仔山羊悪魔の奮闘記 (ひよこ饅頭)
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本編
第1話 黒き仔山羊の贈り物


書籍版中心。
9巻後からのスタートです。

また、当小説での守護者の認識は『ナザリック外<(越えられない壁)<ナザリックの仲間たち<(越えられない壁)<至高の41人<アインズ(モモンガ)<(越えられない壁)<創造主』となっております。 ※アルベドは除く


 アインズは目の前の光景に酷く困惑していた。

 ここはナザリック地下大墳墓の第六階層。広大な樹海が広がるこの階層の一角にアインズとダークエルフの双子が揃っていた。

 

 

「……これ、どうしましょうか、アインズ様」

「ど、どうしましょう…」

「……うむ、どうしたものかな…」

 

 アウラ、マーレ、アインズの順に困惑の感情を吐露する。

 彼らの目の前にあるのは、五体の黒い大きな塊。10メートルほどの丸い肉塊に、天辺から生えて地面へと垂れ下がっている何本もの触手。蠢く闇のような肉塊の至る所には白い歯のようなものが時折覗き、そこから微かな息遣いのような音が聞こえてくる。

 この者たちは先日帝国と王国が戦を行った際、アインズが発動させた超位魔法“黒き豊穣への貢”によって召喚された黒い仔山羊たち。

 通常一定時間が経てば消える存在なのだが、しかし何故か彼らは一週間が経っても消えることがなかった。それどころか第六階層に着いてからはうんともすんとも言わず、ピクリとも動かない。

 この説明のしようがない状況に、三人は重いため息をついた。

 

「…もう、どうしましょうか、アインズ様? 処分しちゃいましょうか」

「えっ、だ、駄目だよ、お姉ちゃん。折角アインズ様が召喚したのに…」

「だって全然動かないじゃない。……意思が届かないんですよね、アインズ様?」

「…ああ、そうだな…」

 

 アインズはじっと動かぬ黒い仔山羊たちを見つめながら、考え込むように骨の手を口元へと添えた。

 この世界では召喚者と召喚された者には一種の繋がりのようなものができる。それによって命を下したり、召喚された者が倒されたことすら感じ取ることができた。しかし召喚した当初は確かにあったその繋がりが、今はアインズは黒い仔山羊たちに対して全く感じ取ることができなかった。

 さて、どうしたものか…と普段考えられない事態に内心で頭を抱える。

 

 しかしそんな中、“それ”は何の前触れもなく不意に起こり始めた。

 

 

 最初にその異変に気が付いたのはアインズだった。

 地面を這っている触手の一本がピクッと動いたような気がして、ん…?と小さく声を上げる。

 それに気が付いてアウラやマーレがアインズを見上げる中、まるでそれが合図であったかのように他の触手たちも蠢き始めた。

 

メェェェェ…---

 

 最初に聞こえたのは、そんな弱々しい微かな仔山羊の鳴き声。それが次第に大きくなり、触手だけではなく大きな肉塊も蠢きだす。黒い仔山羊たちは一斉に鳴き声を上げながら、まるで呼び合うように互いへと向かい合った。

 その異様な光景に、アインズたちは反応しきれずただ呆然となる。そしてそんな彼らの目の前で、“それ”は起こった。

 初めに動いたのは、やはり触手だった。

 長くしなやかな触手が宙を舞い、勢いよく目の前の闇色へと振り下ろされる。それは一本ではなく全ての触手で、ナイフのような鋭さを持ったそれらは容赦なく互いの闇を薙ぎ払い、突き刺し、抉り取った。ブシャッ、グチャッ、という艶めかしい音と共に吹き上がる赤黒い液体。それと共に香り立つ濃厚な香りに、否が応にも目の前で繰り広げられている現実を突きつけられた。

 しかし黒い仔山羊たちの凶行はこれでは終わらない。

 仔山羊たちは蹄を地面へと打ち付けると、次は互いの巨体へと真っ直ぐに突進していった。ドシンッと地響きにも似た振動と共に、触手によって抉られた傷から大量の血が噴き出す。しかし闇色に染まった身体ではすぐさま血の赤は見えなくなり、至る所から覗く歯の白さと口内の赤が異様に艶めかしくアインズたちに見えた。

 白と赤が向かう先は目の前の黒。

 まるで踊るように振るわれる多くの触手と衝突する巨体。

 更に濃くなる血の香りに、三人はほぼ同時に目の前で起こっていることが何なのか理解した。

 

「……共食い」

「そんな…、ありえない…!」

 

 召喚された者同士が支配から逃れて共食いをしている。それは異常事態に他ならなかった。

 そもそも黒い仔山羊に食欲といったものはない。ただ目の前の対象に突進し、踏み潰すだけだ。

 ならば何故、今現在目の前でこのようなことが起こっているのか…。

 無駄だと知りながらも多くの疑問が浮かんでは心に蓄積されていく。

 そしてそんな中でも黒い仔山羊たちの凶行は止まらない。

 五体から一気に三体に減り、三体が二体に、そして二体同士が殺し合い喰らい合う。

 ブシュッブシュッと血が噴き出し、ビチャッと小さい肉片が地に落ち、グチャグチャ…と白と赤の間から生々しい音が聞こえてくる。

 そしてついに一体しかいなくなったその時、10メートルもある巨体がフルフルと小刻みに震え始めた。

 次は一体何が始まるのだと恐怖にも似た感情が湧き上がる中、四体分の命と肉を呑み込んだはずの巨体は徐々にその身を小さくし始めた。まるで大きな闇を更に凝縮させて黒い闇を作り出そうとするかのように、蠢く肉塊は更に色を帯び、黒々としていく。形も歪なものから綺麗な丸へと変わり、五本の足も隠れ、まるで大きな丸い黒のボールに触手という名の草が生えているかのような様だった。

 

「………ち、小さくなっちゃった…」

 

 マーレの呆然とした言葉通り、今や10メートルの巨体は直径2メートルほどの球体にまで縮んでしまっている。

 それにアウラとマーレが困惑したようにアインズを見上げてきた。

 しかし、いくら見上げられてもアインズにはどうしようもできなかった。今までの知識が全く通用しない事象に一体どうしろというのだろうか。取り敢えず、これ以上何が起こっても良いように対処しなければならない。

 そんな考えしか思いつけない自分に内心でため息をつきながらも、アインズは目の前の闇の肉塊へと手をかざした。そのまま魔法を発動させようと魔力へと意識を向ける。

 しかしそれはあまりにも遅い判断だった。

 最初に聞こえたのはピキ…という小さな乾いた音。

 それに思わず動きを止めたのとほぼ同時に、再び多くの触手が蠢き始めた。

 ピキッパキッという破裂音にも似た音に導かれるかのように、全ての触手が自身の根元である肉塊の頂点部分へと伸びていく。それでいて鋭く細くなっている先端部分を何の迷いなく肉塊の中へと突き入れた。ブシュッという音と共に何本もの触手がズブズブと肉塊の中へと入っていく。その動きはとてもすべらかで、まったく抵抗感がないかのようだった。まるで最初から空いていた穴の中へ入っていくかのように、あれだけ長い触手が半分ほどまで潜り込んでしまっている。触手はそのまま暫く何かを探すように蠢いていたが、次には一斉に外に出ようと身をしならせた。先ほどのすべらかな動きが嘘であったかのように、ジタバタともがくようにくねらせる。

 その様は、まるで何かを必死に引きずり上げようとしているようにも見えた。

 そしてそれは、決して間違いではなかった。

 

メェェェエエエエ…---

 

 小さな可愛らしい仔山羊の声が聞こえてくる。

 凸凹のなくなった綺麗な表面がくぱりと裂け、幾つもの大きな口が現れる。

 

メェェエェェエェエエエ…。

メェェェエエェェエエエェエエ。

メェエエェエエェェェエエエエエ。

 

 可愛らしい鳴き声は一つから二つ、二つから三つと増えていき、今では不気味な大合唱となって森中を震わせる。

 まるで何かを呼ぶように、まるで何かを謳うように。途切れることなく多くの口が鳴き続ける。

 そして多くの鳴き声が最高潮に達した瞬間、舞い上がる血飛沫と共に一つの物体が多くの触手に絡みつかれた状態で肉塊から引きずり出された。

 ボタボタと大量の血を滴らせたその物体は遠目から見てもひどく小さなもの。恐らく50センチ程度…そう、丁度第八階層守護者ヴィクティムの半分ほどだろうか。ゆっくりと触手によって近づいてくるそれに、一層血のにおいが濃くなる。

 しかし、まるで差し出されるような形となった物体を見つめた瞬間、アインズは眼窩の灯を驚愕に大きく揺らめかせた。

 

「……ウルベルトさん…!?」

 

 叫び声にも似た声を上げながら、アインズは慌てて触手からその小さな身体を受け取った。手やローブが血に濡れるのも構わず、腕に抱いた“それ”を覗き込む。

 腕の中にすっぽりと納まったのは、小さな生まれたばかりの仔山羊だった。

 しかし見るからに普通の仔山羊とは違う。その頭には既に大きすぎる捻じれた角が二本生え、手――そう、前足ではなく手である――は蹄ではなく五本の指が備わった人間と同じ形をしていた。

 そしてその小さな指にはめられた一つの指輪。

 それは見間違えるはずもない、ギルドメンバーのみがはめることを許された“リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウン”が鈍く光り輝いていた。

 

「…アウラ、マーレ、至急第四階層と第八階層以外の全ての階層守護者に私の執務室に来るよう招集をかけよ! 特にデミウルゴスには何が何でも戻ってくるよう伝えるのだ。また、この場は封鎖する。何人たりとも近づけぬようにしろ! それが終わり次第、お前たちも私の執務室へ来い」

「「はいっ、アインズ様!」」

 

 アウラとマーレが同時に声を上げ、同時に頭を下げる。

 その見事なシンクロを見る余裕もなく、アインズはウルベルトと思われる仔山羊を腕に抱いたまま自身の指輪の力を発動させた。

 瞬時に切り替わる周りの光景。

 第六階層の樹海から第九階層の自分の執務室の前まで転移すると、アインズは勢いよく扉を押し開きながら中に控えているメイドへと湯を沸かすように声を張り上げた。

 

 

 

**********

 

 

 

 第九階層の静かな回廊にカツカツと高い音が響き渡る。

 その音の主であるデミウルゴスは出来得る限りの足早さで回廊の奥へと進んでいた。

 その表情はいつもの冷静沈着で飄々としたもの。しかしその胸の内は大きな不安と恐怖で荒れ狂っていた。

 

 突然アウラ経由で告げられた緊急招集。

 それも自分は特に来るようにと言われてしまっては、いかなデミウルゴスと言えども平静ではいられない。もしや自分では気づかぬうちに大変な失敗をしでかしてしまったのだろうか…と、考えただけでも恐怖で全身に震えが走る。

 しかしそれらの感情を必死に胸の奥底へと閉じ込めると、デミウルゴスは迷いない足取りで目的地であるアインズの執務室へと歩を進めた。

 見えてきた目的の大きな扉へと歩み寄り、手早く服や髪を整えてから扉をノックする。

 一拍の後、薄く開いた扉に姿を見せたのはメイドではなくシャルティアだった。

 それにデミウルゴスは内心で首を傾げる。

 メイドではなくシャルティアが顔を覗かせたからではない。メイドがいないということは恐らく人払いをしているのだろう。問題はシャルティアの顔に今までにないほどの緊張と困惑、そして隠し切れぬほどの興奮の色を見て取ったからだ。

 その複雑すぎる表情に、一体何があったのかと更に不安が増長する。

 しかしこのような場で聞く訳にもいかず、取り敢えずシャルティアが開けてくれた扉の隙間から中へと足を踏み入れた。それとほぼ同時に中にいるであろう主へと声をかけようと片膝をついて頭を下げながら口を開く。

 しかしそれは突然聞こえてきた怒声によって勢いよく遮られた。

 

「―――に間違いはない! 第一、この指輪をどう説明するのだ!」

「し、しかし…!」

 

 聞こえてきたのは今現在自分たちの唯一絶対の主であるアインズと、我らが階層守護者統括の声。

 その常にない激しい口論にデミウルゴスは思わず下げていた頭を上げた。

 そしてその瞬間、丁度こちらを見やったアインズと目があった。

 

「おお、デミウルゴス、来たか!」

 

 先ほどの苛立ったようなものとは打って変わり、嬉しそうな声が自分を呼ぶ。

 それにデミウルゴスは内心で困惑しながらも改めて臣下の礼を取った。

 

「…デミウルゴス、召集のご命令に従い馳せ参じました」

「ああ、挨拶は良い! それよりもお前に会わせたい人がいるのだ!」

 

 言外に早く立ってこちらに来いと言われ、デミウルゴスは即座に立ち上がった。それでいて歩を進めながら、いつになく興奮しているような主を観察する。

 この短い間で見た限りでは、どうやら何かしらの不手際があったというわけではないようだ。逆に機嫌が良さそうにさえ見える。しかし、それならば先ほどのシャルティアの表情やアルベドとの口論は一体何だったのだろうか…。それに先ほどから感じられるアルベドの不穏な空気も気になる。

 何はともあれ今は主の命に即座に応えなくては、とデミウルゴスは招かれるままにアインズの元へと歩み寄った。

 そして彼が抱いていたものを目にした瞬間、デミウルゴスは大きな衝撃で身体を凍りつかせた。普段は閉じられている瞼が見開かれ、宝石の瞳が大きく露わになる。

 

 アインズの腕に抱かれていたのは、白い布に包まれた一匹の仔山羊。

 しかしその頭には仔山羊には似つかわしくない大きな捩じれた角が生え、身体をすっぽりと包んでいる布から覗いている手は蹄ではなく五本の指が備わったもの。そして何より全身で感じられる威圧感にも似た偉大なオーラと、歓喜に震える心。

 

 

「………ウル、ベルト…様…!!」

 

 

 そこにいたのは間違いようのない、至高の四十一人の一人であり、自分の創造主であるウルベルト・アレイン・オードルその人だった。

 今は眠っているのか、大きな目を瞼に隠して大人しくアインズの腕の中に納まっている。

 その様は小さな赤子そのものだったが、少なくとも今のデミウルゴスにとってはひどく些細なことだった。

 彼の御方が目の前にいる…、そのことが最大の重要事項だった。

 今までずっと一目だけでももう一度会いたいと望み、叶わぬ願いだと諦めてきた。

 最も敬愛し、崇拝する尊き至高の御方。

 その彼が目の前にあり、これ以上何を思えというのか…―――

 

 ああ、願わくばその御身に触れ、これが夢でも幻でもないのだと感じたい。

 眠りから覚めてその瞳に自分を映し、名を呼んでもらいたい。

 

 次から次へと彼の存在を求める渇望が湧き上がり、心が悲鳴を上げる。

 しかしデミウルゴスは咄嗟にそれらをグッと胸の奥底へと押し込めた。

 シモベの身でありながら許しもなく至高の御身に触れることなど許されぬことであったし、何よりウルベルトはアインズの腕の中にいる。同じ至高の御方であるアインズからウルベルトを取り上げるなど、一瞬考えただけでも万死に値する。

 デミウルゴスは一度ウルベルトから目を逸らすと、気づかれないように小さく息をついて自分を落ち着かせようと試みた。

 しかし再びウルベルトへと目を戻した瞬間、その努力は虚しくも泡へと消えさった。

 今まで確かに閉じられていた瞼。

 しかし気がつけばその瞼は開かれ、覗いた金色の瞳がじっとデミウルゴスを見つめていた。

 横に伸びた瞳孔を持つ金色の大きな宝玉が静かにデミウルゴスの姿を映している。

 

 

「…あっ、目が覚めたようだな。ふむ、この金色の目もウルベルトさんと同じだ。…デミウルゴス、彼はウルベルトさんに間違いないな?」

「っ! はい! この方はまさしく至高の四十一人の御方のお一人であり、わたくしめの創造主であるウルベルト様に間違いございません!!」

 

 久しぶりに見ることのできたウルベルトの瞳と、その瞳に自分を映してもらえたという喜びで身が震える。

 しかしデミウルゴスは何とか自分を取り繕うと、アインズの言葉に大きくはっきりと頷いてみせた。

 その宝石の瞳からは耐え切れなくなった涙が零れ落ち、褐色の頬を滑って地に落ちていく。

 この仔山羊は間違いなくウルベルト・アレイン・オードルだ。

 その身がどんなに変わろうと、纏っている至高の大いなる気配は変わらない。そして何よりこの心が、この魂が、敬愛する創造主だと叫んでいる。

 デミウルゴスは感涙に頬を濡らしながらアインズの腕の中でじっとこちらを見つめているウルベルトを見つめると、万感の思いを胸に深々と臣下の礼を取って跪いた。

 それにアインズが満足げに頷き、他の階層守護者たちも喜色を浮かべて臣下の礼を取る。

 

「よし、ではこれよりこの仔山羊をウルベルトさんと認め、ナザリックへの帰還をここに宣言する!」

「「「「「「はっ!!」」」」」」

「…しかし何故ウルベルトさんがこのような姿になってしまったのかは不明だ。それに現段階でどれだけウルベルトさんの意識があるのかも分からない。正式な公表は追々となるだろう。暫くウルベルトさんは私の元に置き、どうしても置いておけぬ時はデミウルゴスに任せようと思う。デミウルゴス、良いな?」

「はっ、畏まりました!」

 

 アインズの命にデミウルゴスが声を張り上げて答える。

 その声もその姿も、再び創造主に仕えることのできる喜びに弾んでいるように見えた。

 

「さあ、守護者たちよ! さっそく今のウルベルトさんに使えそうなものをナザリック中から探し集めてくるのだ!」

 

 声高らかに命を下すアインズの声も喜びに明るい。

 その腕の中で、笑顔と共に行動を開始する守護者たちを静かに見つめる金色の瞳。

 ウルベルトは眠そうに目を細めさせながら、最後に一瞬苦々し気に顔を歪めたアルベドをじっと見つめていた。

 

 

 

 



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第2話 日常への道

 アインズが召喚した五体の黒い仔山羊の集合体から出てきた、至高の四十一人の一人であるウルベルト・アレイン・オードル。しかしその姿は幼子そのもので、アインズたちは至急今のウルベルトに必要だと思われる物を探し始めた。

 階層守護者たちを筆頭に多くのシモベたちがナザリック中を駆け回る。

 アウラ、マーレ、シャルティア、コキュートスはシモベたちを指揮して使えそうな物を捜索しアインズの執務室へ持って行き、デミウルゴスは執務室で待機して持ち込まれた物を選別する。その間、アインズとウルベルトはアルベドと共に隣室のアインズの私室で今後のことを話し合っていた。シモベの殆どが未だウルベルトの帰還を知らされていなかったが、誰一人としてアインズからの『赤子用に役立ちそうなものを探せ』という命令に疑問さえ浮かべなかった。彼らにとっては至高の御方であるアインズの言葉は絶対であり、自分たちの思考などないも等しい。故に誰が使うとも知らず、使えそうなものを手あたり次第集めてはアインズの元へと持って行っていた。

 そしてそこで待っていたのは容赦のない言葉たち。

「このような硬い布を使えと言うのですか? 燃やしてしまいなさい」

「この服は大きすぎます。もし裾を踏んで転んでしまわれたら、どう責任を取るつもりですか?」

「このような品のないものは例え玩具でも相応しくありません。握り潰しますよ」

 などなどなど…―――

 辛辣な言葉と共にシモベたちが持ってくるものを事ある事につき返していくのは、言わずもがなウルベルトの被造物であるデミウルゴスである。

 デミウルゴスからしてみれば、これを使用するのがウルベルトだと知っているため一切の妥協を許さない。それを考えれば彼の言動も理解できるものだろう。

 しかしその一方で、未だ何も知らされていないシモベたちにその辺りを汲み取れというのも、また無理なことだった。

 

 デミウルゴスは一つ息をついて周りを見回した。

 今のところ、自分の眼に叶った物はまだ数点しかない。それも、それらは布や玩具の類が殆どで実用性には欠ける。やはり一から揃えた方が良いのではないかという思いが湧いてくるが、すぐにそれを自分で否定した。この世界の物はナザリックの物よりも数段劣り、そんな物をウルベルトに献上するなどもっての外だ。しかしそうなるとナザリックで一から作ることになってしまう。それでは時間がかかってしまい、その間ウルベルトに不便をかけてしまったら…と思うだけで、デミウルゴスは自分の不甲斐なさと申し訳なさに心臓を滅多刺しにしてしまいたかった。

 

「……あ~、デミウルゴス。先にこれだけでもアインズ様のところに持って行ったら? アインズ様も確認したいだろうし…」

 

 デミウルゴスの鬼気迫る雰囲気に気が付いてアウラが引きつった顔で声をかけてくる。それにデミウルゴスはチラッとアウラを見やると、次には数点の品物へと目を戻した。

 確かに彼女の言う通り、最終的にこの品物を使うかどうかはアインズやウルベルトが判断することだ。ならば数点だけでも早めに届けた方が良いかもしれない。

 デミウルゴスはそれらの品物を手早く纏めると、顔だけでアウラを振り返った。

 

「では、先にこれだけでもアインズ様に届けてきましょう。その間、この場を任せても構わないかね?」

「うん、良いよ。いってらっしゃ~い」

 

 アウラは安心させるように大きく頷くと笑顔と共に手を振る。それにデミウルゴスは一つ頷くと、アインズの元へ行くべく踵を返した。と言っても、アインズがいるのは隣室にある彼の私室。すぐ側の扉を潜れば到着する場所に、デミウルゴスはその扉を恭しくノックして中へと入っていった。

 赤いスーツの悪魔が扉の中へと吸い込まれ、パタンという軽い音と共に消えていく。

 完全に見えなくなったその姿に、アウラはそこでやっと一息つくのだった。

 

 

 

**********

 

 

 

 デミウルゴスが挨拶と共に中へと入れば、そこにはアインズとアルベドが今後について話し合っていた。一瞬邪魔をしてしまったかと後悔が押し寄せるが、それはすぐさま呼び寄せられたことによってかき消される。

 デミウルゴスはアインズの元まで歩み寄ると、五歩ほどの距離で止まり深々と頭を下げた。

 

「どうだ、使えそうな物は見つかったか?」

「はい、幾つかは…。しかし、身を包める布や玩具として使えそうな物ばかりでして…、実用的な物は未だ見つかっておりません」

「ふむ、やはりそうか。まぁ、大体ユグドラシルに赤子用のアイテムが存在しなかったからな。赤ん坊のNPCを作ろうとしたメンバーもいなかったし、仕方がないか…」

 

 まだ赤ん坊のNPCでもいれば、それに合わせてアイテムを作ろうとするメンバーも出てきたのであろうが、今更言ったところで仕方がない。

 因みに、この赤ん坊のNPCにヴィクティムが入りそうな気もするが、種族の問題もあり、この場では彼は除外された。

 

「ですが、ウルベルト様をずっとあのようなお姿にさせておくなど耐えられません! 至急、見繕えるものを準備してみせます!」

「う、うむ…」

 

 デミウルゴスの意気込みを大いに含んだ言葉を受け、アインズは気圧されたようにしながらも戸惑ったような声と共に寝室の部屋へと目をやった。そこにはいつもは閉められているはずの扉が開け放たれており、大きな寝台が鎮座する室内が見て取れた。

 キングサイズのふかふかの寝台の上には、小さな白い塊がポコリと転がっている。恐らく眠っているのだろう、大きく動くことはなく、ただ静かに小さく上下にクゥクゥと動いていた。

 その可愛らしい様子に、愛しさと共に思わず笑みが浮かびそうになってしまう。

 しかしデミウルゴスは何とか顔を引き締めさせると、ふとアルベドが目に入り、あることを思い出して口を開いた。

 

「そういえば…、アルベド。確か子供服を作っていましたね。一時で構いませんのでお借り出来ませんか?」

「なっ!! あれはアインズ様とわたくしの…!!」

「もちろん分かっていますよ。ですので一時で構いません。ウルベルト様のお洋服が用意できればすぐにでもお返しします」

「……………………」

 

 デミウルゴスとて今自分が口にした案が最善だとは思っていない。いくらナザリックの品質の良い物でも、“ウルベルトの物”でなければ意味がないのだ。他者のために作られた物というのは、つまりその者専用の物ということだ。それを間借りしてウルベルトに献上するなど、通常であれば決して許されぬこと。しかしデミウルゴスにとって己が創造主が碌に身支度もできない現状の方がよっぽど許し難いことだった。

 そのため“一時的に”という言葉を強調する。

 しかしアルベドは納得していないのか、美しく輝く金色の瞳を小さく細めさせた。

 

「……デミウルゴス、それはどうかと思うわ。その服はアインズ様とわたくしとの未来の子供が着るために作られた物。それを一時とはいえお貸しするなんて、ウルベルト様にも未来のアインズ様の子にも無礼ではないかしら?」

「そうですね。しかし今の現状では着て頂ける服がありませんし、新しく用意しようにも時間がかかります。その間、ウルベルト様に不便をおかけしてしまうことこそ、最も無礼ではありませんか?」

「でもウルベルト様にも好みがおありでしょう? わたくしなどが作ったものでは、かえってウルベルト様をご不快にさせてしまうかもしれないわ」

「…あくまでも拒否するつもりですか、アルベド。私の創造主であり、至高の御方の一人であらせられるウルベルト様に粗末な姿でいろとでも?」

「あら、私はウルベルト様のことを思って言っているのよ」

 

 笑みを消したデミウルゴスと暗い笑みを浮かべたアルベドが不穏な空気を纏って睨み合う。二人の間に見えないはずの火花がバリバリと散り、二人の背後にドス黒いオーラが噴き出す。

 その常にない光景に、“アインズとアルベドの子供”というフレーズに混乱していたアインズはハッと我に返った。

 正直、先ほどのフレーズについてアルベドかデミウルゴスに問い質したい。しかし今は二人の争いを止める方が先決だ。目の前で子供同然に思っている二人が言い争うのに苛立ちと悲しみが湧き上がってくる。

 

 

「お前たち、いい加減に…―――」

 

 

ガンッ!

 

 

 アインズの言葉を遮るように響いてきた大きな音。

 その音は寝室から聞こえ、三人は反射的にそちらを振り返った。

 

「ウルベルトさん!」

「ウルベルト様っ!!」

 

 アインズが驚きの声を上げ、デミウルゴスは叫びにも似た声を上げて寝室へと走る。

 寝台の上にいた筈のウルベルトが地面へと転がり、小さな身体に纏わりついた白い布にジタバタともがいていた。メェェェェ…と小さな鳴き声が布の中から聞こえてくる。それにアインズとデミウルゴスは慌てて蠢く布の塊へと手を伸ばした。大きな布がバサッと捲られ、中から小さな仔山羊が姿を現す。

 仔山羊はプルプルと頭を振ると、薄べったく細長い耳がぴろぴろと揺れた。まるで自分に何が起こったのか探るように桃色の可愛らしい鼻をスピスピと動かす。

 

「大丈夫ですか、ウルベルトさん!」

「ウルベルト様、痛いところはございませんか!? ああ、お助けできず申し訳ございません!!」

 

 アインズとデミウルゴスが口々に声をかける。

 しかしウルベルトは不思議そうに小首を傾げた。

 その瞬間、小さな身体に不釣り合いなほど大きな角の重さに耐えかねたのか頭からころんっと地面へと転がる。再びジタバタともがくのに、アインズは掬い上げるように仔山羊を抱き上げた。

 

「…仕方がない、宝物殿に行ってみよう。もしかしたら何かあるかも知れない。ウルベルトさんも行きましょう」

 

 柔らかな白い毛を撫でながら穏やかにウルベルトに声をかける。

 アインズは背後で心配そうにウルベルトを見つめている悪魔を振り返ると、徐に腕の中の仔山羊を悪魔へと差し出した。デミウルゴスは慌てたようにウルベルトを腕に抱きとめる。困惑の表情でアインズと腕の中のウルベルトを交互に見やり、それでいて大切そうに腕の中の創造主を抱きしめた。

 赤いスーツや黒い革手袋越しに温かな体温を感じる。柔らかな白い毛皮や肉の感触、どこか甘い香り。腕全体に感じられる小さな身体の重みが幸福で、敬愛する創造主に触れているのだと歓喜に胸が一杯になった。

 仔山羊は小さくキョロキョロと周りを見回し、次には金色の瞳でじっとデミウルゴスの顔を見上げてくる。暫くじっと悪魔の顔を見つめ、何を思ったのか目を閉じてこてんっと赤いスーツの胸元へと顔を押し付けてきた。目を閉じたままスリッと頭を摺り寄せ、小さな手がキュッとスーツを掴む。まるで甘えるようなその仕草に、デミウルゴスは頭が破裂しそうになった。創造主の可愛らしい仕草と、それをされているというのが自分だということに感激で身を震わせる。

 しかしこんなところで創造主を抱えたまま立ち尽くしている訳にはいかない。

 デミウルゴスは必死に歓喜を押し込めて大切にウルベルトを抱えると、目の前のアインズへと目を向けた。

 

「私は宝物殿に行く。デミウルゴス、ウルベルトさんを抱いて供をせよ」

「はっ!」

「…ではアインズ様、わたくしも」

「いや、お前は執務室でデミウルゴスの代わりに選別をしていてくれ」

 

 寝室の手前で頭を下げるアルベドに命を下し、後ろに控えるデミウルゴスに手で合図を送る。そしてリング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを発動させて姿をかき消したアインズに、デミウルゴスは慌ててウルベルトを見下ろした。

 

「ウルベルト様、失礼いたします」

 

 柔らかな声で語り掛け、未だスーツを握り締めている仔山羊の小さな右手に恭しく触れる。

 右手の薬指にはめられた、アインズの物と同じリング・オブ・アインズ・ウール・ゴウン。

 アインズの言葉を考えれば、おそらくウルベルトの持つリングの力で共に宝物殿に来いと言うことだろう。だがデミウルゴスには一時とはいえウルベルトからリングを外し、借りることなどできるはずもない。ただのシモベが御方の御手に触れるなど恐れ多い、と思いながらもそっと仔山羊の右手をリングごと包み込んだ。掌に感じる柔らかな手と固いリングの感触に魔力を込め、そのスキルを発動させる。

 

 一瞬で変わる目の前の景色。

 周りを見回せば堆く積まれた金貨の山がいくつも鎮座し、財宝と呼ばれる物も多く山の中に埋もれている。一見ひどくぞんざいな扱いに見えるが、それはこのナザリックにとってそれだけの価値しかないからだ。本当に価値がある物はこの奥にある幾つもの大きな闇の扉の先にある。

 しかしアインズはこの金貨の山の中に埋もれている物で何か使える物がないか探すつもりらしい。パンドラズ・アクターを引き連れ、何かを話し合っていた。

 

「アインズ様、お待たせしてしまい申し訳ございません」

「いや、問題ない。…さて、ここで使えそうな物を探そうと思うのだが…―――」

 

 アインズの言葉が不意に途中で止まる。

 眼窩の灯がじっとデミウルゴスの腕の中に納まっている仔山羊を見つめ、見られている本人であるウルベルトはじっと奥にある闇の扉を見つめていた。

 

「…ウルベルトさん、そっちが気になるんですか?」

 

 アインズがデミウルゴスの方へと歩み寄り、腕の中のウルベルトへと声をかける。しかしウルベルトはチラッとアインズを見るだけで、すぐさま闇の扉へと目を戻してしまう。どうやらよっぽどそちらが気になるのか、それからはピクリとも動かない。

 アインズはフッと笑みにも似た息をつくと、仔山羊が見つめる先…闇の扉へと歩み寄った。目の前の闇を見上げ、朗々と定められた言霊を唱え始める。

 

「“かくて汝、全世界の栄光を我がものとし、暗きものは全て汝より離れ去るだろう”」

 

 アインズの声が唱え終わるのとほぼ同時に、闇の扉が消え失せて道が開かれる。残ったのは薄暗い大きな通路と、扉の闇を吸い込んで凝縮した空中に浮かぶ球体。通路には多くの装身具が整頓して左右の壁に並べられていた。

 アインズとウルベルトを抱いたデミウルゴス、最後にパンドラズ・アクターが順に目の前の通路へと足を踏み入れていく。

 多くの指輪にネックレス、ブレスレット、アームレット、バングル、フェロニエール、アンクレット、ティアラ、ピアス、イヤリング。他にもロザリオやパンドラズ・アクターが着けているような懸章や飾緒、懐中時計、中には簪や首輪のようなものまで並べられている。しかしそのどれもが今のウルベルトには身に着けることは困難だろう。いや、身に着けることができる物もあるだろうが、それは身を飾るだけであって実用性がある物かと問われれば大いに疑問が残る物だ。

 そのため、誰もが足を止めずに奥へと突き進んでいく。

 薄暗い回廊を抜け、次に足を踏み入れたのは長方形の白い部屋だった。どこかの待合室をイメージしているのか、がらんとしたその部屋にはソファーとテーブルしか置かれていない。壁には自分たちが通ってきたものと同じような幾つもの大きな通路がその口を開いている。

 その中でも一つだけ雰囲気の違う大きな通路。重々しい威厳にも似た雰囲気を漂わせるその通路を、仔山羊は真っ直ぐに金色の瞳を向けていた。

 

「…アインズ様、あちらは」

「この先は霊廟だ」

「霊廟、でございますか?」

 

 デミウルゴスが困惑の表情を浮かべて“霊廟”と呼ばれた通路を見やり、腕の中の仔山羊を見つめる。

 “霊廟”という名に不吉なものを感じ、それを凝視する創造主に不安が湧き上がった。

 一体ウルベルト様は霊廟に何を求めていらっしゃるのか……。

 最悪の結末を想像しそうになる自分の思考に、デミウルゴスは必死に心の中で頭を振ってそれを打ち消す。それでも不安は消えることはなく、アインズに尋ねるのも憚られて背後のパンドラズ・アクターを振り返った。

 

「……パンドラズ・アクター。この霊廟には、一体何があるのですか?」

「このナザリック地下大墳墓に保管している世界級(ワールド)アイテムです。そしてこのナザリックを去った至高の四十一人の御方々が残されていったアイテムも保管しております」

「至高の御方々の…。ということは、ウルベルト様の物もっ!」

 

 デミウルゴスは霊廟にあるであろう創造主の装備品に思いを馳せ、天にも昇る気持ちに胸を震わせた。今まで胸を支配していた不安は消え去り、甲殻に包まれた尻尾までもが狂喜に揺らめく。

 恐らく今のウルベルトでは、自身の装備アイテムですらサイズが合わず身に纏うことは難しいだろう。しかしウルベルト自身がそれを求めたという事実がデミウルゴスを歓喜させた。

 

「デミウルゴス、ウルベルトさんのリング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを外してパンドラズ・アクターに預けよ」

「アインズ様? それは、どういう…」

「霊廟に仕掛けられた罠だ。この奥にいるゴーレム、アヴァターラたちは指輪を持つ者たちを迎撃するように設定されている。それは私やウルベルトさんでも例外ではない」

「なるほど…。承知致しました」

 

 デミウルゴスは一度深く頭を下げると、腕の中のウルベルトを見下ろして小さな右手に手を伸ばした。スーツを握る創造主の手を放させることも、その指から栄光ある指輪を外させることもひどく口惜しい。しかし単なるシモベ一人の感情で御身を危険な目に合わせる訳にはいかない。

 デミウルゴスは失礼します…と一言声をかけると、涙を呑んで震える手で小さな指から指輪を抜き取った。それを後ろに立つパンドラズ・アクターに預ける。

 アインズも自身のリングを外して空間から取り出した指輪用収納箱へと収めると、霊廟の中へと入っていった。デミウルゴスもその後に続いて霊廟の中へと足を踏み入れる。

 

 そこは薄暗く、縦長に伸びた静寂が包む場所だった。壁の左右には複数の台座が連なり、その上には黄金色のアヴァターラが一体ずつ鎮座している。

 アヴァターラは一体一体形が違い、その身に纏う装備具はどれもが絶対的な力を持つ物。

 その中でデミウルゴスは一体のアヴァターラを見つけてその場に立ち尽くした。

 

「……ウル、ベルト…様」

 

 目の前に佇むアヴァターラは見間違えるはずがない、創造主であるウルベルト・アレイン・オードルを模ったもの。何より身に纏っている装備具がそれを証明していた。腕の中の仔山羊もじっと静かに自分のアヴァターラを見上げている。

 一体何を考え、何を思っているのか…。

 彼を抱いているデミウルゴスにはその表情を伺い見ることはできない。

 何と声をかけようか迷う中、不意に腕の中の重みが消え去った。ハッと見てみれば腕の中に創造主の姿はなく、白い小さな影が宙に浮かんでいた。

 

「ウルベルトさん、何をするつもりですか!?」

 

 アインズもウルベルトの行動に気が付いて声をかけてくる。しかしウルベルトはこちらを振り返ることもなく、ふわふわと浮いてアヴァターラへと近寄っていった。恐らく〈飛行(フライ)〉を使っているのだろう、危なげなく宙を飛んでいく。その先は厳密にいえばアヴァターラではなく、アヴァターラが身に着けている一つの装備具だった。

 腰のベルトの後ろに装備された、赤黒く細長い布。

 “慈悲深き御手”と呼ばれる布の両端が悪魔の手のようになっているそれは、ワールド・ディザスター専用の装備アイテムである。このナザリックにおいて、ワールド・ディザスターであるウルベルトだけが持つことを許されたウルベルト専用のアイテム。

 “慈悲深き御手”はまるで近づいてくるウルベルトに反応するかのように、その悪魔のような手をそっとウルベルトへと差し伸ばしてきた。シュルッという音と共にアヴァターラから滑り落ち、まるで蛇のように白い小さな身体を捉え、ぐるぐるに巻き付いてくる。

 

「ウルベルト様!!」

 

 勢いよく白が赤に変わっていき、その凄まじさにデミウルゴスが咄嗟に駆け寄ろうとする。しかしそれはアインズに止められ、気が付けばウルベルトはまるで服のように神器級(ゴッズ)アイテムを身体中に巻きつけていた。

 

「……う~む、もうこうなったら服ができるまでこれでいいか?」

 

 まるで袈裟を巻き付けたインド僧のようになっている仔山羊を見やり、アインズが困惑したように言葉を濁す。

 デミウルゴスはふわふわと戻ってきたウルベルトを腕に抱き留めながら、アインズの言葉に返答することができなかった。

 神器級(ゴッズ)アイテムほど至高の御身を飾るにふさわしい物はない。形状が布であることを除けば、白と黒の毛皮に覆われた美しき肢体も隠せている。一時であれば、粗末な服を着て頂くよりもこの神器級(ゴッズ)アイテムを纏って頂いた方が良いかもしれない…とデミウルゴスはウルベルトを見やった。

 ウルベルトはまるで用はすんだとばかりにデミウルゴスの腕の中でぬくぬくと眠りにつき始めている。

 悪魔は神器級(ゴッズ)アイテムに身を飾った己が創造主を暫く見つめると、そっと包み込むように抱く腕に力を込めた。

 

 

 




今回のウルベルト様捏造ポイント
・ウルベルト様の装備《慈悲深き御手》;
後ろの腰の辺りから垂れ下がっている、両端が悪魔の手のようになっている赤黒い布。(11巻キャラクター紹介のイラスト参照)
ワールド・ディザスター専用装備アイテム。
本来は防御と、攻撃した相手のMPを奪う能力(攻撃力は皆無)だが、ウルベルトが更に手を加えたため攻撃ができるようになり、MPほどではないもののHPも吸い取れるようになった。
何とも名に相応しくない、まったく慈悲深くないえげつないアイテム。


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幕間 仔山羊の微睡み

とてつもなく短いです……。


 最初に感じたのは柔らかな温かさだった。まるで温かな毛布に包まれているかのような、まるで微温湯に沈んでいるかのような。けれど呼吸が苦しくないということは、やはり毛布の中に横たわっているのだろうか。

 目の前は真っ暗で、何も見えない。

 いや、瞼を閉じているのだから当たり前か。だが何故だろう、どうしても瞼が開かない。

 

 そんな中、不意に何かが聞こえた気がして無意識に耳を聳たせた。

 何が起こっているのか分からない状況で、やはり不安だったのかもしれない。必死に耳を澄ませて少しでも情報を集めようとする。

 

メェェェェェェ…―――

 

 それは可愛らしい仔山羊の鳴き声。

 なんで仔山羊?と思う間もなく、最初は一つだと思っていたものが気が付けば二つに。それが二つから三つ、三つから四つと増えていく。いつの間にか大合唱となっていた仔山羊の声は、まるで何かを祝福しているかのよう。

 それをぼんやりと聞いていると、不意に何かに身体を絡めとられて柔らかなぬくもりから引きずり出された。すぐさま違うぬくもりに包まれたが、最初のぬくもりとは比ぶべくもない。

 そこでやっと瞼を開けることができた。

 だが目に飛び込んできた光景は信じられないものだった。

 それは何年も前に去った『ユグドラシル』というゲームの光景。ギルドの仲間たちと共に作り上げたナザリック地下大墳墓の第九階層にある豪奢な部屋に、見覚えのある骸骨の姿。

 あの骸骨はギルマスのモモンガさんだろうか?

 ということは、これは夢なのだろうか?

 骨の腕に抱かれ、いつの間にか用意されていた湯に包まれながらずっとそう考える。

 しかしこの時はこれ以上意識を保つことができず、気が付いた時には意識はブラックアウトしてしまっていた。

 

 次に意識が目覚めたのは、おそらく最初の目覚めからそれほど時間は経っていないと思う。しかし次に目に飛び込んできた光景には本当に驚かされた。

 何とギルマスやナザリックの景色だけではなく、見覚えのある多くのNPCが揃っていたのだ。それもただ揃っているだけではない、何と自分で動き声を発している。まるで本当に生きているかのように……。

 そして一人のNPCを見つけた瞬間、俺は意識が真っ白になって目が釘付けになった。

 三つ揃えのスーツに、黒髪のオールバック。東洋系の整った顔立ちを丸眼鏡で飾り、その背後からは銀の甲殻で覆われた棘付きの尻尾が伸びている。

 見覚えがあり過ぎる、その姿。

 あれは間違いなく、俺が作り上げたNPCであるデミウルゴスだ。

 ユグドラシルでの情熱の殆どを注ぎ込んだ最高傑作。ユグドラシルを去る際に一番の心残りだったNPCが、今目の前で動いて、話している。

 その瞬間、俺はこれが夢であると確信した。逆にこれが夢でなかったら一体何だというのか。

 幸せなような、少し物悲しい様な…、何だか不思議な気持ちが湧き上がってくる。

 目の前で嬉しそうに動き出すデミウルゴスを含めた多くのNPCと、何故かすごい形相をしている一人のNPCの女。

 ああ、あの女はどんな名だったか…、意識がぼんやりしていて思い出せない。だがこれが夢なら、そんなに必死に思い出さなくてもいいのかもしれない。

 

 夢なら夢らしく、この素晴らしい光景を静かに眺めていたかった。

 この夢が醒めないように、この夢が終わってしまわないように…。

 

 しかしその考えは一つの出来事で脆くも崩れ去ってしまった。

 その出来事とはひどく些細な事で、簡単に言えば俺が寝かされた寝台から落っこちたのだ。

 ガンッという大きな衝撃と、頭の角から響いてくる鈍痛。身体に纏わりついてくる大きな布にもがきながら、夢で果たして痛みなど感じるだろうか…と疑問を浮かべる。

 そして次に抱かれたのは今までの骨の腕ではなく、自分のNPCの腕の中。スーツ越しに感じる温かさと、清潔感のある仄かな香り。

 夢に香り?と再び疑問を浮かべながらも、この腕のあまりの温かさに再び眠気が襲ってくる。

 どうしてこいつの腕の中はこんなにも温かいんだろう?

 炎獄の造物主という設定の炎系の悪魔だからか?とぼんやりする意識の中で思考を巡らす。

 しかし眠い…と眠気を飛ばすために目の前のスーツに顔をこすりつけ、鼻をスピスピと鳴らす。先ほどの清潔感のある香りを胸一杯に吸い込み、少しだけ眠気が抜けたような気がした。

 何はともあれ、今の自分にはすることも、ましてやしたいこともない。

 夢が続く限りは温かな悪魔の腕の中で成り行きを見守ろう、と俺はぼんやりと動き始める成り行きに目を細めさせた。

 

 



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第3話 小さな災厄の幕開け

アインズ様の表記は、『モモンガ』ではなく『アインズ』で統一しています。
違和感などありましたらご了承ください…。


 アインズは途方に暮れていた。

 目の前には寝台の上にちょこんっと座り込んだ仔山羊がおり、アインズは豪華な椅子に腰を下ろして仔山羊と向かい合っていた。

 瞳孔が横に長い金色の瞳と、紅の眼窩の灯が宙で混じり合う。

 アインズは上体を屈ませると、大分低い位置にある仔山羊の目へと目線を合わせた。

 

「……ウルベルトさん、何か食べませんか?」

「……………………」

「ああっ、寝ないでくださいよ!」

 

 うつらうつらし始める仔山羊に慌てて声を上げる。しかしアインズの言葉も虚しく、目の前の仔山羊はこてんっと寝台に転がった。金色の瞳は閉じられ、クゥクゥと寝息を零し始める。

 完全に寝入ったその姿に、アインズはガクッと大きく肩を落とした。

 

 ウルベルトが五体の黒い仔山羊たちの集合体から生まれ出てから早三日。アインズとウルベルトはこれまで幾度となく今と全く同じことを繰り返していた。

 赤ん坊にとって眠ることは良いことだ。寝る子は育つと良くいうし、ウルベルトに必要なことならばアインズとてそれを止めるつもりはない。しかし食事をせずに眠り続けるのはいかがなものだろうか。

 ユグドラシルでのウルベルトは最上位悪魔(アーチデビル)であり、飲食や睡眠は不要だ。それが大いに関係しているのかもしれないが、別に食べられないわけではないのだし実際に睡眠はとっているのだから飲食も必要なのではないだろうか…。

 

 

「アインズ様、パンドラズ・アクターでございます! 入室させて頂きます!」

 

 呑気に眠りこけているウルベルトを恨めし気に見つめる中、パンドラズ・アクターがノックと大きな声と共に部屋へと入ってきた。両手には大きなワゴンの取っ手が握られ、コロコロと小さな音を響かせながらアインズの近くまで歩み寄る。

 

「おや、ウルベルト様は再びお休みに?」

「ああ、そうなのだ。今日こそは何か口に入れてもらおうと思っていたのだが…」

 

 あるはずのない肺を使ってため息を吐き出しながらアインズは座っていた椅子から立ち上がった。後ろに置いてあるワゴンを振り返り、その上に置いてある色とりどりのピッチャーを見やる。

 

「何を持ってきたんだ?」

「すぐに摂取しやすいように各種の飲み物をご用意いたしました! 右から水、ミルク、オレンジジュース、リンゴジュース、ミックスジュース、はちみつレモン、トマトジュース、ワイン、リキュール、ウォッカ、ウイスキー…」

「ちょっと待て! 後半から酒になっていないか!?」

「はい、左様でございます」

「いや…、左様でございますって。それはマズいだろっ!!」

 

 子供に向かってなんてものを用意してるんだ!とワゴンの上に並ぶ数多くの酒を睨み付ける。

 ウルベルトの状態を察して食べ物ではなく飲み物を用意してきたことは感心するが、何故そこで酒も入るのかが謎だ。

 しかし持ってきた張本人は疑問の色も浮かべずに不思議そうにアインズを見つめている。

 色鮮やかな液体の正体が酒であると分かった瞬間、アルコールの香りがむせ返ったような気がして思わず内心顔を顰めさせた。子供の近くに酒を置いておくこと自体マズいんじゃないか…?と寝台の仔山羊を振り返る。

 その瞬間、大きな金の瞳とばったり目が合って、アインズは思わずギョッとした。先ほど寝入ったばかりの仔山羊がうつ伏せに寝転んでじっとこちらを見つめている。いや、その目線はアインズから微妙にずれている。正確にはアインズの後ろにあるワゴンへと向けられていた。

 

「ウルベルトさん、やっと何か食べる気になってくれたんですね!」

 

 じーーーっと穴が空くほど凝視しているウルベルトに喜びの声を上げる。しかし彼が何の飲み物を見ているのか目線を追った瞬間、アインズは思わず唖然とした。

 試しに手前のミルクが入っているピッチャーを持ち上げてみる。金の瞳はチラッと動いたが、しかしすぐさま元の位置に戻ってしまう。

 続いて次は赤ワインが入ったピッチャーを手に持ち、ゆらゆらと上下に揺らしてみる。すると金色の瞳もそれを追うように上下に揺れ動いた。

 

「だ、駄目ですからね! これワインですから! お酒ですから!!」

 

 これは子供が…それも赤ん坊が飲むようなものではない!と言外に言われ、仔山羊の顔が不満そうに顰められる。

 しかしアインズとて譲る気はない。

 ワインを巡って睨み合う至高の二人に、パンドラズ・アクターは表情の浮かばぬはにわの顔でじっと二人を見つめていた。

 

「…アインズ様。僭越ながらワインを口にされても大丈夫なのではないでしょうか?」

「何を言うのだ! ウルベルトさんは今赤ん坊なんだぞ!!」

「おっしゃる通りです! …しかし、ウルベルト様は最上位悪魔(アーチデビル)。恐らく問題ないかと思われますが…」

「…う~む…」

 

 パンドラズ・アクターの控えめな進言に、アインズは探るようにウルベルトを見つめた。

 確かに三日間何も飲まず食わずでいたにも拘らずピンピンしているところを見ると、ワインを飲んでも大丈夫なような気もする。逆にワインでも、何か食べ物に興味を持ってくれただけでも僥倖と言えるのかもしれない。

 アインズは暫くワインと仔山羊を交互に見つめていたが、やがて諦めたように一つ息をついた。

 まずは未だ寝転んだままの仔山羊を起き上がらせ、寝台の上に座らせる。次にワインをコップへと注ぐと、小さな手にしっかりと握らせた。その際ストローを挿し、コップを持つ手を上から支えることも忘れない。一瞬ストローで大丈夫だろうかと不安に思ったが、それは杞憂に終わった。

 仔山羊はまるでかぶりつくように勢いよくストローを咥えると、そのままワインを飲み始めた。決して小さくはないグラスのコップから見る見るうちにワインが無くなっていく。

 数分も経たぬうちにコップは空になり、ウルベルトはストローから口を離してケポッと小さな空気を吐き出した。アインズは空のコップをウルベルトから離させ、そのまま後ろに控えているパンドラズ・アクターに預けた。

 

「御代わりはいりますか、ウルベルトさん?」

「……………………」

 

 まだピッチャーの中にあるワインを確認しながら問いかけるがウルベルトは答えない。ただ何か言いたげに小さく口をまごつかせている。まるで声を絞り出そうとするかのように、細い首の喉元から唸り声のような音が聞こえていた。

 

「ウルベルトさん…?」

「………モ…」

「っ!?」

 

 小さな口から零れ出たのは、決して仔山羊の鳴き声ではない。驚愕と期待に眼窩の灯りを揺らめかせ、アインズはじっと食い入るように目の前の仔山羊を見つめた。

 仔山羊は先ほどと同じように口をまごつかせ、小さな唸り声のような音を鳴らしている。口を小さく何度も開閉させ、じっとアインズを見上げた。

 

「……も……もぉ…、…もぉーーー…」

「……………………」

「………………………んガっ…」

「っ!! …ウルベルトさん!」

 

 言葉にもなっていない、ただの音にしか聞こえない呼び声。しかしアインズにとっては何よりも嬉しい呼び声だった。

 もう呼ばれることもないかもしれないと諦めていた。

 寂しさにも悲しみにも蓋をして、見えないふりをしてずっと逃げてきた。

 しかし、もうそんなことをしなくても良いのだ。

 求めた友人は今目の前におり、望めばいくらでも呼んでもらえる。

 

「そうです、モモンガです! ウルベルトさん、もう一度呼んで下さい!」

「……………………」

「…ウルベルトさん?」

 

 しかし何度呼びかけても目の前の仔山羊は先ほどのように呼び返してはくれない。

 一体どうしたのかと不安を湧き上がらせる中、ふと仔山羊の小さな口がもにゅもにゅと動いているのに気が付いた。不機嫌そうに顔を顰めさせ、何か言いたげに小さな唸り声のような音を喉の奥から響かせている。その様はまさに不機嫌にムズがる幼子そのものだった。

 

「ウルベルトさん、どうしたんですか?」

「……………………」

「…アインズ様、思うに…ウルベルト様はまだうまくお話ができないのではないでしょうか」

「まぁ、まだ赤ん坊だしな…」

「しかし、もし意識が我々の知っているウルベルト様ならば、さぞや今のご自分の状況に歯がゆく思われていることでしょう! ここは〈伝言(メッセージ)〉を使ってみてはいかがでしょう?」

「…なるほど」

 

 パンドラズ・アクターの言葉に、アインズは納得したように頷いた。

 確かに中身が大人で身体が赤ん坊という状態であれば誰でも歯がゆく思うだろう。しかも愚痴を言いたくても言葉さえうまく扱えないのであればなおさらだ。

 アインズはこめかみの辺りに指を添えると、ウルベルトに向けて〈伝言(メッセージ)〉の魔法を発動させた。この世界に来た当初は虚しくも繋がらなかった線が、今回ははっきりと繋がったのが分かった。

 

『…ウルベルトさん、聞こえますか? …話せますか?』

『………モモンガさん…』

 

 少しの間をおいて聞こえてきた懐かしい声に、アインズは歓喜した。

 やはりこの仔山羊はウルベルトだったのだ、とないはずの心臓が震えたようにさえ思える。

 しかしアンデッド特有の感情抑制がすぐさまかかり、浮ついた心が治まっていく。それに小さな苛立ちを感じながらも改めてウルベルトに目を向けた。

 

『ウルベルトさん、また会えて本当に嬉しいです!』

『あ、ああ…俺もだよ、モモンガさん。ユグドラシル最終日(あの日)も本当は行こうと思ってたんだけど間に合わなくて…ずっと謝りたいと思ってたんだ』

『来てくれる、つもりだったんですか…』

『当たり前だろ! モモンガさんには迷惑かけっぱなしだったし、すごく感謝もしてるんだ。礼を言いたかったし、最後にもう一度だけ馬鹿騒ぎしたかった…。…まぁ、結局行けなかった俺が言っても説得力ないと思うが…』

『そんなことないです! ウルベルトさんの気持ちを聞けて、すごく嬉しいです!』

 

 夢にも思わなかったウルベルトの思いに、アインズは胸が温かくなるのを感じた。

 自分にとってギルドのメンバーたちは全員大切な友人たちであり、その気持ちはアンデッドになった今でも変わらない。しかしそれでも、彼らを恨む気持ちも少なからずあったのだ。

 置いて行かれた…、捨てられた…、裏切られた…---

 彼らの事情は理解できるのに、そんな身勝手な思いが小さく蠢く。

 しかしそれも、ウルベルトの先ほどの言葉で一気に晴れたような気がした。

 確かに置いて行かれたのかもしれない。けれど捨てられたわけでも、裏切られたわけでもなかった。少なくとも彼は、自分を忘れずに来てくれようとしてくれたのだから。

 

『なぁ、モモンガさん…、これは夢なのか? 俺が後悔と罪悪感から見てる幻なのか?』

『…え…?』

『モモンガさんには感謝してる。謝りたかったのも本当だ。ユグドラシル最終日(あの日)だって、最後にもう一度だけナザリックやデミウルゴスたちをこの目に焼き付けておきたかった。…でも、これが俺の自分勝手に見てる夢なら、早く目を覚ましてしまいたい。こんな形でモモンガさんへの罪悪感を消そうなんて、自分自身に反吐が出る…!』

『ウルベルトさん、落ち着いて下さい。これは夢でも幻でもありません』

 

 ウルベルトを宥めながら、アインズは再び自分の心が浮足立つのを感じていた。NPCたちも今の彼の言葉を聞いたら感動で咽び泣くことだろう。

 

『夢でも幻でもないって…一体どういうことだ? まさかユグドラシル…、いや、ユグドラシルはもう終わったはず…』

『ウルベルトさんの言う通り、ユグドラシルは終わりました。ここはユグドラシルでも、ましてや現実世界(リアル)でもありません。…信じられない話かもしれませんが、全てお話します』

 

 難しい表情をして考え込むウルベルトに一言前置きを告げてからユグドラシル最終日からの出来事を嘘偽りなく話し始める。

 それは、にわかには信じられない話であっただろう。しかしウルベルトは一言も口を挟まず、ただ真剣な表情を浮かべて静かに聞いてくれていた。

 長い時間、それでもある程度省いたものの話が終わった頃には、目の前の仔山羊は呆気にとられたような複雑な表情を浮かべていた。

 

『それは、また…』

『……信じてもらえませんか…やっぱり…』

 

 自分でも突拍子もない話をしていることは分かっている。ウルベルトが信じられないのも無理はない。

 しかし返ってきた言葉は意外なものだった。

 

『いや、信じるよ。第一、モモンガさんがそんな嘘を言う人じゃないってことも、嘘をつく理由もないしな』

『…ウルベルトさん』

『第一、感触や温度だけじゃなくて味がある夢なんてありえない。さっき飲ませてもらったワインはすごく美味かったし』

「あははっ、それは良かったです」

 

 おどけて小さく肩をすくめながら笑みを浮かべるウルベルトに、アインズは思わず言葉を口に出して笑い声をあげていた。

 先ほどの仕草も、先ほどの言葉も、全てがウルベルトらしくて懐かしさが溢れてくる。ああ、本当に戻って来てくれたのだと込み上げてくる喜びをそっと強く噛みしめた。

 

『…モモンガさん、もう一つ聞きたいことがあるんだが』

「? なんですか?」

『………俺は何で仔山羊姿なんだ?』

「……………えっと…」

 

 憮然とした声音で問いかけられた質問に、アインズはどう答えたものか途方に暮れた。

 いや、その答えを知らないのだから答えようがないのだけれど…。

 しかしそんな答えでは目の前のウルベルトは納得しそうにない。

 

『ユグドラシルでの悪魔の姿なら分かる。現実世界(リアル)での姿でも…まぁ納得はしただろう。だけど何で仔山羊? こんな姿だからずっと夢だと思ってたのに!』

「ああ、まあ…そうですよね。実を言うと俺もよく分からないんですよ。ただ、黒い仔山羊たちから生まれたから仔山羊姿なのかな~と…」

『……………………』

 

 心なしか目の前の仔山羊から白い目で見られているような気がする。

 しかしこれ以上の解答が見つかるはずもなく、アインズはわざとらしく咳ばらいを零した。パンドラズ・アクターからワインのピッチャーを受け取り、誤魔化すように軽く振って見せる。

 

「そんな事より、もう少しいかがですか?」

『いいのか? 赤ん坊に酒はマズいんだろう?』

「まぁ、見た限り平気そうですし…、何か口にしてくれるだけでもマシです」

『…悪ぃ、この姿のせいか…どうも眠くて仕方ないんだ……』

 

 言外に今まで飲食しなかったことを怒られ、ウルベルトは謝りながらもふあぁっと口を大きく開けて欠伸を零す。

 金色の目を瞼に隠し、眠そうに目を擦る様子はやはり幼子そのもの。

 ウルベルトに知られれば睨まれてしまうのは確実だが、その微笑ましい姿にアインズは笑みを抑えることができなかった。最も、骸骨なため緩む頬はないのだけれど…。

 何はともあれ今では船をこぎ始めたウルベルトを放っておくわけにもいかない。アインズはウルベルトの手からコップを離させると、そのまま寝台の上に横たえさせた。

 やはり身体が赤ん坊であることが影響しているのか、再びすっかり寝入ってしまった仔山羊にクスッと笑みを零す。本当はもっと何か口にしてほしかったし、話をしたかったが仕方がない。

 アインズは柔らかな掛け布でその小さな身体を包みこむと、骨の手でポンッポンッと軽く叩いた。

 

「……これからは、ずっと一緒にいて下さいね、ウルベルトさん」

 

 喜びの滲んだ声が、しかし何故か少し寂し気に響いて消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日からウルベルトのいるアインズの部屋には常時いくつもの種類のワインが揃えられるようになった。他の飲み物も飲めると言えば飲めるのだが、ウルベルトの好みと『ワインが一番成長に効いてる気がする』という言からアインズも進んでワインを用意させたのだ。

 そして今日もまた、ウルベルトは用意してもらったワインをストローで必死に吸って飲んでいた。

 

「……確かに成長しましたね、ウルベルトさん」

 

 ウルベルトがストローを口から離したのを見計らって、近くで執務をこなしていたアインズが感心したように声をかける。

 アインズの言葉通り、目の前の仔山羊はワインを飲むようになってから急激に成長していた。ワインを飲み始めてまだ二日程度しか経っていないというのに、赤ん坊の姿から2~3歳まで大きくなり、言葉も滑舌は未だ柔らかいものの大分上手く話せるようになっていた。

 

「そろそろ固形物でも良いかもしれませんね。ナザリックの料理は現実世界(リアル)と違って美味しそうですよ」

「それはみりょくてきな話だが…、どうもワインのほうがきき目があるような気がするんだよなぁ」

「…悪魔とワインって何か関係ありましたっけ?」

「さぁ、おれは知らないな…。タブラさんなら何か知っていたかもしれないが」

「……確かに…」

 

 無駄な知識を多く持つギルドメンバーの一人を思い出し、小さく頷く。確かに彼ならば何かしら知っていたかもしれない。

 一瞬他の仲間たちがいないことに寂しさが込み上げてきたが、すぐさま感情抑制が発動しアインズはフゥッと小さく息をついた。気分を変えようと今までずっと気になっていたことを聞こうと改めてウルベルトを見やる。

 

「…ウルベルトさん、そろそろウルベルトさんのことも教えてもらえませんか?」

「……………………」

 

 ウルベルトがこの異世界ではっきりと自覚して意識を取り戻した日から二日。眠る時間も徐々に減り、会話できる時間も増えてきた。しかしその間もウルベルトは自分のことを話そうとはしなかった。アインズとしては、この世界に来れた手がかりがあるかもしれないため話を聞きたかったのだが、色々と整理したいと言われてしまえばこれ以上は聞きづらい。しかしこれ以上我慢することはできそうになかった。

 

「そう…だな……、おれもいい加減、みとめないとな……」

「ウルベルトさん…?」

 

 どこか悲し気に苦笑を浮かばせるウルベルトに、アインズは不安そうに声をかける。ウルベルトは一度力なく頭を振ると、苦笑はそのままにアインズを見上げてきた。

 

「……かくじつとは言えないが、おそらくおれはリアルで死んだんだとおもう」

「…え…?」

 

 子供らしい高い声が、諦観したように自分の死を告げる。未だ苦笑を浮かべながらも金の瞳は静かでいて真剣な色を帯び、アインズは恐怖にも似た感覚に背骨を小さく震わせた。

 

「……どうして…、何があったんですか…?」

「びょうきだよ、モモンガさん。どこにでもある…、気管支系のびょうきだ」

「……………………」

 

 どこか諦めたようなウルベルトの様子に、彼の心情に思い至ってアインズは思わず口を噤んだ。

 ウルベルトの言う通り、それは現実世界ではあまりにも“どこにでもある話”だった。

 重度の大気汚染に蝕まれた現実世界は、もはや生き物が生きていけるような世界ではない。それでも人間はアーコロジーを作り、外出時は防塵コートとガスマスクを着けるなどして見苦しくも生き続けようと足掻いていた。しかし誰もが設備の整ったアーコロジーに住めるわけではない。人間は少数の“富裕層”と大多数の“貧困層”に別けられ、アーコロジーに住むことが許されたのは少数の“富裕層”のみ。後の“貧困層”に別けられた人間たちは空調のあまり宜しくない集団居住区に住む他なかった。外出時に必要不可欠なガスマスクでさえピンからキリまであり、貧しい者はどこかしら欠陥のある物しか手に入れられない。そのため人間の大部分は気管支を病み、死亡者数も年々増加していた。

 

 

「…ずっとおかしいとは思ってたんだが、ようやくびょういんに行けたころには手遅れだった。くすりでしょうじょうをおさえるくらいしかできなかったんだが…、気がついたらこの世界にいておどろいたよ」

「……ウルベルトさん…」

「さいしょはほんとうに夢だとおもっていたんだ。死んだきおくもないし、ずっとモモンガさんやユグドラシルのことが気になっていたから…」

 

 そこで一度言葉を切り、どう話を続けようか迷うように金の双眸をさ迷わせる。しかし次には何かを決心したように真っ直ぐに金の瞳にアインズの姿を映してきた。

 

「しょうじき、おれがほんとうに死んだのかはわからない。死んだからこのせかいに来られたのか…、それとも他になにかげんいんがあるのかもわからない。…ただひとつ言えることは、もうおれはリアルにはもどれないってことだ。たとえもどったとしても、あっちでのおれのからだはもう使い物にならないだろうからな……」

 

 柔らかい…優しいまでの笑みを浮かべる仔山羊に、アインズはもはや言葉もなかった。

 穏やか過ぎるその様は、まったく悪魔に見えない。まるで死を受け入れた仏か聖人かのように…、おおよそ悪魔には相応しくない表情。彼を少なからず知る者としては、お前は誰だ!と言いたくもなるが、しかし異様な雰囲気に呑まれて何も言うことができなかった。

 しかしそれは幸か不幸か長くは続かなかった。

 ウルベルト自身も自分らしくないと思ったのだろう、子供らしくない咳ばらいを一つ零した後、先ほどとは一変して明るい笑顔を仔山羊の顔に浮かばせた。

 

「でも、もうそんなことはどうでもいい…。またモモンガさんに会えてうれしいよ」

「…ウルベルトさん。……俺も、またウルベルトさんに会えて嬉しいです」

 

 本当に嬉しそうにしてくれているウルベルトに、アインズもまた骸骨の顔でも伝わることを願って笑みを浮かべた。

 ウルベルトの話が本当なら、彼の死を喜ぶのは友人として失格だ。しかしそう思いながらも、やはり彼と再び出会えたことを喜ばずにはいられなかった。

 

「そうだ、この世界でのことはおしえてもらったけど、ナザリックについてもおしえてくださいよ!」

「? …えっと、ナザリックについてですか?」

「この世界に来てかわったこととか…、そう、NPCのこととか! やっぱりあいつら、性格とかはせっていのテキスト通りなのか?」

 

 心なしか目をキラキラさせながら聞いてくる様が幼い子供そのものでとても微笑ましい。

 仔山羊の姿がそう見せているのか、はたまた子供の身体にウルベルトの精神が引きずられているのか…。どちらにせよ、とても可愛らしくアインズの目に映った。

 

「大体はテキストの設定通りですね。…でも、テキスト設定では補いきれない部分はどうしてもあるので、そこは作った人に似るようになってるみたいです」

「……まるでおやとこどもみたいだな…。…うん? じゃあ、デミウルゴスはおれに似てるってことか?」

「そうですね、悪魔だから悪役ロールが好きな可能性はありますが…。ああ、でもロールプレイ中のウルベルトさんに似てますね。後は…趣味は結構似てると思いますよ」

「…ふ~ん…」

 

 今は髭がない顎下を小さな指で弄びながら、ウルベルトが何かを考え込む。先ほど話に出てきたデミウルゴスのことを考えているのか、それとも何か違うことを考えているのか。

 不思議そうに見つめる中、ウルベルトは暫く押し黙った後、徐にアインズに金の瞳を向けた。

 

「………モモンガさん…」

「はい、何でしょう?」

「…おれのかんちがいなら申し訳ないんだが……、…アルベドに何かしました?」

「っ!!」

 

 突然のことに思わずギクッと身体が震える。

 何故バレた!?と口が滑りそうになり慌てて口を閉ざす。

 キョドキョドと眼窩の灯りを揺らめかせ、しかし諦めて一つ息をつく。

 例え今誤魔化せたとしても、いつかは知られることである。ならば今ここできちんと話すべきだと心を決めた。

 

「その…、実はですね……---」

 

 そこから語られた内容に、ウルベルトは心の内でなるほど…と納得した。

 思い出されるのは初めてNPCたちを見た時。誰もが嬉しそうな笑みを浮かべる中、一瞬ではあったが確かにアルベドだけは苦々しげな表情を浮かべていた。その後の対応もどこか不自然で、まるで必死に負の感情を押し殺しているかのよう。

 今まではずっとナザリックを捨てたことに怒っているのだろうと思っていた。しかし、そうは思っても違和感は消えず、アインズの話を聞いて漸くすべてに合点がいった。

 彼女はアインズを愛している。それ故に自分のことが憎くて仕方がないのだろう。

 ナザリックを捨てたことでアインズを酷く悲しませたことを恨み、それでもなおアインズに想われていることに嫉妬して…。

 ウルベルトとしてはいい迷惑だと思わないでもなかったが、その一方、ある意味これがナザリックを捨てた自分がすべき罪滅ぼしなのかもしれないと思った。

 他人の恋路に首を突っ込む趣味はないんだがな~…と気づかれない程度にため息をつく。

 目の前では、勝手に設定を書き換えた罪悪感がぶり返してきたのかアインズが頭を抱えて呻いていた。

 

コンッ、コンッ

 

 不意に聞こえてきた硬質な音。続いて耳に心地よい声が響き、アインズは頭を抱えていた手を離して扉を振り返った。

 入出の許可を与えて一拍の後、二つの影が部屋へと入ってくる。

 

「アインズ様、ご要望のものを持って参りました。お待たせしてしまい、誠に申し訳ございません」

「…いや、丁度良い頃合いだ」

 

 歩み寄ってきたのはパンドラズ・アクターとデミウルゴス。表情のない卵頭でビシッと敬礼するパンドラズ・アクターの隣でデミウルゴスも両手を差し出し深々と頭を下げる。

 揃えられた両手の上には見覚えのある物が載せられており、ウルベルトはデミウルゴスとアインズを交互に見やった。

 

「……モモンガさん、これは…」

「パンドラズ・アクターとデミウルゴスに取りに行かせました。ウルベルトさんの最終装備です」

 

 にっこりと笑って言うアインズと、柔らかな笑みを湛えたデミウルゴス。両者を見やり、ウルベルトはあぁ…と内心で声を零して金の双眸を小さく細めさせた。

 見なくとも彼らが笑顔の裏で酷く緊張しているのが分かる。恐らくこの行動は自分が思っている以上に彼らにとっては大きな意味を持つことなのだろう。

 ウルベルトの最終装備は他のギルドメンバーと同じようにギルド長であるアインズに託され、アインズは自らが作ったゴーレム(アヴァターラ)を使って宝物殿に保管していた。これら全てが今ここにあるということは、宝物殿にあるウルベルトを模ったアヴァターラは今何も纏っていないということになる。それはつまり、ウルベルトが完全にナザリックに戻った(帰還した)ことを意味していた。

 ウルベルトは一度瞼を閉じると、ゆっくりと開いて徐に手を伸ばした。デミウルゴスの手に乗せられている装備品から装飾の類を受け取り、その他の衣服の類はその手に残す。

 ユグドラシルの装飾類は装備者によってそのサイズを変化させる。しかし衣服の類はそうもいかなかった。何しろユグドラシルの衣服類は男性用女性用だけでなく、大人用や子供用、果ては無性用、両性用まで揃っていたのだ。着る者の体型によって少なからず変化はするものの、それだけだ。今の子供の身体では、大人用の衣服は着ることができない。アインズたちもそれが分かっていたからこそ、今までウルベルトに合う服を探していたのだから。

 

「…今はこれだけうけとっておく。のこりはほうもつでんに戻さなくていい。お前があずかっておいてくれ、デミウルゴス」

「ウルベルト様…」

 

 一つ一つ装飾アイテムを身に着けながら言うウルベルトに、デミウルゴスは感極まったように身を震わせた。ギルド長であるアインズにではなく従者であるデミウルゴスにそれらを預けた主の真意を正確に読み取り、デミウルゴスはゆっくりと差し出していた手を戻して残った衣服を皺にならないように大切に胸に抱きしめた。そのままその場で片膝をつき、深々と臣下の礼を取る。

 

「…畏まりました、ウルベルト様。来たるべきその日まで、このデミウルゴス、大切にお預かり致します」

「ああ、たのんだぞ」

「はっ!」

 

 快活な返事と共に一層深く頭を下げるデミウルゴスに、ウルベルトも満足げに頷いてみせる。

 そんな二人の様子を暫く見やり、アインズはそろそろ頃合いだろうか…と眼窩の灯りを小さく揺らめかせた。

 まだ少したどたどしいものの、言葉はきちんと話せている。何よりウルベルトとしての意識はちゃんとあり、いつかは元の姿に戻るであろう確証も得た。言うべきタイミングはこの時なのかもしれない。

 

「…ウルベルトさん、そろそろ正式にウルベルトさんが帰ってきたことをナザリックのみんなに公表しませんか」

「……そういえばまだおれの存在は一部をのぞいてかくしてるんだったな…。じっさい、どこまでが知っているんだ?」

「階層守護者だけ…ですかね。他のNPCはまだ…領域守護者ですらまだ知らないはずです」

「そうか…」

 

 ウルベルトは暫く考え込むような素振りを見せていたが、徐にアインズへと目を向けた。

 

「…もしモモンガさんたちが望んでくれるのなら、それでかまわない。おれも、改めてみんなにあいさつしたいしな」

「そんなの、当たり前じゃないですか! …よし、早速アルベドに連絡を取って玉座の間にみんなを集めましょう! きっとみんな喜びますよ」

 

 張り切ったように〈伝言(メッセージ)〉でアルベドに連絡を取り始めるアインズ。すぐ横ではデミウルゴスが満面の笑みを浮かべて小さく尻尾を揺らめかせており、パンドラズ・アクターは表情は分からないものの少なくとも悪い雰囲気は感じられない。三者三様の様子を見つめながら、ウルベルトは小さく金の瞳を不穏に揺らめかせた。

 果たしてこの時点での自分の帰還をNPCたちはどう受け止めるのか。

 アルベドのように憎悪を宿すのか、それともデミウルゴスのように歓喜に身を震わせるのか、はたまたパンドラズ・アクターのように静かにアインズの決定に頭を下げるのか…。

 どんな反応が返ってこようが受け入れるつもりではあるけれど、場合によっては身の振り方を考えなければな…と密かに決心を固めていた。

 

 

 

**********

 

 

 

 その夜、ナザリック地下大墳墓の第十階層にある玉座の間ではアインズの命により階層守護者をはじめとする多くの異形たちがひしめいていた。

 一様に臣下の礼を取り頭を下げる彼らの目の前には金色に輝く杖を握り、豪奢な漆黒のローブを纏った一人の骸骨。

 アインズは一度異形たちを見回した後、朗々と口を開いた。

 

「急遽この場に集まってもらったのは他でもない、お前たちに喜ばしい知らせがある」

『…ウルベルトさん』

 

 シモベたちに話しかけながら発動した〈伝言(メッセージ)〉で自分の背後へと声をかける。それに応えるように、今までまるでアインズの背に隠れるようにして控えていたウルベルトがゆっくりと動いた。一歩二歩と歩を進め、赤黒い布を巻き付けただけの仔山羊姿をこの場にいる全員に曝け出す。

 ざわっと大きく騒めく空気。

 誰もが驚愕の表情を浮かべる中、アインズの支配者然とした声がまるで落ち着かせようとするかのように響いた。

 

「ギルド“アインズ・ウール・ゴウン”の仲間であり、至高の四十一人の一人であるウルベルト・アレイン・オードルがナザリックへの帰還を果たした!」

「…ウルベルト・アレイン・オードルだ。突然こんな姿で現れ、さぞ皆を驚かせたことだろう。だが、この姿は時と共に元に戻るから安心してほしい」

 

 そこで一度言葉を切り、ウルベルトは周りを見渡した。

 シモベたちは未だに驚愕の表情を浮かべてはいるものの、同時に歓喜の色も確かに宿していた。中には喜びのあまり涙を流している者さえいる。

 彼らの反応にウルベルトは改めて彼らが生きているのだと実感させられた。続けるべき言葉が喉に詰まり、しかし思い切って口を開く。

 

「…俺は一度、ナザリックを去った。そして今回の帰還は、俺の意図したことではない」

 

 その瞬間、この場にいる全員が歓喜に濡れる表情を凍りつかせた。身体は硬直し、その顔も悲しみと絶望に蒼褪めていく。

 一気に澱んでいく空気に、しかしウルベルトは目を逸らさずに言葉を続けた。

 

「だが、俺は再びこの地に戻ってこられたことを嬉しく思っている。それは叶えられない願いだと思いずっと諦めていたからだ。俺がここに戻ってこられたのは偶然でしかないが…、俺はこの偶然に感謝したい」

 

 徐々に絶望が薄れ始め、困惑と希望の光が見え隠れする。

 

「もしお前たちが許してくれるのなら、これからは喜んでナザリックと…お前たちと共に生きていこう。この命と力をもって、お前たちを守っていこう!」

 

 溢れんばかりの歓喜が再び湧き上がってくる。

 

「ここに、ウルベルト・アレイン・オードルの帰還を宣言する! 皆、これよりは私や彼に一層の忠義を尽くせ!」

 

 支配者の言葉が、希望の光を確かなものにしていく。

 

「………至高の御二方の言、確かに承りました。アインズ・ウール・ゴウン様、並びにウルベルト・アレイン・オードル様に我らが絶対の忠誠を!」

 

 この場を代表しての階層守護者統括の言葉に、歓喜の声が一気に弾けた。

 

「アインズ・ウール・ゴウン様、万歳!」

「ウルベルト・アレイン・オードル様、万歳!」

「アインズ・ウール・ゴウン様、万歳!!」

「ウルベルト・アレイン・オードル様、万歳!!」

 

 新たな主の帰還に、シモベたちの歓声は途絶えることはない。

 異形たちの声は、まるで新たな世界の終焉を喜び迎えようとするかのようにナザリック地下大墳墓中を響かせ揺るがせた。

 

 

 



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第4話 ナザリック珍道中

 ウルベルトの帰還を正式に公表してから一週間と少し。

 ワインだけでなくナザリックの料理人たちが腕を振るう料理も口にするようになったウルベルトは文字通りすくすくと成長していた。今では5歳ほどになり、身長も最初の約50cmから二倍の100cmまで伸びている。言葉の呂律は流暢になり、身体の動きも全体的にスムーズだ。衣服も既に何着か用意され、今では立派なミニチュアな仔山羊頭の悪魔となっている。最も元の彼とは少し違い、身に着けている服装はスーツではなかったが…。

 それは兎も角としてウルベルトは大分成長した自分の身体を見下ろしながら、そろそろ頃合いか…と行動を起こすことにしたのだった。

 

 

 

「………何も今日しなくても…」

 

 ウルベルトが口にした提案に、アルベドを背後に従えたアインズが骸骨の顔にも関わらず顔を顰めさせた。目の前ではウルベルトが肩に引っ掛けた漆黒のマントの裾を小さく弄りながら小首を傾げている。その顔には見慣れた右半分を覆う特徴的な仮面が装備されており、“慈悲深き御手”もマフラーのように首にぐるぐる巻きに巻かれている。

 

「いや、そろそろ大丈夫かと思いまして…。大体、今まで渋っていたのはモモンガさんじゃないですか」

「それは…まぁ、そうですけど……」

 

 少し嫌味っぽく敬語で言ってくるウルベルトに、アインズは思わず言いよどんだ。

 ウルベルトが言った提案、それはNPCたちへの挨拶回り兼ナザリックの散策だった。

 実はこれは三日ほど前から提案されてきたことなのだが、その都度アインズからまだ早いと言われて引き延ばしにされてきたのだ。まぁ、今まで一人での歩行さえ満足にできなかったのだから反対されても仕方がなかったことだろう。しかし何故しっかりと成長した今でもアインズが反対しているのかというと、全ては今日という日が原因だった。

 

「何も、俺がモモンとして出かける日にしなくてもいいじゃないですか…。俺だって、ウルベルトさんと一緒にナザリック巡りしたいです」

「我儘言わないで下さいよ、子供じゃないんですから」

 

 にべもなく冷たくあしらわれ、アインズはグッと黙り込んだ。その背後では、静かに控えていたアルベドが顔を強張らせ、ピクピクと腰に生えた漆黒の翼を小刻みに震わせている。しかしアインズは彼女の様子にまったく気が付いてはいなかった。そんな事よりも、経験上ウルベルトがこんな態度を取るのは相当彼が怒っている時だと知っていたからだ。けれどアインズには彼が怒っていることは分かっても、何故こんなにも怒っているのかが分からない。恐らくナザリック内の散策をずっと引き延ばしにしてきたことではないだろう。では一体何故…?

