごまごと弁解しつつ、私は大慌てで"曲光"を解いて外套を脱ぎ捨てた。そして隠していた霊圧を元に戻して、床に落としてしまった外套をわたわたと拾い上げて、先程蹴飛ばしたソファの背もたれに掛けて……そこでやっと、我に返った。その体勢のまま静止する。

 

 いやいやいや。

 

 これ、久々の再会だよね。

 さらっと姿現しちゃったけどさ。

 どうしよう、これ。

 

 そろり、と恐る恐る顔を上げてみる。

 

「…………」

 

 そこにあったのは、まさしく幽霊でも見たような、色を失った表情。

 

 私と同じグレーの瞳は、大きく揺れながらも真っ直ぐに私を射抜いていた。

 

「まさか……そんな……」

 

 これまで聞いたことのないような掠れた声で、父様が言葉を漏らした。今なら霊力のないただの人間でも一本取れるもしれない。そのくらい、隙だらけの出で立ちだった。

 

 あぁ……何か、言わなければ。

 

 そんな衝動に急き立てられて、私はおもむろに口を開いた。

 

「えっと……その……桜花、です。お久しぶりです。もっとこう、落ち着いて会おうと思っていたんですが……何だか、締まらない感じになってしまって……」

「…………」

 

 たくさんの種類の感情が、私の中でぐちゃぐちゃに積み重なっている。そのせいか、発する言葉は要領を得ないものばかりだった。それでも口を閉じてはいられなくて、私はただひたすらにつらつらと言葉を並べた。

 

 しかし父様は、何も言わない。

 

 その様子がさらに不安を掻き立てて、ペラペラ回る口は余計に止められなくなった。

 

「あの……ご心配をおかけして、申し訳ありませんでした。その辺りについては、色々と話さなければならないことが――」

 

 不意に、父様の姿が掻き消えた。

 

 そして次の瞬間には、目の前には黒が広がっていた。どこか懐かしい、い草とお香が混ざったような上品な匂いがした。

 

「――桜花」

「……はい」

「桜花」

「……はい」

 

 繰り返し名を呼ばれて、それに丁寧に答えているうちに、先程のよく分からない焦燥は収まっていった。

 

 私は、ゆっくりと目を閉じた。

 

「ここに、居るのだな……」

「っ……」

 

 頼むから夢であってくれるなと、そう懇願するような声色が耳朶を打った。

 

 そのあまりの切実さに、私は小さく息を詰まらせた。こみ上げてくるものを堪えようと、目前の黒に縋りついて……そして、応える。

 

「はい……います」

「本当に、この腕の中に……生きて、居るのだな」

「……間違いなく、ここに」

「そう、か……」

 

 父様が、深い深い息を吐いた。背中に回された腕が、目の前の黒が、震えている。

 

「…………」

 

 静かな時が、流れ続ける。

 

 父様も動かず、私も動こうとはしなかった。

 これ以上何か言葉を交わそうとも、思わなかった。

 

「…………」

 

 三年分の記憶しかなくとも、前世の記憶があろうとも。それでも、この人は紛れもなく私の父親なのだと、私の中の何かが強く叫んでいた。

 

 これが血の繋がりというものなのだ、と。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 一体、どのくらいの時間が経ったのだろう?

 ずいぶんと長い間、ああしていた気がする。

 

 日はまだ沈んでいないみたいだけど……と窓の方を見ると、私から離れたばかりの父様が、机について何やら書き始めていた。

 

「……浮竹隊長へですか?」

「いや、違う」

 

 先程の菓子の礼をしたためているのかと思ったけれど、どうやら違うらしい。慣れた様子で筆を動かす手元をそっと覗き込んだ。

 

『桜花が戻った。屋敷に芦谷と恋次を呼べ。それから至急、宴の準備を――』

 

「わ、わ、わ! 父様っ!」

 

 宴って。宴って!

 私これから暗躍する予定なのに!

 

 慌てて静止の声を上げると、父様が訝しげに顔を上げた。

 

「私のことは、もうしばらく秘密にしておいてくれませんか?」

「何故だ」

「何故って……」

 

 ルキアの一件もありますし、今から宴をするのはちょっと……と言い淀む。

 

 すると父様は、私が発した『ルキアの一件』という言葉に反応した。声の調子は変わらないものの、ほんの少しだけ目を見開いていた。

 

「知っているのか?」

「はい。というより、ルキアとは既に何度も会っているので……」

「ルキアは、お前のことを知っていたのか……!?」

「はい」

「知っていたのに、何故……」

「私が口止めしていたんです。私のことは今しばらく内密にしておいてほしい、と」

 

 ルキアは何も悪くないと、そういう意味を込めたことは伝わっただろうか?

 

「とにかく今は、話すべきことが山ほどあるので……どこか、誰の目も耳もない場所はありませんか?」

 

 私がそう言うと父様は少しだけ考え込んで、それから「屋敷の離れならば、誰も来ぬだろう」と呟いた。

 

 離れ、か。確かにあそこは使われていなかった記憶がある。そうか、あの棟は未だに無人状態なのか。私が屋敷の間取りを思い出していると、父様が再度口を開いた。

 

「桜花。お前はどのくらいの時間、隠れていられるのか?」

「隠れる……? あ、霊圧隠蔽と"曲光"ですか?」

「あぁ」

 

 そんなことを訊いてどうするのかと内心首を傾げながらも、時間を簡単に計算していく。

 

  死神の力を取り戻してから、私の霊圧隠蔽能力は格段に精度を増した。つまり、それまで私は霊力を垂れ流している状態だったという訳だ。

 そんな私のために、喜助さんが(ホロウ)避けの結界を張ってくれていた。そして私が死神化して霊圧を隠せるようになってからは、その結界は解除したんだとか。しかし何故か、解除したという事実は教えてもらっていなかった。

 

  だからなんだろう。私は、始解を習得して斬魄刀から話を聞くまで、自分が霊圧を隠せるということを知らなかったんだ。

 

 もちろん、尸魂界での記憶をほんの少し思い出した時点で、()()霊圧操作が得意だったということには気づいていた。

 だから一応、死神化するまでの私が霊圧を隠せなかったことに違和感は抱いていたんだけど……でも「昔のことだし」と、深く考えようとはしなかったんだよね。

 

「霊圧を隠すのに霊力消費はほとんどないので、隠蔽の方は半永久的に可能です。"曲光"の方もそれほど霊力は使わないので……数時間は余裕です」

「……そうか」

 

 この能力の由来は、実は"雲透(くもすき)"にあったりする。

 

 "雲透"の能力は、大きく分けて二つ。

 一つ目は自分と相手を天秤に乗せて比較することによって、相手の現状を読み取る能力。この『現状』には感情や頭の良さなど、数値化しにくいものも含まれている。

 

 そして二つ目が、この霊圧隠蔽だ。

 天秤に載せられた『もの』には、天秤の使用者の情報を得ることはできない。私はその天秤の使用者だから、秤に載せられ得る『もの』には私をはかることはできない。

 

 その"雲透"の能力の影響で、私は昔から霊圧を隠すことができたんだ。

 

 だから父様も、この特技のことは知っていたんだろう。特に驚いた様子もなく、しかし少しだけ満足そうに頷いていた。

 

「四半刻もあれば、これを片付けられる。それから屋敷へ向かう。それまで、この部屋で隠れておけ」

 

 『これ』のところで、机上に積み重ねられた書類を示された。

 

 ざっと見て10センチはある、これを三十分で? 尸魂界(ここ)では、強い人は書類仕事の処理能力も高いの?

 

 ……と、ここまで考えて、十一番隊隊長が思い浮かんだ私は考えるのをやめた。あの人って多分、書類仕事できないよね。しないんじゃなくてできなさそうだよね。

 

「分かりました」

 

 私は素直に頷いて、手際良く存在を隠した。

 この作業も、もう慣れたものだ。"曲光"だって、詠唱破棄でも長時間保たせられる。

 

 さてと……突っ立っているのもあれだし、ソファにでも座って待つか。

 

 そう思ってふかふかしたクッションに身を沈めた時、父様が不意に呟いた。

 

「……桜花、そこに居るか」

「へ……? いますよ?」

「……そうか」

「どうしたんですか?」

「……いや、気にするな」

「はあ……」

 

 煮え切らない返答に、私は曖昧な声を漏らした。

 

 それからも、数分おきに私は「そこに居るか」と訊ねられた。

 そのらしくない問答の理由に気づいたのは、三度目に声を掛けられた際に、父様の口元がほんの少しだけ緩んでいたのを見た時だった。

 

 無意識なんだろうな、と考えずとも分かってしまって、私の方もにやけるのを抑えられなかった。

 

「……桜花」

「はい、いますよ」

「あぁ……分かっている」

 

 何が『分かっている』だ。夢じゃないか確かめようと思って声を掛けたくせに。笑ってるの、見えてるんだからね。

 

 そうやって内心は憎まれ口を叩いていたけれど……表情を隠す必要のない私は、さぞ嬉しそうな顔をしているに違いない。

 

 

 人と関わることが嫌いだった前世とは違って、今の私は――桜花という一個人は、こういうことにめっぽう弱いらしかった。

 

 

 




そこはかとなく漂う恋人感。どうしてこうなった。


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四十二、ストーカー

 

 

 

 宣告通りに仕事を三十分で片付けた父様と、二人で並んで尸魂界(ソウル・ソサエティ)の石畳を歩く。

 

 ただし、傍目には父様が一人で歩いているようにしか見えないだろう。それはもちろん、隊長格であっても例外ではないはずだ。

 

 ――例えそれが、()()()()()という規格外な存在であったとしても、である。

 

「やあ。こんにちは、朽木隊長」

「……藍染隊長か」

 

 本気で、心臓が止まるかと思った。

 

 六番隊の隊舎と五番隊のそれは、番号が隣り合っていることもあって、割と近い距離に建てられていた。だから、その可能性を考慮していなかったといえば嘘になる。

 

