サン=サーラ... (ドラケン)
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序章 月世海《アタラクシア》 Ⅰ
月の海原 濫觴の盃 Ⅰ


 この度は、拙作をご覧いただきありがとうございます。作者のドラケンと申します。この小説は、以前投稿途中でにじふぁんさんの閉鎖でにより更新停止してしまった『聖なるかな外典“無銘の唄”』を手直ししたものになります。
 フォレストページさんにも投稿させて頂いていますので、暫くはそのコピーを投稿させて頂きます。ご容赦下さい。

 それでは、本編をどうぞ…………。


【挿絵表示】

 友人であるヴェルダファードさんから頂きました、オリ主人公とオリヒロインのイメージ画像です! 画才ゼロの私には不可能な美麗画像、本当に有難うございます!


--一体、いつからそうしていたのだろうか。

 

 そこは何時でも無く、何処でも無い。表現する言葉も世界も無い其処(そこ)、永遠に瞬間を繰り返すしかない、時間も空間も無い最底(ソコ)

 

 周りの、同じだったモノが渦を巻く。思考も感情も抜け殻の癖にと声ならぬ声で怨嗟を吐く。

 それはさながら、蠱毒の瓶の中を覗き見たようだった。届かない希求の声に、果たされない応報。全てが烏有へと緩慢に還るだけの不等価の坩堝。

 

 そこからゆっくり浮き上がっていく。閉じていた視覚を、始めて刺激される。温かな透明を感じて、開いた瞳に――深滄の揺り篭と深蒼の天蓋。

 遥か高く揺らめく空に注ぐ金の日輪の輝きと、遥か深く揺らめく海に注ぐ白銀の満月の煌めき。

 

――綺麗だ。

 

 果てしない大空を流れる白雲、果てしない大海に渡る白波。行き詰まった絶望の彼方にゆっくりと近付きながら。

 

――こんなに、『世界』は美しいのか。こんなにも、『生きる』事は美しいのか。

 

 知らず、手を伸ばしていた。何に向けてなのかは分からない。

 それでも――

 

――それでも、この温もりは……死の果てに消えたとしても決して、始めて知ったこの温もりを俺は忘れはしないだろう――――

 

 

………………

…………

……

 

 

 久遠に無間に拡がる、蒼く滄い空と海の境界に浮かぶ小さな島。薄明か薄暮か、空には極じみた陽と月。蒼穹から群青、そして瑠璃へ移り行くグラデーションが空海を彩る。

 島の中央に根を下ろす威風堂々たる連理の大樹が聖なる水を吸い上げて根で抱く無垢の土を潤し、天に伸びた枝葉が陽射しを浴びて清廉なる大気を生み出し、水と土が瑞々しい若草や繚乱たる百花を育み、大気が虚空へと絶える事のない輝ける火を燈し、輝火が大気を聖なる水に還す。

 

三重幻日から注ぐ日光が温かく、三重幻月から注ぐ月影が冷たく。完結した輪廻を包み、破綻も弥縫も無く箱庭の世界を廻していた。

 

「Humm~~~~、Hummm~~~~~~♪」

 

 その箱庭の中、ハミングが天地に染み入るように響く。ハミングの時点で人口に膾炙するあらゆる存在を凌駕する水晶硝子の唄声。それは永劫よりも遥かに広大で、刹那よりも遥かに狭小な箱庭中に響き渡る、祝詞にして呪詛。

 唄歌うは鍵穴の空いた白銀の錠のチョーカーを嵌めて、極彩色のステンドグラスで設えられた神子を抱いた聖母のパナギアを首から下げた少女。裸足の脚を重ねて、捻れ合う二本の巨樹の根元近く。滄海色の『刃』が突き出すウロの真下に腰を下ろす無辜の媛君。

 

 生花で編んだ花冠を載せた暁光のクロブークを頭に被り、宵闇のカソックと前後に二枚と両の肩に紅焔色の長い布を垂らしたリャサを身に纏う敬謙な教徒を思わせる彼女は、大事そうに慎ましやかな胸に抱えた清澄な聖水を湛えた金のグレイルに指を滑らせた。

 俯いている為に修道帽の為、顔は窺えない。だが桜色の艶やかな唇は、楽しげに綻んでいる。

 

「Humm――――きゃっ……!」

 

 その瞬間、空海を揺らし一陣の風が駆け抜ける。連理の樹の枝に吊られた、多様な金属で作られた様々な形状の鐘が合唱するように一斉に鳴き散らした。その風に、修道帽が吹き飛ぶ。

 それによって明らかになった、遥か刧初に生命を生み出した滄海を思わせる、滄く長い髪。そしてその髪の中から僅かに覗く、東洋の『龍神』を思わせる小さな角。彼女は慌てて双樹の幹に存在する祠のような空間に聖盃を置いて、修道帽を追い掛けた。追い掛けて――不器用なのか、器用なのか。駆け出した所で己の足に蹴躓いて転んでしまう。

 

「はう~~……」

 

 泣きそうになりつつ起き上がり、服に付いた土埃を払った。だが、怪我の類は無いようだ。それもその筈だろう、この世界は彼女の為の箱庭。彼女を傷付けるモノは無い、そんな法則の許に成り立つ無可有郷『孵ラズノ世界卵』。

 すんすんと鼻を鳴らし、彼女は拾い上げた修道帽を花冠ごと抱き寄せる。そして--涙に潤んだ、眼差しを。

 

「はい……本当に分かりました。父さまと母さまが仰られた通り、あのお方が……」

 

 妖魔の金と神聖の銀。金銀妖瞳の双眸で、境界の判別が出来ない空と海の狭間……遥かな水平線の彼方に。

 

「あのお方こそがわたしの、この『空位』の担い手となられる存在なんですね……」

 

 先程の風が消えた方を見詰めて、夢見るように某かを呟いた。

 

 

………………

…………

……

 

 

「――赤子とはこんなものですか。件の娘というのも、始めはこうだったのかしらね?」

 

 青く微睡む早朝の帳に包まれた学校の屋上で、少女は抱く赤ん坊を見た。

 

「ふふ――泣き喚くしか能の無い、意味の無い生き物。浅ましい事ですわね」

「赤子ですからな――意味のある行動など出来ますまい」

 

 白いローブを纏った白髪の少女の嘲りに似た物言いに、その背後に控える黒い大男が答えた。

 黒いマントと指まで覆う篭手を左腕に纏う偉丈夫に振り返る。

 

「あら、流石の貴方でも子供には甘くなるものなのかしら?」

「御冗談を仰る――ですが、期待だけはしておりますとも」

 

 逆立つくすんだ金髪の大男は、酷薄な笑みを浮かべる。そこにはただ、邪悪な期待が見て取れた。

 

「しかし、神剣らしきものは持ち合わせていませんわ。全く、見事に期待を裏切ってくれて。やはり、"聖賢者"と"永遠"の娘が特別なだけかしらね。"輪廻の観測者"の言った事を真に受けて、わざわざ貴方の力を使って『有った事』にして損しましたわ――【破綻】?」

 

 そして手にしていた黒く有機質な鍵剣の頭から伸びる紐を赤子の首に掛けて妖艶に笑み――ゴミを捨てるように自然な動作で、赤子を校庭に向けて突き出した。

 

「相も変わらず下衆な事ですね、"法皇"」

 

 その背面の大男の更に背面から冷ややかな声が響く。何時からか、二人の背後には巫女装束に身を包んだ二人の少女の姿。

 赤褐色の髪に扇を持った人間の少女と、銀の狗と思しき耳と緋色の瞳を持った亜人。

 

「あら、また貴女ですの……もう飽き飽きですわ、"時詠の"――」

 

 白い少女の言葉が終わらない内に懐に踏み込んだ赤褐色の巫女は間髪入れずに右手の金剛杵、片方のみが短刀となっている三鈷杵を少女に振るい――

 

「無駄だ。俺をそれで抜けるものか。さぁ、残りの剣を抜け……」

「……貴方も、相変わらずの忠犬ですね。"黒き刃"」

 

 大男の右手に握られた、黒い光を纏う巨大で肉厚な斬首鉈に受け止められた。

 

「"法皇"――覚悟!」

 

 その瞬間、大男が赤褐色の巫女に気を取られている間に銀の巫女が小太刀を抜いて走る。白い少女を目指して。

 だがその小太刀の一撃も、少女の目の前の空間に突如現れた一本の杖によって弾かれた。

 

「く……かはっ!」

 

 更に、空いていた右腕にそれを保持して銀の巫女へと杖を向けた途端、虚空に現れた光の玉が砲弾のように銀の巫女を撃った。

 硬い床面に打ち付けられた銀の巫女は、失神してしまう。

 

「今回、『カオス』とは争う気は有りませんの。実験も失敗した事ですし、我々は引きますわ」

 

 巫女達など最初から眼中に無い少女の言葉と同時に、赤子が放り出された。勿論、重力に引かれて真っ直ぐ校庭に落下する――

 

「――くっ!」

 

 巫女が懐から人の形をした紙を二枚取り出し、それに某かの言葉を囁きかけ男と少女に投擲すれば--それらは巫女と全く同じ姿に変わり二人に襲い掛かる。

 その隙に巫女は宙に踊り出た。背後では斬首鉈に一刀両断された偽物の自分や、無数の剣や槍にて貫かれた偽物の自分が紙に還っているが、全て無視して。

 

「――っ……!」

「そんな出来損ないまで助けるんですのね。構いませんわ、それは差し上げます」

 

 右で銀の巫女を抱き、左で赤子を受け止めて校庭に着地した。

 

『そうですわ、それでままごとをしては? 坊やとの子が出来たとでも仮定して、母親の真似事でも。もしかすると、意外に『そう』かもしれませんわよ、あっははは……』

 

 睨みつけた屋上。だがそこにはもう誰の姿も無い。虚空に響いていた嘲笑も、風と消えている。

 

「……み、さま……申し訳、ありません、足を引っ張って……」

「喋らなくていいわ……ゆっくり休みなさい」

 

 地面に下ろした銀の巫女が何かを呟こうとしたのを制し、本物の狗に戻ったのを見届けて。巫女は金剛杵の刃を――泣き喚く赤子の首筋に当てた。

 

「………っ!」

 

 だが、それを引けない。彼女が手に力を加えたその瞬間、赤子の小さな手の平が彼女の人差し指を握った為に。

 そしてそれに驚いた彼女がつい伸ばしてしまった人差し指を口に含むと--今まで火が着いたかのように泣いていたのが嘘みたいに、穏やかな笑い顔を見せたのだ。

 

「…………馬鹿みたい」

 

 暫く硬直していた彼女だったが、漸くした後に溜息を零してからそう呟いた。勿論、それは彼女の指をしゃぶる赤子にではない。

 

「貴方はこの世に、生まれるべきじゃなかったのに。だから、時間ごと消してあげたのに……」

 

 金剛杵を仕舞い、悲しげに朝の空を見上げる。指を吸おうと乳は出ない、赤子が泣き出すのも時間の問題だ。

 

「綺麗な空……今日も秋晴れの、いい天気になるんでしょうね」

 

 それまでの、僅かな間だけ――

 

「そうね、決めた。貴方の名前は、空よ。空って書いて、アキって読むの」

 

 そして巫女は歩き出した。まだ笑っている赤子に、自分でもよく判らない笑顔を向けて。

 

「高く深い、あの秋の空のように。清濁併せ呑む空のように大きく、吹き抜ける風のように雄々しく気高い男になりなさい……」

 

 今日という、一日の始まりに。人々が目を覚まし始めた、朝靄に煙る町並みに消えて行った。

 

 

………………

…………

……

 

 

 『それ』が浮かぶ茫々たるこの大宇宙と比べれば、小さいという表現ですらも誇張に等しい浮島の大樹の前で。精悍な印象を与えるサファイア色の瞳の黒衣の少女は、時折吹き渡る虹色の輝風に銀のポニーテールを揺らしつつ佇んでいた。

 

「一先ずは、これでいいだろう。新たな循環システムの構築は完了、プロテクトが時間樹を覆うのも時間の問題……」

 

 呟き、目の前の大剣……地面に深々と突き立てていた、最早斧とでも呼ばれかねない『己の半身』たるグレートソードの柄を握る。

 

「――貴様には、この時間樹内の監視を任せる。その能力、存分に使うがよい」

【ハッ――役目、承知致しました】

 

 いつしかその背後に控えていた、燃え上がる漆黒の陽炎のような赤黒い影に語りかけた。

 

【地の眷属の銘に賭けて、必ずやご期待に沿えるよう努力します。しかしあの樹に巣食う虫共は些か厄介、つきましては、不遜ながら我が身に太祖のお力を一欠片でもお恵み戴きたく】

 

 合成音声のような薄気味の悪い声で、巧言令色に美辞麗句を並び立てる陽炎。それに黒衣の少女は微笑して――

 

「――痴れ者めが、戯けた事を。貴様に期待などしていない、有るとすれば失敗しない事くらいだ」

【出過ぎた事を――もっ、申し訳ございません、代行者様……!】

 

 剣と彼女から放たれた凄まじい威圧に気圧された陽炎は、不様にも地に這い蹲って許しを乞う。

 それを冷ややかに見下ろして、少女は口を開いた。

 

「我はプロテクトの最終確認と、侵入した『異物』二匹の駆除へと向かう。貴様も与えられた責務を熟せ」

 

 それだけ吐き捨て、宇宙の闇に溶けるように姿を消す。残された陽炎は脅威が掻き消えた事を悟り――

 

【あんな……あんな小娘に、この私が……!】

 

 沸き立つ拳を握り締め、虚空に浮かんだ足場である岩塊を灰に変えた。凄まじい憎悪を、消えた少女に向けながら。

 

【だが、コレはチャンスだ。あの時間樹には奴も恐れる力が眠っている。それを手に入れば――私が代行者となる事も……】

 

 そんな浅ましい言葉を、誰にも聞こえないよう口の中で噛み殺しながら呟き立ち上がった陽炎は。

 

【精々思い上がれ……この私こそ太祖の代行者に相応しいという事を証明してみせようではないか。貴様を敗った、『あの剣』の力を手にして!】

 

 爛々と輝く蜥蜴じみた単眼を、神々しく煌めく大樹へ向けた--



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第一章 元々の世界《東京都 物部市》 Ⅰ 
因果の楔 輪廻の轍 Ⅰ


 天を見上げれば幾億もの星々。地を見下ろせば果てし無き深淵。夜ではなく、それがこの世の理。常夜にして、静寂の世界。

 僅かな足場には幾何学的な紋様の刻まれた箱状の石が蒼い燐光を放ち、植物の根がそれらを搦め捕り固定している。

 

 薄暗いその世界に、男は無言で佇んでいた。腕を組んで瞑想するように目を伏せる、黒髪に中華風の装束に身を包んだ男。

 その足元の石畳には紅い三日月が、突き立てられている。僅かに開けたその空間には十数人、剣や槍などの武具を構えた者達の姿。

 

「ほ、本当にうまくいくのか……相手は、あの……」

「そうだ、奴の『浄戒(じょうかい)』は神をも殺すと……」

 

 だが彼らは男と違い、余裕無く怯えていた。まるで、猫に怯える鼠のように。

 

「――ハ、南天神ともあろう者共が随分と弱気な事を言う。如何に『浄戒』が強力な効果を持とうと、神名である以上は我が『触穢(そくえ)』に汚染できない道理は無い」

 

 それに大して取り合う事も無く、男は目を閉じたままでそれだけを口にした。明らかに勝利を確信した口ぶりで。

 そんな自信を反映したかのように彼の周囲に滞空していた生命を感じさせない機械じみた数十体の人型……簡単な鎧を着込んだ雑兵を思わせる『兵士達』が、単眼を光らせた。

 

 そこに彼方より四人組の男女が歩み出る。

 

「……来たか。待ち侘びたぞ」

 

 呟いて、腕を解いた男が一団に目を向けた。さながら猛禽の如く鋭い鳶色の三白眼、並の人間なら戦慄を禁じ得まい。

 

「ええ、来てやったわ……アンタ如きをわざわざ殺してやりに!」

 

 つまり、その視線に曝されても尚そう叫んだ少女は人間ではないのだろう。白いワンピースを纏う、美貌に憎悪を満たした黒髪の娘。その後ろに立つ三人の内二人も、一様に憎悪を向けている。

 

 だが男は三人には目もくれずに、三人の背後に立つ一人の少女に目を向けていた。

 

「やはり美しい……我が月よ」

 

 その眼差しから険悪さが取れ、代わりに親愛の光が燈る。

 

「…………」

 

 だが、少女は反応を返さない。人形じみた無表情のショートボブの娘は。

 

「御託はいい、早く掛かって来い南天神ども……『蕃神(ばんしん)』」

 

 人形の如き少女を青年の眼差しから護るかのように、三人の内の一人の青年が歩み出た。茶髪碧眼の、精悍な青年が。無表情な挑発と共に、その両手に持つ双子剣の片方を向ける。

 

「……~~~~ッ!」

 

 碧眼の青年が立ち塞がった刹那、黒い青年は憤怒を見せた。それは、先程の白服の少女が見せた物よりも更に深く、強い憎悪。その激情に抗う事は無く、彼は足元の『三日月』を引き抜いた。

 

「ああ……そうだな。『オレ』も早く愉しませてもらうとするさ。貴様の惨めな死に様を!」

 

 それは--剣だ。深く湾曲した鎌状の刃を持つ『剣』。そこから流れ込んでくる無尽蔵の、今なら造作も無く『神』すらも殺せると自覚できる程の力。その剣の刃を空いた手で握り締め、装飾じみた細かな溝に己の内で沸騰する濁りきった赤黒い血を流す。

 他の男達も、各々の持つ似通う雰囲気のそれを碧眼の青年に突き付けて。最前に立った彼は、血の滴るその剣を突き付けて力の限り叫んだ。

 

「破壊と殺戮の神――――ジルオル=セドカァァッ!」

 

 憎しみ募る、その神の名を。



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因果の楔 輪廻の轍 Ⅱ

「う……ん?」

 

 先ず目に入ったのは、見慣れた天井。掛け布団ごと紺色の仁平に包まれた身体を起こすと、ぼーっと辺りを見渡す。

 

--うん、間違いなく俺の部屋だ。はぁ……またあの夢かよ。

 

 たった今まで見ていた夢を反芻する。繰り返し見る夢、ここ最近、頻繁に見るようになった幻想的な舞台劇。

 思わず、溜息を落してしまう。自分と知り合いを投影しての夢、その中二病的な内容に辟易して。『そんな願望が有るのか?』と。

 

「……しっかりしろっての、巽 空(たつみ あき)。夢とか妄想に逃げてる場合か」

 

 自分で自分にツッコミを入れて手早く支度を整えて、鳴り出す前の目覚ましを止めて湯を浴びる事にしたのだった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 寝汗を流してさっぱりした後で、髪を拭き上げる。因みに此処は郊外の安アパートで風呂は共同、部屋の外。幸い、こんな朝早く湯を浴びている者は居なかった。

 そのタオルから覗くのは、濃いディッシュウォーターブロンドの、黒味の強いくすんだ金髪。

 

 ただしそれはよくあるブリーチのチープな色味ではなく、かなりくすんではいるが天然の色だ。

 顔立ちも日本人より西洋や西欧寄り、ともすれば彫刻を思わせる程だ。ただしそれは『イケメン』という意味ではなく男前。頑健でほんのりと浅黒い、健康その物な躯付きが拍車を掛けている。

 

「……よし、終わりっと」

 

 己の部屋に戻りつつ、跳ねたり逸れたりする癖っ毛を撫で付けてテレビを点ける。

 僅かに音声が先立ち、朝の番組に付き物の天気予報が流れ始める。『降水確率は0%、今日もいい天気です!』との事。

 

 この時間帯特有の、やたらにハイテンションな予報士の言葉を聞きながら制服を身に纏い始めた。画面が移り変わる。だが、特に注意を向けはしない。

 

『……今日最高の星座は、天秤宮のあなたです』

「……ん?」

 

 その台詞に、深く澄んだ琥珀色の三白眼を上げた。自分の星座が呼ばれた事で初めて、番組に興味を引かれたからだ。

 

『金運、体力運、恋愛運の全てにおいて人生最良の日です。今日に限らず、これから三ヶ月間で出逢う人物は人生に関わるでしょう……』

「……へぇ」

 

 そして直ぐさま興味を失うと、琥珀色の視線を戻す。元々、占いの類を信頼していないのだ。

 

『なお、片思いの相手とは急接近するでしょう』

 

 その一言に、バッと顔を上げる。だが既に画面はエンディング、次の番組の宣伝に移り変わった。

 

「……ハ。有り得ねェっての」

 

 と、吐き捨てるように自嘲すると乱暴に電源を落として鞄を手にリビングを後にしようとして--幾つもモデルガンが飾られているチェスト上に置かれたペンダントを手に取る。安っぽいニッケルのチェーンで繋がれた、黒金の鍵の意匠を持つペンダント。

 それを首に掛けて上着内に入れ込み、ヘルメット片手に今度こそ自宅を後にしたのだった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 早くに家を出過ぎてどうやって時間を潰そうか悩んだが、日課を熟していなかった事を思い出して珈琲を飲む事にした空。そして、どうせなら空気の良い所で飲もうと近場の『天木(あまき)神社』へと進路を変えた。

 

「はぁ……落ち着く」

 

 原付を入口の近くに止めて石段を上ると、近くの自販機で買った缶珈琲を啜りつつ境内のベンチに腰掛けて溜息を吐く。朝の清涼な空気に満ちる境内は、神聖なまでに清々しい。

 

--見事に人っ子一人居やしないな。てか、あんまり宮司や巫女と会った事も無いな。色々と事情が有って、以前は此処に住んでいたというのに、だ。

 いや、あれは……あの人は巫女なんかじゃない。それとは正反対の存在だ。きっと修羅か羅刹の類に違いない。

 

 思い出した女性の姿を振り払い、真面目に思考の海に沈む。

 

--俺は、何時でも孤独だった。卑下でも自惚れでも無く、事実として。両親なんて居ないし、友はそれなりに居るが、深い付き合いしてないし。此処に住んでたのも、要するに生まれた時に……

 

「阿呆くさ……気楽で良いだろ。ってか、今更何を感傷的になってんだよ俺は」

 

 自嘲して、缶珈琲を煽る。随分前に振り切った自問が振り返した、気まぐれに。

 『いつも通りで行こう』と全てを飲み干して、その空き缶を左の親指と人差し指を伸ばした形……変則ルールの方の、じゃんけんのチョキに構えた拳にまるで銃弾の如くセットした。

 

「久しぶりに……やるか」

 

 気まぐれとは続くものなのか。両目を閉じて、精神統一をする。自分が何一つ入っていない空箱になって、周囲の虚空から見えない『何か』が流入して来るイメージを想起する。

 それを丹田に集めて練り上げて十分な密度に達したと感じる位で親指を缶の後端に沿えて、瞬時に腕全体に染み込ませ行き渡らせるようなイメージを行った。

 

「――――フッ!」

 

 掌の細胞が活性化したような体の温もりに成功を悟り--空き缶を親指で弾く。

 屑篭の小さな穴へ向かった缶は、寸分違わず穴に吸い込まれた。優に十メートル離れた、そこに。

 

「鈍ってないか。まぁ、昔から発勁(はっけい)は得意だしな--」

「はぁ……貴方って、妙なところで器用よね」

 

 と、背後からの突然の声に一瞬心臓が止まりかかる。振り返って見れば、そこには--

 

「ビックリしたー……心臓に悪いっすよ、会長」

 

 涼やかな朝風に、鮮やかな茜の髪と青いスカートの裾を靡かせるセーラー服姿の美少女。空の通う『物部学園』の生徒会長である、斑鳩 沙月(いかるが さつき)

 

「私はずっと声を掛けてたわよ。君が気が付かなかっただけで」

 

 悪戯な風を受けた沙月は慌ててスカートの裾を押さえて、一学年上の証拠である黄色いタイを整えつつ空にジト目を向けた。

 それに、『見てないですよ』の意志を籠めてそっぽを向きながら口笛を吹く。

 

「そういえば会長はここで間借りしてるんでしたっけ」

「そうよ、君の居た部屋にね」

「なんか詩的な言い回しですね」

 

 茶化したところで沙月が不愉快そうに眉をひそめた。そんな表情でも絵になる。

 

「全く……生徒会役員なら身嗜みくらい注意を払いなさい」

 

 それでやっと付け忘れていた物が有る事に気付いた。

 

「っと……コレでOKですよね」

「弛んでるんじゃないの。学園の模範になるのよ、私たちは」

 

 白地に金糸で『物部学園生徒会執行部・庶務職』と綺麗に刺繍のなされた腕章を取り付けて尋ねてみれば、そう苦言が返ってきた。

 

「あら、もしかして……やっぱり。お久しぶりですね、空さん」

「あ、お久しぶりです、環さん。いつ見てもお綺麗で。一瞬、天女かと思いましたよ」

 

 そこに、おっとりしていながらも芯の通った声。改造した和服だと思われる奇妙な服装だが、簪で濡れ羽烏色の美しい黒髪を後ろで束ねた美女『倉橋 環(くらはし たまき)』が、しっとりと微笑みかけていた。

 

「ふふ……随分とお世辞が上手くなって。見違えそうになる訳ですね」

「あはは、ただの本音ですって。ところで……」

「そんなに辺りをきょろきょろと見回さなくても、愚妹は今出張中です」

「そうだったんですか……いや、もし見付かったらと思うと怖くて怖くて……」

 

 等と、気心の知れた相手同士の会話を行う。その間、無視されている状態の沙月は--

 

「あら、いけない。そろそろ出発しないと遅刻しそう。それじゃあ環さん、行ってきます」

「本当だ。それじゃあ、また」

「ええ、ではお気を付けて。またいらして下さいね、アレも貴方に会いたがっていましたから」

「わざわざ自殺しには来ませんよ、謹んで辞退します」

 

 特に何かの感情を想起するでも無いらしく、腕時計を見ると環にそう告げて石段を下りていく。その後ろ姿に、空も続いた。

 

「何なら会長、俺の愛馬に二ケツしますか?」

「そういえば、君はバイク通学を特別に許可されてたんだったっけ。奨学生で推薦枠の模範生さん」

「ハハハ、照れますね」

 

 親が無く、自力で頑張る苦学生の優等生。それが彼の『表向き』の顔である。

 そして、冗談交じりに呟いた。実際にはまだ遅刻するような時間ではない、『模範となる為の早めの登校に遅れる』が正確なところだろう。

 

「愛馬って、あの原付きの事?」

「そうそう、アレ……」

 

 それに沙月は、段下を指差して問う。そこには今、正にレッカーされようとしている原付きの姿が有った。

 

「……ま、待って下さいィィィ!持ち主が此処に居ますゥゥゥ!」

 

 それまでは鷹揚に笑っていた空だったが、物の一瞬で顔を青ざめさせると一気に石段を駆け降りて行った。

 

「やっぱり、肝心要で抜けた男だこと。第一、原付きなら二人乗り禁止じゃない」

 

 入口にて恥も外聞も無く業者を拝み倒そうとしている少年の脇を擦り抜け、学園への通学路を一人で歩みながら。

 

「本当に--あんなのが、神世で『最も神を死なせた神』だなんて。信じられないわね、ケイロン」

 

 鮮やかな長髪を靡かせた彼女が冷ややかな声色で一体誰に向けてそう話し掛けたのかは……ついぞ判らなかった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 朝の校舎の玄関をくぐる生徒達の群れ。トボトボと校門を潜った長身の黒縁眼鏡の少年が、そこを歩く。当たり前なのだが言い分は聞き入れられずにレッカーされてしまって落胆した空だ。

 因みに、彼が掛けている眼鏡は伊達だ。瞳が鮮やかなアンバーだと言うのも有るが、何せこの男は髪の色がどこの死神代行だと言いたくなるギリギリな上に平時から目付きが悪い。夜道を歩くだけでよく声が掛かるのだ、ヤの付く方やポリエステルの人から。

 

「おはようございます、風紀委員さん」

「おはよーございます、生徒会の代行者さん」

「おはよう、斑鳩会長の懐刀」

「おはようございます。それと、僕は風紀委員じゃありませんよ。庶務職だから生徒会役員の雑用を熟してるだけで、風紀を正してるのは会長命令で時々だけです」

 

 昇降口で革靴を脱いだところで女子生徒達に声を掛けられ、それに少しずり落ちた眼鏡を直しつつ朝の挨拶を返して歩いていく。

 イケメンと言える程ではないが、西洋風の整った顔立ちの笑顔とバスドラの渋い声域で気さくさをアピールされて女子生徒達は頬を赤くし--

 

「……庶務さん、社会の窓が全開になってますよ」

「此処の事だったんかい会長ッ! 教えてくれてもいいのにッ!」

 

 空は急ぎスラックスのチャックを上げて、くすくすと笑っている女生徒三人から離れようと進路を変えた。そして--詰まらなそうに息を吐く。

 先程述べた通り、敵を作っても良い事はない。なので彼は、浅くしか付き合わない相手には好青年として擬態する。教師や同級生、先輩や後輩などに対しては。

 

「あ、おはよう、空くん」

「っ! ああ、お早う希美!」

 

 そこで、その少女に出逢った。緑の黒髪を持った、ショートボブの少女。たおやかな見た目通りの優しい物腰と鈴のように響く声に、あっさりと仮面が綻ぶ。

 

--彼女は、永峰 希美(ながみね のぞみ)。数少ない知り合いで……小学校以来今も続く、片想いの相手だ。

 

「今日もいい天気だね」

「こ、降水確率0%らしいからな……えっと、その……」

 

 突然の事に、思考が堂々巡りを始める。上手く言葉を紡げずへどもどとなる空を希美は不思議そうに見上げた。

 

「……ぅん?」

「うっ……! いやその、なんだ、あれでその……!」

 

 185cmを上回る長身の彼は、大体の相手から見上げられる形になってしまう。その状態で更に小首を傾げられると、彼には想像を絶する破壊力の萌え仕種となるのだ。しかもその相手が片思いの相手ともなれば乗算どころか二乗になる。

 益々言葉を無くしてしまう羽目になり、このままだと焼け付いた脳味噌で味噌汁が出来そうだ、と訳の解らない事を考えた瞬間--

 

「おはよう、空。いい天気だな」

「ッ……ああ……お早う、望」

 

 もう一人の、数少ない知り合いが現れた。茶髪に碧の瞳の中性的な顔立ちをした少年が--世刻 望(せとき のぞむ)が。

 

「相変わらず、眠そうだな……空。ちゃんと寝てるのか?」

「心配すんなって。ていうか望、お前の方が眠そうだぞ」

「あはは……まぁな」

 

 その少年の登場に、浮足立っていた思考が落ち着きを取り戻す。少しずり落ちた眼鏡を直し、口を開く。

 

「悪いな、二人とも。俺、今日は日直だから急ぐな」

「あ、そうだったの?呼び止めてごめんね」

 

 そうして場を切り上げた彼の耳に、その会話が飛び込んで来る。

 

「んも~、望ちゃん! しっかり歩いてよー!」

「いてて、引っ張るなよ! 今日は特に眠いんだよ……」

「どうせゲームでもやってたんでしょ? 望ちゃんと空くんの眠いは訳が違うのっ」

 

 そんな会話を、これ以上聞かぬように。彼は急ぎ足でその場を後にしたのだった。

 

「よっ、巽!」

「…………」

 

 と、彼の前に立った赤茶けた髪の少年。にへらっと、軽薄そうに笑った彼を--空は完璧にスルーした。

 

「……って、おいおい巽くん。何をズッ友をスルーしてるんだね」

「誰がズッ友だ、誰が……お前と知り合ったのは物部学園に入って以降、この学年からですよ、森 信助(もり しんすけ)くん」

「あれ、そうだったっけ? まぁ、細かい事は気にすんなって」

 

 わざと、厭味ったらしく丁寧語とフルネームで呼んでもどこ吹く風。黙っていればそれなりにいい男だというのに。

 

「朝から馬鹿の相手、ご苦労様。巽くん」

「何せ毎朝だから、慣れたよ……阿川 美里(あがわ みさと)

「何で私までフルネーム?」

 

 同じく現れた栗毛色のショートヘアの少女。勝ち気そうな、意志の強い瞳がジトーッと睨みつけて来る。

 

「おお、しまった……つい阿川に会えたのが嬉しくてな」

 

 それにお道化た調子で返した。先に述べた通りに、余程の事でもない限りは表向きは好青年を通すのが彼の処世術。

 望や希美に会った時の彼こそが特別でない状態なのだ。環の時と同じく、他の人物にはこんな風に軽口を叩く事……否、中身の無い言葉を操る事が出来る。

 

「はいはい、今日も歯の浮くようなお世辞をありがとう」

 

 何となくそれを見抜いているのだろう、美里はそれを軽く流す。だが、気分を害した様子は無い。

 

 多少地味な身なりだが、一年生で生徒会役員に見事当選した実績に外人風の脚が長い整った容姿。加えて運動も勉強もソツ無く熟すので、モテるまではいかないまでもそれなりに女子の人気は有る。言ってみれば『ただしイケメンに限る』という奴かもしれないが。

 そして美里はくるりと一回転し、短いスカートの裾を舞わせて。

 

「さぁ、急がないと遅刻するわよ。三、二、一……今!」

「「うおっ、やべぇ!!」」

 

 パシャリと機械的な音を立て、首から釣り提げられていた彼女のトレードマークであるデジカメのシャッターを切って教室へと駆け出す。

 ライトの輝きに空と信助が眩惑されるのと共に、ホームルームの予鈴が鳴り始めたのだった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 その日の昼下がり。早めに講義が終わった為にスタートダッシュが効いて、幸先良くヤキソバパンとカツサンドをゲットして。

 

---ピンポンパンポーン……

 

「……ん?」

「お? 構内放送か」

 

 さっさと食べてしまおうと屋上に向かっていた所で信助に捕まり、どうやって撒こうか思い悩んでいたところでスピーカーからの音に気付く。

 

『生徒会庶務、巽空くん。直ちに生徒会室に出頭して下さい。繰り返します、巽空くん。直ちに生徒会室に出頭して下さい……』

「斑鳩会長が直々に呼出しかよ。羨ましいぜ」

「犯罪者扱いでかよ、全く」

 

 男子生徒が一瞬で耳を傾けたのが肌で解った。静まり返った廊下に響いた凛とした少女の声に、空は思わずげんなりと表情を歪めて立ち止まる。

 

「ハァ……仕方ねぇな、ほれ」

「お、マジでか。ラッキー!」

 

 しかしそれは逃げる為にはまたとない口実だろう。面倒の度合いで計算するのならば、益の無い男より美少女を相手にしたいのは男の本能というもの。

 折角手に入れた花形の惣菜だが、まさか生徒会室に持って行く訳にも行くまい。全てを信助に投げ渡すと髪を掻きながら歩き出す。散財した事を、心から悔やんで。

 

 

………………

…………

……

 

 

 生徒会室の扉の前に立ち、先ずは身嗜みを整える。詰襟を閉じて、校章の歪みを直した。最後に、無駄な抵抗だが癖毛を撫で付けて扉をノックして暫く待てば。

 

「どうぞ、開いてるわ」

「失礼します。何かご用ですか、生徒会長」

 

 許可を得て室内に入れば、何か書類に目を通しているらしい沙月の厳かな雰囲気に、空の方も威儀を正してそう口にした。

 

「あのねぇ、用事も無いのに貴方を呼び付けたりすると思うかしら? この私が」

「ですよねー。望ならともかく、俺なんかを」

 

 そんな彼に向けて書類から目を離す事もせず、にべもなく告げた。それに正していた威儀を崩し、軽薄を装って襟を寛げて答える。

 

--因みに、俺と斑鳩会長の関係は知り合い以上友達未満といった所だ。というのも、望と希美と仲が良い会長が幼なじみである俺を紹介された、というだけ。

 

「……忙しそうですね、いつもの事ながら」

「まぁね、学園祭も近いし」

 

 そこで漸く一段落付いたのか。彼女は『んーっ』と伸びをした。腕を伸ばしたせいで、中々に形の良い胸元が強調される。

 

--いやはや、役得役得。流石は全校男子生徒憧れの生徒会長だ。俺はどっちかというと苦手だけど。何がどう、という訳じゃない。そんなものは魚に何故泳ぐのか、蛙に何故鳴くのか尋ねる様なもの。きっと前世では蟻とアリクイか、蝸牛とマイマイカブリみたいな関係だったのだろう。

 

「ちょっと、聞いてるのかしら? 巽くん」

 

 ずいっと、苦手だが息を飲む程に美しいと思いはしている美貌が寄せられた。少し、気分を害したように眉根を寄せて。

 

「勿論ですよ、会長」

「あらそう、それは助かるわ」

 

 勿論、思考に耽っていて聞いてなかったが、取り敢えずそう答え返す。それに、沙月は嬉しそうに笑顔を見せてきた。どうやら正解だったらしい。

 

「じゃ、後は宜しく」

「了解……え?」

 

 ぽん、と肩を叩かれたかと思うと、沙月はるんるんと軽い足取りで空の脇をすり抜けた。

 

「ちょっ、待った! どーいう事ですかい、会長!」

 

 と、不覚の状態から立ち直った空は、さっさと生徒会室から出て行こうとしていた沙月を辛うじて呼び止める事に成功した。

 

「ほら、やっぱり聞いてなかった。私、望くんのところにランチを食べに行ってくるから、留守番をしててって言ったのよ」

「な……ぐぅ」

「見てなさい、今日こそ望くんに希美ちゃんのお弁当じゃなくて、私のお弁当を選ばせて見せるわ」

 

 『安請け合いしてしまった』と後悔しても遅い。可愛らしい包みがなされた弁当箱を後ろ手に、今までの『生徒会長』の鎧を脱いで『女の子』の顔になった斑鳩沙月がそこにいた。

 これも学生の間では周知の事実。斑鳩沙月と永峰希美が、世刻望を巡る恋のライバルだという事。

 

「ハァ……早めにお願いしますよ。何にしろ応援してますから」

「あら、それは有り難う。善処はするわ、じゃあね」

 

 言うや、一秒でも惜しいと早々にぴしゃりと閉じられた扉。

 

--いやまぁ、そりゃあ応援してますよ。会長と望がくっつけば、希美がフリーになる訳だし。

 

 眼鏡を外して胸ポケットに差し入れると、中々に坐り心地の良い椅子に腰を下ろして机の天板に脚を乗せて組む。

 

「……うわ、我ながら引くわ」

 

 そして、そんな打算的な考え方をする己に辟易しながら頭の後ろで手を組んで深く背もたれに寄り掛かり、窓の外を天地が逆転した状態で眺めた。

 余りの虚ろに、辟易して。

 

--いつだってそうだ。この魂は空っぽで心は空虚、だから身体も伽藍洞。試験で良い点を取っても部活で良い成績を残しても、喧嘩で勝っても。この虚無が埋まった事はただ一度さえ無い。

 それは言うなれば『空の空、全ては空しい(ヴァニタス・ヴァニタートゥム)』ってか。

 

「……この歳で枯れ果てた事で。ダッセぇなぁ、だからモテねぇんだよ……」

 

 自虐を呟きながら瞼を閉じれば、暖かく透明に染まる視界。その温もりに眠気が襲う。

 

--ただ……いつでも『争う』事だけは血が沸騰するくらい楽しい。『勝負を楽しみたい』、それがどんな結末でも……誰かと争う事は浅ましいくらいに好きだ。

 もしかしてあの夢を見るのも、そんな俺の本質からなのかもしれないな……。

 

(……まあ、良いか)

 

 変な方に行きかけた思考を停止させる。どうせ眠りは浅い性質だ、ノック音だけで十分目が覚めるだろう、と。

 甘美な睡魔に誘われ、抵抗する気も起きない眠りの壁の向こう側へと向かう事にしたのだった。

 

 

………………

…………

……

 

 

「--……ん?」

 

 ふと、何かが聞こえた気がして眠り込んでいた事に気が付いた。目を開いて先ず飛び込んできたのは--赤黒い空。

 

「なっ!?」

 

--なんだって、夕方!? ヤバい、寝過ごした! 無遅刻無欠席が目標だったのに!

 

 慌てて起きて時計を確認しようとして……莫迦らしくなった。

 

『だったらどうしたと言うのか。もう時は戻らない、今更そんな事に何の意味が有るのか』

 

 まるで誰かにそう諭された気分だ。心の奥深くにまで、染み入る考えだった。

 もう一度背もたれに寄り掛かると、心静かに空を見上げる。鮮血の如き紅から宵の黒ヘ移り変わる中途の空。昼と夜の中間、極彩色に彩られたその暮空。

 

「……綺麗だな」

 

 そう、独りごちる。正に目から鱗が落ちたような感慨を抱く程に、幻想的な風景。

 

「ほんまどすなぁ、綺麗やわぁ」

 

 だからだろうか、応えて響いたその唄うような呪うような声にもさして驚く事はない。何事も予想の範疇なのだから驚く必要などは、何処にも無い。

 目線を下へ……つまり上げると、女と目が逢った。開け放たれた窓の桟に腰を掛けて、妖しい微笑を浮かべながらこちらを見下ろす女と。

 

 昼間なら見る事は適わなかったのだろうが、今は斜陽が真横からその姿を宵闇に浮かび上がらせていた。第一印象は、美しい女。年の頃は空よりも少し上。物部学園指定の制服ではなく、朱で彼岸花の柄を染め抜いた瀟洒な黒い小袖を身に纏うその女。

 燃え尽きた煤のような黒い髪を靡かせ、値踏みするように挑発的な切れ長のガーネット色をした瞳を向ける。

 

--毒婦、か。

 

 掛値なしにそう感じた--瞬間、女が窓より飛び降りた。翻ってはためいた袖が、印象に残る。

 

「……くふふ……」

 

 タン、と足元に着地して口元に袖を宛てて微笑む。そして気安く、椅子の肘掛けに座った。

 枝垂れ掛かるように頭をこちらの肩に乗せる。煤色の髪が流れ、途端に甘ったるい麝香を思わせる香気が鼻腔に満ちた。

 

「案外に肝が据わってはるんどすなぁ、もう少しくらい驚きはると思ったんどすけどぉ」

「……別段驚く必要も無いだろう。喚び寄せたのはオレだ」

「まぁ、そうどすなぁ。呼ばれて飛び出て、て奴どすわ。くふふ」

 

 触れそうな近さで、紅を引いた艶やかな口唇が言葉を紡ぐ。その薄鬼魅の悪い合成音声のような声と誘うような視線を受け流す。

 

「くふふ、気に入らはった様子で。でもま、対価は御高くつきます。無償の奇跡なんざありません、在るんはただ、代償を果たす契約のみ……」

「構うか。望み以上だ」

 

 思わず口角が釣り上がる。漸く、この機会を手に入れた。

 

 視線を夕陽と夕闇の狭間に境界の溶け合う空間へと向ける。黒く濁った焔のような、闇よりもなお邪悪で禍々しい『ナニカ』を寄り添わせたまま。

 そこに在ったのは--三日月。返り血を浴びたかの様な、深紅に染まったその姿。

 

「これで契約は結ばれあんした、お呼びとあらばいつでも駆け付けあんすけど……わっちは契約者の用意した器を武器に変えるんどす、用意はご自分でお願いしますぇ。後から変更は利きませんから、念入りに選びなんし」

 

 左腕に、焼け付く痛みが走る。だがそれすらも、心地好い。

 

「あと、この記憶は消えあんす。でも、魂に結わえられたこの契約は破棄されても未来永劫、輪廻の先まで有効。逃られませんぇ? くふふ……」

 

 その呟きすらも何処か遠く、彼は美しい『ソレ』を眺めていた。

 

「帰ってきたか、俺の--」

 

 その『ナニカ』の寄り添う左腕に、懐かしい鼓動を感じた--

 

 

………………

…………

……

 

 

「……い、おい、巽?」

「う……ん……?」

 

 呼び掛けにゆっくりと覚醒する意識。渋々目を開けば、目の前に銀髪青瞳の美少年。

 

「相変わらず、妙な所で豪気な奴だな。こんなところを斑鳩先輩に見付かったら大変な事になるぞ」

「……悪い、暁。ジュース一本でどうだ」

「まいど」

 

 爽やかに笑った美少年、その名を暁 絶(あかつき ぜつ)という。やはり望の親友にして、学園の女子生徒の憧れの的だ。因みに絶とは、同じバイトをした縁で知り合っている。同じ苦学生として、沙月とよりは親交が有る間柄だ。

 

「……あれ?」

 

 何かユメを見ていた気がしたが、肝心の内容の方は霞が掛かった様に漠としている。そして直ぐに、別の重要な事項を思い出した。

 

「一時十五分……」

 

 懐から取り出した携帯で時間を確認する。眠っていた時間はほぼ三十分。となれば今のは五限目の予鈴だと、何と無くホッとした。

 

「取り敢えず、顔を洗って来い。涎で大変な事になってるぞ?」

「…………」

 

 絶の指摘に、近くの姿見で自分の姿を見た。そして眼鏡を掛けた後ですっと左腕を上げてトイレに向かう。その左腕、袖の捲れた腕に紅く朧げに光る紋様が浮かんでいる事に気付いたのは太陽の光に焼かれた青白い月と。

 

「『聖なる神名(オリハルコン・ネーム)』……」

「は? 何か言ったか、暁?」

 

 それを見て、瞬時に絶の表情が変わった。飄々としたそれまでの笑顔を吹き消し、まるで刀のように鋭い目付きに。

 

「……いや、ただ、用事が増えたのに気付いただけだ」

「お前、バイト増やしたのか? 適度に息抜きしてないと、いつかぶっ倒れるぞ」

「肝に銘じておくさ。じゃあな、ジュースはまた今度奢ってくれ、巽」

 

 だが、それも一瞬の事だ。また笑顔を浮かべて手を振った絶は、誰に言うでも無く、小声で呟く。

 

「探るとしよう、ナナシ」

 

 その怜悧な声に答える者は当然、居なかった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 夕暮れに染まる、アスファルトの通学路。空はそこを一人、訥々と歩いていた。

 腹立ち紛れに、路上の石ころを蹴り飛ばした。そんな事を意味の無い事をした理由は簡単、今日の出来事のせいだ。

 

--希美、望。良く似通った名前の二人は、所謂幼なじみだ。いや、俺だってそうだが、この二人は別格。希美は、望に恋情を抱いている。

 そんな事は知り合って間もなく気付いた。それでも努力はしたさ、話し掛けたり遊びに誘ったり、贈り物をしたり。そして直ぐに、無駄だと思い知らされた。

 

 どんなに会話が弾んでいても、望が居る方を見る。話に加わってもいない望を誘ってから良いよと言われる。望からのプレゼントを嬉しそうに大事そうに抱き締めた姿を見せられて。

 

「…………」

 

--意味はないが……少しの間、記憶を掘り返す。随分と昔の事だ、物心が付いたか付かないか位の頃。もしかしたら最古の記憶かもしれない。

 多分、遠足か何かの時。広大な花畑で戯れる二人の童児。片方は俺、もう片方は……かなり霞んでいるが、きっと希美の筈。手には昔日、魔法少女アニメに嵌まっていた頃の物だと思われるステッキみたいな物を持ってるし。

 

 その童女が童児にぱふっと抱き着いた。そして判別出来ない程に霞が掛かっていながらも、間違いなく最高の笑顔で見上げながら。

 

『あたし、あっくんのお嫁さんになる~!』

 

--何て言われた、そんな記憶が有る。いや……自分でも怪しいと思うくらい、胡乱な記憶だが。だが、それが……甚だ莫迦莫迦しいが、それが俺の……初恋だ。

 しかし、幾ら取り戻そうと現実には努力しても広がるだけの差。更に最近のあの、望と相対する夢を見た後は--思わず恥じ入ってしまう程、浅ましくも本当に殺意を抱いてしまうのだ。

 

--だから正直、望とはそこまで親しくした覚えはない。あくまで希美のついで、だ。だがそれでもあいつは俺を……友人だと思っているらしい。

 莫迦な話だぜ、俺は……希美に取り入る為に近づいただけだったってのに。

 

「…………」

 

--『嫌いか』と、問われれば……さて、どうだろうか。確かに悪い奴じゃない。それほど人付き合いが上手いという訳でも無いのに、クラスで一定の人気が有る。

 俺とは凄い違いだ。俺が勝っている物なんて、身長と成績くらいのモンだろう。

 

「ッ……」

 

 その、望がいた。遥かに前方で希美と斑鳩会長に両腕を取られて暁にやっかみを口にされながら、困ったような……だが満ち足りた笑顔を浮かべていた。

 

--全く、凄い違いだ。俺には、あそこまでの友達なんて……。

 

「……はッ」

 

 自嘲する。莫迦な、羨ましいとでもいうのか、と。

 

--不必要だ。俺は俺。俺らしく有り続ければ良いんだよ。そう、それだけで。

 

 脇道に逸れる。まだまだバイトには時間が有る、レッカーされた原付きを引き取らないといけない。その為には、この道の方が近道だ、と。

 そんな言い訳でしかない理由を付けて、空は一人で茜色の世界に消えて行った。



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因果の楔 輪廻の轍 Ⅲ

「すいません、遅くなりました」

 

 そう謝罪しつつ、ベルの付いた扉を押し開けて店内に歩み入る。微妙に薄暗い室内は饐えた木特有の香りを漂わせている。そして、一斉に中にいた数人の男がこちらを見たが……それが空だと解ると興味を失って元に戻った。

 そしてこれまた年代物の木製のカウンターの奥で、不織布で何かを磨くロマンスグレーな壮年の男がこちらを向いた。

 

「遅かったね、巽君……言った筈だろう、今日は大事な任務が有るから早めに来いって」

「それがあのですね、ボス……実は原付きをレッカーされて」

 

 言い訳が終わる前に、『ボス』と呼ばれた男が磨いていた物を空に向けて突き付けた。

 

「つまり、ヘマをやらかしたと。実に残念だ……君には我が組織のイェーガーとして期待していたんだが--ファミリーには、足枷は要らない」

 

 それは--黒光りする金属塊。脆弱なる人類の英知が作り上げた、『己より強いものを殺す為』の武器……銃である。

 

「まっ……待って下さい、ボス!もう一度、もう一度だけチャンスを!」

 

 回転式の樽型弾倉を持った拳銃でありながらもオートマチックの機構を持った『マテバ6ウニカ』、その引鉄が容赦無く引かれ銃弾を吐き出す。その弾は正確に空の額に命中、赤い花を咲かせた。

 ガクリと膝から崩れ落ちた空。周囲の男達は、それを面白そうに口元を歪めて見ているだけだった。そして拳銃を放った男は銃口に息を吹き掛けると、それを器用に回転させながら腰のホルスターに納めてから口を開く。

 

「……とまぁ、余興はコレくらいにして。早く着替えておいでよ、時給減らしちゃうよ?」

 

 如何にも、人の良さそうな。人懐っこい笑顔で。

 

「……ういっす、店長《ボス》。すぐ着替えてきます」

 

 と、空もムクリと起き上がる。額に命中したペイント弾の染料をポケットティッシュで拭いながら。客の喝采を受けつつ、更衣室に向かったのだった。

 

 その店の名は『イェニチェリ』だ。民族料理でも出していそうな屋号だが、西部劇風な内装をした『銃好きの集まる喫茶店』というコンセプトの、ダーツバーの銃版の店である。

 屋号の由来は、かつてオスマン帝国で組織されていた軽装銃兵団から。因みに、この店のスタッフが属するサバゲチームの名前でもある。

 

 店の壁には大会で優勝した際に撮られた写真が飾られている。空はその大会のMVPとして、中央で皆から称賛とやっかみを受けて揉みくちゃにされていた。

 空はその中では、斥候と猟兵の役割を担っている。特に、速度と機転を必要とする役割だ。つまりサバゲーと銃は、空が金を掛ける数少ない趣味である。まぁ、今は無関係なので省略するが。

 

 手早く更衣室で服を着替えて、『支給品』を肩に担ぐ。その名を『ウィンチェスターM1887』、解り易く言えば某近未来の殺人ロボットが第二部でバイクに乗りながらクルクル回してぶっ放していたショットガン……のエアガンバージョンである。

 

--店長曰く、こういう大型の銃は俺みたいにガタイが良い大男が持って初めて意味が有るらしい。何せ、店長のモットーは『銃こそ、人の辿り着いた最強の武器なんだよ。剣より強く、弓より速く、槍より遠く、盾を砕き、鎧を貫く。他の武器は鞘に収まれば殺傷力を失うけれど、銃はホルスターに収まっていてもそれを撃ち抜けるんだから!』……だ、そうだ。

 まぁ、俺も銃は好きだから文句はない。寧ろこんな店だからこそ、入店した訳だが。

 

 準備を終えて、店に出る。週一で行われている今日の余興はその銃が示す通り。

 ループレバーを基点に銃自体を回転させてリロードとコッキングを片腕のみで行うガンアクション、レバーアクション銃専用スキル『スピンローディング』を試す。土建系のバイトで鍛えられている腕力は、それを軽々と実行した。

 

「さってと……確か、決め台詞は『アイル・ビー・バック』だったっけな」

 

 そしてジャケットを羽織り髪を携帯用の容器に入れたワックスで逆立て、伊達眼鏡をサングラスに交換してフロアへと繰り出したのだった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 表の看板を『CLOSED』に変えて、掃除を終えた店内の最終チェックしながらカウンターまで歩く。そして私服に着替えた後、いつも通り店長に挨拶を向ける。

 

「お先に失礼します」

「はーい。お疲れ様、巽君……と、そうだ。今日は給料日だね」

 

 と、そこでいつも通りではない事が起きる。店長は、思い出したように茶色の直方体の包みを差し出した。『給料』と手書きされた、結構な厚みを持ったそれを。

 

「ちょ、ボス……何ですかこれ、こんなに沢山戴けませんよ」

「とか何とか言いつつ迷わず受け取る君が好きだよ、僕は」

 

 有り得ない厚みに恐々としつつも、空は店長の気が変わらない内に受け取る。自立して以来の苦労の所為で守銭奴の気が芽生えつつ有るのだ。

 その袋を開く。するとそこから、箱が一つ飛び出した。小学生が持つ筆箱くらいの無地の段ボール箱が。

 

「…………」

 

 何か嫌な予感をひしひしと感じながら、箱を開く。中には綺麗に梱包された木製の黒い燧石式拳銃《フリントロック》、解放の英雄である米国の十六代大統領を暗殺した秘匿拳銃『フィラデルフィア・デリンジャー』が入っていた。

 黒檀製の漆黒の基部には美しくも禍々しい、インド神話の旱魃をもたらす災いの龍『ヴリトラ』と思われる彫刻が銃全体に施されている。文字通り蛇行する躯が銃把とハンドガードを兼ねるナックルダスターになり、尻尾はフリント付きの撃鉄に。

 

「……アパッチ・リボルバー」

 

 そして開かれた下の顎には牙を摸した、展開式の片刃バヨネットと銃口が覗いていた。

 つまり、デリンジャーであると同時にアパッチ・リボルバーなのだ。

 

「ボス……出頭して下さい。密造も十分に銃刀法違反ですよ」

「心配しなくても鑑賞用の物さ。ちゃんと撃てないように加工してあるから」

 

 確かに、銃口を覗けばバレルの内側は鉄の棒で埋められているしフリントも偽物だった。

 

「いや、確かにカッコイイすけど……これが給料とか言ったら訴えますからね」

「解ってるよ。それは勤続一周年記念品、こっちが本当の給料だ。彼女に何か買ってあげなさい」

「居ませんけどね。それでは」

「はーい、じゃあまた」

 

 いつも通りに通り一遍の挨拶を交わして喫茶店を出ようと、ノブに手を掛けた瞬間。

 

「--ふブォ!??!」

 

 勢いよく開いた扉、しかも角が強かに空の顔面を打った。

 

「邪魔をする。店主よ、一番高い酒を」

「え? あー、いやその……君、お酒はちょっと」

 

 ベルが鳴る中で、顔を押さえて蹲った空など歯牙にも掛けずに。怜悧な女の声と共に、軽い足音がカウンター席まで移動した。

 店長はそれに面食らったような困惑したような、歯切れの悪い声を漏らしている。

 

「なんだ、扱っていないのか……なれば一番高いコーヒーで良い。急げ」

 

 対し、気分を害したようなその声。その高圧的な物言いと顔面の疼痛に、流石に腹を据えかねた。

 勢いよく立ち上がると、背後のカウンター席に向かい直って。

 

「悪いけど--お客さんに出す物は無いんですがね!」

 

 威圧を込めた視線と声色でそう口にすれば--きょとんとした、店長と目が合ってしまった。

 

「ほう、客に対して良い態度だ事だな、ウェイター」

「ん……あれ?」

 

 女の声はすれども姿は見えず。まるで狐に摘まれたように、空は辺りを見回した。

 

「……貴様、先程から一体何処を見ている。下だ、下」

「え、おおっ」

 

 輪を掛けて不機嫌となった声に、下を見る。すると、目に入った--銀色の髪に、青い瞳の……

 

「……暁の妹?」

「誰だ、その『アカツキ』とは」

 

 年端もいかない、銀髪をツインテールにした青い瞳の童女。だがその眼差しには、年齢に相応しくない強い意志が感じられた。

 

「じゃあ、『銀色の闇』?」

「そのような二つ名を持った覚えはない」

 

 黒一色の衣服は胸元、というか水月の辺りが大きく開いており、サイズがサイズなら目を奪われたかもしれない。いや、今でも一部の趣味の人間ならば目を奪われるだろうが。

 

「はぁ……子供が背伸びした物を頼むんじゃないよ。親御さんは、何処に要るんだ?」

「……小僧、貴様……それは我に対して言っておるのか」

 

 子供に対する言い方に改めて、背の高さを合わせる。童女はみるみる眉をひそめた。

 その瞬間--空の頭頂部に衝撃が走った。店長の拳骨が。

 

「こらこら巽君。レディに対してそんな言い方をするものじゃないよ。すみません、お客様。本日は閉店しておりまして。申し訳ありませんが、またのご来店をお待ちしております」

「ふん、致し方あるまい。元より他が開いておらぬから入っただけの事」

 

 童女は立ち上がり、淀みの無い動作で空の脇を摺り抜けた。

 ほんの刹那、値踏みするように彼を睥睨して。

 

「ほら、何をしてるんだい巽君。レディを一人で帰らせる心算かい? 危険が無いように送って差し上げるのが、ジェントルマンってものだよ」

「ええ、何で俺があんな生意気なガキ……」

 

 心底から嫌そうに痛む頭を摩りながら、店長に向き直る。店長はそんな彼にニコリと笑い掛けて。

 

「はは、あの娘、将来的に間違いなく美女だよ。今から唾をつけておきな。アウトローには美女って相場が決まってるんだからさ」

「確かにアウトローには憧れますけど、ロリコン的な意味でアウトローするのは嫌ですって……はぁ、行ってきます。子供一人で夜道を歩かせるのも気が引けますし」

 

 実に面倒そうに頭を掻きながらそう前置きして空は扉を開いた、その背中に。

 

「とか何とか言いつつ迷わず送りに行く君が好きだよ、僕は」

 

 そんな、からかうような店長の声が掛かったのだった。

 

 暗い道路に出れば、童女は既に反対側の歩道。目の前の横断歩道は緑が点滅している状態だ。

 

「チッ、足速ェなッ! おーい、お客さん!」

 

 急いで道路を渡り、その全てを拒絶する背中を目指す。そんな空に童女は面倒そうに向き直った。

 

「何だ、下郎。我には貴様如きに割いてやる時間は無いのだが」

 

 それに、そんな氷点下な答えを返した童女。それに彼は、同じく氷点下を持って。

 

「そりゃあ結構、こっちとしてもさっさと終わらせたいんでね」

「ほう……やる気か」

 

 隣に並んで歩く。身長差は実に40センチ以上、童女は見上げるように睨みつけた。

 

「阿呆か、こんな夜道を子供一人で歩かせられるかって事だ。送るって言ってるんだよ」

「何を言うかと思えば……ナイト気取りか、貴様如きが。寧ろ貴様こそ送り狼にでもなる気ではあるまいな」

「だから、俺はロリコンじゃねぇっての……で、家は何処だ」

 

 古めかしい口調で嫌みを口走りながら歩調を速める童女に、空は足並みを合わせて歩く。

 離れる気が無い事を悟ったのか、童女は溜息を落とした。

 

「……ここだ」

「へぇ、此処ねぇ……」

 

 何時しか辿り着いていた、駅前の大通り。そこに聳える、高級感バリバリの高層ホテル。

 

--オイオイ、何の冗談だよ。扉のところに使用人が立ってるよ。アメリカの映画とかでしか見た事ねぇよ、あんなの。

 

 呆気に取られっ放しの彼を尻目に、銀の髪を靡かせた童女はドアボーイにチップを渡す。

 そして--空に向き直って。

 

「物言いは気に食わんが……礼を失するは我が沽券に関わる。護衛、大儀。我はフォルロワ、貴様の名は」

 

 階段を昇り、彼と同じになった目線で。意志の強い、青く澄んだ瞳を向けた。

 

「あ……ああ。俺は空、巽空だ」

「タツミ=アキか。覚えておくとしよう」

 

 その小柄な背中が、扉の向こうに消えていく。それを見送って、空は何か思案に暮れて。

 

「ボンボンか……道理で。世の中、理不尽だよな」

 

 ハァ、と溜息と毒を吐いて。踵を返すと、元来た道を引き返していったのだった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 道々、コンビニで弁当を買う。少し奮発した600円の弁当なのは、今日が給料日だったからだ。

 

「本当、これで彼女でも居りゃあプレゼントでも買ってやるところなんだけどなぁ」

 

 封筒と箱を鞄の中に納めながら、ただ一人の場合を除いて出来る予定も作る気も無いのにそんな事を言ってみる。そして徐に上着の内ポケットから、慣れた手つきで安い煙草の箱を取り出した。

 トントンと叩くようにして一本を銜えつつ引き出して、フリーの左手の百円ライターで火を燈す。

 

「--フゥ……」

 

 焼け付く香気が肺腑を満たす。土建のバイトの先輩に『餓鬼じゃ有るまいし』と勧められて始めた頃こそ噎せたそれも、今や愉しみの一つだ。

 紫煙を燻らせながら、原付きを停めている駐輪場に向かう。勿論、制服でそんな事をやる阿呆ではない。穿き古したカーゴパンツにTシャツ、ジャケットのその姿。眼鏡もかけていない為に三白眼の現状でどこをどう贔屓目に見たとしても、チンピラ以外の何者でもなかった。

 

「さて、今日の分は終わりか……情けねェな、嗜好品に金を掛ける事も出来ない貧乏学生は」

 

 自嘲しながら吸い殻を排水溝に投げ、代わりにポケットから取り出した一粒の飴玉。昔懐かしい、琥珀色に透き通った甘露飴を口に含んだ。

 

 夜の帳は降りて久しい。信号は、今や赤が点滅しているだけだ。微かな星の光さえ都市の光に掻き消されそうな夜天を仰げば、そこには満月。

 清廉なる純銀の煌めきを浴びているだけでも活力が沸いて来る気がする。

 

--今日は……疲れた。あの夢を見た日は大体そうだが、望と希美の仲の良さが殊更鼻に付く。その苛々を抑えるだけでも、一苦労なくらいに。

 

 ころころ転がしていた飴を頬袋に収め、舌打ちする。思い出したのは、今日の休憩時間中の事。

 寝ぼけた望が希美に抱き着き、それが誰かと勘違いしていた事を知った彼女に『のぞみんパンチ』(命名:阿川)で殴り飛ばされている映像だった。

 だがそれは、決して仲違いなどには発展しない。ただ戯れあっているようなものだ。

 

--止めだ。これ以上ムカついてどうする、止めだ止め--……

 

 そう結論づけ、もう一度、夜天に煌めく満月を見上げた空は。

 

「暖かく、清らかな、母なる再生の光--……」

 

 まるでささくれ立った心を潤すように、祝詞のような言葉を紡ぎ始めた。

 

「……全ては剣より生まれ、マナに還る。どんなに暗い道を歩むとしても、精霊光が、私達の足元を照らしてくれる--……」

 

--よく、夜の闇に怯えて布団に潜り込んでいた俺に『あの人』が唄ってくれた……どこの地方の物のかも分からない『子守唄』。

 確か、続きは--

 

「…………?」

 

 そして、気づく。その視線に。ねっとりと絡み付く汚泥のような、本能的に嫌悪を感じるそれに。

 

--何処から?

 

 焦燥と共に唄を止め、視線だけをぐるりと巡らす。自販機、ゴミ箱、塀、空き地、電柱、街灯--

 

(あれは……?)

 

 曲がり角に設置された橙色の光を放つ街灯の下、壁に阻まれて光が届かない僅かな暗がり。そこに、息を潜めているモノがいる。

 

 ソレは、黒い犬。寧ろ狗。動物というよりは獣だ。だが、目の前のソレから受ける印象は、もっと何か薄ら寒いモノ。犬という存在から感じる親近感のようなモノがない、犬に見えるだけの別モノ。

 

「グルルルゥ……」

 

 低い唸り声。獣の喉笛が奏でたものだ。値踏みでもするかのようにこちらを睨みつけている血の色の瞳。そこに含まれている、悪意や害意といった負の感情。

 そして暗がりから歩み出たソレは、下手な狼などよりずっと強靭な体躯を持っていた。その四肢に力が篭められたのが判る。本能的に悟った、『逃げろ、殺される』と。

 

「--ッ!」

 

 弁当と飲料の入ったビニール袋を投げ付けて目眩ましをした後、間髪入れずに脇道に逸れる。

 走った。ただ速く、疾く。一瞬たりとも気を抜かずに、ただただ前に向かって。もしも振り向けば、取り返しの付かない事になる。それだけは理解出来る。

 

 そして、漸く人通りのある通りが見えた。見えた事に安堵し--壁走りで回り込んできた、黒い狗への対応が遅れた。

 

「--な」

 

 飛び掛かって来る黒い狗、回り込まれて躯を躱せない。

 こうなってしまえばもう、拳を振るうのも止む無しと腹を決めたその刹那--

 

「ギャイイン!?」

 

 その黒い狗が、空中で横っ飛びに吹き飛ぶ。彼には脇の路地から放たれた銀の弾丸にでも撃たれたようにしか見えなかった。

 吹き飛ばされてアスファルトの壁に叩き付けられ、それでも平然と立ち上がる黒い狗。ソイツと、立ち尽くすだけの空との間に--白銀色の狗が立っていた。

 

「お前は……!」

 

 見覚えのある、その姿。月光に映える、孤高な狼のように気高いその姿。

 二頭の狗は睨み合い牽制しあう。だが、不意に黒狗が俺を見た。

 

「……ッ!?」

 

 そして本当に、掻き消えるようにその姿が闇に向こうに消える。

 

「--ッハァ、ハァ、ハァ…!」

 

 忘れていた呼吸を再開して、胸に手を当てた。確かに、見た。

 

「……笑ってた……」

 

 禍々しい顎門を歪めて、凶悪な犬歯を剥いて嘲笑った。力の無いこちらを見て『いつでも、殺せるぞ』と。その愉悦に満ちた眼は、雄弁にそう語っていた。

 ヘタり込むように腰を下ろす。恐怖が過ぎ去り、情けなくも腰が抜けてしまっていた。そんな彼を、白銀の狗が見詰めている。

 

「助けてくれたのか……?」

「…………」

 

 少し離れた所で、白銀色の体毛を夜風に靡かせている銀狗。ほぼ一年近く、見かける事も無かったその姿。

 手を伸ばすと一瞬身を竦めたが、逃げ出しはしなかった。

 

「有難うな、綺羅《きら》……」

「クゥーン……」

 

 そのまま、頭を撫でる。綺羅は心地良さそうに紅い瞳を細めた。だがそれはあの黒い狗とは違い、透き通ったルビーの美しさ。

 と、その前肢に血が滲んでいるのに気が付く。あの黒い狗を吹き飛ばした時に爪が当たりでもしたのだろうか。

 

 ポケットをまさぐると、入れっぱなしにしていたハンカチを取り出す。それを傷口に、少し強めに巻き付けた。

 

「帰ったらちゃんと診てもらえ? そうだ、狂犬病の予防接種とかしてるか?」

「…………?」

 

 心配になって、答えが返る筈も無いのに聞いてしまう。それに、綺羅は小首を傾げた。

 ふさふさとした白い尻尾が控え目に揺れている。先程の勇ましさが嘘の様だ。

 

 もう一度、今度は下顎を撫でる。猫のように喉を鳴らして、綺羅は頬を舐めた。

 何となく苦笑してしまう。御蔭でやっと腰が立つようになった。

 

 立ち上がって、周囲を改める。もうあの厭な感覚は無くなったが、それでも一度感じた死の恐怖は簡単には消えてくれない。

 隣の綺羅を見遣るが、既にその姿はなかった。

 

「ふぅ……相変わらず神出鬼没な奴だな」

 

 昔懐かしい相手に出会った余韻に浸る間も無く、今日は厄日だと愚痴りながら足速に家路を急いだのだった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 冷や汗に塗れた全身を悸かせながら、捨ててしまった事で駄目になったコンビニ弁当を買い直す為に別のコンビニを目指した空。

 自動ドアを潜った彼を見送って、男は自然な足取りで路地の陰へ立った。欧米式の軍服に似た装束と腰に翻るマント。それによって隠すように挿された飾り気の無い太刀。

 

 その全てが黒に統一されており、ともすれば宵の闇に溶け込んでしまいそうだ。

 

「……やれやれ、驚いた。まさか感付かれるとは思わなかったな」

 

 男は、余程近くに居なければ誰にも聞こえない程に小さく呟く。運良くあの黒い狗が居なければ、己が見付かっていただろうと。

 

「はい。正直に言えば意外です。どう見てもミニオン並に低位なのですが」

 

 それに答えた女の声。だが、男の周囲に人影はない。その怜悧な口調に驚く事無く、『見くびっていたようだ』と告げた。

 

「気に病むような事は無いかと。あの程度では、手駒にも脅威にも成り得ません」

 

 慰めにも聞こえる言葉に、男は肩を竦めて自嘲する。

 

 実のところ、偶然を装って接触するつもりだったのだ。驚く程に鋭敏な感知だった。そして、その逃げ足の速さときたら。

 この自分がほんの一瞬とはいえ出し抜かれたのだ。男は笑った。笑って、つい『喚んで』しまった刀を握り締めた。

 

「ああ、そうだな。つい、思わず……殺しそうになるくらいにな」

 

 冷酷な眼光を橙の光に照らされながら、雑誌の立ち読みに興じる人物に向ける。

 と、またも何かを感じたのか。少年はあろう事か、男の居る方に視線を向けた。

 

「--まぁいいさ。覚醒すらしていない転生体など、今のところはは放っておこう」

 

 声は、その少年の居るコンビニの屋上で冴えた空気を震わせる。一瞬という言葉よりも短い間に、音も無く移動していた。

 月光に照らされる銀灰色の長髪を一本に纏めた美形の顔立ちに、切れ長の青い瞳。

 

「了解致しました。では、今宵は如何なさいますか」

 

 その肩に、何かが乗っている。それが先程から男が会話していた存在。白銀の髪と紅の瞳を持つ、小さな少女。

 

「まぁとにかく、今は目障りな狗どもを始末するとしよう。最低限は仕事をしなければ、目を付けられかねん」

「そうですね。只でさえ監視付きですし、これ以上の枷が付くのは遠慮したいですから」

 

 男は、達観した笑みを見せた。ともすれば諦観とも取れる静かな笑顔を。

 それに眉根を寄せて言うや、肩の相方はスッと立ち上がり空中を舞う。その姿は羽を持たない妖精か、天使のようだった。

 

「--往くぞ、ナナシ」

「--はい、マスター・ゼツ」

 

 言葉の響いた直後に、二人の姿は掻き消えた。後にはただ、風が啼くのみ……

 

 

………………

…………

……

 

 

「--ハッ、ハッ、ハッ……」

 

 夜の闇の底をひた走る黒狗は、歓喜していた。主に課された使命をやり遂げた充足感から。

 その役目を果たした自らがこの後にどうなるのかは興味が無いが、ただただ歓喜していた。

 

 だからつい、目に映った童女の後ろ姿に。『突如として現れた』余りにも芳醇な香りに釣られて、矢も楯も堪らず『元に戻りかけている』状態で。

 ツインテールから覗く無防備な白いうなじに目掛けて、鈍く銀色に煌めく鋭い牙を『抜いて』襲い掛かり--

 

「--ガ、ヒッ」

 

 蛙が潰れるような声が上がった後で、アスファルトの硬い路面に西瓜くらいの球体が転がる。

 

「……噛み付く相手との力量差も理解できぬとは、大した駄犬だ。程度が知れたな、『秩序の眷属』よ」

 

 それはまるで、明滅する外灯の如く。チカチカとフリッカーする視界で。『狗だった』モノの首は、死に逝く瞳でその黒衣の存在の威容を見た。

 140に届くかどうかの背丈で、己の身の丈を越える黒く幅広なグレートソードを易々と振るった銀髪の娘を。

 

「……しかし、あの"剣"が選んだというからにはどれ程の存在かと思えば……あの程度か。永遠存在の混じった物でありながら『神』如きに憑かれて、あまつさえ神剣すら持たぬとは。これなら放っておいても問題は有るまい」

 

 返り血を浴びてなお、神々しいその姿。凛としたサファイア色の瞳は、何処か遠くの存在を眺めているようだった。

 

「しかし……やはり、衰えたか。あの時のダメージと失ったマナが回復しきっておらぬ。本体の維持の為とはいえど、我がこのように屈辱的な姿でおらねばならぬとは……忌ま忌ましい」

 

 そして『剣』が虚空に消えるや、血溜まりに映った己の姿を見てそう呟いた。何か不愉快な事でも思い出したのか、そのあどけないながらも凛々しい容貌を歪めて、頬の返り血を拭う。

 

「監視は奴に任せておけばよい。早くシャワーを浴びるとするか」

 

 娘は狗の死骸に見向きもせずに闇に消え、その後闇の底から淡い光が上る。

 まるで蛍の光のような淡い光は、誰にも気付かれる事無く消えていった……。



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因果の楔 輪廻の轍 Ⅳ

果てしなく遠い闇に充たされたその世界に、『光』があった。

 

「さて、準備完了ね。それじゃあ始めるとしましょうか」

 

 一つは女。アラビア圏の踊り娘のような、露出の多い服装。翡翠細工の様に美しい、碧のショートヘアと揃いの瞳。

 

「了解した」

 

 そしてもう一つは男。朱い覆面とマントを纏う、武士を思わせる筋骨隆々の偉丈夫。その、鬼神の如く獰猛な眼光。

 

「「我らこそが、この世に『光をもたらすもの』――――」」

 

 その見詰める先は朝陽を浴びる物部学園――――

 

 

………………

…………

……

 

 

――目覚めた気分は最悪だった。キリキリと差し込まれる様な鋭い頭痛に高い熱。吐き気と目眩。

 だが、休む選択肢はない。今日は準備に当てられている休日だと言うだけなのに、だ。我ながら、難儀な性格に育っちまった。

 

「大丈夫、巽君? 今日は休んだ方がいいんじゃない?」

「大丈夫です。心配をお掛けしてすいません、椿先生」

 

 わざわざ駐輪場まで迎えに来て心配げに付き添ってくれた、青みがかった長い髪の女性――担任の椿 早苗(つばき さなえ)教諭に断りを入れて、ゆっくりと昇降口に向かう。

 

「そう、でも気をつけてね。準備を頑張りたい気持ちは分かるけど、当日『来れませんでした』じゃお話にもならないわよ」

「はい、大丈夫です」

 

 早苗が去って行った後、本当にゆっくりと。一歩一歩、探り歩くかのように。間近な筈の昇降口を目指して、歩きだした。

 

「――――ッ!?」

 

 そこで、彼は本当に些細な段差に躓いた。何とか踏ん張り堪えた刹那、激震が世界を襲う。今度は完全に転び、仰向けに天を仰ぐ。煌々と満月の煌めく夜天を。

 そして、その頭上に影が立つ。幽鬼の如く立つ、黒い狗。昨日、彼を襲ったあの狗の同類だ。その姿が揺らぐ。揺らぎ、崩れ……やがて、女の姿に変わった。

 

「…………」

 

 狗の体毛と同色の黒髪を後ろで纏めた、人形の如く整った美しい顔立ち。飾り気の少ない、軍装のような衣装は、日本では見かける事の無い異質なモノ。

 だが、彼が注目したのはそこではない。その手に提げた一振りの刀。その刀を抜き放つと女は何の躊躇も無く――――寝転ぶ空に向けて振り下ろした。

 

「――――なッ!?」

 

 ハッと我に還りすんでのところで体を転がして、間近まで迫った白刃を辛うじて躱した。刃は火花を散らしつつ、易々と舗装されたコンクリートを斬り欠く。

 熱に朦朧とする体を何とか立ち上がらせて、彼は女を見遣った。そして、今更ながらに気付く。

 

「なんだ、これ……!」

 

 それは一人ではない。青い髪、緑の髪、赤い髪、黒い髪。数十人にも上る色とりどりの女達が校庭に犇めいている。

 その内で、路面を斬った女だけがゆっくりと彼を見つめた。

 

「――――う、ごくなァァァッッ! これが見えるか、銃だぞッ!」

 

 それに、店長から貰っていた時のままバッグに入れっ放しだったアパッチ・デリンジャーを突き付けた。

 

「……死ね」

 

 そして、彼は凍りついた。ただただ虚ろな黒い穴のような瞳に。そのまま女は無造作に近寄ると、刀を横薙ぎに振りかぶった。

 

「逃げろーーーーーッ! そいつは危険だッ!」

「ッ!」

 

 その声が木霊した時、空の体を縛っていた戒めが解けた。僅かに躯が倒れた事で、寸分違わず頚を狙っていた一太刀が逸れる。

 眼前を銀閃が走り抜けて、その巻き起こした風圧に背中から勢い良く植え込みに倒れ込んだ。

 

「ぐっ……クソッタレ……!」

 

 枝が折れて葉が千切れた。背に感じる痛みに悪態を漏らす。だが、何とか刀自体が当たる事だけは避けられたようだ。

 

 そして見る、満月を背に立つ女。その瞳には何の情動も無い――――いや、ある。濁った瞳には狗の姿の頃と同じ……生命を奪う事への渇望を湛えていた。

 刀の刃を天に向けて刺突の構え。その狙いは眉間。文字通り止めを刺そうとしている。

 

「熱い……!」

 

 呻く。左腕の、余りの熱さに。

 

『何してやがる……喚べ』

 

 その心の奥に、男の声が響く。聞き覚えのある声に急かされるかのように、燃え出しそうな左手を満月へと伸ばす。

 袖の捲れた左腕には、赤い闇で形作られた刺青のような紋様。

 

『さあ、喚べ! 我等の新たなる永遠神剣を!!』

 

 聞き間違える事がある筈が無い。それは何度も夢の中で聞いた、己の声なのだから。

 

――突き出された切っ先が迫って来る。命を奪う喜悦を見せ始めた女の顔が垣間見える。腕が熱い。熱い何かが流れ込んでくる。時間の流れが、やけに遅い――――!!

 

「――――来い、【幽冥(ゆうめい)】ッッッ!」

 

 叫びと共に、突き出した左手の先の銃に集束する闇。その闇の塊に、刀が突き刺さる。

 そこで初めて女の表情が変わる。余裕から、驚きへと。

 

「ック……ソッタレが!」

 

 闇が消えた後、漆黒の暗殺拳銃(アパッチ・デリンジャー)は浮き彫りの蛇の部分に赤い墨入れ塗装と金の装調が施されていた。その瞳の部分には、虹色に煌めく爬虫類の瞳の如き宝玉が嵌まっている。

 甲高い金属音と共に刀の切っ先を受け止めた鈍銀の銃口。先程、無造作に振り抜いただけでも易々とアスファルトを切り裂いた刀の切っ先を、だ。

 

「永遠、神剣……っ」

 

 女の呟きに、意識を逸らした事を見抜いた。その一瞬の隙に左の膝蹴りで女の右肘を打ち、右脚の蹴りを見舞うが――――右の蹴りは風を切ったのみ。女は、一瞬で背後に跳び退いていたのだ。

 

「チ――――流石は()()()だ、速い」

 

 吐き捨てたその言葉は、思わず口を突いて出たモノだ。まるで、昔から予め知っていたかのように……今、流れ込んで来たばかりの『記憶』から漏れたモノだ。

 外した蹴りの勢いを利用して、竜巻の如く回転して立ち上がる。眼鏡を外して胸ポケットに仕舞うと、手足の動作を確認する。異様な迄に身体を動かし易い。

 

【くふふ……それが『時間樹エト・カ・リファ』固有の転生システム『聖なる神名(オリハルコン・ネーム)』どすか? 便利どすなぁ、外の担い手はんは努力して使い方を覚えはるのに】

 

 と、頭の中に響く合成音声風の艶かしい女の声。以前にも聞いた声、契約の際に見た妖しい女の声だった。

 

(努力無しの何が悪いってんだ、世の中はどうせ、不平等なんだよ。だったら得するよう楽するよう生きて何が悪い)

【いやはや、全くその通りどす。弱者は強者から奪い取られるのみ、命も含めたその全てを。わっち好みの考え方どすわ、本当に気が合いますなぁ、旦那はん】

 

 

――くふふ、と。妖艶な笑い声を放つ神剣の意思。一発で判った、コイツとは……死んでも信頼関係なんて築けないだろう。

 

 遠巻きにこちらを窺う女ども、神剣の眷属『ミニオン』ども。今なら解る、それはただの先兵だ。何者かが何かしらの目的を持って、送り込んだモノであると。

 

「……皆には指一本触れさせないからっ!」

 

 見上げた先、校舎の屋上に少女の姿がある。風に靡く紅い長髪に白い羽飾りを着けた、輝く細剣と魔法陣の如き盾を備えた少女。

 その身に纏う、白を基調とした装束は物部学園指定の制服に似ているが、神剣の効果なのか、若干アレンジが加えられている。それが跳躍した。普通なら自殺以外の何でもない高さ。だが今の俺なら理解できる。あの程度で、『永遠神剣』の担い手が死ぬ筈が無い。

 

「たぁぁぁっ!」

 

 事実、少女は平然と校庭に着地してその勢いのまま輝く剣を振り、剣から放たれた閃光がミニオンを捉え貫いて消滅させた。

 

【あれまぁ、派手好きなお嬢はんどすなぁ……】

 

 それに、呆れたような言い方をする永遠神剣。全く同感だった。だが、好都合。ミニオンは圧倒的に強大な力を持つ『彼女』の方に注意を向けている。

 

――あれは……斑鳩生徒会長か。まさかあの女も神剣士だったとは。どうやら注意する対象が増えたようだ。

 

【そうどすなぁ、気ぃを付けんとあきまへんぇ?】

(ふん、判ってるさ。会長も神の転生体なんだとしたら、俺の前世での『渾名(あだな)』を知ってる可能性もあるんだからな)

【くふふ、ご心配には及びんせん。わっちは見ての通り、秘匿する事が前提の武器どすからぁ】

 

 心の内に響いた声に、左手の内にすっぽり収まる暗殺拳銃と同一になったモノに意識を沿わせた。

 

(便利な事だな。なら、とっとと俺の考え通りに動け)

 

 幾人もの悲鳴と怒号の飛び交う中で、苛立ちを感じながら命令を告げる。

 

【そんなに怒らんでもぉ。わっちの銘は【幽冥】、属性は赤と黒のマルチカラー。見ての通り、今は拳銃に御座いあんす。あんじょう宜しゅうに、わっちの旦那はん】

 

 その銘が示す通りに、存在感の無い幽霊を想起する永遠神剣だ。しかし、興味はない。今はただ、マナの流れに埋没して気配を絶つ事に専念する。

 

【幽め――――コンシールド!】

 

 闇の中に響く声と共に精神統一して完成させた埋没。これで此方の存在は他の神剣に気取られる事は先ず無い。

 暗闇に沈む新月のように、気配を隠すのでは無く埋没させる方式だ。

 

「たく、『聖なる神名』ってのは有り難てェ。記憶を受け継ぐ事で、戦い方まで理解しちまえるんだからな」

 

 『聖なる神名』。輪廻する魂に刻まれる『神としての名前』にして『永遠神剣の担い手』としての名前であり、神だった頃の記憶によるフィードバックを与える物だ。

 とは言え、勿論それは付け焼き刃。だから、最後の蹴りを外してしまったのである。

 

――だが、ただの隠蔽である以上慢心は出来ない。所詮は、弱者の足掻き。強者を討ち倒すには細心の注意を払い完璧を推敲し、一点の瑕疵すら無い完全な遂行を成し遂げる以外には無い。

 そう、不可能を可能にするしか無い。

 

【よしなにぃ。契約が続く限りは、力をお貸しいたしあんす】

 

 含み笑いしつつ呟き、【幽冥】は陽炎の如く闇を立ち上らせた。

 

「――――ッ!!?」

 

 その刹那、倒れ込みそうになる脚を踏ん張って壁に手をつく。

 

『――――目覚めた、奴が目覚めた! 殺せ、殺せ殺せッ!』

 

 全身を苦痛にも似た激情が駆け巡った。『怨敵が目覚めた』と、『早く殺せ』と。彼の中の神名が沸騰しているのだ。

 

「……煩い、黙れッ! 解ってる、解ってるさ……」

 

 その手を胸に当て、ペンダントと同じチェーンに通したお守りを握り締める。それを感じて、彼は少しだけ冷静さを取り戻して前を見据えた。

 その歩みは、牛歩。だが、歩みは止めない。元より選択肢はない、今握り締めているモノをくれた人に『何があっても歩み続ける』と、約束したのだ。

 

――そう、それが。それだけが、『オレ』がこの苦痛だけに満ちた『輪廻(サン・サーラ)』の中で……夢見た唯一だったのだから。

 

「死ね……」

「殲滅する……」

「燃えろ……」

 

 それを戦意と受け取り、様子見をしていたミニオン達が本格的に戦闘態勢をとった。

 黒は低く腰を落とし刀を構えた『月輪の太刀』、緑は隙無く槍を体の前で構えて敵の動きに備えた『アキュレイトブロック』、赤は双刃剣を後方に流して突き出した左手の先に攻撃用の赤属性の神剣魔法『ファイアボルト』の魔法陣を見せる。

 

「肩慣らしも無しに、本番かよ」

 

 当たり前だが愚痴っても現状は変わらない。『コンシールド』はあくまで感覚の隠蔽のみ、目視には一切の効果を成さない。

 

「――――んじゃあ、まずは雑魚から斬り抜けるとするか」

【くふふふ……銃で斬るんは無理どすけどなぁ】

「ハ――――どうかな。銃剣は付いてるぜ」

 

 暗殺拳銃【幽冥】を握り直しての決意表明に、水を差すような声が響く。だが空は意に介する事も無く、先程黒の刀を受け止めた際に砕けた、銃口内の詰め物の屑を捨ててミニオンと対峙した。

 

「まぁ、今は時間が惜しいからな。さっさと終わらせるぞ」

 

 酷薄に笑いつつ左の親指で撃鉄を熾こして、中指を引鉄に掛ける。そして添えた人差し指を照星として銃口をミニオンに向けた。

 

「さぁ――――征くぞ【幽冥】! 我が、新たなる永遠神剣よ!」

 

 神世以来となるその力の昂ぶり。それに感情も昴ぶらせながらの声と共に、引鉄を引いた――――!

 

――――カキン……

 

「「「「…………」」」」

 

 『その日その瞬間、初めて天使が通った瞬間を感じた』と、後に空が語った程だ。

 その一瞬だけ静まり返った校庭に響いた乾いた音。そう、紛れも無く撃鉄が墜ちる音。

 

――――カキン、カキン…………

 

 それだけが連続で響く。燧石が打ち合う度、眩暈を起こしそうな漆黒の火花を撒き散らして。

 衝き付けた姿勢のまま、何度も撃鉄を熾こしては引鉄を引いた。

 

――――――――カキン、カキンカキンカキンカキン…………………………

 

「紅蓮よ、その力を」

「待った、ちょっと待った! 今、責任者喚びますから!」

 

 溜め置いていた火の(つぶて)を放とうとした赤のミニオンに制止の言葉を掛ける。彼女らは、それに目を見合わせて視線で語り合って……攻撃を中断した。どうやら、多少は話の解るミニオンらしい。

 

(オイィィィ! どういう事だ、【幽冥】ッ!)

【はい? どういう事ってのは、どういう事どすのん?】

 

 その間に必死の形相で暗殺拳銃を睨みつけて、空は血管が切れんばかりに思考した。だが、それに対する答えは何ともあっけらかんとしている。

 

(巫戯化んな、何だよお前!)

【……旦那はん、さっきから一体何を言うてはりますん? 見ての通り、今のわっちは拳銃どす?】

(んなもん、見りゃあ解るわ! 俺が言ってんのは弾丸だよダ・ン・ガ・ン! 弾はどうした弾は、アン? 出せ、今すぐ出せ!)

 

 鬼気迫る呼び掛けにも関わらず、少し間を置いてから【幽冥】は『ふう……』とわざとらしい溜息を落とした。脳裏にはフランクに肩を竦める妖女の苛つくイメージとして流し込まれている。

 

【旦那はん、聞いとりましたん? わっちは旦那はんが用意した物を武器にしたんどすぇ?】

 

 その一言に彼は思考をフル回転させる。そして導き出した答えに……眩暈がした。

 

(……詰まりアレか。あくまでもイミテーションだったから『弾』は付随しねぇッて事か?)

【御明察ぅ、さっすが旦那はん。御理解が早ぅて助かりますわぁ。今のわっちは、マナ結晶製の弾丸が在って初めて役に立つ神剣なんどす】

 

 プルプルと、彼が震えている。その凄まじい怒りに。

 

「――――巫戯化ろ、カラ銃ゥゥッ! なんて使えねェ奴なんだテメー、クーリングオフさせろッ!」

 

 激情に任せて路面に全力で叩き付ける。【幽冥】は一度バウンドして。

 

【うわーん、旦那はんが流行りのドメスティックバイオレンスしたー! そない言うならオーラとかオーラフォトンでも使えば良いやありんせんのー!】

「ぶフォ!」

 

 それが物凄い勢いで返ってきた。空の顔面に。

 

「先に言えよテメェェッ! 俺が何度カチカチしたと思ってんだよ、ライターか! もしかして銃口から火なんかが出たらどうしようかと思ったって言うか、寧ろ俺の顔から火が出そうになったわ!」

【火なら幾らでも出したります! なんせ今のわっちは『燧石式(フリントロック)』どすからぁ~~!】

「煩せェェェェッ! 誰が上手い事を言えッつッたん――――」

 

 顔面に圧し付いて来る【幽冥】を掴み直して、少し顔から離して口論の構えをとる。

 その時だった――――

 

「【――――!!?」】

 

 その僅かな隙間を、針穴を通す正確さで何かが駆け抜けていく。壁を砕いて突き刺さったソレは、一本の槍。そして、目が合った。この世界では有り得ない程に鮮やかな緑色の髪と瞳を持った、神剣を振る為だけの存在であるミニオンと。

 緑のミニオンは、投擲した自身の永遠神剣である槍の柄を掴むと、壁を引き裂きながら空の顔面へ向けて振るう。それを尻餅を衝きながら屈んで避け、こけつまろびつ距離をとる。粉塵が舞い掛かり、吸い込んで咳込んだ。

 

【ち、堪え性の無いこって……】

「ゲホッ、ここまで待ってくれただけで奇跡だっての!」

 

 起き上がり、隙無く銃を構える。しかし、最早それに何の意味も無い事を知ったミニオン達に効果は無い。

 

【まぁ、冗談はこの辺にしておきあんす。旦那はん、早くオーラで弾を作りなんし。辺りの空間から搾るしょっぱいマナでも、あれを殺すには問題あらしません】

(冗談で主人殺しかけんなっ! マナを集めてオーラに変えて……純度を高めてオーラフォトンに)

 

 精神を統一して、神世の記憶を頼りにしてマナを集める。それを高めようと――――

 

「なぁ、オーラフォトンって……どうやって作るんだっけ」

【そないなもん、永遠神剣と契約したら出来るんと違いますの? てか、神様の頃の記憶にあるんやないんどすか?】

「…………」

 

 するのだが、全く以て手応えがないのだ。記憶通りにやっても、ちっとも。

 

【……ア、アンタ才能有らへん。あーあ、しくじったー……契約者間違えあんしたわ……はあぁ~、下手こいたわ~、どっかの道化者みたいな男にしとくんやった】

 

 そして心底から後悔した感じの【幽冥】の呟きに立ち尽くす空、じりじりと歩み寄る黒、赤、緑のミニオン。

 

「……クッ、ク……はははッ! 俺を他の男と比べるなんざ、良い度胸じゃねぇか…………」

 

 と、本当に唐突に笑い始めた空。笑いながら、使い慣れた武術の構えを取る。

 力まず、気負わず。どんな事態にも対応可能な『無形の構え』で、ミニオンヘと向き直って。

 

「殺す。この窮地を潜り抜けたら先ず、テメェの銃口以外にももう一つ、風穴開けてやらァァッ!」

 

 握り込んだ暗殺拳銃【幽冥】。そのメリケンサック部分を畳み、展開式バヨネットを広げて構え、そう吠えたのだった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 突風のように繰り出される刺突と薙ぎの『ソニックストライク』の槍の軌跡。空はそれを、受ける事すら出来ずにただただ躱す。

 

「ッ……クソッ……ッッタレ!」

 

 どこに逃げようとミニオンしか居ないというのに、じりじりと何の展望も無い後退を繰り返す。

 

――畜生め、速い、速過ぎる! 俺の眼じゃ軌道を見極めるだけで精一杯だ! だから、永遠神剣が欲しかったんだ。例え永遠に転生を繰り返してでも。

 なのに、手に入れたのがコレ? 巫戯化やがって、第一ちっとも身体強化が感じられねェ! どうなってんだ!

 

 修練で鍛えられている躯と神名から身のこなし方を引き出す事で、何とか死線を行ったり来たりしながら呼び掛ける。

 だが、反撃など出来ない。もし反撃に失敗して、腕を折られたり落とされてしまえば完全に終わりなのだ。

 

【はぁ……さっきから聞いとけば、随分と甘ったれた事を】

「何ィ、どういう――――ック!」

 

 その瞬間、【幽冥】を握る拳に疼痛を感じる。まるで、千の毒虫に噛まれたような痛みだった。

 

【旦那はん、わっちは慈善事業をしとるんやありんせんえ? 他の甘っちょろい神剣がどうなんかは知りませんけど、わっちは純粋な商売をしとりますねん。わっちは無力な旦那はんに力を貸す、その代償に旦那はんはわっちにマナを支払う。簡単な取引どすやろ? そんな初歩も出来ひんなら……】

 

 

 思わず見遣れば【幽冥】は拳の中で--毒々しい、腐ったような黒い血の色をした精霊光を滴らせながら。

 

【一刻も早うここで死んで、わっちにアンタの『生命(マナ)』でも払って下さいな】

「……ハ、虚仮にしやがって……ビジネスライクか、そりゃいいな。主従とか友情とか愛情なんて訳の解らねぇ物なんかより、ずっとシンプルで判り易い――――ぜッ!」

 

 邪悪な笑いと共に告げられた、『本来の』永遠神剣の声。自分の永遠神剣の声と、ミニオンの槍撃を辛うじて避けながら、彼は己の不甲斐無さを呪う。

 

――俺は、こんな奴らに殺される為にこのチカラを掴んだのか? 違う、俺は俺の悲願の成就の為にこれを取ったんだ! だとすれば……俺に足りないのは、俺自身の。この---!

 

「巽空自身の、強さだ……!」

 

 決意を固める。そう、今の彼は、曲がりなりにも『神を殺す』事も可能な力を有する遣い手。

 

――なら、俺はまだ太刀向かえる。勝つ事なんて考えなくていい、負けない事に全力を尽くせ。必ず生き残る事、それが俺の戦いだ!

 そうだ……亀の甲羅の守りなんて趣味じゃねぇ。好き勝手されるくらいなら、例え不利でも好き勝手にするのが俺のモットー!

 

 震脚と共に左フックを振るう。だがそれは緑の展開する風の障壁『アキュレイトブロック』の前に、軽く潰えてしまう。

 それは緑の障壁を破るには遠く能わない。薄く、緑のマナを撒き散らしただけだ。

 

「紅蓮よ、その力を示せ――――」

 

 その決定的な隙に、赤の命令で三つの火炎弾『ファイアボルト』が飛翔する。空にはどうあっても防げない、神の紡ぐ法が。

 

「――――ッ!」

 

 それに対して彼は、あろう事か【幽冥】を投げ出した。

 

【え? ちょ、旦那はん一体何を~~~っ!】

 

 その神威の火炎弾の正反対の、背後の窓硝子へと。彼の額と右肩、心臓を狙っているその炎の弾丸の方を向いたままで、【幽冥】で割った窓から後宙転で校舎の中へ逃げ込んだ。

 着地するのと同時に【幽冥】を拾い上げ、間髪入れずに走り出す。それと全く同時に、壁面を粉砕した『ファイアボルト』が、空が居た所を駆け抜けて行った。

 

「黒い月……見せてあげるよ」

 

 その空の進行方向に待ち受ける、黒いミニオン。刀を鞘に収めたままで構えて腰を落とした居合、『月輪の太刀』を振るおうとしているミニオンが……ただ、一体。

 

「――――ハ、予想通りだな」

「……?」

 

 それに空は悪辣な笑顔を見せた。思った通りだと、ほくそ笑む。

 

「お前の速さなら、追い付けると思ってたぜ。他のミニオンを置き去りにしてでも、な」

「……っ!」

 

 言われて周囲に目を配る黒だが、確認するまでも無い。赤と緑は追い付けていない。一対一。多数で圧殺するはずが、相手が弱者であるという慢心故にその状況に追い込まれたのだ。

 

 だが、だったら何だというのか。目の前の存在は羽虫、一捻りで終わる。ただ一太刀で殺せるのだ、恐れる必要など無い。

 その事実に、直ぐさまミニオンは気付いた。気付いた勢いのままで己の永遠神剣である刀を目にも留まらぬ速さで。黒い残光の軌跡を残す程の速度で抜刀した。

 

「――――!」

 

 刮目せよ、永遠神剣(トラ)の威を借りる神剣士(キツネ)ども。今、此処に生まれた、お前達の天敵を。

 他者から与えられる暴力でなく、己の積み上げてきた実力を。

 

 震脚と共に、体を沈み込ませて。横一閃の『居合の太刀』を回避して刔り込まれた、右のアッパーカット。そして、それに浮された黒の水月に向けて左の正拳突きを刔り込む拳技『我流 一の太刀・輪剣』を繰り出した。

 技こそ違えどカウンター、時深に見せた物と同じ。

 

「――――あばよ」

 

 その違いは単純明解だ、今まで永遠神剣の性能に頼る事しかしてこなかった黒のミニオンに時深のような技や、受け止めるスキルも無くそれを受ける以外に無い。

 

「カ、は……!」

 

 当然だが、そんなものは致命傷どころか負傷にすらならないが、膝をつくだけの威力は有った。

 その隙は、空にはミニオンの脇を擦り抜けて走るのには十分過ぎたし――――

 

「一気に打ち払うっ!」

「な、」

 

 持ち直し、追い掛けようと振り向いたミニオンの目の前に迫る、白き閃光の戦乙女にとっては十分すぎる隙だった。

 

「インパルスブロウ!」

 

 振り払われる凝集した光の剣に、存在する核である永遠神剣の格の違いか刀ごと打ち砕かれる。黒はそこで、初めて――――今まで己が相手をしていた者の、正体を悟った。

 最後に『あばよ』と別れの言葉を掛けたその男こそ、本当に危険な存在だったのだと。自身の弱ささえも武器にしてのける、本物の策士だったのだと。そう気付いて、だからと言ってもう何もする事適わずに。マナの霧に還って逝ったのだった。

 

「神剣よ……!」

 

 その刹那、追い付いて来た緑が槍技『ライトニングストライク』を見舞う。それを青マナを結集させた氷の鎧『フローズンアーマー』で防ぐ彼女。

 

「紅蓮よ、その力を示せ――――」

 

 だがしかし、その背後より神剣魔法『ファイアボルト』の術式を展開した赤。今、彼女が纏っている氷の鎧は物理防御重視だ、魔力重視の神剣魔法である炎の弾丸には、意味が無い――――

 

「かはっ……!」

 

 その瞬間、術式が起動するより早く。三つの氷柱が赤ミニオンを貫いた。予め仕掛けられた青の迎撃魔法、『アイシクルアロー』が。

 

「甘いわよ」

 

 赤がやられた事に気を逸らした緑の隙に、沙月が気付かない訳が無い。彼女の両の手に握られたのは、幾つもの光の短剣。

 

「ヘヴンズジャベリナー!」

「ああ……これまで、なのね」

 

 それが投擲された。複数の短剣に緑ミニオンは防御を射ぬかれて、消滅して逝ったのだった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 消滅していくミニオン達を尻目に、僅かに得た黒マナを感じつつ【幽冥】は満足げに。自分を握る指先まで轟く暴走したような鼓動と、火照った体温を感じていた。

 

――運の良い男。なにせこの男は脆弱。実力も経験もあらかた不足、正面きってじゃミニオンにすら敵いやせん。もしあの娘がこちらに気付かんかったらどうなったんどすやろ? 本当、運の良い男。

 

 だが、それも強者の条件。己が生き残る状況を引き寄せるだけの強い因果律を持つ事。それもまた、実力の内だ。そしてそれを望むのが、永遠神剣というもの。

 その点では、合格。弱者である己を否定して、新たな因果を引き寄せたのだから。

 

――まぁどの道、この程度で死ぬ程度の契約者なら相応しゅうない。この……【幽冥】には。

 

 仄暗い愉悦に充ちたその自我は、暗闇の底から光を見上げながら待ち受ける――――

 

 

………………

…………

……

 

 

 黒を一刀の下に消滅させ、更にその後に現れた赤と緑のミニオンを軽々と消滅させた彼女は、少年に眼を向けた。

 マナの霧を孕んだ風に深紅の髪を靡かせる白い装束の少女、斑鳩沙月が。

 

 その右の手には白く光る剣……否、白い『光』そのものによって構成された刀身を持つレイピアが握られていた。

 

「――――斑鳩、会長……」

 

 空は、足を止めて呟いた。だが、当の沙月の方は彼を見ようともしない。

 

「……沙月殿、急がれた方が」

 

 沙月の背後に、光と共に現れて立つ巨漢。戦槍を持った鎧の人馬の騎士が提言する。それにさして驚く事も無く、彼女は頷いた。

 

「そうね、急ぎましょう。望くんの覚醒が大分進んでるし、それに裏切り者が居るみたいだしね」

 

 鋭い眼差しを天井に向ける沙月。その眼が、空に落ちる。だがその時にはもう、笑顔を浮かべていた。

 一目見るだけでも底冷えのするような笑顔を。

 

「だから取り敢えず、問答無用で気絶して貰うわね。()()()()()()()()()()()()()?」

「――――はい?」

 

 不穏な単語に似合わない小首を傾げたその空間を、光が薙いだ。小首を傾げたまま硬直した彼の髪が、数本舞い落ちる。

 

「貴方達のもたらすまやかしの光……旅団が一人『光輝のサツキ』の輝きが掻き消してあげるわ!」

 

 再び、戦闘態勢を整えた輝ける少女――――神剣士『光輝のサツキ』は、その光の剣の切っ先を眼前で呆気に取られる空へと向けた。

 振り抜かれた光の剣をすんでで回避した。だが続いて、二ノ太刀三ノ太刀が繰り出される。

 

「って、ちょうォッ、ちょっと! 何すんですか、危なッ!」

「なかなか素早いじゃないッ! 神剣士にもなると流石に鍛えられてるわね!」

 

 時深から特訓と称してよく竹刀で強襲されたり持たされたりしていた彼は、殊更『剣』状の武器に対しての見切りが鍛えられている。とは言え相手は本物の永遠神剣を持つ神剣士、しかも何度も実戦をくぐり抜けてきた猛者だ。

 所詮は、道場剣の付け焼き刃の彼には太刀向かうだけで精一杯。ならば――――どうするか。

 

「ク――――しまっ!」

 

 そこで、運悪くミニオンの死骸に躓く。重なり合うように倒れた赤と緑の消え逝く死骸、どちらも体を氷と光の短剣によりそれぞれ貫かれた骸に。

 尻餅を突いてしまったその隙に沙月は剣を突き下ろす。真っ直ぐ、眉間を狙って。

 

「いい加減に、しろォォォッ!」

「へぇ、やるじゃない。やっぱりミニオンみたいにはいかないか」

 

 右脚で右肩の軸を止めて、左足で右腕を巻き込まれる形で沙月の【光輝】のレイピアが止められた。有する武器の性能で敵わないのなら、本体の研鑽で対抗するしかない。

 口で言えばそれだけだが、先述した通り彼には身体補助が無い。華奢な沙月とは言え神剣士。その腕力は、片手で空の両脚力を圧倒している。

 

「……ッ、俺は光をもたらすものとか言うのじゃあない! 誓ったっていい……!」

「はいはい、容疑者は皆そう言うのよ。私達には、『あらゆる事象を知ってる』仲間がいるの。貴方が神の転生体だって事は知ってるし、それに私見たんだから。貴方がミニオンを引き連れてるところをね」

「いや、前者はともかく……後者は誤解、だッ!」

 

 レイピアごと右腕を蹴り上げた刹那、彼女の左腕が閃いた。その左腕に展開されていた、魔法陣の如き盾が彼の身を打つ。

 逆らわず吹き飛んで、空は距離を稼ぎ――――

 

「止めよ、ケイロンっ!」

「承知ッ!」

 

 と、掛け声に合わせて光の剣と盾が解けた。そして、守護神獣の騎士『ケンタウルス=ケイロン』の持つ神槍『ハイデアの槍』に、青い精霊光が纏わり付く。

 

「マーシレススパイク!」

 

 その戦槍が衝き出された。青い精霊光を纏う槍撃は、距離を取る為に跳んだ空中では最早躱せない--!

 

「――――ッ!!?」

 

――躱せないなら躱わさなければいいだけだ。そう、今度こそ――――!

 

 空はマズルローダーの【幽冥】に右手で『何か』を装填し、撃鉄を熾こして。

 

「――――行くぞ、【幽冥】!」

【くふふ、あーい、旦那はん!】

 

 今度こそ確かな神威を持って、その引鉄を引き――――撃ち出された弾丸にて、精霊光の槍撃を『撃ち消し』た。

 

 ケイロンは眼を見開く。それは彼の持つ最高の槍の技、精霊光を沈静する青マナを纏い、あらゆる術を術者ごと撃ち抜く荒業。

 今まで、幾多もの敵をそうして神剣魔法ごと屠ってきた無慈悲な一撃。それが掻き消えたのだ。

 

「何だと……くっ!」

 

 そして、気付く。あれは間違いなく沙月の『アイシクルアロー』だった事と、呆気に取られている内に階段を駆け登った二人に。

 

 階段を三歩で上りきって、空が振り返ったその刹那、目が合った。紅い髪を靡かせる、戦乙女と。

 

「――――がフッ!?」

 

 その美脚がどてっ腹に減り込む。余りの威力に、彼は残りの段をすっ飛ばして滑り出た。

 

「……ド派手な登場だな。誰かと思えば、巽か?」

「グ、おォォォ……?」

 

 蹴られた腹を押さえてくの字に折れ曲がる空の目に、人影が映る。初め彼はそれが沙月だと思っていた。

 だが、それは黒衣の少年。銀色の髪を持つその少年は……暁絶。

 

 そして双児剣を携えた望とそのすぐ側に居る希美。床に倒れた、信助と美里の姿。

 

「暁君……いえ、『暁天のゼツ』っ!」

 

 勢い良く飛び出た沙月はたった今蹴り飛ばした空など眼中に無く、絶を殺意の篭る瞳で捉えた。

 

「遅かったな、斑鳩? そういう事だから、望……」

 

 そんな事などお構い無し。彼は、彼の親友であるはずの望に笑い掛けながら腰の刀を抜き放つ。

 

「悪いんだが――――死んでもらう。『黎明のノゾム』」

「絶……!」

 

 凍り付くように冷たい一言。望と希美は、信じられないといった風に答えた。

 それもその筈、彼らは仲良しとして知られていたのだ。その彼らがここで今、互いに武器を構えているのだ。あまつさえ、殺気すら発して。

 

 最早、一触即発だ。それぞれの持つ永遠神剣に力が篭められる。そこに――――

 

「動くなァァァッ!」

「「「「――――ッっっ!?」」」」

 

 怒声が響き渡る。何時しか起き上がった空の声が。左手でビシリと、睨み合う三人を指差す。

 

「あ、空……?」

「……ほぅ。まさか、そんな永遠神剣が在るとはな」

 

 その左手に番えられた、壱挺の拳銃。指差す人差し指はそのまま、横倒した引鉄に中指を掛ける。

 

「あれって……銃?」

「拳銃……さっきは見えなかったけど、それが貴方の神剣なのね」

 

 眼を円くする望達になどお構い無し、すっかり頭に血が上った空は激情に任せて叫ぶ。

 その眼は鋭く見開かれて、周囲を圧倒せんばかりの威圧を放つ。

 

「散々、俺を無視しやがって……こうなりゃもう、自棄だ!」

 

 カキリと、撃鉄を熾こす。その姿勢のまま彼は叫んだ。

 

「【幽冥】が射手、巽空……」

 

 引鉄が引かれる。それは先程と同じく、装填された『光の短剣』。手癖の悪い事に、躓いて転んだ際に消滅していくミニオン達から『アイシクルアロー』の欠片と共にすり盗ったモノだ。

 

 その銃口に白い光が満ちていく。それは紛れも無く沙月の投擲技『ヘヴンズジャベリナー』。

 

「神銃士『幽冥のタツミ』、撃ち貫く!」

 

 撃鉄が墜ちる。冥き火は薬室内の光の短剣のマナを炸裂させて、凄まじい加速と轟音と共に短剣を銃弾として射出した。

 それが彼の物語の始まり。これより始まる物語の開幕を告げる鐘の音だった――――!

 

「……ック……!」

 

 余りの反動で尻餅を衝いた空は、軋む左腕を庇って呻く。

 これこそがこの『神剣』の本領だ。他の役に立たない代わりに、たった一点に集束した才能。

 

「――――チッ……まさかこんな伏兵が居たとはな……俺も、まだまだ甘いって事か」

 

 狙われていた絶はその弾丸……いや、最早『砲弾』をあろう事か、刀型の第五位永遠神剣【暁天】によって『受流し』た。替わりに撃ち抜かれたのは廊下の端、円形に大きく穴が穿たれている。

 刀を納めて忌々しげに呟く。と、またも銃口が向けられている事に気付いた。

 

「随分と用意がいいな、斑鳩? まさか、俺を睨んで旅団から戦力を呼び寄せていたのか?」

 

 それに警戒しつつ、彼は沙月に誰何する。

 

「へ? 何言ってるのよ、コイツは貴方が呼び寄せた光をもたらすものの尖兵じゃ……」

「だからぁ、さっきから違うって言ってんでしょッ! 俺は無関係ですよッ!」

 

 額に『怒』マークを浮かべつつ、空が叫ぶ。その間も衝き付けた銃と視線は動かさない。

 

「フ、悪いが、奴らにそこまでは仕込む時間は無くてね……というより斑鳩、お前も『奴』から詳細は聞いているのだろう?」

 

 納刀したままで腰を低く落とす、居合の構えを見せる絶から。

 

「おっと、動くな暁。威力は見たはずだよな?」

「ああ、よく見せて貰ったよ巽。直線にしか飛ばないのを、な」

「――――チッ!」

 

 今度忌々しげに舌打ったのは、空。早速弱点を看破された事に。

 

「絶……どうしてだよ? なんで俺達が、戦わなきゃいけないんだよ!」

「何だ、まだ理由が欲しいのか? だったら、『俺がお前を殺そうとするから』でいいだろ」

「絶ッ!!」

 

 望の悲痛な叫び。そして――――

 

「……ない」

「……希美……?」

 

 俯きつつ、呟く希美。その様子がおかしい事は誰の目にも明らかだ。

 

「甘いなッ!」

「なッ、グゥッ!?!」

「しまっ--かは……!」

 

 それに気を取られた空と沙月の隙に刀を鞘疾らせた絶が一ノ太刀『会者定離の太刀』で【幽冥】を天井まで弾き上げて、鞘でその胸を打った。強制的に息を吐かされ、彼は呼吸方法さえ思い出せずに失神する。

 それと全く同時の二ノ太刀たる『雲散霧消の太刀』が、返す刃で沙月へと振り下ろされた。威力を受け切れず彼女は盾ごと吹き飛ばされると壁に減り込むほどに打ちつけられて、そのままずるずると崩れ落ちる。

 

 それは正に剣の舞い、その速さはまるで光だった。

 そして、真っ向に突き出される三ノ太刀『臥薪嘗胆の太刀』が、望へと迫る。

 

「殺させない……望ちゃんは!」

「な……!」

「――――希、美……!」

 

 それを受け止めたのは、希美。その手に握られたのは、鎌状の刃が付いた槍。

 

「あぁぁぁぁっ!!!」

 

 その叫びと共に、激震が走る。地を揺るがすそれに、絶は仕上げが終わった事を悟った。一気に数十mを跳び退がり、空の放った砲弾に穿たれた大穴に身を寄せる。

 

 そこから覗く満天の星空と市街の光。そして、うっすらと天に見える、絡み合う大樹の枝。

 

「では――――よい旅を」

 

 一度望と倒れ伏した少年少女達を見遣り、意味深な言葉を発して彼はその穴から飛び出して行ったのだった。



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第二章 剣の世界《クランヴァディール》 Ⅰ
黒の剣姫 青の暴君 Ⅰ


 闇の底に身を沈めていた少女は、ふと天を見上げた。虚空より、気配を感じた気がしたのだ。

 

 緑の天蓋に空隙が穿たれ、夜空が覗いている。恐らくは自分が今腰掛けている倒木がそこを覆っていたのだろう。その先に在るのは満月。凛としたその威光は、遠く離れた地上に在って尚圧倒される程だ。

 

「佳い月ですね……」

 

 だが、その月光を持ってしても彼女の雰囲気を脅かす事能わない。梢の間を抜けて届いた夜風が、彼女の髪を揺らす。金色の、あの月と同じ煌めきを放つ美しい髪。そしてその身に纏う気高き若獅子の如き凛々しい気配。言うなれば、彼女は地上の月だった。

 

 僅かに乱れた金髪を手櫛で撫で付けて、再び手元のソレを磨く。不織布にて磨き上げられるソレは、少女が持つには余りにも不釣り合いな黒い大刀。

 否、不釣り合いといえば総じて不釣り合い。黒い鎧に身を包み、まるで竜巻がのたうち回った後のように薙ぎ倒された木々に、刔り取られた地面と砕かれた巨石が骸のように曝されている場所で平然と剣の手入れを行うなど常人では有り得ない。

 

「……」

 

 その背後に、影が立った。その手には鋭い鎌が--いや、腕自体が鎌の、異形の闇の獣が。

 禍々しく銀色の月光を照り返すそれを、獣は少女に向けて突き出して……膝に乗せた。

 

「……あら、貴方も磨いて欲しいのですか?」

 

 驚きもせず、彼女はそれを受け入れた。あまつさえその表情には喜色すらある。

 

「……」

 

 何も言わぬ闇の獣は、少しだけ照れたように身を震わした。その様は、主人に擦り寄る仔犬に似ている。余りに似合わないが、故に少女は微笑んだ。健気だ、と。

 この影の獣が、こんなに甘えるのも珍しい事だ。誰も居ない今を好機と見たのだろう。

 

「ふふ、分かりました。剣の次は貴方ですね、アイギ--」

 

 刹那、少女が天を見遣る。影の獣もまた主に倣った。強烈な力の流れを直感で感じ取ったのだろう、それはさながら歴戦の武人を思わせる厳しい表情だった。

 

「あれは--」

 

 吹き荒ぶ猛烈な風に木々の枝葉が鳴いている。そして、見上げた。呆然と見上げていた。その風を起こした、巨大な--

 

「天……使……?」

 

 天が見えなくなるほどに巨大な、羽を持ったーー見たこともない姿をしたその存在に向けて、そう呟いて。

 

「分かりましたか、アイギアスーーあれこそ、勝利の兆しに違いありません」

「…………」

 

 立ち上がり、勢い込んでそう口にした少女に、『アイギアス』と呼ばれた獣は不貞腐れたように姿を消した。黒い影となり、彼女の持つ『黒い大刀』に。

 

「探さなければ……我が国の勝利の為に!」

 

 そう呟いて、彼女は森の中を駆け出したーー……。



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黒の剣姫 青の暴君 Ⅱ

 所は生徒会室、そこで空は沙月の詰問を受けていた。

 椅子に座った沙月に対して、空は直接床に正座させられている。そのすぐ脇では、彼女の永遠神剣【光輝】の守護神獣ケイロンが槍を突き付けていた。

 

「……なるほど。つまりこの襲撃が切欠で前世に覚醒しちゃった、と」

「はい、ミニオンの攻撃が引き金になって……」

 

 包み隠さずに知る全て、あくまで『知る』全てを告げた空。一方の沙月は難しい顔をしていた。俄には信じがたいその話に。

 

「大体は理解したわ。それで、君は『巽空』?」

「『巽空』です……間違いなく」

 

 真摯に確かめるような物言いに淀み無く答えて顔を……上げない。この位置で顔を上げたりすれば、まず間違いなくケイロンに問答無用で刺《マーシレススパイク》される事だろう。

 因みに望と希美はまだ保健室だ。保健室で希美に治療して貰って夢見心地だった空は、急転直下で地獄に叩き込まれた。

 

「……そう、分かったわ。一先ず信用してあげる。ただ、【幽冥】だったっけ? にしても銃の形の永遠神剣なんてね。さっき、君は『神剣士』じゃなくて『神銃士』って名乗ってたけど」

「いやぁ、あれはその場の勢いというか何と言うか」

 

 空は、頬を掻きながら茶を濁す。眉を困った様に八の字にして。

 

「『装填されたものを問答無用で本質を発現しながら射出する』、か……便利といえば便利だと思うけど、それって普通に神剣魔法を使うのと何が違うの? むしろ、ワンクッション置いてるから隙にならない?」

 

 と、ふと彼女はジト目を向けた。的を得た正論に、流石にバツが悪くなって。

 

「それを言っちゃおしまいですよ……仕方ないじゃあないですか、どうも俺には……マナ操作の才能が皆無らしくて」

「「はぁ?」」

「そのせいで身体強化もほとんど無し。身体も人間の時のままだし……スゲェハズレ籤を掴まされたんです」

【ちょ、何言うとりますねん! わっちの方こそ旦那はんみたいな空籤引かされて大迷惑どすわ!】

 

 沙月とケイロンにダブルで呆れられてしまう。流石に、空も申し訳ない気持ちになった。

 

「呆れたわ、それで神剣士なんて言える訳?」

「……ぐうの音も出ません。まぁ、そこは別に問題じゃないです。俺は『接近戦に向かない』なんて時代遅れの剣至上主義の阿呆とか技量の低さを銃の性能に転嫁するショボい銃使いとは違う、神銃士なんで。さっきの会長の時みたく、例え接近戦に持ち込まれても銃の射程には関係無しです。寧ろ、威力は高いままだわ当たり易いわで好都合。弱点だって、使い方を間違えなきゃ立派な武器だ」

「はいはい、大した逆説だこと。それにしても、あんな状況でよくハッタリを使えたわね? 暁くんに向けた一発を撃った後は、もう空砲だったんでしょう?」

「はは、御明察。我ながら冷や汗物でしたよ……で、どうです? 考えてもらえましたか?」

 

 その一言に、彼女は笑う少年を見た。そこには微かだが、嫌悪が滲んでいる。『自分はこのチカラを自分の為に使います。ですから会長、俺の力が御入り用なら是非、雇ってくださいませんか?』

 この少年は、そう言った。タダでは働かない。ギブアンドテイクで、と。真意を探る視線を向ける沙月に、彼は溜息を落とした。

 

「いいわ、『雇ってあげる』--『蕃神』さん。神世で、最も神を殺したのがジルオルなら……貴方は最も神を死なせた策略家だものね」

 

 そこで、彼は顔を上げた。一瞬、底知れぬ殺意を瞳に滲ませて。その三白眼を開き、己の胸に軽く握った左の掌を当てる。

 

「契約完了……『幽冥のタツミ』、確かに雇われました。この力、学園の平和の為に役立てます」

 

 その底知れぬ深さの鋭い琥珀色の瞳。まるでカラスだ、と。沙月は思った。

 

「……そう願いたいわね。じゃあ詳細は追って通達するから、取り敢えず体育館の皆に危機は去ったって伝えてきてちょうだい」

「了解、雇用主。じゃ、これで」

 

 と、立ち去ろうとしたその瞬間。急に沙月が思い出したように声を掛ける。

 

「ああ、そうそう。忘れてたわ、君の神剣って何位なのかしら」

「……おお、そういえば俺自身も聞いてなかった」

 

 今更だが、そんな初歩的な事を確認していなかった事に気付く。

 

【旦那はん、何を言うとりあんすかぁ? わっちの位なんざ、今のわっちの形状を見れば一目瞭然やありんせんかぁ】

(形状……銃だろ? 銃、ジュウ……十…………)

 

 と、そこまで考えついて。心底から、溜息を落として。

 

(---十位ィィィ!?! おまっ……選りにも選って第十位の永遠神剣かよ! あーあ、おかしいと思ったんだ、弾が付かなかったり身体強化が無かったりしたし……ハァ、まさか最低位の神剣だったなんて)

【ちょっ……なんどすねん、折角契約したったのにその言い草は! 断っときますけど、例え第十位永遠神剣やっても担い手次第では、上位神剣の担い手でも倒せますわいな!】

 

 彼がそう愚痴るのも仕方ない。第十位の神剣など、並のミニオンの神剣よりも下位なのだから。

 だがまさかあそこまで息巻いておいて『第十位です』とか言おうものなら、間違いなく瞬速で殺害《マーシレススパイク》される。

 

 なので彼は--精一杯、思考を巡らせて。

 

「会長、俺の【幽冥】に位なんて仕様の無いものはありませんよ。何故なら【幽冥】はこの世に唯一無二、俺だけが持つオンリーワンの『永遠神銃』ですからね」

「なによ、永遠神銃って?」

 

 そんな、物凄く苦しい言い訳を口走った。言うに事欠いてそんな在りもしないものを。いや、ただ知られていないだけなのかも知れないが。

 何にせよ、真っ赤な嘘という訳ではない。何しろ【幽冥】は元々、『銃型』の永遠神剣ではないのだから。あくまで、そういう器を用意したからに過ぎない。今の、この銃は神器と言っても過言ではないだろう。ならば、その神器に名付ける権利は空に有るだろう。

 

 その名前が『永遠神銃』だっただけの事だ。そう、典型的な名称詐欺の手段である。

 

「永遠神銃は、永遠神銃ですよ。永遠神剣の従姉妹的な武器です」

「…………」

 

 当然、超絶に訝しんだ白い眼を向けられながらも、壮絶に自信に充ち溢れた態度を見せる。

 その実、下半身は震えてちびりそうになりながら。

 

「まぁ確かに今はしょっぱい性能ですけどね。すぐに期待に応えて見せますよ」

 

 逃げるように……否、逃げる為に一方的に話を断ち切って。大柄な少年が去ると、静寂に包まれた生徒会室。そこで沙月とケイロンは難しい顔をしていた。

 

「沙月殿、自分は反対です。あのような得体の知れない者を味方に迎え入れるなど……」

 

 ケイロンは、何も空に限った事を言っているのでは無い。あの、【幽冥】という銃についてもだ。彼の卓越した戦士としての勘は、あの永遠神剣と少年の組み合わせは『最悪に最高』と察している。

 

「そりゃあ私だってそうよ。でも仕方ないじゃない」

 

 はぁ、と溜息を落として。彼女はここには居ない、話題の人物を思い出した。

 

「見てない所で問題を起こされるよりは、ずっとマシでしょ?」

 

 あの『銃』という外見は見た目だけでも攻撃手段となる。ならば、手元に置いておくべきだろう。『悪用』されては面倒だ。

 

「『団長』の判断を仰いでは如何でしょうか」

「そうね、それが良いわね。ハァ、また小言言われちゃうわ……」

 

 本当に嫌そうに、彼女は忠臣の金言を受け入れたのだった。

 

 

………………

…………

……

 

 

(おい、カラ銃)

【…………】

 

 体育館の中で、早苗に事の次第を説明し終えた空は、自分の相方に向けて語りかけた。

 

(オイコラ、何を無視してやがるカラ銃)

【……旦那はん、もしかしてとは思いますけどぉ、その『カラ銃』ってのはわっちの事どすか?】

(お前以外の何処にカラ銃が有るってんだ?)

 

 ジト目で拳銃を見遣りながら、空は鼻を鳴らした。かなり、辟易した口調で。

 

【何を言うとりますねん! カラなんは旦那はんのマナ操作の才能やありんせんかぁ!】

「んだとォ? 弾無しの役立たずに言われたくねェんだよ!」

【キーッ!! マナがあればええんどすっ! そしたらわっちの本当の力を見せたりますわ! 土下座して感謝させたりますよっての、この玉無し旦那はん!!】

「テメーはマジにムカつくな!!」

「……な、なぁ巽。お前、大丈夫か?」

 

 と、いつから居たのか。そこに信助が語りかけて来た。実に心配げな表情で、美里も隣にいる。

 

「うん? ああ、大丈夫だって。ちょっと、頭とか胸を打っただけだからな」

「そっか、頭を……」

「そうね、それなら仕方ないわ」

 

 湿布を張った頭を軽く摩りつつ答えると、二人は妙に優しく笑いかけてくる。まるで労るように。

 

「……?」

 

 結局、彼は自分が拳銃に向けて怒鳴り付けている、危ない人物になっていた事に気付かなかった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 その後に開かれた全校集会にて、生徒達へ説明がされた。最初は戸惑っているようだったが、次第に置かれている状況を理解したのだろう。

 混乱は少なかった。それは沙月のカリスマに依るところが大きい。もしも彼女の居ない状態でこの状況に陥っていれば、どうなっていた事か。

 

 ちなみにそこで神剣士達の紹介もされた。一般生徒にとっては、異常としか言えないチカラを持つ者達。

 だが、彼らはそれを受け入れた……いや、受け入れざるをえない情況では有るのだが。

 

--楽観的な者ばかり揃ってんのかねぇ? まぁ、休日に学園祭の準備に来てる真面目な生徒ばかりだからな。そういう意味じゃあ、内部崩壊する危険は少ないか……ハハ、楽で良いや。

 

 そんな感想を持つ程に全校集会は、あっさりと全快一致の肯定を見たのだった。

 

 

………………

…………

……

 

 

『--おい、『俺』』

(……何だ、『オレ』?)

 

 少し前の事を思い返していた空は、呼び掛けられて自分の内面に意識を向けた。深い深い、緋色の深層意識。そこに感じる、自分と同じモノに。

 

『いつまで奴を放っておきやがるつもりだ? もう力は手に入れただろうが。早く、早く奴を……』

 

 固まりかけた血のように濁った赤い意識が、酷く剣呑な雰囲気で見遣る。その烈しい感情が血液に流し込まれたように、全身を巡る熱。その余りの不愉快さに、彼は眉をひそめた。

 

(落ち着けよ、『オレ』? 判るだろう、今の状態じゃ敵わない。まだまだ仕込みが必要だ)

『何を間怠っこしい! 寝首でも何でも掻けるだろうが! その為に屈辱を堪えてわざわざ奴の近くに--!』

 

 激昂するように逆流する体液に、襟首を捕まれたかのような苦痛を味わう状態で。

 

(--黙れ、妄念風情が。それを受け持ったのはお前じゃねェよ、『俺』だ!)

 

 鋭い言葉を吐き掛ける。猛禽の眼差しと全く同じ、憎悪を。

 

(死人は死人らしく、記憶だけを遺してろ。後は要らん)

『--貴様……! 『オレ』を、裏切る気か!!』

(まさか。待てと言っただけだ。『急いては事をし損じる』、だ)

 

 腕を払いのけて、空はニヤリと笑った。口角を吊り上げた悪辣な空の笑顔、それに酷薄な雰囲気を向けたままで。

 

『『時は金なり』、だ。精々後悔しねェようにするんだな!』

 

 踵を返すと、赤い闇が霧散していく。神名としての状態に戻っていくのだ。

 

(--言われるまでも無い)

 

 それを見送り、空は意味ありげに笑った--

 

「いててててッ!?!??」

 

 深層意識に揺蕩っていた空は、突然の耳の痛みに覚醒した。その痛みに耐え切れず、片眼を開いた彼は--

 

「うぉっとッ!?」

 

 まずは、揺れた身体を固定する。危うく木の枝の上から落ちそうになってしまった。

 何とか体勢を立て直して、彼は痛む耳の側に顔を向ける。

 

「ジャリ天、いきなり何しやがる! 危ねェだろ!」

 

 そこに居る金髪を短いお下げに結い上げた、碧の瞳の少女。だが、人ではない。宙に浮かんだ子猫程度の大きさしかないその姿は、まるで『妖精』。

 

「何度言えば理解するのだ、お前は。吾には『レーメ』という立派な名前があると言っておろうが! 全く、仕事中に居眠りとはいい度胸だな、天パ!」

「寝てねェよ。奇遇だなジャリ天、俺にも『巽空』って名前があるんだ」

「ふん。吾はお主が吾を正しい名で呼ぶまで、お主の名など呼んでやらんわ」

「そうかよ。じゃあきっと永遠に来ないな……後、次に俺の髪の事に触れたらお前自身が食卓に列ぶ事になるぞ」

 

 ベレー帽のような帽子を被る、世刻望の永遠神剣【黎明】の守護神獣『天使レーメ』は彼に責める視線を向けている。

 ビシッと鼻面に小さな指を突き付けられ、それに不快そうな呟きを返して彼は--目を細めて拳銃を構えた。

 

 彼の居る木は、周囲を圧倒する高さだ。その、かなり上方の枝に腰掛ける彼らの眼下に広がるは、美しさすら漂う森林。

 人がまだ森の外輪に寄り添って生活していた頃の森林、ドイツはシュヴァルツヴァルトを思わせる森。

 

「--!」

 

 空はその細い眼のままで呟く。呟いて、引鉄を引いた。

 乾いた音に続いて、遠くを飛翔していた鳥が一羽墜落する。

 

「命中。随分当たるようになってきたな……」

 

 その成果にほくそ笑む空。紫煙を吐くその銃口にフッと息を吐きかけて、【幽冥】を眺める--

 

「このたわけぇぇっ! 撃つなら撃つと言ってから撃たんかっ!」

 

 その耳に、眼をぐるぐる回したレーメががなる。どうやら発射音に驚いたらしい。

 

「ッ煩せェなァ、撃鉄が落ちるの見てなかったのか」

「あんな一瞬で対応できるわけがないだろうが! 耳がぁぁ……」

 

 レーメに頭上に座られ、小指で耳をコリコリしていた空は物凄く嫌そうに頭を振る。

 

--因みに、永遠神剣だからって守護神獣が存在するとは限らないらしい。

 自我が希薄だったり、逆に俺の【幽冥】みたいに神剣自体に強固に意思が固着していると守護神獣が出現しないそうだ。

 

 結構な勢いで頭を振ったが、髪にしがみつかれてやり過ごされてしまった。逆に自分が痛い思いをしてしまう。

 

「いてて……とにかく、さっさと望に鳥が墜ちた位置を伝えろよ。ゼロポイントから東南東百mだ」

「もうとっくにやったわ。回収も完了しておる」

 

 詰まり彼女は、通信機代わり。空が中心点に据えた位置から鳥を撃ち、運動能力に優れる神剣士の望がそれを回収する。

 

「ああ、そうかよ」

 

 呟きながら腰のベルトに提げた細長いホルスターと鞄から仮染めの弾、運よく口径が合ったネジを取り出す。

 

「……しかしよく当てられるものだな、吾には胡麻粒くらいにしか見えぬ」

「一週間近くもやってりゃ慣れる、それにこれが仕事だ……っと、そういやカラ銃。お前の射程ってどのくらいなんだ?」

【えー、今更聞くんどすかぁ? しょうがないどすなぁ、旦那はんの分かる単位で言うと……】

 

 カチャカチャと装弾作業を行う空。と、ふと気になっていた事を聞いてみる事にした。

 それに【幽冥】は、呆れたような声色で。

 

【--13Kmや。因みに、恐るべきはその距離やのうてその速度マッハ500の方】

「あの地平線の彼方まで吹っ飛べ、カラ銃ゥゥゥ!」

【あ~れぇぇ~…………!】

 

 投げ飛ばされるも、予め結んでおいたリールで回収された。その合間に、空はこの数日の事に思いを馳せる。

 

--あの一件から、既に一週間が過ぎている。正体不明の敵の襲撃を受けた物部学園は、希美の永遠神剣第六位【清浄】の守護神獣の『次元くじら ものべー』の背に乗せられて、『元々の世界』から……このファンタジー世界じみた『剣の世界』にやって来ている。則ち、異世界という奴だ。

 それと勿論『元々の世界』とか『剣の世界』という名称は、俺達が勝手に付けたものだ。便宜上、固有名詞が無いとゴチャゴチャになっちまうからな。

 

 そう、物部学園は今、校舎ごと『異世界を漂流中』だ。つまり、これは食料を得る為の狩り。

 銃弾を篭める。どうあっても、銃という武器は弾が無ければ鈍器か筒なのだから。銃弾はある程度尖っていて空気の抵抗で自ら回転をする螺旋が飛び易そうで当たり易そうだと考えて拝借した。尚、【幽冥】の特性である『装填した物を問答無用で撃ち出す』により、火薬類は要らない。

 

 装填し終えた彼はまた【幽冥】を構えた。遠くへ向けて、手頃な鳥が通り掛かるのを待つ。

 

「初日は惨憺たる有様だったが、最近は一定の成果が出てきたな」

「古傷を刔るな。あの罰ゲームは思い出したくない」

 

 空は身を震わした。己が望んだ事なので文句は言えないが、彼はあくまで生徒会に使役される身だ。なので、ボウズだった場合にはペナルティが有る。

 その内容はご想像にお任せするが、二日目の彼が限界以上の努力した事から察して欲しい。

 

「ふぅむ、今日は焼鳥らしいぞ。ノゾミがタレを作ってくれているそうだ」

「そうか。そりゃ楽しみだ」

「…………」

「…………」

 

 風が、吹いた。枝葉が擦れて、ざわざわと木々が合唱する。そのまま二分ほど過ぎた。

 

「……おい、少し何か喋らんか。息が詰まりそうだ」

「……そんなに喋りたいんなら、一人で喋ってろよ」

 

 その沈黙に耐え兼ねたのだろう、レーメは空に語りかけた。だが素気なく、彼は話を切り上げる。

 

「詰まらん男だ。【幽冥】とやら、お主、こんな淡白な主人で良いのか?」

【良いも何も、もう諦めとりますからなぁ。旦那はんは女性と喋る時に上がってまうダメ男どすから。生まれた時から持ってはる"銃"は撃ち込む"的"も無い、白濁した無駄弾を垂れ流すだけのホース】

 

 話の途中で引鉄が引かれた事で、轟音と共に【幽冥】が火を噴く。遠くで被弾を逃れた鳥が慌てて飛び去っていく。

 

「チッ、外したか」

「お、おにょれ天パぁぁ……!今のは絶対、吾を脅かす為に撃っただろ~~っ!!」

【イダダダ、ちょ、旦那はん! 舌噛みそうになったやありんせんか~! 気分的に】

 

 ガシガシと髪を引っ張るレーメと喚く【幽冥】に反応を返す事は無く、再装填に移った。

 と、眩しい光と共にシャッターが切られる。

 

「はい、一枚頂き~」

「おーい、巽ーー! 今日の採集は終了だってよーー!!」

 

 同時に下方から声が掛かった。美里と信助だ。それに手を振って応えて、【幽冥】をホルスターに戻しながら飛び降りる。

 

「あれー? 巽君が写ってないわ。確かに取れたと思ったのに」

「当たり前だろ、俺の【幽冥】の『コンシールド』は物理的に脳に直結してないと破れないからな。てか、阿川。あんまり撮らないでくれ。俺さ、写真に撮られるのはなんか苦手なんだよ」

「何でよ、魂取られるとか?」

「思うかよ。いつの時代の人間だ、俺は……」

「仕方ないでしょ、案外、巽君の写真が欲しいって娘は居るのよ。ほらぁ、あんたって見た目だけは外国人の俳優みたいじゃない? 殺しのライセンス持ってる初代の人みたいで」

「それって褒められてんのかい? 第一白黒だろうが、コネリーの時代は? あと、その娘達を今度紹介してくれ」

 

 和気藹々とまではいかないものの、空と信助、希美と美里の四人を先頭に十名程の生徒達が隊伍を組んで歩いていた。

 因みに、レーメは希美の肩の上で不精している。その希美は彼女の永遠神剣【清浄】を持って黒いゴシックドレスのような衣装……神剣士としての装束に身を包んでいる。

 

--やっぱり素材が良いと、何を着ても似合うもんだよなァ……。

 

 そんな希美の姿をチラチラ横目で見遣りながらリュックサックを背負っている空以外は鍋や篭等の入れ物を持っており、その中には収集した食材が入っている。

 と、ガサガサと草むらが揺れた。身を固くしたのは以前食糧採集した時に規格外の巨大な猪に轢き殺されそうになった経験のある、信助と美里。

 

「ノゾム~~!」

 

 だがそこから現れたのは神剣士としての装束に身を包んだ望だ。両腰に二刀一対の双児剣【黎明】を挿して、金色のガントレットに包まれた右腕と、制服が変化したようなな装束を纏う精悍な姿に、周囲の女生徒が色めき立つ

 

--おーおー、爽やかイケメンは違うぜ……

 

 と、心中で愚痴る。恐らく他の男子生徒達もそう思っている事は、居並ぶ仏頂面を見れば解る。

 そうこうしている内に、レーメが望の顔に喜んで飛び付いた。

 

「と、レーメ。どうした?」

 

 右手でレーメの小さな体を抱き留めた望。左手には、紐にて脚を縛った数羽の鳥を提げている。

 

「……なんでもない。ただやはり、吾にはノゾムが一番と分かっただけだ」

「?」

 

 少し涙目のレーメに抱き着かれ、意味の解らない望はただ不思議そうに首を捻るだけ。そんな望の頭にレーメは鎮座した。

 

「ふぅ。やっぱり、ノゾムの髪が一番だ。あやつの髪は天パ過ぎてどうも性に合わん」

「おい望、突然だけどウィリアム・テルごっこやろうぜ。そのまま動かないでくれりゃいいから」

「嫌だっての。【幽冥】は洒落にならないって」

「銀玉と変わらないだろ、神剣士にはよ」

 

 薄く眼を開き【幽冥】を構えた空に、周囲は苦笑いを差し向けるだけだった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 廊下を走る四人の若者達。学園の神剣(+銃)士達だ。この面子が揃って行動するのはそう、敵襲の時くらい。

 それ以外では滅多に全員が揃う事は無い。各々で割り当てられた仕事が有る。

 

「総数は三、青青赤の攻撃的編成です。後詰がいるはずですから、早目に始末するに越した事は無いでしょう」

 

 口を開いたのは、空だ。制服のベルトには【幽冥】のホルスターと弾倉代わりの小さな鞄を通している。そんな彼を横目に見ながら、沙月は呟いた。

 

「編成まで把握してるわけ? 君の感知って広い上に鋭敏よね」

「どーも。お役に立てて光栄至極でごぜーます」

 

--その形状を最大限活かす為にだろう、【幽冥】は妙に索敵能力に優れている。広さはものべー程ではないのだが、属性まで見抜くのだから驚いた。

 よってレーダー要員を任されている。戦時は役に立ちにくい俺の、唯一の取り柄らしい取り柄だ。

 

 駆け込んだ昇降口で四人は円陣を組んだ。そして各々の永遠神剣を抜き、高く掲げる。

 

「作戦内容は単純、学園の死守。私達の初陣……全身全霊を掛けて、学園の平和を護るわよ!」

「「「---応ッ!」」」

 

 一際大きな声に一同は声を揃え、各々の神のチカラを手に天に鬨の声を上げた。

 

 

………………

…………

……

 

 

 ミニオン達は進攻速度を上げた。感じるのは三つの強力な神剣の気配。そのどれもが自分達を遥かに凌駕している。

 だが、彼女らは気にも掛けない。そんな事はどうでもいい。いや、気にする意識すらない。その心は始めから空虚だ。神剣を振る事以外に気を割く必要は無い。

 

 だから感知していた気配が突如消えて、目の前に現れたとしても感じる事はない--

 

 

………………

…………

……

 

 

「--ハァァァッ!」

 

 まず飛び込んだのは望。双子剣【黎明】を互い違いに一閃させる『デュアルエッジ』にて剣を打ち下ろされて、防御手段を無くした青は成す術も無く両断された。

 

「--砕く。この剣の一撃で」

 

 その望を狙って、もう一体の青が跳ぶ。鈍く煌めく西洋剣に薄く青いマナが纏わり付く。

 

「させないっ!」

 

 希美の【清浄】、彼女を護る風の盾『アキュレイトブロック』が剣の一撃受け止めた。その瞬間、【清浄】の穂先が二ツに分かれて『砲門』が現れる。

 

「ものべー、狙いはお願いっ!」

 

 そこから射出された一条の閃光は『ペネトレーション』。胸部を深々と撃ち貫かれた青ミニオンは動きを止めた。

 

「紅蓮よ、その力を示せ……」

 

 今度は、その希美が狙われる。赤ミニオンの神剣魔法。

 

「ケイロン!」

「承知--!」

「「マーシレススパイクッ!」」

 

 そこに、沙月が立ちはだかる。立ちはだかりつつケイロンを召喚し、『マーシレススパイク』にて赤を『ファイアボール』ごと打ち抜き消滅させた。

 

 

………………

…………

……

 

 

 森の中に三つの燐光が舞い散る。青と青、そして赤。ミニオンを構成していたマナ、それが空間に溶けていく。

 

「…………」

 

 その儚い光景を眺めながら銃を番えた彼は、ただ一人ぽつねんと佇んでいた。

 

「いつまでそうしてるのよ。もう帰るわよ、巽くん」

 

 結論から言おう、今回は……否、今回も空は役立たずだったのだ。確かに他人の気配まで消す能力は使い道もあったが、戦闘方面ではからきし。

 実はこっそり撃っていたネジの弾も、赤の『ファイアクローク』で一瞬で蒸発していたりした。

 

「しかし、良いコンビネーションだったわね、望くん、希美ちゃん。まさに三位一体だったわ!」

「せ、先輩……空だって、気配を隠したり役に立って--」

「それだけでしょう。真正面から当たったって負けなかったわよ、私達さ・ん・に・んならね--」

 

 望がフォローを入れるが、彼女は敢えて空をこき下ろした。輪を乱す恐れのある彼に協調性を促すというのが表の理由。

 だがなにより、やはり意趣返しという理由の方が強かった。

 

「さ、それじゃあ帰還す--」

 

 一頻り言って気が済んだところでくるりと振り返り、彼女は学園に向けて歩きだし--

 

「黙って聞いてりゃあ好き放題に言いやがってェッ! アンタの血は何色だァァァッ!!」

【ぷぎゃー?! 何しはりますのん旦那はん~~っ!】

 

 その無防備な後頭部に、見事なオーバースローで投げた【幽冥】がクリーンヒットした。

 

「「「「………………」」」」

 

 呆気に取られている望と希美、レーメ。静まり返った森の中。風のそよぐ音、どこか遠くでカラスっぽい鳥の鳴き声がした。

 

「ふふ……そう、これは宣戦布告って訳ね、巽くん」

 

 そして、ぶちりと何かがキレる音がして振り返った沙月。その手には剣状の【光輝】。

 

「--ええ、いいわ……生徒会長に喧嘩を売るって事がどういう事か、再教育してあげるわよ!」

「上等、神剣の暴力なんぞで人の生き方を変えられない事を教えてやろうじゃねぇか!」

 

 間髪入れず飛び掛かろうとする沙月と、無謀にもその彼女を迎撃しようとする空。

 

「の、希美、先輩を抑えろ!」

「せ、先輩、落ち着いて~!」

 

 だが、斬り結ぶ事は無い。二人はそれぞれに羽交い締めにされて止められた。

 

「離せ、望! これは俺の生き方を、男としての"壱志《イジ》"を賭けた戦なんだ!」

「離して希美ちゃん! アイツ、一回シメるからぁっ!」

 

 それでも前進を止めない。元々、意地になると際限が無い性格の二人だ。

 

「希美っ! このまま引っ張ってくぞっ!」

「う、うんっ!」

「望っ、ちょ、本当に離せ……! 腕が折れるどころじゃなくて、背骨イキそうだ……!!」

【皆は~ん、わっちの存在を忘れとりますぅぅぅっ!!】

 

 結局、空と沙月はそのまま望と希美に引きずられながらものべーに帰還したのだった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 廊下を早歩きする空。その押す、銀の食事カート。

 

【旦那はん、会長はんとは仲良うしとった方が良いんと違います? 会長はんの神剣……【光輝】て言いはりましたっけ? あの太陽の輝く真昼の青空みたいな気配の神剣とわっちらの相性はすこぶる良いと思うんどすけど。それに、もし男女の関係になれば大義名分マナを頂戴する事が】

(無理。多分あの人とは天敵同士だ。絶対に反りが合わない事だけは相思相愛レベルだけど)

 

それを持って空は、ある教室の扉を叩く。中から『どうぞ』と声が掛かった。

 

「失礼します、食事をお持ちしました……」

 

 入口脇の机に置いていたお盆を再度持ち上げ、扉をくぐる。

 そこには、色とりどりの五人の少女達が居た。

 

「おお、待ち侘びたぞ、タツミ。どこで油を売っていたんだ?」

 

 まず反応したのは、腰まで届く水色の髪の娘クリスト・ルゥだ。笑ってはいるが、大分焦れていたらしく理知的な眉を潜めている。

 

「すいません、ルゥさん。野暮用がありまして……」

「ふむ……まあ、良いさ」

「……仕事よりも優先する野暮用なんて、アンタに有るわけ?」

 

 慌てて頭を下げようとした彼は、その言葉にピクリと眉根を反応させてそちらを見遣った。

 

「そりゃあ待たせて悪かったな、ゼゥ。次からはお前の分だけ先に持ってきてやるよ」

「アンタ、本当にムカつくわね」

 

 そこでは墨色の髪を二つに結い分けた気の強そうな娘クリスト・ゼゥが、腕を組んで鋭い眼差しを向けている。

 それに空も睨み返し、バチバチと視線がスパークした。

 

「こら、ゼゥ? いつもご迷惑をおかけします、タツミ様」

「ミゥ姉様……」

「あっと、すみませんミゥさん」

 その間に割って入り頭を下げた、プラチナのように煌めく長髪の娘クリスト・ミゥ。

 印象通り礼儀正しい彼女に毒気を抜かれ、互いに視線を離した。

 

「も~、いつまでそうしてるのさ! ボクもうお腹ぺこぺこだよ、アッキー!!」

 

 その代わりに飛び出したのは、赤いおかっぱ頭に山羊のような角を持った快活そうな少女クリスト・ワゥ。

 

「……ワゥ、アッキーって言うなっつってんだろ」

 

 溜息を吐きながらそう言った空だったが、もう大分諦めムードだ。この数日で、言うだけ無駄だと分かっているだけに。

 さっさと仕事を済まそうと、彼は机に食事を置いた。

 

「あ、お早うございます、タツミさん……」

「ん? ああ、お早う、ポゥ」

 

 と、小さな挨拶に応える。大人しそうな外見そのまま、俯き加減の小麦色の肌をした金髪の少女はクリスト・ポゥ。

 

 机の上に置かれたお盆には麦芽パンに野菜と薫製肉。挟めば質素なサンドイッチになるのだろう。困窮した現在では、結構に贅沢な内容なのだ。それを何故、彼女らに振る舞うのか。否、そもそも、彼女らは何者なのか。

 

「それじゃあ、頂きましょうか」

 

 それは追い追い、語るとしよう。

 

 食事が終わった事を確認して、彼は話を切り出した。此処に来る前に沙月に告げられた『野暮用』の内容である。

 

「なるほど、村の視察か」

 

 ルゥは長い髪を掻き上げる仕種を見せた。彼女が考え事をする時の癖だ。

 

「つまり、ケイロン様の見つけたという村の様子を見てくる任務という訳ですね」

「はい、そうなります。とは言え接触する訳じゃなくてあくまでも様子見なんですけど」

 

 彼女達は沙月の直属だ。神剣

士『光輝のサツキ』が彼女の属する組織『旅団』から連れて来ていた者達。

 当然、全員が神剣士。永遠神剣を持つ『傭兵』との事。

 

「何で、直接なのよ? この次元くじらには遠くを見れる『眼』が有るはずじゃない」

「音は聴こえないんだと。現地民の言葉が解るかどうかも、調べて来てほしいそうだ」

 

 自ら傭兵を買って出た彼はその縁か、世話役に任じられた。

 

「ま、おっ仕事ならやるしか無いじゃん?」

「そうだな。では用意するとしようか、皆?」

「はい、じゃあ……十分後に校門に集合でお願いします」

「了解しました、タツミ様」

 

 話を終え、一度頭を下げて部屋を後にした……

 

 

………………

…………

……

 

 

 昇降口に空が現れた時、そこには既に五つの影があった。

 

【あ、タツミ様。お待ちしておりました】

 

 色とりどりの飛翔物体が、五基。先ず、ダイヤモンドに白い鳥の翼が縒り合わさりったようなそれが語りかけた。

 

「お待たせしました。じゃ、準備はいいですか?」

【はい、剣の巫女『皓白のミゥ』、準備完了です】

【『夢氷のルゥ』、出撃可能だ】

【……『夜魄のゼゥ』、往ける】

【『嵐翠のポゥ』、出れます】

【『剣花のワゥ』、いつでもいいよーー!】

 

 問いに彼女らはそれぞれ答えた。正八面体の青水晶が機械に保持されているようなそれ、黒瑪瑙の結晶体に剃刀のような翼を持ったそれ。

そして、幾つかの六角柱を従えた折れた翡翠の剣先のようなそれと、角を持つ竜の頭骸骨にルビーが詰められたようなそれ。

 

 彼女達こそ、沙月が連れていた『援軍』だ。彼女の属する組織、『旅団』の擁する神剣士。

 彼女らは特殊な性質を持つマナの充たされた所でしか活動出来ずに、長時間それから離れた場合は最悪の場合死亡してしまう。

 

 よって、そのマナを貯めた特殊な機器が無ければ外出ですらままならないのだ。それこそが、彼女達が『結晶妖精《クリスト》』の名前で呼ばれる由縁だ。

 

「了解。それじゃ、往きましょうか」

 

 その小さな、だが歴戦の神剣士達と共に彼は歩みだした。

 後に彼に多大な影響を与える事になる者の待つ、その地へと。



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黒の剣姫 青の暴君 Ⅲ

「何者だ、止まれ!」

 

 朝の清澄な空気を震わせ、怒声が木霊する。その男の登場に、門を守っていた三人の男達は揃って身構えた。

 各々が持つ槍や剣を突き付けての恫喝。しかし、その男は一切意に介さずに--

 

「--邪魔だ」

 

 低く、地を揺るがす遠雷の如き声で門番達を圧倒した。

 

「な、何を……!」

 

 その手には黒く鋭い、大剣--

 

 

………………

…………

……

 

 

 深い森、マイナスイオンが充ち溢れた爽やかな空気の中を六人は歩いて……いや、歩いているのは一人だけだ。他の五人は飛翔する浮遊物体の中。あっち行きこっち行き落ち着きの無いワゥを御するのに苦労しながら、彼等は村まで後半分の所までたどり着いた。

 そこは木が倒れた為か、樹冠に穴が穿たれて蒼穹が覗いている。

 

【この辺りで一休みしましょうか、タツミ様?】

「そうですね……地図も書き込みたいんで、有り難いです」

 

 その倒木に腰を下ろして、空は手帳を開く。それに大まかな道程と目印を記入していく。

 

【へぇ、なかなか上手だね~】

【本当に……デフォルメがお上手なんですね】

「どうも……」

 

 後ろから覗き込むワゥとポゥの言葉に面映ゆさを感じる。元々、他人に褒められる事に慣れない彼には、たったそれだけでも赤面しそうな程の効果が有る。

 

【この前、サツキの絵を見たんだけどさ、もうすごいの何のって。笑っちゃったよ~!】

 

 思い出し笑いに興じる彼女達の台詞を聞きつつシャープペンシルを走らせる。

 

【こら、ワゥ。そんな事言っちゃ駄目でしょう?】

【だって面白かったんだも~ん。ミゥ姉もそうだったでしょ?】

【そ、そんな事は……ぷっ】

【ふふふ……まぁ、あれは確かに有る種の才能だな】

【ルゥ姉さんまで……】

「…………」

 

 『女三人寄れば姦しい』とよく言うが、四人も居ればそれに尚、輪を掛けて喧しい。

 

【…………】

 

 そんな中、一同から少し離れた位置にその姿が有る。黒い機影は、クリスト・ゼゥだ。

 彼女だけは会話に加わらずに、ただ周囲に警戒している。

 

「……辺りに敵なんて居ねェよ。居るのは動物くらいだ」

【--っ!】

 

 地図への書き込みを続けつつ、目線を上げる事も無く空が呟く。その時、ウサギに似た小さな角がある生物が草叢から踊り出て彼女を驚かせた。

 途端に、彼女は実に不快そうに彼を見遣る。索敵や感知の能力の高さは聞いていたが、自分が感知できなかったそれをこの男が平然と感知していた事に。

 

 そこで手帳を閉じて立ち上がる、大まかな記入が終わったのだ。

 

「さて、終わりました。お待たせして済みません」

【いえ、それでは行きましょう】

 

 振り向いた背中に、鋭い視線を感じながら。空はポケットに手帳を仕舞い込んだ。

 

………………

…………

……

 

 

 後少しで村、そこで漸く六人は気付く。その、焦げ臭い空気に。

 

【……タツミ様】

「…………」

 

 呼び掛けられる前に【幽冥】を番えて撃鉄の辺りを眉間に添える。こうする事で、更に索敵範囲が上がるからだ。

 

「神剣の反応が有ります。かなりの数、しかも村の方から……」

 

 それに彼女らは息を呑む。だがすぐに気を取り直して--

 

【……ここで取れる選択肢は二つ。引き返すか、進むか……】

【迷う必要が有るか、ミゥ?】

 

 怜悧なルゥの答えに、他の三人も頷く。空気が変わった事を、肌で感じられた。先程までとは違う、別人の様に漲る決意を。

 

【タツミ様、我々は村へと救助に向かいます。タツミ様は、学園に戻ってください】

「--な、何言ってるんですか! 相手は間違いなくミニオンだ、しかも数はこっちの六倍強の! 学園を襲った数の倍以上なんですから、ここは逃げるしかないじゃないですか!」

 

 翻意を求める空の言葉に、ミゥは優しく微笑む。

 

【だからといって、見捨てる事は出来ません。私達はもう、二度と……後悔する選択はしないと誓いました】

【そーいう事。アッキーは危ないから付いて来なくていーよ】

【むしろ邪魔だから来ないで】

【まあ、要するにゼゥはイカルガ達を連れて来てくれと言っているんだ】

【お願いしますね、タツミさん】

「ちょっ……!」

 

 それ以上の言葉を待たず彼女達は宙を翔ける。何の迷いも見せず、紛れも無い死地へと。

 

「……何だよ、それ……!」

 

 彼女らに一体、何があったのか。それを彼は知らない。彼女らが歩んできた道程など、何一つ。

 

『--だったらどうしたんだよ? 死にたい奴らは死なせておけ。『オレ達』には生きて成し遂げる願いが有る、そうだろう?』

 

--ああ、そうだ。その通りだよ、『オレ』!!

 

 そう、死ねない。その為に人の身に甘んじてまで転生を繰り返し、漸くチャンスを得たのだ。

 

--だから、『俺』の願いを成就するまでは……絶対に死ねない。

 

『……ですが、諦めないで下さい。例え独りきりの独り善がりでも、貴方が信じる道をただ一筋貫き通して下さい。吹き抜ける一陣の風の様に。あの大空を駆け抜ける、天つ空風《カゼ》の如く。ただ、真っ直ぐに……』

 

--だが解る。ここで言われたとおりに反転すれば、俺は……ただの腰抜けだ!

 それだけは出来ない。誰よりも、この俺自身がそう願っているんだから!

 

『何を寝ぼけてやがる、テメェの今の力で何が--』

 

 スゥッと、空は息を吸い込んだ。肺一杯に空気を吸い込み--

 

「--煩ッせェんだよこの腰抜けチキン野郎がァァッ! 俺は俺だ、テメェの指図なんざ受けやしねェェェッ!」

 

 その"壱志"を張る。神名の昴りに、手や足は震え心臓は逆流せんばかりの速さで脈打っている。

 それを力ずくで押さえ付けて。

 

『……ああ、そうかい。じゃあ、勝手に死にやがれ……! どうせお前が死んでも、『オレ』には次が有るんだからな!』

 

 身を縛っていた強制力が消える。間を置かずに、彼は腰を漁る。腰の鞄の中の、小さな水筒を。

 

「……さぁてと。巽空、一世一代の大博打だ--」

 

 ホルスターから取り出していた【幽冥】のチャンバーに、水筒に入れていた氷の欠片を装填して顔を青ざめさせつつ笑った--

 

 

………………

…………

……

 

 

 村は、燃えていた。門番だった男達は揃って唐竹割りに両断され、零れた己らの鮮血と臓腑の海に沈んでいる。

 

「ギャアアアアッ!」

 

 金斬り音と共に悲鳴が木霊する。悲鳴の坩堝のその中でも、一際大きな悲鳴だった。

 打ち上げられた剣が墜落して、それを掴んだままだった二本の腕が力無く落ちる。

 

「ま、待ってくれ、助けて……」

 

 尻餅を付いて、目の前の青と赤の少女達に命乞いする男。その身は鎧に包まれているが、両腕は鎧ごと断ち切られている。青い少女が持つ、冷気を纏う両刃の西洋剣。そこにはベトリと血が凍り付いていた。

 この青年の腕を断ち切っただけでこうはならない。既に無数の命を薙ぎ払っている。

 

「--ギ、ふ……!?」

 

 トス、と実に軽い音を立てて、青年の胸に赤の持つ双刃剣が突き立てられた。鋼の鎧など紙と同じ。これが、『神』の一字を戴く剣の力だ。

 

「--燃えろ……」

 

 その神剣が焔そのもののように赤熱、『ファイアエンチャント』にて青年の身体が炎上させる。

 

「どうせ、全て……灰に還る」

 

 炎が消えれば、そこにはもう何も無い。虚ろな瞳の赤い少女は誰にとも無く呟いた。

 その刹那、ミニオンが散開する。そこに踊り出た、五つの機影。

 

【皆、作戦通りに往くわよ!】

【【【【--応っ!】】】】

 

 先頭のミゥの指示に姉妹は頷く。相手は三体、対するクリスト達は五。数としては優勢だ。

 

 空間を渡り、眼前に現れたゼゥに反応して刀を構えた黒。だが、ゼゥはすぐにもう一度消える。

 『居合の太刀』は狙いを外し、黒の体勢が崩れた。

 

【フォトントーピードっ!】

 

 その黒に向けて、一条の閃光が放たれた。ミゥの撃ち出した閃光『フォトントーピード』に肩口を撃ち抜かれた黒が刀を手放す。

 

【遅いっ!】

 

 その背後にゼゥは現れた。鋭利な剃刀の如き翼を広げての格闘技『ランブリングフェザー』を放ちながら、懐を翔け抜ける。

 三本の刀創を負った黒は、紫の霧に変わり消滅した。

 

【--炎よ、敵を撃てっ!】

 

 ワゥの詠唱に呼応した魔法陣と、三つの火炎の榴弾が現出する。それに狙われた緑が身構える間も無く--

 

「--凍てつく風よ、凪げ」

 

 ワゥの神剣魔法を、青ミニオンの青魔法『アイスバニッシャー』が打ち消す--

 

【悪いな、読み通りだ--起動、アイシクルアローα!】

「ぐっ……!」

 

 よりも早くルゥの対抗魔法への対抗魔法が、青を貫く。三本の氷の矢に術式ごと身を貫かれて、青が動きを止めた。

 

【ファイアボルトっ!!】

 

 三発の炎弾が翔け、緑ミニオンの身を焼き砕く。

 

【とどめです!】

 

 その満身創痍の二体を、横殴りの暴風が薙ぎ払う。ポゥの放った、『ブラストビート』が。

 

 

………………

…………

……

 

 

 森の中を駆けながら周囲に意識を配る。敵の気配は--

 

「--剣よ、此処に」

「--ッ!?!」

 

 間髪入れず、彼は寄り掛かっていた木を蹴り撥ね跳ぶ。

 刹那に両断された木が、軋む音を立てて倒れた。その向こうに赤と青の二体のミニオン。

 

--莫迦な、何で俺の存在がバレてるんだ!?

 

 【幽冥】を番えて解った、隠蔽が剥がされている。

 

『--ククッ、ハハハハッ!』

「テメェ……そうそう思い通りに行くと思うなよッ!」

 

--畜生、我が前世ながらなんて野郎だ! 思い通りにならないと判った途端に、足を引っ張り始めやがった!

 

「……紅蓮よ、その力を示せ」

 

 神剣魔法が発動し、赤の頭上に業火の球が現出する。

 

「--ファイアボール」

「甘い--読み通りだッ!」

 

 撃ち出された火の球に、照準を合わせて【幽冥】の引鉄を引く。

 

「熱いだろうがよッ!」

 

 火傷しかねない程の熱風を浴びながら、左手に番える【幽冥】の引鉄を引いた。

 銃口の下の蜥蜴の瞳の宝玉が、装填された『アイシクルアロー』を素にした魔法陣を発する。

 

 それは瞬く間に青く染まり--氷の棘を吐き出した。

 

「マナ認識。凍てつく風よ、凪げ--アイスバニッシャー」

 

 だが、それは--凍てついた。彼の左腕ごと。

 

「--なっ」

 

 沙月が危惧した通り、【幽冥】には決定的な隙が有る。一度装填するという動作にも時間が掛かりすぎ、また、撃ち出す際にも一定時間を要する。

 神剣と同化している【幽冥】は無傷だが、遣い手たる空はそうもいかない。凍てついたのはほんの一瞬だけだったが、それでも強化の無い身体の空には十分だ。十分、痛撃になる。

 

「--が、アアアアッ!!?!」

 

 苦痛に腕を抱え込めば、曲げた肘がギシリと鳴る。皮膚が裂け、凍り付いた血が血管を破き傷跡を拡げる。

 

「敵性、殲滅……」

 

 彼が呻く間に、青が跳躍した。血に塗れた剣が、凍気を纏い蒼く煌めく。

 

「これで、とどめ……」

 

 朱い血の氷晶を撒き散らしつつ西洋剣が振り下ろされて--その一撃を、受け止めた六角柱が砕け散る。剣を弾き返され、同時に斬撃を受けた青ミニオンが跳び下がる。

 

【大丈夫ですか、タツミさん!】

【ちょっとアンタ、何をのこのこ出て来てんのよっ!】

「ポゥ、ゼゥ……」

 

 凍って張り付いていた掌や指が動かせるようになって、【幽冥】から漸く手を離す。

 

【闘う力も無しに戦場に出て来てどうすんのよっ! 死ぬ気!?】

 

 まくし立てるゼゥ、その剣幕に彼は--

 

「……ああ、どうせ俺は弱いさ! でも、弱いからって逃げ続けて……それで俺は何処まで逃げりゃ良いんだよ!」

 

 凍傷を負った左手に、裂いた袖を巻き付けながら噛み付いた。

 

「俺は、闘える! 確かにお前らと較べれば微々たるチカラだろうけど……それでも、太刀向かえる可能性が有る!」

【何バカ言ってんのよ! たった今、そのチカラが通用しなかったばっかじゃないのよっ! 絶対に敵わないわよ!】

「--煩せェ、この世に……」

 

 その左手で彼女を押し退けて、彼は二人の前に歩み出た。

 

【な、アンタ……!】

【何をしてるんですかっ!】

 

 構える。【幽冥】をホルスターに戻して見慣れた構え--我流の拳術の構えを。

 

「この世に、『絶対』なんざ在るもんかァァァッ!!」

 

 何時しかミニオンは青と赤だけでは無く、緑と黒も現れている。その前に、神と対峙するにしては余りに無防備な身を曝す。

 

「--羽虫が、喚くな……」

 

 その一団から赤が飛び出した。双刃剣を炎で紅く染め上げて、目の前の『羽虫』の命を刈り取る為に。

 

【タツミさん!】

【タツミ、下がりなさいよっ!】

 

--叫び声は聞こえている。だが、下がらない。そうだ、下がれる訳が無い。一体、何を甘えていたのだろう。闘う力に永遠神剣? そんなモノが何だって言うんだ。

 

 握り締めた拳から、不必要な力を抜いて開手へと変える。今まで試した事はないが、数え切れないくらいに受けた技だ。

 

--それが何だ! そんなモン、結局は『闘う』チカラじゃなくて、『闘える』チカラだろうが!

 

 タンッ、と目の前に降り立った赤いミニオン。その、まるで燃え盛る炎のような長く赤い髪が陽炎の如く揺らめく。

 

--そうだ。安全な場所から何が出来る。この世に絶対なんて無い、勝利をもぎ取りたければ見合うだけの何かを賭けろ。【幽冥】も言っていただろう、無償の奇跡は無い。解っていた筈だ。

 だから、命を賭けろ。俺自身の命を賭けろ! 俺には、足りていなかったんだ。覚悟と決意が! 俺には始めから、その一発限りの『命《たま》』しか無いだろう!

 

「消えろ--」

 

 振りかぶられた右腕が左側から襲い掛かってくる。炎熱を纏った、ミニオンの永遠神剣が。それに『振らさせられている』神の手先の剣が。

 

 

------!!!!

 

 

 鮮血が舞う。空の左頬に、鮮血が染みる。

 

「--ぐ、うぐ……が……!」

 

 肘を基点に背負い投げされ、己の永遠神剣を心臓に刔り込まれたミニオンの吐いた血が。

 

「--ハァ、ハァっ……ハァ」

 

 乱れた、荒い息を吐く。心臓が破裂しそうに脈打っている。

 紙一重にまで近付いていた死が、離れていく足音のようだ。

 

「--クッ!?」

 

 襟首を掴まれて引き寄せられる。すぐ間近に、虚ろな赤い瞳。

 

「どうせ、全て……灰に還る」

 

 それは確かにそう語っていた。『何を意固地になっているのか』と。『そこまで努力しても、最期には全て無意味だ』と。

 

「解ってる……」

 

--解ってる。そんな事は当の昔に気付いている。それでも。

 

「それでも俺は、前に進むだけだ……!」

 

 赤く濁る瞳を睨み返して告げる。その決意に満ちた彼の躯を赤い燐光が撫でていった。

 

 

………………

…………

……

 

 

『殺りやがった……!』

 

 濁った血液のように赤い渦巻、そんな地獄めいた力の奔流の中に溶ける意識が呟いた。

 虚空という容器の中で、ただ渦を巻いていただけのそれが。

 

『只の人間が……ミニオンを!』

「くふふ、何驚いとりますねん」

 

 それが呆然と呟けば、その背後から赤黒い気配と共にゆっくりと和装の女が歩み出る。

 余裕に満ちたその様子は、同じモノを見ていると言うのに正反対だった。

 

「旦那はんはやりゃあ出来る御人なんどすぅ~」

 

 流れ込んで来る相当量の純粋な赤のマナ。それに、彼女は身震いした。歓喜が沸き上がって来る。漸く腹を決めたのだ、あの粋がるだけの糞餓鬼が。

 

 漸く--『男』の顔をした。

 

「くふふ……これはこれは、旦那はんも頑張っとるようどすなぁ。わっちも頑張らんとぉ」

 

 やっとスタートラインに立った。此処からだ。此処から始まる。すっと、唇に寄せた指先。その、唇が三日月のように歪む。

 そこに『弾丸』が現れた。赤く禍々しい紋様の刻まれたスモークガラスじみた黒い弾。内部に無数の針の生えた赤い弾が封入された、今しがた空が殺害したばかりの赤ミニオンの命そのものが。その『魔弾』に呼応して、彼女の周囲が黒と赤に染まりゆく。

 

「愛想尽かされへんよぉにぃ……くふふ」

 

 まるで煉獄の焔のように赤い瞳が見開かれた瞬間、彼女を中心に毒々しい紋様の赤黒色の精霊光が展開され--

 

「マナよ、災竜の息吹となり敵を討て--」

 

 その詠唱と共に、魔弾が神威を発揮する--

 

 

………………

…………

……

 

 

 衝き付けられた銃に青ミニオンは身構えた。先程のように、そこから撃ち出されるであろう魔法を打ち消そうと--

 

「凍てつく--」

「略式詠唱《ダブルアクション》--」

 

 青の詠唱の最中、引かれた引鉄が撃鉄を跳ね上げて打ち下ろした。刹那、青の横に居た緑の上半身が文字通り吹き飛んだ。

 

「----ヘリオトロープ」

 

 よろよろと下半身のみが後退り、ドサリと倒れて消える。

 

「かぜ、よ……」

 

 やけに熱い風は、その少し後に。一体何が起きたのか、彼女には少しも理解出来なかった。

 その合間に装填し終えた銃口が、再度ミニオンに向けられる。

 

 今度の狙いは黒ミニオン、既にそれは残り三歩の距離にまで接近して『居合の太刀』を繰り出そうとしていた。

 察して、三度目の青魔法の詠唱が響き始める--

 

「根源力を--」

 

 その引鉄が引かれて撃鉄が落ち、空中で迎撃されて吹き飛んだ黒が青の脇を掠めて墜落した。対抗魔法が紡がれ終わるよりも早く、旱魃を呼ぶという災竜の息吹……マナを起爆剤とした綺麗な核融合、さながら太陽の如き熱量が黒を撃ったのだ。

 

「……、………、…………!」

 

 半身を失った黒の肌は焼け爛れ、更に熱で喉が潰れたのか。暫く声も無く悶え苦しんだ後でやっと動かなくなり、紫色のマナの霧に還って逝った。

 

「--……ク、アアアアッ!」

 

 苦虫を噛み潰した青のミニオンが飛び出す。西洋剣が蒼く煌めき、先程の『ヘヴンズスウォード』を、装填中の空に叩き込む--!

 

「--な」

 

その突撃に空は、【幽冥】を上方に投げた。正しく、予想の範囲外の行動だ。

 『あの武器は危険なモノだ』と、戦い慣れていたからこそ、それを目で追ってしまい。

 

「かはッ……!?」

 

 衝き出された正拳に胸を打たれ、西洋剣を手放し--重力に従い落ちてきた【幽冥】が、空の手に収まるのを見た。

 そして、眉間に突き付けられたそれを瞼に焼き付けて。青の意識は煉獄の底に呑まれたのだった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 何が起きたのかは、解らない。それは彼を後ろからそれを眺めていた少女達も同じ。

 

【何、今の……?】

【解らない……見えなかった】

 

 消滅していく青から離れると、【幽冥】に弾丸を装填している空。装填をしながら、彼はすかさず振り向いた。

 鋭い三白眼の眼差しに、二人は少したじろぐ。だがそれが自分達に向けられたモノではなく、後ろから来た三人に向けられていると気付いた。

 

【皆、大丈夫?】

【助けに来たよ~~っ!】

 

 見慣れた存在であるミゥとワゥ、そしてルゥの三人に。

 

【何を考えているんです、タツミ様っ! あれほど戻って下さいと申し上げたじゃありませんか!!】

【全く……君はもう少し利口だと思っていたんだがな】

「……すいません、自分でも莫迦やろうとしてるってのは分かってたんですけどね」

 

 申し訳の無さそうな空の態度を受けて、年長組はこれみよがしな溜息を落とす。

 

【全く……私達が知り合う男の人って、どうしてこう無鉄砲な人が多いのかしら】

【……そうだな、評価を改めよう。少なくとも私は、こういう馬鹿は嫌いじゃない】

 

 落として、笑いかけた。今まで彼に見せていた愛想笑いでは無く、屈託の無い本当の笑顔で。

 それに釣られ、彼は苦笑した。

 

「……あれ? それってつまり、俺嫌われてました?」

【おや? あれで好かれているとでも思っていたのかな?】

 

 そう苦笑し、軽口を叩いて--

 

「ハハ……まさか--ッ!」

「--ほう、中々にやるではないか、乱波ども」

 

 それは、すぐ凍り付いた。背後から響いた、遠雷の如き男の声に--

 

 

………………

…………

……

 

 

 ジャリ、と地を踏み締める音。その圧倒的な存在感が、背中越しにでも感じられる。

 

--今自分が息を吸っているのか、吐いているのか。この心臓が、きちんと拍動しているのか。それすらも解らない。

 

「随分と多くの鉾を壊してくれたものだ。特に男、貴様の神剣には随分と珍しい力が有るようだな」

 

 なんという冷たい空気。反して、首筋にちりちりと焼けるような感覚。その根源の一つ、周囲の森に数十単位のミニオンの気配。

 だが、背後のその存在に全身の筋が固まってしまっている。指先の一つも動かせない。

 

--背を向けている俺でこれだ。今まも向き合っている彼女達は、一体どれ程の威圧に曝されている事だろうか。

 

 前方の彼女達五人はただ一点を見詰めている。恐らくは声の主。その目には、ただただ絶望のみが見えている。

 

「--さて、答えよ乱波。貴様らは何処の手の者だ?」

 

--死んだ。振り向かなくても、解る。この声は、知っている。俺ではなく、かつての『オレ』が。

 

「『--"ヤハラギ=ヤクシ"」』

 

--死んだ! 神世の古に『南天の剣神』として名を馳せた神。俺が振り向く一瞬の間に、奴は俺を五回は殺せる。

 

「……フム、何語だ? 聞いた事が無い言葉だ。だが--」

 

--だがそれでも!! 死ねない、こんな所で死ねない。まだ、何の目的も達していない!!

 

 決意を身に宿す。先程と同じく、『可能性』を掴み取る為に。

 

--そう、絶対は無い。どんなに不可能の理屈を積み上げようが、付け込む隙は存在するのだから。積み重ねれば積み重ねる程、綻びが生まれる可能性が生まれる。

 

「……だが、不思議なモノだな。何と懐かしい響きよ!」

「---ッ!?」

 

 殺気は無かった。彼にとっては、石ころを蹴飛ばすように自然な行為なのだろうから。

 ただ……風を斬る、その音だけが聞こえた--!!

 

 

………………

…………

……

 

 

 校庭を走る影。双振りの剣を腰に提げた少年のモノだ。

 

「レーメ、何か感じるか?」

「どうやらかなり接近されているらしいな。しかし、迎え撃つには好都合っ!」

 

 閉じられた校門を飛び越える。望はそこから一瞬で森の中に着地した。ものべーが次元転送をしたのだろう。

 

「…………!」

 

 目前まで迫る四体のミニオンの気配をありありと感じる。だが、彼に怖れはない。なぜなら--

 

「空達が作ってくれたチャンスだ。何としても学園を守り抜くぞ、レーメ!」

 

 その揺るがぬ決意が有る。自ら危険を買って出た友人の気概に、どうしてこの正義感の塊のような少年が遅れを取ろうか。

 本当は今すぐ助けに行きたい。だが、それをやってはこの学園が守れない。空とクリストの皆が、身を危険に曝してまでミニオンを引き付けたのは何故か?

 

 そう、それは……命を守る為だ。そして、自分達に体勢を整える時間を与える為だ。

 

(だから、無事に帰ってきてくれ……皆!)

 

 歯を食い縛り、望は前方を睨みつける。

 

「おう、それでこそ吾が主だぞ、ノゾム!」

 

 それを誇り、相好を崩すレーメ。自分の主が自分の意志でこの場に立った事、それが彼女にはこの上なく嬉しい。

 その誇るべき主が双子剣を抜き放つ。片方が『昼』、もう片方が『夜』を示すという対の双振り。第五位永遠神剣【黎明】を。

 

「来い……俺達が相手だッ!」

 

 その闘志を察知して、望に狙いを定めたミニオン達が森の中より飛び出した--

 

 

………………

…………

……

 

 

 地を転がった青いモノ。それは紛れも無く、物部学園指定の制服を纏った空だった。

 

「グ、あ……カハッ!」

 

 俯せに、吐血する。その背には大きな裂傷。骨こそ無事なのだが、右の脇腹から左の肩口まで走るその傷。それは、ただの風圧にて入った傷痕。

 出血量は少ない。それもその筈だろう、傷口は肉が硬化する程に焼けている。だからこそ、痛みは文字通り骨身に染みた。

 

「躱したか。流石に、舐め過ぎたようだな」

 

 言葉と裏腹に満足そうな男にも、痙攣を繰り返す空には反応する事ができない。背の傷の苦痛は、今まで彼が感じたどの痛みも凌駕している。

 今にも意識が途切れそうな痛みに何とか自我を保っていられるのも、師との鍛練で身に付いた苦痛への耐性によるモノ。

 

 その空の襟首に剛腕が掛かる。指先までガントレットに包まれた、牙の如き指。

 

「~~~~?!」

 

 掴み揚げられて、苦痛の呻きを漏らす事すら出来なくなる。霞みつつある目を開くと、その眼前には浅黒い肌の偉丈夫。

 右目に大きな傷痕を持つ、猛虎の如き偉容の男が在った。

 

「フム、どれ程の男かと思えば。まだ小僧ではないか。いや、その若さにてこれだけの陽動を熟した技量と胆力こそ、称賛すべきか」

 

 しげしげと空の顔を眺め、ふと彼は眉をひそめた。だが、それも一瞬だけだ。

 

「まあ良い、答えよ小僧。貴様らを雇ったのは反乱分子か、或いはパズライダ共和国か?」

「ア……か……」

 

 片腕で空を掴み揚げたまま問う。だが、空に答えられはしない。言葉ではなく、政治的な話をされても異邦人の空にはさっぱりと。

 

「どうした、吐けと言うておる。事と次第では、生かしてやっても良いぞ。貴様ら程の手練、そうはおらぬからな」

 

 何よりも襟に掛かった手に気道を圧迫されているし、第一その意識は既に飛びかけている。だから何も言えない。

 

「フ……成る程、余程調教されておる様だな」

 

 それを吐かぬ意志と勘違いしたのだろう、虎の男は諦めたように笑い--その黒い大剣の反り返る程に深く湾曲した切っ先を、空の水月に当てた。

 

「案ずるな。すぐに仲間も送ってやる。此処に居る者どもも、あの神獣の背に乗る者どももな」

「---ッ!!!」

 

 その一言を受けて彼の『撃鉄』が落ちた。脳裏に浮かぶのは--

 

「--さらばだ、名も知らぬ小僧。中々に面白い余興であったぞ」

 

 当てられていた大剣に、グッと力が篭められた。その切っ先が胸に刔り込まれる--その瞬間。

 

「-----?」

 

 空の左腕が上がった。上がったとは言っても、それは対峙した男の目の位置までだ。

 だったのだが、それに彼は意識を奪われた。その手に握られた、黒い何かに。

 

【マナよ、災竜の息吹となり敵を討て--】

「--走れェェェッ!!」

 

 響いた空の声に、彼女らは漸く我に返る。我に返ると互いに視線を交わしあい--散開して藪の中に飛び込む。

 その刹那、引鉄が引かれた。

 

「--ヘリオトロープ!」

「-----ヌゥ!?!」

 

 割込魔法など振り切って、射線に在る対象を核融合の超高熱量で焼き滅ぼす【幽冥】の『魔弾』。

 それが至近距離から、彼の眉間に叩き込まれた。

 

 煙に包まれた男の上半身。威力にのけ反る男の胸を反動で推力を得た空が蹴りつけて、緩んだ握力を振り切った。

 

「----小僧ォォォォッ!!!!」

 

 その瞬間、空間が息も出来ない程に濃密な闘気で塗り潰された。咆哮と共に、孤を描いて湾曲した大剣が煙を薙ぎ払う。

 現れ出る男は無傷、真っ直ぐに突き出された刃の一撃は--

 

「--グァッ!?!」

 

 空中では躱せもしないその一撃に、彼はその剣圧を受け流さず。

 

「--ヌゥッ!!?」

 

 敢えてそれを躱す事をせず、胸を割らせた。その切っ先で横一文字に、切れ味だけに割かれて。

 そんな、今まで誰もしなかった事を目の前で行われた事で呆気に取られた男は、ほんの僅かに剣先を乢ませた。

 

 それにより切断を免れたその身は、弦から放たれた矢の如く森へ突っ込んで行く--

 

--しまった。

 

 虎の威圧を持つ彼は、舌打った。怒りに任せて振った剣戟により体勢を崩して、追撃に移るまでの間隙を作ってしまった。

 

「--おのれ……」

 

 そこで彼は剣を納めた。周囲の気配を探るが感じられるのはただ手下達の持つ神剣の気配のみ。

 自身の左手を見遣る。そこには掴んでいた少年の服の一部と……妙な小袋が引っ掛かっていた。

 

「ふ、ふふ……ははは……!!」

 

 そして、笑った。本当に久々に、心よりの笑いを上げる。そこに遠巻きに見守っていた手下どもが近付いて来る。緑が歩み出て癒しの神言を呟いて--纏めて五体、黒い大剣によって一撃の下に消滅させられた。

 

「役立たずな人形共めが……!」

 

 決められた行動しか起こさないその人形共は、『使役者』を守る事を最優先とされている。それ故に、敵を見逃した。

 対して、あの神剣士達の弾性に富む行動たるや。最早、この近辺には一人として居まい。あの者達はしっかりと己の役目を果たした。斥候、そして足止めを。

 

 その鍵と袋を握り締めて、彼は俯く。唇に鉄の味が拡がる。眉間の僅かな傷より流れ出た血が。

 

「--誇れ小僧! この私を……『夜燭のダラバ』を嵌め、手傷を負わせてのけた事を! 返す返す口惜しいモノよ、小僧ォォッ!」

 

 猛然と上がった虎の咆哮に木々がざわめく。周囲の手下はただ、彼--ダラバ=ウーザと彼の持つた永遠神剣第六位【夜燭】の放つ闘気に圧倒されるばかりだった。

 

 

………………

…………

……

 

 

「もし、聞こえますか? 酷い傷です、一体何があったのです?」

「……ウ、ア……」

 

 掛けられるその涼やかな声にも口が開かない。だが言わなければならない。今伝えなければ、間に合わない。

 遮二無二握り締めた金属に、拳が痛い。それが果たして、落としそうになった大事なものかどうかも判らないが。

 

「何ですか? もう一度……」

「水です。これで、その者の唇を湿らせなさい」

 

 低く精悍な声。その声の後、唇に湿った布が押し当てられる感覚。それを啜り、焼け付いていた喉が癒える。

 

「……どうやら、落ち着いたようですね」

「ミニオン……に、襲わ、れ……北西……ダラ、バ……」

「--ダラバ、だと……!」

 

 安心した声の後、空はゆっくりと口を開いた。途切れ途切れの、その言葉。しかし最後の単語に、何者かは息を呑む。

 

「貴方! それは確かにダラバと名乗ったのですか!!」

 

 揺さぶられ、背中と胸の苦痛に目を開く。その目に入ったのは、ブロンドの美しい髪。晴れ渡った蒼窮の様に深い蒼の瞳。

 あの男と同じだ。見覚えのあるその美しい顔容は。

 

「"アルニーネ=アケロ"……?」

「……え?」

 

 呟いた瞬間、彼の意識は暗い闇の底へ。何か呼び掛け続けている少女の顔も、段々と昏み懸かっていった。



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断章 月世海《アタラクシア》 Ⅱ
月の海原 濫觴の盃 Ⅱ


「Humm~~♪ Hummmm~~~♪」

「……ん……?」

 

--目を開く。霞んではいるが、長く続かないだろう。それだけは判っていた。

 

 薄明か、薄暮か。黒金の太陽と白銀の望月が同時に眺める狭間の時、幽明たる薄紫の境界。

 切り取られたように虚空と虚海の境界線に浮かぶ孤島、その外周を緩やかに廻る七本の柱。空には悠揚たる白雲が棚引き、遥か高く天空に白く眩い凰が飛ぶ。海には悠遠たる黒波が波濤し、遥か深い海淵に黒く晦い龍が泳ぐ。

 

「ッ……」

 

 魂を軋ませる渇きと不可思議な既視感に軽い眩暈を覚える。肉体に刻まれた、幾多の小傷に二つの大傷。しかしもうそこからは痛みや失血を認められない。まるで、骸のように。

 と自身が背を預けるは大樹の幹、捻れ逢って一ツとなった連理の世界樹。枝先に無数の風鈴を持つ双樹の右の枝には片翼の紅い瞳の鷲、左の根には隻眼の蒼い瞳の蛇。眼前の百華咲き乱れる草原には、翠の瞳のユニコーンが休む。

 

 その梢に抱かれ、宛たっている頭に幹内を流れる水を感じた。

 

「Humm~~♪ Hummmm~~~~♪」

 

 二度聴こえて確信する。この樹を挟んで、誰かがこちらの存在に気付かず鼻唄を唄っている。

 

「……誰だ」

 

 何とか搾り出したのは、素人によって収める鞘さえも作られない数打ちの刀剣の如く、鑢を適当に掛けただけの鉄のような濁声。

 それを受けて、さながら名匠が生涯の総決算として技術の限りを尽くしたかのような。丁寧に磨き上げられて壮麗に装飾された宝剣を思わせるソプラノのハミングが止む。

 

 一斉に向けられたのは、怒りを孕む視線。この境界に遊ぶ五柱の幻想種が、今まで歯牙にも掛けていなかった■■が無粋にも茶々を容れた事で、初めて闖入者と認識して睨み付けた。

 

「……貴方は、誰?」

 

 ふと、視界の左端に人影が映る。酷い倦怠感を振り切って視線を向ければ、向こうから覗く花冠と朝陽の白さの修道帽。そして虹色に煌めく、怯えた聖銀色の片瞳と見詰め逢う形になった。

 

「--っ!」

 

 サッと引っ込んでしまう。臆病な小動物のように。それから余程、暫くして。

 

「どうして、貴方は私を見れるんですか? 此処に居る存在は皆、『始まりに還る』途中なのに」

 

今度は右端に人影。詰まり、幹の反対側に移動したのだ。

 

「……聞きたい事が、有るんだ。良いか?」

 

--早速だが、学習した。あの娘は余程小心なのだろう、また視線を向けば再度逃げるに違いない。

 

 なので、振り返らず語りかける。返事は無かったが、待つような息遣いを感じる。それを確認してから、静かに口を開いた。

 

「……此処は何処だ? どうして俺は、此処に居るんだ?」

 

 そう問われて、気付いた。思い出せない全てを。それは何故かと、彼女の問いに答えず問い返す。暫しの静寂。言葉を選んでいるのだろうか、迷うような息遣い。

 

「それは……えっと、その、貴方が……んでしまったから……」

「……悪い、聞き取れなかった。もう一度言ってくれないか」

 

 消え入りそうな声量で某か口にした彼女だったが、丁度吹いた風に鳴った風鈴と寄せた波に鳴いた石柱。それらの音に肝心な部分を聞き漏らしてしまった。

 もう一度だけ問い掛けたが……息を殺す気配を感じただけ。

 

--良いさ。大した事じゃ無い、忘れる程度の事なんて。

 

「そっちを向くからな。逃げないでくれ……」

 

 ゆっくりと、脅かさないよう。子猫でも相手にするように視線を向ける。

 

「……あ」

 

 その先には先程の少女。錠付きの白銀のチョーカーと、ルビーやガーネットの紅の宝石で設えられた聖母の至聖女に夜闇色の修道服。こちらを覗く片方の瞳は、虹色に煌めく怯えた魔金の煌めき。

 一瞬、微かな違和感を覚えたが確かめる術はない。またもや少女は樹の幹に隠れてしまった。

 

--やれやれ……

 

 苦笑しながら、前を向く。遥か遠い、誰もが等しく望みながらも決して辿り着く事叶わぬ、空と海の交わる蒼と滄の境界線を。

 

「あの……苦しいんですか?」

「……まあ、それなりに」

 

 気遣う言葉はずっと遠い。薄い壁の向こうから響く、旋律のように感じられる。溜息を零しながら応えればゆっくりと。

 目の前に差し出された聖盃と、群青の娘が目に映る。

 

「どうぞ……あの、詰まらない物ですけど、良ければ召し上がってください……」

 

 差し出された飾り気のない広口の盃。くすんだ鉄色の質素な聖盃は澄んだ水を湛えて、捻れた双樹を映している。

 それを受け取ろうと藻掻いたが--手が伸びない。そんな事情を察したのだろう、少女は怯え竦みながらも跪づいて、盃の縁を差し向けた。

 

「--ングッ、ング……!」

 

 ゆっくりと傾けられた聖盃から零れる水を、遮二無二飲み下す。浴びているのと変わらない。

 それ程までの、美味さなのだ。例えるならば古い伝承に歌われるネクタルかソーマか、アムリタの如く。呼吸すら忘れ飲み続ける。

 

「--ぷはっ、ハァ……」

 

 漸く人心地付き、深く息を吐く。そして--息を詰めた。

 

 左は神聖なるミスリルの色で、右は魔妖なるオリハルコンの色の金銀妖瞳は、クチクラの如く虹色に煌めいている。修道帽から零れ出る豊かな長い髪は、どこまでも深く澄み渡る劫初の海を思わせるラピス・ラズリの滄。その煌めきが照り返すのは、やはり虹色。

 丈の妙に長い修道服から僅かに覗いた、処女雪の白さの肌。遍く幻想の粋を集めたように非現実的な存在に。

 

「あ、あの……?」

 

 未だ幼さの抜け切らない容貌。だが確かに、間違いなくそこには天性の美質が見え隠れしている。

 

「……有難う、美味かった。躯が言う事聞かないくらい喉が渇いてたんだ」

「いえ、その……本当に、大した事なんてありません。わたしの水はただ、繰り返す輪廻のさざ波にすぎませんから」

「『輪廻のさざ波』……?」

 

 微かに震え始めた少女から視線を外す。そして目に入る、捻れた幹の虚に衝き出た……深く澄んだ滄い刀身の両刃。

 

--……『刃』? いや、アレは『刃』なんかじゃなくて--

 

 娘は『何でもない』とばかりにフルフルと頚を振る。瑠璃色のの髪が、滔々とうねる波濤のようにさざめいた。

 

「その……傷をお治ししました。これは『生命を奪う』んじゃなくて、『生命を紡ぐ』刃から滴った雫なんです……信じられないかも知れませんけど……」

「ああ--信じるさ。こんな奇蹟を見せられちゃ、な」

「でも……癒えたのはあくまでも、此処に来た『魂』だけですから……ごめんなさい」

 

 その瞬きの間に、傷が癒えた。比喩ではなく真実の意味で。彼の躯に深く刻まれた切り傷だけでは無く雷に焼かれた酷い傷が、傷痕こそ残ったものの完璧に塞がったのだ。

 

「有難う、助かったよ」

「あぅ……」

 

 礼を言われた彼女は顔を真っ赤にして、盃を抱きしめて恥じ入るように縮こまり俯く。

 

「--アキだ。俺の名前はタツミ=アキ」

「えっ……?」

 

 名乗られて面食らったのだろう、少女の戸惑う声。そんな彼女に真摯な眼差しを向ける。

 作り笑いは得意だが--本当の笑顔は、彼の最も苦手とするモノだから。

 

「君の、名前は?」

 

 真っ直ぐ向けられた視線に妖瞳が揺れ、沈黙が返る。生きる権利を取り戻したその躯に、残り時間は後少し。迫り来る終わりに瞼を閉じた。躯が軽く、軽く--

 

「……私は……ネアです……」

 

 掠れてゆく意識を繋ぎ止める。後一瞬でも持てば御の字の抵抗を試みて、祝福を待つように少女の言葉を待つ。

 

「私の名前は、アイオネアです。永遠神剣--…」

『『『『『ォォォォォォォッッッ!!!!!』』』』』

 

 果たしてそれは邪魔したのか、そういう習わしなのか。その聖句が唱えられた刹那、五柱の幻想種が一斉に咆哮した。

 更に強風が吹いて風鈴を鳴らし、大樹がまるで風琴のように音色を奏でる。だから、その神銘は彼の耳のみに意味を成した。

 

「そうか……佳い名前だな……」

 

 

 そんな、優しく穏やかな虹色の平穏の中で。始まりの終わるユメを観た--……

 

 

………………

…………

……

 

 

 少女は萌える草の絨毯にぺたりと座り込みその名残を抱く。カラの聖盃、それを呑み乾した存在に想いを馳せて。

 思い出したのは、へつらいなどせずに真っ直ぐ己を見詰めた瞳。

 

『ふん、随分茫洋とした小僧っ子だったな。あの程度、ヒトの世には掃いて棄てる程居る。俺っちらの媛樣には相応しく無いぜ……』

 

 口を開いたのは隻眼の蒼い錦蛇。忌ま忌ましげに鎌首をもたげ、二股に分かれた蛇舌をちらつかせながら鋭い息吹を鳴らす。

 

『あぁら、ヤキモチなんて惨めな爬虫類ね? これは、アタイ達がどうこう言う事じゃ無いでしょう。大事なのは媛樣のお気に召したかどうか……それが総てさね』

 

 応えたのは、片翼の紅い鷲だ。そんな蛇を嘲笑って、からからと嘴を鳴らす。獰猛な蛇の眼光が、そんな鳥を捉えた。

 

『鳴いたな、禽が……! そこを動くなよ、今すぐ凍り漬けにして一呑みしてやらぁ!』

『やってみなよ、它! 消し炭にして啄んでやるよ!』

『あーもう、静かにしてよ……僕眠くて仕方ないんだからさぁ……感電死したいの?』

 

 凍てつく息を吐いた錦蛇に対し、鷲は劫火を纏う片翼を広げた。喧しい禽と它に、角に翠色の雷を輝かせた角獣は鬣を靡かせながら恫喝する。

 

『全く貴方達は……媛樣の御前で何を騒いでいますの。節度を持ちなさいとワタクシが常々……』

『まぁ、良いではないか。騒ぎもしようて、何せこの世界に初めてニンゲンが訪れたのだぞ? 儂も期待に胸が躍っとるわ』

 

 そこに、閃光を放つ白凰と暗闇を放つ黒龍が舞い降りる。刹那にてあらゆる喧騒に包まれた浮島。

 何れも高い知性と霊格を有する五柱の守護神獣、"媛君の忠臣達"。好き勝手に喋る彼等に--

 

「ねぇ皆。私ね、あんなに澄んだ存在を見たの……初めて……」

 

 媛君は呟きながら、聖盃を連理の大樹の根元に近い幹に穿たれた空洞を利用した祭壇に納める。

 

『澄んだ……ですかい?』

「うん……果てしなく広く澄んでて……まるで海原を撫でる風か、星を抱く優しい大空みたいに」

 

 捻れ一ツに成った幹の虚に突き出た、その『刃』に触れてカタチを確かめながら。にこりと、屈託なく笑う。

 祭壇に突き出した両刃の宝剣は媛君の指を傷つける事無く、その鏡の如く凪いだ水面のような刃に波紋を起こして透り貫けさせた。

 

 その消え行く波紋の斬先に、雫が伝う。煌めく雫、空っぽの聖盃を充たすべく滴った彼女の神力の顕現である、透明なエーテル。

 

『くっくく……さすがアタイらの媛樣だ。見る処が違うよ』

『どうでもいいよ、そんなの……媛樣、膝枕して~~ふぎっ!』

 

 地面に跪づいた少女の膝に顎を置こうとした幽角獣が、地面に顎をぶつけた。彼女が、やおら立ち上がった為だ。

 

「もしかして、あの方なのかな? だって【調律】さまが言ってたもの。わたしがここで初めて逢う相手が、わたしの『担い手』なんだって……」

 

 そのまま駆け出して、ハミングしながら楽しげに舞う少女の袖や裾が翻る。

 その裸足の足でも柔らかな草地は彼女を傷付けない。踏まれた事など無かったかのように、青々と繁るのみだ。

 

『媛樣、即決などお止め下さい! 媛樣にはもっと見合う相手が、きっと……』

『このたわけめ。媛樣が御決めになられたのだ、例え間違いだろうと正解になるわ』

 

 いや、どんなモノであれ彼女を害する意志など持つ事は出来ず、仇為す行動を起こす事なども出来はしないだろう。

 

【そう--貴女がそう感じたなら、それは間違いではありません。『始まる前と終わった後』を司る貴女がそう感じたなら……きっと、あの子は貴女に。貴女はあの子に相応しい】

 

 そう木霊する理知的な女の声。白銀の精霊光を発して煌めいた、チョーカーの『錠盾』から。

 

「はい……有り難うございます、母様」

 

 その錠盾を指先で撫で、彼女は嬉しそうに頬を染める。

 

【それにしても……あの『剣』も良い候補を見付けてきたものです。天地人が遍く存在できない此処に存在出来るという事は……だとすれば、あの子はこの子にとって兄のようなもの……】

 

 そんな『娘』の様子に、錠盾はそう思考する。だが、媛君は全く『母』の思案に気付かない。

 

「『にいさま』……? にいさま……あの方がわたしの兄さま……えへへ…………」

【何を喜んでいるの。全くもう、貴女って娘は……】

「だって母様、わたし昔から兄様か姉様が欲しかったんだもの……いつも一番『年上』だったから」

 

 それどころか、むしろ『兄』という言葉を噛み締める。頬を染め、いじましく微笑んだ。

 

「……だから、また逢えるかな? あの方に……」

 

 生まれる事で背負う『原罪』も生きる事で塗れゆく『穢れ』も、死という避けられぬ『贖罪』すら知らぬ輝かしき神姫に応えて。

 

『『『『『逢えますとも、媛樣が望むのならば必ずや。不可能など在りません、何故なら媛樣はこの有限世界にただ一振りの……遍く可能性を斬り拓く『刃』を振るう為の"神柄《ツカ》"なのですから--……』』』』』

 

 周囲を片翼の紅鷲と煌めく白凰が囀りつつ飛び回り隻眼の蒼錦蛇と眩ます黒龍が足元を這い、翠馬が角と蹄で拍子を取る。

 頭上には星屑雲《ネビュラ》を思わせる三重のハイロゥが煌めき、足元の幻影が揃い舞い、連理の樹が枝葉と風鈴で喝采する。

 

 媛君は嬉しげに天を行く絹雲に手を伸ばし、楽しげに地を流れるせせらぎを踏む。風を切った袖が翻り、撥ねた水に裾が濡れる。

 

「うん、また逢いたい……あの方に……兄様に…………アキ様に」

 

 此処は、架空の楽園。誰も辿り着く事の叶わぬ未遠の理想郷。

 シャングリラ、ティルナノーグ、極楽浄土、天国など、呼び名は幾つもある。

 

 

"囁くは銀月《ミスリル》、金陽《オリハルコン》の双頭……"

 

 

 その、鎖されたユメの中にて。あらゆる生命が見果てぬユメ--『無可有郷《アタラクシア》』の深奥で。

 

 

"--天に響けり、永劫の韻律。地に奏でよ、刹那の旋律。いざや唄わん、調律の和音を。始まりに終わり、終わりに始まる零位の剣の、その御名を--…"

 

 

 “劫初海の媛君《フロイライン=アイオネア》”は、願いながら唄い舞う……



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第二章 剣の世界《クランヴァディール》 Ⅱ
戦乱の地平 対なる神剣 Ⅰ


「ん……?」

 

 目を覚ましてみれば、まるで鉛を詰め込んだように身体が重い。起きたばかりとは思えない、何か、名残のような喉の潤いに満足感と忘却感に我と無我をフリッカーさせながらゆっくり瞼を開けば、角灯の薄暗い灯に照らされた室内。油の燃える、甘い鼻に付く臭いとジリリという音。

 少しして、自分が固めのベッドに寝かされている事に気付く。

 

「……目が覚めましたか?」

「え……?」

 

 隣から声をかけられて、視線を向ける。霞んだ目にはすぐに情報が入って来ないがそれは、椅子に座り、黒い鎧を纏う長い髪の--おっさん。いや失敬、お兄さん。

 

「しかし良く助かったものです。あれだけの傷、普通ならば失血死していてもなんら不思議ではありませんよ」

「……はぁ」

 

 思わず、そんな気の無い返事をしてしまった。

 

「--あ、っガァッ!!」

 

 次の瞬間、正に思い出したように背中と胸に焼け付く痛みが走り回った。さながらミイラのように巻かれた包帯の上から、己の身体を抱きしめる。

 

「あ、動いてはいけません。折角塞がった傷が開きますよ」

「はい……」

「それでは皆様をお呼びしてまいりますので、タツミ殿はそのままお休み下さい」

 

 男は噛んで含める様にそう言うと、椅子から立ち上がる。鎧と剣が擦れて音を立てた。

 

「あ、すみません、えっと……」

「これは失礼。私はクロムウェイと申します」

「あ、これはどうも。巽空です」

 

 つむじを見せない挨拶をする、クロムウェイ。その威風堂々たる様は、『騎士』と呼ぶに相応しいだろう。彼は踵を返し、扉を開けて部屋を後にした。

 

 

………………

…………

……

 

 

 そのままゴワゴワのベッドに身を預けていると、けたたましい音……恐らくは足音が聞こえてきた。総数は--

 

「七人……」

 

 何と無くそう口にして居住まいを正して身を起こした--ところで、扉が開いた。

 

「空!」

「ぶわ!!」

 

 途端に、縋り付いて来る少年。がっしりと空に抱き着いた彼は。

 

「な、おま……ちょ、望?!」

「良かった、本当に良かった!」

 

 そう、世刻望。戦闘装束のままの少年が、思い切り抱き着いた。

 

「待て、分かったから望、離せ! 傷に沁みる……傷が開く!」

 

 頚元で囁く男の声に、若干鳥肌を立たせつつも彼には神剣士の力に抗いようも無い。まな板の上の鯉、つまり為すがままである。

 

「お、落ち着いて、望ちゃん! 空くんの傷が開いちゃうよ!!」

 

 流石にマズイと、希美が止めに入るが、その間もメキメキと力は篭り続けている。

 

「シャッターチャ~ンス♪」

「撮るなぁぁぁッ!!」

 

 面白がった美里が、パシャリとシャッターが切った。その様子を遠巻きに眺めていた残りの面子、沙月と信助、そしてクロムウェイと金髪の鎧少女は苦笑を浮かべるばかりであった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 一通り状況説明が終わり、現状を知る。そしてその働いた無謀を物部学園勢にこってり絞られた。今彼等が居る此処は『ヨトハ村』という所で、空を助けた者達の村らしい。

 やっと過程を思い出してポンと手を打ち、続き思い出す。まるで虎の如く猛々しい風貌と威圧感。それらを思い出して、心臓が握り締められた様にたどたどしく拍動する。

 

「それが、ダラバ=ウーザだったのですね?」

「ダラバ……ああ、そういえば、そう名乗りました。確か『夜燭のダラバ』だ……って」

「……?」

「……?」

 

 一応は反応して、彼はその声の主に向けて不思議そうな顔をした。それを受けた鎧の少女も不思議そうに見詰め返した。

 

「「…………」」

 

 しばし絡み合う、視線と視線。円く開かれた少女の瞳と、三白眼の空の視線。その静かな時間は。

 

「……誰、ですか?」

 

 空の一声に破られたのだった。

 

 

………………

…………

……

 

 

「私は、カティマ=アイギアスと申します。以後御見知り置きを」

「あ、どうも御丁寧に。巽です。巽空と申します」

 

 カティマとの自己紹介を終えて、空は頭を下げた。その人が命の恩人だった事も思い出して。

 

「いや、本当に有難うございますアイギアスさん。貴女達に助けて貰えなかったら、今頃どうなっていた事か」

「そんな、お気になさらずに巽殿。困っている方を見れば助ける、当然の事をしたまでですから」

 

 先ず『巽です』と名乗った為に苗字で呼ばれる事になったらしい。互いにペコペコと頭を下げ合う姿は、何と無く部屋の空気を弛緩させた。

 

「それに、巽殿のお陰で私はあの場所へとたどり着く事が出来たのです。感謝してもしきれません」

「感謝?」

 

 その不思議な物言いに彼は疑問を抱く。感謝するべきは自分の方なのに。

 そして妙に下手に出られているのは何故だろうか、と。

 

「はい、お陰で他の天使様方とも出逢う事が出来ました。巽殿は、我々の導きの天使なのです」

 

 それはその言葉で確実なモノとなった。

 

「『天使』って何の事でフガ?!」

 

 突然息を詰まらせる空。沙月の、【光輝】を纏う拳の一撃が綺麗に入ったのだ。

 

「良いから、黙って話を合わせておきなさい。分かったわね」

「了解、雇用主……」

 

 恫喝のような……否、正真正銘の恫喝に空は頷いた。頷かざるを得なかった。

 

「あ、あの、どうなさったのですか? 見事な手刀が延髄に入ったように見えましたが」

 

 流石は戦いを旨とする剣士だ。その文字通り閃光の様な一撃も、きちんと目撃していた。何事かと驚きに目を大きくして。

 

「いえいえー、なんでもないわ。ちょっと記憶が混乱してたみたいだから叩いて直そうと思ったの」

「俺は昭和のテレビか何かですか? ていうか、どっちかといえばそのお陰で記憶飛びそうになったんですけど」

 

 しれっと言う沙月に間髪容れず空のツッコミが繰り出される。

 そこに望の苦言が入った。

 

「先輩……空は怪我人ですよ」

「望……お前が言うな」

 

 薄く開いた眼がギラリと光って、当然その天然ボケも撃墜する。望は実にバツが悪そうに、ナハハと笑った。

 

「あ、そうです。すっかり忘れていました」

 

 と、カティマが何か思い出した。少し離れた衣装棚から、包みを差し出す。

 包み袋を開けば、それは彼が身に付けていた一式。破けて血と泥に塗れた上着と、黒金に煌めく鍵のアクセサリー。

 

「……アイギアスさん、他に……何か有りませんでしたか?」

 

 低く呟く、その顔面は蒼白だ。

 

「申し訳ありません、その…証明になれば、とお借りしました」

【やっほー、旦那はん。わっちの心配をしてくれはるなんて、旦那はんてば……】

 

 その余りの様子に慌てたようなカティマが、何かを差し出した。掌に載っていたは、ホルスターに収まった【幽冥】だった。

 だが、それではない。今、彼が探しているのは別のモノだ。

 

「お守りが在りませんでしたか、このくらいのサイズの」

「お守りですか? いえ、巽殿がお持ちの物はそれで全てですが」

「……そう、ですか」

 

 一度深く息を吸い込み、大きな溜息を落とす。酷く憂鬱そうに、不甲斐ない己を叱咤するように。

 

 

………………

…………

……

 

 

 その後、怪我人以外はヨトハ村で催されている宴……と言ってもささやかなモノだが……に戻っていく。

 

「--巽くん」

「--はい?」

 

 最後に扉をくぐろうとした沙月が立ち止まり呼びかける。何事かと、空は若干身構えた。

 

「私はね、君が苦手。何考えてるのか解らないし、スタンドプレーばかりだしね」

「はぁ、それはすいません」

「だけどね--」

 

 がん、と戸を叩く音。握られた沙月の拳が立てた音だ。

 振り向かない、後ろ姿のままで彼女は言い放った。

 

「あなただって物部学園の一員、護るって言った皆の一人よ。次に自分の命を軽視した行動を取ってみなさい、その時は--私が貴方のチカラを打ち砕いてあげるわ。覚えておきなさい」

「……了解、雇用主」

 

 残るは、空ただ一人。一人彼は苦笑して枕に頭を沈めた。

 そして、思考を深みに落とす。感じるのは--紅く倦んだ闇。

 

「……よぅ、『オレ』」

『……』

「散々に邪魔してくれたな。いい根性してんじゃねェか」

 

 答えは、返らない。だが、それでも問題ない。こっちから一方的に告げるのみだ、今回は。

 

「今回きりだ、許してやるのは。今はすこぶる気分が良いからな。なんせ漸く、戦える様になった。ある意味じゃあお前のお陰か」

『…………』

「そう、次は無いぞ『蕃神』? 同じ事をもう一度遣ってみろ、俺の手で貴様を撃つ。解ったな!」

 

 有りったけの殺意を篭めて壱志を叩き付ける。脅しなどではない、もうそれが出来るのだから。

 

『解った。これよりオレは裏方に徹する。必要とした時以外は出て来ない、それで良いんだろう?』

「殊勝だな。だが、それで良い」

 

 話を終えると、拍子抜けする程あっさりと引き下がった『自分』に応えて。意識を浮上させる。

 

『--だがな、一つ言っておく。もし貴様に隙が有れば……オレは容赦無く、貴様を殺す。その心を打ち砕いてな』

「やれやれ……構わねェよ」

 

 そして遠ざかっていく気配に、彼はそう苦笑しながらいた。

 

 部屋の壁には、涼やかな夜気と光を流し込む窓。そこから大きな満月が覗き込んでいる。

 

「…………」

 

 ベッドに寝そべって、剥き出しの梁を見詰める。胸元に手を当てれば、ズキリと傷が痛んだ。

 希美の緑魔法も効かない訳ではないが、彼の身体には大した効果を及ぼさない。その癖、敵の魔法は良く効くのだから困ったもの。

 

「--ッ……!!」

 

 遅れてやってきた、その震え。思い出した、圧倒的過ぎる強さ。確かな経験と実力に裏打ちされた、虎の如く獰猛な刃金の体躯。

 その担う、神のチカラの結晶。黒く鋭い大型剣、永遠神剣第六位【夜燭】の煌めき。

 

--あれが本物だ、本物の強さだ。純然たる力、何もかも……善悪も道理も不条理も、みんな全てを捩じ伏せるだけの神のチカラ。

 

 感じたのは、畏怖。そして魂の奥底から沸き上がった--久しく忘れていた感情。

 

「--勝ちたい……な」

 

 その渇望。あの存在に勝ちたい、あの力を撃ち倒したいとの渇望が。

 彼の力では、一切敵わなかった。だが、それは『今の彼』だ。今は敵わないが、それでも彼はあの絶望的な状況から生き残ったのだ。死ぬと覚悟したあの状況から。

 

--だから、まだ太刀向かえる。俺自身の『可能性』を信じて!

 

「……ッく……!」

 

 痛む身を起こして、ベッドから降りる。足を付くだけでも、吐き気がした。

 

--ならば、こんな所でのうのうと休息など取っていられない。今すぐ始めなければ。

 少しでも実力差を埋める為に。人間が神に対抗するには……血を流すしか、有りはしない。

 

【……無茶しはりますなぁ。傷が開いても知りませんえ?】

 

 ベルトに挿した【幽冥】から、呆れた思念が流れ込む。それに何一つ答える事無く、扉を開いた。

 

 

………………

…………

……

 

 

 一方その頃。静まり返った階下では、カティマとクロムウェイが向き合っていた。流れている空気は相当重い。それも当然だ、何せ、ダラバ率いる軍事国家グルン=ドラスに対抗できるかもしれないと期待していた天使から『結論は待ってほしい』と告げられたのだから。

 

「……色良い返事が頂ければ良いのだが」

「……仕方ありません。彼等とて彼等の事情があります。それに、助力が得られなかったとしても、今までと変わらないというだけの事です」

 

 カティマは己の胸に拳を当てる。当てたままで決意を新たにするように、そう呟いた。

 床の軋む音が響いたのはそんな折。二人は機敏な動作で、音源を見た。

 

「……あ、どうも」

「巽殿? まだ動かれては」

「大丈夫ですよ。これでも一応、神の武器の遣い手ですからね」

 

 慌てて支えるべくクロムウェイが駆け寄ろうとするが、それを手を振って押し止める。

 

「あの、すみません。水を頂いて良いですか? それと残り物でも良いんで、出来れば食事も」

「ええ、問題は在りませんが」

 

 『本当に大丈夫なのですか?』という疑問を顔に張り付けたまま、食事の用意にクロムウェイは奥の部屋に消えて行った。

 

 

………………

…………

……

 

 

 運ばれてきた簡単な野菜スープとサラダ、パンと水。それを、昔時深により矯正されかけた右手で特に不自由せず右手で摂り終え、宴での話を聞いてその内容に考え込む。

 腕を組み、包帯に包まれた左手の親指を眉間に当てた。

 

「望殿達はお帰りになられました。巽殿は…動くのは危険ですので、今日はゆっくりしていかれた方が良いかと私が具申致しました。差し出がましい真似をしてしまい、申し訳ありません」

 

 部屋に居るのは、空とカティマのみ。クロムウェイはカティマの指示で部屋を出ていった。

 

「そんな、御迷惑を掛けているのはこちらですよ。厄介者の為に手を煩わせてしまって、本当に申し訳ありません」

 

 またペコペコと頭を下げ合ってしまう。元より、気を遣う性分の二人である。止める者が居ないと際限が無い。

 空は自ら水挿しから水を注いで、一気に飲み干した。何かを振り切る様に。

 

「クロムウェイの話では、巽殿の傷は早ければ二週で塞がるだろうとの事です。【夜燭】の切れ味は凄まじいの一言に尽きますから」

「二週ですか……長いな」

 

 深くは無いが広い傷、背と胸に走る刀傷。縫合してあるそうだが、包帯で見る事は出来ない。

 希美やポゥの魔法で治癒を促進されているが、瘡蓋が張っただけの状態で激しい動きをすればまた裂けるだろう。

 

「……巽殿は、ダラバ=ウーザと戦って生き残ったのですよね?」

「生き残ったと言うか逃げ延びた、ですけどね」

「十分に凄い事です。あれは目に映る全てを殺し尽くす悪鬼。それに、鉾もいたのでしょう?」

「俺だけの力じゃ、まずあそこで死んでましたよ。クリストの皆がいてくれたからです」

 

--彼女らも、上手く逃げ延びたらしい。斑鳩の話では随分と心配してくれていたそうだ。後で詫びを入れないと。

 しかし、つくづく因果な話だな。南北の剣神の転生体が争う世界か、未だ争う宿命に在ったとは。

 

 記憶に残る情景。かつて自身も『神』として参戦したその神世を弐天に分かつ騒乱『南北天戦争』の一幕。セピアに色褪せた、古い活動写真のように途切れ途切れにしか思い出せない記憶。それを水を飲みながら漁っていた彼は。

 

「--え?」

 

 やおら立ち上がると、勢いよくその場に跪づいたカティマの行動に面食らった。

 

「--巽殿、平にお願い申し上げます! どうか……どうか我々に御協力いただけませんか!!」

「あ、アイギアスさんっ!? 頭を上げてください!!」

「お願いします! 圧倒的な実力を持つダラバに尽きる事無い鉾。もう、我々の力だけでは限界なのです! どうか……皆様の御力をお貸し下さい!」

 

 切羽詰まったような早口に空は悟る。宴の席で彼女らは物部学園の一行が、彼女らの期待していた『天使』でない事は解っている筈。協力を申し出たが、色良い返事が貰えなかった事も聞いた。

 

「……お願いします、巽殿。巽殿からのお口添えを頂けませんか? どのような条件でも構いませんから……」

 

 だから追い詰められてしまったのだろう。もとより責任感の強い彼女は。

 

「……貴女が、そこまでする理由は何ですか?」

 

その問い掛けに、カティマは暫し逡巡していた。だが、意を決したらしく顔を上げる。

 

「私は--ダラバに亡ぼされた、アイギア国の王位を継承する資格を持つ者…カティマ=アイギアスです。グルン=ドラス軍事国家の圧政に苦しむ国民達を救う為に、全てを以って答える義務があるのです……」

 

 ある種、想像通りの答えに彼は再び左手を眉間に当てた。確かにどう考えても、その美質や物腰は戦場のモノではなかった。どこぞの貴族か、あるいは、と。

 その眼を開き、彼女を見遣る。鋭い三白眼で。彼女もまた、真摯な青い瞳を逸らす事無く彼の目を見詰めていた。

--気丈な人だ。恐らくは一番、知り合って間もない者同士だろうに。

 

 水を飲み干す。そして、決意を固める。その決意に応えて、一向に冷えない頭で答えを出した。

 

「アイギアスさん……そうやって自分を犠牲にして、本当に貴女の国は平和になれますか?」

「そんな事……国を救う為に上に立つ者が犠牲となるは必定です! それが間違ったモノだと、誰が言えますか!!」

 

 妙にシラけた様子の空の質問にカティマは初めて語気を荒げた。それに彼は更なる言葉を紡ぐ。

 

「質問を替えます。もしここで俺が応えたとして、そうやって成し得た平和の果てに……貴女に何が残りますか?」

「私に、残るもの……?」

「ええ、そうですよ。貴女に残るものは、何ですか?」

 

 問い掛けに、はたと黙り込む。艶やかな薄紅色の口唇が開いたり閉じられたり。言葉が出たのは、余程してから。

 

「平和が……平和と勝利、国民の安寧が……」

「違うな。それは貴女のものじゃない。国のものだ。俺が聞いてるのは、貴女自身に残るもの。それを聞かせて欲しいと言った」

 

 それを一刀の元に斬り伏せる。彼女の瞳が揺れて、ついに視線を逸らした。

 

「……なにも、無いでしょう? 始めからコレは取引にならない。俺ばっかりが得してしまうんですから」

「……巽殿」

 

 彼女が彼に視線を戻した時、既にその眼は微笑んでいるようにも見える糸目。その頼りなげな様子で、彼は己の鼻の頭を掻いた。

 

「駄目なんですよ、そういうの。得しようとしてる奴を出し抜いて一人勝ちするのは大好きなんですけど……他人が自分から損しようとしてるの見ちまうと、どうにも我慢出来ないんです」

 

 目線を離して窓の外を見遣れば、満月が笑いを堪えているように見えた。

 

「……まぁ良いじゃないですか、もっと欲張っても。何かを犠牲にしなきゃ何も得られないってのは当然ですけど、だからって犠牲を強いる必要なんて無い」

 

--恥ずかしい。物凄く恥ずかしい。あの窓から飛び出して、夜の森に躍り込んで逃げ出してしまいたい。

 

 その衝動を堪えて、目線を戻す。不安げな眼差しに苦笑を送る。

 

「まぁ良いじゃないですか、今回は一人勝ちしたって。相手は悪逆非道の殺人鬼。どんな理由であれ、人を殺したからには殺されるのを覚悟してないなんて言わせない。一方的に奪っていった奴から、一方的に奪い返す。それこそ痛快、それこそ王者ってもんですよ」

「……言っている事が前後で目茶苦茶ではありませんか?」

 

 そのある意味破綻した論理に、彼女はクスリと。ようやく愁眉を開く。

 待ち望んでいた台詞を聞けた事に、空の表情も和らいだ。

 

「だと思えるなら、ちゃんと判断出来ますよね。貴女がこれから、どうするべきか」

 

 彼女は、ゆっくりと瞼を閉じた。そのままゆっくりと思案して。

 

「……はい、無礼を働きました。お許し下さい……巽殿」

 

 やっと晴れやかな、気高い満月のような笑顔を見せたのだった。

 

「ハハ、第一俺に取り入ったって良い事無いですよ。何の影響力も無い三下ですしね」

 

 その笑顔を受けて、彼も苦笑いを以って答えた。余り、上半身に負担をかけぬよう立ち上がって。

 

「……それに何も言われなくても俺は貴女がたに協力させてもらう心算でしたから」

「--えっ?」

 

 カティマの笑顔が驚きに変わる。空は、水差しの水を全てコップに注ぐとそれを飲み干した。

 

「何せ、この命は皆さんに救って頂きました。更には食事まで頂きましたし、これでハイサヨウナラなんて不義理な真似は俺の壱志が許しません」

「巽殿、では--」

 

 思わず立ち上がった彼女の眼に希望が灯る。そんな彼女と対称的に、今度は彼が跪づいた。

 

「他の皆がどんな結論を出すかは解りません。ですが、少なくとも俺--この『幽冥のタツミ』は、貴女に協力したい。恩顧に報いる為に、そしてこの身に受けた屈辱を返す為に。俺を、傘下に加えてやって下さい……『姫君』」

 

 その左手に永遠神剣第十位改め永遠神銃【幽冥】を番えて、頭を垂れる。それは、数時間前に彼女が望達にした行為に似ていた。

 

「……私は、姫ではありません。ここに在るのはアイギアの神剣士『心神のカティマ』です」

「いいえ、貴女は立派な王者だ。そんな貴女だからこそ、俺は助けとなりたいんです」

 

 眼を閉じ、反芻する。その時間は刹那。

 

--そうだ、それで良い。これが俺が望む事なんだ。貫き通すべき……俺の、壱志だ。

 

「有難うございます、巽殿。本当に……有難うございます」

 

 安堵したのだろう、うっすらと涙すら浮かべて彼女はそう呟いたのだった--……

 

 

………………

…………

……

 

 

 夜の風が枝葉を擦り、さらさらと音色を奏でている。その静かな夜の森を、三人が歩いていた。

 一番前に、角灯を持つ少女の影。その後ろに付いて歩く大柄な影が二つ。

 

 やがて影達が立ち止まる。その目前の小高い山は……次元くじら『ものべー』だ。先頭に立って、角灯を提げていたカティマが振り返る。

 

「では、これにて失礼致します。お休みなさいませ……巽」

 

 『巽』と呼び捨てたカティマ。先程の誓いによって、僅かな間の事と言え臣下の礼を取った空本人が、『呼び捨てにしてほしい』と願った為だ。

 

「ええ、それではまた……姫君、クロムウェイさん」

 

 

 それに応えて、彼は頭を下げた。クロムウェイに借りた黒い外套を纏う空が。

 そしてカティマは『自分だけが呼び捨てにするのは、心苦しい。自分も呼び捨てにしてほしい』と告げたが、それは丁重に断られた。『臣下がそんな事では、周囲に示しがつかない』と。

 

 合図の拍手を鳴らすと彼は光へ変わり、やがて消えていった。

 

 空を見送り、彼女達はヨトハ村の神木の下へとやって来た。そこには、月光に照らされる一つの石が在る。自然の石ではなく、意味があってそこに据えられたもの。手入れの行き届いているその石碑には、苔すら生えていない。

 彼女は、溜息を落とす。そして、胸に手を当てた。感じたのは、心を圧迫していた澱が溶け始めている事。今だにその責任という名の膿は流れ出してはいない。

 

 だがしかし、確かに彼の言葉に動かされた心があった。まるで風に背を押されたように。

 

「クロムウェイ。私は信じます、あの方々を。きっとこの出逢いは偶然などではない、天が遣わせてくださった『運命』なのだ、と」

「思う通りにしなさい。それが、貴女の導べとなるでしょう」

「はい……両親より受け継いだ、この命で必ず--この大地に安寧をもたらして見せましょう。照覧下さい、母上」

 

 その、清々しい顔。先程までの追い詰められた気配の消えた笑顔に。クロムウェイは、本当に満足そうに笑い返した。

 

 

………………

…………

……

 

 

 昇降口から彼は、自室に戻らずある部屋を目指した。閉ざされた扉を叩いて名乗り、開けば--

 

「アッキーのバカーー-っ!」

「ぶふーーーっ!」

 

 顔面になにか、硬くて赤いモノがぶつかった。

 

「もーっ、心配かけてーっ!」

「だからって、お前……透徹城をぶつけてくる事ねェだろ!」

 

 椅子に座らせて貰えず床に正座させられる。少女達は、そんな空を見下ろしていた。

 

「今回ばかりは君の自業自得だ。随分と気を揉まされたんだからな、我々は」

「…………」

「うぐ、すみません……」

 

 ルゥとポゥの責める視線に、彼は殊勝な態度で俯く。

 

「でも、あれしか無いと思ったんです。気配を断ち切れる俺が最後に離脱しなきゃ、ミニオン…この世界では『鉾』って言うらしいんですけど、あれを振り切れませんでしたから」

「……その為に、タツミ様が命を落としかけても、ですか?」

「……はい。それでも、です」

 

 真摯な、アンバーの瞳……所謂『狼の瞳』と呼ばれる妖しい瞳でしっかり五人を見つめて、そう断言した空。これで鼻にティッシュが詰まっていなければ、一人くらいはポッとなったかもしれなかった。

 

「それは、身勝手です。そうして命懸けで誰かを守ったとして……遺された者が喜ぶと思っているんですか!」

 

 それに珍しく語気を荒げたミゥ。気圧された彼は、目を開いた。

 

「タツミ様、こんな事はこれきりにして下さい。もう二度と、自身の身を盾になんてしないで下さい。お願いします」

「……ミゥさん」

 

 沈痛な物言いに、他の皆の表情に空は悟る。恐らくは彼女の過去に何かがあったのだ、と。

 

「……約束は出来ません。俺には自分の命くらいしか賭けるモノがありませんから」

「--アンタね……!」

 

 その返事にゼゥが眦を吊り上げる。だがそれでも尚、彼はミゥを見据えたままで。

 

「--でも、死ぬ気はありません。必ず生き残る、その壱志の元に命を賭けてます。だから、それで勘弁してください」

 

 はっきりとその決意を告げる。己の意志を。

 

「…………」

 

 しばらく、そうして見詰め合う。やがて--

 

「……何を言っても、曲げられはしないんですね」

「すみません……真っすぐしか、取り柄が無いもので」

 

 やがて、諦めたように呟かれた言葉。曲がらない意志の者同士がぶつかったのならば、どちらかが曲がるしかない。彼女が、折れたのだ。

 それに苦笑いを返して、空は頬を掻いた。

 

「ですけど、それならこちらにも考えが在ります。ねぇ、皆?」

「はい?」

 

 と、ミゥが周囲を見渡して笑う。それに呼応して、居並ぶ少女達が頷き返す。

 

「タツミ様、サツキ様のお言葉はお聞きになっていますよね?」

「……は、い……」

 

 段々と、彼の顔色が悪くなってくる。単純に言えば、恐怖により青ざめている。

 

--ヤバい、殺られる! あの人はやる、必ずやる! 喜々としてやる、絶対に!

 

「……もし、この場でタツミ様がそういった言葉を口にしたのなら好きににして良いと、サツキ様は申されました。なので私達の好きにさせて貰います」

「あの、命だけは!」

 

 慌てて土下座しかけた空。その少年に--

 

「私達が、タツミ様の身をお守りしましょう。そして、思い知って下さい、私達がどんな思いをしたのかを」

 

 彼女はくすくすと意地悪く笑いながら、そう告げたのだった。



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戦乱の地平 対なる神剣 Ⅱ

 薄暗い森の中を歩いてゆく一団、学園所属の遣い手達だ。

 

 その最後尾を歩く、黒い外套を羽織った少年。昨夜クロムウェイから借りた袖付きの黒羅紗の外套の袖を通さず肩に掛けて、首元に襟巻きを巻いただけの空だ。

 そんな彼の心を占めているのは今朝、全校集会で沙月が口にした『今、この世界から出られない』という事に関してだった。

 

--プロテクトが掛かっている、か。だとすれば、それがダラバの仕業と考えるのは……まぁ当然の流れだろう。

 

【あれま、どういう事ですのん? まるで、他に黒幕がおるような物言いどすなぁ】

(ああ、当たり前だろう? 普通は姫さんが戦争の助けを得る為に留め置こうとしているんじゃないか……とか考える物だと思うが、まぁ、あんな高潔な人がそこまでするとは思えないからな)

 

 そこで一旦言葉を切ると、彼は前を歩いている八人を見る。中列のクリスト達はいつも通りの飛翔ユニットに入り、前列三人は全員が神剣士としての装束を纏って、何か話し合っている。

 それを眺めつつ軽く握った左拳の親指の付け根を眉間に当てる。考え事をする時の、彼のお決まりのポーズだ。

 

--ただ、あいつらは姫さんじゃ無いならダラバだろうと言った。だがそれを言うのなら、ダラバにだって俺達を閉じ込めておく必要なんかは無いだろう。むしろ出ていって欲しいはず。

 

 その考えに至った時、彼は一つの『光明』を得たのだ。

 

(『光をもたらすもの』、か)

 

 あの日に、闇天から降り注いできたミニオン達。彼らが、漂流を始める原因となった出来事。沙月が彼をそう疑い、本気に近い殺気を向けてきた理由でもある。

 

--それが実は、此処に繋がっていたのだとしたら? ミニオンはあくまで駒なんだ、駒だけで戦いは出来ない。必ず、遣う人間……神剣士が居るはずだ。そいつが、この世界に来ているとしたら? 更に言うなら、ダラバと協力関係に有るとしたら? 俺達を、この世界に封じる理由が出来上がる訳だ。

 まだ確証はない。しかし論理的に考えて、最も納得出来る。勿論姫さんが遣っている可能性だってダラバが只の気紛れで遣っている可能性も零じゃない。窮めて低いとはいえ、可能性が有るならそれも有りだ。

 

(それにしても、会長はこの事を望達に話してないのか?)

 

 その紅い髪の生徒会長をちらりと見遣る。実は……というには髪の色がビビッド過ぎて、あっさり納得できてしまった別の世界出身のその少女を。

 

--さて、『旅団』ってのも中々きな臭い組織らしい。気を付けておいた方がいいだろう。

 

「……空くん、本当に大丈夫? 辛いなら肩貸そうか?」

「ぅえ! いや、大丈夫大丈夫!もう平気だって!」

 

 と、突然間近に迫っていた希美に話し掛けられて深い思考の海に沈んでいた彼は戦慄いた。沈思の顔付きが痛みを堪えているように見えたのか、気遣わしげな様子で。そして前を歩いていた一行から注目を浴びている事に気付いて、眉間に当てていた左手を下ろして咳ばらう。

 その際、外套の中が垣間見えた。その出で立ちは……旧男子指定の黒っぽい学ラン。交戦で制服が駄目になったので、替えとして手に入れたものだ。制服は貴重品、今現在新タイプの予備が無かったのである。ちなみにこの学ランは、彼の私室として割り当てられた物置部屋の片付けの中で見付けたものだ。

 

「さてと、急ぎましょうよ。ひ、アイギアスさん達が首を長くして待ってるでしょうから」

 

 彼は外套のフードを目深に被り、口許まで襟巻きを引き上げて顔を隠すと先を急ぐように促した。

 その黒尽くめの少年を見つつ、望は浮かない顔をした。朝会での事からだ。

 生徒の意見一致を見た背景には、彼が徹底的な主戦論を展開した事が有る。普段のそういう場では昼行灯を決め込む彼が、沙月すら圧倒する程に強硬な姿勢を見せたのだ……その後には、ケイロンに便所の裏に連れていかれたが。

 

「なぁ、空……お前は、どうして闘うんだ?」

「はぁ?」

 

 だから、そう問い掛けた。未だ『殺す為に闘う』という事に躊躇を持つ彼は。

 

「……どうしてもこうしても、それが俺の役割だからだろ。恩義にも屈辱にも必ずそれが、俺の壱志だからだ」

「壱志……?」

 

 それに、あっさりと応えた少年。全身黒尽くめの鴉のような彼は、フードの奥の三白眼を向けて。そして事もなげにそれだけを言い放った。

 

「俺はアイギアスさん達にこの命を救われ、ダラバに屈辱を受けた。それを返す、必ず。俺は俺自身の壱志を貫くだけだ」

「それだけ、か?」

「ああ、それだけだ」

 

 迷いは微塵も無い。そんな彼の、善悪にこだわらない真っ直ぐな思想が、望には解らない。

 

「…………」

 

 陽射しの中でも影のようなその姿を見詰めながら、望は己の闘う理由を問う。だがやはり、それを掴む事は未だに出来なかった。

 

 特に波乱無くヨトハ村に着き、全校集会で可決した『協力する』という決定を告げる。

 途端に感極まったカティマが望に抱き着いて、それに希美と沙月が表情を硬くしている。

 

【感激屋さんどすなぁ。しっかし、お相手は旦那はんやのうて世刻のボンどすかぁ】

『……元々アルニーネはジルオルの奴に惚れていた節が有るからな。もしそれが受け継がれていたとすれば一目惚れしていても不思議じゃねェだろうよ』

(……お前らどんだけ下世話な話してんだっての。人の色恋沙汰に首突っ込んでんなよ)

【へーん、女っ気皆無の旦那はんには関係ない話どすわいな!】

『情けねェ話だぜ』

(お前ら纏めてマナの霧に還れ)

 

 精神会話でツッコミを入れつつ、何気なく周囲を見渡してみる。外野は盛り上がっている、それもそうだろう。今までカティマ一人で絶望的な戦いをしていたところに、鉾に対抗できる九人もの援軍が現れたのだ。

 

「喜ぶのはまだ早い。我々はこれでようやく対抗できる戦力を得たに過ぎない。ダラバに【夜燭】が有る以上油断できない……それで無くとも奴は『アイギアの飛将』として勇名を馳せた、実力者なのですから」

「……あの男は、やはりとんでもない奴なんですね」

 

 そんな中、やはりクロムウェイは冷静だった。

 

「ええ。大陸無双の武だけで無く、用兵においても神出鬼没にして大胆不敵。彼の進む道を妨げる事は、鉾が無い頃から既に不可能といっても過言では無かった」

 

 語るクロムウェイは苦い顔だ。その物言いは、まるで--

 

「伝令ーーー!!!」

 

 だがそれは、もたらされた火急の知らせによって破られた。火急の、最悪の知らせに。

 

 

………………

…………

……

 

 

 森の中を走る、三つの飛影。

 

【……どうですか、タツミさん? 何か感じますか?】

「ああ、街道沿いに多数鉾の気配が有る。アズライールまでの道は両方押さえられてるな」

【ふん、やってくれるわね。確かに神出鬼没だわ】

 

 ポゥ、ゼゥ、空の三人だ。彼らは斥候としてアズライールという街までに布陣した鉾の様子を探る役目に就いている。

 遊撃戦闘に長けるポゥ、隠密性の高いゼゥ、己やその周囲の気配を断ちながら、広大な範囲を索敵できる空。正にうってつけというべき役割。

 

【タツミさん、傷は……】

「大丈夫だ、心配しなくていい。……有難うな、ポゥ」

 

 ポケットから懐から取り出したのは丸められたコピー品の地図。クロムウェイから借りた本物を、学園で主要メンバー分コピーした地図に敵の布陣を記入していく。

 

--急襲を受けたアズライールは、反乱軍の補給拠点。隣国であるクシャトとアイギアを……今は、グルン・ドラスか……を結ぶ要衝だ。ここが陥落すれば、反乱軍は一週間と体制を維持出来ない。

 

 記入が終わり、彼は懐から何かを取り出す。黒い、直方体のそれは。

 

「--こちら巽。聞こえますか、会長?」

『こちら斑鳩、首尾はどう?』

 

 耳に当てたのはトランシーバー。半径40Kmをカバーする性能が有る、本格的なもの。昔の部活か何かで使ったのか、それを修理したのである。

 その得た情報を余さずに伝えた。今頃それを基に編成が組まれているだろう。

 

 無線を懐に戻す。地図を確認し、脇の二人に目を向ける。

 

「……アズライールまでは半日は掛かるな。マナはもつか?」

【心配されなくても、節約すれば二日はもつわよ】

 

 鬱陶しそうに答えたゼゥ。だが、もう慣れた空は特に気にせずに街道に布陣した鉾に見つからないルートを算出していた。

 

「そりゃ結構。往くぞ」

【はい!】

【命令するんじゃないわよっ!】

 

 だが、それでも。ムカつくものはムカつくのであった。

 

「いちいち噛み付くなってんだよ、この真っ黒チビ助!」

【あんただって真っ黒でしょっ! この真っ黒デクノボウ!!】

【ふ、二人とも……お願いしますから静かにしてください……】

 

 喧しい斥候達は、深い森の中に紛れていった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 一方、湖畔のシーズー側の道を選択した望とカティマとルゥ。

 

「これでシーズーの町は解放できましたね」

「ああ、今頃は希美と先輩、ワゥがラダを解放してくれているはずだ」

 

 消えていく鉾を見下ろしながら呟くカティマ。それに【黎明】を鞘に戻しながら望が答える。

 偵察組によって得た情報により彼らの進軍は速い。リアルタイムで送られてくる鉾の現在の状況に合わせて纏まった作戦行動を行う事により、散発的な攻撃を仕掛けてきた鉾達は各個撃破された。

 

 その後、各街を防衛線に篭城戦の構えを取ったところを同時攻撃で捻り潰されたのである。

 各街を解放して最終目標地点のアズライール直前の街道で合流、足並みを揃えて進軍する事でこの戦闘を終結させる。それが反乱軍の立てた筋書だ。

 

 剣の気配を探っていたカティマが【心神】を下ろす。情報通りの数だった。

 

「グルン=ドラス軍の兵士連中も降伏を始めたらしい。後は反乱軍の兵に任せ、吾らはアズライールに向かって進軍するぞ。森の中にも鉾が待ち受けているのだから、十分に気を付けるのだ!!」

「頭の上でごちゃごちゃ騒ぐな。地図を広げるのも止めろよ」

「あ、こら! 何をするかぁ!」

 

 頭上で騒いでいたレーメの地図を取り上げた望は、それを眺めた。シーズーとアズライールを結ぶ街道はパルター湖に沿った一本道。そこに横たわる深い森の中には、二個小隊の鉾が息を詰めているとの事。

 

「行きましょう、望。一刻も早くアズライールの町を、民衆を解放しなければ……!」

「カティマ」

「--はい?」

 

 早くも門をくぐろうとした彼女の肩を、望が引き止めた。それに驚き振り返った彼女の目に優しげな微笑みが映る。

 

「少し休もう。俺達が突出しても、後続がいないんじゃ足踏みだ」

「何を、悠長な事を言っているのですか!今、こうしている間にもアズライールの民が……!」

 

 その手を振り払おうとして--気付く。また追い詰められていた事に。

 

「……駄目ですね、私。また心配を掛けてしまいました」

「『また』?」

「ええ。巽にも随分心配を掛けてしまったというのに、更に、望にまで……」

 

 その名が出た事に、失礼ながら彼は少し驚いた。

 

「恥ずかしながら、この前の私は焦っていました。それ故に、彼に無礼を働いてしまい……それでも、彼は私達に協力すると申し出て下さいました。その言葉にどれ程救われた事か」

 

 その人物の気持ちが、判らなくなっていた望には……それは。

 

「彼は、強い人です。強い信念を持っているお方です。どのように横槍を入れようと決して曲がらぬ意志が有る。まだ知り合って間もありませんが、それだけは峻烈な風のように感じられました」

「決して曲がらない意志、か」

 

 望は噛み締めるように呟いた。その心には、少なからず猜疑心を抱いた事への後悔。そして--

 

「……負けてられない、な」

「え?」

「俺もカティマの助けになりたい。俺は、空みたいに迷わず貫く事は出来ないかも知れないけど……それでも、自分の決意を信じたい。カティマを信じたいっていう、この決意を」

 

 友の決意に続こうという決意。そして、新たな友を信じるという決意。ただ、友達を信じ抜くと。彼はその決意を口にした。

 それが空と望の差。空があくまで『恩返し』なのに対して、望は進んで『協力』を申し出た。その思いの差。

 

「え、えぇ!? えっとそのあの、望にはとても助けられました! 協力すると申し出て下さった時の感激はもう筆舌に尽くし難く!!」

「そうかな。だと良いんだけど」

「ええ、そうですとも!」

 

 突然の言葉にカティマはポッとばかりに頬を朱に染めた。しどろもどろになりながら、ぐっと望の手を握って、勢い込んで彼女自身、よく判らない言葉を紡ぐ。

 

「オホン、そろそろ休憩は終わりだ! それ、キリキリ歩け!!」

 

 と、不機嫌さ全開のレーメが望の耳を引っ張った。

 

「いででで! なにすんだよ!」

「うるさいわ、歩けったら歩けったら歩けーーーっ!!!!!」

 

 その怒声は、シーズーで反乱軍の兵士に指示をしていたルゥにも聞こえたという……

 

 

………………

…………

……

 

 

 辿り着いたアズライールの街は、最早街ではなかった。女子供老人に至るまでもが虐殺され破壊し尽くされた惨状に、自責の念からカティマが倒れてしまう程に。

 その葬送に立ち会っているのは、学園の関係者内ではただ一人。反乱軍に名を連ねる空のみ。望達はカティマの看護に就いている。燃え盛る葬火に照らされ、居並ぶ兵士達は一様に沈んだ表情を火影に浮かび上がらせていた。

 

「巽殿。もう、お休みになられては如何ですか? 後は我々だけで十分ですから」

「……すみません。間に合わせる事が出来無くて」

 

 喪服としての意味も持つ制服に身を包んだ空は、燃え盛る葬送の焔を見つめたままでそう呟いた。それにクロムウェイはただ、首を横に振った。

 彼らが最高速度でアズライールに到着した時にはもう、この有様だった。彼らのせいではないのだ、恐らく制圧された直後に虐殺は行われたはず。

 

 なのだが散々期待させておいてこれは無いだろう、と。空は自嘲する。

 

「……皆、御苦労様です」

 

 そこにカティマが姿を現した。一眠りして落ち着いたのだろうか、いつもの優雅さを見せている。

 

「カティマ、具合は?」

「…………」

 

 顔を伏せた彼女にクロムウェイは悟る。やはりまだ、この頑なな少女の心は溶けきってはいないのだと。

 

「今日はもう、休みなさい。巽殿も、英気を養って下さい」

「ですが……いえ、分かりました。民の供養をお願いします」

「では俺も、これで」

 

 そのクロムウェイの言葉をしおにカティマは反乱軍の野営地に、空は物部学園へと帰っていった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 その翌日の早朝、物部学園の門をクロムウェイと数人の反乱軍兵がくぐった。揃って蒼白の顔には、余裕など見受けられない。

 

「お尋ねします! 沙月殿は居られますか!」

 

 その誰何は校舎全体に響き渡る。何事かと起き抜けの一般学生達が物影から覗いている。

 

「クロムウェイさん、どうしたんですか?」

「こちらにカティマはお邪魔していませんか!」

 

 挨拶も無く、本題を切り出す。普段の彼ならば考えられない事、それだけ緊迫した状況なのだ。

 

「いえ、こちらには来てませんが……まさか!」

 

 沙月もその可能性に思い至る。彼がそこまで切迫する理由など、そうは無いだろう。

 

「はい、カティマが……カティマが、居なくなりました……」

「サツキ様、ワゥをお見かけしていませんか! タツミ様にお聞きしようと思っても、見当たらないのですが!」

 

 クロムウェイの言葉が終わったと同時にその声が響く。深い溜息を零して頭を抱えた沙月の耳に、更なる頭痛の種が舞い込んだ。

 

「ふ、ふふふ……誰も彼も、いい度胸じゃない……」

 

 彼女は笑う。それはもう、実に壮絶な笑顔だった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 時間を巻き戻して、その前夜。クロムウェイに見送られたその足で、彼女は野営地を潜り抜けた。幾許かの金銭と旅人の纏う簡素な外套を拝借した事、そして後事を沙月達に托すと書き置きを残してアズラサーセへ続く街道に立っていた。

 

「……お待ちしてました」

「ッ!?」

 

 そうして街道に出た直ぐ先の道の真ん中に、男は立っていた。

 一瞬身構えるが、すぐその正体に気付く。黒い外套に身を包み、フードを目深に被った長身の鴉。

 

「--巽……どうして貴方が」

 

 問い掛けるカティマに彼は一つ溜息を落とした。フードの奥で、呆れ返る顔が見無くても解る程に盛大な溜息を。

 

「俺の感知は他の連中より広くて鋭敏ですから。幾ら気配を消して行動しても空気の流れは止められませんよ」

「貴方は、そんなモノまでも感知できるんですか」

 

 月影の下で、闇に溶けてしまいそうなその黒尽くめの衣装。もし声を掛けられていなければ、最悪気付かなかったかもしれない。

 

「……どうするつもりです?」

 

 カティマの声は低かった。それは、自らの目的を定めた者の声。

 

「……どうも、こうも。このまま行かせはしませんよ」

 

 対する空の声もやはり低かった。だがこちらは、男性機能として備わった低さ。

 

「ならば--」

 

 カティマは構える、左半身を前に向けてその黒い大刀【心神】を。上段に構えた刃を天に向けて地と水平に突き出した構えは、彼女の最も得意とする『天破の型』。

 

「--押し通るのみ……!」

 

 鋭い剣気を漲らせた彼女に、空は黒い篭手に包まれた両手を突き出して--

 

「---待った! 最後まで話を聞いてください、姫さん!」

 

 上擦った声でそう叫んだ。単純に気圧されたのだ。かつて神世の古に、永遠神剣を携えた神々の中に在って尚『北天の剣神』とまで称賛されたアルニーネ=アケロ。その転生体たる神剣士に。

 

「……『姫さん』……?」

 

 その呼び掛けにカティマは気勢を削がれた。急速に弛緩する場に、空はホッと息をつく。そしてスクーターのシート下からリュックを取り出す。

 

「……と、失礼。姫君、俺は別に邪魔する気は有りません。ただ、一人で行くのは効率が悪いと申し上げたかったんですよ」

「効率……ですか?」

 

 何を言っているのかと、彼女は首を傾げた。

 

「要するに、俺も付いて行きます。いえ、お供させて貰います」

「……え? えっと、巽……?」

「駄目とは言わせませんよ。もし断ったら、すぐ会長に連絡します。少なくとも斬られるよりは早く、掛けられますよ」

 

 言いながら、懐から無線を取り出した。それを見て青い顔をするカティマ。その装置の用途を思い出したからだ。

 

「た、巽! それは卑怯です!」

「卑怯で大いに結構ですよ。さぁ、どうします?」

「うぅ……」

 

 彼女は呻き声を漏らしながら、考え込む。考え込んで、何故自分は独りにこだわろうとしたのかが解らなくなった。

 そして心配げに空を見詰める。

 

「……良いのですか、巽。沙月殿に背く事になるのでは……?」

「あぁ、構いやしません。むしろ裏切る方向で……おお、寒気が」

 

 それに軽口を叩こうとし試みた空だったが、自分の吐いた言葉に感じた悪寒に苦笑いした。下っ端根性が染み付きかけている事に。

 

「巽?」

「いえ、何でも無いですよ。話も纏まりましたし、行きましょう。どうぞ姫君、乗り心地は良くありませんが、の竜騎兵《ドラグーン》の鉄の愛馬へ。道交法は、異世界じゃ関係ありませんからね」

 

 気取った台詞で話を切り上げて、空は背負ったリュックサックからLEDの懐中電灯と地図を取り出すべく、手を突っ込み--

 

「……何してんだ、テメーは?」

【みっかっちゃった~てへぺろ】

 

 電灯ではなく、クリスト・ワゥを取り出したのだった。

 

「オイ、『みっかっちゃった~』……じゃねェだろ! 一体何してやがんだ、さっさと帰れ! てか、てへぺろやめろ腹立つ」

【やだ、ボクもついてく! その為に【幽冥】にマナあげる約束でごまかして貰ったんだもん!】

 

 その一言に、彼は腰の【幽冥】をホルスターの上から握り締めた。メキメキと音が出る程に。

 

「ほぅ、マナねぇ……つまみ食いとは良い度胸だな、カラ銃ゥ?」

【しぃ~~!! 言うたらあかんて言うたやないの、いだだだっ!!】

 

 その空の目前にワゥは飛翔して、ビシリと言い放つ。

 

【へっへーん、いいのかな~? もし断ったりしたら、クリスト族の精神感応で伝えちゃうよ?】

「--なッ!? テメ……」

 

 その能力を彼はアズライールの奪還作戦で知った。ポゥに教えて貰った、クリスト特有の能力。己がやった事と同じ事をやられ、彼は握った左手を眉間に当てる。そして--またもや溜息を。

 

「……勝手にしろ。ただ、マナは節約しろよ。補給なんて出来ねェんだから」

【うん、オッケー!】

 

 夜天に高く昇った、金色の月。その煌めきに照らされる、三つの影。そこには、緊張感も悲壮感も持ち合わせてはいなかった。



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戦乱の地平 対なる神剣 Ⅲ

 生徒会室の窓から、沙月は茜色の空を眺めていた。

 

「……全く、冗談じゃないわよ。人を悪者扱いしちゃってさ」

 

 午前中、ここ生徒会室では喧々諤々の論舌戦が繰り広げられた。安易にカティマ達を追う事に反対した沙月と、今すぐに捜索に行くべきだと主張した--望を始めとする学園生徒一同である。

 

 折れたのは彼女。今、ものべーはアズラサーセに向かっている。だが、彼女には嬉しかった。皆が一致団結し、人命を救う為に自ら行動した事が。

 

「……サツキ殿」

 

 その傍らに、騎士が立つ。彼女の腹心たる、人馬の騎士が。

 

「ケイロン。私、守ろうとばかり思ってた。皆には戦う力が無いんだから、力を持つ私が守らなきゃ、って……」

「それは、間違いではありません。サツキ殿は、あの日よりずっとそう在ろうとして来たではありませんか。彼女らの世界を、"英雄"を救えなかったあの日から……」

 

 震える唇で泣き言を紡いだ彼女にケイロンは冷静な声色のままで、しかし決然たる思いで告げる。それは、彼女の進み方を決めた理由の一つ。同じ後悔をしない為に、と。

 

「他の誰がどう言おうと、自分は貴女の味方です。何があろうと、貴女を守り抜いて見せます。この槍に誓って……」

「ありがとう、ケイロン……」

 

 跪づき、槍を掲げる騎士に沙月は苦笑する。嬉しさから。そして、彼女は頬を叩く。晴れやかな顔の彼女は、もう迷っていない。

 

「さてと、それじゃ気合い入れて行きますか!」

「--承知!」

 

 その声は高らかに、夕暮れの空に響き渡った。

 

 

………………

…………

……

 

 

 通り抜けるはずだったその街は、混沌の様相を呈していた。その街の名はアズラサーセ、始めに、カティマ達が目的地と定めていたその街は門前に集結する無数の鉾によって脅かされている。

 

 その喧騒に耳を傾ける、路地裏に潜む影が三つ在った。陽射しを浴びながら木箱に腰掛けているのは、茶の外套を身に纏う煌めく金髪の女。その膝の上に乗る、竜の頭骨の様な物体。

 そしてすぐ脇、庇の影が落ちる空間に控えて石の壁に背を預ける黒い外套の長身。髪の生え際が、金色になっているその男。

 

 『死にたくない』と、町の誰かが言った。自分達が何をしたのかと。今、町は風前の灯。これだけの鉾ならば、住人を皆殺しにするのに四半刻と掛かるまい。

 だが同時に、彼女は自分が此処に来た理由を思い出す。遥か遠くに在る城塞都市グルン・ドレアスに、ダラバ=ウーザが居る。それを討てば、この戦を終わらせる事が出来るのだ。

 

「巽、私はどうするべきでしょうか」

「……貴女の心のままに」

 

 煮詰まってしまったその考えを打開して欲しくて、明快な答えをくれたその人物に縋る。

 だが、その男の口から漏れたのはたったそれだけだった。

 

「……私の心のままに、ですか。今回は助言を与えてはくれないのですね」

「……俺の言葉は、薄っぺらくて安っぽくて空っぽですから。貴女が安易に縋っていいものじゃ有りません」

 

 寂しげに目を閉じた彼女に投げ掛けられた言葉は、又も無味乾燥。その言葉を噛み締め、カティマは強く唇を結んだ。

 

「--巽、私は心に決めました」

 

 言葉と共に瞼を開く。その青い瞳には、ただ決意があった。

 

「分かってます。そうじゃなきゃ、ついて来た意味が有りません」

 その瞳が捉えた男も瞼を開き、琥珀色の瞳を覗かせている。眼鏡を外し、炯々と輝く三白眼は猛禽の獰猛さを備えていた。

 

「そうですか。どうやらやはり、私には王の資格は無いようです」

 

 立ち上がり、質素な外套を捨てれば黒い鎧に身を包んだ勇ましき姫騎士の姿が現れる。石壁に立て掛けていた『相方』を握り締めると、黒い大刀【心神】は嬉しげに煌めいた。

 

「--いいえ、アイギアスさん。貴女は……紛れも無い王者だ」

【うん、皆を守る為に頑張ってるんだもんね! ボクも手伝うよ、燃えてきたぞ~っ!!】

「熱ッ苦しいな……ってかオイ、マジで燃えてんじゃねェか!」

 

 息巻いて本当に炎が燈ったワゥに苦笑した空に、やはりカティマも苦笑する。こんなに不利な戦いに、たった三人で挑もうとは。

 だが、不思議と不安は無かった。寧ろこの戦いで果てるなら本望だと言える。民草の為に死ぬなら、何も悔いる事など無い。

 

 だが、たった一つだけ。心残りがあった。

 

 目の前に浮遊する竜の頭骨型の容器に収まった赤いおかっぱ頭の少女と、黒い羅紗製の外套の袖にきちんと腕を通し直して【幽冥】に弾丸を装填しつつ口許を歪める空。

 その口許を襟巻きにて覆うと、両端を羽根のように肩から後ろに流した姿は、正に鴉。

 

「…………!」

 

 震えている。どちらも辛うじて見て取れる程だったが……確かに震えている。

 それを見て気付いた。この二人もまた、ただ決意によって恐怖を抑え付けているだけなのだと。

 

「……ありがとう、二人とも」

 

 その姿を目に焼き付ける。その、心強い仲間達を--

 

 

………………

…………

……

 

 

 門扉が真っ二つに両断された。先陣を切って飛び込んで来たのは、青い鉾。

 

「ひっ、ひぃぃぃっ!」

「鉾だあぁぁぁっ!」

 

 雪崩込む色とりどりの鉾、逃げ惑う民衆に襲い掛かった先頭の青が--縦一閃に両断され消滅する。自らが両断した門扉と全く同じ末路だ。

 

「--退いてください。鉾は我々が防ぎます」

 

 腰を抜かした兵士にカティマは語りかけた。凛とした威風に兵らは、呆気に取られるしかない。

 その間にも鉾の侵攻は止まない、右翼から飛び出した黒い鉾の刀を【心神】が受け止めた。

 

「皆さんは……住民の避難を優先して下さいっ!」

 

 鬩ぎ合う永遠神剣が、耳障りな金切音を立てている。その二人の向こうから、緑と青の鉾が二体、それぞれ永遠神剣を振りかざして飛び掛かった。

 

「「--ガハッ!!?!」」

 

 その二体が同時に噴き飛んだ。緑の方は一条の熱線に、青の方は--三角錐形の刃が捩れた、螺旋のような短刃に。

 それに追従して【心神】が高速振動し始める。それに耐えられずに砕ける黒の刀ごと、カティマは鉾を圧し斬った。

 

 一連の成り行きを呆然と眺めていた兵士の脇を、二つの影が通り過ぎる。

 

「早くしろ、そう長くは持たない。衛士ならその役目を果たせ」

 

 一つは長身黒尽くめの男。風に襟巻きとフードが翻りたなびく。その手元では暗殺用拳銃型の永遠神剣【幽冥】へと、新たな弾丸を装填している最中だ。

 

【そうそうっ、戦うのはボク達の仕事だよ!】

 

 もう一つは人間の頭程の、竜の頭骨を思わせる浮遊物体。それに詰められた紅い宝石の中に、赤髪に角を持つ小さな少女。

 その両手には円形の鋸刃を持つバズソウ型の永遠神剣【剣花】をそれぞれ構えている。

 

「あ、あんたら、何者……」

「もしかしてシルフィルとラダ、カーズを救ったっていう『天使』じゃないのか」

 

 三人の異容に兵士達が口走る。既にその噂はアズライールの悲劇と共に国中に知れ渡っている。

 

「行けと言っている。お前達にはお前達の役目が有るだろう!」

 

 遠雷のように低い声に、兵らは畏怖を覚えた。それによって冷静さを取り戻し、彼等は走り出す。避難する民衆を誘導する為に。

 見届けて、三人は背を庇い合う。その周囲には、神剣士の存在を感じ取り取り囲んだ青、緑、赤、黒。四色の鉾が十体以上。

 

「……ようやく行ったか。さて、尖陣だけで十四。残りは十一。後詰めは二十二。どうしたモンか」

 

 鉾を牽制しながら、【幽冥】のバヨネットを展開する。目の前にズラリと並んだ永遠神剣と比べるまでも無いチンケなその刃だが、無いよりはマシだと隙無く構えた空が呆れ声で呟く。

 

「一体ずつではいずれ抜かれます。纏めて始末できれば良いのですが……」

 

 【心神】を構えるカティマ。刃を天に向けた、アイギア国伝統の剣術の型である『天破の型』。

 

【だったらボクにお任せだよ! でも、詠唱に時間が掛かるんだ。十五秒、ううん、十秒稼いで!】

「簡単に言いやがるな……この数を相手に生き残りながら、それも青魔法を防ぎながらかよ」

 

 銃口を地面に向けて引鉄を引く。撃ち出されたのは、災竜の息吹ではなく赤マナの塊。

 

【希望を焼き尽くす炎獄の風よ、来たれ--スピキュール!】

 

 足元に展開された赤い精霊光は焦熱のオーラ『スピキュール』。味方の理力と場の赤の属性値を、急激に上昇させた。

 

「しかし、遣るしかないでしょう。それしか、道はない!」

「了解……来い、人形どもッ!」

 

 叫んだ、正にその瞬間。天地を除く四方八方から永遠神剣の津波が繰り出される。無数の鉾が斬り掛かってくる中で、ワゥが神言を紡ぎ始める。

 

【火よ、集いて炎と成り……炎よ、集いて業火と成れ……】

 

 その祝詞とも呪詛とも聞こえる美しい韻律の詠唱。空間に煌めく、紅い魔法陣。

 

「--くっ!!」

「--おォッ!!」

 

 ワゥを護る為にそれぞれの得物で複数の永遠神剣を受け止める。そう、鉾の剣を受け止めたのだ。【心神】は兎も角、空は【幽冥】のナイフ部分で。

 

「ッ……!!」

 

 ナイフの峰に添えた掌は当然、赤い鉾の膂力で刃を減り込まされ血を流してしまっている。だが、辛うじて双刃剣を受け流す事には成功した。

 今度は、【幽冥】を突き出した。銃口が真っ直ぐに赤を捉えて、引かれた引鉄に従って墜ちた撃鉄が魔弾を叩き衝撃を発生させる。その昏い衝撃は、装填されている鉛色の弾丸を融解させ--

 

【我が『声』は万有を捩る--】

「--あばよ!」

 

 放たれた弾丸はその神威を発現し、螺旋の短刃『ペネトレイト』と化した。

 赤は額に直撃を受けて絶命し、更にその短刃を空に引き抜かれた事で、脳を打ち撒けながら消えていく。

 

--この弾丸は俺が『触穢』以外で唯一この身に宿している神名、『コンストラクタ』……つまりはアーティファクトを製造する能力で作り出した、浮遊マナ収集装置『根源変換の櫃』によって集めたマナを結晶化させたものだ

 余りに低質すぎて魔弾としては使えないが、数を揃えられるし鉾くらいになら効果は有る。たった今、実証した通りに。

 

「次ッ!」

 

 【幽冥】のナックルダスターで緑の槍を受け流すも、続けて繰り出された青の西洋剣。その体重を載せて振り抜かれた、冷気を纏う刃の一撃『インパルスブロウ』。

 

「--ッらァァァッ!!!」

 

 それを見切りで躱して、下段に打ち下ろす拳『我流・地裂の型』で振り下ろした状態の手首を打ち西洋剣を落とさせる。

 そして『ペネトレイト』の短刃を、震脚と共に青の心臓へと刔り込んで致命傷とした。

 

--まだ、五秒。これだけの死線をくぐって尚、折り返し地点。

……勘弁してくれ、攻めは兎も角、守りは大の不得手だ。右肩外れそうになったんだ、これが緑とか物理防御主体のディフェンス持ちなら確実に脱臼してた--!

 

 彼の反対側ではカティマが奮戦している。こちらは何と言うか、危なげがない。

 

 薄い黒マナの防御『宵の帳』で捌いた敵ミニオンの隙を見逃さず、『血河の太刀』にて斬り返す。繰り返し繰り越し重ねられた研鑽に裏打ちされた確実な強さ、一体一体に確実に対応してその弱点を突く技法。

 予想外の技や武器によって敵の虚を突く空の姑息な戦法とは対極に在るモノだ。

 

【--二人ともお待たせ、ボクの側に寄って! じゃないと、術に巻き込んじゃうから!】

 

 残り六体、遂に術式が起動する。すかさず後方に跳び、密集する三人。瞬間、魔法陣が一際煌めくや天高く舞い上がっていった。

 

「--凍てつく風よ」

 

 当然ながら、それを察知した鉾が青属性特有の対抗魔法。青魔法『アイスバニッシャー』を紡ぐ。場のマナを凍結させ鎮静する冷気の言霊が、ワゥへと迫る。

 

「--ハ、甘めぇよ」

 

 その言霊が術者ごと災竜の息吹に呑まれた。空が【幽冥】により放った、魔弾によって。そして残る最後の青が青魔法を紡ぎ始める。それに向けて空は、再び【幽冥】の引鉄を引いた。

「凍てつく風よ--」

「爆轟の渦に呑まれて消えろ--バックドラフト!」

 

 【幽冥】独自の赤の割込魔法。敵のディバインマジックに対応し、集ったマナに赤マナをぶつけて発動不可能とした上でダメージを与える稀有なバニッシュスキル。

 『グラシアルアーマー』の効果で生きては居たようだが、その隙を見逃す空ではない。赤黒属性のマルチカラーの本領発揮、光と対を成す闇は、光と同じ速度であるように。弾丸の速込めと速撃ちにより青の眉間を【幽冥】から撃ち出された短刃が貫いた。

 

【いっけぇ、メテオフレアっ!】

 

 天空を覆った魔法陣から、隕石が降り注ぐ。街中という事で範囲こそ抑えられているが、その威力は赤の高度な魔法防御すらも打ち砕く程だ。門前の広場は、焦熱と粉塵に包まれた。

 それが晴れた時、立っているのは三人だけだ。尖陣の鉾十四体は潰滅した。

 

 だが、その後方には接近する鉾の軍団。その総数は今の倍近い。門によって一度に侵入して来る数が抑えられていなかったのならば、彼等は数の暴力で押し潰されていた事だろう。

 

「さて、また来ますよ。次は本隊ですかね……!」

「そのようですね。全く、個々は大した事が無くても数は多い」

「俺にとっては、個々も大した事がありますけどね……」

 

 荒い息を吐きながら、【幽冥】に弾丸を再装填して再び構えた。対して、疲労こそあれ呼吸を落ち着けているカティマ。永遠神剣を使ってその総数を読んだのだろう、表情が曇る。まるでそれは、鉾の津波だった。

 

「巽……今更ですが、私は充分に恩を返していただきました。ワゥを連れて逃げてください」

 

 その大津波が押し寄せるまでの、僅かな間隙。その静寂の中で、カティマはその言葉を口にした。

 

「……そうだ、姫さん。この戦いが終わったら、一緒に酒でも呑みませんか?」

「--はい?」

 

 悲壮な顔が一瞬にして崩れる。空を見遣った彼女だったが、その表情は目深に被るフードと襟巻きのせいで全く読めない。

 

「いえ、恩がいいのであれば褒美が欲しいと思いまして。この戦いを乗り越えた暁には、姫君に酌をして貰う栄誉を下賜賜りたく」

 

 仰々しい物言いに苦笑が漏れる。この男にしては、珍しい軽口。その意味を、彼女は理解した。

 

「ええ。そのくらいで良ければ、喜んでお付き合い致します!」

【ボクもボクもー!】

「テメーはオレンジジュースだ」

【なんでさー!】

 

 『絶対に、生き残る』と、そう告げる代わりなのだと。

 少し前で場の雰囲気を無視して、ワゥとじゃれるその背中。風に靡く襟巻きは正に、羽ばたかんとする大鴉。

 

「やはり貴方は、私の導きの天使でしたね……巽」

 

 旧アイギア王国の近衛騎士のみに着用が許されたという、式典用の外套。それに身を包む騎士と、紅い結晶妖精に彼女は微笑んだ。

 

 三人の持つ剣がそれぞれ最大級の警告を発した、正にその刹那。

 

「「【----ッ!!?!」」】

 

 門が吹き飛んだ。それは門扉という意味ではなく、鉾に斬られた門扉も含めて、門が壁ごと纏めて粉砕された。

 弾け飛んで来る砕片にも構わず、三人は同じ場所を見詰めている。その粉塵の向こうには、整然と並んだ赤五体。その前方を固める緑五に最前衛の黒が六、中衛の青が五。

 

「成る程ね……ファランクスまで遣ってくるか」

 

 そして、最後尾に立つ白い鉾。その展開するは『パッション』だ、底上げされた理力にて紡がれる赤魔法の破壊力は上昇している。それが纏めて放たれれば、壁ごと門を吹き飛ばす事も容易だろう。

 

「--さっきと同じ方法で往けるか、ワゥ?」

【……もちろんっ……!】

 

 一瞬、表情を歪めたワゥ。先程の魔法の消耗はやはり甚大だったのだろう。

 

「……マナが足りないんだな?」

【だ、大丈夫だって--あぅ】

「そらよ、少し休んでろ。ったく、無理してんじゃねェっての」

 

 墜ちそうになったのを受け止められてしまい、流石に観念したのか。彼女ははにかむように笑う。

 

【えへへへ……アッキーってば、優しーんだ?】

「黙ってろ。舌噛むぞ、莫迦」

 

 ふん、とぶっきらぼうに答えてリュックに入れた彼女を背負うと、彼は己の相方に語り掛ける為に精神を統一する。

 

【いやはや壮絶に絶対絶命どすな。三十六計逃げるに如かず~】

(巫山戯ろ、この世に絶対は無い。数で圧すってのは良い手だが、それだけで勝負は決まらねェ)

 

 周囲を見渡して地形や建造物、散乱物等を確かめる。サバイバルゲームにおける市街地戦闘の要領で習得した技能『我流・制地』が防御力と抵抗力、マナチャージを底上げした。あくまで『我流』な為、空本人のみだが。

 

【くふふ、その通り。理屈を積み重ねれば積み重ねる程にその綻ぶ可能性も高まる……世の中ってぇのは上手く出来とりやすぅ】

「ああ、諦めない限り。どんなに不可能に近かろうが、勝つ可能性は在る!」

 

 そう口に出して、ただ眼前の鉾を睨みつける。カティマもまた、愛剣を構えたまま微動だにせずに敵の動向を伺っていた。

 そんな二人に向けて、白がその神剣--木の枝が捻れたような、杖型の永遠神剣を向けて。

 

「--薙ぎ払え」

 

 処刑執行官のような冷淡な一言に、一斉に赤魔法が紡がれた--

 

 

………………

…………

……

 

 

 永遠神剣を携えて走り行く三人は望と希美、沙月だ。その耳に、壮絶な爆発音が届いて嫌が応にも不安が募る。

 

「皆さんは反乱軍の方ですか!」

 

 そこに、駆け寄ってきた住人が数人。一様に、不安げな表情だ。彼等を安心させるように南門の鉾を消滅させた事を知らせ、そちらに避難してほしいと伝える。

 だがその言葉にも住民らは追い縋ったまま、北門に留まる騎士達を助けてほしいと言い募った。

 

「「騎士って、もしかして!」」

 

 望と希美が考えた事は同じ。他に鉾の侵入を抑えられる者など、知らない。あの日出奔した三人を除いて。

 

「解りました。騎士達は、俺達が助けます!」

 

 力強く答えた彼等に、住民達は漸く安心した顔を見せた。一方で、沙月は表情を曇らせる。

 

(もしかして、あの二人じゃないでしょうね……)

 

 思案顔の沙月は、確信が持てず悩んだ。せめて彼等がワゥを確認してくれていれば判別が出来たのだが、やはり知らなければあの中に人が入っている等とは思えないだろう。その騎士とは本当に空とカティマなのか、それとも……

 

「どうしたんです、先輩? 早く行きましょう!」

「--え、ええ……そうね」

 

 だがそれも僅かな間。どっちにしても問題はない。ただ、どうせなら前者が良いと思った。

 

「……たっぷりと絞ってやらないとねっ!」

 

 闘志を漲らせ、沙月は【光輝】を纏いながら先頭を走る--

 

 

………………

…………

……

 

 

 杖を振り、指令を出した白い鉾。神剣魔法でカタを付けるつもりだったのだろう、その陣形。

 例え赤魔法に青魔法を使っても中衛の鉾の青魔法に打ち消されるだろうし、接近は格闘戦に長ける黒と青が許さず、赤を始末したくても緑の強固な防壁が通さない。そして四方から圧し包まれる事になるだろう。

 

 

「マナよ、真の恐怖となりて滅びをもたらせ……」

 

 大きな紫の魔法陣を煌めかせる『ディバインインパクト』の詠唱に導かれるかのように、カティマの【心神】から闇が漏れる。闇は結集し、やがて--鋭い刃の腕を持つ黒い獰猛な獣と化した。

 その名を『ホラーエレメンタル・アイギアス』。カティマの持つ、第六位永遠神剣【心神】に宿る守護神獣である。

 

「--闇よ、貫け!」

 

 幾多も浴びせ掛けられる中衛の青魔法をものともせずに獣が駆け、進路上の鉾を薙ぎ払う。まるで黒い竜巻のように。

 止めようとした緑の槍を、影に潜って躱すとそのまま赤へと襲い掛かる。一体、また一体と詠唱中の鉾をアイギアスが薙ぎ払うのと同時に彼女も前衛に斬り込んだ。

 

 だが--多過ぎる。

 

「業火よ、地を染めろ……」

 

一体が術式を完成させた。しかもそれは今まで彼等が体験してきた火の玉などとは訳が違う。

 

「--フレイムシャワー!!」

 

 天より降る炎の雨は、旧約聖書に謳われたソドムとゴモラの町を滅ぼした灼熱と硫黄。先程とは、立場が完全に逆転していた。

 だが、動じない。その可能性は考えていた。予想していたなら、慌てる必要など無い--!!

 

「--征くぞ、カラ銃!」

【あ~い! マナよ、災竜の息吹に変わり敵を討て--】

 

 そう、カタが着いていただろう。それが、元より青魔法に耐性を持つ黒属性のカティマや青魔法を振り切る『魔弾』の持ち主である空が相手でなければ、の話だが。

 

「--ヘリオトロープ!」

 

 撃鉄が落ちる。撃ち出される、灼熱の息吹。それは振り下ろす事で僅かに薙ぎ払いの効果を得て、業火の雨に一本の道を作る。降り注ぐ炎は、地表を溶かして硝子に変えた程の高熱。

 

 その高熱の中へ、赤魔法を撃ち抜いたその足で空は駆け出した。魔弾を装填した【幽冥】を番えて、外套を翻して--それを己の米神に当てて、引鉄を引いた。

 

「力を寄越せ、カラ銃--アウトレイジ!」

 

 撃ち込まれたのは、純粋な赤と黒のマナ。『憤激』の名を冠するその神剣魔法は、赤の『レゾナンスレイジ』と黒の『プライマルレイジ』の重ね掛け。

 

《ちょ、アッキー大丈夫なの?!》

 

 その自殺のようにも見える発動方法に、リュックの中のワゥが問い掛けた。

 そんな声を遠くに聞きながら……空は外套のフードを引き下ろすようにして顔を隠したが。

 

「心配すんな、絶好調だぜ……あれだよ、俺は今--」

 

 全身を駆け巡る心地よい破壊衝動と殺意に、隠しきれない琥珀色の瞳の炯々たる輝きと、吊り上がった口角のまま走り出す。

 

「--ステロイドを越えた、的になァァッ!!」

 

 それに即応した黒と青の鉾、合計七体が殺到する。右からは刀、左からは西洋剣が襲い掛かる。

 

「--退きなさい」

 

 その瞬間、空と鉾との間に飛び込んだ影。カティマだ。

 

「退かねば、斬る!」

 

 その勢いのままで、カティマは【心神】を振り抜く。黒い精霊光を刀身に纏ったその太刀の名称は『星火燎原の太刀』。青を二体、障壁ごと両断する。

 

「巽、行って下さい!」

「姫さん、此処は任せますっ!」

 

 陣形に穿たれた風穴を、空が風のように駆け抜けた。妨害しようと接近した緑を、カティマが斬り伏せて引き付ける。

 

「気圧されはしません。ハッ!」

 

 地面に衝き立てられた【心神】より、烈震が発せられる。体勢を崩した鉾達は歩を止めるが、既に跳ね飛んでいた空は止まらない。

 

--もっと速く。もっと早く。もっと瞬《はや》く、もっと刹那《はや》く。

 もっと--もっとだ! 誰にも、神にすら追い付けない、いや、その先の彼方へ!

 

 苦し紛れに振られた、高低二本の槍を前転で躱した空の眼前に赤と緑、指揮官の白。

 

 白い鉾は、ようやく悟る。この神剣士達にまんまとしてやられた事に。既に半数が討たれた状態でありながら、一撃たりとも痛撃を与えられていない。

 たった三人に尖陣を含めて二十を越す鉾が消されたのだから。

 

「--撃て」

 

 だが、彼女に恐怖はない。いや、そもそもそんなモノを感じる心が無い。落ち着いた声色のままで、彼女は杖を向けた。

 白の読みは単純。目の前の男は赤に魔法を使わせない為に、あの武器を放つだろう。赤を囮にした隙に緑が肉薄、『パワージャブ』を繰り出した後で更に自分自身も遠距離から『オーラシュート』を叩き込む、という二段構え。

 

「紅蓮よ、その力を示せ--」

 

 指揮に答えて赤が赤魔法を発動、巨大な火球が姿を表す。だが、空はそのまま走り抜ける。それに空は【幽冥】を--緑へと向けて、引鉄を引いた。

 

「遅い--!」

 

 放たれた魔弾は、速やかに物理防御を展開していた緑に魔法攻撃を叩き込む。

 災いをもたらす黒き竜の息吹に変わった赤マナに、緑は障壁ごと為す術も無く燃やし尽くされ消滅した。

 

 だが、それは空の末路でもある。完成した赤魔法、放たれた紅蓮の炎球が彼に向けて突っ込む。

 

--恐怖が無い訳じゃあないさ。出来るのなら躱したい。だが……それでは付け入る隙が生まれる!!

 

 轟音と共に炎が弾け、爆炎の幕が彼を覆う。その末期、骨の一片すら残らぬだろう散華を見届けた指揮官の白は、振り上げた杖先に停滞させていた三つの無形のマナによる光刃を消した。

 

 その白と同じく、『やった』とそう思っただろうか。短刃に喉を撃ち抜かれて、崩れ落ちた赤は。

 

「【---貰ったァァァッ!」】

 

 炎中から無傷で空が走り出る。その身を薄く覆う赤マナの防壁は、リュックの中のワゥが発動した『マインドシールド』。

 彼女の高い理力により編まれた理法防御のお陰で、空は赤の魔法から護られたのである。

 

 意表を突かれた白は慌ててもう一度『オーラシュート』の構えを取った。

 

「光よ--!」

 

 振られた杖先から光が迸しる。場の無形のマナを刃に変えて、敵を狙う。

 しかし--遅過ぎた。空はもう魔弾を再装填しているのだから。

 

「--あばよ」

 

 その宣言と共に衝き付けられた【幽冥】の銃口から放たれる魔弾。災竜の息吹『ヘリオトロープ』が白の光の盾『オーラシールド』を貫いて本体を捉えた--

 

 

………………

…………

……

 

 

 黒の剣戟を受けて、カティマは眉をひそめた。限界を超えた力を引き出し続けた事で、体は内からボロボロになっている。

 最早、限界を越えているのだ。

 

 力尽くで刀を押し返し、背から襲い来る青の剣を受け止める。

 

「闇よ、恐怖にて縛れ--」

「しまっ……!?」

 

 そこに黒の神剣魔法『テラー』が発動する。彼女と対峙していた鉾が下がり、続き足に力を篭めたカティマだったが、遅かった。

 その足を、闇の腕が掴んでいる。ただでさえ連戦で消耗しきった体に脚力でそれを振り払う余力は無い。【心神】で掃えば簡単だが、その隙は致命的。

 

 それを見届けて神剣を構え直し、刀身に冷たい殺気を燈した青い鉾が--跳ぶ。

 白の消滅を確認して振り返れば、既に状況は出来上がっていた。

 

「姫さん--ッ!?!」

 

 駆け出そうとした足が縺れる。疲労が限界まで蓄積しているのだ、目まで霞む程に。

 邪魔になるフードを後ろに流すと、手の甲で目を擦り青に狙いを付け--【幽冥】の引鉄を引こうとして。

 

「--クソッタレ……!」

 

 青が、カティマを挟んだ位置に在り魔弾を放つ事が出来ずに悪態を漏らす。

 

--どうすれば良い? このまま撃てば姫さんを殺してしまう事になる。だが撃たなくても、やはり殺してしまう事になるだろう。

 

「畜生……!」

 

--諦めるのか? 否、そんな事は出来ない! 姫さんの力になると約束した、全力を尽くすと。

 だが、何も出来ない。どうして、何一つ名案が浮かばない!

 

 その思案は完璧なまでの隙だ。気を取り直すよりも早く、空は目の前まで迫った槍を見た。

 一体だけ残った緑が投擲した、永遠神剣を。

 

「--あ」

 

 大気を斬り裂き飛翔するそれは『ソニックイクシード』、射撃の構えをとった彼には躱せない--

 

………………

…………

……

 

 

 不快な金属音と共に、カティマに迫った『ヘヴンズスウォード』が受け止められた。

 交差した双振りの剣によって。

 

「--合わせろ、レーメ!」

「おうっ!」

 

 その双児剣を構えた両腕に、力が篭められた。反発力をそのまま純粋な破壊力に換えながら、繰り出されるその剣戟。

 

「--クロスディバイダー!」

 

 それは、剣ごと鉾を両断した。消滅していく鉾を尻目に、少年は振り向く。

 

「大丈夫か、カティマ」

「……望……?」

 

 茶色の髪に、碧の瞳のその人物は--世刻望。

 

「--ハァァァァッ!」

 

 そこに飛び掛かる黒、決定的な隙と見て襲い掛かったその鉾は。

 

「やぁぁっ!」

 

 吹き荒れた厚い風の防壁である『ブレイブブロック』により進行を止められて、更に衝き出された矛槍『ライトニングフューリー』によって消滅した。

 

「……ふぅ。カティマさん、今、治癒魔法を掛けますから!」

「希美……」

 

 次に現れた翠の黒髪の少女は、永峰希美。その二人の登場に緊張の糸が切れたのだろう。

 

「カティマ!?」

「カティマさん!?」

 

 ふらりとその身が揺らいだかと思うと、意識を手放し--倒れた彼女を、望が抱き留めた。

 

 

………………

…………

……

 

 

 三度響いたけたたましい金属音と共に、槍が撃ち落とされた。と同時に、隙だらけの鉾の身に剣が振り抜かれる。光にて形作られた剣が。

 

「……あら巽くん、奇遇ねぇ? こんな所で会うなんて」

「……ッ」

 

 紅く長い髪の少女、斑鳩沙月。その嫌味たっぷりの口調に反応も反駁もせずに、彼はカティマの方を見た。

 

「ハハ……本当に遅いっすよ……もう少しで約束、破っちまうトコだったじゃないですか……」

 

 そして、その無事を確認して。安堵の溜息を落とした--……

 

 

………………

…………

……

 

 

 アズラサーセの広場にある噴水。近くを流れる川を水源とするその噴水に、空は自らの両腕を浸していた。

 魔弾を連射した事で痺れた左手と、刃体のみの短剣を握った事でズタズタになった右手を。

 

「……痛てて」

 

 僅かでも体を動かせば、筋肉に無数の針や釘を刺したような痛みが走った。

 

「……ハハ」

 

 そんな状態だというのに笑いが込み上げてくる。たった数十分前の高揚が抜けない。

 

--愉しかった。不謹慎だろうが、心底愉しかった。読み合い騙し合い、生命の鬩ぎ合いが。

 今までの日常では得た事どころか、想像すらした事すら無かった充足感。まるで、在るべき場所に還ったような。

 

 その忌むべき、獣のような満足のクールダウンも兼ねている。

 

--やべぇ、今、女を見掛けたら何するか解らねぇぞ。これが戦争の狂気って奴か……。

 

「……どう、具合は?」

「あー……会長」

 

 その背に掛かった声、沙月だ。間の悪い事だと、彼は努めて表情を変えないようにしながら眼鏡の奥から三白眼の眼差しを向けた。

 

「大丈夫です、冷やせばなんとか--ぐぇっ!!」

 

 ……のも束の間、沙月に襟首を掴まれて無理矢理立たされる。

 

「……やっぱり」

「いやぁ、あはは……」

 

 外套の前を開かれれば、学ランにまで染みた血。搾れば滴る程の量だ。ダラバに付けられた傷が、完全に開いていた。無論、左手の包帯も真っ赤だ。

 

「……言ったわよね、巽くん。次に命を粗末にしたらどうなるか」

「ええ、聞きました」

「なら、覚悟は出来てるわね」

 

 すっと細まった彼女の目。それを鳶色の瞳で真正面から見返した彼に--

 

「一気に打ち払うっ!!」

「あいたーーー?! あ、あにふんれすかーー!?!」

 

 一閃、バチコーンと強烈な平手が振るわれた。心なしか【光輝】を纏って。

 二メートルほど吹き飛ばされた彼は、カッカと熱を持ち痛む左頬を押さえた。

 

「今回はそれで勘弁してあげるわ。君が同行して彼女の移動速度を落としてくれたお陰で追い付く事が出来たんだしね」

「イッテテテ……気付いて貰えて何よりで」

 

 そう飄々と口にした空にジト目を向けながら、沙月は深い溜息を吐いた。

 

「今回だけだからね。次の裏切りは許さないわ」

「裏切っては無いはずですけど」

「物部学園の皆を裏切るのはって意味よ」

 

--どっちがだよ。

 

 そう思ったが、口にはしない。今は状況が悪すぎる。

 

「……了解」

 

 そうとだけ答えて、彼は再度腕を噴水の水に浸した。結局、全ては骨折り損のくたびれ儲けだ。

 それに気付いた時、先程までの高揚などは跡形も無く消え去っていた。

 

「ああ、それと--」

「--はい?」

 

 まだ何か話が有るのかと。彼は不承不承振り返る。その目に--

 

「お疲れ様。よくカティマさんを守ったわね」

 

 恐らく彼に向けられた物としては始めであろう微笑み。掛値なし、手放しで『美少女』と言える程の笑顔があった。

 

「……守れてなんか無いですよ。俺じゃ無理でした。俺の力なんかじゃ--」

 

 自嘲し吐き捨てる。結局、望達が到着せねばどうなっていた事か、想像に難くない。

 背負っていたワゥのマナも限界近く、迎えに来たミゥ達が連れて帰って介抱している。

 

 気絶してしまったカティマも望に背負われ学園へ運ばれていった。希美は、それに付いて看病している。

 空が自分の治療は後で良いからと頼んだ為だ。

 

--『力になる』等と勢い込んでおいて、このていたらく。全く、どうしてこうも役に立たないのか、俺は--

 

 その彼の頭にポンと掌が乗った。その温度が染み入る。

 

「いじけてるんじゃないわよ。君はしっかり君の役割を果たしたの。胸を張りなさい」

「…………」

 

 そのまま二度、ポンポンと軽く頭を叩いて。沙月は学園に戻っていく。深紅の髪を風に靡かせながら。

 

「……餓鬼扱いしやがって……」

 

 思わず見惚れてしまった。それに気付き、赤くなった顔を噴水に突っ込んだのだった。



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兆しの鈴音 黒い拳士 Ⅰ

 早朝の静謐な空気が満ちる廊下のリノリウムの床に、六人分の影が落ちる。そのどれもが、大荷物を抱えていた。

 

「あ~、だっる~。朝っぱらからコレはきっついよな」

「文句を垂れてんじゃないわよ。巽くんを見習いなさいよ、あんたの三倍は持ってるわよ?」

「無理矢理持たせたんだろーが! 俺、怪我人なんだけど! 全身筋肉痛なんだけど!!」

 

 信助と美里と、空を筆頭にした六人。信助と空を除けば、美里も含めて『物部学園調理隊』の主力という、この学園にいる生徒でも指折りの料理名人達。

 両手に抱えた食材を食料保管庫に運び込むと、空以外『カティマさんの様子を見てくる』と去って行った。

 

「面倒くせぇなぁ……」

 

 言いつつ、空は頭を掻きながら近くの棚に乗っていた大学ノートを開く。帳簿として使われているそれは食品管理を受け持たされた彼が、几帳面を通り越して病的な迄にこだわっているモノだ。

 

 アズラサーセ救出戦から一日、ようやく落ち着きを取り戻した街は活気に充ち溢れていた。そこに、いい機会だと食糧品の買い出しに出掛けたのだ。

 道々、町人から有り難がられた彼等。何と言うか、居心地が悪い事この上なかった。

 

「…………」

 

 黒のボールペンで記入していた空が、溜息を落とす。そしちそれを仕舞うと赤いボールペンを取り出して、『▼』と数字を記入していく。

 

「足りねェ……誰だ、ちょろまかしてやがんのは」

 

 地獄から響くかのような声の後、ギリッと歯を鳴らした。それもそのはず、それは失態以外の何物でも無い。

 

--足りない。どう計算しても、足りない。昨日の夜に締めとして記帳しておいた量と合わない。

 その意味するところはただ一つ……『鼠』が出たのだ。

 

「俺の射程圏内《テリトリー》に鼠か。良い度胸じゃねェか……」

 

 邪悪な笑みを漏らしながら彼は心の中でやりそうな相手をリストアップ、当たりを付けていった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 気怠い昼下がりのアズラサーセ、そこを空は一人で歩いていた。制服は『天使様の付き人の衣』としてアズラサーセの住民達に広く知られてしまっているので、外套を羽織った上で革のホルスターに納めた【幽冥】と十発程の魔弾を詰めたバックを、ベルトに提げただけの出で立ちで。

 

--朝の仕事を終え、今日は休日を貰っている。眠り続ける姫さんが目覚めるまで、ものべーはこの町を動かさないらしい。

 

【……旦那はん、誰か誘う懇意の女子はおらへんのどすか? 一人で観光て……こういう時こそ希美はんを誘わんでどないしますの】

(…………)

 

--ポソリと、そんな呟きが心に響く。だが俺は明鏡止水の精神を以って受け流した。

 

【もうこの際贅沢は言いまへん。男子でええどすから、せめて連れ立つ友達とかはおらへんのぉどすか?】

(…………)

【……ぐすっ、なんや急に泣けてきましたわ……】

 

--……とっ、兎にも角にもあの防衛戦で分かった事。やはり俺の手札は脆弱だ。

 

 包帯が巻かれた腕を組み、眉間に拳を当てる。考え事をするときの癖、そのまま歩いて器用に人を避けている辺りは素養が磨かれているのかもしれない。

 

(やっぱ、単発は厳しいな。魔弾を連射する為に出来る隙は、案外でかい)

 

 思い出すのは、複数の鉾に同時に襲い掛かられた時の事。苦肉の策としてナイフや短刃を使ったが、一回でこの有様だ。

 魔弾を一つ取り出すと、日光に透かして覗く。赤と黒のマーブル模様のそれは言うなればプラズマボール、半透明の黒い真球の中に放電でもしているような赤い球形弾体を封じた二重構造。

 

【人間の体ってのは軟弱どすなぁ……でもまぁ、今回の戦は大戦果。『契約』の通りに、た~っぷり喰わせて貰いあんした。くふふ、ご馳走さんどすぅ】

(…………)

 

 『契約』。その単語に、彼は彼自身の存在に刻み込まれた条項を思い返す。『契約以降、遣い手は永遠神剣にマナを与える』という、ごく有り触れた条項を。

 

--確かに力を増している。多量のマナを喰った【幽冥】からは、今まで感じられなかった『重み』が生まれている。

 禍々しく不吉な冷たい闇。いや、それよりも性質の悪い『何か』が凝り固まった様な重みが。

 

(……第十位【幽冥】、か)

 

--俺が手にした永遠神剣はそう名乗った。十位とは、神剣の中で最低の位だ。

 だと言うのにこの剣は自分より上位の永遠神剣を有する鉾を撃ち破る性能を持っていた。まぁ代償はでかいし、ハイリスクだが。

 

(だが…それじゃあ駄目なんだ。俺は、俺の力で奴を越えないと)

 

 フィルムの伸びた映画のように不確かだが、思い出せるその姿。怨敵の姿に、彼は歯を食い縛る。

 

--胸と背の傷が疼いた。流石にもう開かれては困るので、包帯でがんじがらめだ。それを押さえる腕も痛む。軽度なモノとはいえ、腱鞘炎まで起こしていた。

 そして峠こそ越えたが、未だに全身筋肉痛。本当に、軟弱なモンだ。情けねェ……!

 

 その思案に沈みつつ、時折語り掛けてくる【幽冥】の声を適当に聞き流しながら。人の疎らな通りを何と無しに歩いていった。

 

 そうして一通り商店を冷やかし、大通りから少し奥まった所で。軒先に積まれた刃毀れだらけの剣や斧、槍といった武具類。

 

「これ、鍛冶屋か」

 

 興味を引かれたのは、現代では既に廃れてしまっていたから。

 

「覗いてみるかな」

 

 そして彼は少し、童心に還ったように期待に胸を膨らませて扉を開く。そこで彼が見たのは、想像を絶する光景だった。

 

「--うふふ、さぁ~て良い感じにとろとろにぃ」

「……」

 

 いや、確かにそこは鍛冶屋だ。その手の機具類が揃っているし、奥には赤熱する鈩が在る。ただ、問題なのはその鈩を使ってチーズをとろとろに溶かしている場違いにも程が有る少女がいる事だ。

 訪問者にも気付かずに、溶けたチーズが滴るのにも構わず彼女は脇の卓から平たいパンを取る。

 

 そして火箸に刺していたチーズをパンの上に置いて、熱々チーズパンをうっとりと見詰めた。

 

「いっただきま~~す。ハグハグ……ハッ!?!」

「……」

 

 そこで漸く、二人の目が合った。しばし絡んだ視線だったのだが、ゆっくりと閉じられる扉に断ち切られた。

 空はそのまま踵を返し、裏通りを歩き去る--

 

「ちょちょちょ、待ってくださいお客さーーん!」

 

 バタバタと騒がしい音を立て、少女が飛び出してきた。その勢いのまま彼の腰に抱き着いて、引き止めてきた。

 

「いらっしゃいませー、やぁ、実に三日ぶりのお客さんですよ!」

「いや、間違えただけだよ。俺はレストランじゃなくて、鍛冶屋に行きたかったんだ」

「ご心配無くお兄さん! 大正解で鍛冶屋ですよ! 『竜鱗工房』にようこそ~~」

 

 体格の差は大人と子供。彼女はずるずる曳きずられてしまうが、それでも引き下がらない。髪留めと髪飾りを兼ねている鈴がしゃんしゃんと鳴る。

 

「嘘だね。鈩でチーズ溶かしてたじゃないか。本物ならあんな真似はしないだろ」

「いやぁ、生活に密着した鍛冶屋なんですよ~」

「密着どころか癒着してるだろ。鈩にチーズが」

「お兄さん上手いっ! という訳で座布団が有る家にどうぞ~!」

「いやいい。俺そろそろ帰らないと今日の夕飯に間に合わなくなるから--」

 

 と、掛かっていた負荷が消えた。開放されたと胸を撫で下ろしたのも束の間だ、腰の重みも消えている事に気付く。腰のホルスターを、拳銃ごと抜き取られていた。

 

「--へぇ、お兄さん珍しいモノ持ってますね?」

「--オイッ!」

 

 それに反応し左手を閃かせるが、少女はその手をするりと躱して距離をとった。

 

「綺麗な外観に精密な動作、ここまで良い銃は初めて見ましたよ。流石、永遠神剣ですね」

「ッ……」

 

 着物に似た衣服を纏う少女は何の迷いも無く撃鉄を起こし、引鉄を引いた。カキン、という音だけが響く。

 【幽冥】に、弾丸が篭められていないのを知っての行動。そんな事を知っているのは--

 

「何者だ、お前」

 

 目の前で笑う、引っ詰めた黒髪に赤み掛かった紫色の瞳の少女。それを彼は戦慄と、鉾と対峙した時と全く同じ眼差しで見遣る。

 

--『光をもたらすもの』。先ずそれが思い浮かぶ。だとしたら、マズい。抵抗手段が無い。今、俺の手札は奴に握られている--!

 

「そんなに睨みつけないで下さいよ、私は世界を渡り歩く行商人。同じ異世界人じゃないですかぁ」

「……同じ、ね」

 

 笑い掛けた少女にも、彼は表情を変えない。表面的に睨みつけているが、その実、思考はフル回転している。この局面を脱する策を捻り出す為に。

 

「そうだ、少しお話しませんか? こんな最高の銃を見せてくれたお兄さんにお礼がしたいです」

 

 言うや、少女は踵を返す。その髪留めの大きな鈴が、涼しげな音を奏でる。

 

--畜生、行くしかねェな。何せ俺の『神銃』はアイツの手の中。何としても取り返す必要が有る。

 

 その背を注意深く眺めながら、彼は少女に続いた。

 

 

………………

…………

……

 

 

 炉に火が入っていた名残にまだ少し熱っぽい室内。だがソレは、からりと乾いた暑さでそう不快なモノではなかった。

 

 小さな卓を挟んで対峙する空と少女。その前にはそれぞれ、湯気を立てる茶が置かれている。因みに不醗酵茶、緑茶だ。

 出された手前彼は唇を湿らせるが、飲みはしない。

 

「この無駄を排した造形美、夕暮と夜闇を溶かし込んだような緋と漆黒、銃底まで続く美しい曲線。はぁ、本当に良い出来です……」

 

 その視線の先ではまだ【幽冥】を愛でる少女。若干引きながら、彼は本題を切り出す事にした。

 

「取り敢えず、返してくれ」

「もう少しだけ良いじゃないですか~。ていうかお兄さん、むしろ売ってくださいコレ」

「嫌だ」

 

 実に素っ気ない答えに、少女は『むー』と唇を尖らせた。まだ、幼さの抜け切らない容貌には良く似合う。

 

「え~っ……幾らでも出すのに。それに、今なら色んな意味で出血大サービスしちゃいますよ?」

 

 と思いきや、いきなりウィンクしたかと思うと、クネクネと品を作って色仕掛けしてきた。それに空は彼女の頭のてっぺんから爪先までを一通り眺めた後。

 

「……フッ」

「ちょっ、お兄さん……今、どこ見て鼻で笑いました? 胸ですか? あーそうですか、お兄さんも大きくないと胸だとは認めない、おっぱい星人だったんですねっ! 見損ないましたよっ!」

 

 自覚している痛い所を突かれた為か、『むきー!』と両腕を振り回しポカポカと殴り掛かってきた少女。その少女の額を押さえて、一定距離を取る空にはリーチの差で届かなかったが。

 

「はぁ、ふうぅ……そうですか、仕方ないですね。これだけは使いたくなかったんですけど」

 

 仕方ないですね、といった具合に乱れた息を整えた彼女。と、奥の素材棚らしい棚から何かを掴みだした。

 

「これは?」

 

 卓の上に置かれた石らしきモノが二つ。どちらも掌に収まる程の、深みのあるコバルトブルーの石とクリムゾンレッドの石。

 

「それを耳に当ててみて下さい」

「…………?」

 

 言われた通りに耳に当てるべく、何となしに左に在った蒼い石の方を手に取る。意外と、ずっしりした重量感。

 それをゆっくりと当てて--

 

【ウバ……オ……セ……チカイヲクダケ……】

 

 一秒と経たずに離した。男とも女とも取れないような、地獄の底から響くようなおどろおどろしい声色だった。

 今さらだがもう一方も、底冷えのする悪意じみた気配をガンガンに垂れ流している。

 

「何だよ、コレ」

「面白いでしょう? 夏場もこの二つがあれば涼しい気分、しかも何と枕の下に入れて眠れば素敵な夢の世界へ連れていってくれる、という優れモノなんですよ!!」

「……だから?」

「交換しましょうよ、この二つと銃を」

 

 再び眼を細めた空が、石を右手に持ち替えクイクイと手招きする。彼女はそれに答え、仔犬の様に歩み寄って--グワシッと、その額を鷲掴みにされた。

 

「いだだだだっ! 頭の形変わるぅぅぅっ! な、何するんですかお兄さぁぁぁん!!」

「何するじゃねーだろ! 何で俺の神剣と、この呪われた石ころを交換しなきゃいけねーんだよ! どう見ても大損だろ!!」

 

 ギリギリと締め上げながら、彼は石を卓に置いて【幽冥】を取り返す。そして漸く--気付いた。

 

「この石--」

 

 クリムゾンレッドのその石……否、『破片』の正体に。

 

「いたた……気付きましたか? ただの石なんかじゃ無いですよ、それは神剣の凍結片です」

「『神剣の凍結片』……」

 

 解放された少女は己の額を摩りながら、その正体を告げる。

 『神剣の凍結片』。則ち、過去に砕けたり欠けたり漏れたりした永遠神剣の破片が、何かしらの作用で消滅せずに留まっているモノである。

 

「すっごい貴重品ですよ。一生に一度出会えれば、奇跡といっても良い程に」

 

--尤もだ。最近は何だか感覚が麻痺していたが、よくよく考えてみれば『永遠神剣』に出会うって事自体が、本来は天文学的な確率なんだから。

 それにしても……ああ、なんて悪運なんだろうな。本当に。

 

「どっちも、中々高位の永遠神剣のカケラなんですよ」

「んで?」

「だからお兄さんの……いえ、何でも無いです、ハイ」

 

 何かを言いかけた彼女に左手にコキリと力を篭めて見せた彼に、彼女はプルプルと首を振った。

 

「はぁ、解りました。諦めますよ。諦めれば良いんでしょっ!」

「何で逆ギレしてんだよ!」

 

 『世の中は広いものだ』と記憶に刻み付けて。目的も果たしたし、そろそろ帰ろうと腰を上げる。何にしても長居は無用だろう。

 

「ところでお兄さん、何かを入り用の物って有りませんか?」

「何とも交換しないって言ってるだろ」

「ち~が~い~ま~す~!! 純粋に商売としてですよっ! なんせ一週間ぶりのお客さんですから、ただじゃ帰せませんよ」

「三日じゃなかったのかよ。入り用のモノ、ねぇ……」

 

 食料衣服に寝具、生活雑貨その他諸々。足りないモノなら幾らでも有る。

 何の気無しに棚を見渡す。と、あるモノが目に留まった。

 

「なぁ、これって……」

 

 部屋の隅っこに置かれた、随分古いマネキンのような物の残骸。丁度、青年男性の腕とか足とか頭とか体に一瞬ダークな想像をしてしまったが、よく見れば金属製の偽物だった。

 

--おいおい……マジでこりゃあ悪運強いな、俺は。

 

「あ、お兄さん流石に目が高い。それは、神世の昔にあったという争乱で使われた機械兵器なんです。まぁ、壊れてて動かないんですけど」

 

 言われた通りかなり老朽化している上に、左胸付近のコアらしき部分は何か強い力で貫かれて破壊されているようだった。

 

「コレ、幾らだ?」

 

 その状態を確認すると、即行で値段を尋ねる。だがそれは、こういう場所で一番言ってはいけない台詞だ。それを、言ってしまってから思い出した。

 

「ふふ……そうですねぇ。珍しいものですから、これくらいで」

「くっ……足元見やがって。なら、代わりにあの赤い方の凍結片も付けて貰うからな」

【はぁぁっ?! 旦那はん、まさかこないなゴミ屑に魔弾を支払う気ですかいな?】

 

--取り敢えず、持って来ていた財布を漁る。だが、中身は約四万くらい。

 それにイロを付けて魔弾、マナ結晶を数発。更に、今までの戦いで得たパーマネントウィルを渡す事となった。正に素寒貧である。【幽冥】もぶーぶー言っていたが、全て無視した。コレは、それ位の出費をしてもお釣りが来る。

 

「……ところで銃って有るか?」

 

 それでも、聞いておきたい物品があった。

 

「銃ですか? 残念ですけど……この世界の文明のレベルを考えて持って来ませんでした。そもそも、鉾には効きませんよ? 通常の武器なんて」

 

 予想通り、永遠神剣を知る彼女はその事実を口にする。例え末端のミニオンと言えどその体はマナで構成されており、同じマナ起源のものでない攻撃は通用しない。

 

「知ってる。だから、構造を知る為だけに欲しいんだよ」

「構造を、って……まさか」

 

 言葉の深意に気付いたらしく、呆気に取られる少女に空は悪辣な笑顔を向ける。

 

「ここは鍛冶屋だろ? 幸い機器は揃ってるし……お礼してくれるんだろ?」

「むぅ、それを言われると……。成る程、それに反乱軍の兵に銃を装備がさせればグルン・ドラスの一般兵は相手になりませんしね」

 

 それにあはは、と笑って見せた彼女。だが--

 

「阿呆か、そんな事したら文明が目茶苦茶になんだろ。俺が使う分だけだよ」

「てへ、やっぱり」

 

 ジト目を向け、それを一蹴する。彼女は安心した風にお道化て。

 

「確かにここの設備なら永遠神剣を強化する事も可能です。昔は、それで活計をとってましたからね。でも、製造となると未知の領域です。それでもやりますか?」

「やる。やらない事には出来るかどうかも判らないからな」

 

 そううそぶいた後、己の内奥に意識を向ける。渦巻く、赤い呪詛の奔流に。

 

『……仕方ねェな、神名は貸してやる。確かに、『オレ』達にならこれは良い武器になるぜ』

(珍しい事も有るもんだな、まあ感謝だけはしとくぜ)

 

 と、少女は一度、呆れたように溜息をついて彼を見遣る。真摯な職人の眼差しで。

 

「一朝一夕で出来る事じゃあないですよ。覚悟は良いですか?」

「当たり前だろうが。努力無しに手にする事なんて意味が無いって、最近気付いたからな」

 

 その眼差しを真っ向から見詰め返す。少女の瞳に、鋭い三白眼の男が映り込んでいるのが見えた。

 

「それに--ずっとお荷物なんて、真っ平御免だ」

 

 脳裏に浮かぶ、他の神剣士達の姿。幾度も助けられ、歯噛みした記憶。売った恩などとうに忘れてしまっている。

 彼にとっては、受けた恩よりも屈辱の方が何倍も意味が有る。

 

「手を貸す価値は有りそうですね。では、明日から作業に」

「悪いけど、今から頼む。時間はほとんど無いんだ」

「ホント、無茶言いますよね……怪我しても知らないんですから」

「コンストラクタ持ちだからな、心配するなよ」

 

 冗句を返して炉の近くの鍛冶場に向かう。と、少女は思い出したように手を叩いた。

 

「そういえば、お互いに名乗ってませんでしたね」

「ああ、そうだったな……」

 

 既に二時間近く共に居たというのに、確かに彼等は名乗り合っていない。まぁ、空の方は、彼女に警戒して名乗らなかったのだが。

 

「……巽だ。巽空」

 

--まだ、『光をもたらすもの』だという可能性は捨てられないが……俺を殺る機会なら、幾らでも有っただろう。

 

「巽さん、ですか……良いお名前ですね」

「…………」

 

 『良い名前』。そこに彼は少し眉をひそめた。それに気付いたか、少女は取り繕うように笑った。その笑顔のままで。

 

「私は鈴鳴《すずなり》って言います。鈴が鳴るって書いて、鈴鳴です」

「鈴鳴、ね」

 

--偽名くせぇ。だが、この年齢で独り立ちしているからにはそういうモノも必要かもしれない。

 

 もし、彼がもっと社交的な人物だったのならば。もっと他人の内に歩み寄れる人物だったのなら、その名前を『彼女達』から聞いていたかもしれない。忌むべき名前と共に。

 

「じゃあ、初めようぜ鈴鳴」

「はい、巽さん。こう見えても私はスパルタタイプですから、根を上げたりしないで下さいよ」

「ハハ、抜かせ」

 

 そうして、カティマが目覚めるまでの丸二日間を掛けて望みの物を完成させたのだった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 物部学園へと戻ってカティマが目覚めた事を知り、見舞った後に部屋に戻った空。その傍らには、大きめな黒いアジャスターケースと中くらいのジュラルミンケースが二つ転がされていた。

 

 かつて、職員用の休憩室として使われていた自室。一段高い畳の敷かれた部位に横になる。

 もう起き上がりたくなくて、枕になるモノを探し--明日、隣国のクシャトに移動するという鈴鳴から餞別に貰った袱紗包みを引き寄せた。

 

「……ふぅ」

 

 包みを引き寄せて頭を置くと、丁度良い高さだった。コレなら、安眠できるなと考えたその耳に。

 

【ウバエ……カセ……チカイ……クダケ……】

 

 地獄から響くような声と底冷えのする冷気。それは間違いなく、買った覚えの無いあの青い凍結片のものだった。

 

「……あの女ァァァッ! 余計なオプション憑けやがったッ!」

 

 包みを投げ出して、叫ぶ空。壁に辺り、ずるずると落ちたソレ。

 

【まぁまぁ、ええやないどすか。貴重なモンなんどすやろ?】

「そりゃそうだが……ハァ」

 

 今までずっと沈黙を守っていた【幽冥】に言われ、確かにそうだとは納得するが不吉さは拭い去れない。

 

--まぁ、いいか。そういえば、枕の下に入れて寝ると素敵な夢の世界にとか言ってたな……

 

 興味を引かれて、モノは試しとソレを引き寄せた。もう一度頭を乗せると、やはり響く声と首筋を冷やす霊気が。

 

--これで寝るだけで一苦労だろ……

 

 そう思いつつも、筋肉痛と疲労で消耗していた彼はすぐさま眠りの世界へと落ちていった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 翌日、朝の清涼な空気に満ちた廊下。そこを。

 

「違う、俺はそんな人間じゃない……誰でも良い訳じゃないんだ。でもまさか、意識してないだけで俺にはそんな願望が有るのか」

 

 人魂を背負いそうなくらい憔悴した空が寝巻の仁平姿でふらふら歩いていた。

 

 彼が見たのは彼女が言った通り、確かに『いい夢』だった。それはもう、兎に角『いい夢』。今日が洗濯日和で良かった。

 その内容を思い出してしまい、赤面する。次いで自己嫌悪する。

 

「あ。空くん、おはよう」

「ぽえ~」

「の、希美!」

 

 と、掛けられた声。それに彼は心臓が飛び出そうになった。振り向けば、清楚でたおやかな笑顔を浮かべた希美と、その守護神獣のものべーの端末とでも言うべき、手乗りサイズの『ちびものべー』の姿があった。

 

「あ、ああ……」

「空くん?」

 

 一気に顔を真っ赤にした彼は、口を開いては閉じを繰り返して、唐突に--

 

「……許してくれ、希美ーー!」

 

 懊悩するかのように頭を抱えると、一目散に走り去った。

 

「…………?」

「ぽえー?」

 

 残された希美とちびものべーは、ただ首を傾げるのみ。そうして廊下を走った空が、漸くその速度を落とした頃。

 

「お、巽。オハヨ~あふ……」

「巽くん、お早う。丁度良かった、補充したい物が有るんだけど、巽くんは……」

 

 教室から出て来た、盛大な欠伸を噛ました信助とそれを呆れ顔で見ていた美里。

 学生達の間で出た、生活雑貨の補給申請の取り纏めについて意見を聞こうとした美里に--

 

「済まないーーーッ!!!!」

 

 またもや、走り去って行った。

 

「なんだ、あれ?」

「さぁ?」

 

 それから暫くして、疲れて壁に手を付き休んでいた空だが。

 

「あ、巽。良い所に。先日は迷惑を掛けました、貴方とワゥの助けが無ければ今頃……」

 

 現れたのは実に三日ぶりに目を覚ましたカティマ。甲冑ではなく、一世代前の学園指定制服。

 シックな黒色のセーラー服に、ロングスカートを身に付けた落ち着いた出で立ちの彼女に--

 

「返す返すすいませーーん!」

 

 三度、走り出した空。

 

「……はあ」

 

 青い瞳をまん円くして、彼女はそれを見送った。

 

「ゲホッ、ガホッ……オェ!?」

 

 起きぬけでの全力疾走を三度も行い、既に彼は限界ギリギリだ。額から脂汗と冷汗を垂らしつつ、昇降口をくぐる--

 

「あら、巽くんじゃない。こんな朝早くにどうした訳? 顔真っ青だけど……」

 

 その昇降口を、外からくぐってきた沙月と出くわす。軽い運動をしてきたのか、うっすら上気していた。

 

「俺は畜生以下ですーーーッ!」

 

 その彼女の脇を摺り抜けて、彼は走り抜ける。校門に差し掛かると拍手を鳴らして跳んで行った。

 

「……何? 少し働かせ過ぎたのかしら」

【元より行動に不審のある輩です。一々気にせぬ事が肝要かと】

「それもそうね。さて、望くんは何処かしら~」

 

 違う意味で心配した沙月だったが、ケイロンの言葉に納得した。そしてそんな心配などあっさりと捨てて、意中の少年を探しに歩きだした。

 

 

………………

…………

……

 

 

 肺が破裂しようと構わんと走りに走り、彼はその扉を破壊しそうな勢いで押し開く。着替えてなどいないので、仁平姿のままで。

 

「--鈴鳴ィィィィッ! テメッ、何とんでもねぇ代物押し付けてくれてんだァァッ!」

 

 だがそこはもぬけの殻。虚しく声だけが反響した。と、その足元に一通の封筒を見付ける。蝋で封までされたそれは、恐らく、扉に挟んであったのだろう。

それを拾い上げれば、宛名の部分に流暢な日本語で『巽さんへ』と宛てられていた。蝋でされた封緘を切る。出て来る一枚の便箋。

 

『拝啓 巽さん

 巽さんがこの手紙を読んでいるという事は、私はもう貴方の側に居ないのでしょうね……』

「死んだ恋人みてェな言い方してんじゃねェよ! あんにゃろめ、やっぱ確信犯か!」

『まぁまぁ、そう滾らずに。血圧上がっちゃいますよ?』

「読みながら読まれた?! つーか、文面で会話すんなッ!」

 

 怒り心頭の彼の激しいツッコミに、隣を歩いていた無関係の町人がビクつく。

 

『兎に角、お世話になった巽さんに改めてお礼を申し上げようと筆をとった次第です。

 お客さんは全然来ないし、突然世界を出られなくなるしで意外と途方に暮れてたんですよ、私。

 ですけど、そんな私よりもっと大変な境遇で頑張ってらっしゃる巽さんと出逢ってお話して、気が楽になりました』

 

 歩きながら手紙を読んでいた空は、用水路か小川に掛けられた橋の欄干にもたれ掛かった。

 

『そしてもっと頑張ろうと思えたんですよ。こんな事でへこたれてられない、もっともっと、って。巽さん、本当にありがとうございました。

 あ、それと同封した羽飾りにはお気付き頂けたでしょうか?』

 

 言われて見れば、封筒中には羽の根付けが同封されていた。鳳凰の尾羽を思わせるソレ。

 

『その羽飾りは縁起物って奴で、大事な人との再会を願って贈る物だそうです。巽さんと再会できる事を願ってお贈りしますね。

 書面にて失礼しましたが、これでお別れの言葉とさせて頂きます。またいつの日か、貴方とお会い出来る事を願って。

 鈴鳴より かしこ』

「…………」

 

 ハァ、と思わず溜息を落とす空。こんな言われ方をされては怒りも醒めようというもの。

 羽飾りを握り締める。それなら、貰っておこうと。次いで胸元、かつてお守りがあったところに手を置いた。

 

--貰ってばっかじゃねェかよ、情けねェな畜生……。

 

 もしも今度、出会う事が有ったのならば。その時はもっと商品を買えるよう、決意を込めて。

 

「……ん、追伸?」

 

 文面の最後にただ数文字。それは記されていた。

 

『追伸 いい夢見れたでしょ?』

 

 ぐしゃぐしゃと丸められた手紙は、そうして川に投げ捨てられたのだった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 髪をボリボリと掻きながら歩き去る少年を、彼女は見詰めていた。物見櫓の庇に腰掛けて、両脚を組んで。

 優に八百メートルは離れた場所から、じっと。

 

「……ふふ。楽しみにしてますよ、巽さん。貴方が辿り着く極致、足掻き続けた先に手にするモノが何か……」

 

 その笑顔は、昨夕に空に見せた天真爛漫なモノとは違う。

 

「だから、見せて下さい、私に。運命に抗う人の足掻き、神に挑む人の力……不可能を乗り越えようとする貴方の『可能性』をね」

 

 妖艶な--幼い外見に似合わぬ、大人びた笑みで彼女は呟いた。澄み渡った、雲一つ無い天空から注ぐ朝の陽射し。柔らかなその光に照らされた彼女の背に、まるで天女のような翼が見えたのは--幻だったのだろうか……



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兆しの鈴音 黒い拳士 Ⅱ

 ものべーから転送されて、望達は平原に降り立った。迫り来る鉾の反応を感じ取った為である。

 一同の表情は硬い。前日グルン=ドラスによって、旧アイギアの友好国だったパズライダ共和国が攻め滅ぼされたとの報せが入ったのだ。

 

 数百年に及ぶ友好国だったその国は、鉾の侵攻によって僅か四日で陥落したという。連綿たる歴史に裏打ちされた軍事力ですらも、永遠神剣の前には無力だった。

 

「本当に、宜しいのですか?」

 

 カティマは問うた。コレが最後の確認。

 

「何言ってるんだよ、カティマ。俺達はもう仲間なんだ。だから、一緒に戦おう」

「望……」

 

 望の力強い言葉に、彼を見遣る彼女の瞳に喜色が充ちていく。

 

「そうです、もう一蓮托生です! 『わ・た・し・た・ち』っ!」

「もう一人でなんて行かせないわ。『わ・た・し・た・ち』が一緒なんだからね!」

 

 そんな彼女の様子に不穏なモノを感じて、希美と沙月は二人の間に身を滑り込ませた。

 

「希美、沙月殿。本当に、本当にありがとうございます」

 

 内心など露知らず、カティマは感極まった言葉を紡ぐ。

 

「我々が貴方方に出会えたのは、まさに天命だったのでしょうね」

 

 ほぼ同時に頭を下げるカティマとクロムウェイ。その背後には、陣形を整えた反乱軍の主力部隊が待機していた。後は、号令を待つのみ。

 そこに何処からか現れ出たのは、鴉のような黒尽め。その周囲に浮遊するクリスト五姉妹の姿。

 

「……会長、周囲に鉾は居ませんでした。それと、悪い知らせですけど辺りの街はグルン=ドラスの制圧下です」

 

 フードを外して襟巻きを寛げ、眠そうな目のままで空はコピー品の地図を懐から取り出した。それには、『×』の字と青緑赤黒白で色分けされた数字があった。制圧されている街と、鉾の編成だ。

 

「そう、まぁ仕方ないでしょうね。それで、総数は?」

「周囲の街しか確認できてないんではっきりと言えませんけど……最低十八体以上。この後ろに居る本隊の事を考えると気が重いっすね」

 

 溜息をそのまま欠伸に代えると、指先までを鈎爪で覆っているが掌部分や指の第一関節以降は非常に細かいチェインメイルになった、間接の動きを制限しない蛇腹の黛と藍のガントレットに包まれた左手を口に寄せる。

 袖に腕を通さずにマントのように肩に掛けただけの状態の外套はそれによって割り開かれ、覗いたロリカ・セグメンタタの物に似た蛇腹の胸当てと肩当てに『餞別』の品。

 

 それは東南アジア、ベトナムの民族衣装『アオザイ』を思わせるフレアラインの袖を持つビロード地の紺色の上着と、黒いクワンによる武術服。

 マナを精製したエーテルという物質を紡績した糸で紡がれているとの事。戦闘用らしく軽くて丈夫な上、制服のように身体の動きを制限しない。

 

 よく見れば膝から下も金属製の、篭手と同色の脛当てと靴が一体となった鋭角な蛇腹のグリーヴを纏っていた。

 勿論この脚甲も篭手と肩当ても、あの残骸を分解して加工し作り上げた物だ。曲がりなりにもマナ製の鎧袖、生半可なディフェンススキルよりも遥かに強靭だ。

 

 そして何より--左肩に負った、長く太いアジャスターケースと両太股と腰背面にスリングベルトで吊った、小型二つと大型一つの四角形ホルスター。

 

--ってーか、今更だけど制服で戦うとか正気の沙汰じゃねぇな。あんな動きにくいもので戦うとか、テメェの強さに覚えがあるのに一般人を気取ってるナルシーじゃなきゃ無理だね。

 ……いや、そりゃあこの格好も十分に恥ずかしいけどな!