 

「……あの、ウルベルトさん。何をそんなに怒ってるんですか…?」

「あはは、怒ってなんかいませんよ。ええ、まったく、これっぽちも。何かの勘違いじゃないですか、“アインズ様”?」

「っ!!?」

 

 ウルベルトの口から飛び出てきた聞き間違えようのない呼び名。

 思ってもみなかった出来事に、アインズはギョッとするのと同時に何故彼がここまで怒っているのかが分かってしまった。

 

「なっ、まっ、待って下さい! 誰に聞いたんですか!?」

「…デミウルゴスからですよ。けど、その前にNPCたちが“アインズ様”“アインズ様”呼んでんですから普通気が付くでしょう! 何であの時に一緒に話してくれなかったんですか! それとも俺が怒るとでも思ってたんですか!?」

「ちっ、違います! まずは落ち着いて下さい!」

 

 苛立たし気に捲し立てられ、慌ててマシンガントークを止めさせる。いつデミウルゴスから聞いたのかは少し気になったが、今はそんなことを聞いている場合ではない。とにかく誤解を解かなければ…と真摯な思いが伝わるように片膝をついて仔山羊に目線を合わせた。しかしウルベルトにとっては気に食わなかったようで、まだまだ幼い仔山羊の顔を不機嫌そうに顰めさせた。

 

「…ちょっと、それすっごくムカつくんで止めてもらえません?」

「もう、意地悪を言わないで下さい!」

「はぁ…、分かりましたよ。それで…?」

 

 大きなため息をついた後、今までの態度は改めて真っ直ぐにこちらへと向けられる金色の瞳。怒りの消えた静かすぎる瞳に、逆に気圧されそうになってしまう。

 

「実は…その……。………わ…」

「…わ…?」

「………忘れてたんです…」

「……………………は………?」

 

 仔山羊の小さな口から間の抜けた声が零れ出る。金色の瞳は驚愕に見開かれ、信じられないというように凝視されて、アインズは居た堪れなさに思わず視線を逸らした。彼の逸らされぬ視線が痛く感じられて仕方がない。

 

「…その、すみませんでした…。NPCたちが俺のことを“アインズ”と呼ぶことに慣れてしまっていて…、ウルベルトさんから“モモンガ”って呼ばれるのも当たり前だと思っていたし…、ウルベルトさんから質問されなかったので、つい……」

「……なるほどな…」

 

 申し訳なさそうにこちらを伺いながら、その名を名乗るようになった経緯も含めて説明される。それに耳を傾けながら、ウルベルトは神妙な表情を浮かべる中で内心納得に頷いていた。

 確かに慣れて当たり前…ある意味常識になってしまったものを思い至って説明することは難しい。加えてアインズの場合、自分の帰還に未だに心を浮足立たせていることも大きな要因の一つだろう。

 

「…はぁ、もう分かりましたよ。そんなこと言われたら、もう怒れないじゃないか」

「はは、ありがとうございます。…でも、どうして今まで黙ってたんですか?」

「あの場にはデミウルゴスやパンドラズ・アクターもいただろう? あいつらの前で話さなかったから何か理由があるのかと思って聞けなかったんだよ。だから話してくれるのを待ってたんだが、…まぁ、最終的には我慢できなくなってデミウルゴスに聞いたわけだが…」

 

 自分の我慢のなさが幼子そのもののようで、今度はウルベルトが気まずそうに視線を逸らす。しかしアインズにとってはそんな事よりもウルベルトの心遣いの方が嬉しかった。同時に、ユグドラシル時代では『悪』に拘っていた彼だけれど意外と真面目で真っ当な人間であったことも思い出す。少なくとも仲の良いギルドメンバーに対しては紳士的でいて気遣いのできる“いい男”だった。最も自分や仲間たちがそう褒めれば、『嫌味かっ!』と逆に不機嫌になられたものだが…。

 

「まぁ、モモンガさんが“アインズ・ウール・ゴウン”を名乗るのは正解だな。今後、俺のようにメンバーがこちらの世界に来る可能性もゼロじゃない。その際、ナザリック内で出現するとは限らないからな」

「…そうですよね」

「それで? 俺も“アインズ”と呼んだ方が良いのか?」

「や、やめて下さい! ウルベルトさんの前では、俺はどこまでも“モモンガ”です!」

「…分かった、公の場以外はいつも通りに呼ぶ」

「ありがとうございます、ウルベルトさん」

 

 骸骨の顔では表情は浮かばないが、それでもアインズが柔らかな笑みを浮かべているのが分かる。

 しかしそれに応えるウルベルトの笑みは、可愛い仔山羊の顔には似つかわしくない不敵な笑みだった。

 

「じゃあ、問題は解決したな。もう行った方が良いぞ、モモンガさん」

「いや、だから…、俺も一緒に………」

「もう、我儘言わないで下さいよ。俺は子供…だけど、少なくとも中身は子供じゃないんですよ」

「……うぅ…」

 

 再びの敬語と呆れたような表情に、アインズの口から寂しそうな呻き声が漏れる。勿論それはウルベルトの耳にも届いていたが、そこは敢えて気がついていない振りをした。

 ウルベルトとて、アインズの思いが唯の我儘ではないことくらい分かっている。しかしこのナザリック巡りにはどうしても彼を同行させる訳にはいかなかった。

 

「どうしても心配ならアルベドをつけてくれ。彼女なら今のナザリックにも詳しいだろう?」

 

 だからわざと微妙に話を逸らしてアインズの背後の女を示す。

 彼女は今や深く顔を俯かせて両手でドレスの裾をきつく握りしめていた。握り締められている部分はいくつもの皺が寄り、拳は勿論翼さえ相も変わらず小刻みに震えている。必死に感情を抑え込もうとしているのが丸分かりだ。仮にも守護者統括が感情を抑えきれず、そもそも感情に流されること自体いかがなものかと思わないでもなかったが、まぁ今は取り敢えず流しておく。変につついてこの場が混乱するのも面倒だ。そのため、アインズがアルベドを振り返ろうとするのを阻止することも忘れない。

 

「ほら、ナーベラルが待ちくたびれてるぞ」

「…うぅ、分かりましたよ。…その代わり、戻ったら今日のこと絶対に教えて下さいね!」

「はいはい、分かったから。早く行かないと本当に遅れるぞ」

 

 視線をウルベルトに戻して必死に言い募るアインズに、思わず呆れたようなため息が零れ出る。ウルベルトは未だ未練がましく言葉を続けようとするアインズの身体を無理やり反転させると、その背を押して必死に行くよう促した。

 傍から見れば恐ろしい死の支配者(オーバーロード)が可愛らしい二本足の仔山羊に背を押されているという何とも滑稽なものだっただろう。

 しかし当人たちがそれに気が付くはずもなく、何とかアインズを送り出したウルベルトはフゥッと大きな息をついてアルベドを振り返った。

 

「よし、じゃあ俺たちも早速始めるか。今日はよろしくな、アルベド」

「………畏まりました。お供致します、ウルベルト様」

 

 アインズの背後で見せていた態度が嘘であったかのように優雅な動きで深々と頭を下げる。しかしウルベルトは、その美しく輝く金色の瞳が一瞬細められるのも、こちらの返答に不自然な間があったのも見逃さなかった。

 ナザリックのシモベであれば、どちらも決して許されないもの。

 だがウルベルトは敢えて何も気が付いていない振りをした。その裏で、自分の思い通りに事が進んでいると確信して内心でほくそ笑む。

 しかしそんな表情はおくびにも出さず、ウルベルトは爽やかなまでの笑みをアルベドへと向けた。

 

「下から順に行っていこう。確か、アルベドはリング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを持っているんだったな?」

「はい、モモ……アインズ様より賜っております」

「そうか。なら問題ないな」

 

 純白の手袋に覆われた細い左手薬指に煌めく深紅の光。まるでその指輪自体がアインズであるかのように愛し気に撫でる女を横目に、ウルベルトはさっさと指輪の力を発動することにした。

 一瞬で視界が暗闇に染まり、先ほどとは違う景色が姿を現す。

 

 そこは一面に広がる広大な荒野。

 ここは第八階層、ヴィクティムが守護する階層だ。

 一見何もないように見えるが、ここは非常に危険なエリアであり、通常であれば容易な立ち入りは許されない。しかし今回はヴィクティムのいるセフィロトにのみ立ち入るという条件でアインズからも許可を得ていた。

 旧約聖書に語られる生命の樹と同じ名を与えられたヴィクティムの住居。

 ウルベルトは一面茶色い荒野の景色には似つかわしくない緑豊かな一本の大樹を見上げ、アルベドが背後に転移してきたのと同時に大樹の穴へと足を踏み入れた。

 

「ヴィクティム、いるか?」

「これはウルベルトさま! おんみみずからごそくろうをおかけしてしまうとは!」

「いや、ナザリック内の散策も兼ねているからな。気にするな」

 

 身体ごと向き直ってきたのは一見ピンク色の100cmほどの肉の塊。しかし長方形気味の肉塊には小さな目と小さな手足がついている。背中には枯れた枝が翼のように二本生え、頭上には天使の輪っか、尻にはヒョロッとした尻尾がピコピコ揺れていた。

 本来の姿であれば可愛らしく思えただろう異形の胎児。

 しかし今のウルベルトの身長はヴィクティムとほぼ同じであり、目の前の赤ん坊は中々に迫力があった。

 

「………ヴィクティム、一つ頼んでもいいか?」

「はい、なんなりと」

「………………抱っこしてもいいか…?」

「…………は……?」

 

 奇怪な言葉が不自然に止まる。

 ヴィクティムにとって…いや、この場にいる誰にとってもウルベルトが発した言葉は理解に苦しむものだろう。その証拠に後ろに付き従っているアルベドも、彼女にしては珍しく唖然とした表情を浮かべている。

 ヴィクティムは胎児ではあるものの、その見た目からも分かる通り決して愛玩NPCではない。しかし悪魔であるウルベルトにとってはヴィクティムの姿も迫力はあるものの十分可愛らしく見えたのだ。

 是非ともこの赤ん坊を抱いて、ぷにぷにしてみたい。

 目の前で戸惑うヴィクティムを尻目に、ウルベルトは小さな手を赤ん坊へと差し伸ばした。その態度は誰が見ても『おいで』と言っているものだ。

 至高の御方にそこまでされてこれ以上待たせる訳にもいかず、ヴィクティムは恐る恐るウルベルトの元へと飛んでいった。

 小さな両手がヴィクティムの身体を捉え、ほぼ同じ体躯を抱え上げる。そのまま大好きなぬいぐるみを抱きしめる子供のようにウルベルトはヴィクティムを抱きしめた。予想以上のぷにぷに感と気持ちよさに、思わず至福の笑みを浮かべる。

 

「………ああ、持って帰りたい…」

 

 思わず言葉が漏れ、頬ずりしそうになる。

 しかし流石に見かねたアルベドによってそれは未遂で止められた。

 

「……ウルベルト様、その…」

「…あぁ、分かっている…」

 

 どう言うべきかと言葉を濁らせるアルベドに、ウルベルトは小さく頷いてヴィクティムを抱く腕の力を緩めた。ゆっくりと赤子を離す仔山羊の顔は見るからに残念そうに小さく歪んでいる。

 しかしウルベルトとてヴィクティムを困らせたい訳ではない。

 自身の腕から解放されて再び目の前に浮かんだ赤子を見やり、ウルベルトは金色の左目を小さく細めさせた。

 

「…俺の帰還を歓迎してくれて感謝するぞ、ヴィクティム」

「なにをおっしゃられます! ウルベルトさまのごきかんはわれらナザリックのシモベぜんいんのひがんでございました! こころよりごきかんをうれしくおもいます、ウルベルトさま」

 

 土下座するように深々と頭を下げるヴィクティムに、ウルベルトはただ静かに頷いた。

 顔を上げるように頭の部分を一撫でして促し、柔らかな笑みを浮かべて見せる。

 

「お前の忠義に応えられるよう俺も努めよう」

 

 ウルベルトの言葉に、せっかく上がりかけていたヴィクティムの身体が再び深々と沈む。完全に土下座しているように見える様子に苦笑を浮かべながらウルベルトは踵を返してアルベドを振り返った。

 彼女に一つ頷いて見せ、それとほぼ同時に指輪の力を発動させる。

 先ほどと同じように暗転する視界。

 次に広がった光景は、赤々とした溶岩が流れる場所だった。

 

 ウルベルト自身が多く手を加えることを許された階層、第七階層。

 この階層の守護者であるデミウルゴスが留守にしていることは知っていたが、それでもウルベルトは彼の住居である赤熱神殿へと足先を向けた。

 赤々と流れる炎の河を横目に、見えてきた三つの影に歩み寄る。

 

「…これは、ウルベルト・アレイン・オードル様!」

「ウルベルト様!」

「アルベド様も!!」

 

 ウルベルトとアルベドの存在に気が付き、三つの影がそれぞれ驚きの声を上げる。

 

「…久しぶりだな、ラース、エンヴィー、グリード」

 

 ウルベルトの目の前で横並びに片膝をつき深々と頭を下げて臣下の礼を取る異形たちに、ウルベルトは親し気に声をかけた。

 彼らはデミウルゴスの直属の配下であるLv80台の悪魔たちである。

 ウルベルトの呼んだ名は全て正式名称ではなく、彼だけが使う略称――ウルベルトは愛称だと言い張るが――のようなものだった。

 ラースと呼ばれた右側の悪魔は、正式名称は憤怒の魔将(イビルロード・ラース)

 鋭い牙を生やした顔は恐ろげで、鱗に覆われた屈強な体付きをしている。太い豪腕は鋭い爪を備えており、蛇のような長い尻尾と燃え上がる翼が特徴的だ。

 次にエンヴィーと呼ばれた中間の悪魔は、正式名称は嫉妬の魔将(イビルロード・エンヴィー)

 黒い革のボンテージファッションに身を包んだ女で、黒い烏の頭をしている。

 最後にグリードと呼ばれた左側の悪魔は、正式名称は強欲の魔将(イビルロード・グリード)

 一見美男子の人間のように見えるが、大きく前が開いた鎧から覗く鍛え抜かれた身体からは蝙蝠のような翼が生え、こめかみからは二本の角が生えている。

 三人ともウルベルトが好む悪魔らしい姿をしており、愛称で呼んでいることでも分かるようにウルベルトのお気に入りの悪魔たちだった。

 

「申し訳ございません、ウルベルト様。デミウルゴス様はただいま外出しておりまして…」

「ああ、分かっている。今回はお前たちに会いにきたんだ」

「わ、わたくしどもにっ!?」

「そんな! お呼び頂ければ、すぐさま馳せ参じましたものを!」

 

 ヴィクティムと同じようなことを口々に言われて思わず苦笑を浮かべる。しかしすぐさま顔を引き締めさせると、ウルベルトは三人に小さな手を差し伸べて立つように促した。

 お気に入りの悪魔たちに傅かれて悪い気はしないが、今は何よりも別の目的を果たさなければならなかった。

 

「今日はお前たちへの挨拶回りをしているんだ。お前たちの手を煩わせるわけにはいかないだろう?」

「何を仰られます! ウルベルト様に対して煩わしいなどと!」

「我らはウルベルト様の忠実なるシモベ。ウルベルト様のご意思やお言葉は我らのすべてでございます」

「慈悲深き我らが主様。我らに気遣いは無用でございます」

 

 片膝をついたまま顔だけを上げて言ってくる悪魔たちに、それが本心からの言葉だと分かるだけに、お前たちは本当に悪魔か…と突っ込みたくなる。しかしその一方で、彼らの真っ直ぐな忠誠心にウルベルトは自分の心がひどく浮き立つのを感じていた。

 現実世界での自分には持ち得なかった全てを持っているはずの存在が今目の前で自分に跪き、絶対の忠誠を向けている。

 自分が絶対的な力を持つ悪魔になったことよりも、彼らの存在に何より胸を熱くさせた。

 

「お前たちの忠義に感謝しよう」

「勿体ないお言葉っ!」

 

 歓喜に身を震わせる悪魔たちに鷹揚に頷きながら、ウルベルトはふと言葉を途切らせて視線を外した。目の前に佇む一見廃墟のような赤熱神殿を見やり、続いてドロドロとマグマが流れる真っ赤な景色を見渡す。

 

「……一度ナザリックを去った俺が言っても説得力がないかもしれないが…、俺にとって、この第七階層とデミウルゴスを始めとするこの階層を護るお前たちは特別な存在だ。再びこの地を踏み、お前たちに出会えたことを何より嬉しく思う」

「ウルベルト様っ!」

「我らも、再びウルベルト様に出会いお仕え出来ることは身に余る至福でございます」

「デミウルゴス様も先ほどのお言葉を聞けば、さぞやお喜びになったことでしょう!」

「…そうだな……。だが今のこの姿では、俺はお前たちの主だと胸を張って言えない。元の姿に戻った暁には再びお前たちに会いに行こう。そして改めて、お前たちの忠義を受け取らせてほしい」

「「「はっ!!」」」

 

 身に余る言葉の数々に、悪魔たちは感涙に咽び泣きながら深々と頭を下げた。

 彼らとしてはウルベルトがどんな姿をしていようが一ミクロンも忠誠心は変わらない。しかし敬愛する至高の主にここまで思われて、誰が否定の言葉を言えるだろうか。勿体ない言葉だと謙遜すること自体、不敬となってしまうだろう。

 

「あ…ウルベルト様、例のものは…―――」

「しーーー!」

 

 そろそろ次の階層へ向かおうとアルベドを振り返る仔山羊に、強欲の魔将(イビルロード・グリード)が引き留めるように声をかける。

 しかしすぐさま振り返ったウルベルトの声によってそれは最後まで紡がれずに遮られた。

 小さな細い人差し指を縦に唇に添え、子供がするような秘密の合図を送る。

 まだまだ幼い仔山羊の顔に浮かんでいるのは、まさに悪戯っ子のような笑みだった。

 

「まだ少しだけ預かっておいてくれ。その時が来れば俺の方から引き取る」

「畏まりました」

 

 三人の悪魔が再び頭を下げ、ウルベルトは改めて踵を返す。

 右手の薬指にはめられている指輪の存在を確かめながら、ずっと黙って控えていたアルベドへと合図を送った。

 

「…ウルベルト様、先ほど強欲の魔将(イビルロード・グリード)が言っていた例のものとは……」

「ああ、まぁ、気にするな。モモンガさんにも今のところ秘密だから他言無用だぞ」

「なっ!! それは…!!」

「そんな事より、さっさと次の階層に行くぞ。第六階層は最後にしたいから、次は第五階層だな」

「あっ、待っ…!!」

 

 しかしアルベドの言葉は最後まで届かない。

 ウルベルトはさっさと指輪の力を発動させると、第六階層をすっ飛ばして第五階層へと転移した。

 熱気の篭った場所から、一気に寒々しい氷河の世界がウルベルトを包み込む。

 幾つもある青白い氷山がまるでダイヤモンドのようにキラキラと輝いてウルベルトの目を楽しませた。

 

「ウルベルト様、先ほど仰られた事はどういう意味なのですか!?」

 

 遅れて転移してきたアルベドから早々に声を上げられる。まるで憎い仇のようにすごい形相で睨まれ詰め寄られるのに、ウルベルトは面倒くさそうに顔だけでアルベドを振り返った。

 

「なんだ、別に第六階層を最後にしても良いだろう。モモンガさんにはまだ話していないが、この子供の身体のせいで本来の力がうまく出せないんだ。練習がしたい」

「そうではありません! 私が聞きたいのは…!!」

「オ待チシテオリマシタ、ウルベルト様」

「…コキュートス」

 

 アルベドの声を遮って不意に聞こえてきた軋むような声。一瞬氷が喋った!?とギョッとするものの、すぐにその正体に気が付いてウルベルトは大きな瞳を瞬かせ、アルベドは咄嗟に黙り込んだ。

 いつの間にいたのか、多くの氷山や氷に同化するようにコキュートスが目の前に立っていた。

 この階層と同じ青白い氷のような巨体であるとはいえ今まで気づけなかったことが少し恥かしい。

 ウルベルトは取り繕うように一つ咳ばらいをすると、気を取り直すように目の前のコキュートスを見上げた。

 

「お前がここにいるとは思わなかったな…。ここに来た俺が言うのもなんだが、お前はリザードマンの村にいると思っていた」

「ハイ、先ホドマデハ確カニリザードマンノ村ニオリマシタ。シカシ、ヴィクティムヨリウルベルト様ガ来ラレルト知ラセヲ受ケ、ココデオ待チシテオリマシタ」

「そうか…。却って手間を取らせてしまって、すまなかったな」

「トンデモゴザイマセン! 守護ヲ仰セツカッタ場デ御方ヲオ迎エスルノハ我ラノ尊キ役目デス」

「そ、そうか……」

 

 分かってはいたことだが、彼らの予想以上の忠誠心の厚さに思わずドギマギする。しかし今までアインズが必死に支配者ロールで築き上げた主従間の信頼関係を自分が壊すわけにもいかず、ウルベルトは努めて上位者である姿勢を保ち続けた。

 

「…コノヨウナ場所デ失礼イタシマシタ。ドウゾコチラヘ」

 

 不意に何かを思い至ったのか、コキュートスがウルベルトを促してくる。

 その先には、氷山や雪に埋もれるようにして存在している巨大な氷河。丁度中央部分にまるで蜂の巣をひっくり返したようなドーム状の建物が見える。

 大雪球(スノーボールアース)…、この第五階層でのコキュートスの住居である。

 恐らくそこに出向けば、最高級のもてなしをしようとコキュートスのシモベたちが嬉々として動くだろう。

 しかしウルベルトは慌ててそれを辞退した。

 

「いや、せっかくだがまたの機会にさせてもらおう。まだ他の階層にも挨拶に行く予定なんでな」

「……左様デシタカ。残念デス」

「すまないな…。…そうだ、また今度リザードマンの村を見学させてくれ。お前の成果を見るのを楽しみにしているぞ」

「ハッ、オ待チシテオリマス」

 

 大きな身体を屈し深々と臣下の礼を取るコキュートスにウルベルトも鷹揚に頷く。

 まさかここでコキュートスに会えるとは思っていなかったが、これは良い意味での予想外だと満足感が胸を満たす。コキュートスに連絡したというヴィクティムのポイントがウルベルトの中で上昇する中、仔山羊は目の前の巨躯をポンポンっと軽く叩いて背後のアルベドを振り返った。

 肩を叩かれたコキュートスは突然の至高の存在に触れられたという事実に混乱と歓喜に固まっていたのだが、幸か不幸かウルベルトは気が付いていない。ただ静かにこちらを観察するように見つめているアルベドへと声をかけた。

 

「よし、では次はシャルティアに会いに行くぞ」

「…第四階層のガルガンチュアは宜しいのですか?」

「ああ、あいつは普段は地底湖に沈んでいるからな。挨拶回りなどで一々起動させてはいらん苦労を使わせるだけだろう」

「畏まりました。それでは第二階層に参りましょう」

「ああ。…ではな、コキュートス」

「ハッ、イッテラッシャイマセ」

 

 背中でコキュートスのキシキシとした声を聞きながら再び指輪を発動させる。

 青白く煌めく光景が闇に呑み込まれ、続いて目の前にボロボロの吊り橋が現れた。吊り橋の先には、元は煌びやかだったのだろう朽ち果てた地下聖殿が静かに佇んでいる。

 恐らくシャルティアはあの地下聖殿にいるのだろうと当たりをつけた。

 

「……面倒くさいな。〈飛行(フライ)〉で行くか」

 

 吊り橋を見下ろしながらウルベルトがボソッと言葉を零す。

 何がそんなにも面倒くさいのか…、それは長ったらしい橋を歩いていくことでは決してない。

 実はこの吊り橋は踏む場所を間違えれば無数の亡者が待ち構える奈落へと落とされる仕組みになっているのだ。亡者たちが至高の四十一人の一人であるウルベルトを襲うとは考えられないが、それでも一々注意を払うのも面倒くさい。

 ウルベルトはさっさと〈飛行(フライ)〉の魔法を唱えると宙にその小さな身体を浮き上がらせた。続いてアルベドも腰の両翼を羽ばたかせてウルベルトの後へと続く。薄暗い空間をふよふよと泳ぐように進み、些かのんびりとした速度で地下聖殿へと近づいていった。

 そこでふと地下聖殿の前に小さな人影があることに気が付く。

 それは一人の幼い少女だった。

 まるで闇に溶け込んでいるかのような漆黒を纏った肢体。その中で蝋のように白い顔だけが闇の中に浮かび上がっている。

 未だ上空に浮かぶウルベルトを深紅の大きな瞳で見上げ、少女は闇色のスカートの両端を摘まんで深々と頭を下げてきた。

 

「ようこそいらっしゃいんした、ウルベルト様」

「…シャルティア、お前もヴィクティムから知らせを受けたのか?」

 

 地下聖殿の正面の地面へと降り立ちながら未だ臣下の礼を取る少女へと声をかける。シャルティアはゆっくりと顔を上げると、その幼い顔には似つかわしくないニンマリとした妖艶な微笑を浮かばせた。

 

「流石はウルベルト様。そうでありんす。ここでずっとお待ち申し上げておりんした」

「そ、そうか…。ご苦労だったな」

 

 ウルベルトの労いの言葉に、途端にシャルティアの笑顔が妖艶なものから可愛らしいものへと変化する。見た目の年齢と合ったその笑みに、ウルベルトはこちらの方が良いなと内心で頷いた。

 シャルティア・ブラッドフォールン。

 彼女はギルドメンバーの中でも特に仲の良い友人の一人であったペロロンチーノが手掛けたNPCだ。彼のマニアックすぎる趣味趣向を全て詰め込んだ、まさにペロロンチーノの“理想の嫁”とも言える存在。それが目の前で生き生きと動いている事実に、今までにない程の感慨深いものを感じてしまう。もしここにペロロンチーノがいたら、文字通り歓喜に発狂したかもしれない。

 友人を懐かしく思い出しながら、不思議そうにこちらを見つめている少女に気が付いて一つ小さな咳ばらいを零した。

 

「いや、気にするな…。それよりも、この世界に来てナザリックに変わりはないか?」

「…第六階層にはこの世界の生物が何種類か入ってきてはいんすが……、私の守護階層である第一から第三階層は変わりないでありんす」

「そうか、それは何よりだ」

 

 どこか嬉しそうな…安心したような笑顔にシャルティアだけでなく、珍しくもアルベドも不思議そうな表情を浮かべる。互いに顔を見合わせてこちらを見つめてくる美女と美少女に、ウルベルトはまるで教師が教え子に教えるように小さな人差し指を立てて見せた。

 

「シャルティア、お前が守護する第一から第三階層は一番外界からの侵入者が足を踏み入れる場所だ。そんな愚か者にナザリックの偉大さを知らしめるには本来の姿を見せつける必要があるだろう?」

「なるほど、流石はウルベルト様!」

 

 ナザリックの偉大さを見せつけることで、いかに自分が下等な存在であるのかを自覚させる…それはまさに強者である我々のなすべきことであろう。

 ウルベルトの言葉に賛同して目をキラキラさせるシャルティアに、ウルベルトは気恥ずかしさと照れでむず痒くなるのを感じていた。恐らくアインズも今まで同じようなことを何度も味わってきたんだろうな~…と少しだけ遠い目になる。これからは少しでも分かち合っていければと望みながら、ウルベルトは次にすべきことに思いを馳せて気を引き締めさせた。

 

「シャルティア、時間を割かせてしまってすまなかったな。お前と話せて嬉しかったぞ」

「とんでもございません! ウルベルト様にお越し頂き、お声をかけてくださって身に余る光栄でありんす」

「お前の俺たちに対する愛に感謝しよう。これからも宜しく頼む」

「はいっ!」

 

 ウルベルトの言葉にシャルティアが感極まったように再びスカートの両端を摘まんで深々と頭を下げる。完璧な臣下の礼にウルベルトはフッと笑みに金色の瞳を細めさせると、“最期の段階”に進むために一つ息をついた。

 指輪の力で転移する前に目的の人物に〈伝言(メッセージ)〉を飛ばす。

 一直線に線が飛び、確かに繋がる感覚。

 聞こえてた可愛らしい声にウルベルトは思わず小さく仔山羊の顔を綻ばせた。

 

『ウルベルト様!? 如何されましたか?』

『突然すまないな、アウラ。今から少し円形劇場(アンフィテアトルム)を使わせてもらいたいんだが』

『あっ、分かりました! それではすぐに用意を…』

『いや、用意はしなくていい。ちょっと危険かもしれないから俺が呼ぶまで誰も円形劇場(アンフィテアトルム)に近づけさせないでくれ。もちろん、お前やマーレもだぞ』

『えっ、ウルベルト様っ!?』

『それじゃあ、よろしくな』

 

 まだ何か言おうとしていることは分かっていたが、敢えて気づいていない振りをしてそのまま〈伝言(メッセージ)〉を切る。アルベドに視線を向け、右手薬指にはめられた指輪を見せることで合図を送った。

 

「…よし、最後は第六階層の円形劇場(アンフィテアトルム)に向かうぞ」

「……畏まりました」

 

 ウルベルトが〈伝言(メッセージ)〉を使っていたことに気が付いているだろうに何も聞かず、ただ静かに頷いて頭を下げる。

 どこまでも従順なその姿が返って不気味で不自然に見えるのに気が付いていないのか…。

 いや、気が付いていないからしているんだよな…と内心で肩をすくめながらもウルベルトは何も言わなかった。

 どちらにせよこれからすることは変わらないのだから、今何を言ってもどうしようもない。それよりも早く終わらせてしまおう…とウルベルトはさっさと指輪を発動させた。

 今日は既に何度も経験した暗転が起こり、次に目に飛び込んできたのは広大な広場。

 ローマのコロッセをイメージしたそこは、第六階層に存在する円形闘技場だ。観客席は多くのゴーレムで埋め尽くされ、ギルドメンバー用のVIP席のみが空席となっている。

 ザッと周りを見回し先ほどの〈伝言(メッセージ)〉で伝えた通り、この場に誰もいないことを確認する。遅れてアルベドが背後に転移してきたことを気配で感じ取り、ゆっくりと彼女を振り返った。

 小さな仔山羊と一人の美女が広場の中心でポツリと向き合う。

 まるで観察するように鋭い視線が突き刺さるのを感じながら、ウルベルトは殊更ゆっくりと片手を差し出すように伸ばした。

 

「さて、そろそろ終わりにしようか…アルベド」

 

 響き、鼓膜を震わせるのは、悪魔に相応しい甘やかな誘惑の音。

 向けられる金色の片目が不気味に細まり、小さな口がニンマリと三日月型に歪んだ。

 

 




ヴィクティムの話し言葉は最初は小説と同じような形にしたかったのですがルビがうまく作動せず断念しました。
無念……。
それぞれの階層の描写を書いていますが、原作と間違っていたりしたら申し訳ないです…。
その際は誰か教えて下さると本当に助かります……(深々)


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第5話 悪魔たちの狂宴

今回は予想以上に長くなってしまいました…(汗)
前半と後半の一部がアルベド視点になっていたりするので、読み辛かったらすみません…。
文章力がないのに何故戦闘シーンを書きたくなるのか不思議である…orz


 どこまでも広い円形の広場の中心にぽつんと立ち尽くす大小の二つの影。

 柔らかな笑みを浮かべてこちらを見つめてくる仔山羊の悪魔に、アルベドは油断なく美しい金色の瞳を細めさせた。

 先ほどの子供らしい高い声で紡がれた言葉が頭を離れない。

 

 

『さて、そろそろ終わりにしようか…アルベド』

 

 

 ウルベルトがその言葉をどういった意味合いで口にしたのかは分からない。しかし少なくともアルベドにとっては良い意味合いでは決してないだろう。思い当たる節があるだけに、どういった行動をとるべきなのか迷った。

 

「………ウルベルト様、なんの…」

「“何のことだ”という見え透いた言葉はなしにしよう。お前のことだ、俺の言う意味は分かっているだろう? それとも俺の口から言ってほしいのか?」

 

 微笑みはそのままにわざとらしく小首を傾げて言ってくる様が憎たらしく思えて仕方がない。同時に不気味さも感じられて、アルベドは全身に鳥肌が立つのを感じた。

 今自分は確かに至高の御方の一人と対峙しているのだ、と嫌でも思い知らされる。

 しかしそれは一層アルベドの中にある危機感に拍車をかけた。

 

「どうした?何を黙っている…?」

「……………………」

「そんなに俺に言ってほしいのか? …お前、俺を殺すつもりなんだろう?」

「…っ…」

 

 飄々と言ってのける仔山羊に鳥肌が立っている身体が更に粟立つ。腰の両翼がザワザワと騒めき、ギリッと食いしばる歯が小さく軋みを上げた。

 危険だ…!と警報がガンガン頭の中で鳴り響く。

 全て見破られている…!と心が恐怖に震えあがる。

 今目の前にある現実と今日一日彼の傍に控えて見えてきたあらゆるものが襲い掛かり、知らず彼女の心を追いつめ焦らせていく。

 早く殺さなければ…!と強く思った。

 冷静になれ、と小さな声が頭の片隅で語り掛けてくるが気にする余裕もない。

 まるでウルベルトという存在が恐怖となってアルベドに迫ってきているようだった。

 

 ウルベルトの言う通り、アルベドは最終的に彼を亡き者にしようとしていた。

 しかしそれでいて彼女は決してすぐには行動を起こすつもりはなかった。

 いくら今は仔山羊の姿をしていても、彼が至高の四十一人の一人であることには変わりない。油断してはこちらが返り討ちにあってしまうだろう。だからこそ機を見てウルベルトをナザリックの外へ誘き出し、始末するつもりだった。

 しかし彼に付き従ってナザリック内を進めば進むほど、時間を置けば危険かもしれないという思いが強くなっていった。

 当たり前のことではあるが、ナザリックに属する者たちはアルベド以外の全員がウルベルトの帰還を歓迎している。アインズに向けるものと同等の忠誠を彼にも誓うだろう。しかしそれでも、忠誠を誓う対象が複数になる以上完全に“同等”となるのは難しい。それはナザリックの者たちとて例外ではなく、無意識でも個人によって微妙な差は出てきてしまうだろう。それがアインズに傾いているのならば良い。いや、アルベド自身、ナザリックを裏切ったウルベルトよりも最後まで残ってくれた慈悲深いアインズに誰もが忠誠を傾けると思っていた。しかしウルベルトとナザリックを巡るにつれて、その確信は曖昧になり、疑惑になり、危機感と変わっていった。

 一番注意すべきは第七階層の者たちだ。ウルベルトの被造物であるデミウルゴスは勿論の事、先ほどの様子からして恐らくは第七階層の者たち全てがアインズよりもウルベルトに厚く忠誠を捧げるだろう。もしアルベドがウルベルトに危害を加えようとしているのがバレた場合、または何らかの理由でアインズとウルベルトが袂を分かった場合、間違いなくデミウルゴス率いる第七階層の配下たちはウルベルトの側へ着くだろう。

 多くのタイプはあれど全体的にレベルが拮抗しているナザリック内で、アルベドが最も恐れるのは力をどう用いるべきかを知る智謀だ。つまり、アルベドにとってナザリック一の頭脳を持つデミウルゴスが敵に回るのが一番恐ろしい。

 時間が経てば、いつデミウルゴスに勘付かれて行動されるか分かったものではない。

 ウルベルトがアインズに内密で何かを用意し、それにも第七階層の悪魔たちが関わっているのも問題だ。何をしているのか推察することもできないが、ろくでもないものに違いない。

 時間を与えれば与えるほど、こちらが不利になっていく。

 逆に今行動すれば、この悪魔を殺すことができるかもしれない。

 先ほども、この悪魔は力がうまく扱えないと言っていたではないか。身に着けている装備類は完全ではなく心許ないが、それは装飾類しか装備していないウルベルトも同じだ。勝てる確率は非常に高いと言えるだろう。

 瞬きの間にそこまで計算すると、アルベドは誤魔化さずに行動を起こすことに決めた。

 

「………そうよ。私たちにお前は必要ないわ…」

「“私たち”ね~…。お前にとって、ではないのか?」

「お前さえ戻ってこなければ、私たちはアインズ様だけに忠誠を誓うことができたのよ! お前はナザリックを捨てただけでは飽き足らず、アインズ様や私たちの間に割り込んで…っ!!」

「ああ、そこら辺は良い。そんな下らん言葉は聞くに堪えん」

「なっ…!!」

 

 ウルベルトの暴言に、アルベドは言葉を無くし怒りに頭を真っ白にさせた。

 今すぐ目の前の男を八つ裂きにしてやりたい…!と憎悪が殺意となって身の内から溢れだす。

 そうだ、ここには誰もいない(・・・・・)、ウルベルトがいなくなったとしても何とでも言い訳はできる。

 金色の瞳を爛々と輝かせながらゆっくりと身構えるのに、ウルベルトはニンマリとした笑みを深めさせると、挑発するように小さな指でちょいちょいと手招きしてきた。

 

「…御託は良いから、さっさと来い。遊んでやる」

「きぃさまぁぁあぁああぁぁぁあっっ!!!」

 

 隠し持っていた巨大な長柄斧(バルディッシュ)を取り出し、片手で握りしめて腰の両翼を大きく広げる。身を低くして地を踏みしめ、フッと短く呼吸を吐き出すと同時に強く地を蹴った。爆発的なスピードを更に上げるため翼を羽ばたかせる。一気に間合いを詰め、緑色の微光の残像と共に長柄斧(バルディッシュ)を振り払った。

 

「………ふん、くだらん…」

 

 小さな声と共に聞こえてきた金属音と衝撃。手に伝わったのは肉を斬り裂き骨を断つ感触ではなく、硬い何かに叩きつけたような鈍い痛みだった。

 ギリギリと軋む音と共に見えたのは、鋭い刃を受け止めた赤黒い大きな手。

 小さな仔山羊の首に巻き付いていた“慈悲深き御手”が緩く解かれ、悪魔の手のようになっている片方の端がしっかりと長柄斧(バルディッシュ)の攻撃を防いでいた。

 

「〈使役魔獣・召喚(サモン・コーザティブ モンスター)(スリー)

 

 刃と悪魔の手を鍔迫り合わせながら、ウルベルトが朗々と詠唱を唱える。

 一拍の後、ウルベルトの声に応えて三体の大きな魔獣がどこからともなく姿を現した。

 一体目は翡翠色の美しい翼を持った鷹の魔獣。黒い嘴は大きく鋭く、鋭い鉤爪を持つ二本の足は太く長く、金色の目は異様に大きい。

 二体目は赤黒い毛並みを持った狼のような魔獣。馬ほどもある屈強な身体は威圧感があり、鋭い犬歯が口からはみ出して長く伸びている。鎖の首輪から下げられている銀色のプレートは赤黒い血に濡れており、まるで錆びのようにこびり付いていた。

 三体目は蒼を帯びた漆黒の巨大な蛇。しかし頭には捻じくれた大きな角が二本生え、群青色のヒレが鬣のように首回りや背筋を覆っている。細長い身体には二本の腕があり、そこから被膜の翼へと変化していた。

 フレズベルク、ガルム、ニーズヘッグ。

 レベル90を超える地獄の魔獣たちの登場に、アルベドは思わず苛立たし気に顔を顰めさせた。

 三体ともアルベドの敵ではないが、かといって瞬殺できる相手でもない。敵の数が一気に増えたことに鋭く舌打ちすると、こちらも手数を増やそうと特殊技術(スキル)を発動させた。

 

「来なさい、双角獣(バイコーン)!!」

 

 アルベドの声に応え、馬用全身鎧(フル・プレート)を着用した魔獣が姿を現す。

 双角獣(バイコーン)としての特性から騎乗することはできないが、それでもウルベルトが召喚した獣の相手ぐらいはできるだろう。

 

「殺せっ!!」

 

 ウルベルトを指さして吠えるアルベドに応え、双角獣(バイコーン)が二本の角を振り回しながら突進していく。

 しかしその角がウルベルトを襲う前にフレズベルクとニーズヘッグがその前に立ちふさがった。

 ウルベルトはと言えば、残ったガルムに騎乗してのんびりとこちらを眺めている。余裕綽々なその様子が癪に障り、虫唾が走る。

 アルベドは再び地面を強く蹴ると、ウルベルトの元へと突撃していった。

 防御を主として造られたアルベドは、遠距離攻撃の特殊技術(スキル)や攻撃魔法を一切扱えない。ウルベルトを攻撃するには、その距離を縮めて接近戦に持ち込むしかなかった。

 しかしウルベルトはガルムに騎乗したことで素早さが上がり、アルベドでも距離を離されることはないものの縮めることが中々できない。埒があかない追いかけっこに痺れを切らし、アルベドは鋭い舌打ちと共に地面へと勢いよく長柄斧(バルディッシュ)を叩きつけた。細腕では想像もつかない火力が爆発し、土の地面が大きく割れる。幾つもの岩へと姿を変えた土塊を鷲掴むと、アルベドは大きく足を踏み込んでウルベルトへと投石した。

 弾丸と化した幾つもの土塊が小さな身体へと襲い掛かる。

 ウルベルトもまさかそんな攻撃をしてくるとは思っていなかったのか反応が遅れた。いくら素早いガルムでも全てを避けるのは不可能だったらしく、土塊の幾つかがウルベルトの小さな身体をとらえる。一つが右肩を貫通し、右の脇腹と左の太ももを深く掠めた。

 

「…ちっ、弾丸かよ」

 

 悪態をつくようなウルベルトの小さな声が聞こえてきて、思わず邪悪な笑みを浮かべる。

 再び土塊を掴み取って投石しようとする中、しかしそれを許すほどウルベルトも甘くない。

 血に濡れた手を勢いよく打ち合わせると、両手の隙間から生じた稲妻がバチバチと光を散らした。

 

「〈連鎖する龍電(チェイン・ドラゴン・ライトニング)〉!」

「〈マジック パリィ・カウンターアロー〉!」

 

 荒れ狂う龍のような稲妻がアルベドへと襲い掛かる。しかしそれはアルベドの複数の特殊技術(スキル)によって跳ね返され、逆にウルベルトへと牙を向けた。ウルベルトはガルムに思念を送り、素早い動作で稲妻を避ける。それとほぼ同時に小さな指が赤い魔方陣を纏わせてアルベドへと向けられた。

 

「〈魔法抵抗難度強化(ペネトレートマジック)吹き上がる炎(ブロウアップフレイム)〉!」

 

 瞬間視界が真っ赤に染まり、ジリジリと肌が焼かれる痛みが全身を包む。

 頭上高くまで立ち上る紅蓮の業火に包まれ、次の瞬間体内から大きな衝撃がアルベドを襲った。

 

「かはっ!?」

 

 高い防御力によって衝撃よりかはダメージを受けずに済んだが、それでも喉から競り上がってくるものは止められず勢いよく吐き出す。気道から鼻腔にかけて鉄臭さが漂い、唇から滴る赤をグイッと乱暴に拭ってウルベルトを睨む。

 先ほどの衝撃は間違いなく〈内部爆散(インプロージョン)〉の魔法だ。しかし二つの魔法を同時に発動させるとは、一体どうやったというのか。〈魔法遅延化(ディレイトマジック)〉を使った気配もなかったというのに…、と警戒心が強まる。

 しかしこのまま魔法を使わせ続ければ、早い段階でウルベルトのMPは切れるだろう。逆にこの程度のダメージであれば、特殊技術(スキル)を上手く使えば自分は持ち堪えることができる。

 

「〈加速(ヘイスト)〉、〈上位全…」

「させるかよ! 〈最強化(マキシマイズマジック)衝撃波(ショックウェーブ)〉!」

「ちっ! 〈マジック パリィ〉!」

 

 強化魔法を中断して、何とか魔法の衝撃波を反射して横に逸らさせる。

 その間にウルベルトが〈転移門(ゲート)〉を開いているのが目に入り、アルベドは目を見開かせた。

 まさか逃げる気か!?と空間に開いた暗闇を睨むように凝視する。

 しかし仔山羊は暗闇の中に入ることはなく、逆に小さな複数の影が暗闇の中で蠢いていた。

 〈転移門(ゲート)〉から現れたのは今のウルベルトよりも小さな悪魔。大きく膨れた腹を抱えるように小さな両手を添え、背にある小さな翼を忙しなく動かしてふわふわと宙をさ迷っている。ニンマリとした笑みの奥でギャギャギャっと耳障りな笑い声が聞こえてくる。膨れた腹は内側から発光しており、皮膚が酷く薄いのか緑色の光が漏れて細かい血管が浮き出ていた。

 アルベドも見たことがない異形の悪魔たち。

 脅威には全く感じないが、それでもこのタイミングで出現してくるのにアルベドはひどく警戒心を強めた。召喚ではなく〈転移門(ゲート)〉によって出てくるということも違和感に感じられる。

 現れたのは合計で四体。

 ウルベルトは笑みを浮かべて“慈悲深き御手”を振るうと、傍にいた二体を勢い良く引き裂いた。瞬間、引き裂かれた悪魔の腹に閉じ込められていた緑の光が溢れだし、“慈悲深き御手”に吸い込まれてウルベルトへと吸収されていく。

 あれは魔力だ…!

 直感的に理解したアルベドは咄嗟にウルベルトを止めようと地を蹴った。

 このままでは折角消耗させたMPが全回復されてしまう。それではこちらの勝機が消える、と突撃した瞬間、残っていた二体がアルベドへと迫って来た。咄嗟に防御の姿勢を取った瞬間、悪魔たちがニンマリとした笑みのまま勢いよく自爆する。腹に溜まった魔力が爆弾となって勢いよく襲いかかり、アルベドは反射的に腕を交差させて顔を庇った。大したダメージは受けなかったが、一瞬でもウルベルトから注意を逸らしてしまったことに慌てて視線を戻す。その瞬間、視界に飛び込んできた光景にアルベドは思わず驚愕に目を見開かせた。

 目の前にあったのは、十つの影。

 ガルムに乗ったまま楽し気な笑みを浮かべてこちらを見据えている仔山羊が十人、こちらを取り囲むようにして立っていた。

 

「なっ…!!」

 

 驚きのあまり声が漏れてしまう。

 しかしアルベドは無理やり自分を落ち着かせると、注意深く十人もの仔山羊の悪魔を見回した。

 恐らくこれらは唯の幻覚だ。しかしどれが本物なのかが全く分からない。

 

「…避けてみろ。〈魔法三重最強化(トリプレットマキシマイズマジック)穿つ氷柱(ピアーシング・アイシクル)〉」

 

 十人のウルベルトが全く同時に魔法を発動させ、何十本もの氷柱が全方向からアルベドを襲う。

 どれが偽物でどれが本物か分からない以上、迂闊に特殊技術(スキル)を使うわけにもいかない。

 アルベドは腰の両翼を羽ばたかせると、勢いよく上空へと飛び上がった。しかし上空へと向けた視界に瞬間大きな笑みが映り込み、アルベドは思わず身体を硬直させた。

 すぐ目の前にいたのは、自分を取り囲んでいたはずのウルベルト。

 何故瞬時に目の前に…と思う間もなく、小さな人差し指が突き付けられた。

 

「〈神の裁き(ゴッズ・オブ・ケラウノス)〉…」

 

 瞬間、白く焼き尽くされる視界。衝撃と熱が胸元を襲い、次には身体中が焼かれるような痛みが内側から襲い掛かってくる。今までの攻撃とは比較にならないほどのダメージが痛みとなってアルベドを襲う。痛みにか身体中が痺れ、アルベドは羽ばたくこともできず地面へと落ちていった。

 成す術もなく地面へと転がり、しかし未だ震える両腕で何とか身体を起き上がらせる。

 強い痺れはまだ治まらないが、HP(体力)はまだまだ残っている。

 いつの間に消えていたのか、再び一人だけになったウルベルトを見上げるとアルベドは四つん這いになっている状態から勢いよくウルベルトへと襲い掛かった。

 

「うおっ!」

 

 ウルベルトは驚きの声を上げながらも何とかすれすれでアルベドの攻撃を躱す。しかしアルベドとて戦士職の100レベルNPCだ、すぐさま刃を返して再度ウルベルトへと襲い掛かる。長柄斧(バルディッシュ)が光の残像となって幾重にも振るわれ、ウルベルトは逃げるものの全てを躱しきれず傷を増やしていく。

 いける…!

 目の前で傷つき焦りの色を見せ始めたウルベルトに、再び勝機を確信し始める。このまま押し続ければ、確実に肉を引き裂くことができるだろう。

 逃げ回るウルベルトを追いかけて攻撃しながらアルベドが一層確信を深めた、その瞬間…---

 

「…っ…!!?」

 

 踏んだ地面からいきなり赤い魔方陣が複数浮かび上がり、そこから赤黒い槍が勢いよく突き出てきた。咄嗟に足をずらして突き刺さるのは免れたものの、バランスを崩した身体に違う赤黒い槍が容赦なく襲い掛かってくる。

 何故かダメージはないものの、貫かれた身体が動きを阻害される。

 苛立たし気に舌打ちし長柄斧(バルディッシュ)を振るおうとしたその時、アルベドはハッと我に返って慌ててウルベルトへと目を戻した。

 ウルベルトは何故かガルムから降りており、いつの間に戻ってきていたのか双角獣(バイコーン)の相手をしていたはずのニーズヘッグの蜷局に抱かれてにっこりとした笑みを浮かべていた。

 

「死ぬなよ、アルベド」

「何を…っ!!」

「…超位魔法〈失墜する天空(フォールンダウン)〉」

「…っ…!!?」

 

 意味の分からぬ言葉と共に発動したのは、ありえないことに超位魔法。

 詠唱もしていなかったというのに何故…!?と思う間もなく、抗い難いダメージがアルベドを襲う。

 まるで重力のように頭上から降り注ぐ衝撃と熱。身体中が焼かれ、溶かされるような感覚。

 あまりにも大きなダメージにアルベドは成す術もなく再び地面へと崩れ落ちた。

 今度は起き上がることもままならない。

 しかし何とか顔を上げれば、そこには悠々と佇む仔山羊が感心したように周りを見回していた。

 

「…はぁ、やっぱり超位魔法はやり過ぎたか。防御力マックスのニーズヘッグが消滅するとは思わなかったな」

 

 その言葉通り、ウルベルトの近くには塵となって風化しようとしている物体が横たわっていた。恐らくそれがニーズヘッグであり、ウルベルトの代わりに全てのダメージを引き受けたのだろう。

 ウルベルトは未だ地面を這うアルベドを見下ろすと、わざとらしく小首を傾げてみせた。

 

「大丈夫か? 死ななくて良かったよ」

「…な、ぜ……ころさ、ない……」

「おいおい、やめろよ。俺にそんなつもりはない」

 

 ウルベルトは呆れたように頭を振ると、徐に片膝をついてアルベドへと顔を近づけた。

 瞳孔の違う金色の瞳が鋭く混じり合う。

 

「俺を恨むなとも憎むなとも言わん。それはお前たちの当然の権利だ。だが、それをモモンガさんのせいにはするな」

「なっ!?」

 

 思わぬ言葉に咄嗟に声が出る。

 しかしウルベルトは口を開きかけたアルベドの言葉を遮るように言葉を続けた。

 

「モモンガさんを置いて行って悲しませたのは事実だ。だが、それに対して俺に何かする権利があるのは本人であるモモンガさんだけだ。俺を殺したいなら自分自身の恨みでかかってこい。それとも唯の嫉妬か? 俺がモモンガさんをお前から取ったとでも?」

「きっ、貴様に何が分かるっ! 私の愛しいモモンガ様を置いていったくせに! 心を痛めさせ、悲しませたくせにっ!!」

「……………………」

「なのに何故、モモンガ様は貴様を…!! 貴様さえ帰ってこなければ、モモンガ様はずっと私たちを一番に思って下さっていたのに! 私たちを…私をぉぉ……っ!!」

 

 嫉妬と憎悪が殺気となって溢れだし、痛みを無視して掴んでいた長柄斧(バルディッシュ)を我武者羅に振り上げる。しかしそれは虚しくも呆気なく弾かれた。鋭い衝撃に耐え切れず、長柄斧(バルディッシュ)が手から離れて滑るように地面へと転がっていく。

 悔し気にウルベルトを睨み上げるアルベドに、彼女を迎えたのはどこまでも冷たい金色。

 

「…呆れて物も言えんな。それでも守護者統括にと定められた者か?」

「何ですってっ!!」

 

 ナザリックを勝手に去り、自分たちを勝手に捨てた分際で何を言うのかっ!!

 際限なく湧き上がってくる激情の中にはもしかしたら憎悪や怒りだけではなく、悲しみも少し混じっていたのかもしれない。目に溢れてくる雫に気が付かないまま、アルベドは唇を噛みしめて目の前のウルベルトを睨み付けた。

 しかし目の前の悪魔はどこまでも冷静にこちらを見下ろしていた。

 

「…確かにモモンガさんの中での優先順位はお前たちシモベより俺たちギルドメンバーの方が上だろうさ。だが俺たちを…俺を消せばお前たちが…いや、お前が一番になれると本気で思っているならとんだ勘違いだ。…あまり俺たちのギルマスを舐めてくれるなよ」

 

 そこで初めてウルベルトから鋭い殺気を向けられる。怒気にも似た威圧感が襲い掛かり、その凄まじさにアルベドはひくっと喉を震わせて身体を硬直させた。

 大きな恐怖が身体の底から沸き上がり、それが絶望感に変わって身体中を支配する。小刻みに震える身体を抑えきれず、情けなくも歯がガチガチと音を立てて止めることができない。

 すっかり怯えてしまっているアルベドに何を思ったのか、ウルベルトは小さな息をついて殺気を収めた。チラッと横に目を逸らし、しかしすぐさまこちらへと戻してくる。

 次の瞬間ウルベルトの顔には柔らかな笑みが浮かび、それと同時に頭の中からウルベルトの声が聞こえてきた。

 

「…ありがとう、アルベド。これで少しは今の自分の状態が分かったよ。ああ、でもやっぱり全体的に鈍ってるなぁ。もし機会があれば、また付き合ってくれ」

『お前自身の恨みであれば、いつでもかかってこい。相手をしてやる。だが、単なる嫉妬なら俺にかまけてないで自分を磨け。俺がいてもモモンガさんに自分を選ばせられるくらいの女になってみせろ』

 

 ウルベルトの口から聞こえてくる声と、頭に響いてくる声。

 二重に聞こえる声は、一方は〈伝言(メッセージ)〉によって聞こえる声。

 

「…ああ、今日はもういいぞ。うまく手加減できなかったし…疲れただろう。もう下がってゆっくり休むといい」

『ああ、言っておくが相手はしてやるが殺されてはやらないから覚えておけ。俺を殺してもいいのは友人であるモモンガさんか、俺の被造物(我が子)であるデミウルゴスだけだからな』

 

 優し気な笑みをあくどいものに代えながらウルベルトがこちらへと背を向ける。

 そのまま指輪の力を発動して姿をかき消したウルベルトに呆然とする中、アルベドはふとこちらに駆けてくる複数の足音があることに気が付いた。

 ハッとそちらを振り返れば、慌てた様子でこちらに駆けこんでくるダークエルフの双子。

 アウラとマーレはこちらまで駆けてくると、心配そうに覗き込んできた。

 

「どうしたのよ、アルベド! ボロボロじゃない!」

「だ、大丈夫ですか!? い、今、回復しますね!」

 

 アウラは困惑した表情で捲し立て、マーレはオドオドしながらも治癒魔法をかけてくる。

 二人の突然の登場に、アルベドは未だ地面に座り込んだまま呆然と二人を見上げていた。

 

「…二人とも、どうして……」

「ウルベルト様から呼ぶまで来るなって言われてたんだけど、すっごい音がしたから…。何かあったのかと思ってきちゃったんだよ」

「そ、そうなんです。そしたらアルベドさんが倒れてて…びっくりしました…」

「とにかく無事でよかったよ。ああ、ウルベルト様には後で謝罪しに行かなくちゃ…」

 

 いくら緊急事態かと心配したからといって、命令違反をしたことは事実だ。

 心なしか蒼褪めている双子に、アルベドは回復した身体にゆっくりと立ち上がると安心させるように微笑みを浮かべた。

 

「…大丈夫よ、二人とも。ウルベルト様は怒っていらっしゃらなかったし、二人がこのタイミングで来ることも分かっていらっしゃったわ」

「で、でも…」

「大丈夫よ。それよりも、ここを直しておいてくれるかしら。思った以上に荒れてしまったから…」

「ああ、うん…分かったよ」

 

 周りの惨状を見回し、アウラが理解したように頷いてみせる。

 アルベドも応えるように頷くと、そっとウルベルトが消えた空間をじっと見つめた。

 

 

 

**********

 

 

 

 次の日の早朝。

 第九階層の自室で寛いでいたウルベルトは、突然勢いよく開いた扉にチラッとそちらへと目をやった。

 カツカツと靴音高く響かせながらこちらに歩み寄ってくるのは見慣れた朱色の悪魔。しかし彼にしては珍しく切羽詰まった様子で、ウルベルトは疑問に小さく首を傾げた。慌てたような様子もそうだが、この忠誠心がカンストしている悪魔が一言もなく部屋に入ってくること自体珍しい。

 

「ウルベルト様っ!!」

「どうしたんだ、デミウルゴス。お前がそんなに慌てるなんて珍しいな」

「アウラから聞きました! お怪我はっ!!」

「大丈夫だよ」

 

 焦燥の色を浮かべた顔でこちらに駆け込んでくるデミウルゴスに、ウルベルトは安心させるように柔らかな笑みを浮かべた。

 しかし聡明な悪魔は中々納得してくれず、ウルベルトの目の前で跪くとそっと手を伸ばしてくる。恐らく本当に怪我がないか心配してくれているのだろう。しかしシモベ如きが勝手に触れてはいけないと思ったのか、不意にその手はピタリと途中で止まった。

 別に全く気にしないのだが、本当に律儀な奴だな…と目の前の悪魔を眺めながら内心で感心する。

 だがデミウルゴス(我が子)をいつまでも心配させる趣味があるはずもなく、ウルベルトは再び安心させるように笑みを浮かべて見せた。

 

「本当に大丈夫だよ。大体この俺が負ける訳ないだろう」

 

 自信満々に言ってやれば、漸く安心したのかデミウルゴスの表情が緩められる。

 心配性な悪魔に苦笑を浮かべながら、ウルベルトは気がつかれない程度に息を吐き出した。

 デミウルゴスが来る前にさっさとポーションを飲んでおいて良かった、と内心で安堵の息をつく。あのまま自然治癒に任せて何もしていなければ、デミウルゴスに即効バレてアルベドとドンパチを始めていたかもしれない。そう考えると冷や汗が流れ、どうにも生きた心地がしなかった。

 第一、そんなことになろうものなら後でアインズにどう言い訳をすればいいのか…。

 普段温厚なアインズが怒りに殴りかかってくる光景が容易に想像でき、ウルベルトは少し前の自分を本気で褒め称えた。

 

「…ですが、アウラから知らせを受けた時は生きた心地がしませんでした。どうか、二度とこのようなことはなさらないで下さい」

「心配性だな、お前は。第一、今回のは唯の鍛錬なんだからそう深刻にならなくてもいいだろう。…まぁ、手加減ができなくて相手をしてくれたアルベドには申し訳ないことをしてしまったが」

「そのようなことを気にかけているのではありません。私はウルベルト様の身を案じているのです」

「そんなことって…。一応お前の…いや、俺たちの仲間だぞ」

 

 デミウルゴスの思わぬ言葉に、ウルベルトは流石に小さく顔を引き攣らせた。

 この悪魔の忠誠心の厚さは知っているが、それでも仲間に対してこれは流石にないのではないかと少し心配になる。

 しかしウルベルトは思いとどまると内心で小さく頭を振った。

 これはデミウルゴスに限らず、恐らくナザリックの者たちが全員持っているものなのだろう。

 彼らにとって至高の四十一人は絶対で、それを傷つける…あるいは逆らう時点で仲間であろうと何だろうと敵とみなす。程度や理由、原因は違えどアルベドとて自分に反旗を翻したではないか。それが何よりの証拠だと思えた。

 

「…デミウルゴス、俺は」

 

 言葉を紡ごうとして、しかしそれは不意に扉の開いた音によって遮られた。

 今日はやけに無断入室が多いな…と扉の方へと目をやり、そこにいた人物に思わずまた顔を引き攣らせた。

 デミウルゴスも部屋に入ってきた人物を見とめてすぐさま立ち上がると深々と頭を下げる。

 部屋に入ってきた人物…アインズは後ろにアルベドを引き連れてこちらに真っ直ぐに歩み寄ってきた。

 

「…あ~、どうしました、モモンガさん?」

 

 見るからに怒っている様子の骸骨に、引き攣っている表情を直すことができない。

 アインズはウルベルトの前まで歩み寄ると、表情の読み辛い骸骨の顔でじっとこちらを見下ろしてきた。

 見た目は唯の骸骨であるのに、感じる威圧感は半端ない。

 あぁ、怒ったモモンガさんも懐かしいな…と少し現実逃避しながら、アインズの怒気に怯えているアルベドやデミウルゴスに気が付いてウルベルトは何とか気を取り直した。

 

「それで、何でそんなに怒ってるんですか、モモンガさん?」

「何で…ですか……。それ、本気で聞いてます?」

「…あ~~~……」

 

 言葉に詰まり、思わず目をさ迷わせる。

 その態度が気に入らなかったのか、唐突にアインズがズイッと顔を近づけてきた。

 

「アルベドとの手合せの事ですよ! なにいきなりはっちゃけてるんですか!!」

「いや~、やっぱり一度試しておいた方が良いかと思って…」

「だからってあんな実戦みたいなことはやめて下さい! デミウルゴスから話を聞いてすっごく心配したんですよ!」

「…すみません」

 

 アインズの必死な形相に気圧されて、ウルベルトは素直に頭を下げる。

 アインズの背後に佇むアルベドの金色の瞳に一瞬悲し気な色が浮かんだことに気が付いたが、しかしウルベルトは何も口にしようとはしなかった。

 こんな場所で言うべきことではないし、第一これはアルベド自身が乗り越えなければならないものだ。求められれば力になるが、そうでないなら不用意に手を出すべきではない。

 ウルベルトはフゥッと微かな息をつくと、話を変えるように明るい笑みを浮かべた。

 

「そんなに心配なら、今度一緒に手合せでもしましょう。やっぱり腕は鈍っていたけど、大災厄の魔と呼ばれた俺の力を見せてやりますよ」

「っ!! …はい、またウルベルトさんの戦ってるところ、見たいです! 見せて下さい!」

 

 一瞬驚いた後、次には勢いよく食いついてくるアインズに少しだけ圧倒される。

 しかしその雰囲気がどこか泣き笑いのようにも感じられて、ウルベルトはこれ以上何も言うことはしなかった。

 口を挟まなくても良い問題であるし、アインズが少しでも楽しんで喜んでくれるのならウルベルトとてやぶさかではない。

 取り敢えず、アルベドとの戦闘についてこれ以上突っ込まれることがなくなったため上々と言えよう。

 ウルベルトは目の前で嬉々として話し始めるアインズに相槌を打ちながら、何とかアルベドに関しては一段落着いたかな…とそっと息を吐き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その夜…---

 長椅子に寝そべりながらアインズに借りた今までの出来事が書かれた報告書を読んでいたウルベルトは不意に聞こえてきたノック音にフッと顔を上げた。今日は何とも客が多い日だな…と思いながら報告書を近くのテーブルへと置く。上体を起き上がらせて長椅子に座り直すと、改めて扉へと目を向けて入室の許可を口にした。

 一拍の後、音もなく扉が開いて見慣れた影が中へと滑り込んでくる。

 いつもの純白のドレスに漆黒の両翼。

 今までにないほどの真剣な表情を浮かべてアルベドがウルベルトの前へと静かに歩み寄ってきた。

 

「…お前が一人で俺を訪ねてくるなんて珍しいな。早速再挑戦でもしに来たか?」

 

 まぁ、違うだろうな…と思いながらも取り敢えずはと声をかける。

 しかしアルベドは真剣な表情を変えることはなく、不意に跪くように両膝をついて頭を下げた。

 彼女らしからぬ、何ともしおらしいその態度にウルベルトは思わず疑問符を浮かべる。何と声をかけたものかと頭を悩ます中、心なしか暗い表情のアルベドが徐に口を開いた。

 

「………ウルベルト様にお伺いしたいことがございます」

「? なんだ?」

「ウルベルト様は…いつから私の心に気が付いていらっしゃったのですか…?」

「いつからって…、最初からだが」

「さ、最初から…!?」

 

 思ってもみなかった言葉だったのだろう、アルベドが驚いたように勢いよく顔を上げ、見開かせた目でこちらを見上げてくる。しかしウルベルトからしてみれば彼女の態度はあまりにも分かりやすすぎて、いっそ素直だと思えるようなものだった。彼女の創造主であるタブラであれば『それでも断然OK!』とノリノリでグッドサインを出していたかもしれないが、異世界で生きていかなければならないウルベルトやアインズにとっては看過することのできない問題だ。というか、心情が分かりやすい守護者統括とかどうなんだとツッコミたくなってくる。

 

「お前、分かりやすすぎ…。仮にも守護者統括なんだ、自分の感情くらいコントロールしろ。感情に流されるな」

「も、申し訳ありません…。…分かりやすい、ということは…アインズ様も……」

「ああ、あの人は気づいてないから安心しろ。というかバレてたら絶対に唯じゃすんでないと思うぞ」

 

 心なしか蒼褪めるアルベドに、ウルベルトは軽く頭を振ってそれを否定した。

 アインズにとって、自分たちギルドメンバーとナザリックのNPCたちを比べれば優先順位は圧倒的にギルドメンバーの方が上だろう。

 当たり前だ、アインズにとって自分たちは本当の仲間であり、NPCは仲間の残した子供たちという立ち位置であっても本当の仲間ではない。リアルに考えたとして、自分の友人と友人の子供に優先順位をつけるとしたら何だかんだ言っても誰もが最終的に友人を選ぶだろう。

 つまりはそう言うことだ。

 アルベドが仲間の一人であるウルベルトに危害を加えようとしていると知れば、普段は優しくNPC思いのアインズでも決して許しはしないだろう。この世界でのアインズの仲間に対する過激な反応を考えるに、生死に関わらずウルベルトが怪我をしようものならアインズはアルベドを殺そうとさえするかもしれない。

 感情が分かりやすいアルベドが今もなお無事なのは、偏にアインズが気が付いていないからだ。第一身内に甘いアインズのことだ、無意識に気が付かないようにしている…あるいは無意識に鈍感になっている可能性も高い。

 

「最初から気が付かれていた、ということは…もしやナザリックを巡る際に私を同行させたのは…」

「もちろん、早急にお前と決着をつけるために仕組んだことだ」

「ですが、私と戦闘することを前提にしていたのなら、何故相応の装備や準備をされなかったのですか?」

 

 昨日のウルベルトの姿を思い出し、アルベドが困惑したような表情を浮かべる。

 しかしウルベルトにしてみれば彼女の言葉は何とも的外れなものだった。

 

「何を言ってるんだ。準備はしていたし、罠もいろいろ張っておいたぞ」

「……罠…?」

「最初、お前は慎重に機を見て俺を抹殺しようとしていたんだろう? それを早めて俺を殺そうとしたのは何故だ?」

「それは……」

 

 アルベドは口を開きかけ、しかし言葉に詰まって口を閉ざした。

 言葉に迷って顔を歪める彼女を暫く見やり、ウルベルトが笑みを浮かべて教師のように人差し指を立ててみせた。

 

「お前が計画を速めた主な要因は、ナザリックのシモベたち…特に第七階層の悪魔たちがモモンガさん以上の忠誠を俺に誓う危険性があったから、俺がモモンガさんに何か隠し事をしていたから、俺の力がまだ不完全であると思ったから…大体この三点じゃないか?」

「…はい、その通りです…」

 

 昨日のことを思い出しながらアルベドが神妙な面持ちで頷く。

 ウルベルトはニンマリと笑みを深めさせると、短い足を組んで悠然と目の前のアルベドを見下ろすように見据えた。

 姿は可愛らしい仔山羊だというのにその身から漂う威圧感は本物で、震え上がるほどの存在感を発していた。

 

「そのどれもが、お前に行動を起こさせる罠だったんだよ。第七階層の悪魔たちは…まぁ、あいつらは俺が手を加えていたから忠誠心が厚いのは当然だし、俺の力が不完全だっていうのは唯のブラフだ」

「…では、アインズ様に秘密だと言っていた件も?」

「まぁ、一部はな」

「…一部…?」

「モモンガさんに秘密だっていうのはブラフだ。ただ、第七階層に預けていたものは確かにあったんだよ。洗いざらい言えば、戦闘時に俺が〈転移門(ゲート)〉で呼んだ悪魔たちだ」

「……あの悪魔ですか…。あれは何なのですか?」

「やっぱりアルベドは知らないか。俺の特殊技術(スキル)で生み出せる悪魔の一つで、名は魔の壺(マジックベースデビル)。30%の魔力を媒体に作れる悪魔で、腹に蓄積した魔力を爆弾として自爆で対象を攻撃する悪魔なんだ。まぁ、俺の場合は自爆よりも“慈悲深き御手”での魔力供給用なんだが…」

「……………………」

 

 ウルベルトの説明に、アルベドは納得すると同時に感心する他なかった。

 目の前の人物は確かにアインズと同じ至高の四十一人の一人であり、その叡智はアインズに引けを取らない。

 

「お前の敗因は幾つかあるが、その中でも大きいのは油断と自信と相性だ」

「それは…」

「お前は俺の装備についても言っていたが、あれはお前を油断させるためにわざと選択したものだ。それにお前はナザリックの盾として造られた自負があるようだが、お前の防御面での一番の強味は“ヘルメス・トリスメギストス”あってのものだ。攻撃力に関してはタブラさんがお前に渡した世界級(ワールド)アイテムの“真なる無(ギンヌンガガプ)”が多くの割合を占めている。その二つを装備していないお前に勝つことは、お前自身が思っている以上に容易い」

「…っ…!!」

「それにお前…俺を誰だと思っているんだ? 俺はお前たちの言う至高の四十一人の一人であり、アインズ・ウール・ゴウンの魔法職最強のワールド・ディザスターであり、…戦士職最強だった男と敵対していた男だぞ」

