ダンジョンに果てを求めないのは間違っているだろうか (パイの実農家)
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01 ここは"無限の迷宮"

 みんなもToME4、しよう!



 古のシェール・タルが神を殺した、人の大地。名を「イヤル」。

 

 一万年より過去から闘争によって染まるイヤルに、ひとときの安穏が訪れた。

 

 

 魔法大禍(スペルブレイズ)の余波は静まり、精強なるハーフリング達は衰退し、恐るべきオーク達は駆逐され……「業火の時代」が終わりを告げて三百余年。

 イヤルの大地を襲った忌むべき陰謀は灰燼に帰した。

 虚空へ通じる(ポータル)は閉じられ、「大いなる神」をも殺した真なる吸命の杖は奪還された。

 

 

 私の手で。

 

 

「終わらせなければならない」

 

 

 私は言った。

 

 いつだったかは、もう分からない。

 

 この力はあまりに強力すぎた。

 二度と人の手に渡らず、人の目につかぬことが望ましい。

 

 命を吸い上げる杖。万象一切をひとときの間に塵へと変えて、その生命を術者に還元する、シェール・タルが遺した九つの神滅具、その頂点。

 神さえも逃れられぬ絶対の死を、この杖は纏っている。

 

 こんなものは世界にあっていてはいけない。この杖は争いを引き寄せるだろう。

 何故ならこの杖はそのために生まれ、そのためにあるのだから。

 争いのために。破滅のために。

 

 永遠なる封印を、決して破られる事なき封印をなさねばならない。

 我ら時なき《シャローレ》すらも朽ち果てる久遠の果てに、封じねばならないのだ。

 その方法に、私は一つだけ心当たりがあった。

 

 誰も訪れることの叶わぬ最果てへ運ぶことだ。

 

 ――決断は早く、実行は尚早かった。

 

 マヤ・イヤルの北全体に広がるタローレの大森林の奥深くにひっそりと立つ、《滅びの迷宮》。

 そこに封じられているのが、幾千年の過去に生まれた《無限の迷宮》だ。

 

 シェール・タルの「九人の神殺しの戦士」ブランジルに追われた「欺瞞の神」ラルカーが生み出したこの迷宮は、文字通り終わりがない。そして、入ったものは抜け出せない。

 遠く、深く、深淵よりも尚深く、夜の闇よりなお遠く……時の最果てまで続くこの迷宮を、かの神ラルカーは逃げ続け、かの戦士ブランジルは追い続けるのだ。

 

 それがこの《無限の迷宮》。

 入ったものは二度と出られぬ世界の深淵、遥か過去より続く正真正銘の「神の迷宮」。

 

 私がここを進み続ければ、この杖は誰の手にも渡らないで済む。

 万が一私が朽ち果て、力だけが残されたとしても、持ち出すことは誰にも(あた)わない。

 

 捨てよう。

 かつて悠久を生きた私の命の、これから久遠を生きる私の命の、その全てを、ここに捨てよう。

 

 ――たったそれだけの代償でイヤルを守れるのなら、安いものだ。

 

 

「さらば、愛しき大地よ!」

 

 

 そうして、私は終わることなき降下を始めた。

 

 

 

 

 

 

 それが、遠い昔の話。

 

 

 

 

 

 数えることも難しいほどの距離を私は歩いた。

 

 深く深く潜り続けた。

 10階を超え、20階、100階、500階を超えた当たりで私は時を数えるのを止めた。

 そして、私のそれまでの歩みを百繰り返しても足らぬだけの時間、潜り続けた。

 

 石にでもなったかのように時というものを忘れていった。

 千の階層など吐息と変わらず、万を降りてようやく一歩踏み出した感触を得る。

 

 無数の悪しき生物が私を阻む中で、その一切を灰燼に帰し、それを実感することはない。

 魂は石と成り果てた。何を感じることもなく、ただ変わらぬ永遠の争いの中を行く。

 

 時から忘れられたシャローレの体は老いる事なく、億兆の眠りを重ねても尚鈍らない。

 刻みつけられたデーモンの炎は衰えを知らず、血は溶岩のように滾っている。

 吸命の杖はなおも私の背で力を振るう時を待っている。

 

 終わらせねばならない。

 

 終わらせねばならないのだ。

 

 

 

 

 階段を降りる。握りしめた槍は最早手足の延長となっていた。

 疲れはない。そんなものは迷宮に入る前から失っていた。

 デーモンの悪しき力が胸の奥で滾っている。遠くに、おぞましき気配を感じる。

 

 扉を開け放ち、私はそれと相対した。

 

 広間の中。()()()

 倒れ伏した痩躯の神と、その前に佇む一人の戦士と。

 

 白き外套に身を包み、黒く光る剣を手にした、人に似てそうではないもの。

 軟体動物のように長く伸びた腕を柄に巻いて握る、シェール・タルの最も強き戦士の一人と。

 

 神滅具《黒き刃マドラス》と。

 

 それを担うシェール・タルの九つの神殺しの戦士ブランジル――その死体と。

 

 そうだろうなと思っていた。

 無限の迷宮には果てがある。時の最果てに行き当たり、ラルカーが討滅されたその時だ。

 

 ……私は辿り着いてしまったのだ。全ての果てに。

 

 私は杖を手に持つと、長く息を吐いた。

 ひょっとすると、それだけで何年もの時間が経ったのかもしれなかった。

 

『彼ら四人はアマクテルその人の下へとたどり着いた』

 

 流暢に言葉を発せた自分に少なからず驚いた。

 もう何百年も、意味のある言葉の羅列を発してはいなかったからだ。

 

『激しき戦いの末に玉座は夥しい数の死体で埋まり、『神殺し』のうちの三人はかの神の足元で事切れた』

 

 古代シェール・タル語。杖の補佐を受けながら、私はそれを拙くも口にしていた。

 

 杖に刻まれたシェール・タルの文言。

 彼らの大いなる戦いの終わりの伝承を、弔いの言葉の代わりに。

 かの戦士に心残りがあるとすれば、それは同胞の戦いの行く末だったろうから。

 

『だが今わの際、戦士ファリオンが《凍てつく剣アーキル》で絶対神の膝頭を貫いた』

 

 あるいは、その名に彼は微笑んだのかもしれなかった。

 もし彼が朽ちておらず、私が彼と対話していたのなら。

 あるいは、イヤルのどこにも残されていない失われた彼らの日常を、語らいを、聞くことさえ出来たのかもしれなかった。

 

『その好機を逃すことなく、『神殺し』の長カルディザーは歩を進め、吸命の杖で命を奪った――かくてアマクテルは己の息子たちの手によって倒れ、その偉容は崩れ落ちたのだ』

 

 だが彼は死んだ。遥か過去に。

 ともすれば、私が迷宮に挑むその前から。

 この時の涯にて、ひっそりと――。

 

 私は片膝をつき、目を伏せた。

 彼らシェール・タルの祖である絶対神アマクテルを殺した忌まわしき杖を祭具に、鎮魂を祈った。

 

『戦士ブランジル。どうか、安らかに』

 

 ……たっぷりと祈りを捧げた。

 

 気が済んだ私は、杖を手に立ち上がると、奥の扉を睨んだ。

 開け放たれた形跡はない。未開の地だ。

 どころか、この扉だけは他の迷宮と作りが違っていた。

 

 時の最果てをまだ先に行くのか。それともこの階層が行き止まりか。

 私はいつも通りに扉に近づき、それを開け放った。

 

 そこは行き止まりだった。

 そして、そこには見慣れた祭壇があった。

 

「……ファーポータル」

 

 ポータル。超長距離を転移するための門。

 そのうち、異星・異界に繋がるほどの距離を飛ぶ大規模なものをファーポータルと区別して呼ぶ。

 かつて私が打ち壊した滅びに繋がる虚空への門、あるいは恐怖の大地からイヤルへと繋がる門。

 それらと同じ、遥か遠く異界へすら繋がる門の、台座だけがそこにあった。

 

「機能を停止しているが……」

 

 恐らくこれが、迷宮を永遠に生み出し続けた原因なのではなかろうか。

 無から有を取り出す技は独我論者(ソリプシスト)を例として幾らでもある。ラルカーの名である「欺瞞」とは、彼らのように世界を騙し夢と現の境を操ることを差したのではないだろうか。何らかの方法でラルカーの夢、つまり支配領域と迷宮をつなぎ、作り出した迷宮の続きを呼び出していた……というのはどうだろう。こんな憶測に意味があるとは思えないが。

 

「動かせるな」

 

 今このポータルは、エネルギー源であった神を失って機能を停止している。

 だが、私が持つ吸命の杖があれば動かすこともできるだろう。

 この杖はまさにそのような企みに使われたこともあるのだ――私が阻止した、かのおぞましき企み。ファーポータルから滅びそのものを召喚せんとするその儀式を思えば、ポータルを起動することくらいわけはないはずだ。

 

 そのための技術は、この呪われた杖が教えてくれる。

 ポータルを起動させるための《多様の宝珠(オーブ・オブ・メニー・ウェイ)》も手元にある。

 

 悩むことはない。私はあの日《遙かなる頂(ハイ・ピーク)》で見たようにポータルに杖を向け、いつも通り多様の宝珠を手に取った。

 

 躊躇はない。この先に永久の苦痛が続くことは、私の歩みをなんら妨げはしない。

 

 どこに繋がるだろう? 憶測が正しいのなら、このポータルは恐らく繋がっていたはずの場所を失っている。

 ドグロスのカルデラで味わった終わりなき夢を転々とすることになるだろうか。

 ラルカー神の支配領域がまだ残っていて、私はそこに行くことになるだろうか。

 完全なる虚無に放り出され、私も杖も消えてなくなるのだろうか。

 それとも憶測は全くの外れで、全く別の場所に繋がるのだろうか。

 

 構わない。

 たとえその先が消滅だろうと、終わらない旅の新たな一幕だろうと。

 

「永久の封印が成るのなら……それこそが私の終わりだ」

 

 エネルギーを得て、ポータルが唸りを上げる。

 空間が歪み、渦を巻き、ぽっかりと穴が空く。

 

 私はその下で多様の宝珠を握りしめた。

 拡大していく渦の中で、私はほんの一時意識を手放す。

 

 

 誰かが微笑むのを見た気がして。

 

 懐かしい景色を見た、気がして。

 

 それら全てが気の所為だった気がして――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ふと見れば、()があった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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02 今日はオラリオの神時代 3日 熱の月 ???年

 ――時が目まぐるしく動き始めた。そんな気がした。

 雲のたなびく姿でそれが嘘の空ではないことを察し、次いで満ち満ちた草の青い香りを堪能する。鼻の奥の久しく使われていなかった部分を刺激され、目が覚めるようだった。

 

 そこは一面の草原だった。

 

 どうなっている。口に出す前に、手にした三又槍(トライデント)を引いて構えた。

 

 邪神の支配領域にしてはあまりに自然に溢れすぎている。魔法やサイオニックによる嘘偽りの類でもない。これら自然が実は全て悪しき創造物? いや……魔法に侵されていても我が身はエルフだ。自然の恩恵を見抜けぬ程耄碌してはいない。これは正真正銘の自然だ。タローレたちが愛する木々であり草花に違いない。

 

 足元の草花が、熱で枯れ果てた。

 

「……ふむ」

 

 私は常駐している様々な力を解除する。奈落の守り、戦いの熱気、魔神アーロックの炎、恐慌の力と、永久の苦痛の力。一応、太陽を称える聖歌(チャント)の力も。

 

 辺りに敵に類するものはない。私だけが異物だ。

 となれば、生命を燃やす悪しき炎は不要である。

 

 太陽の傾きを見るに朝であるようだ。

 朝露が……私から離れた位置に見える。炎の加護に当てられて知らず蒸発していたらしい。

 

 今だけはいいだろう。

 私は一言彼らに断りを入れて草花の上に荷物を下ろすと、自らも寝そべった。

 

「……ああ、久しぶりだ」

 

 本当に、久しぶりだ。

 

 永久に続く石獄で過ごした幾星霜は、やはり私を苦しめていたのだろう。いくら強がろうとも私は地上に生きるものなのだということを、ようやく思い出した。

 草花の香りに包まれながら、空の青を見つめて、いっときの安らぎを得る。

 それくらいの羽休めを、どうか許してほしい。

 

 

 

 ――日が傾いた。

 

 ほうと吐き出した吐息を感じた時には、もう夕暮れになっていた。

 

「……いかんな」

 

 時間の感覚が狂っているのを自覚する。

 ほんの数分の休みのはずが、日が東から西へと移ろうまでそうしていたらしい。

 意識は明瞭で、雲の流れも日の傾きも記憶していて、ただ無為だっただけでそうなったというのだから始末に負えない。時なき体にしてもあんまりだろう。

 

「さて、方針を決めねばなるまい……」

 

 意識的に言葉を発する。思考と口腔を回していれば時を忘れずに済むだろう。

 

 周囲を見回す。

 やはり帰りのポータルはなかった。一方通行のポータルというのは珍しいものではないから、ある程度分かっていたことだ。

 

 代わりに、遠くに高くそびえ立つ塔を見つけた。

 ゆうに五十階層はあろうかという高い塔。あの恐怖の塔(ドレッドフェル)どころか遙かなる頂(ハイ・ピーク)すらも越えようかという巨大建造物だ。

 高い城壁に囲まれて、どうも大きな都市が広がっているように見える。

 

「行ってみるか」

 

 他になにかめぼしいものがあるようには見えない。

 ここがどこかを知るくらいはできるだろう。

 

 私は真なる吸命の杖を、反魔の力を宿した外套でくるんで隠すと、鞄の奥に押し込めた。

 当座はこれでいいだろう。そう安々と見抜かれることもあるまい。

 

 立ち上がって鞄を背負い、あの塔に向かって歩き始める。何、この程度の距離なら夜になるまでにはつくだろう。私はそれなり以上に健脚なのだ。

 

「しかし……目標からは遠ざかったかな」

 

 一抹の後悔。だがそれも一瞬のこと。

 遠ざかったのならば、もう一度行けばいいだけのことだ。

 

 愛用のトライデントを杖代わりに、私は柔らかな草原の土を踏みしめた。

 

 

 

   + + +

 

 

 

 オラリオの夕暮れは賑やかだ。

 ダンジョンに潜っていた冒険者たちが帰還してくるからである。

 冒険者向けの店が慌ただしく準備を始め、酒場の竈に火が入り、そこかしこで喧騒が沸き起こる。

 

 しかしメインストリートの一角は、それらとはまた違ったざわめきで満たされていた。

 オラリオの正門から現れた一人の冒険者によって。

 

 美しい超常のシルクによって織られた外套を羽織り、全身を包む鎧はどれもが名匠の逸品と見て分かるほど。何よりその光り輝く白い金属が何であるか、誰も見抜くことができなかった。

 大入りの鞄をこともなげに片手で担ぎ、もう片手には三叉槍を杖のようについている。

 真鍮色に染まった流麗なトライデントだ。波間のように揺らめく霊気を纏っている。刃先の根本には大きな真珠が瞳のように埋められていた。美術的価値もさることながら、この世にまたとない業物であることは誰の目にも明白だった。

 

 背は高く、フードで顔を隠してはいるが、ただ歩いているだけで冒険者たちを戦慄させる何かをその戦士は放っていた。もしも悪魔に睨まれればそうなるだろう。

 人混みが自然と割れていく。あたかも波を割った奇跡のように。

 あるいはその槍がそういう逸話のものであると、彼らは無意識に感じ取ったのかもしれない。

 

 神すらもその背を黙って見送った。いわんや人をば。

 

「どこの【ファミリア】だよ、あいつ! あんなヤツがいるなんて知らなかったんだけど!」

「怖え……ただ歩いてるだけだぜ。なのに震えが止まらねえ……」

「あの鎧、何で出来てんだ? アダマンタイトじゃあ、ねえよな……」

「足音がないわ……あんな重い鎧をまるで自然に扱ってる」

 

 姿が見えなくなったその後に、ようやく人々は言葉を交わすだけの余裕を得た。

 波音のように囁きを引き連れて、異邦の戦士は一路街の中心へと歩いていた。

 即ちオラリオの心臓、深淵の蓋たる神の塔、バベルへと。

 

