ギルえもん (伽花かをる)
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序章 僕とギルえもん。
一話 サーヴァント召喚


 

 ――昔話をしよう。

 

 小学生の頃、僕はイジメられっ子だった。

 

 学校のテストはいつも0点で、運動神経も悪かったから徒競走でもいつもビリだった。だからきっと、虐めの標的にされるのは当然のことだったのだろう。

 クラスメイトの出木杉は百年に一人の神童と言われていたが、僕はその逆で、グズだとかノロマだとか、そんな言葉がお似合いの子供だった。

 

 ――無力のその少年は、何も成す事なく、何も遺す事無く、後悔ばかりを残して死んで往く運命にあったはずだ。

 

 そうなるだろうと、当時の僕は悟っていた。

 やらなくてはいけないのにそれをやろうとしない人間の怠惰性を僕は持っていたのだ。「どうせやってもできない」と言い訳ばかりを口に出して、目を閉ざして面倒臭いことを見ないようにしてた。

 個人差はあろうと誰もが持っている怠惰性を、僕は人よりも多く持っていた。

 それは一種の呪いとも言えるもの。それのせいで、不幸な未来に到った者が数え切れないほどいる――おそらく野比のび太という名の少年もその一人になるはずだった。

 

 小学生の頃、僕は虐められていたと語ったが、持ち前の怠惰性を発揮してその問題も良しと許容としていたのかと問われると、それは決してそうではない。

 イジメられるのは、とても辛いことだった。

 どうしたらイジメられなくて済むのかなぁと、小学生の頃の僕はいつも悩んでいた。

 

 ……馬鹿でノロマだからイジメられるのだしそれを改善する努力をしたら? と、あの頃よりは大人になった今の僕は思うのだけれど――小学生の頭でそれに気付けと言うのは、少し厳しいのかもしれない。

 出木杉のような天才児なら、「イジメの問題は加害者ももちろん悪いけど、ほとんどの場合は虐められる原因は被害者の"人間的欠陥"にあるのだし、被害者も悪い」と、悟ることができたのかもしれない。

 

 頭が悪いせいで虐められていたとしても、

 運動ができないせいで虐められていたとしても、

 顔がブサイクなせいで虐められていたとしても、

 先天的な障害のせいで虐められていたとしても、

 

 被害者が全く悪くないなんてことは、絶対にないのだ――イジメは、虐められる要因を持っているほうも悪いのだ。どんな理由だろうと、誰かが全く悪くないなんてことは絶対にない。

 理不尽だけど、人生とはそういうものである。

 僕が出木杉のような天才に産まれることができなかったのも――ただ、『巡り合わせが悪かった』だけなのだ。

 

 すべて、それだけの話だ――世界の悲しい理だと僕は思う。

 

 だけど、忘れてはいけない。

 人生には巡り合わせの悪い時が、嫌になるほどある――でも巡り合わせの良い時だって心が満たされるくらいたくさんあるのだ、と。

  

 僕はイジメられないためにはどうしたらいいかを考えて――『悪魔を呼んで皆を殺してしまおう』という危険極まりない案を思いついた。

 そのとき僕は「これは名案だ! 僕ってやっぱり天才だなぁ」とつい独白してしまったが、今考えればそれこそ悪魔じみた発想だ。

 

 だけど、僕はその案を実行してしまった。

 部屋の床に召喚陣を描き、裁縫針で指の腹をちょこんと指して血を一滴だけ垂らした。

 

 ……今思えば、僕は本当に馬鹿だった。

 普通に考えればクレヨンで描いたグニャグニャに歪んだ召喚陣に一滴血を垂らしたくらいで悪魔が召喚できるわけなのだろう。いや、そもそも悪魔を呼び出そうとしていること自体が馬鹿の発想なのだが。

 

 その儀式は、失敗に終わる。

 誰しもがそう思うはずだ。

 

 『悪魔なんて非科学的な存在、そもそもいる訳ないだろう』、と。

 

 実際、僕の目の前に悪魔が現れることはなかった。

 だが――それ以外の何かは現れてしまった。

 

 あの頃の僕の目に映ったのは、圧倒的なまでの『黄金』。

 

 黄金の甲冑と、黄金の逆立った髪。

 腕を組み、紅色に光る目でこちらを視ながら――彼は、その真名を告げた。

 

 

「フハハハッ!! この(オレ)を呼ぶとは、巡り合わせが良かったな雑種よ!! 

 折角だ。この我を呼んだ報酬として、我が真名をその汚らわしい身で聴くことを許そう。

 ――我が名は『ギルガメッシュ』! 

 古代メソポタミアの王にして、人類最古の英雄王であるっ!」

 

 

 

 ――さぁ、昔話をしよう。

 

 最高に巡り合わせの良かった、彼の黄金の王と過ごした日々の話を――『ギルえもん』と過ごした黄金色の一週間の話を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ん? どうした雑種よ。貴様が我のマスターなのだろう?」

「ま、マスター? ぼく、そのマスターって人じゃないよ……?」

 

 

 ギルえもん――いや、この時はまだ、その名で呼べとは命じられていなかったか。

 

 ギルガメッシュは『聖杯』と言われるどんな願いでも叶う願望具の呼びつけによって召喚された『サーヴァント』なる存在らしい。

 そしてそのサーヴァントを使役する者こそがマスター……どうやらギルガメッシュはこの時、僕をそのマスターだと思っていたらしいのだ。

 いや、実際に僕がマスターだったのだが。

 

 

「ふむ……どうやら聖杯に誤作動があったらしい。見たところ令呪の刻印も無いが、パスは繋がっているようだ。

 あの願望具、どうにも胡散臭いと思っていたが、やはり不良品だったが。もはや回収してやる気も失せたな。

 だが――折角の現界だ。この身の魔力が尽きるまで、この現世を見て回ってやるとするか……」

「き、君、いったいぜんたいなんなのさ!」

「つい先程、我が真名を拝聴させてやったばかりであろう。

 さては貴様、我の甘美なる美声による名乗りに耳を蕩かせたな? フッハッハッハ! そういう事なら是非もなし。二度、我の名を聴く事を許そうではないか。

 ――我の名は『ギルガメッシュ』。人類最古の英雄王である!」

 

 

 ギルガメッシュは常に高圧的で自己愛が強かった。

 傲慢不遜と言うべきか……ともかくその偉そうな態度は、無駄にプライドが高い僕を不快な気分にさせた。

 だが相手がいかにも強そうな見た目をしていたので、反感を買うような態度ができずにいた。

 

 

「……君の名前はもういいよ。君は、ぼくが呼んだ悪魔なのかい?」

「悪魔だと――我を、悪魔如き下等な生命体だと罵るか、雑種」

 

 

 この時ギルガメッシュは、恐らくセリフから読み取れるほど苛立ちを覚えていなかった。

 だが彼の身から僅かに溢れる確かな怒気に――僕は失禁してしまいそうなほどの恐怖を感じた。

 

 

「ごごごごごめっ!」

「まぁいい。見たところ、貴様はまだ童子。雑種の戯言として聞き流しておくとするか」

「あっ、ありがとうございます!」

「畏まらなくていいぞ。貴様は童子だからな。我に対して感じる純粋な敬意を、飾りのない純白の声色で謳うといい」 

「は、はい! ありがとうござ……じゃなくて、ありがとう!」

「それでいい。猿の如き知能で我の命に従った褒美として――この、人類最古の飴ちゃんをくれてやろう」

 

 

 そう言ってギルガメッシュは、何もない空間から飴を取り出し僕に投げ渡した。

 確かあの時僕は、きょとんとした顔で彼を三度見してしまった。

 

 

「えっ、えっ!? それなんなの……」

「これは我が蔵、『王の財宝(ゲートオブバビロン)』という宝具だ……と言っても貴様には分らぬか。

 貴様でも理解できる名称を付けるなら、そうだな……『多重次元ポケット』と名付けるべきか」

「た、多重次元ポケット……っ!」

 

 

 かっこいいと、この時の僕は素直にそう思った。

 もし『四次元ポケット』などと名付けていたら、センスが無いと吐き捨てていたかもしれない。

 あの頃の僕は彼の名付けのセンスは最高だと感じていたが、今では最古なセンスだと思っている。

 

 