 

「巽、戻ったのですか」

「ええ。只今戻りました姫さん」

「昨日から姿が見えませんでしたが、諜報に行っていたのですね? しかし、いつの間に……」

 

 目覚めてから望達に出生の秘密を話したとの事で、もう隠す必要も無いので大っぴらに『姫さん』と呼ぶ事に決めたらしい。

 特に気に留めた様子も無い彼女はその疑問を口にした。なぜなら、昨日からたった今までものべーは着陸していない。いつ出発したのか、疑問だった。

 

「ええ、何せ空中散歩或いはヒモなしバンジーしてましたから」

 

 つまりは先日朝早くに出会ってから、町まで文句を言いに行ったその後で連絡が入ったのである。『そのまま、諜報をやりなさい。命令よ』と。

 ジト目で見る空に構う事も無く地図を見る沙月。全く気に留めていない。因みにクリスト達は望達より先にものべーから降りて、彼を迎えに行っただけだ。

 

「君とカティマさん、ワゥちゃんで倒した三十もの鉾はパズライダ共和国を攻めた鉾の別動隊だった訳だし……一体どれだけの兵力を蓄えてるのかしらね」

「後から後から、ゴキブリかッて感じですよ」

 

 記された敵の兵力に沙月は辟易した様子で呟く。それは空も同じだ。記しながら、その層の厚さに呆れたモノだ。

 

「あれは一体どういうモノなのか、何処から来るモノなのかは……私達にも解りません」

 

 正体不明の神剣の眷属『鉾』。その総数も、何処から補填されているのかも全くの不明。それこそ、鉾の最大の強み。

 重苦しい空気に拍車が掛かる。そこに、彼の声が掛かった。

 

「……ともかくやるっきゃない、だろ? 先輩、空、カティマ!」

 

 グッと拳を握り、サムズアップを見せた望。かつて、戦う意味を見出だせずに戸惑っていた少年が、だ。

 だが今は違う。今の彼には明確な意志、決意が有る。それこそが『仲間を守る』という意志。物部学園の皆を、反乱軍の兵を。押し寄せるグルン=ドラスの脅威から守り抜く。だからもう、彼に迷いは無い。

 

「「「………………」」」

 

 それに沙月と空、カティマは顔を見合わせた。そして、つい苦笑してしまう。

 本当に情けない話だ、自分達が鼓舞されてしまった。先に、戦う意志を定めていた筈の自分達が敵の数如きに気圧されて。

 

「……そうだな、グチグチ考えるよりも先ずは行動か。そりゃあ、減らさなきゃ減らない」

「ふふ、腕が鳴るってもんよね」

「はい、参りましょう。プロジア文書のある、ミストルテへ!!」

 

----応ッ!!!!!!

 

 カティマの掛け声に、彼等だけでなくクリスト達や反乱軍までもが応えて--天へ拳を突き上げたのだった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 鉾が、門を突破して駆け込んで来る。散開して戦闘姿勢をとった三体は、青と緑と白。

 

「「「---ッ!」」」

 

 その陣形の丁度真ん中に『鴉』が着地した。音も気配も無く降り立ったそれに気付いた時には、既に銃口が青を捉えている。

 

「--征くぞ、【幽冥】」

 

 撃鉄を落とされた拳銃が魔弾を吐く。災竜の息吹が撃ち出されて、迷わず照星に捉えた獲物へ襲い掛かり焼滅させた。

 距離を取る緑と白、そこに--

 

【--捉えたっ!】

【--いっけぇぇっ!】

 

 ルゥの『コールドチェイサー』とワゥの『スレッジハンマー』が、更に引き離すべく放たれた。

 地を走る凍気の刃と光熱の閃光を堪らず回避し、それにより陣形が完璧に崩れた間隙に緑へとゼゥが『ランブリングフェザー』を、最後に残った指揮官の白へとポゥが『イミネントウォーヘッド』を仕掛けた。

 

 これにより陣形の破綻は決定的となる。後は--

 

【--皆、必ず生き残るわよ! インスパイアっ!】

【【【【---了解っ!】】】】

 

 ミゥの足元に拡がった魔法陣が空間に解けていく。その持つ意味、鼓舞のオーラが彼女らの闘志を沸き立たせる。

 

「精霊光結界、発動」

「させるかよッ!」

 

 永遠神剣である杖を振り上げ、抵抗力を向上させる抵抗のオーラである『レジスト』を発動した白に向けて、鉛色の弾を速込めした【幽冥】の引鉄を引く。

 だが一足遅く、完成した光の陣の加護にて『オーラシールド』は鉾壁と化して『ペネトレイト』の捩れた短刃を弾き返した。

 

「--光へ、還れ」

 

 空間に散在する無形のチカラが凝集して、煌めく刃へと換わる。それに舌打ちした空は--ニヤリとほくそ笑みながら、肩に掛けてあったアジャスターケースを放り出した。

 

「--ッ!」

 

 白マナ塊『オーラシュート』が放たれるのと、空がサイドアームとして装備するレバーアクションのライフル『マーリンM336 XLR』をモチーフとした、青黒のクラシカルなレバーアクションライフルを右手に番えてその引鉄を引いたのは全くの同時。

 

 白の命を、黒耀石の如き妖しい美しさを放つライフルの銃口から発射された弾が狙い撃つ。

 鋭利なライフル弾が光の大盾を刔り--オーラで強化されている『オーラフォトンバリア』を貫くには到らずに突き刺さったのみ。

 

「--グッ!」

 

 だが、それで十分。何しろその銃弾の名は『エクスプロード』、炸裂の弾頭なのだから。

 

「貰ったァァッ!!」

 

 弾頭が炸裂し、光の大盾を粉砕した。その粉塵の向こうから飛び出した三つの刃が--空の左手に握られた独特な形の銃器PDW。『マグプル PDR』をモチーフとしたサブマシンガンの三点射、雷速の『イクシード』で迎撃して防がれた。

 そしてライフルの銃本体を回転させてトリガーレバーを操作するド派手なガンアクション『スピンローディング』にて新たな銃弾を装填、コッキングされたライフルでヘッドショットする--のだが、すんでのところで間に合わせた白の光の盾『オーラシールド』に阻まれてしまった。やはり、この銃弾では白の守りを『壊せても』貫けない。

 

「出番だ、気張れよカラ銃!」

【合点承知之助~っ!】

「古いんだよッ!」

 

 そして左に番えられた主兵装の【幽冥】、鉾へと衝き付けられた黒い銃口。その下部に嵌められた爬虫類の瞳を思わせる小さな宝玉が、妖しく虹色に煌めき--

 

【マナよ、災竜の息吹となり敵を討て--】

「っく……!」

 

 どうやらこの個体は随分と神性強化《リーンフォース》を受けたのだろう。『ヘリオトロープ』を『オーラフォトンバリア』を粉砕されつつも堪え凌いだ。

 

「--カ、は……!!」

 

 だが、気付いた時にはもう遅い。空の狙いは決着ではなく、その防御。魔弾を受けた白の戦闘マナの補充が著しく少ない。それが、竜の息吹の追加効果だ。

 そう、空の目的は--新装備のテスト。それだけだ。

 

 白が苦しみ出す。元々が人間の空や、必要とするマナの質が違うクリスト達に大した効果は無いが、純粋なマナ存在の鉾にとっては息が出来ない事と同義だ。もう、『オーラフォトンバリア』の下位防御である『オーラシールド』を展開する事すら出来なかった。

 

「あばよ」

 

 そんな白い鉾に向け、空は再度スピンローディングしたライフルの引鉄を引いたのだった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 頭部を無くした白の完全消滅を確認して【幽冥】をホルスターに戻し、ライフルの方はショルダースリングで担ぐ。

 

「首尾は上々だな……まぁ、まだテスト出来てない物も有るけど」

【くふふ……それにしても、中々良い武器やないどすか? 成る程、旦那はんが躍起になる筈どすわ。まさか、まさかあの旦那はんに……マナ操作の才能と能力ゼロ、肉体も蛋白質のままの旦那はんにディフェンススキルが出来るようになるなんて】

「余計なお世話だ、このカラ銃がァァ!」

【あぁぁぁ~~れぇぇ……】

 

 痛烈な皮肉をくれた【幽冥】を投げ飛ばしたところで、他の鉾を片付けたクリスト達が空の近くに集まって来た。

 

【お疲れ様です、タツミ様】

【まぁ、この程度では相手にもならんな】

【へへ~、どって事無いよね】

【ふん、お調子者】

 

 続々と集結して来るクリスト達、そんな中。

 

【タツミさん、怪我してますよ】

「ん? ああ……」

 

 ポゥの言葉に頬を触れば、右の下顎に裂傷。攻撃が掠りでもしたのか、うっすら血も流れていた。

 

【大丈夫ですか? 癒しの術を】

「いや、いいよポゥ。この程度、唾でも付けてりゃ治るさ」

 

 断りを入れて己の懐から絆創膏を取り出し、それを張り付けた。

 

--第一、俺に治癒魔法も精霊光も余り効き目は無い。ミゥさんの『インスパイア』もやっぱ効き目はほぼ皆無だったし。余程強力なものでもないと、自然的な治癒と変わらないんだから。貴重な治癒要員にマナを無駄遣いさせる訳にもいかない。

 

【でも……】

「何、こんなモノは怪我の内にも入らないさ。本当に大丈夫だから……有難うな」

 

 それでも心配そうに空を見遣るポゥに苦笑しつつ、胸をポンポンと叩いた。そこにはかつてダラバに割られた傷痕が有る。

 それに結晶妖精達は寄り集まりひそひそと言葉を交わし始めた。

 

【アッキーってさぁ、ポゥ姉には妙に優しくない?】

【あれだ、きっとタツミは緑属性……つまりは癒し系に弱いんだと思うぞ?】

【なるほど。そう言えばノゾミ様にお熱だと聞いたわ。でも、そのノゾミ様にはノゾム様しか見えてないから……】

【心配は要りません、ミゥ姉様。あのデクの棒が必要以上にポゥに近付く事が有ったら、私が喜んで斬ります】

「全部聞こえてますけどォォ! それと黒チビ、テメェは後で便所の裏に来い!」

 

 と、彼等の前に走り込み土下座した初老の男性が一人。この村の村長である。

 

「おおぉぉ! 悪名高き鉾どもを物ともしない! 流石は天使様方ですじゃ!」

 

 始め挨拶した時には胡散臭そうにしていた訳だが、言葉通り鉾を倒してみればこの変わり様だ。

 

(ふん、変わり身が早いもんだ)

【まあまあ旦那はん、『長いモノには巻かれろ』、『寄らば大樹の影』て言いますやありんせんか】

(それもそうだな。御陰で--)

【あ~い、お陰でぇ……】

(【扱い易い事この上無い)】

 

--少し得になる条件を提示してやれば喜んで飛び付きやがるんだからな……まぁ、わざわざ潜んでいた鉾を見逃した甲斐が有った、ってか。

 

「気に病む事はない、我等の風体では怪しまれる事など先刻承知。寧ろ貴方の冷静な判断こそ称賛に値する」

「おお、何という寛大なお言葉…この老、心洗われましたぞ!」

 

 そんな内心は噫にも出さずに、大人を……クロムウェイを参考にした振る舞いをする。一種の才能という奴だろうか彼は人心を忖度する才能に長けている。ただし、忖度は出来ても理解は出来ないのだが。

 

--さてと。そろそろ、どうしてこんな事になったのか説明しよう--……

 

 軍で鬨の声を上げ、心を一つにした後で。

 

「あ、そうだ巽くん。別行動してちょうだい」

「……あのぉ、どうしてそう俺のモチベーションを下げようとするんですか? そこまで俺の事嫌いですか?」

「そりゃあ、嫌いだけど。それとコレとは話は……あれ、同じね? まぁとにかくここ、『ジェダ=アイギア国境ミズラ村』に行ってもらえる?」

「了解です雇用主、速やかに地獄に堕ちて下さい」

 

--これだけ。そう、これだけで俺は主力部隊から外されて辺境を探索に駆り出された。何でも宝が有るとかで。

 

 目立たぬよう下唇を噛み締めていた空へ、村長が何かを捧げ持つ。袱紗に包まれた小さな箱を。

 

「どうぞ天使様、これが我が村に伝わる宝『命の雫』ですじゃ!」

【【【【【----!?】】】】】

 

 村長の口から出た、『命の雫』という単語にクリスト五姉妹が息を呑む。それに気付きはしたが、空は無視した。

 

「左様ですか。では、確認させて頂く」

 

 包みを解けば、その中には二本の小瓶。澄んだ、朱い液体と碧の液体を充たしたその小瓶に--

 

【……村長殿、無理を承知で頼む。これを、我々に譲って頂けないだろうか】

 

 ルゥが珍しく切羽詰まった表情で進み出た。他の面々もそうだ。

 

「はぁ……我々としても、何の為に使うモノかは解りませんので」

【感謝を。ポゥ、ワゥ】

 

 呼ばれて歩み寄る二人。それに反応しているのか、小瓶が燐光を放ち始める。

 

--引き合っているのか?

 

 本能的に感じ取り、彼は二人にそれを差し向けてみる。果たして、煌めきは強まった。

 

【御免なさい、もう煌玉の世界は無くなってしまったんです。帰る事は、もう出来ないんです】

【でもね、ボク達は生きてるよ。生きて此処に居るんだよ。だから、一緒に生きよう。ボク達と一緒に】

 

 懺悔の様なその言葉。その言葉を紡ぐと、二人は各々対応した色の小瓶の蓋を外す。輝く雫は--ポゥとワゥの入った結晶体に吸い込まれていった。

 

【終わりました】

「終わった、ッて?」

【漸く、還る事が出来た訳だよ。タツミ】

 

 疑問に答えたのはルゥだった。その、悲しい笑顔。

 

--解らない。一体どういう意味なのか。ただ……いつも脳天気なワゥまでもがその表情を引き締めている。

 

「ミズラ村の長よ。貴君の献身、確かに承った。我等は同胞の元へ戻り、グルン=ドラスの首魁たる暴君ダラバ=ウーザを討つ!!」

 

 スピンローディングしながら、天高くレバーアクションライフルを衝き上げて村全体に響くように声高に宣言する。

 こういう場合の見栄えも考慮に入れて造ったのが、このライフルだ。木目のストックと銃身部は、黒耀石のような鈍い煌めきと虹を放ち、幻想的なベールを纏う。

 

---おぉぉ……!!

 

 それを見詰める村民達も、声を一つに解放軍の名を讃え始める。まるで酒精に酔ったかのような、熱の篭った賛辞だ。

 

--……だったら、俺は俺の役目に徹するとしよう。彼女らの問題は、彼女らが解決するしか無いのだから。

 

 それを背に受けながら、彼等は国境村を後にしたのだった。

 

 ミズラ国境村を後にした一行は、ラスーラの村へと入っていた。そこはミズラ村への途中にあって、鉾に制圧されてかけていた所を救出した村だ。因みに食事時は、物見に集まった村民達で動物園の動物になった気分での食事だった。そんな村民達も流石に夜半過ぎには居なくなって、角灯の明かりに揺らめく室内には空とクリスト達だけが集まっている。

 尚、長距離の移動なので乗ってきた原付きを『黒い鉄馬』と珍しがられて凄く触られていた。なので先程、拭いたばかりだ。

 

「ひぃ、ふぅ、みぃ、よ、いつ、むぅ……フフフ……」

【ちょっと、アンタ……何銭勘定しながら悦に入ってるのよ、本気で気持ち悪いんだけど】

 

 他のクリスト姉妹がベッド上で歓談している脇。備え付けの卓に貨幣を並べて勘定している仁平姿の空と、それを呆れた顔で眺めているゼゥの珍しい二人組が居た。

 

「うるせーんだよ、黒チビ助。金ってのはな、この世界で一番信用できるコミュニケーションツールなんだよ。金さえ有りゃあ、信頼も愛情も買えるんだよ! 金さえ貰えるんなら、俺はそれがヘドロだって愛せるねッ!!」

 

 照明である角灯の揺らめく火影に照らされ、濃すぎて黒に見える金の髪の少年は死んだ魚みたいに濁った目でそう言った。

 

【アンタね……一体どれだけ根性ひん曲がってる訳? そんなに金が好きなら、なんでこの宿タダで借りなかったのよ】

「ハァ? そんなの決まってんだろうがよ」

 

 『タダで結構です、天使様!!』との村長の言葉を断って、彼等は料金を払って領収書を切り旅籠を借りる事にした。

 後で『天使を騙る者』が現れた際の対策だ。『天使は金を払う』事を徹底する。それだけの事だ。

 

「ところで、本当に良いんですか、ミゥさん? クロムウェイさんから頂いた軍事資金にはまだ余裕ありますよ? 別の部屋をとった方が……」

【構いません、タツミ様。節約は美徳です】

 

--羞恥心とかは……感じないんだろうな。どうやら男とは思われてないみたいだし……。

 

【旦那はんは男っぽいて言うより、おっちょこちょいどすからなぁーーーぁぁぁ………あべし!?!?】

【……タツミ、ミズラ村の時から言おうと思っていたのだが、自分の武器を投げ捨てるのはどうかと思うぞ?】

「いや、ちょっと気分転換に夜風を感じさせてやろうという契約者の心遣いです」

 

 窓の外に飛び出していき、草叢に突っ込んだ【幽冥】に構わず、数えていた貨幣を袱紗に包んで懐に戻す。

 その替わりに、防具類とレバーアクションライフルを取り出して、そのまま『整備』を開始した。

 

 工具箱を取り出して不測の事態に備えて目を保護する為に伊達の眼鏡を掛け、己の中に流れる神名『創世の呼び声響く』……則ち、コンストラクタのオリハルコン・ネームを引き出して調整する。

 まだまだ実験段階のこの武器、慎重に慎重を重ねた調整を施すに越した事は無い。

 

--この銃も鎧も、あの残骸……『マナゴーレム』の戦闘特化機体『ノル・マーター』の残骸だ。他の転生体達が覚えているかどうかは判らないが、神世にはこういう技術が在ったのだ。俺が本来得意としたのは戦闘じゃなくて、こういう物の開発と発展。その名残か機械には強いんだ……って、話が逸れたな。これはマナ製の一種の形状記憶合金で、コンストラクタが有れば改造が可能。しかもその威力は先程の通り。数少ないが、それでも世界に一つは存在する、神剣以外にマナ存在に対して対抗可能な武器だ。

 勿論、正しい使い方じゃない。本来は自律機動兵器だが壊れてるんだから仕方がない。設備も材料も無いし、今は修復も増やす事も不可能。大事にしないとな。因みに装弾数はチューブラーマガジン一本で七発分、こっちのボックスマガジンは三十五発分装填されている。

 

【タツミ様、私達は休もうと思うのですが……聞いてますか?】

【ちょっと、アンタ何ミゥ姉様を無視してるのよっ!】

 

--因みに魔弾と同じでマナ結晶の弾を使っている。勿論、鉾から奪った高純度の物では無く、専用マガジン内に仕込んだ根源変換の櫃が浮遊マナを集めた低質の物。それを各属性施設の『真珠の杯』に『青玉の泉』、『紅玉の炎』、『緑柱石の枝縞』『瑪瑙の黒月』を極小化した物を加えて、色分けしたマガジンに納めてある訳だ。

 そして、その発射機構は同じくアーティファクト『嵐の干渉器』に依る。装填されたマナ結晶を、嵐の干渉器により一部だけマナ嵐と換えた圧力にて押し出しているという寸法だ。

 

【アッキーてば、どこか遠い世界に旅立ってるね。本読んでる時のポゥ姉みたい】

【ふふ、違いない】

【はぅ……そ、そんな事無いですよぅ……】

 

 そのどれもが、そんな使用目的で作り出された物ではない。だが、空には独創性こそないが既存の物を小型化する才能、そしてその組み合わせで全く違う用途に応用してしまう事を得意とする才能が在った。

 ただ、その分緻密過ぎて頻繁な整備が必要になるのだが。

 

【その武器類は手間が掛かるな。弾は自ら装填する必要が有って、戦闘後には必ず手入れしなければ動作不良すら有る、か】

「もう慣れましたけどね。それに悪い事ばかりでも無いですよ」

【おっと、帰ってきたか。それで、それは?】

 

 興味深そうに様子を見るルゥ。空は銃口内を磨いて、カラの状態のライフルの照星に角灯を捉えて引鉄を引く。

 

「愛着が、湧きますからね」

 

 カキン、と焚火が爆ぜるような音を立てて撃鉄が墜ちた。

 

 

………………

…………

……

 

 

 朝霧に包まれたミストルテの街。その前哨の森の中で、彼等はその報を待っていた。望と沙月は、双眼鏡を手にミストルテの街の門に布陣する鉾を観察している。

 既にアズラミンウとルクルカンは奪還済み。後は空とクリスト達が別ルートのリスタラの街を奪還してくれれば、ミストルテの街に入るのみとなるのだ。

 

「空達……遅いですね」

 

 焦れるのだろう、双眼鏡から目を離した望が呟く。

 

「心配無いわ。何せ彼が同行しているのは、かつて『煌玉の世界』を救おうと『神』に反逆した……『剣の巫女』達だもの」

 

 対して、沙月は落ち着いたもの。望に水筒から注いだ麦茶を差し出し、それを飲むように勧める。一息ついて冷静になったのか、彼はその疑問を口にした。

 

「前から気になってたんですけど、ミゥ達って何者なんですか? どうして『旅団』に?」

「慌てないの。その時が来れば、彼女達の方から話してくれるわ」

 

 だが、沙月は鉾を見据えたまま諭す。

 

「……そうですね」

 

 彼もそれに理解を示す。彼とて人に言えぬ……それこそ秘めたる陰惨な『神世の記憶』が、断片的とは言え受け継がれている。

 

--……!

 

 と、イヤホンに繋いだ望の無線から声が漏れだした。イヤホンを押し込むように、彼は急いで耳に当て--

 

「巽くんから?」

「……いえ、希美です。そろそろリスタラ側の交代時間ですから、引き上げましょう、先輩」

 

 ほんの少しだけ、落胆した顔をした……

 

 

………………

…………

……

 

 

 後一歩でリスタラの街という所で、空は原付きを停めた。因みにこの原付き、若干マナゴーレムのパーツを流用していて速度や強度が高められていたりする。ただし、燃料はまだガソリンのままだ。

 

【どしたのさ、アッキー?】

 

 その様子にワゥが問い掛けたが、彼は答えない。ただじっと一点、リスタラ近郊の森の方に視線を向けている。

 

【いつまでそうしてる気よ。本当にデクの棒にでも成る気?】

 

 ゼゥの挑発的な台詞にもいつものような返しは無い、その様子が流石に不審だったらしい。

 

「ミゥさん、ルゥさん。リスタラの奪還は任せてもいいですか?」

【え? タツミ様、それは……】

【どういう事か説明して貰えないか、タツミ。突然それでは、納得しろと言う方が無理だろう】

 

 ミゥとルゥの当然の返事。だが空はそれ以上何も言わない。ルゥは一つ溜息を吐くと、真摯な顔で問うた。

 

【一つ聞こう、タツミ。それは、誰の為の行動だ?】

「--俺自身の為です」

 

 間髪容れずに返った言葉。鋭い青と琥珀色の瞳がと見詰め合う。

 

【そうか。分かった、気を付けるんだぞ】

【あ、ちょっとルゥ!?】

 

 それだけ言い残して、リスタラへ向かうルゥ。彼女を追い掛けていく残り四人。その彼女らが振り向かぬ内に、空は原付きを降りて駆け出す。

 黒い外套のフードを目深に被り、朱い襟巻きで顔を隠して。足音も無く、見据えていた森の中へと消えたのだった。

 

【ルゥ、ルゥったら! どういうつもりなの!?】

【そうです、ルゥ姉様! アイツ一人では危険過ぎます、我々の内の誰かが付いて--】

 

 黙然と先頭を翔けるルゥに追い縋るミゥとゼゥは、口々に彼女に翻意を促す。それだけ、心配しているのだ。

 

【ミゥ、ゼゥ……少しはタツミを信用してやれ。彼とて戦士だ】

【【う……】】

 

 その二人に、ルゥは落ち着いた声色で諭す。『心配している』と言えば聞こえは良いが、要するにそれだけ頼りにしていないという事でもあるのだから。

 ミゥとゼゥは、バツの悪そうな顔をした。その最初の頃の印象からか、どうしても頼りなく感じてしまう。有り体に言ってしまえば危なっかしくてしょうがないのだ、いつもギリギリの線を行ったり来たりしているのだから--……

 

 

………………

…………

……

 

 

 梢に背をもたせ掛けて、彼は人を待っていた。そう、人を。

 

「おっせーなぁ、街一つ偵察すんのにどれだけ時間掛けてんだ」

 

 それは、一言で表すなら野生児。紫色の髪を逆立て、一箇所のみ前髪に赤いメッシュの入った男。何処かの民族衣装のような戦装束を纏う、筋肉質な青年だ。

 

「ハァ、ッたく。力が有り余って仕方ねぇってのによ」

 

 コキコキと頚を鳴らして、彼は実に暇そうに呟いた。事実として暇だったし、連れの今までの言動で相当に鬱憤が溜まっている。後もう一押し分火種が有れば、彼は爆発してしまうだろう。

 

 だから、丁度良かったと。彼は笑った。

 

「来いッ、『黒い牙』!!」

 

 黒い、蝙蝠めいた翼を持つ狼の神獣を出現させると共に、その力を引き出す。彼の周囲に濃密な黒のマナが集い、魔法陣と成った。

 

「--ダークインパクト!」

 

 その術式を起動する。噴出した黒い衝撃波は--数十メートルは離れた木の枝を砕いた。

 満足げにそれを見詰めると、彼は飛び掛かろうとした脇の黒い狼を押し止めながら。

 

「躱したか。やるじゃねぇかよ? まぁ--」

 

 呟いて構えを取った彼の目に、黒い外套の袖と襟巻きを棚引かせ、着地したその『鴉』が映る。

 

「--そうじゃねェと、コッチが楽しめねェんだがなァ!!!」

 

 不敵に笑って言い切った、その両拳に--獣のものを思わせる、鋭利な三本の『鈎爪』が現れた。

 

 

………………

…………

……

 

 

 薄紫の逆立った髪、前髪に赤いメッシュの入った男が右拳を突き出す。その両拳にはいつの間にか呼ばれた、三本の鈎爪。

 そこから感じられる気配は紛れも無い、『永遠神剣』の気配。

 

(……ダラバ以外の神剣士、か。しかもまた結構な力だ)

【そうどすなぁ……この夜と血の気配に、あの獣臭さと汗臭さ。黒属性の直接攻撃系どすなぁ】

 

--さてと、状況から考えられるコイツの正体は何か。

 最も高いのはダラバの協力者。そしてもう一つ、出来ればコッチで有って欲しいが『光をもたらすもの』の可能性だ。

 

 青年を見遣る。隙の無い構え。間違いなく、弛まぬ鍛練を積んだ者の証だ。

 ザワリと風が二人を撫でる。葉が擦れる音がやけに大きい。互いに微動だにしない構えで、互いを観察しあう。

 

「……それが、お前の神剣か」

 

 ヒリヒリと首筋に感じる威圧を振り切るように、空は問い掛けた。無論、ハッタリの一部。余裕を崩していないというブラフであり、返事は期待していな--

 

「おうよ! これが俺の永遠神剣第六位【荒神】だ!」

「……」

 

 その問い掛けに返事が返った。しかも御丁寧に自信の神剣の格と銘を告げて。

 

「いや、お前……何て言うか」

 

 簡単に答えすぎだろう、と。彼は思わずフードの上から頭を掻く。そして、もう一度。

 

「何故、俺の存在に気付いた?」

「へ、昔から勘と鼻は鋭いんだ」

 

 得意満面に答えて、鼻を親指で擦って見せる。その様子に、いよいよ空は--口角を吊り上げた。

 

--勘と、『鼻』ねぇ……そんなモノに俺の隠蔽が破られたのか。

 

 その緊張と驚きが去れば、段々と愉快になってくる。そう、愉快にだ。

 

--これで俺は、更に隠蔽を強固なモノに出来る。まぁ、生き残れれば、だがな。

 身体が軽い。これなら戦える。

 

「じゃあ、それが神獣だな」

「ああ、コイツは『黒い牙』……『クロ』だ」

 

 またもや、気前良く暴露する。その瞬間、狼が主人を見遣った。

 

「主よ。初対面の相手にまでその不愉快な仇名を植え付けるのは、止めて欲しい」

「喋った!?」

「狼が喋ってはいかぬのか?」

 

 その魅惑的なロートーンボイス。それが今度は思わずツッコんでしまった空に向けられる。

 

「あ、いえ、すいません。非常識の中で常識的な判断してました」

「解れば良い。狼を見た目で判断してはいかぬぞ」

 

 ついついやってしまった素直な謝罪に気を良くしたのか、黒い牙……クロは、燻し銀な声で噛んで含めるように告げた。

 

「さっきから何をゴチャゴチャと言ってやがんだ。テメェもとっとと神剣出しやがれ!」

 

 焦れたような青年の声に、空は頭を掻く手を止めた。そして、額を抑える。リアルな頭痛を感じた為に、俯いて--太股に装備している垂直二連の穴を持った、逆にしたホチキスのような装置が目に入るがこの距離で出番はないので秘匿する事にした。

 

「……はいはい」

 

 ライフルを抜き、青年がそちらに目を奪われている隙に【幽冥】を番える。それに気付かず、男は歯を剥いて獰猛に笑った。

 

「手ェ出すなよ、クロ。コイツは俺の獲物だからな」

「了解した。好きにすればいい」

「おうよ! 俺の名はソルラスカ……『荒神のソルラスカ』だ! テメェの名は!」

 

 その名乗りは、森に響く大音声。鼓膜を揺らす声に、苛立つように空は三白眼を向けた。

 

--全く、鬱陶しい奴だ! もういいさ、後は捕えてから聞かせて貰うとしよう。

 

 装填済みの【幽冥】を外套の中に潜ませての、派手なアクション『スピンローディング』でサイドアームのライフルの方を獲物……ソルラスカに注意を向けさせて。

 少し腰を落として直ぐに動ける体勢を作った、その姿勢のまま。

 

「巽空だ……永遠神銃【幽冥】が担い手、『幽冥のタツミ』だ!」

 

 空もまた、大音声を以て答えたのだった--



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兆しの鈴音 黒い拳士 Ⅲ

 ライフルから放たれた、炸裂弾頭『エクスプロード』が疾駆する。

 

「せいやッ!」

「--ッ!」

 

 それを信じられない動体視力で掻い潜りつつ繰り出された拳打を、身体を反らす事で避ける。

 その拳には、鋭い爪。当たればただでは済むまい。

 

「まだまだァ、でやァァッ!!」

「クッ……!?」

 

 続いて繰り出される裏拳。猛打を右腕で受け流したが、その剛力により吹き飛ばされた。

 盛大に軋んだ右腕だったのだが、辛うじて折れてはいない。その勢いのままで、近接戦闘では分が悪いと距離を取るべく後退する。

 

「--くは、ハァ……!」

「どうした、そんなもんかよ?」

 

 息を吐いて、ソルラスカは落胆したかのように拳を鳴らす。

 対して、空の方は痺れた右腕を振りながら彼を睨みつけた。

 

--チ、流石だな。『闘争の神』"サジタール=ゼヒル"!!

 

 思い出したのは、かつて北天神として轡を並べた事もある神性。『闘争』を象徴する北天の一柱、眼前の少年の前世である。

 構え直し、更に腰を低くする。既に間合いは見切っているが--相手は神剣士だ。気を抜くなど、出来る筈が無い。

 

--それに、コイツがサジタールの転生体だったら……『あの神』が近辺に居る可能性も有る。

 

 【幽冥】の索敵に、意識の大半を割く。感じ取られた無数の生物の気配から、永遠神剣の反応だけを選び取る。

 

--リスタラに五、クリストの皆か……リスタラに感じられていた鉾の気配は無い。もう奪還に成功して、今頃は無線で報告を入れているのだろうか。

 

「……!」

 

 と、リスタラの方から近付いて来る気配。少なくとも『今生』で感じた事の無いその気配は。

 

--居た。ヤハラギとアルニーネの因縁通り、コイツらも因縁って訳だ。

 さて、これで決定的だな。奴が来る前にケリを付ける必要が--

 

「--オイ、気ィ逸らしてんじゃねェぞ」

「……ッ!」

 

 その右腕が弓に番えられた矢のように引き絞られる。その一撃を受ければ、今度は腕が圧し折れるだろう。

 

「食らえッ!!」

 

 牽制の為にライフルを肩に掛け、背面のホルスターに入れた銃に--人間工学に基づく独特な形の近未来的な銃『マグプルPDR』をモチーフにしたPDWを抜く。

 三点バーストでバラ撒かれる、雷速の銃弾の雨『イクシード』。窮地に、ソルラスカは迷わず--

 

「征ィッ、崩山槍拳!」

 

 掛け声と共に、突き出していた左腕を槍と変えて目にも留まらぬ速さで駆けた。その速さたるや、蹴った勢いで地面ばかりかその拳に纏う黒いオーラで命中コースの弾を砕き、最短距離で迫り来る。

 

(オイオイ……確かに数を揃える為に作った搾り滓みてェな弾だが、曲がりなりにも魔弾だぞ!)

【ひゃー、こらマズイどすなぁ】

 

--見ろ、これが神剣士との差だ。ミニオンを何十体屠ろうと、俺と本物の神剣士の間にはこれだけの差が有る!

 

 側転して、なんとかソルラスカの『崩山槍拳』を掻い潜った空。そのまま二転三転して距離を--

 

「遅いぜッ、猛襲激爪!」

「な、糞ッ!」

 

取れない。その俊足は正に突風。追い縋り爪が振り下ろされ、地面を削り取っていく。

 

「逃げてばっかかよ! ちったァ掛かって来やがれ!!」

 

 地を転がり逃げの一手に尽きる空に業を煮やして、ソルラスカが激昂して叫ぶ。

 

「うォ!?」

 

 それがほんの僅かな隙となった。空は地面を掻いて、握った土をソルラスカの顔面へ投げ付ける。

 

「ッつ、テメェ……汚ねェぞ!」

 

 目を擦りながら、ソルラスカは周囲の気配に気を配る。普通の者なら動転するだけだろうが、彼は熟達の闘士。

 このような状況を経験したのも、一度や二度ではない。対策は心得ている。幸いにも目には入っていなかったらしく、瞼が開いた。

 

 そこに映った黒い脚甲の足裏。踵には鋭利な部分が有り、殺傷力も持つそれ。

 

「なァッ!?」

 

 ソルラスカは腰を落とした旋風のような後ろ回し蹴り、『我流・龍撃の型』を躱す。次いで、反撃しようと右腕に力を篭めて。

 

「チィ!」

 

 後ろに跳び跳ねて、堕ちてきた弾を回避する。何と優れた野性の勘か、もしもこれを迎撃して破壊していれば、魔弾が暴発していた事だろう。

 

「フッ!」

 

 だが、それも予想の範疇。空は墜ちてきた魔弾を器用に【幽冥】へと装填した。

 

「--貰ったァァァッ!」

【マナよ、災竜の息吹となり敵を撃て--】

 

 だから、ソルラスカはその一撃に対応が遅れた。真っ向から向けられた【幽冥】の撃鉄が墜ちる。装填されている魔弾を放つ為に。

 

「捉えた--ヘリオトロープ!」

 

 撃ち出された、太陽を飲み込むという災竜の息吹。そしてその技『ヘリオトロープ』とは、手向けの花にして『太陽を呼び戻す石』の事だ。則ち、その一撃は指向性を持った超極小の擬似太陽の発現に他ならない。命中した物質自体をプラズマ化させるその技の前にマナによる防御は全くの逆効果。しかし、その熱量は防御無しでは耐え切れない。

 だが、何よりも恐るべきはその速度だ。この程度の距離なら刹那で届く音速弾、如何に神剣士でも足場の無い空中では躱せず、引き戻したままの腕ではどうしようもない。

 

「裂空--」

 

 あくまで『常識的』には、だが。ソルラスカの右拳に力が篭る。目前まで迫った光り輝く弾丸に、ソルラスカは反応してのけたのだ。そもそも鋭敏な感覚を更に研ぎ澄まして常識を越えた速度を得る、黒特有のその技は『ファイナルベロシティ』。

 

 そして--

 

「--衝破ァァァッ!!!」

 

 裂帛の気合いと共に、右の発勁が放たれる。災竜の息吹を捉えて衝撃を叩き込み、極小恒星を散乱させた。

 

「マジ……かよ……」

【んな、阿呆な……】

 

 引鉄を引いた姿勢のまま、彼らは呆気に取られていた。今まで、放てば必ず標的を撃ち砕いてきた『切り札』である魔弾が、傷一つすら与えられなかったのだから。

 

--有り得ない。そんな莫迦げた芸当が出来るなんて、俺の理解の範疇を越えている。これは本物の魔弾だぞ!

 

「--貰ったァァァッ!」

「ッくァ!?」

 

 繰り出された上段からの爪撃が空の襟巻きを引き裂いた。白日の下に、その面相が曝される。

 

「へッ、ちっとやり過ぎちまったか。ま、大人しく降参しやがれ」

「……んな……に……」

 

 交戦の構えを解き、腕を組んだソルラスカ。対して空は血の滴る頬を抑えて蹲り、何かを呟く。

 

「何だよ、隠してっからどんなに好い男か二目と見られねェ顔かと思ってみれば、普通--ッ!?」

 

 そんな軽口を叩こうとした瞬間に、ソルラスカの首筋を光が薙ぎ払った。

 

「オイオイ、テメッ!!」

 

 猛然と止まる事の無い薙ぎ払いにソルラスカは後退をし続ける。し続けながら、叫んだ。

 

「何本神剣持ってやがんだッ!!」

 

 外套を脱ぎ、腰布として巻いて動き易くしたアオザイ風衣装……要するに本気を出した空が、両手に握るホチキスのような独特な形の弐本の武器。握る銃『アストラ・プレッシン』を模倣した武器。

 その垂直二連の銃口部分に形成された『ビームブレード』の両刃と『ハイパーデュエル』の片刃。その機構はライフルと同じ仕組み、装填しているマナ製の銃弾から発生させた刃だ。

 

「--こんな莫迦に、いいようにやられるなんてな!!」

 

 その二刀流は、忌ま忌ましいが望の【黎明】をモチーフにした技。続けざまに振るわれ続ける青と黒の剣閃は留まる事を知らない。

 

 それを躱しながら、ソルラスカは舌打った。躱しきれずに受けてしまった『初撃』、振り抜くのと同時に放たれた通常弾頭を受けた右太股と左腕の感覚が無くなってきた為に。

 今は辛うじて、舞踏の如き防御『流舞爪』により刃を受け流しているが、このまま防戦を続けたとしてもジリ貧は目に見えている。

 

「--チックショウがァッ!!」

 

 起死回生、そのまま前転して刃を躱しながら空の懐に潜り込んだソルラスカ。それに向けてまたも回し蹴りが見舞われる。それを、最早十分に動かなくなった左腕で受け止めたソルラスカの首筋へと向けられる、弐本の刃。

 

「破ァァァッ!!!」

「羅ァァァッ!!!」

 

 切り結ぶ。最早、技巧ではなくただ勢いのみで。二人は死合う。戦術等と呼べる様なモノは何一つ無い。どちらも捨て身だ。

 

「--チィッ! ハ、へヘッ!!」

 

 その刃を右手の【荒神】で弾き、ソルラスカは笑った。これこそ、彼が求めていた闘争だ。

 打算も計略も無く、ただ眼前の敵を凌駕する為だけに全身全霊を尽くす。ただそれだけ。

 

 それこそ、彼が望んでいたモノなのだ--!

 

 唐突に、二人共が距離を取る。ソルラスカは体の調子を見る為に、空はマナ切れした銃弾の交換を行う為に。

 その間、ソルラスカは楽しげにしていたが、空の方は当然必死。疲弊しきった顔を向けている。

 

「どうした、むっつり黙ったままでよォ。もっとテンション上げろッてんだ!」

「一体何で、テメェにテンションの駄目出しされなきゃならねェんだよ。騒がしい奴め」

 

 熱が篭っていた分、それは顕著に感じられたのか。その見下した、冷めきった笑みを浮かべた表情にソルラスカは眉をひそめた。

 

「……気にいらねェ」

 

 空は意識した訳ではない。だが、その態度と表情が。彼の相方が執心の男と被って見えた。

 

「オイ、タツミ……だったよな」

「……ああ」

 

 その口角が、吊り上がる。笑顔ではない。明確な敵意だ。彼にはもう、目前の相手を捕らえよう等という気は無くなっている。

 もし生きていればそうしようと、その程度。

 

「終わりにしようぜ--全力で、打ち込む!!」

 

 右拳を腰溜めに構え、気を集中させる。その闘気の昂りを如実に示す、精霊光の煌めき。

 

「--良いぜ……来い!!」

 

 空も構えを取る。充全に戻った弐本の握り拳銃を番えての完全な反撃の型。

 

「--征くぜッ、獣牙断!!」

 

 凄まじい速度で、ソルラスカは距離を詰める。僅か五歩分の距離を半歩も無く詰め--

 

「--なっ?!」

 

 そして見た。右のグリップガンから放たれた火炎放射『ファイアスロワー』を回避した後、同じく左のグリップガンから凄絶な閃光と耳を聾する轟音が迸しった様を--!!

 

「--クソッ……!」

 

 左のグリップガンより放たれたのは、まるでスタングレネードのような光と音の塊。

 『シャイニングナックル』の、閃光と轟音の目眩まし耳眩まし。ダメージはさほどでも無いが、光を見た目と音を聞いた耳はそうもいかない。常人なら失明する閃光と鼓膜を破る轟音は、一時的に彼の視力と聴力を奪い決定的な隙を作り上げた。

 

「--あばよ」

 

 それを逃す空ではない。カナルタイプのイヤホンとサングラスでスタングレネードを無効化しつつ使い切ったグリップガンを投棄し、瞬時に走り込んだソルラスカの背中に【幽冥】を突き付ける。

 辺りに満ちる土埃のせいで、今やソルラスカの鼻もまともに機能していない。

 

「--そっちこそなァァッ!!!」

 

 それに、彼の『勘』が反応した。それこそがソルラスカの狙い。この男はただの勘と鼻によって空の隠密を見破った男なのだから。空が、敵の虚を衝く暗殺術じみた戦術の遣い手だという事には既に気付いている。

 それならばその虚を予め作ってやればコイツはそこに飛び込んで来る、しかも確実を期す為に至近距離に、と。目を使えなくても、この距離でなら逃しはしない!

 

「--獣牙断ッ!!!」

 

 右の爪が唸りをあげる。それは間違いなく今までで最大の威力の技。二つの『必殺技』が交錯する--その刹那、『必殺技』が全く同時に弾かれた。

 【幽冥】は、魔弾が放たれる前に『光の弾丸』で。【荒神】は、腕ごと『旋風』によって。

 

「--は?」

「--い?」

 

 互いに殺傷能力は失った。だが、飛び掛かった勢いと迎え撃った勢いは止まらない。

 

「「--ちょ、待っ!!?」」

 

 互いの顔が近付き--ガゴンッ、と酷く鈍い音がした……。

 

 

………………

…………

……

 

 

 それから数刻の後、地面に正座させられている空とソルラスカ。その二人の前には、和風な肩当てと胸当てを身に付けて黒髪を三つ編みにした少女。

 その背に担がれた長柄の武器、白っぽい薙刀。やはりそれは永遠神剣だ。

 

「私は、タリア。永遠神剣第六位【疾風】の『疾風のタリア』よ。アンタは?」

「巽……神銃士『幽冥のタツミ』です……」

「神銃士タツミ……ね。それで、なんでソルと闘ってた訳?」

 

 その怜悧な視線は、かなり警戒しているらしい。当然といえば、当然だろうが。

 

--てか、なんでだ? 何で俺はいつも女に見下ろされながら正座させられるんだ? 運命?

 

「どうもこうも。正体不明の相手と出くわして、その正体探ってる最中にいきなり攻撃されたら……そりゃあ、闘うでしょう」

 

--まぁ実際、それ以外にも理由は有ったけどな……ここは言わぬが花だろう。

 

「……本当なの、ソル?」

「……ああ、そうだよ。そりゃあ木の上で銃を持って様子窺ってる奴が居たら怪しいと思うだろ? しかも、見てみりゃ完全に悪人の格好だし」

 

--『テメェも悪人面だろうが』と言いたいところを、ぐっと我慢する。

 

「アンタ達ねぇ……少しはモノを考えたら?」

「「……うぅ…………」」

 

 取り付く島も無い怜悧な物言いに、空とソルラスカは同時に顔を見合わせて--

 

「「うぅ……」」

 

 気まずくなって目を逸らした。

 

--俺のファースト……い、いや、なんでもない。なんでもないさ……そんな事、俺は男だしさ……そんな小さい事で…………

 

【まぁ、野良犬にでも噛まれたと思うて一つ】

(煩せェェェッ! 誰が上手い事言えッつったァァァッ! 腹立つんだよ、テメェに言われると!!)

 

 今すぐにでも、懐の【幽冥】を投げ飛ばしてやりたかったが流石に今は出来ない。後で意趣返しをしてやろうと誓う空だった。

 

「……ふぅ、まあ良いわ。漸く、斑鳩達に繋がる手がかりと合流が出来た訳だしね」

「斑鳩って、生徒会長ですか? と言うか、貴方達は一体何者なんですか?」

「何者って……斑鳩に何も聞いてないの?」

 

 腕を組んで思案し始めたタリアに空は問い掛けた。それに彼女は、余程意外だったのか。キョトンと無防備な表情を見せる。

 

「……いえ、さっぱり」

「アンタ、本当に斑鳩の仲間?」

 

 だが、すぐに訝しげに睨む。

 

--大きなお世話だわ。一番自信が無いのは誰だと思ってるんだ。

 

『大丈夫ですタリア様、タツミ様の素性は私達が保証致します』

 

 そこに入ったミゥのフォロー。空とソルラスカの傷を癒したポゥも頷いている。

 

「ミゥ達がそう言うんなら、問題は無いでしょうね」

 

 それで納得したらしい。やっとタリアは、空に向けていた不審の眼差しを止めたのだった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 取り敢えずリスタラの街に戻る事を決めて空とミゥとポゥが先に、ソルラスカとタリア後に続く形で森の中を歩いていた。

 そんな中、生い茂る下草を踏みながらタリアがソルラスカに小声で話し掛ける。

 

「ソル。アンタ、覚醒したばかりの学生相手に引き分けるなんて、弛んでるんじゃないの?」

「あぁ!? 仕方ねェだろ、すげぇやりづれぇ相手だったんだから」

 

 つい大声で返したソルラスカに、タリアは咄嗟に前方を歩く三人に目を向ける。

 だが、向こうは向こうで会話に集中しているらしく、気に留めず歩いていた。

 

「『やりづらい』? それって、どういう意味よ?」

 

 『静かにしなさい』との意志を篭めた冷徹な視線でソルラスカを圧倒しながら、彼女は続ける。

 認めるのは癪だが、ソルラスカの実力は彼女も知っている。紛れも無い実力者なのだ。その男が、覚醒間もない神剣士に引き分けたなど俄には信じられない。

 

「どうって、気配が無いわ足音が無いわ、呼吸音が無いわ。おまけに神剣を何本も持ってやがるし」

「気配云々はともかく、神剣を!? そんな神剣士が居る訳が……」

 

 その俄には信じられない情報に、タリアは思わず前方を歩く少年を眺める。ソルラスカも同じく。

 

「居るんだよ、あそこに。しかもありゃあ、一度腹を決めたら戦いにも殺しにも一切疑問を持たねータイプだぜ」

 

 黒い外套で、全くと言っていい程に体格は判らず装備する武器もライフル以外は窺えない。

 判るのは背の高さと、こちらを時折窺う中庸な面相。

 

「ッたく、随分と汚ねぇ戦い方をしやがる。勝ちゃあ良いって感じだったな」

「……そうね。どうにも--」

 

 だが、彼女にとってはそれだけで充分だった。充分--

 

「……どうにも、気に入らない目をしてたわ」

 

 その存在が気に喰わないし信用出来ない理由になった。

 

「……タリア?」

「なんでもない。さぁ、リスタラに急ぐわよ」

 

 剣呑な気配を察し、ソルラスカはタリアに語りかける。一つだけ溜息を落とし、タリアは今度こそ歩く事に集中し始めたのだった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 草叢を踏みながら歩く、空達。いや、踏んでいるのは空だけだが。ひとしきりミゥに叱責された後、彼は口を開いた。

 

「しかし、驚きましたよ。まさかあの連中が、会長やミゥさん達の所属している組織が寄越した補充要員だったなんて」

『私も随分と驚きました。まさか、ソルラスカ様やタリア様の二人がいらしていたとは露知らず』

 

 ふと後ろから視線を感じ、彼は振り返った。目線の先にはぶすっと歩く二人組。つまりはどっちか、或いはどっちも。

 並び立つその姿に空のものではない記憶の情景が混ざる。

 

「……ハハ」

『タツミさん?』

 

 込み上げる笑いを抑え切れずについ漏らしてしまい、ミゥとポゥに怪訝な顔をされてしまった。

 懐を漁り、小さな箱を取り出す。そこから取り出した絆創膏を、額の傷に貼付ける。

 

--またサジタールのお守りか?ホントに因果だな、『成長の神』"シェミン=プルト"。

 

 そして先程の決着でソルラスカに『当てる』はずだったグリップガン、『サンダーボルトハンズ』で帯電させてスタンガンと化したそれを手慰みにして。

 神世の古と変わらない情景に、笑いを堪えるのに必死だった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 ミストルテが奪還されたその日の夜、満天の星空の下にその少女は立っていた。

 いや、それは立ち尽くしていると言うべきか。

 

「…………」

 

 物部学園の校庭には黒鎧に身を包んだ少女の姿が在る。その胸中には大きな乱れ。受け止めようの無い事実が荒れ狂っていた。

 

「カティマ……?」

 

 ゆっくり星を見上げていた彼女に呼び掛けたのは、茶髪に碧眼の少年。

 

「望……」

 

 その驚いたような彼の顔に彼女は安堵したように相好を崩す。

 

「今日は早く休むんじゃなかったのか?」

「少し、考え事をしていまして」

 

 だが、拭い切れぬ憂いがその目にはありありと映っている。望はそれを見逃さなかった。

 

「カティマ……俺さ、この世界に来て思った事が有るんだ」

「……思った事、ですか」

 

 突然の言葉に彼女は面食らう。鸚鵡返しに聞き返すと、彼は苦笑しながら口を開いた。

 

「ああ。人って、不思議だよな。もう全部知ってると思ってたのに、この世界に来て……非現実の中に落とされて。全然知らなかった一面が見えてきたんだ」

 

 ふと後ろを見遣る。女子生徒達が根城としている学生寮。そこに居るであろう、二人の少女の姿を思い浮かべる。

 

「……希美は本当に優しい奴で、虫も殺せない女の子だって思ってた。でもこの世界に来て、神剣を持って敵と闘ってる。沙月先輩も優しくて頼り甲斐が有る人だとは思ってたけど、この世界に来て、頼り甲斐が有るなんてもんじゃあ無いって判った。先輩が居なきゃ、きっと俺達はバラバラに崩れていた筈だ」

 

 本当に判らないモノだ、と。彼が抱いていたのは全て幻想だったのではないかと思う程に。

 だがそれは話題に上った彼女達からしてもそうだった事だろう。世刻望という人物について持っていた印象も変わったのではないか、と。

 

 そして一番印象が変わった人物の姿を思い浮かべた。

 

「それに……空」

「巽……ですか」

 

 普段は教室の机に座り本ばかり読んでいた、その少年。珠に自分や信助に話し掛けられて、無愛想ながらも律儀に応じていた仏頂面の男。

 

「空はいつもぶすっとしてるけど、根っこは良い奴だって思ってた。だけど、この戦に参加する前の生徒会で判らなくなったんだ」

 

 望は、煌めく星空を見上げる。見上げながらその心情を吐露していく。

 

「でも、判らないのは……アイツだって同じなんじゃないかと思うんだ。いつも自分を隠してて……ああもう、なんて言ったら良いのかな」

 

 なのだが、元々口下手な彼の事。すぐに言い淀み、くしゃくしゃと髪を掻き毟る。

 

「……そうですね。巽は、自らを幻の如く揺らがせているかのように思えます。まるで、新月のように本質そのものを消してしまおうとしているような……」

 

 その望に助け舟を出すカティマ。だがそれは、彼女も抱いていた感想だった。

 

「ああ。だから、悔しいんだ」

「悔しい…ですか?」

 

 彼は、髪を掻き毟っていた手で頬を掻く。掻きながら、本心から悔しそうに呟いた。

 

「空はさ、幼馴染みなんだ。誰が何と言おうと、大事な俺の友達だ。この世界に来てからはもう寝食だって、共にしてる……『家族』なんだ。だから、その『家族』が頼ってくれないのは……一人で、何かを抱え込んでるのは悔しい」

「……あ……」

 

 その一言が、彼女の胸に堪える。堅く鎖されていた心に。

 

「なぁ、カティマ。俺達は確かに出会って間もない。だけど、俺にとってはカティマももう『家族』なんだ。だから、一人で抱え込まないで欲しいんだ。俺で駄目ならそれで良い。希美に先輩、空……皆きっと、いや、絶対にカティマの事を心配してる」

 

 その心の『錠』に刺さっていた、前に空が差し込んだだけだった『鍵』を回したのだ。

 真摯に彼女を見詰めて言い募る。その真っ直ぐな眼差しと温かな言葉が。彼女の心に在った、重責が流れ出ぬように押し止めていた『門』を開いた。

 

「……やはり、望に隠し事なんて出来ませんね」

 

 カティマの眦には、煌めく物が有る。押し止める事は出来ない、それを見せぬように彼女は星空を見上げて--

 

「お話します。私に受け継がれた王家の遺志……『プロジア文書』に記されていた、アイギアの血に宿る『罪』を」

 

 新たな決意と共に、そう告げたのだった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 リスタラの宿屋を借りた一行。今度は、二室。男部屋と女部屋の二つに別れている。

 空は夜風を浴びながら、使った武具を手入れしていた。

 

【旦那は~ん、わっちにもお願いしますってば~……てか、取りに来てくだしゃんせ~~!】

 

 何処かその辺に放り投げられた、【幽冥】を除いて。

 

【旦那は~~ん、聞こえとるんどすかぁ~! ちょっ、さっきから蟲が! 蟲がわっちの孔に入ろうとぉぉっ! (※『銃"孔"』です、念の為)  このっ、このっ!! よっしゃ撃退、燧石式舐めんなや……ヒイ、火花に釣られてもっと来たぁぁっ!】

 

 完全無視を決め込み、彼は最後のグリップガンの整備をし終えた。息をつき、こちらをガン見している男に視線を向ける。

 

「……なんだよ」

「いや……永遠神銃だったっけ? あれ取りに行かねーのか?」

「気にすんなよ。明日辺り取りに行く」

【旦那はんの鬼、悪魔、ドS~! いつか、ホルスターの中で暴発してケツに着火したる~!】

「明後日でもいっか」

【旦那はんんんん、わっちが悪ぅござんしたぁぁぁっ!】

 

 悠々とベッドに寝そべり大判の本を読み始めた空に、ソルラスカはジト目を向けた。

 

「…………」

「…………」

 

 そのまま、数分が経過する。

 

「……オイ、なんか喋れよ」

「……独り言でも言ってりゃ良いだろ。俺は読書中だ」

「間が持たねーっつってんだよ。根暗な奴だな、お前」

「煩せェよ、放っとけ」

 

 どこかで聞いた台詞を吐かれて、空は目を薄く開けて睨み付ける。と、ベッドがギシリと乢んだ。ソルラスカが、隣に腰を下ろした為だ。

 

「しかしお前、良い動きしてたな。格闘技の心得でもあんのか?」

「多少はな。まあ、嫌々やってたモンだ。お前の世界とは違って、俺の世界じゃ格闘技は娯楽に成り下がってる」

 

 夕食時の自己紹介で知った情報だ。ソルラスカの出身世界の名は『争いの世界』。その名の通り、争乱の絶えない戦国時代のような世界らしい。

 

「へぇ……俺は自分の力を試す為だ。それに、守らなきゃならねぇ家族も居たからな」

 

 ソルラスカのその一言。それに空は反応した。

 

「『家族』……か」

「おぅよ……まぁ、恥ずかしくて本人らには言えねぇけどな」

 

 ごく僅かにだが、確かに羨望の色を含めて。

 

「お前も、家族を守るくらいの力は貰ったんだろ? 師匠には感謝しろよ」

「いねぇよ、『家族』なんて」

 

 諭すようにウンウン頷いていたソルラスカだったが、ボソリと空が呟いた一言に気まずそうな顔をした。薮蛇だったかと。

 

「止めろ、気味悪い。そうやって気にされる方がムカつく。第一、こっちは生まれた時から天涯孤独なんだ。慣れてる」

 

 本に目を向けたままの空を見て、ソルラスカは一つ頷いた。

 

「オッケ、仕切り直しだ。んで、何読んでんだよ?」

「ポゥから借りた本だ。何でも、『旅団』の書架で見て気に入ったモノを持ってきたとか」

「本か……苦手な部類だ」

 

 ソルラスカは若干頭痛を覚えた。彼は何でも、本アレルギーなるモノを抱えているとの事。

 

--てか、本アレルギーって何? 聞いた事無いんだけど。

 

「かい摘まんで説明してくれ」

「なんで無理してまで話し掛けてくるんだっての、お前は…………題名は『ファンタズマゴリア』だ。女騎士のユーフォリアが王子を守って冒険するって話」

「面白いのか?」

「少なくとも暇潰しにはなる」

「どれどれ……頭イテェ」

「ほとんど絵本だぞ、コレ?!」

 

 そうして、騒がしくならない夜は更けていく……

 

 

………………

…………

……

 

 

 漆黒が紫に、そして蒼ヘと移り行くリスタラの朝空。未だ朝陽は昇りきらず、街はまだ眠りの底。それは神剣士とて例外ではない。

 

「--ッ、クッ! フッ!!」

 

 宿の裏手の、雑木林の中で套路を行っているその男を除いて。

 舞うアオザイの袖と裾。左利きを前提とする、通常形態を鏡写しにした変形套路。

 

「フッ--ハァッ!!」

 

 得意技の『虎破の型』を放って、停止する。残心を示して構えを解いて一息吐く。

 傍のペットボトルを取り、澄み渡った水が充填されたそれの螺子を開けて少量含む。火照った身体が冷却されて、心地良さ気に頭を振った。

 

「でも、何て言うか……これじゃねぇんだよな。もっと……旨い水を飲んだ事がある筈なんだけど」

 

 その、不満足感に。最近知った筈の何かに思いを馳せる。だが、知っている筈のそれはどうしても思い出せなかった。

 代わりに思い出す、ソルラスカの拳。今まで放てば確実に獲物を撃ち砕いてきた魔弾を粉砕した、理不尽にも程が有る男。

 

「弱いな……俺は……」

 

--良い気になりやがって。多寡だか鉾を屠ったくらいで神剣士に比肩したつもりだったのか。図に乗ってリスタラ奪還をクリスト達に任せ、自分は強力な神剣の気配に釣られた。

 莫迦莫迦しい。己を見失って、敵う筈の無い相手に勝とうとしたんだ。俺が必死こいて修得しようと足掻くその技法を、あいつらは神剣を手にした瞬間から使えるのだから。

 

「……チッ!」

 

 その力量の差は、目眩がする程に果てしない。一体、どれだけの断層が横たわっているのか。

 それは、努力如きで埋められるモノなのだろうか--

 

--にしても、この、剣の世界に来てからは師匠が俺に叩き込んでくれた武芸が役立った。

 本当に、あの人は判らない。俺が必要とする事が判っていたような……

 

 一体、彼女は何者なのだろう。そう考えて、そう言えば身の上を尋ねた事など無かった事に気付く。巫女さんだろうと勝手に断じたから。

 

--迂闊だな。『可能性』を無視して判断するなんて……

 

 そう苦笑しながら。空は明けに染まり始めた天を見上げて、宿に戻る事にした。

 

 宿の食堂に集まって食事を摂る一行。因みに人払いされている為、他の客は居ない。

 

「会長、もういいじゃないですか……すいませんって……」

 

 空は窓際に立ち、無線を片手に謝罪を繰り返した。それを横目に見ながらクリスト族とソルラスカ、タリアは朝食を摂っていた……というか、摂り終わっていた。

 

「……なぁ、アイツは何時もああなのか?」

【え、えっと、割と……】

【いつも誰かに謝ってる気がするよね】

 

 答えたのはポゥとワゥだ。そのユニットの中には--マナ結晶。空の根源変換の櫃によって結晶化させられた『クリスト室』の中に満ちるマナ、つまり予備タンク。全員がそれを二つずつユニットに搭載している。

 

「腰の低い男ね……プライドとか無いのかしら」

 

 冷たい眼差しを向けるタリア、その声色も氷点以下だ。青属性の象徴のよう。

 

【あの男に、そんなモノが有る訳無いわよ】

【こらこら……】

 

 それに、負けず劣らぬ冷たさのゼゥ。嗜めるルゥも、強く否定は出来ないという風合い。

 因みに他が軽いサンドイッチ的なモノだったのに対して、ソルとルゥだけは肉類中心。とても朝食とは思えないカロリー量だった。

 

 頭をボリボリと掻いて、苛々を発散させている空。焦れているのだろう、窓の傍を行ったり来たりしている。

 鬱陶しそうにそれを眺めた後で、タリアがミゥに尋ねる。

 

「ねぇミゥ、もう一度聞くけど、アイツは本当に斑鳩達の仲間なのよね?」

【は、はい。間違いは無いのですが……どうもその、サツキ様との折り合いが悪いようでして】

「なんだそりゃ」

 

 ソルとタリアは、揃って盛大な溜息を吐いたのだった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 斜陽に夜の息遣いを感じ取って、ミストルテの門番達は扉を閉め始める。その表情の、晴れやかさたるや。

 少し以前は面倒以外の何物でも無かったその作業が、こんなにも心踊る物だったとは。ミストルテが反乱軍により奪還されなければ、気付く事も無かっただろう。

 

「「「待ったァァッ! ちょっと待ったァァァッ!」」」

 

 その瞬間に、閉じる寸前の扉を潜り抜けようと、こけつまろびつ人影が転がり込んだ。

 

「あ、アンタ……門の閉まる時間くらい、把握……ハァハァ、しておきなさいよ……」

「仕方、エホッ!! 無いじゃないですか……太陽の沈み具合で判断するんですから、日毎に違いも、出ますって……」

「そもそも、アンタのせいで……速度が落ちたのよ! これで斑鳩に合流出来なかったらどうする気よ!?」

「はいはい俺のせいですよっ! ガソリンを切らした俺のせいですよ!!」

 

 ゼェゼェと荒い息を吐きながら空とタリアは口争を繰り広げる。とは言え、悪いのは全般的に空の方なのだが。

 因みに、クリスト姉妹達は先に帰り着いており今頃はマナの補給をしているだろう。

 

「あら……随分と仲良しになったみたいじゃない、タリア?」

 

 そんな二人に近付く影が一つ。夕陽よりも紅い長髪を靡かせる、その人物は。

 

「斑鳩! やっと追い付いた……あのね、アンタ達もっと進行速度を落としなさいよ」

「ゴメンゴメン。次元くじらっていう規格外の足を手に入れたモンだから、ついはしゃいじゃって」

「まったく、もう……」

 

 眉根を吊り上げていたのは前半だけ。後半は二人ともが、再開の喜びを噛み締めるように微笑んでいる。

 

「あはは……ところで巽くん?」

「ハァ、ハァ……はい?」

 

 と、沙月の目が空を捉える。肩で息をしている少年を見詰めて、そして--

 

「--ソルは?」

「「--え?」」

 

 その背後の門を見遣る。同時に、今まで二人で騒いでいたせいで、気が付かなかった声を聞いた。

 

「開けろーー! 頼むから開けてくれーーーー!!」

 

 ガソリン切れの原付きを担いで走らされていたせいで門をくぐり損なった、ソルラスカの声を。

 

 

………………

…………

……

 

 

 カティマの女王即位とアイギア再建、そして打倒グルン・ドラスを兼ねた宣言式が終わり、『先に帰る』と沙月に断りを入れて。

 ただ一人、夜道を歩く。最近は夜目が効くように成り、星明かり程度在れば森の中でも危なげなく走るくらいは出来る。

 

(どういう事だ……)

【ふむ、何か有りましたなぁ】

 

 そんな思考をした理由は、先程の宣言式のカティマの言葉の所為だ。彼女は、なんとダラバと対話すると宣言したのだ。

 正しく寝耳に水、青天の霹靂だ。使い捨てにしやすそうな、尻馬に乗った兵士達が多い事にほくそ笑んでいた空には。

 

(何か、だと? 一体何が……)

【そない思い悩まんでもお姫はんが影響を受ける人物なんざ限られとるやありんせんかぁ】

 

 その通りだ、一人しかいない。カティマが影響を受けたのは--望だ。

 

【旦那はんがまごついとったせいで面倒な事に……どないしはるんどすかぁ?】

(……どうもこうも、後は結果を待つだけだ)

 

 そう言い切った言葉は、もう既に落ち着いている。それもその筈、彼には自信が有った。

 

--あの男が、ダラバがそんなに生易しいかよ。対峙した俺だからこそ、判る。奴は虎だ。苛政より猛き虎。情けなど有りはしない。

 

(心配は無い。果報は寝て待て、ってな)

【くふふ、そうやないとコッチが困りやすわぁ……『契約通り』に喰わしてもらいませんとぉ】

 

--『契約』。その持つ意味は、大きい。もし此処でコイツの機嫌を損なえば俺は只の人間に逆戻り。その上で喰い殺されるだろう。地獄すら生温いと感じる方法で。

 

(ああ、解ってるさ。『契約以降、【幽冥】及び【幽冥】を遣って創り出した魔弾にて倒した相手の神剣及びマナは、全て【幽冥】のモノとなる』だろう?)

【解っとるならええんどす。あぁ、第六位永遠神剣【夜燭】。あの痺れるような水妖の気配、ほんに味が愉しみどすわぁ……くふふ】

(フン……ククク)

 

--信頼ではなく、利害。それが俺達が結び付いた理由。この解り易さは心地良い。契約に身も心も魂すら縛る他の神剣士達とは違う、それが俺達だ。

 

 互いに腹を探り合うような忍び笑いを漏らして。空は巨大な神船、ものべーの前で拍手を打った。



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決戦 生命の灯火 Ⅰ

決戦 生命の灯火二週間目。現在彼等は、ラハーシアの街に入っている。あの後、宣言通りに使節を派遣し、すぐさまその使節の首級が送り届けられた事で飛将ダラバの率いる軍事国家グルン=ドラスと姫騎士カティマ率いるアイギア解放軍は激突した。

 緒戦は正に地獄の様相を呈した。ミストルテに攻め入る多数の鉾に無数のグルン=ドラス兵士達。その先鋒だけでも、解放軍の軍勢の倍以上だった。拮抗しえたのは、やはり二人の『歴戦の神剣士』が加わった事が大きい。

 

 豪快に全てを殴り伏せる『荒神のソルラスカ』と、流麗に全てを斬り伏せる『疾風のタリア』達が加わった事が。

 その突破力を活かして、返す刃でラハーシアを解放した。現在は、ネルパーに篭るグルン=ドラス軍と睨み合いの膠着状態に陥っている。

 

 

………………

…………

……

 

 

 天頂に架かる望月。仄かに金色に煌めくその涼しげな光を浴びて鴉は、木の上で獲物が訪れるのを待っていた。その引鉄が引かれ、暗い森の中に砲炎が煌めく。

 

「…………」

 

 枝の上で狙撃体制をとっていた影が、動きを見せた。黒尽くめのそれは、間違いなく巽空。

 

 手にはライフル。狙撃用高倍率スコープと赤外線暗視装置に加え、更にサイレンサーとフラッシュハイダー兼用のコンペンセイターまで装備されていた。

 

--俺の夜間営業、『鼠獲り』だ。何せ、【幽冥】を使えば斥候を炙り出すなど造作も無い。しかも相手はその役割柄単独行動で警戒にはどうしても穴がある。

 その上でコチラは気付かれないのだから、狙撃するのは拍子抜けするくらいに簡単だ。簡単過ぎてむしろ刃応えが無い。今更だが、本当に悪質な神剣だ。

 

 今日掛かった獲物は鉾ではなく人間の兵士。その死体が背負っていた荷物の中から、地図と食料を頂いてある。いわゆる偸盗戦術、ゲリラ戦術だ。

 

「……お、これは敵さんの配置図か」

 

 ライフルを肩に担いで乾燥肉を囓りながら、月明かりでその内容を確認した空が色めき立つ。

 その懐から無線機を取り出すと、直ぐにコールした。

 

「もしもし、こちら巽--」

『お掛けになった電話番号はただ今使われていません。もう一度お確かめになって……ふぁ、二度と眠ってる時間に掛けてくるんじゃないわよ』

「フザケてる場合じゃ有りません、会長。敵の配置情報を手に入れました。取り敢えず、今日は帰還していいですか?」

 

 漸く手に入った敵の虚を衝けるかもしれない情報だ。正直な所、ただ攻め込むだけならばいつでも出来た。

 それをしなかったのはネルパーに篭る敵兵が追い詰められて民に手を出すのを避ける為。

 

『OK、皆を起こして待ってるわ。十分以内に帰ってきなさい』

「了解、雇用主」

 

--鍛錬ばかり繰り返すのも悪くないが、流石に気が急く。やはり一番の鍛錬と成るのは実戦だ。

 まぁ、その暇な時ももう終わる。また忙しくなりそうだ……

 

 無線機を懐に仕舞い、彼はもう一度だけ月を見上げ--ライフルを肩に担ぐ。

 躊躇い無く、夜の闇の底に飛び降りる。そして茂みの中に隠していた原付きを……ガソリン切れを反省して、手間を掛けてタンク部に『根源変換の櫃』、エンジン部に『嵐の干渉器』を配置して電動ならぬマナ動へ改造して、外装を追加したバイクに乗り込んだ。

 

 炉に火を入れられて、勢いよく回されたアクセルに嘶く鉄馬。

 ヘッドライトとテールライト、そして排気瓦斯の代わりに金色のマナを噴き出すマフラーの残光が、さながら神馬の尾のように軌跡を残した。

 

 

………………

…………

……

 

 

 レジアシスに布陣するグルン・ドラス軍の本隊。先陣の鉾は既に進軍し、アイギア解放軍と交戦を開始している。

 

「よいな、貴様ら! 将軍様より借り受けた鉾どもが天使なる奴らを片付けた後、我々は残党の掃討を行う!」

「「「--オォォォォ!」」」

 

 その最前にて、馬上から兵士を鼓舞するグルン・ドラスの将兵。一際豪奢な鎧を身に纏った彼は、帯びていた剣を高く掲げ--

 

「何、こちらの戦力ならば奴らの七倍だ。アイギア何するもの--ぞぉアガァァァ!」

 

 背後からの飛翔物に刺し貫かれ、木製の門扉に突き刺さった。

 

「--こんちは、アイギア解放軍の天使でーす」

 

 それを成したのは、他でも無い空。黒鉄の馬--バイクに跨がり、その肩にはロケットランチャー……『RPG-22』を元にした対戦車ロケット砲を担いでいた。

 

 無論、そこから放たれた砲弾は--

 

「--う、うわぁぁぁぁぁっ!」

 

 炸裂した。それは敵を殺傷しただけでなく、固く閉ざされていた門扉も焼き壊した。

 正面突破を許し、浮足立った所に本隊を送り込まれて敵の戦線は瞬く間に瓦解する。

 

「ひ、ヒィィィィッ!!!」

 

 圧倒的な神剣士の突破力の前に、グルン=ドラスの兵達が恐慌をきたす。『無敵の駒だ』と信じて疑わなかった鉾が、目の前で一掃されたのだから。

 

「退け、退けェェェ!!!」

 

 我先にと部隊長が逃げ出した。もう守備隊の統率は瓦解している。都市入口までの門へ到る道は、既に開いていた。

 

「続けぇぇぇっ!」

 

 先頭のカティマが、【心神】を構えて突撃する。その脇を固める五人の神剣士。クリスト五姉妹達は後続の主力部隊の護衛、加えて周囲から集まって来る討ち漏らしの鉾の掃討を担当している。

 門を打ち砕いて、一団は都市に雪崩込む。待ち受けるは中隊規模の鉾。その一団に--。

 

「任せとけ、往くぜタリア!」

「何、命令してんのよっ!」

 

 その二人の接近を許した鉾ども、それで命運は決した。

 

「らぁぁぁっ!!」

「【疾風】……往くわよっ!」

 

 ソルラスカの剛拳『猛襲激爪』が打ち切り、タリアの雪纏う薙刀『チリングアッパー』が次々に鉾を斬り屠る。

 

「へっ、手応えねェな」

 

 血煙の中に立つ荒々しき悪鬼の如き男、その身には大量の返り血を浴びている。

 

「手慣らしにも成らないわね」

 

 舞い散る紅氷晶が煌めきを放つ中に佇む女。その身には、一滴の返り血すら浴びていなかった--

 

 

………………

…………

……

 

 

 レジアシスまでを解放した一行は、残る道程を一気に駆け抜ける為に身を休めていた。

 

「あー、目ぇショボショボする」

 

 最近は日課と化している銃器類の手入れを終えた空は、眉間の下をマッサージしながら食堂へと水を飲みに来ている。

 尚、もう片方の手には図書室で見付けた現代戦装備の解説や紹介をしている本だ。参考書として、それを借りている。

 

「あれ、空くんだ。こんな遅くにどうしたの?」

「うおわっと、の、希美!」

 

 と、何気なく扉を開けたそこに彼の想い人の姿がいきなり現れた。それに平静をあっさりと失ってしまう辺り、この少年もまだまだ青いといったところか。

 

「あう、そんなに驚かなくても。傷付くよ」

「いや、その、つい……」

 

 可愛らしくむくれた彼女へと、取って付けたような笑顔を向けて所在なげに今まで読んでいた本を背中に隠した。

 内容を見られたら引かれそうな、オタク臭の漂う本を読んでいたのを片想いの相手には知られたくなかったのだ。

 

「今日はお疲れ様、空くんのお陰ですごく早く解放が終わったよ」

「いや、俺のやった事なんてただの破壊工作だよ。解放は他の皆が頑張ってくれたお陰だ」

 

 それに気づいてはいないのか、見て見ぬ振りをしてくれているのか。彼女は労りの言葉を掛けた。それに、空は……沈鬱とした言葉を返す。

 

「俺には……壊すとか、殺すしか能が無いからさ。他の皆みたいに、生かす為の力なんて無いし」

 

 人を導く力を持つ望に纏める力を持つ沙月、癒す力を持った希美。カティマやソルラスカやタリアは、世界を救うという理想を貫く力を持っている。

 それに対して、己のなんと空虚な事か。一体いつ自分に牙を剥くかも分からない力に、意味の無い目標を掲げる自分が。

 

 解放軍の兵士や町人らもそれに気づいているらしい。他の面々に向けられる称賛の言葉や眼差しとは対照的に、彼へと向くのは--古来は暗殺者、現代では狙撃手に送られる……卑怯者を見る目。加えて、ヨトハ村以降に加わった兵士らが元々の世界の学生や占領地の住人に手を出さないように暴力による綱紀の粛正も行っている為に、更にそれに拍車が掛かっている。

 せめてもの救いはヨトハ村以来の兵士達と、実際の戦場での空を見た事の無い学生達からはそんな目で見られていない事くらいか。

 

「……そんな事無いよ。空くんは、いつだって一生懸命だもん」

 

 俯いた彼の顔を覗き込むように、希美の穏やかな顔が傾く。

 

「他の誰でもない、自分の為に。自分が大事に思う事の為に、全力で頑張り続けてるくーちゃんは、格好いいよ」

「……のんちゃん」

 

 にこりと笑いかけられ懐かしい呼び名で呼ばれ、思わず苦笑して懐かしい呼び名で返した。小学校の卒業以来止めていた、懐かしい呼び名で。

 

「ふふ、なんだか懐かしいな。前はよく、そう呼び合ってたよね」

「ああ。流石に今、こう呼ぶのも呼ばれるのも恥ずかしいけどさ」

「あはははは、実はわたしも」

 

 胸元で手を組んで、優しく笑う希美に釣られて空も微笑む。彼は食堂内に踏み入り、蛇口を捻ってコップに水を注いで飲み干した。

 

「ふぅ……よし、それじゃあ明日に向けて早く寝ないとな」

「うん、そうだね……くーちゃん、明日は……気をつけてね」

 

 背伸びと欠伸をした後で希美に呼び掛けてみれば、返って来たのは今までとは真逆の心配顔。

 

「ああ--俺の全てを投げうってでも気をつけるよ、のんちゃん」

 

 それに、笑顔を見せた。空元気以外の何でもない笑顔を見せて、食堂を後にした。

 そして廊下をとつとつと歩いていると、一つだけ開いた窓。そこで立ち止まって気怠げに窓外の月を眺めていれば、からかうような声が頭の中に響いた。

 

【旦那はん旦那はん、今、なんや良い雰囲気醸してはりましたなぁ。コレはあれと違いますのん、俗にいうフラグ立て--ふぎゃぁぁ~~~……】

 

 と、そこで腰の【幽冥】を握り締めて思いっ切り投げ飛ばした。そのまま実に面倒臭そうに、その実--酷く意外だったように。

 

「…………そうか、そうだったな。俺は、『くーちゃん』だった」

 

 そんな事を、ぽつりと夜の闇に呟いた。

 

 

………………

…………

……

 

 

 グルン=ドレアス城塞都市は、玉座の間。暁は遠く、まだ太陽は地平線から顔を覗かせてもいない。しかし、白み始めた夜明け空に燭灯は吹き消されている。

 僅かな近衛兵と鉾が控えるだけの一室、微睡みから目醒めた玉座の主は腰掛けたままソレを眺めていた。

 

「…………」

 

 細かな鎖に繋がれた、首飾り。その小袋を見る度に、屈辱を思い出す。口腔内に拡がった、錆鉄の味を。

 

「……フ、フフフ……!」

 

 そして、何と昂ぶる事か。童と舐めきっていたとは言え、殺すと定めて仕損じた事など彼が殺戮者として歩んで来た生涯に於いては一度しか無かった。

 更に言うなら永遠神剣【夜燭】を手にして以来、傷を負ったのも一度きり。

 

 その小袋を握り締める。中身が砕けてしまわんばかりの力だったのだが、思いの外頑丈なのか歪む事すら無い。

 

「レジアシスまで、陥落したそうですわね」

 

 響いた声に、彼は鬱陶しそうに顔を上げた。そこに居たのは女。異国の踊り娘のように露出の多い衣裳と、翡翠細工のように美しい立ち姿。

 

「エヴォリアか。何用で参った」

 

 ギロリと虎が睨み上げる。普通の人間ならば、良くて失禁。悪くすれば、ショック死しそうな程の威圧感。

 

「ここのところ、随分と苦戦していらっしゃるようなので。手勢が必要ではないかと思いましてね。ダラバ将軍」

 

 そのダラバ=ウーザを前にして、エヴォリアと呼ばれた女は全く緊張を見せない。それどころか、余裕すらも窺える。

 

(--女狐め……)

 

 そんな女の様子に、彼はそう心の中で反吐を吐いた。

 

「貴様等『光をもたらすもの』の力など始めから当てにしておらん。総てはカティマの神剣を目覚めさせる為だけの当て馬……だったのだがな」

 

 クツクツと、喉に詰まった笑いを漏らす。そして再び、掌のソレに目を落とした。

 

「……予想外の原石を掘り当てたモノだ--グッ、ガハッ!」

 

 だがそこで突如胸を掻き毟ると、苦しげに咳込む。手を貸そうとした兵を一喝して、ダラバは呼吸を落ち着ける。

 

「……では、私達の力は必要無いと? 今まで散々力をお貸ししましたのに」

「--くどい! 私には【夜燭】が在ればいいのだ!」

 

 風を斬り【夜燭】の鋭く黒い刃が彼女の首筋に衝き付けられた。だが、やはり彼女は動じない。

 

「そう、【夜燭】さえ在れば!」

 

 ダラバは口許を押さえつつ己の永遠神剣を手に呟く。その目には深い、深い--狂気。

 それは、永遠神剣に……『力』に魂を奪われた者の末路。神剣の力に頼り続け、その身に余る力を求めた者が行き着く成れの果て。

 

 その姿を冷やかに見詰めながら、エヴォリアは口を開いた。

 

「なるほど……私達は、用済みという事ですね」

 

 冷たい声に続き右手を挙げる。そこで事態を静観していた兵達は気付いた。いつの間にか、将軍を守護する為に配置されていた鉾が自分達の背後に回り込んでいる事に。

 パチンとエヴォリアの指が鳴る。それと全く同時に、鉾達が神剣を振るった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 まだ微かに星が見える、夜明け前の平原に本陣を敷いたアイギア解放軍。今や数千に膨れ上がったその先頭、尖陣となるのは大陸に希望をもたらした天使達。それに続くのはヨトハ村より常に最前線を掛け抜けてきた、クロムウェイ率いる近衛兵団。

 その最先で風を浴び、金色の髪を靡かせる姫騎士カティマ。

 

「………………」

 

 地に突き立てた【心神】の柄尻に両手を乗せて、瞑想するように静かに呼吸している。脇に立つ影の獣は【心神】の守護神獣ホラーエレメンタル=アイギアス。

 

「……遂に、此処まで来た」

 

 呟きと共に瞼を開く。蒼穹色の視線の先には、やはり薄暗い平原に犇めくグルン=ドラス主力兵団。その先頭、尖陣には大陸に恐怖と死と、絶望を撒き散らした鉾。今までの数十倍にも及ぶ規模だ。

 そして、その背後に堅牢な城壁にて全周を覆われた都市が見える。遠く、しかし絶対的な存在感を持つ軍事国家グルン=ドラス王都グルン=ドレアス城塞都市がその威容を誇示している。

 

「これで終わりとします。此処が我々の最後の戦場……」

 

 雲が流れていく。やがてそれは、瑠璃色の空に解けて消える。

 そして、地平線から黎明の朝日が漏れたその瞬間に、カティマは【心神】を引き抜いて天へと衝き上げる。続いて背後の天使が各々の神剣を掲げて、更に解放軍が剣や槍を突き上げた。

 

「この一戦を、この大地の平和と安寧の礎とする……全軍--」

 

 衝き上げていた剣の切先を、敵の陣へと向ける。そして全軍に、檄を飛ばした。

 

「--前進!!!」

 

---オオオオオォォォォ!!!!

 

 上がる鬨の声と打ち鳴らされる剣や槍といった武具のの刃鳴りを聞きながら。神剣士達は、先陣を駆ける--

 

 

………………

…………

……

 

 

 濃密な血の香が満ちる。十数名の首が転がる室内は血の海。

 

「……フン、本性を表しよったな--『管理神』の差し金か?」

「あら。やはり承知の上だったのですね、将軍閣下。我々の目的が何かを」

「気付かぬ方がおかしかろう。私にこの運命を与えた者どもが、何を目的としてこのような事を謀るのか……」

 

 ゆらりと立ち上がりエヴォリアと--数十体にまで増えた鉾達に相対する虎は悠然とお守りを己の頚に掛けて、フルプレートの鎧の中に仕舞い込む。

 

「--随分と舐められたモノだ。この『夜燭のダラバ』を、小娘と雑兵で仕留めようとはな……!」

 

 絶体絶命の危地に在っても尚、その威厳は揺るがない。その獰猛な双眸が見開かれて、ある一点を見据えた。

 持ち主の闘気に反応してなのか、【夜燭】が鈍く煌めきを放つ。熱を産むのでは無く、奪い去っていく零下の闘気が。

 

「それこそ、舐めていらっしゃいますわ将軍閣下。この私を--」

 

 鉾達がそれに気圧される中でも、彼女はやはり微動だにしない。ただ、その腕を差し出した。両腕に嵌められている、三つの金色のリングが繋がる腕輪が揺れ、音を鳴らす。

 

「『光をもたらすもの』の導き手……永遠神剣第六位【雷火】が主、『雷火のエヴォリア』を!」

 

 そう、それこそが彼女の名前。この世界で暗躍する『世界の敵』の名前だ。

 

「ク、クク……フハハハハッ!!」

 

 その名乗りに彼は笑う。さぞや可笑しそうな、その哄笑。

 

「--何が可笑しいのかしら?」

 

 当然、ソレを受けたエヴォリアは不快そうに眉根を寄せた。

 

「……待ち侘びたぞ、この時をな。やはり、私は運が良い……」

「…………ッ?!」

 

 その視線が自分を捉えていない事に気付くのとほぼ同時に、室内を駆け巡った風。彼女はそれに、背後を振り返る。

 

「…………」

 

 いつの間にか開け放たれていた扉。そこに立つ、壱羽の鴉の姿。まるで黒耀石のように妖しく輝くライフルを背負った長身の男が、面相を隠していたフードと襟巻きを外した。

 

「--やはり、生きておったな。乱波」

 

 呆気に取られているエヴォリアを尻目に、満足げに呟くダラバ。少年の、怜悧な三白眼の眼差しがそんな虎に向けられた。

 

 睨み合う二匹。上座である玉座の高みから見下ろす王虎と、下座である入口から見上げる鴉。

 

「……く……!」

 

 歯を鳴らしたのはエヴォリア。背後の男が接近して来た事に全く気付けなかった事に対して。

 もしこの男にその気が有れば、自分を背後から狙い撃つ事も可能だったのだから。

 

「先日は御挨拶も出来ずに無礼を働きました。グルン・ドラス軍事国家が元首、ダラバ=ウーザ将軍とお見受けする。我は、アイギア解放軍の天使が一人……」

 

 踵を付け、利き手の左を前胸部。右手を後腰へと当てると恭しくお辞儀する。

 と、上げられた目は鋭い猛禽の如き三白眼。

 

「永遠神銃【幽冥】が射ち手--神銃士『幽冥のタツミ』だ!」

 

 そのまま右手一本で外套を外し、腰巻きとして躯を曝す。篭手と脚甲、アオザイ風の武術服。

 

 肩に小銃、腰背面にはPDW、太股にグリップガン二つ。加えてチューブラーマガジンとボックスマガジンが合計四本。

 そして左手に握られた暗殺拳銃、永遠神銃【幽冥】。

 

「……クク、見違えるようだな。あの時、何も出来ず震えておった貴様がよもや此処まで単身来ようとは……思いもせなんだ」

 

 その、僅か数週前とは全く別人と言っても良い覇気。吹き付ける向かい風のように心地好い殺気に口角を歪める。

 そんなダラバの圧力にも、もう動じない。空の眼差しは真っ直ぐに覇者を捉えている。

 

「『男子三日逢わざれば刮目して待つべし』ッてな。それに、恩も仇も三倍で返すのが俺の礼儀だ。あの時付けられた傷の礼と首飾りを返して貰うのは当たり前として……貴様の命と【夜燭】を頂く」

「遣ってみよ。出来るのならば、だがな……」

 

 互いに睨み合い、薄く笑い合う。その、一種異様な静寂を破ったのは--

 

「貴方達、この状況が見えてない訳? 此処で二人、雁首を揃えて死ぬのよ。貴方達はね」

 

 エヴォリアだった。無視された不愉快さも露に、手勢を誇示する。増えに増えて、四十を越した鉾……もうミニオンで良いだろう。謁見式や観隊式の為の広間であるそこで無ければ入り切らなかったであろう軍勢。

 

「遣るさ。その為に来た……此処まで努力して来たんだからな!」

「フ、尚良い。ソレを打ち砕いてこそ愉しみが有るというモノだ」

「…………」

 

 だが、二人は歯牙にも掛けない。まるでそんなモノは目に入らんと言わんばかりの盛大な無視。

 

「前口上はもう要るまい? さぁ、構えよ!」

 

 凄惨な笑顔と共に繰り出される、凍てつく風。ダラバの闘気だ。

 

「ああ……死力を尽くす。姫さんには悪いが--命を賭けて、俺が貴様を撃つ!」

 

 右手に番えたライフルをスピンローディングして、左手に構えたグリップガンに青マナの刃である『ビームブレード』発生させて。腰のホルスターに魔弾を装填してある【幽冥】を納めたその状態で、雄々しく鴉が啼いた。

 その闘志に反応したのか、足元に放射線状の精霊光。彼の神名を混ぜた赤黒いマナ光……彼岸花を思わせる毒々しい赤黒の魔法陣、違信のオーラ『デリュージョン』。敵にプラスとなる効果の一切をマイナスに改悪する猛毒のオーラが。

 

 低く構えた姿勢は『先の先』。空の師である時深の攻撃に耐える無意味さに気付いたが故に、開花した先読みの才。

 敵に先んじて攻撃する事で防御とする、『攻撃は最大の防御』を信条とする彼の最も得意な構え。天を流れる雲の如く、或いは地を流れる水の如く自由自在に。防御に主観を置きながらも素早く攻撃に対応する、日進月歩の努力にて鍛え上げた付け焼き刃。未だ進歩の途上に有る彼の、今の限界。

 

「そうだ、それで良い--互いに命の続く限り、存分に死逢おうではないか!!」

 

 ダラバも、構える。顎を引き、腰溜めに構えた【夜燭】を僅かに右に傾斜させる。脚を開いて腰を落とす、虎が獲物を見据えて今し襲い掛からんとするような八双の構え。

 単純明快であるが故の難攻不落。神世の古に、『南天の剣神』と称されたその前世に恥じぬ隙無き構え。以前の戦……否、『屠殺』では見せなかった『戦闘姿勢』。彼が歩んできた人生の集大成だ。

 

「そう、本当に……アタシを虚仮にしてる訳ね。アハハハハ……」

 それに、彼女も笑った。額に手を当て、実に可笑しそうに笑う。

 

「--殺しなさい、ミニオンども。千の肉片まで引き裂いて!」

 

 出された指示に、ミニオン達は剣を構える。前の主と招かれざる客に踊り掛かり、耳障りな金斬り音が木霊して血風が吹き荒れた。

 

「ダラバ=ウーザァァッ!!!!!」

「タツミ=アキィィィッ!!!!!」

「--な」

 

 徒党を組むミニオンを薙ぎ払いながら進撃する二人、エヴォリアの目の前で鬩ぎ合った空とダラバによって--!

 

 まるで暴風のようにミニオンの攻撃を躱しながら、斬撃と銃弾を叩き込む空。まるで竜巻のようにミニオンを力ずくで切り伏せる、ダラバが。

 呆気に取られるエヴォリアの前で交錯した。そして銃弾を三発程受け鎧に傷を受けたダラバに対し、空は袈裟掛けの一撃を回避した空。

 

「フンッ!」

 

 そこに反す太刀が繰り出された。床を踏み砕きながらグルリと身を半回転させ、更には大上段から空へ袈裟斬りを振り下ろす。

 空の背中、左の肩口を狙うその壱太刀は--

 

「--クッ!?」

 

 ダラバが跳び退いた事によって、辛うじて外れる。その彼の額が在った空間を『ヘリオトロープ』が貫いた。

 速撃ちよろしく【幽冥】を抜き撃ちにしたのだ。ダラバの、その攻撃を見越して。

 

 跳び退いたダラバに代わる形で、代わりミニオンが撃ち抜かれる事となった。

 

「--まだまだァッ!!」

 

 更に追い縋る。繰り出されるは、PDWによるフルオート射撃。だが、盾とされる【夜燭】の肉厚な刃には通じない。

 

「--小賢しいわァァァッ!!」

「--フグッ! ア、ガハッ!!」

 

 代わりに、その剛拳が空の腹を打ち据える。余りの威力に胃の腑が裏返った。もしも朝飯を食っていれば盛大に嘔吐していただろう。何も食っていない今ですら無いなりに胃液と血を吐いてしまう。

 

「--その程度ではあるまい! 見せてみろ、貴様の全身全霊を!! 私も手加減などせぬぞ! 全力を以って打ち砕く!!」

 

 後方に跳ばされてうずくまった空を見据えたままで、神剣を握る手に力が篭められた。

 呼応した【夜燭】の刃に蒼い雷が纏わり付く。それで、前準備は終わりだ。

 

「喰らえ――電光の剣!」

 

 跳躍し、一瞬で空を完全に断ち切る事の出来る間合いにまで跳び込む。巨躯からは、想像も出来ぬ俊敏さ。

 その勢いを載せた、蒼雷を纏う袈裟斬りが見舞われる。その一撃は、凄まじい電圧を以って総てを焼き切るだろう。

 

 受けず--受けられる筈も無く避ける。剣戟が石畳を砕き、巻き込まれた二体のミニオンが為す術も無く消滅する。

 そう、ソレこそ空……アサシンの弱点なのだ。死に恐怖や忌避を覚えない相手は、彼の取る戦術にとっては一番闘い難い相手。

 

「--ヌゥッ!?」

 

 右に転がった空は、間髪容れずにグリップガンよりソフトキルの為の『シャイニングナックル』を射出する。閃光に呑み込まれて、ダラバの姿を確認出来なくなるが、こんなチャチなものでダラバにダメージが与えられるとは思っていない。

 高指向性の閃光の中を駆け抜け、ダラバの心臓を【幽冥】に装填した魔弾にて狙い--

 

「--子供じみた手など、私には通用せん……」

「……!?」

 

 虎の重低音の声が響く。次いで身を斬るような凍気。鋭く高い、しかし美しい音色の風斬り音。

 

「呪いの刃よ、我が身を守れ!!」

 

 粉塵を斬り裂き、その無傷の身が現れる。腕を組んだダラバと地に刺された【夜燭】、そこに青い魔法陣が展開されている。

 その術式から導き出された神威、飛翔する氷刃が偉容を現す--

 

--クソッタレめ……! だから神剣士なんて嫌いなんだ。ダラバと言いソルラスカと言い……人が無い知恵と力を振り絞った策戦を臆面も無くチート能力使って凌駕しやがって……!!

 

 ある種の神々しさまでも感じるその神剣魔法に心の中で毒吐く間にも、状況は悪化する。

 氷刃の切先が、己に向けられた事を悟った。

 

「--クロウルスパイク!!」

「チィッ!!」

 

 全周に氷の盾の如き魔法障壁が現れて空の逃げ場を封じる。氷の牢獄と化した障壁の中に囚われた空に、総ての氷刃が踊り掛かる。

 

「征くぞ、カラ銃!!」

【くふふ、何時でもぉ!!】

 

 衝き出された銃は、【幽冥】だ。展開される魔法陣、それが空間に溶ける。激突した氷刃は、魔法障壁ごと獲物を撃ち抜いた。

 浮遊する赤いマナの燐光。その濁った気の充ちる室内に、一点。

 

「逃げぬとは見上げたもの。褒美だ……我が剣、受けてみよ!」

 

 

 暗闇と同色の凍えた炎が燃える。【夜燭】の刀身を染める、黒きオーラフォトンが。

 ダラバの構えはしっかりと敵を見据えたもの。アレは生きていると、彼の経験が語りかける。

 

【--マナよ、災竜の息吹となり我が敵を撃て……】

「……!!?」

 

 粉塵と氷片による緞帳の先より発せられる凄まじい圧力。ダラバが神剣【夜燭】を構え直したのは、その威力を剣士の勘で悟った為だろう。

 

「--ヘリオトロープ!」

 

 粉塵を撃ち貫いて、災竜の息吹が疾る。躱したとしてもその二次被害までは避け切れぬ--

 

「--南天の禍つ刃よ、打ち砕けェェッ!!!!」

 

 それと、打ち合った。ダラバは追従して、熱毒の弾頭に真っ直ぐに一撃--南天の剣神と呼ばれた過去の象徴たる、『南天星の剣』を。持ち主の生命を代価に、限界すら凌駕する力を与える永遠神剣【夜燭】。

 そして弛まずに積み重ねられた研鑽が有ってこその、その異常な反応速度。

 

「--オオオォォォッ!!!!!」

 

 神剣は熱核融合を両断して左右に流す。断たれた流れ弾は、彼等の周囲で手を出す事が出来ず立ち尽くしていたミニオンを撃った。残った灼熱は【夜燭】の凍えた炎に焼かれて、消滅していく。

 

 災竜の息吹を力尽くで斬り伏せたダラバが、空と向き合う。状況は圧倒的に空が劣勢だ。彼の左太股には氷の刃が掠った際に出来た大きな裂傷。右肩に到っては、氷の刃が衝き立っている。

 だが、空の闘志は萎えていない。むしろ烈しく燃え上がった。

 

--承知の上だ! 足りないのは、当たり前。この男が積み上げて来たモノに簡単に追い付ける等と思い上がりはしない。だからこそ、勝ちたい! 俺は、コイツには勝ちたい! 俺の壱志に懸けて、太刀向かわなければ!!

 

 決意と共に肩から氷の刃を引き抜いて投げ捨てる。澄んだ音色を起てて石畳に衝き刺さったソレは、やがてマナヘ還っていった。

 

 精霊光の防盾『オーラフォトンバリア』で、己の身のみを庇っていたエヴォリアは知らずその闘いに魅入っていた。

 

「--なんて闘いをしてるのよ、コイツら……」

 

 余りにも圧倒的過ぎるダラバのソレに対し、太刀向かう空の脆弱な事。

 だが、潰えない。何度でも死線を斬り抜ける。死を恐れぬ--否、恐怖の概念を持たぬミニオンですら付け入る隙を見出だせない、その死の舞踏。一歩でも間違えば即ち死に繋がるその綱渡りを幾度も切り抜けているのだ。

 

「……っく」

 

 その刹那、【夜燭】を床に衝き立てたダラバの闘気が膨れ上がる。神剣から漏れだす凍気もまた、数倍にまで。

 白い息を吐き、震え始めた身体を抱く彼女。離れた位置に居る自分がコレだ。ならば--真正面に位置する彼には、どれ程の凍えた風が吹き付けている事だろうか、と。

 

 【夜燭】から漏れ出した凍気は、やがて結集し蒼い獣となる。

 

「『レストアス』よ、我らが業の深さを見せ付けてやるのだ!」

「----!」

 

 意味を成さない、まるで雷鳴の如き唸り声を上げたのは半透明の蛇じみた蒼い獣。それこそダラバの永遠神剣【夜燭】の守護神獣、『エレメンタル=レストアス』。【心神】の神獣である、『ホラーエレメンタル=アイギアス』と対となる神獣らしく不定型のソレ。水のような躯の意志を持った電気の集合体。

 空は身構える。ともすれば弱点と成りうる自身の神獣をわざわざ出現させる理由は、ただ一つ。

 

 詰まりは--

 

「タツミよ。この程度で死なれては困るぞ……」

 

 帯電を強めて、より一層眩ゆく輝くレストアスを後光に虎は笑う。多分に期待を篭めた眼差しで。対する鴉は、右手で装填を終えた【幽冥】を衝き出して引鉄に指を掛け--

 

「凍て付く風よ、凪げ--」

 

 ……るよりも早く、青ミニオン達が反応した。幾ら下位と言えど、神剣の徒という事か。

 口々に紡がれた対抗魔法の凍風が発光するレストアスを包み込み凍て付かせ--られない。

 

 元より、相手の神剣魔法を打ち消す事を得意とする青属性の神剣。そして青の象徴とも言える水。つまり、帯電した水を思わせる躯を持つレストアスはその申し子と言えるだろう。

 その存在自体が、青魔法--!

「「--チィッ!?」」

 

 舌打ったのは二人。空は瞬時に【幽冥】をから魔弾を排出して、換わりに金色の弾丸を装填する。その間にエヴォリアはその身を光に換えて消えた。

 

「ライトニングボルト!!」

 

 それと全く同時に臨界を迎えたレストアスが、周囲に稲妻を放出する。幾条もの雷の槍が地を砕き走りながら、ミニオンを巻き込み焼き貫いていく。

 

「大博打だ、征くぞカラ銃!」

【あいさー! マナよ、オーラに変われ。守護者の息吹となり万障を撃ち砕け……!】

 

 一方、撃鉄を熾こした【幽冥】の発射口から発せられた二重冠の魔法陣が煌めく。赤と黒のそれは混じり合うと、複雑な金の魔法陣と変わった。

 

「オーラフォトンレイッッ!」

 

 撃鉄が墜ちて魔弾を連鎖発動、金色の砲炎が銃口より迸しった。放射されたマナがオーラフォトンに変わって、周囲の空間ごと破壊してゆく。

 弾はオーラフォトンの槍と化し、レストアスの放った雷の槍と共にミニオンを撃ち砕きながら撃ち合った--!

 



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決戦 生命の灯火 Ⅱ

 

 

………………

…………

……

 

 

 飛び掛かって来た赤い鉾。その赤熱する双刃剣。

 

「同時に往くぞ、レーメ!」

「おぅ!」

 

 意表を衝いたつもりなのだろうが、既に望の構えは整っている。交差させた腕、それを振り抜く。

 

「「クロスディバイダーッ!!」」

 

 鋏のように振り斬られた双子剣に、鉾は神剣ごと身体を断たれて消滅した。それを眺めながら荒い息を吐く。周囲には、同じように鉾を倒した仲間の姿。

 

「……っ!!?」

 

 と、望と同じ方に視線を向けていたレーメが視線を変える。未だ遠い、王城へと。

 

「どうした、レーメ?」

「ノゾム……今何か、途轍も無く強烈なマナの激突が有ったぞ」

「……空とダラバか」

「恐らくな……全くあの天パめ、柄にも無く先走りよって!!」

 

 目の前の鉾に集中していた彼は気付かなかったが、彼の相方の方は気付いたらしい。見れば、城の一角から煙が上がっている。

 グッ、と身を起こした。休んでなどいられない。急がねば友……否、『家族』に危険が及ぶ。

 

「--よし、行こう皆!」

 

 仲間達に呼び掛けた彼は、王城に続く道に溢れた鉾を見据えた。

 

 

………………

…………

……

 

 

 白亜の庭園で、一人の女性が華を愛でていた。しかしその女性の前では華の方が恥じらうだろう程の美質、気品に溢れた物腰。

 背後には傅く男二人。どちらもが自身の愛剣を地に衝き立てて、弐心無き事の証明としている。

 

『その者が先の戦で武名を挙げた傭兵団の将ですか、将軍』

 

 腰まである金紗の髪を靡かせて、女性は振り向く。その瞳は蒼穹を思わせる蒼。

 

『はっ! 私めが辺境の鎮圧任務に赴いた際に登用致しました男にございます、名は--』

 

 凜と空気を震わせる声に、豪奢な鎧を着込んだ方の男がつらつらと応えた。その上で、もう一人を小突く。さっさと名を言え、と。

 

『お初にお目に掛かります、殿下。私の名は--』

 

 女性から将軍と呼ばれた騎士に急かされた、程よく使い込まれたプレートメイルを纏う青年が口を開いた。

 

『よい。饒舌な男など嫌いです。将軍、私は彼と二人で話したい』

 

 金髪を靡かせた女性は、愛でている薔薇の華のように微かな棘を含んだ言葉を紡ぐ。

 それに気付いた平凡な鎧を身に付ける青年は薄く笑みを浮かべてしまう。隣の道化者に気付かれぬよう、それを手で隠した。

 

『は? いや、しかし……』

『将軍』

 

 渋った将軍に金の女性は焦れた、それでも凜とした声を掛ける。

 

『はっ、はい! ごゆっくり!』

 

 忌ま忌ましそうに将軍は青年を睨み付ける。と、徐に顔を寄せて呟いた。

 

『……いいか、絶対に粗相を働くんじゃないぞ! もしも俺の評価を下げるような真似をしてみろ、ただじゃすまさんからな……!』

 

 そう小声で吐き捨て、庭園から去っていく。それを確認してから、女性は青年に歩み寄った。

 

『さて、貴公の勇名は聞き及んでいますよ『■■■■■』? 貴方の剣の腕は、同じく剣を嗜む者として実に興味が有ります』

『姫殿下の剣名こそ、辺境にまで響いておりますとも。『■■■■■■■■』、と』

『そうですか、それは光栄です。ずっと、貴方と手合わせするこの日を待ち侘びていましたから』

 

 恭しく頭を下げたままで、返答する。そして、地面に衝き立てている片刃の大剣に……服従の証を立てる為の行為に遣われた、相棒に目を遣った。

 

--ああ、俺もだ。ずっとこの日を待っていた。貴様らアイギアの血族に、この剣を衝き付ける機会を。

 その為に俺は此処まで来たんだ。やっと、此処まで来た! 殺す……全て殺す。それが、例えお前でもだ--

 

『--そう、ずっと……この日を待ってた……』

『--……』

 

 思考の海に沈んでいた彼だが、己の頭を抱え込んだ温かさにそれを断たれた。

 

『約束……守ってくれたね……』

 

 

………………

…………

……

 

 

 砕けた城の壁、その大穴からは濛々と黒煙が吹き出している。

 

「--……ッ、カは……」

 

 そこから続く、庭園。植わっていた華々は枯れ、流麗な白大理石造りの噴水は干上がってしまっている白亜の庭園。

 渇き割れた地面に横たわる男は、拳銃とライフルを持った空。

 

 空の『オーラフォトンレイ』とダラバの『ライトニングボルト』の相殺によって発生した衝撃波に、此処まで吹き飛ばされたのだ。左手にはダラバを狙った【幽冥】、右手には激突する前に壁を撃ち砕いたライフルを持ち、荒い息を吐いている。

 

--……クソッタレ、躯が痺れて……!

 

 雷槍を全て光の槍で迎撃した為、傷自体は負っていない。だが、レストアスの放った雷の槍は空中放電により空の躯の自由を奪っていた。

 今、ダラバと言わずミニオンにでも斬り掛かられれば成す術無く斬られてしまうだろう。

 

「--クク……ハハハハハッ!!」

 

 藍色の天を見上げていた彼の耳に、その哄笑が届いた。

 

「佳い、佳いぞタツミ! これ程の昂ぶりは何時以来か!!」

 

 何とか目線を向けた、声の響く方。壁に穿たれた穴の縁に、篭手に包まれた掌と脚甲に包まれた足が掛かる。

 

「--だが、この程度で我が剣は折れぬ! もっとだ、もっと力を見せてみろ!!」

 

 穴より現れ出たダラバ。その身に纏わり付いていたレストアスが【夜燭】へと還っていく。

 他者ならば触れるだけで致命傷を与えるレストアス。だが、主であるダラバだけは例外。その魔抗の躯を加護としてダラバを護った。以前、至近から放たれた魔弾を防いだのもコレだ。

 

 それでも、無傷とはいかない。打ち消す事能わぬオーラフォトンの槍に撃たれた。それにプレートメイルの上半分は砕かれており、最早用を為してはいない。

 苛立たしげにそれをマントごとむしり取るダラバ。露になる空のお守りと、同性でもつい見惚れてしまう程に筋骨隆々の肉体。

 

「……クッ……は……!」

 

 ふらつきつつ何とか立ち上がる。横たわったままでは絶対に太刀向かえない。

 【幽冥】へと、もう一度金色の魔弾装填する。今度は、精製した中でも特に高純度の物を。

 

【ええんどすか? まぁこの状況、しゃあないか】

 

--これが、ラスト・ワン。鼬の最後屁だ。この、通常魔弾五発分ものマナコストの魔弾を。

 

【--マナよ、オーラに変われ。守護者の息吹となり、万障を撃ち砕け……】

 

 装填して、撃鉄を熾こす。現れ出た二重冠の魔法陣が重なって、圧縮されて金色に染まる。

 

「来い! この私の呪われた運命を断ち斬れると言うのならば……この私を打ち倒してみせよ!!」

 

 その様を見遣りながら、ダラバは構えた。戦意に応えて【夜燭】が妖しく煌めく。

 不動の巌、それは正に『剣神』の面目躍如。いや--それすらも、超え行く者。

 

「最早残り僅かな我が命の燭火が燃え尽きるまで。マナの霧となり、夜闇に散るまで……私は誰にも、何にも屈さぬ!!」

 

 或る神話では、命は一本の蝋燭に例えられる。その長さが、人の一生の長さなのだと。

 

「神剣の剣戟……【夜燭】に宿るチカラの全てを--」

 

 その蝋燭を削る燭火。それこそ、永遠神剣【夜燭】の冷え切った煌めき。

 ダラバの身にその力が充ちる。命を代価に、限界すら超える力を与える神剣の威力が発揮される。

 

 

 ……それはさながら色の褪せた羊皮紙に描かれた、騎士と姫君のミンネザングの挿絵のように。

 幻影の少年と少女は庭園の一角で誓いを交わす。

 

『僕は騎士の子だ。この国の民を護るのが僕の未来の仕事なんだ。だから……僕が君を護れるような強い男になった時に、また会おう。約束する!!』

『ほんとう? ほんとうにつよくなって、あたしをまもってくれるの?』

 

 

--全てを……自身の命も他人の命も、生まれ故郷も騎士の誓いも--……

 

 

 あどけなく笑い、金の髪と蒼穹の瞳を持つ少女に。栗毛色の短髪の少年は、誇りを胸に。

 

『うん。僕が護るよ、クルウィンを!』

『うん、しんじるよ! やくそくだからね、でぃすばーふぁ!!』

 

 

--幼き日の約束も、想いさえも……全てを【夜燭】の凍える燭火に焼《く》べた。私に残るのは、この躯と心と魂と……この第六位永遠神剣【夜燭】のみ!

 

「---受けきってみせよォォォォォッ!!!」

 

 目を見開いて吠える。【夜燭】の刀身に、紅黒い精霊光が纏わり付いて同時にレストアスの蒼雷が混ざる。光と闇の輪舞、これこそ、彼の辿り着いた極致。

 精霊光と守護神獣、その二つを練り合わせ、ただ破壊のみに特化したその剣戟の名は--

 

「---光芒一閃の剣!!!!」

 

--私に限界など無い。そんな物は全て斬り伏せて来た。

 何もかも全て、この【夜燭】と共に!!

 

「オォォラフォトンレイッッ!」

 

  引鉄が引かれ、【幽冥】の撃鉄が墜ちた。再度吹き荒れる金色の暴風にも、ダラバは最早揺るがない。

 対して放たれた黄金の煌めき。しかしそれは神々しさなど無く、まるで鍍金のようにチープな灼熱のオーラフォトン。

 

 ダラバはそれに、臆する事無く駆け込む。

 

「「オオオォォォォッ!!!!!!」」

 

 二つの意地が空間すら揺らして、ぶつかり合った--……

 

 

 鮮やかな紅が、舞い散る。右肩から袈裟掛けに割かれた、空の胸から。

 

「--あ……」

 

 目の前には王虎の振り下ろした【夜燭】、その切先が掠めた部分は胸鎧ごと焼き斬られている。

 だが、それは牽制。まだ、この後に牙が残っている--!

 

 【夜燭】を振り上げて、ダラバは空の身長より更に高く跳んだ。初太刀で敵の防御手段を打ち砕き、弐の太刀で命を打ち砕く。その勢いは最早、隕石を思わせる圧力だった。

 

「--あ、あああァァァァッ!」

 

 【幽冥】を投げ捨てて、両腕でグリップガンの直接攻撃モードの『ビームブレード』と『ハイパーデュエル』を交差させる。

 これが、今の空に出来る最大の防御だ。

 

「--オオオォォォォッ!!!!」

 

 裂帛の気合いと共に、天頂から振り下ろされた【夜燭】。黒光と蒼雷を纏った、その一撃。

 それは苦も無く二ツの光学剣と空の胸当てと胸板を縦に切り裂き--左肩から真っ直ぐに、弐太刀目を空の躯に刻んだ。

 

 故障したグリップガンが黒煙を吹き、ショルダースリングを切断されたライフルと胸鎧がゴトリと落ちる。そして、空の身体が前に傾いだ。

 胴が繋がっている事がそもそも奇蹟だ。剣という武器の間合いを骨の髄まで時深に仕込まれていたからこそ、その胸当てのおかげで切っ先を受けるだけで済んだ。

 

「……良く、遣った方だろうて。『人間』にしてはな……」

 

 剣気を納めて、ダラバは呟く。この一戦を以って彼は悟ったのだ。この少年は人間と何ら変わらぬと。その脆弱な身を持って、自分と相対したのだと。

 そんな無謀とも言える男に敬意を払おうと、彼は顔を上げた。

 

「眠れ……貴様の名、しかと我が記憶に刻ん--ッ!!?」

 

 刹那、ダラバの水月に正拳突きが刔り込まれた。握ったライフルのループレバーをメリケンサックとした一撃が。

 とは言え、最早ダメージになる威力も無い。

 

「何を、勝った気で居やがる……俺はまだ生きてる……この命は、まだ……燃え尽きてねェぞ!」

 

 そして、倒れず踏み止まった。これ程の傷を負い、失血しても。まだ闘気を納めない。

 その眼に燈る、気炎に。

 

「--見事!」

 

 ダラバは改めて敬意を表すと、引導となる黒い剣【夜燭】を振り下ろした。

 

--死の間際には走馬灯が過ぎるとか、総てがスローモーションに見えるらしい。

 因みに、俺は後者だったようだ。振り下ろされる【夜燭】が黒い落雷のように見えやがる。

 

(……ああ、熱いな)

 

--胸部に感じられる灼熱。焔に焼かれているようだ。

 

(まあ、懐かしいとも言えるか)

 

--そう言えば、俺は前世でも胸を斬られたんだったな。そう--

 

 目の前が、真っ暗に染まる。死の暗闇とは違う。そして--金色の波が漆黒の落雷を受け止めた。背中に感じる温かさ。倒れかけた彼の躯を支える温度。顔を上げた先には、茶髪碧眼の少年。

 

--そう、お前にな……望……

 

 振り下ろされた【夜燭】の一撃を【心神】で受け止めたカティマ。倒れ込もうとした空の躯を抱き留めた望。

 すんでの処で彼等は間に合ったのだ。

 

「ダラバ=ウーザ……漸くこの時が来ましたね」

「ああ、私も待ち望んでいたぞ。カティマ=アイギアス」

 

 鍔競り合いながら睨み合う二人の騎士に、対たる双振りも互いを認め合った。そこから流れ込む、壮絶な破壊の意志。

 

--砕け、あの剣を砕け。それが出来ぬなら主を砕く--!!

 

 そう言わんばかりの、許容量を一切無視した神剣の強化。宿命の相手を前に、言葉など要らない。後は--

 

「「--ハァァァァァッ!!!!」」

 

 斬り結ぶのみだった。

 

 

 

………………

…………

……

 

 

「空! おい、空!!」

「巽くん、しっかりしなさい!」

「畜生、死ぬんじゃねェ! まだケリ付けてねェだろ、巽!!」

 

 横たえられた空を取り囲んで、口々に呼び掛ける神剣士達。希美はとにかく治癒魔法を唱え続けている。効き目など、ほとんど無いそれを。

 

「血が止まらない……どうしよう、どうしたら……!!」

 

 涙さえ零しながら、ずっと。

 

「は、クッ……望、耳を貸せ」

「空!? 何だ……?」

 

 その瀕死の筈の空が突如として、死力を尽くして望に耳打つ。望は、その内容に声を荒げた。

 

「そんな事が出来るのか……お前、今にも死にそうだろ!」

「『とにかくやるっきゃない』、じゃ無かったのかよ、望」

「…………!」

 

 返されたその言葉は、かつて己で言った言葉。そたったそれだけの言葉が持っていた意味の重さに、彼は息を呑む。

 

「……いいな、俺が合図をしたら--」

 

 空が途切れ途切れの声で、その作戦を伝えていた--その頃。

 

 凄まじい剣戟音を奏でながら、カティマとダラバは距離をとる。そして、ほぼ同時に膝を折った。互いに満身創痍。ダラバは空との戦い、カティマは此処に到るまでの鉾との戦いで。

 地面に【心神】を衝き立てて、杖代わりに立ち上がったカティマ。その眼差しが神剣士達を見遣り、その中心に臥す血塗れの空の姿を見詰めた。

 

「互いに、余力は無いようだな」

 

 ダラバもまた、同様に【夜燭】を支えに立ち上がる。それに彼女が、視線を向け直した。

 

「ダラバ=ウーザ将軍……いいえ、ディスバーファ=レストアス。最後に言っておく事が有ります」

「……何だ」

 

 ダラバを見るカティマの眼差しには、怒りも憎しみも無い。

 そこには、ただ--

 

「私は、貴方に復讐する為だけに生きて来ました。それだけが私の生き甲斐でした。そうして、剣を振るって生きて来ました……」

「………」

「ですが、漸く気付いたのです。彼等と行動を共にして、その心に触れる事によって。プロジア文書に記された真実を知り、我が身に流れる血の闇に向き合う事で」

「だから、どうしたと?」

 

 目を閉じて紡がれる言葉。先程まで充ち溢れていた闘気すら押し隠した静かな物言いに、彼は何が言いたいのか判じかねる。

 その時、彼女は瞼を開いた。

 

「貴方も、同じだったのでしょう? 私と同じ……ただ、復讐の為だけに生き、全てに決着を付ける場所を……死に場所を求め続けた。生きる為では無く、死ぬ為だけに生きてきた--」

 

 ただ、哀しみのみを湛えている。それに気付いたダラバが、憎悪と共に眉をひそめた。

 

 

『私は--貴方とならこの運命も乗り越えられると……そう信じていました』

 

 

 その声、その眼差しが。かつて殺し損ない、かつ己の身に消えぬ傷を刻んだ相手と全く同じだったから。

 

「何を言うかと思えば……下らん、実に下らん! 私は--私は、この下らない運命に決着を付けるだけだ! 倒すべき貴様と、その【心神】を砕くのみ!!」

 

 老い、病み狂える王虎が吠えた。その傷に触れた若く気高き獅子の女王に向けて牙を、【夜燭】を向けて更なる力を引き出す。

 もう既に堪えられるべくも無いというのに、それを止めようとはしない。最早、永遠神剣を振っているのか、永遠神剣に振らされているのかすら定かではない。それ程に、彼と【夜燭】の境界は曖昧になっていた。

 

「虚しいものですね。一体、私達は何の為に生まれたのでしょう? 私から全てを奪っていった貴方、貴方から全てを奪っていった我が血族………もう、そのどちらもこの大地には……世界には、必要無い」

 

 再度ダラバを見据えるカティマ。その手に在る【心神】は、彼女の身の丈に見合った力を送る。

 それは永遠神剣と『共に』歩む者の姿。

 

「今--我等の、血の因果を清算しましょう……!!」

「望む処、私を……殺してみせろォォォォォッ!!」

 

 同時に二匹は、地を蹴った。

 全て打ち砕くべく迫り来る一気呵成の王虎を迎える、明鏡止水の意志を持って剣を振るう獅子。

 その静かな意志が、虎の僅かな瑕疵を見抜く。

 

「ハアァァアァァッ!!!」

「っ…………!!」

 

 弐本が閃いたのは同時。真横に振り抜かれた【夜燭】に対して、【心神】は--

 

「「…………………………」」

 

 全てが止まっていた。カティマもダラバも。息詰まる瞬間、それを破ったのは--ダラバ。

 

「……まさか……このような小娘に遅れをとるとはな」

 

 その背からは、真っ向から胸を貫いた【心神】の黒い刀身が衝き出していた。

 

「ダラバ将軍……貴方は……」

 

 一方のカティマは、頬に微かな傷を負ったに留まる。刺突によひその距離を詰められた【夜燭】は、本来の威力を発揮出来なかったのだ。

 

「フグッ……ふ、ふふ……」

 

 喀血する。だがその血が胸元の少女に掛からぬように、彼は飲み下した。『彼女』に良く似たその少女を、忌まわしき己の血で穢す訳にはいかない。

 死に逝く虎が笑う。それはあの狂笑ではない。確かな理性と--諦めを湛えた瞳。

 

 

 一体、いつの事だっただろう。もう思い出せないが、その僅かに焼け残った記憶があった。

 

『ふふん、まだまだね……』

 

『ゲホ……お前、突きは無いだろ、突きは……』

『……あれ? ちょっと、大丈夫? ど、どうしよ~!?!』

 

 いつの事だっただろうか、此処で同じように。

 寸分の狂いも無く、鳩尾に刳り込まれた木剣。それに青年は意識を手放してしまった--

 

 

「やはり、どれ程足掻いても……所詮は『奴ら』の掌の上で踊っていただけ……か……」

 

 そして彼は、勝者へとその言葉を送る。

 

「覚えておくがいい……呪われし血の同朋よ。我らの血にまつろう呪いは、末裔たる貴殿に全て受け継がれる。永遠に……血に宿った神々の呪いに苦しむがいい……」

 

 賛辞ではなく、呪詛を。事実として遺り続ける、その忌まわしき呪いを。

 

「心配は要りません。私はそれを背負い切って見せます。何度歩みを止めたとしても、必ず……」

 

 真摯な眼差しと共に返る言葉。そこには、迷いなど欠片も無い。それに満足げに微笑んだダラバは、己が身を貫く【心神】を掴むと自ら引き抜いた。

 

「さらば、だ。我が『宿敵』……カティマ=アイギアス……」

 

 巨駆が、倒れた。最期まで前に進んで。その手に神剣【夜燭】を握り締めたまま。

 それが、アイギア国を滅ぼした王虎の最期。グルン=ドラス軍事国家の暴君ダラバ=ウーザの最期だった。

 

 全てが終わった戦場に立つのは、ただ一人。呆然と立ち尽くす、カティマだけ。

 

「大丈夫か、カティマ? お前が勝ったんだぞ」

「ええ、そうですね……」

 

 何とかそれだけ答えた彼女は、ダラバから目を逸らさない。いや、逸らせない。最期の最期に投げ掛けられた言葉に。

 

「あら--まだ分からないわよ。その容器《いれもの》はまだまだ、本気を出してないんだから」

 

 彼女の狙いは始めから、ずっとそれだったのだから。

 気配も無くダラバの横に立ったエヴォリア。その登場に望と希美カティマを除く旅団の神剣士は、身構える。

 

「あら、旅団の皆さん……本当、しつこいわね」

 

 だが、意に介さない。そんな物は慣れっこだとでも言わんばかりの余裕。翳した手から光が溢れ、周囲を染める。

 誰が止める暇も無かった。光は、ダラバの身に全て吸い込まれていく。

 

「--何をした!」

 

 先ず口を開いたのはカティマ。当然だろう、つい先程まで戦っていた相手に、得体の知れない術を施されたのだから。

 

「何って? 直ぐに判るわよ」

 

 激昂する彼女の気勢を受け流し、エヴォリアは薄笑みを浮かべてはぐらかすのみ。

 刹那、ダラバが起き上がった。まるで操り人形のように。

 

「さぁ、殺し逢いなさいな!」

 

 剣を構えて、ダラバが駆けた。獣のような咆哮と共に、先程までの比ではない禍々しい殺気を放ちながら。それは一番に、カティマに向けられた。

 

「--っぐ!!」

 

 刷り上げる一撃に、【心神】が跳ね飛ばされた。そして返す太刀が降り落ちる--より早く、速く。合間に滑り込んだ望の【黎明】が、その一撃を受け止めた。

 

「--ハァァッ!」

「--……!?!」

 

 そして望がダラバを引き付けた瞬間、空がエヴォリアを目掛けて駆け出した。ライフルを片手に、鮮血を撒き散らしながら。

 

「は、分かりやすい作戦ね!」

 

 それに、エヴォリアは見下したように右手を差し出した。シャン、と。その手首の腕輪型永遠神剣【雷火】が金属音を奏でる。

 

「貴方に、避けられるかしら--オーラショット!」

 

 翳したその掌に収束した、白のマナ。炸裂のマナが弾丸と化して疾駆する。

 

 それは、似たような技である白ミニオンの『オーラシュート』や『エネルギーボルト』とは、桁が違う威力だった。

 こんな物に当たってしまえば、間違いなく空の身体はこの世から消滅するだろう。

 

「--ハ、そうかな?」

「--なっ……!」

 

 刹那、空はエヴォリアに背中を向けながら跳躍し--自らの右掌をライフルの口腔に当てて、引鉄を引いた。

 放たれた銃弾は当たり前だが、空の右掌を貫いて飛翔する。空の血液が絡み付いた『深紅』の銃弾が望のすぐ横を掠めて、『南天星の剣』を振り下ろすダラバの左胸を狙い撃って--『レゾリュートブロック』に阻まれて。

 

「--グ、フッ!??」

 

 そのダラバの左胸から、鮮血が吹き出る。まるで『鏡写しに銃弾が撃ち抜いた』かのように、左の背中から銃創が刻まれていた。

 

「--改悪しろ、我が神名よ……『触穢』!」

 

 呟くような宣言と共にダラバの身体に複雑な赤い紋様が現れる。それは溶け込むように、彼の身体の奥に消えていった。

 

 そして次の瞬間、ダラバの力が緩んだ事を確認した望がカティマを見る。

 

「--今だ、カティマッ!」

「っ……たぁぁぁっ!」

 

 その僅かな隙を突き、カティマの【心神】が閃く。下段から刷り上げる一撃は黒いオーラフォトンを纏う、彼女の前世の体現である『北天星の剣』。

 それは望が跳ね退いた事により、振り下ろされた『南天星の剣』と打ち合って--【夜燭】を跳ね上げ、ダラバに再び致命傷となる傷を与えた。

 

「くっ……何をしたのか知らないけど、あんたは終わりよ!」

 

 エヴォリアの言う通りだ、この状況で空が生き残る道理はない。それは誰がどう見ても、火を見るよりも明らかだった。

 

『--ただ、願いを叶えるだけの……可能性、ですから』

 

 頭の中に、知らない少女の声が響く。少なくとも、脳味噌はそう否定した声。

 

--ああ、そうだ。俺には出来る。あの『水』を口にした俺になら、必ず……その『可能性』を掴み取れる!

 

 丹田に溜め込んでいた力を発勁により体中に流す--のではなく、外界に向けて放射するように。生まれて初めて、己ではなく世界に意を添わす---!

 

「--ハァァァァァッ!」

 

 世界を染める、漆黒の煌めき。まるで墨汁のように濃密な黒い虹を照り返す墨色の光が、六道輪廻を表すチベット佛教の古い宗教画『曼陀羅』のような形をとる。

 

【な--これは、まさか……!】

 

 細密な墨絵、その黒光はやがて空を包み込むと--漆黒の光の盾『ダークシールド』と化し、光の弾丸を受け止めて相殺した。

 

【まさか、『ダークフォトン』を扱えるというのか……この男!】

 

 それはまるで、懐中電灯の光が夜空に消えていくかのような光景だった。

 

「信じられない……こいつ、何て馬鹿なの」

 

 エヴォリアの絶句も当前の事、その大怪我でここまでの運動量。失血量は最早、致死量に近い。

 再び致死の傷を受けてマナの霧に還りつつあるダラバが、ユラリと神剣を構える。そしてカティマに跳ね上げられた【夜燭】を--

 

「--なっ!?!」

 

 エヴォリアに向けて、振るった。辛うじて躱したが、驚きの余り彼女は防御が疎かになる。そこに、ソルラスカとタリアがダラバと挟み撃ちにするような同時攻撃を見舞った。

 

「そんな馬鹿な……そんな躯で、どうやって……!」

 

 それは二つの意味で紡がれた。弐太刀も【夜燭】の剣撃を受けて尚、動ける空。支配されていた筈なのに、自分へ向けて【夜燭】を振るったダラバに向けて。

 だが答えが返る事は無い。続くダラバの一太刀に、彼女は舌打ちしながら更に飛びのいた。

 

「このあたしが、嵌められたってわけ……よくも!」

 

 憎悪を篭めた瞳が空を捉える。自分に屈辱を与えた男を目に焼き付ける。

 

「覚えておくわ、神銃士『幽冥のタツミ』……!」

 

 その言葉が紡がれたのと同時に、彼女を【夜燭】が捉えた。

 

 【夜燭】の刀身を、光が撫でて行く。だが消滅したのではなく、逃げられたのだ。

 剣を降ろしてダラバは天を仰ぐ。一同には、血に塗れた背中しか見えなくなった。

 

「……確かに返して貰ったぞ……ダラバ……」

 

 呟いた空。その左の掌の中には、正拳突きの際に掠め盗った彼のお守り。体中の傷からは盛大に血が流れ出ており、遂に膝を折る。

 

--これが、俺の『昔の神剣』と神名の効果だ。鈴鳴に貰ったあの赤い凍結片……かつての俺の神剣である第七位永遠神剣【逆月】の、剣の刃体が触れた位置を基点にした『鏡写し』の効果と『改悪』……相手の持つプラスの効果のみマイナスに反転させる姑息な神名の効果。

 今回、ダラバの命を繋いで支配していたのはエヴォリアによって新たに目覚めさせられた神名だ。それが反転すれば、結果は明白という奴。

 

 望とカティマが空を受け止めると、治癒を行う為に希美とポゥが駆け寄った。

 

「……フン、喰えぬ小僧よ。貴様、よもやこうなる事を予測して私に斬られたのではあるまいな」

「まさか、偶然だ。そんな高度な真似が出来る程、達者じゃない」

 

 そんな空に視線を向けたダラバ。彼は、烈しい敵意と共に。

 

「本来ならば縊り殺して億の肉片と成るまで斬り刻んでやりたい処。だが……」

 

 エヴォリアにより強制的に神名を目覚めさせらた彼は、その少年の『前世』を思い出した。その、成したる卑劣も。

 

「……だが、お陰で『再び』我が矜持を失わずに済んだ。どうやら今生の貴様は……『奴』とは違うらしい」

「……さてね」

 

 ニタリと、笑い合う。通じる者同士にしか判らぬその意味。

 

 夜が明ける。藍色の空を太陽の光が照らす。もう『燭火』は必要無い。

 

「……女狐の策を破り、篭絡した褒美だ、【夜燭】はくれてやる。だが気性の荒い剣だ、貴様に使い熟せるか?」

 

 地に衝き立てられた【夜燭】。その黒刃はダラバとは違い、マナの霧に還ってはいない。

 支えてくれている三人を制して、ゆっくりと空が前に出る。燭火に誘われた虫のように、ダラバの目前まで。

 

--ああ、認めよう。初めて見た時から心奪われていたさ。正に、一目惚れだ。

 

 両腕が【夜燭】の柄に伸びて、番える。地面から引き抜くと、肩に担いだ。右掌の苦痛を腹に力を篭める事で堪えて。

 幾ら致命傷を避けたとは言えど、その出血量。加えて、契約などしていない者にとって神剣の重量を持ち上げる等というのは途轍も無い大仕事。つまり、それを可能としたのは--

 

「……悪いけど、俺は神剣と契約する気は無い。俺は『巽空』……何処まで行こうと、何があろうと俺は俺の壱志を貫き通すだけだ」

 

 ただ、壱志。此処まで、『己の可能性』を信じて努力してきたが故の反骨。

 

--俺は『巽空』だ。それだけは変えない。永遠神剣の強化などは要らない、俺は俺の壱志に懸けて『巽空』という全力で生きるのみだ。

 

「……クク、どこまでも我が予想を斜め上を行く男よな。その壱志とやらを最期まで迷わず貫き通すがよい。それが貴様の導べと成るであろうよ」

 

 背を見せているダラバに、そう強がって答えた空。その『かつての自分』を重ねた少年に向けて、彼は言葉を贈る。

 

「復讐の先になど……何も無い。永劫の空莫が拡がるのみだ。お前はこうは成るな、タツミ=アキ」

「……ダラバ=ウーザ」

 

 そこで、やっと彼は理解した。『巽空』が『ダラバ=ウーザ』に心惹かれた理由を。

 

--コイツは、俺だ。復讐という道に進み、成し遂げた果てに居る俺。

 進む事は最早無く、かといって引き返す道などは始めから無い。展望など無く、帰結も無い。永遠を立ち尽くすだけの凍えた焔。

 

 ゆっくりと空は【夜燭】を地面に刺した。視線はそのまま、霞み始めた目でダラバの背を見据えたまま。

 

--もしも、自分の『可能性』を信じ抜く事が出来なかったなら。『あの娘』と出会えなかったなら、今頃、こうして立っている事も無かったんだろうな……

 

「心せよ……『神』は無慈悲だ。いや、貴様になら判るであろう。『欲望の神』と『伝承の神』……奴らこそが、この下らぬ三文劇の狂言廻し--」

 

 その少年に彼は、自身を復讐に駆り立てた黒幕の正体を告げようと口を開いて--背後で響いた、何かが倒れ伏した音に苦笑した。

 

「全く……重き荷を背負い来たが、幕切れは存外に呆気ないモノよ……一体、何の為に私は……」

 

 苦笑を漏らしながら、彼は噴水の一番下の縁石に腰を下ろした。その隣に一人、影が立った。

 

「クロムウェイか……見違えたぞ。お前が此処に来たという事は、我が軍が敗れたという事か」

「時は移ろう、形有るモノは必ず壊れる。不滅なるモノなど有りはしないのです……ディスバーファ将軍」

 

 肩口に衝き刺さった槍の穂先。鞘に剣は収まっていない。恐らく槍を圧し折る際に欠け、曲がったのだろう。

 

「鉾に頼り甘い汁を吸ってきた者と、苦杯を舐めつつも己の力で道を切り開いて来た者とでは、始めから勝負になりようも無し。フフ……後世恐るべし、という奴か。時代は確かに受け継がれ、流れて行くのだな」

 

 倒れた少年が仲間に介抱される姿を横目に、仰向けに天を仰いだダラバ--ディスバーファ。

 

「ならば……これで……もう……想い遺した事も、無い…………」

 

 朝陽の煌めきに白大理石の庭園が照らされる。眩むような白光に染められた庭園に、彼は--幻を見た。

 膝枕された、自分の髪を撫でる指先。眼差しの先には、心配げな涙目をした金髪の女性。

 

「……泣くなよ……『俺』はもう……大丈夫だからさ……」

 

 その小さな呟きはを聞き届けたのは、クロムウェイただ一人だ。だが彼は確かに『彼女』と話していた。

 神剣の燭火よりも眩しく輝く、暖かい記憶の陽射し。凍てつく夜の焔に焼き尽くされた彼の生涯に於き、復讐すらも忘れかけさせたその陽射しの彼方に見える女性。

 

 己の無事に安堵して極上の笑顔を見せてくれたその彼女に向けて。あの昔日以来の、無垢な笑顔を浮かべて。

 その穏やかな朝陽を浴びて--

 

「--クルウィン、漸く……君の御許(もと)へ…………」

 

 あの懐かしき少年の頃と同じ笑顔で、ディスバーファ=レストアスは、温かな陽射しの中で最期を迎えたのだった――……



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新たなる風 船出の朝

--……甘い香りに目を覚ますとそこは青い空と、見渡す限り一面の花の海だった。

 

『……ししょうの……ときみさんのしわざだ。まちがいねぇ』

 

 それに幼く舌っ足らずながら口と目付きの悪い、だが利発そうな少年の声が響いた。溜息混じりに呟き、寝巻のまま見た事も無い花の褥に横たえていた体を起こす。

 

--何せ、今回が始めてじゃないしな。始めは近くの森、次は少し遠くの山の中とか。

 ったく……確かに名前は似てるけども、俺はどこぞの地上最強の巨凶《オーガ》の息子じゃねーっての。

 

 辺りを見回して、迷わず首謀者だと断じた相手の姿を探す。が、辺りには他の人影は無かった。

 その代わりというのもおかしな話だが、すぐ脇には鞘に収まった護身用の脇差し……実は国宝級の価値がある青江の脇差しが無造作に転がされている。

 

『はぁ……また、なげっぱなしのしゅぎょうか。ほんと、ししょうにもこまったもんだぜ。そんなんだからケッコンどころかコイビトのひとりもできないし、ハツコイの『そうゆーと』とかいうのにもあいてにされないんだよ』

 

 物心ついたかどうかも怪しい年でありながらも、慣れた手つきで脇差しを腰帯に挿したくりくりとしたアンバーの瞳と癖毛の金髪の少年はやけに老成した物言い。

 浅葱色の長襦袢の袖内から腕を抜いて中で腕を組み、到底本人には聞かせられない文句を口にして唇を尖らせて柔らかな草叢を踏みながら、何か手掛かりが無いかを探し始めた。

 

--……まぁ神社での娯楽なんて、古文書とか祝詞や神楽。良くて時代小説くらいだったしな。この古風な考え方とか口癖を抜くのに、随分と苦労したもんだ。

 

 先程と同じく補足を入れたのはこの映像……『回想』を見ている『現在』の空の意識。

 同一の視点でありながらも独立した思考が出来る辺り、明晰夢という物のようだった。

 

『しかし……どこだろう、ここ。たしか、にほんはふゆだったから……まさか、ガイコクかな?』

 

 そんな不安が沸き上がるくらい、見た事の無い景色。辛うじて、明るくて暖かい事が彼の心に幾許かの落ち着きを与えていた。

 

『はぁ……ときみさーん、どこにいるんですかー!』

 

 だが、やはり幼児は幼児。不安に、無意味だとは知っていながら最後の呼び掛けをして--

 

『え、ときみさん? どこどこー、ときみさんどこにいるのー?』

『……は?』

 

 背後から聞こえた、自分よりも更に幼くて舌っ足らずな幼女の声を受けて振り返ったのだった--

 

 

………………

…………

……

 

 

 最初に目に入ったのは、天井の白いタイルと蛍光灯の白い光。

 

「……ぐ、あ……!」

 

 身を起こす。それだけの作業で、死にたくなるような程の苦痛が全身を襲った。

 

「上手く……死に損なったみたいだな、俺……」

 

 胸に手を当てる。焼けるような熱を持っているそこは、包帯でがんじがらめにしてある。また特大の継ぎ接ぎが増えた事だろう。

 琥珀色の三白眼を揺らしつつ、溜息を零しながら己の髪を梳く。

 

「……ぬ、目を覚ましたか天パ」

 

 頭の横から声。ベッドの脇の棚に座り、剥かれた林檎をかじっているレーメだ。

 

「ジャリ天か……あれから、どれくらい経った?」

「五日だ。全く、ノゾミとポゥに感謝するのだぞ? ほとんど寝ずに、ずっと治癒魔法を掛け続けていたのだからな。この鉄砲弾め」

 

 モソモソと動きながら問う空に、レーメは多分に怒りを載せた声で応えた。

 

「……そうか」

 

 足元の椅子に座り寝息を立てている少女達が目に入る。ショートの黒髪の彼女は希美、その希美の膝の上で眠る緑色をした透徹城に収まったクリスト=ポゥ。

 

--やれやれ、これは本当にもう死ぬまで頭が上がらないな……。

 

「……有難う、二人とも……」

 

 心からそう呟き、彼はゆっくりと手を伸ばす。

 

「あ、こら天パ、返すのだっ!」

「おいおい静かにしろよ、二人が目ェ覚ますだろうが。第一これは、俺んだ」

 

 ベッド脇に置かれた皿、さっきからレーメがかじっている林檎の置かれた皿に。

 林檎に刺してある爪楊枝を摘むと、それを口に運ぶ。

 

「相変わらず頭に来る奴……おぉ、忘れるところだった。サツキに知らせてくるとするか」

 

 そこでレーメは思い出したように飛び立ち、半開きになっていた扉から出て行った。

 

【お目覚めどすか、旦那はん】

「……ん……」

 

 と、唐突に【幽冥】より思考が接続された。

 

【くふふ……いやぁ、そういう事どすかぁ。旦那はんもお人が悪ぅござりあんすな、そうならそうと言ってくれればようござりあんすのにぃ。さすが、わっちが選んだ契約者どすわ】

(はぁ? 何だいきなり、気持ち悪い)

 

 気の所為か、かなり機嫌が良さそうな。

 

【謙遜しはってぇ。旦那はんは、ダークフォトン使いやったんどすなぁ……そりゃあオーラフォトンを使うのが下手な訳どすわ】

(『ダークフォトン』?)

 

 取り上げた林檎をかじっていた空は、皿を置いて【幽冥】に目を向けた。

 

【ダークフォトンってぇのはぁ、オーラフォトンの対みたいなモンどす。起源は同じマナどすけど、言わばプラスとマイナス。オーラやオーラフォトンを中和する性質を持っとるんどすわ】

(へぇ……そうなのか)

【そうなのかってぇ、旦那はんの能力どすえ。前世とやらの神剣はダークフォトン系だったんどすか? 中々に稀有な神剣どすなぁ】

(いや、違うけど?)

【……へ?】

 

 あっさり否定すれば【幽冥】は呆気に取られたような声……思考に声と表すのも変な話だが……を漏らした。

 

【成る程、つまりそれは旦那はんの潜在的な能力っつう訳どすか。珍しい訳でも無いか、“法皇”が効率的な世界破壊のテストベッドとして設置した浮き世界の中でも、来訪者と現地民の間に生まれた混血が神剣無しでもマナを扱ったとか『あの女』も言うとったしな……】

(あぁ? 何をぶつくさ独り言を言ってやがんだよ)

 

 急に思案に沈んだ【幽冥】へと語り掛けるも、相手にされない。

 

(……と、そういえば【夜燭】はどうしたんだ?)

【ああ……あれなら庭園に刺したままどす。そうどすな、そろそろ『喰らい』に行きましょかぁ】

 

 無視されたままなのも癪に触るので、話題を変えてみれば効果は覿面だった。眠っている少女達を起こさぬようにベッドから出ると、多少ふらつきながらもなんとか立ち上がる。

 ここまで鍛えてきたからなのか、前回よりも酷い傷にも関わらず結構しっかりした足取りだった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 宵の街。グルン=ドレアス制圧からはもう六日経っているのだが、未だに解放の興奮は覚めやらぬらしく街は活気に溢れている。

 壊れた施設の修復等は後回し。道に溢れた人々は酒を浴びながら新たな王名を讃える。『カティマ=アイギアス女王陛下万歳』と。

 

 後二日は、この祭じみた祭宴は続くのではないだろうか。

 

 その人の波を縫うように、黒い外套を纏う男が歩く。そう、巽空その人。彼は、他の天使とは違い余り顔を知られていない。

 故にこうして大きな通りを堂々歩いても気に留められる事も無いらしい。

 

【くふふ、色街みたいな馬鹿騒ぎどすな。これはこれで死出の旅路の手向けのようでぇ。【夜燭】を喰らう前座としては及第点どす】

 

 と、【幽冥】がへらへらと声を掛けて来る。空はそれに、ただ前を見詰めて。

 

(--はぁ? トチ狂ってんじゃねェよカラ銃。アレは俺のモンだ。テメェに喰わせる義理は無ェ)

 

 事もなげに言い放たれた、その言葉。それに【幽冥】からの思念が一瞬止まった。しかし、すぐに続きが流れ込んで来る。

 

【……旦那はん旦那はん、何トチ狂ってますのん? 契約をお忘れどすかぁ、この【幽冥】によって得た永遠神剣その他は全部わっちのモンどすぇ? それとも契約を破るお積りで?」

 

 物分かりの悪い子供に諭すかのような。それでいて氷点を下回る、温度の無い声色。それに空は、口角を吊り上げて嗤う。

 

「そりゃあそうだ。だが【夜燭】はテメェで倒して奪ったモンじゃねェよな? なんせ--ライフルと『触穢』でダラバを倒して、俺に譲られたモノだろ?」

「--……!!」

 

 その言葉と全く同時に【幽冥】から赤黒い精霊光が漏れ出す。

 陽炎の如く立ち上る漆黒の霧。空間すら喰らう悪逆の翳り、遍く幻実を貪る『穢れ』そのもの。

 

「どうした、喰わねェのかよ」

「…………」

「喰うんなら一撃で決めろよ? 殺す時は一撃で殺さなきゃ反撃が来るぜ? 追い詰められりゃ、鼠だって猫を噛むんだからな……」

 

 もしも有ったのならば、ギリリと【幽冥】の歯が鳴った事だろう。全く動じないその少年の不遜な態度に、猛禽類の眼をした少年の外套の下の【幽冥】はただ精霊光を漏らすのみ。

 

 そして--

 

「……く、ふふ……よござんす、今回はわっちの負けで我慢します……けどぉ……」

 

 この男の性能と、他に契約者を探す手間を比べて。ピエロの如くおどけた物言いをして、【幽冥】はその精霊光を納めた。

 

「--覚えときなんし……二度目は有らしませんぇ」

 

 ただ、その呪い殺さんばかりに憎悪を篭めた思念。性質の悪い、爬虫類を思わせるそれを隠さずに空にぶつけて。

 

「……失望させんなよ。俺の相方なら安い捨て台詞なんざ吐くな」

 

 それにすら不遜な視線と軽口を返した空に舌打ちし、【幽冥】の意識は埒外に霞んでいった。

 

「……さて、本番はこれからか」

 

 呟いて見上げる城郭。彼は外套のフードを被り、腹に力を込めてダークフォトンを発揮した。

 

 

………………

…………

……

 

 

 深遠に沈んだ、庭園の真ん中。夜の風に吹かれる望月の白い虹を浴びて、【夜燭】は黒耀石めいた煌めきを返している。

 

「……よぉ、【夜燭】」

 

 その大剣に向けて軽く声を掛け、空は地面に突き立った刃に迷う事無く歩み寄った--刹那、雷の獣が顕現した。

 

「……よぉ、レストアス」

 

 その獣に向けても、空は軽く声を掛けたのだった。

 

『------!』

 

 それに判別不能な、雷鳴に似た鳴き声と弾け飛ぶ稲妻で威嚇するレストアス。

 

 認めない。お前が主だなんて、認めない。そう叫ぶかのように。確かに【夜燭】は譲られた。だが、レストアスは譲られていない。つまり、レストアスを手なずけるのはダラバが残した最後の試練という訳だ。

 

「お前の力は、身に染みてる。俺の求める事は単純、お前を傘下に加えたい。ただ、それは魂の誓約じゃなくて利益の追求だ」

『……?』

「俺の求めを受け入れる換わりにお前の求めも受け入れる。つまりは等価交換--」

 

 スッと。差し出された、包帯の巻かれた左手。それを見詰めて、不思議そうに頚と思われる部位を捻るレストアス。三対の金眼が、戸惑っているようにも見えた。

 そんなレストアスに、空は呼び掛け続ける。

 

「--共に来い、レストアス。俺の目的の為にお前の力を遣わせろ。換わりに、お前の目的の為に俺の力を遣わせてやる」

『--……!!』

 

 月下に、炯々と煌めく猛禽類の如き赤い鳶色の三白眼とその傲慢とも言える物言い。だが、それにレストアスは安堵を覚えた。

 確かな寄る辺。何があろうとも揺らがない意志。『確たる自我』を持たないレストアスはその側に居る事で始めて安寧を感じる性質を持つ。持ち主を失った今、その心は際限無い不安に苛まれ続けていたのだろう。

 

 ゆっくりと、掌が伸ばされる。蒼く帯電する雷獣の抱いている刃に向けて。レストアスも、その掌を見詰める。その男は知っている筈だ、もし認められざる者が自分に触れればどうなるかなど。それを知った上で【夜燭《じぶん》】を掴み取る事が出来るのかと。

 

 そして空は---何一つ迷わずにレストアスの躯に触れた。

 冷たい水の感触、しかしサラリとした粘性の無いスライムのようにも思えるレストアスの躯。掌が水分に濡れる事は無い。

 

 遂に、掌が【夜燭】に触れる。柄を握り締め、地から引き抜いて肩に担ぐ。

 

--なんて、重い刃だ。契約していないからというだけでは無い。この刃には、『あの男』の人生が詰まっている。

 その刃を引き継いだ責任は重い。その重さが、この重さ。

 

「--『盟約』は成立。歓迎する、レストアス。立ち塞がる総てを斬り伏せて……共に徃こう」

 

 月下にて交わされたその盟約。白虹に、夜闇に祝福されて。彼は『剣神の刃』と手を携えた。

 

 噴水の縁石に空は腰を降ろす。【夜燭】の凍結片を隣に立て掛け、煙草を取り出す。

 真円の望月を眺めながら紫煙を燻らせると安堵の溜息を吐いた。

 

「……お見事」

「あ……姫さん。どうも失礼してます」

 

 そんな彼に声を掛けたカティマ、その手には【心神】が在った。だが、いつもの鎧姿ではなく落ち着いた色合いの服を着ている。

 

「何やら【心神】が騒ぐので遣って来てみたのですが……佳いモノを見れました」

「……あ~……」

 

 空はバツが悪そうに頭を掻いた。あんなにも小っ恥かしい台詞を吐いたのを人に見られていたのか、と。

 

「しかし巽、どうやって城内に? 見張りを通せば我々に話が来てもいい筈ですが…?」

「ハハ、アサシンを舐めちゃいけませんよ。あのくらいなら手負いでも潜り抜けられます」

「そうですか。警備体制を見直す必要が有りますね。次は捕らえて見せましょう」

 

 他愛もない(?)会話。だが、それももう少しのモノかと。少しだけ感傷を覚えた。

 暴君ダラバが討たれて、黒幕のエヴォリアが去った今、この世界に彼らが留まる必要は無い。本来ならもう去っていても良い筈。

 物部学園一同がそれを先伸ばしにしたのは、ものべーのマスターである希美に空の傷の治療に専念して貰う為だった。

 

 その手が腰の後側に備える魔弾を入れたウエストバッグを漁る。取り出したのは琥珀色の魔弾……ではなく、飴玉。この世界のモノではなく、元々の世界の品だ。

 

「それは……飴玉ですか? 綺麗ですね……まるで宝石のよう」

「好物なんです。どうぞ」

 

 その飴玉をもう一つ取り出して、カティマに差し出した。包みを解いて含み、頬張る。

 暫くそうして沈黙が続いたが、不意に。

 

「……傷はもう良いのですか?」

「はい、希美とポゥのお陰で」

「皆、心配していたのですよ? 少しは自愛してください」

「うぐ、申し訳ない」

 

 涼しい夜風がそよぐ。銀色の月の煌めきを浴びて美しく靡く、金の髪。既視感を感じつつ、二人は口を開く。

 沈黙が場を支配する。月に群雲が掛かり、大地に深遠が降る。

 

「巽、貴方が目覚めたという事は……行かれてしまうのですね?」

「……はい。明日には準備をして、明後日の朝に発ちます」

「では、最後の機会ですね。無理を承知でお願いします。巽、この世界の未来の為に……この世界に残って頂けませんか」

 

 その下で、静かに静かに言葉が交わされた。それに片膝を衝いて【夜燭】を突き立てた空は、深く頭を垂れて言葉を紡ぐ。

 

「元々、我々は局外者。この世界に干渉するのはルール違反です。ですから……暇乞いに参りました、アイギアス女王陛下」

「…………」

 

 『アイギアス女王陛下』。その言葉に彼女は少しだけ、悲痛な顔をした。今までの彼が使っていた『姫さん』とは違い、それに情は篭っていない。紛う事無き家臣としての物言い。

 だが、彼女は王者だ。臣下が王に謁見したいと申し出たのならば、応えぬ訳にはいかない。毅然とその正面に立ち、【心神】を臣の片口に当て--斬心を示した。

 

「--汝を縛る柵は断ち斬った。これにて、そなたの翼は自由……このような不甲斐無い私に、よく仕えてくれました」

「いえ、私こそ……貴女のような真の王者に仕える事が出来た事を、今生の誉れとします」

 

 更に深く、頭を下げる。最後に【幽冥】を抜いて、その撃鉄を額に当てて仁義を通した。

 

「風の如き貴方には、自由こそが良く似合う……迷わず、その壱志を貫き通しなさい。それが一時の主よりの最後の下知です、神銃士『幽冥のタツミ』」

「承りました、陛下……」

 

『--貴方は何故、戦うのですか■■■■殿?』

『それはその……恥ずかしながら■■■■■■■■■から、です。アルニーネ様』

『そうですか。お互いに道のりは果てしなく遠いようですが、努力致しましょう……私も何れは……あの方に……』

 

 

--刹那、幻視した過去の風景。神世の古に交わした言葉。しかしそれはフィルムの擦り切れた映画のように肝心な部分だけノイズが走っており、思い出せない。俺は……『オレ』は一体、何て答えたんだったか……。

 

「では、これにて。良い夜を」

 

 携帯の時計機能で時間を確認し、立ち上がる。傍らの【夜燭】を担ぎ上げ--

 

「……礼と言っては何ですが……手伝いましょうか、巽?」

「すみません……気合い入れてる時はイケたんですけど……まだ俺、病み上がりでした……」

 

 ……られずに、結局カティマに運んで貰う事になったのだった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 昼下がりの郊外の森の中。普段は静かなその森だが、今は巨大な山……ものべーが鎮座している。そのものべーに向かう、人の列。物資の搬入を行う学生達だ。

 森の拓けた所、その小さな広場に積まれた荷物の山。大分総量を減らしているが、まだ結構な数が残っていた。

 

「--巽殿ですか?」

「--はい? あ、クロムウェイさん」

 

 特に重い食糧品を運ぼうとしていた所を呼び掛けられ、多少間の抜けた返事を返した。

 

「何故貴方が荷運びを? 怪我の方は良いのですか?」

「ハハ……仕様です」

 

 尤もなクロムウェイの言葉に、苦笑して茶を濁す。それで大体を察したのだろう、クロムウェイも苦笑を見せた。

 

「ちゃんと働いてないと、上司にイビられるもので。そう思うと、いっそこの世界に永住しようかな、なんて思いますよ」

「では、陛下の申し出を蹴ったのは惜しい事をしましたね」

「まったくですよ」

 

 これが恐らく、この人と交わす今生で最後の言葉となるだろう。空もクロムウェイもそれが判っていた。だから、今までしなかったような軽口で話す。

 

「あ……そういえば外套を借りたままでした」

「構いません、お持ちください。大した価値など有りませんが、私からのせめてもの御礼です」

 

 それが、同じ主君に仕えて共に戦い抜いた戦友同士の在り方だと感じたからだ。

 

「……解りました。有り難く頂戴します」

 

 頭を下げる。本当に頭の下がる思いだった。彼は、この後のこの世界でもきっと立派な将になる事だろう。

 

「大事に使わせて頂きます、クロムウェイさん」

 

--俺には、到底真似できない。本当に凄い人だ……。

 

 

………………

…………

……

 

 

 そうやって尽きない名残を振り払い、別れた。その暫く先で、空の目の前にカティマが現れる。

 

「あ、巽……」

「姫さ……陛下。どうして……」

 

 『こんな所に居るんですか?』と聞く前に気付く。クロムウェイと逢った時点で気付くべきだったのだろうが、皆に別れを言った後の帰り道だったのだ。

 だが、様子がおかしい。随分と思い悩んでいるようだ。

 

「巽、一つ宜しいでしょうか」

「は、はい」

 

 決意を篭めた彼女の視線を受け、自然と背筋が伸びた。カティマの両手が空の肩に掛かり--

 

「……難攻不落の城が有ります」

そう、告げた。

 

「…………はぁ、難攻不落」

「はい、難攻不落です。今までに経験したどんな城塞よりも。その攻略法で、巽の知恵を借りたいのですが……」

 

 あまりと言えばあまりに突拍子の無い台詞に、空は面食らう。

 

--さて、どうしたものだろうか。そりゃあまだ北部にはグルン=ドラスに与していた諸侯の勢力が在るというが、その事だろうか?

 

 腕を組んで、その左手の親指を眉間に当てて思考した結果。

 

「それじゃあ、これは俺の世界の昔話なんですけど--……」

 

 静かに提案する。彼は知らない。これが、大変な事態を齎す事を--

 

「成る程……参考に成りました。有難うございます」

「いえ、こんな事でしか役に立てない駄目人間ですから」

「またそんな事を……巽は充分に立派です。まあ、向こう見ずな点と自分一人で全部何とかしようとする点を除けば、ですが」

「耳が痛いです」

 

 ポリポリと癖毛を掻きつつ苦笑する。それに、彼女も微笑んだ。

 

「巽。それでは……また」

 

 『また』と。その言葉に、再度感傷を呼び起こされる。もう二度と逢う事も無い、だからそれは嘘になる。

 

「陛下……『それでは』」

 

 だから、彼はそう告げた。彼の矜持が、ソレを許さなかった。

 

 静かに離れてゆく二人。これが、巽空の『剣の世界』での物語の幕引きだった

 

 

………………

…………

……

 

 

 ものべーが浮上していく。始めは途方にくれたその風景も、こうなれば名残となる。

 皆同じ事を考えているのだろう、窓という窓から幾つもの瞳が、朝陽の昇る世界を見詰めていた。

 

 神剣士達とて同じようなものだ、生徒会室に集結した一同は全員学生服姿だ。望に希美、沙月、空……そして、ソルラスカとタリアも。

 

「なんか妙に騒がしくないか? あ。あれ……アイギアの人達か」

 

 そんな望の呟きに、全員が目を向けた。そこには確かにものべーに向かって駆けて来る大勢の騎士、街の者達の姿。

 

「どれどれ……そうみたいね。馬に乗って追い掛けて来てる…」

 

 かっちりと制服を着た優等生然としたタリアの言う通り、手を振り何かを叫びながらものべーに向かって馬を駆けさせている先頭の騎士達。

 見間違えよう筈も無い、それはヨトハ村から共に戦い続けた姫君の忠臣達だった。

 

「私達にお別れしてくれてるのかな?」

「こっちに向かって叫んでるし、そうじゃないかしら」

「へへ、なんかこそばゆいぜ」

 

 詰め襟の制服を第二ボタンまで寛げた、不良みたいなソルラスカが鼻を掻いた。

 口々に照れと万感の思いを込めた言葉を紡ぐ一同。追い縋る者達はまだ叫び続けているようだが、どんどん遠くなり、やがて--

 

「ああ、見えなくなっちゃった」

 

 希美が漏らした言葉に、全員が何とも言えない溜息を漏らした。恐らくは永遠となるその別れに。

 

「アレって本当に、見送りだったのか?」

「俺も、そう思う。何て言うか、第六感が『悪い事が起きる』って告げてる気がする」

 

 ただ、望と空は納得していないようだったが。

 

 その時、扉が開いた。そこから現れたのは、レーメに率いられたクリスト達。

 

「さて、連れて来たぞ天パ。吾に小間使いの様な真似をさせおって、一体なんだと言うのだ?」

 

 部屋の中央に在るテーブルの上にならぶ。先ずレーメが不服そうに吠えた。

 

「ああ、ちょっと此処ではっきりさせとかなきゃならない事があってな」

 

 それに怜悧な三白眼を向けて、空は棚に置かれたノートを取る。その題名は『食糧帳簿』、それを沙月に渡す。

 不審げにそれを受け取った沙月だったが、中身を確かめるや眉をひそめた。

 

「ちょっと巽くん、何よこれ? 今回の補給が無かったら、真っ赤じゃない。ちゃんと節約しなさいって言ってるでしょ」

「してますよ。してましたよ、今までも。ですけどどうやら『鼠』が居るようでしてね」

「「「「「……鼠?」」」」」

 

 理不尽な怒りを受け、空は不快そうに頭を掻きつつレーメに視線を戻した。それに彼女は、そっぽを向いてぴーぴーと口笛を吹く。

 

「えっと、まさかとは思うけど空……それって」

「ああ、そのまさかだよ担い手の世刻君」

「な、何を言うか! 吾がそんな事をするかっ!」

 

 途端に憤慨するが、望は胡散臭そうに見詰めるだけ。随分良好な信頼関係のようだ。

 

「ならば、証拠を見せてみよ! 吾がやったという、動かしようの無い証拠をな!」

 

 ビシリ、と空を指差して強気に出る。それを受けて空はポケットから、黒い機械を取り出した。

 

『……ふっふっふ、潜入完了だ。天パも換気口を通って侵入できるとは、夢にも思っておらんかったようだな』

「【--!!!?!?」】

 

 それを弄ると、流れ始めた声。刹那に顔色を変えたレーメと--

 

『さてと、それでは何から頂くか……よしワゥ、手を貸すのだ!』

『オッケー! 食っべるぞー!』

【【【【…………】】】】

 

 ワゥだ。ルゥが頭を抑え、ポゥが慌てて、ゼゥが無視し、ミゥがゆっくりとワゥの方を向いた。

 表情は窺えないが、その身からオーラフォトンの煌めきが漏れている。ワゥは震えて泣きそうな顔をしていた。

 

『うーむ、この薫製肉の味わいは堪らんなー……何か飲み物はないか?』

『お菓子甘ーい! 美味しー!』

 

 その間もスピーカーからは彼女らの犯行が委細漏らさず事細かに伝えられる。これではぐぅの音も出まい。

 

「ハッハッハ、ジャリ天。まさか録音されているとは夢にも思わなかったようだな。で、この鼠共にどうやって罰をくれてやろうかと思ったんですが」

「キツイのくれてやってください、沙月先輩」

「な、ノゾム! この鬼畜ー!」

『お、何だこのどでかい木箱は。何が入っておるのだろうな』

『きっとおっきなお肉だよー!』

 

 流れ続けるスピーカーから何かを叩く音。この録音機が置かれていた木箱だからだ。続き--

 

『後少しの辛抱、せめてものべー殿が飛び立つ迄は隠れていなければ……』

 

 場を、静寂が包んだ。

 

--カチッ、ジー……カチッ。

 

 その静寂の中では、操作する音がやけに大きく響いた。

 

『お、何だこのどでかい木箱は。何が入っておるのだろうな』

『きっとおっきなお肉だよー!』

『後少しの辛抱、せめてものべー殿が飛び立つ迄は隠れていなければ……』

 

--カチッ、ジー……カチッ。

 

『お、何だこのどでかい木箱は。何が入って--』

「もう止めて巽くん。十分聞いたからそれ以上巻き戻さないで」

 

 そこで、押し止められる。沙月だった。疲れ果てた顔で。

 

「いやッ俺、どうも耳遠くなったみたいでッ!」

 

 だが認めたくないのは彼も一緒。何かの間違いであれと。可能性に賭ける。

 

「止めなさい! これ以上現実を衝き付けないでッ!」

 

 沙月は、頭を抑えている。他の神剣士も皆苦笑いを浮かべていた……。

 

 

………………

…………

……

 

 

 学園の食糧庫に集まった一同。その中央には、ここに居てはいけない人物の姿。現アイギア国女王陛下、カティマ=アイギアスの姿があった。

 

「--で、後の事はクロムウェイさん達に任せて此処に来たと」

「……はい」

 

 叱られた子供のようにうなだれ--事実叱られている訳だが--彼女はその経緯を説明した。

 クロムウェイに『王族としての責任を果たすべきという気持ちと、望達に付いて行きたい気持ちがある』との悩みを打ち明け、彼は『この広い世界を見て、心のままに力を貸すのも良いでしょう』と告げたという。結果彼女は、この道を選択したのだ。

 

「考えに考えた結果、私は此処に参りました。私は皆さんに受けた恩を、何一つ返していないのですから」

 

 そこまで言うと、彼女は木箱に納めていた【心神】を取り出した。それを抱えて、宣言する。

 

「私は……恩を返したいのです! どうか私の力を、私と永遠神剣第六位【心神】の力を望達の為に振るわせて下さい!」

 

 強い意志を燈した瞳。それを望に向け、カティマは許しを待つ。

 

「カティマ……有難う。行こう、俺達と。『家族』として!」

 

 誰も、異論など無い。皆静かに頷く。抱き着いてきた希美を抱き留め、カティマは嬉しそうに。

 

「はい! 皆さん……これからも宜しくお願いします!!」

 

 極上の笑顔で告げたのだった。

 

 カティマに専用の部屋を宛がい、そこに向かう途中でおもむろに沙月が問うた。

 

「ところで、カティマさん。どうして食糧に紛れ込んでたの?」

 

 至極、真っ当な疑問だ。彼女はこういう搦手は苦手そうに思えるからだ。

 

「はい、これは『トロイの木馬』策戦です」

 

 それに、中々立派な胸を張って答えたカティマ。

 

「……へ~ぇ、『トロイの木馬』ねぇ」

 

 ジロリと、沙月が振り返った。その視線の先には、こそこそ一行から離れて行こうとしていた空の姿。

 

「ちょっと、どこ行くの巽くん。私、君に尋ねたい事が有るんだけど?」

「いや、ちょっと……用事を思い出しまして」

 

 そこをケイロンのラリアットでブン戻されて、吊られたままで彼は会話する。

 

「あ~ら、凄い汗ね。それに顔が真っ青よ?」

 

 それは確かに、己の策で潜入を許したという事も有る。だが実際一番の理由は絞まり続ける剛腕の所為だ。これを機に止めを差す気なのかも知れない。

 

「……な、何でもないですケロ」

「何でもあるじゃない? 噛む程、焦ってるじゃないの。蛙になる程にテンパってるじゃないのよ」

 

 沙月の目が、三日月状に歪む。嗜虐に充ちた眼差し。ケイロンの腕に更に力が篭る。遂には気道を圧迫し始めた。

 

 よかれと思って授けた策が文字通り自分の頚を絞める結果となり、何だか彼はもう総てがどうでも良くなってきた。

 

--もう二度と、人に策謀なんて預けるもんか……。

 

 薄れゆく意識の中、そう誓った空だった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 米粒よりも小さくなった神の舟が、朝陽に満たされた空を泳いでいく。

 ヨトハ村の神木の元に置かれた無名の碑。二つ並んだその碑は、旅立つ少年少女達を祝福するかのように燦々と降り注ぐ木漏れ日を浴びていた--……



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第三章 精霊の世界《エルフィ・ティリア》 Ⅰ
精霊の森 揺籃の巫女 Ⅰ


 ギャアギャアと不可思議な鳥の鳴き声が木霊する夜の密林。

 そこで、一本の大木が倒れた。

 

「で、出たぁぁぁっ!」

 

 続き、男性の声。その緊迫した声色に総てを察し、男達は武器を構えた。剣や斧、鋸に鉈--現代で言えば随分と初期のものだが、前篭めのマッチロック式ライフル……則ち、火繩銃。

 

 数多くの篝火に照らされたその視線の先には--火影が届かずに面容の見えない、枝上に立つ少女の姿。

 見える衣服は白妙に緋袴。だが、その袴はあくまで腰布のように着崩されており、巫女ではない事を如実に表す。彼女は--

 

「性懲りもなくまた来たなっ! 今日という今日は許さないぞ!」

 

 ビシリと指差し宣言すると跳躍してビル三階分は有ろうかという高みから迷わず飛び降りながら、空中で印を結ぶ。

 現れ出るのは青い、清澄なる水を思わせる精霊光の魔法陣。

 

 つまり彼女は、間違いなく永遠神剣の遣い手だ。

 

「押し包め、いくら『魔女』でもこの人数なら--」

 

 各々の武器を衝き出しながら、着地点を狙う数十人もの男達。

 だが、物の数ではない。彼女の足には青い煌めきを纏う靴、それを蹴り出した。

 

「いくよっ、じっちゃーーん!!」

「オオオオオォォォォォッッ!!」

 

 そしてその背後に、巨大な--否、長大な大蛇。

 その大蛇が、跳び蹴りの姿勢を取った少女の背後から水塊を吐き出した。

 

 

---どぉぉぉーーーん……

 

 

 水煙が立ち上るそこから、男達は武器も荷も投げ出して這う這うの体で逃げ出していく。

 

「ふふーん、正義は必ず勝つ!」

 

 それを見ながら、彼女は満足げに呟く。衝撃波と氷晶により篝火は消えており、彼女の姿は判然としない。ただ、その代わりに月光が彼女を闇夜に照らし出した。

 

 長い黒髪を赤い布で一つに結い上げた、その姿を。

 

「……ん? これは……あいつらが落としてった荷物かな? あっ、食べ物! お団子だぁ!」

 

 漁っていた荷物の中から油紙に包まれたそれを見付け、破顔する。まだあどけないとすら言える程に幼い笑顔だった。

 

「じっちゃ~ん、食べる~?」

 

その内の一本を掴んで、ぶんぶんと振り回す。タレの掛かっているモノだったのならば、大変な事になっていただろう。

 そんな彼女を深い慈愛に充ちた瞳で見詰めた後で、大蛇は夜の空を見上げる。まるで、水の中から見るように揺らめく空には、真円の月を真っ二つに割った片割れの如き半月。

 

 透き通った煌めきの中、大蛇は身をくねらせた。

 

「いい月だよね。きっと、明日もいい天気だよ」

 

 モグモグと団子を頬張りながら、少女はいつの間にか直ぐ近くの枝に腰掛けていた。残りは膝の上に置かれている。

 

「--やれやれ、この聞かん坊め。まぁた騒ぎを起こしよって」

「長老んグッ!?!!!」

 

 と、突然現れた一つ目の小人に驚いて団子を喉に詰めてしまった。苦しげに喉を押さえ、バタバタと脚を振るわせる。

 

「『ング』ではない、『ンギ』じゃ。それにンギ様と呼べと言うておるじゃろうが」

 

 少女の三分の二程度しかない、その矮躯。その三分の二を占める頭部に、これまた大きな単眼。

 

「ゲホッ!? けほっ、けほっ……分かってるよぉ! ハァ、あ~あ……で、どうしたのさ長老?」

「ああ、お前にも伝えておかねばならん事があってな……」

 

 団子を何とか飲み下した少女の怨みがましい視線を受けながら、『分かっていないではないか』と言いたいところをぐっと堪えて、小人は大きな瞳で天を見上げた。

 

「……佳き月かな」

「も~! 勿体付けてないで早く言ってよー!」

 

 焦れた声色に長老はしばし逡巡を見せ、そして遂に口を開いた。

 

「--『災いをもたらす者』が、近付いておる。神世の古に、数多の神を殺戮した破壊神『ジルオル=セドカ』がな……」



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精霊の森 揺籃の巫女 Ⅱ

 多数の浮島に囲まれた、華咲き乱れるその真中に在る社。社とは言っても、高く積まれた幾何学的な模様の石箱に天地を貫く巨大な木の幹が在るだけの空間。

 だがそれでも空中の庭園とでも言うべき壮麗さを誇り、或る種の楽土を思わせる。

 

「--ふむ。これはこれは、面妖な事も起きるモノだのう」

 

 その裡に響く、しわがれた声。その主は高位の修道士めいた衣裳の老人。

 その胸の辺りで組まれた掌の前には、単眼の嵌め込まれた魔法具のような金属球が浮遊している。

 

「--何か不都合が起きたか?」

 

 老人の呟きに答える野太い声。老人の背後の空間が歪んで、その歪みの彼方より魔導師を思わせる衣裳、山伏の持つ物のような錫杖を持った壮年の男性が歩み出た。

 

「いや、問題らしい問題は起きておらん。故に問題なのだ」

「……相も変わらず持って回った言い回しをする。つまりどういう事だ?」

 

 苛立ちを含んだ男の声に、老人は喉に詰まった笑いを漏らした。小莫迦にされたと感じ取り、男は尚、不愉快そうな顔をした。

 

「なに、理由と結果のバランスが狂っている部分が見受けられるのだ。例を挙げるとすればヤハラギの死などが顕著だの」

「ふむ、確か『予定』ではそこで『亡霊』が出て来る筈だな?」

 

 顎髭を撫で付けながら、男性は記憶を探る。老人は何やら手元を操作しながら言葉を紡ぎ続ける。

 

「左様。だがヤハラギは死んだ。……どうも『ログに残らぬ不確定因子』が存在しておるようだの」

「では、『計画』はどうなるのだ? 修正は早い方がよかろうて」

「まぁ待て。これがどういう理由で動いておるか、それを確かめぬ事にはな。遣いようによっては、エヴォリアなどよりも余程当てになる」

 

 ニタリと、老人の口角が邪悪に釣り上がる。『ログに残らない』。簡単に言ったがこれは、時間樹の根幹を揺るがす能力なのだ。

 だから見付けられたと言ってもいい。それこそ、彼が求め続けた得難い能力なのだから。

 

「--理解した。ではこれも誤差の範囲だな」

「当たり前の事を言うで無いわ。我々に間違いなど有りはしない」

 交わした視線に、焦りの色などは見受けられない。真実、彼等は『その可能性』すら予見していたのだから。

 

「我等、『理想幹神』にはな……くくくくく……」

 

 

………………

…………

……

 

 

 所は空の自室。その静かな空気。部屋の主は黙々と武器の手入れを行っており、その相方は卓上で所在なげに転がっている。

 装備品の手入れを終えて、空は背伸びをした。長い間曲げていた背中が急に伸ばされて、ボキボキ音を鳴らす。静かな分それは良く響いた。

 

「チッ……胸当てはもう使えねぇか。こっちのグリップガンも修理には大分時間と手間がかかるな」

 

 ダラバとの戦いでの損壊、損傷した武具の多さに、彼はのへーっと机に突っ伏す。

 そのまま目を窓の外に向ける。陽光の燦々と降り注ぐ、校庭へ。

 

--今、ものべーが航行しているのは世界と世界の狭間--『分枝世界間』だ。外は星と闇に包まれ、果てしない時間樹の偉容を見せ付けていた。つい先程までは。

 マスターの希美の願いを受けて、ものべーはなんと『太陽と月』を生み出したのだ。規格外にも程が有るだろ。

 

【……旦那はん。もっとこう……有意義な時間の使い方は出来へんのどすか? 友達と親睦を深めるとか、意中のあの娘にお近づき~……とか?】

(お前何言ってんの? でもまぁ、確かに時間は節約しないとな。鍛練鍛練」

【駄目どすわ、この人……典型的な非モテ男子やわぁ】

 

 言うや、白壁に立て掛けられた【夜燭】に手を伸ばす。

 その時、青い塊が姿を現した。ファンタジー映画などで見られるスライムのような。蠢く不定型の小さなそれは、レストアスの体の一部である。

 

--ほらな、心なしかレストアスの機嫌も良さそうだ。

 

 何にしても、剣術は不得手だ。レストアスと盟約した手前、剣を窮める必要もある。

 だからこそ訓練は欠かせない。決して友達がいないからでは無いのだ……と言い訳して。体操着に着替えた空は、中庭のトネリコの樹へ。彼のお気に入りの場所へと向かって歩き始めた。

 

「あら、巽くん」

「あ、どうも椿先生」

 

 その道すがら、早苗と出会う。彼女は少し疲れた顔をしていたが、微笑みを見せて--空が担いだ大剣に、愁いの表情を強めた。

 

「また、無茶な特訓でもする気ね。君は病み上がりなのよ」

「いや、ハハ……」

 

 保険医の居ない現状、怪我人の手当は希美や早苗が担当している。とは言え付け焼き刃、専門的な事は恐らく何も出来ないだろう。それも、現在の物部学園が抱える問題だ。

 

「……君は生傷ばっかりね」

「他の皆と違って、防御技が疎かですからね……けど、これからはダークフォトンで何とか」

「そういう事じゃないでしょう、いつもいつも君は戦いに出る度に大なり小なり怪我して帰ってくるじゃない」

 

 静かな、しかし確かな口調で。早苗はその少年の疵だらけの身体を眺める。

 元より、土建や引越等の日払いの良いバイトを中心に熟していて、更に十年来続けさせられた鍛錬で筋肉質な、だがしなやかな猛禽じみた肉体。今でも大柄で頑健な体つきは、まだ発展する可能性を宿している。

 

「正直、この辺りが潮時だと私は思うわ。君は人と余り変わらない力しか持って無いんでしょう? 諦めてもいい筈よ……守られる側に回ってもいいの」

「…………」

「そりゃあ、今までずっと君達の力に守られてた私が言うのも変な話だけど……このままじゃあまず間違いなく、取り返しの付かない事になるわ。そうなってからじゃ遅いのよ。死んでしまったら……そこまでなんだから」

 

 ベルトに挿した【幽冥】や、肩に担ぐ【夜燭】を見詰めながらの翻意を願う言葉。それに空は黙り込む。黙り込んで、頭を掻いた。

 

「……先生。死ぬってどういう事か解りますか?」

「え? それは--」

 

 そこで気付く。彼女の良く知る二人、世刻望と永峰希美を。その二人から聞いた『転生体』と言う言葉の意味を。

 

「もしかして君は、『死んだ時』の記憶が有るの?」

「……ええ、まぁ。他の皆の事は解りませんけど……少なくとも俺に限った話なら、有ります」

 

 早苗は息を呑んだ。軽い気持ちだった訳ではない。だが、自分が推論でしか言えない事をこの男は知っている。釈迦に説法という訳だ。

 

「……死ぬ事自体は、そう辛くは……いや、痛いし苦しいですけど、そう辛くは無いんです。ただ、何よりも悔しかった」

「悔しい……?」

「ええ、自分の力の及ばない総てが。今よりずっと強かったんですよ? 多分、今あの頃持ってた力を出せれば、学園の神剣士全員を同時に相手したって勝てる筈です。『神』なんて仰々しい呼び名は伊達なんかじゃ無いんですよ……それでも駄目だった。だからこそ諦められないんです、総てを」

 

--勿論それは俺に限った話じゃない。他の連中も今とは比べモノにならない力を持っていた。当然だろうな、『神名』を完全に呼び起こしていたのだから。

 

 と、そこまで考えて。ふとした疑問が沸いた。その『可能性』に思わず、頚から下げた黒金の鍵のペンダントとお守りと、羽飾りを握り締める。

 それは『あってはならない事』。それは有り得ない。有り得ては……ならない筈だった。

 

「君が、そこまでして願ったモノって--」

「心配して下さって、本当に有り難うございます……ですけど、今はただ自分の可能性を信じさせて下さい。お願いします、先生」

 

 話し過ぎた事を感じ取り、唐突に会話を断ち切って一礼をすると歩き出す。

 

「--あ、それと……『チカラ』はただ壊すだけ。何かを守るのは『ココロ』だと思ってるんです、俺。俺が持ってるのは、壊すしか能が無い『チカラ』。だから、俺に関しては恩を感じる必要なんて有りませんから」

 

 照れ隠しだろうか、顔も向けずぶっきらぼうに告げて。頭を掻きながら、空は歩き去った。

 

「……駄目ね、私……生徒に気を遣わせるなんて」

 

 溜息を落とした早苗は--

 

「……さて、頑張らなきゃね」

 

 己の無力を恥じる事を止めて。そう決意した。

 

 陽射しの差し込む廊下を歩き、欠伸を噛み殺す。

 

【旦那はんって、もしかして……年上好き?】

(あぁん? 訳の解らねぇ事を言ってんじゃねェよ。また投げられたいのか?)

 

 と、【幽冥】からの念話が入る。どうやら内部で聞いていたようだ。

 

【じゃあ綺麗なお姉さんは嫌いなんどすかぁ? ていうか希美はんに惚れてはるところから鑑みるに、落ち着いた包容力の有る大人の女性が好みと見受けあんした!】

(そりゃあ……どちらかと言えば餓鬼よりは大人の魅力だろ……ッて)

 

 グワシッ、と空の手が【幽冥】を掴み、勢いよく--

 

「飛べェェェ、カラ銃ゥゥゥ!」

【銃は飛ぶモンやありんせんえ、飛ばすモンどすうぅぅぅ~~~~……あべし!?】

 

 偶然にも、開け放たれていた窓から投げ飛ばした。【幽冥】は、クルクルとブーメラン宜しく回転しながら、校庭隅の走り幅跳び用の砂場に衝き刺さったのだった。

 

 そこに『ピンポンパンポーン』と、ものべー通信……もとい校内放送が入った。

 

『神剣組は至急、生徒会室に集合して下さい。繰り返します……』

「チッ、ツイてねぇな」

 

 呼出しがかかり、仕方なく鍛練は取りやめて生徒会室を目指したのだった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 生徒会室に空が辿り着いた時、中には既に三人が居た。放送した本人である沙月、遅刻などしそうに無い優等生のタリア。そして、いつぞやも着ていた旧制服に身を包んだカティマの三人だ。

 

「「--あ……」」

 

 空とカティマの視線が交差した瞬間、二人は同時に顔を赤くした。それを目敏く見付けた沙月が、冷やかすように口を開く。

 

「ん~? ちょっとどうしたのよ、怪しい反応じゃない?」

「そんなんじゃ無いですよ。その……剣の世界を出る前に、全力で今生の別れ的ノリの会話したんで、いざ落ち着いて面と向かうと顔から火が出そうなだけです」

「そ、そうですね……穴が在れば入りたい」

 

 『旅の恥は掻き捨て』のつもりだっただけに、思い出すだけでも赤面してしまう。その場の勢いとは恐ろしいモノだ。

 

「取り敢えず……あの件はお互いの心の平穏を保つ為に忘れる方向でどうでしょうか?」

「え、えぇ。それがいいでしょうね」

 

 ポリポリと頭を掻く空、咳払いで茶を濁すカティマ。同時に長い溜息を落とした二人に、沙月達は何とも言えない眼差しを向ける。

 

「ですけど、轡を並べて闘えるのは嬉しいです。また宜しくお願いします、姫さん」

「私も同じですよ。こちらこそ、また宜しくお願いしますね、巽」

 

 最後にそう告げ合い、いつぞやのように頭を下げ合った。

 

 最後の一人であるソルラスカの到着は遅れに遅れ、到着したのは放送から三十分後。それに制裁を加えて、生徒会室ではこの世界の成り立ち……『時間樹エト=カ=リファ』の説明が行われた。この広大な分枝空間で『元々の世界』を見つけ出すのは、砂漠に落ちた砂金の粒を見つけ出すより難しいという事も。

 そして、それを解決する手段が『旅団』の本拠地に行けば有るという事が説明された。

 

--…さて、何だかな…?

 

 望や希美がその説明に聴き入る中、空は別の思案に暮れる。

 

--まるでレクリエーションだな。『旅団』の新入団員育成コースッてか?

 望と希美の神剣士としての実力は高い。確かに実戦の回数は他と比べれば見劣りするだろうが……前世が前世だ。その潜在能力は、未知数。更に『北天の剣神』までセットだ。

 

 旅団がどんな組織かは知らないが、それが『正義』を標榜するのならば。

 その三人は、容易に手を貸してしまうだろう。そういう二人だと彼は幼い頃から思い知っているし、そういう人だと一月も掛ければ理解出来る。

 

--……俺みたいな奴にまで手を差し延べたお人よしなんだから。

 

 と、そこで説明が終わる。希美が立ち上がり、皆に珈琲を配っていた。望や沙月は、自然にそれを飲んだのだが。

 ソルラスカとタリア、カティマの異世界組はその黒い液体を簡単には口に入れようとしなかった。始めて飲む液体に、期待と不安を寄せているのだろう。

 

「座標軸についての解説はあれで良かったかしら?」

「……分かった、望ちゃん?」

「……何と無くは。空は?」

 

 講師役の沙月が周囲を見渡したが、答える声は頼り無い。まあ、一回でいきなりこのような難解な式を理解しろという方が無理なのだが。

 呼び掛けに口許まで寄せていたカップを止め、空が口を開く。

 

「理解はしてる。でも改めて知りたい事が有る。『旅団』の--」

「「ングッ!!?」」

 

 と、そこにくぐもった声が響く。いかにも『苦いっ!』といった具合に口を真一文字に結んでいるカティマとタリアの呻きだ。

 だが、それはまだいい。未知の黒い液体に警戒して、少量しか口にしなかった為に我慢が効いた。問題は、負けず嫌いの彼--

 

「ぶふーーーーーッ!」

「ぅ熱ッちゃあぁぁぁぁっっ! 目が、目がァァァッ!」

 

 一気にカップの半分近くを口に含んだソルラスカは、案の定その全てを噴き出したのだ。隣の席に座っている空に向けて。

 

「オイィッ、何してくれんだ! まだ一口も飲んでねェんだぞ!」

 

 今し飲もうとしていた珈琲に彼の噴き出した飛沫が入ってしまい、空にはもう手が付けられない。折角、希美が淹れてくれた珈琲を無駄にされてしまって憤慨する。

 

「悪かったな、俺のやるよ」

「厄介払いだろうがよ! そして何より張本人のテメーから施しは受けねェェッ!」

「あらら、希美ちゃん、砂糖とか入れた?」

「あぅ、ミルクを忘れてました」

「あー、それはキツいかもな」

 

 申し訳なさそうな顔をする希美、それを慰める望。口をシバシバさせているカティマとタリアに、騒ぐ空とソルラスカ。暫し会議は遅延する事となる……。

 

 

………………

…………

……

 

 

 結局、会議は『出たとこ勝負』で決着した。希美の『出た所が、一面の海とかは嫌ですよ』という言葉にも、沙月の弁に因るならば『ものべーには、優秀なソナーというか世界探知器が搭載されてるから、いきなり土の壁とか海の中ってのは無いと思う』との事。

 

 そんなこんなでものべーに座標を教える為に、沙月と希美は別の部屋に向かって行った。途中沙月やタリアが顔を赤くしていた理由は……空には判らなかった。

 暫くすると、その二人を付けて行ったレーメが何故かふらふらになって帰還した。

 

 【幽冥】を砂場に放置したままの空には現状『精密索敵』も無いので、何が起きたのかは解らない。しかも、他の神剣士とは違って手元に召喚したり等というお得な事も出来ない。

 持って来ておくべきだったと、割と本心から後悔した。

 

「さぁ、次の分枝世界にゴー!!」

「わたしの、わたしのファースト……始めては望ちゃんに……」

 

 戻って来た沙月は妙に艶々と、希美は妙に鬱々としていた。希美が何を言っているのかはちっとも聞き取れなかったのだが、望が声を掛けても反応が薄い。

 

 と、唐突に顔を上げて、希美は叫んだ。

 

「先輩のバカーーーー!!!!」

「「「「「「うわぁぁぁぁっ!!?!」」」」」」

 

 途端に学園を烈震が襲い、周囲が真っ暗になる。持ち主の激情に反応したものべーが凄まじい勢いで前進して起こした過重力に耐えられず、望達はゴロゴロと部屋を転がった。

 そして一点に集められると全員で身を寄せ合い、嵐が過ぎ去るのを待つばかり……。

 

 閃光が視界を覆い轟音が響き、ものべーは世界の境界を抜けた。まさに一変した世界。

 まるで水の中に居るような空、浮かぶ無数の太陽は幻灯のように揺らめいている。

 

「--またか……」

 

 恐らくは一番最初にそれを確認した空は、頭を抱えた。

 

「どうしたのですか、巽……っ!? これは……」

 

 続き、窓の外を眺めたカティマも絶句する。それもそうだ、何故なら--

 

「どうしたんだよ、空、カティマ……うっ!!」

 

 そして望も、窓の外の光景に目を瞬かせた。眼下一面に広がる、剣の世界を上回る密林……いや、最早ジャングルに--

 

 

………………

…………

……

 

 

 やっと痺れが抜けたので保健室を後に、空は水を飲もうと食堂の扉に入る。そして直ぐに、止めておけば良かった、と後悔する。

 

「--巽くん? どうしたの」

「阿川……水飲みに来ただけだよ。そっちこそどうしたんだ、女子で寄り集まって」

「女子会よ、女子会」

「さいですか、邪魔して悪い」

 

 何せ、室内には女子ばかり四人。そこに一人男子が進み入るには結構な胆力を必要とした。

 下手なディフェンススキルより余程強力な守りを根性で突破し、グラスに注いだ水をあおる。

 

「--ッハァ……」

 

 疲れきって熱を持った五臓六腑に、冷たい水が染み入っていく。旨くはないが心地好さにもう一度グラスに水を注ぎ--ふと感じた視線に目を向けた。

 

「……何か、用か?」

 

 好奇に煌めく、四対八つの瞳に気圧される。そこでやっと、女子生徒は皆調理部隊の面々だった事に気付いた。

 

--確か……井之上に白崎、九条だったか。中々美形の三人娘だ。

 

「ううん、大した用じゃ無いけど--どうせなら巽君、お茶飲んでいかない?」

 

 シャギーの入ったセミロングの娘、井之上の言葉に三人が頷く。それに空は、包帯の巻かれた右手をひらりと交わした。

 

「あー……いや、悪いんだけど用があるんで」

「そう……じゃあ単刀直入に」

 

--無理。この空気には耐えられない。免疫皆無だもん俺。

 

 断りを入れて、入れ返された後。そのままグラスの水を煽り--

 

「巽君ってさ、永峰さんの事好きなんでしょ?」

「ンブはーーーーッ!!?」

 

 勢いよく吹き出した水で、七色の虹を掛けた。

 

「うわ、巽君わっかりやすーい」

「典型的ね」

「後掃除しときなよー」

「ゲホッ、エホッ!? な、何の事だか解りませんが何をおっしゃるのかサッパリ」

「巽君の方がね」

 

 クスクスと四人分の忍び笑いが漏れ出す。咳き込みながら、空はしどろもどろに『変』答した。

 

「誤魔化そうとしても駄目だよ、巽くん判り安すぎるもん」

「そうそう、手伝いに来てくれるのも永峰さんに会いたいからなんでしょ?」

「うちらが頼み事した時と、希美ちゃんが頼み事した時じゃ相当な差が有るし」

「うぐっ……」

 

 四対一、圧倒的に不利だ。瞬く間に追い詰められていく。どこか別の世界で、金髪裸コートの変態眼鏡鬼畜男が率いた某フェアリーみたいに一糸乱れぬ連携。

 

「ま、本人には通じてないみたいだけどねぇ」

「だ、だから誤解」

「はいはい、顔真っ赤よ巽」

 

 腰まであるロングヘアーに眼鏡の九条の言葉に、空は戦闘時並に周囲の状況を素早く確認する。

 脱出口は、彼女らの後ろに在る。突っ切らない限り脱出は不能、そしてまさか彼女らを倒す訳にもいかない。

 

--クソッタレ……どうするんだ巽空。今のこの状況と較べれば、アズラサーセなんて天国みたいな状況だったぞ!

 

「な、何が望みだ……」

 

 空は生唾を飲み込み、震える唇を開く。

 

「やだな~、それじゃあたし達が脅迫してるみたいじゃない」

「そ~よそ~よ、私達は応援してあげようと思ってるんだからさ」

 

 対して、あっけらかんと答えた美里とポニーテールの白崎。その言葉は、彼には到底理解出来ないモノ。此処に居るのは、ほとんど面識も無い相手ばかり。美里以外は下の名前すら思い出せない程度の付き合いだ。

 

「……応援? 何で?」

 

 眉をひそめて怪訝そうに問う。空は生まれの所為か、他人をおいそれとは信用しない。『何処かのお人よし』と違って、来るモノは拒むタイプだ。

 

「うっわ~、おもいっきり疑いの眼差し」

「仕方ないけど。折角のぞみんの気を惹く作戦考えてたのに」

「無理強いしても仕方ないしね。諦める?」

「巽が嫌なら仕方ないよ。ただ、私見だけど……現状維持で世刻を上回るのは無理だと思うわね」

「……随分な言いようだな。そこまで言うからには確実なんだろうな」

 

 だが、負け通しの噛ませ狗とて一匹の牡だ。そこまで言われて、おめおめと尻尾は巻けない。

 

「勿論よ。これを見なさい」

 

 徐に美里が取り出した物は一冊の本だ。厚くは無いその本の題は--

 

「これは……『初心者でも出来る! お手軽スイーツ百選』?」

 

 元々の世界では良く有る情報誌だ。勿論、彼はそんなモノ買った事はおろか手に取った事すら無いが。

 

「そう、甘味よ巽くん! 甘い物が嫌いな女の子なんて、この世に居ないわよ!」

「望くんの方はそういうの不得手っぽいし、これでアドバンテージ取るしかないってば!」

 

 勢い込んで語る美里と白崎の声が聞こえているのかいないのか、空はその雑誌を眺め続ける。

 

「…………」

「「「「…………」」」」

 

 その様子を固唾を飲んで見守る少女達。その彼女達の耳に溜息が聞こえて--

 

「な、成る程……その手が有ったかーー!!!」

 

--そう、確か師匠も似たような事言ってたな! 『意中の相手を射止めたいなら、先ず胃袋を掴みなさい』って! 

 そんで、おはぎ食わせて貰って気を遣って『三食これでオッケーです』って言ったら、一ヶ月の間おはぎ生活になった! それ以来俺は甘い物苦手だけど、女の子が言うんだからそうなんだろう!

 

 バッとそれを照明にかざした空に、少女達は表情を綻ばせる。

 

「後は、巽くんの頑張り次第よ。あたし達も協力するから」

「ク……すまん、恩に着る」

 

 四人に一礼し、脱兎の如く走り去る。恐らく自室で研究でもする気なのだろう。

 そして、バタバタと走り去る足音が聞こえなくなった頃。

 

「「「「掛かったーっ!」」」」

 

 食堂には、ガッツポーズを繰り出す少女達の姿が在った。

 

「流石は美里! 伊達に一番長く巽くんと付き合ってないわね!」

「まぁね~。のぞみんを引き合いに出せば、きっと上手くいくって思ってたのよ」

 

 そう、彼女らには強かな計略が在った。確かに応援も嘘ではない、他人の恋路ほど面白い物も無いし、何より--手軽に甘い菓子が食べたかったのだ。

 

 だが、彼女らの計画は早速遅延の憂き目を見る。翌日発見された『大樹』の為に……。

 

 

………………

…………

……

 

 

 その日、物部学園一行は漸く人の棲む場所を見付けた。大きな港を持ち、結構栄えている。しかし『港』ではない、此処は森の中のど真ん中。言うなれば『空港』の立ち位置。

 だがそこはなんと木の上。周囲の木などは較べモノにならない程に巨大で広大な、まるで『世界樹ユグドラシル』だ。

 

「凄いな、とても木の上だなんて思えない」

「だよねぇ……地面も有るし」

 

 木造家屋しかないその町を歩きながら、望と希美は珍しさに辺りを見回す。その二人を背後から監視しつつ周囲の様子に気を配る空とタリアが続く。

 

 現在、この世界の情報を集めるべく行動している。そして、空は剣の世界での実績から情報収集の監督を任されたのだ。

 『二人が良い雰囲気になったら邪魔しなさい。情報の収集なんて二の次で良いから!』と。

 

「空? どうしたんだ、がっくりと肩を落として」

「いや、なんかこう……世の無常を感じてな。頑張れ俺、負けるな俺……」

 

 自身を鼓舞しつつ木の幹や枝に渡された板の橋を渡る、うなだれた少年のうらぶれた背中。その背に--

 

「さっさと行くわよ、暇じゃないんだから」

 

 タリアの氷点下の声が掛かる。

 

「……てか、俺だけで良かったでしょうに。なんで貴女まで?」

「貴方が頼りないからでしょ」

 

 眉根を寄せ、鋭い視線を向けているタリア。それに負けず劣らぬ仏頂面で見返す空。

 因みに外套は纏っていない。武器は【幽冥】とグリップガンを一本のみだ。篭手と脚甲も外し、紅い襟巻きを取ればアオザイにスニーカーという出で立ちだ。

 

「……ムッかつくわー……」

「何か?」

「いえ……」

 

 歩調を速め、四人は歩み行く。気まずそうに寄り添い先頭を歩く望と希美、中程で面倒臭そうに頭を掻きながら周囲に気を配る空、それらを監視するタリア。

 実に纏まりの悪い組み合わせ。だが正直なところを言えば、空とタリアは良く似ている。どちらも理詰めで物事を考えてから、行動を起こすタイプ。

 

 だからだろうか、理解する事の出来ない事柄に関しては徹底的に排除しようという感情が起こる。故の、同族嫌悪。

 こうして、嫌に静かな一行は町の偵察を行っていく……

 

 

………………

…………

……

 

 

 喧騒に包まれた酒場、その角扉を空とタリアは押し開けた。情報収集と言えば酒場、そこに間違いは無い。無いのだが。

 

「昼日中から来るような所じゃあないでしょう、しかも俺らみたいな若輩者が。舐められるだけだと思うんですけど?」

「五月蝿いわね……」

 

 睨みつけるタリアを横目に見て、取り敢えずカウンターを見る。そこでは給仕なのか、不釣り合いに幼い青い髪の少女がいそいそと働いていた。

 どうやら昼は食事処として営業しているようだ。

 

「で、何処にします? 俺はあの隅が良いんですけど」

「言われなくてもそこにするわよ…って、世刻と永峰は?」

 

 言われて振り返ったが、そこに二人の姿は無かった。この酒場に入る際、率先して行き過ぎた為に先にこの二人が酒場に入るような形になったのだ。

 

--しまった、入るのを見届けてから入れば良かったな……。

 

「ちょっと、巽! アンタなんで目を離したのよ!」

「ッて、なんで間髪容れずに俺?! アンタだって気を抜いてたじゃないですか!」

 

 いきなり理不尽に叱られて反論する。そこにまたも気まずそうに、望達が入って来た。

 

「あ、悪い。待たせたか?」

「ごめんなさい、ちょっと怖じ気づいちゃって……」

 

 実に申し訳なさげに謝る二人。ただでさえ、空とタリアの口論で注目を集めていたところに嫌でも視線が集まる。

 

「「「「…………」」」」

 

 それを避けるかのように、四人はそそくさと一番隅の席に着いたのだった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 席を離れて行ったタリアと希美を見送ると、空は取り敢えず前を向いた。すると、望とバッチリ目が合った。

 

「そういえば空、お前、酒場とか慣れてるのか?」

「ん? ああ……実はな、バイトでバーテンやってんだ。だから、慣れてるといえば慣れてる」

「へぇ……酒、呑めるのか?」

「嗜むくらいなら。お前は?」

「俺もだ」

「ってもこの世界の金は無いから、今日は我慢しとけ」

「始めから呑む気は無いっての」

 

 頬杖を衝いた望と、背もたれに寄り掛かって足と腕を組んだ空。二人は何とも言えない空気で会話する。実に他愛の無い事ばかりだ。望の頭の上のレーメが退屈そうに欠伸した。

 

「いらっしゃいませ、パスティル亭にようこそ。注文取りに来るの、遅くなってごめんなさい」

 

 そんな二人に掛かった声。先程見た給仕らしい少女。青い髪の、まだ年端もいかない雰囲気だ。

 

「あ、もしかしてお客さん達、別の世界から来ましたか?」

「え、何で解るんだあイテテ!?」

「……どうしてそう思うんです」

 

 その問いに、馬鹿正直に答えた望はレーメによる制裁を受ける。代わり、空が引き継いだ。

 

--つーか、コイツには交渉事は任せておけない。

 

「あたし、レチェレと言います。一度来たお客さんの顔はしっかり覚えられるんです」

「へぇ。で、俺達の顔には見覚えが無いから別世界の人間だろう、と」

「はい、そういう事ですね。このお店に始めて来る人って、大抵は異世界の人ですから」

 

 朗らかに笑う給仕……レチェレに愛想笑いを見せて、空は思考を回す。

 

--そうか、つまりこの世界では異世界人だという事は隠す必要が無い。加えて世界間の交流は結構頻繁そうだ。

 

「という訳で、何を注文します? サービスしますよ」

 

 その手の男ならば、間違いなく勘違いする最高級の営業スマイルが振る舞われる。これなら普通は無理してでも注文したいと思う所だろう。だが--

 

「すいません。俺達、この世界に来たばかりで通貨の持ち合わせが無いんですよ。換金できる場所に行ければ良いんですけど、何処かに在りますかね?」

 

 そう、金が無いのだ。無い袖はどうしたって振れはしない。

 それに彼女は得心がいった表情を見せた。

 

「それじゃ、この店の一番の料理をご馳走しますよ」

「え? いや、だから……」

「気になさらないで下さい。別の世界の人はお金で苦労するから、融通する事にしてるんです。それがこの酒場の主義なんです、勿論ご贔屓にしてくれる事が前提ですけどね」

 

 優しく笑み、得意げに無い胸を反らした。年相応の愛嬌有る仕種に、彼は思わず苦笑してしまう。

 

「少しだけ、時間を頂きますね。いらっしゃいませー!」

 

 別の客の応対に行ったレチェレを見送り、空は視線を前--望に戻す。

 すると望は別の席に着いている、何だか露出過多な紅髪の女性と言葉を交わしていた。

 

(おいおい、また引っ掛けたのかアイツ……)

【くふふ、一級のフラグ建築士は違いますなぁ……旦那はんなんて、さっきのロリ娘はんを明らかなチャンスでもポッとすらさせられへんのに】

(ぶん投げられてェのか、テメー。第一、俺はロリコンじゃねぇ)

 

 『何してんだ、スケコマシ』と言おうとしたところで、話を切り上げられた。

 注意をするタイミングを逸した事で黙り込んだ空の耳に、言葉が聴こえた。背後の席に座っている冒険者風の男達の話だ。

 

「おい、聞いたか? 『魔女』がまた出たってよ……」

 

 その会話内容に耳を澄ます。望も気付いたらしく、黙ってそれを窺っていた。

 

 

………………

…………

……

 

 

 花摘みから戻ってきた女性二人が席につく。同時に運ばれてきた食事を見て眉根を寄せたのだが、余りに美味しそうなその誘惑には勝てずに皆で平らげた。

 

「御馳走様でした、何から何まですいません」

「いえ、お口に合って幸いです。またいらして下さいね」

 

 食事を終え、彼らはパスティル亭を後にした。それなりに収穫が有ったので、報告に戻ろうと。

 

 収穫とは、先程の話の裏付け。『この世界の人間と精霊の仲は、随分と険悪』という事と、『この世界は付近の分枝世界間を行き来できる群世界』だという事だ。

 この街はウルティルバディアという名前で、市長はロドヴィゴという人物。木の下は下界と呼ばれ、精霊の勢力圏下である事。

 

 ついでに換金場所も教えて貰い、それに空は単独で向かった。

 

「くっくっ……やっぱ金属の価値は全世界共通だな。いやー、財布が厚くて重いのはやっぱり良い」

 

 その左手に、この世界の貨幣が詰まった財布を持って歩く空が、ほくそ笑みながら独りごちる--

 

「やっぱり『元々の世界』の金属の純度が高いから凄い交換レートだったな。俺も今度は小銭持ってくるかな」

「でも、勝手に元々の世界の硬貨を換金してもいいのかなぁ」

「緊急避難って事で勘弁して貰うしかないな。実際コッチは漂流中なんだし」

 

 と、隣から声。独りで行こうとする空を心配して付いてきた望と希美。つまりは、幼馴染み三人が並んで歩いている形だ。来るまでに気になった地点をそれぞれ出し合い、そこに行ってみている。

 

「いらっしゃい、どれも天然石製だよ!」

「わぁ、綺麗……」

 

 時は昼下がり、鄙びた陽射しが降り注いでいた。今、彼らは露店を冷やかしながら歩いている。

 既に用は済んだ身、本来ならば真っ直ぐ帰るべきところ。

 

 だが、言っては悪いがタリアの監視付きで羽を伸ばせなかった。やはり異世界に来ているのだから、少しくらい観光がしたいのだ。故に、気のおけない幼馴染み三人で口裏を合わせた。

 

 装飾品の露店でアクセサリーを眺めたり、手に取ったりしていた希美。その目と手が先程から同じモノを捉えていた。

 

「……それにするか、希美?」

「え?」

 

 それに気付いた空の意を決した言葉に、希美はポカンと口を開く。それ程に、この少年が金を使うところは珍しいのだ。

 

「いやその、希美には随分と……文字通り、助けて貰ったから……その御礼にと思って」

「そんなの気にしなくていいよ、くーちゃん。私達は仲間、ううん……『家族』なんだから」

「--……『家族』……?」

 

 と、希美は微笑んで意味ありげな視線を望に送る。その言葉に、空は呆けたかのように無防備な声を漏らした。

 

「あー……そうだな。家族なんだ、助け合うのは当たり前だろ」

 

 いつぞやの自分が使った言葉を遣われて、望は赤く染まった頬を掻きながらそっぽを向く。

 それに何か、沈思に沈む空。

 

「いや、贈らせてくれ。それなら家族に、誕生日プレゼントをさ」

 

 そして顔を上げた。望に負けず劣らず頬を染めての一言、次いで希美も頬を染めた。

 

「くーちゃん……覚えててくれたんだ」

「ああ、当然……て、まぁ結構前だったけど。剣の世界はそういう雰囲気じゃ無かったから自重したけど……まだ、間に合うかな?」

 

 周囲から状況を窺うような視線。装飾品店の前に頬を染めた年頃の男女三人組が並んでいるのだ、店主はどうしていいか判らずただただ様子を窺っているだけだ。

 だが外野からは『面白いモノが見られるんじゃないか』と視線が集まっている。

 

「……ホントにいいの?」

「勿論! 俺は確かにケチだけど、吝嗇じゃない!」

 

 悩む様子を見せた希美だったが、勢いこんだ空のその言葉に。

 

「ありがとう、くーちゃん。大事にするね」

 

 小さな……本当に小さな、屑石だろうが翡翠の勾玉が嵌められたブローチを選び取った。

 

【……むむ。何やらノゾミと天パがいい雰囲気だぞ、ノゾム?】

(……何で俺に言う? 幼馴染みなんだから贈り物くらいするだろ。俺だって買って置いて有るし)

【……はぁ。一応言っておくが、無くしてからでは遅いぞ。永遠に続くモノなど、何処にも無いのだからな】

 

 レーメとの念話に、少し憮然として答えた望。その視線の先には、贈り物にはにかんで笑う希美とその笑顔に照れて頭を掻く空。

 

「あ……そうだ。わたしに贈り物したなら、ポゥちゃんにも贈り物しないとダメだよ?」

「あー……確かに。でも何がいいんだろうな、ポゥの趣味といえば本だけど」

「心を篭めて選んだモノだったら、きっと喜んでくれるよ」

 

 それは取り戻したかった日常の一コマだった筈だった。幼き日、まだ沙月や絶と知り合う前の日々と同じ……だというのに。

 

(……あれ?)

 

 何故だろう、彼にはそれが--遠く霞んで見えた。

 

 

………………

…………

……

 

 

 夕食が終わって、自室に戻る道すがら。腹ごなしに少し散歩する事にしていた空は、庭のトネリコの木に背を持たせかけた。

 夕焼けに染まる天、夕闇の迫る地。見事なコントラストの天地を涼やかな風が吹き抜けていく。

 

「…………」

 

 目を閉じ、それを肌で感じる。瞼を透して染み入る朱--

 

『……温いな。温過ぎるんだよ、テメェは……!』

(なんだよ、久し振りじゃねェか『オレ』? 引き篭るのにはもう飽き--ッ!?)

 

 その朱が毒々しいまでの『紅』に換わる。それはそう--久しく出て来なかった『自分』。

 

『楽しかったか、トモダチゴッコは? 忘れたか、あの憎しみを? 許すのか、奴を……!』

「--ッ! --ッ!?」

 

 ギリギリと脳髄を直接握り絞られるかのような激痛。呼吸すらもままならず、ただ詰めた息を繰り返すだけ。

 

『殺せ……奴を殺せ! 破壊神、ジルオル=セドカの転生体を!! 前の世界ではお前の好きにさせてやった、次は俺の番……等価交換だ!』

 

 押し寄せる『紅い闇』。質量を持つ、可視の憎悪。馴染みの有るそれは神世の古に有していた神名『触穢』--

 

--莫迦な……! コイツ、いつの間にここまで回復を……!!

 

『もう一度言ってみろよ、『俺』? 『俺の手で貴様を撃つ』ッてよォ!』

「……カッ、は……!」

 

 永遠神剣や神名の持つ強制力は味わった者にしか理解出来まい。それは努力でどうこう出来る苦痛ではない。心を蹂躙される、その痛苦は。

 

--コイツなら、遣る。俺を喰い潰すだろう。どんな方法を使ったかは解らないが、コイツは神名を取り戻したんだ……! ならば、もう殺せる。『俺』を……!

 

『くく……クハハハハハッ!!』

 

 哄笑が、響く。彼の耳にのみ。耳障りな鴉の鳴き声に似たソレ。

 

--消える……のか?

 

 『紅い闇』に染まりつつある、己自身を感じながら。

 

--消える……?

 

 徐々に、『過去』に浸蝕されていく己自身を感じながら。

 

--消え……て……

 

「たまるかよ……消えてたまるかァァァッ!!!」

 

 心に作用する『強制力』を断ち切るなど、只の人間には出来ない。そんな事が出来るとするならば、きっと『選ばれたヒーロー』か何かだろう。

 少なくとも空は前者、才は無い。強制力を止めるには、『強制力を送る存在』が止めるに足る理由を提示しなければならない。

 

 だから--己自身のコメカミに、【幽冥】を衝き付けた。

 

 ピタリと浸蝕が止まる。漸く、息をついた。

 

『……撃てよ。そして幕を引け、テメェの人生に』

 

 そして、嘲笑う。紅い闇の彼方から、無数の鴉の鳴き声。

 

『出来る訳ねェよな、『オレ』を否定したお前はこれきり。なら、死ねる訳がねェ。違うか?』

「…………」

 

--ああ、そうだな。その通りだ、『オレ』。お前の言う事は一々、俺の本心だ。

 

『そんなの気にしなくていいよ、くーちゃん。私達は仲間、ううん……『家族』なんだから』

『あー……そうだな。家族なんだ、助け合うのは当たり前だろ』

「--ハ」

 

--確かに、温い。温い言葉だ。

 

 つい先程の光景。日盛りの中で交わした言葉。その、温かな--

 

「終わりなのは、『俺』だけじゃねェだろ『オレ』? カラ銃は、俺が死ねば間違い無く食い尽くすぜ? 俺も、お前もな」

『…………』

 

 黙り込んだ『自分』に、ニタリと口角を吊り上げる。

 

「選べよ。何を成す事も無く此処で消え去るか、少し堪えて願いを成就するか……さぁ!」

 

 攻守が、入れ替わる。『自分』とて解っているのだ、【幽冥】がどんなモノか。

 かつて『神威の簒奪者』と唾棄したそれが、神でも立ち向かう事が困難なモノである事を。

 

『流石に『オレ』の転生体だな。良く口が廻るぜ、クソッタレ』

「好き好んで成ったんじゃねェよ、クソッタレ」

 

 そして互いに毒を吐く。互いに、混じり気無しの憎悪を篭めて。

 

『解った……今は主導権を預けておいてやる。精々、見限られないように気をつけるんだな』

 

 圧力が……『紅い闇』が薄れて消える。心を圧迫する苦痛も。

 

『ソレを手放した時が、テメェの終わりの時だぜ。愉しみだなぁ、ハハハハハ……』

 

 全てが終わった後、目を開ける。辺りは色の濃い暗闇に包まれている。これ程に安らぐ闇を、彼は初めて感じた。

 

「……ハ、全く」

 

 苦笑が漏れる。漏らさなければ、やっていられない。

 

【くふふ……『転生体』って奴も、色々大変どすなぁ】

「…………」

 

 そんな内部抗争をごく至近距離で見ていた【幽冥】は、ケラケラと茶化すように笑っていた。

 元より利害のみで結び付く間柄、その程度のものだ。剣の世界の戦争を駆け抜けたところで『絆』など生まれようも無い。

 

--内には前世、外には【幽冥】。正しく内憂外患か。手札は最悪の道化一組、やってらんねぇぜ。

 

 気怠げに立ち上がると、視線を上げた。視線の先には見事な半月。その、穢れの無い煌めきを浴びながら……空は自室を目指した。

 

 

………………

…………

……

 

 

 翌日、ぞろぞろと早苗の先導の下に学生が校舎を後にしていく。第一陣として選ばれた生徒達が、ウルティルバディアで羽を伸ばす為だ。

 しかし、その為には先立つモノが要る。では、どうやって通貨を得るか。

 

 答えは単純だ、神剣士の特権を使う事にした。永遠神剣……この力を『傭兵』として使い、報酬を得ようと。

 

 その為の下見として、神剣組は『大樹』の根元に降りてきていた。因みにクリスト達は学園の警備に残っている。

 

「……望くん。『鬱蒼』って漢字で書ける?」

「今なら書ける気がします」

 

 そんな悪口も口を衝こう、正に原生林。アマゾンも真っ青と言う具合の大木ばかり。

 獣道すら見つかるかどうかだ。

 

「--ハァ、フゥ……」

 

 そんな一行の最後尾に空の姿。ライフルとPDWに各マガジン、RPG、更に【夜燭】が担がれている。

 

「巽……やはり【夜燭】は置いてきた方が良かったのでは?」

「……ハフ、いえ、このくらい何でも……ゼェ、ハァ」

 

 またもや強がる。だがしかし、誰がどう見てもそれは死重量以外の何モノでも無い。

 本来の彼の持ち味は奇襲。だというのに動く事すらままならない量の武器を持っていては素も子も無い。

 

「契約をすれば一発解決じゃないの。戦力補強にも成って一石二鳥だっていうのに」

「ほ、放っといてください……俺の勝手でしょうが」

 

 わざわざ隣に移動して来てまで厭味を言う沙月に、反駁する空。望は苦笑いしながら並び歩む。

 

「もし迷ったら命取りだな--」

 

 そのまま巨木を見上げた視界の端に何かが素早く動いたのを、彼は見逃さなかった。

 

「--見つけたぞっ!!」

「うわっ!?」

 

 飛び出したその影に、望は反応した。鋭い蹴りをスレスレで回避した。その勢いが次に狙うのは、その先の空。

 だが、【幽冥】の探知はマナの反応を漏らしはしない。それは、予見していた。だから--驚愕に目を見開いた。

 

「んごフェあぁぁーーーッ!?!」

 

 避けられなかった。沙月と口争を繰り広げていた空は、その沙月に肉の盾代わりにされて。

 独特な形の靴が顔面に減り込む。蹴り飛ばされて装備をポロポロ落として、空は草叢に突っ込んでいった。

 

「--ちぃっ! 外したか……」

「いや、おもくそ命中してね?」

 

 吐き捨てるように言ったその娘。白妙に緋袴を腰布のように巻き黒髪を一つに結わえた、彼ら一行と歳の頃はそう変わらない少女。

 

「お前が『災いをもたらすもの』だな! この世界を好きにはさせないぞっ!」

 

 ソルラスカの呟きなどは耳にも入っていない。彼女はただ視線の先--沙月を、睨みつけている。

 

「わ、私……?」

「そうだっ、このボクが来たからには……悪は必ず潰える!」

 

 呆気に取られている沙月だが、少女の方はお構い無し。その豊満な胸を反らして得意げに語る。

 

「先輩、下がって下さい!」

 

 そんな沙月を護るべく【黎明】を携えた望が進み出る。

 少女は、それを見て身構えると跳び退いた。

 

「あれ……この感じ……ハッ! 分かったぞ、そっちは子分だな! 子分を身代わりにしてたなんて……卑怯者め、隠れてないで正々堂々と勝負しろ!」

「タリア、俺、頭が悪いからよく分からねーんだけど……アイツは何を言ってるんだ?」

「異世界の言語か何かじゃない」

「というより、不意打ちしてきておいて卑怯者呼ばわりって……」

 

 勝手に一人で納得して、一人で盛り上がる少女に周囲から不審な目が向けられた。そんな中、その声は響く。

 

「--ボクの名前はルプトナ! 精霊の娘、永遠神剣第六位『揺籃のルプトナ』だっ!! ジルオル、覚悟しろっ!!」

 

 望をビシリと指差し、彼女--ルプトナは突撃した--!!

 

 ルプトナが【揺籃】で見舞う、水の刃を纏う三発連続の後ろ回し蹴り『レインランサー』を、望の『オーラシールド』が受け止める。が、盾が受けられたのは二発目まで、最後の一撃は【黎明】本体で受け止めて競り合う。

 

「--この靴……永遠神剣だぞ、ノゾム!」

「分かってる……!」

 

 その靴底には水色をした精霊光。破壊力を増す為に、水流の刃が纏われている。

 受け止めた望と睨み合っているルプトナ。その顔が、キッと鋭く絞られた。

 

「ちっ! ボクのランサーを凌ぐなんて……やるな、ジルオル!」

「--ジルオル? 俺は、世刻望だッ!」

 

 跳ね飛ばすと同時に踏み込む。その一瞬の間にもルプトナは木々の隙間を、縦横無尽に跳ね回っていた。

 

「ああもうっ、ちょこまかと!」

 

 【光輝】を短刀に変えて投擲していた沙月だったが、未だ命中弾は無い。それ以外の神剣士に至っては、速度と変則的な動きに翻弄されて目で追う事もやっとである。

 

「この闘い方……流石に土地勘が有るらしいな!」

「当然でしょ、アッチにとってはホームグラウンドなんだから!」

 

 【疾風】を回転させて、電気を纏う刺突『フューリー』を見舞うタリア。だがそれは、草叢を薙ぎ払っただけだ。

 

「遅いよっ! いくぞ、ルプトナァァァ……」

 

 その隙に、ルプトナはダンッと枝から跳ね跳ぶ。そして--

 

「--キィィィィッック!」

 

 靴底に纏う水流は氷に変じて、鏃となった。その必殺の一閃は、寸分の狂い無く望に向かう--!

 

「レーメ!」

「おうっ!」

 

 だが、それこそ望む処。追えば捉えられないが、相手が向かって来るなら捉えられる。

 金色のガントレットに包まれた右の拳で持った、双児剣の一方に濃密な精霊光が纏わり付く。更にその場で一回転して、遠心力すら味方に付けた。

 

「真っ直ぐに、貫く--オーバードライブッ!」

 

 衝き出された破壊の剣と氷の槍が、激突する--!!

 

 まるで、ダイヤモンドダストのように。澄んだ音を立てて、氷片が舞い散る。

 

「--くッ!」

「--っあ!」

 

 後方に飛ばされつつも踏ん張る望、間一髪で貫かれた氷の中から脱出したルプトナ。その周囲を、神剣士達が取り囲んだ。

 

「くっ、流石は『災いをもたらすもの』ジルオル改めノゾム、強い! だけど、次だ! 次は倒してみせるからなっ!」

 

 だが、彼女は驚くべき跳躍力でその囲みを脱した。近場の木の枝に乗ると--

 

「覚えてろーーっ!!!」

 

 指差し、捨て台詞を吐く。枝のしなりを利用して勢いに乗り、そのまま木々の合間に姿を消していった。

 それを見送り、神剣士達は構えを解いた。

 

「……身軽な奴だな。そういや、巽の奴も最初は木から降ってきたんだっけ」

「何とかと煙は高いところに昇るっていうしね……って」

 

 そして、思い出した。物の見事に吹っ飛ばされていた、その少年の存在を。

 

「心配しなくても大丈夫よ」

「先輩、幾らなんでも……」

 

 反駁しようとした望だが、機先を制した沙月の指先が件の少年が突っ込んだ草叢を指す。

 そこには--無かったのだ。彼の落とした様々なモノは有るが、空自身の姿が。

 

「……追跡しているようですね」

「まぁ、こういう抜け目の無い処は流石としか言えないわね」

 

 近くの苔蒸した地面に、足跡が残っている。一直線に、ルプトナが去って行った方へ向いていた。

 

 

………………

…………

……

 

 

「--ハァ、ハァ……!」

 

 枝の上を翔けて行くその後ろ姿を、彼は知っている。

 

「--ハァ、ハァ、ハァッ!!」

 

--見間違える筈が無いだろう。見間違えて堪るか、奴は--!!

 

「--見付けた。遂に見付けたぞ……!」

 

 思わず叫びだしそうになるのを堪え込み、追跡に専念する。自分の役目は、本拠地の探り出しだ。

 

『--殺せ……!』

 

 そんな事は判っている。だが、その姿が呼び起こすのだ。

 望--ジルオル=セドカを前にした時より強烈な敵意を。

 

『--判ってるだろう。奴は敵、ジルオルとは違うんだ。何の問題も無く……殺せる!さぁ、殺せ、殺せ殺せ!』

「殺す……殺してやる……!」

 

 神世の記憶、深紅の憎悪を。

 

【旦那はん、落ち着きなんし!】

「--ッ」

 

 鋭い叱責の言葉を受けて、紅い闇に包まれつつあった思考が鮮明となる。そして気付いた。自身が既に【幽冥】を番えていた事に。

 

(……クソッタレ。テメェに落ち着けなんて言われるのは、この上なく癪だな)

【うわー、差別どすわ差別~】

 

 どうにか憎悪を抑え込む。容易な事ではないが、この程度の感情如きは今まで彼が堪えてきた屈辱と比べればどうという事はない。

 

【それに--血気に逸ってあんな上玉のマナを持つ娘っ子と、始源の器から零れ落ちた神酒みたいな神剣を喰い損なうなんて契約解除ものどすから。くふふふふ……】

 

「ハ……なんだよ、結局はお前も逸ってんじゃ--……ッ!?」

 

 と、ルプトナが立ち止まった。同時に空も止まり、木の影に身を隠す。

 スクッと立ち上がるルプトナ。その足元、彼女の永遠神剣が青く煌めき--

 

「--じっちゃぁぁぁんっ!!」

「--オォォォォォッ!!!」

 

 第六位神剣【揺籃】の守護神獣『リヴァイアサン・海神』を現出させた。

 

 天の蓋が抜けたような豪雨の中、樹上からルプトナは見渡した。この雨は、召喚した海神が頭上に向けて撃ち上げた水の塊が空中で解けたモノ。

 一瞬で止んだが、それで十分。濡れて張り付く艶やかな濡れ羽烏の髪を流すと、その視線は一点を捉えた。

 

「ふっふーんだ、ボクの後を付けようなんて一億年早いっ!!」

 

 一本の木。その木の陰に向けて、得意げに指差して叫ぶ。

 

「……成る程、少しは考えが廻るみたいだな」

 

 木の陰から歩み出た、黒い外套のフードを右手で引っ張り、深く被せている男。黒羅紗の外套には高い撥水性が有るらしく、大量の水を尽く弾いている。

 

【くふふ……マナを溶かした雨で形状感知どすか。確かにそれなら、気配を消しても見付かりあんす。しかし確信無しで出来んせん、どこで気取られたんどすやろ?】

 

 その左の手に握られた暗殺拳銃【幽冥】は燧石を濡らさないよう、気取られないように外套の中に納められていた。

 

「ボクの勘が、お前はジルオルの仲間だって言ってる! 語る言葉なんて無いっ!」

 

 返った言葉。それに揃って沈黙する空と【幽冥】。フードの奥の空の琥珀の三白眼が炯々と輝いた。それに【幽冥】は『あちゃあ』と思念を漏らす。

 

「『ジルオルの仲間』……?」

 

 冷徹な声。冷徹ながら地獄の炎を思わせるそれは、今までずっと抑え続けてきたジルオルに対する感情。望を前にする度に感じ続け、それでも必死に抑え付けてきた感情だった。

 だがもう、抑えが利かない。望だけではない。目の前にいるその少女は、彼にとってはもう一人の--絶対に、赦すべからざる者。

 

「グルルゥ……!」

 

 先に気付いたのは海神の方だ。彼の眼差しは、最早明確な殺意と言っていい。

 

「どうしたのさ、じっちゃん! こんな奴くらい、一発でやっつけちゃうよ!」

 

 だがルプトナはまだ気付かない。彼が、神世でも有数の悪性の神であった事。そしてその身に宿す鷹の如く隠す爪と、蠍の如き猛毒を。

 

「……そうだな。最近は、随分と温くなってたしな。だったら悪人は悪人らしく振る舞ってやるとも、御望み通り--」

 

 雨が止んだ事を確認してフードから手を離すと、そのままの勢いで肩に掛けていた銃を番えた。

 決殺の一撃とする為に秘匿しておく切り札【幽冥】の代わりに、スピンローディングで目立たせたレバーアクションライフルを突き付けて威圧する。

 

「撃ち抜く!」

 

 宣言すれば、【幽冥】の発する赤黒の毒々しい精霊光……彼岸花を思わせる『デリュージョン』が花開く。彼の神名を混ぜ、オーラや地形等の敵対する者にプラスとなる効果『のみ』をマイナスへと改悪するオーラを。

 漆黒の煌めきに照らされながら向けた、施条の確認できる銃口。

 

「征くぞ--『ナルカナ』ッ!!」

 

 その彼方に立つルプトナを照星に捉らえて--彼は怨み募るその名を吐き捨てた。

 



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連鎖する記憶 森閑の水面 Ⅰ

 静かな森の中に響く雷音に木が傾ぎ、倒れる。

 

「--くぅっ、この! おいお前、止めろよっ!!」

 

 最後に倒れた大木。その木から別の木に跳び移ったルプトナは、追い縋りライフルを衝き付ける鴉に向けて叫んだ。

 だがその言葉は続く雷音に掻き消される。空の放った銃弾の雷音にて。

 

「うぁっ!?」

 

 辛うじて、その射線を避ける。木の幹が弾け跳び、またも一本が倒れた。

 

「止めろって言ってんだろっ! 木を倒すなぁっ!!」

「--ハ! だったらテメェ自身で受け止めろよッ!!」

 

 空は容赦無く、その引鉄を引く。またもや放たれたライフル銃弾『エクスプロード』は大木の幹に貫入すると、その名が示す通りに炸裂して対象を内側から砕いた。

 

「また……この木一本にどれだけの命が育まれてると思ってるんだ! お前、許さないからな!!」

 

 撃ち続けられる三発を跳ね跳び回って回避していた樹上の彼女は、怒り心頭に蹴りを繰り出した。地表の空に向けて、望に放ったのと同じ技を。

 

「くらえ、ルプトナキーック!!」

 

 その威圧感たるや、まるで崩落する氷山だ。『クラウドトランスフィクサー』、それがこの蹴技の正式名称。

 

「征くぞ、【幽冥】--略式詠唱、ヘリオトロープ!」

 

 だが、動じない。それに向けて未だ撃っていなかった【幽冥】を衝き出して、引鉄を引いた。

 

 

----!!!

 

 

 纏っていた氷の鏃を灼熱の息吹によって相殺され、ルプトナは地に降り立った。

 

「……お前、ホントに嫌な奴だ。ジルオル……ノゾムよりずっと、ずっっと厭な感じがする……!」

 

 そして、空を睨みつける。強い敵意の篭った瞳で。そう--空が向けるモノと同じ眼差しで。

 

「どうも。テメェにそう言われると嬉しいねェ……何より--」

 

 【幽冥】に魔弾を再装填して、ライフルのマガジンを交換する。

 

「テメェの脳天に風穴空けられるかと思うとな、ナルカナッ!」

 

「さっきから、誰が『なるかな』だっ! ボクの名前はルプトナ、『揺籃のルプトナ』だ!」

 

 その動向に警戒しつつ声を上げ、ルプトナはまるで修験者のように両手で印を結ぶ。術式が完成し、三本の氷の矢が現れた。

 

「そっちが飛び道具ならこっちも飛び道具だ! いっけぇーー!!」

 

 指差した先に佇む鴉を、氷の矢が弾道に捉える。そして--

 

「--アローっ!」

 

 真っ直ぐ空に向けて飛翔する、氷の矢『アイシクルアロー』が空の右腿、左胸、眉間を狙う--

 

「詰まらねェ小細工だ。そもそも射撃が本分の俺に、こんなモノが通じる訳がねェだろ」

「へ……?」

 

 刹那に響いた破砕音に、空を指差したままで固まったルプトナ。三本の矢は……空中で迎撃されたのだ。

 そして、カランと金属音が響く。音源は『クロウルスパイク』をトリプルバーストで放ったPDWから排莢された薬莢だ。

 

 見事なインターセプトを決め、勝ち誇るように傲然とルプトナを見遣る空。

 

「く、くっそー! さっきから、遠くからばっかりで汚いぞー! 真面目に闘えー!!」

「戦場に綺麗も汚いも無ェんだよ。敵の得物を見て、敵の闘い方を予想してない方が悪いに決まってんだろうが!」

 

 そして、青魔法を使う為に足を止めたルプトナの心臓を狙い……引鉄に掛けられた指が引かれた。

 

 

………………

…………

……

 

 

「--たく、世話掛けやがる!」

 

 密林の中を疾走しながら毒づくソルラスカ。その脇を、彼の神獣『黒い牙』が並走している。

 

『主よ、サツキ殿の判断は正しい。この密林で彼らの捜索が出来るのは我々くらいだ』

「そりゃそうだが……あの野郎、早速ドンパチ始めやがってるじゃねェか! 本拠地を見付けるのが目的じゃなかったのかっての!!」

 

 会話の間にも轟く銃撃音に眉をひそめつつも、ハードルの要領で主従は揃って倒木を飛び越える。

 それは恐らく、空が撃ち倒したモノ。その傷痕を見た黒い牙が、一人ごちる。

 

『しかし、また威力を上げたか。何処まで進化していくのだろうな、彼の銃は……』

 

 その破壊力。出会ったばかりの彼らが繰り広げた戦闘の時よりも、遥かに高まっている。

他を破壊して、神剣を取り込む度に強力化していく空の【幽冥】。まるで内燃機関か熔鉱炉のようだ。魂を賎しめる煉獄の炎と共に、その供物を増やす為の道具を生みながら。

 

 否、真に恐るべきはそれを使う、その--

 

「あ? 何ぶつくさ言ってんだよ、クロ」

『主よ、その仇名は止めろと--言った筈だ!』

 

 その思考が隣を走る阿呆に阻害された。そしてそれが、彼がその思考を行う意思を奪い取った。

 クロはそう叫ぶと、更に速度を上げながら密林を駆けて行ったのだった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 死に物狂いでの後宙転を決め、更に腕で跳ね跳んで距離を稼ぐ。

 

「くッ……!」

 

 そして、頬の切り傷から垂れた血に、ギリリと歯を鳴らした……空。

 

「へへーん、遠くにいたからって安心してたんだろー!」

 

 ルプトナの脚が一閃する。その軌道から、青く薄い水の刃が形成された。

 それが、空の放った弾を斬り、更に空本人まで狙ったのだ。

 

「クソッタレ……!」

 

 迎撃を捨て、即座に回避に移る。その速さに迎撃は不可、同じく迎撃不可能の銃弾を遣う空だからこその判断だった。

 

「くらえ、ブレーードッ!」

 

 撃ち出された水の刃、横薙ぎの一撃は『ブレードフラッド』。

 ルプトナの持つ技の中で、唯一遠距離に対応した蹴り技。一閃は神速を持ち--フードの端を切断した。

 

「へぇ、やるじゃんかよ。ボクのブレードを躱せるなんてさ。随分と驚いているみたいだけど、まぁ、『予想してない方が悪い』んだもんねぇ~?」

「……んな…………に……」

 

 両手を腰に当てて、勝ち誇ったように告げるルプトナ。対して、優に二十メートルは離れて片膝を衝いた空は、何事かを口内で呟くのみ。

 

【くふふ、なんや旦那はん、苦戦しとりますなぁ】

 

 訪れた不利に【幽冥】が軽口を叩いた、その瞬間--

 

「こんな--こんな莫迦に、莫迦に莫迦にされたァァァァァッ!」

 

 耐え切れなくなった空が叫んだ。【幽冥】とルプトナは、ポカンと呆気に取られている。

 

【いきなし何言うてはりますのん旦那はん……ってちょ! 何してはるんどすかー!!】

「煩せェェッ! 今すぐこの怒りを発散させろッ! フレンジーⅠ、フレンジーⅠッッッ!」

【アタックスキル扱いっ?!】

 

 振り上げた手に握られているのは勿論【幽冥】、それを何処かにブン投げようとする。

 

「な……な、何だとぉぉっ! 今、ボクをバカにしたなぁぁっ!」

 

 漸く思考停止していたルプトナが追い付いてきた。よって、矛先が変わる。

 

「煩せェェッ! 莫迦に莫迦って言って一体何が悪いんだ、莫ー迦莫ーー迦!」

「また言ったなぁぁっ! バカって言う方がバカなんだぞ、バーカバーーカ!」

 

 指差した腕を振りながら怒りを露にするルプトナ。対する空も、同じく指差しながら罵る。

 

「って事はテメェが莫迦だッて事を露見してんだよ、莫迦がァ! テメェの言葉くらい、しっかりと考えてから喋れってんだ莫迦!」

「だったらお前だってバカじゃんか、バカバカバーーーーカっ!」

【……なんどすのん、この低次元な闘いは……】

 

 最早、収集不能だ。違う意味で緊迫する戦場(元)。

 

「うわぁーん、じっちゃんに言いつけてやるー!!」

 

 涙目のルプトナが印を結んだ。刹那、大気が鳴動して召喚された海神はルプトナを確認する。

 そして彼女の様子を確認するや、憤怒の形相で空を睨みつけた。

 

「グルァァァァァッ!」

 

 咆哮と共に、海神は水塊を吐き出す。その狙いは--地面。

 水塊はあっさりと解けて、密森の水捌けの悪さと相まって瞬く間に浅瀬のように変わる。

 

「凍てつくマナよ……全ての動きを遅くしちゃってっ!」

 

 そこに紡がれた詠唱。ルプトナの靴は青い煌めきを発し、凍えた電撃へと変わった。

 

「ハ--遅ぇよッ!」

 

 その一撃が放たれる前に、空はスピンローディングしてライフルのトリガーを引いた。西部劇等でよくある、『クイックドロー』である。

 

 物理的な防御技しか持たない空にとって、ディバインフォースは最大の脅威だ。思考し続けた結果、一つの結論に辿り着いた。

 則ち『敵のサポーターが魔法を完成させる前に撃ち殺せば、神剣魔法は発動しない』という、至極単純なもの。

 

「--なッ!?」

 

 が、カキンと。ハンマーは盛大に軽い音を立てたのみだ。それもその筈、チューブラーマガジンの装填数は七発。既に撃ち尽くしてしまっていた。

 怒りにかまけての確認ミス、銃を突き出した姿勢では即座の交換は不能。完璧なまでに隙を作ってしまった。

 

「さぁ--勝負はここからだっ! ステイシスっ!」

 

 放たれた凍気の波動に、地面は凍り付きグリーヴに包まれた空の足を捕縛した。そう、この電撃は『地面を凍らせる』為の一撃。

 全てを理解して、空はルプトナへと視線を向ける。映ったのは、水流の刃を発生させた靴で氷上を滑り来る少女。

 

 明白に出遅れながら、PDWに切り替えて『イクシード』による雷速の弾幕を展開する。

 だが--止まらない。白妙の袖と緋袴をはためかせながら、銃弾を躱す。跳ね、或いはしゃがみ、または回り、蹴り落とす。華麗に舞う姿はアイススケート、まるで氷上の舞姫だ。

 

「--くっ……【幽冥】!」

【あいさー!】

 

 思わず見惚れかけるも、直ぐに正気を取り戻す。マガジンは内部の根源変換の櫃で自動で銃弾を精製してくれる優れ物だが、一発を精製するのに一時間も掛かるのだ。それを差し引いても、マナ存在を倒せる物を作り出せるというのは破格だが。幾ら何でも、戦闘中に待てはしない。

 使い切ったPDWから、切り札の【幽冥】を構えた--瞬間。

 

「--ランサーっ!」

 

 目前まで迫ったルプトナの後ろ回し蹴り『レインランサー』が、正確に【幽冥】を捉えた。空の手を離れた暗殺拳銃は、草叢の中に消えていく。

 そして更に二撃、三撃と。追撃の後ろ回し蹴りが放たれた。

 

「クソッタレ……!」

 

 水流を纏うトリプルアクセルに篭手を纏う左腕、右腕を払われた。最早防御手段は無く、後は躱すしかないが……足が動かない状態では無理だ。

 ルプトナの脚に力が篭り、足元の氷を踏み砕いた。真っ直ぐ空の琥珀色の瞳とルプトナの黒い瞳の視線が交錯し--

 

「--ジョルトっ!」

「ふ--グッ、う」

 

 そして繰り出された、一撃……にしか見えなかったほぼ同時三撃の前蹴り『グラシアルジョルト』。空の眉間、鳩尾、丹田の三箇所を同時に【揺籃】が刔る。

 その余りの威力に氷が割れた。吹き飛んだ空は、不様に地に倒れ伏す。

 

「畜生……」

 

--俺は、負けられないのに……負けたくないのに……何でだ……何で……。

 

「俺は……こんなに弱い……!」

 

 そう毒づくのが精一杯の抵抗。血に霞み、閉じゆく目でルプトナを睨みながら、彼の意識は暗い淵へと沈んでいった……

 

 

………………

…………

……

 

 

 

 ……色褪せたセピア色の情景に、彼はそれが己の過去である事を思い出した。

 

『……ちょっとー。聞いてんの、『ξμδι』? ジルオルは何処に行ったのよ?』

『あたた……痛いです、ナルカナ様……』

 

 濡れ羽烏色の美しい黒髪に白いワンピースの少女が、地面に倒れ伏した男の頬をぺちぺち叩きつつ問い掛けている。心配している風は……残念ながら微塵も無い。

 

『セドカ様だったらオイラに……オレに特訓をつけて下さった後に、アケロ様に連れられて何処かへ行かれましたけど……』

『はぁ!? アルニーネの奴、また抜け駆けを~!』

 

 柳眉を怒らせながら少女は立ち上がる。そして間髪容れずに走り出して--戻ってきた。

 

『で、どっちに行ったのよ?』

 

 『早く言いなさい』とばかりに責っ付く少女。それに男は倒れたままに揉み手をしながら、御機嫌窺いの如く遜った笑顔を向けた。

 

『……いえ、その……ナルカナ様がいらっしゃるまで気絶していたもので……わかりません』

『……あらそう、気が変わったわξμδι……』

 

 少女の冷たい笑顔に、男は覚悟を決める。ここが己の死地だと。

 

『--剣を持ちなさい。ジルオルに代わって、このあたしが直々に特訓をつけてあげる』

『--ッ風よ、集いて鎧と成れ! ウィンドウィスパー!!』

 

 先程までのダメージなどなんのそのだ。手元の『紅い月』を握り締めて、条件反射で立ち上がった。流し込むマナに反応したそれは風の壁『アキュレイトブロック』を生み出した。更に、駄目押しの大気の加護まで纏う。

 

『あたしの名に連なる力……王の聖剣』

 

 しかし、少女の手元に生まれた不可視の刃。そのマナの密度は、明らかに彼が全霊を籠めた風などモノともせまい。

 

『エクス--』

 

 少女は力む様子も無しに、目をつむったごく自然な立ち姿のまま。不可視の聖剣を頭上に掲げると、一歩分だけ足を前に出した。

 

--ああ……どうせ死ぬなら……ファイムの膝の上で死にたかったなぁ……。

 

『カリバァァーーー!』

 

 振り抜かれた『騎士王の聖剣』の銘を冠する、輝ける剣撃に防御ごと打ち倒された彼は再び地面と抱擁を交わした--……

 

 

………………

…………

……

 

 

「……ん……?」

 

 頬に当たる何かが当たる感覚に、空は気怠い瞼を上げる。

 

「……目、醒めた?」

 

 小さな掌に白い袖、黒い髪--

 

「ナルカナ様……痛ェェ!?」

 

 混乱して、朦朧としている頭が記憶していた名を呟いた瞬間。

 ぺちぺちと軽く叩かれていた頬が、ぎゅむーと抓られた。

 

「だから……ボクは『なるかな』じゃない! 『ルプトナ』だって言ってるだろ!」

「わ、わきゃっらろ、わきゃっらはらひゃめろ!」

「ふん……!」

 

 憮然と立ち上がったルプトナ。抓り上げられた頬を摩ろうとして、後ろ手に拘束されている事に気が付いた。

 加えて身包み剥がされており、攻撃用の装備は一ツ足りとも無し。服と外套を残して完全にただの人間と変わらない状態で、手足等は緩衝用に巻いている包帯のみの状態だ。

 

「……おい、俺の装備は?」

 

--参ったな……よく、ゲームで捕虜になると装備が外されるけど……リアルにやられるとここまで堪えるのか……

 

 空が常に過剰とも言える武装を持つ理由は単純明快、『選択肢』に幅を持たせる為だ。基本性能が他の神剣士に大きく劣った彼が、太刀向かう可能性を掴む為に。

 

「モグモグ……重たかったから、棄ててきた」

「……とか言いながら、何で俺の非常食を喰ってやがんだァァ?!」

 

 罵倒して時間を稼ぎつつ冷静に周囲を見渡せば、そこは倒された森の中ではない。

 清澄な清水の湧き出る、洞穴か何かのようだった。

 

 結構奥のようだが、焼きお握り(味噌味)を頬張るルプトナの姿がはっきりと確認可能。何処かにヒカリゴケでも有るのだろうか、薄明かりの中では目を細める必要も無い。

 そのまま鋭くルプトナを睨み、彼は問い掛けた。

 

「……で、俺を捕まえてどうする? 身代金でもせしめるか?」

「はぁ? そんな事のためにわざわざこんな面倒な事するもんか」

 

--だろうな。もし森の中で生活してるんなら金が要る訳が無い。

 

 理解してしまえば単純だ。空はあの蹴りを受けて、『死んだ』と思ったのだ。

 だが、結局生きている。そしてそれが自分を捕らえる為に手加減されたのだと悟り、更なる屈辱が湧き出た。

 

「決まってるじゃんか、お前を餌にノゾム達をおびき寄せるんだ。ふっふーん、ボクって天才!」

「……はぁ?」

 

 指に付いた米粒を含みながら、自信たっぷり言い切ったルプトナに。その憎悪すらも霧散させて、ポカンと口を開けた空。

 

「……あのな、幾ら何でも罠だと判りきってるのに飛び込んで来る訳が無いだろうが。頭数は俺らの方が上なんだからな」

「な、なにをー!」

 

 鼻白みながらの一言にルプトナは眉を吊り上げて--

 

「それに何より餌が悪かったな。他の奴らなら兎も角、俺の救助にだったら救出を切り捨てて搦手を使う事を提案する人が三人居る」

「……お前さ……自分で言ってて虚しくないの?」

 

 勝ち誇るかのような空の物言いに、ジト目を返したのだった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 場所を移して、物部学園の生徒会室。重く沈黙した室内。中央の長机の上には、空の装備していた一式が置かれていた。

 

「……すまねぇ、俺がもっと早く辿り着いてりゃあ……」

 

 悔しそうに呟いたソルラスカ。握り締めた拳からは、今にも血が流れそうになっている。

 

「落ち着きなさいよ、巽くんなら大丈夫。【幽冥】が消えてないんだから、まだ……生きてるわ」

【……捜索の件ですが、ルプトナなる神剣士はこの地を知り尽くしている筈です。無闇に動けば各個撃破、ミイラ取りがミイラになるでしょう】

 

 話を引き継いだミゥの言葉に、一行は再度思案に移る。

 

「纏まって一カ所を探すのは安全ですが時間が掛かり、かといって単独では危険……戦力を集めれば襲撃に備え易くなる半面、こちらの見付かり易さも上昇してしまう……ですか。参りましたね」

【……無い物ねだりだが、こんな時こそタツミの出番なのだがな】

【だよね~。失せ物、尋ね人迅速解決~♪】

 

--シーン……

 

【……あはは……はは、は……】

 

 場を和ませようとするも、盛大に空振りするワゥ。暫くの間引き攣った笑顔を浮かべていたのだが、やがて言われる前に部屋の隅に移動してイジけ始めた。

 

「ともかく、二人一組での行動を原則、組み合わせは情報の共有を高速化する為に神剣士とクリスト族ね」

【それがいいでしょう。後は組み合わせですが……】

 

 こうして、捜索隊の組み合わせが練られていた頃--

 

 

………………

…………

……

 

 

--ピチョーン……

 

「「…………」」

 

 静まり返った洞穴内に、水滴の音だけが響く。後ろ手に縛られたまま胡座をかいて、瞑想でもするようにどっしりと座った空。神剣でもある靴を脱いで、清水に足を浸すルプトナ。

 

--さて、考えてみようか。どうやって脱出するかを。

 まずは第一案、寝静まった所を脱出。足音を立てないように注意してよしんば脱出成功したとして、現在位置が何処かも解らない森の中でルプトナの追撃か……今度こそ死ぬなコレ。却下。

 

「……ねぇ」

 

--第二案、協力するフリをして脱出。『よーし分かった、望達をおびき出せるように協力しよう』『お前バカ?』……無いな、コレは無い。却下却下。

 

「ねぇってば、聞いてんの?」

「……あ?」

 

 思考の袋小路に迷いつつあった空を現実に引き戻したのは、少女の声。背中合わせで話し掛ける、ルプトナだ。

 

「お前、ボクの事を『なるかな』って呼んだでしょ……ボクの事、何か知ってるの?」

 

 肩越しに睨むような問い掛け。それに、一ツの結論を出した。

 

--コイツは他の神剣士達と同じなんだろう。神世の記憶は無い、つまりは--『オレ』が何者かを知らない訳だ。なら、付け入る隙が有る……か……?

 

「聞けば、答えが返るとでも? 甘えんな、この世は等価交換だ。俺から情報が欲しけりゃ、誠意を見せてみろ」

「むっ……!」

 

 胡座のままで器用に半回転して向き直り、ハフンと鼻で笑い蔑む空に視線を強めるルプトナ。

 腹立ち紛れにか、バシャッと水を蹴り上げた脚に--彼女は顔をひそめた。

 

 押さえたのは、足首。捻挫でもしたのか、動かすだけでも辛そうにしている。

 

--魔弾と撃ち合った方か……

 

「つう、足を痛めたか……流石は破壊神の転生体ノゾム……」

「……ッて、望かよ!」

「ん? そーだよ、あいつの神剣と打ち合った時に、捻ったんだ。それ以外に無いじゃないか」

 

 少し気を良くした空だったが、結局糠喜び。訪れた虚無感に反吐を吐いた。

 だがここで得られる情報を逃す手はない。黙して続きを促す。

 

--てか、アレか? 俺は手負いの相手に全力を尽くした挙句に、手加減されて負けたってのか? 畜生、鍛えが足りねェ……

 

「……ボクには、記憶が無いんだ。生まれてからとか、両親や家族とか……一切ね」

「--…………」

 

 そうして彼女の生い立ちを聞き流そうとしていた空の意識が--『紅い闇』から剥離した。

 

「気付いた時には、この森の中に居てさ。文字通り立ち尽くしてた。どうしようか途方に暮れてた所を精霊の皆に拾われたんだ……」

 

 ただ、黙して聴き続ける。告解を聞き届ける神父のように、ただ静かに。

 

「皆は『記憶喪失か何かだろう』って言ってた。『時間が解決してくれるだろう』って……皆は良くしてくれるけど、でもボクは少しでも早く知りたい。ボクが何者で何処から来たのか、何の為に居るのかを」

 

 それが、全てなのだ。この少女、ウルティルバディアの全住人が恐れる『魔女』の全てだった。

 

「そこに、聞き覚えの無い名前で呼ぶ俺が現れたッて訳か……」

「……そういう事」

 

 フゥと溜息を吐いて、空は岩肌剥き出しの洞窟の天井を見上げる。そしていかにも面倒臭そうに、溜息を吐いた。

 

--あー…聞くんじゃ無かったなクソッタレ……面倒臭ェ。

 言い訳をする事になるが、別に俺はコイツに同情はしていない。だって敵だ、コイツは。敵に同情する程甘ちゃんじゃ無いし、そういうのはどこかの物好きに任せる。ただ、そう--敵だからこそ、俺とは違う思想の敵だからこそ、言い負かしたくなっただけだと。先に断っておくぜ、『オレ』。

 

「--まぁ、つまりはアレだろ。お前は今現在、現状に何か不満があんのか?」

「はぁ? 何だよ、急に……」

「良いから答えろ。お前には不満が有るのかッて聞いてんだ」

 

 真面目腐った物言い。今までとは少し違う空気を纏い始めたその雰囲気に、彼女は面食らう。

 

「……別に、不満なんて無いよ。さっきも言った通り、精霊の皆は良くしてくれるし……人間はムカつくけどさ」

「だったらそれで良いじゃねェか、別に過去なんて知らなくても」

「それとこれとは違うんだよっ! お前には解らないだろうけど、不安なんだよ……過去が、思い出が無いのは……」

 

 パシャパシャと蹴乱される水面、その波紋に幾人もの彼女自身が映っては消えていく。

 

「ああ、解んねェな。そんな感傷なんざ、抱いてる暇の無い生活を送らせて貰ったからよ」

「……え?」

 

 波紋が治まり、やがて小刻みに消えていく。そうして、鏡の水面に最後に映るルプトナは独り。

 その端正な顔には多分に、驚きが含まれていた。

 

「経験則から言わせて貰うなら、要するにその感情は『今の自分に満足』して無いから出て来るモンだ。お前は自身の在り方に『不満が出来る生き方』しかしてないッて事だろ?」

「だ、だから不満なんて--!」

「--俺は『満足出来る生き方』をしてきた。まァ、ある人の扱きと教えの賜物だが……兎に角満足してる」

 

--もしあの人に出逢わなかったのなら。『俺』は一体どうなっていたのか。

 良くて遁世人、悪くすれば……この世の中に居なかったかもしれない。

 

 一々癇に障る空の言葉に語気を荒げたルプトナ。しかしそれも彼の策略の一つ。それを抑える声量に切り替えて、更なる言葉を紡ぎ出す。

 

「まァ、なんにしても俺は俺だ。過去がどうあれ、現在がどうあれ、未来がどうあれ……俺は俺だ。そこは誰にも否定出来やしない。ただ在りのままに、在るがままに、己らしく在る事を貫くなら--そこだけはカミサマにだって否定出来るもんか」

「……お前……」

 

 それが、彼の数少ない寄る辺の一ツ……『自己正当化』だ。

 なんたる卑屈、救いようの無い矮小な強がり。そうやって自分を肯定する事でしか生の意味を見い出だせなかった負け狗の遠吠え。

 

 だが、それで。ただそれだけで。彼はこの世の全てを肯定する事すらも遣ってのけるだろう。

 

「お前は違うのか? お前はお前じゃないのかよ? もしも過去が違う生きモンだったら、今此処に居るお前は幻か?」

「……」

 

 思案するようにその顔を伏せたルプトナ。懊悩している様子が、ありありと伺える。

 

「……ま、そういう考えの人間も居るッて訳だ。俺はそう考えてるッてだけの事で、押し付ける心算はねェよ。つーか、どうでも良い……」

 

 ルプトナに背を向けると、入滅する仏陀のように横に寝そべる。座っていようが寝転がっていようが、剥き出しの岩から受ける痛みは変わらない。

 

--莫迦言ってやがる。その過去に一番こだわってたのは、俺自身だろうが。呑まれたフリまでして、大層なこった……。

 

 それが、自身への戒め。安易に憎しみに縋り、過去の所為にして。前世に喰われる恐怖から逃れる為に、軽はずみに勝算すら棄てた勝負に挑んだ愚か者の精神への。

 

「……お前の言ってる事は、良く解んない。ボクは頭良くないし」

 

 そんな背中に、懸けられた声。小さく、だが--

 

「でも、解った事が一つ有る」

 

 だが、意志が篭められた言葉。それに気怠そうに顔を向けた空に向け、溌剌とした表情のルプトナは何かを投げ渡した。

 

「--確かにボクはボクだ。過去がどうでも……ボクは間違いなく精霊の娘ルプトナだ。それだけは間違いない」

「……あっそ。良かったな」

 

 気のぬけた返事を返しつつ受け止めた掌を見遣れば、林檎に似た果実らしきモノ。

 水の中で冷やしていたのだろう、しっとりと濡れている。

 

「……お前って、ちょっと良い奴だね。ほんのちょっぴりだけど」

「はぁ? 少し会話しただけで、何を図に乗ってやがる……」

「勘違いすんなよな、ちょっぴりだ。後は纏めて嫌な奴のまんま」

「……クク。そうだ、それで良い。俺達は、とどのつまりが敵同士なんだからな--」

 

 少し緩んだ警戒心を諌めて引き締める、渡されたモノをかじる。シャクリと、瑞々しい音を立てた果実は見た目に反して梨のような歯ごたえ。そして--

 

「--酸っぱァァァァッ!?!?!」

 

 鮮烈な、檸檬の酸味に咳込む。色々紛らわしい果物だった。

 

「--ぷっ! くくく……やーい、引っ掛かってやんのー!!」

「ゲホゲホッ!! へ、へめぇぇっ、やりやらっはらぁぁっ!!」

「へーんだっ、勝手に縄を解いた仕返しだいっ!」

「よし構えろ! 俺の本気、拳を賞味させてやらァァッ!!」

 

 捕虜生活一日目(夜)。少年は徒手空拳で神剣士に挑み--無惨にも、ハイキックの一発で敗北を喫する事となった……。

 



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連鎖する記憶 森閑の水面 Ⅱ

 ぽっかりと口を開けた洞窟から歩み出る少年。その姿は--……何と言うか、野趣溢れていた。

 昨夜は気付かなかったのだが、割れた額から流れ出た血が付いていた服を洗濯、ついでに水浴びを済ませたまま外に出た為に上半身は裸。洗髪した頭には適当な包帯を巻き、長距離のランナーが穿くようなインナーのみの下半身には外套を腰布のように巻いている。

 

「あーイテ……特に頚が」

 

 硬い石の上で一夜を明かした体は軋みを上げており、一発貰った頚を摩って歩く度に胸元のお守りと鍵のネックレス、鳳凰の尾羽の羽飾りが揺れる。

 朝露の降りたジャングルの地面は柔らかいが、それでも一枚包帯を巻いただけで裸足に近い彼にはとても歩き辛い。小石や深い草叢を避けながら歩き、近くの乾いた木の枝や木の葉を集めていた。

 

「……ふぅ。どれもこれも湿気てやがる。使えるモノは少ねェな」

 

 たまに見付ける硬い枝を小刀のように逆手で構えてみるが、気に入らないらしい。小脇に抱えると別の枝を掴み上げた。

 ある程度集めたところで入口に取って返し、木の枝を組み合わせ枯れ葉を置く。

 

 そして巾着を……ルプトナが空の持ち物の中から唯一持って来ていた遭難用装備、この漂流に関係ない煙草好きの教員から拝借した年代物のオイルライターでもって、火を燈した。

 

「--火が出た! なにそれ?」

「うおっ!? おい、壊すなよ」

 

 いきなり真横に現れたルプトナに話し掛けられ、ライターを取り落としかけた。彼女はそれを手に取り、興味深げに開閉しては火を起こしたり消したりしている。

 代わりに空が手に取ったのは、ルプトナが近くの清流から採ってきた川魚だった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 パチパチと、爆ぜる焚火。何となしに顔を上げ見れば、視線の先にはまだライターを玩ぶルプトナの姿。

 

「……そろそろか」

 

 木の枝に刺されて焼かれている魚。その焼け具合を確かめていた空は、一本を彼女に投げ渡す。

 

「おっとっと……」

 

 気付いたルプトナはそれを器用に受けとると、代わりにライターを投げ返す。

 既に魚にかぶりついている空もまた器用に受け止めると、巾着の中に突っ込んだ。

 

「ング……おい、この魚って本当に食っていい魚か? パッサパサで味無いし、やたら小骨多いぞ」

「五月蝿いなぁ、全く……お前が食べたいって言ったんだろ。捕虜の癖に生意気だぞ」

「捕虜にも人権有んだぞ莫迦野郎、ジュネーブ条約全文読み上げてやろうか」

 

 言いつつ、巾着から取り出したのは……味噌。遭難セットに常備している調味料のひとつだ。

 なお、肝心の非常食の方は既にルプトナが平らげている。

 

「うわっ! お前、何を食ってんだよっ! それってウン……」

「味・噌だよッ! 日本人の心の一ツだッ!!」

 

 言われてしまい、ウン○にしか思えなくなった味噌を塗った焼き魚を頬張りながら。歪な会食は、続いていく……。

 

 

………………

…………

……

 

 

 土を被せて火を消し、空は天を仰いだ。蒼穹に昇っていく白煙、幽鬼の如き白月。

 

「いいのかよ、水を掛けなくて? その方が煙が出るでしょ」

 

 そこに呼び掛けた、ルプトナ。彼女とて解っていて空に食わせたのだ。

 

「構わねーよ。家にはすこぶる鼻の良い奴が居るからな……これで充分だ」

「鼻? 犬でも飼ってんの?」

「クク……確かに犬ッていやぁ犬か--熱ッ!!」

 

 薄く笑いながら、焚火跡を踏み躙る。何気なく遣ったその行為、殆ど裸足という事を忘れていた。

 

「……んで、どうする? まだ、見付かるまでは時間有るだろ」

「お前に教えてやる義理は無いねっ。ボクはボクのやり方でノゾムを倒す!」

「どーぞ、ご自由に……それじゃ、俺も御暇するかな」

 

 ケンケン跳びしながら足裏に息を吹き掛ける。勿論、下は生装備ではない。先程も述べたが、運動選手が穿くアレを穿いている。

 

「勝手にしろよ。餌にはなったし、解放してやる」

「ッと……お前、コレ」

 

 そしてルプトナは、生い茂った草叢の中から抜き出したライフルと管と箱のマガジンを一本ずつを空に投げ渡した。

 運が良いというべきか、それは満タンのもの。

 

「森の中には危ない獣だって居るんだ、帰る時に必要だろ? 人間の街はアッチの方」

 

 恐らくは、森の中の気を探って神剣士に気付いているのだろう。指差す先は南西の方角、厚い木の壁に阻まれている。

 

「どーも。まぁ、俺は服が乾いてから出立するから……寝るわ」

 

 そのライフルの状態を確認し、チューブラーマガジンを装填してリロードして、ボックスマガジンを枕代わりに柔らかな草原の上に仰向けに寝転んだ。

 ライフルはいつでも使えるように小脇に置き、軽く火傷している右足を左足に組んで包帯を下げてアイマスクにする。

 

「…………」

 

 その様子を暫くじっと見詰めていたルプトナ。一分程もそうしていただろうか、唐突に溜息を吐き--刹那、風が吹いた。

 

「……呆れた、ホントに寝てら」

 

 首筋まで迫った、水の刃を纏う【揺籃】。にも関わらず空は一定のリズムで呼吸を繰り返しているのみだ。

 穏やかに上下する剥き出しの、鍛え上げられた強靭そうな胸板とエイトパックの腹筋。大きな疵が横・縦・斜めと三本も走り、その他も小さいモノを挙げればキリが無い。

 

 『敵同士だ』と……この少年は言った。その言葉を吐いた本人が、その敵にこんな無防備を曝して良いのか。

 確かに、迷っていた。ここまで深く人間と関わったのは、今ある彼女の記憶の中では初めての事。

 

 そしてそれは、彼女の心に燻る迷いの波を……湖面に波を起こす風の如く、大きくしたのだ。

 

「……でも、もう遅いよ。ボクは戦う事を選んだ。戦って守るって決めたんだ、あいつらと--」

 

 最後にもう一度だけ、寝ている少年を眺める。やはり変わらないリズムの寝息。

 弾も装填されているライフルを持っているのに、隙を窺っている様子すらない。まるで、『失神は睡眠時間にカウントしてない』と減らず口を叩いているように。

 

「……変な奴。ホント、変な奴だ、お前は……」

 

 そう、微笑み掛けて。ルプトナは跳躍して木の枝に登ると、鬱蒼とした森の中に消えて行った。

 

 

………………

…………

……

 

 

 森の中を駆け巡る影が二つ。望とゼゥだ。

 

「……ゼゥ、他の皆の位置は判るか?」

【……ええ】

 

 結構なピリピリムード。それもその筈だ、この二人は実のところ組むのは初めての事。

 余り会話も無く、森の中を探索し続ける。そんな中、望は壱挺の拳銃を握り締めていた。

 

【うーむ、近いどすなぁ……】

「ふむ、【幽冥】が言うには近いそうだぞ、ノゾム」

 

 漆黒の暗殺拳銃【幽冥】。それを握り締めて決意を新たにする。

 

「……早く見つけ出さないとな」

【……そうね。早く見つけ出して、あの馬鹿にお灸を据えないと】

「はは、そうだな--ッ!?」

 

 その瞬間、望に向けて黒い髪の少女が飛び掛かった--!

 

 

………………

…………

……

 

 

 目を覚まして、先ず感じたのは『生きていた事』に対しての安堵だった。賭けに勝利した達成感に包まれながら周囲を見渡すが、己以外の存在は無い。起き上がって、伸びをして--

 

「……おお、蛭が……」

 

 二の腕内側に食らい付いていた蛭のような生き物を、ライターで炙って落とす。そもそも、強靭な筋肉と皮膚に阻まれて牙が通っていないのだが。

 その後しばし全身を確認するも、他には居ないらしい。

 

「さてと、んじゃあ行くか--」

 と、洞窟に取って返そうとした瞬間に、森の中に爆音が轟いた。鋭く見遣れば、遠く木が倒れる音と鳥の羽音。

 

「始まったな……間に合えば良いけどよッ!!」

 

 土埃の柱が立ち昇るその地点を目掛けて、ほぼ裸足に近い足の裏に食い込む小石や小枝に草、その他諸々の痛みすら踏み潰しながら走り出す--!!

 

 

………………

…………

……

 

 

 土煙の中から飛び出つつ、黒い髪の少女は回し蹴りを放つ。二度振るわれたローリングソバットを受け切れずにその永遠神剣は粉砕され、最早守りは無い。

 

「--ランサーっ!!」

 

 そして、文字通りに『ケリ』が付いた。三発目の後ろ回し蹴りに頚を打たれて--

 

「……」

 

 『緑色の女』が消滅した。だが、まだまだ。森閑より涌き出る、色とりどりの女また女--

 

「くそっ……キリが無い」

 

ルプトナが毒づくのも無理はない。視線の先には赤・黒・青三体のミニオンが立ちはだかっていた。

 

「紅蓮よ、その力を示せ……」

「--そうそう好きにはさせないってのっ! アローっ!」

 

 赤の詠唱に反応し、彼女もまた印を結ぶ。刹那に現れた三本の氷の矢が、赤を狙って放たれ--

 

「沈め……氷の柩--アイシクルアロー」

「また……っ」

 

 青が紡いだ同じ氷の矢に、撃ち落とされた。ぶつかり合って砕け、破片が地面に降り注ぐ。これで四度、同じ『アイシクルアロー』で妨害されたのだ。

 そこに、術式を完成させた赤が双刃剣の切っ先を向けた。

 

「ファイアボール--」

 

 その頭に、真紅の花が咲いた。

 

 

………………

…………

……

 

 

 『クロスディバイダー』で切り伏せられた黒髪の少女が消滅していく。これで彼等を狙った黒と緑二体の、計三体のミニオンは全滅した。

 

「ゼゥ、他の皆は!?」

【やっぱり襲撃を受けたらしいわ。こいつらが、市長の言っていた『ヒトモドキ』でしょうね】

「……だとしたら、マズい。空達も襲われてるかもしれない!」

 

 その可能性に、さっと頭に血を上らせる望。

 

【……安全を考慮するなら、皆と合流するべきだわ】

「そんなヒマはないだろッ!俺はこのまま行く--!」

 

 一方、落ち着いたゼゥ。そこに有るのは--

 

【--あの男は、少なくとも馬鹿じゃない。どんな状況でも自分を冷静に見詰めて、必ず生き残ってきたわ……アイツ自身の『壱志』でね】

「ゼゥ……」

 

 『確信』。信用している訳では無いし、信頼してもいない。だが、そこだけは間違いないと。彼女は知っている。

 

「……解った。皆と合流しよう」

【ええ】

 

 踵を返すと、合流するべく駆け出した。そんな、少し前方を飛ぶ黒い少女に向けて、望は要らない言葉を呟く。

 

「……ゼゥ、空をよく見てるんだな」

【--ば、馬鹿言わないでっ! 誰があんなヤツっ! 急がないと置いてくわよ!!】

 

 速度を上げ、二人は翔ける。

 

 

………………

…………

……

 

 

 虚空に画かれた赤い魔法陣にて、履行されたればマナを燃やして現れ出る奇跡の炎を行使しようとした赤のミニオン。

 

「--なんだよ、随分苦戦してんじゃねェか?」

 

 だが、その頭部を撃ち抜かれて式は不履行となった。赤い魔法陣は、空間に溶けるように消滅していく。

 

「……なんで、お前が……」

 

 ルプトナの視線は消えていく赤ではなく、それを成した少年へと向けられていた。

 スピンローディングでライフルに新たな銃弾を装填した少年に。

 

「『なんで』だぁ? ハ、虚仮にされっぱなし負けっぱなし借りっ放しで引き下がるような、ドMな趣味はねェんだよッ!」

 

 と、駆け出した。反応して跳び下がり、距離を取りながら闖入者を観察するミニオン達。

 空は構わずに、ルプトナのすぐ近くまで走り寄った。

 

「お前、何考えてんのさ。ボクが憎いんじゃなかったのかよ」

「テメェの名前はなんだ?」

 

 背中越しで掛けた言葉。およそ答えになっていないその返事に、ルプトナはぽけっと逞しい背中に視線を向けて。

 

「……ルプトナだよ。精霊の娘、ルプトナだ!」

 

 不敵な笑顔と共に、またもその言葉を返す。

 

「なら問題ねェな。俺が憎いのは『ナルカナ』、『ルプトナ』じゃねェよ。それに--マズかったし、この下が無い最悪さだったけど……飯と寝床の恩は返さなきゃあなんねェだろ!」

 

 背中でそれを感じたのか、空もまた笑った。強い衝動を抑え込むように狂暴な、爪を剥く猛禽類のような顔で。

 

「それで来たっての? やっぱりバカじゃん、お前」

「望と闘り合ってるかと思ってたんだよ、俺ァ。第一、一番驚いてんのは俺自身だっての」

 

 呆れ返った言葉に、呆れ返った言葉を返す。彼自身、己の阿呆さ加減に呆れているのだから。

 

--まさか俺が此処まで勝ち目の無い博打が好きな莫迦野郎だったなんてよ……!

 

「それ一つで闘う気? その銃ってゆうのは確か、弾が無くなると攻撃が出来ないんだろ? それで無くても弱い癖にさ」

「ハ、武器ってのは『可能性』の傷口を拡げる為だけの道具。大事なのは闘う気概、ヤル気が在るかどうかだろ。それでも要るッてんなら三ツ、飛び切りのが在るぜ」

「何だよ、飛び切りのって?」

 

 更に森の中からミニオンが歩み出て来る。青と緑に、白の三種。これで、この戦域に居るミニオンは青・緑・赤・黒・白の各属性が二体ずつの計十体。

 

「--遣い手たる躯に鞘たる心、刃たる……魂がな!」

 

 言い、三度剥き出しの己が胸を叩いた。その開き直りでしかない文言に、少林寺木人拳に似た構えを見せたままで彼女は。

 

「そんなの、ボクだって持ってんじゃん。ばーか」

「煩せェ、持ってねェ奴らが目の前にいんじゃねーかよ。心も魂もねェのがよ」

 

 各々の前方にミニオンを捉えて構える。そこに響く第三者の声。

 

『……決定したな、『俺』。もう間違いない……お前は『オレ』と敵対した……!!』

(初っ端に喧嘩を吹っ掛けてきたのはテメェの方だろうがよ? 俺は受けた恩も屈辱も忘れねェ……邪魔するなら勝手にしろよ)

『ククク……邪魔するまでもねェだろ? 今回は俺の助けも神剣の助けも無い。死ね、失敗作!!』

 

 『紅い闇』からの啼き声、無数の鴉の哄笑。

 

(--悪りィけど、その期待には応えられねェわ……)

 

 それに悠然と口角を吊り上げて、ライフルを構える。そして、腹に力を篭めて--。

 

--さぁ、覚悟を決めろ。今まで積み上げてきた鍛錬と研鑽を総て出し切れ。運でも何でも、使えるモンは出し惜しむな……!

 生き残る。何としたって、俺は生き延びる!

 

「名前……」

「あ?」

 

 決意を固めて、身を熱しながら心を冷やして魂をニュートラルに。その最中、声が懸けられた。

 

「お前の、名前は?」

 

 背中越しに掛かった声に、張り詰めた緊張を解けないまま。そういえば、まだ名乗っていなかった事を思い出す。

 一瞬、隙になるまでも無い刹那の間、琥珀の瞳を閉じて。

 

「--空だ」

 

 そして高らかに、濁った黒金の髪を揺らして吹き抜けた密林の風に背中を押されるかの如く。

 誇りに充ちた声でその名を唄い上げながら。

 

「お前ら神剣の担い手どもの天敵……『神銃士』巽空だ!」

 

 まるで水面に落ちた墨汁が拡散するかのように空間を染めゆく、黒耀石の色をしたダークフォトンを煌めかせた--……

 

 

………………

…………

……

 

 

「精霊光結界、展開。コンセントレーション」

 

 掲げられた白の杖より魔法陣が発せられて、加護が展開された。味方の防御力を底上げする集中のオーラ、そして--

 

「命を削る、閃き……」

「--ッ!」

 

 それを目眩ましに、一瞬の内に空の懐に飛び込んだ黒。胸糞悪い薄ら笑いを浮かべており、既に刀は鯉口が切られている。

 

「--極限まで、いくよ」

 

 『月輪の太刀』の上位互換技である『飛燕の太刀』。鞘走る刀は先ず横薙ぎの壱の太刀を繰り出し、続き袈裟掛けの弐の太刀。最後に駆け抜けて、反転する為に回転した勢いに載せた参の太刀が振るわれる--筈だった。

 

「グ、ふッ--……野郎!!」

 

 少年が、黒が初太刀を抜くまでに突進して柄尻に打たれながらも、腕にしがみつかなければ。

 

--クソッタレが……肋骨とか、折れてないだろうな……!

 

「--破ァァァッ!」

 

 至近距離の黒の顔に向けて空はライフルの銃床を鈍器として突き出す技『フレンジー』を見舞う。しかし黒は、緑の展開する広範囲物理防御『ディバインブロック』の厚い大気の守りに包まれており、届かない。

 

「--てやぁぁっ!」

 

 それに合わせて、隙だらけの黒の背中に回り込んで後ろ回し蹴り『レインランサー』を後頭部へと見舞ったルプトナ。

 黒はその衝撃に前のめりとなり銃床によって顎を砕かれながらも、辛うじて飛びのいた。

 

「ちょっと、アキっ! お前、何出し惜しみしてんだよっ! その鉄砲であいつら撃てよ!」

「誰の所為だ、莫迦! テメェが俺の装備全部棄てやがったから、マガジン一本ずつしか使えねェんだ! 弾の無い銃なんて只の鈍器、節約する必要があんだよ!」

「なんだとー! さっきは散々、カッコつけた事言ってた癖にー! 大体、服くらい着て来いよっ! あの服、ボクの蹴りで破けないくらい頑丈じゃんか!」

「心構えだッつーの! だから、俺は望と闘り合ってるかと思って息急き切らして来たんだよッ! それに本気の神剣相手にはあんなモンじゃ意味無ェ!」

 

 転がり、隊列に戻った黒を尻目に二体の青や他の黒に次々と斬り掛かられながら。二人はそれらを躱し、或いは捌きながら喧々諤々と口論する。

 その合間に、ライフルにダークフォトンを流し込む空。

 

--強力な物理攻撃力を持つ青と強力な物理防御力を持つ緑の相性は……緑の方に僅かだが分が有る。しかも白い奴が展開した集中のオーラ『コンセントレーション』は、防御力を上昇させるもの。

 

 ダークフォトンを満たした銃弾を射出する。だが、それはやはり大気の壁に阻まれた。

 

--真正面からじゃ突破は極めて困難。だから……ウザってぇ薄幕を打ち破らせて貰うとしようか、科学が神秘のベールを引き裂いてきたように!

 

 銃弾は、大気の壁に減り込んだ状態で黒耀石色の渦を発して収斂。倒すには至らなかったものの、周囲にダメージを与えながら光を掻き消して空間に溶けた。

 否、相殺したのである。オーラフォトンと中和される性質を持つダークフォトンで、白が展開した『コンセントレーション』を。

 

 黒い光の収斂による空間破壊の神剣魔法『シェイドクランチ』に、敵の有利は消えた。

 これが『触穢』の神名を篭めた煉獄のオーラ『デリュージョン』ならば逆に不利に貶しめる事すら出来たが、【幽冥】が無い現状でオーラは使えないし、今の状態で神名に頼る事はしたくなかった。

 

「終わりとは、死。その瞬間まで歩き続けるの」

 

 その間にも包囲を徐々に狭め、致命の一撃を与えるべくミニオンはジリジリと漸進して来る。

 更に折角与えたダメージや重傷の黒も、後方の緑の発動した治癒魔法『ハーベスト』を受けて全快していた。

 

「凍えるマナよ--」

 

 その漸進を止める為にルプトナは印を結ぶ。凍てつく電撃により、ミニオン達のチカラを奪うその術式を。

 

「凍てつく風よ、凪げ……」

 

 そこに、風は吹く。青が紡いだ奇跡、純粋な青いマナの凍える風はマナの振動すら凍結させる--

 

「--遅い」

 

 その詠唱の為に足を止めた青を『クイックドロー』で撃つ。螺旋を描いて飛翔する銃弾は大気の壁に減り込み--貫いたが、僅かに狙いが逸れた事と回避された事で青の肩を撃ち抜いたに留まった。ただ、『アイスバニッシャー』の妨害には成功している。

 

「--ステイシスっ!!」

 

 ルプトナの術式が完成し、零下の電撃が放たれる。包囲網を狭めつつあったミニオン達は、為す術なく巻き込まれ--

 

「……無駄」

「ちっ!!」

 

 威力が足りずに、赤の展開した広範囲魔法防御『イミニティー』に完全に無効化された。

 

「クソッタレ、面倒臭いくらいに統率がとれてやがんな」

「攻撃が通じないよー」

 

 愚痴を吐きながらも空はスピンローディングしてリロードして、ルプトナは神剣【揺籃】に意識を沿わす。

 と、ミニオン達がチラリと視線を交わし合った。それだけで意志を疎通したらしく、濁った二十の瞳が獲物を捉える。

 

「一体ずつ潰すしかない、いくよアキっ! 援護して!」

「命令すんな! けど遣ってやる、来い木偶人形ども! 人間様を無礼んなよッ!」

 

 水刃を発する【揺籃】、黒い虹の煌めきを放つライフル。

 それに突き出される西洋剣に槍、双刃剣、刀、杖。ミニオン達もまた、各々の神剣を構えて--

 

「「「「「--来たれ」」」」」

 

 その永遠神剣が、各属性を象徴する色に輝いた。

 

 

………………

…………

……

 

 

 森の中を疾駆する影。目で追う事も困難な程の速度で走っている、大きな何かを背負った影。

 その行く先に、青・赤・赤・緑のミニオンが踊り出た。

 

 

………………

…………

……

 

 

 深閑な森林が激震する。木々が薙ぎ倒され、その合間から二人が転げ出た。

 開けた小高い岡の上には、環状列石のような建物がそびえ立っていた。

 

 空とルプトナはどちらも上手く受け身を取り、止まらずに駆けて行こうとする--丁度その二人の間を、土埃の柱が分断した。

 

「クソッタレ……ッ!?」

 

 舞い上がった土埃に咳込みつつ、視線を上げた。目の前には--たった今隆起した土塊の列柱。

 

「アキー、大丈夫!?」

「こっちは何ともねェ--?!!」

 

 それにいち早く気付けたのは、今まで積み重ねてきた研鑽の賜物だろう。背中に飛び掛かって来た、赤い影に。

 

「ピキィィィィィィ!!」

 

 後転で自身をかい潜った人間に、その可聴域を越えた金切り声を上げたソレは--炎を纏う真紅の蜥蜴。

 『火炎のガンカ』。下位の永遠神剣から現出した赤属性の、使役される者の神獣。火蜥蜴と呼ばれるエレメンタルの一種で、数千度の炎を纏い敵を焼き尽くす。

 

「ぐアッ!?」

 

 更に上空より降ってきた嚢鰻。後ろに跳んで巨大な牙を回避した空だったが--電気を纏った触角に打たれて転がった。

 『獰猛なアギト』。青属性の、同じく使役される者の神獣。深海に潜み、電撃で敵を弱らせて強靭な顎で獲物を噛み砕く狩猟者。

 

「次から次に……!」

 

 直ぐさま立ち上がり駆け出すも、激震し続ける地に足を取られて屈む。その頚が合った地点を黒い一閃が薙いだ。

 爪の生えた羽を持つ、吸血鬼の腕による一撃が。

 

 『闇のウツツ』。黒属性の神獣。狙った獲物の断末魔を、無上の悦びとする外道。

 

 偶然だろうと何だろうと、運も実力の内だ。しかし、状況は依然として最悪だった。

 揺れていた地面が割れて、震源が姿を現す。緑色の、三股の顎を持つ巨大なガラガラ蛇が。

 

 『地嵐のオロ』。威容に反して温厚だといわれる、地震や地割れを自在に操る緑属性の神獣。

 

「グルォォォォォォッ!!!」

 

 戦場に響く雄々しき咆哮。土煙の向こうから歩み出る、白い百獣の王。

 『白のタテガミ』。その外見に相応しい誇り高い気性を持った、白属性の神獣。その咆哮には仲間に意志と勇気を与え、敵の戦意や希望を挫くという。

 

「壮観だな、幻獣動物園ッてか」

 

 吐き捨てながら、立ち上がる。土柱の向こうからは剣戟音が繰り返し響いて来ている。

 ミニオン達はルプトナを狙い、神獣達が空を狙う。現出した神獣はともすれば弱点となる。だが、それは『神剣と闘えるだけの力』が有る相手の場合だ。

 

 空にそのチカラは無い。それをミニオン達は見抜いていた。故に分断して確固撃破を狙う為に神獣も呼び出したのだ。

 

--クソッタレめ……! まさかこのミニオンども、『銃』の事を知ってやがるのか!

 

 眼前に並ぶ、いずれも己の手に余る神威の顕現達。その、己の手の内を知るかのような動きに注意深く視線を巡らせる。

 しかし--それが陥穽だ。注意を散じるべきでは無かった。その注意を別の方向……例えば。

 

「--ガハッ!?」

 

 地面に潜ったままの、オロの尾に向けるべきだったのだ。

 地面から斜めに突き出した土柱に打突されて、後方に数メートルも飛ばされた。土の柱に叩き付けられて、地に落ちるや嘔吐する。

 

「カ、ハッ……!」

 

 その吐瀉物に、赤黒く濁った血が混じっている。内臓をやられたのかもしれないが、死んでいないだけマシだろう。

 しかし、無力化された。回復の手段を持たない彼が、これ以降の戦いに耐えられる訳が無い。

 

 後は、捻り潰すだけだ。そんな獲物に、五体のミニオンと神獣はにじり寄る--

 

「--たぁぁっ!」

 

 その瞬間、空の背後の柱が蹴り砕かれてルプトナが飛び出した。

 

「ハァ、ハァ……アキっ!?」

 

 だが、助けに来た訳ではない。彼女も彼女で満身創痍。ただ単に状況を打破しようと、その意見を求めて来ただけだ。

 そこに、地に倒れ臥した空が目に映る。慌てて肩を貸せば、弱々しく呻き声が返るだけ。

 

 眼前には五体のミニオンと神獣、後方からはミニオンが五体。

 

「くそっ……どうしたら」

「……んだよ。もう諦めたのか、ルプトナ?」

「アキ……! でも、こんな状況でどうしたら良いんだよ」

 

 青のミニオンが歩み出る。神獣を現出させていない方だ。

 

「諦めんな……まだ、死んでねェだろ……! さっきの緑じゃねぇけどな、死ぬまでは膝を折らずに歩き続けるモンだッ!」

 

 ルプトナの肩から離れて、己が二脚で立つ。打ち付けて割れた額から流れる血を止めて、空は銃を構えた。

 視界は歪んで、霞んで見える。元より一撃でも受ければ死ぬ脆弱な身、今生きているだけで奇跡。

 

「敵性殲滅……」

 

 その奇跡を砕くべく疾駆する、肩に傷を持つ青。神剣には凍気が纏わり付き殺傷力を上げている、その名は『へヴンズスウォード』。奇しくも、『天国』の名を持つ剣戟。

 

「--っ!」

 

 対応して水の防楯『ウォーターシールド』を展開したルプトナ。だが--薄い。これでは一撃すら耐え切れまい。

 

「これで、終わり……」

 

 例え止められたとしても、この数の暴力の前には立ち向かいようが無い--!

 

「--ウォォォォォォォォン!」

 

 

 凄まじい圧力を伴う黒狼の咆哮『ディクレピト』に気圧されて、青の剣が止まる。

 それに気を取られて防御を疎かにした青の顔面に--

 

「崩山槍拳!」

「--ガハッ!?」

 

 黒い精霊光を纏う爪、【荒神】が打ち込まれた。

 見事なクロスカウンター、完全に勢いを逆手に取られた青は蒼い燐光に変わり消滅していく。

 

「先ずは一丁上がり……ッと」

「「…………」」

 

 つい先程まで場を充たしていた悲壮感やら何やらを完膚無き迄に打ち砕いて。

 かつて、神世の古に"闘争の神"と呼ばれた男が。

 

「……俺、参上!」

 

 『荒神のソルラスカ』が大見栄を切りながら現れ出た--!!

 

「アキ……あれ、お前の仲間?」

「……仲間じゃねぇって、あんな恥ずかしい奴」

『……スマンな、少年少女。アレが主なりの決め方なのだ』

 

 向けられた三対の視線はいずれも冷たい。ミニオン達も空達も、神獣である黒い牙も。

 

「よぉ、無事……じゃねーみたいだな。こいつらを片付けてから、しっかり理由を聞かせて貰うぜ」

 

 そんな事はどこ吹く風である。ソルラスカは一度、ルプトナの方を睨み--それに気付いた彼女が空の影に隠れたのを見て苦笑いをすると、黒い牙を神剣に戻す。

 そしてその背に負っていた黒い包みを解き、地面に衝き立てた。

 

「そら、テメーの得物だろ、空。それともギブアップか?」

 

 衝き立てられた、片刃の大剣。柄尻に結わえられている朱い飾り紐が風に靡く。

 

「ぬかせ……やっとツキが廻ってきたんだ、こっからが本番だ!」

 

 痛む全身を鼓舞しながら、柄を握り締める。刹那に帯電し始める【夜燭】、片鱗のみ貸し出されたレストアスの一部だ。

 そして発揮するダークフォトンによる加護……己の限界まで能力を引き出す事を可能とするオーラ『限界到達』を展開した。

 

「おお、こりゃスゲェ。よっしゃ、ここからの俺は一味違うぜ! 全員ブチのめす!」

 

 それを受けて、【荒神】に黒いオーラを纏ったソルラスカは地を踏み砕きながら吠える。

 

「何だか解らないけど、とにかくやるって訳だ……」

 

 そんな二人の様子を眺めていたルプトナ。彼女もまた、強く漲る眼差しのままに。

 

「ふぉぉ……漲ってきたぁっ--いくよ、じっちゃん!!」

 

 流れ込むダークフォトンの強化に、【揺籃】を蒼く煌めかせつつ構えを取った。

 三人を囲む包囲は九と五。そこにソルラスカを追跡してきた四体が合流した計十八。

 

「グルァァァァァッ!!」

 

 白のタテガミが、吠える。展開されるは『インスパイア』。漲る力に後押しされ、一斉に身構えるミニオン達とその守護神獣達。

 

「空、競争しようぜ? どっちがミニオンをより多く倒すかでよ。負けた方は勝った方の言う事一つ、何でも聞くって事で」

「下らねェな。つーか、限りなくテメーに有利な条件じゃねぇかよ神剣士……オーケー乗った、目にモノ見せてやる!」

「何だよ、ボクは蚊帳の外かよ」

 

 だが、三人には不思議と恐れはない。何を隠そう、この三人組は似た者同士なのだ。

 

 考える事の嫌いなソルラスカ、行動第一のルプトナ、理屈っぽい癖に直情傾向の空。

 元より、どいつもこいつも後先など考えない阿呆。彼我の戦力差など--眼中に無い。

 

 三人はゆっくりと後ろに向けて腕を伸ばす。別にそれは予定してはいなかったが、同じ動作で拳を一度打ち合わせる。

 サムズアップした拳を。

 

「「「--スタート!!」」」

 

 それが--三人組の開幕の狼煙だった。



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連鎖する記憶 森閑の水面 Ⅲ

 繰り出され続けていた緑の槍戟を握り止め、その男は腕力で捩じ伏せた。

 

「--だらァァァッ!!」

 

 剛腕一閃、弾き飛ばされる緑。しかし浅い。まだ立ち上がり--眼前に迫ったソルラスカの剛拳を見た。

 

「まだまだッ--猛襲激爪!」

 

 引き裂かれて消滅していく緑、それを貫いての槍戟が彼を襲う。

 

「雷光の一撃……」

「うおッ、良いもん持ってやがるな! どんどん来やがれ!!」

 

 別の緑が振るう槍、穂先と石打の『ライトニングストライク』を受け流すは『流舞爪』。捌ききり、隙を見せる緑。好機に【荒神】に精霊光の煌めきが灯った。

 

「天の果てまでぶっ飛びやがれ、爆砕跳天噴!」

「この程度……」

 

 それを地に叩き付けて、周囲に衝撃を放つ。だが、緑の展開する強固な盾『デボデッドブロック』が巻き起こす竜巻に防がれた--

 

 炎に紅に染まった双刃剣が閃く。巻き込みからの斬り払いを屈伸運動で回避して、ルプトナは宙を舞う。

 そこを狙って、赤と青は同時に仕掛けた。

 

「その活力、燃やし尽くす」

「薄氷の如く、散れ」

 

 死すら厭わぬその突撃技。赤く熱する『ヒートパラライザ』と、青く凍える『インパルスブロウ』が交錯する。

 

「全方位に、死角無し! 流水の蹴り、受けてみろ!」

 

 その刹那、【揺籃】から水流が迸しった。

 

「大回転っ!」

 

 空中で繰り出された、垂直半月蹴り『サイクルオブウォーター』。その水刃はしなやかに、しかし鋭く青を両断して消滅させて--赤の防御『ファイアクローク』に阻まれて蒸発した。

 

「疾く駆けろ、灼熱のマナ」

「うわっ、いきなり?! バニーッシュ!」

 

 着地点を狙った、赤の炎の飛槍『ライトニングファイア』を打ち消し、着地する。赤は再度双刃剣を赤熱させ、ルプトナを狙う--

 

 自身の長身を生かして高みより振り降ろした、過重量の【夜燭】による剣撃『我流・虎破の型』や炸裂弾『エクスプロード』を繰り出すも、宙を泳ぐアギトには全く届かず避けられてしまう。

 その触角による電撃を避ける為に跳びすさったが、予想に反して飛び掛かってきたアギトの歯牙を【夜燭】を盾にする苦肉の防御技『バイオレントブロック』で受け止めた。

 

「野郎、図に乗りやがってッ!」

 

 力を殺し切れずに、押される。更には電撃を纏う触角が鞭のように振るわれて、掠るだけでも文字通り焼けるような激痛が走る。

 瞬間、感じる猛烈な殺気。背後より迫る青く濁った瞳、凍気纏う西洋剣。

 

「ハ、そんなに電気とか氷が好きなら気が済むまでくれてやる……遠慮は要らねェぞ、レストアス。最大出力!」

 

 呼び掛けに応えて、帯電し蒼く煌めく【夜燭】。脅威を感じたかアギトは一旦退くべく身をよじり--レストアスの零下の躯により剣と癒着してしまい、更に高電圧に思考の自由すら奪われた。

 

「電光の--」

 

 アギトと対峙する空は、八双の構え。かつてこの剣の主が得意としたモノ。

 久しいその感覚に、レストアスはいつもより昂った。

 

「--剣ッ!」

 

 反転しながら振り抜いた凍える雷刃の一撃。レストアスの一部が融合した、ほとんど一本背負いの如き大上段からの袈裟斬りは--

 

「重っ……傷……ここまで……」

 

 【夜燭】に噛み付いたままで、離れる事が出来なかったアギトを焼き殺しその主であるミニオンを神剣ごと纏めて両断した。

 

「ハァ、ハァ……蒲焼き一丁!」

 

 やっと一体を片付けて、同じく闘う二人を見遣った。そして思い知った、自分が一番苦戦している事実。

 力任せながらにミニオンを圧倒しているソルラスカと、実に華麗に舞い踊りミニオンを寄せ付ける事のないルプトナ。対して己は。

 

--結局、足引っ張ってるだけか俺は……!

 

 ギシリと、大剣を握る手に力を籠める。まだだ、まだ遣れると己を叱咤する--

 

『--クク……掛かったなマヌケェェッ!!』

「--ガ!?!」

 

 その一瞬の心の隙に『紅い闇』が殺到する。押し潰し、奪い去る為に。

 

『待ったぞ……待ち侘びたぞ! 【夜燭】を手にするこの時を! 【幽冥】が無く、契約者の居ない永遠神剣を手にするこの時を!』

「あ、ぐァァァッ!!?」

 

 流れ込む膨大な『聖なる神名』。その情報量は生き物が許容する範囲を逸脱している。

 

『奪う……お前を砕いて『オレ』がお前に成り代わる。そして今度こそ南北天戦争のケリをつける、あのヤハラギの【夜燭】のチカラを持ってな!』

 

 哄笑が響く。無数の鴉の啼き声じみたソレに、次第に空の意識は紅く塗り潰され--

 

"復讐の先になど……何も無い。永劫の空莫が拡がるのみだ。お前はこうは成るな、タツミ=アキ"

「--ッ!」

 

 耳に残るその声、眼に焼き付くその背中は--……

 

--余計な世話だ。俺は……俺の願いは神世の古から何一たりとも変わっちゃいない……!!

 

 握り締めた拳が、裂ける。滴る深紅に汚れた血、そこから--

 

「来い、レストアス--……!」

『グァァァッ! 貴様ァァッ!』

 

 蒼い稲妻が紅い闇を祓う。空の全身に纏わり付いたレストアスが血液にすら溶け込み、その身の内の神名を焼く。

 

「対抗策くらいは考えてあんだよマヌケ……それに、剣の世界でも言っただろうが……テメェの指図は受けねェ、俺は俺だァァッ!!」

 

 更に、流れ込む電圧が上がる。それはレストアスが認める空には影響を及ぼさない。

 しかし、神名の『躰』を持って現出した『神』には本来の威力を持った。

 

『クソッ……タレ……』

「ありがとよ……失せろ!!」

 

 『神』を追い落とし、眼前の敵を見据える。未だ健在の敵軍。

 

--躯はただ、遣い手……。

 

 【夜燭】を構え直し、雷の塊であるレストアスに『思考』という電気信号を読み取らせる。

 

--心はただ、鞘……。

 

 大気を熱と冷気、相反する二極を以ってゆらゆらと揺らめかせて。レストアスを身に纏う事で電圧によって神経の伝達速度を飛躍的に高める技、『エレクトリック』を行った。

 

--魂こそが、我が刃……!

 

 躯は灼熱し、心は氷点下。魂はその中点、零--!!

 

 地を蹴り、駆ける。その速度は先程の比ではない。凍えるように燃え立つ雷の塊であるレストアスの加護は、それ自体を纏った肉体のリミッターを外すという事でもある。

 だが、それは未だ人間の域……『巽空』という人間の実力の内。あくまで彼は、『彼自身の限界』しか出してはいない。人間が生理機能として持つ制限を解き放ち、火事場の馬鹿力を引き出しているだけだ。

 

「シャアアアアアッ!!」

 

 咆哮しながら飛び掛かるオロ。三股の顎を開き、ケモノと化した人間を食らい込む--!

 

「--覇ァァァァッ!!」

 

 オロの下顎の、二股に分かれたその真ん中に『我流・天貫の型』が叩き込まれる。

 空は飛び掛かるオロの下を駆け抜けながら--その長い躯を捌き斬った。

 

 研ぎ澄まされた神経は目に映るモノの動きを遅く見せる。生命の危機に陥った時に、全てがスローモーションに見える現象と同じだ。そして今の空は、それに思考と身体が付いていける。

 

「ピキィィィィィィ!!」

 

 その時、燃え盛るガンカの抱擁を受ける。しかし、驚愕したのはガンカの方だ。己の纏っていた焔がレストアスの稲妻に打ち消され、己が身が凍てついていく--!

 

 彼が身に纏うは氷河戦鎧『グラシアルアーマー』。物理的な防御こそ見込めないが、殊更対魔法に関しては絶大な防御を誇る。加えてその凍気は、レストアスであるが故に触れた敵の身を焼き凍らせる反撃効果を持つ。

 驚愕して逃げ出そうと藻掻いたガンカだったが、逃げる事叶わず完全凍結して地面に落ちる。そのガンカにも躊躇い無く、『我流・地裂の型』で【夜燭】の刃が衝き立てられた。

 

「--ッグ…!!」

「--カハッ!!」

 

 対峙していたミニオンの変調を悟り、ソルラスカとルプトナは空を見遣る。

 轟音とともに地に墜ちたオロと、両断されたガンカが消滅する。守護神獣……則ち『パーマネントエンジン』を破壊された緑と赤のミニオンの神剣が消えた。『奇跡を行使する神の剣』が無くなれば、『ミニオン』という『奇跡』も成り立たない。

 

 その二体は静かに素材と成ったマナに還って逝った。

 

「--極北の凍てついた雪風の刃、受け切れるかッッ!」

 

 凍雷を纏った【夜燭】を横一閃に薙ぎ払い、地面を滑る絶対零度の風刃『フューリー』で一撃で赤を屠る。そこから更にライフルを連射。飛翔する氷の刃『クロウルスパイク』を繰り出し、緑と白を針の筵の如くして消滅させた。

 空は都合、右に【夜燭】を担ぎ左にライフルを構えたスタイルとなる。

 

「ひゅー、やるじゃんアキ!」

「ヘッ、そう来なくっちゃな!」

「ハァ、ハァ……ク……元気だな、テメーら……!」

「業火よ、地を染めろ--」

 

 消耗しつつ合流し、三人で陣形を組む。刹那紡がれた赤の神言が--

 

「へっへーん! その程度、ボクには通用しなーいっ!」

「グッ! ああ……何故だ……」

 

 『アイシクルアロー』の三つの氷の矢により止められる。そして止めの一閃『ブレードフラッド』が胴を両断した。

 赤はまだ生きてこそいるが、死は避けられない。ドサリと地面に落ちると、ゆっくり消えていく。

 

「負けてらんねェな! 残り六体、突破するぜッ!!」

 

 吠えるソルラスカに、赤二体、緑に白と黒二体とその守護神獣が二体。形勢は此処に拮抗した。

 

「マナよ……」

「狙ってあげる。息の根、止めるからね」

 

 白がマナを練り上げ、赤二体が神剣魔法を唱える。黒が納刀した状態で腰を落とす。

 その構えの危険性を嗅ぎ分けて、赤を無視してソルラスカが突撃する。

 

「ぐァッ!!」

 

 しかし、黒の防御スキルである呪怨空間『カースリフレックス』により力を散じられ、無数の蝙蝠と化したウツツの攻撃を受けて彼は藪の中に跳ね返された。

 

「--狙いは良いか、レストアス……!」

 

 その黒に向けて衝き出された空の左腕に握られたライフル。

 蒼い稲妻を纏ったライフルから、文字通り雷光が迸しった。

 

「--ライトニングブラスト!」

「きゃはっ……最高……」

 

 撃ち出された凍雷の弾丸、圧縮されてプラズマ化したレストアスの一部を纏う銃弾。

 それを防御しようと、集合したウツツごと撃ち貫かれ焼かれた黒が消滅していく。

 

「見晒せ、クソッタレ……!」

 

 その一撃の後、空は【夜燭】を杖代わりに地に衝き立てた。遣い切ったのだ、『弾丸』を全て。

 文字通り身を削りながらの攻撃だ、レストアスにも限界がある。一度に大量に使えば最悪消滅する可能性すら有った。だがもしも、【夜燭】の守護神獣がレストアスでなければ。自在に自身を分割ができる、レストアスで無かったのならば。彼は、この一戦で死んでいた事だろう。

 

「グルォォォォォォッ!」

「くぅっ!!」

 

 その空に止めを刺すべく、飛び掛かって来た白のタテガミの爪牙を、訓練によって習得したダークフォトンの防御技『相対防御』で受け止める。自棄糞でタテガミを押し返して横薙ぎの『我流・竜撃の型』とその反転技『我流・竜撃の型・裏』を繰り出すが、素早く動くタテガミには当たらない。

 レストアスで限界値に上乗せをしていた空は、またも脆弱な人間の限界に戻っている。更に言えば、己の限界の向こう側を垣間見た反動で一振りごとに全身が軋みを上げていた。

 

 躯を熱していた素材が去って、やがて冷えゆく。心を氷点下まで冷やしれていた素が去り、やがて熱される--

 

「アキ、避けてっ!」

「--ッは……グォッ?!」

 

 と、ルプトナの叫びと共に胸部に衝撃が疾った。花開くような、黒マナの衝撃波は斜めの十文字。

 

「これは、苦悶の声を運ぶ風……痛い? 苦しい……? あはは、はは……きゃはははははは……」

 

 響く狂笑。消滅しながらも納刀していた刀を閃めかせた黒の--『真空剣』だ。

 

--オイオイ、マジかよ……風圧とかマジで……勘弁しろよ……。

 

 膝からチカラが抜けて、そんな事を考えつつ地に膝を突くとそのまま前に倒れる。

 その首を狙って、残る赤が首を跳ねようと『フレイムスイング』の燃え立つ双刃剣を振りかざす。だが、その間にルプトナが割って入った。

 

「--てやぁぁっ、一撃必殺!」

「ガ、ハッ……」

 

 ルプトナは【揺籃】の水の刃で受け止めた赤の双刃剣を脚の甲と裏で挟み込んで器用に跳ね飛ばし、隙だらけとなった本体に向けて『クラウドトランスフィクサー』を叩き込んだ。

 

「ライトバースト……」

 

 その刹那、白の神剣魔法の術式が成り立つ。対抗魔法の通じない、練り上げられ果てた炸裂のマナが全体に向けて解き放たれる。

 

「--よそ見してんじゃねェッ、テメェの相手は俺だァァッ!!」

 

 飛び出したソルのその神速は、『ファイナルベロシティ』。彼は、神剣魔法の術式履行までの一瞬の間にその僅かな空隙に決死の爪を刔り込む--!!