 

 

「はーい、次の方どうぞー」

 

 ギルドの受付にて、ギルド職員ミィシャ・フロットは片手を上げて次の担当客を呼び込んだ。

 平素あれこれ仕事を溜め込んでは同僚に泣きつく彼女でも、目の前の仕事を疎かにするほど職業意識に欠けているわけではない。

 愛想よく、笑顔を絶やさず、訪れた冒険者の要件を正しく速やかに処理する努力をしている。

 

 さて、訪れたのは件の冒険者であった。

 全身を一級の武具で固め、フードで顔を隠した戦士だ。

 

 ミィシャは内心で驚きと恐怖と疑念を同時に覚える。高位の冒険者が突然現れたこと、身にまとうただならぬオーラ、そしてその姿に見覚えがないこと。

 

「冒険者登録を頼みたいのだが、窓口はこちらで間違いないだろうか?」

 

 驚きと疑念に上乗せ。これほど優れた装備を揃えた人間が冒険者登録を済ませていないこと。

 ミィシャはそれらを上手いこと押しとどめて、笑顔を作った。

 

「はい、お間違いありませんよ。新規ご登録ですね。少々お待ちくださーい」

 

 だがその疑念を見透かされたのか、怪しい冒険者見習いは小さく頭を下げた。

 

「失礼をした。顔を隠したままだったな……」

 

 三度目の驚き。

 フードの奥から現れたのは、それは美しいエルフの()()だったのだ。

 

 月の銀色、そんな言葉が出て来るほどの美しいプラチナブロンド。

 肩口で切りそろえた銀の髪は頭の後ろで束ねられている。

 長旅で乱れたのだろうほつれた髪も倒錯的な色気を匂わせていた。

 

 そして顔。美形揃いのエルフの中でもとりわけに美しい。

 線の細い顔立ちと切れ長の瞳、ほっそりと弧を描く鼻梁、薄くも妖艶な唇。中性的な美貌は男女を問わず魅了するだろう。

 その手の造詣が深いミィシャの判断でも、オラリオ最上級。ハイエルフたる【九魔姫(ナイン・ヘル)】リヴェリア・リヨス・アールヴ並み、いやことによるとそれ以上かもしれない。

 

 乱れた髪を撫で付けて、彼女はほのかに笑みを浮かべた。

 

「もし、お嬢さん」

「……はっ。あ、はいっ失礼しました!」

 

 響き渡る天上の管楽器のような、中性的な美声で我に帰る。

 魅入っていたことに気付き、ミィシャは慌てて声を張った。

 

 書類を引き寄せ、二度三度と視線が女性と書類を往復する。顔を見るたびに陶酔しそうになる。まずい。《魅了》なんてスキルを持っているのかもしれない。

 相手は女性だと分かっていても、息を呑むほど美しい。今の囁きもヤバかった。理性が飛ぶかと思った。ミィシャは恐るべき客に対抗するべく気合を入れ直した。

 

「そ、それでは、お名前とご所属の【ファミリア】をお教えください」

「名はイステニアエル(Isteniaer)と言う。……すまない、【ファミリア】とはなんだろうか」

 

 ミィシャは耳を疑った。

 

 【ファミリア】を知らない……こんな装備をしていて? あり得ない!

 

「ええと……一つの神様を主とする組織でして、冒険者に属する人々はみな、神様から【神の恩恵(ファルナ)】を頂く代わりにその【ファミリア】に属しているのですが」

「【神の恩恵(ファルナ)】……加護ということか?」

「はい、そうなります。下界では《神の力(アルカナム)》を使えない……全知()()である神々が、子である私たちに与えられる数少ない恩寵、といいますか……その、人の経験した様々な事柄から【経験値(エクセリア)】を汲み上げて、それを力として変換する加護でして」

「ふむ」

 

 【神の恩恵】や【ファミリア】についてなど当たり前すぎて、説明するのも難しいほどだった。

 ミィシャのしどろもどろな説明を受け、イステニアエルは小さく頷いた。

 

「つまり人の成長を早める恩寵なのだな?」

「そう! そうです! 【神の恩恵】によって力をつけることが、私たち下界の住人がモンスターに対抗する唯一の手段なんです。それで」

「要は戦う手段があるかどうかか。なるほど。【神の恩恵】を持つことが冒険者の資格なのだな? そして【ファミリア】に属しているものだけがそれを持つと。共同体を形成する以上そこに所属しているという事実は身分証明も兼ねており、恩恵持たざる者、眷属ならざる者は冒険者にはなれない……相違ないか?」

「はい! その通りです!」

 

 良かった賢い人で! ミィシャは安堵した。

 【恩恵】なしに冒険者になろうとする輩はちょくちょくいるが、それらの仕組みを全く知らない人間の担当は初めてだった。有能なハーフエルフの同僚ならばともかく、自分がそれらの社会的機構を丁寧に説明できるとは思えなかった、いや事実出来ていなかった。

 

「……あっ、その、すみま……申し訳ありません、ですので」

「いや、事情は分かった。私が冒険者として認められるには【ファミリア】に入団せねばならず、そうでない今は登録は受け付けられないのだな」

 

 良かったゴネられなくて! ミィシャは重ねて安堵し――そして嫌な想像が頭を駆け巡った。

 

 聡明で、物腰は穏やかで礼儀正しく、とんでもない装備で一式身を固めていて、しかし下界の常識には疎く、子供でも知っているようなことを知らない。

 

 そんな存在を仮定するならば、それは人間社会を遠く離れた場所に隠棲し、かつ地位のとんでもなく高い存在になるのではないか?

 

 そしてそれがこの上なく美しいエルフだとするならば。

 

 それに該当する存在とはつまり、エルフの王族――ハイエルフなのではないか?

 

(ひぇっ――)

 

 ミィシャの体中から嫌な汗が吹き出た。

 

 言われてみれば、その理知的な振る舞いはどこか【九魔姫(ナイン・ヘル)】に似ているし……。

 脳内オラリオ美人ランキングでもタメ張れるレベルだし……。

 名前も家名は名乗らなかったし……。

 

 ぞわぞわぞわ! とミィシャの背筋を緊張が走り抜け、そして凍りついた。

 もし失礼があったら? 国際問題? 打ち首?

 いやそれ以前にオラリオ中のエルフたちに恨まれ闇討ち拷問?

 

 さーっ! と顔から血の気が引いた。

 ミィシャ・フロット、人生最大の危機であった。

 

「うむ、ならば仕方あるまい。お嬢さん、手間をかけさせてすまないな」

「いっいえっ! ここここれくらいお安い御用ですっ!」

「うん……? とまれ、次は【ファミリア】を見つけてから来るとしよう」

「はひっ、あっ――そそっそれでしたら!」

 

 天啓、そう天啓がミィシャの脳裏に降りた。

 

 つまり「全部関係者に押し付ければなんとかなるんじゃない!?」という天啓だ。

 

「――ろっ【ロキ・ファミリア】がいいですよ! きっと! 絶対!」

 

 推定ハイエルフと思しき彼女は小さく頷いた。

 

「分かった、尋ねてみよう。すまないが場所を教えてくれないか?」

「はっはい! お任せください!」

 

 ミィシャは懇切丁寧に【ロキ・ファミリア】の拠点である黄昏の館までの道を教えると、地図の簡単な写しまで用意してイステニアエルに握らせた。

 

「何から何まで手を煩わせてすまないな。感謝する」

「いっいえその、お褒めに預かり恐縮ですっ?」

「そう畏まらないでくれ。私など()()()()()()()()()()()のだから」

 

 ひーっここにはお忍びで来ている宣言っ!? あまり騒ぎ立てないで欲しいみたいな!?

 

 ミィシャは内心で悲鳴を上げる。ありもしない言外の頼みを読み取ったミィシャはばたばたと慌てる心をなんとか隠し通し、それらしく微笑んで一礼した。

 

「……おっと、そうだ。最後にいいかな」

「な、なんでしょう……?」

 

 イステニアエルは、ミィシャの目を見て微笑んだ。

 

「――俗世を知らぬ田舎者を無知や無学と蔑まず、真に心を砕いて救いの手を差し伸べてくれた、尊き我が恩人の御名を……どうかお聞かせ願えないだろうか?」

 

 ミィシャの脳は真っ白に燃え尽きた。

 およそ人生で初めての衝撃、あるいは名誉。高貴なる存在に名前を尋ねられる状況と、何よりイステニアエルの見せた微笑みに、ミィシャの精神は耐えられなかった。

 

「み……ミィシャ・フロットと、申します……」

 

 息も絶え絶えに答えると、銀の麗人は一つ頷いた。

 

「ありがとう、我が友ミィシャよ。私は恩人の名も知らず礼も尽くさぬ恥知らずにならずに済む。どうか星の巡る頃に、この恩を返しに馳せ参じることを許してほしい」

 

 やめてください! とミィシャは内心で悲鳴を上げた。

 これほど美しい中性的な美貌と美声でそんなことを言われて、平静を保っていられるほどロマンスに疎いわけではなかった。心臓が秒間三回のペースで爆発している。耐えろ理性! と吠えて、ミィシャは太ももをつねりまくり、どうにか現実から目をそらさずに耐えきった。

 

「と……当然のことをしたまでですので」

「そうか。では私はそろそろ行こう。友の仕事の妨げになるのは本意ではない」

 

 ――さようなら、ミィシャ。優しき方よ。

 エルフの麗人はひらひらと手を振ると、フードを被り直して立ち去った。

 

 精神力を使い果たしたミィシャは、膝が崩れるままに床にぺたりと座り込んだ。

 そして、遅れて状況を反芻した。

 

 ――名前を覚えられた? 高貴なお方に?

 もしかして私は今とんでもなく幸運なんじゃ?

 対応もどもりまくったのはともかくとしても完璧じゃない? 都市に来て長いハイエルフであるリヴェリア様なら彼女が頼るに最適だし、【ファミリア】の格としてもオラリオ最高峰、初めに頼るにはこれ以上ないのでは……?

 

 いやでもお忍びで来ているらしいし、実はリヴェリア様を里に連れ戻そうとしている、とかだったらどうしよう!? リヴェリア様に迷惑だろうし【ロキ・ファミリア】全体に不利益だし、もしかしたら準備もままならないままリヴェリア様と鉢合わせたことでイステニアエル様も怒る……?

 あ、あと【ロキ・ファミリア】に連絡しなきゃ! でもなんて伝えればいいんだろう!? ハイエルフだって伝えちゃっていいのかな!?

 

「うわーっ! うわーっ!」

 

 手に負えない! 私の手に負える案件じゃない! 上位職員に引き継ぐべきだったんじゃ!?

 

「ミィシャ! さぼってないでお客さん溜まって」

「うわぁーエイナぁー助けてーっ!? 打ち首! 打ち首だよぉ!?」

「ちょっ、どうしたのミィシャ! またなんかやらかしたの!?」

 

 ……彼女の混乱が落ち着くまでに、ゆうに三十分はかかった。

 

 

 




・ビルド
 Shalore Doombringer
 Category point: Corruption/Wrath, Corruption/Fearfire, Corruption/Heart of Fire, Infusion slot 2
 Prodigies: Legacy of the Naloren, Flexible Combat

 LotNは当然武器を賜ってExotic Weapon Masteryの実行タレントレベルは16。
 後はTimeless & Destroyerで全てを粉砕だ。

 真正面からAthamatonを殴り倒し、Linaniilにも*勝利*できるぞ!

 ToME本編で*勝利*した後Infinity Dungeonを一人潜りまくった想定。
 本編→IDではIDモードに切り替わらない、とかそういうのは気にしないでおこう。


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03 ここは"黄昏の館"

 

 

 

 私は懸念していた言葉の問題がなかったことに安心していた。

 

 そして長年の疑問が一つ解決した。デーモンたちもかつてシェール・タルのファーポータルを使った交易を行っていたらしいが、彼らが言語の壁をどのようにして突破していたのか。

 答えは一つだ。

 

「《多様の宝珠》には言葉の神秘が眠っているらしいな」

 

 このオラリオで使われている共通語(コイネー)を学んだことはないが、私はそれを理解し発音出来ていた。

 ただし言語感覚の根底にあるのは慣れ親しんだエルフ語でもイヤル諸語でもなく、古代シェール・タル語である。

 なにせ共通語とやらも古代シェール・タル語に似た文法を持っているのだ。

 

 恐らく《多様の宝珠》の力の一つに、シェール・タルやイヤルに連なる言葉の変化を補正する働きがあるのだろうと見ている。

 

 というより、神々の言葉こそが古代シェール・タル語なのだろう。

 なにせ彼らシェール・タルは強大なる「絶対神」アマクテルの被造物。言葉もまたかの神から学んだという可能性は十分にあるし、それが神々の共通語であるという可能性も否定はできない。

 

 まぁ、それについてはおいおい文献(ロア)を当たって見ればいい。

 差し当たってそれらを成すために必要なことは、【ファミリア】に籍を置くことだ。

 

 都市の北部、北の目抜き通りから外れた街路沿いの、一番目立つ建物。

 

「分かりやすいな」

 

 周囲の建造物を頭二つ以上抜きん出た、赤銅色の八つの塔群。

 燃え上がる炎を思わせる意匠と、中央塔に立つ道化師の旗。

 黄昏の館、【ロキ・ファミリア】の本拠地(ホーム)

 

 ロキなる神が、理解のある神であればいいが。

 なにせこの身は魔法大禍(スペルブレイズ)の魔力と悪しき炎に蝕まれた、人ならざるものだ。

 加えて言えば、真なる吸命の杖もまた鞄の底に眠っている……。

 

「……まぁ、なるようになるか」

 

 彼らが悪心ある者なら? 杖を欲する者なら? たとえ善良でも心変わりを見せたら?