 藍染惣右介その人に、道端で()()()()遭遇してしまう可能性というものに。

 

「妹さんの件、進展でもあったのかい」

「……何故、そのようなことを訊く?」

「あ……いや、別に他意はないんだよ」

 

 真実を知らなければ、誰も藍染惣右介が黒幕だとは気づけまい。父様に藍染に対する敵対心はないし、私だって漫画を読んだことがなければ騙されていたに違いないし。

 そのくらい、藍染と父様の会話は自然なものであった。

 

「気を悪くしないでくれるかい」

 

 藍染が、どこか申し訳なさそうな表情で父様を見つめる。

 

「前に隊首会で見かけた時より元気そうだったから、ちょっと気になってしまってね」

「……あぁ」

 

 どうしよう……これは、この流れは良くない。

 

 一応父様には口止めをしているから、私の存在をバラすだなんてことはあり得ないだろう。しかし、相手はあの藍染惣右介。どんな発言が、どんな行動が、命取りになるか分からない。

 

 血の気が引いて動けない私とは対象的に、何も知らない父様は落ち着き払っていた。

 

「使えそうな判例を見つけたのでな。これで一度、四十六室に掛け合ってみるつもりだ」

「そうか! それは良かった」

 

 ずっと気掛かりだったんだと、藍染が安心したように笑う。

 同時に、私も安心して息を吐いた。流石は父様だ。ちょうど判例を見つけていたとは。

 

「妹さんのしたことは確かに良くないことだけれど……それでも極刑は重すぎると思うんだ」

 

 藍染は少しだけ声を落として言う。

 

 全く、何をいけしゃあしゃあと。

 「極刑は重すぎる」だなんて、よく言えたもんだよ。

 

「僕にできることがあれば、何でも言ってほしい。少しは力になれると思うから」

 

 どこからどう見ても穏やかな好青年でしかない黒幕に呆れ返りながら、彼の中身のない言動を眺める。いつの間にか、そのくらいの余裕は取り戻していた。

 

「お気遣い、痛み入る」

「はは、相変わらず堅いなぁ。君は」

 

 そうやって二人の隊長は別れを告げて、別々の方向へと歩き始めた。

 

藍染惣右介の姿が曲がり角に消えて、彼が十分に離れたのを確認して初めて、私は歩を進め始めた。足音が聞こえたとかで、万が一にも見つかってしまっては洒落にならないからだ。

 

 しかし、妙に肩の凝る時間だった。

 まさかこんなに早いタイミングで藍染と出くわすなんて……まぁ、こうやって存在を隠すのが藍染にも通用するって分かっただけでも、それなりの収穫と言えるかな。

 

「……?」

 

 そんな時、後ろから足音が聞こえ始めた。

 私は何気なく、もちろん霊圧を探ることもなく振り返った。

 

 

 

 無表情の藍染惣右介が、そこにいた。

 

 

 

「っ……!!?」

 

 悲鳴を上げそうになったのを、死にものぐるいで抑え込んだ。口から飛び出しそうなほどに、心臓がバクバクと暴れている。

 

 何で、コイツはここにいるんだ?

 

「……可能性は、あるだろうな」

「……!」

 

 独り言のように呟いた声に驚いて、思わず肩が跳ねてしまう。

 

 何? 何の可能性? もしかして、私が戻ってきている可能性とか? いや、まさか。流石の藍染でもそれは――

 

「…………」

 

 ひとしきり脳内で騒いで、そして私はあることに気がついた。

 

 どうして、父様は振り返りもしないんだ?

 

 例え私のように霊圧を探らなかったとしても、こんなにハッキリとした足音が至近距離から聞こえたんだ。普通は振り返るなり何なりするだろう。しかし父様は、何のリアクションも示さないのだ。

 

 まさか。

 

 気づくと私の足は、完全に止まってしまっていた。その間にも、父様はどんどん前へと進んでいく。けれど、早く追いかけなければなんて思いながらも、私の足は全く動かなかった。

 

 そんな私の横を素通りして、藍染は父様の後を追いかけていく。今や二人の間には、1メートルにも満たない距離しかなかった。それなのに、父様は振り返らない。

 この状況からして恐らく父様は、藍染の存在に気づいていない。

 

 あぁ、間違いない。

 これは、藍染惣右介の斬魄刀――"鏡花水月(きょうかすいげつ)"の力によるものだ。

 

 確か"完全催眠"といったか……父様は多分、それによって五感と霊圧知覚を支配されている。でも、私はされていない。それはつまり、()()"()()()()"()()()()()()()()()ということを意味する訳で――

 

 それまで頭の中に充満していただけの恐怖が、全身に隅々まで行き渡っていくような、そんな感じがした。私は寒さに耐えるように身体を縮こまらせて、必死に頭を回転させる。

 

 どうしよう? どうすれば良いんだ?

 

 だって、このままだとアイツは朽木家の屋敷までついてきてしまう。朽木家に着けば、きっと父様は私に声を掛けるに違いない。そうしたら私は返事をせざるを得ないし、姿を現さない訳にもいかないだろう。

 でも、そんなことをしてしまえば、私が尸魂界に来ていることがバレてしまう。というより、いるはずのない私の名前が呼ばれた時点で、私の存在はバレてしまうだろう。

 

 いや、それだけならまだマシだ。

 そんなことより『私に"鏡花水月”が機能していない』ということを知られてしまう方が余程マズい。

 

私に"鏡花水月”が掛けられているかどうか。それは、尸魂界(ここ)に来る前に喜助さんとある程度話していたことだった。

 

 既に“鏡花水月”の餌食になっているなら、何も問題はない。というより何も対策しようがないから、問題として気にすることに意味はない。

 

 そんなことよりもずっと危険なのは、私に“鏡花水月”が通用しなかった場合だ。

 

 もし過去に藍染が私に"鏡花水月"の始解を見せようとしていて、私がそれを何らかの方法で脱していたなら。

 その場合は、敵の親玉に見られながら、知られても構わない内容を厳選しつつ話を進めなければいけない。その過程で、私が少しでも()()()()()()()()()()()()を取った時点でゲームオーバーだ。

 

 それとは逆に、もし私に一度も"鏡花水月”の始解を見る機会がなかったなら。

 普通に考えてこちらの方が可能性が高いけれど……この場合は、私が意図的に藍染に気づかないフリをした時点でゲームオーバーだ。

 

 その二つのパターン、どちらが正解なのか……過去の記憶のない私には判別できないんだ。

 

「……落ち着け」

 

 二人が遥か向こうの角を曲がったのを見て、私は小さく呟いた。

 

 それから、深呼吸を一つ。二つ。三つ。

 

 落ち着け。落ち着くんだ。とにかく今は、二人を追いかけないと。

 父様は藍染が見えていないから、何かされても手も足も出ない。つまり……今一番危ないのは、私じゃない。父様だ。

 

 足音を立てないように、空中に造った足場に飛び乗った。そして、先程と同じ距離を保って通りを歩いている二人に、瞬歩で近づく。

 

 やはり父様は、藍染に気づいていないようだ。

 

「…………」

 

 その無防備な様子を見て、私は心を決めた。

 

 ここは、私が何とかするしかない。

 何とかして、乗り切ってやる。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 十数分とは思えないほど長い時間を掛けて朽木家の屋敷に着いたものの、思い出に浸って懐かしがっている余裕はなかった。

 

 何せ、隣に藍染惣右介がいるんだから。

 

「おかえりなさいませ、旦那様」

「おかえりなさいませ」

「あぁ」

 

 次々と頭を下げる召使い達に軽く相槌を返して、父様はスタスタと歩いていく。そして、見覚えのある――確か父様の側仕えだったような――丸眼鏡が特徴的な年配の男性の前で立ち止まった。

 

清家(せいけ)

「は」

「離れへ向かう。何人(なんびと)たりとも、例え隊長格であっても通してはならぬ」

「かしこまりました」

 

 驚くほどに美しい所作で、清家は頭を下げた。当然、余計な詮索はしない。

 見慣れているんだろう、父様はそんな清家を無感動に一瞥して再び足を進め始めた。

 

 そして、それら一連のやり取りは全て藍染の存在を無視して行われていた。

 屋敷の中の召使い達まで"鏡花水月”の餌食になっているとは……一体どれだけの年月を掛けて、そこまで手を回したんだろうか。恐ろしいまでの忍耐力だ、と身震いしながら私も二人の後を追った。

 

 

 そして、とうとう母屋からの渡り廊下を抜けて、私達は離れへと踏み入った。相変わらず藍染も一緒だが。

 

「桜花、居るか」

 

 離れの一室に入って、襖を閉めた。その途端に聞こえた父様の呼び声に、私は痛いくらいに強く拳を握りしめた。名を呼ばれた以上、もう他に選択肢はない。ここに、賭けるしかない。

 

 大丈夫、私ならできる。やってやる。

 

「はい。いますよ」

 

 普段通りに振る舞おう。恐怖も覚悟も、心の奥底に隠してしまうんだ。

 

 私はサラリと返事をして、"曲光"を解除した。それから外套を脱いできれいに畳む。

 隠していた霊圧も、開放することにした。霊圧を消せていたのは外套のお陰だと思ってくれることを願って。

 

「……なるほど、やはりか」

 

 そう、藍染が呟くのが聞こえた。

 

 私はそれを、まるっきり無視した。無視して、父様の顔を低い位置から見上げた。

 

「出来得る限り、あの頃のままにしてある。ここに来るのも久々だろう」

「……?」

 

 そう言って、父様が部屋を見渡した。何だか懐かしそうな、嬉しそうな感情が、言葉の端々から感じられる。

 対して私は、何のことだと首を傾げるしかなかった。

 

「あの頃のままって……」

 

 部屋に並ぶのは、見慣れないものばかりだった。

 飾り気のない文机と、同じくシンプルな木製の本棚、木目の綺麗な箪笥。可愛らしいアヒルのぬいぐるみ。それから赤白の着物が掛けられたラックと、刀を乗せる台座のようなもの。