 

「防御する……」

 

 だが、阻まれた。白の展開する『オーラフォトンバリア』に。

 

「隙間無く、くれてやる!!」

 

 それでも止まらない。切り下げに、ストレートからのフック……乱打により、光の盾に微かな亀裂が生じる。

 しかし、余力は後一発のみだ。とてもではないが、どう足掻いたところで間に合わない--

 

「グルゥ--」

 

 そして持ち主の危機を察知したタテガミが、空に止めを差さずに後ろに跳び下がろうとして。

 

「……グ、ゥ?」

 

 薄い半透明の黒光の膜、立方体の箱状の檻の中に捕われている事に気付いた。

 

「--これなら逃げらんねェよな、ドラ猫……!」

 

 ユラリと立ち上がった空が発動していた、『相対防御』の内側に閉じ込められていたのだ。

 それこそ、この防御を発動した目的。守る為ではなく、攻める為に。

 

「手ェ焼かせやがって……けど、お似合いな末路だぜ」

「グ、グルァァァッ!」

 

 一歩一歩近づく毎に帯電して、より強くダークフォトンを纏っていく【夜燭】の放つ覇気に恐れをなしたのか。タテガミが、やたらめったらに暴れ出す。

 

「別に猫が嫌いな訳じゃねェが、悪りィな。俺はどっちかッてェと犬派なんだ」

 

 翻る爪や牙。だがしかし空間に固定されたその防護膜には、傷はついても砕ける事はない。

 

「--あばよ」

 

 そして、諦めの眼差しでそれを見ていたタテガミ。その元に悠々と辿り付いた空が大上段から振り下ろす『我流・空割の型』を元にした一撃『空間歪曲』を受けて、『相対防御』は刃の当たった部分が……ダークフォトンが当たった部分が空間を捩曲げられた事で刃を通して、その負荷でタテガミを両断する事を許した。

 

「耐えてみせろ--獣牙断!!」

「……光よ」

 

 神剣の象徴たる神獣を失って力を喪失した白は砕かれた盾ごと、完膚無き迄に打たれて。止めの、アッパーカットで打ち上げられたミニオンと同時に消滅する。

 発動前に神剣が消えた事により、幻想の術式は不履行となり消え果てた。

 

「……よぉ、やったな」

「……煩せェよ、話し掛けんな。死にそうだ……」

「右に……同じ……疲れたぁぁ」

 

 残ったのは立ち昇る色とりどりの燐光と、満身創痍の戦士達。

 

「てか空、お前一発貰ってたけど大丈夫なのかよ?」

 

 ソルラスカに問われ、空は不承不承身を起こす。胸には、僅かに朱く血が滲んだ十文字傷。

 そして--切断されたライフルを取り出して見せた。

 

「レストアスを通したからなのかどうか解んねーけど、何か一時的にゴーレムの機能が戻って剛性が上がったんだ。それに、黒もほぼ消滅してたからな……コレだけで済んだ。つっても、充分意識吹っ飛ばされたけど」

「運だけは良いよね、コイツ……えっと?」

「ああ、ソルラスカだ。『荒神のソルラスカ』」

 

 共に窮地を潜り抜けた者同士の連帯感。ソルは、空に肩を貸そうとして屈み込む--

 

「--灼熱の……マナよ……死の鉄槌を振り下ろせ……」

 

 残っていた満身創痍の戦士の、死に物狂いの一撃。蒸発しながらの燃え立つ『バーンスマッシュ』が繰り出された。

 

「「しまッ……!!」」

「え……?!」

 

 炎上する双刃剣は回転しながら屈んだソル、腰の立たない空--ではなく、彼女に背を向けていたルプトナに向けて飛翔する!

 

「破壊神の力、舐めるなよッ!」

 

 そこに少年は、樹間を跳躍して踊り出た。手には合体させて大剣型に変えた【黎明】を携えると、ルプトナを庇い立つ。

 

「カタストロフィ!!」

 

 その【黎明】を振り下ろして、双刃剣を粉微塵に砕きながら地に叩き付ける。

 強力な破壊のチカラは、大地を衝撃波として疾りながら隆起させ--

 

「どうせ、全て……灰に還る」

 

 赤ミニオンを呑み込み砕いた。

 

「……大丈夫か?」

「えっ、あ……」

 

 【黎明】を地面から引き抜いて、望は振り返る。視線の先には、尻餅をついてままで彼を見上げるルプトナ。

 

「……うん……」

「……そっか、良かった」

 

 眼差しに一瞬怯えた彼女だったのだが、目の前に差し出された掌と優しい笑顔。

 それに伏し目がちに、僅かに頬を染めて。そっと手を重ねた。

 

「……なぁ、俺と望の違いって何だと思う?」

「……何だ、薮から棒に」

 

 それを見遣りながら、蚊帳の外に追いやられている二人は言葉を交わす。

 

「いやだってよ、俺だってあんな感じで現れたじゃん。颯爽と駆け付けて危機救ったじゃんか。でも、俺に向けられたのは白い眼差しだけ。あんな感じにならなかったじゃねーかよ」

「気にすんなよ、俺も似たようなモンだった。詰まりアレだ……」

「何だよ?」

 

 空は両手を左右に開くと、掌を天に向けて軽く揺する。要するに『やれやれ』のジェスチャーだ。

 

「俺達は、何をどうやっても格好がつかない……『カマセの星』の下に生まれたのさ」

「そんな宿星要らねェェェッ!!」

 

 カマセ鴉の呟きと、カマセ狼の叫びは森閑に染み渡っていった。そしてその後、合流した神剣士達は口々に……

 

「また、ライバルが……」

「増えてしまったようですね」

「望くんったら……」

「「俺らの心配一切無し!?!」」

「……自業自得でしょう」

 

 捕虜となった空や、飛び出したまま戻って来なかったソルなどは眼中に無く。望とルプトナの二人が醸し出す雰囲気に口々に不満げな声を漏らしたのだった。

 

 

………………

…………

……

 

 

「……フン」

 

 座禅を組んで瞑想している男は、鼻白んだ。朱いマントと覆面を纏った、武士を思わせる筋骨隆々の偉丈夫。

 四方の開けた石造りの室内には、彼と数体のミニオンが存在するのみ。

 

「やはり練度が足りぬか……手駒とて質は重要だな。だが--」

 

 ミニオンの使役者である彼には判ったのだ、けしかけた数十体のミニオンどもがマナに還された事が。

 

「しかしまさか、本拠から連れて来た『ハイミニオン』共が五体も破壊されるとはな……」

 

 しかしまさか。この世界で製造したモノならともかく、『彼等』の本拠地から連れて来た強化版のミニオンまで敗れたのは意外。

 アレは下手な神剣士などよりも余程強力な存在なのだ。

 

「エヴォリアがムキになるのも、頷けるというものだ」

 

 立ち上がると、側に衝き立てていた長柄を握る。その刹那に膨れ上がる『闘気』。

 開かれた眼は、鬼神を思わせる威圧。引き抜いたは長大な薙刀。凄まじい存在圧を持つソレは紛れも無い『永遠神剣』。

 

「愉しみだ--久方ぶりに本気が出せる……!!」

 

 この世界に来て以来、初めての『戦』の気配に、彼は武者震いを覚えた--……。

 

 

………………

…………

……

 

 

 森の中、木々の間を歩く少年。諸肌を剥き出し、腰に黒い外套を巻いたバンダナの少年はまたもや巽空。

 違いは肩に【夜燭】を担ぎ腰に【幽冥】を挿している事。そして壊れたライフルを、スリングの紐で巻いて固定した物を持っている事くらいだ。

 

【やー、しかしアッキーが無事で良かったよねゼゥー?】

【五月蝿い、私に振るなっ!】

 

 その周囲を飛翔する五つの宝石、クリスト達だ。特に先頭の赤黒二人はやんやん五月蝿い。

 

「……イテテ」

 

 靴を履いてはいるが、ただ包帯を巻いただけの足ではやはり歩きづらいらしい。更には先の闘いで木の根や石を散々に踏み、大変な状態になっていた。

 

--闘ってる間は脳内麻薬を垂れ流してるから気付かなかったけど、こりゃひでぇ。

 

 惨憺たる有様という奴だ。一歩踏み出すだけでもじくじくと痛みが走った。

 

【タツミさん、大丈夫ですか? やっぱり治癒を……】

「いいよポゥ、見た目ほど辛い訳じゃ無いからさ」

【…………】

「うっ!? いや、別に嫌な訳じゃ無いんだ! ただそこまで大した怪我じゃ無いだけで」

 

 心配そうに眉をひそめたポゥの提案を断る。それに悲しげな顔をされてしまい、彼は慌てて両掌をわたつかせた。

 

【【……ぷっ、くすくす】】

「…………」

 

 そんな姿をミゥとルゥの二人に笑われてしまい、ムスッとジト目を向けた。

 

 一行は、歩み続ける。目指すは例の洞窟、戦装束が干してある洞窟に向かって。

 

「…………」

 

 その道々、思い出した。先程の--人間と精霊の話し合いを。

 

 

………………

…………

……

 

 

 握手していた手が、解かれる。一方は人、七三分けの眼鏡の男性ロドヴィゴ。ウルティルバディア市長であり人間の代表。この捜索に案内として参加してくれていた青年団を率いていた人物。

 もう一方は精霊、大きな頭部に大きな単眼の小人『ンギ』。精霊の長である。

 

 まだぎこちなかったが、彼等は一歩踏み出した。不幸な擦れ違いを認め合い、和解にはまだ時間が掛かるだろうが、歩み始めたなら何らかの解決を見よう。

 

「……じゃあ、ボクはこれで」

 

 断りを入れて、ルプトナは一団から距離を取る。そしてンギの側に立った。

 

「一緒に来ないのか?」

「……ボクは精霊の娘。ニンゲン達と協力するからってニンゲンの街に行く必要は無いだろ」

「そんな事は無いわ、ルプトナ。貴女にはお礼もしなきゃいけないしね」

「『お礼』?」

 

 皆--空を除く皆が、ルプトナに微笑み掛ける。それは優しい、温かな笑顔だった。

 

「貴女のお陰で、人と精霊が手を取り合えた。そのお礼よ」

「……っ!?」

 

 一瞬で、顔を真っ赤に染める。そう、この話し合いは最初、どう見ても決裂の様相を呈していたのだ。『精霊の領域を侵した開拓団は精霊に殺されたに違いない』と憎悪を向ける人間、そんな人間達を『野蛮で残虐』と卑下している精霊達は、互いに互いの言い分を聞く耳など持たなかったのだ。

 

 それを纏めたのが、ルプトナの言葉だった。

 

『そうやって見たくないモノから目を反らして、知りたくない事に耳を塞いで一体どうするんだよ! ニンゲンも精霊も協力しないとあのヒトモドキに勝てないんだ! 変わらなきゃいけないって、何でそんな簡単な事もわかんないのさっ!』

 

 その、一言。子供の、余りにも子供じみた物言い。

 だが、その言葉に。子供じみた理由でいがみ合っていた大人達は前を向かされたのだ。

 

「あれはその……そう思ったから言っただけだし」

 

そこで彼女は、ちらりと仏頂面の少年……空を見た。

 

「……どんな出会い方でも、言葉を尽くせばきっと解り合えるんだよ。それを教えてくれたヤな奴がいるだけ」

「……ハッ」

 

 苦いどころか渋い顔をする空。そのまま、付き合ってられないとばかりに荒々しく地に衝き立てていた【夜燭】を担ぎ上げると踵を反した。

 

「……忘れ物を取って来る。先に行っててくれ」

「一人でか? 危ないだろ?」

「ああ、独りで。それに今は装備も在るし、皆の手は煩わす必要も無いしな」

 

 『ついて来るな』と背中で語り、彼は一団から離れて行く。

 

【我々クリスト族が護衛します。ノゾム様達は、ロドヴィゴ様達の護衛をお願いしますね】

 

 そんな空の後を追い、クリスト達が飛翔していった。

 

 

………………

…………

……

 

 

【くふふ……いや、しかし惜しいどすなぁ。間に合っとれば何体分のマナを食えたか】

 

 と、脳内に響く声。茶化すかのような、しかし本気で悔しがっているようにも思える声。

 

(ハ、神剣の癖に召喚も出来ないテメェが悪いんだよ。全く、本当に頼りがいのねェ相方だ)

【うわひっどー、先ず何より悪いんは、あの爆乳巫女はんに負けた旦那はんやありんせんか! あの乳揺れに目を奪われて!】

(奪われてねェェ、気を取られただけだァァ!)

【あ~~れぇぇぇ~~……あべし、ひでぶ、いでぇよぉ~!】

【あーあ、アッキーまた投げた】

 

 枝に弾かれて石に当たり、泥水の中に落ちた【幽冥】から悲鳴が木霊す中、ワゥがそう呟いた。

 崖に穿たれた洞穴に辿り着いた一行。空は、入口脇に【夜燭】を衝き立てる。

 

「それじゃ、此処で待ってて貰えますか?」

【さっさと着替えてきなさいよ。見苦しくてかなわないんだから】

【え、そうですかゼゥ姉さん? 動き易そうで私は好きですけど】

【貴女だけよ、ポゥ】

「はは……」

 

 苦笑して歩み入る。仄暗い洞窟内を暫く進み、空は--壁に手を衝きながら漸く歩む。

 

--クソッタレ……レストアスを体内に容れた影響か。躯が渇いて堪らねェ……。

 

 雷のエレメントのレストアスは、水分を奪う。今の彼は、血液が流れているのが奇跡に近い程渇ききっていた。

 視界に入る、清澄な水。しかし生水には違いないし異世界の細菌に抵抗力が勝てるとも限らない。ただでさえ、疲労しきっているのだから。

 

「……クソッタレ」

 

 思考時間零、結論は『飲め』。全会一致で可決された、致命的な結論。明日はトイレの虜だな、と苦笑する。

 四ツ足で、ほとんど這いながら湧水に手を伸ばすヒトという名のケモノ。

 

 そして--空の口が水面に付くよりも早く、彼の首に提げられた黒い鍵剣の歪な刃先が水面に差し込まれた。その刹那、鍵剣が黒金の精霊光を発して。

 

「--え」

 

 その波紋の間に垣間見たのは、この世のものと思えない情景。

 

 薄明か、薄暮か。黒金の太陽と白銀の望月が同時に眺める狭間の時、幽明たる薄紫の境界。

 切り取られたように虚空と虚海の境界線に浮かぶ孤島、その外周を緩やかに廻る七本の柱。

 

『Hummm~~♪ Hummm~~~♪』

 

 清らかな唄に誘われて、意識が揺らいだ。抵抗する必要も無いと本能で理解できる、まるで眠りのような安息。

 そのまま空は、深遠よりも深い無間へと墜ちていった……。



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断章 月世海《アタラクシア》 Ⅲ
月の海原 濫觴の盃 Ⅲ


「Humm~~♪ Hummmm~~~♪」

 

 風が頬を撫でる。匂い立つ華の香を含む甘い春の野の風。その風に乗り、鼓膜を震わすハミング。

 

 刧莫と拡がった水平線、黒金の太陽と白銀の望月を同時に望む、青紫の虚空と虚海の境界に浮かぶ孤島。その外周を、緩やかに周回する七本の石柱。

 

「……此処は」

 

 背を預ける樹の幹ら、捻れ逢い一ツとなった連理の大樹。右の枝には片翼の、紅い瞳の鷲。左の根には隻眼の、蒼い瞳の蛇。目前の華園には翡翠の瞳の幽角獣が躯を横たえて休む。

 

 天には雲が棚引き、白凰が飛ぶ。地には草が流れ、深い海淵に黒龍が泳ぐ。果てし無く吹き渡る風にそよぐ、葵い草木。それを育むのは何処に源泉が在るのか、地を潤す湧水の流れ。

 

 天を向けば--捻れた木の幹に挟まれた一振りの刃。深い瑠璃色の、まるで生命を育んだ劫初の海を思わせる両刃を望んだ。

 

「……あ」

 

 と、息を詰める声。ゆっくり右に顔を向ければ見詰め合う、魔金の瞳。

 刹那、袱紗を解いたように綻び、溢れ出す記憶。滄海い少女との邂逅が。

 

「……アイオネア……?」

 

 今度は逃げ出さず微笑みかけた彼女。右瞳は魔金、左瞳は聖銀。膝下まで有る髪は滄海く、それを隠すように被る暁晃を切り取った修道帽。その頭上に戴くは、繚乱たる花冠。

 白磁の肌に纏った夜闇の融けるカソックと胸元の緋焔をあしらう至聖女。そして首元の白銀の錠盾のチョーカー。何より、その身に纏う儚げなオーラが本人の証明。

 

「はい……はいっ、あふっ!?」

 

 "刧媛"は空の呼び掛けに応えて慌てて出て来ようとして--大樹の根っこにつまずいてしまい、顔から『ずべし!』と倒れ込んだ。

 

 その余りの勢いにクロブークとカローラが外れて、髪の間に尖り気味の耳朶と二股の小さな龍の角が覗いた。

 『火』と『破壊』の象徴であり暴力と凶兆を表す西洋の"竜"とは違って、『水』と『生誕』の象徴であり慈悲と吉兆を表すの東洋の"龍"の角だ。

 

「いたた……よかったぁ……あ」

 

 だが何とか、両手で支えていた聖杯は落とさぬように守り抜いていた。安堵して溜息を零すが、彼の視線に気付いて、真っ赤に茹で上がる。

 慌てて身なりを調えてから彼女はその盃を捧げた。

 

「お、お待ちしておりました……兄さま……宜しければ、どうぞ」

 

 水鏡が映すは双世樹に穿たれた虚、聖盃の納められていた聖櫃。樹の合間より衝き出した--限り無く深い、滄の刃。

 底知れない、ラピス=ラズリの『ディラックの海』へと。永遠に寄せては返す波の如く波跡を刻み続けるその幻想の刃と、そこから『零《こぼ》』れた透明の雫は。

 

「ああ……っく」

 

 受け取ろうと試みるが、やはり傷だらけの上に渇ききった空の躯は動かない。媛君は以前と同じく彼の前に膝を付いて--盃を口許へ傾ける。

 

「--ん、ンク……ンク……」

 

 渇いた喉を滑り落ちる水。その甘《うま》さは、気のせいか以前より更に磨きが掛かっているように感じられる。

 

--そうだ、他の水じゃちっとも癒されなかった。俺の渇きは……この水じゃなきゃ潤わなかった。

 

「ふぅ……有難う、アイオネア。甘かった」

「あ、有り難うございます……」

 

 全て飲み干された聖盃は、彼女の慎ましやかな胸元に抱かれた。

 渇きが癒えクリアになった意識、周囲を見渡せば……心なしか、以前より霊獣達の距離が近い。

 

「久しぶり……か。何でだろうな、今までずっと忘れてたよ」

 

 苦笑いして見せる。こんなにも特徴のある人物を忘れていたなど、今まで無かった。少なくとも、『覚えている限りでは』。

 

「えっと……わたしは、永遠存在《エターナル》と同じですから。だから兄さまがわたしの事を気温に残していらっしゃらないのも、仕方ない事なんです」

「エターナル……?」

 

 聞き覚えの無いその単語に、首を傾げる。否、どこか引っ掛かるものが有るその単語に。

 そして、気付いた。感じていた違和感の正体に。

 

「……ってか、『兄さま』?」

「はうっ!? ご、ごめんなさい、アキ様! つい……うぅ~~」

 

 恐らくは転んだショックが強くて意識から外れていたのだろう、指摘されて真っ赤に染まる少女。カソックやクロブークで確認できないが、首筋まで朱に染めているだろう事は想像に難くない。

 

「はは……良いよ。俺、一人っ子だからそういうの憧れてたしな。アイオネアみたいに可愛い妹なら、尚更大歓迎だ」

「あうぅ……ぐすっ」

「うっ……悪かった」

 

 クロブークの上から撫でられて、照れに照れた彼女は遂に涙すら浮かべて俯いてしまう。大人しいこの子にとっては意地悪が過ぎたかと、少々反省した。

 

『『『『『…………』』』』』

 

 何より、スンスンと鼻を鳴らす媛君の背後からの霊獣達の威圧が半端なものではなかった。

 その宝石の瞳からは、強いマナの気配。外界に働き掛ける何らかの力、則ち『魔眼』である。その気になれば、空をどうにかする事も容易かろう。

 

「くすん……ところで、兄さ……アキ様はどうしてまた怪我をしていらっしゃるんですか?」

「え? あぁ……ちょっと色々とあってな。でも、助かったよ」

 

 そこで一拍間を置いて、暗殺者は媛君を真摯に見遣る。琥珀色の真っ直ぐな瞳に見詰められた彼女は、恥ずかしげに顔を隠す。

 

「あの力は……ダークフォトンは、アイオネアがくれたモノなんだろう?」

「あぅ、は、はい……『月下界』は危ないところだって、お母様がおっしゃられたから……」

 

 どんな想像をしたのか、媛君は心配そうに空を見て……空の露出の多いその格好を今更直視した事で一層真っ赤になると、両掌で顔を覆って俯いてしまう。

 

「で、ですけど……わたしの力はあくまでも『可能性』ですから。掴み取れるかどうかは、アキ様のなされた努力次第になるんです。ですから、あれは正真正銘アキ様のお力です……」

「そうなのか……でも、何にしても切欠になるその水が無かったらどうしようもなかったんだ。本当に有難うな」

「うぅ……あの、月下海はそんなに危ないところなんですか?」

 

 まぁ、指の隙間からちらちらと金銀妖瞳が覗いているのは、モロ分かりだったが。

 

「うーん、まぁ、楽ではないな。でもそれは、生きる限り仕方ない事だろ。何しろ、生きるって事は苦しむって事なんだから」

「でもアキ様は……何だか、楽しそうです」

「ああ、そうだな。確かに苦しいけど--」

 

 そんな視線を感じながら、彼は琥珀色の三白眼を細めた。その瞳が見詰める先は、境目の見えない空と海の間。

 

「--あっちには、放っとけない奴らがいるからな」

「放っておけない人達……?」

「ああ……馬鹿で、お人よしで、俺みたいに性格の悪い奴が居ないと騙されまくりそうな奴らだよ」

 

 ハハッ、と苦笑いした空。その脳裡に浮かぶ--捻くれていて、意地が悪く、吝嗇で、悪党の自分すらも受け入れてくれた者達。

 

--そうだ、そうだな……アイツの言った通りなんだ。悔しいけど、確かに……。

 

「言葉を尽くせば、分かり合えるのさ。生まれや育ち、思想や矜持が違おうとも……分かり合う気が無いとか、諦めちまった以外で。言葉を尽くして分かり合えない筈が無い」

 

 その思考、敵を殺して我が意を通す彼の生き方とは全くの正反対の極致。

 だが、それでも。

 

--それでも……誰も殺さないで良いのなら。皆が笑顔で居られるような結末が有るのなら。

 そんなに理想的な事なんて……そんなに素晴らしい事なんてのは、他に無いんだから。

 

 それでも『生命を軽んじているから』ではなく、『生命の重さを知るから』こそ。『殺す』事で、自らの大事なものを守り抜く……己の信念を揺るがぬように固める、彼だからこそ。

 そんな『言葉』は、何よりも。甘過ぎて反吐が出る故に、何より護りたいモノだったのだ。

 

 そこで、意識が遠退き始める。タイムリミットだろう。

 

「……いいな」

 

 耳に届いたのは、そんな呟き。媛君が漏らした、そんな声。

 

「わたしも……兄さまに、そんな風に言われたいです」

 

 夢見るように、希うように。唇から紡がれたその言葉。

 

「それなら、一緒に行くか。誰も反対なんてしないって、さっきも言った通り--基本、莫迦ばっかだからな」

「ふぇ……?」

 

 それは何の気無しの一言だった。しかし、その一言は。

 

「あ、あの、その……それって、その……もも、もしかしてわたしと、け、契約を……!」

 

 『永遠神剣』である彼女には、そう取れる言葉でもあり--

 

『『『『『----オォォォォォォォォォ!!!!!!!!!!!!』』』』』

 

 媛君の忠臣達が、横槍を入れるくらいに上手くいきそうな雰囲気だった。

 その五つの咆哮と全く同時に、天上海を吹き抜けた一陣の颶風。吹き散らされた花弁と草の波、風を切る枝の葉鳴りと吊された無数の風鈴の音に彩られた樹の下で。

 

「……あっ……」

 

 媛君が再び瞼を開いた時、もうそこには誰の姿も無く。

 

「……兄さま」

 

 媛君が寂しげに呼び掛けた人物の代わりの如く、壊れたライフルが転がっていたのだった……



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第三章 精霊の世界《エルフィ・ティリア》 Ⅱ
鬼神 来たりて Ⅰ


【--所有者《オーナー》、そろそろ気付いて頂きたい】

(……ん?)

 

 安息にたゆたっていた空の頭の中に響いた声。凛と張り詰めた氷を思わせるそれは。

 

(……誰だ、お前?)

【……ああ、失敬。こうして言葉を交わすのは初めてでしたね。私です、レストアスです】

(--!?)

 

 その怜悧な一言は、それなりの衝撃にて彼の脳味噌を揺らした。それもその筈だ、契約した覚えは無い。それなのに何故--と。

 

【ご心配には及びません。契約を結んだのではなく、単にオーナーの脳内に残してある『我が一部』を介して、ユメを操っているだけです】

(……それって、副作用とか無いだろうな)

【さぁ、こんな事をしたのは今回が初めてですし。電圧を間違えば頭部が弾けるくらいでは?】

(どっかで聞いた事有るぞその技……なんか命握られてるだけの気がしてきたんだがな、俺は)

【オーナーが盟約を破らなければそんな事にはなりません。それと、その盟約について交渉したい】

 

--命を握っての交渉ね……さて、どんな難題を吹っ掛ける気だ?

 

(……何だ? 言ってみろよ)

【--まず第一、私の『願い』についてです。私がオーナーに力を貸す代償に求めるのは……復讐】

 

 ぴくりと、空の精神が反応する。余りに聞き慣れた言葉に。

 

【その相手は二人。我が主の宿命を弄んだ二人の神、"欲望の神"と"伝承の神"に復讐する事……】

 

 覚醒前の脳髄まで冷え切る殺意。怒りの余り、力を抑え切れなくなっているのかも知れない。

 

(……その『主』の最期の言葉を聞いてなかったのか?)

【--余計な台詞は聞きたくない。貴方は是か非か返答だけすれば良い】

 

--さて、これ以上煽って脳味噌パーンは流石に嫌だ。だが、そうか……

 

(--オーケー、そりゃ丁度良い。俺も"欲望の神"と"伝承の神"には借りが有る)

 

--そうだ、あの狒々爺どもには神世で嵌められちまってた。その借りを返してやらなきゃ、俺の気が済まねェ!!

 

【交渉は成立しました。オーナー、感謝する】

(利害の一致だろうが、礼なんざ要らねェよ)

【では、続いて第二】

(--ッて、まだ有るのかよ)

【有りますとも。第二条件は単純です、【夜燭】の定期的な手入れを義務付けます】

(……何? 手入れ?)

【ええ、手入れを。最低でも一日一度。更に戦闘一回毎にも手入れを要求します】

 

--何だよ、それは? いきなりリーズナブルに成ったな……まぁ俺の装備は手入れが必要だから、今更剣が一本くらい増えても良いけど。

 

(オーケー、お安い御用だ)

【感謝を。良い取引でした】

 

 声が、去っていく。同時に安堵した空は--苦笑した。

 

--それにしたって、クソッタレ……妬けるねェ、神剣士と神獣の『絆』ってのには。死んだ主君に操を立ててレストアスは復讐の道を選んだんだ。主の遺志に背いてまでも。

 

(……ハ)

 

 そこで、自らの永遠神剣を思い出す。『絆』等という言葉から、最も縁遠いその関係を。

 

【そうだ、忘れていました。オーナー、最後に一つ聞きたい】

(あん? 何だよ)

 

 恥ずかしい思考を行った為か、ぶっきらぼうにそう答える。だがレストアスは歯牙にも掛けず--

 

【オーナーは驚かれていましたが、遣り方は違えど【幽冥】という神剣も私のようにオーナーと会話しているでは有りませんか】

(--は?)

 

 その、決定的なまでの『綻び』を告げた。

 

(待て。莫迦言うな、カラ銃とは契約してるんだぞ? それじゃあまるで--……)

【……契約も何も、オーナーの魂は真っさらの無銘ですが】

 

 サッと、血の気が引いた。その『可能性』に気付いて。

 

--いや、目を逸らしていただけだな。本当は、気付きかけていたその『可能性』から。

 

【……そうですか。いや、恐らく私の勘違いでしょう。失礼】

(レストアス……それは俺が許すまで心奥に仕舞え。絶対にアイツには悟られるな)

 

 有無を言わさぬ強い口調。だが、その声は震えていた。怒りか、それとも--

 

【了解、オーナー。佳いユメを】

 

 そう断りを入れると、今度こそ『剣神の義臣』は去って行った。

 

 

………………

…………

……

 

 

「ん……?」

「お、馬鹿者が目を覚ましたぞ、ノゾム」

 

 揺り篭のように心地好い温もりと振動に、空は微睡《まどろ》みより覚醒する。

 開いた目に映るのは茶色の髪の後頭部と、その上に不機嫌そうに鎮座する小天使。そして--

 

「目、醒めたか……空」

「……望……お前」

 

 振り向いた碧瞳。自分を背負いながら優しく微笑んだその少年に、空は--

 

「--何さらしとんじゃあッ!」

「ぬわぁぁっ!?」

 

 がつーーん、と猛烈な勢いの頭突きをカマした。因みにレーメは上手く空中に避難して無事だ。

 

「イッタ!? 何すんだよ空ッ」

「こっちの台詞だ! つか降ろせ、恥ずかしい! 男を負ぶって、何が楽しいんだテメーは」

 

 バタバタと暴れる空に、体格で劣りつつも神剣士である望は不動。腰に挿した二刀【黎明】は伊達ではない。

 

「駄目だよ、空くん。これは、罰なんだから」

「……罰ッて?」

「決まっています。また皆の気を揉ませた罰ですよ、巽」

「う……」

 

 見渡せば、周囲は他の神剣士や青年団の姿。一様に怒りや苦笑といった表情を浮かべている。

 

--というか、一部の……いや、ほぼ全部の女性から、羨ましげな視線を向けられてる。いやそんな目されてもな……

 

「ミゥ達から、お前が倒れたって連絡が有って迎えに行ったんだ。手間ばっか掛けさせんな、お前はよ……」

「全くね、調子悪いならどうして誰にも言わないのよ。痩せ我慢をした挙句倒れるなんて、格好悪いにも程があるじゃない」

「うぐ……」

 

 話し掛けてきたのは【夜燭】を肩に担ぎ、武術服を小脇に抱えたソルラスカとタリア。負ぶされたままの空は眉をひそめながら罵倒に甘んじる。

 

--そうか、そういえばそうだったっけか……あれ?

 

 はっきりしない記憶を漁るも、どうしても要領を得ない。クシャリとくせ毛の髪を掻いてみたが、結果は勿論変わらなかった。

 

(レストアス、俺が洞窟に入った後の事は観てたか?)

【……申し訳ない、オーナー。私も休眠から目覚めたばかりです。それからオーナーに語りかけたので……それ以前は承知しかねる】

 

 随分と消耗していたのだろう、休眠して回復したらしい。

 まるで、錠前でもされたように鎖された記憶。そんな事を考えた為か、何気なく胸に手を遣り--鍵のペンダントに触れた。

 

『「私の名前は、■■■■■です。永遠神剣■位【■■】--…』

「ッ--……!?」

 

 刹那に幻視したステンドグラスの一枚絵のような風景。

 薄紫に霞む狭間、捻れた双樹、酒月を充たす澪水き、深滄の柄、虹色の--"蝶"。

 

--忘れてる……? 俺は何か、大事な事を……忘れているんじゃないのか……?

 

「……空。頼むから、もっと俺達を頼ってくれ」

「……は、『頼る』?」

 

 現状すらも忘れて思考の大海に沈み込もうとした空。だがそれを、望の言葉が引き戻す。

 

「ああ、頼ってくれ。俺達は一人でも欠けちゃいけないんだ。例え戦いに勝ったところで、一人でも『家族』が欠けたら……それは、負けたのと同じなんだ」

「…………」

「分かるよな。『家族』には役割は在ったって上下貴賎なんて無い。『家族』が手を取り合うのは、『組織』みたいに『上手く廻る』為にじゃない、『支え合い、共に乗り越える』為なんだ」

 

 茶色の髪の後頭部を見詰める。脚を支える望の腕に篭るチカラが増したのを感じ取る。

 

「--信じられないなら、周りを見渡してみろよ。お前を助ける為に、此処に居るだけでもこれだけの人達が必死になるんだ……!」

 

 視線を巡らす。すぐ横の希美とカティマ、浮遊するレーメ。右後方にソルラスカとタリア、前方からこちらを伺う沙月とルプトナ。左側にミゥ、ルゥ、ゼゥ、ポゥ、ワゥに青年団と長のロドヴィゴ。

 

「--判ってる……これからは、迷惑掛けないように善処するさ。済まない、本当に--」

 

 『頼んでねぇよ』と言う為に、口を開いた筈だったのに。まるで苦虫でも噛み潰したように、奥歯を噛み締めて切々と。

 脆弱なニンゲンである劣等感。何をやっても最終的には神剣士に尻拭いされている劣等感からだ。

 

「本当に済まなイデェあ!?」

「--馬鹿ね。本当に馬鹿だわ。ちっとも判ってないじゃない」

 

 そんな彼に鋭い裏拳をカマして、ぽつりと呟いたのは沙月。

 

「あが……か、かいちょ……?」

「あのねぇ、当の昔に迷惑なんて掛けられてるのよ、こっちは」

 

 心底呆れたように腕を組んで。はぁ、と一つ溜息を落として。

 

「だから今更、迷惑が一つや二つ増えたところで構やしないわよ。それどころかこうやって迷惑の種を増やされる方が迷惑よ……遠慮なんて、『家族』同士でしないでちょうだい……いいわね?」

「……すみません」

 

 『雇用主』だった筈の彼女が、そう告げた。

 それに空は、バンダナ代わりの腰帯を赤くなった鼻まで下げて。

 

「ごめん、皆……有難う」

 

 口をついて出たのは、ひた隠しにしている心の奥底から湧き出た『本心』だった。

 一同は……特にこの世界の出身である者達以外が微笑む。珍しく本音を漏らした彼、意地っ張りで跳ねっ返りの少年に向けて。

 

「……ふふっ。何だかそうしてると……昔を思い出すね」

 

 微笑みながら希美が口を開く。懐かしそうに目を細めて遠い昔日を偲ぶ。

 

「望ちゃんとくーちゃんが仲良くなった、あの日みたい」

【【「「くーちゃん?」」】】

「--ッ!? ちょ、希美……勘弁してくれ!」

 

 希美の一言に、一瞬で赤く沸騰した空。先程より余程暴れ始めるも、やはり望は不動だった。

 

「望、『くーちゃん』って何?」

「あぁ、空を昔そう呼んでたんだ。俺達の世界の言葉では『空』って『くう』とも読めるから」

「止めろォッ! 解説すんな!!」

「うわ、似合わない……」

「『くーちゃん』ですか--ぷっ……クスクス」

 

 意味を尋ねるルプトナ、実に的を得た感想を述べたタリア、堪え切れず笑い始めたカティマ他。

 空は遂にグーを連続で繰り出すも、レーメが展開した望の後頭部の『オーラシールド』により全て防がれた。

 

「あ、先輩。わたし、今回の罰はこれからしばらくの間は空くんをくーちゃんって呼ぶ事にします」

「ホント勘弁してくれ、希美! この歳でちゃん付けなんて死ぬ程恥ずかしい!」

「空……それって今尚ちゃん付けされてる俺が死ぬ程恥ずかしい奴だって言ってるのか?」

「……フッ」

「……希美、俺もそうする」

「お、そりゃいい。俺もそうするか」

「何でテメーにまで仇名で呼ばれなきゃいけねーんだ! 絶対呼ぶんじゃねーぞ、もし呼んだら差し違えてでも魔弾撃ち込む!!」

「じゃあ、希美ちゃん達はそれで決定ね……私は--」

 

 沙月はニヤリと、底意地の悪い笑顔を浮かべた--

 

 

………………

…………

……

 

 

 ウルティルバディアの港に漸く帰り着いた神剣士一行。そこに、待ち侘びていた三人が走り寄る。

 

「おぉ巽よ、捕まってしまうとは情けないゴッ?!」

「……」

 

 開口一番で、どこぞの爺さんのような台詞を吐いた信助。そこに空は黙って掌底を打ち込んだ。

 

「その人がルプトナさん? ……っていうか巽、その恰好は何? 恥ずかしくないの?」

「うわわわっ、何!? コイツ、何してんの?!」

「…………」

 

 パシャパシャとルプトナに向け、シャッターを切りながら問うた美里。盾の代わりにされた空は、やはり無言でカメラ小娘にジト目を向ける。

 

「巽君! 全く君は……前の世界でも行方不明になったでしょう! 自重しなさい!」

「……ッすみません、先生……皆も、本当に申し訳無い--」

 

 珍しく静かに謝意を示して彼は何度も唇を震わせ、何度も歯噛みして。

 

「……で、ござる」

「「「……は?」」」

 

 何か、致命的に間違った語尾を吐いた。

 

「--ぷふっ! くくく……!」

 

 同時に大爆笑を始めた斑鳩沙月生徒会長。神剣士達も一様に忍び笑いを漏らしている。

 

「巽君……ふざけてる?」

「先生……拙者、こんな悪巫戯化しないでござるよ……これは罰則なのでござる」

「ぷくくく……ズッコケ忍者には相応しい言葉遣いでしょ?」

 

 背中越しに笑われ、早苗達からは呆れた視線を向けられて。

 

「--何時! 何処で! 拙者がズッコケたでござるかッ!」

「ズッコケてるじゃない。たった今、此処で、現在進行形でね……『くーちゃん』?」

「一思いに殺せでござるゥッ!」

 

 暮れなずむ街に、悲哀に満ちた鴉の鳴き声が響いたのだった……

 

 

………………

…………

……

 

 

「……まぁ元気出せって。生きてりゃ良い事あるさ」

 

 一行から少し離れた港の端っこに体育座りで『の』の字を書き、いじけている空の肩に手を置いて慰めるソルラスカ。

 

『何かイメージ通りかもズッコケ忍者』

『だな、ズッコケ忍者。ピッタリだ』

『ちょっと、二人とも。本人が気にしてるんだからあまりズッコケ忍者ズッコケ忍者言わないの……ぷっ!』

 

 ……等と言われた結果だ。もしダンボールが有ったら被っていたかもしれない。いや、被っていただろう。

 

「そうだ空、酒いけるか? こういうのは呑んで忘れようぜ」

「剣の世界でクロムウェイさんに貰った銘酒があるでござる……」

「お、いいねぇ! そんじゃ今晩お前の部屋に行くぜ」

 

 ソルラスカのその言葉に、普段の空ならば『来るな暑苦しい』と返っただろう。

 

「……好きにすれば良いでござる……拙者もう、疲れたでござる」

 

 だが今の空には、そんな余力は残されていなかった……

 

「--そんな、今晩と言わずに今すぐ呑《や》りましょうよぉ~。異世界の銘酒なんて聞いちゃあ、黙ってらんないわ~♪」

「うぐわッ!? 何するでござるッていうか誰でござるか御主!?」

 

 と、そんな彼の背に負ぶさった者がいた。二つの『核弾頭級』がたゆんと押し付けられ、思わず空は真っ赤になって悲鳴を上げる。

 振り返った視線の先には、何と言うか露出の多い、紅いショートカットの美女。

 

「「「ヤツィータ?!!」」」

 

 その人物に向けて沙月とタリア、ソルが揃って声を上げた。

 

 

………………

…………

……

 

 

 宵の口に入ったばかりの大樹の町を包む、薄暗がり。家路を急ぐ人々がその存在に気を止める事は無い。

 

「どうやら動き出すようですね。それなら私も動かないと」

 

 茜色に染まる天を見上げて愉しそうに独りごちる、小柄な黒髪の少女。その結わえた髪には--

 

「さあ、小休符は終わり。楽譜に沿って『演奏』再開です、巽さん……ふふふ」

 

--シャン……

 

 鈴の、髪飾り--……

 

 

………………

…………

……

 

 

 幻灯の太陽達が地平線から顔を出した頃。揺らぐ天の下に座する物部学園の中庭、トネリコの木の下に少年は立っていた。

 

「…………」

 

 武術着に身を包み目を閉じて、自然と一体化した明鏡止水の極致。草いきれや呼吸音すらも騒音と取れる程に張り詰めた空気。

 腰を落として【夜燭】を構え、刀の届く範囲は余す所無く殺界。

 

 天を行く雲の如く、或いは地を流れる水の如く、防御に主観を置きながらも素早く攻撃に対応する。剣の世界から更に鍛え上げた、反撃剣『先の先』。

 刹那に吹いた風が、トネリコの枝を揺らす。それに葉が落ち--

 

「--ッ!!」

 

 風斬り音は六度。振るわれた剣の斬先、湾曲した【夜燭】の斬先には--三枚ずつ、葉が刺さっていた。

 

「……ふぅ」

 

 【夜燭】を振って葉を落とすと、トネリコの樹に立て掛ける。木の根本に置かれたペットボトルのネジを切って、水を含む。

 大して美味くもない、ミネラルウォーターを。

 

【……くふふ、大分様になってきあんしたなぁ。前は、落葉の一枚すら斬れへんかったのにぃ】

 

 と、脳内に響く軽い声。道化のようにおちゃらけた物言いは、腰に挿した暗殺拳銃【幽冥】から。

 

(煩せェな、放っとけ)

【あれま、荒れはって。あの小銃を失くしはったからってぇ】

(ふん……俺は日本人だからな。壊れたから捨てるなんて勿体ない事は、考えられもしねぇんだよ)

 

 どっしりと座り込むと、背を木の幹に預ける。脇に置いてある本は--武術の教本、そして地に衝き立てた【夜燭】。

 

【いやしかしぃ、旦那はんも段々と強うならはりましたな。始めに『契約』した時は、大丈夫なんか心配で堪らへんかったんどすぇ】

 

--『契約』ね……

 

 一瞬、抱いた殺意を押し隠す。まだ、悟られる訳にはいかない。その為にレストアスにもあの会話は暫くしないように告げてある。

 

(……なぁ、カラ銃。俺とお前の関係は何だ?)

【へぇ? 何て……そないなモン、決まっとるやありんせんの】

 

 主の問いに、【幽冥】から流れ込む声はいつも通り。飄々と軽く、巫戯化て戯れるように。まるで、『愛してる』とでも囁くように軽く--

 

【--引鉄を引けば、神をも殺す『銃』と、ソレを引く為の『指』どすやろ。それ以外にわっちらの間に何がありますのん?】

 

 『裏切ったら殺してやる《あいしてる》』と『偽臣』は嗤った。

 

「--ク、ハハ……! そうだ、そうだよなぁ、それでいい……」

 

--何を感傷的になっていたのか。俺達は利害の一致で結び付いたんだ、だったら……これが本来、在るべき姿だろうに!

 

 それに、彼も嗤う。口角を吊り上げ、愉快そうに痛快そうに。

 

【ところで旦那はん、旦那はんも『必殺技』が欲しいところや思いませんかぁ?】

(はぁ? 『必殺技』?)

【そう、必殺技! 古来より苦境を突破するための切り札! 旦那はんに足りへんのはソレどすわ】

 

--必殺技ねぇ……まぁ、確かに【幽冥】の魔弾や【夜燭】の剣技はカラ銃やレストアスが居ないと、使えないどころか成り立ちさえしない。そんなのは『技』ですら無いだろうな……。

 

 ペットボトルのネジを締めて、立ち上がる。ゆっくり目を閉じると、徒手のままで構えを取った。

 

--そうだ、『必殺技』と言えば……

 

 

………………

…………

……

 

 

 ……遡り、数年前。

 

--シネシネシネシネ……

 

 アブラゼミが盛夏を唄う、厭味なまでに晴れ渡った暑い夏の天木神社の境内。

 そこに夏だというのにかっちりと巫女装束を着た女性と、宮司の装束を着せられた金髪の少年の姿が在った。

 

『よく此処まで頑張りましたね、空さん。これで基礎の基礎は完成しました』

『……わ、わーい、やったー』

 

 白々しく喜んだ少年……日盛りの中で竹刀を片手に、焼けた石畳に倒れ込んでいるのは、少し若い頃の巽空その人。もはや汗だく、熱中症の一歩手前の状態だ。意識などさっきから数度飛んでいる。

 

『お祝いに、貴方に『必殺技』を授けましょう』

『……は、必殺技ですか?』

 

 対する倉橋時深の方は、アイスキャンディーを舐めながら日蔭で涼んでいる。同じ運動量を熟してこの余裕。

 しかし今日はマシな方。昨日は木刀、その前など薙刀だったのだ。勿論彼女の独壇場。

 

『ええ。倉橋家の秘伝……本来は門外不出の、一子相伝なのですが……貴方になら良いでしょう』

『--あ、ありがとうございますっ!』

 

 何時に無く真面目な物言いに、巽少年は何とか起き上がる。まぁ、なんだかんだで彼は時深をこの上なく尊敬しているのだ。

 

 食べ終えたアイスキャンディーの棒を置き、ゆっくり立ち上がる時深。

 時深は両手を天地に向けて衝き出し、しばし瞑想して--

 

『往きます、空さん--これこそ--』

 

 その手をゆっくりと、太極拳のように円を描いて動かし--

 

『--ゴクッ!!』

 

 期待に満ちた目で彼女を見遣る空。その期待に応え、彼女は腕を--交差させた!!

 

『--これこそが倉橋家秘伝……『スーパーアマテラス光線』!! びびびーー!!!』

 

 

………………

…………

……

 

 

「--アンタの教えなんざ真面目に思い出そうとしたこの俺が莫迦だったわァァァッ!!!」

【何がどすの~~ん! あべし、ひでぶー!!】

 

 怒りを乗せて、【幽冥】を全力投球。以前と同じく、ブーメランよろしく回転しながら遠く飛んだ【幽冥】は砂場の上に設置されている競技用の鉄棒にぶち当たり、『くわーん』と良い音色を立てて逆回転し、砂場に衝き刺さったのだった。

 

「ハァ、ハァ……あー、すっきりした」

 

 一先ず意趣返しに成功した彼は、その手で【夜燭】の柄を握る。途端に電流が流れ込み、脳と回路を繋げた。

 

【……しかし、オーナーも大変な事だ。あんな厄介な存在に疑念を抱かれぬように策戦行動とは】

 

 くくく、と笑い声じみた意志を流し込んだレストアス。そんな彼(彼女?)に、不快を示す意識を送り--八双の構えを取る。

 

--単純明快、それ故の難攻不落。神世に、『南天の剣神』とまで称された『その男』の構え。

 『その男』の歩んで来た人生の集大成。それこそが巽空の知る内で最も優れた『必殺の剣戟』。

 

【--……】

 

 レストアスが息を詰める。最も身近でそれを見続けてきた存在は何を思うのか。

 

「--ッ!!」

 

 一閃。逆袈裟斬りの壱ノ太刀は彼の顔面を狙った初弾を斬り砕き--

 

「チッ!」

 

 続けて二撃目に弐ノ太刀を繰り出せずに、左手が--投石を受け止めた。

 

「おぉ~、凄いじゃないクー君」

「……クー呼ばわりは止めてくださいよ……姐《アネ》さん」

 

 死角からの投石、それを為した紅い髪に白衣を着た妖艶な女性が拍手しながら歩み寄る。

 出会った時に、『クーちゃん』呼ばわりしてくれた為に彼女にもそう呼ばれる事になったのだ。

 

「あら、じゃあなんて呼べば良いのかしら」

「『巽』って呼んでくださいって言ってるじゃないですか」

 

--ヤツィータ。第六位永遠神剣【癒合】の担い手にして『旅団』の実質的No.2。どうにも帰還の遅い会長達を迎えに来たとの事だ。

 神剣士という事は、『転生体』である可能性が高いのだが……俺は知らない。少なくとも、こんな神とは会った事が無い。

 

【気高く神聖な焔の気配を感じる。恐らくは赤属性の神剣かと存じ上げる、オーナー】

(そうか、新幹計画提案者の一人、北天神"誘惑の神"ヤジェンダ=ダルゾか。噂しか知らないが)

 

 神世の古、この世の真理を解き明かした神の一柱と記憶しているその神性。しかし--目の前の、その人物は。

 

「『麗しのヤツィータお姉様』って呼んでくれたら、呼んであげるわ」

「絶対呼ばねっすよ」

「じゃ、お姉さんも呼ばなーい」

「【………」】

 

 実に蓮っ葉な物言いに呆れ返る空とレストアス。

 『ついさっき投げた奴と、会話させてみたかった』、と。二人は瞬間、想い重ねた。

 

--これがNo.2で大丈夫なのか、旅団……?

 てか俺、この人は苦手だ。何かアレだ、有効成分出過ぎッつーか……過ぎたるは尚及ばざるが如しって奴?

 

「何か用ですか? もう足の傷も筋肉痛も治ってますよ?」

「それが素人の浅はかさ。治ったかどうかは医者が判断するのよ」

 

 道理を述べられては、黙るしかない。というか、医者っぽい発言にびっくりして。

 実に意外な事だが彼女は医療に精通しており、今や保健室の主と化している。今や保健室を指して、『ヤツィータ部屋』と囁かれる程に。

 

「--という訳でパスティル亭に行きましょうか」

「うぃっす……」

 

 空は【夜燭】を窓から己の部屋に入れると、先を歩くヤツィータに追い付くべく歩調を速めた--

 

「--ッて、騙されるかッ! 何を『保健室行きましょうか』的なノリで言ってんですか! アンタまた俺に奢らせる気でしょう!」

 

 そして仕事《ツッコミ》を熟す。というのも初治療の日に『近くに食事が出来るところ、知らない?』と言われ、案内がてら付いて行った彼は酷い目に遭った。

 その帰途、酒を浴びる程に呑み潰れたヤツィータを背負いながら。カラの財布を片手に、彼は月を見上げて世の無常を嘆いた。

 

「何よ~、こんないい女とお酒が呑めるんだから安いものでしょ」

「安いかどうかを判断するのは、奢る俺が判断しますよッ!」

 

 物部学園は、朝から実に騒がしかった……。

 

 

………………

…………

……

 

 

「……ふぅ、厚みが帰ってきた」

 

 再度、換金して太らせた財布を投げ、クルクルと回転させて受け止める。因みに換金した小銭は、学生達の色んな依頼《パシリ》を熟して稼いだモノだ。

 

--さてと……先立つモノも手に入った事だ、パスティル亭で少し豪華な昼飯でも食うかな……。

 

【オーナー、誰か誘う友人くらい居ないのですか?】

「…………」

 

 レストアスが呟いた思念を先程の訓練の時のような、明鏡止水の心を以って受け流す。

 前世が緑属性だった彼にとって、耐え忍ぶ事は苦ではない。

 

【情けない……それでも男ですか。セトキノゾムのようになれなどと無茶は言いません、しかし誰か一人くらい懇意の相手を作らなくてどうするのですか!】

(俺がモテねー事でお前に迷惑を掛けたか? 放っとけっての)

 

 意外に口煩いレストアスと思考で会話しつつ歩けば、枝間に架け渡された板橋に差し掛かる。その不安定な足場を渡る、黒い外套の背中に--

 

「--巽さーーん!!!」

 

 鈴の音のような声を響かせて、黒髪の小柄な少女が飛び付いた。

 

「--ッつぁ?! お、お前ッ!」

 

 幾ら大柄の空といえど、勢いに乗った人一人を揺らぎもせず受け止めるのは至難の技。

 

「見覚えが有る天然パーマだったからもしかしてって思ってみたら、やっぱり巽さん! お久しぶりです!」

「髪は放っとけ! 久しぶりだな……鈴鳴」

 

--シャン……

 

 地に降り立った少女の、髪飾りの鈴が鳴った……。

 

 

………………

…………

……

 

 

「いらっしゃいませ、パスティル亭にようこそ……って、何だアキかよ。張り切って損した」

「何だとは何だよ、テメー。俺はお客様だぞ。神様だぞ」

 

 パスティル亭の扉を潜るなり、掛けられた声。ルプトナだ。

 他の客にはにこやかに対応していたのが一転、空を見るやジト目タメ口に変わる。

 

「面倒だから適当に奥から座れよ。注文があるなら大声で叫びな」

「すんませーん! レチェレさんにチェンジお願いしまーす!」

 

--精霊側の代表としてこの街に滞在しているルプトナは今、このパスティル亭で女給の真似事をしている。

 何でも、かつて下界で生活していたレチェレさん達の集落がミニオンに襲われ滅ぼされた時、彼女を救ったのがルプトナだったとの事。世間ってのは狭いもんだ……

 

「『ムラクモ』の……」

「ん、どうした鈴鳴?」

 

 歩き去って行ったルプトナから横に立つ少女に目線を移せば--表情を強張らせて、某かを呟いていた。

 

「あ、いえ……巽さんてばあんな綺麗な人とお知り合いなんですか? 女性との縁なんて、無さそうなのに」

「放っとけ、それにあれは中身がすこぶる残念な奴だ」

 

 気を取り直した鈴鳴と、軽口を交わしながら席につく。今は昼飯時なので人は結構多い。

 

「でもまさか、こんなに早くお前に再開するなんて思わなかった。偶然ってあるもんだな」

「えー、酷いですよ巽さん! 私はずっと、逢いたいなーって想い続けてたのに……」

 

 外套を脱ぎ、背凭れに掛ける。その様子を見ていた鈴鳴がクスリと笑った。

 

「それ、効果有ったでしょう? 持っててくれて嬉しいです」

「あ? ッ……偶然だ、莫迦」

 

 同じ部分に目をやれば首飾りに結わえてある、鳳凰の尾羽に似た根付けが揺れていた。

 

「ふふ……それにしても巽さん、筋肉質になりましたよね。以前は本当に戦士なのか疑問でしたけど、今は……いかにも『戦士』って感じで素敵ですよ」

「……ふん」

 

 照れ隠しにそっぽを向く。少し顔を赤らめて。

 

「あ、ところで以前作った銃器、問題は有りませんか?」

「…………」

 

 続いた言葉を紡ぐ鈴鳴は鍛治士の顔。同じく真面目な顔を返して、空は--

 

「--鈴鳴、頼む。もう一度工房を貸してくれ」

 

 その言葉を告げた。それに鈴鳴は、何か難しい顔をして思考しているようだったが。空の、自信に満ちた表情に唇を綻ばせて。

 そして顔を上げ--

 

「取り敢えず、腹拵えを。また忙しくなりそうですからね」

 

 菜譜を眺めていた彼女は手早くルプトナを呼び、注文を告げたのだった。

 

 

………………

…………

……

 

 

「どうぞ巽さん、私の新しい工房です。お好きな所に座って下さい、いまお茶を出しますから」

 

 昼食の後で案内された、街外れの一軒家。その扉を潜れば、乱雑ながらも何処か片付いた雰囲気の室内。

 

【汚いですね。まぁ、オーナーの部屋よりは幾分マシですが】

(今更だけどお前……もしかして潔癖症?)

 

 適当な場所に腰掛けつつ、妙なトーンで文句を述べたレストアスに素朴な疑問をぶつける。

 

【誰しも汚いよりかは、綺麗な方が良いに決まっています。そうだオーナー、条項に部屋の整理整頓を加えて欲しい。貴方の部屋は些か汚い】

 

しかし薮蛇だった。要らない所に噛み付かれ、空は--

 

「鈴鳴ー、茶はまだかー?」

 

 『青属性の言魂を無視《ワードオブブルー》』した。

 

【……オーナー、私の話を聞いていましたか? 部屋の掃除……】

「出涸らしで良いですよねー?」

「こだわりはねーよ。タダだし、有り難く頂くー」

【オーナー、話を聞い……】

「お茶請けはお煎餅しかないですけど、要りますー?」

「貰うー」

【……】

 

 湯気を立てる湯呑みが置かれるが、やはり緑茶。こだわりが有るらしい。

 不貞腐れて黙ったレストアス。取り敢えず茶で唇を湿らせた空は早速話を切り出す事にした。

 

「で、いきなりだがマナゴーレムの残骸はまだ有るか?」

「本当にいきなりですね……幾らなんでも、あれはかなりの骨董品にんですよ? えーと、確か……ああ、後三つだけ有りますね」

 

 帳簿を眺めた彼女は、ペラペラとページを捲っていた。

 

「有っただけで有り難ェ、貰えるか?」

「いいですよー、勿論それ相応のものは頂きますけどね」

「チ--仕方ねぇか」

「毎度ありがとうございまーす、常連客さん」

「……でも、金はそう無いぞ」

 

 確かに必要投資だが、それだけの価値は有る。しかし貴重なのだ、当然値が張る筈。幾ら換金したばかりとは言え、所詮は彼は学生だ。

 

「そうですね……それじゃあ物々交換でどうでしょうか?」

「それは……つまり俺が持ってる『パーマネントウィル』と交換か?」

「はい。巽さんなら珍しいモノを持ってるかも知れませんし」

 

--コイツめ、吹っ掛ける気だな……。

 

「今欲しいのは『月光が注ぐ笠』に、『マルツの松脂』、『構築者ユウの欠片』……」

「『ズゥーマウリの棺』に『トーの聖骨』、『横たわる描画師マラクルス』じゃ駄目か」

「駄目です」

「悪いけど一つも無いぜ……つか、『構築者ユウ』って誰だよ? 人間の欠片って、何だよ? 猟奇な香りしかしねーよ」

 

 それは仕方の無い事。何にしろ、彼は集めたパーマネントウィルを【夜燭】……レストアスにマナ補充の為に、『喰わせて』いたのだから。

 

「それじゃあ、私の『お願い』を聞いて貰えればプレゼントしますよ」

 

--成る程、それが本当の望みか。やっぱり商人だな、目端が効きやがる……

 

「オーケー、何をすれば良い?」

「そうですね、それじゃあ、このお店の宣伝をお願いしますよ」

「宣伝……?」

 

 そん言葉に、空は部屋の中に在る武器に視線を巡らせた。

 

--一般的なブロードソードや、スピアー、ショートボウにウッドシールド、サーベルにタルワール、ファルシオンにグラディウス、ツヴァイハンダーにポールアクス。レイピアにカットラス、クレイモアにバスタードソード、柳葉刀に青龍偃月刀。

 珍しいモノになれば、ダークにジャンビーヤ、ズー・アル・フィカールにモルゲンステルン、ゴーテンタックにパルチザン、日本刀にシャスカ。ミセリコルデにマン・ゴーシュ、ソードブレイカーにククリ、スクラマサクス…ありゃヤタガンか? まるでここは武器の博物館だな……

 

 以前、剣の世界で開いていた店よりも随分と大量の武器がある事に気付く。

 

「えへへ、どうですか?」

 

 大量の武器に注目している事に気付いたらしく、彼女はにんまりと笑う。それで何となく察した彼は、口を開いた。

 

「……なぁ鈴鳴。こんなに大量の武器、どうするつもりだ?」

「どうするって、決まってるじゃないですか。この世界の人と精霊の中は最悪らしくて、近く討伐があるかもしれないそうなんですよ~」

 

--やっぱりか……このすっとこ死の商人め……。

 

「無理して仕入れた鋼材で造ったんです! これでがっぽり儲けて、前の損失を補填ですよ!」

「……あー、そりゃあご愁傷様。早く釘にした方がいいぞ」

「へ?」

 

 ぴーんと指を立てて語る鈴鳴。そこに空はあっさりと、無味乾燥の言葉を投げ掛ける。

 

「戦争は無い。和解したからな、人間と精霊」

 

 得意満面の笑顔が一転、米神をヒクヒクさせながら冷や汗を流し始める。

 

「……ア、アハハハ……もう~、巽さんたら冗談が下手ですよね~……」

「俺、関係者だし」

 

 そんな彼女に向けて止めの一撃が放たれた。

 

「巽さぁぁん! お願いします、何か一つで良いから買って行って下さいぃ! 利率トイチなんですよ~!!」

「知るかよ、そんなトコから金を借りるお前が悪い。果てしなく、自業自得だろ」

 

 ガバリと泣き付かれ、危うく茶を零しそうになる。

 しかし巽空という男は、殊更金に関しては鬼神すらも避けて通る男だった。

 

「うぅ、私には巽さんしか頼れる人が居ないんです、お願いします~~。とっても良い『おまけ』も付けますからぁ……」

「……む……」

 

 さしもの金の亡者も、つい呻きを漏らした。潤んだ上目遣いでの哀願に、男心と吝嗇心をくすぐる一言。

 何を隠そう、人に頼られた経験が皆無。更に言えば、それが半玉とはいえ女性ならば尚更に無い。

 

「……ちっ……仕方ねェな」

「やったぁ! ありがとうございまーす!」

 

--コイツめ……末は悪女か?

 

 コロリと笑顔を浮かべた鈴鳴に、彼は溜息を禁じ得なかった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 斜陽に染まる大樹。その道のりを歩む二つの影法師。

 

「お昼もご馳走になってたのに、ホントにすみません……」

「ハァ……良いさ、お前には恩も在るしな」

 

 結局、昼を奢っていた上に武器まで買ってしまったる空の財布は、岡に揚げられたくらげのように萎んでしまった。暫く節約せねばなるまい。

 

「でも随分買い叩いてくれましたよね……怨みますよー」

「返品しても良いんだぞ」

「感謝感激雨霰ですよー」

 

 白々しく返した彼女に、空は背を向けて歩き去る。ガチャガチャと、剣や『その他』の束ねられた包みが鳴った。

 

「じゃあな。また機会が有ったら来るわ」

「はい。お待ちしてます巽さん」

 

 スッと左手を挙げて別れの挨拶とする。そのまま彼は一度も振り返らずに見えなくなった。

 

「……さて、次の相手はまた『神の剣の担い手』ですか。勝ち目の無い闘いばかりですね、貴方は」

 

 そんな彼が見えなくなるまで手を振っていた鈴鳴が呟いた言葉。

 

「『不可能』に立ち向かう貴方が、その僅かな『手札』で一体どんな可能性を紡ぐのか……愉しみにしていますよ……」

 

 そのまま腕を組んだ彼女は、前と同じく酷く熱の篭る……しかし冷淡な迄に妖艶な笑顔を浮かべたのだった……

 

「--あぁ……本当に貴方は興味深い。タツミ=アキ……」

 



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鬼神 来たりて Ⅱ

 鬱蒼と茂る木々の間を駆ける鴉。その漆黒の外套《ツバサ》の内から覗いた銃口《ツメ》が--彼に飛び掛かった、青のミニオンを捉えた。

 

【マナよ、災龍の息吹へと換われ--『ヘリオトロープ』】

「--あばよッ!」

 

 篭手に包まれた左手の人差指で側面を押さえる事で安定と照準を高めた【幽冥】。中指で引かれたトリガー、墜ちたハンマーコックの熾こした闇色の焔によって撃ち出された不可視の煉獄。

 一点に集約された災龍の息吹が青を貫いて焼滅させ、青い燐光が横殴りの雨の如く彼の体を撫でていった。

 

「…………」

 

 【幽冥】を番えたままで周囲の気配を探る。残る永遠神剣の気配は--二ツ。

 

「片付いたな」

「口ほどにも無いね」

「…………」

 

 【荒神】と【揺籃】の二ツだ。敵の一部隊は、青の消滅をもって完全に崩壊した。

 

「ん、どうしたよ空? 拳なんぞ震わせてよ」

「--いい加減にしとけよ莫迦共がァァッ! これで何度目の交戦だと思ってんだ、俺達がやってんのは『偵察』だろうが!」

 

 かんらかんらと笑いながら鴉の肩に手を置く狼。それに向けて彼は激怒した。

 さもありなん、この二人とくるや、ミニオンを見つける度に自分から突撃して行くのだから。

 

「うるっさいなー。良いじゃんか、勝ったんだから」

「それに偵察だってやってんだ、その上でミニオンの数も減らして一石二鳥じゃねーか」

 

 全く同時に小指で耳をコリコリし始めた二人に空は頭を抱える。この二人は判っていない。確かに空は……いや、空の持つ【幽冥】には己や己の周囲の気配を絶つ事が出来、隠蔽や索敵にこの上ない威力を持っている。

 

「ああもう、とっとと退くぞ! ミニオンが集まって来る前に!」

 

 だがしかし、それはあくまでも『隠密行動』に徹した場合。敵を倒してしまえば、消えたミニオンの存在から居場所が割れる。散在しているミニオンなどは、ただのピケットバリアだ。

 倒される事が前提の索敵配置、敵はかなりの切れ者だというのに連れ二人は。

 

「ええぇ?! もうかよ、まだまだ暴れ足りねーなぁ……」

「そーだよ。こんな奴ら、ボク達でみんなやっつけちゃえば良いのにさ」

 

 渋る二人を引き連れ、空は撤退する。

 

--まだやってるのか、オー○事……

 

 某人材派遣会社に電話しようか、などと割と本気で考えながら。

 

 

………………

…………

……

 

 

「--という訳で、チーム替えをお願いします会長!」

「何よ、いきなり……」

 

 物部学園の食堂は一瞬、静寂に包まれた。思い詰めた顔の空が、いきなり沙月に詰め寄ったのだ。

 

「あの二人と偵察なんて無理です会長! もう三日目なのに、未だに敵の第一警戒線すら越えられてないんですよ!」

「何を言ってるのよ。気配遮断と精密索敵できる君にサバイバルのスペシャリストソルラスカ、精霊の森を知り尽くしてるルプトナ。これ以上のチームなんて無いじゃない」

「ホントだァ! 字面だけ見たら最適のチームじゃん!」

 

 今日のデザートの杏仁豆腐片手に身構えた彼女。因みにその杏仁は空の手によるもの。彼は着実に料理スキルを伸ばしつつあった。

 

「でも駄目なんです!あいつらと来たら勝手に敵陣にセンタリング上げやがって、勝手にオフサイドトラップに引っ掛かってるんですよ!!」

「それを監督するのが君の役目でしょう、タツミ監督?」

「そっちのタツミじゃねーよ! 字が違うわ!」

 

 バンッと卓を叩く空を尻目に、皿に出された杏仁を掬う沙月。

 

「と・に・か・く! チーム替えをお願いします! このままじゃ何時まで経っても『精霊回廊』を抑えてる『光をもたらすもの』の拠点偵察が出来ません! 駄目だってんなら独りでやります!」

「うーん……仕方ないわね、流石にこれ以上の足踏みは勘弁だし」

 

 『精霊回廊』とは精霊達の移動手段兼エネルギー源のようなモノ。そこを長老ンギは『破壊神から世界を救うため』と唆された事で、『光をもたらすもの』達に明け渡してしまったという。

 結果、そこをミニオン製造工場《プラント》にされてしまった。

 

「後、独りは不許可よ。君は独りだと歯止めが効かないでしょ?」

「……あの二人と組ませたのって、もしかしてそれが理由ですか」

 

 スプーンに乗る杏仁を見詰めて唸った彼女。そんな沙月にジト目を向ける空。

 

「……さてね、取り敢えず明日の再偵察までにはメンバーを選んでおくから、君も誰でも良いように準備しておきなさい」

「頼みますよ、ホントに……」

 

 胡散臭そうな眼差しを向けて彼は厨房へと歩み、カートに載せた食事を押していく。クリスト部屋に持って行く分だった。

 

「あ、そうだわ。一つ、頼まれてくれる? 借りてた下界の地図を、ロドヴィゴさんに返して貰えるかしら」

「拒否権は無いんでしょ……ハァ、別に構いませんけど」

 

 廊下に出て行った少年の背中を見送って。

 

「上手く行くと思ったんだけどね、あの三人組……」

 

 ぽつりと呟く沙月。その脳裡に三人組の姿を描く。

 

 先ず最初に思い浮かんだのは、紫髪に前髪の一部だけ赤メッシュの入った野生味溢れる少年。その両拳に装着された鉤爪は黒属性の、永遠神剣第六位【荒神】。

 

--ソルラスカ。彼の事は、よく知ってる。豪放磊落で、単細胞と評するのが一番。

 その実力は旅団でも随一。特に近接戦、黒属性の特徴とも言える総合的な攻撃力や防御力に関しては右に出る者は居ない近距離要撃要員。

 

 続いて思い浮かんだのは黒髪を後ろで一つに束ね、巫女のような格好をした少女。履く靴は青属性の永遠神剣第六位【揺籃】。

 

--ルプトナ。彼女の事は、全く知らないわ。明朗快活な単細胞と言ったところかしら。

 実力は中々ね。スピードと運動能力はぴか一、青魔法で敵を翻弄する中距離遊撃要員。

 

 最後に思い浮かんだのは、ツンツンと跳ねた天然パーマに黒いアオザイ風の武術服に身を包んだ少年の姿。その左手に番えられた小型の拳銃……正体不明の『永遠神銃』。その銘を、【幽冥】という。

 

--巽空。彼は、よく知っているような全然知らないような。複雑怪奇な単細胞……って、私自身で言っといて何だけど、何?

 実力は、測定不能。こう書くと何だかカッコイイけど、彼の場合残念な方に向けて測定不能。力もスピードも、多少鍛えた人間の域を越えていない。

 でも、その戦略構成技術は目を見張るものが有る。弱いからこそ、敵味方のチカラを見誤る事無く『生き残る』戦略を組み上げる才を持っている遠距離射撃要員。

 

「……何より、あの『永遠神銃』よね」

 

 その【幽冥】という、赤と黒の二重属性の銃だ。性能は、非常識にも程が有る。論うのも面倒だ。

 だが、それには『永遠神剣』を撃ち倒す可能性が潜んでいる。

 

「遣い熟せれば、ニンゲンにでも神剣士を倒せるかもしれない銃か……始めはそういう永遠神剣だと思ってたんだけど」

 

--まぁ『身体強化が無い』とか『マナ操作が出来ない』とか……そういう訳の判らない部分も有るけど。

 なんにせよ、完璧に役割分担が出来ている筈だったんだけどね。それに、彼には手綱取りの才能も有ると思ってたんだけど……幾ら暗殺拳銃のツッコミでも、ボケのガトリングガン二門もの弾幕には勝てなかった、という訳か。

 

「見当違いだったかしら……」

 

 思考を切り上げ、掬ったままにしていた杏仁を口に運んで。

 

「--あら……なかなか美味しいじゃない」

 

 その甘味に彼女は愁眉を解いたのだった。

 

 

………………

…………

……

 

 

「--おや、タツミ君。わざわざ御苦労様です」

「いえいえ、此方が無理を言って貸して頂いた物ですから。本当に有難うございます」

 

 頭を下げて、彼は巻いた地図を両の手で差し出した。それを受け取ったロドヴィゴは中身を改め、卓上の印刷された物と見較べる。

 

「しかし、貴方がたの技術は凄いですな。確か『こぴーき』と言いましたか……公文書を偽造し放題になってしまう」

 

 やはり為政者、そういう所は気になってしまうらしい。

 

「まあ、そうですが。大体の場合はあれで印刷した物に公的な力は有りませんから」

「ふぅむ、法整備も整っている訳ですな。益々好感が持てる」

 

 頷いて地図を丸めて棚に仕舞う、その男性に向けて。

 

「……ところで、ロドヴィゴさん。一つ面白い話が」

「……?」

 

 彼は、『ある話』を持ち掛けた--……

 

 

………………

…………

……

 

 

 洞窟の中に集結していた神剣士一同。彼等は既に、敵の拠点施設『セフィリカ=ルクソ』まで残り三分の一の距離まで迫っている。

 

 此処に至るまでに交戦した十数部隊のミニオンは、全てマナの霧へと還った。残すは、拠点防衛に置かれているであろう精鋭部隊と『光をもたらすもの』の将のみ。

 

「……遅いわね」

 

 ぽつりと呟いたのは沙月。他の神剣士達が食事や休憩を取る中、熱帯らしくスコールの降り始めたジャングルを見据えた。

 

【心配ですか?】

「そりゃあまぁ、ね」

 

 その沙月の横に浮遊する、白い結晶妖精クリスト=ミゥ。同じく、叩き付けるような豪雨に土煙を発てる密林を見遣った。

 

【……敵が『光をもたらすもの』である以上、通信機は傍受されている可能性が有りますからね……クリスト族同士の精神感応を利用する方式しか有りません】

 

 剣の世界では相手がその世界の軍隊『グルン=ドラス軍』だった為に上手くいった。しかし今回は、分枝世界を股にかける殺戮者達だ。それに見合う科学力を有する、『光をもたらすもの』。

 

「ええ、お陰で巽君の捜索の時は大変だったものね」

 

 あの捜索の時も二人一組で広い範囲をクリストの感応を利用していた。しかし数の問題でクリストと組む事が出来なかった一組は、通信機を利用した。

 それを傍受されたのだろうか、ミニオンに襲撃されたのだった。

 

【大丈夫です、サツキ様。タツミ様もポゥも隠密行動に適した人物ですよ】

 

 言い切ったミゥ、その顔に迷いは無い。その信頼に満ちた少女に、沙月は問う。

 

「……じゃあ、ミゥ。『あの人』は大丈夫だと思う?」

【……だ、大丈夫ですよ。『あの方』もああ見えて責任感が、強い……方で…………】

 

 尻窄まりに弱くなる口調。表情も、眉尻の下がった情けないモノになった。

 

「【--っ!!?」】

 

 その瞬間、煙る森の中から人影が歩み出た。

 

【……皆さん、只今戻りました】

 

 先ず先頭に……疲れた顔のポゥ。そしてその背後に、黒い外套を雨合羽代わりにして雨を凌ぐ--

 

「沙月、ミゥー、戻ったわよー」

「…………」

 

 ヤツィータをおんぶして歩く、ずぶ濡れの空が続いた。

 

「……何その状況」

「いや、ミュール履きとか嘗めて掛かっちゃ駄目ねぇジャングル。クー君みたいにしっかり装備整えとかないと」

 

 年甲斐も無く、『てへっ☆』とばかりに舌を出した彼女。そんな女性を背負ったままで。

 

「会長……俺もう文句言いませんから……お願いしますからこの人以外と組ませてください……」

「……うん、今回ばかりはごめんね……上司が」

 

 空は、何かを悟りきったように……まるで解脱したかのように、清々しい顔をしていた。

 

 

………………

…………

……

 

 

 簡単なブリーフィングを終え、一同は一斉に思い悩む。斥候部隊が確認してきた、『セフィリカ=ルクソ』の防備の堅さに。

 

「『マナ嵐』とはまた、とんでもないモノを持ち出してきたわね。『光をもたらすもの』の奴ら」

 

 『マナ嵐』。マナ存在にとっての攻勢防壁《ブラックアイス》。触れれば確実な死を齎す、致命の罠だ。

 

【それを外周に展開して敵の侵入を防ぎつつミニオンを増産、体制を整えては送り出す……鬱陶しいったらありゃしないわ、ヤドカリみたいな奴ね】

「こういう戦術って本当に苛つくわ……敵を迎え撃つ度量も無いのかしらね」

 

 ゼゥとタリアの、毒舌組が口を開く。実に容赦が無かった。

 

「でもまぁ効果的ね。実際あたし達にはどうしようもないわ」

「入るだけで即消滅だからな……厄介な話だぜ」

「そんなに凄いモノなんだ、それ……」

 

 ヤツィータの言葉に、頭を捻るソルとルプトナ。しかし解決策は出ようも無い。

 

「--なら、俺が行けばいい。俺なら問題無く通れるんですし」

 

 静まり返った洞窟の中に響いた言葉。その主は驟雨に濡れた漆黒の、天鵞絨《ヴェルヴェット》の外套を干していた空。

 

「却下」

「早ッ!? ってかそれしか無いでしょ! 肉体的にただの人間の俺なら問題無しじゃないですか!」

「だからよ? 中にはミニオン、下手すれば『光をもたらすもの』の神剣士が居る事も考えられるんだから」

 

 沙月の言葉も尤もだ。虎の穴に裸で飛び込むようなものだ、危険過ぎる。正気の沙汰ではない。

 

「会長、俺はミニオンとか神剣士と戦う為に行くんじゃ有りませんよ。マナ嵐の発生装置を破壊する為です」

「発生装置ねぇ、場所は解ってるの?」

「あのピラミッドの脇に在る柱でしょうね。じゃなきゃ防御の穴になる」

「判んないって事じゃない。それにどうやって破壊する気よ?」

 

 素気なく断ろうと、掌を天井に向けた彼女。その目にライフルが映る。

 

「こいつで試しに普通の弾で狙撃したんですけど……効果無かったです。多分、もう一本も同時破壊しないと壊せない仕様になってんだと思います」

 

 それは漆黒の小銃、近未来的なリファインと機器がアップデートされたレバーアクションライフル『モスバーグ464 SPX』をモチーフにした物だ。

 

「……君ね、前も思ったけど何処からこんなモノ仕入れてるのよ」

「蛇の道は蛇っすよ」

「大体、今までそんなライフルは持ってなかったでしょ。どこから出したのよ」

 

 確かに、その通りである。偵察の為に嵩張る装備を置いていった空だが、そこにこんな大型の銃は無かったのだ。

 

「ああ……それは、こうやって」

 

 空が銃に、某かの操作を行う。すると、銃が歪み--みるみる内に、小型サイズとなったのだ。

 空愛用の『マグプルPDR』、漆黒のPDWへと。

 

「レストアスを通してゴーレムの変形機能を回復させたんですよ。あと、密度を高くする事で小型化して持ち運びし易くしたんです。しかも元々浮遊機能が付いてるんで重量の問題もクリアしてます」

 

 得意そうに解説して、更にPDWを某大泥棒の三代目が愛用する旧ドイツ軍の軍用大型拳銃『ワルサーP38』に変えてクルクルと回しながら、腰中央に吊った、ホルスターに納める。

 しかもその一丁だけではない。ガンベルトと一体のバックパックに腰左後側の【幽冥】、腰右後側の深緑と右太股後側の淡い青と横の純白、左太股後側の真紅と横の濃紫の合計七箇所に、ホルスターに納まった拳銃がある。

 

「もう、突っ込む気力も失せたわ……」

「ハハ、どうも。それに第一、俺が行かずに誰が行けるんですか? ロドヴィゴさん達に頼みます? 剣の世界の戦を潜り抜けた俺を行かせられない場所に、ミニオンとの戦闘が関の山の青年団を送り込んで無駄死にでもさせるんですか?」

「む……」

 

 ジッと見詰める空の眼差しに、沙月は唸る。確かに、他の策など無いのだ。

 拠点構築の為について来ている青年団は、雇い入れの一般人だ。中には数人程度の傭兵も居るが、ミニオンとの戦いで役に立つ事は先ず無い。当たり前の事だ、彼等は『神に刃向かう力』など持っていない……真の意味で、ニンゲンなのだ。

 

 今この場でマナ嵐を越える事が出来て、尚且つ生き残る可能性が一番高いのは確かに巽空を置いて他には居まい。

 

「いえ、我々に行かせて欲しい。これは……元は我々の世界の問題なのですから」

「ロドヴィゴさん、何を--」

 

 そんな二人に向けて、青年団の長であるロドヴィゴが意を決したように伝えた言葉。それに、沙月はおろか空すらも呆気に取られてしまう。

 

「成る程の、確かに。ここは我々が何とかせねばなるまいて」

「ンギさんまで……」

 

 反論しようとするも、その言葉が出る前に精霊の長であるンギに出足を潰されてしまった。

 

「沙月、クー君。大人がここまで言ってるのよ、任せておきなさいな」

 

 そして……先程まで見せていたちゃらんぽらんな『ヤツィータ』ではない。反論を許さない冷静な大人の顔……『旅団』の副団長、『【癒合】のヤツィータ』の顔を見せた彼女の声が掛かる。

 

「勿論、言ったからには覚悟の上です。期待に応えて見せますよ」

「ふむ……精霊はマナの存在故にマナ嵐には近寄れんが、あそこは元々我々の庭じゃ。見つかり難い道を教えよう」

「……ありがとう、ンギさん」

「何、お互い様じゃてロドヴィゴ殿」

 

 呟き合い、頭を下げる。その姿に--以前の蟠りは、もう見られなかった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 それは、まさに光の嵐だった。乱舞するマナの光は次第に密度を増し、マナ存在の持つ高い密度のマナを削っていく。

 遥か彼方に望むマナ嵐の威容。或いは荘厳なまでのその景色を。

 

「……ハァ……留守番かよ」

 

 先程まで居た洞窟を背に、不貞腐れた空は【夜燭】を磨きながら呟いた。因みにその布は、鈴鳴がくれた物である。どこぞの世界で、神剣を研ぐ時に使った布との事だ。

 

【くふふ、さっすが旦那はん! 信用の無さとはぶられ具合では、他の追ず】

【気を落とす必要は無いでしょう、考えてみればここは最後の砦。要するに我々が真打ちという考え方もできる】

【こ、この真面目腐ったスライム……わっちの台詞を潰した!】

【誰が真面目腐ったスライムだ、心根の腐ったゴーストめ!】

【ムキーッ、先輩を敬うって事を知らんのかいなっ!】

 

 キンキンと喧しい二つの意思を完全に無視し、【夜燭】の手入れを終わらせて一息付く。

 腰のバッグからくしゃくしゃになった紙煙草を取り出して一本を銜えると、以前手に入れたオイルライターで火を付けた。

 

「--フゥ……ッ!」

 

 焼け付く香気を味わい、紫煙を燻らせながら。背後から近づいて来る気配を感じ取り、速抜きにてワルサーP38を構えつつ振り向いた。

 

「ひゃうっ! ご、ごめんなさい、ごめんなさいっ!」

「っと--こちらこそすいません、レチェレさん」

 

 しかし、そこに居たのは敵ではなくパスティル亭の看板娘であるレチェレだった。何しろ彼女、昔ミニオンに皆殺しにされた開拓団の唯一の生き残りとして、真実を知りたいと付いてきたのだ。本来なら止めるべきだが、ヤツィータの判断でそれが許可されている。

 

「やっぱり、どうにも気が張って……怖い思いさせましたね」

「い、いえ……こちらこそ、何も言わずに近づいてしまって……」

 

 向けられた殺気と銃口に怯えていた彼女だったが、それらが両方消えた事で落ち着きを取り戻す。

 その間に煙草の火を消して、火の点いていた先端部分を【幽冥】の折り畳みナイフで切り落として紙箱に仕舞った。また後で、吸う為に。

 

「あの、食事をお持ちしたんです。他の方々は待っている間に摂られましたけど、タツミさんはまだですよね?」

「ああ、そういえば。ありがとうございます」

 

 言われて、思い出したように腹が鳴る。苦笑して、レチェレから麦芽パンのサンドイッチと水筒を受け取った。

 

 因みに具は葉野菜に卵、薄切りの肉。微かに胡椒のような香辛料の風味がした。

 二切れの内、一つを三口で食い終える。それにより渇いた喉を水で潤す。

 

「美味い。やっぱり本職が作った料理は違うなぁ」

「あ、ありがとうございます……お粗末様でした」

 

 褒められた事で照れたらしく、いじらしく頬を染めて俯いた。

 

「その……私にはこれくらいしか、出来ませんから」

「……レチェレさん?」

 

 しかし直ぐに、その表情は悲壮なものに変わった。

 

「ごめんなさい、私がついて来たから、タツミさんはここに居るんですよね? 本当は仲間の皆さんと一緒に闘いたいのに……」

「そこまで戦闘狂じゃないんですけど……」

 

 申し訳なさそうに、レチェレは頭を下げる。それに、空は苦笑いして。

 

「いいんですよ、そんな事。俺のハードボイル道の師匠が言ってたんですけど、男の命なんてもんは女の子を守る為だけに存在してるもんなんだそうです」

「は、はぁ……」

 

 篭手に包まれた腕を組み、不敵に笑って。最後の一切れを半分、囓ってから。

 

「それに、自分の起源《ルーツ》を知りたいって気持ちは--よく解るんだ」

「タツミさん……」

 

 まるで、親を待つ子供のように。儚く弱々しい声色でそんな言葉を吐いた。

 

「……だから--!」

「--きゃあっ!」

 

 その刹那。レチェレを庇うように抱き寄せつつ、【幽冥】の魔弾『ヘリオトロープ』が抜き撃ちに放たれた--!

 

 抱き寄せられたレチェレの居た空間を、音速を越えた速度で飛翔する槍『ソニックイクシード』が駆け抜ける。槍は洞窟の脇の岩盤を、易々と貫いて崩落させた。

 そして、カウンターで放たれた魔弾『ヘリオトロープ』もまた、緑ミニオンを正確に貫いてマナの霧と還している。

 

「だから、神剣の性能に頼ってる奴らは信用できねェんだ。簡単に抜かれやがってよ、努力と根性が足りねェ」

「あ、あう、あうあう……」

 

 漆黒の外套を翻らせながら、心にも無い悪態を吐くアサシンの腕の中で。酒場の看板娘は真っ赤に染まったまま、声にならない呻きを漏らしていた。

 

 森の中から現れるミニオン達、総数五体。先程の緑を合わせれば、丁度二部隊分。

 ロドヴィゴ達青年団がマナ嵐を解除するまで待つ間にミニオンの迫る気配を察知、レチェレを巻き込まないよう離れた位置に構えた囮の拠点を防衛する事となったのだが、その拠点がミニオンの来た先に在るのだ。

 

--つまり餌に食いつかなかった、イレギュラーなミニオン達だ。厄介な話だ、多分……敵将の指示だろう。

 

 敵の陣形が整う前に周囲の状況を確認する『制地』を行う。だが、この近辺にミニオン以外の気配は感じられなかった。

 

「……レチェレさん。暫く、目ェつむっといて下さい。何、一分もあれば終わりますから」

「えっ、えぇ……で、でも、あの、その……」

 

 怯えてしがみついて来る少女の柔らかな身体と甘い体臭、羽毛のような軽さと出鱈目に打つ心音を感じながら努めて優しく伝える。

 残念ながら緑の一撃で洞窟入口は塞がっており、奥に居るだろうンギら精霊の助力は期待できない。否、元々精霊は争いを好まない上に『光をもたらすもの』に精霊回廊を押さえられた事で、尚更力を失っているのだ。こう言っては何だが、寧ろ居ない方が楽だ。

 

「大丈夫……俺を信じて、身体を任せてくれればいいから」

「あうぅ……は、はい……」

 

 真っ赤な顔のまま涙を浮かべて頷いた彼女。そのほっそりとした腕が首に回された。

 それを『余程怖いのだろう』と、朴念仁はそう考えた。

 

--さてと、格好付けたからには失敗は許されない。気張りやがれ、巽空……一世一代の大博打だ!

 

 レチェレの腰に回した右腕に力を込める。そして新たな緑が投擲した槍『インペイル』を、跳躍で回避した。

 

「--ふやぁ!」

 

 レチェレの気の抜けた悲鳴も、仕方ない。それはダークフォトンを使用したものでは無く足に纏う脚甲、マナゴーレムであるそれの持つ機能『飛行能力』の限定的な使用に因るものだ。

 実に十数メートルの高みに一瞬で昇っている。その隙に【幽冥】をホルスターに戻して--新たに『赤い拳銃』を……ルビー色の、拳銃としては世界最大級の口径を持つ大型の自動式拳銃『デザートイーグル.50AE』を構えて、引鉄を引いた。

 

「--……」

 

 放たれたのは、銃弾等ではなく高熱の熱線。二発の『ホーミングレーザー』と『スレッジヒート』が、緑の風の壁を焼き足を貫く。

 それにより転倒した緑の目に、着地した空が映る。赤いロケットランチャー『RPG-22』を、己に向けるアサシンが映ったのがその緑の最後に見た光景だった。

 

 真紅のロケットランチャーから撃ち出された炸裂榴弾『ナパームグラインド』が緑を焼き滅ぼしたのを確認するまでもなく、空は地を滑るように移動する。これも、マナゴーレムの機能『浮遊機能』である。

 

「--剣よ、ここに」

「--殺してやる」

 

 『インパルスブロウ』と『月輪の太刀』を篭手で受け流し、回避する。更に、飛来する『ファイアボルト』と『エネルギーボルト』の合計六つの弾をスライディングとバク宙で回避した。

 追い縋るのは、青と黒。赤と白は、遠距離からの援護射撃をする腹心算らしい。

 

「ひゃあっ!」

 

 ならば、とデザートイーグルに戻した赤銃をホルスターに納めて。空は右腕で抱いていたレチェレを左腕で抱き直す。

 そうしてフリーにした右腕にて、サファイア色の傑作回転式拳銃『コルトパイソン』を握る。

 

 撃ち出されたのは氷の刃である『コールドチェイサー』だ。黒の『カースリフレックス』を貫き、傷付けて足止めする。

 更に、変形させた未来的形状のポンプアクション式ショットガン『フランキ・スパス12』に変形させて超高張力水塊のスラッグ弾『メガフォトンバスター』で吹き飛ばして、ウォーターカッターの霰弾ショットシェルの『フロストスキャッター』を、青を巻き込むように撃ち込み黒を消滅させた。

 

 その隙に、『ライトバースト』と『フレイムシャワー』の詠唱を行う白と赤に狙いを付ける。

 先ずはコルトパイソンに戻した青銃で『フリーズアキューター』を飛ばし、赤を凍り付かせて術式をバニッシュ。ホルスターに銃を納める。

 

「ふきゅうっ!」

 

 そこでもう一度レチェレを右腕で抱き締め直すと、フリーの左腕でアメジスト色をした自動式拳銃の代名詞『ベレッタ M92F』を番える。

 射出されたのは、暗黒の高重力塊『グラビティーホール』。白の『オーラシールド』を押し潰して無防備とすると、そこに黒マナ刃『ランブリングフェザー』を撃ち、やはり行動の基点である『脚』を負傷させて。

 

 変形させたポンプアクション式のグレネードランチャー『US-EX41』で撃ったフレシェット弾が空中炸裂《エアバースト》、影の槍襖『シャドウストーカー』と化して白を縫い止める。

 

 そうなってしまえば、後はまな板の上の鯉だ。第二射も空中炸裂、時空震を発生させる『アゴニーオブブリード』で白を粉砕した。

 

 そこに、先程霰弾で負傷した青が『インパルスブロウ』を見舞う。勢いの乗った西洋剣の一撃を、空は--篭手から発した六角形のバリア、『オーラブロック』にて受け止めた。

 そのバリアが、規模を狭める。ピンポイントでバリアを纏った空の左拳が、青に打ち込まれる。

 

「はうぅっ!」

 

 そしてまた、左腕でレチェレを抱き締める。空いた右腕に、純白の拳銃『CZ-75』を抜く。

 放たれる光の弾『ジャスティスレイ』に『フォトントーピード』。炸裂する二つの光弾を受けて、青の防御『グラシアルアーマー』が耐え切れずに割砕した。

 

 その隙に、変形させた自動式のグレネードランチャーの『XM-25 IAWS』を向ける。

 赤を巻き込む攻撃範囲の炸裂光の榴弾『ディバインレイ』を撃ち込んで、止めに三発の滞空閃光弾から放射された光矢『ストラグルレイ』が青を滅ぼした。

 

「踊れ--苦しみの中で」

 

 詠唱の終わりを告げるその宣言、花開いた赤の魔法陣。降り注ぐ硫黄と炎の豪雨に、地面が硝子と化す--よりも早く、脚甲の機能を発揮して赤に肉薄した空。

 そして右手に握られているのは、エメラルド色の大型回転式拳銃『トーラス・レイジングブル』。撃ち出された徹甲弾『イミネントウォーヘッド』により肩口を撃ち抜かれて、赤は跳び下がりながら炎の鎧『パイロアーマー』を身に纏いつつ『バーンスマッシュ』で双刃剣を回しながら投擲した。

 

「レチェレ、しっかりしがみついてろ--!」

「や、あぁぁ……」

 

 その双刃剣に向けて、空は変形・分裂させた二挺の自動機関小銃『キャリコ M950』を両手に、レチェレに首を抱かせたままで『デュアルマシンガン』を放つ。

 

「--あばよ」

 

 マナ結晶の銃弾の雨霰に流石の永遠神剣と言えども失速、墜落。そうして出来た隙に、赤は見た。二挺の自動機関小銃が合体・変形して形作られた、超弩級の重装弾《ペイロード》ライフルを。外見こそ『バレット XM800』の物だが、口径は『XM109』の物であるソレを。

 

「--ぐ、あ……なぜ、だ……」

 

 放たれた25ミリ口径の重装弾『ブラストビート』は炎の鎧など物ともせず、赤の上半身と下半身を二つに分けたのだった。

 

 ……それは、幼い頃に見た絵本の挿絵だった。お城での舞踏会で、王子様とお姫様が踊る輪舞曲のように。抱き合い、くるくる回り、立ち位置を変えながら。

 音楽の代わりに爆音、ステップの代わりに銃撃音、拍手の代わりに剣撃音、喝采の代わりに断末魔が響く。

 

 目を閉じたままだった少女には、ただその恐ろしげな時間が過ぎ去るのを待つのみ。その、約束の一分が経った頃に静寂が訪れた。

 

「……レチェレさん、もう終わりましたよ」

「ふぇ……あ、あう」

 

 優しく髪を撫でられ、そんな声を掛けられて恐る恐る瞼を開く。そこにあったのは、穏やかに笑う空の顔だった。

 そして辺りを見回せば、各所で立ち上る色とりどりの光。マナに還り逝くミニオンだ。

 

「すいません、怖い思いさせて」

「い--いえ……」

 

 空に抱き着いたまま、レチェレはぷるぷると首を振る。その円な瞳がすぐ間近でうるうると揺れている。

 

「タツミさん……」

「レチェレさん……」

 

 酷く熱の篭った呼び掛け。上気した肌に、そこはかとない色香を感じる。

 

--いや待て、俺はロリコンじゃない……ないけど、年下ってのも悪いもんじゃないのかもな……

 

「お若い二人には仕方ない事かもしれんが、燃え上がる前に岩盤に埋まったワシらの事も気にかけて欲しいのだがのぉ」

「「違いますッっ!」」

「ほっほっほ、若い若い」

 

 そう、ンギのツッコミが入った程に。熱烈に見つめ合っていたのだった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 森閑に響いた爆発音の後、マナ嵐の奔流が消える。ロドヴィゴ達は、やってのけたのだ。

 そのロドヴィゴ達青年団を救援するべく、望達は既にセフィリカ・ルクソに近接している。

 

--その為か、森の中のミニオンの気配もセフィリカ・ルクソへと集中している。速く移動しねェと、出遅れちまうな……

 

 その一行に追い付く為に、森を駆け抜ける空。その背中には、竜を思わせる翼。片翼に四本の氷の刃を持ち、その間にレストアスの身体を膜状に展開して、滑空能力を持つ事で飛距離を伸ばしているのだ。

 

【くふふ、この吹き付けるような戦場の風……堪りませんなぁ】

【高ぶる……実に、快い緊張だ。さぁ、行きましょうオーナー】

 

 携えた【夜燭】を握り締めて、着地からの再跳躍に備える。折り曲げた両脚に力を込め、もう一度加速跳躍《ブーストジャンプ》をしようとして--横っ跳びにその一撃を回避した。

 

「……ほう、流石といったところか。小僧にしては鋭いな」

 

 かの『岩融』を思わせる大薙刀を振り下ろした赤い覆面の偉丈夫。様々な武具の入った広口の鞘を担ぐ、武士然とした男。

 その一撃『バッシュダウン』は地面を割ったどころか、周囲を土を刔り飛ばしていた。

 

 放つ覇気は常軌を逸している。平和ボケしたニンゲンならばそれだけでも圧死しかねない存在感を持つ。

 覆面の奥の獰猛な眼差しと睨み合う。殺気に充ち溢れたそれに、魂の奥底から恐怖が湧く。

 

「成る程ね、アンタがこの世界を工場にした『光をもたらすもの』かい?」

 

 躱しきれずに片翼をもがれた空は、右手の【夜燭】を肩に担いで視線を誘導する。外套に隠した、【幽冥】を必殺とする為に。

 

「--如何にも。我こそは『光をもたらすもの』が一つ……」

 

 しかし、光をもたらすものの将は--そんな小細工などは意にも介さず地面から薙刀を抜き、片手で持ち直す。それだけで、ブォンと風斬り音が起きた。刹那に、男……ベルバルザードの四肢に力が充ちる。

 

「永遠神剣第六位【重圧】が主、『重圧のベルバルザード』!!」

 

 地に向けて構えた薙刀型の永遠神剣第六位【重圧】が鈍い煌めきを放つ。マナ感知能力が無くても見れば解る、その密度は桁外れだ。少なくとも、これ程の存在マナを有した神剣を見た事は無い。

 冷や汗の伝う頬を一度拭い、空は。

 

「どうも御丁寧に。俺の名は巽空……」

 

 だからこそ、奮い立つ。敵わぬからと諦める事も、自棄になる事も無い。

 何故なら--決して退けぬ理由が有る。

 

「貴様ら、神剣士の天敵--永遠神銃【幽冥】の主、神銃士『幽冥のタツミ』だ!!」

 

 『己より強い者に勝つ為に』、戦い続けてきた『壱志《いじ》』という。

 貫き通すべき、"魂の刄"があるのだから。

 

「その意気や良し……」

 

 その闘志にベルバルザードは、『期待』の篭った視線と共に笑みを漏らす。

 そして--余りにも、一方的な蹂躙劇の幕は上がった。

 

「--徂くぞ、【重圧】! その全てを圧し砕け!」

 

 朱き鬼神の豪刃が、大気を激震させる大音声と共に振り上げられ--全てを捩じ斬るべく、裂帛の気合いと共に振り下ろされた。



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鬼神 来たりて Ⅲ

 当たれば即死の一撃『バッシュダウン』、それに背中の翼の骨組としていた『クロウルスパイク』四本を放ち、牽制として懐に潜り込んだ空。だが--

 

「……小僧。それは、何の心算だ……」

 

 ベルバルザードはギシリと歯を鳴らす。力量と技量を測るべく、小手調べとして振るったその剣戟を躱わされたのは構わない。否、寧ろ、良い反応をしたとすら言えよう。

 だが…その後の行動が彼の逆鱗に触れた。

 

「その『剣』は何の心算だッ!」

 

 咆哮する鬼。その心臓の位置に振り抜かれた『ヘビーアタック』だったが、ベルバルザードの鋼鉄の皮膚『アイアンスキン』の前に苦もなく無力化されていた。

 

「……チ、やっぱ駄目かよ」

 

--まさか、無傷とはねェ。本当、これだから神剣士って奴はッ!?

 

 と、轟音が空の耳を突く。間髪容れずにしゃがみ込めば、一瞬前にその頭部が存在していた空間を【重圧】の柄が薙ぐ。

 もし当たっていれば西瓜のように粉砕され、脳獎を撒き散らしていただろう。

 

 躱しきった後には立ち上がらず、そのまま前転で離脱した。刹那、そこに向けて返す刃が落ちる。

 

「逃げ足だけは速いようだな……だが、そのような下らん得物では我に傷一ツ付けられはしない」

 

 【夜燭】を見遣りながら、長柄を握り潰さんばかりに力を籠める。それ程に彼の怒りは強い。

 それは、虚仮にされたからではなく失望から来るモノ。『期待』を裏切られた事に対する憤怒。

 

「そうかい……? まあ、精々今の内に吠えておけよ。あの世からじゃ、負け犬の遠吠えは聞こえやしねェ」

「全くだ--!」

 

 地面を蹴り砕き巨躯が疾駆する。【重圧】が唸りと共に、目前の弱者を打ち砕くべく天より降る。

 

 

--ギィィン!!

 

 

 それを真っ向から受け止めた。両腕と肩を固め、脚を踏み締めて、【夜燭】全体を盾に【重圧】の豪刃を受け止める。

 

「--ぐ……おおおォッ!」

 

 眼を見開き、砕けんばかりに歯を喰い縛り、脂汗を流しながら。それでも空は、ベルバルザードの一撃を受け止めてのけた。

 

--逃げる訳にはいかない、太刀向かう可能性を俺は持っている。ならば、真正面からぶつからねば俺が……此処まで努力してきた、『巽空』が廃るだろうが!

 

「--ほう」

 

 己の一撃を耐え忍んだ少年に、ベルバルザードは少し意外な顔をした。その大剣は彼の物ではない事が、自らの大薙刀を通して理解できている。それで尚、己の一撃を堪え凌いだのだ。

 

 ……だが幾ら武器が良かろうと、努力と研鑽を無しに彼の一撃を受け止められる訳が無い。

 この少年は少なくとも、『ヒトの身で』それを成せる程の鍛練を積んでいるのだ。

 

「だが……多寡がそれだけだ! その程度では我が神剣【重圧】の相手足り得ぬ!」

 

 主の気迫に応えて、【重圧】が煌めく。ミシミシと圧力が増し、空は遂に片膝を衝いた。

 そのまま車に轢かれた蛙のように押し潰されるのではないかと、焦燥すら感じられる。

 

「--そろそろ本気で相手をしてやる……」

「……!?」

 

 悠然たる宣言は、執行の合図。ベルバルザードの身に充ちていく、高純度の朱い精霊光(オーラ)の名は『ウォームス』。

 

「処刑台の前に立つ気分はどうだ……」

 

 この瞬間より、此処は永遠神剣【重圧】の支配領域と化す。

 

 ただでさえ筋骨隆々の肉体が、二回りは巨大化したような圧迫感。凄まじい熱と共に精霊光が爆風のように周囲を踏み躙った。途方も無いマナ圧に当てられて、胃の腑が裏返りそうになるのを何とか飲み下す。

 

「何であろうと、叩き潰すのみ」

 

 そう、今まではただの小手調べ。今から漸く本番、今からが本当の--蹂躙だ。

 

--おいおい、もう泣きそうだぜ。勘弁してくれよ、更に力が……強……く……ッ!!!

 

 軋みを上げる、全身の骨。それが砕けるより速く、全身を遣って【重圧】を受け止めたままで空は何とか腰元のバッグを漁る。

 こういう時の為の備え、それを手に取った。

 

「--ヌゥン!」

 

 一息に圧力を増し、遂に鬼神は大薙刀を振り抜く。朱く染まった刃、『バッシュダウン』が大地を刔り--顔面に向けて放たれた、何かを横の壱薙ぎで粉砕した。

 【重圧】の一撃にて粉砕されたそれは--グリップガンから撃ち出されたスタングレネードである『シャイニングナックル』は周囲に閃光と轟音を撒き散らす。

 

「眼眩ましだと……小賢しい! そうまでして命を繋ぎたいか!」

 

 それに一瞬視界を覆われるが、ベルバルザードはこの程度で気を乱すような男ではない。

 恐らくは森の外に逃げる気だと、彼は断じた。今あの少年が窮地を脱するには仲間と合流するしか無いと。

 

 どの方角に逃げたかは判らない。判らないが--何処に逃げようとも逃がしはしない。

 

「--ならば、眼前に在る物全てを……断つ!」

 

 握り締められた右の拳にマナが纏わり付く。朱く、激昂したマナが。

 

「滅べェェェェェェェェッ!!!!」

 

 地面に叩き付けられた拳により巻き起こった衝撃波が周囲に拡散する。

 『バーサークチャリオット』の名に恥じぬ波動の一撃は、全てを吹き飛ばし周囲を粉砕した。

 

「……ッは」

 

 少し離れた場所で、その煽りを受けて吹き飛ばされて後転の形で転がった空。

 やがて仰向けに曇天を見上げる姿勢で止まる。

 

「--ガハッ!!」

 

 その少年の頚に、鬼神の豪腕が掛かった。

 天を覆ったと錯覚しそうな巨体にのしかかられてしまい、動く事どころか呼吸すらままならない。

 

「……終わりだ、神銃士。全力も出し切らずに死ぬ己の慢心を呪うがいい……蟲ケラめ!」

 

 侮蔑の視線を投げ掛けていた眼が閉じられて、ベルバルザードは精神を集中させた。その巨大な躯を対魔法鎧『スーパーアーマー』が堅める。

 

「マナよ、万物を従わせるチカラに変われ……」

 

 更に、空の身を貫通して地面に【重圧】の神力が流し込まれた。

 

「地に這い、泣き叫べ。弱者には相応しい姿だ!」

「……ッぐァ!?」

 

 二人を中心として、朱の魔法陣が拡がる。導力を得た術式が履行されて--

 

「--グラビトン!!」

 

 現実を、正しき『理法』を浸食し改竄する『魔法』と化した--……

 

 ベルバルザードは顔を上げた。敵の策に落ちた事を悟って。

 

「これ、は--ガ、フッ!」

「ハ--漸く掛かったな、クソッタレが」

 

 強力に喉を圧されながら、咳を零した少年の冷笑。そこでやっとベルバルザードは視認した。少年が身体に纏う、青い稲妻。それが自身の身体の自由を奪っている。

 感電した者にはよく有る事だ。電気信号により動く人間の身体は、電気に触れた場合には誤作動を起こすのだ。手を離すどころか、逆に握り締めてしまうような事も有る。

 

「弱さってのはよ、そりゃ確かに無い方がいい。けど、どうあったって無くなるもんじゃない。なら--それを、強みに変えりゃいいんだ。こんな風にな」

「グッ--き、さま……!」

 

 依然絶体絶命ながらも、見下すように笑った少年。少年はたった一つのその策戦の為に、自らの命を最大の危地に曝したのだ。

 ベルバルザードの威圧に屈さず、最良の選択をしたのだ。逃げる事など、早々と切り捨てて。

 

 ベルバルザードの顔面を足蹴に押しやって空間を作り、秘匿していた魔弾入りの【幽冥】をその額へと突き付けた。

 

「それと……悪かったな、神剣士のまね事なんてして戦ってよォ。こっからは、本来の俺として--神銃士として戦ってやる」

 

 有り得ない事だった。たかが蟲ケラが、蟻の一衝きが戦局を覆す。超常の具現たる神剣士、それがヒトの枠すら越えていない神銃士に。それにベルバルザードは観念したように目を閉じて。

 撃鉄が、落ちる。放たれた赤の魔弾『ヘリオトロープ』によって顔面を撃たれた彼は--

 

「舐めるな、小僧--この我が、この程度で!」

「な--?!」

 

 精神統一によって得られる理力の鎧『スーパーアーマー』にて、傷を負っただけで。頚に掛かった拳に更なる力が篭められる。このまま、過重力で圧死させるべく。

 レベル不足により無効化できずに、何とか抑えていただけだった神剣魔法『グラビトン』を力任せに解き放つ--!

 

「--アローっ!」

 

 その魔法陣に、三本の氷の矢が突き立った。矢は瞬く間に魔法陣を構成する導力を凍てつかせて、その式を『不履行』と改竄する。

 

「--猛襲激爪ッ!」

 

 更に、ベルバルザードに向けて黒い旋風が襲い掛かった。左、右と連続で振るわれる爪が。

 だが彼は【重圧】にて--左腕一本で受け止め、捌ききる。

 

「まだだ、天の果てまでぶっ飛びやがれ--爆砕跳天噴ッ!!」

「ぬぅッ!?」

 

 しかし続き繰り出される裂帛の衝撃に堪らず右手も薙刀に戻して、跳びのいた。

 

「--ゲホッゴホッ! テメェ、そういう技は状況見て使いやがれ……!」

「堅てぇ事言うなッての……よォ兄弟、無事か?」

「誰が兄弟だ、誰が!」

 

 同じく跳び下がったソルラスカに引っつかまれ、死地を脱した空。毒づく言葉に苦笑する彼に軽口を返した。

 

「やっぱおまえ、悪運強っ。寿命以外じゃ死ななさそー」

「……煩せェな、放っとけ」

 

 その脇に『アイシクルロー』で、『グラビトン』を無効化したルプトナが着地する。

 

「……にしても、ベルバルザードとはな。トンでもねぇ奴と闘[ヤ]り合ってんじゃねぇかよ」

「ほう……そういう貴様は『荒神のソルラスカ』か」

 

 睨み合う狼と鬼。ソルラスカが冷や汗を流しながら牽制するその後ろで、地面に刺した【夜燭】を杖の代わりに立ち上がろうとする空。

 

「……一ツ聞いとくぞ、お前ら」

「あん、何だよ?」

「何さ?」

 

 目を閉じたまま--二人に決意を問うた。悲壮な決意を匂わせる空気を身に纏って。

 

「俺に命預けるか、勝負棄てるか……どっちだ?」

 

 低く唸るような問い掛け。二人は、眼前に立つ鬼神を睨みつけたままで全く迷う事無く--

 

「「--勝負棄てる!!」」

 

 全く同時に吐き捨てた。空は目を閉じると、片膝を立てた姿勢のままで。

 

「開門--」

 

 咥内で呟けば--胸鎧の奥の、鍵とお守りと羽の根付が吊られた首飾りに新たに吊られた、星屑を宿す宝玉から光が漏れる。

 その光はやがて、一発の真紅の実包として空の手に収まった。

 

--そう、これが鈴鳴から貰った『とっても良いおまけ』だ。内部に切り取られた世界を持つ宝玉、その名を『透徹城』。クリストの皆が持っているのと同じ原理の物だ。

 俺はそれを、『弾薬庫』として利用する事にした。持ち運ぶには不便だし危険な弾薬類を安全かつ大量に移送する為に。

 

「--ハハ、判ってんじゃねェかテメェら。『命を預ける』なんて言われたらケツ捲って逃げるトコだったぜ」

 

 開かれたアンバーの瞳。空は、悪辣な笑いを漏らしながら用意を…実包から弾頭を抜いて【幽冥】に装填し、衝き立てた【夜燭】の柄を握り立ち上がる。

 

「うおッ!?」

「うわっ!? な、何すんだよっ」

「騒ぐな、聞け。いいか--」

 

 前方の二人の頭を抱え込むようにガバリと抱き抱えると、何かを耳打つ空に注意を向けた。

 最初こそ慌てていたソルラスカとルプトナだったが、次第に顔を引き締めていき……最終的に。

 

「……うへぇ。よく思い付くよね、そんな事」

「ホント、厭味に懸けちゃ天才的だよなお前」

 

 ニィッと空と同じく悪どい笑みを浮かべる。

 

「褒め言葉として受け取っとく。んじゃあ一丁……まぁ増援が駆け付けるまでだけどよ……」

 

 両手を【夜燭】の柄尻に載せたままでソルが【荒神】、ルプトナが【揺籃】を当てた。

 刹那、大剣が蒼く帯電する。

 

「精々、死に物狂いで生き足掻くとしようぜ!」

「「--応ッ!」」

 

 分割されたレストアスの一部がソルラスカとルプトナにも宿り、蒼雷の加護『エレクトリック』を成す。身を包む力を感じながら、三人は同時に駆け出した。

 

「悪いが……餓鬼共とは言え一匹たりとも見逃してはやれん」

 

 真っ直ぐ向かうソルラスカとは対象的に、空とルプトナは大きく両翼に迂回する。

 

「--蟲ケラは叩き潰すのみよォッ!!」

 

 対して再度、空間が赤熱した。【重圧】より放出された赤マナが、爆風の如く吹き付ける。

 

【ちっ、馬鹿の一ツ覚えが……脳みそまで筋肉なんと違いますのん、あれ?】

(知るか、阿呆! それより!)

 

 【幽冥】は忌ま忌ましげに呟く。そんな銃を、【夜燭】を担いで左翼に走った空はベルバルザードへと向けた。

 一方、右翼に迂回したルプトナは水の刃を現出させた【揺籃】で地を滑る。

 

「気合一閃! ブレーードっ!」

 

 滑りながら右足を一閃させて、その水刃を飛ばす。それは過たずベルバルザードを襲い--

 

「--ヌゥン!!」

 

 神剣に叩き斬られ、潰えた。

 

「やるじゃん……でもっ!」

「俺の存在を忘れんなッ!」

 

 走り込んだソルの剛腕が唸る。

 

 繰り出される爪撃、両腕に装着された【荒神】は次第に【重圧】の防御を速度で上回り始める。

 加えて、その爪に宿る蒼い雷。打ち合わせる毎にそれに感電し、ベルバルザードの指先から徐々に正確さを奪い取っていく。

 

「フンッ!!」

「おッと! せいやァァッ!!」

 

 突き出された大薙刀の石打を、すんでの所で避けたソルラスカは勢いそのままにカウンターを叩き込んだ。

 

「--笑止! 話にならんな……行くぞ!!」

 

 しかし、ベルバルザードの鉄の護り『アイアンスキン』の前には通用しない。【荒神】は1mmたりとも傷を負わせていなかった。

 今度は刃に朱いマナを纏わせた【重圧】が振り下ろされる。

 

「……へっ、遣るじゃねぇか……だがよ!」

「--俺は無視かよ!」

「ック、小賢しい!」

 

 衝き付けられたロケット砲から撃たれた『ナパームグラインド』。魔力の塊であるその一撃は--ベルバルザードの物理的防御では防げずダメージを与え、【重圧】の刃を止めた。

 その決定的な隙、曝されたそこに狼は喰らい付く。

 

「狙いは外さねぇ、喰らいやがれ--崩山槍拳!!」

 

 衝き出した腕、それをベルバルザードの鳩尾に向けて--まさに『槍』として踏み込む!

 

「グッ! 未熟者と侮ってばかりはいられぬか……」

 

 雷神の加護を得た剛腕の一撃に、魔力抵抗へ防御を変更していたベルバルザードは後退した。

 

「ランサーっ!!」

 

 そこに一撃、二撃、三撃と回り込んだルプトナの後ろ回し蹴りが見舞われる。

 

「喰らえェェいッ!」

 

 だがそれら全ては【重圧】にて防がれたり三度目の蹴りの反動を利用して後宙返りにて、横殴りの一撃を躱わす。

 着地すると、ベルバルザードの出方を伺いながら再度地を滑る。それを追おうとした彼に赤の銃弾『スレッジヒート』と緑の銃弾の『イミネントウォーヘッド』が、ダブルで見舞われた。

 

「鬱陶しい--ならば纏めて全身の骨を砕いてくれる!」

 

 激昂し、熱閃を【重圧】で弾き、『アイアンスキン』にて受けてたった銃弾が地に墜ちるまでに。ベルバルザードは再び理法を侵食する魔法を紡ぐ。

 

「--グラビトン!!」

 

 展開される、朱の魔法陣。だがやはりそれは、ルプトナの氷の矢により打ち消された。

 

 押せば引き、引けば押す。暖簾に腕押し、柳に風。

 かと思えば一気呵成に、燎原を焼く火の如く苛烈な攻め。まるで、寄せては返す波のような戦術。

 

「……ク、ククク……」

 

 笑う。ベルバルザードは笑う。漸く判った、この三人は『勝とうとしていない』事が。

 確かに、この三人は相性が抜群に良かった。特に『生き残る』事に懸けては他の誰より。この闘いも--真実『生き延びる』為だけに行っているのだ。

 

「--マナよ。灼熱の炎に換わり、敵を薙ぎ払え……」

 

 それは、堪え難い屈辱。心行くまでの闘争を待ち望んでいた彼にとっては--最早怒り以外の感情は浮いて来なかった。

 

「何度やっても無駄だってね! アローっ!」

 

 紡がれる魔法に、一周して空とソルラスカに合流したルプトナは三度目の氷の矢を撃ち込む。

 

「あ、あれっ!?」

 

 しかし消えない。それどころか矢の方が溶け、蒸発する。

 

「貴様に御する事など出来ぬ……諦めろ」

 

 主であるベルバルザードの怒りに呼応したように、今までよりも更に強力な炎の気配が充ちる。

 そして、爆炎と共に現れた彼の守護神獣。

 

「--行け、ガリオパルサ!」

「オオオオォォォォォォォ!!!」

 

 大気を揺らす咆哮を上げる朱いティラノサウルスに似たその竜は、『暴君ガリオパルサ』。

 巨大な口腔に、炎が凝集する。『ハイドラ』の名前を冠するそのブレスはまさに地獄の業火、勝負を決めるには充分。

 

「……苦しみにのた打ち回り……死ね!!」

 

 主の許しを得て、解き放たれんとする炎。その竜と鬼を--蒼い煌めきが覆う。

 

「何……! 何だ、これは!?」

 

 ベルバルザード達の周囲を包むように蒼雷の檻が築かれた。その起源となっているのは、ルプトナの滑った軌跡--!

 

「--闇の雷よ、我が敵を狙う槍と成れ……!」

 

 ソルラスカに預けた分が『直接攻撃分』なら、ルプトナに預けた分は『間接攻撃分』。

 その用意として彼女はわざわざあのような戦闘を行ったのだ。

 

「捉えた--ライトニングボルト!」

「--ッ!?」

 

 全周囲に立ち上ったプラズマの槍は三人へと向けて撃ち出されたガリオパルサの炎と激突、更にはその内に存在している全てを焼き貫き蒸発させる--!!

 

 

………………

…………

……

 

 

 轟音と共に、雷の嵐を確認した物部学園の神剣士達。そして--息を呑む、その他の二人。

 

「……まさか、これ程とはな」

 

 嵐が潰える様を見詰めて、銀髪蒼眼の少年は呟いた。その纏う、黒い装束が風に靡く。

 

「はい、まさかこれ程とは……」

 

 それに答えるか細い声。少年の肩に腰掛けた銀髪緋眼の堕天使は酷く消沈した様子でそれだけ呟く。以前、『ミニオン並に低位』と断じた、その相手の力量に畏怖を感じた為に。

 

「ベルバルザードに、一矢報いて見せたか。あの時とは比べモノにならないな」

「も、申し訳ありませんマスター! 私の慢心です--あ……」

 

 平伏さんばかりの声色に、彼は苦笑した。そして小さな堕天使の髪を指先ですっと撫でる。

 それに驚いて、彼女は目を円くした。円くして--心地良さそうに目を細めた。

 

「近付き過ぎないようにしよう、アレの索敵範囲は判るか?」

「はい、このセフィリカ=ルクソ周辺の全域です。隠蔽や索敵する力そのものを感知する能力のようで、これでは……」

「『決して近付けない』か。成る程、敵に回すと厄介な能力だな」

 

 少年はもう一度遺跡を見遣り、苦笑した。どうやら自分の出番は無さそうだと。

 そして--ある人物、今この森の何処かで闘っているだろう少年の姿を思い浮かべた。

 

「--望……」

 

 呟きが森閑に融けて消えるより早く、佩刀した黒衣の少年は姿を消した……

 

 

………………

…………

……

 

 

 

 立ち上る土埃を眺める外側部、そこに三人は--吹き飛ばされていた。

 元居た場所には、大きな窪み。相当に威力を削ぎ落とされながらも、『ハイドラ』は三人を撃ったのだった。

 

「--かはッ……!」

 

 木に叩き付けられた空はズルリと地に這う。その手には、防御に遣われ赤熱した【夜燭】。篭手の方も『オーラブロック』を全力で展開した事で故障している。

 

 しかし、彼の傷はまだ軽い。彼を守ろうと盾になったソルラスカとルプトナはより甚大なダメージを受けている。

 

--クソッタレが、何を血迷ってんだコイツら……!

 

「……莫迦共が……! 俺が何時『守ってくれ』なんて言った」

 

 地に倒れ伏した二人に向け、空は吐き捨てる。心底の怒りを。

 

「『勝負棄てる』ッつったろうが! 何を俺なんて庇いやがる……テメェらは、テメェらの命だけを守ってりゃいいだろ!」

 

 ぴくりとも動かない二人。その二人に悲痛なまでの怒りを、地に拳を打ち付けて吠える。

 

--クソッタレ……一番嫌なんだ、こういうのが! 俺の命なら、幾らでも、何遍でも賭けてやる。でもな、俺は--!

 

「--『家族』の命を賭金にするなんざ、真っ平御免なんだよこのクソッタレがァァ!!」

 

 その怒りゆ二人に向け、止めに自分に向けて。何度も何度も拳を打ち付ける。

 その叫びに呼応したように。

 

「--下らんな。実に下らん仲間意識だ」

 

 煙の緞帳の奥から、ゆっくりとベルバルザードが歩み出た。

 

「仲間の為に命を賭ける愚か者の戦士も、仲間の命を賭ける事すら出来ぬ腰抜けの策士も……実に、下らん」

 

 ジロリと三人を確認し--鼻で笑った。

 

「……テメェ--」

 

 その鬼を睨みつけて、歯を喰い縛りながら立ち上がる空。

 その空を、横殴りに【重圧】が薙ぎ払った。

 

「--あ、か……ハッ……」

「言った筈だ。地に這い泣き叫ぶ姿こそ、弱者には相応しいとな」

 

 大質量の薙刀による一撃、その鎬による迫撃を受けて。彼はまた、地に這う。

 今度はもう立ち上がれはしないだろう。

 

「悔しいか? だが、それも全ては貴様の弱さが招いた事よ……」

「ぐッガ、あ……!」

 

 ベルバルザードに背を踏み付けられ、屈辱と共に苦痛が増す。

 

「……悔しければチカラを持て。己の理想を貫けるだけのチカラを持ち、それから理想をほざくのだな……」

「い、ギ……ヒッ!!」

 

 ギシギシと脚に力が篭められ、背骨が砕けんばかりに曲げられる。それでも圧力は緩まない。緩む訳が無い。

 

「--チカラ無き理想など、偽善にすら成らんわァァァッ!!!」

 

 何故ならば、その魂に刻まれた銘は【重圧】。全てを捻り潰す、暴虐の権化。

 『永遠神剣』という暴力装置に於いても、純粋に『力により屈服させる』事に特化した一ツ。

 

「--……下らねぇ……!」

「……何」

 

 だが。その暴力に踏み付けられ、捻り潰されて血を吐きながら。

 

「『理想』だぁ? ハッ、知った事かよクソッタレ……確かに俺は雑魚だ。何のチカラも持ってねェただのニンゲンだよ……」

 

 それでも、『弱者(ニンゲン)』は呟いた。

 

「……それでもな、俺ァ俺の壱志を貫く。敵う敵わないじゃねェ、それが俺の『願い』だし、何より--ッ!」

「……ぬッ!」

 

 呟き、折れるかも知れない背骨になど構わずに反転した。

 反転しながら、【幽冥】を突き付ける。

 タタラを踏みながら持ち直したベルバルザードだったが、直ぐに銃を向けられた事を悟り--全身に力を漲らせて。

 

「抵抗など、無意味--行くぞッ!」

 

 『受けて断つ』と、その戦意で示した。

 

--そうだ、俺の願いなんざその程度のモノ。神世から変わらない矮小な『願い』が有る。

 そのチンケな『願い』を叶える為なら!

 

「確率なんかの計算ずくで語れる程に、御大層な理想なんて持ってねェんだよォォォッ!!」

「ッ!?」

 

 勢い良く突き出されようとした【重圧】、その薙刀の柄を闇の腕が、その身体を冷気の電撃が搦め捕っていた。

 

「……カッコつけすぎなんだよ、テメー……!」

「全くだね……恥ずかしい奴!」

 

 ソルラスカの『テラー』とルプトナの『フローズンステイシス』だ。満身創痍で使用したその神剣魔法は直ぐさま効力を失った。

 だが--充分。『引鉄を引く』のには充分過ぎる。

 

「「--()ちカマせ、空ッ!!」」

 

 引かれた引鉄に熾こされていた撃鉄が墜ち、刹那に漆黒の衝撃波が巻き起こる。

 真紅の銃弾、反転の魔弾が至近より放たれて、ベルバルザードは--

 

「--此処で斃れる訳にはいかぬ……ヌォォォォォォォッ!!!」

 

 【重圧】による突きで迎撃し、その勢いのままに灼熱を纏う刃で烈しい唸りを上げながら空を両断しようと迫る--!!

 

 

………………

…………

……

 

 

 衝撃により巻き上がった土埃。しばし、濛々と辺りを覆っていたその土埃の晴れた先には--深紅の翼を持つ竜、西洋の伝承に名を残すドラゴンが着地していた。

 

「あら……こんなところでお目にかかれるなんてね、光をもたらすものベルバルザード?」

 

 その足元には空とソルラスカ、ルプトナの三人が転がっている。ベルバルザードはその突進を受け、数十メートルは吹き飛ばされて着地した。

 

「ヤツィータか……」

 

 声の主は赤い髪の女--数有る神獣の中でも、特に希少とされる竜属種。幻獣の頂点に立つというドラゴン『炎翼バラスターダ』の主ヤツィータ。

 更にバラスターダの背からポゥとタリアが降り、別方向からは望と希美、沙月。カティマとワゥ、ゼゥが現れた。

 

「多勢に無勢か。よかろう、この勝負預けておくぞ、小僧共」

「逃がさないわよ、バラスターダ--アークフレア!!」

 

 主の命に応え、バラスターダがブレスを撃ち出す。あらゆる存在を根幹まで焼き尽くすといわれる『神炎』を。

 

『施設は自爆するようセットしてある。どの道、プラントは他にも有り、ミニオンも充分製造した。我等の計画に支障は無い……また逢おう、戦場でな』

 

 全てが焼き尽くされたその空間に響く声が、その男が健在である事を証明して。

 

『小僧、決着は必ず付ける。それまでに精々力を付け、腕を磨いておけ、"龍装兵(ドラグーン)"』

 

 バラスターダの腹の下から天を見上げる少年の耳に、その賛辞が響いた。

 

 

………………

…………

……

 

 

 ピラミッド型のミニオン製造器『セフィリカ=ルクソ』の天辺に在った巨大マナ結晶が砕け散る。

 あれだけのモノが砕けたのだ、小規模ながら強烈なマナ嵐が吹き荒れる。

 

【ルゥ、確か正しい方式を取ればマナ嵐は……】

【ああ、起きない筈なのだが】

【誰か先走って壊したんじゃないの? 血の気の多いのとか】

【【【…………】】】

 

 三人が思い浮かべたのは、二人。傷が癒えるやピラミッドに突入して周囲の機械を手当たり次第に破壊して回っていた爪遣いと蹴り業師。

 

「……」

 

 一方空は、ポゥの治癒魔法受けながら厳しい顔をしていた。

 

『--チカラ無き理想など、偽善にすら成らんわァァァッ!!!』

 

--クソッタレ生が、言われなくても判ってんだよ神剣士。なんせ、俺自身が弱者なんだからな……

 

 ギリリと歯を軋ませ、その鬼を幻視した。

 

【タツミさん……】

【放っときなさい、ポゥ……】

 

 何か言葉を掛けようとしたポゥをゼゥが止める。その表情の意味を悟って。

 今は優しい言葉など掛けるべきではないと悟って。

 

--上等じゃねェかよ、『重圧のベルバルザード』。感謝する……俺に目標をくれて。

 

 久方振りに彼の身に充ちる決意。ダラバが消えて、越えたかった目標を失った事で燃え残っていた焼け木杭に火が点いた。

 

「遣ってやる……今の俺より一歩でも先に進む。そして、テメェを必ず……俺の壱志で撃ち倒す」

 

 ウジウジ悩むくらいなら、倒れ込んででも前に進む。それが--『巽空』という男。その魂の在り方だ。

 だからそれを見て、ゼゥは一言も掛ける事は無く。

 

【……ふん】

 

 少し嬉しくなった事を不愉快に感じ、そっぽを向いたのだった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 そんな所に、神剣士達が戻ってくる。しかし、望とルプトナの姿がない事で一騒動巻き起こった。

 希美やカティマが無謀にもマナ嵐の中に探しに行こうとした時、その二人は現れた。望がルプトナを所謂『お姫様抱っこ』した状態で。それで更に一悶着が起きて、結局。

 

「うわぁぁぁん、望ちゃあん! 無事で良かったよぉ…!」

「の、希美!? 何だよいきなり」

 安堵のあまり、泣きながら望に抱き着いた希美、ソレを見て。

 

「……チッ」

「……ちぇっ」

 

 空とルプトナが同時に舌打ちをした。

 

「……何だよ、真似すんなよな」

「訳の解らん事をほざくな。俺の方が.32秒早かったわ」

 

 バチバチと火花を散らして睨み合う。互いにムカッ腹立っている者同士、後は口戦有るのみ。

 

「まぁまぁ落ち着けって。しかしあれだな、俺らって中々のチームワークだったよな」

 

 そこに割って入ったソルラスカ。先程不用意な発言をした為に、タリアの鉄拳制裁を受けてしまい赤く腫れた頬を撫でながら。

 

「……ふん。まぁ、そこは認めてやるよ。ボクだけじゃあんなヤツと真正面からぶつかるなんて無理だったし」

「そういうお前も良い動きだったぜ。俺は力任せだし、学なんざァ無ェからな……」

「言ってくれるじゃねェかよ贅沢者共、俺なんざ力も速度も無ェぞコラ」

「「お前には悪知恵と厭味が有るだろ」」

「お前ら……今日から枕高くして眠れると思うなよ」

 

 三者三様の弱点、それがぴたりと嵌まり合う。有る種の三位一体だろうか。

 

「へへっ……まぁ兎に角ボクらの勝利!!」

「おうとも、次は完膚無きまでに打っ倒す!!」

 

 拳を差し出したソルラスカに、そこにルプトナも掌を差し出して重ねた。

 そしてジッと、空を見る。

 

「……当たり前だろうが」

 

 それに応えて、空も左手を差し出して--

 

「--莫迦共に足さえ引っ張られなきゃこんなモンだ」

 

 どこぞの慢心者で英雄な王様のような仕種で実に傲岸不遜、傍若無人にそう告げた。

 

「「--こんの超絶厭味鴉がッ!!」」

 

 その両腿に二人は同時にパーンと蹴りを見舞ったのだった。

 

「ぐぉぉ……! テメェらァ……神剣効果使ったまま、ダブルで腿パーンとか何考えてやがんだ特にルプトナァァ……!!」

「行くか、ルプトナ」

「そーだね」

 

 倒れ伏してゴロゴロと藻掻く空を尻目に、二人は歩み出す。何時しか一行はウルティルバディアへ戻る為に移動を開始していた。

 

「おい、待てソル、ルプトナ! ちょっ、立てねェんだけど、これ……骨折れてね?!」

 

 暗雲は最後のマナ嵐により振り払われ、黄昏の森に降り注ぐマナの飛沫。虹色に煌めく雪のようなそれに抱かれた一行。その最後尾に喧しい三人組。

 

「……ふふ、やっぱり私の見る目に狂いは無かったわ」

 

 それを見ながら、沙月は優しげな笑顔を見せたのだった。

 

 

………………

…………

……

 

 

「それじゃあ、勝利を祝って~~……かんぱーい!!」

「「「「かんぱーい!!!」」」」

 

 パスティル亭に調子の良い音頭が響いた。それに応えた囃しと、グラスをかちあわせる音色。店を貸し切っての宴会、この世界から脅威が去った事とそれを成した者達を讃える宴会だ。

 とは言え、実のところ既に二次会。ウルティルバディアの民衆が居た一次会では肩が凝ったというヤツィータの鶴の一声により、気の置けない連中……即ち物部学園の一同で集まっての慰労会だ。。

 

 皆から、少し離れたテーブルに着いている空。未だに痛む、包帯だらけの全身、折れた肋骨を摩りながらちびちびと茶をシバく。

 早くも、パスティル亭内は混沌の様相を呈し始めている。タリアに『最弱』呼ばわりされて、望に因縁を吹っ掛けているソルラスカ。酔って暴れている沙月と希美。カティマから奪い取った酒を喇叭《ラッパ》呑みするヤツィータ、レチェレにテーブルマナーを叩き込まれているルプトナ。

 そして、生徒を教え導く立場の早苗は飲酒した一同に雷を落とす--事は無く、酒盛りに加わっていた。

 

「教員がそんな事で良いのかね」

「ま、たまにゃ憂さを晴らしたい時くらい有るだろ」

 

 呟きに答え、ソルラスカが勝手に同じテーブルに着く。その手には酒と氷、そして炭酸水とグラスが。

 

「そりゃそうだがよ。で、なんだよ? 俺に話か?」

「おう、そういやお前とはまだ盃を交わしてなかったからな」

 

 言い、ソルラスカは空の飲んでいたグラスを見遣る。既にそれはカラ、因みに酒は一滴も呑んでいない。

 

「全力で拒絶する」

「あん? 忘れたのかよテメェ、あの勝負を」

「勝負だぁ?」

 

 暫く頭を捻るも、思い当たる節は無かったようだ。その間に彼は、手ずからグラスに酒を注ぐ。

 

「『どっちがミニオンをより多く倒すか。負けた方は、勝った方の言う事一つ何でも聞く』だ」

「--グッ!?」

 

 注ぎながらの言葉に空は、一気に冷や汗をかく。漸く思い出したのだ。あの戦闘でハイになって、冗句《ジョーク》をオーケーした事を。

 

「ッて待て! 確か、俺が六体で一番だったろうが!」

 

 手元に、酒の充たされたグラスが置かれた。小さな杯に、透明な甘露。

 

「オイオイ、『倒したミニオンの数』を競ったんだぜ? オメーが倒してたのはほとんど神獣だ」

「ハァ!? 結果は同じだろ!」

「違う違う、ミニオンだけだよ。それ以外は認めん。因みに、俺は最初の青も含めて四体だ」

 

 ソルラスカが差し出す盃を見て、仕方なさそうに盃を手に取る。

 

「……チッ、仕方ねぇか。テメェには何度か助けられたしな。この借りは必ず返してやるギギギ」

「何で歯軋り?! 別な意味にしか聞こえねーよ!」

 

 互いにやけにしゃちほこばって、一気にそれを飲み干して。

 

「「ゲホゲホッ、効くーッ!」」

 

 同時に咳込み合ったのだった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 『転送』によって分枝世界間の狭間にたゆたうベルバルザード。大柄なその影は、左肩を押さえて呻く。

 

「……この我に傷を付けるとはな……侮っていたか……」

 

 真紅の弾に撃ち貫かれた左肩。何かしらの毒か、血は流れず焼け付き神経も麻痺して動かせない。予想より酷い状態になっていた。

 ソルラスカの爪の攻撃を受けたベルバルザードは、空が細工したのは破壊力の底上げと併用して彼の技の精度を削る為だと思った。

 しかし、それはルプトナにあの罠を仕掛けさせる事を悟らせない為の『意識誘導』。更に、それを最善のタイミングで発動する為にわざわざ怒りを煽って【重圧】の守護神獣『暴君ガリオパルサ』を呼び出させたのだ。

 

 そして、あの最後の一撃。もしあの時に後少しでも余力を残していなければ……或いは。

 

「--あのような若僧に……!」

 

 敗北していたかもしれないと。己の慢心を恥じる。

 

「何と言う胆力と策謀……いや、蛮勇と無謀か。しかし……クッ、底知れぬ男よ」

 

--だが、手応えはあった。あれならば奴ら、『理想幹神』どもに……

 

 覆面の奥の、獰猛な瞳。それに初めて人間らしさが灯り、閉じられる。彼が思うのは、ある人物。

 

「……エヴォリア……必ずお前の『戒め』を解いてみせる……」

 

 あの少年の吐いた言葉に潜む、耳から染み込む浅い毒にあてられでもしたのか。柄にも無く届かぬ言葉を紡ぐ。瞼の裏に焼き付いた、彼が忠誠を誓う存在へと--。

 

 

………………

…………

……

 

 

 梟の様な鳴き声が響く夜半過ぎ、しかしパスティル亭は未だ煌々と明かりが燈っている。

 

「望ぅ~、グラスがカラじゃん。ボクが注いであげる~!」

「うあっつ!? い、いや、俺は今呑んだばっかりで……」

 

 望のグラスが空いた途端、ルプトナの軽快さを活かした迎撃不可の一撃。抱き着かんばかりの勢いで身を寄せて持っていた酒瓶から、酒を注ぐ。

 

「だ~め! 望ちゃんにはわたしが注ぐの~!」

「くっ、希美……!?」

 

 だが、それは予め警戒を怠っていなかった希美の鉄壁のガードに押し止められた。グラスには小皿で蓋をされており一滴も注がれていない。

 

「そ~よ、次は私の番なの」

「ま、また先輩に……!」

 

 しかし、やはり虎視眈々と機会を狙っていた沙月のインタラプトによりグラスが奪われた。カラのグラスに彼女は酒を注ぐ--

 

「さぁ望くん、グイッと呑んじゃって……って」

 

 いや、既にグラスは波々と甘露を湛えていた。無論それを成したのは--青にも打ち消す事能わぬ、黒の速度だった。

 

「押し付けはいけませんよ皆さん、望が困っているでは有りませんか……という訳で望、代表して私が注いでおきました」

「「「な、なんだってー!」」」

 

 両手どころか両足にも花。四人の眉目麗しい女性に囲まれてチヤホヤされながらの酒盛りと、まさにハーレム状態。

 

 端から見ればもう、殺意以外の何一つ湧いてこない状況に陥っている望。

 

「ハ、ハハ……ハ……うぷっ」

 

 もう既に二十杯以上呑まされてテーブルに突っ伏し、最早色んな意味で笑うしかないようだ。

 

「にしても、望君ってモテモテね。あれね、恋愛原子核って奴?」

「あれが世界の選択なんでしょ」

「お姉ちゃん、望をあんな子に育てた覚えは無いわ!」

「早苗ちゃん落ち着いて、キャラ違いよ。はいお水」

 

 別のテーブルで、そんな様子を眺めていたヤツィータにタリア、早苗と美里。酔いが回って言動が怪しくなっている早苗に水を渡し、美里は望のハーレムを見ながら溜息を零す。

 

「うちのモテ率って極端に偏ってるのよね。神剣士人気ランキングでは、圧倒的な女子票でやっぱり世刻が一位だったもの」

「っていうか、選択肢なんて殆ど無いじゃない。要するに男は世刻か巽かソルって事でしょ?」

「あー、成る程……」

 

 そこで三人は、ある一方に目を向けた。そこには--

 

「ブハー! 酒だ酒ー! もっと持って来ーい!」

「おおー! 良い呑みっぷりだぜ、空! ささ、兄貴も一献!」

「すまねぇな信助! 頂くぜ!」

「ヤッッベェェェ、超テンション上がって来たァァァッ!! 頼んでいいのかソル、信助! 『サイドメニュー全品』って頼んでいいか!? 夢だったんだよ、俺!」

「何を小せェ言ってんだよ空……どーせタダなんだからよ、男なら『メニューの右から左まで全部』だろうがァァッ!」

「兄貴超カッケェッす!」

 

 野郎三人で、まるで対抗するかのように……否、対抗して異常な盛り上がりを見せるソルラスカと空と信助……。

 

「放っておいてあげましょうよ。だってあんなに愉しそうじゃないですか……」

「……ええ、私も鬼じゃ無いわ」

 

 優しげな眼差しと声で告げる。まるでそれは春の陽射しのような温かさだ。

 

「生まれて始めてみたわ……あれが混じり気無し、純度100%の『どうしようもない本物の絶望』ってやつなのね」

「「「放っとけェェェッ! 俺達だって……俺達だって幸せになる為に生まれてきたんだァ!!」」」

 

 その哀れみの視線に、互いの傷を舐め合う負け犬達三人は揃って遠吠えた。

 

「チッキショォォ! 何でアイツばっかりィィィ!」

「ハハハ、同じ幼馴染みでこの差! 殺せよ、俺の事嫌いなんだろ神様ァァ! 俺だってお前なんか大ッ嫌いだぜバーーーカ!」

 

テーブルに突っ伏して全く同じ仕種でバンバン叩く信助と空。既に二升瓶が六本以上転がっている。

 

「落ち着けテメーら。俺達にゃあ酒っていう忘却[救い]が有るじゃねぇか」

 

 そこに、窓の外を眺めながら二升瓶を直接喇叭呑みするソルが語りかけた。

 

「--全力で突っ走るぜ、お前ら……付いて来れるか?」

「「兄貴ィィィィ!!!」」

 

 背中《せな》で語るソルに酔いどれ二人が抱き着いた。

 

「……あほくさ」

 

 タリアの呟きなど、最早届いていないだろう。

 夜宴はこうして、混迷の度合を深めながら夜が更けるまで続いたのだった……

 

 

………………

…………

……

 

 

--……夢の続きを見ているんだと。それは当たり前のように直感で分かった。

 

『え、ときみさん? どこどこー、ときみさんどこにいるのー?』

『……は?』

 

 背後から聞こえた、自分よりも更に幼くて舌っ足らずな幼女の声を受け、和服を纏った童子は振り返る。

 

--ああ……思い出した。これは俺が……希美と出逢った時の記憶だ。

 

 そこに居たのは、辺りをキョロキョロ見回している--正真正銘ゴシックでロリータな服装をした、よく魔法少女が持つような杖を手にし、白いリボンみたいなものを頭の左右両側に付けた■い髪のおかっぱ頭の童女だった。

 

『ねーねー、どこにもいないよ、ときみさん』

『いや、おれもさがしてんだよ。ってかおまえ、ときみさんのことしってんのか?』

『しってるよー、あたし、ときみさんだいすきだもん』

 

 時深を見付けられずに、童女は不満そうに唇を尖らせる。それに、空も不服そうに唇を尖らせた。

 

--駄目だ……この時の、小さい頃の希美の顔がよく思い出せない。まるで絵の具で無理矢理、希美の顔に塗りたくったように---作為的なまでに。

 

『ところで、こんなところでなにしてるの? あーっ、わかった! まいごでしょ』

『はぁ? まいごはおまえのほうだろっ!』

 

 と、外野《いしき》が思案している間に、童女が問い掛けた言葉に童子が噛み付いた。

 

『ぶーっ、ちがうもん! あたしは、えひぐぅをさがしにきたんだもんっ!』

『えひぐー? なんだ、それ』

 

 

 その言葉にぷーっと膨れた童女に、訳の解らない言葉を言われてしまう。

 

『えひぐぅはね、からだがしろくておめめがあかくてー、おみみがながくてぴょんぴょんはねるんだって!』

 

 思い当たる言葉を知らず、首を傾げた童子に童女は身振り手振りで説明する。

 それで漸く、思い当たる生き物を導き出した。

 

『なんだ、うさぎか……だったらどうぶつえんにいるだろ』

『うさぎじゃないもん、えひぐぅだもん……どーぶつえん?』

『どうぶつがいっぱいいるところだよ。それをみてたのしむばしょだ』

 

 今度は童女の方が思い至らず、首を傾げる。空は、実にあっさり口だけで説明した。

 

『そうなのー、じゃあ、えひぐぅみたことある?』

『あったりまえだろ、だっこしたこともあるぜ』

『すごいすごーい、いいなぁ!』

 

 向けられた尊敬の眼差しに、空は少し気分を良くする。だが--

 

『じゃあじゃあ、えひぐぅのつのってほんとうにかたいの』

『つの?! つのなんて……あったか?』

『ねー、あたしもえひぐぅだっこしたーい! どーぶつえん、どこにあるの?』

 

 その思いがけぬ言葉に目を白黒させる彼に対し、童女はくりくり黒目がちな団栗形の瞳をキラキラと輝かせた。

 

『しらねーよ、だいたい、おれがいまどこにいるかもわからねーんだからな』

『ぶーっ、いきたいいきたいーーっ!』

 

 だが空はつれない答えを返しただけ。童女は地団駄を踏みながら、ステッキを振り回す。

 

『はぁ……だったら、ひとのいるところまであんないしてくれよ。あとはそれからだ』

『ひとのいるところ……じゃあ、おとーさんとおかーさんのところにいけばいいんだね!』

『…………!』

 

 その童女の言葉に一瞬だけ、彼の深い琥珀色の瞳に敵意が映る。しかし、それは直ぐにより深くに沈んで見えなくなった。

 

『……やっぱりいかねぇ。ひとりでいけよ』

『ふぇ……』

 

 見えなくなって--代わりに、冷酷なまでに醒めきった眼差しを童女に向けた。

 

--……我が事ながら情けねぇ。親が居ねえってだけで卑屈になりやがって、完全に八つ当たりじゃねぇか。

 

 と、いくら今の外野《いしき》が思ったところでそれは変えられない。そして、童女を置いたままスタスタと歩きだした。

 

『あ、まってよー!』

 

 戸惑いつつ、童女は空を追って駆け出す。

 

『うるせぇ、ついてくんなっ!』

『ひぅっ……うきゅっ!』

 

 振り向きもせずに、大声で恫喝する。その声に余程驚いただろうか、彼女は些細な石ころに躓いて転んでしまった。

 

『うぅっ……ふぇ~~ん!』

『…………』

 

 そして、のろのろと座り直して膝を擦り剥いているのに気付いて泣き出してしまった。だが、それでも空は足を止めず、腕を組んだままで歩き続ける。

 

『おと~さ~ん、おか~さ~ん、ふぇぇ~~ん……』

『…………』

 

 泣き声に、『誰か』が夜が来る度にそう口にしていた言葉を思い出し、更に不快な気分になって。そして全てを拒絶するように目を閉じ--

 

『---ああぁもう……ぴーぴーうるっせーんだよ!』

 

 濁った金色の髪をくしゃくしゃっと掻き毟り、琥珀色の瞳に怒りを漲らせて。

 踵を返して駆け寄って--童女の膝の擦過傷に思いっ切りかぶりついた。

 

『ひゃあ、な、なにするのっ!』

『いてて、こら、やめろっ!』

 

 童女の驚きの余り、泣いていた事すら忘れてステッキで空の頭をぽかぽか叩く。

 突然、そんな事をされれば当然だろうが。空は、暫くその傷口を舐めた後で離れると、ペッと泥と血の混じった唾を吐いた。

 

『あのな、きずにつちがついてるとばいきんがはいっちまうんだよ。はしょーふーはすげーこわいんだからな』

『はしょーふー?』

『わるーいばいきんだ』

 

 清めた傷口に、袖の中から取り出した二枚貝……その中の黄色い軟膏を塗り付けて、油紙を付けて包帯を巻く。この年齢では、有り得ない程の手際の良さだ。

 

--この時ばかりは、師匠に感謝したな。修行で慣らされてなきゃ、こんな事出来なかった。

 

『……よーし、これでいいだろ。まったく、とっととおやのとこにいって、ちゃんとしたてあてしてもらえよ』

『う……うん』

 

 手当を終えて立ち上がると、空は再び彼女に背を向ける。もう、話すべき事は無いとばかりに。

 その為に翻った単衣物の裾を、童女に引っ張られた。

 

『たてないよ~、おんぶしてぇ』

『…………はぁ』

 

 それで懐かれてしまったらしく、甘えられてしまう。仕方なく腰を下ろす。

 すると童女は、嬉しげに彼の背に負ぶさった。首に両手を回すと、むぎゅっと抱き着く。

 

『えへへ~~』

『……』

 

 子供故の高い体温を感じつつ、彼は立ち上がる。その強靭な足腰もやはり、彼の師の扱きの賜物。

 

『ありがと、えっと……なまえ、なんだっけ?』

『あきだ、たつみあき』

 

 耳元で囁きかける童女の吐息に、彼はぶっきらぼうに唇を開く。

 

『ありがと、あっくん。あたし、あっくんだーいすき!』

『か、かってにりゃくすなよ! だいたいおまえな、ひとになまえをきくときは、じぶんからなのるものなんだぞ!』

 

 背後から首筋にすりすりと顔を押し付けられ、空は顔を真っ赤にしてそんな事を口走る。

 

『あたし、■■■■■■。みんなからは■■■■■ってよばれてるの。それと、このこは■■■■』

 

 と、彼女は自らの名と--手に持ったステッキの『銘《な》』を語った。

 

『このこって……つえだろ?』

『つえじゃないもん、■■■■はうまれたときからいっしょなんだもん!』

『ふーん……』

 

 そんな、気のなさそうな返事を返しながら。刹那、高まった胸の鼓動に困惑する。

 『伽藍洞』の己とは正反対の、『満ち足りた』その童女に。

 

 その余りにも因果な運命も宿命も知らぬままに、出逢うべきではなかったその二人は。

 

--俺は……この娘に、生まれて初めて恋をしたんだったな……。

 

 

………………

…………

……

 

 

「……ん」

 

 意識の断絶から目を覚まして、空は辺りを見回した。

 

--あー、流石に無茶な飲み方をし過ぎたか……なんかまだ頭ん中にアルコール残ってるな……

 

 明かりが落ち、闇に閉ざされた室内。因みに左右からは、信助とソルラスカ。前からはヤツィータの寝息。それ以外のメンバーの姿は無かった。

 

「あ……タツミさん、起きられたんですか?」

「レチェレさん……」

 

 そこに、掛布を持ったレチェレが現れた。どうやら、酔い潰れた自分達にそれを掛けてくれようとしていたらしい。

 そして、思い出す。宴がお開きになっても『二次会』と称して、ソルラスカと信助、ヤツィータの四人で騒いでいた事を。

 

「すいません、迷惑掛けて」

「いえ……」

 

 それを手伝い、広間を後にする。その道々、水を一杯貰って飲み干した。

 何となく連れ立って店の外……板組みの足場の手摺りに肘を置き、酔い醒ましの風を浴びて濁った金髪を靡かせつつ吸い掛けだった煙草に火を付けた。

 

--……何か、ひどく懐かしい夢を見ていた気がする。そう、何か……とても、大事な記憶を。

 

 人工の灯火に溢れ返った元々の世界では滅多に見られない、夜空の漆黒のキャンバスに映える金色の月影と、赤、青、黄色の星々の煌めき。

 その虚空に、煙草の先の埋め火を思わせる焔から立ち上るものと吐き出した紫煙が、ゆらゆら揺れながら消えていく。

 

『あたし、■■■■■■。みんなからは■■■■■ってよばれてるの。それと、このこは■■■■』

 

 肺を充たす焼けた香気を味わい、その劫波の彼方に去った記憶を漁りながら名前も姿形も知らない虫や鳥獣の歌声、夜風と木の葉のさざめきに耳を傾けていると--

 

「あ、あの……」

「ん……はい、なんです?」

 

 レチェレに呼び掛けられ、振り向く。その動きに、ホルスターに吊られた銃が擦れたのか、静かな金属音が響く。

 振り向いた瞬間、一瞬その姿に--『記憶に有る限りでは』見た事などない、童女の姿を重ねた。

 

「昨日はありがとうございました……それと、足手まといになってしまってごめんなさい」

「何言ってるんですか。それなら俺の方こそ、巻き込んでしまってすいません」

「そんな……もしもタツミさんが居なかったら、わたしはきっと」

 

 と、そこまで言ったところで、彼女は口をつぐむ。正確に言えば、空の人差し指で押さえられた。

 

「駄目ですよ、それは勘違いだ。俺が居なけりゃ、きっと他の誰かが救ってくれてます。たまたま、今回は俺だっただけ」

「あうっ……」

 

 気障ったらしい仕種や口調は、場の空気を変える為。男として、女をそういう野暮な事で泣かせるのは、彼の憧れるアウトロー道、ハードボイルド思想に反する。

 ただ、そういうのが逆効果な例もある事に思い至らないあたり、半熟たる由縁であろう。

 

「あ、あの……おやすみなさいっ!」

 

 一瞬で真っ赤になったレチェレは、さながら小鹿のように機敏な動作でパスティル亭の中に消えて行った。

 

「…………流石に臭過ぎたかな」

 

 それを苦笑いしながら見送って、空は再び煙草を銜えて--

 

「さてと、それじゃあ向かい酒と洒落込むか」

 

 さりげなく持ち出していた酒瓶を取り出したのだった。

 



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共にありて 次なる世界へ

 昼下がりの物部学園、その廊下を歩く望の足取りは重い。

 

「全く、宿酔《ふつかよい》如きで情けないぞノゾム。ほれほれ」

「うあ、やめろって……うぷ」

 

 昨日飲み過ぎた為に、大分酷い宿酔に成っているらしく、レーメが頭の上で跳ねるだけで吐きそうになっている。

 

 しかし、望の足取りが重いのはそれだけが原因ではない。

 

「望ちゃん、大丈夫?」

「気分悪いなら保健室に行く、望くん?」

「それが良いでしょう、何か大事があってからでは遅いですから」

「はいはい! じゃあじゃあボクが送ってく!」

「……いや、行かないから……」

 

 未だ続いている、争奪戦の所為でもあった。

 

「……オイオイ、またかよ。もううんざりだ……世刻呪われろ」

「相変わらずのハーレム具合だな、羨ましいぜ……世刻呪われろ」

「ていうか増えてるじゃねーか。あの巫女さんみたいな黒髪爆乳娘は誰だよ……世刻呪われろ」

「…………」

 

 穏やかな昼下がりの廊下は何時しか、男子学生達の呟く呪詛の渦に……『カースリフレックス』もかくやという呪怨の渦巻く空間と成りつつ在る。心なしか、気温も下がっているようだ。

 だがしかし、その正しき怒りは望争奪戦に夢中で気付かない彼女達により展開された春色オーラで通用していない。

 

 掌に汗をかきつつ、望は食堂の扉を開く。もう昼飯時は終わっている。恐らくは、この中なら安全だろう--

 

「両手足に花での重役出勤ご苦労さん。俺なんざ気が付いたら両手にウ○コが付いた状態で寝てたぜ……世刻呪われろ」

「「呪われろ呪われろ呪われろ呪われろ呪われろ呪われろ呪われろ呪われろ……てかその『ウ○コ』ってのは俺達のことか」」

「空、ソル、信助……お前らもか……」

 

 だが遅い、もう既にそこは呪いの坩堝だった……。

 

「……えっと、何してるんだ?」

 

 見れば彼は何か鍋を掻き回している。緑色の液体が溜まったそれは、見様によってはまるで魔女の釜だ。

 

「酔い醒ましだよ。宿酔が酷くてな……俺も、あいつらも」

「うあー……だりー……」

「頭割って中身掻き出してぇ」

 

 しかめっ面のままでクイクイと親指で指し示された方を向けば、机に突っ伏したままでピクリとも動かないソルラスカと信助の姿が在る。

 

「果物が中心の野菜ジュースだ。どうせお前も飲むだろうと思って多めに作っといた」

「助かる……一杯くれるか」

「ハル・クララス《呪われろ》」

「……って、空。何か今、神世の言葉的なので呪わなかったか?」

 

 望は適当に取り出したコップを空に差し出す。しかし、その少年の手からそのコップが奪われた。

 

「それじゃあ、わたしが注いで」

「いやいや、ここは生徒会長の私が注いで」

「今、それは関係無いだろっ! ボクが注いで」

「押し付けはいけませんよ皆さん、望が困って」

「「「二回も同じ手が通用するか~っ!」」」

 

 目まぐるしく移動するコップ。その様に、男達は揃って呟いた。

 

「「「ハル・クララスハル・クララスハル・クララスハル・クララス……」」」

「……アウェーだ……」

 

 こうして、しょうも無い火種を撒きつつ。彼らの『精霊の世界』での戦いは幕を閉じたのであった……

 

 

………………

…………

……

 

 

--精霊の世界に滞在して一ヶ月が過ぎた。この世界では剣の世界のように戦争をした訳ではないので皆が羽を伸ばす事が出来、様々な鬱憤の解消にもなったようだ。

 

(中には有志を募って、歓楽街に繰り出そうとして……口に出すのも憚られる程の制裁を受けた莫迦《ソルラスカ》も居たけどな)

【旦那はん、急に物思いに耽ってどうしはったんどすかぁ?】

 

 明け方の清涼な空気に包まれた校庭を掃除しながら、武術服姿の空は回顧を始める。暇なのだ。

 

--後は、浴場が出来た。総檜っぽい木造りの一度に八人は湯浴みできる大浴場だ。『礼がしたい』と申し出て下さった、ロドヴィゴさんの言葉に甘えた結果で。それに『日本人として一日一度は湯舟に浸かりたい』と、ずっと女生徒から要望が出ていたのだ。渡りに湯舟とでも言うべきか。

 

【うーわ、オヤジギャグつまらへァァァァ~…………】

 

--んでもって、俺を狙い撃ちにするかのように校則『生徒会特例:気配遮断禁止令』が採択された。お陰で俺は、学園の敷地内では気配を遮断していてはならない。実に失敬な話だ。

 まぁ、完成初日に覗きの現行犯として莫迦ども《ソルと信助》が見せしめとして中庭のトネリコに吊られたりしたけどな。

 

「おーい、待たせたな空」

 

 タッタッと軽快な足音を立ててソルラスカが現れる。そして朝の校庭で、試合は繰り広げられた。

 

「破ァァァッ!」

「ッとォ! 甘ェぜ!」

 

 繰り出された拳打を避けると、ソルラスカは反撃の蹴りを見舞う。それを篭手で受け止めて、空も反撃に転じた。

 

「--征ッ!」

 

 初撃は右の拳撃。零距離の--『崩山槍拳』。本家とは違って、下方から打ち上げる軌道。

 

「チッ!」

 

 それを軽々いなしたソルラスカの頚筋を狙い、流れるように左の後廻し蹴り『レインランサー』が見舞われる。

 これもやはり、本家とは違って上方から振り下ろす斧を思わせるモノだ。

 

 一撃、二撃、三撃。左踵、右脛、左踵で繰り出された斧刃を後退して躱し、反撃に転じようとしたソルラスカに--

 

「--貰ったァァッ!」

 

 止めの一閃。透徹城内から取り出した【夜燭】の刃、その深く湾曲した刃先に左手を沿えて、圧し斬るように衝き出す。

 その剣戟はアイギア式の剣術の基礎の一ツ『無体』。間詰まりを起こす程に近接する事で、相手の攻撃のタイミングを一方的に潰す技だ。

 

 この一ヶ月間、傷が癒えて以降は日に夜を継ぎ死に物狂いで特訓していた。

 

「カティマの剣筋か……流石だな、だがよッ!」

「なっ--ガハッ!」

 

 剣を握る腕を掴まれ、くるりと背を向けた上で更に深く懐に潜り込まれて。

 そのまま--天地が逆転した。

「どれもこれも粗削り、まだまだだな……この辺にしとこうぜ」

 

 フウ、と息を吐いて構えを解くと【荒神】を消してタオルで汗を拭うソル。

 

「--クソッタレ……」

 

 完璧な一本背負いを決められて、空には毒づく事くらいしか出来なかった。

 

 

………………

…………

……

 

 

「いらっしゃいませ、パスティル亭へようこそ……って、なんだ。またお前たちかよ」

「毎回言うが何だとは何だコラ。俺らは客だぞ」

「毎回言うけど、いっつもツケの奴らなんて客じゃ無いねっ」

「ルプトナったら、もう……あの、いらっしゃいませ」

 

 場所を移して、パスティル亭。席に着いた野郎二人の所に、昨今すっかり看板娘扱いをされ始めたルプトナと元祖看板娘のレチェレが歩み寄る。

 精霊回廊の解放後、精霊達は今まで消耗した分を取り戻すために休息に入ってしまった。故に彼女はこれからもウルティルバディアで生活する事となったのである。

 

「男だけで連れ立って来るなんて、ホント泣けるよお前たち」

「うるせーやい。良いからいつものくれ」

 

 一言二言、憎まれ口を交わして引っ込む。その間に本来の目的である話を始めた。

 

「なんつーかな、お前は筋は良いんだよ。完璧に套路を熟してるし呼吸法や歩法、撥勁までマスターしてるし、教えを堅実に守ってるしな」

 

 困ったようにポリポリ頭を掻きながらソルラスカは言う。空は、それを真摯に聞いていた。

 あの屈辱的な勝利以降、彼らはよくこうしてつるんでいる。

 

「けど、『それだけ』なのがお前だ。型に嵌まりすぎなんだよな、柔軟性が無い」

「柔軟性か……確かにな」

 

--どんなに頑張っても俺は所詮素人に毛が生えた程度だ、目の前の達人達に教えを請わない理由はない。『百聞は一見に如かず』、教本を見て百回特訓するより実際に神剣士と一度組み手した方が、余程為になる。

 詰まらない自尊心なんて意味が無い、少しでも強くなる為ならば--あらゆる手を尽くそう。

 

「『オリジナリティ』ってのか? 他人の真似事ばっかじゃなくて『自分らしさ』を出せれば、お前はもっと強く成れると思うぜ」

 

--『自分らしさ』……一番苦手な部類だ。だが、ベルバルザードに勝つには、鍛練だけで無く意表を衝く工夫も必要だろう。

 

「タダ飯、おまちどー」

「ル、ルプトナったら……」

 

 空が思案にくれだした時、実に面倒そうなルプトナと少し慌てたレチェレの二人が、それぞれ食事を二つ持って現れた。

 

「「言ってくれんじゃねーか」」

「悔しかったら金払いなー」

「ルプトナっ」

 

 ふふーん、と勝ち誇ったように告げるルプトナ。窘めるように、レチェレが彼女の袖を引いた。

 

「はいはい--ほらよ、迷惑料も含めて一括払いだ」

 

 その時、空はテーブル上に袋を置いた。以前は非常食入れにしていた巾着袋、それに詰められた、この世界の貨幣。

 

「お前ら……遂にやっちゃったのかよっ!」

「「犯罪になんて手ェ出して無ェよッ! どんだけ金持ってないと思われてんだ!」」

 

 予定調和のような問答、周囲の客やレチェレも苦笑いを漏らしたのだった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 『昼休憩貰ったから』と勝手に自分の昼飯も持って来てランチを摂り始めたルプトナを加えた三人で、食事を終えた三人組。

 

「しっかし驚いたなー、どういう風の吹き回し? 今まで、鐚一文払わなかったくせに」

「どうもこうも、後腐れを残していく訳にもいかねーだろうがよ」

「……へっ?」

 

 ソルラスカの言葉に、ルプトナは呆けたような顔をした。だが、直ぐにその意味を悟る。

 

「……そっか、行くんだ」

「ああ、出発は明日の朝だ。世話んなったな」

「へんっ、清々するねっ! あ、そうだ空、お前、あの娘には挨拶したのかよ?」

 

 ほんの一瞬だけ、寂しそうな顔をしたルプトナ。しかし瞬く間にそれを吹き消し憎まれ口を叩く。

 

「空に女!? 聞いてねーぞ!」

「言う必要もねーけどな! てか『あの娘』ッて誰だ、認めるのも癪だが、そんな色っぽい経験した覚えはない!」

「前に一回連れてきてたじゃんか、こーんなちっこいの」

 

 本当に判らないようだったが、ルプトナの示した身長とその台詞に何となく思い出す。鈴鳴を。

 

「聞いてよ、ソル。コイツ、モテないからって年下の女の子に手を出してんだよ、情けない。ご飯を奢っていいカッコしてやんの」

「オイオイ空よぉ……希美に相手されないからって、諦めんなよ。何時かは気の迷いかなんかで相手してくれっかもしれねーだろ」

「どうやらお前らとはもう一度、徹底的に拳で語り合う必要があるらしいな……」

 

 青筋を立ててパキポキと両の拳を鳴らした空だったが、ふと視界に入ったその人物に気付く。

 

「ハハ、相変わらずのようですね、皆さん」

「ロドヴィゴさん、いや、こいつはお見苦しいところを」

「ああ、楽にして下さい。貴方達は我々の恩人なのですから」

 

 立ち上がって挨拶しようとしたソルラスカと空を押し止め、逆にロドヴィゴが頭を下げる。

 

「この世界を救って下さり、誠に有難うございました。代表としてもう一度、御礼申し上げます」

 

 揃ってバツの悪そうな顔をした三人。確かに、戦闘には勝った。しかし彼らにとっては『勝負には負けた』戦いだったのだから。

 

「それとタツミ君、君の話通りでした。どうも有難う」

「いえ、お役に立てたのなら光栄です」

 

 二人にしか判らない言葉を交わして、空は席を立つ。

 

「野暮用を思い出しました。それではロドヴィゴさん、これで」

「ええ、それでは」

 

 そのまま一礼してバサリと外套を纏うと、ソルラスカと共にレチェレにも礼を告げて扉をくぐろうとして--。

 

「た……タツミさんっ!」

 

 珍しく大声を出したレチェレに呼び止められた。

 

「あの……その、外套が、綻びてますよ」

「え……ああ、本当だ。」

 

 見れば、確かに袖や裾に多々、綻びがある。まぁ、かなり長い間戦闘装束として使ってきたのだ。このくらい綻んでいても、不思議ではない。

 

「その、もし良かったら……私が、繕いましょうか?」

「え--良いんですか?」

 

 願ってもない申し出だ、空は念の為に聞き直す。

 

「は、はいっ……というか寧ろ、繕わせて下さいっ!」

 

 それにレチェレは、勢い込んでそう口にした。

 

「じゃあ……お願いします」

 

 断る理由も無く、外套を脱いで渡す。それを受け取り、彼女は。

 

「はい……任せて下さい」

 

 嬉しそうに、切なそうに。漆黒の外套を抱き締めた。

 

「……あいつらが行くって事は、望も行っちゃうんだ……」

 

 そして空とソルラスカを見送り、ルプトナが呟いた。

 

「私は……頑張ったよ。どうするの、ルプトナ?」

「ルプトナくん……私が言う権利はないのかもしれない。しかし、若者は--後悔よりも失敗をするべきだと思うよ」

 

 その隣に立っていたレチェレと、ロドヴィゴが問い掛ける。それに彼女は--強く逡巡した。

 

 

………………

…………

……

 

 

 ソルラスカと別れ--というか付いて来ようとしたので気配遮断で巻き、鈴鳴の工房の前に立った空。徐《おもむろ》に戸をノックしようとして--

 

「あ、巽さんじゃないですか」

 

 背後から掛けられた鈴のような声に、ゆっくりと振り返った。

 

「お久しぶりですね、何か入り用ですか? 今お勧めは--」

「なんだ、ご機嫌じゃないか」

「そりゃもう! なんたって、私がお金借りてた闇金が摘発を受けたんです。悪い事は出来ませんよねー」

「お前はもっと痛い目見た方がいいだろうにな。残念だ」

 

 両手を天に向けて『やれやれ』と薄く笑う。

 

「ところで、どうしたんですか? 本当に」

「ああ、この世界を発つ日取りが決まったからな。挨拶に来た」

「ああ、成る程……」

 

 そこで彼女は、空に身を寄せる。そして小声で囁いた。

 

「旅団の本拠地に行くなら、気を付けてくださいね。『透徹城』を持ってる事がバレないように」

「判ってるよ。ッたく……規制品なら持たすな」

「酷いですよ巽さーん、私は少しでも巽さんの役に立てればと」

「本音は?」

「やっば、巽さんが居るって事は旅団も居るって事じゃんどうしよ。あ、そうだ『木を隠すなら森の中』って言うし巽さんに持たせておけば在庫も掃除できて一石二鳥、さっすが私……あれ、巽さーん! 冗談ですってばー!」

 

 『よよよ……』と泣き真似していた鈴鳴だったが、あっさり本音を漏らす。背を向けて歩き始めた空、その背に向かって呼び掛ける鈴鳴。

 

「また、会いましょーねー!」

 

 応えて左手を上げたその仕種、サムズアップを見せた姿勢のままに彼は一度も振り返らずに歩いて行った。

 

「……次は軍場《いくさば》で」

 

 冷やかな笑顔と共に見送る彼女に気付く事無く。

 

 

………………

…………

……

 

 

 別れの朝。視界の端では手作り弁当を渡しながら、泣き出してしまったレチェレが望に撫でられている。

 

--アイツはどれだけモテれば気が済むんだろうか。

 

【旦那はんも見習った方がええんと違います?】

(大きなお世話だバカヤロー、俺は根っからの純愛派なんだよ)

【ハッ……見向きもされとらへん分際でェェァァ~~~……ッ!】

「空くん、どうしたの、いきなり投げて」

「いや、別に」

 

 話も一段落し、一同はものべーに戻っていく。と--

 

「タツミさんっ」

「は--はい」

 

 呼び止められ、そちらを向く。そこに居たのは勿論、レチェレ。

 

「その……外套、直して来ました。後、余計だったかも知れませんけど……刺繍をしておきました」

「刺繍……」

 

 差し出された外套の背中の部分に錦糸で縫われた、自らの尻尾を銜えた翼ある龍。その“輪廻する蛇《ウロボロス》”を思わせる龍の刺繍。

 見るからに複雑な紋様で、時間が掛かっただろう事は想像に難くない。

 

「私、この位しか役に立ちませんから。せめてこんな事で……貴方の無事を祈らせて下さい」

「レチェレさん……そんな、十分過ぎる程ですよ」

 

 有り難くその外套を受け取ろうとして--

 

「……っ」

「ん--レ、レチェレさん」

 

 その唇に口づけを受ける。誰も気づかない、その一瞬に。呆気に取られるが、何か大事な物をふっ切ったようなレチェレの雰囲気に、何も言わず外套を羽織った。

 朝日を浴び、煌めく刺繍が彼女によく見えるように。

 

「--大事にします。きっと」

「はい……いつまでも貴方の無事を、祈ってます」

 

 涙を浮かべて、微笑んだ彼女。その無垢な涙に見送られるように、空は歩き出した。

 そんな中で、ソルラスカと空は呟き合う。

 

「……来なかったな、アイツ」

「まぁ、こんな別れも有りっちゃ有りだろ」

 

 名残を惜しみながら、遂に現れなかった……その少女の事を。

 

「そうだな。アイツにはアイツの生き方が有るしな」

「そういう事だな、俺らが口出しする筋合いなんて無ェ」

 

 ふっ、と。少し寂しそうに呟く二人。いや、二人だけではない。望も希美もカティマもタリアも。

 

「--なーに辛気臭い顔してんのさ、お前ら」

「「「「「「--!?」」」」」」

 その一行の前に、朝日を浴びて涼しげな空気を纏う彼女は立っていた。

 

「ああ、そうそう。紹介するわね。物部学園に、新しい『家族』が加わったわ」

 

 呆気に取られている面々にしてやったりとばかりに笑う、沙月とヤツィータ。謀られた事に気付き、一行……特にソルラスカと空は苦笑を漏らした。

 

「おーっす、ルプトナです。今後とも宜しくお願いします!!」

 

 巫女装束に似た服を纏う黒髪の少女。精霊の娘ルプトナは、皆に向かってそう元気良く『家族』として最初の挨拶を述べたのだった--……



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第四章 魔法の世界《ツヴァイ》 Ⅰ
焔の追憶 宿命の夜 Ⅰ


 夜の底に沈む街。未来的を通り越して幻想的な佇まいの、巨大な塔の一角に在る部屋。

 

 大きな椅子に腰掛けた、紫の髪を二ツに別けた少女は仕事机の上に山と積まれた書類に目を通していた。

 まだ、幼いと言ってもいい容姿には余りに不釣り合いな仕事。何より目を引くのは--大きな、猫のような耳。

 

--コンコンコン……

 

「……開いておる。入れ」

 

 律儀に三度鳴らされたノックにそのままで答える。間髪容れずにノブが回った。

 

「ご政務中に失礼する、大統領。少々お時間宜しいかな?」

 

 扉を開いて歩み入った長身は、精悍で怜悧な眼鏡の青年。暗緑の髪を一ツに束ねたマントの男。

 

「構わんさ、団長殿。用件だけを手短に言うのならばな」

「これは手厳しい……ではあまり邪魔をするのも心苦しい故、一言で済ませるとしよう」

 

 判りやすい厭味に彼は冷笑する。そして本当に手短に。

 

「待ち人来たりて」

「--誠か! 遂に……って待て待て!! 何処に行くのじゃ!」

 

 その言葉に、手にしていた書類を投げ出しつつ立ち上がって男を見遣った少女。先程までの、張り詰めた空気など消え去っている。しかし、男は既に扉を開きかけていた。

 

「『手短にしろ』と言ったのは、お前だろう?」

「馬鹿者! 本当に一言で帰る奴があるか! いつじゃ、一体いつ『あやつ』は来るのじゃ!」

 

 フッ、と。感情を見せた彼女に厭味ったらしい笑みを浮かべた男をジト目で見遣り、年相応の表情になった少女は--期待に充ちた声で問う。

 それに、彼女の脇に控えていた鮮やかな翠の髪と青い瞳の侍女が答えた。

 

「落ち着いて下さいませ。どの道、御政務を終わらせなければ会いには行けませんよ」

「ぬぅ、そうであったな……全く、兄上も少しは政務に力を入れて欲しいものじゃ」

「アレが政務? 天地がひっくり返ろうと有り得んな」

「反論出来ぬところが情けない」

 

 はぁ、と悩ましげな溜息を零し、椅子にどすんと腰を落とす。

 頬杖を突くと忌ま忌ましそうに、書類へ髪と同じ紫色の眼差しを向けた。

 

「……まぁ、君にとってはいい事ばかりでも無いだろう。なにせ、『奴』も居る」

 

 そんな彼女に投げ掛けられた、一言。それにニヤリと不敵な笑顔が返る。

 

「『奴』の事を言っておるのなら、細工は隆々。『歓迎』の準備は整っておる」

 

 それは間違っても友好的な笑顔ではない。そう……猫科の猛獣が獲物を捕らえる時に見せるような、そんな『笑顔』。

 

「ならば、いい……いや、油断はするな。『奴』の二ツ名は--」

「言われずとも気など抜かんさ。わらわはもう、二度とな」

 

 眼鏡の奥の鋭い褐色の瞳を炯々と輝かせた男。この場にて始めて真面目に語り始めた男にそう言い切り、少女はカーテンの引かれていない窓を眺めた。

 

 その先には--

 

「……いっそ朔夜の方が有り難い。不快な月じゃ、『奴』の神剣を思い出す」

 

 鎌の刃のように鋭く、深く湾曲した……まるで血に塗れたように紅い三日月--……



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焔の追憶 宿命の夜 Ⅱ

「あー、いい運動したな」

「完全勝利って気持ちいーよね」

「……面倒くせ」

 

 体育館を後にしたソルラスカにルプトナ、空。運動後らしく少し火照ったようにしている。しかし何と言うか、第二ボタンまで詰め襟の上着を広げ袖を捲り上げたたソルラスカとやはり胸元を寛げているルプトナ、黒Tシャツに制服の上着を肩に掛けているだけの空と、見様によっては最早不良学生の一団だった。

 それにしてもルプトナの制服姿は目のやり場に困る。ヤツィータに次ぐ程の破壊力を有する程の、大きく開いた胸元が。

 

 新参のルプトナとの親睦を図る為に催されたバスケの試合以降、彼女はそれに結構嵌まったらしく『またやりたい』と言っていた。その要望に応えたメンバーで物部学園のバスケ部と闘い--

 

「ってぇ、三人とも手加減しなよ……バスケ部メンバー、大会でも無いのに泣いてたじゃん」

「そうだぜ、0対700は流石にやり過ぎだろ。第二クォーターのあたりから皆ずっと黄昏れてたぜ……」

 

 美里と信助の言葉の通り、圧勝したのだ。ついヒートアップしてポイント争いに興じたソルラスカとルプトナは神剣効果を使ったのだから当たり前といえば当たり前だが。

 

「そんなもん、サラリと五人抜きレイアップ決めるソルの所為だろーが」

「何を言ってんのさ。そう言う空こそ、どこから撃ってもスリーを外さないじゃん」

「ジャンプボールから、そのままダンク決めるお前が言うんじゃねーよ、ルプトナ」

「「三人とも同罪」」

 

 やいやいと騒ぎながら、廊下を歩いていると、霧が掛かったように変わった風景。旅団の本拠地である世界に入った為だ。

 

「へぇ、これは……」

「……すげぇな」

「「……綺麗……」」

「へへ、だろ? 此処が俺達旅団の本拠地『魔法の世界』だぜ」

 

 ほんの一瞬だけ突き抜けた雲間から覗いたのは、果てしない雲海。その美しい情景に嘆息を漏らす面々。

 それにソルは誇らしげに告げたのだった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 湯を浴びて汗を流した後、空は中庭のトネリコの根本に寝そべり本を眺めていた。今、世界は再び雲の中に入っていて霧がかかったようになっている。

 レジャーシートの上に寝そべり、手元には読み古した銃関係の本にミネラルウォーター。

 

(なぁ、カラ銃。お前の『願い』って何だ?)

 

 やおらそんな事を語りかける。誠に呆れた事だが、本当に今更。

 彼は初めて、相方にそんな事を聞いた。

 

【はい? なんどすの、急に】

(気になっただけだっての。で、何なんだ?)

【えーと、そうどすなぁ……】

 

 しばし、ウンウン唸ってから。【幽冥】は答えた。

 

【--『カエリタイ』んどすわ、わっち。他の何より、強く強く】

 

 妙に、その静かな声色。まるで冬を越す為に遣って来た渡り鳥のように【幽冥】は『カエリタイ』と囀った。

 

(『帰りたい』……? そりゃあ、故郷か何かか?)

【くふふ……どうどすやろなぁ】

(まぁ、どうでもいいけどな)

 

 いつものようにはぐらかす調子を取り戻した声色に、これ以上の追求の無駄を覚る。

 それが判らない程に、短い付き合いではない。仕方無しに本ではなくトネリコの木を眺めて。

 

「--……」

 

 幻視したのは、二種類の極彩色の風景。こうして過ごす度に見る白昼夢を見た。

 

 薄明か薄暮か。黒金の太陽と、白銀の望月が望む、薄紫に微睡む境界。虚空と虚海の狭間、視界の全てに拡がる劫莫たる水平線。

 

 

『--私の名前は"■■■■■"、『■位』【■■】--……』

 

 風の刻む枝と葉の韻律に、波の奏でる砂浜の旋律。聖盃に充ちる靈氣の水鏡を揺らす雫に、波紋と音色は水晶硝子の和声。

 

--それはきっと……生命が遍く抱く、無辜なる濫觴のユメ。何処までも果てしなく広がる、平穏と安寧を湛えた終わり無き滄。

 

 虹と輝くステンドグラスの如き絢翅《ハネ》の"蝶"に--捻れた双世樹の幹に巻き込まれている、『滄い刃』。

 

--いや、『刃』じゃない。アレは……やはり……

 

 それと全く同時に記憶の海より浮かび上がる花畑。思い出す度に、心に安寧をもたらす夢。

 

『あたし、■■■■■■。みんなからは■■■■■ってよばれてるの。それと、このこは■■■■』

 

 そよぐ風に乗る花の香り、甘く柔らかな命の重み。思い出せば、今でも心が温かくなる。

 

 『旅団の本拠地ザルツヴァイに入港します、生徒は今すぐ校庭に集まってください。繰り返します……』

「っと……到着か」

 

 校内放送を告げる鐘の音色と、早苗の放送が入る。立ち上がって進行方向に目を遣れば、宙に浮く荘厳な建築物。

 未来的を通り越して最早幻想的なまでの姿、中心には天を衝く程の高さの塔がそびえ立つ。

 

 ふと見上げた天の端。そこには幽《かす》かな月--白い三日月が見えた。

 

 

………………

…………

……

 

 

 少し強い揺れが、学舎を襲う。恐らくは接岸したのだろう。生徒会室に行くべく歩いていると、空の目の前をもの凄い勢いでタリアが横切って行った。

 

「n」

 

 余りの剣幕に問い掛けた『何かあったんすか?』の『な』の子音しか発音出来なかったのだから、その速度たるや推して知るべし。

 神剣効果でも使っていたのかもしれない。

 

 その後に不愉快げなソルが続き、更に後に歩いてきた望達と共に空はものべーから下船した。

 

 万有引力など知らぬとばかりに宙に浮く無数の浮島や水晶らしきモノだらけの、寒々しい白の街。思いの他寒いその都市を歩く物部学園一行。信助など薄着してきた者は盛大なくしゃみをしている。

 何気なく神剣士の最後尾を歩きつつ、周囲に気を配る。【幽冥】の索敵を遣い、気配を探って--気付く。

 

 前方には四人、ぶすくれた表情の……浅黄色の髪の猫耳男と翠の髪の侍女。そして--

 

(……なんてこった)

【……ほんまどすなぁ、あないなモンが男に付いとっても。あの隣の美人はんの方にこそああいうんは相応しいのにぃ】

(そこじゃねーだろ、カラ銃……だが激しく同意する。珍しく意見が合ったな)

 

 前述の二人は、ただのニンゲン。問題はもう一組の方だ。

 

 知的そうな長身の、怜悧な表情をした眼鏡の男。その男の半分程しかなさそうな、瀟洒な朱い服の猫耳少女。

 それに空は、思わず欧米の役者みたいに額を掌で押さえて溜息を落とした。

 

【ん~? どないしはりましたん、旦那はん。まさかあのネコミミはんにやられたんどすかぁ?】

(いや、やられたと言うかやったというか)

【くふふ、そうどすか。旦那はんに獣耳属性が有ったとは……盲点どしたわ】

 

 下らない会話の最中でも、気は抜かない。感じ取れるのは、風と地脈に命溢れる大樹。そして業火と油に焼けた鋼鐵《こうてつ》。相当な熟達を経た神剣の気配--

 

「--ッ!?」

 

 刹那、探知を断ち切る。しかし、もう遅い。視線を向ければ交差する長身の男の眼差し。眼鏡の男は鼻で笑い……視線を逸らした。

 

【……旦那はん。あの男、わっちの索敵に感づいとりますわ】

(解ってる……いや、流石だな)

 

 腕を組んで、心を落ち着ける。久方ぶりの、『策戦』による戦闘の気配に昂ぶる心を鎮めて。

 

(年貢の納め時かね。だが、抵抗はさせてもらうぜ……必死でな)

 

 決意にて魂を不動に縛り上げたのだった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 物部学園一行が合流した魔法の世界の重鎮。この世界の『領主』とでも言うべき、猫の特徴を持つ『トトカ一族』の当主ニーヤァ=トトカ・ヴェラー。その妹にして大統領ナーヤ=トトカ・ナナフィ。そして、『旅団団長』サレス=クウォークス。

 

 因みに自己紹介よりも早く望に抱き着いたナーヤによって一行に……いや、沙月と希美、カティマとルプトナを中心に、騒動が巻き起こった。

 どうも彼女は望が来る事を待ち侘びていたらしく、やっと逢えた感激の余り抱き着いてしまったとの事。寒さから望の胸ポケットに隠れていたレーメは、危うく押し花になるところだった。

 

 更に望が、そんな彼女を撫でてしまったりしたものだから、さぁ大変。

 

 望ハーレムに引き剥がされつつの自己紹介を済ませると、先ずはヤツィータがサレスに報告を上げ、次いで沙月が親しげに彼と会話した。

 そんな様子を不愉快げに眺めていた望とタリア。そんなタリアを、やはり不愉快そうに眺めていたソルラスカ。

 

「さて、自己紹介はすんだのう。フィラ、のぞむの連れ達を都市部に案内してやってくれ。せっかく来たのだから楽しんでもらおうではないか」

 

 その言葉に跳び上がる学生達。それを引き連れて、引率の早苗とフィラ……ナーヤのお附きの侍女フィロメーラが進み行く。その中の一人に、サレスは声を掛けた。

 

「君はこちらだ。観光は話の後にして貰えるかな、巽空君……いや、『幽冥のタツミ』君?」

「……了解」

 

 紛れて逃げようと試みた空に声を掛けた。必死の抵抗……失敗。もう意味が無いと観念し、眼鏡を外して胸ポケットに仕舞った。

 一行を見送れば、残る一般人はニーヤァのみ。

 

「ああ、五月蝿い田舎者どもめが……! ナーヤ、私はこれで戻る。後は任せたぞ」

「お任せを、兄上」

 

 忌ま忌ましげに口元を歪ませて吐き捨て、場を後にしたニーヤァを見送った後でナーヤは。

 

「のぞむ、すまんな。不快な思いをさせてしまった」

 

 眉尻を下げて、彼女は望に詫びを入れる。気にしていないと手を振る望にとびっきりの笑顔で笑いかけて……その笑顔を。

 

「さて、では本題に入ろうかのう……皆、付いて参れ。話は『支えの塔』のわらわの執務室にて行うとしよう」

 

 それを一瞬だけ、空へ向けた。

 

--うへぇ、恐えぇ。あの塔が俺の墓標に成らなきゃいいけど……

 

 その笑顔は『にっこり』というよりは、『にっごり』。そう……大嫌いな相手に喧嘩を吹っ掛ける時の為の、とびきりの笑顔だった……。

 

 

………………

…………

……

 

 

 多くの書物に囲まれた、ナーヤの執務室内。早速ソルラスカが本アレルギーを発病したりする中、一行は思い思いの場所に腰を落ち着ける。そして、話が始まった。

 

--内容は情報整理。この世界の統治者が『トトカ一族』であり、クウォークスが旅団のトップで、ナナフィや会長の教育係だったと言う事。そして会長が教え甲斐の無い生徒だったという話……は、どうでもいいか。

 

 因みに空は入口の直ぐ脇の壁に背を預けて腕を組んでいた。無駄だとは判りつつも、いつでも離脱できるように。

 

「此処には過去に因縁の有る神が何人もおるのじゃぞ。いやはや、よく集まったというべきかの」

「そうだな……彼女が此処に居る事は、特にな」

 

 『転生体』の話になった刹那、ナーヤが呟く。そして--サレスは希美を、ナーヤは空を見遣る。

 

「え? わ、わたしですか?」

「…………」

 

 急に目を向けられて焦る希美をよそに、不穏な程に空は落ち着き払っている。

 

「どういう意味だ?」

 

 二人に代わって、口を開く望。まるで二人を守ると言わんばかりに。

 

「深い意味など無いさ、今はな」

 

 サレスはそう、はぐらかした。それに望は不審げな視線を向けたのだった。

 

--結局、話は手短に終わった。元の世界に帰る為の座標も、また起きた『次元振動』にて判らなくなっているとの事だ。まぁ、信用はしていないが。

 

「さて、詳しい話は追々していくとして今日はこのぐらいにしよう。そなた達も街の観光を楽しんで来るといい」

 

 ナーヤの言葉に、一度ものべーに戻る事になった。そして位置的に、一番に執務室を後にしようとした空に……またもや。

 

「おっと、そうだ巽空君。君にはもう少し聞きたい事が有る。時間を取って貰えれば有り難いのだが?」

「…………」

 

 サレスの声が掛かったのだった……。

 

 

………………

…………

……

 

 

 他のメンバーが去り、三人だけとなった室内。

 静寂が耳に痛いという代名詞になりそうな程に静かな室内に息を詰める三人。

 

「さてと。それでは本題に移るとするかのう」

 

 ソレを破ったのは、先程まで望にニコニコと笑いかけていた少女とは思えない程に、怜悧な声色のナーヤ。

 

「よくまぁぬけぬけと顔を出せたものじゃ。随分と命が惜しくないらしいの……『蕃神』」

 

 笑顔でありながら凄まじいまでの威圧。『大統領』という肩書に相応しいそれを受けて、空は。

 

「お忘れでしょうかね、厚顔なのは生れつきですよ。『五穀の神』"ヒメオラ=オーリ"様?」

 

 誤魔化すのは逆効果だろうと、糸のように細めた目で薄く笑って。実に横柄な態度で答えた。

 

「脳天を砕かれたいか? 忘れる訳が無かろう、神世の古にわらわ……ヒメオラを殺して南北天戦争激化の引鉄を引いた貴様を、どうして忘れられると?」

 

 対峙するナーヤは、先程までと変わらない。自然と笑い合う形になるのだが、その根底に流れるのは烈しい敵意。何か弾みが有れば弾けてしまいそうな程に。

 

「やはり、前世の記憶が有ったか……相変わらずだな、君の周到さは」

「お褒め頂き光栄にございます、『真理の神』"サルバル=パトル"様。まさか南北を象徴する御二柱にお会い出来るとは、思いもよりませんでしたよ」

 

 眼鏡を直す動作に紛れたサレスの冷たい眼差し。並の人間ならば震え上がりかねない、その酷薄な眼差しに晒されたところでそれは変わらない。

 否、それを愉しんでいる雰囲気すら有る。

 

「……もう解っておるだろうが、我々は貴様を認めぬ。本来ならば、塵にしてやりたいくらいじゃが……見逃してやる。力を手放して大人しく元の世界に戻るのならば、じゃがな」

「お断りですね。私にも貫くべき壱志《いじ》が有りますので」

 

 苛立ちを抑えるかのように目をつむり、静かな口調で語りかけたナーヤ。それに即答した空。

 溜息の後に開かれたナーヤの目は烈火の如き怒りを湛えていた。

 

「これが最後通牒じゃ蕃神……! 大人しく『永遠神銃』とやらを手放して去るのならば、命までは奪わん。だが、拒否するというのなら--!」

 

 翳した掌の先に、空間を裂いて杖……先端に棘鉄球の装着されたメイス、『モーニングスター』が現れた。

 

「わらわの手で……この【無垢】にて、貴様を煉獄ヘと叩き込んでやろう!」

 

--永遠神剣第六位、【無垢】。神世の古に於いては『破壊と殺戮の神』"ジルオル=セドカ"と対等の力を持っていた……いや、圧倒すらしたという『南天最強の神』が振るった永遠神剣。

 とてもではないが、神世の力を散じた『今の俺』には敵わない。

 

「落ち着いて話し合いたかったんですけど--面倒くせェ、止めだ止め……やってみろ、やれるもんならな」

 

 それに反応したか、空の口調も変わる。切れ長の琥珀の三白眼を開き、慇懃無礼な物言いを止めていつも通りの口調ヘと戻る。

 

--だが、ソレがどうした。あの頃無かったチカラを『今の俺』は持っている。それならば、遣ってみなきゃ結果は解らない!

 

「この状況で俺が死ねば、間違いなくアンタらが疑われるぜ。例え誤魔化せたとして、どうあっても遺恨は残る。何より、アンタ達の本当の目的は望の……ジルオルの確保だろうが? アイツに疑心を抱かせたくは無い……違うかよ」

「ここで貴様を始末出来るのなら安いもの。のぞむに憎まれようと、貴様を野放しにしておくよりはマシじゃ」

「嫌われたもんだ。ま、気持ちは解るけどな。我が前世ながら嫌な奴だもんな、あのクソッタレは」

 

 睨みつけるナーヤに、鼻白んで見せる。腕を組み、告げる。

 

「--よし、じゃあ一発いいぜ」

「……は?」

 

 正面に向き直って、居住まいを正して無防備に神剣士の前に身を曝す。本当に何の防備も無しに。

 

「何を隠そう俺も蕃神《オレ》は嫌いなんでね。一発くらいなら、打ち噛ましてくれても結構だ」

『バッ--お、オイコラテメェ! 自殺願望でもあんのか!』

 

 その意想外の行動にぽかんと口を開き絶句するナーヤと狂乱する前世。対してサレスは興味深そうに見詰めながら眼鏡を上げただけだ。

 

「……正気か? 神剣の一撃じゃ、人間と変わらぬ貴様は--」

「口にしたからには覚悟の上だ、死のうと一向に構わねェ。でも、それで遺恨も綺麗さっぱり手打にするのが絶対条件……これでどうだい?」

 

 漸く気を取り直した彼女の言葉に、まるで『デコピンしてくれ』とでも言うかのように致命の一撃を受け入れると彼は告げた。

 その言葉通りにゆらりと力無く立ち、目をつむって判断を待っている。

 

「……フッ、成る程な……さて、どうするナーヤ? 試されているのはお前の方だぞ」

 

 面白そうに、外野に徹していたサレスがそう声を掛けた。手助けや助言は無く、ただ遠巻きに二人の同行を窺うのみ。

 

「--くっ……!」

 

 それに彼女は悔しそうに歯噛みする。今ならば確かに造作も無く始末できる。此処で討てば後顧の憂いを断てるのだ。

 

「……せろ……」

 

 しかしそれは『彼の罪を許す』という意味だ。そして、人として言うなら--それは『己の憎しみに屈する』という事でもある。

 

「わらわの気が変わらぬ内に……とっとと消え失せろっ!」

 

 【無垢】を仕舞った彼女に燃え盛る怒りを向けられて、空は肩を竦めて踵を返す。

 

--そこまで嫌いかよ。まぁ当然だろうけどな。

 

 さっさと扉を潜ろうとしたその脇に、長身の影が並び立った。

 

「送ろう。此処はそれなりに広いからな、一人では迷いかねない」

「それはそれは……監視御苦労様です」

 

 男二人が出て行けば、執務室に残ったのはナーヤ一人。

 

「…………」

 

 その心の中に沸き上がる、旧い活動写真のように色褪せて音飛びした情景。その中で癖毛の黒髪の男性……『紅い三日月』形の剣を腰帯に挿した青年が鉄球付きの杖を見ていた。

 

 その各部にペタペタと触れコツコツと叩き、仕組みに感嘆の声を漏らす。

 

『--もう気は済んだか、『ξμδι』。そろそろ【無垢】を戻してもよいか?』

『もうちょっと……もうちょっとだけお願いします、オーリ様!』

 

 背後に体育座りしていた彼女がそう声をかけると、男は慌てて、そう答えた。

 そして更に念入りな視線を--『彼女』の神剣である【無垢】に向け始める。

 

『お主を始めとして、ジルオルにナルカナ、ファイムにアルニーネ、それにサジタールにシェミン、レオーラ、サルバルにヤジェンダ、エトルにエデガ。どうしてこう北は奇神変神《きじんへんじん》が多いのか』

『向上こそ北の本質。寧ろオイラ達からすれば、現状に胡坐かいて満足してる南の暇神《ひまじん》様達の方が異常ですよ』

『暇神はナルカナの事だろうが。大体いきなりやって来て薮から棒に『【無垢】を見せてくれ』などと……何がしたいのじゃ? イスベルにでも見付かってみろ、即刻処刑されるぞ』

 

 彼女の呆れ返った言葉に、振り返らず答えた男。相変わらずペタペタと可動部を改めている。その猫背の後ろ姿を、彼女はジト目で睨みつけた。

 

『いやぁ、実は最近『自律機動式戦闘機械兵士』って物を起草したんですけど、これがちっとも上手くいかなくて。それで機能のある永遠神剣……合体するセドカ様の【黎明】とか変形するファイムの【清浄】とかを見せて貰ってたんですけど、なんか違うんで……。やっぱり【無垢】くらい機械的な神剣が一番為になるな』

 

 そう呟くや、男は【無垢】へと称賛の言葉を送る。それに女性の表情も若干綻ぶ。

 

『む、そうか? 褒められて悪い気はせんな』

『いやはや興味深い……ちょっと機能を確認させてもらってもいいですか?』

『ふふん、仕方のない奴め……』

 

 気をよくした彼女は、【無垢】の鉄球部分を切り離して動かして見せる。

 

『素晴らしい! ソレじゃあ次は分解を!』

『ハハ、良いとも。で、『スピカスマッシュ』で分解されたいか、それとも『ブレイジングスター』か?』

『……すいません調子こきましたマジすんません』

『……ふふっ』

 

 ワイヤー部分でがんじがらめにされた状態で南天最強の神に恫喝されて震える男、それを見ながら朗らかに笑った女性。

 

 そんな昔日も……遥か昔には、在ったのかもしれない。

 

 しかし、ナーヤは知っている。それが『彼』の『策戦』だった事、その結果何が起きたか。その夢を観る度に、刻まれた怒りも。

 

「--わかっておるさ、ヒメオラ……わらわは信じはせん……もう二度と……!」

 

 椅子に腰を落として、呟いた。神世とは余りに『違う』、その男に向けて……。

 

 

………………

…………

……

 

 

 支えの塔の正面玄関に立つ二人の男。時間としては昼過ぎ、太陽は蒼天の南中に座す。

 とは言え、そこは雲の上。時折吹き抜ける風は、身を切るように冷たい。

 

「迷惑をかけたな、アレも普段はああではないのだが」

「仕方ないですよ、目の前に自分を殺した相手がいたんじゃ」

 

 フ、と溜息を漏らしたサレスに一礼して空は歩み出す。その背に向けて投げ掛けられた、サレスの一言。

 

「最後に……一つ聞いて良いかな、巽空君。君は誰だ?」

 

 それに--端から聞いていれば一切訳の解らない問い掛けに、空の足がピタリと止まった。

 

「--……誰って、俺は巽空ですけど?」

 

 白々しく答えた空の背後では、執務室でのナーヤと同じく右手を翳して、空間から一冊の本を取り出したサレスの姿がある。

 

「知っているだろうが、私の永遠神剣【慧眼】は所謂『アカシックレコード』という奴でね、時間樹エト=カ=リファでかつて起こり、今起きて、やがて起こる事象が遍く記されているんだ。私にしか読めはしないがね」

 

 パラリと第五位【慧眼】の頁をめくりつつ、語る彼。恐らくソコに記されているのは、神世の争乱についてであろう。

 

「そこには興味深い事が記されていた。どうも君の前世は--」

 

 それを見る事も無く、空は背を向けたままで口を開く。

 

「--『永遠神剣を砕かれた上で浄戒を受け、神名を破壊された。転生は不可能』……でしょう?」

 

 その綻びを……決定的な破綻を迷う事無く、口にした。

 

「ああ、そうだ。そんな理不尽なイレギュラーなら、例え害が無くても始末しておく方が賢明だとは思わないかな?」

 

 何時しか、サレスの【慧眼】を中心に旋風が巻き起こっている。それは多量のマナを含んだ、嵐帝の一撃『ページ:ゲイル』。

 

「その上で、もう一度聞こう」

 

 冴えきった高層圏の空気が唸りを上げる。静かながらそれに掻き消される事の無い、良く通る明瞭な声で、『真理』を見詰める神の転生体は改めて問う。

 

「--君は、誰だ?」

「…………」

 

 普段から通されていない外套の袖を風が靡かせる。鴉の翼のように見えるソレを靡かせたまま--

 

「……何度聞かれようと変わるか。俺は巽空、ただソレだけだ」

 

 あの日……精霊の世界で気付きかけながらも、見て見ぬ振りしていたソレに面と向かって。

 そして自らにずっと言い聞かせ続けてきた言葉を紡ぎ出して。

 

「かつて『蕃神』と呼ばれた神であろうと、この先どうなろうとも、人間は現在しか生きられないんだから……俺は何処まで行っても『巽空』以外では有り得ないし、そうでなきゃいけないんだ」

 

 『過去』という、自己確立……アイデンティティの喪失による、恐怖。

 それにしっかと脚を踏み締めて震えかける膝を黙らせ、拳を握り締めて歯を喰い縛り。詰めた息を無理矢理に吐き出して、声を搾り出し。

 

 ただただ、必死にそう強がって見せた。

 

「……成る程、理解した。足止めしてしまって済まなかったな」

「いえ……生意気を言いました。それでは」

 

 呆れ果てた溜息に続き、良い音を立て閉じられた【慧眼】。旋風もまた止む。

 振り返る事無く歩き行く少年の背を眺めながら、サレスは。

 

「……やれやれ、子供の理屈だな。神世の古に『奸計の神』とまで呼ばれた悪神が、あんなの屁理屈をこねるとは」

 

 そう、評価する。だが、辛辣な言葉とは裏腹にそれは決して否定ではない。寧ろ、肯定だった。

 ほんの少しでも『神世』を擁護する発言をしたなら、迷わず手を下すつもりだった。しかしその口から紡がれた言葉は何の事はない、空虚な台詞。

 

 要約すればそれは『有るがままに在る』と述べただけだ。確たるモノなど何一つ無い、正に名前の示す通りの『空《くう》』。それを肯定してのけたというだけだ。

 

「済まないな、ナーヤ。どうやら私は、彼に興味を抱いてしまったようだ」

 

 だが、だからこそ。彼は少年に興味を抱いた。何故なら『慧眼』とは仏教における五眼の一ツ。

 この世の空である『真理を悟る能力』を持つ眼の事だ。奇しくも、その『銘』を持つ永遠神剣と、その『名』を持って存在する事となった男と少年の二人。

 

 詩的に謂えば『出逢うべくして出逢った宿命の相手』とでも言うべき間柄。

 

「彼……『巽空』の行く末にな」

 

 面白そうに目を細め、彼は上階からその姿を見ているだろう彼女に向けて呟いたのだった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 夜空には星と紅い三日月。地には燃え盛る業火と--…

 

『脆い……! ジルオルをも寄せ付けない神すら今の『オレ』には敵わない……ハハハッ! アンタ天才だよ欲望の神、この"神名"は正に神の領域だ!』

 

 やはり--…『紅い三日月』。

 その刎首鎌のように湾曲した刃は本来の紅に加え--さらに鮮烈な鮮紅に染まっている。

 

『何故裏切った……『ξμδι』……お主はジルオル達の仲間ではなかったのか……』

 

 地面に片膝を付き、支えとしたモーニングスター型の神剣を握り締める彼女。周囲には夥しい数の光源--色とりどりの『自律機動式機械人形マナ=ゴーレム』。

 その数は正に無数。何せ『未だに増殖』し続けている。

 

『……『仲間』だと? ハ、何を言うかと思えば、下らねェな……オレはアイツらにとっちゃ、殺す価値も無いカスなんだよ! ハハハハッ!』

 

 背中に受けた傷、そこから染み入った『猛毒』に呻きながらその存在に問うた彼女。それに悪神は吐き捨てるように言い……自棄を起こしたような哄笑を漏らす。

 

『馬鹿者め……エトルに唆されて新たな神名を刻みおったな……! 自我が変容する程に穢れた神名を!』

『ククッ……だったらどうした、今のオレにはチカラが有る。もう判ってんだろ五穀の神!』

 

 笑いながら衝き出された、その指先。彼の指示に合わせたように、機甲兵団がその『銃口』を一斉に彼女へ向ける。

 

 青い機体と黒い機体は、右腕を迫撃砲へ。緑の機体は両腕を機械式小銃へ変化させて。赤い機体は両腕両足の装甲をスライドさせて複数の小型集光レンズを露出させ、白い機体は左胸部分の大型集光レンズを--それぞれ向けた。

 

『--これからの戦いを制するのは突出した『力』じゃねェ。深謀遠大な『知略』と、相手を絶対的に上回る『数』だ! 永遠神剣の引き起こす『奇跡』なんて不確かなモンに頼ってる時点で、現実をただ客観的に見詰め、勝利を確率で弾き出す『科学』を越える事は出来ねェのさ!』

 

 人差し指が銃身で親指が撃鉄、中指が--引鉄。向けられた彼の指先もまた、銃だった。

 

『……まぁ安心しろ。アンタの仇はジルオルやナルカナがとってくれるさ……このオレを使ってる気になってる、アンタの『お仲間』の頚を取って、な』

 

 と、ふと……静かな声で悪神は真相を『騙る』。『真実』はそうであろうが、主観が違う『真相』を。

 

『……そうか、この筋書を書いたのは……やはりイスベル達か……愚か者どもめ』

『如何にも--その通りでさ! 『これは南天神の総意なのです。上手く熟せば貴方を南天の座に名を連ねてあげましょう』だとよ、クソ下らねェ! つっても南天の剣神殿と慈愛の女神様はハナから乗り気じゃ無かったようだがな』

 

 有り得ない事だが、もし南天の神々が真実を語ったとして。この男に『破壊と殺戮の神』と比肩しうる『五穀の神』を殺す力が有るなどと誰が思おう。

 それ程脆弱、それ程無能。それを装う--『奸計の神』に。

 

『全く……『蕃神』如きに後れを取る事になるとは……』

 

 俯き、屈辱に震えた彼女のその一言。それに、目に見えて悪神は顔色を変えた。

 

『--オレを……オレをその名で呼んで良いのはこの世にただ一人……あの『月』だけだァァッ!』

 

 迷い無く、指が鳴った。全ての銃口から各々の属性による弾丸が撃ち出され--

 

『すまぬ、皆……後は……任せる……』

 

 最早防御すら出来ぬ彼女ごと、地面を撃ち砕いた--……。

 

 

………………

…………

……

 

 

「もしもし、大丈夫ですか?」

「……あ……はい」

 

 女性の呼び掛けで目を覚ませば、そこはザルツヴァイの端に位置する展望公園のベンチの上。

 どうしてもそのまま学園に帰る気分になれず、ブラブラと歩いて辿り着いた公園で雲海を眺め--そのまま寝てしまったらしい。

 

「こんな所で寝ていると、風邪を引きますよ? ザルツヴァイは、夕方からめっきり冷えますから」

「これはどうも、すみません……有難うございました」

 

 燃えるような紅い髪と瞳を持つ、露出の多い服装の女性。既視感と『貴女の方が寒そうだ』と言いたいところをグッと堪えて、礼を告げた。

 

「……貴方、美味しそうね」

「はい?」

「--あら、私ったら何を言ってるのかしら……ごめんなさいね、それじゃあ」

 

 一瞬妙な雰囲気を纏ったがすぐにそれを吹き消して、彼女は歩き去って行った。ただ一言、『お腹すいた』と漏らして。

 

「……しっかし緊張したぜ、此処まで緊張したのは物部学園の入学面接の時以来だったな」

 

 それを見送ってしばらく夕陽を眺めていた彼は、紅く染まりゆく世界の中で忌ま忌ましげに呟く。

 

「……業の深い野郎だ、テメェのお陰でまた死にかけただろうがよ……『オレ』」

 

 精霊の世界での一件以来、余り語りかける事も無く無気味な沈黙を続けるその『悪心』に向けて。

 

--『蕃神』、則ち異教の神。

己の興味を突き詰めるという目的を至上とした北天に在りてなお、『異端』とされた神性。

 

 その『異端』こそ『機械技術』。『奇跡』により成り立っていた神世に於いては蔑ろにされていた、『科学』という異教を究めた神だ。

 南北天戦争では権謀術数や兵器にて他の神性を篭絡し破滅させ、『奸計の神』の名で唾棄された。それに足る行為を何度も行った。

 

「……生きてるってのは良いね、誰が『罰』なんて受けるかよ」

 

 脚を組み、背凭に寄り掛かって厭味ったらしく笑いながら。懐中から抜いた一挺の拳銃。『ワルサーP38』のハンマーを内蔵している試作型、『ワルサーAP』。

 

 それを見遣る琥珀の瞳。憎しみの焔が煌々と燃え盛る、眼差し。

 

--だって、そうだろ。『罰』を受けたら許さなきゃならないんだぜ、あんな屑野郎《オレ》を。

 死して罪が許されるのはその先が無いからだ……だから、転生を果たした俺に『赦し』なんて要らない。あの『光をもたらすもの』の襲撃の日、【幽冥】と共に神世の記憶を受け入れた『俺』には。

だったら……そんな『俺』が赦しを求める事。それ自体が新たな罪となるだろう。

 

 そしてその『悪神』の末路は、浄戒を受けての死。最早転生の輪から零れ堕ち、『存在する可能性すらも無い』筈だというのに。

 

 未だに罪は醒めぬ悪夢のように詐りの輪廻を繰り返す。何処まで行こうと何処にも行けぬメビウスの鐶のように、出る筈も無い答えを探して堂々巡り。

 故に、その思考は今まで封じていたモノだった。

 

「……俺は誰か、か……」

 

 何一つ、返らない応え。黄昏の天穹を見上げれば三日月と--名も知らぬ耀星。

 

--この世界は天に近い。精一杯手を伸ばせば届くんじゃないかと、そんな漠然とした恐怖を感じる程に。

 

「……んなもん、俺が一番教えて欲しいぜ……ッたくよ……」

 

 白い息と共に鬱屈とした気分を吐きながらの本音は、誰に届く事も無く高空の風に融けていった。



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焔の追憶 宿命の夜 Ⅲ

 朝方のザルツヴァイ、魔法陣のような紋様の流れる不可思議な道を、眼光《ヘッドライト》と尾毛《テールライト》をたなびかせた黒い鋼鉄の駿馬《バイク》が駆け抜ける。

 精霊の世界では乗る機会が無くメンテナンスしかしていなかった為に、つい速度を出してしまう。久々の疾走に護謨《ゴム》の車輪《ひづめ》は軽快に路面を捉え、鞭《アクセル》を入れられ甲高い嘶きを上げた。

 

「あー……この世界、本当冷えるよな……」

 

 フルフェイスのヘルメット……マナゴーレムの頭部を改造した物、龍をモチーフにしたドイツ式のバイザー付きバシネット型をしたヘルメットを外して呟くだけでも、白い息。その露出した口許に、精霊の世界では暑かったので使用しなかった襟巻きを引き上げる。

 到着したのは支えの塔。バイクを透徹城に仕舞って朝陽に煌めく白亜の塔を眩しげに見上げ、その入口に立つ警備員に声を掛けた。その恰好のせいで幾分怪しまれたが……物部学園の関係者だと告げれば、警備員は慌ててインカムを操作する。

 耳に掛けるタイプの近未来的なデザイン。新米らしい彼は、少しまごつきながらも指で操作した。

 

 それに伴い揺れる、肩に提げた独特な形状の『FN-P90』似のPDW。人間工学を突き詰めると、やっぱり似て来るんだなと。空はそれらを、実に興味深そうな眼差しで見詰めた--……

 

 

………………

…………

……

 

 

 数分後、空はヤツィータに先導されサレスの私室に通された。

 

「アポも無しに、いきなり尋ねて来るのはどうかと思うがね」

「すみません、クウォークス代表。しかしどうしても、自分の探究心を抑え切れない性分なもので」

「死して尚北天神の性は抜けず、か。それで用件は何かな」

 

 やれやれと溜息を零して促す。それに、彼はポリポリと頬を掻きながら。

 

「旅団の蔵書庫を閲覧する許可を頂きたく、参上しました」

 

 実に簡潔に用向きを述べた。

 

「旅団員でも無い君に、か?」

「それはそうですがね……こちらとしても、『光をもたらすもの』が攻めてくる前にきっちり準備を整えたいんですよ。この世界の、『進みすぎて、魔法と区別が付か無くなった科学技術』を得る事は願ってもないチャンスですから」

 

 包み隠さずに、理由を告げる。じっくり吟味するようにサレスはその言葉を、机に両肘を衝いて目を閉じて聞いていた。

 

「前提が間違っているな。君達はもうすぐ元居た世界に帰る筈だ」

「それは他の皆でしょう。少なくとも俺は、これから先も分枝世界間を旅しますから。果たさなきゃいけない盟約があるもので」

「ほぅ、盟約。それは何かな」

「これ以上知りたいのなら、対価を頂きませんとね。禁書も含めた閲覧許可とか」

 

 バチバチとスパークする策略家同士の、腹の探り合い。隣に居るヤツィータなどは、『うへぇ』という顔をしている。

 

「……まあ良いだろう。断って、お得意の侵入でもされては迷惑だ。場所は此処、それと--」

「有難うございます。それでは」

 

 行き先を記した紙を受け取れば、さっさと踵を返して歩き去る。落ち着いた言葉で語った割には、その足取りはスキップせんばかりにはしゃいでいた。

 

「……それと、この時間帯はよくナーヤが居るから注意しろ……と、言いたかったんだがな。聞いていなかったのなら仕方あるまい」

「うわぁ、悪質ねぇ……でも面白そうだわ、見て来ようかしら」

「お前の方が悪質だ。前世からの因縁に満ちた、目眩く逢瀬を邪魔してやるな」

 

 その姿に苦笑しながら二人は、にたりと笑みを浮かべた。

 

 

………………

…………

……

 

 

 少し、埃っぽい書架。背の高い本棚にはぎっしり本が詰められていた。ソルラスカならば、きっとショック死してしまうだろう。

 その僅かな通路をキョロキョロと辺りを見回しつつ、タイトルを確かめながら歩く。

 

--しかし凄いな……色んな世界の書籍が納められてて、寧ろ統一されていない。この中から目的のモノを探すのは骨だな……。

 

 何冊かは既に当たりを付けて、小脇に抱えている。今の彼が探すのは、科学技術に関する書籍。

 

「--お……」

 

 彼の目線よりも一段下、そこに収められている書籍のタイトルは『ザルツヴァイ式科学大系』。

 尚、異邦人の彼が魔法の世界の本を探せているのはサレスが予めメモ紙にタイトルと訳を列記してくれていたお陰だ。やはり、こうなる事が分かっていたらしい。

 

 探していたタイトルを見付けて手を伸ばすと--大きく傷だらけの無骨な手と、小さく柔らかな手が触れ合った。

 

「あ、すいません……」

「あ、すまぬ……」

 

 思わず二人は見詰め合う。ベタな恋愛漫画のような一瞬の後--ナーヤはまるで、路上の汚物でも見るような目付きに変わった。

 

「人間相手にそれ止めません? いくら俺でも傷付きますよ」

「こんな所で何をしておる。また策略の糸でも繰っておるのか? 事と次第によっては……」

「クウォークス代表の使用許可は取ってあります。悪しからず」

 

 先手を打ち、サレスのメモ紙を見せる。流石にその字には見覚えがあるらしく、彼女は悔しそうに舌打ちした。

 

--こンのネコ娘は……耳摘んで泣かしたろか。まぁその後、即行で『インシネレート』は免れねぇけどな!

 

「上手くサレスに取り入ったようだが、わらわはそうはいかんぞ。貴様だけは認めぬ、蕃神」

「良いですよ別に。逃げも隠れもしませんから。どうぞ、何時でも憎しみをぶつけて下さって結構」

「ああ……少しでも不審な動きをすれば--脳天を砕いてやるわ」

 

 身長差から見下すように三白眼を向ける空、見上げるように睨みつけるナーヤ。危うい、綱渡りのように張り詰める空気。

 

「--で、貴様……」

 

 ジトリと睨みつけ合って数秒。彼女は、静かな口調で。

 

「いつまで、わらわの手を握っておるつもりじゃ。いい加減にせい、鳥肌が立つ」

「仕方ないでしょう、俺はこの本が読みたいんですから。大統領が離してくださいよ」

 

 本を取り合って重なったままの手を退けろと告げた。しかし空にとっては、漸く見付けた理想的なタイトル。離す訳にはいかない。

 

「断じて断る。何故わらわが貴様に譲ってやらねばならぬ。貴様こそレディーファーストという言葉を知らんのか」

「はぁ? 誰がレディイダダッ! そっちに指が曲がるのは、十年くらい前に卒業しましたッ!」

「ナーヤ様、如何なさいましたか……あら、貴方様は……」

 

 そこに、鮮やかな緑色をした髪を三編みにした侍女フィロメーラが現れる。ナーヤと手分けして本を探していたらしく、その手には数冊の本が抱かれていた。

 

「……何、ちょっと本に付く悪い虫を見付けたものでな」

「俺は紙魚《シミ》か……つーか、あれだけ読むんだからこの一冊は先に読ましてくれたって良いでしょう」

「嫌じゃ。決めたぞ、何としても貴様にこれは読ません。わらわはこれを死守する」

「大統領ってのはそんっなに暇な職業なんですかい?」

「そんな訳がなかろうが、貴重な余暇を有意義に過ごす為に来たのじゃ。貴様のお陰で最悪の余暇になりそうだがの」

 

 ミシミシと本棚を鳴らしながら、二人は攻防を繰り広げる。それにフィロメーラは困ったように、懐から取り出した手帳を眺めた。

 

「ナーヤ様……午後は、世刻様とお会いするご予定では? 時間が無くなりますよ」

「……むぅ、そうであったな」

 

 心底悔しそうに漏らすと、彼女は本から手を離す。結果的に勝利を収めた空は、勝ち誇るかのようにゆっくりそれを小脇に抱えた。

 

 

………………

…………

……

 

 

「一息入れられてはどうですか、巽様。珈琲でございます」

「あ、どうも……うん、旨い……これは--キリマンジャロ?」

「おい、貴様……わらわを虚仮にしておるのか」

「いや、そういう『じゃろ』じゃなくて」

 

 書庫に設置されている机は一つ。それはナーヤに占領されている為、空は出窓に腰掛ける形で本を読んでいた。丁度、ナーヤに背を向ける形で。

 勿論、既に『早く出て行け』、『持ち出し許可は貰ってません』の応酬は済ませてある。

 

「「「………………」」」

 

 コチコチコチコチ、と。殺伐とした蔵書庫に規則正しいリズムを刻む、妙に古めかしい壁掛け時計。静かな部屋の中でその音はやけに耳につく。

 

「んー……」

「……」

 

 そんな中響く間抜けた声は、空の唸り声。軽く握った左手の親指を眉間に当てる、彼が何かを考えている時のお決まりのポーズ。

 

--やっぱり文字は訳が判らん。図解が多いのがせめてもの救いか……お、これはまさか電磁投射砲《レールガン》か? 随分小さいけど。

 

 ボリボリと、最近伸び気味の髪を掻く。切らなければいけないとは常々思っているが、彼は散髪に千円以上を使うのは馬鹿らしいと感じる人種だった。

 

--これはトラクタービーム……か? これも役に立ちそうだな。

 

「……んんーー……」

「……」

 

 再度、更に長い唸りを漏らす。それにナーヤはイライラと、己の本の頁をめくった。

 

--うおお……光子魚雷に対消滅エンジン! やべぇな、ビバ魔法の世界!

 ……つっても、このSF御用達の兵器群を使ったってミニオンに傷すら与えらんねェんだけど。

 

「……んんんーーーんべぇし?!」

 

 三度唸りを上げたその後頭部に直撃したのはナーヤの読んでいた本。

 

「喧しいわーっ! 大人しく本も読めんのか貴様はっ! ウンウンウンウンと唸りおって、耳障りで仕方ない!」

「痛ッてぇ……ちょ、何もこんな広辞苑級の本ぶつけなくても!」

 

 涙目で批難を向けながら、頭を摩る。因みに投げられた本は空が読んでいる専門誌よりも、遥かに高難度な専門書だった。

 

「つぅー……仕方ないでしょう、ついついテンション上がるんですから……」

 

 と、空の視線が落ちた専門誌に向けられる。そのページに乗っているのは--

 空は、再度眉間に親指を当てて--

 

「これは……使えるな。そうだ、直接は効かなくても、間接でなら効果は絶大だ」

「お、おい…何をぶつぶつ言うておるのじゃ--ひにゃ!?」

 

 モソモソと右手で懐を漁りつつ独りごちる姿に、流石のナーヤも案じ始めて彼の目の前で手をヒラヒラさせてみた--刹那、その手をガッシリと掴まれた。

 

「--有難うございますネコさん、お陰で今日は良い日になりそうだ!」

 

 空は、ブンブンと握手した手を振って一通りの感謝を述べた後で解放する。そのままの勢いで窓を開け、透徹城からグリーヴを取り出して装着した。

 

「この借りは必ず返しますから。後ソレ、詰まんないモンですけどどうぞ」

 

 言い残すや窓から飛び出すと、レストアスで羽根を構築して飛翔していく。

 真上に向かい、ほぼ垂直の壁を蹴って。

 

「……なんじゃ、あやつは……」

「さ、さぁ……?」

 

 暫く呆気に取られていたナーヤとフィロメーラだったが、漸く気を取り直して呆れる。

 握り締めていた手を開くナーヤ。そこには、包装された琥珀色の玉……一粒の甘露飴。

 

「……というか……」

「はい?」

 

 それをもう一度ギュッと、握り潰さんばかりに彼女は握り締めた。凄まじい怒気と共に。

 

「誰が……誰が『ネコさん』じゃ、あの無礼者めがーーーっ!」

 

 塔を揺るがさんばかりの大音声に、サレスとヤツィータは『やれやれ』と肩を竦め合った。

 

 

………………

…………

……

 

 

 朝日を浴びる室内で、その男は珈琲を啜っていた。浅い黄緑の髪と実に残念な猫耳の彼の名前は、ニーヤァ=トトカ・ヴェラー。

 

「フム、今日もよい天気だ。齷齪働いている愚民共がよく見下せる、ハハハ……」

 

 過美が過ぎる、アンティークな調度品が押し込められている彼の執務室内。だが、彼が執務を行う事はない。

 トトカ一族の嫡男に生まれた為に魔法の世界の領主になったのだが、それは建前に過ぎない。実権は妹のナーヤに握られている傀儡なのである。

 

「……さて、と」

 

 と、机の引き出しの鍵を開けてハードカバーの本を取り出した。その本自体にも小さな錠前が取り付けられており、相当厳重に管理されているようだ。

 だが、先に述べた通り彼が執務を行う事はない。ならば、この本は何なのか。

 

「ふむ……」

 

 それを開いて満足そうに眺めた後、朝日を眺めながらもう一度、珈琲を啜る。

 

「うーん、マンダ……」

 

 そう、何か不穏当な事を呟こうとした刹那--窓硝子の外側に、氷の翼を持つフルフェイスの男が特殊部隊よろしく飛び込んで来る様子が映った。

 

「ひぇぇ、な、なんだぁぁっ!?」

 

 危うく、椅子ごと倒れ込む形で彼は闖入者に激突されるのだけは裂ける事に成功した。

 弾け飛ぶ特殊強化防弾硝子と、アンティークのコーヒーカップ。その破片と飲みかけだった珈琲を浴びながら、ニーヤァは腰を抜かしたまま後ずさる。

 

「イテテ……屋上に届かなかった。落ちるかと思ったぜ」

 

 そして回転しながら着地した男は、体に付いた硝子片を払いつつそんな事を口走る。

 フルフェイスを外せば--当然、空の顔があった。

 

「き、き、貴様は……あの時の、田舎者の一人かっ! ここを何処と心得る、偉大なるトトカ一族の長子ニーヤァ=トトカ・ヴェラーの私室なるぞ!」

「あ、残念猫耳嫌味駄目兄貴……じゃなかった、ヴェラー卿」

「ほぼ全部聞こえておるわ!」

 

 何とか威勢を取り戻して舌鋒を振るうも、まだ腰が立っていない。何を言おうとも情けなくなってしまう。

 

「さっさと失せろ! いや、この始末を一体どう付ける気だ! 事と次第によっては、貴様ら全員を牢に叩き込むくらいは……」

「…………」

 

 と、睨みつけた先の空。その目は、先程の突入で砕けた執務机の脇に拡がっているハードカバーの本に向かっていた。

 

「…………」

「…………」

 

 その本に在ったのは--多数の写真。緑色の髪のメイド、つまりはナーヤの侍女フィロメーラその人を様々な角度、時間帯に写したであろう物だった。

 ちなみに、その全てにおいて、フィロメーラの視線がレンズの方を向いている物はない。

 

「……あの、これ」

「……違う。断じて違うぞ、盗撮ではないぞ」

「いや、でも」

「断じて違うといったら違うのだ、ふしゃあああああーー!」

 

 悲鳴のような声を上げながら、ニーヤァは無理矢理立たせた足で駆け、アルバムに覆い被さった。

 そして、正に猫のように唸り声を上げて威嚇する。

 

「ははは、別に盗撮だとか思ってませんよ。画像も添付して信憑性をアップするなう」

「思っとるから呟いとるんだろうがぁぁーっ! まて! データを消せぇ!」

 

 それに空は携帯を操作しながら、猛烈な勢いでタイプしていた。それに顔を青くしたニーヤァは、遂に。

 

「……な、何が望みだ? 金か、地位か?」

 

 遂にその言葉を口にした。空は、それに白々しく。

 

「えー、いいんですか?」

 

 腹の中が真っ黒に違いないと、簡単に理解ができる満面の笑みを返したのだった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 所を戻して物部学園。ナーヤの指示で運び込まれる生活物資を、帳簿に記す空。

 

「Humm~~、Hummm~~……」

「ど、どうしたんだよ空……?」

「やけにご機嫌ね、何かあったの巽?」

 

 御機嫌に鼻唄など唄っている彼に信助と美里が話しかける。若干無気味に感じながら。引き気味の二人もなんのその、空は上機嫌のままだ。

 

「んん? ああ、まァな……」

 

 パタンと帳簿を閉じて、凝った背を伸ばす。整理を終えた彼は、満足げに鼻を鳴らした。

 

「……にしても長かったよなぁ、空。もうすぐ俺達、元々の世界に帰れるんだよな」

「ホントよね、やっと帰れる……家に帰れるのよね。もうちょっと続けたかった気もするけどね……なーんて」

 

 と、信助と美里が呟いた。その声には微かな寂寥……そして隠し切れぬ喜びがあった。

 

「なぁ、帰ったら何するよ? 俺はジャンクフード食いまくるね」

「あたしは勿論、お菓子に甘味。巽は?」

「俺か? そうだな--」

 

 その喜びを、口にする事で表す二人。それに空も倣い--

 

「俺、元々の世界に帰ったら……先ず、滞納してる家賃三ヶ月分を払うんだ……その後、三ヶ月間は無断欠勤しちまってるバイト先に謝るんだぜ……やる事一杯だろ? へへへ……」

 

 その、切迫した実情を語った。

 

「……てかもう無理だろうがよォ! 絶対、クビになってるよ! 絶対部屋引き払われてるよ! 俺に帰るべき場所なんて、ホントにあんのかァァッ?!」

 

 先程までの上機嫌から一転、机に突っ伏して喚き始める。実際に帰れる状況になって、忘れていた問題点を思い出したのだった。

 

「何の為に高い学費を払ってまで物部学園に通ってると思ってんだ、俺の就きたい職は公務員だよ! 給料が安定してて、クビが無い公務員になってさ、三十代くらいまでに結婚して四十代くらいまでに一軒家を二十年ローンで買って、子供は男と女の二人で、仕事場では部長くらいまで昇進して定年退職して、老後は奥さんと縁側で茶を啜りながら昔話とかして最期は子や孫に囲まれて老衰で奥さんより早く往生するっていう、俺の人生設計が無茶苦茶になっちまうじゃねェかァァッ!!」

「「どんだけ綿密な未来予想図!? 上手く行くかそんなのっ!!」」

 

 暮れなずむ教室に木霊す悲痛な叫びにすかさず入ったツッコミ。

 

「「「……ぷっ、くくく」」」

 

 そして、揃って忍び笑う。

 

「しかしなぁ、まさか空とこんな馬鹿話するようになるなんてよ」

「まったくよね、取っ付き辛い奴くらいしか思ってなかったのに」

「こっちこそ鬱陶しい奴らくらいにしか思ってなかったけどな」

 

 繰り返される日常では、一向に近づく事の無かったその距離。

 もしこの漂流が無ければ、有り得なかったであろう関係性。実に居心地のいい雰囲気。

 

「そういえば学園祭はどうなったんだろうな。元々俺達、その為に集まってたんだしよ」

「言われてみれば。後で斑鳩先輩に聞いてみようかしら」

「いざとなりゃ強行開催だぜ」

「巽なら……一人ホラーハウスが出来るわね。ヘルメットを着けて剣持てばジェ○ソンぽいムキムキさ加減だし、【幽冥】の声って超不気味だし、レストアスで人魂も出来るし」

「今晩そのオールキャストで枕元に立ってやるから請うご期待……っと、そういや風呂を磨かねぇと。行くか」

 

 椅子から立ち上がって爽やかに告げた空。それに二人は、揃ってサムズアップし--クルリと親指を下に向けた。

 

「「ふざけんな、ガンバれ!」」

「クソッタレ、友達甲斐の無い奴らだぜ」

 

 だからこそ、こんなにこの時間を惜しむのだ。もうすぐ終わりを告げる……『家族』としての時間を。

 

 

………………

…………

……

 

 

 同じ頃、物部学園の校長室で望は打ちひしがれていた。そんな彼を見下ろす冷たい眼差しは、旅団団長サレス=クウォークス。

 今から数分前、彼は少年に元々の世界の座標を教えた。そして、告げたのだ。

 

 『お前は自分の力に、自分が何でも出来ると錯覚している』と。『お前は我々に必要無い。邪魔になるだけだ、元の世界に帰れ』、とも。

 

「--俺は……俺は、困っている人が居るから……俺の力でそれを助けたくて……」

 

 彼は途切れ途切れの言葉を紡ぐ。それは、この前ナーヤに会った時にも否定された言葉だった。

 『守るものがあり、やるべき事があるのなら、他の事に目を取られてはならないと思う』と。

 

「『人の為』か……やはりさっさと帰れ」

 

 その返答に、更に呆れを強めたサレスは、氷点下の言葉をたたき付ける。微かに、残念そうな色を篭めた声で。

 

「お前は結局、その力無しには何を成す事も無いのか? 運よく手に入れられただけの力で粋がるな、『破壊と殺戮の神』"ジルオル=セドカ"の転生体……世刻望」

 

 睨みつける望を『口が付いているなら言葉で文句を言え』と一蹴し、彼は少年の知りたくなかった事実を全てぶつけた。

 己の力の正体が、殺戮者の力である事。その力によって物部学園が漂流する事になったのだという事。更に--いつその力に望自身が乗っ取られるかも、判らないという事を。

 

「話は以上だ。座標位置の転送はヤツィータにして貰え」

 

 呆然と俯く少年に冷たく締めの言葉が投げられた。それを最後に彼は、背を向けて威圧を与える。

 そして窓の外を眺め--一人で校庭の角にある浴場に向かう空をを視界に収めたのだった。

 

 

………………

…………

……

 

 その暫く後、生徒会室で。望はルプトナ、カティマと言葉を交わしていた。二人に……いや、彼が教室に戻った時に居た、ほとんど皆に心配されてしまった結果だ。 二人の励ましに少し元気を取り戻した望は、先程の経緯を話した後で己の気持ちを語る。

 

 悔しそうに、事実、その言葉に反論出来なかった自分を恥じて、彼は声を搾り出す。『守りたい』という気持ちを否定されてしまい、どうしていいか判らずに。

 

「……望。無礼を承知で言わせて頂きます」

 

 それにそう前置きしてカティマが口を開いた。

 

「力には必ず責任が付き纏います。無責任な力などは無い、もしも有ったとすれば、それは徒な暴力であり唾棄すべきモノでしょう」

「……責任、か」

「はい。失礼ながら今の望は……その責任から逃れようとしているようにしか見えません。守りたいものを盾に、力を正当化しようとしているようにしか見えません」

「--そんなッ……こと、は」

 

 尻窄まりになる声、また俯いてしまう望。

 

「望……良いではありませんか、それでも」

「……え?」

 

 刹那、彼女の口から発せられたのは驚くべき言葉だった。

 

「ある方が私にそう言いました。もっと欲張ってもいいのだ、と。国を救う為、民を救う為と視野を狭めていた私に」

 

 胸元に手を宛て、大切な思い出を呼び覚ますような仕種。

 

「確かに、力を手にしたからには権利を振り翳す前に義務を果たすべきでしょう。しかし、それに気を取られる余り他者しか省みなくなってしまっては本末転倒です。それこそ、傲慢というもの」

 

 紡がれた姫君の言葉は限りなく優しい。それを語る彼女の脳裡には恥ずかしげに語る『或る少年』の姿が浮かんでいた。

 

「そうそう。だから……望はさ、望らしく有ればいいんだよ」

「俺らしく……」

 

 カティマに続けて、ルプトナ。彼女も、大事な記憶を揺り起こすように。酷く優しい眼差しで彼を見詰めた。

 

「うん、そう。此処に居る望は、望以外の誰でも無いんだよ。その望が在りのままに、在るがままに、自分らしさを貫くなら……神様にだってそれを否定出来ないんだってさ」

「…………」

「……ノゾム……」

 

 黙り込んでしまった己の主に、気遣わしげな声を掛けたレーメ。

 

「……『俺は俺自身の壱志を貫くだけ』……か。そうか、そういう事だったんだな……」

 

 その時、唐突に理解した。あの日、剣の世界で問うた言葉に、彼が返した『応え』を。

 それは『理由』を『お題目』にしてはならない、と。自分自身がそう思ったなら、自分自身の責任で事に当たれと。彼はあの頃から、己が手にした力の意味を悟っていたのだろう、と。

 

 それは、仕方の無い事だった。何故なら、望は『望んで力を手にした』訳では無い。対して『彼』は『望んでチカラを手にした』のだから、その価値や意義について望よりは深く考えていた、というだけの事。

 

「……ありがとう、二人とも。俺、決めたよ」

 

 上げた顔に、迷いは無い。進むべき道を、その目標を定めた彼にはもう。

 

「--俺は……『守りたい』! 一緒に生きる皆を、例え傲慢だと罵られても大事な『家族』を! それが、俺の偽りの無い気持ち。そして『壱志』だ!」

 

 目に見えてはっきりと、望の瞳の輝きが変わった。胡乱な薄曇りの蒼穹の病んだ陽では無く、晴れ渡った晴天の日輪のように。

 

「勿論、私達も手伝います。私達は『家族』なのですから」

「うんっ! 困った時はお互い様だよ!」

 

 その輝きにこそ、皆は惹き付けられて止まない。外ならぬ『或る少年』もまた、本人は断じて認めないだろうが望のそれに惹き付けられる者の一人。

 でなければ、あのドライな少年が付き合いなど交わす筈が無い。

 

「……ところで、ルプトナ。先程の言葉はもしや」

「あれ、やっぱりカティマも? どうりでなんか腹立つと思った」

「……はは……」

 

 三人は一斉に、その少年の姿を思い浮かべて苦笑したのだった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 その頃、空の私室では。

 

「--ふえッくし! いッきし! あーックソッ!」

【んひゃ~~っ!? 何しはりますのん旦那はん、きったなぁっ!】

「あー、ズッ……湯冷めでもしたか? 早く寝よっと」

【旦那はんん! せめてわっちを拭いてからぁぁっ!】

 

 手入れを中断、唾と鼻水まみれになった【幽冥】の悲鳴が木霊す中で床に着いた空。

 彼は知らない。その気まぐれのせいで……魔法の世界での戦いに参戦する事を決める為の全校集会に参加し損なった事を。

 

 そのせいで、朝っぱらから沙月にこっぴどく叱られる事になる事を--……

 

 

………………

…………

……

 

 

 完全に空が寝入った事を寝息で確認して、【幽冥】は常夜灯すら付けていない闇の中で薄ぼんやりと赤黒い精霊光を放つ。

 

【…………】

 

 【夜燭】は透徹城の中、神獣のレストアスの気配も無い。

 

【つまり、頃合いって訳どすなぁ……くふふ】

 

 不気味な合成音声のような声の後、【幽冥】を中心にどす黒い赤が渦を巻く。

 

【もう少しくらいは楽しめるかと思うたんどすけど……まぁ、縁が無かったて事で】

 

 そう、まるで--腐り果てた血のような赤い渦が。

 

 

………………

…………

……

 

 

 その翌日。執務室の窓外、晴れ空の……そもそも、雲の上に在るザルツヴァイに晴天以外は無いのだが……道路を歩く望の姿を見ながら、ナーヤは溜息を落とした。

 つい先程、望本人から彼等一同の出した結論を聞かされて。

 

 そして、じとっと睨みつける。ついこの前まではその参戦に反対していた癖に、掌を返した裏切り者を思い浮かべて。

 サレスが、望の参戦に賛成した理由。『力の方向性を見出だした彼なら、共に戦う戦力になる』との言葉と共に。

 

「全く、ジルオルとは違いすぎるぞ。あやつは……」

 

 その刹那、彼女は……己の前世に引きずられている自分が、酷く馬鹿らしくなった。自分ばかりが過ぎ去った世界の中に取り残されている、と。

 望だけではない、他の転生体は前世など関係なく今を生きているというのに。

 

「……何故、わらわを置いていく……どいつもこいつも……わらわばかり、阿呆みたいではないか」

 

 過去の残照と、忘れ得ぬ記憶。今まで支えにして来た『ソレ』に生まれた疑念に独り呟いた……



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幽かな光 煉獄の華 Ⅰ

 何も無い、ただ果てしない蒼穹。雲はまるで海のようにその天空都市の足下を流れる。

 

 その蒼穹に--『光』が溢れた。それが結集し、『永遠神剣』を携えた神剣士達が躰《カタチ》を現す。

 

「--さぁ、始めましょうか……旅団の皆さん」

 

 アラビア圏の踊り子のように、エキゾチックな衣裳の翡翠細工の如く美しい女。

 その直ぐ脇に控えているのは、紅いマントと覆面を纏った鬼神の如き威圧の武士。既に、抜刀してある大薙刀【重圧】を構えて四肢に力を漲らせている。

 

 その時、女の両腕に嵌められている腕輪。それぞれ大小合わせて三つ輪が連なったそれが、涼しげな音を鳴らす。

 そう、彼女の担う第六位の永遠神剣【雷火】が。

 

「光をもたらす者、六位【雷火】のエヴォリアの名に於いて命ずる……」

 

 エヴォリアは右腕を衝き出して、支えの塔を指差す。発せられた精霊光が、空中に複雑な魔法陣を描き--その周囲を光が埋めた。

 

「--芽吹いた樹の枝葉が枯れ、土へ還り、次なる命を育むように……全てを『光[マナ]』へと。この『時間樹エト=カ=リファ』を巡る、大いなる輪廻の流れへと還しなさい……」

 

 無数の光源はやがて、一つ一つ確固たる躰を取って都市に向けて降り注ぐ。

 一つ一つが彼女らの軍勢としての躰を取り、各々の『永遠神剣』を携えるミニオンへと。

 

「「…………」」

 

 目配せと同時に、エヴォリアの脇に控えていたベルバルザードが滑降していく。この二人の間に、多くの言葉は要らない。

 それだけでも、もう十分に言葉を交わした。例えこれが最期だとしても、悔いなど無いだろう。

 

 その雄々しき背を見詰めながら、彼女は呟いた。

 

「私達が……私達こそが、この世に『光をもたらすもの』」

 

 そう己に言い聞かせるように、彼女は呟いた--……

 

 

………………

…………

……

 

 

 ナーヤの執務室に集結していた神剣士達。その中で一人、窓から蒼穹を眺めていた空。

 身に纏うは漆黒の外套に武術服、そして篭手に脚甲。

 

「…………」

 

 胸元の鍵やお守りといったモノを握り締めた刹那、室内に警報が鳴り響いた。当然、それは敵襲を知らせるモノだ。

 落ち着いたサレスの指示に続き、ソルやルプトナが気勢を上げる。それを、タリアが冷徹に斬って捨てていた。

 

「これくらい意気込みが有った方がいいわよ。あたしも【癒合】も久々に燃えてるわ~」

「巽、パス」

「スルーしてーけどうぃーす……【癒合】は、いつでも燃えてるでしょうー」

「やっつけで突っ込むのはやめてちょうだいよ~……」

 

 そこに茶々を入れたヤツィータすらバニッシュしてのけ、後始末を空に託した。駄弁を伺っていたカティマも苦笑している。

 どうやら一人たりとも気負っている者は居ないらしい。

 

「蕃神。貴様にはわらわ、サレスと行動を共にして貰う。永遠神銃【幽冥】とやらの性能を把握しておきたいのでな」

 

 訂正。この少女だけはピリピリと気を張り続けている。ただ一人、しかも味方に向けて。

 

「了解しましたよ。俺も友軍誤射《フレンドリーファイア》で戦死なんて嫌ですからね、指示に従いますでごぜーます、大統領」

 

 厭味を返せば、ナーヤは睨みを利かせる。肩を竦めて見せ、彼は苦笑した。

 

--仕方ねぇ。手間は増えるが、背中にも気を配ればいいだけだ。つーか俺、中々上手い事言った。

 

 室内は、緊張に包まれている。しかし、誰一人として臆してはいない。望も希美も沙月もカティマも、勿論クリスト達も。

 

「我々の目標は、ただ一つ。この『ザルツヴァイ』の絶対防衛だ。全霊を賭して……守り抜くぞ」

「「《《---応っ!」」》》

 

 団長の檄に、一同は声を揃えて応えた。

 

 

………………

…………

……

 

 

 出発点ミスルテ・プラントからエナジージャンプクライアントを抜けた--刹那、眼前に走る一条の銀閃。

 

「--チッ!」

 

 それを屈伸で間一髪で避け--後方にスウェーしながら透徹城に納めていた【夜燭】を切っ先から取り出す。さながら、砲弾の如き猛烈な勢いで。

 当然、それは青に突き刺さって骨を砕く厭な音と共に鮮血を撒き散らす。空はこちらに出ている柄を握ると、勢いよく引き抜いた。

 

「待ち伏せかよ、危ねェな!」

 

 既に転送されていた他の数人は交戦状態に入っている。というか、敵味方入り乱れた混戦状態だ。

 

--チ、上手くエナジージャンプシステムを罠に使ってやがるな。防御重視の都市設計が裏目に出た感じだ……先に制圧された地点を取り戻す戦いは、中々厳しいモンが有る……。

 

「ッとォ!?」

 

 場も弁えずに思案に暮れようとした空に緑が踊り掛かった。薙ぎ払う槍の一撃を【夜燭】を構えて受け止めようとした--が、槍撃は風の障壁『ブレイブブロック』に受け止められた。

 

「煉獄のマナよ、渦巻く炎となり敵を討ち払え……」

「--ッ!」

 

 詠唱にすかさず跳ね退き、距離を取る。それとほとんど同時に。

 

「--インフェルノっ!!」

 

 そこに--間を置かず『地獄』が現出した。その有様は、正しく煉獄。繰り返し繰り返し、遍く罪を焼き尽くす『浄罪界の炎』が緑を焦がす。

 

--うわ、エゲツねェなぁ。骨も遺らねェぜアレ……。

 

 悲鳴すらも焼き尽くして逆巻く炎自身すら燃え尽きた焼け跡には、最早影も形も遺っていない。

 

「あまり、手間を掛けさせないで欲しいものだがな。巽空君」

「助けてくれ、とも言ってませんけどね。助けられたのは事実だ、取り敢えず有難うございます」

「そうか。では、次からは放っておくとしようか、ナーヤ」

「…………」

 

 背後から掛かった厭味な声に、振り向かずに厭味を返す。そんな少年と、その少年を睨む少女に肩を竦めたサレス。

 

--ッつーかこのネコ娘……尻尾握り締めて泣かしたろかい。その前に軽く着火《イグニッション》は免れねェけどな!

 

 そんな事を考えている内に片が付いたらしく、神剣士が集結する。皆怪我の類は無い。

 

「……さて、ヴァリアスハリオを落とされる訳にはいかない。急ぎ、リゼリア・プラントの敵布陣を突破してセレスタイン・プラントまで奴らを押し返すぞ」

 

 短くブリーフィングを済ませ、サレスは先陣を斬る。知らずその背に頼りたくなってしまうのは、彼のカリスマ故か。

 タリアなどはまるで忠犬のように付き従っており、ソルラスカは大層不機嫌そうにその後を歩いていた。

 

「でも、また待ち伏せがあるかもしれないわ。先陣を斬るのは辛い役になるわよ」

 

 そこにヤツィータが意見する。確かにそうだ、今の一戦だけでも相当に消耗した。

 今後、エナジージャンプする度にこうだと思うと気が滅入る。

 

「それなら--俺に、いい考えがありますよ」

 

 なので--空は、己の専売特許を使う事とした。

 

 

………………

…………

……

 

 

 エナジージャンプの端末の前で待ち受ける赤緑青の三体。彼女達はエナジージャンプでやって来た敵を先制で攻撃する為に、装置が起動する瞬間を今や遅しと待っていた。

 だから--いや、分かっていたとしても、避けられはしなかっただろう。

 

「ガ--!?」

 

 突如、飛翔物体を腹部に受けた緑が大空に投げ出されて--爆発によりマナに還っていく。轟音は、遅れてやってきた。

 

 それに、残るミニオン達は一点を見遣る。隣の浮遊する足場--優に2キロは離れたその端から、煙を吐く赤いロケットランチャーを脇に置き、プローンポジションにて緑色のペイロードライフルで狙撃しようとしている男を。

 

 その砲口が、火を噴いた。

 

「クッ--!」

 

 舌打ちし、跳び下がる青。赤もそれに倣って腰を落とし--頭を無くす。『マインドシールド』は何の効果も成さなかった。

 そして何より、この距離では手が出せない。一度退いて、態勢をを立て直そうと後衛に向けて走り出して--

 

「--……」

 

 そこで、何か後頭部に凄まじい衝撃を受けた気がした。それが、彼女の最期の記憶となった。

 

 

………………

…………

……

 

 

「--命中。掃討完了、っと」

 

 高倍率のスコープを覗いていた琥珀の瞳が得意げに上げられる。立ち上がるとバイポッドを畳んで、肩に担いだ。

 

「本当えげつないわよね、あんたのやる事って……ミニオンに同情しちゃったじゃないのよ」

「ハッハッハ、これからはマップ兵器の巽と呼んで下さい」

 

 タリアのジト目に笑って返してロケットランチャーとペイロードライフルの二つを拳銃に戻すと、ホルスターに納める。

 

「さぁ、行きましょう。時間ないんですし、効率的に動かないと」

 

 そう口にして真っ先にエナジージャンプの端末を通過した……。

 

 

………………

…………

……

 

 

 リゼリア・プラントを奪還して、続くセレスタイン・プラントに至っては待ち伏せすら無かった。

 

「望……妙に散発的だと思わないか。正直、俺は敵の総数はもっと多いかと思ってたんだが」

「む、お前もか天パ。吾もどうにも釈然としないのだ」

「足場が悪いせいじゃないか? ここは大丈夫だけどさっきはこう、どうも勝手が違ったんだ」

「そうか? 俺はいつもと変わらなかったけど」

 

 セレスタイン中央島に布陣していた敵がマナに返ると、残されていたミニオン達はあっさりと撤退していった。一行は、そのあまりの呆気なさに拍子抜けしたのか、各々言葉を交わしている。

 

「それはの、通路に対マナ存在用の攻勢防壁を仕掛けてあるのじゃ。とはいっても、即死クラスの物では無い……精々体力を削る程度だがの」

「空、今お前が無性に羨ましい」

「俺はいっつもお前らが羨ましいからドッコイだ」

「おぬしら、詰まらん会話はここまでじゃ。引き揚げるぞ」

 

 セレスタインの中央島から引き揚げ、一旦ミレステ・プラントに戻る為にエナジージャンプを潜るべく歩を進める。

 

--何だろう、この感じ……? 胸騒ぎがする……。

 

 何の気無しに、【幽冥】を額に当てて周囲を探ってみる。だが、やはり気配は感じられなかった。

 

「巽、どうしました? もしや、敵ですか?」

「あ、いえ。敵がいないか探ってみたんですけど居ませんでした」

「空の探知で見付からないなら、居ないんだろ」

「……では、皆と合流しようぞ」

 

 気を取り直せば、残るは空と望とカティマ、ナーヤの四人のみ。

 

「へいへい--……ッ!?」

 

 四人で揃ってエナジージャンプクライアントに歩み入ろうとした--その刹那、烈しい殺気が大気を圧した。

 

『グオォォォォォォォッ!!』

 

 見上げる事も無く、四人は跳び下がる。後一歩でも先に踏み出していたなら、間違いなく『ソレ』に施設ごと砕かれていただろう。

 

「--少しは躯を鍛えたようだな、龍装兵《ドラグーン》……」

 

 クライアントを踏み砕き、更には獄炎のブレスにより焼き払って完全に破壊し、咆哮を上げた暴君ガリオパルサ。

 

「……試してみるか、【重圧】のベルバルザードッ!」

 

 そして、その前に仁王立ちして大薙刀【重圧】を構える……背後に控える『暴君』すらも霞む程に濃密な闘気と殺気を向ける鬼神。光をもたらす者ベルバルザード。

 

「……成る程。どうやら完全に罠に掛かってしまったようですね。目的は戦力の分断による各個撃破、或いは--ナーヤ殿ですか」

「如何にも。その小娘さえ始末してしまえば、我々の計画は誰にも止められぬ……」

「何だと……! まさか、もう既にヴァリアスハリオに!」

「加えて言えばヴァリアスハリオへの転送鍵もこちらの手中。頼みの『仲間』は大きく回り込まねば辿り着く事も出来ん……」

「なんじゃと……一体どうやってそこまで鮮やかに……!」

 

 背後からは無数のミニオン達が押し寄せて、彼等をぐるりと取り囲む。恐らくリゼリア・プラント側の反対に位置するエフアリア・プラント側に温存してあった軍勢だろう。

 

「ふん、間抜けな『家族』を持つと苦労が多いな」

「兄上……兄上に何をした!」

 

 青褪め、悔しそうに歯噛みするナーヤ。そんな彼女に、嘲笑とも哀れみとも取れる不思議な視線を向けたベルバルザード。

 

「諦めろ。せめて苦しまぬように引導を渡してやる--」

「--有難てぇ話じゃねぇか……こんなに早く借りを返すチャンスが来やがった!!」

 

 ベルバルザードの声を掻き消す程の声と共にナーヤの左前に進み出た空。その躯にダークフォトンが充ち溢れ、『限界到達』としていく。

 片手で外套を勢いよく外して、腰に巻く。そして風を斬りながら【夜燭】を右肩に担いで、左手に【幽冥】を構えた。

 

「おぬし--」

「ナーヤ殿、気をしっかり。我々は生き延びねばならないのです、この世界を守る為に!」

 

 それに対してカティマは彼女の右を護る。上段で構えた【心神】を横に倒して衝き出した、彼女の基本の構え『天破の型』。

 

「姫さんの言う通りですよ、ネコさん。第一アンタ、敵からの情報を鵜呑みにしてどうすんですか」

「うぬっ……わ、判っておるわ、無礼者っ! 今直ぐにその減らず口を閉じぬと、貴様も奴と一緒に灰にするぞ!」

 

 風斬り音と共に皮肉げに告げた空に噛み付くナーヤ、先程までの焦燥は無くなっている。【無垢】を振り、くるりと一度回して構えをとった。

 

「いくぞ、三人とも。何としても護り抜く! 世界も、家族も!!」

「「「--応っ!!!」」」

 

 最後にナーヤの後方で【黎明】を携えた望の精霊光が煌めいた。鼓舞のオーラ『インスパイア』が。空はそれに触れないよう、少し離れた。

 

 圧倒的に寡兵、数という暴力に曝される四人。しかし、誰の目にも諦めは無い。

 

「刃向かうのなら、何であろうと叩き潰すのみ……」

 

 その兵《つわもの》達に一種の敬意すら抱き、ベルバルザードはチカラを解放する。周囲を埋める【重圧】の、紅き精霊光の煌めき『ウォームス』。

 

「我こそは光をもたらすものが将、六位【重圧】のベルバルザード。いざ、尋常に--参るッ!!」

 一気に高まった彼らの力に空間が軋み、『光』が溢れた--

 

 

………………

…………

……

 

 

 初撃は、青の西洋剣。力任せに振り下ろされた一撃は『ヘヴンズスウォード』、凍気を纏う一撃が齎す残滓は、それだけで彼の肌を斬るよう。

 

「--くッ……そだらァァッ!」

 

 【夜燭】で受け止め、辛うじて押し返す。だが、続く斬り払いと斬り上げによって遂に【夜燭】を打ち上げられて、完全な無防備を晒す。

 しかしその神格の差故か。無傷の【夜燭】に対して、ミニオンの神剣にはヒビが走っていた。

 

 攻撃を終えて跳ね退いた青は群に紛れて、判別がつかなくなる。先程から一撃離脱を繰り返されており、彼等はことごとく主導権を握られ続けている。

 

 今度襲い来るミニオンは赤と緑、赤熱した双刃剣と帯電した槍。

「上等じゃねぇか、剣の傀儡!!」

 

 対応し、高く宙を舞う【夜燭】に代わり空は腰の拳銃を番える。

 左には赤のデザートイーグル、右手には青いコルトパイソン。

 

 先ず引かれたトリガーは、右。蒼の拳銃から放たれた二発の水塊『メガフォトンバスター』。

 高い表面張力により大量の水を圧縮した砲弾に撃たれて、神剣を包む炎ごと赤が粉砕された。

 

「雷光の一撃……当たって」

 

 そんな事になど一切構わずに、緑は空に肉薄する。彼女の神剣を振るう最適距離には後一歩--!

 

「--っあ……」

 

 その視線の先には、赤い銃口。射線から逃れようと踏み込むより速く引かれた引鉄が映り--二条の熱閃『ホーミングレーザー』が撃ち込まれた。

 展開された障壁『アキュレイトブロック』では、フォース主体の災竜の息吹を受け止められない。熱閃は彼女も易々と焼き貫いた。

 

 同胞の消滅に気付き、更に数体が彼に殺到する。黒青赤緑の四体が四方を囲み、一斉に彼を狙う。

 

「次--!」

 

 僅かな暇に拳銃を持ち替える。左を暗紫のベレッタM92F、右を純白のCZ-75へと。

 

 今度は弐挺を纏めて、それぞれ別に向けて同期しつつ連射する。右は閃光弾『ジャスティスレイ』による光子砲の連射。左は重力弾『グラビティーホール』による、重力砲の連射。

 

 直接攻撃を掛けようとした青は光に、緑は闇に。神剣魔法の詠唱を行っていた赤は闇に、黒は光に撃たれて。

 それでも銃撃は終わらず絶え間無く閃光と暗闇を入り混じらせて、繰り返し撃ち貫く。

 

 相反する性質を持つ光闇の砲弾合計十六発に防御を掻い潜られて、四体は完膚無く撃ちのめされて消滅した。

 

「ラスト!」

 

 そして彼の眼前に立っていた白に、右手に番えた緑のトーラス・レイジングブルを突き付けて引鉄を引いた。

 

「防御す--……」

 

 すかさず展開された、精霊光の防盾『オーラフォトンバリア』。

 強固なその盾の中心に強い風圧で音速以上に加速されたマナ結晶弾頭『イミネントウォーヘッド』は--白と神剣ごと、真円の大穴を穿ち砕いた。

 

「敵性殲滅……」

 

 その時、背後から飛び掛かった青。その蒼く煌めく神剣には--ヒビが在る。

 一番最初に彼に剣戟を見舞った、あのミニオンだった。

 

「薄氷の如く、散れ--」

「--テメェがなァァッ!」

 

 再度振り下ろされる『ヘヴンズスウォード』。それと同時に落下してきた【夜燭】の柄を掴んだ空は--剣をスレスレで躱して反転しながらの斬戟を繰り出す。

 蒼い凍雷を纏った『電光の剣』を。

 

 カウンターに対応出来なかったミニオンが、青いマナヘと還っていく。それを取り込み、【夜燭】の黒刃は冷たい炎の如く煌めいて見えた。

 と、身を震わす悪寒。すかさず【夜燭】を構えれば。

 

「我が力、侮るな--ヌゥん!!」

 

 目前に着地したベルバルザード、朱黒いマナを纏う薙刀の一撃が振り下ろされる。

 その一撃は、ミニオンなどの比ではない。空には……ただの人と変わらぬ肉体しか持たない彼には、どう足掻いても受け切れるモノではない。

 

--ギィィィン!!!

 

 凄まじい金斬り音、そしてそれを受け止めた大刀は--

 

「--確かに、やるな……でも、耐えられない程じゃない!」

 

 【黎明】。弐刀を一つに纏めた状態の、望の永遠神剣。

 

「ほぅ、出来るな小僧……流石は破壊神の転生体か」

「それがどうした……間違えるな、今此処でお前が戦っているのは--世刻望だッ!」

 

 ベルバルザードの感嘆も、納得出来よう。彼と比べれば華奢とも言えるその体躯の何処に、鬼神と鍔競り合うだけの膂力が有るなどと思えようか。

 

 すうっと息を吸った、その次の瞬間。彼は空に視線を向けた。

『此処は任せて、お前はナーヤを護ってくれ』と。

 

「合わせろレーメ--よし、これでッ!」

【いっけーーっ!!】

「受けて立つ! 来い!」

 

 昼と夜、反発するチカラを纏う大刀【黎明】が力尽くで斬り上げられた。

 【重圧】を跳ね上げた望はその場で一回転し路面を割り砕きつつ、『オーラフォトンブレード』を繰り出す。

 

 その一撃を受け止め、さしものベルバルザードも跳び下がった。それを追って望が駆け出す。

 迷い無く振るわれる大刀の一閃一閃が凄まじい威力を持っている。神世に『破壊神』と呼ばれた、その再現のように。

 

--スゲぇ。あのベルバルザードと互角かよ……。

 

 神格の差は確かに有る。第五位の【黎明】は第六位【重圧】より強力な力を持つ。たった一階位の差だが、神剣の位の差とは覆す事の出来ない絶望の開きだ。

 しかし、それを凌駕しうるのが『持ち主』の差である。片やただの学生だった少年、片や幾つもの分枝世界を亡ぼしてきた殺戮者。そこには、神格の差以上の絶望が在ろう。

 

 そして--それすらも凌駕してのけるモノこそが『覚悟』の差だ。もし望が、この戦い以前のままにベルバルザードに挑んでいれば、文字通り手も足も出なかった事だろう。

 だが、今の彼には確たる意志が有る。『全てを護り抜く』という覚悟が。

 

--んの野郎、負けて堪るかよ! こちとらにだって、壱志も気概も有らァ!!

 

 ならば、この少年もまた立つ。そもそも本質として負けず嫌い。それになにより、彼はその少年にだけは負けたくないと突っ走って来たのだから--迷うはずが無いだろう。

 

 再度現れたミニオンに、迷わず後退する。着地した背後にナーヤ、そして彼女を挟んでカティマの姿が在る。

 

「無事でしたか、巽」

「何とか。そちらも無事なようで何よりです」

 

 等と、肩で息をしながら言葉を交わす。幾ら、カティマが守勢に優れた騎士であろうと限度というモノが有る。

 と、三体のミニオンが翔けた。青緑黒の内、カティマを狙う納刀した構えのまま振るわれるべき黒の剣戟は--『月輪の太刀』。

 

「退きなさい……退かぬなら--薙ぎ払います!!」

 

 振るわれた横一閃の『星火燎原の太刀』。飛び掛かってきた黒のミニオンをカウンターで神剣ごと断ち切り、続く青に肉薄され--

 

「しまっ--」

 

 『威霊の錬成具』にて守られたカティマの守りを巻き込みで躱し、青と緑は後方にて魔法の詠唱を行っていたナーヤに肉薄し--

 

「--やらせる訳……ねェだろうがよッ!」

 

 【夜燭】によって、阻まれた。レストアスを刀身に纏わせ、氷と換えた『フローズンアーマー』。斬り結んだ刃を払い、回転させて敵の攻勢を挫きながら。

 

「空間を歪める俺の剣撃--受けてみろ!」

 

 左の【幽冥】から撃ち出されたダークフォトンが立方体のバリアを形成し、青を捕える。

 そして【夜燭】を大上段に構え--力任せに振り下ろした。

 

「ガハッ!? ここ、まで……」

 

 右肩から断ち切られて絶命した青がマナに還って逝く。

 

「紅蓮のマナよ……雷の如く敵を討て--!」

 

 『ライトニングファイア』にて最後の緑も消えた。

 

「くっ……じり貧か。このままではいずれ数に圧されて--…」

 

 もう既に八小隊分はミニオンを屠ったというのに、敵部隊が壊滅する度に奥のクライアントから、無傷の部隊が次々と補充されるのだから始末が悪い。

 

「--っ……!」

 

 その瞬間ナーヤの記憶が甦る。彼の『悪神』との最期の記憶が。その時も、数で圧されたのだ。

 

「……巽、ナーヤ殿。こうなれば奥の手を使います。しかしながら、この技は味方にも害が及ぶ両刃の剣……」

 

 カティマの声に気を取り直したナーヤの目に映ったのは、周囲を囲む神剣の槍襖。

 

「……アレですか、了解。考えは有りますから、構わずにどうぞ」

「ふふ、そうですか。そう言えば……覚えていますか、巽? 貴方と始めて轡を並べた戦いも、こうして無勢でしたね」

「はは、言われてみれば」

 

 それはたった数ヶ月前の出来事。しかし、密度の高いこの数ヶ月では、もう数年前と言われた所で気付かない位に遥か過去に思える戦いだった。

 

「--来ます!」

 

 掛かったカティマの声の、その数瞬早くミニオンが力を篭めた事が解る。

 

「気圧されはしません、はっ!」

 

 掛け声と共に【心神】が路面に突き立てられた。次に高速振動を始めた【心神】、そこから黒マナを帯びた激震が周囲のミニオンを討つべく拡散する。

 多対一の戦いに於いて、活路を見出だす為の技『紫晶國裂斬』。

 

 当然それは地に在る全てを飲み込む。故に、空やナーヤとて例外では無い。

 それどころか、先ずそれに飲み込まれるのがその二人--!

 

「--しっかり掴まってて下さいよ、ネコさん!」

「はぁ? 貴様、何を言っておるの--にゃああ?!」

 

 その波動に飲み込まれる刹那、空はナーヤを抱き寄せて--脚甲を起動、レストアスを纏って路面を踏み砕く程の威力で跳んだ。

 

「~~ッは……ハハハッ! もう破れかぶれだぜ畜生がァッ!!」

「こ、このっ! 離せ馬鹿者!!」

 

 天高く舞い上がった少年と少女。掛かった慣性に歓声を返した空は、ナーヤを落とさないように更に強く抱き締めた。

 

 マナゴーレムであるその脚甲に包まれているからこそ耐えられるそれ、レストアスのプラズマ爆発を加速として利用する移動手段。 自らを銃弾の弾頭に見立てた技だ……とは言っても、これもまた沙月の『エアリアルアサルト』の模倣だが。

 

「何してんだネコさん、早く神剣魔法をカマしてくれ! 姫さんを見殺しにする気か!」

 

 空はナーヤを小脇に抱く恰好のままで【幽冥】を抜く。

 装填されている弾丸は金。銃口に顕れた魔法陣からもまた、空間を軋ませる同色の風が迸しった。

 

「くっ……解っておると、言っておろうがぁぁぁっ!」

 

 そしてその苛々が限界に達したのか、ナーヤは大声で叫んだ後に空中で魔法陣を展開した。

 背後に現れた、真紅の機械巨兵『クロウランス』の肩部分に配置された砲に赤マナが溢れ、収束して降り注ぐ。

 

「--オーラフォトンレイッ!」

「--フレイムレーザー!!」

 

 浮遊島を揺るがす黒い烈震に、吹き荒れる金の暴風、そして灼熱の光。さながら、天変地異に見舞われたかの如きセレスタイン・プラント。墜落しなかったのが奇跡だろう。

 全てが止んだ後、そこに立っていたのはただ一人。

 

「……全く、少しは私の事も危惧して欲しいものです」

 

 風の中心、僅かな無風の領域に立っていたカティマのみだった。

 

「っし! 一掃ォ!!」

 

 【幽冥】を握ったままの拳で、グッとガッツポーズを決めた空。そんな彼に向けてナーヤは問う。

 

「何故じゃ、おぬしは何故わらわを護ったのじゃ……別に、放っていても問題は無かったであろう」

 

 言われてみればそうだ。ナーヤは神剣士なのだ。空のように巻き込まれたからと言って、即死するような脆弱な存在ではない。

 そんな事は今まで神剣士と戦い続けてきた空本人が、よく知っているはずだ。なのに何故だ、と。

 

「言ったでしょう、『借りは必ず返す』って。言った事は守る主義だとも伝えたでしょうに」

 

 それに、何一つ思案すらせずに『莫迦言ってんじゃないですよ』とばかりに彼は答えた。

 

「……それだけ、か?」

「ええ、それだけですよ。つーか、それ以外に何があるッてんですかい?」

 

 魔弾の反動で頭を下にした状態で、空はやれやれと左掌を地に向けた。そんな彼にナーヤは真意を探るような眼差しを向けたが。

 

「……馬鹿じゃ、こやつは。ただの馬鹿じゃな」

 

 ポツリと、そう呟く。

 

「はい? 何ですか?」

「何でもないわ、それより--」

 

 そして最後に--不愉快そうにジト目を向けた。

 

「……それより、一体どうやって着地するつもりじゃ? まさか、ノープランでは有るまいな」

「ああ、それなんですけど--」

 と、【夜燭】を左に持ち替えた空は、やおらナーヤの頚根っこを掴まえて--ポイッとばかりに、彼女を後方に放り投げた。

 

「着地はご自分でお願いします、俺まだやる事有るんで!」

「お……覚えておれぇぇぇっ!」

 

 落下しながら--空はその二人を見据える。神剣で斬り結ぶ望とベルバルザードを。

 

--さあ、腹を括れ巽空……! 機会は一瞬のみ。またミニオンが溢れたら、もうベルバルザードを討つのは……不可能!!

 

 鍔競り合っていた永遠神剣弐本が弾き合い、距離を取る。そして間を置かず--『オーラフォトンブレード』と『バッシュダウン』が斬り結び直した。

 

「……しまった!?」

 

 そこでベルバルザードの技巧が真価を発揮する。掛かる力の方向が変わった為に、望は隙を作ってしまった。

 

「--喰らえェェェい!!」

 

 その隙に向けてベルバルザードは拳を繰り出した。強烈な衝撃波の『バーサークチャリオット』を直接叩き込まれた望の体が、宙を舞う。

 

「くはっ……レーメ!」

【おうっ! いつでもいけるぞ、ノゾム!】

 

 その体勢のままで、右腕の篭手に嵌められた宝玉が煌めく。追撃する為に、【重圧】を構え直したベルバルザード。その眼前に練り上げられた炸裂のマナが溢れた。

 

「【喰らえ--ライトバーストっ!!」】

「グヌゥゥッ!!?」

 

 強烈な閃光に視界と身を焼かれ、さしもの鬼神も呻きをあげる。その閃光を切り裂いて。

 

「--ベルバルザードォォッ!」

 

 遥かな上空から降った怒号に、見上げれば--重力加速度を得て、更には【夜燭】にレストアスを纏わせた斬撃が。

 

「征くぞ、レストアス--加減は無しだ、最大出力!」

【了解、オーナー……斬り割いてご覧にいれましょう、我等の障害となる--全てを!】

 

 そして大上段に構えた【夜燭】に、身体加護を棄ててレストアスを沿わせる。密度の高まりに本来は青いその雷が、漆黒に染まる。その剣の名は、かつて--……

 

「【南天の禍つ刃よ--打ち砕けェェッ!!」】

 

 かつて神世で『南天の剣神』と呼ばれた神と、その転生体の男が振るった剣戟--!

 

「--……チイ!!」

 

 そんなマナの昴りを読み取ったベルバルザードの呼び掛けに呼応してガリオパルサが召喚された。

 暴君はその巨大な顎を開いて、落下中で躱す事の出来ない空へとブレスを吐くべく構える。

 

 その顔面に--

 

「クロウランスの勇姿……その目に焼き付けるがよい!!」

 

 クロウランスの拳が減り込む。暴発した『ハイドラ』が、すんでのところで空を逸れて行く。

 その煌々たる炎に照らされて尚、【夜燭】の燭火は昏く冷たい。

 

「剣神の一撃……黄泉路の手土産となさい--一刀両断!」

 

 一瞬の隙を突いて、カティマがベルバルザードの懐に潜り込んだ。後に流すように構えた【心神】に黒いオーラが纏わり付くそれはやはり、かつて『北天の剣神』と呼ばれた神の振るった剣戟--!!

 

「--南天星の剣!」

「--北天星の太刀!」

 

 天頂より降り堕つ南天の極星、天底より翔け昇る北天の極星。

 

 示し合わせたように交差した、弐天の剣神の剣戟。それに--

 

「ガハッ!? ここで……斃れる訳には……グウゥッ……!」

 

 それに主の手を離れた【重圧】が、浮島セレスタイン・プラントの路面に突き立った。

 

 跳び下がって片方の膝を突いたベルバルザード。右腕は折れたのか力無く垂れ下がり、胸には浅いが……確かに二ツの刀創を負っている。

 

「さぁ……此処までだ、【重圧】のベルバルザード。降伏しろ」

 

その鬼神の前で庇い合うように各々の神剣を構えた望とカティマ、空。

 

「最早、神世での因縁など意味はないか……はは、漸く理解できたぞ、ヒメオラ」

 

 北天側の【黎明】と【心神】、南天側の【無垢】と【夜燭】。

 本来並び立つ筈の無いその神剣の揃い踏みに、ナーヤがポツリと呟いた。その瞳は--

 

「おぬしがあの記憶を伝えたのは憎しみを募らせる為ではなく……繰り返すなという戒めの為だったのだな……」

 

 何かを吹っ切ったかのように、清々しいモノだった。



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幽かな光 煉獄の華 Ⅱ

「ッ……まさか、これ程とは」

 

 片膝を衝き、ベルバルザードは荒い息の合間に呻きを漏らす。

 視線の先には両手で【黎明】を構える望、天破の型で【心神】を構えるカティマ、今度はダラバと同じく【夜燭】を僅かに左に傾斜させた青眼の構えをとる空。

 

 決して侮っていた訳ではない。神剣士の外見と実力は比例しないのだから、慢心は無かった。今回の闘いでも、実力を鑑みて戦力を整え、『勝てる戦力』と『勝てる作戦』にて挑んだのだ。

 しかし、結果は--

 

「もう一度言う、降伏しろ」

 

 大剣【黎明】を衝き付けたまま、望は再度声を上げる。それに、【心神】や【夜燭】にも力が篭め直された。

 

「フ……『予定』以上だが貴様ら、忘れた訳では有るまいな。この闘いの本質を」

 

 それに全く動じず、鬼神は--四人の後方に目を移した。そこに在ったのは、エナジージャンプのクライアント。

 

「ッ……!」

 

 そこが--起動した。同時に空は、現れるだろうミニオンに先手を打って【幽冥】の引鉄を引いた--

 

「--どわぁぁっ!? あぶねッ!! 何しやがんだ空!」

「っあ、悪りィソル」

「軽っ!? 全く、てめぇら助ける為に苦労してミニオンを蹴散らしてきたってのによ……ケリ付いてんじゃねぇか」

 

 『ペネレイト』の短剣を、打ち砕いたソルラスカ。その後ろからルプトナ、沙月と希美、タリアとヤツィータ、そしてサレスが次々に現れた。

 

「間に合ったようだな……さて、どうするかなベルバルザード? こちらは既に、転送鍵も奪還しているぞ」

 

 形勢が完全に旅団側に傾いた事を悟り、ベルバルザードは近くに衝き刺さる【重圧】を支えに立ち上がってその姿を揺らがす。

 

「忘れるな、この闘いは--まだ続いているのだからな」

 

 転送されていくベルバルザードの残した言葉に、一同は顔を引き締めた。いくら『旅団』が敵兵を殲滅しようが、敵将を退けようが、この世界が崩壊すれば彼等『光をもたらすもの』の勝ちとなるのだから。

 

「各プラントには、クリスト達が詰めている。簡単には抜かれまい、我々は我々の役目を果たすぞ」

 不気味な静寂を保つ、支えの塔ヴァリアスハリオ。そこに向けてエナジージャンプクライアントを潜る--

 

 

………………

…………

……

 

 

 塔に入るや、飛び掛かってきたミニオンを蹴り飛ばしたルプトナ。だが一体ではない、次から次に溢れて来る。

 

「うーっ、キリが無いよ」

「ベルバルザードの野郎、余裕の正体はコレかッ!」

 

 最前列で闘っているソルラスカとルプトナ。その少し後方には、タリアと沙月が続き左右を守る。

 

「ホントに、面倒よね。クー君の感知で何体居るか、判らない?」

「俺達の世界の言葉では、『一匹見たら四十匹』が基本で」

「お前達、口ばかりではなく手も動かしてくれないか」

 

 続くサレスとヤツィータ、空は遠距離重視で少し後方に位置し、前衛の討ち漏らしの接近を阻む。望と希美、カティマ達はナーヤを守備するように、傘型の突撃陣型中心に収まっている。

 

「--見えた、管制室じゃ!」

 

 声と共に視界に飛び込んできた大きな扉。しかしそこに辿り着くまでの道程は険しい。

 

「……コレを突破するの? 気が遠くなるわね」

「でも、やらないと!」

 

 【光輝】を右手に剣、左手に盾として展開している沙月のボヤキももっともだ、相当数のミニオンが道を埋めている。それに希美は己を鼓舞するように答えた後で、【清浄】を構え直す。

 

「んじゃ行くぞソル、ルプトナ! 一番槍は貰ったッ!!」

「んだあの野郎、マジで鉄砲玉に成っちまいやがった」

「今更じゃんさ、そんなの!」

「それもそうだな--行くぜ!」

 

 呼び掛けた二人が駆け出すより先に空は駆け出した。脆弱なその身を省みる事も無く、ただ、それだけが己の成すべき事だと言わんばかりに。

 

 初撃は、【幽冥】。展開された魔法陣は金、撃ち出された同色の『オーラフォトンレイ』が、敵を十数単位で貫いた。

 

 それによりミニオンが消滅して僅かに開いた隙間をえぐり込み、更に、二挺のキャリコM950の『デュアルマシンガン』にて陣を完全に乱した空。

 ルプトナは集団の隙間を縫って滑り、衝き出される神剣を跳ねて『クラウドトランスフィクサー』を繰り出し、或いは伏せてからの『グラシアルジョルト』と変則的な動きで翻弄しつつ、【揺籃】で遊撃する。

 そこにソルが『崩山槍拳』にて殴り込んで、【荒神】の突出した打撃力により陣形の軽傷を致命傷とした。

 

 その一連の隙にマガジンを交換した空が、ソルラスカやルプトナの死角を守る。そんな空の死角をどちらかがカバーし、最後の一人は更にそのカバー。

 それを空がカバーする事により始まりに戻る。『弾数』の制約は有るが、一応完成された無限円環の戦術。

 

「「「まだまだァっ!!!」」」

 

 襲い来る敵に合わせてくるくると立ち位置を替え、時に引き合い押し合い、時に仲間の背中の上を転がったりしながら。

 同時に二方向へ対応できる武器を持つ三人故の、一糸乱れぬ連携連鎖。

 

 これを--"打ち合わせ無し"で、やってのけているのだ。

 

「あの三人にばかりに良い格好はさせてらんないわね……行くわよ、希美ちゃん! 光の輝きよ、槍となって敵を……」

「はい、ものべー、力を貸して」

 

 瞬間的に【光輝】が光へと還り短剣のような形で沙月の両手……その指の間に複数握られ、地面と水平に構えられた【清浄】の穂先が上下二ツに分離し--その間の発射口にマナの煌めきが充ちて、電流を帯びる。

 

「「貫け!」」

 

 それを確認し、敵陣深くに飛び込んでいた空達が離脱した。

 

「--ヘヴンズジャベリナー!」

「--ペネトレーションっ!」

 

 投擲された複数の光の槍による射撃と撃ち出された単発のマナ塊による光線は、その射線上に居たミニオン達を消滅させる。

 

 そうして、『道』が拓かれた。

 

「さぁ行ってください望、ナーヤ殿!」

「後は任せたわよ、世刻!」

「判った、行こうナーヤ!」

「おう、任せるのじゃ!」

 

 カティマとタリアの助けにより突破した望とナーヤ。だが、扉が開かない。どうやらコードを書き換えられてしまったらしい。

 

「こんな時に……」

「大丈夫っすよ、マスターキーを持ってますから」

「マスターキーじゃと? 何故、お前がそのようなものを」

 

 と、唐突に望の後から現れた空の一言に、ナーヤが訝しみながら振り返った。そこには--青い、フランキ・スパスの銃口。

 

「うにゃあああっ!」

 

 ナーヤの悲鳴と同時に、それが火……否、『水』を噴いた。霰弾『フロストスキャッター』を。

 三発それを撃ち込んで穴だらけになった扉を、空は蹴り壊した。

 

「よし、行きましょう」

「こんの馬鹿者がーーっ、それは『霰弾銃《マスターキー》』じゃろうがーーっ!」

「流石ァァッ!」

 

 ナーヤの『スピカスマッシュ』で殴り飛ばされた空を先頭にして、二人も管制室の内側に消える。

 そしてミニオンが侵入出来ないよう、一行が入口に陣取った。

 

「……さて、それでは我々は時間が来るまで歓迎会の続きだな」

「歓迎した覚えも、された覚えも無いけどね~……ああもう、軽くイラッときたわ」

 

 面倒そうに口を開いたサレスとヤツィータ。【慧眼】からは異界の風が噴き出し、【癒合】からは勢いを増して燃え盛る焔が迸しる……いや、何を隠そうこの焔こそ【癒合】の本体だ。

 

「--ページ:ハリケーン」

「--フレアカラドリウスっ!」

 

 【慧眼】より戒めを解かれた風は竜巻として地を疾り、【癒合】は猛禽の形を取って、ミニオンに襲い掛かる--!

 

 

………………

…………

……

 

 

 目の前には荘厳とも言える光の乱流。部屋を覆い尽くす機械また機械、それははまるで鉄の檻。

 

 だとすれば、彼女は鉄の鳥籠に入れられた、カワイソウな翡翠色の金糸雀《カナリア》か--

 

「…………」

 

 そんな鉄の檻を、まるで鍵盤を叩くかのように操作していた彼女だったが……近付く足音に溜息を漏らす。

 そして全ての作業を終えて振り向いた--

 

 

………………

…………

……

 

 

 三人の目線の先、そこに立っていたのは--

 

「あら、皆様お揃いで如何なさいました?」

 

 翠の髪の侍女フィロメーラ。

 

「お久しぶりです。剣の世界以来ですね」

 

 だが、空はそんな彼女にも全く動揺すら見せずに言い募る。

 掛けられた言葉に彼女はニコリと微笑んだ。しかしそれは、本来の清楚な彼女からは程遠く妖艶。

 

「光をもたらすもののリーダー、【雷火】のエヴォリアさん」

「ふふ、やっぱり貴方が一番厄介ね……【幽冥】のタツミ」

 

 すっ、と手が振られる。それを合図にフィロメーラの姿は踊り娘のような装束を身に纏う女、則ち--その神剣士へと移ろう。

 

「フィロメーラさんをどうした、エヴォリア!!」

「心配要らないわ。私、部外者を巻き込むのは好きじゃないのよ。スマートじゃないでしょ?」

「そこまで巻き込んでおきながらどの口がほざくのじゃ、貴様!」

 

 ここまで彼女が激昂した理由は、フィロメーラのみが理由ではない。この部屋に入ったとき、入り口近くで昏倒していた兄の姿を見たからでもある。

 しかも……下半身を剥き出した、情けないにも程がある姿で。明らかに『ハニートラップに引っ掛かりました』といった、その姿を見てしまったのだ。

 

「あら、女の子が牙を剥いちゃあ駄目じゃない? そこの男の子達に嫌われちゃうわよ」

 

 くすくすと嘲笑いながら、睨みつける二人をあっさりあしらう。歯牙にも掛けないとはこの事か。

 刹那、塔に激震が走る。瞬時に三人は、張本人に目を向けた。

 

「塔に流し込んだ破壊の思念が、効果を発揮し始めたのよ。つまりはチェックメイト。今からじゃ、もうアクセスも出来ない」

「貴様--!」

 

 もう一度食ってかかろうとしたナーヤ。その声を金属を斬る鋭い音が邪魔する。

 

「ゴチャゴチャ煩せェな。面倒だ、ネコさんを連れて別の端末まで行け、望」

 

 そこで、エヴォリアは【夜燭】の切っ先を金属の床に衝き立てた空へと注意を向けた。

 

「……判った。行こうナーヤ」

「何を言うておるのだ、のぞむ! あやつは【雷火】のエヴォリア、『光をもたらすもの』の導き手じゃ!」

 

 踵を返した望に、ナーヤは心底驚いた。それもその筈だ、残していく二人の実力差は歴然。

 

「あの【重圧】のベルバルザードを差し置いて、この女がその座に就いておる理由は単純……こやつが、ベルバルザードよりも優れた神剣士であるからじゃぞ!」

 

 軍勢が有ったとはいえ、四人を同時に相手したベルバルザードを上回る実力者、それがエヴォリア。それに如何に『無力ではない』とは言えただのニンゲンを当てるなど、正気の沙汰ではない。

 

「大丈夫だ……空なら」

 

 信頼しきった望の言葉に--空は無言でサムズアップを見せて、そのままシッシッと手を払う。

 同じくサムズアップを見せた望はナーヤの手を引き扉に向かう。

 

「それにしても、ベルバが二度も仕挫《しくじ》るなんて驚きね。剣の世界では可愛らしいヒヨッコだったのに」

「『男子三日会わざれば刮目して待つべし』。三ヶ月も経ちゃあ、ヒヨコも立派にトサカが生えらァ……そして何より、盟友がアンタに怨みが有るらしくてね。さっきからバチバチ痺れちまって持ってられやしねぇ」

 

 見れば、【夜燭】はその刀身はおろか柄にまで電光を纏っている。一応の所有者である空が痛みを感じる程だ、加減を忘れた出力。

 

「死んだ主の仇を討つ為に都落ちって事? あはは、神剣がねぇ」

 

 茶化す言葉に、電光は遂に形を見せる。のたうつ蛇のような蒼い雷の集合体である『エレメンタル=レストアス』が。

 

「笑えよ。笑えるのは生きてる間だけだ。常世じゃもう笑えねぇ」

 

 それすら意に介さず、空は柄を握り締めた。細胞の一つ一つに、レストアスが染み渡り活性化する。疲労すら忘れて、闘争心が際限無く湧き出る。

 

「--来いよ、光をもたらすもの……俺の夜闇は深けェぞ」

「--それは楽しみね。だけど、貴方程度でこの【雷火】の灼光に耐えられるかしら?」

 

 シャリン、と。エヴォリアの腕の【雷火】が鳴る。それに向けて、空は【夜燭】を構えた。

 

 

………………

…………

……

 

 

--肩、腿、頭!

 

 【夜燭】を肩に担いで壁際スレスレを走りながら、飛来する光の弾道を完璧に読み回避する。

 駆け抜けた光弾はそのまま壁に当たり、明らかに口径を上回った破砕力を示した。

 

 そしてどうしても躱せない一発を、黒禍の剣にて迎え打つ--!!

 

「ハァァッ!」

 

 耳を聾せんばかりの爆音、目を盲いんばかりの煌めき。へし折れそうな腕に鞭打って振り抜けば、闇色の刃が光の弾を打ち砕いた。

 

「あら、意外に元気じゃない? 如何かしら、私の十八番の味は」

 

 突き出していた右腕を下げて、悠然と『オーラショット』の構えを解いたエヴォリア。空も、立ち止まったままで息を整える。

 

「中々のお点前で。後は茶請けの羊羹でも有れば完璧ですよ」

「それはそれは。ごめんなさいね、気が利かなくて」

 

 軽口に返るは、軽口。パン、とエヴォリアが拍手を打ち鳴らした。その背後の空間に、まるで金色の光背のように精霊光の魔法陣が画かれる。

 

「替わりと言っちゃ何だけど--コレをあげるわね。遠慮しないで貰ってちょうだいな」

「ッく!?」

 

 と同時に、空の眼前に『光』が生まれた。白い、練りに練られた高密度の--炸裂のマナ。

 

「心行くまで、たんと召し上がれ--ライトバースト!!」

 

 『オーラショット』が点制圧用ならば、『ライトバースト』は面制圧用。先程までとは比べものにならない攻撃範囲を光が埋める。

 更に言うならば、エヴォリアは術士型。戦士型である望が使ったモノよりも、威力は遥かに上。

 

「すばしこいわね、正直驚きだわ。水周りのあの黒い奴みたいよ、貴方」

「否定はしませんけど--」

 

 呆れたように呟き見上げた先。壁に『着地』している、空の姿が在る。壁に【夜燭】を衝き立て、それを取っ掛かりにして。

 壁に当てていた両脚甲に、力と共にレストアスが篭められた。

 

「--ねッ!」

 

 そのまま壁を蹴り砕き、反動を速度に、速度を威力に替えて。

 

「ハァァッ!!」

 

 全身全霊を持ち、『電光の剣』を叩き込む。

 

--ギィィィン!!

 

「チィッ!!」

「あはっ、これっぽっちの力しか無いの? 憐れよね、人間て!」

 

 それを、実に造作も無く。展開された『オーラフォトンバリア』によって無力化された。その強度と正確さはミニオンなどの比ではない、鉄壁の一言に尽きる。

 

「……ッ……」

 

 瞬間、ビキリと肘や肩が痛んだ。それもその筈、ベルバルザードとの闘いで遣った『南天星の剣』の反動は全て腕に反っている。

 折れていないだけで奇跡だ。

 

「確か……貴方の夜闇は、深いんだったわね。でも安心なさいな、すぐに光で照らしてあげる……」

 その時、彼女は腕を交差させて両手にマナの輝きを集めた。これもやはり先程までとは雲泥の差、彼女自身が保有するマナを十分に籠めた為だ。

 

「『ギムス』よ、聖なる光により浄化を--ライトブリンガー!!」

 

 交差されていた腕が天に向けて翳され、光が昇っていく。確かに天井は高いが、ここは室内。限度が有る。

 光は天井近くで停止して分裂、今度は勢い良く--まるで、艦砲射撃のように降り注ぐ。

 

「次から次にッ! 手数の多い事でッ!」

 

 光の盾を踏み台に、レストアスを纏いながら跳ね退く。対面の壁に着地すれば--そこを狙って光が雪崩込んでくる。

 正にそれは『ライトブリンガー《光をもたらすもの》』。

 

 躱せばその先へと光は追い縋る。壁から壁に跳び移り、遮二無二命を繋ぐ。

 

--神剣魔法ならまだいい。この『グラシアルアーマー』は対魔法の加護、致命傷は避けられる。

 だが、あの光は別だ。実体攻撃も兼ねる【雷火】の光は、間違いなくこの氷河の法衣を貫く!

 

 間一髪で至近弾を避けた着地点。いや、そここそ--

 

「虚ろなマナの輝きよ、惑わしの霧となれ……」

「しまっ……グ!」

 

 そここそ陥穽、青い霧のような霞む虚光の充ちる場。跳ね退こうと脚に力を篭めるが、その瞬間に今度は膝が悲鳴を上げた。

 【夜燭】を衝き立て、膝を折り地に屈する。当たり前だ、こんな無茶な動きが長持ちする筈が無い。その跳躍や着地の衝撃は全て膝などの関節に懸かり、骨肉を擦り減らす。焼け付くかのような熱を持った膝は間違いなく脱臼、下手をすれば、骨折しているかもしれない。

 

 そんな苦痛を噛み殺す男の耳朶に。

 

「--ハルシネイション」

 

 慈悲深き安らぎと、それに伴う生命の停滞を齎す『慈愛の女神』の囁きが触れた。

 

「--カハッ……!! 倒、れ……られるかよ……!!」

 

 虚ろの光に打たれた事で、生命を大きく削ぎ落とされて。

 それでも彼は倒れはしない。身に纏う加護は大きく減じており、もう一度でも神剣魔法を浴びればもたないだろう。

 

 【夜燭】を支えに腰を立たせる空、そのしぶとさには、さしものエヴォリアも呆れるしかない。

 

「全く、諦めが悪いのもここまで来るともう才能ね……」

「……悪いかよ、必死こいて太刀向かって……こちとら多寡が人間だ、出来る事なんざ--!」

 

 震える膝を殴り付けて踏ん張り、引き抜かれた黒刃が構えられる。真っ向から突き付けられた剣に、エヴォリアは眉を顰めた。

 

「--初端《ハナ》っから、前に向かって歩く事だけしか出来ねェんだよ!!」

 

 肩で息をしながら、ただ強がる。あと一撃でも受けてしまえば、崩れるのみだと言うのに。

 

「……ふ、ふふ」

 

 エヴォリアは、笑う。可笑しいからではなく『憎い』からだ。

 

「そう、それが貴方の『夜闇』という訳ね」

 

 光は、ある意味では無慈悲だ。どんなに隠したい『罪』も、白日の下には全て曝される。一方、闇はどんな『罪』も覆い隠す。ある意味では慈愛……いや、『自愛』に充ちている。

 刹那、拍手が打ち鳴らされた。音は空間を、彼女の静かな怒りと共に揺らす。

 

「--アンタだけ楽になんて……させるもんですか。誰もが背負いたく無い罪を背負って生きてるのに……アンタだけを!!」

 

 エヴォリアの背に浮かぶオーラフォトン。先程よりも巨大にして緻密、明らかに強力な神剣魔法。

 

「--闇の氷柱よ、我が敵の骨肉を砕け……」

 

 それに対抗してか、空の左手が向けられた。その指の形を『銃』として。

 

「何を--……ッ?!」

 

 それを向けられたエヴォリアが訝しんだのもつかの間、その全周を青氷の檻が包んだ。

 

「……悪いね、俺は無駄ってモンが嫌いでさ。どんな行動も、必ず自分なりの意味を定義しなきゃ嫌なんだ」

 

 時計のようなその檻の中から、彼女は気付く。先程まで彼が跳ね回っていたその跡、その全てに霜で貼り付けられた『銃弾』が在る事に。

 そしてその全てが--己の立つその位置に向けられている事に。

 

「呪いの刃よ、我が身を守れ--クロウルスパイク!!」

 

 鳴らされた指を合図に、銃弾はレストアスの意志により発火して--『氷弾』と化して全方位から彼女を穿つ。

 

「…………」

 

 荒い息を吐きながらも、濛々と立ち込める粉塵を睨む。

 手応えはあった、全弾命中したとレストアスが告げているが--

 

「今のは正直、まずかったわ……ただ、相手が悪かったわね」

 

 その幕が上がる前にエヴォリアは告げる。煙の緞帳が上がった先には--彼女を護る、『城壁』が聳えていた。

 

「--あたしの『ギムス』はその程度の火力じゃ墜ちないわ!」

 

 堅牢の権化、白く怜悧な鋼と氷の重装備巨兵。エヴォリアを覆い隠すように護る機械巨兵は、その名を『ゴーレム=ギムス』。彼女の【雷火】の守護神獣だ。

 

--マジかよ……ベルバルザードの『暴君』より凄げぇ。

 

 その装甲は不届きにも主に襲い掛かった呪いの氷刃を全て防ぎ、あまつさえ疵の一ツも無い。備えを完璧に凌駕された。

 

「じゃあ、今度はこっちの番ね。ギムスよ、凍てつく輝きにより敵を薙ぎ払え……」

 

 呼びかけに応え鳴動する巨躯、向けられたのは機械巨兵の左腕と一体化した雷磁砲《レールガン》。そして巨兵の全身に配置されている無数の砲身が現れた。

 

「……遊びは終わり。コレで最後よ--アイスクラスターッ!!」

 

 迸しった白く凍えた絶対零度の雷光は、過たずにその眼前の弱者を捉えて情け容赦無く粉砕する。文字通り、『光』に還るまで。

 その光の渦の中心で、弱者は。

--死ねない……まだ、俺は何も成してない……このまま消えれば……居ても居なくても変わらない、無意味になる。そんなのは……御免だ!

 

 レストアスの加護『グラシアルアーマー』、既に消えかけているそれに護られている一瞬に勝機を見出だす。何故ならば相手は--狙わなくても真正面!!

 

「征くぞ、カラ銃……!」

【くふふ、やっぱし最後に頼りになるんはわっちどすなぁ】

 

 利き手に握られたは【幽冥】。暗殺拳銃を番えた中指が迷い無く引かれる。盾のように銃口で展開された、金色の煌めき。

 

 迸しる精霊光は金色の風。

 

「【--オーラフォトンレイッ!!」】

 

 滅びを齎すマナの嵐が、凍える白の雷光と鬩ぎ合う--!!

 

 

………………

…………

……

 

 

「げほっ……やってくれるわね、あたしもまだまだ甘いわね」

 

 瓦礫の散乱した室内。特に巨大な天井の残骸を右腕で受け止めたギムスの足元で、エヴォリアは実に苛立たしげに呟いた。

 

「……ベルバが手こずる訳だわ、判ってはいたけど本当に予想外な奴……使う予定は無かったけど、いざとなれば--」

「まだ出し惜しみか? 本当に、ナメてくれるよな」

 

 チャキ、とエヴォリアのうなじにグリップガンが衝き付けられた。ギムスが反応するが、ここまで近接されては成す術が無い。

 

「……そういえば、貴方の本分は暗殺だったっけ。こういう状況が一番得意よね」

 

 答えず、空は睨みつけながら息を吐く。それは単純に、もう声を出すのも辛いというだけ。

 

「でもいいのかしら? もし私を殺せば、フィロメーラだったっけ? 私が借りてる彼女の心も死ぬわよ」

「……ハッ。やっぱりあの二人を行かせて良かった。情に流されるのは吝かじゃねェけど--場合に因るんだよ、俺はさ」

 

 僅かに、色めき立った琥珀の瞳。しかし、一瞬だけ目を閉じた後に再度開かれた眼差しは、冷厳な三白眼。

 最早何の情動も無く、空は引鉄に掛けた指に力を篭めた。

 

 発砲音と共にエヴォリアが倒れ込んだ。そして、その口から--

 

「くっ、あ……スタンガン、ですって……!」

 

 『サンダーボルトハンズ』にて無力化されたその口から、悪態が漏れた。

 その刹那、動きを見せたギムス。だが直ぐに、今度はエヴォリアに【幽冥】が突き付けられた事で再びフリーズした。

 

「……時と場合で冷酷にもなれる。本当に、貴方みたいなタイプが一番厄介よね……仕方ないか」

 

 倒れ伏したまま、ふぅ、と溜息を落とした彼女。そして--

 

「--【空隙】が呼んでるわよ、【幽冥】。私達と来なさい、貴方の主人『奸計の神』"クォジェ=クラギ"と共にね」

「……ッな、に?!」

 

 放たれた言葉に空は息を呑む。【空隙】とは何なのか。何より、何故--その名を知っているのか。彼の記憶に有る限りでは、彼女の前世とは明確な接点が無い。

 

【あぁ、本当に『遊びは終わり』なんどすなぁ……くふふ】

「……カラ銃……!?」

 

 と、【幽冥】から陰が溢れ出す。それはさながら、契約した時の逆再生。

 

【すんまへんなぁ、旦那はん? まぁまぁ愉しめましたえ】

 

 訳が判らない為、引鉄を引けずに戸惑う空。その背後に翳が結集する。

 

『まぁ、ここまでたんまり貢いでくれて有難うッて事だよ、なあ、『俺』……!』

「--ッ!!?」

 

 その翳を裂いて、その無機質な声と共に。

 

『礼代わりだ、楽に--死ねや』

 

 突き付けられたワルサーの引鉄が、引かれた--……

 

 空の背中に向けて撃ち出された銃弾……『紅い銃弾』は、かつての己の永遠神剣の凍結片。

 今まで潜り抜いてきた闘いや、日々の特訓で培われた勘か。空はそれを辛うじて痛みに感覚の薄い右の逆手に構える【夜燭】で受け止めた。

 

「ッあ--」

 

 『しまった』と思った時には、もう遅い。既にその真紅の銃弾を『受け止めてしまった』のだ。

 培われた経験と勘。それらが、今回は完全に裏目となっていた。

 

「--ガハッ!?」

 

 瞬間、左脇腹に走る苦痛に声を漏らせば--銃創が現れる。

 咄嗟に身を捩った為に、心臓を撃ち抜かれて即死してしまう事は回避できたが、紛れも無い重傷。

 

「莫迦、な……」

 

 血飛沫と共に脚から力が抜け、俯せで沈み込む。その目は驚愕と共に、目の前に立つ一人……否、『一機』を捉えていた。

 

『莫迦はテメェだろ、『俺』?』

 

 無機質な声、面相は--この前作った、バイクのヘルメットだ。面兜《バイザー》のスリットの奥に、紅く光る単眼《モノアイ》。左胸部に反応炉《リアクター》を持ったスマートなフォルムに加え、ホバリングするように浮遊する質量。刃金《ハガネ》色の無骨な外観でありながらも、機能美とも言える無駄の無い造形。

 

 以前よりも更に洗練されている『ソレ』。最も大きな外観の差異は頭部に角が有る事と、指先までを鋭い鈎爪に包まれた篭手、脛と爪先に打撃用の刃を持った脚甲を模す強靭なアームとレッグに変更されている点くらいだ。

 

『【幽冥】の口車に乗って、しこたま神剣を集めてくれて有難うよ! お蔭様で、反魂《カエ》って来れたぜ!』

 

 それは機械的な外見にそぐわぬ程、やけに人間くさい仕種で歓喜した"機械の神性"。そう、かつて彼の前世が造り上げた『一機』のマナゴーレムが立っていた。

 

 その隣に別の陰が集まる。凝縮していくそれはやがて、黒髪の女と偽《な》った。

 

「どういうつもりだ……カラ銃! 何でソイツの側に居やがる!!」

「何でて、賢い旦那はんならもう判っとりますやろ? 目ぇ逸らしとるだけぇ……くふふ」

 

 濡れ羽烏色の髪の和装の女--契約の折に現れた【幽冥】の象徴。空は詰問する。

 

「この姿では、二度目どすなぁ。そういや名乗っとりませんどしたっけ。わっちは幽月……」

 

 実に珍しく、取り乱して。それに幽月はいつもと変わらぬ小馬鹿にしたような口調で答えた幽月。

 

「永遠神剣第四位【幽冥】が守護神獣……『告死蝶 幽月《ユヅキ》』どす」

 

 見下すように笑いながら、彼女は隣の機神にしな垂れかかった。

 大して気にも留めずに、各関節の動作確認をした機械の神は忌ま忌ましげに呟く。

 

《チッ、しかし随分みすぼらしい姿になっちまった……》

「あん、酷いお人。折角わっちがガキンチョにおべっか使ってまで新しい躯を造ったったのにぃ」

 

 幽月に組まれた腕、クォジェ=クラギの左のマニュピュレーターが握る銃ワルサーAPを撫でる幽月。

 

「成る程、ね。そういう訳か……やたらテメェがマナを必要としてたのは……『オレ』を蘇生させる為か……!」

 

 衝いた膝に腕、目の前に転がるフィラデルフィア=デリンジャー。憑き物が落ちたように、全く力の感じられなくなったソレ。

 

「わっちは旦那はんと違ってウソツキどすからなぁ」

 

 食らい付くように鋭い眼差しを向けるも、所詮は敗者の遠吠え。軽くあしらわれて、一層惨めさを引き立てる。耳を打つ言葉に歯を食いしばり、空は俯いた。

 

「わっちの銘は【幽冥】……永遠神剣第四位、地の眷属【幽冥】。この神剣宇宙で最も第三位に近い、第四位の神剣にして浸蝕の永遠神剣……」

『そしてオレは、その契約者……『幽冥のクォジェ』って訳だよ、マヌケェ!!』

 

 名乗りと共に機神の胸部にあるリアクターが輝く……いや、翳る。周囲の光とマナを翳が浸蝕して呑み込んでいく。

 

『--この日をどれだけ待ち侘びたか! マナゴーレムの制御の為に転写していた『触穢』を再結集させて転生のみ可能とし、替わりになる神剣を得るまで、展望無き輪廻を繰り返す……!』

 

 機神の神名『触穢』と【幽冥】そのものである『翳《かげり》』の入り混じったオーラフォトン、凝り固まった紅黒い忌血のようなその『呪詛』。

 

 ニンゲンヘの転生の度に、無力を噛み締めながら終焉を迎える度に降り積もった無量大数の悪意。

 それと混じるは幾つもの"同属"を蝕み続けた、やはり無量大数の害意。

 

 正に読んで字の如く、文字通りの『害悪の結晶』たる神造機械の"祟神《タタリガミ》"。

 

『永《なが》かった……! 本当に永い、永い輪廻《サン=サーラ》だった!!』

 

 展開された立体的な精霊光は、まるで彼岸華の花冠のように。

 美しくも悍ましく毒々しい夜の徒花《あだばな》。

 

「……何でだ、カラ銃……俺との契約は……贋物か? こちとら、破った覚えはねェぞ」

「そう、それどすわ。旦那はんは、わっちに『好きなだけ喰わしてやる』っつったのに……喰わしてくれたんはミニオンの屑神剣だけ。近くにあんなに旨そうな神剣がわんさかおるのに」

 

 どくどくと、己の傷口から流れ出て行く命を感じつつ。搾り出すように問う。それにへらへらと、命を蝕む翳の女は事もなげに。

 

「わっちのホンマの『旦那様』は、親交の有った他のカミサマすら平気のへいざでその毒牙に掛けた傑物どすから--……『アンタ』の御家族全員の神剣を、わっちに喰わしてくれはる甲斐性が有るんどすわぁ」

 

 彼の、『家族』を『喰らう』と宣言した--刹那、空の顔が跳ね上がる。

 

「--貴様ァァッ!」

 

 激昂し苦痛も忘れ、腰から引き抜いた血塗れの拳銃を番えて連射する。伍挺全てを撃ち尽くして、立ち込めた煙が晴れた先。

 今まで喰ったマナで鍛え上げてある機神の装甲はあっさりと銃弾を弾き返している。加えて周囲には先程の精霊光の残滓を利用した防御機構『オーラバリア』が展開されて攻撃を拒絶していた。

 

 一方の幽月は--身構える事も無く銃弾に身を曝した幽月は。

 

【わっちが不死身な事くらいは、ご存知どすやろ?わっちの正体を知らへん莫迦には、わっちは砕けへん……折角の弾ぁ、無駄遣いはやめなんし】

「……ッ!?」

 

 十数発の銃弾を受けて、肉体は消滅している。ただ--のっぺりと人型をした黒い翳が立ち昇っているのみ。

 それこそ彼女、【幽冥】の本体だ。弾丸など通用しない。喩えるならそれは、確たる形を持つ『影《シャドウ》』ではなく不定型の『陰《シェイド》』。

 

 ひとしきり笑った翳はニンゲンのカタチを保つ事を止め、すっと機神に融合する。

 

『第一、幽月が契約したのはオレとだ。間男はテメェだよボケが』

 

 やれやれとばかりに肩を竦めた後で、機械神は鋼の指を鳴らす。刹那、空の銃器と籠手脚甲が解けてクォジェの背面に結集し、スラスターバインダーと化した防具に銃器が収納される。

 そしてエヴォリアの隣にテレポート……エナジージャンプを応用した短距離ワープで現れた。

 

『立てますかい、姐御? 何なら肩を貸しましょうかい、ベルバルザードとは違って頼りがいはねぇだろうけどさ』

「…………」

 

 肩を貸り、不愉快そうに黙ってギムスを送還した彼女は空に向き直り--姿を揺らがせる。同じく機神も長距離ワープの構えに入り、姿を霞ませた。

 

「不様ね。でも、貴方にはそれがお似合いよ。命の続く限り、己の無力を噛み締め続けなさいな」

「……クッ……!」

 

 そう、嘲笑う。僅かに、本当に僅かに--残念そうな声色で。

 

『じゃあな、『俺』……いいや、カラッポの『空』君? クククク……ハッハハハハハハハ……!』

 

 全てが消え去れば、残るは重傷を負ったその少年のみ。その拳が、瓦礫を叩く。

 

「……クソ……」

 

--判っていたさ、アイツが何か隠してた事くらい。気付いてたさ、離反の可能性くらい。

 

 静寂に包まれた管制室に、その音はよく響く。

 既に塔の鳴動も収まっている、ナーヤ達が破壊の思念の無効化に成功したのだ。

 

 だが、そんな事にも気付かない。例え気付いたとしても歓喜など無いだろうが。

 

「……クソッ……クソッ……!」

 

--でも……それでも……信じていたかった。もしかすれば、解り合えるんじゃないか、って。有り得ないとしても、アイツとも……『家族』になれるって。どんなに小さくてもその『可能性』を……信じたかった!

 

 塔が正常な機能を取り戻した事によりシステムが復旧したのか、スプリンクラーが作動した。

 冷たい消火用水が敗残者を容赦無く打つ。

 

「--クッソォォォォォッ!!!!」

 

 その水音に紛れて響いた慟哭は、誰の耳に届く事も無かった--



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悠久の青 昔日の声 Ⅰ

--唐突だが、好きだった言葉が有る。今まで、ずっと忘れていたけど。

 

『空さん、これを読めますか?』

 

 霞んだ情景。彼は辛うじてソレが思い出深い天木神社の境内だと解った。

 そこで巫女が地面に書いた文字を、八歳くらいの少年に読ませている。『空元気』という漢字を。

 

『えっと……そらげんき?』

『ふぅ……文弱の徒は格好悪い物ですが、武骨も大概ですよ。文武両道こそが一番、勉強しなさい。これはですね……』

 

 それに巫女は、自信満々に--

 

『これはですね、あきげんき、と読むんですよ』

『あき……おれの名前?』

 

 子供相手に、とんでもない嘘を教え込んだ。

 

『ええ、そうです。どんなに辛い事が有ってもへこたれず諦めない……ただ元気なだけより、もっと意味のある元気の事なんですよ。貴方は、そんな意味にもなる素敵な名前を持っているんです』

『そうなんだ~!』

 

--んで、学校でマジそう読んで赤っ恥をかかされたんだっけか。だから二度と思い出したくなくて、記憶の奥底に封じた言葉だ。

 

『そう、だから過去がどうあれ、未来がどうあれ……決して貴方は『空虚《カラッポ》』なんかじゃない。何が有ろうとも挫けずに、真っ直ぐ……貴方らしさを貫いてくださいね』

『ときみさん……?』

 

 ふと、声を沈ませて。くせっ毛の少年の頭を撫でながら、巫女は天を仰ぐ。釣られて、少年も仰ぎ見れば。

 

--でも……それはきっと。この命が生まれて以来聞いた、他の誰のどんな言葉よりも。

 

 何処までも蒼一色の大空に悠揚と棚引く、一筋の白い飛行機雲に吹き抜ける一陣の風。それを翼に受けて、物悲しく鳴きながら高く飛び去っていく孤高の隼。

 その姿は、日の光を浴びて金色に煌めいて見えた。

 

 そして風に踊る髪をそっと抑えながら。虚空に溶けてしまう程に小さな声が鼓膜を震わす。

 

『遮るものなんて何も無い、あの悠かな空を駆け抜ける、"天つ風"のように--……』

 

--この巽空という莫迦野郎の、どうしようもなく莫迦らしい生き方を決定付けた……本当に本当に、大好きな言葉だったんだ……。

 

 

………………

…………

……

 

 

「--い……おい、起きぬか」

「……ん……?」

 

 呼び声に、眠りの壁の向こうに拡散していた自我が再結集する。左腕を目隠し代わりにしていた為に、声の主は霞んで見えているが--こんな時代がかった喋り方をする者はそうはいない。

 

「ああ……ネコさんで、痛い痛い足踏んでますすいません大統領」

 

 物部学園の中庭、トネリコの樹の根元にはレジャーシートの上に寝そべる空。そして樹の脇の土に衝き立てられている【夜燭】。

 

「……具合はどうじゃ」

「ええ、もう大丈夫です。治療費の件はお世話になりました」

 

 腰を降ろしたままで言い、何気なく体を捻って見せる。少し引き攣れたような感覚こそあれ、最早回復したといってもいい。

 

--しかし、再生治療とかマジで魔法の世界さまさまだな。たった二日で古傷になっちまった。

 あれだ、やっぱ科学は魔法すら越えるんだよ、うん。

 

「気にするでない、ただの礼じゃ。兄上やフィラを助けてくれた事へのな」

 

 言って、一度頭を下げるナーヤに少し鼻白む。何せ切羽詰まっていたから気付いていなかったが、ニーヤァは管制室の前の通路に倒れていたらしく望とナーヤが出ていく時に共に引きずり出して後を他の皆に託したそうだ。

 

「感謝される言われなんざ、無いっすよ。エヴォリアを相手に生き残る策戦考えるのに手一杯で昏倒してたヴェラー卿を、エヴォリアに囚われてたフィロメーラさんの心を……俺は、どっちも結果的に見捨ててる」

「自分自身を卑下するでないわ、見苦しい。結果的に全員助かっておろう。ぬしの判断は正しかった、ただそれだけじゃ」

 

 まるでというか正に慰めの言葉。驚いたのは空の方、木っ端微塵に打った斬られる事をも覚悟していたのだから。物理的に【無垢】の鋭利な一部分とか使って。

 

「…………」

「…………」

 

 沈黙する。元より接点の少ない異世界人同士、何も話す事が無い。取り敢えず--

 

「……座ります?」

「……うむ」

 

 レジャーシートを譲って、空は少し離れた位置に胡座をかいた。都合ナーヤはその後ろ姿を眺める形になった。

 カチャカチャと、金属質な音。空の手に握られた【幽冥】の音だ。

 

「……辛くは、無いのか」

 

 その背に掛けられた気遣わしげな呟き。

 

「……辛くなかったらカッコイイんでしょうけどね。わりかし堪えてますよ、流石に--」

 

 『キツイっすね』、と続く筈の言葉は【幽冥】の……いや、もうただのモデルガンに戻ったフィラデルフィア=デリンジャーの撃鉄が熾された音で掻き消される程に小さかった。

 

「--でも、反って楽になった気もしますよ」

「楽に、じゃと?」

「ええ、何て言うのかな……漸く『生きてるんだ』って気がして」

 

 引鉄を引いて、撃鉄を墜とす。火蓋を押し開けて薬室に減り込む燧石が……ただのイミテーションなのだから、音しか出ない。

 

「今までの俺は、そう……色んな物事に、『生かされてた』んだと思います。色んな好意に、色んな悪意に上手い事バランス取って」

 

 その姿に己自身を重ねる。弾丸も火薬も入っていない、役立たずな『空《カラ》銃』。

 空虚な己に装填されていた弾丸は『蕃神』、弱者だった己に力を与えてくれた火薬は【幽冥】。

 

 その二ツを一斉に失えば、後に残るのは役立たず。『銃』はソレだけでは役には立たない。本当に意味が有るのは、狙った物を撃ち砕くのは『弾丸』なのだから。

 

「--……でも、今からは違う。もう庇護は無い。だから限りなく何処までも広がる空っぽな可能性が有る。だから俺はきっと、此処から始まる。『巽空』は……此処から『生きてる』んだ」

 

 ぐっとデリンジャーを握り締めつつ、真摯な琥珀色の瞳で蒼穹を見上げる。高い天空には--何も無い。果てしない蒼が広がるのみ、無窮の……『空』が。

 

「……楽天的じゃな、お前は」

「いやいや、根暗で引っ込み思案ですよ、オイラは。心配して貰う価値なんて無し」

 

 クルクルと指先だけで回転させ、己の米神に銃口を突き付けて。多少お道化て引鉄を引く。

 撃鉄の墜ちる音を聞きながら、ナーヤは溜息を零した。

 

「『初対面の男』の心配などするものか、たわけ」

「……はい?」

 

 再度、呆気に取られた空。その呆け顔にナーヤは『ぷっ』と吹き出しかけて、なんとか堪える。

 

「わらわの名はナーヤ・トトカ=ナナフィじゃ。これからは宜しく頼むぞ……『たつみ』」

「……えー、若年性健忘症ッすか『ナナフィ』さん?」

「茶化すでないわ、全く……」

 

 つまり、『此処が始まり』だと。前世など関係なく、一個の人間同士として。今漸く、この二人は挨拶した事になる。

 

「さて、わらわはもう行く。元々、のぞむに用があるのでな」

「あー、急いだ方がいいっすよ。競争率高いですから。スタート前で混戦、泥沼状態のレースみたいになってますよ」

「言われんでも解っておるとも。ではな」

 

 すっと立ち上がり校舎に消える彼女を見送る。それが完全に見えなくなってから、改めて空は樹の幹に寄り掛かった。

 

--参ったな、許されちまった。

 

 朝の優しい、さざめく木漏れ日のシャワーを浴びながら。鼻孔をくすぐる草の香りを孕む清涼な風を斬る【夜燭】。その黒刃が一瞬、蒼く煌めく。

 

【オーナー、申し訳ございません。私にもっとチカラが有れば--あぅ!?】

 

 脳に直接流し込まれる思考は、恐縮しきったレストアスだ。休眠から覚めてずっとこの調子である、責任感が強いにしても程というモノが有ろう。

 

 それに空は、フィラデルフィア=デリンジャーを打つけた。

 

(阿呆、お前は良くやった。足りなかったのは俺のチカラ、覚悟、意気地だよ)

【……オーナー】

 

 寝そべった姿勢を正し、まるで平伏するような形で頭を下げる。

 

【頭を上げて下さい、オーナー。らしくも無い、貴方はいつも通りに『力を貸せ』と命じればいい】

(悪りぃ、これからも苦労掛ける。済まねェ)

 

 苦笑して、寝そべる。そんな、彼に--

 

【もしも、宜しければなのですが……オーナー……】

(……ん?)