 燃やし尽くせばいい。今までそうしてきたように。これからもそうする通りに。

 

 そうでないことをただ祈り、私は門番へと声をかけた。

 

 

 

   + + +

 

 

 

「入団希望者?」

「はい。……それが、今しがたギルドから紹介状が来ていまして」

「この時間に、ね」

 

 黄昏の館、北塔の最上階。【ロキ・ファミリア】団長私室。

 フィン・ディムナは手紙を受け取ると、親指をぺろりと舐めた。

 

「神か幹部にだけ見せるよう、とのことでした」

「なるほど、今度の新人は大物のようだね。リヴェリアとガレスを呼んできてくれ」

「はい。……ロキ様は?」

「放っておいても来るさ」

 

 団員が去っていったのを尻目に、フィンは手紙の封を切ってそれに目を通した。

 その目の色が、疑念、驚愕、納得と切り替わった頃に、まずリヴェリアが現れた。

 

「どうしたフィン。何か問題か?」

「ん、問題といえば。リヴェリア、現存するハイエルフの名前は全員覚えているかい?」

「……恐らくは」

「イステニアエルという名前に心当たりは?」

「ない」

 

 リヴェリアは即答し、フィンは一つ頷いて席を勧めた。

 

「……が、ハイエルフ(アールヴ)風だな。何だ、そんな名前のハイエルフでもやってきたか」

「どうもそうらしいんだ。優れた装備をいっぱいに身に帯びてね」

 

 今度はリヴェリアが目を見開いた。

 

「けど、君が知らないハイエルフでそれほどの装備を揃えられる存在がいるとは思えないな」

「……そうだな。一族の子が新たに生まれたのならば、私の耳にも届いているはずだ」

「やはり嘘かな? けど、筋は通っているんだよね。君の知見を聞かせてくれ」

 

 フィンはギルドからの紹介状を手渡すと、リヴェリアは始終怪訝な顔でそれを読み終えた。

 

「……まず第一に、ただのエルフではイステニアエルなどという名前は名乗れん」

「というと、言語の違い?」

「ああ。古エルフ語だ。ハイエルフでも古い者が名に使うくらいのもので、これを学ぶエルフなどほぼおらんよ。少なくとも、相当に造詣の深いエルフであることは間違いない」

 

 その上で、とリヴェリアは手紙を手で弾いた。

 

「ギルドの判断もむべなるかな、だな。駆け出しに不似合いな装備といい、無知さといい、そう考えるのが自然だろう。もし客人に悪意があったとしても、ギルドは無関係だ」

「うん、僕も同意見だ」

 

 フィンは手紙を再度預かると、文面にもう一度目を通す。

 

「すると……不遜にもハイエルフを騙るうつけ者か、悪意あってそうする者か」

「全くの無関係、という説は?」

「件の女がただのエルフで、たまたま優れた装備を身に着け、オラリオにやってきて、ギルドに相談した結果うちを進められたと? ……装備の件がなければ納得した所だがな」

 

 フィンは半秒考えて、言った。

 

「こういうのはどうだい。かつて【ファミリア】に属していた優れたエルフの冒険者がいた。その【ファミリア】は解散してしまい、そのエルフもオラリオを去った。時が経ち、その装備は何も知らぬエルフの娘に受け継がれ、彼女は冒険者を目指した」

「ゼウスとヘラか」

 

 十五年ほど前に【ロキ・ファミリア】によって滅ぼされた二つのファミリアがある。

 フィンの物語には一定の信憑性はあった。逆に言えばその程度でしかない。

 

「面白い筋書きだが、その手の枝葉は何とでも言えてしまうからな……」

「うーん、実を言えば僕もあまり納得していないだよね」

 

 フィンは苦笑して、劇作家には向かなそうだ、と呟いた。

 

「……ところで、ガレスはまだか」

 

 リヴェリアの問いかけに、フィンは外を指差した。

 

「訓練場にいたからね。軽く挨拶を済ませて……そろそろかな?」

「待たせたな、フィン」

「噂をすれば」

 

 フィンの言通り、ぴったりのタイミングでガレスの髭面が現れた。

 いつものように輪になって席に座ると、フィンはすぐさま切り出した。

 

「聞かせてくれ、ガレス。()()()()()()()()()?」

「うむ……率直に言おう。フィン、()()()()()()

 

 渋い顔の返答に、リヴェリアが僅かに動揺した。

 

「……馬鹿な。それほどか」

「純粋な槍の使い手として見るならば……そうじゃな、たかだか四十そこらのひよっこなぞ、比べ物にもならんわい。あのものが果たしてどれほどの修練を積んだのか儂には分からん」

「武芸の極みにあると?」

「極み? いやあ、そんなものはとうの昔に踏み出しておるよ」

 

 見れば分かる、とドワーフは言った。

 

「あれは人ならざる域にある。一つや二つのレベルの壁なんぞ容易に突き崩すじゃろ。間違いなく逸材じゃ。ありゃなんじゃ? 実は神か?」

「入団希望者だよ。ギルドから紹介されてきた、ハイエルフ疑惑がある」

「悩むこたあないじゃろ。――あれを捨て置くようなら【ロキ・ファミリア】はおしまいじゃよ」

 

 それほどか、とリヴェリアは唸った。

 こと戦士としてはガレスもフィンも人類最高峰の腕前だ。

 それをして、技術では上だという。

 

 ガレスは鼻息荒くフィンに迫った。彼女との戦いを夢想しているのだろう。

 

「フィン。お主とうに分かっておるじゃろ。便利な親指はどうした」

「……実を言えば、判断に迷っているのはそれなんだよ」

 

 フィンの口調は軽かったが、表情は深刻だった。

 まるで、ダンジョンの奥地で生死をかけた選択をするときのように。

 

「よく聞いてくれ、ふたりとも。僕の親指はこう言っている」

 

 【ファミリア】の存亡がかかっていると言わんばかりに。

 

()()()()()()()()()()、と」

 

 ……室内を静寂が満たした。

 かつてない。その言葉を使ったのが他の人間であったならば、まだしも笑う余地があった。

 しかしそれを、【ロキ・ファミリア】の団長たる【勇者(ブレイバー)】フィン・ディムナが言うとなれば。

 それは真に、想像しようもない未曾有の危機を意味している。

 

 張り詰めた空気を、しかし霧散させたのはフィンの苦笑だった。

 

「ただまぁ、それはそれとして……僕らの気苦労は徒労かもしれないんだよね」

 

 ああ、とリヴェリアは察した。ガレスも遅れて気付いた。

 

「書いてあったな。見目麗しい女性だと」

「うむ。儂の目にも美女であることは分かったわい」

「となるとさ。我らが主は見逃さないよね」

 

 どたどた、と階段を駆け上がるいつもの足音。

 

「フィ――ン! あの客誰やー! ウチめっちゃ欲しいねんけどあの子ー!!」

 

 ほらね、と肩を竦めるフィン。

 呆れた顔のリヴェリア。ガレスはゲラゲラ笑って髭を撫でた。

 

 部屋に飛び込んできた主神に、フィンは手紙を差し出した。

 

「ロキ。一応、熟考してくれと伝えておくよ」

 

 






・言語について
 ToME4本編にそんな設定はない。
 《多様の宝珠》に翻訳機能はない。もっとも、イヤルの諸種族が使う言語は一つだけである。ハーフリングもオークもドワーフも何故か人と同じ言葉を使う。
 多分シェール・タルのせい。
 イヤルの不思議事象は九割がたシェール・タルのせいだからだ。

・技術について
 通常タレントレベルは5が最大。
 補正込みで実行タレントレベルにしても6.5が普通である。
 一方ナローレ族の秘宝を手にすると実行レベルは最大16になる。三倍。つよい。
 加えてIDモードではレベル10ごとにタレントレベル上限が一つ上がるため、再現なく強化できる。


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04 黄昏の館(2)

 黄昏の館の応接室で僅かの休憩を取っていると――少しといっても、三十分は経っていたようだが――珍しい金髪のハーフリングが現れた。

 

()()()()、【ロキ・ファミリア】へ。団長のフィン・ディムナだ」

 

 よろしく、と金髪のハーフリングが手を差し出した。

 私は僅かに背を屈めてその手を握る。

 

「なんと。団長自らご足労頂き感謝致します」

 

 どう名乗るか少し思案する。

 

 ここまでの道中耳にしたものを総合して、ここがイヤルでないことは確信している。

 なにせ街中に堂々と魔術師がいるのだ。少なくともこの街に魔法使いを忌避する風潮はない。

 生まれはともかく素性くらい公開しても良いだろう。カマをかける意味でも。

 

「私はシャローレのイステニアエルと申します。本日は貴団への入団について……」

「ああ、失礼。そう(へりくだ)らないで欲しい。うちの神様は堅苦しいのが嫌いなんだ」

「……では失礼して」

 

 随分気安い場所だ。規模を見るに団として纏まりがないということもないだろうが。

 一つ咳払いをして仕切り直す。

 

「改めて。まずは、夜分に押しかけた礼儀知らずを責めず、こうして場を設けてくれた懐深き戦士団と、その優れた長に、感謝と御礼を申し上げたい」

「こちらこそ。数ある【ファミリア】の中から貴方がここを訪れた偶然にも感謝しよう」

 

 小人、フィンは気取ったようにそう言った。

 

「ギルドから事情は聞いているよ。紹介を受けてうちに来たということだけど」

「間違いない。右も左も分からぬ田舎者故、頼るものがなくてな。しかし、聞けばここは最大手と言うではないか。駆け出しが取るには不遜だと言うのであれば、おとなしく身を引こう」

「それくらいでなきゃ冒険者は務まらないよ。……うん。大丈夫そうだね」

 

 性根を検められたか、と察する。

 人の輪に新たな人員を迎える以上、人柄は重要な要素だ。

 私は素行を咎められるほどの悪人ではない。口調が大げさなのはシャローレの素だ。

 

「早速だけど、試験させてもらいたい」

 

 試験。まぁ、当然だろう。

 イヤルでも、例えば魔法使いの里アンゴルウェンへの入里には、見習い魔術師の頼みを真摯に聞き、魔法の力を宿したアーティファクトを一つ持ち帰ることが求められる。件の見習い魔術師は実際の所アンゴルウェンの重鎮である。つまりは、人柄と実力と知識を試すものだ。

 反魔の戦士たちジグランスは、悪魔や魔術師たちと争わされるとか。

 

 神の戦士団に入団するのにそれがないわけがない。

 

「ただの恩恵なしであれば、度胸や性根を試すだけなんだけどね。君は心得があるだろう?」

 

 小さく頷く。

 【神の恩恵(ファルナ)】とやらがどれほどのものか分からないが、この館にいる連中の大抵はあしらえるだろう。目の前の男や先程のドワーフともなると、加減をする余裕はなかろうが。

 

「つまりは、君の腕前を見せて欲しい」

「承知した。然程使()()()下級の冒険者への演武ということで相違ないか?」

 

 この男程の戦士が私の力量を見て察せぬとは思えない。

 事実、フィンは小さく頷いた。

 

「ああ、その通りさ。なに――相手は僕が努める。文句は誰にも言わせないよ」

 

 事実として私は強い。そうでなければ生きていけなかったからだ。

 ちらと見た限りでは、オラリオの冒険者の大多数は薙ぎ倒せる。手がかかるとすれば目の前の団長並みの実力者だが――それも、悪しき炎を抜きにしての話。

 

 ただそれを口頭で伝えることほど無意味なことはない。一方で団長自らそれを実演するとなれば、下位構成員から文句は出まい。

 後の反発を削ぐ目的でも、私の実力はきちんと周知されるべきだ。

 

 という事情は抜きにして、武人の血が騒いでいる顔だ。

 やはりハーフリング。物腰柔らかだと思ったが、自信家で精強な男だ。

 

「ありがたい。オラリオ最高峰の戦士、ハーフリングの【勇者(ブレイバー)】の力、実に興味がある」

 

 何より【神の恩恵(ファルナ)】が如何なるものか、計る指標にはもってこいだろう。

 

 お互い、表面上は飄々と言葉を交わしながら、内に秘めた戦意を高め合う。

 彼は甘く優しげな相貌を崩さぬまま、言った。

 

「来てくれ。訓練場まで案内しよう」

 

 

 

 

  + + +

 

 

 

 

『入団試験やるってさ!』

『団長自らって本当?』

『エルフなのに戦士なんだって!』

 

 その噂は館中を駆け巡り、気付けば訓練場は見学者でごった返していた。

 人の輪の中心、この世ならざる鉄――ヴォラタンの兜を身に着けた長身のエルフは、それらを見回して面食らっていた。

 

「女性が多いのだな」

「うちの主神様は女好きでね。男衆は肩身が狭いんだ」

「なるほど。【神の恩恵(ファルナ)】とはそれほどか」

 

 フィンはいつも通り身軽な戦装束(バトルクロス)と軽鎧に身を包み、愛用の黄金の槍《フォルティア・スピア》を後ろ手について体重を預けていた。

 

「えっ、本物使うんすか?」

「団長本気じゃん……大丈夫かな」

「リヴェリアさん呼んできたほうがいい?」

 

 噂話の中で、不機嫌そうに顔を歪める狼人の男が一人いた。

 

「けっ。雑魚にわざわざフィンの野郎が出向くのかよ」

「でったでたベートの高慢ちき、と言いたいトコだけど……」

 

 アマゾネスの少女ティオナは、不思議なものを見る目で銀の麗人を見た。

 

「なんでだろうね」

 

 イステニアエルも己の得物、真鍮の如き赤茶色を示す、美しき三叉槍(トライデント)をだらりと構える。

 明らかに尋常の武器ではないそれを見て、多くの団員が息を呑む。

 

 《レガシー・オブ・ザ・ナローレン》。彼女が、彼女と失われた同胞とを繋ぐ絆の証として、ナーガの王スラスルから賜ったものだ。以来己の手足のように扱ってきた。

 

「似合わねえ得物持ちやがって。身の程を知れってんだよ、雑魚が……」

 

 吐き捨てるベートにうえーっと舌を出しつつも、ティオナも半分は同意見だった。

 武具に頼って戦う者がこの【ファミリア】にふさわしいとは思えない。そしてあの槍に見合うようなレベルを持っているわけもない。

 

 実のところ、彼ら彼女らはただ感じ取れていないだけだった。

 イステニアエルの技法は、無限の迷宮へ消える前にはもう、ある種の極みに達していた。その秘宝に封じられた力を加味してもなお。

 

「ところでアイズはどこ行ったんだよ」

「ダンジョン。そろそろ帰るんじゃない? リヴェリアが様子見に行ってたよ」

 

 そんな上級冒険者たちをよそに、フィンは己を慕う少女に声をかけた。

 

「ティオネ、開始の合図を任せる」

「はい団長! お任せください!」

 

 ティオネがびしっと敬礼して答えた。

 

「団長殿は随分好かれているようだ」

「これでも四十なものでね。年の功さ」

「ふふ……」

 

 ひゅん、と快音。

 トライデントは残像を残してイステニアエルの周囲を薙ぎ払う。

 

「我々の前で年月を説くのはあまりに滑稽だよ、小人殿」

 

 ティオネが珍しく団長への揶揄に反応しなかった事を、【ファミリア】の皆が驚いた。

 それほどに緊迫した空気だった。余計な一言を(さしはさ)む無粋を、誰も好まなかった。

 

「……ならばどうかご教授願いたい。貴方の積み重ねた年月、その結晶を」

 

 フィンが構える。

 イステニアエルはだらりと槍を下げたまま。

 それは東方にて無形の型と呼ばれる、「戦いのための脱力」の構えだ。

 

 緊張の糸が今にも切れそうなほどに強く張り詰める。

 それを、ティオネは鋭く切った。

 

「――はじめッ!」

 

 踏み込んだのはフィン。

 驚異的な速度。下級冒険者の目では到底追えない踏み込みだった。

 狙うは喉元。一撃必殺の刺突が唸る。

 

「おいフィンの野郎ッ!?」

 

 ベートが声を荒げる。

 それは【神の恩恵】を持たない人間に繰り出すには、あまりに致命的だった。

 

 だがそれを、目で追える程度の速さで、イステニアエルは避けた。

 半歩横にずれるだけ。だがその一瞬、持ち上げられた三叉槍の穂先が逆にフィンの喉元を狙っていたことを、殆どの見学者は見抜けない。あっさりとフィンの刺突を躱した銀のエルフは、呆れたように肩を竦めた。

 

「ふむ?」

 

 瞬間、フィンはその場を飛び退いた。

 フィン自身も気付かぬほんの僅かな隙に、二段の突きが滑り込む。

 二度目の刺突を槍の柄で受け流し、フィンは後転して構え直す。

 

「もう少し調子を上げてくれないか、団長殿。飛ぶ蝶と戯れる程度では示しがつかない」

「――素晴らしい。これほどとは!」

 

 三度、擦過音が轟いた。

 金属がこすれ合うだけの音が、まるで嵐のように聞こえた。

 目にも留まらぬ槍の三連を、早業がいなし、二度いなし、三度いなしたのだ。

 

 剛槍が振り下ろされる。岩をも砕き鉄をも断つ渾身の振り下ろしを、イステニアエルはあえて受け止めた。

 衝撃波が吹き荒れる。見学者たちが顔を覆う中、それが四度続いて、鍔迫り合いの格好になった。

 

「なんだ、こりゃあ」

「嘘でしょ、団長が……」

 

 ベートも、ティオナも、当然ティオネも、唖然としてそれを見ていた。

 

 ――力負けしている。

 オラリオでも最高峰のLv.6冒険者が。

 ただの恩恵なしに。

 

「ははっ、それで【神の恩恵】なしだって?」

「神なき大地に育った以上、鍛える物は己しかあるまいよ」

 

 力だけではない。というよりも――力で劣ることは問題ではなかった。

 

 三度の打ち合いの果てに、フィンの頬を穂先が浅くかすめる。

 かと思えば、槍から離れて伸びた手がフィンの腕を打ち、体幹を揺らす。その隙に新たな致命の一撃が繰り出される。繰り返される。止まらない。

 突き出した槍ははじめからそうだったかのように狙いを逸れて、虚空を貫く。

 振り抜いた槍先は何を捉えることもなく、風だけを断って滑りゆく。

 

 ――隔絶した技術の差。それが、厳然として二人の間に横たわっていた。

 

「だが」

 

 一方で、やられてばかりのフィンではない。

 

 技術で負け、力で負け、しかしその機敏さもまた大きく開いていた。即ち、フィンの方が絶対的に()()