「すごい! よくわかんないけどすごくカッコいい!」

「ハッハッハ! そうであろうそうであろう!? やはり我は、何をしても最良の結果を生むらしい……ふむ、では我が持つ最も至高の剣から放たれる一撃『天地乖離す開闢の星(エヌマ・エリシュ)』も改名し、『空気砲』と名付けようではないか!」

「それがいいよ! なんかわかんないけどすごくいいよ!」

「フハハハハッ! そう興奮するのではない雑種よ! つい我が蔵に収められし宝剣の数々の名を改めたくなるではないか!」

 

 

 実際ギルガメッシュは、このあといくつかの宝具の名を改名していた。

 

 姿を隠匿する『ハデスの隠れ兜』は『透明マント』に名を変えて。

 北欧に伝わる食べたい食べ物がなんでも出るテーブルクロスの『北風のテーブル掛け』は、『グルメテーブルかけ』と改名した。

 

 ……色んな宝具の真名が、この頃の僕が言う『すごくカッコイイ』名前にへと変わっていた。

 この時はギルガメッシュは多分、召喚させたばかりで深夜テンションに似た状態に陥っていたのだろう。

 まさか素の状態で、彼の言う至高を財とやらの名を改悪させたわけないだろうし……きっとあのあと冷静になって元の真名に戻したはずだ。そう信じたい。

 

 

「で、ギルガメッシュ。改めて聞くけど――」

「おい待て、雑種よ。我は確かにお前に名を告げたが、我の名を呼ぶことは許してはいないぞ。その身が童子でなければ、死をもってその不敬の罪を償うところだったぞ」

「――えっ」

 

 

 名前を呼んだだけで死?

 彼のいた世界はどうなっているのだろうか。時折彼が統治していた世界の話を聞いていた僕だが、今でも彼の世界のことはよく理解していない。

 

 

「今回の不敬は許してやろう。我は寛大な王だからな。だが次はないぞ、雑種よ」

「う、うん。ありがとう……じゃあ君のことは、なんて呼んだらいいの?」

「そうだな……」

 

 

 ギルガメッシュは数秒黙り込み、名案が浮かんだという顔で僕に言った。

 

 

「――よし。今後は我を、『ギルえもん』と呼ぶがいい!」

 

 

 こうしてギルガメッシュの愛称が決定した。

 次から僕も、慣れ親しんだギルえもんという愛称で彼を書き表そうと思う。

 

 

「うん、わかったよギルえもん。で、改めて言うけど……ギルえもんって、ぼくが呼んだんだよね?」

「まぁそうだ。何の奇縁か、偶然接続されただけだろうが……名義上だが、我のマスターは貴様ということになるのだろう」

「うーん、よくわからないけど……まぁいいや。それよりもギルえもん、さっきからずっと僕のことを『雑種』とか『貴様』とかって呼んでいるけどさ。僕にはちゃんと『のび太』っていう名前があるんだから、ちゃんと呼んでよ!」

 

 

 ギルえもんには、人のことを『雑種』と言い表してしまう癖があった。

 嫌な気分になるから止めろと何度も言ったのに……結局彼は、最後までその癖を直そうとはしなかったなぁ。

 

 

「のび太、か。随分と間抜けそうな名ではないか」

「……なんだよ、悪い?」

 

 

 僕はつい、声色を曇らせてしまった。

 ギルえもんが言ったことは、クラスメイトの皆にも馬鹿にされていたことだったのだ。

 ……名前からしてノロマだとか。そんな悪口を、僕はよく言われていた。

 

 

「いや。間抜けそうだが、悪くはないな。のびのびと、大木の如き成長をして欲しいという、お前の両親の想いが字面から感じる。中々良い名を授けられたではないか、のび太よ」

「――――っ」

 

 

 あのとき僕は――つい嬉しくて、涙を流してしまった。

 ……名前を貶されたことは何度もあった。

 だが褒められたことは、一度もなかったのだ。

 

 僕は今もなお、彼に名を褒められたこの時の記憶を時折思い出す。

 救われた。そんな気持ちで満たされていた。

 ……まぁ流石にそれは大袈裟かもしれないけど、この時の僕は、そう思ってしまうほどギルえもんの言葉が嬉しかったのだ。

 

 

「泣くなのび太よ。涙を栄養とし求めるのは大木だが、お前はその大木になるのだろう?」

「……うん、そうだね」

 

 

 僕は涙腺をぎゅと締め、涙がこぼれ落ちるないようにした。

 

 

「それでいい。令呪は無いとはいえ、お前はこの我を現世に召喚した我のマスターだ。我のマスターである以上、すぐ泣き喚くような軟弱漢であっては困る」

「うん。ぼく、そのマスターってのはよく分からないけど、ギルえもんがそう言うならもう泣くのは止めるよ」

「いや、そうではないぞのび太。泣くのは良いが、その涙を容易く人に見せるのではないと言っているのだ。

 涙を流すという行為は、己の弱さを晒すということでもある。人が流す涙の味は甘美であるが、我のマスターに限っては違う。

 涙は血に等しい。我のマスターが流血してる場面を見るとサーヴァントとしてヒヤヒヤするのでな。泣くしても、せめて独りの場で泣け」

 

 

 ギルえもんの言葉を要約すると、「マスターの泣き顔を見てると心が痛むのだ……」ということだろう。

 遠回りな言葉だが、それこそがギルえもん。俗に言うツンデレ属性をギルえもんは持っているのだ――多分。

 

 ギルえもんは小学生に聞かせるには難しい言葉ばかりを使っていたので、この頃の僕にはいまいちギルえもんの伝えたいことが理解できなかった。

 でも、『泣いてならない』と言ってるのは理解できた。

 僕は、瞳に溜まる涙を腕で拭った。

 

 

「うむ、それでいいぞのび太。また一つ、強くなったな」

「うん……でも、まだ一つしか強くなれてないんじゃ――」

 

 

 このとき僕は、当初の目的を思い出した。

 そうだ――ギルえもんにイジメっ子達を殺してもらわないと、と。

 

 

「ねぇギルえもん」

「なんだ、のび太よ」

「君に、お願いがあるんだ」

「ほぉ。この我に、か。本来なら不敬であるが……まぁ、いいか。聞くだけ聞いてやる、のび太よ」

「うん、ありがとう」

「で、なんだのび太。さっさと言え」

「ええとね。ギルえもんにお願いがあるんだけど――そのために、ギルえもんを召喚したんだけど――ギルえもんには、ぼくをいじめるクラスメイト達を皆殺しにしてほしいんだ」

 

 

 いじめっ子達への憎しみを眼に宿して僕は言った。

 

 

「――くっは!」  

 

 

 ギルえもんは吹き出した。

 そして――腹を抱え、近所迷惑になるほどの声量で高笑いした。

 

 

「アッハッハッハッハッ!!

 しょ、正気かのび太!? イジメられただけで、羽虫が目の前を過ぎったくらいで、お前という人間は、同族を殺めたく思うのか!? 

「な、なんだよギルえもん! なにも変じゃないだろう!」

「変とは言ってない。むしろ、それこそが『人間』だ。

 クックック。好いぞ好いぞ! 我はお前をとても気にいった! 本来ならば、そのようなみみっちい復讐に手を貸す義理はないが……今回は特別だ。

 その末路、我のこの肉眼で見届けてやろう! フッハッハッハッハッ!!!」

 

 

 彼は心底から愉しそうに嘲笑(わら)い続けた。

 ……いま思えば、僕はとんでもない悪魔を――それをも軽く上回る『化物』を召喚していたのかもしれない。 

 ギルえもんは、愉しい結末を好む。

 彼曰く、とても愉快な結末――童話のような惨いバッドエンドが何よりも好きなのだ。

 ……いや、違うか。確かに彼は悪逆非道を思わせる一面があるが、それでも其の本質は善性だ。

 多分、ギルえもんは悲惨な終わりが好きなのではなく……人が描く極上の物語が好きなのだ。

 ギルえもんは人間が嫌いだが、人が創る作品はこの上なく好きなのだ。最高品質の宝を好む。

 だから多分、ギルえもんの感性からしたら、人が描くハッピーエンドはバッドエンドより劣るものだから――ギルえもんは、バッドエンドを好むのかもしれない。

 故に、僕が進もうとしてる破滅の物語を想像し、それが愉快であると彼は嘲笑(わら)っていたのだ。

 

 まぁ、ある理由からギルえもんは僕が進もうとするその道を阻めるのだが――

 

 