 

 最後に言った言葉はウルベルトとアルベドの相性の事であり、彼女の一番の敗因だった。

 先ほどの言葉通り、ウルベルトは戦士職最強と謳われたワールド・チャンピオンであるたっち・みーと幾度となく舌戦を交え、互いが認めるライバル同士でもあった。同じギルドのメンバーであり、同士討ち(フレンドリーファイア)ができないにも関わらず、どうすれば相手に勝てるかと互いに競うように研究をし合ったものだ。

 言うなれば、ウルベルトは対戦士職のスペシャリストとも言える。

 加えて彼にはアルベドにはない多くの実戦経験があり、アルベドが戦士職である以上、彼に勝てる確率は皆無に等しかったのだ。

 

 

「………ウルベルト様は何故、私を見逃したのですか…?」

 

 上から浴びせられる威圧感に耐えかねて、再び顔を俯かせて膝の裾をギュッと握り締める。

 胸に湧き上がってくるのは大きな恐怖と畏怖。そこにはもはや一欠けらの憎悪も悔しさも残ってはいなかった。ただウルベルトという目の前の存在が恐ろしく、全てに圧倒される。

 しかし怯えるアルベドに向けられたのは、優しいまでの柔らかな声と頭に乗せられた温かなぬくもりだった。

 

「言っただろう、俺を恨むなとも憎むなとも言わないって。俺がお前たちを一度捨てたのは事実だし、それに対して俺を憎むのはお前たちの当然の権利だからな」

「……………………」

「勿論、簡単にやられてはやらんが…それでも、お前たちの思いを受け止めないような卑怯な真似をするつもりもない。だから今度は、“お前の恨み”で俺に挑んで来い。お前の気が晴れるまで、何度でも相手をしてやる」

 

 どこまでも優しく、慈愛に満ちた声。柔らかく頭を撫でられる感触と相俟って、アルベドはどうしようもなく敗北を認めるしかなかった。

 自分では、ウルベルトと同じ土俵に上がることすら難しい。いや、アインズの想いに縋るのみの今の自分ではその資格さえなかったのだ。

 再び悔しいという思いが湧き上がってくるが、それは今までとは少しだけ意味合いが違うものだった。

 アインズに向けられる感情に対してのそれではなく、器としての悔しさ。

 ウルベルトという悪魔は確かに自分たちの主である存在であり、程度は違えど確かにアインズと同じ畏敬の念を感じさせる存在だった。

 

 アルベドは暫く小さな手のぬくもりを甘受していたが、徐にそっとその手から頭を離させた。

 両膝を地に着けた情けない姿ではなく、改めて姿勢を正し、跪いて臣下の礼を取る。

 

 

「……ウルベルト・アレイン・オードル様、これまでの無礼をどうかお許し下さい。そしてお許し頂けるのであれば、私アルベドは今度こそ心よりの忠誠を貴方様に捧げます」

 

 守護者統括に相応しい凛とした声音でもって、深々と目の前の仔山羊へと頭を下げる。

 ウルベルトは金色の瞳を細めさせると、フッと柔らかな笑みを浮かべてアルベドへと再び手を伸ばした。

 

「お前の全てを許そう、アルベド。これまできついことばかり言ってしまったが、俺はお前のことも大切に思っているんだ。お前の忠誠を、喜んで受け取るよ」

 

 再び頭に乗せられる小さな手。言葉通り本当に大切そうに慈愛に満ちた手つきで撫でられる感触に、アルベドは確かに胸の内に広がる暖かな感情を感じていた。喉に競り上がってきた名も知らぬ感情を咄嗟に呑み込み、再びそっとその手から離れて顔を上げる。

 じっとこちらを見つめてくるウルベルトの瞳を見返し、彼の慈悲に対する感謝の言葉を心を込めて紡いだ。それでいて綺麗な身のこなしでサッと立ち上がると、もう一度だけ深々と頭を下げる。

 

「ウルベルト様の慈悲に感謝いたします…」

「ああ、改めてこれからよろしくな、アルベド」

 

 まるで昨日の争いが嘘であったかのように、明るい笑みを浮かべてくる仔山羊の悪魔。

 どこまでも広く大きな器を見せつけられたような気がして、アルベドは思わず逃げるように素早く扉まで歩み寄ると、何とか再び深く一礼してウルベルトの部屋から退出していった。

 重圧感のある扉が目の前で完全に閉まるのを確認し、そこでやっと小さな息をつく。

 ウルベルトに対する自分の感情の変化に未だ複雑な思いを抱くものの、あれだけの叡智や力、存在感を見せつけられては仕方がないと諦める。元より、先ほど誓った忠誠の言葉は嘘ではないのだ。かといってすぐさま自分の変化について行けるほど器用ではなく、アルベドはどっと押し寄せてきた疲労感に大きな息を吐き出した。

 取り敢えずここを離れようと一歩足を踏み出したその時、不意に視界を遮った影にアルベドは咄嗟に足を止めた。薄暗い闇から音もなく姿を現した人物に思わず目を細めさせる。

 

「…ウルベルト様とのお話は終わりましたか、アルベド?」

「……デミウルゴス…」

 

 変わらぬ柔らかな笑みを浮かべて話しかけてくる悪魔に、思わず警戒するような低い声が零れる。

 一見何も変わっていないように見えるけれど、その身に纏っている気配から彼が酷く殺気立っているのが感じ取れた。

 

「……アルベド、これ以上ウルベルト様の御手を煩わすようなら、こちらにも考えがありますよ」

「………それはいらない心配よ、デミウルゴス。先ほども、ウルベルト様に改めて絶対の忠誠を誓ってきたわ」

「それは…、アインズ様に誓って嘘ではないと言えますか?」

「……………………」

 

 一拍の後に問われた言葉に、アルベドは思わず不快に顔を顰めさせた。

 無礼だと咄嗟に思ったが、しかしそれを口にすることはしなかった。

 恐らくではあるが、デミウルゴスはウルベルトと自分の間に何があったのか勘付いている。その上で彼が何もしてこないのは、ただ単にウルベルトがアルベドに対して何も言わず許しているからだ。そうでなければ、この目の前の悪魔はすぐさま何らかの行動に出ていただろう。

 

「……ええ。アインズ様の…、いいえ、“モモンガ様”に誓って、私はウルベルト様にも絶対の忠誠を誓ったわ」

 

 真っ直ぐにデミウルゴスを見つめ、力強く言い放つ。

 その瞳も声も、嘘偽りのないもの。

 しかしデミウルゴスが嘘ではないと判断したのは、“モモンガ様に誓って”という言葉でのみだった。

 

「…そうですか。取り敢えずは、その言葉を信じましょう」

 

 痛みを感じるほどの殺気を緩めさせ、柔らかな物腰で軽く頭を下げる。そのまま踵を返して去ろうとする背に、しかしデミウルゴスは再び立ち止まると顔だけでアルベドを振り返った。

 

「アルベド、ウルベルト様に感謝することです。…あなたはあの御方の慈悲によって生かされたのですから」

 

 まるで全て知っているのだと威嚇するように言った後、今度こそ闇の中へと去っていく背。

 遠ざかっていく朱色の影を見送りながら、アルベドは強く両手を握りしめた。

 

「…ええ、分かっているわ、デミウルゴス」

 

 どこか強張ったその声は、誰の耳に届くこともなく暗闇に溶けて消えていった。

 

 




一応これでアルベドさんとの問題は一段落です。
アルベドさんはこんなに弱くないよ!っていう意見とかあるかもしれませんが、本当にすみません私の文章力ではこれが限界です……。
戦闘シーンでの特殊技術や魔法は殆どがオリジナルですので、あしからず。

*今回のアルベドさん捏造ポイント
・〈マジック パリィ〉;
物理攻撃や矢を跳ね返す特殊技術があるなら、魔法を跳ね返す特殊技術もあるだろう!という感じで設定した捏造特殊技術

*今回のウルベルト様捏造ポイント
・〈使役魔獣・召喚〉;
フレズベルク、ガルム、ニーズヘッグを召喚する召喚魔法。詠唱者のレベルによって一度に召喚できる数や魔物が決まる。主に前衛や守護、騎獣、情報収集に使役する。レベルは三体とも90台。
・魔の壺;
特殊技術で創造できるレベル30台の悪魔。MP30%を消費(媒体に)して作る。媒体にした魔力を爆弾に、自爆という形で攻撃する。
・〈合わせ鏡〉;
幻術魔法。自分、或は対象の偽物(幻術)を三つ作り出す。攻撃などはできず唯の目くらましだが、スキルや魔法で見破ることはできない。
・〈神の裁き〉;
第10位階の電撃魔法。対象を追撃する一直線の雷。着電した対象は内側から電流で焼き尽くされる。耐えたとしても強い麻痺(痺れ)が残る。
・〈牢獄の茨〉;
設置(罠)魔法。対象者が設置場所を踏んだ瞬間、魔方陣が発動して赤黒い槍が対象者を襲う。ダメージは一切ないが、当たれば100%対象者を一回拘束できる。
・〈深淵の帳〉;
職業:幻術師の特殊技術。一つの魔法詠唱に対して20分の完全不可知化。魔方陣も魔法詠唱も魔力も、全て知覚させない。
〈重奏狂歌〉;
職業:魔術の神王の特殊技術。三つまでの魔法を同時に詠唱でき、詠唱中に動き回ることも可能。ただし消費するMPは1.5~2倍になる。



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第6話 遊戯的散策

今回も予想以上に長くなってしまいました…(汗)
副題『悪魔親子の散策(前編)』。


「おおっ、すごいな!」

 

 第九階層にあるウルベルト・アレイン・オードルの私室から感嘆の声が聞こえてくる。

 大分成長したのを機にアインズの私室から自分の私室へと戻ることになったウルベルトは、現在目の前の光景に大きな歓声を上げてパチパチと拍手を贈っていた。

 金色の瞳に映っているのは二つの影。

 漆黒の英雄モモンに扮したアインズと、美姫ナーベに扮したナーベラルが立っていた。アインズもナーベラルも――ナーベラルに関しては服装を変えただけな気もするが…――どう見ても人間にしか見えず、見事な扮装にウルベルトは称賛の声を上げた。

 

「まったく異形種には見えないな! どこからどう見ても人間だ!」

「恐れ入ります」

 

 至高の御方の一人であるウルベルトからの褒め言葉に、ナーベラルが頬を染めて頭を下げる。冒険者の姿でありながらもやはり身のこなしは完璧で、ウルベルトは満足そうな笑みと共に大きく頷いた。

 

「いやいや、本当に見事だ。モモンガさんも、最初は全身鎧(フル・プレート)の戦士だって聞いて虫唾が走ったけど、意外とかっこいいな。その色が良いな、うん、かっこいい」

「……ホント相変わらずですね、ウルベルトさん…」

 

 嫌味なほど良い笑顔でそんなことを言ってくる仔山羊に、アインズは思わずげんなりと肩を落とした。これでモモンのモデルがたっち・みーだと知られれば何と言われることだろう。恐らく今以上の良い笑顔で厭味ったらしい言葉をくどくどと言われるのだろうと思い至り、アインズは精神的に一気に疲れたような気がした。

 

「でも、ナーベラルは兎も角、モモンガさんはずっとヘルムを被っているのか? 話を聞く限り、お偉いさんとの会談とか接待とかもあるんだろう?」

「よっぽどのことがない限りは被っていますね。どうしてもという時は幻術で顔を作っていますが」

 

 説明と共に両手でヘルムを外し、幻術で作った“モモンの顔”を見せる。

 現れたのは見慣れた骸骨の顔ではなく、見慣れぬ人間の男のもの。

 本物にしか見えないその見事な出来栄えに、ウルベルトは再び感嘆の声を上げた。暫く興味深げにアインズの顔を見つめ、徐に座っていた椅子から立ち上がる。

 

「…面白そうだな。俺もやってみるか」

 

 まるで独り言のように言った後、ウルベルトの口から詠唱が零れ始める。魔方陣が展開され、仔山羊の姿がおぼろげに崩れていく。ぐにゃりと視界が歪んだような現象が起こった後、次の瞬間そこに立っていたのは仔山羊頭の悪魔ではなく一人の人間の少年だった。

 

「おおっ、うまくいったみたいだな! どうです、モモンガさん!」

 

 軽く自分の身体を見回した後、満面の笑みでアインズへと声をかけてくる。

 その言葉通り、ウルベルトの幻術は見事なものだった。

 浅黒い肌に、長めの白い髪。子供特有の大きな目はつり目がちで、銀色の長い睫毛に縁どられた瞳は綺麗な金色をしている。少年とは分かるものの、どこか中性的な美しさを持った整った顔立ち。独特なウルベルトの装備品や服装も相まって、どこか浮世離れした雰囲気を醸し出していた。

 

「わぁ、すごいですね! 俺の場合は骸骨の顔に幻を纏わせてるんですけど…ウルベルトさんはどうなっているんですか?」

 

 アインズの場合、顔の形は人間と同じなため割と簡単に幻を作り出すことができる。しかし山羊頭のウルベルトはそういう訳にもいかない。顔の骨格自体が人間の物と大きくかけ離れているため、アインズと全く同じにはいかないだろう。

 しかしウルベルトの答えはアインズの予想から大きくかけ離れたものだった。

 

「いや、恐らくモモンガさんのものと大して変わらないと思うぞ」

「えっ、でもそれだとおかしくないですか? ウルベルトさんの顔は山羊の形をしているから俺のようにはいかないと思うんですけど」

「…う~ん、これは俺の想像なんだが、そもそも幻術ってのは形を変化させるんじゃなくて相手の視覚を歪ませる魔法だから、実際に目にどう映っているかはさして問題じゃないんじゃないか? 大切なのは、見た奴の脳がどう判断するかだ」

 

 軽く腕を組んで説明してくるウルベルトに、アインズは考え込みながら一つ頷いた。

 生き物の構造として、自分たちは眼球から取り込んだ情報を神経を使って脳に送り、その情報を脳が処理して始めて目の前の映像を認識する。つまり眼球に映り脳に送った情報が赤いボールだとしても、実際にそれを脳が青いボールだと処理してしまえば自分たちは青いボールだと思ってしまうのだ。

 ウルベルトの仮説が正しければ、幻術の魔法とは対象が幻とどんなにかけ離れていたとしても、誤魔化すことのできるものだと言うことだ。

 

「おそらく触った時に違和感があるのは、あくまでも誤魔化せるのは視覚に関することのみで、視覚以外の感覚は誤魔化せないからだろうな」

「…なるほど」

 

 ウルベルトの考察にアインズも軽く腕を組みながら相槌を打つ。

 一見突拍子もない話に思えるが、今のウルベルトの幻術を見る限り頭ごなしに否定することは難しい。

 しかし一つ疑問が頭を過り、アインズはウルベルトを見やった。

 

「でも…、それだと説明がつかない問題があります。例えばこうやって自分の顔を触った場合、俺の手は幻を突き破って悲惨なものになります」

 

 説明しながらアインズが自分の顔を触り、その瞬間手が吸い込まれるように幻の顔の中へと沈んでいく。

 

「視界ではなく視覚を誤魔化しているのだとすれば、こういった現象も誤魔化せるんじゃないですか?」

「それは…恐らくだが、魔法の強さに関わるんだと思う。モモンガさんは何位階魔法を使ってる?」

「第五位階の幻術ですね」

「俺が今使っているのは第八位階の幻術だ。…モモンガさんにはこれがどう見える?」

 

 問いかけの言葉とほぼ同時にウルベルトも先ほどのアインズと同じように手を幻の顔に触れさせる。

 しかし目の前で起こった現象はアインズの時とは全く違うものだった。

 

「っ!! すごいです! ウルベルトさんが自分で頬を押し潰しているように見えます!」

 

 目の前の光景が信じられず、アインズが興奮したように声を上げる。

 アインズの言う通り、ウルベルトの手は幻を突き破ることなく、自然に幻の頬を押し潰していた。押し潰されている頬の描写も見事で、潰されることによりできる歪みや皺も表現されており全く不自然さが感じられない。

 

「…なるほど、位階が高ければ高いほど良いのか…。でも俺はこれ以上高い幻術は習得していないからな~…」

「モモンガさんは全体的に多くの系統を習得していたからな」

「ウルベルトさんは攻撃系を中心に習得していましたよね。でも、ウルベルトさんが幻術系の魔法も極めているって知った時は驚きましたよ」

 

 当時のことを思い出してアインズが懐かしそうな表情を浮かべる。

 アインズの言う通り、ウルベルトは幻術師や妖術師といった幻術系の職業レベルをマックスにしており、幻術魔法も多く習得していると知った時はアインズを含めたギルドメンバー全員が驚きの声を上げたものだ。しかしそんな彼らに放ったウルベルトの一言は『相手を幻術で惑わすなんて悪魔っぽいだろ』というもので、それだけでギルドメンバー全員を大いに納得させたのだった。

 

「懐かしいな~…。そう言えば、今のウルベルトさんの幻術の姿ってデミウルゴスに似ているような気がするんですけど、意識してそうしたんですか?」

「いや、何も考えずに人間の姿を纏ってみたんだが…、そんなに似てるか?」

「そうですね…。そっくりとは言いませんけど雰囲気が…、褐色の肌とかクールな顔立ちとか…、うん、兄弟か親戚みたいです」

「ははっ、それはなんだか嬉しいな」

 

 デミウルゴスのことを最高傑作であり自慢の息子だと思っているウルベルトにとって、アインズの言葉は何より嬉しいものだった。欲を言えば“兄弟”ではなく“親子”と言われたかったが、今の子供の姿では仕方がないとそこは諦める。

 今の自分の子供の姿に無念のため息を零す中、不意にアインズが何かを思い出したように声を上げた。

 

「あっ、デミウルゴスで思い出した! ウルベルトさんに相談したいことがあったんです」

「うん? なんだ?」

 

 何かあったのだろうか、と幻術を解いて仔山羊姿に戻りながら小首を傾げる。

 アインズは暫く言葉を探すように言い淀んでいたが、諦めたのか最後には大きなため息を吐き出した。

 

「…デミウルゴスに欲がなさ過ぎて困ってます」

「…は…?」

 

 何を言っているんだ?と思わず反対側に首を傾げる。

 大体、悪魔に対して欲がないとは、これいかに…。

 しかしアインズは本当に困っているようで、切々とした声音でウルベルトに縋りついてきた。

 

「デミウルゴスにはこれまでも多くの仕事を任せて来たんですけど、一切褒美をあげれていないんですよ」

「はぁ…」

「何か欲しい物とか望みはないかって聞いても“恐れ多い”とか“尽くせるのが喜びだ”って言って取り合ってくれないし…、これだと俺のホワイト企業計画がぁぁっ!!」

 

 この場にナーベラルもいることをすっかり忘れてアインズが声を上げて頭を抱え始める。

 ウルベルトは暫くそんなアインズの様子を眺めていたが、彼の精神衛生を考えて〈伝言(メッセージ)〉でそっとナーベラルに退室するように命じた。その際、この場でのアインズの言動を全て忘れるように命じておくのも忘れない。

 未だブツブツと何かを言っているアインズを眺めながら、ウルベルトは彼が落ち着くのを待ちながらデミウルゴスについて思いを馳せた。

 忠誠心が非常に高く礼儀正しいあの悪魔なら確かに言いそうだと苦笑を浮かべる。

 

「長期休暇でもあげたら良いんじゃないか? 働かせすぎだって気にしてたんだろ?」

「………そんなことしたら逆に思い詰めて自害しかねませんよ。今の適度な休みを取るっていう制度でさえ納得させるの大変だったんですよ?」

 

 未だ頭を抱えたまま、アインズがどこか恨めし気にこちらを睨み付けてくる。そのあまりにも悲愴感たっぷりの雰囲気に、ウルベルトは思わず顔を引き攣らせて心の中で合掌を贈った。

 言われてみれば社畜精神上等!という彼らにしてみれば、休みというのは仕える…あるいは奉仕する機会をなくされるというのと同義であり、逆にショックを受けてしまうかもしれない。いや、実際にアインズが休みを取り入れた時にショックを受けたことだろう。

 

「じゃあ、そうだな~…。悪魔の喜ぶもの……拷問道具とか?」

「いや、それはちょっと…」

 

 何の気なしに呟くウルベルトに、途端にアインズが嫌そうな表情を浮かべる。

 アインズの“人間らしい”反応に思わず苦笑を浮かべながら、それでいてウルベルトは意外と難題だった問題に頭を悩ませた。これ以上は何も思い浮かばないぞ…と唸り声のような声を零す。

 

「………う~ん、となると物は思いつかないな…。…モモンガさん、今デミウルゴスにさせてる仕事って急ぎのものか?」

「え? いえ、取り立てて急ぎではないですけど…どうかしたんですか?」

 

 どこか期待するようにこちらを見つめてくる骸骨に、仔山羊悪魔は軽く笑って見せた。

 

「うまくいくかは分からないけど、まぁ何とかやってみますよ」

 

 

 

**********

 

 

 

 デミウルゴスは第九階層の回廊を足早に歩いていた。

 数時間前に交わした会話と、今向かっている目的地に思いを馳せて思わず顔が笑み崩れる。尻尾も浮足立つ心を表すようにご機嫌に揺れ動き、歩く速度も驚くほど早い。

ここにメイドなり警備のシモベたちがいれば、おそらく驚きに目を見開かせたことだろう。しかし幸か不幸かこの場にはデミウルゴスしかおらず、彼は数分も経たぬうちに目的の扉の前まで辿り着いた。

 数秒目の前の扉を見つめ、思わず感極まって震える息を細く吐き出す。

 この扉を再びノックし、手に触れる日が来ることをどれほど渇望したことか。その度に、何度叶わぬ願いだと諦めてきたことだろう…。しかし全てはこの日を迎えるためだったのだと思えば、苦悩も絶望も全て呑み込んで喜びへと変えることができた。

 デミウルゴスはもう一度だけ震える息を吐き出して感情を抑えると、細心の注意を払ってノックをした後、声を張り上げた。

 

「ウルベルト様、デミウルゴスです。失礼いたします」

 

 中から返答が返ってきたのを確認し、扉に手をかけて丁寧に開く。出来た隙間から室内へと足を踏み入れると、部屋の奥に立つ小さな影を見とめて笑みと共に片膝をついて頭を下げた。

 

「ウルベルト様、お待たせしてしまい申し訳ございません」

「いや、忙しいのに呼び出してしまってすまなかったな」

「滅相もございません! お呼びとあらば即座に」

 

 ウルベルトの気遣いの言葉に、デミウルゴスは恐縮したように更に深々と頭を下げる。どこまでも改まったその姿にウルベルトは思わず苦笑を浮かべる中、しかしいつまでもこのままという訳にはいかないと思い直して行動を起こした。

 ウルベルトはデミウルゴスを立ち上がらせると、近くにあった椅子に腰を下ろして短い足を組んだ。

 

「突然だがデミウルゴス、お前に今日と明日の二日間、休暇をやる」

「………は……?」

「休暇だよ、休暇。ここに来たってことは粗方緊急要件は終わらせてきたんだろう?」

 

 ウルベルトがデミウルゴスを呼びつけた際、急ぎの用事は済ませてから来るようにと伝えていた。つまり彼がここに来たということは、ある程度余裕ができたということだ。創造主からの呼び出しに多少無理をしてきた可能性もあるが、この悪魔のことだ二日間ほど休暇を取らせても問題はないだろう。

 しかしそんな創造主の思いなど知らない悪魔にとっては、その言葉は最悪の意味を持ってその耳に届いたようだった。驚愕の色を浮かべていた顔が途端に困惑に歪み、徐々に絶望の色に染まっていく。

 その急激な変化にウルベルトは訳も分からずひどく慌てた。

 

「ちょっ、どうした、デミウルゴス!?」

「私は…、何か不手際を起こしましたでしょうか……?」

「…は…? …ああ、そう言うことか! 違う違う、むしろその逆だ!」

「……逆……?」

 

 デミウルゴスの言わんとしていることに気が付いて慌てて否定する。

 休暇という言葉一つで何故ここまで大惨事な思考になるんだと思わないでもなかったが、考えたらキリがないと思い至ってその辺りは早々に諦めることにする。

 それよりも今はこれからのことを説明する方が先決だと、ウルベルトは安心させるように笑みを浮かべた。

 

「お前の仕事ぶりにはモモンガさんも感謝していたし、俺も期待している。だからこそ、褒美を贈ろうと思ってな」

「そんな! 我らにとってアインズ様やウルベルト様にお仕えすることこそが無上の喜び! その上褒美などと!」

「まぁ、そう言うな。俺たちとしてもお前たちへ少しでも感謝を伝えたいんだよ。主からの気持ちを受け取るのも、シモベの大切な務めだろ?」

「し、しかし……」

 

 少し悪戯気に笑う仔山羊に、悪魔は困ったような表情を浮かべる。

 その顔には、誰が見ても『恐れ多いです…』と書いてある。

 これは重傷だな、とアインズのこれまでの苦労を感じながら、しかしウルベルトは諦めることなく話を続けた。

 

「と言っても、いきなりだとお前も困るだろう? だから手っ取り早く二日間の休暇をやろうと思ってな。モモンガさんにも許可は取ってあるし、それに今回は唯の休暇じゃないんだぞ!」

「…と、申しますと……?」

「何と、この二日間は俺も付き合ってやる! 俺にしてほしいことがあったら何でも言うといい。できるだけ叶えてやるぞ。もちろん一人で過ごしたいと言うなら、それでも構わないが」

「そんな! 滅相もございません!!」

 

 ウルベルトの言葉に、デミウルゴスは彼にしては珍しく少し食いつき気味に反論してくる。続けてお馴染みの辞退の言葉を口にしようとして、しかしそこで先ほどウルベルトに言われた言葉を思い出して咄嗟に口を閉ざした。

 『主からの気持ちを受け取るのもシモベの大切な務め』。

 確かにその通りだという思いに加えて、ある思いがデミウルゴスから言葉を奪っていく。

 常ならば、唯のシモベが思うには大それた願い。

 しかしどうしても捨てきれない“それ”にデミウルゴスは恐る恐るウルベルトを見つめた。

 

「ん? どうした?」

 

 デミウルゴスの困惑した気持ちなどお見通しだと言うように、ウルベルトが柔らかな笑みと共に小首を傾げてくる。

 言葉にせずとも促すようなその雰囲気に、デミウルゴスは未だ躊躇しながらもゆっくりと口を開いた。

 

「…ウルベルト様、本当に…願っても宜しいのでしょうか……?」

「さっきからそう言ってるだろう。これはお前への褒美なんだから」

「で、では…、一つだけ……。ウルベルト様は以前、コキュートスが統治するリザードマンの村へ視察されると仰られていたと聞きました」

「うん? ああ、そうだな」

 

 いきなり変わった話題に内心で首を傾げる。しかし取り敢えずは答えた方が良いかと思い、ナザリック巡りの時にコキュートスへ言った言葉を思い出して頷いて返した。

 デミウルゴスはそれを確認した後、覚悟を決めたようにウルベルトを見つめた。

 

「ならば…、是非ともそのお供を私にさせて下さいませ」

「……それがお前の望みなのか…?」

「仰る通りでございます」

「……………………」

 

 はっきり言って拍子抜けである。自分のお供をするということが褒美になるのかという疑問もある。しかし望みとして口にされた以上、それに対して疑問を口にすれば激しく反論されそうな気もする。

 よくよく見てみれば、緊張と恐怖の表情の奥にどこか拗ねたような色も見える気がしてウルベルトは一つのことに思い至って目を瞬かせた。

 

「……デミウルゴス、お前もしかしてアルベドと二人でナザリックを巡ったことに嫉妬でもしてたのか?」

「っ!! い、いえ、その…私は、別に…何と言いますか……」

 

 どうやら図星だったらしい。

 可愛そうなくらい顔を真っ赤にして狼狽えている悪魔に、ウルベルトは申し訳なく思うと同時にどうにも可愛らしく思えて仕方がなかった。

 これは言うなれば、自分の親を何かに取られて拗ねている子供そのものだ。そう考えれば、先ほどの申し出だって要約すれば「お父さんとお散歩に行きたい!」という可愛らしい息子のお願いにも思える。

 ウルベルトはふふっと柔らかな笑みを浮かべると、次には椅子から立ち上がってデミウルゴスへと手を差し出した。

 

「良いぞ。これから一緒に出かけようか、デミウルゴス」

 

 また後でアインズに文句を言われるかもしれないが、今回も申し訳ないが我慢してもらおうと決める。それにアインズとて息子との触れ合いだと言えば許して大目に見てくれるだろう。

 

「折角だ、リザードマンの村の他にも行ってみたいところがある。一緒に来てくれるか、デミウルゴス?」

「っ!! はい、お供致します、ウルベルト様」

 

 こちらを見つめていたデミウルゴスの顔が途端にぱあっと輝くように明るくなる。

 悪魔らしからぬ邪気のない笑みを浮かべ頷くのに、ウルベルトも応えるように大きく頷いた。

 早速とばかりにデミウルゴスの手を取り、彼が驚きに息を呑むのも構わずに指輪の力を発動させる。

 一瞬で切り替わる目の前の光景。

 第九階層の豪奢な私室だった景色が、今では霊廟の入り口のものへと変わっていた。

 

「さてと…、お前はリザードマンの村の場所は分かるんだよな?」

「はい」

「なら案内を頼む。折角だ、空の散歩と行こうじゃないか。…〈飛行(フライ)〉!」

 

 短い詠唱の後に仔山羊の小さな身体がフワッと宙へと舞い上がる。どんどん上空へと飛び上がっていくのに、デミウルゴスもすぐさまそれに続いた。

 メリメリという音と共に広い背中が二か所大きく裂け、中から大きな被膜の翼が現れる。バサッと翼を大きくはためかせて再び上空を見上げる顔は今までの端正な人間の顔立ちから醜い蛙のようなものに変わっている。

 デミウルゴスの持つ複数の形態の内の一つである半悪魔形態になると、ウルベルトを追って上空へと飛び上がった。100mほど上空で待ってくれていたウルベルトに追いつくと、デミウルゴスは上空で恭しく胸に手を当てて頭を下げた。

 

「おお、その形態は久しぶりに見るな! かっこいいぞ」

「ありがとうございます」

 

 蛙の顔でも分かるほどに嬉しそうな笑みを浮かべる。

 ヌメヌメとした肌もギョロッとした赤い目玉も普通の感覚なら醜いと形容し恐怖と嫌悪を抱く者が殆どだろうが、創造主であるからかそれとも悪魔になった影響なのか、逆にかっこよく愛嬌があるように思えてくる。ここにもし第三者がいれば、自分の最高傑作(息子)を声高に自慢していたかもしれない。

 目の前の異形の姿に浮足立つ心を咳払いと共に落ち着かせながら、ウルベルトは気を取り直してデミウルゴスを促した。

 

「では、リザードマンの村へ向かおう。デミウルゴス、頼んだぞ」

「畏まりました。こちらです」

 

 被膜の翼を羽ばたかせて、まるで宙を泳ぐように先導してくる。その朱色の背を追いかけながら、ウルベルトは飛ぶという感覚を思う存分堪能していた。

 空を飛ぶという感覚は、やはりユグドラシルの時とは全く違い、自由度も合って大きな開放感があった。大きな浮遊感も恐怖ではなく愉悦に変わり、魔法で飛んでいるため疲労も感じずとても快適だ。鳥になったようだと言うのはまさにこういうことを言うのだろうと思える。いっそ移動手段を全て飛行にしてやろうかと冗談半分に空の旅を楽しむ中、しかしそれはあまり長くは続かなかった。

 見えてきたのは大きな森の中にある、これまた大きな湖。

 瓢箪のようなその湖をよくよく見れば、一か所に集落のようなものが見てとれた。恐らくあそこが目的地であるリザードマンの村だろう。

 ウルベルトとデミウルゴスは一直線にその集落と思われる場所へと向かった。全体的に沼地だと思っていた中でも唯一石畳がある場所へと優雅に降り立つ。デミウルゴスは形態を人型へと戻し、ウルベルトはサッと軽く乱れた衣服を直しながら後ろにある建造物のようなものを何とはなしに振り返った。

 一見聖殿のように見えるその建物は、しかし妙に真新しく、この沼地の集落の中では些か馴染まないようにも見える。

 一体何が…彼らの信仰する神でも祀っているのだろうかと小首を傾げる。

 しかしそんな疑問を口にする前に、背後から聞こえてきた声にウルベルトはそちらを振り返った。

 

「ヨウコソオイデ下サイマシタ、ウルベルト様」

「コキュートス…」

 

 こちらに近づいてくる見慣れた青白い巨体を見つけ、ウルベルトは無意識に柔らかな笑みを浮かべた。

 後ろにはコキュートスの配下に加えて幾人かのリザードマンも控えている。少し小柄な者から大柄の者、中には片腕が丸太のように太い者までいて興味がそそられる。

 臣下の礼を取ろうとするコキュートスとその臣下たちを手振りで止めさせ、目の前のリザードマンたちを凝視した。

 

「…彼らがリザードマンか」

「ハイ、リザードマンノ連合長ト戦士タチデス」

 

 頷きながら返される答えに、ウルベルトも納得したように頷いた。

 なるほど、戦士ならばその巨体や太い腕にも納得がいく。ということは小柄な者は魔法詠唱者(マジックキャスター)だろうか。いやリザードマンに魔法詠唱者(マジックキャスター)っているのか…?と次々と新たな疑問が浮かんでくる。

 しかしウルベルトはそれらを咄嗟に呑み込んだ。

 今聞かずとも後でも聞けることでもあるし、今は他にも言うべきことが多くある。

 

「なるほど、良い村だ。侵略してまだあまり日は経っていないと聞いているが統制もある程度取れているようだな。コキュートス、お前の働きを嬉しく思うぞ。もしここに武人武御雷さんがいたなら、きっと彼もお前の立派な姿を喜んだことだろう」

「ッ!! 有リ難イオ言葉ッ!!」

 

 思わぬ言葉だったのだろう、コキュートスは驚きに言葉を詰まらせ、巨体を縮み込ませて深々と頭を下げてくる。少し大げさなような気もしたが、後ろに控えているデミウルゴスやコキュートスの配下たちが感動したように涙ぐんでいるところから考えを改めた。

 彼らにとって創造主という存在は唯一無二の親であると同時に、自分が思う以上に深く重いものなのだろう。

 ならば言うべき言葉はもっと違うものの方が良いはずだ。

 

「俺は武人武御雷さんとは仲良くしてもらっていたから、ある程度なら彼の気持ちや考えは分かっているつもりだ。コキュートス、誇りに思うといい。お前は間違いなく彼にとっての誇りだ」

「アリガトウゴザイマス、ウルベルト様!」

 

 常の武人然とした口調が、今は少し崩れてしまっている。しかし、それは彼の感激の度合いを如実に表しているようでウルベルトは満足げに笑みを浮かべて優しく頷いた。後ろに控えているデミウルゴスも己の慈悲深い創造主と大切な友人に優しい眼差しを向けている。

 そんな彼らの様子をリザードマンたちだけが訳が分からず困惑気に見つめていた。

 

「…なぁ、あの小さい仔山羊は何なんだ?」

「さぁ、分からないが…、見たところコキュートス様の上司なんじゃないか?」

「上司ぃ? まぁ、それっぽくはあるが…部下だって言われた方がしっくりくるな」

 

 小声で交わされるリザードマンたちの会話。

 こちらには聞かれないように配慮されたそれらは、しかし多くの面で規格外なウルベルトたちにはバッチリ聞こえていて、瞬間この場の空気が凍り付いた。デミウルゴスとコキュートスから息が苦しくなるほどの怒気と殺気が噴き出し、コキュートスの配下たちは恐怖に身体をガタガタと震え始める。

 

「…おやおや、面白くない冗談だ。コキュートス、教育をし直した方がよくはないかね?」

「ソノヨウダ…。手始メニ先ホドノ言葉ヲ口ニシタ者ハ前ニ出ヨ。コノ場デ切リ捨テル」

 

 二人の絶対者の言葉と殺気に、リザードマンたちは思わず恐怖に身を凍りつかせた。

 とんでもないことを口にしてしまったのだと理解しても後の祭り。

 もしや村までも破壊尽くされるのでは、と思ってしまうほどの威圧感に冷や汗を滝のように流す中、それを吹き飛ばしたのは高い幼い笑い声だった。

 

「ははははっ、俺がコキュートスの部下か! それも面白いな! どうだコキュートス、俺を部下にしてみるか?」

「ウ、ウルベルト様!?」

「何ヲ仰ラレマス! 至高ノ御方ニオ仕エスルコトガ我ラノ存在意義! ソノ御方ヲ部下ニスルナドトッ!!」

「ああ、分かった分かった。ふざけて悪かった」

 

 可愛そうなくらい慌てふためく二人の守護者に罪悪感を感じて、ウルベルトはすぐさま言葉を撤回して謝罪する。その途端、ほっとした雰囲気がこの場の至る所から零れ出た。最もその安堵は二つの意味に明確に別れていたのだが…、しかしウルベルトはそれに気が付きながらも言及をしようとは思わなかった。

 ウルベルトとしては先ほどの言葉は不快に思うものでは決してなく、逆に面白いとさえ感じていたのだ。

 しかしデミウルゴスやコキュートスのことを思えば締めるところは締めた方が良いかと思い直し、改めてリザードマンたちの方へと向き直った。

 

「混乱させてしまったようで、すみませんね。私の名はウルベルト・アレイン・オードル。モ…アインズの、友人のようなものです」

「ご友人、ですか……?」

 

 ユグドラシルにおいて“ウルベルト・アレイン・オードル”として使っていた口調に変えてリザードマンたちに話しかける。

 それに応じたのはコキュートスから連合長だと紹介された一体のリザードマンで、彼はどこか納得しかねるような声で返してきた。部下ではなく友人なのか?とその顔にははっきりと書かれている。まぁ、間違ってはいないだろうと思いながらも、ウルベルトはどう説明したものかと少しばかり頭を悩ませた。

 これが唯の奴隷などであればそのまま流すのだが、コキュートスがしっかり統治して世話を焼いているということは彼らの扱いはナザリックの配下と近い立場なのかもしれない。そうなると今後のためにもはっきりと説明しておいた方が良いだろう。

 

「そうですね…、君たちには少し難しい話かもしれませんが、もともとアインズも私も41人からなる一つのチームからなる仲間でした。そしてアインズはそのまとめ役だったのですが…、いろいろな理由で今はメンバーは私とアインズのみ。ですので私はアインズの部下というよりかは友人に近い者なのですよ」

「そう、なのですか……」

 

 一応頷いてはいるものの、その顔はいまいち分かっていないような顔だ。

 しかし正直これ以上どう説明したものか分からないウルベルトはさっさと丸投げすることにした。

 

「まぁ、詳しくはコキュートスから聞くことです。…コキュートス、頼みましたよ」

「ハッ!」

「…では、そろそろ次に行きましょうか。本当はもう少し見て回りたかったのですが…お前たちも至急しなくてはならないことができたでしょうからね」

「ハッ、オ心遣イ感謝イタシマス」

 

 急なウルベルトの来訪と先ほどのリザードマンたちの言葉から、至急彼らにはしなくてはならない問題が出てきてしまった。村の中を見せてもらうのはまた次の機会にした方が良いだろうと判断したのだが、それは正解だったようだ。

 配下たちと揃って臣下の礼を取るコキュートスに軽く手を上げて応え、ウルベルトは後ろに控えているデミウルゴスを振り返った。

 

「では、次はどちらに参りましょう?」

「そうですね…、確か人間の村も手中に収めているのでしょう? 次はそちらに行きましょう」

「畏まりました」

 

 ウルベルトの言葉に応え、デミウルゴスはすぐさま再び半悪魔形態へと姿を変える。大きく羽ばたいて上空へと飛び上がるのに、ウルベルトも再び魔法を唱えて宙へと飛び上がった。

 足下へと移動したコキュートスたちに別れを告げ、ウルベルトはデミウルゴスに促されるままに示された方向へと飛び始めた。

 一番初めに“アインズ・ウール・ゴウン”が手に入れたという人間の村、カルネ村。

 アインズに聞く限りでは森の近くにあるらしく、到着するのにそう時間はかからないはずだ。

 

「デミウルゴス、そう言えば今から行くカルネ村の連中はモモンガさんが異形種だと知っているのか?」

「いえ、偉大な力を持った人間の魔法詠唱者(マジックキャスター)で通しているはずです。アインズ様も村の者に会う際は仮面を被っていらっしゃいます」

「そうか…、ならこの姿のまま村に行くわけにはいかないな。一度村の近くで降りるぞ」

「畏まりました」

 

 アインズが人間と偽っている以上、こちらが勝手にバラす訳にはいかない。

 デミウルゴスもそれに思い至ったのか、一度頷いて少しだけ飛んでいる方向を変更させた。

 暫くすると立派な塀に囲まれた村が姿を現し、ウルベルトとデミウルゴスはその手前の森の入り口付近に舞い降りる。

 チラッと生い茂る葉の間から村の様子を伺うと、改めて二人は互いに目を向けた。

 

「どういたしますか?」

「俺は幻術で人間に変身できるが、お前は確か使えなかったな…。よし、それじゃあこれを貸そう」

 

 空中に手を伸ばしてアイテムボックスを開き、その中から一つのマジックアイテムを取り出す。

 ネックレスの形をしたそれは、完全不可視化の魔法の力を宿したもの。トップ部分がエジプトのホルスの目を思わせる目の形をしており、悪魔の持ち物としてまぁまぁ似合うだろう。

 感極まって恭しくネックレスを受け取るデミウルゴスを横目に、ウルベルトは早速幻術をかけることにした。

 大きな魔力が小さな身体を包み込み、ぼんやりと輪郭が朧になっていく。一瞬の空白後、そこに立っていたのは仔山羊の悪魔ではなく七歳くらいの人間の美少年だった。服は今まで着ていた物と全く変わらないため、どこぞの大貴族の御曹司のようである。

 

「どうだ? 人間に見えるか?」

「はい。お見事です、ウルベルト様」

 

 

「ウルベルト様、お見事です!」

 

 

 デミウルゴスの声に被さるような勢いで第三者の声が響いてくる。ギョッとしてそちらを振り返れば見知った姿が映り込み、ウルベルトは思わず安堵の息を吐き出した。

 

「…ルプスレギナ、いつからそこにいた」

「つい先ほどです。デミウルゴス様から知らせを受け、お迎えに上がりました」

 

 ナザリックのメイドに相応しい優雅な動きで礼をするルプスレギナ・ベータ。

 ウルベルトは未だ驚きで不規則に動いている鼓動を何とか落ち着かせようと試みながら、顔には何でもなさそうな表情を張りつけてルプスレギナへと歩み寄った。

 

「そうか、出迎えご苦労。早速、村へ案内してくれるか?」

「はい、勿論です! どうぞこちらへ」

 

 普段のおちゃらけた口調は鳴りを潜め、メイドに相応しい口調と行動でもってウルベルトを促してくる。ウルベルトは一つ大きく頷くと、デミウルゴスがネックレスを装備したのを確認してその後に続いた。

 森と平原を抜け、村へと続くみすぼらしい街道を辿って村へと向かう。

 目の前の村は上空で見た時と同じように立派な塀で囲まれており、まるで砦か何かのようだ。これでは逆に要らぬ警戒心を持たれるのではないか?とお節介にも心配をする中、ウルベルトたちは何事もなく塀の門の前まで辿り着いた。

 さてさて門番でも出てくるのかな?と思う中、不意にルプスレギナが扉まで歩み寄ると、そのままさっさと一人で重そうな門を押し開けてしまった。

 

「いやいやいや、そんな勝手に開けていいのか!?」

「ウルベルト様に対してその道を妨げるなど許されぬこと。どうぞお入り下さい」

「………ぇ~…」

 

 至極当然だと言うように言われてしまって、ウルベルトは思わず小さな声を上げながら心の中で顔を引き攣らせた。

 なんだその暴君思考…と思わないでもなかったが、ふとナザリックに属さぬ者に対しての彼女たちの認識のことを思い出して何とか言葉を呑み込んだ。

 これは仕方がないことであって、至高の四十一人と称えられるウルベルトやアインズでも変えることのできないことだと思い直し、諦める。

 しかしその一方で少し心配になった。

 アインズからはとても友好的に関わり合っていると聞いていたが、果たしてそれをそのまま鵜呑みにしても良いものか…。

 

「…ウルベルト様?」

「ああ、すまない。…今、行く」

 

 中々村に入ってこないウルベルトを心配してか、ルプスレギナが困惑気に声をかけてくる。今はネックレスの効果で姿が見えないデミウルゴスも心配しているのか、彼がいるであろう方向からも視線を感じてウルベルトは思わず苦笑を浮かべた。何でもないというように頭を振り、ゆっくりと村の中へと足を踏み入れる。

 村の様子は仰々しい塀や門には似つかわしくないほどの、どこにでもあるような普通のものだった。あるのは小屋のような木造の家々と豊かな畑。穏やかという言葉が似合う、どこまでも平和そうな景色。しかし平和的とは言えぬ気配が近づいてくることに気が付いて、ウルベルトはスゥッと小さく金色の瞳を細めさせた。

 

「…おやおや、お出迎えかな?」

 

 伝わってくる気配からそうではないと分かっているのに、ふざけてそんなことを口走る。しかしその顔は美しい微笑を浮かべているのに目は決して笑ってはいない。一気に警戒心を強めた主に応えるように、ルプスレギナは殺気を纏い始め、デミウルゴスはウルベルトを守るために彼の前に立った。

 そしてまるでその時を待っていたかのように、前方からだけではなく多くの家の影から小さな大軍がウルベルトたちを取り囲んだ。手に持った剣や槍の矛先を真っ直ぐにウルベルトへと向け、威嚇するように殺気を向けてくる。

 その全てが多くのゴブリンや少数のオーガたち。

 あまりに突然のことに彼らの気配に気が付いていなかった村の人間たちが驚きの表情を浮かべるが、ゴブリンたちは気にする様子もない。いや、気にする余裕もないのか…よく見れば彼らの額には多くの冷や汗が流れていた。

 

「……お前たち、この方に矛を向けた覚悟はできているのでしょうね」

 

 ルプスレギナの可憐な唇からドスの利いた声が零れ出る。普段の彼女からは凡そ想像もつかない声と鋭すぎる殺気に、ゴブリンたちは戦慄したように咄嗟に得物を持つ手に力を込めた。

 彼らからすれば生存本能からくる反射的な行動だったのかもしれないが、それはこの場においてはあまりにも逆効果だった。

 更に警戒を強めた彼らに反応するように、ルプスレギナとデミウルゴスの殺気も鋭く大きく膨れ上がる。

 これは流石にまずいな…とウルベルトが二人を止めようとする中、その前に三つの影が村の奥からこちらへと駆け込んできた。

 

「ちょっと、みんな何をしてるのっ!?」

「エンリ将軍、危険です! 下がってくださいっ!!」

「何を言ってるんだ! 相手は唯の小さな子供じゃないか!!」

 

 慌てたようにゴブリンたちを止めに入ったのは二人組の男女と一人の幼い少女。女と少女は姉妹なのか、どこか顔が似通っているように見えた。

 

「あ、あの、ごめんなさい! 普段はこんなことは………、ルプスレギナさんと一緒ってことは、もしかして…!」

「…エンリ・エモット」

「っ!!」

 

 未だ慌てたように声をかけてくる少女の言葉を遮ってルプスレギナが声を発する。

 恐らく少女の名前なのだろう、ルプスレギナの声と共に少女が言葉が詰まったように息を呑む。

 しかし至高の主に刃を向けられて彼女たちが何もせず黙っている訳がない。更に殺気を溢れさせ、大きな目をギラギラと見開かせた。

 

「私たちの主の御一人であるウルベルト様に刃を向けておいて、今更許されるとでも?」

「「っ!!」」

 

 ルプスレギナの言葉に、今度は少女だけでなく村の人間全員が息を呑み顔を蒼褪めさせた。

 彼女が村の救世主であるアインズに仕えている人物だということは村の誰もが知っていることだ。その彼女が主の一人と呼ぶこの少年は、つまりアインズと深く関わりのある人物ということに他ならない。

 自分たちは大変な人物に武器を向けてしまった、と誰もが絶望感に戦慄する。

 いくらゴブリンやオーガたちが過剰反応しただけだと言っても、決して許されるものではない。

 加えてゴブリンとオーガたちが未だウルベルトに武器を向けていることも問題だった。

 ゴブリンたちからしてみれば武器を収めようにも恐怖に身体が凍り付いてしまって武器を収めることができないだけなのだが、村人たちはそれに気が付かず、ルプスレギナやデミウルゴスにとってはそんなものは関係ない。どんな理由があるにせよ、一度武器を向けてきたのなら容赦などしない。自分たちに対してなら百歩譲って許せても、至高の御方に向けるなど言語道断。

 今すぐ皆殺しにしてやる…と腸が煮えくり返る思いそのままに戦闘態勢に入ったその時、今まで黙って成り行きを見守っていたウルベルトが徐に口を開いた。

 

「……静まれ」

「「っ!!」」

 

 どこまでも凛とした幼い声が絶対の音を帯びて二人の動きを完全に束縛する。

 ルプスレギナがすぐさま戦闘態勢を解いて跪くのを見やり、デミウルゴスも全く同じことをしていることを気配で感じて、ウルベルトは改めて少女たちへと目を向けた。

 

「…私のシモベが申し訳ないことをしましたね」

「…い、いえ…。こちらこそ、…申し訳ありませんでした」

「いえいえ、主を守ろうとするのはシモベとして当然のことですよ。……だが」

 

 不自然に言葉が途切れ、ウルベルトの金色の瞳が少女からゴブリンたちへと向けられる。

 その瞬間ルプスレギナやデミウルゴス以上の強い威圧感が小さな身体から噴き出し、この場にいる全ての者が恐怖に息を呑み、小さな悲鳴を上げる者さえいた。

 

「過剰反応しすぎて主に迷惑をかけているようではいけませんねぇ。それはシモベとして失格だ。……いくらゴブリンといえど、我々との力の差は分かるでしょう?」

「……………………」

 

 ウルベルトの言葉に、ゴブリンたちは誰も何も言わない。いや、恐怖のあまり声を出すことさえできなかった。

 彼の言う通り、自分たちの力量差など天と地ほどに離れている。信じられないことではあるが、恐らくこの目の前の子供は危険視していたルプスレギナよりも強いのだろう、と…。

 

「………お、お言葉ですが…」

「おや、なんですか?」

 

 痛いほどの緊張感の中、震える少女の声がウルベルトへと向けられる。

 少女へと目を戻せば、彼女は必死に恐怖を押し殺して強い瞳でこちらを見つめていた。

 

「彼らは、シモベではありません。…確かに、彼らは私を主とし、命令に従ってくれています。でも…私は彼らのことを大切な家族だと思っています!」

 

 勇気を振り絞って、まるで叫ぶように言ってくる少女にウルベルトは思わず目を見開いた。

 暫くマジマジと少女を見やり、不意に笑いが込み上げてくる。

 

「…フフッ、…アハハハハハッ!! なるほど、確かに興味深い!君自身が言うのだから、それは本心なのでしょうね。私とて、このルプスレギナを始めとする多くのシモベたちを我が子のように大切に思っています」

 

 未だ跪いて傍らに控えているルプスレギナを見やり、ウルベルトが優しく目を細めさせる。いっそ七歳の少年には似つかわしくない表情に、少女…エンリは思わず戦慄いた。

 目の前の少年は見るからに妹であるネムより年下だ。なのに大人であるルプスレギナを“我が子”と呼び、彼女以上の威圧感をもってこの場を支配している。

 あまりにも予想外の存在に、エンリは絶望感にも似た途方もない恐怖に身を震わせた。

 

「しかし…ならばこそ、シモベたちはきちんと教育することです。…大切な家族とやらを失いたくないのならね」

「…っ…!!」

 

 少年には似つかわしくないニヤリとした邪悪な笑みに、これ以上この場にいる誰も耐えることができなかった。まるで威圧感に押し潰されるかのように、ゴブリンやオーガを含んだこの場にいる全員が膝をついて首を垂れる。決して頭を下げている訳ではなく恐怖により身体に力が入らず起こったものではあったが、傍から見ればそれはこの場にいる全員がウルベルトに平伏しているように見えただろう。

 ウルベルトは悪魔としての自分が愉悦に高笑いしているのを感じながら、必死にその衝動を堪えて柔らかな笑みを意識して浮かべた。威圧感も解いて優し気な声で語り掛ける。

 

「さて…、本当は村の中を見て回らせてもらおうと思っていたのですが、これでは無理そうですね」

「っ!!」

「ああ、どうか気になさらず。またの機会に改めてお邪魔させて頂きますよ」

 

 ウルベルトの言葉に怯えたように殆どの者たちがビクッと身体を震わせる。しかしウルベルトとて彼らを怯えさせた上、これ以上彼らの負担を増やすのも少しだけ気が引けた。リザードマンの村に引き続いてのこの状態に何も思わない訳ではなかったが、それでも巡り巡ってアインズに迷惑をかける訳にもいかない。

 ウルベルトは恐縮したように跪いてから微動だにしていないルプスレギナを振り返ると、安心させるようにそっと手を伸ばした。

 彼女からすれば、村の監視をアインズから任されているため、この状況に責任を感じているのだろう。村の連中は正直どうでもいいが、ナザリックの一員であるルプスレギナが打ちひしがれているのを見るのはひどく胸が痛んだ。

 

「ほら、顔を上げなさい、ルプスレギナ。お前がそんなに責任を感じる必要はないのですよ」

「ウ、ウルベルト様…、ですが……」

「思えば、何も配慮しなかったこちらも悪いのです。今日のことは私の方からアインズに報告しておきましょう。お前は何も悪くない、良いですね」

「っ! …ありがとうございます!!」

 

 優しい手つきで頭を撫でながら言われた言葉に、ルプスレギナは感極まったように再び深々と頭を下げた。勢いよく揺れる赤毛のおさげがまるで犬の尻尾のように見えて、ウルベルトは思わずふふっと小さく笑みを零す。しかしいつまでもここにいては再び恐縮させてしまうだろうとウルベルトはさっさと行動に移すことにした。呟くように〈飛行(フライ)〉の魔法を唱え、身体を浮き上がらせる。

 

「それでは失礼させて頂きます。また改めてお伺いさせて頂きますので、その際はどうぞ宜しくお願い致します」

 

 ウルベルトは宙に浮いたまま優雅に一礼すると、次には勢いよく上空へと駆けあがった。見る見るうちに上空へと飛んでいく少年は、瞬く間にその姿を見えなくさせていく。

 地上の村から500mほどまで上がってやっと上がるのを止めると、そのままフゥッと大きなため息をついた。

 

「…宜しかったのですか、ウルベルト様?」

 

 不意に何もない空間から聞き慣れた美声が聞こえてくる。

 ネックレスを外すことで姿を現したデミウルゴスは半悪魔形態の大きな赤いギョロ目でじっとウルベルトを見つめていた。

 

「…まぁ、リザードマンの村は兎も角、正直人間の村はそれほど見て回りたかったわけではないしな。それよりはモモンガさんに迷惑をかけないようにする方が良いだろう」

 

 未だ足元に見える村を見下ろしながら答えれば、デミウルゴスも応えるように空中で優雅に頭を下げてくる。

 先ほどの自分と同じような行動に思わず笑い声を零しながら、ウルベルトは気を取り直すようにデミウルゴスを振り返った。

 

「さてと。それで…まだ行きたいところはあるんだが、まだ付き合ってくれるか?」

「勿論でございます。それが私の願いですので」

 

 本当に嬉しそうな笑みを浮かべて肯定するデミウルゴスに、ウルベルトも嬉しくなって思わず満面の笑みを浮かべる。

 

「よし! じゃあ次はアウラの作ったナザリック第二号を見に行くぞ!」

「はい、ウルベルト様の仰せのままに」

 

 少しふざけたような台詞も、デミウルゴスは柔らかな笑みと共に頭を下げる。

 アウラなどが聞けば「ナザリックの第二号だなんて!」と恐れ多くて委縮してしまうところだが、勿論デミウルゴスがそんなことをするはずがない。彼にとって至高の四十一人の言葉は何より優先されるものであり、とりわけ自身の創造主の言葉は絶対なのだ。ウルベルトがそう言うのであれば、アウラの作った砦は誰が何と言おうと“ナザリック第二号”なのだ。

 しかしそんなことをデミウルゴスが考えていることなど露知らず、ウルベルトは呑気な笑みを浮かべてデミウルゴスを促すのだった。

 

「行くぞ、デミウルゴス」

「はい、ウルベルト様」

 

 蛙のような姿と人間の姿の悪魔は、揃って優雅に空を駆け抜けた。

 

 




何だかんだで、まだ一つもちゃんと視察(?)できていない件について……orz

幻術に関しての記述は完全捏造なので、あしからず……。


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第7話 愉楽的散策

今回は少し(?)グロテスクな描写があります。ご注意ください。
前回に引き続き、今回は副題『悪魔親子の散策(後編)』となります。


 カルネ村を後にしたウルベルトとデミウルゴスは一っ飛びに森の中にある強大な砦まで来ていた。

 深い森の中にどーんと悠然と佇むさまは圧倒されるものがある。

 ウルベルトは幻術を解いた本来の仔山羊の姿で、おぉっ!と感嘆の声を上げた。

 多くのアンデッドやゴーレムを使って建てたとは聞いていたが、これは指揮する者にもそれなりの才能がないとここまで見事な物は造れないだろう。まさかアウラにこんな才能があったとは思わなかった、とウルベルトは驚きと共に感動を覚えるのだった。

 

 

「…ウルベルト様、中をご覧にはならないのですか?」

 

 大きな門の前でデミウルゴスがこちらの様子を窺っている。その隣には、いつから来ていたのか二体のゴーレムを引き連れたアウラがデミウルゴスの横で大人しくウルベルトを見つめていた。

 どこか期待しているようなキラキラとした大きなオッドアイに、ウルベルトは未だ興奮している心を落ち着かせてアウラたちの元へと歩み寄った。

 

「ようこそおいで下さいました、ウルベルト様!」

「いや、突然ですまなかったな。是非とも案内をしてもらいたいんだが、構わないかな?」

「勿論です!」

 

 元気よく歓迎してくれる可愛らしい少女に、思わず満面の笑みを浮かべる。

 アウラは一見重たそうな門を軽く押し開けると、ウルベルトに道を譲って未だ横に立つデミウルゴスの真似をして軽く目を閉じた。二人揃ってる頭を下げ促すように片手を門の奥へと伸ばす姿は、何とも可愛らしく、同時に笑みを誘う。ウルベルトはフフッと笑いを零しながら二人の前を通り過ぎると、門を通って要塞の中へと足を踏み入れた。

 木で造られているためか、現実世界ではついぞ嗅ぐことのなかった木の香りが心をひどく落ち着かせてくれる。

 ウルベルトは背後にアウラ、デミウルゴス、ゴーレムたちを引き連れて要塞内を練り歩いた。

 

「いや、本当に素晴らしいな。まさかここまでの出来とは思わなかった!」

 

 外装から予想する以上の広大さと凝った内装に、ウルベルトは良い意味で自分の予想が裏切られ満面の笑みを浮かべた。アウラのことを疑っていたのでは決してないが、ついついそんな言葉が出てしまう。

 彼の後に続くアウラもデミウルゴスもそれを理解しているのか、変わらぬ笑みでもって頷いてくれた。

 

「ありがとうございます、ウルベルト様!」

「そうですね。時間はそれなりにかかってしまったようですが、アインズ様もご満足頂けたと聞いております」

「ああ、そうだろうな。それに聞いた建築期間から考えると、ここまで造れたのはむしろ上出来だと思うぞ。俺たちがナザリック地下墳墓を今のナザリック地下大墳墓に改築した時は、その何倍も時間がかかったからな」

 

 当時の輝かしくも苦労した日々を思い出し、懐かしさに小さく目を細めさせる。

 ギルド“アインズ・ウール・ゴウン”のギルドメンバーは誰もがキャラが濃く、自分が言えた義理ではないが自身の趣味趣向に素直で『本能に忠実に!』をモットーにしているような凝り性な人物ばかりだった。良く必要な素材を求めてはメンバーに無理を言ったり喧嘩したりダンジョンに潜入したりしたものだ。かけがえのない仲間たちとの努力の結晶がナザリック地下大墳墓であり、自分たちが生み出したNPCたちもまたその一つだった。

 改めて今までずっとそれらを守ってくれていたアインズに対して大きな感謝の気持ちが込み上げてきて、ウルベルトは少しだけ自嘲的な笑みを浮かべた。

 ここにきてまた自分は我儘ばかり言ってしまっているけれど、全てが落ち着いたら今度こそこの感謝を返そうと心に誓う。一度現実世界で失った命だ、この世界での二度目の命は仲間たちが残したかけがえのないものたちと大切な友のために使いたい。そのためにはまず早く本来の姿に戻らなければ!と気合を入れ直す。帰ったらワインをがぶ飲みしようと心に決めながら、ウルベルトは一つの部屋へと足を踏み入れた。

 

 一見玉座の間にも見える、広く天井の高い部屋。

 しかしナザリックの第十階層の玉座の間に比べれば、こちらは謁見の間と言った方が正しい様な気もする。

 どちらにしろ立派な部屋には違いないのだが、ウルベルトは興味深げにきょろきょろと周りを見回した。ゆっくりと奥へと進み、ふと目に入った“それ”にピタッと動きを止めた。

 

「……アウラ、あれは何だ…?」

 

 アウラに話しかけながらも、ウルベルトの目は“それ”に釘付けだ。

 少女はウルベルトの視線の先を追って口を開きかけ、しかしその前に満面の笑みを浮かべた悪魔がそれに答えた。

 

「この要塞にアインズ様をお迎えした際、アインズ様に献上させて頂いた玉座です」

「…お前が造ったのか」

「簡素なものではございますが…」

 

 少し言葉は濁されたものの、つまりはデミウルゴス作で間違いないらしい。

 ウルベルトの視線の先にあったのは、芸術品と言っても過言ではない純白の美しい椅子。

 しかしウルベルトが食いついた理由は、何も美しい芸術品だからでは決してなかった。

 

「……何の骨だ?」

「様々な動物です。グリフォンやワイバーンなどの良い部分を使用しております」

 

 悪魔の言葉通り、多くの骨によって造られた玉座。無数の骨の中には先ほど述べられたグリフォンやワイバーンだけでなく、見るからに人間や亜人の骨も混ざっている。

 しかしウルベルトはそんなことを全く気にしてはいなかった。

 おどろおどろしい雰囲気が漂いアインズがどん引きしていたにも関わらず、仔山羊の悪魔の心にあるのはただ一言しかなかった。

 

(超かっけーっ!!)

 

 

「素晴らしい! さすがはデミウルゴスだ!!」

「恐れ入ります」

 

 創造主の心からの称賛に、悪魔は満面の笑みを浮かべて恭しく胸に手を当て頭を下げる。

 悪魔の横ではアウラが少しだけ拗ねたような表情を浮かべていたが、残念なことにウルベルトは全く気が付いてはいなかった。勢い込んで玉座に歩み寄り、全方向から眺めまわしては感嘆の息をつく。

 一点の血の穢れもない純白の骨、金具を一切使用していない完璧な組み合わせ、所々に取り付けられた骸骨が威圧感をもって威厳さを漂わせている。

 人間だった頃に見ればまた違った感想を持ったかもしれないが、今のウルベルトは悪魔であり、悪魔の感覚からすればこの玉座は素晴らしいの一言に尽きた。

 

「デミウルゴス、時間がある時でいいから俺にも造ってくれ!」

 

 感極まるあまり幼子のようにせがんでしまう。

 しかし今のウルベルトには羞恥など欠片もなかった。それだけ目の前の椅子は魅力的であり、悪魔としての魂が騒ぐのだ。

 椅子の魅力にすっかりとらわれてしまったウルベルトは、自分の耳と細長い尻尾が期待にピロピロと動いていることにも気が付かない。目の前の悪魔がその可愛らしい様子を慈愛に満ちた眼差しで見つめているという事実も…。

 

「お任せ下さい、ウルベルト様。必ずやウルベルト様のご期待に応えてみせます!」

「ああ、楽しみにしているぞ!」

 

 折角だからその際は自分もアイテムを作ってデミウルゴスに贈ってもいいかもしれない、と楽しい未来に思いを馳せる。

 しかしそんな中、漸くアウラの様子に気が付いてウルベルトはハッと我に返った。二人の前で幼子のような態度を取ってしまったことに遅れて羞恥心を感じ、それと同時にアウラをそっちのけにしてしまったことに罪悪感を覚える。

 ウルベルトは玉座から離れてアウラの前まで歩み寄ると、自分と同じくらいの少女の頭へと優しく手を乗せた。

 

「アウラ、実に見事だった。お前にこんな素晴らしい才能があったとは知らなかったぞ」

「ほ、本当ですか? …えへへ」

「ああ、本当だ。是非アウラにも頼みたいことがあるんだが、その時は頼んでもいいかな?」

「はい! 勿論です!!」

 

 頭を撫でられ、加えて再び至高の御方の役に立てるという期待にアウラは弾けるような笑みを浮かべる。実に可愛らしいその姿に密かに癒されながら、ウルベルトは未だに小さな頭を撫でながら傍らの悪魔を振り返った。

 

「さて、ではそろそろ次に行くか!」

「次…でございますか……?」

 

 てっきりここが最後だと思っていたのだろう、悪魔が不思議そうな表情を浮かべる。しかしウルベルトとしてはまだメインディッシュというべき場所が残っている。

 ウルベルトは満面の笑みを浮かべて悪魔を見つめた。

 

「確か牧場を運営しているんだろう?案内してくれると嬉しいな」

「!!」

 

 邪気のない可愛らしい笑みで放たれた言葉に、デミウルゴスは雷に打たれたような衝撃を感じた。

 敬愛する創造主が自分の管轄する場所においでになる…。

 大きな喜びと共に激しいプレッシャーがデミウルゴスを襲い、先ほどのコキュートスやルプスレギナの心情を痛いほど理解することになった。それと同時に、コキュートスやルプスレギナに対してウルベルトの来訪の連絡が直前になってしまったことに対してひどく罪悪感を覚える。丁度この場にいたアウラと違い、コキュートスもルプスレギナもデミウルゴスが連絡をした時には不幸なことにナザリックに戻っており、二人にはウルベルトを出迎えるための準備の時間は皆無に等しかったのだ。

 リザードマンの村やカルネ村でのことから慈悲深い創造主は大抵のことは気にしないのかもしれないが、その尊き優しさに甘えるなどシモベとしてはあるまじき愚行だった。

 

「畏まりました。…しかし少々…、少々お時間を頂いても宜しいでしょうか?」

「ああ、構わないぞ。折角だ、ゆっくり空の散歩を楽しみながら向かうとしよう」

 

 そうではなく、時間がほしいのです…と誰が口に出せるだろう…。

 デミウルゴスは焦る気持ちを決して面には出さず優雅に臣下の礼を取りながら、裏では〈伝言(メッセージ)〉を発動させていた。

 

『プルチネッラっ!!』

『っ!! これわデミウルゴス様!如何いたしましたでしょうか?』

 

 〈伝言(メッセージ)〉の相手は、現在牧場を任せている道化師。

 彼特有の気取ったような明るい声音に、デミウルゴスは少しの時間も惜しく手短な説明と共に最重要命令を下した。

 

『今からウルベルト様がそちらに来られます! 早急に出迎えの用意をしなさいっ!!』

『ウルベルト様がっ!? か、畏まりました、すぐに取り掛かります!』

『とにかく急ぎなさい! どんなに引き延ばせても早くて30分、長くても1時間ほどでそちらに到着するでしょう』

『っ!! 畏まりましたっ!!』

 

 彼もどれだけ切羽詰まった状況か理解したのだろう、大げさなほどの声を上げて早速動き始めたようだった。デミウルゴスも彼の邪魔をしないようにすぐさま〈伝言(メッセージ)〉を切り、改めて自身の創造主へと目を向ける。

 どこか楽しそうな様子は光栄ではあるが、今はプレッシャーと不安の方が大きい。

 リザードマンの村やカルネ村での失態を思い出し、これ以上ウルベルトに無礼をはたらく訳にはいかないと決意を新たにした。

 

「楽しみだな。モモンガさんから軽く話を聞いて、ずっと気になっていたんだ。ここからだとどのくらい時間がかかる?」

「…よ、40分ほどかと……」

「? …そうか。まぁ、のんびり行くとしよう」

 

 どこか歯切れの悪い悪魔の言葉に、ウルベルトは思わず小さく首を傾げる。しかし敢えてそこは気にしないことにした。変に突っついて藪蛇であったら目も当てられない。こちらが気にしすぎれば逆に相手に負担を掛けてしまう場合だってある。息子を信じるのも親の務めだ…と自分に言い聞かせ、ウルベルトはアウラやデミウルゴスたちを伴って踵を返すのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結論から言って、デミウルゴスの牧場に到着したのは要塞を出て45分ほど経った頃だった。

 一つの大天幕を中心に大小様々な天幕と畜舎と思われる幾つもの木造建築。普通の牧場と違って漂う雰囲気は不気味で、牧場を取り囲んでいる簡易的な柵が逆に異様さを際立たせている。

 のんびり空の散歩を楽しみながら到着したウルベルトとデミウルゴスを出迎えたのは、三体のトーチャーを引き連れた純白の道化師だった。

 

「ようこそおいで下さいました、ウルベルト様っ!!」

「…ああ、お前も元気そうで何よりだ」

 

 大げさな身振りで飛び跳ねた後、深々と跪いて頭を下げる。何とも“道化師”の名に相応しいひょうきんな動きに思わず小さな苦笑を浮かばせながら、ウルベルトは彼らの背後にある牧場を見やった。規模は自分が思っていたよりも大きく、異様な雰囲気とも相まって“牧場”という言葉に少なからず疑問符を浮かべてしまう。

 ウルベルトは手振りで彼らを立ち上がらせると、ペストマスクによって見えない道化師の顔を見やった。

 

「突然来てしまって悪かったな。少し見学させてもらいたいんだが…」

「はいぃっ! 既に準備わできております! ささっ、どうぞお入りくださいませ!」

 

 まるで道を譲るように、身体の向きを変えて再び深々と頭を下げる。

 ウルベルトは鷹揚に一度だけ頷くと、背後にデミウルゴスを従えて牧場へと足を踏み出した。前を通り過ぎた二人に、すかさずプルチネッラとトーチャーたちも後に続く。

 柵を越えて牧場内へと足を踏み入れたウルベルトは、微かに聞こてきた悲鳴のような音に不思議そうに背後の悪魔を振り返った。

 

「…そう言えば、何を飼育しているんだ?」

「何種類かおりますが、多くは聖王国両脚羊(アベリオンシープ)と名付けた両脚羊(シープ)です」

「……両脚羊(シープ)、か…」

 

 優し気な満面の笑みを浮かべる悪魔の様子に、ウルベルトはある隠語を思い出して小さく目を細めさせた。

 

「……え~と、…何をしているんだったか」

「主に羊皮紙の供給です。他にも治癒魔法の実験や、品種改良での異種交配実験も行っております」

「………なるほど…」

 

 それでこんなに満面の笑みを浮かべているのか…と内心で相槌を打つ。

 確かに彼ら悪魔にとって人間は下等生物であり、家畜として扱っても当然なのかもしれない。

 しかしそれをアインズが許しているのは何とも違和感を覚えた。

 これはアインズが言っていた“精神も人間ではなくなる”という現象故なのか、はたまた家畜の正体に気が付いていないからなのか…。

 

「…モモンガさんには、きちんと説明しているんだよな?」

「はい、勿論です。報告も定期的にさせて頂いております」

「……因みになんて?」

「? 主に聖王国両脚羊(アベリオンシープ)から取れる皮の品質や、品種改良の進行状況について報告させて頂いております」

 

 なるほど、はっきり人間とは明記していないってことか…とアインズが気が付いていない可能性を高くする。まぁ、例えそうだとしてもウルベルトがそれに対して何かをするということは決してなく、どうでもいいことではあるのだが。

 別に誰かが困っている訳でもないし良いだろう…と、聖王国両脚羊(アベリオンシープ)と名付けられた者たちが聞けば絶望に絶叫しそうなことを考えながらウルベルトは軽く流して牧場の奥へと進んで行った。

 奥に行けば行くほど強くなっていく叫びと生臭いにおい。人間の感覚では強い吐き気と嫌悪感を感じるはずのそれらは、しかしウルベルトには福音や良い香りに思えるものだった。

 確実にウルベルトも精神の悪魔化が進んでいる。人間としての精神も未だ確かに残ってはいるが、それでも確実に人間を捨ててしまっている現状に、しかしウルベルトは取り立てて何も感じることはなかった。

 別に人間としての自分を殊更気に入っていたわけではない。どんなに身体が変わろうが、どんなに精神が変化しようが、自分が“ウルベルト・アレイン・オードル”という存在であることには変わりないのだ。そう考えれば、むしろ悪魔としての強靭な肉体や強剛な精神を持てて僥倖と言えるだろう。

 ウルベルトは自分の明確な変化に肩をすくめるだけで軽く流し、皮剥ぎ作業を行っているという天幕へと向かった。

 泣き叫ぶ声と血生臭いにおいが一層濃くなっていく。

 多くのトーチャーがウルベルトたちに気が付いて頭を下げる中、丁度作業中の区画を見つけてウルベルトは足を止めた。

 二体のトーチャーに連行されて羽交い絞めに拘束された一人の“聖王国両脚羊(アベリオンシープ)”。なおも泣き叫び暴れるのも構わずに、トーチャーは専用の器具を手に容赦なく皮を剥いでいった。ベリッ、グチャッ、と生々しい音と共に飛び散る鮮やかな赤。悪魔たちに比べれば貧弱な身体が引き付けを起こし、異様に瑞々しい筋肉が目に眩しくも映る。グロテスクすぎる暴力的な光景は、普通の精神であれば決して直視できるものではない。しかしウルベルトも背後に控える悪魔たちも全く目を逸らさない。じっと観察するように一部始終を見つめ、デミウルゴスなどは楽しげな笑みさえ浮かべている。

 一体のトーチャーが拒絶するのも構わずに治癒魔法で傷を癒している中、もう一体のトーチャーが綺麗に剥ぎ取れた皮を徐にウルベルトへと差し出してきた。深々と跪いて差し出してくる様は、まさに貴重な品物を王に献上する配下そのものである。

 未だボタボタと血を滴らせている皮を見つめ、ウルベルトが思ったことは唯一言。

 いや、今渡されてもどうすりゃいいんだよ…という何ともあっけらかんとしたものだった。

 そこには皮を剥ぎ取られた者に対する配慮も、皮を剥いだ悪魔たちへの嫌悪もありはしない。あるのは唯の無機質な感想のみだった。

 

「…あ~、見事な皮剥ぎだったぞ。俺としてもお前たちの成果を手にしたいのはやまやまだが、今は少し具合が悪い。その皮は通常通り処理してくれ」

 

 言葉を選びながら切々と言えば、トーチャーは頷くように更に深々と頭を下げて差し出していた皮と共に下がっていった。

 もう一体のトーチャーと共に再び作業を開始するのを横目に、ウルベルトは背後のデミウルゴスを振り返った。

 

「お前も皮を剥いでいるのか?」

「いえ、私はあまり大天幕から出られませんので…、主にプルチネッラやトーチャーたちが行っております」

 