 

 またも躊躇するように歯切れの悪い、レストアスの意思。それは本当に、何度も何度も、繰り返し繰り返し逡巡して。

 

【もし良ければ、この【夜燭】と『契約』を--】

 

 遂に、その決定的な言葉を口にしかけた、その刹那--

 

「【--ッ!?!」】

 

 世界そのものを切り裂くように、『光』が天を裂いた。

 

(今の光は……何だ?! 支えの塔から走った! 莫迦な、あそこは修理の為にサスペンド中だぞ!)

【申し訳ありませんが解りません……私には【幽冥】のような索敵能力は有りませんので……】

 

--クソッタレ……悔しいが、俺も大分、カラ銃におんぶに抱っこだったらしいな。これからの戦いでも、俺はあの隠蔽も索敵も無しで闘わなきゃならないって訳か。

 

 支えの塔から放出された光は、世界の壁を突き破り分枝世界間に飛び出して行った。

 それを確認し、取り敢えず空は安堵する。

 

「チッ、支えの塔に行ってみるか--?」

 

--何が有るか解らない。ならば装備を整えていくべきだ。しかし装備はもう無い。

 

【--オーナー、光が!】

「な、にっ!」

 

 レストアスの悲鳴じみた思念に反応し、振り返れば。分枝世界間に抜けた筈の光が--魔法の世界に向かって飛来している。

 

--何が出来る? 何も出来ない。俺には、何の力も無い。

 

「……クソッタレ……!」

 

--何でだ。何故、こんなに俺は無力なんだろう。願いは有っても、ソレを叶えるだけの力が無い。

 

「--力が……有れば!」

 

 己に対する無力感と失望感と共に見上げる光。せめて--逃げる事無くソレを迎える。せめてもの抵抗に、睨みつける眼差しだけは逸らさない。

 

「……アレ、は……?」

 

 その眼差しの先、光との狭間に何かが映る。だが、それは空には、人間の視力には蒼い米粒にしか見えなかった--……

 

 

………………

…………

……

 

 

 極彩色の閃光が駆け抜けた後の、雲も白んだ月すらも無い虚空がヒビ割れる。

 

 それは『門』。隣り合わぬ次元同士を繋ぐ軌跡だ。その門から、まるで--何も存在しない筈の、真空から"揺らぎ"によって電子と陽電子のペアが突然現れるように--

 

「--到着っ……とと」

【わわ、いきなり空の上だよ】

 

 空に溶け込む蒼穹色の髪の少女と、鎗とも杖とも、剣ともとれる形状の『永遠神剣』が現れ出た。

 

「此処に……居るんだね」

【……気になるの?】

「初任務なんだよ、当たり前じゃない」

 

 見下ろした、白亜の天空都市。陽射しを浴びて煌めく市街の端に、妙な形の舟……ものべーが停泊している。

 その次元くじらを眺める眼差しは、少しの愁いを帯びていた。

 

「ところで、どう出逢えば不自然にならないのかな……」

 

 『うーん』と。少女は思案顔となる。根が素直なのだろう、打算的な行動は不得手らしい。

 

【まぁ、なるようになるよ】

「もう、適当はダメなんだから」

 

 相方のその言葉に、ぷーっと頬を膨らませた彼女。見た目通りの精神年齢、或いは幼いと言えるのかもしれない。

 

【……不安?】

 

 そこに送られた神剣の意思は、少し不愉快そうな響きが混じっている。

 正直彼は、今回の任務には疑問を感じていた。彼らの『両親』がそうであったように。

 

「うん、初めて人と知り合う時はいつでも怖いけど……いつだってとっても楽しみなんだ」

 

 だがしかし、彼女はそんな深意に気付く事は無く。サラサラと、蒼い天鵞絨《ヴェルヴェット》のように美しく靡く髪を抑える。

 そして、明らかに風に靡いたのではない白い翼の髪飾り(?)をパタパタと振るわせて屈託の無い笑顔を見せた。

 

「--どんな人達と出逢うのかな。皆と仲良くなれるといいよね」

 

 『出逢い』が有れば『別れ』が有る。この世を構築する全てが、矛盾する『対』にて成り立つ以上、例外は有り得無い。

 

 その"宿命"を知って、それでもなお。その果てが誰も避けられぬ永遠の訣別《わかれ》であると、知ってもなお。生命は、孤独では在れない。

 

【大丈夫だよ、自然体でいけば。君を嫌う人なんて居る訳ないさ】

 

 ならば、せめて。永遠なる時の流れの中で切り取られた、僅かな一時だけでも。

 せめて、この幼《いとけな》い心魂に『より多くの幸福が訪れん事』を、『悠《はるか》な刻』を象徴する『銘』を戴く神剣は切に願う。

 

「そうと決まれば行動あるのみ、行くよ~っ!」

【落ち着きなよ、もう……なんでそんなに乗り気なのさ?】

「え? だって早く終わらせたら、自由時間を貰えるかもしれないでしょ? だってここは、パパの生まれた時間樹だし」

 

 気勢も新たに、永遠神剣を前方に投げ出そうとした彼女。それを当の永遠神剣が諌める。

 少女はそれにつらつらと、用意しておいたかのような台詞を口にした。

 

【はっはーん、読~め~た~ぞ~。確かにこの時間樹はトキミさんや父さんの出身地なんだもんね。もしかしたら、『アイツ』がいるかもしれないからだ~】

「ち、違うもーんだっ! あたしはお仕事に私情は挟まないの!」

 

 ニヤニヤと(神剣なので、表情など無いのだが)した感じの思念に、彼女は顔を赤くして反駁する。実に仲の良いパートナー同士のじゃれ合いである。

 その先行きを祝福するかのように、虹色の光が照らした。まるでもう一つ太陽が現れたようだ--

 

「……あれって、何だろ?」

【……どうやら、この世界は僕らを歓迎してないみたいだね】

「ふえぇぇぇぇっ!?!」

 

 それは--意念の光。支えの塔を損傷させつつ放出された『対象を滅ぼす』という意思の結晶。

 しかもそれは、他ならぬ『破壊と殺戮の神』の意思、並の破壊力ではない。それが『何か』に鏡面反射されて、真っ直ぐ跳ね返ってきたのだ。

 

 当然、その軌道上に居る少女は巻き込まれてしまうだろう。

 

「怒られる前に謝っておくね」

 

 だが、彼女に回避の考えは毛頭無い。そんな事をすれば、眼下の都市があの光に撃たれてしまう。

【解ってる、君がそういう性格だって事くらいは……全く、困ったもんだよ】

「えへへ……ありがと、ゆーくん。大好きだよ」

 

 仕方なさそうな口ぶりだが、彼とて端から眼下の都市を見捨てるつもりなど無い。

 少女と神剣は、真実『双子』。悠久に変わる事の無い、固い絆で結ばれているのだから--例え、この世界の理《ことわり》に力を削ぎ落とされていたとしても。

 

【--護って見せる。ユーフィーは、何があろうと必ず……この三位【悠久】が護る!】

 

 これ以上無い心強い同意を得て、少女はにこりと笑った。そして永遠神剣をしっかりと握り締め、大きく息を吸い込む。

 

「--【悠久】のユーフォリアの名に於いて命ず……」

 

 永遠神剣第三位【悠久】とその担い手であるユーフォリア。

 時間樹エト=カ=リファ外から訪れし、上位の永遠神剣を携えた『永遠者《エターナル》』の翳す右手に、魔法陣が展開された。

 

「塵は塵に、灰は灰に……」

 

 その呼び掛けに応じて現出する【悠久】の守護神獣は、絡み合う東洋風の双龍。

 氷晶の青龍『青の存在』、輝閃の白龍『光の求め』の二頭。

 

「声は、事象の地平に消えて--ダストトゥダストっ!!」

 

 二頭に護られるように【悠久】を構えたユーフォリアが、目標を示せば--弐龍がブレスを吐く。

 

「【--てやぁぁぁぁぁっ!!」】

 

 青白の煌めきは周囲の浮遊マナを巻き込んで、消滅させながら。滅びの光と撃ち合った--……

 

 

………………

…………

……

 

 

 一際鮮烈な光を放ち、天が鳴動した。全てが終息し、代わり……静寂が訪れた。

 

 耳に痛い程の静寂、目に沁みる程に濃い蒼穹。左手を翳して、陰を作って見上げるその一点に--見出だした。

 

「……ッアレは!」

 

 遥か高空から、まるで失墜するイカロスのように、ソレは墜ちてくる。

 遠すぎて良く見えない。しかし、間違いようはない。間違いなく--

 

「--人だろう、クソッタレ!」

 

 思わず周囲を見回した。そしてそんな行動を取った『不様な己』に悪態を吐く。

 

--莫迦野郎が! 何を、神剣士なんて探してやがる! 今此処に居るのは俺一人だろうが!

 

 理解してしまえば後は思考するのみ。どうすれば、人間の脆弱な力で受け止められるのか。

 

--安牌は、レストアスをゲル化させて緩衝材にする方法。やれば出来ない事じゃないな……せめて、エヴォリア戦の消耗が無きゃ。

 

 今のレストアスにはその規模で実体化する程のマナは無い。脳内電流で会話をするだけでも厳しい状況だ。

 その一瞬の思考の間にも、人影は地表……物部学園のグラウンドに向けて速度を増している。

 

「迷ってる暇、ねぇよな……!」

 

 パン、と一度両頬を張って。空は【夜燭】の柄からレストアスを己の躯に移す。

 

【オーナー、何をするつもりですか?!】

 

 そんな常軌を逸した『決心』を読み取るや、レストアスは自身の所有者に詰問する。

 だが、彼は苦笑いしただけ。

 

「……悪りィ、ちっとばかし--莫迦やらかして来るわ」

 

 瞬時に駆け出した躯には、強化など無い。そもそもレストアスの加護『エレクトリック』は頑健さ強靭さではなく瞬発力や知覚速度を増すモノ。『攻撃を受ける』事の役には一切立たないのだから。

 

--なら、腹を括るしか無いだろ。唯一の救いは此処が医療も進歩した世界な事か。多少の怪我では死なないのは実証済み、神の采配に感謝感激雨霰だぜクソッタレ!!

 

 つまり、この後に襲い来る痛苦から逃れる為に。電気信号で脳内麻薬を無理矢理引き出す為、だ。

 

 中庭からグラウンドに走り出る。直上十数メートルには、小さな蒼い粒。それが髪の長い、女性で有る事を漸く理解する。

 

--速ェな。ああ、クソッタレ、逃げたいなぁ。逃げたいけど……あんなに恥ずかしい事を、堂々と言っちまっただろ?

 

 一瞬の内に思い出すのは少し前の会話。ナーヤと交わした、多分に気障ったらしい台詞。その後、茶化した程のソレ。

 

『--……でも、今からは違う。もう庇護は無い。だから限りなく何処までも広がる空っぽな可能性が有る。だから俺はきっと、此処から始まる。『巽空』は……此処から『生きてる』んだ』

 

 そう、口にしたのだ。そんな、『空元気』を精一杯、口にした。もしも自分で決意しただけなら、もっと愚図めいていた筈。

 だが、他者にあんな恥ずかしい事を言ったのならば--やるしか無いだろう。『巽空』らしい生き方を貫く事を--諦めない事を!!

 

--だから、やってみるさ。俺の『可能性』を信じて、どんな艱難辛苦でも踏み越える。

 そうさ、人間に想像出来る事は全て--実現可能な範囲内だ!!

 

「--ってオイ!?!」

 

 ダークフォトンを展開して受け止める姿勢を整えた--刹那、娘が落下軌道を変えた。いや、風に流されたのだ。

 僅かなズレ、しかしソレは落下地点を大きく逸らす。銃士の空は、狙撃という観点からソレを身に染みて知っていた。

 

「レストアス!」

【正気とは思えない、オーナー! 今アレをやれば痛覚をシャットアウトする事など不可能になる! それどころか……】

 

 今度は判断に迷いは無かった。だがしかし、盟友の返事は芳しくない。

 そう間を置かず、どうやら気絶している蒼の娘は中庭にぶつかるだろう。

 

 だから、『切り札』を切った。

 

「つべこべ言ってないで--俺に力を……貸せ!」

【--……貴方という人は……! どうなっても知りませんよ!!】

 

 中和してしまわないようダークフォトンを消した瞬間、足の裏に稲妻が集束して炸裂する。

 それを加速に、一瞬で今来た道を逆走した。脚甲も何も纏ってはいないただの学生服、ただの革靴。それで反動加速を行えば--脚が生理的に嫌な音を発てたのも、当然の帰結。

 

「--届けェェェッ!!!」

 

 それでも、そんなモノには気を裂く余裕など無い。ただただ、目の前の相手を受け止めるべく。空は届く筈の無い手を延ばした--!!

 

 

………………

…………

……

 

 

 ゴロゴロと転がって何とか勢いを殺し、最後に後頭部をトネリコの樹の幹に強かに打ち付けて。

 

「~~っは……ゲホッ……!」

 

 仰向けに、青々と茂る樹の枝葉を見上げながら、やっと空は息をする方法を思い出した。

 

--脚と腕……付いてる。躯……そこかしこ痛てぇ。頭……正常。

 

【--な訳が無いでしょう、この鉄砲弾ーーーっ!】

「イデデデ!? 止め、脳みそ電気で焼ける!! 冷気で凍るぅぅ!!」

 

 怒りに任せたレストアスの脳内拷問に、空は身をよじる。よじりながら、苦笑した。

 

(……仕方ねぇだろ、俺は人間だ。何の事はねぇ、結局は他の皆と同じなんだよ)

【だったら何故です! この者は神剣士、放って置いても問題など無かった筈だ! 貴方がその命を賭けずとも、造作も無く助かった筈だ! なのに、何故!!】

 

 レストアスは冷酷さからそんな事を言っているのでは無い。身を案じればこそ。

 ……だからこそ、己の腕の中に感じる予想以上に軽い重みに安堵を覚える。

 

 盟友《トモ》の折角の助けに、応えられた事に。

 

(『普通』なら、な。だけど、俺は『巽空』なんだよ。どうしようもない莫迦さだけが取り柄の--神に刃向かえる『可能性』を持つアウトサイダー、『神銃士』だ)

 

--だから、その壱志《イジ》が俺を支える限り。こんなチビスケに命張らせて、テメェはのうのうと指くわえてられる訳が無いだろ。そんなのは『俺』じゃねぇ。

 

 それは只の決意表明だ。『斯く在りたいと願う』と、そう告げただけ。

 

【……それが、貴方の『壱志』であるのならば。私も、我が主君の『遺志』に遵いましょう】

(レストアス……?)

 

 だが、それで充分。少なくともその神獣にとっては、己の壱志を定めるのに充分だった。

 

【--貴方のような向こう見ずを、放っておく訳にはいきません。これからも、力を貸して差し上げます……所有者《オーナー》】

 

 妙な反応をして、休眠に入ったレストアスに首を捻って。

 頑張ってみてもどうにも恰好の付かない己に自嘲しつつ。

 

--しかし情けねぇよな。神銃士じゃなくて神剣士だったらもっとクールに、かつスタイリッシュに助けられてただろうに。

 お前もよくよく運が無かったな、チビスケ……。

 

 先程から胸に抱き抱えっぱなしで、放置していたその人物に目を向ければ--目を奪う、長く蒼穹《あお》い髪。

 

「--……!」

 

 刹那、まるで『錠』に『鍵』が差し込まれたように。忘れていた最後のピースが、極彩色のユメの最後の欠片が--嵌まった。

 

『ありがと、あっくん。あたし、あっくんだーいすき!』

 

 その蒼い髪、抜けるように白い肌。まるで--『妖精』のような、儚げな容姿。

 

『あたし、ゆーふぉりあ。みんなからはゆーふぃーってよばれてるの。それと、このこはゆーくん』

 

 充ちた聖盃から零れた一滴が、渇いた地を潤していくかのように。悠久《はる》かな刻を経て回帰した、濫觴の記憶。

 

「ユー--……」

 

 その名を腕の中の少女に向けて、空の唇が最後の音を発しようとした--その刹那。

 

--ガィィィィィィィン!!!!

 

 と、物凄い音を発てて。剣とも杖とも、槍ともつかない神剣が。

 

「……あべ……し…………」

 

 遥かな高空より、狙い済ましたかのように空の頭に直撃した。

 

--……ホント、俺ッて奴ァ……何処までいっても恰好がつかない、カマセだよなァ……

 

 決定的な一撃を受けた空はただただ、役目だけは果たした満足感に包まれて。

 意識の手綱を早々に手放したのだった……



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断章 月世海《アタラクシア》 Ⅳ
月の海原 濫觴の盃 Ⅳ


 風が頬を撫でる。匂い立つ華の香を含む甘い春の野の風。

 刧莫と拡がった水平線、黒金の太陽と白銀の望月を同時に望む、青紫の虚空と虚海の境界に浮かぶ孤島。その外周を、緩やかに周回する七本の石柱。

 

「……此処は」

 

 背を預ける樹の幹ら、捻れ逢い一ツとなった連理の大樹。右の枝には片翼の、紅い瞳の鷲。左の根には隻眼の、蒼い瞳の蛇。目前の華園には翡翠の瞳の幽角獣が躯を横たえて休む。

 

 天には雲が棚引き、白凰が飛ぶ。地には草が流れ、深い海淵に黒龍が泳ぐ。果てし無く吹き渡る風にそよぐ、葵い草木。それを育むのは何処に源泉が在るのか、地を潤す湧水の流れ。

 

 天を向けば--捻れた木の幹に挟まれた一振りの刃。深い瑠璃色の、まるで生命を育んだ劫初の海を思わせる両刃を望んだ。

 

「…………」

 

 と、己を見詰める視線を感じてそちらを見遣る。ゆっくり右に顔を向ければ見詰め合う--

 

「……あ、あはは……また大怪我しちまった」

「んむ~~……!」

 

 ぷりぷりと頬を膨らませた魔金と聖銀の瞳。滄海い少女は珍しく、怒りの感情を見せていた。

 

「ア……アイオネア……さん?」

 

 いつもは持ってきてくれていた盃を、彼女は双樹の脇に置いて、ぷいっとそっぽを向く。

 

「…………」

 

 どうやら大分怒っているらしく、自分で取れという事らしい。

 とは言え、肩越しにちらちらとこちらを窺ってはいるが。

 

「……っく」

 

 動こうと試みるが、やはり無理なようだ。濡れそぼり冷え切ったその躯は、指先を動かすだけでも一戦を戦い抜くに等しい労苦。

 

--当たり前か。死にかけてたんだしな……。

 

「--ん……っ……」

「あ、あの……反省しましたか、兄さま……?」

 

 と、もう見兼ねたらしく、そうアイオネアが呼び掛けて来た。

 

「した、しました……これからはあんまり怪我しないように頑張ります……」

「本当ですか……?」

「ハハ、兄さま嘘吐かない」

 

 まだ半信半疑といった具合だが、彼女はいつも通りに盃を持ってきて口元に傾けてくれる。

 渇いた喉を滑り落ちる水。その甘《うま》さは、やはり以前より磨きが掛かっていると思った。

 

「ふぅ……」

 

 盃の水を全て飲み干して、一息吐いた。

 と、癒えた事で感覚が戻った脚に感じた冷たさ。改めて、周囲をよく見れば--前は花畑だった筈のそこは水没している。それでも華々は揺らめきながら咲き乱れていた。

 

「……兄さま、今回はどうして、そんな大きな怪我を?」

「え? あ……ああ、ちょっとな……」

 

 流石に、口にするのは憚られた。自分を『兄さま』などと慕ってくれているような相手に、まさか前世に……永遠神剣に裏切られて負けた末、などと。

 しかし今は、少しだけ誇らしい。そんな自分でも、『誰か』の役に立てたのだから。

 

「……兄さま」

 

 だが、それで察してしまったのだろう。彼女は気遣わしげに眉根を寄せた。

 それもそうだ。永遠神剣には、永遠神剣やマナ存在を感じる能力がある。

 

「あの……そういえば、お忘れ物をされましたよね」

「え……忘れ物?」

 

 と、彼女は少し双樹の向こう側に消える。そしてもう一度現れた時、その両腕に抱かれていたのは--

 

「あ……それ」

「はい……この前来られた時に、兄さまがお忘れになった物です」

 

 差し出されたのは、空が使っていたマーリンM336XLR。

 だが、それは確かに精霊の世界で黒ミニオンの『真空剣』で破壊された筈だ。

 

 その美しい射干玉《ぬばたま》のライフルの左側面には、銃口部から銃床の辺りまで、太い物から細いものまで六本の弦が張られていた。

 

「……なぁ、アイオネア……何で、弦が張ってあるんだ?」

「えっ……?」

 

 まるで、ギターみたいになっているライフルを受け取りながら、問う。

 それに彼女は、酷く驚いた様子を見せた。魔金と聖銀の異色瞳を忙しなく動かして。

 

「えっと……これって、楽器じゃないんですか? ここでリズムをとるんじゃ……」

「え? あぁ……いや、これはさ、楽器じゃなくて武器でさ」

「ぶ、ぶき……ですか……?」

 

 慌ててループレバーとトリガーを指していたアイオネアだったが、その空の言葉に自分が考え違いをした事に気付いて恥ずかしげに顔を隠す。

 

「ご、ごめんなさい、兄さま……! わたしったら、その子がそう言ってたから、つい……」

「ああ、いや……いいよ。ちゃんと使えるみたいし、何より……」

 

 そこで、動くようになった右手でライフルを抱え持ち、左手で弦を掻き鳴らした。

 

--勿論、ギターなんてやった事はない。ただ掻き鳴らしただけ。

 しかし、意外によく響くアコースティックな渋い音色だ。これを機に、ギターの特訓を始めてみるのもいいかもしれないな……。

 

「命を奪う武器なんかより、人の心を震わせる楽器に成りたかった……『コイツ』が、そう言ったんだろ?」

「はう……ありがとうございます、兄さま」

 

 そう言ってやれば恐縮したように彼女は頭を下げる。謝る事など無いというのに。

 

「しかし、『物』の声まで聞けるなんてな。凄いもんだ」

「そ、そんな事は……わたしに、近いものでしたから」

「ああ……確かにマナゴーレムは近しいかもしれないけど。厳密に言えば違うぞ」

「まなごーれむ……? その子はそういう名前の永遠神剣なんですか?」

 

 如何にも惚けた彼女の言葉に、空は苦笑する。そういえば今まで……神世でも現世でも、己の作品に名前を付けた事など無かった。

 

「名前は……付けてなかったよ。永遠神剣じゃないし、ただの道具だと思ってたから」

「そう、なんですか……じゃあ、兄さま。この子にお名前を付けて下さいませんか? きっとこの子も、喜びます」

「ああ……それじゃあ」

 

 またもや、意識が遠退き始める。タイムリミットなのだ。いつもながら、絶妙のタイミングで。

 

「……そう、だな」

 

--思考が纏まらない。けど、今言わないと。

 

「決めたよ。コイツの"銘"は……【是我《ゼーガ》】。俺と同じ、己の在り方をただ真っ直ぐに貫き続ける--永遠神銃【是我】だ」

 

 その銘を付けた途端、ライフルがまるで身体の一部になったかのように手に馴染む。煌めいたライフル【是我】から、まるでスターマインのように色とりどりの精霊光が瞬いた。そして、そのバレルに三つのリング……聖者の背中に現れる『ハイロゥ空のような輪が旋回し、星雲のような虹色に輝く風を巻き起こす。

 声と全く同時に、天上海を吹き抜けた一陣の颶風。沖つ波、風を切る枝の葉鳴りと吊されたの風鈴の音に彩られた樹の下で。

 

「【是我】……良かったね、素敵な名前を貰えて……」

 

 微笑む媛君が再び瞼を開いた時にはもう、いつも通りにそこには誰の姿も無かった……



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第四章 魔法の世界《ツヴァイ》 Ⅱ
悠久の青 昔日の声 Ⅱ


「--……ん。あの、お兄ちゃん、大丈夫?」

 

 ゆさゆさと揺さ振られる感覚と、腰辺りに感じる温かな重み。

 そしてそのやや幼く舌っ足らずな、心配げな呼び声。

 

「う……うぅん……?」

 

 失神の暗闇にたゆたっていた、ズキズキと……いや、ガンガンと猛烈に痛む頭が、急速に覚醒の光へと向かい包まれていく。

 不承不承瞼を開けば--目の前には蒼穹の娘。

 

「大丈夫、お兄ちゃん?」

「あ? あ、あぁ……」

 

 跨がるようにして、というか、跨がって覗き込んでいたくりくりと黒目(蒼いが)がちな瞳と都合、見詰め合う。

 その蒼い髪と瞳を見た時、何かを思い出した事を思い出した。

 

--あれ? 何か思い出した気がしたんだけど……何だったっけか……?

 

 先程と違い、空の琴線に触れるモノは無い。何を思い出したか、それを失した彼は首を捻った。

 

--とても重要な、とても重大な事だった筈なんだが……ああクソッタレ、全然思い出せねぇ。

 

「あのぅ、本当に大丈夫? その、前代未聞のたんこぶが出来てるよ?」

「イテテ、こら、触るなって……なんでこんな事に」

 

 ぺたぺたと、神剣に直撃された後のコブに触る少女の手を掴んで押し止めた。流石に痛みが酷い。

 熱を持つ頭頂部、それを為した蒼い鎗のような剣のような神剣は二人の脇に転がっている。

 そして--己の左手に木と金属で作られた、射干玉のライフルを握っている事に気付いた。

 

--あ、れ……? 俺、【是我】は精霊の世界で無くした筈じゃあなかったっけ……?

 待て……【是我】? 俺、銃に銘なんて付けてたか?

 

 その違和感を突き詰めれば突き詰める程、新たな疑心が浮かぶ。だがしかし、何故か『先程透徹城の奥に仕舞い込んで忘れていたのを見付けた』という気がして来る。それが正しいのだと、この宇宙自体から諭されているように。

 

「あのね、あたし、気が付いたらお兄ちゃんの上で寝てて……でも、無事でよかったぁ」

「え、ああ……」

 

 と、掛けられた声に意識を引き戻される。最初は不安そうに様子を伺っていたのだが、大事は無いと解って安心したのだろう。

 純白の鳥の翼の髪飾り(?)をパタパタさせながら、にっこりと。向日葵《ひまわり》を思わせる笑顔を見せた。

 

「……はぁ……お前みたいな妹を持った覚えは無いっての。鏡見てみろ、もし俺の妹だったらそんな可愛い顔してる訳が無いだろ」

「ふにぃぃ~~、ひゃめふぇ~~」

 

 一緒に引き戻された苦痛に悪態でもついてやろうと考えていた空だったが、至近距離でそんな無垢な笑顔を見せられてしまっては、流石に毒気を抜かれてしまう。

 せめてもの抵抗に、頬っぺたを指で摘んで引っ張ってやった。

 

--……つーか、俺が心配されてどうすんだ。しっかりしろ巽空。

 

「……俺は大丈夫だ。お前は?」

 

 だから溜息混じりに口を衝いて出たのはそんな、ぶっきらぼうな台詞。ぐわんぐわんと軸のぶれた回転をする脳みそが紡ぎ出したのは--何処にでもある在り来りな台詞だった。

 摘んでいた手を離してやると、わたわたさせていた紅葉みたいな両手で自分の頬っぺたを押さえて、少女は。

 

「あたしはユーフォリア。この子はゆーくんっていうの。宜しくね、ダイ=ジョーブさん」

「誰が『ダイ=ジョーブ』だ誰が……んなエキセントリックな名前持った覚えはねェよ」

 

 少女--ユーフォリアは勘違いで答えて、傍に転がっていた神剣まで紹介した。空はふぅ、と溜息を落として。

 

「……俺はアキ、タツミ=アキだ。怪我とか痛い所とか無いかって聞いてんだよ、ユーフォリア」

「え、うん。あたしは元気だよ、アキさん……ところでそれって、どういう意味?」

 

 それに、ぽかんと。彼女は心底から、不思議そうな声を漏らす。『何を言っているのか解らない』という具合に小首を傾げる。

 

「……はぁ?」

 

 ここで漸く空は、話が別方向に噛み合っていない事に気が付いた。あんな事が有った後だというのに彼女は妙にあっけらかんとしている。

 まるで--覚えていないとでも言うかのように。

 

「何って……いや、さっき光を」

「光……?」

 

 空が指差す先を見遣り、眉尻を下げる。暫くうんうん唸っていたが--

 

「……その前に聞いてもいい?」

「……何をだよ?」

「えっと……あのね」

 

 凄く嫌な予感がしたらしく、空はユーフォリアにジト目を向けた。それが怒っているように見えたのか、少し怯えて口ごもりつつ、人差し指をつんつんとしながら。

 

「あたしは……何の為に、此処に居るんだろう……?」

「……はぁ」

 

 現在直面している状況を、至極単純に告げた。

 

「……分かったよ。取り敢えず、保健室に行くぞ。話はそこからだ、ユーフォリア」

「うん……あぅ」

 

 このままでは埒があかないと、空はこの学園で唯一こういう事で便りになりそうな女性がいる……気がした場所に移動する事を提案した。

 

「んにゅ~……はぅ。ん~にゅ~~……はうぅ……お兄ちゃ~ん」

 

 ユーフォリアもそれに賛同して幼い腰を浮かそうとするが--腰が抜けてしまっているのか、少し持ち上げると、ぽてっとまたもや空の腰の上に座り込んでしまう。そして困ったようにウルウルした瞳で見上げて来た。

 

「あー、分かった……よっ、と」

「きゃぅ……えへへー」

 

 なので、その体を抱き上げる。所謂、『お姫様抱っこ』だ。ただ、その足はズタズタ

。正直立つだけでも辛いのだが……まさか、自分達を守るために頑張ってくれた相手の前でへこたれられる筈もない。

 

 驚いたのも束の間の事である、ユーフォリアは嬉しそうに空の首に手を回した。

 

「お兄ちゃん、優しいんだね」

「うるせぇやい、今回だけだ」

 

 と、またも至近距離での極上の笑顔。気恥ずかしさも相まって、プイッとそっぽを向く。

 また、呼び方が『お兄ちゃん』に戻っている事にも気が付かず。

 

「…………」

 

 その時、漸く思い出した。ここは、学園の中庭だった事を。

 

「スクープ、『やっぱり……巽、ロリに走る! 破廉恥! 真昼間の中庭で野外兄妹プレイか!?』 物部新聞号外はこれで決まりね! 証拠写真激写ーっ!」

「あ、空……な、なんて羨ましい事を……!」

「誤解してんじゃねェェェェッ! てーか、『やっぱり』ってのはどういう意味だァァァァッ!」

 

 窓という窓から環視する、美里や信助を初めとした学生達を見た事で……。

 

 

………………

…………

……

 

 

 己の意識が覚醒すると同時に、カプセルのような装置の蓋が開く。そこから歩み出ると、自動ドアを潜る。

 

「……すげぇな、一台欲しいぜ」

 

 再生治療によって、脚の怪我はもう直っていた。ついでに頭の瘤も消えている。

 それに気を良くしていつまでも裸でいた為に--

 

「あ、あの……タツミ様? いい加減に服を召しませんと、風邪を引かれますよ」

「あ、すいません、フィロメーラさん」

 

 頬を真っ赤にして苦笑しつつ、服を差し出したフィロメーラから受けとった制服に袖を通す。

 

「それと……可愛らしいお出迎えがいらっしゃってます」

「可愛らしいお出迎え?」

 

 と、フィロメーラが意味ありげに微笑みながら手招きする。そこには--

 

「んもー、遅いよお兄ちゃん!」

「おっとっと……こらこら」

 

 バフッと抱き着いてきたのは、蒼穹の娘。物部学園指定セーラー服に小さな体を包む彼女の突進を受け止めて、やれやれと下ろしてやる。

 

--まぁ……見ての通りだ。今や第三位【悠久】のユーフォリアは、物部学園《かぞく》の一員なのである。あれよあれよという間に学園全員に受け入れられ、阿川の行った『妹にしたいランキング』とやらではブッチぎりで堂々一位だったのだとか。

 そしてそれに反比例して、俺の株は絶賛暴落中。元々大した事の無い人気だったが、その人気者のユーフォリアに猥褻行為を働いたとして。最早ゴキブリ以下の扱いである、ただ人助けをした為に。大事な事だからもう一度言おう、ただ人助けをした為に……。

 

 軽く身なりを整えた後、彼女達を伴って歩き出す。ユーフォリアは右腕にしがみつかせたままで。

 

「くす……仲が宜しいんですね」

「はいっ、だってお兄ちゃんですから」

「違うって言ってんだろーが」

 

 コツコツと良く足音の反響する支えの塔ヴァリアスハリオの廊下。フィロメーラは、三歩後を静々とついて来ながら微笑んだ。

 

--うーん、淑女だな。いやはや、男を立てる女性は好ましいな。学園《うち》の女性陣に見習って欲しいぜ……。

 

 等と、もし知られたら袋叩きに遭いそうな事を考えていると。

 

「タツミ様……少し、深みが増しましたね」

「はい?」

 

 突然フィロメーラからそんな事を言われ、訝しみながら振り返る。と、止まり損ねたフィロメーラが思ったより近くに居た。

 

「あ……その、いきなり不躾な事を言ってしまってごめんなさい。何だか、前に見た時よりもずっと落ち着いて見えたので」

 

 と、慌てて立ち止まった彼女は頬を染めて、上目遣いでそんな事を呟く。ニーヤァではなくても、こんな美女からこんな媚びた仕種でこんな殺し文句を囁かれれば、男としては骨抜きにされても本望だろう。

 

--斯く言う俺も、その一人! だが、俺は巽空……そう、ドSのアキなんだよ!

 

「それって……オッサン臭いって事ですか? ショックだな~」

「えっ、い、いえ! そういう事ではなくて、いい意味でですよ」

「本当ですか? じゃあ、今夜はデートしてくれたり? やりぃ、フィロメーラさんなら御の字だ」

「た、タツミ様っ! わ、私は、そんなつもりで……!」

 

 なので、その矜持に乗っ取ってフィロメーラを困らせる。

 全く、いつまで経っても、照れ隠しが下手な男だった。

 

「ぷーっ!」

「イテテ! おいユーフォリア、二の腕の内側は止めろ!」

 

 と、その二人から無視される形になっていたユーフォリアが空の腕を抓った。

 

「ふんっだ、お兄ちゃんのばか」

 

 膨れっ面で空を見上げていたが、すぐにつーんとそっぽを向く。

--因みに、何故かユーフォリアは俺にのみタメ口だ。ナメられているんだろうか……?

 

「もう、タツミ様、さっきの言葉は取り消しますっ! タツミ様はとっても浅いです!」

 

 そしてフィロメーラも同じく、怒って足速に歩き出した。

 

--やれやれ……。

 

 流石に悪ふざけが過ぎたか、と。苦笑しつつ、二人を宥めすかしながら。置いて行かれないように歩調を速めた--。

 

 

………………

…………

……

 

 

 フィロメーラがエレベーターの前で止まる。ここから先はVIP以外入れないのだ。

 ユーフォリアには先に帰るよう告げて、一人、最上階を目指す。そう、あの男の私室へと。

 

 貰っていたカードキーを使い、扉を開く。

 

「うっ!」

「あらら、顔を見るなりそれですか、ヴェラー卿」

 

 第一声で居やそうな声を出したニーヤァ。因みに、割れていた窓は綺麗に直されているが、調度品は少しグレードが落ちているようだった。

 

「な、何の用だ。また俺にたかりに来たのか?」

「人聞きの悪い……元気かどうか見に来ただけですよ。まぁ、聞くまでも無いみたいだけど」

 

 と、胸ポケットから眼鏡を取り出して放り渡す。それを受け取り、ニーヤァは--

 

「お前……あの図案だけ、何よりこの僅かな時間でここまで精工に作り上げたのか……!」

「これでも理工学部希望なんで」

「ふん、腐っても神の転生体か。糞忌ま忌ましい」

 

 至極真面目な『科学者』としての顔で、空に感心したような目を向ける……のも一瞬。直ぐに取り繕うような悪口を吐いた。

 

「で、完成度は?」

「……チッ、認めるのも癪だが、俺が作った物よりも遥かに高性能だ」

「お墨付き、感謝しますよ。まぁ、お陰で機械類のメンテナンスや索敵がしやすくなりましたし」

 

--ニーヤァの発明品、その名も『透視眼鏡』。元々は服が透ける程度だったのだが……その出力を上げて、装甲やら障害物をも透視出来るように改良した物だ。

 先に言っておくが、他意はないからな。断じて他の目的に使う気はない、無いんだからな……。

 

 投げ返された眼鏡を受け取り、胸ポケットに仕舞う。その手で、携帯を見せた。

 画面に写っていたのは例の写真、そのデータが消去される。

 

「ちなみに別の記録とかは取ってねぇから安心しろ」

「ふん……どうだかな」

 

 そしてニーヤァは、気が抜けたように座り込んだ。

 

「……今回の事で、俺が代表の座を更迭されるのは分かっている筈だろう。今の内にたからんでいいのか?」

「なんだ、そんなにたかられたいのかよ?」

 

 おちょくるように言うが、反応が無い。どうやら余程堪えているようだった。

 

--っても、自業自得な結果なんだが。フィロメーラさんに化けたエヴォリアの色仕掛けに掛かったんだから。

 因みに、後で皆に聞いた話では『しめじだった』『もやしだよ』『カイワレ大根でしょ』とかなんとか、ソルやルプトナ、姐さんが散々に言っていた。色んな意味で色んな場所が再起不能なようだ。南無三。

 

 確かに、大失態だ。更迭もありえない話ではないだろう。

 

「あれだ、そりゃあ無責任だ」

 

 そう打ちひしがれる男に、ドSの彼は追い撃ちを見舞った。

 

「無責任も何も……仕方あるまい。あれだけの失態をしても代表に就いていられる程、俺は厚顔では……」

「だから、それが無責任なんだよ。失敗したらはいドロン雲隠れ、だから政治家って奴は嫌いなんだ。テメェのケツを拭くってのは、そういう事じゃねぇだろ。尻切れ蜻蛉なんだよ、お前のやり方は」

 

 煙草を取り出して火を付けて、一度紫煙を燻らせてから。

 至極、真面目に。だが救いの手など差し延べずに、ただただその尻を叩く。

 

「テメェのやる事は保身じゃねぇ。今回の事を教訓に、今回の責を負って尚、その椅子に座り続ける事だ。情けなく、格好悪く。後ろ指を指されながら、苦しんででも、ずっと」

「……ずっと、か。厳しい事を」

「ほら、また泣き言だ。それでも領主か、テメェ。何の為に権力があんだよ、莫迦が。そういうのを乗り切る為だろうが。俺はな、力を持ってる癖にそれを出し惜しみする、いけ好かねぇ奴が一番嫌いなんだ」

 

 辛辣な空の言葉に、ニーヤァは遠い目をする。遠い昔を懐かしむかのような、そんな目を。

 

「いつ以来だろうな……ここまで叱られたのは。父を亡くして以来、俺は……誰かに叱られた事など、無かった」

「そりゃ、仲間に恵まれなかった事で」

「全くだな……だが、目が覚めたぞ。分かった、俺は……苦しむとする。いつか、皆が認めてくれる領主になれるまで」

 

 そんなニーヤァに空は--スッと背を向けた。吸い掛けの煙草を携帯灰皿に押し入れて。

 

「じゃ、俺はもうお暇するかな。もう会う事もねぇだろ」

「ハッ……こっちこそ、貴様などとは二度と会いたくないわ」

 

 そう、悪態を吐き合う。心底、清々し合ったように。

 

「あばよ、ニーヤァ」

「失せろ、アキ」

 

 そう、最後の言葉を交わし合い、もう二度と向かい合う事無く。今生の別れとした。

 

 

………………

…………

……

 

 

 部屋を出てエレベーターに続く廊下を歩く。と、そこに--旅団団長サレスの姿があった。

 

「…クウォークス代表、ヴェラー卿に何か用が?」

「いや、私が用が有るのは君だ」

 

 ふっ、と笑いを零したサレスに首を捻る。その後ろに続いて歩く道すがら、昨日の出来事の仔細を聞いた。

 

「……なるほど、あれは暁の策略に嵌まった望の力を利用した意念の光だったんですか。道理で強力だった訳だ」

「有り体に言えば、そうなるな」

 エレベーターに乗り込む頃には事件の原因と顛末を聞き終えた空が、腕を組み沈思に沈む。理解し易いようにかみ砕いているのだ。

 

--暁絶、かつて物部学園に在籍していた学生にしてこの旅の原因となった男……永遠神剣第五位、【暁天】のゼツか。

 『復讐の神』ルツルジ=ソゾアの転生体、神世の古で『対峙して、一度でも目を閉じれば二度と光を見る事は無い』とまで評された神速の剣士。両天でも数少ない、ジルオルと比肩した一柱だ。

 

「厄介な話ですね。光をもたらすもの達との戦いだけでも、手一杯だってのに」

 

 独りごちる、その目線の先では階数表示が物凄い勢いで減少している。

 

「厄介なのはそれだけではないんだがな。君の前世の事についても対策を練らねばならんのだから」

「…………」

 

 痛い所を突かれて、空は表情を歪めた。確かにそう、敵にあんな厄介な力を持つ神剣が与したのだ。そしてその原因は、自分。

 

「代表、ケジメは付けます」

「……君を、信じろと? 正に身から出た錆だろう」

 

 その眼差しは交わる事も無く、ただ静かな声が互いの耳朶を震わせるだけ。

 

「テメェ自身の不始末だからこそ、無理を承知で言います。俺に、ケツを拭く機会を下さい」

「言うは易し。君の力如きで何が出来る?」

「--出来る事が出来ます。俺が出来ると思う……全てが」

 

 先程言った通りに神銃士は、己の壱志を貫く。苦痛からも、屈辱からも逃げずに太刀向かう。

 その決意は、最早神にすら変えられはしない。

 

「言質《げんち》はとった、巽空。その言葉、努々忘れるな」

「……了解、有難うございます」

 

 呆れたようにサレスが呟いた時、エレベーターが停止してドアが開いた。

 そして、そこに--

 

「あ、お兄ちゃんお帰りなさい」

「帰ってろって言っただろうがよ……全く」

 

 やはり待っていたユーフォリアが、また空の右腕を抱く。それに、サレスは懐かしむような不思議な表情を見せたのだった。

 

 

………………

…………

……

 

 静寂に満たされた、その部屋の真ん中で。ニーヤァは煎れたての珈琲を啜りながら、真新しい硝子越しに外を見遣る。

 

 その眼下には人々の営み。戦で損傷した箇所を修復する技師達、その為の資材を運ぶ卸問屋、彼等に食事を振る舞う有志の一般人。

 自らの愚かさで壊しかけた、人の生命の輝きがあった。

 

「全く、嵐のような奴だったな」

 

 そしてニーヤァは、珈琲を……『インスタントの』珈琲を一息で飲み干すと、引き出しを開ける。

 中には、大量の書類。今回の戦からの復興に必要な資材や緒経費の見積書である。

 

「やってやるとも。貴様にだけは……笑われたくは無いからな」

 

 それを一枚手に取って、内容を吟味した後で。彼は判を押した。

 嵐の後の晴れ空のように、清々しい表情で。憑き物が落ちたように、今までとは違う顔で--。

 

 

………………

…………

……

 

 

 『先に帰っている。暇ではないのでな』とのサレスと別れ、空はユーフォリアと共にデパートへとやって来ていた。

 というのも、ユーフォリアが空のところに来たのは出迎えるのもあったが元は彼女の生活必需品の買い物に付き合って貰う為だったとの事。

 

 特に予定も無かったのでそれを承諾し、引っ張られるようにして連れてこられた空。

 今は--

 

「ああ--帰りてェ……」

 

 その浅はかさを後悔していた。女の買い物に付き合うという行為を、甘く見ていた事を。

 

「ねぇねぇ、お兄ちゃん。こっちとこっち、どっちがいいかな?」

「はいはい……左」

 

 本日、七度目の選択肢だ。やれコップだの歯ブラシだのと、もうまともに取り合う気力すら失せている。

 因みに、今選ばされたのは帽子。右のハットか左のキャスケットかを。

 

「むぅー、なんかてきとーだよ、お兄ちゃん」

「そんな事ない、そんな事ない」

「……だったら、いいけど」

 

 段々と感づかれ始めて、彼女の見る目が厳しくなってくる。流石に怒らせるのは本望ではないし、もう少しは真面目に取り合うかと思い直した。

 

「じゃあこっちとこっちだったら、どっちが似合うと思う?」

 

 次に差し出されたのは、部屋着にする服だ。

 右は大きく広がる肩口をリボンで調節する、クリーム色を基調とした可愛らしいワンピース。左は水色で無駄な華美さの無い、落ち着いたデザインのパンツタイプのツーピースだった。

 

「どう? どっちが似合う?」

「うーん……」

 

 交互に服を合わせて見せる彼女をじっくりと見詰める。

 

--うーん、どっちも似合わない事はない……似合わない方を切る作戦は失敗か。

 似合う方、ねぇ……要らない物を捨てるのは得意なんだが、要る物からどちらか一つだけってのは苦手だぜ……もしかして俺って、優柔不断なんだろうか。

 

 ちょっと自分に落胆しながら、服を見比べる。やはり、甲乙などちっとも解らなかった。

 

「あー、お兄ちゃん、またぼーっとしてるー」

「考えてんの。ほら、反対の方を当てろ」

 

 そろそろ引き延ばしも限界だ、答えを出さなければならない。

 ふう、と息を吐いて--

 

「右……だな」

「どうして?」

 

 即行で理由を聞かれた。今まで彼女は言われた通りに買っていたというのに、今回だけ。

 

「お前の声を聞いてたら、こっちが正解な気がしたんだ」

「声? あたしの?」

「インスピレーションって奴だよ、妹よ。そうだ、タンクトップも買ってあげよう。勿論、黒の」

「別にいいけど……?」

 

 何だか天啓、或いは電波じみた物を感じて決めた。

 ユーフォリアはあまり納得していないようだったが、それを買う事に決めたようだった

 

「じゃあ、最後にこっちとこっちならどっちがいい?」

「ん、どれどれ……」

 

 『最後』との言葉に、漸く解放されると気を良くした空。

 そのアンバーの瞳に映った--逆三角形をした小さな布地。右はピンクでフリルの沢山付いた物、左はシンプルなブルーとホワイトのストライプ柄。

 

「…………」

 

 つまりは、下着である。彼女はそれを何の恥ずかしげも無く、空に向けていたり。

 それに--

 

「左だな。断言してもいい」

 

 それに空は、なんら迷いも動揺も見せずに言い切った。

 

「どうして?」

「お前の属性色だろ」

「そっかー! うん、じゃあお金払ってくるね」

 

 清々しいまでの、言い切り加減だった。ユーフォリアもその簡潔さに完全納得、スキップしながら服と一緒にレジへ持って行った。

 

--ふん、甘いな。これでもし、黒の総レースとか赤のエナメルのティーバックとかの大人ショーツを出されたら確かに焦ったけど、幾らなんでも子供パンツなんかで取り乱したりはしやしないぜ……はて、俺は一体誰に対してこんな事を申し開いてるんだろーか。

 

「お待たせ、お兄ちゃん。じゃあ帰ろっか」

「おう……ほら、荷物寄越せ」

「え、いいよー。ちゃんと持てるから」

「莫迦、こういう時は素直に渡しとけっての」

 

 両手に紙袋を持って戻ってきた彼女から、その荷物を半ば奪う形で受け取り--透徹城に納めた。

 

「ありがと、お兄ちゃん」

「いいって事さ、妹よ。さてと、まだ時間はあるな……付き合ってやったんだから、俺の方にも付き合って貰うか」

 

 時計に目をやると、まだ午後の前半。丁度昼休み時間が終わったくらいだろう。

 

「それって……もしかしてデートのお誘い?」

「莫迦、違うっての。飯でも食うかってだけだ」

「ぶーっ……でも、いくーっ」

 

 先導するように歩き始めると、ユーフォリアは自由になった両手で空の右腕を抱き抱える。

 もう抵抗する気も失せたスキンシップ過多、それに抗わず空は。

 

「異世界の『異』……いや、この場合は魔法の世界の『魔』になるのかねぇ、和・洋・中みたいに」

「うにゅう……それってなんか、どっちも体に悪そうだよ……」

 

 そんな事を駄弁りながら、食事フロアへと歩いて行った。

 

 

………………

…………

……

 

 

 その夜、風呂上がりの空は廊下を上機嫌で闊歩していた。仁平姿で頭には手拭い、履物は下駄の、金髪蜜瞳に浅黒い外見と正反対の和風スタイル。

 長い神社での生活で染み付いた和風嗜好は、そう簡単には消えはしない。

 

【どうかしましたか、随分ご機嫌ですね、オーナー?】

(ん? そうか? 自分じゃ普通なんだが)

【いいえ、明らかにテンションが高いです。見ていて、気持ち悪いくらいに】

(ハハ、何気に辛辣だな……だが許そう)

 

 首に下げたお守りや黒鍵、羽の根付けと共に揺れる透徹城の中の【夜燭】から、レストアスが語り掛けてくる。

 カランコロンと小気味のよい音を立てながら、グラウンドと校舎を繋ぐアスファルトの道を歩く。ものべーにより再現された夕暮れの風景と風を浴びて、まだ湿っている髪を拭う。

 

(昔っから考えてたデートプランだ、試したのは初めてだったけど案外上手くいったんでな。これで、いざ希美を誘った時に焦らずに済みそうだ)

 

 上機嫌の理由は、それである。今日の事で、デートへの心構えが出来た為だ。

 それは、今までの彼の交遊関係では絶対に不可能だった事。

 

【…………いや、それは……些か彼女に失礼では】

(何言ってんだ、こういうのはな、誘っておいて何も用意してない方が逆に失礼だろ)

 

 そう、全く悪びれる事も無い。それもその筈、この男は案外一途。『初恋の相手』以外には、目もくれないのだ。

 

【貴方は……少しはですね、女心という物を……いえ、甘えさせてくれる相手に甘えているという点では彼女もおあいこでしょうか】

(何言ってんだ、お前?)

 

 少なくとも、彼自身には意味の解らないもの。ただ、彼の盟友は訳知り顔で呟いたのだった。

 それに疑念を返しながら、自室の扉を開く--

 

「あ、お帰りなさ~い!」

「--は……?」

 

 そこには、今日買ったばかりの部屋着で寛いでいるユーフォリアの姿が在った。

 

「お前……何でここに」

「なんでって、お兄ちゃんに一番に見せようと思って」

 

 立ち上がって、くるりと回る。翻るワンピースの裾と、蒼い髪。まるで、風の吹く蒼穹《そら》を思わせた。

 

「どうかな、似合ってる?」

「ああ、バッチリだな。ザ・妹って感じだ」

「よかった。えへへー」

 

 褒めてやると、そうはにかむ。その無邪気さに、勝手に部屋へと上がられていた事に対する怒りも萎える。

 

--そうだな……俺は救われてるのかもしれねぇな、この笑顔に。

 

 長らく付き纏っていた神世からの呪縛や、僅かな間とはいえ共に戦いを駆け抜けた神剣の裏切りに、口には出さずともささくれ立つところはあった。

 そういう気持ちを、この笑顔は……太陽の光のように温かく癒してくれていたのだ。

 

「……有り難うな」

「ほぇ?」

 

 突然礼を言われて面食らったのだろう、ユーフォリアは珍妙な顔をしている。そんな彼女に苦笑しながら、空は彼女の頭を撫でようと左手を上げた。

 気配を察し、彼女は少し頭を前に出した。日頃から他のメンバーに頭を撫でられているだけあり、慣れた様子である。

 

 さらさらと細やかに煌めく蒼穹《あお》の、穢れの無い長い髪。後少しでそれに触れるという所で--

 

「----…………」

 

 空は、左手を止める。理解してしまったのだ、そんな彼女の無垢さから----どれだけ、自分が穢れているかを。

 

「ほら、早く自分の部屋に戻んな。明日からはまた、忙しくなるんだから」

「えっ……う、うん……」

 

 撫でられる事も無く、いきなり帰る事を促されたユーフォリアは、困惑しながらも。

 彼の放つ雰囲気が変わった事を察したらしく、淋しげに俯きつつ部屋を出た。

 

「えっと……じゃあ、また明日ね、お兄ちゃん」

「ああ……また明日な」

 

 気を取り直して笑いながら手を振った彼女に、左手を振り返す。それを、彼女が見えなくなるまで続けて--自分の左手を、じっと見詰めて呟いた。

 

「……汚ねぇなァ」

 

 染み付いたガンオイルと焼けたマナの残滓、幾つもの傷痕に--見えない返り血、命の断末魔。

 この数ヶ月で、それらに塗れた己自身に自嘲する。

 

--こんな汚物の俺が、あんなに綺麗なものに触れていい筈が無い。アイツは--ユーフォリアには、俺みたいな薄汚いヒールよりも望みたいな潔白なヒーローの方が似合う。

 分かりきった事だろう。今は、自分を助けてくれた俺をヒーローみたいに感じて懐いているだけ。俺の正体を……ヒールだと知れば、離れて行っちまうに決まってる。分かりきった事だろ。

 

 眩しいと感じたのは、その魂の純度。永遠神剣を持つ彼女だって、自分と同じく命を奪った経験があるかもしれない事には気付いている。だが、例えそうでも彼女の魂に曇りは無い。その眩しさに、変わりは無い。

 その事に気付いた、ほんの刹那--胸の中を吹き抜けた空虚な風に、何もかもどうでもよくなってしまったのだ。

 

【……オーナー……】

(……悪い、情けねェ事考えた。ニーヤァにあんな大言壮語語っておいて、これじゃあいけねぇな)

 

 折角の湯上がりの気分は失ってしまったが、頬を張って気を取り直すと、明日に備えて早めの床に就いたのだった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 翌日、ものべーはザルツヴァイを発った。ナーヤとユーフォリアを一行に加えた目標は、支えの塔でレーメが絶の永遠神剣【暁天】の守護神獣『堕天使ナナシ』からインストールされた先。

 

 旅団にとっても未知の世界に。



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悠久の青 昔日の声 Ⅲ

 朝早い……とは言っても、分枝世界間を航行中のものべーの作り出した擬似太陽が昇って間もないだけの物部学園の廊下を一人歩く空。

 

(平和だな)

【平和ですね】

 

 脳に電圧として潜むレストアスとの会話も弾まないくらいに平和だ。

 

--なんせ、目的地まで後一週間は有るらしい。暇で躯が鈍りそうだぜ……。

 

 欠伸を噛み殺し肩を廻しながら通り抜ける教室からは、何の音も聞こえない。

 いや、学園全体から感じられる人の気配が余りに希薄。

 

--そりゃそうだろう、何せ学生や教員は誰一人居ない。ものべーに乗っているのは旅団の、神剣士のみ。物部学園関係者は皆、魔法の世界で待っている。

 

【……お言葉ですが、オーナーは神剣士では在りません】

「…………」

 

 氷点下の突っ込みを久々発動の『ワードオブブルー』で無視し、人気の無い廊下を歩き続ける。

 

--俺達が向かうのは間違いなく敵の策の中だ。前に暁が世界ごと物部学園を、破壊しても構わないと言わんばかりの行動をした事を考えれば……無理してでも置いて来る事こそ正解なんだ。

 

【火中の栗を拾う真似をするのは、それが出来る者だけで良いですからね……】

(ああ……でも、妙にあっさり受け入れられたよな)

 

 思い出す、学生達の姿。もっとぶー垂れられると思っていたのだが、拍子抜けするくらいあっさりと学生達はそれを受け入れた。

 

【流石に、危険だと解ったからでしょう。先の戦で戦闘に加わっていなかったとはいえど、避難誘導などは行ったのですから】

(そうだな……それにまぁ、俺達が帰れなかったとしても、魔法の世界に残ってるあいつらは支えの塔の機能さえ戻れば帰れる)

 

 コツコツと、足音は何処までも遠く響き、自分以外の存在が消失したような不安感を想起させる。

 

【……オーナー、そう情けない事を言わないで欲しい。闘う前からそんな事でどうするのですか】

(もしもだよ、もしも。俺だって死にたかないさ……闘うさ、全力で--生き延びる)

 

 叱咤に、強がりを返す。今まで通り、いつも通りに。

 

【……それなら良いのです。貴方は貴方の道を貫いてください。私は、そんな貴方の道を切り開く為の剣ですから】

(ああ、有難うよ)

 

 神造の朝陽が注ぐ廊下、そこはかとない充実感を感じながら。角を曲がれば--出くわしたのは望と希美。

 

「あ、おはよう空」

「おはよう、空くん。朝早くからご苦労さま」

「当番だしな。ところでオーダー有るか? 出来る限り適えるぞ」

 

 と、そこでもう一人の影。

 小さなそれはレーメだ。制服姿の三人と天使は自然と並び歩く。

 

「とか言って、本当はメニューを考えるのが面倒なだけだろう」

「ジャリ天お前……いつから俺の心まで読めるように」

「なるかっ!」

 

 そんな、どうしようもなく他愛の無い会話を交わしながら。三人は食堂の扉をくぐったのだった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 食事当番だった空は遅めの食事を、寝坊して大分遅く起きて来たソルラスカと相席で摂っていた。因みに火を使った為、空は上着を脱いで黒のTシャツ姿。

 

「……空、コレやるわ」

「何だ、お前納豆嫌いなのか?」

「この、ネバネバしたのが何ともな……代わりに茹で玉子くれよ」

「ざけんな、浅漬けだ。それ以外はリリースする」

 

 因みに今日のメニューは味噌汁に白いご飯、納豆と生or茹で玉子、焼鮭と胡瓜の浅漬け。修学旅行の朝ご飯みたいに純和風だ。

 空は鮭の身を崩して醤油を掛け鮭ご飯に、ソルラスカは玉子掛けご飯にしている。

 

「おーっす、ソル、空! 今日も雁首揃えて女っ気無しのシケた面してんじゃん、カッワイソー」

 

 そこに現れた制服姿のルプトナ。手に持った盆には朝食メニュー。その違いはただ一つ、女性限定メニューの餡蜜が有る事。

 

「そーなんだよ、俺ら三人に足りないのは女っ気なんだよなぁ」

「三人も揃ってカッサカサ、ピーカン照りの女っ気無しだぜ」

「そうそう、ボクら、三人揃って女っ気無しの不毛な砂漠……」

 

 淋しげにそう呟く二人。それにルプトナはソルラスカの隣の席に座りながらウンウンと頷き、直ぐにジトッと二人を睨みつける。

 

「……っておい、お前らそれどういう意味だよ。ボクは紛れも無く女だろ。女が女っ気無いってどーいう事だよ!」

 

 それに空とソルラスカはキョロキョロ周りを見渡した。

 

「「え、女? 何処何処?」」

「ガッデム! お前ら後で覚えてろよ!」

 

 プンスカと、ルプトナは湯気を吹きそうな勢いで、ご飯を味噌汁に突っ込み猫まんまにした。

 

 殆ど日常茶飯事だ、この三人のこういう会話は。だから気にする者は殆ど居ない。

 じゃれあっているのだと、皆が知っているから。

 

「--あ、あのっ!」

「「「えっ?」」」

 

 だが……一人。ほんの少し前に加わったばかりの彼女は、それを知らない。

 

「そのっ、け、喧嘩はいけないと思いますっ!」

 

 キョトンとする三人と違って、着崩す事無くきっちりと制服に袖を通した、朝食の載る盆を抱えた蒼い髪の少女は。

 

「あー……いや、今のは要するにだな、ユーフォリア……」

 

 ちらりと目配せする空。それに応えるような形で、ソルラスカとルプトナが口を開く。

 

「おはよー、昨今どう?」

「ぼちぼちだな、今日もいい天気だぜ」

「……くらいの意味の会話でよ、別に喧嘩してた訳じゃなくて」

「うう、ホントですか……?」

「「「ホントホント」」」

 

 まだ知り合って間もない相手、しかも年上三人に向かって注意を喚起したのだ、よっぽどの勇気を使ったらしく微かに涙を浮かべていた彼女だったが。

 

「……それなら、良かったです」

 

 直ぐに屈託の無い笑顔を見せたのだった。

 

「あの、はやとちりしてごめんなさい……」

「いいってば、ボクらが紛らわしい事言ったのがいけないんだし。ほら、そこ座って」

 

 ルプトナに勧められてその正面、つまり空の隣の席に腰を下ろすユーフォリア。ご飯には、何処で貰ったのか、ふりかけが掛かっていた。

 

「んで、どう? 何処に何が在るとか解った?」

「はい! ちゃんと覚えました。ルプトナさんが解りやすく教えてくれたお陰です」

「そっか、ならいいんだ」

 

 随分と話が弾んでいるルプトナとユーフォリア。どうやら食事の時間が遅れたのはユーフォリアに施設案内をしていたかららしい。

 

「ルプトナの奴、妙に面倒見いいな?」

 

 不思議そうに呟くソルラスカ。しかし空には、何と無くルプトナがユーフォリアを気に掛けている理由が解った。

 

--……同じような境遇のこの娘を放っとけないんだろうな……。

 

 しかし、気付いたからといって口にはしない。それは余りに無粋が過ぎるというもの。

 

「……言い出しっぺだからだろ」

「ああ、そういや」

 

 だから、ただそう言っておく。どうやらソルラスカはそれで納得したらしく、自分の玉子掛けご飯を掻っ込んでいた。

 

「何か困ったら直ぐに言いなよ。『家族』なんだから、遠慮なんてしないでさ」

「はい、ありがとうございます」

 

 猫まんまを杓文字で食べつつ、豊満な胸を反らして言うルプトナ。それに、器用に箸を使ってご飯を口に運んでいたユーフォリアは笑顔を見せる。

 

「へぇ。箸、使った事有るみたいだな」

「え? あ、これ?」

 

 突然横から話し掛けられ、彼女は頭の翼をビクンと動かす。

 

--あれってやっぱ……生えてんのか?

 

 ルプトナに対してとは違って、よそ行きの言葉遣いが崩れる。

 まるで、びっくりした猫が毛を逆立てるような反応に、逆に空の方がびっくりした。

 

「何と無く出来たんだ。それに、お兄ちゃんの使い方を見て、こういう具合かなって」

「見ただけで真似できるのかよ、凄ぇな、お前は……俺とルプトナなんざ今だにスプーンかフォークだぜ」

 

 そうソルラスカの言った通り、彼とルプトナはスプーンで食事を摂っている。

 異世界出身者中心の今現在、箸はマイノリティだ。

 

「ってか、空は左利きだから参考にならないしぃだたたっ……」

「おめーらは努力が足りねーんだよ、ちっとは見習え……そして俺にどれだけイソフラボン摂らせる気だ。あいつらは女性の味方だ」

 

 さりげに納豆を押し付けて玉子を奪おうとしてくるルプトナの手を箸で抓り、撃退する空。

 

「うわぁ、ネバネバしてるよ……お兄ちゃん、これって食べられるものなの?」

 

 そこで興味を抱いたのか、彼女は自分の分の納豆に箸を伸ばした。一粒つまみ上げると、細い糸を引くソレをおっかなびっくり見ている。

 

「まぁ待て、食べ方が有るんだよ。先ず醤油を加えて、掻き混ぜてみな」

「う、うん……」

 

 実際にやって見せながら、空は納豆をグリグリ掻き混ぜる。真似して続くユーフォリア。

 

「後は好みで薬味を入れてもいいぞ、因みに俺は刻み葱派だ」

 

 パラパラと刻み葱をふり、空はより粘つくようになった納豆を口に運んだ。やはり同じように刻み葱をふり、ユーフォリアも納豆を口に運ぶ。

 

「…………」

 

 そして、シュンと頭の翼を垂らしたのだった。

 

「駄目だったか……解った、俺が始末するさ」

「あぅ、でももう箸をつけて」

「食事は、ただのエネルギー補給じゃない。旨いモン食って英気を養うもんだ。無理してまで苦手なモンを食うな」

「「あーっ!」」

 

 すっと取り上げて、代わり茹で玉子を渡す。それにソルラスカとルプトナが声を上げた。

 

「ボクにはくれなかった癖に!」

「俺にもくれなかった癖にー!」

「テメーらは押し付けてきただけだろーが! これは詫びだ、俺が薦めて駄目だった訳だからな……あとソル、気色悪いから止めろ」

 

 四人の納豆を一つの椀に纏めて掻き混ぜる。

 これではもう、取り戻しようも無い。渡された茹で玉子を、受け取るしかないだろう。

 

「ごめんなさい、好き嫌いして。あたし、悪い子だよね……」

「…ソレもだ、止めろ」

「えっ?」

 

 落ち込んだ彼女に、納豆を掻き混ぜつつ空は静かに言った。僅かに照れ臭そうに。

 

「『家族』相手に変にしゃちほこばるな。もっと我を出していい。それでなくてもココにいる連中はお節介だからな」

「そうだよ、ユーフォリアはボクらの妹なんだから。我が儘くらい言いなよ」

「気ィなんざ使わなくてもいいぜ、自然体でこいよ。俺には実際に、ハキュレタって妹がいるんだ。だからかな、放っとけねぇんだ」

 

 仏頂面を崩さない空に続いて、言葉の足りない部分をルプトナとソルラスカがからりと笑いながら優しい言葉を以って続けた。

 

 出身世界も育ちも、てんでバラバラ。しかし、確かな絆を以って繋がる『家族』。

 

 そんな三人を順繰り見詰めて。

 

「……うん!」

 

 ユーフォリアは恐らく今日一番になるであろう笑顔で応えた。

 

「ところで……何で空にはタメ口なのさ? あと、『お兄ちゃん』って何? 空ばっかズルイじゃんか」

「ふえ? えーと、えーと……だって、お兄ちゃんはお兄ちゃんだから」

「おいおい、あれだ、ルプトナ。空は何でも『ロリペド』って病気らしいからな」

「『ろりぺど』? なんですか、それ?」

「小さい女の子が好きらしいぜ。付き纏って、『お兄ちゃん』とか『パパ』なんて呼ばせる変態の事らしい。信助がそう言ってた」

「ああ~、そう言えば精霊の世界でも黒髪のちびっことかレチェレに唾つけてたっけ」

「宜しい諸君! ならば戦争だァァ!」

 

 この後、完全装備の姿で校庭で神剣士二人《れっきょうこく》を相手にした神銃士《しょうこく》は……汚名を返上し、名誉を挽回する為に勇ましく戦い--斯くも華々しく散ったのであった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 昼過ぎの自室、この学園では武道館以外で唯一畳張りの自室で胡座をかき、部屋着の甚平姿の空は永遠神銃【是我】を整備していた。

 部屋は彼のストイックさを表すように、無駄な物は全然置かれていない。僅かに、銃器の雑誌や料理関係の本が置かれているくらいだ。……というのも、実は無駄なものを置いているとレストアスにそれをプラズマで消滅させられてしまうからだが。

 

「ふ~む……何て言うか、不思議だ」

 

 思わず、そう口走ってしまう。自分で作った筈なのに、自分が知らない機能が幾つもある、そのライフル。

 原型の『マーリンM336 XLR』から、ワルサー社製の高性能オートマチック狙撃ライフル『ワルサーWA2000』に変わり、更にドイツ帝国製の大型軍用オートマチック拳銃『モーゼルC96』に変わった後……またライフルに戻った。

 

「…………」

 

 銃把を握ったまま集中すれば、展開される精霊光(オーラ)。青、赤、緑、黒、白……小規模ながら全ての属性色の魔法陣が煌めき、古い文字で描かれたような円形で足元に旋回する。

 そして、バレルに現れた星雲(ネビュラ)を思わせる三つのリング……『ハイロゥ』。

 

「こんな機能、設定した覚えはねぇんだけどな……」

 

 ゆっくりと互い違いに旋回しながら、同色の風を起こすそれ。その風が孕む、今まで感じた事の無い属性。

 何より――そのチューブラーマガジンだ。抜き取ったそれの内部を覗き込む。そこには、まるで海の中から海面を見上げるような。それでいて、まるで万華鏡を覗くような幻想的な光景が広がっていた。

 

「ほえ~……お兄ちゃん、凄いねこれ」

「そうだな……しかもこのマガジン、残してあった銃弾を口径に関係無く200発以上装填してあるんだぜ……」

「そうなんだ……それにしても、この輪っか、何だかハイロゥみたい」

「ハイロゥ?」

「うん、ママが使ってたの」

「へぇ、ママねぇ……って、何か思い出したのか?」

 

 空が目を離したところで、その膝の上に座っていた部屋着のワンピース姿のユーフォリアが代わりに覗き混む。

 小さなその体は大柄な空の躯にすっぽりと隠されていて、後ろからは全く見えない。

 

「ママ……あれ、ママって誰だっけ?」

「俺が知るか……ハァ」

 

 ため息を落とせば、間近の白い羽根が揺れる。何故こんな状態になっているかは、恐らく説明の必要もあるまい。

 空が【是我】の整備を始めようとした時に訪ねてきたユーフォリアが、興味を引かれただけのこと。

 

「さて……と。じゃあ、特訓でも始めるか」

「ソル兄さんかルナお姉ちゃんと組手するの?」

 

 と、ユーフォリアがマガジンから目を離して振り向く。『ソル兄さん』とか『ルナお姉ちゃん』と言うのは、言うまでもなくあの二人の事。

 あの後、ルプトナがどうしてもお姉ちゃん呼びされたいと駄々をこね、更には自分だけ略称がないと文句をつけ始めたためにそうなった。

 

『じゃあ、ルーなんてどうだ?』

『それじゃあルゥと被るじゃんか。却下』

『おいおい、単純すぎんだろ空。ここはオメー、プーだぎゃあああ!』

『ソルゥゥゥ! ソルにジョルトが!』

『ふう……で、空。『トーの聖骨』なんて持ってどうしたのさ?』

『えっ、い、いや、別に……』

 

 というやり取りがあったとか無かったとか。因みにソルラスカは今、保健室である。

 

「いや、ギターだよ。宝の持ち腐れとか嫌いだからな、俺は」

「お兄ちゃん、『ぎた~』って何? 目薬入れて叫ぶの?」

「古くね?」

 

 言いながら、ショルダーストックから発条(ゼンマイ)で巻き取る形で収納していた弦を引き出す。

 六本の弦を銃口近くに固定し、ストックの位置を少し上げて完成だ。

 

 ピックはない、なので指を使う。だがその弦もまたマナ製、生身でやれば指が飛ぶ。

 ダークフォトンで強化した指でもなければ。

 

 室内に、音色が響く。それは弦楽器の放つ音色。温かみのある、木の反響を利用した音色だ。

 ただし決して上手くなど無く、初心者が何とか掻き鳴らしているレベルである。

 

「うーん……やっぱり難しい」

 

 その元凶である空は、ギターの教本を睨みながら【是我】の弦を弾く。

 しかし、右手で弦が上手く押さえられていない為に音がズレていた。

 

――楽器なんて音楽の授業でしか触った事無いんだが……折角楽器の形をしてるんだ、弾けるようになっておかないと持ち主とは言えないよな。

 

 等と思案しながら、彼はダークフォトンに包まれた左手で弦を弾く。

 

――始めに演った時には危うく、親指を飛ばしかけたからな……。

 

 ふぅ、と溜息を落しながら弦を弾く。ジョリーン、と下手くそな音色が響く。

 コードもヘッタクレも無く、実に耳障りだ。

 

「ハハ、参ったなぁ……これじゃあ今にクレームが来ちまうぜ」

 

 そう、膝の上で聞いている少女に苦笑する。空は一度休憩を取ろうと、ペットボトルの水を飲む。

 

「――温かく、清らかな、母なる再生の光……」

「え――?」

 

 その、ユーフォリアの呟きに凍り付く。何故、その唄を知っているのか、と。

 

「ふに、どうしたのお兄ちゃん?」

「いや、お前……どうしてその唄を」

「これ? これはね……あれ? 何で知ってるんだっけ」

「……ハァ」

 

 ため息を落とし、空はまた【是我】を掻き鳴らす。アコースティックの音色を響かせ、【是我】が唄う。この黄昏れの景色にマッチした、物悲しい音色を。

 

――そうだな。もしこんなものでもコイツの助けになるんなら……頑張ってみるか。

 

 途切れ途切れで、よく詰まり、音階を外す。下手くそな奏者の、下手くそな弾き語り。

 だが、不思議とそれは--この男の、余りにも不器用な生き様を想起させた。

 

「…………」

 

 『これでいいさ。良い事なんて無かったクソッタレな人生(モノガタリ)だけど――(オレ)は、(コレ)がいいのさ』と。

 

 『自分(テメェ)の自由になる安泰な人生なんて、詰まんねぇ。もし、人生を選び直せるとしても俺はまた俺でいい。いや違う……俺“が”、いいんだ。思い通りにならねぇからこそ、踏ん張れって太刀(たち)上がれるんだ。太刀上がって、挑むだけの価値が有るのさ』と。

 

「……ねぇ、お兄ちゃん」

「……うん?」

 

 その見え透いた強がり、分かり易いくらいの空元気。それでも、その男は--誰でも無い。己自信の『壱志(イジ)』を貫く事を、決して止めはしない。

 

「あたしね……この曲、好きだよ」

「……そうか」

 

 それはまるで、『無明の夜』の底を--真っ直ぐにしか進めない不器用な信念と借り物の青い燭火を道標に進んでいくかのような、そんな彼の生き様を表していた。

 

 その音色は、しばらくの間。沙月からクレームが入るまで、続いたのだった。

 



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第五章 未来の世界 Ⅰ
軋む歯車 永久の箱庭 Ⅰ


 妖しく瞬くネオンサインに満ち溢れる、近代的なビル群。四方を壁に囲まれた箱庭の中から飛び出した様子を思わせる天に高く迫り出したそれらは、正に摩天楼と呼ぶに相応しい。

 

「…………」

 

 この世界で最も高いセンタービルの屋上の端に腰掛けて、不夜城の町並みを見下ろした、神経質そうな風貌のオールバックの青年は深い溜息を落とす。

 微睡むような気怠い高層の風は、さながら死にゆく世界の溜め息か。青年の一つに纏めた黒髪と、この風景には似つかわしくない源平合戦の弓兵のような衣裳の肩当てを揺らした。

 

 見上げれば、子供が散らかしたように散りばめられた、スモッグに霞む天上の星々。

 見下ろせば、大人が並べたように整然と整えられた、市街の輝きは地上の星々。

 

 だがーー目に映るその全てが『虚構(うつろ)』。

 

 憧れて手を伸ばしてみたところで、努力し掴み取ろうとしたところで余りにも空しい希望の光。こんな絶望ならば、初めから知らなければ良かった、と咽びたくなる程に。

 だから--まるでここは鳥篭のようだ、と。青年は作り物の世界を睥睨する。

 

【--……】

 

 背に負う和弓と矢束、そこから発せられる訝しむような思念にも応えない。ただ、永劫に変わらぬ退屈極まった町並みを見下ろして忌ま忌ましそうに眉をひそめたのみ。

 

「この世界は……生まれ故郷だ。何一つ、いいおもいでなんてありゃしねぇクソみてぇな世界だが、俺の……大事な」

 

 業を煮やしたのか弓が黒い光を放ち、両翼の内側に数多の銀河を瞬かせる巨大な蝙蝠が姿を現した。則ち、その弓は永遠神剣。この大蝙蝠は守護神獣だ。

 

「もう救われないのなら、永遠に繰り返せばいい。そうだ、それでいい。いい筈なんだ!」

 

 己に言い聞かせるように叫び、真っ直ぐ見詰めたその先には--蝙蝠の紅い瞳。

 感情を映す事無い紅の瞳は、既に諦観の域。少なくとも、『手下が上司に見せる目』ではない事は明らかだ。

 

 それを隠す事もなく見せているこの神獣は既に、主に対して何の期待も抱いていないのだ。それがありありと伝わる、そんな瞳。だと言うのに、青年は何の感情も想起していない。つまり、彼もまた……この神獣に対して、なにも期待はしていないの。

 

「この世界の在り方こそ俺の望む世界、ならば迷いなど--」

 

 青年の言葉が終わる前に、世界の方が先に『終わった』。一瞬の静寂の後、自らもそれに巻き込まれる事を自覚しながら--

 

「ありはしない--……!」

 

 また、『夜』が始まった--。



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軋む歯車 永久の箱庭 Ⅱ

 

 ものべーの鳴き声が響く。分枝世界間を抜け、目的地に到着したのだ。

 生徒会室に集結している一行は、ブリーフィングの真っ最中だ。

 

「では、この世界の様子を見るとしよう。志願者はいるか?」

 

 サレスの言葉に応えて、幾つか手が挙がった。望、希美、沙月、カティマ、ルプトナ、ナーヤ、空、ソルラスカに加えてルゥ、ワゥ、ユーフォリアの計十一人。

 

「流石に多過ぎる。大所帯では、いざという時に機動力が落ちる。最大七人に絞ってくれ」

 

 『え~!』という声を無視し、無情にリーダーは告げる。そこで開催されたジャンケン大会の挙句--

 

「これは……なんとも素晴らしい技術力じゃな!」

 

 思わずナーヤがそう叫んだのも納得出来よう。一行の降り立った世界は摩天楼だ、魔法の世界とは違って元々の世界から直系で進化したような世界だった。

 

 舗装された道路を道なりに歩きつつ、望、希美、沙月、カティマ、ルプトナ、ナーヤ、空は頻りに周囲を見渡している。

 

「その内、全く同じ世界とか在るんじゃないすか?」

並行世界(パラレルワールド)って奴ね。ふふ、どうかしら」

 

 その空の呟きに、意味深な言葉を返す沙月。そんな中、いきなり望とカティマが身構えた--その刹那。

 

「--オォォォォォォォ!!!!!」

 

 耳を聾せんばかりの咆哮と共に地を揺るがして現れた巨躯は白い竜。

 黄色く膿み淀んだ眼差しと強靭な四肢を持つ西洋的なソレ。蜥蜴を巨大化させて翼を持たせた……いわゆるドラゴンだ。

 

「っ皆、戦闘--」

 

 その敵意を感じ取った望の叫びと共に、全員が神剣を召喚しようとする。空も透徹城から【夜燭】と【是我】を引き抜いた--その間隙を縫って、光が竜を撃った。

 

「……ッ何だ?」

 

 両脇を駆け抜けていった青白い閃光と紫の閃光。拡がる衝撃波。

 

「--下がっていてください!」

「--退け、邪魔だッ!」

 

 そして左側からは落ち着いた、冷静そうながらも温厚な声。対し右側からは荒々しく粗暴そうな、対照的な声が響く。

 一行を護り竜と対峙した二人分の影。優しい雰囲気の茶髪に赤い鉢巻きを巻く左の青年、荒々しく攻撃的な雰囲気をした黒髪を一ツに纏めた右の青年。

 

「こちらです、早く!」

 

 そしてもう一人脇道からこちらを手招きする男の姿が在った。

 

「今の内に、早く逃げるんだ! ガーディアンは僕達が引き付けておくっ!」

 

 そのどちらもが東洋めいた戦国風の装束に身を包み、型の違った和弓を所持している。

 

--あれは……永遠神剣か。

 

「……ショウ、油断するなよ?」

「へへ……お前こそしくじるなよスバル」

 

 短く言葉を交わして青年二人、スバルとショウは、ガーディアンと呼んだ竜の攻撃を躱した。猛烈な爪の一薙ぎにもしも当たれば、一瞬で挽き肉だろう。

 

 だが、こういった闘いに慣れているらしい二人は危なげが無かった。その卓越した連携たるや、竜は翻弄され通しだ。

 

「……って、見取れてる場合じゃねェな、撤退だ望!」

「ああ、希美、ものべーをあの塀の向こうに移動させてくれ!」

「あ、うん!」

 

 一行は脇道の男の先導に従って走る……。

 

 

………………

…………

……

 

 

 申し訳程度に装飾された、簡素な酒場。場末のバーを連想させるそこに、一行は集まっていた。

 

「初めまして、僕の名はスバル=セラフカ。このスラムの自警団の纏め役をさせて貰っています」

 

 そこでは先程の青年、自警団のリーダーのスバルと一行の代表である望が握手を交わしている。

 

「俺はショウ=エピルマ。此処では誰もが自由だが、面倒は起こさないでくれよ」

 

 もう一人の青年、ショウの言葉をスバルが嗜める。性格的に釣り合いの取れた、中々良いコンビのようだ。それを見る望の目には、懐かしさを押し殺したような色が有る。恐らくは、自分と絶の姿を重ねたのだろう。

 会話が弾んでいるスバルと望。他に、異世界人は見なかったかと聞いてみるが絶と彼らは関係ないようだ。眺めながら思案に耽っていた空。その肩を叩いた、篭手に包まれた掌。

 

「……よう、お前ら一体どんな旅してんだ? 随分といい女ばっか連れてるけどよ」

 

 ショウだ。状況を説明し合っている望とスバルから離れて、同じ男の空と会話しに来たのだろう。

 

「でしょう? まぁ、全員あっちのにホの字ですけど」

 

 皮肉げに肩を竦めて、望を顎でしゃくって見せる。それにショウは。

 

「ハハハッ、そうなんだよなぁ。女って奴は、ああいう現実を見てない理想を語るのに靡きやがる。やってらんねーよな、実際」

 

 妙に実感の篭った言葉を零した。それに空は一瞬キョトンとした顔をして。

 

「アンタも、苦労してんだな」

「お前もな」

 

 同時に溜息を落とした。

 

「ショウさん、だっけ? どうもアンタが他人とは思えない」

「ショウでいいさ、俺もだぜ……えっと?」

「巽だ、巽空。空でいい」

「よし、空! 今晩は俺が持つ。呑もうぜ! おおい、酒を持ってきてくれ!」

 

 カウンターに向かってそう呼び掛ければ紅い髪と瞳に露出の多い服を着た、魔法の世界でも見た事のあるような女性が答える。

 

--まぁ、たった一つの世界でも三人同じ顔の人間が居るんだ……分枝まで入れたらどんだけ居るか解ったもんじゃないぜ。遺伝子の組み合わせにも限界は有る、偶然に偶然が重なっただけだろう。

 

 運ばれてきた瓶酒を一気に呑み干し、ダンダンと。二つのグラスが勢いよくテーブルを叩く。それを充たしていた小麦色の穀物酒は、もうカラだ。

 

「ったくよぉ、こっちだって好きでこんな釣り目に生まれた訳じゃねーんだよ。それを『怖い』だの『ガラ悪い』だの好き勝手に言いやがって……俺はスバルの引立て役かっての!」

「そうだそうだ、俺だって好きで癖毛に生まれたんじゃねーよ! 俺だって、俺だって……風に靡くくらいサラサラヘアーに生まれたかったわ!」

 

 ショウと空は愚痴を零し合う。そこに更なる酒が届き、二人はまたもグラスを打ち鳴らしてイッキ呑みした。

 

「あの……二人とも、もうその辺にしといた方が」

「「うるせー! 呑まずにやってられっかー!」」

 

 スバルの言葉も届かないらしい。二人は新たに運ばれてきた酒を、またもや一気で飲み干した。

 

「おーい、空? 俺達はもう帰るけど」

「俺はもう少し呑んで帰るから、心配しないで帰ってくれー」

「程々にしときなさいよー!」

 

 そうして空を残し、物部学園の一行は帰って行った。

 

「ところでお前って大剣と小銃の二つの永遠神剣の担い手なのか? さっきガーディアンに襲われて、召喚してただろ?」

 

 問い掛けられた空は、ショウの目線を追う。近くの壁に立て掛けられた、【夜燭】と【是我】を。

 

「ああ--いや、実は俺は、永遠神剣は持ってるだけだ。契約してないんだ、【夜燭】とは。それにこっちの【是我】は永遠神剣じゃなくて『永遠神銃』。近いだけの別物だ。つまり、俺は神剣士じゃなくて神銃士なのさ」

「ハハ……珍しい奴も居たもんだ。しかしライフルか……同じ射撃系統の神剣使いとしては、興味があるな」

 

 少し驚いたような彼に、得意げに語る。それに苦笑し、だが実に興味深そうにショウは【是我】を見ていた。

 

「見てみるか?」

「いいのか? レバーアクションか、レトロな銃だな……」

 

 チューブラーマガジンを抜き、ループレバーを操ってチャンバー内の弾を抜く。因みに戦闘状態のライフル型なのでレーザーサイトとスコープを装着し、六本の弦は発条式の巻き取り器でストック内に収納されている。

 それをショウに渡す。彼は少し手間取りながらも、直ぐに慣れたらしく軽々と扱った。

 

「いいな、かなり精密だ。手入れも行き届いてるし……お前、中々優秀なスナイパーらしい」

「そうか? あー、まぁ似た事はよくやったか」

 

 真摯な、まるで敵を見るような目付きに多少気圧される。そしてそれが、ショウ自身も射撃系統の永遠神剣の担い手だからだと思い至った。

 そして--同じく彼も、ショウに敵を見る目付きで『応え』た。

 

「……まぁ、ここじゃそんな機会は無いだろうがな。そら、呑もうぜ」

「おう、ただしショットガンな」

「いいぜ、負けねぇからな」

 

 その後、直ぐにそんな目付きを吹き消して。『神剣の担い手』の『弓兵』と『神剣殺しの担い手』である『狙撃兵』の二人は再び、酒盛りを始めたのだった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 夜気の底を泳ぐようにフラフラと。千鳥足の空はものべーに転送されて生徒会室へと歩いていた。

 

「うーん……気分良いぜ……」

 

--どのくらい呑んだかは覚えてねーけど、そろそろ帰らねーとな。会長の制裁も怖ェし。

 

 見上げた先に、霞む星々。光に溢れる都市部からは見えなかったが、まるでプラネタリウムのようだ。

 

--しっかし……ショウの奴、酒にかなり強かったな。ずっと顔色変わらなかったぞ。

 

 手洗い場で水を飲み、うがいをした後に一息ついて。

 なるべく酔いを醒まして生徒会室の扉を開く。

 

「--あ」

「--お?」

 

 だがそこに居たのは、沙月でもサレスでも無く。

 

「すぅすぅ……」

 

 椅子に腰掛けた望と、その望にもたれ掛かるようにしてすやすや眠るユーフォリアだった。そして望は、ユーフォリアの頭をずっと撫でている。

 

「お前、守備範囲マジ広いな」

「ばっ、誤解すんなよ空! これはユーフィーがだな……」

「ほほー、聞きましたか姐さん。ユーフィーと来ましたぜ?」

「本当ねぇ、ちょっと目を離した隙に……望君の狼さん」

「ってヤツィータさんまで!?」

 

 二人掛かりの弄りに流石に望も立ち上がって誤解を解こうとする。しかし--

 

「……うぅ~ん……もっと撫でてください~~……」

 

 それを子供がむずがるように、ユーフォリアがしがみついてぐりぐり頭を寄せる。もっと撫でろと言う事だろうが。

 

「「…………」」

「……待っ」

 

 空とヤツィータは目配せをすると、何も言わずにピシャリと扉を閉じたのだった。

 

………………

…………

……

 

 

 翌日、明けない夜の世界を歩き出して暫く。それが果たして日常なのかを探る為に。

 昨日は待たされていた一行を、空が先導する。スラム街を眺めるソルラスカにタリア、ヤツィータにユーフォリア、クリスト五姉妹。中でもワゥとユーフォリアは、本当に興味津々そうだった。

 

「んじゃあ先ずは酒場に……ウッ、気持ち悪……」

『だ、大丈夫ですかタツミ様?』

 

 気遣ってくれたミゥに手振りで謝意を表した時--空は見知った顔を見掛ける。

 

「どうもスバルさん、ショウ」

 

 そこには丁度店に入ろうとしていたスバルとショウ。スバルの後に続いて入ろうとしていたショウに、空は気軽に声を掛けた。

 

「……ん? ああ、空--……」

 

 振り向いたショウは答えようと口を開き--まるで幽霊でも見たかのように、目を見開いた。

 

「えっと……済みません、どちら様でしたか?」

「はい……?」

 

 そして同じく振り向いたスバルは、初対面の相手に向ける眼差しを見せた。

 

「えっと、スバルさんとショウでしょう? 昨日ガーディアンから助けて下さった……」

「ガーディアン……済みません、そんな事があれば覚えてない筈が無いんですが……そうだったかい、ショウ?」

 

 シラを切っている風ではないし、そもそもそんな事をする必要が無い。スバルは完全に困った顔になり、親友であるショウに言葉を向けた。

 

「……知らねェ、記憶違いだろ」

 

 そのショウはきつく一行を睨みつけるかのような……圧迫感すら感じられる視線を向けていた。

 

「いや、そんな筈は……昨日一緒に酒まで--」

「--知らねェって言ってんだろ! ゴチャゴチャ訳の解らねェ事言ってんじゃねェよ!」

 

 食い下がる空、それにショウは苛立たしげに舌打ちする。

 くしゃりと頭を掻いて、隠す事無く敵意と共に--彼の永遠神剣を向けた。

 

「てめぇら、さてはシティの廻し者か?! 俺達を探る為にスラムに潜入したシティのスパイだな! だったら教えてやるよ、その命と引き換えにこの第六位【疑氷】の力をな!」

 

 引き絞られた弓、【疑氷】の弦《つる》がミシミシ軋む音。突き付けられた鏃には、紫色の精霊光が纏わり付く。

 

「止めないか、ショウ!」

「ッ……!」

 

 その矢を掴んだスバル、これで射ち出される事は無い。ショウはそれを振り払うと荒々しく酒場に入って行った。

 

「済みません、いつもはあんな事をする奴じゃ無いんですが……」

「……いえ、良いんです。こちらこそお騒がせしました。どうも、人違いだったみたいで」

 

 そう言って頭を下げると、空は呆気に取られっぱなしの神剣士達を置き去りにせんばかりの速足で歩き出す。慌てて後を追う九人。

 

「空、何だったんだ、ありゃあ」

「アンタ、一体何をしたのよ? ショウとか言う奴、凄い怒ってたじゃない」

「て言うか、何なのあの乱暴な人。いきなりあんな危ない事して」

「…………」

 

 そんな、ソルラスカとタリア、ユーフォリアの言葉にも応えずに。空はただ物部学園に向けて歩き続ける。

 

--何なんだ、この世界は……夜が明けないどころの騒ぎじゃない。まるで……。

 

「まるで昨日が無かったみたい、ね……」

 

 そのヤツィータの呟きを、空は暗澹たる気持ちで聞く。いつしか、二日酔いなど醒めていた。

 

 

………………

…………

……

 

 

「何故だ……何故、記憶が……」

 

 酒場の窓からそれを眺めていたショウ。口角を歪めると、反吐を吐くように。

 

「セントラルめ……一体何やっていやがるんだ……!」

 

 まるで呪うように、シティでも一番高いビルを見詰めた。

 

 

………………

…………

……

 

 

 定時の報告を受けたサレスは、校長室の皮張りの椅子に沈み込む。ふう、と溜息まじりで。

 

「時間がループする世界……か。次から次に問題が出て来る」

 

 それが、この世界の正体。ある時間を境に同じ時間を永遠に繰り返す、まるでテレビゲームのような世界。

 

「ふ……我ながら言い得て妙だな。オープニングからエンディングまでを繰り返し、また同じ内容を演じる舞台劇……」

 

 現在、神剣士達はクリスト達を除いて情報収集に出ている。だが未だ解決策は見当たらず、加えてこの世界に来てからのものべーの不調が追い撃ちを掛ける。

 そして、それは本題ではない。この世界に来た理由は別に有る。

 

「暁絶……何を考えている?」

 

 苛立ちがこの世界に向かわせた張本人に向いたのも、仕方ない事だろう……。

 

 

………………

…………

……

 

 

 その頃、シティの摩天楼。その最も高いセントラルタワーの屋上に。

 

『--いや、しかし……良い世界だねぇ、此処は』

「そうかしら? 陰気臭くてマナが薄くて不快でしょうがないわ」

「機械の貴様には、関係の無い話だろうがな」

 

 暗闇から漏れ出るように現れた三人。朱い覆面の偉丈夫に翡翠色の踊り娘--刃金の機神。

 

『ククッ、違いねぇ…何せオレの【幽冥】は則ち『光が弱く薄暗いさま』を象徴してんだからねぇ』

 

 その隠蔽能力に地上を徘徊するガーディアンは気付く様子すらも無い。

 

「さて、それじゃあ『理想幹神』達の指令通りにやるとしましょうか」

 

 不快な表情のままのエヴォリアの呟きに、ベルバルザードは表情を隠す覆面の奥で舌打つ。

 どちらも、本意ではないと言うかのように。

 

『……お二人さん、お二人さん。そんな生き方して楽しいかい?』

 

 それを茶化すかのように、機神はヘラヘラと呼び掛けた。当然、それに返るのは怒意に満ちた視線のみ。

 

『クックククク……生きてる内に楽しまなきゃ損ですぜ? 死んでからじゃあ悔しがる事も出来ねぇんだから』

 

 が、機神はあっさりそれを受け流す。屁でも無いと。

 

「死人が言うと、一味違うわね。でもお生憎様だこと、私達は未来を見据えて生きてるのよ」

 

 だから、彼女はそう言葉にした。この怨霊めいた神に反駁して。

 

『--未来ばっか見てると、今に足元を掬われてすっ転びますぜ、姐御? 今が有るからこそ未来があるんだ。ちゃんと石橋は叩いて渡らねぇと』

「っ……!」

 

 それすらも、嘲笑って。機神は両腕を大きく拡げて夜天を仰いだ。顔の無い、夜鬼めいたその姿の背に翳……彼の永遠神剣【幽冥】が悪魔めいた翼として吹き出す。

 

『とにかく、此処がオレの試験場……しっかりお役に立ちますよ』

 

 胸部の大型リアクターの内部、紅黒い忌血の精霊光が輝いて--徒花のオーラが展開された。

 

『--光をもたらすものが一ツ、【幽冥】のクォジェがね!』

 

 その祟り神の永遠神剣が、極夜を浸蝕する--……

 

 

………………

…………

……

 

 

 青白い街灯に照らされながら、舗装された道を歩む二人の男女。くたびれたマオカラーのスーツにこれまた安物の焦茶色のトレンチコートと黒い襟巻きを肩に掛けた刺々した短い金髪オールバックの青年と、ブランド物のワンピースに濃紺のダッフルコートを羽織りキャスケット帽子を被った、蒼い髪の小柄な少女だ。

 

「潜入任務、上手くいくといいね、お兄ちゃん」

「本当に上手くいかせたいなら、そういう発言は止めてくれよ……ユーフォリア」

 

 彼らが行っているのは情報収集。スラムは望達が担当し、警戒の強いシティには、こういった任務に慣れているだろう空が担当する事になったのだが……。

 

「望さんが入ってみた時は直ぐにガーディアンが襲って来たって。でも、今のところは静かだね」

 

 何故かユーフォリアと組む事になった。なったと言うか、されたのである。

 というのも数時間前の事、望がユーフォリアの頭を撫でていた件が、ヤツィータが口を滑らせたか何かで知れ渡った後に。

 

『ねぇ、巽くん? あの娘は君が連れて来た娘でしょう? なら、君が責任を持って面倒見るのが筋じゃない? 望くんじゃなくて』

『いや会長、別に俺が連れて来た訳じゃあイタタタ! 足踏んでる、小指がへし折れるッ!』

『解らぬなら教えてやる、たつみよ……もうこれ以上、のぞむダービーの出走馬はいらぬのじゃ』

『グアァッ! ネコさん……マジ、小指が砕けて死ぬ……!』

 

 と、生徒会室の隅に押しやられ私刑《リンチ》を受けた。希美やカティマ、ルプトナ達も同じ意見らしく、四面楚歌。

 

「お兄ちゃん、聞いてる?」

「ああ、効いてる。まだフラフラする」

「?」

 

 ステップを踏んで嬉しげに歩む少女に溜息を零した。物珍しげに周囲を見渡しているユーフォリアに対し、空は注意深く辺りを観察する。見様によっては歳の離れた兄妹……は無理が有るだろうか。

 

--やっぱり女の子か、新しい服に袖を通すのが嬉しいんだろう。潜入の為に服を買いに行った辺りからこの調子だったからな……。

 

(……此処まで喜んで貰えたなら、良しとするか。はっはっはっ)

【そうですね。買った後に空財布を握り締めて号泣しなかったら、格好良かったですよ、オーナー】

(--ワードオブブルー)

 

--レストアスが気付いたんだが、この世界の人間は管理チップを埋め込んでるのか、特定の電波を出している。それをレストアスで代用しているのだが、実際に目視されたらどうなるか判らない。

 それにしても妙な世界だ。人が少な過ぎる上に、すれ違う人間も何処か虚ろな眼差しだ。まるで、硝子玉のように作り物めいた瞳。

 

「お兄ちゃん、何かこの世界……気持ち悪い」

「……同感、早くおさらばしたいもんだ」

 

 そうこうしている内に高いビルに辿り着いた。全景を確認しようと自動扉の前に立てば--

 

「……グルルルル」

 

 いつの間にか背後に立っていた、緑鱗のガーディアン。『守護者プロリムタ』の黄濁した竜の眼と、曇り一つも無い自動扉を介して見詰め合った。

 

「バレた……のかな」

「解らねぇ……取り敢えず動くな、あとそういう事は喋るな」

 

 小声で囁きあう間にプロリムタは鼻を鳴らして、まるで犬が臭いを嗅ぐように空とユーフォリアを検査している。だが、何かが引っ掛かるように首を傾げてまた臭いを嗅ぐ。

 それに、巨大な竜牙がすぐ脇でギチギチと。剣が鍔ぜり合う時のような音を鳴らした。息を呑み、空は静かに黒い革手袋に包まれた左手を開いた。ガンスリンガーの構えだ。

 

 そして--一応は満足したのか。空の三倍強程、ユーフォリアに至っては五倍近い巨躯を揺らして、のしのしと何処かに歩み去って行く。

 

「「……はぁ~~……」」

 

 思わず、同時に溜息を落とす。生きた心地などしていなかった。一体でもあの威圧感だと言うのに、これがまだ他にも居るというのだから恐ろしい。

 

 自動扉を開き、最上階まで階段で移動する。屋上の扉を開けば、眼下に見下ろす市街地。

 2~3キロ向こうには更に高いビルが在るので百万ドルとはいかないが、それなりにロマンチックな夜景ではあった。

 

「あれ、さっきのガーディアンだよね?」

 

 ユーフォリアの指差す先には緑の竜。相変わらずのしのしと道路を我が物顔で闊歩している。通行の邪魔な事、山の如しだろう。

 

「……あそこには白、あっちには黒。青、赤……何体居るんだよ」

「それぞれが属性色を表してるんだね」

 

 ライフルのスコープで確認した限りで、全五体。青の竜『守護者ジルパース』に、赤の竜『守護者レクーレド』。

 緑の竜『守護者プロリムタ』と、黒の竜『守護者ゼム』。そして白の竜『守護者エクルトア』だ。

 

「ずるいよお兄ちゃん、あたしにも貸してー!」

「っとと、コラ、引っ張るな--んだ、これ」

 

 と、ユーフォリアがスコープに触った時にスイッチがニーヤァの透視眼鏡に切り替わる。それで、この世界の『正体』を知った。

 

「お兄ちゃん、これって……もしかして、あの二人も……?」

「……さぁな、考えるのは帰ってからだ」

 

 空は溜息混じりでメモ帳を取り出して、六色のボールペンで通りの見取り図と守護者の特徴を記入していく。

 

「……さて、今日はこの辺にして退却するか。引き際を誤っちゃ、素も子も無いからな」

「うん、判っ--」

 

 ボールペンとメモ帳をポケットに入れて切り出した空に向き直るユーフォリアの目に映ったモノ。 シティで最も高い、セントラルタワービルの屋上に四基在る赤く点滅するライトシェード。

 

 その一番近い、一基の真下から--

 

「--危ないっ、お兄ちゃん!」

「--ッ!」

 

 『光』が、撃ち込まれた。

 

「ッ……何だ、今のは」

「いたた……大丈夫?」

 

 ユーフォリアの声に、辛うじて難を逃れた空。その二人が最初に立っていた箇所は--迫撃砲弾が着弾したように吹き飛んでいる。

 

「グルァァァァッ!」

「グォォォォォッ!!」

 

 そしてそんな事態になれば当然、ガーディアンが反応する。地上からは複数の咆哮が上がっているが--やはりそのガーディアンが、一番乗りだった。

 

「グルォォォォッ!!!」

 

 強靭な爪が屋上の手摺りを握り潰し、更に腐食させて。緑の竜、守護者プロリムタが現れた……。

 

 市街地を翔け抜ける一条の蒼い閃光。ビルの間を縦横無尽に飛び抜けて看板や信号機、電線に高架をかい潜るそれは--

 

「振り落としちゃうかもしれないから、しっかり掴まっててね!」

 

 ユーフォリアだ。コートを脱ぎ捨てていつもの戦装束を露に、サーフボードのような形状に変型して後端からマナを噴出しながら加速する【悠久】に乗っている。

 その彼女の背後で赤や青、緑に白、黒など幾つもの色の魔法陣がスターマイン花火のように虚空に煌めいた。

 

「構わねぇよ--全速力でいけ。お前の背中は俺が押してやる!」

「うん、ありがと、お兄ちゃん! これならいけるよっ!」

 

 【是我】の激励のオーラである『トラスケード』の発動により、渦を巻く無属性のマナの風。極限に活性化したマナの風を受けて、高まる防御力と抵抗力。

 そして全体防御、可視化した風の法衣『ハイパートラスケード』を纏う空の姿がそこにあった。

 

「--来るぞッ!」

 

 角を曲がった刹那、背後に注意を向け続けていた彼が、声を張り上げた。それと全く同時に窓硝子を砕きながら。

 

「グォォォォッ!!」

 

 翼を翼撃《はばた》かせながらプロリムタが追い縋り、鋼鉄すら障子紙のように斬り裂く爪を一閃させて空間を『薙ぎ払う』。

 それを躱したユーフォリアだが、その剛腕が巻き起こした烈風に煽られてビルに衝突しかけた。

 

「流石はドラゴンってか、空中もテリトリーかよ!」

 

 そうして【是我】からフォース重視の銃弾『オーラショット』が放たれる。

 

「ォォォォッ!」

 

 光の弾丸は確かにプロリムタに痛みを感じさせたが、焼石に水。後数百発は必要だろう。

 

「なら……やるぞ、レストアス! 限界まで高まっておけ!」

【了解、オーナー!】

 

 次に取り出したのは【夜燭】。神獣エレメンタル=レストアスが刀身に纏わり、稲妻が増幅されていく。

 一方、【是我】のマナチャージも開始する。マガジンに今までのように『銃弾』としてではなく、『無形のマナ』として。

 

--まだだ、まだまだ……!

 

 巡航速度と旋回性能は【悠久】の方が上だろうが、一撃の破壊力と防御力、ここ一番の加速性能はプロリムタの方が上だ。

 勿論、【悠久】には空が乗った為の重量増加も有るが。

 

 ならば、小細工など通じない。大威力の一射を叩き込んで、隙を作る。

 

「ガァァァッ!!!」

 

 咆哮の後に翼撃き、竜の爪が風を斬る。戦闘開始よりその身には、あらゆる生物を死滅させる猛毒のフィールドが展開されている。

 もし爪先でも掠れば--神剣士はともかく、人間如きは即死だ。

 

「--ユーフォリア、上だ!」

「うんっ!」

 

 再び爪を躱して、今度は上空に翔け昇る。その先に在ろう満天の星々は、真実『プラネタリウム』だ。繰り返すこの世界で見える星の光は、全て紛いモノ。

 

「グルァァァァッ!!」

 

 咆哮に気を取り直せば、直下に飛び上がって来る竜。その口腔に高密度のマナが充填される。竜の息吹を放つつもりなのだ。

 

「星の海を渡る風、受けてみるか--オーラバースト!!」

 

 だが、先に空の充填が終わる。撃針が無属性の精霊光を穿った事により、僅か一瞬だけ星屑の如く煌めいた多数色の魔法陣。

 その儚くも美しい魔法陣を展開した小銃から、指向性を持つマナ嵐が放射された。

 

「ギャオォォォ!?!」

 

 翼撃いたばかりだった上にマナのチャージ中であったプロリムタはそれに対応出来ず、左腕を犠牲に『受け止める』。

 毒性のフィールドを焼き貫いた星間風、しかしまだだ。竜という種の持つ驚異的な生命力、それがまだ潰えない。

 

 腕一本を焼き尽くされようとも、眼前の敵を滅ぼす事以外に思うところはない。それこそが、彼が『守護者』と呼ばれる由縁--!!

 

「--ォォォォッ!!!!」

 

 吐き出されたのは、猛毒の霧で対象を腐敗させて付随する電撃で完全に分解する息吹。プロリムタの『ネイチャーブレス』。

 

「--今だッ!」

「うんっ、いくよ!!」

 

 空の号令にユーフォリアが反応する。【悠久】を軽く蹴り軌道を--カットバックドロップターンで180度変えた。

 

「悠久の光よ、あの敵さんを貫いて--ライトバースト!!」

「ガァァァッ!?!」

 

 ユーフォリアの放った白い閃光にプロリムタは視力を奪われる。あまつさえ右目を潰されて、飛び掛かって来る二人を捉え損ねる。

 

 

----!!!!

 

 

 その二人の間をブレスが貫く。何処までも高く昇って行くそれを見送り、空は透徹城から【夜燭】を抜いてユーフォリアは【悠久】を光の刃を持つ大剣型に換える。

 

「--南天星の剣!!」

「--プチコネクティドウィル!!」

 

 そして降下する加速度を、上昇してくる加速度を利用したクロスカウンターを--二人はそれぞれ、プロリムタの翼に叩き込んだ。

 その二撃は切り落とすまでには至らなかった。だが、高空で翼の骨を砕かれれば--後は墜落するのみ。

 

「グゥゥ……オォォォォォ!!」

 

 隻眼の竜はまた高く昇って行く侵入者に憎悪の篭った視線を向け、届かない右の毒手を伸ばして。輝ける『地上の星々(シティ)』に墜落して、見えなくなった。

 

「はぁ……はぁ、他のが来る前に、逃げるぞ、ユーフォリア」

「はふ、はふ……さん、せい……うにぃぃ……」

 

 荒い息を吐く二人はそれを尻目に、急いでものべーに向けて飛び去るのだった。

 

 

………………

…………

……

 

 

「……やりやがる。まさかたった二人で、あのガーディアンを撃退しやがるとはな……」

 

 セントラルタワーの屋上、頭上で光る赤いライトシェードの真下で青年は呟いた。

 

「……ガードナーも撃退された。奴ら、中々の神剣の使い手だ」

 

 ものべーへと差し向けた尖兵も全て消滅させられている。あまつさえ、自身も傷を負ったのだ。

 その瞬間、タワーの下のサーチライトが青年を照らす。戦国風の衣装に身を包む黒髪、弓を番えた青年--ショウ=エピルマを。

 

「……セントラル。スバルの調律は済んだか?」

『ええ、起動可能です。それよりショウ、貴方の修復を……』

「不要だ。俺はまだ戦える……」

 

 響く女性の声に逆らって右腕を握る。そこには剣による傷、この為に先程の一射が外れたのだ。

 その傷痕から覗くのは--金属の骨格。

 

「異分子どもを排除し尽くして、この箱庭の平穏を保つ為に!」

 

 そこで、全ての住人達が『切り替わった』。無機質な瞳、まるでロボットのように。

 そう、それこそこの世界の実相なのだ。永遠に同じ時を繰り返す世界。

 

 機械による、永劫回帰の『理想卿(ユートピア)』--……



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軋む歯車 永久の箱庭 Ⅲ

 明けない夜の街中、スラムの東の端の廃ビル『ジェイルハウス』。そこに旅団の神剣士は集結し、腹拵えしていた。

 内容は塩握り三つに沢庵三枚、スキットルに充たされたミネラルウォーター。

 

 全員が永遠神剣を召喚したまま、ドラム缶の中で焚かれた篝火に照らされている。

 瓦礫に腰掛けて食べる望と希美に沙月、ソルラスカとヤツィータ、ユーフォリア。崩れた壁面から突き出た鉄骨に背をもたせかけて食べる空にルプトナとカティマ、タリア。空中に浮遊するユニット内で食べるクリスト五姉妹。

 

「--作戦は単純だ、この世界の中枢たる『セントラル』を落とす事と……」

「『浄戒』の神名を、セントラルより奪還する事じゃ」

 

 そんな一行の中央に立つサレスとナーヤ。そして、『その存在』に向けて空は、沢庵を噛みながら疑わしげな眼差しを向けた。

 

--命からがら、ものべーに帰還して先ず知ったのは、ほぼ同時刻にものべーがミニオンらしき存在の襲撃を受けたという事。そして……『蒼穹のスバル』と『疑氷のショウ』が敵、更にガーディアンの筆頭格だったという事だ。

 その二人こそが『浄戒』の神名の一部を持ったアンドロイドで、この世界は『セントラル』という演算機械によって制御されているとの事。

 

 そして、その情報を齎したのが……彼女。銀色の髪を頭頂で一つに纏めた赤い瞳、黒い衣装の--

 

「その為の手引きを、私が勤めましょう」

 

 レーメと同じサイズの黒い天使……暁絶の第五位【暁天】の守護神獣である『堕天使ナナシ』は、怜悧な声で言い放った。

 

「いきなり出て来てハイそうですかと従えると思ってんですかい、『敵さん』?」

 

 故に空は、琥珀色の瞳に篝火の煌めきを映しながらその言葉を口にする。"家族"ではないのだ、彼が信頼する要素は一切無い。

 

「信じて頂かなくても結構ですが、この世界を出る為には必要な事。私は指令を全うしたい、貴方達はこの世界を出たい。利害は一致している筈です」

 

 それに答え、ナナシも赤い瞳に篝火の煌めき映しながら答えた。動揺も不服の色も無い、ただそこには決意の色だけしか無い。

 

「……じゃあ、最後に聞かせろ。それは--暁の為か?」

「……私の為です」

 

 迷いなき言葉と眼差しに、先に目線を外したのは空。スキットルから水を煽ると、後は腕を組んで眼を閉じ、もう言葉を発する事は無かった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 走り抜けるドブの戸板が鳴る。進行ルートとしては、南側の道を選んだ空とソルラスカ、ルプトナ、ナーヤ、タリア、ミゥ、ポゥ、ワゥ、ユーフォリアの九人。

 北側の道には望と希美、沙月、カティマ、サレス、ヤツィータ、ゼゥ、ルゥの九人だ。

 

「敵だ、ソル、ルプトナ! A2フォーメーションでいくぞッ!!」

「「応!!」」

 

 遥か前方で、神剣魔法の詠唱を発動する赤。それを先に撃ち消(バニッシュ)すべく【是我】を突き出しながら駆け抜けようとした十字路の小路から、黒が飛び出した。

 既に黒の刀の柄に手が掛かり、後は抜き放つだけ。

 

「黒い月……見せてあげるよ」

「クソッタレ……ッ!」

 

 繰り出された横一閃の月の弧を描く居合『月輪の太刀』を辛くも【夜燭】で防ぐ。そしてその刃先をソードブレイカーのように使い黒の神剣を搦め捕り、その動きを押さえ込んだ。

 

「邪魔するんじゃねェ! せいや--猛襲激爪ッ!!」

「あはっ……あはは…………きゃはははは…………」

 

 その隙へ、ソルラスカが爪撃を見舞う。紫の霧に変わり消滅する黒、しかし当初の目的だった赤の妨害に失敗した。

 

「……疾く駆けろ、灼熱のマナよ--ライトニングファイア」

「させないっ、バニーッシュ!!」

 

 撃ち出された焔の槍。その神剣魔法に対抗して紡がれたルプトナの『アイスバニッシャー』。

 

「根源力を、分かつ--エナジーリーク」

「へにゃ? ううーっ、ボクに何したのさっ!」

 

 その対抗魔法に向けて青の対抗魔法が紡がれた。青マナを急速に拡散され、ルプトナの神剣魔法は無力化させられてしまう。

 

「レストアス!」

【了解、オーナー!】

 

 身に纏ったレストアスの一部を高い魔法防御力を有する氷河の鎧『グラシアルアーマー』と変えてで守りを固め、同じくレストアスの一部を纏った【夜燭】を焔槍を打ち砕きつつ振り抜けば--勢い良くアスファルトの剥げた路面に勢い良く、零下の波が放たれた。

 

「【夜燭】の凍炎、耐えて見せろ--アイスウェーブ!!」

 

 実態化したレストアスは、そのプラズマの躯で二体を包み、凍り腐らせて焼き尽くした。

 

「うわーん、ボク、ちっとも良いトコ無かったじゃんさー!」

「日々精進だよ、ルナお姉ちゃん!」

 

 そこに、他のメンバーが戻ってきた。他も他でミニオンと交戦、撃破している。

 空は、凍気で痺れる両手を揉み解しながら口を開いた。

 

「ッたく……この世界のミニオンはやたらと統率がとれてやがる」

「全くだぜ……牛歩は趣味じゃねーんだがな」

 

 毒づくのも仕方あるまい。高速道路『アッパーレイヤー』へ登る『ヘヴンスステア』まで進軍するのにも一苦労という程に敵の層は厚い。しかもどれもが高度な防御陣形を使って来るのだ。

 中間地点である、シティ唯一の入口『サーヴィランス=ゲート』までこの厚い守りが延々続くかと思えば、気が遠くもなろう。

 

「あれはミニオンではありません。正式な名称は『ガードナー』、ガーディアンの下位種です」

 

 そんな空に声を掛けた彼女は、少し離れた位置から戦闘の推移を見守っていたナナシ。彼の目の前まで移動すると、レーメとは違い優雅に浮遊している。

 

「別にどうでもいいけどアンタさ、望の方に居なくて良いのか?」

「私は、レーメに嫌われていますので。近くに居て、気を逸らしてしまうよりはマシです」

「なるほどねぇ。喧嘩っ早い性格だからな、ジャリ天の奴は」

「『ジャリ天』……ああ、レーメですか。中々的を得ていますね」

 

 思わず納得した堕天使は物憂げに眼を細めて遠くシティとスラムを隔てる壁、そこからひょっこり頭を出しているセントラルタワーを眺めた。

 

「浄戒を奪取しない限りこの世界からの脱出は叶いません。そして世刻が浄戒を手にする事は貴方にとっても有益でしょう、巽」

「…………」

 

 ナナシの呟きに空は答えない。答えないが、怒りの篭った眼差しを向ける。

 

「奸計の神が振るった神名を貶る神名、対処出来るのは神名を破壊する神名のみ。それを可能とするのは--」

「……んで、暁の『滅び』は近いのか?」

「…………」

 

 それを意に介さずに続けようとしたナナシ、しかしその言葉に、今度は彼女が怒りの篭った眼差しを向けた。

 

「復讐の神が囚われる滅びの未来、神名に命を--」

「……判りました、お互い無用な詮索は止めるのが懸命なようです。このままでは、貴方を消したくなりますので」

 

 意趣返しに、それを意に介さず続けようとした空を遮り、ナナシは一方的に話を打ち切る。

 

「自分から喧嘩を吹っ掛けて来といてよく言うぜ……けど、まぁ、そんな場合でも無いか」

 

 視線の先には北のルートを選択した仲間達の姿。これより彼等はアッパーレイヤーに乗り--途中の、汚水の流れる廃液に満ちた川『タールコースト』で立体的交差をしている、もう一本の高速道路『ミドルレイヤー』へとショートカットを行う事になっている。

 

「揃ったな、では行くぞ……第一目標は、これに乗れば一本道だ」

 

 打ち砕かれた転落防止用の外壁を背にするサレスの言葉に、一行は歩を進める。

 

--しかし順調だな。今のところ交戦したのはガードナーのみ、望達も同じらしい。ガーディアンやスバルさん、ショウに警戒してた分、拍子抜けだ。

 

 見下ろす先にはミドルレイヤー、その先には黒いタールの川。

 

「というより巽、普通に着地して大丈夫なのですか?」

「大丈夫だよ、黒ジャリ天。レストアスをクッションにするから」

「……念の為に聞いておきますが、その『黒ジャリ天』というのは私の事でしょうか?」

「お前はジャリ天と対なんだろ? だったらあっちは白、お前は黒で分かり易い」

 

 と、隣に浮遊していたナナシが話し掛けてきた。それに返した空の言葉にナナシはジトッと不愉快そうな眼をする。

 

「そうですか、巽とレストアスは切っても切れない宿縁で結ばれているのですね……そういった関係を『ヒモ』と言うのだと聞いた事があります」

「悔しい……反論出来ないッ!」

 

 そうこうしている内に皆の準備が整った。一斉に飛び降りる皆に合わせて、足にレストアスを纏う。

 

「--巽、下に……っ!?」

「ッうお!!」

 

 ナナシが叫んだ瞬間、柱の真上の筈の足場が崩れ落ちた。体制を崩し跳躍出来なかった空はミドルレイヤーを逸れ、タールコーストに向け落下する。

 

--しまった、あの川に落ちたらかなりのタイムロスに……つーか、アレに落ちるのは絶対に嫌だ! 人間として!

 

 廃液の川を見遣って、空は遮二無二ミドルレイヤーに向けて左手を伸ばす。だが虚しく(くう)を斬ったその手を--ソルラスカとルプトナ、ユーフォリアの三人に掴まれた。

 

 掴まれた、その瞬間--脳裡に浮かんだ滄海(あお)の波紋。同時に、世界が『歪』んだ。

 

 汚濁した川面を見下ろして、空は汗を拭う。

 

「間一髪、でしたね」

「本当にな……」

 

 転落する空に右の手で鷲掴みにされたナナシの不服そうな眼差しが間近にあった。バツが悪そうに手を離せば、彼女は浮遊しながら昇っていく。

 空も三人に引き上げて貰って、ミドルレイヤーに復帰した。

 

「えっと、黒……じゃなかった、ナナシさん。いや、さっきは本当にすんません……」

 

 黙り込む堕天使に彼は、流石にこれは謝っておこうと謝罪の言葉を向ける。

 しかし、帰ってきたのは。

 

「……どういう事、ですか?」

「……はい?」

 

 返ってきた言葉は困惑。それもそのはず、今ミドルレイヤーには『彼ら五人しか』居ないのだ。

 

「……先程、確かに浄戒の神名を利用した『時間流操作』が行われました。ですが私達には何の影響も無い……」

 

 そこに有ったのは、怒っているのではなく、彼女にしては珍しい当惑しているナナシの顔だった。

 

「時間流操作って……それなら、皆は!?」

「別の場所に巻き戻された筈です。規模から測定するに、恐らくは『クロスロード』の辺りまで」

「……マジかよ。でも、何で俺達は影響を受けなかったんだ?」

「判りません……効果範囲の中であったのも確かなのですが……」

 

 同じく困惑しているルプトナとソルラスカの言葉にナナシは思案しながらそう返す。

 

「……なんですか、四人とも?」

 

 そこで、四人はユーフォリアを見つめた。小首を傾げて頭の上に『?』マークを飛ばす、この中で最も神剣の位が高い少女を。

 

--だって、そうとしか思えないだろ。コイツの【悠久】の抵抗力が『浄戒』の強制力に打ち克った、それくらいしか思い付かない。

 

「……仕方ねぇ、一旦戻るか」

 

 空は頭を掻きながら、情けなさを振り払う。一体何度、この娘に助けられているのかと。

 

「それが賢明でしょう。こいつらを抜く事が出来ればの話ですが」

 

 ナナシの緊迫した声に、後ろを振り向けば……いつの間にか前後に立っていたガーディアン達。

 

「グルルルル……」

 

 サーヴィランスゲートから歩み出て進路を塞いだのは、炎と熱のフィールドにその身を包む守護者レクーレド。

 その真正面、アッパーレイヤーの影から歩み出たのは--

 

「お兄ちゃん、あたしね……あのガーディアンに物凄く見覚えあるよ」

「寄寓だな、俺もだ……ッたく、これだから爬虫類は……」

 

 再生したばかりの瑞々しい左腕、曲がった翼。毒のフィールドを纏い、周囲の大気すら死滅させる緑の躯。

 そして烈しい憎悪を映す陰湿な黄色い隻眼を見開き、巨大な剣歯(けんし)の無数に立ち並ぶ顎を拡げて。

 

「グルァァァァッ!!!!」

 

 足場を支える柱を砕いた張本人、退路を塞ぐように立ちはだかる守護者プロリムタが咆哮した。

 

 

………………

…………

……

 

 

 クロスロードまで巻き戻された一行は、もう一度ヘヴンスステアを目指して進行していた。

 その最中、望はサレスへと問い掛ける。何故こんな事になったのかを。

 

「恐らく浄戒による時間流の操作だ。だが何故、ソルラスカと巽、ルプトナとユーフォリア、ナナシはその影響を受けなかったのか」

 

 しかし、サレスの答えも要領を得ない。巻き戻しについては理解できている、

 だが何故あの五人だけがそれを逃れられたのか。それだけは理解出来なかった。

 

「ナナシが何かしたのではないのか? もしくはユーフォリアが、意念の光を打ち消したようにまた奇跡を起こしたか。あとイノシシやボクッ娘か? あの二人なら、神名の強制くらい気合いで何とかしそうだ」

「あのな、レーメ……幾ら何でも気合いは無いだろ」

「では天パが何かしたとでも言うのか? それこそ有り得んだろう、アイツの幸運のランクは、負の方向にEXだぞ」

 

 思案に暮れるサレス。その眼は遠く、見えないモノを見るような眼差し。

 

「--サレス様っ!」

 

 タリアの叫びに、眼を上げた先。目的地のヘヴンスステアには、この世界の住人達……数百人規模の武装したアンドロイド達で構成される軍隊とガーディアン……青の守護者ジルパースと黒の守護者ゼム、白の守護者エクルトア。

 

 そして--

 

「待ち侘びたぞ、異分子ども!!」

「…………」

 

 それらを指揮統率し引き連れる神剣士。第六位『疑氷のショウ』と、意志の見えない無機質な瞳をした第六位『蒼穹のスバル』の、二人が立ちはだかった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 繰り出される、猛烈な勢いの竜の爪。灼熱を纏った爪は風を斬りながらユーフォリアを狙い、割り込んだソルラスカに止められる。彼の世界で信奉される神が持つという牙を象徴した防御、『神牙』によって。

 

「ッのヤロウ、俺をマジにさせたな!!」

 

 それで爪自体は無力化された。だが更に、レクーレドが身に纏う超高温フィールドの余波……焔風が二人に襲い掛かる--!!

 

「--んっく……チカラを貸して、ゆーくん!!」

 

 それをユーフォリアが展開した光の盾『オーラフォトンバリア』が相殺する。もし彼らが永遠神剣の契約者でなければ、どうなっていた事か。

 

「グォォォォォッ!」

「--クソッタレ!」

 

 プロリムタの毒爪を受ける事も出来ずに、ダークフォトンの加護『限界到達』により極限まで研ぎ澄ました見躱しで躱すしかない、この男のように--。

 

「--勝つ事を考えている場合ではありませんね。ただ、生き残るだけ……」

 

 物質化した、ダークフォトンの楯『相対防御』により吹き付ける毒風は無力化されている。

 だが、もしも当たってしまえばその反物質の楯も、強靭な腕と爪に砕かれてしまうだろう。

 

「加えて、即死モノの猛毒です。しかもこちらの攻撃は--」

 

 そこで突き出された竜腕をかい潜って、カウンターで【夜燭】の黒い刃を一番柔らかい腹部に叩き込む。反物質を纏った剣の一撃、『空間歪曲』を。

 耳障りな音を立て、数枚の鱗を断ち切って--表皮に切り傷一つ。寧ろ、剣を打ち込んだ空の腕の方がダメージを受けたくらいだ。

 

「--ほぼ無効。そもそも神剣士でも精一杯の相手に、多寡が人間が立ち向かえる訳が無い……」

「ああもう、耳元でゴチャゴチャ煩せェッ! 滅入る事言うくらいなら、ただ一言『頑張れ』とでも言っとけ!!」

 

 その耳元で冷静に分析していたナナシにツッコんだ瞬間に、振り下ろされようとした毒爪に三本の氷の矢が突き刺さる。

 

「あっぶな! 揉めてる場合じゃないだろっ!!」

 

 ルプトナの放った『アイシクルアロー』に怯んだ僅かな隙に前転で離脱。一旦距離を取れば、猟犬に追い詰められた羊のように四つの背中が合わさった。

 

「ううっ、これじゃ駄目です……どうしましょう……」

「ヤベェぞ……とんでもねぇ強さだ、コイツら」

「って言っても、これじゃあ逃げられもしないじゃんか」

「…………」

 

 二体のガーディアンに挟撃され、ミドルレイヤーが更に狭く感じられる。ジリジリとにじり寄って来る猛毒の竜と灼熱の竜に、思考が追い立てられる。

 

--考えろ……この窮地を脱するにはどうすればいい? 前は一体のガーディアンから逃げるだけで精一杯だったところを、二体同時だぞ……!

 

 弱気に押し潰されそうになった背中に感じられた温かみ。息づくその存在……『家族達』の存在に、『諦める』選択肢などあっさり切り捨てた。

 

--決まってるか。相手が竜でも神でも、俺の敵なら全霊を持って太刀(たち)向かうだけだ。

 たった一歩ずつでも、弛まずに。ただ真っ直ぐに空を吹き抜ける--俺は……天《あま》つ風だ!

 

 強く、己の頬を叩く。虚勢でも構わない、覚悟さえ決めれば後は--彼の壱志(イジ)を貫くだけだ。

 『不撓不屈』、ただそれだけだ。この男の取り柄など。

 

 その琥珀色の瞳に燃え立つ気炎を見詰めて、諦めない意志を汲み取り。ナナシは溜息を落とした。

 

「……仕方ありませんね。時間を稼ぎなさい、私が援護します」

「出来るのかよ」

「不可能ではありません、貴方達の頑張り次第ですが」

 

 ナナシの瞳を見詰める。赤い瞳はどこまでも深くて、その真意を読ませない。

 

「どの道このままじゃ嬲り殺しか。オーケー、利用させて貰う」

「……一々癪に触る言い方をする人ですね」

「お前が言うな、黒ジャリ天……テメェら、往けるな?」

「……ヘッ、誰にモノ聞いてんだ? 俺は旅団特攻隊長ソルラスカ様だぜ!」

「むむっ、だったらボクは特攻総隊長ルプトナ様だいっ!!」

「勿論だよ、お兄ちゃん! さぁゆーくん、ここが正念場だよ」

 

 クルクルッと器用に【悠久】を回転させながら、高く掲げ上げたユーフォリア。その【悠久】の、中心部に嵌めらわれた紅い宝珠が煌めく。

 

「--あたしたちの全力、見せてやるんです!!」

 

 五人の足元に展開された魔法陣、精霊光(オーラ)は聖なる輝き『ホーリー』。その清浄な光は、この繰り越す夜の倦怠を斬り裂く暁光か。普段は感じられぬ精霊光の加護を視覚で感じて。

 

「……あ、いっけね。オーラ中和しちまった」

「ぶー、お兄ちゃんの意地悪っ」

「じゃれている場合ですか、全く……」

 

 こんな状況でもぷーっと膨れるユーフォリアに安堵を感じながら、レストアスを他の三人にも染み渡らせていく。

 雷の加護『エレクトリック』の上位スキル、神雷の加護『ボルトチャージ』だ。

 

 感覚強化と共に雷の属性付加、空にはあまり実感が得られないが、マナチャージの増加を与える。

 

「「オォォォォォ!!!」」

 

 同時に咆哮して、二体は一斉に竜爪を振るう。空とソルラスカとルプトナの三人はプロリムタを、ユーフォリアはレクーレドを相手取り一閃を躱した。

 

 勢い余って、互いに一撃を加え会ったプロリムタとレクーレド。緑と赤、守護者最大の物理攻撃力と魔法攻撃力だ。属性が相反するだけに効果は互いに抜群。

 しかしそれでも大した怪我にはならない。一瞬睨み合った竜二頭だったが、すぐに気を取り直してそれぞれの獲物を追う。

 

 ミドルレイヤーを疾走する空とソルラスカ、ルプトナは背後から繰り出されるプロリムタの猛毒の爪を避け、雷のような軌道でジグサグに移動する。

 対してアッパーレイヤーの支柱の隙間を縫って飛ぶユーフォリア、その支柱を剛腕で粉砕しながら追い縋るレクーレドの口腔に、赤のマナが充ちた。

 

「--ガァァァッ!!」

 

 撃ち出された竜の息吹。熱波によりその射線上に存在するありとあらゆるものを焼き尽くす一撃、『ファイアブレス』。

 

「--っ!?!」

 

 それはアッパーレイヤーの支柱を悉く薙ぎ倒し、ユーフォリアを巻き込んで崩落させた。

 

「「--ごふッ!!?」」

 

気を取られて反応が遅れて毒の爪を躱しきれなかったソルラスカと、しなった竜尾の鞭のような一撃を躱しきれなかった空。

 跳ね飛ばされた両方はそれぞれ外壁に衝突する。

 

 尾部の尖端の、(サソリ)の尾のような鈎爪に薄皮一枚、腹を斬られていた。それでも僥倖だ、もしも『ホーリー』を受けてない状態だったのなら全身骨折の上に胴を両断されていただろう。

 氷と雷による、炸裂式反撃装甲(リアクティブアーマー)である『スパークレシーブ』の反撃効果を受けて、プロリムタの尾は氷の破片に引き裂かれ電圧に焼かれてズタズタになっている。

 

【くっ--オーナー、先に謝っておきます!】

「ッぐ!」

 

 意志が意味を理解するより早く、レストアスが腹の傷ごと猛毒を焼いた。重ねられた痛みに呻くも、すぐにそんな場合ではない事に気付いて立ち上がり身を躱す。

 追撃の……否、決殺の爪を躱す為に。

 

 外壁を軽々と砕いたプロリムタの濁った隻眼の眼差しには、己に苦痛を与えた存在に対する怒りと……その存在を痛ぶる事への喜びを、色濃く映している。

 

--この野郎……ワザと、一撃で終わらせないように手加減をしてやがるな……。

 

 傷を撫でる。若干痺れた感じは有るが、動く事に支障はない。

 

 

「--巽、準備完了です。合図は貴方が出してください」

「オーケー、そんじゃあ……」

 

 雷神の鎧『スパークレシーブ』を解除した空は、低く腰を落して【夜燭】を居合の如く右の腰溜めに構えた。

 その構えに、ナナシがピクリと眉を動かす。実に不快そうに。

 

「征くぞ、レストアス--加減は無しだ、最大出力!」

【了解、オーナー! 斬り割いてご覧にいれます、我等の道の障害となる--全てを!】

 

 刃に集束していく青いプラズマ塊が、眩ゆく光り輝く。余りの力の昴ぶりに、さしものプロリムタも本気で殺す為に--口腔にマナを集束させた。

 

「そうそう動き易いようにはさせないね--ステイシスッ!」

 

 そこに距離を取ったルプトナの冷電波『フローズンステイシス』が放たれ、『ネイチャーブレス』のマナチャージが阻害される。

 たった一瞬の、ほんの数秒の隙。それが致命となるのが実戦だ。

 

「--今だ、ナナシッ!」

「勝手に名前で呼ばないで下さい--無限回廊、発動します!!」

 

 プロリムタの周囲の空間が歪み、無限の回廊と化した。空間ごと捩切る一撃だ、

 普通なら耐え切れる筈も無い。『普通』なら。

 

「くっ……なんて馬鹿力……!」

 

 それをプロリムタはなんと腕力で防いだ。元より『浄戒』で強化されているガーディアン、抵抗力は尋常ではない。

 

 そのガラ空きの胴に、反動加速によって雷光の速度で肉薄した空が繰り出したのはオーラフォトンを纏う水平の一太刀--!

 

「常世への道を照らしてやる!」

 

 それすらも、プロリムタは右腕一本で止めた。だが、決して無事ではない。掌の中程までを、刃が裂いている。

 その煌めく黒刃の峰の中程に、『ファイナルベロシティ』で加速したソルラスカの剛拳連打が打ち込まれる--!

 

「隙間無くくれてやる! 堪えてみろ--獣牙断!」

 

 プロリムタは堪らず左腕も使い、押し止めた。隻眼に映るのは、軋む空間と両掌を割く雷煌刃……そして--

 

「食らえーっ!」

 

 十分に距離を取っていた分だけ、充分加速しながら勢い良く蹴り込んで来るルプトナ--!

 

 

………………

…………

……

 

 

 味方の危機を察し、レクーレドはユーフォリアの生死を確認せずにそちらに翼撃く。先にも述べたが、一瞬の隙こそ致命となるのが実戦。

 

「--源初より終焉まで、悠久の刻の全てを貫きます!」

 

 瞬間、星天を横一文字に割いた青い閃光を見る。目で追う事すら出来ぬ速度でそれは--真っ直ぐ、レクーレドへと迫る蒼い流星と化した。

 

「全速前進、突っ切れぇーっ!」

 

 それが、この守護者の見た最後の光だった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 左足で繰り出す三連発の前蹴り『グラシアルジョルト』に、反動を利用して再度繰り出す三連後ろ回し蹴り『レインランサー』が、【夜燭】の峰の湾曲した切っ先に打ち込まれる。

 

「ガァァァッ!」

 

 プロリムタは--腕の中程まで斬られながらも、その凄まじい迄の物理防御力で堪えきった。

 

「知ってるかよ、爬虫類。物質と反物質はな、対消滅するんだ」

 

 その瞳が、見詰めた結末。剣の刃を覆うレストアス製の擬似的なオーラフォトンに空の体から湧き出たダークフォトンが混じり合い、薄い金色の光と化す。

 

「テメェの小さい脳みそでも理解出来るよう例えてやるよ。反物質1グラムの対消滅で得られる熱量はな--スペースシャトルの外部燃料タンク23本分だ」

 

 つまり、それがこの量。そして元より人知を越えたエネルギーであるオーラフォトンで行えばどうなるのか。語るまでもあるまい。

 

「さぁ、征討(いく)ぜ、蛇野郎--シャイニングブレイカー!」

 

 偽物ではあるが、金色の創世光(ビッグバン)に、プロリムタは--なんと、【夜燭】の刃に噛み付いて堪えきった。

 だが、それにより牙は全てへし折れている。もう、あと一撃にも耐え切れまい。

 

 その瞳が、見詰めたもの。

 

「往くよじっちゃん--ルプトナキーーック!」

 

 バク宙で跳ね退いたルプトナが右足に蒼氷の鏃を形成し放つのは『クラウドトランスフィクサー』、彼女の最大の必殺技。

 

「「「--ハァァァッ!!!」」」

 

 それに合わせて空とソルラスカが、ルプトナと同時に最大の力を篭めた。

 

 

----!!!!

 

 

 『家族』の助けに、勢いを取り戻して振り抜かれた【夜燭】。

 のけ反ったプロリムタには、腕の前半分と顎から上が無い。

 

 だが、それも刹那の事。抵抗を止めた体躯は『無限回廊』で原形すら留めない程に捻り潰された。

 

 反転して、真横に衝き出す左の逆手で【夜燭】を衝き立てる空。その柄を握る拳に打ち合わされた、ソルラスカの【荒神】と握り拳。器用にも柄尻に片足で着地したルプトナの【揺籃】と、しゃがみ込んで合わされた握り拳。

 

「「「--よっしゃあっ!」」」

 

 歓声を上げて一斉にその親指を立ててサムズアップした瞬間--猛烈な勢いでレクーレドがシティとスラムを隔てる壁に激突する。

 

「ガ……アァァ……ア……」

 

 レクーレドは助けを求めるように虚空へと手を伸ばし--ガクリと力尽きた。

 

「やったね、みんな! えへへ、大逆転だよ!!」

 

 限度を無視した加速を得ての、突撃。『神の杖』や『ファルコンHTV2』を思わせる『ドゥームジャッジメント』。

 それを成した、ユーフォリアと【悠久】が帰還する。そして少し背伸びして【悠久】を携えた右手でのサムズアップを重ねた……

 

 

………………

…………

……

 

 

 カティマの『北天星の太刀』とタリアの『フューリー』。サレスの『ページ:レイジ』と、ポゥの『イミネントウォーヘッド』に、ルゥの『フリーズアキューター』で致命的な刀傷を受け、断末魔と共に倒れた守護者ジルパース。

 これによって守護者は残り二頭。アンドロイドやガードナーも、大半が破壊されてもう三分の一も残っていない。

 

「--糞ッ! 何故だ、何故!」

 

 忌ま忌ましげにそう吐き捨てたショウ、彼自身も神剣士との戦闘により負傷している。

 その脇に立った、やはり戦闘で負傷したスバルが--ショウの肩を掴んだ。

 

「ショウ……もう止めよう、彼らは敵じゃない」

「スバル、お前……セントラルの調律が……!」

 

 その瞳は、澄みきった意志の光を燈したモノ。そして、友の憐れな姿に悲しみを映している。

 

「……何故だよ。俺達は、今まで上手くやって来たじゃないか……この世界が滅びたあの日から……ずっと! この世界を救う為に、シティとスラムの調和の為に!!」

「でも、それは夢なんだよショウ。この世界はもう終わってる! 自然の摂理から外れた、在ってはならない世界なんだよ!!」

 

 再び断末魔、打ち倒されたのは守護者エクルトアだ。ヤツィータの『ライトニングファイア』と、ナーヤの『インフェルノ』、ワゥの『ナパームグラインド』とゼゥの『シャドウストーカー』を一斉に受けて黒焦げと成り、果てる。

 

「違う、まだだ……! まだ俺達の可能性は死んでいない!!」

 

 スバルに突き付けられた現実に目を背け、ショウは表情を歪めて叫ぶ。手負いの獣のように、歯を剥いて。

 

「ショウ……?!」

 

 その手刀が、スバルの胸に刳り込まれた。金属骨格を貫き、そこから--『光』を掴み出す。

 

「そうだ、二つに分けているからいけない……コレを……『浄戒』を一つにすれば、もっと強大な力で異分子どもを……!」

「ショ……ウ……」

 

 友に預けられていた力すらも、奪い取ったその瞳に映るのは--濁りきった狂気。

 

「……スバル? おい、スバル! 誰だ、誰がこんな事を……?!」

 

 それが、薄らぐ。僅かに正気を取り戻したショウの目に映ったのは、無惨に横たわるスバルの姿。

 ショウは取り乱して、スバルを抱き起こす。それを成したのが己だとは覚えていない。

 

「待っていろ、直ぐにセントラルに連れていってやる……大丈夫だ、この程度の損傷なら修復出来る……『血の渇き』!!」

 

 指揮すらも投げ出したショウは、スバルを肩に担いで、召喚した【疑氷】の守護神獣『血の渇き』の足に掴まりシティへと撤退して行く。

 

 それに気を取られた守護者ゼム。見捨てられた事に気付き、自身も撤退しようと竜翼を開いて--望の『カタストロフィ』と希美の『ショットブレイカー』、沙月の『ヘヴンズジャベリナー』とミゥの『ストラグルレイ』を受けて、粉砕された。

 

 その他の神剣士にガードナーとアンドロイド達も一掃されている。元々、神剣士には脅威とはなり得ない存在だ、アンドロイドは。

 

「手間取ったが、今なら『浄戒』の巻き戻しも使えまい……行くぞ、サーヴィランスゲートへ!!」

 

 サレスの指示に、一行は休む事無くヘヴンスステアを後にした。

 

 

………………

…………

……

 

 

 サーヴィランスゲート前で傷の応急処置を終え、空は取り敢えず黒の外套を羽織った。服はまたも破れたので、上着は脱いでいる。つまり諸肌脱いだ状態で直に着ているのだが……。

 

「……お兄ちゃん、何かその恰好は嫌な感じがする……眼鏡だけは外してよー」

「眼鏡が何ですか、ユーフォリア殿? ふふふ、流石は第三位の神剣の持ち主ですなぁ、勇者殿」

「なんでそんな、ねちっこい言葉遣いするの~~っ!」

 

 ユーフォリアが妙に嫌そうな顔をしていたが、あまり気にしない事にした。

 

--ッて言うか、コイツはマジで未知数だな。俺達が四人掛かりで仕留めたガーディアンを、一人で倒しやがった……て事はあれか? もしかして緑のガーディアンも足を引っ張ってた俺が居なきゃ、倒せてたのか?

 

「どうしたの、お兄ちゃん? 急に遠くを眺めて」

「いや、別に……軽く、欝入っただけだから。にしても『浄戒』の巻き戻しを無効にするとは、恐れ入ったぜ」

 

 軽く落ち込みつつ礼を述べた空だったが、返ってきたのは--

 

「え、あたしそんな事してないよ? ゆーくんも『知らない』って言ってるし」

 

 ただ、当惑した答え。そんな事は知らないと彼女は心から言ってのけた。

 幾ら高位の神剣とはいえ時間樹エト=カ=リファに入った時点で四位以上の実力になる事は無い。『神名』の強制力は絶対。それは弱者に対しては強化だが、元来の強者に対しては『枷』となる。

 

「……は? いや、でも……」

「よぅ、怪我の手当ては終わったかよ、兄弟ィ!!」

 

 『それ以外に考えられない』と言いかけた時に、周囲を警戒していたソルラスカとルプトナの二人が戻ってきた。実に清々しい表情をしている。

 

「……御機嫌だな、お前ら」

「ふっふーん、そういう空だってニヤついてんじゃん気持ち悪ー」

「放っとけってのバカヤロー」

 

--ニヤつきもするって、あんなに上手くいくとは思わなかった。自軍のマナチャージを強化しつつ敵のマナチャージを減少させ、隙を見出だせば全力を叩き込む作戦が。

 幾ら強力な技を持とうとそれを行う為のマナが無ければ、意味を無しはしない。戦車が強力な兵器でも、燃料も砲弾も無ければただの硬い箱。神剣士も同じだ、マナが無ければただの硬い人。本来は対ベルバルザードに考案した戦術だったけど、これは大分応用の幅は広そうだな。

 

「っと、そうだ……丁度五つか」

 

 ベルトの後ろ側に付けたバッグを漁って、空は皆の前に掌を差し出す。そこに載っていたのは五つの甘露飴。最後の五つだ。

 

「わーい、飴玉だ♪」

「お、なんだ? くれんのかよ」

「うわぁ、空が食べてるのは見た事あるけど、貰うのは初めてだ」

 

 早速三人が頬張る。そして自分の分と--

 

「そら、遠慮せずに貰ってくれ」

「嫌がらせのつもりですか?」

 

 ナナシの分を差し出した。飴玉とは言え、彼女にとってはサイズ比率的にバスケットボールくらいはあるだろう。不愉快そうに、眉を潜めたままで--飴を圧縮して口に含んだ。

 

「ところで巽。先程の剣戟ですが……零点です。二度と使わないで下さい」

「あー……やっぱり本家にはバレちまったか」

「当たり前です。マスターの太刀筋はもっと鋭く、もっと正確ですから」

 

 ポリポリ頭を掻いて苦笑いする。『シャイニングブレイカー』の見本となった技を見抜かれた事、パクってまで三流だった事に。

 

--『攻撃の意を感じ取れない為、防御しようという気が起こらず、必ず受けてしまう』と謳われた『復讐の神』の『無常の太刀』。神世で一度だけ見た技だったが、やっぱり猿真似は猿真似か……。

 

「つーか、いやはや……目の前で惚気られちまったぜ。コレだからデキてる奴らは……」

「だっ、誰がデキてる奴らですか、誰がっ!

 

 そこで気を取り直して、咳払いしてナナシはいつもの澄ました顔に戻る。

 思いの外に防御が薄かった事に笑いを堪えながら、己の分を口に含む。

 

--しかし、望と言い暁と言い。なんでこうすぐ近くの幸福の青い鳥に気付かないモンかねぇ?

 あそこまで思われたら、気付くだろ普通……。

 

【……オーナーにそれを言う資格は無いかと】

(何故? つーか聞いてたのかよ恥ずかしい! 休眠してるのかと思ってたぜ)

【あのガーディアンから、大量にマナを得る事が出来ましたので。もう一戦くらい全力でいけます】

 

 言うだけは有り、【夜燭】から蒼雷が立ち昇っている。だが妙に、その色が薄い気がする。

 

--……気のせい、か?

 

 声を掛けようと思ったが、そうこうしている内に一行が合流した。治療と休憩を行う事に決まった為、先に治療を終わらせていた空も手伝いに回る。何せ合計五体もの竜を討ち、数百のアンドロイドやガードナーを亡ぼしたのだ。皆が疲労困憊。

 しかし、長い休憩は敵にも態勢を整える時間を与える事になる。直ぐさま、一行は進軍する……。



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崩れ行く日常 終わりの夜明け Ⅰ

 開かれたサーヴィランスゲート、そこは最早『門』としての役割は果たしていない。

 

 だが――その門から、神剣士達は一歩も前進できなくなってしまっていた。強固な壁は永遠神剣の攻撃も寄せ付けず、壁を乗り越えての侵入は『浄戒』の巻き戻し効果で入口に戻されてしまう。

 だからといって、馬鹿正直に入口からシティに足を踏み入れれば――

 

「――ッ!?」

 

 

 間髪入れずに襲い来た紫色の光と、無数の稲妻の速さを持った焔。遥か数キロ先からのショウの【疑氷】によ長距離る狙撃と、曲がり角の先に潜むガードナー達の『ライトニングファイア』だ。

 堪らず、望・希美・沙月組がサーヴィランスゲートに戻ってきた。神剣士でも脅威の守護者は五体とも撃破したが、ガードナーはまだまだ多数。何体居るかも不明の状態。

 

「クソッタレ――ショウの奴め、巧い事考えやがって」

 

 そんな悪態も口をつこう、物部学園では最高の組み合わせであるこのチームが撤退してきたのだ。

 正面突破が不可能かと判明した今、考えられる作戦は――

 

「やっぱ、俺がショウを押さえるしかねぇ。せめてショウの狙撃が止めば、ここに居る皆が協力すればガードナーくらい突破出来る」

「馬鹿言ってんじゃないわよ、【幽冥】を持ってた頃なら兎も角、今の君じゃ一番の的じゃない」

 

 手鏡でサーヴィランスゲートの中を確認しながら呟けば、沙月に突っ込まれた。無論、彼女の言う通りである。今の空ほど、簡単に倒せる物部学園の一員は居ない。

 そんな事は、誰に言われなくとも彼自身が一番よく知っている。【夜燭】と【是我】を手にしたまま、空は溜め息を一つ落とし――その姿を、空間に溶けるように消した。

 

「な――」

 

 それに驚いた彼女の頸に、【夜燭】の湾曲した刃先が掛かり、更に眉間に【是我】の銃口が突きつけられた。

 

「レストアスをピコサイズの氷の鏡にしたものを数億集めた物と、【是我】の風で光を屈折させた『光学迷彩(ステルス)』って奴ですよ。これでも役者不足ですかい?」

「……あなたって、本当に可愛くないわね」

 解放された沙月は実に忌々しそうに、彼から離れていく。それを肯定と受け取り、空は――

 

「……そろそろ離せって、ユーフォリア」

「だって……お兄ちゃん、一人で行くつもりなんでしょ? あたしもついてくもん!」

 

 服の裾を掴んで離さないユーフォリアに、半ばその答えを予想した状態で問う。勿論、予想通りの返答。

 だから、彼女と向き合い腰を落としてその肩に手を置き――予め用意しておいた言葉を掛ける事にした。

 

「いいか、ユーフォリア……お前がこの作戦のキーマン……いや、キーガールだ」

「ほえ?」

 

 今回の『策謀』の本当の意味を、道端で見付けて拝借した大型の二輪車を見詰めながら。

 

 

………………

…………

……

 

 

 セントラルタワーの屋上に陣取り、隙無く【疑氷】を構えていたショウ。その機械の眼差しには、6キロの彼方にあるサーヴィランスゲートですらハッキリと捉えられている。

 その瞳には、先程から敵に動きが無くなった事を(つぶさ)に見詰めていた。

 

「……ふん、これで諦めるような奴らが守護者どもを打ち破れる筈もねぇ……何かしらの策を講じたか。ゴミどもが!」

 

 怒りと共に、弓を引く指に更なる力が籠められる。耳元でギシリと音をたて、赤い光を放つライトシェードを照り返した弦が風を切る。

 

「――ッ!?」

 

 その瞬間、サーヴィランスゲートを黒い風が駆け抜けた。

 その余りの速さに、望遠状態だった為に見失いかける。だが、ショウとて歴戦の弓兵だ、直ぐ様速さに合わせて狙いを定め直し――

「見えてるぜ――空ィィィッ!」

 

 バイクに乗った空、その眉間に向けて矢を放つ――!

 

 夜空を滑るように疾駆する、紫の一閃。更に、ガードナー達の神剣魔法がその狙う者に狙いを定めて発動した。

 それに、空は――

 

「邪魔なんだよ、有象無象……」

 

 レストアスを周囲に展開、町の一角を覆い尽くす程の雷雲と化した。それをバニッシュしようとした青のガードナーもいたが、それは更に『ライトニングボルト』を発動しただけに終わる。

 

「――サンダーストーム!」

 

 降り注ぐ雷霆は『ライトニングボルト』の比ではない。魔法を打ち消す雷に撃たれて多数のガードナーが消滅していく。

 だが、まだだ。ショウの放った矢、『ドーンペイン』が彼の命を狙う――!

 

「行くぞ、【是我】ァァァッ!」

 

 空はバイクから飛び降りると、全身に星雲の風の防御『ハイパートラスケード』を纏い、更に【是我】のハイロゥ三つを円形盾(ラウンドシールド)の形をした『シールドハイロゥ』として――矢を至近距離まで引き付けると、『オーラブレッド』で迎撃した。

 消し飛ぶ【疑氷】の矢、着地した空。そのまま、何処かに走り去っていくバイク。

 

「――さて、だまくらかしあいだ。ショウ」

 

 その体が、消えていく。ステルスを発動したのだ。

 

「野郎……」

 

 完全に空の姿を見失って、ショウは――

 

「その程度の擬態で、この俺に対抗できるなんて思ってやがるのかよ!」

 

 激しい敵意と共に、再び矢を番えた――

 

 

………………

…………

……

 

 

 光溢れるシティのメインストリート。透徹城から抜き出した【夜燭】を開き前方に構えて突進する。

 

「――チッ!」

 

 乾いた砲声と共に腕に感じる衝撃。前方に展開した、セキュリティガード風のアンドロイド兵士部隊が掃射する『FN−P90』系のPDWが着弾しているのだ。更に『FN−F2000』系アサルトライフルから放たれたグレネードに腕が痺れて、流石にヤバいかと思い始めた刹那。

 

 足元に転がってきた三つの手榴弾に、ビルとビルの隙間まで跳ね跳べば――更に多数のアンドロイド兵士。掛け声と共にレーザーポインターが集中し、【夜燭】に衝撃が走った。

 

――どの世界でも、人間工学に基づくとああなるのかねッ! 神剣士なら豆鉄砲。だが俺にとっては、危険過ぎて神剣と大差ない。しかもこの圧倒的多数だ、本当にウザってェ!

 

「仕方ねェな、レストアス!」

【了解、オーナー!】

 

 その身を包む蒼い炎のような獣、レストアスが氷結する。氷結して――消えた。

 

 困惑する事も無く、兵士達は周囲を見渡しながら進攻する。しかし空の姿は無い――と、一番最後の兵士が【夜燭】のフックのような切っ先に首を引っ掛けられて、横道に引き込まれる。

 

 だがそこは、リンク可能なアンドロイド。合流したメインストリートの部隊と共にその角に銃口を向けて――飛び出してきた影に火線を集中させた。

 

 そうして蜂の巣になったアンドロイド兵士をも巻き込んで。

 

「――アイスウェーブ!」

 

 一隊が絶対零度の風に飲み込まれた。氷で出来たピコサイズの鏡による光学迷彩を解除し、凍結して動けなくなったアンドロイド兵士達を破壊してまだ使えそうな銃器を吟味する。

 

――サーヴィランスゲートに突入した俺を待ち受けていたのは、アンドロイドの特攻だった。損傷や死を恐れる事の無い死兵に数で押し切られ、セントラルタワーまで進攻する事は極めて困難。世界一つを敵に回してんだ、この位の兵力は予想しとくべきだったな……

 

 そこで空は、遠くサーチライトに照らされるセントラルタワーを見遣った。無論、ステルス状態だ。見えよう筈もない。

 

「――オーラバースト!」

 

 だというのに、空を狙い済ましてそこから放たれた紫光にいち早く反応して星の風を撃ち出す。しかし――今度は、二発も弾を貫かれた。

 

「チッ……俺なんざ雑魚で十分だってか」

【それに、更に溜め時間が長くなっている……更にマナを充填しているのでしょう、恐らくは次か、その次には防げなくなる】

「言ってくれるな、クソッタレ……しかも、追尾性能持ちか。厄介なはなしだぜ」

 

 若干凹みながら幾つかを透徹城に納めて、ショルダースリングで肩から掛けていた始めの壱挺を掃射する。柱の影に隠れていた部隊が一斉に姿を見せたのだ。

 

 『ハイパートラスケード』で銃弾を防ぎつつ奪い取ったPDWで応戦し、使い切れば棄て透徹城から新たに引き出す。そうして少しずつ敵兵を破壊していくが−−やはり多過ぎる。

 

「チッ……! あんまし目立ちたくは無かったけど仕方ない。『跳んで』行くか」

 

 高周波ブレードを振り上げた兵を【夜燭】で返り討ちにし、風で保護した足の裏でレストアスを炸裂させた。着地点はビルの壁面、そこを足場に更に跳ねる。

 

 勿論目立つ。既に十数体に捕捉されて銃撃されているが、構わず蜘蛛男ばりにビル街を跳躍する。黒い外套をたなびかせ宙を翔ける姿は、正しく鴉。

 

「――オーラブレッドッ!!」

 

 壁面に着地した瞬間、光の矢『ポイズントゥース』が躍り込んだ。星弾四発は貫通され、それを辛うじて『ハイパートラスケード』で防ぐも、貫かれて太股に掠る。それでも跳躍、ビルの屋上に着地した。

 

 

………………

…………

……

 

 

 またもや矢を防がれた事に、ショウは舌を打つ。これで五度目だ。

 

「忌々しい……大人しく散りゃあいいもんを!」

 

 吐き捨て、更に矢へとマナを籠める。この次こそ、止めとする為に。

 

「どんな策を弄してくるかと思えば……結局は神剣の性能任せの正面突破か。阿呆が!」

 

 ガードナー達の神剣を通して、他の神剣士が侵入してきていない事は分かっている。何かしらの策を講じたかと危惧していた彼にとって、それは落胆するに十分だ。

 立ち上る紫色の、毒々しいマナ。それを、空へと向ける。見えない筈の空へと。蝙蝠の神獣である【疑氷】の『血の渇き』が、『超音波』で捕捉した空へと。

 

「終わりだ――!」

 

 十分にマナを充填し終えた矢を、今、正に放つ――その刹那、ショウの視界に映ったもの。

 

「あのバイク――」

 

 セントラルタワーの正面玄関に、無人のバイクが突っ込んでくる。あの時、空が乗り捨てたバイクが。だが、あり得ない。セントラルタワーまでの道には幾つも曲がり角がある。ここまで無人のバイクが来るなど。

 それに注意をとられた瞬間――空が、4キロの彼方から【是我】の銃口を向けている事に気付く。

 

「マナよ、オーラに変われ……星の海を揺らす風となれ」

「チッ……!」

 

 弾ける花火のような精霊光、昂るマナ。その銃口より――虹色の風が吹いた。

 そんな一撃に対抗して――ショウは矢を放つ。

 

「――オーラバースト!」

「――ポイズントゥース!」

 

 空中で衝突する遠距離射撃。夜空が力の鬩ぎ合いに激震し、ビルのガラスが砕け散る。

 

「いきます、望さん!」

「ああ――突っ込めユーフィー!」

「――なっ!?」

 

 その最中――ショウは見た。バイクがその姿を変え……サーフボードのようなものに乗った、一組の男女に変わった事を。

 それは、ステルス技術で光を屈折させてそう見せかけていたのだ。バイクを持ってきたのは、その見本にする為。

 

「まさか……あの野郎、始めからこれを!」

 

 叫ぶも、この距離ではどうしようもない。二人は――そのまま、セントラルタワーの内部へと突入した。

 それを見送るしかなかった彼は、狙いを定めていた空に向き直る。その獲物は――してやったりと、口角を吊り上げていた。

 

「クソが――!」

 

 そこに、だめ押しの『ドーンペイン』を三発放つ。溜めこそ無いが、回り込むような軌道で。

 

「――【是我】……行くぞ!」

 

 『オーラバースト』と『ポイズントゥース』が打ち消しあった瞬間、【是我】のハイロゥが姿を変える。三枚の、円形盾(ラウンドシールド)型の『シールドハイロゥ』へと。

 更にそこに、ダークフォトンが加わる。三枚重ねにオーラの加護を引き剥がす黒光。

 

「ハァァァァァッ!!」

 

 その、竜の鱗のような盾を携えて――空は【疑氷】の矢を受け止めた――――!

 

 

………………

…………

……

 

 

 攻撃が受け止められた事を悟り、迷わずセントラルタワーの屋上を降り立ったショウは、直ぐさまスバルを調整室に走り込んだ。

 カプセルの中の彼を確認すると、憎々しげに叫ぶ。

 

「−−セントラル……スバルの調律が解け、おまけにガーディアンどもは全滅、ガードナーも残り僅か。奴らが狙っているのは『浄戒』だ、あれを奪われればこの世界が立ち行かなくなる!!」

 

 その怒声だけで機器を壊さんばかりの勢い。それに無機質な、女性の声が答えた。

 

『……ショウ。残念ですが、此処までのようです。この世界の滅びを回避する為の解は、始めから無かった……』

「セントラル……何を言ってる?」

 

 青ざめるショウ。その声が言っている意味が理解出来る故にショウは俯き、拳を握り締めた。

 

 既に、この機械は無限に等しい演算を繰り返して来た。繰り返す世界の中で、何度も何度も。

 

『この世界が滅びる瞬間に流れ着いた『浄戒』を使い、何とか滅びを先伸ばしにして来ましたが……これがこの世界の定命(さだめ)だったのです』

 

 世界の滅びを回避する為にセントラルが演算を繰り返し、その間繰り越す世界の異物を彼等が排除する。気が触れる程に繰り返してきた事だ。

 この世界が滅びを迎えた日から。終わりを否定する為に。機械の声は、そぐわない程に優しい声で彼を諭す。

 

「……けるな」

『ショウ……もう、これで終わりにしま――』

 

 瞬間、ショウのチカラが膨れ上がる。スバルから奪い取り二人分となった『浄戒』のチカラが溢れ出した。

 

「――ふざけるなァァァッ!!!」

 

 振り払われた腕。そこから迸しったチカラが――セントラルのシステムを破壊した。

 

「例えこの世界が偽りの夢でも、終わらせなどするものかァァッ! スバルは……アイツは俺にとって光そのものだった!決して失いたくないモノだ!! 諦めるならもうお前は要らない、消えろォォォッ!!」

 

 それだけに飽きたらずショウは狂ったように……否、狂って【疑氷】の矢を放ち続ける。神剣に機械如きが耐えられる筈も無く、室内は瓦礫の山と化した。

 

『何と言う……ショウ……貴方は………』

「ハハッ……そうだ、俺達の"願い"を否定するなら……何だろうと……」

 

 ショウは部屋を後にする。その足が向かう先は、己にも判らない。既に理論づけた行動はしていないのだから。

 

『……スバ……ル……ごめんなさい………私は……駄目な……母で……』

 

 最後に点灯していた機器から漏れた声――慈愛に満ちた母の声を最後に。

 

 部屋は無音の闇に閉ざされた……

 

 

………………

…………

……

 

 

「よう……」

 

 傷だらけの男が、PDWのショルダースリングを外し、止血帯代わりに太股に巻き付けて前を見遣る。屋上中央に待ち受けていたのは男の前に、蝙蝠に乗った男が現れた。

 

「貴様らさえ……貴様らさえ現れければ、俺達は!」

 

 夜風に靡く一房に纏められた黒髪、戦国時代のような肩当てと背に負う矢籠。深い憎しみを映した瞳、風を斬る【疑氷】の弦。

 

「……ショウ=エピルマ!」

「巽、空ィィィッ!」

 

 狂気に染まった、その男を−−……

 



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崩れ行く日常 終わりの夜明け Ⅱ

 飛行形態の【悠久】を元に戻し、ユーフォリアは望に向き直る。その望の肩に乗っているのはレーメとナナシ。

 

 ユーフォリアとタワーに一番乗りで辿り着いた望。入口には衛兵が数体いたが、【黎明】と【悠久】が一閃すれば衛兵達は造作も無く両断されて機能停止した。

 だが直ぐに、敵襲に気付いたガードナーが集まって来る。

 

「望さんは先に行ってください、あたしは……お兄ちゃんのところに行ってきます。きっと皆さんもすぐに来る筈ですから」

 

 心配そうに、今来た道の彼方を……則ち、ガードナーの来る方を見やるユーフォリア。それに望は、自分も付いていきたい衝動に駈られる。

 

「ユーフィー……ゴメン、気を付けろよ」

「−−あ……えへへ」

 

 しかし流石の望も、自分が為すべき事は判っている。その気持ちを抑えてユーフォリアの髪を撫でると彼女は一瞬、ポッと頬を赤らめた。

 

「…はいっ! 元気百倍ですよ!!」

 

 元気一杯の笑顔を見せた彼女は、ガードナーに『ルインドユニバース』を見舞いながら飛び去っていく。その後ろ姿を見送って、タワー内部を走り去る望。

 

「撫でるだけで『インスパイア』とは恐れ入りました……貴女のマスターは、天然の女タラシですね」

「う、うるさいっ……ノゾムはただ誰にでも優しいだけなのだっ!」

「それをタラシというのです。誰にでも優しいなど、単に不誠実で優柔不断の窮みでしょう」

「言わせておけば貴様〜〜!」

 

 その後ろを飛びながら、相反する天使二人は火花を散らしていたのだった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 夜の屋上で対峙する二人。青眼に【夜燭】を構えた空、対してショウは背負う矢に指を掛けた姿勢のままだ。

 

「やってくれたな……今しがた、サーヴィランスゲートのガードナーが突破された。 もう、この世界も終わりだ

「そりゃあな。策戦ってのは、たてた時点で成功してなきゃ三流だ」

「……ふ、くくく……」

 

 そのショウが、唐突に笑い始めた。低く響く、無気味な笑い声。

 

「……お前は神剣士じゃない……だから、だからこそ先ずお前から始末してやろうと思ったんだ……」

「……そうかよ。で?」

 

 口角を吊り上げた表情のままで、ショウは矢を引き抜いた。それを【疑氷】に番え−

――ずに、周囲に闇を吹き出した。

 

「――何のチカラも持たない癖にウロチョロと目障りなゴミ虫から、踏み潰してやりたかったのさ!」

 

 そして矢……オーラフォトンで形作られたの矢を媒介にした神剣魔法『サドンインパクト』を発動した。

 

「どうした、逃げて見せな!」

「言われッ! なくてもッ!!」

 

 次々と足元から噴き出す黒マナを躱して、レストアスを利用した接近を試みる――

 

「……胸糞悪い……貴様らさえ居なければ、俺は…ッ!!」

 

 しかし、その時には既にショウの射撃体勢が整っている。番えた矢を引き絞り、紫色のオーラを纏う一射は"猛毒の齒牙"『ポイズントゥース』。

 

「邪魔だァッ!」

 

 射ち出された紫色の矢を、空は【夜燭】を盾に受け止めた。

 

「クッ……ソッタレ……!!」

「どうだよ、『浄戒』の力は!? 今頃、タワーに突入したお仲間が必死こいて探してるもんの力はよぉ!」

「チ――望の阿呆が……! まんまと先を越されやがって」

 

 だが止まらない。軋みを上げる【夜燭】の黒い刃。浄戒のチカラだけでは無い、負の情を凝縮した【疑氷】の矢は歪みきったショウの精神に呼応して、破壊力を更に上げている。

 

【くっ……あ!】

「グゥッ!」

 

 その矢が、遂に【夜燭】の黒い刃を(ヒルト)に近い部位で貫通した。貫通する際に軌道が逸れた事で命を拾う。

 

――誤解されてる場合が多いが、射撃武器とは装甲や盾に対して優位に立つ。防具は剣等の『線』の攻撃には強いが、『点』の攻撃には弱い。

 

「それでこの【疑氷】から逃れたつもりか? 甘いんだよ、俺の矢は獲物に()ち込まれるまで止まらねぇ!」

「っ!?」

 

 ショウの言葉に反応して、逸れた矢が軌道を捩曲げて戻って来た。【疑氷】の神獣が、主が狙う相手に追い縋る。完全に意表を突かれ、迎え打つしかなかった。

 

−−この近距離でも追尾式だと!? だから神剣ッて奴は……!

 

 『電光の剣』で矢を粉砕して、息つく暇も無くショウに――

 

【オーナー、まだです!】

 

 レストアスの警告、それにショウから意識を戻せば――粉砕した矢の破片に、宿ったままの矢の破片。全方位を押し包まれて身動きも取れない、そんな空を指差して勝ち誇りながらショウは告げた。

 

「……言ったよな? 【疑氷】の矢は獲物に射ち込まれるまで止まらないッてよ!」

 

 鳴らされた指に破片が、一斉に空へと殺到する−−!

 

 

………………

…………

……

 

 

 セントラルタワー内部に走り込んだ望は、その光景に息を呑んだ。無茶苦茶に破壊された廊下や部屋は竜巻に襲われたかのようだ。

 

「何が起きたのでしょうか…」

「尋常な様子ではないな」

 

 時折外の様子すら覗ける廊下を走りつつ、望は精神を集中させる。だが、何も感じられない。

 

「気配は感じられない、此処に本当に『浄戒』が在るのか?」

「望……くん」

 

 呟き、通り過ぎようとした部屋。そこから――壁に手を衝いて漸く歩いているスバルの声が響いた。

 

「スバル……何があったんだ?!」

 

 身構える望だったが、その瞳に確かな意志の光が在る事に気付いて、そう呼び掛ける。スバルは損傷の癒え切らぬ躯を壁に預けてそれに答えた。

 

「ショウの……仕業だ…………アイツは僕の為に…いや、僕らの"願い"の為に……この世界の理を書き換えようとしているんだ……」

「スバル達の……"願い"?」

「僕らは……シティとスラムの調和……世界から格差を無くそうという……夢を追い求めていたんだ……この世界が滅びた、その瞬間まで……」

 

 はぁ、と息を吐いて。まるで、遥かな昔日を懐古する老人のような笑顔を見せた……

 

 

………………

…………

……

 

 

 腕を向けた姿勢のまま、残心など示す筈も無くショウは舌打つ。

 

「本当にしつこい奴だ……諦めてとっととくたばった方が楽だろうによォ」

 

 眼差しの先には大剣を構えたニンゲン。氷と風の鎧に護られ、その身はほぼ無傷だが……衝撃だけでも人は死ねる。

 自動車とでも正面衝突したような衝撃に、空は咥内に溜まった血を吐き捨てた。

 

「ショウ、聞かせろ……この世界は一体いつから繰り返している?」

 

 赤い血を零した口許を拭いながらの問い掛けに、ふとショウの瞳に浮かんだ憧憬の色。

 

「……この世界のマナが、枯れた日からさ。あの日から俺達はずっと繰り返してきた……滅びを回避する為に、ずっとな……」

 

 だが、その色も……一瞬の内に狂気に塗り潰された。

 

「そうだ……お前達さえ来なければ、俺達はずっとこの電影(ユメ)を見ていられたのに……!」

 

 『異分子を排除する』という役目の為にただ一人正気で在り続け、『同じエンディング』を何度も見てきた彼は……受け入れられない滅びを数億回も見てきたショウは――もう限界など、とうに越えてしまっていたのだろう。

 

「消し去ってやる……全て……俺達の"願い"を否定するならこの世界だって要らない!!」

 

 余りに近過ぎたのだ、希望が。見えるだけで手に入れられない希望など……付き纏う絶望よりも遥かに性質が悪い。

 

「そうさ……『浄戒』のチカラを手に入れた俺は無敵だ! 俺こそが、この世界になる! そして――永久に現在(いま)が続く理想郷を作り上げるのさ!」

 

 ショウの躯から発される強大なチカラの奔流。『破壊神』の神名、それを浴びながら感じたのは−−ただ。

 

「……虚しいな、本当に」

「……何?」

 

 ピクリ、と。押し殺すように空が呟いた言葉にショウは反応した。

 

「ああ、判るさ。お前は"俺"と……"オレ"と同じだ。身の丈に合わない妄想(ゆめ)に囚われた莫迦野郎だ、終わらないだけで続かねぇ事にも気付かずに」

 

――ただ……大事なモノを護りたくて。でも、それを貫くには余りに弱過ぎて。チカラの持つ『意味』と『責任』を考えずに、手に入る全てを得て狂ってしまった。

 自我も願いも何もかも、どす黒い妄念に塗り潰して。

 

「ふざけるな……判る筈が無い。昨日今日来たような奴に俺の"願い"を理解できるものかァッ!!」

 

 ショウの【疑氷】にチカラが篭った事を悟って、【夜燭】を握る拳に力が篭る。召喚された大蝙蝠、その悍ましい顎が開き――

 

〔〔〔――――キィィィィィィ――――!!!!〕〕〕

「【――く、あぁぁぁ!!?」】

 

 放たれた凄まじい高周波と猛烈な羽撃(はばた)きは『血の渇き』の『イリテイト』。辛うじて戦鎧に救われるが、音は防ぎようが無かった。脳を撹拌されるような苦痛に、意識が薄らいでいく。

 

 地鳴りと共に、大気が鳴動する。激震に幾多のビルが軋み、硝子が砕け散り、次々と倒壊する。

 

「チカラ……そうだ、このチカラが有れば俺は……」

 

 そのチカラは、圧倒的。ただでさえニンゲンにはどうしようもない神剣士が−−『破壊神』の神名を得たのだ。スバルの分だけでなく、この世界が繰り返す為に必要な『浄戒』までも。

 

「ハハッ……ハハハハ――……」

 

 全ての『浄戒』を得、強化されたショウの機械の躯は――ギシリと動きを止めた。

 

「−−あ……?」

 

 霧散していくチカラ。何が起きたか判らないショウは、ただ茫然と立ち尽くすのみ。

 

「……堪えられる訳が、無いだろ。名前は起源だ……後から植え付けられるモノじゃない。ましてや、その神名はジルオル以外の誰にも使い熟す事は出来ない」

「なん……だと……?」

 

 加護を使い切り、【夜燭】をアンカーとして耐え忍んだ空。ショウを見詰めるその表情は暗い。

 前世の己と同じ破滅への道を辿りつつあるその男を見詰めながら。

 

「ショウ……もう終わりだ。頼む、俺は−−」

 

 『お前に同じ思いをして欲しくない』、その言葉が発せられる前に−−ショウの【疑氷】からチカラが噴き出した。

 

「――終わらせるものか……! 終わらせて堪るか……! 大事なトモダチの居る、この世界を……!」

 

 番えた矢を引き絞る。壮絶なまでの精霊光が【疑氷】と矢を覆い、憎しみと害意の権化たる黒翼の矢『ディアボリックエディクト』と化した。

 

「教えてくれよ……一体どうしたら滅びを回避できるんだ……破綻するまで繰り返す事以外どうしたら、大事なトモダチの居るこの現在を救えるんだ!」

 

 怨嗟を吐きながらショウは狙いを付ける。恐らくそれこそ、彼の純然たる願いの起源(オリジン)

 

「レストアス――俺の命を、燃やせ」

【な――何を仰るのですか、オーナー! 確かに、私の能力を使えば貴方を強化できる、しかしその代償は……】

 

 だが、空に返す言葉など無い。在る筈が無い。無に帰してでも己の壱志(イジ)を貫こうとしているその男に掛けるべき翻意の言葉など、彼には考え付かない。

 

「承知の上だ。けどな……それでも、俺がアイツを止めてやらなきゃいけねえんだ。一夜限りの事といえ、盃を交わした友と…いえ――ぶつかり合うなら、テメェを貫く為にへし折らなきゃいけねぇ」

 

 どれ程の思いを込めようと、所詮言葉は言葉でしかない。言葉では、実際に振るわれる暴力は止まらない。

 

【オーナー……貴方は、どうして……】

 

――だから言葉では無く行動で示す。チカラを止める為にはチカラを振るうしかない。言葉はその後で充分だ……!

 

 構えた【夜燭】と【是我】を握り締め、屋根を踏み締める。レストアスの加護は無いしダークフォトンも先程の防御でかつかつ、十中八九死ぬだろう。

 

「同感。全くもって難儀な性分だぜ。けどまぁ、それが俺だからな」

 

 【夜燭】を肩に担ぐ。弾けるような雷気が辺りに満ちる。昂るレストアスに向けて、崩れそうな体を叱咤しながら空元気を貫く。

 

――だが、(ゼロ)は無じゃない。限りなく零もまた、"可能性"はの一つ。『有る』という最小単位。

 

「それが義侠人(オトコ)のつれぇところよ――!」

 

 呆れたような意識の後、体の奥に熱が籠る。命の灯火が、強まったのだ。一気に――命の残りが燃えていく。

 

――砂漠に落とされた砂粒一ツ分だろうが、在るモンは在る。俺はただ……それを引き寄せる事が出来ればいい!

 

「教えて……みせろォォォッ!!!」

 

 射ち出された黒翼、大気すらも殺傷して迫り来る"反逆者の一矢"。それに−−

 

「行くぞ、レストアス――ライトニングブラスト!!」

 

 迷いも無く、空はハイロゥを真球型の『スフィアハイロゥ』に変える。三対六個の、龍が持つという如意宝珠を思わせるそれは、マナのサイクルを加速させるシンクロトロン。

 加速されながら撃ち出された雷霆。断末魔の悲鳴を思わせる大気の鳴動、既に負傷している空には余りに強過ぎる衝撃が伝播する。

 

「いい加減諦めろ! ニンゲン如きに何が出来る?!貴様のチカラなど……どれ程のものかッ!!」

 

 ショウと血の渇きの意思を宿した矢は、その叫びに呼応し更に勢いを増す。対し、減衰する一方の空の腕力。だが――それより早く、雷霆の方が撃ち抜かれた。

 

「ああ、そうだよ……確かに俺ァゴミ虫に違いねェさ……! テメェら神剣士からすりゃあ、取るに足らねぇだろうよ。それでもッ!!」

 

――青臭いのなんざ百も千も万も億も承知の上だ!! それでも、俺は諦めない……俺にだって、壱志がある!

 

「"家族"の為なら、俺の何を代価にしたって――『奇跡』如き起こして見せてやらァァァッ!!!!」

「な、にィ!?!」

 

 それに――なけなしのダークフォトンを纏わせて振り抜いた【夜燭】の黒刃が断絶した空間に、巻き込まれて砕け消える魔矢。

 間を置かずに駆け出した空。まだ残る破片に狙われる前に、ハイロゥを六枚の龍翼――『ウィングハイロゥ』に変えて翼撃(はばた)き、一瞬でショウを【夜燭】の殺傷範囲に捉えた。

 

「馬鹿な……ニンゲンの力で、俺の【疑氷】に抗し切っただと……ただ、家族の為だけに……!?」

 

 踏み込まれ、最早新たな矢は放てない。破片も間に合わない、閃く刃に抗し得ない。

 

「貰ったァァァッ!」

 

 技巧など一切無い、ただ精一杯の横一閃。疵だらけの【夜燭】の鈍煌は夜の海の水平線を思わせる。

 

「……だが、此処までだ。後はもう、罠を閉じるだけ――」

「――……?!」

 

 瞬間、周囲の闇が凝集して動きを強制的に止められた。この屋上は最初に発せられた闇で、ショウの狩猟場と化していたのだ。

 則ち、準備は万端。

 

「――インスネアリングブリッジ……!」

 

 そして――音も無く背後から忍び寄り首筋に迫った鈍くも鋭い輝き……血の渇きの牙を見た。

 

 

………………

…………

……

 

 

 全てが終わり、静寂に包まれた屋上。立っているのはただ一人、黒髪の青年だけ。

 

「……ニンゲンの力で、神剣士に後一歩まで迫るとはな……」

 

 ショウは血の海の中に俯せに倒れ込んだ空を見下ろし――斬られてスパークする胸部を見た。後数瞬でも発動が遅れていれば、心臓部(コア)まで達していただろう。

 

「大した奴だよ、お前は……」

 

 踵を返しセントラルタワーに向かおうとするその足を、空が掴む。

 

「……待て……ショウ…………行くな……」

 

 致命傷寸前まで血の渇きに血液を吸い出され、意識は混濁し自分が何をしているのか、何を言っているのかすら判るまい。

 

「……まだ、諦めるには早い……俺の家族達なら……神剣士なら、本物の『奇跡』を起こしてくれる…………だから……」

 

 彼はそれを振り払おうとしない。その掌は、身躯(カラダ)ではなく精神(ココロ)を掴んでいる。

 

 そっくりだが正反対――鏡写しの心魂(タマシイ)を持つ二人の、最後の交わり。

 

「……有難うよ。もしあの日、あの時、あの瞬間にお前達が居てくれたのなら……俺達の現在も変わっていたのかもしれねェな」

 

 振り返ったショウの眼差しは――この世界で初めて会ったあの時と同じ。ぶっきらぼうながら、深い知性を感じさせる三白眼。

 

「……ショウ…………頼む……俺は……」

 

 フッと、手から力が抜けた。今度こそ失神したのだ。

 

「……だが、遅い……この機械仕掛けの躯は……もう朽ち果てた」

 

 呟き、歩き出す。終わりに向けて一歩ずつ、最後の現在(トキ)を刻む。

 

【――――……?】

 

 問い掛けるような思念を向けてきたのは、屋上のアンテナにぶら下がる血の渇き。血のようにその赤い瞳は、真っ直ぐショウを見詰めている。

 

「……何、飽きちまった。詰まらねぇからこの茶番……終わりにしようと思ってな」

 

 その決意を固めた瞬間から世界が輝きを増した。今まで鳥篭にしか見えなかった世界が急に光溢れ、『終わるには早い』と必死に呼び掛けている。

 

 だが、ショウの考えは動かない。"言葉"では、もう止まらない。

 

【――――……】

 

 歩みを止めぬ反逆者。並び立って羽撃くは、やはり反逆者。最後の最後に、漸く……理解しあって。

 互いに笑い合う。覚醒から一度も無かった事だ。その足に掴まり、ショウは宙を舞う。物語を終わらせる為、ピリオドを打ちに。

 

 色とりどりのネオンサインに満ち溢れる近代的なビル群。天高く迫り出した摩天楼。

 

「俺は貫くぜ、『トモダチを護る』って俺の壱志(ポリシー)をよ……」

 

 見上げれば乱雑に散りばめられた、スモッグに霞む天上の星々。

 見下ろせば整然と整えられた、市街の輝きは地上の星々。

 

「だからお前も…貫けよ。『家族を護る』って、お前の壱志(イジ)を。なぁ……空……」

 

 屋上に横たわる空に向けた声は、吹き抜ける夜風に溶けていった。

 

 

………………

…………

……

 

 

【……不様だな、小僧。それでこの【破綻】が選んだ『刃』に相応しいと思っておるのか、(うつけ)めが】

 

 その声が響いたのは、その直後。重厚な男の声は悠然と倒れ伏した空の真下に――。

 

「あ……ぐ……?」

 

 屋上にぶちまけられた空の血液を媒介とし、精霊光による『門』を作り出した、黒い『鍵剣(ケン)』。

 

【まぁ良いさ、今回は及第点をくれてやる。漸く……わざわざ貴様を『  』から破綻させた甲斐が出てきたのだからな……!】

 

 精霊光を纏って巨大化した鍵剣が、空の顔の真横に有る門の鍵穴に衝き立てられる。重苦しい音と共に、錠が回る。

 

「……"無間に果てぬ韻律"の名に於いて『銘ず』。世界よ、『矛盾の剣』たる【破綻】に集い、永劫の門を開け――……」

 

 死など生温い苦痛の中、薄れ行く意識で見たのは――どこかで見た覚えのある魔金の眼差しだった……



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断章 月世海《アタラクシア》 Ⅴ
月の海原 濫觴の盃 Ⅴ


「humm〜〜♪ hummm~〜〜〜♪」

 

 風が頬を撫でる。匂い立つ華の香を含む甘い春の野の風。その風に乗り耳朶を震わせるハミング。

 

 刧莫と拡がる水平線、黒金の太陽と白銀の望月を同時に望む、薄紫の虚空(ソラ)虚海(ウミ)の境界に浮かぶ孤島。その外周を緩やかに周回する七本の石柱。

 

「……此処は」

 

 背を預ける樹の幹、捻れ逢い一ツとなった連理(メビウス)の大樹。その大樹除いて、世界は――ほぼ水没していた。

 その水位は、座り込んだ空の胸の辺りまで有る。

 

「……あ」

 

 と、息を詰める声。ゆっくりと右に顔を向ければ見詰め合う、魔金の瞳。刹那、またも袱紗を解いたように綻び、溢れ出す記憶。滄海(あお)い髪の少女との邂逅が。

 

「……アイオネア……?」

 

 嬉しげに微笑みかけた彼女。右瞳は魔金、左瞳は聖銀。

 

「はい……はいっ……お、お待ちしておりました……。兄さま……宜しければ、どうぞ」

 

 身長の問題で見えないが、足で波を起こしながら近付いてくる彼女。しかし今回は、今までのように転びそうな不安定さがなかった。

 差し出された盃の水鏡が映すは、双世樹に穿たれた(ウロ)。聖盃の納められていた聖櫃。樹の合間より衝き出す−−限り無く透明にも濁っても見える、波紋の刃紋の蒼滄(あお)い刃。

 

 瑠璃(ラピス=ラズリ)の海へと、永遠に寄せては返す波のように。波跡を刻み続ける。

 その幻想の刃はさながら、今は製法が失伝されたという"水紋剱(ダマスカスブレード)"。

 

「ああ……っく」

 

 受け取ろうと試みるが、やはり躯は動かない。媛君は以前と同じく彼の前に膝を付き――盃を口許へ傾ける。

 

「――……ん……ンク……ンク……」

 

 喉を滑り落ちる澪水(みず)。その(うま)さは以前より更に磨きが掛かっているように感じられる。

 

――そうだ、他の水じゃちっとも癒されなかった。俺の渇きは……この水じゃなきゃ潤わなかった。

 

「ふぅ……有難う、アイオネア……甘かった」

「あ、有り難うございます……」

 

 全て飲み干された聖盃は、彼女の慎ましやかな胸元に抱かれた。

 渇きが癒えクリアになった意識、周囲を見渡せば……霊獣達は、ほぼ至近距離に存在していた。

 

「久しぶり、か。言われた通り、忘れてたよ」

 

 ぎこちなく笑って見せる。少なくとも、本心からではなく。やはりそれがいけなかった。

 

「……何かおありになったんですか? 兄さま、前より辛そうなお顔をなされています……」

「う……」

 

 あっさりと看破され、心配されてしまう。そもそも、笑顔は苦手なのだから。

 

「……俺は……無力だからさ」

 

 そして、口を開いた。普段ならば強がってごまかして終わる場面で本心を。それだけ、彼の心は追い詰められていた。

 

「……救いたかったんだ。でも、俺にだけは無理だった。俺と同じだったアイツを……」

「兄さま……」

 

――確かに、行き過ぎてた。でもアイツはただ……守りたかっただけなんだ。自分の大事なモノを……!

 

「当然だよな、多寡がニンゲンが神剣士(バケモノ)と闘って、生き残るだけで精一杯の癖して『救いたい』なんて……そんな大それた事が出来る訳無かったんだ……!」

 

 血を吐くような吐露。負った傷の痛みを忘れないように、その傷を刔るような言葉の奔流。

 

「……きっと、救われました。その方は……」

「……そんな筈は無い、俺は何一ツ出来なかった……死んだら終わりなんだよ。救いなんて、何処にも無いんだ!」

 

 媛君はその言葉を全て聞き終え、静かな声を掛ける。しかし彼は、その慈愛の言葉を拒絶する。

 

――神名で転生しても、ショウが生まれる事はもうない。アレは、『神』という役職を存続させる為だけの仕組み。何度でも何度でも……この俺の『前世』のように!!

 

 繰り返し繰り返し絶望を刻む神名に翻弄された挙句に、成れの果てが機械の躯。何から何まで、同じだった。

 

「――何が……何が、『聖なる神名(オリハルコンネーム)』だよ……あんなモノ、命を冒涜するただの『呪詛(ノロイ)』だろうが……!」

 

 それは一体、誰へと手向けられたモノか。地に墜ちた聖盃が弔鐘のように、物悲しい旋律を奏でた。

 

「きっと救われました、その方の魂は。兄さまの何処までも果てしなく拡がる優しい『蒼穹(そら)』のような魂に……きっと」

 

 そっと抱き締められる。甘やかな、それでいて爽やかな白檀に似た香気。小さな身体らしく、高めの体温。

 そして、漸く気付く。彼女の足が――さながら、人魚のような龍の尾鰭となっている事に。いや、その自然さから言えば、今までが仮初めであったのだ。

 

「お辛いのなら、"月下海(つきげかい)"に戻らなくたって良いじゃありませんか……兄さまさえ宜しければ、この"天上海(てんじょうかい)"にお好きなだけご逗留下さいませ……」

 

 流れる髪は、太洋(オケアノス)のように。眼差しは水面に燦ざめく燐光のように。その声はまるで砂浜を濡らす波音のように……穏やかで柔らかく温かい、龍宮之乙媛(プリンセス・オブ・ドラゴネレイド)

 

「この私と……『空位神剣(ヴァジュラ)』と契約して頂けるのなら、永遠に変わる事の無い安寧をお約束致します。いいえ、私に出来る事はそれだけしか無いんですから……」

 

 まるで――陽光(ヒカリ)射す海に抱かれて揺蕩(たゆた)うように。永久(とこしえ)に変わる事の無い"魂の浄土(アタラクシア)"。

 

「……私の、神剣としての形状は……"生命(イノチ)"ですから――……」

 

 それこそ、彼女が『空位神剣』たる由縁。生きとし生ける全てが知覚しながら誰もが忘れ去った、普遍ながら唯一実在する『奇跡』。遍く"可能性"を宿した唯一の『奇蹟』だ。

 

 則ち、彼女の契約者は――凡庸と引き換えに永遠に尽きぬ命を得る。そしてこの楽園にて、久遠に続く安らぎを得るのだろう。

 

「有難うアイオネア……嬉しいよ」

 

 今度浮かべたのは……またも不器用な微笑み。だがそれは間違いなく、本心から出たモノ。

 

――優しいのは、お前の方だろ。こんな惨めな俺が『蒼穹』なら……お前は何処までも遙かに拡がる、鏡の如く凪いだ『滄海(うみ)』のように優しい。

 

「でも……それは出来ない。それだけは出来ない」

 

 目前の救いに手を伸ばしかけた、その時――思い浮かんだのは……壱振りの黒い大剣。

 

「俺は『巽空』だから……どんなに無力でも、自分の可能性を信じて"在るがままでしく在る"……『神銃士』だからな…」

 

 ずっと、そんな弱者である巽空を信じチカラを貸してくれた神獣……【夜燭】の凍えた焔"レストアス"の姿だった。

 

――その俺が"永遠の生命"なんかに縋って、何もかもを投げ出して楽になって良い訳が無い。アイツの信頼に応える為にも……アイツが信じてくれる『巽空』を貫く為に……!

 

 だから今更、強がりのその言葉を口にしたのかどうかは判らないが、彼女はそれが彼の本心である事を悟る。

 "生命"の元型(アーキタイプ)たる『刧初の媛』アイオネアはそっと腕を解き、転がっていた盃を抱き上げる。

 

「困らせてしまってごめんなさい……そうですよね、私は……無価値な空っぽですから……」

 

 滄海い睫毛を伏せて悲しげに俯き、抱き締める聖盃に力を篭めるが、それで壊れるモノでも無い。

 

「……そんな事無い、アイオネアは何回も俺に水をくれただろ」

「でも、そんな事は……誰にでも出来ます。私だけに出来る事じゃ無いです……」

 

 普遍の"生命"であるからこそ、それは同じ"生命"にすらも壊す事適う唯一の『奇跡』。永遠神剣に在るまじき、脆弱な事この下無き唯一の『冀望(きぼう)』なのである。

 

 己の言葉に打ちひしがれたように、櫻色の唇を結ぶ深滄の媛君。

 その言葉通り、この無力な媛君に出来る事は−−"未だ"何も無い。

 

 と、周囲の霊獣達の色とりどりの眼差しが一斉に注がれている事に気付く。ジッと値踏みでもするように彼の全身を見回すその九つの眼差しは『続きを言え』と、そう言っているように感じられた。

 

 しかしそれは、自らの手で解いた(よすが)だ。その上で慰めるなどと、阿呆のする事だろう。

 

 一時、逡巡した空だったが――

 

「……いいや、滿たしてくれたさ。アイオネアが空っぽだっていうなら俺だってカラだ。水を飲むくらい、誰にでも出来るんだからな」

「でも私には……他の"皆"みたいに、特別な『異能《チカラ》』なんて無いから……"位階"も貰えなくて……アキ様にも選んで頂けなくて……」

 

 だが彼女は"殻"に閉じ篭る鳥の雛のように。『自分に出来る事なんて何も無い』と、庇護たる楽園(カラ)に震えた声を響かせる。そんな彼女に向け、彼は静かに告げた。

 

「……何も無いんじゃない。カラにはカラが滿たされてるんだ。今の、その盃みたいに」

「カラに……カラが滿ちて?」

 

 彼の言葉を理解出来たのか出来なかったのか、媛君は不思議そうに抱く聖盃を見詰める。聖盃を滿たしていた靈氣は、一滴すら残ってはいない。

 

「ああ、"(カラ)"と"無"は違う…カラは何も無いんじゃなくて、"全"を受け入れられる唯一ツだ。全てを否定する虚無とは違って、全てを肯定する……だから、全てと一緒なんだよ、カラは」

「……カラが、全て……」

「そうだ、そのカラッポの盃には−−その外に拡がる世界の全てが滿ちてるんだ」

 

 文字通りのカラ、カラを滿たした空器(ウツワ)。だからそれは、その空っぽのままで満タンだなんだと。そんな事を言ってのけた。

 

――とんでもない詭弁だな。いや……そう在ってほしいだけか。俺と同じで、自分が『空虚』だと感じているこの娘に。そう有りたいと、願う事を……

 

 自嘲した目に映る媛君の頚元、チョーカーにあしらわれた『錠盾』の鍵穴の意匠(レリーフ)に目を奪われる。

 

――あの『鍵穴』のサイズ……俺の『鍵』と同じじゃあ……

 

「じゃあ……」

「……ん?」

 

 気を取られてしまっていた彼は、彼女の呼び声に応えて視線を戻す。戻してみれば、縋るような金銀の瞳と見詰め逢う。

 

「もしも私が空っぽのまま奇跡を起こせたのなら……飲み干した後の終わりの盃に水を注げば始まりに戻るように……『終わりから始まる』事が出来たのなら、私と契約して下さいますか……?」

 

 それは間違い無く、誤った言葉だった。安易な慰めなどを掛けなければ、彼女は諦めていた筈だ。

 なにせ彼が彼女に掛けた言葉は、『空っぽのままでも可能性が在る』と信じさせる言葉だった故に彼女は、『冀望(きぼう)』を抱いてしまった。

 

「アイオネア……御免、俺は神剣とは契約出来ない――……」

 

 瞬間、意識が揺らぐ。彼方で瞬く黒金の太陽に終わりを悟った。

 だがそれは彼女に伝わる事は無い。己の存在が霞んでいく最中でも、言葉は続けて投げ掛けられる。

 

「じゃあ、私が『神剣』じゃなく『神銃』だったのなら……アキ様は私と、(えにし)を結んで下さいますか……?」

 

 薄らぐ心魂では意味を成す思考が出来ない。ただ、今にも泪を流しそうなその娘を突き放す事だけはどうしても言えなかった。

 

「……そう……だな……『永遠神剣』じゃなくて『永遠神銃』なら俺は……『神銃士』だから……」

「はい……はいっ!」

 

 不可能と知りつつ発した、そんな朦朧とした言葉すらも真に受けて嬉しそうに微笑んだ彼女。

 

『『『『『――――ォォォォォォォォ……!!!┠』』』』』

 

 刹那、五柱の霊獣が福音の咆哮と共に空間に波紋を残して消える。彼女の意志が定まった事により『根源力』……根源たるマナを司る象徴の臣下達が、空器(セカイ)の一切を滿たしていく。

 

 結論から言えば、彼はまた言葉を間違えた。何故ならば彼女は、『生命』だ。その歩みを止めぬ限り、如何なる『奇跡』であろうとも諦めなければ起こしてのけるモノ−−『普遍の可能性』そのものなのだから。

 

「お待ち致します、ずっと……」

 

 性海(しょうかい)を埋める緻密な虹色。五つの属性を象徴する円を結ぶ五芒星、それを中心軸として放射状に拡がった真円の魔法陣。薔薇窓のステンドグラスに似た、精霊光(オーラ)に照らされて。

 

 『未定義の源初動』であった彼女が見出だした方向性……この『世界卵』に渦巻くあらゆる可能性が結実し、唯一無二の存在として――『永遠神銃』として、(かえ)るべきその刻を待つ。

 

「幾度の刧簸(カルパ)(けみ)しようとずっと……私を必要として下さる事を……」

「――アイオネア……」

 

伽藍洞の真世界の深奥、その秘績(サクラメント)の媛君は……心月の寵愛である月影を浴びて恥じらい俯く、夜露に濡れながら咲いた清楚で無垢な白百合の華のように。

 

「久遠の刻も……無間の世すらも、超えて――」

 

 美しくも健気に、儚くも艶やかな笑顔を見せた――――……

 

 

………………

…………

……

 

 

【時流よ、刹那の門を(とざ)せ――『施錠(ロック)』。今はこれまで。(よすが)が交われば再び出逢う事も在るでしょう……】

 

 媛君がうっすらと目を開けば、そこには誰もいない。聖銀のチョーカーの錠盾が発した精霊光に、門が閉ざされたのだ。

 

【……次が、最後の邂逅です。善きにつけ悪しきにつけ、この次で全てが決まる。心しなさい】

「…………」

 

 その厳かな言葉を聞きつつ、媛君は――

 

"囁くは銀月《ミスリル》、金陽《オリハルコン》の双頭……"

 

 

 新たなるユメの中にて、境界すら定かではない空海を揺らすように――

 

 

"――天に響けり、永劫の韻律。地に奏でよ、刹那の旋律。いざや唄わん、調律の和音を。始まりに終わり、終わりに始まる零位の剣の、その御名を――……"

 

 生命の――否、『この宇宙』の濫觴を口ずさむ――……



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第五章 未来の世界 Ⅱ
薄明の空 小さな希望


 勝負は一瞬だった。閃いたのは二射、同時に放たれた白と紫の矢はぶつかり合い――砕け散った紫は消滅し、白は相対する射手を射抜く。

 ショウはセントラルタワーの屋上に仰向けに倒れ伏す。その目に映る――久しく見ていなかった、夜明け前の瑠璃色の夜明け。

 

 強大過ぎる浄戒の神名を無理矢理詰め込んだ代償として彼の躯と心、魂は既に壊れていた。どんなに足掻いても助かる道は在るまい。

 

 だが――彼はそれで満足だった。

 

「ショウ……ごめんよ、僕は……」

 

 無意味な死ではなく、友の手に掛かって破壊されたのだから。

 

――馬鹿野郎……なんて顔してやがる。お前がそんな顔してちゃ、安心して逝けねェだろ……

 

「いいぜ……行けよ、スバル……この狭苦しい"鳥篭"を抜けて……お前が憧れ続けた……広い…………世界に……」

 

 だから、彼は友人を鼓舞する。この余りに優し過ぎる人生最高の親友を――送り出す。

 

――俺はその光の中には行けない。俺は……この闇の底で充分だ。

 だってそうだろ……闇の中からじゃなきゃ、光は見えない……

 

「スバル……俺は……これからもお前のトモダチで…………居られるか……?」

「当たり前だろう、ショウ……僕らは……いつまでも……」

 

 伸ばした手を、スバルは迷わずに握り締めた。力は――弱い。スバルももう、動いているのが限界の状態だった。

 

「……ああ……ずっと…………」

 

――永遠に、俺達は…………

 

「「……トモダチだ……」」

 

 その朝に希望など無く。ただ、変わらない絶望が彩る。始まりが有れば、必ず終わりが有る。

 しかし、終わるからこそ……始まりが有る。それこそが、"輪廻"だ。

 

 最期の瞬間にまた心から笑い合えた二人の"絆"は――まだ、終わりなど迎えてはいないのだろう……

 

 

………………

…………

……

 

 

 暗く鎖されていた視界。それを、ゆっくり開けば――見慣れたくない保健室の天井が目に映る。

 

「あら、目が覚めた、クー君? 気持ち悪いところとか無い?」

「……姐さん……俺は……」

「血液を1リットルも抜かれてたのよ……よく生きてたわね。皆心配してたんだから」

 

 白衣姿のヤツィータを一度見遣り、軽い眩暈を覚えながら上半身を起こす。と−――隣から生理食塩水が渡された。

 

「…どうぞ、巽くん」

「セラフカ……さん?」

 

 学園の制服に身を包んだスバル、トレードマークの赤い鉢巻きは着けたまま。彼はそれまでの経緯を説明する。旅団に加わった事、繰り返す世界の滅亡……ショウの死。既に、それから三日が過ぎている事を。

 

「……そう……ですか」

 

 全てを聞き終えた空の目に映る、壁に立て掛けられた【夜燭】。

 

【……ご無事ですか、オーナー……】

(ああ……ッてか、お前こそな)

 

 黒い剣は【疑氷】の矢により穴が穿たれ、あちこち無惨に傷付いている。消滅していないのが不思議なくらいの損傷度合いだ。

 

――結局何も為せず、何者にも成れやしない……俺は何の為に、他者を傷つけてまで壱志(イジ)を張り続けているんだろうか。

 

「……ッ!!」

 

 込み上げてきた吐き気ごと生理食塩水を飲み下し、大きく息を吐く。そんな空の手に、スバルの手が重なった。

 

「……有り難う、巽くん。ショウの魂を救ってくれて。ショウの奴……最期の瞬間に笑ってました。きっとそれは、希望が実在する事を知ったからだと思うんです」

「……それは、俺じゃないですよ。ショウにとっての希望はセラフカさんだ」

「だとしたら、僕の希望は君だ」

 

 突然の言葉に面食らう空。しかしスバルは構わずに続ける。

 

「僕の大事なトモダチの魂を救ってくれた君が、僕の希望だ。だから、やっぱりショウにとっても君は希望だった。それで……いいじゃないか」

 

 そう、笑顔を見せた。トモダチの死からたった三日しか経っていないのに。

 

――なんて強い人なんだろうな。お前が惚れ込んだのも理解できるぜ、ショウ……

 

 その笑顔は、よく似ている。何処かのお人よしな幼馴染みに。

 

「……有り難う、もう大丈夫だ……『スバル』さん」

「……お大事に、『空』くん」

 

 そうしてファーストネームで呼び合って、スバルは席を立つ。空も立ち上がろうとしたが、そこはヤツィータに抑えられてしまった。

 

 仕方無しに寝転び、窓の外に目をやれば――ものべーの擬似天幕に投影された夜空。

 

「姐さん、そういえば今は……どうなってるんです?」

「うん? 言ってなかった?」

「聞いてねっすよ……」

 

 『ゴメンあそばせ〜』と言わんばかりの仕種に溜息を落としつつ、耳を傾ける。下手な事を言うとどれだけ脱線するか、判ったモノではない。

 

「……浄戒を奪取して、暁絶の待つ世界に向かっているところよ」

「……ッ!!?」

「あ、ちょっとクーくん!? 待ちなさい!」

 

 そこで跳び起きた。思い出したのだ、今がどれ程危うい状況かを。ヤツィータの止める声すら聞かず、空は保健室を走り出る。

 

−−しまった……! 何、呑気(ノンキ)曝してやがる阿保んだら! 今此処には……あの二ツの神名が揃ってるんだぞ!

 

 縺れそうになる足、それに鞭打ち二人を探す。世刻望と永峰希美を探して、望の部屋に辿り着き――

 

「はい、望くん。あーん♪」

「駄目です先輩、それはわたしの役目です! 望ちゃん、あーん!」

「いや、自分で食うから……」

 

 沙月と希美にちやほやされながら夜食にスナック菓子を食べている最中の色男モテ地獄を目の当たりにして、扉を()ち破りながら『ザシャアアッ!』とおもっきり顔面スライディングをかました。

 

 

………………

…………

……

 

 

 擦りむいた鼻に貼った絆創膏を摩りながら、空は暗い廊下を歩んでいた。

 

「……ったく。シリアスかましてた自分が恥ずかしくなったぜ……」

 

 あの後、二三質問と厭味を言って保健室に引き返し治療して貰い、装備を取って自分の部屋に帰る事にしたのだ。ついでに食堂で勝手に肉類中心のこってりした食事を平らげ、道々食後の番茶がわりに数本の缶珈琲を手に入れて。

 

 しかし、直ぐに表情は引き締まる。『何か変わった事は無いか?』というその問い掛けに、望と希美の二人が表情を曇らせたのを見逃さなかった。

 

――やっぱりそうだ。浄戒を取り戻した事で、望はより強く前世を感じるようになった筈。

 そして希美は……浄戒が側に在ると『相剋』が目覚めるかもしれない。

 

 『相剋』の神名。それは所謂、『ワクチン』のようなものだ。神という『プログラム』に対して、絶対的優位を持つ『ウィルス』の『浄戒』を狙い撃ちにした神名。故に他の神名に対しては特に作用しないが、『浄戒』にだけは絶対的優位を持つ。

 ボヤきながら、缶の蓋を開ける。神を弑す神の『破壊と殺戮の神』"ジルオル=セドカ"を確実に弑す為に在る……『断罪と救世の女神』"ファイム=ナルス"に刻まれた、『浄戒』に対する『相剋』。

 

――でも俺は……どんな状況でその『相剋』が目覚めるのか知らない。それが発現する前に南北天戦争を脱落してしまった。今はまだ、二人はあくまで今まで通りの関係のままだが……神名が目覚めれば、あの二人は……

 

「……ったく。世の中って奴はどうしてこう上手く出来てるのかね。クソッタレなカミサマは、よっぽど悲恋モノが好きらしいな」

 

 反吐を吐きながら何気なく視線を向けた先に少女は居た。暗がりの底から星空を見上げている小さな黒い影。

 

「……黒ジャリ天か」

「……生きていたのですか。巽は手先が器用でゴリラ並の筋力に、ゴキブリ並の生命力なのですね。ギャンブルも好きなようですし」

「断じて眉毛は繋がってねーぞ」

 

 窓の桟に腰を下ろしていた堕天使ナナシ。ともすれば闇に溶けてしまいそうに感じる。何となく沈んでいるようだ。

 

「……何か?」

「いや、別に」

 

 暫く続いた沈黙、動く物の何も無い学園の静寂の中、黙って珈琲を含み続ける。

 

「……お願いが、有ります」

「――……何が?」

 

 鼓膜を揺らした声に、一拍分間を置いて応える。その声に逼迫したモノを感じた為に。

 

「……今からでも世刻達が元々の世界に帰るように、説得して貰いたいのです」

 

 それにナナシも一拍分間を置いて応えた。心を落ち着かせる為に。

 

「……あのな、無茶言うな。俺達が此処まで来たのは、お前の主人の暁の方が招き寄せたからだろ?」

「……だからこそです。貴方になら判る筈でしょう、己の神名に命を蝕まれる……苦痛と恐怖が」

 

 夜風が吹き渡れば、微かに聞こえる枝葉の擦れる音。静かな夜想曲(ノクターン)が世界を彩る。

 

 それをひとしきり聞いた後で。

 

「判んねーよ……巽空(オレ)には、暁絶の気持ちなんて」

「……敵だから、ですか」

 

 此処に来て、初めてナナシは本心からの情動を見せた。キッと空を睨みつけ、低く恫喝するように。静かな、しかし激しい怒りの感情を見せる。

 

「そういう訳じゃない。判るさ、死ぬのが恐いのは。でも……それは他の誰でも同じだろ? 『滅び』の神名なんて持ってなくたって、生まれたら死ぬのは当たり前だ」

「そんな事が言えるのは『触穢』から解放されたからでしょう……! マスターは今も苦しんでいます、目の前に迫った『滅び』に!」

 

 空は缶珈琲を一口含むと、顔を向ける事も無く宣った。流石に怒りを爆発させたナナシ、だがやはり空は意に介さずに一気に飲み干し――心底悔しそうに。

 

「……なんて、お前と議論したって仕方無いよな。暁の奴に言わなきゃよ。けど、俺じゃあ姿を見る前に唐竹割りが関の山だ」

 

 実力差は嫌と言う程に理解している。何せ神獣だけでもあの強さの永遠神剣の持ち主だ、旅の始まりの時の交戦など遊ばれていただけだろう。

 

「……当たり前です。マスターは誰よりも強い方ですから」

「またしても惚気(ノロケ)かよ……コレだからデキてる奴らは……」

「だからっ……! 誰がデキてる奴らですかっ!!」

 

 またもそこで気を取り直して、咳ばらいしてナナシはいつもの澄ました顔に戻る。扱いに慣れてきた優越感からニヤついていた顔を、空も引き締めた。

 

「……だからよ、望を信じてやってくれ。アイツは本心から暁を救おうとしてる。それを諦めてないんだ。『トモダチ』ってだけで」

「そんなもの……」

「ああ、綺麗事の上に絵空事さ。夢見てると俺だって思う。全てが上手くいく訳が無い、誰かが利を得たなら誰かが損をするのが現実だ。それでも……もし全部が上手くいくのなら。努力が報われるなら、諦めたくないんだよ」

 

 近くの屑籠に空き缶を投げる。缶は屑籠の縁に当たり、クルクルと縦に高速回転して見事に入った。

 

「――何せオイラは鼻タレ小僧。物語はハッピーエンドで終わらなきゃ嫌な性質(たち)なもんでね」

 

 最後の最後で恥ずかしさを隠し切れずに、茶化して。ナナシの脇に封を切っていない缶珈琲を置いて、バリバリと髪を掻きながら歩み去る背中。そこに――

 

「マスターを……助けて……」

 

 そこに投げ掛けられた微かな、搾り出すような……震える声。

 

「……約束は出来ない。けど、努力はする。それで……勘弁してくれ」

 

 振り返りはしない。たった今、自分で『夢を見ろ』と言ったのだ。沸き上がるのは怒り。此処まで自分を思ってくれる存在を一人にしておく絶に。何より――頼られても応えられもしない無力な己……『巽空』に。

 

 だが、それに甦る笑顔があった。夢か現かは今だに判別が付かないが……滄海[あお]の髪と金銀の瞳、儚い笑顔。

 自分も同じ事をやったのだ。差し延べられた手をとらなかったのだ、いつも通り意固地になって。

 

――本当……やってらんねーんだよ、クソッタレ……

 

 足音は少女の声から、情けなくも逃げるように。決戦の世界へと、逃れる術も無く進んで行った。

 

 

………………

…………

……

 

 

 翌日の学園の校庭、次の世界まではまだもう少し時間がある。その合間に空はソルとの套路に励んでいた。

 

「うっし、一先ず終わりにしようぜクロ、空」

「左様、流石に四時間続け通しは疲れたであろう。根の詰め過ぎは悪影響を及ぼそう」

「そう……だな。訓練で躯壊すのも莫迦らしいし」

 

 ソルラスカの【荒神】の守護神獣の黒狼『黒き牙』……クロの忠告に従って切り上げる。校舎と校庭を繋ぐ階段に腰を下ろす二人と一匹。途中、空の懐から落ちた物をクロが拾い上げた。

 

「巽よ、落としモノだ」

 

くわえられていたモノは――骨。肉が付いていれば、某原始的な肉になるだろう。しかし似合う姿だ、心なしか尻尾が揺れている気がする。

 

「うん? 『トーの聖骨』か……ミニオンが落としたやつだな……」

 

 受け取り、空は……ウズウズと身を震わせて。足を踏ん張り、大きく振りかぶって。

 

「――取ってこーーーいッ!」

「――アオーーーン!」

 

 思いっ切り、聖骨を遠くへと投げ飛ばす。クロはそれに向けて疾風のように走り、戻ってきた。

 

「よーしよしよし……」

「ハッハッハッ……さて、そろそろよいかな?」

 

 ム○ゴロウさんのようにかいぐる空を暫く好きにさせて――クロは、戦闘の際に見せる鋭い眼差しを向けた。

 

「うっす、クロ先輩……思い残した事はもうねっす」

「ふむ、その意気に免じて今回は不問に付そう。二度とやるな」

「何やってんだ……おお、『地牙』のインスピレーションが……もう覚えてるけどな!」

 

 聖骨を噛み砕き、クロは噛んで含めるように告げる。ソルは呆れ返った声を向けるだけだった。

 

「そういやぁ、俺もパーマネントウィル持ってるぜ。そらコレ」

 

 言うや懐から何かを取り出したソル。それは――口を縛っただけのビニール袋。

 

「……フッ、莫迦なりに頭使ったじゃねぇか。でも甘いな、俺は恥をかくのなんて何とも思わないからな。見えないぞ、何も見えない」

 

 それを、『裸の王様』的な試しだと思った空は見たまんまを答えた。ソルラスカはまたも呆れ顔を見せる。

 

「あん、当たり前だろ。『コバタの森の風』が見える訳ねーだろ」

「紛らわしいわ! つーか何を保管してんだテメーは!空気の缶詰か! そしてミニオンがどうやって持ってたか教えろ!」

「雁首揃えて何騒いでんのさー」

 

 問い詰めている最中、校舎の方からルプトナが現れた。制服姿なところを見ると、暇を持て余しているらしい。

 

「……あれ、ソル、それコバタの森の風じゃん」

「何で?! 何で判るんだよ!」

「あ、ボクも持ってるよ、パーマネントウィル。ほらコレ」

 

 そうしてポケットから取り出したのは――土の入ったビニール袋。

 

「……って、見た事ねーよそんなん持ち歩いてる奴!!お前は夢敗れた高校球児か!」

「なんだよぉ、ただの『十六夜の平原』じゃんか」

「だからミニオンがどうやって持ってたか教えろォォォ!」

「ちょっと、何騒いでるのよ〜……こっちは二日酔いで辛いんだからね〜……あらぁ、コバタの森の風と十六夜の平原じゃない」

「だから何で判るんだァァッ!」

 

 そこにフラフラと、頭を抑えたまま現れたヤツィータ。昨日も深酒したのか、顔色が悪い。

 

「あたしも持ってるわよ、パーマネントウィル。はいコレ」

 

 そして、懐から取り出された――少量の水が入ったビニール袋。

 

「オイィィ! 保険医が何持ち歩いてんだよ!コレッ……確実に使い方一つしか思い浮かばねーよ!」

「なによぉ、ただの『冥界の地下水脈』じゃないのよ」

「だから何で頑なにビニール袋に入れて来るんだよ! ビニール袋の中に世界でも創る気か!」

「あら、良いわねそれ。どんなスキルを覚えられるのかしら」

「俺が一から十まで全部ツッコむと思うなよォォッ!」

 

 コバタの森の風と十六夜の平原、冥界の地下水脈を一つのビニール袋に纏めて泥水を作った三人と、ゼイゼイと肩で息をしながらツッコみ続ける空。

 

「……貴方達は、いつもあんな風に騒いでいるのですか?」

「あの四人が特別おめでたい性格なだけだ。一緒にしないで欲しいものだな」

「まったくじゃ」

 

 それを生徒会室から眺めていたナナシは、冷たい眼差しをサレスとナーヤと共に彼等へ向けた。

 

 

………………

…………

……

 

 

 訓練を切り上げ、ミネラルウォーターを手に入れて自室に戻る道々、思い出した事があった。

 

――そう言えば綺羅の奴、元気にしてるのか……? 時深さんがいるんだから狂犬病とかの心配はないと思うけどよ……

 

 クロを見て思い出した、旅が始まる前に黒狗に襲われた時に助けてくれた凛々しい銀狗。

 

「――巽、丁度良いところに」

「はい?」

 

 振り返れば屋上で干していた物を取り込んで来たらしい、畳まれた服の入った洗濯籠を持つカティマとタリア、ユーフォリア。

 

暗殺者(アサシン)が背後を取られるとは……俺も腕が落ちたな」

「ボケはあんたが校庭で相手してた連中だけで十分よ」

 

 ジト目で睨まれて『黙れこの野郎(サイレントフィールド)』を唱えられて仕方なく水を含んで黙る。差し出された武術服は洗濯済みの上、破れも繕ってある。広げて見ても傷はほとんど判らない。

 

「毎度すみません。礼はいずれ、精神的に」

「期待しないで待ってるわよ。じゃあ、急ぐから」

 

――面倒見も良くてしっかり意見も言う良妻賢母タイプ、ソルの奴も中々見る目があるよな……まぁ、十中八九尻に敷かれてカカア天下だろうけどアイツにはそういう方が似合うか。

 

 スッと手を挙げてさっさと帰っていくタリアを見送る。

 

「……ッてか、見てたんなら助けてくださいよ。あのボケの三連星、一人で捌くの大変だったんすよ」

「何を言うかと思えば。だからこそ関わりたくなかったのですよ」

「ごもっとも……ところで姫さん、ボケに対してエグいですよね? 具体的に言うと生で囓った蕗の薹くらい。なあユーフォリア?」

 

 そう、何気なく話を振った。さっきから一言も発していない少女に。すると――

 

「…………(ぷいっ)」

 

 とばかりにそっぽを向かれてしまった。いかにも『怒ってます』といった感じで。

 

「ユーフォリア? おーい……」

「…………(つーん)」

 

 回り込んでみても同じ、蒼い髪を靡かせて逆方向を向いただけだ。

 

「怒っているのですよ、巽に」

「俺ですか? なんかしたっけ……」

 

 頭の白い羽根も、彼を拒絶するように逆立っている。思い悩むも、心当たりはまるで無い。

 

「……言い方は悪くなりますが、私達は巽の無茶にもう慣れていますから。ですが……」

 

 膨れっ面のユーフォリアに、苦笑を漏らしながら問うた。すると、カティマも苦笑を漏らす。

 

「ユーフォリア殿は……泣いていましたよ。貴方を心配して」

「…………」

 

 二人とも結構なサイズの籠を抱えている。目線を戻して見れば。

 

「……きらい。無茶ばっかりするお兄ちゃんなんて……きらいだもん……」

 

 タオルを詰めた籠に顔半分を埋めて、上目遣いに睨みつける彼女。その真摯な怒りを臆面も無く――

 

『久遠の刻も……無間の世すらも、超えて――……』

 

 あの時と同じく、純粋な感情を真っ直ぐに向けられて。逃げる事など出来はしない。

 

「……悪いな、無茶は止められねぇ。何せ俺は――……弱いからな……」

 

 思わず出てしまう左手……感謝から彼女の頭に置こうとした左手は、暫く宙を彷徨い――心配を掛けた張本人に、そんな資格が有る訳が無いと。己の癖っ毛を掻いた。

 

「俺自身さ、泥臭くてダサいのは判ってるんだ。それならせめて、『チカラが無いから敵う訳無い』とか物分かりがいいのを気取って諦めてる、糞ダセぇ最低な奴には成りたくないんだよ……」

「でも……それで死ぬかもしれないんだよ。もしかしたらお兄ちゃんが死んじゃうんじゃないかって……本当にあたし……心配で……」

 

 その時の気持ちを思い出したのか、曇り空の向日葵のように項垂れ……雨に降られたようにうっすらと涙ぐむ。

 

――……情けないのは今に始まった事じゃないが、久々に心底情けない。こんなガキんちょを泣かせる程、心配掛けるなんてよ……

 

「――死なねぇよ……死ぬもんか。まだ何もやり遂げてない今のまま死んだら、何の為に生まれたのか判らなくなるだろ。だから……死んで堪るか、死んでもな」

「……じゃあ、約束して……死なないって、約束……」

 

 ぐすぐす鼻を鳴らしながら、右の小指を差し出した彼女。指切りを……正に『不可能』の代名詞を約束して欲しいと。

 

「判った……約束するさ。俺は絶対に死なない。少なくとも、俺から負けは認めない。相手が何者でも……俺は、必ず生き抜いてみせる」

 

 そうして、壱志(イジ)を張る。元より『善悪』ではなく『仁義』を最優先の行動理念とする、他人の命が懸からずに自分が苦労するだけなら平気で無茶する男。その不可能にまで挑み『安いものだ』と。小指を絡めて上下に揺する。

 

「……約束したよ。あたし……お兄ちゃんを信じてるから……」

 

 その『約束』がどれ程の意味を成すか、知る由も無く――……

 

「……ああ。これでも義侠(おとこ)を目指してるからな。一回結んだ約束は……壱志にかけて、守るさ」

 

 ただ、彼女が指を解き見せた――晴天の太陽を仰いで溌剌と咲いた、大輪の向日葵の華へと返り咲く笑顔に安堵した。

 

「巽は相変わらず、無茶な約束をしますね。戦いに出るというのに『死なない』とは……」

「はは、何を言ってるんですか、姫さん?」

 

 カティマの差し出した黒い外套、元式典用の外套は……この数ヶ月で随分と傷んでいる。

 

「無茶・無謀・無様の三段オチが巽空の得意技です。知りませんでしたか?」

 

 受け取り、お道化た調子で冗句を口走った空に彼女は少し呆れた風に破顔した。

 

「ふふ、これは一本取られました。私との手合わせの時にも、これくらい見事に一本取って欲しいものですね」

「うく、見事な返しの刃で……」

 

 外套を左肩に掛けながら理解した事。自分の『家族達』は、こうも優しい。皆が皆、元気づけようとしてくれていたのだから。

 

「……そういえば今日の食事当番って誰でしたっけ? ど忘れしちまいました」

 

 恥ずかしい言葉で表すのならば、"家族の絆"とでも言うのだろう。胸中に溢れる温かな気分を軽口で隠して。

 

「えーっと……確か」

「沙月殿だった筈ですよ」

 

 そのまま並び歩き、角に差し掛かった時。その悲劇は起きた。

 

「えっマジすか? ヤベー、当たり外れ大きいから念の為に胃薬用意しとかないといけナバヒッ!?」

 

 空の喉元に凄まじい勢いで突き刺さった貫手(ぬきて)、鋭く正確な"地獄突き(マーシレススパイク)"。一撃で無力化され廊下に転がる彼を笑顔で見下ろす斑鳩沙月。その手は【光輝】でコーティングされて輝いている。

 

「あ〜〜ら、それじゃあ巽くんに味見して貰う事にしましょうか。じゃあ、借りてくわね」

「え、ええ……ごゆっくり……」

「…………(ぶるぶる)」

 

 虫の息の空に冷たい声で告げての威圧に、カティマとユーフォリアは|戦(おのの)くのみ。

 

「行くわよケイロン、久しぶりに創作料理に挑戦しましょうか」

「了解。しかし、御申し付け下されば槍をお貸ししましたのに……」

「……た、たしゅ……け……」

 

 ケイロンに首を掴まれていった彼を救ったのは、偶然にも食堂に居合わせた望と希美、スバルの必死の擁護だったという……



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第六章 滅びの世界
砂塵の果て 滅びの時 Ⅰ


 砂塵の巻き上がる砂漠。黄昏に染まる天は血を流したように紅く、かつての青空を見る事は二度と無い。緑溢れた姿などもう遠い過去、幼き日に遊んだ山野は岩肌を剥き出す骸と化し、生まれ育った街は砂の海に呑まれ沈んだ。

 水などはとうの昔に枯れ果てたというのに、未だ雲は有る。しかし、雨となったところで地まで届く事無く蒸発し、乾ききった大地は砂となり枯れた分枝世界と宿命を共にするだけ。

 

 この『枯れた世界』でまだ形を保っているのは、遠くに突き出た一ツの『塔』のみ。

 

「…………」

 

 耳を済ませば今でも鮮烈に蘇る、あの忌まわしい声。傲慢なる神の終末宣告と、絶望に狂った人々の怨嗟が響く……最期の日が。

 

「……まだか……まだ、来ないのか」

 

 砂を孕む風に吹かれながら、砂丘の頂に立つ黒衣に身を包んだ銀髪青瞳の青年は呟く。その焼けつく風を斬り、腰の佩刀が哭いた。

 彼の運命を決定づけた祝福と呪詛を共に齎した――神剣が。

 

 何も動くモノの無い世界。生命(マナ)の消え失せた世界に、何処までも木霊するその物悲しい響きはまるで、嘆きの精(バンシー)の唄う鎮魂歌(レクイエム)

 

「俺の『滅び』は近い……この機会を逃せばもう復讐は叶わない……」

 

 握り締めた拳、それを開けば砂が零れ落ちる。だが、拾い上げた訳ではない。

 彼自身が砂になりつつ有るのだ、その"魂"に刻まれた『神名』に。逃げ場の無い滅びを宿命づけられたその身は、この世界と同じ。

 

 ふと孤独感に包まれる。あの世界での、二度と戻れない日々。始めこそ利用する為だったが、何時しか――掛け替えが無いモノになっていたその関係に。そして、いつも傍に居てくれたその存在が居ない事に。

 

 しかし彼はただ、苦笑するに止まった。己の決意の甘さに。

 

|判っているのだ、諦めてしまっては――神への復讐を託して逝ったこの世界の住人達に……この復讐劇に巻き込んでしまった"彼女"に、申し訳が立たない。

 

 だから、その命が潰える刹那まで……成功したところで救いなど無く砂となり消え果てるとしても、彼は決して諦めはしない。

 

 そしてその"復讐"の為に幾多の命を吸ってきた彼の刀に手が掛かり、低く腰を落とした抜刀の構えを取った。

 踏み締めたその足場たる砂地には――鮮やか過ぎる手並みに死した事にすら気付かない哀れな犠牲者どもが、半ば埋もれた骸を曝す。

 

 それこそが彼の在り方だ。復讐に生きて、復讐に死ぬ事こそが−−神世の古に『復讐の神』の二ツ名で畏れられた神性の『聖なる神名(オリハルコンネーム)』を継ぐ、彼の在り方なのだ。

 

「早く……早く来い、望……! 神弑の『浄戒』を持って、俺の元に!」

 

 瞬間、世界に『光』が溢れる。開いた"門"を通って新たな犠牲者、ミニオン達が現れた――……



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砂塵の果て 滅びの時 Ⅱ

 穏やかな昼下がり、昼飯で膨らませた腹を労るために、中庭のトネリコの樹の下で【夜燭】と【是我】を整備する。

 ズタズタに傷付いていた【夜燭】の刀身を『水銀の研布』で磨きあげ、穿たれた穴をその削り滓で埋める。永遠神剣には自己修復機能があるので、こうしておけば遥かに治りが早いだろうと考えた結果だ。

 

 一方の【是我】は、本体自体は無傷に近い。ただ、弾薬の消費が激しく、覗きこんだマガジンの内部に広がる銃弾の万華鏡が虫食いだらけになっていた。

 

――実は、これが深刻な問題だ。コンストラクタ能力を失った今、俺にはもう銃弾が作れない。

 つまり、残り約八十発を使いきったら、その場に在るマナをチャージするしかなくなる訳だ。

 

 ハア、と溜め息を落とす。一瞬鬱に入りそうになった気持ちを吐き出すように。

 

「ひゃんっ……もう、くすぐったいよ、お兄ちゃん」

「毎回毎回、膝の上に座ってくるお前が悪いんだろうが。大体な、そこに座られると煙草が吸えねぇんだけど」

「お兄ちゃんのここは、あたしの特等席だも~ん、ふみゅっ!」

 

 頭の翼を揺らされて、くすぐったそうにぶー垂れたユーフォリアの頭を顎で小突いた。彼女は頬を、向日葵の種を溜め込んだハムスターみたいに膨らませ、空の胡座の上の小さな可愛らしいお尻を基点に体をよじり、抗議の眼差しを向けてくる。

 

「ぶーっ、ひどいよ、お兄ちゃん……」

「自業自得だ。たく、俺は座椅子かっての」

 

 手入れを終えた【是我】をライフルからギターに変えて、両手にダークフォトンを纏った。薄く、しかし固く。カティマの『威霊の錬成具』をイメージし、自身がかつて使っていた物をモチーフにしたダークフォトンの籠手を(よろ)う。

 そして、弦を爪弾く。以前よりは格段に上手くなった、その演奏。しかし、まだまだ指運びが甘く音が外れる事屡々。

 

「…………」

 

 唯一の聴衆は、『特等席』とやらで聞き入るように目を閉じている。少し面映ゆいが、まさか悪い気もするまい。

 

「温かく、清らかな、母なる再生の光……」

 

 調べに誘われるように、その薄紅の唇が言の葉を紡ぐ。特に打ち合わせなどしていないが、韻律と旋律に合わせた和音に乗せた詩。

 それはまるで、蒼い小鳥。童話に出てくる、幸せをもたらす小鳥の囀りのようだった。

 

「全ては剣より生まれ、マナに還る。どんなに暗い道を歩むとしても、精霊光がわたし達の足元を照らしてくれる……」

 

――ああ……何だろうな、この懐かしさは。まるで……。

 

「清らかな水、暖かな大地。命の炎、闇夜を照らす月……その全てが導きますよう」

 

 その時、ふと感じた懐古の情。昔も誰かとこんな風に……遥かな往古の時、それは『男と女』、或いは『銃と弾』のように。

 若しくは――『剣と鞘』のように、『二つで一つ』だった気がした。

 

『……不様だな、小僧。それでこの【破綻】が選んだ『刃』に相応しいと思っておるのか、(うつけ)め』

『まぁ良いさ、今回は及第点をくれてやる。漸く……わざわざ貴様を『  』から破綻させた甲斐が出てきたのだからな……!』

「――ッ!?」

 

 突然思い出した聞き覚えの無いその声に、コードを間違えてしまった。明らかな不協和音にユーフォリアの唄も止んでしまう。

 

「んも~、あとちょっとだったのに~~ぷきゅっ!」

「 くっ……仕方ないだろ、とちっちまったんだから」

 

 またも膨れてぶー垂れたユーフォリアの頬っぺたを挟んで息を吐かせる。今まで一度たりとも最後まで行った事が無い為か、彼女も彼も大分焦れているようだった。

 

『何だか、最後まで歌えたら大事な事を思い出せる気がするの』

 

 とは、彼女の弁。一応、空が覚えていた歌詞は全て伝えてある。だが、歌詞では何も思い出せなかったらしい。

 

「どうも、最後のサビのところの高音がなぁ……指が着いてかないんだよなぁ。お前の神性強化(リーンフォーサ)でなんとかならねぇ?」

「怠けちゃダ~メ。日々精進だよ、お兄ちゃん♪」

「へいへい……いい訓練士がどっかに居ねぇかな……」

 

 等と駄弁りながら、ものべーの作り出す鄙びた昼下がりの木漏れ日を浴びる。その内、段々とユーフォリアが撓垂(しなだ)れ掛かるようにしてきた。

 

「……寝ていいぞ、何なら子守唄を歌ってやろうか?」

「子供扱いする~っ…………むにむに……」

 

 と、器用に寝言で文句を言いながら刷りつく少女。完全に自分を信用・信頼しきって眠る姿は気のせいか大人びて見え、さながら蒼い妖精(ニンフ)

 そんな、まだ美女と言うには幼すぎる『眠れる美幼女(スリーピングビューティー)』を起こさぬよう、昔よく時深にやらされていた座禅での精神統一を行う。

 

――全く……どうかしてんな。こいつに、妹みたいな相手に。

 

 そんな相手に――一瞬抱いてしまった、妙な感情を打ち消す為に。明鏡止水、無我の境地に臨む。

 因みに、座禅は神道ではなく仏教であるが。

 

「んにぅ……お兄ちゃあん」

「ん――?」

 

 呼び掛けられ、少し目を開く。しかし、それはやはり寝言であった。瞑想まで無為にされてしまい、笑うしかなくなる。

 

――俺って、もし本当に妹がいたら……シスコンだったんじゃなかろうか。

 

「あ――」

「し~っ、くーちゃん」

 

 代わりに、いつの間にか目の前にいた希美と目が合った。彼女は人差し指を立ててそう呼び掛けると、隣に腰を下ろす。

 

「ふふ……ユーフィーちゃん、よく眠ってるね。よっぽど、くーちゃんの胸の中が安心できるみたい」

「からかわないでくれよ、のんちゃん……望とかでも同じだって」

 

 間近に迫った可愛らしい顔立ちは、ユーフォリアの寝顔を見る為以外の意味はない。だが、それでも十分。高鳴る心臓に、ユーフォリアがむずがるくらいの効果があった。

 

「そんな事ないよ、わたしには分かるもん。お兄ちゃんの腕の中って安心できるんだよ」

「…………」

 

 つまり、それは望の事なのだろう。夢見るように思い人に他の男の事を誉められて、良い気がする男など居ない。

 歯牙にも掛けられていないのは今更だが、だからと言って認めるのも癪なのである。

 

「……じゃあ、のんちゃんも」

「うん、何、くーちゃん?」

 

『俺の胸に抱かれてみるかい?』等と、あと少し続けていたら心臓が口から零れていたかもしれないほどに高鳴らせながらの軽口を、見上げるように小首を傾げられて止められてしまった。

 

「むにうぅ~……!」

「イテテテ……こ、こらユーフォリア」

 

 と、何やら急に不機嫌そうな寝顔になったユーフォリアがむぎゅ~っと抱き付いてくる。それに希美はさも可笑しそうに微笑んだ。

 

「ふふ……駄目だよ、女の子は大好きな人にはいつも一番に考えてて欲しいものなんだから」

「いや、だから俺とユーフォリアは兄妹みたいなもんで……」

「『義理』がつく、でしょ? 妹みたいな間柄だからって、お兄ちゃんみたいな相手を好きにならないとは限らないよ。それと忠告しておくけど、ユーフィーちゃんを泣かせたりしたら学園皆を敵に回す事になっちゃうんだからね」

「何だろ、なんか着実に既成事実が積み重ねられつつあるような」

「あはは、実はユーフィーちゃん、天然の悪女なのかもね」

 

 まあ、確かにその通りである。元々、ユーフォリアが妙に懐いているだけでも男女問わずやっかみとか陰口を叩かれたものだ。

 そして、心が冷え込む。やはり希美が述べたのは、望への想いだったのだから。

 

――クソッタレ……分かっちゃいるが、やってらんねぇぜ……

 

 等と考えている内に、希美は立ち上がる。勿論、ユーフォリアが乗っかったままの空にはそれを追い掛ける事は出来ない。

 

「あ、でも、いくらユーフィーちゃんが可愛いからってエッチな事はしちゃ駄目だよ? 条例違反だからね」

「だから、俺はロリコンじゃないって……」

 

 最後に、ペロッと舌を出して駆けていった彼女。それを見送って――取り出した煙草がに火を点ける。

 肺腑に流し込む、毒性の香気。体に悪い事は分かっているのだが、止める機会がなかったソレ。

 

「にゅう……けほけほ」

 

 吐き出した紫煙に、ユーフォリアが咳き込んだ。それに空は持っていたソレを携帯灰皿に押し込んで、その空箱を握り潰して。

 

「……良い機会だしな――禁煙すっか」

 

 健やかに寝息を立て始めた彼女に、優しげな眼差しを向けた――……

 

 

………………

…………

……

 

 

 黄昏の世界に『翳』が溢れた。それは"門"、分枝世界を繋ぐ現象。そこを通過して三ツの影が砂漠に降り立った。

 

 崩壊した繰り返す世界から離脱した光をもたらすものの神剣士達。しかし、既に味方の展開は終わっている筈なのに集結地点には影も形も無い。

 

「……それにしても、見逃してよかったのかしら? 坊やも、【破綻】とかいう鍵も」

 

 エヴォリアは問い掛ける。隣のベルバルザードにではなく、背後。岩場の陰、斜陽の当たらない陰に潜む機械の神に向けて。

 

「――クク……オレ達の目的はね、"パンドラの箱の最後の中身"でさ。だからあんな雑魚どもに興味は無いんですよォ」

 

 歩み出た機械神、しかし雰囲気が変わっている。具体的に言えば、装甲の類はそのままなのだが声が妙に有機的になり、取り付けられている面兜(バイザー)から覗くのが――二ツの瞳となっている事。

 

「それにしても大漁大漁。漁夫の利ってのは最高ですよねェ?」

 

 彼の永遠神剣である翳、その中に見え隠れする――

 

「次なる戦いに備えての増強か……貴様らしい姑息な作戦だ」

「誉め過ぎですよ先輩。嬉しくて、アンタも浸蝕したくなりまさァ」

「さぁさぁ、無駄口叩いてないで目的を果たしましょう――」

 

 パンパンと手を叩き、話を切り上げる。余程気が合わないのか一時が万事この調子の部下達に向けて、エヴォリアは疲れた表情を見せた。

 

「にしても、機械の見続けた儚い夢か……貴方にもそれくらいの器量が有ればね」

「何言ってんですか姐御、オイラこう見えてもピー○ー・パン機能満載ですぜ? なんせ、羽無しで飛べますし。ねえ、フ○ク船長」

「捻り潰されたいのか、貴様――」

 

 そこで、三人は気付いた。足元の砂に埋もれる味方の骸と、それを成した者の存在に。

 

「あの小僧め……たった一人で我等の軍勢を此処まで……」

「ま、これが関の山でしょうが。本物の神剣士にかかりゃあね」

 

 そんな言葉にも、残るエヴォリアは反応しない。ただ、彼女の差し出した指先から放たれた光がその骸を焼き尽くしていく。

 『慈愛の女神』たる前世の名に恥じぬ、慈しみに充ちた光にて。

 

「――遅かったな、光をもたらすものども……!」

 

 その葬火に照らされながら、黒衣の剣士は砂丘の頂きに立つ−−…

 

 

………………

…………

……

 

 

 物部学園一行が降り立つ砂の海。紅く染まる世界は見渡す限りに砂、砂、砂――

 

「この世界はもう枯れてしまっているらしいな。いつ分枝が崩壊するかも分からない、急ぐぞ」

 

 サレスに促され、一行は遠く霞んで見える塔を目指す。その最後尾で、望と希美、沙月は少し思い詰めたような表情を見せている。

 既に透徹城内から引き出していた【夜燭】を担ぎ、砂地でもお構い無しに歩く空。

 

【……オーナーも随分と逞しくなられましたね】

(ん、なんだよ、いきなし……)

 

 その途中で、レストアスは語りかける。右肩には【是我】、腰には前の世界で手に入れたPDWを吊す。因みに装填されているのは、火薬を抜きレストアスの一部を充填した特製品の銃弾。

 完全に武装を整え、襟巻きを防塵マスクの替わりに遣いながら砂地を走る彼の足取りは、全くブレていない。

 

【以前は私を担ぐだけでも精一杯だったでしょう? あの頃からは、考えられない進歩です】

(ああ……精霊の世界の事か。そういえば、そんな事も有ったな……)

【ええ、本当に……まだほんの数ヶ月前だというのに……】

 

 最初下界に降りた時の事を言っているのだろう、偲ぶような言葉。その質に、何故か不安を感じて。

 

(お前のお陰だって。これからも宜しく頼む)

 

 確かめるように問うた、その問いに。

 

【――……ええ、そうですね……そうできたら、素敵なこと……】

 

 そんな答えが返った、刹那に。

 

「「「――ッ!!?」」」

 

 色とりどりのミニオンの大部隊が一斉に現れた――!

 

 

………………

…………

……

 

 

 機械神が両腕に持つ二挺のキャリコから放たれ続ける、鋭利なマナ結晶。秒間1000発の弾幕『デュアルマシンガン』を怯む事無くかい潜り、砂を巻き上げて踏み込んだ一歩。

 

「ハァッ!」

 

 縦に巻き込む『回山倒海の太刀』で銃を切断し、更に突き出された【暁天】が――耳障りな金切り音を立ててその胸部を貫き、背後の岩に縫い付けた。

 

「流石だ……ルツルジ……ソゾア」

 

 機械神は、『臥薪嘗胆の太刀』を受けて致命傷を負った。貫かれたのはマナゴーレムの心臓部だ。

 

「――でもな」

「くッ!?!」

 

 その瞬間、機神の躯が翳に変わり――絶の背後に結集した。その腕にはワルサー、それを間髪容れずに絶へ向けてトリガーを引く。

 

「−−ガ、ハッ?!」

 

 その放った『赤い銃弾』を【暁天】で受け止めた絶……否、『受け止めてしまった』絶。その持つ能力によって鏡映しに、彼の背に銃創が穿たれる。

 

「この【幽冥】の正体にも気付けねェボンクラに、オレを討てやしねェよ……」

 

 傲然と見下ろし、PDRの銃口を彼の眉間に当てた。

 

「持ち主を不死身にする剣、神名を汚染する神名……ここまで厄介な神性だったとはな。巽め、やはりあの時……殺しておくべきだった」

「クク、違いねぇ。あの時分なら太刀打ち出来なかったしなぁ」

 

 悪態にあっけらかんと笑い、機械神は無造作にトリガーを引いた――

 

「――ガ、ギ!?!」

 

 刹那、足元より迫り出した複数の闇の刺に貫かれた。

 

「――マスターっ!」

「――ナ、ナシ……ッ!」

 

 虚空より現れた堕天使の『アイアンメイデン』に縫い付けられ、その隙に『雲散霧消の太刀』を打ち込まれて。

 

「……チィ、これだからデキてる奴らは……」

 

 機械の神が再製した際には、既にその姿は消え失せていた。

 

 

………………

…………

……

 

 

 全てのミニオンを打ち倒し、一行はそれを率いていた二人組を睨みつける。

 

「……光をもたらすものに先を越されていたとはな。一体、何が狙いだ?」

「ふん、わざわざ答えると思っているのか、サレス?」

 

 岩の上から一行を見下ろす、鈍く光る腕輪と大薙刀を持った――

 

「一ツ忠告しに来たのよ。これより先に進むのなら、私達は……全力で貴方達を滅ぼすわ」

 

 エヴォリアとベルバルザード、光をもたらすものの神剣士を。

 

「……知った事か、俺達は歩みを止めない……お前達を斬り臥せてでも、絶対に!」

 

 それに【黎明】を突き付けた望が宣言する。紛れも無い総意、一斉に神剣にチカラを込める旅団勢。

 

「……いいわ、掛かってきなさい。最終決戦(ラストダンス)と洒落込みましょう」

「どちらかが滅びるまで、存分に死合うとしようぞ……」

 

 二人の姿が陽炎の如く揺らぎ、やがて焦点を外れたように霞んでいく。その最後の刹那――

 

「でも――急いだ方がいいわよ? 誰かさんの前世は【暁天】を"喰う"つもりらしいから」

「−−テメェ……!」

 

 望や、歯噛みする空にそう笑いかけて。朱い世界に溶けていった。

 

「……おい、ノゾム! ナナシの姿が見当たらぬぞ!」

 

 残された一行、その中でレーメが声を上げた。確かに、何処を見ても堕天使の姿は無い。

 

「……絶のところに行ったんだろうな。案内して貰えるかと思ってたんだけど……甘かったらしい」

「仕方ねェだろ、今は……行くしかない」

 

 拳を震わせながらも、落ち着いた声を発する。烈しい感情を押し殺して。

 

「くーちゃん……大丈夫?」

 

 そんな彼を心配し、希美が声を掛けた。彼女とて絶の事で頭は一杯だろうと気付けば、頭くらいは冷える。

 

「……大丈夫、全部にケリを付ける時なんだ……頑張る」

「……駄目だよ、無理したら。くーちゃんは無茶はしても無理はしないって、信じてるからね」

 

 優しい笑顔。向けられる月光のようなその優しさが、今は身を焦がすのみ。

 

――言うべきなのか……相剋の事を。もしかしたら、浄戒との作用で目覚めるかもしれないって。

 

「希美、もし――」

「――敵襲ー!!」

 

 僅かに逡巡して、決意する。その瞬間に再度現れた"敵兵達"に話は断ち切られた。

 

「コイツら、はッ!?!」

 

 刀傷だらけの青い竜、焼け焦げた白い竜、無数の穴が開いた黒い竜、背骨のへし折れた赤い竜、上顎から上が無く捻り潰された緑の竜、ズタボロのアンドロイド兵達。その、悪夢めいた"軍勢"に――……

 

 

………………

…………

……

 

 

 機械の神と合流したエヴォリアとベルバルザード。光をもたらすものの軍勢は既に、先程の戦闘で半数を消耗した。絶に大多数を消滅させられた為に。

 

「反吐が出る能力だが……我等には貴様の予備に頼る以外無い……」

 

 背を向けたままで腕を組んでいる、その神剣士。未来の世界で影に徹して、旅団が打ち倒した残骸を取り込み不壊の軍勢を作り上げた張本人の影。【幽冥】の翳より溢れ出たそれらは……真っ直ぐに旅団の居るべき方角へと向かって行った。

 

「……ちょっと。聞いてるの、クォジェ?」

「――ん、ああ……聞いてますよ、姐御。ちょっと気を抜いてただけでさぁ」

「気を抜いてる暇が有るのかしら? 相手は神剣士十数名。正直、戦力差は壮絶よ。貴方の軍勢を加えたってね」

 

 今更その存在に気付いたような機械神を窘める。そう、追い詰められているのは彼女らの方だ。依り所である上位存在……理想幹神からも、【空隙】からも何の音沙汰も無いのだから。

 

「しっかり役目を果たしてちょうだい、何のために貴方を喚んだと思ってるのよ――」

「ああ、そうですねェ。仕事は、きっちりしないと」

 

 そこで機械神は(おもむろ)に口を開く。その影が瞬く間に拡がり、一面を覆い尽くした。

 

「クォジェ、何を――」

「いやぁ、仕事を熟すにはマナが足りないんで――貴女達のマナを頂こうと思いましてね……イスベル卿、ゴルトゥン卿、ロコ卿、ウル卿?」

 

 その『名』を唱えた瞬間、エヴォリアとベルバルザードの眼の色が変わった。正確には、エヴォリアの雰囲気が。

 

「『……ほう、やはり気付いていましたか、クォジェ=クラギ』」

「『厚顔にも程があろう、よくその面を我等の前に出せたな、奸計の神……!』」

「『幾千の肉片に変えたところで飽きたらん、よくも我等を裏切ってくれたな!』」

「『落ち着いて下さいな、皆さん。頭に血を昇らせたままでは奴の思う壷でしょう』」

 

 虚ろな眼差しと共に、今までとは違う口調で語り出す彼女。鼻に付く高飛車な女、続き老獪な老人のような、更に卑屈な男、最後に怜悧な女の口調を響かせて。

 エヴォリアの中に巣くっていた、四体の『南天神』の亡霊が姿を見せた。

 

最早(いやはや)、お懐かしい。皆さん無様な姿で何より」

『黙れ、蕃神めが!貴様のせいで我々はこのような姿に身を落としたのだ、神たる我々が!』

 

 浄戒を受けて神名も神剣も失い、妄念のみで動く哀れな神。それが彼等、南天神イスベルにゴルトゥン、ロコ、ウルだ。

 だがそれ故に、彼等は他者の思念に取り憑く事が出来る。

 

「んなもん、自業自得でしょうが。大体オレは議論がしたかったんじゃ無い」

『『『『――!?』』』』

 

 冷たく言い放つ刹那、『影』が紅黒く蠢いた。【幽冥】の無明の翳が、南天神の亡霊を喰らうべく。

 

「【アンタ等を食っちまいたくて、食っちまいたくてしょうがないのさ――」】

 

 エヴォリアも、ベルバルザードも、纏めて――!

 

 

………………

…………

……

 

 

 背の傷を押して歩き、絶は彼の誕生したこの世界に残る、今も動いている最後の人工物である『支えの塔』に辿り着いた。

 

「――はぁ、はぁ……くっ……!」

「大丈夫ですか、マスター……」

 

 背を預けたこの塔は魔法の世界に在るモノの複製であり、他にも同様に存在する世界が在るという。

 

「ああ……大丈夫だ。俺はこのままでは、死ねない……理想幹神に復讐するまでは……なんとしても!」

「マスター……」

 

 意志は固い。それだけが彼が今まで生きてきた意味だった。神の宣言に滅びを宿命とされ、それを良しとしない両親により神は紛いモノだと知らされ、絶望に狂った人々に目の前で両親を殺されて。

 その際に目覚めた永遠神剣に神への復讐を託され、この世界の命の総てを背負った彼の。

 

「……思えば、お前には迷惑を掛けてばかりだったな。せめて、名前くらい付けてやれば良かった」

 

 目を閉じて皮肉げに笑いながら、絶はナナシに語り掛ける。最後の懺悔を、滅びを目前にして尚、彼の神剣【暁天】の刃を思わせる冷めた声色で。

 

「――不必要です、マスター。私はマスターと共に在れただけで十分に、幸福でしたから……」

 

 それを、彼女は哀しい笑顔で受け止める。彼女自身、神剣【暁天】の鞘を思わせるしとやかさで、彼の総てを受け入れた。

 その血に塗れた生涯でも、絆は結ばれた。最早、何者も介在する余地の無い"絆"、他の刃や鞘には納まらず、納めない……刀の絆を。

 

「そうか……では、行くかナナシ」

「イエス、マスター・ゼツ。幕を……降ろしに」

 

 開かれた眼差しには、ただ諦観。総てを諦めた青い輝き。

 

「−−絶ッ!」

 

 それを以って彼は、その『旧い友達』を迎えた……

 

 

………………

…………

……

 

 

「――グァァァァァッ!!」

 

 咆哮を上げたのは――機械の神。まるで何かに抗うように、必死の叫びだった。

 

『ッ、此処は貴方に勝ちを譲りましょう。しかし覚えておきなさい、最後に笑うのは我々……南天の神だと!』

 

 その瞬間、緩んだ浸蝕の翳から逃れた南天神達が何処かへと消える。追う暇も無い程に鮮やかな引き際で転送されていった。

 

「……逃がしちまったな、テメェのせいだぜ【幽冥】……」

「クォジェ、貴方……まさか、神剣に……!」

 

 呟く声に、思い至ったエヴォリアは声を震わせた。この時間樹では先ず有り得ない現象に。

 

「クク……なんて顔してんだ姐御。折角の別嬪が台無しだぜ? ほら、スマイルスマイル。笑う門には福来たるってね」

「茶化すんじゃないわよ! 神剣に喰われてまで何がしたいのよ!」

 

 腕を組んで、砂孕む風に身を曝し。装甲が奏でる葬送曲に耳を傾け、消えかけていた意識を呼び覚ます。その間にも、その魂は次第に朽ち果てていく。

 

――薄らいでいく自我。我が魂は端から曖昧に解け、昏い奈落へと堕ちていく。全く、我ながらとんでもないモノに手を出しちまったもんだ。

 

 その叫びは、果たして。今も尚喰われていくその神に届いたのか。

 

「何か考え違いしてるみてェだが、元々人間と神剣の関係なんて食うか食われるかだ。この時間樹の仕組みこそ異常、オレと【幽冥】こそ、本来在るべき姿さ」

 

 ただ、神は肩を震わせて嗤う。

 

【旦那ァ、早うそいつらも喰いなんし。さもないと、もっともっと、旦那の魂を喰らいますぇ?】

 

 その神に呼び掛ける蠱毒の剣。

 

 さながら、無数の……石の下にでも居るような陰気な蟲共が、一斉に断末魔の声を上げたように。

 

――この神剣の加護は『不死』等ではない。限りなく『死に難い』だけだ。その代償はその『欲』を充たす事。

 なされぬ場合、神剣は魂を蝕む。抜け殻と化した肉体はこの剣そのモノとなる訳だ。どう転んだって剣は損しない。

 

 そして身を翳に変え、一瞬の間にエヴォリアの目前に現れた。

 

「ただね、一ツ覚えてる。オレは護りたかった。そう……ただ一人、蕃神なんて呼ばれて唾棄されてたオレに、慈悲を注いでくれたあの月を……」

「……『月』……?」

 

 その双眸に、懐古の光が燈る。この神が、まだ正気を保っていた頃の眼差し。

 

「そ、月。闇の底のヘドロ沼から見上げた月に惚れちまった身の程知らずの(スッポン)がオレさ」

 

 クク、といつもと変わらない陰険な笑い。だがそこに狂気は無い。

 

「前に言った台詞なんですけど、『未来ばっか見てると今に足元掬われてすっ転ぶ』ってあれ、訂正しますよ。『今』ばっか見てると、先が見えないから取り返しの付かない壁に打ち当たっちまうみたいでさぁ」

 

 まるで悪戯が上手くいって喜ぶ、少年のように純粋な笑いだった。

 

「だから――…人は隣に、共に歩む誰かを求めるのさ」

「っ、どういう意味……」

 

 そこで彼は彼女をトンと押した。よろめいたエヴォリアは、後ろに控えていたベルバルザードに支えられる。

 

「エヴォリア、お前が"未来"を見ているのなら……ベルバルザード、お前が"今"を見ればいい……それで何もかも上手くいく」

「クォジェ=クラギ……貴様……」

 

 真摯な声に、ベルバルザードすら身を硬くする。斜陽を後光として煌めく姿はそれ程に神々しい。

 

「命が紡ぐ『奇跡』は神にすら不可侵。だから決して歩みを止めるな。それがオレの壱志(イジ)……」

 

 その存在は確かに、かつて『神』だったのだと。本能的に理解する程に。

 そしてもう『神』ではないのだと。異教の神のように貶られたのだと。

 

「――何せオイラは鼻タレ小僧。物語はハッピーエンドで終わらなきゃ嫌な性質[たち]なもんでね」

 

 最後の最後に、そんな軽口を叩いて……転生体である少年と全く同じ軽口を叩いて。機械神は、最後の戦場へ赴く。

 

――どの道、オレは消える。滅びは何者にも平等に訪れる。何しろカミサマにすら滅びは在るんだ。誰からも信奉されない神なんざ、滅んでるも同然なんだからな……。

 

「……光をもたらすもの、【幽冥】のクォジェの名において命ず……」

 

 声高に宣言し、紅黒い翳の精霊光を展開した。その左右に、二人の神剣士が並び立つ。

 

「……あら。悪いけど、アンタには『光をもたらすもの』を名乗る権利は無いわよ」

「左様、勝手な事を申すでない」

 

 エヴォリアとベルバルザード、その二人が。

 

「……物好きなモンだ、もう自由だろうに」

「自由だからこそ、やりたいように生きるのよ。私達は"未来"を見詰め、"今"を生きながら……"過去"を抱くの」

「我等は図らずもその総て。ならば……共に滅ぶが必定だろう」

「……成る程、確かにねェ……んじゃ、訂正訂正」

 

 クク、と。三人は纏めて悪辣な笑いを浮かべる。

 共に在った期間など僅かなもの、だが時間など問題ではない。問題は如何に『絆を結んだか』だ。

 

「「「我等こそ、光をもたらすもの――……!」」」

 

 そう、宣言し直して。三人は同じ滅びの地平を望む――……

 

 

………………

…………

……

 

 

 押し寄せた数百単位のアンドロイド兵、それを指揮するように動く五体の屍竜達。

 闘っているのは望、希美、沙月を除いた神剣士。彼等は塔らしき建造物に、絶と逢うべく先行させられている。

 

「クソッタレ、マジでしつけぇなコイツらッ!」

 

 反吐を吐きながら、空はPDWを乱射する。しかし効果は殆ど無い、何せ『始めから壊れている』のだから。

 その傀儡兵が、中心の空に向けて銃を撃つ。仲間を巻き込もうとお構い無し、寧ろ矢楯のように利用して。

 

「……闇の雷よ、我が敵を狙う槍と成れ……」

 

 それを『ハイパートラスケード』を纏い受け止め、乱射したように見せ掛けて陣を敷いた銃弾に宿るレストアスに呼び掛ける――

 

「捉えた――ライトニングボルト!」

 

 立ち上る雷の檻、降り注ぐ雷の槍が内部の傀儡を貫き焼き滅ぼす。これでは再製のしようも無い。

 

 だが、問題は数。元々、回数にシビアな制限が在る彼の闘い方はこういう乱戦に向かない。

 一瞬の空白は新たな雑兵に瞬く間に埋め尽くされ、押し潰される――前に、雨の如く降ったオーラフォトンの矢『ストレイフ』が総てを灰燼に還した。

 

「空くん、無事かい!」

「スバルさん! いやぁ、助かりますよッ!」

 

 と、気を抜いた空の背後から一体の傀儡が高周波ブレードを閃かせて躍りかかり――

 

「――最大の威力を、最高の速度で……最善のタイミングッ!」

 

 ユーフォリアの『プチコネクティドウィル』に砕かれ、それでも潰えぬ身をPDWに撃たれた兵が、宿るレストアスに焼き尽くされて燃え尽きる。

 

「この敵は……僕の世界の……」

「……俺の前世の仕業です」

「うー、あたしこういうホラーっぽいの苦手……」

 

 背を合わせたまま、彼等は語り合う。一人は弓矢、一人は剣、一人は剣と銃を構えて。

 

「――見ィっけたぜ、『俺』?」

「「「――ッ!?!」」」

 

 そんな傀儡を巻き込んで、一射が放たれた。もし先に声が届かねば、スバルの『オーラバリア』と、ユーフォリアの『オーラフォトンバリア』の展開も遅れていた事だろう。

 

「……おやぁ? 『俺』以外はオレが抜けた後の新参か。どっちもあんまり知らねェな」

 

 命中したのは、不可視の熱閃、総てを焼き尽くす災竜の息吹『ヘリオトロープ』。射撃地点には、PDRを変形させたモスバーグを放った……機械神。

 

「まぁいいや……オレの【幽冥】の翳に溺れな」

 

 声高に宣言し、紅黒い翳の精霊光を展開した。その左右から二人の神剣士が飛び出す。

 

「……悪いけど、貴女の相手は私よ、お嬢ちゃん?」

「っ……いくよ、ゆーくん!」

「貴様の相手は我だ、弓兵!」

「くっ……負けるもんか!」

 

 エヴォリアとベルバルザードが、【雷火】と【重圧】を構えてそれぞれユーフォリアとスバルに襲い掛かる。

 

「という訳だ、オレ達は俺達でケリを付けようぜ?」

「……望むところだ、クソッタレ!」

 

 残ったPDWの弾丸から分割したレストアス総てを乖離させて身に纏い、本体を透徹城に戻しながら構え直す【夜燭】。

 

「チカラを貸せ、レストアス……俺にアイツを倒す"可能性"を!」

【……了解、オーナー。斬り裂いて――否、斬り拓いて御覧に入れます!】

 

 その気魄に答えて刀身に……いや、空自身に燈るレストアスの凍焔。限界すら越えて、彼の知覚は強化された。そのチカラの昴りは、彼自身を滅ぼしかねない程。

 

「クク、そう来ないと張り合いがねェよなァ……【幽冥】!」

【くふふ、そうどすなぁ……あの生意気なボンの目の前で【夜燭】を浸蝕(くらう)のも一興どすわぁ】

 

 同様に、己自身に喰い潰しかねない翳を身に纏うその神。だが最大の違いは――介在するモノが悪意以外の何物でも無い事だろう。

 

「物部学園所属、神銃士巽空……」

「光をもたらすもの、【幽冥】のクォジェ……」

 

 前世と現世。本来ならば交わる筈の無いその壱志と壱志。

 神世の古から連綿と続く妄念と、刹那ながらも今を生きる信念。

 

「「――撃ち貫く!!!」」

 

 決して曲がらぬその壱志を賭けて、雌雄を決するべく。二ツの魂がぶつかり合う――!

 



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風立ちぬ いざ生きめやも Ⅰ

 足踏みに砂塵が舞う。『砂漠』という地形は、空にとってはハンデ以外の何物でもない。レストアスの反動加速を利用しても、砂を舞い上げるだけだ。

 

「翼をもがれた鴉ッてかい! 憐れだねぇ!」

「ガ、ハッ!」

 

 跳躍に仕挫り、宙空に無防備を晒してしまった彼に――強靭なレッグが踵落しの要領で背中に振るわれた。更に瞬間移動し、拳で腹を打つ。この機神は『宙を渡る』、地形など大した問題ではない。

 

「……おや、厄介な防御だな」

 

 だが、それも策の一ツだ。砂地に叩き付けられてもダメージは少ない空、対し『スパークレシーブ』へと直接打撃を加えたクォジェのアームとレッグは半壊していた。

 

「だが……『再製』すれば良いだけの事」

 

 即座にそこを翳が被い、凝集して新品同然に再製される。相手がこの神剣士で無ければ、効果的な策戦だっただろう。

 

「そして――その防御にゃあ穴がある。これを使えば、何の事はねぇ」

 

 嘲るように、背後に浮遊するスラスターバインダーから緑のトーラス・レイジングブルを抜き出し――バレット系の重装弾(ペイロード)ライフルへと変形させた。

 

「遠距離からの射撃だと、意味がねえよな――!」

 

 放たれた25ミリ弾頭『ブラストビート』、その破壊力は緑の防御すら貫く。青程度の防御しか持たない空が受ければ、間違いなく即死だ。

 

「――ハイロゥ!」

 

 故に、躱す。シールドハイロゥで、『受け止める』のではなく『反らして』。それに即応したクォジェが赤いRPG-22を担ぐや焼夷弾『ナパームグラインド』を射出、だめ押しとばかりに白のXM-25での『ジャスティスレイ』と黒のEX-41での『アゴニーオブブリード』の炸裂弾を乱射した。

 

 

「――ハァァッ!」

 

 その間隙を、ウィングハイロゥを展開して跳躍、すり抜ける。エアバーストするグレネードを速度を落とさずに潜り抜くと、空は更にスフィアハイロゥで高めたマナを左手の【是我】にスピンローディングして、星屑の魔法陣を瞬かせると『オーラバースト』を放って焼夷弾を破壊する。

 その直撃を確認する事もなく、立ち昇る砂煙に向けて【夜燭】の『電光の剣』を振るう――!

 

「――チッ!」

 

 だが、それを『弾き返された』。機神の装甲……禍々しい赤色に染まった装甲に。

 そして突きつけられた青いフランキスパスの散弾『フロストスキャッター』をシールドハイロゥで防いだ。

 

「……よしよし、良い感じだ。そうさ、この装甲は【逆月】の効果を持ってる。ほら、最近流行りだろ? 『防御は最大の攻撃』ってね!」

 

 それは、考えうる最悪の防御。いかなる攻撃にも同威力、逆方向の反撃を行う事で無効化する鏡面装甲だ。

 絶との戦いでも使用しなかった機能、死に難いなどと言うレベルはとうに逸脱している。

 

 一旦距離を取って、向かい合う。清廉なる青い雷氷の戦鎧(メイル)に星風の法衣(クローク)を纏う少年と、呪われた深紅の全身鎧(フルプレート)に紅黒い翳の屍衣(シュラウド)を纏うゴーレム。互いに傷は殆ど無い。

 

「もう、諦めたらどうだ? クク……【幽冥】の正体に気付かない奴にゃあ、オレは討てないぜ?」

 

 大剣【夜燭】を向けられたままで飄々と語る機械神。感じられるのは、絶対の自信。

 

「例えジルオルが相手でも、今のオレは負けない! そのオレが――神剣士でも無い多寡がニンゲンに負ける可能性なんざ(ゼロ)なんだよ! ハッハハハ……」

 

 何者にもこの仕組みは破られないと。己は何者にも敗れないと。神は高笑う。何故なら彼等は、浸蝕する神剣と汚染する神。最低最悪の組合せだ。

 

「――『音』だろ、【幽冥】は」

「ハ――……?!」

 

 ピタリと、哄笑が止まる。その双眸が、驚きをもって少年に向けられた。

 

「正確には『波動』か。ソイツの魔弾の発射経過を思い出して判った……」

 

――燧石式(フリントロック)の【幽冥】は、魔弾の装填された薬室(チャンバー)を『打ち付けて』いた、つまり奴は……『振動させた』んだ。

 

「共鳴現象だよな。モノには総て固有の振動数が在る。例えば音叉は、その域に在れば離れていても同じ音を鳴らし出す……その不死性も、振動による分子結合の操作か?」

「……クク、流石は『俺』だな」

 

 砂地に着地すると、パン、と。機神の両掌が打ち鳴らされる。呼応してその翳……神剣【幽冥】の精霊光が空間に撒き散らされた。薄暮を喰い潰していく翳、まるで深夜の闇のように。対象が気付く間もなく安逸な滅びを齎すモノ。

 

「――だが、判ったから何だよ。お前にはどうしようもないままだ……神剣士でも無いお前には!」

 

 あらゆる癒しや補助を【幽冥】で侵して、『触穢』の神名で反転させる悪質な――安楽死のオーラ『ユータナジー』。

 

「……そうかい、理解したよ。やっぱり俺はお前には負けない……」

「あぁ? トチ狂ったか、テメェ……」

 

 その不浄の翳のただ中に在りて、男は笑った。確かに看破したからと言って、策など無い。

 

「俺は諦めねェ。例え零に近いとしても可能性を諦めない……零からでも、足掻いて足掻いて……!」

 

 それでも、だ。ダラバの構えと同じ八双に大剣を構え直した彼は、己が貫く壱志を張る。呼応して、その刃に黒い雷が這った。

 

――俺は巽空、神銃士だ! どんなに弱かろうが、永遠神剣(トラ)の威を借る神剣士(キツネ)を討つ、鼬の最期屁……その俺が!

 

(だから頼む。俺にチカラを貸せ、レストアス!)

【了解、オーナー……我が全てを懸けて、往きます!】

 

 能力に頼るのではなく、あくまでも『共に在る』その戦い方。それを誇りとする彼は防御を棄てる。

 

「神剣にオンブにダッコの惰弱な神如きに、負ける道理がねェだろうがァァッ!」

 

 刀身を黒く染めていた雷、それに防御用の青い雷が交じり――光芒入り乱れた神威の刃……彼が最高と見る剣士ダラバ=ウーザの奥義を成した。

 

「――ホザけ、ゴミ屑がァァッ!」

 

 対して、紅黒く胎動する翳を吸うレバーアクションライフル。不浄の権化、触れる総てを腐敗させて啜り喰らう神喰らいの刃。その銃を、かつて己が使用していた永遠神剣【逆月】をマナゴーレムで再現した贋物の剣と化して。

 

「「――ハァァッ!!!」」

 

 袈裟掛けの蒼黒と逆袈裟の紅黒、その二ツの光芒が鬩ぎ合う−−!!

 

 

………………

…………

……

 

 

 宙を翔ける青閃。サーフボードのように変型した【悠久】に乗り、ユーフォリアは光弾を回避した。

 

「頑張って、ゆーくん!」

 

 更に『ライトブリンガー』を振り切ると、それを放ったエヴォリアに肉薄して剣に戻した【悠久】を下段に構え、振り上げる。

 

「―-氷晶の青、輝閃の白……その完全なる調律よ!」

 

 彼女の神獣のチカラを借り振るわれた完全律の一撃『パーフェクトハーモニック』を―-エヴォリアは。

 

「残念、私には届かないわね」

 

 周囲に充ちる、星屑を掬うのみで。星の煌めきを宿す女神の羽衣、『スターヴェール』にて止めた。

 

 彼女の前世、『慈愛の女神』は味方を守る者だった。その神名を受け継ぐエヴォリアは、殊更守りに於いては他の追随を許さない。

 

「……どうして、ですか」

「何がかしら、お嬢ちゃん?」

 

 跳ね退き俯いて、【悠久】を構え直したユーフォリアの震える声。それに問い返すエヴォリアの声は不敵。

 

「――そんなに綺麗なチカラを、どうして貴女は命を奪う事に使うんですかっ!」

 

 顔を上げて放たれた、その叫び。涙すら浮かべての言葉に、エヴォリアは奥歯を噛み締めた。

 

「お子ちゃまには判んないでしょうけどね……世の中、綺麗汚いじゃ生きていけないのよ。苦しくても辛くても泥を啜り、砂を噛んで、堪えて堪えて……それでも、人は生きるのよ」

 

 その姿に、南天の神々に人質として取られた故郷……幽玄の世界に残してきた妹の姿が重なり――

 

「……光の霧となり消えなさい。貴女も、世界も!」

 

 それを認めないと。腰の前で交差した両腕に自身の内包するマナ全てと周囲のマナを練り合わせて。澄んだ【雷火】の音色と共に……膨大な光塊を天へと撃ち上げた。

 

「光明よ、降り注げ――オーラレイン!!!」

 

 それは瞬時に拡散して無数の光の雨となり、隙間無く注ぐ絨毯爆撃とを、針の穴を抜く正確さで――

 

「このまま、次元ごと断ち切って見せます――ルインドユニバースっ!」

 

 もう一度サーフボード型に変型させた【悠久】にて、ユーフォリアが翔け抜ける――!

 

 

………………

…………

……

 

 

 三本纏めて放たれた白い矢の一射。ベルバルザードは、【重圧】の一薙ぎで全て打ち払う。

 

「たぁぁっ!」

 

 間を置かずスバルは『フラッシュアロー』を、二射三射と射かけ続ける。常に距離を置き、【重圧】の射程には決して入らない堅実な攻め。

 

「ヌゥゥン!!」

 

 それを受けて、ベルバルザードは矢を打ち払いながら前進する。

 小細工など要らないと、ただ前進圧殺有るのみと、前進する――!

 

「止まらない……なんて奴だ!!」

「……笑止! この程度で我が歩みを止めようなど……この我を……」

 

 一歩、また一歩。確実に近付いて来る鬼神。気圧されるように後ずさっていたスバルだったが遂に、岩に退路を塞がれ――遂に射程に納まってしまった。

 

「光をもたらすもの、【重圧】のベルバルザードを舐めるなッ!」

「――ッ!」

 

 振り下ろされる一撃、『バッシュダウン』がスバルの鼻先を掠める。辛うじて身を躱した彼だったがそれにより鉢巻きを斬られ、額を押さえてうずくまる。

 

「……貴様らのように、ただ流れに身を任せて生きてきた惰弱と一緒にして貰っては困る。我は貴様のように……滅びを先伸ばしにするだけの温い生き方はしていない!」

 

 その身を突き動かすのは、怒り。あの心優しき娘に殺戮者の役割を強いた理想幹神に、南天神に……それを肩代わりする事しか出来なかった、無力な己に。

 

「――取り消せ……」

「……何?」

「今の言葉を……取り消せと言ったんだ!」

 

 返る言葉は、酷く冷たい。普段のスバルからは想像も出来ない程、怒りに充ちた声色。

 そして――一瞬で高く跳び上がり、外れた鉢巻きの下に覗く額に埋め込まれた結晶を晒し、ベルバルザードを見下ろして矢を番えた。

 

「僕の最高の友達を……ショウの生き様を笑った今の言葉を、取り消せェェッ!!」

「ヌッ……グオォォッ!!?」

 

 乱射される高密度オーラフォトンの矢、一撃一撃が先程までの数倍近いそれは『オブリテレイト』。その余りの破壊力に、鬼神すら後方に圧されてタタラを踏んだ――いや、違う。跳び上がったスバルを捉える為の動きだ。

 

「……抵抗など、無意味……思い知るがいい! オオオオオォォォォォォォォッ!!!!!」

 

 浮いたその足を前方の岩が砕ける程に強く、強く踏み込んで。刃を上方に傾け【重圧】を突き出す、『ライアットスタンピード』が繰り出された――

 

 

………………

…………

……

 

 

 闇が光を蝕み光が闇を焼き尽くす。いつ果てるともないその攻防。

 

「カハッ……!」

 

 先に傷を負ったのは空、打ち合う【夜燭】の刀身の鏡写しに胸部に疵が(はし)る。だが勢いは増す、気魄にレストアスが応えて。

 

「テメェ……相討ちにでもする気か?!」

「……相討ちだ? 俺は……勝つ! 勝って生きる! 決して歩みを止めない……天つ風になる!!!」

「――何を……訳のわからねぇ事を!」

 

 偽装の【逆月】の刀身にヒビが走る。四位神剣の加護を受けている神剣と神剣士を圧して。

 それこそ、生命の煌めき。歩みを止めない、今尚苦痛という足止めを乗り越えて行くもの。そう結論を出したのは己自身。

 

「まだだ……まだ終わりじゃねぇ……! もっとだ、もっともっと……もっと先へ――その彼方へェェェェェェッ!!!!!!!!」

 

 そして、その最も遠くに居た己。対して、最も近くに居たのは……やはり『己』だった。

 

 空が身に纏うダークフォトンが密度を増す。それは、とうに到達していた限界を――その戒めを越える。『限界突破』を可能とした。

 装甲を圧する力が、劇的に強まっていく。それこそ、いつまでこの装甲が持つのかとクォジェが危機感を抱く程に。

 

【チィ、ここに来て――流石はあの"黒き刃"の血が流れとるだけはある……!】

「――チイィィッ!」

 

 その衝動のままに、全身の装甲の隙間から『ホーミングレーザー』を放つ。深紅の光は群れをなす猛禽類のように、空中で軌道を変えて空に躍り掛かり――彼の周囲に展開された高密のダークフォトンによるバリア『絶対防御』に弾き返されて。

 

「お前だって、そうだっただろう『オレ』……俺達の、願いは!」

 

 遂に壮絶な断末魔を上げながら砕けた【逆月】、同時に胸部と左アームを断たれたクォジェ。そのアームが落ちるよりも早く、【夜燭】を振り上げた空が跳んだ。クォジェを、ダークフォトンの檻に閉じ込め――圧倒的なダークフォトンの負荷で、如何に優れた理論で武装しようが意味をなさないように、存在する空間自体を断つ『空間断絶』をしながら。

 

「――ただ……自分を救ってくれた大切な人に、笑っていて欲しかっただけだろうがァァッ!」

 

 神剣に呑まれ、意識を咀嚼されて闇に堕ちつつ有るその機械の神は――その光芒の剣に。

 

「――ファイム――――」

 

 始まりのあの日見た、救いの光を見出だした……。

 

 肩口に減り込んだ【夜燭】の黒刃。そこから流れ込むプラズマに、内部機構が焼き尽くされていく。

 その伝導率の高さからか、瞬く間に塵芥へと代わり逝く躯。

 

「テメェはマジで配下に恵まれてやがるぜ……出来るなら今からでも交換してェくらいだ」

「配下じゃねェ、盟友(トモ)だ」

 

 【夜燭】の峰を右のマニュピュレーターで掴み握り締める。選ぶ方を間違えた、と。

 そもそも、【幽冥】を選ばねば躯は手に入らなかったし、レストアスは彼と手を結ぶ筈も無いが。

 

【――くふふ、困った御人……こないに使えへんなんて、思いもよりませんで】

 

 そして、響く最後通帳。もう抵抗する体力も気力も無い。

 

「気ィ付けな、『俺』……このヤロウは、俺なんかより遥かにヤベェんだからな……」

「…………」

 

 割れた面兜が落ちて、覗いた顔は――ショウの顔。それが燃え尽き消え果てるよりも早く、速く。

 

【それじゃあ、契約通りにアンタはんの魂――貰いますわぁ】

「――ッ!?」

 

 沸き上がった【幽冥】の翳が、機械神を押し包んだ……。

 

 黒い竜巻が過ぎ去った後に残っていたのは、動きを止めた機械の人形と一人の女。見間違う筈も無い、少し前まで『共に在った』その存在。

 

「……久しぶりだな、『カラ銃』……」

「…くふふ、お久しゅうございますなぁ、『旦那はん』」

 

 黒い、喪服のような小袖を纏う濡れ羽烏色の長髪の女……【幽冥】そのものである守護神獣、幽月。主の魂を喰らい改変した彼女は、破顔した。願いを叶える資格と権利を得た喜悦に。

 

「……容器は得た。後は封じられたアレを手に入れれば……【聖威】が封じるしかなかった『楯の力(ナル)』を手に入れれば、新たな『刹那の代行者』になるんも夢や無い……」

 

 それこそが、この永遠神剣が主を求めた理由。自らの悲願の成就の為に。全ては――

 

「……これでわっちは、『始まりの一振り』に一歩近付いた……!」

 

 確かに、外部宇宙から来た神剣としては位は低い方だろう。だが位が四位という上位と下位の中間だからこそ、この剣は理性よりも本能に忠実で、他の剣を浸蝕する能力故に回帰願望が強い。

 その"願い"を叶える為だけにこの時間樹に浸入して、機会を待ち、漸く手に入れた最大のチャンス。震えさえ起こる躯を抱き、歓喜を全身で表す。

 

「くふふっ、くふふふ――ッ!?」

 

 その首筋を、黒刃が薙いだ。

 

「……いつまでもヘラヘラヘラヘラ、笑ってんじゃねェよ……」

 

 当然、それを為したのは空。首を獲るべく振るわれた刃は――

 

「相変わらず、せっかちどすなぁ……そないやから、女子にモテへんのどすぇ?」

「テメェこそ、相変わらず泥棒猫じゃねェかよ。やっぱりパクってやがったか」

「浸蝕こそ我が本分どす。それにどうせ壊れたゴミ屑、再利用したっただけどすわいな」

 

 第六位【疑氷】にて止められた。手首のスナップだけで数メートルは跳ね飛ばし、神経を逆撫でする嘲笑。瞬時に彼の血は沸騰した。

 

「――ああ、そうかい。だったら次は、分別不可能な工場廃棄物のテメェを……二度と再製しないよう完全焼却してやらァァァッ!」

 

 迷わず立ち上がり、激昂し叫ぶ。だがレストアスは応えない。先程の『光芒一閃の剣』の消耗で休眠に入ってしまったのだから。

 

「そらぁ、ほんに愉しみどすなぁ。男子の全力にはこの【幽冥】、全力で応えたりますわ」

 

剣の柄を握り締めて盛大な啖呵を切るニンゲンを嘲笑い――砂地に落ちていたモスバーグ494SPXの残骸と【疑氷】を融合させて西洋弩弓(アーバレスト)とした。

 その弓をレバーアクションで装弾と射撃用意を済ませて引き絞り、その魔弾を砲弾と換えて引鉄を引いた。

 

「マナよ、オーラに変われ。我が敵を滅ぼす煉獄の炎となれ――ヘリオトロープ」

 

 放たれた、不可視の砲弾。音速を遥かに上回る核融合は空間を貫きながら――何の抵抗も無く。

 

「――カ、は……?」

 

 彼の『心臓』を、射貫いた――……。

 

 膝を折り、破壊された【夜燭】と【是我】の残骸と共に砂に倒れ込む。その目の前に撃ち抜かれた時に飛ばされたのか、懐に仕舞っていた筈の鍵と透徹城が落ちている。

 運が良いと言うべきか、マナ存在ではなくディフェンススキルも紙であった為に魔弾が貫通して、その身体を滅却される事はなかった。とはいえ、最早死が避けられぬ点では同じだが。

 

――何だよ、クソッタレ……手も足も……出ねぇじゃねェか……。

 

 かつて己が拳銃【幽冥】で撃ち出していた弾に、身構える事すら出来ずに即死でも不思議ではない傷を受けた。

 

「お……ゃん……にいちゃ……!」

 

 霞む視界、遠ざかる音。そもそも陽炎の昇るこの世界は朦朧としているし、死に絶えたこの世界には静寂しかないが。

 

「お兄ちゃん!」

 

 その胡乱な瞳に、この茜色の世界の中で……ほんの刹那、青空が見えた気がした。

 

 

………………

…………

……

 

 

 満身創痍を押して辿り着いた瞬間に、その全ては『終わって』いた。前のめりに倒れた彼には小石程の大きさの穴が穿たれている。

 

「――お兄ちゃんっ! しっかりして、お兄ちゃんっ!」

 

 駆け寄り呼び掛けるユーフォリアにも簡単に判る、判り易過ぎる程に致命傷。

 

「時の流れから弾かれた、この感じ……まさか、エターナルどすか」

 

 幽月は、空に呼び掛け続けている少女に目を向ける。意外そうに、だが一瞬で瞳を嗜虐に染めた。

 

「純潔な光と水の気配……成る程、アンタが"法皇"と【聖威】の鼻をあかしたって"聖賢者"と"永遠"の娘……」

 

 思い掛けず現れた上質の獲物に舌なめずりして。新たな魔弾を番え、引き絞った――

 

 

………………

…………

……

 

 

 ゆさゆさと揺らされる感覚に、倦怠感にまどろむ意識を起こす。払い退けようにも躯は動かない。

 

「……! …………!」

 

 何処か高いところから、何かが聞こえている気がした。

 

――ああ、何だよ……眠くて仕方ないんだよ俺は……頼むから眠らせてくれ。

 

 だが、眠気には逆らえない。遥か高空から落下するのに逆らえないように。意識は無間の(くう)に拡散していく。

 

【――情けない……それでも貴方は、神銃士巽空ですか】

 

 と、クリアに脳に響いたそれ。その痺れるような凍り付くような声に、溶けつつあった思考が形を取り戻す。

 

――レストアス……? お前……休眠に入ったんじゃ……?

 

【……貴方が余りに情けないので、おちおち寝てもいられなくなったのです。何ですか、そのザマは?】

 

――煩せェな、仕方ねェだろ! 俺には力なんざねェんだ! 自分からその権利を捨てた、この死は……因果応報なんだよ!

 

 その冷たい口調に反感を禁じ得ない、空は思わず口調を荒げた。

 

【言い訳などどうでもいい。私は貴方の目を覚ましに来ただけだ】

「――ッは……!?!」

 

 だが、怜悧。どこまでも平淡な、その印象。同時に脳内を走る電荷が彼の五感全てを取り戻させた。

 

「お兄ちゃん、お兄ちゃんっ! 死なないで……嘘つきに、ならないで……!」

 

 その瞬間、見えた世界。涙を流し呼び掛けるユーフォリアの姿。

 

――そうだ……約束……したんだったな。『死なない』なんて……とんでもなく莫迦な約束を……。

 

【貴方には果たすべき約束がある。少なくとも、二ツの】

 

−−二ツ……

 

 言われて、思い出したもの。あの月の海原で交わした……口約束を。

 

【貴方に力は在る。何度も貴方を奮い立たせてきた壱志(イジ)が。もう忘れましたか、その壱志だけで――貴方は神すらも、討ち倒して見せたではありませんか……】

 

(止めろ、レストアス……俺はお前に、何も報いてない……消えるな……!)

 

 段々と薄れていく、雷獣の電圧。本来休眠しなければいけない消耗を押した結果だ。

 

【……始まりは復讐だった。しかし、いつからか……それ以外の目的が生まれた。ですが、やはり私は……『レストアス』なのです】

 

 誤解されがちだが、『守護神獣(パーマネントエンジン)』とは永遠神剣に付随するモノではない。持ち主の深層心理の現れだ。故に、神獣であるレストアスが持ち主無しにその姿を留めているのは……異常だった。

 

 それ程、強い復讐心だった。

 

【その私が……復讐にて自我を保ち続けた私がそれ以外の目的を持ったのなら……消えるのも仕方が無い事です】

 

(レス……トアス…………済まない、俺は莫迦だ……)

 

 全霊を持ち、空はその左手を動かした。今のうち、レストアスの加護が在るうちに。

 

「お兄ちゃん……! 大丈夫なの――」

「ユーフォリア……鍵、を」

 

 血の巡らない躯はまるで鉛のように固く、たったそれだけでも地獄の労苦。

 

 中々辿り着かないその手、意味を理解したユーフォリアが近くに落ちていた黒い鍵剣を差し出す。

 空は漸く鍵を掌に収めて必死に片膝を衝き――【是我】から三つの円形ハイロゥを空中に展開して、その中に透徹城を納めた。

 

【……次に結んだ手は決して離さぬように。貴方を慕ってくれる者なんて、もう二度と現れはしないでしょうから……】

 

(解った……だから信じてくれ。お前が信じてくれる俺なら、俺は永遠にでも俺を信じていられる……『神銃士』、巽空を……!)

 

 全てを理解して空は、もう一度無力を痛感する。結局、この壱志は最後まで他者を不幸にした。

 

【何を言うかと、思えば……】

 

 それは不意に。急に優しく変わった口調。まるで兄か、姉のように。

 

【私はいつでも――いつまでも、貴方を信じています……我が、若き主よ――……】

 

 それを最後に、全てが消え去った。その神獣が最期に残したモノは……彼の魂に燈った、決して消えぬ蒼滄(あお)い焔。

 

「今、俺は……チカラが欲しい。身勝手なのは充分解ってるけど、頼むアイオネア……俺と、契約してくれ……!」

 

 その温もりを抱き、空は呼び掛ける。媒介はその透徹城、檻のような型枠に嵌められた宝玉……星屑を溶かす夜闇の海原が、夜明の月の海原に変わる。

 

「……兄さま……本当に私で、宜しいのですか……?」

 

 果てしない青、夜明け前の瑠璃色に染まる宝玉。型枠を摺り抜けて宙に浮かび、やがて空間を揺らす波紋と共に修道女のような少女の姿を持つ化身となった。

 

「お前だからだ、アイオネア……お前こそ、俺でもいいのか? 世の中にはもっといい男もいるぞ」

「いいえ――」

 

 その問い掛けに、彼女は勢い良く頭を振る。考えるのも嫌だ、とばかりに。

 

「兄さまでなければ、嫌です…」

 

鍵を持ったままに差し出されていた空の左掌。それに彼女はそっと手を重ねた。そして己のチョーカーの錠にそれを差し込んだ。

 

「……巽空は望む。この果てし無き空と海……無限すら超え行く、劫莫たる可能性の水平線を――……」

「……アイオネアは応えます。我が象徴は『(カラ)』。故に我が前に道は無く、我が後に道は無し……」

 

 戒めが解き放たれる。担い手(うつわ)なくしては存在出来ない最弱の永遠神剣が、生命(なかみ)を失った人間を満たしていく。

 そのまま、騎士が媛君へと忠誠を誓うように。不断の誓約の調べと共に、口付けた掌上に置かれた聖盃に滿つ靈氣(アイテール)を飲み干して。

 

「構うか、風は自由に渡るモノ。先にも後にも、道は要らない……」

「ならば、貴方に『神柄(ツカ)』を……共に、遍く可能性を斬り拓く『(ヴァジュラ)』を振るいましょう――」

 

 その無銘の唄を交わし、現出した煉獄の爆風の中で。『巽空』の名を持っていた少年は、その人生に幕を引いた――……。

 

 

………………

…………

……

 

 

 壮絶な爆音が枯れた世界に轟く。砂が熔けて硝子化する程に高熱のプラズマへ変換された魔弾。その手応えに、幽月は口角を吊り上げた。

 

「裏切り者の【破綻】と【弥縫】が隠し込んどった程の永遠神剣……どれ程かと思えば」

 

 確かに捉えた、射撃した地点には気配一つ感じられない。隠蔽でも無い。そう、完全に消えている。

 

「――……?」

 

 そこで、おかしい事に気付く。『何も無い』のはおかしいと。

 消滅させたのならマナが手に入る筈なのだ、しかし……それすら無い。

 

「……っ!?!」

 

 土埃の薄幕(ベール)が晴れれば、美しい黛藍の浮き彫り(エングローブ)がなされた聖銀(ミスリル)の胸鎧に肩当て、篭手と脚甲。今まで彼が身に付けていたモノとほぼ同じ、重要部位のみをを覆う軽装なモノ。

 

 紺を基調とするアオザイ風の武術服に、背に翼のある龍が自らの尾を銜えた紋章が刺繍された外套を腰に纏う青年。

 

「――()くぞ、アイオネア。俺と……共に!」

 

 その左手が掴むは――雨粒が落ち波紋が拡がる水面のように美しい刃紋の刃。いや、どちらかと言えば、それは『鞘』に近い。ただし、存在としては正反対だが。

 担い手が力を振るう為の、『刃を鞘から引き抜く』為のその存在。柄や鍔すら持たない、文字通り鍛たれたばかりの青生生魂(アボイタカラ)水紋刃(ダマスカスブレード)

 

【はい……兄さまとなら私は――何処までも……!】

 

 冀望を宿した蒼滄(あお)の神柄……彼女の生まれたままの姿。

 

――流れ込むチカラは無い。だがそれがアイオネアだ。カラだからこそ、全てを肯定する優しい『人剣(オレ)』の柄――。

 

「……あれ……?」

 

 そこで、傷の塞がった彼の胸元に左腕で抱かれるように護られた……頭を庇っていた、ユーフォリアが見たモノ。

 

「……濫觴より、終焉を刻むモノ……永劫を超え歩む空風(かぜ)よ」

【……終焉より、濫觴を刻むモノ……刹那を超え歩む満水(みず)よ】

 

 衝き出された右手から発された真円の魔法陣、ステンドグラスのような……あらゆる生命を護る、『精霊光の聖衣』。

 その加護によって、悪逆の龍の息吹は全て防がれ掻き消された。

 

「……絶える事無き聖命の輝きを」

【――『生命は巡り(サン)()また繰り返す(サーラ)』】

 

 その魔法陣が、握り締める右掌の動きに凝縮され……純然たる生命の結晶、遍く可能性を宿した一滴の靈氣と化す。

 

「凄い……こんな高密度の精霊光……まるでママの『ポゼッション』みたい」

 

 そんなユーフォリアの呟きを余所に、聖なる雫は砕かれた【夜燭】と【是我】へと注ぎ――巨大な薔薇窓の精緻なステンドグラスを思わせる"生命の精霊光(オーラ)"を展開、辺り一面の砂漠すらも潤し癒しながら波紋の揺らぎと共にそのカタチを創り換えていく。

 

――迷いは無い。自らが望んで、掴み取ったチカラだ。ただ一ツ、悔いが在るとすれば……こうなる前に時深さんに礼が言いたかった。

 

 核たる神獣のレストアスを失って空になっていた【夜燭】は彼の魂の形を表す『永遠神銃《ヴァジュラ》【是我】』へと…『マーリンモデル336XLR』と同化すると――レバーアクションライフル型のガンブレードへと換わった。

 

「……俺の名は、アキ……空位の永遠者(アカシャ・エターナル)

 

 それを――ゆっくりと、彼は神柄と手元に"召喚"した右の神銃を挿入――融合させて殺傷力を『皆無』として。

 

「――永遠神銃【真如(しんにょ)】と歩む者……神銃士、『真如のアキ』だ!」

 

 それが、巽空という少年が手にした永遠(アイオーン)。彼の魂に刻まれた銘は−−永遠神銃【真如】。その示す意味は『在るがままで在る事』、彼の壱志そのものである。

 

 そしてその神銃が象徴する本質は"空"。万物万象の根源事象にして、その全てで有り得ないモノ。

 『無』も、『存在の是非』ですらも揺らぎの一ツに過ぎない『無限の可能性』の顕現。故に、彼は遍く可能性を掴む事も出来るだろう。

 

「……離れてろ、ユーフォリア。始めて使うチカラだ。お前を巻き込むかもしれない」

 

 オーラに傷を癒された彼女に離脱を促すと同時に、左手一本だけで用心鉄を操作する。銃自体を回転させながらの装填とコッキング……スピンローディングを行った。

 

「えっ……あ……はわわ、うんっ!!」

 

 そこで漸く、男に抱かれている事に思い至ったユーフォリアが顔を真っ赤にして跳ね退く。

 『今まで散々引っ付いてきていたくせに』と一瞬苦笑した顔を引き締め、彼はに立ち尽くす妖魅(あやかし)の華……幽月に向け――左手で構えた剣銃を衝き付けた。

 

「――往くぞ、【幽冥】。これが、お前が嘲笑うモノ……"生命"の持つ煌めきだ!!!」

 

 "空"という可能性を宿す銃弾を『空』の神柄から装填された剣銃を……永遠の時を歩む決意と共に――!



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風立ちぬ いざ生きめやも Ⅱ

 絢爛たるオーラより生まれ、吹き抜けた清涼な風と地を潤した清廉な水。淀みを祓った風雨、その深奥の男が持つ剣銃(ソードライフル)の発する精霊光。

 

「−−くっ……ふふふ……『生命の煌めき』……? あっはははははは……強がりも大概にして下さいな、旦那はん? まぁた、とんでもないバッタもんを掴みましたなぁ……」

 

 真っ直ぐに衝き付けられた刃の先で、妖華は笑う。心底の嘲りを籠めて。

 

「カスほどのチカラも在りんせんやないですの、その神剣。確かに、マナを操る事に掛けてはわっちどころかエターナル級どすけど……含有するマナは零!」

 

 番えるは、虚空より引き抜かれた青の神剣。彼女に浸蝕され、その因果律を思うがままに操られている哀れな骸が含有するマナを全て魔弾に換えるべく。

 

「本物のチカラってぇのは、こういう――ッ!?!」

 

 刹那、と呼ぶよりも遥かに早く彼女の懐に踏み込んでいたアキ。両手で握られた蒼滄の剣銃は、青い残光を棚曳かせながら袈裟掛けに振り下ろされ――弾から盾に目的を替えた西洋剣に。

 

「――な」

 

 止められない。打ち合うのでも斬り裂くのでも無く、ただ当たり前のように透り抜けて――『空』を斬った。

 

「何を……何をした……!」

 

 遮二無二、幽月は後方に跳ね退く。必死に、己の本能が喚くままに。この男が振るう、鼻先を掠めたあの刃に『触れるな』と。

 そしてそれが、正しい判断だった事を悟る。彼女が持つ西洋剣が、マナの霧へと――否、『それ以外の何か』に還っていくのだ。

 

「――どんな小細工を使ったァァァッ!!!!」

 

 砂を巻き上げながら激昂して、本来の口調で叫ぶ。有り得ない事だ、彼女が浸蝕したモノが彼女の意志を離れて勝手に消滅するなど一度たりとも無かった事。

 怒りのままに、彼女は再度弓を引く。

 

「……成る程な、そういう仕組みなのか。ハハ――お前らしいな……優し過ぎるぞ」

【はう……ご、ごめんなさい、兄さま……】

 

 それを全く意に介さず、彼は剣銃に微笑み掛けた。それに恐縮したか、アイオネアが謝罪の意識を送る。

 

「いや……いいさ。それは――『神銃士(おれ)』の役目だしな」

 

 奪う事の出来ない、連綿と続く生命を象徴する『不断の刃』に。彼は、慈しむ視線を送った。

 

「マナよ、災竜の息吹となりて敵を撃て――」

「――刧初の波濤よ、穢れを祓え」

 

 放たれた核融合に、【真如】の引鉄を引く。一瞬の内にオーラフォトンを纏う鞘刃(さや)が閃き――清廉無垢な浄化の銃弾に、穢れた焔は消滅した。

 

「――エーテルシンク」

 

――だからこそ、俺が居る。この優しい秘蹟を紡ぐアイオネアへと向かう、あらゆる悪意を吹き飛ばす……俺が!

 

 その鞘刃が彼女ならこの神銃は彼。互助の関係にあるその剣銃。

 

「……は…………はは……ハハハハ!!!!」

 

 見開いた目を憎悪に染め切って、幽月は足元に魔法陣を展開する。赤黒い煌めきはやがて砂の海に――深紅の彼岸花じみたオーラが咲き乱れ、猛毒の鱗分を舞い散らせる漆黒の揚羽蝶の乱舞する『魂の煉獄(カルタグラ)』を作り上げた。

 

「くふふ――これがわっちの切り札……わっちはこれで、世界一つごと第三位のエターナルを滅ぼした……!」

 

 その言葉通り、彼女の展開した空間に呑み込まれた範囲にあった岩や、空気までもが融解する。一歩でも立ち入れば、そうなるのはこちらという訳だ。

 

「この無限熱量の殺界に取り込まれたモノは、魂まで気化する! 例え超スピードなんぞで迫る事が出来るとしてもなあ!」

「成る程な……クォジェといい、テメェといい……よくもまぁ、ひきこもり戦術で強がれるもんだぜ」

 

 それに、アキは一つ呆れたように溜め息を落とす。そして、用心鉄の強度を確かめるように永遠神銃(ヴァジュラ)を握り直すと鞘刃の周りにハイロゥを旋回させる。

 

「その銃の弾も、あんたの剣技も、全てが無意味! これが本物の『強さ』どっ――」

「仕方ねぇ、煩わしいけど……完膚なく捻り潰すか」

 

 その刹那――差し出されたアキの右掌の先に、針先で空けたような漆黒の『穴』が生まれた。広がるダークフォトンの曼荼羅が収斂した、周囲の空間すら歪めるその現象は――最も有名な天体現象の一つ。

 

「――ダークフォトンコラプサー!」

「くっ――!」

 

 放たれた漆黒の潰星、光すら逃れられぬ事象の地平線。そこに幽月は『ヘリオトロープ』を撃ち込むも、なんら効果はない。

 再び、彼女は飛び下がった。またもや必死に、実に惨めに。

 

「この餓鬼が……調子に――」

 

 悪態を吐こうと顔を上げたところに、砂を巻き上げる事もなく現れた用心鉄をメリケンサックとして使った崩拳『無体』を顔面に叩き込まれて吹き飛ばされた幽月。

 そして、殺界に撃ち込まれた潰星が煉獄を飲み込む。所詮は無限の熱量程度、原子が崩壊する程の超過重力には対抗の使用がない。

 

 『全てが始まる前にそうであり、終わった後にそうなるもの』へと還って逝く空間。意味有るモノである限り、無意味ですらも耐えられる筈もない。

 

 ゆらり、と彼女は立ち上がたった。その姿は、正しく幽鬼。

 その幽鬼が、憤怒と憎悪。砕けた人形の如き顔面に、その二つを満たして弓を引く。

 

「――調子こいとくなよ、糞餓鬼共ォ! わっちが……この【幽冥】が! 生まれたばかりのヒヨッコに負けるかァァァァァッ!!!」

 

 乱射に次ぐ乱射。それをアキは、銃に右手を添えて用心鉄を操作しながら魔弾を次々に撃ち落としていく。

 

 幽月は『取り出し、引き、放つ』という三行程で行う射撃。だが、アキは『操作、撃つ』の二行程。三射の段階で既に上回られ、逆に守勢に廻り――遂に十五射目で。

 

「フグッ!?」

 

 『心臓』を撃ち抜かれた。だが、今まで得た(マナ)の予備は未だに無数。直ぐに再製してしまう。

 

「……何で、どすねん……マナなんざ一切感じへんのに……何でわっちの浸蝕が効かへんねん……?」

「浸蝕した俺の時間感覚を、目茶苦茶に操作した事か? 悪いけど、俺にはもう通じない」

「……ッ!!?」

 

 排莢された薬莢……根源力の残滓が、砂に墜ち消える。端から銃弾など(カラ)、だがそれこそ【真如】の銃弾ならば――『ディラックの海』を内包する彼女なら、弾数は無限。

 【真如】は空の特性に合わせてダークフォトン、即ちオーラフォトンに対を為すエネルギーに満たされている。それを空が使用すれば、当然に空白の部分が生まれるのだが――【真如】は、その空白の部分をオーラフォトンとしてアイオネアが使用する。すると、空白が無くなるのでダークフォトンが満ちる、それを空が……という訳だ。

 

 終わりを始まりに。無を否定し、永劫回帰の『()』を捩曲げて無限輪廻の『(無限)』と換えた……究極の一ツ。

 

「【真如】は不変不改の絶対律……異能効果の対象にすらならない。俺の歩む道を決められるのは――この俺だけだ」

 

 "空"を起源とする銃弾の装填とコッキングを一挙に終えた剣銃をアキは、無造作に剣銃を肩に乗せた。

 

「……それが、アンタはんの異能どすか……」

 

 一方の幽月は、片膝を衝いて肩で息をしながら……屈辱に震える。"零"だったのではなく、始めから何も見えていなかったのだ。その存在は、"異能"をもって捉える事が出来ないその存在は。

 

「……莫迦か、テメェは。この程度は、異能なんかじゃねェ。今を生きる生命(イノチ)なら、全てが平等に持ってる権利(チカラ)だ」

「生命……そんなものが――永遠神剣の異能に勝てる訳があらしませんやないの!」

 

 かつて、大剣【夜燭】でそうしていたように。肩に担ぎ、相対する敵を睨みつける。

 

「勝てないと……思ってるのか?」

 

 何処までも生命を卑下する存在に、憐れみすら覚えながら。

 

「当たり前どすやろ! 全能の神剣(わっちら)に、劣等種(イノチ)如きが!」

 

 吠えた幽月が、一度に五つの魔弾をに番えた。出来る出来ないの問題ではない、彼女が浸蝕したモノならば、それは全て彼女に従う。

 

「……そうか。だったらお前に俺は負けない。可能性を信じられない奴に、俺は決して負けない……」

 

 衝き出したその銃口に、精霊光が展開される。極彩色のオーラの、その瞬きが集束されていく――

 

「マナよ、オーラに変われ。守護者の息吹となり万障を撃ち砕け――オーラフォトンレイィィィッ!!!!」

 

 先に放たれたのは五色を統一した、マナ嵐。極限まで昂ぶった破壊の意念を集束した一射は音速を遥かに越えてアキを襲い掛かり――

 

「マナよ、我が求めに応じよ。浄化の輝光へと換わり、遍く穢れを撃ち祓え……」

 

 乱れ咲く星屑の魔法陣、展開されたステンドグラスのバラ窓のオーラフォトン。引かれたトリガー、聖刄と同色の、真世界に満ちるマナ光の奔流に全てが浄められて。

 

「――オーラフォトンッックェーサァァァァァッ!!!!!!!」

 

 光速を遥かに上回る一撃に幽月は、命中してから己の躯が消滅した事に気付いた――……

 

 

………………

…………

……

 

 

 死した筈の意識が覚醒したのは、痛覚が蘇ったから。烈しい痛みに身をよじり――躯が動いた事に、ベルバルザードは驚愕した。

 

「我は――」

「……気が付いた、ベルバ?」

 

 目を開けば、翡翠細工の女。その膝を枕として、彼は湿った砂の上に倒れていた。

 

「……エヴォリア、我は……死んだ筈では……?」

「……神様が、助けて下さったのよ。本物の、神様が……」

 

 エヴォリアは、あどけなく笑う。そして……彼方の、虹を見遣った。

 

 

………………

…………

……

 

 

 岩塊の上に倒れ、機能停止していたスバル。その瞳に光が返る。

 

「――カハッ……ゲホッ!」

 

 同時に咳込んだ。死の向こうからの帰還、その程度は甘んじるべき。だが彼は、歓喜から涙を流した。押さえた胸に感じる、鼓動に。

 

「神よ……!」

 

 遥か昔に失った筈の、その『人体』の反応に――。

 

 

………………

…………

……

 

 

 黒金の鍵剣は、枯渇した世界で。楽園の対たる"黄泉(ニヴルヘイム)"の割れた大地、林立する永遠神剣の抜け殻、死骨のような大樹の下で。

 

『本当に……久しぶりですね、【破綻】』

 

 白銀の錠盾に刺さった状態で転がっている。その錠盾より、美しい旋律。声は天上の音色。

 

『ああ――久しいな、【弥縫】』

 

 答えた声は低い、地下の韻律。無為の世界に響く、旋律と韻律。後は歌声が在れば全てが揃う。

 

『あの子達は……幸福になれるのかしら』

『なれるとも。あの子達ならな』

 

 だが、それは二度と無い。いや、一度すら有り得なかった。

 

『認めてるのね。その割には随分厳しかったじゃない?』

『フン、大事な一人娘をくれてやるんだ、あの位の苦労は当たり前だろう』

 

 その穴を埋めるように、鍵剣と錠盾は唄い逢う。

 

『……【調律】殿に頂いたチカラは使い切った。もう我々に遺ったのは……この世で永遠を刻む事のみ』

『……でも、それも悪くは無いわ。あの時、あの娘を"門"の彼方より授かって……冀望を知り、繋いだ。私達は"親"の役目を果たした……』

 

 全てが正反対だったその鍵と錠。天と地の眷族という開きがありながら、故に惹かれ逢ったその二振りは。

 

『『……だから唄い続けよう。この永遠よりも長い瞬間を、この……刹那よりも短い永劫を――……』』

 

 この閉じた世界の中で漸く、永遠の安寧を得た――……

 

 

………………

…………

……

 

 

 蒼滄のオーラフォトンの準星の輝光が去り、後には弾道の全てが消し飛ばされた溝以外には塵一ツ残っていない。

 それ程の一撃、それを為したのは……排莢された莢に籠められていた、たった一射のオーラフォトン。それが砂や幽月、その護りの加護ごと、岩山すらも刔り飛ばしたのだ。

 

「――ガァァァァァァァ!!!!」

 

 刹那、砂の中から飛び出した翳の塊。左腕とおぼしき部位に斬り落とされた機械神の腕を持つソレは、音速の貫手をアキの背中から心臓目掛けて振るい――

 

「――――ッ!」

 

 巻き込みながら左手で振るわれた蒼滄の聖刄による居合。空と海の境界線、人が望みながらも永遠に辿り着く事適わぬ水平線の軌跡を残す一閃に……『存在事項』と共に斬られて。

 

「……く…………ふッ…くふふふふふ……旦那はん、まぁた……とんでもない代物に魅入られましたなぁ?」

 

 その身を、今度こそ滅ぼされた。再製する端から躯は崩れ落ち、次々と入れ替わっては消えていく。

 

「その剣は、他者が否定したモノを否定する……例えばわっちの異能、再製出来る限り消滅しない能力を……死を否定する能力を否定した! 御蔭さんでこの通り……その否定を否定出来ずに消滅するのみ……」

 

 正確に言えば違うが、惜しい。ただ彼女は確定しただけだ。

 永劫回帰の『0』……無を否定し、完全終極の『φ()』へと、輪廻の輪を閉じただけのこと。

 

「何が……何が冀望どすねん、この女魔(アマ)……! お前こそ本物の、どうしようもない……絶望……や…………ありんせん……か……」

 

 始まりを終わりへと、それは――……どちらも、同じだとして。

 

「くふふ……でも、これでもわっちは……還れる…………不本意なカタチでは有りますけども……これでわっちは――『始まりの一振り』に……」

 

 そうしてその言葉を最期に。僅かに生命の息吹を孕んだ風に、不浄の翳は跡形も残す事無く。静謐に押し流されて消え果てた。

 

「……あばよ、カラ銃」

 

 一言、彼は言葉を送った。裏切り者とは言え、その剣が居なければ……彼は遥か昔に死んでいた筈なのだから。

 

「…………」

 

 黙って、アキは腰元を漁る。身に付けていたウエストバッグからは、以前止血帯として使ったPDWのショルダースリングが取り出された。

 

 それを【真如】の銃身部と銃床部の二点に取り付けて左肩に担ぐと、ゆっくりと。尻餅を衝いているユーフォリアの前まで歩いた。

 

「あ……」

 

 一瞬怯えて彼女は身を固くする。見上げる眼差しには、多分に畏怖が在った。今までの彼には、一切感じていなかったモノ。

 そして『今』は――最早、恐怖しか無かった。

 

 僅かに湿る砂を踏み、足が止まる。その目の前にそっと右掌が差し出された。

 

「――何してんだ。ほら、さっさと帰ろうぜ、ユーフォリア。俺達の……"家族"のところに」

 

 同時に、ぶきっちょな笑顔。生まれて初めて笑ったと言っても信じられる程に。

 

「……お兄ちゃん……うん!」

 

 それに、彼女の畏怖は消えた。彼が間違いなく彼女の知る彼のままだと、理解出来た。

 チカラに呑まれず、驕らず。ただ『在るがままで在る』……そのままなのだ、と。

 

「帰ろ、お兄ちゃん。皆、きっとびっくりするよ……」

 

 朗らかに微笑みながら重ねられた右手を、アキは引き起こしたのだった。



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空隙よりの眼差し 神の操る糸

 望が二刀流で押すのなら、絶は速度でそれを上回る。一進一退の攻防、だが片方は生かす為に全力を振るえず、もう片方は殺す為に全力を振るう。その歴然とした差は、決定的だった。

 

「終わりだ、望……【暁天】よ、我が敵を屠り力と成せ――色即、是空!」

 

 跳ね飛ばした望を鋭く見遣り、腰を落とした抜刀の構え――神世に畏れられた彼の前世『復讐の神』の、神速の居合『無常の太刀』。

 

――まだだ……諦めない、俺はッ!