「――ん? まてよのび太。よく考えれば貴様、年端も行かぬ身であったな……そすれば、貴様のクラスメイトとやらもまた同様――うむ。のび太よ。先程の発言、撤回するぞ」

「えっ! な、なんでだよギルえもん! お願いだからぼくを救ってくれよ!」

「救うだと? ふっ、戯けめ。貴様がその道を進むということは、その幼き身に秘めた()()()を自ら手放すに等しい行為だ。故に我は、好んで童子は殺めぬのだ」

「な、なんだよそれぇ……いいじゃないか! お前、ぼくが召喚したモノなんだろ!? じゃあぼくの言うことを聞けよぉ!」

「我の決定は絶対だ。もし貴様に令呪があったのならば、この我でも従ざるを得ないが……この度の現界は例外故、お前の身に令呪は宿っていない。

 勘違いするのではないぞ? のび太よ。名義上ではお前は我のマスターで我はその下僕かもしれないが、サーヴァントである以前に我は王である。つまり、我の決定――王の決定は絶対だ。それに逆らうことは許さぬぞ」

 

 

 ギルえもんがこちらを睨む。途端、僕の身体は恐怖感で凍りついた。

 あの時の僕は、ギルえもんの視線に刺殺されるのではないかと思った。

 それほど彼の眼光は刃よりも鋭くて――その眼で視られるだけで、僕の身体は明確な死を覚えそうになる。

 だがギルえもんは子供には優しかった。

 震える僕を宥めるように、彼は僕の頭を掻き乱すように撫でた。

 

 

「そう怯えるのではないのび太よ。貴様の復讐の手助けをするつもりはないが、我は貴様の味方だ。魔術も習わぬ身で我を召喚した貴様は『意味のある人間』だ。羽虫の如き有象無象とは本質からして違う存在だ。

 のび太。お前は希少な価値のある人間なのだ。我の直感が告げている。貴様は、『凡庸の英雄』となり得る素質を持っている、とな」

「凡庸の、英雄……?」

 

 貶されているのか、褒められているのか。よくわからない言葉だった。  

 

 でも――ギルえもんとの日々を越えた僕ならば、彼が伝えたかったその言葉の真意がちょっとだけ分かる。

 普通で、それ以上に成れない無力の英雄。

 それ故に、()()()()()()()()()()()()()をやってのける可能性を持つ英雄

 ギルえもんは、『のび太』という人間のあるかもしれない一つの可能性を看破していたのだ。

 流石はギルえもんだ――でもこのときの僕は、それを悪口だと受け取ってしまった。

 今の僕ならそれを褒め言葉として受け取れるが、残念ながらこのときの思慮の浅い僕は、愚弄されたと勘違いしてしまったのだ。

 

 

「凡庸って……なんだよそれ。やっぱりお前、ぼくを馬鹿にしているだろう!」

「おいおい何を言っているのだのび太よ。努力さえ積めば、愚者から凡人にグレードアップするのだぞ? ならいいではないか」

「それってつまり、ぼくなんかが努力しても出木杉みたいな天才にはなれないってことだろ! じゃあ努力する意味ないじゃない!」

「マシにはなるだろう?」

「それじゃあ駄目なんだよ! ぼくをみんなをアッて言われてるような、そんな人間になりたいんだ!」

 

 

 きっとそれが、僕の偽りない本心だった。

 勉強はめんどくさいから、運動は疲れるから――そんな理由で僕は現状に妥協していたが、心の奥底では『みんなに認められたい』と思っていたのだろう。

 どちらも僕の本心だった。

 そして、どちらの感情に従うか。それは僕自身が決めることだった。

 

 

「ほぉ。良い目になってきたな、のび太よ。先程までは、枯れ果てた苗木のような顔面をしていたが……どうやら、我が与えた水を吸い、大木に近づいたらしい。またすぐに枯れるかもしれないがな」 

「……ふんっ、今に見てるといいよ。すぐにビッグな男になってやるから」

「それでいい。そのまま天を穿くような男になるところを、一幕だが我の目で見届けてやろう。光栄に思えよのび太」

「……なんかギルえもんって、ジャイアンをスケールアップしたような奴だよな」 

 

 

 ジャイアンとは、僕を虐めていたクラスメイトの一人である。  

 ちなみにジャイアンというのは愛称で、本名は剛田武と言う。

 

 

「ジャイアン……巨人か何かか、のび太よ」

「ぼくをいじめるクラスメイトの一人だよ」

「ほぉ、お前で遊ぶ輩の一人とな。お前の目から見て、そいつと我は似ているのか……うむ、興味が湧いたぞのび太よ。では今からそのジャイアンという雑種の面でも拝みにいくとするか」

「今からって……もう寝る時間だよ」

 

 

 その時の時刻は午後の10時。その頃の僕なら明日に備えて睡眠を摂っている時間帯だ。

 悪魔を召喚するのなら夜のほうが良いと思い、眠い目を擦りながら我慢して起きていたのだ。

 学校に帰ってから三時間ほど昼寝をしていた僕だったが、眠いものは眠いのだ。

 それにこの時間に外出したら母に叱られるだろうし、見回りの警察に補導されるかもしれない。

 なので僕は明日ジャイアンに会わせてあげると、ギルえもんに頼み込んだ。

 

 

「……ま、仕方がないか。のび太には大木のように大きく育って貰わなくては困る故な。今回ばかりは、お前の提案を受け入れてやろうではないか。

 断腸の思いでな。我の寛大さに感謝するがいい」

「うん、ありがとう。ギルえもん、すごい器が大きい!」  

「フハハハハッ!! 礼には及ばぬ!」   

 

 

 このとき辺りからギルえもんの手綱の引き方が分かってきた僕である。

 基本的に褒めてればそれで良い。そうすれば向こうが勝手に調子にのってくれる。

 

 

 

「ではのび太。寝るとするか、布団を敷くことを赦す!」

「うん」

 

 

 僕は押入れを開き、布団を二つ取り出した。

 一つは僕がいつも使っている白い布団で、もう一つは予備用の黄色い布団。

 全体的に黄金色なギルえもんに相応しい布団だ。黄色なのが気持ち的に少し汚いが、まぁそんなことを気にするギルえもんではないだろうと僕は思っていた。

 だが、ギルえもんから出てきた言葉は賞賛ではなく、鼓膜が破れるかと思うほどの怒声だった。

 

 

「――この愚か者めがっ!! この我に、こんな犬小屋にも劣る寝具で床に就けだと!? 不敬であるっ!」

「ご、ごめ……でも布団を敷けって……」

「貴様用の寝具を用意しろと言ったのだ! 本来ならば我と同じ空間で寝るなど重罪物だが、まだ童子の貴様を廊下で寝させては安眠できないと思い、仕方なく許してやった。だがッ! 我にそのみすぼらしい寝具と眠れと言うのなら……貴様には、寒い外で寝てもらおう……っ!」

「そ、そんなぁ!」

「それが嫌だというのなら、さっさとその汚らわしい布切れを仕舞え」

「わかったよ……」

  

 

 ギルえもんが脅すものだから、僕は折角出した布団を再び押入れにしまった。 

 結構重い布団だったので、途轍もない徒労感が僕を襲った。

 

 

「では先に我の、人類最古の寝具を披露してやろうか……『多重次元ポケット』っ!!」

「うわっ!」

 

 

 ギルえもんが叫んだ次の瞬間、何も無い空間から黄金色のベットが出現した。

 ずしりと床に落ち、僕の家は揺れた。

 ……母や父に叱られるとその時の僕は思った。でも僕の部屋に怒鳴り散らし来ないところ、恐らく気づいていなかったのだろう。

 ギルえもんの蔵の中には一部の空間を分離させる防音宝具があるようなので、もしや知らぬ間にそれを使ったのかもしれない。

 ギルえもんの蔵には本当に何でも入っている。幾つの宝具を貯蔵しているのか聞けていればよかった。

 

 

「な、何これ――ていうかデカイ!!」

「王たる我が使うベッド。巨大で当然であろう。まぁこれでも、常に使っている物よりは圧倒的に小さいがな……それよりも、お前の部屋は小さいな。ここは犬小屋か?」 

 

 

 ギルえもんが蔵から出したベットは、僕の部屋似ぎりぎり収まるほど大きい物だった。

 だが、過去の僕はともかく今の僕は知っている。これの百倍以上の寝具を、彼はその蔵に貯蔵しているのだと――

 

 

「これでは窮屈だな。では、部屋を広めるとするか――」

「えっ? ――えっ!?」

 