 心なしか残念そうな色を浮かべる悪魔に、ウルベルトは納得して一つ頷いた。

 冷酷残忍で残虐な悪魔である彼らにとって、人間の苦痛は何よりの美酒と成り得る。目の前にこんな美味しいものがあって手が出せないというのは、どんなに口惜しいことだろう。今は自分も同じ悪魔で心情が理解できるだけに、ウルベルトは苦笑を浮かべて慰めるように軽くデミウルゴスの腕を叩いた。本当は肩を叩きたかったのだが、子供の姿では手が届かないため非常に無念である。しかしウルベルトは自分のプライドにかけてそれを面に出すことはなく、他の場所を見るために踵を返した。創造主との思わぬ触れ合いに嬉しそうな笑みを浮かべていたデミウルゴスも慌ててその後に続く。

 デミウルゴスやプルチネッラ、複数のトーチャーたちをぞろぞろと引き連れたウルベルトは、他にも多くの“おもてなし”を受けることになった。

 聖王国両脚羊(アベリオンシープ)の解体ショーにミンチ作り体験、剥ぎ取った皮の処理を見学したり家畜たちがいる畜舎内の視察など。より取り見取りの“催し物”にウルベルトは非常に満足感を覚えた。リザードマンの村も人間の村もアウラが造った要塞も全て興味深く楽しかったが、ここの牧場が一番楽しかったかもしれない。

 ウルベルトは悪魔部分の自分が残忍な笑みを浮かべているのを感じながら、未だ背後に控えているデミウルゴスやプルチネッラを振り返った。

 

「非常に有意義な時間だった。ありがとう」

「っ!! いいえ、ウルベルト様に少しでも満足して頂けたのなら、それに勝る喜びはございません!」

「デミウルゴス様の仰る通りでございます! 家畜たちも至高の御方であるウルベルト様の存在に触れることができ、喜びに咽び泣いていることでございましょう!!」

 

 デミウルゴスの言葉は兎も角、プルチネッラの言葉は何とも首を傾げてしまう内容だ。

 しかしツッコミを入れる様な無粋なことはせず、ウルベルトは胸元から懐中時計を取り出した。

 示された時間は他の場所を回るには足りず、ナザリックに帰るには丁度いいものだった。

 

「そろそろ良い頃合いだな。…ナザリックに帰還するぞ、デミウルゴス」

「はい、ウルベルト様」

 

 手にしていた懐中時計を胸元に戻しながら悪魔へと声をかける。

 すぐさま傍らに控えるデミウルゴスを横目に見やり、ウルベルトは目の前のプルチネッラたちに別れを告げて〈転移門(ゲート)〉を発動させた。黒い闇の扉へと身を投じ、一瞬の後にはナザリックの霊廟の前へと足を降りたつ。

 

「お帰りなさいませ、ウルベルト様」

 

 いつからここで控えていたのか、深々と礼を取ったユリ・アルファとシズ・デルタに出迎えられる。

 こんなところまで王様待遇か…と内心で苦笑を浮かべながら、ウルベルトは至高の存在らしく少し偉そうに頷いて返した。

 

「…出迎えご苦労。何か変わりはなかったか?」

「はい、何もございません」

「そうか。…モモンガさんは?」

「ただいまナーベラルと共にエ・ランテルに出ておられます」

「なるほど…。では、モモンガさんが戻り次第知らせに来てくれ」

「畏まりました」

 

 再び深々と頭を下げる二人の前を通り過ぎ、デミウルゴスを連れてナザリックの中へと入っていく。

 後ろではデミウルゴスだけでなくユリやシズもゾロゾロと後に付き従い、その仰々しさに少し辟易させられる。ここはさっさと撤退した方が良さそうだ、とウルベルトはすぐに行動を起こすことにした。

 

「俺は第九階層に戻る。お前たちは持ち場に戻れ。デミウルゴスは俺と共に来い」

「「「畏まりました」」」

 

 デミウルゴス、ユリ、シズの三人が全く同時に頭を下げて礼を取る。

 完璧なシンクロに内心で感嘆の声を上げながら、ウルベルトはデミウルゴスの手を握りしめた。まだまだ小さな子供の身体であるため、手を握るにしても少し爪先立ちしなくてはならないという現実が辛い。しかしそんな葛藤はおくびにも出さず、ウルベルトはさっさと指輪の力を発動させた。

 転移した先は第九階層のウルベルトの部屋……ではなく、大浴場施設である“スパリゾートナザリック”の前だった。

 

「ウ、ウルベルト様…? ここは……」

「うん? 大浴場だよ、お前も知っているだろう。モモンガさんからお前たちと風呂に入ったことがあると聞いてな。俺もお前と入りたいなと思ったんだ」

「っ!! それは、とても光栄なことではございますが…、申し訳ございません。そこまで思い至らず、準備をしておりません…」

 

 自分の察しの悪さに絶望していると言わんばかりに落ち込むデミウルゴス。

 何故そこまで落ち込むんだと思わないでもなかったが、ウルベルトは徐に宙へと手を伸ばした。

 

「そんなに深刻にならなくても良いだろう。それに風呂支度ならこちらで用意しておいた」

 

 宙に出現させたアイテムボックスから二人分の着替えなどを取り出して笑みを浮かべる。

 何故ウルベルトがデミウルゴスの服まで持っているのかというと、実はユグドラシル時代に作りかけていたデミウルゴスの服が今でも残っており、それを完成させて今回アイテムボックスにしまっておいたのだ。サプライズとして渡す機会をずっと伺っていたのだが、これは良いタイミングに渡せそうだと内心でニンマリとした笑みを浮かべる。

 しかしデミウルゴスはそれどころではない。

 仕えるべき至高の主に逆に手間を取らせてしまった、と絶望に顔を蒼褪めさせる。できることなら今すぐ首をかき切って自害してしまいたい…と思い詰めている悪魔に、しかしウルベルトは幸か不幸かまだこの世界に来て日が浅いためデミウルゴスの様子に全く気が付いていなかった。ウルベルトの感覚では自分の行動はどこまでも子供の世話を焼く親のもので、デミウルゴスが思い詰めてしまうだろうという考えに思い至らなかった。

 

「ほら、さっさと行くぞ!」

 

 “男”と書かれた暖簾に歩み寄りながら明るい笑顔と声に促され、もはやデミウルゴスには何も言葉にすることができない。申し訳なさや恐れ多さ、恐怖にも似た不安を抱えながら、デミウルゴスは恐る恐るといったようにウルベルトの後を追って暖簾の奥へと入っていった。

 ロッカールームではウルベルトが服を脱ごうと悪戦苦闘している。いくら精神は大人であっても操るのは幼子のものであるため、短い手足がどうにも動かしにくくてならなかった。

 

「ああ、どうか私にお任せ下さい!」

 

 少しでも先ほどの失態を挽回しようと、すぐさまウルベルトの元へと歩み寄る。ジタバタしていた手足を止めて見上げるウルベルトに、デミウルゴスはにっこりとした笑みを浮かべて手を伸ばした。「失礼いたします」と一言断りを入れ、手際よくウルベルトの服を脱がしていく。ウルベルトは大人しくされるがままだったが、粗方脱がされたところで逃げるようにデミウルゴスの手から離れた。

 

「後は自分でできるからお前もさっさと脱げ。早く風呂に入るぞ!」

 

 その様は完全に可愛らしい幼子そのものだったが、ウルベルト本人は全く気が付いていない。

 いつにない落ち着きのない創造主の様子に思わず笑みを浮かべそうになりながら、しかし早く早く!と急かされてデミウルゴスは慌てて自分の服に手をかけた。今にも風呂場に走っていきそうな主の勢いに少しばかり焦りを浮かべる。

 ウルベルトは逸る気持ちを必死に抑えながら、デミウルゴスが全て服を脱ぎ去ったのとほぼ同時に風呂場へと駆けていった。

 目の前に現れた広大な絶景に思わずおおっ!と感嘆の声を吐き出す。

 今まで数人用の別の浴室を使っていたウルベルトは、実際にこの大浴場に来たのは初めてだ。これがベルリバーとブルー・プラネットの努力の結晶かと思うと感動も一入だ。

 

「ウルベルト様、どうか御足もとにお気を付け下さい」

「ははっ、大丈夫だよ。いくら今の俺でも転んだりはしないさ」

 

 未だ浮足立っている様子では全く説得力がない。しかしウルベルトは気にする様子もなく、桶と風呂椅子を取って一番近くのジャングル風呂の洗い場に向かっていった。

 草木の生い茂る自然豊かな洗い場に、真っ黄色の桶はひどく違和感に目に映る。

 けれど何かしらこだわりの結果だということは理解していたため、当時もウルベルトを含めた他の仲間たちもあまり何も言わなかったことを覚えている。

 

「ウルベルト様、お背中をお流し致します」

「そうか? …じゃあ、頼もうかな」

 

 他人に世話を焼かれるのは少し気恥ずかしいが、これも親子の触れ合いと思えば気恥ずかしさよりも照れに似た暖かな気持ちが湧き上がってくる。正直今の幼い子供の身体では全身は兎も角としても、角や尻尾まで磨き上げるのは結構な労力なのだ。手伝ってくれるのなら、それは有り難い以外ない。

 ウルベルトは風呂椅子にちょこっと腰を下ろすと、そわそわとしながらもデミウルゴスに背を向けた。

 その小さな背に、デミウルゴスは跪きながらもどこか切ない思いが湧き上がるのを止めることができなかった。

 ギルド“アインズ・ウール・ゴウン”全盛期に見ていた大きな背に比べれば、ひどく小さく頼りない背中。当たり前だ、主は今幼い子供の姿をしているのだから。しかし分かってはいても言いようのない感情が胸を占め、デミウルゴスは静かに小さな背に手を伸ばした。

 絹のような手触りの真っ白な毛を感じながら、泡立たせた石鹸で丁寧に洗っていく。触れているため、毛皮の下の彼の背中が幼い姿の割には鍛えられていることが感じ取れる。デミウルゴスは勿論の事、純粋な魔法詠唱者(マジックキャスター)だった大人のウルベルトにもまだまだ敵わないものの、それでも赤子だった頃に比べれば確実に成長しているのを実感させられてデミウルゴスは思わず小さな笑みを浮かべた。今の可愛らしい姿も良いけれど、やはり早く元の完全な姿に戻って頂きたいものだと笑みを深めさせる。

 そんな背後の悪魔の思いに気づくこともなく、ウルベルトはただ気持ちよさそうに目を閉じて悪魔の手に身を委ねていた。角の付け根までまるでマッサージされているかのようで、絶妙な力加減にうっとりとしてしまう。お前マッサージ師にもなれるんじゃないか?と悪魔の万能さに少なからず内心で舌を巻いた。

 丁度いい温度の湯によって泡を洗い流され、ウルベルトは衝動的にプルプルと小さく水滴を飛ばした。

 

「ありがとう、デミウルゴス。よし、次は俺が洗ってやろう!」

「いえっ! ウルベルト様にそのようなことをさせて頂くわけには参りません!!」

「…え~…」

 

 慌てたように勢いよく首を振る悪魔に、ウルベルトはつまらなさそうな表情を浮かべる。

 背中の流し合いの一方通行ってどうなんだ…と内心でツッコミを入れる。

 しかしウルベルトはすぐさまその考えを改めることにした。

 正直言って今でもデミウルゴスの背中を流してやりたいという気持ちはある。しかしウルベルトとデミウルゴスの身体の大きさの差が一番のネックになっていた。

 逆であるならばまだ良い。

 けれど今の現状ではウルベルトがデミウルゴスの背を流すにはそれなりの時間がかかってしまい、その間にウルベルトの身体は少なからず冷えてしまうだろう。子供でも悪魔であるのだから身体が冷えてもどうということはないのだが、それをデミウルゴスがひどく気にすることは目に見えていた。

 

「…分かったよ。お前も早く来いよ」

「はい、ウルベルト様」

 

 仕方がないことではあるが、素っ裸で礼を取る光景は非常にシュールである。

 ウルベルトはさっさと踵を返すと、大きな湯船へと歩を進めた。朦々と立ち込める湯気をかき分けるように中へと入り、熱い湯の中へと身を沈める。少し熱めの熱が全身を優しく包み込み、思わずはふっと小さな息をついた。

 

「…あ~、いい湯だな」

 

 疲労など感じてはいなかったが、それでも実際に湯に浸かってみればため息にも似た息をついてしまうのだから不思議である。

 何となく湯を掬って零すという遊びを繰り返す中、身体を洗い終わったデミウルゴスが一言の断りと共に湯船に入ってきた。

 丁度いい空間を挟んで向かい合うように浸かる悪魔を見やり、ウルベルトは無意識に小首を傾げた。

 服を脱いでいる時から思っていたが、目の前の悪魔は本当に理想の体付きをしているな~としみじみ見つめてしまう。

 鍛え抜かれた筋肉に覆われた、細く引き締まった身体。浅黒い肌にはしっかりと筋肉の起伏が刻まれており、まさに細マッチョという体付きをしている。当たり前だが服の下まで作り込むことはできず設定もしていなかったのだが、その形はまさにウルベルトがこうだったら良いな~と思うイメージそのままだった。

 

「…ウルベルト様?」

「…あぁ、いや、何でもない。…そう言えば、モモンガさんたちと来た時はどの風呂に入ったんだ?」

 

 不思議そうな表情を浮かべるデミウルゴスに首を横に振り、話を逸らすように問いかける。

 

「確か、こちらの湯船のみでございます」

「それは勿体ないな。確かここには他にも柚子風呂や炭酸風呂、ジェットバスとか…チェレンコフ湯なんてもんもあったはずだ。折角だ、後で幾つか回ってみよう」

「はい、ウルベルト様」

 

 次々と出てくる風呂の種類に驚きの表情を浮かべていたデミウルゴスだったが、続いてかけられたウルベルトからの誘いに満面の笑みを浮かべて頷いてくる。

 ウルベルトはにっこりと笑い返すと、次はどの湯船に向かおうかと楽しそうに思考を巡らせた。

 

 

 

**********

 

 

「はぁ~、良い湯だった~…」

 

 デミウルゴスを伴って暖簾をくぐったウルベルトは、満足そうなため息を大きく吐き出した。

 複数の湯船に浸かった小さな身体は未だポカポカと気持ちの良い温度を宿らせている。まるで自分の身体が湯たんぽになったかのような感覚に、ウルベルトは満面の笑みを浮かべた。

 チラッと後ろの悪魔を見てみれば、彼も満面の笑みを浮かべているのが見てとれる。

 サプライズで渡した服も感涙を流すほど喜んでくれたし、少しでも楽しんでくれたようで良かったと小さく目を細めさせ、さてこれからどうするかと思考を巡らせた。このまま明日に備えて別れても良いのだが、それもなんだか物足りなく思えてつまらない。もしデミウルゴスさえ良ければ一緒に食事をしても良いかもしれない。

 新たな思い付きに満足して、ウルベルトは満面の笑みを浮かべた。

 早速悪魔に提案してみようと視線を巡らせたその時、不意に視界に入り込んできた一つの影にウルベルトは咄嗟に動きを止めた。歩いていた足も止め、影の正体を真正面から見つめる。

 

「……ウルベルト様…」

 

 こちらに歩み寄ってきたのは真剣な表情を浮かべたアルベド。

 深刻な声音で名を呼んだ後深々と頭を下げてくるのに、ウルベルトは無意識に目を細めさせた。

 

「どうした、アルベド?」

「……至急お伝えしたいことがございます。できれば、デミウルゴス…あなたも…」

 

 どちらか片方だけではなく、二人同時に話があるとは正直悪い予感しかしない。

 しかし聞かないという選択肢などはなく、ウルベルトは大きなため息を一つ吐き出した。

 

 

 




ウルベルトさんの尻尾はウサギみたいな奴じゃなくて、牛(?)のようなものをご想像ください。
『山羊 しっぽ』で画像を検索して頂ければイメージが分かりやすいと思います!


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第8話 密会と思惑

 第九階層の自室へと戻ると、ウルベルトは控えていたメイドたちを下がらせた。

 豪奢な椅子に腰を下ろし、続いて部屋に入ってきたデミウルゴスとアルベドを招き入れる。

 デミウルゴスは控えるようにウルベルトの背後に立ち、アルベドは数歩の距離を取ってウルベルトの前に立った。

 

「……さて、話とは何かな?」

 

 軽く足を組みながら目の前のアルベドを見やる。

 彼女は暫く言葉を選ぶように黙り込んでいたが、意を決したように真っ直ぐウルベルトを見つめてきた。

 

「…わたくしはウルベルト様にも絶対の忠誠を誓いました。その心に従い…一つご報告をさせて頂きます」

「ああ、なんだ?」

「実は…ウルベルト様がご帰還される以前より、わたくしの進言により至高の御方々の捜索部隊が編成されました」

「…ほう。お前の進言により、な……」

 

 小さく目を細めさせるウルベルトに反応するように、後ろに控えているデミウルゴスが不穏な空気を纏い始める。

 アルベドとの戦闘は唯の鍛錬だとデミウルゴスには伝えている。しかし頭の良い悪魔のことだ、もしかしたら何かしら勘付いているのかもしれない。

 言葉の裏に隠された彼女の本当の目的に気が付いたのだろうか…と少しだけ背後の悪魔の様子を伺う。

 しかしウルベルトは敢えてそのままスルーすることにした。

 そんな事よりも、彼女がこんな形で話を切り出してきたことの方が興味をそそられた。

 

「…それで?」

「部隊の指揮はわたくしが、その副官にパンドラズ・アクターが…」

「……………………」

「そして、その…ルベドの指揮権もアインズ様より頂きました」

「なっ!!」

 

 言いよどみながらも告げられた言葉に、ウルベルトは思わず声を上げた。

 決して聞き捨てならない言葉に思わず呆然となる。

 全く信じられない…、いや、信じたくない話にウルベルトは慌てて詳しく話すようにアルベドに命じた。それによって語られたのは一部は納得できるものの、非常に怒りが込み上げてくるものだった。

 

「………それで、“最強のチームを作りたい”と言って許可を貰った、と…」

「は、はい…」

 

 こくんっと小さく頷かれた瞬間、徐々に大きくなっていた怒りが一気に爆発した。

 

「ふっざけんなぁぁっ!!」

「「っ!!」」

 

 部屋中を埋め尽くすほどの激しい怒気にアルベドとデミウルゴスが身体を強張らせる。本能的な恐怖と畏怖が湧き上がり、この世界では絶対的な力を持つはずの二人の悪魔でさえも心の底から怯えさせた。

 

「馬鹿だ馬鹿だとは思っていたが、まさかここまでとは思わなかった! モモンガさんもモモンガさんだっ! 何故よりにもよってルベドの許可を出すんだ! 軽率すぎるだろっ!!」

「…ウ、ウルベルト様…、どうか…お心をお鎮め、ください…」

 

 激しい怒りを喚き散らす仔山羊に、悪魔が震える声で必死に呼びかけてくる。

 アルベドはといえば、怒りの一部を向けられて顔は蒼褪め息も絶え絶えになっていた。

 

「……はぁ、悪い…。少し感情的になっていたようだ…」

 

 デミウルゴスとアルベドの様子に気が付いて、怒りに大きく波打っていた感情を何とか落ち着かせようと試みる。

 ウルベルトが大きく息をついて怒りの感情を収めた瞬間、まるで緊張が切れたかのように目の前のアルベドと後ろのデミウルゴスがほぼ同時に床へと崩れ落ちた。

 どんなに姿は子供でも、その力と存在感はユグドラシル全盛期の時のものと全く変わらない。恐ろしくも絶大な創造主の姿に身震いしながら、デミウルゴスは未だ小さく震える身体を叱責してヨロヨロと立ち上がった。これ以上崇拝する御方に無様な姿を晒すわけにはいかない、と身体に力を込める。

 アルベドもよろめきながらも何とか立ち上がり、体勢を立て直した二人のシモベにウルベルトはもう一度大きなため息を吐き出した。

 

「…お前の本当の目的を考えると理解できなくもないが、あまりにも軽率すぎる」

「……………………」

 

 先ほどの恐怖を未だに引きずりながらもアルベドが少し怪訝そうな表情を浮かべる。

 全く分かっていないその様子にウルベルトは呆れたように大きな息をついた。

 

「はぁ、お前がルベドの指揮権を欲しがったのは俺たちギルドメンバーを抹殺するためだろう? 相手の力量を考えて対策を取るのは良いことだ。だが、それにルベドを選択することが軽率すぎる」

「………ウルベルト様や御方々を抹殺、ですか…」

「デミウルゴス、大人しくしてろ」

 

 ウルベルトの言葉から確かな言質を取り、一気に殺気立ち始める後ろのデミウルゴスにウルベルトは軽く片手を挙げることで押し留めた。

 最初はぼかして話そうと思っていたが、彼女がここまで準備していたのなら話は別だ。加えて、よりにもよって最強の手札(ルベド)まで引っ張り出していたのならこちらも容赦するつもりはない。

 

「大体、シャルティアを洗脳した奴が誰なのかもまだ分かっていないんだぞ。そんな中でルベドなんか出してみろ、下手したら最悪な事態になるぞ」

「? …捜索隊の対象は至高の御方々であり、シャルティアを精神支配した輩ではありませんが…」

「あいつらが、その謎の連中と手を組んでいない保障がどこにある」

「「っ!!」」

 

 迷いなく発せられた言葉に、アルベドとデミウルゴスが大きな衝撃を受けたように大きく目を見開かせた。

 彼らにとっては思ってもみなかったことなのだろう。

 しかしウルベルトからすれば、それはどこまでも甘い考えだった。

 

「モモンガさんもこの世界に来た最初の頃は慎重に情報収集に徹していたんだろう? 俺の場合は飛ばされたのがナザリック内だったから大事には至らなかったが、他の連中もみんなそうだとは限らない。ナザリック内ではなく何も知らない場所に突然飛ばされた場合、情報を得るために誰かしらと手を組むことは十分に考えられる。…そして」

「そしてそれが我々と敵対している者たちになる可能性も十分にあり得る…というわけですね…」

「そうだ。他にも、あいつらが既に精神支配を受けていて、俺たちを誘き寄せる囮として使われる可能性もある」

「それは…っ!!」

 

 次々と出てくる最悪の可能性にデミウルゴスから焦ったような声が零れ出る。

 褐色の肌でも分かるほど蒼褪めている悪魔に、ウルベルトは安心させるように柔らかな笑みを浮かべた。

 

「まぁ、全ては可能性の話だ。必ずしもそうなるとは限らないから、もう少し落ち着け」

「は、はい…、申し訳ございません…」

 

 ひどく狼狽えていた姿はすぐに鳴りを潜め、デミウルゴスはすぐさま居住まいを正して深く頭を下げた。

 ウルベルトは悪魔がきちんと落ち着いたのを確認してから改めてアルベドへと目を戻した。

 

「お前がいかに浅はかだったか理解したか?」

「…はい、お恥ずかしい限りです。即刻、当部隊は解散させて頂くようアインズ様に進言いたします…」

「いや、その必要はない」

 

 未だ顔を蒼褪めさせたまま震える声で頭を下げるアルベドに、しかしウルベルトはそれを引き留めた。

 それが意外だったのだろう、再びアルベドとデミウルゴスが驚愕の表情を浮かべる。

 

「ウルベルト様? 何故そのような…、ウルベルト様や至高の御方を害するものなどあってはなりません! 即刻解散させるのは元より、アルベドとパンドラズ・アクターには死をもって…!」

「だから落ち着けって。少なくとも今のこいつにはもう俺たちギルメンを傷つける意思はない。だからこそ今回話してくれたんだろう?」

「仰る通りでございます。…わたくしにはもう至高の御方々を害する気持ちは微塵もございません。ただ…」

「パンドラズ・アクター、か…」

 

 今まで見てきた卵頭を思い出し、ウルベルトは思わず苦々し気に顔を歪ませた。

 この世界に来てそれなりに経つが、今まで全くと言って良いほどパンドラズ・アクターに対して何も感じなかった。本当にウルベルトに対して何も思っていないのであればそれに越したことはないのだが、そんな都合のいいことなどあるわけがないだろう。あれだけウルベルトと接触しておきながら巧みに殺意を隠していたのなら、それはもう称賛に値する。見事すぎて苛立ちすら感じてしまう。感情に素直過ぎるアルベドが可愛らしく思えてくるほどだ。

 

「どちらにせよ俺がこの世界に来れた以上、あいつらの捜索隊は必要だ。さっきも言った通り、俺と同じようにナザリック内に飛ばされてくるか分からないからな」

「ですが、それでは…」

「勿論、まったく今まで通りにはしないさ。モモンガさんに許可を貰う必要はあるが、ルベドの指揮権は剥奪し、捜索隊の指揮権は俺が貰い受ける」

「ウルベルト様っ!?」

 

 何でもないことのように言ってのけるのに、デミウルゴスは思わず声を上げた。慌ててウルベルトの前に回り込み、懇願するように跪いて頭を下げる。

 

「どうかお考え直しを! 今のウルベルト様を…それも裏切り者であるパンドラズ・アクターと行動を共にするなど、あまりにも危険です!」

「勿論元の姿に戻るまでは俺も安易に外に出ようとは思っていないさ。暫くは代理として今まで通り指揮をアルベドに任せるつもりだ。…それに、パンドラズ・アクターが完全に黒だと決まったわけじゃないだろ?」

「し、しかし…!」

 

 安心させるように言葉を続けるも、悪魔は焦燥の色をなくさない。加えて更に言い募ろうとするのに、ウルベルトは軽く手を上げてそれを押し留めた。

 

「とにかく、パンドラズ・アクターについては様子見だ。捜索隊については俺の方からモモンガさんに言っておく。…よく話してくれたな、アルベド。さがってゆっくり休むといい」

「…はい。ありがとうございます、ウルベルト様」

 

 表情を翳らせたまま、アルベドは深々と一礼して退室していく。

 どこか頼りなく見える彼女の背を見送りながら、ウルベルトは小さく息をついて未だ跪いている悪魔を見やった。

 

「デミウルゴス、どうした? お前にしては妙にムキになっているというか…心配しすぎなような気がするが…」

「至高の御身に害をなすものに対して過剰になるのはシモベとして当然のこと。加えてウルベルト様は私を造って下さった御方でございます。創造主である御方を想わぬシモベはおりません!」

「創造主、ね…」

 

 真剣な表情で力説する悪魔を見つめながら、ウルベルトはパンドラズ・アクターのことに思いを馳せた。

 彼らにとって至高の四十一人…とりわけ自身の創造主というのは自分が思っている以上に重いものなのかもしれない。

 最初はただ単に大切な親のような存在なのではないかと思っていた。しかし彼ら…特にデミウルゴスの言動を見る限り、それ以上の意味を含んでいるのだと容易に窺い知れた。そしてそれは決して思い違いなどではないだろう。

 ならばパンドラズ・アクターの意思も、そこにあるのではないだろうか。

 創造主であるアインズのため…。いや、創造主であるアインズを悲しませてきたことに対する憎しみ故、といったところか…。

 

 

「とはいえ、さっきも言った通りパンドラズ・アクターについては暫く様子見だ。あいつが何を考えているにせよ、こちらにもそれなりの準備が必要だ。…あいつはアルベドとはわけが違うからな」

 

 アルベドの場合、自分の感情に素直過ぎるため煽れば煽るほど冷静な判断ができず、こちらの勝算が高くなる。加えて彼女は盾NPCであると同時に戦士でもあるため、ウルベルトにとってはどんな状況でも彼女に勝つことは比較的簡単だった。

 しかしパンドラズ・アクターはアルベドとは似ても似つかない。

 戦士職でもなければ、自分の感情を隠し通すことのできる冷静さをも持ち合わせている。どんなに罠を張っても容易には引っかからず、腹の探り合いも骨が折れるだろう。となれば十分に対策を考えて準備をしなければ、いかなウルベルトといえども簡単に足元を掬われかねなかった。

 

「…まずは捜索隊の実権を握って奴の反応を探るとしよう。後は魔の壺(マジックベースデビル)も補充した方が良いな」

「ですが、魔の壺(マジックベースデビル)は一匹造り出すにも30%もの魔力を消費致します。それではウルベルト様にご負担が…」

「たった30%だろう? 二匹でも60%だ。…毎日外出しなくちゃいけない訳でもないし、殆どナザリックにいる俺には無用の心配だよ。…そうだな、一日二匹は造ることにしよう。魔力供給の手段が少ない以上、魔の壺(マジックベースデビル)の貯蔵は多いに越したことはないからな」

 

 うん、と一人勝手に頷き、改めて悪魔を見やる。

 

「それで、明日はどうする? お前の休暇は二日間だから明日まで俺へのお願いは有効だぞ」

 

 思えば今日はデミウルゴスの褒美として用意した特別な日だ。パンドラズ・アクターの“至高の御方抹殺計画疑惑”などよりも愛する息子(デミウルゴス)の褒美に時間を使った方がよっぽど有意義で意味があることだろう。

 今までの威圧感のある姿は完全になくなり、柔らかな笑みを浮かべて小首を傾げてみせる。

 全く邪気のない可愛らしい創造主の姿を暫く見つめ、デミウルゴスは恭しく跪いて頭を下げた。

 

「申し訳ございません、ウルベルト様。明日は少し私にお暇を頂ければと…」

「ああ、良いぞ、気にするな。元々お前の休暇だからな。俺は明日はずっとナザリックにいるつもりだから、何か用があったら連絡してくれ」

「はい、ありがとうございます」

 

 慈悲深い主の言葉に感謝しながら、デミウルゴスは一層頭を下げる。

 その完璧な立ち居振る舞いが何故かおかしくて、ウルベルトはフフッと小さな笑みをこぼした。

 何でもかんでも大げさだな…と苦笑を浮かべ、椅子から立ち上がってデミウルゴスへと歩み寄る。

 近づいてきた気配に顔を上げるデミウルゴスに、ウルベルトは小さな手を差し出して立ち上がるよう促した。

 

「けど、まだ今日は終わっていない。折角だ、もう少し付き合ってくれ」

 

 背後の豪奢なテーブルと椅子を指さし、にっこりとした笑みで誘う。デミウルゴスも応えるように柔らかな笑みを浮かべると、ゆっくりと立ち上がって胸に手を当て一礼した。未だ小さな仔山羊をテーブルへとエスコートし、椅子を引いて主を促す。下がらせていたメイドも呼び寄せ、ささやかな酒と料理を準備させた。

 それから繰り広げられたのは主従の和やかな食事会。話題はウルベルトがここに来るまでの出来事が中心で、特にヤルダバオトの話はウルベルトも興奮気味に食いついた。しかしやはり多くの場所に行って疲れていたのだろう、ウルベルトは徐々にうつらうつらとし始め、持っていたグラスに顔を突っ込みそうになっていた。

 そんな可愛らしい姿にデミウルゴスは小さな笑みを浮かべると、椅子から立ち上がってウルベルトへと歩み寄った。小さな声で断りを入れ、手からグラスコップを離させて小さな身体を抱き上げる。反射的な行動なのだろう小さな手がキュッとスーツを掴んできて、彼が赤ん坊だった時のことを思い出して思わず笑みがこぼれる。奥にある寝室へと足先を向けながら、デミウルゴスは小さなぬくもりを抱く腕に少しだけ力を込めた。

 

 もう二度と会えないと思っていた。

 それでも、やっと会うことのできた…取り戻すことができた敬愛せし至高の創造主。

 我が至上の御方を、たかだか宝物殿の領域守護者ごときに害されてなるものか…――

 

 

「……この身と命にかけて、必ずお守り致します。ウルベルト様」

 

 薄っすらと開かれた瞼から覗く宝石が、怪しく危険な光を帯びて輝いていた。

 

 

 

**********

 

 

 

 フッと浮き上がる意識に、ウルベルトはいつの間に閉じていた瞼をゆっくりと開いた。

 何故か全身が窮屈に感じられて、ひどく寝苦しい。

 フゥッと大きく息をつきながら横たわっていた身体を起こし、きょろきょろと周りを見回した。

 

「おはようございます、ウルベルト様」

「っ!!?」

 

 突然かけられた声にビクッと身体を震わせる。

 慌ててそちらへと目を向ければ、少し離れた場所でデミウルゴスが変わらぬ笑みでもって直立不動で立っていた。

 

「お、おはよう。…ていうか、ずっとそこにいたのか!?」

「勿論でございます。退出の御挨拶をさせて頂いておりませんでしたので」

「そんな事、別に良いのに」

 

 どこまでも律儀なところが悪魔らしくなく、けれどデミウルゴスらしいとも思えて、クスッと笑みがこぼれてしまう。

 身体に纏わりついている布団をどかし、寝台から足を降ろして立ち上がった。

 

「うおっ!!?」

 

 その瞬間、昨日とは違う大きな違和感にウルベルトは思わず大きな声を上げた。

 驚愕に見開いた目で自身の身体を見下ろし、続いて周りを見回す。

 やはり全てが昨日と違っている…と愕然となった。

 手が違う、腕が違う、足が違う。身に着けている服が全て窮屈で、裾から覗く手首や足首が異様に露出している。何より視界の高さが昨日と全く違っていた。

 

「……何でこんなに成長してんだよ」

 

 ウルベルトの言葉通り、彼の身体は間違いなく大きく成長していた。恐らく30cmは確実に背が伸びている。

 昨夜はワインはそんなに飲んでいなかったのに何故…と多くの疑問符が頭上に浮かんだ。

 

「ウルベルト様、そのままではいけません。新しい服をご用意いたします」

「…あぁ、ローブとかで良いぞ。またすぐ成長するかも分かんないし」

 

 自分の急激な変化に流石に感情がついていかず、思わず半笑いに言葉を返す。

 しかしデミウルゴスがそれに頷くはずもなく、数分後に彼が用意してきたのはスーツに似た立派な服だった。ユグドラシルの装備用の服ではないため防御力は紙も同然だが、身に纏うには十分すぎる品物だ。

 ウルベルトは悪魔の用意の良さに感心しながらも短く礼を言い、両手で受け取って手早く身に纏った。その動きは昨日よりもすべらかで手際が良い。

 デミウルゴスはウルベルトがきちんと服を着たのを見届けた後に退室の挨拶と共に立ち去り、ウルベルトはフゥッと大きく息をついて軽く頭を振った。

 全然そうではないのに、随分と久しぶりに一人になったような気がしていきなり胸の奥がずぅんっと重くなる。これからの事や新たに発覚した問題に、一気に大きな不安と小さな恐怖が胸に湧き上がってきた。あぁ、これからどうしたら良いものか…と頭を悩ませる。

 しかし数分も経たぬ内に扉が外側からノックされた。

 一体誰だと小首を傾げながらも許可を出せば、一人のメイドが綺麗なお辞儀と共に室内へと入ってきた。

 

「失礼いたします。アインズ様がご帰還されました」

「ああ、ありがとう。それで、今はどこにいる?」

「アインズ様ご自身のお部屋にいらっしゃいます」

「そうか…。ご苦労様」

 

 アインズの自室ならば同じ第九階層なため、そんなに時間はかからないだろう。

 ウルベルトは肩にかけた漆黒のマントをバサッと後ろへとさばくと、意気揚々と足を踏み出した。礼を取るメイドの前を通り過ぎ、自室から豪奢な回廊へと足を踏み出す。

 後ろからは先ほどのメイドが付いてきているのを感じながら、少し足早にアインズの自室へと向かった。

 

「モモンガさ~ん、お帰りなさ~い。入りますよ~」

 

 目的地であるアインズの部屋の扉まで来ると、間延びした声と共に扉を開く。

 そこには見慣れた骸骨が立っており、ウルベルトはにっこりとした笑みを浮かべて室内へと足を踏み入れた。

 

「モモンガさん、お帰り~」

「あっ、ウルベルトさん聞きましたよ。…って、でかっ!?」

 

 こちらを振り返った瞬間、骸骨から驚愕の声が飛び出てくる。

 暗い眼窩の灯りは真っ直ぐにウルベルトに向けられており、ウルベルトは皮肉気な笑みを浮かべて軽く肩をすくめてみせた。

 

「いや~、俺も何でこんなに急に成長したのか分からないんですよねぇ…」

「…そう言えば、昨日はデミウルゴスと一緒にいろいろ外を回ったらしいじゃないですか。その時に何か変な物でも食べたんじゃないですか?」

「失礼な! そんな記憶ありませんよ!」

 

 豪奢な椅子に勝手に腰かけながら、少し苛立たし気にじろっと金の瞳でアインズを睨む。しかし迫力などあるはずもなく、どこまでも可愛らしい仔山羊の姿にアインズは思わずクスッと笑みをこぼした。

 もう一つある椅子をウルベルトの対面まで持って行き、そこに深く腰を下ろす。両手の指を交互に組み合わせ、その上へと軽く顎を乗せた。

 

「でも、本当に成長しましたね。身長から見て…大体12歳くらいでしょうか?」

「自分ではよく分からないけど、モモンガさんがそう感じるならそうなのかもな」

「あっ、そう言えば聞きましたよ! 昨日指輪を着けたまま外に出たらしいじゃないですか! リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンはナザリック攻略の要になるんですから、外に出る時は誰かに預けて下さいよ!」

「…忘れてた。すみません、気を付けます」

 

 昨日よりも大きくなった手の指にはめられた指輪をチラッと見やり、素直に軽く頭を下げる。

 確かにこの指輪は唯一ナザリック内を自由自在に転移できる代物であり、安易に外に出して良い物ではなかった。

 これは確かに軽率だったと反省する中、ふと昨夜のことを思い出してウルベルトは少しだけ顔を顰めさせた。

 

「こっちも聞きましたよ。俺たちの捜索隊を作って、アルベドにルベドの指揮権まで与えたらしいじゃないですか」

「えっ、ちょっ、誰に聞いたんですか!?」

「アルベド本人ですよ。ルベドまで出すとか何考えてんですか!」

 

 ここからはウルベルトの独擅場だった。

 昨夜アルベドに話した内容に加えて、アインズにだからこそ言えることをクドクドとマシンガンのように言い放つ。その勢いは凄まじく、アインズは完全に押されていた。

 成長したとはいえまだまだ幼い仔山羊に、タジタジになっている死の支配者(オーバーロード)。恐怖の姿に反して仔山羊に押される様は完全にシュールで、普段の威厳は微塵も感じられない。

 それから十数分後、完膚無きままに論破したウルベルトは大分スッキリして漸く口調を緩めさせた。

 

「まぁ、捜索隊自体はあった方が良いとは思いますがね。…そこで提案なんですけど、ルベドは通常通りナザリックに置いておいて、代わりに俺が出るってのはどうだ?」

「ルベドのことは良いとして、ウルベルトさんが出るって言うのはどういう意味ですか?」

「言葉通りだよ。総指揮官はアルベドって話だったけど、その指揮権を俺が引き継ぐ。因みにアルベドには既に了承は取ってあります」

「えっ、でも、ウルベルトさんはまだ元の姿に戻れてませんし! その状態で動くのは危険です!!」

「勿論、俺もこの姿で外にほいほい出ようとは思ってませんよ。元の姿に戻るまでは今まで通りアルベドに任せます」

 

 心配性なところは変わってないな…と思わず笑みがこぼれる。

 しかしすぐに顔を引き締めさせると、次には捜索隊の件も含めて今後について話し合いを始めた。

 ウルベルトの急な成長の理由、捜索隊の今後の方針、これからの“アインズ・ウール・ゴウン”の行動。まだ魔導国が設立されてから日が経っていないということもあり、話すことや解決することは予想以上に多く、また多岐に渡る。未だ国の統治者としての自覚がないアインズの心情も相まって、アインズとウルベルトはほぼ同時にため息をついた。

 

「…大体、唯の平民でしかない俺が国なんて治められる訳ないじゃないですか」

「そうは言っても、ここまで来たらやるしかないだろ。勿論俺も協力するし」

「ありがとうございます、よろしくお願いします…」

 

 脱力したようにぐで~っと自身の膝に突っ伏す骸骨に、仔山羊は足を組んでふむっと顎に手をやった。未だ髭のない顎を指で撫でながら、考え込むように小さく目を細めさせる。

 

「…なんでもイメージは大切だな。どういった方針で動くにしても、まずは治めている街を視察してみたらどうだ?」

「視察…ですか……。ということは、モモンとしてではなく、アインズとしてってことですよね。…確かにアインズとして街に出たことはありませんね」

「だろ? 違った立場で見てみれば、同じ場所でもイメージや印象も違ってくる。息抜きにもなるし、良い思いつきもあるかもしれないぞ」

「そうですね…。だったら、ウルベルトさんも一緒にどうですか?俺もウルベルトさんといろいろ見て回りたいですし」

 

 表情が動かない髑髏でも、彼がにっこりと笑みを浮かべていることは分かる。

 ウルベルトは最初きょとんっとした表情を浮かべたものの、すぐに気を取り直して笑みを浮かべた。

 

「そうだな…。久しぶりに一緒に出掛けましょうか」

 

 思えばウルベルトがユグドラシルを引退してこの世界に来てから、未だ一度もアインズと共にどこかに出かけたことがない。いろんな理由や要因があっての事とは言え、それはあまりにも寂しいことだった。久しぶりに仲間と出かけられるというのは、思っている以上に興味深く魅力的だ。それはアインズも同じなのだろう、満面の笑みの雰囲気を漂わせたまま嬉々として今後のことを話し始める。

 ウルベルトは未だ自分の内に渦巻く杞憂を感じながらも今はそれにきつく蓋をしてアインズの言葉に耳を傾けた。

 

 



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第9話 指標を見つめて

前回に引き続き、更新が遅くなってしまい申し訳ありません。
加えて話もあまり進んでいないという…orz


 この世界は現実世界よりもよっぽど複雑奇怪だ。多くの種族や多くの国があり、その数だけ光と闇がある。誰が何を企み、どこにどんな勢力が潜んでいるのか…考えるだけでも億劫だ。

 情報を整理する意味も込めて今後について話し合っていたアインズとウルベルトは、図らずも同じタイミングで大きなため息を吐き出した。

 

「…リ・エスティーゼ王国にバハルス帝国、スレイン法国と六色聖典、八本指にシャルティアを洗脳した謎の人物…。まったく、多すぎだろ」

「他にもアーグランド評議国やローブル聖王国なんかもありますし、挙げたらきりがないですよ」

 

 二人揃ってぐで~っと項垂れる。

 種族の特徴として二人とも疲労はしないはずなのに、何故こんなにも疲れを感じるのか…。

 目の前にばらまかれた資料や地図を眺めながら、ウルベルトは面倒くさそうに頬杖をついた。

 

「…この世界は無限に広がっている。それこそユグドラシルと同じくらいな。世界征服を考えているなら、あまり時間をかけすぎるのも考え物じゃないか? この世界のありとあらゆる種族がどのくらいの寿命を持っているのかは知らないが、変に知恵をつけられても、脅威が慣れに埋もれるのも避けたいぞ」

「ウルベルトさんの言いたいことは分かりますけど、どこにプレイヤーがいるかも分かりませんし、シャルティアを洗脳した輩も見つかっていません…。派手に動けば危険かもしれません」

「まぁな~…」

 

 間延びした相槌を打ちながら、まるで心底気に入らないというように地図を睨み付けた。

 

 リ・エスティーゼ王国で調教した八本指を中心にシャルティアを洗脳した連中を探らせてはいるらしいが、未だに尻尾を捕まえられていない。しかしウルベルトは密かにスレイン法国に疑いの目を向けていた。

 最初は自分たちの知らない闇の組織でもいるのではないかと考えていた。しかし世界級(ワールド)アイテムほどの物を持っている連中が完全に影に隠れられるはずがない。どういった形であれ、何かしら噂されるほどの存在になっているはずだ。ならば周辺諸国か、セバスたちが集めた情報の中の組織の連中が犯人か…。

 そこで候補に挙がったのがリ・エスティーゼ王国とバハルス帝国とスレイン法国、闇の組織では八本指とズーラーノーンだった。しかし八本指は既に手中にあり、リ・エスティーゼ王国は現段階までの行動から世界級(ワールド)アイテムを持つほどの勢力だとは考えられなかった。

 ならばバハルス帝国はどうか。これも王国と同様であり、加えて帝国内では高みの権力者であり無類の影響力を持つフールーダ・パラダインに探らせてはいるものの何も出てきていないことから、帝国には取り立てて噂されるほどの怪しい組織があるとも思えなかった。

 では残るはスレイン法国とズーラーノーンである。

 両者は同じくらい怪しい。スレイン法国は“六色聖典”という特殊部隊を持つというし、ズーラーノーンも謎に包まれた怪しい組織だ。どちらも犯人だと思えるほどの勢力を持っていると伺える。そこでウルベルトが着目したのがシャルティアが洗脳された時期と場所だった。

 シャルティアが洗脳された時期はまだこの世界について情報を収集している初期の段階であり、アインズがスレイン法国の“六色聖典”の一つである“陽光聖典”と接触した時よりも後であり、アインズがモモンとしてズーラーノーンの組織に接触した時よりも前である。加えてシャルティアが洗脳された場所はリ・エスティーゼ王国の領土内ではあるものの、比較的法国に近い位置だ。

 そもそもスレイン法国とはこの世界では脆弱に分類される人間を至上主義とする国家だ。人間の脅威が数多く渦巻くこの世界で人間至上主義を称える以上、“六色聖典”は元よりそれなりの力を所持しているに他ならない。ズーラーノーンよりよっぽど怪しいと言えるだろう。未だスレイン法国には調査の手をあまり伸ばしていないと聞いているし、これは早急に調べた方が良いかもしれない…と地図の法国の部分を睨み据える。

 同時に、何故もっと早くにこの世界に来れなかったのだと自分自身に歯噛みした。いっそのこと何が何でもユグドラシル最終日(あの時)にログインしていれば、もしかしたら最初から一緒にこの世界に来れたかもしれないのに…。

 そこまで考えた時、ふと小さな疑問が頭を過ってウルベルトは地図から目を離してアインズを見やった。

 

「…そう言えば、俺が出てきた黒い仔山羊は今どうなっているんだ?」

 

 ウルベルトにとっては何でもない、ただ頭に浮かんだ軽い疑問。

 しかしアインズにとってはそうではなかったようで、見るからにギクッと大きく身体を跳ねさせた。加えて気まずそうに逸らされる顔に、ウルベルトは金の瞳をスゥ…と細めさせた。

 一度大きく息をつき、次にはニッコリとしたわざとらしいまでの笑みを浮かべる。

 

「モモンガさ~ん?」

「いや、えっと…、別にやましいことがあるわけでは…」

「じゃあ、何で顔を逸らすのかな~?」

 

 さあ、白状しろ…と黒い笑みでの威圧感に、アインズは眼窩の灯りを揺らめかせて顔を俯かせた。

 

「…その、黒い仔山羊たちの集合体は今も第六階層で保管しているんですけど、まだ全く調査できていなくて…」

「……………………」

 

 ひどく気まずそうにしている骸骨に、ウルベルトは彼が何をそんなに気にかけているのか分かったような気がした。

 現実世界にいたウルベルトがこの世界に来た原因は厳密には分かっていない。ウルベルトは病気で死に、死んだためにこの世界に来られたのではないかと推測はできるものの、それが正解かは誰にも分からない。唯一知る方法があるとすれば、それはウルベルトをこの世界に引きずり出した黒い仔山羊の集合体を調べることだろう。しかし黒い仔山羊を調べれば現実世界に戻る方法も分かってしまうかもしれない。再びウルベルトがナザリックを去る可能性があること…、それが恐怖となってアインズを苛んでいた。

 

「もし俺が現実世界(あっち)に戻るかもって心配しているのなら、それは全くの取り越し苦労ですよ。今更モモンガさんたちを置いて行ったりしません」

「で、でも…」

「それに…、前にも言ったでしょう。どうせ現実世界(あっち)に戻っても俺は死ぬしかない。この世界でモモンガさんと悪の大魔法使いやってる方が何倍も楽しいよ」

「……………………」

 

 柔らかな笑みと共に言葉を重ねてもアインズの雰囲気は晴れない。

 どうしたものかと頭を悩ませる中、不意にアインズが小さく身じろいだ。眼窩の灯りを宙にさ迷わせ、まるで意識をどこかに飛ばしているかのよう。

 突然の変化に最初は驚いたものの、ウルベルトはすぐに〈伝言(メッセージ)〉が来たのだと思い至った。

 また何か問題発生か?と様子を伺う中、アインズははぁっと大きなため息をついて改めてウルベルトを見つめてきた。

 

「……ちょっとエ・ランテルに行ってきます」

「えっ、またか? さっき行ってきたばかりじゃないか」

「そうなんですけど…、冒険者ギルドのギルド長に“モモン”が呼ばれてるらしくて…。いろいろ意見も聞けますし、少し行ってきます」

「ふ~ん…。まぁ、息抜き感覚で行って来ればいいさ。戻ったらまた話そう」

「はい、ありがとうございます」

 

 どこか憂鬱とした雰囲気を背負っている骸骨を意識して明るく送り出す。

 部屋の外へと消えていく大きな背を見送りながら、ウルベルトは大変だな~と他人事のように緩く頭を振った。

 

「はぁ~。さて…これからどうしようか…」

 

 アインズとは違って今現在取り立ててやることがないウルベルトはため息をつきながら軽く頬杖をついた。

 いつかは少しずつでも先ほどのような面倒事もアインズと一緒に背負っていけたら良いと思う。しかし現実問題、今のウルベルトではできることも限られ、また極端に少なかった。この世界での常識や“アインズ・ウール・ゴウン”の現状を十分に理解しているとは言えないため、下手な行動もとれない。いや、それ以前に未だ子供の姿のままでは何をするにもアインズたちが反対するだろう。装備での補助は未だ見込めないが魔力などの力自体はユグドラシル時代と全く変わらないのだから少しは信用してもらいたいとも思うのだが、自分が思っている以上に見た目というものは重要だった。いくら力があると言われても、それが幼い子供では説得力などないし、どうしても心配をかけてしまう。つまりは一番の解決すべき問題は“いかに早く元の姿に戻れるか”であった。

 

「………ワインでも飲むか」

 

 それ以外の解決策も浮かばず、ウルベルトはもう一度大きなため息をついて力なく椅子から立ち上がった。

 自分の部屋に戻ろうとして、そこでふとあることが頭を過った。

 

「…そう言えば、第九階層にバーがあったな」

 

 ユグドラシル全盛期、ギルドメンバー全員で造り込んだ娯楽施設。中には酒場やバーもあり、その中でもウルベルトはバーの常連だった。いつものように私室で一人で飲むよりも、たまにはあの頃のようにバーで飲むのも良いかもしれない。

 我ながら良い思いつきだと満面の笑みを浮かべると、ウルベルトは早速アインズの部屋を後にした。ついて来ようとするメイドを何とか下がらせ、意気揚々と娯楽施設の区画へと向かう。

 多くの施設の入り口を通り過ぎて見慣れたバーを見つけると、ウルベルトは懐かしい思いを噛みしめながら扉を押し開けた。

 

「もう開いているかな?」

「これは、ウルベルト様っ!」

 

 ナザリック内の施設において開いていない時間などないのだが、何となくノリで言葉を紡ぎながら室内へと足を踏み入れる。

 そこにはウルベルトの記憶と全く変わらない光景が広がっていた。

 ショットバーをイメージした室内はこじんまりとしていて、落ち着いた照明が柔らかく室内を照らしている。一つのカウンターと八つの椅子。カウンター奥には多くの酒が並んだ棚がずらっと鎮座している。

 カウンターと多くの棚の間…、作業場に佇む一つの影。

 こちらを振り返ったキノコ頭のバーテンダーが驚愕の雰囲気を漂わせて固まったように突っ立っていた。

 

「久しぶりだな、ピッキー。入っても大丈夫かな?」

「勿論でございます! どうぞこちら……ぁ…」

 

 弾くような声音が途中で途切れる。

 ナザリックの者であれば考えられないような失態だったが、しかし彼がそうなってしまったのも致し方ないことだった。

 彼の目線の先はカウンター。

 そこには見慣れぬ小さな人影がぐで~っとスライムのように突っ伏していた。

 

「………シャルティア…?」

 

 人影の正体は長い銀髪を垂れ流した少女。

 こちらに背を向けた状態で突っ伏しているため顔を見ることはできなかったが、それでも特徴的な漆黒のドレスと背格好から彼女がシャルティアであることは容易に窺い知ることができた。

 重要なのは、何故彼女がこんな状態でこの場にいるのかということだ。

 普通に考えれば酒に酔って寝込んでいるのだろうが、毒と同類と分類される“酔い”というバッドステータスは耐性を持つ彼女たちにとっては全く効かない代物だ。

 となれば、彼女が故意的に耐性を解除したということだろうか。

 いや、そもそも特殊技術(スキル)ではない種族的な耐性を故意的に解除することなどできるのだろうか…。

 

「……シャルティア、一体何があった…」

 

 彼女がこのような状態になるなど、一体何があったというのか…。

 ウルベルトはシャルティアの失態に狼狽えるバーテンダーである副料理長を余所に、未だこちらに気が付いていないシャルティアの方へとゆっくりと歩み寄っていった。彼女の隣の席に腰かけ、伺うように突っ伏している小さな顔を覗き込もうとする。一瞬躊躇し、しかしゆっくりと手を伸ばして細い肩にそっと手を触れた。

 

「…シャルティア、大丈夫か?」

 

 なるべく驚かせないように心掛けながら優しく声をかける。

 その瞬間、触れていた肩がビクッと大きく跳ね、突っ伏していた顔が弾かれたように起き上がった。バッと音が聞こえそうなほどに勢いよくこちらを振り返り、大きく見開かれた深紅の瞳が仔山羊悪魔の姿を映し出した。

 

「……う、るべると…様…っ!!?」

 

 途端に彼女の可憐な唇から悲鳴のような声が零れ出る。蝋のような真っ白な肌が青白く染まり、大きな双眸が一気に潤み始めた。全身が大きく震え、次の瞬間ガンッという大きな音が響き渡る。驚いて見てみれば、シャルティアがカウンターのテーブルに額を勢いよく打ち付けていた。

 

「お、おいっ、シャルティア!?」

「こんな無様な姿をお見せしてしまうなんて…っ!! どうか自害をお命じくださいませぇ!!」

「おぉぉ落ち着け…、大丈夫だから!」

 

 自分でも何が大丈夫なのか分からなかったが、ウルベルトは咄嗟にそう声をかけていた。

 とにかく彼女を自害させるわけにはいかない。第一、何故こんなことですぐに自害どうこうという話になるのか訳が分からなかった。というか、こんな事でシャルティアに自害を許したとあってはアインズに何言われるか分かったもんじゃない!と内心焦りまくる。

 ウルベルトは小さく息をつくと、未だ顔を俯かせているシャルティアへと手を伸ばした。そっと銀髪の頭に触れ、無言のまま緩く左右に往復させる。少しぎこちないながらも間違いなく頭を撫でるという動作に、シャルティアは弾かれたように顔を上げた。

 露わになる白皙の美貌に、間髪入れずにウルベルトのもう片方の手がシャルティアの頬に触れた。柔らかい手つきながらも動くことを許さぬ硬さで頬を固定させ、頭を撫でていた手をポケットに伸ばしてハンカチを取り出す。汚れ一つない真っ白で柔らかな布が涙に濡れる頬へと優しく触れる。まるで羽根が触れる様な慈愛に満ちた感触に、シャルティアはとめどなく涙をこぼしながら呆然とウルベルトを見つめていた。

 

「ほら、泣くな、シャルティア。可愛い顔が台無しだぞ」

「……っ…!」

 

 ウルベルトの言葉を聞いた瞬間、更にシャルティアの瞳からぶわっと涙が溢れ出る。

 奇しくもその言葉はアインズが罪に苦しむシャルティアに贈った言葉と同じもので、至高の主二人の慈悲深い心に触れてシャルティアは涙を止めることができなかった。

 しかし言った本人であるウルベルトがそんな事を知るはずもない。

 更に涙にくれるシャルティアに内心慌てふためきながら、困惑の表情と共に小首を傾げた。

 

「シャルティア、良い子だから落ち着け。言っておくが、俺は気にもしていないんだぞ? だが、そうだな…お前が何故そんなに落ち込んでいるのかは気がかりだ。良かったら俺に教えてくれないか?」

「……うぅ、ウルベルト様ぁ…」

 

 涙を流しながら整った美貌がくしゃっと歪む。

 嗚咽に邪魔されながらも語り始めたシャルティアに、ウルベルトは副料理長が用意してくれたワインを飲みながら静かに耳を傾けた。

 切々と語られる吸血鬼姫の心情に、思わず小さく目を細めさせる。

 自分が犯してしまった失敗に対する屈辱と恐れ、アインズや自分を造ってくれた創造主に対する申し訳なさ。歪みのない真っ直ぐ過ぎる思いに、ウルベルトは思わずため息をつきそうになった。

 アインズや創造主を思う気持ちや自分に対する厳しさはとても美しく感じられる。しかしアインズの気持ちが彼女にきちんと伝わっていないことが勿体なく、口惜しくも感じられた。

 

「…シャルティア、よく聞け。自分の失敗を悔やみ、反省することは良いことだ。だが悔やんで反省するだけでは駄目だ。そこから学んで努力していかないとな」

「……はい、申し訳ありません…」

「今現在、俺たちがこの世界で新たな力を身に着ける術は見つかっていない。しかし、経験を積み知識を蓄えることはできる。…お前が望むなら、俺の傍で多くのことを見聞きし学んでみるか?」

「っ!? ウ、ウルベルト様、それは…!!」

「どうする、やってみるか?」

 

 副料理長にワインのお代わりを頼みながら、にっこりとした笑みと共に小首を傾げる。

 ウルベルト自身もどこまで教えられるかは分からなかったが、それでもできる限りこの少女の力になってやりたかった。

 第一シャルティアが失敗してしまったのは彼女だけの責任ではない。人にはそれぞれ得手不得手があり、階層守護者は特にそれぞれの役目が定められている。ウルベルトの認識と考えではアルベドは階層守護者統括であるが故にナザリック全体の管理者であり、デミウルゴスは防衛戦での指揮官という設定を持っているものの全体としての役割で言えば参謀だろう。アウラとマーレは密偵や偵察や隠ぺいなどの影の役目、ヴィクティムは身代わり、コキュートスは指揮官だ。そしてシャルティアはといえば、一騎当千の一番槍…戦士の役目を担っている。通常であれば秘密裏に行動するなど、シャルティアには向かない役目だったのだ。失敗してしまうリスクはそれだけ高かったと言える。

 しかし現状、それに甘んじる余裕がないのも事実だ。ならば本来設定された役目以上のものを担えるように学んでいかなくてはならない。

 

「俺がどこまで教えられるかは分からないが、それでも少しは力になれるだろう」

「そんな…、勿体ないお言葉! どうか、よろしくお願い致します!!」

 

 再びガンッと勢いよく額をカウンターに打ち付けるシャルティアに、ウルベルトは苦笑を浮かべて顔を上げさせた。赤くもなっていない額を念のため撫でてやりながら、元気づけるように頷いて見せる。漸く止まった涙を拭ってやりながら、よしよしと幼子にするように頭を撫でた。

 

「よし、ならモモンガさんに話しておこう。許可を貰ったら改めて伝える」

「ありがとうございます、ウルベルト様…!」

 

 感極まったように笑みを弾けさせる少女に、ウルベルトもにっこりと笑みを浮かべた。

 少し行儀が悪いと思いながらも一気にワインを飲み干し、滑り落ちるように椅子から降りる。

 シャルティアに自分の知識を学ばせるにあたり、やはり一つだけ確かめたいことがある。

 小さな耳と尻尾を機嫌良さそうに揺らしながら軽く手を上げて副料理長とシャルティアに挨拶し、深々と頭を下げる二人に見送られながらウルベルトは扉を潜ってバーを後にした。

 薬指にはめた指輪の力は使わず、ただ黙々と歩を進める。

 目指すのは第六階層。メインの円形劇場(アンフィテアトルム)ではなく広大な樹海…ウルベルトを産み落とした黒い仔山羊たちの集合体がいる場所。アインズによればアウラとマーレによって誰も近づけないようにしているらしいが、至高の四十一人の一人であるウルベルトであれば問題ないだろう。

 ウルベルトは第六階層の樹海に足を踏み入れると、聞いた話の内容を思い出しながら樹海を進んで行った。大きく育った草をかき分けるようにしながら、奥へ奥へと足を踏み入れていく。どこまで続くのかとうんざりしそうになった頃、漸く目的の黒い影が視界に浮かび上がってきた。歩いていた足を少し早め、徐々に近づいてきた黒い塊を凝視する。

 それは間違いなく真っ黒な肉の塊だった。

 綺麗な円を描く直径2メートルほどの球体は、頂点に多くの萎びた触手を生やして力なく地面に這わしている。微動だにせず静まり返る肉塊は、しかし微かに血生臭いにおいを漂わせていた。

 

「……これが黒い仔山羊の集合体か…」

 

 目の前の巨大な肉塊を見上げながら、小さく顔を顰めさせる。

 ウルベルトとて黒い仔山羊は見たことがあったが、目の前の“それ”は記憶にあるものと似ても似つかない姿をしていた。恐らくアインズに言われなければ、これが元は黒い仔山羊だったと決して信じなかっただろう。

 ジロジロと見つめながら近づく中、ふと引っかかるようなものを感じてピタッと足を止めた。

 微かにではあるが、確かに魔力のようなものを感じて眉間の皺を深くさせる。

 知覚…というよりかは本能に近いだろう。悪魔の部分が微かな魔力を感じ取り、ウルベルトに知らせていた。

 

「…だが、“普通の魔法”とは違うな」

 

 ウルベルト自身、どう表現するべきか分からない。

 しかし違和感と言うべきかズレと言うべきか、ユグドラシルのものとは違う。

 加えて感じる一つの“気配”に、ウルベルトは再び歩を進めた。

 手が触れるほどまで近づき、目の前の真っ黒な闇を見つめる。

 

「……そうか、まだ繋がっているのか…」

 

 目の前の闇から感じられるのは懐かしいような気配。

 それは間違えようのない、現実世界の気配だった。

 恐らく…しかし確実に、未だこの肉塊は現実世界に繋がっている。ウルベルトが感じているのは現実世界の気配と、二つの世界を繋ぐ魔力だった。

 ならば誰しもがこちらの世界と現実世界を行き来できるのかと言えば、そうではない。これも感覚的なものではあったが、恐らくこの力場で二つの世界を行き来できるのはウルベルトのみ…それも恐らく、後一回のみだろう。

 何故こんなものがあるのかは分からないが、少なくとも今は自分以外には何の効果もないだろうことにウルベルトは安堵の息を小さく吐き出した。

 ウルベルトやアインズが今後この肉塊をどう利用するにせよ、ナザリックに悪影響を及ぼしては元も子もない。それが今現在ないと確認できただけでも上々と言えた。

 ウルベルトはフゥッと大きく息をつくと、何とはなしに目の前の闇へと手を伸ばした。

 それは彼にとっては本当に何でもない行動だった。

 しかし小さな手が闇に触れた瞬間、ウルベルトは大きく息を呑んで目を見開かせた

 

「ぐあっ!!?」

 

 驚きと叫びが綯交ぜになったような声を上げ、肉塊に触れていた手を慌てて引きはがす。引き寄せた手をもう片方の手で押さえながら、素早く肉塊から距離を取った。いつの間にか荒れていた呼吸を繰り返し、変わらず微動だにしていない肉塊を睨み付ける。

 この感覚は魔力消費とは少し違う、しかし間違いなく何かが奪われた感覚。痛みさえ感じられた喪失感にウルベルトは苛々しげに舌打ちを零した。

 何かまでは分からない…。

 しかし確実に何かを吸い取られて奪われた。

 

「…チッ、油断も隙もねぇな」

 

 もしかしたら触れたことで自分の一部が現実世界へと強制的に吸い取られてしまったのかもしれない。

 奪われた一部が魔力のように回復するものであれば良いが、そうでないなら少々厄介だ。

 また解決すべき事案が増えたことに大きなため息をつく中、ふと頭の中で何かが繋がる感覚を感じて反射的に顔を上げた。

 

『ウルベルト様、少々よろしいでしょうか?』

「…ああ、デミウルゴスか。どうした?」

『ウルベルト様に是非ともお見せしたいものがございまして…、お部屋にお伺いしても宜しいでしょうか?』

「ああ、大丈夫だ。いつでも来るといい」

 

 チラッと黒い肉塊を見やりながらも、緩く頭を振って視線を断ち切った。

 自分でもこれが一種の逃げであることは分かっている。しかしこれ以上頭を悩ませるのは苦痛でしかなく、問題を先送りにしてしまいたかった。

 時間が経てば解決してくれることを祈って、ウルベルトはさっさと指輪の力を発動することにした。

 後ろ髪を引かれる思いに駆られるが敢えて全力で無視をする。

 指輪の魔力が発動すると共に暗転する視界。

 次の瞬間には第九階層の自室に飛んでおり、一気に疲れたような気がして一度大きく伸びをした。う~んっという小さな呻き声と共に背筋を伸ばし、大きく息をつきながら軽く首を捻る。子供の身体でも…いや、この場合は悪魔の身体でも凝りを感じるものなのかと少々感慨深く感じられる。

 さてデミウルゴスはいつ来るのかと思考を巡らせる中、ふと背後からノック音が聞こえてきて扉を振り返った。続いて聞こえてきた悪魔の声に、にっこりとした笑みと共に入室の許可を与える。

 部屋に入ってきたのはやはりデミウルゴスで、その手に握られている物にウルベルトは目を大きく見開かせた。

 

「…デミウルゴス、それはっ!」

「お待たせしてしまい、申し訳ございません。先ほど漸く完成いたしました」

 

 柔らかな笑みと共に差し出されたのは一脚の真っ白な椅子。

 それはアウラの要塞で見かけた骨でできた玉座と同じものだった。今のウルベルトにあわせて子供用に小さく造られてはいたが、それでも純白の美しさや骨特有の妖艶さは全く遜色ない。

 ウルベルトは椅子のあまりの素晴らしい出来栄えに、今まで悩んでいたことも全て忘れてぱあっと目を輝かせた。悪魔の元まで駆け寄り、いろんな方向から椅子を眺めまわす。

 

「ウルベルト様が成長されてもすぐに修正できるよう組み方を工夫して造っております。何か不都合が出ましたら仰ってください」

「おお、すごいな! さすがはデミウルゴスだ!」

「恐れ入ります」

 

 創造主からの称賛の言葉に、悪魔は満面の笑みを浮かべる。甲殻に覆われた尻尾もぶんっぶんっと左右に激しく揺れており、まるで犬のようで可愛らしかった。

 

「ありがとう、デミウルゴス。大切に使わせてもらうよ」

 

 椅子のひじ掛け部分を優しく撫でながら柔らかな笑みを浮かべる。

 悪魔も頭を下げることで応えながら、創造主の満足そうな雰囲気に安堵と喜びを噛みしめた。

 

「さて、それじゃあ早速使わせてもらおうかな。今夜も付き合ってくれるか、デミウルゴス?」

「畏まりました、ウルベルト様」

 

 少し悪戯気な笑みを浮かべる仔山羊に、悪魔も柔らかな笑みと共にそれに応える。

 ウルベルトはデミウルゴスが造った玉座へ、デミウルゴスは許可と共に向かいの椅子へと腰を下ろす。

 昨夜と同じようにメイドを呼び寄せ、今夜も細やかな主従の食事会が幕を開けた。

 

 

 




今回階層守護者の役割について書いているのですが、完全に妄想(想像)といいますか捏造になります。
イメージと違いましたら、申し訳ありません。
また耐性についても書いているのですが、書籍第四巻のシャルティアが飲んだくれているシーンや第八巻でのアインズと守護者たちが風呂に入っているシーンを読み返してみたのですが今一私の理解が追いつかず、当小説では種族としての耐性は意識的に解除することができないが、職業としての特殊技術などでの耐性は解除できるということにしています。
もし間違っていれば申し訳ありません…。


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第10話 新たな段階

今回は書籍10巻沿いになっております。
台詞など、結構ネタバレ要素が多いのでご注意ください。


「うむ、今日は視察日和だな!」

 

 エ・ランテルにある大きな屋敷の裏庭から満足そうな声が響く。燦々と降り注ぐ太陽の光に照らされながら仔山羊の頭を持つ小さな悪魔は大きな金色の瞳で晴天を見上げていた。

 この世界に来てからナザリックの外に出たのはまだ数えるほどしかなく、加えて現実世界では見ることのない青空に思わず眩しげに目を細めさせた。

 しかし次の瞬間、何かに胸の内が塞き止められるような感覚に襲われてウルベルトは咄嗟に片手で胸を抑えて小さく顔を顰めさせた。んーんーっと喉を抑えながら小さく咳払いを繰り返す。息苦しい様な感覚がなくなるわけではなかったが、大分軽くなったような気がして小さく息をついた。

 

(………はぁ、いつ治るんだか…。)

 

 第六階層の樹海で黒い仔山羊の集合体に触れた時のことを思い出してもう一度ため息をつく。

 不定期に襲ってくる多くの不調と、常に感じられる倦怠感。

 原因は分かっていても解決策が分からず、今のウルベルトにできることはアインズたちに今の自分の状態を知られないように努めることくらいだった。

 

『ウルベルトさん、お待たせしました。執務室に来てもらえますか?』

「…ああ、モモンガさん。了解だ」

 

 不意に繋がった、アインズから飛んできた〈伝言(メッセージ)〉。

 ウルベルトは空から視線を外すと屋敷内へと踵を返した。

 本宅、各種内政官が詰める建物、別宅の三つに分かれているこの敷地は、元々はエ・ランテルの統治者だったパナソレイ都市長のものだった。それがアインズがエ・ランテルの支配者になったことでこの屋敷もアインズの物になり、当初は居住もナザリックからこちらに移す予定だったらしい。しかし突如ウルベルトがこの世界に来たことで有耶無耶になり、今では執務のために時折こちらで過ごすにとどまっていた。

 ウルベルトが向かっているのはアインズが使っている数少ない部屋の一つである執務室。

 本宅にあるその部屋に向かうために、ウルベルトは豪華ながらもナザリックには劣る回廊を黙々と突き進んで行った。

 

 

 

「ウルベルト様」

「おお、もう来ていたのか。おはよう、シャルティア」

 

 見えてきた目的の扉の前に見慣れた姿を見とめ、ウルベルトは自然と笑みを浮かべた。

 いつもの漆黒のドレスを纏ったシャルティアは、スカートの両端を摘まんで恭しく頭を下げた。

 

「至高の御方々をお待たせするわけにはいきませんえ。今日はアインズ様とウルベルト様の視察に同行させて頂き、身に余る光栄でありんす」

 

 普段蝋のような頬を薄紅色に染めて微笑む様子からは、先日の悲壮感は全く見受けられない。すっかり元気になったその様子にウルベルトは内心で安堵の息をついた。

 ナザリックの者全員に言えることではあるのだが、仲の良い仲間の一人だったペロロンチーノが創造したシャルティアは特に、悲しい表情を浮かべるのを見るのは非常に胸が痛んだ。彼の理想の嫁として造られた彼女にはいつでも笑顔でいてもらいたい…と親戚のおじさんのような心境を抱きながら、ウルベルトは気を取り直すように小さく息をついた。

 

「素晴らしい心がけだな。それじゃあ、これ以上モモンガさんを待たせないように中に入ろうか」

「はい、ウルベルト様」

 

 シャルティアを背後に従わせ、ウルベルトが目の前の扉をノックする。

 一拍後に開かれた扉の隙間からナザリックのメイドが顔を覗かせ、次には扉を大きく開け放ってウルベルトへと頭を下げた。

 ウルベルトは軽く手を上げることでメイドを労い、そのまま前を通り過ぎて室内へと足を踏み入れた。

 

「改めて、おはようございます、モモンガさん」

「アインズ様、おはようございますでありんす!」

 

 部屋の中央奥に鎮座する大きな執務机に、豪奢な椅子に腰かけている一人の骸骨。

 一見おどろおどろしく見える死の支配者に笑顔を浮かべながら、仔山羊の悪魔と吸血姫は朗らかに朝の挨拶を贈った。

 ウルベルトの子供らしい可愛らしい動作故か、はたまたシャルティアの間違った廓言葉故か、骸骨は微笑の雰囲気を漂わせながら椅子から立ち上ると、そのままウルベルトたちの元へとゆっくりと歩み寄ってきた。

 

「おはようございます、ウルベルトさん。おはよう、シャルティア」

「仕事は終わったのか?」

「ええ、何とか…。これからは自由時間なのでいつでも大丈夫ですよ」

「なら早いに越したことはないな。早速出かけよう」

 

 見るからにウキウキとウルベルトの耳と尻尾が上機嫌に動く。

 着実に成長してはいるもののまだまだ可愛らしい姿にシャルティアがうっとりとウルベルトの姿を見つめる中、アインズは部屋の奥に置いてあるガラスケースの中から口唇蟲を取り出して喉の骨…頚椎へと張り付けた。

 

「…ん、んー、んー。これで良し」

 

 口唇蟲によって変わった声を確かめながら一つ頷く。

 厳選に厳選を重ねて選ばれた声に満足する中、ウルベルトが不思議そうにアインズと口唇蟲を見やった。

 

「…へぇ、エントマ以外が使うのは初めて見たな。すっごい違和感だが…」

「ウルベルトさんにも後で用意するので、身を偽る時は使って下さいね」

「う~ん、あんまり嬉しくない…」

 

 骨の上でぬらぬらと蠢く肌色の口唇蟲を見つめながら、ウルベルトは複雑そうな表情を浮かべる。

 アインズはフフッと笑い声を零すと、ウルベルトとシャルティアを引き連れるような形で歩き始めた。更にその後ろからはメイドと幾人かの八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)が付き従ってくる。一気に仰々しくなった一行は、列を成しながら中庭へと向かっていった。

 先ほどまでウルベルトがいた裏庭とは違い、中庭は綺麗な芝生が敷き詰められた広大なもの。馬の調整や猟犬の訓練などもここでしていたらしく、普通に想像する中庭と違って草木や花はあまりなかった。

 

「それで…、外に出るのに何で中庭に来たんだ?」

「折角の視察なんですから徒歩でいろいろ見て回ろうと思うんですけど、そうなると供回りが必要でしょう? 手早く魔法で生み出そうかと思いまして」

「なるほど…。それで何を生み出すつもりなんだ?」

「おっ、お待ちください!!」

 

 ウルベルトの問いに声を上げたのは、アインズではなく後ろに付き従っていたメイドだった。深々と傅き、必死の形相を浮かべて言い募ってくる。

 

「それでは御御足(おみあし)が汚れてしまいます! どうかすぐに道を清めるようご命令をっ!」

「不要だ。元々私はこの都市で生活していたのだぞ」

「大丈夫だよ。俺もモモンガさんもそういうことはあんまり気にしないさ」

「……御方々がそう仰られるのであれば…」

 

 見るからに大きく肩を落とす様子に少し罪悪感が浮かぶ。しかし時間も限られているため、アインズは話を進めることにした。

 

「これより天使たちを召喚する」

「え~、何でよりにもよって天使なんか…。悪魔にしようぜ」

「いやいや、悪魔なんか召喚したら悪い噂が立つじゃないですか」

「えっ、今更だろ」

「……………………」

 