 それらの中で私が目を留めたのは、赤と白の着物だった。上が白で、袴が赤。この配色には見覚えがあった。

 

「ここ、もしかして……」

 

 あの袴は、真央霊術院のもので間違いないはずだ。だから、最初はルキアの部屋かと思った。

 

 でも、違う。

 父様は「あの頃のまま」と言った。そして何より、部屋にあるもの全てが私の趣味に合っていた。

 

「私には、家具一つ動かせなかった。……我ながら、未練がましい話だ」

 

 ここは、私の部屋だ。

 

 そう自覚した途端、えも言われぬ強烈な違和感に襲われた私は、一瞬だけ藍染のことも忘れて眉を寄せた。

 別に嫌な訳じゃない。不快な訳でもない。ただ、私の知らないところで、私が自らの意思で行動していた……その一端が見えてしまって、形容しがたい不可思議な感覚に襲われているだけだった。

 

 この感覚には覚えがあった。記憶上では初対面のルキアに泣きながら抱きつかれた時も、こんな感じだったように思う。

 

「……父様」

「どうした?」

「少し、話さなければならないことが」

 

 藍染の興味深そうな視線を感じつつ、長くなりそうだからと二人で畳の上に座り込んだ。

 

 私は長く息をついて、瞳を閉じる。そして数秒の後、二つの決意と共に目を開いた。

 

 ――よし。

 

「私には……四歳以降の尸魂界における記憶が、ありません」

 

 父様が、きょとんと間の抜けた顔で私を見た。

 

 こんな顔、物語の中では見たことがない。再会して二度目の素の表情に、この人は漫画の登場人物ではないんだと、改めて実感する。現実にいる人だからこそ、ちゃんと説明しなければならないこともある。

 

「記憶がない、だと……?」

「……はい。だから、四十年前何があったのか……どうして行方不明になったのか……全く、分からないんです」

 

 呆けていた父様の顔が、だんだんと驚愕に染まっていく。

 

 ほう、と藍染が面白がっているような声を漏らした。

 

「そもそも三歳までの記憶が戻ったのも、最近のことでした」

「そんな……」

「だから、私は自分が何者なのかということさえ、つい最近まで知らなかったんです」

 

 暗に「あなたのことも忘れてましたよ」と告げた訳だけど、それでも父様は全く不快そうな顔をしなかった。ただただ驚いている様子に、心の中でほっと安堵する。

 

「故に、戻れなかったのだな」

「はい」

「では、その間は何処に?」

「……現世に」

「現世か」

 

 道理で、尸魂界で霊圧を探っても見つからない訳だ。

 

 そう呟いて納得したような様子だった。

 すみませんと小さく謝ると、自ら望んでそうなった訳ではないのだろう? と想定外の穏やかさと共に返ってきた。

 

「……信じて、くれるのですか?」

「当然だ」

 

 何を言っているのだ、とでも言いたげな様子だ。

 

「……ありがとう、ございます」

 

 私はそれが嬉しかった。

 唐突に何も言わずに失踪するという、とんでもない親不孝をやらかした私を怒ることもなく、急に戻ってきて記憶喪失だったと都合の良い言葉を吐く私を疑うこともなかった。

 

 藍染さえこの場にいなければ、喜びで涙の一つや二つ溢していたかもしれない。しかし私だけが感じているこの強烈な緊張感が、そして次に話さなければならないことへの重圧が、そんな感情を押し込めてしまった。

 

 穏やかな沈黙が、私にだけいやに張り詰めて感じられる。そんな奇妙な雰囲気の中、不意に父様が何かに気づいたかのような、ハッとした顔をした。

 

「ならば、もしや……」

「……? 何がです?」

「……いや、何でもない。後で見せる」

「はあ」

 

 見せる。

 

 そう言われて、全く心当たりがないとは言えなかった。何を見せるのか、何となく分かった上で、私は何も分からない振りをした。だって私にはまだ、話さなければならないことがあるんだから。

 

 そうやって言い訳して、とりあえず逃げただけかもしれないけれど。

 

 今は、それより。

 

 私は無理矢理に頭を切り替えて、無表情に戻った父様を見つめた。

 

「実は、もう一つ伝えなければならないことが」

「何だ」

「私の目的について、です」

「…………」

 

 父様が、沈黙によって先を促した。

 私はそれを感じ取って言葉を続ける。

 

「私はこの度、一護……一護というのは現世で父様が手を下したオレンジ頭の人間のことですが、とにかく彼らと共に尸魂界に侵入しました」

「……あの人間、生きていたのか」

「まぁ、生命力と霊圧が取り柄みたいな奴なので」

「もしや、知り合いなのか……?」

「はい。十年ほどの付き合いです」

「そう、か……」

 

 若干の申し訳なさをはらんだ「そうか」だった。

 しかし、一護に手を下したことに後悔はないようだった。当然だ、それが護廷十三隊隊長の責務だったのだから。

 私にとっても何かと複雑な、その一件について深堀りしてこないことをありがたく感じながら、私は話を戻した。

 

「――ともかく。私達が尸魂界に入ったのは、ルキアを極刑から救い出すため……そして、父様を含む死神達に()の情報を渡すためです」

 

 ルキアを救い出す方は、予想がついていたに違いない。しかし、『敵』という言葉は想定外だったようだ。

 

「敵……?」

「はい。現在この護廷十三隊の中に、裏切り者が三名います」

 

 霊圧から察するに、藍染は未だ私の真後ろ辺りに立っている。その存在をしっかりと認識してしまうと、『言わなければならない』と決めた心が揺らぎそうになる。

 

 大丈夫、大丈夫だ。

 敵である藍染が後ろにいるのは恐怖以外の何でもないけれど、その代わり前には私を信じてくれる父親がいる。だから、大丈夫だ。

 

 よし、言うぞ――

 

「その三名とは、東仙要、市丸ギン――そして全ての黒幕である、藍染惣右介です」

 

 

 




藍染様怖すぎ問題。


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四十三、圧倒的な強者

 

 

 

「その三名とは、東仙要、市丸ギン――そして全ての黒幕である、藍染惣右介です」

「なっ……!?」

 

 言ってやったよ。黒幕の目の前で。よくやった、私。

 

 妙な達成感に包まれる私とは全く異なって、父様は「そんなはずはない」とでも言いたげな目をしていた。

 

 私だって、実際に彼らの悪事を目の当たりにした訳ではない。でも、これが真実だ。

 漫画の中でそう描かれていたから。そして何より、私の規格外な保護者達がそうだと言っていたから。だから私は、自信を持って告げることができるんだ。

 

「約百年前……隊長格十一名が同時に行方不明になった事件を、覚えていますか」

「あぁ」

「あの事件の真犯人は、藍染惣右介を始めとする先程の三名でした」

 

 今、藍染はどんな表情をしているのか……振り返ることのできない私には知りようがないけれど、それでも私は話を続ける。

 

 いや、続けなければならないんだ。藍染が私に“鏡花水月”を掛けていると勘違いしている今、私は藍染がいない体で話を進めなければならない。藍染たちの名前を敢えて出したのも、この『藍染がいない体』をよりリアルにするためだ。

 

 私たちの本来の作戦では、父様に藍染の存在は伝えても、藍染の斬魄刀の能力までは伝えない予定だった。だから、その通りにする。私が少しでも計画と違うことをして、それが小さな矛盾に繋がったとしたら。その矛盾に気づかない藍染ではないんだ。

 藍染が黒幕だと伝えたら、父様に危険が及ぶかもしれない。けれどそれ以上に怖いのは、私に完全催眠が通用しないことを勘づかれた場合だ。そうなったら本当に、ここで父娘もろとも消されてしまう。それだけは、なんとしてでも避けなければ。

 

「被害者は当時の隊長格八名であり、主犯格とされた浦原喜助は冤罪でした。浦原喜助、四楓院夜一、握菱鉄裁の三名は被害者の命を救うために奔走したに過ぎず、投獄されるほどの悪事を働いた訳ではありませんでした」

「そんな、ことが……」

「今すぐに無条件に信じてほしいとは言いません。ですが、心の隅には置いていてほしいんです」

 

 藍染惣右介が黒幕であること。それと、私の記憶喪失について。この二点は、当然話しておかなければならないことだ。それは、喜助さんに言われたことだった。

 

「そして、私が現世で世話になっていたのは……浦原喜助、四楓院夜一、握菱鉄裁の三人でした」

「…………」

 

 でも、私はそれだけじゃいけないと思っていた。

 喜助さん本人は別に話さなくても構わないと緩く笑っていた、百数年前の事件における冤罪――このことは、どうしても伝えておきたかった。だから、何とか計画に組み込んでもらったんだ。

 こんなのは、ただのエゴなのかもしれない。世話になった親代わりの人が、実父に誤解されたままなのが許せないだけなのかもしれない。それでも、だ。

 

 父様は、考え込むように黙り込んでいる。

 もしかしたら父様は、夜一さんだけじゃなくて喜助さんや鉄裁さんとも面識があったのかもしれない。喜助さんと鉄裁さんは夜一さんの世話になっていた時期があったと聞いたことがあるし、それなら彼らに対して何かと思うところがあるのも当然だ。

 

 そして数秒の後、父様が問う。

 

「……先程の話も、本人から聞いたのか」

「はい」

「そしてお前は、その荒唐無稽な話を信じていると」

「……はい」

 

 えらく酷い言われようだ。そう思われても仕方ないくらいには突飛な話なのだから、仕方がないことだろう。

 

 でも、これが真実だ。

 喜助さん達を嵌めた張本人がすぐ側にいることが、私に更なる確信を与えている。

 

「彼らは、記憶をなくして居場所もなかった私を家に置いて、保護者として面倒をみてくれました。こうやって死覇装をまとえるくらいに強くなれたのも、彼らのお陰なんです」

「そうか」

「それに……そうやって長く一緒にいたから分かるんです。三人は、そんな大罪を犯すような人じゃない」

 

 それだけは伝えておきたかったんです、と話を締めくくった。

 

 さて。父様は、何と言うだろうか。

 そんな奴らを信じるな、とたしなめられるだろうか。それとも、先程のように「桜花が言うのなら」と彼らを信じてくれるだろうか。

 

 全く……これではまるで、叱られる直前の子どもの心境だ。

 私は顔色を窺うように、そっと父様を見つめた。

 父様が、口を開く。

 

「まさか、あの化け猫に礼を言う時が来るとはな」

「……へ?」

 

 予想外な言葉に、笑えるくらい間抜けな声が出た。化け猫? 礼を言う?