 

 このときの僕は、あり得ない現象を目にした。

 先程までの六畳くらいの部屋が、一瞬にしてパーティー会場もびっくりの広さに変わったのだ。

 確かこのときギルえもんは、空間を自由自在に操る宝具を使用したのだ。元の真名は知らないが、ギルえもんが後に改めて付けたその宝具の名前は『次元ローラー』。

 名からして、ローラー形状の宝具なのだろう。

 ギルえもんの蔵には色々な宝具が貯蔵されてるのだ。

 

 

「クックック。どうだ、凄いだろう?」

「す、すごい……すごすぎて、凄いとしか言えない……」

「フハハハハッ! よいぞよいぞ! この宝具の名も改めなくてはな、就寝するまでに案を考えとくか……」

「ぎっ、ギルえもんっ。そういえば、僕の布団はどこに行ったの?」

 

 

 いつもの白い布団に予備の黄色い布団。どちらもいつもの間にか姿を消していた。

 

 

「あぁ、それなら我の宝具で虚無に帰したが?」

「――えっ! こ、困るよギルえもん! 無くなったことがママに知られたら怒られちゃうよ……」

 

 

 今は違うが、僕は怒っている母が心底から嫌いだった。

 もちろん、いつもの穏やかな母は大好きである。それは今でも変わらない。

 ……母が僕を叱るのは、僕がテストで悪い点を取ったり悪戯がバレたときだけだった。今思えばその行動は僕の将来を想ってのことだったので、昔はともかく今は母に感謝している。  

 とはいえ、感謝の気持ちは恥ずかしくてなかなか伝えられないのだけれど……

 

 

「ま、ママに叱られる! ママは怒るとすごく怖いんだ! おいギルえもん、どうしてくれるんだよ!」 

「安心しろのび太。なら、あの劣悪品より大きく勝る布団を用意すればいいであろう……宝具ではないが、人類最古の不死鳥から毟った羽毛で製造された布団が二つある。ほれ、受け取るがいい」 

 

 

 ギルえもんは僕の頭上に、羽毛布団を顕現させた。

 失った布団の三倍くらい大きい布団だったが、その羽毛布団は信じられないほど軽く柔らかったので、頭から覆いかぶったが痛くはなかった。

 

 

「それで就寝するがいい、のび太――よし、お前の部屋は今日からあの押入れだ。そこで寝ることを許そう」

「えっ! 押入れで!? 嫌だよそんなのぉ。ギルえもんさっき、この部屋で寝ても良いって言ってたじゃないか!」

「言ったが撤回する。よく考えれば、我の宝具で部屋の空間を拡張したとき、ついでに押入れも広くしたのでな……元のお前の部屋のように犬小屋ほどの広さだが、まぁお前にはそちらのほうが似合いだろう?」

「えー……そんなー……」

 

 

 このとき僕は、折角部屋が広々な空間になったのだからそこで眠りたい……と思っていたのだが、今改めて考えればギルえもんの判断は正しかった。

 部屋は高原のように広くなった。

 いや、広くなり過ぎたのだ。

 広すぎて落ち着かない。無性にムズムズするのだ。

 恐らく一度経験したら、自分から率先して押入れで寝ていただろう。

 

 

「まぁいいや。元の僕の部屋くらいの広さなら窮屈じゃないだろうし」

「分かったならとっとと眠るがいい。我も床に就くとする」

「うん、わかったよ……」

 

 

 僕はトボトボと、疲労している様子で押入れに向かった。

 

 

「のび太、良い夢を見ろよ」

「ギルえもんもね……おやすみ……」

 

 

 欠伸を噛み殺しながら、僕は眠気を誘う声でギルえもんに言った。

 ……これがギルえもんと僕の、始まりの一日の終わりだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 僕はあの後、違和感があるほど広々している押入れに布団を敷き、彼のことを考えながらゆっくり眠っていった。

 

 色々なことを、不出来な頭で考えていた。

 

 明日は彼と何して遊ぶか? とか。

 

 明日出木杉くんに、ギルガメッシュのことを聞いてみようかな? とか。

 

 まだちょっとしか会話していないのにも関わらず、僕の中でギルえもんは既に居て当たり前の存在になっていた。

 

 ……今でも僕は、布団に入り夢の世界に行くほんのひとときの時間に、ギルえもんと共に暮らした一週間の思い出を想起する。

 

 本当に楽しい毎日だったのだ。

 

 

 

 

 ――ギルえもん。

 

 君は、僕にとってかけがえのない友だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




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二話 武

 剛田武。子供の頃はジャイアンという愛称で呼んでいた彼は、ここら一帯の小学生なら誰もが恐れる俗に言うガキ大将だった。

 今では丸くなり、昔の面影はあまり無い。武自身、近くの子供からお菓子やゲームを巻き上げるという蛮行をしていたことは苦い過去だと思っているようだ。

 

 だが、残念ながら――この頃の武は、悪びれる事なく蛮行を繰り返す乱暴者だ。

  

 

「おいのび太。その漫画、俺に貸せよ」

 

 

 本屋で『パーマン』の最新刊を購入し、「早く帰ってギルえもんと一緒に読みたい」とウキウキ気分で家に帰る道中で、僕は武ことジャイアンに遭遇してしまった。

 この時の僕は、心底から自分の不運を呪った。

 

 

「えっ、い、嫌だよジャイアン……」

「ナンだとのび太! お前、俺の言う事が聞けないってのかよ!」

「いや、そういう訳じゃないけど……」

「ならそれは、俺のもんで良いんだな」

 

 

 ジャイアンは僕の漫画を力尽くで奪った。

 

 

「あっ、返してよぉ!」

「今度返してやるよ」

 

 

 と言っているジャイアンであるが、彼に奪われた本(以前にも十冊以上持って行かれた)は、中学に上がるときにやっと返して貰えたのだ。

 確か彼が更生したのは中学校に入学した頃だった。その頃辺りに謝罪と共に返してくれた。

 

 ……ちなみに悪童だった武が更生した理由は、小学校の卒業式のときに事故で父を亡くしてしまったのだ。

 彼はその日を境に一転し、あの世の父が「あれが俺の息子だ」と胸を張れるような漢になると決意したのだ。そして、実際に変わり立派な正義漢になった。風紀委員になったほどだ。

 

 まぁ、今の彼はご覧の有様なのだが……

 

 

「ジャイアン絶対に返さないでしょ! ギルえもんも楽しみにしているんだ! お願いだから返してよぉ!」

「……ったく、うるさいなぁ! えいっ!」 

 

 

 ジャイアンは拳を固く握りそれを僕に撃ってきた。

 小学生とは思えない体格から放たれる本気の一撃。それを頭にくらった僕は目を回して倒れた。

 

 

「うぅ……痛い、痛いよぉ」

「いいかのび太! お前のモノは俺のモノ、俺のモノは俺のモノだ!」

 

 

 これは、武がよく言ってた言葉である。

 この頃の僕がギルえもんのことを武と似てると言い表したのは、そのセリフから連想できる傍若無人ゆえだ。

 

 武は奪った漫画を読みながら、道端に倒れている僕の横を通り過ぎていった。

 

 がっはっは、という下品な笑い声が聞こえる。

 

 

「……くそぉ。何で僕ばっか……」

 

 

 悔しくて、僕は涙を流しそうになった。

 だが涙腺をギュと引き締め、涙するのを堪える。

 ……ギルえもんに約束したのだ。

 簡単に、涙は流さないと。

 

 僕は頭部の痛みを我慢して、服に付いた砂埃を払い、俯きながらトボトボと家に帰っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どうしたのび太。いつも以上に不細工な顔をして。それに服が汚れているぞ。転んだのか? この間抜けが」

「………」

 

 

 本当ならば、「ギルえも〜ん」と彼に泣きつきたかった。

 だが……何故か僕は、ギルえもんにだけは弱味を見せたくなかったのだ。

 多分僕は、彼に嫌われたらどうしようと思っていたのだろう。

 

 

「……別に、何でもない」

「そうか。ならば敢えて聞くまい。

 そんなことよりのび太。我のパーマンはどうした!」

「…………落とした」

 

 

 僕は、つい目を逸らしてしまった。

 自覚は無かった。奪われただなんて言ったら失望されるかもしれないから嘘を吐いた。だけど僕は、嘘を吐くのが下手だった。

 