 フィンの動きが更にキレを増していくと、イステニアエルに受け損ねが増えていく。だが彼女は鎧を巧みに使い、突きを反らし、刃を受けていた。致命傷どころか傷にすらならないのは明白の、完全な無効打。優れた鎧とそれを使いこなす技量を、重戦士達は見て取った。

 しかしそれは薄氷を踏み歩くそれ。踏み出す足を間違えれば、彼女は容易く死ぬだろう。形勢はここに来て互角――いや、それでもややイステニアエルが上だった。

 

 足を狙う刺突を三叉槍が絡め取り、押さえつけようとした時には反転したフィンの蹴りが飛んでくる。それを手甲でたやすく受け止め、返しに放った拳は空を切る。

 すれ違う最中、フィンが体を回す。旋転する槍先と石突が三度の連撃を形作り、しかしそれはは彼女の影を打つに留まる。振り向きざまに繰り出された三叉槍を背を反らしてやり過ごすと、フィンはそのまま地に手をついてひょいと後ろへ飛び退った。

 

 巧みにすぎる。フィンは内心で舌を巻いた。彼女が手に持つそれは槍ではなく、彼女の体の延長だった。まるで自然に、それが当たり前であるかのような槍捌き。攻防に、全てが自然体。それほどの極致に、どれほどの時間をかければ辿り着けるだろうか。

 

「団長が……技で負けてる」

 

 そんな馬鹿な、とティオネがつぶやく。

 

「あり得ない……」

 

 まるで指先で摘むように、三叉槍の穂先が槍の柄を挟み込んで絡め取る。

 はっとして引いた槍先は、悪魔の手に掴まれたように動かない。

 

 フィンは逆らわず槍を手放し、伏せた。

 翻った三叉槍がフィンの頭上を通過し――それと同時に、フィンの黄金の槍を弾き飛ばしていた。

 

「団長っ!?」

「いや、(ちげ)ぇ!」

 

 だがフィンはすでに、イステニアエルの懐の内。

 槍の機能しない超至近距離(インファイト)。力負けすると言ってもフィンの力はかの戦士と大差なく、その拳は人を一人打ちのめすには十分だ。

 この距離なら、速度で勝るフィンが有利だ。衝撃を鎧の奥に徹すくらいわけはない。

 フィンは裂帛の気合と共に短く拳を突き出した。

 

「シィッ――!」

「ちっ――!」

 

 イステニアエルはその衝撃に逆らわず、ふわりと地を蹴って後ろへ飛んだ。

 フィンが離れていく距離を詰めようとしたその先に、引き絞られた三叉槍。追撃は即ち死。

 

 見てくれは、イステニアエルが一撃を貰った格好――しかし実態は、フィンが体よく獲物を逃した形。

 

 距離と共に、戦いの中に間が空いた。

 

 けほ、とイステニアエルは小さく咳をし、次いでにやりと笑う。

 落ちてくる愛槍を片手で受け止め、フィンも、楽しそうに笑った。

 お互いに、これ以上は千日手だと悟っていた。

 

「中々昂ぶってきたようだが――まだ先があるだろう、団長殿」

「それは、お互い様じゃあないか?」

「違いない」

 

 お互いにくつくつと笑い合う。

 試験だとか、様子見だとか、使命だとか、隠すべき業だとか、そういったものは二人の頭の中から全て吹き飛んでいた。

 

 目の前の戦士を打倒したい。

 その一心だけで、二人は通じ合っていた。

 だから同じように、隠していたものを公にした。

 

「恐怖の大地の土は我が手に」

「【魔槍よ、血を捧げし我が額を穿て】」

 

 その言葉と共に。

 イステニアエルの手に、不浄の炎が灯った。

 フィンの左手に、赤い魔性の光が宿った。

 

 いま一時。勝利のために、恐れるべき力を解き放つ。

 

「アーロックの炎よ――」

「【ヘル――」

 

 

「――お前たちそこまでだッ!」

 

 

 と。

 静止の叫びで我に返った二人は、顔を見合わせ、ついで周囲を見回した。

 

 あれほどいた見学者がいない。いや、皆蜘蛛の子を散らすように逃げていた。残っているのは一級冒険者ばかり。理性を失う【ヘル・フィネガス】に巻き込まれるのを恐れてだ。

 

 お互いにもう一度顔を見合わせ、どちらからともなく、力なく笑った。

 

「あー……やりすぎたね」

「……うむ、やりすぎたな」

「やり過ぎだ馬鹿者共! 館を崩壊させる気か!」

 

 リヴェリアが防御魔法を用意するほどの状況だった。

 あれがなければ危なかったな、とイステニアエルは他人事のように考えた。

 

「特にフィン! 試験官が率先して試験を放棄するなっ!」

「悪かったよ、リヴェリア。でも仕方ない事だったんだ」

「仕方がないで理性を捨てようとするな……」

 

 リヴェリアは眉間をもみほぐすと、次にエルフの戦士に向き直る。

 

「貴女も、館の内部で炎を扱うのはやめていただきたい」

「面目ない」

 

 イステニアエルは兜を取ると、三叉槍を地につき、肩に預けた。

 お互いに構えを解けば、先程までの緊迫した空気は霧散していた。

 

「団長殿、演武はこれにて終了……で構わないかな」

「仕方ないね。我らが母上殿がお冠だから」

「誰が母だ、誰が」

 

 団の苦労人はその豊かな緑髪を払って、鼻を鳴らした。

 イステニアエルはそれを見て、()()()()()()()()()()()()()()、と思った。

 

「自制の聞かぬ愚かな子供たちの暴挙を止めた、賢しき我が同胞よ。私はイステニアエル。貴女の名をお聞かせ願えるだろうか」

 

 その言葉を受けて、フィンの瞳が細まる。

 

「……うちの副団長さ。リヴェリア、自己紹介を」

「リヴェリア・リヨス・アールヴ。()()()()()()。よろしく頼む」

 

 王族たるリヴェリアを知らないエルフはいない。少なくともオラリオにはいない。また地位の高いエルフであればハイエルフを知らないはずがない。カマをかけるような一言。

 

 果たして、イステニアエルは驚愕に目を見開いた。

 

「ハイエルフ……アローレ? 『最初に目覚めしアーテリア』の?」

「……フィン。厄介なことになってきたぞ」

 

 リヴェリアは難しい顔をした。

 偽るでもごまかすでもなく、より厄介なことに、真実を語っていたからだ。

 

「それはハイエルフしか知らぬ物語だ。何故貴女が知っている?」

 

 だがリヴェリアの問いを、イステニアエルは震える手で制した。

 そして、抜け切らない驚愕を押し殺しながら、彼女は問いかけた。

 

「すまない、先に……聞かせてくれ。アローレは()()()()はずだ。貴女は、森に帰化したもの(タローレ)でも、魔に侵されたもの(シャローレ)でも、海に沈んだもの(ナローレ)でもない、分かたれる前のもの……そうなのか?」

「……どうやら、我らの客人は随分と遠くからやってきたようだね」

 

 先の「神無き大地に育った」という彼女の言葉を思い出したフィンの脳裏に、ふと荒唐無稽な想像がよぎった。

 一方のリヴェリアは険しい顔で髪を指で弄び、数秒思案した。

 

「……やむを得まい。ロキ」

「お、もうええか?」

 

 そして、訓練場の入り口から、ひょこっと朱色の髪が躍り出た。

 

 夕焼けの赤を示す髪色と、ほっそりとした姿。耳が長ければエルフにも見えただろう。特徴的な細目を気安くほころばせたその存在は、しかしやはり、イステニアエルを驚愕させるに足るものだった。

 

 超越存在(デウスデア)の持つ、神の気配……神威。

 人の上にあるもの。創造主達。

 逆らえぬ。ともすれば人と何ら変わらぬ気安さでそこにいるのに。

 

 ただそこにあるだけで頭を垂れねばならぬと魂が感じている。

 

 これが……神。

 

 イステニアエルは瞠目した。ある種、感動した。

 そして決意を深めた。

 

 イヤルの大地に神は居ない。全て殺された。シェール・タルによって。

 彼らは創造主すらも討滅し、その神秘を我がものとしたのだ。

 

 

 これほどの存在を討ち滅ぼすものなど、あってはならない。

 

 

「――とりあえず、試験は合格や。文句あらへんやろ、ベート?」

「……けっ」

 

 ふとすると、神はイステニアエルの目の前に立ち、その相貌を覗き込んでいた。

 狼人はそっぽを向いた。彼なりの肯定であることは、【ファミリア】の誰もが知っていた。

 

「うん、ええわ。きれーでイケメン! ヅカ系やな。うちにはおらんタイプや。性格も善良。んでもって実力はフィン並となればそら申し分ないわ」

「ロキ、彼女の言葉に嘘は?」

「ないで」

 

 見透かされている。イステニアエルは気付いた。

 神の目を前にして、人の子の言葉だけの繕いなどは意味を成さない。

 知らず、手が震えるのを感じていた。

 

 彼らは皆、日々これほどの存在に仕えているのか?

 驚愕や羨望、疑念、興味、それらが次々沸き起こっては泡のように消えていく。

 デーモンたちにまた一つ共感する。神に仕える彼らがあれほどに献身的な理由が理解できた。

 

 私はこの超越存在の【眷属】になるのか?

 ……なっていいのか?

 

「でもな、手放しに受け入れられん理由ができてもうたわ」

 

 ――いや、なれるわけがない。

 何故なら、この身は……。

 

「おいワレ――その炎、一体どこで手に入れた?」

 

 悪しき力に染まっているのだから。

 

 

 




・格闘
 Prodigy「Flexible Combat」による格闘追加攻撃。
 威力は篭手装備依存だが純粋に手数が増えて強い。

・詠唱
 原作にはないので、デーモン類、特にファイアインプなどのLoreを参考にした。

・ロキへの反応
 イヤル人は信仰を持たない。何故なら神は殺されているからだ。
 そのためオラリオの人間と比べて格段に神威に弱い。


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05 黄昏の館(3)

 中央塔の最上階、【ファミリア】の主神ロキの私室にて。

 

「ほな、聞かせてもらおうか。お前さんの事情」

 

 ロキ、フィン、リヴェリア、ガレス。

 【ロキ・ファミリア】の幹部に挟まれて、イステニアエルは椅子に腰を下ろした。

 もっとも、ガレスはフィンに手合わせを抜け駆けされた件で不満げにしていた。

 

「特にその、不浄の炎」

 

 どの道隠し通せるものではない。

 イステニアエルは小さく頷いて、頭の中で話をまとめた。

 

「長い話に……なるでしょう。よろしいでしょうか」

「かまへんで」

「……恐らくすでにお察しかと思いますが、私が生まれた大地は、名をイヤル(Eyal)と言います」

 

 ロキの細い瞳が、ぎろりと開く。

 

「イヤルの事情はご存知かと思いますが」

「……神の血で濡れた大地やな」

 

 幹部二人がぎょっとして目を剥く。

 

「その通りです。かつてイヤルを支配した種族……シェール・タルの手によって、イヤルに降り立った神々はことごとく(しい)されました」

「待て。……待て。シェール・タルだと?」

 

 リヴェリアの問いかけに、イヤルの戦士は重々しく頷いた。

 

「そのシェール・タルなのだ、始まりの一族の方。『最初に目覚めしアーテリア』の物語にある、彼らのことだ」

「あれは……ハイエルフの中では禁忌の一つだ。とくにその後半の二節は。草の根を分けてでも神々を見つけ出し、その全てを葬った、強大な種族など……要るわけがない。神への不敬だとして禁書とされたのだが」

「リヴェリア。ガチやでそれ」

 

 ロキの言葉に、リヴェリアは目を覆った。

 

「……シェール・タルっちゅうんは、神ん中でも恐れられる伝説や。神殺しだけなら、例は他にもあんねん。けどなあ、あいつらが殺した相手は……絶対神やからな……」

「ロキ、その絶対神というのはなんだい?」

 

 フィンの言葉に、ロキは眉根を寄せた。

 

「文字通りやで。ある神のグループの中でも頂点に君臨する、力ある神」

「ようは主神かい? ゼウスのように」

「ああ……必ずそうとも限らんが、概ねはな。神の中の王、支配者、とでも覚えとき」

 

 ロキはそこで一息つく。

 

「シェール・タルは、あくまで子や。せやけど、絶対神アマクテルがイヤルを支配するために生み出した子でもある。だから《神の力(アルカナム)》を与えられとった」

「……原初、イヤルは小さな神々が争い合う荒れ果てた大地だった。大いなるアマクテルが現れ、太陽を創造するまでは、常夜を戦火が照らす世界だったという」

「あー……領土紛争やな。イヤルの支配権争ってたんよ。白紙の土地やったからな」

 

 うちらはもう領地あったから関わらんかったけど、とロキはいい、イステニアエルは頷いた。

 

「けどあいつら……シェール・タルは与えられた《神の力(アルカナム)》をどんどん改良してった。空間を歪めるポータル、堅牢な浮遊城塞、そびえ立つ水晶の塔、想像を絶する魔法。そしてそいつで神々に()()()()()戦いを挑んで――ぶち殺しまくった」

 

 神を殺す九つの武器と、それを手にした九人の戦士。

 シェール・タルの英雄を旗印に、彼らは大戦争を繰り広げた。

 アマクテルの意思のもとに。

 

「むちゃくちゃやろ。未だにわけが分からん。何をどうしたら《神の力(アルカナム)》全開の神を()()できんねん。……何にせよ、そいつらは殺した。一柱も残さず、逃げる神を追いかけて、イヤルにいる全ての神をぶち殺して、ぶち殺して、ぶち殺して……イヤルをとうとう平定しよった」

 

 ロキに視線で促され、イステニアエルは後を引き継いだ。

 そして思い出す。要塞イールクガールに残された絵画たちを。

 

「だが……神はまだ一柱だけ残っていた」

 

 彼らを駆り立てたものはなんだったのだろう。

 イステニアエルは未だに思う。支配から脱するためだろうか。

 それとも、それすらもアマクテルの手の内だったのではないか。

 

「アマクテルはシェール・タルを作ったとき、彼らにこう言ったとされている。『光射す所に赴き、すべてを手に入れよ』と。彼らはそうした。忠実にそうした。すべての神を狩り殺し、太陽の光の届く全てを手に納め、そして最後に、光そのものを見た」

「……アマクテルそのものを、かい?」

「そうだ。彼らは原初の使命に忠実に、すべてを手に入れようとした。父たる絶対神すら」

 

 フィンの言葉を、イステニアエルは肯定した。

 

 戦いは熾烈を極めた。おびただしい数の死体で、アマクテルの玉座は埋まった。

 その果てに、シェール・タルはアマクテルを討ち滅ぼした。

 

「彼らは後年、それを「大いなる過ち」と呼んだ。事実、その後繁栄を極めたはずのシェール・タルは唐突に滅んだ。何があったかは誰も知らない。ただシェール・タルは失せた。イヤルには彼らの建造物と魔法の力が残り、その栄華の痕跡を発掘し……人の時代が幕を開けた。もうイヤルの誰も知らぬ神話だが」

「……なんとも、信じがたい話じゃな」

 

 ガレスはロキの顔を見た。無言のそれは肯定だった。

 ドワーフは髭を撫でながら困ったように笑った。

 

「ううむ。おとぎ話を聞かされている気分じゃわい」

「そうかい? 少なくとも僕は一つ、納得した事があるよ」

 

 頷いて、リヴェリアがそれをロキに放った。

 

「ロキ、これが神々が下界で《神の力(アルカナム)》の使用を固く禁ずる理由なのだな?」

「……せやで。ホントは黙っとかなあかんねんけど、まぁしゃあないやろ」

 

 ロキはばりばりと頭を掻いて、観念したように言った。

 

「子っちゅうんは、なんぼでも成長していきよる。(ひと)(かみ)の手を離れていくのは自然なことや。今まで幾つもの世界がそうなった。……けどな、《神の力》はその成長を歪めてまうねん」

「確かに、親殺しは、健全な形ではないね」

 

 ロキは頷く。

 