 

「この件に於いて、彼等の無罪を信じるに足るか否かは後回しだ。彼等はお前を保護し、鍛錬までしてくれたのだろう?  ならば朽木家当主として、そしてお前の実父として、まずは彼等に謝辞を述べねばなるまい。話は、それからだ」

 

  父様らしからぬ長台詞を一息に言い切って、苦々しげに細い眉を寄せた。しかし、心底嫌悪しているようには見えない。それどころか、少し安心した様子でさえした。

 

彼奴(あやつ)は嫌らしい性格をしているが、真の極悪人ではなかった」

 

 だから有罪無罪はともかく、夜一さん達が私を匿ってくれていたという話は信じてくれると。そういうことなんだろう。

 

 夜一さんのことも、嫌いつつも本心から憎んでいた訳ではなかったんだろう。だからこそ四大貴族当主としての責任と誇りを投げ捨てたと聞いて軽蔑し、そして落胆したんだ。

 

「ふふっ」

 

 藍染のせいで気を張り詰めてはいたものの、あまりに分かりやすい反応には少しだけ笑ってしまった。

 

「……何が可笑しい」

「いえ、夜一さんから昔の父様の話を聞いていたので、つい……」

 

 由衣のことがあってからしばらくして、夜一さんと鉄裁さんに、私がまず間違いなく朽木桜花であることを伝えた時。

 

 さして驚くこともなく「あの白哉坊も娘を持つ歳か……」とニヤニヤ笑う夜一さんに、昔の父様のことを教えてもらったんだ。

 曰く、「おぬしよりも感情の起伏が激しかった」とか「顔は然程似てはおらんが、やたらと真面目な所は似とるのかもしれんのう」とか。

 

 その当の本人が目の前で「全く、あの化け猫めが……」と不快そうに呟いたことで、私の緊張もほんの少しだけ和らいだ――その時。

 

 

「さて、と……」

 

 今まで静観していた藍染が呟いて、移動する。

 立ち止まったのは父様と私の間……つまり、私の目の前だった。

 

「……?」

 

 総毛立つような嫌な予感がした、その時。

 息もできないほどに重苦しい何かが、私にのしかかってきた。

 

「ぐっ……!」

 

 ただひたすらに重たくて、そして恐ろしい何か。

 

 その()()が藍染の霊圧であると気づいたのは、バランスを崩して前のめりに畳に右手をついてからだった。

 

 まるで霊圧が掌の形をしていて、その手指に直に首を絞められているような……そんな殺意のこもった息苦しさに、思わず左手を胸元に押しつけた。そのまま死覇装の襟を握りしめる。

 

「桜花っ……?!」

 

 前触れなく様子が急変した私に驚いたらしい。藍染が間にいるせいで私からは姿は見えないが、父様の声が切羽詰まっている。

 

「どうした!」

 

 そう言うなり父様は、瞬間的に私の側までやってきた。当然、その間にいた藍染はそれを避けて私から離れることになる。しかし、霊圧を収めてくれるつもりはないらしい。

 むしろ先程より強力になったようにも思える重圧に、歯を食いしばって耐える。薄く開いた目に映る畳に、冷や汗なのか涙なのか分からない染みが広がっていく。

 

「直ちに医者を――」

「だ……駄目、です……」

 

 息が、できない。

 鼻も口も塞がれてはいないのに、肺が空気を取り込もうとしない。

 

 そんな中、何とか声を絞り出した。酸素不足で上手く回らない頭が、「バラしては駄目だ」と必死で警鐘を鳴らしている。でも、それ以外のことは考えられそうにない。

 

 とにかく、バラしちゃダメなんだ。

 だって、バラしちゃったら……えっと……

 

「大丈夫、だから……」

「嘘を()くな。緋真と同じ病かも知れぬというのに、悠長に構えてなど居られるか」

 

 違う、これは病なんかじゃない。

 これは、藍染の化け物みたいな霊圧に当てられているだけで……でも、藍染がここにいるって伝える訳にもいかないから……

 

「ホントは……大丈夫、じゃないけど……でも、バレたら……殺される、から……だから……」

 

 何せ頭が働かないから、言ったことも支離滅裂だったかもしれない。もう何が何だか分からなくなってきて、胸元から離した左手で父様の死覇装の裾を掴んだ。

 

「…………」

 

 父様は数秒ほど黙りこくって、自らの死覇装を掴む私の手を握って……そして小さく「判った」と言った。

 

「良かっ、た……」

「桜花っ!」

 

 途端に、がくがく震える私の右腕から力が抜けて、畳に突っ伏しそうになった。でも、無事だった。父様が受け止めてくれたんだ。

 

 父様が、うろたえながらも私の背を撫でる。

 私はその手に応じて空気を吸い込もうとするが、気道が塞がってしまっていてできそうにない。

 

「う……ぁ……」

 

 息ができない。苦しい。怖い。

 固く閉じたまぶたの裏に、白い光が飛び散った。

 

 これは……もう、駄目かもしれない。

 

「しかし、妙だな」

 

 そうやって、意識を飛ばしかけた瞬間。

 藍染が何やら呟いて、私を押し潰そうと暴れていた霊圧が不意に大人しくなった。

 

 ようやく喉のつかえが取れて、私は派手に咳き込んだ。

 貪るように呼吸を繰り返すことで、だんだんとまともな思考回路が戻ってくる。

 

 何だったんだ、今の霊圧は。

 

 少なくとも、普通の隊長格のレベルじゃなかった。それこそ数年前の仮面の軍勢(ヴァイザード)の威圧ドッキリとか、そういう次元でもなかった。

 何というか……もっと重くて、途方もない規模で、直接的な殺意をはらんでいる……そんな霊圧だった。

 

 あんなものを何の前触れもなくぶち当てられて、何食わぬ平気な顔をしていられる者なんて、隊長格にもほとんどいないんじゃないか? 喜助さんや夜一さんでも多少は反応してしまうはずだ。本当に、とんでもない奴を敵に回したものだ。

 

「霊圧知覚を支配できていない、か……こうなると可能性は一つだな」

 

 藍染の低めの声が、必死に思考を働かせていた私を突き刺した。

 やっと戻ってきた血の気が、再び急速に引いていくのを感じた。

 

 ――そうだった。どうして、すぐに気づけなかったんだろう?

 

「君の勇気と演技力は称賛に値する。判断も悪くはなかった。ただ、相手が悪かったな」

 

 藍染の霊圧に反応してしまった時点で、状況はもう詰んでいるのだということに。

 

「聴こえているのだろう、朽木桜花」

「っ……!!」

 

 そして藍染は、確信を持って私に語りかけてきた。

 

 ――やっぱり。バレてる。

 

「……落ち着いたか、桜花」

「は、はい……何とか……」

 

 荒い息でうずくまったまま、父様の問いに上の空で答える。

 

 返事をするか?

 

 いや、それはあまりに危険すぎる。

 ここに藍染がいることを、父様に知られる訳にはいかない。絶対にだ。だってそんなことになったら、藍染が口封じで今すぐにも父様を殺してしまうかもしれない。

 

 それだけは、何としてでも避けないと……

 

「返事はしない、か……なるほど、只の莫迦ではないらしい」

 

 先程霊圧をぶつけられた時に比べれば、まだ今の方がまだマシだ。そう思い込むことによって何とか平静を保つ。そして、ただひたすらに考える。

 

 今起こり得る最悪の事態。それは「私達が父娘もろとも藍染に殺されて、その後私の身代わりが喜助さんの元に送り込まれる」こと。

 その場合、殺されるであろう私や父様には抵抗する術がない。それに"鏡花水月"の餌食になっている喜助さんや夜一さんでは、私が偽物であることに気づけない。つまり私の前世の記憶を、むざむざ敵に渡すことになってしまう。

 

 そうなる前に、私が取れる唯一の対策は――

 

「そんなに警戒しなくとも、今は殺しはしない。殺してしまうには、()だ時期尚早と言える」

 

 ――()()、だって?