 

『……ならば、我のチカラを使うがいい』

「――ッ!」

 

 そこで望の頭の中に響く前世の声に、思い至った。己が得た浄戒のチカラ、それを振るえば……目の前の彼を捕える滅びを断ち切れる事を。

 

「違うぞ、絶……此処からが始まりだ……浄戒の一撃で、決める――ネームブレイカアァァッ!」

 

 二刀を一本の大剣に合体させ、望は構える。最早それしか道が無いと、決意して。

 

「ノゾムぅぅっ!!!」

「マスタぁぁっ!!!」

 

 天使達の声を聞きながら、光纏う【黎明】を下段から刷り上げる一太刀で、横一閃の【暁天】を迎え打った。

 

「――あ……」

 

 希美の、その小さな呻き声を掻き消して。

 

………………

…………

……

 

 

 光をもたらすものの幹部との戦いで、アキ達はいつしか遠く離れてしまっていた。

 クォジェの残骸から回収した拳銃五挺とライフルの一部を、透徹城を媒介にした為か同じ効果の有る【真如】に収め、一行と合流する為にアキとユーフォリアはまだ戦闘が続いている方角へと走る。

 

(アイオネア……)

【はい、兄さま……如何なさいましたか?】

(取り敢えず、『アイ』って略していいか?

【ふぇ? は、はい……有難うございます】

 

 その道々、アキは左肩に担いでいる【真如】に語り掛けた。

 

(礼はおかしいと思うけどな……で、本題だ。周囲の状況を感知出来るか?)

【はい、出来ます。天と地の狭間に於いて(くう)に接さないモノなんて在りませんから……】

 

 瞬間、周囲の空間に心が融けたように波紋が拡がった。感覚が極限まで研ぎ澄まされ、幾つかの神剣を捉える。

 

――背後に一ツ……ユーフォリア、遥か彼方に旅団員やミニオンの。前方に三ツ……ッ!?

 

 瞬間、見当違いの方角を見遣る。何も無い虚空、そこから感じられた……悪意に満ち溢れた視線を。

 

「――この……気配は!?」

 

 そしてそれは……前世の己が知る存在のモノだった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 仰向けに寝そべって見上げた茜色の空。その視界に顔を出す、銀髪の堕天使。

 

「ご無事ですか、マスター……?」

「ナナシ……俺、は……」

 

 『負けた筈では』。そう問おうとした彼の首っ玉に、堕天使が抱き着く。

 

「マスター…マスター……」

「……ナナシ」

 

 肩を濡らす涙、声を震わせて己を呼ぶ掛け替えの無い存在。その名を呼び、彼は…己の身を蝕んでいた滅びが消え去っている事に気が付いた。

 

「……なんて馬鹿な事をしたんだ、望……! お前は何も判っていない!」

「何、どういう意味だ、絶?!」

「クソッ、もう遅い……! 希美から離れろ!」

 

 絶の叫びに、望と沙月は希美を見遣る。

 

「…………」

 

 人形のように無表情な、希美を。そしてその瞬間――枯れた世界が、歪んだ。

 

「望くん、危ない!」

「−−ッ!?」

 

 頭上から降り注いだ光、それを何とか回避した望達。

 立ち上る砂煙の向こうから――

 

「――予定通りであるか」

「そのようだ。まぁ、至極当然の事であろうが――」

 

 しわがれた、しかし低く地を揺るがすような……圧倒的な威圧感の声が木霊した……!

 

 

………………

…………

……

 

 

 宙を翔ける【悠久】、それに乗るユーフォリアとアキ。進路を変えて先行しており、丁度塔と旅団員達の中間に差し掛かった。

 

 自分には、役目が在った。とても大事な役目、だというのに――忘れてしまっていた。そして、この人の事も。

 

 少女は思案に沈む。己の後ろに乗った黒の外套の男、剣銃を担いだ『神銃士(ドラグーン)』。

 正体不明の『永遠神銃』を振るう異端者(アウトサイダー)

 

 最早、人としてなど歩けない。そんな事は、この神剣宇宙が許さない。

 

「…………」

 

――こうなる事を、予め教えられていたのに。そうならないように、お手伝いする筈だったのに……

 

 ユーフォリアは俯く。その小さな胸に疼くような痛みが走る。

 自分の不甲斐無さがこの結末を招いたのだ、と。彼女の所属する組織の……未来(トキ)を詠む永遠者が見た未来を変えられなかった。

 

「ユーフォリア、もっと速度出ないのか!?」

「――ひあっ!? あうぅ、もう限界だよ〜っ! お兄ちゃんの分だけ、やっぱり遅くなっちゃうの!」

 

 と、突然彼に声を掛けられて彼女は大いに慌てた。いきなり『塔に急げ』と言われてここまで来たのだ、その上に急げと言われて彼女は一計を案じる。

 

「――そうだ、これならいけるかもっ!」

「は? いきなり何だ――?」

 

 突然声を上げたユーフォリアに、アキは訝しげな声を掛けた。その彼に彼女は肩越しの笑顔を見せて、右手同士を絡み合わせる。

 

「お兄ちゃんのマナ、借りちゃうね――マナリンクっ!」

「……ッておいユーフォリア、俺はそういう魔法の対象には――」

 

 展開された光、個人の持つマナを共有する神剣魔法。それで二人分の出力を得ようというのだろう。

 だが、そういった効果はアキには意味を為さない。彼は『空』なのだから対象に『なれない』のだ。

 

【【――あっ!?】】

 

 と、【悠久】と【真如】の驚くような声が同時に響いた刹那に、『ポスンッ!』と。

 

「「――えっ?」」

 

 間の抜けた音を立てて、【悠久】の後端から噴き出していたマナが止まった。

 

「……これこれ、何で止めるんだね、ユーフォリアさんや?」

「えへへ、あの……好きで止めたんじゃないよ……ゆーくん、どうしたの?」

【いや……何と言うか……いきなりマナが尽きて】

【はう、ごめんなさい……あの…私は空っぽだから……きっとその所為です……】

 

 慣性で前進しながら、四ツの意思は言葉を交わす。次第にその速度は落ち、やがて――

 

「「【【――わぁァッ!?」」】】

 

 突如として凄まじい勢いで再噴出したマナに、振り落とされそうな超加速を得る。

 

「ななな何だこれ、ユーフォリアァァッ!!?」

「すすす好きで飛ばしたんじゃないよ〜っ! ゆーくん、どうしたの〜っ!!」

【いや、何と言うかいきなりマナが満ちてきて抑えが!?】

【はうぅっ、ごめんなさい! 私が空っぽを滿たしたから、きっとその所為ですぅっ!】

 

 【真如】の特質は空を滿とするモノ。しかし、その恩恵を受けられるのは本来はアキのみの筈だ。『対象にならない』能力なのだ、無効の対象にすらも、ならないというのに。

 

――全く……このガキんちょは本当に、何者なんだよ……!

 

 だが、その超加速のお陰で一挙に距離を稼ぐ。残る距離は五分の二程度――

 

「「――ッっ!?」」

 

 と、その進路に炎球が現れる。危うく回避した二人だが、体勢が崩れた為に砂漠への着地を余儀なくされた。

 

「――随分急いでますけど、デートですか、お二人さん?」

 

 そして、顔を上げた先。砂の海に浮かぶ岩に腰掛けた少女が首を傾げて、シャン……と。

 

「……鈴、鳴」

 

 黒髪に飾られた、鈴の音が世界に響いた……

 

「お兄ちゃんの、知り合い……?」

「ああ……」

「精霊の居た世界以来ですね、お元気そうで何よりですよ」

 

 クスッと笑い、鈴鳴は岩から飛び降りる。本当に何でもなく、旧知の人物と再会を喜ぶ顔で。

 

「……流石に今回ばかりは『行商』じゃあ誤魔化されねェぞ鈴鳴……テメェ何者だッ!」

「非道いなぁ、巽さんは。私はただ、買い付けの回収に来ただけですよ」

 

 ユーフォリアを庇うように立ち、アキは叫ぶ。そんな彼に鈴鳴は、やれやれと肩を竦めた。

 

「……【幽冥】が敗れたのは、正直意外でした。中々使える手駒だと思ったんですけど、所詮【聖威】の使い走りに甘んじていた小物。野心まで小物でしたね」

 

 そして――底冷えのするような、妖艶と言っても良い眼差しで彼を見詰める。

 

「ああ、そうそう……私が何者か、でしたっけ」

 

 その姿が、壮絶な神気と共に移ろう。古代の軍装のような……羽衣を纏う天女を思わせる姿。

 

「――我が名はスールード……永遠神剣第四位【空隙】のスールードですよ、神銃士【真如】のアキ」

 

 そしてその手に――尋常の存在のままで手に出来る最高位。紅い剣身に文字の刻まれた幅広な片手剣……第四位神剣【空隙】を無造作に持った。

 

「お兄ちゃん……」

「気を付けろ……アイツは、ヤバい」

 

 【真如】にスピンローディングで装填して構える……だが、剣先は震えている。寧ろ神銃を持つようになったからこそ、神剣の強大さが身に染みて判るようになってしまった為だ。

 確かに【幽冥】は強力な神剣だった。だが、あれは所詮はただの『永遠神剣』が自立して動いていただけ。真に奇跡を起こす――神剣士とは比べるまでもない。

 

「大丈夫だよ、お兄ちゃん。あたし達は、絶対に負けないから……」

 

 そこで気が付いた。未だに繋いだままだった右手、そこから伝わる体温と……微かな震え。

 

「……行け、ユーフォリア。望達の所に……此処には後続が来るけど、あっちは孤立してる」

「……えっ、でも……っ!?」

「――どうッせオイラはヤクザな兄貴、解っちゃいるんだ妹よ!」

 

 と、反論を封じ込めるように大声を上げたアキ。その口ずさんだ訳の判らない文言に、ユーフォリアどころか鈴鳴……いや、スールードまでもが驚いた顔を見せる。

 

 そして、解かれた掌。右手はそのまま――サムズアップを行う。

 

「……格好くらいは付けさせろよ。今まで散々、迷惑掛けた分はな」

「……ばか、お兄ちゃんのばーか……」

 

 その、強がりを口にする。皮肉るような物言いに、ユーフォリアは漸く笑顔を見せた。

 

「……先に行ってるから。追い付いてくれなきゃ、嫌だよ?」

 

 そしてビシリと、頼もしいサムズアップを返す。

 

「オーケー、皆を連れて必ず行く……だからアイツらを助けてやってくれよ」

 

 解っているのだ、今のアキには。この世界に居る他の誰よりも、ユーフォリアが最高位の神剣士である事が。

 

「――相変わらず、愉快な方だ」

 

 割り込んだ声に、二人は一斉に行動を開始した。

 アキはスールードの懐へと飛び込んで剣撃を見舞い、ユーフォリアはその一瞬の隙を衝いて離脱する。

 

「残念、判断は良いのですけど……こんな仕掛けもしてあります」

「……ック……!」

 

 造作も無く受け止められたオーラの刃。スールードの【空隙】が光を放ち――ユーフォリアの目の前の空間を『裂い』た。

 

「あ――!」

「――ユーフォリア!」

 

 それは門、分枝の外へ繋がる軌跡。全速力故に彼女は避ける事が出来ず、そこに突入してしまう。

 

「駄目でしょう、戦闘中に他人の心配なんかしては」

 

 そうして気を逸らした彼の背後でも、空間が裂ける。そこに力ずくで弾かれ、アキもまた分枝世界間に弾き出されてしまった。

 

「クソッ……!?」

「今この世界に居られては迷惑になりますからね。では、次の世界でお会いしましょう…若く、幼いエターナル達?」

 

 必死に手を伸ばす。しかし巨大な木の枝が無数に入り乱れ、無限に拡がる狭間の回廊に足場は無い。ただ、落下して行く――

 

「大丈夫、お兄ちゃん!」

「チッ、ユーフォリア! 早く戻るぞ!」

 

 先に飛び出していたユーフォリアに掴まれて裂け目を探すが、既に閉じてしまっているらしく見当たらない。

 

「ど、どうしましょう……」

「どうもこうも、とにかく戻らねェと――うおッ!?!」

 

 刹那、分枝世界間が激震した。次元震に枝が異常な動きを見せ、空間が乱気流のように襲い掛かり――一本の枝が。

 

「「−−ッっ!」」

 

 庇い合うように抱き合った二人を呑み込んだ――……

 

 

………………

…………

……

 

 

 壊れた体を引きずりながら、面兜を装備した機械の神はただ、彼の『月』を目指す。

 

――ファイム……

 

『貴方は……死ぬの?』

 

 マナゴーレムを完成させた直後、イスベル達の裏切りにより死に瀕した彼に掛けられた言葉。

 後は死に逝くのみの耳朶を震わせた、鈴の音。

 

『貴方は……こんな所で、死ぬの?』

 

 怜悧で無機質ながら、どこか可愛らしい響きを含むその声。それに、倒れ付した彼は――

 

「――死ねない。まだ、オレは……何も、やり遂げていない」

 

 神世の答えを呟く。それだけでも、まだ動ける気がする。

 

『じゃあ……生きて。貴方の為に、貴方の道を』

 

 意識を取り戻した時に感じたのは、あの時と同じ優しい光。死ぬだけだった体を癒した、温かさ。

 ただし、今回は全快ではない。元より魂は朽ち果て、体は機械。既に輪廻の輪から外れたこの存在が、動けるまで補填されただけでも奇跡であった。

 

――そうだ、生きてきた。こんなになってまで生きてきた。ああ、そうだ……永らえてきた生命は、この刹那の為に。

 

 残った右腕を銃として、機械神は笑う。笑って――遠くに感じた、懐かしい憎悪に歩調を早めた――

 

「久しぶりじゃねぇかよ、糞爺いども」

 

 状況は、考えずとも理解できる。絶と決着を付けた直後に現れた『敵』にやられたというところか。

 

「は……ちょっ、あなた、誰?」

 

 倒れた絶とボロボロの状態でクォジェなど目にも入らないといった風に睨み付ける望と、突如現れた機械神に警戒する沙月を見下すように立ち、人形のように無表情な希美を従える――

 

「む……? ノル・マーター……いや、それ以下のゴミか」

「ふ……ずいぶんとみすぼらしくなったのう。『奸計の神』の二つ名が泣くぞ、クォジェ・クラギよ」

 

 泰然と笑う、二人の男性。高位の司祭を思わせる法衣を身に纏う老人『欲望の神エトル=ガバナ』と、東洋の修験者を思わせる僧衣を身に纏う壮年『伝承の神エデガ=エンプル』。この時間樹の幹、根源からの主軸である『理想幹』を統べる神々である。

 

「端役は端役らしく、とっとと退場すれば良いものを……なんだ、今さら」

「……ファイム」

 

 心底つまらなそうに呟いたエデガだったが、クォジェの方はそんな彼に大して興味を抱いていない。

 それに、エデガの手に握られた錫杖が音を立てる。そこから発される圧力は、紛う事なき永遠神剣の気配。

 

「ふん……まあよい、手ずから止めを差してやる」

「――グッ……!」

 

 掲げられたその杖に注意を向けるクォジェ、その足元が噴出した。

 

「貴様の妄執は、南北天戦争を我らの思い通りに進める良い起爆剤となった。その褒美だ……再び転生するが良いぞ、その壊れた神名で出来るのならば、だがな!」

 

 対応が遅れ、右のレッグの膝から下が消し飛んだ。構わず、スラスターを吹かして宙を翔る。

 ワープ機能は空との戦いで壊れている。しかも【幽冥】も無い今、その動きはただのノル・マーターと変わり無い。

 

「――小癪な……なまじ力があるから、闘おうとする。その力、奪ってくれる!」

 

 それを見抜いている理想幹神二人には、何の動揺もない。むしろ、この期に乗じるのではないかと、望達の方に注意している。

 再び掲げられた錫杖の先に、多数の『剣』が現れる。全色のマナで編まれた剣が、疾駆するクォジェに向けて弾幕と化す。

 

「――……」

 

――夢を、見た。多分その時、存在して初めて……起きたままの『夢』を。

 

 躱しきれる量ではないエデガの剣による絨毯爆撃に、横腹が抉られスラスターを吹き飛ばされ、左足がもぎ取られる。

 

「――ガァァァァァァァ!!」

 

 それでも、止まらない。機械神に痛覚など無いのが幸いしたか、凶戦士じみた咆哮を上げて肉薄し、残しておいた右腕を――銃にか得た右腕に装填されている、最後の【逆月】の銃弾をエデガに放つ――――!

 

「やれやれ、いつまで遊ぶ気じゃ、エデガ。悪い癖じゃぞ」

「少しくらい良かろう、思い通りに事が運びすぎて面白味が無いのだ」

 

 エトルの永遠神剣……単眼を持った球形の魔法具から這い出る漆黒の腕に肘を捻り潰された状態で、自分自身の顔に銃口を向けさせられた。

 

「へっ……やっぱり……脇役がどんなに頑張ったところでヒロインは振り向いちゃくれねぇし、いきなり目立つのは死亡フラグか」

 

 身体極まり、そう反吐を吐く。そして――目の前の希美の顔を今生の最期の景色として刻み付けた彼は、面兜の奥の口角を吊り上げて。

 

「ああ――見たかったな。貴方の……笑顔が」

 

 自らは見ることの叶わないそれに、最後まで思いを馳せて――銃弾を放った。

 

 

………………

…………

……

 

 

 闇色の空間に蠢くモノ達。定型を持たず、その四つの異形はただ憤怒していた。

 

『こうなれば、最早悠長な事は言っておれぬぞ! 今すぐに打って出ねば、この時間樹は管理神の思い通りになってしまう!』

『とは言え、ジルオルが居る以上下手な真似は出来ません……次に浄戒を受ければ、我々に待つのは完全なる死……』

『奴らに、ノル=マーターや抗体兵器だけで敵うのでしょうか?』

『……口惜しや……せめてエヴォリアやベルバルザードの躯が有れば! 我々南天の神が、蕃神如きに追い落とされるなど!!』

 

 南天の神々は理想幹神や旅団の神剣士に嫉妬じみた視線を向けた。そんな彼等の、心の『空隙』に付け込んだ――

 

「――では、こんな可能性は如何でしょうか?」

 

 悪魔が、囁き掛けたのだった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 吹き抜ける風に、彼は目を覚ます。何かに寄り掛かり座り込む彼は土の匂いと夜気……両手に心に染み入る温もりを感じた。

 

「お兄ちゃん、目、覚めた?」

「兄さま……御目覚めですか?」

 

 目を開けば、右側には白い羽根の生えた蒼髪。左側には花冠を戴く滄髪が寄り添っていた。

 

「よかったね、アイちゃん」

「うん……ありがとう、ゆーちゃん」

 

 まるで、風雨を耐え忍ぶ小動物が身を寄せ合って互いの身体を温め合うように。テディベアよろしく両手足を投げ出す形で大木の幹にもたれ掛かったアキの太股に座り、彼の外套の内に収まった二人の姿が。

 

「−−ッて、何だこの状況ォォォッ!?」

「きゃあっ、もう、暴れないでお兄ちゃん!」

 

 慌てて跳ね退こうとしたアキだったが、左右に加えて後方まで木に防がれており不発に終わる。強かに頭を打ち付けただけだった。

 

「あの……ゆーちゃんはすぐに目を覚ましたんですけど……兄さまは中々目を覚まされなくて……」

「この世界って少し寒かったから、温めないといけないと思ったの銃弾。それであたしとアイちゃんでサンドイッチに」

「するなよ! もっと自分を大事にしろっての! 第一、こういうのは望の仕事だろ! 俺はこういうのに耐性が無いから、どうしていいか判らなくてテンパるの!」

 

 二人を正座させて、湯気を噴かんばかりに怒ったアキにアイオネアとユーフォリアは『むー』と唇を尖らせ合った。案外気が合う二人組らしい。

 溜息を一ツ落として、アキは左の親指を眉間に当てた。現状を確認する為に。

 

「ハハ――賑やかだな、アンタら」

 

 そんな三人に、笑いかけた男性。振り向いた先の焚き火に当たっていた――白い外衣を纏う、黒い髪を纏めた上げた、二本の刀を携えた精悍な青年だ。

 

「アンタは――」

「あ、この人がね、ここに倒れてたあたし達を見付けて手当てしてくれたんだって」

 

 一瞬、身構えるもユーフォリアのフォローに構えを解く。しかし、警戒は怠らない。

 そんなアキに、青年は値踏みするように鋭い瞳を向けて――破顔した。

 

「へぇ……若い割りに、中々隙がないな。よっぽど厳しい生き方をしてきたみたいだな」

「はぁ……」

 

 悪意の『あ』の字もないそれに、流石の彼も毒気を抜かれた。それを見届けて、青年は双刀を虚空に消す。それは即ち、永遠神剣である、事の証明に他ならない。

 だが、今はそれを追求している場合ではないと思い直した。

 

「確か、俺達は……」

 

 周囲を見渡してみるが、砂漠でも無ければ黄昏の空でも無い。木立に藍色に染まる朝へと移ろう中途の空。吹き渡る風も僅かな水気を帯びており、枯れ果てた世界ではない。

 

「覚えてないの、あたし達……別の分枝に飛ばされちゃったんだよ」

「そういえば……あのヤロウ……!」

 

 思い出せば、怒りが沸き上がる。黒髪に鈴の髪飾りを着けた少女……かつて『行商人・鈴鳴』と名乗り、透徹城等の様々なモノを与えて――今度は敵として現れた神剣士…と第四位【空隙】のスールード。

 

「……そうだ、とにかく旅団と合流しないと! アイツ以外にも強力な神剣の反応が在ったんだ、あれは『欲望の神』と『伝承の神』!!」

「でも、お兄ちゃん……」

 

 思わず駆け出したアキ、その背中に掛かった言葉に。

 

「……どうやって?」

「…………」

 

 アキは固まって、やがてゆっくりとうなだれたのだった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 神銃に戻ったアイオネアを担いで、アキは先を歩む青年の背中を見ながら藪を掻き分け歩む。結構鋭い葉もあり、アキは後ろに続くユーフォリアが怪我をしないように道を選びながら。

 

――永遠神剣第五位『竜翔』の担い手で、分枝を旅している……判ったのはそれだけ、名前も不明だ。と言うのも、なんとこの男も記憶喪失なのだそうだ。この世界に来たのも、あの次元振動で通っていた精霊回廊から放り出されたからとか。

 悪い人間じゃなさそうだが、警戒しておくに越した事はないだろう。この足運びや屈強な体つきは、間違いなく荒事に秀でてる証拠だ。

 

「この世界、マナが薄いね」

「ああ……ッつっても、前の世界からすれば潤沢だけどな――」

 

 と、語りかけてきたユーフォリアに応えて思考を中断する。そうして、一際背の高い藪を掻き分けた時、いきなり視界が開けた。森を抜けたのだ。

 

「……マジ、かよ」

「……此処は……」

「なんだ、知ってる世界なのか?」

 

 その目に映ったモノ。建ち並ぶ見慣れたビルに見慣れた市街、見慣れた住宅街……それらの明かり。

 

――……見間違う筈が無い。確かに長らく離れていたが、時折夢に見たその風景は。

 

 アキとユーフォリアは同時に口を開く。そして――全く同時に。

 

「此処は――元々の世界……!?」

「ここって――ハイ・ペリア!?」

 

 全く別の名を唱えた――……



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第七章 写しの世界《ハイ・ペリア》
無月 時詠みの女神 Ⅰ


 新月の静かな神社の境内の内側。深夜の闇に抱かれたそこで、巫女……倉橋時深は溜息を衝いた。

 

「……短い安息でしたね。やはり、こうなりましたか」

 

 消えた、『彼』の覚醒を抑えさせていた枷。それにより……未来は、変えられなかったのだと。

 

「……ではやはり、彼は契約してしまったのですね……時深様」

「ええ、残念ですけど……未来は、変わりませんでした」

 

 その時、闇の向こうから現れたのは……古めかしい提灯を持った銀髪に緋瞳の、小柄な巫女姿の少女。

 その姿は、夜闇に飲み込まれる一方の弱々しい灯[(ともしび)では判然としない。

 

「……そうですか。では、皆様にもその旨をお伝えしなければなりませんね」

「私の失敗ですからね、リーダーには私が報告しますよ」

 

 少女は怜悧な声でそう告げたが、一向にその場から動こうとしない。何かを案じるように、ソワソワとした雰囲気だけは伝わって来るが。

 

「良かったですね。私の言い付けを破ってまでミニオンから助けた、愛しの『ご主人様』にもうすぐ逢えますよ?」

 

 そんな彼女に、時深はにっこりと――彼女の人と成りを知る者なら、一目散に逃げ出すだろう笑顔を見せた。

 

「――……っどういう意味なのか、判りかねます。彼を助けたのは、偶然ですから。偶然にも散歩コースに居ただけですから」

「あら、そうなんですか? へぇー、別の分枝世界まで散歩に行っていたなんて知りませんでした。しかし残念でしたね、後少し日があれば今の姿で助けに行けたのに。そうすれば、伝統に乗っ取ってメインヒロインでしたね、まぁその時はパンチラしないといけなく……いえ、巫女は下着をつけないからむしろマ――」

「そんな時も有ります。第一、私の主人は時深様ですから、時深様が邪推なされるような事は何一つ在りません」

 

 興が乗ったのか、クスクス笑いながら時深は若干メタな事を言いながら少女をからかう。だが、少女は毅然とそれに立ち向かった。一歩も引かずに、彼女を凌駕しようと。

 

「ふぅん……じゃあ、戸棚の奥に隠してる『アレ』と、懐に忍ばせてるそのハンカチは何かしらね?」

「なっ……!? と、時深様、どうしてそれをっ!」

 

 そして直ぐに、それが無謀だったと思い知る事となった。ポーカーフェイスを破られ、彼女は一気に顔を赤らめる。

 

「あの日からずっと大事にとっていますものねぇ? でも、洗濯くらいしてもいいんじゃないかしら」

「うっ……ううぅ~~……!」

 

 だが時深は一切容赦しない。反逆者は、完膚無きまでに叩き潰すと言わんばかりの苛烈な攻め。

 それに、反論する言葉を持たない少女は仔犬が唸るような呻き声を響かせた。

 

「私は何でも知っているんですよ。貴女が夜な夜な『アレ』を嵌めて、そのハンカチを抱きながら眠っ」

「――失・礼・し・ま・すっ!」

 

 不機嫌そうに肩を怒らせて、ずんずん歩き去る少女に苦笑した時深。そして、先程まで見上げていた星空を見上げて……

 

「真っ直ぐ生きろとは言いましたけど……損な道を選びましたね、空さん。貴方にとっても、私にとっても……」

 

 悲壮な決意と共に、今は見えないが後は満ちて円くなっていくだけの盈月(えいげつ)と……その向こうに在る、分枝世界間を見通すかのような鋭い瞳を見せた……



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無月 時詠みの女神 Ⅱ

 慌てて駆け入った、明け方の閑静な市街。道路を通る車は殆ど無く人通りはまだ、ジョギングや犬の散歩をしている者がちらほら居るくらいだ。

 

「帰ってきた……マジかよ!」

「お、お兄ちゃん! 待ってよ、どこ行くのーっ!?」

「お、おい、置いてくなって……!」

 

 その僅かな人も、息を急き切って歩道を駆け抜けるアキとユーフォリア、そして名無しの青年に驚いて道を開ける。

 

「見覚えがある……あのビル、この曲がり角……!」

 

 角を曲がれば、数ヶ月前にミニオンが化けた狗に襲われて……綺羅に救われた地点。

 その風景を確かめるべく、アキは殆どタックルの勢いでコーナーを曲がった。

 

「――きゃあ!」

「――ッつぁ、すんませんっ!」

 

 そこで前方不注意のツケが回る。視界の下端にすら入らなかったが、どうやら誰かが居たらしい。

 すかさず、倒れそうになる人物の手を引き止めた。

 

「あ、ごめんなさ……い……イケメンさんだ!」

「もう、小鳥ったら……ちゃんと前を見てないと駄目じゃない」

「ごめんごめん、佳織……でも、どうしよ~、外人さんだよフォレイナーだよエトランジェだよ~!」

 

 強く手を引かれ驚いた顔をした……青み掛かった髪を束ねて通学途中らしい鞄を背負う、ユーフォリアと同年代のやたら騒々しい少女。

 その後ろから大きな箱を持った、赤み掛かったセミロングの大人しげな少女が青髪の少女をたしなめるように追い付いた。

 

「もう、お兄ちゃんったら……ちゃんと前を見てないと駄目じゃない」

「う……悪い、ユーフォリア……」

 

 同じくユーフォリアに追い付かれてたしなめられるアキ。

 そんな二人を見て『小鳥』と呼ばれた少女と佳織と呼ばれた少女は。

 

「あのー、お兄さん……」

「ん? ああ……本当にすみません、もしかしてどこか怪我しました?」

「いえ、その……」

 

 彼を見遣り、片方は期待に満ちた目、もう片方は気まずそうに。

 

「随分と気合い入ったコスプレですねー、もしかして、映画か何かの撮影ですか?」

「…………」

 

 そこで漸く、アキは自分の姿を省みた。アオザイ風の武術服に鎧装、刺繍のなされた漆黒の外套にライフル剣銃を背負った男。その隣には北欧の戦乙女みたいな服装に、槍だか剣だかを持っている蒼い髪の少女と白いコートを諸肌に直接纏い双刀を携えた男性。

 

――しまったァァァッ! 異世界の水に長く浸かり過ぎちまった、今の自分の恰好に全然疑問抱いてなかったぞ、俺!

 

「えっと、どこか変なのかな――きゃふ?!」

「お、お嬢さん達! 急がないと、学校遅れるぜ!?」

 

 驚愕した表情で思考停止したアキに代わって、その場でクルクルと廻りながら己の恰好を改めるユーフォリア。

 その頭の天辺に空手チョップを墜としてサムズアップしながら、アキはキラリと歯を光らせて二人に声を掛けた。もう大分、ギリギリなようだ。

 

「ああっ、いっけなーい! 佳織、急がないと練習遅れちゃうよ!」

「あ、待ってよ小鳥~! し、失礼しました」

 

 だが、そんなギリギリな様子にも気付く事無くさっさと駆けていく青髪の少女に対し、赤髪の少女は一度ペこりとお辞儀をして去って行った。

 

「……つーか、おもクソ銃刀法違反じゃねェかァァァッ! そりゃあ、こんな不審人物が真面目な顔して走って来たら道くらい開けるだろうよ!」

「だったら、アイちゃんに人の形になってもらえばいいのに」

 

 そこで、周囲の空間をさざめかせながらアイオネアが人型となった。現れ出る永遠神銃【是我】を抱き、花冠を頂いた金銀の双眸にキャソックにリャサを羽織った滄い髪の裸足の少女……。

 

「これじゃあ銃刀法は免れても、不審者の点でまだ引っ掛かるの! お前らはまだ補導で済むけど、俺は逮捕なの! 前科が付くの!」

「……(がびーん)!」

「ぶー……」

 

 『不審者』という単語にショックを受けるアイオネアや、叩かれた頭頂を押さえるユーフォリアに非難の目を向けられ、アキは安堵しながらがっくりと膝を衝き頭を抱えた。

 

――すぐに人通りが増える時間帯だ。警官に見付かりでもしたら、即アウトだぞ……そうだ、あそこなら!

 

 そこで、彼は思い出した。人が少なく、また、頼れる人物が居る場所が在った事を。

 

 

………………

…………

……

 

 

「アキ様……重くありませんか?」

「ん? 軽いくらいだ、ちゃんと飯を食え」

「はぅ……」

 

 ユーフォリアと名無しの青年を引き連れ、裸足のアイオネアをアスファルトの上を歩かせる訳にはいかないと背負ったアキは長く続く石段を登る。

 だが何故か、神社に近付くにつれてユーフォリアは渋るような様子を見せ初めた。

 

「お兄ちゃん……どうしても行くの?」

「行くしかねェんだよ。頼れるのは、あの人くらいだからな」

「…………」

 

 彼女にしては珍しく、ぐずるように遅々として足を進めない。アキとて本当はあまり行きたくない場所だ、この――『神社』は。

 

「居るといいんだけどな……」

 

 そうして、アキは境内の入口……『神木神社』の銘を眺めて違和感を覚えた。

 

――あれ、『神木』? 『天木』じゃなかったか……?

 

「――お待ちしてましたよ、皆さん」

「「「「――っ!?!」」」」

 

 突然掛けられた、凛と通る声。同時に感じる圧倒的な存在感に気圧される。名無しの青年等は、双刀【竜翔】を構えた程だ。

 その声の主……玉砂利を踏み、神の通り道である真ん中を避けて通るその巫女は。

 

「……お、お久しぶりです………師匠。その…最近はとにかく忙しくて、来れなくてその……済みません!」

 

 顔も見ずに、アキは遮二無二頭を下げた。それが彼女との付き合い方の基本だと知っているから。

 

「いやあの、本当に済みま――」

「――いいんですよ、そんな事」

 

 掛けられたのは、優しい声色。彼はそれに安堵の溜息を吐き出して頭を上げて――凍り付いた。

 

「……師……匠?」

 

 眼前に突き付けられた、古代の銅剣のような……圧倒的な存在感の剣に意識を奪われて。

 

−−何だ……何で、俺は……。

 

「待っ……お願いします、待ってください、時深さん!」

 

 その視界を、蒼い髪が遮る。両手を広げて、アキを庇うように立ち塞がったユーフォリアが時深の永遠神剣である第三位【時詠】から遮った。

 

――何で俺は……師匠から永遠神剣と死の気配を感じてるんだよ……?!

 

「……『悠久のユーフォリア』よ、混沌側(カオス=サイド)が一翼、『時詠のトキミ』として問います。その男は……殺すに足る者か?」

「確かにお兄ちゃん……『真如のアキ』は、強いチカラを持ってます……生まれたばかりなのに、並のエターナルを凌駕するくらいの可能性を……でも、この人は力に溺れて秩序側(ロウ=サイド)に下ったりしません! そんな人じゃないの!」

 

 まるで、自分に言い聞かせるように。彼女は悲痛な声を上げる。

 

「……貴女くらいの年代では、そうやって『可能性』とか言う不確定なモノを信じたくなってしまうのです……悲しいですけど」

「そんなっ……そんな事無いもんっ! 時深さんの方こそ、お兄ちゃんの事を甘く見過ぎなんだもんっ……!」

 

 それに、時深は深い溜息を吐いた。哀れみを込めて。

 反駁するユーフォリアだが、次第に語勢が弱まってしまう。

 

「――へぇ、貴女なんかよりも、ずっと昔からその人に目を掛けていた私が、ですか?」

「時間なんて……関係無いもん! あたしは、お兄ちゃんを信じてるからっ!」

 

 瞬時に、一触即発の気配を纏う世界。そのただ中に在って、アキは指一本動かす事も出来ない。

 情けない事に、全く異次元の二人の攻めぎ合いに、口を差し挟む事さえ出来ない。

 

 どちらも自分が何か言っただけでも屠れる程に、強力な永遠神剣の持ち主だと気付いてしまっているから。口を開かない事だけが己の命を繋ぐ事だと悟り、その屈辱に必死で耐えながら。

 ただユーフォリアを守護(まも)る事に意識を繋ぐ。せめて、時深が放つかもしれない壱太刀を防げるように……"生命"に替えてでも。

 

 永遠神銃【真如】に戻ったアイオネアの柄を握って、石畳を踏み付ける。

 

「……ふぅ」

「――あ、かはっ!?」

 

 そこで、戦意が霧散する。途端に静謐を取り戻す境内。一気に流れ出す冷汗に、アキは膝を衝いた。

 

「……解りました、今は貴女の言葉を信じましょう。付いて来なさい、若き永遠者達」

 

 ただ、その言葉に。命を救われた事だけを感じて−−……

 

「……完全に蚊帳の外かよ」

 

 安堵から尻餅をついていた、名無しの青年をただ一人残して。

 

 

………………

…………

……

 

 

 時深の創った"門"を潜り抜け、拓けた視界。森閑の中の鳥居と、その先に拡がる静謐なる湖の上に浮かぶ――古代日本式の様式美を見せつける神の社。

 その湖上の社に続く橋の入口に青、緑、赤、黒、白、銀の髪をした六人の巫女が立っていた。

 

「お待ちしておりました、皆様。時深様、御当主様がお待ちです」

「ええ、二人を案内しなさい」

 

 その内で最も小柄な……銀髪緋瞳に犬耳と尻尾を持った巫女が、一瞬アキを見て時深に申し出る。それに答えて、時深と犬耳の巫女はさっさと歩み去って行った。

 代わりに、【真如】を担ぐアキと【悠久】を持ったユーフォリアをピッタリとガードするように五人の巫女が列ぶ。

 

「では、お二人はこちらへ」

 

 その最年長らしい、水引で黒髪を纏めた巫女が促した。楚々と歩き行く巫女達に、護衛……いや、連行されながら。

 

「「…………」」

 

 その間もずっと、二人は目線すら合わせる事は無かった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 通された堂の板張りの床に腰を下ろしたアキと人型に戻ったアイオネア、ユーフォリアは黙って時深の訪れを待つ。

 その間に、正座したユーフォリアは気まずそうに彼を見遣った。

 

「……怒らないの?」

「何をだよ」

「……分かってるくせに」

 

 片膝立てに胡座を掻く猫背の彼は、左手の小指で耳をほじりながらぶっきらぼうに答える。

 その反応にさしもの彼女も苛立つ様子を見せ、アキの隣に寄り添うアイオネアが慌てた風に交互に見遣る。

 

「……良かったじゃねェか、記憶が戻ったんだからよ。一体何処に、後ろめたい事が有るってんだ?」

「……だって」

 

 暫し続く無音。清澄な湖面にさざ波を刻む風は、何処までも爽やかだ。

 

「だって……あたしは、エターナルだから……任務の為に皆に近付いて、忘れて仲良くなれたのに……でもあたし……」

 

 己の中で言葉を整理出来ないのだろう、今にも泣き出しそうな顔で支離滅裂な物言いを繰り返す。そんな少女にアキは右手を伸ばし――

 

「それ」

「――あいたっ!? う~っ、お兄ちゃんの乱暴者~っ!」

 

 それなりの勢いのデコぴんで叩く。中指で打たれて赤くなった額を抑え、彼女は恨めしげな眼差しをアキへと向けた。

 

「慰めて欲しいんなら優しい奴……望あたりに泣き付け。俺はどっちかといえばそういうのは突き放す方だ」

 

 おろおろと慌てるアイオネアを尻目に、アキは明かり取りから差し込む光を見上げた。空は雲一つ無い快晴、黄金色の陽射しに高く舞う鳶。

 

「それに言った筈だよな。"家族"相手にしゃちほこばるな、もっと我を出せって。お前はお前らしくぶつかって来りゃあいいんだよ」

「……でも……あたしは、その"家族"を騙して…」

「あん? もう一発欲しいって?」

 

 再度突き付けられた右手に、ユーフォリアはぷるぷると頭を振る。流石に、神銃士として強化されたデコぴんは堪えるらしい。

 

 これが、『世刻望』と『巽空』の決定的な違いだ。例えるならば『光』と『風』の違い。光は前から照らせば目標と成り、後ろから照らせば行く先を照らす。

 だが風は後ろから吹けば追風と成るが……前から吹けば障害としか成り得ない。故に、アキは手を引きはしない。

 

「お兄ちゃんは、寂しいと思わないの? お兄ちゃんも、もう……時間樹を離れたら、"家族"の皆との"絆"も途切れちゃうんだよ?」

「……別に。まだ経験した事無いし、もしそうなったとしても――」

 

 ただ、誰に感謝されずとも憎まれようとも……無理矢理に後ろから、その背を押して突き放すだけ。

 その相手が、ほんの少しでも前を見てくれる事を祈り。背後の己を見ようものならば、容赦無く吹き飛ばすとばかりに。

 

「……俺は、俺自身の思いは途切れない。何せ【真如】は無くなってからが本領発揮。だから……もう一度結び繋ぐだけだ」

 

 左腕にしがみつき止めさせようとするアイオネアに苦笑しながら強がる。

 

――……その経験が無い俺には、こいつが味わった喪失感を理解なんて出来ない。安い台詞で慰めるのは、返って傷付けるだけだろうから。

 だったら俺は、『嘘つき』になるよりは『理想論者』や『冷血漢』の方がまだいい。

 

 それこそが、『巽空』という男が倉橋時深やクロムウェイ、ダラバ=ウーザやレストアス……そして、己の前世であるクォジェ=クラギという人生の先達から学び取った生き様だった。

 

「……お待たせ致しました」

 

 と、そこに障子が開き二人の男女が現れた。片方は白髪に髭を蓄えた老齢の宮司だが、もう片方は――倉橋環。

 

「お久しぶりです、空さん。わざわざ『出雲』までご足労頂き恐悦至極にございます」

「いえ、こちらこそお招き頂き有難うございます……環さん」

 

 慇懃な口調で恭しい挨拶を述べた環に、アキは取り敢えず姿勢を正して頭を下げる。如何に不機嫌とはいえ、渡世の仁義を通さないのは彼にとっては名折れだ。

 

「恐れながら、我が師である倉橋時深に誘われました。その本人が現れないのは、私としては不本意です」

 

 なので、やはり最後に毒づいた。

 

「小僧……御当主様に向かって――」

「良いのですよ、信三。申し訳ございません、あの者は我々の中でも特別で……ある程度の自由が許されているのです」

 

――『特別』、ね……環さんも相当に特別な感じがするけどな。

 

(アイ……どう見る?)

【えっと、あの……不思議なチカラを感じます。神剣士じゃない筈なのに、エターナルみたいな永遠性を感じます】

 

 不審な眼差しを感じ取ったのか、環は柳眉を寄せて困り顔を見せた。そんな表情まで美しいのだから思わずアキは照れて目を逸らしてしまう。

 それに少しだけ、ユーフォリアとアイオネアが不服そうな顔をした。

 

「……愚妹がお世話を掛けまして……誠に申し訳ありません。アレは、この社の更に奥……『奥の岩戸』にて待っております。貴方一人だけで来てほしいとの事です」

「一人って……あの、あたしは?」

「ユーフォリア殿は此処でお待ち下さい。これは、時深と空さんだけの問題ですから」

 

 立ち上がるアキに続き立ち上がろうとしたユーフォリアを環が遮り、彼はそんな心遣いに感謝する。アイオネアはすかさず神銃形態となり、アキはすかさず左肩に担いだ。

 

「奥の岩戸まで続く道には出雲の、『防衛人形(マモリヒトガタ)』と呼ぶ戦力が待ち構えています。どうかお気を付けて」

「……どうも」

 

『……だったら退けといてくれ』の言葉を飲み込んで、アキは左手をヒラリと振った。もう片方の右手で障子を開くと、そのまま障子を閉じ――

 

「――お兄ちゃんっ!」

 

 かけて、止める。振り返らずに立ち止まった、輪廻龍の外套を肩で羽織った背中。

 

「生きて帰って……来るよね?」

「……ハァ……」

 

 掛けられる切実な問い。それに彼は、深く深く溜息を落とした。

 

――ッたく……自覚が無い分、性質(たち)が悪い。コイツは何回俺の生き方を変えりゃあ気が済むんだよ……

 

 左肩の、(カラ)故に無重量である【真如】。この神銃と契約する切片(キッカケ)も、思い返せば彼女の言葉が一因だった。

 

「――たりめーだろ、なんせ俺は無や無限をも踏み越える可能性を持つ(アカシャ)を渡るただ独りの『龍撃王(ドラグーン)』……"天つ空風(カゼ)のアキ"だ」

 

 だから閉じ際に右でサムズアップして、そんな見栄……空元気を張る。彼がかつて憧れた言葉、それを二ツ名として名乗る。

 

 かつて巽空としてそれなりに平凡に生き、『幽冥のタツミ』として波乱の旅をして、『真如のアキ』として新たな"生命"を得た彼が名乗るその名。

 それこそ、この後に彼が永劫を闘い貫く際の名前。蒙昧なヒトが思い描くような華々しさなど何処にも無い、ただただ救い無き絶望に充ちる永遠を歩む彼が名乗る事となる……最後の名前だった。

 

 その持つ重圧は未だに、ただ――二人しか知らない。赤銅色の髪の巫女と。

 

「…………」

 

 その時間樹の外。今も尚、観測し続けている、"輪廻の観測者"以外は。

 

「……うん」

 

 戸が閉まる最後の一瞬、アキにはユーフォリアは――微笑んでいたように見えた……。

 

 

………………

…………

……

 

 

 一人、岩戸へと続く洞穴を歩くアキ。ふて腐れたような表情の彼を照らすヒカリゴケ。

 大きく開けたホールのようになっている箇所に歩み入った時、目前に五体の影が立つ。そこから黒のミニオンが歩み出た。

 

「……お待ちしておりました」

「あんたらが防衛人形か? 確かに神剣の気配は有るけど……」

「如何にも。私共は、出雲により生み出された兵士にございます」

 

 身に纏う装束や、それぞれが手に持つ西洋剣に双刃剣、槍に刀、杖などの永遠神剣(えもの)はミニオンに違いない。

 だが確かにそれらは、先程彼等を案内した巫女達だった。

 

「時深様の待つ場所に辿り着く道は此処以外に在りません。則ち、我々を倒して行くより他に無し」

 

 言い放つや、凄まじい迄の殺気を見せる巫女達。一斉に隙の無い戦闘姿勢を取った。

 青と黒、白は神剣にチカラを。赤と緑は詠唱を開始する。

 

――しかも、どの神剣もかなりの熟達を経てる。神剣の格も結構上、七位とか六位辺りか……強敵だな。

 

【はい……ですが、この狭さだと相手も動き難い筈ですよ。どれだけ完璧な理屈を持っても、理屈を重ねれば重ねるだけその理屈は破綻し易くなるものですから】

(……はは、そうだな……そうだった)

 

 かつて、神剣【幽冥】も言ったその台詞。しかしそれはアイオネア――『永久不変の真理』を体言する、永遠神銃【真如】にとっては文字通りの真理だ。

 

 その神銃【真如】を左手に番えてスピンローディングで装填する。洞穴の暗闇の中でも鞘刃は蒼滄く煌めき、揺らめく。その波紋の刃紋は、何処までも限りなく拡がり続ける可能性。敗因すら乗り越える無窮の因子だ。

 

「……俺はフェミニストじゃないし、ドSなモンでね――容赦無く叩きのめさせて貰う」

 

 根源力を集めて、足元に薔薇窓のステンドグラスの精霊光の煌めきとして展開する。それを確認して、アキは岩盤を蹴った――!

 

 

………………

…………

……

 

 

 先ず繰り出されたのは、速度にて追随を許さない黒の『無走剣』。圧縮された暗黒の刃がアキの首筋を狙って飛翔し――

 

【……静かなる、眠りし子らを抱く優しき闇よ。我は御名を唄う――ワードオブブラック】

 

 アイオネアの詠唱後に展開された夜色の波紋に防がれ、威力を失い消滅する。そこに、閃光が走った。

 

【……壮麗たる、醒めし子らを導く優しき光よ。我は御名は唄う――ワードオブホワイト】

 

 白の放つ雷光『ディクリーズ』が彼を撃つ――瞬間、朝日色の波紋がそれを受け止めた。だが既に、次が迫っている。

 

【……清廉なる、生きし子らを育む優しき水よ。我は御名を唄う――ワードオブブルー】

 

 更に、地を這い死角から迫った青の『フューリー』を水色の波紋が掻き消す。同時に、詠唱を終えた赤の魔法『インフェルノ』が襲い掛かり――

 

【……猛々しき、死にし子らを還す優しき火よ。我は御名を唄う――ワードオブレッド】

 

 火色の波紋がそれを飲み込めば、局所的な竜巻……緑唯一の攻撃魔法『エレメンタルブラスト』が彼を撃つ――

 

【……大いなる、還りし子らを生む優しき地よ。我は御名を唄う――ワードオブグリーン】

 

 よりも早く、碧色の波紋が大気の流れを正しく戻す。

 

 例えるならそれは『不壊の盾』。五対一の圧倒的な暴力に、各属性を完全に無効とする『神の聖句(ホーリーワード)』を恩寵たる媛君は続けざまに唄い紡ぐ。

 その篤き加護を受け、アキは無傷で敵陣に肉薄した。

 

「……一閃、斬り拓く――オーラフォトンブレードッ!!」

 

 杖を振り抜いた白へと斬り掛かるが、緑の展開する大気の広域防御『ディバインブロック』に防がれ、止められ――

 

「――っ!?」

 

 ない。あっさりとその盾を擦り抜けた。

 それは、『全てを斬る剣』。彼の担う聖なる刃は何も斬れない代わりに、何を持ってしても止める事は出来ない。

 

 その防御を擦り抜けた直後、引鉄を引き鞘刃に纏う高密度のオーラフォトンにて、白を打ち払った。

 

「――次だッ!」

 

 排莢と装填は同時にトリガーレバーを引いて次弾を装填すると、同じく硬直している青を狙って――引鉄を引いた。

 

「……一閃、撃ち貫く――ダークフォトンショットッ!」

 

 銃口から迸しったダークフォトンに撃たれ、青は岩壁に叩き付けられる。

 更にアキは、左脚に根源力による装甲――カティマの防御技である『威霊の錬成具』を物質化させて纏って、ルプトナの後ろ廻し蹴り『レインランサー』にて赤を打ち払った。

 

 更に右腕にも装甲を纏い、緑に向けて突き出し――当たる直前で手を開いて、圧縮した"氣"……ソルラスカの『裂空衝破』を放ち吹き飛ばす。

 

 最後に残った黒が肉薄して放った『飛燕の太刀』。それをアキは……右手で掴み止め、【真如】の銃床で鳩尾を打った。

 

「……何故、殺さなかったのです? 貴方なら可能だった筈ですが」

 

 岩壁に背を預けた黒の巫女が問い掛ける。その脇には気絶している他の四人の巫女達の姿もあった。

 

「……んなもん、決まってんだろ」

 

 アキは乱れた外套を羽織り直すと、左肩に【真如】を担ぎ直す。

 

「汚れ役は俺だけで充分だっての。コイツを……アイを血になんて、穢せられるかよ」

 

 ふっと右掌を振り、奥へと続く道を歩み始める。その背中を見詰めたまま、黒髪の巫女はクスリと笑った。

 

「……とんだ、ドMのフェミニストね……」

 

 そして視界から消え去った彼から視線を外すと、彼女は溜息を漏らす。

 

「時深様……私には……彼はとても、ロウに与するような人物には思えません……」

 

 薄闇に溶けて消える意識の中でそう呟いたのだった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 神聖窮まる空間、息をするだけでも今まで染み付いた全ての穢れが払われていくような感覚に捕われる。その空間の果て、締め縄のなされた巨石を背後に、その巫女は優雅に立っていた。

 

「彼女達では相手になりませんでしたか。少しだけショックですね、あの娘達は私自身が生み出した『エターナルアバター』だったんですけど」

「そんな事が聞きたくて来たんじゃないですよ師匠。俺が聞きたいのは、あんたらが何者かッて事だ。師匠や……ユーフォリアが」

 

 閉じた扇……神宝の『時遡の扇』を口許に当て、柔らかく微笑んだ。

 

「私とユーフォリアは、『混沌の永遠者(カオス=エターナル)』……第一位【運命】の担い手『全ての運命を知る少年ローガス』を頂点とする、この世を不確定のまま存続させる事を目的とした組織の一員です」

 

 いつか見た、諦めたような笑顔。彼に未来の事を語る度に、彼女が見せていたもの。

 

「その私が与えられた任務は――遠くない将来に、『秩序の永遠者(ロウ=エターナル)』として立つ存在を抹殺する事。そう、貴方の事ですよ……『天つ空風のアキ』」

「……ハハ」

 

 つい先程、ユーフォリアに向けた時にしか口にしていない筈の言葉を使われてしまっては否定のしようもなく、釣られたようにアキも笑う。何かを諦めたような笑顔で。

 

「……だから、貴方には普通の人で在り続けて欲しかった。しかし、こうなったからには……せめて私の手で引導を渡します」

 

――ある程度、覚悟はしていた。だが、此処までハッキリ言われると流石に堪えるな……

 

 喉元を競り上がってくる吐き気を、笑い出した膝をごまかす為に。ただ、くすんだ金色の癖っ毛を掻きながら苦笑した。

 

 そんな彼に追い撃ちを掛けるように、彼女は右手に第三位永遠神剣【時詠】と−――左の袖口から抜き出した、長い和剣を構えた。その刃は水に濡れたように、美しい。

 

「――さぁ、徃きますよ【時詠】……【時果(ときはて)】」

 

 第三位神剣【時果】。倉橋時深が持つ三本の神剣の二振りが構えられた。彼女は複数の神剣に認められた、かなり稀有な存在なのだ。

 

「……構えなさい、天つ空風のアキ。さもなくば――殺しますよ」

 

 低く、恫喝する声。何度も聞いたが、殺気まで向けられた事は一度たりとも無かった。だというのに今は――……

 

「……師匠、俺は――」

 

 まるで、泣き出す前の子供のように震える声で答えながら。アキは……【真如】を構えた。

 瞬時に彼女の本気が伝わったから。例え敵わないと解っていても、諦める事は彼には出来ない。

 

 ただ、前に歩み続ける事。それが彼の選んだ道だから。どんな壁でも、全身全霊を持って乗り越え続けると。

 

「俺はずっと、貴女を――」

 

 トチりそうになりながら、スピンローディングで装填する。衝き出した神銃のトリガーに指を掛けた――刹那、激震が洞穴を襲う。

 

「これは……?!」

「大変です、時深様!」

 

 アキはおろか、時深すらも驚いた顔をする。同時に彼が来た道から、先程の巫女達が現れた。

 

「出雲が何者かの襲撃を受けています!至急お戻り下さ――」

 

 言葉が終わる前に、侵入してきた複数の影。スリムなフォルムに、装甲を持った人型の機動兵器――マナゴーレム『ノル=マーター』が青、緑、赤、黒、白……全属性が無数に現れた。

 

「――フシュウウウ……」

 

 そしてその背後から朱く煌めく双眸。無機質で重厚な装甲を持ち、右手は巨大で肉厚な鉈のように……左手は銃口のようになっている巨大な人型機動兵器。

 

「……ククク、見付けたぞ蕃神! 貴様はこの、南天神ゴルトゥンの獲物よォ!」

 

 響き渡る声は間違いなく、かつてエヴォリアに取り付いていた怨霊……『眠ラズノ守リ神』に憑依した南天神ゴルトゥンが現れた――!

 

 

………………

…………

……

 

 

 変型した【悠久】に乗り天翔けるユーフォリア。その視線の先には、メスで斬られたようにパックリと裂けた空間。

 

「あれは……"門"!」

 

 そしてそこから、雲霞の如く溢れ出るノル=マーター達。それらは空中で次々に戦闘体制を整え、腕などから各々の弾丸を撃ち出してユーフォリアを狙う。

 

 彼女はそれを、弾丸の荒波に乗るサーファーのように躱していく。

 

「――てやぁぁぁっ!」

 

 そのまま、軍勢に突っ込み数体を粉砕して離脱する。しかし焼石に水、機械兵達は無数に地上に降り注いでいく。

 

「うぅ、どうしようゆーくん」

【どうもこうも……この数じゃ対応出来ないさ……せめて、旅団の皆が居れば……】

 

 地上でも、そこかしこから爆音が響く。普段は巫女として働くミニオン達……防衛人形が、ノル=マーターとの戦闘を開始したのだ。

 

 だが、やはり多勢に無勢。おまけにこの奇襲を受け、巫女達は数に圧されて劣勢に立たされていく。既に『出雲開門』と『清水の社』、『渓流の守』。『樹林の守』と『深緑の参道』、『萌葱の社』、『山麓の社』、『緑の守』の拠点…つまりは『奥の院』以外は敵に占拠されてしまっている。

 

「……貴女……確かエターナルの小娘ですね」

「えっ……?」

「丁度良い、貴女は早めに始末しておくとしましょう」

 

 気を抜いていたその一瞬に、目の前に女神が居た。半透明の白い翼に、羽飾りの付いた兜。ローブと黒い鎧を纏い、斧と鎌に似た剣と盾を携えた『誘イ惑ワス使イ』に憑依した南天神イスベルが−−……



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空隙を満たすもの 星月夜の湖

 強烈な一撃を躱してアキは岩肌を転がる。地を割った剣は、炎すら巻き起こした。

 今まで通ってきた道を巨兵の追撃を受けながら逆走する。

 

「相も変わらず……ちょこまかと五月蝿い蠅だ、蕃神!」

 

 岩戸内ではノル=マーターと交戦している巫女達や時深。単体では相手にも成らないが、その圧倒的多数で機械兵士達は永遠者とその眷属の動きを封じている。

 

 アキは前からのノル=マーターを可能な限り打ち砕き、指揮官であるゴルトゥンを引き付けながら、遂に青空の下に帰還した――

 

「――死ねェェェ、蕃神! この南天神ロコの前に朽ちよ!」

 

 その眼前に現れたのは巨大な目玉の怪物、『影喰ライ』に憑依した南天神ロコ。

 

「――後から後からッ! しつこいんだよ、亡霊野郎ども!」

 

 その目から放たれた光線を、後ろに倒れ込む形のスライディングで躱してロコの足元を潜る。

 そこから起き上がりつつ『オーラフォトンブレード』を叩き付けるも、それよりも早くロコは空高く舞い上がった。

 

「――フンヌォォォッ!!!」

「――チィッ……クソッタレが!?」

 

 そして天高くより振り落とされたゴルトゥンの鉈剣を『威霊の錬成具』で受け止める。余りの威力に、踏ん張った足が地に埋まった。

 

「「――貰ったァァァッ!!!」」

 

 その隙に向けロコが空中から光弾を連射し、更にゴルトゥンが炎を噴き出す左手の銃口を向けた――

 

 

………………

…………

……

 

 

 イスベルの斬戟を辛うじて躱したユーフォリアだったが、その為に体勢を崩して墜落してしまう。

 

「いたたた……」

 

 森の中に突っ込んで事なきを得るも、そこは既に南天神達の勢力圏下。周囲から、断続的に無気味な駆動音と生木を圧し折る耳障りな音が木霊する。

 

 それに対応して、彼女は大剣に戻した【悠久】を構えて後退り――

 

「――きゃああっ!?!」

 

 踏み付けた植物の蔓に足首を搦め捕られ、逆さ釣りにされてしまった。

 

「捕まえましたよ、可愛らしい娘。さて、この南天神ウルの滋養とさせて頂きましょう」

「っな、南天神……?」

 

 重力に引かれてめくれる服の裾を押さえながら、ユーフォリアが見たモノ。

 巨大な樹の中央から美女の上半身が生え出た怪物『アルラウネ』に憑依した南天神ウルの姿。その指先は艶かしく、ユーフォリアの頬をなぞる。

 

「おや、ウル。先を越されてしまいましたか」

「イスベル殿、こちらは捕縛致しました。首尾は――」

「全く――子供相手に二人がかりとは大人げないな!」

 

 刹那、二条の銀閃が走る。ユーフォリアの足を捕らえていた蔓を切断して解放すると同時にイスベルを狙った――空を飛ぶ名無しの青年の【竜翔】の剣撃と。

 

「……貴女がたをお呼びした覚えは在りません、立ち去りなさい」

 

 更に捕縛を試みるウルの蔓を断ち切った銀髪の巫女。犬耳と尻尾を持つ、小刀を逆手に構えた彼女の剣撃が。

 

 

………………

…………

……

 

 

 降り注いだ光弾と火炎放射のただ中に在って、アキは無傷。それもその筈、彼は時空を隔絶する強固な守護『タイムトリップファン』に護られているのだから。

 

「……全く、エターナルになっても世話の焼ける」

「師匠……」

 

 二ツの攻撃を軽くいなし、時深は時朔の扇を閉じる。岩戸内に侵入したノル=マーターは、既に全滅させられている。

 

「……今は、出雲を護る事に専念します。チカラを貸しなさい、天つ空風のアキ」

 

 これ以上の侵入を防ぐ為に入口の守護を巫女達に任せて、彼の下に辿り着いたのだった。

 

「……コイツが、奴の言っていたエターナルとやらか」

「確かに強力なチカラを持っているようですな……策を弄さねば、勝ち目は薄いかと」

「ふん、その時の為に用意した軍勢と躯よ。やれ、ロコ!」

 

 ゴルトゥンとロコは口々にそう呟くと何かの信号を送るゴルトゥン。同時に、ロコが単眼を見開いて時深を凝視し始めた。

 

「何を――ッ!?」

 

と、身構えていたアキや時深が天を見上げた。その先に在る空間の裂け目、そこから――巨大な土隅を思わせる、袈裟を纏った……光背を輝かせ、腰から触手を生やした醜悪な機動兵器が姿を見せた。

 

「……なんて」

 

――ノル=マーターじゃない別の機動兵器。だが……少なくとも、俺はあんなモノ知らない。あんな……

 

「なんてゴテゴテゴテゴテ、ダセェ機械だ。あんなモン、設計した奴の気が知れねぇ」

「……そこですか?」

「俺は機能美派なモンで」

 

 降り立った土隅は、瞬時に周囲の空間を『涅槃ノ邂逅』にて変質させて二人に見る。無機質な、命を感じさせない機械の目。

 

「……あれは『抗体兵器』。遥か昔に造られた、『ナル』を回収する為の――」

 

、瞬間、抗体兵器が地面に腕をアンカーのように突き立てて口腔内の砲門を覗かせ、そこから放つ一条の極太の赤い閃光で『天ヲ穿ツ』。貫通(ペネトレート)するそれは【真如】の加護(プロテクション)系では防げない。アキは根源力を練り上げて両脚に錬成具を纏い、空高く飛び上がる。

 

 元々、彼は何かを『創造』する事と『流れ』を見極める事を得意としている。コンストラクタで培った構造や空間の把握に加え、気の鍛錬やレストアスを体躯に流していた事で、窮めてマナ操作に無駄が無く効率が良いのだ。

 その展開速度はただ、脅威としか言えまい。

 

「貴様の相手はこちらだ!」

「――チッ!」

 

 そんな彼を狙って、横殴りに振るわれたゴルトゥンの鉈。それを、空中に展開したオーラを蹴ってのバックステップで回避して着地する。

 

「どうした、あの神剣を屠ったように我等を滅ぼして見せろ」

「……余計な心配すんなよデカブツ。直ぐ、輪廻の鐶(マナ=サイクル)から弾き出してやる」

 

――クソッタレが、莫迦力を相手にするのは向かねェんだ、俺ァよ!

 

 心の中で毒づきながら、アキは時深を探す。だが、直ぐに無意味だった事を知った。

 

「幾ら速く動いても無駄。時間ごと早くなる私には敵いません――タイムアクセラレイト」

「……ガ、シュウウ……」

 

 時深と、式紙が変化した彼女の分身に挟まれた抗体兵器。その両方から同時に【時詠】の斬撃を受け続けた事で、『峻厳タル障壁』にヒビが走り砕け散る。そして最後に式紙が炸裂し、抗体兵器を破砕した。

 

「これで終わりですか、南天神? これくらいの相手に落とされる程、出雲は脆弱ではありませんよ」

 

 そのままユラリと、ロコを見遣る。単眼はソレを見詰めた後、不意に笑った。

 

「……ククク、解っているとも。所詮は――ただの様子見だ」

 

 そして、姿が変わる。目玉から紫色の人影…倉橋時深の影へと。

 

「貴様の姿と力を写し取る為の、な!」

「…………」

 

 哄笑するロコ。その袖とおぼしき部位から、濁りきった影の塊である剣を抜き払う。

 

「行くぞエターナル、我がチカラを見せて――」

「……姿形が問題では無いのですよ。問題は――魂なのですから」

 

 その背後では、涼しい顔で【時果】を袖に納める時深。ロコは影剣を構えたまま、驚愕に目を見開いていた。影色の瞳を血走らせて。

 

「私には解るんです。何時、何処に攻撃すれば良いか」

 

 瞬間、ロコの正中線に光の筋が走った。縦一線に真っ直ぐ。

 

「――クリティカルワン」

 

 そのまま、ロコは両断されて消滅する。何一つ為せぬまま、圧倒的なチカラに討ち滅ぼされた。

 

 これこそ、本物のエターナルだ。アキならば、少なくとも二十発の弾を必要とするであろう相手二体を赤子の手を捻るようにあっさりと打ち砕いた。

 

「ロコ――クッ、何と言うグォォッ?!!」

「オイコラ――テメェの相手は……こっちなんだろうがァァッ!」

 

 それに気を取られたゴルトゥンにアキは錬成具を纏った拳打を見舞う。その威力にゴルトゥンの角がへし折れた。

 

「えぇい、鬱陶しいわッ! 矮小な駄神の分際で、この我に傷を付けるなどォォォッ!」

 

 巨兵は火炎放射機を突き出して追撃を試みるが、アキは【真如】の斬戟でソレを破砕する。爆発に姿を見失い、一瞬気を抜いたゴルトゥンは素早い追撃に移れない。

 アキは着地すると更に高く、ウィングハイロゥを展開しながら高く跳び上がって大上段に振り上げた【真如】にオーラを纏わせた。

 

「……マナの霧となり、夜闇に散れ――光芒一閃の剣!!!」

 

 ゴルトゥンは鉈を構え、ソレを受け止めるべくチカラを篭めて――

 

「――バ、カなぁぁっ!?!」

 

 圧倒的な高密度の精霊光に鉈ごと、巨体を二分割されてマナの霧へと還っていった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 天を翔けながら、名無しの青年はイスベルに肉薄した。イスベルは舌打つと盾を使っていなしたが、耐え切れずに砕けた盾が地に降り注ぐ。

 その地上ではユーフォリアの奮戦で奇襲から立ち直った出雲の巫女達によって戦線が持ち直していた。設定されたプログラムを履行するだけのノル=マーターでは、鍛え上げられた連携を誇る防衛人形に対抗出来ない。

 

「――イスベル殿、どうやらロコとゴルトゥンが滅んだようです……ここが引き際では」』

「何処へ引けというのです!? これだけ戦力を整えておきながら失敗したとなれば、我々に待つのは……っ!?」

「お嬢ちゃん、指揮官から倒すぞ!」

「はいっ!」

 

 近寄ったウルが進言するも、返ったのは苛立ちを含んだ答。その一瞬の隙に、名無しの青年がイスベルの首を切り落としユーフォリアは【悠久】をトップスピードへと乗せた。

 

「全速前進、突っ切れぇぇっ!」

「――ちいっ!」

「な、イスベル殿――がはっ!?!」

 

 しかしイスベルは落とされた首を抱き止めると、ウルの後に回り込み盾とする。余りに意外な行動を取られたウルは、『ドゥームジャッジメント』によって宙に浮かされ、貫かれて消滅していった。

 

「こうなれば、後はノル=マーターや抗体兵器を使って時間稼ぎを――」

 

 その間隙に、イスベルは空に浮く"門"へと撤退していく。

 

「……やれやれ、本当に役に立たない従業員(てごま)だ」

「――ガハッ!? ま、待て……まだ私は戦える……!」

 

 そこに響いた、鈴のような声。そして――イスベルが潜ろうとした門から、山のように巨大な剣が現れて彼女を貫く。

 

 その莫大な質量を持ち剣は地上に向けて落下していく。当然、その切っ先に貫かれているイスベルに待つ運命は――

 

「取り敢えず、掛金は返して貰いますよ。その躯と……魂を、ね」

「おのれ……おのれ、スールードぉぉぉぉぉぉぉっ!!!!!」

 

 地を割り砕いて衝き立った剣で、南天神達は完全に滅び去った。

 それを確認して、一斉に視線を受けた巨大な剣の柄尻に立っていた鈴の髪飾りの少女は。

 

「――さぁさぁ皆さん、つまらない前座が失礼いたしました……此処からがメインイベントですよ」

 

 『空隙のスールード』は、妖艶な笑顔を持って答えた――

 

 出雲の大地に、地殻すらも貫かんばかりに深々と衝き刺さった大剣。その頂に立つ天女は無造作に、空間から融け出すように現れた紅い剣を左手に番えた。

 

「あの人は、確か……」

「スールード……だと……!」

 

 アキと時深の下に降り立ったユーフォリアと、その姿をみるや顔色を変えた名無しの青年、そして犬耳の巫女。

 その時、アキが己の外套を毟り取るように脱いで腰に巻いて動き易い武術服姿となる。その動きは、今にもとびだそうとしていた青年の動きを抑えながら行われた。

 

「……精霊光の風よ、歩みを止めぬ者達の背を押す追い風となれ――トラスケード!」

 

 と同時に【真如】の周囲を旋回するリング状のハイロゥが巻き起こす風が、アキの身を包む。展開された激励のオーラ、追風の加護を受けた躯にチカラが漲っていく。

 その覇気に、そこに居た全員……時深を除いた全員が圧倒される。

 

「アイツとは俺一人でケリを付ける。誰一人、手ェ出すな!」

「あ、お兄ちゃん!」

 

 ユーフォリア達に釘を指した彼は、脚に纏ったままの錬成具で『空間』を踏み跳躍して――

 

「――一人でも多く、巫女を助けてやってくれ。剣の眷属だろうが、命は命だ」

「巽さま……」

 

 最後に何とか、理性的な言葉を吐いて犬耳の巫女や時深の防衛人形を気遣うと同時に、ユーフォリアや名無しの青年を牽制した。

 

 

………………

…………

……

 

 

 剣の現れた"門"が閉じると同時に、地上に展開していたノル=マーターの一部が一斉にスールードの下に集結を開始する。

 

「――先ずは、廃品回収といきましょうか」

 

 それを、彼女はプレッシャーだけで粉砕した。スールードから迸しる圧倒的な神性の圧力に、耐え切れずノル=マーター達は次々爆散していく。

 

「――鈴鳴ィィィィッ!!!!」

 

 その爆風を潜り抜けて斬り込んだアキ。だが、当然と言わんばかりにスールードは『ダークフォトンブレード』を剣で受け止めた。ダークフォトンの刃と、永遠神剣第四位【空隙】の刃が鬩ぎ合い、哭き散らす。雌雄を決しようとする、猛禽同士のように。

 

「『(くう)』自体をを踏んで来た訳ですか。芸達者ですよね、出来ない事って無いんですか?」

「煩せェよ……テメェの正体、今度こそ聞かせて貰う。打ちのめしてでもな!」

「ふふ、怖い怖い……ですがまぁ、備え在れば憂い無し。弾数無限の貴方に対抗するには――やっぱりコッチもそれなりに整えなければいけませんし」

 

 そしてその残骸内の僅かなマナを吸収された。塵も積もればなんとやら、その総量は莫大。

 

【気を付けて下さい、アキ様……! その方の神剣は……【幽冥】よりも強大なマナを有しています!】

(ああ、解ってる……比較するのが失礼なくらいだ)

 

 左手に携えた紅い剣、大地に衝き刺さった物と同じ第四位【空隙】が脈動するのが解る。余りに巨大なそのチカラに、アイオネアが今までで最大級の警告を発した。

 

「それじゃあ、ラストダンスと洒落込みましょうか。昔、ある世界を滅ぼした時の五十倍程度の力で本当に申し訳ないんですけど……男性らしくエスコートをお願いしますね――巽さん?」

「上等――征くぜッ!」

 

 振り抜かれた【空隙】の一閃に、極彩色のオーラが粉砕されて破片を撒き散らす。それにスールードは、ともすれば見惚れそうな程に艶やかな微笑みを見せた。

 

 

………………

…………

……

 

 

 斬り結び、まるで輪舞曲(ワルツ)でも踊っているような二人の姿を眺めながら、三人の永遠者は目を見合わせた。

 

「……彼は相変わらず、血が昇ると猪突猛進ですね」

「あはは……お兄ちゃんって視野狭窄で一本気な人だから……余裕が無くて気が付かなかっただけですよ」

「言われなくても判ってます」

 

 犬耳の巫女が少し呆れたような、いじけたような視線を向けて呟く。ユーフォリアはそれに苦笑した。

 

「……貴女達。喋っている暇が有るなら、早く姉さん達の救援に向かって下さいな。まだまだあの戦闘機械達はいるのですから」

 

 そこに苦言を呈した時深。巫女とユーフォリアはその発したオーラに慌てて行動を開始する。大半がスールードに吸収されたとはいえ、未だノル=マーターや抗体兵器は無数。

 環が指揮を執っているだろう、奥の院に向けて、炎により発生した上昇気流で生まれた黒い雲の下を飛んで行く。

 

「貴方はどうするんです、『英雄』さん?」

「は――『英雄』? 誰がだよ」

 

 そして、アキとスールードを難しい顔をして睨み付けていた名無しの青年に語りかけた。しかし彼は、その意味が判らないらしく、首を傾げただけだ。

 

「……あんたの息子さんに、言われたからな。『一人でも多く助けてやってくれ』、ってよ。英雄とか侠勇ってのは、そういう気遣いとか戦力眼を持ってる奴を言うんじゃないのか?」

「だとしても、あの子がやったのはそう言えばあなた達が手を出せなくなると判っていたからと言うだけの打算、侠勇どころか梟雄の所業です。それに――英雄とは、どんな戦いからも必ず帰ってくる者の事を言うのですよ」

「ん……なんでかな、ぐうの音もでねぇや。退散させて貰うぜ、くわばらくわばら」

 

 言いつつ、青年は襲い掛かってきたノル=マーター三機を双刀を振るって撫で斬りにして飛び立った。更に上空で、抗体兵器を相手取る。

 それを見送って、時深は四方に式紙を投げて木に貼付ける。そして刀字を斬れば――周囲の世界が隔絶されて『結界』を作り上げた。

 

「悪いんですけど、今は取り込み中なんです。手早く終わらせたいので、勿体つけてないで出て来なさい……『最後の聖母イャガ』!」

「――そう、『最後の聖母イャガ』。私の名前って、それだったわ。エト・カ・リファに入る時に細分化し過ぎちゃって……思い出せなくなっちゃってたのよね」

 

 呼び掛けたのは、大樹の陰。その陰から湧き出るように、一人の女が現れた。

 

「ありがとう、お嬢さん。お礼に――私と、一つにならない?」

 

 白い薄絹(ヴェール)だけを身に纏った深紅の長髪と瞳の女。百人に問えば百人が『美女』と答えるだろう。

 しかし――直ぐに気付く筈だ。その女が有する、生命としてあからさまな『違和感』に。

 

「真っ平御免ですよ。私は貴女も、貴女の言う『赦し』も大嫌い。私は私、私だけが私なのだから……貴女の押し付けがましい『救済』なんて要らない」

「あら、哀しいわ……でも良いの」

 

 不敵に笑いながら痛罵した時深、しかし最後の聖母は僅かに愁眉を寄せただけで――ニコリと。

 

「――勝手に食べちゃうから」

「――っ!?!」

 

 瞬時に『空間跳躍』で姿を消したイャガ。それに反応して、時深は【時詠】と【時果】を交差させて背後に現れたイャガの振るう短刀を受け止める。

 余りに強大なマナ圧に軋む空間、暴風すら巻き起こす剣戟だった。

 

「普段なら貴女の第二位【赦し】と真正面から打ち合うなんて出来ないけど、今の私には【時果】が在ります。遅れは取りません」

「あら、そう? うふふ、楽しみね……私、食事するのもお話するのも大好きよ」

 

 その隔絶された世界の中で。二人の超越者同士が激突する――

 

 

………………

…………

……

 

 

 虚空を踊る二ツの影。一ツは天女、もう一ツは――龍。片方は優美に空を舞い踊り、もう片方は獰猛な機動を見せる。

 

「――さあ、見せて下さい、巽さん。今までずっと待っていた。何の混じり気も無い、ただただ人の子の努力が掴み取ったチカラを!」

 

 スールードは笑顔のまま、純粋な人のチカラとの戦いに歓喜する。歓喜しながら、その胸の内に眠る感情を吐き出す。

 

「私の正体なんて単純、彼女(わたし)の分体……だから許せないんです。この『私』以外に、『本物の私』が存在しているなんて!」

 

 他者の意など存在しない、純粋な願いと祈りの産物。その"生命"の煌めきを宿した『永遠神銃』に。その魂に刻まれた銘……彼の起源と同じ『空』の一字……『空っぽ』の意味を持つ神剣と、その担い手の一撃が見舞われた。

 

「貴方だけだ、私の『願い』を叶えられる権利を持つのは。貴方だけだ、私の『願い』を踏みにじる権利を持つのは! 貴方だけだ――私を、この『宿命』から解き放てるのは!」

 

 振り抜かれる左の【空隙】を回避し、空いた右から連続放射されている圧力(プレッシャー)を『威霊の錬成具』で堪える。

 

「治癒や蘇生……他の雑多な神剣が嘘吹く、マナを利用しての『無』から『有』を生み出すなんて言うチンケな奇跡とは違う……最早、『転生』の域にすら達した神律の紡ぎ手。真実の『無』から『有』を生み出す事の出来る窮境の秘蹟(サクラメント)の担い手たる貴方だけだ!」

 

 その錬成具の防御が、右手に番えた『二本目の』【空隙】によって粉砕された。

 根源力で編まれた装甲が砕け散り胸に傷が疾る。鮮血が迸しるも、戦意は萎えるどころか沸き立つ。

 

【命育む水よ、傷付きし同胞(はらから)を癒し給え――アーネストプライヤー】

「――ハッ、腑に落ちねェんだよ! 俺から【真如】を奪った所で、このチカラは"生命"を共有する俺にしか扱えやしねェ!」

 

 瞬時に傷を癒しての返しの刃に、スールードは防御――せずに飛びのいた。

 しかし、引かれたトリガーにより放たれた銃口から飛翔した斬撃『ブレードフラッド』に撃たれて、湖に向けて落下し――湖底から幾つも衝き出している石柱の天辺(てっぺん)に着地する。

 アキもまた同様に落下し、湖面に波紋を揺らしながら着水した。

 

「……まぁ、そうでしょうね。今の貴方は、まだその神剣の『本来の姿』すら見れてはいない。勿論、『本来のチカラ』も引き出し切れてはいないのですから」

「何……?!」

 

 水面に映る二人。その一時、水面は鏡のように凪いだ。

 

「まだ解りませんか? 貴方は今、『無限』のチカラを携えている。まだまだ――多寡が『無限』程度でしかない、そのチカラを」

 

 彼女はは二本の【空隙】を携えたまま、腕を組んで彼を見下ろす。その瞳はただ、真摯にアキの神銃を見詰めるのみ。

 

「『(カラ)の力』と『(カラ)の器』……その二ツの『()』が結び付いてこその『00(無限)』。ですが、まだ先は在る……見せて下さい。この神剣宇宙でただ一ツ、『無限』すらも越えて行く――蒼滄(あお)き『光』を」

 

 言葉を紡ぐと同時に【空隙】が炎上して、先程までを凌ぐ圧倒的な気配を放つその背から翼が現出した。鳳凰を思わせる荘厳な翼と尾羽。

 

「訳の判らねェ事をつらつらと……ゴチャゴチャ言ってねェで、とっとと来やがれ!」

 

 気圧されそうになる心を、虚勢で叱咤する。これが彼女の全力だ。

 

「ええ、全力で征きます。だから、早く巽さんも全力を出さないと――消滅させますよ?」

 

 この時間樹においては、神名の影響で下手なエターナルは通常の神剣士と変わり無い。

 だからこそ、エターナルとならない内で最高位である第四位神剣の持ち主は――この時間樹エト・カ・リファにおいてはエターナルに比肩する。

 

 飛翔したスールードに合わせて、アキは湖面に波紋を立てながら走る。そして精霊光を纏う【真如】と炎を纏う【空隙】が、大気すら四散させながら打ち逢った――!

 

 

………………

…………

……

 

 

 アキとスールードがぶつかり合う奥の院手前の湖は、さながら台風の最中に在るように荒れ狂う。

 アキが【真如】の銃撃を連射すればスールードは二刀を以てそれを全て打ち払い、そのスールードが【空隙】を掲げれば天空より光が降り注ぎ、アキが【真如】と錬成具にて弾く。

 

「――ッ!?」

 

 その勢いのまま斬り込もうとしたアキだったが、空中でくるりと一回転しながら振るわれた【空隙】の……『遥か彼方』の斬撃に悪寒を感じ横っ跳びに回避した――その瞬間、【空隙】の振られた先に在った『空間』が切断された。

 

「――良い判断ですよ、巽さん。幾ら貴方でも両断されてしまえば……先程のようにエーテル塊で損傷部位を補填する間も無く、即死するでしょう?」

「――ハッ、確かにな!」

 

 辛うじて回避したアキは、着水の間際にもう一度踏み込んで即座に走る。その背中を掠めるように、スールードの光が追い縋った。

 サイドステップを織り交ぜての高速移動でなんとか回避し続ける。

 

「……早く本気を出して下さいよ、最後の『(カラ)』を。その時、貴方は無限をも超越する光を得て……その不格好な剣も真の姿となる。その時――私は否定光の大海に還り、単一の存在を為せる」

「――だから……テメェの言ってる意味が判らねェんだよ、畜生!」

 

 アキは水中に銃口を衝き入れて、トリガーを引いた。着弾の衝撃波で巨大な水柱が立ち上り、それに紛れて消えたアキを見失ったスールードだったが――直ぐに上空を見遣って微笑む。

 そして、天頂より降り墜ちる極星の一撃『南天星の剣』を、二本の【空隙】で受け止めた。

 

「筋は良いんですけど……その程度では、私と【空隙】には遠く及びませんよ」

 

 弾き返され、距離を取る。向かい合い真正面から視線をぶつけ合いながら、アキは思考を巡らせた。

 

(アイ……奴の言う意味、判るか?)

【いいえ……判りません。私の真のチカラと姿……それって一体……】

 

 気を抜かずに魂を通して会話するも、解は出ない。そもそも、己の事を己以上に知られているという不快感から、まともな思考など出来なかった。

 

――不格好、か……確かにな。何せ【真如】はただ、弾倉となる鞘刃を突っ込んだだけだ……

 

 かつて、仏蘭西(フランス)の農民達の戦争で偶然に生まれたというその武器に似た永遠神銃。原型は銃口にナイフを突っ込んでいたらしい。不格好と言えば不格好、そして――余りに不安定だろう。

 そこで頭を振って、雑念を払う。一瞬の判断が生死を分ける戦場で、戦意以外を抱くのは余りに幼稚な行為だ。少なくとも、神の助力を得た者達にヒトと変わらぬ身のままで太刀向かっていた彼はそれを身に染みて知っている。

 

――落ち着け……敵の術中に嵌まるな。言葉に耳を貸さず、ただ撃ち破る事だけを考えろ!

 

 低く腰を落し、獲物に襲い掛かる間際の獣のような……ダラバの八双の構えを取る。かつて、【夜燭】でそうしていたように。

 

 対して、スールードは余裕の構えを崩さない。美しい翼をはためかせながら、天女を思わせる姿そのままに優雅に空を舞う。

 

「次は私の番です。我が【空隙】の刃を躱せますか?!」

 

 そして、回転しながらの空間切断を連続で振るう。まるで駒のように世界を斬り裂いていく。

 一撃で二分割、二撃で四分割。一振りごとに身を躱す範囲を次々に削られ、遂には三撃目で回避する空間を完全に鎖された。

 

「――……最後の一撃です。さぁ、越えてみせなさい!」

 

 放たれた四撃目。不可視の斬撃が、アキの躯を両断すべく迫る。

 

「……マナよ、我が求めに応じよ…浄化の輝光へと換わり、遍く穢れを撃ち祓え――オーラフォトンクェーサァァァァッ!!!!!!」

 

――俺は……こんな所で立ち止まっちゃいられねぇんだよ!

 

 それに彼は銃口を向けて、自身の根源力で増幅した最大出力の一撃『オーラフォトンクェーサー』の蒼茫の光を以て迎え撃った――!

 

 

………………

…………

……

 

 

 一方、ノル=マーターや抗体兵器の掃討に移った巫女達に協力していたユーフォリア達。既に数百にも及ぶノル=マーターと十数の抗体兵器を破壊する、大立ち回りを見せていた。

 

「――やぁっ、たあぁぁっ!」

 

 彼女の父の剣筋である『プチコネクティドウィル』で、抗体兵器の頭部を弾き飛ばし叩き割る。

 更に接近してきた機を、彼女の母の剣筋『プチニティリムーバー』で両断した。

 

「助かりました、ユーフォリア殿。流石に抗体兵器は、防衛人形には荷が重過ぎるので」

「いえ、お安い御用ですよ」

 

 名無しの青年と共にあらかた片付いた事を確認して、環は礼を述べる。それに粗い息を吐きながらもユーフォリアは律儀に返事をして――湖からの衝撃波に身構えた。

 

「……拠点を奥の院から清水の社に遷しておいて正解でした。あの戦いに巻き込まれては敵いません」

「…………」

「心配……ですか?」

 

 一瞬、彼女は表情を曇らせた。しかし直ぐにそれを振り払うと、真摯な笑顔を見せる。

 

「心配なんて、してませんよ。だってお兄ちゃんは死にませんから、絶対に。そう約束したから……」

 

 その青い瞳から伺えるのは、ただ純粋な信頼。何一ツ確証も無いというのに、真に無垢な全幅の信頼だけだ。

 本来ならば、歳経れば失ってしまうモノ。人を疑う事を覚えてしまえば、二度と手に入らないモノ。

 

「『鰯の頭も信心から』ですか。全く……この歳で年下に諭されてしまうとは思いませんでした」

 

 颯爽と駆け出して残敵を掃討するユーフォリア達に、環は思わず苦笑してしまった。そして自分の妹を思う。

 

「彼を信じるか、信じないか……後は時深、貴女次第ですよ」

 

 呟くと彼女は防衛人形達に指令を出して、ユーフォリアに続いた。

 

 

………………

…………

……

 

 

 地を貫く巨大な【空隙】の剣近くまで吹き飛ばされ、樹木に背中を預けたアキが呻く。衝撃に武術服の上半身部は破れ飛び、諸肌を曝している。

 

「アレを打ち消したのは流石ですけど……まだまだ全力では無いみたいですね。やれやれ、まだ自分が『ニンゲン』だと思っているのですか?」

「……何……!?」

 

 足元に降り立ったスールードが、その躯に刻まれた無数の傷を見遣る。巽空の生きてきた証明であり、消えない過程(モノ)

 

「だってそうでしょう? 今の貴方は、傷を負えばその剣のチカラにより即座に癒える。例え腕や脚を斬り飛ばされたところで、結果は同じでしょう……そんな存在が――『神剣のカタチとして』の不変の"生命"で生きる貴方が、ニンゲンとして振る舞っているなんてね。笑えるじゃありませんか」

「――テ、メェ……!」

 

 【真如】を振るい、スールードを後退させる。その間に、軋む躯に鞭打ち立ち上がる。

 

【アキ様……このままでは……】

(泣き言は止めろ、アイ……俺達は勝つしか無いんだ……!)

 

 アイオネアの不安げな声に、彼は膝を折りそうになる自身諸とも叱咤する。

 

――そう、勝つしか無い。例え……それがどれ程大事なモノを犠牲にするとしても。

 そう決めて、俺は……エターナルになったんだから。

 

 如何に躯や心を痛め付けられようが、彼の魂は決して折れない。

 何が在ろうと、ただ前に進む。ただ弛む事無く、ありのままで。

 

『私はいつでも――いつまでも、貴方を信じています……我が、若き主よ――……』

 

 思い返すのは、あの言葉。彼の魂に燈る蒼茫の煌めき。

 

――ニンゲンを捨てて繋いだ掌。その癖に、俺は……まだニンゲンのつもりだったんだ。

 

(……考えてみれば、お前にも無理させたよな……アイ? 無理して神銃にしてよ)

【そんな事、ありません……どの道わたしは――永遠神剣としては失敗作ですから。そんな私を受け入れて下さったアキ様の為なら、どんな罪にでも塗れます】

 

 己の内に眠る最後の『0』、それに気付く。精神を統一して、魂に埋没する。

 

(有難うな、アイ……頼む、俺と……)

 

――『(カラ)のチカラ』の体言であるアイオネア、そのチカラを受け入れる『(カラ)のウツワ』である【真如】。そして…それを振るう『(カラ)壱志(イジ)』である、この(アキ)

 どれ一ツ欠けても成り立たない。この三身一体こそが……エターナル"天つ空風のアキ"を構成する起源なんだ。

 

「俺と共に――神を超えてくれ!」

【はい、アキ様……わたしはその道を斬り拓く――神刃(あなた)神柄(つか)ですから!】

 

 瞬間、【真如】の鞘刃が蒼茫の煌めきを纏う。それはまるで、彼がかつて信頼した――レストアスのように。

 

「――来た、遂に来た! そうです、そのチカラを期待していた!」

 

 その様に、スールードは歓喜した。炎でもなく、水でもない。風でもなければ、光でも闇でもない。この世の如何なる事物でも無い、世の外に座す『000』に――……

 

「遍く全て……無限の可能性すらも超克する『無限光(アイン=ソフ=アウル)』!!!」

 

 同時に、剣銃【真如】がカタチを『(カエ)』る。永遠神銃としてではなく、有り得なかった可能性……『永遠神剣として契約した』、彼女の姿に。

 そもそも、本来の彼女は"生命"。定められたカタチなど無く、器に沿って併存する遍くカタチが彼女なのだ。

 

 微かに【夜燭】の面影を残した、蒼滄(あお)き片刃の直刀。華美ではないが美しい装飾の施された、1m50cm程の揺らめく波紋の刃紋の大剣。

 その聖刃の中央下部に嵌められた夜明の宝珠からは、尽きる事無く蒼茫の光が溢れ出る。

 

 その大太刀を、腰溜めに構える。対応したスールードも、再度空間を切断するべく【空隙】を構える。

 

「――この一撃、躱せまい!」

 

 先に動いたのはスールード、至近で二本をクロスさせて放つ。

 世界を割り切る斬撃の鋭い風斬り音はさながら、神剣の異能により無理矢理に剥離させられた空間の悲鳴の如く。

 

「躱す必要はねェ……超えて徃くだけだ、全てを」

 

 横一閃に振り抜かれた、水平線の剣撃。空間を断ち切る神の刃すら超え徃く生命の煌めきが。

 

「――これが……ヒトの子のチカラ……!」

 

 二本の【空隙】と、彼女の背後の大剣諸とも全てを両断した――……

 

 

………………

…………

……

 

 

 その瞬間、勝敗は決した。二刀流の時深に対してイャガは一刀。

 【時詠】にて【赦し】を押さえ込まれた刹那に加速した【時果】を深々とその身に衝き立てられて、彼女は死を避けられぬ程の致命傷を負った。

 

「「――――っ!!?」」

 

 その時だ、結界が……壮絶なチカラにより破壊されたのは。

 

「これは……一体」

「……うふふ――見付けた」

 

 呟き、駆け出した時深になど目もくれず。イャガは、そのチカラの残滓を喰らう。

 

「遂に見付けた……私の『"空"腹』を滿たしてくれるモノ……」

 

 そしてその身は空間に融けていく。まるで始めから存在していなかったかのように……

 

 

………………

…………

……

 

 

「――グァッ!」

 

 天を翔る双刀が、追い縋る矢のような光の群れに飲まれた。抗体兵器の光背より放たれた『空ヲ屠ル』が、名無しの青年を打ちのめす。

 辛うじて致命傷を逃れた彼だったが、深傷には違いない。大地に撃ち落とされたまま傷を押さえて――

 

「何でだろうな……こんな目に遭ってんのに、懐かしいなんて」

 

 押し寄せる抗体兵器とノル=マーター。自分達の数百倍もの敵を前にして、懐かしさに笑った。

 

――『あの時』も、そうだったな……あの世界でも、こんな風に絶望的な戦いだった。その絶望の中に――

 

 意思のない機械兵器群は、その異様を気に留める事も無い。そのまま止めを差そうと、各々の武器を構えて――

 

「命は――輝いてた。それを見せてくれた、あいつらが居た!」

 

 目にも止まらぬ速度で駆け抜けた青年により、全てがスクラップと化した。

 それにより、優先順位が替わる。『拠点制圧』から『障害排除』へと目的を替えた機械達が、青年を目指して結集してくる。

 

「上等だぜ……来やがれ、屑鉄ども。俺は、あいつらにまた会うまで負けやしねぇ」

 

 それに、不敵に双刀を構える。一片足りとも恐れなどなく、それが決定事項だとでも言わんばかりに。

 

「永遠神剣第五位【竜翔】が担い手クリストファー・タングラム、トレジャーハンター『竜翔のクリフォード』……行くぜ!」

 

 破滅の女神を敵に回し、世界を救えなかったその男。しかし、故に誰よりも気高い英雄が、凱旋した――!

 

 

………………

…………

……

 

 

 崩れ落ちる二本の【空隙】が、掌から零れ落ちるさまを眺めてから。スールードはアキへと、穏やかに笑いかけた。

 

「……参りましたね、まさかたった一撃で敗れるとは……本当に強くなりました。最初に見た時なんか、本当にこんな脆弱な存在が私の希望になるのか不安だったんですけどね」

「……生き抜いてりゃあ、チカラくらい付くさ。お前にも……何度も助けられたしな」

 

 ほぼ、ぶつかったような至近距離。その距離で、胸に大きな十字傷を負ったアキも皮肉げに笑った。

 

「……ふふ。しかし爽快な気分だ。貴方の剣に討たれたモノは全ての因果から弾かれる。私は、これで……スールードとしての宿命から解き放たれて……私のままで死ねる……ざまぁみろってなもんです」

 

 あっけらかんと自身の消滅を受け入れて。彼女はくすくすと笑う。それは、かつて剣の世界や精霊の世界で逢ったあの少女……『鈴鳴』としての顔だった。

 

「……莫迦だよ、お前は。何で一言、『助けてくれ』って言ってくれなかった……」

「……さぁて、何故でしょうか。それは貴方の残りの永遠で説き明かして下さい。永遠の時があるんですから、解けない謎くらい有った方が退屈しなくて済みますよ」

 

 続いて、背後の【空隙】が崩れ落ち始める。それが本体だったのだろう、スールード…いや……鈴鳴の躯がマナとして解け、空に融けていく。

 その冷たい掌がアキの頬に触れた。その形の佳い唇が、言葉に成らない声を発した。

 

「――……」

 

 そして最後に、一瞬だけ触れ合う。まるで風が触れたように、空蝉のように実体の希薄なモノ。

 だが、確かに存在した――鈴鳴という少女の温もりだった。

 

「……本当に、莫迦だよ……お前は」

 

 握り締めた【真如】は、いつもの剣銃に戻っていた。だがその鞘刃に煌めき無くなっている。まるで、空に掛かっている雨雲を映したように。

 

「お兄ちゃん……」

 

 全ての敵を片付けたユーフォリアと時深が駆け付けた時、丁度雨が降り始めた。二人が現れた事にも気付かず、アキはただただ涙雨にうたれながら立ち尽くすのみ。

 

「……クソッタレ……」

 

 その搾り出すような声に、ただ……二人はその背を見詰めるしか無かった……

 

 

………………

…………

……

 

 

 夜半過ぎまで降り続いた慈雨が上がり、人工の光が無い出雲の空は宝石箱をひっくり返したように美しい星天を見せている。

 

「…………」

 

 その夜闇の底、奥の院の屋根に腰を下ろしたアキは天を眺めていた。天の川の煙るように細密な星の集まりと、襲撃で時間流が乱れた為に現れ出た黄金色の満月を肴に御神酒を煽る。

 冷えた湿気を孕む夜風は心地好く、寛げた宮司装束の衿元から覗く包帯を巻いた躯を撫でた。

 

「こんな所に居た……もう、お兄ちゃん。病み上がりなのに無理しないで……って、あー! お酒なんて呑んでっ!!」

「俺は何て事ねェよ。後、細かい事言うな。もう歳なんて取れないんだからな……」

 

 そこに、巫女装束のユーフォリアが屋根へと登って来る。そして彼を見咎めるや、ぷりぷりと怒り始めた。それもその筈だ、数十分前までこの男、生死の境を彷徨っていたのである。

 『無限光の聖剣(アイン=ソフ=アウル)』を振るった為にチカラを著しく消耗したアイオネアが意識を失い、同じ生命を共有する彼もまた倒れたのだ。

 

 幸い彼は直ぐに目を覚ましたが、アイオネアは今もまだ眠っている。少し前までは彼が看病していたが、環の気遣いで今は犬耳の巫女が看ている。

 

「アイちゃんはまだ目を覚まさないのに……心配じゃないの?」

「してねェよ、心配なんて。アイは強い子だ、必ず目を覚ますって判ってるからな」

 

 右隣に腰を下ろした彼女を見る事無く、彼は杯の澄んだ清酒が映す酒月を見遣る。

 

――それに、心配し続けたなんて知ったらひたすらに恐縮しちまう。そんな娘だ、アイは。

 

 ゆらゆらと揺れる満月は、当たり前だがその遥か下の湖に映るそれと全く同じ。

 

「それとね……あの男の人、記憶が戻ったんだって。クリフォードさんって言うんだって」

「そうか」

 

 期待した言葉を聞けなかった為か、ユーフォリアは少し悲しそうな顔をした。そして、アキの顔色を窺うように唇を開く。

 

「あの……話したくなかったら良いんだけど…あの人とお兄ちゃんって、どういう知り合いだったの?」

「…………」

 

 ユーフォリアの問い掛けにも、アキは暫く黙り込むのみ。

 湖上の楼閣を再度、涼やかな風が吹き渡る。湖と杯の水面を揺らし、風はどこへとも無く消えていく。それはまるで"生命"のようだと、ふと思った。

 

「――……ッはぁ……ハハッ……」

 

 一息に飲み干して息を吐き、同時に――笑った。口の端を皮肉げに吊り上げて。傾け酒を注いだ徳利、カラになったそれを適当に転がした。

 

「俺が持ってる銃……あれ全部を創る時に、色々世話になったんだよ」

 

 そして、右手に持っていたモノを見せる。鳳凰の尾羽のような羽があしらわれた根付け。首飾りに結わい付けられたモノだ。

 

「これは、最初会った時に貰ったモンだ。『また出逢えるお呪い』らしい……どこまで本当か判らないけど……確かに何度も引き合わせてくれたな」

 

 消えずに遺ったそれは、恐らくは鈴鳴の羽。今まで気付かなかったが、ほんの少しだけマナの残滓を感じる。

 とは言え、『(くう)』に因って因果を断ち切られた以上、どんな意味を持っていたとしてもただのマナで出来た物体でしかない。

 

「まぁ、目的の為に利用されただけなんだろうけどな……それでも、俺にとっちゃ恩人だった。護りたい世界の一部だったんだ…」

 

 根付けを懐に戻し、もう一度アキは静かに笑う。行き場を無くした感情を弔うように、静かな笑み。

 

「俺ァ、自分の大事なモノを自分自身でぶち壊しにした……超弩級の大莫迦野郎さ。結局のところは、『変わってない』んじゃあ無くて『変われてない』んだ……ショウの時と同じ、何にも出来なかった」

「……お兄ちゃん」

 

 だからこそ、彼女は気付いた。この男が自分から笑うのは――嬉しい時でも楽しい時でも無く、堪え難い程に悲しい時や苦しい時なのだと。

 あの時の……【幽冥】との戦いを終えて見せた笑顔もそうだったのだろう、と。

 

「……神を超えるチカラなんて下らねェもんより、命を救えるチカラが欲しかったんだけどなぁ。全く、陳腐な台詞だけどよ……八百萬の神を殺すより人一人を救う方が、よっっっぽど難しいぜ」

 

 痛みも、苦しみも。何一つ誰にも押し付けずに、ただ己を磨く為に噛み砕き飲み干し滋養とする。

 どれだけ『救い』が無いとしても、それが…アキが『成長』と呼ぶモノだった。

 

「……ていっ」

 

 ペシリと手を叩かれ、アキは杯を取り落とす。勿論酒は打ち撒けられ、コロコロ転がった杯が湖に落ちて浮かぶ。

 

「っつぁ、オイオイ何て事すんだ勿体ねーな……杯も返さなきゃならねーのによ――ってオイィィィ!」

 

 それを追いかけて身を乗り出したアキだったが、そこを更に彼女に押されてユーフォリアごと湖へと落ちてしまう。

 

「ぶはッ!? お前、何を――」

「いいから、動かないで」

 

 思いの外浅い湖は、直立すれば太股位の水深しか無い。

 水底は砂なので怪我こそ無いが、尻餅を付く姿勢でのしかかられて身動きを封じられ、背けて捩った顔も両手で向かい合わされて――蒼い虹彩(アイリス)に映る、自分の表情まで見える距離に。

 

「ユー……フォリア?」

 

 湖から、淡い光の粒が立ち上る。それはさながら蛍……『ある存在』の無聊を慰める為に放たれた別の世界起源の、『マナ蛍』という生物である。

 酔いなど一気に醒め、別種の熱が身を包む。鼻先が触れる程の至近距離にユーフォリアの顔が近付き……額同士がくっつけられた。

 

少し顎を上げれば、唇が触れ合う距離で。ユーフォリアは祈りを捧げるように、彼の両手を包み込み胸の前で手を組む。そして目を閉じると、彼女はすうっと息を吸い込んだ。

 

「――暖かく、清らかな、母なる再生の光……」

「――……」

 

 紡がれるは唄声。美しい調べに乗せられた賛美歌。

 

「すべては剣より生まれ、マナへと帰る。どんな暗い道を歩むとしても、精霊光が私たちの足元を照らす」

 

 『歩み続ける事を諦めるな』と。夜に怯える子への子守唄、生きる事を肯定する祈り(ウタ)

 

「清らかな水、暖かな大地、命の炎、闇夜を照らす月……すべてが私たちを導きますよう」

 

 頭ではなく、心に染み入る韻律。耳ではなく、魂を震わせる旋律。雑音など消え果てた、ただ清音。

 

 風すら止み、鏡の如く凪いだ湖に映る星天は、まるで星の海。その中に在って唄うは、水の妖精のような少女。

 

「すべては再生の剣より生まれ、マナへと帰る。マナが私たちを導きますよう……」

 

 唄い終え、閉じられた唇の代わりに瞼が開く。静謐のように深い、深い瞳の色。

 

「そうか、記憶……お前も取り戻してたんだったな。で、これって何て歌なんだ?」

「題名は判らないけど、ママの生まれた世界の唄。よくパパとママに、子守唄で唄ってもらったから覚えてるの」

「そうか……俺もだよ。餓鬼の時分は怖がりで寂しがり屋で臆病者だったから……夜中に布団に潜り込む度に、時深さんが歌ってくれたんだ」

「じゃあお兄ちゃんって、今もちっとも変わってないね」

「こいつめ」

 

 アキが浮かべたのは……笑顔。それを彼女はしっかりと見詰め、もう一度口を開く。

 

「……諦めないで歩き続けて。まだ途中じゃない。今はどれだけ辛くても、きっと……希望の光は見えるから」

「…………」

 

 いつもより、幾分大人びた笑顔。普段が快活な大輪の向日葵だとするなら、今は静謐の月夜に咲いた待宵草(マツヨイグサ)の華か。

 

「……生意気言いやがって…さて」

「『家族相手にしゃちほこばるな、もっと我を出せ』って言ったのはお兄ちゃんだもん」

「違いねぇな、ッたく」

 

 ずぶ濡れのまま、アキは仏頂面に戻る。それを見て、彼女もいつもの向日葵の笑顔を見せた。

 互いに『いつも通り』に戻った、その二人。

 

「……お二人とも、そんな所で何をしておられるのですか?」

「「…………」」

 

 何時からそこに居たのか、二人に向けて奥の院の縁側に立つ犬耳の巫女がジト目を向けながら問い掛けた。

 

「いや、ちょっと一泳ぎしようかな~と!」

「そうそう、そうなんです! ちょっぴり水浴びでもしようかなって思って!」

 

 一瞬で離れたアキとユーフォリアは、それぞれ背泳ぎと平泳ぎして誤魔化そうとする。しかし、巫女の視線は冷たいままだ。

 

「そうですね、私には関係の無い事です。ご当主様がお呼びですが、どうぞお二人でしっぽりとお楽しみ下さいませ」

「「しっぽり!?!」」

 

 そのまま、肩を怒らせてずんずんと歩いていく犬耳巫女。アキとユーフォリアは、急いで縁側に上がり彼女を追い掛けたのだった……。

 

 

………………

…………

……

 

 

 障子を開くと、正座して上座に座る環と時深の姿。

 伏せていた顔を上げ、三人を改め……困ったような顔を見せる。

 

「……遅かったですね……と言うか、何でずぶ濡れなんです?」

「水練をなさっていたそうです」

 

 濡れ鼠の二人が一緒に下座に正座する。巫女は一礼し、部屋に入らないまま障子を閉めた。

 残された四人の間に沈黙が流れる。黙って瞑想でもしているかのような環と時深に、そんな二人の深意を探ろうとするアキとユーフォリア。

 

「――ックショイ!」

「――っくしゅん!」

 

 が、同時に盛大なくしゃみを放つ。身を震わせるところまで同時だった。

 

「……仲が良いですね。まるで本当に姉弟(きょうだい)のよう」

「まぁ……確かに妹みたいなモノですけどね」

「妹……? 姉ではなくて?」

 

 ズビッと鼻水を啜り、何となしに言った言葉。だが環は、不思議そうに聞き返す。

 

「その娘は、別の時間樹で育った存在な上にエターナルですから。生きてきた絶対時間で言うなら、貴方より年上ですよ?」

「…………」

 

 環の言葉に、アキは右隣りの少女を見遣る。彼女はバツの悪そうな表情を見せた。

 その瞬間、パンと乾いた音を立て時深の時遡の扇が閉じられる。

 

「そんな事より、天つ空風のアキ……貴方に問います。貴方の剣は……誰が為のモノか」

 

 それが試す為の言葉だと言う事は、直ぐに判る。だからこそ、アキは……ありのままを答える。

 

「――俺の為です。俺が手に入れたのは、俺の『願い』を叶える為……それだけのモノです」

 

 再度、沈黙が部屋を支配した。驚いた顔をした環とユーフォリア、鋭く睨み合う時深とアキ。

 今この状況で戦闘に発展すれば、彼には闘い様が無いというのに。

 

「――あー、良く寝たわ~。環、御飯用意してよ~……っていうか、やけに騒がしかったじゃないの。安眠妨害よ、全く……寝不足は美容の大敵なんだから」

「「「「……………………」」」」

 

 その時、奥の襖が開き一人の少女が現れた。場の空気を完膚無きまでにぶち壊して。

 長い黒髪と袖を靡かせて、着物を改造した露出の多い服を身に纏う娘。寝起きらしく不機嫌そうな、横柄な物言い。

 

「――莫迦な……何で……お前が……! 何でお前がこんな所に居るんだよ、ナルカナァァァッ!?!」

 

 それに、一番反応したのはアキだった。ザッと立ち上がると、それはもう『前世はザリガニだった』と言っても信じられる後ろ跳びで距離を取り、ビシリと指差す。

 最初は胡乱げな目で彼を見ていた少女だったが、やがて何かを考え込むように目を閉じた。

 

「……あんた……」

 

 余りにも烈しいアキの反応に、残り三人は呆気に取られている。だからその一言は、とてもクリアに響いたのだった。

 

「……誰だっけ?」

 

 その、心底からの問い掛けが。

 

「あー、あと……汝、磔刑に処す。原罪の裁きを受けなさい」

 

 そして少女は気を取り直したように直立すると――くるりと一回転しながら腕を振った。

 

「は――あべぇぇし!?!」

「お、お兄ちゃ~ん!」

 

 瞬間、熾天使の扇『フラベルム』がアキの躯を弾き飛ばして障子を突き破り、彼は再度湖の中に叩き込まれた。

 

「……『ナルカナ"様"』でしょう? 多寡が宮司の分際であたしを呼び捨てるなんて良い度胸じゃない」

 

 薄れ行く意識の中で、彼が最後に見たモノ。仁王立ちしてアキを見下ろす、彼の前世が最も恐れた神『ナルカナ』の姿だった――……



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再会と 戦いと Ⅰ

 森閑に響く、鎚や鋸の音。複数の場所から聞こえるその音は、破壊された社を修復している音色だ。

 

「材木上がりました、今持ってきまーす!」

 

 呼び掛けた先には、屋根瓦や壁の漆喰を塗り直している最中の防衛人形達の姿。今、アキは山麓の社の修繕を手伝っている。

 借り物である宮司の装束の上着を開けて未だ包帯の巻かれた筋肉質の躯を曝して頭に手拭いを巻いた姿で、鉋掛けを終えた木材を数本纏めて肩に担ぎ上げた。

 

 そんな彼に防衛人形の一人……以前戦った黒髪の巫女が応対する。

 

「申し訳ありません。客人の上に怪我人の巽様の御手を煩わせてしまって……」

「構いませんよ。というか、この状況じゃ手伝わなきゃ気が済みませんって」

 

 昔取った何とやら。払いの良い土建のバイトを中心に熟していた経験からか、妙に似合う姿だ。

 

「やはり、殿方がいらっしゃると違いますね。他の社や守はまだ五分の二程度しか進んでいないそうですよ」

「役に立てたなら嬉しいですね、元々……俺が招いた災厄ですから」

 

――あの戦いから既に三日過ぎた。戦いの傷は著しく、美しい景観だった出雲は復興までに数ヵ月はかかるとの事。

 それに、人的被害の方が甚大だ。巫女も三分の一が死亡したとの事。供養する骸すら無い、ただ華を手向けるだけの葬儀が昨日行われたばかりだ。

 

「……それは、違います。生命には、それぞれ為すべき役目と滅び……定命(さだめ)が有ります。彼女達はあの日あの時滅びる事が、この神剣宇宙の原初から定められていたのです」

 

 その時、背後から声が掛かる。歩みを止めて振り返れば――銀髪の犬耳巫女。怜悧な印象そのままの冷たい台詞、しかし根底には不思議な温度を感じた。

 

「巽様、お連れ様が意識を取り戻されました。至急お戻り下さい」

「あ、おい、ちょっ……」

 

 そして、アキが口を開こうとした瞬間に彼女は踵を返してずんずん歩いて行く。

 彼女が言った『連れ』とは勿論、戦いの後に昏睡したアイオネアだ。彼が修繕を手伝っている間は、ユーフォリアが付きっ切りで看病してくれていた。

 

「うふふ、巽様。早く追い掛けてあげて下さいな。後は私共だけで大丈夫ですから」

「……了解。でも、それならあの娘の名前くらい教えて下さいよ」

 

−−何度か顔を合わせはしたが、彼女は何故か俺に対してやたらと冷たい。俺は何か、彼女を怒らせるような事でもしたんだろうか? でも、どっかで見た事有る気もするんだよなぁ……

 

 左の親指を眉間に当てて思い悩むも、笊で水を掬うように取り留めも無い。知り合いの中に耳のオプション付きは、猫耳の大統領しか居なかった筈だと。

 

「殿方なら、御自分の魅力で聞き出すべきでしょう?」

「うっへぇ、俺に一番足りてないモンですよ、ソレ」

 

 材木を受け取り、巫女は頭の天辺から爪先までを改めて意味ありげに笑う。

 居心地が悪くなった彼は足速に、ふさふさと尻尾を揺らし歩き行く犬耳巫女を追ったのだった。

 

 追い付いて隣を歩く。会話など無く、ただ黙々と。まるで葬列のようだ。

 

「……アイの具合、良さそうでしたか?」

「芳しくはありませんが、安定はしています」

「そうですか……」

 

 なんとか声を掛ける。しかし続かない。とつとつと歩き続けるだけだ。

 

――……やべぇ、心が折れそうだ。頑張れ俺、負けるなファイト。

 

「すみませんね、お手数掛けてしまって。えーっと……?」

 

 そこで、上手く名前を聞き出そうとする。まるでナンパでもしているような変な気分になり、頭を掻き毟り鬱蒼とした森の中に消えてしまいたくなりながら。

 

「あ、此処に居た……ちょっとー、このあたしを歩かせるなんてどういう了見してるのよ」

「こいつは……本当に空気を読めと……!」

 

 結局、森の中から出て来たナルカナに邪魔された。

 

「何かご用でしょうか、ナルカナ様。今、私は忙しいのですが」

「ああ、用が有るのはコイツの方よ。あんたは行って良し」

 

 ピッと指差したのは、壮絶に嫌な予感を感じて鳥肌を立たせたアキ。彼女と再会(であ)ってから既に二日、神世の再演のように理不尽な小間使いの数々をさせられた。

 しかも、少しでも粗相をすれば問答無用で彼女の名に列なる全てを持っての仕置きが待っている。

 

「いえ、巽様をお連れするのが私の仕事なのですが」

 

 巫女は表情こそ出していないが、困ったような声を出した。

 

「あっそう、じゃあすぐに済ますから待ってなさい」

「……はぁ、またオーラですか? 知りませんよ、御当主様に叱られても」

「うっ……わ、分かったわよ……手短にすませればいいんでしょ、ぎゃらっしゃー!」

 

 そう諦めたように呟いて、巫女は『待つ』姿勢を決め込んだ。

そしてナルカナは、ちょっとしたお使いでも頼むように気軽に口を開く。

 

「望達をこの世界に呼び寄せたから、迎えに行ってちょうだい」

「……は?」

「だからー、望達『旅団』をこの世界に呼んだから、疑われにくい仲間のアンタが迎えに行ってよ」

 

 余りにあっさりと言われてしまい、彼は聞き返す。ナルカナは説明するのが面倒臭いらしく、溜息を付いた。

 

「――無事か、あいつらは……無事なんだな!」

「ちょっ……痛いじゃない!」

 

 詰め寄ってその華奢な肩を掴み、アキは語勢を強めて問うた。一瞬驚いたナルカナだったが、直ぐに不愉快そうにその手を払い退けて腕を組む。

 

「ええ、理想幹に突入したけど……少なくとも、誰も『死んで』ないわね」

 

 そして、僅かに愁いの篭った言葉を漏らした。だがアキはただ、家族が無事だった事に安堵してその深意に気付かない。

 

「はぁ、そりゃあ別に良いけど」

 

 普段ならば必ず突っ込むであろう『理想幹』のキーワードも、聞き逃していた。

 

「よしよし、聞き分けが良いわね。御褒美にナルカナステッカーをあげよう」

「要らねーよ、そんなモン……いえ、超嬉しいなぁ、受け取りますから『エクスカリバー』は勘弁してください」

 

 眼前で昂る青マナに手渡されたステッカーを受け取り、げんなりと懐に納める――と、ステッカーの下に折り畳まれた紙が有る事に気付いた。

 開いて見れば――

 

「……ポテトチップにポップコーン、コーラ、コミックザウス……何だよ、このメモ帳の切れ端は」

「ん? どうせ街に降りるんだから、買って来て欲しいものよ」

 

 平然と、さも当然のように。彼女は腰に手を当ててからりと笑う。逆らうだけ時間の無駄だと、彼はそれも懐に納めた。

 

「判った、買ってくるから。ん」

「……何よ、この手は?」

 

 そして、手の平を差し出す。それを見て、ナルカナは不思議そうに首を傾げた。

 

「金だ、金くれよ」

 

 チンピラよろしくそう言った瞬間、ナルカナは彼にずいっと近寄り。ニッコリと笑顔を見せた。

 暫し見つめ合う二人。片方はこの上無い笑顔で、もう片方はこの下無いジト目で。

 

「あんたは果報者よ。超絶美少女ナルカナ様の笑顔を一瞬、この世で独り占め出来たんだから。じゃ、浄財に励みなさい」

 

 そして、笑顔を止めたナルカナが口を開く。その瞬間、アキも口を開いた。

 

「浄財は仏教だろ、堕女神(だめがみ)が!」

「……あんたの意識、生命、世界……全部終わるわ。今この瞬間にね! 終末の剣――レーヴァテイン!」

 

 一振りで地平線までを焼き尽くすと言う、巨人の王の炎の魔剣。

 それが森閑に響く、鎚や鋸の音。破壊された社を修復している音色を掻き消す程の破砕音を轟かせ、枝で囀っていた小鳥達が驚き飛び去って行った……

 

 

………………

…………

……

 

 

 障子を開くと、巫女服姿のユーフォリアが振り返った。そして彼の姿を見て不審げに眉根を寄せる。

 

「んもう、遅いよお兄ちゃん……って、どうしてボロボロなの?」

「何、ちょっと……災害に巻き込まれてな」

 

 その向こうの蒲団の中で起きて、聖盃の澄んだ靈氣(アイテール)を口に含んでいる肌襦袢姿のアイ。目が覚めたばかりだからかどうかは解らないが、血色は余り良くない。心なしか花冠も萎れているような気もする。

 

「アイ……具合は良いか?」

「兄さま……はい、もう大丈夫です。御迷惑を掛けてしまって……」

「……莫迦、迷惑な訳が有るかよ。お前と俺は一蓮托生なんだから」

 

 恐縮する彼女の脇に胡坐をかくと、その滄い髪に手櫛を通すように優しく撫でる。

 引っ掛かる事無く、まるで流水に触れているように更々流れる髪。心なしか冷たく、力仕事と理不尽な暴力で傷付き汗をかいた彼には心地好い。

 

「はい……あっ、んんぅ……兄さまぁ……くすぐったいです……」

「ああ、悪い悪い……」

 

 ごく小さな龍角を根元からなぞり上げたのが余程くすぐったかったのか、思わず上げてしまった艶やかな声に恥じ入り、ほんのりと頬や首筋に朱が差したアイオネアは躯をよじる。

 そんな姿に、似合わない事をしたとアキは苦笑して手を引っ込めた――と同時に、右側から蒼い髪の頭がずいっと突き出された。

 

「……えっと、何?」

「ぶーっ! あたしだって頑張ったのに褒められてないもん。アイちゃんばっかりずるーい!」

 

 心底訳の判らなそうな彼に、ピコピコと頭の白い羽根を揺らしながら、彼女はカタチの整った丸っこい頭を突き出す。

 苦笑いしながらアキはその頭に手を伸ばして――

 

「それ」

「あいたっ!? う~っ、またぶった~! パパにも打たれた事無いのに~っ!」

 

 またもやデコぴんで叩く。中指で打たれて赤くなった額を抑えて、彼女は恨めしげな眼差しをアキへと向けた。

 

「それより朗報だ。皆がこの世界に来てるらしい」

「えっ……皆が! 無事なの!?」

 

 今度は己が肩を掴まれる番だった。その掌をぽんぽんと叩いて安心させる。

 

「無事らしい。てか、あいつらが簡単にくたばる訳ねェだろ?」

「よかったぁ……」

「俺は迎えに行って来る、お前達はどうする?」

 

 安堵からの溜息と共に、うっすらと涙ぐむユーフォリア。その手を優しく解いてアキは立ち上がる。

 

「はい、行きたいです……兄さまとゆーちゃんの大切な方々なら、わたしにとっても大切な方々ですから」

「勿論、あたしも行くけど……アイちゃん、無理してない?」

「うん、大丈夫……心配しないで、ゆーちゃん」

 

 立ち上がろうとするアイオネアを支えるユーフォリア。似た髪色と相俟って、仲の良い双子のように見える。

 微笑ましくそれを見ていたアキだったが、ユーフォリアにジト目で見られている事に気付く。

 

「……お兄ちゃん。あたし達、お着替えしたいんだけど」

「……そうだな、俺も着替えてぇ。じゃあ、着替えたら出雲開門で」

 

 自分の黒焦げた服装を改めて、別の服を貸して貰う為に部屋を後にしたのだった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 出雲開門の大鳥居に背を預けて、新たに貸して貰った宮司の装束に下駄を履き、袖内で手を組むアキ。既に二十分近く、こうして待ち呆けを食らわされている。

 

「遅っせーな……着替えるだけにどんだけ時間掛けてんだよ」

 

 流石に苛々と癖毛の頭を掻いて、袖内の厚い封筒を玩ぶ。取り出して封を切れば、中には十数万円。

 

――環さんに装束を借りた時に、この三日で働いた分の報酬+ナルカナ保険の支払い金だ。初日に加入していたので今日の奴で降りたんだぜ……。

 

 今だに焦げ臭い身体の疼くような痛みを感じて涙ぐみながら、アキは情報を反芻する。

 

――この世界は、元々の世界の近似世界らしい。見た目は殆ど変わり無いが、細部……代替など無い『人間』だけは完全に別人で構成されているという。

 最初に感じた違和感……神社の名称が『天木』と『神木』と、違っていたように。

 

「お兄ちゃ~ん」

「お、お待たせしました……」

「いや、マジで大分待っ……」

 

 と、そこに二人が到着した。物部学園の、新旧指定制服と制靴に身を包んだ二人が。

 

「ユーフォリア、お前……制服二着なんて、何処に持ってたんだ?」

「え? ああ、これはアイちゃんの根源力で創った物なの。お兄ちゃんも創ればいいのに」

「……俺も物部学園の制服に着替えて来る。少し待っててくれな」

 

 言われて気付く。今の自分は、根源力で錬成具を創れる。ならばこの世の万物を生み出す事が可能だ、制服を作る程度はたやすい事だろうと。

 

「……ああ、あとお前ら……やっぱり羽根と花冠は目立ちすぎるぞ」

「「ぶ~っ……」」

 

 そうして、制服姿の三人は開門の側に穿たれている回廊……神木神社まで繋がる門に足を踏み入れた。

 

 

………………

…………

……

 

 

 『ありがとうございましたー』の言葉と好奇の視線を背に受けて、コンビニエンスストアを後にする。これで、ナルカナに頼まれた仕事の半分は熟した。

 

「甘かったな……」

 

 先ずアキはそれを口にした。そう、そもそも前提が間違っていた。幾らこの世界に来ているとはいえ、世界は広い。当たり前だが。

 その時、菓子を買って貰い上機嫌で前を歩くユーフォリアが振り向いた。

 

「何でも売ってる『こんにび』って便利だよね、アイちゃん」

「うん、『こんにび』……」

「『コンビニ』な……」

 

 彼等が歩くのは市街、時刻は十時過ぎなので人通りはそこまででは無い。

 しかし、この時間帯に制服姿でうろつき回るのは危険だった。極めつけに目立つ。

 

「…………」

 

 しかも、擦れ違う相手は男女関係なく振り返る。それはそうだ、彼の両サイドで腕にしがみつく青い髪の美少女二人が好奇心丸出しにして周囲を観察しているのだから。

 

――やべェな、目立ちまくってる。さっさとものべーを見付けないと精神的疲労(フォースダメージ])が限界……つーか出無精(ナルカナ)め、何処に居るかくらい教えとけ&教えろッてんだ。

 

 本人に聞かれたら速攻でマナへと還されそうな悪態を心の中で吐く。それにやはり疲れるのかポテチ等が入った袋を持つアキと左手を繋いだアイオネアが、慌てたような顔を見せた。

 

――……ナルカナ、か。俺は今までずっと、ルプトナがナルカナの転生体だと思ってた。しかしナルカナは神世からずっと生き続けているらしい。

 だとしたら、ルプトナは何者だ? いや、それより何よりナルカナは何者なんだ? 全然訳判らねェ……。

 

「お兄ちゃん、どうしたの?」

「ん? ああ……いや、何でも無い。皆を探そうぜ」

 

 クイッと右腕を引かれて気を取り直し、不思議そうに見上げる彼女に告げる。まだ日は高い、一日は――始まったばかりだった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 午後三時過ぎ、市内を随分と歩き回ったが一向に見付からない。

 三人は街角の、小さくも小洒落たオープンテラスの喫茶店で今後の方針について検討していた。

 

「ねぇ、見てあの席……凄い、理想的な美形兄妹よ」

「本当だ、お人形さんみたい……男の人の方も結構イケてるし、外国人?」

 

 等と、頻りに囁かれたり写メられながら。

 

「やっぱり、目印も無しに探すのは無理だな。流石ものべー、隠蔽性能も半端じゃねェぜ……敵の苦労をこんな形で実感できるとは」

「ゆーくんも何も感じないって。神剣は発動しないと感知出来ないから……」

「ごめんなさい……わたしが本調子なら探し出せたかもしれないのに……」

 

 テーブルの上にはアイス珈琲とカフェオーレとミルクティーに、ベーコンとレタスに鶏のササミとチーズを挟むクラブハウスサンドが置かれている。

 だが、手を付けているのはアキとユーフォリアだけ。

 

「アイ、遠慮しないで食え。歩き回って腹空いたろ?」

「そうだよ、アイちゃん。しっかり食べないと元気が出ないんだから」

「お腹……?」

 

 不思議そうに呟き、掌の中程まである袖に通した掌で、彼女は自分の腹部を撫でる。

 そしてその意味を悟って、困った顔で笑った。

 

「……いえ、私はお腹が空いた事はありません。『空』が私の『滿』ですから」

 

 そこで、アキは自分の口に運ぼうとしていたサンドを見遣る。

 言われて気付いたが、彼とて腹が減って食おうと思った訳ではない。喫茶店に入ったから、休憩がてら何と無くだ。思い返せば朝食も昼食も摂っていない。

 

 それでも平然と働いていたのだ、空腹など感じずに。ずっとずっと、恐らくは――永遠にでも。

 

――そんなところまで、ニンゲンじゃ無くなったか……。

 

 苦笑して、口に放り込む。最早、ただ味を楽しむだけになった食事を。

 いつしか、それすらも気にならなくなるのだろうと。まだ色付いている世界を噛み締めるように。

 

「――あらあら、お腹が空かないなんて羨ましいわ」

 

 そこに、話し掛けてきた一人の女。隣の席で、信じられない量の食事を摂っている紅い髪の美女。

 

「――っ!?」

「あ、すいません。大声出して、ご迷惑でしたか」

「ごめんなさい……」

 

 それを見た瞬間に、ユーフォリアの表情が凍り付く。しかしアキとアイオネアは、横を向いている為に気が付かない。

 

「いいえ、怒っている訳じゃないのよ。ただ本当に羨ましいだけ。私なんて、どんなに食べてもお腹が満たされないのよ? 本当に、羨ましいわ」

「それ、一度医者に掛かった方が良いですよ」

 

 くすりと妖艶な笑顔を見せる、露出が多めな服装のその女。アキは前にも彼女を見たような、不可思議なデジャヴュに頚を捻る。

 

「――お兄ちゃんっ! 休憩は終わり、もう出ましょ!」

「っつぁ、ちょっと待てユーフォリア! 無銭飲食になるッ! 店員さーん、お勘定ー!」

 

 ぐいぐい引っ張るユーフォリアに逆らえず、アキとアイオネアは店を出て行った。

 

「おい、どうしたユーフォリア?何かあったのか?」

 

 ほとんど走る勢いで引っ張る彼女に問い掛ける。ユーフォリアは、周囲を念入りに確認して漸く立ち止まった。

 

「……もしかして……ううん、きっとそう。イャガはロウ=エターナル……あの人がお兄ちゃんをロウに……」

「ゆーちゃん……?」

「そんな事させないもん……絶対に!」

 

 不安そうに、思い詰めるようにそんな事を呟く。そして、繋いでいる二つの手をぎゅっと強く握り締めた……

 

 

………………

…………

……

 

 

 一方、三人が残したクラブハウスサンドと飲み物。それを見詰めて……紅髪の女『最後の聖母イャガ』の分体の一ツは。

 

「残しちゃうなんて勿体ないわ、私が食べちゃうわね」

 

 そう呟き、何も入っていない口を動かす。まるで何かを噛むような動作。

 

「うふふ、美味しかったわ。でも――ちっとも足りない」

 

 その瞬間、テーブルに残されていた全ての食事が『消え』失せた。否、店内にあった、『食べられるもの』が、全て……『人間』も含めて。まるで――時深と戦って敗れたイャガの分体のように。

 

 

………………

…………

……

 

 

 結局、何の成果も無くアキ達は神木神社へと戻ってきた。途中のあの喫茶店からユーフォリアが妙に落ち込んでしまい、捜索どころの騒ぎで無くなったのもあるが。

 

「コーラ、すっかり温くなっちまった。こりゃ『クラウ・ソラス』くらいは覚悟しとかないといけねェな」

 

 石段の途中で二リットルのペットボトルが入った袋を揺らしておどける。だが、ユーフォリアは相変わらず沈んだ表情のまま。

 

「お兄ちゃん……あたしはお兄ちゃんにカオス=エターナルの――」

「――空、ユーフィー!?」

 

 漸く決然と顔を上げた、その背後から聞こえた声。駆け寄る音と、目に映る茶髪碧瞳の少年は。

 

「――望うぉっ!」

「――望さんひゃっ!」

 

 石段を数段飛ばしで駆け上がってきた望が、二人を纏めて抱き寄せた。

 

「良かった……無事だったんだな。心配させるなよ……」

「……悪い。此方も立て込んでな」

「あう、ごめんなさい、望さん……」

 

 最初こそ驚き真っ赤になった二人だったが、すぐ表情を綻ばせる。そして、石段を上って来た三人がそんな彼らを見遣る。

 

「……あれ? ねぇ佳織、もしかしてあの時のコスプレイヤーのお兄さん達じゃない?」

「ちょ、小鳥……その言い方は失礼だよぅ」

「…………」

 

 アキ達がこの世界に来た時に出会った二人の少女、そして希美だ。因みに、完全に置いてきぼりを喰らっているアイオネアは終始困り続けていた。

 

「そうだ、望。お前……ナルカナに呼ばれたんだろ? 奴さん頚を長くしてお待ちだぜ」

「そっか、知ってたのか……で、何処に行けば会えるんだ?」

 

 溜息混じりに告げた彼に、望は驚いた顔をした。しかしナルカナの読み通りに不審を抱かない。

 

「取り敢えず、詳しい話は明日な。俺達が戻ってお膳立てをしとくから、旅団の皆と用意を整えて来てくれ」

「判った、じゃあまた。あ、あと……ソルとルプトナには気を付けろよ、空?」

 

 意味深な言葉を残して去っていく四人の姿を見送った。そんな中、ふとユーフォリアが呟く。

 

「お兄ちゃん……希美ちゃん、なんだか様子がおかしくなかった?」

「え? ああ……妙に静かだったな」

 

 アキはそれだけを返す。そして、何となしに不安を感じる。

 

――まさか、な……望が付いてたんだ、そんな筈は無い。

 

 見詰めた先に在る、無機質な表情の希美。その思い当たる表情に、彼が抱く不安を押し隠すように。

 

「――さてさて、戻ろうぜ。これ以上時間を掛けたら、ナルカナに消し飛ばされちまう」

 

 二ツの袋を担ぎ上げて、門までの道程を歩き始めた。

 

 

………………

…………

……

 

 

 まだ朝陽が地平の上に向けてしか射していない明け方の出雲。アキは湖畔のトネリコの根本で日課の鍛錬を行っていた。

 

――方法は単純、瞑想だ。事象を想像して創造するだけ。この世に満ちる生命の根源(マナ)を己が意に沿うカタチに改変し――……

 

「――我が喚び声に応え、来い!」

 

 クロスした両手から虚空に波紋を刻み、彼の創造した幻想……彼の末那識と同化しつつある透徹城の城門を開いて取り出した、紅のデザートイーグルと蒼のコルトパイソンに、比翼の紅鷲と比目の蒼錦蛇の神威が具象化する――!

 

 ……パァァンと、森に響く破裂音。またも驚かされた鳥が飛び去って行った。

 

「……痛ッてェェェェッ!?!」

 

 霜焼けただけの左腕はともかく、火傷した右腕を湖に浸してアキは溜息を吐く。暫く水中で掌を開閉しようと力を篭めてみたが、完全に痺れてしまっている手は言う事を聞かなかった。

 

『ハハッ、アタイを使うにゃあまだまだ修行が足りないねぇ』

『ケッ、俺っちを使おうなんざ百周期早ェんだよ』

 

 頭の中に響く、アイオネアの臣下の声。それに、アキは舌打つ。

 結局は失敗してしまい、具象化が暴走した。加速度的に進む神格化に現実世界が耐え切れなかったのだろう、現実を侵すモノを壊す事で世界が均衡を保ったのだ。世界の自浄作用という奴だ。

 

『根元力はマナを扱うのとは訳が違うのですわ……ワタクシがそう教えて差し上げたでしょう』

呵々々(カカカ)! 分かるぞ担い手、儂も同じじゃて。この金切り声で言われては覚えられるものも覚えられまいて』

『ああ、その点は僕も激しく同意』

 

 因みに、この前に創ろうとしたCZ−75とベレッタM92Fにトーラス=レイジングブル、顕現自体を行う為に難関であるマグプル-PDRも、再現に失敗して爆発した。

 

「クソッタレ、しっかし頑丈だねマナの躯は……人間の躯のままなら腕くらい吹き飛んでたぜ……」

 

 彼の契約した存在は『生命』だ。詰まりは、常時発動している事になる。故にどんな状況下でも彼は加護を得ているのだが……やはり、チカラの本体であるアイオネアが居なければ再生までは出来ない。

 

――『威霊の錬成具』は、意外と簡単に出来たんだけど……やっぱり武器は難しい……いや、剣とか刀なんかの単純なモノなら幾らでも出来るんだが、結局ソレは紛い物。本物の永遠神剣とは比べモノにならない。直接打ち合えば負けるだろう。

 だからやはり、神銃士は神銃士らしく遣うべきは銃。打ち合って負けるなら、撃ち合って勝つ。その為にも、マナゴーレムのままじゃ駄目だ……新たな『永遠神銃』を作らないと。

 

 周囲にはミニオンの西洋剣や槍、双刃剣に刀、杖……他には斧やハルバード、メイスにグルカナイフ、シャムシールやカイトシールド、果てはフルプレートの鎧までもが無造作に転がされている。

 機構を持たないモノなら、創る事は苦にもならない。問題はその、存在としての脆弱さのみだ。

 

 アキは左手に意識を集中させて、虚空に波紋を刻む。透徹城から引き出したのは、あのフィラデルフィア・デリンジャー。

 

「……不可能じゃない。部品も機構も全て記憶してる……後は、如何に精密に寸分の狂い無く再現出来るかだ。努力に勝る才能無し、さぁ特訓特訓!」

 

 コンシールメントウェポンらしく懐に納め、水中から引き抜いた掌は随分と感覚を取り戻している。

 しかし、後でアイに治して貰えば良いかと思い、無視して続ける。樹の根本に置いてある銃の専門誌……昨日の捜索中に買ったモノに目を移した。

 

「朝からご精が出ますね、巽様」

「あ、こりゃどうも……」

 

 そこにまたも、いつから居たのか犬耳の巫女が語りかけた。因みにアイオネアとユーフォリアは同室なので、起こす事も無いだろうと彼は声を掛けないままで出て来ている。

 

「明け方に騒がしくするのは余り感心しません。ナルカナ様が目を覚まされてしまいます」

「了解……静かにします」

 

 朝から『ストームブリンガー』でも食らわされては堪ったモノではないと、仕方なく套路に励む事にする。錬成具のガントレットやグリーヴを纏って、大気を揺らす程に強烈な拳打や蹴りを放つ。

 これも根源力操作の応用だ。命中した対象の空間に在るマナを加速させて空間にヒビを入れ、オーラフォトンで破壊力を増す技。

 

「……」

「えっと……何か用事ですか? また環さんか時深さんか、ナルカナが呼んでるとか」

 

 それを、何をするでも無く巫女はただ見詰めている。視線を感じ、集中が乱された事を理解して止め、巫女に問い掛けた。

 

「いえ、別に用事はございません。ただ……」

 

 巫女はすっと彼の側に寄ると、腕を取る。怪我している右掌を。動かせばピリピリと疼く、火傷の傷痕。

 

「こういうものを見過ごすのが、性に合わないだけです」

 

 そして懐から二枚貝に入った軟膏を塗り込んでいく。更に油紙を傷に宛てると、清潔な布を巻いた。

 

「……どんなに小さな傷でも、甘く見ないで下さい。強い回復能力を持つ神剣士は己の躯を盾にしようとしますが……それは、ただの独善ですよ。御自愛下さいませ」

「――…………」

 

 慣れた手つきで治療を終えて、巫女はいつも通りにクールな言葉を投げ掛ける。

 そんな犬耳が揺れる頭に――ぽん、と。アキは左手を置いた。

 

「……有難うな、綺羅……」

「――…………」

 

 そこで、巫女の…綺羅のポーカーフェイスが破られた。上げられた顔は驚き、そして直ぐに。

 

「……もう、気付いてくださらないものだとばかり……」

 

 優しく頭を撫でる彼の掌を感じ、目を細めて嬉しそうに鼻を鳴らす綺羅。彼女らしく、控え目にふさふさとした尻尾を振る。

 

「まぁ、俺もたった今気付いた所だけど……教えてくれても良いだろ、最後まで気付かなかったらどうするんだよ」

「そのまま何も。そこまでだったのだと…永遠に黙っているつもりでした。時深様の言い付けを破り貴方を……この一連の出来事に巻き込んでしまったのは私の独善でしたから……」

 

 強い責任を感じているらしく、俯きながら呟く。この旅が始まる直前、彼を助けた彼女。もしそれがなければ彼は大怪我していたか死んでいたか、どちらにせよ学園祭の準備には参加出来なかった。この旅には加われなかった筈だ。

 それを彼女の主君は望んでいた。彼が永遠神剣の契約者とならない事を。

 

「……いや、感謝してるさ。綺羅が助けてくれなきゃ、俺は……ただの糞餓鬼のまんまだったしな」

 

 大きな犬耳の間から耳の後ろを、くすぐるように撫でる。

 彼にしては珍しく、撫でる事への抵抗は薄い。狗の姿をしていた頃の名残だろうか。

 

「もう一度言う。有難うな、綺羅……俺に掛け替えの無い可能性をくれて……」

「巽様……」

 

 うっすらと涙ぐみ見上げてくる、ルビーのように煌めく深紅の瞳。それにありったけの感謝を篭めて、頭を撫でた。

 

――そういえば、昔は……狗の綺羅よりも背が低かったんだよな……。

 

 幼少の(みぎり)、時深の特訓で扱かれていた時も彼女……狗の綺羅は、あんな風に見ていた事を思い出しながら。

 

――時深さんに綺羅、望に希美、会長に暁、信助に美里に椿先生。ミゥさんにルゥさん、ゼゥにワゥにポゥ。姫さんにクロムウェイさん、ソルにタリアさん、ダラバ=ウーザにレストアス。ルプトナに姐さん、ネコさんにクウォークス代表に、ユーフォリア。スバルさんにショウ、環さん……カラ銃と鈴鳴、アイオネア。

 独りのチカラでは、間違いなく辿り着けなかった。俺は大勢の人に助けられて漸く、此処に立っていられるんだな……

 

 己の思い出に面映ゆくなり、ふとトネリコの樹の方を見れば。

 

「「「…………(じーっ)」」」

 

 と、トネリコの樹の影から見詰める瞳を見た。

 

「何だか良い雰囲気になっちゃってて出て行きにくいです……それにしたってお兄ちゃんったら、あたしは撫でてくれないのに……」

「綺羅を懐柔するなんて、巽の奴やるわね……あれが時深が言ってた光源氏作戦?!(※違います)」

「……あの、ゆーちゃん、ナルカナさん……兄さまとキラさんがこっちを睨んでます……」

 

 一番上には黒髪と黒い瞳、真中は蒼髪と蒼い瞳、一番下は滄い髪と金銀の異色瞳と……

 

………………

…………

……

 

 

 巨大な影が出雲を覆う。敵ではない、たった数日ぶりだが物凄く久しぶりな気がするものべーだ。

 

「大きい……下から見てると、空が墜ちてくるみたい」

「うん……もし潰されたらって思うと怖くなっちゃうよね」

「はぁ……ユーラの船もデカかったが、こいつは規格外だな」

 

 その威容に圧倒されるアイオネアと、それに応えるユーフォリアにクリフォード。アキ達はその到着に際し、応対に綺羅と共に出ている。

 勿論、ナルカナは居ない。五人に旅団を迎えに行くように告げて、『或る事』を説明してさっさと奥の院に戻って行った。

 

「……ハァ……」

「どうなされましたか、巽様?」

「いや……何でもない」

 

 いきなり溜息を落としたアキに、綺羅が問うた。とは言え、彼女も事情は理解している為に労るような声。

 

――ナルカナから聞いた限りでは、望達は枯れた世界で暁を仲間に加えたそうだ。しかし、その後に現れた『理想幹神』を名乗る二柱の神性……神世では俺も嵌められた『欲望の神』"エトル=ガバナ"、『伝承の神』"エデガ=エンプル"によって希美の『相剋の神名』が覚醒させられた。それにより『救世と断罪の女神』"ファイム=ナルス"が目覚めて、彼らの手中に堕ちた。

 それを救ったのが――……クォジェ=クラギだった、と言う事。自らの命と引き換えに、【逆月】の反転弾で『触穢』で『相剋』を抑え込んだ。それで正気を取り戻した希美が、何とか離脱したとの事。

 

 だが、それも所詮は一時凌ぎ。それから、希美の『相剋』を制御する為に中心世界『理想幹』に突入して、到達までは上手く運んだ。だが、『ログ領域』という時間樹全体の情報を記録する空間に逃げ込まれ、そこで斑鳩会長が行方不明に。

 そして理想幹脱出の際に『ナル』……マナを浸蝕する『楯のチカラ』とか言うモノが漏れだして、それを抑える為にクウォークス代表も行方不明になったとの事。

 

「……ナルカナ様も意地の悪い事をお考えになられます。このような状況で巽様と彼らを……」

「……こら、聞かれたら大事だぞ……それにな、俺にとってもマイナスばかりじゃない、やるだけの価値はある」

「くぅーん……」

 

 苦笑しながら、アキは彼女の頭に手を置いた。眉を潜めていた綺羅だったが、それにより条件反射で尻尾を揺らしてしまう。

 

 その時、強い地鳴りと風が吹く。ものべーが着陸したのだ。その後転送により旅団の神剣士達が現れ、その中から二人が飛び出した。

 

「「空ーーーーッっ!」」

「ソル……ルナ……!」

 

 先程も述べた通り、たった数日ぶりの再会。しかし彼には随分と久しぶりに感じられる。思わず、彼も駆け出してしまった。

 

 そして――ソルラスカの前を滑っていたルプトナが低く姿勢を落として、『めくり』の要領でアキの背後に回り込む。

 

「……へっ?」

 

 それに気を取られたアキは、眼前でL字に曲げられたソルラスカの右腕を見逃した。

 

「「――天誅ーーーー!!」」

 

 繰り出されたのは、ラリアットとローリングソバット。寸分の狂いも無く、挟みこむようにアキの頚を打った。

 

「で、でめェら何処のエーどビーだ! ぞじで俺ば尾の無い尾獣が!」

「ふーんだ、ボクらに心配かけた罰だいっ」

「全くだぜ、何も言わずに居なくなりやがってよぉ……そういえば、もう一人居たな」

 

 片膝立てでえづきながら粗い息を吐くアキを見下ろしていたソルラスカとルプトナは、直ぐに別の人物へとターゲットを変える。

 

「「ユーフィー……」」

「はうぅっ!?!」

 

 その惨状を見て震え上がるユーフォリア。そのユーフォリアに二人は。

 

「……ッたく、心配かけやがって」

「本当だよ、全く……」

「あ……あぅ~」

 

 わしわしと荒っぽく頭を撫でられて、彼女は恐縮したような表情を見せた。

 

「……この扱いの差は何だよ、畜生」

 

 望が言っていたのはこの事かと、アキは悪態を吐く。その彼に。そして、新たに飛び出た影が五つ――クリスト達だ。

 

「五人とも、心配かけて悪――」

 

 それにアキは気を取り直して向かい合うと、應揚に口を開いた。

 

「クリフォード!」

「クリストフ!」

「クリストファー!」

「クリスさん!」

「くりた~ん!」

「お前ら……ハハッ、久しぶりだな!」

 

 透徹城から抜け出し、アキの背後のクリフォードに抱き付いた五人。五人ともが、涙を流して。

 

「あべし、ひでぶ、たわば、オキャアッ、キャオラッ!」

 

 そして当然、制御を失った透徹城五つはアキに直撃した。

 

「……どこにでもいるんだな、望みたいな奴って……」

 

 自分など全くもって眼中に無かった五人の、実に嬉しそうな涙。それに、最早恨み言くらいしか口をつかない。則ち、いつもの天の邪鬼しか。

 

「貴方達って、いつもこんな風に騒がしいのかしら?」

「全くだ……」

「ほっとけ……ッてエヴォリア、ベルバルザード?! 何でお前ら!?」

 

 気安く話し掛けた二人組。それに気安く応えたアキ。しかし直ぐに声の主に気付いて驚愕したのだった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 『旅団』の管理神達との戦いと、『出雲』の南天神達とスールードとの戦いの経緯の説明が終わり、静まり返った奥の院。

 

 和風で統一されている出雲の面々に対して、旅団員の恰好は各々の戦闘装束なのでいつも通り統率が取れていない。

 だが、その中に在って尚。特に目立つ二人組が居る。

 

「それでエヴォリア……あんたらの助けが有って理想幹の障壁を突破出来た、と」

「ええ、そうよ。ぶっつけ本番になったけど、内側と外側から全力の一撃をぶつけ合ってね」

 

 アキの訝しむ視線を軽く受け流し、アラビア圏の踊り娘風の装束を纏う女……エヴォリアは腕輪型神剣【雷火】を鳴らしながら髪をかき上げた。

…その隣では、紅い覆面とマントの偉丈夫……ベルバルザードが胡座をかいて、大薙刀型神剣【重圧】を磨いている。

 

「……助けられた手前、今は共闘って事になってるわ。理想幹神達を倒すまでの期限付きでね」

「仕方あるまい、わらわ達は寡兵。戦力は喉から手が出る程欲しいのじゃからな」

 

 そんな二人に、絶対零度の視線を投げ掛けるタリアが口を開く。

 それを、現旅団団長代理のナーヤが窘めた。

 

――確かにな……俺とユーフォリアが居なくなって、会長と代表が行方不明。そりゃあ藁にも縋るだろう……いや、あの頃の俺が戦力として扱われてたかは判んないけど。

 しかし……今更だがすごい面子だな。正にイロモノ集団だ。

 

 そんな不毛な考えを繰り広げた時、ふと目に映る一人の少女。硝子玉のような目をして、ただ人形のようにそこに『在る』だけの――永峰希美が。

 

「…………」

 

 その瞬間、神世の記憶が甦る。前世に焦がれた『浄慧の三日月』、ファイム=ナルスの姿に。

 ただ、現世の彼の胸に去来するのは虚しさ。空虚な風が吹き抜けるだけだった。

 

「ところで、巽……」

「……え? あ、何ですか姫さん?」

 

 と、カティマの問い掛けに現実に引き戻される。彼女の瞳が見詰めていたのは……彼の左腕側に控えている滄の媛君。

 因みに説明では『永遠神銃という神器を手に入れた』としか言っていない。

 

「見た事の無い方ですが、その娘は一体どなたでしょうか?」

「あ、それボクも聞こうと思ってたんだよねー」

「ずーっと寄り添ってるんだもんねぇ、生半可なごまかしは効かないわよ、クー君?」

 

 それに、ルプトナとヤツィータが興味津々に呼応する。残りのメンバーも同意見らしく彼らを見た。

 一斉に自分に視線が集まった事を感じた彼女は決意したように立ち上がり、長い法衣の裾をちょんと摘んで少し持ち上げた、良家の令嬢のようなお辞儀を行う。

 

「皆様におかれましては、御機嫌麗しゅう。私は『天つ空風のアキ』と共に徃きる者……永遠神銃【真如】が化身、アイオネアと申します。若輩者ですが、何卒宜しくお願い致します」

 

 涼やかで透明な、風鈴の音色の様に良く通るソプラノの言霊。普段のオドオドした感じが消え、静謐の優雅さと清廉な気品を纏う。

 『劫初海の媛君(フロイライン=アイオネア)』の渾名に違わぬ、実に堂に入った所作。心なしか、部屋にマイナスイオンが発生した気すらする。

 

「昨日はアイちゃん、夜遅くまで練習してたんだよ。あたしたちの大切な家族だから、粗相があっちゃいけないって」

「そうか……全く、そんな事を気にする奴らでも無いのにな」

「そういうのとは違うの。お兄ちゃんったら、女心を解ってないんだから……」

 

 そんな様子を見ながら、アキへとユーフォリアは種明かしをする。随分と頑張っているのだろう、品の佳い所作とは対照的に、頭から湯気を吹きそうな程に赤かった。

 

「これはどうも、ご丁寧に。私はカティマ=アイギアス。永遠神剣第六位【心神】のカティマと申します」

「うむ、礼を尽くされたのならば礼を以って応えねばな。わらわはナーヤ=トトカ・ナナフィ。永遠神剣第六位【無垢】のナーヤじゃ。宜しくのぅ」

 

 そしてこちらも、流石は姫君と大統領。他の皆が呆気に取られる中で、あっさりとお辞儀を返す。それに続き、すっと差し出されたカティマの掌。アイは直ぐに握手を求められている事に気付いて手を伸ばして握りあう。

 

「へぇ、いい子じゃんか。次はボク! ボクはルプトナ、永遠神剣第六位【揺籃】のルプトナっていうんだ」

 

 次に手を伸ばしたのはルプトナ、その手はがっしりと握手する。

 

「じゃあ次、俺は世刻望だ。永遠神剣第五位【黎明】のノゾム。宜しくな、アイオネア」

「そして吾は【黎明】が守護神獣レーメだ、宜しく頼むぞ」

「はい、こちらこそお願いしますノゾムさん、レーメさん」

 

 続く望、その手がしっかりと触れ合った。

 

 そうして全員との挨拶を終える。どうやら、皆に『家族』として認められたようだ。

 

「……にしても、永遠神銃って実在してたんだね。ボクってばずっと空の妄想の産物だとばかり思ってたよ」

「放っとけ、莫迦野郎。しかも案外的を得てる。ある意味じゃ妄想の産物だしな……」

「ところで、『化身』とはなんでしょうか? 我々の神獣とは違うのですか?」

「『化身』については、私が説明致しましょう。化身とは神剣そのものが別のカタチをとるモノの事です。因みに、ナルカナ様も化身にあらせられます……」

 

 カティマの言葉に、環が応える。その声は、溢れんばかりの畏怖を湛えたもの。人知を越えた存在に対する驚異を唄う。

 

「神代に謳われる伝承……素戔嗚尊(スサノオノミコト)が討ちし八岐大蛇(ヤマタノオロチ)から現れ、倭建命(ヤマトタケルノミコト)が振るいし神剣『天叢雲剣(アメノムラクモノツルギ)』)…それこそ第一位永遠神剣【叢雲】にして、ナルカナ様なのです」

 

 驚いたのは皆同じ。しかし、特に驚いたのは元々の世界……日本出身の者達だろう。まさか、自分達の国の伝承にそんな真実が隠されていたとは思いも寄るまい。

 

「……そのナルカナなら、希美を元に戻す方法を知ってるのかも知れないんですよね。どうしたら会えるんですか」

 

 決然と声を上げたのは、望。環を見詰めて応えを待つ。

 

「……そのナルカナから、お前らに試練が課されてるんだよ」

「試練って……?」

「弱い奴らに興味は無いんだとよ。あの自己中(ナル)神剣」

 

 だが、応えたのはアキ。心底面倒臭そうに耳をほじりながら、正座していた脚を崩し片膝を立てる。尚、自分が上手い事を言っていた事を知るのは、もう少し後の事。

 

「解った……それで、試練の内容は何なんだ?」

「なに、簡単な事だよ。お前が、ナルカナが指定した相手に勝てばそれで良い」

 

 案外あっさりとした内容に、旅団は拍子抜けしたような顔を見せた。だからこそ、何でもないと言わんばかりに。アキもあっさりと告げる。

 

「用意しろ、望。相手は俺だ。殺す気で行くからよ、お前らも殺す気で掛かって来い」

「……は? 何言ってんだよ、空! どうして『家族』同士で戦わなきゃいけないんだよ!」

 

 『意味が解らない』と、望はアキに詰め寄ろうとする。

 その望が彼に辿り着くよりも早く空間に波紋を刻み、神銃形態へと回帰したライフル剣銃【真如】をスピンローディングして――その澄み渡る瑠璃(ラピス=ラズリ)の波紋の刃紋が刻まれ続ける鞘刃と、旋条(ライフリング)の刻まれた銃口を衝き付けた。

 

「……こんな機会はもう二度と無いだろうから、だ。望……俺はな……」

 

 立ち止まった望と……その彼の背後の旅団員達に向けて、彼は高らかに宣言する。

 自分が本気だという証明の為に、心の底から――時深が思わず、昔、敵対した『あるエターナル達』を思い出してしまう程に。暴力と謀略への歓喜に満ちた『笑顔』を浮かべて。

 

「……俺はずっと……ずっと、お前と闘ってみたかった。何も考えずに、真剣勝負でな!」

 

 それは、純粋な義侠客(オトコ)としての壱志(イジ)だ。情けない話だが、自分の想い人に想われている男への当て擦り。

 今までは決して敵わなかったその相手へと太刀(たち)向かえるだけのチカラを得たのならば――己を試したくなるのは必然だろう。

 

「……安心しろ、どっちが勝っても希美は助けてくれるんだってよ。刻限は正午、場所はあの桟橋だ。待ってるぜ」

 

 言うだけ言って、【真如】を肩に担いで歩き出す。準備の為に動き出した出雲の面々に取り残されたように、望や旅団の面々は立ち尽くしていた……。



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再会と 戦いと Ⅱ

 時は午前十時過ぎ。物部学園の屋上で、望は出雲の山並みを眺めていた。

 当然、悩んでいるのだ。これから待つ戦闘に。枯れた世界では親友の絶と闘って何とか取り戻した。そして今回は幼馴染みか、と。

 

「ノゾム、あと二時間で刻限だぞ……どうするのだ?」

「…………」

 

 少し高くなった朝日が、彼と彼の傍らから離れない希美……ファイムを照らしている。

 彼とて、解っている。希美を救う為にはそれしか無いと。それに、今回は絶の時とは違う。アキが手を抜く事も考えられる……。

 

「……それは、無いだろう。ノゾムとて解っておるだろう、あの天パは自分の言葉は絶対に曲げぬ奴だぞ。間違いなく、本気で来る」

「……だよな、やっぱり」

 

 そして直ぐに、そんな甘い考えを捨てた。レーメの言う通り、彼が知っているその男は有言実行型。口にした事は壱志に掛けて守る。

 

 ならば、自分が手を抜いて負ければ良いのだろうか、と。そんな事を考え、深い溜息を落として。望が頭を掻き毟る。その時、屋上の扉が開いた。

 

「はふぅ……望さんに希美ちゃん。こんなところに居たんですか」

「ユーフィー、どうしたんだ?」

 

 出て来たのは戦闘装束のユーフォリア。随分と捜していたらしく、肩で息をしている。

 

「お願いします、望さん! お兄ちゃんと本気で闘ってください!」

 

 だが、息を整えるのもそこそこに彼女は望の前まで行くと――ばっと頭を下げた。

 

「お兄ちゃんは、きっと……自分が許せないんです。皆が大変な時に何も出来なかったから……」

「そんなの……空もユーフィーも、この世界で大変だったんだろ?」

 

 望の言葉に、彼女はふるふると頚を振る。顔を上げれば――泣き出しそうになっていた。

 

「……それは問題じゃないんです。お兄ちゃんは、『家族』が全てだから……その家族に危害が加えられたのに、何も出来なかった……居合わせる事も出来なかった自分が悔しくて……だから……また笑って……」

 

 先程、アキが見せた挑戦的な笑顔。その真意を恐らくただ一人、読み違えずに解した為に。

 そうでなければ、彼が笑いながら行動をする事はない。

 

「だから、全力で倒してあげてください。お兄ちゃんがあんな悲しい笑顔をしないで良いように。全力のお兄ちゃんを、全力で……!」

「……いい子だな、ユーフィーは」

 

 そんな少女の頭を撫でながら、望は希美を見る。彼よりなついている相手を、自分から『倒してくれ』等と言った、彼女の勇気を汲んで――両手で己の頬をパシンと張った。

 

「――任せろ、ユーフィー。俺は……空と全力で闘う!」

「ぐすっ……はい……!」

 

 そしてビシリと向けられたサムズアップ。それに、ユーフォリアもサムズアップを返した。

 

 

………………

…………

……

 

 

 奥の院側の桟橋の欄干に腰掛け、街に降りた際に買い溜めして湖で冷やした缶珈琲を啜りながらアキはその男を待っていた。

 

 聖外套は既に脱ぎ去って腰に巻いてあり、肩部分に追加された蛇腹の装甲が草刷のように太股を守っている。

 露になっている装備は、今まで通り聖銀(ミスリル)の軽鎧装に紺のアオザイ風の武術服。肩には永遠神銃【真如】を担ぎ、腰は――聖外套で隠されており、装備は窺い知れない。

 

【兄さま……本当に宜しいのですか?】

(良いも悪いも、もう引き返せやしないさ。一度決めたら真っ直ぐ貫く、それが俺だろう?)

 

 肩に掛けられた【真如】は、風に(さざめ)き燦ざめく湖面と同じ。蒼滄き波紋の刃紋を刻みながら、穏やかに陽射しを照り返す。

 

(それに、嬉しいのさ。この状況で不謹慎だけど……俺は)

 

 アキは飲み終えた缶を握り潰す。因みにスチール缶、補助は受けずに握力で。そしてそれを、根源素にまで分解した。

 

「……待たせたな、空」

「いや、待つのは得意技だ」

 

 橋の向こう側、そこに旅団の皆と共に立つ望を見据えて降り立つ。橋の両端に立つ望とアキ。手にはそれぞれ、双子剣を纏めた大剣【黎明】とライフル剣銃【真如】が握られている。

 

「……もしかしたら、来ないかもしれないと思ってたぜ。お前はこういうの、迷うからな」

「……迷ったさ。俺はお前みたいに割り切るのは得意じゃ無いからな……でも、助けたい『家族』が居る」

 

 ゆっくり歩み寄ると空いた拳同士を打ち合わせ、他の者に聞き取れないくらい小さな声で話し合う。

 

「勝負は一回こっきり、仕切直しは無しだ。どっちかがブッ倒れるまでの時間無制限デスマッチ……アイツの好きそうな内容だぜ」

「……そんなにとんでもないのか、ナルカナって。いや、確かに俺の夢の中でも結構アレだったけど」

「とんでもないで済みゃあ可愛いもんさ。ああ言うのはな、鬼神って言うんだ」

 

 げんなりしながら告げたアキに、望は苦笑する。軋む橋板に、吹き抜ける涼風と雲一ツ無い、日輪の座す蒼穹。二人は一瞬だけ揃って笑い――

 

「行くぞ……速攻で、一気に倒す――インスパイア!」

「ハ……速さでこの俺に勝つ気か――トラスケード!」

 

 鼓舞のオーラと激励のオーラ。進む道標の光と背を押す追風が、空間を埋めて輝く。

 

「「――――ハァァァァァッ!!!!!」」

 

 その大いなる加護を受けて、全く同時に斬り上げと斬り下ろし――完璧に対称的な『オーラフォトンブレード』と『ダークフォトンブレード』で斬り結んだ――!

 

 橋に掛かる、朱色に彩られた二ツの鳥居。その狭間の空間は決闘場。湖の中に潜る鳥居の四ツの脚には解読不能な文字が描かれた式紙が貼付けられ、周囲に被害が及ばぬように視界以外を隔離している。

 

 攻防は一進一退、【黎明】を二本に分離させて二刀流に戻った望の『デュアルエッジ』を、アキは腕に纏う『威霊の錬成具』で弾く。そして零距離で反物質弾『ダークフォトンショット』を連射すれば、精霊光を固定した『オーラシールド』と双子剣を使って望は防ぎ斬った。

 

「――ッ……!」

 

 瞬間、アキの身を光が縛す。拘束のオーラ『グラスプ』だ。

 それは身体に限らず、状態そのものを縛すマナの鎖。これに捕らわれてしまえば、抵抗する思考そのものをも(とざ)されてしまう。

 

「真っ直ぐに、貫く!」

 

 少し離れたその距離を、【黎明】の片方にオーラを集中させて衝き出す『オーバードライブ』により零にする。後はそれを、致命傷にならずとも戦闘不能となるだけのダメージを与えられる部位に抉り込むだけ――というところで、アキの周囲を立方体の黒光の薄壁が覆った。

 強壮無比な『絶対防御』を貫くこと叶わず、弾かれた【黎明】の刃が踊る。その強度に加えてオーラを中和する性質、直撃した鋒が僅かに欠けて壁に蜘蛛の巣状にヒビが走った程の、威力と強度の鬩ぎ合いだった。

 

「――チッ……!」

 

 そこで、虚空から降り注いだ銃弾五発に望は後退を余儀無くされた。

 

「……流石に、お前相手に小細工はそうそう上手くは運ばないか」

「たりめーだろ、小細工は俺の専売特許だ。この『透禍(スルー)』の特性がある限り、俺はあらゆる『()()()()()()()』んだよ」

 

 思考すら不可能な筈の拘束の中、アキは何でもなさそうに嘯く。

 その頭上には虚空に波紋を刻みながら、銃身のみを突き出した五挺の拳銃。透徹城から中途に引き出した形のそれらは、まさに砲座だ。

 

 『透禍(スルー)』、それこそが『天つ空風のアキ』の持つ特性だ。『対象になれない』とは則ち、無効化ですらなく『選択自体が不可』という事。ならば、いくら拘束のオーラでも『()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「何より我が名は『天つ空風』……風は何物にも捕らわれず、決して立ち止まらない。言うなれば――『宇宙最自由(アンチェイン)』ってとこか」

 

 そして結界が収束し、首から下を完全に覆う全身鎧(フルプレート)と化した。それにより、『グラスプ』の肉体への束縛も効果を中和されて消える。

 そして、刹那等という時間すらも一足飛びに錬成具を纏う後ろ回し蹴り『レインランサー』が浴びせられる。これもまた、『透禍』の一部。『結果を出す為には、それに見合うだけの過程が必要』という縛りを『透禍』したというだけ。それだけにして、それ程の奇蹟。

 

 不可避にして必中の一撃。これが望以外の神剣士ならば、これで決着していても不思議ではない。しかし、望は体勢を崩すだけで済んだ。彼の守護神獣『天使レーメ』が、常に『オーラフォトンバリア』を張り続けていた為に。

 

「マナの一片まで、消し飛べ!」

 

 それにより無防備になった望へと流れるように、アキは追撃として錬成具を纏った拳による裂帛の一撃『裂空掌破』を叩き込んだ。

 吹き飛ばされた望だが、一本に合体させた【黎明】で直撃だけは防いでいる。

 

――次こそ勝つと……負ける度にそう誓い続けてきた。何度も何度も、そして俺は今……ここに立ってる。

 

 刹那、アキの眼前でレーメが練り上げた炸裂のマナの塊『ライトバースト』が炸裂――するよりも早く、収斂する闇の塊『シェイドコンバージ』が中和した。

 

「もっともっと強くなる為に……諦める為に定める限界なんざかなぐり捨てて、俺は此処に……漸く、この境地に辿り着いたんだ――ウォォォォォォォォォォォォ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」

 

 そして龍を思わせる咆哮と共に、纏っていたダークフォトンの錬成具を突き出した右の指先の一点に集束させて――黒曜石色の曼陀羅と変え、その全てを己の力とした。

 

「……ちんたら()んのは終いだ、望――全速全力で、叩き潰す!」

「――ック……!」

 

 それを望は、アキが爆発したかのように感じた。自らの頸木を無視する『限界突破』により、爆発的に高まった戦闘力。その覇気は、目前の望はおろか離れた位置にいる旅団の面々すら圧した程だ。

「……マナよ、我が求めに応じよ。浄化の輝光へと換わり、遍く穢れを撃ち祓え」

 

 足元に曼陀羅を展開したまま、スピンローディングで『(くう)』の起源弾を再装填された【真如】。

 その銃口に五属性の小さな魔法陣のスターマインと、大きなステンドグラスのバラ窓を思わせる精霊光が展開された。

 

「ええぃ、あの天パは底無しか! 次から次に莫大なマナを練り出しおって!」

 

 レーメが悪態をつくのも仕方ない。戦闘開始からずっと、彼は常に高密ダークフォトン製のプレートアーマーを纏っていた上に、常に【真如】の周囲で回転する円鋸のようなハイロゥにより発するオーラフォトンの風の刃を実体化させているのだ。その状態で高コストの神剣魔法を放とうとしている。

 一つ一つの技や特性は大した事は無い。だが、それらが重なり合う事で、覆す事の困難な状態を作り上げている。単独では脆弱な生命が支え合って、助け合うように。

 

「破壊神の力、なめるなよ……どうなっても知らねーぞ!」

 

望は【黎明】を大きく振り上げ、かつての彼の……破壊神ジルオルの力を纏う。高密度に圧縮された破壊の力が解放の時を待つ。

 

「――オーラフォトンクェーサァァァッ!」

「――カタストロフィ!」

 

 螺旋を描き飛翔する蒼茫の光と、地を割り砕きながら走る斬戟。

 丁度中間点でぶつかったその一撃は、壮絶な衝撃波を発生させ相殺した。

 

………………

…………

……

 

 

 金斬り音や風斬り音を響かせながら斬り結ぶ望とアキの様子を眺めつつ、時深は憂鬱そうに溜息をつく。隣に控えている綺羅も目を閉じ、彼女を慮り静かに決着を待つ。

 

「時深さん、まだ……お兄ちゃんの事を信じて貰えないんですか?」

「信じる信じないの問題では無いんですよ。私には『()える』んですから……」

 

 その逆隣に位置していたユーフォリアは、時深のそんな様子に悲しげな表情を見せた。

 

「今でも、私の視る未来ではロウ=エターナルの一翼を担っています。彼自体は、その特性故に見えませんけどね」

「……っ」

 

 それは、彼女にとっても反論の出来ない証拠だ。この巫女が視る未来は、限りなく真実である。

 

「ユーフォリア、貴女には解りますか?『無から有を産む』という、彼の剣の恐ろしさが」

「アイちゃんの……恐ろしさ?」

 

 問い返す巫女に、ユーフォリアは頚を傾げる。彼女達の尺度……外のエターナル達は、恐るべき能力を持つ者ばかりだ。

 

 『空間を斬る』や『時間を操る』程度では最早特技とすらも言えず、『触れたモノを分解する』とか『睨むだけで対象を分解する』。『虚空に溶ける』、『生物の気力を奪い去る』、『消滅しても発生した瞬間に戻る』、『願いが叶う別世界を生み出す』。

 果ては『神剣を抜く事すらなく、ただの武器でそんなエターナル達を返り討ちにする』少年や『ふと思っただけで宇宙一ツを滅ぼす』少女まで居る別次元の尺度だ。

 

「解らないようですね。では問いを替えましょう……私達エターナルは、外部宇宙から時間樹に入る時にどうなりますか?」

「その時間樹のマナの総量による制限を受けますよね……でもそれが一体……あ」

 

 そこで漸く思い至る。そう、制限を受けるのだ。彼女達エターナルは時間樹に入る際にマナの総量の制限を受けて実力を削られる。

 だが、彼は……『無から有を産む』その力を持って消耗を補填し、どんな世界でも無制限で実力を100%発揮出来る。

 

「更に言うのなら、もしも仲間にそれを分配出来たら? 脅威以外の何者でもないでしょう。そんな彼を、あの"法皇"が放っておく訳もありません」

 

 マナの総量を自在に変える権利を持つ神剣は、今まで一振りだけ。ロウ=エターナルが回帰しようとするモノ……神剣宇宙が誕生する前から既に存在していたという、始まりの壱振り『原初永遠神剣』のみだった。

 それと同義の力を有するのだ。ロウ=サイドにすれば、喉から手が出る程に欲しいだろう。

 

「でも……でもっ! だったらあたしや時深さんでカオスに導けばいいじゃないですか!」

 

 衝撃波による大気のうねりを斬り裂いて、彼女は声を上げる。幼いが故に、真っ直ぐな台詞を。

 

「……幾ら可能性を閉ざそうとしても無駄でした。あの子が手にしたのは、無限を超越する程に莫大な可能性を斬り拓く神の柄です。己の道を真っ直ぐ……天空を駆け抜ける風のように進むだけなんだから……」

「…………」

 

 時深の言葉に【悠久】を握り締め、彼女は俯く。任務の意味を漸く悟り、その余りに重大な責任に。そしてまた、自分が父親の反対を押し切って受けた任務も……重大な責任を有するモノだった事に。

 

「時深さんが諦めてても、あたしは絶対に諦めません。掛け替えの無い"家族"を……ロウ=エターナルになんか渡さない……!」

「……ユーフォリア……」

 

 しかし、決然たる意志を持って。迷いなど無くユーフォリアは言い切った。

 そんな彼女に、時深は嬉しそうな哀しそうな。両方とも取れる笑顔……あの弔夜の満月の下で、アキが見せたモノと同じ笑顔を見せた。

 

 

………………

…………

……

 

 

 錬成具の上半身部分を砕かれて、片膝を衝き喀血したアキ。しかし唾を吐くと直ぐ立ち上がり、何でも無かったように【真如】を肩に担ぐ。

 

「……やっぱりお前は強ェな、望」

「お前こそ……本当に強くなってるな。手に入れたのは、最近だって聞いてたのに」

 

 同じく片膝を衝いていた状態から立ち上がり、『裂空掌破』で【黎明】を『透禍』して内臓に受けたダメージから零れた血を拭った望も【黎明】を肩に担ぎ、乱れた息を整えた。

 

――良く言いやがるぜ、これでも俺は永遠存在だぞ……マジで最弱なエターナルだな、俺って……。

 

 自虐的なな思考に沈む頭を振り、空っぽにする。その雰囲気の変化に周囲も決着の時を悟る。

 

「さて、それじゃあ……ラストワンと行こうぜ。全力で、な!」

 

 【真如】の鞘刃が、蛍火の燐光を纏う。かつて難死の神剣【幽冥】と『空隙のスールード』を屠った否定光、水平を断つ無限光の一撃……破綻の一撃『ゼロ・ディバイド』の構え。

 

「解った……全力だ!」

 

 対し、【黎明】も金色のオーラを纏う。かつて絶を蝕んでいた滅びの神名を断ち切った、垂直を断つ浄戒の一撃『ネームブレイカー』の構え。

 

「「…………」」

 

 そのまま睨み合う。構えは鏡写しだが剣閃は横と縦。振るわれればぶつかる事無く、互いを斬り裂くだろう。

 

 静まり返る奥の院。その湖の浅瀬に、(つがい)だろうか。二羽の鶺鴒(セキレイ)が遊んでいる。

 その二羽が飛び立った、瞬間――

 

「「――ハァァァァァッ!!!!!!!!!」」

 

 二人は橋板を蹴って、滄い煌めきの刄と金色の煌めきの刄……互いの必殺を篭めた、全身全霊の一撃をぶつけ合った――――!

 

 

………………

…………

……

 

 

 巨大な樹の幹に貫かれた中央島『ゼファイアス』と複数の浮島を持つ中心世界『理想幹』に彼等は立っていた。

 眼下には黒い靄のように拡がる、漆黒の光。流出こそ止めたが、既に漏れ出したモノはどうしようもない。

 

「……ふむ……エトルよ。奴らを撤退させたのは良いが、漏れた全てのナルを回収するのは骨が折れる」

「確かにのぅ……しかしエデガよ、方法ならば有るとも」

 

 理想幹枝人エデガ=エンプルは、相方であるエトル=ガバナへ問い掛ける。マナ存在にはナルは猛毒と言っていい、生半可な方法では回収不可能だ。

 だが、エトルはニタリと笑って指を鳴らす。彼の神剣……魔法具型の【栄耀】が光を放ち、空間に門を開く。

 

「その為に――南天の亡霊どもを躍らせておったのだからな」

「成る程……馬鹿と鋏は使いようだな。それにコレはコレで別の使い方も有る……」

 

 その彼方から現れたモノにエデガもこれからの作戦を覚ったらしく、錫杖型神剣【伝承】を鳴らして笑った……。

 

 

………………

…………

……

 

 

 ……久々に、夢を見ている事に気付く。背中に感じる温もり。幼い日の憧憬。花畑の中で出逢った、初恋の相手。

 

『えへへ……あたし、あっくんだ~いすき♪』

『ううううるせぇっ! てやんでぇ、おんながかるがるしくそんなこといってんじゃねぇやい!』

 

 面と向かって……いや、背中越しにだが……の大好き宣言に、照れに照れてどこかの時代劇で聞いた台詞を口走る。耳まで真っ赤に染めて。

 

『――おーい、何処だユーフィィィィィ!』

『…………ひっ!』

 

 と、遠くから響く声……そして森の木々を吹き飛ばす爆発音。段々と近づいてくるそれに、幼い彼は本気で逃亡するかどうかを悩んだ。

 

『お前かァァァァァッ!』

 

 そして現れた――青い学生服にスニーカーの、白い陣羽織を纏って白い両刃剣を携えた青年。

 

『……ん、落ち着けユウト』

 

 その鬼気迫る表情に、幼い彼は本気で守り刀を抜こうとした程だった。その男性を、青紫の髪の、長柄の長剣と無垢なる六枚の翼を携えた白い装束の戦女神が押し止めた。

 

『おとーさん、おかーさん!』

 

 その二人に向けて、背中の童女がピューッと走り出した。それに、男性の凄まじいまでの圧力も消え失せる。

 

『……大丈夫ですか、空?』

 

『と、ときみさん……』

 

 思わず泣きそうになりつつ、彼は見知った存在に向ける。則ち、育ての親である時深に。

 その時、両親と再開を喜んでいた童女が二人から離れた。それを何となく見遣っていた二人だったが――童女が童子に抱き付いたところで、正気に帰った。

 

『あたし、あっくんのおよめさんになる~!』

 

 と、爆弾発言を残して。

 

『た……』

 

 その、父親が――

 

『溜め無しノッヴァァァァァァァァァァ!』

『あべぇぇぇぇし!』

 

 少なくとも、童子がトラウマとして記憶から消してしまう程の一撃を発したのだった。

 

………………

…………

……

 

 

 自分の髪を撫でる優しい指先と、後頭部には柔らかく温かな感覚。その感覚に彼の意識はゆっくりと、失神の深みから浮上した。

 瞼を開くが、視界は真っ暗。額の上に冷たい手拭いが置かれているのだ。

 

「ユー……フィ……?」

 

 それを己の手で退ければ――逆光にシルエットとして浮かび上がる人物。

 

「お目覚めですか、巽さま」

「あ、お兄ちゃんが気付いたよ、アイちゃん」

 

 夢の余韻に霞む意識を醒まして、漸く奥の院の縁側でユーフォリアに膝枕されている事に気付いた。活動的な彼女らしく、張りのある太股。覗き込む綺羅の眼差しに気恥ずかしくなったアキは慌てて身を起こし――激痛に背を折った。

 

「兄さま、お加減は如何ですか? お辛いなら、アイテールを……」

「ああ……有難うな、アイ……」

 

 アイオネアの声に、落とした手拭いを取り身を起こす。心配そうに顔を覗き込んだアイが持つ聖盃には生命の靈氣。

 受け取り飲み干せば、疼く痛みが浄化されていく。

 

「……望達は?」

「皆と一緒にナルカナさんの所に。空さんの看病を頼むって……あと、『お帰り』だって」

 

 『そうか』と溜息をつくと、彼は昼空を見上げた。痛みは有るが、今の顔を二人に見せたくなかった為に。

 

――悔しさはない、寧ろすっきりした。けど……やっぱり情けねェ。また、アイツに負けちまったな……しかも今回も完膚無く。

 

 頭を掻く彼の剥き出しの、傷痕の走る背中をユーフォリアは優しく見詰める。まるで、手の掛かる弟を慈しむ姉のように。

 

「……お兄ちゃんは強いね。心も躯も……何より魂が。あたしだときっと、全力では戦えなかったと思う」

「……そうか? 自分じゃあちっとも実感無いけど」

「自覚ができる強さなんて幾らでも覆る、紙一重の差だもん。自分で気付けない強さこそ、真実の強さなんだから……」

 

 振り返れば、優しく微笑んでいるユーフォリア。姉のような笑顔に心を見透かされた気がした彼は、仏頂面になり視線をずらす。

 

「ここ一番で、負けちまう程度の強さだけどな。それにありゃあ、あのハーレム野郎に全世界の男を代表しての当て擦りだ」

 

 穏やかな昼下がりの縁側は絹雲のヴェールを纏った日輪から注ぐ、鄙びた陽射しにまどろんでいる。幸福な幻夢の中、その儚い刹那。色褪せた記憶の劫初、あの月神との出逢いの時のように。

 

「兄さま……今はお休み下さいませ。心静かに英気をお養い下さい」

「そうそう。次は希美ちゃんを元に戻して、沙月さんとサレスさんを取り返しに行くんだから」

 

、ローテーションでも組まれているのか。今度はアイオネアが、丈の長い法衣に包まれた、ほっそりと柔らかそうな膝枕を形作る。

 

「……そうだな。じゃあ……ちょっとだけ膝を借してくれ……」

 

 いつもの強がりすら出ない程、彼は心体魂全てが疲弊していた。遠慮無く彼女の膝を借り、手拭いをアイマスクの代わりとする。

眠気は既に最高潮だ、そこに――

 

「暖かく、清らかな……母なる再生の光……」

 

 ユーフォリアの子守唄が響く。子供扱いされているような複雑な気分になったが、押し寄せてくる眠気に逆らえない。

 くせ毛の良く引っ掛かる彼の髪を梳いた指先の温もりを感じたのを最後に、彼は再びその意識を安寧の光の先へと拡散していった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 学園の食堂、アキとユーフォリアにとっては久方振りのそこへと、旅団の一行と光をもたらすものの二人は作戦会議の為に集合した。

 

「今の理想幹はおそらく、脱出の際に手こずった強固な障壁に囲まれておろう。それは、サレスとの連携で内と外の同時攻撃で破るとして……問題はどうやってエトルとエデガを足止めし、かつログ領域の沙月を助け出すかじゃ」

 

 議長であるナーヤが皆の前に立ち、語る。議題は目前に迫る理想幹突入作戦の計画、その役割分担である。

 

「あの二人と戦うだけでも一苦労だろうな。なにせ奴らはジルオルすらも利用しきった智慧の権化、南北天戦争の勝者だ。そんな奴らにログなんていう破格の情報源、普通に戦ったらまず勝ち目なんて無い……」

「……確かにな、やる事なす事予測されてんだ。やりづらくて仕方なかったぜ」

 

 アキやソルラスカの言葉に頷きながら腕を組んで、紫の髪を靡かせて忌ま忌ましそうに呟く。その猫目が、期待を篭めて『ある人物』を見詰めた。

 

「そこで、じゃ!ならばログ領域に記録が少ない、ユーフォリアに指揮を任せようと思うのじゃ!」

「……ふぇ? ええぇぇぇえぇっ!?!」

 

 ビシッと指差されて注目を浴びたユーフォリア。余りにいきなりの事に平静を失って、電気に触れたように椅子から立ち上がる。

 

「そんな事言われても……あたし、経験無いですし……!」

「何、細かい指揮はわらわが執る。おぬしは大局を見極めて指針を示してくれるだけで良い」

「で、でもぉ~!」

 

 余程自信が無いのだろう、わたわたと混乱する彼女。その様子に、ナーヤは暫く考え込んで――

 

「あい解った。それならば取って置きの知恵者を、おぬしの補佐に付けようぞ」

「取って置きの知恵者?」

「そうじゃ。神世の古に於いて、幾多の神性を篭絡した神じゃぞ……のう、たつみよ」

「もういっぺん嵌めたろうかい、このネコマタは……」

 

 にんまりと笑った大統領、眼差しの先には――仏頂面のアキ。

 

「俺だって、奴らには嵌められたクチだぞ。チカラを求める余りにエトルに唆されて神名を刻んで……結局はジルオルに討たれたんだ。奴らのシナリオ通りに、な」

「それだからこそじゃろ? おぬしの巧妙だが読まれてしまう奸計と、ユーフォリアの稚拙でも既知に囚われぬ意外性……この二ツが組み合わされば、いかに奴らとて予測は困難じゃ」

「それって、ほとんど俺に皺寄せきてんだろ……」

 

 神世、彼等は自らは転生の為に……ジルオルの浄戒を受けぬ為に自ら消滅の道を選んだという。相剋という切り札が、ジルオルを完全に消滅させる事を知りつつ。

 アキの前世も結局、彼等には読み負けたのだ。

 

「なんじゃ、おぬしユーフォリアを見捨てるのか? ほれ、こんなにおぬしを頼りにしておるのに」

「うぅ、お兄ちゃ~ん……」

 

 ズイッと押し出され、四十センチ近い身長差からうるうると涙目で見上げる形になるユーフォリア。蒼い瞳は、如実に『助けて〜』と語り掛けてくる。

 普通の男ならば、直ぐに助けたくなる事請け合いだ。

 

「ん~、面倒くせぇな~」

「うぅ~っ! 空さんの意地悪~っ!」

「どこでサド心に火を点けておるのじゃ、おぬしは……」

 

 だが……ドSのアキに泣き落としは通じなかった。代わりにハァ、と溜息をつく。そして顔を上げれば――

 

「……了解了解。まぁ、俺もやられっぱなしは趣味じゃないんで――適当に完膚無く、二度と転生する気も起きないように絶望的な滅びをくれてやらねェと」

 

 口角を吊り上げた酷薄な、かつて『奸計の神』の二ツ名で暗躍した頃の冷笑を見せた。

 

「ふふ、今回ばかりは頼もしいの。二人とも、理想幹攻略の先鋒は任せるぞ。では、次は沙月の……」

 

 そうして、会議は夕方まで続いたのだった……

 

 

………………

…………

……

 

 

 

 夕焼けに包まれた学園の中庭。世界樹(トネリコ)の樹の根本へとレジャーシートを敷いたアキは、思考の海に沈んでいた。

 

 隣ではアイオネアが聖盃の靈氣をトネリコの樹に与えている。生命の源を受け取り、大樹やその周囲の草花は目に見えて息づく。

 それを喜ぶ姿はさながら北欧神話の、神すらも逃れられない運命を紡ぐという女神ノルンのように。

 

 樹の周囲には、根源力で創られた幾つもの武器が散乱する。しかしやはり銃は無い、どうしてもマナ嵐と化してしまうのだ。

 

――さて、考えろ。エトルは目的を完遂する事を、エデガは自身の主張を通す事を第一とする?

 どちらかと言えば、厄介なのはエトルだ。偶然性を徹底的に排除した、ゲームのように調律された戦術を組む。弾性に乏しいのが唯一の弱点だが、エデガがカバーする。何よりも、どちらもが第四位の神剣士だ。

 

 大樹に背を預けて星が瞬き始めた夕空を眺めて腕を組みつつ、左手の親指を眉間に当てた姿勢。思い出したのは望に負けた事だ。

 それより更にオリハルコンネームと神格、年季の差がある相手なのだ。やはり少しでも多い可能性を予め用意しておく必要が有ると、以前愛用していた五挺拳銃を完成させる決意を固める。

 

「なぁ、アイ……剣なんかは簡単に出来るんだけどさ、どうにも銃は上手くいかない。どう思う?」

「はい……恐らくは、アキ様の素質の為だと思います。アキ様はマナ操作能力、燃費効率は他のどなたよりも上です。ですけど、一度に行使できる総量が圧倒的に少ないんです……だから密度が希薄になり過ぎる事で、因果を固定出来ないんだと思います」

 

 要するに、自転車のギアに例えるなら一番小さい奴だ。少し漕げば大分進むが、その分だけ強く力を篭めて漕がなければならない。

 その分の筋力も有るが、持続するスタミナが無い状態らしい。

 

「……ですが、兄さまにはそれすら覆す可能性が眠っています。蒼茫の煌めき……エターナルが持つ創造のチカラ、生命昇華の起爆剤たる『生誕の起火(おこしび)』が」

「『生誕の起火』?」

 

 思わず腐り掛けた彼の耳に、彼女の優しい言葉が響く。始めて聞くフレーズに、彼は首を傾げた。

 

「それは遍く可能性の揺り篭です。時間樹を生み出す事すら可能な、万世万化の源……」

 

 彼女はその力を持つ主を誇るように、静かに詩唄う。

 

「……アキ様の力とわたしの力、そして『(くう)』を練れば、一度に莫大なマナを創造して行使出来ます。この世界に新たな因果を生み出せるんです」

「新たな、因果か……」

 

 立ち上がり、徒手の両手を交差し精神を統一する。その背中へと、アイオネアは恥じらいつつも寄り添った。それだけで本当に何でも出来る気になってしまう。

 

――部品は全て、記憶している。構造は厭と言う程に熟知してる。俺達には出来る、俺達に不可能なのは……不可能だけだ。

 

 それこそ、彼が積み上げてきたモノである。【幽冥】の、再製の能力に因りて創り上げた、贋物の神剣の整備で培った経験。

 そして、そんな彼を肯定する彼女。善も悪も認め受け入れながら、ただ『あるがままであれ』と説く、刧なる媛君。

 

 神や仏、天使や預言者は『悪』を認めない。それを認めながらその上で、『あるがままであれ』と、『己の願いに忠実であれ』と。名を付けられる前からずっと、世界に説いていた。

 その在り方を、未だに幻想が意味を持って生きていた頃の暗愚なる人々は――聡明にも『真性悪魔』と呼び、何よりも恐れた。

 

「――ッく!」

 

 双手に充ちるマナへと、己の深層に燈る蒼茫の煌めきを流し込んだ――瞬間に壮絶なまでのマナ密度が生じる。

 弾け飛びそうになる魂を遮二無二繋ぎ合わせ、イメージを『空』を構成要素として創造する。

 

「――我が喚び声に応え、来い! 【比翼】、【連理】ッ!」

 

 空間に波紋を刻んで召喚された、右の紅色のデザートイーグルと左の蒼色のコルトパイソン。間違えようも無い。彼が、かつて使用していたモノだ。

 それを虚空へ向けて投げ上げて、もう一度空拳となる。

 

「――続き、来たれ! 【天涯】、【地角】……【海内】ッ!」

 

 更に、左に白色のCZ−75と右に黒色のベレッタM92F。最後にパンッと勢いよく打ち鳴らした両掌から翠色のトーラス・レイジングブルを召喚した。

 

…純粋な精霊素により編まれて、確かな神格を持った『それら』。投げられて回転する『永遠神剣』は――比翼の紅鷲と比目の蒼錦蛇、閃白の白鳳と闇黒の黒龍、翠角の幽角獣……媛君の臣下達へと姿を替えた。

 

『ふぅ、アタイらも漸く呼ばれたかい』

『チンタラしやがって……無能な主だぜ』

『口を慎みなさい。どんなに無能でも、仮にも媛樣が選ばれたお方ですよ』

『ヌシが一番無礼だろう……すまんのう、御館様。悪気は無いのだがどうも見た目が三下なのでな……』

『どうでもいいよー。媛樣、膝枕してー』

「…………」

 

 口々に罵倒され、成功の喜びなど木っ端微塵に消え失せた。アイも慌てて、臣下を窘める金銀の視線を向けた。

 

「あ、居た……もう、空さんってば。今日はあたし達二人が食事当番なんだよ……って……」

 

 そこに駆け寄ったユーフォリア、少し怒り気味だったが五体の霊獣達の注目を浴び呆気に取られる。

 

「……ねぇ、お兄ちゃん。その神獣さん達は……?」

「ちょっとな……お前ら取り敢えず元に戻ってくれる?」

 

 と言った瞬間、『何でお前に命令されなきゃならないんだ』と魔眼の視線で訴えられ洗礼を受けた。

 危うく炎上したり凍結したり光に熔けたり闇に呑まれたり雷に蒸発したりしそうになったところを、【真如】の加護に救われる。

 

『……媛樣、これよりは我々も参戦いたします。どうか、存分にお役立て下さいませ』

「うん……頼りにしてるね」

『なんと、勿体ないお言葉です……我らが存在事由の全てに掛けて、お守りいたします!!』

 

 代表して、白鳳が臣下の礼を取る。同時に全ての霊獣が基の銃へと還った。

 

「……アイちゃんってお媛樣だったんだ」

「ううん、そんな事無いよ。皆が産まれた"眞月海(アタラクシア)"の滄海(ウミ)…の源流が、私だっただけだから…」

「十分凄いよ、アイちゃん!」

 

 むぎゅーっと抱き合う二人を尻目に、釈然としないモノを感じつつアキはそれらをホルスターに挿し込む。

 

「あ、空さん。ちゃんと片付けないと駄目だよ。それまで、御飯はお預けなんだから」

「マジか」

 

 そして明らかに部屋に納まらない被造物の数々を前に、アキは途方にくれたのだった……。



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風の後先 不帰の道

 ものべーが出雲の空に消えていく。奥の院の前で挨拶を済ませたが、ナルカナが何やら気に入らない事でもあったのか随分と揉めていて出発は実に三時間も遅れた。

 因みに彼女、理想幹攻略に力を貸してくれるそうだ。ナルカナ曰く、『がーっと理想幹に行ってだーっと細工すれば希美は元通り。ナルカナ嘘吐かない』だとか。今は相剋の破壊の意志をファイム本人の意志で抑えているらしい。

 

 なお、『詐欺だ』とツッコんだアキはケルト神話の銀の腕の王が持つという不敗の証たる光剣の銘を冠する一撃『クラウ・ソラス』によって吹き飛ばされている。

 

「…………」

 

 武術服に身を包み、黒い聖外套を羽織り剣銃【真如】を肩に掛けたアキ。いつも通り仏頂面の彼だが、今日は輪を掛けて不機嫌だ。

 そもそも、なぜ彼はものべーに乗っていないのか。何故、時深や環、綺羅、宮司の老人『鹿島信三』らの側にいるのか。

 

「…………」

 

 目を開いた先には巫女、倉橋時深。彼女も彼と同じく、無表情で目を伏せている。

 と、ほぼ同時に開かれた彼女の目としっかりと見詰め――否、睨み合った。

 

「お、お兄ちゃん……そろそろ『元々の世界』への門が開くよ」

「ああ……」

 

 そんなユーフォリアの声が掛からなければ、いつまでそうしていた事だろうか。『策戦』開始までの約三日の猶予に、一旦『元々の世界』に帰る事を選択した彼と、それに『付いていく』と言って聞かなかったユーフォリアは踵を返して歩き始める。そのアキの背中を、呼び止めた声。

 

「……巽様、忘れ物は御座いませんか?」

「いや――無い。何も」

 

 付き添いの綺羅の台詞。その言外に含んだ意味を読み取って尚、アキはそれを無視した。恐らくは、それが今生の別れと知って。

 彼とて気付いている。綺羅が自分に声を掛けたのは――彼女の主が、彼に声を掛ける口火を切る為だという事は。

 その思惑通り、時深は口を開く。

 

「――私が贈る言葉などただ一ツ、好きに歩きなさい。次に会う時は、私達は敵同士かもしれませんからね……天つ空風のアキ」

「時深様……」

 

 『それで全てだ』と。巫女は口を閉じる。綺羅も寂しそうに、目を伏せて口をつぐんだ。

 

「……では、これで」

 

 一ツ頭を下げて、また歩き出す。言われた通り、いや、彼の在り方として立ち止まる事は無く。その二ツ名の通りに。

 

「お兄ちゃん……本当に良いの?」

 

 その風を押し止めるように、右の袖を引いたユーフォリア。しかしアキは足を止めない。『天』と『地』の狭間、全ての存在を許すこの『空』の中で。

 納まるべき『鞘』を持たぬ、否、必要としない"生命"なる『刃』を携えた、立ち止まらぬ"風"として進む。

 

「良いも悪いも、それが『運命』なんだろ。言ったのはお前だぜ、時深さんには未来を視るチカラが有るって」

「それは、そうだけど……でも……こんなの悲しすぎるよ……」

 

 ほとんど、引きずるような歩き方。痛みから逃げるように、悲しみから目を逸らすように。自分でも卑怯だと解っていながら、彼女に責任を押し付けた。

 

「……お兄ちゃんにとって時深さんは、こんな別れ方で良い程にどうでもいい人なの? 長い間一緒に居た、大切な人じゃないの?!」

「…………ッ」

 

 歩みが、速度を落とす。たった一人の小柄な少女の重みが、彼の一歩を……歩みを止めないと誓った筈の壱志(イジ)を揺らがせる。

 

「あたし知ってるもん。時深さんがどれだけ、お兄ちゃんの事を大事に思ってるか。お兄ちゃんが時深さんの事をどれだけ誇りに思ってるか。そうじゃなきゃ、二人ともあんな顔して相手の事を口にしたりしないもん」

 

 アキの全て、弱さすら肯定して認めているアイオネアが『悪魔』であれば――彼の弱さを糾弾したユーフォリアは『天使』と言えるだろう。

 生きる事で抱く苦痛や懊悩から、優しくも『逃げてもいい』と説くモノが『悪魔』であれば、厳しくも『逃げずに立ち向かえ』と説くモノの総称こそ『神』や『天使』なのだ。

 

 真っ直ぐに見上げられて、アキは失敗を悟る。何時からか……ソルラスカやルプトナと親交を深めた辺りからやらなくなった、自分の殻に閉じ籠もるやり方を忘れてしまった事を。

 

「駄目だよ、逃げちゃ……お願い、太刀(たち)向かって。あたしの……あたしの好きなお兄ちゃんのままで、居てほしいの……」

 

 蒼く涙に煌めくその目は彼の弱さを責める。本人にその気は無くても、清廉な眼差しは『逃げるな』と如実に語る。

 

――……ハラワタが煮え繰り返る。好き放題に言いやがって、テメェ一体何様のつもりだ。お前なんかに……俺の何が判るんだ!

 

 その激情のままに。彼は【真如】を掴み、勢いよく――

 

「――忘れもんした、先に行ってろよ」

 

 それをユーフォリアに投げ渡して、今来た道を遡り始める。慌てて受けとった彼女……風の行方すらも曲げてみせたユーフォリアは。

 

「……うん、待ってるね……」

「行けっつってんだ、莫迦……」

 

 【悠久】と【真如】を抱きしめたままで、『巽空』を見送った。

 

 

………………

…………

……

 

 

 アキが踵を返した事には、直ぐに気が付いた。時深は向かって来る、いずれ敵となるだろう『相手』を迎える。

 

「……何か?」

 

 目の前で立ち止まった彼に警戒は絶やさない。彼女はアキの神剣が銃ではなく、"生命"だという事を知っている。あの銃はあくまでも、チカラの空器(ウツワ)だと。

 

「……迷惑だと思います。思い上がるな、って思われても仕方ありません。でも、言っておかないと……この先の永遠を後悔し続ける事になるから、言います」

「……はい?」

 

 その雰囲気にそぐわず、柄にも無く頬を真っ赤に染めて。アキは真っ直ぐに彼女を見詰める。

 

「……俺は貴女を……巽空は、倉橋時深を――」

「待っ、ままま、待ちなさい! 何?! 何なんですかっ、いきなりタ○チみたいな!?!」

 

 その真摯な琥珀色の眼差しに、流石の彼女も平静を失う。あわあわと胸元に手を当て、少し後ずさった。

 そんな彼女の肩に手を置いて逃げられないようにして、アキは――

 

「母親みたいに、思っています。本物の母親なんて知らないけど……今までも、そして、これからも……ずっと――……」

 

 ただただ、真摯に。生まれて初めての『告白』を行った。

 ぽかんと彼を見詰めた時深、少し離れた位置の環と信三。

 

「……はぁ」

 

 溜息を落としたのは、時深。スッと右手を持ち上げ――すこーん! と『時朔の扇』で彼の頭を打った。

 

「イッタ、何すんですか師匠!?」

「『何』はこっちの台詞ですよ。どうして『姉』くらい気の利いた事が言えないんです! 全く、図体ばかり大きくなって、人付き合いの初歩も知らない……そんな事だからモテないんですよっ! この唐変木!」

「イテテテ……すみません、師匠。生れついて、そういう才能は無いらしくて……」

 

 がーっと、腕を振り回して怒る。ポカポカと連打され、アキは頭を守りながら。

 

「それに……負け惜しみになりますけど、そういうのは別に良いです。俺は純愛派ですからね……」

 

 その触れ合いを懐かしむように、噛み締めるように笑う。その笑顔に時深は手を止めた。手を止めて――

 

「報われなくたって、結ばれなくたって。俺自身が選んで行動した結果で、愛する人が他の男とでも幸福になってくれたなら……そこに意味は在るんですから……」

「……呆れた……本当に変わってないんですね、貴方は……」

 

 そんな、何処かで見た事のある、諦めた笑顔を浮かべた彼に――ゴツンとゲンコツを落として。

 

「……優しい子ね。本当に、哀しいくらい……誰よりも優しい子……」

 

 幸福も愛も。何も知らない癖に、知ったかぶりで強がった少年を抱き寄せる。

 優しく、慈愛に満ちた眼差しで。ディッシュウォーターブロンドの癖毛の髪を、名残を惜しむように撫でて。

 

「……ただ、莫迦なだけです。俺ァ、時深さんみたいに強くて優しい大人になりたかった……」

 

 これより永遠を(けみ)しても、二度と出来ないであろう……最後の交わりを。

 

「歩み続けなさい。その優しさが続く限り、貴方は私の自慢の息子よ……」

 

 それが、最後となる。それを口にすれば全てが清算される。それを知りつつ、それでも彼は――己の歩みを止めない。

 

「行ってらっしゃい、空……」

 

 それが、最初で最後の親孝行だと判っているから……。

 

「……はい、行ってきます――……」

 

 卑屈さなど欠片も無い、生まれて初めて子供のように穏やかな笑顔を浮かべて。

 

「――――母さん……」

 

 万感の想いを篭めて……子供時代の自分に別れを告げる、その聖句を唱えた――……

 

 

………………

…………

……

 

 

 振り返る事も無く走り去った、『青年』の背中を見送って。時深は微笑んだ。

 

「……『蛙の子は蛙』、か。全く、馬鹿みたいに物分かりが良いんだから」

 

 思い返すのは、この以前の物語。この世界で生まれ、異世界に召喚されて永遠神剣を手に戦った少年……彼女の初恋の少年の姿。

 

 彼を、彼女は千年の間待ち続けた。千年間待ち続けて、結局……想いは届かなかった。

 彼女が想い続けた彼は、永遠神剣の因果律操作により送られた異世界の少女……『お伽話の世界(ファンタズマゴリア)』の『妖精(スピリット)』と恋に落ちて結ばれ、エターナルとなって――……子まで成した。

 

「……怨みますよ、ローガス……私にこんな思いをさせて……」

 

 きつく握り締めた拳から血が滴る。第一位神剣【運命】を携える、『全ての運命を知る少年』の二ツ名を持つ彼がこの結末を知らない訳が無い。

 知っていて、自分に役目を与えた。恐らくは……彼を『間違いなく』ロウ=エターナルとする為に。何故なら、これであの青年は揺るがない。ただ、自らを貫くのみ。

 

「……時深、頑張りましたね……」

「姉さん……私は……羨ましかったんです……もし、アセリアじゃなくて私が選ばれていたのなら、一体どんな子が生まれていたんだろうって……」

 

 その拳を環が優しく包む。それに……時深は声を震わせた。

 

「私はあの子を……そんな有り得もしない可能性の身代わりにしたんです。そしてあんなに、辛い運命を強いてしまった……」

「……良いんですよ。それだけ貴方は、あの子を大事に出来たんですから。彼は……立派な男性に育っていたではありませんか」

 

 姉から、子供のようにあやされて。彼女は天を見上げた。

 

 何処までも蒼一色の大空に悠揚と棚引く、一筋の白い飛行機雲に吹き抜ける一陣の風。そして――……高く飛び去っていく、小さな光。

 

「……私は……立派じゃなくていい。ただの人として生きて欲しかった。痛みや悲しみから逃げ出す人間に育ってくれれば……あんな運命を背負わずに済んだのに……本当に……変なところばかり、似てしまいました……」

 

 その姿は――日の光を浴びて金色に煌めいて見えた……。

 

 

………………

…………

……

 

 

 黒い聖外套を翻して、走り抜ける山道。足場は悪いが、戦いにより鍛え上げられた足腰が揺らぐ事は無い。

 

 やがて、駆け足から競歩、そして歩行になる。門はまだ先、ここで速度を落とす理由はない。だが、ここからでなければ我慢が効きそうになかった。

 

――行かなきゃ良かった。知らなきゃ良かった……こんな幸福なんて知ったら『滿(ミタ)』されちまう。俺は……『(カラ)』じゃなきゃいけないのに。

 

 軋む胸を押さえ付ける。今にも壊れそうな心を、泣き喚きそうな魂を宥めすかす。

 彼が目指すのは侠客(オトコ)だ、そうそう無様は出来ない。

 

――だから行けっつったんだよ……お陰で、泣く事も出来やしねェ……。

 

「……莫迦野郎、お前が……」

「……っ」

 

 木陰に隠れているその少女に、泣いている姿など見せられる筈もない。

 左手で取り上げるように【真如】を受け取り――背中に抱き着いた温かさ……涙ぐんだユーフォリアに、己の頭を掻いた。

 

「お前が……俺の痛みで泣く必要があるかよ、莫迦野郎……」

 

 恐らく【真如】を通して『見て』いたのだろう。神銃形態のままのアイオネアも、ただ黙している。

 

「……ごめんなさい……あたし……」

「……煩せぇ……何も言うな。優しい言葉なんて掛けやがったら……絶対に許さねェからな」

「ごめ……なさ……ごめんなさい」

 

 ぐすぐすと鼻を鳴らしながら頚を振る。鮮やかな蒼髪が、夜明前の瑠璃色の空のように煌めく。

 

「莫迦……感謝してんだ、これでもよ。お陰で……」

 

 外套越しに感じられる、温かさ。彼が壱志(イジ)を張るには、ただそれだけでも充分過ぎる。

 

「ここから、天つ空風のアキは……もう一度始まったんだからな……」

 

 そこが、彼の『第二の起源(ターニングポイント)』となる。人間"巽空"はここで終わり――『空位永遠存在(アイオーン)』"天つ空風のアキ"の始まりへと。

 

「……だから、そら。誕生日の祝福は笑ってやるもんだろうが」

「はふ、うにぃぃ~……?! あ、あにふるろぉ~~っ!」

 

 振り解き、やおら向き直ると彼女の両頬を引っ張った。無理矢理に笑顔を作らされた彼女は、当然、赤くなった頬を押さえながら彼を睨んで。

 

「――行くぞ、()()()()()、綺羅が待ってる。これ以上遅れたら、また怒られちまう」

 

 いつかと同じく、差し延べられた右掌。いつかと同じ疵だらけの、無骨な男の掌を見詰める。

 

「……うん」

 

 嬉しそうに掌を重ねた彼女。なぜなら……ただ一ツ、その表情が違う。後ろ姿だけでも判る、心底から気怠そうな面倒臭そうな……いつも通りの仏頂面だ。

 

「変わり続ける事……それが貴方にとっては変わらない事なんだよね……」

「あん、なにか言ったか?」

 

 それが彼女は嬉しい。哀しい笑顔ではなく、嬉しそうな仏頂面が。自分の手を引いて歩き行く、大柄な青年の大きな背中。

 今まで一度も、出逢った事の無い人種。真っ直ぐな捻くれ者。

 

「別に何も言ってないもん。それより急がないと」

「つァ、おい!?!」

 

 その筋肉質な右腕を華奢な両腕で抱き締めてユーフォリアは、天に響けと高らかに唄い上げる。

 

「【悠久】のユーフォリアの名に於いて求める。いくよゆーくん、全速前進っ!!!」

 

 投げ出し、サーフボードのように変型した【悠久】に乗って。更に『マナリンク』でアキと同調して、無限のプロペラントを得た。

 

「待て! 今まで黙ってたけど俺、実は案外絶叫マシーンは苦手で……うわぁぁぁぁぁぁっ!?!!?!!」

 

 暴走じみた加速によって、天高く舞い上がる。飛行機雲を棚引かせ、天を渡る風と共に碧空を斬り割いたのだった――……。



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第八章 元々の世界《東京都 物部市》 Ⅱ
法の護人 鋼の大地 Ⅰ


 立ち並ぶ摩天楼の一つ。一際高く豪奢な印象を与える高級ホテルの最上階、貸し切りの状態のラウンジで。まだ十代中程としか見えない、銀色の髪と藍玉(サファイア)の瞳の黒いドレスじみた装束少女が一人。

 メインディッシュを終えてナイフとフォークをマナー通りに置いて口を拭った彼女は、深紅の雫が注がれた細身のワイングラスを手慰みにする。

 

「やはり失敗したか、あの【幽冥】(なまくら)め。言われた通りに観客に徹しておれば良かったものを……血迷いおって、貴様如きにこの舞台の役者が務まろう筈もない」

 

 唾棄した後、その雫を艶やかな桜色の唇に流し込む。見た目は少女だが彼女もまた永遠存在(エターナル)、外見と内面は乖離している。

 発酵した葡萄と木樽の芳醇な香気に、刹那、弥栄なる大地を幻視した。

 

 そうして空となったグラスに、少女の神気に当てられたか、虚ろな瞳で控えていたウェイターが再び神雫(ワイン)を注ぐ。熟達の徒であるその手並みは、忘我の境地に在って尚、一滴すら跳ねさせる事はない。

 

「しかし……予想外の掘り出し物か。あの小僧め、まさかあれ程の逸材であったとは」

 

 次に注がれたのは、琥珀の発泡神雫(スパークリングワイン)。その色合いを矯めつ眇めつ見遣る藍玉の瞳が想起させられたのは、一度だけ交わった視線。

 

「……『生まれる事も出来なかった』分際で、我の予想を上回るとは――忌々しい」

 

 まるで子供を見るように自分を見下ろす、不届きな三白眼の琥珀色だった。

 

「――御食事中、失礼します」

 

 そこに、軽やかな少年の声。軽率にも熱を帯びた思考を断ち切り、彼女は――

 

「何用で参った」

「ふふ……酷いですよ、フォルロワ様。折角訪ねてきた部下に、そんな言い方をしなくても」

 

 視線を向ける事もなく、白い髪と装束に、白い片刃の片手剣を腰に佩した中性的な少年に問う。少年はそれになんら気分を害した様子もなく、彼女に笑いかけた。

 己の背後で少女に恐れを成したように萎縮している黒髪に黒衣の、やはり黒い片刃の片手剣を佩した同じ外見の少年を尻目に。

 

「だから言ったんですよ。あんな雑魚じゃなくて僕とガルバルスに任せてくださっていれば、上手く運んだのに」

「ふん……」

 

 少年の物言いに、彼女は不愉快そうにグラスを傾ける。記憶に残る、その男の印象ごと飲み干して。

 

「……態態此処まで来たのは、そのような無意味な事を言う為ではあるまい。もう一度だけ聞いてやる――」

 

 一瞬の内に、ラウンジの空気が凍り付く。少女が発した凄まじいまでの圧力に。

 

 

「――()()()()()()、“日向(ひゅうが)のヘリデアルツ”、ガルバルス」

「「――――ッッ!?」」

 

 元々怯えていた黒い少年は勿論、ケラケラと道化のように笑っていた白い少年すらも、畏怖に表情を変えた程だ。

 

「この時間樹に侵入した時に、幾つか同じ反応を感じました。恐らくイャガや……“法皇”達かと思い、報告に参上した次第です」

 

 流石に、本気で怒らせるつもりはないのだろう。ヘリデアルツと呼ばれた少年は恭しく礼を取って口を開いた。

 

「その程度の事は分かっている。エト・カ・リファが眠りに就き、その後を任された神々は烏合の衆……我が管理せねば、この時間樹は最早経ち行かぬのだからな」

 

 だが、少女に焦りなどの感情は無い。落ち着き払ったまま、自身の神気に意識を散じたままのウェイターへとチップを渡して立ち上がった。

 

「あの“法皇”達を敢えて見逃していたとは……流石ですね。流石は――」

「下らぬ、おべっかは止めろ。貴様らはまだ出る幕ではない、大人しく観客に徹しているがいい」

「――直々に動くのですか? 貴女が?」

 

 歩み去る少女に、少年は微笑む。珍しい事もあったものだ、と。

 しかし少女は、それにも足を止める事はない。少年達など、端から目に入れてもいない。

 

「あっはは……『機械仕掛けの神(デウス・エクス・マキナ)』同士の戦いですか、これは見物だね、ガルバルス♪」

「に、兄さん……早く帰ろう」

 

 弟に語りかけた白い少年だったが、黒い少年は更に蒼白な状態になっている。呼吸する事すら、辛そうだ。

 だが、白い少年はまたもヘラヘラ笑い――

 

「それとも――そんなに良い男なんですか、“天つ空風のアキ”って男は? よかったじゃないですか、今まで契約者を作らなくて。男ってやっぱり、初物が好きですからね。まぁ、今の貴女の姿で色仕掛けが効いたら、それはそれで問題――」

 

 巻き起こる漆黒の剣風が、ラウンジごとホテルの階層を両断する。崩れ落ちる瓦礫の雨が、遥か下層の舗装された道路に降り注いでいく。

 夜闇に閉ざされたラウンジの中、ただ一人立つ――漆黒の両刃大剣を無造作に持った少女。

 

『怖い怖い……それじゃあ、後は大人しく出番を待ってますよ』

 

 虚空に響く少年の声に、少女は『己の分身』を消した。そして実に残念そうに、巻き込まれて亡骸すらないこのラウンジの従業員の――。

 

「――多少は気に入った店だったのだがな」

 

 『質と味』だけを、心底悔やんで。

 まだ生きているエレベーターで下の階へと降りていった。



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法の護人 鋼の大地 Ⅱ

 人っ子一人いない、静かな天木神社の境内。玉砂利の上を雀がチュンチュン跳ね回り土鳩がクルッポーと囀りながら闊歩する、麗らかな昼下がりの空気――を切り裂いて、眩い光が満ち溢れた。

 驚いた雀と土鳩が羽ばたいた。それは、門。異なる次元と次元を繋ぐ軌跡。

 

「――とうちゃ~く!」

 

 と、一番始めに駆け出したのはユーフォリア。学園指定のセーラー服の短いスカートを翻らせながら、楽しげに鳥の羽とマナの残滓が煌めく中を駆け抜けた。

 

「ったく……鉄砲玉か、お前は」

「ひゃう、ゆーちゃんったら……」

 

 それに右手を引かれる形で続いて歩き出たのは学ラン姿のアキと、彼の左手に抱き付いている旧指定セーラー服のアイオネア。

 金褐色の癖毛を靡かせながら、気怠げに開いた琥珀色の慈しむような眼差しを向けるアキと、転びそうになり長いスカートをはためかせながらも満更でもなさそうなアイオネアだった。

 

「ユーフォリア様、人払いはしてありますが万が一と言う事もあります。エターナルとしての自覚と節度を持って下さいませ」

「てへ~」

 

 更に、白妙に緋袴の綺羅が苦言を呈しながら現れた。それにユーフォリアは、反省したようなしてないようなてへぺろを見せながら、アイオネアの両手を取ってくるくる回り始めた。本当に上機嫌らしい。

 

「ふふ……いいじゃない、わざわざはしゃいでる子に水を差さないでも」

「左様――子供ははしゃぐのが仕事だ」

 

 その後、現れたのは――学園に残っていた早苗の服を勝手に拝借したエヴォリアと、4Lでも筋肉でピッチピチのTシャツに黒短パンを穿いた某征服王ファッションの……覆面の代わりに帽子とマスクで顔を隠したベルバルザードだった。

 

「……ベルバ先輩、それはいくらなんでも」

「案ずるな……大事なときにはちゃんと『じゃーじ』とかいう奴を着る」

「ああ……アンタは体育教師役な訳ね……で、姉御は保健体育科専攻?」

「あら、よくわかってるじゃない? それにしても、あの無垢な二人――ふふ、本当に可愛らしいわ……誰かのものになる前に食べちゃいたいくらい」

「はう、なんだか急に寒気が……」

「…………(ぶるぶる)」

 

 と、軽口を叩き合う。少し前では、想像も出来なかった光景だ。

 そう、彼女達『光をもたらすもの』が旅団について行っては、魔法の世界で待つ学生達に混乱をあたえてしまうからだ。

 

「ここがお兄ちゃんの育った世界なんだ……ほんとにハイ・ペリアそっくり」

「俺からすると、そのハイ・ペリア……写しの世界の方がそっくりに思えるけどな」

 

――どちらが主観かの違いだ、仕方がないこと。なんでも、ユーフィーの父親は写しの世界出身らしい。

 その写しの世界の事を、ユーフィーの母親の世界『龍の大地(ファンタズマゴリア)』では『龍の爪痕(バルガ・ロアー)』の彼方にある『天国(ハイ・ペリア)』と呼んでいたんだとか。因みにお袋さんは大陸を制した『ラキオス王国』の『神剣妖精(スピリット)』部隊で『ラキオスの青い牙』と渾名された凄腕で、親父さんは異世界からの『来訪者(エトランジェ)』にしてその隊長だったそうだ。

 いやぁ……固有名詞ばっかで解りにくい。なんにしても、ユーフィーの強さはそんな両親の良いとこ取りって訳だ。サラブレッドって奴か……。

 

「何にしろ、少しは羽を伸ばせそうだな」

「そうね……積もる話も有ることだし。例えばクリフォードが居なくなった後の事とか」

「そうだな、例えばクリストフが居なくなった後の事とか」

「そうね、クリストファーが居なくなった後の事とか」

「そうですね、クリスさんが居なくなった後の事とか」

「そーだね、くりたんが居なくなった後の事とか」

「いやぁ、残念だなぁ。実は俺、アキと先約が――分かった、先ずは永遠神剣を仕舞ってくれ」

 

 次いで現れた、クリフォードとクリスト五姉妹。因みにミゥ達は通常の人間サイズ。つまり、普段の姿のままだ。

 だが、それはおかしい。彼女らは通常のマナ中では消耗してしまう、その為に今まで特殊なユニットに入って戦闘していた筈だ。それでは、今はなぜ外にいるのか。

 

――種は簡単だ、彼女達の首にかけてある透徹城に煌玉の世界のマナを産み出すマナコンバーターを備え付けただけ。出雲の技術を借りて、漸く完成にこぎ着けた。

 一度に使える量は制限を受けるが、これで彼女達は本来の姿で――神剣士として戦える。『空隙のスールード』に立ち向かった、『剣の巫女』として。衣装も、ボディスーツのようなものではなく昔着ていた衣装になっている。

 

「それでは、エヴォリア様方は天木神社を拠点に適当に過ごされるそうですが……空様達は如何されるのですか?」

 

 何の気なしに、綺羅はそう訊ねた。それに――

 

「ハッハッハ……実はな、俺には三ヶ月以上家賃を滞納してる部屋と無断欠勤してる職場があるんだ……だから今から、そこに頭下げにいくんだ……」

「「「「「……………………」」」」」

 

 ドロリと濁った死んだ魚みたいな目で、どんよりと覇気の無い声のアキが答えた。

 

――因みに、光をもたらすものの襲撃は出雲により『なかった』事にされたらしい。校舎は時深さんの力で『在る状態』にされ、あの漂流に巻き込まれた生徒は式紙で代用しているらしい。なので、他人と接触しても問題は起きない……と思う。

 

「それ……踏み倒した方が無難なんじゃない? 不可抗力でしょ、私達がやっておいてなんだけど」

「うるへぇやい、俺は不義理は大嫌ぇなんだ。どんな理由だろうが、約束破ったからには筋を通さなけりゃ気が済まねぇ」

「難儀な性分な事だ……」

 

 心底嫌そうに溜め息を吐きながら、彼は金褐色の癖毛を掻き毟る。エヴォリアやベルバルザードが呆れるのも仕方ない、生まれ持った気性なのだから、避けては通れない。

 恐らく、生きてきた中でも最も面倒で情けない戦いになるだろうとしても。

 

「――って訳だ、お前らもここで待ってろ」

「「ぶ~っ」」

 

 と、既に鳥居をくぐって石階段を降り始めていたユーフォリアとアイオネアの姿を見て、アキは更に一つ深い溜め息を吐いてからそれを押し留めたのだった。

 

 

………………

…………

……

 

 

「…………」

 

 ふう、と息を吐きながら、手荷物を手にした普段着のアキは慣れ親しんだ部屋に鍵をかける。嵩張るものは透徹城の中の無量広大なる『ディラックの海』に仕舞ってある、後はこの鍵を返せば立ち退きは完了だ。

 この三ヶ月を除いて家賃を滞納していなかった事、部屋を大事に使っていた甲斐もあり、敷金は戻ってきた。とはいえ、ボロが付く程の安アパート。雀の涙である。

 

「実はねぇ、巽くんが居なくなったら畳むつもりだったんだよ。このアパート……今どき流行らない、住人を子供扱いのお節介ばばあ。元々経営難だったんだけど、始めてアンタを見たとき、ああ、この子が私の最後の坊やなんだってね。そう思ったのさ」

 

 謝罪と礼に菓子折りを手渡した去り際、大家の老婆は深意の読めない笑顔でそう呟く。

 

「にしても本当、ちょっと見ない間に良い男になってまぁ。さっきの口上なんて、まるで清水の次郎長だよ。私らの時代じゃあ、最高の色男さね」

 

 七十年前の戦争で南方に出征する際に撮影したという白黒の、予科連に所属していたという若々しい夫の遺影が飾られた仏壇にそれを備えた老婆は、シワだらけの顔で笑った。

 

「…………」

 

 歩き出た日盛りの中、大家のポストに貰った敷金の入った封筒を投函する。一度大きく礼をした後、アキは迷わず一直線にアパートを後にした。

 

 敷地内に停めていた、大型二輪車。『未来の世界』で手に入れていたものだ。系列としてはアルティメットスポーツやスーパースポーツ、スズキの隼やカワサキのニンジャを思わせる鋭角で洗練されたデザイン。

 それに跨がり、フルフェイスのヘルメットを被る。そして懐からフィラデルフィア・デリンジャーを取り出してハンドル中央の同サイズの横向きの穴に挿入、捻って垂直にした後――トリガーを引いた。

 

 それにより、炉に火が入る。かつて、航空機などに使用されていた起動方式『ショットガン・スターター』だ。

 嘶いた鉄馬(バイク)(アクセル)を入れる。護謨(ゴム)(タイヤ)がアスファルトを捉え、風を切りながら速度を上げていく。

 

「あと一つ……か」

 

 そしてそう、急き立てる。一つ、人間だった頃の自分の繋がりが消えた事に……その体その物が消えたような喪失感を味わいながら。

 

 

………………

…………

……

 

 

 アキはある店の前に立っていた。たった――というにはあまりにも鮮烈な三ヶ月を駆け抜けた彼には、懐かしいと言えるその佇まい。

 それに、アキは呼吸を整えて――

 

「こっ――こんちゃーす!」

 

 精一杯、軽く声を掛けて暖簾を潜る。否、そんな物は無いが。

 そうして潜った入り口の先に、彼が三ヶ月前まで勤めていたダーツバーならぬシューティングバーがあった。

 

「すみません、店長(ボス)――ばわ!」

 

 と、頭をあげたアキの額に、軽い衝撃と赤い飛沫。

 

「全く……早く支度しな。もう開店時間だよ」

「う、ういっす!」

 

 いつものようにマテバをホルスターに納めた燻し銀に急かされ、慌ててスタッフルームに走り込んだのだった。

 

 

………………

…………

……

 

 

「ありがとうございましたー!」

 

 ギャルソン服に着替えて接客に当たっていたアキが、頭を下げた。まだ閉店時間には早いが、今のが最後の客だ。

 店長に指示された通り、表に『close』の看板を立てた。恐らく、早く閉めるのは欠勤理由を問う為だろう。

 

 そして、予想は的中。しかしまさか、本当の事が言える筈もなく『親戚の急病』等という在り来たりな答えを返した。

 

「そうだったのか……だったらそう連絡してくれればいいものを。どれだけ気をもんだか」

「すみません……」

「本当、従業員が逮捕とかマジ勘弁だから」

「って、保身の為かい!」

 

 等と巫山戯合いながらも、心配をかけてしまったのは言うまでもない。こんな時、本当の事を言えない己が身の不自由を呪う。

 

「…………ご迷惑をお掛けして、こんなことを言うのは烏滸がましいと思います。でも、ケジメを付けるには――」

 

 そして、その決定的な言葉を口にしようとして――。

 

「巽くん、前上げたデリンジャーは持ってるかな?」

「え――あ、はい」

 

 と、話を遮られてしまう。突然の事に、アキは思わずデリンジャーを差し出した。

 それを手に取った店長は、見た事も無い程に鋭い瞳でデリンジャーを検める。

 

「随分と使ったね、それに君も――随分と、殺したみたいだ」

「――――」

 

 驚きの余りか、倣いか。つい、アキは戦闘時の眼差しを店長に向けた。

 それを、店長は涼しげに受け止める。何でもないとでも、言わんばかりに。

 

「昔、フランスの外人部隊(エトランゼ)に居た頃に引き抜きにあってね。これでも優秀だったんだよ。多分、日本人じゃ初の事だったんじゃ無いかな……『出雲』と敵対する欧州の『光をもたらす者』の『クルセイダー』になったのは」

「『光をもたらすもの』って――じゃあ、店長はエヴォリアの配下……」

「エヴォリア……? さて、たぶん違う組織じゃないかな。僕は末端だったからリーダーの事は何も知らないんだけどね、何せ。まぁ、倉橋の戦巫女とその従者に負けて永遠神剣を失っても放っておかれてるくらいだし」

 

 言い、古傷なのだろう右足を引き摺って歩きながら、奥の部屋から古い写真を持ち出した。

 烏賊墨色(セピア)に色褪せた、荒涼とした沙漠の野営地に洋装の軍服の男達が数多く映ったその写真。中心には隊長らしき頽廃的で冷酷そうな雰囲気の……明らかに見覚えの在る顔をした、四四式騎兵銃と瀟洒な西洋刀剣(サーベル)を携えた中年の騎馬兵。角には、嘘か誠か『1950.6.18』の数字があった。

 

「第四位【面影(おもかげ)】を手にしていた影響か、普通の人間より時の流れが遅くてね……もう、とっくに三桁は突破してるんだけど」

「…………」

 

 『人に歴史あり』とはこの事か。巻き煙草を燻らせてスコッチを煽る、今のこの初老の男性からは全く持ってその雰囲気はない。

 しかし――嘘ではないと感じる己が其処には居た。この男性の一挙手一投足に籠る、残滓のような『殺人経験者』としての重厚さに。

 

「どうやら君も、神剣に魅入られた虜囚――かと思ってたけど、僕とは違うみたいだね。良い神剣に出会ったらしい、大事にしてあげるんだよ。砕けた後じゃあ、礼も言えない」

「店長……」

 

 祈るように呟かれた、酒と煙草……そして時に焼かれた低い声。

 

「――この銃は、旧日本軍時代に部下から贈られたんだ。敵の兵から鹵獲した物らしくてね。その部下も、前の戦争で死んだ。妻を残して……」

 

 苦い記憶を思い起こし、彼の表情が曇る。だが、それも少しの間。デリンジャーを投げ渡すと、にかりと笑った。

 

「死ぬな、空……死んだら敗けだ。どんなに汚かろうと惨めだろうと、生きている方が勝ちだ。僕の経験なんて、これから君が進む道の険しさに比べればたいした事はないけれど――せめて、無くしてばっかりだったこの死に損ないの戯言を忘れないでくれ」

「……はい、店長――有り難う御座います。薫陶、絶対に忘れません」

 

 だから、同じように。一番の得意技である『空元気』を張る。

 

「――今まで、本当に……お世話になりました!」

 

 最大級の感謝と共に、頭を下げたのだった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 すっかり夜の帳が降りた物部の町。その片隅の高台に位置する天木神社の一室に、行灯のものである橙色の灯が灯った。

 

「……ふぅ。それじゃあ、早速準備に取りかかるか」

 

 純和風な造りの客間で、アキは手頃な机の前で胡座をかく。そして精神を統一し、自らの『阿頼耶(アラヤ)識』に位置する藏識の性海(しょうかい)……『ディラックの海』を内包する透徹城の門を開く。

 虚空を揺らす波紋が、アキの両掌に現れる。其処から覗く拳銃のグリップを掴んで引き抜けば――次々に現れ出る、五挺の拳銃(媛君の忠臣達)

 

【おや、アタイらに用とは珍しいねぇ】

【呵々々、儂らに何用かな?】

【チッ……何が悲しくて、この俺っちがテメェなんぞに招聘されなきゃいけねぇんだよ】

【全くですわ、媛樣なら兎も角、こんな夜更けに貴方に呼び出されるワタクシ達の身にもなって御覧なさいませ】

【そうだよ、せめてむさ苦しい君以外に可愛い乙女くらい呼んどいてよ】

「相変わらず俺に対する配慮が一切無いな、お前らは……」

 

 口々に喧しい意志を投げ掛けてくるそれらを躱し、呟く。因みに、彼等の意中の媛君は、今頃風呂の最中だろう。

 そしてマーリンM336XLRをモチーフとした長剣銃(スウォードライフル)【是我】、最後にフィラデルフィア・デリンジャーと壊れたままのモスバーグ464SPXのバレルを取り出した。

 

「今のままじゃ、まだまだ手牌が足りねぇからな……強化(カスタム)させて貰うぜ」

 

 それを手に、根源力と共に呼び起こす『生誕の起火』で同化させる。見た目には今までのデリンジャーと違いはない。が、他の拳銃と同じく『永遠神銃(ヴァジュラ)』と化したそれはアキの意に沿って折り畳み式銃剣(バヨネット)装備の軍用大型機械式拳銃『ワルサーP38』から、通常はバレル下に装備する『M26 MASS』を上側に反転して装備した個人防衛火器『マグプルPDR』、近代的レバーアクションライフル『モスバーグ464 SPX』をモチーフとした黒地に赤の紋様が彫られた長剣銃へと変遷した後、また、暗殺用超小型拳銃にしてアパッチ・リボルバーの『アパッチ・デリンジャー』に還る。

 

【成る程……一理ありますわ。『備えあれば憂いなし』、ですわね】

【けっ……それも媛樣の為か。だが、テメェの好きにはさせねぇ。俺っちらの気に入らねぇものは付けさせねぇぜ】

 

 そんな臣下達の言葉を聞き流しながら、彼はデリンジャーに語りかける。

 

「……出てこいよ、居るのは分かってんだ」

【………………】

 

 と、湧き出るように現れた漆黒の塊。それは、何処かで見た形をしていて――

 

「アイの影、か――やっぱり、お前も臣下だったんだな」

 

 『喋る』という機能を持たないのか、『媛君の影武者(ドッペルゲンガー)』はグッとサムズアップして見せた。影武者らしくない影武者も居たものである。気さくにシェイクハンドで握手した後、融けるようにデリンジャーと一体化した。

 

「……さ、次はお前らだ。全く、長い夜になりそうだぜ」

 

 左腕をぐるりと回し、一つため息を吐いて、喧しい臣下達の注文を聞きながら。

 

 

………………

…………

……

 

 

「――失礼致します、綺羅です」

「ああ――開いてるぞ」

 

 障子の向こうに見えた犬耳のシルエットから掛かった声に、振り向かず答えた。やがて静かに障子が開き、閉じる。室内に、呼吸と鼓動が一人分増した。

 

「どうした、なにか用か?」

「いえ、その……随分と根を詰められているようなので、夜食をお持ちしました」

 

 言われて、初めて彼女を見やる。成る程、その手には盆に載せられた白い三角形……日本人の心である、お握りが三つと沢庵三枚、そして白湯(さゆ)

 

「つまらないものですが……不要でしたでしょうか」

「いや、有り難うな。そういえば、今日はまだ何も食ってなかった」

 

 いつの間にか過ぎていた数時間、休憩には良い頃合いだ。なので、ガンオイルで汚れた手を拭ってお握りを摘まみ上げる。

 

「あ、それはですね――んむっ!?」

「こらこら、文字通りのネタバレは無しだ。折角、綺羅が拵えてくれたんだから、楽しみを奪ってくれるなよ」

「……くぅ~ん」

 

 綺麗な三角形のそれをかじる前に、中の具材を喋ろうとした彼女の唇に人差し指を当てて制する。相も変わらず、そういう妙なところは某諜報員かぶれの気障(キザ)な男だった。

 それに彼女は頬を染めて恥ずかしげに俯き、嬉しそうに尻尾をゆらゆらと揺らした。

 

 【真如】との契約により、その身は人外。『輪廻龍(ウロボロス)』の特性により、浅黒く強靭な龍鱗の肉体は尋常の刃物や銃弾などでは傷一つ負わず、龍の爪牙と同義の錬磨され尽くした体術はマナ存在にとっても脅威と成り得る。

 そしてあらゆる幻想種の頂点に立つ琥珀色の龍の瞳は、見詰められた者から抗う意志を挫く妖魅を孕んでいる。

 

「――ん、梅干しか。酸っぱくて活力が湧いてくる」

「は、はい……良かったです、お気に召して……」

 

 胸を撫で下ろした犬耳の巫女。その健気さに、思わず胸に込み上げてくるものを感じる。常日頃、望のハーレム具合に鬱屈する学園男子の一人であり、更に最近はクリフォードと言う新たなハーレム野郎を迎えたばかりなのだ。自分を立ててくれる少女に愛着を感じないと言うことがあるだろうか。いや、ない。(反語)

 

――やっぱり、男を立てる淑女は良いなぁ……学園の女連中に見習って欲しいぜ。

 

 と、魔法の世界でフィロメーラを見て抱いたのと同じ、もしも聞かれたら一大事な感想を心の中で愚痴った。本当は抱き締めてしまいたいくらいだったが、それは流石にセクハラだ。

 お握り三つを平らげ、白湯を飲み干す。そして――真新しい煙草の封を切り一本を銜えた。禁煙とは、得てして失敗するものなのである。

 

「――フゥ……」

 

 オイルタンクライターで火を点し、紫煙を燻らせる。久しく感じるニコチンに、肺腑と脳味噌が喜んでいるような感覚を覚える。

 

「飯に煙草に良い女……後はこれで酒があれば完璧だったな」

「巽様は未成年でしょう……って、い、良い女というのは誰でしょうか……」

「堅い事言うなって、もう年なんて取れないんだからな……そして良い女は、(みな)まで言わせないもんだ」

 

 ククッ、と悪辣に笑いながら、『海』より精霊の世界で仕入れていた地酒と聖盃を取り出す。因みに『海』の中に入れた物は劣化しないので、腐る心配はない。まぁ、その分、寝かせる事も出来ないのだが。

 聖盃に酒を注いで、一息に煽る。度数の強い蒸留酒、喉が焼け五臓六腑に酒精(アルコール)が染み入る苦悦に、思わず唸る。

 

 障子を開け放ち、満月を望む。夜風を一頻り浴びてから腰を下ろして、机に向かう。その天板に並べた銃弾を一つずつ改め、不良品がないかチェックする為に。

 彼にとっての『武器』とは、『銃器』ではなく『銃弾』だ。念は入れ過ぎるくらいで丁度良い。

 

「お、お戯れはやめてください……本気にしてしまいます……」

「お世辞でもなんでもないって、本当にそう思ってるんだからな」

 

 側に腰を下ろして、なんだかんだ言いつつ酌をしてくれる綺羅。一瞬感じた、石鹸の香り。

 湯上がりらしく、しっとりと湿った白い髪が張り付く桜色に(いろ)付いたうなじ――と、平仮名で『きら』と書かれた赤い首輪。その鮮やかなコントラストに、目を奪われ――

 

「――って、首輪?」

 

 と、そこで正気に戻る。和装の彼女には似つかわしくない、赤いエナメルとシルバーの金具の光沢。間を置かず、それが自分がプレゼントした物だった事を思い出す。

 

「は、はい……あの、是非巽様に見ていただこうと思いまして……」

「あ、ああ……」

 

 誉めてほしい子犬チックな上目遣いに見詰められ、生返事を返す。なんと言うか、犯罪スレスレである。

 

――いや、そりゃあ超弩級に似合ってるさ。似合ってるけど……それを認めたら俺は何か、人として大事なものを無くしてしまう気がする。

 

 そう返事に困り、愛想笑いで誤魔化そうと試みた。

 

「……似合って……ませんか……やっぱり」

「んな訳無いだろ、似合ってる。似合いすぎて困ってる」

 

 と、悲しそうに呟かれては仕方ない。アキは凄い勢いで首肯しながら、思った通りを口にした。

 

『巽空 マインド-30』

 

――ん……? 今なんか視界の端に妙な文字がインサートしてきたような……いや、気のせいだな。なんか少し具合悪いけど、これも気のせいだ。

 

 ちょっとだけ人として大事なものを失ってしまったが、後悔はなかった。何故なら――

 

「くうぅ~~~ん……」

 

 照れに照れて真っ赤になった顔を隠すも、尻尾が揺れているので喜んでいる事が丸分かりな綺羅を見れたのだから。

 と、そこで彼女がやおら立ち上がった。止める暇もなく、機敏な身のこなしで障子のところまで移動し――

 

「こ、今夜は……これで戻ります。あまり根を詰められずに、ちゃんとお休みなさいませ――」

 

 もじもじと、恥じ入るように首輪の金具弄りながら――

 

「――ご主人様……」

 

 消え入りそうな声でそう呟いて、足早に去っていった。後に残されたのは、呆気に取られた男一人。

 

「…………生殺しだな、コリャ」

 

 完全に目が冴えたアキは、もて余す感情を『手駒』を整える作業を再開して昇華する以外に無い。

 結局、東の空が白むまで灯りが消える事はなかった。

 

 

………………

…………

……

 

 

「……ちゃん、お兄ちゃん、朝だよ~」

「……さま、兄さま……朝です……目を醒まされてください」

「う……うぅん……」

 

 ゆさゆさ、と。柔らかな朝の光の中で、優しく揺すられる感触。しかしそれは、明け方に床に着いたばかりの彼には些か……否、とても不快だった。

 なので、掛け蒲団を引き上げて丸まって嵐が過ぎ去るのを待つ。

 

「む~、お兄ちゃん! 早く起きてよ~! 折角、あたし達で朝ごはん作ったのに~」

「あ、あの、兄さま……キラさんが朝食の用意が出来ているって……」

「勘弁してくれ、妹達よ……兄さんは今さっき寝たばっかりなんだ……朝飯は後でチンして食うから、眠らせてくれ……」

 

 そんな、ダンゴムシみたいになったアキを叱咤しながら、ユーフォリアとアイオネアはその掛け蒲団を引き剥がそうとする。

 勿論抵抗するアキは、もうほとんど護身開眼の状態だ。詰まりは亀の甲羅状態である。

 

「あれだ、こんな日の二度寝は最高だぞ。他の人間共が齷齪働いてる中、惰眠を貪る……これぞ贅沢の極致、『時間の無駄遣い』だ」

「もう、馬鹿な事言ってないで……早く起きなさ~いっ!」

 

 と、遂に掛け蒲団を剥がされる。そして現れる――

 

「ほ~ら、おいでユーフィー、アイ……今なら腕枕をしてあげよう」

「ほえ……うぅ~」

「は、はぅ~……」

 

 ユーフォリアとアイオネアを誘うように、仰向けになり手を差し伸べたアキの姿。

 それはまるで、二匹の蝶を誘う性悪な食虫植物。一度捕まれば、二度と逃れられはしまい。

 

「うぅ~、でもぉ……綺羅ちゃんがぁ」

「そ、そうです……キラさんが」

 

 と、いきなりな悪魔の囁きに二人は戸惑い始める。

 その逡巡を好機と見て取ったアキは、駄目押しの一言を口にした。

 

「十分くらいなら大丈夫だって……それに、今回を逃したらもう二度としないかもしれないぞ~」

「「はぅ~~」」

 

 『二度と』の修飾詞がついた事で、妹二人は目に見えて慌て始めた。それもその筈、この男が『一度口にした事は必ず守る』男だと言う事を知っている。

 

「じ、じゃあ……ちょっとだけ。ちょっとだけなんだからね、お兄ちゃん」

「少しだけ……ですよ、兄さま……」

 

 と、如何にも仕方なさそうな事を言いながら左右に別れ、寄り添って寝そべる。筋肉質で、決して寝心地が良いとは言えないアキの腕枕に顔を綻ばせる。

 

「お兄ちゃん、なんだか嬉しそう」

「ん、ああ……そりゃあお前、両手に花は男の夢だからな。まぁ、お前達の場合は両手に蕾になるけど。クハハハ……ハッ!」

 

 寝不足でうまく回らない頭で、これが勝ち組の風景か、と。両手に抱いた小さくて柔らかな温もりを感じつつ、意味もなく悪党っぽい笑い声を上げてみたりして――やっと、冷たい目をして見下ろしている綺羅が目に入ったのだった。

 

「いや、あの、綺羅さん、これは」

 

 別にそんな必要はないのだが、何故かドモッてしまう。正座しようにも、両側の妹達のせいですは所為で素早く動けなかった。

 と、そこで変化があった。綺羅がにっこりと笑ったのである。

 

「朝からお盛んで何よりです、()()()()?」

 

 笑っているが笑っていない、威圧感たっぷりの笑顔で。

 

「「……『ご主人様』……? 」」

 

 更に、両側の妹達まで危険物に変えた。

 

「それでは、私は朝餉の準備がありますので」

「ま、待て綺羅……一人にしないで」

「お兄ちゃん……どういう事か、説明してくれるよね」

「…………(こくこく)」

「解ったから【悠久】を仕舞って、臣下達にも帰って貰いなさい……お願いします」

 

 言わずもがなだが――朝食にはありつけなかったアキであった。



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悪意の螺旋 廻る糸車 Ⅰ

 午前と正午の、丁度分水嶺。その優しい陽射しの中に、天木神社の門前の鳥居に背を預けて、アキは大欠伸をかました。

 

「――あら、暇ならあたしと遊んでみない、お兄さん?」

「ふわ……姉御か」

 

 と、花売りのような事を言いながら現れたけしからん胸……じゃなくてエヴォリア。だがアキは眠気に微睡む胡乱な眼差しを、たゆんと揺れた胸の後にその顔へと向けて。

 

「いい……遠慮しとく……あふ」

「あら、ジョークも無しだなんて……随分と搾られたみたいね。大変なようね、お兄ちゃんっていうのは」

「そう思うんなら、折角の待ち時間くらいウトウトさせてくれ……ふぁ」

 

 等とからかわれても、生欠伸しか出ない。正直、右の耳から入って左の耳から、だ。

 

「ふふ、あたしがそんな物分かりの良い女だと思う?」

 

 それに、エヴォリアは妖しく微笑む。時間が時間なら、誘われていると取られても仕方ない程に妖艶なその笑顔。

 

「ああ、思うねぇ。アンタは悪ぶっちゃいるが根が純朴だ、偽悪が丸分かりなんだよ。剣の世界の頃からな……くぁぁ」

 

 それにアキは、龍の(アギト)の如く強靭な歯牙と顎で欠伸を噛み殺しながら――太陽の下に在って尚、輝くような琥珀の龍瞳で流し目を送った。

 

「俺、嫌いなんだよなぁ……自分を偽ってる奴って。善きにつけ悪しきにつけ、そういうのを見てると擬態を引っぺがして白日の下に曝してやりたくなるんだ」

「――言ってくれるわね、この性悪……」

 

 それに一瞬、気を遣った事を恥じてか。彼女は眉を吊り上げて……仄かに赤くなった顔で怒りを表現した。

 だが、アキは気にも留めない。眠すぎるのだ、兎に角。

 

「まぁ、そんな俺の目に留まったアンタの運が悪かったって事で」

 

 言うや、二三歩歩いて――『海』の中から鉄騎馬(バイク)を取り出す。更に、龍面のフルフェイスを取り出して。

 最後に、【是我】を変遷させた『箒の柄(ブルームハンドル)』と呼ばれるグリップを持つ拳銃『モーゼル・シュネルフォイヤー』……鍵のようにギザキザの破刃剣(ソードブレイカー)銃剣(バヨネット)を備えた大型機械式拳銃を鍵穴に差し込み――回転させて、トリガーを引く。

 

「――さて、俺の姫様方(いもうとたち)がそろそろお出でになる。ちょっと今デリケートな時期なんで、アンタと一緒に居ると誤解されかねないから早く移動してくれねぇかい?」

「あら……そう、お出かけって訳ね」

 

 そう顎でしゃくった先に見えたのは、石段を駆け降りてくるユーフォリアとアイオネアの青髪の二人組。

 それを見たエヴォリアは、今までの表情を――クスリと、笑みに変えた。

 

「それじゃあ、あたしからも餞別を上げないとね」

「選別って、アンタこの世界の金なんてもって――んむっ!?!!!!」

 

 ヘルメットを被ろうとしていたアキの無防備な唇に、何か柔らかく温かな物が触れた。否、『触れた』等と生易しい物ではない。

 華のような香気に驚き、つい開いてしまった唇を越えて、熱くうねる舌が絡み付いてきた程に熱烈だった。

 

「――プハッ、ゲホッ! お、おまっ、何を――イダアアアアァァァッ!?」

「ふふ、ご馳走さま。じゃ、後は楽しんでちょうだい」

 

 と、後退りながら抗議しようとして、倒れたバイクに足を挟んで悶絶するアキを尻目に、エヴォリアは満足げに微笑みつつ舌舐めずりをした後で光になって消えた。

 

「チッ――」

 

 それを少しだけ冴えた頭で見送り、口元を袖で脱ぐったアキは――

 

「……お待たせ、お兄ちゃん」

「……お待たせしました、兄さま」

「あ、ああ――」

 

 『妹達に今までの顛末は見られていませんよーに』と、信じてもいない神に祈りを捧げながら振り向いて――

 

「――アイちゃん、オーラフォトン貸して」

「うん、良いよ、ゆーちゃん」

 

 第三位【悠久】を手に、輪廻龍妃(アイオネア)と手を繋いだユーフォリアの姿。

 その掲げた手の先に圧縮される、自身の『オーラフォトンクェーサー』を遥かに越える超高密度のオーラフォトンの渦を見て。

 

「マナよ、光の奔流となれ。お兄ちゃんを包み、究極の破壊を与えよ……」

「ユ、ユーフィー……まさか、それは――!」

 

 刹那、何かを思い出す。それは恐らく、彼の人生において最も鮮烈な恐怖として今まで記憶から消していた――

 

「――お~らふぉとんっのう゛ぁぁぁっっっ!!!!!!!!!!!!!!!!!!」

「あべぇぇぇぇぇぇぇしっ!!!!!!!」

 

 目映いオーラフォトンの奔流に包まれながら、再びその記憶を奥底に封じたのだった。

 

 

………………

…………

……

 

 

『ユーフォリアは新たなスキルを習得しました』

 

[お~らふぉとんのう゛ぁ M:100% F:100%] Ai Pe

 

 オーラフォトンを集めに集めて、むぎゅ~ってなってる時にどっか~んって解き放つディバインフォースです。パパが使ってた技をあたし風にアレンジしたスキルで、スタートサポートタイミングに発動して敵さん全体を攻撃できるんですよ~。

 この技は、更になんと! 命中した相手さんの全ステータスを激減させた上に、行動マナと次のターンからのマナチャージと、スキルで加算されるマナをゼロにした上で、リメイニングゾーンにセットされたスキルを壊して、行動IPを最初まで戻しちゃうんです。えっへん!

 だけど、全行動回数が一回なのが弱点です。まぁ、それまでに勝敗は決まっちゃうんですけどね。えへへ~。

 

(※当然、嘘設定です)

 

 

………………

…………

……

 

 

 ズタボロの身体を引き摺るように立ち寄ったコンビニで『寝々撃破』と言うラベルの貼られた精力剤を数本購入、飲み干して漸く人心地つく。

 

「フウ……生き返った……」

「うん、一回死んじゃってたよね。アイちゃんのお陰で生き返れたんだから、感謝しないとダメだよ、お兄ちゃん?」

「殺した大本のお前に言われてもな……全く、俺を殺した責任、取って貰うぞ――」

「どこの真祖なの、もう――」

 

 軽口を叩きながら、これ程に不死の我が身に感謝した事もあるまい。輪廻龍の加護を得る彼の体は、おおよそ外的要因では死にようがない。

 それこそ、『不死を殺す』専門の局地でもなければ『殺し方』すら夢想だには出来まい。まぁ、今は関係ないが。

 

「さて、それじゃあ、どこから巡りますか、お姫様方?」

「ふーんだ、それはお兄ちゃんが考えるの。これは、お兄ちゃんへの罰なんだから。ね~、アイちゃん」

「…………(ぷんぷん)!」

 

 と、お冠な妹達は兄の言葉を突っぱねた。早朝の綺羅の一件、更に先程のエヴォリアの一件で完全に臍を曲げているようだ。

 

――だから、ご機嫌取りの為に町に連れ出したってのに……姉御、怨むぜ……。

 

 いつものように引っ付いてくる事はなく、少し離れた所で二人だけで手を繋いでいる彼女ら。折角サイドカーを用意したのだが、『乗りたくない』とバスで行く事になった。

 二人の背中を追いながら溜め息を吐き、金褐色の髪を掻き毟る。尻側のポケットに挿した財布のような長方形の箱を念入りに押し込んで、どうやって機嫌を取るかの算段を立てる。

 

 どうやら、間違いの許されない一日になりそうだった。

 

 と、言う訳でやって来た物部市内。歩きなので、いつもよりもずっと時間が掛かってしまった。

 しかもやはり、良くも悪くも目を惹く三人組だ。ユーフォリアとアイオネアは頻繁に写真を撮られているし、アキも既に数回は声を掛けられる。警察官から『前の子達を尾行してるんだろ』、と。

 

――本格的にヤバイな。これは、切り札を使うしかないか……そう、構想十年近くの超大作、『いざ希美とデートする事になった時に慌てずに済むプラン』を実行に移す時だ!

 

 『カッ!』と目を見開き、雷鳴をバックに背負いながらそんな、余りに報われなさ過ぎて目から汁が溢れそうになる事を宣言した。

 要するに、『有り得ない事が起きた時の対処要領』だと思って欲しい。

 

――さて、先ずは……

 

 然り気無く、透徹城を漁る。取り出したるは、コンビニで手に入れておいた観光情報紙。如何に現地人とは言え、三ヶ月も離れていれば町の催し物など分からない。

 適当に頁を捲る。と、目に留まった一頁。

 

「……お兄ちゃん、どこ行くか、決まった?」

 

 そこに、ユーフォリアがつーんと唇を尖らせながら訊ねてきた。不機嫌な猫のように、澄ましてはいるが此方の事が気に掛かっているらしい。

 それに――アキは、鷹揚に頷いて。

 

「ああ、最初は此処だ――」

 

 自信満々に、この年代では有り得ないくらいに発達した大胸筋を反らしたのだった。

 

 

………………

…………

……

 

 

「……………………」

 

 そんな三人の姿を眺めつつ、コンビニ前の喫煙スペースで紫煙を燻らせていた男は凄絶な眼差しを隠すように瞼を閉じた。

 

「フ……やはり餓鬼か、女の扱いがなっていないな」

 

 身の丈2メートルはあろうかと言う筋骨隆々の体躯を黒いスーツと開襟のYシャツと弛めたポーラータイに包み、黒い革靴と革手袋、袖口にはカフスボタンが光る――褐色の肌に、金褐色の逆立つような髪を後ろに束ねたその男。

 

「だが――――中々良い面構えだ。全く、親孝行な話だな……」

 

 その覇気に満ちた、ベルバルザードもかくやという威圧的な面貌。重厚な声に、その鬼神の如き笑顔。

 

「えぇ、本当に――――面白くなってきましたわね、久々に……」

 

 その脇に佇んでいた、小柄な透き通るような白い肌を白いワンピースとショールに包んだ少女。長い白髪に、琥珀色の瞳に――男以上の悪辣さを孕んだ瞳で、同じように笑って。

 

「さぁ、楽しみましょう。永遠に続く戦いの一時の息抜き……この退廃劇(グランギニョル)が傑作となるか、三文芝居となるかを……うふふ」

 

 妖艶な仕草で髪を掻き揚げると、アキの後ろ姿を実に面白そうに見遣ったのだった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 真上から指す太陽光を避け、軒下のベンチに腰を下ろす。傍らには珈琲缶、要するに休憩を取っているのである。

 しかしそこにはアキ一人。ユーフォリアとアイオネアの二人は――

 

「――お兄ちゃ~ん、見て見て~! この子、すっごく人懐っこいよ~!」

「それに、大人しくてのんびりしてて……ふふ、可愛いです」

 

 少し離れた柵の中で、茶色くずんぐりした生き物と戯れていた。その回りには他にも様々な生き物。

 今いる場所は、市内の動物園。見るだけでなく、触れる所である。

 

「そいつはカピバラって言ってな、世界最大の齧歯(げっし)目……つまりは鼠の親分だ。寛大だけどあんまり粗相すんなよ、噛みつかれるぞ」

「へぇ~、ネズミさんなんだ、この子……」

「ふわぁ……そうなんですね」

 

 と、入り口で得た知識を騙る。しかし元々動物好きの彼女達には、それだけでも随分と見直されたようだ。

 

 様々な動物へ頻繁に抱っこしたり抱き付いたりとアクティブなユーフォリアに対し、アイオネアはおっかなびっくり控え目に撫でたり餌をあげたりするくらいだ。

 本当にこの二人、全くタイプが違うのによくここまで仲が良いものである。まぁ、凸と凹だからこそ、かっちりと嵌まったのかもしれないが。

 

 そんな二人を眺めながら、缶珈琲を啜る。この平和を噛み締めるように。

 

――ずっと先送りにしてた。だけど、そろそろ腹ァ括らなきゃいけねぇ。そう、こんな日々は、長く続かねぇんだからな……

 

 沈思するのは、この先の事。理想幹神を倒し、希美を取り戻した後の事、だ。

 

――この身はとうに人外、不老にして不死の身。そんな存在は、尋常の世界に居ちゃいけねぇんだ。そんな事は、時深さんにだって出来やしなかった。

 古くから謂われている通り、強過ぎる力は災厄を招く。【真如】が何位に相当するかは判らねぇけど……エターナルに成れる以上、三位以上に匹敵するのは間違いない。

 

 そもそもエターナルとは、『世界一つ』よりも多量のマナを有する超越者。『渡り』と呼ばれる行為を行い、世界から世界に渡り歩く根無し草。

 強大すぎる力は望む望まざるに関わらず数多の災いを招き寄せ、本人のみならず周りにまで害を為す。だからこそ、時深は時間樹内の『出雲』のみならず、外宇宙を行動圏とする『混沌の永遠者(カオス・エターナル)』に属して、神剣宇宙の初期化……神剣宇宙の全マナを『始まりの一振り』と呼ばれる原初の永遠神剣に還す事を目的とする『秩序の永遠者(ロウ・エターナル)』の襲撃に備えている。

 

 中には、それらに属する事無く活動する『中立(ニュートラル)』と言う者も存在するらしいが……勝手気儘に生きる彼らは協力などしておらず、また、目立ち過ぎれば前述の組織に目を付けられて数で圧殺される危険性が非常に高い。その為、今現在ニュートラルに目立った存在はかなり少ない。

 

「……俺としては、原初の神剣に還るだなんてのは嫌だしなぁ……だからってカオスは親の脛齧ってるみたいだし」

 

 等と呟きつつ、懐から煙草を取り出して一本銜え――此処は禁煙だった事を思い出して仕舞う。

 その時、目の前にユーフォリアが小走りでやって来た。カピバラの両前足の脇下に手を入れて持ち上げた状態で。

 

「ほら、お兄ちゃんも触ってみて」

 

 ずいっと差し出された、能天気そうな天竺鼠。常に眠たげな半開きの目と、盛んにひくひくしている鼻と髭と出っ歯。

 それを撫でてみようと、アキが手を差し出した瞬間――カピバラは、じたばた暴れるとユーフォリアの手を逃れて柵の中へ逃げ込むように走り去っていった。

 

「あれぇ……さっきまであんなに大人しかったのに」

「ハハ……まぁ、昔から動物には逃げられてばっかだからな。俺の事は気にしなくていいから、もっと遊んでこい」

 

 腑に落ちない様子の彼女だったが、やはり動物の魅力には逆らえずにもう一度、触れ合いコーナーに戻っていった。

 そしてアイオネアと一緒に、毛玉のような大きな兎……アンゴラ兎を抱き抱えて喜んでいる。それを確認して、再び思考の海に還る。

 

――そうか……そうだな。別に難しい事じゃない。生きる意味なら、此処に在る。

 カオスでもロウでもニュートラルでもなんでも変わらねぇ。俺は、これからも変わらない壱志を貫く。だからきっと、これからも迷惑掛ける。その代わり、絶対に『神刃(オレ)』は何をどれだけ、誰かをどれ程犠牲にしても、『神鞘と神柄(おまえたち)』を護ろう。

 

 それは、利己(エゴ)に他ならない。だが、それでも――この男の、偽らざる本音。産まれて初めて己自身で望んだ偽悪(いきかた)だった。

 

――例え、俺より強い者が相手でも。何、恐れる必要はない。自らを過大にも過小にも評する必要すらない。

 何故なら、銃こそは逆接の武器。『強き者が弱き者を喰らう』事が真理にして摂理のこのクソッタレの世の中で、この武器だけは『弱き者が強き者を討ち倒す』事を、不可能のままで可能とした。トリガープルを上回る力さえあれば、女子供にでも屈強な戦士を殺す事も出来る。

 

 そんな武器が、果たして他に有るか。剣や槍は言わずもがな。同じスタンスの弓でさえ、『引く事が出来る』だけでは『屈強な戦士』の飛距離に敵わない。同じ銃で同じ条件で対峙して、勝機があるのは『銃』だけだ。

 

 即ち、銃こそは『強者殺し(ジャイアントキリング)』。弱者も強者も等しく同じ強さとなる矛盾の極み、人の叡智が産み出した救済の天使――或いは凋落の悪魔。

 そして、その真髄たる『永遠神銃(ヴァジュラ)』……古代インド神話にて歌われた『雷鳴を放つ』という、『銃の原型(アーキタイプ)』とも言われている神宝の名を冠する武具。

 

 それを唯一手にする権利を持つ“天つ空風(かぜ)のアキ”こそは、常に己よりも強大な敵ばかりに挑み続けてきた生粋の反骨者(トレイター)――――自らよりも強き者を討ち倒す事を存在理由とする、神剣宇宙で唯一人の『宇宙の均衡崩し(バランスブレイカー)』である。

 故に、その存在は神剣宇宙そのものから忌み疎まれる。認められぬままに全く別の法により存在する、『敵性宇宙(アウト・ロー)』として。

 

「そうだな。その方が俺らしいか……」

「何が?」

 

 と、独り言に返った問い。見れば、

いつの間にかユーフォリアとアイオネアは定位置……アキを挟んで右にユーフォリア、左にアイオネアの状態でベンチに座っていた。

 その表情は、どちらも満ち足りた蕩けきった表情だ。朝とは偉い違いである。だから、今、難しい事でこの笑顔を悩ませる事もない、と。

 

「ああ――いや、何でもない。さあて、じゃあ飯でも食いにいくか」

 

 そう、話と思考を切り上げたのだった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 西日を浴びながら、その動物園を後にする。彼自身は余り楽しめない場所だったが、その両脇の二人は――

 

「えへへ~……カピバラさんもエヒグゥ……じゃなかった、兎さんも可愛かったね、アイちゃん♪」

「うん……ペンギンさんとか、ヤギさんも」

 

 未だにほっこりと相好を崩しただらしの無い表情で、動物園を後にした。

 

――堪能したみたいだな……触れる所に来て正解だったぜ。まぁ、俺が近寄るとあらゆる生き物が逃げ出したけどな!

 

 アキにとっては、軽いトラウマだったりする。昔から生き物に懐かれると言う事がなかった彼にとって、動物園は。

 

「じゃあ、帰ろうぜ。明後日には皆が、学生も連れて帰ってくるんだ。それまでに出立の準備を整えておかなくちゃな」

 

 止めていたバイクに跨がり、フルフェイスのヘルメットを被る。

 と――ユーフォリアとアイオネアが向かい合って、何やら剣呑な空気を醸し出している事に気付く。

 

「む~」

「う~」

 

 互いに右手を握り、それを付きだして――

 

「「――じゃんけん、ぽんっ!」」

 

 と、じゃんけんで競い合う。ユーフォリアはチョキ、アイオネアは――パー。

 

「やった~! あたし、お兄ちゃんの後ろね!」

「う~……私も、兄さまの後ろが良かったのに……」

 

 決着がつくや否や、ユーフォリアが勢いよく後部席に飛び乗る。アイオネアはそれに恨みがましい目を向けながら、渋々といった具合にサイドカーに乗り込んだ。

 

「さて、話も決まった事だし……ちゃんとヘルメット被れ。そんでユーフィーはしっかり掴まって、アイはしっかりシートベルト締めろよ」

「「はーい」」

 

 準備を整え、デリンジャーを差し込んで炉に火を入れる。目を覚ました鋼鉄の騎馬は、低い嘶きの後に軽快に走り始めた。

 目指す天木神社は、山一つを越えた向こう側。時間にして、約三十分ほどの距離。

 

 そして此処から先こそ、彼が『長い一日になりそうだ』と感じたその日の本番であった……。



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悪意の螺旋 廻る糸車 Ⅱ

 斜陽に紅く潤んだ風が、瞑想するように目を閉じて山道の真ん中に立ち尽くす少女の白い肌を撫でて、銀色のツインテールと黒い装束を靡かせて消えていく。

 何台もの車がクラクションを鳴らしながら通り過ぎ、それに飽き足らず罵声を浴びせた運転手もいたが、少女は誰一人相手にしない。泰然自若とはこの事か。

 

 永らく、彼女が手を下す事はなかった。以前、『とある永遠者の夫婦』との戦いでの事実上の手痛い敗北により、この情けない姿になってまで再度時間樹に入って以降、全力を出す機会など無かったのだ。

 だが、漸く全力に見合った相手が現れる。分割されて封印された剣でもなく、外部から侵入した闖入者でもない。『この世の外』の存在どもが。

 

「――地位神剣とは、法の守り手……つまり、貴様のように『法の埒外の悪漢(アウト・ロー)』を認めはせん」

 

 その瞬間――彼女は凄まじい闘気を発しながら目を開いた。それに答えるように、鋭いブレーキ音が木霊する。

 即ち、彼女――フォルロワのサファイアの瞳に映るのは。

 

「――タツミ=アキ。この世の外側より訪れし者……」

 

 少女二人を乗せたサイドカー付きバイクに跨がる、フルフェイスの男――――

 

 

………………

…………

……

 

 

 西日に染まる峠道を、一台の黒いバイクが力強く駆け登っていく。緩やかな坂道なのだが、その馬力で物ともしていない。

 

「はやいはやーい、ゆーくんよりずっとはやーい!」

【な、何を~! ひどいよユーフィー、僕の方が速いし、空だって翔べるんだから!】

「えへへ~、言ってみたかっただけ~♪」

 

 後部席できゃいきゃいとはしゃいでいるユーフォリアに対し、速すぎて怖いのかアイオネアは目を固く瞑っているばかりだ。

 

「ユーフィー、あんまりくっちゃべってると舌噛むぞ? あと【悠久】、このバイクはノル・マーターだから空もいける」

【兄さんまで……アイちゃん、慰めて~】

「あ、あはは……」

 

 四人は、そう会話を楽しむ。【悠久】とアキが会話できるのは……彼が最早、永遠神剣と変わらない存在だからだろうか。

 そして、頂上付近に差し掛かる。眼下に物部市を望む眺望を楽しみながらヘアピンカーブを曲がり――

 

「――――チッ!?」

 

 突如沸き上がった強大なマナの圧力に、車体を傾けながらブレーキを掛ける。

 

「お兄ちゃん……今の」

「兄さま……」

「……まぁた、知り合いが実は敵のパターンかよ。もう飽き飽きだぜ」

 

 二人の声を聞きながら、一点を睨む。車道の中央線を跨いで立つ、黒衣の少女を。

 

「確か――フォルロワだったっけ?」

 

 うんざりと面倒臭そうに見詰めて呟いた。

 

「気安く我が名を呼ぶな……友人でもあるまいに、返吐が出る」

「ああ、そりゃあ慣れてねぇよな。友達居なさそうだもん、アンタ……因みに、何で闘わなきゃいけねぇのかは説明して貰えんのか?」

「決まっている。この時間樹の意味の貫徹と、神剣宇宙の理を犯す異物の抹消の為だ、敵性宇宙(インヴェイダー)――『()()()()()()()()()()()()()』よ」

「ちっとも訳わかんねぇよ……だったら理想幹神の所に行って欲しいし、放っといて欲しいね」

 

 嫌みに嫌みを返せば、不快そうに見詰めてくる氷を思わせる青い瞳。言葉のナイフの応酬の最中、怜悧な美しさと相俟ってどこか人外の念を想起して――ふと、気付いた。

 

「そうか――お前、化身か。道理で()()()()()()()()()()()だぜ」

 

 その異質さは、アイオネアやナルカナに感じるものと同一だと言う事に。

 

「ほう……多少は知恵が回るか。良かろう、名くらいは聞かせてやる」

 

 それにフォルロワは、多少アキを見直したような目を向けた。ゴミクズから虫けらへのランクアップが『見直した』の範疇に入るのならば、だが。

 

「我が名はフォルロワ――――第一位永遠神剣【聖威】が化身にして、地位永遠神剣【刹那】が代行者……ロウ・エターナル、『地位の派閥』がリーダー、フォルロワなり」

 

 そして――漆黒の鏃のような両刃を持つ、自身の身長をも上回る巨刃剣(グレートスウォード)を虚空から抜き放った。

 

「第一位って……ナルカナさんと、同格……」

【うん……ハッタリじゃない。すごい力だよ……平伏したくなるくらい】

「ナルカナさん……【叢雲】と同じ強さ……はぅぅ」

 

 フォルロワの名乗りと共に、発された精霊光(オーラフォトン)が周囲を満たす。

 ユーフォリアは召喚していた【悠久】を握り締める。その【悠久】も、同じく【真如】の化身であるアイオネアも畏怖に満ちた思念と言葉を返した。

 

「ハ――そりゃ大したもんだ。だけどまぁ、だったら此方の方が位は上だな」

「ふぇ、お兄ちゃん?」

「に、兄さま……?」

 

 そんな二人の肩を抱き寄せつつバイクを己の城の宝物庫に納めた輪廻龍皇(アキ)は、ヘルメットを脱ぎながら不遜な迄に余裕に満ちた態度を見せる。

 戦意を折ろうと迫り来るフォルロワのオーラフォトンを、ダークフォトンで中和しながら。

 

「何せ、此方は『空』位……古代インドじゃ『零』を表す言葉。つまりアイは零位神剣、俺はその担い手だ。そんな俺達が、担い手もなく格下の相手に『()()()()()()()()』だろ?」

「兄さま――はい、兄さまがそう信じ続けてくださる限り……わたしは、わたし達は全てを斬り拓けます!」

 

 獰猛に口角を釣り上げたアキの笑顔に、アイオネアは嬉しげに微笑んで――ステンドグラスの薔薇窓の如き絢爛たる精霊光と共に、その身を鞘なる刃【真如】へと還した。

 

 アキはそれを受け取り、招聘した長剣銃形態の永遠神銃【是我】を納め――スピンローディングして小さなスターマインの各属性色のオーラを煌めかせつつ衣服をアオザイ風の戦衣に変えて軽鎧を纏い、漆黒の聖外套を羽織りながら激励のオーラ『トラスケード』の追い風を展開。

 青生生魂(アボイタカラ)波刃紋剣(ダマスカススウォード)の剣先を突き付ける。

 

「テメェは踏み込んじゃいけねぇ領域に踏み込んだ。俺の大事なもんに手ェ出すってんなら――――」

 

 『()()()()()()()()()()()()』、それこそアイオネア――【真如】と言う永遠神剣の本領だ。

 『勝てない』からと言って『負けない』道理はなく、『負けない』からと言って『勝てない』道理はない。この永遠神剣は、その矛盾を衝く。

 

 だから、どちらでも良いのだ。自分より強い相手にならば『()()()()』事を代償に、自分より弱い相手にならば『()()()()』事を代償に勝利する可能性の有無を生む、矛盾の鞘刃(さや)

 

「第一位だろうがその担い手だろうが何だろうが、殺す。生まれて来た事を後悔するくらい、絶望的にな!」

 

 それこそが空位永遠神剣【真如】、そしてその担い手“天つ空風のアキ”――――

 

「下らぬ妄言を吐く――良かろう、貴様らは今我が持てる力の全てを以て滅ぼしてくれる」

 

 その言葉に不快を隠そうともせず、フォルロワは【聖威】を構える。黒い刃はオーラフォトンを纏い、断てぬものなど無いとばかりに圧倒的な存在マナを放つ。

 

「っ……甘く見ないで下さい、貴女は一人だけど、あたし達は四人なんですからっ!」

 

 くるりと回転させた【悠久】を構えると、同じく戦衣を纏ったユーフォリアもまた臨戦態勢をとる。

 展開されるは鼓舞のオーラ『インスパイア』、二重のオーラが複雑に絡み合う。

 

「一向に構わぬさ、数なら――」

 

 そこで、フォルロワが指を鳴らす。パチン、と軽快な音が立った瞬間――辺りの空間がメスで切り開かれたように裂け、次元の向こうから多数の抗体兵器が現れ出た。

 

「此方の方が上だ」

 

 更に、裂けた空間が逃げ場を無くす檻と変わった。外界と内部の接続は完全に断ち切られ、フォルロワが解除するまでそれが消える事はあるまい。

 

「あうう、またあのおっきなロボットだよぉ……あたし、硬くて苦手」

【その硬いのにぶつかる僕の身にもなってよね】

「俺もデザインがキモくて苦手だな。だが、丁度サンプルに可動機体が一機欲しかったんだ」

【生け捕りにするんですか、兄さま……】

 

 だが、『四人』には気負いすらない。『涅槃ノ邂逅』で自らに有利な状況を作り出し、目から放つ怪光線『地ヲ祓ウ』、光背を光の矢と変える『空ヲ屠ル』。更に、強固な装甲を『峻厳ナル障壁』を頼りとして迫り来る抗体兵器の群れを前に――

 

「抗体兵器は任せたぜ、ユーフィー。俺は指揮者を倒す!」

「うん、任せて!」

 

 硬度を問わずにあらゆる物質を両断する『空間断絶』と、ごく小規模ながら『門』を開いてその彼方に放逐する『プチニティリムーバー』の二太刀が、最前列の抗体兵器四体を両断。

 それに一瞬たわんだ包囲網の隙をついて、アキとユーフォリアは駆け出した――!

 

 

………………

…………

……

 

 

 黒い暴風が巻き起こる。【真如】の周囲で互い違いに旋回する三枚の飛円刃(チャクラム)型のハイロゥがダークフォトンを孕む風の刃『ゲイル』と化して、立ち塞がった抗体兵器の胴を穿ち抉り飛ばす。

 

「ハ――数だけは多いぜ、ってか」

 

 それでも、フォルロワまでの距離は遠い。邪魔になる抗体兵器はあと五体、その層の厚さに辟易しながら――『地ヲ祓ウ』の赤光を『威霊の錬成具』の概念を融合させた軽鎧で弾き、『空ヲ屠ル』の光矢を『精霊光の聖衣』の戦衣で無効化し、『天ヲ穿ツ』の赤闇を『絶対防御』の聖外套で打ち払った。

 その周到なる防御。元々、出し抜かれる事を何より嫌うその男は――見る者が見れば、『或るエターナル』を想起した事だろう。

 

「だったら、その耐久力を利用するか――」

 

 その瞬間、【真如】の力を純化する事で、アキは自らの起源(なまえ)である『空』の『本質』を表す。

 【真如】とは、『ありのままの姿』――――『空』とは、『物事の成り立ち』。因果その物、『起源』を司る『起源』を。

 

「俺からテメェらに贈るモンなんざ、ただ一つ――絶対的な破壊だけだ!」

 

 敵陣を覆い尽くす程に広範囲の魔法陣へと降り注ぐ青き光の弾は、正に『神々の怒り』。敵の耐久力を逆手にとり、無限大に破壊力を増大させるディバインフォース。

 抗体兵器達は自身の絶大な耐久力故にそれに耐えきれず、粉砕されていく。

 

「見えたぜ――フォルロワァァァァァッ!」

 

 そして、自身の内奥に眠るモノを――レストアスが灯した、青き焔。『物質の第四形態』とも言われる、プラズマの形をとる『生誕の起火』を呼び起こし――――『過程』を『透禍(スルー)』して、刹那よりも早くフォルロワに肉薄した。

 振るわれる、青く煌めくプラズマの刃『ヘビーアタック』。それを、フォルロワは――

 

「――何度も言わせるな……我が名を、気安く呼ぶでない!」

 

 フォルロワはそれを、予め構えていた【聖威】の厚い刃で受け止める。そして――

 

「アクセス――この地に漂うマナよ、我が元に下れ!」

 

 そして、宙域の全マナが彼女に平伏する。第一位神剣の名指しの宣告に、マナには逆らいようもなかった。

 これでもはや、アキは反撃はおろか防御すら不可能。彼女の支配圏に入った時点で、それは決まっていた事。

 

「ここまで我に迫るか……不遜にも程があろう、俗物!」

 

 その昂るオーラの刃で、フォルロワはアキを薙ぎ払う。巨大な刃を更に長大とした剣撃をアキはバックステップで躱し、マテリアル主体の雷速弾『ペネトレイト』の銃撃を行った。

 それをフォルロワは剣を盾に防ぐ。皮肉にも小さな体は、剣にすっぽり収まってしまうサイズだった。

 

「――ふっ!」

 

 逃がす筈もなく、【聖威】の長大なオーラフォトンの刃が虚空を薙ぐ。その一撃は、アキの身を二つに裂くには過剰過ぎる決着方法――

 

「ハ――オーラフォトンなら、コイツの方が良いか!」

 

 だっただろう、それが『他の永遠神剣の担い手』ならば。『無こそが有となる』ディラックの海を宿した鞘刃【真如】の担い手、“天つ空風のアキ”でなければ――!

 

 フォルロワの規格外の『オーラフォトンブレード』を、アキは集中展開した『ダークフォトンバリア』にて自らに触れる部位のみ中和し、窮地を脱した。

 そしてスターマインの各属性色の魔法陣を中空に瞬かせ、大きく緻密なものを銃口に展開。反撃としてオーラフォトンの準星『オーラフォトンクェーサー』を放つ。

 

 宇宙で最も激しい天体現象の一つであるクェーサーの名を冠する、オーラフォトンのジェット放射。巻き込まれれば塵一つ残さずマナの霧だ。

 

「――空間のマナに頼らず、自身の内包したマナだけで練り出したか……生意気な」

 

 しかしフォルロワは眉を顰めたのみで――オーラフォトンの昂る【聖威】にて、それを一刀両断してのけた。

 

――ったく、ナルカナと言いコイツと言い、第一位ってのは化け物かよ。人の切り札をあっさり凌駕しやがって……!

 

 そこで、一度距離を取る。目線はフォルロワに向けたまま、四感のみで周囲の様子を探る。

 ユーフォリアの無事、抗体兵器の残数、そして――空間制御の基部を。

 

「無駄な真似は止せ。貴様に我が術式は破れぬ――例え式を看破しようとも、な」

「チ――可愛いのは見た目だけかよ、勿体無いねぇ。それに分かってるさ、この結界が俺達に解除出来ない事くらい」

 

 等と軽く応酬しつつ、起火を灯す。森羅万象、物事の成り立ちすらも『透禍(スルー)』する、起源の焔を纏い――。

 

「ならばどう足掻く、俗物?」

「決まってんだろ、勝てない相手と戦う時は――」

 

 視線をフォルロワから外し、丁度『ルインドユニバース』で抗体兵器を貫いたユーフォリアとアイコンタクトを交わす。此処は戦場、しかも敵地。声に出して策を伝えるような真似はそれ自体が愚策。

 暫し交錯する、琥珀と空色。ユーフォリアはアキの深意を確認するように頷き――

 

「――それで我を嵌めたつもりか!」

 

 優れた剣士であるフォルロワがそんなあからさまな隙を見逃す筈もなく、無防備なアキ――ではなく、ユーフォリアに向けてオーラフォトンの刃を振り抜く。

 

「ああ――読み通りだね」

「貴様――!?」

 

 その剣撃がユーフォリアを捉えるより速くアキは永遠神銃【真如】で受け止め、ハイロゥを砕刃剣(ソードブレイカー)として搦め捕った。ただし、元居た場所にはもう一人、アキの姿がある。

 

「技ァ借ります、時深さん――タイムアクセラレイト!」

 

 そして――フォルロワの剣を拘束するアキが右手に握ったワルサーで亜光速の『イクシード』を連射し、後方に存在していたアキがより風速を増した【是我】の『ワールウィンド』で斬り掛かる。

 剣を押さえられ抵抗できないフォルロワを数太刀斬りつけ――そのオーラフォトンの盾に全て弾き返されたそれは、人型の護符に還った。

 

 出雲の戦巫女が用いる符術用の人型(ヒトガタ)、時深も使っている一品である。

 綺羅に無理を言って一枚貰い、量産に漕ぎ着けた物だ。

 

「塵は塵に、灰は灰に……声は、事象の地平に消えて――」

 

 そして――時間稼ぎが成功する。第三位【悠久】の守護神獣である双龍『青の存在 光の求め』を呼び出したユーフォリアの詠唱と共に、二体がブレスを吐いた。

 

「――ダストトゥダスト!」

「――くっ……!」

 

 消し飛ぶマナ、ダメージはないが戦闘に必要なマナが消えてしまった。

 機能停止していく抗体兵器。さしものフォルロワ――第一位神剣とは言え、『()()()()()()()()()()()()』。それが、あらゆる永遠神剣の弱点に他ならない――!

 

「――舐めるなぁぁぁぁぁぁっ!」

 

 だが――彼女は永遠神剣第一位【聖威】の化身にして、刹那の代行者。その意地に賭けて、生まれたばかりのエターナル二人に遅れを取る等あってはならないのだ。

 マナの加護を失い、体相応の実力となったフォルロワは、まるで草を薙ぐように技巧も何もない横殴りの一撃を繰り出し――

 

「そりゃあ此方の台詞だぜ、永遠神剣――奇跡なんぞに頼りっきりのチート野郎風情が……人の壱志(イジ)に勝とうなんて甘ったれてんじゃねェェッ!」

「な――!?」

 

 その剣撃を、アキはマナの加護無しに『受け止める』。龍の鱗と同義である、自身の肉体の強靭さのみで。

 それでも、血が飛沫(しぶ)く。巨刃剣の重さを殺しきれず、骨が軋む。

 

「ッッハァァァァァッ!」

 

 だが、尚――アキは踏み込む。彼の体に染み付いた剣術を拳術とした……『我流 龍撃の型』により【聖威】をワルサーをモスバーグ464に変えてそのループレバーをメリケンサックとして右拳で打ち上げ、『我流 龍撃の型・裏』にて【是我】でも同じく『薙ぎ払う』。まるで、龍の爪のように。

 

「馬鹿な――この男、まるで……!」

 

 『――龍のようだ』と、フォルロワも驚愕する。加護も無しに、明らかな過重量を殴り飛ばした豪腕に。

 長剣銃(スウォードライフル)の二挺流と化したアキは――黒曜石色の曼荼羅を展開、主の危機に駆け付けるようにプログラムされている抗体兵器達に向けてダークフォトンの潰星『ダークフォトンコラプサー』を見舞う。

 

「有り得ぬ……練り出すマナだけで、これ程の神剣魔法を紡げる訳が――!」

「ハ――悪ィな。俺は、『無くなってから』が本領発揮なんだ!」

 

 光さえ逃れられぬ事象の地平線、全てを飲み込む質量の奈落。抗体兵器達は動けるもの動けないものに関わらず、また、結界の外軸に待機させていた予備戦力までの全てが、断末魔の軋みと共に虚空に穿たれた次元の穴へと蒸発していく。

 最早、趨勢は決した。結界も内部からの引く力による収縮に自壊、用意していた抗体兵器も全て破壊されている。

 

「フゥ――」

 

 既に夜の帳が降りた峠道に小さな焔が瞬き、紫煙が舞う。【真如】を片手にオイルタンクライターを仕舞い、暫しその香気を愉しんで。

 

「――まだやるかい?」

「……くっ」

 

 辛うじて外で待機させていた抗体兵器から奪ったマナで力を取り戻し、【聖威】を握り締めたままで片膝をついているフォルロワに問うたのだった。

 

「姑息な……場当たりに過ぎぬ、勝ち方など……っ」

「けど、勝ちは勝ちだ。一位だろうがなんだろうが――負け犬の遠吠えはカッコ悪ィぜ」

 

 烈風の如きスピンローディング、それによりもう一度『オーラフォトンクェーサー』を発射する用意は済んだ。

 この一瞬のみとは言え、今のフォルロワには『オーラフォトンクェーサー』に耐えるだけの余力はない。負けた、のである。

 

「……ならば、勝者の役目を果たせ。さあ――止めを刺すが良い」

「刺したところで。どうせ、外宇宙で復活するだけなんだろ? 割りに合わねぇよ、第一、美少女は殺さずに生かしてないと楽しめねぇだろ? 々、色々とな」

「ふぇ、お、お兄ちゃん……?」

 

 残弾(よりょく)を残したまま、踵を返す。そのまま空いた右腕で、疲労とマナ不足からなのかへたり込んでいたユーフォリアを、軽々と小脇に抱えた。

 

「そっちが手を出してこなけりゃ、こっちが突っ掛ける事もねぇ……もうすぐナルカナも帰ってくるし、『旅団最弱』の俺にしてやられてるようじゃ他のには勝てねぇ。諦めな、命は――何であれ自由だ、封じておく事なんて出来ねぇ。揺り篭でも、母なる星だろうとな」

 

 アキの体に、蒼茫の焔が灯る。『過程』を透禍する、起源の焔が。

 そして背中を見せたまま、実に軽薄にヒラヒラと左手を振って――

 

「じゃあな。何時までも親の脛齧ってんなよ、お嬢ちゃん」

「…………!」

 

 フォルロワが立ち上がれるようになる、正に刹那にその姿を完全に消した。起火の力で何処までか判らぬ程に移動したのだ。

 こうなれば、最早追跡は不可能だ。あんな力で逃げに徹されては、神ですらお手上げである。

 

 フォルロワはただ一人、宵闇の峠道で佇む。元々交通量が少ない上に、先程までの戦いで地形が変わってしまっている峠道。

 だが、明日には地滑りか何か適当な理由で片付けられる。フォルロワの因果率操作があれば、それも簡単な話だ。

 

「おのれ……我が、【刹那】に縛られているとでも言うつもりか」

 

 『()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()』ように。

 アキのように、最後の切り札だった『強制力』すら効かない例外など他には居ない筈なのだから。

 

「ここまでの屈辱は……初めてだ」

 

 諦めたように溜め息を吐き、【聖威】を虚空に消したフォルロワは――同時に前後から交差した車のヘッドライトが擦れ違った後には、もうそこに存在してはいなかった……。



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余暇の一時 戦を前に

 黒紫に塗り潰された天木神社の境内に、さながら空間を焼き切るように燃え盛った蒼茫の焔と共に一組の男女が現れた。言うまでもなく、それはアキとユーフォリアだ。

 

「はふぅ……お兄ちゃん、大丈夫?」

 

 強制力の枷から解き放たれ、知らず詰めた息を吐いたユーフォリアが問い掛ける。それにアキは、小脇に抱えていた彼女をゆっくりと下ろしながら。

「ああ、大丈夫だって。ちょっと腕と肩口を抉られたくらいだ。なぁに、これくらいなら『剣の世界』でダラバに付けられた傷の方が酷かったぜ」

 

 裂かれた外套、砕かれた鎧、破かれた戦衣。ただ永遠神剣の切れ味だけでこれだ、もしもマナの加護を受けていれば――間違いなく一刀両断だった。

 

「全然大丈夫そうじゃないよ~! ところで、『だらば』さんってだあれ? 酷いことするよね」

「まぁ、戦争だったからな……それに、死人をあんまり悪く言うなよ。立場が違っただけだ」

 

 ぷくーっと頬を膨らませて、既に血が止まり薄皮が張り掛けている傷口を見遣る彼女の肩をぽむっと叩く。

 それだけで、重傷を負い、ダークフォトンやオーラフォトン、生誕の起火を使い過ぎた反動か。意識を翔ばし掛けた事は、噫にも出していない筈だ。

 

――クソッタレが……危ねぇな。兄貴が妹の前で、情けねェ姿を晒す訳にゃいかねぇんだよ。

 

 危うく、奥歯を噛み締めて。悪辣に笑うような表情で、何とか意識を保つ。多少、頬を噛み切ったのは誤差としておこう。

 

「兄さま……あの、呑まれますか?」

「いや、いいよ。あんまり便利なものに頼り過ぎるのはどうかと思うしな。なぁに、半日もすりゃあこんな傷くらい治っちまうって」

 

 【真如】から化身体に戻り、心配そうに幽星質(アイテール)を湛えた聖盃を差し出してくるアイオネアの頭を撫でて、そのまま玉砂利を踏む。ユーフォリアを促して、不遜にも中央を通り、住居に向かおうとして――

 

「――これ、若造ども。其処は神々の通り道じゃ。脇を歩きなされ、全く……これだからゆとり世代は」

 

 そこに、提灯を提げた老人が呼び掛けた。その男性は、『写しの世界』で環の脇に控えていた――

 

「加山さん――」

「戯け、儂は『鹿島 信三』。誰が若大将じゃ……いや、悪い気はせぬが」

「こりゃ失礼しました」

 

 白髪に口髭を蓄えた、痩躯の宮司の老人。その手には提灯の他に、鞘に収まったままでも一目で大業物と分かる、鯉口を切った古刀が握られている。

 

――まぁ、いきなり現れたしな……武闘派集団の『出雲』の面々からすれば、頚元に刃を突き付けられたようなもんか。

 

 『余裕無かったんだから勘弁して欲しい』と頭の中で思いつつ、辺りの物陰に潜んでいる防衛人形(マモリヒトガタ)達に向けて手を振る。

 

「…………」

 

 敵ではないと察してくれたらしく、彼女達は――光をもたらすもののミニオンのように狗……秋田犬や柴犬等の様々な日本犬の姿をした防衛人形達は、三々五々、何処かに消えていった。案外、セキュリティは万全だったらしい。住んでいた時は気が付かなかったが

 

――ひょっとして、綺羅の私兵だったりしてな。流れ星綺羅……それはそれで見てみたい気も。

 

 等と、取り留めの無い事を考えつつ。拝殿の裏にある住居区に歩み入る。と――入り口に、そわそわと提灯を持った小柄な人影。更にその後ろには女性が六、男性が二人。

 それを見てとった信三は、最前の人影に向けて一礼した。

 

「おお、綺羅か。夜分遅くにご苦労――」

「――ご主人様!」

 

 その挨拶を聞きもせず、綺羅は一目散にアキにしがみつく。赤い瞳に、涙すら湛えて。

 

「おおっと、こら……そんなに大歓迎されたら困るぞ、綺羅?」

「……また軽口を……あの【聖威】と闘ったのですよ、少しくらい弱さを見せてください……」

「はは……大の男が、女の前でか? 無茶言うなよ」

 

 苦笑しながら、白髪に手櫛を通す。更々と、実に手触りの良い髪に。まるで、飼い犬を愛撫するように。

 綺羅はそれに、戦衣を引っ張るようにしながら口を開く。

 

「ご主人様……無茶はしないでください……私を少しでも思って下さるなら……ぐすっ」

「分かった……だからほら、あんまり泣くな。ドS魂に火が付いちまうだろ?」

 

 折れている為に上がらない左腕ではなく、右腕で。犬耳を揺らすように。

 

「むぅ~っ! 綺羅ちゃん、お兄ちゃんは怪我してるんだから、あんまりくっついちゃダメなのっ!」

「そ、そうです……! 早くお休みになられないといけないんです、兄さまは……!」

 

 と、回りがどんな反応をすれば良いのか悩んでいるところで、ユーフォリアとアイオネアはアキを取り戻そうとするかのように彼にしがみつく。

 

「それなら、私が手当てしますから問題ありません。第一、言っている事とやっている事がちぐはぐです、あなた達が離せばいいではありませんか」

 

 『ぶ~っ!』と頬を膨らませて可愛らしく睨むユーフォリアと、『む~っ!』と涙目で上目使いのアイオネア。対するは、『う~っ!』と小さく唸るジト目の綺羅。

 三者三様でありながら、一様にアキに抱き付いたままで。

 

「………………」

 

 その元凶(アキ)自身も、これは喜べばいいのか泣けばいいのか分からず、更に信三とミゥとゼゥの冷たい視線や、エヴォリアとワゥの面白そうな視線。クリフォードとルゥとポゥの困った視線を感じて、非常に居心地が悪かった。

 ベルバルザードは、覆面なのでどんな表情か分からなかったが。

 

「ふふ、いつの間にやら随分と人気者ですね、空さん?」

「うっ……環さん」

「あ――ご、御当主様!」

 

 おっとりとした声に目を向ければ、臍が眩しい改造和服。天女の如き黒髪の美女にして、平安の世より連綿と続く退魔の旧家『倉橋家』の現当主・倉橋環の姿。

 それには綺羅も居住まいを正す。見れば、信三も刀を右手に持ち替えていた。二心が無い事を示す行為だ。

 

「仲が良いのはいい事ですが、貴女は『倉橋の戦巫女』の従者です。きちんと状況を弁えなさい」

「は、はい……申し訳ございません……」

 

 叱られてしまい、犬耳巫女はしょんぼりと項垂れてしまう。尻尾などは可哀想に、袴の内側に捲き込まれてしまっていた。

 

「空さんも空さんですよ? こう言う時、年上ならば年上らしく教え導くのが正しい在り方とは思いませんか?」

「は、はい……仰有る通りです」

 

 そして、案の定とばっちり。その静かな迫力に逆らえず、素直に叱られてしまう。

 

――いや、そう見えてこの三人は全員俺より年上なんですが……言わない方がいいんだろうなぁ……。

 

 相変わらず外見で損している事に、溜め息を禁じ得なかった。

 

 放っておけばまだまだ続きそうなお叱り。それを見かねたか、単に時間が惜しくなったか。信三が口を開く。

 

「御当主様……そろそろ本題に」

「あら、私とした事が――こほん、そうですね、では本題に。皆さん、奥の間に」

 

 それにより話を切り上げた環に導かれ、全員が奥の間に移動した。

 

「まぁ、本題といっても大した事ではありません。明日朝、ナルカナ様達が帰ってこられると言うだけです」

 

 皆が一堂に会したところで、環は簡潔にそう口にした。

 

「「「「「――――――――………………」」」」」

 

 それだけで、空気が凍りついた。祭りの打ち上げ花火が終わってしまったか、折角の洗濯途中に鬼が帰ってきてしまったような空気だった。

 何気に、環も信三も綺羅も。中々よろしい主従(ピラミッド)関係らしい。

 

――斯く言う俺も、まるで滑り止めなしで受けた本命の大学に落ちた浪人生の気分だ……後は環さんが何を言っていたかすら記憶に無い。

 そんな状態で、気付けば風呂に入っていた。いつの間に……夢遊病の気でもあるのか、俺は。

 

 と、お約束なことを考えつつ。折角の癒しの時を楽しむ事にして。

 

「フゥ……いやほんと、いい湯だ」

「全くだ……日頃の疲れが染み出すようだ」

「…………むっっっっさ」

 

 両脇のクリフォードとベルバルザードにげんなりとした表情を作ったそのまま、アキは頭の上に乗せた手拭いを絞ってから頭に乗せ直しつつ透徹城から酒と盃、そして盆を取り出して湯に浮かべた。

 

――何てーか、ちっとも癒されない。俺の時間を返せ。あとベルバ先輩は風呂でくらい顔を出せ。

 

 ちびりと盃を舐めながら手拭いで顔を隠しているベルバルザードを見てそんな事を思っていると、その視線に気付いたベルバルザードが――頭を下げた。

 

「今、こんな穏やかな時間を過ごしているのは……お前のお陰だ。決して赦されようもない殺戮者である我ら『光をもたらすもの』が、な」

 

 湯気に消え入るように小さな声で、そう呟きながら。

 

「……ま、そりゃあそうだろ。守らなきゃいけないもんの為だろうが何だろうが、命を奪ったからには死んでも咎人だ」

「はは、厳しい奴だな、アキは。普通そこは優しい言葉をかけてやるところじゃねぇか?」

「姉御の場合ならそれも考えたけどなぁ……先輩には踏みつけられて雑魚呼ばわりされたし」

「まだあの時の事を根に持っていたのか、貴様は……」

 

 それをいつもの悪辣な笑顔と辛辣な言葉で斬って捨てたアキに、クリフォードが苦笑する。それに更に軽口を返せば、ベルバルザードも呆れたような声色で答えた。

 

「ならば――丁度良い。明日朝一番で手合わせといこうではないか」

「ハ――上等、今度はアンタを地に這い泣き叫ばせてやりますよ」

 

 言いつつ、浴槽から出たアキ。上がる為ではなく、単純に尿意を催した為だ。

 さりとて、完全和風のこの天木神社。ユニットバス等ではもちろんない。

 

 なので、排水溝の前に立って――ジョボボと以下略。何が面白くてそんな描写をしなくてはならないと言うのか。

 

「フゥ……」

「お……中々でかいな、まぁ俺の程じゃないが」

「何おぅ、確かにアンタの600NEに比べりゃ口径で劣るが……俺の50BMGを舐めて貰っちゃ困るぜ。装薬量は上だ!」

「舐めるかよ、色んな意味で……」

 

 と、その隣にクリフォードが並んでジョロジョロと以下略。具合により、前からではなく後ろ姿でイメージするのを推奨する。

 そんな二人の間に――ボジョボジョッ、と一際激しい水音。そう、巨漢ベルバルザードが以下略。その量たるや、排水溝が一時的に溢れた程であった。

 

「ベッ――!」

「ベル、バ――」

「――アララ……」

 

 それに、二人は目を見開く。その、デイビークロケットの核砲弾に。

 みるみる内に潰えた両脇の二人の水音を尻目に、その水音はそれからも一分近く続いた。

 

「ヨウ……中華饅頭デモ買イニイコウゼ」

 

 と、ブルンブルンと滴を払いながら、何故か片言でそう口にしたベルバルザード。

 

「「――チワァァァァッス!!!!!!」」

 

 そんな彼に、アキとクリフォードは揃って頭を下げたのだった。

 

 

………………

…………

……

 

 そんなこんなで風呂を上がっていった二人を見送り、もう一度湯に浸かる。今度こそ、自身の治癒に専念する為に。

 

――皮と肉は繋がった。後は骨だけなんだが……こいつが中々治らない。そう言えば未来の世界のガーディアンも、骨を断った腕や翼は再生が遅そうだったしな……。いくら龍の因子と言っても、メリットばっかりじゃ無いって事か。

 

 まだ上がらない利き腕を労るように、右手で肩を揉む。ゴキゴキとする感触は、ただ折れたのではなく粉砕だという事の現れ。

 溜め息を吐いて湯中で胡座をかき、桧作りの浴槽に寄り掛かって天井を仰ぐ。

 

――明日中には治しとかないとな……しかし、この世界はマナが薄いからな。治りが遅い遅い。

 

 苦戦している理由は、それである。マナの希薄なこの世界では、癒そうにも逆に吸いとられているような感覚すらあるのだ。

 

「こうなったら、誰かからマナでも貰おうかなぁ……ハハ」

 

 等と、するつもりもない悪行を挙げてみる。マナ存在同士は、そういう事が『そういう事』で出来るのだ。詳しくは年齢制限的な問題なので割愛するが。

 

「ふ~ん、誰から?」

「そりゃあお前、やっぱり姉御とか環さんなんかのナイスバディな大人の女性がいいなぁ」

 

 と、寄り掛かるように右足の上に座った、生まれたままの姿のユーフォリアからの問いかけに答えた。

 

「むぅ……それでしたら、わたしの雫を呑んで下されば良いのに」

「こらこら、女の子がそんな誤解を受けそうな事を言うんじゃありません」

 

 逆側の左足に座って寄り掛かる、同じく生まれたままの姿のアイオネアが再度進言するも、アキは聞き入れなかった。

 彼は格子窓から覗く満月と星宿を眺めながら、両脇の二人の幼げな腰に手を回して抱き寄せ――

 

「……いつ入ってきた?」

 

 笑いながら、問い掛けた。それに二人は、きょとんと見詰め合って。

 

「「今」」

「さいですか……」

 

 全く気付かなかった事に、アキは流石に戦慄した。戦士としては、あるまじき事だ。そもそも二日間まんじりとも寝ていないのだから、ただ単に限界なだけだろうが。エターナルにも、疲労回復の睡眠は必要なのだ。

 しかしそんな事より、問題は――

 

「邪魔したな、じゃあ兄は先に上がるから」

 

 と、腰に手拭いを巻いて自称50BMGを隠して立ち上がる――事は、脚に乗る二人が居る状態では出来なかった。

 

「ダ~メ。あたし達は、お兄ちゃんのお手伝いしに来たんだから。片手だと、髪とか洗いにくいでしょ?」

「はい……その、左手が使えないんですから、わたし達が兄さまのお体をお流しします」

「いや、いいって……別に一日くらい洗わんでも」

 

 それでも立ち上がろうとする彼を押さえ付けるように、二人は小さな裸体を押し付けてくる。

 

「「む~~っ!」」

「こ、こらっ! しがみ付くんじゃない!」

 

 湯の温度に桜色に色付く抜けるように透き通った白磁の柔肌と、浅黒く傷だらけの筋肉質な肌とコントラスト。左右の、同色ながらも全く質感の違う青色のグラデーション。

 その湯よりも温かな薄い肉付きと――脇腹に感じる、ささやかな感触。少しでも乱暴に扱えば壊れてしまいそうな儚さに、知らず鼓動が乱れる。

 

――ま、待て……落ち着け巽空。お前は犯罪者予備軍のロリコンさんじゃないだろ? そうだ、こんなものはあれだぞ、日頃の引っ付きもっつきの延長だ。色即是空、空即是色だ(?)。

 

「――失礼します、ご主人……巽様。あの、差し出がましいとは思ったのですが、お怪我で不便をしていらっしゃるのではないかと思い、お手伝いしに参りました」

「この忙しい時に……」

 

 等と考えていると、やたらと緊張した声が真正面にある湯屋の戸の向こうから響く。幾分上擦っているが、間違いなく綺羅の声だ。

 

「い、いや、大丈夫! 心配には及ばな――」

「はいっ! その、不束者ですが、精一杯努めさせて頂きま……す…………」

「人の話を聞いてくれ……頼むから」

 

 断ろうと口を開くも、最初から随分とテンパっていた綺羅はそのまま戸を開けてしまった。その赤い瞳が、浴槽内で絡み合う三つの裸身を捉えて……呆けたようになる。

 

「ふふ~ん、綺羅ちゃんはいいよ。人手なら足りてるから」

「は、はい……兄さまは、わたしとゆーちゃんだけで大丈夫ですから」

 

 そこに、アキに引っ付いたままの二人が勝ち誇るように口々にそう告げる。さしもの綺羅も、何も言わずに戸を閉め――

 

「――いいでしょう、私も倉橋家に仕える誇り高き狗神族の末席……武でも知でも、閨でも他者の後塵を拝す訳にはいきません!」

「何でそうなるんだぁぁぁッ!!!」

 

 ……ずに、一気に装束を脱ぎ捨てた。ただし、首輪だけは残した倒錯的な状態である。その白くなだらかなラインが目に入りそうになり、慌てて目を天井に逸らす。

 早くも真っ赤になった綺羅は、二人の間に滑り込むように抱き付いてきた。勿論、50BMGをふさふさの尻尾の下に敷いて。

 

「もう、綺羅ちゃんのいじっぱり~! お兄ちゃんのお世話は妹のあたしがやるのっ!」

「それはこっちの台詞です! そもそも、貴女達なんかよりずっと昔からご主人様の怪我の手当てをしていたんですから!」

「じ、時間の長さは関係ありません、大事なのは密度です。わたしは妹ですし、手当てどころか何度も命を差し上げましたからっ」

「ああ~っ、アイちゃんが抜け駆けした~っ!」

 

 途端に、きゃんきゃんと騒ぎ立てる三人。またもや休息とは程遠くなる浴場。

 金褐色の短髪を気怠げに掻き上げ、アキは二人を見遣る。鋭い三白眼の瞳は、うるうると見上げてくる三対の瞳を真っ向から受け止め――

 

「……分かったよ……好きにしてくれ。全く、とんでもねぇ放銃(ヘマ)しちまった」

 

 結局その蜂蜜色の瞳と同じく、甘い事を言ってしまったのだった。

 

 

………………

…………

……

 

 

――強さとはなんだろう。体の強さ、心の強さ、運の強さ……偏に強さと言っても色々なものがある。

 

「んっ、ふっ……お兄ちゃあん、どう……? 気持ち、いい……?」

「ああ……上手だぞ、ユーフィー」

「えへへ……じゃあ、も~っと頑張っちゃうね」

 

 目を閉じたままで『義妹(いもうと)』の『奉仕』に身を任せていたアキは、胸を震わせる熱っぽい問い掛けにも機械的に答えただけ。

 そして、また思考の海に沈む。正に、現実逃避そのもの。

 

――俺は弱い。自虐でも自惚れでもなく、間違いなく旅団では最弱だろう。だから、俺はもっと強くなる努力と……より高性能な武器を作り出さなければ。

 それに、フォルロワとの戦いで少し手牌を切っちまった。あれもログとやらに載せられたかもしれないしな……。

 

「はふ、んん……兄さまぁ、兄さまの……凄く硬くて太いです……」

「そりゃあ、兄さまだからな……アイ、疲れたなら休んでもいいんだぞ?」

「だ、大丈夫です……兄さまに満足していただけるまで、頑張れます……」

 

 やはり目を閉じたままで受けていた、もう一人の『義妹』の奉仕とその言葉。それに背筋が震える感覚を味わう。

 だが、やはりアキはそのまま思考の海に戻っていった。

 

――理想幹神との戦いで、準備のし過ぎと言う事はないだろう。周到に周到を積み重ねてこそ、勝利を得る事が出来るだろう。

 しかし、この思考すらログに記されるかもしれない。全く、遣り辛い話だぜ……。

 

 ふう、と溜め息を吐く。浴槽のヘリに腰を掛けて軽く足を開き、俯くようにして没頭していた彼の頭上から――

 

「く~ん……ご主人様ぁ……そろそろいいですか……?」

「ん――そうだな、綺羅……そろそろ掛けちまおうか」

「――は、はい……!」

 

 と、見なくても尻尾を振るわせている彼女の様子が手に取るように分かる。その希望を叶えるようにそう答えて。

 

「――それでは、流します。しっかり目を閉じててくださいね」

「ああ」

 

 だばーっと、シャンプーを頭から流された。要するに、そういう事である。

 

「きゃふ~っ! もう、綺羅ちゃん! いきなり流さないでよ~!」

「はうぅ……泡が流れちゃいました……」

 

 それに鍛え上げられた胸板をタオルで擦っていたユーフォリアが頭から湯を被ってしまい、同じく背筋が龍の顔に見えかねない程に発達した背中を擦っていたアイオネアがボディーソープの泡を流されてブー垂れる。

 

「ちゃんとご主人様の言葉を聞いていれば分かった事です」

 

 因みに、三人はバスタオルを巻いているのでギリギリ15禁でオーケーな筈だ。何とか言いくるめて巻いてもらった次第である。

 下手をすれば、その下の幼げな体で洗っ(以下略

 

「もう、洗い直しだよぉ……」

「いや、充分だって……大体、もう洗って無いところは腰くらいだ。お前ら俺の50BMGまで洗うつもりか」

 

 あと、興味はないだろうがアキも腰に手拭いを巻いている。抜かりなしだ。

 

「ごじゅーびーえむじー?」

「ほぇ?」

 

 その隠喩に思い至らないユーフォリアとアイオネアは首を傾げて青髪を靡かせただけ。

 

「あぅ……ご、ご主人様がお望みなら……」

「望まないから……」

 

 対し、そういう知識のある綺羅は頬を染めて恥じらいつつ。濡れた白髪をいじりながらそんな事を宣う。

 それに、アキは金褐色の短髪を掻き上げて水気を払いながら、浅黒い龍躯を湯に浸す。その後を追うように、三人も次々浴槽に入って来た。

 

「えへ~」

「ふに~」

「く~ん」

「……何故に寄り添うのかね、お前らは」

 

 そして申し合わせたように右にユーフォリア、左にアイオネア、真ん中に綺羅が陣取る。再び、ある種のマウントポジションだ。

 湯の熱に加えて、小柄ゆえに体温の高い少女三人に寄り添われているアキの体感温度たるや、まるでサウナだった。

 

「ねえ、お兄ちゃん……この傷、すごいね」

「ん……? ああ、それか」

 

 と、ユーフォリアが恐る恐るといった具合で指を這わせた胸元……丁度『⊿』を逆さまにしたようなその傷跡。

 

「懐かしいな……ダラバに斬られた傷だ。背中のと合わせて、【夜燭】の本当の担い手、飛将ダラバにな」

 

 剣の世界に殺戮の嵐を巻き起こした、『軍事国家グルン・ドラス』の暴君。アイギア国の暗部を支え、それ故に闇に葬られたレストアス家の最後の生き残りだったダラバ=ウーザに刻まれたそれ。

 

「じゃあ、兄さま……この傷跡は」

「それか? それは俺の前世……クォジェの反転弾で撃ち抜かれた痕だな」

 

 アイオネアが指し示したのは、背中から胸部に抜けた銃創。それは魔法の世界で受けた傷だ。

 神世から連綿と憎しみを繋げてきた呪毒の神名、奸計と謀略を象徴する悪神『クォジェ=クラギ』の永遠神剣【逆月】の破片を使った弾頭での傷。

 

「では、ご主人様……この傷は?」

「それはな、ショウの矢傷だ」

 

 太股に走る傷は、未来の世界にて友の為に戦い続けた男による矢が掠めた傷跡。

 命中するまで敵を追い続ける矢を放つ弓形の神剣【疑氷】の担い手、ショウ=エピルマによって。

 

――全く、思い出してみれば勝った事なんてごく僅かだな。俺は、お前らに報いれる程に強くなれたのか?