 それに子供の嘘を見抜けないギルえもんではなかったし、恐らく目を逸らそうが逸らさまいがきっとバレていた。

 ギルえもんは、じぃとこちらを視る。

 

 

「ふむ……さてはあの野犬の仕業か。噛んで良い手の判別も付かぬとは、やはり所詮は犬畜生ということか……」

「………」

「そうだんまりするのではないのび太よ。また新たに小遣いをくれてやる。明日にでもまた買いに行けばいいさ。実のところ我もそこまで続きが気になるわけではないし、現界中に読めればそれでいいだろう」

「……ギルえもんさ、妙にジャイアンに優しくない?」

 

 

 彼は妙に武に肩入れしていた。

 今ならその理由はよく理解している。だが当時の僕から見たジャイアンは、ただの乱暴なイジメっ子だったのだ。

 同族嫌悪の逆か? とも思ったが、ギルえもんの話を聞く限りそうではない。

 そう、ギルえもん風に言うなら武は―― 

 

 

「可能性が秘められているのだ。あやつは調教さえすれば、一流の猟犬に育つ素質がある。お前という凡庸の英雄と共に立ち並ぶ親友となる未来が我には視えるぞ。クックック」

「……僕の親友? ジャイアンが?」

 

  

 あり得ない未来だと僕は思った。

 もし彼に親友ができるなら、それはもう一人のイジメっ子のスネ夫こそが相応しい。いつも一緒になって僕を虐めていたし、きっと良いパートナーになれる。と、嫌味たらしいことを僕は思っていた。

 

 

「クックック。その目を見ればわかるぞのび太。あのキザ男のほうが適切だと思っているのだろう?」

「そうだけど……」

「あれは駄目だ。あのキザ男に野犬の世話は務まらぬ。悪友の枠には当てはまるだろうがな。

 もしあの野犬――ジャイアンとキザ男が組んだとしても、キザ男はジャイアンの味を最大限に引き出せないだろう。

 だがのび太、お前は違う。 

 お前なら、あの野犬の能力を最大限に引き出すことが可能だ。我が断言しよう」

「……ギルえもん、何言っているのかよく分からないよ」

「じきに分かる時が来る。今はこれまで通り、素直にいじめられとけ」

「そんなぁ……」

 

 

 酷い言い草であるが、確かにギルえもんの言う通りだった。

 

 ――剛田武。  

 昔は大嫌いだったアイツだが、今では僕の最も仲が良い友――親友だ。

 

 今思えば、小学生のときの武だって、救いようがないほどの悪だったわけではない。

 

 僕が消しゴムを無くしたとき、貸してくれたのはいつも武だった。

 

 僕がマラソンで周回遅れするとき、背中を押してくれたのはいつも武だった。

 

 武は常に僕の敵だった――でも敵だと思っていたのは僕だけで、武は僕を、友人だと思ってくれていたのかもしれない。

 

 ……まぁ、今更それを武に聞くつもりはないが。

 

 

「だがのび太よ。我のマスターがやられっぱなしというのも気に食わない。どれ、我が至上の宝具のうちの低ランクの物を幾つか使い、あの野犬が泣き喚くほどのイタズラをしてやろうではないかっ! どうだ? いい案だとは思わぬかのび太よ」

「……いや、別にいいよギルえもん」

「それ、何故?」 

「いつか僕が、アイツの頭に岩のようなタンコブを作るからね」

 

 

 ギルえもんはよく僕のために宝具を使おうとしてくれた。

 

 だが僕は、常にそれを断った。

 

 なぜなら――

 

 

「――精一杯努力して、アイツを負かすほど強くなってやる。だからいま仕返しする必要はない」

 

 

 ギルえもんに、認められたかったのだ。

 

 

 

 

 

 

 





 多分、スネ夫編にしずか編。それとあと幾つかの話を終えて最終回になると思います。


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三話 スネ夫

 

 

 

 骨川スネ夫。父親が会社社長で幼少期から裕福な生活を送っていた彼は、武とはまた違う方向性の悪ガキだった。

 僕に暴力的な虐めをしていたのが武だとしたら、スネ夫は精神的なネチネチとした嫌がらせを僕によくしてきた。

 

 ――まぁ今思えば、きっとそれがスネ夫特有の『味』なのだろう。

 

 金持ちなのを鼻に掛けて自慢話を言い散らしていたスネ夫のことを小学生の頃の僕は不快に思っていたが……相手の理解を深めようと短絡的な思考を捨てた今の僕なら、彼の鼻に付くような態度も寛容に受け止めることができる。

 

 それにスネ夫だって救いようがない悪というわけではない。

 普段は自己中心的な彼であるが、いざというときは自分を捨て石にしてでも友人を助けようとする友達想いの良いやつなのだ。

 

 スネ夫のことを言い表すとしたら……そうだな、『小悪党にもなりきれない善人』と言ったところか。

 

 彼を知る者なら否定するだろうが、僕は知っている。

 彼の善性を、彼の人の良さを。

 嫌味ったらしくも、何度も困る僕を助けてくれたから――僕はスネ夫という人間の良さを、知ることができた。

 

 ……スネ夫は否定するだろうが、彼は武と同様、僕のかけがえのない友人だったのだ。

 恐らくスネ夫も僕を友人だと思っていてくれたはずだ。

 

 だってそうだろう――未だにスネ夫は僕との仲を腐れ縁だと吐き捨てるが、その腐れ縁を切ろうとしなかったのは、少なからず僕のことを友達だと思っているからだろう?

 

 『違う、切りたくても切れなかったんだ』――多分彼は、そんな感じの返答をするのだろう。

 

 そして僕も――『あぁ僕と同じだ。鎖のように固い縁で嫌になるよ』と、スネ夫っぽい嫌味でそう返すはずだ。

 

 

 僕は一度たりともスネ夫の前で『お前は僕の友人だ』とか、そんな背中がむず痒くなるようなことを言ったことはない。

 

 そしてスネ夫も、僕を友人だとは言い表さない。

 

 

 ――それでも僕らは、互いに友人だと思っているのだろう。

 

 

 鎖のように固い縁は、簡単には切れない。

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

     ★

 

 

 

 

 

 

 

 土曜の休日、電話でスネ夫に『良い物を見せてやるから空き地に来い』と呼び出された。

 良い物を見せてくれると言うのだから、期待して空き地に行こう。疑うことを知らなかったこの頃の僕は心躍らせて空き地に向かった。

 

 

「――へへーん。見ろよのび太、これおフランス製の最高級エアガンだぜ。いいだろぉ? スネ吉兄さんのお土産なんだ!」

「おー、すごいなー!」

 

 

 銀色に煌めくエアガン。

 その綺麗な輝きに、この頃の僕の目は奪われた。

 ……そういえばスネ夫はよく僕に自慢をしていたけど、僕一人を呼んで自慢するときの物は、全て僕の興味を引くような代物だったと思う。

 

 僕は昔から射撃が得意だった。

 そして射撃といえばエアガンだ――祭りのクジで獲得できるような安物のエアガンで、よく自作の的を射ていた。

 だから僕は、少なからずエアガンに興味を持っていたのだ。安物しか見たことないので、この頃の僕にはスネ夫が持つ本物感溢れるエアガンは魅力的に映った。

   

 一発でいいから僕も使ってみたいと、スネ夫に頼み込もうと思っていた。

 

 

「ねぇスネ夫――」

「おっとのび太。お前には使わせないからな!」

「えっ、そんな……」

「のび太みたいな貧乏には一生縁の無い代物なんだぞ! 見れるだけでもこの僕に感謝してほしいものだけどね」

「…………」

 

 

 そうだった、スネ夫はこういう意地悪な奴だったと、このときの僕はスネ夫を睨みつけた。

 

 

「そんなに睨んでも貸さないよ〜だっ! おいのび太、そこに空き缶があるから適当な場所に並べてくれよ! 僕ちゃんのおフランスの最高級エアガンで、撃ち抜くところを見せてやるからさ〜」

「……自分でやんなよ。僕は帰る」

「そんなこと言うなよのび太。並べてくれたら、一発分だけ使わせてやる気になるかもしれないからさ」 

「――っ! ほ、ほんと!?」

「ほんとほんと」

「わーいっ! やったー!」

 

 

 僕はスネ夫の言葉を信じて土管の側に置いてあった空き缶を、空き地の至るところに設置した。

 ……この頃の僕は、本当に救いようがない阿呆だったのだ。

 スネ夫が僕にエアガンを貸すわけない。以前にも何度かは僕に物を自慢してきたが、それを使わせてくれたことは一度たりても無かった。

 