 強大な《神の力》を与えられたシェール・タルの末路を思えば、それは正しいと言わざるを得なかった。神の手で推し進められた発展は、神にすらも牙を剥きかねない。

 

「シェール・タルは、神より授かった「ものごとを実現する力」を魔法(アーケイン)と呼んだ。語源は恐らくアルカナムと同義だろう。魔法の力は、その後も度々イヤルを揺るがした……他の世界がそれを反面としたのも頷ける話だ」

 

 イステニアエルはそこで目を閉じ、一度深く深呼吸した。

 そして、鞄を引き寄せた。震えながら。

 

「以上の話は前置きです……ロキ神。あなた様の善性を信じ、私の使命をお伝えします」

 

 ロキは深く息を吐いた。

 

「厄介ごとの核心ってわけやな。……フィン」

「分かった。外にいるよ」

「ああ。人間に聞かせてええ話とちゃうやろ?」

「お心遣いに感謝致します、神よ」

 

 三人の幹部が部屋を出たのを確認してから、イヤルのエルフは鞄の奥から包みを取り出した。

 包みは精巧な技術で作られた外套だった。

 

「……反魔の力? おい、まさか」

「御察しの通りです。それが私の旅の目的なのです」

 

 包みを解かれたそこにあるのは――渦を纏う杖。

 

「嘘やろ」

 

 万物を吸い込むかのような魔力の渦があった。

 黒紫に輝く杖がそれを生んでいた。

 全てを飲み込むかのように、それは渦巻いていた。

 

「シェール・タルの九つの神滅具。神殺しの戦士の長が担った杖。絶対神アマクテルの命すらも奪った、《吸命の杖(ロッド・オブ・アブソープション)》」

 

 イステニアエルの目が、強くロキの瞳を突き刺した。

 

「私は、これを葬るために旅をしています」

 

 反魔の力を宿した外套でそれが隠れるまで、ロキの目には明らかな恐怖と動揺があった。

 

 彼女がそれをしようとすれば、ロキは死ぬのだ。

 天界への送還は叶わない。全てを奪われて消滅する。

 

 打撃具や魔法の焦点具として使っても一級だが、真の力はその吸収の力にある。

 それを真に解放すれば、形あるものは魔力と生命の全てを奪い取られて死に至る。

 

 それはそういう代物だった。

 この世界を文字通りひっくり返すほどの、呪われた杖だった。

 

「無限の迷宮を行く幾星霜の旅の果て、ポータルの導きによって、私はこの地へと流れ着きました。私は不和も混乱も望みません。この力ある杖は、その始まりからして血に塗れた、世界を容易く滅ぼすものです。――私は、私の身命の全てを賭して、世界の危機を葬らねばなりません」

 

 僅かでもまともな、強大な力の誘惑に耐えうる担い手の下にあるうちに。

 

 意思の強く高潔な存在がこれを持っていることを、ロキは運命の神に感謝したい程だった。

 悪人が手に持てばどうなるか分からなかった。世界の危機では済まないだろう。

 

「なるほど……なぁ」

 

 イステニアエルの言葉に嘘はなかった。むしろ強すぎる程に真だった。

 本心から、彼女は命を捧げるつもりだということがロキにはよく分かった。

 

「……一つ確認しとくで。お前は幾星霜っちゅうたが、ウチの知る限り、イヤルの神々の争いがあったのは一万年とちょっとの前や」

 

 イステニアエルは静かに瞑目した。

 一万年。それは己の知識と比べるとややおかしい。旅に出る前と変わらない。

 ……何千年もの間迷宮を歩いていたはずなのに。

 

「お前さんがどこを抜けて来たんかは知らへん。ただ……その旅は、時間的には僅かな間やと思う。せやけど、それやと説明がつかんもんがある」

 

 ロキはどこか身を案じるようにその糸目を傾けた。

 

「不浄の炎に蝕まれた体と、見て分かる程の【経験値(エクセリア)】の量――お前さん、一体どんだけの間戦い続けたんや」

 

 

 

 

 + + + 

 

 

 

 

 正確な数字は分からなかった。何階層潜ったかも知らない。

 石室で過ごした時間は、思えばそれまでの人生よりも長かったかもしれない。

 

「そうか……無為だったか、私の旅路は」

 

 知らず、つぶやきが漏れた。

 

 孤独な旅路の、永遠を思わせた苦難は、時の彼方へ向かうための旅路だった。

 その全てが無為だった。何千年の旅路が……。

 それはきっと、とてもつらいことだと思う。

 

 ――あまりにあっさりと受け入れていたので、そうと思い当たることがなかった。

 目を開けた時には、平然と答えを出せた。

 

「千年では効かないでしょう。詳しい所は私にも分かりません」

 

 感慨もないし、無力感も焦燥もない。

 ダメだったなら次に行けばいいのだ。

 とうの昔に覚悟は済ませた。数千年の徒労など、苦でもない。

 

「千年って、おま……」

「元よりシャローレは皆、移ろいゆく世界の中で終わりなき生の過ごし方を学ぶものです。私はたまたまそれが旅と戦いだったというだけのこと」

 

 そこまで語って、この世界にシャローレはいないのだということを思い出す。

 そうだ。この世界にシェール・タルはおらず、したがって魔法大禍(スペルブレイズ)も起きていない。

 シャローレという種族の罪も、我らの宿す「恵み」も、かの神は知らないのだ。

 

「神よ。卑しくも我らシャローレは――寿()()()()()()のです」

 

 ロキ神の瞳が、今度は驚きに開いていた。

 

 シャローレは寿命を持たない。

 久遠の恵み、即ち寿命を克服する程の強大な魔力を持って生まれたエルフなのだ。

 

「だから、どうかお気になさらないでください。杖を葬れぬとあれば、時の最果てまで一人、これを抱えて行きましょう。全てが朽ち果て、万物が眠る久遠の闇の深くまで」

 

 うつろわぬものたる我が身に、時は意味を成さない。

 魂は石に成り果てた。この全ては、終わらせるためにある。

 

 神の細い手が握りしめられ、震え始めた。

 当然だ。思えば私は明らかに不遜な存在であった。

 不浄の炎を身に纏い、神殺しの魔具を帯びる、永遠の命を持つ生命。

 そんなものを、神が認めるとは思えない。

 

 悪しき神ではない。戦いになることはないだろう。

 助力を得られぬなら去るしかない。また別の、信頼できる神を探そう。

 

「……そうか」

 

 ロキ神の細い瞳が、私を見る。

 それは、ともすれば泣き出しそうにも見えた。

 その表情一つで、何を思っているのかよく分かった。

 

「分かった。お前さんの事情は、よく分かった」

 

 ……ああ、と私は心中嘆息した。

 

 イヤルに神がいないことを、今更に嘆いた。

 シェール・タルというものがどれほど罪深い種族だったのか、今にして理解する。

 デーモンたちの不可解な団結と献身も、今になれば共感できた。

 

「うちに来い、イステニアエル。《吸命の杖》とかは関係あらへん」

 

 

 握りしめた拳は、私の負った苦難へ向けられたものではないか。

 

 

「――うちはお前さんを一人にはせえへんから」

 

 

 神の慈悲を目の当たりにして、私はただ頭を垂れることしかできなかった。

 

 

 

 

 + + +

 

 

 

 

 観測外のポータル反応を検知し、これを追った我らは、暗い地の底に至った。

 転移と掘削を駆使して地上へ進出し、そして理解したのだ。

 

 ここには憎むべきシェール・タルの残滓たちがある。

 滅ぼすべき大悪の末裔は、こんな所にも根を生やしていたのだ。

 憎悪が滾り、憤怒が渦巻いた。

 そしてそれらが神の意思にて冷え固まり、我らは慈悲なき団結を強固にした。

 

 我らは一度地底へと戻っている。

 我らが転移したかの地点は、面白い反応を見せている。

 地底には野蛮で低能な生物たちが土から生まれてくるが、これにはある種の意図を感じる。

 詳しくは添付資料を参照されたし。

 

 この世界の魔法も興味を引く。何より、神に類する存在がある。

 力を振るうでもなくこの地にいるのだ。

 彼らが何者で、この地が何なのか、引き続き調査を続けねばならない。

 

 クアシトたちは地底に野営地を建設中だ。

 地底には今のところ知性体は我らしかおらず、隠密行動には適している。

 また、この周囲から生まれる下等生物の支配実験を試みている。

 これにはウルイヴェラスの生成手順を応用できた。

 経過観察中だが、見る限り好感触だ。ウルイヴェラスより御しやすいものもある。

 良好な結果が得られた場合、検体を幾つかそちらへと送る。

 逆に緑の子らを送っていただきたい。

 

 以上を持って経過報告を終了する。

 同胞よ、大いなるアーロックの意思のままに!

 




・リヴェリアへの態度
 イヤルにハイエルフはいないので、普通に同胞と接する態度。
 もっとも王族だと知らないせいでもある。


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06 黄昏の館(4)

思いついた勢いで書き留めて予約投稿設定したはいいものの、ToMEは1.5までのことしか分からんしFobbiden Cultsもやってないし、ダンまちも15巻読んでないし、ソード・オラトリアも……という事情からやっぱやめ! と非公開にしたはずが、なぜか公開されていてアッチョンブリケのマーリンの髭! なんもかんも全部シェール・タルが悪い。

とはいえちらっと日間の下の方に乗ったりしたらしいので続けます。



 同日夜。

 夕食を前に、ロキは今いる【ファミリア】のメンバーを全員食堂に集めた。

 何の用かと訝しむものと、先刻の一件を目にしているものとで意見が飛び交い、奇妙な熱気が生まれていた。

 ロキは即席のお立ち台に登ると、声を張り上げた。

 

「はいみんなちゅーもーく!」

 

 ぴたりとささやき声が止まり、団員の視線が主神に集まる。

 

「うし。もう気付いとる奴もおるやろけど、今日集まって貰ったのは他でもない、新しい仲間(かぞく)についてや」

 

 驚愕と納得と、興味などでざわめきが一つ。

 ロキはそれが静まるまで待ってから、食堂の外へ手招きした。

 

「早速紹介すんで。……ほな入ってきてー!」

「承知した」

 

 主の呼び声と共に彼女が入室すると、またざわめきが起こった。

 一級品の鎧で身を固め、三叉槍を背負った、美しいエルフの女性だったからだ。

 

L()v().()6()()()()()イステニアエルだ。故あってオラリオの外にいたが、この度……ギルドの紹介と、ロキ神の慈悲によって、この【ファミリア】に入団することとなった」

 

 よろしく頼む、と銀のエルフは小さく頭を下げた。

 

 

 

 

 

「ま、Lv.6になるやろなあ……」

 

 ロキはそう言った。

 旅の目的を明かした後。再び戻ってきた三人を合わせて、一同は大概的な言い訳のすり合わせをしていた。【神の恩恵(ファルナ)】なしでもフィンに匹敵する冒険者だ、何かしらそれらしい事情を用意しないと怪しまれる。イステニアエルの事情は探られるとあまりに痛いものだ。

 

「フィンと打ち合って有利を取るとなると、実力的にはのう……」

「しかしとなると知らない者がいるのは……Lv.5なら多少はごまかしも効くのではないか?」

 

 イステニアエルは首を傾げた。

 

「レベルというのは【神の恩恵(ファルナ)】の位階を定量的に呼んだ言葉か?」

「概ねはそうだ。レベル一つの差は絶大でな」

「ふむ……私が団長殿と同等の実力者だと喧伝する必要はない。妥当ではないかと思う」

「一度事情があって故郷の森へ帰っていたことにするか。外から入ってきたことは知られているだろうし、私が多少捏造をねじ込む余地もある」

「そいつぁ無理があるじゃろう。上級冒険者である説明がつかんぞ」

「なら、その間に【ファミリア】が解散してしまったということにしてしまおう」

「先程の話か?」

「そういうことだよ、リヴェリア」

 

 結論付けられていく話の流れを一度遮り、フィンはロキに言った。

 

「とはいえ、この場はそれで収まっても、遅かれ早かれだと思うよ?」

「まぁ、何はなくとも神会(デナトゥス)でモメるやろうな……ま、うちはアイズたんで慣れとるし。気にせんとき」

「ギルドは?」

「情報詐称についてはちゃーんと筋を通すわ――ウラノスに事情を伝えて許可を取んで。そういう案件やからな……」

 

 ロキはこれから待ち受ける苦労に嫌そうな顔をしつつもそう言った。

 

「なら、僕に異論はない。あれほど強ければ名が実に追いつくのもすぐだろう」

「苦労かけんなぁ、フィン」

「新たな団員のためとあれば、苦にもならないさ」

 

 方針が固まったことで、誰ともなく頷き合う。

 ロキは微笑み、イステニアエルに手を差し伸べた。

 

「改めて言おか。【ロキ・ファミリア】へようこそ、イステニアエル」

 

 イステニアエルは跪いてその手を取った。

 

「至上の光栄にございます、神よ」

「けどな、そういう堅苦しいのはやめにせえ」

 

 というと、イステニアエルは面食らった。

 

「今日からお前はうちらの家族や。家族同士では敬語は使わへんやろ?」

「しかし、天上の御方々を前に……」

「嫌なら【ファミリア】入れてやらんで。ほら、立ちぃや」

 

 子供のような事を言うロキに、イステニアエルは困ったように眉根を寄せた。

 

「……分かった。これからよろしく頼む、世界で最も人に気安い神よ」

「おう、それでええねん。よろしゅうな」

 

 渋々という形で立ち上がると、ロキはがっしりと握手してその手を振り回した。

 そしてばんばん背中を叩いた後、横の三人にも向き直らせた。

 

「フィン・ディムナだ。よろしく、異界の英雄」

「リヴェリア・リヨス・アールヴだ。遠き大地の同胞と轡を並べる幸運を喜ぼう」

「ガレス・ランドロックじゃ。いけ好かないこちらのと違って、快きエルフだとありがたいのお」

 

 イステニアエルは照れくさそうに一度視線を反らし、すぐに真面目な顔を作り直した。

 

「イステニアエルだ。親しいものは私をイストか、イステニアと呼ぶ。皆もそうしてくれ」

 

 そしてロキに振り返ると、ロキは細目を楽しげに曲げて、ぐっと親指を立ててみせた。

 

「がはは! いやまったく珍妙な話じゃったが、ともあれこれで儂らは一蓮托生じゃ。ついてはイスト、儂ともこれから手合わせ願えぬかの?」

「ガレス……その前に団員への布告と紹介が先だ」

「ああ、それで思い出した。最後に一ついいかい」

 

 フィンは不敵に笑った。

 

「別に僕が不利になった覚えはないよ。あの試合も、僕が勝ったからね」

「そうか。ならば今度証明して見せてくれ」

 

 にやりと、楽しそうにイステニアエルは笑って言った。

 リヴェリアは深くため息を付いた。

 

 

 

 

 そんなやり取りの後、半時もせずに面通しが始まったのだった。

 イステニアエルは団員の統制に感心していた。

 

「身内に不幸があってな。数十年ほど前から故郷に帰っていたのだが……その間に【ファミリア】が解散してしまってな。途方に暮れていた所を、ロキ神に誘われた形になる」

 

 ここ数十年で解散した、上級冒険者を擁するような大型【ファミリア】となれば二つだ。

 つまり、現在のオラリオの最大勢力、ロキ・フレイヤ両ファミリアに攻め落とされた、【ゼウス・ファミリア】と【ヘラ・ファミリア】。

 皆一様に事情を察し、その様子を見てからイステニアエルは微笑んだ。

 

「戦いは無情なものだ。故に、血を流した者だけが口を開くことを許される……」

「別に引け目とかは感じんでええ。イストも感じてへんからな」

 

 それらしい事情を匂わせて詮索を避ける。

 実際探られればボロの出る話なので、都合のいいカバーストーリーだ。

 

 リヴェリアが言った通り、この手の作り話はどうとでも言えるものである。

 だから多少の信憑性さえあれば、「素性不明」を「訳あり」にするのは簡単なことだ。

 イステニアエルの嘘を嘘と思わせぬ堂々とした振る舞いもそれに拍車をかけた。

 

「実力は……夕方見てた奴は知っとると思うけど。フィンやガレスと同等の前衛やな」

 