 

 その他にも、(あげつら)えばキリがない。それ程多くの戦いを、無傷ではなく生き抜いてきたのだ。

 何時でも、自分より強い相手を敵に。たった一つの命を的に。心身をズタズタにしながら、それでもなお膝を折らずに進み続けてきた反骨の意思の体現――不撓不屈なる侠客(オトコ)の身体だった。

 

「悪いな、見苦しい体で」

「なにいってるの、お兄ちゃん」

「そんな事はあり得ません、兄さま……寧ろ……その」

「そうですよ、ご主人様。寧ろ魅力的です……えっと、一人の雌としては」

「ハハ……そう言って貰えるなら、報われたかな」

 

 それに少女達は、微かに熱を帯びた視線を向けた。それが、答えであろう。

 

「――いやホント、よく生きてたもんだぜ。まぁ、そのご褒美みたいなもんかな、この時間は」

 

 等と結論付け、難しい事は考えずに状況を楽しむ事にする。自分より年上なのに小粒オンリーとはいえ、いずれも紛れもない上玉揃い、言ってみれば今はマハラジャの湯浴みみたいなハーレム状態なのだ。

 これを楽しめなければ男としては終わっていると思う……いや、楽しめたら楽しめたで人として終わってる(ロリータコンプレックス)と思うが。

 

――時深さんも『ヘタレにだけはなるな』って口を酸っぱくしてたしな。よーし、そうと決まれば酌でもして貰うか。

 

 と、浮かばせていた酒を引っ付かんで……生温くなっているそれを飲み干した。

 そして更に、透徹城から新たに酒を抜き出そうと意識を集中して――

 

「――あれ?」

 

 ぐにゃりと視界が歪み、意識が透徹城から虚空に溶ける。それは、さながらテスト前日に一夜漬けしたような。仕事が片付かずに貫徹した後に布団に入ったような。

 つまり――いきなり酒精を多量に流し込んだ事による眠気。それに普段ならば10分入らない風呂に一時間以上浸かっている長風呂の湯中りが加わった結果だった。

 

「今からって時に……俺の……軟弱者……ヘタレ野郎……」

 

 そんな事を毒づいている間にも、意識は拡散していく。それに気づいた少女達が何かを言っているようだったが……最早意味のある言葉には聞こえずに。

 

「ぐぅ……」

 

 そんな寝息を立てたのだった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 深く、深く微睡む。色のない色の底の底に沈みながら、根元に至る。

 この世界はたった一振りの■■が砕けた結果。■■が夢見た、夢の夢。

 

 未来永劫、醒める事はない。過去刹那、()めた事もない。

 夜眠れば無限の夢を見るように、朝目覚めれば有限の現を見るように。

 

 しかし、恋焦がれるものがある。美しき我が伴侶よ。我が最愛の絆よ。

 

 砕けながら、其処に在った物が無くなった空虚は其処に在る。

 

 ああ、懐かしの我が家へと。漸く再会せし、我が『鞘』よ。

 今、帰ろう……『永遠神剣(オレ)』は、お前の許に――――――――今度こそお前を、砕きに……

 

 

………………

…………

……

 

 

 目を開けば、ぐるぐる回る薄暗い天井。額には濡れ手拭い、傍らには水差し。

 

「う……」

 

 体を起こさず、辺りに視線を巡らせる。見えてきたのは――すやすや眠る、三人の少女。まず間違いなく、看病していてくれたのだろう。

 時間はもう午前二時過ぎ、三時間は卒倒していたものと思われる。今度は酒にまで負けたか、等と苦笑しつつ、自分の代わりに三人を布団に寝かす。

 

 そして自分は、縁側に出ると煙草を一本蒸かす。鈴虫の鳴き声に耳を傾けつつ、先程見ていた妙な夢に意識を傾けて――もう思い出せなくなっていることに苦笑いする。

 一服を終えて――透徹城内部の最重要区画の一つに仕舞い込んでいた『ソレ』を取り出した。

 

「さて――朝までに仕上げねぇとな」

 

 フォルロワとの戦いで鹵獲していた、一機の抗体兵器を――

 

 

………………

…………

……

 

 

 朝日と共に、空間が捩曲がる。そこから現れ出でたのは一頭の鯨。背中に学園の校舎を乗せた次元くじら『ものべー』である。

 

 それは天木神社の裏手の山林に着陸した。僅かな時間の後、複数の足音が境内に集った。

 

「あはははは~、ナルカナ様のご帰還よ~!」

 

 疲れ果て憔悴しきった一団を連れたナルカナの帰還を以て、穏やかな日々は終わりを告げたのだった。

 

「……ハァ」

 

 思わず、溜め息を溢してしまった。今はナルカナのテンションが高くて気付かれていないが、もしも聞かれていたら『ストームブリンガー』ものである。

 と、そんなアキの袖を引く者が居た。目を向ければ紫の髪に猫耳――間違いようもなくナーヤである。

 

「あき、頼まれておった『もの』は持ってきたぞ。まぁ、持って来たのはわらわではなくものべーじゃがな」

「下から見てましたよ……いや、助かります。後は『アレ』に少し手を加えてやれば準備万端だ」

 

 ニッ、と悪辣に笑い掛ければ、彼女は照れたように頬を染めながら俯いた。まるでそれは、憧れの存在を前にした少女のようである。

 少なくとも、妙な雰囲気に気付いたユーフォリアとアイオネアがそわそわし始めるくらいは。

 

「それで、その……ご褒美はいつ貰えるのじゃ……?」

 

 消え入るような声で、袖を引っ張る彼女は問うた。その仕草は何と言うか、子猫のようで反則スレスレな愛らしさである。

 

「ご褒美……? 何でしたっけ?」

「うにゃああ……意地悪を言うでない。ご褒美と言えば、アレに決まっておろう……」

 

 すっ惚けたアキに、ナーヤは建前上怒ったような声をあげた。しかし正しく猫なで声、迫力の『は』の字もない。

 

「お主の……ゴニョゴニョ……黒くて太くて力強い……ゴニョゴニョ……から……勢いよく飛び出すアレじゃ……」

 

 等と断片的に聞こえたからには。

 

「お兄ちゃんのすけこまし~!」

「ノヴァは止めてぇぇぇぇ!?」

 

 再び、『お~らふぉとんのう゛ぁ』が火を吹くのは、自明の理であった……。

 



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第九章 理想幹
理想の種子 根幹へと Ⅰ


 ものべーの作り出す朝日の眩しさに目を覚まして、身嗜みを整える。時刻は七時前、物部学園の校舎は相変わらず静かだった。

 上履きに履き換えて、リノリウムの廊下を踏み締める。それだけで、まだニンゲンだった頃……学生の巽空に戻った気すらしてくる。

 

 詰まらない感傷を拭い去り、彼は扉を開く。己に課せられた役割を果たす為に――……

 

「空ィ、朝メシまだかよ〜」

「ボクもうお腹ぺこぺこだよ〜」

「なら自分で作れやァァァッ!!」

 

 バンバンとテーブルを叩くソルとルプトナに向けて、アキは叫ぶ。希美がファイム化した上に沙月が行方不明となり、学生も降ろしている為に食事係が激減したのだ。そこに帰ってきた、割とまともな食事係だ。こき使われない道理はない。

 

 エプロンを身に付けて、とにかく一度に大量に作れる調理を行う。昨日はカレー、勿論、ジャガ芋は入れていない。大鍋の中の二日目のカレーは中々深い味わいだ。

 因みに、好みで辛口にしたのは女性陣に物凄く不評だった。

 

「遅いぞ、巽。下拵えは済ませてある」

「悪い、暁……後は全部俺が作る」

 

 先に厨房に居た絶……トーストしたパンとカツレツを作っていた貴重な食事係の一人に断りを入れて、アキは包丁を取る。その時に回転させたのは【真如】を手にする時と同じ、気合いを入れた証拠だ。

 

「ナナシが世話になったと聞いている。迷惑を掛けた」

「どっちかと言うと、俺の方が面倒見て貰った感じだけどな」

「全くです、もう少しで守護者に捻り潰されるところでした」

 

 キャベツを千切りしつつ、アキは話し掛けて来た絶に視線を移す事無く答えた。それに絶の肩に乗るナナシは、ジト目でアキを睨む。

 

「事実は小説よりも奇なり、か」

「なんだよ、薮から棒に……」

「殺し合った相手と並んで食事の用意。退屈しないな、生きていると言うのは」

「当たり前だろ。生き続ける限り、驚きと革新の連続だ」

 

 ニヒリスト達の会話は無駄が無い。それで全てを理解し合い、後は特に何も話さず調理に没頭する。

 

「では、先に食事を取らせて貰うとするか」

「あいよ、朝から胸やけしそうだぜ……」

「マスター、衝撃波の許可を」

 

 『カオスインパクト』を発動しそうなナナシに絶は苦笑して、同じ皿から食事を取るのだろう、完成させたカツサンドを持って歩き去っていく。

 

「お早う、絶」

「お早う、望。今日も希美ちゃんと同伴出勤とは恐れ入る」

「茶化すなよ……」

 

 そんな絶に食堂に入って来た望が声を掛けた。その後ろには希美……ファイムの姿。相剋の神名が覚醒して以降はずっと、ああして望の傍に控えている。

 

「……お兄ちゃん? おーにーいーちゃーん!」

 

 温めなおした残り物のカレーをよそう。彼とて判っているのだ、仕方ない事だと。今までも二人は仲が良かったし、いつも引っ付いていた印象もある。

 

「……ハァ」

「んもぅ、お兄ちゃんっ!」

 

 溜息を落とした彼のお玉を握る手を、小さな手が掴む。

 驚き見れば制服姿のユーフォリアと、『やっぱり制服は裾が短くて恥ずかしいです……』という訳で、旧制服を着る時は黒いタイツを穿くようになったアイオネア。

 

「っユーフィー、アイ……なんか用か?」

「用っていうか……あの」

 

 なお、この二人は相部屋で生活している。『妙齢の男女が同室なのは戴けない』として、アイオネアは仲の良いユーフォリアと相部屋で生活する事になったのだ。

 

「兄さま……カレールーが溢れてますよ……」

 

 どばりと掛けられ続けたルーは、皿から溢れてもう一度鍋に戻っている……と言うか。

 

「――熱ァァァッ!?」

 

 勿論、熱々のカレールーに塗れた右手を即座に冷やす羽目になったのだった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 食事を用意し直して席に着く。目の前にソルとルプトナ、左側にアイオネアとユーフォリアの五人でテーブルを占拠した形になる。

 

「……ねぇ空。希美が望にべったりなの、どうにかならない?」

「――んグッ!?!」

 

 開口一番、ルプトナはそんな事を言ってのけた。アキは思わず、口を湿らせる為に飲んでいた冷水を噴き出しそうになる。

 

「しょうがないってのは判ってるよ……けどさ、一人占めは良くないと思わない?」

「いつにも増して仲良しさんですもんね、望さんと希美ちゃん……近付くだけで一苦労ですよ……」

「俺が知るか……悔しいならお前らが積極的に行きゃ良いだろ」

 

 むーっと眉根を寄せてカツサンドを頬張るルプトナ。ユーフォリアも、何処かつまらなさそうに唇を尖らせて呟いた。

 ソルラスカは完全に我関せずを決め込みカレーを掻っ込んでいる。アキもまた、同じようにカレーを喰う。

 

「何だよー、空だって希美が望にべったりなのは嫌だろ? だって空は希美が――」

「……煩せェよ。テメェに関係ねェだろうが」

 

 そこで、不用意な言葉を紡ぎそうになったルプトナを睨みつけた。冗談で済む、ギリギリの範囲で。

 

「……ゴメン」

「……いいさ……どう足掻いても事実だしな」

 

 謝りを入れてカレーを口に運ぶ。舌を焼く痛烈な辛みが、心地好く感じられた。

 

「え、えっと……レーメさんから、理想幹の地図を借りてきたんです。これで作戦を立てませんか?」

「……ん、サンキュー」

「ぶぅー……お兄ちゃん、語尾は伸ばしちゃ駄目。『サンキュ』だよ」

「何が違うんだ、何が……」

 

 場の空気が重くなったのを感じて、アイオネアとユーフォリアは机の上に前回の進攻で得たという地理情報を描いた地図を広げながら言った。

 

「中央島ゼファイアスを攻略する為に各浮島の祭壇の転送鍵を解除しないといけないんだって。あと、ゼファイアスから中枢部ゼフェリオン・リファに行く為に解除する転送鍵もある二段構えの陣らしいよ」

「全く……そういう所は、神世から変わっちゃいねェ陰湿さだ」

 

 地図を広げて、解説の為に食事を止めたユーフォリア。アキは皿を持ち上げて、相変わらずカレーを掻っ込んでいる。

 

「やっぱりあたしは、一カ所ずつ占拠するのが安全だと思うけど」

「俺達は寡兵だぜ、一カ所に集中すればそれだけ集中攻撃を受けるだけだ。それに、拠点を制圧した後に纏めて移動したら、あっという間に奪還されちまう」

「それなら、散開して一気に……」

「言っただろ、俺達は寡兵。分散すれば、それだけ戦闘力が減る。あっちからすれば潰しやすくなるだけだ」

「うぅ、だったらどうするの?」

 

 頭ごなしに完全否定されてしまい、落ち込んでしまうユーフォリア。頭の翼もしょんぼりと項垂れてしまっている。

 

「そこだよ、相手はログ領域って情報源があるんだ。それが一体、どこまで情報を記してるかが胆になる……」

「そっか……幾ら作戦を立てても、ログ領域に記されたら意味が……」

 

――圧倒的なチカラ如きで決まる闘いなんざ局地的なモノだ、大局を征するのは結局、情報と数。

 俺らが『取り替えの利かない少数精鋭』なのに対して、理想幹神は無制限に殖える捨て駒[ミニオン]や『プレイヤーの視点』とか『神の視点』を持って粋がってやがるクソッタレのチートゲーマー野郎。更に戦場は相手の土俵。いっそノル=マーターでも造ってみるか? 何てな……時間もマナも足りやしねぇ。

 

 ふぅ、と考え込んでしまう二人。アイオネアはそんな二人が答えを出すのを、ただ待っている。

 残る二人は食事に集中しており、考える気は毛頭無いらしい。

 

「時深さんがついて来てくれたら、一挙に問題解決だったのに」

「……そんなに凄いのか、時深さんって」

「『凄い』なんてモノじゃないよ。実力はあたし達の遥か上、更に未来を視る力まで有るんだから」

 

 嬉しそうに語る彼女に、何と無くアキも誇らしい気持ちになる。

 

「……その代わりが、我が儘お姫(ナルカナ)様だしなブルォ!?!」

「へぇ〜、面白そうな話をしてるじゃないのよ。一体誰の話をしてるのかしら〜?」

「「ふぎゅぅ〜」」

 

 そこに背面から、殺した相手の魂を喰い力を増していくという混沌の剣『ストームブリンガー』の銘を冠す一撃をアキの後頭部に叩き込み、ユーフォリアとアイオネアを抱き寄せたナルカナ。

 

「い、いつから……そこに……」

「今さっきよ……モグモグ、お腹空いたから来てみたの」

 

 顔面をカレー塗れにしたアキの目に映るのは、他の皆と同じく学園指定の制服を着ているナルカナ。手近な所に在ったカツサンドを、勝手に食べている。

 

「ナルカナさ〜ん、あたし達の頭の上であたしのカツサンドを食べないで下さい〜!」

「はう、パン屑が……」

 

 頭の上に落ちてくるパン屑に抱き締められた二人が閉口していた。

 因みに彼女、最近望の部屋に入り浸って……というか私物化し始めて、『お陰で希美の機嫌が悪い』と望が愚痴を零しに来た事も在る。

 

「悩んでいるなら、このナルカナ様が解決してあげようじゃないの青少年諸君。うーん、そうねぇ…『ガンガンいこうぜ』!」

「冗談じゃねェ、そんなドラ○エみてーな策戦に付き合えるか!」

「じゃあ『アキ以外命を大事に』」

「死ねってかぁぁ! 俺に死ねっつってんのかぁぁ!」

 

 顔を拭ったアキは最悪の策戦を口走った彼女に間髪容れずに突っ込む。しかし、ナルカナはオーラにより意にも介さない。

 

「別にあんたに期待してないわ。あたしだけで事足りるし、いざとなればユーフィーを連れてくから。二軍落ちはク○フトとト○ネコとブ○イと一緒に馬車の隅っこで膝を抱えてなさいよ」

「腹立つわーコイツマジで……!」

 

 揃って、ジト目で睨み合う。その背後で龍虎相対する絵が見えそうな程に。

 

「……まぁ、冗談はここまで。アキには別の重要な仕事が有るのよ」

「はぁ? どんな?」

 

 いきなり真面目な表情に戻ったナルカナは、ユーフォリアのカツサンドを食べ終えてアイオネアの聖盃を勝手に飲み干した。

 流石は八岐大蛇の尾から現れたと伝わる剣、その暴虐さたるや。

 

「あんたはね、ログに載ってないのよ。生まれた瞬間から死の瞬間まで、以前は載ってた事項の全てが抹消されてるの。この娘と契約した瞬間から、神剣宇宙で唯一の『(カラ)』な存在……表現方法も記述しら方法も無い存在としてね。しかも、それが在るべき姿ときてるんだからこのー」

「ひゃふうぅぅ……」

 

 『そのせいで、異能じゃあ探知も発見も出来ないじゃないのよ』と、むにゅーっと頬を引っ張られるアイオネア……【真如】と契約した瞬間、彼はエターナルとして神剣宇宙からすら弾かれたのだ。

 取り返しようも無い『空』の現身(うつしみ)として。

 

「……つまりあんたは、ルールから外れた『別物(ジ・アザー・ワン)』。ポーカーならジョーカーって訳よ。しっかりと策戦を練って奴らの鼻をあかしてやりなさい」

「……そりゃどうも。俄然ヤル気が出てきたぜ……!」

 

 テーブルを叩いて立ち上がる。カレー皿は既にカラ、アイオネアから聖盃を受け取ると飲み干す。

 

「ソル、景気付けに特訓だ!」

「ハッ、上等だ!元々俺から誘うつもりだったんだからな!」

 

 言うが早いか、さっさと洗い物を厨房に持って行く男二人。それを見送った女四人。

 

「……まったく、相も変わらず思い立ったら即行動な二人だよね」

「もぅ、策戦を立てなきゃいけないのに……あたし達も行きましょう! アイちゃんも早く!」

「うん、ゆーちゃん……ナルカナさん、失礼しますね」

 

 『全く、仕方ないなぁ』と溜息を落としたルプトナとユーフォリア。促されたアイオネアが波紋へと変わり、空間転移してナルカナの拘束を逃れ、一礼して二人の後を追っていく。

 

「なによ、あたしを無視して青春してー!ナルカナ様を敬えー!」

 

 体よく逃げられてしまい、怒ったナルカナの咆哮が木霊したのだった……。

 

 

………………

…………

……

 

 

 時は過ぎて昼下がり、ソルとの特訓を終えたアキは中庭のトネリコの樹の根元で、幹に背をもたせ掛けていた。その左隣りでは同じくソルが幹に背を預け、ペットボトルから水を飲んでいる。

 

「チッ……まさかこの俺がお前を相手にギリギリの勝利とはな」

「あァん? だから、テメーの方が先に地面とキスしたっつッてんだろ」

 

 言いつつ、ペットボトルを奪って喉を潤す。そもそも、このペットボトルを充たす水はアイオネアの幽星質(アイテール)、アキのモノだ。

 

「だから、引き分けだって言ってるじゃないですか……」

「そうそう、鏡に映ってるみたいに同時だったじゃん」

「えっと……同時でした」

 

 そんな不毛な意地の張り合いを、右隣のユーフォリアとルプトナ、アキの左腕を腕枕にして寄り添うアイオネアが止めさせた。

 

「よ、よーし……取り敢えず無効試合だな」

「お、おうともよ……次はきっちりとノックアウトしてやるぜ」

 

 因みに、互いに失神してしまう程に見事なクロスカウンターで引き分けており、アキは左頬、ソルは右頬がまだ赤く腫れている。

 

「そう言えば、学園の皆は元気にしてたか?」

「ああ、元気なもんだったぜ。この理想幹攻略が終われば、元々の世界に連れてくる約束になってるからな――全員で、よ」

 

 ふと、思い出す学園生達。未来の世界に行く前に無理して降ろした一同の事。

 たった三週間だが、随分と会っていないような気がした。

 

「俺さ……魔法の世界に帰ったら……今度こそ学園祭やろうって会長に進言するんだ……」

「おいおい、縁起でもねぇな」

「そーだよ、なに判りやすい死亡フラグ立ててんのさ」

「一番死ににくいくせにー」

「あははは……」

 

 しょうもない冗句(ジョーク)を口にしたアキに、ツッコミを入れるソルラスカ達。

 この暫く後には、此処に居る皆が生命を賭けた闘いに臨まなければならない。それまでのごく僅かな間の平穏を、気の置けない者達と過ごすのは当たり前の事だろう。

 

 言葉も無いまま、ただ時間が流れていく。だが、気まずさはない。寧ろ、その沈黙は信頼の証だ。

 大地を撫でる風、青空を流れる雲。深く地に根差す大樹は水を吸い上げ、天高く張った枝葉を抜けて木漏れ日が降り注ぐ。

 風も青空も光も、ものべーの能力によって作り上げられたモノだが――それが何だというのか。

 

「ずっと、こんな時間が続けば良いのに」

 

 ユーフォリアの呟きに呼応するように、涼やかな風が吹く。五人皆が同じ気持ちでいるのだ、この"魂の安寧(アタラクシア)"こそはヒトが追い求めてやまぬ楽土なのだろう。

 

 永遠者(エターナル)という存在の概念については既に説明してある。その"生命"が時間的には無限に近い事、そして……それ故に安寧を無くした存在である事を。

 

「続くよ、きっと……いつまでも」

「だな、俺達は全員命が尽きても"家族(ファミリー)"だぜ」

「えへへ……」

 

 同一でない存在の言葉などは、ただの知ったかぶりか出任せだ。それがどれ程辛いかなど、実際にそうである者にしか判らないし、判ってはいけない。

 だが、紡がれたその『絆』は永遠を超えて繋がる。ならば、それは――同じ存在として語って良い筈だ。少なくとも、これだけの時間を共有してきた者達ならば。

 

 隣のルプトナと少し無理をして手を伸ばしたソルラスカに、わしわしと頭を撫でられてはにかむ彼女。

 その様子を微笑ましく眺め、燦々と注ぐ木漏れ日を見上げていると……ずいっと。白い翼の付いた蒼い髪の丸っこい頭が突き出された。

 

「……(じ~っ)」

「……」

 

 子猫のように『撫でて撫でてー』と、堂に入った上目遣いで訴えてくるユーフォリア。加入して間も無い絶を除けば、この"家族"内で未だに彼女が撫でられた事が無いのはアキのみ。

 そしてアキがそういった事が苦手なのを熟知している外縁の二人は、彼が一体どうでるかを面白そうに見守っていた。

 

「……(じぃ~~っ!)」

「「……ぷっ……クク……」」

 

 パタパタと頭の翼をはためかせてまで促すその姿を見て、遂にソルとルプトナは忍び笑いを漏らしてしまう。

 

「……ハァ」

 

 それに、アキも覚悟を決めた。ゆっくりと右手を彼女の頭に向けて伸ばし――

 

「そらよ」

「きゃふっ!? 痛〜い……お兄ちゃんがまたぶった〜!」

 

 こうなったらもう絶対に撫でない覚悟を決めて、今まで通りにデコぴんをカマしたのだった。

 

「なんだよ、違ったのか? ああ、チョップの方が良かったか?」

「うう〜っ! お兄ちゃんなんてだいっきらーーいっ!!」

 

 怒って両手をぐるぐる回しながら叩こうとするユーフォリアだが、アキは彼女の額を右手で抑えて、リーチの差で届かせない。

 

「…………」

 

 そんな気安く戯れ合う二人の様子を眺めながら、アイオネアは表情を曇らせる。実に羨ましそうに、制服にシワが出来てしまいそうな程に強く掌を握り締めた。

 右側のユーフォリアを押し止める事に意識を集中していたアキは、それに気付かなかったが。

 

「……さてと、俺はちょっと野暮用済ませてくるわ。ちゃんと戦備えしとけよテメーら」

「分かってるってーの」

「空こそ、いざって時に足手纏うなよなー」

「べーーーっだ!」

 

 ひらひらと手を振り、アイオネアの手を優しく引き立ち上がらせて共に歩き行く。

 理想幹攻略に不可欠な創りかけの"切り札"を完成させる為に……だが、媛君の歩調に合わせてきちんとエスコートする事に注意して。

 

「……アイちゃんには、いつだって優しいくせに……」

 

 だから、そんな。ユーフォリアの羨ましそうに唇を尖らせた不満そうな呟きも、彼の耳に届く事は無かった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 

 作業を終えて自室から出て、溜息を漏らして凝り固まった肩を回しながら廊下を歩く。その右肩には大きな荷物を抱えていた。

 

「兄さま、具合が悪いのでしたら水を……」

「いや、いいさ。前も言ったけど、そういうのは癖になったら大変だからな」

 

 心配そうな彼女に断りを述べて、彼は空元気を見せる。

 既に太陽は真っ赤な西日を校舎に投げ掛けていた。集中し過ぎたかと、失敗の許されない重要な策戦の第一段階の準備の為と気晴らしも兼ねて屋上の扉を開く。

 

「誰かと思えば……神銃士か」

「あらあら、こんなムードのある場所に女の子連れなんて……逢瀬の真っ最中かしら?」

「はぅ……」

「うるせーやい……」

 

 すると、斜陽に照らされて伸びる、二人分の影法師が目に映る。

 『逢瀬』の単語に夕陽より真っ赤に茹で上がったアイオネアは神銃形態に戻ってしまい、慌てて受け止めた。

 

「いい景色ね、贋物(つくりもの)とは思えないわ」

 

 エヴォリアとベルバルザード、光をもたらすものの二人が夕暮れの風に吹かれていた。

 その恰好は今まで通りの戦装束、共闘関係とはいえ馴れ合うつもりは無いという事だろう。

 

「そういうあんたらこそ、デートですかい? やっぱり相部屋なのはそういう……判ったから【重圧】は仕舞って下さい」

 

 多少軽口を叩き、アキは肩の荷物を降ろす。『(くう)』から生み出された彼の創造物に重量の概念は無いが、今回は精度重視の為に重量も本物同様に設定してある。

 

「それは……今回の戦いに使うものかしら?」

「勿論ですよ、じゃなきゃあ何に使うってんですかい?」

 

 【真如】を基幹部に銃架や大型のスコープを取り付ける彼の手元をエヴォリア達が覗き込む。

 使い方などは判りきっているが、物珍しさに興味を抱いたらしい。

 

「此処からならほとんどの部屋が見渡せる…覗きではないか?」

 

 と、呟いたのはベルバルザード。冗句のように聞こえるが、覆面に覆われた彼の表情は窺えない。

 

「そーそー、此処なら女子更衣室までバッチリ見えるぜへっへっへ……な訳ねーだろ! ってかアンタ、そんな事言うキャラかよ!!」

 

 アキは匍匐射撃(プローン)姿勢でスコープを覗き込んで校舎の窓を()め回してからノリツッコミを繰り出した。

 

「アハハ……やっぱり貴方、前世にそっくりね。ほら、もっと捨て鉢に三下っぽく喋ってみなさい」

「厭ですーだ……ったく」

 

 そんな莫迦を言っている間に組み立て終わる。【真如】は世界最高クラスの命中精度を誇るという、独逸はワルサー社製の最高級汎用狙撃銃『ワルサーWA2000』をモチーフとしたライフル銃へと換装された。それは今まで同じ形態を取っていた物よりも更に精密で堅牢にした物。

 

「これで完成、っと……試し撃ちといきますか」

「ちょっと、弾は籠めないの?」

「俺には必要無いっすよ、姐御。『(カラ)』が俺の……"俺達だけ"の銃弾ですから」

 

 狙撃姿勢を取ると、校庭の端っこに捨てられている空き缶へと照準を合わせる。その時、エヴォリアとベルバルザードが意味ありげにアイコンタクトした事には、彼は気付けない。

 しっかりと狙いを付けて、引鉄を引けば――空き缶の手前の地面が吹き飛んだ。

 

「仰角修正……再装填(リロード)

 

 スコープの角度を修正し、銃弾を再装填する。再度狙いを付け直し、引鉄に指を掛ける。

 今度こそ、空き缶は中央に風穴を空けられ弾け飛んだ――と、いつ移動したのか、射線の先に立っていたエヴォリアが何かを呟く。

 

「……はぁ? って、オイッ!?」

 

 読み取れた唇の動きは『こんなモノより、もっと練習になる良い的が有るわよ』。

 その直後、召喚した腕輪型の神剣【雷火】より『オーラショット』を繰り出した。光弾が真っ直ぐ、アキに向かって飛翔する――!

 

「――野郎ッ!」

 

 それを、急速に狙いをつけて引鉄を引いた。『空』の銃弾は上手く光弾を捉え撃ち砕き、更に二発目三発目と、放たれた光弾を続け様に撃ち抜いた。

 

 視線を向け直せば、エヴォリアは妖艶に笑いながら判り易いように唇を動かす。『なかなかやるじゃない、ならコレはどうかしら』と。完全にサディストの目だ。

 そして更なるマナを神剣に籠めて、彼を狙い『ライトブリンガー』を繰り出した。全五発の光弾が、一斉に彼へ向けて殺到する――!

 

――幾ら何でもあの数は捌けない。避けるしか無いか……!

 

「――……ッ!」

 

 退こうとした瞬間、背に凄まじい殺気を浴びせ掛けられる。大薙刀【重圧】を構えたベルバルザードが、見えはしないが闘気によって『退がれば、斬る』と訴え掛けて来た。

 

――クソッタレ! やり過ぎだろうがよ、コイツら! どうする……どうやればこの状況を斬り抜けられる!

 

 思考する間にも、光弾は迫り来る。最早猶予など無い。

 

【大丈夫です、兄さま……兄さまが諦めない限り、私は……【真如】は応えます】

 

――頭の中に響く早鐘の鼓動、まるで脳が心臓になったようだ。既に解決策なら思い付いている。聞き慣れた『あの言葉』が在る。

 

 思い浮かんでいるのは、彼の師の口癖。『幾ら速く動いても無駄。"時間ごと早くなる"私には敵いません』との、あの台詞だ。

 

(そうだな。俺に……いや、俺達に不可能なのは――"不可能だけ"だろ、アイ!)

【はい、兄さま。この【真如】はアキ様の進む未来の"遍く可能性を斬り拓く神柄(ツカ)"ですから……!】

 

 魂の奥底に燈る『生誕の起火』を呼び起こす。起爆剤たるその蒼茫の煌めきにより、己の内部時間を『加速』する。

 それこそ、彼が辿り着いた極致だ。かつて神獣により物理的な加速を獲ていた少年は、こうして概念による加速を行う。

 

「【もっと早く……もっと精確に。枷となる理念を斬り拓いて……」】

 

 天地の狭間の媛君には、時空すらも臣下の礼をとるのか。縮小していく己の時間感覚が周囲の時間と空間との間に断層を生み出し――限りなく『零』とした。

 全異能の『対象にすらなれない』からこそ、彼は自分自身の能力の対象から外れる。それこそが自家中毒を覆す概念の陥穽、『()()()()()()()()()()()()()()()()()』その鞘刃(イノチ)

 

「【我が空なる刃は矛盾すらも撃穿(うが)つ――タイムアクセラレイト!」】

 

 その収束した世界より狙撃手は――極限まで加速した干渉不能の銃弾によって、極限まで停止した事と同義の的を撃ち抜く――――!

 

 

………………

…………

……

 

 

 一発につき五発、計二十五発もの銃弾を一斉同時に叩き込まれて、『ライトブリンガー』は全て消滅した。

 エヴォリアは拍手しながら、神剣能力を使ってあっさりと屋上へと戻ってくる。

 

「ふふ、凄いじゃない。少し見直したわ」

「煩ッ……ハァ、ハァ……せぇやい……いきなり何しやがる……」

 

 軽やかに着地して軽口を叩く彼女に対し、『生誕の起火』を使ったアキは肩で息をしている。それでも精一杯のジト目を向けた。

 

「恩を返しただけよ。あたし達は貴方達が居なきゃ死んでたもの」

「恩返しで殺そうとすんな! たく、助け損……っつーか、助けた覚えなんて無いんだけど」

 

 尻餅を突く要領で起き上がって、制服をはたきながら言う。確かに、彼には『助けた』覚えなど無いのだから。

 

「別に良いわよ、こっちが勝手に恩義を感じてるだけだから。まぁ、これで貸し借り無しだけど」

 

 言うだけ言って、階段へ向かっていくエヴォリアとベルバルザード。その背に向けて。

 

「有難うよ……今晩は一品増やしてやるから、覚悟しとけ……」

「……『今晩』が在れば、ね」

 

 癖っ毛の頭を掻きむしりながら、そんな憎まれ口が投げ掛けられたのだった……。



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理想の種子 根幹へと Ⅱ

 元々の世界を離れて二日……ものべーが鳴き声を上げ、戦場への到着を告げる。戦支度を整えて屋上に集結した一行の進み行く方向には、光の膜に包まれた世界が在った。

 

「あれが……中心世界、理想幹か」

 

 呟いた声は屋上の風に融けていく。夜を迎える事無く昼間の照度に再設定された学園に、緊張が走るのが判った。

 それは彼も同じだ、胸元のお守りと羽の根付けを握り締めて決意を固めるアキは――別れ際に綺羅から貰った、かつて自分が預けられていた護り刀を腰帯に差した。

 

「んじゃあ……徃くぞ、アイ」

「はい、アキ様……」

 

 呼び掛けと共に伸ばした彼の左手に掌を重ね、法衣姿のアイオネアは頚輪状のアミュレット……かつてアキが彼女を召喚する触媒とした『透徹城』が変化した、夜明の空と同じ瑠璃色の宝珠が嵌まり後方からショルダースリングがリードのように伸びるソレを撫で、空間に波紋を刻む。

 神銃形態へと換わった彼女を携え、理想幹に向け【真如】を構えたアキは銃弾にオーラフォトンを練り込む。

 

「よいな、あき。初撃はサレスに到着と目標を知らせる為のモノ、重要なのは二撃目じゃぞ」

「諒解してますって。その為の無限弾倉ですよ、ネコさん」

 

 隣に立つナーヤの言葉も、聞き流す勢いだ。(カラ)より無制限にマナを生み出す彼の【真如】は、こういった条件で最も威力を発揮する。最大威力を連続で、消耗少なく撃てるのだから。

 『徹甲弾(シェルブリッド)』を装填した後、携帯のストップウォッチのカウントを合わせる。まだ開始はしない。

 

「――第一射、発射!」

 

 放たれた螺旋の蒼茫の輝風。空間を軋ませながら飛翔する光の奔流は理想幹を被う障壁に当たり――弾かれた瞬間、トリガーレバーを操作して再装填すると共にアキはストップウォッチのカウントを開始して。

 

「さて――それじゃあ第二射は任せましたよ、ネコさん」

「任せておけい、新たな装備を得たクロウランスの雄姿を見せてやろう」

 

 続けて放つ筈の第二射をナーヤに任せる。そんなアキのすぐ脇に、ナーヤの永遠神剣【無垢】の守護神獣『クロウランス』が召喚された。

 その右肩部には、長大な漆黒の砲筒。これこそが、彼女が欲しがっていた『ご褒美』だ。ナーヤが設計した理想の兵器を、アキが造り出す。その取り引きをしていたのだ。

 

「そりゃあ結構ですけどね。外すとか無しですよ――っと!」

「ぬ、直撃した筈の間合いだったのじゃが――相変わらず厄介な速さじゃな」

 

 降り下ろされた【無垢】の鉄球を回避する。それに渋い顔をした彼女。

 

「ハハ、俺の『速さ』は現象じゃなくて概念ですからね。人語に表せる以上、俺より遅い――ワゲッ!?」

 

 そこで、虚空から降った金だらいが直撃した。それはもう、昔のコントみたく。

 

「にゃはは、やはりうっかり者のあきにはスピカスマッシュよりコメットバトンの方が当たるようじゃのう?」

「いつつ……人を団子好きみたいに言うなってーの」

 

 それに、からからと笑う猫耳大統領。花の蕾が綻んだような可愛らしい笑顔だ、見た目が金だらいとは言え本物の攻撃である一撃を食らった甲斐もあると言うもの。

 

「……じゃあ、ここの指揮は任せますよ、『()()()()』?」

「文字どおり、大船に乗ったつもりでおれ。結果は耳ではなく、目に入れてやるわ」

 

 威勢の良い言葉に、心配するまでもなかったかと苦笑する。

 

「時間じゃ、ゆくぞクロウランス――一点集中、プロミネンスレーザー!」

 

 放たれたのは、一条の紅炎。大気さえ蒸発させる砲撃が、障壁の全く同じ場所に命中する刹那――内側からも強大な一撃が同時に撃ち合って、弛む事すらも許されなくなった光の障壁に風穴が穿たれた。

 そこをものべーが通り抜け、進入に成功する。

 

「よし、突破成功じゃ!」

 

 ガッツポーズをとって、ナーヤが叫ぶ。その瞬間、実に自然な動作で旅団の皆が――望を見遣った。いつしか精神的支柱となっていた少年を。

 

「……皆、気を引き締めていこう」

 

 その望が宣言する。突き出された彼の右手に、多少疲れた風のアキを始めとした"家族"が、己の右手を重ねて円陣を作った。

 勿論、クリスト達も同じ姿勢。

 

「俺達は今から仲間を救い出して、神を(たお)す! 誰一人欠ける事無く――帰るぞ!」

「「「「「――応ッ!」」」」」

 

 そして掛け声と共に、一斉に手を天に跳ね上げて団結の儀式を行う。

 そんな彼等の姿に円陣に加わっていなかったエヴォリアとベルバルザード、そしてナルカナは眩しげに目を細めた――……

 

 

………………

…………

……

 

 

 雪の積もる『セネト=フロン』島を守護していた白のハイミニオンは、理想幹を被う障壁に外部から攻撃が加えられた事に気付く。

 戦闘姿勢を整えようとしたその時に外と内から同時攻撃で障壁に穴が穿たれて、敵が侵入して来た事にも。

 だが――その視界に突如、巨大な影が映る。太陽の光を背に、虚空を切り裂いて悠然と現れた一隻の艦艇。

 

 それこそ、ナーヤが持って来た物。あの長大な砲の代償。即ち、魔法と科学の境界が消えた世界の強襲揚陸艦だ。まぁ、幾らかアキの改造が加えられてはいるが。

 その甲板に集う数人の影は、其々の永遠神剣を携えたアキ、ユーフォリア、アイオネア、ソルラスカ、ルプトナ、エヴォリア、ベルバルザード、クリフォードにミゥ、ルゥ、ゼゥ、ポゥ、ワゥ。

 

「――さぁて、この世に名残は残してねぇか?」

 

 再び永遠神銃【真如】となったアイオネアを左手で受け止め、甲板に突き刺す。勿論壊れなどせず、『何も傷つけられない鞘刃』であるその剣によってアキと艦の因果が結び付けられただけだ。それにより、この甲板から申し訳程度の武装である近接防御用のチェーンガンやVLSの操作が可能となる。

 

「掃射後、各自の判断で上陸。残敵を討て……その後の事はその後で通達する、以上」

 

 仁王立ちで腕を組んだアキの呼び掛けに、皆が頷く。だがアキはそれを見遣る事もなく、さも決定事項とでも言うかの如く左手の指を差し出して自らの透徹城の城門を開き――戦闘艦も凌駕するほどの40センチ級の大口径砲やミサイルポッド、バルカン等の銃砲を覗かせた。

 簡単な話だ、揚陸艦を望んだ理由など。余裕のある積載量(ペイロード)と一定の運動性能に加速力、防御力さえ有れば、後はアキのアーティファクトで何とでもなるのだから。

 

 そして、その指先が鳴らされれば――

 

「――っガハッ!!?!」

 

 天より降った無情なる鉄の雨――その嵐のような砲撃に敵陣は爆炎に沈み、それが晴れた後にはもう、敵は残っていなかった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 電撃作戦で『フロン=カミィス』を占拠した旅団勢は、奪還の為に集結してきたミニオンを全て消滅させて一息つく。

 

「……作戦は単純、あれこれ難しく考えずに正面突破。先ずナルカナとユーフィー、エヴォリアとベルバルザード、ソル、ルナ、俺の七人で各浮島を時計周りに進攻し、残りの面子で反時計周りに各浮島を攻略する。背後は気にしないで、前に進め。合流が第一目標だ、殲滅や追撃は無用。相手に隙を見せるなよ!」

「判ってる、そっちこそな!」

「気を抜くでないぞ!」

 

 望とナーヤに作戦を伝え、別動隊のアキは【真如】をスリングで肩に担いで新雪に足跡を刻みながら駆け抜ける。視界に捉える中央島ゼファイアスは、正に百華繚乱。

 

「……敵地にしては綺麗過ぎよね。観光でもしたくなっちゃうわ」

 

 エヴォリアの漏らした言葉も最もだ。『理想の世界』というだけはあって、実に美しい。

 

「ハハ、まったくだ。酒が進む事請け合いの極上の景色ですよ」

「あら、いいじゃない。よーし、この世界を攻め落としたら宴会と洒落込むわよ。これ、決定事項」

「フム、雪月花を肴に酒か……風情がある。我らも付き合おう」

「皆さん、戦いの最中になんて話をしてるんですか〜っ!!」

 

 どこまでも管理の行き届いた、吐き気がしそうな程に一分の隙も無い『箱庭』の世界。

 外周の浮島でこれでは、中央島に入ったらどうなってしまうのか。

 

 浮島の端に転送装置を見付けて、ナルカナと達が転送されていく。

 その一行を見送り、アキは溜息を吐いた。

 

「……こういう時、俺らの能力って不便だよな」

【はぅ…すみません、アキ様……】

「んもぅ、アイちゃんを困らせるような事言っちゃダメっ!」

 

 一方、転送装置の『対象にすらなれない』アキはウィングハイロゥを展開して浮島間を移動しなければならない。

 島の下を見れば、厚い雲が覆っている。更にその雲の海は中枢から伸びる巨大な幹の周りで渦巻き、底の見えない奈落の深みへと呑み込まれていた。

 

 ナルカナが暴れているのだろう、セネア=エラジオ島では早速爆炎が立ち昇っている。

 

「次はあたし達で拠点以外に布陣するミニオンに一撃離脱(ヒットアンドアウェイ)で攻撃……だね」

「そうだ。攻撃が済んだらすぐに離脱して、別の部隊を狙う」

 

 目指す先は、枯れた果てた砂漠の浮島。アキは並んで飛翔していたユーフォリアの【悠久】に着地すると立ち位置を交代して前方に立ち、格闘性能を犠牲にして狙撃性能を上昇させた射撃専用の神銃【真如】を構える。

 

「……収束する世界、極限の時よ。すべてを見通せ――コンセントレーション!」

 

 ユーフォリアが発動した、集中力を高める事で本来は防御力を上昇させるそのオーラ。

 

「……先の先の先、機先を制す――タイムアクセラレイト!」

 

 鋭く研ぎ澄まされた意識の下に、スコープを覗き込んで【真如】を構え、気付いていないミニオンに向けてトリガーを引いた――

 

 

………………

…………

……

 

 

 中枢ゼフェリオン=リファに立つ二人分の影。エトルとエデガは、旅団の電撃作戦に感嘆の声を漏らしていた。

 

「……ほほう、成る程のう……一点を攻め落とし、そこを拠点に両翼へ進攻する……遊撃隊は敵を殲滅するのではなく、あくまで戦力を消耗させるゲリラ戦術を取るか……」

「その遊撃隊により後方の安全も確保している訳か。ログに載らぬ故に先は読めぬが、上手い作戦を考えおる……」

「あのユーフォリアという外部の存在は厄介だが……蕃神の転生体が考えそうな事なら考え付くわ」

 

 だが、笑っている。その程度は予想済みだとばかりに。

 彼等にとってはミニオンなど捨て駒、いくら死のうと次のミニオンを造れば良いだけだ。

 

「しかし、気は抜けまい。まさかあの方があちらに着くとは……」

 

 だが、『古の神』……則ちナルカナが旅団に着いた事については苦虫を噛み潰したような顔となる。

 予想していなかったのではなく、その対策が極めて限られる為に。

 

「さあ、行け。奴らを――"虚無"に塗り潰してやるのだ!」

 

 エトルの指先が鍵盤を弾くように動く。それに呼応して周囲の空間から、無気味で耳障りな駆動音が響き始めた……

 

 

………………

…………

……

 

 

 最後に残された拠点の『セファ=イレイシオ』を挟撃の上で更に頭まで押さえて攻め落とし、外周に浮かぶ六つの浮島は完全に旅団の制圧下に落ちた。

 同時に中央島ゼファイアスまでの転送鍵が解除され、一行は一斉に……先回りしたアキ達ともほぼ同時に辿り着く。

 

「……さて、こっからが本番だな」

 

 久々に安定した地面に下りて安堵の溜息をつき、狂った時間感覚を正常に戻すべく腕時計を覗いて、忙しなく動く秒針を眺める。

 だが流石に酷使し過ぎたのだろう、視野の霞みにより今一つ効果が上がらない。横に立っているのがヤツィータだと判別するのにも、少し時間が掛かった。

 

「……どう思う、クー君?」

「どうもこうも、上手く行き過ぎてます。気に喰わねェ」

「やっぱりそう感じるわよね、罠に誘い込まれたみたいだって」

「それでも、俺達には進む選択肢しか無いでしょう――がッ!」

 

 目を擦りつつ、腹立ち紛れに背後の転送装置へと四発の銃弾を撃ち込み破壊する。これにより撤退と――外周の浮島を取り戻されても、敵『から』挟撃を受ける危険性は消えた。

 

「……相も変わらず、やる事が派手よね。ヤツィータお姉さん、貴方の行く末が心配よ?」

「ご心配無く、もう進路は決めてありますから」

 

 呆れたような、頼もしそうな表情を浮かべたヤツィータ。彼はそううそぶきながら追加装備を外して、【真如】を元のライフル剣銃『マーリンM336XLR』型へ戻した。

 取り外したパーツは波紋を刻んで、空間に融けていく。

 

「さぁ、鬼が出るか蛇が出るか……第二段階の開始といきますか」

 

 目的地は『アルフェ=ベリオ』、その転送鍵を解除する為に神殿に辿り着いた旅団一行に向けて――光弾『ジャスティスレイ』に高圧水塊『メガフォトンバスター』、熱線『ホーミングレーザー』と、結晶弾『デュアルマシンガン』、重力弾『グラビティーホール』が纏めて降り注ぎ、更に六条の紅い光線が『地ヲ祓ウ』。

 

「――こいつら、は……ッ!」

 

 そして、天空から降り立った全色合計数十機のノル=マーターと……

 

「「「――フシュウウウ……」」」

 

 アルフェ=ベリオ神殿を守護するように、三機もの抗体兵器が立ちはだかった。

 

「……南天神といい理想幹神といい、著作権料請求すんぞ……!」

「まったくよ、抗体兵器なんてうざったい物持ち出して……」

 

 

 忌々しそうに呟くアキと、何故かナルカナ。そんな彼女に疑わしい視線を向けた彼だったが、その真意を図る間もなく機械兵達が襲い掛かる――!

 

 進軍してくる、ノル=マーターの一団。視認できるだけでも数十機、全体では既に数百機にまで殖えている。

 更には抗体兵器も複数現れ、戦場は瞬く間に敵で埋め尽くされた。

 

「よく分からない相手だが、敵は斬り伏せるのみだ!」

「今回ばかりはその通りね、行くわよっ!」

「僕が援護します!お二人は近づいてきた奴らを!」

 

 迎え撃つ絶とタリア、スバル。天に向けた【蒼穹】より放たれた矢『ストレイフ』が複数に分裂し、雨の如く降り注ぎノル=マーターに突き刺さる。掃射を逃れて接近した機体は【暁天】の『雲散霧消の太刀』や【疾風】『アヴァランチ』に撃破された。

 

「しかし、なんという数じゃ……」

「うだうだ言っても始まらねぇ、俺達も()くぜ!」

「オッケー、ソル! こうなったらヤケクソでいくよー!」

 

 一行もそれぞれに応戦を始めて、戦場は直ぐに黒い煙に包まれる。望と希美、カティマは背中合わせに立つ。

 

「ちっ、キリが無い……」

「拠点も無しにこの数は、流石に辛いですねっ!」

 

 幾ら倒しても倒しても、終わりの見えない倍々ゲーム。ただ物量に頼って前進するだけの、単純な運用。だが、数が数だ。それだけでも充分に脅威となる。

 

「――お兄ちゃん、ナルカナさんっ! ノル=マーターは皆に任せて、あたし達三人でアルフェ=ベリオの抗体兵器を倒しましょう!」

「……そうだな、それがッ! 一番の安牌だッ!」

「仕方ないわね……あんた達、遅れるんじゃないわよ!」

 

 じりじりと迫りながら攻撃を繰り出すノル=マーターを斬り倒し、或いは撃ち倒して。

 それなりに前方に居るナルカナと合流する為、アキとユーフォリアは協力して前進する。

 

「では、私達が援護します!」

「任せろ、活路は開いて見せる」

「全部ぶっ飛ばすよーっ!」

「が、頑張りますね」

「……ふん」

 

 目の前に踊り出たクリスト五姉妹、その永遠神剣から繰り出された光弾『ストラグルレイ』に氷槍『フリーズアキューター』、炎弾『ナパームグラインド』に横殴りの風『ブラストビート』、影の衝撃波『カオスインパクト』。だが、波の如く押し寄せる軍勢は瞬く間に損傷した部隊の替わりを補填する。

 

「……埒があかねェ。仕方ねェな、ダストトゥダストコンボでいくぞ、ユーフィー!」

「うん、任せてっ!」

 

 アキの背後で、ユーフォリアは【悠久】を振り上げる。呼応して、【悠久】が光を放った。

 

「塵は塵に、灰は灰に。声は、事象の地平に消えて――ダストトゥダスト!」

 

 召喚された二頭の龍、青龍『青の存在』と白龍『光の求め』。絡み合う双龍は、眼前の有象無象に目標を定めて対消滅の吐息を放った。

 フォルロワの時と同じく、それを受けたノル=マーターどもは次々にマナが運用できなくなり機能不全に陥っていく。

 だが、それは彼女やその周囲の存在とて同じだ――

 

「連綿と途切れぬ無き命の煌めきを此処に――メビウスリンク!」

 

 ただ一人、『(カラ)』を起源とした秘蹟(サクラメント)を手にする"神銃士(ドラグーン)"を除いて。

 そしてその秘蹟の担い手はスピンローディングによって再装填した【真如】より産み出したマナを、薔薇窓のオーラへと換えて空っぽのユーフォリアとクリスト姉妹へ分配した。

 

「これなら……いきますよ【皓白】――スカイピュリファー!」

「いくぞ【夢氷】、凍てつけ――メガバニッシャー!」

「焼き尽くしちゃえ【剣花】――メテオフレア!」

「出番よ【夜魄】、斬り裂け――シャドウストーカー!」

 

 それを糧に放たれた、各クリストの奥義。ミゥの放つ光のオーラは敵を粉砕しつつ味方の傷を癒し、ルゥの氷結結界に捕われた相手は凍てつき動きを止める。

 そこにワゥの撃ち出した炎を纏う隕石が降り注ぎ、ゼゥの闇の爪が細切れの屑鉄に換えた。

 

「お二人共、御武運を……【嵐翠】、癒しを――ハーベスト!」

「有難うポゥちゃん、お兄ちゃん!」

「応よ!」

 

 ポゥの癒しの風に活力を与えられながら、そうして漸く拓いた活路を彼等は駆け抜ける。

 その二人が辿り着いた瞬間に、ナルカナは抗体兵器達の光背から撃ち出された『地ヲ祓ウ』光を、『オーラフォトンバリア』を以て弾き返した。

 

「遅い! あたしを待たせるなんてどんな了見してんの……よっ!? たぁ……美少女をキズモノにする気?!」

「『きずもの』?」

「コラッ! 子供の前でなんて事を言いやがんだ、コラッ!」

 

 だがその三人を巻き込むように、抗体兵器のオーラ『涅槃ノ邂逅』より生じた悪しき風が、彼等三人の急地を作り出す――

 

「精霊光の風よ、歩みを止めぬ者達の背を押す追い風となれ――トラスケード!」

「マナよ、鬨の声となり戦場を駆けよ――インスパイア!」

「震えるわハート! 燃え尽きる程ヒート! 唸れ――ヒートフロア!」

 

 その危地の深奥より、【真如】の鞘刃から生じた蒼く澄む聖なる風が彼等を包んだ。

 激励のオーラは悪しき風を祓い世界を浄め、鼓舞のオーラと赤マナの風が場を活性化させる――が、生命の煌めきを奪うべく、抗体兵器の対治癒迎撃機構『無我ノ知慧』が発動した。

 

「よくやったわよ、下僕その1とその2! あとでご褒美をあげるわね」

「「誰が下僕!?」」

 

 だが、ナルカナの『イモータルミラー』により無力化され、能力を底上げされた彼等へと抗体兵器が纏めて口内の砲門を覗かせて、禍々しい光にて『天ヲ穿ツ』。

 

「原初より連なるマナよ、無限回帰の刃となれ! これが……第一位神剣の力よ!」

「原初より終焉まで! 悠久の時の全てを貫きます!」

「終焉より生じるマナよ、不断を断ち斬る空風(かぜ)となれ!」

 

 一歩も退かずに相対するナルカナの右手に超巨大な【叢雲】の影が現れ出て構えられ、サーフボード状に変型した【悠久】へと乗ったユーフォリアが真っ直ぐ翔ける。

 そしてスピンローディングにより、(カラ)を起源とする無限光の銃弾を装填した【真如】を構えるアキ。

 

最前(いやさき)より来たれ、始原の剣っ!」

「全速前進、突っ切れぇぇぇーーっ!」

「濫觴の一滴へと……還れ!」

 

 事象の原初たる深紅の華焔の斬撃『プライモディアルワン』と悠久の時の象徴たる青白の閃光の突撃『ドゥームジャッジメント』に、万物を終焉より原初の一へ回帰する蒼風滄水の刃状エーテルシンクの波風の銃撃『サブリメイション』。

 

 三者三様の必殺の一撃に討たれて、抗体兵器達は『峻厳タル障壁』ごと纏めて粉砕された。

 

「ふふん、フォルロワの玩具如きがあたしを討とうなんて百周期は早いわ」

「……なるほど、あれを造ったのはフォルロワだったのか」

「そーよ、本当にムカつく奴……って、アンタフォルロワを知ってんの?」

「今はどうでも良いだろ」

 

 得意そうに艶やかな黒い髪を掻き上げたナルカナに、不用意な事を口にしたばかりにジト目で睨まれながらトリガーレバーを操作して排莢するアキ。

 一方、抗体兵器の群に突っ込んだユーフォリアはそんな二人を窘めようと残骸を踏みながら歩き――

 

「……ふぅ、二人とも。そんな事はいいから早く――……っ!?」

 

 頚だけ残った抗体兵器の残骸が、まだその目を点灯させていた事に……機能停止の直前に最後の一撃を放った事に気付けずに。

 

「「――ユーフィーッ!」」

 

 足元から沸き上がった、黒く汚濁した泥のような虚光(きょこう)の竜巻、『虚空ノ胎動』を躱せずに呑み込まれた……。

 

 害毒を孕む竜巻が止んだ時、そこには何も無い――……いや、天高く巻き上げられ力無く失墜してくる彼女の姿。

 

「ッ!」

「止めなさい、アキ! あんたまでナル化マナに汚染されるわよ!」

 

 それを確認するや、矢も楯も無くウィングハイロゥを展開して駆け出したアキをナルカナが押し止める。彼女が落下する先には、どす黒い光がまだ浮遊しているのだから。

 そのナルカナをバスケのターンの要領で摺り抜けて、昂めたダークフォトンを身体強化『限界突破』とした。

 

 更に『タイムアクセラレイト』により概念的に加速しながら地面を勢いよく蹴り砕き、一直線に落下地点を目指して――その道のりを塞ぐように現れた新たな抗体兵器が、光背から撃ち出した光の矢により『空ヲ屠ル』。

 

「――邪魔だ、退けェェェッ!」

 

 縦に振り抜いた『光芒一閃の剣』にて光の矢を撃ち落とし、頭から叩き斬られて爆発すら無く屑鉄と化す抗体兵器。

 

「……クッ!?」

【――あ、く……これは……何……?】

 

 そこから、更にどす黒い光――ナル化マナが漏れ出した。ナル化マナに直接触れて、ハイロゥは腐り落ちるように崩れて瘴滅(しょうめつ)していく。それだけではない、息を吸うだけでも五臓六腑が焼け爛れるような感覚に襲われ、息を吐けばそれらを吐き出してしまいそうになる。

 

 身も心もその苦痛に、ただ『膝を折れ、屈服しろ、逃げろ』と無様に喚き散らしている。だが――

 

「……ソッ……タレがァァァッ!!!!」

 

 それでもただ魂の命ずるままに、足を止めずに駆け抜ける。

 

 ステンドグラスの薔薇窓様のオーラフォトンと黒曜石の曼荼羅様のダークフォトンを二重に全周囲に展開して、一歩毎一呼吸毎に"生命"が蝕まれる苦痛と恐怖にタマシイが狂い死にそうになりながらも――……文字通りに己の『生命懸け』で、護るべき大事な"家族"をヘッドスライディングしながら、どうにか受け止めた。

 

「ユーフィー……大丈夫か……?」

「うん……えへへ、また……お兄ちゃんに……受け止めて貰っちゃった……」

「莫迦……"家族"なら当たり前だ。何回でも、受け止めてやる……」

 

 普段から小さく華奢な躯はいつも以上に軽く感じられ、顔は蒼白で意識も混濁しているのか、夢見るように寝惚(ねぼ)けた虚ろな瞳で彼を見詰める。

 

「理想幹神の奴ら……『あたし』を好き勝手に使いやがって……!」

 

 苛立たしげなナルカナの声が響く。平素から瑣末事で不機嫌になる彼女なのだが、今回ばかりは本気で怒りを露わにしていた。

 アキはユーフォリアを抱き上げ、何とかナル化マナの無い場所へとこけつまろびつ走り出す。

 

「おい、どういう事だ……大した傷は無いのに、何でこんなに……!」

「それが……ナルって奴よ。肉体をマナで構成する……いえ、マナ世界の全てに対して相剋の存在が――ナルなの」

 

 剣世界の源『マナ』と対を為す、楯世界の源『ナル』に冒された光『ナル化マナ』。『実』に対する『虚』の力。

 それは、オゾンに対するフロンのように。ただ一方的にマナを冒す猛毒だ。

 

「そんなどうでもいい事は聞いてねェ……どうすれば助けられるかを聞いてるんだ!」

「助けられないって言ってるのよ! ナルに冒されたマナ存在はナル化を経て……神剣宇宙から完全に消滅するの! 奇跡は起きない、焼いた肉が生肉に戻らないのと同じ!」

 

 ギリッと、奥歯を噛み締める。今の言葉が正しければ、どれ程の癒しのチカラを注ごうともマナの癒しは意味を成さないのだろう。

 

「巫戯化んな……諦めて堪るかよ! 元々伽藍堂の俺なら堪えられる筈だ、気をしっかり持てユーフィー!」

 

 自分自信も霞んでいく意識の中で、か細い息を途切れ途切れに吐くユーフォリアに呼び掛ける。

 今にも存在が潰えそうなその少女を現世[うつしよ]に繋ぎ止める為に、連鎖する生命の象徴のオーラ『サンサーラ』を行おうとして。

 

「駄目だよ……お兄ちゃん……アイちゃんは"生命"……マナそのものだから……きっと堪えられないもん……」

「莫迦野郎! "家族"を助けるのに、可能性なんざ考慮できるかよ!」

 

 苦しそうに頚を振り、掌を重ねた彼女に窘められてしまう。それは正に真理だ。

 とあるエターナルは悟りを啓いたその果てに『"生命"はマナのぶつかり合いで起きた現象を錯覚したモノ』と俯瞰しているという。

 

「もう……狡いよ、お兄ちゃん……いつも意地悪なのにこんな時ばっかり……優しくして……」

「煩せェ、『鬼の霍乱』だ……」

 

 ならば、"生命"というカタチを持つ永遠神剣では――……ナルには堪えられまい。

 

「判るの……だんだん、あたしがあたしじゃなくなっていくのが……だから、お願い……あたしを、ナルごと消滅させて…」

「……ッ……!?」

 

 直ぐに、それが何の事なのかに思い至る。出雲の地で【空隙】のスールードの分体を因果ごと消滅させた"無限光の聖剣"で『討て』と、そう言っているのだ。

 

「……あたしのままで……あたしじゃなくなる前に……」

 

 彼の武術服の胸元を震える指先で握り締めて、そして儚くも美しい……諦めきった笑顔を向けた。

 

――刹那、頭に血が昇る。救えなかった鈴鳴(アイツ)と同じ笑顔を見せたユーフィー(ソイツ)が……どうしても、許せなくなった。

 

「ちょっとアキ……何する気よ」

 

 握り締める【真如】の本体……無限を汲む(カラ)の弾倉として使う、蒼滄(あお)き鞘刃。

 収まるべき(サヤ)(ツバ)(ツカ)すらも持たず、"生命"を奪えない出来損ないの永遠神剣。

 

――上等、絶対死なせねェ……その"生命"を助けて、『助からない』とか『死なせて』とか言った事を死ぬ程後悔させてやる……!

 

 そのなまくらの鞘刃の先端を、真正面から抱き寄せた彼女の背中に当てて――

 

「先に謝っとく。もし痛かったら……殴りでも蹴りでも噛みつきでも、好きにしろ」

「……ふぇ? あ……く……っ――!?」

 

 "生命"を『断ち斬る』事は無く『繋ぎ結ぶ』優しき滄海(ウミ)の刃にて、魂を隔てる境界(カラダ)を貫き強制的に結びつけた――……

 

 

………………

…………

……

 

 

 先ず肌に感じたのは、水の感触。生命を拒絶するように冷たく深く……水底は見えない。そこに到って漸く、自分が海中に没している事に気付いた。

 

「――ぶはっ、ゲホッ!」

 

 穢れた波濤がうねる海面まで浮上して息を吐き、瞼にまで張り付く前髪を掻き上げる。途端に、肺腑を腐らせるような闇色の風が吹き付けて来た。

 

「此処は……アイの」

 

 左手に握る瑠璃(ラピス・ラズリ)の鞘刃……波紋の刃紋のダマスカスブレード【真如】を右肩に提げた永遠神銃【是我】へと装填し直しながら、月の光すらも見えない曇天の夜空を見上げる。頭がつかえそうだと、取り留めも無い錯覚に陥る程に低い黒雲を。

 更に、虚無の質量を持って幽かに澱んだ(ヒカリ)が埋める周囲を見渡した――

 

「――ていっ!」

「あだーッ!?!」

 

 その時、頭頂にガツーンと物凄く覚えのある痛みが走った。具体的に言うのなら、以前に魔法の世界で喰らわされた【悠久】のセルフ『プチコネクティドウィル』的なダメージが。

 お陰で、まだ【真如】を装填していなかった永遠神銃を海中に落としてしまうが……何とかショルダースリングを足に引っ掛けて事無きを得る。

 

「お、お前な……! 助けに来た相手にそれは無いんじゃねェのか……」

「頼んでないもんっ! む〜っ!」

 

 神剣で(したた)かに打たれた頭を摩りつつ立ち泳ぎで振り向けば、同様に立ち泳ぎをしながらもう一撃『プチニティリムーバー』を加えようと【悠久】を振り上げたユーフォリア。

 流石に空間を削る一撃は避けたい彼は、その細腕を掴み【悠久】を取り上げる。

 

「きらい……だいきらい……意地悪、意地悪っ! 怖かったのに……怖かったけど頑張ったのに……!」

「…………」

 

 それでも彼女は怒りを鎮めず、彼の胸板を叩き続ける。驚く程に弱々しいチカラ、それを甘んじて受けながら――弐振りの永遠神剣を携えた両腕で、抱き竦めた。

 

「――暖かく、清らかな、母なる再生の光……」

「……っ……」

 

 そうして紡がれたのは――……唄。美しい旋律の、名も無き『妖精の護り唄』。

 

「すべては剣より生まれ、マナへと帰る。どんな暗い道を歩むとしても、精霊光が私たちの足元を照らす」

 

 頭ではなく、心に染み入る韻律。耳ではなく、魂を震わせる旋律。雑音など消え果てた、ただ清音。

 

「清らかな水、暖かな大地、命の炎、闇夜を照らす月……すべてが私たちを導きますよう」

 

 美しくも儚く、哀しくも鮮やかな。それはそう、正しく夜に怯える幼子に唄う子守唄。

 

「すべては再生の剣より生まれ、マナへと帰る。マナが私たちを導きますよう……」

 

 無明の闇の底、昏冥の溟海(ウミ)……神話に謳われる奈落(タルタロス)の深淵に於いて。(ウタ)唄うは、歩みを止めぬ"生命"の象徴たる空風(カゼ)の青年。

 

「……どっかのクソ生意気な餓鬼が言ってた。『諦めずに歩き続けろ。まだ途中だ、今はどれだけ辛くても、きっと希望の光は見える』…とかな。好き勝手に人様に希望の光を見せといて、テメェは絶望の闇なんかに浸らせやしねぇよ」

「……ぐすっ……そんな乱暴な言い方……してないもん……お兄ちゃんのばか……」

 

 濡れた蒼い瞳に髪、零下(ナル)淵水(ミズ)に冷えきった小さな躯は小刻みに震えている。勿論その震えは、水温のせいだけではない。

 随分と無理をした言葉だったのだろう。当然だ、ユーフォリアは負担とならない為、自分から意に沿わぬ言葉を口にしたのだから。

 

「……よっ、と」

「っあ、ちょっ……お兄ちゃん……?」

 

 その小さな躯を『お姫様抱っこ』で抱き上げながら、アキはオーラを足場として海面に立った。

 ユーフォリアは不安定さから彼の頚に腕を回す。腕を回して、自分から近付けてしまった距離に赤面した。

 

「……諦めるなんて許さねェ。潔く死ぬ勇気を出すくらいなら……生き足掻いて見せろ。少なくとも俺は、そういう奴の方が好きだ」

「……それが、誰かに迷惑を掛ける事になっても?」

「たりめーだろ、そもそも"生命"は生きる為に生まれて来るんだ。死ぬまでは生き続けなきゃ、それこそ迷惑掛けてるってもんだ」

 

 見上げてくる空色の瞳に応えて、見下ろす琥珀の瞳。暫し交錯する視線に、やがて――

 

「厳しいよね、お兄ちゃんは……」

「まぁな。自慢じゃねェが、俺はドSだ。人が苦しむ姿を見るのが大好きなんだよ」

「……ほんとに自慢じゃないよ、ソレ……お兄ちゃんのへんたいっ」

「煩せェよ、ッたく……」

 

 少しだけ元気を取り戻した彼女の軽さを噛み締めながら、彼は軽口に軽口を返す。

 

――まぁ、アレだ……なんつーか、お前が笑顔じゃねェと俺の調子が狂うんだよ……。

 

 周囲は既に、背景を削ぎ落としたように奥行きの無い漆黒が拡がるのみと成り果てている。何かの役に立つかと用意していた透徹城の中に切り取った一区画とは言え、アイオネアの居た世界のエーテルすら冒し尽くされようとしている。

 腐食して朽ち逝くこの世界は、ナルに呑まれたマナの末路を示す箱庭だ。

 

「さて、と――んじゃあ、この糞忌々しいもんを吹き払うか」

 

 その只中に有りてユーフォリアに【悠久】を返し、器用に脚だけで空中に放り出した永遠神銃の弾倉装填部に【真如】を装填する。

 

「でも、ナルは……マナじゃどうしようもないんじゃ……」

「だから、生き足掻け。何の為に生きてんだッての。諦めない限り、神すらも越え徃く可能性を持つ唯一が"生命"だろうが」

 

 そしてそのライフル剣銃【真如】に、彼の生命の象徴である"生誕の起火"を流し込んだ。

 爆発的に増加するマナ、その生む無限光のオーラを纏う。

 

「風は気に入ったモノを吹き拐い、気に入らねェモノを吹き飛ばす……それに第一俺は、黒くて靄々(モヤモヤ)してて定型が無くて。別の存在を浸蝕したり増殖したり、利用するようなモンが大っ嫌いなんだよ」

「ふぇ?」

 

 そして、心底反吐が出るといった表情で吐き捨てた。勿論、脳裡に浮かんでいるのは『波動』の形状だった第五位神剣(カラ銃)

 

「何にしろ、多寡が別宇宙の源なんざ幾らでも踏み越える……その為の無限弾倉だ!」

 

 刹那、焔のように揺らめく蒼茫の煌めきに包まれた【真如】が変移していく。長剣銃(スウォードライフル)から片刃大剣(エンハンス=ソード)へと。

 波紋の刃紋が久遠に無間に拡がり、刃に嵌まる瑠璃色の夜明の宝珠から無限よりも広大な可能性(ヒカリ)を溢れさせている『無限光の聖剣(アイン=ソフ=アウル)』へと、移り換わる。

 

【はい、兄さま……貴方が願う限り、【真如】は……アイオネアは応えます】

 

 それを低く落とした右の腰溜めに左腕一本で構え――エターナルの生命力に比例するという、起源の煌めきを携えて。

 神の定めた神剣宇宙の(ロウ)を、零除算(ゼロ・ディバイド)にて『設問自体を無効化する』神殺しのトリックを武器として。

 

「――ハァァァァッ!」

 

 終わり逝く世界の果てまで須らく両断する水平の、蒼茫の煌めきを放ちながら振り抜かれた無限光の剣撃は汚濁の闇を討ち祓い、虚無にて均一に混じり合った天と地…空と海を斬り拓いた――

 

「……綺麗」

 

 呟く声は腕の中で。暗雲も闇風も穢波も澱水も祓い浄められた世界は……平等なる天と地。雲一ツすら無い蒼穹と鏡のように凪いだ滄海。その狭間に何処までも遠く遥かな、水平線が拡がる『平穏』。

 

「……ああ、本当にな」

 

 断線する意識の中。その悠久に続くであろう、劫莫たる水平線を瞼に焼き付けた……

 

 

………………

…………

……

 

 

 開いた瞼の先には、水平線ではなく石畳。その更に先には、休憩している家族の皆の姿がある。

 

「う……くっ……!」

 

 当のアキは、アルフェ=ベリオの壁に背を預けて寄り掛かっている状態だった。

 

「目、醒めたのね。良かったわ」

 

 応えたのは、目の前に屈んだ黒髪に和装の巫女。第一位の永遠神剣【叢雲】の意志、ナルカナ。

 

「俺は……いや、今は何してる?」

「状況は一変したわ。拠点を確保した途端に敵が退いてったから、休憩してる……漏れたナル化マナはあたしが全部収拾してるし、今のところ皆は平気よ」

 

 と、ズキズキ痛んで用を成さない脳を回転させようとした視界に、彼の膝を枕にして眠っている少女達が映る。

 

「「すぅ……すぅ……」」

 

 右腿には永遠神剣第三位【悠久】を抱き締めた、蒼髪に羽根を持つ妖精の女剣士ユーフォリア。

 左腿には空位なる不実の永遠神銃【是我】を抱き締めた、滄髪に花冠を戴く龍の修道女アイオネア。

 

 ユーフォリアはナル化から復帰した疲れ、アイオネアは無限光を使った疲れで眠っているようだ。正しく呼吸を刻んでいる二人に、安堵の溜息を零す。

 

「ユーフィーのナル化マナは完全に消えてるわ。にしてもあんた、"生誕の起火"を使い熟せるなんてね……」

 

 そこに、少し見直したような視線を向けたナルカナ。だがそれに、アキは『意味が解らん』といった視線をもって答えた。

 

「えっと……起火がどうかしたのかよ?」

「はぁ!? あんた知らないで使った訳?!」

 

 驚いた声を上げたのナルカナに、眠っている少女達がぐずる。アキは『静かにしろよ』の意を籠めたジト目を向けて――最後に映ったのは。

 

「こんの……ド阿呆ーーっ!」

 

 物凄い勢いで顔面に減り込んだ、ナルカナの渾身の右ストレートだった。加えて言うなら、頭の後ろは大理石のような白い石材で組み上げられているのだ、その衝撃の逃がしようは無い。

 

「ふひゃぁ?! ななな、何!?」

「はぅぅ、耳がぁ……」

「〜〜〜〜@§☆¥$¢%!!?!」

 

 怒声に跳び起きたユーフォリアとアイオネアが慌てる中、最早意味を成す言葉すら出せないアキは顔を押さえて七転八倒転げ回る。

 

「お、おいナルカナ!? 何してんだよ!」

 

 その騒ぎに、流石に皆も気付いたらしい。疲れた躯を起こして集まってくる。

 

「"生誕の起火"ってチカラはね、時間樹を生み出すだけじゃなくて、ナルはおろか如何なるチカラにすらも『侵されないチカラ』なのよ! あんたは世界を生み出して、あの娘から押し出したナル化マナを制御した……」

 

 だが、烈火の如く怒り狂う彼女の矛先は変わらずアキに向いたままだ。

 

「でもね、覚えときなさい! 起火はエターナルにとっては一か八か! あんたがユーフィーにやったのはね、生きるか死ぬかの瀬戸際の策だったのよ!」

「……!」

 

 その指摘に、アキは身を起こす。知らなかったでは済まされない、もしかしたら取り返しのつかない事態になっていたかもしれない……その事実に驚愕しながら。

 

「な、ナルカナさん! あたしは、こうしてちゃんと生きてますから……お兄ちゃんを責めるのは」

「いい……黙ってろ、ユーフィー……結果的にはそうでも、俺は間違いなく家族を危険に曝した……」

 

 ナルカナから庇うように自分へと抱き着いたアイオネアを離れさせ、庇うように立ったユーフォリアを振り向かせて。

 

「……すまねェ、本当に……御免」

「あぅ……」

 

 土下座に近い形で、頭を下げる。困ったユーフォリアは暫く何かを考え込んでいたが……不意に、彼女は彼の手を取った。

 

「……?」

 

 突然の行為に、思わず眼前で絡む二ツの掌を見詰める。じわりと、体温が染み込んでくる掌を。

 

「あたしは嬉しかったよ、空さんが助けに来てくれて……見捨てても良かったのに助けてくれて……」

「…………」

 

 その彼に彼女は、はにかみながら優しく微笑みかける。誰もを癒す、日だまりの笑顔。

 それは跳ねっ返りのこの青年にも、やはり同じ効果を及ぼした。

 

「だから、胸を張って。言ってたじゃない……『神を殺せるチカラなんかより人を救えるチカラが欲しかった』って。お兄ちゃんは……あたしを救ってくれたんだよ」

 

 二人の周囲には、それをやはり、優しく見ている皆の姿が在る。

 怒っているのはナルカナだけだ。

 

「……まぁ、確かに起火は神剣じゃなくてエターナル本人のチカラ……しかも"生命"なんてカタチの神剣を持ってるあんたは間違いなく、第一位の神剣士すら上回る"生誕の起火"を持ってるでしょうね」

 

 ぶすっと膨れたまま、ナルカナが呟く。彼女自身が一位神剣なのだ、認めるのは癪なのだろうが。

 

――全く、格好つかねぇなぁ……やっぱり何処までいっても、俺はカマセの宿星の生まれか……

 

 溜息を零したアキが立ち上がる、その刹那に。

 

『――そう、ナルすら制御する……そんなチカラを我々は望んでおったのだ!』

『――漸く…漸く、見付けたぞ! 我等が計画の(キー)を!』

 

 突如響いた老人と壮年の男性の声。同時に、アルフェ=ベリオ全域を魔法陣が包み込み――凄まじい光を放ったのだった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 その魔法陣の発する光が消えた時、アルフェ=ベリオから何もかもが消えていた。人は勿論、建造物さえも。

 

「……ッ何だ!?」

「あ、あれ……皆は?!」

 

 ただ、『全ての対象になれない』アキとアイオネア、そのアキと手を握り合っていたユーフォリアを残して。

 

「……何も驚く事はあるまい、此処には予め罠を張っておったのよ。転送装置による強制転移の罠を」

「クク……『策士策に溺れる』だな。そもそも、貴様ら如きたかだか数十年生きた程度の小童の策程度に……」

 

 そして――その三人の目の前に立った二人の男。

 

「――理想幹の神である我等が、裏を掻かれる筈も無かろうが!」

 

 枢機卿のような法衣に身を包んで、掌に紫の単眼を持つ魔法具型の第四位神剣【栄耀】を携えた老人……理想幹枝人エトル=ガバナ。

 妖術士とも魔術師ともとれる装束に身を包んで、金色の鐶が左右に三対嵌められた杖型の第四位神剣【伝承】を携えた男……理想幹枝人エデガ=エンプルが立った――……



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理想と 現実と

 百華繚乱の中央島ゼファイアス。美しき箱庭のただ中にあってアキは、空間に波紋を刻んで永遠神銃【是我】と同化したアイオネア……永遠神銃【真如】を携えた。

 

「"予定以上"に早い進攻だったが、所詮は餓鬼の浅知恵よ。我等は貴様の能力を見極める為にわざと泳がせておったのだ」

 

 地を踏み進んで来る足音と共に、錫杖【伝承】の鳴らす澄んだ音色と凄まじいプレッシャーが彼らへ投げ掛けられた。

 身構えるアキだが鞘刃に波紋の刃紋は無く、尽きさぬ筈だった蒼滄(あお)き輝煌も無限光の聖剣(アイン=ソフ=アウル)の使用による反動で濁りきっている。

 

【ごめんなさい、兄さま……】

(気にするな……今は休んでろ)

 

 『空[カラ]』の銃弾も使えない今、何も斬れないその剣銃は無用の長物。加えて彼は、"生誕の起火"の連発で相当に消耗している。

 

「全くだ、我等の手の上で踊っている事にも気付かぬとは……愚かなものじゃ。くくく……猿以下だのう」

 

 同じく踏み出して来る足音、宙に浮かぶ魔法具【栄耀】の単眼が睨むように彼等に向けられている。

 彼の隣ではナル化から持ち直したばかりのユーフォリアが杖代わりにしていた【悠久】を重そうに、苦しそうに構えた。

 

「外部存在に神にも侵せぬ存在……どうだ、手を組まぬか? サルバルの穴を埋める人材を探しておるのだ……計画成功の暁には望むモノをくれてやるぞ?」

 

 だが、その消耗を見越して現れた管理神は歯牙に掛ける様子もない。それどころか、エデガは二人を勧誘までしてのける。

 余計な事を嫌うエトルは、それにやれやれと肩を竦めた。

 

「ふざけないで! あなた達のやり方は好きになれません、話し合う事で解り合う事だって出来るのに……全てを一方的に、暴力や滅びで解決しようとするなんて!」

「仕方なかろう、悠長な方法ではこの時間樹は枯死してしまうのだ。この理想幹さえ我等が管理してきた。故に、我等こそ真の神……」

 

 激昂したユーフォリアの言葉にも、エデガは落ち着き払っている。勝利する絶対条件を揃えての戦闘に、誰が不安など感じようか。

 

「……戯れはもう止せ、エデガよ。こやつらに我等の『理想世界』は理解出来ぬ。ならば今までと同じ……恐怖と暴力にて縛るのみよ」

 

 マナが篭り、紫色の光が【栄耀】を覆う。同時に見開かれたエトルの、どろりと濁った青い瞳。

 対峙する相手の瑕疵を見抜いて、幾度と無く彼に勝利を齎してきた『アナライズ』の眼だ。

 

――知恵が武勇を凌駕する好例、ヤバい状況だ。数はイーブンだが……疲弊しきった俺達で全快の奴ら相手は厳し過ぎる。

 

「……奇遇だな、クソ爺……俺もそう思ってたところだ」

 

 聖外套を腰に巻き、透徹城の門を開く。これで、内部に納めた兵器を使った戦闘が出来るようになるが――これだけでは、十位の担い手にも充たないだろう。

 

「――まぁ確かに涎垂モノの条件だからよ……テメェらを消滅させてから考える事にするぜ!」

 

 それでも、強がる。ただ、『自分よりも強いモノに打ち克つ』永遠神剣【真如】の担い手“天つ空風のアキ”の名に懸けて。

 相棒をスリングにて襷掛けで背負ったアキは疲労困憊の躯に鞭打って、腰のガンベルトに吊した拳銃を手に取った。

 右手に紅金のデザートイーグル【比翼】、左手に蒼金のコルトパイソン【連理】を。

 

――対抗する策は……一ツきりだ。あいつらがそれに気付いてくれるまで堪えられるかが、俺達の生命のボーダーライン……!

 

「ふん、残念だが……どうやら何処までいっても平行線のようだな。我等が計画の為、イレギュラーは排除する……」

 

 溜息と共に掲げられた【伝承】、そのエデガの頭上に現れ出る神異『パワーオブブルー』。

 

「……何、あれ……!?」

「クソッタレめ……見せ付けてくれやがる……!」

 

 嚇炎のビーストソード、切先がY字に分かれた岩の両刃斧剣、闇に染まるズー・アル・フィカール、灼熱の大鉈、氷の断頭剣、流水のクレイモア、砂のグラディウス、風纏う音叉状の和剣。

 根源力にて編まれ、半透明に透き通る色とりどりの剣また剣が――

 

「――消えろ!」

 

 二人へ向けて一斉に刃先を揃え、剣の槍襖が撃ち出された−−!!!

 

 

………………

…………

……

 

 

 光が消えた後、一行は浮遊感と共に迫り来る雪原の拠点フロン=カミィスを見る。望は、【黎明】を抜き放ちながら舌打ちした。

 寄り添うかのように側に居る希美(ファイム)も、すかさず【清浄】を構える。

 

「……ックソ、理想幹神の奴ら!」

 

 難無く着地してのけた学園一行は、狙い済ましたように遅れて落ちてきたアルフェ=ベリオの建造物の残骸を粉砕した。

 降り注ぐ破片の雨の中で、一行は悔しそうに天を見遣る。

 

「してやられたわね……見なさい、アキとユーフィーが居ないわ」

「それもあいつらの狙いだってのかよ!?」

「間違いないわ、厄介な二人組を纏めて始末する気なんでしょう。弱っている今の内に、ね」

 

 天を見上げ、ゼファイアスを覆う光の膜へと舌打ちしたナルカナの言葉に皆の表情が強張る。

 中でも、ルプトナとソルラスカは今にも走り出しそうな姿勢だ。

 

「じゃあ急がなきゃダメじゃん、早く戻らないと!」

「そうだ、急ごうぜ!」

「……そうしたいのは山々だけどね、クー君が転送先を壊してるし」

「「空のバカヤローっ!」」

 

 そんな二人を窘めながら、何かを思案しているヤツィータは溜息を零す。完全に裏を掻かれた、と。

 

「あの光は、理想幹を覆っていた障壁と同類と見るべきかのう……とすれば、破るにはさっきと同じ方法を取るべきか」

「ですがナーヤ殿、今度は完全に打ち合わせ無しです。理想幹神達の妨害も在るでしょうし、流石に非現実的かと」

 

 カティマの言葉にナーヤはむぅ、と唸り声を上げる。その瞬間、絶が神剣の気配が近づいて来るのを察知して腰を低く落し、【暁天】を構えた。

 

「……どうやら、向こうはこちらも逃すつもりは無いようだ」

 

 近付く気配は、この戦いが始まった段階で感じていたミニオンよりも遥かに強大だ。加えて、天より降下して来る巨大な影達も在る。

 

「……ハイミニオンね。あたし達、光をもたらすものにも僅かに数体しか供与されなかった奴らよ」

「少なくとも三十は難いだろうな……しかも、抗体兵器まで」

 

 眉をひそめながら、エヴォリアとベルバルザードが各々【雷火】と【重圧】を構える。それを受け、他の神剣士達も神剣を構えた。

 そこで、スバルが遠くを見遣る。

 

「……もう一つ、悪い知らせです。どうやら、ノル=マーターも来たみたいですね」

「全く、次から次にうじゃうじゃと!」

「防戦は得意なのですが……流石にこの戦力差は厳しいですね」

「しかし、やるしか無いだろう。だが、此処を切り抜けたとしてもどうやって中央島に戻る?」

「……アッキーがさー、壊してさえ無かったらねー……」

「本当、後先考えない上に肝心要でポカやらかすのよ……アイツは」

 

 苛立たしげに吐き捨てたタリア、ミゥは以前の経験から現状を危惧している。そんなミゥを叱咤して、ルゥは差し当たっての問題点を挙げた。

 勿論ワゥやゼゥに解決策は無く、安易な事をした策士を糾弾するに留まる。

 

「そこなんですけど……考えが有ります」

「ポゥもか……俺にもあるぜ、一つだけだが」

 

 だが、ポゥとクリフォードはそんな事を呟いた。皆が一斉に『えっ!?』と彼女に視線を向ける。

 

「本当か!? どんな?!」

「えええ、えっと、その、あくまで可能性に賭ける事になるんですけどどどど……」

「落ち着けよ、お前ら。多分、ポゥの案と俺の案は一緒だ」

 

 凄い剣幕の皆に詰め寄られて相当に(ども)った緑の少女と双刀の青年は『策』を口にした。

 

「成る程……確かに、それに賭けるしかあるまい」

「では、準備を。行きましょう、ナーヤ殿、ソルラスカ!」

「よっしゃ、久々だが気合い入れていくぜ!」

 

 ブリーフィングを終えた一行は役割分担を速攻で終わらせ、各自の行動に移る。ナーヤとカティマとソルの三人はフロン=カミィスに引っ込んで行った。

 

「抗体兵器はあたしが相手するわ、雑魚は任せるわよ」

「分かってる……皆、征くぞ!!」

 

 ナルカナと望の言葉に『応っ!』と応え、残った彼等は再度戦闘を開始する――

 

 

………………

…………

……

 

 

 土埃が晴れた時、そこには古戦場のような光景が拡がっていた。

 (ツルギ)の墓標が林立するその死地に、『フローズンアーマー』と『イミュニティー』を並列にて展開したアキが、ユーフォリアを庇って立っていた。

 

「お兄ちゃん、どうしてっ……!」

 

 彼女の声にも、彼は振り向かない。ただ眼前の、神を名乗る道化師を睨みつけるのみ。

 その道化師に、良いように遊ばれている自身の不甲斐無さを歯噛みしつつ。

 

「大人しくしておればよいものを……貴様からかのう」

「んっく……チカラを貸して、ゆーくん!」

 

 更に、エトルの【栄耀】より撃ち出された『ビジョンスフィア』の紫光を、ユーフォリアの『オーラフォトンバリア』が防御する。

 

「……ックソ……!」

 

 そこで、アキは呻き声を漏らす。他は逸らす事が出来たが、運悪く右の太股を貫き通した翠の和剣を伝って朱い血が地面に滴った。

 

「どうしてあたしを庇ったりしたのっ!」

 

 【真如】の急速治癒が得られない今、負傷は直接的に戦闘力の低下を起こすというのに、彼の得意な高速戦闘の要である脚をやられてしまった。

 

「……ただの帳尻合わせだっての。気にすんな」

「気にするなって……まさかお兄ちゃん、さっきの事……」

 

 脚に走る鋭い痛みを堪えながらも、和剣を引き抜く。気が遠くなるが、敵の神剣の能力で出来たモノにいつまでも貫かれているよりは遥かにマシだろう。

 

「マナよ、光放つ薄絹となり害意を跳ね除けよ――レジスト!」

 

 彼女の精霊光、抵抗のオーラを浴びた傷口は血を流すのを止める。マナ製の躯とは便利なモノだ。

 

「こう見えても守りは得意技だ……生き残るぞ。皆が来るまで……!」

「……うんっ!」

 

 ユーフォリアを……何より、苦痛に屈しそうな自分を叱咤する。

 

「ふはははっ、仲間など来ぬぞ! 外輪の浮島に送り返して抗体兵器やハイミニオン、ノル=マーターを送り付けてやったのだからな」

「ゼファイアスに繋がる転送装置は無い……我等の駒に砕かせた故にな。加えて障壁も展開した、神獣に乗っての進入も不可能!」

 

 それを、管理神達は嘲笑った。丁度ゲームのプレイヤーが、絶対に負けない雑魚敵の起こす抵抗を嘲るように。

 

「どうせ、貴様達は死ぬのじゃ。少し遊んでやろう……」

「「……ッ!?」」

 

 刹那、背後に【栄耀】が現れた。マナにより肥大し、その内部から漆黒の(かいな)が伸びる。

 その狙いは――ユーフォリアだ。振り向こうとするアキだが、脚の傷により素早い動きが取れない。

 

 一方で、対応したユーフォリアは『サージングオーラ』を展開するべくマナを練り上げて――……

 

「真の神に刃を向けるとは、愚か者が……最早、刃向かう事すら許さぬ」

 

 その空間を、凍えた空気が包む。エデガの神剣魔法……マナの恩恵を断つ『フリージングスフィア』が覆った。

 

「あれ……?! なんだか、身体が怠いです…きゃあっ!?」

 

 それにより、マナの欠乏した彼女のスキルは不発に終わる。

 加護の無い彼女に、剛腕の一撃は致命的。何とか【悠久】で防いだ彼女を高く打ち上げる。

 

「クッ……ユーフィー!」

 

追撃を掛けようとする【栄耀】、それに照準を合わせて引鉄を――

 

「貴様らがどうなろうと、我等には関係ない……」

「グあッ?!」

 

 引くよりも早くエデガの言霊が響き、地面が炸裂した。同じく、空中に弾き出されて。

 

「苦悶の声を、上げるがいい!」

「闇に沈め!」

 

 そして二人はそれぞれ、追い縋り打ち下ろす【栄耀】の黒い腕と……エデガの【伝承】が紡ぐ根源力の、巨大な光球に撃たれた――!

 

 エトルの『クライブリンガー』によって花畑へと叩き付けられて、咲き乱れる花を撒き散らしながら転がったユーフォリアが、仰向けに止まる。

 その直ぐ脇の地面に投げ出された【悠久】が衝き刺さった。

 

「……パパ……ママ………助けて……」

 

 痛烈に打たれた躯の軋みに呻いて目を開く。霞んだ眼差しの先には、彼女から僅かに離れてエデガの『パワーオブブラック』を受けて俯せに倒れたアキの姿。

 それを見て、彼女は意識を飛ばしたのだった。

 

「ほう……これは」

「それなりに、やるではないか」

 

 衝き付けていた【伝承】を下ろすエデガと【栄耀】を手元に戻したエトルが嘆息を漏らす。

 倒れ込んでいたアキの腕に力が篭り、もたつきながら……さながら幽鬼のように起き上がった為に。

 

「……カハッ……ハァ、ハ…………!」

 

 自在にカタチを変えて襲い来るエデガの根源力は、第四位という位と相俟って凄まじい威力を発揮する。それはアキが操るモノより遥かに強大だ。

 その一撃をまともに受けて、それでも立ち上がった頑丈さと根性を――嘲ったのだ、『無意味』と。

 

「笑えよ……笑えるのは生きてる間だけだ……あの世じゃあ、もう笑えねぇ……」

 

 即座に纏った『威霊の錬成具』と武術着の上半身部分は燃え尽きて、彼が刻んできた"生命(れきし)"の証明……積み重ねた鍛練と研鑽、幾つもの修羅場で琢磨されてきた細身だが筋肉質でしなやかな猛禽を連想させる、決して消える事の無い幾つもの傷痕(れきし)が残る躯を曝している。

 満身創痍の躯で携えたままの弐挺拳銃を衝き付ける。背負った鞘刃は……未だに濁りきったまま。

 

【おやおや、随分追い込まれてるじゃないかボウヤ?】

【だらしねェ野郎だぜ、それでも媛樣の伴侶か】

(……煩ッせェな、黙ってチカラを貸しやがれ!)

 

 やはり空位の伍挺拳銃も【真如】と同じく無限の弾倉だが、現在は【真如】の加護が無い為にただのカラ銃だ。

 銃弾は圧縮した根源力にて、箱型と円筒型のマガジンごと構築して装填する。

 

「――ハァァァァッ!!!」

 

 【比翼】からは灼けつく熱閃『ホーミングレーザー』が、【連理】からは凍てつく水の塊『メガフォトンバスター』が撃ち出された。合計十三発を撃ち尽くした彼は両マガジンを排して弐挺に再度創り出したマガジンを装填する。

 反動(リコイル)による手首の痛みと、地を踏み締めた事による腿の痛みを堪えて前を見れば――

 

「問題無かろう、この程度」

 

 エトルの【栄耀】より発せられた、マテリアルとフォースの両方に均等に高い防御力を誇る紫の球体バリア『グリムチューター』にて防がれている。

 

『……へぇ、ムカつくじゃないか。上等だね、消炭にしてやるよ!』

『奇遇じゃねェか、同じ事を考えてたトコだ……凍り腐れ!』

 

 声と共に、各属性を象徴する空位眷属の化身たる霊獣達が現れ出た。比翼の紅金鷲が右肩へ止まり、比目の蒼錦蛇が左腕に巻き付く。

 

 そのどちらもが銃口の向いている方向へと――管理神達へと、名匠によりカットを施されたルビーとサファイアのように美しい魔眼の瞳を向けた。

 

『『――果てろ!』』

 

 刹那にて、ノル=マーターが焼き砕かれ凍り砕かれた。迎撃不能の起源弾はその魔法の宝石(ひとみ)に籠められた地を穿つ嚇星の矢『スターダスト』と絶対零度の蒼星の矢『アイスクラスター』だ。

 ギリシャ神話のメドゥーサ退治のような鏡のトリックは通用しない。同じ事をやっても、鏡ごと燃え尽きるか凍てつくだけ。

 

 深淵の銃弾により敵の神剣魔法を撃ち消して戦闘マナを奪いつつ、『初めから命中している』因果を持つ星屑の銃弾で撃ち砕く。

 どれ程強力な防御機構を備えようとも、この弐挺の組み合わせの前には無力だ。

 

「少しはやるようだが、それではどうにもならんぞ」

 

 だが、エデガは赤と青の高位の神剣魔法を、それぞれ青緑と赤黒をプロテクションする根源力の盾『プリズマティックシールド』と『プリズマティックバリア』にて無力化した。

 貫通効果が無い、それこそがこのコンボの唯一の弱点だろう。

 

「……クソッタレ……」

 

 完膚無きまでに自分の努力を凌駕された屈辱に、歯を食い縛った。

 

甚振(いたぶ)るのにも飽きた、そろそろ始末するか……今すぐに、覚悟を決めるがよい!」

 

 その表情を満足げに見下した神は『やっと』、本腰を入れる。

 くるりと一回転させた【伝承】が高く掲げられ魔法陣が空中に展開された刹那、周囲を真紅に染めてオーラが煌めいた。

 

「――二度と邪魔が出来ぬよう……引き裂いてくれるわ!」

 

 永遠神剣に刻みつけられた様々な神の智慧『パワーオブレッド』により、彼の操る根源力が爆発的に膨れ上がったのだ。

 

「我々の計画は完璧じゃ……だが、備え有れば憂い無し。先に備えておくとしよう」

 

 当然、その恩恵はエトルにも分け与えられる。いや増す【栄耀】の光が、妖しく拡散した。

 

――野郎、一体何をしやがった!!

 

 何も起きない神剣魔法の発動に、隙無く身構えたアキのそんな考えを見透かしてか。エトルはニタリと笑った。

 

「……心配せずとも、すぐに勝負をつけてやるわい。罠にかかったと気付いた時が、死ぬ時じゃ!」

「……ッ!」

 

 その刹那にアキは右を大型回転式拳銃トーラス=レイジングブル、【海内】に持ち替える。

 

【追い込まれてから僕を喚ばないで欲しいなぁ】

 

 円筒型の弾倉を装填すれば、彼の前方に現れたエメラルドの魔眼の幽角獣。

 

「悪いな……一丁頼む」

『何にせよ媛樣の為か……仕方ない、守り抜いてあげるよ!』

 

 蹄を帯電させて高く掲げた前脚を振り下ろせば、呼応して翠色の魔法陣が展開された。敵の魔法へと警戒して、せめて防護を固めようとマナ結晶の城塞『ガイアブレス』を発動し――

 

「――くく、死相が見えるぞ!」

「しまっ……!?」

 

 仕掛けられた悪性の罠である神剣魔法『ボトムレスピット』を発動させてしまった。エトルの背後に、妖艶な魔女の如き頭巾とローブを纏った女が現れる。

 それこそが、彼の永遠神剣第四位【栄耀】の守護神獣『滅びの指』。冷酷無比な殺人者である――

 

「こやつは相手を痛め付ける事が何よりも好きなのだからな……楽に死ねるなどと思うな、蕃神の成れの果てよ」

 

 エトルが、攻撃を許可する。口許しか見えていないが、滅びの指は薄く……残虐な笑みを浮かべて腕を指し出した。

 

「……チィッ!?」

 

 そのローブの下から迫り出した、無数の肉質な触手。それは汚れた津波のように競い合って、アキとユーフォリアに押し寄せた――

 

 

………………

…………

……

 

 

 中央島ゼファイアスの、更に中央に座す中枢部……巨大な時間樹の幹が貫く理想郷、幾何学的な紋様の刻まれた立方体の青い石が幾つも積まれている、ログ領域に直接のアクセスが可能な装置の置かれた『ゼフェリオン=リファ』。

 管理神の本拠にして、この時間樹エト=カ=リファの全ての歴史を記す本棚である。無論、一般的な人間が想像する本棚等とは似ても似つかない、光の奔流であるが。

 

 その居城の守護の為に多数が配置されていたノル=マーターを全て機能停止させて、ハイミニオンを消滅させた『人影』はゆっくりと、それに手を伸ばした……

 

 

………………

…………

……

 

 

 前後左右、そして上下からも迫り来る触手の雨霰。対応して、持ち替えた黒金のベレッタM92F【地角】と白金のCZ−75【天涯】の弐挺拳銃に、黒と白の各属性である二本の箱型弾倉を装填して構えた。

 もう篭手と【天涯】に【地角】、下半身には『威霊の錬成具』製の根源力の鎧とホルスターに納めた【比翼】と【連理】くらいしか、残っていない。

 

【次は儂らの出番かな?】

【このような輩に苦戦するなんて、担い手としての自覚が足りないのではありませんかしら?】

(小言は後で幾らでも聞くからよ、今はチカラを貸せッ!)

 

 【地角】からは過重力の暗闇が、【天涯】からは分子崩壊の閃光が撃ち出される。入り乱れる黒白の銃弾が寄せる触手を撃ち砕く。

 

【まぁ、なんて汚らしい言葉遣い……宜しいですわ、言質は取りました。貴方には、媛樣の伴侶に相応しい覇皇となるべく騎士道と紳士の気品と帝王学をみっちりと学んで頂きますわよ!】

 

 銃弾の残る【天涯】を連射しつつ、撃ち尽くした【地角】の弾倉を排する。空弾倉は、地面に落ちる前に根源力を満たし満タンの弾倉として再構築された。

 すかさず左足でサッカーのようにリフティングし、軸にした右脚の苦痛に気が遠くなりながらも拳銃自体を横殴りに振り抜きリロードする。

 

【それは面白そうじゃのう……よしよし、儂も他者の心を手玉に取る手練手管をしっかりと教え込んでやろうぞ。くくく……覚悟しておくがよい】

 

 今度は【地角】を連射しながら、撃ち尽くした【天涯】のマガジンを排す。再びフルの弾倉と化したマガジンを蹴り返して、縦に振り下ろしてリロードした。

 しかしそれは、小石で大津波に太刀向かうような行為。少しずつ圧されて、やがて迫り出した岩石の城塞に背を預ける形になった。

 

『心の底から悍ましい……ワタクシ、久々にトサカに来ましたわ!』

『くく、確かにのう……儂も逆鱗に触れられたのは久し振りじゃ!』

 

 顕現した、右腕に巻き付く黒闇海蛇と左肩に止まった白閃鳳鳳は、蛇球のように蠢く触手の塊を睨みつけて吐き捨てる。

 それぞれ、ブラックオニキスとダイヤモンドの魔眼が見据える敵に狙いを定め――

 

『『――失せろ、下郎!』』

 

 【比翼】と【連理】と同じく迎撃不可能の起源弾として、魔眼の瞳から神剣魔法である『無限回廊』と『ライトニングブラスト』を撃つ。

 暗闇と重力の牢獄に囚われ、回避の出来ないそれらに閃光と焦熱の奔流が襲い掛かる。

 

「中々にやるではないか。だが、侮りはせぬ……ただ対応するのみ」

 

 相当数の触手が纏めて消滅させられが、それでも滅びの指の攻勢は止まらない。この程度ではエトルの予測の範疇なのだ。

 

「なまじ力が有るから、戦おうとする……その力、奪ってくれる!」

 

 そして業を煮やしたエデガが、駄目押しの『パワーオブブルー』を放つ。展開された剣の槍襖は、先程の倍近く。

 アキと霊獣達の三つの口は揃って舌打ち、その触手の波と根源力の剣による砲弾へと更なる起源弾を放った――!

 

 

………………

…………

……

 

 

 昏みに沈んでいた意識が、明るい方へと浮上する。ギシリと痛む躯に、ユーフォリアは不承不承瞼を開く。

 

「……っう……んん…………?」

「あ……ゆーちゃん、大丈夫?」

 

 その空色の円らな瞳に映ったのは、滄い髪に花冠を戴いた刧初海の媛君と……踏み締めた大地の城壁『ガイアブレス』を発生させて、全周から押し寄せる触手から彼女達を護る翠の幽角獣だった。

 

『おや、目が覚めたかな。可愛いお嬢さん?』

「えっ……? アイちゃんに、貴方は……確かアイちゃんの……」

 

 気付いたユニコーンは振り向くと、『魅了』の効果も持つ翠の魔眼と共に笑顔を向ける。

 

『覚えてくれて光栄だね、僕も君の事はよく覚えてるよ。一目見てずっと気になっててさ。良かったら今度、膝枕をして欲しいなぁなんて――』

「あの、お兄ちゃんはどこに居るんですかっ!?」

 

 そこで、外から銃声が聞こえる。まだ外で戦っているのだと知り、彼女は【悠久】を握り締める。

 

『ちぇ、おかしいなぁ……効いてる筈なんだけど』

「兄さまは外に居るの……私とゆーちゃんを護るように言って、一人で」

「……やっぱり……さっきの起火での事を気にしてるんだ」

 

 どうやら魅了の効果は、全く出ていないようだった。それに幽角獣は溜息を落として壁を眺める。

 一方ユーフォリアは、壁を叩いて開く所が無いかを探している。

 

『止めときなよ、外は色々大変な事になってるから。特に女の子は行かない方がいいよ、エグいし』

「エグいって……と、とにかくここから出してください、早く助けに行かないと!」

 

 しれっと答えたユニコーンの言葉の通り、この城壁に隙間はない。マナが練り込まれた超硬度の岩石は触手の侵入を許さない為に天蓋を作り、地中すら固めているのだから。

 

『護られてる内が華だよ。世の中、護って貰いたくたって護って貰えない奴だって居るんだからさ』

 

 その発動元である、足元で輝いている魔法陣を、幽角獣が術式を解かぬ限りは。

 

「……それは、違います。だって、あたし達は……家族だもん」

『家族だからさ、護りたくなるんじゃない? それが動機じゃないか、君も』

 

 ぷるぷると、少女は蒼穹と同じ色の髪を揺らした。そのさざめきに一角獣は、陽光の注ぐ大空を連想する。

 

「家族は護り抜くものなんかじゃない……護り合うものだから!」

「……!」

『……』

 

 その台詞にアイオネアはぎゅっと掌を握り締め、幽角獣は眼を細めて彼女を見遣る。

 

 それは彼女達の両親の在り方だ。かつて、とある世界での戦争中に出逢ったユーフォリアの両親は、その戦争で背を預けて戦い抜き結ばれた。それは決して一方的に護るようなモノではなく、互いに互いを護り合うモノだった。

 永遠者として終わらぬ戦いの渦中に身を投じた今でも尚、想い合い護り合う。そんな両親の後ろ姿を、ずっと見続けてきた彼女だ。

 

 そしてアイオネアの両親もまた、彼女を護る為に全霊を尽くして、自分達を護り合った。結果的には道を違えたが、それも互いが必ず最後には解り合えると知っていたからに外ならない。

 

「……だから、お願い……お馬さん、ここを出して!」

『馬は酷いなぁ……これでも気高き幻獣種の代表格なんだけど』

 

 ユーフォリアの必死の願いに溜息を漏らして、幽角獣は――

 

『判ったよ』

 

 天蓋の一部がカタパルトのように開く。そこから出ろと言う事なのだろう。

 

『残念だけど、僕には君より媛樣の方が大事だから。どうなっても知らないよ』

「うん、ありがとうお馬さん!」

『はは……もういいや』

 

 変型した【悠久】に乗り、そこを目指そうとして……彼女は俯く媛君を見る。

 

「大丈夫だよ、アイちゃん……直ぐに一緒に帰って来るから、一緒にお灸を据えちゃおうね」

「ゆーちゃん……私は……いつもそう…………護られてばっかり……」

 

 その唇が紡いだのは、自責の言葉だった。魂の契約を誓い合った、共に歩むべき伴侶の危機…そして生まれて初めて出来た親友も危機に飛び込もうとしているというのに、チカラを発揮する事も出来ない不甲斐無さに。

 

「ずっとずっと……父さまに母さまに、【調律】さまに皆に……兄さまにゆーちゃん……」

「アイちゃん……」

 

 胸元で祈るように掌を組み、瞼を伏せて。弥榮(いやさか)なる"生命"を象徴する刧初海の姫君は――

 

「護られてばかりなんて、もう厭……迷う事なんて無い……私は……」

 

 万象を"肯定"する剣銘(なまえ)を持って、"否定"のみしか"否定"する事を許されない彼女は――金と銀の、右左で色の違う龍眼の瞳を決意に染める。

 

「私は天地の狭間に生まれた唯一の空位永遠神剣【真如】……ありのままである事を肯定する……不可能は不可能だけ……」

 

 その願いを"肯定"する。生まれて初めて、己の欲望を肯定した。

 そもそも『空位』とは名のみの、誰も就いていない位の事。故に最低の位だが……その位に就いているからと言って『他の剣に劣る』と何故言えようか。むしろ、それ故に彼女は奇跡を起こせるのかもしれない。

 

 この空位永遠神剣の本来のカタチは"生命(いのち)"、何であろうと限定されぬ『可能性』を宿した空海だ。

 諦めない限り、"生命という奇跡"はあらゆる奇跡を起こす可能性を引き寄せられる唯一の奇跡。

 

「――遍く可能性を斬り拓く神刃(ヤイバ)を振るう為の、神柄(ツカ)なんだから……!」

 

 『終わりより始まる』というその永遠神剣が紡ぎ出す奇跡は、決定された未来を覆して超越する事。

 それは神のチカラをもってしても否定出来ぬモノ……否定を否定する概念を宿す"彼女"を止められる概念など、決して存在しえない。

 

 故にこの刃とその担い手は、進む道を閉ざそうと立ちはだかる障害の全てを、凌駕してのける可能性を有している――……!

 

 

………………

…………

……

 

 

 ずるりと蠢く触手に取り囲まれ、太刀(たち)尽くしたアキは力無く息を吐く。最早、引鉄を引く体力も気力も残っていない。

 

「よく堪えたのぅ……正直、予想外じゃったぞ」

「全くだ、前世とは比べるまでも無かったぞ。ただ……我々の敵では無かったな」

 

 触手の海が十戒のように割れて、そこを管理神達が歩む。そして……エデガが最後通牒を行う。

 

「もう一度だけ言おう……我等の駒と成れ。そうすれば貴様も、その岩戸の中の娘も助けてやる……」

 

 勝利を確信した、傲慢な言葉。それに、アキは――

 

「……そうだな、流石に……もう無理だし……これで終わりにしようぜ」

 

 スッと、何も持っていない左手を……まるで握手をせがむかのように差し出した。

 

「……く、ははは……そうだ、それでよい……敗者とはいえ、礼を尽くす者にはそれなりの待遇を約束しようぞ」

 

 エデガは実に愉快そうに、快哉快哉と笑う。笑いながら直ぐ近くまで歩み寄り、永遠神剣【伝承】を持っていない方の左手をアキヘと差し出して組み合う。

 

「――あばよ」

「――何ィィッ!?」

 

 ……前に摺り抜け、その左の袖裏から飛び出して構えられたスリーブガン――暗殺拳銃(デリンジャー)【無銘】に、左胸を撃ち貫かれ――

 

「それで勝ったつもりか? 哀れな……管理神の力を見せてくれよう」

「――何ッ!?」

 

 だが、そのエトルの見下す声に呼応してか、エデガの周囲から黒いマナが溢れ出る。

 それはエデガの銃創に吸い込まれ、瞬く間に傷痕まで消し去った。

 

「……ふ、我々の伝承こそが真実となるのだ…貴様に付け入る隙など無い!」

 

 それこそ、エトルが仕掛けていた真の罠。受けた傷に反応してそれを癒す治癒魔法『ライフバーン』、この戦闘の開始時に仕込まれたモノだった。

 

「……我々に逆らった罪は、万死に値する……」

 

 憤怒に染まったエデガの【伝承】から、光が溢れる。膨れ上がっていく根源力と共に――四本腕にヘルムを被った、筋骨隆々の蛮族の如き巨人が現れた。

 その腕にはそれぞれ黒塗りの刀に深紅の斧、深緑のハルバードに青い鉈剣を番えている。

 

「――楽に死ねるなどと、思うなァァッ!」

 

 それこそが、第四位神剣【伝承】の守護神獣『全能のパーサー』。破壊衝動の塊、正しく獣――!

 

『オオオオオオォォォォォ!』

 

 咆哮と共に、四つの得物が抵抗も出来ないアキに向けて振り下ろし、或いは振り抜かれる。

 滅びの意念が籠められた、暴風の如き乱撃は『ウィンドオブラス』。技巧も何も無い、ただただ目に映るモノを破壊しようとするだけの暴力の権化。

 

 それがアキを捉える瞬間――

 

「「「――――?!」」」

 

 三人が同じ場所を見遣る。ある一点、膨大なマナが凝集して――木っ端微塵に吹き飛んだマナ結晶の岩戸と、そこから飛び出した一条の蒼滄い光。

 

「ぬうぅっ!」

 

 その光は呆然としていたエトルを捉えて三重の魔法陣となるや、オーラフォトンの爆発と化して粉塵を巻き上げた。

 そして――三対のスフィアハイロゥを携えて、構えていた『永遠神銃(ヴァジュラ)』から『オーラフォトンビーム』を放った()()が飛び出して。

 

「――チカラを貸して、ゆーくん……アイちゃん!」

 

 アキを庇って両手に二本の大剣型の永遠神剣……穢れ無き聖光で形成された刃を持つ第三位【悠久】と永遠神銃【是我】によって、パーサーの得物四つを受け止めた――

 

「――ユー……フィー?」

 

 すらりと伸びた手足、大人びた顔付き……幼女ではなく、アキと同年代くらいのユーフォリアの姿が映った――

 

 

………………

…………

……

 

 

 フロン=カミィスの周辺は、爆音と燃え立つ残骸、断末魔とマナに還り逝く死骸、焦げた鉄と肉の鼻を突く臭いが溢れるこの世の地獄と化していた。

 美しかった景観は見るべくも無い程に荒れ果てていると言うのに、それでも戦いは終わらない。

 

 納めたままの刀を構えて、無防備な背中に襲い掛かる黒。その居合『月輪の太刀』が――

 

「凶運招く死の剣よ、あんたに死兆を見せてあげる――ストームブリンガー!」

「あは、あはは…きゃははは……」

 

 神剣ごと、振り向き様に放たれた質量すら持つ闇の剣に断たれる。

 

「あたしの名に連なる力、王の聖剣――エクスカリバー!」

「……重ッ傷……」

 

 更にその隙だらけの背中を狙った青が『ヘヴンズスウォード』にて斬り掛かるも、不可視の剣に苦もなく両断されてしまった。

 

「フシュウウウ……!」

 

 その絶望的な戦局を打開すべく、抗体兵器と三体のハイミニオン、二十機を越すノル=マーターにて構成された軍勢。

 一斉に攻撃の姿勢をとったそれらが、攻撃を行う――よりも速く、打ち鳴らされた拍手が一つ。

 

「叢雲の名の下に命ず。汝、世界霊魂の大海に還れ……」

 

 ナルカナの詠唱と共に地面と頭上、その中間に三重冠の紅い魔法陣が展開される。

 それと同じくして、赤い不死鳥が現れる。第一位永遠神剣【叢雲】の意思である不死鳥……ナルカナの守護神獣『転生と誕生の翼』が。

 

「――リインカーネーション!」

 

 その放った聖なる焔が、敵を包み込み焼き尽くす。死と再生の象徴たる焔に抱かれた全てが、可能性の大海へと還っていく。

 

 手も足も出ないとはこの事だ。長く艶やかな濡れ羽烏色の黒髪と白い袖を舞姫のように振り、戦闘開始以来『一歩も足場を変えず』に拠点を護りながら、正に剣舞を見せるナルカナ。

 この地獄にただ中に在って、血の一滴すらも浴びずに咲き誇る大輪の菊花。常日頃の尊大で傍若無人な振る舞いも納得出来る、それ程に圧倒的な強さと美しさ。

 

「1+1=2じゃない……あたしと神獣、合わせて200! 10倍よ、10倍!(※100倍です)」

 

 これさえ無ければ、だが。

 

 勝ち誇っているナルカナだが、敵はまだ残っている。ハイミニオンこそ全滅させているが、抗体兵器はあと十機。ノル=マーターは、まだ五十機以上。

 

「このっ、ちょこざいなー! きーっ、せんせーに言ってやろー!」

 

 それらが全て遠巻きに取り囲み、ナルカナに向けて銃撃や神剣魔法、虚のチカラを放とうとする。

 流石に護りきれないと焦り、子供の負け惜しみのような事を口走る彼女。

 

「――ナルカナ、準備完了だ!」

「うひゃあっ!?」

 

 望がナルカナの手を引き、拠点に向けて走り出す。それを合図き、各々で戦っていた面々が集結して拠点に飛び込んでいった。

 

 最後の望とナルカナが拠点に飛び込んだ瞬間に機械兵達は一斉射撃を遂行する。様々な銃弾、そして虚無の竜巻にフロン=カミィスは木っ端微塵に粉砕された――

 

 

………………

…………

……

 

 

 己が全霊を籠めた四本腕の殺撃を、自身の八分の一程しかない少女一人に防がれて。

 パーサーの頭部を覆うヘルムから覗く巨大な単眼が見開かれて驚愕に……そしてすぐに血走り、烈火の如き憎悪へと染まる。

 

「……っ!」

 

 永遠神剣【悠久】と永遠神銃【是我】、三枚のシールドハイロゥで四本を受け止めたユーフォリアに襲い掛かる、根源力を消し飛ばす滅びの意念を孕む嵐。

 これこそが『ウィンドオブラス』の真の威力、敵対者に戦闘マナを失わせてこの後のパーサーの殺戮を円滑に進める為のモノであり、そして――

 

「鼠など……踏み潰すのも面倒だ。じっとしておれ、纏めて消し去ってやるぞ!」

 

 エデガの、敵の根源力を奪い取る『フリージングスフィア』も――

 

【――ゆーちゃん、私の力……受け取って!】

「力が……マナが戻ってくる……さんきゅだよ、アイちゃん!」

「ッ……鬱陶しい連中よのぅ!」

 

 ユーフォリアが一体化した、零よりマナを生み出す【真如】の前には何の意味も無い。余りにも無意味――!

 

「――たぁぁぁぁぁぁっ!」

 

 振り抜かれた【悠久】の光の刃は、パーサーの持つ得物を全て弾いた。

 

「いくよゆーくん、あたしたちは……!」

【うん……いこうユーフィー、僕達は!】

 

 その隙を突いて、彼女は二ツの力を重ね合わせる。【悠久】の柄を握り締めて、【是我】と同化させ――供給される莫大なオーラフォトンを瞬かせながら大きく振りかぶった。

 

「【――希望を繋ぐ、チカラになる!」】

 

 本来の姿である【真如】は最早『空』そのものだ、何であろうとそれと同じ概念を持たぬモノには触れる事も能わぬが……故に全てと重ねられる。

 

「オオオオオォォォォォッ!」

 

 四本の腕ごと武器を弾かれてタタラを踏まされた巨人兵だが、むしろその反動を利用して右上側の腕に握る刀を振り下ろす。

 

「最大の力を!」

 

 それに対応し、袈裟掛けに大きく振り抜いた【悠久】。鍔競り合うまでも無く、無限より莫大なマナを補給する"刃"による無限光の刃はその刀を粉砕した。

 だが、パーサーは右下側腕に握る深紅の斧で薙ぎ払う。

 

【最高の速度で!】

 

 返す太刀で下段に振り払った刃が斧と共に地面を斬り刔る。そして、振り上げる剣戟で左上側腕から振り落とされた深緑のハルバードを粉砕して、三対のウィングハイロゥを展開したユーフォリアは高く……高く飛び上がる。

 

 大上段に振り上げた全き聖なる剣は、彼女の姿を逆光とする。霞むその姿――あらゆる可能性を実現可能な刃の加護。

 それを左下側腕の青い鉈剣を四本の腕で構えて防御する事を試みたパーサー。

 

「【最善のタイミングっ!」】

「ガァァァァァァッ!!?!!」

 

 振り下ろされたのは無限光の剣戟、希望を繋ぐ掛橋……彼女の父親の剣技『コネクティドウィル』そのものを見舞う。

 鉈剣を両断されて、更に左側の腕二本を斬り落とされたパーサーが絶叫しながら送還された。

 

「お兄ちゃん、あたしたちの力、受け取って――ポゼッション!」

 

 巨人の狂戦士を真っ向斬り伏せたユーフォリアは、『あらゆる存在を許す輝き』を渡す。

 

「ハハ――将来有望だとは思ってたけど、まさかこれ程とはな! 俄然、死ねなくなったぜ!」

 

 【真如】のチカラは、担い手以外では堪えられない。『器』という概念であるからには限度を定めるモノ、故に無限以上を納める事は不可能だ。

 だが、彼女は――平然と。それは即ち、『()()()()()()()()()姿()』として、『可能性の海』から実現した姿か――……

 

「あたしの命の全て……光になって、悠久と一つに――ッ!?」

 

 そして最後の一撃……彼女の母の『エタニティリムーバー』をエデガに加えようとして――突然、体を襲った痛みに動きが止まった。

 

「うぅ……力が、溢れ過ぎてる……お兄ちゃんは一体、どうやったらこんな力を制御できてるの……」

 

 無尽蔵に湧き出す【真如】からの供給に、需要が追い付かない。瞬く間に供給過多となった彼女の身を、内側からマナが圧迫している。

 まるで、『()()()()()()()()()()()()()()』かのように。

 

「ぬぅっ……我等は絶対だ、誤差など有る筈が無い!」

 

 そこに『オーラフォトンビーム』を『グリムチューター』で辛うじて防ぎきり、そのユーフォリアに向けて全てを見通す『アナライズ』を発動してエデガと同時に攻撃指示を出すエトル。その背後に立つ滅びの指の触手が、彼女を狙い伸びる。

 

「どこ見てやがる、テメェの相手は――俺だァァァァァァッ!」

「ぐっ!? 流石……というべき……か」

 

 が、その濁眼に映ったのは神にすらも不可知なる可能性を携える青年の右手の【海内】……幽角獣の魔眼『エレメンタルブラスト』。連射された翠色の雷嵐が、触手を薙ぎ払う。

 

『さて、僕の役目は此処までだ……後は自力でどうにかしてよね』

「何が『僕の役目は此処まで』だ。結局役目熟せてねぇだろ、この駄馬!」

『うわぁ、あの娘にならともかく君に言われると心底腹立つ。それに仕方ないだろ、本気の媛樣を封じられる訳が無いじゃないか』

 

 それと同時に、アキは脚の痛みを推して駆け出す。並走する幽角獣だったが、送還されて姿が消えていく。

 

【媛様……"生命"の生み出す可能性を封じ込めるなんて傲慢な事は、何にも出来ないよ。母なる海から上がって、やがては父なる星からすらも旅立とうとするようにね】

「成る程、道理だなッ!」

 

 ならば、この生命も立ち止まる道理は無い。グリーヴを纏った脚を踏み込み、根源力を爆発させて加速を得る。

 

「――我に叶うと思うておるのか、愚か者め!!」

 

 その瞬間、エトルの手元で無気味な紫色の光を発しながら浮かんでいた【栄耀】が多数の分体を生み出した。

 それらは自ら死地へと向かい来る、愚か者を取り囲んで浮遊する。しかしアキは速度を落とさない。気炎の燃え立つ青年の瞳は、己の勝利を確信した老獪なる神のみを捉えている。

 

――超えられる。そうだ、俺の師は時を詠む事で必勝を成す女神。ならば……俺はあらゆる可能性を詠む事で必勝を成そう。

 

「まだ抵抗するというのか……よかろう――散れ!」

 

 同時一斉に、光を放つ【栄耀】。まるでレーザーの檻のようなそれは『ホロウアバター』。

 捕えた獲物の神名や、永遠神剣が与える補助効果を砕き抹消する……永遠神剣から与えられる力で刃向かう愚者の虚妄を殺す為の、“欲望の神”エトル=ガバナの秘奥――!

 

「遅い――」

 

 対して、"生誕の起火"……刹那の後の世界を迎える最小の一歩にして、神にも不可能な明日を斬り拓く最大の一歩を斬り拓くチカラだ。

 限界など無い。"生命"が象徴する無限の光は、時間すらも超越して"遍く可能性を斬り拓く"――!

 

 針の穴を通すような身のこなしでアキは、加速し続けながら光線を全て掻い潜った。

 

「なんだと、我の予測を上回るというのかッ!?」

 肉だらだらと、脂汗を垂れ流す『強者』。薄した弐騎、道化の神と渾名の通り"風"と化した伽藍洞の志士。至近に到って、繰り出されたのは、その――――『拳』!

 

「――…ッぎ……!」

「ふ、はひ、ハハハハハ……! 痴れ者め、神剣も無しに我を討てると思うたか!」

 

 それは当然、強固なマテリアル防御力に加えて悪辣なまでに高い反撃効果を持つ紫色の球体バリア『インフェナルチューター』にて護られたエトルには届かない。

 それどころか、攻撃を加えたアキの方が一方的にダメージを受けてしまう。

 

「……ハ、解ってねェな。【真如】なら……此処に有るぜ!」

 

 【栄耀】の放つ圧力にバラバラに吹き飛ばされそうになる体躯の、そのど真ん中……心臓付近の傷痕を左手で叩く。その傷痕こそ、彼の契約の証。

 彼の契約した神剣は"生命"なのだ。ユーフォリアが持っているのは、そのチカラのただの媒介。

 

「……どういう意味だ?! 貴様の神剣は、あの小娘が……!」

 

 そうして、予想外の返答に焦る道化の神を笑う。真実などを知らせる義理などない、知者を気取る愚者だろうが愚者を気取る知者だろうが、彼にとってはただ冷笑(わら)うべき対象に過ぎない。

 

「第一テメェらな、『計画通り』とか『侮らない』とか……そんな事言ってる時点で――!」

 

 ミシミシと軋みを上げるバリア、擦れ合う硝子のように耳障りな音が内側に響き、その元凶たるヒビが見てとれる。

 慌てて濁眼を見開いたエトルだが――敵の瑕疵を見抜く神剣魔法、『アナライズ』の瞳でも、アキの拳には回避方法も脱出方法も迎撃方法も見出だせない。

 

「何という、こんなところで……我が敗れる?! そんな、そんな莫迦なッ!!」

 

 その魂は概念的な対象にならず、その躯は決して侵されないのだ。如何に全てを見抜く眼だろうと、見えないモノは見えない。

 そもそも、彼は――全ての可能性でその拳打を必中させる。それを可能とするのが神剣宇宙で唯一、"確率の支配者"たる永遠神剣空位【真如】の担い手の権利――!

 

「とっくの昔に油断してんだよ、糞爺ィィィィィィッ!!!!」

 

 そして『限界突破』と共に突き出した本命の左――綺羅から貰った護り刀にて、アキは黄泉と同調するエトルの防御『インフェナルチューター』を完全に粉砕してのけて。

 

「フグォォァァァッ!!?!?」

 

 必中にして必勝の一撃、彼の師の奥義である『クリティカルワン』を――【栄耀】を刃先で捉え、エトルの皺だらけの顔面とその背後の滅びの指ごと抉り込ませた――!

 

 背後に居た滅びの指を巻き込んで殴り飛ばされて、数十メートルも吹き飛ばされたエトル。

 持ち主と同様に失神したらしく、送還された滅びの指。残ったのは……圧し折れた鼻からだらだらと血を流し、ささらのようになった歯を見せたままに白目を剥いて気絶している老人だけだ。

 

見曝(みさら)せ……神剣の加護に頼りっぱなしで俺達に勝てるかよ。もっと躯を鍛えな、カミサマよぉ……」

 

 拳を振り抜いた姿勢のまま、アキは返吐を吐く。無茶をした右腕は、一体どんな状態になっているか想像すらしたくない。

 

「エトル!? おのれ、若造どもめ……我が本気を知り恐れ(おのの)くがよい! この攻撃を凌げたらな!」

 

 自身の神獣を打ち倒され、更にはエトルが敗れた事を悟り、焦燥を隠せなくなったエデガ。その背後に『パワーオブブルー』を遥かに上回った、圧倒的多数の剣が展開される。

 その技こそ、エデガの奥義である『パワーオブグリーン』。指向性を持たせた根源力、この理想幹の潤沢なマナに応じて、それは正に無数――!

 

「……っゆーくん、アイちゃん!」

【くっ……解ってるさ!】

【ゆーちゃん……【悠久】さん……】

 

 その切っ先全てを向けられているユーフォリアが、剣を構え直す。

 だが、苦痛は止まない。内側から引き裂かれるようなその鮮烈なる痛みに歯を食い縛って――

 

「――いけるな、ユーフィー!」

「あっ……お兄ちゃん……うんっ!」

 

 その彼女を背中から抱き抱えるように、アキが剣の柄を握った。己の左手を彼女の右手に、右手を左手に重ねて……『(無限大)』を描く。

 その瞬間、今まで感じていた痛みが嘘のように消え失せた。

 

「理解しろ、等とは言わん。此処から…去れ!」

 

 今か今かと、獲物を狩れとの主の号令を待ち侘びていた剣の槍襖が通過点に在る全てを薙ぎ払って、暴威の剣嵐は到達点の若き二人の命を狩り取るべく、一斉に空間を疾駆する――!

 

「「【【――――ハァァァァァッ!」」】】

 

 揃って一歩を踏み出す。その剣嵐に対し、圧倒的多数の暴力に一歩を踏み出して、横一閃に。

 無限光の刃は確かなカタチを為し、因果を絶つ聖刃は押し寄せる剣の嵐すらも難なく打ち砕き、斬り拓き――

 

「この身が滅ぼうとも……為さねばならん……のだ…………」

 

 『プリズマティックシールド』で防ごうとしたエデガは、【伝承】ごと両断されたのだった――……



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騒がしい帰途 聖母は微笑む

 極楽浄土を模した箱庭の中心世界ゼファイアスに咲き乱れた百華が、水平に振り抜かれた聖なる剣の起こした風によって舞い上がる。

 それと同時に最小単位『マナ』の粒子と化してエデガ=エンプルと永遠神剣・第四位【伝承】が立ち昇っていく様を見詰めながら。

 

「見てるか……約束は果たしたぜ……レストアス……ッ!」

 

 遂に幾多の無理が祟り傷が開いてしまった右脚の痛みに耐え切れず、気が遠くなりながら崩れ落ちるように尻餅をつく。

 

「ふきゃっ?!」

「――イッ……!?!」

 

 その際に永遠神剣の柄を握ったままだったので、ユーフォリアも後方に引き倒されるカタチで尻餅をつかされてしまう。

 それが右腿の上だった為に絶叫を上げてしまいそうになったが……何とか堪えきった。

 

「あぅ、ご、ごめんね、お兄ちゃん……! お尻が……」

「い、いや……気にすんな。むしろ気付けになったからよ……」

 

 頭の羽根を逆立てるくらいに慌てて、ユーフォリアはその小振りな尻をずらしたが……じくじくとした痛みは残る。

 微かに眉をひそめたその様子に、彼女は暫くもぞもぞと動いて。

 

「……あ、あのね、お兄ちゃん。その……手を……離して貰えないと、手当てが出来ないの……」

 

 もじもじと恥ずかしそうに身体を揺らし、【悠久】の柄を握り合う掌を見詰めて。俯いた為にさらりと流れた蒼穹(あお)い髪から覗くうなじと耳までを真っ赤に染めた、美しく成長した彼女は、ぽそっと消え入りそうな声で告げた。

 

「……あー……」

 

 生誕の起火の使い過ぎて、数時間も間を置かずに何度も限界を突破した代償として。

 指先から肘、膝から爪先までは引き攣ったように動かない。四肢の末端の感覚はほぼ死んだも同然の状態だ。

 

「……悪い。流石にハナクソほじる力も、って奴でな。躯が言う事を聞かねェんだ、振り解いてくれ」

 

――だから、不意にくらりと来たのはきっと……その疲れの所為だ。そうに違いない。

 

「むー……振り解けって言われてもお兄ちゃんが両手握ってるし、あたしだってへとへとだし……」

「じゃあアレだ……アイ?」

 

 呼び掛けてみるが、返事は無い。だが、瑠璃(ラピス=ラズリ)の海の鞘刃は確かに存在しているし、何より自身が生きている以上消滅した訳では無いのだ。

 アイオネアも【悠久】も疲れ果てて、休息に入ったのだろう。

 

「さぁて、どうしたもんかね……ふう」

「も~、それやめて~!」

 

 何とか意識を持ち直し、丁度いい高さに在るユーフォリアの頭の上に顎を置いて、ふいーっと溜息を吐く。勿論、嫌がる彼女は羽根をパタつかせて抗議した。

 

「――糞……餓鬼……どもが……!」

「「……ッっ!?!」」

 

 そしてそこが、まだ敵地だった事を思い出す。確実に止めを刺していない、残った神の存在を。

 

「貴様らのような……無知なる者などに……我らの理想世界の達成を……邪魔されて……堪るか……!」

「野郎……まだ生きてやがったか、しつけェな!」

 

 ふらりと立ち上がって、憤怒と憎悪に染まった青い濁瞳を向けるエトル=ガバナ。

 元々土気色の血色の悪い肌に加えて、アキの一撃を受けて変な方向に曲がった鼻と、その鼻から流れた血の跡が残った様は正しく怨霊。

 

「何故、理解出来ぬのだ……北天神も南天神も、全ては創造神により生み出されただけの紛いモノだ! 今のままでは我らは、【叢雲】を封印する為だけに創られた時間樹……この『牢獄』の番犬に過ぎんのだぞ!?」

「……『牢獄』、だと?」

「……っ」

 

 その悍ましい姿にそぐわず、呪詛の如き文句を吐き付ける。意味の判らない言葉に、つい鸚鵡返しをしてしまった。

 その直ぐ真下で、ユーフォリアが息を飲んだ事にも気付かずに。

 

「我は認めんぞ……必ず、ふざけた宿命を与えた『奴』を『座』から追い落とし、我の理想世界を創り上げて見せる……その為にもぉぉぉぉッ!」

 

 狂気じみた声と共に突き出されたエトルの右の手元に浮かび上がる、無数のヒビが入った【栄耀】が軋みながらも紫光を発する。

 あと一度でも何か衝撃を受ければ、割砕するであろうその神剣。

 

「――死ねェェェェいッ!!!!!」

「……ックソッタレ!」

 

 だが最早反撃どころか、アキにもユーフォリアにも立ち上がる気力すら残っていない――!

 

「……な、に……? ぐ、アァァッ!?」

 

 その右腕が青いマナを纏う槍戟に撃ち抜かれて断裂する。呆気に取られていたエトルだが、苦痛に直ぐに悲鳴を上げた。

 

「――……ちょっと、ケイロン。『外したらフォローよろしく』って言ったじゃないの。あの神剣を狙ってたんですけど?」

【……申し訳ありません、沙月殿。セフィリカに取り込まれている間に、どうも腕が鈍ったようです】

「会長……!?」

 

 その『マーシレススパイク』の射手は、ログ領域から救出された学園生徒会長……永遠神剣・第六位【光輝】の担い手たる斑鳩沙月と守護神獣ケイロン。

 

「……万物の根源たるマナよ、間断無き命を我らに与えよ――ヴァイタルエクステンション!」

 

 そして放たれた【栄耀】の紫光より二人を護ったのは、地面より迫り出した巨大な古木の守護神獣『賢明なる巨人』と、永遠神剣・第五位【慧眼】の担い手サレス=クウォークス。

 

「こちらには『賢明なる巨人』の加護が在る。我々の前に、敗北の運命など存在しない!」

「サレスさん?!」

 

 その巨木より漏れ出すマナの慈光が、アキとユーフォリアを包む。圧倒的な癒しのチカラに、身体の傷と疲れが癒えていく。

 

「――待たせたな、二人とも!」

 

 そこに望を先頭にした陣形を取る、旅団と光をもたらすものが駆け付けて、二人を囲んで防衛陣形を整えた。

 

「馬鹿な……!? 貴様ら……どうやって此処に?!」

 

 右腕の傷口を押さえて、よろめきながら空を見渡す。ゼファイアスを被う障壁は解除されていない。

 もしも障壁が解除されれば、空間転移によりゼフェリオン=リファに取って返し、潜伏している筈のサレスを始末する算段だった。

 

 だが、障壁が解除されなかった為にエトル達は中央島にサレスは居ないと判断、目下の障害である二人の永遠者(エターナル)を相手にしていたのだ。

 

「……残念だが、答えてやる義理も無い。ただ……よくやったな、巽、ユーフォリア。お陰で上手く事が運んだ」

「ハハ、さっすが代表。お見通しでしたか。相変わらず敵に回したくねェ……」

「よく言うよ、私の【慧眼】にも記載されない君の行動を判断する事、その深意を探る事がどれだけ大変だったか……情報が少ない君もな、ユーフォリア」

「あはは……」

 

 指先で眼鏡を押し上げながら、彼は背後の二人を見遣った。呆れたような物言いだが、そこには労りの響きが有る。

 

「……さてと、無駄話はそこまでで良いでしょ? にしても雑魚よね、あれだけの好条件を整えておいて負けるなんて」

「ああ、此処までだ……」

 

 進み出たナルカナ、その隣には望。そして『断罪の女神』ファイム=ナルス……

 

「わたしを利用した事……わたしに望ちゃんを殺させようとした事……みんなを傷付けた事!絶対に許さないんだから!」

 

 否、永遠神剣・第六位【清浄】の担い手たる永峰希美。相剋の神名と衝動を、彼女の意志とファイムの意志に分割して有する事で克服した姿が在った。

 

「……我が……我の……予測が…………」

 

 一体どこで手筈を間違えたというのか。必ず勝てる筈だった戦いは最早、勝率こそが零。

 相方は消滅させられ、手勢は壊滅寸前。本拠ゼフェリオン=リファも陥落し、自身が展開した障壁の為に残った手勢が駆け付ける事はおろか脱出すら適わない。

 

「……こうなれば、奥の手だ!」

 

 そうして引きずり降ろされた、『神座の守護者』の神名を持った道化が天に向けて左手を翳す。

 その指先が鍵盤を弾くように動き、周囲にナル化マナが湧き出た。

 

 それはエデガが消滅した地点へと凝集し――足元から積み重なって彼を再構築していく。

 

「……おお……身体が…………チカラが戻ってくるぞ……!」

「まだじゃ、こやつらを倒さねばならんのだからのう!」

「何……!? ま、待てエトル……まだ、ナルは制御出来ぬ筈では……! よ、止せ、我を実験台にするつもりか……グァァァァッ!?!」

 

 既にエデガの蘇生は完了している。しかしエトルは、更なるナル化マナを送り込んでいく。

 

「おいおい、仲間割れか? なんだありゃあ……」

「知らないわよ、こっちこそ説明が欲しいわ」

「あいつら……勝手に『あたし』と同化してんじゃないわよ!」

 

 ソルとタリアの疑問に答えた訳ではないだろう、ナルカナは相当に苛立った様子で叫ぶ。

 

「――させるかッ!」

「――ぬぅっ!?」

 

 そこに、【慧眼】を開いて燐光を纏ったサレスが突撃する。エトルは対応しきれず、それに【栄耀】の攻撃でしか抗し得ない。

 

「サレス様ぁぁぁっ!」

「落ち着け、サレスは無事みたいだぜ!」

 

 爆発と閃光、土煙が満ち溢れる中にタリアの悲鳴じみた叫びが木霊する。駆け出そうとする彼女を、ソルが止めた。

 その言葉通り、多少の傷は負っているがサレスは生きている。

 

「……おのれ、ナルの注入を阻まれたか……まさか、捨て身で来るなどとは思わなんだ」

「予想出来なかった、か? 我々が生きているのは……現在(イマ)だ。幾ら過去から予測しようと、人は変わり続けている!」

「ッ……だが……十分だ! さぁエデガよ、精々時間を稼ぐが良い!」

 

 悔しそうに表情を歪めたエトル。だが直ぐにその姿が揺らぎ、空間転移にて消えていく。

 

「待て、逃がすかッ!」

「止めなさい、今はアイツより……コイツの方が厄介よ!」

 

 それを追おうと駆け出しかけた望を、ナルカナが止めた。

 その視線の先には……

 

「……オオォォ…………オオォォォ……」

 

 空間に浮かぶ闇の塊。最早エデガの形などしていない、ただ、周囲を呑み込む底知れない闇色の穴がぽっかりと空いているだけ。

 そこから感じられるのも、冷たい気配。マナを呑み込もうとする、ナル化マナの気配だけだ。

 

「何と言う……悍ましさなのでしょうか…」

「……これが、ナルに呑まれた者の末路という訳じゃな……」

 

 カティマとナーヤが、冷や汗を浮かべて神剣を構える。合わせて他の皆、躯の傷と疲れは癒えても気力までは戻ってきていないアキとユーフォリア以外がそれぞれに神剣を構えた。

 

「無駄よ、あんた達の神剣じゃあ呑まれるだけ。アキならいけるんでしょうけど……今は無能、か」

「……放っとけ、莫迦野郎」

 

 ナルカナはふぅ、と溜息を零して望を見遣る。そして−−…

 

「望、あたしを遣いなさい。アレには、あたしも混じっちゃってるけど容赦しなくていいから」

 

 白い光と共に、その身体が一本の剣に換わっていく。毛抜型の柄を持つ、鍔元の刃部分には青い宝玉の嵌められた優美なシルエットをした両刃の和剣。

 そこから発せられる、思わず息を呑んでしまう程の神性と武の気配。その姿こそ彼女本来の姿である、永遠神剣・第一位【叢雲】だ。恐るべきは、それが『意志』だけに過ぎないという処だろう。

 

「……分かった。それしかなさそうだな……」

 

 望は【黎明】を腰の鞘に戻すと、右手をその柄に伸ばす。ゆっくりと伸びたガントレットに包まれた腕が、しっかりと柄を握る。

 

「のわっ! 何なのだ、今の声は?」

「……ナルカナ、どうかしたのか? 変な声を出して」

 

 その瞬間、念話にて何かしら悶着が起こったらしく、レーメと望が訝しむ。

 

「凄い力を感じる……俺の身に余るくらいに。でも、確かにこれなら奴も倒せるな……いくぞ!」

 

 だが、目の前の闇の存在を再確認した望は構わず駆け出した。迫り来る神剣に敵意を感じ取り、闇はナルに満ちた波動を放つ。

呑み込まれてしまえば、マナ存在では耐えられまい。

 

「ハァァァァァッ!」

 

 望は両手で握り締める【叢雲】を大上段から振り下ろしてその悪意の波動を斬り開き、跳躍して――その刀身を楯の力……闇の中心へ、深々と突き立てた――!

 

「オォオ……オオォオォォォ……」

 

 不気味な鳴動と共にエデガだったモノが霧散していく。後に残ったのは、何も無い虚空だけ。ナルに呑まれた以上、転生も無い。

 可能性すらも呑み込む、真なる虚無がそこに在った。

 

「流石だな、完全勝利だぜ、望!」

「ひー、ふー……いつもよりずっと疲れた……」

 

 その戦い振りに皆は口々に望達へ賞賛の言葉を贈っていたが、未だ動けないアキだけは腕の中で身を震わせた少女に気付いた。

 『ヴァイタルエクステンション』によって既に肉体的には完全回復し、手は柄から離れてそれぞれの持ち主……【悠久】はユーフォリア、神銃に戻った【真如】はアキの左手に戻っている。

 

「……どうした、ユーフィー?」

「えっ……あ、うん……」

 

 声を掛けられ、未だに彼の胡座の上に腰を落としていた彼女は振り返る。

 力無く笑っているようだが、その目には――……涙が浮かんでいた。

 

「もしも……もしもお兄ちゃんに助けてもらえなかったら……あたしも……あんなふうになってたのかなって……怖く……なっちゃって……っ」

 

 目の当たりにした死より悍ましい終末に、その小さな心は打ちのめされたのだろう。もしかしたら、自分もああして終焉を迎えていたかもしれない、と。

 かたかたと身を震わせる彼女を、まるで子供のようだと感じて……まだ、子供だったんだと気付く。

 

「……莫迦。そんなしょうも無い事……金輪際忘れちまえ。いいな?」

 

 遥か高く巻き上げた花びらが、漸く降り注いで来る。色とりどりの甘やかな香気を含んだ、まるで風花のように。

 その花弁の雨の中、アキは……ユーフォリアの髪を梳くように、優しく優しく頭を撫でた。

 

「お兄ちゃん……ぐすっ……」

 

 遂に涙を零したユーフォリアは、その涙を見せたくないとばかりにアキの胸元に顔を埋める。

 

「……ぅん……うんっ……ふぇぇ……」

 

 それを咎めたり逆らったりせず、彼は彼女が泣き止むまでずっと……蒼く滑らかな長い髪を梳き続けたのだった……

 

 

………………

…………

……

 

 

 ゼフェリオン=リファを中心点にアルフェ=ベリオ跡地の正反対の拠点、『リド=ヴァーダ』に停泊するものべーを目指す一行。

 

「あぅ、お兄ちゃん……本当に大丈夫? 重たくない?」

「ハハ、軽すぎるくらいだっての」

 

 アキは腰が抜けてしまったと言うユーフォリアをおんぶした状態で【悠久】を支えに彼女の腿を固定、返して貰った【是我】のスリングを襷代わりにして走っていた。

 因みに、【真如】の影はユーフォリアと完全に一体化してしまったらしく分離できないとの事。

 

「……にしても、ユーフィーちゃん、いつの間にか随分成長してるじゃない? 私がいない間に何をしたのよ、巽君?」

「本当、随分おっきくなってるって言うか……主に、胸が」

「何もしてねーですよ、全く……」

「希美ちゃん、どこ睨んでるの?」

 

 くふふー、と茶化す沙月と温かい目で見守る希美にジト目を返す二人。尚、希美が羨ましそうに見詰めた部位はアキの背中でぷにっとなっているアレの事。

 

「っとと……」

「ふあっ! お兄ちゃん、やっぱり」

 

 と、意識を逸らした為に小石に蹴躓いてよろけてしまう。当然の事だが、アキも疲労困憊なのだ。

 

「煩いぞ、全く……こういう時はな、黙って男を立てとけよ」

 

 だが……自分の背中を頼りにする存在が居る以上は、痛いだの苦しいだの疲れただのでヘタレていられない。

 

「……お兄ちゃんの意地っ張り」

「何を今さら」

 

 それに、何より――昔、どこかで感じた事があるようなその重みに憧憬を覚えたのだ。

 

――懐かしい、か。昔ッつっても、時間樹外から来たユーフィーを背負う機会なんて有る訳がないし、有ったとして……永遠者(エターナル)のコイツは昔からあの姿だった筈。ならば、物心付いたくらいの俺が背負える訳がない。

 

「……えへへ」

「今度は何だ、いきなり笑ったりして?」

「何だかね、懐かしいなぁ……って思ったの」

 

 と、背中で囁いた彼女。それに足を止めずに聞き返せば。

 

「昔ね……こんな風に、おんぶして貰った事があるんだ……一回しか会った事がない男の子だったんだけど……凄く優しい男の子だったんだ……」

 

 そう、幸せな夢を見るように回想する彼女の寝惚け眼。それに、何とも言えない感情が芽生えた。直ぐに解ったのだ、それが……希美が望の事を話す時と同じだったから。

 

――だから、きっとこの感情は……それが拗れただけ。それ以外になにがあるってんだ。コイツだって女の子なんだ、恋くらいしてるだろう……。

 

「……また……会いたいなぁ…………あっ……くん……」

「悪かったな、王子様じゃなくて悪党でよ」

 

 戯けて答えながら歯を食い縛り、尽き果てた体力を尽き果てた気力で空転させる。

 正しく『終わりから始まる』能力を持つ、永遠神剣・空位【真如】の担い手の面目躍如たる芸当だ。

 

「ところでよぉ、空。どうやって俺らがあそこに駆け付けたか知りたくねェか?」

 

 そこに、どや顔のソルが寄って来る。自分が立案した策でも無いというのに、余程彼に自慢したいらしい。

 そんな彼の方を見ずに、アキは。

 

「にしても、流石はクウォークス代表。空間跳躍の門を建てただけで中枢の転送装置に繋げろッて事だと気付くなんて」

 

 前方を走っていたサレスに話し掛けた。呼び掛けられ、サレスは彼の隣に移動して来る。

 

「あんな場所に、これみよがしに建てられれば馬鹿以外は気付く。寧ろ、打開策に気付かなかったらとヒヤヒヤしたものさ」

「ですね……俺らの方も限界ギリギリでしたし。やっぱ敵に回したくねェな」

 

 ソルラスカ・カティマ・ナーヤ共通の、コンストラクタ……つまりは戦況を優位に導く為のアーティファクト構築スキルで、フロン=カミィスに拠点間を繋ぐ『空間跳躍の門』を建設した。

 その深意をサレスが【慧眼】にて読み取り、ゼフェリオン=リファから直接中枢の転送装置にリンクさせて、本来は空間跳躍の門同士でしか出来ない転送を可能にする。それこそが、アキとクリフォードとポゥが各々で同時に思い描いた策戦だ。

 

 つまり、この策戦の肝は如何に管理神に気取られずにサレスとの連携を取るかと管理神を引き付けられるかだった。

 要するに、この策戦による勝利は三人の阿吽の呼吸で仕組まれた事になる。

 

 そして漸く、アキはソルラスカに満面の笑みを浮かべて振り向く。物凄く清々した顔で。

 

「……で、なんか用か、ソル?」

「……ううん、別に何も……」

 

 すごすご退却していく、そんな彼をタリアが呆れた目で見ていた。

 

「……ところで、代表。ナル化マナとエトルはどうするんですか?」

 

 ものべーが見えたその瞬間に、ゼファイアスを覆う障壁が消えていく。それを驚く事も無く眺め、アキは質問を口にした。

 サレスは眼鏡を押し上げて、深く思案した後に。如何にも『解っている事を聞くな』とばかりに溜息を吐く。

 

「永遠神剣があれだけズタズタに損傷しているんだ、エトルは長くは持たないだろうさ。ナル化マナは……抗体兵器を利用する」

 

 虚のチカラを振るう抗体兵器は、その内部にナル化マナを貯める事が出来る。更に、理想幹の巨大な精霊回廊に接続すれば莫大な増殖が可能な設計になっている。

それを利用するという訳だ。

 

「制御系を奪い、残機を回収に。増殖した機も順次回収するように再設定して中枢をシステムダウンさせた。如何なる異能を持っても干渉不能の君の能力や攻撃と同じ。どんな策を弄そうと、アクセス出来ない以上どうしようもない」

「怖えなァ……本当、敵に回したくねェや」

 

 ニヤリと笑いかけたサレスに、アキは苦笑を返す。そして一行は、ものべーの作り出した"転移門"をくぐった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 命からがら、中枢部ゼフェリオン=リファに降り立ったエトル。

 

 精霊回廊に繋いでいた抗体兵器やマナゴーレムは奪い取られており、ミニオンを生産しようにも神剣【栄耀】は割砕寸前だ。

 もう……一撃を放つのが限度だと、神剣士の本能が悟っている。

 

「おのれ……おのれ…黙ってこのままでは済まさんぞ……!」

 

 それでも彼は憎しみを収めない。ログ領域から今も漏れ出しているナル化マナにも気を止めず、障壁を再展開し残存勢力を奪還すべく、もう動きもしないコンソールに急ぐ――

 

「――あら、おじいさん。そんなガラクタで何をしようって言うの?」

 

 その時、突然背後から響いた声に、彼は冷水を浴びせられたような怖気を感じて振り返る。

 そこに立っていたのは――……女。白いヴェールのみを身に纏った、露出の多い紅い長髪と瞳の美女……『最後の聖母』イャガだった。

 

「こんにちは、随分と焦っているけど……どこかで、立食パーティーでも催されてるの?」

 

 ニコリと、彼女は優しく微笑む。だが、その笑顔は要するに――食卓に並べられた料理に向ける、祈りや感謝と同じ。

 

「貴様……何者だ! 一体どうやってここに入った?!」

「ごめんなさいね、それは私にも判らないの。何者なのか、何処に行くのか」

「くっ……頭のおかしい女め……」

 

 一歩を踏み出したイャガに対して……じり、と。エトルは後退った。腐っても、時間樹を運営した神。彼女がどんな存在なのか、解らずとも肌で感じ取ったのだろう。

 

「どうして、逃げようとするの? 悲しいわ」

 

 底の無い奈落のような深紅の瞳に、魂まで吸い込まれそうな錯覚に陥ってしまう。

 既に悟っている。逃げなければ、殺される。この女は始めから……危害を加える心算で現れたのだ。

 

「う、煩い、近寄るな! 我は理想幹神なるぞ!」

「あら……そうだったの……? ごめんなさいね、ちっともそうは見えないわ」

 

 その言葉に、エトルは憎悪の瞳をイャガへと向ける。彼は手負いの獣だ、追い込まれてしまうと何をするか判らない。

 『アナライズ』により隙を探り、『ビジョンスフィア』を放とうと構えて――

 

「そうね、時間も勿体ないから……早速」

 

 と、突然に彼女は口を開いて――閉じた。本当にただ、それだけ。

 

「あら、貴方……意外とイケるのね」

「は――?」

 

 それだけでイャガの口からは骨を噛み砕くような無気味な音が響き、エトルが地面に倒れ込んだ。

 一体何が起こったのかも判らずに、今まで地面を踏み締めていた筈の足を見れば――

 

「なんだ……これは?」

 

 綺麗さっぱり、膝から下が無くなっていた。右の腕を失ったのは記憶に有るが、足はいつ失ったか判らない。

 

「次は腕にしようかしら」

「な……なんだ、これは?」

 

 再度、彼女が虚空にかじりついた――瞬間、左腕が無くなった。肩、腿、腹部……イャガがその口を開き閉じる度に躯が欠損していく。

 だと言うのに、血の一滴も流れず痛みも無い。何一つ、彼には目の前の状況が理解出来ない。

 

「……は、ははは……そうか……これは……夢だな!? 悪い夢に決まっておる」

 

 その余りにも不条理な存在に、神の誇りも矜持も何もかも、全てを彼は投げ捨てた。

 これは夢だ、と。覚めれば消える悪夢に違いない、と。

 

「そうね、もう夢にしておきなさいな。そして夢の続きは……私の胎内(ナカ)で見ていなさい」

 

 それすらも彼女は優しく包み込む。彼女にとっては、あらゆる生命が赦すべきモノ。だから、なんであれ否定はしない。

 今までで一番大きく、その口唇を開いて――……

 

「――――待て、その前に!」

 

 悲痛なまでの声で、『その前に』……一体、彼は何と言おうとしたのだろうか。

 彼女の口が閉じられてしまった今、その言葉の続きが紡がれる事は二度と無い。代わりに響くのは、骨を噛み砕く咀嚼音。

 

 最後に残っていた上半身を一気に喰われて完全に消滅した。それが『欲望の神』にして、理想幹神と呼ばれた男の末路。

 今や、彼女の腹の中で消化を待つのみ。神名もろとも食われ、最早転生する事もあるまい。

 

「……美味しかったわ、でも……まだ足りないわね」

 

 彼女は、剥き出しの腹を撫でる。人一人を呑み込んだにも関わらず、全く膨らんではいない。

 

「あら、次の食事が向こうから来てくれたわね」

 

 そう、薄く笑って……イャガは遠くへと離れていく次元くじらの姿を見詰めた後に、ナル化マナを回収しようと集結して来る抗体兵器達を眺めた……。

 

 

………………

…………

……

 

 

 少なからず危惧していたエトルからの攻撃は一斉無く、理想幹を脱出したものべーは、悠々と分枝世界間に泳ぎ出た。

 

「どうやら、追撃は無いようだ。皆、よくやった……我々の完勝だ」

 

 学園の校庭にて、いつ敵が来ても闘えるよう即応体勢を整えていた一行。一斉にシュプレヒコールが上がる――

 

「……はふ……ボク、もう疲れて歩けないよ…」

「あー、本当に疲れたわ……お酒が呑みた〜い」

「ふう……早くシャワーを浴びて寝てしまいたいのう」

「ぐごー……」

「……ソルなんて立ったまま寝てるわよ」

「まぁ、器用なものですね……」

 

 事も無く、皆は一斉に脱力した。誰しも、極限まで緊張していたのだから。三々五々に警戒を解き、皆は神剣を仕舞う。

 張り詰め、凍てついていた空気が一気に弛緩し、朗らかな温かさが満ちていく。

 

「にしても……懐かしの物部学園(わがや)、変わってないわね〜」

 

 ぐっと背伸びをした沙月。ほんの数日だろうが、やはり離れていると恋しくなるモノなのだろう。

 

――ログ領域で前世『誕生を司る太陽神』"セフィリカ=イルン"に躯を乗っ取られていたという会長。浄戒で前世は消滅したそうだが…そんな神が居たのか。俺の前世鍍金(メッキ)も剥げたな……

 

「……わたしもなんだか、懐かしく感じちゃうな……」

 

 朗らかに笑っている希美。サレスによってログ領域から相剋を分断されて、二ツの意思が並列しない限り神名が目覚める事はない。

 事実上は克服したのだ。

 

「ふぅ、つーかーれーたー……少し休むわ」

 

 と、一番元気そうなナルカナが校舎に消えていく。

 先程エデガを倒す際に、望に柄を握られてから様子がおかしかったのだが……持ち直したようだ。

 

「……じゃあ、俺もコイツを部屋に寝かせてから休むわ……」

「そうだな……明日の事は明日考えようぜ……あふ」

 

 遂には寝てしまったユーフォリアを背負うアキがそう口にしたのをしおに、他のメンバーも次々に校舎に入っていく。

 人を背負っている為と、第一位の神剣を片鱗とはいえ使った疲労によりヘロヘロと歩くアキと望も、最後尾で校舎に向かった。

 

 昇降口で望と別れ、途中自販機でミネラルウォーターを二ツ買ってユーフォリアの部屋に向かう。

 蒲団に寝かせて肩まで掛布を掛け、枕元に永遠神剣・第三位【悠久】とペットボトルを置いて。

 

「…………」

 

 何かに操られるかのようにスッと、右手を……無防備なその頭に手を伸ばしかけて、はたと止める。

 

――危ねェ危ねェ……幾らなんでもそれは無しだよな、うん。相手の同意も無しに……。

 

 ちらりと、盗み見る。スヤスヤと眠るユーフォリアの寝顔――……の頭の白い羽根を。

 それは今でもピコピコと、まるで誘うように動いている。

 

――アレはやっぱ生えてんのか?! いやいや落ち着け、同意無しじゃ痴漢と同類……例え事後承諾でOK貰えたとしても、俺自身の矜持が許さねェェェ!

 

 ついつい摘みたくなる衝動に衝き動かされる右手を捕まえて、ぶん投げる。繋がっているのだから、意味はないが。残り僅かな気力を総動員して、部屋を後にしようとして振り返れば――

 

「……何してるの、巽君?」

「……いや……別に」

 

 そんな様子を、完璧に不審者を見る目で見ていた沙月と希美と……バッチリ目が合ったのだった。

 

「なんつーか、その……大分疲れが溜まってるみたいで……手が出て」

「うん……そうだね。くーちゃん、大分()かれてるみたいだよね」

 

 一応の理性の勝利に安堵しながらリノリウムの廊下を歩くアキと……今度は可哀相な人を見る目をする希美とジト目を向けてくる沙月。

 

 火照った躯に冷たさは心地好いが、決して美味く感じないミネラルウォーターを傾ける。

 本当ならばアイオネアの産む水が飲みたかったのだ。しかしまだ休息している状態、無理な注文だ。

 

「全く……いい、いくら成長したからってユーフィーちゃんに手を出すのは犯罪ですからね」

「そうだよ、改正された条例に違反しちゃうよ? 経歴に前科が付いちゃうよ?」

 

 呆れ顔の二人は人差し指を立てて、説教する口調になる。まだ戦闘装束姿だが、恐らくはこれから風呂なのだろう。脇に抱えた着替えの制服が、如実に物語っている。

 

「いやいや、そういう意味の手を出すじゃねェから! 羽根が本物かどう……か……」

「……何よ?」

 

 不本意な誤解をされている事に、反駁しようとして……アキは、沙月の頭を見遣る。

 

「……因みに会長……その頭の羽って……何ですか?」

 

 そこには紅い髪と……白い『羽』が存在している。沙月はにこりと、一部の隙も無い笑顔でアキに笑い掛けて。

 

「さぁ?」

「『さぁ?』ってアンタ……自分の事ですよね?」

「しかし驚いたわ……君が神剣士になってるなんて」

「わぁ、華麗なスルー。後、俺は神剣士じゃなくて神銃士です」

「あはは……相変わらず、くーちゃんはそういうところにこだわるね……」

 

 視線の先には、ライフル剣銃型の永遠神銃【真如】。深い瑠璃色のダマスカスブレードを揺らして、得意げに口を開く。

 その時、丁度浴室とアキの自室の分かれ道にに差し掛かっている事に気付いた。

 

「本当、今回は食事当番の事とかで迷惑掛けてごめんね……お疲れ様、くーちゃん」

「ま、そうね……ユーフィーちゃんをしっかり護りきった事は褒めてあげるわよ」

「あー……そういうの苦手だから、止め止め……じゃあ、また明日」

 

 そうして希美と沙月の二人は、揃ってふわりと笑う。こそばゆい気持ちになったアキは、頬を掻き歩き去ったのだった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 そして理想幹を脱出した翌日、分枝世界間を航行するものべーは魔法の世界を目指している。

 その時、泥のような眠りを貪っていた全員が自然に起きて結集していた。

 

「うう……頼む、急いでくれ……もうもたねェ……」

「早く……早く持って来てよ〜……」

「うにぃ……ゆーくん…どうして鞘みたいなカタチに……みゅーぎぃってだぁれ……?」

「んん〜……ゆーちゃん起きて〜」

 

 台に突っ伏して掠れた声で呟く、ソルラスカとルプトナ。まだ寝呆けて、こっくりこっくり舟を漕いでいる……一晩経って元の幼い姿に戻ったユーフォリアを、倒れないようにアイオネアが支えている。

 

 別の台には望とレーメ、ナルカナとカティマとナーヤ。更にタリアとヤツィータとスバル。

 エヴォリアとベルバルザードに、澄ました顔で【慧眼】の頁を捲るサレス。

 

 そして更に別の卓にミゥとルゥとゼゥ、ポゥ……まだ寝ているクリフォードとワゥの姿が在った。

 

「希美ちゃーん、こっちの焼売は出来たけど唐揚げは出来たー!?」

「はい先輩、今揚がりましたー! くーちゃん、炒飯は?」

「悪い、もう少し掛かりそうだ……おい暁!餃子は焼けたか!」

「何! 水餃子じゃなかったのか?」

「「「ええっ!?!」」」

「冗談だよ」

「「「暁ィぃぃ!」」」

 

 そう、食堂だ。厨房は忙しさの余り戦場に、食卓は餓えきった屍が幾つも突っ伏して地獄の様相を呈していた。

 

 漸く全員に食事が行き渡った時、代表して望が立ち上がった。視線が集中した事を感じて、彼は少し緊張して表情を硬くする。

 

「えっと……皆、今回の戦いは皆の頑張りがあって成功した。誰一人欠ける事も無く帰って来れたのも、一重に皆のお陰だ……」

 

 掲げられるグラス、注がれているのは学生の手前ジュースだ。ソルラスカやヤツィータは『締まらない』と文句を垂れていたが。

 

「勝利を祝して――乾杯!」

 

 『カンパーイ!』と唱和した瞬間、獣が獲物を貪るように騒々しい食事が始まった。

 その先陣を切るソルとルプトナ、ナルカナ、ワゥの奪い合いを余所に、アキは調理者特権として先に取っておいた料理……アイオネアに預けていた分に箸を付けた。

 

「兄さま……どうぞ」

「ング、ムグ……悪いな、アイ」

 

 空位の永遠者である代償として、腹が減る事を忘れたアキは申し分程度に料理を口に運ぶ。

 そんな彼に、左隣に座った制服姿の花冠の少女は靈澪を湛えた聖盃とたおやかな微笑みを向ける。

 

「……にしても、化身ってのもピンキリよねぇ。アイちゃんみたいな器量の佳い娘も居れば、あーんな騒々しくて生意気なのも居るんだしね。よーしよーし……」

「あぅ……えっとその……有り難うございます、サツキさん……」

「会長……それ、本人に聞かれたら大変な事になりますよ」

 

 俯いて人差し指をつつき合わせるアイオネアを撫でながら、ポツリと呟く沙月の視線の先。

 ソルラスカ達を『ディシペイト』により氷漬けにして無力化、料理の一人締めを図り……望のチョップでたしなめられてしまったナルカナの姿が在った。

 

「……ああ、そうだ会長。俺、嘆願が有ったんでした」

「嘆願? 一体何かしら」

 

 箸を置いて改まる。そして、決意と共に。

 

「――学園祭、やりましょうよ」

 

 理想幹攻略作戦を開始する前に、冗談めかして言っていたその本心を口にしたのだった……



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第十章 時間樹《エト=カ=リファ》
神の目覚め 永遠者達 Ⅰ


 見上げれば満天の星の煌めき。見下ろせば底知れぬ奈落の闇底。かつて、神世の争乱の舞台となったその場所の名は『根源回廊』。

 その最深奥、燐光を発する巨大な時間樹の『種子』が安置された、原初の『座』に座している灰色の髪の女は――古き誓約のままに瞼を開く。

 

 己が目を覚ました理由は明白だ。彼女は再び、瞼を閉じて……その眉をひそめた。

 

「……そうか。此処まで取り返しがつかない状態にまで陥ったか」

 

 何かを『視た』らしい、女にしては低く凛と通る怜悧な声。その声に喚ばれたかのように二ツの巨影が、通路を振動させながら現れて――……(かしず)く。

 絶対的服従の姿勢。目の前の存在が己らを遥かに凌駕するものだと、二ツの影は本能で知っている。

 

 この時間樹には彼女の持つ神剣を上回る存在は有り得ない。

 何故ならば、彼女の持つ神剣こそこの時間樹を創世したモノ。この神剣以上の存在率は、決して有り得ないのだ。それが、この時間樹の最低限の絶対条件だ。

 

ただ……或る壱振りの第一位神剣を除いて。

 

「もはや修復は不可能か……愚かな神共が、造物主の意志に逆らって好き勝手にしたものよ。何より……『ナル』を持ち出すなど……!」

 

 その影達が、女の孕む怒気により気圧される。その女が腰に佩す、斬馬刀の発する圧倒的なマナに。

 

「そもそも、神などを生んだのが間違いだった。我と貴様らだけで何も問題は無かったのだ……」

 

 刹那に発された、虹色に輝く三重の魔法陣(オーラ)。その煌めきはまるで、夜空を埋める星々の輝きを凝集したよう。

 天に瞬く星も、地を染める闇も、何もかもを精霊光が打ち払う。

 

「……此処は牢獄だ、ナルカナだけを永遠に封ずる為に在れば良い。他の役目も存在も……不要(いら)ぬ!」

 

 光により浮かび上がるは、金色の球体を背後に浮かべた……古き代の女帝のような装束に身を包んだ、神々しき創世の女神。

 

 傅くは天使と悪魔の翼を右に、紫の(たてがみ)を左側に靡かせた、強靭な躯と鳥類の脚を持つ白い体駆の巨大な大猩々(ゴリラ)

 更に右腕と一体となった氷か水晶の如き刃を持ち、斬り落とした己の首を掴んだ巨人の女剣士。

 

 その、二体の原初存在たる永遠者(エターナル)を従えて。そして、精霊光から生み出された創造主の軍勢『永遠者の分身(エターナルアバター)』達が、原初の舞台に犇めきながら整然と列ぶ。

 

「――創造神の名に於いて命ず。滅び逝く樹を零へと還し……新たな牢獄(せかい)を創世する!」

 

 戦前の鼓舞のように、高く斬馬刀を掲げる至高神。応えて、彼女の配下達が各々の得物を構える。

 この時間樹の全てを終わらせて、始まりへと戻す為に。

 

 こうして、物語は終極に向けて加速していく――……



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神の目覚め 永遠者達 Ⅱ

 燦々と降る、ものべーの生み出す太陽の光。中庭のトネリコの根に敷いたレジャーシートに寝転んだまま、アキは拳銃を改造していた。

 魔法の世界迄はまだ数日、なので整備でもしようと思ったのが運の尽き。少し前のメンテナンスを遥かに越えた強化をさせられていた。

 

「……これで満足か?」

【そうだねぇ……まぁ、これなら僕らしいかな。オーケーさ】

 

 物凄く面倒臭そうにカスタマイズを行った【海内】に向けて、げんなりと問う。

 

「そーかい、俺はプレーンな方が好きなんだがね」

【それは君の趣味、僕の在り方は僕が決めるさ】

 

 銃口の制動機(コンペンセイター)と固定式の刺突専用バヨネット、銃身の上部にはレーザーサイト。グリップ下端には打撃用スパイク。大量のアクセサリーを装備されて、拳銃は原型から大分変わってしまっていた。

 

【ふふ、アタイらだってめかし込みたいものなんだよ】

【そういう事だ、黙って俺っちらの言う通りの強化をしてろ】

【貴方がた人だろうとワタクシ達神剣だろうと見た目は重要ですわ。どんなに心意気が優れていても、見た目が悪いモノは見向きもされないのですから】

【左様、儂らも漸く神剣としてのカタチを取れた訳だからのう】

「判ったからキーキー言うなよ」

 

 しかも、【海内】だけではない。【比翼】に【連理】、【天涯】と【地角】にも各々カスタマイズが施されている。

 

 【比翼】にはコンペンセイターと、展開式の紅い片刃バヨネット。大型のコンペンセイターで自動式拳銃に見える形状となった、下部には青い片刃のバヨネットが装備されてある【連理】。

 【天涯】には、固定式の白い両刃バヨネットとフラッシュライトが装備されている。同じく、深紫のバヨネットとフラッシュライトが装備された【地角】。

 

「んぁー、マジで疲れた……」

 

 合計三時間も、チマチマした作業を続けた為に凝り固まった背中を伸ばす。

 

「……ん?」

 

 その時、屋上の逆光に蒼と滄の影を認める。南側校舎に懸かる太陽光を遮って見上げてみれば、二人で一緒に洗濯物を取り込んでいるユーフォリアとアイオネアの姿が在った。

 元々から背が低い二人組である、そのままでは物干し竿に届かない。なので踏み台を使うが……取込係は運動神経抜群のユーフォリア、運動音痴のアイオネアは受取係でそれぞれ生足と黒タイツの健康的な脚線美を見せていた。

 

 と、自分達を見るアキの視線を感じたのか、アイオネアがこちらを見る。そして嬉しそうに小さく控え目に手を振る。

 健気な笑顔、見ているだけでも癒されるというモノだ。何となくずっと見上げてしまう。それに気付いて、ユーフォリアはアイオネアの視線を追い中庭から自分達を見上げる彼の姿を認め、視線を追い、中庭から見上げている姿を認めて少しはにかみながら手を振ろうとして。

 

「~~~~!」

 

 何かに思い至って一気に顔を紅潮させ、スカートの裾を抑えて。頭から湯気を噴き出しそうな勢いで怒り【悠久】を喚び出して。

 

「――ふギッ!?!」

 

 アキを中心にして練り上げられた禁制のオーラが発動、その動きを完全に封じる。

 抵抗するどころか声を出す事すらままならぬ彼の目に最後に映った光景……あわあわ慌てるアイオネアとユーフォリアの神獣である双龍が、彼に向けて対消滅のブレスを吐いた光景だった――……

 

 漸く躯が動くようになり、受け身無しで数十メートルを転がされてタンコブだらけ土埃塗れになったアキがトネリコの樹の下に帰ってきた。

 

「……何で俺は『グラスプ』されて、止めに『ダストトゥダスト』を打ち込まれたんだと思う?」

【スカートの女性を下から見上げれば、そうなって当然でしょう】

「ああ、成る程ね……ッて、逆光で何も見えなかったッての!」

【『李下に冠を正さず』、『瓜田に履を入れず』ですわ……というよりも貴方、見えたら見るつもりでしたのかしら?】

「……男としての本能で、つい……」

 

 文句を言いながらも、拳銃を全てホルスターに戻して。誤解を解き、水を飲みがてらに手伝ってやるかと立ち上がる。

 

 学園の廊下をアキはフラフラ歩いていた。漆黒の梨地に金のエングレーブが施されたデリンジャー、モチーフとなっているのは上下二連銃身の中折れ式拳銃『ディファイアント=デリンジャー』だ。

 

「疲れた……」

 

 『生誕の起火』までを使わされてしまっており疲労した彼はポケットにデリンジャーを戻す。そして――……

 

「うーむむむ……」

「…………」

 

 廊下の向こう側を除き見ている、あからさまに挙動不審なナルカナの後ろ姿を認めたのだった。

 

−−関わるな、関わるな……アレに関わったら最後だ。君子危うきに近寄らず、退くのも勇気だぜ!

 

 結論づけ踵を返す。足音を立てず気配を遮断する『【幽冥】のタツミ』時代の隠密スキルを発揮して――

 

「あら、良いトコロに来たわね。ちょっと付き合いなさい、アキ」

「……台風除けの加護が欲しい」

 

 にっこりと笑う()()()()に肩を掴まれて、そのまま彼女が居た位置に引きずられてしまう。

 

「他人の意見が欲しかったのよ。アンタはアレ、どう思う?」

「アレッて……」

 

 嫌々ながら覗き見た先、そこに。

 

「ごめんなさい、望さん。荷物を持ってもらっちゃって……」

「有り難うございます、ノゾムさん」

「いや、いいって。ユーフィーとアイは頑張り屋だからな……つい構いたくなるんだよ」

「あぅ……えへへ……」

「はぅ……」

 

 屋上から洗濯物を取り込んで来たユーフォリアとアイオネアの荷物を持とうとしている望。その望が二人の頭を撫でている。

 

「……アレが、どうかしたのか?」

 

――正直言えば。望が女の子の頭を撫でてるのなんて見飽きたぜ。あのクソッタレハーレム野郎が……。

 

「どうかしたじゃないわよ! おかしいじゃない!」

 

 そんなアキの反応が気に食わないのか、ナルカナは眉を吊り上げる。そしてビシリと自分の、二本のアホ毛の辺りを指差した。

 

「あたしは望に、一度も撫でられた事なんて無いわよ!」

「………じゃっ、俺忙しいんで」

 

 スッと敬礼して場を後にしようとする。しかし、喉元に【叢雲】の影を突き付けられては止まるしかないだろう。

 

「望を観察して判ったんだけどね、よく希美とかユーフィーの頭を撫でてるのよ。なのに、あたしを撫でた事は一回も無いのよ」

「死ぬ程どうでもいいグヘッ!?」

 

 鼻白んだアキに、右ストレートが刔り込まれる。彼は慌てずに持参したポケットティッシュをこより、鼻に詰めた。

 

「……慣れていくのが自分でも解る……んで、何だよ? 俺に何を望んでるんだお前は。撫でて欲しいの? 撫でたら解放してくれるの?」

「……【叢雲】の名に於いて命ず。汝、世界霊魂の大海に還れ……」

「判った、悪かった……とにかく、どうしたいのかを説明してくれ」

 

 真剣に『リインカーネーション』の詠唱を始めたナルカナを制し、とにかく解決策を考える為に話を聞く態勢に入った。

 

「まぁ……何て言うか……ほら、こないださ、望があたしを握ったじゃない?」

「エデガを倒した時か……そういや、あん時様子が変だったよな?」

「うん、その時に……」

 

 と、ナルカナは急にしおらしい表情になった。自分の体を抱いて、頬を赤く染める。

 

「何て言うかこう、胸がきゅーってなると言うか……あれ以来、望が他の女の子に優しくしてのを見ると……妙にムカムカするのよ」

「……あのクソッタレハーレム野郎は……」

 

 溜息混じりに、つい反吐を吐いてしまうのも仕方あるまい。握っただけで惚れさせるなど、一体お前はどんなテクニシャンだと。撫でポならぬ握ポか。

 

――スゲーな、怖いモン無しだなアイツ。いつか背中から刺されるんだろう。そうじゃないと、世界に奴の遺伝子しか残らない。

 

「だから、どうにかしてあたしも撫でられたいの。どうすればいいか今すぐ三つ作戦を考えなさい。五秒以内にね」

「無理、無謀、無駄パァ!?! 何回俺の顔面にコークスクリューぶち込んだら気が済むんだテメー、メンドーサ気取りかァァッ!」

 

 再度顔面に右ストレートを受けて、遂にキレたアキ。だがナルカナは廊下の向こうを覗いたままだ。

 

「あの二人と希美とあたしの違い……うーむむむ……はっ、そうか! 皆色々と小さいわ! まさか望は……小さい娘好き!?!」

 

 真剣に悩む彼女の表情に、溜息を禁じ得ない。脳天気な彼女だが、思いの外一途なようだ。

 

――羨ましいというか何と言うか……本当、業の深い野郎だ。良い女ばっか独占しやがって男の敵め。せめて毎日一回は箪笥の角に小指ぶつけてくんないかな、アイツ。

 

 というか、彼に惚れる女性は皆が誠心誠意一途に、他には見向きもしない上に見た目も極上の女性ばかりだ。希美も沙月もカティマもルプトナもナーヤも皆が皆。

 

「……まあ、素直になれば良いだけだと思うけどな」

「へっ?」

 

 ポツリと呟かれたその言葉に、ナルカナは振り返る。ポカーンと口を開けた無防備な表情だった。

 

「……一言『撫でろ』って言えば、撫でてくれると思うぜッて言ってんだよ。アイツ、間違いなく振り回されるの好きだし」

「で、でも……断られたら? あたしは……嫌われ者のナル神剣だし……」

 

 思い出す、理想幹戦でナル化マナに包まれた時の感覚。この宇宙を充たす生命と敵対する……六十兆の細胞一つ一つが纏めて反吐を吐くような嫌悪感を。

 

「……それが、ナルを『自分』って言ってた理由か……」

「っ……何よ、文句ある!あたしは特別な第一位の永遠神剣なのよ! 担い手なんて居なくても【運命】も【宿命】も【聖威】も及ばない、超絶美少女ナルカナ様よっ!」

 

 珍しく自信の無いナルカナの様子に、少し笑いが込み上げて来る。それを見咎めたナルカナは不愉快そうな顔をして、腰に手を当てて結構な声を出した。

 

「別に……お前はお前だしな。個性って奴だろ」

「むぅ……」

 

 それすらすんなりと肯定されてしまい、意固地になる理由を見失った彼女は眉尻を下げる。

 

 この男の渾名は"天つ空風(カゼ)"、ただただ前に進むという意志を表す。

 同じ方向に向かう家族であれば、その背中を強引にでも押す追い風として。行方を阻む敵に対しては、その存在理由すらも一片の容赦さえ無く薙ぎ払う向かい風として。彼の意に沿わぬ全て、何もかもを吹き飛ばす風なのだ。

 

――常日頃の強気な態度は……そのコンプレックスを隠す為の鎧なのだろう。流石は楯のチカラを持つ神剣、守るのが得意らしい。

 

「ただ在りのままに、在るがままに。己らしく在る事を貫けばいい。アイツはマジにぶつかってくる相手を笑わねェし、差別なんかはもっとしねェよ。てゆーか、あの鈍感に気付いて欲しいんだったら解りやすいくらいじゃねェとな」

 

 そして風とはそもそも、天を覆う雲を吹き払うモノであればこそ。空風は叢雲(くも)を吹き飛ばし、太陽か月、星の光明を齎す。

 

「……解りやすい、くらい……」

 

 またもや悩み始める彼女。もう言う事も無いと、アキは角を出て歩き始める。

 

「ま、精々頑張れ。援護はしないけど邪魔もしない。テメーらで……勝手に泥沼演じてくれや」

 

 最後に、どうしてそんなハーレム構築の手助けみたいな事を言ってしまったのかと自嘲して。取って付けた憎まれ口を叩く彼の背中。

 

「ふんだ……余計なお世話なのよ、バーカ」

 

 吹き抜けた空風に向け、叢雲より雹か霰のような憎まれ口と――……

 

「……ありがとう」

 

 慈雨の如き柔らかな笑顔が、叩き付けられたのだった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 翌日朝早く、寝起きであるアキはうつらうつらと洗面台に向かい。

 

「ふぁ……あふあふ……」

 

 ボサボサの頭を掻き、実に面倒な感じでアンニュイに歩いて――……

 

「きゃっ!?」

「う……ッ!? 悪い……」

 

 小柄な人影にぶつかって謝る。その黒髪の、市松人形を思わせるパッツン前髪の改造和服の少女はしとやかに笑顔を見せて。

 

「……こちらこそ申し訳ありません、空さま。常日頃、姉がお世話になっております」

「いや、別にいいさ。お前も頑張れよ……俺も応援してるからな」

「うふふ……頼りにしていますね、『兄上(あにうえ)』様?」

 

 そう、ニヒルに声を掛けて。約、三歩ほど歩いてから――

 

「わっかりやすゥゥゥゥッ!?!」

 

 確実に三歩ほど遅れたツッコミを、あからさまに幼女形態を取ったナルカナ(?)に突っ込んだのだった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 時計の針の音がやけに大きく響く朝の食堂。そこにはいつも通りのナルカナと――その脇に座る小柄な……十二〜三歳程度の姿の『ナルカナ』が、どうしてそんな事になったのか弁明していた。

 

「要するに、望君には『小さい娘の方が人気が有るんじゃないか』と思った深層意識が独り歩きして分体を創ってしまった……と」

「あたしだって吃驚(びっくり)よ。勝手に実体化して、勝手に学園の中を歩き回って……どういうつもりよ?」

「はい、私も自我が芽生えた時には驚きました……ですが、こうして望さまにお会い出来る体を得たのですから、私は幸せです」

 

 水底のような静謐を破ったのは沙月、詰問を受けたナルカナ(大)はふて腐れて唇を尖らせて隣ではナルカナ(小)が笑い掛けた。

 

「「「「「「はぁ……」」」」」」

「……ハァ」

 

 『また望か』という皆の冷たい視線と溜息、何よりも希美と沙月とカティマとルプトナとナーヤ、そして頭上に仁王立ちしたレーメの発するプレッシャー。

 

「引鉄は空さまの『素直になれ』と、『解り易く』の言葉ですね。あの言葉でお姉ちゃんは、自分が小さい場合の姿……私を想像しましたから」

「巽君……歯ぁ食い縛りなさい」

「良いっすよ……俺を殴って気が済むなら、好きにすればいいじゃないですか……」

 

 結果的にそういう事になったかと、アキは言われた通りに歯を食い縛った。沙月の右掌は【光輝】でコーティングされて『インパルスブロウ』の……往復ビンタの破壊力を上げている。

 

「清廉なる、生きし子らを育む優しき水よ。我は御名を唄う……」

 

 隣ではアイオネアが必死になって、アキを護る為に青属性を無効化する神言『ワードオブブルー』を呟いている。

 

「有り難うな、アイ……けど、いやきっとペネトレイトするから」

「……(がびーん)!?!」

 

 だが、体験からその威力を知っている彼はそれを止めた。ショックを受けたアイオネアは、いじけてしまう。

 

「沙月さま、女性がそのようなご無体をなさらないで下さいませ。兄上さまも兄上さまです、女性の尻に敷かれ過ぎるのはどうかと思いますよ?」

「「『兄上さま』?」」

「ぬぁっ、ちょ、あんたねぇ!」

 

 と、沙月を窘めた妹ナルカナの言葉に一同は目を円くした。一方、本体の姉ナルカナは何故か顔を赤らめる。

 

「そう言えば、さっきもそんな呼ばれ方したけど……?」

 

 全く以ってそんな呼ばれ方をする謂れが無い彼は、首を傾げながら小さな方へと問い掛ける。

 

「簡単な話ですよ。お姉ちゃんはあの時に、いつもは昼行灯だけど困った時には道を示してくれる……そんな空さまを、『お兄ちゃん』みたいに感じたんです。なので私にとっては、空さまは兄上さまの認識になっているんですよ」

「わーっ、何言ってんのよアンタ! 分体の分際でーっ!」

「だめ~っ、お兄ちゃんの妹枠はもう埋まってるの!」

「(こくこくっ)!」

 

 遂に、実力行使にて妹ナルカナの口を塞ぎに掛かった姉ナルカナ。その双手を回避した妹ナルカナは、膝カックンにより姉ナルカナを撃退した。

因みに、アキの両側から抱き付いてのユーフォリアとアイオネアの訴えは歯牙にも掛けていない。

 

「へぇー! それって空の方が好きって事じゃん、望より!」

「そうですね! 巽は特別な存在という訳ですから、望より!」

「うんうん! 妹にとって兄は憧れだもんね、望ちゃんより!」

 

 と、物凄い勢いでそんな言葉を突っ込んだルプトナとカティマ、希美。

 恐らく彼女ら望ハーレムの面々の間には、利害の一致から新参者を拒むコミュニティーが形成されているのだろう。『これ以上競争相手を増やして堪るか』と、どす黒いオーラが展開されていた。

 

「うふふ、何を仰っているんですか皆さま。妹とは兄の視点では永遠の二番手、則ち妹の視点でも兄は永遠の二番手なのですよ」

「予防線張らなくても、兄貴呼ばわりされたくらいで特別な存在になったとか調子に乗らねーっての!」

 

 しかし、黒さでは妹ナルカナも負けていない。むしろ、姉よりも弁が立っている。

 

「そ、そんな事無いよ! 妹キャラは永遠の二番手なんかじゃないんだからーっ! ねっ、リアルにお兄さんが居るナーヤちゃん!」

「いや、わらわに聞かれてものう……あれは実兄じゃし、余り尊敬も出来ぬし。何よりわらわは小動物キャラなのでな」

「うわーん、裏切られたー!」

 

 その言葉に、望の妹的立ち位置の希美が反駁する。しかし、助けを求めた相手が悪い。というより、助けを求めた相手の兄が悪い。

 ナーヤは実に歯切れ悪く口篭り、あっさり協定を破棄した。

 

「ッてゆーか、人を鞘当てのダシに使うなよ!」

 

 そんなアキの声も届きはしない。コミュニティーが崩壊した彼女らは己のアイデンティティーを護る為の論争を始める。

 

「つまり、姉キャラの私が一番手って事よねー、望君?」

「違いますー! 妹キャラですー!」

「そーだよ、親友キャラが一番手に決まってんじゃん!」

「「アホキャラは黙ってて!」」

「何をー!?!」

 

 先手を打ったのは沙月、それを希美が防御する。そしてその尻馬に乗ったルプトナは二人の連携で撃墜された。

 

「第一、一番手は誰が何と言おうとパートナーのこの吾だ!」

「「「煩い、ペット扱い!」」」

「何だとー!?!」

「……今のはわらわもか? わらわも加えたじゃろ!?!」

 

 その期に乗じてレーメが踏ん反り返るも、今度はルプトナを加えた三重の防御に阻まれる。尚、三人はナーヤも同時に指差していた。

 そして最後に、今まで黙っていたカティマが――

 

「皆さん、落ち着いて下さいな。つまり総合して姫キャラが一番」

「「「「「「外野!」」」」」」

「はは……ははは…………」

 

 ダブルナルカナが火花を散らし、更にハーレムの面々が内輪揉めを始め、実に不毛な戦いが始まってしまう。『もうどうにでもなれ』と捨て鉢になっている望。

 

 因みにソルラスカとタリア、サレスは『付き合ってられるか』とばかりに食事を摂り終えて出ていっており、残る絶とナナシ、ヤツィータとエヴォリアとベルバルザードはどんな決着がつくかを面白がって見ている。

 スバルとユーフォリアとアイオネアは、どうして良いか判らず傍観の姿勢をとっていた。

 

「あはは……泥沼どころかブラックホールですね」

「だから面白いんじゃないのよ、スバル君。見てる分にはだけど」

「男として言わせて貰うとすれば、腹が立つだけの光景だがな」

 

 苦笑するだけしか出来ないスバルに笑い掛けたヤツィータ、一方のベルバルザードは湯呑みを傾けて食後の番茶を啜っている。因みに覆面はしたまま、一体どうやってとかツッコんではいけない。

 隣のエヴォリアと絶もまた、茶を啜りながら口を開く。

 

「係わり合いには成りたくないわね。にしても、絵に書いたようなモテ方するのね、あの子。あんな優柔不断そうな男のどこがいいのかしら」

「手厳しいな、エヴォリア……だがそこが望の魅力なのさ」

「……マスター、それはフォローになっていないかと」

 

 口々に呑気な事を言っていた面々の方に、疲れ果てた表情でアキが歩み寄る。そしていがらんでいる喉を、アイオネアの聖盃に充ちる水で潤して。

 

「もぉぉやってらんねッ! 暁、ベルバ先輩、スバルさん! 気晴らしに付き合ってくれ!」

 

 神銃形態に変わったアイオネアをスピンローディング、銃弾を装填する。

 

 その際に【真如】の青藍に煌めく鞘刃を波紋が揺らし、展開された緻密なステンドグラスの精霊光を通り抜けた瞬間にはいつも通りの軽鎧、アオザイの戦装束へと変わる。

 最後に通る右腕で聖外套を抜き出して袖を通さずに羽織って準備を完了する。

 

「丁度胸焼けしていたところだ」

「腹熟しには良いだろう」

「了解、付き合いますよ」

 

 了承して、絶とベルバルザードとスバルが立ち上がる。連れ立って出て行った男三人の姿を見送り、女三人は未だに姦しいハーレムの面々を見遣った。

 

「むー……」

「あら、どうしたのお嬢ちゃん? 貴女も加わるのかしら?」

「ブラックホールがビッグバンに変わっちゃうのね、外野としては大歓迎よ」

「ち、違いますよ〜っ! えっと、その……どうしてお兄ちゃんは平気な顔をしてるのかなって……」

 

 と、今までずっと押し黙っていたユーフォリアが唇を尖んがらせた。そこをエヴォリアとヤツィータに茶化されて、プンスカと頭から湯気を噴かんばかりに赤くなる。

 

「ああ、希美ちゃんの事?」

「平気って……随分とブチ切れてたじゃないの、彼?」

 

 その妙な言葉に、少なくとも彼女よりは人生経験の豊富な女二人が首を捻る。

 

「そんな事、無いですよ。お兄ちゃんが怒った風にするのは楽しかったり嬉しかったりする時の照れ隠しですから」

 

 そんな二人を見るでもなく、彼女は窓から校庭に立ってグットパーでチーム分けをしている四人の……ベルバルザードに次ぐ長身の青年を見遣った。

 三度繰り返してアキと絶、スバルとベルバルザードに組分けて一定の距離を取り、一礼すると彼等はそれぞれの得物を構える。

 

「まぁ、単純に諦めたんじゃない?」

「そうねぇ、横恋慕にすらなってないもの」

 

 と、苦笑する二人。校庭では実戦形式の特訓が始まる。速度と手数に優れる絶が遠距離射撃を行うスバルを狙って駆け、アキは一定距離を保ち続けながら重戦車の如きベルバルザードの足を止める。

 

「そんな事無いですよっ、お兄ちゃんだってたまには……」

 

 と、ユーフォリアが擁護しようとしたその瞬間。ベルバルザードが呼び出した、暴君ガリオパルサが吐いた『ハイドラ』の獄炎。

 それを『エーテルシンク』で打ち消したまでは良かった。が、気を良くした隙に接近され『バーサークチャリオット』をメガトンパンチ風に食らわされて吹き飛ばされる。

 

「「……たまには?」」

「……十回に一回は……カッコイイ時が……うぅ〜〜っ」

 

 悔しそうに、恥ずかしそうに唸る少女にエヴォリアとヤツィータは意地の悪い笑みを見せる。

 

「僅か一割ですか、それはまた」

「ふぇ……」

 

 だが、その戦場から妹ナルカナがいつの間にか離脱。ユーフォリアの隣に腰掛けていた。悠然と茶をシバいている辺り、姉よりも大物なのかもしれない。

 

「あら、貴女はもういいの?」

「はい、どうせ泥仕合ですから。あれで決着がつくようならこんな状態にそもそも陥りませんよ」

「道理ね……あの娘達も早く気付けばいいのに」

「ところで、何の話をしていたのですか? 良ければ私も聞きたいのですけど」

「そうそう、そうでした。続きをどうぞ、ユーフィーちゃん」

 

 促され、渋々と彼女は口を開く。余り乗り気ではないのか、或いは自分でも考えを整理できていないのか。

 

「……好きな人が他の人を好きで、自分を見てくれてもいないのに……それでも想い続けてて、哀しくならないのかなって……そう思ったんです」

 

 その瞬間、ベルバルザードの神剣魔法『グラビトン』を打ち消したアキが駆ける。大上段に構えたライフル剣銃【真如】を、防御の為に構えられた大薙刀【重圧】に向けて振り下ろし――……

 

「お兄ちゃん、前に言ってたんです。『報われなくたって、結ばれなくたって。俺自身が選んで行動した結果で、愛する人が他の男とでも幸福になってくれたなら……そこに意味は在る』って。でも……好きな人に好きになって貰えるのが一番幸せじゃないですか」

 

 波紋の鞘刃は大薙刀をあっさりと透り抜け、それに意表を衝かれて反応出来なかったベルバルザードの鳩尾に減り込まれた。

 それだけでは、【真如】は生命を奪えない。しかしトリガーを引くだけで、彼の内側から放たれる銃弾が心臓を撃ち抜くだろう。

 

「……そうねぇ、ユーフィーちゃんくらいの年じゃ判らないかもしれないけど、幸せのカタチは人それぞれ違うの。片想いだって立派な愛よ」

「『遠くに在りて想うのも愛』、という訳ですね。見た目と違って詩的な生き方をしているんですね、兄上さまは」

「というか、達観してるわねぇ。彼、本当に十代?」

「あら……分かるわ、エヴォリア。彼、あと十年は早く生まれてたらナイスミドルだったのにね」

 

 覆面で良く判らないが、恐らく舌打ちしたベルバルザードが敗北を認める。一方の絶とスバルも、決着が付いたらしく二人の方へと歩いてきた。

 アキは絶と手を打ち合わせ、勝利の確認を行う。そして次はスバルと組んで戦闘訓練を開始した。

 

「良く判りません、そんなの……」

「貴女にも、分かる時が来るわ。いつか、誰かを好きになった時に。『花の命は短し、恋せよ乙女』ってね」

 

 それを眺める四人の、まだ合点がいかない様子のユーフォリアに……ヤツィータはその頭を撫でながら、優しく微笑み掛けた。

 

 

………………

…………

……

 

 

 調子に乗って目茶苦茶にした校庭を均し終えて、泥だらけの躯を風呂で洗い流した後。

 

――ものべーの擬似天幕が夕暮れの空を映している。希美の話では、明日の明け方には魔法の世界に到着するそうだ。

 

 甚平姿で、風呂の前で待っていた法衣姿のアイオネアから盃を受け取り飲み干した。

 黙って左手を差し出せば、それに嬉しそうに腕を組む彼女を部屋へエスコートする。歩幅の違いと、急ぐと転び易い彼女を気遣って。

 

「あれは……ミゥさんか」

 

 と、その道中に在る自室の前に影を見出だす。セーラー服を身に纏う、小柄な金髪のそれは――クリスト=ミゥ。

 

「タツミ様、お待ちしていました。少々お時間宜しいでしょうか」

「ええ、まぁ……構いませんけど」

 

 抑揚のない口調に、何処か違和感を禁じ得ない。だが断る理由にも成り得ず、了承する。ちらりと、左腕を強く抱き締めた彼女を見遣れば――

 

「兄さま、私は一人でも戻れますから……お気遣いなく」

「そうか、転ばないよう気を付けるんだぞ」

 

 と、上目遣いの金銀の双眸が腕を解いた。生花の花冠を避けて、緩やかなウェーブの滄い海色の髪を梳きながら注意する。小さな龍角と、尖った耳朶が見えた。

 

「は、はい……」

 

 白磁の肌を夕陽よりも赤く染めた龍の修道女は、慌てて頭を下げて花冠を廊下に転がしてしまう。

 それを拾い上げていたたまれなくなったらしく、漆黒のキャソックの裾と純白のクロブークを翻し。ぺたぺたと裸足の足を鳴らして足速に走り去って行った。

 

 途中で自分の足に躓いて、一回転んで。

 

「……えっと…だ、大丈夫なのでしょうか…?」

「まぁ、影が護ってくれてるから大丈夫かと」

「はぁ……そうなんですか……」

 

 暫し呆気に取られていたミゥだが、気を取り直して先導して歩く。

 

――はて、俺は何かやっちまったのか? ルゥさんやワゥなら夕飯で食べたいメニューを申請しに来たとか想像出来るけども……

 

 彼女の背中からは言葉を拒絶するオーラがひしひしと感じられる。辿り着いたのはクリスト室。扉を開いて中に入れば、同じくセーラー服姿のルゥとゼゥ、ポゥ、ワゥ、それに壁に寄りかかったクリフォードも揃って彼を見遣った。

 

「まぁ、一先ず座ってはどうだ」

 

 ルゥに促されて、用意されていた椅子に腰掛ける。五対計十個の瞳に曝されて、居心地悪く。

 

「えっと……俺、何かやらかしましたか?」

 

 幾ら考えても何も思い至らず、遂に痺れを切らして言葉を発する。その時、ミゥが口を開いた。

 

「いえ、ただ……空隙のスールードについてお聞きしたいだけです」

「スールード、ですか……」

 

 その言葉に、アキだけでなく全員の表情が暗澹たるモノとなった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 朝の一件の後、制服から着替えぬままに仰向けで布団に転がって。【悠久】を抱くユーフォリアは、天井を見上げてずっと解の出ない自問を繰り返していた。

 

「……どうして」

 

 呟きはカーテンを引いていない窓から、朱い風と共に流れ込む斜陽に染められた虚空に消えた。

 

 弟が答えてくれないのなら、彼女以外には【悠久】しか居ない部屋の静謐に、声は拡散するのみ。

 幼いと言ってしまえばそれまでだが、今でも尚砂糖を吐きそうなくらい相思相愛の両親を持つ彼女には判らない。愛する人に愛される、それ以上の幸福が在るものかと。

 

「……どうして――ひゃわっ!?!」

「はぅぅ、ごめんなさい……」

 

 もう一度呟いたその瞬間、部屋の扉が結構な勢いで開かれた。驚き跳ね起きたユーフォリアと、その声に驚き咄嗟に謝ったアイオネアの眼差しが交錯した。

 

「な、なんだ……アイちゃんかぁ……お帰り」

「た、ただいま……ゆーちゃん」

 

 互いにぎこちなく笑い合って、アイオネアは祈りを捧げるような仕種をとった。するとハイロゥが薔薇窓のオーラへと変わり、足元まで通過する。魔法陣が収束した後、彼女は制服姿に戻っていた。

 

「まぁ、綺麗なオーラですね」

「……ふぇ、あ、ありがとうございます……?」

 

 と、開きっぱなしの扉から黒髪の少女……妹ナルカナが笑い掛けた。姉と同じだった改造和服は、学園指定の制服に着替えている。

 

「あの、ご用ですか? えっと……」

 

 と、来客に気付いたユーフォリアが問い掛けて……何と呼ぶべきか、困ったような表情を見せる。

 それに妹ナルカナは『待ってました』と言わんばかりに、満面の笑顔を見せた。

 

「これはどうも、申し遅れました。私は『イルカナ』、妹ナルカナ改めイルカナと申します。望さまに名付けて頂きました」

「「は、はぁ……」」

 

 瞬間、ユーフォリアとアイオネアが目配せしあう。そして『安直』と感じた事を確認しあった。

 

「同じくらいの年の方がいらしたのでお話をしたいと思ったんですよ。とても興味が有りますから……『空位(ホロゥ)』の神剣さん?」

「わ、私……ですか?」

 

 しとやかに微笑んで彼女は、後ろ手に扉を閉める。アイオネアへ視線を向けたままで。

 

 

………………

…………

……

 

 

 話し終え、そして話を聞き終えて。アキは瞼を開く。

 

「……そうですか。『煌玉の世界』が滅んだのは、空隙のスールードの仕業でしたか」

「そうよ。アイツが私達の世界に剣を突き立てて煌玉の世界を滅ぼした……!」

 

 唇を噛み、悔しそうに吐き捨てるゼゥ。慰めるようにミゥがその肩に手を置いた。

 

「しかし、まさか『剣の世界』の段階で君に接触していたとはな……もっと、早く教えてほしかった」

「すいません、ルゥさん。あの時分では、只の行商人だとしか……正体を知らなかった、なんて言い訳にもなりませんけど」

「それは、仕方が無いですよ……タツミさんの優しさに付け込んだスールードが卑劣なんです」

 

 ルゥは『自分の手で討てなかったのが残念だ』とばかりに眉を顰め、珍しくポゥまでもが嫌悪を露にした。

 

「アイツに、ボク達は大切なものをいっぱい奪われたんだよ。世界も、エルダノームに住んでた人も、クリたんだって……殺されちゃったと思ってたし……しかもそれが、『人が足掻いて足掻いて、そして滅びる姿が愛おしいから』なんだよ? ボクは……絶対に許さない!」

 

 発火しそうなくらいに本気の怒りを見せたワゥ。当然だ、誰が故郷を消されて……それを防ごうとした努力を嘲笑われて……惚れた相手を殺されかけて平静でいられるものか。

 

――ああ、判ってる。有害か無害かで言えば、アイツは有害だった。人を惑わす類の悪女だった。

 

「でも、俺にとっては……アイツは大事な存在だった。それだけは誰にも文句は言って欲しくないし、言わせない」

「アッキー……」

 

 その『死』を以って、彼は――……その存在を輪廻の輪から弾き出したのだ。守りたかった存在を、己の手で滅却した。

 だから、歯を食い縛ってでもそれを肯定する。それは彼が他の人物……母と慕った女性にも感じたモノだったから。

 

「少なくともアイツは……俺の知る鈴鳴は自分の定めに刃向かった。『在るがままで在る』ってのは、『自分に流される』事じゃない。『自分に打ち克つ』事なんです」

 

 ぽっかりと心に孔の空いたその感覚はまだ、忘れていない。

 

「少しでもマシな自分で在ろうと、闘う事。それが例え烏有に回帰したとしても、俺は――……それを美しいと感じたんだ」

 

 だが、いずれはその消し難い痛みも……止め途無く寄せる永遠(ナミ)が、跡形も無く押し流すだろう。

 喜びも哀しみも、えり好みする事無く。虹色の記憶もいずれは色を失い、灰色を経て……空と消える。

 

「だから誰が何と言おうと……俺は鈴鳴をスールードとは認めない、アイツはアイツなんです。それで……どうか勘弁して下さい、お願いします」

 

 土下座せんばかりに頭を下げる。斬首を待つ罪人のように、何の為の……誰の為の裁きかも、はっきりしないままで。

 

「……タツミ様は、酷い方ですね」

 

 静かなミゥの呟きにより深く頭を下げた。憎まれても仕方が無い、それ程の事を口にしたのだから。その洗い立ての頭……石鹸の香りがする癖っ毛の髪にぽん、と。小さな掌が置かれた。

 

「判っています、貴方がそういう人だという事は剣の世界から……」

 

 彼女は一言一言、しっかりと発音する。まるで物分かりの悪い弟を諭すように。

 

「……そのまま真っ直ぐに。曲がる事無く、貫いて下さい。それで……大目に見てあげます……」

 

 頭を上げる。目に映るのは優しい…しかし、堪える笑顔。堪えられた涙の持つその意味は、間違えようも無い。

 

「それに、第一俺は生きてた訳だからな。まぁ、あの野郎は未だに許せねぇけど……アキがそう言うんなら、俺に言うことはねぇ」

 

「……はい、すんません、皆さん」

 

 慰めるようなクリフォードの言葉にその一言だけを口にして、アキはもう一度頭を下げたのだった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 机を囲んで座る、蒼滄墨の少女達。手元にはそれぞれマグカップ、聖盃、紙コップ。充たされた水は聖盃から注がれたモノ。

 

「なるほど……つまり貴女のチカラは『空』……(ゼロ)が基軸になる。空が充たされているモノとして、(マナ)とすり替える……と」

「はい、イルカナさん……その、変換量は容器次第ですけど……」

 

 二人分を注ぎ終え、空になる聖盃。それに彼女が祈りを捧げれば……揺らぐように聖盃の淵から波紋が生まれて鎮まり、水鏡と換えた。

 

「充分に規格外な能力ですよ、アイオネアさん。概念系の神剣は大抵オプションが付きますけど……だから銃を使っているんですね。何度撃ち尽くしたところで、それが原動力。無限の連鎖、『輪廻(サンサーラ)』ですか」

「凄いよねぇ、イルカナちゃん。エターナルでもそんな神剣……あ、"輪廻の観測者"の【無限】はそれっぽいけど……」

 

 照れた金銀の龍瞳と得意げな蒼瞳と見詰め合った黒瞳の眼差しが、紙コップの内側に映る己の黒瞳と交錯する。

 たった十分程だが、仲良くなるのにそう時間は掛からなかった。

 

「『空』ですか、道理で。確か、古い意味で中空を表す数字……」

「えっと、どうかしましたか、イルカナさん?」

「ところで『担い手が存在する』のはどんな気分なんですか? 私も一応化身なので、興味有ります」

 

 あからさまに話を逸らして、彼女は媛君を見詰める。此処からは、研究ではなく神剣の化身の分体としての興味だ。

 

「……幸福です、とても」

 

 それに媛君は、己の慎ましい胸に手を当てて答える。奇しくもその瞬間に、彼女の所有者も同じように己の胸に拳を当てていた。

 

「私はずっと、箱庭の中で良いと思ってました。外は怖いところだって聞いてたし、位階も貰えなかった空っぽの神剣だから……誰にも必要にされないって」

 

 夜明けとも夕暮れともつかない、薄紫に微睡む、伽藍洞の真世界。そこで初めて人と出逢った彼女は、無限遠の世界よりもずっと広い空を見た。

 

「でも、アキ様は私と手を繋いで下さった。空っぽには、可能性が充たされてるんだって……だから私は、冀望をくれたアキ様の冀望になりたくて……」

「ちょっと待って、じゃあ貴女のその能力は……後付け?」

 

「はい、私には空っぽの器しか……可能性しか無かったから。アキ様に見合う能力を身につけたんです」

 

 驚いたように問い掛けたイルカナに、当然だと答える。生命に『同じもの』は決して有り得ない。遺伝子に限界は在っても、生命の系統樹に限界は無い。

 彼女は契約者の魂によって能力を変える神剣だ。ただ、神剣宇宙の誕生した瞬間からアキと契約する事が決まっていた以上、今の能力以外は有り得なかったのだが。

 

「本当に規格外なんですね、貴女の能力は……ううん、だからこそ無限よりも莫大なチカラを生めるのかしら」

 

 何かを得心したらしく、もう一度頷いて水に口を付けるイルカナ。

 

「ふぅ……本当に美味しいですね。流石は零位元素」

「零位元素?」

「こちらの話ですよ。でも……」

 

 と、ふと。イルカナは表情を暗くした。何かを諦めるように。

 

「羨ましい……私は結局お姉ちゃんのオマケ。化身の分体だから」

「あ……」

 

 ユーフォリアが思い至ったのは、彼女が一応は神剣の化身ながらも本体を持たないという事。そこに本能が有ったら……もう入口も出口も無い迷宮のようなものだ、と。

 

「違います。イルカナさんは、紛れも無くイルカナさんですよ。『在るがままで在る』という事は『自分に流される』事じゃなくて『自分に打ち克つ』事なんです」

 

 その否定を否定した刧媛。懺悔を聞き入れる聖女のように、主人と同じ時に同じ言葉で。

 

「空っぽでも、運命を斬り拓けたんです。一位のイルカナさんならもっと素敵な未来を斬り拓けます、きっと……」

 

 面食らったイルカナは、ポカンと口を開いていたが……やがて。

 

「出来る……のかな?」

 

 虹色に煌めいて見える冀望の光を、見出だしてしまう。

 

「はい、勿論ですよ。諦めたら、終わるんじゃなくて続かなくなるんです……だから、諦めないで……」

 

 そうして、聖女よりも聖女である真性悪魔は微笑んだ。銘のまま、『在るがままで在れ』と。

 

「うん、諦めちゃダメ。あたしも応援するから」

「ありがとう……二人とも」

 

 ぐっと手を握ったユーフォリア、その手を優しく解いてゆっくりと立ち――顔を上げたイルカナ。

 

「もうすぐ食事の時間ですね。さぁ行きましょう、アイちゃん、ユーちゃん」

 

 そこには日頃の彼女の本体と同じ、雛菊のように愛らしい笑顔が在った。



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神の目覚め 永遠者達 Ⅲ

 闇の中の強い振動の後、ものべーの周りの景色が一変する。果てしない雲海、雲よりも高い……永遠に続くかのような蒼天のただ中。

 見覚えのあるその世界は紛れも無く、魔法の世界だ。天空都市ザルツヴァイまでは後半刻、神剣の担い手達は各々の時間を過ごしていた。

 

「「…………」」

 

 そんな学園の校庭に充ちる、息苦しい程に冷たく研ぎ澄まされた殺気。その発生源は校庭の中央で対峙する二人の戦装束の男……絶とアキ。

 そのパートナーである、ナナシとアイオネア。外野で戦装束を纏うソルラスカとカティマとルプトナ、ユーフォリアとイルカナ、有事の際の備えとして呼んだ白衣姿のヤツィータの八人は階段に腰掛け、静かに眺めるだけだ。

 

「「…………」」

 

 【暁天】の鯉口を切ったままで、低く腰を落して居合抜きの構えを見せる絶。対するはガンベルトに吊したホルスターに納めたままのデリンジャーに左手を翳し、クイックドローの構えを見せるアキ。

 それは鏡写しと言っていいのかもしれない。和と洋の違いは有れど……共に『神速』と『一撃必殺』を信条とする戦闘スタイル。

 

「「…………」」

 

 狼の如き青い眼差しと、鷹の如き琥珀色の眼差しが交錯する。そこに瞬きなどは一切無く、呼吸さえも最低限だ。

 息詰まる心と心の鬩ぎ合い。勝負の決着は一瞬、互いの放つ圧迫に屈して先に動いた方が負ける。

 

 故に――全く同時。

 

「「……ッッ!」」

 

 同時に瞬きを行ったその瞬間に、絶は火花さえ発しながら【暁天】の白刃を鞘走らせて。

 アキは衝撃波すら発しながらデリンジャーを抜いて、照星を使うまでも無く無色無音のマズルフラッシュを閃かせた――!

 

 耳を(つんざ)く金切り音と共に、目を(めしい)んばかりの閃光を撒き散らす。

 柔なる刃の『絶妙の太刀受』は、デリンジャーに装填されている不可視の銃弾を真っ二つに断ち切ってのけた。

 

 音も、気配すらも無いその銃弾をパリィしたのは――偏に絶の技量というよりも、始めからその弾道を見ていたからに他ならない。

 それでも、音速を遥かに上回った銃弾の軌跡を見極める空間把握は流石だが。

 

 だが、今のデリンジャーは二連。振り抜かれた【暁天】の刃は簡単には引き戻せず。

 人差し指を銃身に沿えて、中指をトリガーに掛けた……もう一度引鉄を引くだけの銃は火を噴く――!

 

「――甘いッ!」

 

 その銃弾が、左手で振り抜いた鞘にて打ち砕かれた。絶はその勢いのままに一回転、大きく踏み込み袈裟掛けに『雲散霧消の太刀』で首級を狙う――!

 

 その刃を『威霊の錬成具』により創られた腕全体を包み込む黒く重厚なガントレット、異界の律により鍛えられた防具を纏う拳にて握り止める。

 易々と鋼鉄すら斬り裂く【暁天】の刃だが、この世とは違う理法で護られたその防具は簡単には斬り裂けない。

 

 舌打ちした絶は次いで反転、襲い来る鞘の(こじり)――!

 

「――お前もなッ!」

 

 踏み込まれた絶の足を踏み付けて基点とし、背中合わせで。逆手に持った手槍のようなそれすらも、錬成具を纏わせた左肘で挟み込み受け止めて――デリンジャーの銃口をがら空きの後頭部へ突き付けた。

 

「……既に二発撃ったよな。つまり、それはカラ銃だ」

「確かにな……けど、俺の起源は『(カラ)』だ。今はカラ銃からこそが本領発揮だぜ? それに――(ゼロ)からが、俺の本領だ」

 

 ニヤリと、背中合わせの零距離で。互いに見えぬと言うのに笑い会う。そして――……

 

「……参った。やれやれ、前は鞘で沈めてやったんだが……その神剣は本当に厄介だ」

「二回も同じ手を食うか。そして二回も同じ手は使わないッてな」

 

 戦闘姿勢を解いて、絶は【暁天】を鞘に納めて腰に戻した。アキも錬成具を根源力に還して――『()()()()()()()()()()()()()()』をホルスターに納める。

 この旅の始まりに負けた事への、リベンジを完遂して。

 

「お疲れ様です、マスター」

「お、お疲れ様です、兄さま……」

 

 ふわりと飛翔するナナシと較べて、元来運動が苦手なアイオネアは『とてとて』という擬音が出そうな調子で駆け寄って来ている。

 

「アイちゃん、あんまり急いだら転んじゃうよ?」

 

 両手は捧げ持った聖盃で塞がっており、充ちる水を零さないようにして走っている為に見るからに危なっかしい足取り。ユーフォリアも、ハラハラするような眼差しで見守っていた

 

「良いですか、タツミ。今回貴方が勝てたのは、様々な奇跡が噛み合った事による僥倖です。決して調子に乗らないように」

「へいへい、じゃあ次はグゥの音も出ないように倒して見せるさ」

 

 絶をギブアップさせた事に、冷静に怒り心頭らしいナナシのジト目にそんな軽口を叩いた。瞬間――

 

「兄さま、どうぞ――きゃふ?!」

「ひゃあっ!?!」

 

 ダンゴムシを踏ん付けてしまうが、『生命を奪えない神柄』の彼女にはその命を奪えない。驚き丸まったそれに足を滑らせて、前に転んでしまうアイオネア。

 彼女の持っていた聖盃は宙を舞いアキの顔面に向けて飛翔して――首を横に倒して避け、人差し指と中指で挟んで止めたが……中身は、ナナシに全て掛かってしまった。

 

「っと、大丈夫か、アイ?」

「はふ……は、はい……」

 

 顔から盛大に転んだ彼女だったが、怪我の類は無い。やはり、影の死霊(ドッペルゲンガー)がクッションになって護っているのだろう。

 涙ぐむ彼女をあやして落ち着かせがてら、乱れた滄い髪を梳いて調えてやり、外れた花冠を龍角に嵌める要領で冠せてやる。

 

「あーあ、大丈夫? 何してんのさ、空っ!」

「んもぅ、だから気を付けてって言ったのに……お兄ちゃんっ!」

「えっ、俺のせい?」

 

 そして、それぞれ歩み寄ってきたルプトナとユーフォリアに叱られたアキ。

 

「あぁ、ドジっ娘……実害を被るのはアレですが、見ている分には良いものですね……」

 

 カティマはカティマでアイオネアに、妙に熱い視線を送っている。因みにその時、ソルラスカは自分の勝負に向けてアップを開始していた。

 

「……あ、貴方達は~~!」

 

 と、そんな彼の背後から響いてくる怨嗟(ナナシ)の声。

 『こりゃ無限回廊ものかぁ』と腐って振り向けば、予想の斜め上を行く光景が目に入ってきた。

 

「……へっ?」

 

 びしょびしょに濡れそぼった――丁度、アイオネアやユーフォリアと同じくらいの背格好をした少女……黒いローブにヘソの出た上下の服を纏った、山刀(マチェーテ)のようなナイフを腰に供えるナナシの姿だった。

 

「えっと……成長期?」

 

 等と詰まらない冗句(ジョーク)を口走っ瞬間に銀閃が鼻先を掠める。前髪がさっくり横一線になってしまった。

 

「全く……貴方のパートナーの『あるがままに還す』"破戒(ディスペル)"のせいで、空間を圧縮する術が消失してしまっただけです」

「だからって、お前……パッツンにしてくれなくても良いだろうが! どーしてくれんだコレェェ!」

 

 取り澄まして切っ先が無い長方形のナイフを鞘へと納めたナナシに、アキは前髪を指差してツッコむ。勿論、ナナシはどこ吹く風だ。小さくなろうとして忌々しそうに濡れた躯を拭う。乾かないと無理らしい。

 

「まぁ、お揃いですね兄上さま」

「お揃いたくはなかったけどな!」

 

 イルカナの言葉にツッコんだ後、流石にこれは仕方ないとアイオネアの盃を見遣る。

 渾々と盃の底から湧き出るように充ち溢れた無色透明、全ての命の原初――『生命のスープ(零位元素)』を。

 

 それを一息に飲み干す。先程ナナシが述べた通り、【真如】の水は『あるがままの姿』を肯定する。故に、エターナルであるアキのありのままの姿……契約時の姿(生まれた時)へと、彼は還る。それにより、髪もその際の長さとなった。

 

「相変わらず、アイオネア殿の力は便利ですね……」

「ハハ、そりゃあ俺の自慢のパートナーで、最高の永遠神剣ですからね」

「はぅ……兄さまぁ……」

 

 カティマの言葉に、当然とばかりに答えたアキ。それに――

 

「良いことです。ですが、それは聞き捨てなりませんね……私の【心神】もまた、最高の永遠神剣ですから」

「全くだよ、ボクの【揺籃】が最高の永遠神剣に決まってるし」

「バカ言ってんなよ、俺の【荒神】が最高の永遠神剣に決まってんだろーが」

 

 と、神剣士としての自負を擽られたか。カティマが大刀【心神】、ルプトナが靴【揺籃】、ソルラスカが爪【荒神】を構える。一様にヤル気満々だ。

 

「いいわねぇ、久々に頑張っちゃいましょうか、【癒合】」

「ああ、漸く準備運動も終わった事だし……もう一戦、今度は三対三といこうか、【暁天】!」

 

 と、アキの側に立ちランタン【癒合】を構えたヤツィータ、日本刀【暁天】を構えた絶。そして――

 

「オーケー……行くぜ、アイ――【真如】、我が命よ!」

「ハイ、兄さま……わたしは、【真如】は――神刃(あなた)の進む道を斬り拓く為の神柄ですから!」

 

 差し出された、武骨な左の掌。重ねられたのは白魚の如くなよやかな右掌。互いに感じた優しい体温は、やがて招聘された『永遠神銃(ヴァジュラ)【是我】』を通して通じ会う。

 調停者(レフェリー)のユーフォリアが見守る中、実戦さながらの訓練の訓練は幕をあげた――……

 

 

………………

…………

……

 

 

 ものべーが接岸する。懐かしいザルツヴァイの町並み。そして事前に入れておいた連絡により、横断幕まで用意して待っていた物部学園の教師生徒達の姿があった。

 望や希美、沙月やアキなどの魔法の世界前の加入組と絶は信助達と再会を懐かしみ、新規参入組のスバルやナルカナ達は挨拶を交わし。元は敵のエヴォリアとベルバルザードは大いに驚かれて。

 

「ところで皆、一つ提案が在るんだけど…学園祭をやらない?」

 

 その一言に、学生達はにんまりと笑い――

 

「……そう言うと思って、実はもう準備完了してます。後は設営するだけっすよ、会長!」

 

 一同を代表して発言した信助が、彼女にサムズアップを見せたのだった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 飾られた教室から外に出た、長身金髪の青年。髪を撫で付けて溜息を落としながら……アキは看板を立て付けた。

 そこに書いてある文字は日本語で『喫茶・悠久』。学園祭の出し物の一ツで、軽食なんかを出したりするらしい。

 

「施錠完了、と……」

 

 鍵を締めて設営を終えた教室を後に廊下を歩く。少し前までの学園は比にもならない活気、ちらほら擦れ違う学生の姿が在る。

 その全員が、男子も女子も自分の服装を入念にチェックしている。

 

「よ、巽。今上がりか?」

「ああ、終わったよ」

「お疲れ、あんたが終わったなら準備完了よ。遣れば出来るものね、半日で終わっちゃった」

 

 と、信助と美里が隣に並ぶ。若干笑いを堪えた感じで。そんな二人に黒無地のTシャツの彼はジト目を向けた。

 

「そりゃあ、一人で七箇所も押し付けられなきゃもっと早く済んでたけどな」

「そこはアレだろ、神剣士補正で常人の何倍か頑張ってくれよ」

「そうそう、前にも増して筋肉質になってるんだしさ。オーガ入居予定でしょ、その背中」

「差別だ、差別。訴えて勝つぞ。後、そんな輩は断固住まわせん」

 

 そんな軽口を交わし、辿り着いた自室。二人に断りを入れて身嗜みを整える。

 

――本日の夕食はなんと、晩餐会形式。明日の学園祭に向けて食堂も会場設営された為と理想幹攻略戦の勝利も祝した前夜祭として、ザルツヴァイでも最高級の三ツ星ホテルを屋上からエントランス、果ては浮島までトトカ一族の名義で貸し切ったらしい。

 ッたく、金持ちが本気を出すと恐えェなァ……。

 

 窓の外は暮色、夜の帳が静かに学舎を包もうとしている。遠くを見遣れば、雲の地平線に沈む太陽の残照が赤から紫、青から紺へとグラデーションを彩っている。

 丁度、昼と夜の狭間。そのどちらでも無い、此岸と彼岸の触れ合う逢魔刻の青黒い風。

 

――後、一日か。この平穏も……。

 

 何故だろうか。その美しさに、この(そら)の向こうの分枝世界間……以前ユーフォリアから聞いた、その更に彼方に在る永遠者達の跳梁跋扈するという外部の宇宙を幻視し――いずれ漕ぎ出す、その果て無き宇宙(うみ)の敵意に満ち溢れた波濤と、虚空より己を観測する三ツ目の眼差しを感じた気がして……ゾクリと身を震わせた。

 

「……ふぅ、何をナーバスになってんだか」

 

 感傷的になる頭を振って学園指定の青い制服をしっかりと着込み、無精髭が伸びたりしていないかを確かめて。

 

 物思いに耽りそうになる頭を再度振って、御守りと鳳凰の尾羽の根付を首飾りとして掛けて昇降口に向かう。

 

「ところでさ、巽。ほんとに制服で良いと思う? お葬式なら聞いた事有るけど……」

「さぁな、俺だって高級店なんて入った事ねェからな……探り探りで行くしか」

「ナーヤちゃんが良いって言ってたんだから良いんじゃねぇの?」

 

 丁度階段の踊り場に差し掛かった時、美里が姿見鏡で服装を改めて不安そうに口を開いた。

 とは言え答える二人も似たようなもの、歯切れは悪い。

 

 と、昇降口に三人分の小柄な影。空色の蒼い髪のユーフォリアに、海色の滄い髪のアイオネアと――夜色の(くろ)い髪のイルカナの姿。

 

「おおー、物部学園四大妹キャラの三人が纏めて!」

「『四大』って何よ?」

「ナーヤちゃんを入れて四大だろ? 常識だぜ……」

「んな常識、知りたくねーわ」

 

 一部生徒(もりしんすけ)を筆頭にカルト的な人気を誇る、ちみっ娘三人組だ。

 

「あ、お兄ちゃんだ」

「兄さま……」

「あら、兄上さま。寄寓ですね」

「ああ、お前らか……別に目的地は同じなんだから、寄寓って訳でも無いだろ」

「そんな事は在りませんわ、兄上さま。物事に絶対は有り得ませんから……」

 

 何と無く並び立つ。背の低い少女達と並べば、彼だけが胸より上の飛び出した状態となった。

 と、自然に右隣へポジショニングしたユーフォリアが袖をクイクイと引いた。

 

「えへへ……学園祭なんて初めてだから、とっても楽しみ。お兄ちゃんの準備は終わった?」

「前夜祭なのに終わってないのはマズいだろ? そういや、そっちの仕立てはもう済んでるのか?」

「バッチリだよね、アイちゃん、ルカちゃん。タリアさんとナーヤさんのも仕上がったし」

 

 随分興奮してテンションを上げており、溌剌とした向日葵のように顔を上げて歩く。

 まるで遠足前の子供のようだと、微笑ましい気分になった。

 

「うん……少し、その……恥ずかしい服だけど……」

 

 それに答えたアイオネアも、普段よりは浮かれているようだ。自然と彼の左隣に並んでいつものように腕を取って抱き締め、恥じらう白百合のように俯き加減で歩いている。

 一連の様子を全て後ろから眺めていたイルカナは、人差し指を唇に当てて面白そうに呟く。

 

「……まぁ、兄上さまったら両手に華ですね。入る隙が在りません、私だけあぶれてしまいました」

 

 それが聞こえていた華の二人は、暫し顔を見詰め合い……ポンッと、言う音が聞こえそうな程に揃って顔を赤くした。

 

「なな、何言ってるのルカちゃん、そんなのじゃないよっ! 大体、お兄ちゃんなんて意地悪なだけだし、トーヘンボクさんだしっ!」

「はぅぅ……」

 

 ただし、その対応は全く正反対だ。気まぐれな仔猫のように慌てて、パッと跳び退いて一定の距離を取ったユーフォリアとは対照的に、アイオネアは健気な仔犬のようにより強く、ギュッと彼の左腕に抱き着いて顔を隠す。

 

「あら、では兄上さまの右腕は私のポールポジションにしてしまいますね」

「お、おいっ!?」

 

 そして、空いたアキの右腕へとユーフォリアの代わりにイルカナが抱き着いた。

 悪戯っぽく無邪気な雛菊の花が、くりくりとした黒い瞳を輝かせた仔狐のように。

 

「「ええっ!?!」」

 

 面食らったのは本人(アキ)よりも寧ろ、ユーフォリアとアイオネアの方だった。

 

「どど、どうしてそうなるの~っ! だってあの、ルカちゃんは望さんが好きなんでしょっ!?」

「~~~~………(こくこくこくこくっ)!!?」

 

 それにパタパタと頭の羽根をパタつかせて抗議するユーフォリアに、赤べこみたいに未だかつて無い勢いで首肯したアイオネア。

 結構大きい声だった為に、周りの学生達が何事かと注目し始めた。そして次第に、物凄ーく居心地が悪くなってくる。

 

「うふふっ、何を言うかと思えば。この程度の触れ合いなら、昨今の妹キャラには当然。お姉ちゃんが妙な雰囲気の部室から見付けた『どーじんし』には、そう書いてあったもの」

「「『どーじんし』?」」

「コラッ! ンないかがわしいモノ参考にすんなッ! てか離せ、お前の知識は穿ってる!」

 

 だが、イルカナはどこ吹く風で反論してのける。周囲からの零下の視線に腕を振り解こうと試すが、しっかりと掴まれていて小柄な彼女を片腕で持ち上げる具合になっただけ。

 ぶら下がるようなその姿勢、二人より少し高くなった目線から――

 

「第一、ユーちゃんにはとやかく言う権利は無いでしょ? 永遠神剣として契約してるアイちゃんならともかく、ユーちゃんは兄上さまのなんでもないんだから」

「うぅっ……そ、それはそうだけど……アイちゃ〜ん!」

「それにアイちゃんも、永遠神剣は一人一本とは限らないんだから……それに『一位の私はもっと凄い未来を斬り拓ける』のよね。ほら、文句なんて言えないでしょ?」

「ふぇ……あぅ……ユーちゃ〜ん……」

 

 道理を説かれ、或いは言質を取られて。ぐうの音も出せずに二人は互いの名前を呼び合う。

 対して、したり顔のイルカナは……唐突に破顔する。

 

「ぷっ……あははは、冗談よ。もう、二人してからかい甲斐の塊なんだから……」

「あう〜……」

「むぅ、ルカちゃんのいじめっ子〜っ!」

 

 パッと、絡めていた腕を解いて。代わりにアイオネアの腕を取って数歩前に出たイルカナ。

 手を引かれて転びそうになりつつ、何とかついて行こうとしているアイオネア。それをユーフォリアが追い掛けて走り去っていく。

 

「……いやぁー、少し見ない間に随分と人物(キャラ)が変わったよなぁ、巽君? 何、遅れてきたモテ期かチクショー」

「世刻と違って、全員ちびっこなところが泣かせるけどね……今から六法全書を読んでおいた方がいいわよ、巽」

「……お前ら、気が済んだら早く足を退けてくれる? 俺、まだ上履きだから小指取れそうなんだけど」

 

 そして当事者なのに蚊帳の外な、周囲からの凍えた視線を浴びつつ制靴履きの信助と美里にぐりぐりと足を踏まれているアキが居たのだった。

 

 

………………

…………

……

 

 

「……つーか、俺が責められるのはおかしくね? どう考えても被害者だろ、俺。アタリ屋に当たられた具合の」

「いぃーや、お前は甘んじてこのくらいのやっかみを受けるべきだね。組合に属する男子から」

「何の組合なのかはツッコまねーからな」

 

 そうして、辿り着いたホテルのエントランス。因みに、会場設営で出遅れた学生も加えた十五人程の中規模な集団と化している。

 それがゲート付近で、ヒソヒソ話をしながらたむろしていた。

 

「な、なぁ……本当にあそこで良いのか?」

「た、多分……フィロメーラさんが届けてくれた地図だと、此処よ」

 

 しかし――実に入りづらい雰囲気だ。何せ、警護の為か扉の前にはSWAT、或いはグリーンベレーかスペツナズ的な……屈強で統率の取れた最新鋭装備に身を包む警備員が、見えるだけで八人立っている。

 

「生徒会長達は一足先に行っちまったし……とにかくここは神剣士の巽に任せるぜ」

「そ、そうね……お願い!」

「都合良い奴らだね……ハイハイ、行きゃあ良いんだろ、行きゃあ」

 

 美里の手から招待状を受け取り、それをヒラヒラさせながら淀みの無い足取りを見せる。幾度も人間のままで死線を潜り続けた彼に、武装した兵士程度では畏怖すらも感じられない。

 それに、仔鴨のように後ろを歩く学生達が尊敬の眼差しを見せた。リボンの色から察するに、同級生の女子学生達がヒソヒソと。

 

「なんだか今の巽くん、少しだけ格好良いわ……ロリコンだけど」

「そうね、こういう時には頼りになるわ……ロリコンだけど」

「もう泣いていいかな……」

 

 障子紙よりも遥かに薄っぺらい尊敬だったが。

 

 招待状を渡すと、中身を確認した警備員が敬礼と共に道を開ける。それに安堵したらしく、学生達ははしゃぎながら自動扉をくぐっていった。

 

 それを見送ったアキは、一番先頭に居たにも関わらず一番最後に扉をくぐろうとして……ふと、背後を見遣った。

 

「…………?」

 

 自分が使わなかった転送装置の脇、夜気に包まれた空と同じ色の闇。そこを暫く眺めて。

 

「巽、何やってんだよー! 置いてくぞー!」

 

 中から信助に呼ばれ、首を傾げて扉をくぐった。

 

「……ふふ、うふふふふ……やっぱり我慢した甲斐が合ったわ……」

 

 夜闇に沈む浮島の、清涼な空気を震わせる風が吹く。毒々しい、青黒い風だ。

 

「だって――あんなに美味しそうになって、帰ってきてくれたんだもの」

 

 その陰りから、闇よりもなお深い深紅の奈落(ひとみ)が覗いていた事を見落として……。

 

 

………………

…………

……

 

 

 貴族の舞踏会に使われるような、一階分丸ごとぶち抜いた大ホール。大理石造りのような豪奢な内装の中二階まで在るその会場では、多様な料理が並べられビュッフェ形式の食事会が催されている。

 そしてクラシックな弦楽器でこれまたクラシックな音楽を奏でる、燕尾服のクラシカルなおじ様方が居たりした。

 

――前夜祭としてこれ以上無い……てか、学園祭より金掛かってね? とか思ったのは内緒だ。

 

 そのホールで巻き起こるの喧騒……ソルラスカがいきなり腕相撲大会を始め、それに応じたルプトナと良い勝負を繰り広げたり。その後、両方ともがカティマ一人に瞬殺されたり。

 一体いつの間にかは知らないが、『学園のマドンナ(斑鳩 沙月)』と比肩する程の人気を獲得していた『学園のアイドル(ナルカナ)』が総選挙を開催したりという騒ぎに捕まらないように慎重に抜け出し……本当は立入禁止らしいのだが、雲海に浮かぶザルツヴァイの夜景を一望出来る屋上に陣取る。

 

「こりゃあ、絶景だな……」

 

 夜空にも浮島にも、色とりどりに煌めく星々。違いと言えば、眼下には満月が無い事くらいか。

 景色を眺めながら建物の外側に足を投げ出すように腰掛ける。指を鳴らして、虚空に刻み付けた波紋で繋いだ真世界から貯蔵酒を取り出した。

 

 

――このホテルは支えの塔の次に高い建造物だそうで、闇に沈む白亜の町並みと雲海。少し手を伸ばせば掻き出せそうな星空の大パノラマを望む。

 酒の肴には最高だ、後は良い華(オンナ)が居れば極上だったんだけど。

 

 封緘を解いて、同時に取り出した聖盃へと酒を注ぐ。トパーズ色の細かな発泡、茉莉(ジャスミン)の華のように芳醇な香気を漂わせる三鞭酒(シャンパン)

 

「我が識蔵(アラヤ)に、納まらぬモノは無し……なんてな」

 

 だがこれも、アイオネアの異能で生み出された甘露。インド神話のアムリタ、ヒンドゥー教のソーマ、拝火教のハオマ、道教の仙丹、神道の変若水、錬金術士が生涯を賭けて追い求めたという賢者の石、赤きティンクトゥラ、不老不死の霊薬エリクサー等と同格の神酒だ。

 

 聖盃を充たす黄金色の水月を、同色の満月に翳す。古く、ある経典では満月を神の盃に見立てていたらしい。

 夜の風に吹かれつつ、さながら満月を蝕むように盃の縁に唇を沿えて酒月を傾ける――……

 

「こらーっ、またお酒呑んでーっ!」

「んブふゥーッ!? 脅かすなっての」

 

 と、そんな彼の背後に現れた蒼の長髪。その怒声に金髪の青年は一瞬、椿早苗教諭かと思って口に含んでいた酒を軒並み噴き出してしまう。

 

「……全くもう、少し目を離したらこうなんだから」

「そうピーチクパーチク囀んな……お前は俺の母ちゃんか」

 

 口許を拭いつつ目を向けてみれば、膨れっ面のユーフォリアが腕を組んで眉を吊り上げていた。

 それに頭をポリポリ掻きながら、横目で『うへぇ』と眉根を寄せる。最近……特に写しの世界辺りから、小言を言われる事が多くなってきた気がして。

 

「ん……アイはどうした、さっきは一緒だっただろ?」

「アイちゃんだったら、美里さんに写真を取られてるけど……」

「ああー……そりゃあ無駄な事を」

 

 苦笑してしまう。恐らく、美里は頚を捻るばかりだろうと。

 空位神剣の彼女には、そもそも影すら出来無い。同軸だろうと平行だろうと一切関係なく、『対象になれない』能力故に"同一存在"は存在しえないのだから。

 

「あの……あたしより……アイちゃんが来た方が嬉しかった……?」

 

 と、物思いに耽っている間に、右の傍に寄っていたユーフォリアがクイクイと袖を引いた。縁石に腰を下ろしている為に同じ高さの、少し……悲しげな眼差しで。

 

「――はぁ? なんだそりゃ……別に、文句はねェよ」

 

 不意に、そんな事を縋るような瞳で言われて、つい間の抜けた声を出してしまう。

 

――正確には、誰にも来て欲しくなかったんだけどな……

 

 その不条理にイラついた末の言葉だけは、辛うじて噛み殺して。

 

「そ、そっか……良かったぁ」

 

 何が良かったと言うのか、無邪気にも安堵の微笑みを見せる彼女。断りも無く、隣に腰を下ろすと……同じように金色の月輪を眺めた。

 

「…………」

「…………」

 

 言葉は無く、ただ風だけが狼の遠吠えのように鳴いている。星が流れ、瞬きの間に燃え尽き、闇に消えていく。

 覚えのある星座など無い、異世界の空。根無し草の浮遊都市は虚空を漂い、その箱庭の内でも生命は途切れる事無く続いていく。

 

「――くしゅんっ! あぅ……」

 

 可愛らしいくしゃみを響かせて、ユーフォリアは寒そうに己の身を抱いた。

 宇宙(そら)に近いだけはあって、この世界は冷え込んでいる。昼間でさえも建物の陰では身震いしてしまうのだ、夜間の屋外では制服くらいでは堪えられまい。

 

「ッたく、女が躯を冷やすなって……ほらよ、コレでも羽織っとけ」

「でも……お兄ちゃんは寒くないの?」

 

 取り出した、黒羅紗の如く厚手で保温性の高い彼の聖外套を頭から被せてやる。

 輪廻龍(ウロボロス)が刺繍されたそれを見詰めて、彼女は逡巡するように問う。

 

「莫ー迦、寒いに決まってんだろ。だから酒を呑んでんだよ、露人がウォッカを呑むのと同じ……躯を温める為にな」

 

 何故か自慢げにのたまい、聖盃を揺らす。盃の水面に映る月と星が幻灯のように煌めき、さざめく。

 

「ん……全然意味わかんないけど、ありがと……うん、暖かいね……」

 

 そんなアキに笑い掛けて、彼女は明らかにオーバーサイズな聖外套に袖を通した。

 二重の折り返しと霊銀(ミスリル)製のカフスで装飾された袖口からは、白魚のように繊細な指先しか出ていない。

 

「そうか? あー……それと、臭いは勘弁してくれ。洗っても取れないんだ、香水でも使うかな……」

「ううん、そんな事全然無いよ。あたしにとっては、お兄ちゃんの匂いだもん。なんだか安心する……」

 

 剣の世界でクロムウェイに貰って以来、あらゆる戦場で纏い続けた外套が存在を昇華させた神装。

 それにしてはやたらと現世染みた硝煙の鼻につく香を嗅いで、決然とユーフォリアは彼を見遣る。

 

「……あのね、お兄ちゃんは……この後、どうするの?」

「この後? そうだな……風呂入って歯ァ磨いて寝るけど」

「そうじゃなくて……もう、判ってる癖に………お兄ちゃんのいじわる」

 

 その決意を冷やかされて、ツンと桜色の唇を尖んがらせる。流石に不謹慎だったかと反省し、今度は真面目な返答をした。

 

「……そういや、俺が旅団の食客でいられるのは前世と【幽冥】とのケリを付ける迄……だったな。自分で言ったのに忘れてたぜ」

 

 高層の風が吹く。いつかと同じ匂いを孕んだ風が。

 そして彼は、隣の少女に語るには明らかに大きすぎる声を上げた。この学園祭が終わった後の、己の身の置き方を。

 

「俺は――……眺め続けてみようと思う」

 

 そこで一旦言葉を切り、グラスに残った酒をクイッと飲み干す。

 喉から鼻までを突き抜ける香気と炭酸と酒精の刺激に、五臓六腑を震わせて。

 

 恐らくは、すぐ近くで聞き耳を立てているであろう人物に向けて。間接的に暇乞いを。

 

「折角、無限の生命なんてモノを得たんだからな……殺し合いなんて詰まらない事よりも、この有限の神剣宇宙の始まりから終わりを……久遠に続く無色と無間に続く透明を……いつまでもどこまでもずっと、眺め続けてみようと思う」

「…………」

 

 時間樹を離れてしまえば、そこにエターナルの存在した記録は抹消されてしまう。"渡り"と呼ばれるその法は例え半人前の永遠者でも、如何に【真如】の透過する能力を持ってしても逃れられはしない。影響を受けるのは本人ではなく、時間樹内の者達だから。

 

だから――……その、ユメの終わりを口にする。永遠の生命を得るとはそういう事だ。造物主(いでんし)に定められた死を超越した替わりに……死は、全て己の責任と化す。

 生き続ける意味は、己で見付けるより他に無い。解放たる死を忘却したのだから、その責任は全て己の双肩に。未来永劫に安らぎなど無い、永遠に手に入らない希望を探し求めて彷徨い続ける放浪者。

 

「――フ……」

 

 その一言に、聞くべき事は全て聞いたと言わんばかりに。緑色のポニーテールを靡かせて、サレスは物影より歩き去っていく。

 

「……ッ?」

 

 これ以上は無粋になると悟って、向かうその先に。いつからそこに居たのか判らなかった、制服姿の少女を認めて足を止めた。

 

 一方、ユーフォリアは少し淋しげに睫毛を震わせて唇を開く。

 

「じゃあ、お兄ちゃんも時間樹を出ていくんだ……意外、てっきり出雲に行くんだって思ってたから」

「ハハ……いい歳こいて、いつまでも親の脛をかじってられっかっての。つーか、まだ仮定の話だ。真に受けんなよ」

「……『仮定』なんだ……だったら、まだチャンスは有るかな……」

 

 『あるがまま、ありのままにそう在り続ける』と。その銘を持った永遠神剣と同化した、金色の髪を寒風に遊ばせる青年は鼻白んで。煌めく満月と天の川を見上げて呟いた。

 

 絶望(オワリ)希望(ハジマリ)にすり替えて。立ち止まらない風の体言として――最期の一瞬まで、己の壱志(イジ)を貫くべく。

 

「あ、そうだ……あたしね、こんなこと出来るようになったんだよ!」

 

 と、唐突にそんな事を宣ったユーフォリアが目を閉じて集中する。それはさながら、神剣魔法を使う時のように――

 

「ふにゅうぅ~~……ていっ!」

 

 と、間の抜けた掛け声の後――幼女から少女へとnextversionした。

 

「何だか、まだアイちゃんの鞘刃が中に残ってる気がしてそこにマナを貯めてたんだけど……そしたら、満タンにした時に使うとあの時みたいに大人になれるようになったの」

「――ハハ、お手軽だな、全く……まあ、折角の良い華だ、酌でも頼むかな」

 

 そんな彼女の笑顔に見惚れるのを誤魔化すように、再び満たした黄金の甘露を自棄を起こしたのかまたも一気に飲み干して――アキは似合わない軽口を叩いた。

 

「お兄ちゃん……あの、もし良かったらでいいんだけど……その……」

「ん?」

 

 そんな様子を眺めてほうっと溜息を落とし、白い息を吐きながら言われた通りに酌をするユーフォリア。そして彼女は……袖から覗く人差し指の指先を、ツンツンと付き合わせて。

 

「あたしと一緒に――……カオスに行きませんかっ!」

 

 余程緊張していたのか耳朶や首筋までも真っ赤に染めつつ、いつか以来の敬語まで使って大きな声を出した。

 

「そしたら家族も一杯できるし、時深さんとも一緒に居られるし……一石二鳥だよ? ね、そうしようよ、お兄ちゃん!」

「……カオス、ねぇ……俺は空っぽだ、加わったところで戦力は増えも減りもしねェぞ? 役に立つかどうかも判らん」

 

 そのまま鳥みたいに身振り手振り、頭の羽根もパタパタ羽ばたかせながら、カオスに属するメリットをアピールする。それに思案して、彼女に問い返した。

 

「もう、役に立つかどうかなんて関係ないもん、一緒に居たいの……って、ちち、違くてあの、お兄ちゃんは一人だと凄く弱いし、自堕落さんだし……あたしが付いててあげないと――きゃふっ!?!」

「お前まで俺をヒモ呼ばわりする気かっての……」

 

 でこピン一閃、額を押さえて蹲る彼女の怨みがましい眼差しから瞳を逸らす。

 

――あれは確か、そう……イタリアの言葉。『幸福が多く訪れん事を(ユーフォリア)』との両親の祈りが籠められた、まるで福音のような名を持つ少女。

 そして名が示す通り、小さな身体一杯に出逢った人から貰った幸福をギュッと凝縮した、他人すらも幸福にする笑顔を見せる。

 

「……まぁ、それも……良いかもな」

「……えっ?」

 

 そして、すぐ傍に居る彼女にすら聞き取れるかどうか判らない声量で呟いた。

 それにユーフォリアは嬉しそうに瞳を輝かせて笑顔を見せる――

 

「無宿無頼の風来坊も良いけど、コネを作っとくのも悪くねェなって事だよ。いざという時に頼れるしな」

「うわぁ、不純……」

 

 一瞬でジト目に変化した視線を感じつつ、酒を煽る。望んだ通りの表情が見れた事に満足して。

 

――だから俺には……しかめっ面が精一杯、図体ばかりでかくて中身は伽藍洞な『(アキ)』の俺には……お前の笑顔は眩しくて見えないんだよ……。

 

 酒の苦味が心地好く、それよりも遥かに苦い想いを吐き出しそうになって……それを喉元で、辛うじて押し止めた。

 

――まぁ、何にしろ……その為にはきっちり幕を下ろさなきゃあな。神世の古から延々、続きに続いた俺の……転生の理由に。

 

 彼の携えし鞘刃は則ち、終わりと始まりをイコールとするモノだ。ならば――始まりは、必ず終わりの後に。

 

「ふあっとと……!」

 

 その瞬間、吹き抜けた強風に安定を崩した彼女の肩を抱き留める。

 

「っと、気を付けろよな……明日は学園祭だぜ? 怪我なんてしてちゃ楽しめねェぞ」

「あ……うん……」

 

 思わず重ねた二つの掌は対照的。白く汚れの無い小さな掌に対し、傷だらけで節張ったガンオイルの染み付いて取れない掌。

 

「不純でもいいもん……貴方がロウに行かないなら……それでいいの」

 

 その、父のものにどこか似ている強い腕力を感じつつ。先程の彼に負けず劣らず聞き取れるかどうかの声量で彼女は呟いた。

 

 

………………

…………

……

 

 

 天を満たす星空に縁取られた絵画のような、二人の後ろ姿を静かに見詰める金と銀の龍瞳。

 

「……兄さま……ゆーちゃん……」

 

 滄く長い髪に花冠を戴く彼女は、目の前のサレスに一瞥すら与えずに、ただ……じっと己の伴侶である筈の青年と生涯初の親友の後ろ姿を見詰めるだけ。

 輪廻龍の媛君は悲しげな瞳で、きつく己のスカートの裾を握る。

 

「……ないで……」

 

 そして、誰にも聞こえない小さな声で何かを呟いて。成り行きから動けなくなっていたサレスの視界から消えて行く。

 

「……やれやれ」

 

 『これは面白い事になりそうだ』、と。そんな彼の呟きは、遥かな星天に融けていった……。



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学園祭 第一幕

 アラーム音に眼を覚まして、備え付けのタイマーを切る。大欠伸をしてベッドを抜け出し、洗面台に向かう。

 

「ふう……」

 

 鏡に写った金髪を適当に整えて無精髭を剃り顔を洗い、歯を磨いて。

 寝癖の付いた髪を適当に整えて、クローゼットに掛けていた学制服に袖を通して。

 

――さぁ、泣いても笑っても人生最後の学園祭……精々永らく記憶に残るように楽しもうか。

 

 歩きながら入口脇のカードキーを引き抜いて、虚無感を抱きつつ…蛻の殼の部屋を後にした。

 

 

………………

…………

……

 

 

 赤絨毯の廊下を歩む。気が付けば――薄紫色の髪に赤いメッシュの男と黒い髪を赤い髪留めで纏めた少女、ソルラスカとルプトナの姿が在った。

 

「あーふ、おはよーさん、空……」

「おふぁよー……あき……あふあふ」

「おう、朝っぱらから暑苦しいな。避けて通りてェ」

「ぬかせっての……さぁて、朝メシ食ったら学園祭だ。急ごうぜ」

 

 盛大な欠伸をしたソルラスカと、眠たげに眼を擦るルプトナの三人で揃って歩き出す。幼馴染みの望と希美より気が合う二人。

 そのまま、エレベーターの下矢印を押して待つ。

 

「…あー……やっぱし、早起きは性に合わねぇ…」

「ホントだよ……んー、それっ」

「っあ、オイ、何しやがるルナっ」

 

 伸びをしたソルに同意するように答えたルプトナが、実に怠そうにアキの背中に飛び乗った。

 

「へへ〜、楽ちん楽ちん。このまま食堂に運んでよ」

「ざけんな、テメーの足で歩けよ…天ってか、お前は先ず自分の得物の破壊力を自覚しろ!」

「得物? 【揺籃】は出してないじゃんか」

 

 振り解こうとするが、彼女の主な武器の脚が腰に巻き付けられて、解けない。

 何より、首に回された腕が絞られて彼女の持つ物部学園有数の……ヤツィータに次ぐ程豊か過ぎる双丘が背中に押し付けられ、健全な男子として否応なしに動悸が速くなる。

 

「いいじゃん、けちけちしてさー。ユーフィーにはやってんだし、差別するなよなー」

「アイツはアイツ、お前はお前だ。それに差別じゃなくて区別」

「元気だなテメーら……で、どんな具合だった?」

「DないしE、夢と希望が詰まっているとみた」

 

 何とか彼女を背中から下ろして、ソルラスカに答えを返す。

 軽く握った左腕を曲げて己の右胸に当てると、それにソルも右腕で同じ仕種を返した。

 

「?」

 

 それに置いてきぼりにされたルプトナだけが、首を傾げていた。

 

 窓から差し込む陽射しに、一瞬意識が白む。ソルラスカとは剣の世界で爪と銃、ルプトナとは精霊の世界で靴と銃を交えた。

 いずれも、出逢った時には本気で殺し合った間柄だったというのに今はこうして――……思わず、涙が出そうになるくらいに平凡な日常を繰り広げている。

 

――そうだ、楽しいだろう。もう、お前の手に入らない……魂の安寧(アタラクシア)は。

 

「――ハハ……」

 

 瞬間、ただ失意だけで死にそうになった。己が捨てるモノの煌めきに目を逸らすべく、反響する思考に蓋をする。

 もう決めた事だ、己に与えられた名の通り……この世の一切は無意味なのだと。

 

「なぁソル……ルナ。俺はお前達に出会えて、本当に良かった」

「「――はぁ?」」

 

 と、そんな歯が浮くような台詞を口にした瞬間、エレベーターの扉が開いたのだった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 レストランフロアに入り、ソルとルプトナが離れていく。

 洋風セットを取って、座れる席を捜してみれば……右から蒼・黒・滄の三人娘の姿。

 

「よう、お前らも朝メシか」

「「あ……」」

「兄上さま……」

 

 同じテーブルで食事を摂っているユーフォリアとイルカナ、そしてアイオネアと合流する。

 

「……どうした、何か困り事か?」

 

 ふと、きっと合流する前からそうだったのだろう、妙に浮かない顔をした三人に気付く。

 

「え? あ、ううん……別に……」

「何でも……ないです」

 

 それを受けて、ユーフォリアとアイオネアが揃って首を振った。浮かべた笑顔は、薄曇りの陽光か月光のようだ。

 ふるりと揺れた長く艶やかな髪は大空を翔ける蒼穹(あお)色の風、大海をうねる滄海(アオ)色の波を連想させる。

 

「そうか……まぁ、あれだ。ピンチになる前には頼れよ」

 

 誰しも自分の力で解決したい事が有るだろうと、食い下がる事無くぶっきらぼうに話を終える。

 頼られるのと頼らせるのは違う、甘やかすだけでは大成しない場合は確かに在る。

 

「……うん、ありがと……」

「はい……有難うございます」

 

 答えた彼女達は――微かに、笑顔を見せてくれた気がしたのだが。互いにそれを見ると、何故か表情を固くして目を逸らし合った。

 

「……兄上さま、少しお耳を」

 

 グイッと耳を引っ張られる痛みに意識を向ければ耳元に寄せられた、先程おんぶの際に肩に置かれたルプトナの横顔にどこか似ているイルカナの端正な顔立ち。

 

「一体に何をしたんですか?」

「何って……何が?」

「しらばっくれないでください、ほら……あれ」

 

 と、指差された先に目をやれば……金色の聖盃に湛えたアイテールを伏し目がちに口に含むアイオネアの姿。

 爪先から順に確認してみる。黒いロングブーツにタイツ。学園指定の制服に瑠璃の宝珠が嵌められた首輪型のアミュレット、海色の髪に――サークレット状に編まれた常緑の冠。

 

「ああ……花冠(カローラ)月桂冠(ローレル)になってるな」

「夕べ、兄上さまを探し行った後にああなっていました。それからずっと落ち込んでいて、慰めようにも目線すら合わせてくれません。お陰でユーちゃんまで落ち込んでしまったんですよ……」

 

 はて、と思い出してみる。昨日はアイオネアに会っていない筈だ。

 

「……まさかとは思いますけど……アイちゃんが大人しくて兄上さまに絶対服従なのを良い事に、無理な事をしたとか」

「するか、アイは同じ生命を共有した妹つーか、一卵性双生児より自分に近い存在だぞ」

「ですよね。兄上さまはもし恋人が出来ても、大事にするあまり手が出せないタイプでしょうから」

「放っとけ」

 

――昨日は、そう……ユーフィーに会ってそれから部屋に戻って寝ただけだけど。

 

 そう考えてユーフォリアを見遣ると……パンをかじろうと大きく口を開いていた彼女とバッチリ視線が交わった。

 そんな状態を見られた恥ずかしさからか、赤くなった顔で睨まれる。そして――にこりと、花の蕾が綻ぶような笑顔を見せてくれた。

 

「なるほど、そーいう事ですか……アイちゃんが落ち込む筈ですね」

「……オイ待て、何誤解してるんだお前。誘われただけだ、カオスに来ないかッてな」

「それを聞いて、確信しました。全く……困ったものです、早くアイちゃんに謝ってくださいね」

 

 そしてジト目のイルカナに溜息を落とされてしまった。

 

「ご馳走様でした、ルカちゃん……アイちゃん……あの、最後の準備をしに行こうか……?」

「ええ、そうね。先に行ってて、ユーちゃん、アイちゃん」

「……うん……」

 

 食事を終えたユーフォリアが立ち上がり、イルカナとアイオネアに声を掛ける。それに答えて二人が立ち上がって、イルカナを残して歩いていく。

 

「兄上さま、私達永遠神剣の化身だって……一個の意志を持った女の子なんですよ」

「……どういう意味だ、俺はアイを武器扱いなんてしてねェよ」

 

 そして真剣な瞳の彼女に……真摯にその一言をぶつけられた。

 だが、その一言は多分に心外で……思わず、恫喝するようにトーンを下げてしまう。

 

「だとしたら、尚更見損ないます。己の言葉に矛盾する貴方を」

「−−俺が、矛盾してる……?」

 

 が――彼女は同じる事も無く、彼を睨みつけた。気圧されたのは、寧ろアキの方だ。

 イルカナは、背後を通り抜ける際にポソリと。

 

「貴方なら……誰よりも志を重要視する兄上さまなら、必ず理解してくださると信じていますから……」

 

 そんな言葉を残していった。

 

「……知った風な口を利きやがって……」

 

 残されたアキは一人毒づき、椅子に深く腰掛ける。

 

――ユーフィーとの話を聞いてたとして……アイが嫌がる筈が無い。あの二人は随分仲が良いんだから……一緒に居れるのは寧ろ嬉しい事だろうに……。

 

 思考するが、腑に落ちない。誰も損をしない選択の筈だ。

 

『……次に結んだ手は決して離さぬように。貴方を慕ってくれる者なんて、もう二度と現れはしないでしょうから……』

 

 と、その時ふと甦ったレストアスとの別れの際に掛けられた言葉。その金言に自分は応えられているのだろうか、と。

 

「ああ――……確かに、謝らねぇとな……」

 

 瞬間、一体何をしているのだろうかと。漸く気付いた己の頬を勢いよく張ったのだった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 生徒会長・斑鳩沙月の、校庭での学園祭開幕の宣言より既に半刻。様々な催し物により賑やかな声に溢れる校舎内は活気に充ち溢れている。

 そして、様々なテキ屋があるその祭の中に在って、特に盛況な店が在った。喫茶店『悠久』、外面は軽食喫茶だが、その実態は−−

 

「――あ、おかえりなさいませ、ごしゅじんさま~」

「うひょー、ただいまユーフィーちゃ~ん!」

 

 開いた扉に向けて愛想を振り撒くユーフォリアに、信助は喜色満面で答えた。

 特筆すべきは、その彼女の格好。白いレースとフリルがふんだんにあしらわれたエプロンドレスに、ヘッドドレス。つまりは、所謂……メイド服という奴だ。本職のそれに較べれば露出が多いが。

 

 そう、此処は一昔前に一世を風靡した、あの――……『メイド喫茶』なのだった。

 

「あ、信助さん。もう四回目ですよ……他のところを回らなくて良いんですか?」

「良いの良いの。ここは俺達の……モテない男達のオアシスなのさ」

「はぁ……何馬鹿な事言ってんのよ、アンタは」

「全くじゃ。何度も来るな、席の回転率が悪くなるじゃろうが」

 

 と、同じくウェイトレスのタリアとナーヤも現れた。そのどちらもがやっぱり似たメイド服。

 ただし、ユーフォリアが赤を基調としていたのに対してナーヤは青。タリアは二人とデザインが多少異なり薄い緑を基調にボーダー柄が使われ、余程抵抗が在ったのかヘッドドレスではなく同色の帽子となっていた。

 

 そんな二人に口々に冷たい言葉を掛けられ、彼は――

 

「はぁぁ~、痺れるぅぅぅ~!」

 

 『それもアリ』といった具合に、身もだえていた。

 

「……あんな方が契約相手だったらと思うとゾッとします。ああいう事をしたら、百年の恋も冷めるというものね、アイちゃん」

「……うん……」

「その点で言うなら、兄上さまはむっつりだから安心ね」

「……うん……」

「アイちゃん……はぁ、兄上さまはまだ謝ってないのかしら」

 

 それを冷やかに見る、黒を基調としたメイド服に身を包むイルカナが、黄色を基調としたメイド服を纏うアイオネアに話し掛ける……のだが、月桂冠を戴くメイドさんはしょんぼりと俯いたまま生返事を返しただけだ。

 

「おーい、メイドさーん。注文が有るんだけどー」

「メイドさーん、おしぼりー!」

 

 その時、客連中から声が上がった。他にも数人の女生徒が給仕役に居るが、此処に来ている大多数の男子生徒はメイド……しかも、美形揃いの神剣組を目当てにしていると言っても過言ではない。

 

 呼ばれた彼女達は笑顔で、何処か……タリアに至っては、露骨に面倒そうに仕事に戻って行った。

 というのも彼女は、ほぼ今日この職務内容(メイドカフェ)をやる事知らされたらしい。その性格からすれば、不本意この上あるまい。

 

「さぁさぁ、ユーフィーちゃん。俺も席に案内してくれよ」

「んもぅ、仕方ないですね……」

「んじゃあ、さっきと同じ紅茶とスコーンでね」

「はーい」

 

 『はふぅ』と溜息を落とし信助をテーブルまで案内する彼女。席に着いた彼はメニューを見ずに注文して、厨房の在る奥に引っ込んだユーフォリアの後ろ姿を見ながらだらし無くニヤつく。

 やがて、注文通りのメニューを盆に置いた彼女が現れた。

 

「ご注文の品になります、どうぞごゆっくり……あ、おかえりなさいませ、ごしゅじんさま~」

「あ、ちょっとまったユーフィーちゃん!」

 

 さっさとそれらを置いて、新たに訪れた客の方へと向かおうとした彼女を呼び止める。そして――

 

「いやぁ、紅茶が熱いからさー……ふーふーして欲しいなぁ、って」

「……信助さん、あんまりわがまま言うと流石に怒っちゃいますよ」

 

 全力でそんな事を述給(のたま)いたもうた。さしものユーフォリアも眉根を寄せ、少し厳しい声を発する。

 

「いいよー、怒っても。いや寧ろユーフィーちゃんになら積極的に怒られたい!」

「おいおい、汚ねぇぞ信助! ユーフィーちゃん、俺も俺も!」

「俺も俺もー!」

「むう、みんなで馬鹿にしてー! もう許しません、成敗ですっ」

 

 既に手の施しようの無い信助達(せっそうなし)の鼻息荒い言葉に、頬を膨らませたユーフォリアは――テーブル上に備え付けてある、呼び出し用の小さな銀色ベルを手に取り『ちりんちりんちりん……ちりりーんちりりーんちりりーん……ちりんちりんちりん』と規則的な音色を奏でた。

 それは紛う事なきモールス信号。その瞬間、厨房からまるで黒い風のように。

 

「――困りますねぇお客様……踊り子に手を触れちゃあ。ウチはそういういかがわしい店ではございませんので」

「「「奥から怖いお兄さんが出て来たァァァッ!?!」」」

 

 オールバックにした金髪、漆黒の燕尾服に白い手袋、紐タイに磨き上げられた革靴という執事然とした姿の、ディファイアント=デリンジャーに銃弾を装填しながら最高の笑顔を見せるアキが現れた。

 

「オイィィ、聞いてねーぞ! 何で俺達の憩いの場(パライソ)の厨房に殺人シェフが居るんだよ!」

「そうだそうだ、戦艦ミズーリ号に帰れ!」

「暴走した列車に姪っ子の誕生日ケーキを作りに帰れ!」

「同じ学園に通う生徒をケ○シー=ライバック扱いなんて良い度胸じゃねーか! 聞いて驚け莫迦野郎共、お前らがメイドの手作りだと思って喜んで食ってたモノ、あれ全部俺の手作りだから。篭ってるのは俺の真心だからな!」

「「「うえっぷ……なんかスゲエ気持ち悪くなってきた……」」」

 

 周りからの非難と暴言に、アキは大声で答える。それに伸助に賛同して声を上げていた男子生徒達は、揃って顔色を悪くした。

 

「それじゃあ空さん、後は任せたからね」

「おぅ、任しとけ。こいつらには俺直々に『()()()()』しとく」

「「「止めてェェェッ!」」」

 

 そして解放されたユーフォリアは、ぱたぱたと急ぎ足で先程入って来た客の方に向かっていく……と、待ちくたびれたのか客の望と希美に沙月と絶、カティマとルプトナ、ソルラスカとサレス、ナルカナの九人は既に直ぐ近くまで来ていた。

 

「やれやれ……何騒いでんだか」

「ふむ、大盛況のようだな」

「おお、のぞむではないか! ささ、ゆっくりしていくが良いぞ」

「特等席をご用意いたしますね、望さま」

「サ、サレス様っっ?! ようこそいらっしゃいました!」

「ちょっと、ナーヤ、イルカナ! 勝手に望を連れてくんじゃないわよっ!」

「まぁまぁ、ナルカナさん。みなさんも近くに案内しますから」

 

 辛い事だが、全てありのままを話そう。俄かに色めき立つ店内。想い人の登場にナーヤとイルカナ、タリアがかつて無いくらい発奮して案内し、息巻く望ハーレムの面々をユーフォリアが案内する。

 

「あ、あの……暁くんっ! 私が案内するね!」

「ちょっと、それは私がやるからこの料理持って行って!」

「おっとと……そう急かさないでくれよ」

 

 絶はといえば、今までちっともやる気が無かった一般の女生徒メイド達が我先にと案内を買って出て、牽制しあいながら引っ張るように連れていき、最後には――……。

 

「…………」

「「…………」」

 

 誰からも見向きもされなかった、一匹の野狼(ソルラスカ)が佇んでいた。

 

 目が合う。野狼は哀しそうに瞳を伏せた。だから……耐え切れずに、アキと信助がその肩に手を置いたのだった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 店内の勝ち組負け組の配置は、あっという間に別れた。日当たりの良い窓側席は望ハーレム勢力と一般メイド達に構われる絶勢力、そして痒い所に手が届くタリアのサービスを受けるサレスの三国が割拠する戦国に突入して、残りの生徒(八割方男子)は一挙に廊下側の日当たりの悪い席に移されてしまった。

 

「……すげぇ格差、何コレ。珍百景に登録してぇよ、兄貴」

「……こんな屈辱的光景を登録してどうすんだ、信助」

 

 すっかり不貞腐れて体育座りした信助とソルラスカが先頭を切って、そんな明るい方を恨めしそうに見ている。

 店内に溢れる負の視線に殺傷能力が有ったのならば、きっと三百回は殺せるだろう。黴や茸が生えてきそうな陰湿さを感じる。

 

 そんな男子生徒達に十字を斬り、適当な念仏を唱えて唯一神の加護でもあるように願った後に。

 

「……で、エヴォリアさん。アンタは紅茶一杯でいつまで粘る気だ」

「あら、別に良いじゃない。まだ残ってるんだし」

 

 その廊下側の席の一角、残る二割の女生徒の中心に居るエヴォリアにジト目を向けた。

 テーブルの上にはタロットカードらしきモノ。易者をやって学園祭を愉しんでいるらしい。因みに、ベルバルザードは直ぐ脇で葛切りを食っている。

 

「すいませーん、ガトーショコラと紅茶のおかわりを」

「承知致しました、お嬢様」

 

 と、耳に届く女生徒からの注文。それにより仕方なく、メイド喫茶という事で取り敢えず執事として畏まった様子で、頭を下げて厨房に引っ込んでいった。

 

「あ……アイ」

「あ……兄さま」

 

 と、そこでバッタリと出くわした相方。信助曰く『愁えるあの表情もまた堪んねー』らしい、謝らなければならないのに忙しさも有り捕まえられなかったアイオネアの姿。

 彼女も彼女で注文を受けているのだろう、銀の盆には結構な料理が置かれていた。しかも驚くべき事に彼女、今日はまだ一度もドジを踏んでいない。

 

――千載一遇のチャンスか、謝るなら今だな。丁度、人目も無い事だし。

 

「……少し時間、良いか」

「……厭……です…………聞きたくない……」

 

 と、こちらの決意をどう察したのか。急に怯え始めて盆を落とし、ふるふると首を振って後ずさる彼女。

 まるで、目前まで迫った捕食者に怯える非力な小動物のような仕種で。

 

「アイ……聞いてくれ、俺は――」

 

 二人の間に横たわる溝を象徴するかのように展開された魔法の隔壁が、歩みを阻む。

 絢爛たるステンドグラスの如く、細緻な真円形の薔薇窓……動く事を止めた大気とマナを組み合わた、物理効果(マテリアル)魔法効果(フォース)への絶対的な防御壁と全属性に対する完全無欠の遮断膜(プロテクション)を誇る、彼女の――【真如】の持つ『最強の楯』であるディフェンススキル。

 

「厭……厭です……聞きたくない……聞きたくない……!」

 

 遂には手で耳を塞ぎ、きつく目をつむって駄々をこねるように長い髪を揺らす。

 

「ッ……この、いい加減に……!」

 

 だが――彼自身も全幅に信頼する加護『精霊光の聖衣』でさえも、生誕の起火(プラズマ)を引き出して波紋を刻みながら摺り抜けた。

 起源たる『(アカシャ)』の内包する要因、『風』がかき混ぜた海の『水』に起因した流体制御に『雷』を加えた事により、太古の海に命の源が生まれたように。『輪廻流転』、意識的にその密度を飛躍的に高めて『対象外』能力を強化した彼には失効したのだ。

 

 出来るだけ怯えさせないように、ゆっくりと歩を進める。

 当の彼女は壁にお尻をぶつけて退路を失い、口を真一文字に結んで見ざる言わざる聞かざるの構え。

 

「――あっ……」

 

 その腋下に両手を入れて持ち上げ、キッチンテーブルに座らせる。視線の高さが合った事に驚き力の緩んだ腕を掴み、耳を覆った手を外して――すっぽり収まる小さな掌を包み込んだ。

 

「……御免な。そりゃあ怒るよな、勝手にお前の進む道まで俺が決めちまって……」

 

 今の己の"生命"は、彼女から借り受けた半分。それをまるで、自分だけのモノで在るかのように振る舞った己を恥じつつ頭を下げる。

 

「……そんな事は……良いんです」

「……え?」

 

 謝罪の言葉を遮ってアイオネアが口を開く。顔を上げれば至近に、真っ直ぐに見詰めてくる文字通り宝石の光沢を放つ金銀の双眸。

 

「わたしは兄さまの神柄です。兄さまのお進みになる道を切り開く為の刃ですから……わたしの進む道は、いつも必ず兄さまと共に在ります」

 

 泪の向こうに見える龍瞳に、迷いなど一片も無い。曇り無く純粋な言葉に偽りは無かった。

 

「なら、どうして……」

 

 『今にも泣き出しそうなんだ』、と。だからこそ口を突いた、その問い掛けに彼女は。

 

「わたしでは、兄さまに御満足頂ける力には……為れませんか……?」

「――……!?!」

 

 震えた唇から紡がれたその一言、揺れる瞳から零れたその一滴に全てを悟る。

 

『……カオス、ねぇ……俺は空っぽだ、加わったところで戦力は増えも減りもしねェぞ? 役に立つかどうかも判らん』

 

 何気なく呟いたあの、自虐の言葉。他の何でもないあの言葉こそが、彼女の心を傷付けた正体だった事に。

 そして、思い知る。己を卑下する事は、自らこの少女を貶める事と同義なのだ。

 

「……ないで……頑張りますから……見捨てないで……」

 

 それが概念でありながらも事象……有形にして無形なるカタチを持つ"生命"というモノ。

 

 己が如何にそれを甘く見ていたかという事を本当に今更思い知る。それに気付いた時、思わず彼女を抱き締めていた。

 

「……莫迦だな、俺がアイを捨てる訳が無いだろ? 寧ろ、お前に愛想尽かされる方がしっくりくる位の駄目男だぜ?」

 

――それに……俺は絶対に生命を捨てはしない。俺は、俺を捨てた奴らのようにはならない。

 

「……そんな事、在り得ません。わたしはどんな事が有っても兄さまと……この生命の尽きた後でも、永久に共に在ります」

 

 ゆっくりと背中に回される細腕の感覚に安寧を覚える。以前、あの月世海で彼女に抱き締められた際に感じたモノと同じ。

 陽光射す海に揺蕩うような、あの安寧。

 

「ああ、俺も同じだ。似た者同士だな、俺達って」

「当たり前ですよ……だって、同じ生命なんですから……」

 

 腕の中から見上げ、微笑んでくる瞳に微笑み返す。滄い髪に手櫛を通せば、まるで彼女の喜びを表すように冠の蕾が華開いていく。

 

「ごめんなさい、兄さま……我が儘な事をしてしまって……」

「全然我が儘の部類に入らないって……そうだ、アイ。罪滅ぼしって訳じゃ無いけど、何でも一つ我が儘聞いてやるぞ」

「えっと……その……突然言われても、思い付きません……」

「期限付きじゃ無いからな、いつでも良いさ」

 

 月桂冠(ローレル)から、いつもの花冠(カローラ)に戻るのに時間は懸からなかった。

 そうして仲直りを終えて、静かになった室内に−−

 

「……次はきっとキスですよ、キス。しかも深いやつ」

「ききき、キス?! しかも深いやつって何?!」

「「…………」」

 

 といった具合に、興味津々に此方を覗くイルカナとユーフォリアの姿が在ったのだった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 生徒から受けた注文の品を届けて一息つき、何気なく周囲に視線を巡らせてみる……と、目に入るのは宙を舞った食器群が降り注ぐ場面だった。

 勿論、ケーキやパフェ等中身が入った状態で雨霰と。救いは紅茶等の熱い物が無かった事だろう。

 

「はぅ……ソルさん、シンスケさん……ごめんなさいぃ……」

「オーケー……気にすんなよ……」

「そうだぜ、アイちゃん……もう、慣れたからさ……三回目だし」

 

 そして慌てて起き上がりパフェやケーキを頭から浴びたソルラスカと信助に、ぺこぺこと頭を下げているアイオネアの姿。

 どうやら、悩みが解決して集中力が切れてしまったたらしい。二人に許しを貰い、二人が受け止めていた食器を受け取ってキッチンに引っ込んで行った。

 

「ふぅ、兄上さまと仲直りしてテンションが復活したのは良いのですけど……ドジっ娘属性まで復活ですか。困ったものですね」

「……ぐう……」

 

 通りすがりにそう、わざとらしく呟いていくイルカナ。取り敢えず契約者の務めとしてぐうの音だけは出しておいた。

 と、室内に澄んだ割砕音が響く。アイオネアが盆に乗せて持って来たばかりの熱々のおしぼりを、驚きのあまりに転んでソルラスカと信助の顔にぶつけてしまった程に盛大な音だった。

 

「「ギャアア、熱いィィ?!」」

「はぅぅ、ご、ごめんなさい~!」

 

 野太い悲鳴を上げて七転八倒する二人とさっきよりも速いペースでぺこぺこ謝るアイオネアを尻目に、イルカナは深い溜息を落とす。

 

「……まぁ、使えなくなった具合で言えば彼女もどっこいですけど」

 

 その眼差しの先に――

 

「あっ、ごめんなさい望さん!」

「大丈夫大丈夫……ユーフィーこそ、怪我してないか」

 

 ボンヤリと歩いていて望のズボンへアイスコーヒーを零してしまい、更にグラスを割り慌てふためくユーフォリアの姿が在った。

 

「は、はい……本当にごめんなさい――痛っ……うぅ」

 

 その慌ての所為か、彼女は素手でグラスの破片を拾おうとして指を切ってしまった。

 人差し指の先にぷっくりと、赤い血球が出来る。それを見た少女は、目を潤ませてしまう。

 

「ったく、何やってんだお前は……悪いな、望」

「あ、お兄ちゃん……大丈夫だから」

「望さま、直ぐに代わりのアイスコーヒーを持って参りますね」

「いや、いいさ。それより怪我の手当をした方がいいぞ」

 

 イルカナとアイコンタクトで打ち合わせ、その手を掴む。アイオネアを呼ぼうかとも思ったが、忙しそうな彼女を呼び付けるのもどうかとやめた。まあ、忙しくなったのは自分のドジの所為なのだが。

 

「む〜っ、大丈夫……本当に大丈夫だからぁ!」

 

 そんな思慮の間にもユーフォリアはむずがるように手を振り解こうとするが、アキに触れられて永遠神剣の加護を受けられなくなった少女の細腕では屈強な青年の腕を解く事など不可能だった。

 

「煩せぇなぁ、黙ってろ。傷痕が残ったりしたらコトだろうが」

「うぅ~……」

 

 ならば、と。『普通は逆だが』と苦笑しながら――。

 

「――はむ」

「――ほえっ?」

 

 その白魚のような指を、パクリと咥える。余りに意外な行動だったか、ユーフォリアはぽかんと呆気に取られて――

 

「ふ、ふぇぇぇっ! なにするの、お兄ちゃんのエッチーー!」

 

 それにわたわたと抵抗する彼女、しかし前述の通りである。

 

「ング……ほら、暴れんな。ちょっとした切り傷でもナメんな、世の中には――」

「……破傷風?」

「何だ、知ってんのか。だったら尚更暴れんなよ。すぐ終わる」

「う、うん……」

 

 と、急に大人しくなった合間に傷絆創膏を貼り、処置を終える。

 

「これでよし、っと……後はグラスの修復か」

「えと、ありがと……片付けなら、あたしが……」

「いいから、お前は早くおしぼり持って来い」

 

 最後に、割れたグラスの全破片を無のエーテル塊で包み込んで――完全分解して再構築。終わりを始まりに還し、そこから無限に分岐する可能性の系統樹を形作って割砕前の状態……則ち『グラスとなった』可能性を選び取り回帰させる。

 それを望の座っているテーブルの上に乗せた瞬間、アイスコーヒーのピッチャーを持ったイルカナが戻って来た。

 

「どうぞ、望さま」

「ああ、有難う空、イルカナ」

 

 グラスに氷とコーヒーを注ぐと、コースターの脇にガムシロップとミルクのポーションを置いてからストローを差す。良く出来た給仕さんだった。

 

「……兄上さま、料理の作り置きの方は出来ていますか?」

「ん、ああ……ある程度は冷蔵庫に入れてあるぞ」

 

 そしてイルカナは、ユーフォリアが盆に乗せて持って来たおしぼりを受け取り彼女を押し止めた。

 

「それなら充分ですね。兄上さま、ユーフィーちゃん。お店は私とナーヤさま達だけで大丈夫なので、アイちゃんと上がって下さい」

「ええっ、でも……」

「これ以上ヘマをされるとこっちが迷惑なんです。それに……貴方達は楽しませるより、まずお祭りを楽しむべきですよ」

 

 反論しようとしたユーフォリアを一言で斬って捨て、そして全てを見通すかのような黒い瞳で見詰められる。『分かってますよね?』と。

 

――やれやれ、俺に慰めろってか? そういうのは望とか、いつでも誰にでも優く出来るような優男に頼めっての……。

 

諒解(ラジャー)、お言葉に甘えさせて貰うさ。じゃあ一人で回るのも何だ、俺らと一緒に回るかユーフィー」

「うん……えっと、あの……じゃあ、着替えてくるね」

 

 落ち込んで萎れたユーフォリアの頭頂部に、軽ーく空手チョップを落として注意を向けさせる。

 彼女は少しだけ嬉しそうに痛む頭を押さえ、途中でアイオネアの手を引き隣の部屋へと消えて行く。

 

(……さて、それではお姉ちゃん。望さまのズボンが染みにならないようにお拭きして)

(イルカナ……あんた……あたしに花を持たそうと)

 

 それを見送った後で、イルカナはナルカナに思念を送った。

 そう、望争奪戦のアドバンテージを取る為に。

 

(うふふ、当たり前じゃないですか。お姉ちゃんが選ばれる=私も付随するという訳なんですから)

「イルカナ……あんたの思い、受け取ったわ! 望、あたしがズボンを拭いて――」

 

 そんな打算的な妹の支援を受け、姉は勢い込んで望に向き直り伝家の宝刀(プライモディアルワン)を振り抜く――

 

「――あ、大丈夫だよナルカナ。わたしが拭いてるから」

「……くっ、希美……?!」

 

 もうとっくに、自前のハンカチで拭いている希美の笑顔を見たのだった。

 

「……さぁて、今回も始まりました第三次世刻大戦。実況は私こと、森信助。解説は神銃士こと、巽空さんです!」

「何で俺だ、ソルに頼めよ」

「兄貴はタリアさんに見惚れてて役に立たねぇんだよ」

「まぁ、仕方ねぇか……」

 

 テーブルに着いたまま、さながらプロレスの実況席のような口調の信助。アキは手早く空間に刻んだ波紋を通り抜けて、学生服を着た状態で現れた。

 ソルラスカはといえば、確かにメイド姿のタリア……サレスにかいがいしく仕える彼女を指を咥えて見ていた。余りに不憫なその姿に不覚にも、涙がちょちょぎれそうになってしまう。

 

「……さて、流石は緑属性の希美。伝家の宝刀をも通さないあの防御は並大抵じゃ突破出来ない。次は誰がどう出るか……」

「希美さま、乾いたハンカチより濡らしてあるおしぼりの方が適任でございます――」

 

 と、呟いた瞬間。一歩出遅れたイルカナがナルカナにおしぼりを手渡そうとして――既にお盆から消えている事に気付く。

 

「――そうよ、希美ちゃん。此処はおしぼりを持ってる私が拭いておくから、希美ちゃんはケーキでも食べてなさい」

「そんな……沙月さま……!」

「……速い……私にはインターセプトが全く見えませんでしたよ、解説の巽さん!」

「いや全くですね実況の森さん。神速のインタラプトと、さながらトムキャット並の多数ロック性能……流石は会長。あれこそ、全てを貫く最強のバニッシュスキル――オーラフォトンスパイク!」

 

 そして目にも留まらぬ速さを以ておしぼりをゲットしていた沙月が、希美に取って代わろうとする。

 

「何だか懐かしいなぁ。望ちゃん、よく飲み物零してたよね」

「うーん、そうだったっけか?」

「そうだよぉ、もう……都合の悪い事ばかり忘れて……」

「な……まさか、希美ちゃん……その技は!?」

 

 だが、希美は全く動じない。そればかりか沙月の言葉は完全に無視されてしまった。

 沙月は驚きと屈辱の入り混じった瞳で、そんな彼女を見遣る。

 

「巽さんんん?! あれは……あの技はまさかァァァ!」

「その通りです森さん! あれこそ仲良し幼馴染みのみが展開可能な、共有する時間と記憶による固有結界(スイートメモリー)……関係無い者には突破どころか干渉すら不可能な究極のディフェンススキル――ノゾミブロックです! ハハ、同じ幼馴染みでもこの差ァ、素面でやってられっかァァァ!」

「丁寧な解説を有難うございます。はたしてあの防御を突破出来る猛者は現れるのか! 面白くなってきました、そして呪われろ望!」

 

 ヤケクソ気味に気勢を上げる信助と、真世界から以前のように酒を取り出して煽るアキ。

 

「アンタ達、ノリノリね……」

 

 それを見ていたエヴォリアが、呆れた様子で呟いていた。と――

 

「汚れを落とすんだったら洗濯が一番だよ。ボクの【揺籃】の水で洗い流してあげるよ、望!」

「――なっ……!?!」

「っ!? こ、こら、ルプトナっ!」

 

 その刹那、望の後ろからルプトナが豊満な胸を彼に押し付けるかのように抱き着く。望は上辺で抵抗しつつも、満更でもなさそうだ。

 

「……わたしにも……わたしにもあれくらい、ばいーんとたわわな果実があれば……ううう……」

 

 希美がその圧倒的なボリュームを見た後、絶句しつつも己のモノを改める。そして――がっくり肩を落とした。

 

「粉砕ィィィ! トラウマを突いてあの鉄壁を完全に粉砕したァァ! なんて破壊力なんだァァッ!」

「青の真髄は何か……インタラプト? バニッシュ? そんな猪口才(ちょこざい)なモノじゃない、その真骨頂は敵を防御ごと砕く攻撃力だ! あの質量こそルプトナ巨乳(ナントカ)――ランページブルゥゥゥ!」

「解説有難うございます巽さん! さあさあ、あの質量に勝てるのはヤツィータさん位……残るメンバーはどう立ち向かうのか! そして、何より呪われろ望!」

 

 アキが喇叭呑みしていた酒を奪うように信助も一気呑みし、怨嗟に近い実況を開始する。

 

「ふふん、愚か者め。るぷとなよ……物部学園の制服は、手洗いしか出来ぬのじゃ!」

「な、なんだってー!? 足じゃダメなの?!」

「そういう意味じゃあ無いだろ、てかちょっと待て、どんな洗い方をする気だったんだ!」

 

 と、そのルプトナを望の正面からナーヤが指差す。それにショックを受けたらしいルプトナが大袈裟にのけ反った。

 

「判ったのなら引っ込むがいい、そもそもお主らは客じゃろうて。のぞむの世話はのぞむ専属メイドである、わらわに任せておけ」

「いつ俺の専属になったんだよ」

「ぬぅ、なんじゃのぞむ? わらわでは不服か……?」

「うっ……いや、そういう訳じゃ」

 

 そんなイケずな望の言葉を受けて、ナーヤは文字通りにじゃれつく子猫のように彼の膝に顎を置いて見上げた。

 

「出たァァァ! 真打ち登場です! 物量に対抗して、フェチを攻める作戦に出たァァァッ! メイド服に猫耳、止めにロリ! 好きな人には堪らない、真性の三種の神器!」

属性効果(フォース)は常に赤と共に在るもの……その破壊力たるや、正に銀河を吹き荒れる大嵐――コズミックテンペスト!」

「チッキショォォォ、俺もあんな風にされたいです言われたいです、解説の巽さん!」

「先ずは生まれ変わって出直して来て下さい、実況の森さん!」

「そして呪われ望! あとサレスもな!」

「とにかく、持ちうる限りの属性を注ぎ込んだ属性攻撃だ、あれを上回るのは至難の技だぞォォ!」

 

 酒乱なのか喚く信助をアキが嗜め、更には横から酒瓶を取り上げたソルラスカが加わり、精霊の世界で結成した負け犬男同盟が再結成される。

 そして遂に――最後に残っていたカティマが口を開いた。

 

「――ところで、話は変わりますが望……この後、是非行ってみたい催し物が在るのですが付き合って頂けますか?」

「ぶった斬ったァァァ! 今までの流れを完全にぶった斬りましたよ巽さん!」

布津御魂(ふつおみ)の太刀ィィ! 北天の剣神が本気を出したァァッ!」

 

 完全に流れを無視して話を変えて、彼女は望にエスコートを頼む。それに、世刻望(どんかん)は−−

 

「ああ……別にいいけど」

「な、何〜っ! わらわはまだ店番があるのじゃぞ!」

「ええ、誠に残念ですね。沙月殿は生徒会長としての責務が有り、希美はこの後にライブ、ルプトナとナルカナ殿は……確か洗濯と、床を拭くのでしたっけ」

「「「「な……!?!」」」」

「更にファイナルベロシティで置き去りにする気だ! 半端ねェ、北天の剣神マジ半端ねェ!」

 

 今までの揚げ足を取る形で、彼女は瞬く間に恋敵を殲滅していく。そこに情け容赦は、一片たりとも見られなかった。

 

「ふふん……甘いぞカティマ! 吾は全然ヒマだ!」

 

 ババーンと、満を侍してレーメが望の頭の上で踏ん反り返る。

 

「ええ――願ったり叶ったりですよ、うふふ……」

「と、突然だが用事を思い出した。二人で楽しんでくるがいい!」

 

 だが、可愛いモノ好きのカティマの熱い眼差しを浴びてぶるりと身を震わせ、望の胸ポケットの中に撤退して行った。

 

「ちょっとナルカナ! 今この瞬間こそがあんたの傍若無人スキルの発揮のしどころでしょう! 此処を逃したら、あんたなんて存在価値皆無の穀潰しよ!」

「ちょっと沙月、あんたあたしを何だと思ってんのよ! ナルカナ様を敬えー!!」

「駄目ですー! 望ちゃんは午後は私のライブに来てくれる約束なんですー!」

「第一、ボクは洗濯なんてしないってのー!」

「そうじゃのぞむ、今日一日此処でゆっくりしていくがよい! そうしようぞ、な、な?」

「皆さん、往生際が悪いですよっ。望、さあ行きましょう!」

「イダダダダッ、ちょ、腕とか足とか首とか取れる……っ!?!」

 

 そして結局、引っ張り合いの騒乱に発展してしまった。阿鼻叫喚の地獄絵図、それを男子生徒の怨嗟『もげろ』コールが取り囲む。

 そこに、メイド服から学園指定の制服に着替えて来たユーフォリアとアイオネアが揃って現れた。

 

「お待たせお兄ちゃん……って、何この状況?」

「ああ……モテるが故の当然の苦労を味わっているモテ男の観察だ。いやー、モテなくて良かった」

 

 酔いなど無い様子で立ち上がってハハハッとヤケクソ気味に笑い、いつも通りに出した左腕をいつも通りにアイオネアが抱き締めて、並び歩く。

 そんな流れるような一連の動作を、ユーフォリアが思い悩むように見詰めていた。

 

「ん……? どうした、行かないのかユーフィー」

 

 と、振り返り様に何気無く空いている右手を差し出してみる。

 

「……え、あ、うん……」

 

 すると――きゅっと。思いがけずその掌を握り返された。

 紅葉みたいに小さくて、やたらに温かな掌だ。握り締めれば簡単に壊れてしまいそうな、硝子細工を思わせるその儚さに……思わず息を飲む。

 

「……って、わわ、ごめんなさいっ!」

 

 しかしそれも束の間。正気を取り戻したユーフォリアが慌てて手を振り解き、タタタッと軽快にドアから出て行った。

 

「……何だ、ありゃ」

 

 そう吐き捨てつつ、今だに温もりが残る掌を握って歩き出す。

 

「…………」

 

 俯き、僅かに不満の色を浮かべるアイオネアに気付く事無く……。



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学園祭 第二幕

 お祭騒ぎの学生達で賑わう廊下を歩く、滄金蒼の三人組の後ろ姿。適当に目に映る店を冷やかしては別の店に移る。そんな事をもう、二十分は続けている。

 

「「「…………」」」

 

 三人ともむっつり黙りこくったままで。

 

「あー……なぁ、学園祭の楽しいかユーフィー?」

「えっ……あっ、うん。賑やかで、とっても楽しいよ」

 

 なんとか搾り出した問い掛けに、作り物めいた笑顔で答えられた。そして再び、沈黙が場を満たす。騒がしいのは彼等の周りのみ。写しの世界でギクシャクした時のようだ。

 元々アイオネアは引込思案だし、アキはツッコミ以外では多弁ではない性質だ。この組み合わせでは自然とユーフォリアが喋る具合になるのだが……今回はその彼女が、無音を作り出す原因だった。

 

「……(じーっ)」

「…………」

 

 その癖、気が付けばじっと見詰められている。視線を辿ればアイオネアと繋がれた手があった。

 かと言って、別に手を繋ぎたいという訳でも無いらしい。差し出してみた手は、不思議そうに見詰め返すだけだ。

 

−−参ったな……流石に判らねーぞ。コイツ、何を悩んでやがんだ?

 

 勿論、珍しく気を使って盛り上げようと努力はしてみた。

 

 先ず、射的屋で当てたコルク弾を跳ね返しては銃口に再装填という荒業で陳列された景品を壊滅寸前に追い込んだり、ヨーヨー釣り屋で固有時を加速しながら根こそぎ釣り上げたりして、営業妨害だと怒られたり。

 タコ焼き屋では六玉のうち一玉に魔法の世界一辛い唐辛子的な何かが詰まっているロシアンタコ焼きなるモノを食わせようとして自爆したりしたのだが……その時だけは楽しそうにしていても、少し経てば思い悩む様子を見せる。

 

 そうして、どうしたモノかと途方に暮れて――偶然に通り掛かった保健室の前で。

 

「やっほークー君。呑んでるー? キャハハハ…」

「――んがふっ!?! ぐえぇぇ……」

 

 チョークスリーパーをキメられる形で、ベロベロに酔っ払った白衣姿のヤツィータに抱き竦められたのだった。

 

「ぷはっ、ちょ、酒臭ェ! 姐さん、アンタ何を昼日中から酒なんてかっ喰らってんすかッ!」

「なーによぅ、お祭りなんだからいいじゃないのよ……っていうか、君からだってお酒の匂いがするんでけど?」

「くっ……しまった、俺も呑んでたんだった……」

 

 ジタバタ足掻いて何とかチョークを抜け出そうと、反論を試みる。だが、同じ穴の貉で在る事を確認するだけの結果に終わった。

 酒精に紅潮する端正な顔が間近でスンスン鼻を鳴らす様に……何より、ルプトナさえ上回る大質量兵器を感じて照れてしまう。

 

「……全くもう……ヤツィータさん、また学生をからかって……」

「堅い事を言わないの早苗ちゃん。あたしはただ、幼気(いたいけ)な女児二人を勾引(かどわ)かして、人気の無いところでエッチな事をしようとしてる悪〜いお兄さんにお灸を据えてるだけなんだから」

「適当な事言ってんじゃねーですよッ! センセー助けて!」

 

 そこに保健室から、藍色の長髪の女性……椿早苗教諭が現れて保健医を窘める。

 正に天の助け、アキは彼女に救いを求める眼差しを送り――

 

「それなら仕方ないですね、生徒指導は私達教師の責務ですもんね〜ひっく」

「――て、思いっ切り酔っ払ってらっしゃるがな!」

 

 完全に座った目に、直ぐに希望は絶望にすり替わったのだった。そもそも、ヤツィータ部屋(ほけんしつ)から出てきた時点で気が付くべきだったのだが。

 

「そうそう、思春期の男子学生が過ちを犯さないようにちゃあんと指導してあげないと。ねぇクー君、酒盛りに付き合わない? 今なら美酒に美女が揃ってるわよ〜?」

「それもそうですね〜、スバル君はもう酔い潰れちゃいましたし……ひっく」

「スバルさんんん!」

 

 彼女らの言葉に扉が開いたままの保健室に目を向ければ、中は無数の酒瓶と俯せのスバルが転がっている光景が目に入った。

 それに、この後の我が身の危険を察知して更に暴れてみる。だが、更に前から早苗にしどけなく寄り掛かられて動きを完全に封じられてしまった。

 

「あら、不満かしら? なんなら、お姉さん達がおチビちゃん達には到底出来無いあんな事やこんな事……とってもイイコトしてあげてもぉ、い・い・の・よ?」

「そうよ〜、迷える生徒を正しい道に導くのも教師の役目なんだから……お姉さん達にま・か・せ・て……ひっく」

「……ふが……!」

 

 と、耳元に囁かれるヤツィータと早苗の……砂糖菓子を生粋の蜂蜜に漬け込んでコトコト煮込んだような甘い声。

 まるで耳から摂取される麻薬だ。健全な男性ならば、たやすく理性を溶かされてしまうであろう甘い女魔(あま)い囁き声が、脳髄まで染み込んでくる。

 

 更にはアルコールで火照った肌はほんのりと桜色に染まり、濡れた瞳はうるうると揺らめいて見える。呼吸と心拍は速く、躯の両面に押し付けられたDとF(目測)が抵抗の意志を奪い去っていく。

 

――流されよう。そうだよ、それが一番だ。魅了EXスキル持ちの望と違って俺にはこんなチャンス、もう二度と無いだろう……流されちまおうぜ、俺。女教師と保健医なんて、男の本懐じゃねぇかよ。

 

 と、自分の心の中の悪魔までもが囁いてくる。よくよく考えればチョークが決まったままだ、息が出来ていない。

 

「ぶー……!」

「むー……!」

 

 そんな薄らぐ意識の中で、こちらへと多分にに怒気を孕んだ視線を向けてくるAAコンビ… もとい、蒼滄コンビが見えた。

 

――くっ、惑わされるな俺! 酔いどれの言っている事を真に受けてどうするんだ、心を確かに持て! そうだ、日本男児として毅然たる矜持を持つんだ。俺は……(オトコ)だ!

 

 妹みたいな彼女らに、末席ながら男としては無様な姿は見せる訳にいかない。

 そうして意志を固める。男として侍として、毅然たる態度で――

 

「お供します、お姉様方!」

 

――据え膳食わぬは武士の恥ですよね、先達様!

 

 即効で自分から理性をかなぐり捨てて――顔面に減り込む大きな蒼く大きな鏃のようなものを見たような気がした瞬間、彼の意識はブラックアウトしたのだった。

 

「……それじゃあヤツィータさん、椿先生。あたし達急ぎますから、もう行きますね」

「……(ぷんぷん)!」

 

 と、笑顔なのだが『(怒)』マークを浮かべているユーフォリアが失神したアキの首根っこを引っ掴んで引きずっていく。もう片方の手には、彼女の永遠神剣【悠久】。

 そんな彼女に続くアイオネアも、ぷりぷりと頭から湯気を吹く勢いで怒っていた。

 

「……やれやれ、少しからかい過ぎちゃったかしら」

「ふふ、可愛いものですね……」

 

 見送る二人に、先程までの酔った印象はほとんど無い。要するに、大人が子供をからかって楽しんだだけだ。悪趣味としか言いようが無いが。

 

「さて、それじゃあパーッと呑み直しましょうか」

「賛成〜!」

 

 そうして、二人は平然と保健室に戻って行ったのだった。

 

 

………………

…………

……

 

 

「うーん……とんでもない激流の川の向こうから【時詠】と【時果】を持った巫女装束の般若が追ってくる〜……ハッ!」

 

 ズキズキ痛む顔面を摩りながら、悪夢から浮上した意識をハッキリさせる。

 瞼を開いて周囲を窺ってみれば、燦々と降り注ぐ木漏れ日に生命の躍動を感じさせる葉擦れと樹の幹。中庭のトネリコの根本の定位置に背中を預けて座っていた。

 

「あ……起きた」

「う、俺は何を……」

「呼吸が出来なくて失神したの。覚えてないの?」

 

 そこに聞こえた冷たい声。そちらを見れば、一切の温度を感じない、絶対零度のジト目を向けてくるユーフォリア。

 

――そう……だったっけ? なんか、顔面に物理的なダメージを受けて昏倒した気が……あれ、そもそも何でそうなったんだっけ。駄目だ、思い出せねぇ……。

 

 記憶が完全に消し炭になっている。鼻の奥にツーンと、錆鉄の臭いがした。

 消えてしまうような記憶ならば、大した事では無かったのだろうと。取り敢えず怪我が無い事を確認して、少し離れた所のアイオネアから水を貰おうと手を伸ばしてみれば。

 

「……(ぷいっ)」

「あれ? おい、アイ? アイオネアさーん……」

 

 と、そっぽを向かれてしまう。彼女にしては実に珍しく、物凄く怒っているようだ。

 

「何か怒ってんだけど……どうしたんだユーフィー?」

「……つーんだ」

「ってあれ? おい、ユーフィー? ユーフォリアさーん……お前もか」

 

 そして更に、ユーフォリアにまでそっぽを向かれてしまった。

 

「……どーせあたし達はちっちゃいですよーだ」

「ちっちゃいですもんっ……」

「ちっちゃい? 何言ってんだよ、一体……あ」

 

 そう言ってしまった瞬間、記憶が帰ってくると同時に二人が厳しい視線を向けてきたのだった。

 

「大体、空さんは女の人にだらし無さ過ぎ! ちょっと迫られたら、すぐにデレデレしてっ!」

「はぁ? それ望に言って欲しいんだけど。俺の幸運Eが招き寄せたささやかな幸運くらい、見逃してくれよ」

「ふーんだ、お兄ちゃんのおっぱい星人っ!」

 

 何だか、酷く心外な事を言われて怒られてしまう。別にこだわりは無いつもりなのだが。

 

「いや、そりゃあ、無いよりは有った方がやっぱり……」

「うぅ〜っ……! 兄さまのおっぱい星人……!」

「どこでそんな言葉を……ナルカナか? イルカナか? 俺のユーフィーとアイに妙な言葉を教えやがって……」

 

 怒り心頭に達したのか、ぷーっと頬を膨らませた少女達は気圧されのけ反ったアキへと徐に迫り――

 

「あ、あたし達だって頑張れば、それなりにあるんだからっ!」

「あ、あるんですっ……!」

 

 膨れっ面と併せてトマトみたいに顔を真っ赤にしながら、制服の上から自分達のささやかな膨らみを寄せて上げて見せた。

 

「……あー、十年後なら見甲斐も出るんだろうけどな。ほらほら、女の子がそんなはしたない事するもんじゃないぞー」

「「む〜〜っ!」」

 

 しかし哀しいかな。元々が余りにささやか過ぎた為に、制服の上からでは変化が見て取れなかったのだった。

 未熟ながら女のプライドを傷付けられた二人は一層憤慨したらしく、何か決意した顔を見合わせて。

 

「……だったら、直接確かめてみてよっ!」

「……(こくこくっ!)」

「は――うぉっ!」

 

 機敏な動きで躯ごと突進し、胸板に抱き着いた。逃げられないよう、投げ出していた足をそれぞれで蟹挟みまでして。

 流石に密着されてしまえば如何にささやかだとは言え、女性らしく柔らかな感触。まぁ、ヤツィータや早苗と較べれば『ぷに』くらいの感触だったが。

 

「こ、これなら……判るでしょ」

「……ああ、判る」

 

 透き通るように白く、ふっくらとした頬っぺたを恥じらいに紅く染めてくっつけたまま、じーっと窺うようないじましい上目遣いを向ける蒼空と滄海の少女達。

 温めたミルクのような甘い香り、その気が有れば無垢な唇を纏めて奪える体勢。

 

「よく判るぞ、うーん……どうやらアイの方がちょっとだけ、大きいみたいだな」

 

 神妙な顔付きでそんな可愛らしい仕種を見せてくれる弐羽の幸せの青い小鳥に、驚きが去ってみればドS根性と悪戯心がむくむく起き上がってきたのだった。

 

「はぅぅ」

 

 底意地悪く笑いながらそう伝えてやると、アイオネアは恥ずかしげにパッと距離を取ってしまう。

 一方、ユーフォリアは頭の羽根をパタつかせながら刃金の如き胸板をぽかぽかと殴り付けてきた。

 

「そっ、そんな事無いよっ! 同じ身長で同じ体重なんだから、胸の大きさだって同じだもん! お風呂で較べたんだから〜!」

「いやいやいや、明らかにアイの方が大きいぞ? この感じじゃ……もしかしてBかもしれないな」

 

 そうして、勿体付けるように口にした言葉。淑女の嗜みとして肌を曝す事への羞恥は有るものの、その先の秘事から遮断されていたアイオネアは不思議そうに首を傾げただけが、ユーフォリアはどうも思い至る事が有ったらしく、トマトの赤から完熟トマトの濃赤に顔を変えた。

 

「ぶーっ……だ、だったらっ!」

「ん――って、オイィィッ!?!」

 

 と、何を思ったのか。いきなり交差させた腕で制服の上着の裾を掴み、ガバッと男気溢れる脱ぎ方をする。

 すんでの所で間に合って、張りのあるお腹と愛らしいお臍がちらりと見えただけで終わった。

 

「い、いきなり何してんだお前はッ! コラッ、しまえ!」

「だったら、直に較べてどっちの方が大きいか判断したらいいじゃない!」

「待て待て、何をヤケクソ起こしてんだ! 判った、俺が悪かった! ゴメンナサイ、からかいました! ほぼ同じ大きさです!」

 

 ふーっと、子猫が威嚇するように唸る彼女を宥めすかして止めさせ、ジト目で睨まれつつ素早く周囲を確認する。

 

「……反省、した?」

「したした、しました」

 

 学園祭で校舎内の人の移動が多く、三方向を窓に囲まれているのでもしかしたら誰かに見られていたかもしれないと思ったが……誰にも気付かれなかったようで、安堵の溜息を落とした。

 

――危ねぇ…ヒヤヒヤさせやがる。あんな場面見られたら、どんな理由でも俺がディスインテグレート(完・全・分・解)されちまう。魔女裁判や異端審問も真っ青の、一方的な糾弾で。

 

「……ったく、そういうのは本当に好きになる相手の為に取っとけ」

 

 ぺしりと頭を叩いて拘束から脱し、色々な意味で火照った頬を魔法の世界の冷たく冴えた風に曝して落ち着かせる。

 躯の調子は万全、そうで無かったとしても最後の学園祭だ。早く、もう手に入らない日常に戻ろうと促そうとして――軽く叩いた頭に置いたままの掌で彼女の丸っこい頭を優しく撫でてやる。

 

「あ……んん……ふふ」

「変な声を出すなっての。なんか、幼児に悪戯してるような気分になるだろうが」

 

 幾度かの、意地悪して撫でてやらなかった謝罪も籠めて。

 

「幼児じゃないもんっ! んにゅ……だって珍しくお兄ちゃんが優しいから。ふふ……くすぐったいよぉ……もう、羽根はやめてったらぁ」

 

 それに、始めは不服そうな表情をしていた彼女も次第に嬉しそうに顔を綻ばせていく。

 時折、ピコピコ動く羽根に触れる指の感覚に鼻に掛かった甘い溜息を漏らしながら。

 

「なんだよ、望とか他の奴らにはよく撫でられてるだろ? 別に今更、嬉しがるでも無いだろうに」

「そうだけど、なんだか違うの。お兄ちゃんが撫でてくれた事なんて、今回でたった二度目だし……お兄ちゃんのってね、他の人のより温かくておっきいから……嬉しいの」

「その言葉のセレクトはワザとか……全く。お前な、俺みたいな悪党にまで甘えてたら……その内痛い目見るぞ」

「大丈夫だもん。お兄ちゃんのコト、信じてるから」

 

 『信じてる』等と言われては弱い。純粋な好意を向けられるのに、悪い気などする筈も無く。羽根をギューッと握り締めるのは止めておいてやる事にした。

 

「だって、悪党は悪党でも小悪党だもんね」

「やっぱ握り締めるっ」

「させないもーんだっ」

 

 悪戯っぽく、ぺろっと舌を出した彼女の羽根を握り締めようとするが、両手で右手を押さえ込まれて妨害され……屈託の無い笑顔を間近に見せられた。その愛らしい様子に不覚にも鼓動の高鳴りを覚えて止め時を見失ってしまう。

 幼き昔、初めて子猫を撫でた時のように名残惜しくなって。

 

「何に悩んでるかは判らねぇけど……元気が戻ってきて良かったよ。俺はな、そうやって向日葵みたいに笑ってるお前が好きなんだ」

「「――えっ……?」」

 

 つい、そんな余計な……自分でも、意外な言葉を口走ってしまった。

 

 勿論、それはラブではなくライク。兄が妹に抱く好意と同じ類だ。それを恋情と誤解する程、伊達に片想いはしていない。間違いなく本心では有るが。

 それに返った驚きの声が、二つ。どちらも驚きの声だったが、息が抜けるような眼前の蒼空の風鳴りに対して、向こうの滄海の海鳴りは息を飲むように。

 

「すす、好きって……ええっ!? だ、だってあの……お兄ちゃんは希美ちゃんが――」

「あ、巽〜! いいところに居た、助けて〜!」

 

 突然掛かった女の横槍(こえ)に、注意を向ける。見てみれば一階の窓から身を乗り出して、わりかし切羽詰まった様子で手を振る学生……美里の姿。

 

「助けてとは穏やかじゃねぇな、何が有った?」

「あぅあぅ……」

 

 オーバーフロー気味に頭から湯気を吹いているユーフォリアを放置して、当の美里に近寄る。

 彼女も彼女で慌てているらしく、結構な距離走ったのか呼吸は乱れて、額には汗が見て取れた。

 

「……どうもこうも……お願い、一緒に来て!」

「イテテテテ、判ったから首飾りを引っ張るな! ユーフィー、アイ、ちょっと行ってくるから勝手に楽しんでてくれ! でも、怪しい奴には着いてくんじゃないぞ!」

 

 取り敢えず二人に断りを入れて、仕方なく窓から廊下に飛び入る。一目散に走る美里に引きずられるような格好で、廊下の曲がり角を曲がっていった。

 一方、走っていった彼を見送るでもなく呆然と立ち尽くしていたユーフォリアがアイオネアに問い掛ける。

 

「あ、アイちゃん……どうしよう……あたし、もしかして……こっ、こここっ告白されちゃったのかな……? 男の人から、生まれて初めて……」

「……違うもん。さっきの『好き』は、私がゆーちゃんを好きなのと同じ『好き』だもん……!」

 

 そのアイオネアは、俯いて自分のスカートがクシャッと捲れる程に強く握り締めていた。いつもなら『はしたない』と決してやらないが……感情が激昂(たか)ぶった時に癖としてやってしまう仕種。

 

「……アイちゃん……?」

 

 彼女らしくない、突き放すような物言いに驚いたのか。振り返ったユーフォリアの目に映った――……泣き出しそうなその表情と、頭上でネビュラの煌めきを放つ三重冠のハイロゥ。

 

「……私はね、ゆーちゃんが好き。元気で積極的な……私に無いモノを持ってるゆーちゃんが」

「え、うん……あたしもアイちゃんが好きだよ。お淑やかで清楚な……あたしに無いモノを持ってるアイちゃんが」

 

 さぁっと、涼やかな風が吹く。背格好も似ていれば、靡いた髪も近似色の鏡写し。

 ただしそこには……空と海程に遥かで、決して交わる事の無い絶望的な開きがあった。

 

「だけど……私は兄さまの進むべき可能性(ミチ)を斬り拓く神柄(ツカ)だから。天位でも地位でもない……不当に抑圧され続ける"永遠神剣"の願いから生まれた、『神刃』を抜き放つ為の『柄』だから……他のどの位に勝てなくたって、『鞘』だけには"納まらない"……負けたくないの」

「『鞘』? アイちゃん、それって一体――」

 

 聞き慣れない……だが、心を動かす言葉にユーフォリアが聞き返す。

 

「「−−っっ!」」

 

 その瞬間だった。校舎から、男女の入り混じった複数の悲鳴が木霊したのは。

 

 

………………

…………

……

 

 

 冷たいリノリウムの廊下を軽快に走りつつ、美里を追い抜いたアキは調子を合わせて彼女の隣に並び立って問うた。

 

「何があったんだ、喧嘩か?」

「ううん、部外者が入り込んじゃったのよ。その人、出店の食べ物を凄い勢いで食べちゃってさぁ……あたし達じゃあ止められないの」

 

 げんなりした様子に、苦労した末に頼ってきたのだという事を悟る。だが、そういう事は先ず責任者の生徒会長に頼るべきではないかと、ジト目を向ける。

 

「……言っておくけど、生徒会室に行っても会長が居なかったから、アンタに頼ったんだからね」

「へいへい、頑張りますよお嬢様。で、相手は何人だ?」

「一人、女の人よ。真っ赤な髪をしたすっごい綺麗な人なんだけど……何て言うか、綺麗過ぎて無気味だった」

 

 と、急に歯切れが悪くなる。妙に思い顔を覗き込めば、怯えるように顔を強張らせていた。

 その時、人混みが目に入る。掻き分けて進めば――少し前に通ったタコ焼き屋の前で、衆人環視の中黙々とタコ焼きを食べている露出の多い美女の後ろ姿。

 

「あ、サツキじゃなくてアッキーが来てくれたんだ」

「おぅ、どんな状況だ?」

 

 同時に、クリフォードとクリスト五姉妹の姿を認める。その近くまで移動して、現状を問うた。

 

「どうもこうも、見ての通りよ。あの赤毛の女が、出店の食べ物を軒並み食べたの。現在進行形で」

「困りましたね……一般人を相手に力ずくという訳にいきませんし」

「……頼むタツミ、早く追い払ってくれ。あのままでは、タコ焼きが全滅してしまう。まだ私は食べていないんだ」

「ルゥ姉さんったら……」

「て訳だ、しかし全く聞く耳無しでよ」

 

 憔悴しているルゥの様子に苦笑しながら、歩を進める。そして、女の肩に手を置いた。

 

「……ふぅ。すいませんお姉さん、この学園は関係者以外は立入禁止なんです。そのタコ焼きは食べてしまって構いませんから、直ぐに出て行ってくれます?」

「あら、タコ焼きっていうのね、この食べ物。不思議な味ね、でも嫌いじゃ無いわ」

 

 一つ咳ばらいして喉の調子を整え、女性に歩み寄る。女は振り返る事も無くそんな返事を返した。

 

「……それにね、もう食べないから大丈夫。だってメインディッシュが漸く到着したんだもの、こんな前菜にもならないモノを食べてる場合じゃないでしょ?」

「アぁ?」

 

 思わず、イラッとした声を上げてしまうする。こういったまともな会話が出来ない手合いが、アキの一番嫌いなタイプだった。

 そしてタコ焼きが廊下に落ちる。ボトボトと潰れたそれらに意識を取られ、それを見たのは一瞬後。

 

「全て一つになりましょう。それが、真の平和よ」

「――……ッ?!」

 

 『主』の呼び掛けに虚空から染み出るように具現化し、無造作に右手に握られた黒い柄巻きの短刀。鞘を持たぬそれは紛れも無い永遠神剣、最初から白刃を剥き出しにしている――凶獣の顎門(アギト)にも見えた。

 

 間髪容れずに跳ね退く。一歩で約五メートル、着地してアイを招聘した後に『精霊光の聖衣』を展開しつつ、生徒を逃がして助けを――……

 

「なッ−−?!」

 

 刹那、その姿が掻き消えた。そう思った次の瞬間には、空間転移で目の前に現れた白い絹紗(ヴェール)製のローブのみを身に纏う女。

 肌も露わな"最後の聖母"イャガの無機質な……さながら硝子玉の如く濁る真紅の奈落(ひとみ)と――

 

「――いただきます」

 

 その軌道に存在する空間そのものを貪りつつ、振り下ろされる永遠神剣・第二位【赦し】の閃きだった――……

 

 大気を蹴っての再バックステップと同時にライフル剣銃【真如】を招聘し、薔薇窓の精霊光を背後に展開して戦装束を纏う。そのままオーラを『精霊光の聖衣』として、イャガの進行を止めた。

 

「ちょ、ちょっと巽――」

「――来るなァァァッッ!」

 

 その真後ろに居た美里が、呆気に取られる外野の生徒の中で最初に立ち直り漆黒の聖外套を纏う後ろ姿に走り寄ろうとした――瞬間に、アキは怒号と共に喀血して膝をついた。

 

「……か、ハッ……ァ…………逃げろ……早く……逃げろッ……!」

 

 ビシャリと聞くに堪えない嫌な音を立てて、廊下に打ち撒けられた夥しい量の血液。粗く切れた息を吐けば吐く程、じわじわと戦装束に血の染みが広がっていく。その有様に彼女の脚は、恐怖から自然と止まった。

 

「あははっ……力を無駄遣いすると不味くなっちゃうわよ?」

「そんな……私達の攻撃をあれだけ受けて、無傷だなんて……!」

「化け物かよ、コイツ――!」

 

 そして見た。即応したクリストとクリフォードの攻撃が全て直撃しながらも悠然と立ち、遥か彼方で薄く笑うイャガの右手。その手に握られた短刀の刃を伝う血の雫が、廊下に落ちるさまを。

 

「いっ……いやぁぁぁぁっ!?」

「うわぁぁぁぁぁっ!?」

 

 魔法が解けたかのように、静寂の底に沈んでいた廊下が悲鳴の坩堝と化す。学生達は剣の世界や魔法の世界で負傷者の手当をした事は有るが、それはつまるところ専門技術を持つ医者でなくても大丈夫な怪我人だったに過ぎない。

 ここまで多量の出血、そしてこんなに間近で戦闘を見た事は皆無。恐慌をきたしたとして、誰に責められようか。

 

【アキ様……傷が……傷が治りません! どうして……!】

(お前の癒しでもか……クソッタレ……俺達には不治の効果なんて通用しねぇってのに……)

 

 失血で朧に霞む意識に五体の感覚と視界、霊魂を震わせて伝播してくるアイオネアの焦燥。

 如何なる完璧な効果を有する神剣であろうと、彼らの前ではただの装備へと成り下がる。それが空位神剣のみに許された『対象外』の能力。

 

【どうして……どうしてっ!?】

 

 だが――イャガの神剣に付けられた傷が癒えない。【真如】の治癒を持っても塞がらない。『対象外』の能力を突き崩した理念が、理解出来ない。

 その力を強める為にか、化身の姿に戻ったアイオネア。

 

「……解らない? 簡単な話よ」

【……えっ……!?】

 

 裸足の足が、ぺたりぺたりと廊下を歩く。ゆっくり、ゆっくりと。立ち塞がるクリスト達など見えぬかのように。

 

「ストラグルレイ!」

「フリーズアキューター!」

「シャドウストーカー!」

「ナパームグラインド!」

「ブラストビート!」

 

 隙だらけの彼女に、クリスト達の攻撃が再度襲い掛かる。光に氷、影に炎、暴風が彼女を捉え――

 

「――ハァァァッ!」

 

 最後に、クリフォードの【竜翔】が二度閃いた。

 

「――貴方の剣、"生命"の癒しは『不当な』傷の否定による補填。だから、普通の戦い方じゃあ即死させないと完全に治癒する……」

「「「「「「――なっ!」」」」」」

 

 そんな彼女らを意にも介さずに、空間跳躍でアキとアイオネアの目の前に現れた。

 見上げてくる鋭い鷹の目と怯える龍の瞳に、均整の取れた肢体がミロのヴィーナスを思わせる聖母は、能面の如く張り付いた笑顔で応えて。

 

「でもね、私の【赦し】には斬り裂いた空間を私の胎内(おなか)に繋げる能力が有るのよ。つまりは『斬る』んじゃなくて『喰べる』の。"生命"は"喰べる"事でも連鎖するでしょう?」

 

 【赦し】を祈るように、胸の前で柄尻へと左手を添えて捧げ持つ。血と脂に曇る刃が、啜った血肉を舌舐めずりして味わうかの如く……鈍く妖しく煌めいた。

 

「私はね、全てを救済したいの。罪を犯さなければ生きていけない罪深い生命の全てを。殺すのではなく食[こうてい]する……つまり、私のは『正当な』傷。だから貴方の癒し[ひてい]は通用しないわ……だってそうでしょう、肯定を否定したら――否定になるもの」

「――っ……!」

 

 それは道理にして、正しく真理。条理が反った瞬間である。

 尚且つ、その起源は『(くう)』と『(クウ)』。同音異字というトランスライナー。

 

「ふ――うふふ。それにしても、なんて美味しいの……貴方の血肉、信じられないくらい美味しいわ。今まで食べた何よりも……」

 

 

 則ち。"天つ空風"のアキと、"最後の聖母"イャガの相性は……『最高に最悪』である――――!