 ウルベルトの鋭い言葉にアインズは思わず黙り込んだ。

 確かにアインズの評判は現在あまり宜しくない。しかし…いやだからこそ、これ以上評判が悪くならないよう努めるべきではないだろうか。アンデッドどころか悪魔まで引き連れていればエ・ランテルの住民や近隣諸国から何と思われるか想像に難くない。引き連れるのが天使であれば、意外性という面も合わさって彼らの反応も少しは好転するのではないだろうか…。

 しかしそう説明しても仔山羊悪魔の表情は全く晴れない。見るからに“納得していません”という表情を浮かべ、次には何かを閃いたようにポンッと手をうった。

 

「要は見た目が怖くなければ良いんだろ? なら、大丈夫、大丈夫! 俺に任せて下さい!」

 

 可愛らしく胸を張って言う仔山羊悪魔に、猛烈に不安が湧き上がってくる。

 彼が嬉々として召喚するなど悪魔以外にあり得ない。しかし果たしてアインズが求める様な要素を含んだ悪魔などいただろうか…。う~んと頭を悩ませるも、全く浮かんでこない。

 だが…とそこでアインズは考えを改めた。

 アンデッドであるアインズと違い、悪魔の支配者(オルクス)であるウルベルトの方が創造できる悪魔の種類も複数存在する。ならばアインズの求める悪魔が出てくる可能性も大きいのではないだろうか。

 アインズが思考の渦に沈んでいる間に、ウルベルトはさっさと能力を発動していた。

 特殊技術(スキル)を発動し、空間から四つの歪みが生じる。

 ゆらりと揺らめく大きな影。

 

「どうですか、モモンガさん!」

「……ぉぉ…」

 

 目の前に現れた四つの悪魔に、アインズは思わず小さな声をこぼしていた。

 空間から現れたのは八十レベル台の悪魔、地獄の堕天侯爵(マルコシアス)

 見た目は二メートルほどの人狼で、背には漆黒の両翼が生えている。漆黒の鎧に身を包み、尻尾である蛇の胴体にも漆黒のプレートが連なっていた。

 

「これなら大丈夫だろ!」

「…まぁ、確かに」

 

 自分よりも大きな悪魔たちを見上げながら曖昧に頷く。

 確かに狼の顔は恐怖の獣というよりかは精悍な顔立ちをしており、かっこいいと表現できなくもない。

 因みに後ろのシャルティアやメイドはキラキラとした目でウルベルトを見つめていた。

 

「ここにいる全員を守れ。敵対者は殺さずに捕えろ」

「畏まりました、主」

 

 ウルベルトの命令に四人の悪魔が低音の声と共に胸に右手の拳を押し当てて頭を下げる。悪魔にしては礼儀正しいその姿に満足そうに笑みを浮かべるウルベルトに、アインズも動かぬ顔に笑みを浮かべた。この様子なら大丈夫そうだと内心で安堵の息をつく。

 後ろでは自分が守護の対象になったことにシャルティアたちが慌てており、そこはすかさずアインズがフォローに入る。ウルベルトはそんな彼らを微笑ましそうに見つめながら、急かすように門へと向かい始めた。歩き始めた小さな背をすかさず召喚された悪魔たちが追い、アインズたちも慌ててその後に続く。門では二体のデス・ナイトが警備に立っており、ウルベルトたちは彼らの前を通り過ぎて街へと繰り出した。

 ウルベルトとアインズは隣同士で並び、その後ろからシャルティア、メイド、数体の八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)が続き、彼らを取り囲むように四人の悪魔が守護につく。少々仰々しくなってしまったアインズ一行は一直線に大通りへと向かった。

 アインズとウルベルトが大げさにならない程度に周りを見回す。

 大通りだというのに人通りが少なく、お世辞にも活気があるとは言えない。歩いていたとしても誰もが表情が暗く、アインズたちに気が付けば驚いて逃げるように元来た道を戻るか横道に逸れていった。堂々と歩いているのは巡回中のデス・ナイトかアインズたちくらいだ。

 人間の都市というよりかは、アインデットたち異形種の魔都という感じだった。

 

「…どう思う?」

「どう、とは?」

 

 先ほどとはうって変わり支配者然とした口調でアインズが問いかけてくる。対応するウルベルトも先ほどとは一変、可愛らしい仔山羊の雰囲気から“アインズ・ウール・ゴウン”の魔法職最強(ワールドディザスター)へと表情を変える。合図も何もない中、阿吽の呼吸で瞬時に互いに合わせる様は流石と言うほかない。

 

「お前はこの街をどう見る?」

「そうですねぇ…、まったく頂けませんね」

 

 きっぱりと言い切るウルベルトに、背後に控えていたメイドやシャルティア、八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)たちがビクッと身体を強張らせる。顔は蒼白になり、不興を買ったのではないかと小刻みに身を震わせる。

 アインズは一気に絶望のオーラを漂わせ始めた彼らを気にしながらも、ウルベルトの言わんとしていることも気になって詳しく聞くことにした。

 

「と言うと?」

「中途半端すぎます。人間の都市として栄華を極めている訳でも、異形種(我々)の魔都として死の都となっている訳でもない。統治し始めて未だに日が浅いというのも分かりますが、この状況がずっと続くようであれば宜しくありません。…それに」

「それに?」

「…“アインズ・ウール・ゴウン”の名のもとにあるものがどっちつかずで中途半端であるのは、あまり気分の良いものではありません」

「……ふむ…」

 

 ニッコリとした笑みと共に言われた言葉に、アインズは街の様子を見つめながら思考を巡らせた。

 確かに今のエ・ランテルは今までの活気をなくしており、しかしかといって寂れた廃街となっている訳でもない。ウルベルトの言葉を借りれば、実に中途半端な状態だ。そして中途半端な状態がいかに危険でリスクが高いかはアインズも理解していた。

 人間の都市として栄えた場合、人間たちは些細な悩みや更なる高みへの欲望は感じるだろうが国や支配者に対しての不満は少なくなるだろう。

 一方異形種の魔都として死の都となった場合、人間たちは圧倒的な力や絶望により死ぬことのみを唯一の光とするだろう。国や支配者に対して反感や不満も生まれるだろうが、抗うだけの力も希望もありはしない。

 ならば今のどっちつかずの状況ではどうだろうか…。

 過去と現在のあまりの差に悲観し、未来に不安を覚え、それが不満や反感を大きくさせていくだろう。加えてモモンの存在もそれに拍車をかける可能性があった。

 現在のモモンの役割は不平不満の捌け口と、反抗心へのストッパーだ。しかし今のような状況が長く続き不満や反感が大きくなっていけば、モモンという存在が抗うための希望の光になる可能性がある。

 どんなに暴動が起ころうとアインズたちにとっては痛くも痒くもないが、そうは言ってもマイナスしかない面倒事など無い方が良いのは当然だった。

 

「どちらの方が良いと思う?」

「どちらでも構いませんよ。アインズの好きなようにしたらいいでしょう」

「と言ってもな…」

「難しく考える必要はありませんよ。…ギルドの時と同じです。他者にとって…、他国、この世界にとって“アインズ・ウール・ゴウン”とはどんな存在か。彼らにどう思われたいのか…、そのためにこの都市をどう統治すべきなのか…ただそれだけの事です」

「……………………」

 

 どう思われたいか…、その言葉で頭に浮かんだのはギルド“アインズ・ウール・ゴウン”の仲間たちとNPCたちの幸せそうな姿だった。

 今のアインズにとって一番重要で大切なことはウルベルトとNPCたちが幸せであることだ。そのためなら他の誰がどうなろうと知ったことではないし興味もなかった。

 

「私は…、ウルベルトさんやNPCたちが幸せであればそれで良いです。そのためなら誰にどう思われようが構いません」

 

 先ほどまでの支配者然とした口調は鳴りを潜め、彼本来の口調が心情を吐露する。

 視線をどこか遠くに飛ばして独り言のように呟くアインズに、ウルベルトは高い位置にある髑髏の顔を見上げながら小さく目を細めさせた。言葉を選ぶように小さく口をまごつかせ、彼と同じように遠くに視線を向けてそっと息をついた。

 

「そう思って頂けるのは嬉しいですよ。でも…、それでアインズが悪く思われるのは虫唾が走ります」

「…ウルベルトさん……」

 

 心底不満だと顔を顰めさせる仔山羊に、アインズは思わずクスッと笑みをこぼした。右手の拳を口に添え、わざとらしくゴホンっと一つ咳払いをこぼす。フゥッとないはずの肺で一回息をつくと、先ほど崩れた支配者ロールを何とか取り繕った。

 

「…では、いっそのこと理想郷を造ろうか」

「理想郷…?」

「そうだ。甘い蜜に浸したような優しい夢の世界…、永遠に被支配者でいたいと思えるような、そんな世界を」

「なるほど…、甘い夢の世界ですか…」

「ああ、そして世界征服を目的にしている以上、対象は人間だけではない。数多の種族が自ら我らの前に跪くのだ」

 

 思い描くのは第六階層に作った数多の種族のいる区画。

 当初の目的はどこかにいるかもしれないプレイヤーに対しての良いギルドとしてのアピールだったが、今思えばあれこそが自分の思い描く理想だったのかもしれない。

 アインズの理想…、様々な種族が幸せに共存する世界。

 かつてのナザリック地下大墳墓で“アインズ・ウール・ゴウン”が見せていた姿をこの世界で再現する。

 

「世界に広めよう。この魔導王の下にこそ永遠の繁栄があるということを」

「…確かに、多くの種族が共存するカタチこそが我ら“アインズ・ウール・ゴウン”の在り方。そしてそれは不老不死である私たちにしかできない。…鉄人が独裁するとすごい、という奴ですね」

「ああ、確か前にもそんなことを言っていたな…」

 

 懐かしいな…と呟きながら紅色の眼窩の灯りが小さく揺らめく。

 視線の先には変わらず街の光景が広がっていたが、それらを見ている訳ではないだろう。先ほど言っていた理想郷について早速取るべき行動を思案しているのかもしれない。

 まるで怯えたように道を開けたり近くの建物の中に逃げていく人間たちを見つめながら、ウルベルトも理想郷について考えを巡らせた。

 最終目標は多種族の共存だが、それにはまず一つの種族での繁栄が確立していなければならない。何事も余裕がなければ、他者に…それも自分とは違う種族に何かを分かち合うことなどあり得ないのだ。ウルベルトの考えでは、それが人間であれば尚更だった。

 ならば人間の思い描く繁栄とは一体何だろうか…。

 まず一番初めに思いつくのは衣・食・住が確保されていることだろう。この三つは人間での生活の基本とされているため、これらが充分であることが重要だ。

 では、そのためには何が必要だろうか…。

 金…いや、この世界を基準に考えれば豊富な物資の方が的確だろう。いくら金があったとしても、買うべき物資がなければ元も子もない。

 では物資を得るためにはどうすべきか…。

 う~んと内心で頭を悩ませる中、不意にアインズが立ち止まったことに気が付いてウルベルトも咄嗟に足を止めた。小首を傾げながらアインズを見やり、続いて彼が見つめている先へと視線を向ける。

 そこには大きな建物が物々しく鎮座していた。何かの施設なのだろうか、どことなく普通の家や店とは雰囲気が違うように感じられる。

 この建物が一体どうしたのかとアインズを見やり、彼が苦笑のような雰囲気を漂わせていることに気が付いた。

 

「アインズ?」

「…ああ、すまない。…これも一種のワーカーホリックの症状かと思ってな」

「………?」

 

 言葉の意味をはかりかねて首を傾げる中、ふと思い至って咄嗟に〈伝言(メッセージ)〉を飛ばしていた。

 

『…もしかして、ここが冒険者ギルドか?』

『はい。モモンでの行動が身体に馴染んでしまっていたのか、足先が向いていたみたいです』

 

 アインズは微かに頭を振ると、気を取り直すように扉へと手をかけた。両開きの扉を大きく押し開け、迷いなく中へと足を踏み入れる。

 室内の様相はゲームでよく見るような光景とひどく似通っていた。

 大きく広い空間に待合用のテーブルとイス。右手側には大きなボードがあり、依頼書と思われる羊皮紙が幾つか張り出されている。奥にはカウンターがあり、受付の女性が一人ポツンッと座り込んでいた。ゲームでの冒険者ギルドと唯一違うところは人の少なさと活気のなさだろう。

 

『何というか…、随分と錆びれてるな』

『…仕方ありませんよ。この世界での冒険者は俺たちが思い浮かべるユグドラシルでの冒険者とは随分と違いますからね』

『あ~、確か…魔物(モンスター)専門の傭兵なんだったか……』

『はい。この都市を統治下においてからは周辺の治安はデス・ナイトに維持させていますからね。依頼がなくなってきているんでしょう』

『何とまぁ…、夢のない仕事だな…』

 

 どこか呆れたように周りを見回すウルベルトに、アインズは思わず苦笑を浮かべた。この世界での冒険者について知った時は自分も同じことを思ったものだと懐かしく感じられる。

 ユグドラシルでの冒険者とは、まさしく未知を求めて世界を冒険する者たちの事だった。こちらの世界の冒険者とは全く似ても似つかない。

 ユグドラシルとこの世界での冒険者の違いに落胆を覚える中、ふとある考えが頭に浮かんでアインズは咄嗟にピタッと動きを止めた。小さく顔を俯かせ、片手を口元へと添える。一気に思考の渦へと沈んでいくアインズに、視線を戻したウルベルトは小首を傾げた。次は一体何を考えているのだろう、と少しだけ声をかけるのを迷う。

 しかしウルベルトが声をかけるその前に、次はアインズから〈伝言(メッセージ)〉が飛んできた。

 

『…ウルベルトさん、ちょっと思ったんですけど…今の冒険者をユグドラシルの冒険者のように変えられませんかね』

『というと…、魔物(モンスター)専門の傭兵から、未知を求めて冒険する者にってことか? できなくはないだろうが…それに何のメリットが?』

『まず第一に未だ調べられていない未知の土地に、俺たちに代わって情報収集をしてきてもらいます。第二に、そこの原住民に対して魔導国の宣伝をしてもらおうと思います』

『宣伝…? 何でまた…。というか、何を宣伝するんだ?』

『それは勿論、“魔導国がいかに素晴らしい国であるか”ですよ。街を活気づかせるには人を増やしたり人の出入りが活発でないといけません』

『それなら冒険者じゃなくても良いんじゃないか? 例えば商人なんかを使っても上手くすれば外から人が来ると思うが…』

『そうですね。ですが対象は人間だけではなく、ありとあらゆる種族です。相手が人間以外の他種族の場合、彼ら冒険者の方がうってつけだと思いませんか?』

『…なるほど、確かに良いかもしれないな』

 

 アインズの言う冒険者とは、つまり開拓者兼営業マンのようなものだろう。冒険者が未知の領域である土地の情報を集めてくれれば、万が一不測の事態が起こったとしてもすぐすぐナザリック(こちら)に損害が出ることはない。加えて彼らがうまく原住民の心をつかみ友好関係が築ければ必然的に彼らが所属している魔導国も有利な立ち位置となれるだろう。実にメリットの高い素晴らしい考えと言えた。

 無言のまま〈伝言(メッセージ)〉のみで会話をして頷き合う骸骨と仔山羊に、周りの冒険者ギルドの職員たちが不気味そうに見つめてくる。しかしアインズもウルベルトもそれらに全く気が付くことはなかった。彼らの視線なんかよりも、今は先ほど思い浮かんだ名案について話を詰める方が重要だった。

 

『…だが、幾つか問題がある。この街の冒険者は少なくなっているし、何よりこの世界での冒険者のありようは世界共通だ。それを全くの別物に変えるのは並大抵のことではできないだろう。どうするつもりだ?』

『う~ん、俺もまだ考え中ですけど…まずは冒険者ギルドの組合長と話してみようかとは思ってます』

『まぁ、こういう時は現場の声を聞くのが一番かもな…』

 

 どこか自信がなさそうに見えるアインズの様子に思わず小さな笑みが浮かぶ。しかしウルベルトはすぐさま気を取り直すと、一つわざとらしく咳払いをして受付に座る女へと目を向けた。

 

「…そこの受付の者、組合長はいますか?魔導王陛下が会いに来たと伝えなさい」

「っ!! は、はい! ただいま!」

 

『えーーっ、ウルベルトさんっ!?』

 

 突然向けられた金色の瞳とかけられた声に、受付の女は驚いたように飛び上がる。しかし驚いたのは彼女だけではなく、目の前に立つアインズもまた〈伝言(メッセージ)〉で驚愕の声を上げていた。足音高く奥へと消えていく受付嬢を尻目に、ウルベルトはにっこりとした笑みと共にわざとらしく小首を傾げてみせた。

 

「組合長がいてラッキーでしたね。頑張ってきて下さい、アインズ」

「えっ……と、いや、お前も…一緒に来るのだろう?」

「いえ、私はここでお待ちしております」

 

『ちょっ、どういうことですかウルベルトさん!』

 

 〈伝言(メッセージ)〉越しにアインズが悲鳴のような声を上げる。しかしウルベルトの笑みを浮かべた表情は全く変わることがなかった。いっそ作り物なのではないかと思えるほどにウルベルトの表情は動かない。一方でいやに落ち着いた声が〈伝言(メッセージ)〉でアインズに届いてきた。

 

『いや、俺も同行したいのは山々なんだが…、考えてもみろよ。組合長からしたら突然アポなしで会社の会長と社長が来たようなもんなんだぞ。組合長と仲が良いならまだしも、魔導王としてはまだ面識が浅いんだろう?』

『それはそう…、ですけど……』

『…それに……』

 

 一度〈伝言(メッセージ)〉を切り、チラッと周りを見回す。アインズは小さく首を傾げ、つられる様にして部屋を見渡した。未だこちらを伺っている他の職員たちがアインズたちの視線に気がついてギクッと身体を強張らせる。

 

「…それに、もう少しこの場を見て回りたいので」

「………そうか。何かあれば連絡するのだぞ」

「分かっていますよ、アインズ。そちらも、何かありましたら連絡を下さいね」

 

 ウルベルトの様子に何を思ったのか、アインズが神妙な面持ちで頷いてくる。しかし心配性なところは変わらず、支配者ロールはそのままに注意してくるのにウルベルトも笑顔でそれに応えた。

 微笑ましい主たちの様子にシャルティアたちが表情を緩ませる中、まるで見計らったかのように受付嬢がこちらに戻ってきた。

 

「お待たせしました。こちらにどうぞ」

「………では、行ってくる」

「ええ、お気をつけて。…シャルティア、お前はアインズに同行しなさい。アインズと組合長との会話を聞き、内容を自分なりに分析してから私に報告しなさい」

「っ! 畏まりんした!!」

「お前たちの内、二人はアインズに付き従い守護しなさい。残りの二人はここに残り我々の守護を続けなさい」

「畏まりました、主」

 

 四人の地獄の堕天侯爵(マルコシアス)がそれぞれ頭を下げ、その内の二人がアインズの背後へと控えるように立つ。

 受付嬢の案内で奥へと消えていくアインズたちをウルベルトは軽く手を振りながら見送った。

 後に残されたのはウルベルトとメイドと二人の地獄の堕天侯爵(マルコシアス)

 ウルベルトは振っていた手をゆっくりと下ろすと、小さく息をついて改めて室内を見回した。先ほど目が合ったのが効いているのか、今度は職員の誰一人とも目が合うことはない。しかし顔は背けていてもこちらに意識を向けているのは丸分かりで、ウルベルトはフンッと小さく肩をすくませると徐に足を踏み出した。右側にあるボードへと歩み寄り、張り出されている幾つかの羊皮紙を見上げて眺める。ミミズがのたくった様な文字は今まで見たことがないもので、何と書いてあるのか全く分からない。文字を翻訳できるマジック・アイテムでも造ろうかと考えを巡らせる中、不意に扉が開いたことに気が付いて反射的にそちらを振り返った。

 外から入ってきたのは、いかにも冒険者風の一人の男。こちらの存在に驚いているのか、目を見開かせて固まったように扉の前で突っ立っている。いつまでそうしているつもりなのか少しだけ興味はあったが、ずっと見つめ合うのもどうかと思い直してウルベルトは男に声をかけてみることにした。

 

「…そんなところで突っ立って、どうしました?」

「っ!? …あ、あなた方は…? まさか…魔導国の方ですか…?」

「これは妙なことを仰る。この地も既に魔導国でしょう」

「それは…! ……そう、ですが…」

 

 笑いを含んだウルベルトの声音に、男は意気消沈と肩を落とす。まるでやるせない現実に打ちひしがれているかのような…、いや実際に打ちひしがれているのだろう。その姿に何故か現実世界でのことを思い出して、ウルベルトは気まぐれに男の元へとゆっくりと歩み寄った。

 

「はじめまして、私はウルベルト・アレイン・オードルと申します」

「…俺はミスリル級冒険者チーム“虹”のリーダーを務めています、モックナックと言います」

「ああ、やはり冒険者の方でしたか。こちらには仕事で来られたのですか?」

 

 見たところあまり仕事はなさそうだが…と依頼書が貼られているボードを振り返る。モックナックもチラッとボードを見やり、次には深く重たい息を吐き出した。

 

「…確かに、魔導王陛下の指揮するアンデッドたちがこの都市周辺を護ってからは仕事は急激に減ってきています。この魔導国において、もはや俺たち冒険者の存在意義は殆どなくなっているでしょう」

「そう思っているのなら、何故君は未だにこの地に留まっているのです?」

「そ、それは……」

 

 モックナックは咄嗟に言葉を詰まらせた。

 彼の語ったことは事実であり、ウルベルトの指摘した通り実際にこの地を去っていった冒険者は数知れない。

 モックナックは何事かを考え込んでいるようだったが、次には決然とした表情でこちらを見つめてきた。

 

「ウルベルト…様は、モモンという冒険者を知っていますか?」

「…ええ、もちろん」

「俺がこの地を去らないのは、モモン殿がいるからです。彼はその身を盾にしてこの街に残ってくれました。この街で生まれた俺がとっとと逃げ出すなんて格好悪いこと、できる訳がない!」

 

 真剣な中に熱を宿した声と言葉に、ウルベルトは思わず柔らかな笑みを浮かべた。

 モモンという冒険者の正体を知っているだけに、他の者がアインズを尊敬している様を見るのはとても嬉しいものだった。そしてふと思う、彼のような者には慈悲を与えてもいいかもしれない、と…。

 今まではナザリック以外の存在に関してはどうでもよく、無関心で、不幸になろうがどうでもいいと思っていた。しかし少なくともアインズを――この場合はモモンだが――慕う者には多少の慈悲をかけてもいいかもしれない。

 

「…では、もう少しだけこの地に留まっていなさい。これから君たち冒険者の存在意義は大きく変わる。そしてそれは、君たちが望めば夢のような大いなる存在となれるでしょう」

「それは…、どういう意味ですか…?」

「君が信じるモモンという冒険者と、この地を治めるアインズ、そしてこの地に留まることを決意した君自身を信じなさい」

「……………………」

 

 多くを語らぬウルベルトに、しかしどこまでも優しい音を帯びる声音に何かを感じたのだろうか。

 モックナックは暫くじっと静かな瞳でウルベルトを見つめていたが、次には軽く目を閉じて頭を下げた。胸に片手を添えて深々と礼を取る様は、まるで主に跪く臣下のよう。

 彼にそのつもりはなかったのかもしれないが、少なくとも傍から見れば彼がウルベルトに対して敬意を表しているように見えただろう。

 

「その言葉、心にとどめておきます。…失礼いたします、ウルベルト様」

「ごきげんよう、モックナック」

 

 もう一度頭を下げて去っていくモックナックを見送りながら、ウルベルトはフフッと小さな笑みをこぼした。

 多くの者に信頼されているアインズが誇らしく、そんな彼の友人としてこの場に居られる自分が幸せだった。

 この世界に来れたのが偶然だろうが必然だろうが奇跡だろうが、そんなことはもはやどうでもいい。憧れた悪魔として、悪の大災厄である“ウルベルト・アレイン・オードル”として、そして何よりアインズの友として再び立てることが何よりも重要で、大切にしたかった。

 

『ウルベルトさん、上手くいきましたよっ!』

 

 不意に繋がるアインズからの〈伝言(メッセージ)〉。

 組合長との話し合いが予想以上に上手くいったのだろう、嬉々とした声音に思わず笑みが深まった。

 

『良かったじゃないか。俺の方も良い出会いがあったよ』

 

 意味深に返して、アインズたちが去っていった方角へと目を向ける。

 そこから見慣れた骸骨と白皙の美少女が姿を現し、ウルベルトは満面の笑みで彼らを出迎えた。

 

 

 




モックナックの会話シーンは、原作のアインズに比べてウルベルトはそこまでカリスマ性を感じさせていません。
モックナックの人となりや、実際に会話をしたこともないので、ウルベルトさんだと雰囲気をちょっと仄めかすくらいで精一杯です。

*今回のウルベルト様捏造ポイント
・地獄の堕天侯爵《マルコシアス》;
“上位悪魔創造”の特殊技術で創造可能な悪魔。
レベルは80台。
天使の翼を生やした人狼の姿で、尾は蛇。
・〈上位悪魔創造〉;
アインズの特殊技術“上位アンデッド創造”の悪魔版。
一日4体までが限度。
普通はレベル70台の悪魔しか創造できないが、ウルベルトは“種族:悪魔の支配者”の特殊設定によりレベル80台の悪魔まで創造可能。


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第11話 友とシモベと○○と…

今回も前回に引き続き書籍10巻沿いになっております。
台詞など、結構ネタバレ要素が多いのでご注意ください。


「うむ、今日は遠出日和だな!」

 

 いつかの日と同じ声が同じような台詞を吐き出す。

 しかし今回は青空の下の裏庭ではなく、ガタゴトと揺れる馬車の中だった。

 小さな窓の隙間から見える景色を眺め、ふと視線を外してウルベルトは馬車内を見渡した。大きく広い車内にあるのはウルベルトを含んだ四つの影。ウルベルトとアインズは隣通しで座り、アインズの向かいにシャルティア、ウルベルトの向かいに一人の男が顔を強張らせながら座り込んでいた。

 男の名はプルトン・アインザック。

 エ・ランテルの冒険者ギルドの組合長である。何故そんな男が一緒にいるのかというと、ぶっちゃけて言えばアインズとウルベルトが拉致ってきたからだった。

 

「あ、あの、魔導王陛下…、これは一体……。それにここは、帝国の首都であるアーウィンタールではありませんか?」

「その通りだ。流石は冒険者組合長だな。見ただけで分かるとは」

「あ、ありがとうご……ではありません! 関所などを通った記憶がないのですが、これは密入国ではないのですか!」

「まぁ、通っていませんからね」

「些細なことだ」

「些細なことではないですぞ! 間違いなく国家レベルで問題になります!」

 

 あっけらかんとしているウルベルトとアインズに、アインザックが焦ったような声を上げる。しかしそれでも二人は気にした様子もなく小さく肩をすくめるだけだった。

 

「まぁまぁ、落ち着いて下さい。こういうことはバレなければ良いのですよ」

 

 ニッコリとした邪気のない笑みを浮かべながら、しかし口にする言葉はとてつもなくえげつない。

 可愛らしい仔山羊が似つかわしくない暴言を吐くのに、目の前のアンザックは困惑した表情を浮かべて仔山羊をマジマジと見つめた。一度アインズを見やり、次にはシャルティアを、最後にウルベルトへと視線を戻した。

 

「……あなたは、一体何者なのですか?」

「おや、私としたことが名乗るのを忘れていましたか。私はアインズの友人でウルベルト・アレイン・オードルと申します。どうぞお見知りおき下さい」

「…陛下のご友人…ですか……」

 

 見るからにアインザックが微妙な表情を浮かべてウルベルトを見つめている。彼の様子にどこか既視感を覚える中、ふとデミウルゴスと共にリザードマンの集落を訪れた時のことを思い出してウルベルトは内心で納得の声を上げた。

 リザードマンたちも今のアインザックも、どちらも“アインズの友人”という言葉に困惑と疑惑の色を浮かべている。まぁ、確かに絶大な力を持っている魔王に友人がいるとか何の冗談だと言いたくもなるだろう。加えて相手は見るからに可愛らしい仔山羊で、まさにふざけているとしか言いようがない。しかしアインズもシャルティアも彼の微妙な表情に全く気が付いていないのか、どこか誇らしげな雰囲気さえ浮かべていた。

 

「ウルベルトは私の大切な仲間の一人であり、仲間内では最強の魔法詠唱者(マジックキャスター)だ」

「……は…?」

 

 アインズの自慢気な声音と言葉に、アインザックが思わず呆けたような声を上げる。彼の顔には“意味が分からない”といった文字がありありと書かれているように見えた。いや、この場合は信じられない…あるいは信じたくないと書いてあるのだろうか。どちらにせよ、困惑の色は更に濃くなったようだった。

 

「…陛下、一つお伺いしたいのですが……最強とは、一体どういう意味でしょうか…?」

 

 自分で質問しておきながら、その雰囲気から答えを拒否したい意志が伝わってくる。しかしアインズは気が付いていないようで、不思議そうに小首を傾げながら何でもないことのように絶望の言葉を放ってよこした。

 

「どういった意味と言われても…、言葉通りだが? ウルベルトは魔法職でも最強のワールド・ディザスターであり、魔法の威力は私など足元にも及ばない」

「なっ!!?」

 

 自慢げに嬉々として話すアインズと、キラキラとした目でウルベルトを見つめるシャルティア。骸骨であるため表情は変わらないはずなのに、何故かドヤ顔しているのが丸分かりだ。アインザックはといえばアインズたちとは対照的に顔を真っ青に蒼褪めさせ、恐怖の眼差しをウルベルトへと向けていた。

 彼の頭に浮かんでいたのはカッツェ平野で繰り広げられた惨劇。

 王国と帝国との戦で、一回の魔法で約七万もの兵士を一瞬で殺害したアインズ。

 神と見まごうほどの存在でありながら、そんな彼をして“自分よりも強い”と言わしめた目の前の仔山羊が信じられず…また信じたくなかった。規模が大きすぎて絶望感を感じながらも力のイメージすらできない。

 

「まぁまぁ、私のことはそれくらいにして…。それよりも、そろそろここに来た理由を組合長殿に説明するべきじゃないですか、アインズ?」

「むっ、…そうだな」

 

 途端にアインズとシャルティアが残念そうな雰囲気を漂わせる。

 なんだお前ら仲良しか…と内心でツッコミながら、しかしウルベルトはおくびにも出さずに無言でアインズを促した。

 仔山羊と骸骨の会話に、やっと精神的に回復したのかアインザックがアインズへと目を向ける。

 アインズは小さく息をつく素振りを見せると、一つ咳払いをして改めてアインザックへと向き直った。

 

「…ここに来た目的は、先日話をしたのだから分かるだろうな」

「と、申しますと…?」

「冒険者を我が国に招く件だ」

 

 途端にアインザックの顔が顰められる。見るからに賛成しかねると言った様子だ。

 しかし相対するアインズは全く気にした様子もなく、堂々と脚を組みながらアインザックを眺めていた。

 

「………まさか、帝国の冒険者を勧誘されるのですか?」

「その通りだ。この国の冒険者を引き抜く」

 

 先日アインザックに話した件とは、ウルベルトとも話した“この世界の冒険者をユグドラシルのような冒険者にする”というものであり、国の機関として取り込むというものだった。しかしいくら国家機関に取り込めたとしても、その箱が空では仕方がない。箱を満杯にするにはどこかから補充する必要があった。

 では何処から補充すればいいのか…。

 候補は両隣りにある王国か帝国かだが、王国は前の戦争でアインズが大量虐殺してしまったために勧誘するのは難しいだろう。ならば同盟国でもある帝国で勧誘するのが一番効率が良いと言えた。そして多くの冒険者を勧誘するには、実際に冒険者の経験があり、組合長として多くの冒険者を見てきたアインザックの協力が必要不可欠だ。しかしそのアインザックは難しそうに顔を顰めさせて深く息をついていた。

 

「どんなやり方を考えておられるのですか? …陛下、私は陛下の冒険者に対する考えに触れ、感銘を受けました。ですので出来る限り協力はしたいと考えております。ですが、それは私がどちらかというと体制側に近い者だったからかもしれません。現役の冒険者が今までの全てをなげうてるかと言うと…、正直難しいと思います。特に帝国の冒険者が、というのは」

「はあぁっ!? あんた何様…っ」

「はいはい黙ってような~、シャルティア」

 

 一気に殺気を迸らせてアインザックに食って掛かるシャルティアに、すぐさまウルベルトが止めに入る。途端にシャルティアの殺気は霧散したが、隣のアインザックはギョッとした様子でシャルティアを見つめていた。頬には冷や汗が大量に流れ、本能的な恐怖から咄嗟にウルベルトやアインズを縋るように見つめてくる。しかしウルベルトは変わらぬニッコリとした笑みを浮かべ、アインズは気がない様子で小さく肩をすくませるだけだった。

 

「シャルティアが申し訳ありません。…さぁ、話を続けましょう」

「い、いえ…、…しかし……」

「いや、ウルベルトの言う通りだ。…私としては勧誘を受けた方がデメリットよりもメリットの方が大きいと思うのだが、……なかなか難しいものだな」

「私は冒険者のことは良く分からないのですが、保守的な部分が強いのではありませんか? それか拠点とする国や都市に対しての忠義心が強いとか」

「いや、忠義心は兎も角、保守的ではないと思うのだがな…」

 

 しゅんっと落ち込んだように項垂れるシャルティアを慰めてやりながら、ウルベルトとアインズが言葉を交わして小首を傾げ合う。一体何がいけないのか全く分からない…といった様子に、アインザックは暫く彼らの会話に耳を傾けながら自分でも思考を巡らせた。

 ウルベルトの言う通り、冒険者は意外と保守的な部分がある。“冒険者”を生業にしている以上、それで生きていくためには慎重にならざるを得ない。今の状態である程度生きていけるのであれば、更に上のランクに上がるための欲はあったとしても、それ以外のリスクは犯さないだろう。ならば一体どうすべきか…。

 

「……陛下、一つ確認させて頂きたいのですが、その組織は早急に作りあげ機能させたいのでしょうか?」

「? できれば急ぎたいが…、急務というわけではないな」

「…それでは、雛を集めてはいかがでしょう。先ほど申し上げたように、現役の冒険者を勧誘するのは難しいと思います。ですが、これから冒険者を目指す者たちに魔導国に行きたいと思わせることは可能かもしれません」

「…なるほど、面白そうですね」

 

 一番反応したのはアインズよりもウルベルトの方だった。可愛らしい仔山羊の顔には似つかわしくないあくどい笑みを浮かべる。

 アインザックの提案は中々に良い案だと思われた。

 冒険者たちが使い物になるまで少なからず時間がかかるというデメリットはあるものの、何も赤ん坊から育てる訳ではない。やりようによっては早い段階で使えるようになるだろう。加えて対象が“雛”ということは“刷り込み”もある程度可能ということだ。

 『魔導国、最高!アインズ様、最高!』と何も分からず嬉々として宣伝する哀れな“雛たち”の姿が頭に浮かび、ウルベルトは心の底から沸き上がってくる愉悦が抑えられなかった。

 

「……ふっ、…くくくくっ」

「…ウルベルト?」

「あぁ、すみません…、何でもありませんよ」

 

 不思議そうに名を呼んでくるアインズと顔を引き攣らせているアインザックを見やりながら、ウルベルトは何とか笑みを押し込んで誤魔化そうとした。

 ナザリックの外に出ると、どうも悪魔の本能が敏感になっているような気がしてならない。欲望の矛先がナザリックの者たちに向かなければそれでも構わないのだが、しかし折角友好的になっているアインザックに警戒されるのも不味いだろう。何よりアインズが彼を気に入っているようだし、傷つける訳にはいかない。

 

「それで、どうやって雛を集めるのです?」

「…魔導王陛下の力を示し、そこで宣伝してはどうでしょうか? 人は強者に惹かれるものですので」

「なるほど! では早速一仕事狩ってきますか!」

「いやいやいやっ、お待ちください! ここは帝都ですので、闘技場でお力を示されたら良いかと思いますっ!!」

 

 嬉々として拳を握るウルベルトに、アインザックが慌てて止めに入る。青白くなっているその顔には、一体何を狩るつもりなんだ!とでかでかと書かれている様に見えた。慌てふためく様が何故か可愛く思えて仕方がない。壮年の男相手に何を考えているんだか…と思わないでもなかったが、ウルベルトは笑みを絶やさずに隣のアインズへと目を向けた。

 

「中々面白い話になってきましたね、アインズ」

「ふっ、そうだな。…アインザック、詳しく聞かせてくれ」

 

 ウルベルトの子供っぽい言動に笑みの雰囲気を漂わせながらも、その支配者然とした威厳は全く失われていない。

 アインズが鷹揚に命じるのに、アインザックは無言で頭を下げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アインザックの案内によって到着したのは、大きな館の前だった。

 エ・ランテルで使われているアインズの屋敷よりも大きく、見た目も豪奢だ。流石は帝国の首都にある有力者の館だと納得させられる威風堂々とした佇まいである。アインザックの話によると、闘技場を借りて演目を行う興業主(プロモーター)の中でも一番の有力者である男がここにいるという。

 名はオスク。

 闘技場最強と謳われる剣闘士・武王を個人的に所有している男らしい。

 

「…何とも派手な館ですねぇ」

「それでは話を通して参ります。陛下やウルベルト様のお名前は出しても問題ないでしょうか?」

「もしすぐに会えるのであれば構わん。時間がかかるのであれば…騒がしくない人間であれば構わない。その辺りはお前の判断に任せよう」

「畏まりました。行って参ります」

 

 アインザックが一礼して馬車を降りていく。

 アインズとウルベルトはその後ろ姿を見送ると、ほぼ同時に小さな息をついた。

 不思議そうに見つめてくるシャルティアに苦笑で返し、改めて互いへと目を向けた。

 

「さて、これからどうする?」

「…まずは身支度でも整えましょうか」

「? なんでまた…、別にそれで良くないか?」

「いえ、一応密入国ですし、最低限見つからない努力はしないと…。……そう言えば、さっきからやけに静かだがどうしたんだ、シャルティア?」

「い、いえ…、先ほどウルベルト様に黙るよう言われんしたので……」

「あぁ、すまないっ! もう喋っても大丈夫だぞ」

 

 しゅんっとなっているシャルティアに慌ててフォローに入る。横でアインズが我関せずとばかりに仮面を取り出したりローブを違う物に交換したりしているのが少しだけ恨めしい。しかし取り出している仮面が嫉妬マスクだと気が付くと、ウルベルトは思わず小さく笑ってしまった。今度はアインズから恨めしそうに見られ、何とも笑みが止まらない。

 ウルベルトはクククっと喉の奥で笑いながら、サッと一度軽く手を振るった。瞬間魔法が発動し、仔山羊悪魔の姿が大きく揺らぐ。次に姿を現したのは、ニッコリとした胡散臭い笑みを浮かべた一人の美少年だった。アインズが始めて見た7歳の姿から一変、その姿は12歳の少年にまで成長している。浅黒い肌も長めの白い髪も変わらないが、つり目がちの大きな金色の瞳は少し細く切れ長なものへと変わっていた。

 

「…そう見たら確実に成長していますよね」

「山羊頭だと確かに成長は分かり辛いからな。…あっ、シャルティアはこれを着けておくと良い。モモンガさんとお揃いだぞ」

「あ、ありがとうございますでありんす!」

 

 アイテムボックスから自分用の嫉妬マスクを取り出してシャルティアに渡す。嬉々として嬉しそうに被る様は何とも可愛らしく笑みを誘う。

 車内が何とも和やかな空気に染められる中、外側からノックの音が響き、アインザックが顔を覗かせてきた。

 

「お待たせしました。今すぐ会えるとのことですが、よろしいでしょうか?」

「ほう、それは僥倖。では、お邪魔するとしよう」

 

 奇怪な仮面をつけて怪しさマックスのアインズが鷹揚に頷き、馬車から降り始める。ローブが広がって大きく見える背を追いかけながら、ウルベルトとシャルティアもその後に続いた。

 アインザックを先頭に、アインズ、ウルベルト、シャルティアの順に敷地内へと入っていく。

 館の中では温和そうな執事と一人のメイドが控えており、こちらに深々と頭を下げてきた。執事は普通の人間だろうが、メイドはどうも違うようだ。頭からは動物の耳が生えており、飾りではない証拠に時折ピクピクと小さく動いていた。

 

「ようこそおいで下さいました。主人の元へご案内いたします」

 

 執事の言葉にアインズが頷くことで応える。

 エ・ランテルでのアインズの屋敷よりも豪華な…、しかしやはりナザリックよりかは劣る回廊を進んでいく。

 目的の場所自体はあまり遠くなかったのか、比較的すぐに一つの部屋へと案内された。黒塗りの重厚な扉の前まで歩み寄り、執事とメイドにより室内へと促される。

 

「こちらでお待ちです。どうぞ中へお入りください」

 

 音一つなく開かれた扉。

 室内は想像していたものとはかけ離れており、幾つもの武器や防具が綺麗に戦列されて、展示品のように飾られていた。まるで武器や防具の博物館の一室のようで、どこか少しだけナザリックの宝物殿を思い出させる。

 興味津々とばかりにウルベルトは飾られている武器たちに歩み寄っていった。こんな風にあからさまに動けるのは子供ならではの特権だろう、とここで初めて子供の姿であることに少しだけ感謝する。マジマジと見つめ、殆どの武具に傷やへこみがあるのを見てとった。恐らくここにある物全てが完全な観賞用ではなく、実用的な物かつ実戦で使われてきた物なのだろう。

 

 

「お気に召されましたか」

 

 唐突に聞こえてきた声。

 ハッとそちらに目を向ければ部屋の中央に置かれた対面のソファーの前に一人の男が立っていた。

 まさか男の存在に気が付かなかったとは…と自分の体たらくに自己嫌悪に陥る。

 しかし無理やり笑顔を張り付けると、ウルベルトは武具から離れて既に男の元にいるアインズへと歩み寄った。

 

「…仲間が失礼した」

「すみません、ご主人」

「いえいえ、私のコレクションを気に入って頂けて光栄ですよ」

 

 ニッコリと丸い顔に人の良い笑みが浮かぶ。

 男は全体的に恰幅がよく、服の上からでも盛り上がった贅肉がよく見てとれた。髪は非常に短く刈られており、短くし過ぎているからか既に薄くなっているのか、光を弾く頭皮が薄く見えていた。

 

「改めまして…、しがない商人をしております、オスクと申します」

「しがないなどと言ったら帝国にいる他の商人が怒るのではないかな。私はアインズ・ウール・ゴウン魔導王である。こっちは私の友人の――」

「ウルベルト・アレイン・オードルと申します。これは我らが優秀なシモベの一人であるシャルティア。お会いできて光栄ですよ、オスク殿」

 

 オスクが自分の後ろのソファーに座り、アインズとウルベルトも対面のソファーへと腰を下ろす。因みにシャルティアとアインザックはそれぞれアインズとウルベルトの後ろに控えるように立っていた。オスクはチラッとアインザックを見やり、次には笑顔を張り付けて改めてアインズたちへと目を向けた。

 

「陛下のお名前を聞かない日はございません。飲み物を用意させます」

「…折角だが、私の分は結構だ。お前たちは気にせず飲むと言い」

 

 気を利かせたのか、アインズがウルベルトを見やりそんなことを言ってくる。

 オスクは顔に笑みを消し、小さな目でじっとアインズの仮面を凝視していた。

 

「陛下、噂には聞いておりましたが、その仮面をお取りになられてはどうでしょう?」

「…家の主人の言葉であれば取らない訳にもいかないな。ウルベルト、シャルティア」

 

 アインズが仮面に手をかけ、素顔を晒す。それとほぼ同時にウルベルトの姿が揺らぎ、シャルティアも着けていた仮面に手をかけた。

 現れたのは死の支配者と仔山羊頭の悪魔と絶世の美少女。

 先ほどの光景とは一変、そこには三人の異形種が悠然と座り、佇んでいた。

 あまりにも大きな変化があったせいか、オスクの表情が暫く凍り付いたように固まる。しかし流石と言うべきか、すぐに我に返ったようで先ほどと同じような笑みをその顔に貼り付けた。

 

「……なるほど、なるほど。では僭越ながらウルベルト様には紅茶を用意させて頂きます」

「…ありがとうございます」

 

 ウルベルトは小さく目を細めさせるが、オスクに負けず劣らずにこやかな笑みを浮かべてそれに応えた。二人を中心に一気に緊張感が高まったのは決して気のせいではないだろう。胡散臭い笑みはそのままに執事を呼びつけるオスクを見つめながら、アインズが小さな息をついた。

 

「…さて、では話を進めよう」

「そうですね。本日、我が家にお越し頂いたのはいかなるご用件でございましょうか?」

「…私は言葉を飾るのが苦手なものでな。単刀直入に話をさせてもらおう。闘技場の武王と戦わせてほしい」

 

 執事にウルベルトの紅茶を指示していたオスクの動きが完全に止まった。小さな目をめいっぱい見開き、マジマジとアインズを見つめる。表情は既に元に戻っていたが、頭の中では思考を目まぐるしく回転させているのは明白だった。

 

「ふはははは、本気ですか、陛下。武王はモンスターの肉体と優れた戦士の技を持つ闘技場最強の男ですぞ? 恐らく歴代最強です。陛下の配下にも強き者がいるかもしれませんが、彼に勝てる者など…」

 

 途中で言葉は途切れたものの、自慢げに首を横に振るオスクが言いたいことは想像に難くない。最後まで言わなかったのは、ただ単に一国の主である相手に配慮しただけだろう。

 戻ってきた執事から紅茶を受け取りながら、ウルベルトは内心で軽く頭を振った。チラッと後ろの気配を伺ってみれば、シャルティアもまるで馬鹿にしたようにオスクを見て嗤っている。

 ウルベルトは紅茶を一口飲むと、まぁこんなものか…と再び内心で頭を振った。

 比べるのも烏滸がましいのかもしれないが、やはりナザリックの物に比べるとあまり美味しく感じられない。こちらの世界に来てすぐであれば感想も変わっていただろうが、ナザリックの味を一度でも味わってしまうとこの世界の物全てが色あせてしまう。すっかり贅沢者になってしまったな…と少し自分自身に呆れるが、それも悪魔らしいかとすぐさま思い直す。欲望に忠実なのは人間も悪魔も変わらない。ならばナザリックの主の一人である自分がナザリックの恩恵を謳歌しても罰は当たらない、はずだ…。

 少し自分の思考に不安を覚える中、突然襲ってきた大きな息苦しさにウルベルトは咄嗟に身を固くした。

 激しい胸焼けのような痛みと、ドッと増す倦怠感。一向に治らない体調不良と発作のような症状に辟易させられる。

 紅茶と一緒に不快感も飲み込めないものかと考える中、不意に斜め後ろから声を掛けられてウルベルトはビクッと小さく肩を跳ねさせた。

 

「ウルベルト様も陛下を止めて下さいっ!!」

「へっ? ……あぁ、なんです?」

「“なんです?”ではありません! 魔法詠唱者(マジックキャスター)である陛下が魔法を使わずに武王と戦うなどっ!!」

「ああ。…まぁ、大丈夫でしょう」

「ウルベルト様までっ!!」

 

 アインザックが悲鳴のような声を上げる。

 今まで全く話を聞いていなかったが、どうやら武王と戦うアインズにオスクが厳しい条件を突き付けたらしい。

 彼が本気でアインズのことを心配しているのが分かり、ウルベルトはフフッと笑みをこぼした。本当に良い協力者を得たものだ、と自分の事のように誇らしく思う。

 しかしアインザックの心配は無用の長物だ。

 この世界のレベルの程度から考えるに、闘技場歴代最強と言えどもアインズの敵ではないだろう。魔法禁止の縛りプレイであっても、アインズにはいざとなれば〈完全なる戦士(パーフェクト・ ウォリアー)〉もある。あれも魔法ではあるが、まぁそれくらいは許されるだろう。

 全く止める素振りも見せず優雅に紅茶を飲むウルベルトに、アインザックはウルベルトからの助力を諦めたのか勢いよくオスクを振り返った。

 

「お前も他国の王が帝国の闘技場で死んだりしたら、とんでもなく厄介になるぞ!」

「まぁ、それは当然の言葉ですな。どうされますか、陛下。忠臣の提案を受けて、止めて頂いても結構ですぞ?」

「ふふっ、言うでありんすねぇ。例え魔法無しでも、アインズ様が負けるはずがないでありんす」

 

 オスクに答えたのはアインズではなく、今まで珍しく大人しくしていたシャルティアだ。恐らく我慢の限界だったのだろう、美しい笑みを浮かべてはいるものの深紅の大きな瞳はギラギラと怪しく光っている。殺気まで放ちそうな勢いに、ウルベルトは咄嗟にゴホンっとわざとらしく咳ばらいを零した。瞬間、シャルティアがビシッと背筋を伸ばして直立不動となる。やれやれと頭を振るウルベルトと申し訳なさそうに眉尻を下げるシャルティアを見つめながら、オスクはアインズへと目を移した。

 

「………陛下は彼のガゼフ・ストロノーフより強い武王に魔法無しで勝てる算段があるので?」

「…ストロノーフか。あれは羨ましいほどに強い男だった」

 

 懐かしむような声音で語るアインズに、ウルベルトもガゼフ・ストロノーフという男について思い出していた。

 彼の男に関してはナザリックの大図書館(アッシュールバニパル)にある報告書と、アインズに直接聞いた情報でしか知らない。しかし報告書で書かれていた男の行動やアインズの話から、男がたっち・みーのような男だと推測されて思わず顔を顰めさせたのを覚えている。

 

「あの男より強いというのであれば警戒は必要だろう。しかし、私が強いと言っているのは彼の心の持ちよう。決して戦闘能力ではない。武王が腕力でストロノーフより強いと言っているのなら、瞬殺は容易だ」

 

 ウルベルトは思わず顔をアインズたちから背けると、あくまでも小さくケッと声を吐き捨てた。

 アインズはそれに気が付いたようだったが、他の者たちは気が付いていないようだったためどうか許してほしい。自分でもこの場では似つかわしくない行動だと理解しているが、どうにも自分を抑えられなかったのだ。

 カルネ村での自分を犠牲にしようとした行動といい、エ・ランテルでのアインズとの一騎打ちといい、その偽善者面に反吐が出そうだった。彼の男がした行動はウルベルトからすれば決して称賛されるようなものではなく、どこまでも甘ったるいエゴの塊だ。

 確かに彼の行動は何かを助け、護ったのかもしれない。しかし助けられた者は、護られた者は、それによってもたらされた彼の死に対して一体何を思えというのか。彼の男はそれに対して少しでも考えたことがあったのだろうか…。いや、考えた筈がない。もし考えたのであれば、自分の命を捨てる様な行動など決してするはずがないのだから。

 幼い頃の両親への記憶が蘇り、ドロッとした思考が溢れてくる。

 誰かを助けるならば、自分も含めて助けなくてはならない。

 誰かを護りたいのならば、時には自分の信念をも曲げるべきだ。

 自分の信念も曲げられず命を投げ出すことが忠義だと言うのなら、そんなものは糞くらえだ。

 

 

 

「……ウルベルト様?」

「っ!!」

 

 不意に小さく声を掛けられ、ウルベルトはハッと我に返った。チラッと声の方を見てみれば、シャルティアが心配そうにこちらの様子を伺っている。アインズの方を見れば彼はオスクと闘技大会について話を詰めており、ウルベルトは彼らに気づかれない程度に大丈夫だとシャルティアに合図を送った。何を勝手に脳内で熱くなっているんだか…と自分自身に呆れる。

 ウルベルトは一度小さく息をつくと、すっかり冷めてしまった残りの紅茶を一気に喉奥へと流し込んだ。

 丁度話し合いも終わったのか、良いタイミングでアインズが立ち上がる。

 ウルベルトは飲み終えたカップをソーサーと共にテーブルへと置くと、続くようにしてソファーから立ち上がった。

 

「では、よろしく頼む」

「はい、対戦を楽しみにしております」

 

 胡散臭い朗らかな笑みに見送られ、ウルベルトたちは執事の案内のもと部屋を後にした。

 

 

 

**********

 

 

 

 清々しいほどの晴天に、活気溢れる多くの人の声。

 足下の闘技場からはそれなりの距離があるというのに大きな歓声と熱気がこちらにまで十分すぎるほど伝わってきていた。

 そう、闘技場が遥か足下に(・・・)あるのである…。

 

「素敵な特等席でありんすねぇ」

 

 隣のシャルティアがご機嫌そうに笑みを浮かべて闘技場を見下ろしている。

 ここは闘技場の遥か上空…地上から約1kmほど離れた高い空中に、まるで座るような形でウルベルトとシャルティアが闘技場の様子を見つめていた。セバスが集めていたスクロールの中の一つを使い、〈浮遊板(フローティング・ボード)〉の魔法を発動してウルベルトとシャルティアだけの特等席を作り出していた。普通の人間であれば音も聞き取れず闘技場の様子も見えないほどの距離だろうが、異形種である二人にはこの程度の距離など何の障害にもなりはしなかった。闘技場の司会者が貴賓席にいる人物について紹介し、一層の歓声が響いてくる。

 

「鮮血帝ねぇ…。個人的に王族貴族って輩は嫌いなんだが、どんな奴なのか少し興味があるな」

「人間の世界では頭が回る人物らしいでありんす。ですがデミウルゴスの考えによるとアインズ様を出し抜こうとしたり、私たち守護者の離反を狙ったりしているらしく、頭が良い人間とはとても思えないでありんす。身の程を弁えぬ愚か者でありんすえ」

「ふ~ん、守護者の離反ねぇ…」

 

 注目するところは悪くないとは思うが、しかしこの場合は相手が悪すぎるともいえる。

 守護者は…いや、ナザリックに属する者たちは普通の者と精神構造からして全く違う。

 普通の者にも忠誠心や崇拝は存在する。しかしナザリックの者たちのそれは群を抜いており、ある意味異色とも言えた。彼らにとってウルベルトやアインズの存在は親であり主人であり愛する者であり王であり神であり、彼らの存在理由と存在意義でもある。離反といったような裏切り行為は、彼らにとっては死すらも許されぬ大罪だった。

 

(とはいえ、モモンガさんは鮮血帝を気に入っている感じだったしな~…。一応貴賓席にいることを伝えておくか。)

 

 闘技場の様子を眺めながら、〈伝言(メッセージ)〉でアインズにジルクニフがいることを伝えておく。

 アインズは密入国がバレたのかと心配していたが、ウルベルトからすれば単なる偶然だろうと思えた。

 あのオスクという商人がバラした可能性もなくはないが、仮にそうであったとしても別段構いはしない。

 

「あっ、アインズ様がいらしたでありんす!」

 

 隣に座るシャルティアが嬉々とした声を上げる。見てみれば丁度アインズが貴賓席まで飛んでいくところで、おそらくジルクニフに挨拶しに行ったのだろう。しかし挨拶だけにしては妙に時間がかかっている様に思えて、ウルベルトは小首を傾げながら再びアインズに〈伝言(メッセージ)〉を繋げた。

 

『どうした、モモンガさん? 挨拶にしては時間がかかっているみたいだが…』

『…ああ、いえ。ジルクニフと供回りくらいしかいないと思っていたんですけど、見知らぬ神官っぽいのが二人とフードを被った四人組がいて少し長話になってしまいまして…』

『………ほう…』

 

 途端にウルベルトの金色の瞳が怪しく細められる。

 

『フードの四人組は火急の用があるらしくて自己紹介できなかったんですけど、それがちょっと気になって…』

『……まぁ、これから試合だし、あまり気にしない方が良いぞ。今回は縛り戦闘甚だしいからな』

『そうですね。気を引き締めて行ってきます!』

『ああ、シャルティアと応援してますよ』

 

 ウルベルトは〈伝言(メッセージ)〉を切ると、ほぼ同時に魔方陣を展開させた。横でシャルティアが驚いているのも構わず、赤黒い魔方陣がウルベルトの小さな身体を包み込む。

 

「〈使役魔獣・召喚(サモン・コーザティブ モンスター)〉フレズベルク」

 

 ウルベルトの傍の空間がぐにゃりと歪み、鮮やかな大きな鳥が姿を現した。

 翡翠色の翼に黒い大きな嘴。魔獣ながらも美しいその姿に惚れ惚れしてしまう。

 ウルベルトは柔らかな羽毛を一撫ですると、優雅な動作で緩く腕を振るった。

 

「フードを被った四人組を探し出せ。決して気取られるな」

 

 フレズベルクは一つ甲高く鳴くと、大きな羽ばたきと共に闘技場へと飛んでいった。途中ゆらりと翡翠の巨体が揺らめき、まるで溶けるように消えていく。〈完全不可知化〉を発動したのだろう、もはや探索能力を持たないウルベルトやシャルティアには感知できなくなっていた。

 

「ウルベルト様、どうかしたんでありんすか?」

「…いや、少し調べ物をな。お前は気にせずにモモンガさんの戦いを見ていろ。きっと良い勉強になるぞ」

 

 守護者を始めとするナザリック・メンバーはスペックなどは最上級だが、いかんせん経験が皆無に等しい。いくらレベル差が大きくても、やりようによっては形成が逆転する可能性は少なくないのだ。今回のアインズと武王の戦いは良い勉強になるだろう。

 ウルベルトも興味津々とばかりに闘技場を見下ろす中、不意に放ったフレズベルクから早すぎる応答をキャッチして反射的に顔を上げた。名残惜しく闘技場を見つめ、しかし諦めて大きなため息と共に〈浮遊板(フローティング・ボード)〉の上に立ち上がった。

 

「ウルベルト様?」

「…悪い、シャルティア。少し行くところができた。お前はここでモモンガさんの応援をしていろ」

「で、ですが…!」

「供回りは不要だ。モモンガさんの戦いが終わったら〈伝言(メッセージ)〉で知らせてくれ」

 

 まだシャルティアが何か言おうとしていたが敢えて無視する。

 ウルベルトは〈飛行(フライ)〉で舞い上がると、静止の言葉を言われる前に高速で空を駆けた。

 目指すは南東方向、帝都から出る門がある方向へと向かう。

 ウルベルト自身は〈完全不可知化〉が使えないため、少し考えたあと見張りはフレズベルクに任せることにした。

 先ほどまで向かっていた方向を少し変え、門の向こうに見える深い森の方へと向かう。

 これから起こるかもしれない展開に、ウルベルトは無意識にニィッと口の端を歪めた。

 

 

 

**********

 

 

 

 静かなはずの森の奥でガラガラとした車輪の音が煩く響く。

 深い森で鬱蒼とした木々のせいか、まだ昼だというのにやけに薄暗く感じられる。

 獣道のような場所を一台の荷馬車が猛スピードで森の奥へと突き進んでいた。

 

「…早く国に戻らなければ!」

「しかしどうする? このままだと本当に打つ手がないぞ」

「早急に話し合いを…、…うおっ!!?」

 

 ガタゴトと激しく揺れていた荷馬車が一層大きく揺れる。そのまま急ブレーキで停止するのに、中に乗っていた二人の男が慌てて小窓から外に顔を覗かせた。

 

「おい、どうした!?」

「一体何が…っ!」

「………お二方、どうか御下がりください」

 

「おや、きちんとした挨拶は基本ですよ? 傷つきますねぇ」

 

「っ!!」

 

 聞こえてきたのは聞き覚えのない子供の声。

 驚いてみてみれば、そこにはニッコリと笑みを浮かべた一人の少年が道を塞ぐようにして荷馬車の前に立っていた。

 年は12歳くらいだろうか、背は平均的にはあるものの全体的に細身で、高価そうな服を身に纏っているというのに服の上からでもガリガリに痩せているのが見てとれた。少し長めの黒い髪に、つり目がちの黒目。青白い顔には皮肉気な笑みを浮かべており、真っ直ぐにこちらを見つめてくる。

 護衛として連れてきた二人の聖典が少年に立ちはだかるようにして一歩前に進み出た。

 少年の顔が一層笑みに歪み、その瞬間ゾッと冷たいものが背筋を走り抜ける。

 見た目は唯の貧弱そうな子供だというのに、感じられる存在感の凄まじさがそれを大きく裏切っていた。

 一体この子供は何者なのか…と冷や汗がダラダラと流れ出る。

 息苦しいほどの威圧感の中、少年はまるでそれを全く感じていないかのように皮肉気な笑みを浮かべたままワザとらしく小首を傾げてみせた。

 

「おやおや、少しお聞きしたいことがあっただけなのですが…。大人しく後ろの二人を出して頂けませんか?」

「「……………………」」

「…仕方ありませんねぇ。質問がてら、少々遊んであげましょう」

 

 少年の骨ばった手が、まるで招くようにこちらに伸ばされる。

 青白い顔が大きく歪み、ニンマリと三日月の形が闇に浮かび上がった。

 

 




私の勝手なイメージなのですが、ガゼフ・ストロノーフはたっち・みーで、闘技場の武王(ゴ・ギン)は武人建御雷のような感じがします。


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第12話 真実への一歩

今回は戦闘回です。
少しグロテスクな描写があります。ご注意ください。


 ウルベルトは二人のフードの人物と対峙しながら、ジロジロと様子を観察していた。

 二人とも灰色に近い白のフードを目深に被っており、素顔は見えず、体格からして男であることしか分からない。一人は白を基調とした大きなグレートソードを両手で握り締めており、もう一人は魔法詠唱者(マジックキャスター)なのか何も得物は持たずにただ身構えている。

 一方、二人を観察しているウルベルトの瞳は闇を固めたような漆黒色。少し長めの髪も真っ黒で、肌は褐色ではなく真逆の白、骨と皮だけのような細すぎる肢体はひどく病的でみすぼらしい。この世界に来てから時折纏っていた幻ではなく、現実世界での子供の頃の姿だった。

 何故この姿の幻を纏っているのかというと、理由は大きく分けて二つあった。

 一つは現段階で自分が魔導国に関係ある人物だと知られることが良いことなのか悪いことなのか判断できなかったためだ。この姿がどこまで効果があるのかは分からないが、少なくとも今までこの姿の幻を纏ったことはない。本来の悪魔の姿や褐色の肌の少年の姿よりかは誤魔化しも効くだろう。

 そして二つ目の理由としては、少しでも相手を油断させるためだった。現実世界での自分の姿は、自分で言うのもなんだがかなり痩せっぽっちで強そうには見えない。子供だということも相まって、相手が油断してくれる可能性はかなり大きいだろう。しかし逆に侮られ過ぎてもいけない。情報を引き出すには、油断の中にもある程度の緊張感が必要だと言うのがウルベルトの自論であり、そのため口調は油断ならない人物として子供には似つかわしくない言葉遣いにした。これで駆け引きはバッチリだ!と思っていたのだが…。

 

 

(…なんだ、なんでこんなに警戒されているんだ?)

 

 目の前で対峙している二人の緊張しきった様子に、思わず内心で首を傾げた。大の男二人が小さな痩せっぽっちの子供一人にひどく警戒しているなど、傍から見れば滑稽なことこの上ない。

 このままだと一生睨み合いが続きそうだと判断すると、ウルベルトは若干出鼻を挫かれたような気分を味わいながらも再び口を開いた。

 

「…はぁ、いつまでこうしているつもりですか? 私も暇ではないのですがね」

「……………………」

「あなた方に許される行動は二つに一つ。一つは、後ろの二人を含めて大人しく私の質問に答えること。もう一つは私に捕らえられて楽しい拷問の末、自白することです。…さぁ、どちらにしますか?」

「………残念だが、俺たちは大人しく貴様の言い成りになる気はない!」

「おや、では楽しい拷問コースをお望みで?」

「貴様を討ち取らせてもらうっ!!」

 

 瞬間、グレートソードを持った男が勢いよく突撃してきた。グレートソードを両手で担ぐようにして構え、間合いに入ったと同時に上段から降り下ろしてくる。

 

「…〈転移(テレポーテーション)〉」

 

 小さな呟きと共にウルベルトの姿が掻き消える。未だグレートソードが降り下ろされきる前に真横に移動し、突然の気配に男は鋭く息を呑んだ。ウルベルトの小さく細い指が男のこめかみ部分にそっと伸ばされる。

 

「〈雷撃(ライトニング)〉」

「〈超回避〉!」

 

 男が反射的に前屈みになった瞬間、今まで頭があった場所に雷の閃光が一直線に駆け抜けた。

 

「〈剛撃〉っ!!」

 

 男は漸く降り下ろしきったグレートソードを握り直すと、次は下から斜め上へと振り上げた。その動きは素早く、とてもグレードソードという重量の得物を操っての動きとは思えない。

 風のような瞬撃に誰もが少年の末路を確信した。

 その時…―――

 

 

ガキンッ!!

 

 

「……これが話に聞いていた武技という奴ですか。確かに興味深いですね」

「っ!?」

 

 どこか軽い少年の声と、堅い感触。

 あり得ない…というように息を呑む男に、ウルベルトはニタァッと笑って見せた。

 グレートソードを受け止めていたのは、マフラーのように首に巻いていた“慈悲深き御手”。巨大な悪魔のような手がしっかりとグレートソードの刃を握り締めていた。

 

「来い、ギガントバジリスクっ!!」

 

 ここで今まで成り行きを見守っていたもう一人の男が動いた。

 いや、今まで召喚魔法でも唱えていたのかもしれない。

 男の背後の空間に大きな闇の穴が浮かび上がり、その中から一頭の巨大なギガントバジリスクが姿を現した。

 ギョロッとした大きな目に、八本の足と王冠のようなトサカ。10m以上もあるトカゲのような巨体はミスリルに匹敵する程の緑の鱗で覆われている。

 迫力のある魔獣の登場に、ウルベルトは目の前の男からギガントバジリスクへと意識を向けた。

 その瞬間、石化の視線を恐れてか男がすぐさまウルベルトから離れようとする。

 一瞬この場に留まらせて巻き添えにしてやろうかとも思ったが、後のことを考えて男を離してやることにした。“慈悲深き御手”の力が緩んだとほぼ同時に男は後ろへと飛び退く。

 ウルベルトはポツンと独り立ち、雄叫びを上げながら突進してくる巨大な魔獣を見つめた。

 傍から見れば悲鳴ものだろう光景。

 しかしウルベルトはただのほほんと近づいてくる魔獣を眺めている。

 因みにギガントバジリスクの石化の視線は、状態異常の完全耐性によってウルベルトには全く通じなかった。

 

魔法詠唱者(マジックキャスター)かと思っていましたが、ビーストテイマーでしたか。…〈二重最強化(ツインマキシマイズマジック)・〉」

 

 ウルベルトが軽く両手を広げ、その両隣の空間に赤い大きな球体が形を取り始める。

 

「〈火球(ファイヤーボール)〉」

 

 どこまでも静かな声。しかし、それによって形作られた魔法は絶大だった。

 直径30cm程の紅蓮の球体が火の粉すら巻き込んでギガントバジリスクへと勢いよく放たれる。頭と首の根元辺りに着弾し、鋭い爆音と共に熱風が一気に広範囲へと膨らんだ。緑一色だった巨体が一瞬で紅蓮に染まり、周りの草木も巻き込んで大きな渦を巻く。火柱となって血すら焼き尽くす炎に、ウルベルト以外の全員が呆然とギガントバジリスクだったものを見つめた。

 

「…弱すぎますね。強化していたとはいえ、まさか〈火球(ファイヤーボール)〉二つで死んでしまうとは」

 

 やれやれと言うように肩をすくめて首を横に振るのに、男たちはジリジリと小さく後退りし始めた。フードの隙間から見える部分だけでも、彼らの顔が青白く染まり、冷や汗を流しているのが見てとれる。“嘘だろ…”や“信じられない”といった声が小さく聞こえてくるが、ウルベルトからしてみれば逆にここまで弱いのが予想外だった。あそこまで時間をかけて、あそこまで自信満々に召喚していたため、どれだけ強化して召喚したのかと思っていたのだ。ウルベルトからすれば先ほどの魔法は唯の小手調べだったというのに、それであっさり死んでしまうとは思ってもみなかった。

 

「…はぁ、まったく拍子抜けですね。興がそがれました。…大人しく質問に答えて頂ければ、回答如何によっては無事に帰して差し上げても宜しいですよ?」

「っ!! ……断るっ!」

「……あまり舐めないで頂きたいですね。異形の者に慈悲を請うつもりはありません」

「それはそれは…」

 

 怯える様子さえ見せながらも食ってかかる二人に、ウルベルトは呆れたように小さく肩をすくませた。

 何故そんなに頑なになるのか、ウルベルトにはまったく理解できなかった。

 人種だとか異形種だとかを気にすること自体は、ウルベルト自身も理解できる部分があるため納得もできる。しかしウルベルトを異形種だと見破ることができたのなら、自分たちとの力量差も感じ取れたはずだ。逆転の秘策でもあれば話は変わってくるが、目の前の様子からしてそんな雰囲気もない。それともフードの奥で実は嫌らしい笑みでも浮かべているのだろうか。

 ウルベルトはマジマジと二人の男を見つめると、不意に片腕をブンッと横に振り払った。

 瞬間、無詠唱で放たれた突風の波が二人の男を襲う。突然のことと大きな風に対応が遅れ、男たちのフードが勢いよくはためき吹き飛ばされた。今まで隠されていた二人の素顔が傍目に晒される。

 男たちはどちらも白い肌に輝くような金色の髪を持っていた。

 グレートソードの男は短い金髪をオールバックにきっちりと後ろへ流し、涼やかな目元が今は鋭く細められている。もう一人のビーストテイマーの方は、濃い金髪をショートボブの形にまとめており、赤茶色の垂れ目が柔らかな印象を作っていた。

 どちらもムカつくほどに整った顔立ちをしている。

 少し前からこの世界の容姿の平均水準はバカに高くないかと思っていたが、二人はその中でもイケメンの枠組みに入るだろう。

 

(…なんか、興をそがれるどころかムカついてきたな。)

 

 心の中でブツブツ文句を言う中、苛立ちが威圧感となって放たれていたのか二人の男は冷や汗をダラダラと流しながら蒼褪めた顔を引き攣らせていた。

 

 

「……それにしても、本当に困りましたね。まさかここまでの化け物だったとは」

「ああ…。前に遭遇した吸血鬼といい、一体どうなっているんだ」

 

「…ほう、吸血鬼ですか」

 

 小声で交わされる会話。

 二人の男とはそれなりに距離があったが、異形種であるウルベルトには二人の声がはっきりと聞こえていた。

 “吸血鬼”という単語を耳にした瞬間、漆黒の双眸が細まり、小さい身体から放たれていた威圧感が威力を増す。息苦しさすら感じる激しさに、風が吹いているわけでもないのに大気がビリビリと震えていた。

 

「その吸血鬼の話、詳しく聞かせていただけますか? …やはり、吸血鬼の娘を精神支配したのはあなた方で?」

「っ!! …こいつ、まさか!」

「逃げるぞっ!!」

 

 二人の男は一気に顔色を変えて大きく息を呑むと、次には弾かれたように正反対の方向へと駆け出した。ビーストテイマーの男は荷馬車の方へ、グレートソードの男はウルベルトの方へと向かってくる。その際、ビーストテイマーの男は駆けながら召喚魔法を長々と唱え始めた。今度こそ強力な召喚魔法をしようとしているのかと思ったが、すぐにそうではないと気が付く。

 男の駆け抜けた後の空間に、複数の大小様々な闇の穴が出現した。

 中から現れたのは六羽のクリムゾンオウルと四体のギガントバジリスク。

 クリムゾンオウルは名前の通り深紅の羽が特徴のフクロウの魔物で、通常のフクロウよりも二回りほど大きい。血のような深紅の羽も鋭い嘴や鉤爪も美しいが、今は鬱陶しいだけの雑魚魔獣だ。

 

「〈魔法三重化(トリプレットマジック)魔法の矢(マジックアロー)〉」

 

 三十もの光の球体が現れ、我先にと矢のように男とクリムゾンオウルたちに襲いかかる。

 しかしここで先ほどとは逆の意味でウルベルトの予想は外れた。

 ギガントバジリスクが〈火球(ファイヤーボール)〉二つで死んだため第一位階魔法の〈魔法の矢(マジックアロー)〉でも大丈夫かと思っていたのだが、男を襲った光球たちは蒼穹の鎧に弾かれて足止めさえできなかった。クリムゾンオウルも一羽あたり五つの光球でやっと倒れ、まだ半数が残っている。

 レベル差があり過ぎる中、しかし殺さずに捕えなければならないため魔法の選択も難しい。捕縛魔法を取得していないため尚更だ。

 せめて強化くらいはしておけばよかったと小さく舌打ちする中、ウルベルトは再び“慈悲深き御手”でグレートソードの刃を受け止めた。敵を…それも前衛である戦士職を二度までも間合いに入れてしまったことに苦々しく思うものの、あちらが複数に対してこちらは一人なのだから仕方がないとすぐに気を取り直す。

 ウルベルトは“慈悲深き御手”を操って握り締めているグレートソードごと男を投げ飛ばすと、振り向きざまに“慈悲深き御手”を再度振るった。

 

「〈魔法最強化(マキシマイズマジック)風の刃(ウィンド・サイズ)〉!」

 

 一羽を“慈悲深き御手”で引き裂き地に落とし、残りを風の魔法で一刀両断に切り裂く。

 ギガントバジリスクはどこだと目を走らせた、その瞬間…―――

 

 

『ううぅぅるぅべるとさまぁぁあぁぁああぁあぁあぁっっ!!!』

「うおっ!!?」

 

 突然繋がった〈伝言(メッセージ)〉と、そこから聞こえてきた怒号にも似た叫び声。

 あまりにも予想外のことに、ウルベルトは思わず驚愕の声を上げた。

 一瞬誰からか分からず、しかしすぐさま残してきたシャルティアからだと気が付いた。

 

『い、いきなりどうした!』

『ア、アインズ様が吹き飛ばされて…! ああ、またっ! 至高のっ、至高の御身をよくもぉおぉぉおおっ!! あんの肉ダルマ、下等生物の分際でぇぇっ!!』

『落ち着け、シャルティア!』

『ウルベルト様! すぐにあの虫けらを消しtっ』

『いけません!!』

 

 アインズが攻撃を受けでもしたのか、〈伝言(メッセージ)〉越しにシャルティアがハッスルしている。

 ウルベルトは咄嗟にシャルティアの言葉を遮って止めながら、反射的に立っている場所から飛び退いた。

 瞬間、今まで立っていた地面が勢いよく弾け飛ぶ。

 地面を滑るように移動しながら見てみれば、先ほど探していたギガントバジリスクの一体が地面から頭を上げてこちらを睨みつけていた。

 

「ちっ、…雑魚のくせに鬱陶しい! 〈吹き上がる炎(ブロウアップフレイム)〉!」

 

 勢いよく噴き上がる炎にギガントバジリスクを焼きながら、死角から飛び出してきたもう一体の攻撃を反射的に避ける。

 

『いいか、シャルティア。どんなにモモンガさんが攻撃を受けて負けそうになっても、一切手を出そうとするな!』

『し、しかし…!』

『全てはモモンガさんの計算の内だ! いいか、絶対に大人しくしてろよ! この命令に背いてモモンガさんを助けた方が不敬であると心得ろ!』

 

 ウルベルトは一方的に〈伝言(メッセージ)〉を切ると、〈転移(テレポーテーション)〉でギガントバジリスクの背後に飛んだ。無造作に強化した〈火球(ファイヤーボール)〉を二つ放ち、後の二体を探す。また死角を狙われぬように警戒しながら周りを見回し、視界に飛び込んできた“それ”に思わず目を見開いた。

 

(うえっ!? マジかよ!)