 今度は、ざわめきの代わりに奇妙な静寂が巻き起こった。

 そう簡単に言われても信じがたい話だった。団の最古参に匹敵する前衛などそうはいない。だが一方で、夕方の立ち合いを見ている冒険者たちは納得していた。

 フィンが何も言わないことが、帰ってその言葉の真実味を増していた。

 

 その中で、当然一人の少女が声をあげる。

 

「私とは?」

 

 【ロキ・ファミリア】四人目のLv.6冒険者、【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタインである。

 ロキはフィンを一瞥し、フィンは数秒空を見つめた。

 

「……武器の扱いだけならアイズの負けかな」

 

 アイズの目が輝いたのを見て、フィンは失敗したかなと頬を掻いた。

 

「はいはい、そろそろ進めてええか?」

 

 ロキはぱんぱんと手を叩いた。

 

「突然自分よりレベルの高いやつが出てきて、思うトコがあるのは分かる。けどな、これからは同じ【ファミリア】の仲間や。仲良うしたってな。頼むで?」

 

 団員の反応はまばらだった。反発はほとんどなく、戸惑いが多分にあった。

 普段であれば新人を歓迎する所だろうが、何分今回は突発的で、かつ例外的なケースである。受け入れるのに時間がかかっているようだった。

 だが有耶無耶のまま飲み込ませるというのが幹部たちの考えだ。

 リヴェリアが事務連絡を補足する。

 

「当面は上級冒険者として行動することになるが、団内での扱いは新人と同等とする。つまりお前たちが先輩だ。立場は複雑だが、詳細は追って伝える」

「だってさベート。いびったらボコられるよ?」

「黙っとけ。強者に吠えるほど落ちぶれてねぇ」

「うっし以上! 他なんかあるやつおるか?」

 

 反応がないことを確認してから、ロキは大きく頷き、両手を広げた。

 

「よーし、ほんじゃ新しい仲間の加入祝いも兼ねて、お待ちかねの晩メシや!」

 

 

 

 

「はいはい! イステニアさん、エルフなのに戦士なんですか?」

「ああ。……そうおかしなことだろうか? 確かにエルフの多くは術師に向くが……」

「団長と筋力勝負で勝ってたが……どうやったんだ?」

「鍛えただけだよ。鍛錬の前には種の垣根など無意味だ」

「どんな魔法が使えるの!?」

「うーむ……近接戦闘が主で、大規模な破壊魔法は使えない」

「だ、団長と戦ったって本当なんですね……」

「ああ。強いな、君たちの……いや我らの団長は。実にいい戦士だった」

 

 イステニアエルは大人気だった。……女性に。

 

 男性的な鋭さと女性的な柔らかな態度が綯い交ぜになった、中性的な美貌だ。

 声も女性にしては低めで、よく通る甘い声をしている。

 どこか浮世離れした超然とした雰囲気やエルフ特有の年季、何より本人の振る舞いもあって、ミーハーの気がある女性たちは早々に彼女に気を許していた。

 

 ロキは「やはりヅカ系」「どんどんオチとくやんけ……」など天界の言葉で評している。

 イステニアエルに夢中でガードの甘い女子たちをローアングルで眺める姿も含めて神としての威厳は皆無だが、幸か不幸か人影に隠れてイステニアエルには見えていない。代わりにリヴェリアがゴミを見る目で見ていた。

 

「ここはいつも皆で食事を摂るのか?」

「そうそう。ロキの方針でね。居るもん全員で食うーっていって聞かないから」

「さっきみたいに、簡単な集会も兼ねてるみたいですよ」

「なるほど。よい神だな、あの方は」

「えーイステニアさん騙されてるよ! しょっちゅう女の子の体触ってくる変態だよ!?」

「団員困らせるのが生きがいみたいな神だからな、気をつけろよ」

「ねー。……あっこら、覗くな変態!?」

「うわっ噂をすれば!」

「おわー何やねんあかんてバラしたら! イストたんに勘違いされてまうやろ!」

 

 異邦のエルフは引きつった笑みを浮かべた。

 

「……ははあ、なるほど? どうも私は神というものを勘違いしていたのかな……」

「あかん、引かれとる! そんな目せんといて? さっきみたいにきらきらした目見せて?」

「イストさん、ロキが馬鹿やったらぶん殴っても大丈夫だからね!」

「あー……私が引き取ろう」

 

 リヴェリアが脳みそを虫に食われているかのように頭を押さえて、ロキの首根っこを掴んで引き剥がした。「殺生なー!」と必死に姿勢を落とすロキを、団員たちはスカートを押さえながら追い払う。暴挙に耐えかねたついにリヴェリアが拳を振り下ろして黙らせた。

 

「同胞よ、すまないな……こんな神で……」

「いや……苦労しているな、リヴェリア殿」

 

 イステニアエルは控えめに労いの言葉をかけるだけに留めた。

 団旗のように道化を演じているだけだと思いたいが、残念なことにそうは見えなかった。

 

「ちょっといいかしら?」

「あ、ティオネさん。アイズさんも。どうぞどうぞ! じゃーねイストさん!」

 

 頭にたんこぶを作ったロキが引きずられて退室していった後に、入れ替わるように四人の少女がやってきた。団員たちはまたねと言い残して去っていった。

 どうも上級の冒険者らしい。イステニアエルは彼女たちの顔を覚えようと顔を巡らせた。

 

 褐色の肌に黒い髪……イヤルでは珍しい人種の、姉妹と思しき少女たち。

 金の髪のまばゆく、そして瞳に危険な色を宿した、おそらくは只人ならざる少女。

 栗色の髪の同胞――まだ若木ながら、大木の面影を宿している。

 

「はじめまして、イステニアエルさん」

「イストで構わない。貴女は……」

「ティオネ・ヒリュテよ。ティオネでいいわ。こっちは妹のティオナ」

「よろしくねー! あ、こっちはアイズ。知ってるかな?」

「よろしく……えっと」

 

 アイズはしばらく黙ったあと、隣の栗毛のエルフの少女を示した。

 

「こっちがレフィーヤ」

「レフィーヤ・ウィリディスです。よろしくお願いします、同胞の方……ええっとぉ」

「別に紹介し合う流れとかはないから、こっち見なくていいのよ、レフィーヤ」

 

 仲睦まじい様子にイステニアエルはくすくすと笑った。

 

「うん、これからよろしく頼む」

「初めに忠告しておくけど、団長に近づくようなら容赦ないからね」

「うん?」

 

 胸を張って指を突きつけるティオネに、ティオナが顔を覆った。

 

 フィン・ディムナはオラリオの女性たちの間でも一、二を争う人気者だ。

 【ロキ・ファミリア】を志望する新人冒険者にはフィン目当ての者もおり、そのため団長に半ば偏執的な愛情を向けるティオネは、よくこうして新人に脅しをかけるのだ。

 

「ごめんね、ティオネったら団長のこととなると見境なくて……その、ぞっこんでさ」

「ああ!」

 

 ようやく得心がいったという風にイステニアエルは頷くと、一転してティオネに向き直った。

 殺意混じりの気迫をまるでそよ風のように受け流す銀の麗人に、ティオネは面食らった。

 

「な、なによ」

「――どうか我らの知性と節制をを信じて欲しい、明日に戦友(とも)となる乙女よ。我らシャローレは星の如くに永くを生き、うつろう時の偉大さを知るが、同様に一時を蔑ろにする愚かさを知り、うつろわぬものが己だけでないことを知る。友の幸福を祈る心と、真に深く清らかなる愛が、その尊き一つであることも」

 

 難解な言い回しに硬直するティオネたちに、レフィーヤが噛み砕いて通訳した。

 

「愛情を妨げて友を不幸にする程愚かではない、とのことです」

「な、なるほど。新人ながらよく分かってるのね、感心だわ!」

 

 ティオネはうんうんと頷いた。不埒な動機でないと分かればそれでよかったのだ。

 一方、レフィーヤの関心は別の所に向いていた。

 

「イステニアエル様は、その……」

「イストで構わないよ」

「で、ではイスト様で! 年長の方は敬わねばなりませんので……あ、イスト様は、とても年を経た方ですよね? 言い回しが古いエルフ詩にそっくりで……」

「ああ……少々長く生きているから。ついね」

 

 最初に生まれたアーテリアは、声を授けられた際に創造主に歌を捧げたという。

 そのためか、エルフは詩歌を尊ぶ傾向にある。

 今の歌は共通語ではあったが、明らかにエルフ風のものだった。

 古いシャローレのもったいぶった言い回しである。

 

「私はその、詳しくないのですが、実は有名なご歌人だったりされるのでは、と……」

「うーむ……若人の素直な賞賛が頬の葉に秋を呼ぶようだ。その晴天の日差しを遮る事を……ああ、いや、すまない。要はね、若者にいい所を見せたがるという年寄りの悪い癖さ」

「いえ、そんな」

 

 イステニアエルは首を横に振った。

 事実、少なくともオラリオにはシャローレがいない以上、最年長のエルフは間違いなくイステニアエルだった。彼女は既にして千年では効かない時を経ている。年寄りというのも、紛れもない事実であった。

 

「シャローレというのも、古いエルフの地名ですか?」

「ちょっとぉー、レフィーヤばっか独占してずるくない?」

「わぷっ!? ちょっティオナさん!?」

「なに、咲き誇る花、伸びゆく若枝、同胞との語らい、どれも折るには惜しい美しいものだ」

「ひぇあ……!?」

「しかし、そうだな、私も口が幾つもあるわけではないから……レフィーヤ嬢、今度リヴェリアも交えて話をしよう。若いエルフの嗜みにも興味があるんだ」

 

 などと表面上は取り繕ったが、実際問題イステニアエルは困っていた。

 詩に似た語り口は古いシャローレのものだし、それが似通うのもイヤルとオラリオ双方のエルフが起源を一にしていることの証左であろう。

 

 もちろんイステニアエルは歌人ではないし、こちらの世界のエルフではない。ついでにいえばタローレではない(この世界のエルフはほぼ全て森エルフ(タローレ)のようだった)。深く突っ込まれれば風俗の違いから容易にボロが出るだろう。

 

 銀のエルフは丁度良く助け舟を出してくれた、褐色肌の少女に内心で感謝した。

 当のティオナは、何か芝居でも見ているかのような顔でぼそりと呟いた。

 

「うっわーすごい口説き文句……たらしってやつだ……」

「うん……?」

「あ、なんでもないよ」

 

 聞き返そうとする彼女に、ティオナは手を振ってごまかした。

 

「私も聞きたい事があるんだけどさ」

「答えられることならば」

 

 露出の多い衣服に身を包む彼らはアマゾネスというのだったな、とイステニアエルは短い時間で見聞きした情報を引っ張り出す。

 彼らは確か見た目通り性に奔放で、また――。

 

「すっごい強かったけど、どこで鍛えたの? エルフの戦技じゃないよね?」

 

 戦いに生きる種族らしい。

 

「あ、それ私も気になったのよね。ここらじゃ見ない動きばかりだったから」

 

 姉の方、ティオネも口を挟んだ。

 

 確かに珍しい技術だろう。ただの槍でなく三叉槍(トライデント)を専門とする技術だ。エルフの技の傍流にあるといえばあるのだが、イヤルでも操るものは少ない。

 

「故郷とも違う遠い異国で、盟友たちから教わったんだ。それまでは大剣を使っていたんだが、三叉槍は私の身にずっと馴染んでね。以来それを磨いてきた」

「へえーっ。異国のかあ。どこだろ? 海? なんか水の中でも使えそうな感じだったよね。あ、槍の色もそれっぽいなあ」

 

(……鋭すぎる。いや、これは天賦か……)

 

 イステニアエルはその並々ならぬ嗅覚に内心で賞賛を送った。

 三叉槍とは元は銛であるのだし――イステニアエルは知らないが、この世界においても三叉槍は海に通じたものだ――かの宝槍が海の青を呈しているのも事実だ。連想できる範疇だろう。

 

「ああ。海の国だったよ。美しい所だった……」

 

 ……ナローレというエルフがあった。

 

 かつてイヤルの東方に住んでいたエルフたち、海に親しむエルフだ。最も、彼らの土地は魔法大禍(スペルブレイズ)によって海中に没し、絶滅した。そう思われていた。

 だが彼らは生きていた。半人半魚のナーガに姿を変えて、海に沈んだ彼らの神殿の中で。

 トライデントを操るのは、イヤルでは彼らナーガだけだ。

 

「この槍も、その時にかの国の――」とまで口にして、これが言わぬべきことだとイステニアエルは気付いた。「――友から譲り受けたものだ」

 

 故に、その三叉槍の名は《ナローレ族の秘宝(レガシー・オブ・ザ・ナローレン)》。

 

 かつて同胞だったエルフたちに裏切られ(少なくとも彼らにはそう見えた)、世界に絶望しきっていたナーガの王スラスルが、外の世界にもまた信じられるものがあると述べて彼女に託した、彼らの国宝である。

 終わらぬ旅路に出る際、もう戻らぬからと返上しようとしたのが、きっぱりと押し止められた。今や名実共にイステニアエルの武器だ。

 

 少女はそんな事情など知らず、素直に感心、いや羨望を送っていた。

 

「へぇー……いいなあ、海の国。行ってみたいな」

「あとは鞭も習ったな。そちらは手慰みだが……」

「ねえねえ、他には? もっとすごいとことか、冒険とかの話聞きたい!」

「ふむ……何から話したものかな」

 

 まずいな、とイステニアエルは心中唸った。

 なにせこの世界に来てからまだ一日も経っていない。この世界の海の国など知らないのだ。まさかイヤルの話をするわけにもいかないし、かのナローレの国ともなれば人魚の住まう深海の国だ。イヤルですらお伽噺の存在だというのに、ここで話すわけにも行かない。立て板に水を流すが如くに口の回るイステニアエルにも、限界が見えつつあった。

 

 先程は助けられたが今度は追いつめられた。

 進退窮まった所で、イステニアエルは物言いたげにこちらを窺う金髪の少女を見つけた。

 

「ふむ……手前の生き恥など晒したところで痛むものはないが、しかし今は控えよう。まだ私の拙い言葉を求めるものもいるようだ」

「え? あー。うん、いいよアイズ。何言うか分かっちゃったけど」

 

 ティオナは何か察したようで、しぶしぶと身を引いた。

 代わりに銀の麗人の前に、黄金の剣姫が向かい立った。

 

「イストさん」

「聞こう」

「私と勝負して、ください」

 

 

 

 離れた場所で、やはりそうなったか、とフィンは瞑目した。

 

「どうしたものかな」

 

 アイズがイステニアエルに挑む、というのは止めようがないことだった。だから彼が悩んでいるのは別のことである。

 

「アイズは全力を要求するだろうし、イストも応えるだろうね……」

 

 フィンは先程のことを思い返して、親指を舐めた。

 

『――フィン、少しええか』

 

 幹部たちでカバーストーリーを構築し終えた、すぐ後のこと。

 ロキは彼を呼び止めると、神妙な顔で語り始めた。

 

『イストは大層な使命を背負っとる。せやからそれに見合う力も持っとる。分かるな?』

『ああ……』

『なら話は単純や。()()()()()()()()()()()()

 

 言い切ると、ロキはばりばりと頭を掻きむしった。

 

『……あんま詳しく説明でけへんねんけどな。イストの体はただの「子」とはちゃう。あいつの言う、シャローレっちゅうエルフ族とも違う。あの炎は見たら忘れられへんからな……せやから最初物好きアーロックの使いやと思ってんけど』

 

 魔神とは、アーロックとは、そういう質問に答える気がないことは、フィンにも分かった。

 

『イストの中に眠っとる炎は、苦悶、憤怒、恐怖、絶望、その具現……魔神の火……悪魔の力――この世にあっちゃあならんもんや』

 

 ロキの細い双眸が開く。

 そこには、脅威と警戒の色があった。

 

『だから、ええか』

 

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()、か」

 

 フィンは考えをまとめると、差し当たって訓練場へ向かおうとする四人を呼び止めた。

 アイズは確実に、イステニアエルに対して全力を要求するだろうから……。

 

 