 

 伝令神機を取ろうと動かしかけた手が、止まってしまった。喜助さんに伝えなければならないのに。止まっている場合じゃ、ないのに。

 

「君()を始末するかどうか……それは、今後の君の行動に拠るだろうな」

 

 邪魔をすれば二人とも殺す。

 

 言外にそう警告されて、本能的な恐怖に身を震わせる。

 コイツならやる。本当に殺される。抵抗する間もなく、簡単に。

 

「まだ痛むのか?」

「いえ……」

 

 そんな私を心配して、父様が私の顔を覗き込む。

 しかし、それどころではなくて、私は身体の震えを押さえるのに必死だった。

 

 今すぐに殺す気がないなら、早くどこかへ行ってくれ。父様に支えられながら、そう心から願い続けた。

 

「せいぜい足掻くと良い」

 

 藍染は嘲るような口調でそう言い放った。

 そして足音とともに、その霊圧が遠ざかり始める。

 早く行け、早く行けと念じる私の思いの通りに、藍染は部屋を出て……屋敷を出て……屋敷から離れて……

 

 その辺りでやっと、霊圧さえ感じ取れなくなった。

 

「はぁ……」

 

 やっと……やっと、行ってくれた。

 

 疲労感から図らずも身体中の筋肉が弛緩してしまって、私はぐったりと父様に身を預ける。目尻に溜まった涙を拭おうと、腕を上げるのも辛いくらいだ。

 

「大丈夫か……?」

「大丈夫、です……」

 

 化け物だ化け物だとは聞いていた。漫画を読んで、その凄まじさは理解していた。

 そういう、つもりだったらしい。

 

 私は理解などしていなかった。

 藍染という存在を、ちゃんと実感できていなかったんだ。

 

「……やっと、いなくなりました」

「何がだ?」

「藍染、です」

「藍染隊長だと……? ここに、か?」

「はい」

「しかし、この部屋には私と桜花しか居らぬだろう」

 

 ようやく落ち着いてきた息と心拍数に安堵しながら、その名を口にする。父様は何のことやら全く分かっていないようだ。それもそうか、と納得しつつ再度口を開いた。

 

「藍染の斬魄刀の能力は、知ってますか?」

「斬魄刀? 蜃気楼で敵に幻覚を見せる流水系だとは聞いているが……それに一体何の関係が?」

「それ、半分嘘です」

「嘘、だと?」

「藍染は、他人の五感と霊圧感知能力を自在に操ることができる。父様を始めとする瀞霊廷の全死神が、その餌食となっているんです」

 

 少し言葉を止めて、乾燥した口の中を湿らせた。

 

「それを使って、藍染は今の今までこの部屋の中に隠れていたんです。もっとも、私からすれば普通に目の前に立ってるようにしか見えなかったんですが――」

「ま、待て……つまり藍染隊長は、私に幻を見せて『存在しない』かのように錯覚させていたと……そういうことなのか……?」

「はい」

 

 理解が早くて助かる。

 その通りだと頷いてみせると、信じられないという表情に疑問の色が混じった。

 

「ならば何故、桜花には効かなかったのだ?」

 

 問題は、それである。

 

 記憶喪失になっているから効かなかった? まさか、そんなはずはない。

 喜助さんによると、何らかの理由で記憶を喪失してしまっていても、実は脳から記憶が完全に抹消されている訳ではないんだそうだ。ただ単に、脳内のどこかにある記憶の引き出しを見失ってしまっているか、もしくはその引き出しを開ける鍵を紛失してしまっているか。いずれにせよ、失った私の記憶は、私の中のどこかに存在しているということになる。

 だから、記憶喪失は"鏡花水月"が効かない理由にはなり得ない。

 

「それは、私もよく分からなくて……というか、信じてくれるんですか?」

 

 下手したら先程の話よりも突飛かもしれないのに、よく私の話が事実であるということを前提に話してくれるものだ。

 

「まだ完全に信じている訳ではない。しかし、あの様子を見た後ではな」

「まぁ、確かに……」

「隊長格――それも古株の本気の霊圧に当てられていのだと考えると、先程のお前の異様な様子も理解できる」

 

 それほどまでに、私の様子は酷かったと。我ながら情けなくなってくる。心配を掛けてしまったな、と少し反省しつつ、よいしょ、という掛け声とともにゆっくりと身を起こした。

 まだ手は微かに震えているが、身体を支えられないほどではない。疲労感も、耐えられないほど辛い訳ではない。大丈夫だ。

 

「もう平気なのか?」

「はい、ありがとうございます。心配を掛けてしまってすみません」

 

 今からここで全力で戦えと言われたら、流石にしんどいかもしれない。けれど今私がすべきなのは、父様に心配を掛けないよう、座って話をすることだけだ。だから、問題はない。

 

「本当は、こんなことまで話すつもりはなかったんですが……」

 

 状況のせいとはいえ、『知ってしまうこと』そのものが危険な情報を説明せざるを得なくなってしまったのは、不本意ですらあるくらいだ。

 しかし、喜助さん程ではないにせよ、頭の切れる父様にだんまりが通用するとは思えないし、心配を掛けておいてむやみやたらと嘘をつくのも不誠実だし。だったら最初から嘘偽りなく、ある程度ぼかした事実を伝えてしまった方が良いのではないか。

 

 そう結論づけて、私は座布団の上で姿勢を正した。

 

 

 




やっぱり藍染様はこわい。


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四十四、配慮と心配の境目

 

 

 

「ともかく、父様は『何も知らない』体で動いてください。藍染は人望の厚い五番隊隊長、そう思い込んで振る舞ってほしいんです。仮にその場に藍染がいなくても、です」

「居ないように錯覚させられているのかも知れないからか」

「そうです。何も知らないと装って、誰にも真実を告げないでいるうちは、アイツも手出しはしてこないはずです」

「……その話が真実であると仮定するならば、中々に厄介な能力だな」

 

 全くもって、その通り。

 卍解も習得していないような半人前に、何てことするんだって話だ。本当に勘弁してほしい。この一時間で何十年寿命が縮んだことか。

 

「計画だと、このまま朽木家に泊まるつもりだったんですが……」

「泊まらぬのか?」

「はい。あまりに想定外が過ぎるので」

 

 そこはかとなく残念そうな父様には申し訳ないが、これは早急に喜助さんに報告しなければならないレベルの『想定外』だ。朽木家に泊まるなんて、そんな悠長なことをしている場合ではない。

 

 私は居住まいを正すと、父様に今後のこちら側の動きについて大まかに伝え始めた。もちろん、喜助さんが来ていること以外ではあるけれども。

 

「阿散井恋次と芦谷(あしや)(じん)と、それから雛森桃の三人と秘密裏に会って話がしたいんですが、何か手段はありますか? 少なくとも私が生きていることは伝えておきたいんです」

 

 ついでに、これから夜陰に紛れて接触するつもりである死神達の居場所を聞いておこうと問い掛けると、父様は意外そうな顔をした。

 

 芦谷塵は、以前私の付き人をしていた男だ。立場としては、確か下級貴族の三男坊だったはずだ。

 そんな彼は今、死神として精霊廷にいるらしい。初めて名簿を見た時は本当に驚いた。何せ、あの五番隊に所属していたのだから。

 

 五番隊。つまり、よりによって親玉のお膝元である。数十年前は私のお守りで走り回り、今はこの状態とは。気の毒過ぎて、乾いた笑いがこみ上げてくる。

 

「恋次には自宅待機を指示してある。雛森()()は明日は非番だが、この状況では無闇に外出せぬ方が良いことくらい、理解しているだろう」

「……つまり、二人共自宅にいると?」

「あぁ。恐らく」

「あ、ありがとうございます」

 

 父様の準備が良いのか、私の運が良いのか。

 どうあれ、助かった。居所が分かっているなら、話は簡単だ。藍染に見つからないように彼らの自宅を訪れて、話をすればいい。

 

 ……あれ。今気づいたけど、これってそんなに簡単じゃないような。主に『藍染に見つからないように』の部分が。

 

「芦谷の方は分からぬ。彼奴の自室にて待つ他あるまい」

 

 だが……と言葉を漏らして、父様は黙り込んだ。

 

 言いたいことは分かる。

 何てったって、場所は敵の本拠地だ。危険だから行かない方が良い、ということだろう。

 

「ごめんなさい、父様。それでも私は、行かなければならないんです」

「何故、そこまで……?」

 

 何故。

 

 何故、ね……

 

 言われてみれば、ちゃんと考えたことはない気がする。

 

 どうして、そこまでして計画を進めようとするのか。

 それは、漫画通りに事を進めることによってルキアを助け、藍染惣右介倒す道筋を作り出すためだ。

 

 藍染を倒したい理由は簡単だ。

 私という存在のせいで歪んでしまったこの世界では、本来死ぬはずだった人が生きていて、本来生きるはずだった人が死んでしまっている。そんな中で、本来死ぬはずのない私の大切な人達が殺されてしまう可能性は低くない。

 私は、その人達を死なせたくない。守りたい。だから、藍染を倒すために動くんだ。

 

 ならば、ルキアを助けようとしている理由とは何なのか。その答えにも、思っていたより早くに辿り着いた。

 

 一つ目は、弟分の一護が助けたがっているから。

 そして、私自身もルキアに生きていてほしいから――

 

「私、ルキアに生きていてほしいみたいです。多分、ですが……」

「多分?」

 

 自分でも驚いた。崩玉を埋め込むなんて非人道的なことを許容しておいて、そのくせルキアを助けたいのか、私は。一体どの面下げてそんなことを思うのか。

 

「記憶のない私にとって、ルキアとの付き合いはせいぜい数ヶ月程度です。だから命を懸けて助け出すほどの情は湧きようがない、だなんて思ってたんです」

 

 思い返してみれば確かに、罪悪感のようなものは常々感じていた。例えば、ルキアに崩玉を埋め込むと決まった時とか。ルキアと再会した時とか。ルキアが尸魂界(ソウル・ソサエティ)に連れ帰られた時とか。

 

「でも、今考えてみると、どうやら私はルキアを助けたいらしいんです」

「それは……」

「思いの外、絆されていたのかもしれません」

 

 自分でも、最低だと思う。

 けれど心の中に去来するのは、ルキアを死なせたくないという思いだ。

 

 その思いが許されるものであるか否かはともかくとして。それに従って、私は行動を起こしている。

 

 だから。

 今ここで、足を止める訳にはいかないんだ。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

『……大丈夫ですか?』

「大丈夫大丈夫。もう元気だから」

『んー……まぁ、そういうことにしておきましょうかね』

「何、その言い方」

『では、夜一サンたちが侵入したら、その騒動に紛れて例の場所へお願いします。くれぐれも、追手には気をつけてくださいね』

「……分かってるって」

『逃げる時は潔く逃げるんですよ』

「分かってる」

『それと本当に危なくなったら、ボクのことでも何でも吐いちゃって良いっスから』

「…………」

 

 いや、それは駄目でしょ。本気で言ってるの、この人?