 

 ウルベルトの視線の先にあったのは、残りの二体のギガントバジリスクの背によじ登ろうとしている男たちの姿だった。

 ビーストテイマーの男と、荷馬車の中に隠れていた二人の男たちだ。

 

(おいおい! 乗れなくはないだろうが、騎獣じゃねぇだろうが!)

 

 ここまで来て逃がしてたまるか!と転移魔法を唱えようとする。

 しかしその瞬間、ズクンッと衝撃のようなものを感じて、ウルベルトは思わず動きを止めた。

 

(っ!?……くっそ、こんな時にっ!!)

 

 まるで心臓を鷲掴みにさたような激痛が走り、思わず小さく息を呑む。

 身体が痛みに硬直し、反射的に左手で胸元を握りしめた。背を丸め、痛みに耐えようと歯を食いしばる。

 しかし不意に感じた悪魔の第六感に、ウルベルトは咄嗟に半歩下がって身体をずらした。

 瞬間、先ほどウルベルトの左半身があった場所にグレートソードが勢いよく通り過ぎる。身体を逸らして避けたことによって男の鋭い双眸と目がかち合った。

 ウルベルトは胸元を掴む手に力を込めることで何とか口を緩めると、右手で男の心臓部分を指さした。

 

「〈雷撃(ライトニング)〉!」

 

 青白い雷が空間を裂き、怒号のような轟音と共に男を襲う。

 男は咄嗟に上体を仰け反らせて避けようとしたが、少し遅かったようで直撃は免れたものの首元から顎の辺りまで酷い傷と火傷を負った。バチバチと弾けた音と、肉が焼け焦げる臭いが辺りに漂う。

 

「ぐっ、〈流水加速〉!!」

 

 しかし流石と言うべきか、雷撃の傷に怯むことなく男はすぐさま反撃に転じてきた。男の動きが素早くなり、自分の動きが鈍くさえ感じられる。

 まさか時間系の魔法か!?と驚愕する中、それよりも危険な状態に気が付いてウルベルトはハッと目を下へと向けた。いや、正確に言えば男が振り下ろしたグレートソードだ。

 ウルベルトは当初、男が最初の時と同じように上段から攻撃してきたのだと思っていた。しかしそれは間違いだった。先ほどの攻撃はブラフで、その証拠にグレートソードは下の土に触れてさえいない。男の狙いがこの次の攻撃だったのだと理解した瞬間、ウルベルトは反射的に魔法を放った腕を盾のように伸ばしていた。

 下から振り上げられるグレートソードと、迎え撃つウルベルトの細い腕。

 スピードが全く違う両者に防御が間に合うか一瞬焦りが過ったが、何とか腕を盾にグレートソードを迎え撃つことができた。

 しかし…―――

 

 

バキッ!!

 

 

「なっ!?」

 

 ウルベルトを襲ったのは激しい衝撃と、心臓からのものとは別の激痛。

 足の踏ん張りがうまくいかず、衝撃のままに数歩後ろへと後ずさる。

 チラッと右手を見やり、ウルベルトは思わず驚愕に目を見開かせた。

 “斬られた”と言うよりかは、“へし折られた”と言った方が正しいだろうか。グレートソードの刃は肉を断ち切るには至らなかったようだが、前腕の真ん中辺りが九十度近くまで屈折し、折れた骨の先端が皮膚や肉を突き破って外に飛び出ていた。

 自分の状況を目で正確に理解した瞬間、苛立ちと怒りが一気に噴き出して視界が真っ赤に染まる。

 明確な攻撃を受けたことで幻影も崩れ、もはやそこに立っていたのは怒りに目をギラつかせる仔山羊頭の悪魔だった。

 

「………こ、の…、クソがぁぁああぁぁぁああぁあぁぁあぁあぁぁあっっ!!!」

 

 怒気と殺気が小さな身体から放たれ、この場にいる全ての者を威圧する。

 血を流し使い物にならなくなった右腕をぶら下げながら歩いてくる様は、さぞや恐怖に映ったことだろう。

 しかし恐怖に凍り付いた男たちにとっては幸運なことに、ウルベルトはまたもや足を止めることになった。

 忘れていた心臓からの痛みが再びウルベルトを襲い、思わず左手で胸元を握りしめる。

 先ほどよりも強い激痛に耐え切れず、ウルベルトはそのまま身体をくの字に曲げて蹲った。

 

「っ!! 今ならやれるっ!」

「何を言っているんですか! 今のうちに逃げますよっ!!」

 

 前方から男たちの怒鳴り声が聞こえてくる。続いて地響きのような足音が鳴り響き、大きな気配が前を通り過ぎていった。

 慌てて俯いていた顔を何とか上げれば、こちらに背を向けて走り去る二つの大きな緑色の背が目に飛び込んでくる。二体のギガントバジリスクの背に乗った男たちを確認し、ウルベルトは悔しさと怒りにギシギシと歯を噛みしめた。

 しかし続く激痛に遮られ、再び顔を俯かせて胸元を握りしめる手に力を込めた。耳元で心臓の鼓動が大きく鳴り響き、痛みも脈打って、まるで全身が心臓になってしまったかのようだ。

 ウルベルトは無理やり食いしばっていた口をなんとか緩めると、意識して大きく深呼吸を繰り返した。これで痛みがなくなるとも思わなかったが、効果があったのか徐々に痛みが治まっていく。ウルベルトはゆっくりと胸元の手を降ろすと、最後にもう一度大きく息を吐き出した。

 

「………逃がしたか…」

 

 男たちが去っていった方を見やり、苦々しく顔を歪ませる。

 少々調子に乗り過ぎて油断した自分が恥ずかしく、軽い自己嫌悪に陥った。もし今の体たらくをギルメンたちに知られれば、さぞや何をしているのだと怒られ、ど突きまわされたことだろう。

 しかし、まさかこんな怪我を負わされるとは思わなかった…とウルベルトは自分の右腕を見やった。

 通常であれば、あの程度の攻撃ではウルベルトの身体に傷一つつけられない。では何故今回このような状態に陥ったのかというと、多くの要因はあれど、一つは男のグレートソードにウルベルトの弱点である神聖属性が付加されていたためだろう。そしてもう一つは、ウルベルトの肉体がひどく弱体化していたためだった。

 

 黒い仔山羊の集合体に触れた時、何を奪われたのかは未だに分からない。しかしそれによって常にある体調不良や先ほどの発作だけでなく、肉体の弱体化やステータス異常まであったとは予想外だった。右腕の痛みは悪魔であるためか我慢できないほどではなかったが、しかし果たして自己治癒がどこまで働くのか…。

 ウルベルトは一度大きなため息をつくと、まぁ何とかなるだろうと軽く肩をすくませた。

 アインズたちへの説明は面倒くさくなるだろうが、これはこれで利用できるだろう。

 あの男たちに関してはウルベルトの命令で今もなおフレズベルクが後を追って監視している。

 話を聞けず逃がしてしまったことは残念だが、少なくとも連中がどこの誰かは分かるはずだ。

 

 

『…ウルベルト様』

 

 再度シャルティアから〈伝言(メッセージ)〉が繋がり、ウルベルトは無意識にこめかみに指を添えた。

 

「…シャルティアか、どうした? モモンガさんがまたピンチにでもなったか?」

『い、いえ、試合が終わったでありんす』

「そうか。最後まで我慢できたんだな、偉いぞ、シャルティア。さて、それで今はどこにいるんだ?」

『闘技場の上空でありんす。アインズ様とあの人間の男もいらっしゃるでありんす』

「分かった。すぐにそっちに戻るよ」

 

 プツンッと切れる〈伝言(メッセージ)〉にこめかみから指を離すと、ウルベルトは少し離れた場所に放置された荷馬車を見やった。荷馬車に繋がったままの二頭の馬が怯えたように立ち竦んでいる。ウルベルトは左手と“慈悲深き御手”で馬を解放してやると、次に〈中位悪魔作成〉の特殊技術(スキル)を発動させた。

 ゆらりと揺らめく影が五つ姿を現す。

 ウルベルトの目の前で跪き深々と頭を下げるのは五体の影の悪魔(シャドウデーモン)という悪魔たちだった。

 見た目は鋭利な爪と被膜の翼を持った痩せこけた人型で、その名の通り全身が影のように漆黒に染まっている。対象の影に潜むこともできるため、情報収集や監視にも長けている便利な悪魔だった。

 

「二人はここで荷馬車の中を探索し、何か見つけたら持ってこい。残りの三人はフレズベルクを追いかけ、あいつが監視している人間について探れ」

「御意のままに」

 

 代表だと思われる一体がウルベルトに応え、残りの四体ともども再度深々と頭を下げる。二体が荷馬車の方へと歩み寄り、残りの三体が空間に溶けるように消えていくのを確認すると、ウルベルトは改めて小さく息をついた。

 早くシャルティアたちの元へと行かなければと思う中、戦闘中にも〈伝言(メッセージ)〉を送ってきた時のことを思い出してフッと小さく笑みを浮かべた。

 敬愛するアインズが危機的状況に陥って暴走しそうになってはいたが、何とかギリギリのラインでこちらに連絡をしてきたことは、これまでの彼女の行動から考えれば大きな成長だと言えるだろう。

 ウルベルトとて何もシャルティアをただ連れまわしていたわけではない。彼女の教育係になったあの日から、何かと時間を見つけては授業まがいに多くのことを教え、注意を言い含めてきたのだ。中でも最初に口を酸っぱくして教えたのは、現実世界での社会人の三原則と言われる『報・連・相』についてだった。

 シャルティアは“血の狂乱”だけではなく、頭も少し弱い分類に入る。最も、それは彼女自身が悪いのではなく、彼女の創造主であるペロロンチーノが頭の弱い少女の方が好みだということで、そう設定したせいなのだが…。それは兎も角として、シャルティアはどちらかというと自分の欲望に忠実であり、あまり深く物事を考えずに突っ走ってしまう傾向にある。故に、ウルベルトはまず最初に『報・連・相』を徹底すると同時に、プライベートを除いてアインズやウルベルトに命じられたこと以外で何か行動しようとする際、必ずウルベルトに連絡するよう厳命したのだ。これが功を奏したのか、今回シャルティアはウルベルトに連絡し、それによって大事には至らなかったと言えるだろう。教え子の成長を感じられ、ウルベルトは嬉しさに笑みが深くなるのを止められなかった。

 しかし、次には自分の右腕を見やり、深々とため息をつく。

 シャルティアが必死に自重して連絡してくれたというのに、先生である自分がこんな怪我をして戻るとは何とも情けない。

 ウルベルトは項垂れて小さく頭を振ると、重たくなる口を何とか開いて詠唱を唱えた。特殊技術(スキル)を使って〈飛行(フライ)〉と〈転移門(ゲート)〉の魔法を同時に発動させる。

 数十cm地面から浮く小さな身体と、空間に現れる闇の扉。

 ウルベルトはふわふわと宙に浮いたまま、ぽっかりと口を開いた闇の中へと入っていった。

 視界が暗転し、すぐに明るい光が視界を彩る。

 闇の扉に続いていたのは空の中…、シャルティアと共にいた闘技場の遥か上空だった。

 

 

「ああ、ウルベルト。一体どこに行って…、なっ!?」

「きゃああぁぁっ、ウルベルト様ぁっ!!?」

 

 ウルベルトが闇の扉から姿を現した瞬間、アインズは言葉を失い、シャルティアは鋭い悲鳴を上げた。アインズにマジック・アイテムでも借りたのか、アインズの横で浮いているアインザックも驚愕に目を見開かせている。

 三人の視線の先には、ウルベルトの負傷した右腕。

 未だに血を垂れ流して治る兆しも見せない右腕の悲惨な状態に、シャルティアとアインザックは顔を蒼白に蒼褪めさせた。

 一方、アインズはと言えば…。

 

「………………ズが……」

「……え…?」

「………クズが…、ゴミが、虫ケラがぁぁっ!! 俺の友を、ウルベルトさんをっ、よくもおぉぉぉっ!!」

「ウルベルト様をっ、至高の御身をぉおおぉっ!! 誰がっ、誰がっ!! こ、殺してっ、殺してやるぅぅっっ!!!」

 

 大きすぎる憤怒にアインズの眼窩の灯りがどす黒く染まる。顎の関節を限界まで伸ばし、大きく開いた口から呪詛のような怒号を迸らせた。あまりの怒りにアインザックが更に顔を蒼褪めさせる中、シャルティアもまたアインズに引き摺られる様に激しい怒りを露わにした。深紅の瞳がギラギラと血走り、可憐な少女の姿に似つかわしくない鋭い威圧感を撒き散らす。

 

「ウっ、ウルベルト、誰がぁ、誰がこんなっ!!」

「…いやいや、とにかく落ち着け」

「至高の御身をぉぉぉっ!! 身の程をしれぇええぇぇっ!!」

「だぁっ、うるせぇっ! シャルティア、お前も落ち着け! 帝国の連中にバレるだろうが!!」

 

 とにかく一度落ち着かせようと声をかけるも、どうもウルベルトの声は全く聞こえていない様子だ。アインズの場合は感情抑制がかかっているはずだが、怒りが強すぎてあまり効いていないのかもしれない。二人が感情のままにハッスルするせいで、大きすぎる威圧感に地上の人間たちがこちらの存在に気が付いた気もする。

 ウルベルトは小さく顔を顰めさせて大きなため息をつくと、問答無用に〈集団転移(マス・テレポーテーション)〉をアインザックを含めた自分たちに唱えた。

 一瞬で視界の景色が変わり、次に視界に広がったのは静かな森と霊廟の光景。

 未だハッスルしている二人の声を背中で聞きながら、ウルベルトは取り敢えず帝国から戻ってこられたことに安堵の息をついた。キョロキョロと少し不安そうに周りを見回すアインザックを見やりながら、これからどうしたものかと頭を悩ませる。

 まずはアインズやシャルティアを正気に戻らせるのが一番なのだろうが、果たしてどうすれば正気に戻るのか…。

 何だか面倒くさくなってきたなぁ…と遠い目をする中、不意に霊廟の方から気配を感じてウルベルトはそちらを振り返った。出迎えに来たのだろうプレアデスのユリとエントマ、そして三人の一般メイドと視線が合う。

 

「きゃあぁぁあぁぁぁぁああぁぁっ!! ウルベルト様ぁぁっ!!?」

「な、なんてこと!? 一体何がっ!!」

「あ゛ぁ゛ぁ゛あ゛あ゛ぁ゛、ヴル゛ベル゛ドざま゛ぁ゛ぁ゛っ!!」

 

「……………おぅ……」

 

 めっちゃ叫ばれた…。

 三人の一般メイドは悲鳴を上げて泣き叫び、ユリとエントマは驚愕と怒りと嘆きの声を上げる。エントマなどは感情の爆発で声がひび割れており、大丈夫かとこちらの方が心配になってくる。

 どこもかしこも大騒ぎで、これを今から自分が治めなければならないのかと思うと頭が痛くなってくるようだった。

 しかし、ウルベルトが口を開こうとしたその時、不意に後ろからドサッという音が聞こえてきて慌ててそちらを振り返った。何が起こったのかと周りを見渡し、地面に倒れているアインザックが目に入る。よく見れば大きな身体は痙攣したように小刻みに震えており、泡を食って白目をむいていた。何かしら攻撃を受けたわけではなく、アインズたちの強すぎる威圧感に耐え切れなくなったようだった。アインズやシャルティア二人だけでもきつかった威圧感に、更にユリとエントマの殺気も加わって卒倒したようである。

 

「うわぁっ、死ぬな、アインザック! 耐えろぉっ!!」

 

「クソがぁぁっ!!」

「ウルベルト様がぁぁっ!!」

「至高の御身がぁぁっ!!」

 

「お前ら、いい加減正気に戻れ!!」

 

 ウルベルトがどんなに怒鳴ろうとアインズたちのハッスルは止まらない。

 最終的に騒ぎを聞きつけたアルベドが駆け付けるまで、この騒動は続いた。

 

 

 

**********

 

 

 

 アルベドが何とか騒動を治めてから一時間後。

 所変わって第九階層にある円卓の間では、何とか我を取り戻したアインズやシャルティアを含め、ウルベルトと守護者たちが集まっていた。

 因みにアインザックは同階層にある空き部屋を客間として、そこで休ませている。もし意識を取り戻した時は、控えさせている一般メイドから知らせが来るはずだ。

 それは兎も角として、現在ウルベルトたちのいる円卓の間は常にない緊迫した重苦しい空気に包まれていた。

 原因は一目瞭然、ウルベルト以外の全員が激しすぎる憤怒の表情を浮かべて威圧感を放っているためだ。あの反抗的だったアルベドでさえ殺気を漂わせているのは驚きである。

 

 

「……それで、一体何があったんですか?」

 

 両手の指を組み合わせて口元を隠しながら、アインズが厳かに問いかけてきた。

 口調はいつもと同じなのに、その姿はまさに魔王そのものである。

 怒っている、これはかなり怒っている…。

 ウルベルトは久々に見るアインズの怒った様子に内心ヒヤヒヤしながら、何とか気を引き締めさせて一つ咳払いを零した。

 

「端的に言えば、モモンガさんが闘技場で会った不審な四人組が気になって後を追い、彼らと戦闘になりました。この怪我は…、まぁ俺の油断が原因です」

 

 小さく肩をすくませるウルベルトに、すぐさまアインズが食って掛かる。

 

「どうして一人で行ったんですか! せめてシャルティアを一緒に連れて行っていればっ!!」

「それは俺のミスです、油断していたと言う他ありません。だが、今では彼女を連れて行かなくて良かったと思ってる」

「………何故ですか…」

「恐らく…だが、かなりの確率でその四人組はシャルティアを精神支配した奴らだ」

「っ!!?」

 

 アインズだけでなく、この場にいる者全員が大きく息を呑んだ。

 部屋に満ちていた威圧感が霧散し、違った意味合いで全員がウルベルトを凝視する。

 アインズなどはあまりに予想外のことだったのか、組んでいる骨の手が小刻みに震えていた。

 

「い、一体それはどういう意味ですか…!?」

「彼ら自身が吸血鬼について口を滑らしましてね。どうやら俺と同じくらいヤバい吸血鬼に会ったことがあるようだ。…その吸血鬼と精神支配について尋ねると、一気に顔色を変えましたよ。仮に当事者じゃなかったとしても、何かしら関わっているのは間違いない」

「……………………」

 

 何か考え込むように黙り込むアインズに、ウルベルトは大きなため息をついて苦々しく顔を顰めさせた。

 

「…はぁ、本当は捕らえて尋問する予定だったんですがね。捕らえるどころか、怪我して逃げられるとか最悪だ…」

「ウルベルトさん……。…少し思ったんですけど…」

「何です?」

「確か、ウルベルトさんは〈支配(ドミネート)〉の魔法が使えましたよね。どうして使わなかったんですか?」

「……………………」

「………………?」

 

 黙り込んで凝視してくる仔山羊悪魔に、アインズは疑問に小さく首を傾げる。

 しかしその沈黙は長くは続かず、次の瞬間、ガンッというけたたましい音と共にウルベルトが円卓へと額を打ち付けた。

 

「えーーーっ、ウルベルトさん!?」

「ウルベルト様!!?」

 

 アインズと守護者全員から驚きの声が上がる。しかしウルベルトは構わずガンガンと額を打ち付け続けていた。堅い音の合間に、ウルベルトの悲痛な声が漏れ聞こえてくる。

 

「…うおぉ、俺の馬鹿、アホぉ! 恥ずかしい…、死にたいっ、いっそ殺してくれぇぇっ…!」

 

 〈支配(ドミネート)〉の存在をすっかり忘れていて、そのあまりの間抜けさに羞恥と自己嫌悪が湧き上がってくる。近くに控えていたデミウルゴスやマーレに止められて何とか額を打ち付けるのは止めたものの、ウルベルトはずーーーんっと重い空気を背負って力なく項垂れた。顔を突っ伏したまま微動だにしない仔山羊に、気を使ったのかアインズがわざとらしく咳ばらいをしてくる。

 

「と、とにかく…ウルベルトさんの話が本当なら、どこの連中なのか調べる必要がありますね」

「………………今、フレズベルクとシャドウデーモンに追跡させてる。何か分かれば戻ってくるはずだ」

「ジルクニフにも詳しい話を聞くべきですね」

 

 顔を突っ伏したまま、くぐもった声でウルベルトが現状を伝えてくる。

 アインズは一度ため息をつくと、次には勢いよく立ち上がった。

 

「今からジルクニフの元へ行く。…デミウルゴス、帝国にその旨を早急に伝えよ」

「はっ、すぐに!」

 

 デミウルゴスが頭を下げる中、アインズはその後も他の守護者たちに命令を下していく。

 ウルベルトはやっと顔を上げて支配者として的確に行動するアインズを見つめていたが、不意に傍らに気配を感じてそちらに目を向けた。先ほど命を受けたデミウルゴスが、心配そうにこちらを見つめている。主からの命には迅速に行動する悪魔にしては珍しい様子に、ウルベルトは思わず小首を傾げた。

 

「…どうした、デミウルゴス?」

「ウルベルト様、どうか…どうか腕の怪我の治療を……」

 

 彼にしては珍しく戸惑ったように言いよどむ。

 悪魔の視線の先には、ウルベルトの今もなお全く治っていない右腕が力なく垂れ下がっていた。服の袖は取り除かれているものの、裂けた肉や皮膚も、それらを突き破っている骨も全てそのままだ。痛々しい腕の様子に、悪魔の顔が怒りと悲しみに大きく歪められる。しかしそれでも強く言えないのは、ウルベルトが意図的に腕の傷を治していないからだった。治癒魔法は勿論の事、自然治癒能力やあらゆる耐性などを抑制する代わりに経験値を多く取れる指輪をはめてまでわざと傷をそのままにしている。アインズや守護者たちがどんなに言っても、ウルベルトは決して治療を受け入れなかった。

 

「何度も言っているだろう。この怪我は利用できるかもしれない。今治癒するべきじゃないんだ」

「ですが! ウルベルト様の玉体に傷を残しておくなど…!」

 

 耐え切れない!というように言葉を詰まらせる悪魔に、良心と思われるものが少し疼く。

 しかしウルベルトは頷く訳にはいかなかった。

 痛みは我慢できないほどではなかったし、何よりこれから自分が考えている計画を実行するのであれば、この傷はあった方が好都合なのだ。心配してくれるのは嬉しいし有り難いことではあったが、ここは心を鬼にして何度も首を横に振った。

 

「この腕は当分治すつもりはない。…ほら、早く帝国に行って来い」

「ウルベルト様っ、どうか…!」

「…デミウルゴス、俺に何度言わせるつもりだ?」

「っ! ……申し訳、ありません」

 

 悲痛に顔を歪めて、力なく頭を下げる。泣きそうなその様子に胸が痛み、ウルベルトは思わず下げられた頭に左手を乗せた。後ろに流すようにセットされた髪を乱さないように気を付けながら、柔らかく優しく撫でる。デミウルゴスから息を呑むような音が聞こえたが、この際気にしないことにする。頭を下げたまま硬直しているデミウルゴスの頭を撫で続けながら、やっと全員に命令をし終えたアインズを振り返った。

 

「ああ、モモンガさん。鮮血帝に会うなら俺も同行させて下さい」

「それは良いですけど…。次は何をするつもりですか?」

「ふふっ、楽しいことだよ、モモンガさん」

 

 未だピクリとも動かないデミウルゴスを撫でながら、ウルベルトはにっこりと可愛らしい笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…それより、いい加減その怪我治して下さいよ」

「デミウルゴスにも言ったけど、当分無理だな」

「もう、ウルベルトさん!」

 

 




私の勝手なイメージですが、現実世界でのウルベルトさんはモモンガさんよりも過酷な貧困層であるイメージがあります。
彼の両親の過去があるからですかね…?
今回出てきた聖典さんは勝手に漆黒聖典にしております。
原作(書籍)では“聖典”としか明記されていないのですが、もし間違っていれば申し訳ありません。この小説では漆黒聖典だったということにして下さい…。
外見の描写は設定資料のイラストを参考にしております。

*今回のウルベルト様捏造ポイント
・〈風の刃〉;
第二位階魔法。かまいたちのような風の刃を放つ。
・〈集団転移〉;
多くの二次創作様で拝見する転移魔法(笑)言葉通り、集団で転移する魔法。


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第13話 狂劇のプレリュード

 バハルス帝国の帝都・アーウィンタール。

 活気ある街並みの中心に佇む帝城の一室に彼らはいた。

 城の主である鮮血帝ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクス、帝国四騎士の“雷光”バジウッド・ペシュメルと“激風”ニンブル・アーク・デイル・アノック、ジルクニフの優秀な秘書官の一人である男一名、そして二人の人ならざる者たち。蛙のような醜悪な頭を持つ化け物と、この世のものとは思えぬほどの美貌を持った美少女。

 ジルクニフは豪奢ながらも品のある椅子に腰かけながら、目の前で微動だにせず佇む化け物と少女に冷や汗を流していた。背後に控えるバジウッドたちも同様だろう、先ほどから彼らの乱れた息遣いがこちらにまで聞こえてくる。

 絶えず襲い掛かってくる恐怖と重苦しい空気。

 息苦しさすら感じるほどの重圧感は目の前の化け物と少女が発しているものだった。

 

 彼らが来たのはちょうど今から三十分ほど前。

 アインズから急遽話をしたいという言伝を持ってきた彼らは、その後ジルクニフが用意したこの一室に来てから何も話さず微動だにしなかった。こちらがいくら話しかけても全て『アインズ様が来られてから説明いたします』の一点張りで、当のアインズがいつどうやって来るかも分からない。もしや以前の闇妖精(ダークエルフ)のようにいきなりドラゴンに乗って来るつもりじゃないだろうな…と戦々恐々とする。何より、いつにない刺々しい彼らの様子にジルクニフたちはすっかり参ってしまっていた。

 始めてナザリック地下大墳墓の玉座の間に案内された時にも感じた、暴力的なまでの圧倒的な存在感。今はそれに加えて殺気のようなものまで漂わせているように思われた。

 しかし何故彼らがこんなにも苛ついているのか、その理由が分からない。

アインズが来る用向きに関しては先日伝えた属国に関することだろうかと推測することはできたが、何故彼らが殺気立つのかは皆目見当もつかなかった。

 今は何より、早くこの重苦しい空気から解放されたい。

 ジルクニフは自分でも信じられないことに、初めてアインズの来訪を心の底から願った。

 

 それから数分後。

 不意に少女が小さくピクッと反応し、宝玉のような深紅の瞳を宙へとさ迷わせた。まるで何か物思いにふけるような素振りを見せた後、次には蛙頭の化け物へと目配せを送る。化け物は心得たように一つ頷くと、少女も応えるように一つ頷きを返した。二人ともジルクニフたちに背を向け、まるでそこに誰かがいるかのように跪き深々と頭を下げる。一体何事かと目を見開かせる中、少女が跪いた状態で一つ手を打ち鳴らした。

 瞬間、ジルクニフたちの目の前…、異形種たちが頭を下げる先の空間がぐにゃりと歪み、円型の大きな闇が音もなく広がった。

 漆黒の闇が渦を巻き、大小二つの影が波紋と共に闇の中から姿を現した。

 

「こんにちは、ジルクニフ殿。急に時間を取ってもらい感謝する」

「…こ、こんにちは、ゴウン殿。いや、気にしないでくれ」

 

 小さく顔を引き攣らせながらも、何とか笑顔を浮かべて言葉を返す。

 目の前に現れたのは死を具現化したアンデッドと二足歩行の仔山羊だった。

 骸骨の頭には王冠のようなものが飾られ、豪華な深い青紫色のローブが小さく揺らめいている。骨の指すべてに煌めく指輪がはめられており、支配者然とした姿は圧倒的で恐ろしい。

 アインズ・ウール・ゴウン。

 魔導国の王にして、ナザリック地下大墳墓の死の支配者である。

 しかし隣に並ぶ小さな仔山羊に関してはジルクニフは全く見覚えがなかった。

 白い毛並みに、歪にねじくれた大きな二本の角。顔の右半分を鳥のような特徴的な仮面で覆い、品のあるシルクハットを被っている。首から下は漆黒のマントにすっぽり包まれており、その下は全く見てとれない。

 アインズの数多い配下の一人だろうかと当たりを付けるも、側近と思われる蛙頭の化け物と少女が仔山羊にも同じように頭を下げているのに非常に嫌な予感を感じた。

 取り敢えずアインズたちに席を勧めながら注意深く彼らの様子を伺う。

 席に着いたのはアインズと仔山羊。

 蛙頭の化け物と少女が二人の背後に控えるように立つのに、嫌な予感が更に増していく。

 

「……ゴウン殿、この度はどのようなご用件だろうか。もし属国の件なら…」

「ああ、今回はその件ではないのだ。貴殿に聞きたいことと、……そう、少しばかりお願いがあってね」

「………“お願い”、というのは?」

「それよりも、まずは彼を紹介しよう」

 

 アインズの顔が隣に座る仔山羊に向けられるのに、ジルクニフたちもそちらへと視線を向けた。

 仔山羊は小さく首を傾げると、瞳孔が横に伸びた不気味な金色の瞳を細めさせている。恐らく微笑んだのだろう。人間とは違う毛皮に覆われた顔では表情が読み辛かったが、アインズや二人の配下がピリピリとした雰囲気を漂わせている中、この仔山羊だけは穏やかにジルクニフたちを見つめていた。

 

「お初にお目にかかります、私はウルベルト・アレイン・オードルと申します。お会いできて光栄ですよ、ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクス殿」

「あ、ああ…いや、ゴウン殿と同じようにジルクニフで結構だよ。それで…、オードル殿は一体…」

「彼は私の大切な友人で、私と同じ魔導国の支配者だ」

「………は……?」

 

 思わず呆けた声が出てしまったが、自分は悪くないと声を大にして言いたい。

 絶大な力を誇る死の支配者に友人がいるというのも驚きだが、同じ支配者とは一体どういうことなのだろうか。一つの国に王が二人いる?そんな馬鹿な…。

 アインズの言葉が理解できず、無性に頭を掻き毟りたくなる。

 しかしそんな事よりも恐ろしいことに気が付いて、ジルクニフはハッと目を見開かせて恐る恐る不気味な骸骨を見やった。

 彼は仔山羊のことを“自分と同じ支配者だ”と言った。それはつまり、この仔山羊も支配者としての…、アインズと肩を並べられる程の力を持っているということではないだろうか…。

 ジルクニフは自分の恐ろし過ぎる考えに、思わず一気に顔を蒼褪めさせた。

 しかしアインズはこちらの様子に気が付いていないようで、淡々と話を続けてくる。

 

「実は先日彼が何者かに襲われてしまったのだ。…闘技場で貴殿が会っていたフードを被った四人組について教えてもらえるだろうか?」

「っ!!?」

 

 ジルクニフはギョッと目を見開かせて我が耳を疑った。

 まず頭を過ったのはアインズに対する疑念だった。

 仔山羊の化け物が何者かに襲われたというのは信じられず、第一あの四人組の正体などアインズ自身がよく知っているはずだ。こちらの口から話させようとするなど、一体何を企んでいるというのか。普通に考えれば帝国と法国との繋がりを断ち切り、完全に帝国を孤立させ手中に収めるのが狙いだろう。しかし帝国は既に属国を願い出ており、今更法国を裏切らせるような真似をさせずとも、法国はもはや帝国を敵と見なしているだろう。自分以上の叡智を持つアインズにそれが分からないはずがない。一体何を考えているのだ…と相手の思惑を予想することすらできず、胃がキリキリと痛みを訴えてくる。

 いっそのこと全てを投げ出してしまい衝動に駆られるが、だがまずはどうしても確認しておきたいことがあった。

 

「……その前に、私が会っていた方々とオードル殿を襲った連中に何の繋がりがあるのか教えてもらえないだろうか?」

「ジルクニフ殿の疑問も尤もだ。しかし、まずはこちらの質問に答えてもらおう。なに、ちゃんと答えてもらえれば、我々も喜んで貴殿の質問に答えよう」

「……………………」

 

 口調は穏やかではあるものの、その身に纏う空気は酷く重苦しく威圧的なもの。眼窩の灯りは今までにないほど暗く揺らめき、表情がないはずの髑髏が怒りに歪んでいるように見えた。背後に控えている化け物と少女も笑みを浮かべてはいるものの、何かを必死に耐えているのかピクピクと表情筋が小さく動いている。

 息苦しいほどだった威圧感が更に勢いを増し、ジルクニフは早々に情報を引き出すのを諦めた。

 

「……闘技場で会っていたのは法国の方々だ。その…、以前から我が国の闘技場にとても興味があると伺っていてね。あの日は丁度闘技場に招いていたんだ」

「…ほう、やはり(・・・)法国の輩だったか」

「……………………」

 

 ワザとらしく相槌を打ってくるのが憎たらしい。

 しかし“やはり”という言葉が何を意味しているのかが不安で不気味だった。

 帝国と法国が秘密裏に動いていたことに対してなのか、それとも別の思惑があるのか…。

 

「…では、次はこちらが質問に答えよう。ウルベルトを襲った輩についてだが、まずは貴殿と会っていた法国の者と同じ四人組で、同じ灰色のローブを纏っていたらしい」

「っ!! …しかし、人数が同じで恰好が似ていたからと言って、その連中が法国の彼らだとは限らな…―――」

「加えて、ウルベルト様が放った使い魔から、ウルベルト様を害した愚か者たちは一直線に法国へ入ったと報告を受けています」

 

 こちらの言葉を遮って、蛙の化け物が畳みかけてくる。

 ジルクニフは思わず歯を食いしばって顔が歪みそうになるのを必死に堪えた。

 あまりにも上手く出来過ぎている。法国との密会の最中にアインズが現れ、それによって早々に帰国した使者が道中でアインズの友人だというウルベルトに遭遇し、使者ではなくウルベルトの方が襲われて今自分の目の前にいる。全てがアインズの計略だと思えてならなかった。

 

「そこで属国である…、いや、まだ同盟国だったな。同盟国である貴国に折り入ってお願いがあるのだよ」

「それは…、一体なんだろうか…?」

「なに、簡単なことだ。これより我がアインズ・ウール・ゴウン魔導国は、我が友であり至高の支配者の一人であるウルベルト・アレイン・オードルを害した愚か者どもを一人残らず根絶やしにする。その際、貴国には我らの大義名分を後押ししてほしいのだよ」

「………根絶やしというのは、つまり…」

「勿論、法国を滅ぼすという意味です」

 

 禍々しい大きな深紅の目玉を細めさせて笑う化け物に、一気に冷たいものが背筋を駆け抜けた。

 彼らの言葉はまさに“最悪”の二文字に尽きた。

 人間至上主義を貫く法国と言えども、アインズたちに敵うとは思えなかった。しかし今後アインズたちに対抗する時、法国の力は必要不可欠だ。ここで法国が滅びるということは、人類にとって絶望を意味していた。

 

「す、少し待ってくれ! 確かにオードル殿に危害を加えられたことは許し難いことだ。しかし見たところ、オードル殿も大した怪我はなさそうではあるし、ここはもう少し穏便に…」

「ふふっ、大した怪我はない…ですか…」

 

 自己紹介をしてから一言も言葉を発しなかった仔山羊が笑い声を零す。

 黄金色の瞳を細めさせ、じっとこちらを見つめてきた。

 

「あぁ、失礼。…ただ、大した怪我がないというのは少しばかり間違いです」

「それはどういう……。…っ!!?」

 

 ハラリ…と仔山羊の小さな身体を覆う漆黒のマントが大きく揺らめいた。

 現れたのは蛙の化け物が着ている物と似ている深紅の服。しかし右腕の袖のみ不格好に腕まくりされており、顔を覆いたくなるような惨状が露わとなっていた。

 毛皮に覆われた細い上腕が真ん中から折れており、太い骨が肉や皮膚を突き破って外に飛び出ている。血は止まっているのだろう、血の生臭さは感じられなかったが、大きな傷口から覗く赤が生々しく、あまりのグロテスクさに吐き気が込み上げてきた。

 

「見ての通り、当分使い物になりません。私はただ、幾つか質問をしたかっただけなのですがね…」

 

 フゥッと大きく息をついて、やれやれと首を振る様が何ともワザとらしい。

 しかしウルベルトが目に見える形で証拠となるものを持っているのは非常にまずい状況だった。これではなおのこと法国は不利になり、下手に言い逃れもできなくなる。ウルベルトだけでなく法国の使者も傷を負っていればまだ流れを引き寄せることも可能だったかもしれないが、ウルベルトの口調から考えるにそれもないのだろう。彼の言葉通り、もし質問をしようとしただけで攻撃されたのならば、それは圧倒的に法国に非があった。例え真実は違ったとしても、ウルベルトの怪我がそれを肯定してしまう可能性が大きい。しかし、ここでむざむざと法国を滅ぼさせる訳にはいかなかった。

 

「…それは確かに許されないことだ。しかし、滅ぼすのは些か勿体なくはないだろうか。法国は我がバハルス帝国やリ・エスティーゼ王国よりも古い歴史のある宗教国家だ。滅ぼすのはあまりにも惜し…――」

「つまり、法国に慈悲を与えろとでも?」

 

 再び蛙の化け物がジルクニフの言葉を遮ってくる。

 あまりにも無礼な行動にいつもなら後ろに控えている臣下たちが苦言を発するのだが、しかし彼らは未だ一言も口を開こうとはしなかった。

 確かに相手への苛立ちと腹立たしさはある。しかしアインズと蛙の化け物と少女が放つ鋭い威圧感に押し潰されて、口を開くのもままならなかった。彼らがここに来た時から怒りの感情を垂れ流しにしているのは感じていたが、今はその比ではない。怒気…、いやもはや殺気と言った方が正しいだろう。激しすぎる気迫に、それだけで殺されそうな圧迫感と息苦しさが三人の異形種から放たれていた。

 しかしジルクニフは、その中でも一人だけ何の感情も発していない目の前の仔山羊の方が一層不気味で仕方がなかった。

 

「………ジルクニフ殿、覚えておくといい。我々ナザリックに属する者にとって、慈悲とは苦痛なき死を意味する」

「っ!!」

「そして私…、いや我々は法国の者どもに慈悲も、それ以上のものも与えるつもりはない」

 

 闇の口内から響いてくる声音が、まるで呪詛のように言の葉を紡ぐ。死の支配者からどす黒いオーラが見え隠れしているようにさえ見えた。後ろに控えている蛙の化け物と美しい少女も、まるでつられる様に邪悪な笑みを浮かべる。

 

「…ウルベルト様は、わたくしたちがお仕えする大切な至高の御方の御一人。その玉体を傷つけるなぞ、死も許されぬ大罪でありんす」

「我が創造主であるウルベルト様に苦痛を与えるなど、それが一瞬であろうとも万死に値します。生きながらに裂き、剥ぎ、千切り、地獄の窯で焼くことすら生ぬるい…」

 

「シャルティアもデミウルゴスも落ち着きなさい」

 

 激しくなっていく空気の中、穏やかなまでの声音が優しく二人を諌める。

 通常であれば神の声にも等しいと感じただろうが、今のジルクニフたちには何故かとてつもなく異質で不気味な声に聞こえた。

 しかし仔山羊はまるでそんなジルクニフたちの思いを嘲笑うかのように、朗らかなまでの柔らかな笑みを浮かべている。

 

「私は構いませんよ。元はと言えば私の不注意が原因でもあります。それでアインズたちが少しでも傷ついてしまうリスクがあるのなら、それは犯すべきことではありませんしね」

「「ウルベルト様!?」」

 

 今までの威圧感が一瞬で霧散し、蛙の化け物と少女から驚愕の声が上がる。

 しかしウルベルトは心底楽しそうにフフッと笑みを浮かべるだけだった。

 晒していた右腕を再びマントの中へと隠し、真っ直ぐにこちらへと目を向ける。先ほどの優し気な眼差しとは打って変わり、射貫くような鋭さにジルクニフは思わずビクッと小さく背筋を震わせた。

 

「…但し、一度はあなた方の言う慈悲をかけてやるのです。もし次に少しでも我々を不快にさせた場合、すぐに殲滅対象とさせて頂きます」

「それは…!」

「ウルベルトがそう言うのであれば仕方がない。だが、何の咎めもなしというわけにもいかないだろう。ついては早速使者を送り、バハルス帝国からも証人として何人か同行を願いたい」

 

 矢継ぎ早に進んで行く話に、ジルクニフは目の前の骸骨と仔山羊を見つめながら思わずギリッと歯噛みした。

 やられた…!と悔しさと苛立ちが湧き上がる。

 ウルベルトの提案は、やり方いかんでは唯の時間の引き延ばしでしかなかった。いや、彼らは勿論そのつもりなのだろう。そして一度譲歩された以上、ウルベルトの言う“不快にさせた事象”が起こった場合はもはや誰にも止められない。法国は跡形もなく滅び、国土は焦土と化すだろう。

 慌てて止めに入ろうとするも、まるでそれを遮るかのようにアインズたちが立ち上がった。

 

「そうと決まれば早速準備をしなければな。ジルクニフ殿は証人となってくれる者をこの部屋に揃えておいてくれ。一時間後に迎えに来よう」

「い、一時間後かっ!?」

「勿論。ことは早い方が良いからな」

 

 まるでこれからピクニックに行くかのような気軽さでアインズが頷いてくる。

 ウルベルトも立ち上がると、蛙の化け物はすぐさま仔山羊の補助につき、少女が魔法を唱えた。

 先ほどと同じような闇の扉がどこからともなく浮かび上がり、四人はこちらの気も知らず、さっさと闇の中へと消えていく。

 ジルクニフは重苦しい威圧感から解放されたことに思わず大きな息をつきながらも、突然突き付けられた難題に頭を抱えるのだった。

 

 

 

**********

 

 

 

 バハルス帝国から戻ったアインズたちは、そのまま第九階層の円卓の間へと向かった。

 メイドたちが扉を開き、部屋で待っていたシモベたちが一斉に頭を下げてくる。

 デミウルゴスとシャルティアを除く階層守護者、パンドラズ・アクターとセバス率いるプレアデス全員が揃っていた。

 アインズとウルベルトが席に着き、それを合図に下げていた頭を一斉に上げる。

 

「…さて、まずは第一段階は無事に終了した。一時間後に第二段階へと移行する」

「アルベド、コキュートス、法国に攻め込む軍の編成はどうなっている?」

「既にアンデッドと悪魔を中心とした精鋭を揃えております」

「ゴ命令ガアレバ、スグニデモ出撃デキマス」

 

 アルベドとコキュートスの打てば響くような答えに、アインズとウルベルトがほぼ同時に満足そうに頷く。

 

「アウラ、奴らが帰国してから誰か怪しい奴らが国から出てきたか?」

「いえ、出てきたのは商人などの一般市民のみです。全員秘密裏に捕獲し、ニューロニストの元に送っています」

「セバス、法国について情報は集まったか?」

「はっ、既にフールーダ・パラダインや八本指を中心に情報をまとめております」

 

 バハルス帝国に行く前に命を受けていたシモベたちが順々にアインズたちに報告していく。それに頷きながら今後の計画について話し合う二人の御方を見つめながら、デミウルゴスは目まぐるしく思考を働かせていた。

 頭にあるのはウルベルトの右腕のこと。

 当時の状況などは既にウルベルトから説明されていたが、デミウルゴスはどうしてもその内容に納得できていなかった。

 ウルベルトの話によると、彼が怪我を負ったのは油断していたためであり、相手の武器に神聖属性が付与されていたからだという。しかしこの世界にある素材はナザリックやユグドラシルの物に比べてレベルが低く、それから作り出される武器など、たとえ神聖属性が付加されていたとしてもウルベルトの身に傷を負わせられるか甚だ疑問である。

 一番考えられるのは世界級(ワールド)アイテムといった強力なアイテムによるものだが、それならばウルベルトがそう言うはずである。アインズや自分たちのことを想ってくれているウルベルトが、それを故意に隠すことはありえない。ならば何が考えられるのか…と考えた時、一番に頭に浮かんだのはウルベルト自身の弱体化だった。考えてみれば、ウルベルトの身体は本来のものではなく、成長途中の子供のものだ。本来の大人の時に比べると体重も軽く、力も弱い。しかし、もしそれが皮膚や毛皮の防御力にも影響が出ていたのだとしたら?それが原因でウルベルトが怪我をしたのだとしたら?

 デミウルゴスは自分の考えにゾッと背筋に冷たいものが走るのを感じた。

 もし自分の考えが正しければ、ウルベルトを戦場に出すべきではない。

 しかしそう考える一方で、ウルベルトが自身の弱体化を隠し計画を進めている以上、彼を戦場から離してナザリックに留まらせることはできないだろう。ならば自分ができることは命に代えてもウルベルトを護ることだ。同時に、彼の弱体化が幼子となったことに関係しているのならば、なるべく早くウルベルトを成長させて元の姿に戻す必要があった。

 一番に思いつくのはワインを飲ませるという方法だったが、それではあまりにも時間がかかり過ぎる。もっと早くウルベルトを元に戻す方法をないものかと頭を悩ませる中、ふとウルベルトと共に外へ視察に出た日の翌朝のことを思い出した。寝台で目を覚ましたウルベルトは、確かに前日よりも大きく成長していた。前日の夜はワインを飲んでいなかったため、何か他の原因があったはずだ。

 ワインは一説によると“神の血”とされており、対象の血肉や感情を力の糧とする悪魔にとって、力を取り戻すにはうってつけの物とも言えた。同じように、ウルベルトが急激に成長した原因も悪魔として深い関わりがある物かもしれない。

 普段と違うことはなかっただろうかと必死に記憶をかき混ぜ、ふと牧場でのことを思い出した。

 あの日はいつもと違うことが多くあった。しかしその中でも牧場で繰り広げられた家畜たちの絶望や悲鳴、濃密な血肉や死の匂いが一番悪魔に影響があったのではないだろうか。であるならば、これからの計画はやりようによってはウルベルトを大きく成長させることができるかもしれない。

 先ほどあったように、本当に弱体化しているのであれば彼を戦場に出すのは危険を伴う。しかしセバスがまとめた情報が正しければ、法国のレベルは十分自分たちだけでも護り通せるものだろう。後は世界級(ワールド)アイテムに気を付けながら行動すればいい。

 

「ふむ、問題はなさそうだな。…後はプレイヤーの存在と世界級(ワールド)アイテムが気がかりだが」

「少なくとも法国にはいないんじゃないか? 俺たちプレイヤーはこの世界では桁が違うらしいし、そうなると身を隠そうとしても完全に隠れられるようなもんじゃない。噂なり影なりは出てくるはずだ」

「セバスたちの情報によると、気になるのは六大神の伝説のみか…。となると、少なくとも現在では法国にはいない確率が高いですね」

「六大神をプレイヤーと仮定して、彼らがユグドラシルでどこのギルドに所属していたのかは知りようがないが、世界級(ワールド)アイテムは多くて三つほどじゃないか?」

「そうとは限りませんよ。他にも過去にプレイヤーがいた痕跡は残っています。彼らが持っていた世界級(ワールド)アイテムを集めて所持している可能性もあります」

「ああ、確かに…」

 

 真剣な表情を浮かべて話し合う二人の様子は、かつてのナザリック全盛期の光景を思い出させる。

 懐かしさと大きな歓喜に心を震わせながら、デミウルゴスは意を決して話し合う至高の主へと一歩足を踏み出した。

 

「アインズ様、ウルベルト様。僭越ながら一つ提案がございます」

 

 アインズとウルベルトがほぼ同時にデミウルゴスを振り返る。

 悪魔は自身の至高の創造主のため、にっこりと笑みを浮かべて口を開いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ジルクニフと会談して一時間後。

 再びバハルス帝国に転移したウルベルトたちは、ジルクニフが厳選したのだろう使者二名を連れて一斉に法国の上空へと転移した。

 メンバーはウルベルトと半悪魔形態となったデミウルゴス、“ヘルメス・トリスメギストス”を纏ったアルベド、ヴィクティムを抱きかかえたソリュシャン、そして護衛として八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)影の悪魔(シャドウデーモン)を十人ずつ後ろに控えさせていた。

 過剰すぎる戦力にウルベルトは苦笑を禁じえなかったが、自分のことを心配してくれるアインズたちの気持ちも理解できるため何も言わなかった。同行している帝国の使者二人が死にそうな顔色で萎縮しているのも目に入ったが、敢えて気が付いていないふりをする。

 そんな事よりも今重要なのは謁見である。

 法国の方にはジルクニフと謁見している間に既に自分たちが来ることを伝えてある。

 方法はリザードマンたちの時と同じで、突如現れた精神をかき乱す絶叫を放つ非実体のアンデッドにさぞや大騒ぎになったことだろうと内心で人の悪い笑みを浮かべた。

 

「ウルベルト様、あちらです」

 

 デミウルゴスがウルベルトに声をかけ、一つの教会のような建物を指さした。

 街の中でも一番大きく高い建物。恐らくその最上階で目的の人物たちが待っているのだろう。

 ウルベルトは一つ頷くとアイテムボックスから一つのアイテムを取り出した。

 見た目はポーションと全く同じだが、瓶に入っている液体の色は赤ではなく緑色。

 全く美味しそうに見えない液体を一気に喉の奥へと流し込むと、魔法陣を展開させて詠唱を唱えた。

 

「〈写し身人形(コピードール)〉」

 

 ウルベルトの作り出した魔法陣が全員を包み込み、次の瞬間、淡い光と共にデミウルゴスが指さした建物の最上階の一室にウルベルトたちの姿が浮かび上がった。

 白を基調とした、まさに教会と言ったような雰囲気の大きな部屋。元々会議室として使っていたのだろうか、大きなテーブルを囲むように複数の椅子が並べられており、壁には複数の扉と大きな窓が備え付けられていた。窓はすべてステンドグラスで、外からの光に色づく様は悪魔となったウルベルトも素直に美しいと思えるほど見事な物だった。

 室内には老齢の十一名の男と一名の女が立っており、突然のウルベルトたちの登場に一様に驚愕の表情を浮かべていた。

 痛いほどに静まる室内。

 しかし次の瞬間、まるで爆発が起こったように一斉に人間たちが騒ぎ出した。

 ある者は身構え、ある者は声高に人を呼び、ある者は呆然とウルベルトたちを見つめている。彼らは高位の聖職者なのだろう、身に纏っている服は上等なローブで、服のデザインからおそらく神官なのだと推測できた。

 ウルベルトは隣に控えているアルベドを見やり、彼女は恭しく一礼して未だ騒いでいる人間たちに顔を向けた。

 

「静かにしなさい。こちらにおわすは我らが至高の主にしてアインズ・ウール・ゴウン魔導国の支配者の一人、ウルベルト・アレイン・オードル様です。即座に下劣な口を閉ざし、こうべを垂れなさい」

 

 威圧感たっぷりの漆黒の全身鎧(フル・プレート)から美しい女の声が聞こえてきて、この場にいる誰もが思わず口を閉ざす。

 先ほどまでの騒ぎが嘘であったかのように静まり返る室内に、ウルベルトは満足げに笑みを浮かべて小さく頷いた。

 

「初めまして、法国の皆さん。私はウルベルト・アレイン・オードル。アインズ・ウール・ゴウン魔導国の使者として参りました」

 

 人語を喋る二足歩行の仔山羊に誰もが驚愕に息を呑む。しかしこちらとしては知ったことではないし、逆に彼らの反応に笑みさえ浮かべてしまう。

 ウルベルトは断りもなく勝手に近くにあった椅子へと歩み寄ると、一人腰かけて目の前の人間たちを見やった。

 デミウルゴスとアルベドはウルベルトの左右に立ち、他の者たちはその背後に控える。

 

「さてさて、我々がこちらに出向いた理由は既にメッセンジャーによってご承知のことと思います。つきましては、貴国は本日よりアインズ・ウール・ゴウン魔導国の属国となって頂きます」

「「なっ!!」」

 

 驚愕の声は二つの方向から聞こえてきた。

 一方は法国の聖職者たちから。

 もう一方は帝国の使者たちで、彼らは青白い顔でウルベルトを見つめていた。

 心なしか縋るように見つめられているような気もするが、こちらとしては最初から法国を逃がすつもりはないため完全無視だ。属国に頷くのであれば奴隷としてジワジワと死に追いやり、属国を拒否するのであれば交渉決裂として今度こそ滅ぼせば良い。こちらは一度譲歩した体にしているため、どちらに転んだとしてもアインズ・ウール・ゴウン魔導国の慈悲深さと力は十分周辺諸国にもアピールできるだろう。

 さてさて彼らは一体どう返してくるのか…と期待する中、漸く立ち直ったのか一人の男が慌てたように少しだけ身を乗り出してきた。

 

「ま、待って頂きたい! 我々としてはオードル殿を傷つけた輩に覚えがない。例え法国の者であったとしても、それは…!」

「ああ、見え透いた嘘は結構。残念だが、我が忠実なシモベが私を傷つけた四人組を追跡していましてね。こちらの国家機関に属する者だということは既に調査済みなのですよ」

「…それこそ、何の証拠もない言いがかりでは?」

 

 次は違う男が反論してくる。

 鋭い瞳が印象的で、この場にいる聖職者の中では一番若そうだ。

 男は先ほど声を上げた男よりかは冷静で多少は頭が回るようだったが、その言葉はあまりにも相手を考慮したものとは思えなかった。状況判断と見る目が欠落しているな…とウルベルトは内心で男に対してマイナス点を与える。

 相手が唯の人間の勢力ならば先ほどの言葉も効力があっただろう。しかし今彼らの前にいるのはウルベルトたちなのだ。ハッタリも脅迫も言い逃れも、何一つ効きはしない。

 

「おやおや、嘘つき呼ばわりとは失礼ですねぇ。何故この場に我々だけでなくバハルス帝国の使者もいるのか、分からないあなた方ではないでしょう?」

「……………………」

 

 ニッコリとした笑みと共に言ってやれば、途端に男が黙り込む。

 バハルス帝国の使者が同行している…、この事実はこちらが言葉にせずとも絶大な効果を相手に与える。いや、この場合こちらが説明しない方が相手は勝手に勘違いしてくれることだろう。男の表情は微動だにしていないが、その実目まぐるしく頭を動かしているのが分かる。他の聖職者たちも一様に顔を強張らせたり困惑の表情を浮かべたり、考え込むような素振りを見せている。

 しかしウルベルトはそんな余裕すら彼らに与えるつもりはなかった。

 法国に赴く前にアインズと共に幾つかプランを考えてきたのだが、さてどのプランでいこうかと内心で舌なめずりする。

 やはりナザリックの外に出ると悪魔としての残虐性を強く感じてしまうな…と思わず小さく苦笑を浮かべる中、不意に目の前の男たちに動きがあった。

 

「…残念だが、貴殿らの言葉に頷くつもりはない!」

「お前たち、今だっ!!」

「ベレニス!!」

 

 バンッと大きな音と共に部屋中の扉が開き、十人ほどの男女がなだれ込んできた。聖職者たちを護るようにウルベルトたちの前に立ちはだかり武器を構える。その中に見覚えのあるグレートソードの男とビーストテイマーの男を見つけて、ウルベルトは知らず小さく目を細めさせた。さて何をするつもりか…と見定めるように見つめる中、ベレニスと呼ばれた女が勢いよく身に纏っている法衣を脱ぎ捨てた。

 現れたのは白銀の生地に金色の竜が描かれた見事なチャイナ・ドレス。

 ここにペロロンチーノがいれば、さぞや嬉々として食いついたことだろう。着ている人物が老齢の女でなければ…。

 醜く膨れたふくよかな手足が惜しげもなく晒され、非常に嬉しくない露出にウルベルトは思わずこの場の状況も忘れて目を逸らしそうになった。肉付きの良い丸っこい顔は他者に安心感をもたらすのだろうが、チャイナ・ドレスはいただけない。チャイナ・ドレスという物自体、本来は身体のラインが出るように設計されているため、チャイナ・ドレスが肥満体に引っ張られて、まるでソーセージかハムのような滑稽な状態になっている。隣に立つデミウルゴスの蛙のような顔も心なしか引き攣っているように見えて、まさかこれが狙いなのでは?とさえ思えてくる。因みにヴィクティムは変わらず、アルベドとソリュシャンは虫でも見るような無機質な表情を浮かべていたのだが、ウルベルトは知りようのないことであった。

 それはさておき、ウルベルトたちが思わず気の抜けたような雰囲気を漂わせる中、ベレニスが身構えたとほぼ同時にチャイナ・ドレスが眩しいほどの光を放ち始めた。

 突然侵入してきた男女の内の四人が突撃し、ほぼ同時にチャイナ・ドレスから黄金の竜が光となって飛び出てくる。光の放流となった竜は一直線にウルベルトへと襲い掛かり、四人の男たちは妨害してくるであろうデミウルゴスやアルベドたちへと刃を向ける。迫りくる竜の牙と四つの刃に誰もがウルベルトたちの末路を確信した、その瞬間…――

 

 

 

「……まさか一番してきそうにないことをしてくるとは…、思っていたより愚かですね」

「っ!!?」

 

 ウルベルトの呑気な声が響くと同時に、竜も刃も呆気なく彼らの身体をすり抜けた。

 手応えも何も感じない…、まるで空を切ったような感覚。

 誰もが驚愕に目を見開く中、不意に女のくぐもった呻き声が響き、この場にいる全員がそちらへと振り返った。

 目に飛び込んできた光景に鋭く息を呑む。

 あまりにも悲惨なチャイナ・ドレス姿に遅まきながら衝撃を受けたわけでは決してない。

 影のように揺らめく漆黒の悪魔が三体、背後から腕を巻き付けて彼女の身体を雁字搦めに拘束していた。骨ばった大きな漆黒の掌がベレニスの顔を鷲掴み、彼女から言葉を封じ込めている。

 彼らはウルベルトがフレズベルクと共に侵入させていたシャドウデーモンであり、万が一相手が強力なアイテムを使ってきた場合、背後から襲撃して捕縛するように命を受けていた。

 そして、その時は訪れた。

 シャドウデーモンたちはウルベルトの命令通りにベレニスを拘束すると、特殊能力(スキル)で発動させた足元の闇の穴へと引きずり込んで行った。そのあまりにも突然なことと鮮やかな手際に、誰もが成す術もなく呆然と闇へと沈むベレニスたちを見送る。

 そして遅まきながら、ウルベルトたちの姿も消えていたことに気が付いて顔を蒼白に蒼褪めさせた。

 

 

 

 

 

 一方その頃ウルベルトたちはと言えば、法国の上空で呑気に美しい街並みを見つめていた。

 

「…まさか本当に強行手段に出るとは思わなかったな。あいつら馬鹿なのか?」

「ですが、おかげであの謎のアイテムが手に入りました。ただいまシャドウデーモンたちがあの女ごとナザリックに運んでいるとのことです」

「ふ~ん。…アイテムを一つ無駄にしたんだ、奪取したアイテムがレア物だったら良いな」

「左様でございますね」

 

 ウルベルトとデミウルゴスが朗らかに言葉を交わす。微笑ましい主従の様子に、他のシモベたちも楽し気な笑い声を零した。

 上空に零れ落ちる、異形種たちの笑い声。

 彼らは慈愛に満ちた柔らかな笑みを浮かべると、改めて穏やかに下界を見下ろした。

 

「さてさて、これで第二段階も終了した。そろそろ第三段階の幕開けと行こうじゃないか」

 

 ウルベルトは徐に両手を宙に掲げると、瞬間大きな魔法陣が彼らの足元に展開した。

 

「絶望と悲鳴の宴、開くは地獄の咢、我が声に奈落のシモベよ来たれ! 〈最終戦争(アーマゲドン)(イビル)〉!」

 

 声高に唱えた詠唱に応えて、ウルベルトたちの背後の空間に巨大な闇の穴が口を開いた。

 蠢く闇の中から出てくるのは様々な悪魔の軍勢。召喚者の命すら聞かぬ欲望にまみれた悪魔の大軍が、獲物に舌なめずりしながら一直線に街へと群がっていく。

 一瞬で多くの殺戮と悲鳴が響き渡る地獄へと化した神都に、仔山羊の悪魔はニヤリと悪意に満ちた笑みを浮かべた。

 

 

 




オーバーロードの時間の単位が分からない~。
普通に○時○分で表現しているんですが、合ってましたっけ?
もし間違えてしまっていたら、申し訳ありません…。その場合は教えて頂ければ幸いです!


*今回のウルベルト様捏造ポイント
・〈写し身人形〉;
第10位階の幻術魔法。対象(複数可)の幻影を作り出す。対象が動かなくとも、自由に幻影を動かすことができる。


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第14話 終焉の行軍

今回は少し(?)短めです。


「モモンガさん、ただいま~」

「お帰りなさい、ウルベルトさん」

 

 悪魔たちによって地獄絵図と化していく神都の様子を心行くまで楽しんだウルベルトはデミウルゴスたちを引き連れて漸くナザリックへと帰還した。第九階層の円卓の間では出発前と同じくアインズや守護者たち、セバスやプレアデスたちも揃っている。既に進行している第三段階の指揮を執っていたアインズは、にこやかな笑みの雰囲気を宿しながらこちらを振り返って言葉を返してくれた。ウルベルトは自分の席に腰を下ろすと、アインズに応えるように柔らかな笑みを浮かべる。上機嫌な至高の主たちの様子に守護者やセバスたちも自然と笑みを浮かべ、どこか和やかな空気が室内に漂う。

 しかしそんな中アインズは徐に立ち上がると、次にはズイッと勢いよくウルベルトへと身を乗り出してきた。反射的に後ろに後退りそうになるウルベルトだが、しかしその前にアインズの骨の手が問答無用でウルベルトの右腕を掴んでくる。一瞬走った痛みと思っていたよりも強い力に驚いて目を見張る中、アインズは微笑んでいる雰囲気を帯びたまま腕を掴む手に更に力を込めてきた。

 

「モ、モモンガさん…?」

「漸く一段落着きましたし、さっさと傷を治しちゃいましょう」

「へ…? い、いや、別に今すぐしなくても…」

「マーレ、ウルベルトさんを治療してやってくれ」

「は、はい! お任せ下さい!」

 

 アインズに名を呼ばれ、マーレがおどおどしながらも張り切って駆け寄ってくる。

 有無を言わせずマーレに右腕を預けられるのに、ウルベルトは慌てて待ったをかけた。彼らの気持ちは非常にありがたいため反抗するつもりは毛頭ないが、それよりも先にしておかなければならないことが一つあった。ウルベルトはマーレに右腕を掴まれている状態のままアイテム・ボックスを開くと、そこから一つのアイテムを取り出した。

 見た目は毛糸でできた小さな人形。顔パーツの装飾などは一切なく、色も真っ白であるためまるでミイラ人形のようだ。と言っても身体には赤黒い線で奇妙な文字が所狭しに書かれており、おどろおどろしい不気味なオーラを宿している。

 アイテム名は“ブードゥーの加護”。

 所有者が受けた世界級(ワールド)アイテムと超位魔法以外のダメージを一回だけ肩代わりしてくれるアイテムだ。因みに“ブードゥーの加護:改”という肩代わりだけでなく攻撃してきた相手に同ダメージを返すレア・アイテムもあるのだが、持っている数も少なく今使うには勿体ない代物だった。

 

「確か法国の連中は何回か質問すると自爆しちまうんだろ? あの女にこれを使ってくれ」

「爆発はしませんけど…、ありがとうございます。早速使わせてもらいますね」

 

 ウルベルトの言う“あの女”とは、謎のチャイナ・ドレスを着ていた老女のことだろう。

 彼女の拷問と謎のアイテムの鑑定はウルベルトが戻って来てから行おうと考えていたため、アインズは“ブードゥーの加護”を有り難く受け取るとすぐさまユリに渡し、セバスへと視線を向けた。ユリは一礼と共にすぐさまニューロニストの元へと向かい、セバスも主の意を汲んでチャイナ・ドレスを取りに一度退室する。

 ウルベルトはそんな彼らの様子を眺めながら、お伺いをかけてくるマーレに一つ頷き、すぐさま唱えられる治癒魔法に大人しく身を任せた。

 

「…だが、まさかCプランになるとは思わなかったな」

「確かに。でもまぁ、そのおかげで色々知ってそうな人物も捕縛できましたし、新たなアイテムも手に入りましたから良かったじゃないですか」

 

 みるみるうちに癒えていくウルベルトの右腕を見つめながら、アインズが軽く言葉を返してくる。ウルベルトも老女の価値やアイテムの存在、結局使い捨てにしてしまったアイテムなどの損得を考えて、小さく肩をすくませて一つ頷いた。

 彼らの言うCプランとは、法国がこちらに刃を向けてきた場合の戦略プランである。もしも彼らが自分たちに反発し刃向かってきた場合、控えさせていたシャドウデーモンたちに援護させ、こちらは刃向かってきたことを理由に改めて宣戦布告する計画だった。他にも法国がこちらの属国の提案を受け入れた場合のAプランや、何やかんやで法国が白を切ろうとした場合のBプランも用意していたのだが、彼らが選んだのはまさかのCプラン。アインズやウルベルトたちはAかBで来るだろうと思っていただけに、まさかCで来るとは予想できず内心大慌てだったのはシモベたちにも秘密である。

 

 

「あ、あの、まだ痛いところとか違和感はありませんか?」

「…ああ、大丈夫だ。ありがとう、マーレ」

 

 治癒魔法をかけ終えたマーレが不安そうに問いかけてくる。

 ウルベルトは完全に癒えた右腕に掌を握りしめたり開いたりを繰り返して確認すると、安心させるように右手でマーレの頭を撫でた。途端にマーレが嬉しそうな笑みを浮かべる。

 ウルベルトがマーレの頭からゆっくりと手を離すと、今まで填めていた指輪を外してアイテム・ボックスへと放り込んだ。代わりに、今まで外していた指輪を再度填め直す。

 アインズと同じように全ての指に指輪を填めていく中、退室していたセバスがノック音と共に戻ってきた。両手には綺麗に折りたたまれた美しいチャイナ・ドレスが乗せられており、セバスの手によってアインズへと手渡される。

 

「さて、どんなアイテムなのか…。こんな状況ですが、やっぱり少しワクワクしますね」

「まぁな。…これでゴミアイテムだったら割に合わねぇ」

「ははっ、確かにそうですね。それでは…、〈道具鑑定(アプレーザル・マジックアイテム)〉」

 

 チャイナ・ドレスに手をかざし、アインズが魔法を唱える。ウキウキとした雰囲気がこちらにまで伝わってきて、ウルベルトも思わず笑みを浮かべた。

 ユグドラシルでの楽しさ要素は未知を解明したり戦闘に勝利したことも例に挙げられるが、その中でも謎のアイテムの発掘は醍醐味の一つと言えるだろう。まさかここにきて、またこの楽しさを味わえるとは思わなかったと純粋な喜びが湧き上がってくる。

 アインズと同じようなワクワク感を密かに味わいながら、しかしふとアインズが微動だにしていないことに気がついてウルベルトは思わず小首を傾げた。いつもなら既に何か知らのリアクションを出しているはずなのに一体どうしたのかとアインズの様子を伺う。

 

「………ウゥ、ウル…ウルベルト、さんっ!!」

「…どうした、モモンガさん?」

「し、信じられない! 見つけた! 見つけましたよっ!!」

「………………?」

世界級(ワールド)アイテム! これ、世界級(ワールド)アイテムですよ! それもシャルティアを精神支配したであろうアイテムにほぼ間違いありません!」

「うえぇっ、マジかよっ!!」

 

 ウルベルトは勿論の事、この場にいる誰もが驚愕に目を見開かせた。まさかそんな大層なものだとは夢にも思わなかったのだ。加えてシャルティアの犯人である証拠としても手に入るとは予想外過ぎた。

 

「アイテム名は傾城傾国! 効果は耐性を持つ相手をも洗脳できるみたいです!」

「なるほど、だからアンデッドのシャルティアも精神支配できたのか…。あっ、てことはあいつら俺を精神支配しようとしてやがったな」

 

 法国でのことを思い出して途端に顔を顰めさせる。

 しかし洗脳系の世界級(ワールド)アイテムとは、考えただけでもうすら寒さすら感じられる。ナザリックに属する者たちは異形種…それもアンデッドや悪魔が割と多く、純粋に精神系の魔法などには耐性がある者たちばかりだ。故に精神系の対策も殆どしておらず、こういった問答無用の精神に対するアイテムや魔法が一番恐ろしく脅威だった。

 何はともあれ、これ以上被害が出る前に手元に確保できたことに安堵を覚える。

 

「傾城傾国、か…。確か美しさから人を惑わし、国や城を傾け滅ぼす程の絶世の美女のことだったよな。まぁ、着てたのは絶世の美女とは程遠かったが…」

「ああ、確か恰幅の良い老婦人でしたっけ」

「……あれは見るに堪えなかった。アルベドとか似合うんじゃないか? まさに傾城傾国の名に相応しそうだ」

 

 アルベドを振り返ってニヤリとした笑みを浮かべるウルベルトに、アルベドはいつもの柔らかな笑みと共に慎ましく一礼して応える。アインズの時のように嬉々とした声は上げなかったもののやはり嬉しかったのだろう、腰の両翼がパタパタと可愛らしく動いている。

 

「それで…、これからどうする?」

「本格的な進軍はあの老婆から情報を引き出してからの方が良いと思います。それまでは低位モンスターで戦力を計りましょう」

「…あぁ、確かレベルが低い順に進軍させる予定だったか。今はどのレベルまで進軍させているんだ?」

「まだ10レベルですよ。ウルベルトさんが唱えた〈最終戦争(アーマゲドン)(イビル)〉で召喚された悪魔たちに随分と手こずっていたようですし」

「ええ、でも召喚される悪魔って数だけで、そんなにレベル高くないはずだろ」

「確かこの世界では30レベルでも脅威らしいですからね。仕方ありませんよ」

「ますますプレイヤーがいる可能性は低くなったな。それじゃあ、40レベルまで行けたら俺たちも進軍するか」

 

 ニヤリと悪戯気な笑みを浮かべる仔山羊にアインズも楽しそうに嗤う。

 広い円卓の間に異形種たちの笑い声が不気味に響く。

 アインズは“傾城傾国”をパンドラズ・アクターに預けると、徐に椅子から立ち上がった。

 

「これから氷結牢獄に行きますけど、ウルベルトさんはどうしますか?」

「…あ~、せっかくだけど俺は少し休ませてもらうよ。ちょっと疲れた。自室にいるから、何かあれば呼んでくれ」

「分かりました。アルベド、デミウルゴス、供をせよ。コキュートスは次に出すモンスターを順にシャルティアの〈転移門(ゲート)〉で法国へ送れ。マーレは法国を監視し、戦力などの情報を集めよ。アウラとパンドラズ・アクターはそれぞれ帝国と王国に赴き、此度の我らの大義名分を世に知らしめよ」

「「「はっ!!」」」

 

 アインズの命令に、アインズとウルベルト以外の全員が一斉に跪き頭を下げる。

 セバスやプレアデスたちは通常職務に戻り、ウルベルトも指輪の力でさっさと自室へと転移した。

 室内で待機していたメイドや八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)たちを退室させ、完全に一人になって漸く大きな息を吐き出す。近くにあった椅子へと歩み寄り、項垂れるように深々と腰を下ろした。どっと何かが伸し掛かってくるような感覚に襲われ、もう一度大きなため息をつく。治ったばかりの右手で顔を覆い、そのまま深く俯かせた。

 しんっと静まり返った静寂の中、徐々にウルベルトの薄い肩が震え始める。

 傍から見れば泣いていると思われたことだろう。

 しかし右手の隙間から覗く口は三日月のように弧を描き、喉の奥からクククっと弾くような音が鳴っていた。

 ウルベルトは邪悪な笑みに歪んでいるであろう顔を覆い隠しながら、顔を掴む右手に力を込めて必死に湧き上がってくる衝動を抑え込んでいた。そうしなければ今にも天を仰いで高笑いしてしまいそうだ。アインズに言った言葉は嘘ではないが、自室に篭った一番の理由は強すぎる高揚感を鎮めるためだった。

 

 嗚呼…、楽しい、愉しい、娯しい……!

 

 法国での惨劇が頭を離れない。

 逃げ惑う多くの人々、響き渡る悲鳴と怒号、舞い散る血飛沫、散らばる肉片、倒れる聖職者、顔に浮かぶ絶望の色。

 全てが津波のように押し寄せ、ウルベルトを高ぶらせていく。

 嗚呼、俺も遊びたかったなぁ…。

 魔法を放ち、血を撒き散らし、絶望を味わい、命の生温かさをこの手に握り締める。

 鮮やかなまでの鮮血を浴びたら、どんなに楽しいことだろう。

 熱いかな、冷たいかな。

 温度は? 匂いは? 味は? 感触は?

 お前たちはどんな色で俺を彩ってくれる?

 絶望の悲鳴をBGMに人間たちとダンスを踊る。

 しかし、だけど…、嗚呼、それでも……。

 きっと脆すぎて退屈だ。

 弱すぎる玩具は面白いけれど面白くない。

 必死に抗い、怒りに叫び、それでも絶望に染まり、諦めの涙を流して。

 命惜しく震える手で自分に縋りつくのだろうか。

 そんなもの、全くもって面白くない。

 嗚呼、でも楽しくはありそうだ。

 楽しくて、美味しくて、退屈で…。

 愉しく遊んでいた下等な悪魔たちが羨ましくて仕方がない。

 嗚呼…、嗚呼……、足りない…、溢れる、止められない………!!!