 スネ夫は口が上手く、僕は騙されやすい性格をしていた。

 

 当然、スネ夫と交わしたこの約束が守られるはずなくて――

 

 

「よし、全部並べたな」

「じゃあ貸してよスネ夫!」

「はっ? 何言ってんの? のび太なんかに貸すわけないだろ!!」

 

 

 スネ夫は馬鹿にするように舌を出した。

 

 

「や、約束したじゃないかー!」

「確かに『貸してやる気になるかもしれない』とは言ったな。でも残念ながら、そんな気にはならなかったんだよ」

「そ、そんなぁ……あんまりだよぉ」

「へへっ、まぁちゃんと僕ちゃんが撃つところは見せてやるからさ。それだけでも光栄だろ?」

 

 

 気分が沈んだ僕に見せつけるように、スネ夫は的に向けて銃を構えた。

 

 ……このとき僕は、スネ夫を放置して家に帰り不貞寝をしようと考えていた。

 嫌な思いを解消するなら寝るのが一番だ。寝て、荒れた精神状態を元に戻す。

 小学生の頃の僕は放課後、家に帰ったら高確率で昼寝をするのだがその理由がそれだったりする。勉強も運動できないという理由で毎日のようにからかわれていたので、所謂ストレスというものが溜まっていたのだ。そのストレスを解消する手段こそが昼寝である。

 

 今日は休日だがスネ夫のせいでこのときの僕には大きな疲労感があった。

 どうせこのままここに居てもスネ夫にエアガンの自慢をされるだけだろうし――とっとと家に帰って寝てしまおう。

 このときの僕は深い溜息を吐いた後、踵を返して家に帰ろうとした――

 

 

「――尻尾を巻いて逃げるのはまだ早かろう」

 

 

 突如として響き渡る彼の黄金の声――

 

 ――振り向くと土管の上に、仁王立ちをしているギルえもんの姿があった。

 

 ……そういえばギルえもんは、妙に高い場所が好きだった。

 ギルえもんと過ごした一週間の日々を思い出してみたが、ギルえもんが地面の上に立ったことは一度も無かった。家の中では流石に床の上に足裏を付けていたが、ギルえもんが外で黄金の靴を土で汚す場面を僕は見たことない。

 

 僕と一緒に外出するときも、ギルえもんは塀の上に歩いていたな……今でも外に出るとき、たまに僕は頭上の位置辺りにギルえもんの姿があるような気がして、つい上を向いて歩いてしまう。

 

 このときギルえもんが土管の上に立っていたのは、空き地にある唯一の置物だったからだろう。多分土管がなかったら、彼は車道側にある遠くの塀に立っていたはずだ。

 

 

「開口せよ、我が『多重次元ポケット』!!」

 

 

 ギルえもんの背後に十個の剣が現れる。

 そしてギルえもんはその剣を、空き缶の方向に掃射した――十本の剣は、見事に空き缶を射抜いた。

 

 

「あー! ぼ、僕ちゃんが撃ち抜くはずだったのに〜!」

「フハハハハッ!! お前のモノは我のモノ!!」

「くっそ〜。ギルえもんめぇ……っ」

 

 

 スネ夫を歯を食いしばりながらギルえもんを睨む。  

 ギルえもんもまた睨み返した。

 

 

「……おい道化モドキ。我はお前に、我に対し気安く語りかけることを許しはしていない。しかもあろうことか、その下賤の身で我に睨みを利かすだと? この戯けが」

「えっ、ご、ごめんなさい……」

 

 

 ギルえもんの威圧(ギルえもん曰く猫の威嚇程度らしい)に恐れ慄いてスネ夫は平伏した。

 

 

「ほぉ、謝罪は一級品ではないか」

「も、もちろんですよ〜。貴方さまに敬意を示せる至極の喜び、私、感動しています!」

「フハハハッ!! 言うではないか雑種! よい、特別に先程の不敬は許してやる」

「ははー……ふっ、チョロ」

「何か言ったか雑種」

「い、いやー、ギルえもんさまはカッコイイなーっと」

「クックック。当然のことを言うでない雑種」

 

 

 この後もスネ夫はギルえもんを褒めちぎった。

 

 ……今思えば、ギルえもんの扱いが一番上手かったのはスネ夫だった。

 ギルえもんは褒められるとすぐに調子に乗るのだ。

 多重次元ポケットの中に貯蔵される最強の秘密宝具『空気砲(エア)』は彼曰く「それ相応の場でしか使わん」らしいが……彼は多分、ちょっと褒め殺しにすればすぐにその剣を抜いてくれる。 

 

 『空気砲』を使わすという点に限れば、スネ夫ほど適切なマスターはいないと思う。少なくとも僕はそう思っている。

 

 

「おい雑種。先程、我がマスターを蔑ろにするような発言が聞こえたのだが……」

「いえいえ、決してそのようなことは申していません!!

 のび太くん。約束どおり、僕ちゃんのエアガンを貸してあげるよ!」

 

 

 スネ夫はニコニコと狐のような笑みで僕にエアガンを手渡した。

 ……確かこのとき僕は、スネ夫の一転した態度に心底からの不快感を覚えたのだ。

 恐らくギルえもんと出会う以前の僕なら笑顔で受け取っていただろう。でもギルえもんと出会ってからの僕は……僅かにだが、変わっていた。

 

 スネ夫はあくまでギルえもんに目を付けられるのが怖くて僕にエアガンを渡したのだ。そう、ギルえもんのお陰で、だ。

 

 この頃の僕はきっと、それがとてつもなく嫌だったのだろう。

 ギルえもんの手は借りたくない。こんな偉大な方に、助けをこいたくない――助けを求めてしまえば、僕は今以上に弱くなる。

 

 のび太という人間は、常人より大きく劣った存在である。

 その自覚は以前からもあったのだ。でも彼の黄金に出会ってから、その自覚は前以上に強くなっていた。

 

 だからこのときの僕は――

 

 

「いや、やっぱいいや。大人になったらこれ以上の物を使うし」

 

 

 ――我慢することを選んだ。

 

 使ってみたいという欲の否定はできない。だから、いつか自分で買って、そのときに欲の発散をしてやる。僕がギルえもんのように大きくなったら――その時に、スネ夫のエアガン以上の品質の物を購入しようではないか。

 

 そう心に決めたこの頃の僕はスネ夫にエアガンを返そうとした。このとき僕の心情を吐露すると、やはり一発だけ撃ってみたかった。

 でもそれをするときは今ではないのだと、このときの僕は我慢した。大人になってお金をいっぱい稼ぎ、これ以上の物を購入してやるのだ。

 そう心に言い聞かせ、僕は惜しい気持ちを同伴させながらも、この頃の僕はちゃんとスネ夫にエアガンを手渡したのだ。

 

 

「……別にいいんだぜ、のび太。明日返してくれればいいし」

「僕も別にいい。正直撃ってみたいけど、社会人になって給料貰ったときに買うからさ」

「……ふんっ。馬鹿なのび太のことだし、絶対に就職できないと思うけどね」

「いやまぁそうかもだけど……それは、これから勉強を頑張ってなんとかするよ」

「……そうかい。ま、僕は無理だと思うけどね」

 

 

 スネ夫はそう言い捨て、エアガンをくるくると回しながら空き地を去っていった。

 道路まで行ったとき――

 

 

「……お前、変わったよな」

 

 

 ボソボソとした小さな声でスネ夫は呟いた。

 

 

「えっ。何か言った?」

「別に、何も言ってないよ」

 

 

 スネ夫は振り向かずに、この頃の僕の視界から消えた――空き地には、僕とギルえもんだけが残っている。

 

 

「……あいも変わらず、不器用な男であったな。最初から素直に我がマスターにあのチャチな玩具を貸していればよかったものを……」

「まぁスネ夫は嫌がらせが大好きだからね。ギルえもんが来なかったら、きっと貸そうとしてくれなかったよ」

「そういうことを言ったのではないのだが……あの道化モドキもそうだが、のび太も大概察しが悪い」

「どういうこと?」

「いや、ただの戯言だ。忘却せよ」

 

 

 そう命じた後、ギルえもんは突如として多重次元ポケットを開き、そこから水鉄砲のようなものを出した。

 そしてそれをこの頃の僕に投げ渡した。

 

 

「のび太よ、我の戯れに付き合え。

 ――射的という奴だ。確かのび太は射撃が得意だったな。その腕前、我に見せてみることを許す」

 

 

 そして僕が設置した空き缶を押し潰すように、幾つかの金の的が出現した。

 多分本物の金。純金である。

 

 

「……狙うのを躊躇っちゃう的だね。空き缶じゃ駄目?」

「却下だ。この我にゴミを射抜けとでも云うつもりか貴様は」

 

 

 さっき射抜いてなかったっけ、とこの時の僕は思ったが、それは突っ込んだら負けという奴だろう。

 

 

「貴様もその水鉄砲を使うがいい――なに案ずるなのび太よ。その『終末を告げる災禍の雫(みずてっぽう)』は、我が持つ最強の剣『天地乖離す開闢の星(くうきほう)』に次ぐ火力を持つ秘密宝具だ。

 クックック。なぁに安心しろのび太。我も手加減せずに、『天地乖離す開闢の星(くうきほう)』を使ってやる」

「うん。やっぱもう帰ろうか」

 

 

 ギルえもんは気紛れで世界を滅ぼそうとする。いやまぁ、多分冗談だとはこの頃も今も思っているが……冗談だったのだろうか?