・詩歌
 アーテリアが初めに歌ったのは事実。エルフが歌を尊ぶ風潮は誇張表現。
 タローレの都市やらアンゴルウェンやらにエルフが遺した歌があるので、全くの嘘でもなさそうだが……。あと古いシャローレがもってまわった言い回しをするのは多分事実。

・アーロック
 魔神。デーモンの神。別に炎の神ではない。
 全部シェール・タルが悪い。


・お知らせ
 イヤルはもう二年くらいご無沙汰なので現行のゲームデータとはちょっと違うところがあるかもしれません。大目に見てね。
 ナローレ族の遺産のグラフィックが変わってことに今気づいた……のか、昔からこの真鍮色だったのかが判別できないくらいご無沙汰。(本文は修正済み。昔は青色のトライデントだったと思うんだけどな……)
 DarkgodはあんまりAoUにテコ入れしないのでDoombringerのデータはあんまり変化ないと思うけど……Hope Wonesとかナーフされてもおかしくないしな。



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07 ここは"ダンジョン"

 イストの(偽装)レベルを5から6に変更しました。

 感想、誤字報告ともにありがとうございます。


 

『ダンジョンの、人目につかない区域で戦うといい。……危ないだろうからね』

 

 フィンのその助言を、その場の四人は素直に聞き入れた。

 事実として、炎を纏うイステニアエルと、風を操るアイズが戦えば、焔風吹き荒れる地獄絵図になるのは目に見えていた。地上でそんなことをすれば一体何がどれだけ燃えるかも分からない。

 イステニアエルも不浄の炎を人目に晒さずに済むなら好都合だった。

 

 人目を避けろ、という後半こそが事情を知る二人にとっての肝要だったが、そうでない四人はそうと知らずにダンジョンの中層、その一角まで潜ることを受け入れた。

 

 ところで、イステニアエルの時間感覚は非常に狂っている。

 時なきシャローレン・エルフは大概人よりもゆっくりと時間を使うが、その身を尽きせぬ――代わり映えのない――苦痛に塗れた闘争の中においていたイステニアエルにとって、時間とは異常なまでに目まぐるしいものだ。

 

 歩み続ける限り、時を思うことわずかもなし――。

 昼夜を問わず数日まとめて活動し、疲労や手傷を癒やすためだけに半刻眠る、そんな蛮行が、それこそ《無限の迷宮》を降りる前から常態化していたイステニアエルにとって、規則性や生活習慣といったものは無縁といってよかった。

 

 夜も更けた今、アイズとの手合わせのためだけに、ダンジョンへと潜る――昼夜を景色の風情の違いとしか感じないイステニアエルは、それがおかしいと分からない。

 

 そして、夜だからダンジョンに潜らないなんて発想がないのはアイズも同じだった。

 

 そうなると、レフィーヤはアイズについていこうとするし、ティオナは面白そうだからとついていくことを決めてしまう。

 そしてその話を遠巻きに聞いていたベートも、当然首を突っ込む。

 極めてまっとうな感性を持つティオネは当然行きたがらないが、団長への敬愛を前にすればそんなものは消えてなくなるわけで、フィンにお目付け役を頼まれた彼女も同行することになる。

 

 そういうわけで、いつの間にか六人に増えた一行は、一路地底へと足を向けたのであった。

 

 先日の59階層への遠征でLv.6に到達した冒険者が四人と、同レベルの戦士が一人に、Lv.3の魔術師が一人。中層はおろか深層ですら問題なく行動できるパーティなのだから、道中に問題など起ころうはずもなかった。

 一行のそれは(ティオナを筆頭として)散歩に似た雰囲気すら纏っていた。

 

(これが『ダンジョン』……実に奇妙だ)

 

 その中で、壁から湧き出てきたモンスターを砕きながら(文字通り、殴打によってアイアン・ゴーレムを瓦礫に変えた)イステニアエルは己の常識との違いを一つ一つ確かめていった。

 

 彼女の感覚では、ダンジョンというのはある種の危険地帯を総括して呼ぶ一つの区分だ。しかしこの世界にダンジョンと呼べるものはここオラリオの大穴一つきりであり、その仕組みもまるで彼女の知るものとは違った。

 

 モンスターと魔石の関係性。装備や道具を拾得出来る機会のなさ。階層ごとに変わっていく環境とモンスターの分布。勿論、モンスターそのものも。

 しかし彼女が一番面食らったのは、何と言って敵が壁から生まれ落ちることだ。

 

(休息の最中に現れられてはたまらないな……)

 

 イステニアエルは己に倒せぬ相手はほぼいないと考えているが、それは一対一の話に過ぎない。多数を相手取るのも得意だが、それは短期的な話に過ぎない。彼女は自分を強いと知っているが、強いことと負けないことは別だと知っている。

 断続的に、複数、そして予兆なく現れる敵というのはイステニアエルの苦手な分野だ。

 もっとも中層に現れる程度の敵では、彼女の肌を傷つけることもできないのだが……。

 

「このあたりでいいでしょ」

 

 ティオネはそう言いながら、壁面を破壊してモンスターの湧出を止めた。

 次の階層への経路……いわゆる正規ルートから外れた、階層の隅の広場を見繕って、一同は向かいあった。

 

「さて……先約はアイズからだ。ティオナ、ベート、構わないね?」

 

 イステニアエルはそう二人に言い含めた。二人がついてきた理由が決して見学ばかりではないことは皆察していた。

 ティオナがにこやかに、ベートが舌打ち混じりに、承諾の意を示したのを見てから、イステニアエルはアイズに向かい合う。

 

「では、来なさい」

 

 普段と変わらぬ微笑みを見せて、イステニアエルはだらりと槍を下げて持つ。

 向かい立つアイズは、彼女が同じレベルであるなどとは微塵も思えなかった。

 強そうには見えないのに、感覚はビリビリと死の気配を感じ取っている。

 

「……行きます」

 

 そのちぐはぐな感覚を確かめるため、アイズは一歩踏み込んだ。

 

 刺突――あるいはフィンがそうしたように、先手は愚直なまでの突貫だ。

 イステニアエルは、その刃先を掴み取った。

 

「え」

「そら」

 

 掴まれた、と感じた時には体が浮いていた。

 イステニアエルの膝が衝角(ラム)となってアイズの腹を打ったのだ。

 そして無防備に空を泳ぐアイズの鼻先に、鋭い三叉の刃の一つがぴたりとついた。それがするりと顔の輪郭を描き、首を舐め、背筋をなぞり……。

 

 浮いて、落ちて、地を転がるまで、アイズは刃で全身をなぞられた。

 その軌跡が生き物の皮を剥ぐ時のそれだと、遅れて皆気付いた。

 

「すまないが、私は人に物を教えるのは苦手なんだ」

 

 アイズは思わず鼻を撫でるも、血の一滴も流れていない。空をもがく人の肌を傷つけずに撫でるその技量……完全な格の差をアイズは理解させられた。

 

「そして、模擬戦というのも経験がない。寂しい話だが、私は人と競い合って技を高めたわけではないからだ」

 

 飛び起きて、レイピアを構え直す。

 

「よって、私は君にこう言わねばならない――全力で来なさい。私はそれを蹂躙しよう」

 

「――【目覚めよ(テンペスト)】」

 

 即断――アイズは飛び出した。

 加減出来る相手ではない。強そうには見えないなんて冗談も良いところだ。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「【エアリエル】!」

 

 付与魔法(エンチャント)、風を纏う力。嵐は鎧となり刃となる――先程のようにはいかない。

 そう確信して、アイズは『デスペレート』を突き出した。

 

 そして、風の渦を力任せに食い破る、三叉の刃を見た。

 

「ッ!?」

 

 とっさに引き戻したレイピアをトライデントの穂先が打ち払う。想像を絶する衝撃がレイピアを通してアイズの腕へ、全身へ伝わり、レイピアをもぎ取ろうとする。

 しかし逆らって握りしめたのがよくなかった――レイピアにつられて腕を開かされる羽目になったアイズは、およそ戦いの最中に晒していい姿勢をしていなかった。

 

 材質も分からぬ白銀の小手がアイズの鳩尾に滑り込む。

 風の鎧ごとぶち抜いて、イステニアエルの拳がアイズを浮かせた。

 

「アイズさん!?」

 

 レフィーヤの悲鳴が虚しく響く。

 苦悶を漏らすこともできず、アイズはその場にくずおれた。

 

「……ううむ、やはり難しいな。加減が分からない。すまない、恐らく内臓が破裂しているから、回復してあげてくれ」

「ないぞっ……は、上級回復薬(ハイ・ポーション)を!」

 

 レフィーヤが慌てて駆け出し、アイズにポーションを含ませる。

 それを見ながら、やはりこの世界には注入物(Infusion)はないのだな、とイステニアエルは思った。ティオナ・ティオネの肌を見て、ある程度分かってはいたのだが……。

 

 イヤルとの常識の違いを頭の隅に置きつつ、銀の魔人は振り返った。

 

「次はどちらだい?」

 

 ――その背後から、ベートが全力の回し蹴りを叩き込む。

 

「よろしい、ベートからだね」

「う、そだろ!?」

 

 しかしその蹴りをまともに食らった頭が小揺るぎもしないのを見て、ベートは悪態とともにもう片足を繰り出す。掴もうと伸びた足を蹴りつけて、ベートは宙返りとともに距離を取った。少なくとも彼はそうしたつもりだった。

 

 宙返りの最中後頭部を掴まれたことで、全てが思い違いだったと理解させられたのだが。

 

「ガ――」

 

 大地に叩きつけられたベートの体がくたりと力を失ったのを確認してから、イステニアエルは振り返った。

 

「次、ティオナ」

「いくよっ!」

 

 ティオナの突貫――双頭剣たる【大双刃(ウルガ)】が唸りを上げる。

 当然それが振り抜かれるより早く、《ナローレ族の遺産》が突き出される。

 

「ほっ!」

「ふむ」

 

 しかしこれを誘っていたティオナは間合いの外側で急停止し、突き出された槍を大双刃にて叩き落とす。更に身をひねり、もう片方の刃でイステニアエルへと躍りかかった。

 合わせて、イステニアエルも身を翻す。槍を弾かれた勢いのまま旋回させて、石突をもって大双刃の一撃を迎え撃つ。

 

 激突……弾かれたのはティオナだった。

 

「うっそ馬鹿力!?」

「数少ない取り柄でね」

 

 ティオナの腹を槍の柄が強かに打ち、少女はそのまま壁に叩きつけられ、崩れ落ちた。

 

「ティオネ、君はどうする?」

「……ふーっ」

 

 見届人、ストッパー、という役目を与えられてここまで来たティオネだったが、彼女は……獰猛に笑って構えをとった。

 

「こんなん見せられて黙ってられるような玉無しじゃないわ」

「いいだろう」

 

 ティオネはククリナイフを片手だけ抜いて、片手で投擲ナイフとククリのどちらでも抜き打てるように構えつつ、腰を落とした。

 お互いにゆっくりと弧を描きながら歩み、距離を測り合う……最中、イステニアエルはくすりと笑った。

 

「一つ教えておこう」

「何よ」

「私は、まどろっこしい駆け引きは苦手なんだ」

 

 瞬間、イステニアエルは飛び出した。

 

「っこの!」

 

 反射的に擲ったナイフは兜に弾かれる。恐るべき突進(ラッシュ)から繰り出される力任せの一撃――抜き打ったククリナイフを交差して受けたティオネが、そのまま潰れた。

 

「ぐっ、う……!」

 

 ティオナを得物ごと吹き飛ばす膂力に、更に助走が足されたことで、そこらのモンスターの突進など比べ物にならないほどの衝撃がティオネを襲う。

 あまりの衝撃に意識が朦朧とする――それがそういう技だと知っているのは使い手のみ。イステニアエルは躊躇なく槍で彼女を打ち据えて、地に転がした。

 

「これで私の勝ちだ」

 

 瞬く間に四人の上級冒険者を伸した銀の戦士は、倒れ伏す面々を見回して、最後にレフィーヤに視線を移した。

 

「君はいいかい?」

「ど、どうかお許しください!!!!」

 

 首が取れそうなほど激しく拒絶するレフィーヤを見て、イステニアエルはくすくすと笑った。

 

 

 

 全員に回復薬を飲ませてしばらく待てば、彼らは元通りに傷を癒やしたようだった。

 

「アイズさん大丈夫ですか……?」

「うん……多分? 内臓は見えないから分からない……」

 

 アイズはへそのあたりを撫でながら首を傾げた。

 

「かんっぜんに負けたー! バーチェより強いんだけど!」

「手も足も……私たちが力負けするなんて」

「クソッ……」

 

 残る三人もそれぞれ体の調子を確かめながら先の一戦を反省していた。

 

「あの……イストさん。どう、でしたか?」

「どう、というと」

「何か助言があれば教えて欲しい、んですけど……」

 

 アイズの言葉に、イステニアエルは面食らったようだった。

 そもそも彼女の生涯で、彼女を前に武器を抜いて生きていた人間は初である。

 そう思えば、

 

「まあ……そうだな。あまり数多くを指摘はできないが……」

 

 イステニアエルはしばらく頭を悩ませ、まずアイズを見た。

 

「軽い」

 

 次にベートに顔を移した。

 

「手数がない」

 

 ティオナへ。

 

「技が未熟」

 

 そしてティオネ。

 

「戦い方に芯がない」

 

 最後に、締めくくるように一言。

 

「そして皆、相手に何かさせたら死ぬという意識がない。だから負ける。……どうかしたか?」

「あんた……もう少し手心ってもんをね……」

 

 見るからに凹む四人を前に不思議そうに首を傾げるイステニアエル。

 

「何を言う。手心なら加えたじゃないか」

「……は?」

 

 ――残念ながら、イステニアエルの本質を誰もが理解できていなかった。

 

「私が炎を収めているのは、ひとえに君たちが仲間だからだ。摘み取った実がどう咲くかを語ることほど無駄なことはないが……君たちが私の敵ならば、わずかの手番もやらずに殺す」

 

 彼女は敵対した相手は必ず殺した。慈悲も躊躇も容赦もなく、何もさせずに。

 そうでなければ死ぬからだ。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「侮りも恐れも、考えもしない。争うならば必ず殺し、叶わぬのなら明日に殺す……。私が退きも攻めも備えもせずというのなら、これ以上の手心はない」

 

 イステニアエルは《破滅をもたらすもの(Doombringer)》。

 狂気に満ちた(Madness)ならずもののごとき(Roguelike)、《勝利者(Winner)》だ。

 

 イヤルの東西を股にかけ、オークの氏族(プライド)に乗り込み、強大な敵の封じられた宝物庫(Vault)は余さず暴き、ドラゴン種の頂点たる《万色ワイアーム》たちがひしめく魔境へ飛び込み、最後には永遠の闘争を覚悟し《無限の迷宮》へ挑んだ。

 その全てに、ただ一人挑み、そして勝利した――狂戦士と呼ぶほかない。

 

 そんな相手に仲間や訓練といったおためごかしが通じたのが奇跡なのだ。

 助言を求めて弱いからと切り捨てられないだけ温情なのだ。

 

「さ、帰ろう。リヴェリアあたりが心配しているだろうから」

「待ちなさいよ」

 

 踵を返そうとしたイステニアエルの、その背にティオネが待ったをかけた。

 あーあ、とティオナはわざとらしく空を仰いだ……内心では同じことを考えていただけに。

 

「そこまでコケにされて黙って帰れるわけないでしょ」

「てぃ、ティオネさん?」

「ふむ」

 

 ベートも舌打ちとともに隣に並んだ。

 

「ムカつくが糞女と同意見だ。せめててめえに【魔法】くらい使わせねえとな……!」

「ベートさんまで!」

「なるほど」

 

 当然ティオナもそれに乗る。

 

「ま! イストの全力も見てみたいし!」

「ティオナさん!」

「そうか」

 

 そしてアイズも、黙って剣を構えた。

 

「いいだろう。では、君たち全員でかかってきなさい。ただし」

「怪我は気にしないで」

 

 アイズは懐から幾つかポーションを取り出した。うち幾つかが万能回復薬(エリクサー)だとレフィーヤが気付いて引きつった声を出した。

 