 

 

「………フフフ…、…ハハハっ、アハハハハハハハハハハハハハハハハっ!!!」

 

 ウルベルトは勢いよく立ち上がると、顔から手を離して笑い声をあげた。

 絶対者のオーラが一気に膨れ上がり部屋中を…、いや、ナザリック中を揺れ動かす。大きすぎる爆発的な威圧感に、ナザリックに属する者たちは全てハッと大きく反応した。既にナザリックを発ったアウラやマーレやパンドラズ・アクター以外の守護者たちも例外ではなく、誰もがウルベルトの変化に顔を蒼褪めさせ衝動のままにウルベルトの元へと向かう。アルベドやデミウルゴスと共にいたアインズも彼らの様子に気が付き、何事かが起こったのだと慌てて彼らの後を追った。ウルベルトの自室の前で揃ったアインズや守護者たちは、アインズを先頭に次々と室内へと押し入っていった。

 

「ウルベルトさん、一体何が…!!」

「ウルベルト様、ご無事ですかっ!!」

「ウルベルト様!!」

 

 中へ足を踏み入れながら発せられた言葉たちは、しかし全て一様に最後まで紡がれることなく消えていった。言葉の続きを口にするのも忘れ、ただ呆然とその場に立ち尽くす。

 

 

「…あれ、どうしました、モモンガさん?」

 

 こちらに背を向けていた影がゆっくりと振り返ってくる。

 そこに立っていたのは二足歩行の仔山羊…ではなく、ゆったりとした漆黒のローブを身に纏った山羊頭の悪魔だった。

 本来の姿に比べれば未だ若く見えるが幼くはない。高くなった身長や成長した顔つきから、おそらくは二十歳前後だろうか。

 ウルベルトは未だ呆然となっているアインズたちに小首を傾げると、次には自身の身体へと目を向けた。

 

「…あぁ、何か急に成長したんだ。驚かせて、すまない」

「本当に、ウルベルトさん…なんですか……?」

「正真正銘、俺ですよ。…と言っても俺自身、一気に成長しすぎて訳が分からないんだが…」

 

 ウルベルトは肩を竦ませると、次にはニヤリとした笑みを浮かべる。

 着実に元の姿に戻りつつあるウルベルトに、アインズは大きな喜びを感じては感情抑制を発動させるのを繰り返していた。守護者たちも懐かしい至高の御方の姿に誰もが喜びの表情を浮かべる。中でもデミウルゴスの喜びは大きく、身体を小刻みに震わせて宝石の瞳を感涙に濡らしていた。

 やはり自分の考えは正しかったのだと胸を打ち震わせる。

 未だ完全に戻ってはいないけれど、あともう一歩のところまで来ている。本来の姿に戻ればきっと弱体化も治るはずだ。

 デミウルゴスは次にすべきことを瞬時に考え始める中、ふとウルベルトが呼んでいることに気が付いて慌てて傍まで駆け寄った。一気に近くなった目線に感極まりながら、恭しくこうべを垂れて拝聴の姿勢を取る。

 ウルベルトは深々と礼を取るデミウルゴスを見つめながら、少し悪戯気な笑みを浮かべて小首を傾げた。

 

「…デミウルゴス、お前に預けていたものを持ってきてくれないか」

「っ!!」

「ウルベルトさん、まさか…!」

 

 ウルベルトの言葉にデミウルゴスはハッと顔を上げ、アインズも驚きの声を上げる。

 ウルベルトは小さく目を細めさせると、優しげな表情でアインズやデミウルゴスを見つめた。

 

「…多分、もう大人用の装備も着れると思うんだ。モモンガさんが許してくれるなら、改めて受け取りたいんだが…」

「っ! デミウルゴスっ!!」

「はっ! すぐに!!」

 

 途端に声を上げるアインズと、一礼して走り出すデミウルゴス。

 鮮やかすぎる二人の行動にウルベルトは苦笑を浮かべ、他の守護者たちはぽかんとした表情を浮かべた。

 恐らく第七階層の赤熱神殿まで取りに行ったのだろう、デミウルゴスが戻るには少し時間がかかりそうだ。

 アインズは懐かしい友の姿に浮足立つ心を感じながら、自身を落ち着かせるためにも先ほど手に入れた情報を早速報告することにした。

 

「…そうだ。ウルベルトさんのアイテムのおかげで色々と情報が手に入りましたよ」

「ああ、あの婆さんか。何が分かったんだ?」

「まず、名前はベレニス・ナグア・サンティニ。法国を統治している最高神官長の一人で、火の神官長を務めていたらしいです」

「ああ、確かに神官ぽかったな。…ということは、あの場にいた他の連中も?」

「はい、他の最高神官長たちです。途中で乱入してきたのは漆黒聖典という聖典の一つで、法国の切り札的存在だったようですね」

 

 自然と近くの椅子に向かい合うように座りながら、守護者たちも交えて情報を伝えていく。

 ベレニスの話によると、シャルティアと思われる吸血鬼を精神支配したのも漆黒聖典と“傾城傾国”を装備していたカイレという老婆だったという。しかしカイレはシャルティアの反撃により死亡し、高位の聖職者で唯一の女性であったベレニスが代わりに“傾城傾国”を所持することになったらしい。

 他にも、漆黒聖典の目的や他の聖典の役割と戦力。

 百年ごとに現れるプレイヤーと六大神という存在について。

 六大神が残したという神器と神人と呼ばれる存在。

 ウルベルトはアインズの話が進むにつれて顔を顰めさせ、最後には気に入らないというようにフンッと鼻を鳴らした。

 

「聖典っていう組織がある時点できな臭いとは思っていたが、これは予想以上だな。六大神の神器に神人とは…、なかなか楽しくなりそうだな」

「神人がどのくらいのレベルで、六大神の神器がどの程度のアイテムなのか気を付ける必要がありますね」

「全部世界級(ワールド)アイテムだと思うか?」

「分かりません。…恐らく違うとは思いますが、油断はできませんよ」

「そりゃそうだ。まぁ、マーレが監視してるんだ。それなりのレベルまで行けば相手の力量もある程度は推測できるだろう」

「そうですね…。コキュートス、現在どのくらいまで進んでいる?」

「現在、30台レベルマデ出撃シテオリマス」

「ほう、なら後1ラウンドで俺たちの出番だな」

 

 30台レベルと言えば、この世界ではすでに脅威と言えるほどのレベルだ。

 果たして持ち堪えられるのか…、自分たちの元まで辿り着けるのか……。

 ウルベルトが楽しそうに笑みを浮かべる中、数回のノック音と共にデミウルゴスが戻ってきた。一直線にウルベルトの元まで歩み寄り、その場に跪いて持っていたものを両手で差し出してくる。悪魔の手に掲げられているのは、以前彼に預けたウルベルトの最終装備だった。

 

「ありがとう、デミウルゴス」

 

 ウルベルトは礼と共に装備を受け取ると、アインズに一度頷いて立ち上がった。隣の寝室へと一人で向かい、ガサゴソと小さな物音が聞こえてくる。数分後、再び姿を現したウルベルトはユグドラシル全盛期での輝かしい姿に戻っていた。

 時計型のマジック・アイテムを飾った漆黒のシルクハットに、顔の右半分を覆う鳥のような深紅の仮面。漆黒の細身のスーツを纏った腰にポーチが付いた深紅のベルトを巻き付け、黒に裏地が赤のマントを肩から背へと流している。左肩には品のある深紅の薔薇が飾られ、尾てい骨辺りからは彼がワールド・ディザスターだと証明する“慈悲深き御手”が両側から姿を現していた。

 山羊頭の悪魔の支配者(オルクス)

 悪の大災厄と恐れられた、“アインズ・ウール・ゴウン”魔法職最強のワールド・ディザスター。

 少し伸びてきた顎髭を弄びながら、ウルベルトはこちらを凝視してくるアインズたちに笑ってみせた。

 

「…あぁ、やっぱりこの装備が一番しっくりくるな。どうです、モモンガさん?」

「……っ…、…似合ってます。すごくかっこいいです、ウルベルトさん!」

 

 表情は変わらないものの、その声が小さく震えているのは決して気のせいではないだろう。

 ウルベルトは大分近くなったアインズの肩を軽く叩くと、気分を変えさせるようにニタリと悪戯気な笑みを浮かべてみせた。

 

「さぁ、そろそろ俺たちの出番だ。我らが“アインズ・ウール・ゴウン”の力を見せてやりましょう」

 

 力強く頼もしい友の言葉に、アインズの紅蓮の灯がゆらりと揺らめいた。

 

 

 

**********

 

 

 

 法国の神都は丸一日を経たずして既に壊滅状態にまで陥っていた。

 

 人間の国家では最大戦力を誇る法国の神都が悪魔の軍勢に襲撃された事件は瞬く間に周辺諸国に知れ渡り、世界中を震撼させた。

 兵や聖騎士たちや神官たちの奮闘によって最悪の事態は免れたものの、それでも被害や損失は膨大なもの。

 食い殺され、残虐に殺された多くの人々。建物は多くが激しい戦闘によって破壊され、正常の役目を果たせるものは数えるほどしかない。大きく割れ、抉れた壁や地面は真っ赤に染まり、白いところを見つける方が難しい。

 この惨劇の背景に魔導国の存在があると知り、周辺諸国の人間たちは不安を募らせた。特に隣国のバハルス帝国やリ・エスティーゼ王国の人間たちは誰もが恐怖の悲鳴を上げた。帝国はつい先日闘技場に魔導王が現れ、王国は実際に悪魔の襲撃と魔導王の恐ろしさを味わっている。これで恐慌状態になるなという方が難しいだろう。

 しかし混乱がピークに達する前に、まるで見計らったかのように王国とエ・ランテルにはモモンが、帝国には鮮血帝が事のあらましを国中に伝えた。

 

 ウルベルト・アレイン・オードルという新たな支配者の存在。

 法国がウルベルトに対して行った行為。

 一度は慈悲を与えようとしたものの、再度法国がウルベルトに攻撃を仕掛け、そのためこのような惨劇となったのだという事実。

 

 モモンに扮したパンドラズ・アクターは言うに及ばず、ジルクニフもアウラの監視の元、大人しく魔導国の大義名分を国中に広め、全面的に魔導国を支持する形を取った。

 王国と帝国それぞれの信頼が厚い二人の言葉に、両国の人間たちは小さな不安を残しながらも落ち着いていく。

 その他の国々もアインズたちの力を恐れて沈黙を保っている。

 完全に法国は孤立状態となり、その全てがアインズたちの計画通りだった。

 

 今もなお兵や聖騎士たちだけでなく、多くの神官たちも懸命に闘っている。恐らくこれまでにないほどのアンデッドや悪魔たちを滅してきただろう。しかし敵の数は全く少なくなったようには見えず、それどころか増えてさえいるように思われた。悪魔やアンデッドの強さもどんどん強くなり、誰もが恐怖と絶望に押し潰されそうになる。

 一体どこから現れ、いつまで続くというのか…。

 また一人また一人と仲間が悲鳴と共に倒れていく中、不意に頭上の空が大きく動き、誰もが驚愕の表情で空を見上げた。

 厚い暗雲が立ち込めていた空が一気に晴れ、澄んだ星空が姿を現す。

 しかし闇夜に大きく浮かぶのは血のような赤い月。

 そして赤い月に照らされて現れたのは、空を覆うほどの異形の大軍だった。

 先頭は巨大なドラゴンが翼を羽ばたかせ、その後ろには名も知らぬ神話級の魔獣やアンデッドや悪魔の軍勢が控えている。ドラゴンの背には大小さまざまな六つの影が乗っており、その頭には二つの影が悠然と佇んでいた。

 禍々しいオーラを放つ黄金の杖を握りしめた死の支配者と、顔の半分を奇怪な仮面に覆った山羊頭の悪魔。

 二人はドラゴンの頭から、まるで見下すように地獄と化した下界を見下ろしていた。

 

「法国の人間どもよ。我が友、我が子らに刃を向けた罪は重い。国ごと沈み、罪を贖え」

「けれど簡単に沈んでしまってはあまりに面白くありません。さぁ、全力で抗ってみせなさい。血を撒き散らし、地を這いずりながら、私たちの元まで辿り着けることを期待していますよ!」

 

 死の支配者が朗々と死の呪詛を唱え、災厄の悪魔が嬉々として絶望の歌を詠う。

 ドラゴンの背に控えていた守護者たちが一斉に一礼し、次には主たちの言葉に応えるようにそれぞれ下界へと飛び降りた。背後の大軍もそれに続くようにして進軍を開始する。

 アインズが魔法を唱えた瞬間、黒曜石で造られた巨大な土台が周りの建造物をなぎ倒しながら鎮座し、アインズとウルベルトを乗せたドラゴンがその上へと舞い降りた。

 土台と地上を繋ぐのはたった一つの漆黒の階段。

 それはまるで挑戦者を待つステージのよう。

 ドラゴンという最強の玉座に腰かけながら、アインズとウルベルトは自分たちの元まで来るかもしれない挑戦者を思い浮かべて静かに嗤った。

 

 




ついに青年にまで成長してしまったウルベルトさん。
だ、題名が語弊になってしまう…(汗)

次回はいよいよ最後の戦闘回です!
漆黒聖典や番外席次の強さが原作でも不透明なので、まだ書いてもいないのにどんな文章になるかガクブルです…(汗)
あの人たちレベルどのくらいなんだろう……。

*今回の捏造ポイント
・“ブードゥーの加護”;
世界級アイテムと超位魔法以外のダメージを一回だけ肩代わりしてくれるアイテム。


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第15話 死の舞踏会

遅くなってしまい申し訳ありません!
こうでもない、ああでもないと書いては消しを繰り返すうちに、気が付けば前回から約一か月あいてしまうとは…(汗)
それなのにお気に入り件数が遂に1000件突破!
ありがとうございます!ありがとうございます!!
お気に入り、評価、ご感想、全て小説を書く糧になっております。
次回で最終回予定なので、最後までお付き合い頂ければ幸いです(深々)


 魔導国が本格的に動いたことにより、今まで影で戦っていた聖典たちも表立って動くことになった。この闘いに勝たなければ法国は消えてなくなるのだ、この際聖典の存在や正体を知られることは重要なことではない。

 今回は番外席次も参戦する。

 事によっては神都が完全に破壊される可能性があったが、法国を滅ぼされるよりかはマシである。建物や街は直せても、国が滅びては意味がない。

 番外席次を含めた漆黒聖典の今回の任務は魔導国の支配者であるアインズ・ウール・ゴウンとウルベルト・アレイン・オードルの抹殺。

 幸か不幸か、ターゲットは二人とも一緒に漆黒のステージで呑気に街の惨状を眺めており、見失う心配はない。逆に罠である可能性は大きいものの、こちらの選択肢は限りなく少なく、いかに相手に気づかれずに接近できるかにかかっていた。

 一チームの人数が少ないほど目的地に辿り着ける確率は低くなるが、大人数になればなるほど相手に見つかる可能性が高くなる。できるだけ見つかる可能性を少なくするため、彼らは2、3人にチームを分けて多方向からターゲットの元へと向かうことにした。

 

 

「…あぁ、ゾクゾクしちゃうわ! あの圧倒的な存在感! 威圧感! 殺気!! 漸く敗北が知れるのかしらぁ!」

 

 地獄と化した戦場で、ただ一つ響く嬉々とした高い声。

 小柄な一つの影がまるで飛び跳ねるように駆け抜けていた。

 縦半分に白と黒で分かれた長い髪。傷一つない白皙の肌に色違いの瞳。未だ幼さの残る華奢な少女が、しかし不釣り合いなほど大きな戦鎌を片手に戦場を舞っていた。

 彼女を彩るのは鮮やかな化粧ではなく生々しい血飛沫。

 響くのは少女の美貌に対する称賛の声ではなく、命が散る断末魔。

 彼女のすぐ後ろには年若い一人の少年が同じ速度で戦場を走っていた。

 手にはみすぼらしい大きな一振りの槍。

 漆黒の長い髪をなびかせ、中性的な美貌を今は苦々し気に歪めていた。

 

「こちらとしては貴方が負けてしまっては困るのですが…。今回は法国だけでなく、人間の存亡もかかっているのですよ」

「ふふっ、一体どっちが強いのかしら? 骸骨の方はアンデッドだと分かるんだけど、あの山羊の方は何だと思う? ただの人獣だとは思えないし…」

「おい!」

 

 立ちはだかる悪魔を笑いながら狩っていく少女に、少年の苛立たしい声が飛ぶ。しかし全く耳に届いていないのか、ブツブツと独り言を呟いている少女に少年は大きなため息をついた。

 大槍でアンデッドを貫き、引き抜くと同時に別の悪魔を薙ぎ払う。風のような速度で走りながら繰り出される攻撃の数々は見事なもの。

 顔を顰めさせたまま槍の血を振り払う少年に、少女はここで漸く色違いの大きな瞳をひたっと向けてきた。

 

「言っておくけど、あの方たちは私の獲物なんだから邪魔しないでよね」

「……あの方たち?」

 

 少女が口にした単語に思わず眉を潜める。しかし少女は変わらぬ笑みを湛えるだけで、少年は疲れたように大きなため息を吐き出した。

 

「………調子に乗り過ぎて抜からないで下さいよ、番外席次」

「ふふっ、誰に言っているのかしら」

 

 苦々しげに告げられた忠告も少女には届かない。

 少年はすぐ目の前を駆ける少女の華奢な背中を見つめながら、もう何度目になるか分からないため息を小さく吐き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方その頃ターゲットにされているアインズとウルベルトはと言えば、ドラゴンの頭の上に腰を下ろしながら呑気に戦場を眺めていた。

 守護者たちが頑張ってくれているのか、未だ誰一人としてここまで辿り着いていない。

 自分たちの下で椅子になっているドラゴンの頭を手慰みに撫でてやりながら、ウルベルトは退屈さに大きな欠伸を零した。猫のようにグルグルと喉を鳴らすドラゴンの様子が可愛らしくて笑みがこぼれる。

 殺伐とした戦場の真っ只中で和やかな雰囲気を漂わせる中、不意に黒曜石の地面から一体のシャドウデーモンが浮かび上がってきた。目を向けるアインズとウルベルトに深々と頭を下げる。

 

「アインズ様、ウルベルト様。ただいま守護者の方々が聖典と思われる人間どもと交戦を開始いたしました」

「漸くか。…神人と思われる人間どもはどうだ?」

「神人と思われる男女二人組はこちらに真っ直ぐ向かってきております」

「よし。そのままこちらへと誘導せよ」

「はっ!」

 

 シャドウデーモンは深々と頭を下げると、足元にある自身の影へと沈んでいく。

 ウルベルトは背後にあるドラゴンの角へと背を預けると、優雅に長い足を組んで小さく欠伸をこぼした。

 

「ちょっと、ウルベルトさん。もう少し緊張感を持って下さいよ」

「あ~、ま~、そうなんだけど、どうにも暇で…。そう言えば聖典は皆殺しにして最高神官長の奴らは捕らえるんだよな。話にあった巫女とか生き残った他の奴らはどうするんだ?」

「巫女どもは実験に使おうと考えています。後は皆殺しですね。今回は見せしめが一番の目的なんですから誰一人生かして逃がすわけにはいきません」

「…なら捕虜の存在も隠すべきだな。シャドウデーモンたちにやらせるか」

「そうですね」

 

 まるで世間話でもしているかのように残酷な言葉を紡ぐ二人は、それがいかに人間にとって異様な内容なのか気が付いていない。人間だった頃の影は欠片もなく、アインズは死の支配者(オーバーロード)らしく、ウルベルトは悪魔の支配者(オルクス)らしく、如何に絶望を撒き散らし効率よく死を植えつけられるか嬉々として話を弾ませた。

 しかしそれはあまり長くは続かなかった。

 こちらに猛スピードで近づいてくる鋭い気配。

 まず初めに気が付いたのは椅子となっていたドラゴンで、続いてアインズとウルベルトもそちらを振り返った。

 

 

「やっと着いたわっ!」

「……………………」

 

 黒曜石の階段を上ってきたのは二人の男女。

 どちらも二十歳以下であろう少年少女で、しかしその手には似つかわしくないほどの大きな槍と十字槍のような戦鎌が握られていた。

 

「…漸く来たか」

「おやおや。君たちが私たちの挑戦者ですか?」

 

 口調は穏やかながらも、二人はすぐさま気を引き締めさせる。

 小さな唸り声を上げるドラゴンの頭から優雅に飛び降りると、アインズとウルベルトは見定めるように少年と少女を見やった。

 ここに辿り着いたということは、彼らが神人と呼ばれる存在なのだろう。見た目はただの子供だが、しかし確かにその身に纏っている装備の数々は一目で見事な物だと伺えた。恐らく殆どが伝説級(レジェンド)アイテムか神器級(ゴッズ)アイテムなのだろう。いや、神器級(ゴッズ)アイテムの可能性の方が高いだろうか…。ユグドラシルでも神器級(ゴッズ)アイテムは一個手に入れるだけでも難しいのだが、それをこんなに複数所持しているということは、これらがベレニスの言っていた“六大神の神器”なのかもしれない。

 しかしこちらとしても負けてはいなかった。

 アインズもウルベルトも最終装備の主武装として全身の装備を神器級(ゴッズ)アイテムで埋めている。加えてアインズもウルベルトも密かに世界級(ワールド)アイテムを一つ所持していた。例え相手が世界級(ワールド)アイテムを使おうとしてきても、これでこちらも応戦することができるだろう。

 アインズとウルベルトは絶対者の態度を崩さないよう努めながら、ワザとらしいまでに鷹揚と二人を睨むように見据えた。

 

「…では、我らが愚かな挑戦者のために改めて名乗らせてもらおう。我は魔導国の支配者であるアインズ・ウール・ゴウン魔導王である」

「そして私は、同じく魔導国の支配者にして魔導王アインズの補佐を務めるウルベルト・アレイン・オードルと申します。残された時間は少ないですが、その間だけでもお見知りおき下さい」

 

 感情のよめぬアインズとは違い、ウルベルトは不気味な金色の瞳を細めさせてニヤリと嗤う。

 見るからに余裕の態度に少年は厳しく顔を顰めさせ、少女は面白そうに笑みを深めさせた。

 

「………私はスレイン法国の六色聖典が一つ、漆黒聖典の隊長を務めている者だ」

「私も一応漆黒聖典の一人で番外席次よ。人によっては“絶死絶命”と呼ぶ者もいるわ。よろしくね」

 

 顔を厳しく顰めさせている少年とは対照的に、少女は可愛らしい笑みを浮かべてウインクまで贈ってくる。

 こちらを全く脅威とは感じていない侮った態度に、アインズとウルベルトは内心でやれやれと頭を振った。

 ベレニスの話によると少年も少女も見た目通りの年齢ではなく、特に少女の方は老女であるベレニスよりも年上だと聞いていたのだが、精神年齢もどこまでも子供であるようだった。ずっと軟禁生活で世間を知らずに育てばこういう性格になるのだろうか、と内心で首を傾げながら、一方で彼女の浅はかさを嘲笑っていた。

 自信と油断は似て非なるもので全くの別物だ。

 アインズとウルベルトは自分たちの力やチームワークに自信を持ってはいるが、決して油断はしていない。いくらレベルに差があったとしても小さな油断から一気に形勢が逆転することなどよくあることなのだ。互いの命やナザリックの者たちの命運を背負っている以上、油断などできるはずがない。

 しかし“隊長”と名乗った少年は兎も角、“番外席次”と名乗った少女の方は見るからに油断しきっていた。

 よほど自分の力を過信しているのだろう。

 ウルベルトはフンッと小さく鼻で笑うと、傍らに立つアインズへと目を向けた。

 

「…どうやら相手は両者とも戦士職であるようですね。私たちはどうします?」

 

 言外に〈完璧なる戦士(パーフェクト・ ウォリアー)〉で戦わないのかと問われ、アインズはふむ…と目の前の少年と少女を見やった。

 一応念のため、ナーベラルに貸し与えていた早着替えのクリスタルに純白の鎧を入れて持ってきてはいた。しかしアインズは魔法詠唱者(マジックキャスター)であり、〈完璧なる戦士(パーフェクト・ ウォリアー)〉での戦闘はまだまだ粗削りなところが多い。そのような状態で盾役としてウルベルトを守りながら神人と呼ばれる戦闘能力が不透明な相手に挑むのは流石に不安が残った。

 

「……いや、こちらも本来の実力で迎え撃つとしよう」

「了解しました。それでは早速始めるとしましょう。…〈魔法最強化(マキシマイズマジック)焼夷(ナパーム)〉!」

 

 合図無しのウルベルトの詠唱に、すぐさま魔法が発動する。少年と少女を中心に大きな爆発が起こり、鮮やかな炎が黒曜石のステージの全てを呑み込んで大きな渦を巻き頭上へと立ち昇った。しかし詠唱者であるウルベルトは勿論の事、アインズも背後に控えていたドラゴンの翼にすぐさま包み込まれて護られたためダメージを一切受けることは無かった。

 轟々と燃え上がる巨大な火柱を見つめながら、果たして相手はどうなったのかとじっと目を凝らす。

 まさかこれで終わりではあるまい…と凝視する中、突然火柱に二つの亀裂が走った。

渦巻く炎が亀裂を埋めるその前に、小さな二つの影がそれぞれの亀裂を割って飛び出てくる。細長い影はアインズの元へ、華奢な小さな影はウルベルトの元へと一直線に突っ込んできた。アインズはドラゴンを下がらせて〈黒曜石の剣(オブシダント・ソード)〉で牽制し、ウルベルトも“慈悲深き御手”で繰り出された攻撃を受け止めた。

 

「あっははははは! あつ~~い!! ひどいじゃな~~~~いっ!!」

「…おや、これは申し訳ありません。私としてはそのまま焼け死んで頂ければ有り難かったのですが」

「うふふっ、それじゃあ面白くないでしょう!!」

 

 戦鎌と“慈悲深き御手”が鍔迫り合いながら、少女がこちらの顔を覗き込むように顔を近づけてくる。目の前の白い顔は少々薄汚れてはいるものの傷ついてはおらず、思ったよりもダメージを与えられていない様子にウルベルトは小さく目を細めさせた。

 これ以上間合いを詰められるのも気に食わず、勢いよく弾き飛ばして右手の人差し指を突き付けた。

 

「〈魔法抵抗難度強化(ペネトレートマジック)神の裁き(ゴッズ・オブ・ケラウノス)〉!」

 

 突き付けられた指先から青白い火花が散り、一直線に少女へと空を切り裂く。

 一瞬少女と目が合ったような気がして、直感的に避けられると感じ取った。追撃の魔法を唱えようと、すぐさま別の詠唱に入る。しかし大きな稲妻が少女の小さな身体を呑み込んだことにウルベルトは大きく目を見開かせた。

 彼女が避けきれなかったとは思えない。どちらかというとわざと避けなかったように思えた。しかし何故…と小さく顔を顰めさせる中、突然小さな影が弾丸のようにこちらに突っ込んできてウルベルトは思わず半歩後ろに後ずさった。

 先ほどとは段違いの素早さに小さく舌打ちする中、迎え撃とうと詠唱を唱えるその前に横から細い影が勢いよく少女へと飛んでいった。あまりにも予想外で突然のことだったのだろう、少女は小さな悲鳴を上げて飛んできた影もろとも再び吹き飛ばされる。よくよく見れば飛んできたのはアインズが相手をしていた少年で、ウルベルトはこちらにゆっくりと歩み寄ってくるアインズを振り返った。

 

「…私がいることも忘れてもらっては困るな」

 

 流石と言うべきか、漆黒のローブを揺らして横に並ぶアインズには傷一つなく汚れ一つも見られない。

 多少のブランクの差はあれど、これではあまりにも格好がつかないな…とウルベルトは内心で苦笑を浮かべた。

 改めて気を引き締めさせようと小さく息をつき、のろのろと立ち上がる少女たちに目を向けた。

 

「ちょっとぉ! せっかく楽しくなりそうだったのに、邪魔しないでよ!」

 

 〈神の裁き(ゴッズ・オブ・ケラウノス)〉を諸に受けたというのに、立ち上がった小さな身体はふらつきもしない。一瞬装備アイテムによるものかと思ったものの、攻撃に対しての彼女の反応と先ほど見せられた異常な素早さにすぐさま考えを打ち消した。装備アイテムで完全にダメージを防げるのであればわざと攻撃を避けないのも頷けるが、素早さが飛躍的に上がった理由が分からない。

 彼女の性格からしてわざと手加減していたとも思えず、ウルベルトは小さく目を細めさせると一気に特殊技術(スキル)と魔法を同時に発動させた。

 

「〈魔法三重最強化(トリプレットマキシマイズマジック)風の刃(ウィンド・サイズ)〉!」

 

 強化された三つの大きな風の刃が勢いよく少年と少女の元へと放たれる。

 少年は頭上へと飛んでそれを避け、少女は掻い潜るようにして避けながらこちらへと再び突進してきた。

 

「〈骸骨壁(ウォール・オブ・スケルトン)〉!」

「〈刃の抱擁(ブレイド・エンブレイス)〉!」

 

 しかし上空へと飛んだ少年はアインズが事前に仕掛けていた〈浮遊大機雷(ドリフティング・マスターマイン)〉に当たり成す術もなく墜落し、少女も突如地面から現れた骸骨で構成された壁に遮られて進行を妨げられた。加えてウルベルトの魔法が発動し、骸骨の壁に大きな魔法陣が浮かぶと同時に多種多様の武器の刃が突き出てきて少女を襲った。咄嗟に足のブレーキをかけるも間に合わず、激突はしなかったものの多くの刃が装備を突き破って少女の肌を切り裂いていく。

 宙に舞う鮮やかな鮮血。今まで微動だにしなかった華奢な身体が初めて揺らめく。

 少女はポタポタと血を滴らせながら、次には長い黒と白の髪を振り乱して狂気に満ちた笑みを浮かべた。

 

「…素敵! 最高っ! これが傷! 血! 痛み!!」

 

 嬉々として自分の傷を触ってははしゃいでいる少女に、アインズとウルベルトは思わず訝しげに小首を傾げた。

 怪我をして何を喜んでいるのだろう…と少し気圧される。

 

『………Мなのか…?』

『…流石に違うと思いますけど…』

『じゃあ…、ドМとか?』

『いや、変わらないじゃないですか』

 

 〈伝言(メッセージ)〉で会話しながらどうしたものかと頭を悩ませる。

 通常ならばこちらに意識が向いていない隙にさっさと攻撃してしまうのがベストなのだが、あまりのはしゃぎように邪魔をしてしまうのも悪い気がしてきてしまう。少年の方はといえば未だ地べたを這いずっていて、どうにも期待はずれ感が否めなかった。

 

『………神人って言われてたが、ハズレか…?』

『まぁ、神人といってもプレイヤーではありませんし。強敵でないだけマシですけど…、少し残念ですね』

『こんな奴らにあの装備アイテムたちは勿体ないな』

 

 ユグドラシルでの充実していながらも素材集めに苦労した日々を思い出し、ウルベルトは思わず顔を顰めさせた。

 神器級(ゴッズ)アイテムとはドロップアイテムのクリスタルの中でも最上位のハイレアドロップ品を複数個と、超が付くほどの希少金属を用意することで初めて作れるアイテムである。制作難易度が高すぎて100レベルプレイヤーでも一個も持っていない者などザラである。であるのに、彼らは弱いにも関わらず神器級(ゴッズ)アイテムだと思われる装備アイテムを当たり前のように全身に纏っていた。彼らにその装備たちはあまりにもふさわしくない。さっさと殺してアイテムたちを剥ぎ取ってやろう、と一つ息を吐き出したその時、少女の笑い声が止んでいることに気が付いてウルベルトたちは改めて少女へと目を向けた。

 

「…いいわ、あなたたち! これなら本気が出せそうっ!」

 

 未だ流れている血を拭いもせず、どこか血走った眼でウルベルトたちを見やる。

 少女は手近な腕の傷へと指を潜り込ませると、爪を立てて一気に横へと引き裂いた。傷口が抉れて鮮血が噴き出し、少女の身体を更に朱へと染めていく。

 少女は血に濡れた指をペロッと舐めると、大きな戦鎌を両手で握り直した。

 

「フフッ、何故私が“絶死絶命”なんて呼ばれているのか、教えてあげるわ…」

 

 見た目は満身創痍でボロボロだというのに、放たれる威圧感は相当なもの。

 一体何が始まるのかと身構える間もなく、少女が先ほど以上のスピードでこちらに突進してきた。

 

「〈転移(テレポーテーション)〉!」

「〈飛行(フライ)〉!」

 

 考える間もなくアインズとウルベルトは咄嗟に詠唱を唱えていた。ウルベルトが〈飛行(フライ)〉で空へと逃れる中、アインズは少女の影に隠れて何かしようとしていた少年に気が付いて彼の元へと転移する。アインズが再び少年の相手をし始める中、ウルベルトはこちらに飛んでくる少女を迎え撃った。一度目は強化した〈衝撃波(ショックウェーブ)〉で吹き飛ばし、少女が体勢を立て直す間にアイテムボックスを開いて手を突っ込む。ごちゃごちゃしている中で目的の物を探り当てると、ウルベルトは“それ”を勢いよく引き抜いた。同時に少女が再び地を蹴ってこちらに突っ込んでくる。

 戦鎌が大きく振るわれ、ガキンッという鋭い音と共にウルベルトと少女の影が重なって空中で停止した。しかしそれは一瞬のことで、次には先ほど以上の勢いをもって再び少女の身体が吹き飛ばされた。受け身を取る間もなかったのだろう、少女は諸に黒曜石の地面に激突し、黒曜石のステージ自体にも大きな亀裂が走る。その様を上空で冷ややかに見下ろすウルベルトの手には一振りの大きな杖が握られていた。

 ウルベルトの身長を超えるそれは二メートルの長さはあるだろうか。青白く輝くクリスタルで出来た杖は、しかしドラゴンの鱗以上の強度を誇っていた。微かな光も反射し、青白く輝く様は非常に美しい。繊細で華奢でありながら豪奢な気品をも漂わせるそれは、凡そ悪魔には似つかわしくない代物である。しかしウルベルトが一振りした瞬間、まるで氷の中で燃える炎のように美しくも怪しい赤の光球が杖の先端に現れ揺らめいた。杖から滲み出てきた赤黒いオーラがウルベルトに纏わりつき包み込む。

 

「…この私と相対しておきながら油断して手を抜くとは、気に入らんな」

 

 放たれた声音はその目と同じく冷ややかなもの。

 ウルベルトは自分に対して、…それも戦士職である者に手を抜かれることが我慢ならなかった。自身の勝利を疑わず、自分を格下に見てくることも気に入らない。

 最大の苦痛と屈辱をもって必ず後悔させてやる…。

 ウルベルトは未だ黒曜石のステージの上に横たわっている少女を蔑むように見下ろした。

 

「……ふふふっ。この力(タレント)を解放した私と渡り合うなんて…、あなたのこと気に入っちゃった!!」

 

 変わらぬ狂気的な笑みを浮かべながら、少女が勢いよく跳ね起きる。

 少女は血を滴らせながら深く屈み込むと、次の瞬間その小さな身体が掻き消えた。それと同時に少女が目の前に現れ、ウルベルトは思わず小さく目を見開かせた。咄嗟に持っていた杖で攻撃を受け止めるも、今度はウルベルトが地面へと吹き飛ばされる。しかしウルベルトは素早く体勢を立て直して身軽に着地すると、追撃してくる少女を見据えながら手に持つ杖の力を解放した。

 ウルベルトの持つ杖の名は“守護三連魔神器”。

 打撃攻撃ができることに加えて、物理攻撃と魔法攻撃に対する防御力上昇、神聖属性に対する絶対耐性、そして第三位階魔法と同程度の魔力消費と引き換えに物理攻撃に対してパリィができるという、杖であるのに防御を中心とした能力を持つ目が飛び出るほどに上等な神器級(ゴッズ)アイテムである。

 制作者はコキュートスの創造主である武人建御雷。彼がユグドラシルを引退する際にウルベルトに贈ってきた最後の武器アイテムだった。

 

 たっち・みーの強さに惹かれて彼を倒せる武器の開発に固執していた武人建御雷は、打倒たっち・みーを宣言していたウルベルトに事ある事に相談を持ちかけていた。ウルベルトの方も打倒たっち・みーの同士として喜んで相談に乗り、必要な素材があれば協力を惜しまなかった。超レア・アイテムをドロップするために武人建御雷とウルベルト、そして毎回二人に巻き込まれる弐式炎雷の三人でレイドボスに挑んだ日々は懐かしく、今となっては良い思い出だ。

 最終的にはたっち・みーがユグドラシルを引退したことで武器が完成することはなくなったが、それでもこれまで幾度となく付き合ってきたウルベルトに感謝の意を込めて、武人建御雷は最後の最後にこの“守護三連魔神器”を作り贈ってくれたのだ。

 この杖には、打倒たっち・みーの武器開発のために集められた超レア・アイテムや希少価値のクリスタル、超レア素材の殆どすべてが使われている。ウルベルトにとってはある意味世界級(ワールド)アイテムよりも価値のある大切な杖だった。そのため悪いと思いながらも引退する際にもこの杖だけはアインズに譲らなかったほどだ。

 

 残念ながらユグドラシルで使う機会はなかったため神人という未知の存在との戦いで初のお披露目をしようと持ってきたのだが、どうやらその判断は正しかったようだった。

 少女が繰り出す攻撃は素早く、そして重い。振るわれている戦鎌だけでなく、それを振るっている腕でさえきちんと目視できず翳んでしまう。ウルベルトは風のように早すぎる猛撃を全て捌いて弾き返しているが、それは偏にこれまでのユグドラシルでの戦闘経験と“守護三連魔神器”のパリィを常に発動させているからだった。

 純粋な魔法詠唱者(マジックキャスター)であるウルベルトには戦士職ほどの素早さや身のこなしなどなく、物理攻撃を受け流せる程の技量もない。そのため傍目から見れば必然的に杖に振り回されているように見えてしまうのだが、この際それは仕方がないことだろう。それよりも今は目の前の少女の事の方が問題だった。

 ウルベルトとて全て受け身に終わっている訳ではない。杖で猛撃を弾き返しながら、一方で雷撃を中心とした魔法を操って反撃を繰り出している。しかし攻撃が当たり怪我を負えば負うほど、明らかに少女の攻撃力や素早さも上がっているように思われた。これは装備アイテムの効果では決してなく、ウルベルトは一つの可能性に小さく目を細めさせた。

 

(………狂戦士、か…?)

 

 ユグドラシルでの狂戦士は素早さまでは上がらないため全く同じものとは考えられないが、少なくとも似たような能力を有しているのだろう。恐らく体力が減れば減った分だけ全ステータスが無制限に上がるのではないだろうか…。

 よくもまぁ“絶死絶命”だなどと上手いことを言ったものだ。

 確かにこの世界の人間にとって少女の能力は強力であり、彼女を倒すことのできる者は限られてくるだろう。しかしウルベルトにとっては決して脅威ではなく、対処法などいくらでもあった。相手が人間…、いや異形種ではないため尚更だ。

 十分彼女の戦いを観察できたと判断したウルベルトは、そろそろ身の程を思い知らせてやることにした。

 少女が大きく振りかぶったところを見計らい、攻撃を受けるギリギリのタイミングで〈転移(テレポーテーション)〉を唱えた。一瞬で少女の背後に飛び、無詠唱で〈酸の投げ槍(アシッド・ジャベリン)〉を放つ。少女は振り向きざまに酸の槍ともどもウルベルトを攻撃しようとしてきたが、ウルベルトは既に再び〈転移(テレポーテーション)〉で姿をくらませていた。

 〈星幽界の一撃(アストラル・スマイト)〉。

 〈万雷の撃滅(コール・グレーター・サンダー)〉。

 〈穿つ氷柱(ピアーシング・アイシクル)〉。

 〈獄炎(ヘルフレイム)〉。

 〈負の光線(レイ・オブ・ネガティブエナジー)〉。

 〈重力渦(グラビディメイルシュトローム)〉。

 一つの魔法を放っては〈転移(テレポーテーション)〉を繰り返し、縦横無尽に全方向から強力な魔法を放つ。少女も懸命に戦鎌を振り回して応戦するが、肉体運動に支配されないウルベルトの動きに完全に翻弄されていた。

 右から来るかと思えば左に現れ、次は上かと思えば目の前に現れる。

 ウルベルトは〈連鎖する龍雷(チェイン・ドラゴン・ライトニング)〉を放つと、体勢を崩した少女に“守護三連魔神器”を振るって容赦なく殴りつけた。思わず地面に両手をつく少女の細い背に腰を下ろし、組んだ足で後頭部を勢いよく踏みつける。少女の頭は地面へと押さえつけられ、まるで獣のような体勢でウルベルトの椅子と化した。

 

「頭が高い。身の程を知れ」

 

 ウルベルトの足の下で、少女の頭がミシミシと嫌な音を立てる。

 

「……ぐ…ぅぅ、…ぁあ、ああぁぁぁああぁあぁぁああぁああぁあっ!!」

 

 獣のような声を上げ、何とか逃れようと少女が暴れ始める。

 ウルベルトは頭を踏みつけている足に更に力を込めると、わざとらしく肩をすくめながら少女の背に掌を触れさせた。

 

「煩い、黙れ。〈溺死(ドラウンド)〉」

「っ!!?」

 

 ウルベルトの魔力が少女の身体を包み込み、次の瞬間少女の身体がビクッと大きく震えた。暴れていた身体がピタッと止まり、戦鎌から手を離して細い首を抑える。少女は苦しげに顔を歪めると、まるでへたり込むように完全にペタリと地面に横たわった。

 

「ぐっ…、…げ…、ごぼっ、がぼっ!!」

 

 少女の口が大きく開かれ、中から透明な水が滝のように吐き出される。しかしいくら吐き出しても乾いた呼吸音は聞こえてこない。あまりの苦しさに、少女は喉を抑えていない方の手で足掻くように黒曜石の地面に爪を立てた。硬い地面に爪が折れるのも構わず、まるで苦痛から逃げようとするかのように足掻いては何度も水を吐き出す。しかし水は尽きることはなく、どんなに吐き出しても彼女の口や喉、肺を満たし続けた。少女の涙と吐き出した大量の水で、少女を中心に大きな水溜りができていく。

 ウルベルトは完全に椅子の役割を放棄した少女の身体にため息をつくと、少女の頭から足を離して彼女の背から立ち上がった。

 重みから解放された瞬間、少女の身体が苦痛のあまりゴロゴロと水溜りの上を何度も転がる。少女は全身を濡らしながら、横たわったまま目の前に立つウルベルトを見上げた。その顔には先ほどまでの狂気的な笑みは全くなく、混乱と苦痛と小さな恐怖に彩られているのにウルベルトはフンッと小さく鼻を鳴らした。

 

「…“絶死絶命”とはよく言ったものですね。あなたは恐らく自身のダメージを力に変えることができるのでしょう。そして恐らく、どんな攻撃を受けても即死することはない…。どんなに悶え苦しもうとも、あなたは死なない…。いや、死ねないのでしょう?」

 

 冷ややかに少女へと語りかけながら、徐々に精悍な山羊の顔に残忍な笑みを浮かべていく。

 〈溺死(ドラウンド)〉の魔法はユグドラシルでは何かと使い勝手が悪く不人気な魔法だったが、この世界であれば話は別のようだった。ユグドラシルの魔法の知識も、装備やマジックアイテムへの技術も、全てがユグドラシルに比べて劣っているこの世界であれば、あらゆる可能性を考慮して対策を立てることは難しい。下手をすれば〈溺死(ドラウンド)〉の存在を知らない可能性すらあった。

 

「比較的、対処が容易い〈溺死(ドラウンド)〉ですらこの有様とは…。あなた方の程度が知れますね」

 

 もう暴れる気力も尽きたのか、少女は力なく横たわりながら口からダラダラと水を垂れ流し、虚ろな目でウルベルトを見つめている。

 ウルベルトは少女への興味を一気に失わせると、さっさと止めを刺そうと指先を少女へと向けた。

 しかし突然こちらに突進してくる気配に気が付いて、ウルベルトは慌ててそちらを振り返った。

 目の前に飛び込んできたのはこちらに突撃してくる少年の姿。血みどろになりながらも怪しく光り輝くみすぼらしい大槍を構えている。

 ウルベルトは咄嗟に防御魔法を唱えようとして、しかし思い直して口を閉ざした。

 まるで招くように無防備に突っ立っているウルベルトに、容赦なく槍の矛先が迫ってくる。

 ウルベルトと槍の矛先との間が一メートルもなくなった、瞬間…。

 

 

「…我が友に二度までも刃を向けるとは、まったく許し難いな」

 

 聞こえてきたのは憎悪に彩られた低い声音。

 少年と槍の動きはぴたりと止まり、ウルベルトと少年の間には死の支配者が悠然と立ち塞がっていた。

 指輪で彩られた骨の手が無造作に槍を握りしめている。

 無傷で見下ろしてくるアインズに、少年は信じられないというように目を見開かせていた。

 

「いや、戦っているのですから刃を向けるのは当然でしょう、アインズ」

「そんなことは関係ない。ここがどこで相手が誰で今がどんな状況であろうとも、我が友を害する意思がある時点で許し難い」

「ふふっ、我儘ですねぇ」

 

 まさに傍若無人な魔王然とした言いようにウルベルトは思わず笑い声を零す。

 しかし少年が何かを呟いたような気がしてウルベルトとアインズはほぼ同時に少年を見やった。

 少年は未だ呆然とした表情を浮かべながら見開いた目でアインズを見上げている。

 

「………なぜ、生きている…。…力を解放したこの槍に触れて、何故っ!!」

 

 感情が爆発したのか喚き始める少年に、アインズとウルベルトはほぼ同時に呆れたため息を吐き出した。

 人類の切り札とまで言われる漆黒聖典の隊長が、この程度で冷静さを失わせるとは全くもってお笑い草だ。それだけ槍の力に自信を持っていたのかもしれないが、神器級(ゴッズ)アイテムを身に纏い、世界級(ワールド)アイテムを持つアインズとウルベルトにとってはそれほど驚く事ではない。

 すっかり注意散漫となってしまっている少年に、ウルベルトは嘲るような笑みを浮かべて小首を傾げてみせた。

 

「驚くのは勝手ですが、曲がりなりにも隊長を名乗るのでしたらもう少し注意した方が宜しいですよ」

「…? 一体どういう…」

「〈全断(パーフェスト・スラッシュ)〉」

 

 ウルベルトの忠告とほぼ同時にアインズが無慈悲にも魔法を唱える。瞬間、槍を握りしめていた少年の右腕が見えない刃でスパッと綺麗に斬り落とされた。右腕が斬り落とされたことによって槍はアインズの手に渡り、切断された右腕からは血飛沫が噴水のように勢いよく噴きあがる。一拍後、漸く事態を理解した少年が悲鳴を上げて蹲った。

 

「…ぁあ、ああぁぁああぁぁあぁあああぁぁああああぁぁっ!!?」

 

「全体的に反応が遅いですねぇ。よくこれで隊長を名乗れたものだ」

「………なるほど…」

「ん? 何か分かりましたか?」

 

 呆れた表情を浮かべながらも何かしてこないか少年を見張っていたウルベルトは、不意に呟いたアインズに気が付いてチラッと目を向けた。

 

『何故あんなに自信満々だったのか分かりましたよ』

『そんなにすごいアイテムだったのか?』

『ええ、これも世界級(ワールド)アイテムです。それも…、“聖者殺しの槍(ロンギヌス)”でしたよ!』

『なに!? ……それはまた…』

 

 〈伝言(メッセージ)〉で会話しながらアインズとウルベルトの背に冷や汗が流れる。もっともアンデッドであるアインズには流せる汗がないのだが、その心持ちはウルベルトと全く同じだった。

 “聖者殺しの槍(ロンギヌス)”は数ある世界級(ワールド)アイテムの中でも名の知れた有名なアイテムの一つだ。使い捨てである二十の世界級(ワールド)アイテムの一つであり、使用すればターゲットだけでなく使用者のデータもすべて抹消してしまう。復活するにも一部の世界級(ワールド)アイテムが必要不可欠であり、それ以外の復活方法は存在しない。ユグドラシルではイベント進行に必要なキャラクターがこのアイテムで消滅されても運営側は何もせず、そのイベントの方が進行不能になった程だ。今回世界級(ワールド)アイテムを持ってきていたことに胸を撫で下ろすと同時に、ナザリックの者たちにその矛先が向けられなかったことに心から安堵した。

 もしこの槍で殺されればナザリックでは復活させる方法がない。恐らくこの世界で見つけることもほぼ不可能だろう。

 そこまで考えて、ふとウルベルトはあることを思い至って知らず笑みを浮かべた。

 

「…そうだ。なら、是非ともこの槍を使ってもらってはいかがです?」

「どういう意味だ?」

「あそこに転がっている番外席次殿にはどうやら不死の力があるようです。本当に不死なのかは分かりませんが、どうせならこの槍で死んで頂きましょう」

「それは……、勿体なくはないか?」

 

 二十の世界級(ワールド)アイテムは一度きりの使いきりのアイテムであり、再び手に入れるためには再度同じ取得イベントをこなさなければならない。こんなところで使ってしまうのは非常に勿体なく思えた。

 しかしウルベルトはそうは思っていないのか、変わらぬ笑みを浮かべたまま小さく首を傾げた。

 

「確かに勿体ないですが、よく考えて見て下さい、アインズ。この世界はユグドラシルではなく、このアイテムが戻るべきユグドラシル自体、既に存在していません。この二十の世界級(ワールド)アイテムは使い終わった後、一体どこへ行くのでしょう?」

「……………………」

「この世界ではユグドラシルの全てがそのまま適用するわけではありません。これは唯の私の憶測ですが…、二十の世界級(ワールド)アイテムは使いきりではなくなっているのではないでしょうか? そうでなければ、彼があのタイミングで私にこの槍を振るおうとしたとも思えません」

 

 この槍を使って少年が消えたとしても、その時は少女に魔法をかけたウルベルトも消えてなくなっている。そうなれば少女にかけられていた魔法も解け、槍は再び少女が使うことができる。上手くすれば少女の手でアインズを倒せるかもしれない。

 

「使いきりの世界級(ワールド)アイテムがこの世界でどうなるのか…、実験がてら使ってみませんか?」

「………そう、だな…、今後の参考にもなるか…。しかし、これは使用者も消滅させる。一体誰が使うというのだ」

「いるではありませんか、絶好の駒が」

 

 番外席次が不死という言葉に多少驚きながらもアインズが小首を傾げて疑問を口にする。

 ウルベルトは心底面白そうな笑みを浮かべると、次には右腕を抑えて呻いている少年へと目を向けた。つられる様にしてアインズも少年へと視線を向ける。

 考え込むように黙り込むアインズに、ウルベルトはこれから行われる喜劇に心を躍らせながら指先を少年へと向けた。

 

「〈操り人形(パペット)〉」

 

 ウルベルトの魔法が発動した瞬間、少年の細い身体がビクッと大きく震えた。

 驚愕に目を見開かせる中、ウルベルトが指をクイッと動かせばふらつきながらも立ち上がる。

 

「…なるほど、そう言うことか」

「ええ、名案でしょう?」

 

「わ、私に何をしたっ!!」

 

 少年が悲鳴にも似た声を上げるがアインズもウルベルトも全く気にも留めない。

 アインズは少年の残った左手に“聖者殺しの槍(ロンギヌス)”を握らせ、ウルベルトは手と指を使って少年の身体を操った。少年は何とか抗おうとするが身体は全く言うことを聞かず、ウルベルトの思うがままに横たわる少女の元まで歩かされる。

 のろのろと時間がかかりながらも少女の元まで辿り着けば、彼女はビクっビクっと身体を小刻みに痙攣させながら虚ろな目で少年を見上げていた。自身の能力のせいで死ぬことができないのだろう、呼吸ができない苦しみに悶えながら、もはや一欠けらの気力すら残ってはいないようだった。

 

「さぁ、槍の能力を解放して彼女諸とも消えなさい」

 

 悪魔の声が耳元で甘く囁きかける。

 本当は嫌なのに、抗わなければならないのに、少年の身体は従順に従ってゆっくりと槍を掲げた。

 

「…嫌だ、…やめてくれ……!」

 

 口は自由に動くというのに身体が言うことを聞かない。

 思考は冴え渡っているというのに、悪魔の意志に抗うことができない。

 少年の身体はギュッと強く槍を握りしめると、槍の力を解放させた。

 使用者とターゲット両者を消し去る力。本来ならば人類の敵に振るわれるべき力だというのに、今は人類の最後の砦であるはずの自分たちに向けられている。

 何故、彼らにはこの力が通じなかったのか…。

 何故、こんな事になっているのか……。

 混乱と悔しさと大きな恐怖に駆られながら、少年は成す術もなく少女へ向けて槍を振り下ろした。

 

「くそぉぉぉおおぉぉおぉおおぉぉおぉぉおぉぉぉっ!!!」

 

 最後に響いたのは少年の慟哭。

 白く大きな光がステージを包み込んで視界を眩ませ、爆発的な力が膨れ上がる。

 ずっと頭上に待機していたドラゴンがすかさず駆け寄り、アインズとウルベルトを皮膜の翼で包み込んだ。爆風はなかったもののビリビリとした鋭い波動が大気を震わせ、アインズとウルベルトはドラゴンに護られながら小さく顔を顰めさせた。流石は世界級(ワールド)アイテムと言うべきか、余波と言えども凄まじいものがある。ゲームでは感じることができなかった大気の震えを感じながら、二人は力が鎮まるのを大人しくじっと待った。

 暫くして漸くドラゴンが皮膜の翼を動かしてアインズとウルベルトを解放する。

 開かれた視界に周りを見回しながら、少年と少女がいた場所へと視線を向ける。

 黒曜石の地面は所々に亀裂が走り、少年と少女がいた場所には一振りの槍が地面へと突き刺さっていた。少年の影も少女の影もそこにはありはしない。彼らが身に纏っていた神器級(ゴッズ)アイテムですら残ってはいなかった。

 

「……ふむ、ウルベルトさんの予想が当たりましたね」

「…さすがは二十の世界級(ワールド)アイテムの一つ、と言うべきか。あいつらの装備も全部消え去ってるな」

「はい。でも、“聖者殺しの槍(ロンギヌス)”が無事に手に入って使いきりじゃなくなったと知れて良かったです」

「確かにな。…さて、神人は無事倒せたが、あいつらはどうなったかな」

 

 他の聖典の相手をしているはずの守護者たちを思い、何となく周りを見回す。

 心配でどこかそわそわし始めるウルベルトに思わず笑みをこぼす中、不意に気配を感じてアインズはそちらを振り返った。

 シャドウデーモンが地面の闇から姿を現し、恭しく跪いて頭を下げる。

 

「アインズ様、ウルベルト様。聖典と思われる者どもは無事に殲滅。神官長と巫女は全員ナザリックへ収容いたしました」

「良いタイミングだ。守護者たちは今どこにいる?」

「パンドラズ・アクター様を中心に宝物庫の物をナザリックへと搬送しております」

「なるほど、仕事の早いことだ」

 

 迅速な行動と有能な仕事ぶりにウルベルトが満足げな笑みを浮かべる。

 アインズは“聖者殺しの槍(ロンギヌス)”を引き抜くと、礼を取って闇に沈んでいくシャドウデーモンを見送っているウルベルトを振り返った。

 

「さて、では俺たちは一足先にナザリックに戻りましょうか」

「…そうだな。ちょっと疲れたし、たまには俺たちがあいつらを出迎えてやるか」

 

 いつもの悪戯気な笑みを浮かべるウルベルトに、アインズも小さく笑い声を零す。

 アインズが〈伝言(メッセージ)〉でアルベドに総指揮権と命を下している間に、ウルベルトはドラゴンが入れるだけの大きな〈転移門(ゲート)〉を出現させた。

 身を屈めるドラゴンの頭の上に二人同時に飛び乗る。

 二本の角にそれぞれ背を預けながら、アインズとウルベルトは何とはなしに未だ悲鳴が響き渡る神都を振り返った。

 しかし二人とももはや何かを言うこともない。

 ここにはもはや気を引くものは何一つなく、すぐに視線を外すとナザリックへと続く闇の入り口へと視線を戻した。

 

「折角ですから玉座の間ではなく霊廟で待っていましょうか」

「良いな! ログハウスもあるし、のんびりあいつらを待つとするか」

 

 地獄の戦場に二人の楽し気な会話が響いては消えていく。

 二人を乗せたドラゴンはなるべく揺らさないよう細心の注意を払いながら、大きな闇の中へと姿を消していった。

 

 




今回は捏造がより取り見取りで申し訳ありません!
番外席次のタレントや隊長の武器、使いきりの世界級アイテムについてなど、ご不快に思われる方がいらっしゃれば本当に申し訳ありません…。
この小説だけでの設定として温かい目で許して頂ければ幸いです…(滝汗)

*今回のアインズ様捏造ポイント
・〈全断〉;
あらゆるものを切り裂き断ち切る魔法。〈現断〉の劣化版。

*今回のウルベルト様捏造ポイント
・“守護三連魔神器”;
二メートルほどの青白いクリスタルの杖。武人建御雷作の神器級アイテム。打撃攻撃の他、物理攻撃と魔法攻撃に対する防御力上昇、神聖属性に対する絶対耐性、第三位階魔法と同程度の魔力消費と引き換えに物理攻撃に対してパリィができる。
・〈刃の抱擁〉;
出現した魔法陣から多種多様の武器の刃が現れ、対象を串刺し切り裂く。地面だけでなく壁や天井にも出現可能。
・〈操り人形〉;
対象者を意のまま操る魔法。魅了や精神支配の魔法とは違い、対象者には意識がある。ユグドラシルでは対策や対処が比較的容易。



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第16話 終わりと始まり

遂に最終回です!
少しご都合主義が混ざってしまっているかもしれませんが、最後までお付き合い頂ければ幸いです。


 世界からスレイン法国という一つの国が消えた。

 スレイン法国とアインズ・ウール・ゴウン魔導国の衝突。

 数多の周辺諸国の中には法国が滅びることを予見したものもあっただろう。しかしあまりにも早すぎる決着に誰もが驚き、恐怖に身を震わせた。

 ウルベルトたちが使者として法国を訪れてから法国が滅びるまでかかった時間は凡そ三日。

 たった三日という短い期間で一つの国が滅びたのだ。

 最初の二日間で神都が落ち、残りの一日で神都以外の法国の領地全てが異形種の大軍に覆われ蹂躙された。

 法国が実際どうなったのか、多くの憶測が飛び交い恐怖となって世界中に伝染していく。中でも彼らの恐怖を煽ったのは法国の生き残りが誰一人としていないという事実だった。

 一つの国には数十万数百万という多くの人間が住んでいる。どんなに大きな戦争があろうと、どんなに酷い災厄が起ころうと、生き残りが一人もいないなどあり得ない。それなのに今回一人も生き残りがいないというのは一体どういうことなのか。難民どころか、その日法国を行き来したはずの商人ですら行方不明となっている。

 スレイン法国は焦土と化した土地だけを残して、他の全てをこの世界から消し去ってしまっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 スレイン法国を滅ぼしてから十日。

 ウルベルトは一人ナザリック地下大墳墓の第六階層にいた。

 アインズや守護者たちは焦土と化した法国や、未だ混乱状態にある王国や帝国への対処に追われてここにはいない。ウルベルトは法国との戦闘で完全に元に戻ることができず、アインズから力を蓄えるためにナザリックの留守を頼まれていた。

 ウルベルトに課せられた任務は、一刻も早く元の姿に戻ること。

 『そのためにもいっぱい寝て、ワインをがぶ飲みして、力を蓄えて下さい!』とはアインズの言である。

 しかし元々は疲労というバッドステータスもなく、飲食も不要な悪魔だ。赤子ではなくなった今、一日中寝ることなどできようはずもない。

 時間を持て余し過ぎたウルベルトはこれを機会に、今までずっと保留にしてきたことに向き合う決心をした。

 土と草の地面に直接座るウルベルトの目の前には黒い仔山羊たちの集合体。

 最初の時と同じように何もしゃべらず微動だにしない肉の塊に、ウルベルトは思わず目を細めさせた。じっと注意深く凝視しながら、それでいて魔力を肉塊へと通わせる。

 肉塊が未だ生きているためか、はたまた現実世界に繋がっているからか…。

 通わせている魔力に乗って小さな反応が肉塊から返ってくる。

 まるで心臓の鼓動のように…、水面に落ちる雫のように…。

 一定のリズムを刻むそれに、ウルベルトは微かな変化すら見逃すまいと注意しながら反応の意味を自分の中で解読していった。

 

 自分は何故この世界に来られたのか。

 何故それが自分だったのか。

 何故本来の姿ではなく赤子だったのか。

 奪い取られたものは何なのか。

 不調と発作の原因は。

 何故元の姿に戻れないのか…――

 

 全ての答えは目の前の黒い仔山羊たちの肉塊にある。

 この十日間で紐解いてきた全てを頭の中で繋ぎ合わせる。点と点が繋がって線となり一つの模様を描くように、全てが繋がって答えを成していく。

 もう少し、もう少しなのだ…!

 もう少しで全てが分かるような気がして、ウルベルトは衝動のままに大量の魔力を肉塊へと流し込んだ。何か手応えのようなものを感じて、まるで釣りのように勢いよく魔力を手繰り寄せる。

 一際大きく返ってきた反応。

 まるで呼応するようにウルベルトの心臓もドクンッと大きく鼓動し、ウルベルトは反射的に小さく息を呑んだ。

 頭の中で次々と線が構成されていく。

 最後のピースがゆっくりとはめ込まれたように、一つの大きな“答え”がウルベルトの頭の中に浮かび上がってきた。

 

 

「………はっ…、…そう言うことか」

 

 無意識に言葉が零れ落ちる。

 辿り着いた答えに納得すると同時に、どっと重たいものが伸し掛かってきたような気がした。

 思わずはぁっと大きなため息をつく。

 ずっと逃げてきたことに向き合う時が来たのかもしれない…。

 ウルベルトはもう一度ため息をつくと、覚悟を決めて立ち上がった。

 これからのことを考えながら、まずは確認も兼ねて〈伝言(メッセージ)〉を唱える。

 

「……パンドラズ・アクター…」

『っ!! これはウルベルト様! わたくし目に何かご用命でしょうか?』

「少しお前と話したいことがある。第六階層にある立ち入り禁止区域は分かるな? そこまで来てもらいたい」

『……………。……畏まりました! 至急お伺いいたします』

 

 プツッという小さな感覚と共に〈伝言(メッセージ)〉が途切れる。

 こちらに返答する間際、微妙にあいた間は一体何だったのか。

 忠告してきたアルベドのことを思い出し、まるでシミのように黒い何かがウルベルトの心に広がっていく。

 しかし、だからと言ってするべきことは変わらない。

 ウルベルトは目の前の肉塊を見つめながら、ただじっとパンドラズ・アクターが来るのを待った。

 今現在パンドラズ・アクターは主に法国に残された物資や財、マジックアイテムなどの回収と選定を命じられている。おそらくこちらに戻って来るにはそれなりの時間がかかるだろう。

 しかし予想に反して一時間も経たぬうちに姿を現した異形の軍人に、ウルベルトは内心で驚きの声を上げた。

 〈転移門(ゲート)〉をフル活用でもしてきたのだろうか…、と魔法の便利さに思わず小さく目を細めさせる。

 動向を探るように注意深く凝視してくるウルベルトに気が付いているのかいないのか、パンドラズ・アクターはカッと踵を打ち鳴らして敬礼の姿勢を取った。

 

「お待たせ致しました、ウルベルト様! パンドラズ・アクター、御身の前に馳せ参じましてございます!!」

 

 高らかに響いてくる声はまるで歌のように抑揚があり、身振りもオーバーで若干ウザったい。何故あのアインズからこのようなNPCが生まれたのだろうかと内心大いに首を傾げながら、ウルベルトは気を取り直してパンドラズ・アクターへと真正面から向き合った。どう切り出そうかと少しだけ思案し、しかしすぐに面倒くさくなって単刀直入に行くことにした。

 

「…俺は言葉遊びをしたり謎かけをすることも好きだが、今回は単刀直入に言わせてもらう」

「はっ、どういったお話でしょうか?」

「お前は今でも俺を殺そうとしているか?」

「……………………」

 

 ウルベルトの問いに、まるで時が止まったかのように静寂がこの場を支配する。

 何を考えているのかパンドラズ・アクターのはにわ頭は微動だにせず、その空洞の口からも何も発せられない。

 しかしウルベルトは気にすることなく、ただ淡々と話を続けた。

 

「アルベドから話を聞いている。俺たちを探す部隊を作ったことも、その裏での本当の目的も…」

「……………………」

「別にそのことについて咎めるつもりはない。俺たちがお前たちを捨てたことは事実だし、恨むなって言うのも身勝手な話だろう。ただ俺は、お前に確認したかっただけだ」

「………何を、でしょうか?」

「お前は今でも俺を殺そうとしているか?」

 

 先ほど口にした問いかけを再度口にして、パンドラズ・アクターを真っ直ぐに見つめる。

 パンドラズ・アクターは暫く黙り込んでいたが、まるで諦めたように大きなため息をついて項垂れるように肩を落とした。

 

「………確かに我々は御方々を害そうとしておりました。けれど今は…、少なくともウルベルト様は害そうとは思っておりません」

「…何故だ?」

「私が至高の御方々を害そうと考えたのは、我が崇拝せしアインズ様のお心を傷つけたためです。故に私は、アルベド様と協力して秘密裏に御方々を亡き者にしようと画策いたしました。しかしあなた様はナザリック内に出現し、その存在はアインズ様に知られてしまった。あなた様の存在をアインズ様が認められた以上、あなた様を害すれば逆にアインズ様のお心を傷つけてしまいます」

 

 だからもう手を出さない…、いや、手を出せないのだと語るパンドラズ・アクターにウルベルトは思わず小さく目を細めさせた。

 流石と言うべきか、アルベドと比べて彼は恐ろしいほどに冷静で思慮深い。いや、アルベドが少々自分の感情に素直過ぎるということもあるのだろうが、それを差し引いても彼は理性が強く、そして冷酷だとも言えた。

 だがウルベルトにとってはそれはさして問題ではない。

 ウルベルトにとって重要なことは、もっと先にあったのだ。

 

「…なるほど。ならばお前の行動はモモンガさんの感情に感化されたものではなく、お前自身の意志だったんだな?」

「………? …どういう意味でしょうか?」

 

 ウルベルトの言葉の意味が分からず、パンドラズ・アクターが小さく首を傾げる。

 ウルベルトは小さくそっと息をつくと、覚悟を決めて金色の瞳に強い光を宿らせた。

 

「お前たちは自身の創造主と深い繋がりを持っている。それは親子や主従といった関係性の事ではなく、感情としての繋がりのことだ」

「感情としての繋がり、ですか……」

「例えば好きなものや嫌いなもの…。そうあるべきと設定されたこと以外は創造主の影響を受ける傾向にある。ならば、お前が俺たちに対して持っている感情は、果たしてお前自身のものだと言えるのか…?」

「……………………」

 

 アインズを傷つけたことに対して恨み、自分たちに刃を向けるパンドラズ・アクター。

 動機はアルベドと同じだったが、しかしパンドラズ・アクターとアインズの関係性がウルベルトの判断を鈍らせた。

 パンドラズ・アクターはアインズが創り出したNPCだ。

 “自分たちを捨てた恨み”で刃を向けるのなら、こちらとしても受け止める覚悟はできている。

 “アインズを傷つけたから”という理由ならば、それはお前たちの権限ではないとアルベドの時と同じように突っぱねるつもりだった。

 しかし、それが創造主であるアインズの感情に引きずられてのものだったとしたら…?

 アルベドに忠告された時にパンドラズ・アクターの件を先延ばしにしたのは、実はこれが多くの原因だった。

 言葉では偉そうなことを言っておいて、ウルベルトは実は逃げていたのだ。アインズの本心を知り、それに向き合うことを恐れていた。悪の大災厄と恐れられていたはずの自分が情けないことこの上ない。

 しかし、それも今日で終わりだ。怯え続けるなど自分らしくないし、第一そんな事では息子であるデミウルゴスや叱責したアルベドに顔向けできない。それに、これ以上逃げることは今の状況が許してはくれなかった。

 自分が陥った状態。

 未だ現実世界へ繋がる黒い仔山羊たちの集合体。

 それらすべてを解決するためには、アインズときちんと向き合わなければならない。

 ウルベルトの覚悟を感じ取ったのか、黙り込んでいたパンドラズ・アクターが小さく身じろいだ。

 

「………ウルベルト様、先ほど申し上げた言葉は決して嘘偽りではございません。しかし…、私にはもう一つ理由があったのです」

「もう一つ?」

 

 訝しむウルベルトを余所にパンドラズ・アクターはウルベルトから目を逸らす。まるで何かに思いを馳せているかのように何もない上空を見上げていた。

 

「…わたくしめの能力は、御方々のお姿と力を真似ること。当初は宝物殿を守る戦闘面でそう定められただけなのかもしれません。…しかし、御方々が御隠れになってからは、違う意味合いも生まれたのです」

「違う意味合い…?」

「アインズ様にとってウルベルト様をはじめとする至高の御方々は何にも代えがたい大切なもの。最初は自ら御造りになったゴーレムで御方々のお姿を記憶しようとなさったようですが、アインズ様はそれではご納得していらっしゃいませんでした」

「………まさか…」

 

 頭に過った考えに、ウルベルトは思わず瞠目した。

 もし自分の考えが正しければ、それはなんて悲しく寂しいものだったのだろう。

 決して信じられず、また信じたくないものだったが、しかしパンドラズ・アクターが語るのは肯定の言葉だった。

 

「僭越ながら、私の役目は至高の御方々のお姿と力を保管すること。ウルベルト様方がお戻りになるということは、私の役目がなくなることを意味します」

 

 アインズを悲しませたことに対する憎しみは勿論ある。だがそれだけではなく、至高の主たちが戻ってきてしまったら自分の存在意義もなくなってしまうのだと。

 淡々と語るパンドラズ・アクターに、ウルベルトは思わず強く拳を握りしめた。

 湧き上がってきたのは悲しみと、それに勝る激しい怒り。

 彼らNPCたちにとって定められた存在意義がどれだけ大切なものなのかは少しは理解しているつもりだ。忠誠心が高ければ高いほど、それは彼らを縛って離さない。言葉通り、存在するための理由なのだから失えば生きていけないと思っているのかもしれない。しかしウルベルトにとってはそれは決して認められるものではなかった。

 

 

「………ふざけんなよ、てめぇ…」

 

 苦々しくドスの利いた声が零れ出る。

 静かながらもマグマのようなドロドロとした怒気を孕んで怒り狂う悪魔に、流石のパンドラズ・アクターもビクッと身体を震わせてたじろいだ。凄まじい怒気が重圧となってパンドラズ・アクターに襲いかかる。はにわ顔は全く変わることはなかったが、本能的な恐怖に身体中が震え、すぐにでもへたり込みそうになる。

 誰が見ても怯えている様子に、しかしウルベルトの感情は治まらなかった。唸り声のような声と共に噛みしめた歯がギリッと鳴り、冷ややかな瞳でパンドラズ・アクターを睨み据える。

 

「俺たちの姿を保管するのがお前の役目だぁ? …ふざけんのも大概にしろ」

 

 今までにない乱雑な口調と、殺気にも似た怒気を宿した鋭い瞳。

 絶対者のオーラと怒気を身に纏い、至高の悪魔はゆっくりとパンドラズ・アクターへと歩み寄った。

 土を踏みしめる小さな音がまるで死のカウントダウンのように鼓膜を震わせる。

 パンドラズ・アクターは目の前まで近づいてきたウルベルトに思わず頽れるように跪いて頭を垂れた。

 

「…聞くがな、パンドラズ・アクター。この世界に来て、一度でもモモンガさんはお前に俺たちの誰かになれと命令したのか?」

「………いいえ…」

 

 先ほどとは打って変わり、感情を押し殺した声で悪魔が静かに問いかけてくる。

 パンドラズ・アクターは恐怖に震えそうになる声を必死に抑えながら、短く否定の言葉を口にした。

 実際にはエクスチェンジボックスを使用するために至高の御方の一人である音改には何度か変身したことはあるのだが、ウルベルトが言いたいことはそういう意味ではないだろう。彼が言いたいのは能力の使用ではなく、アインズが心の支えとして自分に至高の御方の誰かになるよう命じたかどうかだ。その意味合いで考えれば、確かにこちらの世界に来てからはアインズは一度として自分にギルド・メンバーの誰かになることを命令したことはなかった。しかしそれは、それだけの余裕がなかったからだとパンドラズ・アクターは判断していた。

 ユグドラシルではない、右も左もわからない未知の世界。一から全てを調べていかなければならない状況で、ナザリックのシモベたちを一人で導いていかなければならないなどどれほど重荷だったことだろう。かつての仲間へ思いを馳せる余裕などあるはずがない。言い換えれば、全てが軌道に乗り余裕が生まれればアインズは再び自分に仲間の姿を欲するだろう。

 パンドラズ・アクターは自分の考えを疑わず確信を持っていたが、しかしウルベルトは全くそうは思っていなかった。

 データ世界のユグドラシルであれば兎も角、この世界は紛れもなく現実だ。パンドラズ・アクターを含めたNPCたちもデータではなくなり、一つの生命体として生きている。彼らを仲間たちが残した子供たちであると認識しているアインズにとって、彼らが生きているという事実は決して軽いものではないのだ。

 

 

「…俺たちがユグドラシルを去ってから、モモンガさんやお前たちがどうあったのかは知らん。だがこの世界に来て少なからずユグドラシルでの在り様とは変わっているだろう」

「……………………」

「そして恐らく、一番変わったのはモモンガさんだ。お前もそれは分かっているだろう! 何故モモンガさんの息子であるお前がそれを拒絶している!」

 

 先ほども思ったが、彼らNPCにとって設定された役割というものは大切で重要なものなのかもしれない。しかしそれは、今のモモンガの意向よりも重要なものなのだろうか?