 

 

 ちなみにこの後の話。玩具レベルの秘密宝具の銃を使いポイント制でギルえもんと競い合ったのだが、意外にも僕が圧勝した。

 

 勝負が終わったと同時にギルえもんは「寝る」と一言告げて、半日くらい霊体化していたのだが……その話については、ギルえもんのためにも詳しくは語らない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――次の日の朝。

 

 

「おいのび太! おフランス製のあやとりの糸を買ってきたんだ! 見せてやるから空き地に来いよ!」

 

 

 

 スネ夫は性懲りもなく僕にまた物を自慢しようとしていた。

 

 

 ……最近になってやっと気づいたのだが、もしやスネ夫は元々僕に貸すつもりで、僕一人を空き地に呼んでいたのではないだろうか?

 

 スネ夫が僕だけを呼び出すときに自慢する物は、全て僕が好みそうな物だった。

 

 とはいえあくまで僕の根拠のない予想なので、真偽はスネ夫のみが知るところだろう――今度スネ夫と会話するときにでもそれを聞いてみようか?

 

 ま、でもきっとアイツのことだし否定するだろうが――スネ夫は自分の本音をそう簡単には語らないのだ。

 

 だけど僕には……何となくだがスネ夫の気持ちが分かる。

 

 なぜなら、スネ夫と僕は腐れ縁だから――鎖のような固い絆で結ばれば幼馴染だから、きっと僕の予想は当たっているはずだ。

 

 今でもよく嫌味を言うし、それに聞きたくない自慢話を語るけど、そんな欠点も含めて彼は骨川スネ夫なのだ。

 

 だから僕は――

 

 

「うんっ! 僕にも使わせて!」

 

 

 何度も何度も、スネ夫の欠点に付き合ってやろう。

 

 僕らは、友達だ。

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 沢山の感想や評価やお気に入り、本当にありがとうございました!!

 それもこれも、読者の皆様とギルえもんのお陰です。正直ギルえもんのカリスマA+で目標を達成できた感がありますので……本当にギルちゃんは、愛されていますね。

 あとしずか編にのび太編、そして最終回で、本編は完結させるつもりです。
 色々とやりたいことはありますので番外編は幾つか書くと思いますが、まずは本編を完結させれるよう頑張ります。
 次回もぜひ読んで頂けると幸いです。
 



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四話 静香編①

 ほんの少し長くなりそうなので、分けて更新することにしました。
 しばらくは高頻度で更新したいと思います。もう少しお待ちくだざい。


 

 

 源静香。僕が通っていた小学校の生徒の中だと一番の美少女で、野に咲く花のような可憐さがある僕の初恋の相手。

 そう、初恋。 

 僕は、あの子に純粋な恋情を抱いていたのだ。

 

 言葉を交わすだけで、胸がバクバクと鳴った――それは、初めての経験だった。だけどこの感情の名前は『恋』だということを、僕は直感的に理解していた。

 

 だけど小学生の時の僕は、あることに気づいていなかったんだ。

 

 ――初恋が実ることは少ない。

 

 これが初恋な以上、その実を咲かすことは難しいのだ、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

  ☆

 

 

 

 

 

 

 

 

「テストを返すぞー」

 

 

 先生が束のテスト用紙を持ちながら、教壇の上でそう言った。

 赤マルと赤バツと点数が書かれたテスト用紙を受け取った生徒たちは、様々な表情を浮かべていた。

 ほとんどの生徒はまぁこんなもんだとテスト用紙を見下ろしていた。出木杉を筆頭に、秀才な生徒たちは満足そうにテスト用紙を眺めていた。

 

 

「今回のテストは結構簡単だったな」

「おーやった! 俺、初めて100点とった!!」

「すげーな。出木杉と同じじゃん。僕は、それより十五点下なんだけど……」

「それは僕に対する嫌味かよ。どーせ僕は、五六点ですよ」

「お前も前より点数上がってるんだからいいだろー。いつもは三十点代なんだし」

「おい、あまり大声で言うなよ! みんなに聞こえるだろ……」

 

 

 と、そんなクラスメイト達の会話を、耳を傾けてきいている少年、野比のび太。

 まぁつまり僕のことなんだけど、僕はクラスの仲良しグループの一つである彼らの会話を聞いて――嫉妬――などは、全くしていなかった。

 

 

「ふふっ、みんな良い点とってるなぁ。ま、僕のほうがきっと上だけどね!」

 

 

 この時の僕は、自分でも腹正しく思うくらい調子にのっていた。今すぐにこの頃にタイムスリップして、この憎たらしい顔面をタコ殴りにしたいくらいだ。

 

 さて。ここで思い出してほしいのだが、この頃の野比のび太は、劣等生以下の劣等生である。

 運動音痴で頭も悪い。

 どれくらい頭が悪いかというと、テストで『0』以外の数字を見ることのほうが少ないほどだ。選択問題が含むテストでも、毎回僕は0点を取っていた。もはや呪いと表すしか他ないほど、僕はテストで0点を取り続けていた。

 『この小学生、まさか意図的に0点を取っているのでは?』 

 おそらく先生は、そんなことを思いながらマル付けをしていたことだろう。その実態は、運命操作レベルで頭が悪かっただけなんだけど。

 

 

「のび太さん」

 

 

 だらしないニヤケ顔で先生から名前を呼ばれるのを待っていたとき、背後から透き通るような綺麗な声が聞こえた。

 

 

「あ、しずかちゃん!」

「ふふっ、機嫌が良さそうね。テスト、良い点とれそうなの?」

 

 

 そう。そこに居た人は、僕が恋情を抱いていた女の子――源静香さんだった。

 柔らかな笑顔を静香さんは僕に向けた。僕も、変わらずのニヤケた顔を向け返した。

 

 

「うん! 今回のテストは『100点』を取れる自信があるんだ! 頑張って勉強したからね!」

「えっ!? そうなの!!」

 

 

 静香さんは、目を見開くほど驚いていた。

 失礼な反応に見えるかもしれないが、この頃の僕のイメージからしたら当然の反応である。勉強している姿の想像さえもできないと言われるほどの生徒だったのだから。 

 

 僕の『100点を取る』発言が衝撃的だったからだろうか。教室内は、一瞬にして静まった。

 だけど次の瞬間。風船が割れるかのように、クラスメイトのみんなは大笑いした。

 

 

「お、おい! 聞いたかみんな!! のび太のやつ、100点取るってよ!!」

 

 

 武が指を差して僕を笑った。武がそう言った途端、更に教室内の笑い声は大きくなった。

 

 

「アハハっ!!! エイプリルフールはもう終わったぞのび太!!」

「や、やばい。俺、今日一番笑ったかもしれない……っ!!」

「クっ、ハッハッハっ!! あののび太にも嘘を付く知恵があったんだなぁ!!」 

 

 

 なかなか嗤い声は止まず、武を筆頭とした僕をよく虐めていた九人以外のクラスメイトも、連鎖的に僕を嗤っていた。

 「こら止めなさい!」と先生が言っていたが、その声は教室中に轟く大音量の嗤い声でかき消された。故に、僕の耳には、僕を嘲笑うみんなの声しか聞こえていなかった。

 

 