「ちょ、まずいですよアイズさん! そんな高価なものを簡単に使ったら……!」

「レフィーヤあんたも他人事みたいに言ってんじゃないわよ! あんたも戦うの!」

「ええ!? なんでですか!?」

 

 突然巻き込まれたレフィーヤが更に悲鳴を上げる。

 

「うちらだけだと後衛がいないからさー。援護が欲しいじゃん?」

「ちょっ……私を巻き込まないでください!」

「けっ……」

「ベートさん! いつもならすっ込んでろとか言いますよね!? なんで今回は仕方ないみたいな顔なんですか!?」

「レフィーヤ」

 

 アイズはレフィーヤの目を見て言った。

 

「力を貸して?」

「う、ううう~~~……!」

 

 敬愛するアイズさんの頼み……! と即断できないくらいには、相手が悪い。

 ちらりと見れば、イステニアエルは微笑んで瞑目するのみ。

 いようがいまいが構わない、と言わんばかりの態度だ。

 

「……あーもうわかりましたよ! やればいいんでしょうやれば!」

「ありがとう、レフィーヤ」

「いよっ、さすがは【千の妖精(サウザンド・エルフ)】!」

 

 レフィーヤが半ばやけくそ気味に杖を構えたと同時に、イステニアエルはゆっくりと瞼を開けて笑みを深めた。

 

「では始めようか」

 

 ――その両手に炎が灯った。

 

「炎の大地の土は我が手に」

 

 瞬く間に全身を駆け巡る、不浄の炎。

 

付与魔法(エンチャント)……!?」

「アイズと同じ……!」

 

 シャローレの尽きせぬ魔力が唸りを上げる。その体の奥底に刻みつけられたデーモンの力が表出し、その肌が奈落の黒に染まる。穢れた炎が燃え盛り、翼のように広がっては空気を焦がす。

 炎と暗黒、復讐と怨嗟が力となって渦巻いて、狂戦士に宿る。

 

「――アーロックの炎よ、ここに」

 

 暗く深き邪悪の気配が、圧力を伴って彼女たちを打ち据える。

 

 三叉の槍を構え、炎を纏う、黒き人型。

 それは、まさしく――。

 

「あく、ま……」

 

 邪悪の権化たる悪魔の似姿に他ならない。

 

「いざ」

 

 その言葉に、全員が身構える。

 アイズとベートがともに飛び出し、姉妹はレフィーヤをかばうように立ちふさがる。

 やや遅れて、レフィーヤも詠唱を開始した。

 

 ――そして、全員が見た。

 紅蓮の砲弾となって空を飛ぶ、イステニアエルの姿を。

 

「っ――!」

 

 着弾、とともに巻き起こったのは、火炎石に火がついたかのような爆発だった。

 熱波が肌を焼き、爆風が広場全体を襲う。

 《Detonating Charge》はティオナに直撃し、その周囲にいた全員を大きく吹き飛ばした。

 

「っこの、クソッ……ティオナ!」

「分かってる!」

 

 大事なのは後衛に通さないこと――【大双刃(ウルガ)】を道を塞ぐように水平に構え、ティオナは炎の悪魔を睨みつけた――が、その姿が火の粉を残してかき消えたのを見て、はっとして振り返る。

 

「レフィ――」

 

 《Fearscape Shift》――恐怖の大地を通じて短距離を跳ぶ力。そして開かれた地獄門から、かの燃え盛る大地の炎が溢れ出した。

 さらなる爆炎が広場を焼く。その向こうで、腹を刺し貫かれた誰かの影が倒れ伏した。

 

「こんのっ!」

「馬鹿ティオナ!」

 

 間髪入れずに飛びかかるティオナが、飛来した炎の手に掴み上げられた。

 《Fiery Grasp》でティオナを捕らえたイステニアエルへ、ティオネが躍りかかる。

 

(こいつは要するに「タイマン特化」! 陣形を崩しながら一人ずつ仕留めにくる……! だからとにかく複数人で攻める! 私はあくまで先鋒!)

 

 両手の【湾短刀(ゾルアス)】が閃き、三叉槍の柄がそれを受け――ずにティオネを狙う。

 

「そう来るのは知ってるわよ!」

 

 ティオネは身を捻り、半歩ずらしてその突きを脇腹で受ける。肉を切らせて骨を断つ、双剣の一撃がイステニアエルの体を浅く長く切りつけた。

 

 翻った槍先が今度こそティオネを仕留めにかかる。

 

「リル――ラファーガ」

 

 そこへ、アイズの突進が間に合った。

 風を纏った一撃を、イステニアエルは鎧で受ける。その体が衝撃で僅かに地を滑り、ティオネは攻撃を辛うじて回避できた。

 

(これでもまだ、軽い……!)

 

 アイズは歯噛みしながら、続けて二度、三度とレイピアを繰り出した。ベートの渾身の一撃を当てるためにその場に釘付けにしようと。

 しかし炎の悪魔はそれを意にも介さず、大きく槍を振りかぶった。

 

「くそっ、たれがァ――!」

 

 ベートの、加速と跳躍から繰り出された全力の踵落とし。イステニアエルは頭を傾けて肩で受ける。更に身を捻り、勢いのままに回し蹴りを繰り出す……これは額をかすめるにとどまった。

 

 そして、三人まとめて薙ぎ払われた。

 《Obliterating Smash》――尽きせぬ憤怒を力に変える、抹殺の薙ぎ払い。

 

「うぐっ……!」

「がっ、んなろッ!」

 

 下がって回避しようとしたティオネも、受けようと構えたアイズも、当然攻撃後の隙を狙われたベートも、とてつもない衝撃によろめいた。

 だがその兜の裏から垂れた血に、ベートは口の端を釣り上げる。

 

「ビビんな! 効いてる! 体力だって無限じゃねえ、どっかで息切れする!」

「ティオナッ!」

「まっかせて!」

 

 獣のように飛びかかるティオナに対し、イステニアエルはその不浄の力を刃に込め、迎え撃つ。

 ティオナの【大双刃】を、イステニアエルは避けようともしない。

 巨剣が鎧を叩く轟音が響く。

 

(本当に相打ち狙いばっかり……なんで!?)

 

 その答えを、ティオナは身を持って知ることになった。

 不浄の力に染まった槍が、瞬間に二度、ティオナの体を傷つける。

 

「うっづ……え!?」

 

 そして撒き散らされた血を、活力(Vim)を、炎の悪魔は吸い上げた。

 

「回復……してる」

「そんな……!」

 

 《Draining Assault》、命を奪う力。イステニアエルは三叉槍を振り払った。

 

「うぐ、げほ……そっか、相打ちでいいんだ……」

「クソが……炎もうぜえ!」

 

 ベートが服をはたく。見れば、その裾には燃え移った炎が揺れていた。

 彼だけではない、その場の全員が、程度はともかく火を浴びていた。

 

「急所は全部綺麗に外されてる、身動きを阻害されなきゃ後は何でも良いって感じね」

「ティオナ」

「アイズありがと!」

 

 一瞬の攻防の隙にレフィーヤを回収しポーションを飲ませたアイズは、傷を負ったティオナにもポーションを投げ渡した。

 

「う……ごめんなさい、アイズさん」

「いい。こっちの責任」

「アイズとティオナ、レフィーヤで攻めるわよ」

 

 一通り回復が済んで、仕切り直し。

 しかし傷の残る五人から見て、イステニアエルは無傷に見えた。

 実際は、それなりにスタミナを消耗してはいる。消耗の激しい大技を矢継ぎ早に繰り出すイステニアエルにとっても、小休止は有利に働いているのだ。

 

 一同が作戦を立てる前で、彼女は閉じていた口を開いた。

 

「もう少し強く打っても大丈夫そうだ」

 

 更に炎が強まった。

 その火は鎧をすら覆い尽くし、槍は炎によって一回りも大きく見えた。肥大した肉体は異形の様相をより強め、強靭さを増していく。

 可視化された恐怖と絶望が渦を巻き、その炎に黒くまとわりついた。

 

 この姿こそが、彼女の戦闘形態といって差し支えない。

 

 復讐と怨嗟。炎と血。恐怖と破滅。忌むべき力を惜しみなく開放したイステニアエルは、辛うじて残った人肌がなければモンスターにすら見えた。

 

 深層でも経験できないおぞましい気配、あまりにも異質な姿に皆息を呑む。

 

 これで彼女にひとかけらでも殺意があったら、と考えて、アイズは口の中が乾くのを感じた。

 

 しかしそのイステニアエルの意識が、ある瞬間からふっと遠くへ飛んだ。

 

「……イストさん?」

 

 彼女は険しい顔で壁を……おそらくはその向こうを睨んでいた。

 不思議に思うアイズだが、彼女が睨んでいる壁はきちんと傷つけてあって(むしろ最初よりもずっとボロボロになっていた)モンスターが湧いてくるようには思えない。

 

「まさか……しかし、そうか、私のくぐったファーポータルの反応を……? いや……」

 

 イステニアエルはその相貌を歪めてしばらく唸ると、ぐるりとアイズたちに顔を向けた。

 

「一つ聞かせてくれ――悪魔(デーモン)はオラリオでも見られる存在か?」

 

 彼女の感覚は、三体組でダンジョンを進むレッチリングを確かに捉えていた。

 

 

 

 





・イストの時間感覚
 "@"、つまりローグライクの主人公……プレイヤーの分身にはよくあること。
 ToMEの@も傷を癒やすための小休止だけして、あとは*勝利*へと邁進する。超人かな?
 睡眠の必要があるElonaですら徹夜が常なので、@を背負う者は皆そう(クソデカ主語)。
 ローグライク道は死狂いと見つけたり……。

・材質不明のイストの鎧
 ヴォラタン製。白銀色を呈する。ゲーム的にはTier5、最高ランクの重鎧素材。
 確かドワーフの秘中の秘みたいな素材だったと思うが覚えてない。情報求む。
 同様に、軽鎧素材はドラゴン皮、布素材はエルフ絹。

・Madness Roguelike
 最高難易度・命は一つというゲーム設定。
 敵のレベルやタレントレベルの高さもやばいが、何より大量のレア敵がやばい。致命的なタレントやアホみたいに強い武器をこっちに向けてくるのでなにかされると死ぬ。
 正直Doombringerでやると序盤がつらすぎる。

・タレント、常駐タレント
 ToMEにおける技・術のこと。常駐とはオンオフが可能な発動形態を指す。
 イストは自前の《痛覚共有》《永遠の苦難》《アビスの盾》《恐慌の打撃》と習った《鉄壁の聖歌》を常駐している。
 聖歌の効果が変わっているが旧版の遠距離攻撃のダメージカット効果で通すぞ俺は。

・超感覚
 装備のテレパシー効果。タレントでも似たようなことは出来る。


 イストのダンプデータ出そうかなと思ったけど版が1.4.nなのとデータが前PCにあるのと装備品や所持品ある程度融通きいたほうが書きやすそうだからナシ!
 つか鎧や武器の特殊効果まで逐一再現してたら描写がおっつかないぞ……小手で殴った瞬間減速と憂いと自然毒と炎の持続ダメージが入って自然炎冷気酸暗黒時間の追加ダメージが発生しその他幾つかのタレントが誘発とか書いてられるか! 

 あと外伝六巻見たらオラリオって在野の恩恵持ちは入るのも大変って書いてあってエッてなったけどイストは恩恵持ってないからセーフ!
 恐らく入国管理官もミイシャみたいになったことだろう。


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おしらせ

 

 

・久々にToME起動したら色々あってLore未翻訳になってた

 読めるは読めるのだが時間がかかる……。

 

・ダンまち外伝・新刊を読んだところプロットが崩壊した

 主にフィルヴィスとかクノッソスとか……。

 

・あとやっぱり最近やってないゲームの二次創作書くの大変

 

 

 という理由により執筆の続行が不可能と判断しました!

 この小説は更新停止となります!

 合わせて検索から除外しました。ごめんね!

 

 

 もともとボツネタが設定ミスで公開されてしまったという経緯でもあるのでお蔵入りにすることを許してください。全部シェール・タルってやつらのせいなんだ。

 

 実を言うと書き溜めているものはチラホラあるので、もしかしたらいつか別の話を公開する……かも。

 なのでまたどっかでお会いしたときはよろしくおねがいします。

 

 たかが数話ですがご愛読ありがとうございました!

 

 

 

 こっから下はプロットや設定をかいつまんでまとめたネタバレ集です。

 

 

 

 

 

 予定されていた展開

・デーモンのダンジョン汚染と支配(クノッソスの避難場所化を予定していたが出来なくなった……異端児と人間が共通の敵を得て歩み寄ったりフィルヴィスと仲良くなる展開になるはずだったがここがボツになって断念)

・ベート・ティオナの反魔法習得(魔力燃焼という効果も含めて完全に原作に先を行かれていた。ダンまちはToMEを参考に書かれていた……?)

・アイズのArcaneBlade化と《Air》習得(イヤルでは風と雷は同一の術)

・フィルヴィスと仲良くなる(大事なとこ)

 

・デーモンが『原生生物を弄ぶ悪しき神々とその眷属の抹殺』『シェール・タルの遺産であるバベルの破壊』を決定して地上に進出する

・イストの全力形態である《Destroyer》=完全なデーモン化を地上で使ったことでイストが排斥される(ここらへんは吸命の杖の存在を知ったヘルメスあたりの仕込み)(イストは敵対しているなら冒険者だろうと虐殺する、(プレイヤーキャラクター)なので)

・イストはオラリオに見切りをつけ、全てを捨ててダンジョン単独完全制覇に乗り出し、ロキファミリアはイストを一人にしないため追いかける……という感じの話になるはずだった

 

・イステニアエルはアイズの対比存在として書かれている

 →「デーモンへの復讐のために力を求めた」

  「力のために手段を選ばなかった(村人溺死とかな!)」

  「純粋な人間でない(Doombringerはデーモンに改造された半人半魔)」

  「我が身を省みない性根」

 →「仲間とともに強くなった冒険者アイズと、孤独に勝利を掴み取った破壊の化身イステニアエル」という対比

 

 戦闘中はただの殺戮マシーンであり、本気で戦うと決めたら言葉すら発しなくなる。躊躇なくリソースを叩き込んで初手必殺を目指すし、どんな強敵も《Hope Wanes》で無力化し、棒立ちの相手を嬲り殺しにする。Hope Wanesは耐性無視なので八回殴ったら誰でも精神破壊できるのだ。

 精神があるやつでは勝てないので、レヴィスもエインも粉砕されて一瞬で闇派閥編が終わるはずだった。はずだったんだ……。

 

 最初に『魂は石と成り果てた』と語った通り、すでに一度イヤルで全てを捨て何千年も孤独に戦っていたイストは情緒が死んでおり、オラリオの友や仲間と別れることに躊躇いがない。

 だが確かに友情を感じてはいたし、別れは拭い難い傷として心に残っていた。要するに心的障害で認知が歪んでいる。ロキだけがそれを見抜いており(言わせると「これ以上イストを一人にさしたら、あいつはもう人と関わらんくなる」)ロキは団員と関わらせて一万年の孤独を癒やさせていた。

 

 

 デーモンたちも描写したかった。

 イヤルのデーモンはかなり正当な理由でイヤルに復讐心を抱いている狂信者の集団だし魔神アーロックはいい神様なんだ……。デーモンのLore読んでると俺イヤルを守りたくなくなっちまうよ……俺デーモン好きなんだよね……。

 

 でもデーモンは復讐のためなら何でもするのでオラリオは阿鼻叫喚の地獄絵図になる。科学と魔法が融合したスーパー文明にファンタジー世界が蹂躙される。人間牧場とか、モルモットの代わりに人間使い捨てる人体実験とか、洗脳とか、そういうダンまちにはない人倫無視激エグ展開連発していくつもりだった。ちなみに今挙げたやつは全部ToMEで行われる。神様関係だったら『原生生物を弄ぶ悪しき神』を拷問にかけて神威をエネルギーにする発電施設とかは予定されていた。

 

 

 なんもかんも全部シェール・タルとエニュオとかいうやつが悪い。

 フィルヴィス……どうして……。



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