 自分に献身的に尽くしてくれるデミウルゴス(我が子)の姿を見ているからこそ、パンドラズ・アクターへの疑問と苛立ちが募っていく。何より、モモンガのNPCである彼にモモンガの思いが伝わっていないことが一番腹立たしく悲しかった。

 

 

「………わたくしたちを捨てた貴方様に何が分かるというのです!」

 

 まるで感情が爆発したようにパンドラズ・アクターが声を荒げる。

 始めて見る感情を露わにした様子に、ウルベルトは何とか怒りを鎮めながら静かにパンドラズ・アクターを見つめていた。

 

「我らシモベにとって、あなた方至高の御方々は本当にかけがえのない存在だったのです! しかしあなた方はアインズ様お一人を残して全員が消えてしまわれた! 残された我々にとって定められた役割が唯一の在り処だったのです!」

「………お前にはモモンガさんがいただろう…」

「なればこそ! アインズ様の被造物である私がアインズ様をお支えせずしてどうするのです!!」

 

 いつの間にか俯かせていた顔を上げて、目の前に立つウルベルトを見上げる。しかしかち合った金色の瞳はどこまでも冷ややかにパンドラズ・アクターを見下ろしていた。横長の瞳孔を持つ瞳が異形である身にも不気味に映り、本能的な悪寒が走る。

 ウルベルトは純粋な魔法詠唱者(マジックキャスター)らしい細腕でパンドラズ・アクターの胸倉を掴むと、ものすごい力で引き上げた。目と鼻の先に怒りに歪んだ山羊の顔と爛々とぎらつく瞳が間近に迫る。

 

「それなら尚更“お前自身”がモモンガさんを支えなくてどうする! お前は誰でもない、モモンガさんが創り出した二重の影(ドッペルゲンガー)のパンドラズ・アクターだろう!」

「ですが、アインズ様が求めていらっしゃるのは…!」

「そんなの関係あるか! どんなに姿形が同じだろうが能力を真似できようが、お前がお前自身であることは変わらねぇだろうが! どんなにお前の能力が高くても、完全に俺たちになれる訳じゃねぇ。俺たちが戻ればお前の役目がなくなる? 役目がなくなればモモンガさんを支えられない? ふざけたこと言ってんじゃねぇぞ! 本気でモモンガさんのことを想ってるんなら、お前自身でモモンガさんを支えてみせろ!」

「……………………」

 

 胸倉を掴まれた状態で再び力なく項垂れるパンドラズ・アクターにウルベルトは一つ大きな息を吐き出した。

 再び頭に登った熱を冷まそうと、冷静になれ…と自分に言い聞かせる。

 ゆっくりと胸倉を掴んでいた手を放すと、片膝をついてパンドラズ・アクターと目線を合わせた。

 未だに怒りは胸の内でくすぶってはいるものの、幾分和らいだ瞳でじっと見つめる。

 

「今までモモンガさんを支えてきたのは、俺たちの影じゃなくて紛れもないお前自身だろう。俺はそれに感謝してるんだ。お前も、もっと自分に自信を持て」

 

 誰かの代わりではなく、自分自身で立って支えてみせろと再度口にするウルベルトに、パンドラズ・アクターは呆然とした様子で顔を上げた。はにわの真っ黒な空洞がじっとウルベルトに向けられている。

 ウルベルトはフッと表情を緩めると、もう一度だけ小さな息をついて立ち上がった。軽く地面に着いていた片膝を払う。

 パンドラズ・アクターものろのろと立ち上がると、未だ肩を落としながらも真っ直ぐにウルベルトを見つめていた。

 

「………ウルベルト様、先ほどウルベルト様が仰っていたことですが…」

「うん?」

「アインズ様は決してウルベルト様を恨んでなどおられません。だからこそ、先ほども言ったように私はウルベルト様を害することを諦めたのですから」

「……そうか…」

 

 幾度となく口にした言葉がどれほどパンドラズ・アクターに届いたのかは分からない。しかし今はこれ以上言葉を重ねても無意味な気がしてウルベルトは静かに口を閉じた。

 今のところ自分に対しては既に害意がないこと、そしてそれがモモンガさんによる影響ではないことが分かっただけでも良しとするべきだろう。

 心の内でそう判断すると、漸く本題に取り掛かるべく気持ちを切り替えた。

 

「…パンドラズ・アクター、お前の言葉を信じよう」

「……………………」

「そして、今からのことを見届けてほしい。…モモンガさんの息子であるお前に」

「ウルベルト様…?」

 

 パンドラズ・アクターから訝し気な声が漏れる。しかしウルベルトは全く構うことなく、すぐさま〈伝言(メッセージ)〉の魔法を連続で唱えた。

 〈伝言(メッセージ)〉の相手はアインズとデミウルゴス。

 内容はどちらも変わらず、今からここに来てほしいというものだった。

 デミウルゴスは即答、アインズも困惑しながらも同意してくれる。二人とも忙しい中だというのに、デミウルゴスは〈伝言(メッセージ)〉を終えてから約十分、アインズは約三十分ほどで駆けつけてくれた。最後に着いたアインズなどはウルベルトだけでなくパンドラズ・アクターやデミウルゴスもいることに驚いているようだった。ほぼ同時に臣下の礼を取るパンドラズ・アクターとデミウルゴスに手を上げて応えながら、ウルベルトの元へと歩み寄ってくる。

 

「お待たせしてしまって、すみません。でも、デミウルゴスは兎も角パンドラズ・アクターまでいるなんて…、まさか何かありましたか?」

 

 炎のような眼窩の灯りが気遣わし気にチラチラと黒い仔山羊たちの集合体へと向けられている。恐らくこの場に呼び出された時点でアインズの中には言いようのない困惑と不安が渦巻いていたのだろう。ウルベルトはその不安を少しでも拭えるように自らもアインズの元へと歩み寄ると柔らかな笑みを浮かべてみせた。

 

「忙しいのに急にすみません。ありがとうございます、モモンガさん」

「それは構いませんが…、一体何があったんですか?」

「俺が何故この世界に来られたのか…、何故こんな姿なのか…、全てが分かりました」

「「「っ!!?」」」

 

 ウルベルト以外の全員から驚愕に息を呑む音が聞こえてくる。期待と不安が入り混じった様な表情を浮かべるデミウルゴスと、言葉もなく呆然とした様子のアインズ。早く説明してほしそうな彼らに、しかしウルベルトにとっては中々に簡単な話ではなかった。彼らを呼んだものの上手く説明できる自信はなく、どう説明したものかと頭を悩ませながら口を開いた。

 

「そもそも俺がこの世界に来られたのは多くの偶然の積み重ねと、モモンガさんのおかげだったんだ」

「どういう意味ですか…?」

「俺にも上手く説明できる自信がないんだが…、順を追って説明させてくれ。まずモモンガさんが超位魔法〈黒き豊穣への貢(イア・シュブニグラス)〉を放って黒い仔山羊たちが五体生まれ、その五体の集合体から山羊の幼体姿の俺が生まれた。ここまでは良いな?」

 

 ウルベルトの確認にアインズをはじめとするこの場にいる全員が肯定に頷いて見せる。ウルベルトも頷きを返しながら次の段階へと説明を始めた。

 彼が語る話は、魔法の仕組みともいえる内容から始まった。

 超位魔法〈黒き豊穣への貢(イア・シュブニグラス)〉はユグドラシルでは広範囲の即死型召喚魔法と認識されている。

 ここで注目すべき点は“召喚魔法”という部分だ。召喚魔法とは、召喚したものにこちらの願いを聞いてもらう魔法である。人によっては命令できると解釈する者も多いが、ウルベルトは願い叶えるという認識の方が正しいと考えていた。〈黒き豊穣への貢(イア・シュブニグラス)〉の場合、召喚されるものは黒い仔山羊だ。つまり、多くの犠牲を代償に召喚された黒い仔山羊たちは〈黒き豊穣への貢(イア・シュブニグラス)〉を唱えた召喚者であるアインズの願いを叶える必要がある。

 

「…確かに俺は黒い仔山羊たちに命じて王国軍を攻撃させ、エ・ランテルを占領しました。でも、それで黒い仔山羊たちの役目は終わったんじゃないですか?」

「確かにユグドラシルではそうなるだろう。だがここで重要になってくるのは、ここがユグドラシルではなく、この世界では必ずしもユグドラシルの全てがそのまま適用するわけじゃないという点だ。そして〈黒き豊穣への貢(イア・シュブニグラス)〉は唯の召喚魔法ではなく生贄召喚だ」

 

 ユグドラシルではこれと言って差はなかったが、少なくとも現実世界では普通の召喚魔法と生贄からの召喚魔法では代償を払う分、生贄召喚の方が強力な魔法であるという設定が多い。そして、それはこの世界でも同様であるようだった。加えて黒い仔山羊たちはアインズの命令で多くの人間を殺し、多くの血肉をその身に浴びたという。

 

「超位魔法での生贄召喚魔法…、そして召喚者であるモモンガさんと繋がりを持っていた黒い仔山羊たちは再度多くの生贄によってモモンガさんの一番強い願いを叶えるだけの力を手に入れ、実行することができた」

「…俺の一番強い願い…?」

「………ギルド・メンバーとの再会」

「っ!!」

 

 再び息を呑む音がアインズから聞こえてくる。

 彼が今驚愕以外に何を思っているのかは骸骨の表情からは読み取ることができない。しかし弱く揺らめく眼窩の灯りに気が付いて、これ以上話を続けるべきか迷った。デミウルゴスやパンドラズ・アクターを見れば、二人は真っ直ぐにウルベルトを見つめている。

 ウルベルトが迷っていることに気が付いたのか、デミウルゴスが控えめながらも声をかけてきた。

 

「…ウルベルト様、恐れながらアインズ様の一番の願いが至高の御方々との再会であったならば、何故ウルベルト様だけがこちらに来られたのでしょうか?」

「それは、ギルド・メンバー全員をこちらの世界に連れてこれるだけの力がなかったからだ。この世界本来の理によって飛ばされたお前たちと違い、生贄召喚の力を使って異世界の者を連れてくることはこの世界の理を歪める行為だ。対象一人連れてくるだけでも相当な力を消費するだろう」

「………まさか、ウルベルト様が赤子だったのは…」

「そうだ」

 

 何かを察して言葉をなくすデミウルゴスに、ウルベルトは微苦笑を浮かべて小さく肩をすくませた。

 ウルベルトが本来の姿ではなく山羊の赤ん坊姿で現れた理由…。それは一つは黒い仔山羊たちが殺戮した生贄の数が足りず力が足りなかったこと。そしてもう一つはアインズとウルベルトの関係性が非常に弱いところにあった。

 いくら二人が同じギルド・メンバーで仲間だったとしても、それだけでは二人の繋がりは薄い。いくらアインズのギルド・メンバーに対する想いが強くても、それは反発する世界の力を少しだけ弱めるしか効果がなかった。黒い仔山羊たちは共喰いをすることによって力を一つにまとめ、足りない部分はウルベルト自身を削ることによって何とかこの世界に引きずり込んだのだ。

 

「ギルドメンバーの中で俺が選ばれた理由は、黒い仔山羊たちにとって俺が一番干渉しやすかったからだろう」

「何故、ウルベルト様が一番干渉しやすかったのでしょうか?」

「俺が山羊頭の悪魔だからだ」

「「「?」」」

「分からないか? …生贄によって呼ばれるものは大抵は悪魔だ。そして俺をこの世界に呼んだのは黒い仔山羊たちだ」

「………なるほど、黒い仔山羊たちと同じ山羊のフォルムを持ち、生贄によって呼びやすい悪魔。この二つの要素を兼ね備えた至高の御方はウルベルト様の他にはおりますまい」

 

 納得したように頷くデミウルゴスの言葉に、アインズとパンドラズ・アクターもほぼ同じタイミングで頷く。ウルベルトもデミウルゴスの言葉に肯定すると、一息入れるために一度だけ小さく息をついた。

 話がこれで終われば良かったのだが、事態はそれよりも更に複雑となっていた。

 

「俺は現実世界(リアル)で死んだか瀕死の状態になり、それに反応して黒い仔山羊たちが俺をこちら側に呼び寄せた。しかし黒い仔山羊たちの力が足りなかったのに加えてモモンガさんと俺との繋がりの強さも十分じゃなかったから世界からの抵抗力を防ぎきれず俺は幼体の姿で何とかこの世界に来た。ここまでは良いな?」

「はい」

「本当なら時間が経てば徐々に俺の削られた部分も回復して本来の姿に戻れるはずだったんだが…。どうもそういう訳にも行かなくなったんだ」

「それは…、どういうことでしょうか……?」

 

 デミウルゴスが不安そうな表情を浮かべて問いかけてくる。パンドラズ・アクターは良く分からないが、アインズも困惑と不安を綯交ぜにしたような雰囲気を漂わせている。途端に深刻そうになった二人に苦笑を浮かばせながら、しかしどうにもウルベルトの口は重かった。自分の不注意が招いた種であるだけに、どうにも説明するのが躊躇われる。しかし説明しない訳にもいかず、ウルベルトは重々しく口を開いた。

 

「…俺は世界の理を歪めてこの世界に招かれた存在だ。俺が本来の姿を取り戻すまでは黒い仔山羊の集合体も朽ち果てず、その肉塊は未だ現実世界(リアル)へと繋がっている。そんな状態で俺は不注意にも黒い仔山羊たちの集合体に触れてしまった…」

「あれに触ったんですか!?」

「ああ。…今思えばバカだったとしか言いようがない。俺が不完全な状態で接触したために、抑え込まれていた歪みが開いて、この世界での俺の“核”とも言うべきものが奪われて現実世界(リアル)へ強制的に引き戻された」

「…“核”…?」

「……奪われたものは“繋がりの力”とも言うべきものだ」

 

 ウルベルトの言葉にアインズたちは一様に首を傾げて疑問の表情を浮かべた。しかしウルベルト自身にもこれ以上の適切な言葉が思いつかなかった。

 彼の言う“繋がりの力”とは、ある意味“引力”と言い換えても良いもので、まさしくウルベルトにとってはこの世界では“核”というべきものだった。

 この力には多くの意味合いと役割を持っている。

 例えば魂と肉体の繋がり。

 人間だった頃の心と悪魔としての心の繋がり。

 この世界とウルベルトを繋ぎ止める役割など。言いあげればきりがなく、その力がなくなればウルベルトの全ては時間と共に衰弱し朽ち果てる。

 ウルベルトが本来の姿に戻りつつあったのは、単にワインや人間たちの血肉や憎悪によって悪魔としての力が上昇し、一時的に繋がりの力を補ってくれただけに過ぎないのだ。この姿も、奪われた“核”を取り戻さない限り時間と共に失われて朽ち果ててしまう。

 

「……そ、んな…! 一体どうしたら良いんですか!?」

「ウルベルト様!!」

 

 アインズとデミウルゴスから悲痛な声が零れ出る。

 勢いよく詰め寄ってくる二人に、ウルベルトはそんな資格もないと分かっているのに少しだけ嬉しく思ってしまった。大事な仲間と大切な息子にここまで想われて嬉しくないはずがない。

 ウルベルトは不謹慎にも緩んでしまいそうになる顔を必死に引き締めさせながら、努めて冷静に彼らを落ち着かせようと試みた。

 

「二人とも、落ち着いてくれ。何も不安にさせるためだけにこんな話をしたわけじゃないんだ」

 

 一度言葉を切り、改めてアインズとデミウルゴスを見つめる。

 このナザリックで、自分にとって一番大切な者たち。

 自分が全てを取り戻すためには彼らの協力が必要不可欠だった。

 

「モモンガさん、デミウルゴス…。俺は一度ユグドラシルを…、ナザリックを捨てた身だ。恨まれても仕方がないとも思ってる。それでも…、また一緒にいることを許してくれるだろうか?」

 

 一番聞くことが恐ろしかった問いを、覚悟を決めて投げかける。

 アインズについては先ほどパンドラズ・アクターが保証し、デミウルゴスについても今までの彼の態度が物語っていたが、それでもやはり直接問いかけずにはいられなかった。

 ウルベルトの葛藤に気が付いているのかいないのか、アインズとデミウルゴスは驚いたようにウルベルトを見つめている。

 二人の口から返されるのは果たして肯定か否定か…。

 無意識に身構えてしまうウルベルトに、しかしアインズとデミウルゴスが口にしたのは激しい肯定の言葉だった。

 

「そんなの…、当たり前じゃないですか! ウルベルトさんは今でも大切な仲間です! 許すも何もありません!!」

「アインズ様の仰る通りです! 私にとってウルベルト様は忠誠を誓う至高の御方々のお一人と言うだけでなく、敬愛する創造主なのです。ウルベルト様を恨む気持ちなど微塵もございません!!」

 

 きっぱりと言い切る二人にウルベルトは一瞬呆然と目を見開いた後、思わずははっと小さな笑い声を零した。顔を俯かせ、力なく片手で顔を覆う。競りあがってくる激情を何とか堪え、そっと震える吐息を吐き出した。未だ震える胸を拳を強く握り締めることで抑え込み、ウルベルトは漸く顔を覆っていた片手を外して顔を上げた。

 

「…ありがとう、二人とも。改めて、俺に力を貸してくれ」

「当り前ですよ、ウルベルトさん」

「仰せのままに、ウルベルト様」

 

 ウルベルトは金色の瞳に強い光を宿すと、そっと左手でデミウルゴスの手を、右手でアインズの手をそれぞれ握り締めた。不思議そうに見つめてくる二人には構わず、真正面から漆黒の巨大な肉塊へと向き直る。

 

「俺が元に戻るためには奪われた“核”を取り戻す必要がある。それには二人の力が必要不可欠だ」

「何をすればいいんですか?」

「基本的には何も、ただそこにいてくれればいい。必要なのはモモンガさんの強い想いと、デミウルゴスと俺の間にある強い繋がりの力だ。後はすべて俺が何とかする」

 

 覚悟を決めた力強い声音に、しかしアインズとデミウルゴスは少し心配そうにウルベルトを見つめた。また無茶なことをするつもりじゃないだろうか…と、どうしても心配になってしまう。しかしそんな二人の感情を何となく感じ取りながらも、ウルベルトは敢えてそれに触れることはしなかった。

 元より世界の理をまげて完全に自分という存在をこの世界に取り込ませるのだ。無茶をせずにそんな神のような真似ができるはずがない。

 ウルベルトは一度大きく息を吐き出すと、パンドラズ・アクターに少し離れている様に伝えて黒い仔山羊の集合体を睨み据えた。

 

 

「…〈魔法最強化(マキシマイズマジック)全断(パーフェスト・スラッシュ)〉!」

 

 ウルベルトの唱えた魔法が発動し、見えない大きな刃が勢いよく漆黒の肉塊を切り裂いた。

 ぱっくりと開いた大きな傷と、まるで噴水のように噴き出す赤黒い血飛沫。

 瞬間、肉塊がぶるぶると大きく震えはじめ、萎びていた多くの触手がまるでのたうち回る蛇のように暴れ始めた。鉄臭い血の香りに、触手によって抉られた地面によって土のにおいが混じり合う。ウルベルトによって切り裂かれた傷以外に無数の亀裂が肉塊に走り、くぱぁっと開いて白い歯と鮮やかな赤が姿を現した。

 

 

「……メェェェェエェェェェェエェェェ」

 

「…メエェェェエェェェエェェェエェェ!」

 

「メエエェェェエェェェェエェェェェっ!!」

 

 

 可愛らしい仔山羊の声が重なり合い、大合唱を始める。

 両手が塞がっているウルベルトの代わりに襲い掛かってくる触手を防いでいたアインズとデミウルゴスは、予想外の事態に思わず小さく身じろぎ、半歩後ろに後ずさった。

 

「…まさか、まだ生きて!?」

「生きていた…と言うよりかは、仮死状態になっていたと言った方が正しいな。完全に死んでたら現実世界(リアル)への門は果たせない」

 

 アインズの言葉に答えながら、ウルベルトはじっと肉塊の傷口を見つめていた。無数に口を開けている口内と違い、その傷の中は瑞々しい赤ではなく闇が渦巻く漆黒のもの。

 ウルベルトは小さく目を細めさせると、タイミングを見計らって繋いでいたアインズとデミウルゴスの手を放した。

 

「ウルベルトさん!?」

「ウルベルト様!?」

 

 アインズとデミウルゴスの驚愕の声が聞こえてくる。しかしウルベルトはそれに構うことなく勢いよく肉塊へと突っ込んで行った。まるでそれを待っていたかのように、傷口の周りから突如白く鋭い歯列が姿を現す。足がなくなったことで獲物に近づくことすら敵わない肉塊は、自ら飛び込んできた愚かな獲物に一番大きな“口”で迎え入れようとしていた。ウルベルトもそれに抗うことなく、まるで手を槍のように勢いよく傷の中へと突き入れる。

 傷から新たな血が噴き出すのと、鋭い多くの牙がウルベルトの肩に食い込むのはほぼ同時。

 右腕全てを呑み込んだ傷口は、まるで引き千切ろうとするかのようにギリギリと肩に食い込ませた牙を肉の中へと沈めていった。一気に骨まで達した多くの牙に、しかしウルベルトは怯むこともなく悪魔らしい笑みをニヤリと浮かばせた。

 

 ウルベルトはアインズの願いと多くの犠牲という名の代償でこの世界に呼び出された。ならば今回もアインズの願いとデミウルゴスとの繋がりだけでなく、多くの血肉と命が必要だ。

 

 

 

「俺の腕だろうが足だろうが、好きなだけ持っていけ。その代わり、俺から奪ったもんは返してもらうぞっ!!」

 

「ウルベルトさん!」

「ウルベルト様!」

 

 駆け寄ってきたアインズとデミウルゴスの手がウルベルトの身体を捉えた瞬間、ウルベルトに食らいついていた肉塊の牙が骨を噛み砕いた。二人によって引き戻される力も相まって、肉塊に呑み込まれたウルベルトの右腕は右肩からごっそりと引き千切られる。

 しかし痛みに怯んでいる時間はない。

 ウルベルトは失った右肩から血を滴らせながら、再び最強化した〈全断(パーフェスト・スラッシュ)〉を唱えて新たな傷を肉塊へと刻み込んだ。先ほどよりも大きな傷がくぱりと口を開け、赤黒い血を垂れ流しながら闇の入り口をウルベルトたちの前に曝け出す。

 しかし今回は先ほどの傷と明らかに違っていた。

 渦巻いているのは漆黒の闇だけではなく、その奥に確かに何かがぼんやりと浮かび上がっていた。

 それはまるで長い長いトンネルの中のよう。

 ぼんやりと見える光景に目を凝らせば、ウルベルトは目を小さく細めさせ、アインズは驚愕に鋭く息を呑んだ。

 

「…あれは…!」

 

 闇の中に見えたのは現実世界でのコンクリートに覆われた一つの狭い部屋。年季の入ったフローリングの上に、一人の痩せた男が口から血を吐いて力なく横たわっている。この距離では男が生きているのか死んでいるのかも分からない。しかしその男が誰であるのかアインズは直感的に理解した。

 

 

「………ウルベルトさん…」

 

 

 その声は果たして目の前の悪魔にかけられたものなのか、それとも遥か向こうの男にかけられたものなのか…。

 ウルベルトはそれを確かめることはせず、ただ残された左手の指先を真っ直ぐに男へと向けた。

 

「…〈血の楔(ブラッド・ウェッジ)〉」

 

 ウルベルトの魔法が発動し、突如床から生えた複数の赤黒い槍上の楔が男の身体を貫いた。

 まるで磔のように…、神に捧げられる贄のように男の身体が宙で串刺しにされて血を流す。

 その際、確かに男の身体がピクッと震え、微かな吐息を零したことにアインズは気が付いた。しかしアインズが何かを言う前に既に全ての決着がつこうとしていた。

 今まで開いていた傷の扉が血を飛び散らせながら勢いよく閉じられ、複数の仔山羊の鳴き声が断末魔のように大きく響き渡る。漆黒の巨体は血を滴らせながらビクビクと震え、触手も縮こまったように肉塊自身に巻き付いていく。一体何が起こっているのか分からぬまま、肉塊は徐々に小さくなり、最後にはリンゴくらいの大きさまでになってしまった。

 未だ血をたらたらと滴らせながら宙に浮いている小さな漆黒の肉塊。

 ウルベルトはそっと肉塊を左手で掴むと、次にはぐしゃっと勢いよく握り潰した。噴き出した大量の血が赤い霧となり、勢いよく渦を巻いてウルベルトを包み込む。

 

「ウルベルトさん!!」

 

「アインズ様!!」

 

 慌てて手を伸ばそうとするが、何か見えない力に邪魔されて上手くいかない。加えて駆けつけたパンドラズ・アクターの手によってウルベルトから引き離され、血の霧が視界を遮って完全にウルベルトの姿を隠してしまった。

 どうすれば良いのか分からず、ただ焦りばかりが湧き上がってくる。

 しかし幸いなことにこの時間は長く続くことはなく、徐々に赤い霧は薄くなり始めていた。

 一番最初に目に入ったのはしっかりと立つ山羊頭の悪魔のシルエットで、取り敢えずは無事なようで安堵の息をつく。しかし先ほどのこともあって油断はできず、アインズはデミウルゴスとパンドラズ・アクターと共にウルベルトの元へと歩み寄った。未だ少し漂っている血の霧をかき分けながらウルベルトへと近づいていく。

 

「…ウルベルトさん?」

 

 安否の確認も含めて名を呼ぶアインズに、ゆっくりとこちらを振り返ってくる山羊頭の悪魔。

 柔らかく目を細めさせて自分たちを見つめるウルベルトの姿を視界に収めた瞬間、アインズは思わず驚愕に小さく息を呑んだ。

 

「………ウルベルト様、お姿が元に戻って…」

 

 呆然と呟くデミウルゴスの言葉通り、目の前のウルベルトは完全にユグドラシルの時の姿に戻っていた。

 毛の長い白い山羊頭に、大きくねじくれた二本の角。顎には立派な髭が垂れており、それを弄る五本指の手には鋭い鉤爪が備わっている。失われた右腕は未だなかったが、それはポーションを飲むか治癒魔法でどうにでもできるだろう。

 

「…ウルベルトさん、終わったんですか?」

「ああ、心配をかけてすまなかった。もう大丈夫だ」

 

 どこか晴れやかな笑みを浮かべて頷くウルベルトに、アインズは安心したように身体に入っていた力を抜いた。

 

「…良かった、…良かったです…!」

 

 一瞬、人間のウルベルトの姿が頭を過ったが、アインズはそれに蓋をしてただ今目の前のウルベルトの無事を喜んだ。

 ウルベルトはアインズたちに想いと繋がりの力が必要だとしか言わなかったが、その他にも代償となるものが必要だったのだとアインズも遅まきながら気が付いていた。彼はその代償として黒い仔山羊の血肉と魂、ウルベルト自身の血肉、そして現実世界にあった自らの人間の血肉と魂を捧げたのだ。そこまでの覚悟を見せられては、もはや自分が何かを言うことはできない。ウルベルトの覚悟を受け入れ、自分も素直に彼の帰還を喜ぶのが互いにとって一番正しいことなのだと自分に言い聞かせた。

 

「改めて…、おかえりなさい、ウルベルトさん」

「はい、ただいまです、モモンガさん」

 

 互いに挨拶し合い、笑みを浮かべ合う。

 後ろに控えていたデミウルゴスやパンドラズ・アクターも礼を取りながら声をかけてくるのに、ウルベルトは頷きながらそれらに応えた。

 どこか微笑ましく感じられる光景にアインズも自然と小さな笑い声を零し、それでいてこれからのことを思い思考を馳せた。

 ウルベルトが完全に元の姿に戻ったのだから守護者は勿論の事、ナザリックの者たちすべてに知らせた方が良いだろう。謁見の間で格好良く大々的に宣言した方が良いだろうか…と思い悩む中、不意に名前を呼ばれてモモンガはウルベルトを振り返った。

 

「モモンガさん、漸く元の姿に戻れたので、ずっと言いたかったことを言わせて下さい」

「はい、何でしょう?」

 

 思ってもみなかった意外な言葉に、アインズは思わず首を傾げる。

 ウルベルトはゴホンっと一つ咳ばらいを零すと、次には真っ直ぐにアインズを見つめてきた。

 

「…僭越ながら、悪の大魔法使いウルベルト・アレイン・オードルはナザリックに無事に帰還いたしました」

「ウルベルトさん…?」

「今度こそ、最後の時、最後の瞬間まで、お供させて頂きます、ギルド・マスター」

 

 驚愕と歓喜に眼窩の灯りを揺らめかせるアインズに、ウルベルトは悪魔らしいニヤリとした笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                                  Fin.

 

 

 




*今回のウルベルト様捏造ポイント
・〈血の楔〉;
地面に槍上の楔を生やし、対象者を串刺しにする即死系魔法。
即死に対するレベル差などの対処は可能だが、即死した者はその時まで残っていたHPとMPを詠唱者、あるいは詠唱者のギルド・メンバーに吸い取られる。


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あとがき

ここまでお付き合い頂きまして、本当にありがとうございました!

多くのお気に入りやコメント、評価など、皆さんの応援を糧に無事に完結することができました!

 

至らなかった点やご都合主義に走ってしまった点も多くあったかと思います。

にも関わらず、多くの方々に支えて頂き、本当に嬉しく、また楽しく小説を書かせて頂けました。

一応撒いたフラグはすべて回収できたと思うのですが、いかがでしょうか?

何か疑問点やご質問があればコメントなどして頂ければ幸いです。

小説の中、あるいはコメントにて答えさせて頂きます!

 

小説本編はこれで終了してしまいますが、また番外編でちょくちょく更新していけたらと思っております。

その際は、また読んで頂ければ幸いですvv

 

最後に当小説でのウルベルト様設定を纏めてみましたので、気になる方は見て頂ければと思います(笑)

と言っても、今まで小説内で出てきた設定だけですけれど…。

一応他にも魔法などの設定はあるのですが、それはまたの機会ということで!

オーバーロードではウルベルト様関連でまだいくつか書いてみたいお話があるので、もしUP出来ましたら、そちらで是非お会いしましょう!

それでは、長い間ありがとうございました!!

 

 

 

 

 

【ウルベルト・アレイン・オードル】

〈種族〉

最上位悪魔(アーチデビル)  ; 10.Lv

悪魔の支配者(オルクス) ; 15.Lv ……ets.

 

〈職業〉

ワールドディザスター ; 15.Lv

幻術師        ; 15.Lv

魔術の神王      ; 10.Lv ……ets.

 

〈ステータス〉

HP   ; 70

MP   ; 100

物理攻撃 ; 40

物理防御 ; 70

素早さ  ; 50

魔法攻撃 ; 100以上

魔法防御 ; 90

総合耐性 ; 90

特殊   ; 100

 

〈装備〉

・慈悲深き御手

ウルベルトが装備している悪魔の手のような布。

ワールド・ディザスター専用装備アイテム。

本来は防御と、攻撃した相手のMPを奪う(攻撃力は皆無)能力だが、ウルベルトが改造したため攻撃ができるようになり、MPほどではないもののHPも吸い取れるアイテムとなった。

何とも名に相応しくない、まったく慈悲深くないえげつないアイテム。

・守護三連魔神器

二メートルほどの青白いクリスタルの杖。

武人建御雷作の神器級アイテム。

打撃攻撃の他、物理攻撃と魔法攻撃に対する防御力上昇、神聖属性に対する絶対耐性、第三位階魔法と同程度の魔力消費と引き換えに物理攻撃に対してパリィができる。

 

〈特殊技術〉

・深淵の帳

一つの魔法詠唱に対して20分の完全不可知化。

魔方陣も魔法詠唱も魔力も、全て知覚させない。

・重奏狂歌

三つまでの魔法を同時に詠唱でき、詠唱中に動き回ることも可能。

ただし消費するMPは1.5~2倍になる。

・上位悪魔創造

アインズの特殊技術“上位アンデッド創造”の悪魔版。

一日4体までが限度。

普通はレベル70台の悪魔しか創造できないが、ウルベルトは“種族:悪魔の支配者”の特殊設定によりレベル80台の悪魔まで創造可能。

 

〈魔法〉

・使役魔獣・召喚

フレズベルク、ガルム、ニーズヘッグを召喚する召喚魔法。

主に前衛や守護、騎獣、情報収集に使役する魔獣。

レベルは90台。

・合わせ鏡

幻術魔法。

自分、或は対象の偽物(幻術)を三つ作り出す。

攻撃などはできず唯の目くらましだが、スキルや魔法で見破ることはできない。

・神の裁き

第10位階の電撃魔法。

対象を追撃する一直線の雷。

対象を貫くと同時に着電した対象は内側から焼き尽くされる。

生きていたとしても強い麻痺(痺れ)が残る。

・牢獄の茨

設置(罠)魔法。

対象者が設置場所を踏んだ瞬間、魔方陣が発動して赤黒い槍が対象者を襲う。

ダメージは一切ないが、当たれば100%対象者を一回拘束できる。

・風の刃

第二位階魔法。

かまいたちのような風の刃を放つ。

・集団転移

言葉通り、集団で転移する魔法。

・写し身人形

第10位階の幻術魔法。

対象(複数可)の幻影を作り出す。

対象が動かなくとも、自由に幻影を動かすことができる。

・刃の抱擁

出現した魔法陣から多種多様の武器の刃が現れ、対象を串刺し切り裂く。

地面だけでなく壁や天井にも出現可能。

・全断

あらゆるものを切り裂き断ち切る魔法。

〈現断〉の劣化版。

・操り人形

対象者を意のまま操る魔法。

魅了や精神支配の魔法とは違い、対象者には意識がある。

ユグドラシルでは対策や対処が比較的容易。

・血の楔

地面に槍上の楔を生やし、対象者を串刺しにする即死系魔法。

即死に対するレベル差などの対処は可能だが、即死した者はその時まで残っていたHPとMPを詠唱者、あるいは詠唱者のギルド・メンバーに吸い取られる。

 

〈その他〉

・魔の壺

悪魔創作のスキルで作り出す悪魔の一つ。

レベル30台。

30%の魔力を媒体に作れる悪魔で、腹に蓄積した魔力を爆弾として自爆で対象を攻撃する。

ウルベルトの場合は自爆よりも“慈悲深き御手”での魔力供給用。

・地獄の堕天侯爵

“上位悪魔創造”の特殊技術で創造可能な悪魔。

レベルは80台。

天使の翼を生やした人狼の姿で、尾は蛇。

 

 



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番外編
01;Dress up dress


『仔山羊悪魔の奮闘記』の番外編第一弾!
時間軸としては第三話『小さな災厄の幕開け』と第四話『ナザリック珍道中』の間となっております。


 ナザリック地下大墳墓の第十階層の玉座の間でウルベルトの帰還を宣言してから二日。

 生活の場をアインズの部屋から自分の部屋へと移したウルベルトは、現在目の前の光景に若干呆れたような視線を向けていた。

 ベッドの上に腰かけてシーツを身体に巻き付けているウルベルトの目の前にいるのはデミウルゴスとシャルティアとコキュートスの守護者三人と、セバスとソリュシャンとエントマとシズ。

 彼らがウルベルトの部屋で一体何をしているのかというと、それは彼らの周りに散らばる多くの布の山と装飾の山が全てを物語っていた。

 

「…やはり、すぐに使用できるものはありませんね。こうなっては致し方ありません。やはり他の至高の御方々の部屋も捜索すべきです」

「シカシ、ソレハアマリニモ不敬デハナイカ?」

「そうでありんす。至高の御方々の所有物はその御方々の物。いくらウルベルト様のためとは言え、無礼が過ぎるのではないかえ?」

「では、君たちもウルベルト様にこのような姿でいろと言うのかね?」

 

 いつもと変わらぬ笑みを浮かべてはいるものの、途端に重苦しいピリピリとした空気がデミウルゴスから放たれる。どす黒いオーラが悪魔の背後から見えるようだ。

 部屋の空気が一気に重々しくなりデミウルゴス以外のNPCたち全員が思わず身構える中、一人だけのほほんと構えているウルベルトがどこか呆れたように彼らを見つめていた。

 

「……あ~、俺は別にこのままでもいいんだが…」

「お言葉ですがウルベルト様、それはなりません。お身体にも障ります」

「いや、俺悪魔だから別に風邪ひかねぇし」

「それでもなりません。至高の御方であらせられるウルベルト様がそのような格好でいるなど…!!」

 

 言葉は最後まで紡がれることはなかったが、その必死さは痛いほど伝わってきた。いつもは本当に悪魔かと疑うほどに従順なのに、今は頑なで梃子でも動きそうにない。いや、従順ということはそれだけ忠誠心が高いとも言える。高すぎる忠誠心が今回は暴走しているのかもしれない。恐らくウルベルトの言葉すら届かないだろう。

 ウルベルトは一度大きなため息をつくと、肩をすくませるにとどめて彼らの好きにさせることにした。

 どちらにせよウルベルトの損にはならない。ならばこれを機に彼らの生き生きとした姿を存分に眺めることにした。

 デミウルゴスとアルベドとパンドラズ・アクターは比較的いつも側にいたため眺める時間も多くあったが、他のNPCたちは決してそうではない。彼らが思い思いに動く姿を見るのは新鮮で、大きな感動と言いようのない歓喜でついつい顔が緩んでしまう。

 幼い仔山羊姿であるのにまるで慈父のようにNPCたちを優しく見つめるウルベルトの前で、彼らは再び思うがままに言い争いを始めた。

 

「…ですが、やはり他の至高の御方々の所有物を拝借するのはいかがなものでしょうか」

「では、君には他にいい案でもあるのかね?」

「そうですね…。……ツアレは裁縫の腕も中々のものです。彼女に作らせてみては…」

「却下だ」

 

 最後まで言わせずに悪魔の柔らかな声が硬質な執事の声を遮る。デミウルゴスは穏やかな笑みはそのままに、わざとらしく肩をすくませて緩く頭を横に振った。様になっていながらもどこか気取っている仕草はユグドラシル時代でのウルベルトにそっくりだ。

 思わずフフッと笑みを浮かべているウルベルトには気が付かず、デミウルゴスは閉じていた目を細く開いて宝石の瞳を覗かせた。笑みは深くなりながらもキラリと光る眼球で目の前のセバスを睨むように見据える。

 

「話になりませんね。既に一部のメイドとペストーニャに洋裁を頼んでいます。ですが、それにも時間がかかる…。だからこそこの話し合いを設けているのですよ」

「……それは…」

「それに…、いくらアインズ様に許されたからと言って身は弁えるべきです。唯の下等種族が至高の御方であらせられるウルベルト様の服に手を触れるなど決して許されることではありません」

「……………………」

 

 セバスは表情を変えずに黙り込み、デミウルゴスも笑みを浮かべたまま口を閉ざす。

 しーんっと静まり返る中、デミウルゴスとセバスは無言のまま鋭く睨み合った。見えない火花が二人の間でバチバチと鳴っているのが見えるようだ。

 一触即発のピリピリとした雰囲気が漂う中、ウルベルトのついたため息の音がいやに大きく響いた。

 

「…あー、お前たちの気持ちは嬉しいが、喧嘩はあまりしない方が良いと思うぞ」

「もっ、申し訳ありませんっ!」

「……申し訳ありません」

 

 途端に殺気が霧散し、デミウルゴスは慌てて、セバスはどこまでも堅苦しくウルベルトへと頭を下げる。セバスは兎も角として、デミウルゴスの慌てようは尋常ではない。褐色の肌でも分かるほどに顔は蒼褪め、尻尾も力なく垂れさがっている。ウルベルトがデミウルゴスの創造主であることが影響しているのか、常にない落ち込み様にウルベルトは思わず苦笑を浮かばせた。デミウルゴスがどこかしょんぼりとした犬のように見えてきて無性に頭を撫でたくなってしまう。しかし多くの目がある手前、そんなことをしてデミウルゴスの心象が悪くなってしまったらことである。ここはデミウルゴスのためにも我慢した方が良いだろう…とウルベルトはグッと拳を握りしめて苦笑を浮かべるだけに留めた。

 気まずい空気が漂う中、不意に今まで黙り込んでいたコキュートスが徐に口を開く。

 

「………フム、ソレデハイッソノコト外デ調達スレバヨイノデハナイカ?」

「それは…、ナザリックの外で服を買うということでしょうか?」

「ウム。ナザリックニハナク、用意ガ間ニ合ワヌノナラバ、外ニ求メレバ良イデハナイカ」

「お言葉ですが、それは賛同しかねますわ、コキュートス様」

 

 コキュートスの言に異を唱えたのはセバスの後ろに控えるように立っていたソリュシャンだった。彼女の隣ではエントマとシズもうんうんと頷いている。

 

「お外の服は素材からして全くなっておりませんわ~。至高の御方々にはふさわしくありません~」

「……私もそう思う」

「ウーム…」

 

 コキュートスが思い悩むように唸り声を上げ、カチカチと小さく顎を打ち鳴らす。

 時折フシューと冷気を吐き出す隣で、何かを思いついたのかシャルティアが唐突に顔を輝かせた。

 

「そうだわ! 良いことを思いついたでありんす!」

「ム? ドウシタ、シャルティア?」

「確かにナザリックには子供服はなかったでありんすけど、ならば私たち守護者の服をウルベルト様に献上すればいいんでありんす!」

「しかし、それではあまりにもウルベルト様に失礼では?」

 

 セバスが少しだけ眉をひそめてシャルティアを見やる。

 確かに守護者たちの持つ衣服は希少素材やレアアイテムから作られているものが殆どで、ウルベルトに献上するものとしては申し分ない。しかしそれはあくまでも守護者の持ち物であり、一からウルベルトのために作られたものではない。言うなれば献上という名の間借りと同じことである。それはあまりにも無礼が過ぎるのではないだろうか。

 しかしシャルティアは変わらず自信満々の笑みを浮かべていた。

 

「言うでありんすねぇ。でも、私たちの持つ衣服はどれもすべて至高の御方々が用意して下さったものでありんす。言うなればナザリックの至宝…、それはウルベルト様への献上品として最もふさわしいものではないかえ?」

 

 小さく首を傾げて笑みを深めさせる吸血姫に、他の者たちは思わず全員黙り込んだ。

 セバスの言葉は尤もだが、しかしシャルティアの言うことも納得せざるを得なかった。

 至高の四十一人が手掛けた物は、それが例えユグドラシルにおいてクズ・アイテムと呼ばれる物であったとしてもナザリックの者たちにとっては等しく身に余るほどの至高の宝だ。ある意味尤も至高の主に献上するに相応しい代物かもしれない。

 

 

 

「………今のウルベルト様の体躯ですと、アウラやマーレでしょうか…」

 

 大分気を取り直したデミウルゴスが少し考え込むようにしながらも候補の守護者の名を呟く。一分も経たず考えを纏めると、デミウルゴスは未だ控えているソリュシャンとエントマとシズへと目を向けた。

 

「至急マーレに連絡を取り、ウルベルト様へ衣服を献上するように伝えてきて下さい」

「ちょっ、ちょっと待った!」

 

 デミウルゴスの命令に頭を下げて退出しようとする三人に、ウルベルトは咄嗟に声を上げて引き留めていた。

 ウルベルトは自分の耳を疑いながら、どこか呆然とデミウルゴスへと視線を転じた。

 

「……デ、デミウルゴス? 俺の聞き間違いでなければ、さっきマーレって言わなかったか?」

 

 デミウルゴスの言葉が信じられず、しかしだからこそ問いかけずにはいられなかった。

 マーレは幼い少年エルフのNPCだ。それだけ言えば一見何の問題もないように思えるだろう。しかしマーレは普段から少女の格好をしており、一方マーレの双子の姉であるアウラは逆に少年の格好をしている。この場合、マーレではなくアウラに服を借りる方が正しいのではないだろうか。

 しかしそんなウルベルトの焦りも何のその、デミウルゴスは今までで一番いい笑顔でこちらを振り返ってきた。

 

「はい、ウルベルト様。ご心配せずとも、最後まで仰らずとも理解しております。全て我々にお任せ下さい!」

「え~と…、何を理解してるって……?」

「ウルベルト様をはじめとする至高の御方々がお隠れになったリアルという世界では、少女には少年の格好を、少年には少女の格好をさせるのだと、このデミウルゴス…重々承知しております!」

 

 まるで褒めてもらいたい犬のようにブンッブンッと尻尾を激しく振りながら胸を張って力説するデミウルゴスに、ウルベルトは一瞬言葉もなかった。驚愕と呆気に思考が停止し、しかし防衛本能ともいえる様なよく分からない力が働いて漸く頭が回り始める。

 遅々としながらも何とかアウラとマーレの姿からデミウルゴスが勘違いしているのだと理解すると、ウルベルトは心の中で全ての元凶である者の名を叫んでいた。

 

(ぶぅくぶく茶釜ぁぁぁあぁぁぁぁぁああぁあぁああぁぁぁあっ!!!)

 

 それでも何とか心の中だけに留めた自分を誰か褒めてほしい…。

 ナザリック一の頭脳を持つという設定のデミウルゴスにまで何という間違った知識を与えているのだと、本人が目の前にいたら思いっきり殴りかかっていただろう。

 

(あぁ…、でも『てへっ☆』と言いながら可愛らしい動作でワザとらしくクネクネするピンクの肉棒の姿が容易に頭に浮かんできやがる……。)

 

 何とも苛立たしい…と内心で舌打ちしながら、しかしすぐさまデミウルゴス(息子)の勘違いを正そうと口を開いた。

 

「そ、それは間違いだ、デミウルゴス! 現実世界(リアル)でも普通は男の子は男の子の格好をするし、女の子は女の子の格好をするぞ!」

「それは…、大変失礼いたしました…。ですが、それでは何故ぶくぶく茶釜様はアウラとマーレにあのような格好を……?」

 

 それはぶくぶく茶釜が変態だからだ…とは口が裂けても言えず、ウルベルトは苦々しげに言葉を詰まらせた。

 自身の創造主を親のように慕う彼らの目の前で、その親を貶めるようなことは言うべきではない。というか言いたくない…。

 しかしこんな時どう誤魔化せばいいのかも分からず、ウルベルトは必死に思考を回転させながら苦し紛れに何とか言葉を絞り出した。

 

「それは、その……、ぶ、ぶくぶく茶釜にとってアウラとマーレは…そう、特別だから、だな…!」

「特別、ですか…」

 

 奇しくも以前アウラとマーレに自分たちの格好について聞かれた時のアインズと同じようなことを口にしたウルベルトだったが、しかしこの場にいる者たちは不思議そうな表情を浮かべていた。

 創造主に特別と思われることは彼らにとっては至上の喜びと言える。しかし何故特別だと性別とは真逆の衣服を着させられるのだろうかと疑問符を浮かべる彼らに、ウルベルトは無意識にデミウルゴスのスーツを見やり、これだ!と金色の大きな瞳を更に見開かせた。

 

「それは勿論、誰もそんな格好をしないからだ! お前だって、誰も着ないスーツを俺に与えられて着ているだろう?それと同じだ。誰も着ることのない服を着せることで、特別という印にするんだ!」

「オオッ、ナルホド! 流石ハ至高ノ御方々!!」

「ウルベルト様…、身に余る栄誉でございます!」

「そこまで創造主の御方の寵愛を受けられるなんて…、少しだけ羨ましいでありんすねぇ…」

 

 デミウルゴスが感極まって跪いて深々と頭を下げる中、シャルティアの言葉にこの場にいる全てのNPCが大きく頷いている。

 彼らの表情や声の響きから少し寂しそうな色を見てとって、ウルベルトは小さく目を細めて顔を綻ばせた。

 

「そんなに寂しがらなくても大丈夫だぞ、シャルティア。何も特別っていう印は服装だけとは限らないからな」

「? そうでありんすか…?」

「ああ、そうだとも! 例えばお前は創造主のペロロンチーノからありとあらゆる設定…じゃなくて、こうあるべきと定められた事柄が多くあるだろう? その数はナザリックの者たちの中でも一番多かったと俺は記憶している。それはつまり、ペロロンチーノがお前のことを愛し、特別な存在として創り上げた証拠に他ならない!」

「ペ、ペロロンチーノ様っ!」

「コキュートスだってそうだ。お前には多くの武器が与えられている。それも…お前は武人建御雷さんから本人の得物を授けられたんだろう?それを特別と言わずして何と言うんだ!」

「オオッ、正ニウルベルト様ノ仰ル通リデス!」

「プレアデスたちはデミウルゴスやアウラやマーレと同じで、メイド服の中でもお前たち個人にそれぞれ合わせた機能のデザインがされているだろう。普通は戦闘メイド服っていうカテゴリーもないしな。セバスはプレアデスっていう特殊な組織を束ねる役目を貰っているし、お前たちも十分あいつらに愛されていると思うぞ」

 

 この場にいる全員それぞれに向けて四苦八苦しながらも言葉をかけていく。

 彼らはウルベルトからの思ってもみなかった言葉の数々に感動し、シャルティアや三人のプレアデスたちは涙を流すほどだった。

 自分の言葉を一切疑うことなく喜び合う彼らに、ウルベルトは思わず小さな笑みを浮かべていた。

 どれもが自分が咄嗟に考えた言葉だったけれど、仲間たちが大なり小なり自分の創ったNPCに愛着を持っていたのは事実だ。少しでも彼らにその愛情が伝わればいい…。

 勝手に和やかな心持ちになっているウルベルトの前で、感動の波から大分落ち着いてきたデミウルゴスたちが再び動き始めた。

 

「ではマーレではなくアウラに話を通すことにしましょう。…ソリュシャン、エントマ、シズ、頼みましたよ」

「はい、デミウルゴス様」

「行って参りますわ~」

「はーい…」

 

 ソリュシャン、エントマ、シズの順で礼を取りながら部屋を退室していく。

 ウルベルトは彼女たちを見送りながら、何とか事前に防ぐことができた災難にそっと安堵の息をついた。

 しかしふとあることに思い至り、ウルベルトはハッと小さく息を呑んで勢いよくデミウルゴスを振り返った。

 

「そう言えば、デミウルゴス。お前がペストーニャやメイドたちに作らせている服はもしかして………」

「………少女の服です」

「やっぱりかっ!!」

 

 予想通り過ぎる返答に思わず大きな声が出る。

 ウルベルトは不機嫌そうに小さなピンク色の鼻をヒクヒクさせると、細めさせた双眸でひたっとデミウルゴスを鋭く見据えた。

 

「早急にペストーニャとメイドたちに知らせて男物の服を作るよう変更させろ」

「………畏まりました…」

 

 デミウルゴスが若干残念そうな表情を浮かべたような気がしたが全力で無視をする。

 

 

(仔山羊の男の娘とか超可愛い! 可愛いは正義だよ、ウルベルトさん!)

 

 

 何処からかそんなぶくぶく茶釜の声が聞こえたような気もするが、それも全力で空耳だと否定しておく。

 かくして、一先ず少女の格好をせずに済んだウルベルトは安堵の色を多分に含んだ重たいため息をつくのだった。

 

 その後、アウラから衣服を献上されて初めて男物とはいえ少女から衣服を間借りするという事実に気が付いたウルベルトは、すぐさま土下座する勢いで懇切丁寧に返却し、騒然となるNPCたちを何とか落ち着かせて、いろんな意味で死にかけたのはまた別の話である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                                  Fin.

 

 



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02;幸福と尻尾

『仔山羊悪魔の奮闘記』の番外編第二弾!
ひっっっっさびさに最新話を投稿しました!
突然可愛らしい仔(赤ちゃん)山羊を書きたくなって我慢できませんでした(笑)
時間軸としては第一話『黒き仔山羊の贈り物』と第三話『小さな災厄の幕開け』の間といったところでしょうか……。


 自身の趣味趣向とは違うものの、それでも絢爛豪奢で美しい室内。

 目の前には大きな寝台がどっしりと場を占め、強い存在感を放っている。

 その上には寝台の大きさに反してひどく小さな塊が微かな寝息を立てながら小さく上下に動いており、その愛おしい動きに朱色の悪魔は恍惚とした笑みを浮かべていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ここはナザリック地下大墳墓の第九階層にあるアインズの私室。

 しかし室内には部屋の主はおらず、代わりに一体の悪魔と一匹の仔山羊のみがいた。

 仔山羊は先ほどから寝台の上で大人しく昼寝に慎んでいる。その傍らでは朱色の悪魔が幸福に満ち満ちた笑みを浮かべており、一心にその平和な光景を眺めて見守っていた。

 しかし何故そもそもアインズの部屋に仔山羊とデミウルゴスのみがおり、肝心の部屋の主がいないのか。

 それは偏にアインズが扮している冒険者モモンが冒険者組合長であるプルトン・アインザックに呼び出されたためだった。

 今やエ・ランテルとアインズ・ウール・ゴウン魔導国を繋ぐ強力な橋役になっている冒険者モモンは重要な駒である。パンドラズ・アクターに代役を頼むことも少なくはないものの、まだまだアインズ自身が対応しなければならない場面も多くあった。

 今回も正にそれであり、アインズは泣く泣く冒険者モモンとしてエ・ランテルに赴くことになったのだった。

 しかしそうは言っても仔山羊をそのまま独りだけで部屋に放っておくわけにはいかない。ナザリックに来てまだ間もない仔山羊は未だ未知数なことが多く、いつ何が起こるか分からないため気が抜けないのだ。とはいえ仔山羊の存在は各階層守護者たちにしか未だ知らせておらず、他のシモベたちに面倒を見させるわけにもいかない。

 悩みに悩んだ末にアインズはデミウルゴスを呼び出し、自分が不在の間、仔山羊の面倒を見るように命じたのだった。

 なんせ仔山羊の正体はデミウルゴスの創造主であるウルベルト・アレイン・オードル。世話役を自分以外に頼むのであればやはり被造物であるデミウルゴスが良いだろう……とアインズは考えたのである。

 そしてその判断は見事に悪魔の心を鷲掴み、デミウルゴスは心の中でアインズに更なる忠誠を誓いながら、嬉々として創造主の元に馳せ参じたのだった。

 とはいえ、今のウルベルトは生まれたての仔山羊も同然。起きていることは稀であり、日の殆どは寝て過ごしている。

 しかしそれでも、デミウルゴスにとっては創造主の傍にいるだけで何よりも価値のある貴い時間だった。

 勿論創造主の世話を焼くことは何にも代えがたい幸福であるという考えは変わらない。しかしたとえそれがなかったとしても、創造主の存在をすぐ傍で感じられるだけでデミウルゴスは満足だった。

 崇拝し、敬愛する至高の創造主が心穏やかに過ごしている光景を見ることができるという幸運と至福。それだけで、デミウルゴスの胸には大きな幸福感が湧き上がり、創造主や至高の主たちに対する感謝の念が深まるのだ。嗚呼、何と素晴らしいことであろうか……と恍惚とした笑みを更に深め、高揚した意識の中で悦に浸る。

 そんな中、不意に寝台の上の主がこれまでにない動きをしたことに気が付いて、デミウルゴスはそっと音もなく寝台の傍らへと歩み寄った。寝台に近づき、そっと仔山羊を上から覗き込む。

 仔山羊は自身の身体の上にかけられているタオルケットを引っ張るように動かしながら、まるで身体を伸ばすような動作を見せていた。小さな口から『ぅんん……』という唸り声のような小さな声が響き、次には閉じていた瞼がゆっくりと開かれる。

 長い睫毛に縁どられた瞼から姿を現したのは透き通った大きな金色の瞳。横に伸びた黒の瞳孔は人間にとっては不気味に感じるものであったが、しかしデミウルゴスにとってはどこまでも神秘的で美しいもの。パチパチと瞼が上下する度に瞳に水の膜が張り、それが光を含んで更に金色の瞳を彩っていた。

 デミウルゴスは思わず感嘆の吐息を小さく吐き出すと、腰を折って仔山羊にそっと顔を近づけた。

 

「おはようございます、ウルベルト様。お起きになられますか?」

「……ぅ~……」

 

 未だ幼過ぎる肉体では言語を操ることが難しいのか、はたまたウルベルトの精神も幼児化してしまっているのか……、ウルベルトは未だ一度も明確な言葉を発したことはない。しかし意識はしっかりあるようで、こちらの言葉を理解したような素振りは見せるし、時折声を発することもあった。

 今はまだ起きたばかりで意識が朦朧としているのか、小さな声を発しながらもごろんっごろんっと遊ぶように寝台の上で全身を左右に揺らしていた。

 そのあまりにも可愛らしい姿と動作に、デミウルゴスは思わず感極まったように鼻と口元を両手で覆い隠す。全身を小刻みに震わせ、銀色の長い尾はデミウルゴスの心情を表すかのように激しく身悶えている。眼鏡の奥にある目は普段とは打って変わって大きく開いており、露わになった宝石の瞳は真っ直ぐに創造主だけに向けられていた。

 正に“ガン見”という言葉が相応しい。

 その姿はいろんな意味で威圧的なものであり、ある意味狂気的であった。

 もしこの場にアインズがいたなら悪魔のある意味鬼気迫る様子に思わずドン引きしていたことだろう。

 しかしデミウルゴスは自身の異様さに全く気が付くことなく、ただ創造主の愛らしい姿を一秒も見逃すまいとじっと凝視し続けていた。

 それから数分後、漸く仔山羊がゴロゴロ動きを止めて、仰向け状態で停止する。

 次は何をするのだろうとデミウルゴスが注視する中、仔山羊は目の前のデミウルゴスを見上げて小さく首を傾げた後、次には小さな両手を悪魔に伸ばしてきた。

 

「……? ……ウルベルト様?」

「……うっ……、……うぅ……」

 

 一体何を望んでいるのか分からず、思わず困惑の表情を浮かべて呼びかける。しかし仔山羊はなおも両腕を伸ばしたまま小さな声を発するのみで、デミウルゴスは思わず困惑の表情を深めた。

 何よりも大切な創造主の意思を察することができない自身に、焦りと共に悔しさと不甲斐なさ、絶望すら湧き上がってくる。

 しかし今はそんな場合ではないと何とか自身を奮い立たせると、デミウルゴスは何とか創造主の意思を読み取ろうと更に仔山羊の動作を注視した。

 一心に自身に向けられている金色の瞳と、真っ直ぐに伸ばされている小さな両手。その様はどこか欲しい物を必死に取ろうとしている姿のようにも見え、デミウルゴスは思わず小さく首を傾げて素早く周りを見回した。

 しかしどんなに視線を巡らせたところでウルベルトが欲しがりそうな物は見当たらない。

 思わず眉間に小さな皺を寄せる中、不意に聞こえてきた鳴き声にデミウルゴスは慌ててウルベルトに目を戻した。

 

「……うぅ~、……ふぇっ……ぅぅ……」

「っ!!」

 

 瞬間、目に飛び込んできたウルベルトの顔に思わず衝撃が走り抜ける。

 目の前の仔山羊の顔がぐずるようにくしゃっと歪み、大きな金色の瞳からポロポロと透明な雫が零れ落ち始めていた。

 

「……嗚呼っ、ウルベルト様……! ……ど、どうか泣かないで下さい……!!」

 

 もはやデミウルゴスの口から零れ出る声は悲鳴に近い。

 それだけ大きな衝撃と絶望が悪魔の全身を駆け巡っていた。

 創造主が欲することを理解することができず、あまつさえ涙を零させてしまうとは……!!

 己の罪深さに絶望し、少しでも気を抜けば膝から崩れ落ちてしまいそうになる。

 しかし今はそんなことをしている場合ではない……! と再度何とか自身に言い聞かせて気力を奮い立たせると、デミウルゴスは我武者羅な思いで咄嗟に創造主に手を伸ばした。小さく柔らかく、どこか壊れてしまいそうな身体に手を振れ、衝動のままに唯一無二の玉体を抱き上げる。

 ただ泣き止んでもらいたい一心で近くなった仔山羊の顔を覗き込み、そこで漸く創造主が涙を止めていることに気が付いた。それどころか未だひどく濡れている金色の瞳は甘く蕩け、顔にも満足そうな色が浮かんでいる。

 これは一体どうしたことかと内心首を傾げる中、仔山羊は小さな手を再びこちらに伸ばすと、そのまま赤いスーツの布をキュッと握り締めてきた。金色の瞳は細められ、次には顔をこちらに擦りつけてくる。

 どこからどう見ても甘えているようにしか見えない創造主の姿に、悪魔は脳内で“スパーーーンッッ”という激しい音と衝撃を感じた。

 頭の中が真っ白になり、何も考えられなくなる。

 無意識に再び己の腕の中にいる創造主に目を向け、グリグリと額を擦りつけている姿を視界に入れて自身に追い打ちをかけてしまった。

 

「……グハッ……!!」

 

 魔の貴公子として創造されたはずの悪魔の口から、まるで血反吐でも吐いたかのような音が飛び出てくる。

 悪魔は片手で再び自身の鼻と口元を覆うと、次は我慢できずに頽れて地面に両膝をついた。腰も前方に折れ、まるで苦痛に耐えるかのように背が丸まる。

 しかしこんな状態になっても創造主を落とさぬように片腕でしっかりと仔山羊の身体を抱き込み支えているのは流石というべきか。

 悪魔は顔の下半分を覆っている掌の奥でフーッフーッと苦しげな呼吸を繰り返すと、数分後に漸く自身を落ち着かせることに成功した。

 ゆっくりと鼻と口元を覆っている手を外し、丸めていた背や折っていた腰を元に戻していく。

 未だ衝撃のあまり小刻みに震えて力が入り辛い両足に何とか力を込めると、デミウルゴスは創造主に振動を与えないように細心の注意を払いながらゆっくりとその場に立ち上がった。

 強く抱き込み過ぎて創造主を苦しめてはいなかっただろうかと改めて腕の中の創造主に目を向ける。

 瞬間、バッチリと合った金色の瞳にデミウルゴスは思わず全身の動きを止めた。

 ウルベルトは苦しそうな素振りは一切見せず、ただ一心にこちらを見つめている。

 暫くまるで観察するかのようにマジマジと見つめたかと思うと、次にはふにゃふにゃっと柔らかな笑みの形に仔山羊の顔が崩れた。

 

「………ぐふっ……っ!!」

 

 デミウルゴスの口から再び彼らしくない音が飛び出てくる。再びフラッと上体が揺らぎ、しかし今度は頽れることはなく、デミウルゴスは咄嗟に自身の両足に力を込めて何とか身体を支えることに成功した。

 『……流石はウルベルト様。笑み一つでここまでの攻撃力をお持ちとは……』と若干ズレた思考で創造主に崇拝の念を抱く。

 デミウルゴスは何とか平常心を取り戻すために一度、二度、三度……と深呼吸を繰り返すと、意を決して次は慎重に腕の中のウルベルトに目を戻した。

 仔山羊はデミウルゴスの必死な様子など一つも気が付いていない様子で、勝手気ままに少し丸みを帯びた頬の片側をムニッと悪魔の胸板に押し付けてピンク色の鼻をピクピクと小さく動かしている。いつの間にか瞼は閉じられ大きな金色の瞳は隠れてしまっているが、しかし眠ってしまったわけではないようで、平べったく長い耳がご機嫌な様子に時折ピロピロと震えて揺れていた。

 どうやら抱き上げてもらいたかったらしい創造主の願いに漸く思い至り、自然と悪魔の顔にも笑みが戻る。

 デミウルゴスは両腕で創造主の小さな身体をしっかりと包み込むと、時折優しく背を撫でながら、まるであやすようにゆっくりと上体を揺らめかせた。デミウルゴスが身体を揺らす度に、彼の銀色の長い尾もあわせてゆらりと宙を揺れ動く。

 腕の中の仔山羊は微睡むように大人しくその揺れに身を任せており、しかし暫くすると閉じていた瞼をゆっくりと開いて再び悪魔を見上げてきた。

 

「次は如何なさいましたか、ウルベルト様?」

 

 創造主の視線にすぐさま気が付き、悪魔が穏やかな声音で問いかける。

 仔山羊は無言のまま小さく首を傾げると、次には悪魔の顔から視線を外してそのまま宙へとさ迷わせた。金色の瞳がぐるりと回り、最後には悪魔の背後に向けられる。

 デミウルゴスは小さく首を傾げると、創造主の視線を辿って自身の背後を振り返った。

 しかしそこには当然のことながら何もない空間が広がっている。

 一体どうしたことかと再び創造主に目を向け、そこでふとウルベルトの視線が微妙に下に向けられていることに気が付いた。

 デミウルゴスもそれに従い、背後の斜め下に視線を向ける。

 そこに自身の長い尾を見つけ、デミウルゴスは思わず自身の尾と腕の中の創造主とを何度も交互に見やった。本当にウルベルトがそれを見つめているのか確信が持てず、デミウルゴスは創造主を注視したまま銀の尾を大きくゆらりと揺らしてみる。

 瞬間、仔山羊の金色の瞳が同じようにゆらりと揺らめき、デミウルゴスはそこで漸く創造主が自身の尾を注視しているのだと確信を持った。

 とはいえ、それが分かったとして一体どうするべきか……。

 ウルベルトが見つめているものがたとえば物であったならば、デミウルゴスは迷いなくそれを創造主に献上しただろう。しかしウルベルトが見つめているのは自分から生えている尾。いくら長さは十分でウルベルトを抱いたまま目の前まで持ってくることが可能だとしても、尾の先には鋭い六本もの棘が生えているのだ。己如きの棘が至高の存在である創造主の身体に傷を負わせられるとは微塵も思わないが、それでも“万が一”がないとも限らない。万が一……いや億が一でも自身の棘が創造主の身を少しでも傷つけてしまったなら、デミウルゴスは間違いなく発狂してしまう自信があった。

 傷ついた創造主の姿など、想像するだけでも恐ろしい。

 とはいえ、創造主が望むものを拒否するのは許されざる大罪。

 一体どうすべきかと熟考し、その数十秒後にデミウルゴスは考えをまとめて一つ小さく頷いた。

 

「ウルベルト様、少し失礼いたします」

 

 まずは一言創造主に声をかけ、その小さな身体を包んでいる腕を両腕から右の片腕へと変える。片腕だけでもしっかりと創造主を包み込めていることを確認すると、デミウルゴスは自身の空いた左手の方に尾を動かした。目の前まで来た尾の先を左手で掴み、棘の方向に細心の注意を払いながら創造主の目の前まで近づける。

 ウルベルトは大人しくデミウルゴスの腕の中に包まれていたが、目の前に尾の先が来ると小さく身を乗り出して両手を伸ばしてきた。

 柔らかく小さな手がデミウルゴスの銀色の尾の先に触れる。

 甲殻に包まれているとはいえ感触や温度はきちんと感じ取ることができる尾は、創造主からの掌のぬくもりもしっかりと伝えてくる。

 その愛おしい柔らかさと温かさに、デミウルゴスは思わず柔らかな笑みを浮かべた。ペタペタと掌を動かして触れてくる創造主の行動が可愛らしくて仕方がない。

 思わず表情筋をだらしなく緩める中、不意にウルベルトが更に大きく動いてきた。

 尾に向かって大きく身を乗り出したかと思うと、小さく短い両腕を伸ばして尾の先に抱きつく。そのままギュッと抱きしめる手に力を込めると、先ほどデミウルゴスの胸板にしたように柔らかな頬をプニッと押し付けてきた。

 

「……ウ、ウルベルト様……っ!!」

 

 スリスリと頬を摺り寄せてくる仔山羊に、再び脳内に“パアァンンッッ!!”と強い衝撃が走り抜ける。

 デミウルゴスの思考は再び真っ白になり、全身が大きく震えた。

 言葉にできないほどの大きく強い感情が胸の内で鬩ぎ合い、無様に身悶えないように衝動を抑えるだけで精一杯だった。

 

(嗚呼ウルベルト様なんとお可愛らしいことか正に生きる至宝改めて敬服いたしましたもはやウルベルト様のお可愛らしさに敵う者など何一つありますまいむしろお可愛らし過ぎてウルベルト様が良からぬ輩に目を付けられぬか心配でなりませんアインズ様がお許し下さるならば一秒たりともお傍を離れず御身をお守りいたしますものをいやただ待つだけなど愚の骨頂ではないかここは何としてでもアインズ様に進言しウルベルト様の御身をお守りするためのご許可を頂かなくてはこのようなことにも思い至れなかったとはウルベルト様の被造物として恥ずべきことだもっと精進をしなくt……――)

 

 悪魔の脳内で多くの言葉の羅列が凄まじい勢いで駆け巡っていく。

 デミウルゴスは暫くの間脳内でハッスルした後、漸く落ち着いてきた思考に一つ小さな息をついた。

 

「ウルベルト様、そろそろ宜しいでしょうか? 折角お目覚めになったのですから、何かお口に入れるものを用意いたしましょう」

 

 未だ少し興奮している自身の感情に内心で苦笑しながら、デミウルゴスは未だ自身の尾に抱きついている創造主に声をかける。

 仔山羊は頬を尾の先に押し付けたまま金色の瞳をデミウルゴスに向けると、無言のままじっと褐色の悪魔を見つめた。

 暫く続く、無言の静寂の時間。

 デミウルゴスが声をかけて数十秒が経った後、仔山羊はプイッと顔をデミウルゴスから逸らして逆側の頬を尾の先に押し付けた。

 つまり創造主から顔を背けられた形に、デミウルゴスは仔山羊の可愛らしい態度に表情が緩みそうになる一方で顔からサァァッと血の気を引かせた。

 

「ウ、ウルベルト様!? な、何かご不快になるようなことを申しましたでしょうか!?」

 

 創造主の急な態度の変化に、デミウルゴスはかつてないほどに慌てふためいた。

 その様はいつもの冷静沈着で余裕ある姿からは想像できないもの。

 思わずオロオロとする中、まるでそんなデミウルゴスの様子を哀れにでも思ったのか、暫くの後に仔山羊が再びこちらに顔を向けてきた。先ほどと同じように頬は尾の先にくっつけたままじっと金色の瞳を向けてくる。

 心底困ったような表情を浮かべて見返すデミウルゴスに、漸く仔山羊は尾の先にくっつけていた頬を離した。小さく『メェェ』と鳴き、デミウルゴスの顔に片手を伸ばしてくる。

 もはや創造主の思考や行動に全く予想が出来ない悪魔は固唾を呑んで大人しくその動きを見守り、仔山羊は更に腕を伸ばしてその小さな手を悪魔の頬に触れさせた。

 

「……ウ、ウルベルト様……?」

 

 そのまま片手で頬を撫で始める創造主の行動に、悪魔は驚愕の声音で創造主の名を呼ぶ。しかし仔山羊は一切気にした様子もなく悪魔の頬を優しい手つきで触り続けていた。

 それは誰がどう見ても頬を撫でている様にしか見えず、その仔山羊の行動にデミウルゴスは本日何度目になるかも分からない思考停止を再び発症した。

 頭が真っ白になり、何も考えられなくなる。ただただ自身の頬に感じる柔らかな感触と愛おしいぬくもり、そして優しく撫でられている感触を甘受する。

 『創造主に頬を撫でられている』というだけでなく、今の創造主の姿は可愛らしい仔山羊なのだ。その二つの巨大なダブルパンチを食らい、ナザリック一の頭脳を持つはずの悪魔のキャパシティは完全にオーバーダウンを起こしてしまっていた。

 もはや何をどう言葉にし、どういった行動を取ればいいのかも分からない。

 創造主の可愛らしさ、創造主に撫でてもらっているという喜びと恐れ多さが綯い交ぜになり、複雑な感情が悪魔の内側で巨大な渦を巻いている。

 このままではいけない……とある意味防衛本能ともいえる何かが悪魔の内側で働き、デミウルゴスは漸くゆっくりながらも思考を働かせ始めた。

 

「………ウ、…ウルベルト、様……。……何か、…何かこのデミウルゴスにお望みのことがあるのでしょうか……? ……嗚呼、ウルベルト様が何をお望みなのか思い至れぬ不祥な我が身をお許しください。どうか、何をお望みであるのか教えては頂けないでしょうか?」

 

 哀願するようなデミウルゴスの言葉に、悪魔の頬を撫でていた仔山羊の手が止まる。大きな金色の瞳はじっとデミウルゴスを見つめており、その瞳には何かを望むものではなく、むしろどこか案じているような光を宿しているように見えた。

 デミウルゴスは暫く創造主の瞳を見つめ、そこで漸くある考えに思い至ってハッと目を見開いた。

 これはもしや、何かを望んでいるのではなく、ただ自分を案じてくれているだけなのではないか、と……。

 思えば自身の創造主は他の至高の四十一人の中でも特に我らシモベたちを気にかけてくださっていた。いつもこちらの存在に気が付けば必ず声をかけてくださり、特に用がなくとも第七階層に赴いては自分たちにその至高なる姿を拝謁できる機会をくださり、被造物である自分には事ある毎に『我が最高傑作』『我が愛しい息子』と呼んでは慈しみのこもった眼差しを注いでくださっていた。

 デミウルゴスが記憶する限り、至高の四十一人に創造された数多くのシモベたちの中で、創造主自身に『息子』と呼ばれていたのは自分だけであったはずだ。

 その事実の何と恐れ多くも甘美であることか……。

 大きな幸福感に身を震わせ、他のシモベたちを思って無言のまま優越感に浸っていた日々を今も鮮明に覚えている。

 デミウルゴスは思わず柔らかく表情筋を緩めると、改めて目の前の創造主を見つめた。

 

「ウルベルト様、不肖な我が身を気にかけて下さり、心より感謝申し上げます。至高の御方であらせられるウルベルト様に気にかけて頂けることは、一介のシモベに過ぎぬ我が身にとって、これほどの喜びはありません」

「……………………」

「ウルベルト様……。……我が唯一にして無二の創造主様……。だからこそ、私はウルベルト様がお望みになる全てに沿いたいのです」

 

 仔山羊に語りかける声音はひどく優しく、甘く、魅惑的な力を孕んでいる。

 その声を聞き、語りかけられたのが普通の人間であったなら、一瞬で魅了されたことだろう。

 しかし語りかけられているのは人間ではなく、人外である仔山羊頭の悪魔。

 仔山羊は悪魔の美声に魅了されることはなく、しかし穏やかな様子でじっと朱色の悪魔を見つめていた。

 幼い顔にも大きな金色の瞳にも宿っているのは柔らかな笑みの色のみ。

 そのまま再び銀色の尾の先に頬を近づけて摺り寄せてくる仔山羊に、デミウルゴスは穏やかな笑みを満面に浮かべた。

 

「畏まりました、ウルベルト様。それでは、もう暫く……ウルベルト様がご満足されるまで、このままでおりましょう」

 

 自身の尾を随分と気に入ってくれたようで、『まだ放したくない』と全身で主張してくる創造主に悪魔は素直に頷いてそれを受け入れる。

 デミウルゴスとて、最も崇拝する創造主が自身に触れてくれることは何にも増して光栄なことであり、大きな喜びなのだ。創造主自身がそれを望んでくれているのであれば、デミウルゴスがそれを拒否する理由もない。

 デミウルゴスは自身の尾ごと創造主の小さな身体を抱き直すと、そのまま大切に大切に包み込んだ。

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

「――……今、戻った」

 

 泣く泣くナザリックからエ・ランテルに出かけてから数時間後。

 漸く用事を済ませてナザリックに戻ったアインズは、すぐさま第九階層にある自室に向かった。両開きの扉を開いて部屋に足を踏み入れながら、室内へと短く声をかける。

 同時に素早く室内へと視線を走らせれば、すぐにこちらに向いて立っている悪魔と目があった。

 

「お帰りなさいませ、アインズ様」

 

 悪魔はいつものように足を綺麗に揃え、90度腰を折って綺麗にお辞儀をして見せる。

 しかし残念なことに、アインズはそれには目もくれず更に室内に視線を走らせた。

 アインズが探しているのは仔山羊悪魔であり、その姿が見えないことに急激に不安が押し寄せてくる。

 この場にずっといたであろう悪魔に仔山羊の居場所を聞くべく改めて悪魔に眼窩の灯りを向け、しかしそこで漸く仔山羊悪魔の姿を視界に捉えた。

 

「……ウ、ウルベルトさん……!?」

「メェェ~~」

 

 思わず零した素っ頓狂な声に、仔山羊の間延びした鳴き声が応えてくる。

 仔山羊は悪魔のすぐ傍にある寝椅子(カウチ)の上に腰かけており、しかし何故かその全身に悪魔の白銀の尾を纏わせていた。

 いや、これはとぐろを巻いている白銀の尾の中心に潜り込んでいるというべきか……。もしくは悪魔の白銀の尾に巻きつかれていると言っても正しいかもしれない。

 まるで“巨大な蛇に捕食されかけている仔山羊”のような光景に、アインズは思わず呆然となってしまった。

 仔山羊はご機嫌な様子で『メェ、メェ』鳴いているが、アインズはどういった反応をするべきか理解が追いつかなかった。

 

「……えっと、…ウルベルトさん……? 何故、このような状況に……?」

「ウルベルト様がわたくしめの尾を大変気に入って下さいまして……。ウルベルト様のご要望に従い、このような姿で御前に立つことをどうかお許しください」

「いや、それは構わないのだが……。これはウルベルトさんが望んだことなのだな?」

「はっ」

 

 白銀の尾の先では仔山羊を巻き込みながら、朱色の悪魔は畏まった様子で深々と頭を垂れてくる。

 どうやらウルベルトが望んでいるというのは間違いないようで、アインズは暫く悩み……最終的には考えることを放棄した。

 

「………そ、そうか。ウルベルトさんの望みであるならば仕方がないな。ウルベルトさんが満足するまで付き合ってもらえるか、デミウルゴス?」

「はい! 勿論でございます!!」

 

 嬉々とした笑みを浮かべて大きく頷くデミウルゴスに、アインズも一つ頷いて返す。

 『ウルベルトもデミウルゴスも良いのであれば、別にこれで良いのだろう』と結論付けると、アインズは悪魔たちの好きなようにさせることにした。

 

 

 

 

 

 これ以降、悪魔の尾に抱かれてご機嫌な様子の仔山羊の姿を事ある毎に目撃することが暫くの間続くのだが、この時のアインズは知る由もなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                                  Fin.

 

 




ひっっっっさびさに可愛い仔山羊(赤ちゃん山羊)のウルベルト様とデミウルゴスを書かけてすっごく楽しかったです!
ウルベルト様のことになると途端に頭がぽんこつになるデミウルゴスが好きです(笑)

赤ちゃん山羊を腕に抱くインテリヤクザの悪魔も非常に萌えて良いですが、自身の尻尾を使って赤ちゃん山羊をあやすインテリヤクザの悪魔と、その長い尾っぽに懐く赤ちゃん山羊も非常に捨てがたい……。


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