 

『あのぉ……聞いてます?』

「聞いてるって」

『ホントに分かってます?』

「分かってるって!」

 

 しつこい。驚くほどにしつこい。

 いつもの喜助さんなら、音符が付きそうな声色で「ま、桜花なら大丈夫でしょう」なんてさらりと言って終わりなのに。

 ていうかそもそも、メールのやり取りだけで済んだ話なのに。わざわざ電話してこなくても良かったのに。

 

「本当に大丈夫だから。心配してくれてありがとう」

『全く、アナタという子は……』

 

 話はもうおしまいだという意図も込めて、礼を述べた。その意味を即座に理解した喜助さんが、諦念のこもった呟きを漏らす。

 

「じゃあ、また後で」

『……ハイ』

 

 そんな喜助さんの声色には気づかなかった振りをして、私はさっさと伝令神機の通話終了ボタンを押した。

 

 朽木家の屋敷で何が起こったのか、事細かにメールに記載して送ったのが数分前。直後、喜助さんから電話が掛かってきたのには驚いた。

 着信音は鳴らないようにしていたけれど、通話するとなるとどうしても声を出さざるを得ない。私は隠れていた茂みから慌てて飛び出して、姿を消したまま夜の瀞霊廷上空へと駆け上がった。それから周りに人がいないことを確認した上で電話に出たんだ。

 

「『大丈夫ですか?』だなんて……」

 

 日も暮れて、ビル明かりのない上空の闇は墨汁を垂らしたかのように深くなってしまった。

 そんなところに長時間浸かっていると自分の感情すら見失ってしまいそうで、私はわざとらしく独り言を漏らした。

 

「大丈夫な訳、ないよ」

 

 

 

 ほんのつい先程。

 夕日が差し込む、かつての私の自室にて。

 

 父様に、ルキアを救う理由を話して聞かせた直後のことだ。

 ずっとタイミングを窺っていたらしい父様が、おずおずと口を開いたんだ。

 

『……桜花。記憶を失くしているのが真実なら、お前に伝えておかなければならない話が――』

『待ってください、父様』

 

 私はそれを、無理矢理遮った。

 何を言おうとしているのかは分かっていた。分かった上で、遮った。

 

『私は、()()()()()()

 

 父様は顔を強張らせていた。衝撃的だったんだろう。

 『知っていた』ことが、というより『知った上で何食わぬ顔をしている私』が。

 

『知ってはいても……実感が、ないんです』

 

 知っていて当然。

 朽木家に関する書類は山のように存在する。そして、その中にはもちろん、朽木家に属する者達の名簿だって存在するんだから。

 

 実感がなかったのも当然。

 情報源が書類だというのに、どうしてそれを現実のものとして受け入れられるだろうか。

 

『いつか、向き合うつもりです。でも、今それをしてしまうと……計画に支障が出る。ルキアを助けられないかもしれない』

 

 もしかしたらそれは当然なんかじゃなくて、事実から必死に逃げていただけなのかもしれない。意識していたのか無意識なのかは分からないけれど、自己防衛のために感情に蓋をしてしまっていただけなのかもしれない。

 

 けれど、少なくとも今は、その時じゃないから。

 

『だから、ちょっとだけ待ってほしいんです。この騒動が落ち着いたら、必ず()()に行きます。だから――』

『ならぬ』

 

 そんな私を、父様は私を叱った。

 私を肯定してくれていた今までの言葉から一変して、本当に厳しい言葉だった。

 

 他の事象ならともかく、話は肉親にまつわることだ。それは何よりも優先されるべきことなのではないか、と。それは、明らかなる正論だった。

 

 けれど、私は聞き入れなかった。そこだけは譲れなかった。頭で分かっていただけのことを、初めて目の当たりにして実感してしまった時、自分が動けなくなってしまうことを知っていたからだ。

 

『今は、そんなふうに立ち止まってはいられないんです』

 

 そんな言い訳じみた言葉を残して、父様が止めようとしなかったのを良いことに、逃げるようにその場を立ち去ったのが数時間前のこと。

 

 

 

「はぁ……」

 

 重いため息をついて、私は先程まで滞在していた茂みに戻った。

 

 全く、本当に、良い意味でも悪い意味でも中身の濃い一日だった。

 

 尸魂界への侵入に、父様との再会、藍染惣右介の思わぬ急襲、父様との喧嘩別れと、それはもうてんやわんやだった。感情も急上昇と急降下を繰り返して、まるで情緒不安定だ。

 

 今だって、いつまた藍染に見つかるかと思うと落ち着かない。怖くて仕方なくて、早く喜助さんや夜一さんと合流したいくらいだ。

 

 けれど、私は喜助さんに「大丈夫だ」と答えた。

 実際は全く大丈夫じゃないのは喜助さんだってよく分かっているだろう。けれど、「大丈夫じゃない」と答えたところでどうにかなる訳でもない。

 それに、仮に私が「大丈夫じゃない」だとか「助けて」だとか言って泣きついたとしたら、喜助さんは今すぐにでも直接会って話そうとするだろう。けれど、そんなことをして藍染惣右介に喜助さんの居所が知れたら? そう考えると私の感情ごとき、蓋をしてしまった方が良いに決まっている。

 

「……よし」

 

 気持ち、切り替えていかなきゃ。

 私にはまだまだやることがたくさんあるんだから。

 

 これから私は、尸魂界にいた頃に関係のあったであろう人たちに会いに行って、『敵』の存在をそれとなくほのめかしておかなければならない。会うべき人は、六番隊と五番隊と三番隊の副隊長の三人と、十番隊の隊長と副隊長の二人、つまり父様も合わせると計六人だ。しかし一方で、喜助さんと夜一さんは二、三人ずつと私の半分以下である。

 当然「私だけやたらハードワークじゃない?」と訴えたけれど、「ボクにも夜一サンにも他にやることがあるんですからしょうがないっスよ」としれっと返されて終わった。あの下駄帽子め。

 

 

 喜助さんへの不平不満はさておいて。私が次に向かうべきは六番隊副隊長、阿散井恋次のところだ。

 

 父様によると、阿散井恋次は六番隊の宿舎で寝泊まりしているらしい。そして、今の時刻は体感で午後十時くらい。六番隊がよほどブラックでない限り、勤務時間外のはずだ。

 外出してなければ良いけど……と不安に思いつつ、私は六番隊宿舎に降り立った。

 

 副隊長が住むには質素すぎる、しかし質素ながらも造りはきちんとしているのが見てとれる隊舎の廊下に侵入して、目的地を探す。

 

 父様によると、阿散井恋次が住んでいるのは平隊員と同じ規格の部屋なんだとか。隊長である父様が屋敷暮らしなため、隊舎で唯一平屋の戸建てになっている一番大きい部屋は前任の副隊長が使用していたそうだ。当然、副隊長交替の際に、その一軒家も明け渡される予定だったらしい。

 しかし、元来が大雑把な性格だった阿散井恋次はそれを拒否した。引っ越しが面倒臭いから、そしてそんな広い家なんて必要ないから、だそうだ。

 

 そこで現在その平屋は、「副隊長を差し置いてあたしが住むなんて!」と本気で恐縮する三席を何とか説き伏せて住んでもらっているのだとか。

 空き家が出るなんてもったいない、と思うのも分からなくはないが、ちょっとだけその子が気の毒な気もした。

 

 

 



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四十五、気安い関係

 

 

 

 あの真面目な隊長が、仕事を無理矢理切り上げて帰ってしまったと聞いて、六番隊副隊長の阿散井恋次はひどく驚いた。

 

 どうやらキリの良いところまでは終わらせていたらしいが、それにしてもこれは異常事態だ。誰とは明言しないが、どこぞの隊長は書類仕事から逃げてばかりだと聞いたことがある。が、自分の所属する隊に限ってそんなことはありえない。

 恋次の尊敬する上司は、職務をきちんと全うする人だ。だからこそ、書類仕事を好まない恋次もきちんと書類を完成させるよう日々努めているというのに。

 

 何かあったのだろうか? だとすれば、どうして副隊長である自分に一言もなかったのか?

 

 朽木隊長が帰ってしまったと部下から報告を受け、最初に恋次が考えたのはそれだった。しかし、そんな思考は報告してくれた四席から手渡された一枚の紙によって霧散することとなった。

 

『阿散井副隊長は本日の終業時刻以降、翌朝の始業まで自宅にて待機すること。詳細は追って説明する。朽木』

 

 間違いない。確実に、何かがあったようだ。

 

 まさか、ルキアの罪状に変化があったのだろうか。

 もしくは旅禍の侵入時、恋次が門の近くに居たことがバレた……とは考えたくないが、旅禍を危険視して警戒レベルが引き上げられたという可能性はそれなりに高いかもしれない。

 そのどれが正解なのか、恋次には判断がつかなかった。とりあえずは、隊長の指示に従う他なかった。

 

 そうして、恋次は今日の仕事をつつがなく終わらせた。もちろん終業後は指示通り帰宅して、部屋で待機していた……のだが。

 

「……い、起き……! あば……れ……じさん!」

 

 遠くから、何やら声が聞こえる。

 囁いたような声量のそれを上手く聞き取ることができなくて、恋次は重たいまぶたを上げようと努力する。

 

「起き……下さ……って」

 

 そういえば、朽木隊長に自宅待機を命じられて、指示通りに自宅で知らせを待っていて、それから……知らぬ間に寝て……

 

「あぁもう! 起きろってば! この赤パインが!」

「誰が赤パインだ……」

 

 何となく懐かしいような気のする悪口に、寝ぼけたままぼやくように反論する。そして、気づく。その声に、聞き覚えがあることに。

 

「……ルキアか?」

 

 本当はもう一人候補がいた。けれど、数十年前に忽然と行方をくらましたその友人が、今ここにいるはずがない。だからといって、朽木ルキアが今ここにいるはずもないのだけれど。

 

 そこに至ってやっと、完全に目の覚めた恋次は勢い良く飛び起きる。

 目に飛び込んできた、その姿は。

 

「違います。残念ながら」

「お、お前っ……何で……?」

「初めまして……いや、その様子だと『久しぶり』の方が適切なのかな」

 

 先ほど候補から外した、昔の友人。

 朽木白哉の一人娘にして、朽木ルキアの姪っ子である少女。

 

「じゃあ改めて。お久しぶりです、阿散井恋次さん」

 

 朽木ルキアによく似た顔で、少女はどこかよそよそしい笑みを浮かべていた。

 

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 

 あんぐりと口を開いたまま私から視線を外そうとしなかった阿散井恋次は、我に返った途端に凄まじい形相で私を質問攻めにし始めた。

 

 それがもううるさいのなんのって。

 

「何ぃ?! 記憶喪失?!」

「えっと、もう少し声を落としていただけると――」

「記憶喪失ってなんだよ!! じゃあお前は俺たちのこと覚えてないってのか?!」

 

 うるさい。

 私、夜陰に紛れてこっそり接触しようとしてたんだけど。人の話も聞かないし。何なのこいつ、馬鹿なの?