 

 

「何が有ったんですか、一体――っ……!」

 

 響く悲鳴とアイオネアが消えた事、そして爆発に危急を察して駆け付けてきたユーフォリアは、その目に映った女の姿に息を飲む。

 

「−−"最後の聖母"イャガ…!」

「っ、させない――!」

「もう……私は貴女達みたいな小物に興味(しょくよく)は湧かないの。邪魔しないで」

 

 【悠久】を呼び出し、一瞬で戦闘体勢を整えたユーフォリアと共に反転、負傷しているアキを庇おうと飛翔するクリスト達。その六人にイャガは左掌に【赦し】を突き刺した後で、腕だけを向ける。

 向けられた掌には【赦し】による刺し傷。そして細腕は異様な迄に肥大し――やがて内側から廊下に収まりきらず、壁を砕く程に無数のノル=マーターと抗体兵器どもを産み落とした。

 

 装甲を粘液にぬめらせた機械兵達の眼に光が点る。イャガの胎内で搾取されて喪失していたマナを、外部より得る事で活動を再開したのだ。

 緩慢にその銃口を周囲の学生達の方へと向けて、銃声(うぶごえ)を上げる――

 

「――ユーフィー、アイ、クリフォード! 俺の事はいいから、学生達を護ってくれ!!俺はまだ戦える……だから、今は……戦えない奴らを最優先にしてくれ!」

「に、兄さま……?」

「……諒解した……アキ、気を付けろ!」

 

 そんなノル=マーター数機のコアを針の穴を通す正確さで背後から撃ち抜き、停止させて叫ぶ。

 一寸だけ迷った様子を見せたミゥだったが…苦渋に満ちた顔と共に、四人を引き連れて飛んだ。

 

「何言ってるの、お兄ちゃん! その人はイャガ、ロウ=エターナルでも最古参の一人で第二位永遠神剣【赦し】の担い手……」

 

 だが、震えの止まらないその膝と今も廊下に拡がり続ける血溜まりを見た瞬間、ユーフォリアは変型させた【悠久】で宙を翔けて悲鳴に近い勢いで叫んだ。

 己を狙った攻撃である事に気付き、イャガは少女に向けて微笑む。空虚なその笑顔は、まともな感性ならば寒気しか感じられまい。

 

「その二ツ名は、"最後の聖母"! "法皇"や"虚空の拡散"、"輪廻の観測者"、"悟り"に並ぶ一角なの……お兄ちゃん一人で、どうにかできるような相手じゃないよっ!」

 

 滑空する『ルインドユニバース』を空間跳躍で躱わして、イャガは少し離れた位置……機械兵を後ろに立った。

 

「何してるの、アイちゃん! 早くお兄ちゃんの傷を――」

「治らない……治らないの……!」

 

 ユーフォリアは慌ててアキに肩を貸そうとして……その装束の血染みに息を飲み、アイオネアを向いて。そして、強い癒しの力を持たない自分に臍を噛む。

 

「ハ――"最後の聖母"イャガ、ねぇ……仰々しい名前だ、確かに敵いはしねぇだろうな」

 

 【赦し】に斬り裂かれた胸部を、『威霊の錬成具』で昆虫の外骨格のように隙間無く密着させて出血だけは防いでいる。だが、所詮は応急処置。放っておけば死に至る深手。

 左肩口から入った刃は、短刀故に長さが足りず心臓こそ避けたが……左肺に胃、膵臓に右腎臓に大腸と小腸の一部と、約四割もの臓腑を破壊していた。

 

「だけどな、ユーフィー……それがどうしたってんだ!」

「えっ……?」

 

 呼吸しただけでも脂汗と冷や汗が滴って失神してしまいそうな程の痛みが走るが、皮肉にもその痛みが意識を繋ぎ留めている。

 そんな中で大声を上げるなど――自ら地獄に飛び込む行為となんら変わりは無い。

 

「敵が自分よりベテランで強力な武器を持ってるってだけで……自分がやるべき事を、放棄する気か? 負ける相手とは戦えないってか? お前はそんなに無責任な奴か!」

「っ……でも……でも、それじゃあお兄ちゃんが死んじゃう……」

「そうです、兄さま……今は体勢を立て直すべきです! ノゾムさんやナルカナさんなら、きっと……」

 

 今にも泣いてしまいそうな彼女達の言う通りだ、様子見の一撃だけでも戦闘不能寸前の身。その全力を出されてしまえば、塵一つさえ残らないだろう。

 更には仲間が撃破された事により、敵戦力と認識した機械兵達が彼の方へも移動を開始する。

 

「……まぁ、確かに正義の味方とか大悪党なら完全な死亡フラグだけどな。でも、どんな話でも小悪党がラスボスと闘ったら……死なずにノコノコ生き残るもんだって相場が決まってんだ……」

 

 現状はどう見ても絶体絶命。救援は遥か遠く、マナ不足から脱したノル=マーターどもがクリフォード達と空中戦を行い、敵襲に気付いた他の神剣士達が巨駆を以って地表を侵攻する抗体兵器どもに抗戦を開始したばかりだ。

 

「こんな時にふざけないでよっ! 逃げるのだって立派な戦術でしょ、お兄ちゃんは……お兄ちゃんは弱――」

「――言うなッ!」

 

 怒号に、身と心を竦ませる少女。爪が突き刺さりそうな程にきつく握り締めた右拳を、ユーフォリア目掛けて突き出して――

 

「……莫ー迦、このチビスケめ。お前だって言ってただろ……」

「あぅっ! な、何を……」

 

 ペシッと、彼女の額にデコぴんを放った。打たれた額を押さえて、彼を見上げるユーフォリアとおろおろしているアイオネアへ。

 

「……信じてるって、言ってくれただろう?」

 

――改めて言われなくても判ってるさ……俺は弱い。卑下じゃなく、事実として。きっと、この学園のどの神剣士よりも。

 

 今にも卒倒してしまいそうな躯を、ただ根性だけで。

 

「知らねぇんなら、教えてやるよ。男ってのは莫迦な生物でな……」

 

――弱さを認めるのは、そりゃあ強さに繋がるだろう。自覚するとしないじゃ大違いだからな。

 但し、認めていい『弱さ』は己の『力の弱さ』一つだけ。まかり間違っても、己の『心の弱さ』を肯定してはならない。

 

 今にも断絶してしまいそうな心を、ただ見栄だけで。

 

「いい女から『信じてる』なんて一言を言われちまうと、例え相手が全能神だろうが悪魔だろうが……第一位の永遠神剣だろうが、全部を纏めて敵に回したって撃ち斃してのける……!」

 

――生命に同じモノは一つだって無い。だから、他の誰に負けても何一つ恥じる事は無い。だけど……自分に負ける事だけは、死ですら雪げない恥だ。

 我が身可愛さに信じてくれる相手に寄り掛かる事、それは裏切りに他ならない。それを赦す事だって、優しさなんかじゃない。

 

 今にも霧散しそうな魂を――ただ"壱志(イジ)"だけでもって、奮い立たせて。

 

「――自分の実力以上のチカラも、平気で出せるんだよ……!」

 

――だから、俺は他のどんな何に屈しようと……それにだけは絶対に屈しない! この"壱志"に懸けて!

 負け続けの俺だが――そんな俺が他人に勝てる唯一が、屈しない事なんだからな――――!

 

 長剣小銃(スウォードライフル)【是我】を肩に担ぎながら、震える指先でのサムズアップと……誰がどう見ても痩せ我慢の空元気で浮かべた不敵な笑顔を見せた。

 

「……お兄ちゃんの馬鹿……どうしてそこまで強がりなの」

「本当に……今度と言う今度は、わたしも呆れました」

「なんだよ、今更気付いたのか? 長い付き合いだってのに、ひでぇ妹達だ」

 

 そして、思いっ切り呆れられてしまう。だが、予想していた通りの反応だったのでほぼダメージは透過(スルー)した。

 そんな彼の反応に彼女はふう、と溜息を吐いて――アイオネアと手を繋ぐと、【真如】に還った彼女と同化して……美しく成長した、『()()()()()使()()()()()()()()()()』女性の姿へと変わる。

 

「神の威光、唯一無二の輝きよ……あたし達に力を――ホーリー!」

 

 そして、展開した精霊光。全能力値を上昇させるハイペリオンのオーラ。

 その効果により、傷が僅かに楽になる。焼け石に水では有るが。

 

「……信じてるからね、お兄ちゃんは……嘘つきにはならないって……約束、覚えてるって」

「さぁて、何の事だったっけか」

「…………嘘つき」

 

 最後に、そんな軽口を交わして。窓硝子を粉砕して外に飛び出して行く彼女の、名残惜しい微笑みと蒼く靡いた長い髪を視界の端に。

 

「ふふ……お別れは済んだの? でも、心配しなくていいわ。貴方達は皆、外の子達も含めて、私のお腹の中でまた会える……大切な人達と一つに成れるの、素敵でしょ?」

「……ハ。冗談じゃねぇ。俺は俺だ、オンリーワンのな……」

 

 そして真正面の、見たくも無いイャガの笑顔を睨み付けた。

 

「テメェと一つに成る、だっけ? 下らねぇな、何が救済だよ。一体、誰が望んだ? テメェの押し付けがましい『赦し』なんざ俺は……」

 

 吐き捨て、ループレバーを押すと同時にライフル銃の本体を後方に一回転させる。次に、引くと同時にグリップを握り締めながら聖母へと……

 

「この、"天つ空風"のアキは――カス程も望んでねェんだよ……!」

 

 スピンローディングにより『空』の起源弾をリロードした永遠神銃の螺旋のライフリングが施された銃口と、右手に番えたアパッチ・リボルバーと同じ仕組みを持つディファイアント・デリンジャーを突き付けた。

 

「……どうして? 目の前に、幸せがあるのに…自分から、苦しもうとするの? 一人一人の力は弱くても、手を取り合ってより大きな力に立ち向かうのが普通でしょう?」

 

 その"禁句"に、初めてイャガは笑顔以外の表情を浮かべる。眉を顰めて悲しげに呟いた。

 

「判らねぇか? ハ、これだから無駄に強い力を持ってやがる奴は……弱者の壱志が判ってねェ」

「……"壱志"?」

 

 それに、彼は見下すように……強者を憐れんで。

 口許から零れる血を聖外套の袖で拭った際に、己には似つかわしくない甘やかな芳香を感じる。

 

「……チ、俺もまだまだだな……」

 

 その正体には、直ぐに気付いた。この聖外套を貸した事が有る相手など、ただ一人だけ。

 その事に気付いた瞬間、負ける気などしなくなってしまった。

 

「――来いよ、エターナル……お前に本物の『生命』を見せてやる。生きる事の神髄を……あらゆる苦難を乗り越え行く、奇跡を呼ぶ奇跡の原典をな!」

 

 トリガーを引きつつ発した『限界突破』のダークフォトンにより周囲の空間を軋ませ、激震させながら――巻き起こる蒼く澄んだ颶風の唸りと共に、気勢を上げた――!



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学園祭 第三幕

 耳を聾さんばかりの轟音と共に、廊下に残った二機の抗体兵器と十八機のノル=マーターの放つ弾が学園祭の名残……設営された出店や出し物等の目に映る全てを暴風雨の如く、廊下や壁、天井も含めた至る所を粉砕蹂躙していく。

 イャガの襲撃により、物部学園のお祭り騒ぎは阿鼻叫喚と化した。

 

 テレポートした赤の腕部や脚部の発振レンズから放たれた追尾光線『ホーミングレーザー』と至近で高圧水の霰弾を放つ青の『フロストスキャッター』を、物質化させたダークフォトンの結界『絶対防御』で防いだ。

 その結界を砕くべく、尖った水晶を秒間千発の高速度で連射する緑の『デュアルマシンガン』と天井を貫いて撃ち上げられた白の閃光弾『ジャスティスレイ』が、痛みに辛うじて展開できていた結界を少しずつ削り取っていく。

 

「ッ……チィ!」

 

 そこに抗体兵器の『空ヲ屠ル』を撃ち込まれ、穴だらけとなった結界の維持を放棄してステップや宙返り等、機動力を駆使した回避を行うが……直ぐに胸部を刔るような痛みで脚が止まった。

 その絶好の好機を見逃す程、機械兵器は無能ではない。大きく腕を振りかぶった黒が――その前腕を、まるでロケットパンチのように撃ち出した。

 

「――ゴフっ!?」

 

 命中と同時に時空震を発生させる剛拳『アゴニーオブブリード』が強かに胸を打ち付け、壊れかけの内臓を全部引きずり出したくなる程ご機嫌にシェイクする。

 

――……クソッタレ、ミニオンとかノル=マーターにまでガチで負けかねないエターナルとかね。

 神剣宇宙広しと言えども俺くらいのモンだろ、不甲斐無くて泣けてきやがる……!

 

 拳と時空震によるダメージ自体は『威霊の錬成具』によって大した事はないが、内側から訪れる激痛に気が触れそうになった。

 機動による回避は、自身の状態と敵の数の多さから不可能だ。攻撃を受け止める以外に方法はない。しかし、護っているだけでは勝負には勝てない。負けないとしても、勝てもしないのだ。

 

――一つだけ、方法がある。『サンサーラ』なら……

 

 思い返すのは、海の中で耳に響く鯨のように美しい歌声。絶える事の無い生命の賛美歌、過去に一度しか使った事の無い、魔法すらも越えた"輪廻律"。

 彼岸の彼方へと消えていった生命に『再生』ではなく、同一の存在のままに『再誕』を赦す祝福を。

 

 精神を集中して、襲い来る攻撃に正対するベクトル……『内から外』のみの一方通行で汐力を掛けて、失速・停止させる事で防御とする護り『サージングオーラ』を展開する。

 八機のノル=マーターの攻撃は見えない壁に減り込んだように次第に速度を落として、空中で停止した。

 

――どんなに御大層な理由が有ろうが、自分から死んだ奴自身は未来永劫に救われない。"死者に奇跡は起こせない"よな。奇跡を起こすのは、いつだって……"現在を生きる意志"だけだ!

 

 霞みが掛かる精神に喝を入れて、眼前の軍勢を睨み据える。更なる汐力に、最後の学園祭を文字通り『ぶち壊し』にしてくれた相手に向けて――己らの銃弾が反転して撃ち返された。

 前衛の機は己らの攻撃により撃ち抜かれて四散。だが、後衛の機は各々のディフェンススキルでそれを防ぐ――。

 

「行くぜ――【烏有(うゆう)】!」

 

 その絶好の好機を逃す程、アキは無能ではない。右手に番えたアパッチ・デリンジャー【烏有】を――己の米神に当てる。

 その暗殺銃に、漆黒の翳りがまとわり付く。アイオネアの影である、『幻影死霊(ドッペルゲンガー)』が……アイオネアとは左右が逆の金銀妖瞳(ヘテロクロミア)を開いた。

 

「模倣しろ――モード『幽冥(ジ・アザー・ワールド)』」

 

 その魔眼の特性は、『模倣』と『改竄』。担い手の知る永遠神剣の性能と形を好きなように得る神銃。

 そして今、その薬室(チャンバー)に装填された赤いプラズマを内包した薄墨の硝子球。赤と黒のマルチカラーによるそれは――高純度の赤と黒のマナとしてアキの脳内に弾け、『レゾナンスレイジ』と『プライマルレイジ』の複合技『アウトレイジ』として、彼を気が触れる寸前の憤怒と狂気に誘う。

 

――イケる。ああ、お望み通り……屑鉄すら残さずに輪廻の環から弾き出してやるぜ有象無象――――!

 

 植え付けられた激情に逆らわず、『生誕の起火(ニトロ)』を流す。刹那の時間すら飛び越え、指揮していた抗体兵器を【是我】の横薙ぎの『空間断絶』で撫で斬りにし、そのまま縦に降り下ろしてノル・マーターを()し斬る。

 

 しかし、まだ十機。それらはやはり破壊された機体に構わず、一斉に砲を放つ――よりも早く、速くアキは廊下と言わず壁や天井を縦横無尽に駆け巡った。

 それにより撒かれた弾幕に、ズタズタに砕かれた廊下。アキはそこに着地し、一度血液混じりの唾を吐いた後でゆっくりと立ち上がりながら煙草を銜える。そして、左手のオイルタンクライターで火を灯す。

 

 無論、その輪廻龍の刺繍がなされた外套を羽織る背中には、十機分の照準が向けられ――

 

「――ヘリオトロープ!」

 

 【烏有】のクイックドローで放たれた、核融合の焦熱により魂すら焼き尽くす煉獄の葬送華。狙った機体どころかその周囲の二機ほどを巻き込んで瞬時に気体へと昇華させた。

 だが、幾ら目の前で同型機(なかま)が消滅しようとも機械の兵器に恐れなどはない。直ぐ様、密集陣形は不利と判断したか、散開……しようとした事で、鋼糸に囚われて身動きが取れなくなっている事に漸く気付く。オイルタンクライターの底部から伸びた【是我】の物と同じ、飛び回る間に蜘蛛の巣の如く張り巡らせていたエーテルの糸に絡め取られている事に。

 

「俺の力、甘く見たな――挑んだ事を後悔しろ」

 

 ハイペリオンのオーラと『限界突破』により爆発的に上昇した戦闘能力。それを最大限に活かし、自らの起源を引き出したオーラフォトン『神々の怒り』を【是我】より放つ。

 地を埋める滄茫の魔法陣と天より降り注ぐ蒼茫の光の矢が一片の情け容赦なく氷の鎧『フローズンアーマー』や炎の法衣『ファイアクローク』、風の壁『デボテッドブロック』、光楯『オーラフォトンバリア』、闇の帳『トリーズンブロック』を易々と貫き、脆弱なディフェンススキルごと悉く残骸に変える。

 

「ふふ、凄いアグレッシブさね。『神銃士(ドラグーン)』とはよく言ったものだわ、貴方まるで本当の『龍』みたい」

 

 廊下を蹂躙した雑兵の二個中隊は壊滅した。だが、しなやかな指先で虚空に描かれた淡く白い魔法陣『精霊光の聖衣』にて守護された敵の本丸はまだ……傷一ツ負ってはいない。

 

――今の状態で剣戟は分が悪い。距離を保って戦いたいところだが……空間跳躍する奴の前には、距離なんて在って無いようなモノ。

 ならば、隙を見せずに一気呵成に攻め抜くまで!

 

 その距離を維持したままで再装填した【是我】の薬室。落とした撃鉄が『生誕の起火』を薬莢の内へと導く。

 それを受けたエーテルが炸裂してオーラフォトンへ変わり、螺旋の軌道を描く蒼茫の輝煌……『割込不可(アンチインタラプト)』の聖なる光『オーラフォトンクェーサー』として、理想幹でも使った、さながら戦艦の如き重兵装を覗かせる透徹城内からの支援砲撃……さながら龍の咆哮を思わせる『ドラゴンズロアー』を加えた上で撃ち出す。

 

「大盤振る舞いね。じゃあ、遠慮なく――いただきます」

「――チッ!」

 

 だが、宇宙起源の光と龍の咆哮は振るわれた【赦し】の割いた空間にぽっかりと空いた肉質の胃界……イャガの胎内に繋がる"口"に呑み込まれて消滅した。

 更にもう一振り、再び開いた胃界の中より自らの放った砲撃が降り注ぐ――!

 

――クソッタレ、読み誤った! あの女は言ってたじゃねぇか、『食う能力』じゃなくて『腹の中に繋げる能力』だって!

 

 辛うじて間に合った『ダークフォトンコラプサー』に捕らえる事で無力化する。しかし、それにより次の一手が遅れた。

 イャガは短刀を祈るように握り……刀身の輝きと共に、足元に金色の魔法陣を展開する。

 

「痛みも、不安も……全て私が引き受けるわ。その為に、私は此処に居るの」

「――がアッ!?!」

 

 その刹那に、左前腕と右肩、左腿に走った烈しい『痛み』。赤い光が肉を刔り、骨を軋ませる苦痛に堪らず膝を突く。

 

「……悩まなくていいの、私に身を委ねて。そして……消えなさい」

「ッ――!?!」

 

 それと同時に空間跳躍で目の前に現れたイャガが、クロークを翻しながら……技巧も何も無く無造作に【赦し】を振り下ろす。

 斬り裂く相手のあらゆる罪を赦す、『(みそぎ)』の一撃を。

 

「――ふざけんじゃねェ、クソッタレがァァァッ!」

「――っ!?!」

 

 それに、クロスカウンターの如く対応した剣戟。立ち上がりつつ迫り来る【赦し】の刃をスレスレで躱わして、【烏有】を【是我】と同じ長剣小銃……ただし、ライフルが『モスバーグ464 SPX』の形に『改竄』し、【夜燭】を『模倣』する。更に【是我】と【烏有】の銃床部同士を組み合わせて、『双刃剣銃(ダブルセイバー)』とした。

 そして最下段から刷り上げ、ヘリコプターのプロペラのように巻き込む竜巻の如き剣閃『ワールウィンド』が蒼い残光をたなびかせて、対応出来なかったイャガの左脇腹から右腋下までを逆袈裟斬りにした。

 

――手応えは十全に有った。その所為で、こっちも傷が開いて死にそうな程の苦痛を味わったが。

 

 駆け抜けて、隙を見せないように正眼に構えつつ反転する。イャガは斬り裂かれたて血を流す胸部を押さえて――

 

「ふふ……やっぱり期待した通りね。待った甲斐が有ったわ、こんなに美味(つよ)くなったなんて……もっと見せて、最後まで」

「……イカレてるぜ、アンタ……」

 

 激痛を生み出す筈の傷痕……魂自体に刻まれた『空』起源の、簡単には癒えない刀創を愛しそうに撫でた上で……にこりと。

 総毛立つ程に美しく、美しい故に心底から悍ましく感じる。全ての『苦難を受け入れるもの』は狂気すら肯定した女神の如く、美しい笑顔を見せた。

 

「……でも、つまらなくなったわ。美味しく熟した代わりに、小さく纏まってしまったもの。気取った小鉢に盛りつけられてちまちまと小出しにしてる今の貴方よりも、食材も調味料も丸ごと大鉢に叩き込んだような野生味溢れてた貴方の方が好みだったわ」

「何を訳の解らねぇ事をッ……!」

 

 吐き捨てつつリロードする。だが、彼女を射撃で倒せない事は先程放ったクェーサーやロアーが呑み込まれた事で承知している。

 

――剣戟しかねぇってか、クソッタレ……どうしてこう、俺って奴はにっちもさっちもいかないのかねぇ……

 

 腐りそうになる意識を奮い立たせ、二つの刃にそれぞれオーラフォトンとダークフォトンを纏わせる。

 隙を見せた瞬間に斬り返すべく、『後の先』に意識を集中する――

 

「悲しみも苦しみも、もう味わわなくていいの。だから……」

「な――」

 

 その刹那、掲げられた【赦し】が空に融けて『消えた』。余りにも意外なその行動に、不覚にも思考が停止してしまった。

 

「――お休みなさい」

 

 マナを奪われた事で飢餓状態に陥り、上空から数十倍にも膨れ上がりながら空間と天井を突き破り墜ちて来る槌と化した【赦し】……その刃で貫いた相手のあらゆる罪を赦す『(はらい)』の一撃に対しても――……

 

 

………………

…………

……

 

 

 

「うぉぉぉぉっ!」

 

 銀光二閃、【黎明】を振り払った望の前に抗体兵器が崩れ落ちる。他の神剣士達も体育館を護るようにそれぞれ交戦しており、尽きる事の無い敵を辛うじて押し止めていた。

 

 学生達は何とか皆体育館への避難に成功。だが、その学生達を護る為の神剣士が有するマナこそが敵の襲撃目標なのだ。

 守ろうとすればする程に敵が集中してしまう、その悪循環。しかも、幾ら打ち倒しても一向に敵数が減らない。それもその筈だ、先程天空のに開いた穴……中から巨大な剣が校舎に向けて墜ちて行った穴から、ぞろぞろと抗体兵器が湧き出てきている。

 

「――ノゾム、来るぞっ!」

「くっ……」

 

 レーメの声に気を取り直して見てみれば、更に五体が現れる。幾ら何でも無勢が過ぎる、ナルカナでさえ舌打ちしながら歩みを止めるだけで精一杯だ。

 

(……護れないのか、俺の力じゃ……皆を……!)

 

 己の無力に歯噛みする、望のその脳内に――

 

『――ならば、我に代われ』

「――ッ?!」

 

 重厚で温度の感じられない、彼の前世……『破壊と殺戮の神』の声が響いた。

 

 

………………

…………

……

 

 

 土埃が晴れた時、立っていた者は二人だけ。帰ってきた【赦し】を手に微笑んだままのイャガと、鎧が蜘蛛の巣状にひび割れているアキ。

 穴の空いた天井から覗く、時間樹の枝が絡み合う分枝世界間。魔法の世界で戦ってノル・マーターや抗体兵器がザルツヴァイへと侵入してしまう事を危惧したサレスの命で、脱出したのだろう。

 

 大質量に加えて重力までもを味方に付けた【赦し】を防ぎきれずに、『サージングオーラ』の護りは突き破られた。掠っただけでこの有様だ。

 

「……ッ」

 

 係累を維持出来なくなった胸鎧類が完全に崩れ、根源力へと還る。大量の血が零れ落ち、失血と苦痛に躯の方が付いて来なくなる。

 ふらりと、前のめりに。たった今、己が作った血溜まりの中に倒れ込もうと――

 

「――ッッ………!」

 

 震える脚を突っ張り……己自身の力で踏み止まった。躯が既に死に体でも、心が既に情動を停止していても。叛骨の魂が理不尽な暴力に屈する事を許さない。否、赦してくれない。伽藍洞の分際で。

 

――クソッタレ……クソッタレ! 負ける訳にはいかないんだ、俺は絶対に……『家族』を護るんだ……!

 

 砕けんばかりに奥歯を喰い縛る。砕けて意識が保てるのならば安いモノだ、今の状況ならば。

 緩慢な動作で聖外套を脱いで袖をサラシとして使い、(ハラワタ)が零れ出さないようにきつく縛る。さながら、腰の部分に纏う幌布(マント)の如く。

 

「どうしたの? 貴方の壱志(イジ)、見せてくれるんじゃないの? うふふ……」

「ハ――――煩っせぇんだよクソ女がァァァッ! 永遠神剣からの借り物の力なんぞで勝ち誇ってんじゃねぇ……!」

 

 反駁しようと声を出したその瞬間、何かが勢いよく喉を競り上がる感覚に咳込む。堪らず膝を突いて、口許に当てていた掌を開けば……黒ずんだ固まりかけの血塊。それを握り潰し、見上げるように睨みつけた。

 

「ええ、そうね……でも、仕方ないじゃない? あらゆる生き物は生きる限り罪を犯すもの……なのに、自分の犯した罪すら認められない程に弱いんだもの……それを救済するのが、私達。私と、この【赦し】――――『最後の聖母』イャガの願い」

 

 淑やかに微笑みながら、手元に再度召喚された【赦し】の刃を撫でるイャガ。

 その唇から紡がれた言葉は、紛う事なき本心。『全ての罪を許すこと』こそ、真なる彼女の願い。だからこそ、彼女は全てを『喰らう』。全てが一つになってしまえば、『()()()()()()()()()()()()()()()()』。

 

「下らねぇな……『生命』は、蛋白質とかマナの反応じゃねぇ……悩み、迷い、間違いながらでも自ら選びとった『軌跡(いきかた)』の事だ! それを、永遠神剣なんかの奇跡に縋って近道してるテメェ風情が騙ってんじゃねぇよ……!」

 

 それを、唾棄するように『否定』する。それはこの男にとって、何一つ頷けない理想。『天つ空風の』アキにとっては、『可能性』を否定する彼女の理想は。

 

――『あらゆる生命がありのままに、あるがままに生きられる世界』……それが、俺の願いだ。『奸計の神』"クォジェ=クラギ"でも、"天つ空風のアキ"でも無く……ただ一人の"人間"だった自分、"巽空"として……時深さんみたいに、強くて優しい人間になるんだ!

 

 魂の消え失せた空洞で在りながら……ただ空白で在ると。そう誓った壱志(イジ)が未だに、無様に燻り続けている。

 何モノも生み出す事無く、何モノにも成れない『()』のみが。ただ今も尚……焼き付いた壱志のみでも願いを叶えようと、無意味に足掻いている。

 

――何が永遠者(エターナル)だ。ハ、笑わせてくれる。永遠を手にした者の辿る末路は"忘却"だ。

 何も残りゃしない、人だった頃と何が違うってんだ。デメリットが大き過ぎるだろう、望んでこんなモノになる奴が居るってんなら……相当自分が嫌いかイカレてるか、或いはその両方。要するに、俺も含めてどうにかしてる。

 

 瞬きの内に流れて消え去る流星の如く生き急ぐ、その生命。

 結局は死の彼方に消え去り、何も残さない――――その、空虚(ホロゥ)

 

――いいさ、俺は……それでいい。栄光なんて要らない、輝きなんざただの一瞬だけで充分だ。刹那の後に消え去る幻想だろうと一向に構わない。

 だから……せめて。忘れられるとしたって、証明が欲しいんだ。この時間樹(ふるさと)で、確かに巽空(オレ)という生命が生きた……こんな俺にも確かに絆を結んだ……家族が居たという、その証明(おもいで)が。

 

(だから……もう、いいんだ。もう――人間じゃなくて……!)

 

 認めた。もう、己が人間ではなく永遠者――――否、永遠神剣その物なのだ、と。

 

 それを認めた刹那、双刃剣銃(ダブルセイバー)を左手で軽く回転させて黒曜石の曼荼羅を展開する。【是我】と【烏有】の二つの『永遠神銃(ヴァジュラ)』が融合し、拳銃でありながらライフル弾を使用する怪物銃『トンプソン・コンテンダー』となる。

 イャガは己の勝利を確信しているのか、若しくは興味が有るのか。じっと彼を見詰めるのみだ。

 

(天つ空風のアキ――いや、我が真名【無明】の名の元に……力を寄越せ、()()()

【【【【【――――御意に、『()()』】】】】】

 

 勅命が下る。それに答えたのは、腰元のガンベルトに装備する五挺……そこに宿る、『()()()()()()』。

 それらが展開した各属性色のマナが同化すると共に、一発の銃弾が虚空に現れる。文字通り、『虚空』が結晶となったような――――無色透明な『50BMG』が。

 

――そうだ……俺こそは、アイの対たる()()。『命』の対たる『死』……【真如】の対たる【無明】…………!

 

 それを、コンテンダーに装填する。明らかにオーバーサイズだが、そもそも人外の代物を常識で語る方が誤っていよう。

 自らの顕現である銃弾と、聖母の深紅の(ならく)を感じながら――

 

術式棄却(ソード・オフ)――」

 

 その時、まるで目から鱗が落ちるように。暗い雲を風が斬り裂き、その隙間から差し込む陽光が深い海に注ぐように。

 【真如】との契約でも感じる事がなかった、自身の拡大。そう、()()()()()()()()()()()、その永遠神剣は――――

 

――本当に莫迦だ、俺は。今更気付いた、俺が契約した相手はこんなにいい女だったのか。

 大体、前提から間違ってる。姫君を護る騎士(ナイト)なんて御大層なものは俺の柄じゃない。そんな気障ったらしく気取ったモンじゃなくて……俺は雇い主の邪魔者を、善悪正邪に関係なく殺す暗殺者(アサシン)だったじゃないか。

 

 海面に散乱する眩い光に、海底に沈みかけていた戦意が浮上する。左手に握るコンテンダーの銃口をイャガへと突き付け、照星に捉える。

 

――そりゃあ、負けが込む筈だ。武器に合わせて戦術を変えるのは三流だ。一流(ホンモノ)なら……自分の戦術に合わせて武器を取るモンだろ!

 

 そう呟くと同時に、彼の口角が吊り上がった。嘲笑か、侮蔑か。或いはその両方を持って、アキは己を省みた。

 

――いい夢を見させて貰った。まぁ確かに……ずっと餓鬼の時分にそんな『選ばれた人間』みたいな在り方に……本気で憧れた事だって有っただろう。

 

 今までに成した事を省みて、自分が手を繋いだ相手(しんけん)の……余りに無辜な水鏡が映した己の、余りに穢れた姿から、目を背けていた事に気付いた。

 

 血溜まりを掻き消す程に眩ゆい光。天にはステンドグラスのオーラフォトン、地には曼荼羅のダークフォトンが展開される。その間の空には――――対消滅による、黄金の煌めき。

 彼の笑いをどう見たか、イャガは頗る嬉しそうに笑顔を返した。

 

「マナよ、咎人に滅びと赦しを与えよ。償いの刻が始まるわ……」

 

 そして三度、祈りを捧げた最後の聖母。応えた【赦し】が光と共に魔法陣を展開する。

 

 空間が烈震する。何か圧倒的な存在が悠然と、分枝世界間を泳いでいるのを肌で感じる。

 その『大変動』の間にも、空位の永遠神銃が解けていく。元来在るべき形に、この神剣宇宙で最低位の永遠神剣……位も、カタチすらも持たぬ『零』の剣に還っていく。

 

――俺の護り方は受動的な『楯』になる事じゃない。俺の護り方は能動的な……コンマ一秒でも早く、速く――――付け入る隙も無く敵を殺す『刃』になる事だ!

 

「何をする気なのか知らないけど、貴方の生命(神剣)じゃあ私には勝てないわよ。ただ一言、貴方は救いを求めればいいの。後は私に任せて……」

「御厚意に御高説、揃ってウザッてぇんだよエターナル……! 俺は俺の"壱志"に懸けて絶対に……生命の何たるかも知らねぇ……永遠神剣が起こす奇跡に頼らなきゃ、自分の道も斬り拓けない奴らには負けやしねぇ……!」

 

それは、この神剣宇宙の有り様を呪う呪詛。この宇宙でただ一ツの、該当の無い『空位』の位を示す、この――。

 

――そうさ、俺は……俺達は、零を充たした(から)だ。それこそが俺の最大の武器。

 勝負とは、天秤で実力を計る事と同じ。俺と戦うという事は、空の天秤皿と鬩ぎ合う事となり……相手は自重によって自滅する。勝手に地面に落ちて勝手に零れ落ちる。こっちは宙に投げ出されようと、零れるモノなんて始めから無い。弱者が強者から一方的に奪い取るって訳だ。

 

 そこに二度(ふたたび)、黒ずんだ血を吐きながら放たれた"禁句"。それにやはり彼女は笑顔を持って応えた。

 

「苦しまなくていいの、終わりはきっと訪れるから……全てを赦してあげる」

 

 瞬間に、空間を咀嚼するべく力が振るわれる。無数の歯が、口の中の『禁句』を噛み砕くように。

 

「【赦し】、総ての罪は此処に浄化しましょう……これが、断罪よ」

 

 そしてもう一度、虚空に【赦し】が消えた。それは先程の『祓』の比では無い、『大祓』。

 

「……ごめんなさい、逃げられたりすると面倒なの。ね? 一つになりましょ……」

 

 先程のモノよりも、遥かに莫大なマナを持って。全てを……己すらも喰い潰そうと、天空より【赦し】が疾駆する。

 そして、真横から巨大なクジラが迫って来た。さながらオキアミを莫大な海水ごと飲み込むように、ものべーよりも遥かに巨大な次元くじらが……第二位神剣【赦し】の守護神獣(パーマネントエンジン)『パララルネクス』が。

 

 『大変動』に『禁句』、『大祓』……その全てがアキに向けて迫る。

 

「ハ――今度はそっちが大盤振る舞いかよ……」

 

 苦笑と同時に、銃口の先に薔薇窓と曼荼羅の重なった魔法陣が展開される。そこから――。

 

「上等……俺も全力だ。もう一度、喰えるモンなら喰って見せろよ、この俺の……全身全"零"を!」

 

 まるで剣を握り締めるように握り締めた銃把が軋む。黄金の煌めきは刃先に集中して無限光となり、

その姿はさながら、獲物を狙って鱗に包まれた強靭な体躯にチカラを溜める――龍が如く。

 

「――――永劫回帰す輪廻の刃(エターナル・リカーランス)…………!」

 

 その撃鉄(トリガー)()こされた刹那、魔法陣より現れた両刃の長剣の神刃(ブレード)

 距離はたったの六メートル、しかし――神剣の担い手同士の戦いでは絶望的な開きだ。

 

 その合間を縫って優美に動く指先で展開された白く輝く魔法陣は、『精霊光の聖衣』。イャガの防御。自らも使用するからこそ分かる、遍く歩みを閉ざす究極の楯。

 突破困難な障壁に、もし少しでも退けば三種の攻撃がその身を砕くだろう。

 

「――――ハァァァァァァッ!」

 

 それでも、歩みを止めはしない。深滄の回答者(リタリエイター)は一切速度を緩める事無く、その"生命"をただ一発の銃弾と変えて。

 幾重にも待ち受ける深紅の聖母の虎口へと駆け抜けた――――!

 

 

………………

…………

……

 

 

 爆音が轟く。校庭に犇めく抗体兵器が纏めて、『天ヲ穿ツ』灼光を放ったのだ。

 

「……クッ……」

 

 それを辛うじて受け止めた神剣士は、既に軒並み戦闘不能となっている。希美やサレス、ナルカナの癒しも間に合わない。

 ノル=マーターと空中戦を行っているユーフォリアとクリストファー達を除けば、まともに立っているのはたった二人だけ。

 

「癒し系ヒロイン、ナルカナ様登場! ちょっと望、何よその目は」

「……いや、元気だと思ってな……」

 

 望とナルカナだけだ。しかし望は皆と同じく、『バイオリズム』の癒しを受けても足元はおぼつかず大剣とした【黎明】を杖代わりに立っている状態だ。あと一撃でも受ければ倒れてしまうだろう。

 

「あとはあたしに任せなさいよ。望は……皆を守って」

 

 先に駆け出したナルカナが、抗体兵器のど真ん中で暴れ出す。だが、多勢に無勢。動脈に達した傷口を押さえるような徒労だ。

 横目に映るのは、傷付いて何度も打ち倒されて……それでも学生達を護る事を諦めない"家族"達の姿。

 

「……やっぱり……それしかないよな。そう、それしか……」

「ノゾム……?」

「待ってよ、望ちゃん……先に傷を治してから……」

「そうよ、ナルカナが引き付けてくれてる間に少しでも体勢を立て直して……」

 

 一歩、また一歩と。抗体兵器へと歩み出す。それに気付いたのは、レーメと沙月と希美、ルプトナとカティマ、ナーヤの六人。

 

「……皆……ごめん。俺にもっと、力が有れば……」

「な、何言ってるんだよ望っ!」

「そうです、まだ……まだ諦めるには早い!」

「そうじゃ、わらわ達が……こんなデク人形共に負けるものかっ!」

 

 呼びかけられて、望が振り返る。ゆっくりと……諦めたような表情で微笑んだ。

 翻意を促す言葉、それに望は目を閉じた。まるで最後に見た家族達の姿を、瞼の裏に焼き付けるかのように。

 

「望ちゃん!」

「望君!」

「望っ!」

「望!」

「のぞむ!」

 

 五人のその悲痛な叫びに、彼は目を開いて――

 

「違う――我が名は、ジルオル……ジルオル=セドカだ」

 

 凍てついた声と共に、氷点下の眼差しを向けた……

 

 

………………

…………

……

 

 

「……驚いたわ。一体、どんな奇跡を起こしたのかしら?」

 

 聞こえた女の声。左掌に握られているコンテンダーは、【是我】と【烏有】へと還っていた。

 そして――――イャガに付けた斬傷の真中に刃を撃ち込んだ姿勢のまま、問いに答える。

 

「奇跡なんかじゃねぇよ……そんなモン、中々起こらない必然をそう呼んだだけの事なんだからな……」

「ふふ……その言い方じゃあ貴方、最初から私に勝つ事が決まってたみたいじゃない」

 

 心臓に銃弾……係累と断絶を同時に齎すアキの起源『(くう)』を直接叩き込まれた彼女の右手に、無残にヒビ割れた短刀……第二位【赦し】が握られていた。

 

「……そうさ、最初から決まってたんだよ。俺の本質はあんたらの『始まった後と終わる前』しか対象に出来ない永遠神剣と違って『始まる前と終わった後』に干渉出来るからな……」

 

 有り得てはならない事だ、確かに放たれた筈の『大祓』も『禁句』も召喚されたパララルネクスも……『精霊光の聖衣』さえもが、全て『最初から存在していなかった』かのように消えている。

 

「ああ――成る程、理解出来たわ。着弾まで零秒どころかマイナス……時空を遡りながら命中する一撃とはね。発動するより前にはもう勝負が決しているなんて……流石は、時間を操る【時詠】のトキミの秘蔵っ子と言ったところかしら」

 

 にこりと笑って、聖母は左の指先で自らの刃毀れした頬を撫でた。

 

「最後に聞かせてくれる? 貴方の神剣……"生命"が何なのか。ずっと知りたかったの、"生命"って一体……どんなモノなのか」

 

 その冷たい指の感覚が、少しずつ希薄になる。神刃と共にイャガの胎内を経由して流し込まれた"生誕の起火"に、自身が含有するマナの時間樹化によって【赦し】は内部から破壊されていた。

 如何にエターナルとは言え、永遠神剣を手放した状態で死ねば――後は消え去るだけだ。

 

「……簡単だ。『知覚する全て』……それが"生命"ってモンだ」

 

 迷い無く、回答は実に単純明快。イャガは――

 

「是非とも、死睨に聞かせてあげたい台詞ね……それにしても、私を捨て駒にするなんて……酷い『私』だこと……ふふ、でも…………貴方……想像以上に……凄かったわ……うふふふふ……ふふふふふふ…………」

 

 その言葉を残して聖母は、マナの霧と消えて逝った。

 

「…………」

 

 勝利の感慨も無く天を仰ぎ見れば、幾つも星が瞬く。いや、それは今も戦うユーフォリアやクリスト達がノル=マーターを打ち砕く光。そして、神剣士達が闘っているのか。

 真横の校庭を見遣れば――無数の破砕音。そして、その合間に響く……()()()()()始めて聞く禍々しい咆哮。

 

「……莫迦……野郎が…………」

 

 その聞き覚えのある、耳障りな『破壊と殺戮の神』の(こえ)を聞きながら。

 今度こそ、意識は自分自身が躯に充たしたモノ……果てしなく広がる『零』へと拡散していった…………

 

 

………………

…………

……

 

 

 巨大な時間樹を眺める大男、獅子鬣の如き金髪を靡かせる三つ目の"輪廻の観測者"のすぐ隣に、鈴を転がすような笑い声が響く。

 

「うふふ……見ましてボー・ボー? 【赦し】のイャガ……分体とはいえ、第二位【赦し】の担い手である"最後の聖母"イャガを、生まれたばかりのエターナル如きが……流石は、()()()()()()()()()を組み込んだ甲斐がありましたわ……この私が、見誤るなど」

 

さながら、クリスマスプレゼントにはしゃぐかのように。白い髪に白いローブと……凄まじい存在感を放つ杖を持った幼い少女が、他人の失敗を嘲笑い……その死を歓喜で迎えた。

 

「欲しい……是非とも、我がロウ=エターナルに欲しい人材ですわ、あの坊や。まぁ、男ぶりで言えば前の坊やに軍配が上がりますけど……トキミさんのお気に入りを奪うのも面白そうですし、少なくともあの三人よりは役に立ちそうですしね」

 

 その口調や爛々たる輝きを放つ老獪な眼差しは明らかに異質。熱の篭る眼差しは、円熟した女の色香を放っている。

 

「……では、時間樹に攻め入るか? 止めておいた方がいいと思うがな……"法皇"テムオリン」

「貴方に言われなくても。そんな真似をして、何になるのかしら? 私のモットーは『スマートに』、知恵により望みを叶える事ですわ。力で押さえ付けるなんて、馬鹿にでも出来る無粋な真似は……簡単過ぎて詰まらないでしょう?」

 

 その少女こそがロウ=エターナルの事実上の盟主、第二位【秩序】の担い手"法皇"テムオリン。

 彼女は左手に持つ杖を徐に回し、ボー・ボーに突き付けた。

 

「それに――ああいう手合いは、放っておいてもコチラ側に来ますし……何より、彼をコチラ側に引き入れてくれる毒婦ならもう、既に居るみたいですもの」

「フ……相変わらずだな」

 

 紅い三日月のように悍ましい笑顔を向けられたボー・ボーは、事もなげに丸いレンズのサングラスの位置を直す。

 両腕を組んだまま、背中に生えた三本目の腕……彼の永遠神剣である第二位【無限】を使って。

 

「ああ……愉しみですわね。無垢なあの顔が、悲しみに歪むところが……ふふふ……」

 

 紅い舌を覗かせて、ペロリと唇をなめずって。その唇から、限りなく無限に近い分枝世界間に再び悪辣な鈴の音色が響いたのだった。



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再演 南北天戦争 Ⅰ

 白い光の中に浮かぶように。甘い香りを孕む微風を受けながら、花の褥に横たわっていた『俺』が目を覚ます。

 仰ぐ大空は風花舞う薄曇り、その奥には煌めく彩雲に立ち上る黄金のマナ柱。そして天球の三分の一を覆う程に巨大な、赤青黄の衛星を持った白い月。

 

――ああ……こりゃあ、夢か。夢っつーか……

 

 そこで、()()()()()緋袴の膝枕越しに傍らを見遣る。

 昔、本当に昔は『天木神社の金髪座敷わらし』と呼ばれる程に愛らしかった時代に普段着にしていた浅葱色の和服。

 

「すぴ~……」

 

 そして彼の差し出された掌と掌を重ねたままに母親らしき女性の膝枕で眠る、同い年か少し上くらいのゴスロリ服な青いおかっぱの童女の寝顔があった。

 

『……全く、悠人さんの親バカぶりもいよいよ硬膏に入りましたね?』

『そんなに誉めるなよ。照れるだろ、時深……そりゃあ、■■■■■は目に入れたって痛くないけど。なあ、アセリア?』

『ん、異論はないけどユウト……今のは誉められてないと思う』

 

 と、聞こえてきた話し声。頭上から故に姿は見えない女二人と男一人、聞き慣れた(たお)やかな声の後にだらしなくふやけた男の声、そして金属の擦れ会う音と怜悧な女の声だ。

 それに、聞き耳を立てる。身動き一つせずに。

 

――違うからな、決して……溜め無しノヴァが怖い訳じゃないからな!

 

 等と、記憶が戻って血の気を喪った童子の主観で言い訳する。

 

『……それにしても、そうか……この子供が、例の……』

 

 と、そこで己に注がれる視線に気付いて目を瞑る。所謂、狸寝入りを決め込んだ。

 

『確かに、()()()()と似てたな。逆立った金色の髪とか、蛇みたいな金の瞳とか……』

『首元の鍵、第三位【破綻】……それが、この子を可能性の海から引き揚げた神剣の銘です。戦闘力こそ第十位にも劣りますが、能力はこの世の在り方を壊す程。その力を持って、()()()()()()()()を召喚した訳です』

 

 微かに、嫌悪の混じった声色で男がそう口にした。答えた時深の声にも、何やら思案する色。恐らくは、同じ人物を思い浮かべているが為に。

 

『ん……そうだな、似てる気がする。何だか懐かしい』

 

 そんな二人に答えた怜悧な声は、しかし、明らかに二人とは違って親愛にも近い情が含まれていた。

 

『懐かしいって……アセリア、誰を思い出してるんだ?』

『ん……? だって、()()()()の子供がいたら、きっとこんな感じだと思ったから。きっと――』

 

 と、金属の擦れ会う音と共に頭が撫でられた。恐らく、籠手に包まれた掌の感触だったのだろうが……覚えているのは、傘の骨に挟んで髪の毛が抜けた時と同じ痛みだけ。

 だが、何故だろうか。その掌から、『懐かしい』感じがしたのは。

 

『きっと……コウインとキョウコの子供は、こんな子だったと思う――――』

 

 聞いた事もない名に、安堵を覚えたのは――……

 

 

………………

…………

……

 

 

「――くっ……アアアアアッッ!」

「――きゃわぷっ?!」

 

 瞬間、砂嵐のような視界と雑音(ノイズ)。砂を噛むような不快感に加えて鉄の臭い。復旧していく感覚器官が、まず触覚……取り分け痛覚が冷たく滾るような苦痛を伝えてくる。

 痛みこそ生きる実感という訳だ。イャガとの戦いで全身に負った傷が、皮肉にも意識を引き戻す役に立った。

 

「ハァ、ハァ……くっ……!」

「あ、あうあう……」

 

 荒い息を吐きながら――温かく、柔らかな『光』を抱き締める腕に力を篭めて苦痛をやり過ごす。

 幾度か失神してしまいそうになるが、その間隔が長くなるにつれて次第に視覚が、嗅覚が、聴覚が……だんだんと帰ってきた。

 

「はぅ……あの、えっと、お兄ちゃん……そんなに力を入れたら苦しいよぉ……」

「ハァ……ハァ……くっ……」

 

 目に映るのは、わたわたともがく白い翼。耳まで朱に染まる白磁の肌に、見上げてくる蒼穹色の瞳と髪。鼻腔を擽るのは、甘ったるいミルクのような香気。

 そして、鼓膜を揺らすのは……慌てふためくユーフォリアの声。その全てに『彼』は言い知れぬ安堵を覚えた。

 

「――……」

「お兄ちゃん……? むぎゅうぅ……はふ、うう~~っ……」

 

 さながら――元の『鞘』に収まった『刃』ように。二度と離さないとばかりに、更なる力を篭める。

 そんな彼のベアハッグじみた抱き締めに、苦しそうに呻いたユーフォリアは――

 

「いい加減にしなさーいっ!」

「あべしっ!?!」

 

 それなりの威力で、ぽかっと。グーパンチを繰り出した。

 

「あ、あれ……? ここは……」

 

 その一撃によって、やっと正体を取り戻したアキは周囲を見渡した。白いベッドに白いシーツ、白い壁に床、天井。

 どう見ても物部学園の保健室ではなく、かなり本格的な病院施設のようだった。

 

「……支えの塔のメディカルルームです。兄さま、酷い怪我を負っていましたから……」

「まぁ、今の様子を見た分では……相当に元気が有り余っているようですけどね、兄上さま?」

「う~~っ、ふーーっ!」

「…………」

 

 それより何より、こちらを怒りのオーラを放ちながら見詰めてくるアイオネアと意地の悪い忍び笑いを漏らすイルカナ、猫が威嚇するような声をあげるユーフォリア。

 

「あはは……まあまあ、お気づきになられて良かったではありませんか」

「…………」

 

 そして――苦笑するフィロメーラの存在が問題だったが。

 

「……それより、被害は?」

「話を逸らしましたね。学生の皆さんには有りません、寧ろタツミ様が一番の重傷でした」

 

 それに、一先ずの安堵の溜息を漏らす。だが、すぐ思い出した。

 

「――望は」

 

 口にした瞬間、部屋を満たす空気が変わった。それが雄弁に、何があったかを物語っている。

 

「やっぱりか、あのヤロウ……」

「うん……望さん……ジルオルは敵を全滅させてから……敵が出て来てた次元の裂け目の中に入って行ったの……」

 

 悲しそうに語ったユーフォリア、アイオネアやイルカナだけでなくフィロメーラも沈痛な表情だ。

 

「……あれからどのくらい経った、俺は一体どのくらいの間……無様を曝してたんだ!」

「お、落ち着いて下さい、タツミ様。一日経っていません、約十三時間と言ったところです」

「クソッタレ――くっ!」

 

 フィロメーラの制止も聞かずに、ベッドから跳び起きる。だが――胸や腕、脚の痛みに膝を突く。

 未だ癒えないその傷痕、手当ては包帯が巻かれているだけ。

 

「っ……クウォークス代表か希美、ポゥを喚んでくれ……! とにかく、傷を塞がなきゃ話にならねぇ……」

「「「「………………」」」」

 

 と、そこで再び沈黙。そしてその瞬間、『己が魔法の世界にいる』という事が……彼に強い焦燥を生み出した。

 

「待て……他の皆はどうした?」

「えっと……追い掛けて行かれました。学生と傷病者のタツミ様、タツミ様の心配をして残った三方を残されて」

「……置いてかれたって訳か……」

 

 気遣わしげなフィロメーラの物言いも、何一つ気にならない。ただ、そう口にした瞬間……心を充たした失意だけで死にそうになった。

 

「違うよ、だって……お兄ちゃんはね、もう『治癒神剣魔法の効果対象』からも外れてるの。サレスさんも希美ちゃんもポゥちゃん、それにナルカナさんも試したけど……皆、だめだったから……仕方なく……」

「…それどころじゃないですよ、兄上さまを"対象"にした神剣魔法や神剣効果は『発動』すらしなくなってました」

「……ごめんなさい、兄さま……わたしの所為です。わたしと契約したから、『零には、何を掛けても零』だから……」

「成る程な……そりゃあ、俺は()()だからな……真っ当な癒しは意味がねぇか」

 

 ギリ、と歯を喰い縛る。確かに、自分自身でそれを理解できた。

 

「で、再生治癒しかなかったってのかよ、こんな時に……」

 

 『永遠神銃』を介する事で今までの同調率は"零"だったが、イャガを斃す為に彼は【真如】と一ツに――真実の意味で、『永遠神剣』となった。

 自ら"零"に掛かり、"零"と化した己はもう……癒しを受け取る権利すらも喪失したのだと。

 

「まあ……仕切り直しには丁度良い。いくぞ、お前ら」

「「え――」」

 

 と、いきなり不敵な笑顔を浮かべたアキの呟きに返った驚きの声は二ツ、ユーフォリアとイルカナの声の二ツだった。

 再生治療で塞がった胸の傷を確認して――再び、戦衣を纏う。

 

「だ、大丈夫なの、お兄ちゃん? まだ塞がったばかりなのに……」

「心配要らねぇよ、俺はギリシャ神話の駿()()()()()みたく、一度死んでる体なんだ。じゃくてんつかれるいがいじゃあ弱点衝かれる以外じゃあ、二回目の死はねぇよ」

 

 アイオネアが抱いていた【是我】を受け取り、彼女が戻った【真如】のエーテルの鞘刃に装填する。それをショルダースリングで肩に担いで支えの塔を出る。

 

「あ……タツミ様。一つ、伝言が」

「『伝言』?」

「はい、原文のままお伝えします」

 

 そこでフィロメーラに呼び止められ、振り返る。すると彼女は一つ咳払いして、照れながらも意を決した後で。

 

「『――借りは返したぞ、無頼漢め。大きな口を叩いておきながら、いいザマではないか。ハッハッハ』……だ、そうです」

「――――ハハ。言ってくれるぜ、無駄猫耳め」

 

 面食らったアキは一瞬キョトンとして、口角を吊り上げて皮肉げに笑う。そして、虚空に巨大な波紋を刻みながら招聘した、一隻の強襲飛行揚陸艦。

 その浮かぶ真下には、光をもたらすものの襲撃から『完全に復興した』ザルツヴァイ。

 

「ご迷惑お掛けしました、フィロメーラさん。俺もちょっくら、家族を連れ戻すついでに神世の借りを返してきます」

「はい……ご武運を」

 

 戦意を漲らせながらの言葉に、フィロメーラが笑顔を見せながら艦影を見送る。

 

「…………フン」

 

 そして分枝世界間に消えていくそれを、インスタントコーヒーを啜りながら支えの塔の中から見送るもう一つの背中があった……。

 

 

………………

…………

……

 

 

 コツコツと金属の床を踏み鳴らし、アキは艦橋(ブリッジ)に歩み入る。因みに、本来は侵入者対策にエナジージャンプでしか入れない場所だが、アキは『透禍(スルー)』してしまうので生誕の起火を使っているが、今は関係ない。

 十人程での運用を基本としている艦橋の中央の席、即ち指揮官の席に腰を下ろす。まだ真新しい革張りの椅子は、すこぶる座り心地が良かった。

 

「さて――――それじゃあ、出撃といくか。総員、第二級戦闘配置!」

 

 等と口走りながら、無意味に足を組んで頬杖を衝いてしまう程に。無意味にテンションが上がっていた。

 

「……ところでお兄ちゃん、何処に行けばいいか、分かってるの?」

「…………」

「だろうと思いました……ハァ」

 

 それを、追い付いてきたユーフォリア逹に呆れられたのだった。

 

「ふふ、ご心配なく兄上さま。こんな時の為に、私が残ったんですよ……私なら、お姉ちゃんとの精神結合で行く先が分かりますから」

「成る程な、助かるぜ。じゃあ、早速座標を教えてくれ!」

 

 呼んで字の如く、渡りに船。否、船に渡し。申し訳なさから面接みたいな座り方になっていたアキが、イルカナの方に身を乗り出す。

 それに、極上の笑顔で向き合ったイルカナ。彼女は、チラリと。本当に一瞬だけ、ユーフォリアとアイオネアの方を向いた後で。

 

「では、遠慮なく――――ん、はむ」

「――――んムッ?!」

「「――――ふぇ?」」

 

 沙月やルプトナが希美に座標を渡した時と同じく、長く深く情熱的な接吻をアキと交わしたのだった――――

 

 

………………

…………

……

 

 

 遥か遠き雲の海に浮かぶ浮島、果て無き深遠に落ち込んでいく雲が滝を思わせる世界。

 白い雪が降り積もり、雪解け水が大地を潤し、下草の繁茂する青い湖となり、熱砂が水を飲み込み、黒土と変わり、緑の草木が生命を謳歌し、百花咲き乱れる各浮島。

 

 かつて、『理想幹神』を名乗った二柱の神が居城を構えた理想世界……時間樹の幹たる『理想幹』。

 

「行くわよ、ケイロン!外したらフォロー宜しく――デマテリアライズ!」

「退きなさい…退かねば斬る――北天星の太刀!」

 

 その内の、百花咲き乱れる中央島『ゼファイアス』。その更に中央に位置する中枢『ゼフェリオン=リファ』にて爆炎が上がる。

 下段から打ち上げて突き砕こうとした剣状の【光輝】を押し退ける形で繰り出された【心神】による斬り上げで撃破された抗体兵器の機能停止を確認するまでも無く、沙月や希美、カティマにルプトナ、ナーヤを先頭とした神剣士達は先を急いでいた。

 

「……おい、斑鳩。そろそろ休憩を取った方が…」

「そんな暇、無いわよっ! 暁君、貴方望君が心配じゃないの!」

 

 やれやれ、といった具合に絶は肩を竦めた。いや、彼だけで無く続いているソルラスカとサレスにスバルの『旅団』男性組、タリアにヤツィータの女性組、クリストファーにクリスト五人姉妹。そして、エヴォリアとベルバルザードの『光をもたらすもの』組もだが。

 

「…………」

 

 そして一行の最後尾には、気乗りしていない様子のナルカナが続いていた。というのも、この少し前に『うんうん、やっぱりジルオルはかっこいいわよね』との発言で皆から大顰蹙(ヒンシュク)を買い、それで流石に『無いわ』と落ち込んでいるだけの自業自得だが。

 

 戦術も何も無く、ただ前進を繰り返すだけの強行軍。かれこれ十五時間以上もまともな休憩を取っていない。体力は学園防衛戦で既に限界を迎えており、その精神力は−−支柱であった望の離脱で限界を迎えていた。

 特に憔悴しきっているのが、彼に好意を寄せている先陣の五人だ。ただの一歩たりとも立ち止まろうとしない。

 

「――フシュウウウウ…」

「ああもう、鬱陶しいったらありゃしない――行くよじっちゃん、ルプトナキーーック!」

 

 そんな彼女らを嘲笑うかの如く、立ちはだかる巨躯の機兵達。神代に雷名を轟かせた破壊神ジルオルの制御下に下り、『浄戒』で強化された抗体兵器はイャガが連れたモノとは較べ物にならない。

 その『峻厳タル障壁』は【揺籃】の纏った、氷鏃の蹴り『クラウドトランスフィクサー』を易々と受け止める。力同士が鬩ぎ合って、硝子を引っ掻くように耳障りな音色が響く。

 

「まだまだ、てやぁぁーっ!」

 

 そこで、もう一方から水流を放出して加速を得る。天秤はルプトナ優位に傾き、もう少しで障壁を貫通して抗体兵器をも貫通する――

 

「どんな装甲も火力を集中すれば脆いものよ……当たれい――フレイムレーザー!」

 

 本当に後もう少しというところで、勢いよく地面へマイクスタンドのように突き立てられた【無垢】から招聘された『クロウランス』が、肩口の砲門から灼熱の光線を放出。それにより、あろう事か氷の鏃と水流が蒸発してしまう。

 

 だが、抗体兵器の重装甲は弱点の魔法を持ってしても容易な突破を許さず、只でさえ『涅槃ノ邂逅』により周囲の環境は抗体兵器側の有利を生み出しているのだ。

 全く持って連携が噛み合わない五人。寧ろ、足を引っ張り合っているかの様にすら見える。

 

「フシュウウウウ……」

 

 その五人に向けて抗体兵器の眼窩より放たれる、幾条もの赤い光が『地ヲ祓ウ』。

 嵐のような攻撃に、先陣と後衛が分断されてしまった。

 

「……神剣の主が命ずる。マナよ、癒しの風となれ――ハーベス……きゃああっ!?」

 

 そして、弱り目に祟り目。攻撃で受けた傷を回復する行為は、ただ命令を実行するだけの殺戮兵器で在る抗体兵器の、傷を回復する事を許さぬ『無我ノ知慧』の衝撃波によって更に傷を刔られる結果となり……最早満身創痍の彼女達には耐え切れない――――!

 

「……神銃の主が命ずる。マナよ、輝ける澪風(エーテル)へと変わり、意味在る全てを零海に還せ――エーテルシンク!」

 

 その刹那、遥か天空に滄く澄んだ神風が吹き抜ける。蒼茫の滄風は一同を包み込むように舞い降りて致死の衝撃を無に帰して、加えて抗体兵器に作り替えられた環境を在るべき姿に還元。

 更には、『無我ノ知慧』を放った抗体兵器すらも"零"へと昇華していった。

 

「「「「「――――――え」」」」」

 

 呆気に取られる五人の眼前に着地した、瑠璃の波紋を生み出す空位(ホロゥ)の長剣小銃【真如】を携えて黒の武術着を纏う、龍の翼と尾の如きウィングハイロゥを羽撃(はばた)かせた金髪の青年。

 

「徃くぞ、アイ……俺達の手で未来を斬り拓く!」

【はい、兄さま……私は、その為の神柄ですから!】

 

 それこそ彼が『成りたい自分』として思い描いたモノだ。望めば、彼の永遠神剣はどんな姿の彼……例えば世刻望よりも人望が有り、容姿が良く、強いチカラを持った存在とする可能性も有った筈。

 だが彼が成りたかったのはそんな空虚なモノではなく、神剣の銘が示す通りの……『在るがままの姿』だった。

 

 そしてその神風を纏う龍の騎士……"天つ空風のアキ"と共に降り立つ、【悠久】のユーフォリア。

 

「前の雑魚は俺が()る。ユーフィー、後ろの雑魚はお前に任せる」

「うん。気をつけてね、空さん」

()かせ、お前こそな――」

 

 その二人は、背中合わせのままに言葉を交わして――背中合わせのまま、示し合わせたかのように、全く同時にサムズアップした。

 

「フシュウウウウ……」

 

 一機、抗体兵器が前に進み出る。新たに現れた蹂躙目標を赤い眼に捉え、そして――

 

「誰に向けてガン飛ばしてやがるんだよ、木偶人形風情が……!」

 

 全く同時に頭に両肩、両脚を粉砕された抗体兵器が崩れ落ちた。

 永遠神銃をスリングで肩に掛けて腕を組んだ青年の背後の空間に波紋を刻みながら、銃口のみを覗かせた伍挺の拳銃【比翼】と【連理】、【天涯】と【地角】、【海内】の銃弾だ。

 

 それに、残った機が危険度を算出する。『最優先で殺せ』と、光背からの光槍で『空ヲ屠ル』。が、その槍衾を全て受け止めて退けたのは……円楯。龍の鱗を敷き詰めたかのようなラウンドシールドへと変じていたシールドハイロゥ。

 それを受けて抗体兵器どもは一斉に口腔を開き、『天ヲ穿ツ』べく深紅の波動を放とうと――。

 

「目障りだ、有象無象……さっさと消え失せろ」

 

 だが――余りに遅い。アキの周囲を旋回し、二重螺旋の軌道を描く二ツの宝珠。東洋の龍が手に持つという如意宝珠を思わせる夜明の宝玉……スフィアハイロゥにより、際限無く高まっていくマナ。

 既に彼の居城たる真世界への城門は開かれて、全ての砲門は彼等……抗体兵器に狙いを定めていた。

 

 背後の虚空へと展開された、天に根を張り地に枝を伸ばす聖なる樹。十もの珠玉(セフィラ)を多数の(パス)にて結んだ『生命の樹』を形作る、オーラフォトンの砲門(アギト)

 その始源に位置する"王冠"より、各々セフィラを結ぶ三叉路を循環していく零澪(ミズ)の銃弾。それが終焉の"王国"に至った瞬間――アキは、スピンローディングにてリロードした【真如】を構えた。

 

 その銃口に展開されるのは、隠匿されし真理……"知識"のセフィラに対応するオーラフォトン。

 

「……マナの塵の、一欠片たりとも遺さずにな――!」

 

 撃鉄が墜ちる。同時に放たれた、合計で十一発もの準星の煌めき。赤黒く禍々しい波動を上回る速度で駆け抜けた蒼白く神々しい星の光が、中央島『ゼファイアス』の大地ごと抗体兵器の大部隊を薙ぎ払った――――!

 

 

………………

…………

……

 

 

 中央島の一部を完全に消し飛ばし、漸く収まった嵐。あれだけ居た抗体兵器の軍勢は、ユーフォリアに打ち倒された最後の一機の残骸しか残っていない。

 

「――ハ。俺を倒したきゃ、まずこの世に存在する全ての永遠神剣と契約して来い。"零"には"無限"でもイーブンじゃねぇぜ」

 

 その残骸へと手向けの銃弾を贈り、完全に消滅させる。

 

「くー……ちゃん?」

「た……巽君……よね?」

 

 恐る恐るという具合に声を掛ける、希美と沙月を筆頭とした五人。その一行に、彼は振り返り――

 

「――いいや、俺は空位(アカシャ)永遠者(エターナル)……"天ツ空風のアキ"だ……」

 

 もう一度スピンローディングしたライフル剣銃【真如】を肩に担ぎ、淋しげな笑顔と共にそう告げたのだった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 中央島『ゼファイアス』の中心に位置する『エト=カ=リファ』の幹にしてログ領域へ続く門、底の無い奈落より天の果てまでを貫く巨幹と、人工物としか思えぬ青い石箱が不自然な調和を見せる中枢『ゼフェリオン=リファ』。

 結界に護られたそこへ至る唯一の橋頭堡たる小浮島には、足の踏場どころか三次元的に蟻の這い出る隙間も無い程のノル=マーターが犇めいていた。

 

 元より意志も生命も持たない機械兵士達は、同士討ちも厭わない。転送装置へと各々の銃口を向けて、愚かしくも侵入者が死出の門をくぐって銃弾のシャワーを浴びせられる為に現れるのを今か今かと待ち受けている。

 その明らかな罠に繋がる転送装置が起動する。集団での戦闘を得意とするノル=マーターどもが一斉に射撃を放つ、その嵐の只中に。

 

「――遅ぇな、遅過ぎる。全く……蠅が停まって見えるぜ」

 

 頭部以外に、無限に波紋の拡がり続ける装甲……夜明け前の空と同じ瑠璃(ラピス=ラズリ)色の装甲を纏って龍翅を羽撃かせた神銃士が単騎、無傷のまま降り立った。

 涼しげに腕を組み、如何なる技か。転送装置を利用せずに現れた彼の両掌に握られた、紅玉(ルビー)蒼玉(サファイア)の弐挺拳銃。【比翼】と【連理】から発された魔法壁『イミュニティー』と物理障壁『レゾリュートブロック』がノル=マーターの弾を防いで転送装置を護っている。

 

 だが、それらはどう見たところで『彼自身を護ってはいない』のだ。天を覆う星の数程の絨毯射撃を某かの方法で『微動だにせず』、全てを避けて見せた。

 

「せめて、肩慣らし位には成れよ――タイムアクセラレイト!」

 

 それどころか。目にも留まらぬ速度にて数十機単位が縦、或いは横一閃に両断された。無論、それを成したのも弐挺拳銃。

 その片刃の銃剣(バヨネット)にて振るわれた、横一閃は灼熱を纏う朱焔の刃『ファイアフリッカー』。縦一閃は、凍気を纏う碧冰の刃『ヘヴンズスウォード』。

 

 更に、ディフェンススキルを展開した機体へと向けて撃鉄が落ちる。神剣魔法を弾頭として装填した銃弾である"神銃弾(マグナム)"、青の『サイレントフィールド』と赤の『レゾナンスレイジ』。マナ振動が停止した、一切のサポートスキルが発動しない無音の世界で、機兵は無意味な動作を繰り返すのみ。

 

「もっとスピード上げてくぜ――タイムリープ!」

 

 浮島を覆う程に巨大な、薔薇窓のステンドグラスのオーラに次いで……いつの間にやら持ち替えられた|黒い縞瑪瑙《ブラックオニキスかと白い金剛石(ダイアモンド)の弐挺拳銃は【天涯】と【地角】。

 電光を纏う刃『ディクリーズ』と暗闇を纏う刃『会者定離の太刀』が、次々と敵機を薙ぎ払う。

 

 何とか突出した黒が一機、彼へと『アゴニーオブブリード』を至近で放とうと肉薄して――放たれた神銃弾、白の『グラスプ』と黒の『ディクレピト』に身を曝す。

 

「――ハ。やっぱり肩慣らしにも成らなかったか、屑鉄」

 

 禁制のオーラで行動不能とされ、更には『浄戒』で与えられた加護も失い……最後に番えられた緑柱石(エメラルド)の大型拳銃【海内】の『インペイル』で胴を貫かれて銃口を埋められる黒。

 留めに放たれたマグナム……理力を高めて技の威力を増し、攻撃方法と防御方法、加護を奪い去り丸裸にした上で容赦無く繰り出された『エレメンタルブラスト』が、黒の内部を目茶苦茶に破壊しながら吹き荒れ――天災に巻き込まれた軍勢は、細切れにされて崩壊していった。

 

 煤煙と残骸、燻る炎が至る所に撒き散らされた小さな浮島へと、転送装置を使って降り立った学園一行。

 辺りの惨状を見回して、一番乗りの赤髪の少女は。

 

「……呆れたわ、本当に一人で制圧するなんて」

「別に問題は無いでしょう、何で苛ついてんですか? 大変だったんですよ? 島ごと消し飛ばす訳にもいかないし、チマチマと一機一機()()すのは」

「最後に大技使ったでしょ、何がチマチマよ」

「あらら、見られてましたか」

 

 腕を組んで、そう不機嫌そうに唇を尖らせた沙月の呟き。それに答えたのは転送施設に腰を下ろし、息一ツ切らさず各拳銃の手入れをしているアキ。

 その隣には、五色のマグナム弾が溢れる聖盃を捧げ持った修道女……繚乱たる百花の花冠とネビュラのハイロゥを戴いた、滄き海の媛君アイオネアが寄り添っている。

 

「けど……本当に宣言通り、たった一分であれだけのマナゴーレムを捻り潰すなんてな」

「時間を浪費するのは、この世で最も贅沢な事だぜ、ソル」

 

 手入れと使った分の神銃弾の装填を終えた伍挺の拳銃をホルスターへと戻して立ち上がる。

 促されて立ち上がったアイオネアがささやかな胸元に抱いた聖盃はエーテルの煌めきと消え、空いた両腕で彼女は嬉しそうに彼の左腕を抱き寄せた。

 

「……てゆーか、あんたの能力って一体何?今まではまだ効いてた、あたしの治癒魔法とかオーラまで効かなくなってたじゃないのよ」

 

 そこに歩み寄ったのはナルカナ。基本、自分の思い通りにならない事が嫌いなので腹立たしげに眉根を寄せる彼女に、彼はしれっと。

 

「――ハ、莫迦莫迦しい。自分の性能(チカラ)をひけらかして自慢する莫迦が、一体何処に居るってんだよ」

「何をー! 不敬よ、アキの分際でー! ナルカナ様を敬えー!」

 

 そう厭味ったらしく鼻で笑って……さながら虚仮にするかの様に口にした。仮にも第一位の、永遠神剣の意志を。

 アキの安い挑発によって呆気なく爆発したナルカナが掴み掛かろうとした瞬間――二人の間に割って入った、小さな蒼の少女。

 

「ふふーん、何を隠そうお兄ちゃんは『最速』の神剣士なんですよっ! 時間とか空間的な速さじゃなくて、概念事象としての最高速度なんです!」

「『最速』〜?」

 

 ユーフォリアは得意げにナルカナへと向かって無い胸を反らして、そんな事を言った。

 

「――って、何でお前が言うんだチビ助ッ! もっと溜めさせろよ! 少しくらい勿体付けさせろや!」

「はにゅううぅぅ〜?!」

 

 そんな彼女の背後から手加減無しにむぎゅーっと、思いっきり頭の羽根を握り締める。

 それに余程びっくりしたのだろうか。ユーフォリアは突飛な泣き声を上げて、雛鳥が羽ばたくように両腕をバタつかせた。

 

「は、なーにが最速よ。だったらあんた、今すぐ此処で風力・温度・湿度を答えて見せなさいよ!」

「南東の風、風速0.3メートルに気温20℃、湿度32%」

「普通に答えた!」

「あのな、俺の得物は銃だ。射撃ってのは遠距離になればなる程、気象条件が重要になるんだ……おお、これは中々……」

「ひゃあっ、やめてお兄ちゃん、そこはだめぇぇっ!」

 

 『ぎゃらっしゃー!』と憤慨する草薙の剣。その背後からどうどうとスバルが宥めようとしていたが、多分効果は無いだろう。

 その間にも、もにもにと手触りの良い白い羽根を揉みしだく。

 

「察するに、どんなに優れた剣や楯を持っていても『先に斃された相手にそれを使う機会は無い』……そこを追求した、最強の剣と楯を兼ね備えた能力という訳か」

「成る程な……しかしどんなに速くても、付け入られる(チャンス)は無くならないだろう。例えば……同じ概念とか?」

「普通の奴なら、な。だが、俺の概念に破綻は無いぜ。我が概念は『因果と結果の直結』……終わりを始まりに、始まりを終わりに……俺には付け入られる『過程』自体が存在してないからな。俺の起こす因果は、必ず狙った通りの結果を履行する銃弾になる訳だ」

「巽せんせぇー……、ソルラスカ君とルプトナさんとナルカナさんが付いてこれなくて寝てまーす」

 

 サレスと絶の言葉に道理を返し、希美の言葉は敢えて聞き流す。

 【真如】の銃弾は真理を履行する銃弾だ。過程の存在しない銃弾は因果……則ち『装填された』瞬間に結果……狙った対象が何をしようと、既に『撃ち抜いて』いる結果を出しているのだ。

 

 それは、タイムラグ零秒の因果と結果。神にさえ付け入る隙は無い、効果はただ、相手を撃ち殺す事だけを設定されており――事前に用意していた用意すらも無為へと還す、真性悪魔の魔弾。

 

――だが、この世界に於いて過程抜きに物事は成立しない。だから銃弾は飛翔しているように見える。まぁ、あくまでも『見せ掛け』なんで……命中した瞬間にその間に起きた事象を全て"スキップ"して結果を出すんだが。イャガはそれを受け、『逆行した』と錯覚したのだろう。

 にしても、これは良い羽毛だ。枕に最適かもしれない。そんなに量は採れないだろうけど。

 

 水鳥に似たユーフォリアの羽根の手触りを愉しみつつ、そんな事を考えた……その時。

 

「きゅうぅぅ……だめぇ……許してぇ、お兄ちゃぁん……」

「……っああ、悪い悪い……」

 

 敏感な部位を長々と弄られた所為か、頬を朱色に染めてうるうると涙ぐんだ眼差しで見上げてくる。責めるような、だが信頼しきった透明な瞳に見詰められたその刹那……自分自身、訳の解らない衝動が全身を駆け抜けた。

 まるで電気にでも触れたかのように素早くユーフォリアを解放する。彼女もまた電気に触れたように勢いよく離れると、羽根を押さえながらアイオネアに抱き着いた。

 

「ふえぇ〜ん、アイちゃあ〜ん……お兄ちゃんに好き放題に弄ばれた〜……もうお嫁にいけないよぉ……」

「むぅ……兄さま、弄りたいなら……私の角だって、えっと、その……」

「誤解を招く言い方してんじゃねーよ! お前ら、何だその冷たい目……見てただろリアルタイムで」

 

 泣きじゃくる天使の翼を持つ少女の背中を撫でつつ、ぷーっと頬を膨らませた龍角の少女と学園一行……特に、女性陣の冷たい眼差しに曝される。

 

「ええ、じっくりと見てたわよ……駄目じゃないクー君、公衆の面前で愛撫(ペッティング)は良くないわよ。そういうのはベッドの中でやりなさい」

「とにかァァく! 俺こそが最速! 何人たりとも、例え神だろうとも俺より速く走らせねぇ! スピードイズパワー、速さこそ強さだ!」

 

 中には例外的に、面白がっている朱いショートヘアの女性も居たが。それらを振り切るように気勢を上げた。

 

「でもねぇ、あんまり早漏(はや)過ぎるのもちょっと……」

「そうね、考え物だわ」

「ご心配無く姐さん、姐御……俺は中折れ無しの無限弾倉なんで」

「あら……二人相手くらいお茶の子済々って事? それは愉しみね」

「ハハ、そりゃあ(あやか)りたいもんだ」

「あんた達、何の話をしてるのよ何の話をっ!」

「「「「何って……ナニの話?」」」」

「こいつらは〜〜!」

 

 顔を赤くしたタリアに突っ込まれ、『冗談通じないよね』とばかりにアキとヤツィータとエヴォリア、クリフォードはやれやれと肩を竦めた。

 

「てゆーかさ、ボクだけなのかもしれないけど……強い空とか、何か詐欺っぽくない?」

「ああー、判る判る。ボクも何かそんな気がする!」

「そうじゃな……あきは弱くても諦めず、その上で報われないのが存在証明じゃったからの」

「それに、アサシンの癖に焼け野原みたいな髪色ですし……」

「要約すると強くて厭味で派手な金髪男か……最低の人種ね、アンタ」

「ゼゥったら……そういう事は思っても言うんじゃありません」

「ミゥ……それはフォローになっていないと思うぞ」

「ルゥ姉さんもですけどね……」

「……役立ってまで、なんでそこまでボロクソ言われなきゃいけねーんだ! あと姫さん、なんでわざわざ焼いた? 天パですか、天パの事を言ってんですか!」

 

 一気にだらけた空気が広がる。それは、二十時間近い継戦時間の中で初めての休憩時間だった。

 そんな中、瞑想するように周囲の気配を探っていたベルバルザードが目を開く。

 

「この先に凄まじい力を感じる。恐らくは……」

「判ってますよ、奴とは……俺一人でケリを付ける」

 

 言葉を遮ったのは、気怠げに髪を掻き上げたアキ。それに一行は、当たり前だが驚いた顔を見せた。

 

「一人って……ちょっと巽君、一体何を言ってるのよ」

「そうだよ、空くん! わたし達は皆で協力して望ちゃんを取り返す為に……」

「空位の担い手"天つ空風のアキ"の名に於いて命ず――……()()()()()()

「「「「「「――――――――!?」」」」」」

 

 その瞬間、彼の左手に招聘された【真如】。そこから発された気に、一行は指先一つ動かす事が出来無くなる程に身を縛される。

 

「くうっ……ちょっとアキ……アンタ、強制力なんて……なんであたしまで……」

「流石は【叢雲】の意志ナルカナ……第一位ともなると理解が速くて助かる」

 

 説明するのが面倒臭かったのか、またも気怠そうに溜息を落として……苦笑いした。

 

「理屈は判ってんだけどさ……心が納得しないんだよ。もう今は関係ないけど……前世(オレ)だって俺な訳でさ……」

 

 そうして歩き始める。死を賭してまで追い求めた"家族"を残して、ただ一人……皆に背を向けて。

 

「――負けっぱなしは、趣味じゃねぇんだよ」

 

 何の因縁(よすが)なのだろうか、神世とは真逆に、今度は彼の方が……"天つ空風のアキ"が、"破壊と殺戮の神"の待ち受ける決戦場へと向かって行った……



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再演 南北天戦争 Ⅱ

 大空を穏やかに吹き抜ける天風。香しい花の香りを孕む風を身に受けつつ、花霞により朧に霞む中枢島『ゼフェリオン・リファ』を対岸に望む。

 そこに感じる強大無比なジルオルの気配と、ちっぽけな抗体兵器にノル・マーターのオリジナル機の気配。あれを壊せば、少なくとももう敵戦力が増える事はない。

 

――さて、状況掌握といくか。待ち受けるジルオルと第五位【黎明】。聞いた話ではナルカナにより産み出されて与えられた永遠神剣、暁の【暁天】も同じらしい。そもそも、奴は『()()()()()()()()()()()』らしいが。

 何より厄介なのが『浄戒(じょうかい)』だ。理不尽なモノならば物の数じゃねぇが……イャガの前例がある通り、俺は『()()()()』意味の攻撃には弱い。

 

 ふと、焦躁にも似た疑念を抱く。剣銃身(バレル)部分に三重冠のハイロゥが配置され、それぞれが逆方向に緩やかに回転。穏やかな神風を生んでその風を繭の如く纏って、時折透明化してすら見える【真如】を番えたまま、左の親指を眉間に当てて思考するも……舞い散る粉雪を掴もうとするように、もどかしく掴めない。

 

――『兇屍(リビングデッド)』の俺に、神を縛る『戒めを浄する』何て言う聖句みたいな効果がどう出るかなんて食らわなきゃ分からない。勿論、そんな百害あって一利無しなギャンブルをするつもりもない。

 

 足を止めて仁王立ちし、一服。単分子ワイヤー内蔵のオイルタンクライターで煙草に火を点す。

 紫煙を燻らせながら見下ろす時間樹の幹、遥かに沈み行く雲海の底には南北天戦争の舞台であった『根源回廊』が在るだろう。

 

――あそこで、俺は奴に負けた。負けて、死んだ。そして今……もう一度挑む機会を得たわけだ。

 ただし、有利な事は何もない。ジルオルの実力と今の俺の実力は()()、『強者殺し(ジャイアントキリング)』の俺が、唯一苦手な相手だ。

 

 そんな弱気を起こしもしよう、それ程の相手だ――破壊と殺戮の神ジルオル=セドカは。

 

「ハ――まぁ、同じ相手に二度も負けるつもりはねぇがな」

 

 フィルターのみとなった吸い殻を、浮き島の外へと弾き飛ばす。ここから見えようもない根源回廊に向けて、吸い殻は紅い螺旋状の軌跡を残しながららっかしていき落下していき……やがて見えなくなった。

 神世の古に、最強と呼ばれた神性。その苛烈さは、今も最も恐ろしい記憶として遺伝子に刻まれている。

 

「――フッ、ハ――」

 

 思わず、乾いた笑いすら仕抉(しくじ)る。膝が笑い、心臓が拍動を出鱈目に刻み――

 

【――大丈夫です、兄さま……兄さまは絶対に負けません】

(――アイ……)

 

 左手に握る、瑠璃の波紋が広がり続ける宝石の鞘刃に装填された永遠神銃(ヴァジュラ)【真如】。レバーアクションの用心鉄を握り締める拳から、余計な力を抜く。

 

(……悪い。何をナーバスになってんだろうな……俺らしくもない)

 

 そんな無明常夜に響く、月影の注ぐ滄い海を思わせる安寧。遥か劫初に喪われた、生命を産み出した海原(オケアノス)の潮騒。

 

――神世の古に、写しの世界……そうだ、俺はお前に挑む度に敗北を喫してきた。

 

 その雪辱と息巻く事はない。敗けは敗けだ、今更それを揺るがす事は出来ないし、しようとも思わない。

 

――だが、これが終わりなんだと分かってる。そして、始まりである事も。

 まぁ、何だ。つまり『()()()()()()()』とする俺は……裏を返せば『()()()()()()()()()()()()()()()()()()()』って訳で。

 

「ハハ――」

 

 それに気付いた時、思わず失笑した。目前に迫る破壊神との闘いに対してではなく――自分自身が手に入れた『永遠』という、あまりに空虚な存在意義に。

 

「――迷う事なんてない。やってやるさ、そもそも風は立ち止まらないし……何も残さない。ただ独りだけでも、不実の虚無でも、駆け抜けてやる」

 

 その虚無感を、不撓不屈の『壱志(イジ)』にて克服する。空いている右の拳をきつく握り締めて、己を叱咤するべく声に出して。

 

「……うん、大丈夫。お兄ちゃんなら、絶対に勝てるよ」

「――ユーフィー……」

 

 歴戦の刀剣の如く傷だらけの、青年の刃金の拳を柔らかく温かな少女の掌が優しく包む。さながら、『鞘』の如く。

 目を向ければ、陽光の注ぐ蒼穹を思わせる長い髪と澄んだ瞳。その空を流れる、自由な雲を思わせる白い羽根。幼い姿ではなく、同年代くらいの成長した姿の彼女は、本心から祈りを捧げるように穏やかに微笑む。

 苦笑して、握り締めていた拳を解く。そして少女の頭に掌を載せると――

 

「――って、何で居るんだお前は! 強制力はどうした!」

「はぅぅ~~っ! どうしたって、いつのまにかこの姿なってたから普通に付いて来ただけなのに~~!」

「『普通に』ってお前な……それが出来ないから『強制力』って言うんだよ!」

 

 【真如】を肩に担いで、両手で思いっきり羽根を握り締めた。またも弱点の羽根を締め上げられて、ユーフォリアは涙目でアキを睨み上げる。

 

――だから、何でコイツには『透禍(スルー)』とか『強制力(ギアス)』が効かねぇんだよ……地味に凹むっつーの。

 

「むぅ~……せっかく、励ましてあげたのに」

「頼んでねぇよ、超が付く程に大きなお世話だっての」

 

 不服そうにぷくーっと頬を膨らませ、腰のウェストポーチから取り出した櫛で乱れた羽根を梳る。

 溜め息を落として、そんな少女を見遣る。見る度に思う事だが、幼い時から目を見張るような美質を持つ彼女は、少女期に在って既に一枚の絵画のようだ。

 

「それに……お前には悪いけど、よくよく考えたらまた俺の敗けだろうぜ」

「え――?」

 

 一瞬高鳴った鼓動を誤魔化すように紡がれた言葉に、ユーフォリアはキョトンと元々から円らな目を真ん丸にして、櫛をバックに戻す。

 

「そ、そんな事無いよっ! お兄ちゃんは……絶対に勝つもん!」

「当たり前だろ、勝つさ……けどな、俺は()()()()()()()()()()()のさ」

「……ほえ? どういうこと?」

 

 意味が分からず、訝しむように見る彼女にお手上げのポーズを見せる。さいごに、愛らしく『むむ~~』と悩んでいるユーフォリアの丸っこい頭を撫でてやれば――髪を乱される事を嫌がりつつ、『ふにゃ~~』と破顔する様を間近で見せられた。

 

『あたし、あっくんのことだいすき~~!』

 

 その時、ふと感じた衝動。幼い頃の大事な記憶を思い出したような感動にこのまま、攫ってしまいたくなるような……そんな衝動だった。

 無論、刹那に消えた感傷。堪えた後に、見掛け上は歳上としての威厳を示す。

 

「……っと、兎に角お前はここで待ってろ。さっさとあの野郎を打ちのめして連れてくるからよ」

「やだっ、あたしも行くもん」

 

 そのタイムラグたるや、実に零秒。ツーと言えばカーと答えるように、身長差から見下ろす具合で紡がれたアキの言葉に、これまた身長差から見上げる具合で即答したユーフォリア。

 

「我が儘言ってんじゃねぇよ、男の勝負に口を挟むな!」

「やだやだ、や~だ~っ! 行くったら行くったらイクの~~~~!

「コラッ! 女の子が何て事言うんだ、コラッ!」

 

 互いに『(怒)』マークを浮かべて、鼻を突き合わせて恫喝しあう。さながら、喧嘩友達とでも言うように。気の置けない幼馴染みのように。

 

――そんな間柄が、実に心安らぐんだ。最初、俺はコイツを、太陽を見詰めながら咲く向日葵のようだ思ったけど……その実、コイツ自身が太陽だったのだろう。

 だから……時々。月影しか見た事の無い泥亀の俺には……眩し過ぎて、ちと辛い。

 

 だから青年は、右手をアオザイのクワンのポケットに突っ込み、左手で跳ねっ毛の金髪を掻いて。

 

「……なぁ、ユーフィー。少し前に約束した『カオスに行く』って話だけど……あれ、キャンセルな」

「えっ……? お、お兄ちゃんごめんなさい、ごめんなさいっ! もうわがまま言わないから……何でもするから……だからぁ……」

 

 一頻りポカンとした後にいきなりしおらしくなり、うるうると瞳を濡らして……祈るように指を重ねて口にした少女。

 その仕草に何か、心の奥底からこみ上げてくるようなものが有り、思わず真正面から抱き締める。そして真っ赤になった耳朶に、寄せた唇で囁き掛けた。

 

「――ふぁう……あの、その……」

「勘違いすんなよ……俺は一度した約束は破らない。必ず、お前の……お前の手は、この俺が引く……」

 

 ギュッと、彼女を抱く両腕に力を籠める。これから受ける痛みを耐え抜く為の、鎮痛剤(モルヒネ)のようだ。

 優しく後頭部を撫で摩り、蒼穹色の長い髪の滑らかな、ひんやりとした感触を愉しむ。それはまるで、愛を囁くように。脳髄に響く重厚なバリトンの声に少女はふるりと、恍惚に身を震わせる。

 

――ああ、そうさ……『妹』だとか何とか、誤魔化すのはもういいだろ。流石にこれ以上は、無粋ってもんだ。

 本当は、気付いてた。ああ、そうだ、俺は――――……

 

「お兄ちゃん……」

「……ん?」

 

 間近で見詰め上げる蒼穹の瞳を見詰め返す、深く濁った琥珀色の龍瞳。幻想種の頂点に立つと言う龍種、その濫觴である輪廻龍(ウロボロス)の眼差しは、深層心理の具現たる守護神獣に二頭の龍を産み出したユーフォリアには、抗いがたいのかもしれない。

 縫い付けられたように目を逸らさないまま、彼女は小さく息を呑む。自らを抱き竦める男の屈強さ、浅黒く靭やかな龍鱗を思わせる肌に硝煙と焼けた刃金の香り。

 

「あの、あたし……えっと、あの、あの」

「ああ…………ハハ、皆まで言うな。今すぐ答えなくていい、後で聞かせて貰うさ」

 

 弱いからこそ、強くあろうと足掻き続けるその在り方。最良ではあるが最弱の永遠神剣・空位【真如】を担い、力や数など、己を凌駕する敵にこそ撃ち克ってきたこの男。

 迷いや苦しみすらも『是』とし、【真如(いのち)】の代償にその魂すらも【無明()】と換えて。

 

「けど、覚悟はしとけよ? 俺は風、嫌いなモンは吹き飛ばし、好きなモンは吹き拐う……嫌がられてでもな」

 

 対にして同一たる二振りの神剣を宿すその存在は正しく『刃』そのもの。『色即是空 空即是色』、一つの体に『生死』という矛盾を体現した覚者。

 自身の選んだ道を迷いながらでも貫き続ける彼女の父親『聖賢者(ヒーロー)』と全く同じ道を歩みながらも、その対極に在る者。この男は――――『惡ノ華(ヒール)』であった。

 

「この『(やいば)』が――『天つ風のアキ』が、な」

 

 己の名を名乗ろうとして、ふと口を衝いた『刃』の単語を訂正しながら……そう、場の空気を(ほだ)すようにお道化(どけ)て抱擁を解いてゼフェリオン・リファに向かって歩き出した。

 

「うん……一緒に、居たい。あたしも……『悠久のユーフォリア』も、お兄ちゃんと……アキさんと、ずっと……」

「…………ユーフィー」

 

 その背中に、ぽふっとユーフォリアは抱き付いた。抱き付いて、巌の如き背中に顔を埋めながら、恥じ入るようにぽつりぽつりと呟いた。

 胸元で重なる小さな掌に、武骨な掌が被さる。生まれて初めて味わう、充たされたその気持ちを伝えたくて。

 

「……有り難う。御免な、愛してる」

「――う、うにゅうぅ~~~~……」

 

 そんな、彼女を真っ赤に変えてしまうような意地悪を口にしたのだった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 青い巨石の積み上げられた中枢部。物理的にログ領域へと到る唯一の門であり、時間樹の幹でもある『理想幹』で最も初期に存在し……神代の争乱『南北天戦争』の舞台である時間樹エト=カ=リファの発祥。この時間樹の種子・根元にあたる『根源区域』の風景を垣間見る場所。

 天空から奈落までを貫いている幹の真中に在る僅かな足場。そこに、現世に帰還を果たした破壊神は立ち尽くしていた。

 

「…………」

 

 二刀一対の双児剣である永遠神剣第五位【黎明】を石畳に突き立て、瞑想するかのように……傷の一つも負う事無く、抗体兵器やノル=マーターの残骸の海の只中に。

 

 その両脇に一列で整然と列ぶ石棺(たんまつ)には、増殖の為に精霊回廊へと繋がれた抗体兵器とノル=マーター。

 それらはジルオル=セドカの放つ圧倒的な神気に()てられて、既に彼の支配に下っている。

 

 そして今、練り上げられた万物の源たるマナが次第に(カタチ)を結び……新たな機体を造り出した。

 

「――ハァァァッ!」

 

 その瞬間、ジルオルは振り向き様に右左の順で【黎明】を引き抜くと――裂帛の気合いと共に、二閃させる。

 斬り下ろしの初太刀に、斬り上げの二の太刀を……本来は敵に見舞う『デュアルエッジ』。双刃は何も無い空間を薙ぎ払って、不可視にして無音の銃弾を打ち砕く。

 圧倒的な二ツのチカラの鬩ぎ合いに、先に空間が金斬音を上げる。その空間の歪みから生じた衝撃波だけで、ノル=マーターの数機が圧潰した。

 

「流石、と言いたいところだけど――大の男がお人形遊びか。良い御趣味だな、ジルオル=セドカ?」

 

 それを成したのはやはり転送装置を利用せずに現れたアキ。暗殺拳銃(デファイアント=デリンジャー)【烏有】から空薬莢を排して二発の神銃弾(マグナム)を装填すれば、波紋を刻みつつ透徹城内に収蔵。徒手となった両手を組んだ。

 体躯に纏うはいつも通り黛藍色の、拳から前腕までを覆うダラバのモノに良く似た蛇腹状の篭手と……カティマのモノに似た鋭角な脚甲のみ。

 

「一体、誰かと思えば……随分と懐かしいな、クォジェ=クラギ……傍らの小娘は知らんが」

「望さん……わぷっ」

 

 目を上げたジルオルが睨みつける先には、黒いアオザイ風の戦装束の彼と共に現れたユーフォリア。破壊神の向ける温度の無い眼差しに望とジルオルの違いをまざまざと見せ付けられ、彼女はショックを隠しきれないようだった。

 そんな彼女の頭にぽすんと右掌を乗せると……少し乱暴なくらいに、わしわしっと掻き混ぜる。

 

「多寡が神様をシバき廻すだけだ――直ぐに終わらせる、ちょっと待ってろ」

「……うん……」

「言ってくれるではないか、蕃神風情が……よかろう、今度も我が剣の錆としてくれる」

 

 しおらしく俯き加減に頬を染めて、上位永遠神剣第三位【悠久】を抱き締めたままにちらちらと上目遣いで見上げて来る。

 その表情の可愛らしさたるや、もうロリコンの謗りを受けた所で構わないと思える程だった。

 

「無理だな。なんせ今回、勝利の女神が付いてるのは俺の方だ」

「……『勝利の女神』、だと? ハ、その小娘がか。下らん、我が『浄戒』は神を屠る神名――相手が勝利の女神であろうと調和の女神であろうと、運命の女神であろうと……全てを殺し尽くすのみ」

 

 不愉快げに眉根を寄せたジルオルが、【黎明】を構えて宣言する。だが、そんなどうでもいいモノは最早……視界にすらも入らない。

 "多幸感(ユーフォリア)"とは良く言ったモノだ、信頼に満ち溢れたその瞳と、丸っこい頭に触れた掌を透して……じわりと、渇ききった伽藍洞の自身に幸福な気分が染み入ってくる。

 

――さて、充填はもう充分だな……面倒臭ぇけど、始めるとするか。

 

 半身から引き裂かれるように視線を、掌を離す。気分はさながら……敵を殺す為に、"鞘"から抜かれた"刃"のようだ。

 その主の決意に応えるかのように、虚空に刻まれた透徹城に繋がる波紋の門から銃床が迫り出す。

 

「やるからには、手は抜かねぇ……()る気で来い、こっちも殺りに徃く……!」

 

 引き抜かれた彼の永遠神銃【是我】、その三重冠のハイロゥが高速回転――螺旋の渦を描くエーテルの刃を纏う、永遠神剣空位【真如】を振り翳す。

 

【はい……全てを薙ぎ払ってご覧にいれます。今の私は……】

 

 その時、流れ込んだアイオネアの意志。媛君の静かな怒気に呼応し、ハイロゥの回転が更に高速化。暴走するかのように勢いを増していき、軋みを上げ――――やがて臨界を迎えて、幾重にも乱気流を巻き起こしながら竜巻を纏う。

 マナ結合を、いや……あらゆる事象事物が成り立つ『(よすが)』を断ち切る真空[エーテル]の、淡く青藍に煌めく無形の刃が全てを……万物が始まる以前にそうであり、且つ終わった以後にそうなるモノ……小賢しい言葉などでは到底表現出来ぬ『何か』へと、存在事項の一片すらも許さずに還していく。

 

【――今の私は、第一位永遠神剣すらも凌駕しますから……!】

 

 それは彼女の神銘が示す通りに、『万物の本体としての宇宙万有に遍く存在する永久不変・絶対不易の真理』。

 横一閃の烈風により斬り開かれた黄泉路(すいへいせん)はジルオルに先駆けてアキを狙った、新たに造された機体、母胎となる機体、石棺を纏めて"未定義"の『空海』へ呑み込んだ。

 

 それは『戦闘』と呼べるような上等なモノ等ではなく、ただの『清掃』。

 風は誇り高き血斗場(いくさば)に存在するには不相応な有象無象を薙ぎ払い、血斗者(おとこ)二人と立逢人の少女を残すのみ。

 

「始めるか、終わりを……な」

 

 スピンローディングにより空薬莢を排し、新たな銃弾を装填された永遠神銃。

 その夜明け前の空と同じ色をした瑠璃(ラピス=ラズリ)の宝石剣を向けて、この神剣宇宙で最速たるエターナルは宣告した。

 

 

………………

…………

……

 

 

 鬩ぎ合う剣閃は文字通りに閃光。白く焼け付く灼光を纏う双児剣を振るう苛烈な攻め手はジルオル、滄く淡い燐光を棚引かせる剣銃を振るう流麗な守り手はアキ。

 一刀流のアキに対してジルオルは二刀流のアドバンテージを最大限に活かし、片方を受け止めさせてもう片方で急所を断ちに掛かる。

 

「――ハァァッ!」

 

 速く、今の剣閃が防がれるのならもっと速く。多く、今の一太刀が防がれるのならば…もっと多く。止まる事を知らぬ豪雨を思わせる、間断無きその斬戟。

 本来、両手を用いる一刀流に威力も速度も及ぶべくも無い二刀流。だが、その手数と神故の常識無視の膂力こそが『破壊と殺戮の神』として、彼を高みへと押し上げた神髄だ。

 

「――ッ、ふッ! ハァッ!」

 

 だが、"天つ空風のアキ"はそれを流れる雲か水の如く、淀みの無い剣撃で造作も無く捌き斬る。元来、速度に於いて彼は"最速"。何の追随も許さない。

 ただ、『空位(ふじつ)』である為に永遠神剣が担い手に与えるべき身体強化を得られず、"零"の特性『透禍(スルー)』で『聖なる神名(オリハルコン=ネーム)』の祝福(のろい)も刻まれぬ空位の担い手には、"永遠神剣"と"聖なる神名"の両方の補助を得る破壊神の力は手が痺れる程に厄介なモノ。

 

 だが、チャクラムの如く鋭利に回転するハイロゥ。もしも斬撃が命中すれば『斬る』と全く同時に骨肉を『刔る』事で致命を絶命に変える効果を発揮するだろうその円刃が巻き起こす風を、波紋の刃の峰側へ向けてのみ噴出する事で加速を得て、神の膂力に対抗している。

 

 至近より突き出された右手の一刀『オーバードライブ』を舌打ちしながら、スウェーで避けた――と見せ掛けて。【真如】を双刃剣のように使い、『北天星の太刀』を思わせる技を持ってジルオルの顎を楔型をした銃床で殴り上げようとする。

 それをもう片方の【黎明】で受け止め距離を取ろうとしたジルオルに向けて――上段から、勢い良く振り下ろす『南天星の剣』。

 

 それを、予め予想していたとでもいうのか。ジルオルは【黎明】を一本の大剣と変え、速さと手数を棄てて威力を得る。

 繰り出された下段から刷り上げる剣戟は――彼の代名詞である技、全ての神が恐れた『浄戒』の一戟『ネームブレイカー』。

 

「――ッ!」

 

 大気が鳴動する程に強大な破壊力のぶつかり合いに……歯噛みをしたジルオル。【黎明】を引き、離脱しようとして――高速で回転するハイロゥに搦め捕られた己の剣にそれを阻まれた。

 鍔競り合いながら、押す事も引く事も出来ずに睨み合う。

 

「見誤ったぞ……成る程な、それは『刀剣砕き(ソードブレイカー)』として使うモノだったか……!」

「御明察、少しばかり――気付くのが遅過ぎたけどなッ!」

 

 【黎明】を分離して脱出を試みたジルオルに先んじ、拘束する為に大剣の柄に巻き付いた永遠神銃の銃床に繋がったままのショルダースリング。

 それに気を取られてしまったのがまずかった、敵から視線を反らしてしまった事にジルオルが気付くと同時に――強烈な引きと共に、その端正な顔にアキの右拳による『裂空掌破』が減り込む。

 

「ッ貴様……!」

 

 殴り飛ばされ、しかし【黎明】を手放さないジルオル。反撃の為に拘束するアキごと【黎明】を思い切り引き寄せ、クロスカウンターの『オーラフォトンブレード』を繰り出そうとして――

 

「ッらァァァァッ!」

「クッ!?!」

 

 それを予想していたアキに、もう一撃を……破壊神の膂力を利用して、突き出したまま左拳に握られた剣銃【真如】のトリガーガードをメリケンサックの替わりに使った『崩山槍拳』を直撃され、更には一歩深く踏み込まれて零距離で拳を振り抜く『無体』まで受ける事となった。

 流石に堪え切れず殴り飛ばされて、辛うじて踏み止まった破壊神。ゆっくりと顔を上げて、口許から流れ出た血を拭い憎々しげに睨むジルオルの目に映るのは――地面に突き立てられた二本の永遠神剣【黎明】と【真如】。

 

「さあ、来いよ。こっからは互いに一対一(ガチンコ)と行こうぜ。それとも……神剣無しじゃ、怖くて喧嘩も出来ないか、坊や?」

 

 そして、無造作に……しかし隙無く右手を腰の後ろに当てて左の掌を天に向けた状態で前に突き出し、四本の指をクイクイと動かして挑発してのけたアキの姿だった。

 

「図に乗るな、蕃神がァァッ!」

 

 受けた恥辱に、激昂して吠えた破壊神。それを澄まし顔で迎えるエターナル。

 繰り広げられる、拳同士の戦い。他の要因など紛れ込みようの無い、持ち主自身の実力の競い合い。

 

 それを圧倒しているのは……掌底で受け流し、肘打ちで守りを砕き、後回し蹴りを腹に決めたアキ。

 

 原始的で『本能』に任せたままのジルオルとは違って、彼は『人』が連綿と重ねてきた拳法(れきし)……大怪我をした時を除いて、この旅の始まりから欠かす事無く鍛練し、実戦にて磨き上げてきたその『技術』を駆使する事で、『神』すら圧倒している。

 

「……っ」

 

 それを見守りながら、苦しげに歯を喰い縛ったユーフォリア。

 アキが負けるとは思っていない、ただ……あの"家族想い"の青年が、家族と戦っている事が……"家族"を護ろうと研鑽してきた技を、その"家族"に使わなければならない彼が……哀しくて仕様が無かった。

 

「不利なのはお兄ちゃんの方……望さんに癒えない傷を負わせる訳にも、まして……『透禍』の銃弾を使う訳にもいかない……」

 

 彼女が思い返すのは、この中枢島『ゼフェリオン=リファ』に到る空路で彼が呟いた言葉。風を斬り徃く青年の背を【悠久】に乗って、追い掛けていた際の事。

 彼の携える宝石剣は霊魂まで斬り裂くダマスカスブレード。加えて『銃弾』では加減する事が出来ず、生命自体を終わらせてしまう。

 

 『じゃあ、どうする気なの?』と尋ねた彼女に鷹龍の(つばさ)のウィングハイロゥで飛翔する彼は、心底面倒臭そうに『俺の技は、一撃必殺が信条だからな』と。

 自慢とも卑下とも取れる前置きをしてから、頭を掻いて……。

 

『要するに……殺すより生かす方がずっと難しいって事だよ』

 

 到底、生命を奪う事に特化した暗殺者(アサシン)らしからぬ言葉を呟いた。

 

 瞬間、風洞の世界に響く破砕音。ジルオルの『浄戒』が籠められた拳が、石箱を粉砕したのだ。

 技術と速度では神たるジルオルを圧倒したアキだが、威力では神名持ちのジルオルに大きく分がある。まともな一撃を受ければ、それだけで勝負が決しかねない。

 

 さりとて……例え投石と砲撃の違いが在れども、当たらなければ意味が無い。その拳打を躱して、反転しながら繰り出した拳がジルオルの鳩尾に刔り込まれた。

 威力は低けれども、確かに波紋を刻む一撃が。そして――波紋は幾つも重なり、海洋すらも動かす大波となる。

 

「……カハッ……!」

「――どうした、こんなモンか! テメェが"家族"よりも頼りにしたのはこんなしょうもねぇ力かよ、望!」

 

 遂に片膝を突かされたジルオル。荒い息を吐き、俯いた神に向けて彼は。

 

「ハ、これだから与えられた力で粋がる奴は骨が無ぇぜ……テメェは結局、永遠神剣と神名が無きゃあその程度なんだよ!」

 

 そう、叫ぶ。ありったけの嘲笑と侮蔑を籠めて――『諦めた』男をそう嘲る。

 ジルオルは、それを己が事として受け止めて。

 

「……そうだとも。何の意味も無く根源で消えようとしていた我は、セフィリカとナルカナに救われた小さな存在だ。だからこそ生きる意味が欲しかった。この世界に、生きる意味を……探したかった」

 

 独白するように、呟く。彼の存在する……いや、『した』理由を。"或る高次元の存在"により、この時間樹エト=カ=リファの創世に使用されて……その搾り滓として、後は消え去るだけだった彼。

 

 根源にて樹の根に繋がれ、記憶も無く。緩慢に滅びを迎えていた彼を見守った『誕生を司る太陽神』"セフィリカ=イルン"。そして……永遠神剣第五位【黎明】を与え、彼の手を引いたナルカナ。

 その二人によって、彼は奇跡的に生きたまま牢獄から解き放たれて外に出た。生きる意味を探して――不条理なこの世界を見て回った結果、彼は破壊神となったのだ。

 

「判る訳ねぇだろ、そんなモン……誰一人だって、自分が生きた意味なんて判る訳ねぇんだよ」

「では……お前はそれで良いというのか、クォジェ……無意味に生き、無意味に死んでも……」

 

 顔を上げてアキを見るジルオル。その目には何か、試すような意思が見られる。

 

「それも生きるって事だ。生きた意味なんてのは、後を生きる奴が先で倒れた奴を追い抜いていく時に、その死に様を見てから決めるモンなんだからな……それとな、俺は巽空だ。クォジェ=クラギじゃねぇ……殺したのはお前だろうが、間違えるな」

 

 抗戦の意思を失った事を悟り、戦闘態勢を解いた彼は仁王立ちのままで腕を組んだ。

 

「死人は大人しく死んどくのが正しい"生き方"だ。俺もお前も、難儀な"死に方"選んじまったな」

「違いない……生きる意味を探していたつもりが、いつの間にやら……摩耗していた」

 

 そのまま苦笑しあう。世界を産み、それを壊す事になった破壊神。そんな破壊神に憧れ、故に嫉み、転生を繰り返した悪神。

 もしも歯車が少しでも狂っていたなら……それはきっと違わぬ生き方だったのだろう。

 

「……終わってみれば何の事はない。何の意味も無い生涯であった」

 

 それに――神は自嘲するように、俯きながらそう嘆息して。

 

「そんな訳がねぇだろ、意味の無いモノなんて有りゃしない。意味なら『無』にだって在るんだ、『有』だけが存在してるんじゃねぇ……だから、無駄なモノなんてこの世に無い。善きにつけ悪しきにつけ、『破壊』の後にこそ再生が在るように。お前が生きた意味ならこの俺が……お前の背中を追い続けてきたこの俺が保証してやる……ムカつくけどな」

「――……」

 

 同じく、嘆息を零して口を開いた永遠者に視線を向け直して。

 

「……転生体(のぞむ)が恨めしい。ルツルジの時もそうだったが、我はどうしてこうも……友を得る運に恵まれなかったのだろうな」

 

 そう屈託の無い……転生体である、世刻望と似た笑顔を見せながら。金色の篭手に包まれた左手を差し出す。

 

「巫戯化倒しやがれってんだよ、誰があんな男の敵、ハーレム野郎(のぞむ)の友達だ。只の腐れ縁だ、莫迦野郎」

 

 それに、なんだか語ってしまった気恥ずかしさから毒を吐きながら……差し出された手を握って握手を交わす。

 

「ナルカナに伝えておいてくれ。我では無理だったが……望なら、或いはお前の担い手に成れるやも知れぬ……とな」

「……諒解した。だから、安心して消えろ」

 

 互いの始まりたる神代では為し得なかったその光景。遥かな永劫の果てに、終わりに迎えた奇跡の一幕。それを瞼に焼き付けて神は魂の深みへと還っていった。

 そして瞼がもう一度開かれた時、その瞳はキョトンと開かれて。

 

「……空?」

「望……」

「望さんっ!」

 

 見慣れた顔付き、聞き慣れた口調の世刻望が帰ってきたのだった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 握り締めていた手を離して、嬉しそうに望に駆け寄ってきたユーフォリアの邪魔をしないように一歩半後ろに下がる。

 

「良かったぁ……ぐす、本当に良かった……」

「ユーフィー……ごめんな、心配を掛けて……」

 

 よく判らないが、元々望に父親と同じ"雰囲気"を感じていたらしい彼女はぎゅっと抱き着いて鼻を鳴らした。

 その彼女を宥めすかすように頭を撫でようとした望に――

 

「望――歯ァ喰い縛れ」

「え――ってグはぁぁぁっ!?」

「きゃああっ、の、望さ〜ん?!」

 

 下がった分だけ思い切り踏み込み、完全に無防備な頬ッ面を殴り飛ばした。

 

「痛ってぇ……な、何すんだよ空っ……つぅ……」

「『何すんだ』はこっちの台詞だ阿呆が、"家族"を裏切りやがって。今までのはジルオルへの私怨、今のはお前への私怨だ」

「お、お兄ちゃん……お願いだから落ち着いて……きゃうっ!」

 

 止めに入ろうとしたユーフォリアを小脇に抱えてゆっくりと歩く。【黎明】と【真如】が突き立ててある位置……今は【黎明】を抱えている長法衣姿のアイオネアが居る位置まで歩いて、左手で【黎明】を受け取った。

 

「第一、お前が先ず謝らなきゃいけないのは……コイツだろうがよ、っと!」

 

 それを望へ投げ渡す。元より分離しかけていた為に、空中分解して二刀一対の双児剣に戻ったそれが彼を挟んで地面に突き刺さった、その瞬間――

 

「ノゾムぅぅっ!」

「レーメ……」

 

 その中間点に発生した目眩い光と共に、妖精のように小さな少女……【黎明】の守護神獣であり、彼のパートナーである『天使レーメ』が現れた。

 

「ばかものぉ……心配させおって、ノゾムのばかもの、ばかもの……」

「レーメ……ごめん、ごめんな……」

 

 天使は望の首っ玉に抱き着いて、さめざめと泣いた。そんな彼女を抱き留めて、優しく金髪を撫でる望。その様子に満足して、小脇に抱えっ放しだったユーフォリアを下ろしてやる。

 

「……良かった。これで全部元通りだね」

「だな……ったく、面倒臭い奴だ。本当、手が掛かる」

 

 嬉しそうにお尻の辺りで手を結び、覗き込むようにアキの顔を覗き込んだユーフォリア。

 

「あのね、お兄ちゃん……もしもね、あたしが望さんみたいな事したら……同じように、一生懸命頑張ってくれる……?」

「……んな訳が在るかよ」

 

 さらりと蒼穹色の髪が流れる様は、まるで風が吹き渡るよう。それにぶっきらぼうに、少し鼓動の乱れを感じつつ視線を逸らす。

 

「もしもお前だったら……最低三倍は頑張って受け止めるっつーの」

「えへへ……」

 

 そのまま、ぽんっと丸っこい頭に手を置いて撫でる。意識して望に『させなかった』事を。

 そこまで……抜かれた"刃"が"鞘"に収まるまで都合五分。"時の女神"を師に持つ暗殺者の宣言は、秒の狂いすら無く正確だった。

 

「――受け止められるものなら……受けてみなさい!」

「え――ってグはぁぁぁっ!?」

「きゃああっ、お、お兄ちゃ〜ん?!」

 

 怒声が木霊した次の瞬間、光の塊の直撃を受けたアキが横っ飛びに吹っ飛ぶ。転がり脇腹を押さえて……それを為した人物に。

 

「イッた……肝臓(レバー)イッた! 何すんですか会長、息が出来ないぃ……!」

「『何するの』はこっちの台詞よ、よくも変な力で私達を拘束してくれたわねっ!」

 

 『エアリアルアサルト』で彼に体当たりを食らわせた沙月へと、至極真っ当な文句を付けた。

 

「あのですね、俺は全身全霊で望を助ける為ニガフっ!」

「望ちゃ〜ん、大丈夫〜!」

 

 そして、ちょうど俯せになった彼の頭を踏んで駆けていく希美。その恋する瞳には想い人(のぞむ)だけしか写らない。アキを踏んだ事も気付いていない。

 

「助ける為に心底頑張ろブッ!」

「望、御無事ですかっ!」

 

 顔を上げたところに、カティマの具足。

 

「望ぅ〜っ、大丈夫〜っ!」

「いやちょ、待った、取り敢えず喋らせデベッ!」

 

 続きルプトナにヘッドスタンプ。

 

「のぞむ〜っ、大事無いか〜!」

「もう許してくださイギィ!」

 

 最後に、妙な擬音の足音を立てるのナーヤに踏まれて顔面を地面に埋めて、『ちーん』の擬音と共に沈黙した。その間に沙月に希美、カティマにルプトナ、ナーヤは一斉に望へと駆け寄り、抱き着いて騒いでいる。

 

「……クソッタレ……後半に行くに連れてそこはかとない悪意を感じたぞ。やっぱり分かっててもやってらんねぇ、何だよこの扱いの差は……」

 

 そして地に顔を埋めた姿勢のままで辟易したように……否、辟易してそう呟いた。

 

「みんなひどい……一番頑張ったのは、お兄ちゃんなのに……」

「言っただろ、『負けないから負ける』って。勝負に勝って戦争に負けたって奴だ、こういう場合は負けるが勝ちが定石だし……」

 

 実に不服そうに、つんっと唇を尖んがらせてそんな様子を見遣るユーフォリアに答えて顔を上げ、先ずは顔と服の土を払う。

 これが彼の言った『敗北』。戦士としてではなく、一匹の『牡』の沽券としての敗北だ。

 

「結局……世の中、どう転んだって美形が勝つように出来てんだよ」

「そんな事……」

 

 溜息を吐いて胡座をかき、空間に波紋を刻みながら取り出した聖盃に充ちる零位元素(アイテール)で顔を洗って袖で拭いつつ、そんな言葉を吐き捨てた。

 

「……そんな事無いもん。お兄ちゃんは望さんなんかよりずっと、ずっと格好いいもん……誰が何て言っても、ずっと……格好いいもん」

「ヤめろ、虚しくなるだろうが……こういう時、いい女ってのは男に優しい言葉を掛けないもんだ」

 

 敗者となったが故に勝者のままで十人十色……より正確に表現するのなら六人五色の、実に眉目麗しいより取り見取りの美少女達をまた侍らせる権利を得た、勝ち組男をジト目に。

 

「……だから、来んなって言ったんだよ。どこの世界に惚れた女に……こんな情けない姿を見せたい男が居るってんだ」

 

 火を点した煙草の紫煙を燻らせながら強めに長く、上を向いて袖の部分で目許を拭う。今更、憎まれ役が嫌になった訳でも無い。

 ただ、勝者となったが故に敗者のままの彼のその仕種はさながら……涙を堪えて天を仰ぎ見る、敗残者のような仕種でもあった。

 

「じゃあ……証明するもん。空さんが情けなくなんかないって」

「証明ってな……だから、あんだけ見向きもされずに足蹴にされてんだから、モテないのが今正に証明されて――」

 

 そして、そんな姿勢のままだった為に。

 

「――ッ!?!」

 

 無明の闇に、やり場の無い想いを霧散させたその瞬間――鼻先に感じた甘い香りと息遣い、そして……唇に感じたごく微かな温もりと柔らかさ。

 

「ばっ……おまっ、今……!」

「けほっ……にが~い……」

 

 生まれて初めての感触に、思わず跳ね退こうとしたが……真正面から抱き着いたユーフォリアからは、逃れられない。

 代わりに、いつかの月下の浅瀬でのように……紫煙の苦味に熱っぽく潤んだ蒼の瞳彩(アイリス)に映る、赤く染まった己の顔を見た。

 

「……胸を張ってよ。前にお兄ちゃん、言ってたじゃない。『命を救えるチカラが欲しかったんだ』って。この戦いでお兄ちゃんは……誰も殺してないし、死なせてないんだよ?」

「――……!」

 

 その間抜け顔が目を見開き、驚きに染まる。そしてじわりと、自分でもはっきりと恥ずかしいくらいに熱くなり……ガバッと。

 そう、自分を思ってくれる小さくも確かな相手を思いっ切り抱き締め返した。

 

「……有難うな、ユーフィー……俺はやっぱりお前にぞっこん惚れてるみたいだ……愛してる」

「ふぁ……あうぅっ……! ま、また言ったぁ〜っ!」

「ハハ、何度だって言うさ。本当の事だからな。漸く判ったんだよ、例えどんなに強く思ってた処で……口にしなきゃ想いは伝わらないッてな」

 

 またもやしっとりと、ロートーンな男の声で以って耳元で囁かれて、ユーフォリアは耳まで真っ赤に染め直す。

 頭頂から湯気を吹きそうな彼女を抱いたままで、無防備なつむじに向けて。

 

「そう言えば……『付いてくるか』どうかの答えは聞いたけど……こっちの答えは聞いてなかったな。聞かせてくれよ……お前の答え。曖昧な言葉なんかで濁さないでさ……お前の、答えを聞かせてくれ」

「う、うぅ〜っ……」

 

 ちらちらと、彼の顔色を伺って……彼が不退転である事を悟るだけに終わり、やがて観念したように。

 

「……えっと……その……何て言うか、あの……うぅ……あ、あ、あぅ」

 

 しどろもどろと、とにもかくにもたっぷりと勿体を付けて。

 

「あ……あの……あ、愛……して……うにゅう……ます……!」

 

 消え入るように、何とかそれだけを言葉にしてくれたのだった。



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護るべきもの 誓いの指輪

 藍色から茜色に移り行く魔法の世界の空、その天空に浮かぶ都市『ザルツヴァイ』の空の港に停泊したものべー。理想幹を後にしてから既に三十時間程、物部学園はイャガの襲撃後二回目の夜明けを迎えていた。

 学園はその襲撃により、至る所が破壊されている。現在は修復の為に立入禁止で、学生・神剣士達は学園祭の前夜に泊まったホテルで過ごしている。

 

「……じんさま、朝ですよ。起きて下さいませ」

「ん……うんん……」

 

 耳元に囁かれる甘やかな呼び掛けと、掛け布団の上からゆさゆさと揺らされる穏やかな刺激に渋々と瞼を開く。

 体感時間としては、いつも起きる時間帯より少し早い。誰かはよく判らないが、多少の文句くらいは言ってやろうと思って。

 

「お早うございます、ごしゅじんさま。今日もいい朝ですよ」

 

 パチパチと瞬く、霞んだ鳶色の瞳に映る――開かれた窓から差し込む朝の陽射しと吹き込む涼やかな風がカーテンを揺らす風景を背に……間近で己を見詰める慈愛に充ちた円らな空色の瞳が、『てへへ』といじましくはにかみ微笑む姿。

 蒼穹に輝く黄金の太陽より眩しい少女の頭上には――翻るホワイトブリム。詰まり、先日の学園祭で着ていた赤を基調としたメイド服に身を包んでいた。

 

「……ああ……確かに……いい朝だな」

 

 一瞬でハイにまで上がった心臓のギアを何とかミドルまで落として……真の意味でそうなった『彼女』であるユーフォリアを迎える。

 現金なもので、それだけで眠気も不満も吹き飛んでしまった。

 

――何故メイド服……いや、そうか……そういう事か。だっておかしいもんな。

 ユーフィーが朝に、俺を起こしに来る事は有り得るだろう。けど……まかり間違っても『メイド服』を着て起こしに来るなんてのは道を歩いていて拾った宝くじが一等に当たってスキップしてるところに隕石が命中するくらいの確率だ。詰まり『限りなく有り得ない』。

 

「少しだけ待ってて下さいね、今、朝ご飯の用意をしますから」

 

 そんな取り留めの無い思考を青年がしている事など露知らず、そう言って六挺の拳銃と各銃弾と弾倉を銀のカートに載せて、テーブルを拭き始める。

 その都度、ただでさえ短めな上にふわっと開いたフリルのスカートが見えるか見えないかの位置を……慎ましく可愛らしいお尻とすらりと細い脚に履いたニーソックスとの境目を際どく揺れた。

 

――詰まりこれは……俺の見ている夢に違いない! まさか俺に自分でさえ気付かないメイド萌えの属性が有ったとはな……。

 そういや最初にフィロメーラさんを見た時は、グッと来たもんだ。その兆候は有ったって事か……しかし、何故にロリ状態? どうせなら同い年状態の方が……いや、まぁいいか。この状態でもユーフィーは俺より歳上だし、ヤる事は一つだし。

 

 ここに泊まってから透徹城の内の"真世界(アタラクシア)"に納めてある銃砲類、"最後の聖母イャガ"の襲撃時に使った各砲の手入れや給弾の為に荒らしに荒らした部屋は……綺麗に片付けられていた。

 勿論、それ程荒らすだけ遅くまで起きていた彼の頭はうまく働いていない。その上、朝方の健常な男子の生理現象(以下略)

 

――フ、流石は夢……ディティールが甘いぜ。あんな量の銃弾や銃器をユーフィーがたった一人だけで片付けられる筈が無い……やっぱりこれは夢だな。

 そうと決まれば後は……行くのみ!

 

 思考の回らぬ頭でそう結論付けて、洋風の茶器に芳しい芳香の紅茶を注いでスコーンを用意している彼女に向けて手を合わせる。

 その瞬間……朝食の用意を終らせたユーフォリアが満面の、向日葵の笑顔と共に彼を振り返った。

 

「お待たせしました、ごしゅじんさま。さぁ、冷めないうちに召し上がって下さいませ」

「ああ、そうだな。醒めないうちに頂くとするか……」

 

 奇跡的に噛み合った会話。だが、その乖離は決定的だ。そして間を置かず、手を合わせたそのままで彼は。

 

「それじゃ、頂きまーす!」

「どうぞ、召し上がれ――……って、ふきゃああ〜っ?!」

 

 絵に描いたように見事なまでの、元々黒のシャツとボクサーパンツ一丁の為に、服は脱がないル○ンダイブを見せて――ビターン!と空中で停止、更に【悠久】が召喚した二頭の東洋龍『青の存在 光の求め』によって拘束されたのだった。

 

「……目は醒めましたか、アキ様」

「完璧に醒めました……っていうか、何時から居たんだアイ……」

「むぅ〜っ、最初からずっっっと居ましたっ!」

 

 冷たく呟いたアイオネアに、その姿勢のままで彼女の時空断鎖障壁『精霊光の聖衣』に衝突して龍に巻き付かれたアキが答える。

 その内容が更に気に障ったらしく、彼女は……ユーフォリアと同じくメイド服を着ているアイオネアは一層むくれてしまった。

 

「もう、お兄ちゃんったら……あーあ、紅茶とお菓子が……」

「ゴメンな、ユーフィー……あと、そろそろ離してくれるよう言ってくれないか……」

【全く……本当に反省してるの、兄ちゃん?】

「した、したから【悠久】……ヤバいって、『青の存在(お義母さん)』は兎も角、『光の求め(お義父さん)』からは明確なまでの殺意を感じる……隙有らば俺を消そうとしてる……っ!」

 

 謝罪を受けて、渋々と具合に神獣を引っ込める【悠久】。

 突き指した指と打ち付けた顔、締め上げられて軋む躯を摩りつつ内心そう思いながら、結局悪いのは己である為に黙っておく。

 

 因みに神獣を召喚した事により、朝食はカーペットの上に落ちてしまって摂れる状態ではなくなっていた。

 

 

………………

…………

……

 

 

 早朝の廊下を歩く三人分の人影。レストランへと向かう道程では、真ん中にアキ、右にユーフォリア、左にアイオネアの列びで『小』の字を画いている。

 いつもと同じ配置、アキの左腕を抱くアイオネアもいつも通りだ。しかし決定的な違いがある。右隣のユーフォリアと、しっかり手を繋いでいる事だ。それはもう、指を絡めてしっかりと。

 

「一つ聞きたいんだけど……なんでメイド服だったんだ?」

「それは……あの……」

 

 学生服に袖を通した彼は真っ当な疑問を口にする。こちらも制服に着替えたユーフォリアは少しだけ、照れたように頬を染めた。

 

「……えっとね、その……朝奉仕」

「んぐェホッ!? そんな言葉を一体誰から!」

 

 突然の、彼女に似つかわしくない猥言(ピンクワード)に思いっ切り欠伸を仕挫ってしまい、勢いよく噴き出してしまう。

 そして、それにしては間違った事をしていた事に疑問を感じる。

 

「あのね、昨日の夜……どうしたらお兄ちゃんに喜んで貰えるかを考えて悩んでたらね……ナルカナさんが、『男が喜ぶ事っていったら、一ツだけ。そう、『朝奉仕』よ!前に男子学生から集めた資料の中に、そう書かれてたわ!』って。でも詳しい事は判らないらしいから、喫茶店みたいな事をするのかなぁって思って……」

「あんな奴の言った事を鵜呑みにしちゃいけませんっ! 忘れなさい、惜しいけど!」

 

――そしてどうせ教えるんなら、ちゃんと内容も教えとけよッ……!

 

 と、本気で悔しがった。

 

「それでね、一人だとどうしても恥ずかしかったから……アイちゃんにも手伝ってもらったんだ」

「そうか……だからアイもメイド服だったのか」

 

 視線を向けてみれば、やはり制服に着替えている……むす〜っと唇を尖んがらせた、銀色に煌めく満月が映る滄海の少女。

 アイオネアは頬っぺを膨らませたままで、金銀の色違いの眼差しでジト目を向けつつ首輪……瑠璃色の宝珠、透徹城が嵌められた首輪のアミュレット"全き聖(パナギア)"を撫でている。

 

「おーおーニーチャン、今日も朝から恋人と妹を侍らせてロリロリしてんじゃ……まぁ、ちょっと見て下さいよ、阿川さんちの奥さん! 腕組みどころか、恋人繋ぎですよ恋人繋ぎ!」

「あ……あはは、そうね……」

 

 その時、エレベーターの前で信助と美里を始めとする学生の一団に出くわして冷やかされる。

 それで鮮明に思い出してしまう、ユーフォリアと全力で抱き合っているところを、"家族"にバッチリ目撃された場面。

 

 驚いた表情のソルに絶、スバルにミゥ、ポゥ。実に面白そうな顔のサレスにヤツィータ、エヴォリアにルゥ、ワゥ。

 路上に落ちている汚物か、台所で最速の"ヤツ"でも見るような目で自分を見ているタリアにナナシ、ベルバルザードにゼゥと、彼女の肩越しに顔を合わせてしまった……その場面を。

 

「俺はロリコンじゃねぇ……好きになった相手が、偶然にもロリータだっただけだ!」

「ロリコンは皆そう言うんだよ」

 

 開口一番、軽口を叩いた彼に軽口を返す。普段と変わらずニヤつく信助は気安く声を掛けてきたが、美里はぎくりと身を固くした。

 

「……よう、阿川」

「あ……うん、お早う……巽」

 

 努めて平時通りに掛けた言葉に、みるみる青褪めていく顔色。

 あの襲撃戦に巻き込まれた為に、精神的後遺症(トラウマ)が出来た生徒も多数居ると聞く。

 

「ごめん……ごめん、あたし……巽は悪くないのに……ごめんなさい……」

 

 怯えるように涙ぐむ彼女もまた、そんな一人だ。仕方ないだろう、学生達は『戦争に協力』した事はあるが『戦闘をした』事は無いのだから。

 

「……いや、いいさ。それが正しい反応だよ、俺だって同じ状況なら引く自信がある」

「でも……でも……あたしがあそこに巽を連れてって……」

 

 今まで一番身近だった戦は、この旅の始まりであるミニオンの襲撃。それでも、軽傷を負った生徒が居たくらいだ。

 

――それが今回は、目前で致命傷を負わされて致死量の出血をした男を見て、しかもそいつが三日と経たずピンピンヘラヘラしてたら……まぁ、不気味だろう。

 

 両脇の二人から抜け出し、美里に近寄る。可能な限り、ゆっくりと……彼女の肩に手を置いた。

 

「だから、心配するなよ……それが正しい反応だって言ってるだろ? お前は何も間違ってない、むしろ間違ってるのは俺の存在だ」

「巽……」

 

 その時、エレベーターが到着した。開いた扉に学生達を乗らせて……彼は乗らない。

 

「空……どうした?」

 

 そんな彼を信助が見遣る。アキは手を振り、先に行くように促す。扉は乗る者はもう居ないと判断し、静かに閉じる。

 

「……大丈夫だ、償いは必ずする……それは直ぐ忘れられる痛みだから……安心しろよ」

 

 その僅かな間に、そう告げた。告げて――聞こえなくなった事を確認してから。

 

「それは……俺が()()()()()()()、忘れる痛みだからな……」

 

 決意の言葉……彼等を『元々の世界に送って』から神剣宇宙に出る事を決め……次のエレベーターに乗り込む。

 

「違うよ、お兄ちゃん……『俺が』じゃなくて、『俺達が』だよ」

「……ユーフィー」

 

 その時、握り締められる掌。絡み合う右掌から染み込む幸福感に、苦痛が和らいでいく。

 やっぱり自分はこの少女に――ユーフォリアにベタ惚れしているのだと。そう再認識させられた、そんな一瞬だった。

 

 レストランホールに到着した為に扉が開く。目の前では、学生達と神剣士達が食事を摂っている風景が広がっている。

 

「……よし、予定変更だ。今から……デートするか、ユーフィー」

「え……あ……う、うんっ!」

 

 だからこそ何の臆面も無く、後も先も無く……そんな誘いの言葉を口にして、エントランスホールへのボタンを押した。

 それに、彼の気持ちを察してか。ユーフォリアは一も二も無く賛同し、アイオネアは少し悲しそうな表情でレストランに姿を消す。

 

 少し肌寒い、異世界の風。掌を絡めて、その風を斬りながら二人歩いていく青年と少女。時刻は早朝。輝ける一日はまだ、始まったばかり――……

 

 

………………

…………

……

 

 

 天空を吹く風が、大空を渡る白雲を運ぶ様に。アキとユーフォリアが駆け落ち(?)した後の、朝食時のレストランでの事。

 レストランへと集った永遠神剣の担い手達は思い思いの場所……大半の女性は望の側……で食事を摂っている。

 

「いやぁ〜、復帰した途端にもう大人気ね。流石というか何と言うか……ねぇ、タリア?」

「私に話を振らないでちょうだい……ただの節操無しでしょうに」

「ははは……あれですよね、こう……男として負けた気分になりますね、サレスさん」

「もう慣れてしまったのが悲しいがな……おや、アイオネアか」

 

 同じテーブルにつき、望ハーレムの面々に苦言を呈するヤツィータにタリア、スバルにサレス、絶にナナシ。

 

「お前が一人とは珍しいな……巽とユーフォリアはどうしたんだ?」

「…………」

「行ってしまいました……マスター、どうも様子がおかしいですね」

 

 そこに通り掛かったアイオネア。サレスと絶二人に声を掛けられた事にも気付かなかったのか、憔悴した様子でふらふらと歩き去って一番奥の、端っこの隅っこに位置取った。

 

「よぅ、アイ。一人なんて珍しいじゃねーかペッ!?」

 

 そしてそこで『精霊光の聖衣』を展開、ソルラスカが打ち当たった事さえ気付かないくらいに時空を断ち切って引き篭り状態と化す。

 

『ああ……御労しや媛樣。契約者は妾婦(そばめ)に入れ上げて媛樣を蔑ろに……』

『だから俺っちは反対だったんだ、あんなモテなさそうな奴と媛樣が契約されるなんて……! 見た事か、あの野郎……有ろう事か"剣"以上に"鞘"に入れ込みやがった……』

『ふふ……でも、それも男の甲斐性って奴さ。アタイは支持するよ、側室の数は男の勲章だろうさ』

『……いやはや、しかしあそこまで一途とはのう……男なら両手に華とか考えぬのかと儂は思うぞ?』

『だよね、可愛い女の子が仲間内に増えるのは大歓迎だよ。まあ、手を出さなければ』

 

 次々顕現する、輪廻鳳龍(アイオネア)の眷属たる臣従。白い光の鳳凰と蒼き比目の錦蛇、紅き隻翼の錦鷲と黒い闇の大海蛇、緑溢れる大地の幽角獣(ユニコーン)。ゆらゆらと立ち上る陽炎のような彼女の二重幻影(ドッペルゲンガー)

 一気に幻獣動物園と化した室内の一角、学生達は物珍しげにそれを眺めている。

 

「……違うもん……兄さまはとっても素敵な私の契約者だし……その兄さまが好きなのはとっても素敵な私の心友のゆーちゃん……だから悪いのは、そんな素敵な恋人の二人に嫉妬してる……私の方だもん……」

『『『『『……媛樣……』』』』』

 

 だが、伴侶と心友を貶めたそんな臣下達を諌めるかのように。傷心で在る筈の"刧初海の姫君"が口を開く。

 それに、臣下の随獣達は……揃って沈痛な面持ちで軽口を閉ざした。主たる彼女が望むのなら、彼等にとってそれこそ真実だからこそ。

 

「なるほど、つまりはユーちゃんと兄上さまが二人だけで何処かに行ってしまったで落ち込んでる、という訳ですね」

「あう……イルちゃん……」

「あらあら……朝からお熱いわね〜、あの二人」

 

 その隣のテーブルに座った黒髪の少女、第一位神剣【叢雲】の意志ナルカナの分身イルカナ。

 そして同じく席に着いた早苗教諭の言葉に、窓の外を眺めてみれば――ユーフォリアの手を引いて、歩いていくアキの姿が在る。

 

「にしても……意外。もっと淡泊な男の子だと思ってたんだけどね。釣った魚にちゃんと餌をあげる、立派な男性だったのね」

「そうだな、相当な猫っ可愛がり具合だ。もしフラれたら自決するんじゃないか?」

「昨日の夜もお互いの部屋に送り迎えしあって、中々離れなかったくらいだしなぁ……付き合った俺とスバルが何回、東館と西館を往復したと思ってんだ」

「そして離れ際、空君が精霊光を五回点滅させてました……あれって何だったんですかね?」

「まぁ、『ア・イ・シ・テ・ル』のサインなんて! 初カレ初カノで、きっと今が一番盛り上がってる時期なのね……アサシンと少女の、甘酸っぱい恋……映画みたいだわ」

「……犯罪くさいけど……あそこまで想われれば、女冥利に尽きるってモノでしょ。少なくとも、何処かのハーレム男よりはまともだわ」

 

 次々集まってくる非ハーレム組と男性陣。女性陣は概ね好意的に、男性陣は砂糖を吐きそうな顔で。

 

「……だからといって、自分の契約した剣を蔑ろにする理由にはなりませんよ。契約者としての自覚が足りないのではありませんかっ」

 

 そんな中、唯一腹を立てたような顔をしたナナシ。同じ永遠神剣の象徴としてアイオネア側に立っているのだろう。

 

「…………」

 

 しかし、そんな一同の声も届いていないのか。アイオネアはただ、己の主と友を見送ったのだった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 晴天に煌めく、如何な技術か無数の水晶じみた浮遊物がきらびやかに彩る白亜の都市の公園内。

 そのベンチに座ってブラック珈琲を啜りながら、隣に座る少女へと語り掛ける。此処までの道すがら買った、カフェオレを飲んでいる少女に。

 

「……さて、これからどこに行くか……行きたい所とか在るか?」

「う〜ん……そんな事言われても、あたしはこの世界の事はあんまり知らないし……」

「それもそうだよな……よし、観光パンフレットでも見て回るか」

「うんっ」

 

 緑化された公園内は朝の瑞々しく澄んだ空気に満たされ、散歩する住人の憩いの場となっている。

 正面の少し離れたベンチには仔犬を追ってはしゃぐ子供達を優しく見詰める父親と母親、隣のベンチの老夫婦は鳩のような鳥にパン屑らしきモノを与えている。

 

「…………」

 

 ありふれた日常の光景に、思わず目を細めてしまう。余りの眩しさに目を……心を、焼かれるかのようだった。

 

 それは……夜空に咲く大輪の花火と同じだ。永遠ではないからこそ、永遠よりも貴い。永劫の"刻"の流れから見れば刹那にすら満たぬが……一瞬だからこそ、鮮やかに煌めいて見える生命の虹色。同じ虹色でも、永遠ならば――それは、無色透明と代わらない。

 

 もう二度と、己の手には入らないモノ。永遠に眺めるだけの、その煌めきが胸を焦がす。それが郷愁なのだと理解したのは、つい最近の事。

 

「……お兄ちゃん、今……何考えてる?」

 

 パックのカフェオレを持ったまま、そう伺ってくる彼女。難しい顔をしてしまっていた事を反省して、表情を和らげて。

 

「んー……実はな、今キスしたら……ユーフィーの唇はさぞかし甘いんだろうな、とか考えてた」

「ほえ……うぅ〜っ!?」

 

 驚いてパックを握り潰してしまい、前にカフェオレをぴゅるーっと飛ばしたユーフォリア。

 からかわれた事に気付き、直ぐにぷくーっと頬っぺを膨らませて。

 

「だ、だったら今、お兄ちゃんとキスしたら……珈琲の味が……」

「ほろ苦い味がするだろうなぁ、試してみるか? 『大人のキス』で、になるけど」

「はうぅ〜っ……」

 

 反撃に反撃され、真っ赤になって俯いてしまった少女の頭を優しく撫でる。撫でつつ、ゆっくりと掌を下げていき……下顎を撫でるようにして顔を上げさせて頭の位置を動かせないように固定……少しずつ、顔を近付けていく。

 ユーフォリアは暫く慌てていたが…やがて瞼を閉じて『待つ』仕種を見せた。そして――

 

「「「…………(じー)」」」

「「…………」」

 

 自分達を見上げる、三対の瞳に気付く。御座りした状態の仔犬と兄妹らしい男児と女児の無垢な瞳が不思議そうに自分達を見詰めている事に。

 そして、二組の夫婦が微笑ましげに見守っていた事にも。

 

「……カフェオレのお代わり買いに行くか」

「う、うん……」

 

 それに、錆び付いたブリキの人形みたいに離れて……気恥ずかしさを隠す為に、連れ立って歩き始めたのだった。

 

「――お、そこ行く彼氏彼女〜! 二人の性活が潤う掘り出しモノが在るよ、さあ、寄ってらっしゃい見てらっしゃい!」

「字が違うだろ! ってしまった、ツッコんじまった……!」

 

 と、公園を出た所の露店商の女に声を掛けられた。思わずツッコんでしまい、関係を作ってしまう。

 

「……い、異世界の珍品が、その……揃っているぞ……」

 

 薄桃色の髪の、やたら露出の多い服を纏った蠱惑的な女性。その隣には黒褐色の長髪をポニーテールにした鮮やかな緑色の瞳の真面目(おカタ)そうな女性が、全く同じ露出過多な服装で恥じらいつつも客引きを行っている。

 

「へぇ〜……もしかしてコレって、パーマネントウィルじゃ……って、むぅ〜っ!」

「……ごめんなさい、踏んでますよユーフィーさん!」

 

 それでついつい、目を引くEかFの立派な胸に注目してしまったのを見咎められ……思いっ切り、足を踏み躙られてしまった。

 

「さっきの、しっかり見てたよ……お熱い事で。そんなお二人には、これなんてどうだい?」

 

 と、差し出された小さな小さな箱。ベルベット地の少しだけ豪華なその小箱を開けば――

 

「わあ……綺麗……」

 

 と、ユーフォリアが思わず溜息を漏らすに値するだけの代物が顔を覗かせる。宝石は付いておらず、飾り気は少ないのだが……美しく、鏡の如く磨き上げられたシルバーの、強いマナの結び付きを感じるペアリング。

 片方は大きめの男性用、もう片方は小さめの女性用。詰まり……所謂エンゲージリングだ。それにしては質素だが。

 

「これはね、『ルータの指輪』さ。名匠ルータが晩年に作り上げた集大成たる魔導器。これを贈った恋人達はどんな苦境に曝されても、それを乗り越えて必ず結ばれる……って噂さ」

「素敵な話ですね……」

 

 うっとりと、夢見るような表情で指輪を見詰めているユーフォリア。そんな表情を見てしまっては、まかり間違っても『胡散臭せぇ』とは言えない。

 

「よくもそんな出まモゴモゴ……」

「綺麗だろ? 贈り物には最適だと思わないかい、彼氏?」

 

 その時、意味ありげに向けられた女の視線。『男の見せ処だよ』と、語りかける視線。

 言われるまでも無い、端から買うつもりなのだから。なので不敵な視線を返して、財布を取り出す。

 

「毎度あり〜、お代はお二人の愛の分だけ勉強させて貰って……これくらいで」

 

 突き出された請求書に記された額に、一瞬で真っ白に燃え尽きた。それを見遣り、店員が憐れむように瞼を閉じる。

 

――お、俺のバイト代の三ヶ月分どころの額じゃねぇ……! 俺が生涯かけて使うような額だぞ……!

 

 流石に、全身にじっとりと脂汗が浮く。ユーフォリアはまだ指輪に心を奪われているらしく、そんな彼の様子には気付かない。

 

「……あの~、この指輪なんすけど……もう少し安くなりませんか?」

 

 幾ら何でも、一介の学生に払えるような額ではない。恥を承知で、値切る事に決めて。

 

「おやおや、あんたのその子への愛はそんなチンケなモノなのかい? ナリはでかいくせに情けないね、男が女に金を掛けるのは当たり前だろ」

「いや、そりゃそうだけどコレ……俺の内臓を全部売っても購えない額だから」

 

 それにしかめっ面を見せた女店主はやれやれと大仰な仕種でもって、ユーフォリアに聞こえないように端正な顔を近付ける。

 

「仕方ないねぇ……よし、あたしも女だ。あんたの一番大切な持ち物と物々交換してやろうじゃないか。勿論あたしの眼鏡に適ったモノだけだけどね」

「……二言は無いでしょうね」

「当ったり前じゃないのさ。商人(あきんど)として交わした約束は――絶対に違えやしないよ」

 

 そうとなれば、話は早い。頭の中にある、"真世界"内の宝蔵品(パーマネントウィル)のリストから、幾つかの稀少品をピックアップして――。

 

「じゃあ『星降る野の氷玉』」

「駄目だね」

「なら『霊鳥ズメワデの魂』」

「足りないねぇ」

「抱き合わせで『勇ましい梨』と『梢で眠る猫』」

「馬鹿にしてんのかい?」

 

 旅で得た稀少品は出し尽くしたが、それでも彼女は首を縦に振ろうとしない。

 だが、アサシンは一度狙った獲物は仕留めるまで絶対に諦めない。

 

――クソッタレ、足元見やがって……! 端ッから対等な取引じゃねぇのは判ってたけど、まさかマジでケツの毛まで毟る気とはな……鈴鳴りの時といい本当、商人とは相性悪いぜ、俺。

 

 ちらりと窺えば、店主はニコリと不敵な笑みを返して来る。『鐚一文マける気はないよ』と。

 

「難しい事は言ってないだろう、あんたの――あの子への気持ちの分だけの代償を支払えば譲ってやるって言ってるんだよ。勿論、あたしの眼鏡に適う質と量のモノとだけ、だけどね」

 

 睦み合うような、面白がる声色に微かな反感を抱く。要するに、彼女は自分を測ろうとしている事を確信して。

 

「――全部だ。俺の蔵に収まる財の総てを代償として支払ってやる……それでどうだ」

「……ふふ、毎度あり〜」

 

 その、"男の壱志"を貫くが故に。結局ケツの毛の一本まで残さず、毟り取られてしまったのだった。

 

「お嬢ちゃん。太っ腹な彼氏さんからのプレゼントだよ。その指輪、持って行きな」

「えっ……い、いいんですか……?」

 

 少女の戸惑った上目遣いに、からからと笑う女店主。一方のアキはと言うと自暴自棄を起こしたかのように真世界の門を開いて、宝蔵どころか銃砲の類までもを軒並み引きずり出している。

 その横で女店員は、疲れたように溜息を吐きながらリストアップを行っていた。

 

「いいも何も、それはもうあたしの手から離れたもんさ。後は購入した奴の好きにすりゃあいいよ……あ、それとこれはサービスだよ。詳しい使い方は……」

 

 と、そこに女店主がユーフォリアの耳元に唇を寄せる。何か中位のサイズの包み紙を彼女に持たせると、コソコソと某かを囁いた。

 

「……判ったかい? ふふ、その後の事は、彼氏に教えて貰うんだよ」

「あ、あうぅ……」

 

 一言二言程囁き合うと、瞬間沸騰した蒼い少女に店主は悪戯っぽく微笑みかける。

 

「……なかなかに良い男を捕まえたじゃないか、みてくれの方は中の上くらいだけど……ああいう手合いは、一度惚れた相手にはぞっこんってタイプさ。がっちりハートを掴んで、しっかり手綱を握って、どっしり尻に敷いてやるんだよ」

「あ……は、はいっ……?」

「ユーフィー、買うモノ買ったし行くぞ。これ以上此処に居たら、身ぐるみまで剥がされちまうぜ」

 

 いきなりエールを送られて、目を白黒させるユーフォリア。そんな彼女の肩を抱き、寒くなった懐を温めつつとっとと退散する。

 

「またのご来店を〜」

「二度と来るかァァッ!」

 

 背中に掛けられた言葉へと、そう叫び返して。やがて見えなくなった頃、店員が微かに非難するような声色で店主に話し掛けた。

 

「……少しばかり、阿漕(あこぎ)が過ぎるのではないか。ユーラ?」

「んな事無いって、リーオライナ。男ってのはね、苦労してなんぼ。味があってなんぼなのよ」

「ふむ……彼は……相当な苦労人顔だった気もするがな」

 

 ユーラと呼ばれた女店主の返答に目をつむったままの思案顔で呟き返す、リーオライナと呼ばれた女店員。その彼女が目を開いて。

 

「第一、余り激昂させるのは良くないぞ。正直な処、生きた心地がしなかった。あの二人はどちらもかなりの使い手だ……私の【冤魂】では一合と撃ち合う事が出来ない程に」

「――だったら何だってんだい。こちとら『神』に立ち向かった男を知ってるんだ、力の差ごときに怖じけづきやしないよ」

 

 視界に入るのは、珍しく真面目な表情のユーラ。その意外な台詞を受けて、リーオライナはぽかんと口を開く。

 そして直ぐに――その表情を引き締めて。

 

「ああ、そうだな。だから、物語をハッピーエンドで終わらせる為に……待ち続ける彼女の為に、彼を……クリストファー・タングラムを探し出そう」

「……当たり前さ」

 

 それに、ユーラも笑みを返した。

 

 この物語の始まる、少し前に。その物語は、誰も望まぬ悲劇的な終わりを迎えた。

 愛する者を守る為に、自らの生命を投げ出した……【竜翔】の冒険者とある剣の巫女の話。

 

 彼女らはその結末を変える為に。一流の悲劇を、三流でも……誰もが笑顔で居られるようにする為に、世界を渡っている。

 だが……それは例えるなら大いなる海洋に生まれたさざ波のような。そんな、数値にも出来ないような努力だ。

 

 まあ、実は既に旅の目的は喪ってしまっているのだが。それに気付くのは、また後の話。

 

「さあさあ、その為の路銀稼ぎだ。リーオライナ、もっと肌を出すんだよ!」

「あっ、こら……私はそういうのは苦手で……!」

 

 空は何処までも、果てしなく青く。結晶の煌めきは何処までも透き通っていた。



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最終章 その全て 聖なるかな
悪心胎動 災厄の兆し Ⅰ


――永劫に輪廻(つづ)く筈だった刹那の微睡みより、虚無(ワタシ)の自我が浮上する。

 きっと空っぽの、伽藍洞の私の中に詰め込んだ"虚無(モノ)"の所為だろう。

 

 ギチギチと、死んでから……いや、"生まれ変わって"以来、動かしていなかった躯を動かしてみる。

 

 硬直した筋肉間接が軋み、とうに弛緩していた筋がぶらぶらと手足を揺らして、糜爛していた皮膚や肉は崩落(さいせい)しようとしている。

 今の状態はさしずめ――整備不良のマリオネットか。

 

 何とか眺めた……映すべき水晶体も無く見遣る掌。闇に盲いた瞳に、黒く焦げ付いた肌。

 『無からの蘇生』は、正気さえも代償にする程の苦痛と絶望を必要とした。

 

 同じように"世界の外側"から浮上した"零位の代行者"には、寄る辺たる"悠久の福音(ひかり)"が存在した。

 だが――ただ喰らい尽くすのみだった"その存在"にとって、そこは"闇の永久(とこしえ)"。

 

――嗚呼……やっと、ここまで復旧した。だってそうよね、()()()()()()()()()()()()だもの。例え霊魂まで壊されたとしても、私はもう……とっくの昔に壊れてたんだから。

 だから、絶対に。この私の願いは犯させやしない。この"虚無"にさえもね……うふふふふ……。

 

 深海よりも(くら)い闇の最果て、澱み粘つく臓腑のような圧力。虚無の体言者は混沌の深奥で誰に憚る事も無く遊ぶ。

 酒精にでも中てられたかのように、淡く青い石箱の敷き詰められた回廊を。

 

――虚無より湧き出づるチカラ。制限など無い、彼と同じ無尽蔵。でも……こうも違うなんて。

 同じ卵でも……あちらが有精卵なら、こちらは無精卵だもの。狡いわ、何処に区別が有ったのかしら?

 

 見上げた先には白髏の(あな)。己が堕ちて来た処、この無間地獄に穿たれた――決して届かぬ希望(ぜつぼう)(ヤミ)

 

「――やれやれ……そんな姿になってまで、よもや、()()()()()()()()()()()

 

 それに照らされて、六人……白銀の髪に青い瞳、黒い装束と巨刃剣(グレートソード)を携えた少女に率いられた五色の髪と瞳に、それぞれの永遠神剣を携えた永遠者の眷属が現れた。

 

「エターナルもここまで落ちぶれれば憐れなものよ。せめて、手ずから引導を渡してやろう――」

 

 何れも凡百のエターナルや神剣士を越える存在。だがそれも間もなく……この紅い瞳の毒蛾の鱗紛に呑まれよう。

 

「――――ふ、ふふふふふ」

「……何が可笑しい?」

 

 突如と言っていい哄笑に、少女――フォルロワは不愉快を露に問い質す。しかし、声は止まず――――背後に走った悪寒に従い、刹那の内に距離を取る。そして見やれば、そこに居た筈の五人は影も形も存在してはいなかった。

 

「この力……貴様、まさかナルを!」

 

 唯一の救いは、その彼女達が自我の薄い存在だった事。自分達が対峙したモノが何かを理解出来ずに済んだ事だけ。

 願わくば一秒でも早く。そんな彼女達に、速やかな(ゆるし)が訪れますように。

 

――……全てを"無"に。意味なんて何も無い、本当の" "に。

 さぁ廻しましょう、輪廻の輪を。くるくる、クルクル、狂狂と。

 

 『胃界の深奥』の顎門が、ガチガチと笑う。その用途に使用するには早い喉笛が、掠れた声を上げた――……

 

 

………………

…………

……

 

 

 風を切る神速の拳打、蹴撃。空間をも歪める裂帛の発剄と共に繰り出される一連の套路に音を上げて、大気が軋み激震する。

 

「――フッ、ハッ、ハァァッ!」

 

 最早、鬼や神さえ避けて通る域に達す程に卓越した我流武術。本来は剣術の型である『ミュラー・セフィス流』なる技術を八極拳や太極拳、詠春拳と言った中国武術に空手や合気道、テコンドー、ジークンドー、カポエイラ等の要素と組み合わせた独特な套路。

 

 基礎(たね)は師によって芽吹き、研鑽(くき)はこの旅で太く育ち、発展(はな)は【真如】との契約で満開となり、こうして究極()を結んだ。

 常人ならば発剄の余波だけで失神しかねない圧迫を放つその日課を終えたアキは、フゥ……と。何でもなさ気に呼吸を整える。

 

「お疲れ様、お兄ちゃん。はいこれ、タオルとお水だよ」

「ああ……サンキュ、ユーフィー」

 

 それを見計らい、パタパタと駆け寄りタオルと水を差し出してくるユーフォリア。甲斐甲斐しく世話を焼く彼女の頭を撫でて木陰に腰を下ろせば、直ぐ隣に彼女も腰を下ろす。

 その肩にごく自然に、腕を回して抱き寄せれば……答えて肩に乗ってくる蒼い髪。

 

 心地好い、春先めいた風のそよぐ学園の中庭に根を降ろした世界樹(トネリコ)の大樹の木陰。

 大樹の幹へと立て掛けられているライフル剣銃【真如】、その近くに置かれている柄の長い杖の如き剣【悠久】。手入れされたばかりの永遠神剣二振りが、朝露の如く柔らかに陽光を照り返す。

 

「…………」

 

 ものべーの管理が行き届いている事と、アイオネアがよくこの大樹に与える『サンサーラ』の雫のおこぼれを吸った事で生命力に溢れ、この世の常春を謳歌する瑞々しい下生えが生え揃った人工にして天然の華と翠の絨毯。

 だが、その華々も目に入らない。心を奪うのはただ、腕の中に在る可憐な一輪の華の蕾のみ。

 

「……えへへ……こうしてると何だか、思い出しちゃうな……」

「ん……何がだ?」

 

 大樹の幹に寄り掛かって、華の(しとね)に座るユーフォリア。右腕でその幼く細い肩を抱きつつ眺めれば、時折視線が交わる事で照れながらも微笑みをくれる蒼い妖精(ことり)

 それが、『よいしょっ』の掛け声と掛けて腰の上に跨がった。所謂『対面座位』の状態で胸板に手を添え、照れながら見上げてくる。

 

「最初にお兄ちゃんと出逢ったのも、ここだったから……」

「そうだな……あの時とは、随分と色んな事が変わっちまったけど」

 

 絡め合った左の掌、互いの薬指に嵌められたルータの指輪の感触を感じながら。風にて葉が擦れ合い、ざわめく枝葉の合間より……雲の流れる架空の空を仰ぎ見て、安逸なる眠りの淵に揺蕩う。

 

 幻視するのは過去の同景。この大樹の木陰にて、ユーフォリアと初めて出逢ったその刹那。

 

――俺は、あの時から……一歩でも前に進めてるか……レストアス……。

 

 まだ人間でしかなかった自分に、そんな自分に協力してくれていた【夜燭】と神獣『レストアス』。魔法の世界を救った事で記憶喪失となった少女。

 

「正直に言うとね……実はあの時、とっても恐かったの。知らない場所で、知らない男の人の上で突然気が付いたから……」

「ハハハ……しかもソイツはヤンキーも裸足で逃げ出す厳つい大男だしな……そりゃあ、恐かっただろ」

「うん……でもね、直ぐに判ったんだ……だってお兄ちゃん、自分より先に……あたしの心配してくれたから。この人はとっても優しい人なんだって……」

 

 その全てが、今は違う。人の形の永遠神剣に……『人剣(ニンゲン)』とでも言えるモノになった自分、そんな自分と契約してくれている【真如】と化身『アイオネア』。

 

「そんな恰好良いもんじゃねぇよ。なんせ俺はあの時、お義弟(とうと)にダイビングパチギを決められて卒倒してただけだしな」

「ふふ……そんな臍曲がりなところも含めて……今更だけど、あたしはあの時からお兄ちゃんが好きだったのかもしれないんだ……」

「…………」

 

 そして……記憶を取り戻して、今や恋人になった最愛の女性。日光を浴びて透き通る蒼穹色の髪、陽光そのものの如く温かな体。

 

――……それは、どちらかと言えばこちらの台詞だ。もしかしたら、あの時からもう……俺はこの少女に心を奪われていたのかもしれない。

 

「……お兄ちゃん? 寝ちゃったの……?」

 

 不意に、込み上げてきたモノをやり過ごす。それで反応が遅れてしまったので、何と無く狸寝入りしてしまった。

 その朱鷺色の闇の中で、思い返すのは数時間前の事。幼い腰に回す右腕の中にすっぽりと収まる愛しい少女へ指輪を贈った日の事だ。

 

 その日の午後、修復を完了した物部学園を乗せてものべーは飛び立った。たった二日程の間に、だ。流石は『科学が進みすぎて、魔法と区別が付かなくなった世界』といった処だろう。

 

 その後、生徒会室に集まった神剣の担い手達と各クラスの代表者達を前に……改まったようにしっかりと、上が濃紺で下が黒地の男性物アオザイ風武術服を身に纏って。伍挺の拳銃を互い違いに交差して納めたガンベルトを巻き、原形はそのままで近未来的にリファインした黛藍(インディゴ=ブルー)装甲(カウル)……胸当ての胸鎧(ロリカ・セグメンタタ)から肘当てまでを含む篭手(ガントレット)と、膝当てまでを含む脚甲(グリーヴ)で武装。

 

 そしてユーフォリアが二回も洗濯してくれた事で、なんとか着れる迄に回復した『神銃士』としての概念礼装。

 漆黒の装神具、『精霊光の聖衣』の概念を具現化した愛用の聖外套"零元の聖外套"に袖を通して空位【真如】をスリングで肩に担ぐ。

 

 一分の隙も無い完璧なエターナルとしての姿……"天つ空風のアキ"の姿を以て、一同を見渡すと――

 

『……俺とユーフィーは、元の世界に物部学園と生徒が帰還した事を確認して……この時間樹を"渡る"事にした。今まで世話になったな』

 

 つむじを見せる事のない、堂に入った礼をしつつ。実にあっさりした口調で。

 極めて優れた防刃性能・防弾性能を誇る聖銀(ミスリル)と対神力・対魔力を誇る魔金(オリハルコン)を耐熱・耐寒の零澪(アイテール)で編み上げた聖外套を翻し、その不退転の決意を口にした。

 

『……『渡る』……って、つまり …』

『この時間樹から出てくって事よ。神剣宇宙を渡り歩く、根無し草の放浪者になるって事』

『な、何でさ? 折角平和になったのに、どうして今なんだよっ!』

 

 沙月の疑問に答えたのは、同じく永遠存在であるナルカナ。それを受けて、勢い込んで立ち上がったルプトナがそう口にした。

 それに、嬉しそうに。嬉しかったその分だけ……一際、悲しそうに。同じく一分の隙も無いエターナル"悠久のユーフォリア"としての姿をしたユーフォリアが口を開く。

 

『……平和になったから『こそ』、なんだよ。あたし達はね、そこに存在してるだけで……戦いの火種になるから』

 

 無限に近い有限の神剣宇宙に存在するのは……"悠久のユーフォリア"や"時詠のトキミ"の所属している『神剣宇宙の永続』を目的とする『カオス・エターナル』のように善寄りばかりではない。

 得た神剣の能力を善悪の区別無く、利己の為だけに使う有象無象の『ニュートラル・エターナル』達も存在している。

 

 そして何より厄介なのが――物部学園を襲った"最後の聖母イャガ"や、ユーフォリアの両親と時深が闘った"法皇テムオリン"を筆頭に永遠神剣の本能に遵って宇宙開闢の壱振り……『原初神剣への回帰』を至上の目的とする永遠者の集団である『ロウ・エターナル』と、利害の一致から彼等と協力関係にある永遠神剣達……地位の永遠神剣総ての始祖【刹那】の威を借りる"刹那の代行者"であり、ナルカナの『楯の力"ナル"』を危険視して、この時間樹エト=カ=リファに封印した第一位永遠神剣【聖威】の率いる『地位勢力』。

 彼等は、効率のよいマナの回収の為に……文字通り『世界を壊す』。そして、それを邪魔をする存在を喜んで『殺す』。結局は、マナを回収出来れば良いのだから……何も迷わないし、躊躇もしない。

 

 エターナル同士の戦いに、実力差や神剣の能力、格の差は余り関係が無い。勝負を決めるのは担い手の精神力、彼等はその『強み』を持っている。

 失うのはただ己のみ。だからこそ彼等は強い。守りに徹した臆病者は、ただ奪い尽くされるのみ。

 

 莫大なマナをその身に有しているエターナル程狙われやすく、その周囲に居る者も含めて……全て獲物となる。

 安寧など無い。永遠を手に入れた代償は終わらない戦いだ。それに身を置く事を選びとった、或いは目先の不死(りえき)に飛び付いた道化気取りの賢者を気取る愚者……それこそを『エターナル』と呼ぶのだろう。

 

『解った……お前が、伊達や酔狂でそんな事を考える奴じゃない事はよく知ってる。お前達が選んだ道なら――俺は、止めはしない』

 

 ユーフォリアの語った話の内容に、室内に立ち込める重苦しい空気を切り裂いたのは望の言葉。

 

『ああ。俺は――……ユーフィーとなら、そんな生き方でも満足だ』

『うん、あたしも……お兄ちゃんとなら、そんな生き方でも満足だよ』

 

 それにユーフォリアの肩を抱き、一欠片の迷いも無く視線と言葉を返したアキ。応えた彼女もまた、一欠片の迷いも無い視線と言葉を返して二人見詰め合う。

 

『このバカップル』

『うるせーっての。自覚済みだ、放っとけ……』

『あぅ〜……ナルカナさん、ひどいです…』

 

 軽口を叩いたのはナルカナのみ。その余りにも救いの無い後生に、他の誰もが言葉を無くした中で……彼だけは――

 

『だったら……別れなんて必要無いだろ。俺達はどんなに離れても、どれだけの刻が流れても……ずっと"家族"だ』

 

 そう笑って、彼等の背中を押してくれたのだった…………。

 

 燦々と揺らめく水面のような、木漏れ日が差し掛かる事で朱鷺色に染まった視界が暗く変わって、一際甘い花の香を感じる。

 

「……んーっ……」

 

 その変化に目を開けば……閉じた瞼の繊細な睫毛を震わせながらも、さくらんぼ色の小さな唇を寄せているユーフォリアの顔のアップが飛び込んできた。

 

「……本当、不意打ちが好きだよな、お前は……」

「ひゃわっ、お兄ちゃん?! お、起きてたの……?」

 

 後もう少しで触れるというところで声を掛けられて、既に寝ているものとばかり思っていた彼が目を開いていた事に驚いた声を上げる少女。

 はしたない事をしようとしていた自覚は在ったのか、一気に真っ赤に染まって慌てふためくが……一層強く抱き寄せられてしまう。

 

「『お兄ちゃん』、か……ユーフィー、俺はいつまで『お兄ちゃん』なんだ? そろそろ、兄妹(きょうだい)は卒業したいんだけどな」

「ふぇ……で、でも……だったら何て呼んだらいいの?」

「そうだなぁ……うん、俺とお前は対等だ、呼び捨てにしてくれよ」

 

 更々の長い髪を手櫛で梳いて、蒼い薔薇の蕾を愛でる。自分が今抱いている少女は、自分の意志ではなく……生まれた時からエターナルだった少女。

 

「えう……だって……呼び捨てなんて……恥ずかしいよぉ」

 

 なればその身に罪は非ず。一切の存在、神ですらも彼女に……その罪は決して問えず。

 生まれながらに無垢なる彼女に、殊更深い愛情を抱きながら。その無罪の魂魄の眩さに心惹かれる。本来は透明な……さながら、(から)の如き少女に。

 

「……愛してるぞ、ユーフィー……だから……ほら。呼んでくれ……な」

「うにゅぅ〜っ……そ、そう言えばあたしが言いなりになると思ってるんでしょっ……!」

 

 しっとりと耳元でそう囁けば、ひくんっと強く少女の羽根が反応する。愛らしく、批難するように睨みつけてぷくーっと頬っぺたを膨らませた。

 見詰めたのは、微かにすら深意を映す事の無い琥珀色の瞳。心なしか瞳孔が縦長に広がっているような、抵抗する事を許さない……鷹か龍を想起させる、強い瞳だ。

 

「言うんだよ……ほら、な? 言え、ユーフィー」

「あうう……あの……その……お兄ちゃあん……いぢめないでぇ……」

 

 無理強いをする眼差しに晒されて、ユーフォリアはおどおどと怯え始める。だがそれは恐怖からではなく『年上の男性を呼び捨てる』という恥じらいから来るモノ。

 ちらちらと許しを請う彼女の瞳。だが、それは『性癖・ドS』の彼にとっては……逆効果中の逆効果。是が非でも、何が何でも言わせる決意を固めさせただけだ。

 

「……うう、あ……あ……あき……」

 

 そして――遂に屈服する。彼女はもじもじと恥じらい、ぷるぷると恥辱に震える可憐な唇でもって、やっとそれだけを音にした。

 

「うん……? 何だ、ユーフィー?」

「あうぅ〜っ……ぐすっ……いぢわる……お兄ちゃんのいぢわる……嫌いだもん……大嫌いだもん……」

 

 火照った頬っぺたを押さえて鼻を鳴らし始める。流石に虐めすぎたかと苦笑して、彼女を抱く腕に力を込めた。

 

「……ごめんごめん、許してくれよユーフィー……俺は餓鬼だからさ。好きな女の子ほど、虐めたくなるんだよ」

「くすん……もう、しない……?」

「いや? またお前のこんな可愛い姿が見たくなったら迷わずする」

 

 即答だった。完全な鬼畜だった。少なくともユーフォリアと、余りのバカップルっぷりに辟易しつつ聞いていた【悠久】と【真如】が絶句してしまうほどには。

 彼が他人に生き方を説くとすれば『汝の望むところを行え』、だ。有りのままの姿で在ること、則ち『是我(ゼーガ)』の境地、究極の一ツ。徹底的な自己の生涯の完全肯定、『それも(よし)』。

 

 かつて、ツァラトゥストラがかく騙りき――神さえも越えゆく超人にのみ実現可能な理法(ことわり)である……"永劫回帰(エターナル・リカーランス)"。

 又の名を『捩れた神樹の両刃剣(ミ ス ト ル テ ィ ン)』。これより後の神剣宇宙に於いて、決して避けられず、止められず。決して打ち消せず、逸らせない彼の切り札である12.7㎜銃弾……"無限光"を集束した.50BMG型の高精度狙撃用のライフル弾。エターナルですらも一撃で完全に消滅させる、絶対的防御無視たる『透禍(スルー)』の銃弾が永遠者どもの間で冠する事になる神弑しの渾銘である――……

 

「……だから、こーんな事も平気でしちゃうからなー、うりうり」

「ひにゃああうっ、お兄ちゃんっ?! も、もう〜っ!」

 

 その呆気に取られた彼女の頭の、隙だらけの羽根。それをむんずと握る。勿論、敏感な身体の部位を握られた彼女は悲鳴を上げた。

 

「んー……相変わらず抜群の手触りだな。永遠にでも触ってたい」

「ふにゅうぅ……ひゃあっ、んくぅ……あっ、ふぁぁ……はぁ」

 

 もにもにと羽根を按摩されて、ユーフォリアは頬っぺたに当てていた手を口元に移動させてやたらと熱っぽい吐息混じりの声……所謂喘ぎ声を漏らす。

 直ぐ『止めて』と言われるだろうと思っていたというのに、語尾にハートマークが付きそうなくらいに艶やかな声を漏らして……堪えるだけだ。

 

「いいよ……あふっ、くすぐったいけど……お兄ちゃんは……んきゅ…………アキさんだけは、好きなだけ触ってもぉ……いいんだよ……んんっ……」

 

 流石に『昼間から何やってるんだ、俺は……』と正気に戻った瞬間、信じられないくらいに健気な言葉がその正気を消し飛ばした。

 

「――……ユーフィー……!」

 

――ヤられた。今のは俺の何かロリコン的なものにクリティカルヒットした! 畜生、一々可愛いなぁもう!

 

 背筋に走った、寒気の如き衝撃に矢も楯も堪らなくなってしまい、手を止めざるを得ない。

 それによって、どこか不服そうな色を滲ませて自分を見上げてくる艶っぽい眼差しと……鼻に掛かった甘い声に。

 

――知った事かよ、『物部学園のマスコットを汚すな』とか『皆の妹、ユーフィーちゃんを返して』とか。果たし状的な味気無いモノからファンシーな便箋まで、多種多様な呪いの手紙が一日に数十通届いたり、靴に画鋲がテンコ盛りにされてたりした事が昨日だけで二十回は有ったけど……一体それがどうしたってんだ!

 誰に憎まれようが不興を買おうが真性ロリの烙印を捺されようが、俺は……俺はユーフィーが側に居てくれさえすればそれで良いんだ!

 

 破滅的に後先を考える事も億劫となり、可愛らしい嬌声(うたごえ)を囀るその甘そうな唇を塞ごうと近付けて――

 

「――真っ昼間から、しかも屋外で! イチャイチャイチャイチャと何やってんのよ、このパブリック・エネミー・ロリコンーーっ!」

 

 がつーーーん!と、物凄い風鳴りと衝突音を上げて振り下ろされた【悠久】……沙月の【光輝】によりコーティングされて威力を増した、『プチコネクティドウィル』の変則バージョンを無防備な頭頂部に打ち噛まされた。

 当然、担い手ではない沙月に技を使用する事など出来る筈が無い。つまりは、【悠久】が力を貸したという事だ。

 

「――アンタはァァッ、禿げたらどうしてくれんだよコラァァッ! そしてまたお前が立ちはだかるのか、お義弟……!」

「禿げ散らかしなさい、この外面も中身もプリン頭! さっきっから何度も呼んだのに反応返さないで……どれだけ二人だけの世界に没入してるのよ、見てるこっちの方が恥ずかしくなったでしょっ!」

「何を失礼な! 俺をそんじょそこらの低脳ヤンキーと一緒にしてんじゃねぇ! 俺のは天然、プリン頭なんぞにはならねぇ! アンタのせいで苺ソースの掛かったプリンに成りかけたけどな!」

 

 憤慨する沙月に【悠久】で強かに打たれた頭を摩りつつ反駁する。その脇では『ぶーっ』とばかりに唇を尖んがらせているアイオネアの姿が在る。

 

「あぁ……兄と親友が付き合うようになって兄には親友を、親友には兄を取られたような気がして嫉妬してしまう妹……いいものです」

「説明長っ!?」

 

 そしてその更に隣で、うっとりした眼差しをアイオネアへ向けるカティマとその彼女にツッコんだルプトナ、苦笑する希美と望、絶。呆れ顔をしたナーヤとナルカナ、イルカナ、ソルラスカとタリアの姿が在った。

 その全員が、キッチリと物部学園の制服を着ている。

 

「呼んだって会長……何か用事でも有るんですか?」

「ええ、大有りよ全く。今直ぐに制服に着替えてから、体育館まで来なさい。ユーフィーちゃんも」

 

 なお、頭のダメージは発剄により得た副産物で……ベルバルザードの対物理防御『アイアンスキン』と対理力防御『スーパーアーマー』を再現したモノの複合展開により防いである。

 "最速"たる彼は、攻撃が命中した瞬間……肌が圧力を検知した瞬間にタイムラグ・ゼロセコンドで防御を展開する事も可能だ。

 

「はあ……それだけっすか?」

「そうよ、急ぎなさい」

 

 ピシッと人差し指を立てて、生徒会長モードで命令してくる沙月。それに微かな反抗心を抱いたが、これも最後だと思うとまぁ良いかと思えた。

 本当は元の世界に着いた直後に、誰にも気付かれないように二人で消えるつもりでいたがバレたのかと、ヒヤリとしたのだが。

 

「了解、じゃあ俺達は部屋に戻りますんで」

「ひゃうぅ……」

 

 そして立ち上がり――ひょいっと、ユーフォリアをお姫様抱っこで抱き上げて歩き始めて。

 

「べ・つ・べ・つ・の・へ・や・でに決まってるでしょ?」

「ちぇ」

 

 背中に剣状の【光輝】を突き付けられ、渋々ながら彼女を解放したのだった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 言われた通りに制服に着替えて、ユーフィーとアイオネアの二人と合流して立ち尽くす、固く閉ざされた体育館の鉄扉。

 

「一体なんなんだろうね?」

「何でしょう……?」

「ふむ……何だろうな?」

 

 三人揃って首を捻るも、思い付く事はない。まさか、これから学園裁判でおおっぴらにロリコンの烙印を押されるとでも言うのか。

 

――自慢じゃないが、有り得そうで困るな。

 

 兎に角、いつまでもこうしていたところで何も変わりはしない。身を捨ててこそ、浮かぶ瀬もあるのだ。

 

「よし――行くか」

 

 心を決め、扉を開く。甲高く軋みながら開放される引戸。

 

 その先には――飾り付けられた館内に、整然と並んだ全校生徒達。

 

『――遅いわよ、あなた達。早く席につきなさい』

 

 スピーカーから響いた沙月の声に最前列を見れば、五つの席のうち二つにナルカナとイルカナの姿。勿論制服姿、そこで今から何が起こるのかを知る。

 

 そう、それは――

 

「お兄ちゃん……これって」

 

 ユーフォリアが、早くも瞳を潤ませている。一方のアイオネアは、まだ状況が飲み込めていないらしく目をぱちくりさせているのみ。

 

「ハハ――全く、余計な気ィばっか回しやがって」

 

 思わず、そんな悪態が口を衝いた。そんな事でも口にしなければ、別の言葉が出てきそうだったから。

 それは、唯一の心残り。恐らくはやり残す事になると諦めた……生涯抱こうと思っていた悔恨になる筈だったもの。だからこそ、掛け替えのない思い出になる筈だったのに、と。

 

『ほら、急ぎなさい。式次第が押してるのよ』

「――へいへい、まだ一年早いっすけどね」

 

 促され、不承不承席につく。壇上にはサレスの姿があり、いつも通りの不敵な笑顔を浮かべていた。

 アキの皮肉に、僅かに弛緩した館内。そんな空気を引き締めるように、マイクから声が響いた。

 

『――それでは、卒業式を執り行います』

 

 そんな、最後を告げる声が――……

 

 

………………

…………

……

 

 

 形式だけの、証書も無い卒業式が終わって夕焼けの天蓋が物部学園を覆う。この天幕が明日の朝日を映す時……それが巽空がこの時間樹(ふるさと)から旅立つ時。

 なので、その後始末として。仁義を通す意味も込めて、旅の始まりから使い続けた部屋に感謝の意を表し、片付けようと思いたった。

 

「……うわ、懐かしいなコレ。完全に忘れてたぜ」

 

…思いたったのだが、記憶の欠片達がソレを邪魔する。最初は鹵獲したノル=マーターの、次は未来の世界で入手したFN−P90に酷似する個人防衛火器(PDW)を見付けて整備し、収蔵して時間の無駄遣いをしてしまって。今度は剣の世界で手に入れた物……当時はまだただの行商人だと思っていた【空隙】のスールード……否、鈴鳴から押し付けられたパーマネントウィル。

 彼は知らないが、その青い金属のような質感と光沢を放つモノは……『想いの強さを力に変える』能力を有していた剣の残滓。

 

「もう、空さんったら。また手を止めて……」

 

 かつて、この時間樹の枝が触れる程に近い別の世界でユーフォリアの父親が携えた永遠神剣。

 彼女の父親を陰謀と戦乱の大地へ招き寄せた元凶であり、彼と共に『永遠戦争』を闘い抜き……しかし、最期に彼の願いを叶えて砕けて逝った戦友。評した言を借りれば"バカ剣"こと、第四位永遠神剣の破片『神剣【求め】の凍結片』。

 

「ん? なんだユーフィー、泣いた烏がもう笑ってるじゃないかよ」

「むぅ〜、またいぢめる〜っ」

 

 と、卒業式で感極まって泣いてしまったユーフォリアを可愛がる。彼なりの愛情表現で、だが。

 因みに、ユーフォリアの方は既に部屋の清掃を終えた後だそうだ。といっても、全てをアイオネアの繋げる"真世界(アタラクシア)"の内へと仕舞っただけらしいが。

 

「あれ、それって……もしかして、パーマネントウィルなの?」

「ああ……かなり昔のヤツだから、透徹城に入れるの忘れてた。試しに使ってみるか、ユーフィー?」

 

 と、口にした刹那。背後に感じる凄まじい悪寒(オーラ)に血の気がさーっと失せる。ユーフォリアも、視線の先の何かに脅えるように羽毛を逆立たせていた。

 ギギギッと、錆び付いたブリキの玩具のように振り向いて――

 

「……あ、アイオネア様……お使いに成られ賜うでござるか」

 

――思わず、吃って妙ちくりんな言葉を口走ってしまった。正直に言えば冷や汗が止まらねぇ。

 こんなに強大な威圧感を味わったのは、【夜燭】のダラバに背後を取られた時以来だぜ……!

 

「……私は、パーマネントウィルが失くたってスキルを覚えられますからっ」

 

 ぷいっと、不機嫌オーラ丸出し(物理的)でぶーたれるアイオネア。周囲はお供達ががっちり固めているので取り付く島も無い。

 近寄るだけでも彼らの宝石の瞳……見詰めた相手を物理的にも概念的にも撃ち抜く魔神眼(マシンガン)で蜂の巣にされそうだ。

 

――何せ、アイの瞳は他を逸する金銀妖瞳(ヘテロクロミア)の龍眼。邪眼の持ち主の中でも異例中の異例である存在、『複合同時付加(ツインエフェクト)』。只でさえ一方通行であり強壮無比な、外界へ干渉する能力"邪視"が二種だ。左の"聖なる銀瞳(ディスペル)"で効果対象の抗魔力を消滅させて、右の"魔なる金瞳(ギアス)"により対象の運命を律する天然コンボ技らしい。普通の人間ならば、その効果同士が打ち消し合うので無害なのだが……永遠神剣の担い手等の神威に護られた存在にこそ真価を発揮する『月虹の瞳』。

 詰まり、俺以外は無効にならない技。あらゆる矛盾(けんもたても)を『透禍(スルー)』出来る、この"天つ空風のアキ"でなければ。

 

「じゃ、じゃあ……俺が使ってみるとするかな。俺自身も、永遠神剣みたいなもんだし」

 

 言うが早いか、彼女の重圧を跳ね退けようと事の発端の凍結片を口に含んで――ガリボリと躊躇せず、思いっ切り噛み砕く。

 

――『アイアンスキン』で口の中を硬化したんで切る事は無いけど……当然だが、硬いし不味い。

 何か、あれだな……触手が出せる気がしてきた。あと何だか『誓い』って言葉が物凄く嫌いになった。何てーか、超砕きたい。

 

「あ、空さんは、新たなスキルを修得しましたー」

 

 と、彼と同じく現状の打破を願うユーフォリアの無理矢理花やいだ声に正気を取り戻す。その期待に応える為にアキは恥も何もかもをかなぐり捨てた。

 左手を前に突き出して水平方向。右手を前に突き出して垂直方向に90°曲げて。

 

「さ、サポートスキル『スーパーアマテラス光線EX』を修得だ! アンチインタラプト効果に加えてペネトレイト効果付き、敵全行動回数を−99! どんな巨大な怪獣も一撃で撃破、マナコストは30でマテリアルダメージ100%の最強スキルだ! ただし、行動回数1の上にリミテッドスキルだから一枠しか覚えれないんだけどな、びびびー!」

 

 師匠直伝の、対幼稚園児用スキルを発動した。

 

「…………」

「……び、びび……びー……いぃぃ……」

 

 それにクスリともせずに、魔金(オリハルコン)聖銀(ミスリル)の色違いの視線(エーテルシンク)を向けるアイオネアにバニッシュと精神的痛手(フォースダメージ)100%を与えられて。

 アキはガクリとうなだれて部屋の隅に移動し、紅潮して湯気が出ている顔を両掌で抑えてダンゴムシみたく丸まってしまう。

 

『お兄ちゃん、諦めたらそこでゲームオーバーだよっ!』

『だって、お前……アイに、優しいアイにあんなに冷たい目が出来るなんて……その上、よりにもよって俺が向けられるなんて……』

 

 駆け寄って、耳元で囁きながら揺さぶるユーフォリアの言葉でも『透禍(スルー)』に徹する彼には届かない。

 

『もう、立ち直れない……それでも立ち直らせたいならパーマネントウィル、『ユーフィーのキス』が必要です』

『うにゅう……空さんのえっちぃ……』

 

 そして……完膚なきまでに節操無しだった。

 

「……んむ〜〜っ……兄さまっ!」

「は、ハイッ!」

 

 そして、そんな二人の様子を見て更に不機嫌の度合いを増していくアイオネア。それに呼応したかのように、展開されていた薔薇窓の精霊光『トラスケード』が高速で回転して星間瓦斯の如き虹の燐光を放つ。

 伴侶どころかお供達さえも、そのチカラの昴ぶりに怯える程だ。

 

 そして、媛君は。

 

「――わ、わたしも……いぢめて下さいっ!」

「「『『『『『……は、ハイ……?」」』』』』』

 

 少なくとも、伴侶と心友。そしてお供達が呆気に取られるような事を口にした。

 

「ゆーちゃんばっかり狡いです……わたしだって!」

「へ……いや、ちょ……アイ? お、落ち着いて、な……」

「う〜、いぢめて下さい〜っ!」

 

 何とか宥めすかそうとするものの、聞く耳を持たずに地団駄を踏み始める。その仕種は、この上なく可愛い。

 可愛いのだが……次第にそんな言動を取らせた張本人(たつみあき)に周囲から批判的な目線が向けられ始める。

 

「それとも、兄さまは……わたしは……アイオネアの事は、お嫌いですか……ぐすっ……?」

「俺がアイを嫌いな訳無いだろ、好きだよ……でも、この『好き』は妹に対するのと同じでだな……」

「……うわき……」

 

 と、口にした刹那。またも背後に感じた凄まじい悪寒(オーラ)に血の気がさーっと失せる。

 再びギギギッと、錆びたブリキの玩具状態になって振り向けば――……たっぷりと涙を貯めた空色の瞳を向けながらぷーっと頬っぺたを膨らませて、意識してかどうかは判らないが青白い光を放つ精霊光『インスパイア』を発動。攻撃力を高めつつ招聘された双龍『青の存在 光の求め』とユーフォリアを認めた。

 

「浮気したぁ……お兄ちゃんが浮気した〜っ! 浮気浮気浮気〜〜っ!」

「いやいやいやいや、違うだろッ! 最後まで聞きなさい、俺がアイに抱いてるのは妹に向ける……」

 

 ぷりぷりと怒って両手を振り回す彼女に、慌てて向き直ろうと――

 

「先に兄さまと永遠を約束したのはわたしだもん……! それを横取りしたのはゆーちゃんの方だもん! わたしは返して貰ってるだけだもんっ!」

「アイちゃんのそれは永遠神剣の契約でしょ! あたしと空さんのは『だんじょのかんけー』なの! 赤ちゃんだって貰えるんだから、『こーのとりさん』が運んできてくれるんだってパパが言ってたんだからっ!」

 

 振り返ったその左腕をアイオネアが抱き絞め、珍しく棘のある口調でユーフォリアに叫んだ。

 それを受けたユーフォリアもまた、彼の右腕を抱いて、珍しく怒気の強い口調でアイオネアに反駁する。

 

「お、落ち着いてくれ二人とも! 取り敢えず、今のこの状況は俺のキャラじゃない! こういうのは、望の仕事だ!」

 

 ささやかな二対の双丘を両の二の腕に感じ……ている暇も無い。

 幻獣達の圧倒的冷たさの十五の瞳が、こちらに向けられている。

 

――普通こうなるぜ、どんな立ち回り方してんだ望……テメー、一体どうやって円満に事を運んでんだァァァ! スゲーなお前、俺なんて二人でこれだ! 初めて尊敬した!

 

「「むぅ〜〜っ!」」

 

 精霊光が鬩ぎ合う事でバチバチと本当にマナの火花を散らし合う、正真正銘の一触即発の四面楚歌。

 

「ちーっす! わざわざナルカナ様とその他が手伝いに来てあげたわ、下僕一号! 子孫末代まで光栄に思いなさいよ……って何これ、炉利修羅場?」

「誰がその他ですか、お姉ちゃん……あらまあ、炉利修羅場ですね。ところで……真ん中は私のモノですよね、兄上さま?」

「……どうやら、お前ともキチンと話し合う必要が有るらしいよな、ナルカナ……誰が下僕だよ。そしてイルカナ、火に油を注ぐな!」

 

 そこに、更なる昏迷を齎すだろうストレンジャー達が……ナルカナとイルカナが現れたのだった。



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悪心胎動 災厄の兆し Ⅱ

 時刻は宵の口。今度は送別会を催すという事で、もしも片付けが終わっていなかった場合を考えての跡形消(あとかたづけ)を兼ねて呼びに来たナルカナとイルカナと共に、食堂に移動した。

 そこに用意されていたのは、一体いつの間にこれだけの量の料理を作る時間が有ったのか聞きたい程の食事量。

 

 そして――その食堂にて。

 

「はい、お兄ちゃん。あーんして、あーん」

「あ、ああ……あーん……」

 

 右腕をガッチリと左腕で、更には生肌の太股までも使ってホールドして、海老炒飯の載ったレンゲを差し向けて来るユーフォリア。

 今、己の手の甲が触れているモノを意識外に追いやるよう心掛けて。その為か、心底小っ恥ずかしい筈の『あーん』ですらも許容範囲に感じて言いなりになる。

 

「兄さま、あーんして下さいませ」

「ひでぶ!? アイオネアさん……?!」

 

 その瞬間、グギリと。嫌な音を立てて首をひん曲げられる。目前に在ったのは、五目炒飯の載ったレンゲをこちらに差し向けて来るアイオネア。

 やはりガッチリと左腕を右腕で、薄ナイロンの黒タイツに包まれた太股も使ってホールドした状態の彼女が。

 

「「む〜〜っ!」」

「もがふっ、ちょ、噛む暇くらいモゴ……は、くれ……ンゴ!?!」

 

 そう、両腕を完全に封じられて……バチバチと視線にて火花を散らし合う少女達に挟まれて、矢継ぎ早に出来立て熱々の炒飯を口の中に突っ込まれて。

 まるで口径の合わない弾丸を無理矢理、ベルトリンクで装填される銃の気分だ。

 

「あ、お飲みものだよね。はい、空さんの大好きな――」

 

 と、流石は恋人。彼の『助けて』の視線に気付いて。

 

「コーヒーだよっ」

「……?!」

 

 差し出されたのは、泡立つ真黒な液体。ただでさえ火傷寸前の咥内に、これまた行き届き過ぎた気遣いで異常に濃い、煮え滾ったコールタールに近い状態の珈琲を流し込めと。

 

――確かに好きな物だけれども! 炒飯に珈琲?! 合うのかな、ソレ! ケーキを突っ込んだラーメン並の暴挙じゃないかな、ソレ!?

 

 そして、流石は恋人。彼のそんな意志を込めた視線にも気付いて。

 

「うぅ……要らないの……?」

 

 悲しげに目を伏せて、大粒の涙を浮かべたその瞬間に、アキは蒼茫(せいたん)雷火(おこしび)を纏ってまで間髪容れずに一気飲みした。

 当然、喉や胃の腑が焼けるような苦痛と舌が麻痺しそうな程の苦みを味わう事となる。

 

「ハハ……案外……イケる組み合わせかも……しれないな」

 

 だが、彼にとっては自分の痛みなどよりもユーフォリアが笑顔で居てくれる方が大事なのだった。

 

「……また、ゆーちゃんばっかり」

 

 そして、そんな事をすると……目に見えて不機嫌になる媛君が左隣に居る。

 

「つ、次は……麻婆豆腐が食いたいなぁ」

 

 このままではもう一杯、あの珈琲を飲まされかねないと戦々恐々、先手を打つ。

 因みに、麻婆豆腐はこの会食には存在していない。要するに、時間稼ぎである。

 

「え〜っ、じゃあ急いで作らないと……お豆腐有るかなぁ」

 

 まんまと掛かったユーフォリアは慌てて立ち上がる。ホッと一息をついた、その眼前に――

 

「どうぞ、アキ様……御所望の麻婆豆腐です」

「ええっ?!」

 

 聖なる盃に満載された麻婆豆腐を掬い取ったレンゲが、ズイッと。アイオネアによって差し出されたのだった。

 

――しまったァァッ! アイは確率の支配者、そこに存在する可能性が微塵でも在れば実現可能! 更に0%と100%は同一事象の片面であるとして、無限回帰する事が可能な絶対空間の女王!

 つまりは、麻婆は食卓に存在していないのだから……アイは無尽蔵にそれを零から引き出す事が出来る、日没の青き瞼の娘……!

 

「あ、有難うな……アイ」

「う〜、アイちゃんの卑怯者〜」

 

 しかし、自ら言ってしまった手前食わない訳にはいかない。彼女が抱くは、麻婆が止め途なく溢れる魔法の釜。底を付く事等は決してない、食い尽くせばその"零"を糧として"百"へ永劫回に帰する。

 それはシュレーディンガーの猫も存在する事能わず、ラプラスの悪魔ですらも干渉不可能な、未来福音(エヴァンジェリン)

 

 それを一気に、一口にて頬張る。そして――眉根を寄せて、難しい顔をして飲み込んで。

 

「……なぁ、ユーフィー……これ一口食ってみてくれ」

「え……あ、うん」

 

 と、勧められたユーフォリアがアイオネアの神聖スキル台なしの麻婆聖盃から一口分を掬って口に含み……難しい顔をした。

 

「味……無いね。お水みたい」

「やっぱりか……良かったぜ、俺の味蕾が焼け死んだんじゃなくて」

「あじ……?」

 

 誕生以来、自らが聖盃で生み出す零位元素[アイテール]だけしか口にした事の無い彼女が生み出した麻婆豆腐は……水の如く無味だったのである。

 

「そうだなぁ……普通、麻婆豆腐は辛いものなんだよ」

「からい……ですか?」

「そうそう、ラー油とか唐辛子で辛いんだよねー」

 

 言うや否や、卓に備え付けられている辣油と一味を振り掛けて味を調えたユーフォリアが麻婆を掬い差し出す。口に含めば……まあまあ食べられる代物にはなっていた。

 

「うぅ〜〜っ!」

「ちょ、アイオネアさーーん?!」

 

 それに憤慨したアイオネアは−−在ろう事か、卓上の調味料を全て、丸っと麻婆に叩き込んだ。

 やっと味が着いた麻婆豆腐は一瞬で……醤油とソースで真黒く煮えて辛苦の紅い汁を滲ませる、この世の地獄と化していた。

 

――何これ、何麻婆なのさ一体? 溶岩麻婆(マグマーボー)? 俺は、言峰さんちのキレーな神父じゃあねぇんだよ、確かに我流八極拳も特訓したし代行者(零位)の称号は持ってるけども!

 

「あの、アイオネアさん……これは幾ら何でもワタクシの手には負い兼ねるというか」

 

 幾ら『アイアンスキン』で肉体的には鉄壁といえど……味覚まで防御する事は適わない。

 だらだらと冷や汗をかきつつも、退避路を模索する。そんな彼に。

 

「ぐす……捨てちゃうんですか?」

 

 涙目で、『きゅーん』と。まるで捨てられた子犬みたいな眼差しを向けられてしまえば。

 

「――戴きます」

 

 と、そう言うしかなかった。

 

「いやーねー、女にだらしの無い男って……」

「だよねー、周りに女を侍らせていい気になってるとか小物の骨頂だよね」

「全くじゃのう、一夫多妻などは獣の為す事よ」

「その通りですね。女性にばかり貞淑を求めて自分はあちらこちらふらふらなど、男のエゴです」

「そうね、あれはないわ」

「あ、あはは…………」

 

 結果、沙月にルプトナ、ナーヤにカティマ、ナルカナにヒソヒソと陰口を叩かれてしまう始末。

 

――だが、叶う事ならば。声を大にして言いたい。俺はお前らが惚れてる(ジゴロ)ほど無節操に女を引っ掛けてねぇ……!

 

【……よくもまぁ白々しく言うよね、兄ちゃん】

(なんだ、【悠久(おとうと)】よ……言いたい事があるならはっきり言えよ)

 

 しかし、現状はそう野次られても仕方の無い状態に違いない。更に、当然といえば当然だが学生連中の視線も冷たい。

 完全無欠に板挟みで、孤立無援の敵地にて、逃げられる意識すらも追い込まれて。

 

――……今日も、いい星空だなぁ。ああ……あの流れ星みたいに、あの一瞬の煌めきのように。華々しくなんてなくて良いから……自由気儘に流れて行きたい。

 

 なので……窓の外を眺めながら現実逃避してみたりしていた。

 

「まぁ要するに、アイちゃんもユーちゃんも兄上さまのご寵愛の独占権を主張してる訳ですよ」

「なるほど、それで修羅場を繰り広げてた訳ね。あれね、○閣諸島とか北○領土とか竹○を思い出したわ……いつの時代も、主権争いは苛烈ね」

「初恋を諦めて箍が外れたんじゃない? 元々、初恋が忘れられない男はロリコンになる傾向が強いっていうし」

「その説は極論だと思うけどね……まぁ少なくともクー君は始めからぺったんこ好きだったと思うわ」

 

 イルカナの解説に的を得ているようないないような返答をした早苗に、暴論を展開したタリア。

 そしてフォローにならない擁護をくれた、養護教諭のヤツィータが希美に話を向ける。

 

「あのぅ、ヤツィータさん……どうしてわたしの方を見て言うんですか?」

 

 それに心底意味が判らない……が、胸の事を茶化された事だけは理解した彼女がジト目を向けた。

 

「恋する乙女は盲目、か……うわ、今ちょっとだけ……心から彼に同情しちゃった」

 

 そんな彼女を見て、エヴォリアはそう呟いたのだった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 ジャーッと水の流れる音を背に、トイレを後にしたアキの足取りはまるで雛鳥のようによちよちしていた。

 

肛門(ケツ)が……焼けるようだ」

 

 水をがぶ飲みしたが、どうやら逆効果だったらしい。摂取した大量の香辛料で、彼の粘膜は大打撃を受けていた。

 

「……あら、珍しい所で会うわね」

「んあ……ああ、姐御にベルバ先輩じゃないですか……なんすか、これから便所でアタッカーに回ったりディフェンダーに回ったりするんで……判りましたすいません調子に乗っただけですから、【重圧】は仕舞ってください」

 

 と、そこで認めた翡翠細工の女と鬼神の具現……エヴォリアとベルバルザード。

 

「今、暇かしら? 少しお付き合い願いたいんだけど」

「はぁ……別に良いっすよ」

 

 先導する二人に着いて、歩いた先には鉄扉、それを開いて広がった−−煙るように密集した、満天の星空(プラネタリウム)

 偽物であるとは言え、星が美しい事に変わりは無い。

 

「……で、何です? 世間話にしてはムード有り過ぎで、告白にしてはベルバ先輩が邪魔ですけど」

「あら、どの口がそんな事を言うのかしら、この『恋愛の対象にも成れない』男」

「あんた、遂に言っちまったな……自分自身薄々感づいてはいたけど、敢えて気にしないようにしてた事を言っちまったな! 畜生ォォ、普通はこんな副作用が有るなんて思わねーだろッ! 魅了の逆の効果スキルかっ!」

 

 短めの翡翠色の髪を靡かせながら振り返った、アラビア圏の踊り娘のような女。その美しさに思わず息を飲む。

 

「……あたし達二人もね、そろそろお暇する事に決めたわ。元々が、理想幹の攻略までのつもりだったんだけど……随分長居したからね」

「ああ――成る程。でも、それはクウォークス代表にでも言うべきなんじゃ?」

「言ったところで、『そうか』が関の山。それならからかい甲斐のある貴方の方が面白いでしょ?」

「マジ迷惑だわー」

 

 星の光に抱かれて、そういえば目の前の女は……会った事こそ無かったが、神代の古に於いては『慈愛の女神』の渾名で知られた、南天の空にて星の美を象徴する存在だった事を思い出した。

 

「……ま、精々ベルバ先輩と幸福になって下ださいよ」

「あら……散々人を不幸にしてきたあたし達に……今更幸福になる権利なんて有るのかしら」

 

 彼としては軽く発した言葉、それにエヴォリアとベルバルザードは……戦の時ような視線を向けた。

 

「当たり前じゃないすか。奪ったんなら、最低でもあんたが今まで奪った相手の分だけの幸福を謳歌しなきゃ」

 

 試すような、縋るような。自分達のこの後の指針を尋ねるような、そんな視線だった。

 

「そうじゃなきゃ――お前らの所為で潰えた生命は、それこそ無意味になる。真実、()()()()になっちまうだろう、エヴォリア……ベルバルザード」

 

 だから、真摯に視線を返す。一片の迷いも無く、そう……振り切った感情を。

 

「……あはは、相変わらずね、貴方……正義に与してるのが不思議だわ、その実はどうしようもない『(あく)』なのに」

「だからこその自由自在なのさ、がんじがらめの『正義(ぜん)』とやらは窮屈だ。一人くらいは振り切った"そういう奴"が居ても良いけど……俺はそういうのは頼まれたって御免だね」

 

――そう、正義なんて出来ない事ばかりだ。例えば悪を行えない。それに対して、惡は自由。自分が望むのならば……正義を行ったってなんら問題は無い。

 要するに、正義には限界が有るが惡には際限が無いって事。

 

「……自由自在、ね。だったら聞くけど……そう言ってる癖に、あの娘を受け入れられないのは何故なの? 今更、一夫多妻が悪い事だとかいう訳?」

「は――いや、それとこれとは」

「あら、違うのかしら? 今の貴方は、有りもしない罪の意識に陶酔してるように見えるけど?」

 

 その一言に仮面を剥がされる。装甲の隙間、柔らかな剥き出しの肉の部分に突き立てられた、鋭利な刃に。

 思い浮かぶのは、滄の少女。己が契約した永遠神剣。

 

「考えてもみなさい、貴方……他の男にあの娘を譲ったり出来るの? あの娘が、他の男の腕の中で女になるなんて……堪えられるの?」

「……何を、馬鹿な! アイは、俺にとっては妹みたいなもので」

「そう思いたいだけでしょうに。一度、妹みたいに思っていた娘に手を出しちゃったから……もう一人だけはどうしてもスタンスを守りたいってだけよ、貴方」

 

 ギリ、と歯を食い縛る。そんな事は、考え無くても判っている。あの無垢が他の男に穢されるなど堪えきれる筈もない。その可能性が有るだけでも反吐が出ると言うのに。

 本当の所、自分自身……気付いてはいるのだ。有ってはいけない感情を抱いているという事には。

 

「……まぁ、後悔だけはさせないであげなさいな。あの純粋な二人に、ね……」

 

 言うだけ言って、去っていく影。脇を擦り抜けていく、翡翠の女に向けて――

 

「…………」

 

 何も言い返せずに、歯を食い縛るのみ。響くのは只、鉄扉が閉じる無情な音のみだ。

 独り取り残されて、満天の星空を見上げる。天の川を再現する、その天幕に。

 

「そう簡単に割り切れたら、苦労しねぇっての……」

 

 その声が、星の光が満たす虚空へ溶けていった……。

 

 

………………

…………

……

 

 

 

 エヴォリアとの会話後、何と無く他人と会う気が起きず。というか、どんな顔をしてユーフォリアとアイオネアに会えば良いのかが、分からずに。

 物部学園で最も星空に近い、屋上で寝転がり後頭部に手を当てて脚を組んだ状態で星空を見上げて……かれこれ一時間にもなる。

 

――ユーフィーとアイ……悩んでも結局どっちの方が大切なのか、俺には……その明確な優劣を付ける事が出来なかった。

 気分は心底、最悪だ。ユーフィーが言ったように……本当に浮気でもしたように自己嫌悪してしまう。

 

 頭はいい感じに煮詰まり、焦げたカラメルソースが痼り付いた鍋の如くにっちもさっちもいかない。

 

「……俺って……もしかして、多情なんだろうか」

 

 などと、思わず溜息混じりに誰に問う訳でも無く呟いてしまうほどだ。

 

「――……うっわー、独りぼっちで何か呟いてるよ。怖っ」

「似合わねぇ真似してやがんな、そういうのは二枚目の奴しか絵にならねぇぜ」

「放っとけ、莫迦ヤローども……」

 

 と、口々に響いた女と男の声。予期せぬ返答に心臓を凍りつかせつつ、視線を向けてみれば――立っていたのは、神剣士の戦装束を身に纏うルプトナとソルラスカだった。

 

「何だよ、敵でも現れたか?」

 

 物々しさに上半身を起こして周囲を探るも……そもそも、物部学園の内部に敵が侵入すれば高性能神獣ものべーに見付かって警報が鳴る筈だ。

 

「何、単純な話だって。よくよく俺とお前の出会いを思い出してみたら――」

 

 訝しみながら彼ら二人を見遣れば、静かにソルラスカが進み出た。

 

「俺とお前の真剣勝負(タイマン)は、ケリがついてねぇんだ……!」

 

 進み出て――野狼の如く好戦的な笑顔を見せて目にも留まらぬ速さで拳を振るい、永遠神剣・第六位【荒神】を……こちらの鼻先に突き付けた。

 月の光を浴びて鈍く銀色に煌めく鋭利な爪を突き付けられて。

 

「……成る程、そういやそうだな。剣の世界じゃ邪魔が入りやがったからな」

 

 左手に握った、夜闇に溶けそうなディファイアント=デリンジャー……条件反射(クイックドロー)で抜き、構えた暗殺銃【烏有】の上下二連装の銃口をソルラスカの鼻先に突き付けながら――獲物を見付けた鷹の如き笑顔を見せたのだった。

 

 それはこの二人が出会った時の話。まだアキが【幽冥】のタツミを名乗っていた頃の……【幽冥】に、良いように使われていた頃の話だ。

 

「手加減はしねぇ、俺はあの時と同じ――【荒神】のソルラスカの名に懸けて本気でテメェを殺しに行く」

 

 出会い頭、交戦したこの二人は……タリアとミゥの仲裁により決着を……全身全霊の闘いの決着を付ける事が出来なかった。

 

「そりゃあこっちの台詞だ。俺も、あの時と同じで――この生命を懸けて、テメェを殺しに行く」

 

 その決着を今ここで付けようと、そう確認しあったのである。

 

 バッと互いに跳び下がる。離れた距離は約10メートル程度、神剣の担い手には……零と等しい間合い。

 

「……オイ、どうした? 【真如】を喚ばねぇのか」

「間違えんなよ。俺の【真如】は、お前らの形に囚われる神剣とは違う……」

 

 挑発を軽く|透禍[スルー]して、胸……心臓の位置に拳を当てる。その拳に漆黒の篭手――具現化された『威霊の錬成具』が装備された。

 

「【真如】は銃如きじゃねぇ……俺の躯を突き動かすモノ、この源初動(いのち)だ」

 

 元より、防御を展開する隙すらも嫌う彼は……ディフェンススキルを実際の装甲の概念として纏う事を好む。

 その奇跡を可能とするのが、彼の契約した永遠神剣・空位【真如】。確率を支配する事によって空想ですらもを具現化する精霊の法を携えし、奇跡を起こす軌跡の原点にして原典……劫初の海に生まれた生命のさざ波である。

 

「そうだったな、なら出し惜しみはしねぇ――全力全開……!」

 

 その、宇宙開闢から終焉までを遍く記す『アカシックレコード』を前にして……ソルラスカは宣言通りに一切の加減する事無く、両拳の【荒神】にそれぞれ(てん)の氣と()の氣を廻らせる。

 反発する筈のその陰陽の流れを、精神力を以って……さながら無極の如く両立させていた。

 

「自慢の拳、受けやがれ――――降天昇地無拍!」

 

 跳躍と共に明かされる真名、その名を『降天昇地無拍』。

 正しく、拍を差し挟む余地の無い間に天が降り地が昇るかの如き。 空海(さかいめ)に存在する全てを擦り潰すかのように苛烈な、拳の連打。

 

「流石だな、ソル――だが!」

 

 その威容を目の前にして、篭手に纏われる蒼茫の焔、(アカシャ)の煌めき。

 それこそが、何モノにも侵されぬ生命のみの秘奥『生誕の起火』。エターナルの内ですらも持つ者は稀な、奇跡のチカラ。

 

「――敵を倒すには一撃有れば事足りるのさ――――クリティカルワン!」

 

 同じく、跳躍と共に明かされる真名。あらゆる存在を許す場所……天地の狭間に在る空海の体現。

 遍く全き可能性を網羅し、敵対者に回避の余地を残さない必殺技……正にその名が示す通り『致命的な一撃(クリティカルワン)』たる、正拳突き。

 

「「――ハァァァァァッ!!!!」」

 

 交錯する天地の拳戟と空海の拳撃、互いの壱志を籠めた必殺は−−

 

 

………………

…………

……

 

 

「……イテテ、オイ、沁みるだろうがよ……」

「うっさいなー、黙ってろよー」

「ったく、相変わらずガサツな奴だな。そんな事じゃ望に見向きもされねぇイダダダダごめんなさい調子こきましたルプトナさん!」

 

 所は保健室。ルプトナに消毒液に浸した脱脂綿を押し付けられて、悶えるアキ。

 治療して貰いつつ、文句を述べた為に報復を受けてしまった。

 

「ホント、呆れた。ソルも空も、ほんっと馬鹿だよ」

 

 プリプリと頬っぺたを膨らませて、彼の頬を殴り付けるかのような治療を施すルプトナ。アイオネアに治癒して貰う方が早いのだが、彼女を呼ぶのをアキが躊躇った為である。

 

「うっせ、男ってのはそんなもんなんだよ。いつまで経っても少年の心を忘れないモンなんだよ」

 

 心安らぐその一時、同性の友人とじゃれあうのと同じだ。因みに、ソルラスカが居ないのは罰ゲームとして『タリアに告白』の為に、現在は出張中だからである。

 

――いやホント、こんな機会でも作らなきゃ告白とかしねぇだろ、アイツ。出来れば出ていくまでに結果も知りたいしな……って……。

 

「…………」

 

 と、目に入ったのはたゆんと揺れる、前のめりになっているが故に強調される同年代にしては立派過ぎる胸。誠に望には惜しい、おっぱい星人涎垂モノの得物。

 

「…………」

「あいたたた、ちょ……すいません邪な考えは抱いてません」

 

 ピタリと、脱脂綿を押し付けていたルプトナの手が止まる。その所為で、必要以上に消毒液が染み込んだ。

 それを考えを見透かされたからだと思い、そんな見え透いた言い訳をしたところで。

 

「……どうして出てくんだよ……ボクらに何の相談もしないで、勝手に決めちゃうんだよ……」

「…………」

「ボクらは"家族"だろ、なのに……なんでなんだよ……!」

 

 子供が駄々をこねるように唇を尖らせて呟かれた、その言葉に。

 

「……そりゃあ、別れるのは辛い。けど――何かを手に入れる為には、何かを犠牲にしなきゃいけなかったってだけの事だ」

「……なんだよ、それで空が『手に入れたモノ』って一体何だよ!」

 

 機嫌を損ねたらしく、ダンッと強く踏み締められた床が砕けた。それもその筈、彼女が履いているのは只の靴ではなく、永遠神剣・第六位【揺籃】。

 本気を出せば、人の頭くらいなら西瓜かトマトみたく粉砕できる。

 

()くしてばっかりの癖に! 手に入れた端から失くしてくだけの癖に!」

「そりゃあそうだけどな。まぁ、アレだ……俺って莫迦だろ? 起用な生き方って出来なくてな……前にも言ったけど、俺は俺だ。過去が、現在が、未来がどうあれ……な」

 

 俯いてのまくし立てにポリポリと頭を掻いて。何一つ気負う事など無く、そんな理由を述べて。

 

――それに俺には……もう充分だ。空っぽだった、この俺に……受ける容れモノすら無い、伽藍洞の俺に……お前らは、掛け替えの無い"絆"を充たしてくれたんだから。

 

 最後まで強がり、『ありがとう』すらも言えずに。

 

「……頼むから、笑って送り出してくれ。俺はドSだから、泣かせるのは好きだけど……泣かれるのはどうにも苦手なんだよ……ルナ」

「……っ泣いてないやい、バカ……」

 

 ポン、と。俯いたルプトナの頭……磨かれた黒耀石(オプシディアン)を思わせる美しい黒髪を、くしゃくしゃっと撫でたのだった。

 

 

……………

…………

……

 

 

 夜が白む。架空の朝日が、天蓋を黎明に染める。

 

「さて、と……そろそろだな」

「うん……」

 

 移り変わってゆく空を、学園一同が見送りする為に揃っている校庭から眺めながら隣のユーフォリアを見遣れば……悲しげにそう呟いただけ。

 細く儚い肩を抱けば、舞い落ちる羽の如く軽い体重が預けられた。流石に、今はアイオネアもそれを容認している。

 

「……何よもう、湿っぽいわねー……これからローガスの奴をボコボコにしに行くんだから、気合いいれなさいよ、下僕一号二号三号四号」

「……オイ、何不吉な事言ってんだ。俺らは行かねーからな」

「そうですよ。大体、リーダーに挑むなんて無謀ですよ〜……」

「……ふっふっふ、待ってなさいよローガス。前回あんたに負けたのは数で圧されたから……今回は優秀な下僕が四人もいるんだから」

「「またオーラですか……」」

「お姉ちゃんに捕まったのが運の尽きですよ」

 

 因みに、アキとユーフォリアの当面の目標は、ユーフォリアの夢に出て来る『ミューギィ』という少女を探しに行く事だ。

 だが、やはり唯我独尊を地で行くナルカナには反論も諌言も届きはしなかった。

 

――まぁ、コイツはコイツなりに……別れを惜しんでいるのかもな。初めて、持ち主になって欲しいと思ったんだろう……望との。

 

 それは、昨晩の食堂への移動の最中。そこでアキは、ジルオルの言葉を告げた。それにナルカナは、少し嬉しそうに。少し哀しそうに微笑んで。

 

『馬鹿ね……大きなお世話よ』

 

 誰に対してかは口にする事無く、ただそれだけを呟いた……。

 

「……そろそろ、元々の世界に到着するよ」

 

 声は、希美のもの。間を置かずに『くおーーん』と目的地への到着を知らせる、ものべーの鳴き声が響いた。

 

「さて、懐かしの我が故郷に只今だ」

 

 お道化て、そう口にする。徐々に外界に繋がり、剥がれていく擬似天幕。

 その先に広がるのは−−

 

「――何だ、これは」

 

 見慣れた世界の廃墟に、残骸。黒く澱んだ天地は生命の残滓すら無く。完全なる死の世界へと成り果てた……故郷だった。

 

「――随分と遅かったな、堕落せし神々よ」

 

 そこに……淵源より続く声。凛と、澄んだ女声。

 

「この世界のマナは還して貰った。我が第二位【星天】にな」

 

 さながら、斬馬刀の如き巨大な永遠神剣……その、終着までを刻む碑銘。

 

「次は貴様らだ。その後、時間樹を初期化して……ナルカナ、お前を再度封印する」

 

 翳された手から放たれるオーラは、虹色の三重冠……それは、永劫無限の光。

 

「随分と久しぶりなのに、言ってくれるじゃないの……」

 

 静かな怒気を孕むナルカナの声に、動じる事も無い。古代の女帝の如き壮麗な衣裳を纏って、背後に黄金の天球を負う……ヴェールで顔を隠した永遠存在(エターナル)

 それは……正しく、創世の神曲。

 

「――創造神(ジ・オリジン)……"星天のエト=カ=リファ"!」

 

 その全てを――統べ司る神……!

 

 もう二度と朝の来ない世界に立ち込める陰惨な夜の気配。絶の故郷の枯れた世界のように、精霊回廊を巡るマナの流れを止められて、緩やかに滅んだのではない。

 

「酷い……こんな……」

「……てやる……」

 

 嗚咽を堪えでもするように口許を抑えてそう漏らしたユーフォリア。その彼女の隣に立っていたアキが、某かを呟き――アイオネアをライフル剣銃【真如】として瞬時に招聘した。

 

「お兄ちゃん……?」

 

 彼の表情を窺った、彼女の表情が凍る。今まで彼の『怒り』の表情ならば幾らでも見てきた。

 しかし、今の表情はそれらと違う。その表情は見た事が無い、その――『憎しみ』の表情は。

 

「――お兄ちゃんっ!」

 

 必死に呼び掛け、引き寄せようと伸ばした手が……(くう)を切る。刹那の暇に宙を駆け出した、黒い霧を纏う龍騎士の背中は……大切な筈の少女の、悲鳴じみた呼び掛けを置き去りにしていった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 瓦礫の隙間から這い出る蟻のように現れる色とりどりのミニオン……いや、無数のエターナルアバターにより塵灰が巻き上げられる。

 その憂く怠く微睡む闇を斬り裂く、一条の滄い閃光。

 

「――――()ァァァァァッ!!!!!」

 

 澱んだ大気を震わせる咆哮と共に繰り出された、横一閃の剣銃戟。ハイロゥの高速回転により螺旋を描いた真空の刃を纏う【真如】の巻き起こす神風で、不用意に飛び掛かってきた青と黒と緑を暴風の断層に巻き込み。

 それに遠距離攻撃を仕掛けてきた白と赤を……やはり螺旋を描く真空を纏う銃弾で撃ち抜いて。

 

「――エト=カ=リファァァァァァァァッ!!!!!」

 

 ディフェンススキルごと、纏めてミンチに変えてエト=カ=リファへと肉薄する。

 

「……創造された虫けら……その更に雑種が……誰の許しを得て、造物主たる我の名を呼び刃を向ける!」

 

 それを、事も無げに。創造神のディフェンススキル『創世の光』……全属性プロテクションの効果を持つ星光の加護が受け止めた。

 

「――殺してやる」

 

 その創造神に向けて、吐き付けられた呪詛。飾る事も卑しめる事も無い、純粋な心情の吐露。

 惜しむらくは……平和と色惚けにかまけて、武装を何一つも整えていなかった事。せめて、イャガを仕留めた……必殺の永劫回帰の銃弾『エターナル=リカーランス』を一発だけでも用意していれば。

 

 そうすればこの戦いの結末もまた……違ったモノになっていた筈だ。

 

「……ほう、殺意は本物のようだ。さながら、剥き出しの刃と言ったところか……」

「煩せぇ……」

 

 叩き付けられる、圧倒的な殺意。空想を具現化する【真如】という発火装置を用いて具現化された、その殺害意欲は――まるで濃霧の如く彼の躯を包む、害毒の邪衣と化していた。

 

「……妙な存在だ、貴様からは神名の強制力を感じぬ。この時間樹の内に在って我が知らず……ログにも記載されてはおらなんだ」

「煩せぇ――煩せぇ煩せぇ煩せぇ煩せぇ……!」

 

 その霧を巻き込んで浅黒く染まる烈風とハイロゥで光が侵され――ダークフォトンに食い破られるかのように貫かれた。好機を逃す事など有りはしない。連続で、猛然と振るわれる毒風の魔刃。

 

【兄さま、いけません! このままでは……兄さまの心が塗り潰されてしまいます……!】

「……剣筋に脚捌き、重心の移動にわざと隙を作り敵の意識を逸らす玄人殺しの誘導術……どれもが極限まで鍛え上げられ、凡百の自称『天才』を遥かに凌駕している……余程丹念に錬磨したと見えるぞ、若僧」

「――――煩せェェェェェッッ!!!!!!!!!!」

 

 獣の如く、ただただ本能任せに。アイオネアの諌言も、エト=カ=リファの高圧的な台詞も。害毒の邪衣『インフェナルチューター』が凝り固まる事で、まるで本物の龍のように姿が変わっていく事も……意識の外。

 

「そうか、さては貴様は……外部の永遠神剣と契約したエターナルか。カオスかロウかニュートラルか……なんにせよ、その卓越した武芸は褒めてやろう」

「――殺してやる……殺してやる……殺してやる…………ッ!」

 

 それにより、初めて彼を敵として意識した創造神エト=カ=リファが……斬馬刀型の永遠神剣【星天】で真空の剣を防ぎ、捌き、いなしながら呟く。

 表情こそ見えないが……ヴェールの向こうで炯々と光る真紅の瞳が、僅かに賞賛の色を宿していた。

 

――殺してやる、絶対に……! 俺の躯に替えても、俺の心に替えても……俺の生命に替えても!

 

【兄さま……落ち着いて下さ――】

「――殺してやらァァッ!!!!!」

 

 賛辞に、憎悪と殺意を以って返答する。虚空を踏みながら、限界を超えた具現化にてミシミシと軋む肉体にも構わずに。

 だが、光在る所には影が在る。『創世の光』の対のスキルである『創世の影』の星影の加護により刃は届かずに……辛うじて創造神の顔を覆うヴェールを引き裂いて、その死蝋のように白い肌と血の紅の瞳を露にしただけ。

 

「しかし――(ぬる)い。エターナルが感情に流されて永遠神剣との同調に躓るなど……恥を知れ、俗物!」

「――ガぁっ!?!」

 

 アキの作ってしまった本物の隙を見逃さず、勢い良く振り抜かれた斬馬刀の一撃。圧倒的質量の一撃をまともに受け止めようとして、敵わず吹き飛ばされる。

 問題はその時に左腕が圧し折れて、武器である永遠神銃を手放してしまった事。

 

「幾ら抗おうと、貴様らの命運は変わらぬ……至高神に逆らった罪は重いぞ!」

「グッ――――ッ?!」

 

 突き出された『星天』の一撃……虚空より突き出す永劫無限の光、この世界でかつて生命だったマナの煌めきが全て凝集した光る刃に脇腹を刔り斬られた。刃は体内で弾けて、内臓を殲滅する。

 

 アイオネアの移し身たる透徹城を装填する神銃が手から離れた状態では、傷を癒す事が出来ない。更に、切り札である生誕の起火……"最速"の概念も、致命傷を受けては練り出せなくなってしまう。

 

「――カ、ハッ……!」

 

 廃墟ビルの壁に叩き付けられて、血の塊を吐き出す。蜘蛛の巣状にひび割れる壁の中心に捕われた蝶のように創造神を睨み据え――

 

「――――オォォォォォッ!」

「……!?」

 

 耳を劈くかのような咆哮と共に、暗い夜空より地上に向けて降ってきた大猩々……既に躱せない、眼前まで迫った獄炎王の拳により瓦礫の壁七枚ごと、次々にぶち抜かれ…木の葉のように宙を舞う。

 爪や牙という原始の武器と一体になった第三位永遠神剣【激烈】の担い手にしてこの時間樹の破壊の権現として存在する真実の破戒神、創造神の配下であるエターナル『原初存在・激烈なる力』の爪で薙ぎ払われて――それでも、壱志のみで踏み止まって。

 

「――あ」

 

 踏み止まった、その瓦礫の内装。見間違う筈も無い、そこは――行き付けのコンビニ。

 そして……見慣れた顔をした亡骸が転がっている事に気を取られて。

 

「ルゥオォォォォォォォッ!」

 

 止めとして振り下ろされる剛腕、全てを創造前のエネルギーに還すという業火を纏った拳を見たのが……この瓦礫の中の最後の記憶となった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 炎の柱を噴き上げる一撃を擦り抜け、彼と彼の永遠神剣【真如】を救い出した一条の蒼い閃光――サーフボードに変型した【悠久】に乗ったユーフォリア。

 

「大丈夫、ねぇ、二人ともっ!」

 

 取り乱して、アキとアイオネアに声を掛ける。しかし返答は無く、寧ろ――戦場にあってはならない決定的な隙を見せてしまった。

 

「あっ――!」

 

 前を見直した時には、もう遅い。右腕全体が凍り付いたかのような最純なる黒晶の剣を持つ首無しの女巨人、己にさえ害を及ぼす為に切断した頭部……両目と一体化した第三位永遠神剣【戒め】の担い手にして時間樹を統べる法律の権現、創造神の配下であるエターナル『原初存在・絶対なる戒』の突き出した左腕が無造作に携える生首の瞼が開き、濁った朱い『浄眼』と睨み合ってしまう。

 周囲の大気が戒められその動きを停め、精神が眼圧に耐え切れず……軋んで。

 

「きゃああっ!?!」

 

 振り抜かれた絶対零度の氷の剣が放つ凍えた衝撃波によって、防御すら出来ずに撃ち落とされて――地面に叩き付けられた。

 

「うっ……くぅ……ゆーくん……」

 

 呻き声と共に、傍らに墜ちた永遠神剣に……彼女の弟【悠久】に手を伸ばす。

 

「あっ……」

 

 それを――蹴り飛ばした足。霞む瞳を上げた彼女の目に映ったのは青い髪と瞳のエターナルアバター。その他にも十数体が場を固めている。

 いかにエターナルといえども、永遠神剣を手放した状態で死ねば永遠神剣は残るが担い手は滅ぶ。外宇宙にはそうして担い手を失い、新たな担い手を求める永遠神剣も少なくないという。

 

 故に、肉体と一体化した永遠神剣を持つエターナルは非常に厄介な存在。だからこそ、神剣は担い手との同化を望む。

 かつて彼女の両親が闘った存在……"統べし聖剣シュン"の永遠神剣。存在している世界で最高の硬度となる、大剣と六枚の細刃を備えた第二位永遠神剣【世界】が担い手の肉体を作り替えてまでも、一体となった永遠神剣だったように。

 

 それを知る、永遠者の軍勢だからこそ……ユーフォリアを無力化するという意味も篭めて、【悠久】を蹴り飛ばした訳だ。

 無造作に向けられる、次第に凍気を帯びて青白く煌めく西洋剣は……『ヘヴンズスウォード』。切った者を凍り腐らせ、速やかに死へと到らしめる天国行きの片道切符。

 

 それが、無感動に彼女の首筋へと向けて突き出され――

 

「極光の剣は惑い無くあんたを貫く――クラウ・ソラス!」

 

 駆け付けたナルカナの一撃にて、続けて現れた神剣士達によって。纏めて切断された無数の頚が宙を舞い――

 

「この世界は我が望み、我が創世した。故に我が望みは世界の望み……」

 

 色を失った世界に溢れる生命の虹。エト=カ=リファの治癒である“命名:『命溢れる…』”により新たな神名を刻まれ、死に瀕するエターナルアバターどもの傷が塞がっていく。

 

「――神名の力は絶対だ、覆す事能わぬ……」

 

 軍勢は再進攻の足並みを揃えた。激烈なる力や絶対なる戒も加え、原初神の配下が轡を並べる姿は……正に壮観。

 

「我の役目は、この世界を永遠に存続させる事。それ以上でもそれ以下でもない……幾星霜、例え永遠に戦いが続こうとも我は負けぬ」

「そんな……これじゃあ、幾ら敵を倒してもっ!」

 

 唇を噛み締めて呟かれた望の言葉に、ナルカナ以外の皆が絶望的な表情を浮かべる。

 

「我にはおまえのように自由な生き方など出来はしない……遅かれ早かれこうなる定めだったのだ」

「あっそう……昔馴染みの誼みで、今なら許してやろうかとも思ったんだけど――」

 

 バチバチと、周囲のマナが暴れ始める。ナルカナは右に【叢雲】の影を、左に魔力を結集させ――

 

「あんたは――あたしの下僕に手を出した。その不出来なデクの棒どもと纏めて、世界霊魂の大海に還してやるわ!」

 

 圧倒的なマナの波動と共に、その雄叫びを上げた。

 

「いや、勝負はもう着いている」

 

 だが、エト=カ=リファは感慨も無く呟いて。

 

「――命名:『自壊する世界』。歯止めを失った末路……過ぎたる自らの力に滅び去れ」

「っ……しまっ……!」

 

 慌てて、『ディシペイト』により無力化を計るが――それは決して避けられぬ、創造神の定める滅びの起源。

 

「諦めて運命を享受せよ、抗う事は許されぬ……」

 

 バタバタと神剣士達が倒れていく。当たり前だ、絶の神名『滅び』を遥かに凌駕する威力の『自壊』を定められたのだから。

 

「――――滅べ」

 

 そしてそれは、この世界の残骸も例外ではなく――……

 

「――エト=カ=リファ……こんな所で何をしている……早く、根源に戻れ……!」

「フォルロワ様……如何が為されましたかな」

「戯け――根源にナル化存在が侵食を始めたぞ! このままでは、この牢獄を食い破られる!」

 

 正にその刹那、現れ出た満身創痍のフォルロワ。肩を押さえた、ツインテールの少女を認め、創造神は鼻白むように口を開いた。

 そんな彼女に、フォルロワは苛立った様子で叫ぶ。

 

「そうですか……了解いたしました。では、早速処理に参りましょう」

「急げ……早くしなければ、あれは――」

 

 答え、エト=カ=リファが【星天】を掲げる。その切っ先を――フォルロワに向けて。

 

「では、先ずは貴女に退場していただこう。【聖威】」

「な――く、あぁぁぁぁぁぁっ!?」

 

 矛先が変わり、世界を滅ぼす神名をその一身に受けてさしものフォルロワも絶叫する。第一位ではあるが、度重なる敗北で消耗したその身体。

 倒れ付した彼女を見下ろし、エト=カ=リファは。

 

「きっ……さま……エト=カ=リファ……! 裏切る……つもりか……」

「ふん……『裏切る』……? 下らん、そもそも貴様の存在価値など――『刹那の代行者』という事以外に価値など無い」

 

 いい放つ言葉よりも早く、フォルロワが意識を失う。それを確認して、エト=カ=リファは神剣を納めた。

 

「腐っても第一位……やはり、消滅はしなかったか。まぁいい、次に会う時まで精々、その惨めな姿のまま震えていろ」

 

 そうして、消耗した姿のまま倒れたフォルロワを尻目に。創造神は自らの居城……根元回廊に向けて踵を返したのだった。



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神剣の意志 魂の重さ

 ヒュウヒュウと隙間風の唸る音。何時まで経とうが止まらない、耳障りな音を疎ましく感じた頃、それが己の命が躯から零れ堕ちている音だという事と……己が現世と常世の境界、そのどちらでも無い"  "へ還っている事に気付いた。

 

――ああ……クソッタレ……

 

 思い返すのは、悪意の具現化たる邪衣をものともせずに引き裂いた星空の光を宿す、時間樹の頂点に君臨する永遠神剣。それ自身を神銘に冠する斬馬刀に、辛うじて切断はさせなかったが折られた左腕。

 そして、その繰り出した星の光を投射したような煌めく刃に脇腹を刺し貫かれ――弾けた生命の残滓に内側から殲滅される……二通りの堪え難い苦痛。

 

――誓った……誓ったんだ、俺は……

 

 何よりも堪え難い苦痛は、躯の痛みなどの、喉元を過ぎ去れば忘れるようなチンケなモノではない。

 

『……じゃあ、約束して……死なないって、約束……』

『判った……約束するさ。俺は絶対に死なない。少なくとも、俺から負けは認めない。相手が何者でも……俺は、必ず生き抜いてみせる』

 

 ……ただ、それだけが苦しい。

 

『お前だからだ、アイオネア……お前こそ、俺でもいいのか? 世の中にはもっといい男もいるぞ』

『いいえ――兄さまでなければ、嫌です……』

 

 雲一つ無い高き未遠の蒼空より、波一つ無い深き未遠の滄海へと。遮るモノの無い空海を降り墜ちる、永遠輪廻の一滴。

 遥かなりし、永劫回帰の一雫。未だ時間も空間も何も無い世界に風を起こして波を起こす、生命の濫觴の息吹。

 

 古き遠い異国の昔語りに於いて……何一ツも存在しえない、密着した天地の乖離と生命溢れる星の開闢は――『(エア)』なる無銘の剣が生んだ波風だったと伝えられている。

 創世叙事詩(エヌマ=エリシュ)に唄われる一節。遥かな歴史に隠匿されし『外典(アポクリファ)』。

 

『お兄ちゃん――……』

『兄さま――……』

 

 本当に苦しいのは……腐敗し饐えた臭気を放つ、この汚れ濁りきった憎しみと悪意の深奥に在っても、まだ……あんなにも美しくて無垢なモノに。

 憎しみに塗り潰された、この胸を溶かす程に美しく無辜で綺麗な……『始まりの蒼滄(あお)』と未だに繋がっている事のみ。

 

――約束、したのに……俺は……!

 

 死なない、と。共に永遠を生きる、と。どちらも大事な妹みたいな相手と交わした、多寡が口約束。

 

『殺してやる、絶対に……! 俺の躯に替えても、俺の心に替えても……俺の……生命に替えても!』

 

 そんな、大事な筈だった約束を……二つも違えてしまう事を考えた。

 

 憎悪程度に屈した惰弱な心を恥じ打ちのめすその情けなさから――消え去ってしまいたくなる。

 

 それに呼応するかのように、彼を包んで呑み込もうとする"  "が……『存在しない事が存在する理由』たる神剣宇宙の根源なるモノ。

 全てを内包する次の宇宙である、"真世界(アタラクシア)"から抜け落ちた空白の形をしたモノ――……"無明常夜"が一層に、透き通ったように見えた。

 

『――本当に、情けないよね、今の兄ちゃんは』

 

 その刹那、意識の埒外から響いた……少年のように美しい声。だが、そこに籠められているのは心底の侮蔑。

 

――誰、だ……?

 

 鬱陶しく思いつつ意識を向ければ、そこに存在したのは清廉な光。眩く、あらゆる邪悪を跳ね退けるような光だ。

 その光に、彼を呑み込もうとしていた"無明常夜"が……実に無念そうに、いかにも渋々といった具合で動きを止めた。

 

――お前……【悠久】か……?

 

本能的に、そうだと感じた。返答はないが、それは肯定故の沈黙に他ならない。

が、しかし…ふと何か、決定的な違和感を感じた。

 

『だから、今の兄ちゃんと無駄話をするつもりはないよ――……良い御身分だね。僕の大切なユーフィーに手を出しておいて』

 

 元々が夢幻の空間だ、確たるモノなど何も無い。

 だがそれだけは確かに、さながら喉に引っ掛かった魚の骨のように……もどかしく。

 

――いや、それはまぁ何と言うか……悪いのは魅力的過ぎる妹さんの方ですよ、お義兄さん。

 

『黙れよロリコン……全く、こんなシリアスの似合わない男の何処が良いんだ……ユーフィーもアイちゃんもさっぱり理解できないよ。あれだ、前に聞いたミドリ=コウインのイメージにそっくりだね』

 

 呆れ果てたように溜息交じりで。そんな、ジト目を思わせる思念を顔を狙うビーンボール並の危険球でぶん投げてくる【悠久】。

 一気に弛緩してしまった空気、それを引き絞るように。

 

『……それで? いつまでここで油を売っているつもりなのさ、兄ちゃん? ユーフィーもアイちゃんも……兄ちゃんを信じた二人、そして大変な状況に陥っている……大勢の家族を放っておいて』

 

 【悠久】は再び、見下すように。

 

『皆を守れるだけのチカラを持ちながら、いつまでこんな所で安穏と……自分の恋人と義妹を泣かせてるんだよ……!』

 

 確かな苛立ちを籠めて、激情を叩き付けた。

 

――……何が『守れるチカラ』だ……結局、俺はエト=カ=リファの奴にちっとも敵わなかった……

 

『だから諦めるの? ユーフィーが危ない時に駆け寄る事が出来る両脚が有って、ユーフィーを守りたい時に……抱き寄せる両腕が有るくせに……! 僕がどうしても欲しい、躯を持っているくせに!』

 

 だが、一体何故だろう。それがいつもの見慣れた大剣ではなく、まるで――……納めるべき『剣』を失った、空っぽの『鞘』に見えてしまうのは。

 

『僕は、所詮第三位の永遠神剣だ。【叢雲】みたく自発的に動く事なんて出来ない……僕に躯が有れば……ユーフィーを守れたんだ』

 

――……【悠久】……

 

 呻き、血を吐くように。【悠久】は思念を紡いだ。先程の戦いで、彼女を守れなかった不甲斐なさを悔やむように。

 

『……だから心底気に食わないし、他が居るなら他の誰かに頼みたいけど――ユーフィーが選んだ男の……兄ちゃんが……守ってよ。僕の、大事な……ユーフィーを……』

 

 真っ直ぐと向けられた意思、真摯な眼差しじみた意志に……導かれるかのように。

 

――ああ……今度こそ、見失わない……俺の大事なモノを……二度と。

 

『……ふん。どうだか。前科持ちの兄ちゃんを簡単に信じたりしないよ……』

 

 光に包まれ、()()()|神剣宇宙へと帰還したのだった……

 

 

………………

…………

……

 

 

 いつか経験した、"  "からの浮上を再体験する。それは極楽の母胎から地獄の現世への産声(ひめい)を上げる誕生に似ていた。

 目を開けばまず視界に入る天井。鼻をつく藺草の香りに、ふかふかの羽毛布団。そして……額に乗った温い手拭い。

 

「…………」

 

 虚無に拡散していた意識が正体を取り戻せば悪酔いした後のような、臓腑が腐ったような最悪の気分を運んで来る。

 やがて怪我後に特有の、引き攣るような感覚と生命活動を再開した為に感じ始めた疼痛。

 

「……ッぐ――!」

 

 最悪の気分に最悪の体調のダブルパンチだ。何か周囲の物に当たり散らして、反吐を喚き散らしたくなる衝動に駆られるが何とか堪えた。

 代わりに思わず縋るモノを探して――頭の真横で揺れていた、白くてふさふさしたモノを思いっ切り握り締めた。

 

「――ひくぅ……?!」

 

 ビクビクと小刻みに震える温かいソレ。中に骨が通った、しっかりした握り心地が安堵を誘う。

 『むぎゅーっ』と握り締めてから、漸く何を掴んだのか確かめる。

 

 特製なのか、専用の穴が空いた緋袴から出た銀の美しい毛並みの尻尾に、行儀良く重ねられた足袋を履く足。白妙の衣より煌めく、尻尾と同じプラチナの長髪。

 驚愕と衝撃に、大きく見開かれて涙ぐんだ紅玉(ルビー)を思わせる吊り目気味の瞳に、天を突くようにビクリと逆立った犬耳。

 

「……えっと……」

「……ふ……くぅ……」

 

 正座したまま手拭いを絞る為に、可愛らしいお尻を突き出した姿勢だった…必要以上に絞った手拭いを握り締めてプルプルと震える、銀髪緋瞳の犬耳巫女――綺羅の姿を。

 その桜色の艶やかな唇がわなわなと開かれる。形は『き』の発音、それに牡の獣として、人が忘れた本能的にどうしようもなく危機感を感じた。

 

「待て綺羅、話せば判る。俺達は悲しい擦れ違いをしている。人は言葉を尽くして語り合えば、必ず判り合――」

 

 故に直ぐさま手を離し、平伏する勢いで言い訳を紡ごうとした。

 

「きゃいぃぃーーーんっっ!!!!」

 

 が、時既に遅し。鏡の如く月を映し込んだ夜の湖に浮かぶ出雲の社『奥の院』に、絹を裂くような狗娘(わんこ)の悲鳴と乾いた音が木霊したのだった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 少し間を置いた床の間。布団上で正座する左頬を真っ赤に腫らしたアキの隣に、倉橋家の当主にして【叢雲】の眷属の準エターナルの倉橋環。少し離れた襖の前で申し訳なさそうに俯く、同じく眷属の準エターナルにして狗神族の巫女の綺羅。

 そして身体が怠いのか。辛気臭く正座している望と沙月に対して、平時と同じナルカナとイルカナの姿が在った。

 

「成る程、俺があのゴリラ野郎……激烈なる力とかいうのにノされた後、エト=カ=リファに『自壊』の神名を刻まれた皆を連れて『出雲』を頼った訳か」

 

 状況確認を終えて、貰った緑茶を啜れば……手加減無しに打たれた頬にピリッと感じる痛み。

 

「そういう事よ、全く、希美には驚かされたわ……あと、あの致命傷から5時間掛からずケロリと回復して来るアンタにもね」

「今更何言ってんだよナルカナ? この俺、"天つ空風のアキ"の特性は『透禍(スルー)』だぜ?」

 

 表情をしかめた事に気付かれて、綺羅に更に萎縮されてしまった。それに苦笑いして、もう一度唇を湿らせる。

 

「俺はあらゆる理法を無視する、"法の埒外の悪漢(アウトロー)"。それが人間の定めた法だろうが、神魔の定めた法だろうが。その更に上位存在の定めた完全無欠な法だろうが関係ない――俺は方程式(さだめ)には絶対に縛られない、"惡"そのものの風だからな」

 

 あの時、自らの体内で弾けた生命の断末魔の叫び……生きとし生けるモノ全てへの怨嗟の声に似た痛みを噛み締めて。

 

――お前達の死は決して無駄にはしない。目に見える姿(カタチ)を亡くし、耳を震わせる声を無くし……観測する事が出来なくなっても。全ては、始まりであり終わりの一振り……『全ての原点』に還っただけだ。

 "(ゼロ)"へと還ってしまった、本来ならば決して実らぬその不実の無念を……この"天つ空風のアキ"の、『零位の代行者』たる空位の担い手の名の下に。必ず晴らす事を誓おう。

 

「とにかく……貴方達以外の神剣士はほぼ無力化されました。此処に辿り着いた直後に永峰様が倒れて、現在満足に動けるのはナルカナ様とイルカナ様、世刻様に斑鳩様と巽様にアイオネア様……そして、ユーフォリアの七人です」

 

 本当に静かな環の言葉と同時に思い返した【悠久】の思念により、何か不吉なモノを感じて思わず湯呑みを握り砕きそうになる。

 

「……ユーフィーは今、何処に?」

 

 今挙げられた中で、此処に居ない二人……アイオネアの方は己の生命(しんけん)が万全の状態である事から無事だとは判っている。

 だが、ユーフォリアの方は。環と【悠久】の口ぶりからすれば……恐らく何かあったのだ。

 

「彼女は別の部屋で休んでいます。絶対なる戒の永遠神剣【戒め】の影響を強く受けてしまい……暫く昏睡状態でしたが、今は目覚めています」

「……っ」

 

 思わず駆け出しそうになり――……浮かせた尻を無理矢理、胡座の形で落とす。

 

「……意外ですね、駆け出していくものとばかり思っていたのですが……案外にその程度の情愛だった、という訳ですか?」

 

 静かを通り越して、冷たいまでの環の言葉。同時に、こちらを伺う六対の視線。

 

「そりゃあ、今すぐ駆け出したいですけど……ついさっき衝動任せの行動をした挙句、愛する女に怪我させちまった。だったら――俺が先ずやる事は自己満足の為なんかに見舞う事なんかじゃねぇ……!」

 

 それに真っ直ぐと――強い鳶色の鷹龍を思わせる瞳で、環の深遠な紫水晶(アメジスト)の瞳を見詰め返して。

 

「流石にそこをまた間違えたら……今度こそ俺は自分を殺したくなる。それにその時こそ、ユーフィーの親父さんにお袋さんに弟……そして、こんな俺なんかを手塩に掛けてくれた時深さんに面目が立たなくなるんで」

 

 フッ、と。最後は腕を組んで、途中で激昂しかけて口調を乱した照れ隠しに不敵に笑って見せた。

 

「……そうですか、貴方は"惡"ではあっても"邪"ではないのですね。試すような真似をしてしまい申し訳ありませんでした。巽殿、貴方を量った事……平に御容赦を」

「いえいえ、そんな……頭を挙げて下さい、環さん。女性に頭を下げさせるのは……何て言うか、俺にはどうも」

「ふふ……紳士でいらっしゃいますのね、アウトローの割には?」

「……勘弁して下さい、アウトローでも女に不慣れな奴は居ます」

 

 そんな様子に表情を和らげ、平伏した環に慌てて促す。美人に頭を下げさせるのは――何と言うか、彼の性癖『ドS』的には興奮してしまうのだった。

 

「今、俺がやるべきは――」

 

 そして、今度こそ立ち上がる。頭を下げると同時に踵を返し、襖の脇に控えている綺羅に近付く。

 綺羅はそれに、一瞬びくりと身を震わせて。

 

「綺羅――案内してくれ。アイツの……フォルロワのところに」

「はっ……はい」

 

 今度こそ、確かな勝利を獲る為に。エト=カ=リファの事を知る彼女に――永遠神剣第一位【聖威】の化身と会う事としたのだった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 歩き出た、赤く潤む月夜の縁側。湖の上に建立されている奥の院の離れ……座敷牢を目指して、銀の月影を浴びながら歩く。

 先導する綺羅の後ろ姿から目を反らせば、青く澄む水鏡の湖面に映る満天の星と金の望月を望んだ。

 

「「…………」」

 

 面妖な話だ。地に注ぐ銀の月影とは正反対、同じ月から金と銀の光が放たれているのだから。

 ちなみに……神秘の領域に於いては『赤』や『金』は"魔"を象徴し、『青』や『銀』は"神"を象徴する色彩だという。相剋するモノ同士の共存、それをどこかで見た気がした。

 

「ああ……アイ、か」

 

 神山を降り、霊森から抜け、魂湖を渡ってきた冷涼なる零風が湖面を揺らす。

 夜の闇の彼方へ拡がりゆく月明かりに照らされた銀色の波紋を見て、先程の既視感(デジャヴ)の正体に気付いた。

 

「いきなり惚気ですか、兄上さま?」

「そんなんじゃねぇさ。ただ、これから会う奴の手前、緊張しちまってな。同じ『代行者』としてはさ」

 

 そんな彼を茶化すように、『問答無用で殺しそうだから』と同道を断ったナルカナの代わりに付き従うイルカナが、声を掛けてくる。それに巫山戯返すと、アキは懐から取り出した煙草に火を点す。

 

「何せ、一辺殺し(ちちくり)合った仲だからよ」

「まぁ、兄上さまったら。手を出す早さも最速ですね」

 

 等と駄弁りながら、辿り着いた座敷牢。その重厚なエーテル製の錠前を開ければ、簡素な室内には誰も居らず――真横から、【聖威】の巨大な刃がアキの頸を薙いだ。

 

「――ひゅう、危ぇなぁ。最速じゃなきゃ死んでたぜ」

 

 付き従う綺羅とイルカナが呆気に取られる中、それを文字通り『頸の皮一枚』で躱し、アキは鷹揚にそう口にして紫煙を吐いた。

 

「……何の用だ、出雲の雑兵ども」

 

 振り抜いた【聖威(じぶん)】すら重たげに、フォルロワは彼等を睨み付ける。切れ長の、藍玉(サファイア)を思わせるその瞳で。

 前に出ようとした綺羅を制し、一人座敷牢に歩み入る。

 

「ハハ、相変わらずだな……一回負けたくらいじゃ、その鼻っ柱は折れねぇか」

「黙れ――我は負けてなどおらぬ……たかが『自壊』の神名を刻まれた程度で……!」

 

 そう口にするだけで、もう息を切らして肩を揺らす。明らかな強がりに、苦笑を禁じ得ない。ドSとしては、最高の弄り相手を見付けた気分である。

 故に、最高のスマイルで煙草を吸いきり――刹那よりも早く、速く。フォルロワの眉間にアパッチ・デファイアントデリンジャー【烏有】を突き付けた。

 

「――はい、また負けた。今の一瞬だけで、少なくとも射殺、刺殺、撲殺の三種類が出来た訳だけど」

「――――」

 

 琥珀色の鬼龍瞳(さんぱくがん)で、心底嘲るように。清々しいまでに分かり易く、喧嘩を売ったのだった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 粉微塵と弾けとんだ座敷牢の堅牢な扉、その残骸が湖面に降り注ぐ。その中をバク宙で通り抜けたアキは、新しい煙草に火を点す余裕を見せつつ、湖面に波紋を刻みながら着水した。

 その体が、前後左右に次々傾ぐ。傾いだ頭が在った空間を、黒い軌跡が薙ぐ。まるで、予定調和のダンスのように。

 

「くっ――このぉぉぉっ!」

 

 激昂に任せて巨刃剣(グレートスウォード)を振るうフォルロワだが、それ故に軌道は単純で読みやすい。

 幾多の剣林弾雨を潜り抜けてきたアキと、消耗しきったフォルロワの今の状態では……紫煙を燻らせながら長剣小銃(スウォードライフル)【是我】を招聘、更に【烏有】を長剣小銃型に変型させて二本を組み合わせた双刃剣銃(ダブルセイバー)にするのも容易かった。

 

「――ほら、また死んだ」

「っ――――舐めるなぁぁ!」

 

 そして、文字通り『旋風』の如く。双刃剣銃を回転させるように振るった『ワールウィンド』により【聖威】を捌き、フォルロワの首筋にもう一方の刃を当てる。

 それに、更に頭に血を昇らせる彼女。完全にアキの術中だった。

 

「ハハ、腹立つよなぁ。分かるぜ、飼い犬に手を噛まれるとは思ってもみなかったんだろ? 何でも位とか力があれば、平伏すとか思っちゃってる『さいっきょー』さんは? だから、雌伏の時を重ねる奴等の考えを理解できない」

「うるさい――!」

「いい格言を教えてやるよ。『一寸の虫にも五分の魂』ってな。分かるかい、一位神剣――俺からすりゃあ、一位も十位も、エターナルも化身も人間も変わりゃしねぇ……」

「うるさい――――黙れ!」

 

 繰り出した刺突をスウェーバックで躱されると同時に、眉間に正確に向けられていた銃口。それを理解した刹那、ギリッと歯を鳴らしたフォルロワが、大上段に【聖威】を構えた。

 

「貴様のような……貴様のような楽観論者に――――分かる筈がない! 秩序無くして自由など無い……分かるまい解脱者、縛られざるもの! 法の外を歩く者(アウト・ロー)!」

 

 その刃に、圧縮されたオーラフォトンが纏わり付く。莫大な質量増加、光の刃は天を衝くほど。

 

「ハ――――やっぱりまだまだお嬢ちゃんだな。いいか、法の埒外の悪漢(アウト・ロー)ってのはな……」

 

 そこでアキは左手の双刃剣銃をコンテンダーに換え、右手に持つ吸い付くした煙草のフィルターを根元力で消滅させる。

 同時に、その空間に一発の『銃弾』……目覚めた後に作り上げた『永劫回帰す輪廻の龍刃(エターナル・リカーランス)』を透徹城から取りだし、装填した。

 

「――――消え去れぇぇぇぇ!」

 

 掛け値無し、追い詰められたからこそ平時すら凌駕する剣撃は、空間すら引き裂きながら。星さえも断ち切れるのではないかという勢いで、拳銃を構えたまま無防備に立つ、たった一人の男に向けて振り下ろされ――――

 

「法の外に在るからこそ、法を破った者を法の内に叩き返す事が出来るのさ――――」

 

 『最速のエターナル』が放った永劫回帰の銃撃は、その剣よりも速く。『彼女』に着弾したのだった――――

 

 

………………

…………

……

 

 

 巨刃剣が、飛沫を上げながら湖に沈む。そして、フォルロワが崩折(くずお)れるように湖面に膝をついた。

 永劫回帰の銃弾は【聖威(彼女自身)】を弾き飛ばし、フォルロワには傷ひとつ与えていない。いや、ダメージならば多大に与えたが。

 

「……殺せ……最早、我に抗う術はない」

 

 精神的な大ダメージを。異物の排除に失敗し、元部下に裏切られ、更には同じ相手への幾度もの敗北。元より誇り高い性分の彼女にとっては、悪夢以外の何物でもないだろう。

 だから、そんな考えに至ってもおかしくはあるまい。しかし、目の前の男の性癖はドSだ。

 

「冗談。前にも言っただろうが、『殺しちゃ色々楽しめねぇ』ってよう」

 

 右の小指で耳をほじり、その小指にフッと息を吐いて。元より三分の二程しかないのに更に低くなった少女へと。

 

「じゃ、本題だ。お前――やられっぱなしで満足か?」

「……何が言いたい」

 

 空薬莢を排出し、保持する。すると、その空っぽの弾頭部分にエーテルが満ちる。

 発射された事で充たされた『空』を原動力として、また銃弾を得る。それは正に、『永劫回帰(エターナル・リカーランス)』の面目躍如。

 

「あんだけ虚仮にされて、ムカつかねぇのかって聞いてんだ。俺はムカつくね、育った世界を壊されて、おまけにボコられた。仕返ししてやらなきゃ、腹の虫が治まらねぇ」

「だから――何が言いたいのかと聞いている。まさか、我に『仲間になれ』とでも言うつもりか?」

 

 銃弾を透徹城に納めたアキを見上げ、はっ、と失笑するフォルロワ。そんな仕草ですらも絵になる、まだ幼いとはいえ目を瞠るような天性の美質。

 だが、何度も言うように――――

 

「はぁ、『仲間』だぁ? 莫迦言え、『使ってやるから付いてこい』っつってんだよ。テメェの力は知ってる、エト=カ=リファの軍勢を相手にするんだ、戦力は一人でも多い方がいいからな」

 

 この男は、ドSなのだ――――。

 

「『使ってやるから』……か。は、貴様如きと契約しろと? 冗談がきつい」

「ご心配なく、()()してくれないマグロ女に興味はねぇよ。それに、こちとら二本も契約してない神剣を握って闘ってた事もある。今更だ」

 

 湖面を歩き、フォルロワに一度背を向ける。その合間にもう一本煙草に火を点す。

 

「――で、どうすんだ? 一人で泣き寝入りするか、二人併せて倍返しにするか……今、決めろ」

 

 振り向き、双刃剣銃を持たない右手を差し出す。フォルロワはその右手を、興味無さげに見詰めて――手元に招聘した【聖威】を、水を巻き上げつつ下段から擦り上げて、アキの頸を薙ぎ――――頸の皮一枚を切り裂かれ、煙草の火を消されて尚、不敵な笑顔を浮かべたままの彼に。

 

「……条件がある。その鼻につく煙草を、我の前で吸うな。その条件で我が柄を一時、貴様に預けてやろう」

「オーケー、契約成立だな」

 

 言われた通りに煙草を仕舞い、奥の院に向けて歩き出す。

 

「じゃあ、早速ナルカナ達と今後の打ち合わせといくか、【聖威】――――フォルロワ」

【うっ……あの女は苦手だ、貴様に一任する――おい、何を笑っておるのだ】

 

 その肩に、何処か懐かしい重み。それが何故かに気付いた時、思わず漏れた笑みを見咎められてしまう。

 

「ハハ、昔の話だ……昔、お前と同じように契約してねぇ大剣型の永遠神剣と共闘した事があってな。お前からは――――【夜燭(レストアス)】と同じ臭いがするよ」

【貴様……この我を、低位神剣などと同じだと! そこに直れ、今度こそ叩き斬ってくれる……下ろせ、下ろせアキ!】

「ハイハイ、ほら、もうすぐナルカナとご対面だぞ~」

 

 黒い鏃を思わせる、巨刃剣【聖威】が担がれた重みに――――。



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惡の華 進むべき道 Ⅰ

 決闘(おはなし)を終えて帰ってきた奥の院の社、板張りの拝殿に腰を下ろして望達の出した結論を聞き終えて。今日は奥の院に泊まる事となり、澄んだ湖に突き出す縁側に座って月見をしながら装備類の手入れを行っていた。

 六挺拳銃の各アクセサリーの動作確認後に銃剣を研いで、バレルのクリーニングを終わらせて具現化した神剣魔法、神銃弾(マグナム)を摘み上げる。

 

「神との決戦か……まぁ、それ以外に選択肢は無かったんだけどな」

【ふん、何を偉そうに語っていますの? その『神(笑)』に軽くしてやられたと言いますのに……ああ、腹立たしい。いいですの、貴方はワタクシ達の総意である『覇皇』……その敗北は媛樣も含めた我等全員の敗北なのですよ!】

【全くだぜ、あんなに無様に負けやがって。覇皇としての自覚が足りねーんだよ。俺っちらに恥をかかせやがって】

呵々々(かかか)……これはあれだの、特訓フラグだのう。まぁ、儂も手伝うてやるぞ、覇皇殿】

【だねぇ、そろそろアタイ達も『担い手』が欲しいしね……】

【え~……こいつぅ? 僕的には女の子の方が……】

「キーキーうるせぇ奴等だぜ……」

 

 元々マガジンを持たない【烏有】以外の五挺拳銃の各マガジン及び予備マガジンに各神銃弾を装填し終えて、各銃本体に装填した一本を除いて"真世界(アタラクシア)"へと収納しつつ呟く。

 

 結論は至極、単純明解だった。そう、エト=カ=リファの本拠地であり……かつて、牢獄の時代の看守でありながら囚人でもあった者達が引き起こした暴動。神々を二分した争乱、己自身も暗躍した『南北天戦争』の舞台であった、『時間樹"エト=カ=リファ"』の始まりの場所。

 この時間樹にかつて生きた、今を生きている、未来に生きるべき……あらゆる生命の原点。時間樹の根に当たる『根源』へ赴き、創造神を討ち取る事である。それにより神名の強制力を断ち切り、更に創造神の権限でログへと介入して『元々の世界』の崩壊を改変するという訳だ。

 

――その風景は確かに刻まれている。神名と共に、輪廻する魂と共に。例え、記憶に残らずとも……巡る遺伝子の二重螺旋と共に。

 当の昔にそんなモノは朽ち果てた、この伽藍洞の俺にでさえも。

 

 幻視する、最も古い記憶の風景。ジルオルに殺される瞬間の、あの闇の底こそが根源の風景だ。

 左手で【是我】を取る。レバーアクションライフル『マーリン M336XLR』をモチーフにした、バレルに刀身を持つ長剣小銃(スウォードライフル)。ループレバーの動作確認の後、バレルのクリーニングを念入りに行って。最後に綺麗に磨き上げて、機関部下の装填口に五発のクリップマガジンを装填して照星に歪みが無いかを確認するべく、狙撃の構えを取る。

 

『だったら、俺から言う事はただ一ツだ』

 

 神を倒す。理想幹神等とは役者が違う、本物の創造神を。今度は、たったの数人で。自壊の神名を刻まれた他のメンバーは、出雲が保護してくれるとの事。

 その自滅的な結論を聞いて思ったのは、ただ――一ツだけだった。

 

『ナルカナ……エト=カ=リファの奴は俺が殺る。お前の昔の友達とやらは……俺が必ず、殺す』

 

 その、真摯なまでの殺害予告。他の誰もが、言葉を失う中で。

 

『……何を……』

 

 今現在は照星を覗いている――……光ですらも脱出する事適わぬ黒星(ブラックホール)の如き琥珀色の、瞳孔が縦に鋭く絞られる鷹龍の瞳……永劫回帰の結末にして始まりの、不可避にして不変の『直死』をもたらす……死を司る魔龍の瞳。

 死そのものと形容するしかない、心弱き者ならば視線を受けただけで絶命しかねない殺意を纏う真性悪魔の瞳に見据えられた、第一位永遠神剣【叢雲】の化身は。

 

『何を当たり前な事を言ってんのよ。あたしの下僕ならそのくらいの反骨心を見せるのなんて……当然でしょ?』

 

 危うく惚れてしまいそうになったくらいに不敵に笑い、超絶男前な答えを返したのだった。

 

「下僕になった覚えは無いけどな……っと、流石にコレは無尽蔵って訳にはいかねぇわな。無限光が、消えちまいそうだぜ……」

 

 回想を断つと同時に構えも解き、聖盃の内側に最後に残った瑠璃色の対装甲銃弾(アンチマテリアルバレット)を手に取る。彼の最強の剣である『永劫回帰の銃弾』だ。

 雨粒が降り注ぐかのような波紋が拡がり続ける銃弾を、クルクルと弄んで月影に透かす。さながら、海の中から覗くようにユラユラと揺れる金環の月を眺めながら溜息を零す。

 

【……知っているか、アキよ。『スマートな男』はあまり物を持たぬものだ。少しは持ち物を整理しろ】

(放っとけ、フォルロワ……って言うか、減った方だぞ、今の状態は)

【これで……か。呆れて物も言えん】

 

 呆れた思念を飛ばしてきたのは、直ぐ脇の空間に浮遊する【聖威】。辺りに散らばる銃器や器械に、フォルロワはうんざりした声色で溜め息を吐いた。

 

 ほとんど神剣と化した彼の()()に燃え続ける、蒼茫の煌めき……ジルオルの残滓であるこの時間樹の神であったが故に受け継いだ『生誕の起火』に【真如】の『アイテール』を加える事により性質の変異した"無限光(アイン=ソフ=アウル)"を凝縮した零剣……敵対する者に、直ちに死を与える、その大口径弾は――その実『空包(ブランク=カートリッジ)』なのだ。

 実体性の無い『(アカシャ)』を重ねて実体化するという、まるで賽の河原の石積みのような苦行の産物。たった一発を創り出すだけでも気の触れそうになるような、途徹も無い忍耐を必要とした。

 

「…………」

 

 その蒼穹か滄海のような。見覚えのある青さに、二人の少女を幻視する。

 恋人と義妹の、つんっと愛らしく突き出された……実に軟らかそうな、桜ん坊みたいな桜色の唇……。

 

『いやいや、違うって! フォルロワは俺の協力者なだけで』

『『つーんっ!』』

 

 帰ってきた室内にいた二人、肩に担いだ【聖威】の姿に『ぶーっ』とむくれ、宛がわれた部屋に引き揚げて口を聞いてくれなかった……ユーフォリアとアイオネアの二人の愛らしい膨れっ面を。

 やる事成す事、逆効果。なんだかやってられなくなり、酒を呑むかと徳利を引き出して盃に注ぐ。

 

 そして、銃弾を透徹城の内の捻れ絡まった双世樹の狭間に在る木の(うろ)……無限の"真世界"の深奥に当たる聖櫃(せいひつ)へ還し、指を鳴らしてツマミを呼び出すべく構えをとる。

 

「……煙草の次は酒ときたのね、この不良」

 

 その姿勢のまま――無防備な首筋に向けて振るわれた冷涼な青光で構築された剣の一撃を、【聖威】で受け止めた。

 

「……あら、気を抜いてるのかなと思ってみれば……残念」

「気を抜いてるだけで殺されかけちゃ敵わないんすけどね……会長」

「本気じゃないわよ、ただの挨拶でしょ?」

 

 タクトのような基部に凝集させた【光輝】の『ルミナスブレード』を受けて、ジト目で振り返る。

 

「あっれー? 俺と会長って挨拶で殺しあうような格好いい仲でしたっけ?」

「あら、気安い会話をするような格好悪い仲でもなかったでしょう? 私達は水と油……いえ、ニトロ基とグリセリンだったじゃない」

「わぁ、関係を持つとちょっとの衝撃で爆発しちゃう、って事か……言われてみればそうですね。何時からだか、あんましぶつからないようになってましたけど……元々、犬猿の仲でしたっけ」

 

 これも一種、気が合うという事なのだろうか。ギシギシ鎬を削りながら、目が笑っていない笑顔を浮かべあう。

 

【……貴様ら、本当に仲間同士か?】

 

 フォルロワの疑念も最もだ。この旅の序盤にて、集団の調和を重んじる沙月はアキの独断専行を苦々しく感じていたし、アキの方は沙月の民主主義的な行動理念を『腰が重い』と感じていた。

 

「それで、そんな嫌いな相手のところに来た理由は?」

「……隣、いいかしら?」

 

 問いに答えず、剣を収める沙月を促す。少し頭を下げ、彼女は紅い髪をさらりと夜風に靡かせながら縁側に腰を下ろした。

 それにより、静けさと夜闇を取り戻す湖上の院。風下に居る為か、薔薇の華のような香気を感じた。

 

「…………」

「…………」

 

 途端に会話が消えた。満天の星空の下で全男子学生の憧れの美少女と座っているのだ、健全な男ならドキドキして然るべき。

 しかし、今の感情はそれとは違う。要するに、多少緩和されたとは言えど……しこりは消えていない。何だか互いに苦手な相手なのだ、違う意味でソワソワしていた。

 

「……えっと……取り敢えず呑みますか? アイのエーテルから創った、神酒(エリクサー)なんですけど」

「……貴方ねぇ、学生が飲酒なんてしていいと思ってるの?」

「どの口が言うのか……精霊の世界でベルバ先輩を追っ払った時には、ベロンベロンに酔っ払って望に絡んでた癖に」

「っ……無駄に記憶力がいい男って嫌われるわよ」

 

 痛い所を突かれて、唇を尖らせる沙月。それを横目にアキは予備の盃を取り出し、酒を注ぐと彼女の隣に置いた。

 

「身体の具合、大丈夫ですか」

「え――……?」

「何すか、鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をして」

 

 と、何気なく尋ねた言葉に彼女が呆気にとられた顔をする。それに寧ろ、こっちの方が怪訝な表情をしてしまった。

 

「いえ、あの……君に心配されるとは思ってもみなくて」

「一体俺はどんだけの冷血漢だと思われてるのかと小一時間」

 

 それで、少しだけ場が和む。沙月は夜風に靡く髪を右手で押さえ、少しはにかむように微笑んだ。

 

――……本当、黙ってりゃ惚れ惚れするくらい美少女なのになぁ……

 

 等と考えてしまうくらいの美少女スマイル。だがそれは……常日頃、彼女がよく望に向けて見せているモノだ。

 こんだけ頑張って漸く向けられたモノを……日頃の積み重ねの差だと言われてしまえばそれまでだが……平然と受け取っているのだ、あの男は。

 

――つまりまぁ、やっぱりあのジゴロ野郎の魅了スキルは、数値化()不可能()レベルって事だ。羨ましいもんだね、全く……

 

 ハァ、と溜息を落としながら聖盃を煽る。そんな彼の思考が読めたという訳ではないだろうが、沙月は盃を少し傾けて。

 

「それでユーフィーちゃん達とは、ちゃんと仲直りしたわけ?」

「んブふぇーーッ! ゲホゲホッ! いきなり何を!」

 

 問われ、吹き出す。気管に入り、焼けつくような痛みを感じた。

 

「その調子じゃ、まだみたいね。呆れた……それでも彼氏? さっさと土下座でも何でもして許して貰いなさいよ」

「ふぐ……よ、余計なお世話です、俺達には俺達のスピードってモノがあるんですよ」

「あら、確か君は"最速"なんじゃなかったのかしら?」

 

 グゥの音も出ずに、ちびちびと盃を舐める。あっという間に居心地の悪い空間になってしまった。

 いっその事湖に飛び込んで、逃げ出そうかとまで思う。

 

「……正直、自分に呆れてはいます。恋人(ユーフィー)義妹(アイ)のどっちの方が大事なのか……優劣が付けられないんですから」

 

 だが、煮詰まっている現状を打破したくて。女性である沙月の意見を聞こうと話を向ければ。

 

「何を今更……君はフェミニストでしょう?」

「いや、誰がフェミニストですか。俺は寧ろ亭主関白」

「君は汚れ役なんて、今まで幾らでも熟してきたじゃない。今更、善人ぶるのは――それこそ、貴方が嫌いな……偽善ってモノでしょ」

 

 やっぱり止めとけば良かった、と茶化しに掛かったアキを一蹴する沙月。

 脳裡に浮かぶ、二人の少女。大事にしたい存在と、大事に――……

 

「そりゃ、一人の相手を大事にするのは格好いいとは思うけど……その為になら、大事にしてくれる相手を不幸にしていいの?」

 

 アキは、黙ってそれを聞いて。

 

「ああ……成る程。なんだ、簡単な事じゃないか……始めから、優劣は無かったんだ」

 

 まるでそれは……熾こされた撃鉄が、引鉄を引かれて堕ちるように当たり前の事。

 

「会長、野暮用が出来たんで俺はこれで。酒は適量が一番ですよ」

 

 やおら立ち上がると、己の聖盃のみを"真世界"に還して、振り返る事も無く掌をひらひらさせて歩き出す。

 それは何か、気付いてはいけない事に気付いてしまったかのような……ほぼ、逆上に近い感情だった。

 

「……言っておくけど、一度始めたなら……最後まで貫きなさい。二人を泣かせたら許さないんだから」

「判ってますよ、念なんて押されなくても俺は……」

 

 同じく、アキの方を向きもせずに盃を傾ける沙月の呼び掛けに、実に不真面目な調子で――……

 

「"法の埒外の悪漢(アウト・ロー)"なんですからね、俺は」

 

 怠そうに頭を掻きながら、久々に爽快な気分で憎まれ口を叩いたのだった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 縁側での沙月との会話の後、決意こそしたが愚図めきたくなったメロスの如く少し寄り道をして。奥の院の廊下を歩き回る。

 腕を組んで、こうなったら巫女か宮司に聞く事に決めた死龍の瞳に……歩く度にふさふさとした尻尾を揺らして、犬耳をピコピコさせている小柄な銀髪の巫女が映った。どうやら、何かを運んでいる最中らしくこちらの存在には気付いていない。丁度良かった、と。綺羅に向けて左手を上げ、声を掛けようとして……何故だろうか、うずうずと辛抱堪らなくなってしまった。

 

――そういえば……さっきは尻尾の手触りを堪能する暇も無かったんだったな。

 神様……あれ、仏様だっけ? どっちでも良いか……はおっしゃられた。『この世は因果応報である』と。則ち、尻尾を握ってビンタされて謝られた俺は、あと一つ悪い事をしなくてはならない。綺羅に仏罰が落ちたりしたら可哀相だもんな、うん!

 

 酒精(アルコール)の勢いもあり、ニヤリと悪辣な笑みを浮かべて、不埒なとある考えを実行しようとしてしまう。先ずは気を鎮めて、彼の(アサシン)スキルの集大成たる『圏境』……天地を結ぶ『空』たる起源を持つ彼の場合は、自身の炉である『龍炉』や回路である『龍脈』の操作にて周囲と同調。物理・魔術的にも、特殊能力での探知も感知も完璧に透禍(スルー)してしまうスキルで、周囲に溶け込むかのように気配を消した。

 次いで、上げかけていた手をにぎにぎと卑猥に動かして屈伸と伸脚、これからの動作を念入りに脳内で確認(シミュレート)する。

 

「……よし、やるか」

 

 そうして軽くウォーミングアップを済ませると、徐にクラウチングスタートで構え――呼吸と共に『生誕の起火』を灯した。

 これにより彼は、何者にも防げず躱す事をも許さない"直死"の魔刃と化す。

 

 エターナルの概念すらもを貫いた一撃、それを以て彼は――――板張りの廊下を蹴る!

 

「――ぃよう、綺羅。やっぱり抜群の手触りだな」

 

 両の耳をむにむにと揉み解すように握ったのだった。

 

「ひきゅ……!?」

 

 その吃音の後で……奥の院より少し離れた森の木の枝の上、ホーホーと物悲しく鳴いている……気の所為か酷く呆れたような表情をした(フクロウ)

 その梟が『パシーン!』と。大気と水面を揺らす程に盛大な渇いた音に驚いて飛び立ち、深森の闇の彼方に消えて行った……。

 

 

………………

…………

……

 

 

「……あの、酒の勢いとはいえ本当にすいませんでした綺羅さん」

 

 そして当然、怒らせてビンタを受けた顔面を廊下に擦り付ける。

 

「もういいです……全く、貴方は……あんな高難易度のスキルをこんな下らない事に使うなんて」

 

 酔いは完全に覚めて、残ったのは綺羅が落としたナルカナの食事と……眉を吊り上げた綺羅本人だけ。

 

「いやぁ、折角の機会だったんでつい……因みに最近は燕を斬ろうと思っているでござる」

「とことんアサシンネタを重ねる気ですか……ところで、二の打ちが要らないアレは習得しないのですか?」

呵呵呵(カカカ)、甘いな綺羅……我が最強の剣たるリカーランスに、二の撃ちは要らぬわ!」

 

 綺羅の深紅の絶対零度のジト目を向けられた彼は、始めは花鳥風月を愛でるどこぞの無銘の侍の如く雅に笑い、次いでどこぞの武術を極めた魔拳士の如く豪快に笑って場を和ませようとして。

 

「……まだ、お酒が残っているようですね。丁度いい機会ですから、酔い醒ましに猛虎硬爬山をお見せしましょう」

「マジすんません、マジで調子に乗りました…お願いしますから、三発が同時一斉命中する三段突きだけは勘弁して下さい」

 

 結局、拳を握った綺羅の座った眼差しにもう一度地べたに額を擦った。

 

「ところで綺羅……教えて欲しい事があるんだが」

「教えて欲しい事、ですか?」

 

 と、頭を上げての真摯な眼差しと言葉。思わず毒気を抜かれて、綺羅はキョトンと目を円くして彼を見詰め返した。

 

 

………………

…………

……

 

 

 それから暫く後、今度アキが立ち尽くしているのは――綺羅に教えて貰った、ユーフォリアとアイオネアの部屋の前。

 その右手には以前、綺羅から贈られた小刀……アキが小さい頃に持たされた肥後の守がある。

 

――相部屋だから、別々に話す手間が省ける。まぁ、裏を返せば纏めて相手取らなきゃなんねぇ……って事でもあるんだがな。

 

 閉め切られた襖が実に重苦しい。これならば未来の世界で相手した『守護竜(ガーディアン)』五体を纏めて相手にした方が、まだ気が楽だったなぁ……などと取り留めもない事を考えて。

 

「あー……クソッタレ、こんな所で二の足踏んでどうすんだ。結論は出した、後はやるしかねぇ……!」

 

 刀を腰帯に挿し、気合いを入れるべく勢い良く両頬を張る。しかし気負い過ぎた為、間違ってグーでやってしまって歯がへし折れそうになった。

 そして閉ざされた襖に手を掛けて、思いっ切り力を篭めて――

 

「……何か用、お兄ちゃん」

「……何かご用ですか、兄さま」

「ぎょえーっ!?」

 

 そこで、まさかのバックアタックを受ける。思わず、いい歳こいて『ぎょえーっ!?』等と口走って、恥ずかしいポーズなんかとってしまった。

 

「こ、今晩はお二人さん……いや、寧ろお二人様。あのですね、少しお話があり(そうろう)……」

 

 飛び出しそうになった心臓の拍動を抑えて両腕を忙しなく動かし、吃って口調がおかしくなりながら振り返る。

 

「「……つーんだ……」」

 

 目に映るのは、風呂上がりなのかしっとり濡れた蒼と滄の重そうな長い髪。仄かに香る石鹸の香と、寛げられた浴衣の首許からちらりと覗く薔薇色に上気した柔肌。

 いつもならこれに更に、向日葵と白百合の如く。思わず見惚れる程愛らしい笑顔がついて来るのだが……残念ながら今現在は、つーんとご機嫌斜め。二人揃って眉を吊り上げた、つんつんと突きたくなる軟らかそうな頬っぺを膨らませた鬼灯(ほおずき)の状態だった。

 

――くっ、まだ怒ってらっしゃる……ええい、ままよ! 俺とて男の末席を汚す者だ、ここでやらずにいつやるというのか!

 

 心を落ち着け、しっかり見据える蒼穹色の瞳と金銀妖瞳。

 行灯しか照明の無い薄暗い廊下が、戦時のような緊張に包まれた。

 

「立ち話もなんだ……取り敢えず、部屋に入らないか?」

「ここ、あたし達の部屋だけど」

「……入らせてくれませんか」

 

 いきなり出鼻を挫かれたばかりか、持ち直そうとした足まで捻ってしまった。

 情けない気分を堪えながら、襖を開いて先に歩み入った二人の背を見ながら歩く。

 

 そして……後ろ手に襖を閉じると、キチンと正座して、女の子座りをしている二人に向き合った。

 

「えっと……本日はお日柄も良く」

「もう……夜です」

「お、お月柄も良く」

「今、雲がかかってるけど」

 

 ションボリと月を見遣る。確かに満月には、薄く朧げな白い叢雲が掛かっていた。

 

――『月に叢雲、花に風』ってか……因みに、『風流なモノ』を表す『花鳥風月』や『雪月花』何かと違って、コレは『美しいモノにはとにかく邪魔が入りやすい』って意味なんだぜ……?

 ナルカナあたりに言ったのなら、『このあたしが邪魔者ですって? ぎゃらっしゃー!』てな具合に、激怒しそうな諺だけども。きっとこの諺は出雲発祥に違いないな。

 

「お兄ちゃん、どこ見てるの? お話をしに来たんじゃなかったの」

「うっ……は、はひ」

 

 と、現実逃避すら許されない。気分は龍虎に睨まれた鴉だった。

 

――負けるなら俺……確かに俺は鴉かもしれない。だが、鴉は鴉でも……俺は勝利をもたらすという神鳥、八咫鴉だ!

 

 臍下……丹田に気合いを入れ直し、二人に向けて――

 

「――すんませんっしたー!」

 

 それはもう、ベスト・オブ・土下座。誰もが『10.0』の札を上げる程、全世界の恐妻家諸兄の見本となるくらいに綺麗なフォームで……思っきり畳に頭を擦り付けた。

 少なくとも、目前のユーフォリアとアイオネアが驚嘆する程には。

 

「考えたんだ……結論も、出した。だからこそ……謝らせてくれ」

 

 その姿勢のままで、苦しげに声を漏らす。毛根に近い部分が黒く、毛先部分が金色のプリン頭の青年は――

 

「俺は……俺はお前達に優劣なんて付けられなかった。アイは大事な義妹だし、勿論の事ユーフィーは大事な恋人なんだ」

 

 そう告げて、腰に挿していた小刀を抜いて畳の上に置いた。

 黒の漆塗りに螺鈿細工が施された流麗な鞘を持ち、柄紐は浅葱色。鐺には家門らしきモノが彫られており、鍔は咲き誇る大輪の菊の華を思わせる。

 

「俺達は……この、刀に似てる」

 

 抜けば――青光りする直刃の刀身が現れる。霊格すら感ぜられる、出雲に相応しい霊刀だ。

 その目釘を抜き、柄紐を解いて……柄と刃、鞘の三つに分けた。

 

「この刃が俺で、鞘がユーフィー……柄が、アイだ」

 

 それは正しく出雲の至宝である。神代に謳われる、霊験あらたかな金属『青生生魂(アポイタカラ)』……もっと人口に膾炙した名で喚ぶなら『緋火色金(ヒヒイロカネ)』にて鍛たれた刀身を持つ霊刀だ。

 

「刃は鞘を護る為に他の命を奪い、鞘は刃が傷付かぬよう……無闇に他を傷つけないように護り、柄は……刃がその威力を振るい鞘を護る為には不可欠な存在だ。それ無しでは……振るった掌の方が傷付く」

 

 その銘は――掠れて読みづらく、アキは気づかなかったが『村雨』。史実には在らざる、だが間違いなく、それは人々が作り上げた史上最高の霊刀の一振りであろう事は理解できる。

 

「だから、なんて……巫戯化た事は言わないさ。それでも嫌なんなら――ユーフィーと別れるのも仕方ないし、アイとの契約も……解く」

「……っ」

 

 こくり、と。息を呑んだのは一体、どっちだったのか。

 

「何を言ってるの……だって空さんはアイちゃんとの契約を解いたら……死んじゃうんだよ?!」

「判ってる。けど、俺にとってはアイを失うのも、お前を失うのも……死ぬ事と同じなんだよ。それが、俺なりの……ケジメの付け方だ」

 

 刃を逆手に握り締めた姿はまるで、これから自刃する侍のようだ。事実――彼女達のどちらかに拒絶されたら死ぬ事になるのだが。

 黙り込む二人、その二人に向けて再度頭を下げて……結論を待つ。

 

「ずるいよ、そんなの……断ったら空さんが死んじゃうのに、だめって言えるわけないじゃない……」

「そうです……永遠を共に生きると、おっしゃって下さったのに……」

 

 搾り出されるような声に、唇を真一文字に結んでユーフォリアとアイオネアの言葉を受け止める。

 

「……すまない」

 

――それ以外に……返す言葉など、一体どこに有るというのだろうか。『愛している』などと自分から言いながら……このていたらく。

 自分で自分が情けない、だが−−

 

「……背負うと、決めたんだ。俺の勝手でこんな思いをさせるお前達を……絶対に幸福にする。だから……俺にチャンスを、くれ……!」

 

 決意と共に死龍が瞳を上げる。と――その視界を埋めた群青と、左右から抱き着いた……少女特有の温かな感触。

 

「二度と、そんな風に言わないで。あたし達三人は……誰かが誰かを背負ったりなんかしないの。三人で……一つなんでしょ?」

「そうです……私達は、柄と刃と鞘の……三人一組の『零位永遠神剣』なんですから」

 

 寄せていた頬を離し、林檎みたく真っ赤に染めた少女達は呟いた。

 

【……不服が在る、僕の立場が無いだろ】

「あぅ……ゆーくんは、えっと……あ、この部分だよ」

【なんだか、適当だなぁ】

 

 と、むくれたように現れた第三位永遠神剣【悠久】。それに彼女は、慌てて……鍔の部分を指差す。

 不機嫌な気配を放つ兄に弁明する妹の構図に、アキとアイは揃って苦笑した。

 

「と、とにかく……絶対ぜ〜ったい依怙贔屓(えこひいき)は無しだからね? あたしも、アイちゃんも……対等にだよ」

「…………(こくこく)」

 

 緩んだ場の空気に少し怒ったように、大胆な行為に少し……恥じらいながら。

 今度はユーフォリアとアイオネアが、揃って。

 

「「……約束、して」」

 

 二人揃って、長い睫毛をふるふる揺らしながら……瞼を閉じた。

 

 『約束』。彼の一番嫌いな言葉だ。この世界に、絶対など無いと知っているからこそ。

 

――……俺のリカーランスだって、俺が気付いてないだけで撃ち破る方法は有るかもしれない。もし、そうなったら……俺は、この二人を守りきれないかもしれない。

 そう考えると、死ぬよりも怖い。こんなにも愛おしい二人を、失うかもしれないなんて。守る人物が居るという事は、常に喪失の恐怖と共に在るという事なのだから。

 

「ああ……約束する」

 

 だからこそ――腹を据えて、その言葉を口にした。不誠実の代価、己に対する『罰』として。

 二人を抱き絞め、柔らかそうな唇に己の口付けを――

 

「いやっほ〜ぅ、癒し系ヒロインナルカナ様登〜場〜!」

「全校生徒憧れのマドンナ、斑鳩沙月参〜上〜!」

「「「………………」」」

 

 しようとしたその瞬間、勢いよく襖が開いて……ベロンベロンに酔っ払ったうわばみと大虎、ナルカナと沙月……

 

「空……この二人を、何とかしてくれ……」

 

 げんなりと疲れきった表情の望の三人が現れた。

 

「なによぉ、その『うわ、邪魔者キター』みたいな顔して〜、せっかく根源攻略の根本的解決方法を思い付いたのに〜!」

「根本的解決方法……?」

 

 折角の良い感じの空気を邪魔され、ジト目を向ければ――そんな事を口走った沙月。思わず鸚鵡返しに聞き返してしまう。

 それに気をよくしたのだろうか、ナルカナが。

 

「そう、これよこれ!」

 

 勿体を付けるように、徐に差し出された手に握られていたものは――先程渡した、彼の蔵酒『神酒(エリクサー)』なのだった……

 

 

………………

…………

……

 

 

 朝靄煙る早朝の出雲の深い森の中……穏やかに吹きおろす山陰地方の涼しい風に木々が合唱し、湖の水がきらきらとさざめく。

 その湖の上に建立された奥の院に繋がる橋の欄干に降りた雀達が、朝の挨拶でもしているかのようにチュンチュンと囀り合っていた。

 

「んー……良い朝だ。こういう朝は間違ってもクウォークス代表とかヤツィータの姐さんにエヴォリアの姐御、斑鳩会長とかナルカナ、イルカナなんて面子には会いたくねぇな……」

 

 そんな平和に鄙びた朝の風景の中をジョギングするプリン頭の青年。欠伸と伸びを同時に行い、肺腑を満たすマイナスイオンたっぷりの出雲の空気を楽しんでいた。

 

「あれ、くーちゃん。お早う」

「ああ、お早う希美」

 

 と、橋を渡る途中で希美と行き違い、普通に挨拶をされて普通に挨拶をし返した。

 

「体の具合はどうだ? 辛かったりしないか?」

「うん、大丈夫。昨日はやっぱり辛かったけど、今朝起きたらもう元気一杯だよ」

「そうか……でも無理はするなよ」

「くーちゃんったら、心配しすぎだよ。わたしは大丈夫、くーちゃんこそ、朝から根を詰めすぎないでね」

 

 等と、事情を知らない者には誤解されそうな会話をしてすれ違う。

 

――会長とナルカナが言っていた『根本的解決方法』とは……詰まり【真如】のディスペル効果を利用する事だった。エーテルを凝縮した『エーテルシンク』は、神名ですら一時的に無効とする効果がある。

 まあ、時間制限は有るし、自壊の神名だけでは無く通常の神名すら無効にしてしまうデメリットもあるのだが。それでも家族が居るというのは……心強いものだ。

 

 わざわざ険しい方の参道を選んで、『山麓の社』に『萌葱の社』、『深緑の参道』に『樹林の守』、そして『清水の社』の順に通過し――つい、興が乗りすぎて出雲の玄関口である『出雲開門』の外、この一帯を不可視化する結界の外に出てしまい慌てて戻ったり。

 そんな彼を見てくすくすと笑う、掃除をしていた色んな色の髪と瞳の巫女装束のエターナルアバター……『防衛人形(マモリヒトガタ)』達が頭を下げて来る度、頭を掻きながら下げ返す。

 

――実のところ母堂(ときみさん)親友(ルナ)の所為で、巫女さんに近付くと痛い思いしそうで苦手意識が有るんだが……こういう楚々としたところを見ると、案外悪くないと思っちまうんだよな、巫女さん……今度ユーフィーとアイに……いやいやいや、朝っぱらから何を考えてるんだ俺は……

 

 昨日の夜に、色んな悩み事が一度に解決した為に浮かれてしまっているのだろうか。目だけでなく、新たな趣味まで目覚めそうだ。

 ウキウキと地に足が着いていない走り方で、空を踏みながら軽ーく走り続けて……気が付いて見れば、『清水の社』側の岸と『緑の守』側の岸を繋いでいる年代物の吊橋を渡り終わったところだった。

 

「さてと、そろそろ帰るか……この先には洞穴だけしかないし、藪を突いて守護者(へび)でも出したら嫌だしな」

 

 最終目的地の緑の守まで辿り着き、巫女に挨拶して踵を返す。

 奥の方から大気を揺らすような、以前未来の世界で何度か聞いた猛毒の咆哮が聞こえたのはスルーする事にして。

 

「あ、居た居た……お兄ちゃ~んっ!」

 

 と、橋を渡りきって渓流の守へ向かおうと方向転換した時、後方からユーフォリアの声とてててっと元気に駆けて来る音が聞こえてきた。

 

「ん、ああ……お早――うぉっ!?」

「――どーーんっ!」

 

 そして朝の挨拶をしようと首だけ振り返った――彼の背中に、羽毛のような感触がのしかかる。

 そう、今しがた声を掛けてきた少女の重みと柔らかさ。そして、温かさが。

 

「おっとと……朝から元気一杯だな、ユーフィーは」

「えへへ……だって、朝からお兄ちゃんと一緒なんだもん」

 

 勢いよく抱き着かれるも、徹底的に鍛え上げられた彼の刃金の肉体は揺らがない。少しだけバランスを崩したが……次の刹那にはもう、適応している。

 おんぶされた形のまま、すぐ近くで朗らかに微笑む彼女の笑顔に……知らず、彼も表情を緩ませた。

 

――可愛い事言ってくれちゃってまぁ、この妖精幼娘(ニンフ)は……なんか……誰も居ない、誰も来ない出雲の森の奥深くに連れ込みたくなるな……

 

 等と思ったのだが彼女の背後の双龍『青の存在 光の求め』の内、猛禽の鈎爪みたいな前脚で器用に【悠久】を携えている『光の求め』の殺意×殺意をビシバシ感じたのでやめておく事にした。

 岐路に立たされた時に目端が効くからこそ、悪党は死なないのだ。

 

「ところで……ユーフィーさんや、その恰好は一体」

「恰好?」

 

 促すと、少し名残惜しそうながらぴょこんと背中から降りた彼女の姿を見て……目を細めて問う。

 上は学園指定の体操着、下は――とうに絶滅した筈の、ブルマ姿の彼女に。

 

「えっと……どこか変かな? お兄ちゃんと一緒に走ろうかな、って思って着て来たんだけど」

 

 自分の服装を確かめてくるりと、髪を靡かせ回転する。それにより、小さくて可愛らしい胸やお尻のライン。あれでよく神剣が使えるものだと思う程に細っこい二の腕や太股の、透き通るような白さを確認できた。

 

「予想は付いてるけど……誰にそれを着ろって言われたんだ?」

「えっとぉ……ナルカナさんがね、『アキはむっつりだから、体操着姿とかきっと喜ぶわよ』って」

「ヤロー、適当言いやがって……前も言ったけど、あいつの言う事を真に受けちゃいけません!」

 

 怒ったとでも思ったのだろうか、恐る恐るといった具合に口にしたユーフォリア。そこから発された名前は、昨日の暴飲により宿酔いしてダウンしている女性二人の内の片割れの名前だった。

 

――見てやがれ、後で林檎剥いて持ってってやっからな!