「……ほんとに、頑張ったのに」

「おっ、嘘付きのび太がなんか言ってるぞ!!」

「みんな静かに! 嘘付きのび太くんの虚言を聞いてあげよう!! 良いよのび太くん! もう一度言ってごらん?」

「…………」

 

 

 僕の胸の中に、ドス黒いナニカが生まれるのを感じた。

 そうだ。この時の僕の中には――ギルえもんと出逢う切っ掛けを作った、あの悪意以上のモノが生まれていたんだ。

 つまり、馬鹿だけど人格はちゃんと『良い人』なのび太という少年が、『誰かを殺したい』と思ってしまうほどの悪意。

 無論。それは衝撃的な感情で、その場その時だけのモノでしかない。それを明確に実行できるほどのび太という少年は『根が悪い』やつではない。むしろギルえもん曰く、僕は『根が善い』部類の人間らしい。

 だからその感情は、本当に一時的なモノなのだ。虐められる人間が感じるべき悪感情であり、むしろそれを感じなければ『狂っている』と評される人間になってしまうような、持つことが当然と言える殺意という悪感情なのだ。

 

 だけど――

 

 

「やーいやーい! 嘘付きのび太ー!」

「こいつのテスト、良い点数らしいから印刷してみんなに配ってやろうぜ!! 良い点数なんだからいいよな!! 良い点数なんだから!!」

 

「――――」

 

「あ、こいつ泣いてるぜ!」

 

 

 ――その感情は、決して嘘なんかじゃないのだ。

 下を向き、()()()()()()()()()

 ギルえもんとの約束を――破ってしまったのだ。

 

 

「――嘘じゃないって、言ってるだろう……」

 

 

 弱々しく、僕はそう呟く。

 

 

「聞こえねぇよ! もっとはっきり言えよ!」

「これだからのび太は……」 

「――えぇい静かにしなさい!!」

 

 

 バンバンと、机を叩きながら一際大きく声で先生が言う。

 これ以上騒がれたら先生も色々と困るのだろう。あまりにもうるさいと他の教員がやって来るし、今まで以上に虐めが肥大化したら、僕が親に泣きつくかもしれない――先生としては、クラス内に留めて虐めを解決したいのだろう。自身の評価のため、『あのクラスで虐めが起きている』という事実を発覚されたくないのだ。

 

 まぁ実際、クラス内だけで解決できそうな規模の虐めではあった。たまに筆記用具を隠されたり、裏で陰口を言われるくらいだったので、先生の努力次第では解決できる問題ではあったのだろう。

 だが今、虐めは爆発的に大きくなっている。

 僕の『100点を取る』という発言が、虐めという火に油を注いでしまったのだ。

 毎回0点を取り続けるのび太くんが言った『100点を取る』発言は、クラスメイト達からしたら余程面白かったのだろう。

 だから止まずに、嗤い声は続いている。

 僕に向けて、その声は――

 

 

「――みんな静かにしてッ!!」

 

 

 嗤い声は、その怒鳴り声に掻き消されて止んだ。

 僕は下に向けてた顔を上げて、目頭に溜まった涙を拭って――その子を見た。

 

 

「し、しずかちゃん……」

「みんな酷すぎるわ! 確かにのび太はあまり頭がいいわけじゃないけど……だからって嘘だって決めつけるのはあんまりよ!!」

 

 

 普段は出さないような大声を上げて、静香さんはクラスメイトのみんなを睨んでくれた。

 そうだ。静香さんは、こういう人だったのだ。

 その頃からちゃんと自分というものを持っていて、自分が見たものだけを信じていた。そんな静香さんだからこそ、僕を庇えることができたのだろう。

 もし僕が、いじめられっ子ではなく、完全な第三者だとしたら――今のこの『嗤ってもいい』空気に便乗して、いじめられっ子を教室の端でニタニタと嗤っていたはずだ。

 僕には静香さんのような統一された空気を壊せる勇気なんてものはないし、きっとそうなっていたはずだ。

 

 ――あぁ、そうだ。

 

 そんな彼女だからこそ、僕は彼女に明確な恋情を抱いていたのだろう。

 僕は彼女のような人間になりたかった。尊敬していたのだ。

 きっとそれは、ギルえもんに向けているものと同じ感情で――

 

 

「――のび太さん。大丈夫?」

 

 

 僕の初恋の人は、向日葵のような笑顔を向けて、僕にハンカチを渡そうとしていた。

 きっとその時の僕の顔は、涙や鼻水で酷いことになっていただろうから、ハンカチを渡そうとしてくれたのだろう。

 

 

「……ありがとう。しずかちゃん――」

 

 

 僕は少しニヤケた顔で、ハンカチを受け取ろうとする――だけど、受けとろうとした瞬間にあることを思い出した。

 僕は反射的に手を引いた――その拍子に、つい後ろに転んでしまった。

 

 

「――痛っ!」

「だ、大丈夫のび太さん!?」

 

 

 背中から転んだせいで、後頭部にタンコブができてしまいそうなほどの衝撃が走った。

 少し視界がグラついた。だけど、それだけだった。

 

 

「もう、おっちょこちょいね。のび太さんは」

 

 

 静香さんは心配そうな顔をしながらも、イテテと後頭部を擦る僕を見て、微笑みながら手を差し伸べた。

 だけど、僕はその手を掴まなかった。

 

 

「のび太? ねぇ本当に大丈夫?」

「――――」

 

 

 無言で差し伸ばされた手を凝視する僕の様子をおかしく思ってか、静香さんは再び心配そうな目を僕に向けた。

 

 静香さんが差し伸ばされたその手が――このときの僕には一瞬、ギルえもんの手に見えたのだ。

 そう見えてしまったのは、おそらく静香さんはギルえもんと同じだったからだろう。自分というものを持っていて、自分の判断に従って動く。静香さんがそういう人間だったからこそ、一瞬僕はギルえもんと静香さんを間違ってしまったのだ。

 

 だけど、その一瞬の見間違えで――僕の心は、あるモノに支配された。

 

 それはスネ夫のときにも感じた、『ギルえもん/静香ちゃんに頼ってもいいのか?』という疑問だった。

 

 

(ここで頼ってしまったら、きっと僕はずっと弱いままだ。頼ってはいけない。僕は一人で頑張らなきゃいけないんだ――)

 

 

「――いいよ静香ちゃん。一人で立つし、ハンカチもいらない」

「えっ。でものび太さん。せめてハンカチは――」

 

 

 押し付けるように、静香さんは僕にハンカチを渡そうとする。

 強引に渡そうとするものだから、つい僕は苛立ってしまい――

 

 

「いらないって! ほっといてよ!!」

 

 

 と、乱暴に静香さんの手を払ってしまった。

 だが次の瞬間、ハッとなり自分がやったことに気づいてた。

 僕はなんてことをしてしまったのだと、このときの僕は自分がやってしまった行為に激しく後悔した。

 静香さんは善意でハンカチを渡そうとして、手を差し伸べたのに……僕はなんて失礼なことをしてしまったのだろうか。この件のことは、僕は今でも後悔している。

 僕は頭を下げて、静香さんに謝ろうとした――

 

 

「ご、ごめ――」

「なによっ! せっかく庇ってあげたのに!! こんなの酷すぎるわ!! もう知らないっ!」

 

  

 静香さんは怒り心頭という様子で、手のひらのハンカチを握りしめて自分の席に戻っていった。

 

 

「あっ……」

 

 

 このとき僕は、すぐに謝ろうとした。だけど、声が出なかったのだ。

 気づいてしまったのだ。周囲に向けられてる目の存在に――『変なやつ』を見る目で、僕は見られていた。

 それを自覚した途端、急な疎外感が襲いかかってきて、言葉が詰まってしまったのだ。

 

 唯一いた味方を失ってしまい、僕はこの教室で完全に独りになってしまった。

 

 

「……なんだあいつ」

 

 

 そう言ったのは、誰だっただろうか。

 この時の僕は頭がいっぱいになっていて、声の判別さえ付かなかった。

 だけど――誰が言ったのかは分からなかったけど、その言葉で僕の胸の中にあるものが、急激に冷え切った。

 

 その瞬間、僕は急に怖くなった。

 

 何が怖かったのかはもう覚えていない。でもこのとき僕は、何かに怯えきっていた。

 

 ――恐怖した僕が教室から逃げ去るのには、三秒もかからなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 




 
 少し胸糞な回ですまない……。


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