 

「ちょっと、静かに――」

「じゃあルキアのことは?! まさか、隊長のことまで――痛ェ!!?」

 

 簡潔に言うと、手が出た。グーで思いっきり。

 疲れやストレスのせいで、気が立っていたのかもしれない。そうやって自分を正当化して、私は再び拳を握り直した。

 そして記憶上初対面という被るべき猫をかなぐり捨てたまま、阿散井恋次の前に仁王立ちする。

 

「うるさい。人の話を聞け」

「お、おう。悪い」

 

 よし、これで話がしやすくなった。

 満足して大きく頷く。すると懐かしむような、それでいて呆れ返ったような表情を向けられた。

 

「お前……変わらねぇな……」

「へ? 何がです?」

「キレたら手足が出るの」

 

 おっと。記憶上とはいえ初対面の人に対してこれは良くない。

 初対面で上下関係ができてしまった、一護の二の舞は避けなければ。

 

「あー……ごめんなさい。私、昔からこうなんですね」 

「昔からっつーか、お前はずっとそうだろ。まぁ、ルキアも同じだけどな」

 

 どうやら記憶をなくす前かららしい。

 駄目でしょ。朽木家の令嬢だろうに。いや、今もだけど。

 

「ていうか、その気持ち悪ィ口調をなんとかしろよ。何で敬語なんだよ」

「いやぁ、記憶では初対面の人に対してタメ口はどうかと思いまして……砕けた方が良いですか?」

「当たり前だ。気持ち悪ィ」

「じゃあ阿散井さんって呼ぶのも?」

「止めろよ、気持ち悪ィ。恋次でいい」

「……気持ち悪い気持ち悪い言わないでよ、流石に傷つくから」

「んなもんで傷つくようなタマかよ」

「ちょっと、扱い雑じゃない?」

「いいんだよ、お前はこんなもんで」

「…………」

 

 彼とは真央霊術院の同期だったということは、現世で名簿を目を通したから知っている。彼だけじゃない、ルキアと吉良イヅルと雛森桃、それから本来は別のタイミングで入学していたはずの()()()()も、私の同期だった。

 だから、私が阿散井さんを恋次と呼び捨てにしていたというのは何も不思議なことではない。

 

 しかし、こんなに雑な感じで応えられるとは……一体昔の私は恋次に何をしたんだ。記憶がないことにはずっとモヤモヤしているけれど、これはそれとは違う方向性のモヤモヤだ。かなり気安い関係だったみたいだけど……少なくともただの同期というだけではなさそうだ。

 

「なあ」

「何?」

「ホントに桜花なんだよな」

「え? うん、まぁ……」

 

 少しの沈黙の間にどんどん真顔になっていった恋次が、大真面目にそう訊ねてきた。

 入れ墨だらけの派手な見た目に反して、真摯な眼差しだった。急にそんな目を向けられると、面食らってしまう。

 

「隊長には会ったのか?」

「……会ったよ」

「ルキアには?」

「うん」

「そうかよ」

 

 恋次はついと視線を逸らして、ぶっきらぼうに言った。

 そして、結ばれた髪が邪魔になっているのを気にも留めずに、再度畳の上に仰向けに寝転がる。

 

「あーあ、ったくよ……」

 

 腕が乱雑に投げ出される。

 私は何も言わずに、そんな恋次を見下ろした。

 

「帰ってきたら思いっきり怒って、思いっきり説教してやるつもりだったのによ」

「…………」

 

 つもりだった。ということは、今は。

 

「散々心配掛けまくって、ルキアを泣かせて、隊長を追い込んでよ。それなのに何食わぬ顔でひょっこり帰ってきやがって。挙げ句、記憶喪失だったとかとんでもねぇこと抜かしやがって。何かもう、怒ってんのが馬鹿らしくなってきたぜ」

「……ごめんなさい」

 

 容赦なく抉ってくる言葉を、ただ静かに受け止めようとした。けれど、口をついて出るのは安易な謝罪のみ。この手の追求は何度もされているはずなのに。慣れることはできないらしい。

 

「ちげーよ。ホンット馬鹿だなぁ、ルキアといいお前といい」

「……へ?」

 

 違うって、何が?

 

 疑問を口に出す前に、続けざまに罵倒された。

 何? 今の会話のどこに馬鹿な要素があったの?

 

 何も分かっていない私をじっと正視して、このまま待っていても答えは永遠に返ってこないことに気づいた恋次が、大きなため息をついた。そして、ひょいと軽々起き上がると私に背を向けて胡座をかく。

 

「ちゃんと生きてっから許してやる、つってんだ」

 

 ――あぁ。こういう、関係性だったのか。

 その時、私はやっと理解した。

 

「それくらい分かれ、馬鹿野郎」

 

 不器用な人だなぁ、と思った。

 今の雑な言葉だけで、私の罪悪感をいとも簡単に和らげてしまうなんて。

 

「恋次」

「あ?」

「ありがとう」 

 

 感謝の意を伝えると、ふは、と少しだけ楽しそうに鼻で笑われた。

 

「……うるせぇよ」

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 私が阿散井恋次に伝えたのは、ルキアを助けるために私や一護たちが尸魂界に乗り込んでいるということ、それから私から聞いた話を誰にも言わないことのみだった。

 

 それ以外には本当に何も言っていない。こんな猪突猛進男に詳細まで伝えたら、それこそ何が起こるか分かったもんじゃないからだ。

 それに、恋次はこれから藍染惣右介に直接声を掛けられる()()だ。もし藍染が犯人だと知っていて「朽木ルキアの処刑の件、不自然だと思わないか」みたいなことを本人に訊かれたら、恋次みたいなタイプは確実に挙動不審になる。挙動不審になった結果、藍染に『知っている』ことを知られてしまい、殺されてしまいかねない。

 

 けど、きっと父様は違う。

 

 そう思っていた。

 

 隊首会で何度も藍染と顔を合わせても、恐らくボロは出さない。いくら存在そのものか化け物じみた藍染が相手でも、親しい者にしか感情を読み取れない、あの鉄壁の無表情を破るとは思えなかった。

 

 『思っていた』。そして、『思えなかった』。

 過去形なのは、つまりそういうことである。藍染は、あの時父様が若干浮かれていたことに気づいていた。そして、そこから生まれた疑念に従って父様の後を追った。私の存在も、藍染からすればただの想定内だった訳だ。

 

『あの状況下で敢えて彼らの名前を出したってのは悪くない策だったと思います。ただ、相手が悪かっただけっス』

 

 図らずも藍染と似たようなことを言った声は、父様とは違う意味で感情の分かりにくい喜助さんにしては、意外なほどに苦々しげだった。

 

 まさか、あそこで本気で仕掛けてくるとは。流石の喜助さんも予想すらしていなかったらしい……いや、それは言い過ぎか。想定し得る可能性の中で最悪から二番目のものがきてしまった、くらいかもしれない。

 

「ねむ……」

 

 ぼそりと呟いて、欠伸を噛み殺そうとした。したけど、できなかった。眠い。

 

 恋次の部屋を辞して、安全そうな場所を見つけて、それから姿と霊圧を隠したまま一眠りしようかと思った訳だけれど。あんなことがあった直後に敵地のど真ん中でグースカ寝こけられるほど、私の神経は図太くなかったらしい。

 だったら夜一さんと喜助さんの秘密の修行場とやらに行けば良い話だが、そうする訳にはいかない。私一人なら寝込みを襲われる程度ですむけれど、あそこが知られてしまうと他の人達にも危険が及ぶからだ。万が一ということもある、止めておいた方が良さそうなら止めるべきだ。

 

 寝ぼけた頭に染みるような朝の陽光に、目を(すが)める。縮こまって外套に包まっていた身体をゆらゆらと起こして、思い切り伸びをする。

 

 私は姿を隠したまま簡単に身支度を整えると、一夜の宿にした茂みの陰から出ていった。

 

 

 向かう先は五番隊隊舎。

 

 敵の親玉の本拠地である。

 

 

 




桜花のすぐ手や足が出るところはルキア似だったり。


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四十六、付き人

 

 

 

 同期との思わぬ再会から一夜明け、昼を過ぎた頃。処刑を司る機関の者達を引き連れて、阿散井恋次は六番隊の牢に到着した。

 重苦しい扉が開かれた先にいるのは、幼馴染の少女だ。

 

「……恋次か。どうした、良いことでもあったか」

「ねぇよ」

「ふむ、では良くないことか。刑の日取りでも早まったか?」

「違ぇよ、馬鹿」

 

 縁起でもないことを言うな、と恋次が小声で吐き捨てると、朽木ルキアは楽しげに口の端を上げた。

 

「平気そうだな、その調子だと」

「まぁな」

 

 そんなルキアの様子に安堵しつつも、恋次は次に告げなければならない言葉に躊躇していた。

 できれば言いたくない。何とか平穏を保っているこの幼馴染の心を、あまり乱したくはなかった。

 

 けれど、これが自分の副隊長としての責務。

 

「……処刑まで残り十四日を切った。懺罪宮(せんざいきゅう)四深牢(ししんろう)まで、お前を移送する」

「そうか」

 

 相変わらず女らしくない口ぶりで頷いたルキアには、しかし、恋次が案じていたような変化は見られなかった。ただただ、落ち着き払っていた。まるで、明日の天気でも聞いたかのように。

 

「阿散井副隊長殿。罪人に首の輪を」

「……あぁ」

 

 しかし、嫌な責務だ。などと考えながら、恋次は懐から取り出した首輪を幼馴染の少女に装着する。

 何が嬉しくて、家族のように共に育った者に対してこのようなものをつけなればならないのか。ルキアの様子が普段と変わらないのが救いだった。これで悲しそうな顔などされた日には、恋次の方が気が滅入りそうだった。

 

「罪人は、席を立って下さい」

 

 黙ったままそれに従ったルキアは、そんな恋次を気遣っていたのかもしれない。

 

 バシュ、と乾いた音を立てて、首輪から影のような黒いものが飛び出した。見る間に紐状の形をとったそれが、手枷のようにルキアの手首に巻きついた。

 

「――封」

 

 顔を隠した役人の一人が封印の文言を唱えると、生き物のように軟く(うごめ)いていた黒い影が静止した。それから顔を隠す布が首輪に取り付けられ、そこから伸びたいくつもの管が複数名の役人の手に渡り、見慣れた華奢な姿は、罪人らしい佇まいになってしまった。

 

「では、これより懺罪宮へ向かいます」

 

 ルキアは、役人の指示のもと無言で歩き始めた。

 恋次の役目は、護衛も兼ねて彼ら全員を先導することであった。

 

 そうしてルキア達を懺罪宮に送り届けて、ルキアの拘束も外されて。退出を促す声を聞き流しながら、恋次はルキアの元へと歩み寄った。

 

「一つ、情報がある」

 

 ピクリ、と肩を揺らしたルキアは、何かを察していたのかもしれない。

 囁くような小さな声で、恋次は続ける。

 

「昨日、尸魂界(ソウル・ソサエティ)旅禍(りょか)が入ったのは知ってるな。数は、6」

「……あぁ」

「そのうちの一人は身の丈ほどの大刀を持った、オレンジ色の髪の死神だそうだ」

「っ……!!」

 

 ルキアが、信じられないといった様子で息を呑んだ。

 おいおい、こんなもんで驚いてどうする、と恋次は内心ほくそ笑む。そして再び口を開いた。

 

「それと、もう一人……お前の姪っ子だよ」

 

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 

 朝起きてすぐ、私は五番隊の隊舎へと向かった。

 それからずっと、ただひたすらに待機していた。待っていたのは私の元付き人である芦谷(あしや)(じん)だ。

 

 本来は五番隊副隊長だったはずの雛森桃は、何故か六番隊の三席に収まっていた。では、空いた五番隊副隊長の席には誰が座っているのか。答えは、この付き人である。

 

 どういう経緯でこうなったのかは分からない。ただ、片や私の元付き人で、片や私の霊術院の同期とあっては、その根本的な原因は何となく推測できるというものだ。本当に、私は何をしたんだろうか?

 

 私の過去の所業はとりあえず置いておくとして。

 漫画では藍染にいいように翻弄され、散々な目に遭った雛森桃だけれど、この世界では藍染との関わりはなさそうだった。

 護廷十三隊の過去の名簿を見てもそれは明らかで、雛森桃が一度も五番隊に所属したことがないことが記されている。ついでに阿散井恋次や吉良イヅルさえも五番隊に所属したことがない。どうやら私達同期は、藍染の視界に入っていなかったらしい。どうあれ理由ははっきりしないのだけれど。

 

 そんな状態だから、雛森桃はこの度の騒動にはあまり関わりのない存在なのではないかと私達は結論づけた。よって、とりあえず彼女のことはスルーすることにした。

 

 一人だけ蚊帳の外ってのは申し訳ない気もするけど……まぁ、仕方ないよね。

 

「……ていうか、芦谷遅くない?」

 

 始業前であろう明朝に隊舎へと忍び込んだのに、彼の私室はもぬけの殻だった。夜勤でもしていたのかな、と大人しく待機していたけれど、昼を過ぎても部屋の主が姿を見せる様子はない。

 

 待機し始めて三時間が経過したあたりで、もういっそここを離れて探しに行こうかとも考えたけれど、土地勘のないところでそれをやるのはリスクが高すぎる。入れ違いになってしまっては元も子もない上に、下手に出歩いて藍染と出くわしでもしたら一環の終わりだ。

 

 そもそも尸魂界篇は時系列が分かりにくくて、十数年前に漫画を読んでいただけの私は細かい流れまでは把握しきれていない。だから計画の時点で、こういったことも起こり得るだろうという話はしていた。

 こういった場合は大人しく待つことも必要だ、と言われたのを思い出す。それだけ大事かつ危険な事柄なら、時間を浪費してでも万全を期した方が良いと。

 

「……お?」

 

 そうして待ちぼうけを食らい続けること六時間。時計の短針はとっくの昔に天辺を通り過ぎ、太陽が一番高く上がる時間帯になって、ようやく芦谷は姿を現した。

 

 中肉中背で、特徴といえば黒髪に眼鏡くらいか。眼鏡と聞くととある黒幕の男が思い浮かぶが、芦谷はアイツほど顔が整っていない。

 真っ黒な腹に反して、顔だけは正統派イケメンなんだよなぁ藍染って。

 

「遅かったですね」

「っ!!! 誰だっ!!?」

 

 軽い気持ちで声を掛けると、これまた分かりやすい反応だった。何度もの邂逅を経て、だんだんとこのシチュエーションに慣れつつある私にとっては、警戒されるのも予想の範疇である。

 

「あんまり騒がないでくださいね、気づかれると面倒な奴らがいますから」

 

 不思議なことに、他の人たちと再開した時とは違って、特に感情は揺らがなかった。いつも通りの平穏な気持ちで声を掛けた私に対して、芦谷の反応は劇的だった。

 

「えっ?! あ……そんな、まさか……」

 

 騒ぐなという私の言葉には従ったのものの、驚きは隠しきれないようで、混乱したようにオロオロと視線を彷徨わせている。このまま放置は気の毒だからと、素早く外套を脱いで縛道も解除した。

 

「お久しぶりです。急に消えてしまってごめんなさい」

 

 そう言って少しだけ笑う。

 きっと、苦笑いになっているに違いない。呆然と私を見つめる芦谷が、あまりに間の抜けた顔をしていたから。

 

「うーん……久しぶりだからと思ったけど、敬語で話すのも何だか気持ち悪いなぁ……」

 

 何の躊躇いもなく呼び捨てにしていた相手だ。何となく敬語だと居心地が悪い。

 それにしても明らかに年上の人に対してタメ口で、さらには呼び捨てにするなんて。まるでお嬢様みたいで、それはそれで居心地が悪いような。

 

 あ、そういえば私お嬢様か。

 

「たまに忘れるんだよねぇ、私がお嬢様だったって――」

 

 言葉が途切れる。

 

 驚いた。

 

 何故かって、目の前の男が急に泣き始めたからだ。

 それも子どもみたいに、ボロボロと大粒の涙を溢しながら。

 

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 

 都合良く使われたのだなと、気づいてはいた。けれど、それでも当主様には感謝していた。

 

「芦谷。お前には、娘の付き人を務めて欲しい」

 

 数十年前のこと。芦谷塵にそう言ったのは、芦谷塵の一族が忠誠を誓う方だった。名前は朽木白哉様。四大貴族朽木家の現当主であり、六番隊隊長である、高潔なお方。

 そんな方の娘の付き人とあれば、恐れ多い大役であることに間違いはなかった。当然、数少ない友人達も彼を羨んだ。「すごいじゃないか。大出世だな」と。

 

 そして、これを機にあの窮屈な家から抜け出せると考えると、これほど良い機会はなかった。

 

 下級貴族当主である父と、流魂街出身の愛人との間に生まれた庶子。それが芦谷塵だった。故に、どこの馬の骨とも知れない女の子だの、芦谷家に不純物が混じってしまっただの、散々言われて育ってきた。

 責任を取るべき父親は塵にもその母親にも無関心だったし、正妻の息子である二人の兄達は塵を迫害の対象とすることで日頃の鬱憤を晴らしていた。唯一愛してくれていた母親も十数年前に亡くし、彼の肩身はますます狭くなっていった。

 

「緋真を妻として迎え、桜花を授かって気がついた。私はお前の扱いを間違えていたようだ」

「は」

「芦谷塵、お前には何の罪もない」

 

 そう言って、そして塵に付き人の任を渡したのだ。

 

 芦谷家は私兵として代々朽木家に仕えてきた。当然、それは庶子である塵にも変わりなく義務として降りかかり、しかし庶子であるが故にその頭になることはできなかった。

 そしてそれは、塵が私兵の中でも群を抜いて強いという事実を持ってしても、覆ることのない現実であった。

 

 それが、思わぬ形で覆ってしまった。

 

 当主様の一人娘である朽木桜花様は、流魂街出身の母を持つという点では塵と似たような境遇にあった。当主様は、そのせいでお嬢様に苦労を掛けないようにと案じていたのだろう。

 

 そんな折に思い出したのが、塵の存在だったという訳だ。ある程度名のある貴族の血を引き、ある程度の実力を持ち、お嬢様と似た境遇にある。それらが決め手だったに違いない。

 

 だから、都合良く使われたのだなと思った。

 

 けれど、塵はその話に乗った。

 

 元よりただの兵士でしかない塵に、選択権などなかったに等しいのだけれど。

 

 

 




お久しぶりです。
オリ主とオリ主が話すだけの超つまんない場面をどう書こうか迷っているうちに月日は流れ……はい、言い訳はやめます。
遅くなってすみませんでした……!


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