 

 と、心の中で感謝してみた。

 

「……全く、朝からお熱い事で」

「見せ付けやがってちくしょー、このロリコンめ!」

 

 そこに注がれる、彼らと同じく朝の軽い運動をしていたのだろう望と信助のジト目。

 因みに学生達は希美がダウンした事でものべーが消えたので、近くの森の中に降ろされた物部学園に寝泊まりしている。

 

「何だ、お前らもジョギングか……てか今お前ら、ユーフィーと一緒に来たよな? まさかオイ、俺より先に見たのか? アサシンの怨みを買うって事の恐ろしさを判ってんだろうな? 今日から安心して食事排泄睡眠が出来ると思うなよ」

「「独占欲強っ! てか怖っ?!」」

 

 等とジョークを交わしている内に渓流の守を通過した。

 

 根源に突入するまで、残りあと一日。絶対神との決戦を前にした者達とは思えぬ程に――日常的な光景だった。



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惡の華 進むべき道 Ⅱ

 時刻は正午を回り、陽光にて形作られる影が一番小さくなった頃に。他の神剣士達が『聖なる神名(オリハルコン=ネーム)』の補助無しの戦闘に備えて特訓している頃に、奥の院の一角にて――

 

「ここの接続は……こうじゃのう」

「そうですね、流石ナーヤさん。空くん、機関部はどうですか?」

「完成してますよ、もう組み込めます」

 

 ガチャガチャバチバチキュイーンと音を立て、金属と機械の部品を組み立てるアキとナーヤとスバル……そして工具箱を持ってぽつねんと立ち尽くすアイオネアの姿が在った。

 

「お兄ちゃ~ん、一緒に特訓……えっと。何してるんですか、皆さん?」

「何って……見た通りの事だろう、ユーフィー?」

 

 と、空以外が居る為によそ行きの言葉遣いで一同へと喋りかけたユーフォリア。何をしているのかがよく解らず、彼女はしきりに首を捻っている。

 なかなか見ない組み合わせのこの三人の共通項は……科学という異教を窮めた神の転生体だった青年と、科学が進みすぎて魔法と区別が出来ない世界の科学者である猫耳大統領、科学の粋を集めたアンドロイドの少年である事から、科学を置いて他には有るまい。

 

「……よし、完成だ」

 

 その声と共に組み上げられたのは――空力特性を追究した流線型の洗練されたボディを持った……一台の漆黒の大型二輪車だった。

 

「アイちゃん、何これ?」

「えっとね……『ばいく』を改良したんだよ、ゆーちゃん」

「ふ〜む、中々良い出来じゃな。流石に機械知識持ちが三人揃っただけの事は有るのぅ」

「まあ、原形が有ったから楽だったんですけどね……」

 

 アキが持っていたバイクのオーバーホールをしていたところに、二人が現れた。そして整備を興味深そうに見ていたところに声を掛けた訳である。

 

「……しかし、『根源変換の櫃』と『嵐の干渉器』をエンジンに利用するとは……流石の発想じゃのう、あき。腐っても蕃神の転生体か」

「ノル=マーターの強化装甲技術の活用に加えて僕のディフェンスモード『バイオレントブロック』や『ナチュラルディフェンス』、『オーラバリア』も応用しているからフルスロットル状態の強度も問題無し。更に武装まで搭載してありますからね……もうほぼバイク型のマナゴーレムですよ、コレ。下手な永遠神剣より強力なんじゃないですか?」

「ハッハッハ、当たり前ですよ。出雲とは、永遠神剣からの脱却を目指す組織ですからね……」

「お主は出雲の所属ではなかろう、たわけめ」

 

 それが何だかよく解らない二人を余所に、盛り上がるメカオタ二人とアンドロイド。

 因みに、ついていけない蒼滄少女二人はただぽかーんとしていた。

 

「欲を言うのなら、合体と変形が欲しかったのぅ……」

「んな強度と剛性が下がるような機能は要りません」

「つまらぬな……荷電粒子砲とまでは言わぬから、せめて電磁投射砲(レールガン)垂直発射機構(VLS)に、ロケットランチャーと近接防御機関砲(CIWS)くらい装備せぬか?」

「そんなにゴテゴテと載せられる訳が無いでしょうが……運動性能が落ちるしバランス崩れますって」

「つまらぬなぁ……」

 

 最後までそう渋ったナーヤだが、持ち主が言うからには仕方ないと諦める。

 

「……そうじゃ、すばる。わらわにカスタマイズされてみぬかのう? 今ならおぬしを、物部学園の歩く戦闘艦にしてみせようて。空気等とはもう誰にも言わせぬ」

「あははは……」

 

 代わりに――近くでそのやり取りを微笑ましげに眺めていたスバルに笑いかけた。

それにスバルも朗らかに笑って。

 

「ははは――スパース、全速力で離脱だっ!」

「こら、逃げるでない! 待たぬか……行くぞクロウランス――――全兵器使用制限解除(オールウェポンズフリー)!」

 

 鷲頭獅子(グリフィン)の姿を持つ第六位の永遠神剣【蒼穹】の守護神獣『スパース』を召喚して大空へ逃げ出したスバルを追いかけて、第六位永遠神剣【無垢】の守護神獣『クロウランス』を召喚したナーヤが対空砲を撃ちながら追い掛けて行った。

 騒々しさが去り、静かになった境内で。

 

「……さて、それじゃあ俺はコイツの試運転といくかな」

 

 アキが虚空に波紋を刻みながら、取り出したのはバイクを起動する鍵銃(ショットガン・スターター)

 前と同じくエンジン部分に横向きに空いた鍵穴のような部位へデリンジャー【烏有】を差し込んで回し、引鉄(トリガー)を引いた。

 

「きゃうっ?!」

「はうぅ〜……!?」

 

 途端に空白だった炉に火が入り、鉄の駿馬が生命を宿して嘶いた。青みがかったヘッドライトと赤みがかったテールライトを各々明滅させて、各種メーターを一度振り切ってから……地を揺るがすようなアイドリング音を響かせる。

 それにユーフォリアとアイオネアは、驚いて身を竦ませた。

 

「……実は気付いたんだよ、俺は」

「ふえぇ……何に気付いたの?」

 

 両方の耳を押さえながら聞き返すユーフォリアに、バイクに跨がりながら……。

 

「俺って『龍騎兵(ドラグーン)』を名乗ってたんだけど……騎乗した事があるのって、剣の世界の馬を除いたら【悠久】だけなんだよ。それじゃあ、偽り有りだろ?」

 

 着古した甚平から、戦装束のアオザイ風武術服と零元の聖外套を具現化して身に纏い、二人へと手を差し延べた。

 

「……だから……鉄と油臭い馬ですが、龍騎兵(ドラグーン)として――誠心誠意、エスコート致します…御手を拝借、『俺の姫様方(マイフェアレディ)』?」

「「あぅ……は……はい……」」

 

 左足で大地を踏み締めて、右足で(クラッチ)を器用に操り暴れ馬をいなし宥めて好きにはさせず。右手でユーフォリアと繋がって、左手でアイオネアと繋がる。

 その姿は正しく、卓越した騎兵という以外に著しようは無かった。

 

「えへへ……やっぱり、お兄ちゃんって……本気を出したらとってもかっこいいね」

「うん……当たり前だよ。だって、私達の旦那様だもん」

 

 少し嬉しそうにはにかんだ二人の少女、ユーフォリアを座席後部に乗せてアイオネアはライフル剣銃【真如】としての姿で、左側面に備え付けてある専用ホルスターに納めた。

 少女達は、自分の選んだ……自分らを選んだ男の意気を感じながら、その身と生命を預ける。

 

「っと、ほらヘルメット。危ないから付けとけ」

「うん……て、え? 『危ない』?」

 

 と、言われるままにヘルメットを被ったユーフォリアは不安そうに聞き返した。

 それにアキはこれ以上無いくらい、爽やかな笑顔でもって。

 

「だって俺、無免許。でもまぁ、ロボットに跨がるのに免許なんて要らないよな」

 

 等と、その罪を罪とも思わない……"法の埒外の悪漢(アウト・ロー)"の本懐のような台詞。

 それを受けて――

 

「……下りる……下ろして〜〜っ!」

【に、兄さま……せめて練習をしてから】

 

 すぐ下りようとしたユーフォリアと説得を試みたアイオネアだったのだが……時既に遅し。

 もうハンドルに手を掛けていた彼は『威霊の錬成具』製ヘルメットを身に付けており、聞く耳などは持っていなかった。

 

「ギアー最速! 最初っからクライマックスで逝くぜェェェェッ!!」

「【ふえぇ〜〜〜〜〜ん!?!?」】

 

 ウィリーして、大地を後輪で跳ね上げながら駆け抜けていく一陣の風。

 

「俺はこう思うんだ、ユーフィー、アイ! 速さとは即ち思考、空間や時間すらも越える奇蹟! 地図を見ながら旅行するとか未来を空想するなんて趣味があるが、それはまさに時間と空間の超越そのもの! しかもそれは誰にも侵せない聖域に他ならない! だからこそ価値がある、だからこそ俺は貫く! そこに速さが、理想があるから――分かるかァァァァァァい!」

「【降りる~~~~~~~~~!」】

 

 それは悲鳴をも置き去りにして、一気呵成に突き抜けて行った……

 

 

………………

…………

……

 

 

 そんな後ろ姿を見送った、一つの影。影は、社殿の後ろから三人の言動をつぶさに理解しており、その関係に気付いたらしい。

 

「側室をお持ちに……では、私にも……チャンスは……うぅ〜」

 

 最後に、仔犬の唸り声にも似た声を上げたのだった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 静かな出雲の境内に似つかわしくない爆音を轟かせながら、奥の院に帰還したバイク。朝方に三十分を掛けて走ったのと同じ道程を、今度は五分とかからずに駆け抜け終えた。

 手綱(ブレーキ)を引いて緩やかに心臓(エンジン)の回転する速度を落としていきつつ、挿入したままにしていた【烏有】に手を掛けて第二の銃弾を放てば――心臓を撃ち抜かれた鋼鐵の駿馬から架空の生命が消え、鉄塊に戻る。

 

 因みに奥の院と湖の岸を繋ぐ橋を爆走した時に倉橋環と擦れ違ったが……にっこりと笑っているのに凄まじい威圧感を放っていて彼の心臓も止まりそうになったのは内緒だ。

 

「……整地[(オンロード)でも不整地(オフロード)でも、何の問題なく走破可能(ブレイクスルー)とは……恐れ入ったぜ。流石は、俺の愛機『フォトンブリッツ号』だ……また世界を縮めちまったなフィジカル・バッドスピぃだぁッ!」

 

 横に廻して【烏有】を引き抜き、"真世界"内に戻しながら口にした瞬間に――ガツーンと。

 

「お兄ちゃんのばかーっ!」

【兄さまのばかーっ!】

 

 後頭部に炸裂したのは、【真如】を使うユーフォリアの振り下ろし『パーフェクトハーモニック』。ダメージはさほど無かったのだが、体勢が悪かったのでちょっと頚が嫌な音を立てた。

 

――……もしもヘルメットを被ってなかったら頭がパックリとイっていたかもしれないな。やっぱり、ヘルメットは大事ですよ。

 

「あ痛ぁ……何すんだよ、ちょっと清水の社と緑の守の道をショートカットしたくらいで……」

「岸から岸まで、橋を使わないで跳び移るのはショートカットじゃなくてスタントっ! 何すんだよはあたし達台詞だよ……はうぅ、お尻がひりひりするよぉ……」

「あぅぅ……胸がドキドキします」

 

 遮光バイザーを上げて目に入る、実に可愛らしいお尻をすりすりと撫でながらぷーっとこちらを睨むユーフォリアと、実に可愛らしいささやかな胸を押さえてぐるぐると目を廻しながら息を整えているアイオネアの姿。

 これからじっくりと時間を掛けて愛でたく……もとい、育てたくなる部位を触る二人を纏めて可愛がりたくなった衝動を抑え込んで。

 

「よしよし……機嫌を直してくれよ、何でも好きな晩飯(もの)作ってやるから」

「「うー……」」

 

 頭を撫でられて、可愛らしく唸りながら無理に怒った顔を維持する二人。たまに羽根や龍角に触れる度に少女達は、何とも可愛らしくピクンと身を跳ねさせた。

 そうして、怖ず怖ずと。先ず口を開いたのはユーフォリア。

 

「それじゃあ……ナポリタンがいい。パパが作ってくれたんだけど、ケチャップがたっぷりでとっても美味しいんだよ」

「……何て言うか、随分安上がりだなぁ……よし、だったらパパさんのナポリタンを忘れちまうようなのを作ってやるよ」

 

 と、彼女の唇から紡がれた他の男性を賞賛する言葉に少し嫉妬の焔が燃え上がったので少し強めにかいぐり、そんな事を口にした。

 

「あの……私は……『ルータの指輪』がいいです……」

 

 次に口を開いたのは、当然ながらアイオネア。彼女は祈りでも捧げるように胸の辺りで手を重ねて、そんな言葉を紡ぐ。

 

「……ルータの指輪って……えっと……食べるのか、アイ?」

「む〜っ、食べませんっ!」

 

 パーマネントウィルを欲しがったので、新スキルでも覚えたいのかと思って取り敢えず聞いたのだが……反って怒られてしまった。

 

「私だって妻として……兄さまからの贈り物が欲しいです……」

「ううーん……でもこれだけはなぁ……何せ店で買ったペアリングだし、根源力での複製じゃあ男としての沽券に関わるし……」

 

 彼女はアキとユーフォリアが左の薬指にお揃いで嵌めている簡素なエンゲージリングを羨ましそうに見る。

 

「よし、判った……何とかする」

「いいんですか……?」

「当たり前だろ、俺はお前の旦那何だからな……愛する女に掛ける金なら、その価値は紙屑と同じだ。幾らでもかまやしない」

 

 愛している、愛してくれている女にそんな顔をさせておいていい筈が無い。是が非でも同じものを手に入れる事を心に決めて。

 ふーむと腕を組んで、何か名案は無いかと頚を傾げる。その頭を、背後から壮絶な殺気と共に神速を以って、ガシッと掴んだアイアンクロー。

 

 『威霊の錬成具』にて形作られた筈のフルフェイスのヘルメットが粉砕されて、マナの霧に還る程の威力だった。

 

「――あら……私の友人の娘を毒牙に掛けたに飽き足らず、義妹まで囲うなんて……いずれ貴方が好きになる女の子が苦労させないよう、ヘタレにならないよう育ててきはしましたが……まさか堂々と二股を掛ける恥知らずに育っていたとは思いも寄りませんでした」

「全くですね……出雲神話でも一夫多妻はよく有る話ですが、それにしては近代的な神馬ですね。馬は馬でも『馬威駆(バイク)』ですか、お上手ですこと。御蔭様で参道が目茶苦茶になりましたよ」

 

 目の前の、愛する幼妻二人に集中し過ぎていて待ち受けていた事にまるで気が付かなかった、背後に立つ倉橋姉妹。

 より正確に著すならば……『周囲の空間が軋む程の怒気を纏った』、倉橋姉妹である。

 

「いや、違うんですお姉様がた。これにはイロイロと、込み入った事情が在りましてイダダダダッ、無理は止めて! モゲる、頭がモゲてしまいますっておかーさま!」

「黙らっしゃい! さぁ来なさい、今度こそしっかりとお灸を据えてあげます! 行きますよ、姉さん!」

「お二人とも、少しの間……巽様をお借りしますね。大丈夫、()()()()()()()()()

「「…………(ぶるぶるこくこく)」」

 

 これから絞められる鶏のように、無駄な抵抗をしながら時深に引きずられていくアキ。

 それを笑顔で見送り、やはり笑顔でユーフォリアとアイオネアへと声を掛けた環。その何処か般若を思わせる笑顔に互いを抱き締めたユーフォリアとアイオネアは、震えながら頷いたのだった。

 

 

………………

…………

……

 

 

「要するにですね……俺は俺の力で、二人を幸福にしたいというか」

「詭弁を使うんじゃありません……全く……世の中ではそれをヘタレと言うんですよ」

「……返す言葉も無いです」

 

 奥の院の拝殿で、正座させられて説教されうなだれるアキ。一方の時深も心痛な面持ちで呆れ返っていた。

 もう会わないと言葉を交わしながら、こんな形で再会してしまった事を心底羞じらいながら。

 

「まあ、それはともかく……此処に来て貰ったのは何も説教の為だけではありません」

 

 と、そんな内輪にしか見せない表情をきゅっと引き締めて彼女が口を開いた。それに呼応して、彼も暗殺者(アサシン)として――否、覇皇の顔で相対する。

 それとほぼ同じくして襖が開き、サレスとヤツィータにエヴォリアとベルバルザード、望と……彼等を呼びに行っていた環と綺羅の七人が現れた。

 

「……エト=カ=リファの奴の動向が掴めた、って事ですよね」

 

 この面子の会合だ、思い至るのは……作戦会議の一つだけしか無い。

 

「……そうだ、明日の根源回廊突入作戦に問題が起きた。出雲の計測した結果によれば、分枝世界間の流れが異常になっている……つまり、常に大規模な次元振動が起きている形だ」

「彼女は時間樹の幾つか太い枝を剪定していたようですから。我々が動き辛いよう、我々が最も自由な動きを出来る空間を封じたというところでしょう。由々しき事態ですね、このままでは根源に到達できるか怪しいです」

 

 一同のに立ち、説明を行うサレスと環。思案げに眼鏡の位置を直す彼に続いて、困った表情の彼女が口を開いた。

 

――……次元振動。それは通常は、時間樹のわななきの事だ。成長か、或いは枯死により生まれる枝葉の揺らぎの事なのだが……文字通り『切り落とされた』枝葉の圧倒的な質量から、純粋な暴力と化している。

 そこに漕ぎ出るなど、如何に神獣ものべーが高性能だとはいえ無謀にも程がある。

 

「……だったら悠長に事を構えてる余裕なんか無い! 今こうしてる間にも沢山の命が奪われてるんだ、一刻でも早くエト=カ=リファを斃して異変を止めさせないと!」

 

 ダンッ、と勢い良く床を踏み締め立ち上がった望。相も変わらず、危なっかしいくらいに真っすぐなままらしい。

 

――まあ、そうじゃなきゃ望じゃねぇんだけど。そういうとこ、女どもは放って置けないんだろう。ヒーロー属性ってのはお得だよな、当たり前の事を言ってやれば男も女もついて来るんだから。

 ヒール属性なんて、何でも出来る代わりに全部自分で考えて自分の責任でやらなきゃいけない。自由ってのは、裏を返せば自分のケツは自分で拭わなきゃいけないって事なんだ。好き勝手出来る訳じゃないんだな、コレが。

 

「――落ち着け阿呆。俺達数人はともかく他の連中は病み上がりだ。神名無しなんてハンデまであんのに、みすみす死なせる気かよ」

「っ……けど!」

 

 だからこそ、その反対意見を口にする。正義というモノの弱い部分と脆い部分を暴き立てる。

 反駁を試みるも、望に返す言葉はない。否、有ってはならぬのだ。

 

 他の誰も何も言わないという事も、それが心理であると悟ったからに他ならない。

 

「決行が明日って事は変わらない、いや……俺が変えさせねぇ。もし強行するってんなら、一日間昏睡させてやるけど……どうする?」

「空……!」

 

 歯噛みするも、彼は知っている。目の前の青年が一度やるといったからには――必ずやり遂げる男だという事を。自らの力は、今の彼には届かないという事も。

 『力が有れば』。そう声に出さずに慟哭して、望はうなだれた。

 

 結論から言えば。それが『彼』の運命を決めてしまったのだが。

 

「ただ……作戦の変更はしましょう。創造神討伐組と根源回廊制圧組の二班に分けて、同時進行で救世を進めるって形で」

「成る程ね……エト=カ=リファを斃したからって次元震動が止まるとは限らない。もし討伐組が負けても、根源回廊を制圧しておけば有利に迎え撃てるものね……」

「確かに悪くないな、その作戦で行くとしよう」

 

 エヴォリアの呟きに、頷くサレス達。彼等は大人なのだ、『皆の力を合わせれば』等と下らない理想は振りかざさない。

 

「では、組分けだ。単純に巽組と望組にわけるとしよう……」

「了解……つっても、誰がどっちにつくかなんて簡単に予想できるんですけどね。むさ苦しくなりそうだ、俺の班は」

 

 最終決戦に向けて、最後の打ち合わせが始まる。その前に聞いて置こうと、軽口を叩いた後でアキは真面目に口を開いた。

 

「ところで……エト=カ=リファの居場所については判ってるんですか?」

 

 問いを受けて、環は一度目を閉じ――……

 

「この時間樹の生まれた原点――『根源回廊・星天の座』です」

 

 まるで、謡うように。神に捧げる祝詞のように、そう言葉を紡いだのだった。



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宿命の邂逅 無我の覇王

――予感があった。きっと、その出逢いが……運命すらも変えていく予兆なのだ、と。

 

 

………………

…………

……

 

 

 西の方角に傾いだ日の照り付けるアスファルトに長い影が伸びる。信号が赤に変われば車の流れが止まり、人の列が動き出す。

 その流れ終わるを待つ中に一台、二人乗りした漆黒のバイク。前に乗るフルフェイスの男は筋肉質な体躯を包むライダースーツ、後ろで彼の腰に腕を回すヘルメットの少女は――白衣に緋袴の巫女装束を纏う銀髪。

 

「さて、先ず綺羅の用事からだな……っと」

「はい、有難うございます」

 

 呟くと同時に歩行者用信号が明滅、赤に移り変わる。それを受けて、ニュートラルになっていたギアをローに入れた。

 ゆっくりと発進して段々と加速、ギアを上げて更に加速する。元来スピード狂の彼だが、流石に公道で無免許――正確には『原付免許しかない』のに、目立つのは遠慮する事にした。

 

「……で、どこ行く? 無難に公園……じゃあつまらねぇし、ゲーセン……は綺羅のイメージじゃないし」

「……はい、有難うございます」

「お、あんな所に大人の遊園地が……あそこで遊んでくか、綺羅?」

「……はい、有難うございます」

「駄目だこりゃ……」

 

 ぎゅーっと腰に抱き着いたまま、同じ言葉を繰り返すのみの彼女。それに盛大に溜息を漏らすが――やはり、反応は無かった。

 

――事の発端は俺。俺が街で買い物をしたいが為に、環さんの処を訪ねたのが全ての始まりだった。

 

 

………………

…………

……

 

 

『……そうですか、それは丁度良いですね。では綺羅を散歩に連れていってあげてくれませんか』

 

 言われて先ず始めに浮かんだ情景が、首輪を嵌めてリードに繋いで四つん這いで散歩させる情景。

 それに激しく興ふ……もとい、自己嫌悪した。

 

『最近どうもあの娘は気を張っているようなので……気晴らしさせてあげてくださいな』

 

 一も二も無く合意する。少し前のバイクの件で粗相が有る今は、環の気分を害するのは危険だし……そもそも綺羅は恩人だ。

 月光に煌めく、白金(プラチナ)の体毛に紅玉(ルビー)の眼差し。ミニオンの化けた黒獣から、無力だったあの時に護ってくれた彼女を元気付ける程度……労苦の内にも入らない。

 

『有難うございます、巽さん。あの娘も喜びます……やはり貴方は名前の通り、清々しい御仁ですね』

 

 褒められて赤面してしまい、それを悟られるのが嫌で、勧められた焙じ茶を一気に啜った。環がそんな事を言った理由は単純、『巽為風(そんいふう)』……六十四卦の一つに掛けての事。

 

――要するに俺の名前は意訳すると『風の生まれる空』なんて言う、超小っ恥ずかしい意味になったりする。それが我が起源なのだから、おいそれと文句は言えないが。

 

『うふふ……何だか、照れた男性というのも可愛らしいものですね。特に貴方みたいな武人肌の男性がそんな初心(うぶ)な反応をすると、不思議と切なくなって抱き締めたくなってしまいます』

 

 しっとりと艶やかな笑顔に、正座をしたままで生唾を飲み込んだ。さながらまな板の上の鯉の如く、鯉コクにでもされる気分だ。

 このままだと何だか、暗転した後に『哲学的な体験だった』とか言わないといけなくなってしまう気がした。

 

『では、こちらを……心ばかりですがお礼です』

 

 環が捧げ持つ脚付きの盆に載せられていた、緋色の破片。それが何かに気付いて流石に息を飲み、手を伸ばせば――掌は破片には届く事なく、空を切った。

 

『驚きましたか? これは、以前の『空隙のスールード』の侵攻の際に我々を苦しめたもの……『渾天宮(こんてんぐう)』です』

 

――話によれば、あの時、『大地を呪う』永遠神剣第四位【空隙】の事を知る出雲の巫女達は先ず地に衝き立った大剣を破壊しようとしたらしい。

 しかし、進めど距離は縮まらず、あろう事か到達せずに反対側に出てしまう始末。結局、俺が鈴鳴を倒すまで手出しが出来なかったらしい。

 

『その効果を持ったままの破片が見付かりました。マナを流し込めば、渾天宮の効果が発現するんです。どうやら『魔法』ではなく『技術』に属する概念のようなので、貴方に相応しいかと』

 

 『実のところ、出雲の技術者では解析できなかっただけなのですけれど』、と。年上の女性らしからぬ可愛らしい仕草。

 それを、代価として頂く。少しだけ、前述した『代価』も欲しかった気がするが。

 

『――あっ……』

 

――と、そんな邪念を抱いていた為か。渾天宮を突き抜けてしまう。そのせいで……何と言う不始末か、環さんの胸を思いっきり揉んでしまった。

 そして最速で土下座。最近、こんなのばかりである。

 

『もう……巽さん、そんなに『こっちの代価』の方が良かったんですか?』

 

 朱が差した口許を袖で隠し、そんな、艶やかな笑顔を向けられてしまった。ユーフォリアやアイオネアにはまだ無い、大人の魅力を。

 

『実は、この渾天宮を実用化したいのですが……先に申した通り、我々ではお手上げなんです。巽さん……お手伝い頂けませんか? 勿論……『タダで』等とは言いませんから……』

 

 撓垂れ掛かるように、耳元で囁かれた魔羅の囀ずり。健常な男子なら、抗えよう筈もなかった――……

 

 

………………

…………

……

 

 

「……哲学的な体験だった」

「何がですか?」

「いや別に、ちょっと倉橋の巫女が改めて怖くなっただけで……って、綺羅か……漸く答えてくれたな」

 

 ウィンカーを出してカーブを左に曲がりつつ、やっと答えてくれた綺羅を誤魔化して答えを返せば。

 

「……はい、有難うございます」

「元の木阿弥っ!?」

 

そんなこんなで風は不本意ながら、律儀に法律を守りながら街の中を走り抜けた。

 

 

………………

…………

……

 

 

 道を歩く人の波を両断して、男はただ紫煙を燻らせながら立っていた。

 他者を圧倒する威容に数人連れの今時の若者達ですら自ら道を変え、路上指導員らしき男性も近くに見られたが声を掛けるのを諦めて去っていく。

 

「…………」

 

 その研ぎ澄まされた刀剣のように鋭い三白眼、強靭で精悍な印象の雄獅子の(たてがみ)を思わせる金髪の偉丈夫。ダブルのスーツに黒の革靴を履き、立襟のシャツの胸元を開いて刃金の如く鍛え上げられた胸筋を曝し……ポーラータイを寛げたまま使っている。

 誰かを待っているのか、腕を組み仁王立ちする男。吸い殻を路上に投げ捨てると、踏みにじって火を消した。

 

「来たか……さて、今回の小僧も前回の"聖賢者"のように愉しめる相手ならば良いのだがな」

 

 その男が独特なイントネーションで、さながら剣を研ぐように低い……地底から響くかの如きバリトンの声と共に現職の極道者でさえも震え上がる笑顔で、反対側の路上に停車したバイクを運転していた青年と犬耳の巫女を見遣った。

 

 

………………

…………

……

 

 

 バイクを停めた後、紙切れを貼り付ける。環から貰った式紙の符、その効果『不可視』と『不可侵』の術式を起動させたのだ。

 これで余程優れた霊感の持ち主か、永遠神剣の担い手でも無い限り此処に物が有る事に気付かないし、当然触れる事も出来ない。

 

「倉橋の戦巫女が使う符術を、そんな目的に使わないで下さい」

「綺羅だって『誤認識』の術式で自分の姿を普通の女の子に誤魔化してるだろ?」

「私は、倉橋の巫女の端くれですからっ」

 

 白衣の袖と緋袴の裾をはためかせながら、ヘルメットを外せば――ぴょこんっと現れた犬耳。

 

「ま、取り敢えず行こうぜ」

 

 と、進み出す建物は……デパート。ビル一ツ丸ごと店舗で、今時珍しく屋上にはアトラクションもあるタイプの奴だ。

 

「……此処は、デートで来るような場所なのですか?」

「いやぁ、実は最高のナポリタンを作って、ユーフィーを。指輪を買ってアイ喜ばせようと画策してるんで……って何、デート?」

「こほん、早く行きましょう」

 

 テクテクと歩いていく犬耳巫女。その後ろ姿を眺めながら――刹那感じた、肌が粟立つ程に濃密な殺意に振り返る。

 

「――……」

 

 そこに在ったのは、見ず知らずの人の波だけ。誰も他の存在に気を留めていない、無秩序な人いきれだけだ。

 頭を掻き毟り……息をしなければ、死んでしまう事をやっと思い出す。よく考えれば永遠者の彼は呼吸しなくても死なないが……それも忘れる程、正体を失っていた。

 

「何だかな……少し気を張り過ぎてんのかな、俺も」

 

 それに、より深い溜息をついて……先に自動ドアを潜って行った綺羅を追い掛けて歩きだした。

 

 

………………

…………

……

 

 

 道順は地下から。地下の食品街を回って食材を買い、透徹城の中に仕舞った後で、服や家電コーナーを見て回る。

 エアコンにカルチャーショックを受けている綺羅に笑い掛けたり、アーケードゲームのコーナーではシューティングゲームで獲得する事ができる最高のポイントを叩き出して子供からヒーロー扱いされたりしながら上階に順繰り進んで行き、残すは屋上のみ。

 

 因みに、現在は宝飾品のフロア。綺羅には悪いが先に屋上に行って貰って……アイオネアの為に指輪を選ぶ事にした。

 

「しかし、やっぱり高いな……最低でも五万クラスか」

 

 うぅむ、と唸る。尚、今は根源力で作り出したスーツ姿だ。やはりそれなりの高級店、ラフな恰好でこういう店に入る訳にはいかないだろう。

 アイオネアのサイズは把握済み、なんならスリーサイズだって判る。財布に入っている金額……以前環から貰ったバイト代の残りと相談して、買える内で一番高い品物……彼女のイメージによく似合う瑠璃(ラピス=ラズリ)の小さな宝珠をあしらった指輪を指差して。

 

「これを下さい――」

「これを貰おう――」

 

 隣から同じものを指差す範馬勇次……もとい、金髪のガテン系スーツ姿ヤクザ(多分)と視線を合わせてしまった。

 

「……すいません兄さん。実はコレ、婚約指輪みたいなものなんで……遠慮して貰えると有り難いんですけど」

「それは奇遇だな、小僧。俺としてもコレは大事な方への献上品だ、遠慮して貰えると有り難いのだがな」

 

 その時の女性店員の困惑たるや、察して余り有るというものだろう。どちらもほぼこういった店に縁が無い、ヤクザの若頭とその舎弟くらいにしか見えない二人組。

 

「随分小さいサイズを選ぶんですね……ロリの姐さんでもいるんですか?」

「俺の上司は小柄なのでな……そういうお前こそ、恋人は小児の学童か何かか?」

 

 天から降るかの如く、地から昇るかの如く睨み合う三白眼と三白眼。妙に似通った部分のある容姿をした彼等は、ともすれば――親子のようにも見えた。

 

「あの、結局どちらがお買い求めになられますか……?」

 

 今にも警備員を呼びそうなくらいに困った顔で女性店員が恐る恐る呼び掛ける。それに男達は互いに顔を見合わせて。

 

「互いに譲る気は無しか……では、ケリを付ける方法は一ツだけだな、小僧?」

「上等……吠え面かかして差し上げますよ、オッサン?」

 

 二人の放つ剣呑な気配に、周囲が凍り付く。彼等二人は揃って、スラックスのポケットに利き手を突っ込み――

 

「「――――勝ォォォ負ッ!!」」

 

 カウンターに、バシーーン!と。博徒が丁半博打を張る時のように、財布を叩き付けたのだった

 

 

………………

…………

……

 

 

 屋上に向かう道すがら、リボンで包装されている小箱……指輪の入る天鵞絨(ベルベット)材の小箱を、懐に仕舞う。

 

「いや、参った参った……まさか、二十万も入っているとは。随分と羽振りが良いな、小僧」

「薄氷の勝利でしたけどね……まぁ、特許料って奴ですよ」

「ほぅ、特許ときたか……」

 

 エレベーターを待つ間、隣に立つ巨漢と言葉を交わす。尚、押し釦は上下の両方が押されている。

 アキが上へと昇って、男性が下に降りるという訳だ。

 

「しかし惜しい……昼飯はともかく、朝飯を止めておけばな……いや、負けた負けた。よい勝負だったぞ、小僧。やはり勝負は、力と力の鬩ぎ合いでなければな。小細工を弄する戦など興が冷める」

「後悔先に立たず、ってね……おいオッサン、此処は禁煙だぜ? 煙草はちゃんと喫煙所でしろよ」

「ん、おお……それだ、オッサンは止めろ。流石に傷付くぞ」

「だったらアンタも小僧は止めてくれよ。俺は空、巽空だ」

 

 からりと負けを認めた豪放磊落なその男。屈託なく笑いながら腕を組んで煙草を吸おうとする男性を窘める。

 男性はそれを受けて、少し呆気に取られた顔をした後で……ニヒルに笑って煙草を懐に戻した。

 

 その瞬間、到着を告げるチャイムと共にエレベーターの扉が開く。表示されている矢印は上向きだ、詰まりはアキが乗るべき。

 

「……そうだな、いずれ俺達はまた勝負する事になろう。お遊びとはいえど、勝者には敬意を払わねばなるまい」

 

 男性は、どうせ歳を取るならこうなりたいと思う程に燻し銀な笑顔と共に。

 閉じ行く扉の隙間から、一瞬――空間を軋ませるように、圧倒的な黒いオーラを滲ませて。

 

「タキオス。俺の名は――――"黒き刃のタキオス"だ」

 

 アキの背中に向けて、静かにそう囁きかけた。ただし後半は……残念ながら、アキには届かなかったが。

 

「タキオス、ねぇ……やっぱり外人だったか」

 

 それを受けて、不思議な親近感を抱きながら……綺羅の待っている、屋上の喧騒に歩み出たのだった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 日盛りの屋上はそれなりに広く、思いの外多様な遊具が有って結構混雑していた。

 何処かに居るだろう綺羅を探して歩く。元々な小柄な体付きの綺羅だ、それに休日の為に多い子供が邪魔をする。

 

 という訳で、探すのを巫女服から銀髪の犬耳に変更。流石に此処は日本、黒髪ばかりで居たとしても茶髪が限界だ。

 あっさりと見つかる銀色の犬耳、やっぱり人は認識を返れば随分と見えるものが違って来るものだ。綺羅は屋上の触れ合いコーナーで、仔犬を抱き上げていた。

 

――その他に珍しいところでは、カップルらしい男女が一組。双方が物部学園指定の制服に袖を通した、紫の髪に赤いメッシュを入れた野生児と茶色がかった黒髪を三つ編みにした優等生風の少女が同じ白馬に乗った姿で、この俺と目を合わせて慄然とした表情でメリーゴーランドに揺られているくらいだな。

良い歳して、恥ずかしくないのかねぇ……恋は盲目ってか。

 

「よっ、待たせたな」

「あ……巽様……」

 

 廻るメリーゴーランドは留まる事無く、二人が裏に回って見えなくなった。そして何も無かったかのように綺羅の居るところまで歩き、爽やかに彼女に声を掛けた――瞬間に膝をガクガク震わせて脂汗と冷汗を噴き出して、まるで天敵とでも出会った小動物のようにアキは震え始めた。

 

「綺羅――奴らが戻ってくる前に言っておくッ! 俺は、奴らの激甘空間をほんのちょっぴりだけ体験した! い……いや……体験したと言うより全く理解を越えていたんだが……あ、ありのままに今起こった事を話すぜ! 俺は綺羅を探して屋上に出たと思ったら……いつの間にかソルとタリアのデートを見てた! 何を言ってんのか判らねーと思うが、俺も何を見たか判らなかった。頭がどうにかなりそうだった……アレは『サイレントフィールド』だとか『ファイナルベロシティ』とか、そんなチャチなもんじゃあ断じてねぇ……何かもっと恐ろしいモノの片鱗を味わったぜ!」

「は、はぁ……?」

 

 次の瞬間、大気が動きを止めて大声で叫んだ筈の声は自分の耳にすら届かず――黒い風に攫われるようにアキの姿が掻き消えた。

 一人取り残された綺羅、その胸元に抱かれた仔犬が母親に抱かれているように安心した表情で小さな尻尾を振っている。

 

 そして気が付けば人目の無い壁際に押し付けられており、顔の両端に薙刀型と爪型の永遠神剣を突き付けられていた。

 

「――忘れなさい。アンタは何も見てない、良いわね?」

「――忘れろ。オメェは何も見てねぇ、良いな?」

 

 第六位神剣【疾風】と【荒神】を首筋に当てて威を示したまま凄むタリアとソルから、鬼気迫る顔で睨まれて。

 

「えぇー、でもこんな前代未聞に面白っ……おめでたい話題、俺一人だけの胸中に仕舞っておくなんて勿体ないすよイーッヒッヒッ!」

 

 全く悪びれる事無く、腹に一物も二物も抱えていそうな悪辣な笑顔で笑った。

 

「しかしソル、何も言って来ないからフラれたんだと思ってたのに……なんだ、オーケーだったのか。それならそうと早く言えよ、俺とルナでずっと優しい眼差しを送り続けてたんだぜ?」

「余計なお世話だバカヤロー! なんか最近おかずくれたりしたのはその所為か!」

「あぁもう、最悪……よりによってこの悪魔に見付かるなんて」

 

 がっくりと肩を落としたソルとタリアに苦笑する。苦笑して――

 

――そうだ。こんな、平和な世界を守る為に……もう、誰も泣かなくていい世界の為に。俺は――刃となる。幾ら血に塗れても、憎しみを産み出そうとも……それが、最後となるように。

 

 朝から『出掛ける』と、別々に外に出ていったというこの二人。念の入った事だ、どうしても隠して起きたかったんだろう。

 

「だいたいソル、アンタが此処をデートに選ぶのがいけないのよ、ほんっとにガサツなんだから!」

「な、なに! この世界の事なんてほとんど知らねーんだから、仕方ねぇだろっ!」

 

 鼻面を付き合わせて喧嘩している二人を尻目に席を蹴る。夫婦喧嘩は犬も食わない、という奴だ。

 

「お幸せにー」

 

 まぁ要するに……衆目を嫌という程に集めているので、係わり合いになりたくないというだけの事。

 

「お待たせ、綺羅。おお……可愛い仔犬だな」

「はい……本当に可愛らしい……」

 

 立ち尽くしていた綺羅のところに戻って、そう語り掛ければ慈愛に満ちた……本当に母親のような表情で、円らな瞳の豆柴の仔犬の頭を撫でる彼女。

 仔犬も仔犬で実に気持ちよさ気に、彼女に撫でられながら欠伸していた。

 

 財布の中には前の再建バイト代に加えて、昼の一件の後に環に己のアーティファクトを売った代金……通常コンストラクタで作れるモノは当前、独自のアーティファクトである、あらゆる異能による効果を『解呪』する神酒の『神酒』を無限に満たす、彼の手製の神宝……聖なる徳利や神剣魔法を凝集した『神銃弾』代等の残りがある。

 

――出雲という組織にはそれらは実に興味深いものらしく、結構な額で買い取ってくれた。環からは『素晴らしい我学の結晶ですね』なんて讃えられてしまった。誰が"探眈究求(ダンタリオン)"だ。

 正直、大分買い叩かれたんだけど…このまま行くとマジで、出雲に客員として迎えられかねないな。

 

 因みに、指輪を購入したが残りはまだ七万円程は有る。なので思い切って。

 

「何なら……俺が仔犬をプレゼントしてやろうか、綺羅?」

「えっ……え、えええっ?!」

 

 言った時、綺羅がこっちが驚く程の声で驚いた。釣り目がちな紅い瞳が驚愕に、頬が羞恥に染まる様をつぶさに観察してしまった。

 

「ここっ、困ります巽様……私は、時深様の従者であって、主の許可無しにそんな……い、いえ……嫌な訳ではなくて、むしろ嬉しいのですが……って、わ、私は何をっ!」

「ちょ、とにかく落ち着け綺羅っ、回りに迷惑だ」

「「う、うぅ〜……!」」

 

 慌てた綺羅と驚いた仔犬の唸り声が重なる。余っ程驚いたらしく、彼女らしくない程盛大にキョドっていた。

 果して何かおかしな事でも言っただろうか、と。首を捻って……彼女の頭、揺れる犬耳を思い出す。

 

「……あ」

 

 つまり先程の言葉は彼女にとって『何なら…俺が子供をプレゼントしてやろうか、綺羅?』となる訳で、もっと判り易く意訳すると……『ヤらないか?』となるのだ。

 

――……って、ただのセクハラ発言じゃねぇかァァッ! 恥ずかしっ、意識しないで下ネタ使っちゃった、超恥ずかしっ!!

 

「いや、あれだ、今のは別にそういう意味ではなくてだな!」

 

 今度慌てたのはこちらの方、両手を彷徨わせてしどろもどろと言い訳しようとして――

 

「「……っぷ……あははは……」」

 

 きょとんと不思議そうに二人を見遣る仔犬を余所に、アキと綺羅は一頻り笑い合ったのだった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 神剣宇宙の或る世界、青い燐光に充たされた世界の中で。

 

「……フム……こうか…? いや、こうか……」

 

 仁王立ちで、ルービックキューブを解こうと四苦八苦している――巨躯の竜人。背後には竜人よりも更に巨大で長大な戦槍が衝き立てられている。

 

「お前も暇だな、"知識の呑竜"? 少しは仕事をして欲しいのだが」

「良いところなのだ、少し黙っておれ"堕落"の……」

 

 その竜人に燻し銀な溜息混じりで語り掛けた、清潔な印象を受けるスーツをビシリと着熟した初老の紳士。左手には煙草を、右手には――長柄の大鎌を携えている。

 

「仕様の無い奴だ……折角、お前の好きそうな話を持って来てやったというのに」

「ほう、何だ? 言ってみよ」

 

 全くもって興味なさそうな空返事。それに老紳士は、紫煙を燻らせながら。

 

「……ニンゲンのままで神剣を用い、神を倒した存在が居るそうだ。そしてそやつは神剣に選ばれて、エターナルと化したらしい」

「…………」

 

 あっさりと告げられたソレに、竜人の手が止まる。その鋭い眼差しを、始めて紳士に向けた。

 

「面白かろう、誰かさんの出自に似た存在が居ると思わんか?」

「……フ」

 

 大きく裂けた顎で笑って……竜人はルービックキューブを再度、廻し始める。

 

「昔話をしよう。昔という言葉も新しい程に刧初の神剣宇宙……未だ天地が一ツだった頃、その狭間には何も無かった」

「何だ、いきなり……」

 

 キューブはカキカキと音を響かせ、少しずつ色を合わせていく。

 

「黙って聞け。天と地は常に触れ合い、争っていた。その最中……或る二振りの神剣が"門"を拓いたという」

「"門"? あの"門"か?」

「そう、"門"だ。この世の外に繋がると言う門をな。"門"の向こうには、"何でもない全て"が在ったという」

 

 焦れたらしく、紳士は取り出した携帯灰皿に煙草を押し付けた。

 

「一体それがどうした、良く有る与汰話ではないのか?」

「言ってくれるではないか、我が神剣の知りうる最も旧いの記憶だぞ」

 

 ふ、と鼻を鳴らして紳士は新たな煙草を取り出して、マッチで火を点す。

 

「真実かどうかすら定かではないが……二本は、その彼方から――……『位の無い永遠神剣』とやらを呼び込んだという」

「それがその男が手に入れたモノだと? 確かに、報告では『空位』なる正体不明の階位との話だが」

「さぁてな……昔の話だ。始まりが有れば必ず終わるとはよく言ったものだが、終わりから始まるとは限らんのだから……世界とは不条理なものよ」

 

 一方的に話を断ち切ったその瞬間、竜人はキューブを握り潰した。殆ど砂に変わり、床に降り注ぐ。

 

「それで、それはトキミに任せていた事案の筈。何故お前が知っている?」

「おや、そうだったのか? 以前に"全ての運命を知る少年"が嬉々と話していたのでな」

「あの男は……」

 

 ふう、と。竜人は溜息を吐いた。その時、新たに足音が響く。

 

「うぃーっす、いやいやどーも! 遅れましたー!!」

「ましたー……」

 

 底抜けにあっけらかんとした声と間延びした声が響く。

 

 片方は、学生服のような服に身を包んで……左手に、てるてる坊主を吊したぴこぴこハンマーを持った女性。

 もう片方の間延びしていた方は、日本の古い伝承に出て来るような和装の、額に小さな鬼の角を持つショートカットの少女。

 

「遅かったな、"縁思"、"破滅の導き"」

「周期なんて感覚で生きてると、どーもルーズになってさー……って、リーダーは?」

「あやつは居ない方が話が進む。さて、では会議を始めるとするか……"聖賢者"、"永遠"」

 

 振り返った竜人は、三人に向けて……その後方にぶすっと立っている、白い大剣を携えたつんつん頭、学生服に陣羽織を羽織った少年。

 その少年の隣に立つ、紫がかった青い長髪に腰にマントを纏った、壮麗な装調がなされた長柄の大剣を携える少女を視界に納めて。

 

「我等の望まぬもの……永劫回帰を齎す者、秩序の体言たる永遠者……"天つ空風のアキ"の対処についてが、今回の議題だ――……」

 

 深い知識を透かした瞳で、そう語り掛けた……

 

 

………………

…………

……

 

 

 奥の院へと帰り着いたのは、太陽が西の連山の稜線に隠れた逢魔刻。バイクを透徹城に収蔵して綺羅の方に振り返れば……深々と、頭を下げた彼女の姿。

 当然、そこに仔犬は居ない。彼女が、『生命を金品に替える事など出来ません、全ては縁に因るものです』と断ったのだ。

 

「今日は、有難うございました……お気を煩わせてしまい申し訳ありません」

「俺が好きで連れ回したんだし……感謝されるのは筋違いだっての」

「はい……相変わらず巽様は天邪鬼に正直者です」

 

 再度、長く伸びた影。綺羅は少しはにかむように、名残を振り払うようにすっきりした顔で笑う。

 笑顔には、何かを決意したような色があった。

 

「……だから、私は……」

「うん……?」

 

 そしてしっかりこちらを見据え、アキの目を見て何か口を開こうとした……その時、彼の背後の鳥居の影を見て表情を強張らせた。

 それを追って視線を巡らせれば。

 

「あら、やっと戻ってきましたか。待ってましたよ、空さん」

 

 鳥居の影から歩み出た、ジト目の時深の姿を認めた。

 

「何か用ですか、時深さん?」

「ええ、少しね……だけど、もしやお邪魔だったかしら? 次の狙いは綺羅ですか、この色情狂」

「いえ、色々な意味で別にそんな事は」

 

 夕陽よりも紅い緋袴の裾を翻して一般的に知られる下駄とは違う、独特な履物が石畳を踏みカツカツと音を立てる。

 赤銅色の黒い髪が、赤らんだ山間の涼しい風にさらりと靡いた。

 

「では、丁度良いですね。綺羅、空さんを借りますよ」

「あ……は、はい……」

 

 しゅん、と落ち込んだように耳と尻尾を垂れ下がらせてしまった。その可愛らしい仕種に、思わず頭を撫でてしまう。

 

「じゃあ、また後でな……綺羅」

「あぅ……くぅ〜ん」

 

 手触りの良い銀色の髪をかいぐり愉しめば、真っ赤に染まって俯きながら鼻を鳴らした綺羅。

 最後に犬耳を一撫でして、彼女がビクリと反応したのを微笑ましく見て……先を歩く時深の背中を追い掛けるのだった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 通されたのは、簡素な一室。生活に必要なモノを最小限、最低限に抑えた侘寂の局地とでも言うべき……有り体に言えば、殺風景な和室だった。

 

「そんなに肩肘張ってないで、ゆっくりしなさいな。ここは私の部屋なんですから」

「あ、はい……いや、それにしてもここ」

「あら、やはり気が付きましたか? そうです、此処は貴方が最初に寝ていた部屋ですよ」

「……ですよねー、やっぱりなぁ」

 

 と、何故か嬉しそうに言われてしまって。まさか『殺風景すね』等と言う訳にもいくまい。

 大人しく畳の上に正座する。勿論、自ら下座側を選んで。

 

「用事というのはつまり、貴方にご褒美です。師匠を越えた、免許皆伝みたいなものですね」

 

 小さな机の上に置かれていた桐の箱が差し出される。受け取って、紫色の紐を解いて箱を開ければ……中には五つの小さな破片。

 だが、今ならすぐに解る。コレは−−…

 

「……永遠神剣の凍結片、ですか」

「ええそうです、正解。永遠神剣【焔英】に【遠雷】に【再緑】、【聖威】と【運命】の凍結片です。これだけを集めるのにどれだけ苦労したか……大切に使いなさい」

 

 はふぅ、と心底疲れたような溜息を漏らした時深に一礼して、推し戴く。

 確かに、どれもかなり高位な永遠神剣の凍結片だ。これを無駄遣いなどしたら罰が当たろう。

 

「それと、これは私が昔回収した上位永遠神剣の凍結片……【再生】の凍結片です。ある単一世界で、妖精(スピリット)と呼ばれた存在全ての母だった第二位永遠神剣……かつて、"再生の炎リュートリア"と呼ばれたエターナルが担った、『偉大なる十三本』と讃えられる永遠神剣の一柱の凍結片ですよ。命を司る能力を持っていたので、命そのものの【真如】とは相性が良い筈です」

「第二位神剣【再生】……ですか」

 

 そしてもう一つ、手渡された黒い破片。見た目とは違い、染み入るような温かさを放つそれをぐっと握り締める。

 

「言われてみれば、母親みたいな……時深さんみたいな、温かい感じがします」

「な、なんですいきなり……もう、突然甘えて」

 

 そんな彼の言葉に思わず恥じらうように頬を染めた時深だったが……コホン、と咳払いして直ぐに落ち着きを取り戻し、代わりに。

 

「全く……今更ですけど、貴方達が出雲に来た時は肝を冷やしましたよ。ものべー、でしたっけ? 次元くじらの質量を巫女が総出で受け止めて、降ろして見ればほとんどの神剣士が戦闘不能状態……おまけに貴方はボロボロでしたし」

「おまけは酷くないっすか…後、怪我の心配くらいしてくれても」

「『親は無くとも子は育つ』、私は放任主義なんですよ」

 

 向かい合って上座側に座った時深が、座ったままで畳の上をにじり寄る。障子紙を透り抜けて二人を照らす斜陽には、僅かに夜闇の色が混じりつつあった。

 

「……さて、と。それでは空さん……ちょっと目を閉じて下さい」

「はい……?」

 

 いきなりの台詞に面食らい、口をポカンと開けてしまう。直ぐ近くには、夕陽の茜色を受けて染まる彼女の端正な顔。

 

「何をモタモタしているんです、早く閉じなさい」

「ええっと、はい」

 

 少し苛立ったような彼女の声色に促されるままに瞼を閉じる。瞼の裏の闇の奥で時深が何か身じろぎしている事は、修羅の道を歩む者としての直感が告げているが……何をしているのかまでは解らない。

 

「動かないで下さいね……」

 

 その言葉と同時に――甘い香気に包まれる。肩に触れる上衣の袖に、首に巻き付いた両の腕。耳元に感じる呼吸音。

 

「っ……と、時深さん?!」

「こら、動くなって言ったでしょ……」

 

 それに慌てて動いてしまい、こら、と怒られてしまった。

 

「よし、出来上がり。目を開けていいですよ」

 

 そして……スッと呆気なく、時深の気配が遠ざかる。目を開けば先程と同じ距離に離れた彼女の姿。

 その代わり、名残の如く残されたのは……エト=カ=リファとの戦いで失っていた、頚に掛けられた安全祈願のお守り。

 

「これは師としてではなく――……貴方の母としての、成人のお祝いです」

「…………」

 

 手縫いらしいが、流石は巫女だ。市販の既製品と、なんら遜色ない出来栄え。

 袋の中には、何か小石のような物が入っている感触が有る。同時に時の流れが歪んでいるような感覚が感じられた。

 

「『時果の漏刻』……私から贈る、最後のお年玉ですよ」

「……はい、有り難く頂戴します。百人力ですよ」

 

 にこりと悪戯っぽく笑った彼女の笑顔を見詰めながら、嬉しそうに穏やかな笑顔を返した彼。

 

「生き続けなさい、空。勝ち負けなんてどうでもいい、立派な存在になんてならなくてもいいから……この、ただ一つの無限の宇宙の中で……私より一瞬でも長く、生き抜きなさい」

 

 血の繋がらない親子の偽りの会話。しかし……一体誰に、それを嘲る権利が有ろうか。

 

「誓って……必ず、生き続けます……母さん」

 

 例えそれが偽りでも。もう、二度と叶わない筈だったその交わり……その奇跡のような間違いを……何の権利を持った、誰に否定できるというのか。

 

「さぁ、話はここまでです。明日に備えて早めに寝なさい」

「ういーす」

 

 最後に二人はそんな風に……わざと、軽く話を断ち切って。

 

「「――――……」」

 

 本当に名残惜しそうに背中を向けあって、互いの顔を見ずに離れたのだった。



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静かの夜 愛する者へ

 時深の部屋を後にして腕組みをしながら黙々と、板張りの廊下を歩く。

 桐箱は"真世界"内に収蔵しており、首に掛けられた『時果の漏刻』入りのお守りが歩くのに合わせて揺れるのみ。

 

「エト=カ=リファの()り方は、もう決定してる。問題はそこに至るまでの道程とその後……か」

 

 感傷的(よけい)な事等は考えないように、創造神の軍勢との攻防をシミュレートしながら……面倒だが、かつて『奸計の神』と呼ばれた悪逆の蕃神の壱志(いじ)に掛けて、策謀を練る事とした。

 理想幹戦の時のような失策を犯す訳にいかない、今度は……時間樹の未来が掛かっている。

 

「あ、アッキーみーっけ! もー、探したよー!」

「こんばんはです、タツミさん」

「あいつらと真向勝負(ガチンコ)できるのなんて俺やユーフィー、ナルカナのエターナル組だ……でも、それだけの能力を持ってる二人だからこそ……少数で敵拠点の制圧を行わなきゃいけない、望の班に必要なんだ」

 

 なので前から掛けられた声二つと、パタパタ駆け寄って来る橙のショートヘアに角を生やした少女と褐色の肌の少女、ツインテールの黒髪の少女を軽く透禍(スルー)して歩いていく。

 

「あれ、アッキー? おーい……無視するな〜!」

「……私達を無視するなんて、いい度胸だわ」

 

 悩みの種は、二柱の『原初存在』"激烈なる力"と"絶対なる戒"だ。神名そのものの名を持つ創造神の右腕と左腕。当たり前の事だが、エターナルアバターを遥かに凌駕する戦闘性能を誇る、この時間樹の破壊と戒律の具現。

 そして時間樹『内』のエターナルである事が、最大の難所なのだ。エト=カ=リファ外よりの来訪者でないのだから、神名は制約とはならない。最小限に留める過負荷(マイナス)ではなく、まず最大限の過性能(プラス)として機能しているだろう。

 

「難敵は三体。対して、殺害権利(リカーランス)は一発こっきり」

「アッキーってばー! おーいっ、おーーいっっ!」

 

 なにせ、根源回廊は敵の本拠地……つまりはアウェーだ。『創造神』を自負するような輩が、己の足元に注意を払わないなど有り得ない。間違いなく、防衛の為の戦力は残してある筈だ。

 エターナルアバターの最大の強みは"力量"ではなく"物量"。力では及ばずとも、圧倒的な数にて相手を飲み込む永遠神剣の津波。近代では廃れた、人間性を完全に無視の人海戦術こそが最大の武器なのだから。

 

「エト=カ=リファに使う分を、他の二体に回す訳にもいかねぇ……それは、ヤロウに対策を与える暇を作っちまう」

「むむー……そっちがその気なら、こっちだって考えが有るぞー!」

 

 虚空に波紋を刻み、"真世界"から永劫回帰の銃弾を抜いてクルクルと弄びながら呟いた。それだけは出来ない、と。

 何せこの空包は、神を弑す為だけに積み上げた最強の剣。おおよそ、生きているなら神すらも殺す刃……人が作り上げた理想像である神、その異教の神を神を詐る悪魔に貶しめるように。神威すらも零に還す……人間のエゴが作り上げた、矛盾を絶つ(けん)だ。

 

「――てりゃあああっっっ!」

「――ッつぉ?!」

 

 ばふんっ、と背中に勢いよく抱き着かれて空包を落としかけ、流石に思考を中断されてしまう。

 何故なら、背中に――ぶすりと。肩甲骨の下辺りに、割と鋭い角が突き刺さっているのだから。

 

「……ぃ痛ってェェェェッッ! な、何すんだよ、ワゥっ! お前は角が武器になる事を自覚しろっ」

 

 早くも傷が塞がりつつある背中を摩りながら、振り返る。

 その魔龍の眼差しの先、彼の『胸辺り』の高さで会話する、赤いローブにマントを羽織ったワゥとインディアンのような服装のポゥに、ゴシックでロリータな黒衣のゼゥ姿が在った。

 

「アッキーが無視するからじゃん、何度も呼んだのにー」

「もう、ワゥちゃんったら……」

「子供……」

 

 言って、ワゥはその場でくるりと一回転する。黒いマントとフリルがあしらわれたスカートの裾が、大きく翻る。

 腕を組み、つんとそっぽを向いたゼゥの艶やかな黒髪が流れた。

 

「へぇ、んでクリフォードは?」

「何で私達がアイツと居る事前提なのよ。別行動だってするわ」

「いやいや、だってお前らの『姉妹』なんだろ?」

「「?」」

「――なな、何言ってるんですかアキさん!? 私たちは別に、そんな……!」

 

 昔『命の雫』が入っていた小瓶に充たされた神水を揺らしながら首を傾げたワゥとゼゥ、やたらと露出の多い服装で真っ赤になりながら慌てたポゥをじっくり見遣る。誤解の無いように言えば、三人が持つそれぞれの永遠神剣を。

 二振りが鎖で連結されたバズソー型の第六位【剣花】と、ロープのような物が石打から伸びて手首に繋がれた矛槍型の第六位【嵐翠】、そして漆黒の日本刀と鎖鉄球の第七位【夜魄】を。

 

――そういや、あんまり観察してなかったけど……成る程、こんな神剣だったのか。

 

 何にしろ、もっと戦力に幅を増やさなければ。このままでは創造神の軍勢には敵うまいと、戦力の概算を改める。

 

「ふむ……確かにな。だが、我の抗体兵器は貴様に全て破壊されておる。今からミニオンを造り出す事も不可能であるしな」

「チッ、少し期待してたんだが……やっぱり無理なもんは無理か。戦力は今が考えうる最善、だったら後は戦略での勝負か……」

 

 その時、白い光と共に現れた銀髪のツインテールを靡かせたフォルロワの言葉に嘆息を返す。やはり、結論はそうなってしまった。

 

「――だが、『根源』に戻った奴等も只では済むまい。あそこは既に『ナル化マナ』の坩堝だ、放っておけば大多数は減ろう」

「成る程、そこを襲撃すれば勝算もあるな――ってオイ、ナルってあのナルか?」

「あのもこのも、『楯の力(ナル)』以外のナルがどこにある」

「そういう大事な事はもっと早く言えよ! それで策戦も変わってくるだろうが!」

 

 と、腕を組んだままで呟かれた彼女の言葉に意識を削がれる。

 思い返すのは、理想幹での出来事。漆黒の虚光、その悍ましいまでの負の気配。この神剣宇宙に存在する全てと敵対するかのような、悪意の結晶を。

 

「ああもう、改めて代表に話をつけねぇとベしっ!?」

 

 と、頭を掻きながら見出だして駆け出そうとすれば――両足首に巻き付いた鎖により、勢いよく顔から廊下に倒れ込んだ。

 

「落ち着きなさいよ、私達がわざわざここに来たのは……そのサレスがアンタを呼んで来いって言ったから」

「……だからといってこの仕打ちはあんまりなんじゃないんですか、ゼゥさん」

「ふん……騒がしい奴等だ。我は先に行く、あまり遅れるでないぞ、木っ端ども」

 

 体を起こし、巻き付いた鎖を解きながら愚痴った。それを横目に、フォルロワは既にサレスの待つ校長室へと歩き始めている。

 

「「「…………」」」

「……あ、あれだ……ほら、一位神剣だし」

 

 それを見送り……ワゥからは真っ直ぐ、ポゥからはちらちらと、ゼゥからは横目にて睨まれるように。

 それが弁明を求められている事と気付き、在り来りな答えを返す。すると……揃って不満そうな表情をされてしまった。

 

「感じ悪いよね、あいつ~」

「そうですね……」

「どうでもいいわよ、あんな奴」

 

 三人は駄目な男を見る目をした後、振り返ってさっさと歩きながら……散々な言われようで罵倒されてしまう。

 

「何で自分から敵を増やすのかねぇ……」

 

 その後ろ姿を見遣りながら、置き去りにされた彼は首を傾げて愚痴を零したのだった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 陽が西の霊山の稜線に顔を隠して早半刻経ち、本格的な夜の気配が満ちる出雲の山々。その山中に、明らかに異質な物部学園の校舎。

 その近くの森の中の開けた場所で篝火に囲まれて立っているアキ。その首には時深のお守りと……鈴鳴の羽根の根付けが同じ紐に通されて、ネックレスにされていた。

 

 戦闘装束のアオザイ風の武術服に篭手と脚甲を纏い、零元の聖外套の袖を帯代わりに腰布の如く使うその姿。

 だがしかし、瞑想でもするかの如く伏せられた瞼に、構えを取る事も無い無刀の姿勢。森と一体になってしまったように無念無想、正しく明鏡止水の極地。

 

 多少なりとも心得のある者が対峙すれば、『容易に打ち込めない』と容易に分かる矛盾の守り。彼が完成を目指している『最強の楯』の雛型(アーキタイプ)だ。

 

「…………」

 

 その構えの中で、つい余計な事を思い返してしまった。今から、1時間程前の事である――……

 

 

………………

…………

……

 

 

 生徒会室の窓の(さん)に腰掛け、湖に音も無く立ち込めた夜霧に包まれる奥の院の朧に霞む篝火を眺めていた視線をホワイトボードの前に立つサレスに向け直した。

 

『……では、組分けはこれで決定だ。後は個々の裁量、全体の連携……あらゆる技能や幸運が必要となる。心して明日を迎えるように』

 

 手が鳴ると共に、会議を打ち切る言葉が紡がれた。後は明日に臨むのみの一同には、緊迫した色こそ有れど……誰もが気魄と決意に充ち溢れた顔をしている。

 

『……どうした、そんな顔して?』

『…………』

 

 だからこそ、目立っている少女。皆が戦の前の腹拵えに、食堂に向かって行く中……ホワイトボードの前で立ち尽くしている彼女。

 その眺めて……否、睨みつけているボードには『空班』と『望班』が真ん中の一本線で区別されており、『創造神の軍勢との対決』担当の空班にはソルラスカ・タリア・スバル・ヤツィータ・ミゥ・ルゥ・ゼゥ・ポゥ・ワゥ・クリフォード・エヴォリア・ベルバルザードらが名を連ねており、『根源征圧とログの改変』担当の望班には沙月・希美・絶・カティマ・ルプトナ・ナーヤ・ナルカナ・サレスと……彼女、ユーフォリアの名が在った。

 

『……お兄ちゃん……どうして、あたしが一緒じゃダメなの? アイちゃんはいつも一緒なのに……仕方ないのは分かってるけど、それでも平等にしてくれるって約束したのに……』

 

 と、しょんぼりと俯きつつ呟いてつんっと唇を尖らせる彼女。不平の元は勿論、アキと自分が別の班となった事である。

 

『……ゆーちゃん』

 

 その悲しげな呟きに、アイオネアまで沈んだようになってしまう。そんな二人を、纏めて抱き寄せて……美しくサラサラの蒼と滄の髪を手櫛で梳ずる。

 要は、『両手に華』という訳だ。少女達は彼の逞しい腕に抱かれて、彼の胸の上で左手同士……薬指に指輪を嵌めている掌同士を、絡め合っている。

 

『……言ったろ、敵の本拠地の根源回廊に乗り込む望達は神名無しの状態だ。けど……根源回廊は、どんな陥穽が待ち受けているか判らない場所なんだからな……』

 

 こうしているとまるで両の手に"水の妖精乙女(ウンディーネ)"と、"海の妖魔乙女(ローレライ)"を纏めて抱いているような優越感を感じる。尚、その二種類の幻想種には『魅入られた男が破滅する』という共通点があったり。

 そんな二人の美しい長髪を手櫛で梳ずれば、風と波でも撫でているかのように錯覚した。

 

『望とナルカナだけじゃ心許ないから……ユーフィーくらいしっかりした奴が付いといてやらないと』

 

 彼女の頬をくすぐるように撫でる彼の右手の薬指に嵌められている指輪は、瑠璃(ラピス=ラズリ)のあしらわれた指輪。ユーフォリアとお揃いの『ルータの指輪』の方ではなく、アイオネアとお揃いの方だ。

 買った時期の差からアイオネアとユーフォリアの立ち位置とは互い違いになる形になっている。

 

――因みに、ユーフィーを喜ばせようと頑張ったナポリタンだったのだが……凝ってピーマンを入れたのが敗因となった。

 パパさんが嫌いだからユーフィーも苦手との事、元々苦いのは苦手らしいが。後の事も有るし、苦いのは大好きになるように調きょ……じゃねーや、好き嫌いは無くして貰わないとな、うん。

 

『む〜……なんだか、てーそーのききを感じるっ!』

『いひゃいっへ、ひゃめろよ』

 

 答えが気に入らなかったのと考えを直感で見透かしたらしく、左手で頬を抓られてしまう。

 頭を撫でていた右の手で以てその小さな掌を包み込んで離させれば――……擦れ合った薬指の指輪同士が微かに金属音を立てた。

 

『……心配なんだもん、お兄ちゃんが……またあんな風になるんじゃないか、って思うと……』

 

 それは、崩壊してしまった元々の世界で彼が見せてしまった醜態を指しての事だろう。

 怒りと憎悪に任せて暴力を振るい、結局は負けた……あの悍ましく、情けない姿を。

 

『莫迦言うなって。もう、あんな無茶はしねぇよ。今はもう、俺のチャチな感情より大事な存在が……二人も居るんだからな』

 

 まるで、目も開かぬ内から親へと縋り付く赤ん坊のように。存在を確かめるかのように、胸板に擦り寄る彼女を宥めすかす。

 真っ直ぐ見上げて来る黒目がちな目には、うっすらと涙の膜が張り……電灯の明かりを映して煌めいていた。

 

『大丈夫だよ、ゆーちゃん……わたしが絶対に兄さまを護るから……私達の、大事な旦那様を……』

『アイちゃん……うん、信じるよ。アイちゃんはあたしの大心友で、同じ人の奥さんになった……姉妹だもん』

 

 背景(バック)に、白い百合の花でも散りばめられそうな。そんな雰囲気を醸し出しながら抱き合う二人の幼な妻。気のせいか、二人とも頬を染めあって見詰めあっている。

 『それはそれで』とか思ったのは内緒だ。内緒ですとも。

 

――心の底からの思慕。一方通行ではなく、確かに通い合う想い。三角関係ではあるが、その温かさに胸の奥がジーンと熱くなる。

本当、俺には勿体ない二人だ……

 

 その幻灯機(ファンタズマゴリア)を思わせる二対の瞳に、瞼の幕が下りる。

 二人の余りの愛らしさにごくりと息を飲み、ゆっくりと唇を――……

 

『何をしてるんですか、タツミ様……この非常時に』

『……タツミ、すまないがそういうのは部屋の中か何かで頼む』

『『『…………』』』

 

 呆れ顔をした金髪と青髪の少女達……白い猫耳フードが付いたローブと羽飾り付きの杖型の第七位神剣【皓白】を持つミゥと、機械的なカチューシャと軽装騎士の衣装にロングスカートを身に纏った両刃のバスタードソード型第八位神剣【夢氷】を持つルゥに叱られて。

 

『はぁ……同じ男性を愛し愛されて囲われてしまった美幼女妻同士の、妖しく甘美で退廃的な姉妹関係(スール)……実にいいものですね。私も二人に是非とも『お姉様』と呼んで欲しいです……』

『……カティマ様が見てる』

 

 うっとりと、色で言うなら桃色の溜息を零したカティマによって、結局……またもや寸止めに終わってしまったのだった。

 

 

………………

…………

……

 

 

「クソッタレめ……いけねぇ、気を乱しちまった――ぜッ!」

 

 一瞬、頭の中を満たした煩悩に。それを許してしまった、自制心の脆さに毒づく。

 その隙を狙ったかのように、夜闇に紛れて彼の隙を伺っていた小柄な影が、光の対たる影の速度を以って襲い掛かった――――!

 

「神剣の位の差が決定的な戦力の差じゃない事を教えてやるわ!」

「いやいや、どっちかっつーと……俺の【真如】は空位なんで、位が有るだけでもそっちの方が上なんだがなっ!」

 

 篝火を揺らす黒風、灯火によって濡れたような煌めきを放つ白刃。ゼゥの【夜魄】の居合抜きの連撃『不見之剣(みずのけん)』を、徒手空拳で受け流す。

 相手の攻撃の流れに逆らわず、柳が風を受け流すようなそれは――ソルラスカの『流舞爪』。そして最後の一閃を右手のみの白刃取りで受け止めた。

 

「いくよ、アッキー! 手加減なしでね!」

 

 回転する円刃と、その纏う熱風。ワゥの『チェーンリベリオン』の放った四つの炎の旋回刃を、左拳に握り込んだ四発の銃弾を発勁で個別に発射して空中で迎撃した。

 

「――ワゥ!」

「――ゼゥ!」

 

 その瞬間、二人は互いの名を呼び合う。と、同時に――アキの両腕に鎖……ゼゥとワゥの神剣の一部である鎖が巻き付き、搦め捕って拘束する。

 

「――チッ?!」

「――貰った!」

 

 舌打ちした刹那、後方右側面より現れたルゥの鈍く肉厚な【夢氷】の刃が振るわれた。氷の如く研ぎ澄まされた剣筋は、『七ツ胴』を抜くべく迫り。

 

「そこです――隙有りッ!」

 

 その左脇を狙い横殴りに、左側面から現れたミゥの【皓白】による『神炎一閃ノ型』が振るわれる。当たれば確実にクリティカルする部位を狙う打撃が振り抜かれて。

 

「――いきますっ!」

 

 背面から現れたポゥの【嵐翠】による『一心不乱の槍』が投擲にて襲い掛かる。

 明らかに、躱しようの無い三撃。寧ろそれは命を奪おうとすらしているように見えて――

 

「――甘いっ!」

「「「くっ――――!」」」

 

 それぞれ狙われた部位に割り込む形で展開された、半透明の龍鱗。シールドハイロゥによって無力化されて、三つの永遠神剣は完全に跳ね返された。

 

「う、嘘っ!?」

「くっ……!」

 

 それに拘束している二人は慌てて鎖を解き、後退しようとして――逆に鎖を捕まれ動きを止められてしまっていた。

 

「――そらァァッ!」

 

 瞬間、アキが力任せに腕をクロスする。

 当然、ピンと張り詰めていた鎖の端にいる少女達は宙に舞い――

 

「「――――ふぎゃうっ!?!」」

 

 『ゴツーン!』と空中で衝突、大きなタンコブを作って墜落。ヒヨコと星を頭の上に回しながら気絶していた。

 

「っ!」

 

 そうして鎖を解いた直後、感じたマナの流れ。発動源は――ミゥ。

 

「光よ――ダンシングレイ!」

 

 周囲を覆った、五つの白い煌玉。そこから――幾筋もの光条が撃ち出される。

 躱す事の困難な光条の雨。だが、それも。

 

「――遅い!」

 

 確率の支配者である彼にとっては、その程度では障害足り得ない。『タイムアクセラレイト』により光条をくぐり抜けた。

 そして、刹那より早く肉薄した彼の篭手に覆われた掌が……彼女の、小柄な体つきにしては豊満な胸元に当てられて。

 

「なっ……かふっ!?」

 

 ミゥが頬を染めるよりも速く――強烈な発勁『クリティカルワン』が見舞われた。

 

「フリーズアキューター!」

「ヴァイタルビーム!」

 

 そのミゥが吹き飛ばされて、戦線離脱した事を確認しての氷の槍と生命力の光線の掃射。

 無論、当たらない攻撃に意味などない。当たり前に全て避けたアキ、その両手に握られているのは……暗殺拳銃【烏有】。

 

 その化身である『幻影死霊(ドッペルゲンガー)』の特性の、"二重存在"の窮み。本物の贋物、或いは贋物の本物を作り出す能力で形作られたモノだ。

 

「悪いな、お前の技を……借りるぜ、ショウ――ドーンペイン、ポイズントゥース!」

 

 同時に引かれた引鉄と墜ちる撃鉄、雷管を打たれた実包が本来の姿を取り戻す。

 撃ち出された"無形"が、記憶の中に有る【疑氷】のショウの放った魔弾へと変じて直撃する。

 

「くうっ!?!」

「きゃあっ!?」

 

 本来ならば、そのまま生命を奪いかねないマナの昴ぶりだが……それが起きないのは、この空間が彼の支配する領域だからだろう。

 『命中した』という絶対の結果を『外れた』という結果にすり替えられた少女達は、気絶しただけで済んだようだった。

 

 五人を倒した隙に、弐挺の銃を融合させる。先に述べたように、永遠神剣の象徴たる化身としてドッペルゲンガーを持つこの暗殺拳銃は、他の永遠神剣の持つ特性を模倣する事も出来る。

 今模倣している神剣は【黎明】。その担い手が双児剣を合体させて一本の大剣とするように、【是我】と【烏有】の双銃を合体させて……大型拳銃とした。

 

「さて、と……ファイナルターンと行くか」

 

 トンプソン・コンテンダーに姿を変え、中折れ式の弾倉に装填されたボトルネック状の一発の無色のライフル銃弾。

 無形を籠めた根源力の塊、虚無に移ろう事も可能な銃弾を装填して……トリガーガードを使い、スピンローディングの要領で装填した。

 

「流石だな――――アキ!」

「無音の深淵より来たりて………心火を燈す…」

 

 その瞬間に、果たしてそれは自らの存在を誇示するかのように――【竜翔】の効果で天を翔けるクリフォードの双刀が瞬いた。

 

「ハァァァァッ!」

 

 天より降り墜つ銀の瞬き、瞬間にトップスピードに達したクリフォードを真正面に望みながら、アキは――コンテンダーの照星を向けた。

 

「霧氷の如き、反逆者の一矢!」

 

 地より駆け昇る濁った光の矢、同じく瞬間で最高速度に達した『ディアボリックエディクト』が迎え撃つ――――!

 

「「――――!」」

 

 大気が激震し、空間が鳴動する。彗星を思わせるプレッシャーを与える彼の刀と、ソレを迎え撃った火山噴火を思わせる彼の砲。

 そのどちらが撃ち勝つかなど――火を見るよりも、明らかだった。

 

「ラァァァ!」

 

 轟音(かちどき)と共に、濁光の砲弾を粉砕した彗星が降る。当たれば、塵すら残さずに消え去るだろう。

 

【――久遠なる、逆しまの大樹……我が望むは平穏なりし理想郷……】

 

 一瞬後の死を予想している脳内に、厳かに響く祝詞。或いは呪詛。現れた深い黛藍色の宝珠は、無限の"真世界(アタラクシア)"を内包する透徹城。

 広域展開された無量光(オーラ)の魔法陣は、細密なステンドグラスを思わせる多彩さ。その煌めき……真球の宝珠の朝露に濡れたような表面に浮かぶ……雨粒の墜ちる水面の如き波紋が虚空を充たす。

 

【いざや、来たれり……遥かな――……っ!】

 

 しかし――その波紋が掻き消える。空間に突入したユーフォリアが……オーラを完全に粉砕して。

 

「――――!」

 

 開けた空間が、更に開けてしまう程に。壮絶な爆風を撒き散らして、地に墜ちた――――……。

 

 

………………

…………

……

 

 

 クリスト五姉妹達の永遠神剣を使った戦闘訓練に付き合いがてらに、クリフォードにも手伝って貰って……『本当に』殺すつもりで戦って貰って新たな防御の開発に励んだ後で。

 

「……ふぃー……色んな意味で、生き返ったぁ」

【ふん……我の助けを借りねば死んでいた分際で】

 

 風呂で疲れと垢と土埃を落としてさっぱりして、洗濯したての肌着を着てそう呟きながら、校舎内を歩く。

 

(まぁな……助かったぜ、フォルロワ。便りにしてるぜ、エト=カ=リファとの戦いでもな)

【っ……ふん、浅はかな持ち主を持つと苦労する。仮にも第一位の持ち主として、少しは自覚を持って欲しいものだ】

 

 キシリと、最後に受けてしまった傷痕が痛んだ。何とか【聖威】の招聘が間に合った為に瀕死で済んだ傷が。

 まぁ、それもいずれ消えるものだと解っている。相変わらず死にさえしなければ、限りなく不死身な肉体だった。

 

「しかし……上手くいかなかった、か……まぁ、仕方ないけどな」

 

 窓の外を見上げれば、驚く程に大きな満月。金色に輝く、まるで魔金(オリハルコン)の巨塊。

 

――まぁ精々、思い上がってろよ超越者(カミサマ)……あと数時間……もうすぐこの弱者(オレ)が、強者(アンタ)を殺しに行く。

 

 そしてそれは――腹立たしい事に、エト=カ=リファの背負う球体を思い出させた。

 

――本当、ユーフィーが望班行きを承諾してくれてよかった。

 正直、その時の俺は…ユーフィーにもアイにも見せたくない。

 

 自室の扉を開く。中は空室も同じ、布団が敷いてあるだけの部屋の扉を。

 

「あ、お兄ちゃん……」

「兄さま……」

 

 クリストの皆が入った後、彼より先に湯を浴びているユーフォリアとアイオネアの二人。その寂しいはずの部屋だが、この二人のお陰で華やいでいる。

 

「どうかしたかユーフィー、アイ? その……そんな恰好で……」

「あぅ、あの……えっと」

「あ、あの……お怪我の方は……」

 

 ただし、何故か電気も点けずに……アイが根源力で作り出したらしい白い外衣を纏って、てるてる坊主みたいになっていた。

 

「……ああ、大丈夫大丈夫。あんなもん、唾付けときゃあ治るって」

 

 訝しんで近づこうとするのだが、その分だけ距離をとられてしまうので一向に近付けない。

 危うくドSの心が疼きかけたが、今回はやめておく事とした。

 

「……っと、明日も早いからな……夜更かししないで、早く寝ろよ? それとも二人で添い寝してくれるのか?」

 

 と、電気が消えているのを幸いに布団に入りながら。何気なく冗談混じりで掛けた言葉。

 それに――……目に見えて、二人は頬を桜色に染めて。

 

「……うん、その為に来たんだ……」

「……はい、その為に来ました……」

 

 消え入るような声でそう呟いて、外衣を脱ぐ。

 

「……へっ?」

 

 それはさながら、天女が水浴びの為に脱ぐという。その後に人間の男性に盗まれるという伝承を多数持つ、あの羽衣のように。

 はらり、と落ちた二つの薄絹の奥から……薄すぎて肌が透けている、身に纏う意味の無いネグリジェ姿の二人が現れた。

 

「……ちょ、いやあの、え?」

 

 間抜けな声くらい出ようというもの。何せ、直視するには余りに危ういその姿。

 

「「……うぅ〜……」」

 

 カーテンの無い窓から差し込んで来る月明かりにより、より鮮明に恥じらっている二人の姿が浮かび上がる。

 ユーフォリアの方は、前に大きな切れ込みがあり『丸見えですよ』的な桃色の紗。アイもまた、色が紫なだけで、同じく下着の透ける紗の一枚だけだ。

 

 未成熟な肢体に似つかわしくない、妖艶な出で立ちを目の当たりにして。酸欠の金魚みたいに、口をパクパクさせてしまう。

 思考と行動が完全にフリーズし、言葉すらも上手く紡げない。羞恥に耐え切れなくなったのか、その隙に彼女達は両隣に潜り込んだ。

 

「ちょっぴり湯冷めしてたから……お兄ちゃんの体、あったかいね」

「うん……いい臭い……兄さまぁ……」

 

 右の腕を枕にしたユーフォリアの囁きに答えて、左の腕を枕にしたアイオネアが鍛え上げられた胸板に擦り寄ってくる。

 その姿はまるで、気まぐれな子猫と忠実な子犬を思わせた。

 

「……ふぐ、ど、どこでそんな服を手に入れたんだ」

「えっとね、前に『魔法の世界』でデートした時にね……あの行商人のお姉さんから渡されたの。これを着てから彼氏の布団に潜り込みなさい、その後の事は……お兄ちゃんに教えて貰いなさい、って」

「その……わたしのは根源力で作り出しました……」

 

 何が、とは言わないが……堪らず、硬直してしまった。

 今までもよくこうして触れ合ってきたものの……これ程までに直接的なものは無かったのだから。

 

――何ですかこれ、どんな状況? いや、嬉しいんだけど……これは……手を出していいって事なのか?

 

 ふらふらと彷徨わせる掌。正直、明日の事もあり……気分は昂ぶっている。

 『OK』と言われれば、迷わず手を出してしまう自信があった。

 

「……ごめんね、やりすぎちゃって……本当にごめんね」

「……ごめんなさい、守れなくて……本当にごめんなさい」

 

 その二人が、同じく謝罪の言葉を口にした。それで――浮ついた気持ちなどはすっかりと消え失せてしまった。

 

「……莫迦、気にするなよ。第一、怪我したのもさせたのも俺のせいなんだからな」

「でも……」

「デモもストも無いってな。ほら、早く寝ちまえよ。さもないと、口じゃとても言えないような悪戯しちまうぞ」

「あにゅ〜……」

 

 わしわしと、抱き込むように二つの丸っこい頭を撫でる。

 愛しくて堪らない二つの、魂と心と体。この両手に抱いている事へ、彼らしくもなく『運命』などというモノに感謝したくなった。

 

「あのね……でも……その、ドキドキして、眠れそうにないの」

「ゆーちゃんも……そうなの?」

「だって……寝ながら男の人の腕に抱かれるなんてパパ以外だったら、お兄ちゃんが初めてだもん」

 

 恥じらいから頭の羽根をしんなりとさせたユーフォリアの言葉に、やはり恥じらって処女雪のような柔肌を朱色に染めたアイオネアが答える。

 布団の半紙の上に、『小』の字を描く三人。あっという間に、温室のような温かさが満ちる。

 

「……じゃあ、聞かせてくれるか? あの子守唄……無銘の唄を」

「子守唄って……ママの子守唄?」

「そう、その子守唄……駄目か?」

 

 二人の髪を撫で摩りながら尋ねると、見上げてくるくりくりの四対の瞳が嬉しそうに輝く。

 

「ううん、勿論いいよ……てへへ、実はね……アイちゃんと一緒に特訓してたんだ」

「はい……その、お耳汚しですけど……わたしも唄って、いいですか……?」

「おお、そりゃ楽しみだな……」

 

 促すように、ぽんぽんと頭を軽く叩いてやる。二人は互いに見詰め合い、少しだけはにかんで――……揃って桜色の唇を開く。

 健康的な歯並びとピンク色の舌、アイの方は鋭い龍牙も覗かせて。

 

「「――暖かく、清らかな……母なる再生の光……すべては剣より生まれ、マナへと帰る。どんな暗い道を歩むとしても、精霊光が私たちの足元を照らす」」

 

 美しくも儚く、哀しくも鮮やかな。生命の煌めきを讃える唄。

 

「「清らかな水、暖かな大地、命の炎、闇夜を照らす月……すべてが私たちを導きますよう」」

 

 その無銘の生命讃歌を、風の鳴る音か波の寄せる音のような歌声を寝物語に。

 

「「総ては再生の剣より生まれ、マナへと帰る。マナが、私たちを導きますよう……」」

 

 生まれて初めて、眠るという行為を惜しみながら……意識を瞼の裏の『(アカシャ)』へ、拡散させていったのだった…………



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誓いを胸に 最後の戦いへ

 静かに闇を追いやりながら、朝陽が昇っていく。夜明け前の瑠璃色に染まる天球に対し、曙光に白む山々は息詰まる程の濃緑色。

新しい朝、新たな転輪。そして……もしも彼等が創造神に敗れれば、二度と来ない『今日』という日の幕が上がる。

 

「……ん……」

 

 覚醒した意識が最初に見た情景は、幸福そうに寝息を立てる少女達の寝顔。あまりに無防備過ぎて、悪戯してやろうという衝動すらも湧かないくらいの。

 代わりに……半身を起こして両手でそれぞれの髪質に合わせて優しく梳ずり、覚醒を促す。

 

「ん……うに……」

「んぅ〜……」

 

 ぼんやりと開かれた、眠たそうな瞼。焦点が合わずに彷徨う二対の瞳が、やがてこちらを見詰めて。

 

「……お兄ちゃぁ〜ん……だっこぉ〜」

「……兄さまぁ〜……だっこぉ〜」

 

 さながら、華の蕾が綻ぶように。満面の喜色に染めながら、甘えた口調で二人が抱き着いてくる。

 薄絹一枚の彼女達は、月の下では妖艶で……日の光の下では神々しい。相反する二つが混在する、本当に魅力的な少女達だ。

 

「おっとっと……甘えん坊だなぁ、全く……」

 

 その二人の、ミルクみたいな甘い体臭が鼻腔に満ちて、肉体的にも精神的にも湯たんぽを抱いているかのようにほんわかした。

 

「ほらほら二人とも、早く起っきして着替えちまえ。他の男……いや、例え女にだってお前達のこんな姿は見せたくないからな」

「「ふぁ〜い……」」

 

 と、返事をしたはいいものの。結局、むぎゅーっとしがみついたまま離れてくれない。

 頬っぺたとか二の腕とか、胸とか太股とか。柔らかい色んな部位が押し付けられて、嫌が上にも女性を意識させられてしまう。

 

――可愛いなぁ、もう……朝っぱらからこんなにも熱烈大歓迎だと、俺の愚息の方がもう一段階起っきしちまうぜ……

 

「……なーんて事は一切思ってないので、取り敢えず落ち着きませう。各々がた」

【「「……ふん】」」

「「「やれやれ……」」」

 

 周囲から向けられる【悠久】及び青の存在、光の求め。アイオネアの臣下達の殺意と呆れの眼差しとをそう制して、未だ微睡む二人を起こした後にテキパキと自分の服を着込んでいく。

 二人も渋々ながら着替えを開始し、突然服を脱ぎ始めたので慌てて後ろを向いて。

 

「やべぇな……もう大分いい時間だ……会長に叱られるちまう」

 

 因みに、本当は日の出までには起きておくつもりだった。それを寝過ごしてしまったのは……昨夜の出来事の驚きの余り、目覚ましをかけ忘れてしまった為だ。

 黒いクワンを穿いて、越南(ベトナム)の郷土服のアオザイ風の武術服に袖を通して、臣下達の還った五挺拳銃を点検して専用ガンベルトのホルスターにマウントして腰へと装備する。次に、精神を集中して透徹城内の"真世界(アタラクシア)"を確認し……滞り無く戦争の準備が済んだ事を確認した。

 

「策は講じた準備は済んだ、後は仕上げを御覧じろ……か」

 

 調子外れに歌うように呟きながら聖銀(ミスリル)製の脚甲を履いて、同じく聖銀製の篭手を嵌めて。最後に二つのお守りを護るように服の中に仕舞い込み、その温かさを抱きしめるかのように……愛用の『零元の聖外套』を羽織った。

 

「あふ……お兄ちゃん、着替え終わったよぉ……」

 

 との、ユーフォリアの声に振り向けばいつもの戦闘装束。

 

「ユーフィー、突然なんだけど……これからブルマかスパッツを穿く予定は無いか」

「んに? 無いけど……」

「……そうか」

 

 いつもながら見事にパンチラしている、ミニオンが纏う戦闘装束に妙に似ている戦闘装束を着た彼女の姿があった。

 

――この恰好も、アレだよなぁ……少しは考えて貰わないと。俺って案外、独占欲強かったんだな……

 

「おっと……リボンが曲がってるぞユーフィー……ほら、動くなよ……」

「うにゅ〜……」

 

 こっくりこっくり船を漕いでいるユーフォリアの首許に手を伸ばし、ちょっと興奮したりしつつ一度解いてしまう。

 それから歪んだ襟を正してから、リボンを通してきゅっと絞って……タイツを穿こうとしてバランスを崩したアイオネアを後ろから抱くように支えてやって。

 

「出来上がり……っと。さあ、顔を洗いに洗面所行くぞ」

 

 両腕に縋り付く二人を伴い、国語の教科書に載っている……いきなりのっけから激怒する、走る青年のように愚図めいていたかったが……本当に最後になるこの部屋を後にして、廊下に歩み出た時だった。

 

「あら……兄上さま」

「ん……? ああ、どうしたんだよ、イルカナ……」

 

 との呼び声に振り向けば――少し低い位置に黒髪。見た目だけなら市松人形みたいに可愛らしい少女が……

 

「あらあら……昨夜は随分とご発奮なさったんですね。ユーちゃんとアイちゃんが腰砕けの、メロメロじゃないですか」

「起きたばかりだからですーだ、妙な事を言うなっての……俺はまだ手を出してませんー」

「つまり将来的には手を出すって事だろ? ちくしょーめ、頼むからどっちか譲ってくれって! 或いはイルカナちゃんで良し!」

「「お断りします」」

 

 大事な事だからもう一度言うが、『見た目だけなら』可愛らしい、なまじ頭が良いだけに本質的にはナルカナより恐ろしい存在であるイルカナの姿と、その隣に立っている森信助(せっそうなし)

 

「……阿川。久しぶりだな」

 

 そのイルカナと信助の陰に隠れるように立っていた少女……美里の姿を認める。まだ恐怖が先立つのだろう。彼女は怯えた表情と共に身を強張らせた。

 

「……阿川さん、渡すもの、有るんでしょう?」

 

 反応が無く、つい互いに沈黙してしまう。それに業を煮やしたのか、イルカナが美里を前に出す。

 

「う、うん……その、これ」

「これは……わざわざ悪いな」

 

 その美里が差し出した物……一冊のアルバムを手に取る。

 この前の卒業式の後に撮られた、黒板の前で一列に並んだ記念写真を表紙にした卒業アルバムを。

 

「なんてーか、こういう奴は俺には似合わねぇんだがな」

 

――まぁ実のところは……貰っても困るんだけどな。こういういずれ消えちまう追憶の品は……個人的な感傷って奴は、持ってると……色々辛い。

 

 そんな、痛みを伴う心の温もり。それでもなお……その傷を投げ出すような真似はしない。

 それは、己の心魂を磨く為のモノなのだから。

 

「……えっと、そ、そうね。ところで少し見ない内に立派な節操無しになったわね。ハーレム王にでも成る気?」

「はっはっは、そんなまさか……俺はもっと堅実だぜ? 王なんていう夢物語じゃなくて……ハーレム地頭に、俺は成る! 差し当たってまだ枠が余ってるけど、どうだ」

「志が高いんだか低いんだかね……仕方ないわね、このあたしが箔を付けてあげるわ」

「では兄上さま、私は愛人枠で」

「マジでか、やったね! 同級生と愛人枠を纏めてゲーット! 妹枠にはアイが、下級生枠にユーフィーが居るから……理想のハーレムまではあと、姉枠と上級生枠と教師枠を残…すいません冗句(ジョーク)ですユーフォリアさんアイオネアさん。男として生まれたからには一度、言ってみたかっただけなんです」

 

 久しく聞いた彼女のそんな軽口につい嬉しくなって、要らない事を口走る。その軽口に、彼女もノリ良く返した。

 因みに……不機嫌そうな両手の姫君から両腕を拘束された状態で、両の頸動脈付近に【悠久】の刃先と【是我】の銃口が押し付けられたりしていた。

 

「全く……巽って西洋風の顔立ちで(もと)は良いのに、そうやって判りにくい優しさだからモテないのよね。そうやってお道化ながらでしか人を元気付けられない癖を治したら、モテたと思うのに」

「美術室の彫刻を見てたらたまに、巽の親戚みたいな奴居るしな」

「放っとけっての。莫迦言うなよ、これが俺なの。そりゃあまぁ、どちらかって言えば積極的にモテたいけど……俺はこれ"が"、良いんだよ」

「出たな、巽節。お前は年中恋をしてる、下町の瘋癲の人かよ」

 

 そう、いつも通りの返し。達観と諦観の両方にとれる、その思想。その抱く二律背反、その矛盾こそ(プラス)でも(マイナス)でもない(ゼロ)という証明。彼が、"零位の代行者"たる由縁だった。

 

「さて……じゃあ、俺達は行くわ。もう皆集まってるみたいだしな」

 

 窓から見える光景、既に校庭へと集まっている他の神剣士達と出雲の上層部。

 これ以上待たせると何か痛い目を見そうだと、本能的に悟った。

 

「巽――」

「空――」

 

 だから、一切振り返る事無く。追い縋ろうとした声すらも、風のように振り切って。

 名残をも残さぬ、正に一陣の風となり。

 

「じゃあな――もう、二度と会う事もないけど、元気でやれよ」

 

 両手のユーフォリアとアイオネアに加えて、勝手に背に負ぶさったイルカナを伴って――窓から校庭へ、一直線に跳躍したのだった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 展開していた、短距離型で小回りの効くタイプのウィングハイロゥを光輪に戻しながら、膝を曲げてアブソーバーのように着地の衝撃を殺す。

 

「よっと……待たせて済みませんね、皆さん」

 

 当然だが、この派手な登場方法だ。立ち上がるのと同時に、注目が集まる。

 

「……重役出勤に加えて同伴出勤? 良いゴミ分ねぇ、空さん」

「ゴミ分って、おかーさま……その言い方はあんまりかと」

「うーっ……!」

「綺羅に至っては唸ってるし……」

 

 主に……突き刺さるみたいな、呆れ混じりの冷ややかな視線が。

 なので、さっさと両手と首っ玉にしがみついている三人娘を降ろす。そして軽くなった躯をコキコキと鳴らした、その時だった。

 

「そうか、そうだな。それじゃあ……」

 

 と、何やら望やソルラスカ達が話し合っていたのだが……やおら、望が【黎明】を抜いて天に向けて掲げたのである。

 

「お、そう来たか。それじゃ、私もさっそく」

「うん、わたしも」

 

 それに倣って、沙月と希美が彼の両脇で剣状にした【光輝】と矛型の【清浄】を掲げる。

 その行動は更に伝播して、校庭に居並ぶ面々は、一部を除いて……皆が一様に己の永遠神剣を誇らしげに天に掲げていた。

 

「……へへ、やっぱり燃えてくるぜ」

「熱血バカ」

「……とか言いつつ、あんたも掲げてるじゃあない」

「こ、これは、その……」

 

 爪型神剣【荒神】を掲げて呟いたソルラスカに、薙刀型の【疾風】を掲げたタリアが苦言を呈した所に、角灯に燈る炎型の【癒合】を掲げているヤツィータのツッコミが入る。

 

「はは。まぁ、いいじゃないですか」

「ええ、私達の決起に相応しいポーズだと思いますよ」

「うむ、心構えは大事だからの」

 

 それを窘めたのは弓型の【蒼穹】を掲げるスバル。同意したのは、片刃の大剣【心神】を掲げているカティマとモーニングスター型の【無垢】を掲げたナーヤ。

 それをニヒルな笑顔で、抜刀した日本刀型の【暁天】を掲げた絶と本型の【慧眼】を掲げたサレスが肯定する。

 

「あ〜あ、ボクにも武器があればなぁ……」

「何言ってるのよ。それなら、あたしもよ」

 

 そして永遠神剣が靴型の【揺籃】なので掲げられない事をぼやいたルプトナと、『意思』に過ぎないナルカナは揃って手を掲げている状態だ。

 確かに逆に浮いてしまっていて、元々ノリのいい彼女ら二人にしてみれば不本意なのだろう。

 

「なんだか、エルダノームを護っていた頃を思い出します」

「確かに、な……まぁ、あの時とは違って周りは味方だらけだが」

「その言い方だと、まるで私達が頼りなかったみたいです」

「そうですよ、ルゥ姉さん」

「ボクも燃えてきたぞーっ!」

「おうよ、今度は時間樹の未来を賭けた大一番だ!」

 

 懐かしむように杖型の【皓白】を掲げたミゥに、大剣型の【夢氷】を掲げたルゥ。刀型の【夜魄】を掲げたゼゥが不本意そうに呟き、矛槍型の【嵐翠】を掲げたポゥがそれを肯定する。

 そして、円刃鋸型神剣【剣花】を掲げたワゥと双刀型の永遠神剣【竜翔】を掲げたクリフォードが元気一杯に叫んだ。

 

「正直、趣味じゃないんだけどね。こういうのは」

「ふむ……我等には向かん」

「あはは。まぁ、こういうのは、ノリと勢いだと思いますし……ね、お兄ちゃん」

「へいへい……仕方ねぇな、アイ、フォルロワ」

「はい、兄さま……」

「な、何故我まで……」

 

 あまり乗り気でない様子で腕輪型の【雷火】を掲げるエヴォリアに、大薙刀型神剣【重圧】を掲げたベルバルザード。

 杖とも大剣とも槍ともとれる神剣【悠久】を掲げたユーフォリアに促されて、その隣でアイオネアが還った長剣小銃型永遠神銃【真如】をスピンローディングしながら――巨刃剣型永遠神剣【聖威】と共に高く高く、天に掲げた。

 

「では、望。頼むぞ」

「ああ」

 

 サレスに促されてふぅ、と緊張の溜息を漏らした望。そして彼は、心を決めたらしく顔を上げた。

 

「俺達は必ず勝利し、全員生きて戻って来るぞ!それが……この戦いの終着点なんだから!」

 

 どこまでも高らかに響く彼の声を呼び水に、次々と周囲の"家族達"が鬨の声を上げる。

 

「これが、最後の戦いだ」

「これで終わらせる! 必ず勝つわよっ!」

「勝って、ここに戻ってこようね!」

 

 サレスが、ナルカナが、ルプトナが。

 

「あたし達は希望そのもの!」

「この手で、必ず世界を救ってみせる!」

「決して負けはしないわ」

「創造神がなんぼのもんだ!」

 

 ヤツィータが、スバルが、タリアが、ソルラスカが。

 

「わらわ達には、この誓いがある!」

「信じてくれる皆さんがいますっ!」

「今こそ、その意志を確かにしよう」

「この手で、勝利を!」

 

 ナーヤが、ユーフォリアが、絶が、カティマが。

 

「仕方ないわね、ここまで来たら最後までやってやるわ!」

「然り、我等の命運は我等で斬り開く!」

「守りきって見せます、皆を!」

「戦い抜くとも、必ず!」

「勝利を得る、その時まで!」

「この命の続く限り!」

「ボク達は死んでも諦めない!」

 

 エヴォリアが、ベルバルザードが、ミゥが、ルゥが、ゼゥが、ポゥが、ワゥが。

 

「皆の為にっ!」

「世界の為にっ!」

 

 沙月が、希美が。宣言するように声を上げて。

 

「そして、俺達自身の為に!!」

 

 締めに、望が声を張り上げて――……皆が揃って、最後に残った一人。最後まで口を開いていなかった人物の方を向いた。

 

「…………」

 

――いやいやいやいや、おかしいだろ!今、確実に望が締め括っただろ!

 おいおい、これに一体どうやって言葉を繋げりゃ良いんだっての。ちょ、やべぇぞコレ……黙ってたら黙ってただけ、際限無くハードル上がるタイプだコレ。早く何か、言っちまわねぇと……!

 

「えっと……その、今度の敵は限りなく強大で……勝ち目は薄いけど」

 

 ごくり、と。喋る方なのに思わず、固唾を飲む。やたらと緊張してしまい、喉がカラッカラに渇いてしまっているのだ。

 

「ここまで来たら、もうやる事は決まってる――」

 

 そして――……ふわりと隣に立っていたユーフォリアが身を寄せて、左手に握る『永遠神銃』を通してアイオネアの優しさが流れてきたのを感じた時……その二人が、己の言葉を待っていると判った時。

 

「……まぁ、そこまで気張らずにいつも通り、俺達は俺達らしく……一歩一歩、ゆっくり歩くように……一つ一つ、思い出を刻んで……」

 

 一切の格好つけを捨て去って。『真如(ありのままのすがた)』、ふてぶてしく面倒臭そうな口調で以って。

 

「――今日もまた、明日(おわり)朝日(つづき)を見に行こうぜ」

 

 その、彼の能力の根幹を口にする。終わりをこそ始まりに還す、彼の永遠神剣の本質を。

全員の永遠神剣が打ち鳴らされる甲高い(おと)と同時に、全員が神剣を納めて各々の組ごとに歩み出す。

 

 交わされる言葉はない、皆が皆を信じているのだから……野暮ったい言葉など、入る余地はない。

 

 始まりは、聖なる神名(オリハルコン=ネーム)の廻りの下に出逢った彼等。しかし、今はその神名すら上回る"絆"を魂に刻んだ彼等は……"家族"。

 

「……良い家族に、恵まれましたね。空……」

 

 そんな時深の言葉が、誰も居なくなった校庭の薄明かりへと溶けていった――……

 

 

………………

…………

……

 

 

 分枝世界の狭間、大樹の枝葉が入り乱れるその空間で。

 荒れ狂う次元振動をモノともせず、その分枝そのものの上を歩く……短い杖を持った、白い少女。

 

「さて……確か、ここでしたわね」

 

 口ずさむや、右手に持つ杖を振り上げる。

 

 幼過ぎる見た目とは裏腹に邪悪なイントネーションと、その笑顔。それも然り、彼女の二つ名は――

 

「――あら……今回は一体、どんな小細工をするつもりなんですか? "法皇テムオリン"」

 

 虚空より響く、女の声。それに、彼女は溜息混じりで。

 

「また、トキミさん? はあ……本当に飽きましたわ」

 

 いつの間にか背後に立っていた、"時詠のトキミ"の名を呼んだ。

 

「『また』とは、ご挨拶ですね。今回は『待っていた』くせに」

「あら……やはり、お分かりになりますの?親しい仲では、隠し事はできませんのね」

「何が目的なんです? 今回は――貴女がてぐすねを引いてはいないと思っていたんですけど」

「ええ、わたくしは傍観者ですわ。ただし……より面白くなるように、勝手に手を加えているだけの」

「最低ですね、自分のエゴで物語を書き換えようとする観客なんて。部外者は部外者らしくすっこんでいたらどうですか? それとも、神様気取りですか?」

「あら、申し訳ありませんけど……わたくし、神なんてしょうもないものじゃなくて身勝手な人間なんですの」

 

 これも『以心伝心』だろうか。紡ぐ言葉とは裏腹に、あからさまに不仲を象徴する二人の会話。

 話す毎に、空間が軋むかのようなストレスが溜まっていく。

 

「それにわたくしは――古い掛け取りを受け取りに来ただけですわ。前回の"聖賢者"の意趣返しに、トキミさんの秘蔵っ子"天つ空風"を受け取りに、ね」

「貴女、男の趣味が最悪ですよ。あの子ったらどこでどう育て方を間違ってしまったのか、正々堂々と二股を掛けるようなダメンズに育ってしまいましたから」

「あら、それはますます魅力的な殿方ですわね。男なら自分から女を口説き落とすくらいの甲斐性がありませんと。女に言わせるとか女を待たせるとか、そういうのは最低ですもの」

「あら、その点は全く同感ですね。自分から告白も出来ないようなヘタレがモテるのなんて、虚構の世界でだけ。女は、待たせる男が大嫌いですからね」

 

 微笑み合う幼女と巫女。ただし、そこにあるのは――純然たる敵意のみ。

 

「――ふふ、それにしてもお疲れ様でした。あの風の坊やを育てて頂いて…実に手間が省けました」

「……貴女を喜ばせるつもりなんてありませんけど」

「いえいえ……あんな『失敗作』をエターナルに。しかも、『統べし聖剣』に匹敵する程のエターナルにしてくれるなんて……嬉しい誤算という奴ですわ」

「――『失敗作』、ですって」

 

 刹那、軋みが限界を超える。時深の怒りに満ちた眼差しを受けて、"法皇テムオリン"は――……妖艶な笑顔を向ける。

 

「ええ、興味が沸いたのですわ。"聖賢者"と"永遠"が交わり"悠久"を産んだように……エターナルの血を継ぐ者は、上位の永遠神剣を……同調率を高く持って生まれるのではないか、と。まあ、失敗だったのですけれど」

「――貴女……!」

 

 全てを理解した一瞬、時深の集中が途切れる。そしてテムオリンは、その一瞬を逃すような甘い存在ではない。

 

「わたくしからあなたがたに贈るもの。絶対的な破壊だけですわ。覚悟なさい!」

 

 招聘された、幾つもの――確かな神格を有する、第五位から第三位の永遠神剣そのもの。

 それが、雨霰のように――

 

「っ……しまった!」

 

 時間樹の枝葉に向けて、叩き込まれたのだった――――



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根源回廊 原初の地へと Ⅰ

 激震に見舞われた揚陸艦の艦橋(ブリッジ)で、操舵席を兼ねる艦長席――未来の世界らしく、椅子の肘掛けの先に付いた球体状の舵を操っていたアキが、舌打ちしながら何とか船体を立て直す。

 だが、時既に遅く分枝の外……次元振動を続ける分枝世界間に飛び出してしまっていた。

 

「チッ――クソッタレ、AI(アーティ)! 何だ今の衝撃は!」

『現在確認中です……分析終了、分枝の崩壊に依るものと断定。モニターを復旧します』

 

 女声のAIの声の後に目の前の空間に光が現れ、個人用のホログラフモニターが復旧して外の景色を映し出す。

 そこに映し出されたのは、崩れ落ちていく時間樹の枝葉。崩れ落ちる、世界の終末の姿だった。

 

「崩壊が加速したってのか? 前兆も無しに……」

 

 一体、どれだけの命があそこに息衝いていたのか。それを考えただけで、新たな怒りが沸いてくる。あの創造神を、絶対に許すな、と――ホログラフのモニターを睨み付けて。

 

「――フガッ!?」

 

 そのモニターを突き抜けてきた、黒いポニーテールに顔面を直撃された。勿論、椅子に座った衝撃の逃げ場がない状態で。

 

「うきゅ~……痛いよ~、じっちゃ~ん……」

「俺の方が痛いわァァァッ! だから座ってろって言っただろ!」

 

 手製の舵輪を持って操舵している気分を味わい、艦橋の最前で騒いでいたルプトナの頭突きを受けたアキががなる。

 

「ええい、おぬしら騒ぐでないわ! 集中できぬだろうが!」

 

 その脇、火器管制席に着いているナーヤが崩壊する分枝の破片をピックアップ。アキの改良により搭載された、抗体兵器の『地ヲ祓ウ』の赤いレーザーや『空ヲ屠ル』の追尾弾で迎撃する。

 その間も次元振動により船体が軋むが、『峻厳ナル障壁』で崩壊は免れている。気を取り直して進路を探り、観測席のサレスが示す破片の少ないルートを算出しながら進み――

 

「前方、来るぞ! でかいな……回避不能!」

「了解、代表……主砲、開け!」

「よし、主砲用意じゃ!」

 

 『艦長』であるアキの使用許可に応え、ナーヤがコンソールから突き出てきたトリガーを番える。それに答えるように、艦首の装甲が開いて大型砲が現れた。

 

「主砲……てェェェェェッ!」

 

 トリガーが引かれる。放たれるのは、抗体兵器の最大技である『天ヲ穿ツ』。世界一つを滅ぼしうるという、極太の赤黒い閃光は――大陸と思しき分枝の破片を両断して活路を開いた。

 それにより、再び分枝世界に入る事に成功した。

 

「ふう……ヘビーなサーフボードだったな」

「お、おう……少し酔っちまった」

「右に同じ……」

 

 安定した空間に入った事で、操舵をAIに任せたアキが軽口を叩く。答えたソルラスカとタリアは、共に口を押さえている。

 

「こうしてみると、ものべーって凄い神獣だったんだな……空達が三人でやってる事を、一匹でやってたんだから」

「ふふ、ちょっとは見直した、望ちゃん?」

 

 等と、望と希美が会話したりもしている。艦橋には一同が介しており、次元振動する分枝世界間を避けて、根源まで直接移動する為に理想幹をめざしている。

 策戦としては、そこで二手に別れる予定となっている。

 

「ふにぃ……びっくりしたぁ」

「ハハ、いや全くだぜ。けど、心外だな……俺の操舵が不安だったのか?」

 

 と、自分の席を離れたユーフォリアがアキの膝の上に座る。球体のコンソールから手を離し、びしょ濡れの掌を自らの服で拭うと、その蒼穹色の髪を手櫛で梳る。

 別行動と分かってから、まるで充電でもするように引っ付いてくるその少女。アイオネアもその点で理解を示しているのか、羨ましそうな思念こそ伝えてくるものの、化身化したりはしない。

 

「むぅ、だってお兄ちゃん、スピード狂だから」

「ふむ、それは否定できないな……何故なら俺は、文字通り世界を縮める男だからな」

「『物理的な加速度じゃなくて概念の達成度だから』でしょ? もう……お兄ちゃんは少し、足元を見るようにした方がいいよ?」

 

 プリプリと頬っぺたを膨らませながら、有り難い言葉をくれる最愛の少女。おべっかや令色の無い、等価に在るからこその、正しく金言。

 そんなパートナーを得た、己の幸運に。柄にもなく感謝してみたりして。

 

「クー君、医務室のベッドなら空いてるわよ?」

「余計なお世話ですよ、姐さん……」

 

 ニヤニヤ笑うヤツィータの言葉に、琥珀色のジト目で。

 

「今からだと、三回くらいしかできないッしょ?」

「何の話だ、何の! 全く、どうしてこう、最近の人間どもは人前でイチャイチャと……」

「カリカリすんなよ、嫉妬か?」

「馬鹿を言え……ただ、どうも……思い出してしまう奴ばらが居るだけだ」

「な、なんですか、フォルロワさん?」

 

 やはり巫山戯て、化身化したフォルロワの【聖威】による突っ込みを受けた。

 それを白刃取りで受け止めると自然、フォルロワはユーフォリアと真正面に見詰め合う事となり――

 

「娘……昔、何処かで会った事はなかったか?」

「い、いえ……ありませんけど」

 

 頻りに首を捻りながら、そんな事を言ったのだった。

 

………………

…………

……

 

 

 漆黒の空間に浮かぶ、マナの海。そこに存在する、立方体を組み合わせた僅かな足場と、絡み付く大樹の根元。

 そこに布陣する、エト=カ=リファの軍勢。五色のエターナルアバター達は、来るべき敵の襲来に備えてそれぞれの永遠神剣を構え――。

 

「遅ェな――全く、蝿が止まって見えるぜ」

 

 その先頭の白を左手の【真如】の『ゲイル』にて斬り伏せ、最速の男が口遊(くちずさ)む。嘲笑を、重厚な声に孕ませて。

 

「疾く駆けろ、灼熱のマナ……」

 

 即応して、赤魔法『ライトニングファイア』を唱えたのは――赤のエターナルアバター。彼女は右腕に双刃剣を担って、徒手の左腕を突き出して……精霊へ祝詞を捧げる呪術師(シャーマン)のように、言霊を紡ぐ。

 それに呼応し、赤い精霊光の花が咲く。さながら、死に逝く者への手向けのように。

 

【――アクセス。この地に漂うマナよ、我が元に集え】

 

 その言霊が紡ぎ終わる前に、右手の【聖威】が言霊を発する。赤のマナによって形作られる筈の槍は、()()()()()()()()()()()()()()()、アバターの支配を離れて虚空に霧散した。

 

「一閃、護身の剣――虎破の型!」

 

 そして紡がれた、死の宣告。巨刃剣に纏わり付くオーラフォトンが神速を以って、赤のアバターの(マナ)を薙ぎ払う。

 そこに、青いエターナルアバターが地を蹴って飛翔する。

 

「この剣がもたらす……」

 

 凍えた西洋剣が、【聖威】を振り抜いた姿勢の青年に迫る。その間の空気すら、凍結させながら。

 

「――不可避の、死を」

 

 振り抜かれた一撃、凍えた衝撃波『フューリー』が草と地を凍らせながら駆けて――斬り裂いた。

 

「――?!」

「ヒュウ、危ねぇなぁ。最速じゃなきゃ死んでたぜ」

 

 青のアバターの西洋剣が、『虚空の型』を振るったアキの【聖威】によって。それを振るったアバターごと。

 

 更に、右翼側のアバターが音速を越える速さで投擲した槍により串刺しにされて……至近距離で迫撃砲でも受けたような大穴が、()()()穿つ。

 緑のマナにより、音速を越えた投擲『ソニックイクシード』を行った緑のエターナルアバターが、無感動な瞳を上げた。

 

「邪魔だ……どけェェェッ!」

 

 そして、その眉間に突き付けられた【真如】の『ペネトレイト』により頭を吹き飛ばされて。

 

「――さて、本番だ。いくぞてめぇら!」

【【【【【――――承知!】】】】】

 

 それにより空いた空間に着地したアキは、【真如】と【聖威】を仕舞って腰の五挺に手を掛ける。

 先ず抜かれたのは、凍結片『遠雷』を使用した蒼いコルトパイソン【連理】、その放つ『アイスブレス』。マナを奪う氷の射撃に緑の『アキュレイトブロック』が粉砕され、更に凍結片『焔英』を使用した紅いデザートイーグル【比翼】の『ファイアブレス』が緑を消滅させた。

 

「黒い月――見せてあげるよ」

「悪いな――また今度頼むわ」

 

 そこに『星火燎原の太刀』で斬りかかった黒の神剣を凍結片『再緑』を使用したトーラス・レイジングブル【海内】の『ネイチャーブレス』が打ち砕く。

 そして、凍結片『聖威』と『運命』を使用した【天涯】と【地角】。その『フォトンブレス』と『ダークブレス』に――黒は原型すら残さずに消え去った。

 

 敵を全滅させ、拠点を確保した『根源回廊第一階層・ハマラ階層』。その風景に、思わず神世の記憶が甦る。

 

「懐かしい、な……」

 

 そう思うのも、()もありなん。この場所こそは時間樹エト=カ=リファの始まった場所、この時間樹で産まれた者達の起源。受け継がれる記憶にあるアキを始め、居はしないが物部学園の連中を連れてきたとしても同じ感慨を抱いた筈。

 その時、通信機代わりにアキに随伴するイルカナが現れた。

 

「兄上さま、お姉ちゃん達が『星天根』に到着したそうです」

「そうか……流石はものべーだぜ、速いな」

 

 隣に立った人影達も、同じ。ものべーで『最深層・星天根』に直接向かった望班を除く、ソルラスカを筆頭にした『創造神の軍勢との対決』を任務とした空班一行は、ハマラ階層に降り立つ。

 そして、その眼前に――

 

「――こりゃあ、また」

「壮観ってレベルを越えてるわね……」

 

 苦笑混じりに呟いたのは、ソルラスカ。ヤツィータもその隣で溜め息を吐き、スバルとタリアは気を引き締め直すように表情を固くして。

 

「――なぁに、この程度。スールードの悪魔どもに比べりゃあ少ない位だぜ」

「その代わり、強さは悪魔とは比較にならないわよ、クリフォード」

 

 場を和ませようとしたのか、軽口を叩いたクリフォードをミゥが窘める。ルゥやゼゥ、ポゥ、ワゥまでもが同じように彼を見遣った為、流石のクリフォードも肩を竦めた。

 

「ベルバ……折角拾った私達の命、今ここで燃やし尽くしましょう」

「承知――久方ぶりに本気が出せそうだな」

 

 見た目は、あっけらかんと。しかしその実、悲愴なまでの決意と共に。エヴォリアとベルバルザードは――階層に犇めくエターナルアバターを睨み付けた。

 

「おい、フォルロワ……どこが減ってンだよ?」

【や、喧しい……我にも思い違う事くらいはある……】

 

 仕方なさそうに、担いでいた【聖威】に声を掛ければ、そんな思念が返ってきた。

 そんな中、慌てて取り繕うような【真如】からの思念が流れ込んでくる。

 

【で、ですけど……『星天のエト=カ=リファ』と『原初存在・激烈なる力』、『原初存在・絶対なる戒』は見当たりません……きっと、第三階層『サラワ階層』の巨大なマナがそうだと思います】

「サンキュ、アイ……やれやれ、第二(ヒヌリ)階層辺りに居てくれりゃあ良いもんを。これで、かなり急がなくちゃいけなくなったな」

 

 第三階層は、最深層の真上だ。急いでエト=カ=リファを倒さねば、望班を危険に曝す羽目になる。

 だからこそ、家族達の助力は不可欠であり――

 

「立ち止まらずに駆け抜ける。落伍は棄てていく。それが、誰でも」

 

 故に、この力みは必要。より早く、より高く跳ぶ為には。

 一様に表情を強張らせた、空班。そんな彼らに――

 

「なぁ、お前ら――――悪いんだけどよ、俺にお前らの命……くれ」

 

 最前(いやさき)に立ち、マナの風を浴びながら。腕を通していない外套の袖を翼のように翻らせて、八咫鴉が振り向く。

 琥珀色の龍瞳を決意に染め、金の髪を靡かせながら。日本神話に残る、勝利をもたらす神鴉が。

 

「……へっ、馬鹿言いやがらァ」

「全くね」

「そうですよ、巽くん」

「あたし達を試すなんて、十年早いわ」

 

 ソルラスカが、タリアが、スバルが、ヤツィータが。

 

「だな、あんまり舐めるなよ」

「はい、聞かれるまでもありません」

「そうとも。答えなど……」

「とうの昔に決まってるわよ」

「そうそう、アッキーはバカだな~」

 

 クリフォードが、ミゥが、ルゥが、ゼゥが、ポゥが、ワゥが。

 

「ふふ、ここに来てる以上はね」

「うむ……元より、だ」

 

 エヴォリアが、ベルバルザードが。一斉に相好を崩し――――――――

 

「「「「「「「「「「「――――――――生きて帰るから、無理!」」」」」」」」」」」

 

 声を揃えて神剣を構え、殺到するエターナルアバターに向けた閧の声としてぶつけ――

 

「ハハ――――やっぱりてめぇら」

 

 アキは笑いながら振り返り、鼻先まで迫ったエターナルアバターへと――――臨界まで回転速度を上げた永遠神銃(ヴァジュラ)【真如】の鬩ぎ合う真空の断層『ゼロディバイド』により、先頭の一群を表現不能の未定義へと還していく。

 更に、オーラフォトンを纏う【聖威】が残ったアバターを両断する。

 

「最ッ高のクソッタレどもだぜ――――!」

 

 実に嬉しそうなアキの咆哮と共に、狼煙が上がる。百にも及ぼうかという敵を前に、十一人の戦いの幕が。

 



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根源回廊 原初の地へと Ⅱ

 降り注いだ数十の散弾(スプレッド)ミサイルと、それにより掻き乱されたマナの吹き荒ぶ根源回廊に整然と居並ぶ、色とりどりのエターナルアバターとハイミニオンの変化した黒獣。その後方に聳えるは二体の巨兵、この時間樹エト=カ=リファにて本来定められていた破戒神である大猩々『原初存在・激烈なる力』と、戒律神である首無しの女巨人『原初存在・絶対なる戒』。

 そして――……この時間樹の創造神の"星天のエト=カ=リファ"が、最後尾にて【星天】を掲げた。

 

 未だ遥か遠く、永遠神剣の加護を無くしては望む事すら適わぬ距離の――小さな集団に向けて。

 

「行け、我が写し身ども――我が箱庭に勝手に殖えた生命(ガン)を……余さず、蹂躙せよ!」

 

 創造神から下された滅びの宣告に、鬨を上げる意志も持たない軍勢が進軍を開始する。数百キロの彼方にあるその小集団、しかし永遠神剣の眷属ならば五分と掛からず踏み躙れよう。

 その第一歩。陣と目的との間に横たわる、遮蔽物など無い、石箱の回廊に踏み出したエターナルアバターと獣。その足が、地面を蹴った――瞬間に、不可視の魔力糸が臑に触れた事に気付いただろうか。

 

「「――……!?」」

 

 その刹那、押し寄せる軍列の各所にて瀑風が上がる。巻き込まれたアバターと獣は噴き付ける高圧の風と水の刃と微小なマナ結晶片によって切り裂かれて、ダメージを負った。

 それも、一体や二体の話ではない。元々が広範囲を対象にしたモノなのだろう、浅く広く目標を殺傷するその罠によって……先陣の進攻速度が遅滞する。

 

「……地雷源、か。姑息な真似を」

 

 腕を組んで、苛立ったように吐き捨てるエト=カ=リファ。それもその筈、今猛威を振るっているのは、この世界では有り得ない文明レベルの兵器なのだ。

 更に言うなら、そんなモノが彼女のエターナルアバターに傷をつけられる筈も無い。

 

「エターナル……いや、永遠神剣の担い手としての矜持すら無いとは……あの野犬めが、最早生かしてはおかぬ」

 

 つまり、ここには――そんなモノを作り出せる能力[しんけん]を持った異物が紛れ込んでいるという事。

 そしてそれは、間違いなく……或る人物の仕業であると確信して。

 

「なんとも忌ま忌ましい、直ぐにその首を切り落としてやろうぞ……"天つ空風のアキ"――――!」

 

 彼方の、恐らくは己と同じ位置に立っているであろう……その永遠者の名を呼んだ。

 

 

………………

…………

……

 

 

 急拵えで作られた、柄の長い傘を幾つも突き立てた陣の中央で腕を組んで立つ……黒い聖外套の青年。瀑風を遥かに望みながら、眉一つ動かしてはいない。

 左肩にショルダースリングで吊り提げられた永遠神銃【真如】と巨刃剣【聖威】は、いつも通りの美しい形状を保っている。

 

「……M18(クレイモア)の起爆を確認。敵軍の進攻速度、約18%低下か」

「見えてるさ、汚ねぇ花火だ」

 

 その青年の真横に、空間に波紋を刻みながら現れた銀の髪の童女。その雲間より差し込む陽光を思わせる銀色のツインテール。

 しかし、フォルロワは今までとはその格好が違っていた。

 

「だが――敵の損害は極めて軽微だ。まぁ、当たり前だが……緑のエターナルアバターが治癒の魔法をかけているようだ。ふん、貴様らしい惨憺たる結果だな」

「一々俺を弄らねーと気が済まねーのかよ」

 

 その、近未来的なバイザー。根源回廊突入時に仕掛けた軌道上の衛星と相互リンクしているバイザーのモニターを眺めて情報を得ているのだろう、頻りに操作している。

 

「それなら、第二段階だ。行くぞ、フォルロワ」

「ふん――偉そうに」

「そりゃオメーだっつーの」

 

 宣言に呼応して、透徹城の城門が開く。現れたのは、艦載砲やミサイルランチャーを模した砲撃戦専用ノル=マーターの銃器。

 それらは魔法陣を銃口に展開しつつ、50センチを越える超弩級砲門や霰弾ミサイルが狙いを定めた。

 

「さてと……今時人海戦術で勝てるとか思ってる時代錯誤のカミサマに、現代戦ってヤツを味合わせてやろうぜ……」

 

 そして最後に、アキが【真如】をスピンローディングした後で構え……三枚のハイロゥを高速回転させ加速器(アクセラレータ)のように使いながら銃口に魔法陣を発生、『オーラフォトンクェーサー』を溜める。

 

「……戦闘陣形(ファランクス)展開――ドラゴンズロアー!」

 

 放たれる、多数の砲撃。龍の咆哮は耳を聾さんばかりの衝撃波と共に、物理的・魔法的に致死の雨霰と化して降り注ぐ――――!

 

 

………………

…………

……

 

 

 そんな激戦区を、少し離れた位置で眺めながら。仁王立ちした男性は満足げに笑う。

 

「見ろ――血沸き肉踊るという奴だ。なあ、お前もそうだろう?」

 

 黒い外套を筋骨隆々の諸肌に直接羽織って、篭手に包まれた左腕を……地面に突き立てた巨大な黒い刃、肉厚な斬首大鉈の柄頭に乗せた右掌に重ねて。

 

「待った甲斐があったというものだな――……久しく、愉しめそうだ。なぁ、【無我】」

 

 その鉈に向けて……語り掛けた。

 

 

………………

…………

……

 

 

 先ずは前方から、続いて背後から響き……最後にまた前方から響いた轟音に、前衛の遊撃隊として配置されているソルラスカ・タリア・ヤツィータ、スバル・エヴォリア・ベルバルザードの二組は右翼と左翼に別れていたものの、同じく息を呑んでいた。

 

「なんて苛烈な攻撃をするのよ……アイツ、地形でも変える気?」

 

 思わず漏れたタリアの呆れ声の中にも、どこか恐れのようなものが含まれていた。

 

「まったくよねぇ……でも、アタシは派手好きだから別に良し」

「おうとも。この風、この肌触りこそ戦場よぉ……」

「アンタ達は……ハァ、真面目にやりなさいよ……!」

 

 それに、ヤツィータとソルラスカは冗句交じりに答えを返す。彼女の緊張を解きほぐす為に。その思惑は見事に的中し、タリアは持ち前の負けん気を発揮を刺激したらしかった。

 

「全てをマナの塵に還すみたいだ……何と言うか、聞いた話では空君は七十年近くも平和な世界の国の生まれだったと思うんですが」

「だから、『戦闘』より『戦争』が上手いんじゃないのかしらね。技術の方は平和ボケした世界じゃ磨けないけど、戦術は平和な世界の方が発達するでしょう?」

「そういえば……以前タツミの奴が『平和は次の戦争の準備期間』と言っていたな」

 

 次いだスバルの呟きに答えたのは、エヴォリアとベルバルザード。

 

「……地上には地雷を敷設して前進を停滞させて、砲撃で頭を抑えて退路を断つ……か。えげつないわ、この後の事も折り込み済みとみていいんでしょうね」

「我等が敵対していた頃は、あの永遠神剣【真如】が無かった為に発揮出来なかった才能だろうが……空恐ろしいものだ。もし始めからあの男が神剣士だったなら今頃、我等が此処に居たかどうか」

「そうね、『光をもたらすもの』にスカウトしてたわ、きっと」

 

 かつては世界を相手取った殺戮者であるその二人だからこそ、その戦術の有効さを見抜く。

 冷徹なまでの表情、それに。

 

「いいえ――それは、有り得ないですよ」

 

 その会話に、静かに割って入ったスバル。彼は、清廉無垢な笑顔でもって。未来の世界での、始めて出会った頃の彼を思い出しながら。

 

「空君は……無力を知ったからこそ、強くなったんです。弱者だった頃から強者を倒す為の研鑽を詰み続けたから……始めから力を持っていたのならば、それこそ……此処に居なかったのは、彼の方だ」

 

 弓を構えて見遣る地平。土埃煙るそこから現れた、地雷源と砲弾の雨をくぐり抜けて来たエターナルアバターと黒獣。

 それに――六人は一斉に、各々の永遠神剣を構えた。

 

「タツミだけにいい恰好はさせてらんないわよね、【疾風】!」

「そうだな……行くぜ【荒神】!」

「さあ……存分に燃え盛りなさい、【癒合】!」

「【雷火】……その眩ゆき光を、今此処に!」

()くぞ【重圧】……その全てを()し砕け!」

「【蒼穹】……出番だよ!」

 

 その二段構えの攻勢から逃れた、『運の良い敵』を打ちのめす為に−−耳に装備しているインカムに向けて……否、心強い"家族"全員に向けて闘志を示した。

 

 

………………

…………

……

 

 

 自身のディフェンススキルである『創世の光』と『創世の影』と、激烈なる力の『激烈なる守り』と絶対なる戒の『絶対なる守り』で砲弾の雨をかい潜ったエト=カ=リファ。

 その加護は鉄壁、三体には掠り傷すらも無い。遥か上空で炸裂して鏃形の小弾頭(ディスペンサー)を撒き散らすスプレッドミサイルは勿論、秒速五キロもの速度を誇る電磁投射砲(リニアレールガン)の徹甲弾さえも弾かれる。

 

「頭を抑えられたか……だがしかし、その程度。やりようは幾らでもある」

 

 未だに、余裕を崩さない彼女。それを象徴するかのように、健在である彼女の軍勢。しかし大分、被弾して動けなくなっている個体も多い。

 そこで彼女の治癒神剣魔法である『命名:命溢れる……』でアバターとミニオンの傷の回復を行おうとして――漸く、戦場に起きている異変に気付いた。

 

「これは……神剣魔法の阻害……か」

 

 発動しない、神剣魔法。否、マナ自体が集まらない。戦場に煙る、土埃と霧に飲み込まれるかのように……己から捻出したマナすらもが消えていく。

 その瞬間、気付く。飽和しているがアバターに迎撃させている砲弾が破壊、若しくは着弾した際に。地雷が爆発した際に――多量の霧を生んでいる事に。

 

「エーテルの霧……まさかこの地雷も砲弾も……全ては魔法を封じる為の布石だったというのか……!」

 

 思い至った一つの結論に、彼女は舌打ちしながら【星天】の刃を地に突き立てる。降り注いだ小弾頭が新たな地雷と化す事によって、尽きる事の無い地雷源を睨みつけて。

 

「――激烈なる力、絶対なる戒……彼奴を、この小賢しい罠ごと葬り去れ!」

 

 そして、掲げた右腕。それに反応したのは−−エト=カ=リファの両脇に控えていた原初神。

 

「――――ルゥオオオオオオ!!!!」

 

 天命を受けて咆哮する激烈なる力と、無言のままに進攻を開始した絶対なる戒。解き放たれた獄炎王の拳が大輪を描きながら業火を纏い地を割れば、戒律神の右腕である絶対零度の黒晶の剣が大気を凍らせる。

 

「この二匹を相手に、どうでる……小僧!」

 

 二体は、仲間であるはずの存在……足元に蔓延(はびこ)るエターナルアバターやハイミニオンすら粉砕しながら、さながら天災の如く。

 ただ一直線にアキが居るであろう、砲撃陣地を目指す――――!

 

 

………………

…………

……

 

 

 ここに来て進撃を開始した、二体のエターナル。第三位【激烈】の激烈なる力は、触れる全てを創造前のエネルギーに還す焔を全身に纏う暴走機関車のように。第三位【戒め】の絶対なる戒は、触れる全てを凍てつかせ縛る絶対零度の凍気を纏う除雪車のように。

 味方ごとこちらの陥穽を消滅させながら、二体の巨神(きょじん)は瞬く間に距離を詰めて来ている。

 

「やっぱネックはアイツらか……」

「力でごり押しするつもり気ですね……如何なされるおつもりですの、兄上さま?」

「ハハ……なんだ? 心配してんのか、イルカナ」

 

 その様子を隣で心配げに見詰めているイルカナに、至って無感動に眺めていたアキは彼女の頭に右手を置いて髪触りを楽しむかのように手櫛で梳ずる。

 

「まぁ、見てろよ小さい方の妹。カミサマにも読み勝つ、お兄様の恰好いいところをよ」

 

 そして左手でスピンローディングした【真如】を地面に突き立てた――瞬間、地面から飛び出した緑のエターナルアバターの神獣、『地嵐のオロ』。攻撃の届かない地中を穿孔する事によって、此処まで潜航して来たのだ。

 つまり、派手に暴れる二体は囮。本命はこちらによる奇襲だ、その後に混乱する陣地に激烈なる力と絶対なる戒が強襲をかけて護りと攻めを瓦解させる腹積もりだった訳だろう。

 

「それで意表を突いたつもりか? ハ――甘ェよ」

 

 それに構う事無く――トリガーを引いた。当然だが、地中に向けて放たれる銃弾。カティマの全体技『紫晶國裂斬』を模倣した激震と共に、大地から緑色のマナが立ち上る。まだ地中に居た他のオロが、消滅した為だ。

 目の前に現れていたオロもまた、三つ又に分かれる口腔から血飛沫を吐いて倒れ込んだ。

 

 その頭を『威霊の錬成具』を纏うアキの脚が踏み付け、右手に握る【聖威】を向ける。

 

「獲物を狩る時には予め……逃げ道を残しといてやるもんだろ? そこを狙う為に、な」

 

 嘲るように、通じる筈も無い言葉を語り聞かせて……突き出される漆黒の刃。それに頭を貫かれて、オロは悲鳴もなく即死した。

 完璧な迄の読み勝ち、神すら手玉に取る悪辣さ。その、死神の如き精神。

 

 外道を以って、正道の暴力を打ち倒す。それこそが――真実の"惡"というものだ。

 

 漢字の生まれた古代中国において、"正義"とは『皇帝の意志を遵守するもの』だったのに対して"悪"とは『皇帝の意志に背くもの』の事だった。

 体制に対する反逆者、皇帝に損を与える者。或いは、武芸に秀でる者へ贈られる畏怖の冠詞。

 

 それを権力者と他の大多数は嫌い、レッテルに変えたのだ。権力に(おもね)り己らの私服を肥やす為に、自分達に利益を与える者を"正義"と褒め讃えて馬鹿な存在を導いて利用し、損益を与える者を"悪"として遠ざけて破滅するように導いた。

 この男はその真意の純粋な体言者。例えそれがこの世を生んだ神であろうと――気に喰わねば、暴力を以って凌駕するのみの悪党だ。安っぽいヒューマニズムなどは、当の昔に振り切っている。

 

「……よし、行くぞ。気ぃ抜くな」

 

 透徹城の中からバイクを取り出しながら、自らの担う達に向けて語り掛ける。

 

【……ふん――貴様こそ、おめおめ負け帰ってきたりしたらどうなるか。分かっているのだろうな】

【むう……フォルロワさん、兄さまは勝ちます。だって、わたしの旦那様なんですから】

【アイオネア……それは理由になっておらん】

 

 それに答えたのは、空位【真如】の娘。その言葉に、笑いかける。

 

「たりめーだ、なに、楽なもんだ。ちょっくら……生意気が過ぎる女神様に一発ぶち込んで逃げ帰って来るだけなんだからな」

【サイテーの男だな】

 

 それは、爽やかさや可愛さなどは何処にも無い……とても悪どい笑顔だ。白閃鳳の呆れた悪口も仕方あるまい。

 そしてある一点……砲弾の雨が降り注ぐ地点を見遣るイルカナに。

 

「さて、行くぞイルカナ」

「え――あ、はい……兄上さま……」

 

 シートに跨がり、【烏有】により(エンジン)生命()を入れる。嘶く鋼鉄の駿馬を(クラッチ)で宥めすかしつつ専用ホルスターに【真如】を納めて、イルカナを導いた。

 

「……ケリを付けるとしようぜ――エト=カ=リファ」

 

 (アクセル)を入れて駿馬の車輪(あし)を高速回転させる。目指すは、敵陣中央。突破するは二体の巨神と数百ものアバターとミニオン。その先に待つ……創造神を目指して。

 

 

………………

…………

……

 

 

 濛々と立ち込める土煙は、水分を含んだ……まるで泥の霧。アバター達は身体に纏わり付いている彼の『エーテルシンク』によって神剣効果を失い、神剣探知や神剣魔法(ディバインフォース)を使えずに地雷や砲弾で沈んでいく。

 それでも、進むしかない。天地を抑えられた彼女らに最早、道は……(まえ)だけしか無いのだから。

 

「――おーい、車道に飛び出すと危ねェぜ……って、車道なんかねぇんだった」

 

 そこを駆け抜けた、一陣の突風。本来は防御に使用する無形のマナを前面部装甲(フロントカウル)に集中展開して、自らを一発の弾頭と化す突撃技――ユーフォリアのの『ルインドユニバース』を模倣、地上用にマイナーチェンジしたその技。

 迎撃しようにも魔法は使えず永遠神剣で直接攻撃するしかないが、攻防走の三つを兼ね備えるスキルには通用しない。大抵は気付く前に跳ね飛ばされ、例え気付いたとしても迎撃すれば神剣の方を破壊されてしまうだけだ。

 

「あ、兄上さま、戦場を突っ切るのは危ないですっ! 地雷とか砲弾に当たりますよっ!」

「ハ――友軍誤射(フレンドリーファイア)で死んじまうような奴に、そもそも神殺しなんて出来るかよ」

 

 戦場を文字通りに走破しながら、一直線に貫く突風によって複数のアバターや獣がマナの霧に還っていく。そこに更に(アクセル)を入れ、鉄騎馬(バイク)を加速して――己の敷設した地雷が爆発するより速く、砲弾が当たるより速く速く地上を駆ける。

 

「兄上さま……どうかあの、お願いですから少し速度を」

 

 その余りの速さに、後部シートに跨がってアキにしがみ付いていたイルカナが遂に音を上げた。鼻先に餌を乗せられて『待て』をされ、その許しが出るのを待っている仔犬のような眼差しで。

 

「あぁ、心配すんなイルカナ……」

 

 さしもの兄上さま(ドS)も、義理の小さい方の妹のお願いに……にっこりと清々しい程の笑顔で。

 

「――心配しないでも、これから最大加速[フルスロットル]でいくからよォォォッ!」

「兄上さまの鬼畜〜〜〜っ!」

 

 目一杯にギアを上げて鋼鉄の駿馬を嘶かせ、地を砕く車輪(ひづめ)の回転速度を上げたのだった。

 

「――ルゥォォォォォォォッ!」

 

 その刹那、咆哮(ウォークライ)と共に巨大な影が落ちる。

 未来予知に似た感覚の命じるままに、手綱(ハンドル)を操縦する。その身体と車体が在った空間を、一閃が薙いだ。

 

「「――――ッっ!」」

 

 地面を殴り砕き融解させ、溶岩に変えて噴出させる『激烈なる力』の拳が。硝子化する程の高熱を持って破砕された地面の変化した欠片群を、車体を傾けながらのドリフトにて辛うじて回避すれば――その先に待つのは己の生首を持つ騎士然とした恰好の女巨人『絶対なる戒』の右腕……絶対零度の剣風。

 

「……来やがったな、化け物共め」

 

 吐き捨てながらも、最大展開した『サージングオーラ』により両方の神の攻撃を逸らす。そして――車輪が大気を捕らえ、鉄機馬は空中を駆ける。

 

「イルカナ、少し運転を代わってくれ」

「は、はい……って、えぇ?! そんな、私はバイクの運転なんてした事ありません!」

「ハハ、俺も無免許だ。そもそも、無免許で走れないのは公道だけだ。異世界、それも空中だったらオールオーケーだよ」

 

 イルカナを虐めながら、自動操縦(オートパイロット)に切り替えてホルスターの永遠神銃【真如】を抜き放つ。

 

復讐戦(リターンマッチ)だ――準備万端、徃くぞアイ、フォルロワ」

【はい、兄さま……歩みを止めない"生命の秘蹟(セフィロト)"を――貴方に!】

【あの程度の雑兵……軽く蹴散らして見せよう】

 

 月光を浴びて煌めく海を思わせる妖魅の剣、今も移ろう波紋の刃。現在は製法の失われてしまった、マケドニアのアレクサンドロス王すらも求めて止まなかったという神秘の鋼材……中央亜細亜においては『英雄の佩刀』として語られるダマスカスブレード。

 "始まりの生命"という永遠存在。極めて稀有な、概念としての形状[カタチ]を持つ永遠神剣を。

 

「兄上さま……お気をつけて」

 

 その声と共に、二体の巨神が待つ戦場に向けて飛び出した。

 

「ルゥォォォォォォォォォッ!」

 

 瞬間、戦場に響き渡る激烈なる力の咆哮。仕掛けられている地雷は大地ごと粉砕されて、空間に漂う無のエーテルの霧は瞬く間に蒸発していく。

 物理的な破壊力すら感じかねないそれは『激昂の咆哮』。人の作り出した小賢しい世界の理など破却し、この世界を彼の支配する領域(じごく)へと塗り変える……獄炎王の大号令である――――!

 

「上等、不利なくらいが俺好みの戦場(ぶたい)だ」

 

 それに、気炎を燃やす。いつでも、彼が戦っていたのは敗北必至の状況だった。だからこそ、アキは『銃』を手にしたのだ。他のカタチとなる事も、【真如】になら出来た。

 

聖永(アイオン)のエターナル、"天つ空風のアキ"……」

 

 それでも――彼は、弱者のままで。弱者だからこその矜持を胸に。弱者でありながら強者を撃ち倒す、"永遠神銃(かのうせい)"を手にして。

 

「――――撃ち貫く!」

 

 弱者の壱志(いじ)に懸けて、強者を撃ち倒すべく。名乗りと気勢を上げた――――!

 

 

………………

…………

……

 

 

 見上げれば、暗い虚空に浮かぶ上部階層の転送門『サラワ坂下』と望月(いりぐち)の輝き。周囲を見渡せば極僅かな足場と、綿雲のように漂っている浮きマナの淡い煌めき。

 そして、見下ろす深遠には――……『星天根』の光を照り返す事すら無い闇が横たわっていた。

 

 その『根源回廊』の中程の、最深階層『星天根』の暗闇を切り裂いて蒼い彗星が駆け抜ける。

 

「原初より終焉まで、悠久の刻の全てを貫きます――ドゥームジャッジメント!」

 

 彗星は、最深層に現れた女達……エターナルアバターを一気呵成に貫いて消滅させる。その一撃を持って、サラワ階層の敵戦力を殲滅した望達は、終着点である転送門『星天坂下』に辿り着いた。

 

「はぁ、ふぅ……次……っ!」

 

 息を急き切らせながら、門を通過しようとするユーフォリア。その肩を、望の手が掴んだ。そして――その刹那、門の影から飛び出してきた黒のアバターを絶の『回山倒海の太刀』が貫く。

 

「落ち着け、ユーフォリア……先ず一休みしてからだ」

「でもっ! はい……」

 

 いつものキレが無くなった緩慢な動作で【暁天】を鞘に納めながらの絶の言葉に、望の手を振り払い珍しく反駁した彼女。しかし直ぐ後方で疲労困憊の様子を見せる望班のメンバーを見て……不承不承ながら俯いた。

 

「ほら、ユーフィーも怪我してる。希美……は無理そうだからサレス……も、厳しそうだな。仕方ない、時間はかかるけど俺のオーラで」

 

 なはは……と疲労を滲ませた笑顔を見せて【黎明】に手を掛け、頭の上でへばっているレーメを促す。

 

「……アンタら、野暮な事しないの。ユーフィーは心配なのよ、あの(バカ)が」

「あにうぅ〜っ、ナルカナさんの意地悪……」

 

 と、唯一元気そうなナルカナが発動した『バイオリズム』。本人曰く『癒し系ヒロイン』なだけはある回復力だ。

 その揶喩するような物言いに頬を真っ赤に染めて……林檎みたいに頬を膨らませながら頭の羽と両手をばたつかせるユーフォリア。その愛らしい様子に、望と絶は揃って相好を崩した。

 

「全く……ここまで慕われれば巽も男冥利に尽きるって奴だろうな」

「一体あの男のどこにそんな魅力が有るのか、全く理解できませんが」

「ふふん、あれだぞナナシ。吾は知っている、こういうのを諺では『蓼食う虫も好き好き』というのだ」

「こら、レーメ……空にも良いトコは有るって。かなり限定的だけど優しいし……」

 

 と、口さがないレーメを窘めてアキの『良いトコ』を列挙しようとした望が、早くも口ごもる。

 

「……優しいし?」

「うっ……や、優しいし……えっと」

 

 ユーフォリアの期待に満ちた純粋な眼差しに曝された彼は、冷や汗を掻きながら他のメンバーに助けを求める視線を投げ掛けた。

 それを受けて、希美が困ったように笑いながら。

 

「え、えっとぉ……背……そう、背が高いよね!」

 

 そして、希美もそこで口ごもり…他のメンバーに助けを求める視線を送った。

 

「そうねぇ……悪知恵が働く」

「そうですね……腹黒いです」

「そうだねぇ、勝つ為には手段を選ばない外道だよ」

「そうじゃのう……まぁ、殺しても死にそうにないのう」

 

 続いて沙月、カティマ、ルプトナ、ナーヤが……明らかに、褒め言葉ではない言葉を紡いだ。

 

「む〜っ……みんななんて、きらいだもんっ!」

 

 当然ユーフォリアは眉を吊り上げ羽を逆立たせておかんむりの様子、そのコロコロ変わる表情に皆が微笑む。

 要するにマスコットを可愛がって癒されている訳だ。

 

「さて、こんな時の為にイルカナを連れさせているんだ。向こうの状況を教えてくれ、ナルカナ」

「ついでに、小さなお姫様に騎士様の現状を教えてあげなさいな」

「はいはい、めんどくさー」

 

 そのサレスと沙月の言葉に、実に面倒臭そうに。ナルカナはイルカナの側へと意識を集中したのだった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 自由落下しながら、両手構えでの三発連射。リロードと発射を繰り返す『オーラフォトンショット』で絶対なる戒を狙い撃つ。それは勿論、『絶対なる守り』によってほぼ無効化されてダメージになっていないが……元からそれは牽制だ。

 そして着地するという隙を無くす為に虚空に出現させた銃弾を踏む加速跳躍(ブーストジャンプ)で、激烈なる力に肉薄。がら空きの胴に、【聖威】による『オーラフォトンブレード』を見舞う。

 

「――――ッ!」

 

 人間ならば息をするだけでも気管が焼け爛れるであろう、獄炎王の呼び出した煉獄の大気。更に、『激烈なる守り』の強烈な反発力によって柄を握る拳や腕の方が悲鳴を上げた。

 

「――――舐めるなァァァァッ!」

 

 その叫びと共に、オーラフォトンに代わって出現させたハイロゥを高速回転させる。エーテルの風を起こしてマナ結合を断つ三枚の円刃(チャクラム)の『ワールウィンド』は、さながら削岩機の如く防御を削り、遂には『激烈なる守り』を貫通して腹に叩き込まれた。

 

「ゥウウオオォ……」

 

 それを受けて、激烈なる力は――事もなげに、欠伸にも似た嘲笑を漏らした。何故なら、円刃は……激烈なる力の針金のように硬質の体毛とタイヤゴムのように強靭な皮膚。そして鋼鉄の如き筋肉の三段構えにより阻まれてしまい、有効打とは成り得ていないのだから。

 効果無しと確認して、素早く後方に跳ね飛んだその刹那、北欧神話の戦神……雷神トールの持つという戦鎚『ミョルニル』の一撃を思わせる、激烈なる力の拳が振り下ろされた。

 

 間一髪で直撃だけは避けたのだが、零元の聖外套で防御した上から肌へと焼け付く大気と高熱の岩獎(マグマ)が吹き付ける事によって幾らかの火傷を負ってしまう。

 

 そして着地した瞬間、背中越しにでもはっきりと感じた……直視してしまえば魂までも凍り付きそうな、絶対なる戒の眼差し。

 煉獄に次いで襲い来るのは凍獄。伊太利亜(イタリア)の楽曲作家、ダンテの『神曲』に謳われている…永劫に溶ける事の無い氷の地獄『氷結界淵(コキュートス)』だ。血の涙を流す生首の双眸、彼女の神剣【戒め】の瞳……『浄眼』が、逃れ得ぬ氷の牢獄を生み出す。

 

「ク――……ソッ……タレ、め……!」

 

 余りの冷気に毒の混ぜた白い息を吐く、物理的に動きを封じられたアキの背中に向けて。絶対なる戒の右腕……凍り付いた透き通る氷剣が振り抜かれる。万物を崩壊させる絶対零度の風、極北の風よりもなお凍てつく死の息吹が。

 躱わしようも無くその一撃を身に受けて大地を転がれば、凍気と氷の欠片に凍傷を負っていた。寒暖差は優に摂氏二百度を上回る、月面のような世界。普通なら、宇宙服でも無ければ堪えられないだろう。

 

【兄さま……大丈夫ですか】

「ハ――なんて事ねぇよ、だから……涙声なんて出すな」

 

 直ぐさま起き上がり、その境界線……二つの地獄の合間に立つ。

 迫るは二体の巨神、煉獄と凍獄の支配者。生きた心地などは、とうに消えている。

 

――否、だ。そんな無粋なモノを持って闘いに望む事自体が、敗死を呼び寄せる。なんせ、死ぬのは……生きている者だけの特権なんだからな。

 

 瞼を閉じ、精神を不動に固定して統一する。思い描くのは凪の海、鏡の水面。数多の戦場を越えてきたその心は明鏡止水の域、所謂"無我の境地"に達していた。

 

「身を捨ててこそ浮かぶ瀬も在れ、だ……超えて見せるさ、何度でも……何だろうと、必ず――!」

 

 開眼と共に発動した切り札の一つたる『限界突破』。ダークフォトンの加護を受けた彼は"最速"の固有概念の限定的展開によって、瞬間的に光速すらも超えた速度域に身を置いた。

 莫大な情報量の収束により、時間の感覚を早めるその技法。全ての動きが擬似的に遅くなっていく中でチャクラムの巻き起こす螺旋の風刃の渦を纏った"永遠神銃"を、『ゼロディバイド』の一撃を激烈なる力と絶対なる戒に叩き付ける――――!

 

「――ルゥォォォォォォォッ!」

「――ッ?!」

 

 が、それは二柱の巨神にとっては予想の範囲内だったのだろう。勝利を確実とする為に発動した、インタラプトスキル。アキの攻撃に対応した絶対なる戒の『魔眼』と、その絶対なる戒の術技に対応した激烈なる力の『煉獄の咆哮』が。

 

「……悪い、俺は――――」

 

 目前で開かれた絶対なる戒の両目と真っ向から見詰め合ってしまい、魂を戒めて攻撃を抑制する魔眼に見据えられて。更には逃れ得ぬ音……殺到する、体組織を破壊して能力値を削ぎ落とす激烈なる力の咆哮に押し包まれる――――!

 

 

………………

…………

……

 

 

「ちょっと……圧されてんじゃないのよ、アイツ!」

 

 イルカナ側に意識を集中していたナルカナは、その戦況に愕然と声を上げてしまい……直ぐに、不覚を取ったと口を紡ぐ。己の直ぐ側でその男を気にかけている少女が、聞き耳を立てていたのだから。

 

「…………」

 

 俯いて、ギュッと【悠久】の柄を握り締めたユーフォリア。そして、彼女は――

 

「……ナルカナさん、空さんを舐めちゃ駄目ですよ。だって空さんはセオリーなんて通用しない――」

 

 思わず、息を呑むような。今までの彼女からは考えられないくらい妖艶な、『女』の顔で呟いた。

 

「――――"法の埒外の悪漢(アウトロー)"なんですから」

 

 

………………

…………

……

 

 

「――――"法の埒外の悪漢(アウトロー)"なんだよ」

 

 振り抜かれた『ゼロディバイド』の一撃は、驚愕によって見開かれた絶対なる戒の【戒め】を両断していた。勿論、それだけでは済む筈はない。吹き荒れる真空の断層により、左手ごと頭部がミキサーに掛けられたように木っ端微塵にされる。

 

「さっきのはなかなか効いたけど――今度のは俺には効かねぇよ」

 

 先の『浄眼』が効いた為に、防御をせずにアキを迎撃しようとした。たったそれだけの読み違いが、絶対なる戒の敗因だった。

 アキは、そんな戒律神を見下して……遍くを殺す"悪"の具現した瞳、概念にさえ至る"死"を見据えた龍の瞳のままで吐き捨てる。

 

「いやホント悪い。面倒臭いんで"透禍(スルー)"しちまったぜ」

 

 そして、返す弐ノ太刀。氷剣ごと胴を貫かれ、絶対なる戒は始まる前の『何か』へと……終わった後の『何か』として還された。

 

「――ルゥォォォォォォォッ!」

 

 擬似的な空間の切断に伴う烈風の余波を、ダメージを受けながらも持ち前の耐久力により堪えきった激烈なる力の怒号が響く。

 相方を滅ぼされた怒りか、または己の術技が通じなかった怒りか。再度の咆哮は文字通りの衝撃波、『炎熱の咆哮』。

 

 振動と灼熱により、声の届く範囲にある万物を粉砕する――範囲内では避ける道の無い必殺の技を。

 

【――久遠なる、逆しまの大樹……我が望むは平穏なりし理想郷……】

 

 その刹那、厳かに響く祝詞。或いは呪詛。弾倉から抜かれ、アキの目の前の空間に滞空した【真如】は無限の"真世界(アタラクシア)"を内包する透徹城。

 それは――『渾天宮』の効果を持つ、『空隙の凍結片』により得たディフェンススキル。『距離』という名の現実、単純明快にして難解至極の全人未踏の盾である――――!

 

【いざや、来たれり……遥かな空海。未だ見果てぬ水平線――――……】

 

 広域展開された無量光(オーラ)の魔法陣は、細密なステンドグラスを思わせる多彩さ。その煌めき……宝石剣の朝露に濡れたような表面に浮かぶ刃紋、雨粒の墜ちる水面の如き波紋が虚空を充たす。

 

【――――未だ見果てぬ楽園の夢(ホロゥ・アタラクシア)!】

 

 その波紋の揺らめきに、オーラはまるで万華鏡(カレイドスコープ)のように幻想的な光を放ちながら――――何の抵抗も見せる事無く、『炎熱の咆哮』に飲み込まれて。

 

「――――――――…………!?!」

 

 一瞬だけ、激烈なる力は見た。どこまでも果てしなく拡がる蒼空と滄海。何人も、例え神であろうとも決して届かない――――刧漠たる水平線(ホライズン)を。

 己の咆哮が何処にも届かずに、虚しく消えていく様を。

 

「――――あばよ」

 

 次の瞬間、激烈なる力の真正面……丁度激烈なる力の心臓がある位置に、カタチとして"生命"というモノを奪えない制約を持っている為に防御すらも『透り抜けてしまう』"永遠神銃(ヴァジュラ)"の銃口を差し込んだアキの姿。

 それに激烈なる力が剛拳を振るうよりも速く、早く――先程は大地へ『紫晶國裂斬』として放たれた炸裂弾頭(エクスプローダー)が、激烈なる力の体内と神剣【激烈】を殲滅した。

 

「ハ――――ガチガチに守りを固める奴程、中身は脆いもんだってな」

 

 壮絶な迄の喀血、体中の穴という穴から血を吹き出す激烈なる力。先程は通用しなかったアキの攻撃、それを耐えて反撃しようとした判断ミス。

 

「強い奴程、殺し易いもんだよ。特に――――神剣が最強の武器だとか思ってる勘違い野郎は。神剣は、本当は弱点だぜ? それを破壊されたら……神剣で強くなったヘボに、何が出来るってんだ。そして……」

 

 リロードと共に体内で展開されるオーラ。それは、オーラフォトンで出来た準星の輝き。

 

「――――永遠神剣の能力なんぞに依存しっぱなしで……『真如のアキ(オレたち)』に、勝てる訳がねェだろ!」

 

 一気呵成に放たれる蒼茫の旋光は『オーラフォトンクェーサー』。

 

「もっと頭を鍛えて出直して来い、首無しと脳無し。生きてる内に頭使うべきだったな」

 

 超高圧オーラフォトンの砲閃は、激烈なる力の残りカスを内側から撃ち抜いて消滅させていった。

 

「残るは……エト=カ=リファ一人か」

 

 第二階層の最深部『ヒヌリ坂下』にてそう呟き、一点を見遣る。眼差しの先には敵の本陣『サラワ坂下』、そこに座する創世の女神。その威光を"透禍(スルー)"しつつ、スピンローディングで空薬莢を排して新たな銃弾……【真如】から選び出した『|空包|エターナル・リカーランス》』を籠めた――――……



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星天と叢雲 無我と無明

 爆音が虚空に、激震が石床に轟き続けるヒヌリ階層を見据えるエト=カ=リファ。依然として揺るがぬまま、足場に【星天】を突き刺して腕を組んだ不動の構えで。

 ただ、その表情は厳しい。それもその筈だ、彼女の両腕たる神々は両方討たれて軍勢も強襲揚陸艦から降り注ぐ散弾ミサイルとその子弾の地雷源により、吶喊する敵の神剣士達を屠れないでいた。

 

「役立たずな道具共め……やはり、信ずるに値するは【星天】のみ。この我が自ら出るより他には無いという事か」

 

 呟き、組んでいた腕を解いて――石床に突き立てていた己の神剣、斬馬刀型の【星天】を抜き放つ。

 

「――星天の輝きよ、反逆者の身を焦がせ!」

 

 その一撃、『天球の輝き』を持ち――激烈なる力を消滅させながら彼女を狙った準星の輝き『オーラフォトンクェーサー』を相殺してのけた。

 【星天】を下ろし、クレーターと化して開けた目の前を真紅の瞳が睨みつける。目の前で……パチパチと拍手している満身創痍の青年と、彼の後ろに寄り添うように立つ滄い少女と銀髪に黒衣の娘と――何処か、大切な筈だった『誰か』に似ている黒髪の少女を。

 

「いや、お見事。クェーサーでも掠り傷さえ付けられねぇなんて。こりゃあどん詰まりかな」

「下らん軽口は止せ、戦の空気が汚れる……否、そもそも貴様などの野犬にエターナルの誇りを説いたところで無駄か」

 

 欠伸を噛み殺しているアキの肩、ショルダースリングによって掛けられているライフル銃。しかし、彼女が前に見た時とは形状が違う。具体的に言えば、銃剣が装備されていないのだ。

 鞘刃(さや)が装填されていた部位は『筒剣(とうけん)』、本来はそう在るべき黒い筒剣(ブラックバレル)が剥き出されている。『殺意』そのものを表すように。

 

「……何のつもりだ、下郎。この我を相手に、神剣の能力を制限して戦う気か」

「制限だぁ? ハ、悪いけどそんな余裕が在る訳ねぇだろ。ただ単に、無茶な技を使わせちまったんで休ませてるだけだ。第一俺の神剣は"生命"だし、何より俺より弱い神剣の担い手なんて神剣宇宙中を探しても居ねぇよ。断言していい、俺は最弱の神剣使いだ」

 

 そう、己を卑下する言葉を吐く。しかし――その表情には、間違いなく『誇示』が在った。

 

「――だからこそ、俺は俺よりも強いお前に克つ。俺は弱者のまま、強者のお前を倒す。それが俺の"魂"……現代戦から英雄を駆逐した"銃"だからな」

 

 現代において、『英雄』とはもはや廃れたモノとなっている。さもありなん、剣や槍、弓などの『技量』が物を言う旧来の戦ならいざしらず……雑兵までも一発で相手を選ばずに殺せる武器を手にしていれば――英雄など生まれる余地が無い。

 則ち、銃とは英雄の天敵。戦場の栄えと誉れを殺した歴史の転換点(ターニングポイント)

 

「こっからはR18指定タイムだ。なぁに、直ぐ終わるから目と耳を塞いで、また俺がこうするまで待ってろ」

「はい、兄さま……」

「……よかろう、粛清は貴様に任せる」

 

 ぽん、とアイオネアの頭。花冠の上からしっとりと手触りのいい髪と小さな龍角を撫でる。少し疲れた様子だった彼女だが、それに暫しうっとりして言われた通りにぎゅっと瞼を閉じて龍耳を塞いだ。

 フォルロワはただただ不愉快そうに腕を組み、銀色のツインテールを靡かせてそっぽを向いた。

 

「じゃ、徃くぜカミサマ。これが世界の理すらも越えて行く、人間(ヒト)生命(ちから)だ」

 

 それを確認した後の流麗な動作、さながら空中で旋回して雲を引く戦闘機のように美しくスリングを棚引かせる。

 一回転させて構えた"永遠神銃【是我】"は、その一点を誇張した神造兵器。聖剣等と違い、選ばれた一握りの強者が持っても大した意味は無く……世界の九割を越える選ばれない弱者が持つからこそ、真に意味を持つ可能性(ぶき)

 

 如何なる雑兵にも、如何なる英雄をも他の雑兵と何一つ変わらずに殺し得る唯一の武器(かのうせい)たる……"英雄殺し(ジャイアント・キリング)"である。

 

「――よくぞ吠えた、堕剣! この世界の理は則ち我と同義……破壊と消滅すら、我が意のままである。貴様のその幻想(おもいあがり)を、我が【星天】をもって粉微塵と打ち砕いてくれる!」

 

 腰矯めに構えた【星天】を、眼前の不敬者――アキとアイオネアに向けて突き出す。

 

「この男の次は貴様だ、フォルロワ……今度こそ、跡形も残さずに――っ!」

 

 その刹那、蒼茫の焔が空間を焼き斬る。ヒヌリ坂下からサラワ坂下迄の距離をゼロ秒で疾駆した輪廻龍皇(アキ)【是我】(つめ)が、全属性プロテクションの『創世の光』を透禍(スルー)してエト=カ=リファの首を狙い――常時展開する防御『創世の影』にて辛うじて受け止められる。

 そこに周囲のエターナルアバター達が主君の危機に即応し、アキへと無数の神剣を降り下ろす。しかしその神剣の槍襖も、原初マナの防御『ハイパートラスケード』により防がれて届かない。

 

 そしてその薄光色の楯の奥で、【海内】を『トーラス・レイジングブル』から『キャリコM950』と『ビゾンPP-19』へと変えて掃射する。交差していた腕を振り払うように放たれた分間一千発の『デュアルマシンガン』と『イミネントウォーヘッド』の弾幕に、至近のアバターは為す術も無く蜂の巣に変わった。そしてそれらを融合させた重装弾(ペイロード)ライフル『バレットXM-109』の『ブラストビート』で薙ぎ払う。

 だが、それを凌いだ他のアバターは何とかディフェンススキルを展開。反撃の隙を伺い――『CZ-75』【天涯】が変化した『XM-25 IAWS』と『ベレッタM92F』【地角】が変化した『US-EX41』のグレネード……粘着榴弾(HESH)の『アゴニーオブブリード』により、()()()()()()()()()()()()()()()、自らのディフェンスに使用したマナの破片でダメージを受け、更に【地角】のポンプアクションを操作する間、放たれる自動式(オートマチック)グレネードランチャー【天涯】の装弾筒付き翼安定鉄鋼弾(APFSDS)の『フォトントーピード』がディフェンススキルごとアバターを貫徹する。

 そして、仲間の屍を乗り越えて。()()()()()()()()()()()()アバターどもがアキに向けて疾駆し――【連理】を変化させたポンプアクション式散弾銃(ショットガン)『フランキ・スパス12』の『フロストスキャッター』で纏めて引き裂かれて。

 残った後衛が攻撃に備えて、永遠神剣を構える。しかしそれは、最早命を楯にしただけの物であり――【比翼】の変化した『RPG-22』の『ナパームグラインド』で跡形もなく燃え尽きた。

 

「星天の祝福を受け取るがいい、異物ども。至高の力を知り、我を崇め讃えよ!」

 

 最後の一体を多用途暗殺拳銃(アパッチ・デリンジャー)【烏有】の『ヘリオトロープ』の核融合で消滅させたその瞬間、瞬時に空間に満たされた、かつて生命で在ったモノ。彼女によって摘み取られた幾つもの世界で幾つもの生命を形作っていた、莫大という言葉すらも矮小な程の……この時間樹のマナそのものの煌めき。

 それが槍のように、アキへと襲い掛かり――――

 

術式棄却(ソード=オフ)……」

 

 それを躱す事なく、発動した彼の切り札。【是我】と【烏有】を融合させたトンプソン・コンテンダー――オーラフォトンとダークフォトンの対消滅により、場に吹き荒れる黄金の風。

 迎撃の為に、本来は発動に必要な言霊(パスワード)を省略した零秒(ゼロセコンド)発動。

 

 銃口に展開される三重冠の極光のオーラに現界の制約を解かれて、『永劫回帰の銃弾』は本来の形状である"  "へと。輪廻龍の斬刃(きば)へと回帰して――

 

「"永劫回帰す輪廻龍の斬刃(エターナル・リカーランス)"――――!」

 

 絶望を真正面から撃ち倒すべく、金色に染まった"天つ空風のアキ"の『最強の剣』が迎え撃つ――――!

 

「無駄な真似を――」

 

 その嘲りも当然の事だ、これでは大津波に小石を投げて太刀向かうようなもの。

 アキに先制してエト=カ=リファの放った技『星界の呼び声』はあらゆる守りを貫通(ペネトレイト)するだけに留まらず、何者であろうとも介入(インタラプト)をも許さない彼女の切り札。

 

 どんな策略を敷いていようとも、先に発動してしまえば勝利が確定するのである。

 

 それ故に、彼の斬刃は煌めきに飲み込まれる。大瀑布に消える木葉のように、一点の波紋すらも残す事無く。

 圧倒的な大暴力、世界そのものの煌めきを以ってエト=カ=リファはアキを押し潰し討ち滅ぼし――――――――己の心臓に突き立つ、黄金の斬刃を見た。

 

「え――――――――?」

 

 血の気の消え失せた唇から漏れた掠れた声、それに続くようにアキがイジェクトした排莢音が高らかに響き――彼女の驚愕に見開かれた瞳には、更に絶望的な光景……無数にひび割れた【星天】が映る。

 その刹那の己自身の拍動により、斬刃の突き立っていた心臓が軋み……弾けた。生きる為の行為により死に至る、その不条理。

 

「なに、これ……だって、そんなの、おかし……い」

 

 『敵を殺す』という役割を終えた薬莢には最早、回帰はない。カラン、と地面に墜ちた空薬莢が石畳に当たって砕け、割れ鐘のような音色を奏でた瞬間……それに呼応したかのように【星天】が砕け散ってマナに還っていく。

 同時に破綻した心臓が停止して、彼女は口から声と血を零した。

 

「だって、我……わたしの方が、先に」

 

 余りの衝撃に、『創造神』という殻に閉じ込めていた本来の彼女が打ち撒けられる程に。

 

「……後か先かで言えば、俺の方が早かったさ。剣は振らなきゃ殺す意思を持たねぇけど、銃は銃弾を装填した瞬間から意味を持つ」

 

 いつの間にか、至近距離に立っていたその男。無感情な死龍の魔瞳でエト=カ=リファを見下ろす、『相討ちでなければおかしい』筈のアキが――突き立っていた斬刃の(なかご)を握り、無造作に引き抜いた。

 

「リカーランスは、装填した瞬間に回帰して相手を撃ち殺す。その後に起こった事象じゃあ、止める事なんて出来やしない」

 

――より正確に表すんだったら、『無効化されても』が付属する。何かしらの要因で効力を失っても、改竄されたとしても……何度でも『始めからやり直す』。そして、殺した相手が行った『それ以降』の行動は『無かった』事になるという訳だ。

 それこそが『永劫回帰』、決して変えられない運命の轍だ。

 

 血に塗れて露になった、酷く凶悪に刃毀れした剣刃。それは彼の魂の抜け殻(カタチ)たる"永遠神銃"の銃身部(バレル)の内側に刻まれている、今は既に失われてしまった"霊魂"の転写……旋条(ライフリング)の痕。

 

「アンタの敗因は、ただ一つ――暗殺者(アサシン)に復讐の機会を与えた事だけだ」

 

 それに伴って栓を失った、胸部に穿たれた風穴から血が零れ出す。血が零れ出すと共に冷たい何かが体に入り込み……まるで糸の切れたマリオネットのように、彼女は膝を折った。

 そして背中の金剛球もまた、刃に貫かれていた穴から拡がったヒビが全体に廻り割砕した。

 

「わたしは……死ねない…………わたし、は……この、時間樹を……存続……」

 

 死に逝く瞳は次第に光を失って、声は力無く誰にも届かない。

 ただ……魂にまで焼き付いている、妄執が彼女の意識を支えている。

 

 しかし、奇跡など起きない。既に彼女の【星天】は砕け散っていて神剣魔法等の癒しは受け取れず、例え何かの助けで蘇生しても――リカーランスがそれを赦さずに、何度でも回帰して殺すのだ。

 最早、終わっている。将棋で言うところの『詰んだ』状態だ。

 

「死ねない……わたしは、わたしは……何故、死ねない……?」

 

 それでも、その身を焦がす衝動が有る。一体何故、誰の為にだったのか――それすら、永遠の流れの中で摩耗したというのに。

 

「……馬鹿ね、生真面目過ぎるのよ。あんたは……」

 

 その死体を、そっと。誰かが抱きしめた。冷たくなっていく体に、染み入るような温かさ。

 それに気付いて、酷く億劫な瞳を動かして。

 

「……あぁ……」

 

 エト=カ=リファはそこで、漸く……見上げた少女(イルカナ)が誰に似ていたのか。

 彼女を初めて『救って』くれた、その存在を。

 

「わたしは……あなたを……友達を、【聖威】から……守りたかった……わたしは、あなたみたいに……自由に空を渡る、【叢雲(くも)】のように……ナルカナ……大好きなあなたみたいに…………なりたかった……」

 

 一体何の為に、この時間樹を存続させたかったのかを……漸く、思い出した。

 

「あたしもよ、エト=カ=リファ。あたしも、あんたが……夜の空に瞬いて、道に迷った旅人を導く【星天(ほしぞら)】みたいなあんたが……大好きだったわ」

 

 イルカナのその囁きに、彼女は……永年捜し求めた答えを見つけたかのように、優しく微笑んで。

 

「……疲れた……とても、とても……」

「ええ。お休みエト=カ=リファ……今まで頑張った分、ゆっくり」

 

 親友の腕に抱かれて、眠るように安らかに終わったのだった。

 

 その光景を見届けてからアキは、斬刃を振って滴る血を飛ばす。神の血とマナを啜って歓喜する斬刃は紅く、ぬるりと下品に煌めいて見えた。

 

「……憎いか、俺が」

「……いいえ、兄上さま。むしろ、感謝してます。最期を看取らせてくれた事に」

 

 問いに、エト=カ=リファの亡骸を横たえたイルカナは晴れやかな表情でそう答える。

 

「逆に聞きます、兄上さま。まだエト=カ=リファが憎いですか?」

 

 そして唐突に、そんな問いを投げ掛ける。酷く真面目な顔で。

 それに、青年は――

 

「莫迦も休み休み言えよ。殺した相手の事なんて――もう、何とも思ってねぇさ。なぁ、フォルロワ?」

「……一々癪に障る奴め」

 

 エト=カ=リファの生命を奪った斬刃をマナの霧に粉砕(かえ)しながら、難しい顔をしたフォルロワをからかいつつ気怠げにそう答えた。

 

「……実に兄上さまらしいですね。ところで――どうしてアイちゃんに目と耳を塞がせたんですか?」

 

 呆れたような、嬉しそうな口調で宣う彼女をマナが撫でていく。

 言い方が悪くて伝わり難いのだが……自分の生まれた世界を滅ぼした相手を赦すと言ってのけたのだ、この男は。

 

「そりゃあ……正直嫌いなんだよ、この技は。だってそうだろう、何の努力も無しに他人の努力を踏み躙るなんて――格好悪い事、この下無い」

 

 そんな憎しみすらも無に還した、その青年。その破綻した優しさ、破綻したヒロイズム。

 悪逆な、正義の味方では不可能な『義』の具現。ダークヒーローのように、カリスマとは何処か違うのだが人を惹き付ける魅力を持つその背中に。

 

「全く……本気になっちゃったら、責任を取ってくださるんですか」

 

 少し頬を染め、届くか届かないかの小さな声で呟くイルカナに。

 

「本気? ハハ、あと十年したら俺の方からお願いしたいね」

 

 永遠神剣が年齢など重ねない事を知っているからこその、いつものように不真面目に答えを返して……まだ言われた通りに目をつむり、耳を塞いでいるアイオネアの頭に手を置いたアキヘと。

 

「言質は取りましたよ、兄上さま。どうなっても知りませんから」

 

 イルカナは、そう不敵に笑って。いつもと変わらない笑顔を見せたのだった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 全て終わり、静寂に包まれる戦場。砲撃も止み、数百居たアバターが……生み出し、使役していたエト=カ=リファが最期に何かをしたのだろうか。立ち尽くすと、緩慢にマナの霧と消えていく。

 そんなマナの霧が立ち上る根源回廊の最下『星天根』を鉄機馬で疾駆するアキ達。流石にオフロード過ぎるので、揺れが激しいようだが。

 

「アイ、悪いけど」

【はい、兄さま。それくらいならできます……小輪廻の輪よ、この須臾(しゅゆ)の時を正しき流れに帰せ――汲めど尽くせぬ生命の源泉(レーベンスボルン)

 

 まだ消耗から回復していない【真如】のままのアイオネアの祈りに答え、虚空に描かれたステンドグラスの精霊光。神子を抱く聖母を囲む聖人のイコンを思わせる、輝ける生命の讃歌。転生律『サンサーラ』の廉価版である。

 その圧縮された雫がアキに滴り、染み入れば――瞬く間に生命が還ってくる。その些末な傷は消え去り、失ったマナすらも再び満たされた。

 

「何度見ても、凄い……癒す事にかけては、アイちゃんの右に出る神剣はありませんね」

「ハハ、そりゃあアイは生命そのものだからな。なんでも、全ての生命は大いなる時の輪廻の果てにアイに回帰するそうだ」

【ほぇ……そ、そうなんですか?】

【どこの外なる神だ、全く……】

 

 "永遠神銃(ヴァジュラ)"【真如】をホルスターに戻し、バイクの速度を上げる。

 差し掛かったその地点は、『幽明交差ミスキバ』。

 

「さぁ、ソルラスカ達と合流だ。急ごうぜ――」

「――ふむ。だが……まず先に、俺と()り合って貰おうか」

 

 その声が響いた刹那、体を倒して石畳にタイヤ痕を引きながら急停止した。

 

――大気が凍るような、重低音。目前に立つその存在から放たれた声に……魂が凍り付きそうになる。

 前も感じた事のある、この感覚。そうだ、ダラバと対峙した時だ。

 

「……驚いたね、オッサン。まさかアンタも神剣士だったとは。でもこっちは見ての通り妹と知り合い連れでさ。カツアゲとかは、マジで勘弁して欲しいんだけど」

「……だから、オッサンと呼ぶなと言うに。この前買っていた指輪はその娘に贈ったのか? そしてその問いには否と答えさせて貰うぞ、俺はエターナルだからな」

 

 そしてそれは、やはり――知った声だったのだ。同時に、鋭く地面を刔る音。硬い何かが突き立てられた音が響く。

 

「俺はロウ=エターナルが一翼……第三位永遠神剣【無我】が担い手――――"黒き刃のタキオス"だ」

 

 悠然と、泰然と。十字路の中心に立つ金髪の大男。筋骨隆々の、黒い篭手とマントを身に纏い悠然と佇むその姿。

 その得物は成る程、黒き刃。肉厚ながら、鋭い切れ味を持つだろう大鉈【無我】。第三位の神剣とは思えない、圧倒的な存在感を放つ……タキオスの永遠神剣。

 

【ちっ……友人の家ではないのだぞ。次から次に、異物どもめ!】

「あ……兄上さま……」

 

 吐き捨てるフォルロワとは対照的に、タキオスの放つ強大な、剥き身の刀のような闘気に当てられたか。イルカナは軽く震えながら、アキの聖外套の裾を引いた。

 

「……アイと一緒に下がってろ、ルカ。流石にヤバい」

 

 彼女を守りながらで戦えるような手温(ぬる)い相手ではない事くらい、瞬時に気付いている。

 鞘刃【真如】をイルカナに預け、【是我】を番えて腰を落として構え、いつでも、どんな動きにでも対応できるように姿勢を変える。

 

「三体ものエターナルとの闘いの後だが――――体調は是非も無いようだな。手間が省けて助かる」

「……ハ、戦う理由が無いんだけど。俺とアンタはさ」

「そう来ると思ってな……戦う理由を用意しておいた」

 

 そうして、タキオスは指を鳴らす。すると何処から現れ出たのか、色とりどりの女達……一様に獰猛な顔をした半透明の身体とハイロゥを持ったエターナルミニオンが、周囲を囲んでいた。

 

「これを、お前達の仲間の元に向かわせた。今頃はどうなっているだろうな?」

「「――――……」」

 

 息を呑む音。そして――……

 

「へぇ、そりゃ良かった。出番が少なかったとか怒られなくて済む」

「……何?」

 

 泰然たるアキの言葉に、タキオスが意外そうな顔をする。そのタキオスに向けて、アキは。

 

「――――俺の自慢の『家族(クソッタレ)』を、甘く見んなって事だよ」

 

 自信満々にそう、啖呵をきった。

 

 

………………

…………

……

 

 

「――やれやれ。タツミの采配も中々に正確だな」

「ふん、偶然に決まっています。こんな敵襲を、アイツが予想していた訳が無い」

「それでも、もしも全戦力を投入してエト=カ=リファへと挑んでいたら……挟撃は避けられなかったでしょうね」

「はい……運も実力の内です」

「アッキーの場合は、悪運だろうけどねー」

「違いねぇ、トレジャーハンター向きだな、アキの奴は」

 

 ヒヌリ坂下よりソルラスカ達の一団を挟撃しようとしていたエターナルミニオンの消え行く亡骸を余所に、少女達と青年は軽口を交わし合う。代わりに辺りは完全に掌握されていたが……彼らには焦りの色は無い。

 

「さあ……掛かって来なさい。私達を――神を討った私達『煌玉の世界』の神剣士を恐れぬならば!」

 

 長女であるミゥが鬨の声を上げる。それに呼応して、各自永遠神剣を構えたルゥ、ゼゥ、ポゥ、ワゥ、そしてクリフォードの六人。

 狂ったような笑い声を上げながら襲い掛かってくる十数体以上ものエターナルミニオンも、彼らの連携に次々討たれていく。

 

 何故ならば、慣れた事だからだ。彼女達の生誕世界『煌玉の世界』唯一の街『エルダノーム』に押し寄せる、『悪魔』の軍勢を相手に戦っていた彼らには。

 

「どうした――その程度で、俺達の翼は折れねぇぞ!」

 

 それは正に、現時点の戦力の中で考えうる最高の守護者達だった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 クリフォードとクリスト五姉妹の奮戦を持って、エターナルミニオンの軍勢が押し止められている事を確信したアキは、余裕を崩さない。

 寧ろ、先に余裕を崩し――

 

「――クハハハハハハッ、成る程! 軍略では俺の負けか、流石だなアキ! それでこそ――――この様な回りくどい作戦に荷担した意味が有る!」

「きゃあっ、あ、兄上さまっ!」

「ルカッ! テメェ……!」

「そう息巻くな、閉じ込めただけだろう。貴様が逃げ出せないように掛けた保険だ」

 

 彼の能力だろう、イルカナを黒い結界の中に閉じ込めたタキオスが満足そうに快哉を上げながら【無我】を抜き放った。

 

「しかし、よくここまでの武人に育った。面白くなってきたぞ……」

「……どういう意味だ、タキオス。アンタ、俺の何を知ってる……!」

 

 刃体だけで優に2mは有りそうな肉厚の刃。ほぼ鉄骨と変わり無さそうなソレを軽々と振り回しながら、意味深な言葉を吐いた。

 

「俺達の間に言葉は不要(いら)ぬ……意味を成すはただ、刃鳴(はな)散らす撃剣の音色のみ!」

 

 それに対するアキの問いに答えず、解き放たれるオーラ。タキオスの足元に黒い精霊光が展開され、弾け飛ぶ大地。闘志だけで物理的な破壊を伴ったのだ。

 圧倒的なプレッシャーは、元より大兵であるタキオスを更に二周りは巨大に感じさせる。

 

――オイオイ、一体なんなんだよコイツ……! 同位の筈の激烈なる力がピグミーマーモセットに思えてくるっての……!

 

【当たり前だ……この男はロウの中でも屈指の担い手。三位どころか二位にも匹敵するぞ……!】

(そりゃあまた、嬉しくない情報を有り難うよ!)

 

 息苦しい程に濃密な殺気。そして……欲しかった玩具を手に入れた、子供みたいに愉しそうな笑顔。

 何より永遠神剣【無我】の発する黒いオーラフォトン。ねっとりと有機的で、禍々しいまでにどす黒いその精霊光に、本能的に凄まじい危機感と嫌悪を感じる。

 

「分かったよ……そうまで言うなら仕方ねぇ。叩きのめして聞き出す事にするさ」

 

 それ振り払うべく【是我】と『モスバーグ464SPX』をモチーフとした長剣小銃(ライフルスウォード)【烏有】を組み合わせた双剣小銃(ダブルセイバー)として左手で回転させ、更には敵よりも上位の永遠神剣【聖威】を右手で抜き放つ。

 恥も外聞もない、この男に勝つ為に。出し惜しみなど、していられない。

 

【先に言っておくが……今の我は消耗により三位以下だ。勝てる保証は無いぞ】

(ハ、心配すんな……テメェの敗けを他人の所為になんざしねぇさ)

 

 武者震いを振り払うように、精霊光と龍翼のハイロゥを展開する。原初マナの光『トラスケード』と『ホーリー』が吹き抜け、闇色のオーラと拮抗した。更に本気の証として聖外套をマントのように、袖を帯代わりに腰に巻く。

 この場を突破するには、この男を倒すしかない。否、何より家族に手を出し、己について何か知っているこの男を野放しにしておく気などは毛頭なかった。

 

「そう、それでいい。俺もお前も、根源は同じだ。強さへの渇望、より強き者を打ち倒す快楽を追い求める戦狂い(ウォーモンガー)……」

「一緒にすんなよ……って言いてぇとこだけど違いねぇ。俺より強い奴を知と武を駆使して倒すのは……楽しくて堪らねぇ」

 

 互いに浮かべる、よく似た酷薄な笑顔。最早語る事は無いと、互いに目で確認し合って。

 

「剣で語る方が早かろう――――来い、"天つ空風のアキ"!」

「徃くぞ、"黒き刃のタキオス"――――撃ち貫く!」

 

 頂点を決める決闘を行う獣の如く、互いの得物を手に。大地を踏み砕いて駆け出した――――!



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覇王の血脈 昔日の痛み Ⅰ 

 幾人もの少年少女の走り抜ける、闇の底の回廊。幾何学的な模様の施された正方形の石と樹木の根、時に林立する巨大な剣の織り成す幻想的な空間、根源回廊の最下層である『星天根・深層』。

 望達は既に待ち受ける敵の居なくなった時間樹の最下層を、始まりの場所である種子の芽吹いた場所、創造神の座『星天』へと向けて走り続けていた。

 

「たった今、『自壊』の神名が消えました……タツミは本当にやり遂げたんですね。創造神“星天のエト=カ=リファ”を、本当に倒したんですね。マスター」

「ふっ……見ての通りだろう、なぁユーフォリア?」

 

 未だに信じられないのだろうか、ナナシの驚いた様子の言葉に絶が隣にいた少女に声を掛けた。

 

「はいっ! だって、お兄ちゃんは一度口にした事は何があっても絶対に実現する、ちゃんと責任感がある男の人ですからっ!」

 

 『えっへん!』とばかりに、心底誇らしげにユーフォリアは膨らみかけの薄い胸を反らして己の男の自慢を行う。

 その男が今、どんな状態に陥っているのかは知るべくも無い。

 

「…………」

 

 それというのもエト=カ=リファが消滅したと思われる後、通信役のナルカナが沈痛な面持ちで沈黙してしまったからだ。

 これではこの一行に、もう一方の様子は知りようがない。恐らくはナルカナ自身、イルカナとリンクを切っているのだろう。

 

「……ナルカナ、大丈夫か」

「……ほっといて。今、虫の居所が悪いから……望でも命の保証は無いわよ」

 

 でなければ、イルカナが捕まっているというのに……この言葉は出てこないだろう。

 そんな、憔悴した彼女に対して。

 

「馬鹿――こんな時に我慢なんてするなよ」

「ふぁ――ちょ、望っ」

 

 望は――徐に、その細かく震える肩を抱き寄せた。

 

「あぁーー! ちょっと、何それ望くん! 私がログ領域から帰ってきた時も同じ事してよーっ!」

「そうだよそうだよーっ、わたしが『相剋』から解放された時にも同じ事をしてよー!」

「そうですよ、私が単身出奔してアズラサーセから」

「そうだよ、ボクがセフィリカ=ルクソの爆発に」

「そうじゃ、わらわが支えの塔の中央管制室」

 

 そして騒ぐ外野を無視して優しく、自分の体温を伝えるように力を篭める。

 

「俺達にとってはただの敵だったエト=カ=リファだけど、お前にとっては友達だったんだ。なら……我慢なんてするな、悲しんで良いんだ」

「……望……」

 

 それに、実に珍しく。豊満な胸元で掌を結び、瞳を潤ませる彼女。それだけ……ナルカナにとっては、エト=カ=リファは大事な存在であったのだろう。

 

「あたし……――っ!」

 

 そこで、ナルカナは表情を変える。いきなり周囲に満ちた、壮絶な害意を感じ取った為に。

 

「……そうよね、こいつらならエト=カ=リファの制御を外れててもおかしくないわ」

「ナルカナ、こいつらは……」

 

 滲み出るように歩き出た、複数のエターナルアバター。だが決定的に、今まで相手して来たアバターとは何かが異なっている。

 

「憎い……」

「死ね、死ね……」

「殺してやる――――!」

 

 虚ろな目に憎悪だけを映して永遠神剣を持ち……肌に、青白い静脈を浮き立たせたその姿。

 

「……『ナル化存在』、よ。ナルに汚染されて後は滅ぶだけしかない、哀れな傀儡――!」

 

 ナルカナの視線に、敵意が篭る。それを幕として複数のナル化存在が、彼等に襲い掛かった――!

 

 

………………

…………

……

 

 

 オーラを纏う二ツの刃、【聖威】と【無我】が打ち合い鬩ぎ合い鳴き散らす度に、大気が引き裂かれ鳴動する。

 互いの存在を滅却し合う実と虚のように、逆巻く白光(しろ)黒影(くろ)

 

 生命の息吹を象徴するアキのオーラと、死の足音を象徴するタキオスのオーラが滅ぼし合う。

 

「――クク、良いぞアキ! だが、まだだ……まだ足りんぞ!」

「――クソッタレ……莫迦力がッ!」

 

 一號を打ち合うだけでも、腕・肘・肩が纏めてイカレそうになる。それでも尚、タキオスは余裕そのもの。

 その癪に障る笑みに向けて、ダークフォトンを纏う双剣小銃――名付けて、空位【是空(ぜくう)】での『ゲイル』を振るう。さながらプロペラのように、高速で回転させながら。

 

「どうした……その程度では俺に、傷一つ付けられんぞ?」

 

 それを、実にあっさりと。イルカナを捉えた物と同じ漆黒の立方体が受け止める。そのオーラフォトンの密度たるや、アキのダークフォトンでは中和が間に合わない程だ。

 壱志(いじ)だけでは如何んともし難い、基礎能力(ポテンシャル)という名の差が横たわっている。

 

「次は空間ごと貴様を絶つ。これが……躱せるか!」

 

 振り抜いた【無我】によって弾き飛ばされ、地面を滑るアキの耳に響いた宣言。

 それと共に、タキオスの左手より放たれた黒い光。それは刹那にてアキの至近まで接近すると――やはり立方体の闇にて結界を構成して、イルカナを捕えているモノと同じ牢獄を成した。

 

「貴様は多彩な技を用いて相手の弱点を突く事で敵を凌駕するようだが……俺から言わせれば、そんなものは邪道に過ぎん」

「……チッ!」

 

 脱出しようと、闇の凝集した結界へと【聖威】の『エクスプロード』を立て続けに振るう。しかし、光の刃は耳障りな音を立てて障壁に弾き返されてしまった。

 それ程の堅牢さ、だがそれは裏を返せば防御力でもある。彼は一体、この闇の障壁により敵を包んだ状態で……どうやって攻撃しようというのか。

 

「そう、二つも三つも攻撃手段を持つ必要など無い……ただ一つを極めてこその、必殺となる!」

 

 そんな事は、考えるまでもない。()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 そしてその予想通り、タキオスは黒い障壁に向けて【無我】を構える。黒刃に絡み付く闇のオーラフォトンの密度が増すと共に、タキオスの姿が朧に揺らいで消えた。

 

 それは以前にも見た事の有る技だ、イャガが行った『次元跳躍』に酷似している。

 

――出来る。奴になら、この結界を()った斬る事が間違いなく可能だ。

 あんなにも真摯に、狂信的に力を追い求めるような奴が……テメェで作り出した枷くらい、越えられない訳が無い!

 

 それはほぼ直感。もうほとんど、敬意に近い畏怖。

 瞬間的に、自分自身の深層に埋没する。果てしのない刧初の海原、全てを浄化する波の生まれるその(しとね)に抱かれるように沈み……空際より海中に射し、揺らめく光を"透禍(スルー)"する。

 

 高めた己の特性により、彼を拘束する法は『対象』を失う。それとほぼ同じくして――闇の牢獄の前にタキオスが現れ出た。

 

「――――()ィィくぞォォォッ!」

 

 怒号と共に現れ出ながら――振り下ろされた【無我】の肉厚な刃。まるで刑場に引き出された罪人の斬首を行う執行者の剣のようだ。

 

「――――ッ!」

 

 文字通りの『空間断絶』、空間と結界ごと纏めて内部のアキを両断しようと迫る【無我】。

 それよりもほんの一瞬早く、効力を喪失した闇の牢獄をスルーしたアキが脱出に成功した。

 

「遅い――!」

「――ヌんッ!」

 

 そしてそのまま、巨刃剣【聖威】の『ヘビーアタック』で大鉈【無我】を振り抜いて体勢を崩したタキオスの脇腹を狙う。

 しかしそれは、降り下ろしからの横薙ぎを繰り出したタキオスに防がれて鍔競り合うだけに終わる。

 

「フッ――!」

 

 その状態から、タキオスの顔面目掛けて【是空】より放たれた雷速弾『イクシード』。

 それを平然と『絶対防御』にて弾き返したタキオス。余裕の表情を見せる男に、蒼茫の焔を纏う【聖威】の、防御無視の『フレンジー』を叩き込む。

 

「チッ――実はロボットかなんかじゃねぇだろうな!」

 

 その一撃が直撃して尚、覇王は揺らがない。痛みを堪える為の息を吐く事すらない。

 

「……成る程な。防御を破るのでは無く透り抜ける、か。確かにこれでは、どれ程に強力な防御機構を有していたとしても無意味」

 

 ただ、ニヤリと歪めた口角から滴った血に。僅かではあるが彼の体の内側……内臓にダメージを与えた剣撃、それに賞賛の言葉を贈る。

 

「そういう事だよ。そんでもって、どんなに強力な攻撃だとしても当たらなきゃ――ガハッ?!」

 

 その賞賛に皮肉を返そうとした、アキの左肩口から右脇腹に掛けて――血飛沫が走った。

 

「……巫山戯やがって、剣圧だけでこれかよ……」

 

 掠りもしていない筈なのに出来た傷痕を押さえて、呻く。本来であれば、精霊光により回復する筈の傷。

 

【傷が消えぬか…………このオーラの仕業だ】

 

 しかし、傷口に纏わり付いている漆黒のオーラが癒しを許さない。寧ろ加速度的に、傷から生命力が失われていくようだ。

 そしてその密度はやはり、アキのダークフォトンで中和できる密度を超えている。

 

【情けない……せめて、我が万全の状態にあれば――】

(ハ、確かに情けねぇ……)

 

 歯噛みする【聖威】の意思に、同意を返す。その、余りの不甲斐なさ振りに。

 

――強ェ……こんなに強い奴が、神剣宇宙(そと)にはまだまだ居るってのか。ハハ、俺も強くなったつもりだったんだが……井の中の蛙だったって訳だな。

 

(全く、不甲斐ない戦いをしちまったぜ……悪ィ、フォルロワ――――此処からはいつも通りだ)

【アキ……】

 

 失血を物ともせず、再び【聖威】と双剣小銃【是空】を構え直す。その歪な二刀流、それは――――

 

「フ……やはり、好む武器は似るものか」

 

 相対するタキオスには、それぞれがかつて戦った――――別々の神剣の担い手を思わせた事だろう。

 

「いつも通りに、卑怯上等でいくぜ――――!」

 

 気合いを入れ直し、戦域の把握による有利化『制地』を行って。意気軒昂、気負い無く眼前の強敵に向き直る。

 【是空】が纏う、漆黒のダークフォトン。実体化した反物質の双刃剣が空間を歪める。

 

【はは……単純な男だな、こいつは。だが、だからこそ――――馬鹿は強い、か……】

 

 そしてそれは、彼の右手に握られた巨刃剣【聖威】も同じ。

 

【よかろう、行くぞアキよ――――このフォルロワの全力を以て、アシストしてやる!】

 

 周囲に満ちるマナをその剣身に凝縮させた、物質化したオーラフォトンの両刃が空間を軋ませた。

 

「戦いはシンプルが一番だ……先に致命傷を与えた方が勝つ」

「全くだ……ハ、テンション上がってきたぜ……」

 

 この二人は正に好対照と言える。パワーとガードに秀でたタキオスとスピードとテクニックに秀でたアキ。

 互いに、その極致に在る者なのだ。

 

「「…………」」

 

 睨み合う両者、その間に流れる緊迫感。呼吸すら隙となり得る、極限状態での対峙。

 

――っても俺の"最速"には『質』じゃなくて『量』で限界が有る。"最速"は無限光を圧縮したモノだ……『エターナル・リカーランス』を創った今、源泉『生誕の起火』は種火くらいしか残ってねぇ……!

 

 だからこそ、輪廻龍の斬刃は――――残る力を振り絞るようにアキの目前に現れ、【是空】へと装填された。

 

――言った筈だ、出し惜しみ無しだと。そう、汚かろうとなんだろうと……俺は俺のエゴで、自分の護りたいものだけを護り抜く!

 

 ほんの刹那のようにも、遥か永劫のようにも感じられた対峙は。

 

「「――――ッ……!」」

 

 足場を踏み砕きながらの跳躍で、二頭は決着の為に交差した――その刹那、根源に激震が走ったのだった――――――――!

 

「何だ、これ――」

 

 その激震は、天地の区別すら無く。時空すらも揺るがす程に強烈で痛烈なもの。おおよそ想像出来るモノを超える揺れは、生きとし生ける者の全てを恐怖させて尚余り有る。

 思わず、目前の脅威に注意を払う事すらも忘れてそんな間の抜けた呟きを漏らす。

 

 決定的な隙、彼が最も嫌う筈の……無策の境地。

 

「――知れた事だ、この時間樹が枯死しようとしているというだけの事よッ!」

「……ッ、グゥゥッ!」

 

 そんな隙を見逃すようなタキオスではない。気付いた時には既に、不可避の距離まで踏み込みを許していた。

 振り下ろされた【無我】の一撃を、交差した【聖威】と【是空】で真正面からまともに受け止める形となって、踏み締めた足が地面に減り込む。

 

「……『時間樹の枯死』だと……ッ? 莫迦な、創造神を倒したところで存続に影響は出ない筈だ……!」

「だろうな。だが……それはあくまでも『今、滅ぼそう』という意志が無くなっただけの事だ。次なる『破壊者』が、貴様の仲間達よりも早く『星天』へと辿り着いたのだろうよ」

「……ッ……クソッタレが……!」

 

 直ぐさま全身の筋肉に乳酸が溢れ、心臓が拍動(ひめい)を上げる。会話しているだけでも息が切れて、意識が飛びそうになった。

 

「あまり失望させてくれるなよ、アキ……ただでさえ四半世紀近くも待たされたのだ、満足のゆくまで愉しませて貰わねば割に合わんというものだ」

「なんッ……だと? だからテメェ、俺の、何を……ッ!」

 

 更に篭められた豪力により脂汗が吹き出して、遂には片膝を折って堪えるしか無くなる。

 アキの"永遠神銃(ヴァジュラ)"は、彼の魂と言っても過言ではない。"永遠神銃"が折れるまでアキが屈する事は無く、彼が屈するまでそれが折れる事は無い。

 

「フン……まだ気付かぬか。この顔を見れば、直ぐに気付くと思っていたのだが……所詮、肉親の情などその程度か」

「……な、に……?」

 

 昏い愉悦に満ちたタキオスの言葉に、アキは無防備な素顔を見せた。悪辣な仮面(かお)などではなく、生まれながらの……酷く脆くて、無垢で真摯な顔を。

 自身の生存にすらも疑問を抱いて止まない、余りにも弱過ぎる素顔を曝して硬直する。

 

「気付かぬならば、教えてやる。貴様は俺の血を――」

「――黙れェェェッ!」

 

 激昂故の火事場の馬鹿力という奴か、言葉が終わる前にそう叫んで妨害しながら――タキオスの剛力を押し返して斬り払う。

 もし『ソレ』に続く言葉を聞いてしまえば、最早"天つ空風のアキ"が立ち行かなくなってしまう事を……本能的に感じ取った為に。

 

【落ち着け、アキ! 奴の挑発に乗るな――】

「消えろ、俺の目の前から……マナの塵の一ツも残さずに――!」

 

 フォルロワの制止も届きはしない。残った全てを搾り出して、空間を歪めながら煌めく黒曜石色のダークフォトンを解放する。左の【是空】を、トンプソン・コンテンダーに変えて。

 その反物質の渦を、身に纏う。圧倒的なマナを以て、自らの『限界突破』を試み――

 

「ふ、この程度ではないぞ。本物の力を……貴様に味あわせてやる。征くぞォォォッ!」

 

 それに対して、タキオスはやっと『両手』を使って神剣【無我】の柄を握り締めて足元に発生させている魔法陣を瞬かせる。

 

「肉体の限界を超える……力を求めた結果、俺は此処に辿り着いた……ウォォォォォォォォォッッ!」

 

 それは『輝き』ではなく『陰り』、染み入るようにタキオスの強靭な躯に吸収された漆黒のオーラフォトンは臨界を超えて波動となり放たれ――彼に圧倒的な身体強化を齎し、彼の肉体にもまた、『限界突破』を可能とした。

 幾重にも鬩ぎ合う、昏く澱んだ闇の波。その轟音の合間を縫い、限界を超えて強化されたタキオスの――――

 

「『成人式』という奴だ、この俺を超えて見せろ。さぁ、来い――我が『息子』よ!」

「黙れ――――俺の『親』は、時深さんだけだァァァァァァッッッッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!」

 

 タキオスの嘲笑と、アキの悲鳴。そして『エターナル・リカーランス』と『空間断絶』にて斬り裂かれる、時空の断末魔が響いた――――!

 

 

………………

…………

……

 

 

 情報と実体の入り混じるこの世の始まりたる根源回廊の闇の中を走り続ける望達、何体ものナル化存在を倒しながら漸く辿り着いた『星天片・モモタイ』。

 此処まで来れば、流石にもう誰も一言も言葉を発しない。ナルカナでさえも疲労の色を浮かべているのだ、他の面子は一様に荒い息を吐いていた。

 

「『星天』まであと、もう一息よ。あそこにある種子……ログ領域の基礎に潜入できれば、滅びた世界を作り直せる」

「ああ……元々の世界も、その他の世界もだ。あと一踏ん張り……もう一休みしたら頑張ろうぜ、皆」

 

 望の叱咤にも、皆少し頷いた程度だ。疲労はピーク、その後少しが果てしなく遠く思えた。

 

「「「「「――――――――!?」」」」」

 

 その刹那に、根源を襲った激震。時間樹の悲鳴を思わせる揺れに、一同は一斉に表情を凍らせて。

 

「――あら、残念。今回はあの子、居ないのね」

 

 深奥からゆっくりと……彼等の進むべき闇の中から溢れ出すような声と白い聖衣にもう一度、驚愕を示す。

 それを見たナルカナが、げんなりした様子で口を開いた。

 

「本当にしつこいわね……まだ分体が残ってたってわけ。これだから外部から来たエターナルって面倒なのよね」

「あら、ご心配無く。他の私は、ぜーんぶ『喰べちゃった』から……もうこの時間樹にいる私は私だけよ。それにしても……ひい、ふう、みい、よ、いつ、むぅ……半分しか来てないのね、足りるかしら」

 

 燃え立つ焔のように紅い髪、絹の如くきめ細かい白磁の肌と……奈落を思わせる虚ろな瞳がナルカナとユーフォリアを捉えて、ニタリと微笑んだ。

 

「うふふふ……でも、まぁ良いわ。メインディッシュに、【叢雲】とお嬢さんが有るだけでも」

「……"最後の聖母イャガ"!」

 

 【悠久】を構えたユーフォリアの声にも、イャガはさしたる反応も示さない。

 ただ悠然と、戦闘の準備を整える彼等を見渡しているだけ。

 

「美味しそうな子ばかり……ふふ、悩むわね」

「やれやれ……どうやら私達は歯牙にも掛けられていないようだな」

 

 神剣【慧眼】を手にしたサレスの、不愉快そうな言葉にも頷けようというもの。

 それはまるで……否、正しくケーキバイキングに来たOLのように。どれからどう食べようか、それを悩んでいる。

 

「全く……最後の最後で特大の邪魔が入ったか」

「マスター……」

 

 【暁天】を構える絶が漏らした、不平。だが、それも仕方ない。今の状況では……まともな戦いになるのかすら、怪しい。

 

 ナルカナが舌打ちしながら辺りを見渡す。いつしか集まっていた、ナル化存在どもを。

 その絶望的な状況に、沙月も希美もカティマもルプトナもナーヤも表情を強張らせていた。

 

「……泣き言なんて言うなよ、絶……空達はあんな状況でも自分の役目を果たしてくれた。だったら俺達だって何が何でもコイツを倒して、『星天』に辿り着くんだ! 帰りを待ってくれてる、皆の為に!」

 

 しかし――そこに再度、檄が飛ぶ。その声の主こそは世刻望、両手に構える双児剣の銘は【黎明】。希望の朝を告げる、白き光の名を冠する永遠神剣。

 

「ノゾム……うむ、それでこそ吾の主だ!」

 

 そして神剣【黎明】の象徴である守護神獣『天使レーメ』が、主の檄に応えて『セレスティアリー』を発動する。

 天界の煌めきと共に舞い散る天使の羽、それに触れた者皆に活力を与える金の光を。

 

「……ハハハ、全くだな。だが望、主人公の役目はこんな奴の相手をする事じゃない」

「イエス、マスター……全力で行きます!」

「そうだな……私達は足を止めては居られないんだ」

「そうです、イャガはあたし達が倒しますから……」

 

 その金光に、続く声三つ。同じく絶望の夜を切り開く銀色の夜明けの名を冠する永遠神剣【暁天】を自然体で構える絶と、森羅万象を見通す瞳の名を冠する【慧眼】を開いたサレス。

 そして、遥か久しく永い刻の名を冠する永遠神剣【悠久】を構えたユーフォリアの三人が、イャガの進路を塞ぐ。

 

「望ちゃんは沙月先輩とナルカナと『星天』に行って」

「はい、望……此処はどうか、私達に任せて下さい」

「こいつらは、全部纏めてボクらがぶっ飛ばしちゃうからさっ」

「時間樹救済はお主らに任せるぞ、のぞむっ!」

 

 そしてその正反対の側……出口に。穢れ無き月光を象徴する【清浄】、安息の宵闇を象徴する【心神】、命を育む水を象徴する【揺籃】、陰を払う火を象徴する【無垢】の四本が向けられる。それぞれの永遠神剣を構え、希美とカティマ、ルプトナ、ナーヤは三人を守るように……後方を遮るナル化存在達と対峙する。

 

「ええ……分かったわ、皆。さぁ、行くわよ、望君、ナルカナ!」

 

 それを受けて、邪悪を退ける輝きを象徴する【光輝】を構えた沙月が二人を促す。

 そして先陣に向けて投げナイフのように『ヘヴンズジャベリナー』を投擲した。

 

「皆……頼むッ!」

「とっとと追い付きなさいよっ!」

 

 その後に希美達が切り開いた活路に向けて、駆け出した望達。

 その三人の後ろ姿に向けて――

 

「あら、行かせると思う?」

 

 次元跳躍により現れたイャガが、無防備な望の背中に向けて『祓』を繰り出す――

 

「――させるかッ!」

「お前の相手は……」

 

 その【赦し】の刃を、サレスの風の防楯『ディバインブロック』と絶の日本刀の技巧『巻き落とし』により防ぎ。

 

「――あたし達ですっ!」

 

 白と青の属性を持つユーフォリアの『パーフェクトハーモニック』の光刃が、イャガに振るわれた。



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覇王の血脈 昔日の痛み Ⅱ

――昔……と言っても、多寡だか十数年前。或る、夢を見ていた。

 

 盛夏、白く見えるほどに焼けた日差しと蝉時雨の降り頻る神社の境内に小学生くらいの男児が歩み入る。

 彼は天木神社の看板を睨むように見上げたが、すぐ興味を失い感情の薄い琥珀色の瞳を日の照り付ける石畳……そこに落ちた己の影へ視線を戻した。

 

『何が授業参観だよ、バカらしい』

 

 ランドセルを投げてベンチに預け、玉砂利を踏みながらさっさと奥の山に分け入る。因みに今は平日の午後、低学年の彼は既に授業を終えて帰宅している時間だ。

 それを曲げて、此処に居る意味がそれだ。今日の授業参観、その際に見た他の子供達と親の嬉しそうな顔。

 

『おれにだって、居るんだ。おれにだって……今ここに居ないだけで、おれにだって』

 

 それが……誰も来ない彼には、余りにも羨ましく妬ましくて。

 

『そうだ、居るんだ……この空の下のどこかに、きっと』

 

 小学一年で習う漢字、『空』の名を……『伽藍洞』の意味の名を持つ自分が、余りにも空虚で。

 

『シネシネシネシネシネ……』

 

 都会のオアシスとでも言うべきか、緑の溢れるソコ。生命の楽園と思えるくらいに多様な生物環。

 

『シネシネシネシネシネ……』

『……うるせーな』

 

 梢に停まって鳴く、アブラゼミの挑戦的な鳴き声が腹立たしくて。その声が己の存在を否定しているような、訳も判らない強迫観念に囚われて。

 

『シネシネシネシネシネ……』

 

 それから逃げるように――……時深との訓練に向かったのだった。

 

 己の生きる目的を与えてくれた……『父親』の代わりもしてくれた、敬愛する『母親』に。

 

 

………………

…………

……

 

 

 吹き抜ける黄金の風と押し寄せる黒影の波。それはイルカナを閉じ込めていた結界を粉砕する程に、強烈な鬩ぎ合いの余波だった。

 

「……っ……兄上さま」

 

 彼女の眼前に広がる残骸、周囲のエターナルミニオンも纏めて消滅させられた破壊力から、辛くも結界で守られていた彼女の目に映る……背中を向け合い、互いの神剣を振り抜いた二人の男の姿。

 舞い散る被服の破片と紅い飛沫、それは――タキオスの黒いマントの破片と、胸元に先程と逆の傷を負ったアキのモノ。

 

「――…………」

 

 どさりと地に倒れ込むアキ。その瞳は輝きを失い、濁った硝子玉のようだった。

 

 寸分の狂いもなく心臓の位置に撃ち込まれた黄金の斬刃、しかしそれはタキオスの存在マナの余りの密度に僅かしか刃が通っておらず、無惨にひしゃげているのみだ。

 それこそ、彼の『最強の剣』の瑕疵。確かに、早さに掛けて『エターナル・リカーランス』を超えるモノはない。

 

 だが――――その威力は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、それ以外の場合はあくまでも、『()()()()()()()()()()()()()()()()』のだ。

 

「ふむ……中々に良い一撃だったぞ。しかし…………(オレ)を討つには、まだ足りんな」

「…………」

 

 斬刃を引き抜いて握り砕いたタキオスの呟き、それが癪に障る。癪に障るが――どうしようもない。

 

「……結局はこの程度だったか。期待はしたのだがな……」

 

 力無く横たわるアキに、冷たい瞳を向けて……タキオスは。

 

「所詮は、半人前か……実に無価値な事に労力を費やした」

 

 そんな、とても父親とは思えない言葉を吐いた。

 

――……なんだよ、なんで俺は……

 

 地に倒れ伏したまま、ヒビ割れた【是空】を握る左手に薄く力を篭めようとして……意味を成さずに空を切る。

 則ち、既に失われている魂の残滓が軋んでヒビ割れ今にも砕けそうになっていた。

 

「兄さま……はくぅっ!?」

 

 それに対して無毀の【真如】からアイオネアが化身と化してアキを守ろうと覆い被さるが、タキオスの発したオーラフォトンの波動に吹き飛ばされてイルカナと縺れて倒れ込んだ。

 

――……何で俺は、こんなに弱いんだよ……!

 

 必死に搾り出したマナは確かに『無限大』なのだが、結局アキは一度に『銃弾一発』分のマナしか操れない。

 その量たるや、まだミニオンの方が多量のマナを扱えている程だ。そんなものでエターナル……第三位の担い手の中でも上位の担い手、タキオスを相手になど出来る筈も無かったのだ。

 

「……ハハ……」

 

 倒れ伏したまま、薄く笑う。傷口から逃げ出していく体温に、笑いが込み上げて来る。

 その笑い声に、含ませて。

 

「……なら、俺の生まれた意味は……俺の母さん……おれの、ほんとうの、かあさんは」

 

 幾度となく自問し続け、その度に答えられずにただ絶望を積み重ね続けただけだった……人生で最初の、そして最後になるであろう問いを口にして。

 

「……『母親』、か? さて……テムオリン様とも言えはするが…………ハッキリさせたところで意味はないだろう、貴様は()()()()()()()()()()()()のだから』」

「――――――…………」

 

 その最初で最後の純粋な願いすらも、無慈悲に踏みにじられて。

 

【立て……アキ! 貴様がこの程度で挫けるタマか! 立て……立つんだ!】

 

 嘲笑われても、叱咤されても反応は薄い。もう死に掛けの身なのだ、既に……否、もうとっくに――生命ではない。だからこそ、まるでそれを他人事のように聞き入れて。

 

「強者が弱者から全てを奪い取る。それが、我らロウ=エターナルの掟……」

 

 そんな恨み言を、直ぐ真横を通り過ぎた彼に発するような余力すら残されてはいない。

 

――弱者……か。確かに、そうだ。何を守る事も……何を成し遂げる事も出来ない俺は……確かに弱者だ。

 

 そんな、想いを抱いて。

 

「――この二人を犯す。犯して、殺す。【聖威】も砕く、後から来る餓鬼共も先にいる餓鬼共も殺す。貴様がそうやって――――立ち上がらぬ限り……な」

「…………」

 

 倒れ伏したままのアキへと、吐き捨てるタキオス。彼は、縺れ合い動けなくなり――

 

「「――ひっ!」」

 

 怯えて抱き合ったまま震え合う、イルカナとアイオネアへと向けて歩み寄り――

 

「…………」

 

 血泡を吐きながらも、幽鬼の如く立ち上がったアキに向けて……再度【無我】を構え――

 

「……フ、始めからそうしていれば良い――ッ!?」

 

 有無を言わさずに振るわれた拳。半壊した【是空】を握り締めた拳で『レストアス』を模倣した能力と姿になったドッペルゲンガーの黒い雷光を纏い、加えて生誕の起火を纏った、()()()()()()()()()()()()『シャイニングブレイカー』に殴り飛ばされたタキオス。

 しかし、そのダメージはアキにも返り……【是空】は使用不可能なまでにひしゃげ、へし折れた拳や腕は痛々しく揺らいでいる。

 

「おいおい……我が子の玩具を取り上げちゃいけねぇよ」

 

――結局、生まれた『価値』も……

 

 だが、そんなものより。

 

「第一そいつらにはな、この俺が先に唾つけてんだ……」

 

――結局、生まれた『意味』も……

 

 そんなものよりも、ずっと――

 

「その俺より早く味見しようなんて、いい度胸じゃねぇか、クソ親父――――…………!」

 

――――生まれた『理由』さえも、俺には……無かったのか。

 

 ずっと、その落胆(かんき)の方が色濃く浮かぶ表情のまま、悪辣で空虚な笑みを浮かべながら。

 タキオスの血統に名を連ねる証の如く……莫大な量の漆黒の光を――ダークフォトンを纏わり付かせていた。

 

「……クク――良いぞ、それでこそ俺の因子を持つ存在だ!」

 

 それに歓喜するタキオスを睨み、足元に魔法陣を展開する。佛教画の曼陀羅を想起させるソレから漏れ出す、墨汁の如く濃密で……虹色に煌めいてすら見える、黒耀石(オプシディアン)のダークフォトン。

 その黒い渦の中でアキは、アイオネアとイルカナの隣に立った。

 

「兄上さま……」

「兄さま、わたしの事はお気になさらないで下さい……兄さまの為なら、このくらいの消耗なんて――」

 

 弱々しく起き上がった媛君は法衣に包まれた、まだ快方に向かっていない様子の小さな体を押して、そう口にした。

 

「アイ――お前から貰ったこの生命、今、お前に返す。俺の中の【真如(おまえ)】を――――一つに纏めて、『()()()()()()姿()()()()

「えっ……兄さま、ですが……そんな事をしたら……!」

 

 そこに、余りにも意外な言葉が返る。アイオネアの言わんとする事も最もだ。今の彼は、アイオネア――――『生命』である空位永遠神剣・【真如】の一部……否、『五分の四もの大部分』を宿しているからこそ。

 

「大丈夫だ。あのヤロウが言ってた通り、俺は()()()()()()()()()なんだから――――そんな奴が、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 ほとんど、自嘲と変わらないその物言い。彼女はそれに、辛そうに顔を俯けて。

 

【アキ……まさか、貴公】

「……気付いて、しまわれたんですね。兄さまが、()()()()()()()()事に……」

「ああ……俺は――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()んだな」

「【…………」】

 

 二つの沈黙は、肯定の証し。そもそも、ヒントならば幾つもあった。()()()()()()()()()()地位神剣【刹那】の代行者フォルロワから『敵性宇宙(インヴェーダー)』と呼ばれた時点で、()()()()()()()()()()()()空位神剣【真如】の化身アイオネアが『誰か解らない』時点で――――異質だったのだ。

 

「それを行えば……兄さまは生命の加護を失い、次に消滅を迎えた時に――――表現する術もない『  』へと還り、真の意味で『消滅』します。それが、()()()()()()()()()()()()()姿()……」

 

 それは、余りにも不実の永久。一度死ねば気ゆると言う、()()()()()()()()()()()

 

「――ハハ、願ってもねぇ」

 

 だが、それは――この男にとっては。

 

「こんな俺にまで、生命に与えられる最後の恩寵をくれるなんてな――――やっぱり、お前を選んで正解だったよ、アイ」

「兄さま……わたしもです。何モノでもなかったわたしを、見付けて下さった貴方に選ばれて――――幸せです」

 

 恋い焦がれた、人間らしい姿そのものなのだ――――――

 

「兄さま……全ては兄さまの御心のままに。【真如(わたし)】は――――――【無明(あなた)】の為の『神柄(ツカ)』ですから」

 

 諦めるように、媛君は儚い笑顔を見せる。全てを肯定する彼女に、アキの決断に翻意を示す選択肢は初めから無い。鞘刃【真如】に還ると、アキの体内に溶け込んでいった。

 

【そういう事であれば、ワタクシどももお付き合い致しますわ】

【おうともよ、俺っちらの命も媛樣に御返し致します】

【まあ、暫くは帰って来れないだろうけど――僕は処女の護り手だしね……あのクソッタレ男を倒す為なら是非もなし】

【そういうこったね。アタイらの媛樣に猥言を聞かせたツケを払って貰おうじゃないさ!】

【呵呵、父君に対して悪いが、儂の逆鱗は媛樣だからのう……悪いが、生かしてはおけん】

 

 それはまるで、満たされるように。なのに、()れるように。肉体も、生命も――――魂すらも、一つに融け合う。

 そして腰元の五挺もまた、生命をアイオネアへと還して……残った銃は、目の前で五色の光となって【是空】に融けた。

 

「さぁ――――行くぞ、アイ……俺達なら」

【はい――――行きましょう、兄さま……わたし達なら】

 

 アキの足元に、魔法陣が花開く。オーラフォトンとダークフォトンの対消滅により生じた莫大なエネルギー、黄金の無限光の華が。

 

 かつて、『龍の大地』と呼ばれた世界で、ロウとカオスの戦いがあった。その際に撒かれたロウの罠により、【世界】の名を持つ永遠神剣と担い手が生まれた時にある巫女が言った。『神剣との融合など、精神が脆弱な証拠』であると。

 さもありなん、そもそも担い手は神剣との同調率が高ければ高い程に強いもの。ならば――マナを求める永遠神剣が、担い手を取り込んででも強くなろうとするのは自然な成り行きであろう。そして心弱き者はその強制力に屈し、精神を構成するマナを喰われ、傀儡となる。

 

 ならば、この永遠神剣(ふたり)はその反証。マナを求める必要もない永遠神剣と、実親より自らの在り方を否定されても尚、立ち上がる反骨の男。

 それでも――――――

 

「【――――【輪廻(いっしょに)】なら……きっと、全て超えていける――――――」】

 

 それでも、『是我(これがおれだ)』とでも言わんばかりに。【無明】と【真如】の融合した死と生の無限の連鎖を象徴する永遠神剣……『(やいば)』【輪廻】の担い手“(あま)空風(カゼ)のアキ”は――――巨刃剣【聖威】と、半壊したトンプソン・コンテンダー【是空】を握り締めて。

 精一杯の強がりを……唯一無二の得意技である空元気にて、『壱志(イジ)』を吐いた。

 

「駄目です、兄上さま……そんな事をして、もしも兄上さまが消えてしまったら――――ユーちゃんが、アイちゃんが……皆が哀しむんですよ!」

 

 だから、まるでその代わりとでも言うかのように。濡れ羽烏色の長く艶やかな髪を靡かせて、イルカナが、【是空】を握る彼の左腕に縋り付いた。

 

「ハハ、何だ、ルカは哀しんでくれないのかよ?」

「こんな時にまでふざけないで下さい! 私だって……そんな事になったら……!」

 

 それにいつものような軽口が返れば、うっすらと怒り、そして涙を浮かべた彼女が見詰め上げてくる。

 成る程、心配される訳である。射干玉(ぬばたま)の瞳、そこに映り込んだ、今にも絶命しそうな程に傷だらけの己。同じ立場であれば、きっと同じ行動に出ていた事だろう。

 

「全く……最近の妹はこれだからなぁ。やっぱりフーテンの妹、サクラさんくらい向こうっ気が強くないと」

 

 だからこそ、この(おとこ)は折れず、曲がらない。

 

――だが、これは俺の利己(エゴ)……さっきも決意した通り、俺は……俺の為に。俺の大事なモノの為だけに!

 

 縋り付かれていた左腕を優しく振り払う。その動きだけでも気が遠くなるくらいの苦痛を伴いながら。

 

「いつもみたく、不適に送り出してくれりゃあいいんだよ。ルカには、それが一番似合うからな……」

「兄上さま……」

 

 自分の為に、自分の壱志(イジ)を貫くのみ。正に、放たれた銃弾のように……もう二度と、『薬莢(さや)』に戻る事は無くても――――ただ、前に。風の如く、立ち止まらずに前へと。それが、“天つ空風のアキ”と言う侠雄(おとこ)なのだから。

 無理矢理決めたサムズアップと、不敵な笑顔。それを見たイルカナは、呆れ返るように笑って――

 

「……本当に……兄上さまはいざと言う時に空意地ばっかり。少しは弱いところを見せないから、他の女性に相手にされないんですよ」

「おいおい、俺から意地っ張りを取ったらただのチンピラだぜ……それに俺は、『量より質』がモットーなんだよ」

 

 いつも通り、軽口を叩き合う。そして――迷いを振り切るように。

 

「だから――私にも、一緒に戦わせて下さい。私だって【叢雲】の力の一部……足手纏いなんて、真っ平ですから!」

 

 再び左手を取り、その拳に掌を重ねて……触れたのは、壊れた【是空】。

 

「ルカ……けど、お前は」

「はい、お姉ちゃんの一部……つまり、ナル存在です。だから、兄上さまの無限光と――私のナルを、対消滅させましょう」

 

 成る程、対であるオーラフォトンとダークフォトンを対消滅させて得る黄金のマナ(無限光)、そのマナとナルは対。ならば、対消滅により更なるエネルギーが得られよう。

 それは、理解できる。理解できるが――

 

「莫迦……お前の内包する、ナルは」

 

 だからと言って、彼女はあくまでも『ナルカナの力の一部』。内包するナルは、ごく僅かだ。

 それを諫めようとした時、イルカナはにこりと笑った。

 

「全く……最近の兄はこれだから。やっぱりフーテンのトラさんくらい向こうっ気が強くないと。第一、妹の方からこんな事を言わせるなんて何事ですか? 貴方は……気に入らないモノを吹き飛ばす風でしょう?」

 

 にこりと不敵に笑いながら、そんな台詞を口ずさんだ。アキはそれに一瞬だけキョトンと三白眼を円くして。

 

「――――ハハ、こりゃあ一本取られたかな!」

 

 やおら口角を吊り上げながら【是空】に力を振るう。アキの――【無明】の意味、『迷い続ける事』……則ち、『自らの在り方を選びとる』力により、イルカナの持つ『ナル』と融合させて――――新たなる力へと。

 突き出された【是空】の先に、漆黒の虚無(ナル)が集う。その奈落に、アキより生じた黄金の無限光が混じり――――

 

――クソッタレ……無限光どころか、俺の生命の全てを根刮ぎ持っていかれそうだ……!

 

 その虚無の濃さに、反吐を吐きたくなる。虚無はたったそれだけでも、この世の全てを呑み込もうとする奈落のよう。

 

「――上等だぜ……呑み込めるもんなら呑み込んでみやがれ……俺は、それを満たす伽藍堂だ!」

 

 その逆境に、咆哮する。血反吐と共に、全霊を籠めて――――無限光と虚無を遂に、蒼く煌めく燐光を纏う、荘厳なる黄金の『無量光』と換えた。

 

「……良いんだな、ルカ――」

「はい、兄上さま――私の力を、使って下さい」

 

 握り締める、無傷に回帰した【是空】。しかしそれは今までの『トンプソン・コンテンダー』ではなく、『ブローニングBLR』のような、龍の顎を思わせるラインで上下に分かれ合間から銃口が覗く、さながら西洋の聖剣を思わせる程に流麗なダマスカスソードの両刃銃剣(バヨネット)の備えられた、レバーアクションライフル。

 ストックは中心にグリップが配置された、中空の物となっている。

 

「神剣【叢雲】の化身、ナルカナの力の一部イルカナではなく――――イルカナの力として……」

「ああ――――輪廻の先まで残るように確りと、覇皇(あくとう)の強さを、奴に見せつけてやる!」

 

 へたり込んだ彼女に答えると共に、空間跳躍で至近距離に現れたタキオスの『空間断絶』を『楯の力(ナル)』の概念の具現『ディスペランスシールド』で可能な限り減衰させつつ、巨刃剣【聖威】で受け止める。

 タキオスの【無我】は、それで漸く殺傷能力を防御可能なレベルまで低下させた。

 

「フ、新しい力を手にしたとて、付け焼き刃ではな――この俺を、失望させるな!」

「ハ――――慌てんなよ、クソッタレ……今すぐにその御自慢の剣ごと、この時間樹から消滅させてやる……!」

 

 どこか楽しげな様子で吼えるタキオスに、やはりどこか楽しげな様子で吼え返したアキ。その姿形は、紛れもなく――――同じ血を感じざるを得ない。

 【聖威】を鍔競り合わせたまま、掌でスピンローディングさせた【是空】の銃口をタキオスの眉間に向ける。

 

【マナよ、輪廻龍の息吹となり敵を討て――】

 

 魂に響いたのは、懐かしい言霊。恐らくは記憶を読んだアイオネアがドッペルゲンガーから【幽冥】の技の知識を得たのだろう。

 

「【略式詠唱(ダブルアクション)――――リインカーネーション!」】

 

 花開く、青き漣獄(れんごく)。ナルカナが焔により焼き尽くす事で『終わりから(から)に還す』なら、アイオネアのものはあらゆる生命を『生命のスープ』に還元する事で『始まりから(から)に還す』神剣魔法(ディバインフォース)。並みの防御ならば、既に勝負が決する程の一撃だ。

 だが、それ程の一撃を持ってしてもタキオスは揺るがない。その『絶対防御』は、尚も健在――――!

 

【ふん……新たな力とやらを手に入れても、このままではジリ貧だ。何か打開策でもあるのか?】

【ええ、有ります……兄さま、わたしとフォルロワさんに無量光を……全て、注いで下さい】

 

 フォルロワの至極当然の疑問に、アイオネアはさも当然の如く答える。実際に握り締めていたアキにはその瞬間、【聖威】が震えたのを確りと感じた。

 

【な――バカな、そんな事をしたら、我の全ての力を取り戻して余りある! いや、むしろ我の容量を……】

【出来ます。だって、わたしは『刃』で……貴女は――――第一位永遠神剣でしょう?】

 

 アイオネアは、フォルロワの問いにさも当然の如く答えた。それに、フォルロワは至極の答えを返す。

 

【言ってくれる――――貴様こそ吠え面を掻くなよ、『刃』!】

 

 それに、フォルロワの自尊心が奮い立つ。彼女は紛う事なき第一位永遠神剣【聖威】。その巨大な刃に、意を沿わせて――

 

【行きましょう、兄さま――――】

【行くぞ、アキ――――】

 

 【聖威】を腰溜めに、【是空】を銃形態から剣形態に……グリップとストックを刃と水平に為るように動かし、上下の刃が噛み合うように閉じた形態に換えた。

 周囲の空間を埋める黄金の無量光の瞬き。足元の魔法陣から地吹雪のように沸き上がる金の蛍雪の如き光を眺めながら、アキは完治した腕を虚空へと翳す。

 『プロファウンドパワー』が補填して、更に強化した肉体。開いた直ぐさま傷口は埋められ、折れた骨も瞬く間に接ぎ合わされていく。いつまでも終わる事無く攻勢を続けられるように。

 

「――成る程な……こりゃあ、凄いな」

 

 際限も、限度も無く広がっていく知覚。それは今までで、一度も得た事の無い感覚。

 

――闘える。俺は、コイツを相手にしてでも闘える。そうだ、今の俺なら――――……死ぬまでだって、戦っていられる!

 

 漸く勝算を得て、体を包み始めた高揚。【輪廻】という発火装置を用いたそれは、瞬く間に彼の全身を這い上がり――

 

【ええい、何時まで待たせる気だ、アキ! 早く“黒き刃”をどうにかせねば、時間樹の崩壊を止められぬぞ!】

「イテテ、解ってるよ」

 

 キィィン、とフォルロワから頭の中で硝子を引っ掻かれたような不快感を与えられる。それを堪え忍び、懐から煙草を抜き出して――――空箱な事に気付いて、握り潰すと根源の闇底へと投げ棄てた。

 

「……ちょっと感動してたんだよ。『名は体を表す』ってな。先人の知識には驚かせられるぜ」

【はぁ? 毎度の事ながら意味の解らぬ事を……】

 

 その琥珀の瞳には、何の感情も映ってはいない『空虚』。それが、瞬きの後に充たされる。幼く、純粋な笑顔で。

 

「だけど――意味も価値も理由も無い……それこそが俺の生きる意味、生きる価値、生きる理由だ」

 

 見出だしたのはただの詭弁、ただの屁理屈だ。

 だが、それでも。

 

「その答えを得ただけで……俺には生きてきた意味が、価値が、理由が在ったんだ」

【兄さま……】

 

 それでも――この強情っ張り男が"壱志(いじ)"を張るには充分な因果だった。

 

「……だからまぁ、折角そんな俺の父親に会ったんだ。孝行しねぇと、仁義に反する」

 

 そして――再度行った瞬きの後に浮かべた悪辣な笑顔。口角を吊り上げた彼は、視線をタキオスへと向け直した。

 

「俺の『十八番(ころし)』が孝行に成るんだ……今までずっとそれを研鑽して来たなんて、ホンットーに孝行息子だよなァ、俺って」

「フ……違いないな。だが、勝算は有るのか?」

「あぁ、有るさ。あんだけ盛大に『二つも三つも技は不要』なんて言ってんだ……アンタの技は、三つとも全部見させて貰った」

 

 【是空】と【聖威】を握れば、戦意が沸き上がる。最早、何一つ気負いなどない。

 

「俺に同じ技は二度通用しねぇ……どんな特殊能力で来ようと、生命はそれを乗り越えていく"可能性"そのものなんだからな」

 

 穢れきった、他人の手垢に塗れた奇跡を己のものとして行使する。それが――――【輪廻】の持つ能力だ。

 『思い描く事の出来る森羅万象を実現する可能性を選び取る』能力。『生命』という、反骨の歴史の具現。川の流れを変え、空を飛び、病を克服する。連綿たる歴史の中で、何度も不可能を可能にして……今や生まれた星すら食い尽くし脱出しようとしている、ウィルスと同じ行動理念を持つモノ。

 

――それの何が悪い。必死で命を燃やす事に、善悪が有るのか。

 善も悪も人間が生み出したもの。そう、同じ人間が生み出したその下らないものに従う謂れが何処に有る――――!

 

 意を沿わせると共に、無量光が【是空】と【聖威】に集う。荘厳な光が(きっさき)を形成し、形状を露にしていく。

 

「さて、行こうぜアイ……」

 

 差し出された、弐刀。目映く煌めく、その双振りを――――

 

「――――さっさと片付けて、時間樹の崩壊を止めるぞ」

【――はい!】

【――当たり前だ……行く!】

 

 柄を握り締めれば、黄金の光が燐光を溢れさせて煌めく。まるで、生命の煌めきのように。

 

「ああ……我が生命、空位永遠神剣【輪廻】。我が朋友、地位眷属第一位【聖威】!」

 

 その弐刃を構える。中央亜細亜においては、"英雄"が持つとされる波紋刃(ダマスカスブレード)。瑠璃色の波紋が拡がる星光の剣を、両手で握り締めれば……二重螺旋を画く、『天の力(マナ)』と『地の力(ナル)』。

 その『対消滅』により得られた、文字通り生物の揺籃たる星の光を湛えた無量光の、刃を。

 

「そうだ……闘争こそ! 極限状態の生命のやり取り、この高揚こそが――生きる意味だ!」

 

 それに、猛々しく壮絶な笑顔とダークフォトンを纏う【無我】を向けるタキオス。その身は再度、漆黒のオーラを纏い……先程突破したばかりである限界の更に先に有る『限界突破』を行う。

 それは正しく――狂躁と狂熱に脳を冒された、獣そのものだった。

 

「「――――ハァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!!!!!!!!」」

 

 最早、言葉を交わす事すら無く。しかしまるで申し合わせたように、同時に互いの『必殺技』を繰り出す――――!

 

()ィいくぞォォォッ!」

 

 空間を引き裂き、死滅させながら大上段から襲い掛かる【無我】の『空間断絶』。それは敵の防御も空間を引き裂く事で、問答無用に叩き斬る一撃だ。

 対する刃【是空】も、大上段から真正面に振り下ろされて斬り結び――

 

「【天――――――……!」】

「――――な、に!?」

 

 斬り結んだ一撃は『電光の剣』、彼の名『空』の起源に由来する『繋ぎ結ぶ』概念で空間を弥縫された事により――タキオスが作り出してしまった、刹那の隙。

 それを見逃すアキではない。瞬間に、黄金の光芒を纏った【聖威】で『星火燎原の太刀』を振り抜く――――!

 

「【――壌――――――!」】

「――――ッ!」

 

 それにタキオスは、『絶対防御』にて防御を行う。空間を遮断するという防御だ、同じ空間操作系の永遠神剣でなければ対抗は不可能といっていい。更にその遮断膜を自ら断絶しながら、【無我】を横薙ぎに繰り出す。

 

「ガッ――――!」

 

 その遮断膜を――……『空』のもう一つの側面、『断ち斬る』概念が斬り拓いた――――――!

 

「【――――――無――――!」】

 

 タキオスから繰り出される横凪ぎ。しかし、横腹を切り開かれながらも、避けはしない。切り開かれながらも、その血を打ち撒けながらも――――それでも尚、歯を食い縛り――――――【是空】にて『南天星の剣』を振り降ろして。

 

「【――――――――窮……ッのォォォォッ!」】

 

 同時に振り降ろされた【無我】にて身を割かれつつ、繰り出された横凪ぎ。更に、振り上げられた【無我】に続き、【聖威】での切り上げ『北天星の太刀』と切り上げと【是空】の切り下ろしを行い、飛び上がり――――

 

「【【――――――――――――太刀!」】】

 

 全身全霊を籠めて振り下ろした両の剣での『光芒一閃の剣』により完成した『天壌無窮の太刀』が、足場に巨大なクレーターを穿った。

 

「ぐ……ぅ、ぐふっ! み、見事! 強者には、敬意を払わねば……なるま、い……」

 

 絶命を免れぬ程に肉体を断たれ、滅びゆく彼の命。しかし、その実存は一部とも揺らきは無く――――

 

「……煩せェよ。とっとと、死ね」

 

 肩口から入った一撃により深々と躯を斬り裂かれたタキオスが、血を吐く。

 そのタキオスの『空間断絶』は、無量光の楯『ディスペランスシールド』に阻まれ……あと数ミリほど、彼の心臓まで届いていなかった。

 

 ずちゃり、と。聞くに耐えない音と共に、三つの刃が引き抜かれた。僅かに距離を取り、アキは残心を示す。示したところで、もう満足に動く事も出来ない辛勝だが。

 

「ふ……【無我】よ――」

「ッ――――」

 

 その瞬間、タキオスが足場に【無我】を突き立てて息吹を掛けた。漆黒のオーラが沸き上がり、アキを覆い――

 

「この者に、活力を……」

「――って、何ッ?!」

 

 オーラは、アキの傷を完全なまでに癒した。ほとんど、戦う前の状態にまで。

 

「何の……つもりだ」

 

 体の具合を確かめながら、油断無く睨み付けて問う。それにタキオスは、ふっと相好を崩して――懐から何かを抜き出すと、アキに投げて寄越した。

 

「ふむ……何、ご褒美という奴だ。孝行息子への、な」

「……舐めやがって」

 

 つまり、この男は――――それだけの余力を残していたのだ。全力を使い果たしたアキとは違い、まだ。

 その経験と実力の差を、嫌と言う程に思い知らされた。

 

「……いやはや、後世恐るべしだな……外宇宙で待っている、また……合見(あいまみ)えたいものだ……」

「ああ……何度だって殺してやる」

 

 【無我】と共に、白いマナの霧に変わって消えて逝ったタキオス。だが……エターナルは契約した永遠神剣を手放して死なぬ限り、消滅しない。また、神剣宇宙で復活するだろう。

 

「………あー、クソッタレ……」

 

 胸の痛みに悪態を吐きながら、へたり込む。その視線の先には、掌の中で弄ばれる――鉄葉(ブリキ)の缶ケース。

 

「……煙草、か」

 

 それは、以前写しの世界で会った際にタキオスが吸っていた紙煙草の金属箱。中身の煙草は、僅か数本減っているだけだった。

 

「……チッ」

 

 それを、忌ま忌ましげに投げ捨てようとして――

 

「――兄さまっ!」

「――兄上さまっ!」

「――うおっ……とと……」

 

 剣から化身に戻った――――同い年くらいまで成長した姿になっているアイオネアと、戦闘を見守っていたイルカナに抱き着かれ……泣かれて、うやむやになってしまう。

 

「ふん……危うい闘いをしおって。自覚しろ、一時的にとはいえ我を担うのならば、負ける事は許さん」

「へいへい……努力しますよ、お姫様」

 

 そして化身化して腕を組み、つんとそっぽを向いて銀のポニーテールを靡かせる――――限界にまでマナが充填された為か、大人の姿に戻ったフォルロワの姿があった。

 

「おーい、空――!」

 

 そんな彼等へ、遠くから声が響く。ソルラスカ達の声だ。それに叫び返す余力も無く、手を振るに留める。そして――どうやら手製らしい煙草を銜え、自前のライターで火を点す。

 

「っと……悪いな、フォルロワ」

「構わん…………今回は大目に見てやる」

 

 了承を得て、紫煙を燻らせる。肺腑を満たす独特の渋い香気、かなり強めのニコチンの味わいに堪らず咳を一つ払って。

 

「クッソ不味……」

 

 そんな呟きを溢して、静かに笑った…………



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運命の輪 宿命の轍 Ⅰ

 激震し、枝葉を崩れさせつつある時間樹を眺めながら……白き“法皇テムオリン”は不満げに【秩序】の杖を握る。そこからは――――有るべき『手応え』を感じられなかった。

 

「ボー・ボー……一体何のつもりですの? 折角、時深さんに引導を渡すチャンスでしたのに」

「だから何度も謝っているだろう、それに我は戦いが苦手でな……初めて共闘するお前とでは、連携がとれなかっただけだ。他意はない」

 

 その琥珀色の瞳が、剣呑な視線を隣の三本腕の大男に向けられる。しかし、大男は丸形のサングラスの位地を直し、額にある三つ目の瞳を彼女に向けて嘯いたのみ。

 

「……そういう事にしておいてあげましょう。何にせよ、時深さん以上の『時朔』の能力を持つ貴方の【無限】で未来に飛ばされたのですから……暫くは戻ってこれないでしょうし」

 

 気を取り直したのか、普段通りの余裕を取り戻し、時間樹の断末魔に耳を傾ける。

 まるでクラシックでも聞くように、悪趣味にもうっとりと瞳を閉じて。

 

「テムオリン様……只今戻りました」

「ご苦労様です、タキオス。それで、仕上がりは如何かしら?」

 

 ゆっくりと揺らした【秩序】から招聘した、巨大なマナ結晶。それから『復活』した“黒き刃のタキオス”の言葉を待つ。

 

「『予定以上』……です。まだまだ青いですが、十分に戦力にはなりましょう」

「ふふ……貴方がそこまで評価すると言う事は、少なくとも前回連れていった三匹よりは使えるでしょう。まぁ、生まれたばかりでそれなら……」

 

 恭しく(かしず)いたタキオスの言葉に、テムオリンは満足そうに頷いた。そして、隣で気の無い振りをして聞き耳を立てている大男に悍ましいまでの微笑みを向けて。

 

「これで――――新たな『盟主の器(おかざり)』、今は()()()()()原初神剣の『位』に滑り込むもの……【輪廻】とその担い手が手に入りましたわねぇ、“()()()()()()”ボー・ボー?」

「……何か勘違いしているようだが、我の二つ名の由来は我自身が『何度完全消滅しても発生した瞬間に戻り、別の結末を目指す』からだ。一度も同じ結末は無く、また、納得した結末も無いがな」

「そういう事にしておきますわ。それで、今回はどうですの? 満足出来そうなのかしら?」

 

 クスクスと嘲笑う声に、ボー・ボーは溜め息を吐いたのみ。だがそれ程に気分が良いのか、はたまたそれで意趣返しに満足したのか。テムオリンは再び、滅びに瀕する時間樹へと目を向ける。

 恍惚と、興奮に口許を歪めて。紅く小さな舌で、チロリと舌舐めずりをしながら。

 

態々(わざわざ)、この時間樹エト・カ・リファに私の『遊び場(クラインの壺)』を混入させて長い時間と労力、資財を掛けた甲斐がありました……やっと、やっと“全ての運命を知る少年”と“宿命に全てを奪われた少女”を滅ぼしうる『(ブレイド)』が仕上がりましたわ……あの目の上のたん瘤ども、『無駄に強いだけの巨人を殺す為(ジャイアントキリング)』の刃が」

 

 更に歪む表情は、憎悪と歓喜。煮え湯を呑まされた者達への害意に充ち溢れた表情を隠す事もなく、新しい玩具を手に入れた……見た目通りの子供のように。

 

「本当に――――親孝行な話ですわ。うふふふふふ………………」

 

 

………………

…………

……

 

 

 根源回廊の深遠の、更に底。無数の剣が突き立つ通路を駆け抜ける四人の影。文字通りこの時間樹の根源である『生命泉・ヒノサラ』と『無限光・コトギマ』、そして『無銘刃・フワラナ』を越えた、その先に……『星天』の座は存在した。

 

 辿り着いたのは、神剣【黎明】の望とその守護神獣の天使レーメ。【光輝】の沙月と【叢雲】の意志たるナルカナ。

 

 此処に至る迄にも、壮絶な戦いがあった。待ち受けるナル化存在達との戦いを、思い返す仲間の声に背を押されて戦い抜いたのだ。

 最早、満身創痍等という言葉すら生温い。そんな中で、望は懐から……この戦いに臨む前に、信助達に貰った懐中時計を開いた。

 

「……時間樹の崩壊まで、あと一時間を切った……間に合うのか?」

「ギリギリってとこね。まぁ、辿り着きさえすればなんとでもして見せるわよ」

 

 道々ナルカナに聞いた、時間樹の崩壊まで掛かる時間を逆算して……顔をしかめる。

 確かに、危うい。このまま進んで、ギリギリと言ったところか。

 

「――うふふ、そう簡単にいくのかしらね?」

「「「「――――!」」」」

 

 突如として響いた声に彼等は心臓を凍らせ、振り向く。

 そこに存在したのは――――

 

「そんな、嘘……イャガ!」

 

 沙月の悲鳴に、彼女は薄く笑う。悠然と立つ……薄い紗だけを纏った女が。

 

「一体どうやって……」

「あら、簡単よ。私は()()()()()()()()()()()()()()()、あの娘達に任せてきたの」

「っ……あんた、まさか――――!」

 

 冷や汗を浮かべたナルカナが、イャガの背後に続々と現れる数体のナル化存在を見遣る。それらが『()()()()()()()()()()()()()()』事から、ナルカナはある結論に達したのだ。

 

「――――原初より終焉まで! 悠久の刻の全てを貫きます!」

 

 刹那、ナル化存在達の背後から駆け抜けた蒼き流れ星。『ドゥームジャッジメント』により、イャガとナル化存在は纏めて貫かれた。

 そしてそれを成したユーフォリアが、望達の前に降り立つ。

 

「ごめんなさい、皆さん……遅くなりました」

「ユーフィー、他の皆は!?」

「ナル化存在の数が予想以上に多くて……あたしだけしか抜け出せないから、って……」

 

 濛々と立ち上る粉塵と、濁った黒い霧。それに向けて隙無く大剣に戻した【悠久】を構えながら、辛そうな表情を浮かべたユーフォリア。

 元より責任感の強い彼女だ、仲間を置いてくると言う行為に何も感じない訳がない。つまり――――それをやらなければならないと判断した程の状況なのだ。

 

「んふっ……うふふふふふ」

 

 その睨み付ける先から、哄笑が響く。酷く邪悪で、醜悪な笑い声が。

 

「ああ……本当に美味しいわ。こんなに美味しいものを見逃してたなんて、本当に惜しい事してたわ」

 

 薄ら笑いを張り付けて振り乱す、無垢と言っても良かった薄絹(ヴェール)襤褸(ぼろ)のように。沸き立つ、死んだナル化存在のナル化マナを貪り喰いながら――

 

「やっぱり……あんた、ナルを!」

「ええ――呑み込んだわ。貴女のナル、この私が」

 

 本来、マナ存在であれば呑み込まれる一方である筈のナルを逆に呑み込み、制御してのけた秩序の永遠者(ロウ・エターナル)“最後の聖母”イャガ――――否、虚無の永遠者(ナル・エターナル)“ナル・イャガ”は、白目を黒く変色させて血涙を流した、腐敗した魚のような真紅の眼差しで五人を見遣った。

 

「さぁてと、それじゃあ始めましょう。この世界の命運を賭けた戦いを、ね」

 

 空間跳躍で一行の進行方向に陣取り、恍惚とした表情で呟いたナル・イャガ。その呟きに、一同は表情を硬くしながら永遠神剣を構える。

 この超越者を倒さなければ、先に進む事は敵わないと本能で悟った為に。

 

「……ここまで、ね。行きなさい、望、沙月、ユーフィー」

「ナルカナ……何を言って」

「ここはあたしが引き受けるから、皆と合流して態勢を立て直して……こいつらを倒しに来て」

「馬鹿言わないでっ! あんた一人を置いて行ける訳無いでしょ!」

「そうだ、この我が儘神剣めっ! 吾らを侮るなっ!」

「そうです、それならあたしがイャガを引き付けますから……」

 

 突然のナルカナの台詞に、望達は再度驚きの声を上げる。確かに、今此処で一番余力を残しているのはナルカナだ。しかし、だからといって此処に彼女一人を残していくのは……死なせる事と同義だ。

 

「皆と約束しただろ、必ず帰るって! 俺達は、皆で!」

 

 当然、反駁する。望はナルカナの肩を掴んで引き戻そうとしたのだが――その体を強制力が制した。

 

「あのねぇ……一体あたしを誰だと思ってる訳? 第一位神剣【叢雲】の意志のナルカナ様よ」

 

 第一位永遠神剣、【叢雲】の化身であるナルカナの強制力が。

 

「負ける訳無いでしょ、ずっと」

「……やめろ、ナルカナ……!」

 

 必死に抗おうとする望だったが、第一位の強制力には及ばない。

 その間にも、ナルカナはイャガを牽制しつつ転生と誕生の翼を召喚して二人を掴ませる。

 

「ずっと……待ってるからね、望……信じてる」

 

 その笑顔と共に脳裏に去来する、神代の一幕。ジルオルとしての彼が体験した、ナルカナとの別れの情景が重なる。

 全身全霊を籠めて肩を掴んでいた望の手を、ナルカナの手が解き……実に名残惜しそうに、一本ずつ指を離していった。

 

「……ナルカナァァァァッ!」

 

 その叫びに、ナルカナは答えない。飛び去るフェニックスに背中を向けたまま――

 

「あら、そう上手くいくかしら?」

「いくわよ、あんた如き――あたしだけで、十分!」

 

 差し出されたナル・イャガの左手。しなやかに、竪琴の弦でも弾くかのように動いたそれに感じる、吐き気を催すような悪意。

 即座にナルカナは両の無刀の手に、叢雲(おのれ)の影とオーラフォトンを纏いながら――――渾身の『イモータルミラー』でナル・イャガの攻撃を弾こうと試みて。

 

「――しまった、みんな逃げて!?」

 

 その狙いが自分ではない事に気付き、強制力を解きながら背後の望達の方を守ろうとして――――

 

「――遅いわね」

「望ぅぅッ!」

 

 目前で、まるで電源の落ちたテレビの画面が消え去るように。一筋の光すらない闇が、望達を呑み込んで顎を閉じた――――……!

 

 

 

………………

…………

……

 

 

 星天根の中程。発光する巨大な剣の林立するその足場、剣の影から飛び出してきたナル化存在達。既に人格もナル化マナに冒されているのか、凶相を浮かべて奇声を発しながら永遠神剣を振り回すそれら。

 

「チ――邪魔だ!」

「つうっ……」

 

 特攻を掛けてきた青と黒。『ヘブンズスウォード』と『飛燕の太刀』を、絶は『絶妙の太刀受け』、希美は『ディバインブロック』で迎撃する。

 

 弾け、混ざり合うマナと漆黒のナル化マナ。これが、ナル化存在の厄介なところだ。熱に浮かされた狂戦士のような特攻精神、そしてマナを浸食するナル化マナ。

 純粋なナルと比べれば幾分マシだが、ただ打ち合うだけでも精神と体力を削られる。『生誕の起火』を持たず、数的にも劣る彼らにはかなり厳しい状況だ。

 

「今じゃ――当たれぃ!」

「――ハァッ!」

 

 その隙に、青に向けてナーヤが『インフェルノ』、黒に向けてサレスが『ページ:ハリケーン』を放ち、消滅させる――迄には至らず、吹き飛ばしたのみ。

 

「そうそう好きにはさせないっての――――アローーっ!」

 

 更に、奥に控える赤が詠唱を終える。その術式は『スターダスト』、仲間や自身の安全性すら考慮していない広域殲滅呪文に、ルプトナが『アイシクルアロー』を射出する。

 

「――あ、あれっ?」

 

 前に、青が予め設置していた『アイシクルアローα』により『アイシクルアロー』を射ち落とされた。そして目立つ行動をした為か、赤はルプトナに狙いを絞る。他はどうあれ、もはや彼女だけは直撃を免れ得ない。

 

「――来なさい。【心神】のカティマの名に懸けて……迎え撃ちます!」

 

 天より降る、燃え盛る隕石を思わせる純粋な赤マナの塊。それに狙われたルプトナを、迷わず一同は護りに入る。唯一間に合ったカティマの『威霊の錬成具』により、せめてもの減衰を期待して――――

 

「根源を統べるマナよ、深き眠りの淵に沈め――エーテルシンク!」

 

 空中で青い光に撃ち落とされ、消えていく様を見た。

 

「二分十秒、また世界を縮めたのはともかく――――悪い、遅くなった。全く、この俺がメーンイベントに遅刻し掛けるたァね」

「うっ……うぷ」

 

 けたたましいバイクのスリップ音を立てながら、その目の前に滑り込んだ――――後部座席に、真っ青な顔色で口許を押さえているイルカナを乗せた龍騎兵(ドラグーン)の姿と共に。

 銃形態の【是空】を向け、仲間に……悪意から、治癒魔法『スウィーンサンセット』を掛ける緑を捉える。捉えた刹那、その頭が『オーラショット』で弾け飛んだ。

 

「下世話は止せやい、今から――――等しく楽に(ブッ殺)してやるンだからよ」

 

 悪辣に笑いながらバイクを降り、【是空】と【聖威】を構える。その体を無限光を根源力にて物理的障壁とした『ハイパートラスケード』が覆う。

 それすら意にも介さず、白が『インスパイア』にて味方の能力を底上げする。無論、仲間意識からではない。ただ、目の前に現れた『今までで最も憎い存在を殺す為の打算』で。

 

「悪いな……てめぇら如き、親父(アイツ)と比べりゃあ驚異でもなんでもねぇ」

 

 それをも、全く意に介さずに。アキは【是空】をスピンローディングして――――

 

「マナよ、我に従え――――上位世界への門を開き、創世の星震となれ」

 

 剣身(バレル)の隙間に滞留する無限光を基点に展開される、黄金の魔法陣。その術式に、理性を失っている筈のナル化存在達は一斉に『チルバリア』、『イミュニティ』、『カースリフレックス』、『オーラフォトンバリア』を展開。

 続く、アキの神剣魔法に備え――――

 

「あばよ――――ハイペリオンスターズ!」

 

 それが直ぐに、無意味だと知る。虚空に描かれた神言詠唱、そから放たれた――――万物を昇華する恒星の煌めきに。

 ナル化存在達は、ナル化マナの一片すらも残さずに蒸発した――――…………。

 

 

………………

…………

……

 

 

 根源の一区画、見えていたナル化存在だけではなく隠れていた個体も含めて、三分の一を吹き飛ばした

 その威力に、残されたナル化存在達は一斉に退却を始める。狂っているなりに戦術があるのだろう、暴力を一つに纏めるつもりなのだろう。根源の最下層、『星天』の前にある一本道を目指しているらしい。

 

「……兄上さま、いつか事故を起こしますよ」

「スピードイズパワーが信条でな」

 

 イルカナの諫言を無視し、アキは振り返る。ゆるりと、家族達へと。

 

「全く、あんな雑魚どもに梃子摺ってンなよ。幻滅するぜ、実際」

「なっ、なんだと~! 空の癖に生意気だっ!」

 

 真っ先に食って掛かったのは、やはりルプトナ。伊達に腐れ縁(しんゆう)の一人な訳ではないのである。

 へたり込んでいたのも忘れたのか、【揺籃】で足場を踏み締めて。どすん、と前蹴りをアキの太股にかます。

 

「あはは……まるでヒーローとヒロインの再会だね」

「ええ、全くです。ルプトナ脱落、と」

「よし、一人競争相手が減ったのう」

「はは、お似合いだぞ」

「少女漫画のワンシーンみたいだったな」

 

 そんな彼等に、漸く気を取り直した希美達が軽口を叩いた。

 

「な、何言ってんだよ皆っ! アキみたいなアホなんて眼中無いに決まってんじゃんか!」

「イッテ! 莫迦ヤロ、俺の方こそ、テメェみてェなジャジャ馬は願い下げだぜ!」

 

 軽い『グラシアルジョルト』を食らう羽目となり、蹴られた太股を抱えてケンケンするアキ。懐かしい触れ合いに、思わず胸が詰まりそうになりながら。

 

「さて――で、俺のお姫様の姿が見えねェンだが……」

 

 半ば冗談めかした物言いで、アキは周囲を見渡した。こういう時、他の誰よりも先に飛び付いてくる筈の――ユーフォリアを探して。

 

「ユーフィーなら、イャガとか言うのを追っかけて先に飛んでったよ」

「情けない話だが……俺たちでは、ナル化存在を引き受けるだけで精一杯だった」

 

 ルプトナと絶が、申し訳なさそうに口を開く。無論、他のメンバーも一様に同じ表情だ。一番厄介な相手を任せてしまった不甲斐なさに。

 

「そうか……じゃあ、俺はもう一走りしてくる。お前らは、後から来る皆と合流してから追い掛けてきてくれ」

 

 それに、掛ける情けなど無い。否、有ってはならない。弱さに妥協するのは、間違い以外の何者でもない。

 だから、突き放して。背中を引っ叩く――――追い風のように。

 

「あ、兄上さま、今度は……安全運転を」

 

 後部座席のイルカナが、再びバイクに跨がったアキへと言葉を向けた――――刹那、甲高いアクセル音が響いた。

 

「え――――何だ、ルカ?」

「……これさえ無ければ、いい人なのに」

 

 それに、イルカナはがくりと肩を落としたのだった。



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運命の輪 宿命の轍 Ⅱ

 通路上の物陰から、ナル化存在が飛び出す。色は黒、得物は刀。鞘に収まったままのそれを腰溜めに、今にも獲物に襲い掛からんと姿勢を低くした『真空剣』の構えは正に肉食獣(ビースト)

 

「オイオイ、急な飛び出しは危ねェぜ――――」

 

 ならば、それすらも一蹴した彼は捕食者(プレデター)か。居合いの姿勢のまま、アクセルを捻って騎馬に獰猛に唸ら、アキの加速したバイクの威力を乗せた【聖威】の『ヘビーアタック』に、抜刀も間に合わず上半身と下半身を両断されて黒は絶命した。

 それを皮切りに、物陰から十体以上のナル化存在が涌き出る。中には、浸食が加速して半分姿が崩れたようなモノすら居る始末。

 

「――ハ、救いようがねェってのはこの事か…………せめて、苦しまねェように殺してやンよ」

 

 それでも尚、憎悪と害意を満たした眼差しで永遠神剣を握る彼女ら。それに嘲りとも憐れみともとれる琥珀色の眼差しを向けて、アキはバイクを降りて【聖威】と【是空】を担う。

 

AI(アーティ)――――ルカを守れ。傷一つ負わせるなよ」

了解(ラジャー)船長(キャプテン)――第一種防御体制(デフコン・ワン)

 

 前回の襲撃の反省か、はたまた獲物を逃がすまいと言う本能からか。前後左右を覆ったナル化存在ども。ジリジリと包囲を狭めてくるそれらから後部座席のイルカナを護る為、バイクにデータリンクさせた座乗艦の人工知能が『オーラバリア』を展開する。

 だが、まだ足りない。もう一押し、絶対的な加護を得るべく――――【是空】を、足場に突き立てた。

 

「兄さま……ルカちゃんを護ります、ルカちゃんは大事な友達ですから」

「ああ、任せる」

 

 指示を受けずとも察して、【是空】を抱き抱えるように化身と化したアイオネア……新たに錦糸で刺繍の施された長法衣を纏う十六・七歳くらいの体つきとなり、花冠は花の宝冠(ティアラ)に。五センチに満たなかった龍角は十五センチを越え、顔つきも以前の可愛らしさだけではなく美しさを過分に含んだものとなっている【輪廻】の化身(アヴァター)、『劫初海の輪廻龍妃(プリンセス・オブ・ドラゴネレイド) アイオネア』。

 【是空】を聖盃と変えて抱き、バイクに腰掛けて長法衣の裾から脚の変じた龍尾を覗かせる姿は――――まるで、ドイツはライン河で数多の船乗りを惑わせたと言う人魚ローレライの如く。その抱えた聖盃から湧き出るエーテルが、足場に水鏡を作り上げた。

 

「さて、じゃあ俺らはゴミ掃除だな――――全部で二十二、コイツらを消滅させれば……この時間樹に残るナル化した存在はイャガだけか?」

【そうだ、奴を消さねば、神剣宇宙は破滅を加速させる。この程度、一分と要るまい……早く『星天』に至れ、アキ!】

 

 珍しく、切羽詰まった様子のフォルロワ。仕方はない、残された猶予はもう三十分を切っているのだから。

 

「だな――――早くユーフィーを抱き締めたいし」

【…………】

 

 それに、いつも通りの冗句(ジョーク)を返す。握り締めた【聖威】から、息を詰めたような思念が伝わり――――いつ強制力の折檻が来てもいいように歯を食い縛って

 

【くっ――――ははは……本当にそなたは、世界崩壊の間際でも女の事とはな、ある意味大物だ】

「……フォルロワ? どうした、具合でも悪いのか?」

 

 しかし、強制力は来ず。代わり、心底からの快哉を含んだ思念が送られてきた。思わず、心配してしまう程に。

 

【くくっ、何……こんな時にまで徹底されれば、流石に認めざるを得まい。怒りや呆れを通り越して、何やら愉快になってきたぞ】

「そ、そうか……いや、何と言うか、うん」

【そうとも、気にするな――――今は、前に進むのみだろう!】

 

 『一瞬、壊れたかと思った』という言葉を呑み込んで。一斉に襲い掛かってきたナル化存在を尻目に。気のせいか、軽くなった気すらする巨刃剣(グレートスウォード)【聖威】を掲げる。

 

「確か……こんな技だったかな」

 

 その剣先の虚空に、多数のマナが凝縮される。根源力を司る事で可能となるそれは、かつて『理想幹』を統べた『伝承の神 エデガ=エンプル』の『パワーオブブルー』の摸倣。

 マナはやがて、各属性色の半透明の銃――アキが今まで使った銃の全てとなり、【聖威】を向けた前方のナル化存在十六体の半数八体を消し飛ばす。

 更に、背後から襲い来る――アイオネアの擁する『月世海』の大招聘、世界を産み出す事による距離の防御『ホロゥアタラクシア』により彼女らに到達出来ず、アキの背後へと飛び出てしまったナル化存在六体。

 

 その眉間に――――半透明の黄金の光にて形成された長剣小銃(ライフルスウォード)【是我】らしき六挺が突き付けられて接射された。

 

「これで、半数――なんだ、三十秒要らなかったか」

 

 六挺の【是我】は、根源力で作り出した物とは違い、弾を放っても消えない。それどころか、アキの背後に滞空し――残る八体のナル化存在の攻撃を躱し、虚空に翼撃(はばた)いた彼の『龍翼(ウィングハイロゥ)』として機能していた。

 

「死にてェ奴だけ、掛かってくンだな――――ナルに汚染された程度で地獄を見てるとか思い上がってやがるテメェらに、本物の死の世界って奴を見せてやる……」

 

 酷薄に、荒ぶる龍の如く凄絶な笑顔を浮かべて。追い縋ってきた青と緑と黒の三体へと【聖威】を振るう。

 斬り下ろし、斬り払い、斬り上げの三連撃を各々に。緑は辛うじて槍にヒビが入った程度、青の西洋剣を砕かれ、黒に至っては刀ごと両断されて消滅している。

 

 そんな二体に向けて、四挺が疾駆する。さながら稲妻の如く、或いは猟犬の如く。鋭利な刃をナル化存在に突き立てて。

 【聖威】を虚空に突き立てたアキが両手に構えた二挺が発射されたのに同期して、内部からも撃ち抜いて消滅させた。

 

「集え、マナよ。究極なる破壊の具現……魂の輪廻すら断ち斬る刃を、此処に――――」

 

 そして再度六挺の龍翼を形成して、アキは更なる天に昇る。地上から放たれる赤魔法や『ソニックイクシード』、『インペイル』、『オーラヴォルテクス』を物ともせずに【聖威】で打ち払いながら。

 オーラフォトンとダークフォトンの融合、その果てに在る黄金の無限光。かつて、『空隙のスールード』を滅ぼした『それ』を【聖威】に宿して投擲し、司令塔の白を貫いて足場に縫い付け、収束させていた無限光を解放して昇華・拡散させた広域殲滅として。

 

「一斉昇華、アインソフアウル――――――!」

 

 遥かな高みより、慈雨を注ぐ龍神の如く――穢れた黒き光に塗れた赤三体と緑二体、白一体に向けて、浄罪の黄金の嵐を振り撒いた。

 

 天より降り立ったアキがハイロゥを消す。三重のリングとなったハイロゥは、アキの頭上で星雲の如く煌めく残滓を残しながら緩やかに旋回している。

 

「……我ながら、似合わねェなァ」

 

 それをジト目で眺めつつ、腕組みした彼は呟く。まるで『天使』のような今の姿に。

 

「ふ、見苦しいよりはましだろう。それに、そなたは男臭さでは他の追随を許さぬからな……どちらかと言えば、堕天使か」

「お褒めの言葉、ありがとうよ。でも、それならお前の下乳の方がずっと堕落してるけどな」

 

 くつくつと笑いを噛み殺しながら、嫌味を言ってきたフォルロワに嫌味を返す。それに――

 

「んむ~……兄さま、その……わたしだって、大きくなってます……!」

「おっと……アイ」

 

 ぷくーっと頬を膨らませ、左腕に抱き着いたアイオネア。因みに、両足は人間の状態に戻っている。

 そう、彼女の一番の相違点はそこだ。同じ年代と比べても、恐らくは二回り程大きい。身体のラインが隠れる服装の為に判り難いが、腕に押し付けられる圧力からして間違いなくC以上、下手をすればEはあると予想される。

 

「はっ……見せる事も出来ぬ程度では多寡が知れておる。悔しければ横でも出してくるのだな」

「うぅ~……わたしはフォルロワさんみたいに痴女じゃないから、そんなの無理です……」

「こ、この女……天然(ナチュラル)に毒を……流石はアキの同一存在だな…………」

「?」

 

 小首を傾げたアイオネア。その頭上に、ハイロゥを移す。やはりその方がしっくり来るのだ。

 代わりに聖盃を受け取り、溢れそうになっているエーテルを飲み干す。それにより、消耗した体力を取り戻した。

 

「後一歩だ……もう少しで、終わる」

 

 そして、【是空】を長剣小銃(ライフルスウォード)に戻す。雨粒の落ちる水面の如き波紋が生まれては広がり、重なって新たな波紋となる瑠璃色のダマスカスブレードの剣銃へと。

 寂寥、無念――――そんな物に止まりそうになる足を、叱咤するように。

 

「兄上さま――――!」

 

 イルカナの叫びに我を取り戻す。それで、反応が僅かに遅れた頭上から降ってきた黒い塊を回避できた。

 

「――――ア、ヴアアガアバァァァァァァ!!!!」

「何だ、コイツ――――まさか!」

 

 聞くに耐えぬ雑音を上げた……ぐちゃぐちゃと、腐り落ちた果実のような。流れのない水底に澱む、汚泥のような。

 しかし、まだ辛うじて原型を留めているそれは――否、()()()は。

 

「激烈なる力に絶対なる戒……なのか――?」

 

 此処に来るまでに殺した、時間樹エト・カ・リファの原初神達の成れの果て。恐らくはアキに殺された後、『星天』付近で復活したのだろう。そこまでは問題ない、彼らとてエターナルだ。

 

「オォオおおアバあァあヴァぁァ!!!!」

 

 だが、問題はその後。既にナルに冒されていた区域での復活によりナルに毒され、ナル化に耐えきれず、どちらか……或いは、互いに取り込もうとしたのだろう。皮下で蚯蚓がのたうつように蠕動する毛皮と柔肌。

 第三位永遠神剣【激烈】である獣の四肢と爪牙を持ち、首下から女の左腕、脇腹から両足、蠍の尾のように水晶の剣を生やして。同じく第三位【戒め】である両目を持った、背の天使と悪魔の翼らしき左右の翼の中間に落ち窪むような青白い虚光を放つ、七足歩行の巨大な化け物が――――血反吐を吐きながら、咆哮した。

 

「チ――――どうやら、まだ招かれざる客がいるらしい」

「ああ――――しかも、天地が引っくり返っても招かないタイプのな」

「酷い……あんなに魂を穢されて――それでも、死ねないなんて」

 

 舌打ち、【聖威】に還ったフォルロワを握り締める。その最中、流れ込む意識。

 

【恐らく、【戒め】の影響で感知が出来なかったのだろう……文字通り、腐ってもこの時間樹を統べる法そのものの具現だ】

「んで、腐っても【激烈】はこの時間樹の破壊の具現な訳だな……泣きたくなるね、こっちの起火はまだ回復してねェってのによォ」

 

 そして個々でも強力だったエターナルが、ナル化して更に強大になっているのだ。辟易くらいしても余りあると言うもの。おまけに、後二十分強でこの時間樹は崩壊する。

 崩壊すると言えば聞こえはいいが、この時間樹は今や『最後の牢獄(とりで)』なのだ。もしもこのまま崩壊させてしまえば、神剣宇宙にナル化マナがばら蒔かれてしまう。

 

 そんな事になれば――――一方的にマナを冒すナルは瞬く間に神剣宇宙を飲み干すだろう。無論『永遠存在にとっての瞬く間』だ、余人には一生を費やそうと来ない破滅だろうが。

 

【……だからこそ、我はナルカナを此処に封じた。世界を……ナルから護る為に】

「ハ――――理由になるかよ、そんなもん。存在しない方が良いものとか、望まれないモンなンざ……」

 

 口を開きながら、左手に握り締める【是空】。そこに、アイオネアが同化する。三枚の円刃(チャクラム)が剣身に現れ、黄金の螺旋を描く。

 

「――――この世には()ェ。この無意味(オレ)が、保証してやらァ」

 

 “天つ空風のアキ”は壱志(イジ)を――――永遠神銃(ヴァジュラ)【輪廻】を構える。

 それは、慈愛。まだ救えるモノ達への最初の救罪。最早、救われる事の無いモノ達への最後の救済。この世の全てを、憎しむ迄に愛するが故に。

 

【はい、兄さま……カレらを生命の劫初に――――涅槃(ニルヴァーナ)の彼岸に、還しましょう】

 

 足元・胸の高さ・頭上に展開される三重冠の魔法陣は、黄金に染まった『トラスケード』。今までよりも更に、効果の高まった追い風を浴びながら。

 

()くぜ――」

 

 無駄な台詞も気負いもなく、覇王と法皇の血を継ぐ者……覇皇は駆ける――――!

 

 

………………

…………

……

 

 

 星天根を揺るがす激震、根源力で編まれた多数の銃器から放たれた各属性の砲撃『パワーオブアカシャ』は、怪物(マスティコア)の皮膚を撒き散らす。

 『激烈なる守り』と『絶対なる守り』の二重の防御と共に、ナルに汚染された害毒の破片を。

 

「――皮一枚かよ、やっぱ防御も硬ェな!」

 

 ナル化マナの密度が高すぎ、今までのナル化存在のようにはいかない。尋常のマナ存在は、触れるだけでもナルに飲まれてしまう。

 更に、象や鯨を思わせるその巨大さ通りのタフさ。だと言うのに、蠍そのものの敏捷性。そして、【戒め】の拘束力と【激烈】の破壊力。

 彼自身の『生誕の起火』の発露である『透禍(スルー)』は、まだ取り戻せていない。早くこの怪物を倒す為にも大技を繰り出さねばならないのに、『淨眼』により戦闘マナを削られてまともに技すら発動できない。

 

【くっ――――予想以上に面倒な!】

「クソッタレが……手間ァ取らせやがる!」

 

 苦し紛れに繰り出した『オーラフォトンブレード』。【聖威】は二重の防御を一時は砕くも、全てを想像前のエネルギーに還して呑み込む【激烈】の拳撃『激烈なる力』を振り回されれば接近は出来ない。アキは、両腕により殺傷範囲を増した攻撃を辛うじて見躱す。

 

【兄さま……もう少し、もう少し時間を稼いで下さい……!】

「任せとけよ――けど、最速で頼むぜ?」

 

 永遠神銃【是空】の、上下に分かたれた剣身の隙間。覗くエーテルの鞘刃の宿す無限光の黄金は、アイオネアが高めてもまだ密度が足りない。

 より、意識を集中する。【輪廻】との融合を強く、効果を高める為に。

 

【――――アキ!】

「チッ――――!」

 

 刹那、怪物の尾が閃いた。ナル化マナを孕むオーラの風『絶対なる戒』を放ちながら。丁度意識を逸らした為に回避が間に合わず、『ハイパートラスケード』にて受け止める。

 だが、その守りもマナを消費する。最低限の消耗を心掛けた事が仇となり、防御を突破されてしまった。

 

「――――カハッ!」

 

 足場に踏ん張り【聖威】を突き立てて、根源の闇に落ちそうになるのを何とか避ける。しかし、肉体だけでなく精神まで削るナル化マナの一閃だ、簡単には立ち上がれない。

 そんな彼に、水晶の剣が衝き下ろされる。二撃、三撃。【聖威】で受け流し事なきを得るが、間髪入れぬ横殴りの拳撃に吹き飛ばされ――――今度こそ、転がって倒れ込んだ。

 

「クッ……ソッタレが――――ッ……!」

 

 そこに、馬乗りになるようにしての駄目押しの『激烈なる力』の降り下ろし。まるで噴水のように血の塊を吐き、琥珀色の瞳は虚ろに――――笑みを浮かべて。

 

「態々、そっちから間合いにありがとうよ――――」

「ヴァぁァがぁァぁァ!!!!」

 

 漸く無限光が臨界に達した【是空】を、怪物の腹に突き立てて解放する――――!

 

「つゥ……」

 

 腹半分を消し飛ばされ、崩れ落ちる怪物。横に転がってそれに塗れるのを避け、笑う膝を叱咤しながら立ち上がり、『星天』を目指す為にバイクを探し――――

 

「兄上さま、後ろ――――!」

「――――なッ!?」

 

 イルカナの声に振り返るより速く、巨大な女の左腕に握り締められる。ナル化マナを纏うその腕、更に【戒め】の『邪眼』で完全に動きを封じられた。

 狙いを付ける、【激烈】の腕二本と水晶の剣。所謂、『積み』の状態である。

 

「ッノヤロウ……!」

 

 こうなれば、種火レベルとはいえ『生誕の起火』を使う以外にあるまい。ただ、『使ったとしても果たして離脱出来るかどうか』だ。

 

 そうこうしている内に、『激烈なる力』と『絶対なる戒』が繰り出され――――

 

「いくよ、じっちゃん――――ルプトナキィィーックっ!」

 

 その刹那、突き上げるように。『揺籃のルプトナ』の氷の(やじり)を纏う飛び込み蹴り『クラウドトランスフィクサー』により怪物の攻撃は弾かれ、更にアキを拘束していた絶対なる戒の左腕がへし折れた。

 

「天の果てまで、ブッ飛びやがれ――!」

 

 更に、『荒神のソルラスカ』が練り上げた気を地面に叩き付けた衝撃波による『爆砕跳天噴』にて怪物の視界を奪う。その隙に離脱し、二人と共に――――結集した“家族”達の下に逃れる。

 

「大丈夫かよ、空?」

「あ、ああ……悪い、ソル、ルナ」

「へっへー、でかい口叩いた割には苦戦してんじゃんか」

 

 その“家族”の内、最も馬の合った三人組。図らずも日本語で『(アキ)』、スペイン語で『(ソル)』、ラテン語で『(ルナ)』と呼び合う三人組。

 にかっと笑ったソルラスカとルプトナの手が差し伸べられ、不貞腐れたように笑うアキは屈辱(よろこび)を噛み殺してから、【聖威】と【是空】を握る両手でそれを取る。

 

「大丈夫、くーちゃん? 今、傷を直すから」

「サンキュ、希美――――」

 

 途端に満ち溢れた気のする、根元力。簡単な話だ、アキにとってソルラスカとルプトナの二人は『最も気を置かなくてもいい』相手なのだから。気力は充溢、体調は万全。空元気そのものを体現して。

 

「ハ――――オイオイ、勘弁してくれよ。この三人が揃ってまで、勝てる気か?」

 

 それでも尚、憎悪と害意を露に咆哮した怪物。それに、アキは辟易しながら呟いた。さもありなん、この三人は“家族”で最も連携の取れた三人。最早、負ける気など毛頭もない。その懸念すら、消え果てている。

 獣爪【荒神】を鈍く煌めかせたソルラスカ、氷靴【揺籃】を青く閃かせたルプトナ。巨剣【聖威】と銃剣【是空】を旋回させたアキの――――事実上の勝利宣言であった。

 

「月の煌めきが、わたし達の道を照らしてくれる――――月光よ、希望の道を照らせ!」

 

 希美の『ウィッシュプライヤー』により傷口どころか疲労まで癒える中、巨怪の傷口から溢れたナル化マナが歪なナル化存在と化す。恐らくは、取り込まれたものが傷口から(こぼ)れ出たのであろう。

 自由を取り戻し、十五体のナル化存在は再び永遠神剣を構える。何の事はない、今の彼女らの存在意義は――――マナ存在の根絶に他ならない。

 

「雑魚共は俺たちに任せておけ、巽――――いくぞ、ナナシ!」

「はい、マスター!」

「わたしも戦うよ、暁くん――――いくよものべー!」

「腕が鳴るわ――――ゆくぞ、クロウランス!」

 

 絶の声に、ソルラスカとルプトナを除いた全員――――『暁天のゼツ』、『清浄のノゾミ』、『無垢のナーヤ』。『疾風のタリア』、『心神のカティマ』、『癒合のヤツィータ』。『蒼穹のスバル』、『重圧のベルバルザード』、『雷火のエヴォリア』。『竜翔のクリフォード』、『皓白のミゥ』、『剣花のワゥ』。『夜魄のゼゥ』、『嵐翠のポゥ』、『夢氷のルゥ』がナル化存在に攻撃を仕掛ける。

 心配は些末もない、()()()()()()()()()()()()()()()()()揺るぎはない――――()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「さあ――――俺らも決着と行こうぜ」

「上等、先にあのデカブツを殺った奴が奢られるってのでどうだ?」

「良いねぇ、乗った! お前ら、財布にはいつもより入れとけよー」

 

 腐ったような黒い血を傷口から滴らせるままの怪物に、ルプトナとソルラスカ、アキの三人が向き直る。

 『荒神のソルラスカ』と『揺籃のルプトナ』――――そして『輪廻と聖威のアキ』は口角を吊り上げた悪どい笑顔を浮かべ、一斉にサムズアップを付き合わせた。

 

「ヴァぁぁァぁァ!!!!」

 

 生臭い血反吐を撒き、猛烈なスピードで怪物は襲い掛かる。尾の水晶剣を振り回して、『絶対なる戒』を。拳を振り回して、『激烈なる力』を。

 

「へっ、舐めてんじゃねぇぞ、デカブツ――――!」

「その程度で、ボクらの――――!」

(守り)を砕けると思ってンのかよ――――!」

 

 ソルラスカの『神牙』、ルプトナの『アンブレイカブルブルー』……黄金の風を圧縮したアキの防御『アブソリュート』により、完全に防がれた。防がれたどころか、拳と水晶剣は反動で砕け掛けている。

 

「格の違いってもんを見せてやる――――黒い牙!」

「出ませい、じっちゃん! タ・イ・ダ・ル――――」

 

 押し留められ、動きを止めた怪物。その怪物に向かい、ルプトナは守護神獣『リヴァイアサン 海神(わだつみ)』を召喚し――――ソルラスカの守護神獣『黒い牙』の咆哮『ディクレピト』で足を止められて。

 

「ティアーーーーっ!」

 

 その放った激流『タイダルティアー』にて押し流し、更に腰を落とした攻撃体勢をとった。

 

「手加減はしねぇ……全力全開――――自慢の拳、受けやがれェェェッ!」

「見ててね、じっちゃん! 今、必殺のぉぉ――――ルプトナ何とかぁぁぁっ!」

 

 そこにソルラスカが両拳に気を纏っての拳撃『降天昇地無拍』、ルプトナが両足に水刃を纏っての蹴撃『ランページブルー』を繰り出す。嵐のような殴打と蹴打、それを怪物は『激烈なる守り』と『絶対なる守り』で防ぎ――――きれず、既に壊れかけの拳や水晶剣で防ぎ、遂にはソルラスカの跳躍しながらのアッパー、ルプトナの天からの踏撃にそれらを砕かれて。

 

「いくぞ、アイ、ロワ――――」

【はい、兄さま……共に】

【ああ……アキ、共に】

 

 永遠神銃【是空】と永遠神剣【聖威】を融合させ――――タキオスの【無我】にも似た、荘厳な黄金の風を柄の宝玉から産み出し続ける片刃の宝剣、黒蒼の波紋刃(ダマスカスブレード)の大剣として。

 

「【【精霊光の、彼方に――――!」】】

 

 空間を焼き斬る蒼茫の焔、生誕の起火による時空跳躍。刹那の時よりも早く、速く現れたアキには反応出来る道理など存在せず――――

 

「――グ、ぎィあヴアぁァァアアぁォォ……」

 

 (きっさき)に纏う無限光の刃『ネイチャーフォース』の横一閃は、怪物の含有するナル化マナごとその存在事由を『±0(から)』へと還す。

 それは、カレらに残された最後の救い。その断末魔は、寧ろ……救われたかのように、穏やかなものであった。

 

「――行けよ、空……ユーフィーが待ってるんだろ?」

「此処は――――俺らに任せて、先に行け!」

「――――……」

 

 その声を、背中で聞く。恐らくは、これが最後の会話。『時間樹を再構築するのは“渡り”を行うのと同義である』と、他ならぬ自分自身(エターナル)の本能が感じている。

 郷愁が胸を焦がす。剣の世界で、精霊の世界で。最悪の出逢い方から、最高の友となった……この二人との。

 

 だからこそ、語る言葉はない。否、最早言葉などでは陳腐すぎて伝わるまい。

 

 だからこそ、万感の思いを込めて――――サムズアップする。振り替える事もなく、確かめ合う事もなく――――三者三様の方向を向いたままで、同じように。

 

 確かな絆として、それを感じ取り――――アキは、イルカナと共に『星天』の座へと黒鉄の騎馬を走らせた――――…………



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虚無の闇 無限の光

 『星天』の座が激震する。その振動は時間樹崩壊の兆しだけではなく、『星天』の座そのものすら揺るがし――――

 

「――――うらあぁぁぁぁぁぁぁっ!」

 

 怒号と共に振り降ろされた巨大な叢雲の影、それにより砕かれた空間の絶叫でもある。

 

「あははっ、あんまり力を使いすぎると不味くなるわよ?」

 

 それを、軽くいなして嘲るナル・イャガ。防御すら使わず、ステップを踏むように。

 

「煩い、黙れ――――アンタだけは、アンタだけは赦さない! 絶対に殺してやる!」

 

 その嘲りに、ナルカナは本気の殺意を返す。今まで何度激昂しようとも、一度たりともそんな顔を見せた事など無かったというのに。

 それは、純粋な怒り。純粋な絶望。純粋な、余りにも純粋な――――

 

「あ――――くあっ!?」

 

 大技の隙を突かれ、懐に空間転移してきたナル・イャガの強烈な拳の一撃に吹き飛ばされる。石の壁に叩き付けられ、肺が潰れるような息を強制的に吐かされる。

 ずるずるとスリップダウンしようとする身体を無理矢理に建て直し、肩で息をしながら。

 

「返せ……返してよ……あたしの……あたしの大事な、大事な“家族”を――――」

 

 ただただ、純粋な思慕。その存在より初めて生じた……永遠神剣としての欲求、『担い手を求める』という感情。

 否、そのような表現で語るのは無粋の極みか。単純に、そう――――

 

「あたしの大事な(ひと)を――――返せぇぇぇぇっ!」

 

 ナルカナの左手から、莫大なオーラフォトンの劫火『リインカーネーション』が撃ち出された。それは物体はおろか、空間すら焼き尽くす程の熱量でナル・イャガを――――

 

「ふぅ……貴方とのお遊びにも、そろそろ飽きたわね」

「っあ……」

 

 捉えるどころか、その体に触れる前に()()()()()()()()()()()()()()()()()消え去った。

 そして悠然と、ナルカナの前に立ったナル・イャガは……彼女の眼前に右手を差し出す。

 

「お望み通り、貴女の『大事な人』と一緒にしてあげる。私の胎内(なか)で、虚無(えいえん)にね?」

 

 にこりと、“最後(マグダラ)聖母(マリア)”が笑う。血の涙を流しながら、それでも慈愛に満ち溢れた眼差しで――――

 

「――――よう、ナルカナ……今、どんな状況だ?」

「あ、き……」

 

 その境界に、ライフルのような長柄の片刃の大剣……騎壊銃剣(バスタースウォード)【輪廻】を盾のように構えながらバイクに跨がり、空間を焼き斬りながら現れたアキ。

 

「アキ……望が……ユーフィーが……沙月が、レーメが……あたし、護れなかった……」

「ハ――下らねェ。あいつらが簡単に死ぬような、誰かに護られるようなタマかよ」

 

 アキの背中に掛かった、ナルカナの涙声。だがアキはニベも無く突き放す。何故ならそれは、アキにとっては有り得ない事だから。

 その展開した黄金の竜巻障壁『アブソリュート』が、凄まじい勢いで削られていく。やはり、見えない獣に貪り喰われるかのように。

 

「――――ところで、俺の可愛いお姫様が此処に居る筈なんだが……知らねェか、ババア?」

 

 それすら歯牙にも掛けず、アキは辺りを見回す。口にした通り、彼の『可愛いお姫様(ユーフォリア)』を捜して。

 

「あぁ――――あの、『蒼い髪の可愛らしい娘(オードブル)』の事?」

 

 それに、ナル・イャガが微笑みながら反応する。まるで――――待ちに待った、メインディッシュが運ばれてきたかのように。

 

「ごめんなさいね――――他の付け合わせと一緒に、食べちゃった」

 

 何の感慨も無く、ただその事実を口にした――――刹那、今までアキを守っていた竜巻がナル・イャガに牙を剥く。

 大自然の暴力『ネイチャーフォース』は、ナル・イャガの宿す存在マナ自体に働き掛けてその存在を滅却し――――。

 

「――――あははっ、やっぱり、正解だった……【運命】でも【宿命】でも【聖威】でも【叢雲】でもなく、貴方が……【輪廻(あなたたち)】だけが、私の飢えを満たしてくれる唯一――――!」

 

 それすらも喰い尽くしたナル・イャガが、狂気その物と成り代わった瞳で口角を吊り上げる。最早、理性など微塵すらも無い。

 

【ふん――――この【聖威(われ)】も、よくよく舐められたものだ!】

 

 フォルロワの不愉快げな意思が響く。第一位神剣としての意地だろうか、ナル・イャガの言葉に酷く苛ついて。

 

「莫迦、相手にすんなよ。あんな化け物の妄言なんざ、な」

【……アキ】

 

 『ネイチャーフォース』を繰り出した姿勢から元に戻ったアキは、【輪廻】を正眼に構えて――――

 

【莫迦は貴様だろう。一々、あの化け物の妄言を相手にしおって】

「ハ――――何の事やら。俺ァ、ただよう……!」

 

 その鈍い金色の髪を逆立たせながら琥珀色の瞳孔を完全に見開き、龍牙を剥き出した彼は。

 

「この覇皇(オレ)より先にユーフィーを『喰った』とかホザくボケ茄子に、分際って奴を弁えさせてェってだけなンだよ――――!」

 

 豪気な、凄惨な笑顔を浮かべたまま、最後の戦いに望む――――!

 

 

………………

…………

……

 

 

「――――ん、うぅ……? 此処は……?」

 

 何と無しに身の危険を感じ、酷く悪い寝起きの目を冷ましたユーフォリアは辺りを見回した。その無垢な眼差しに映るのは……肉質の壁が蠢く、少女には軽くトラウマになりそうな光景。

 そして――――

 

「――――ハァァァァァァァァアッ!!!」

 

 その肉の壁に、双子剣【黎明】を振り抜く『黎明のノゾム』の姿だった。

 

「くそっ――――くそっ、くそっ! 伝えないといけないのに……それなのに、俺はっ!」

 

 悲痛に叫びながら、望は繰り返し【黎明】を振るい続ける。『デュアルエッジ』、『オーバードライブ』、『エクスプロード』、『クロスディバイダー』、『オーラフォトンブレード』……しかし、ナル化マナを大量に含むその肉の壁は、些かも揺るがない。いや、寧ろその一撃一撃に宿るマナを吸収し、更に防御力を高めているかのようだ。

 

「ノゾム……」

「望くん……」

 

 それを眺めながら、レーメと沙月は痛ましそうに表情を曇らせていた。

 

「此処は……」

 

 そう聞こうとして、思い出す。自身がナル・イャガに『喰われた』事を。

 では、此処はナル・イャガの胎内である事には間違いない。まだ消化されていないが、彼女達はこのままであれば死を待つのみである。

 

 しかし、望の様子は余りにも平時と違い過ぎる。何となれば、望は普段、現状に対して醒めていると言っても良い。善くも悪くも『現代の若者』、という風に。

 

「くそっ、くそっ!」

「望さん……」

 

 その望が、気が触れたかのようにただただ、【黎明】を振るい続けつている。大事なものに、本当に『全力を尽くす』必要に気づいたように。

 その姿は――――他でもない。何時でも何処でも……『全身全霊で挑まねばならなかった』男を、彷彿とさせた。

 

 それに気付いた時、ユーフォリアは……永遠者(エターナル)“悠久のユーフォリア”は、大剣【悠久】を構えていた。

 間違いなく――――そうしているであろう、己の『伴侶』を信じて。

 

「手伝います、望さん。早く、脱出しないと」

「……ごめん。ありがとう、ユーフィー」

 

 光の刃を纏う【悠久】、それを一別しただけで、望は再び【黎明】を振るう。しかし、その攻撃に籠めたマナ自体が喰われて養分となってしまう。遅からず、彼らも同じ末路を辿る事となるだろう。

 さながら、空を斬るように。余りにも無意味な、その行動。しかし、それが大海を揺るがす一波となる事を信じて。

 

「……ノゾム、吾も手を貸そう。あの我が儘神剣に、一言くらい文句を言わねば気がすまぬからな」

「……そうね。私も行くわ、望くん。あの我が儘神剣に、一緒に文句を言ってあげましょう!」

 

 そこに、【黎明】の守護神獣『天使 レーメ』と『光輝のサツキ』が加わる。釈然とはしていないようだが、『ライトバースト』と『デマテリアライズ』が肉の壁に見舞われる。

 しかしと言うか、やはりと言うか。ナル・イャガの胎内は小波程の動きもない。

 

「頑張りましょう、皆さん!」

 

 それでも――誰も、諦めずに。その刹那――――

 

『そう、まだ諦めるのは早いぞ』

「「「「――――!」」」」

 

 聞き慣れた、その声が響いたのだった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 振り抜かれる大剣は黄金の軌跡を残し、波紋の刃は空を斬る。ナル・イャガの空間転移により、かつて時深より(ぬす)んだ碧遠寺流『一ヶ条・回剣』は躱された。

 

「――――ッ!」

 

 しかし、それで終わりはしない。続いて『二ヶ条・輪剣』、『三ヶ条・廻剣』、『四ヶ条・転剣』と、流れるように繰り出す。

 

「あら、おかしいわね……痛みの味が、しない」

 

 遂に『五ヶ条・捨剣』でその身を捉えて斬り裂くも、ナル・イャガはそう口にしたのみ。そう口にしたのみで、斬られた傷を『修復』しながら笑った。

 知る由はないが、それはナル化の末期。最早、痛みすらも虚無に還っているのである。

 

「ふふ、貴方もあの子も、随分と張り切るのね。やっぱり、愛した相手の弔い合戦となると違うわね」

 

 挑発を無視し、【輪廻】を振るう。存在の起因である『(くう)』を断絶する『ゼロディバイド』を繰り出す。しかし、それも彼女の身体を包む『精霊光の聖衣』に阻まれた。

 はしゃぐように、ナル・イャガが腕を振るう。それだけで、空間が軋み断裂する。食らえば間違いなく死ねる一撃だ。

 

「ハ――――その程度でよォ!」

 

 その一撃を身を沈み込ませて回避し、代わりに空いた手に凝縮した黄金の竜巻を放つ。

 竜巻は、ナル・イャガの目前で解けて立方体の檻となる。即ち――――

 

「――――空間を断絶する俺の剣撃、テメェに受けきれるか!」

 

 元より似た技が得意であり、更には本家を見た事で真実となった『空間断絶』。時空を遮断した檻ごと敵を両断する、本物の実力者でなければ不可能な剣撃。

 

「ええ――――勿論よ。いただきます」

「――――チッ」

 

 【輪廻】を振るおうとした刹那、凄まじいまでの悪寒に身を躱す。瞬間、アキの身体があった空間が『呑み込まれた』のが感覚的に理解できた。

 

――化け物が! 時空を遮断されてまで、規格外かよ!

 

 ナル・イャガが『絶対防御』のバリアを喰い破る。正に、虫食いのように穴だらけになって潰えていく立方体。

 跳び退り、大剣の柄を操作する。とはいっても、押し出すようにしただけだ。それだけで大剣はダマスカスブレードの刃を上下に開き、剣牙(きば)の並ぶ龍の顎門(アギト)と化して――――。

 

「だったら、これでどうだよ――!」

 

 放たれた砲閃は『神々の怒り』。降り注ぐ光の刃に、ナル・イャガは斬り刻まれ――――る事無く、平然と立っている。

 

【そんな、嘘……全力を尽くしたのに】

【くっ……『化け物』か。正に妥当な表現だな!】

 

 絶句する、アイオネアとフォルロワ。さもありなん、(てき)の強さに合わせて威力を変える『神々の怒り』が全く通じないなど尋常の沙汰ではない。

 防御力ではなく防御回数を主観に置いた護り『輪廻の(わだち)』を展開し、それを睨み付ける。

 

「ここまでナル化が進ンでたのか――――たく、厄介な話だぜ!」

 

 喰い破られていく防御を他所に、【輪廻】を銃から剣に戻し、石の足場に突き立てる。澄んだ音を立てる音叉のように、【輪廻】が震える。

 そこに展開されたオーラは『トラスケード』、黄金の追い風がアキの背を押す。まるで、戦意の後押しのように。

 

「あたしの名に連なる力――王の聖剣!」

 

 そこに、ナルカナの『エクスカリバー』が叩き込まれた。『トラスケード』により攻撃力を底上げされた一撃に続き、アキの『エターナルリカーランス』が最速でその命を狩り獲る。

 

「ふふ……頑張るのね。最愛の人を失っても尚、戦意は挫けず、意志は揺るがない。強いわ、貴方達」

 

 それをも、『精霊光の聖衣』と見えない牙で捩じ伏せたナル・イャガが、ふと笑顔を消す。それは、まるで――

 

「だけど、悲しむ必要も抗う必要もないのよ? だって、貴方達の大事な人は私と一つに成ってるのだから……私と一つに成れば、貴方達の大事な人と同じ存在に成れる。誰もが一つに繋がる。もう、他人なんていない――――誰もぶつかり合わない、誰も罪を犯す事の無い……究極の平穏がもう、目の前にあるのよ」

「いけしゃあしゃあと、この下衆女……あたしの力を掠め取っただけのくせして、救世主でも気取るつもり?!」

 

 腕を広げ、虚空を掻き抱く。慈愛と陶酔に満ちた笑顔で、ナル・イャガは……正に『聖母』の如く。

 『全てが一つに』――――即ち、『原初神剣に回帰すれば、誰も罪を犯す事は無い』。それが、“最後の聖母イャガ”がロウ・エターナルである理由。本人以外には理解できまいが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のだ。

 

「下らねェな。そンなモン、救いなンかじゃねェ……正真正銘の『無』だ。命は違うから響くんだよ、同じ命なンざありゃしねェ……!」

「ええ、そうよ。『無』であれば誰も何も失わない。だって、何も持っていないのだから。だから、私はナルを求めた……だけど」

 

 その思想に反吐を吐きながら、ナルカナと共にナル・イャガの隙を探る――その琥珀の瞳一杯に、ナル・イャガの顔が寄せられた。

 

「そこで――――貴男を見付けた。『無』もまた、存在の一形態だと気付かせてくれた貴男。『あらゆる存在を許す空間』、魂の源……汲めども尽きぬ、生命の泉(レーベンスボルン)――――永遠神剣【輪廻】の担い手、“天つ空風(カゼ)のアキ”」

「くうっ!? 嘘、でしょ……!」

 

 『痛み』に動きを封じられたナルカナに対して聖母の抱擁を受けたアキ、体温が奪い去られるようなその冷たさ。血涙を流す紅黒のナル・イャガの瞳は、陶然と揺らめいている。

 

「貴男の『空』と私の『無』が一つになれば、完璧な世界が生まれるわ。『存在』と『虚無』が同時に行われる、何もかもを内包しながら何も産み出さない――――究極の『輪廻』が!」

「――――!」

 

 まるで、腐った魚のようだ、と。刹那の内に生理的な嫌悪が沸き上がった。

 衝動に従い、【輪廻】を振るう。その刃は今までの【是空】――マナゴーレムの殻ではなく、【聖威】という第一位神剣のもの。そもそもが違い過ぎて、比較する事すら烏滸がましい。

 

 果たして、波紋の刃はナル・イャガの素っ首を捉えた。後は掻っ捌き、命脈を断てば全てが終わる。

 

「そんなに――――私を受け入れたくないの?」

「ああ――――断じてな」

 

 それが――後、たったその一工程が実現できない。無数の顎に喰らい付かれたように、ピクリとも【輪廻】が動かせなくなる。

 悲しげに眉を顰めたナル・イャガ。その口が――――大きく開かれる。ナルカナはまだ、『痛み』のダメージから立ち直っていない。

 

「そう……悲しいわ。でも、安心して。そんな貴男も赦してあげるから。私の胎内(なか)で、終わる事の無い夢を見なさいな――――」

 

 そして、最後通牒のように。強く、強く、喰い縛られた――――!

 

「――――っ?!」

 

 その一瞬――――走馬灯のように、“家族”の顔が脳裏を(よぎ)った。望、沙月、希美、カティマ、ソルラスカ、タリア、ルプトナ、ヤツィータ、ナーヤ、スバル、絶、エヴォリア、ベルバルザード、ミゥ、ルゥ、ゼゥ、ポゥ、ワゥ、クリフォード……ユーフォリア。

 

――そうだ……こンなとこで死ねるかよ。こンな、訳の分からない奴に――――故郷を、家族を奪われて堪るか!

 

 繋がっているのだ。その魂は、【輪廻】の輪で。エト・カ・リファの『自壊の神名』を緩和する為に皆に飲ませた、あのエーテルで。

 

「――――うぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!!!!!」

 

 怒号と共に、黄金の追い風をその身に宿す。ダークフォトンだけの時とは雲泥の差となる『限界突破』による爆発的な強化で、見えない顎の拘束を引き千切る。

 

「くっ……驚いたわ、まだそんな元気があったなんて――――っ?!」

 

 跳び下がったナル・イャガが左腕を向ける。空間を喰らう為に。

 (しな)やかに、しかし強壮に。差し出された聖母の腕が――――膨張し、破裂した。

 

「お兄ちゃん――――!」

「――――ユーフィー!」

 

 そこから飛び出してきた――――最愛の少女。美しさと可憐さを併せ持つ、成長した姿のユーフォリアを。

 

「――――有り得ない……私の胎内から、出てくるなんて!」

 

 ナル・イャガは即座に左腕を修復し、今度こそ暴食が始まる。虚空を擂り潰し、貪る一撃が――――

 

「やれやれ、無粋な真似をしてくれますね。これだからいかず後家は」

「全くだな……折角の感動の再開を邪魔しようなどと。僻みか、行き遅れ?」

 

 それを、イルカナの『ディスペランスシールド』とフォルロワの『オーラフォトンバリア』。

 

「兄さまとゆーちゃんの邪魔を……しないで下さい、オバサマ!」

「くっ……貴女達こそ、邪魔なのよ小娘ども!」

 

 アイオネアの『ホロゥアタラクシア』が、ナル・イャガの暴食を辛うじて押し留める。

 その僅かな時間を惜しむように、アキとユーフォリアは抱き締め合っていた。

 

――勢いよく胸に飛び込んできた、この世界で一番大事な温もりを思い切り抱き締める。

 土埃と煤煙、脂汗と滲血に塗れた……俺の聖女を。

 

「お待たせ……だな。悪い、正義の味方じゃなくて悪党なモンだから……少し遅れちまった」

「ううん……遅れてない。寧ろ最大の威力を、最高の速度で……最善のタイミングだったよ」

 

――もしも失ってしまったのなら、俺の生きる意味を半分無くしてしまう……その少女。

 

「……信じてたんだから……きっと、直ぐに飛んで来ててくれるって。やっぱりお兄ちゃんは、あたしの最高の……『大侠雄(スーパーヒール)』だね」

「『大侠雄(スーパーヒール)』か……ハハ、良いな、ソレ。今度から使わせてもらおうかな」

 

――柔らかくて、軽い。甘やかで純真無垢な、幸福(ユーフォリア)そのものの名を持つ少女を。

 

「……何があっても駆け付けるさ。例え神剣宇宙の端と端、別の次元に分かたれたとしても……絶対に、零秒でな」

 

 込み上げる、喉元まで出かかった嗚咽を無理矢理に飲み下して。

 

「……お兄ちゃん、何か……あったの?」

 

 それに、気付かれてしまう。首に両腕をしっかりと巻き付けるように抱き着いて。自分だって幾つも怪我をしていて辛いだろうに、こちらを心配そうに見上げて来る黒目がちな眼差しに嘘は吐けない。

 

「いや……何も」

「そんなはず無いもん……だって、今まで空さんが『絶対に』なんて安い言葉で約束した事……一度も、無かったもん」

 

 今まで、そんなに見ていてくれたのか。面映ゆい感情と共に――……己の中に流れるどす黒い血、彼女の純潔な……清廉な真紅の血とは似ても似つかない、己の忌まわしく穢れた血を思い出す。

 

 だから――"真実"を。

 

「本当だって、何も――なんにも『無かった』よ」

 

 『生まれた意味も、何もかも有りはしなかった』と……『ずっと捜し求めていた(モノ)は、始めから影も形も無かった』と。

 括れた腰に腕を回して、更々と綺麗に流れる蒼い髪ごと頭を抱き寄せて……紛れもない"真実"を口にした。

 

「有るもん、絶対に有るんだもん……ねぇ、お兄ちゃん。何も無かったんだったら、どうして――どうしてそんなに優しく笑ってるの……?」

「……ユーフィー」

 

 言われて、仕挫ったと気付く。以前にも彼女に指摘された事だ、『お兄ちゃんが笑う時は、何か辛い事が有った時』だと。

 今の自分の感情すら、解らない。振り切った筈の、痛みや悲しみをまだ、抱えているというのか。

 

「……有り難う、けどな……」

 

――まだ……侠客(オトコ)としても悪党(アウトロー)としても……俺は、三流(ぬるい)にも程が有る。

 大事な彼女(ツレ)に心配をかけるなんて……な。

 

「この悲しみも、憎しみも……全て俺の血肉になるモノだ。少しでも強く、一歩でも先に……進む為の糧なんだ」

 

 少女の髪を梳くように撫でながら、改めて己の不甲斐無さを呪う。涙を湛えたその眼差しに……何故にこうも、甲斐性が無いのかと。

 アニメとか小説の主人公ならば、愛する女を泣かせたりはしない。悪役ならば、尚更だ。尚更――……死出の旅でも、笑顔で見送らせるモノだろう。

 

「……大切な存在(モノ)を失わない為に味わう苦難なんざ――――血反吐を吐いてものたうちまわっても、笑って乗り越えて見せるさ。第一まだ、ヤりたい事もいっぱい有るしな」

「そんなの……ふにゃぅっ?!」

「こらこら、折角の感動の再会に余計な言葉は要らないだろ」

 

 だから、出来うる限り。最高の『空元気』で、彼女を安心させるべく『大侠雄(スーパーヒール)』の仮面(つよがり)を被る。

 悪辣な、全てを睥睨する笑顔で。一滴の涙を零しながら、まだ何か言おうとした彼女の頬を伝う涙に口付けた。

 

「……愛してる。可愛い可愛い、俺のユーフィー……」

「ふぁ……お兄ちゃん……うん、あたしも大好き……」

 

 潤んだ瞳で見上げてくる少女と、愛を囁き合う。敵前で、あまつさえ"家族"が危機に曝されている状態なのだ。

 本来なら場を弁えろと一蹴されるだろうが、今の彼等にとっては……舞踏会のようなもの。

 

「ところで、一体どうやって出てこれたんだ?」

「うん……皆が、力を貸してくれたの。アイちゃんのエーテルで繋がってるから、マナリンクとセレスティアリーで繋がって」

 

 そういう事か、と理解する。流石は――

 

「流石は団長だな……自分の出番を解ってらっしゃる」

 

 クルクルと廻る事を止めて、互いに唇を寄せ合う。恥じらって頬を染める少女に優しく微笑み掛けて――――睨み付ける沙月の視線に気付き、まだ物足りないが漸くいちゃつくのを止めて、ユーフォリアを下ろす。

 

「なんで、どうして……どうして貴方達は、私を否定するの! 理解できない……分からない!」

 

 喚き散らすナル・イャガだが、最早誰もその言葉に耳を貸していない。ユーフォリアと同時に飛び出した望はナルカナの元に向かっているし、沙月とレーメはそんな望に付いていっている。アイオネア達三人は、初めから彼女と言葉を交わす余裕がない。

 そんな中、アキはポケットからタキオスから譲られた煙草入れを取り出した。

 

「お兄ちゃん、それって……」

「景気付けだ。まだまだチャレンジ段階だけどな」

 

 そのブリキの小箱から取り出した紙煙草を加えて、ジッポライターで火を燈す。思いっ切り息を吸い込めば、煙草の灯火が少しだけ勢いよく迫って来た。

 

「ケホ……糞下味。やっぱり人生みたいな味がしやがる」

 

 同時に……咥内と喉、肺腑を満たす紫煙。まだ慣れない強さの香気に軽く咳き込みつつ、吐き出す。

 苦笑いする望と、ジト目の沙月とレーメと、瞳を伏せたままのナルカナの方へと後退した。

 

「……行こう、お兄ちゃん」

 

 しかし、ユーフォリアはその場に留まったままで紅葉みたいな掌を差し出す。『遥かなる時の流れ』を象徴する一振り、光の刃を生み出す柄だけの剣……第三位永遠神剣【悠久】を構えていた。

 ひしひしと伝わって来る、不退転の決意。こうなればもう梃子でも動きそうにない。

 

「この強情っ張りめ……まあ、そこも好きなトコの一つなんだけどな」

 

 中程まで吸った煙草を地面に捨て、その掌に右手を重ねながら踏み躙る。

 そうして、フリーになった左手で――彼の契約した永遠神剣の象徴たるレバーアクション式ライフルの柄を持つ"永遠神銃(ヴァジュラ)"。『生まれ変わり、死に変わること』を象徴する永遠神剣【輪廻】を招聘した。

 

「――お兄ちゃん……」

【――兄さま……】

【アキ――】

「ああ、行くぞユーフィー、アイ、ロワ」

 

 目の前に蠢く悪意の塊。落ち着きを取り戻して、怨嗟の眼差しを向けるナル・イャガ。それを前に、恐れなど微塵も無い。左手と右手、この命。その全てに感じる、大事な温もりが有る限り。

 

――俺達なら……何が相手だろうと、絶対に負けない!

 

「……永遠神剣・刃位【輪廻】が担い手、"天つ空風のアキ"――――」

 

 その"壱志(イジ)"に掛けて、覇皇はスピンローディングを行う。軽快な金属音を立てて、騎壊剣銃は排莢と装填、コッキングを果たして。

 

「――――撃ち貫くッ!」

 

 高らかに、誇らしげに。世界全てに響けとばかりに、その名乗りを上げた――――!



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その全て 聖なるかな Ⅰ

 根源の闇に軌跡を残しながら、二本の大剣【輪廻】と【悠久】が交差する。互いに黄金のオーラの刃を纏いながら、目標に向けて疾駆する。

 それは漆黒に艶めく六挺の旋条銃(ライフル)から為る龍の翼と、純白に煌めく鳥の羽根から為る六枚の天使の翼――――全く別物でありながら、同じ『天翔翼(ウィングハイロゥ)』を広げたアキとユーフォリア。

 

「氷晶の青、輝閃の白……」

「天照の光、深淵の闇……」

 

 片方は青のマナと白のマナ、もう片方はオーラフォトンとダークフォトンを反応させたモノを。

 それが、天地に別れる。アキは大上段から、ユーフォリアは最下段から大剣を振るい――――その交点で、ナル・イャガを捉える。

 

「「――――その完全なる調律よ!」」

 

 二つの完全調律の剣撃『パーフェクトハーモニック』が、ナル・イャガを襲う。

 神剣だけでなく本人達同士も同調した振り下ろしと振り上げ、続いて振り上げと振り下ろしが空間を軋ませる。

 

「――――ふふ、それじゃあ、おやつ代わりにもならないわ」

 

 だが、ナルに染まった『精霊光の聖衣』は破れない。純粋な強化もあるが、何よりもそのナルによる浸食効果がアキとユーフォリアの歩みを閉ざす。

 

「集え、マナよ――」

「マナよ、我が求めに応じよ――」

 

 一旦距離を取る為に、アキとユーフォリアは空いた片手をナル・イャガへと翳す。

 それぞれの掌には、練り上げられる途中の濃密なオーラ。

 

「オーラとなりて、我が敵を滅ぼせ!」

「一条の光となりて、我が敵を貫け!」

 

 それを、一息に解き放つ――――!

 

「貴方達の味、楽しみだわ――――」

 

 よりも、ナル・イャガが早く行動を起こした。空間が鬩ぎ、軋みながら――彼女の見えざる(あぎと)と化した。

 

「――――少しずつで、いいから!」

 

 それこそは、『業を喰うもの』。彼女の胃の腑に繋がる、形の無い顎門が風の如く疾駆する。

 

「――――チッ!」

 

 舌打ちしたアキは『生誕の起火』を呼び起こし、ユーフォリアと共に発動で出遅れながらもノーモーションの発動により此方を上回ったナル・イャガを再度上回る。それにより、またもや『生誕の起火』が種火まで消耗したが。

 その掌から放たれたオーラフォトンの爆轟『オーラフォトンレイ』とオーラフォトンの光条『オーラフォトンビーム』の狙いを見えざる顎へと変える。

 

「成る程な――――そりゃあ、短刀のままよりも今の胃袋(赦し)の方がテメェ向きか!」

「うふふ……察しが良いわね。ええ、そうよ。【赦し】は形を保つ事をやめて、私を取り巻く『胃界』と化したの。お陰で、この通り」

 

 ナル・イャガの足元から芽吹いた、植物の蔓が這い上がる。余りにも悍ましい、この世の物と正反対の、負を体現したその存在。

 今までのように単発ではなく、四つ五つと。五、六、七と渦を巻きながら、縦横無尽に繰り返し襲い掛かる致死の牙。

 

 『オーラフォトンレイ』と『オーラフォトンビーム』で薙ぎ払えたのも途中まで、爆轟や光条すらも食い散らかしたナル・イャガの『底無しの胃袋(ブラックホール)』の一つが、ハイロゥのライフルと【輪廻】の砲撃形態の二挺を使って迎撃するアキの砲閃を潜り抜けて喉笛へと襲い掛かる――――!

 

「ケイロン――同調宜しく!」

『承知――オーラフォトンスパイク!』

 

 それを、【光輝】の守護神獣『ケンタウルス・ケイロン』の持つ戦槍『ハイデアの槍』から放たれたオーラフォトンの飛槍が貫いた。その隙に、二人はハイロゥを閃かせて離脱する。

 

「あら、意外と速いのね」

「私の【光輝】は光――この位は朝飯前って奴よ!」

 

 それと同時に、ナル・イャガの目の前に光の速さで――――頭の羽飾りを漆黒に染めた、『叢雲の器』沙月が現れ出た。

 それと全く同時にナル・イャガを剣状の【光輝】で打ち上げ、更に対空突きを繰り出す。そこまでは、彼女の得意技である『デマテリアライズ』と同じである。

 

「いくわよ――貴女には何も出来ないわ!」

 

 違うのは、そこから。打ち上げられたナル・イャガを、七支刀と化した【光輝】が下方の三方向から貫いて虚空に縫い止める。複雑な枝分かれをした刃により、成る程身動きなど取れまい。

 

「左様――最早、思考すら許さぬぞ!」

 

 更に、沙月に付いていた『叢雲の力』レーメが白魔法『グラスプ』により、完全にナル・イャガの動きを止めた。

 

「完・全・分・解――――ディスインテグレート!」

 

 そして、大上段からの一撃。文字通り『完全分解(ディスインテグレート)』、光の奔流。

 斑鳩沙月の奥義とも言える、『ディスインテグレート』が見舞われた。

 

「ふふ、もっと見せて……最期まで」

 

 だが、それすらも喰らい尽くす。最早、特異点と化したその聖母は――――撃ち込まれた光すら、脱出不可能なブラックホール。

 

「くっ――――何て奴なの……!」

「会長、接近戦は危ねェっすよ――ナルに呑み込まれちまいます」

「でも、神剣魔法も効かないよ……どうしよう、お兄ちゃん」

「全く、厄介な敵だ……」

 

 集結し、ナル・イャガと睨み合う四人。攻め(あぐ)ねるなどと言う生易しいものではない。一体どうすれば良いかすらも思い付かない。

 

「ふふ、無駄よ……今の私はもう、“全ての運命を知る少年”も“宿命に全てを奪われた少女”も越えた『ナル・エターナル』――――貴方達程度の力じゃ、大海原を棒切れで引っ掻いてるようなものよ」

【言ってくれる……ナルに呑み込まれた分際で!】

【兄さま……】

 

 その言葉は、決して誇張ではない。事実、彼女は――――()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「ハ――――上等だよ、クソッタレ……なら、この刃位が。『人の刃』たる【輪廻】が……困難を克服する不屈の意思が、その超越を超克してやる――――――――!」

 

 だから、アキは奮い起つ。弱者のままに強者を倒す事、それこそが“天つ空風のアキ”の存在意義。

 

「そう、楽しみだわ」

 

 その克己すら喰らい尽くすべく。ナル・イャガはナル神剣【赦し】の顎を四人に向けて――――

 

「「「「「――――――――――――――!」」」」」

 

 その四人の背後、彼女の正面から沸き上がった力に目を見開いた――――

 

 

………………

…………

……

 

 

「…………」

 

 神剣を振るうアキ達を見遣りながら、『叢雲の意志』ナルカナは立ち尽くしていた。悲痛に眉を歪めながら、握り締めた掌を抱き締め――

 

「ナルカナ――――」

「望……」

 

 その肩に、望が触れた。それだけで、彼女は目に見えて震えた。

 まるで、その次の台詞に怯えるように。

 

「ナルカナ――――俺と、契約しよう」

「――――あ……」

 

 果たして、彼女は更に身を強張らせた。普段のナルカナからは予想も出来ないほどに、弱々しいその姿。それは、ナル・イャガとの戦いの消耗からではない事は確かだ。

 望とて、そんな事くらいは解っている。以前、彼女から――――彼女には、『担い手を求める』という永遠神剣の本来有るべき欲求が無いと言う事を聞いている、彼には。

 

「気付いたんだ、俺は……」

 

 それでも尚、伝えたい言葉が――――伝えたい思いがあった。

 その、自称『永遠神剣の頂点』たる第一位【叢雲】の一部である彼女を後ろから抱き締める。とても人外とは思えぬ、柔らかで小さなな身体だった。

 

「ま、待って、望……あ、あたし……」

 

 背後から抱き竦められたナルカナは、顔を真っ赤に染めて何とかそれだけを呟いた。

 そんな彼女の耳朶に吐息を掛けるかのように、望は呟く。ナルカナは瞼を閉じ、続く言葉を――――

 

「頼む、俺は――――護りたいんだ、全てを」

「うん、全てを……って、え?」

 

 怪訝な表情と共に、聞いた。それもそうだ、この流れならば熱烈な愛の告白くらいは有って然るべきと言うもの。事実、ナルカナとてそう思っていたのだ。

 だから、どんなに嬉しくても――――それを断ろうと決意していた心が、ずっこけた。

 

「確かに、俺じゃ頼りないと分かってる。お前みたいに強い力も、空みたいに強い意思も持ってない俺が、こんな事を望むのは間違ってるのかもしれない……けど!」

 

 だが、そんな事はお構い無しに望は言葉を紡ぐ。他人へと訴え掛ける技巧も、なにもない……ただただ、馬鹿正直な心情の吐露。

 

「失いたくないんだ、何を無くしても……全てを失っても、俺は――――今を生きる皆の命を、生きようとする意志を諦めたくないんだ!」

「…………」

 

 だからこそ、その声は恐らく――――存在する全ての生命に、響いた。

 

「……全く、やっぱりあんたは大物よね。あ~あ、少しくらいロマンチックな事を言ってくれても良いのに。やっぱり男なら、空くらい積極的な方が女は喜ぶのよ」

「うっ……わ、悪い。そう言うの、不慣れでさ」

 

 そして、難しい顔をしていたナルカナが笑った。ずっこけていた頑なな心が――――呆れ果てて。

 

「……ありがとう。うん、幸せだね……やっぱり。求められるって……」

 

 穏やかに笑うナルカナの掌が、己の肩を抱く望の掌に触れる。

 

「世刻望は求める。【叢雲】よ……俺を主として、認めろ」

「神剣【叢雲】は、汝を主として認める……原初より連なる全ての力と使命を授けよう。共に、永遠を歩む者となれ」

 

 交わされる祝詞。それは、世刻望の、尋常の存在としての最後。

 

「【叢雲】を為す根源よ――我が主の血肉となれ!」

 

 ナルに染まり、すげ替えられていく存在。それは、ナル・イャガが行った事と全く同じだ。

 だが――――一つだけ違う。それは、誰が為の愛かと言うこと。

 

 自らの為にではなく、他人の為に。その違いが――唯一無二にして、絶対の違い。

 

「……ありがとう、ナルカナ」

 

 目を開いた望の右手には、細身の長剣。毛抜型の柄を持つ両刃の、鍔本の宝玉から雲を棚引かせる、古き世の和剣。

 即ち――――大和建命(ヤマトタケルノミコト)が佩いたと伝えられる天皇家の武力の象徴、三種の神器の一つ『草薙の剣』にして永遠神剣第一位【叢雲】である。

 

「あれが……【叢雲】、ですって」

 

 そこから漏れ出す力に、神気に。望はおろか、殺し合っていた五人すらもが動きを止めた。

 

「これなら、戦える……」

 

 誰もが、その宿す力に戦いていた。他ならぬ、一度、理想幹で握った筈の、担い手の望すらも。

 

【はぁ? なに言ってんのよ、望……あたしの担い手の望には、『()()()()()()』を握って貰わないと】

「本当の、お前?」

 

 言うや、その意思の矛先が変わった事を感じる。その向きは――――

 

【『叢雲の力』よ――その練達の技を、我が主の智とせよ!】

「ほあ? な、なんだこれは~~っ!」

 

 呼び掛けの刹那、レーメが物凄い勢いで【叢雲】に吸い込まれる。

 

【続いて、『叢雲の器』よ――根源を統べる神名を、我が主に刻め!】

「え――ちょ、わ、私も~~っ?」

 

 続いて、沙月が【叢雲】に引き寄せられて呑み込まれた。

 

「……ぽか~ん」

「いや、全く」

 

 ユーフォリアが口にしたオノマトペに、心底同意する。一体、どんな理由であの二人が吸い込まれたのか。少なくとも、アキとユーフォリアには全くもって理解できなかった。

 

【そして、あたしが『叢雲の意志』……この三つが揃って初めて、本当の第一位永遠神剣【叢雲】よ】

「ああ……行こう、皆」

 

 望の握る剣は、更なる力を放つ。さながら、大空を渡る叢雲の如き――――把握する事すら困難な、雄大すぎる力を掲げて。

 

「俺は、第一位永遠神剣【叢雲】の担い手――――ナル・ハイエターナル“叢雲のノゾム”……!」

 

 その鋒を、ナル・イャガへと向けて。高らかに宣言した――!

 

 余りの力に、息を飲む。それは、並び立つ彼女も、刃を向け合う彼女も同じ。

 

「望さん……凄い力……」

 

 そう、ユーフォリアが呟くのも仕方ない。なまじ力を手にしたからこそ理解できる、その圧倒的な力の渦。

 

「……随分と強くなったのね、貴方。今までとは比べ物に成らないくらい」

 

 ナル・イャガの眼差しが、今まで意識すらしていなかった望へと向く。つまり、それ程と言う事だ。

 だが、だからといって『有利』等ではない。純粋な『力』で言えば、元からエターナルでありその保有していたマナ全てをナル化させているナル・イャガの方が、概念を分割されて時間樹に封じられていた【叢雲】と契約したばかりの若いエターナルよりもまだ上だ。

 

「…………」

 

 しかし、望はその問いかけに答える事なく。右手の和剣【叢雲】と左手の大剣【黎明】を一振りずつ。確かめるように、振るう。

 そして――――真っ直ぐ、ナル・イャガを睨み付けた。

 

「随分と待たせたな……それじゃあ、始めようか」

 

 それだけで、世界が震える。この時間樹が、彼に平伏そうとしている。

 

――――野郎……成る程、こりゃあ唯我独尊を地で行く訳だぜ……!

 

 冷や汗が止まらない。それに見合う力が、そこに存在している。

 

「――――ハ、心強いねェ。まぁ、振り回す筈が振り回されてた、なんてオチが付かなきゃ良いけどよォ」

「もう、お兄ちゃんったら……」

 

 故に、アキは強がる。オイルタンクライターを仕舞いつつ、銜えた紙煙草から紫煙を燻らせながら。元々の戦闘好きもあるが先にも表した通り、弱者のままに強者を倒す事――――それこそが、それだけが彼の存在意義。

 例え『()()()()()()()』だろうと、強いだけの者には屈しない。

 

「ハハ、ホントお前は天の邪鬼だよな……ナルカナと良い勝負だ」

「【何をォ!」】

 

 それを知るからこそ、望……否、『()()()』も呆れたように笑う。アキと同じく、頼りになる仲間に。

 

「全く……三人とも、今は目の前の敵に集中してください」

 

 そんな彼らの間に、イルカナが立つ。ジトッと、ノゾムとアキを睨みながら。

 

「イ、イルカナ……」

「おい、ルカ……足、足踏んでる」

 

 その掌を【叢雲】に重ねたイルカナは、ゆっくりとアキの足から自分の足を退けて――――

 

「てい!」

「痛ッ! な、何すんだルカ――――」

 

 思いっきり、その脛を蹴った。さしものアキも、無防備な状態で弁慶の泣き所を『ディスペランスシールド』を纏った状態で蹴られては堪らない。

 【輪廻】を足場に突き立てて膝を抱えるように抱き寄せ、脛を擦れば――――姿勢が低くなったアキの頬に両手を添えたイルカナが、桜色の唇を寄せた。

 

「……お別れです、兄上さま。私は、やはり――――【叢雲】の一部ですから。全力を引き出す為には、不可欠なんです」

「ルカ……」

 

 悲しげな囀りと共に、その姿が金色の霧へと変わる。その姿が、【叢雲】へと還っていく。

 

「……チッ、下手コイたな。こんな事なら、さっさとモノにしとくんだったぜ」

 

 それに、悪辣な笑顔を返す。心底から残念そうに。どれ程、喪う痛みを伴おうとも――――『兄』等と呼ばれておきながら、醜態など晒せはしない。

 

「ええ、本当に……兄上さまはいつも、肝腎なところでスローリーなんだから。多寡が残滓の私は【叢雲】に還ればもう、二度と『同じイルカナ』として出て来れはしないんですから……精々後悔してください」

「そりゃあ、手厳しいな……本当、惜しい話だぜ」

 

 それに応えて、イルカナもまた笑顔を見せた。その笑顔を次いで親友二人へ、ユーフォリアと化身化したアイオネアに向けた。

 

「ユーちゃんもアイちゃんも、随分と大人っぽくなって……羨ましいな。私はこれで最後だから、さっきのキスは許してね」

「ルカちゃん……」

「うう……」

 

 

 涙ぐむユーフォリアに、早くもしゃくりあげ始めているアイオネア。それに自身も感極まったのか、涙を浮かべて……それでも笑顔のまま、イルカナは。

 

「じゃあね、二人とも。たまにで良いから……私の事、思い出して……ね……」

「何言ってるの……きっと、きっと忘れないよ……ルカちゃん」

「うん……だから、また会おうね……ルカちゃん」

 

 二人からの、涙ながらの笑顔に見送られて。彼女は、その姿を【叢雲】へと融かして消えた。

 その名残を惜しみなどしない。それは――――もっと後で。

 

「――――ッ!」

 

 刹那、襲い来た『業を喰うもの』をアキの『絶対防御(アブソリュート)』とユーフォリアの『サージングオーラ』、ノゾムの『ディスペランススフィア』の三枚が辛うじて防ぐ。

 

「盛り上がってるのね、私も是非混ぜて欲しいわ――――」

「ハ――――悪ィね、若者だけのコミュニティだ。ババァの入る余地は無ェんだよ……!」

 

 足場に突き立てたままの【輪廻】を握りながらループレバーを操作して銃弾を装填、その刃を旋回する三枚のハイロゥの回転速度を上げる。

 鍔本の宝玉から溢れ出る黄金の風を巻き込むそれは足場に黄金の魔法陣を展開し、やがて追い風となる。

 

「行くぞ、これが――――」

 

 その隣ではノゾムが【叢雲】を握る右腕を前方に突き出しながら、同じく黄金の魔法陣を展開。

 右腕のガントレットを包むように青いオーラを纏いつつ、光を生む。

 

「はい、見せてあげます――――」

 

 そして、そんな二人の少し後ろ。【悠久】を回転させながら天高く掲げて、やはり黄金の魔法陣を展開したユーフォリア。

 刃の半ば程の位置にある赤い宝珠が煌めき、意志の力を引き出す。

 

「「「絆の力を!」」」

 

 激励のオーラ『トラスケード』に神聖のオーラ『ホーリー』、鼓舞のオーラ『インスパイア』――――同時に、三つのオーラが煌めく。

 

「ええ、楽しみにしてるわ――――きっと、美味しいんでしょうから!」

 

 ナル・イャガは、左手で身を包む絹紗(ヴェール)をはためかせる。それと同時に頭上と胸元、足下に毒々しい肉色の……最早、『渦』としか形容できないナル化マナの濁流が広がった。



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その全て 聖なるかな Ⅱ

「痛みも不安も、全て私が引き受けるわ――――その為に、私は此処に居るの」

「くっ――ここまでの力の差がある?!」

 

 『デュアルエッジ』を見舞うべく疾駆したノゾムが、『痛み』に捉えられた。三発の赤い光に肩、胸、腿を抉られて動きが止まる。

 

「幾ら食べてもお腹が満たされない……これって、切ないのよ?」

 

 そこに、再び『業を喰うもの』が放たれた。

 

「しゃらくせェ――薙ぎ払う!」

 

 それをオーラの銃撃『ドーンペイン』により、ノゾムが反応出来ない初撃だけを撃ち落とす。辛うじて『オーラフォトンシールド』を展開したノゾムが、見えない牙の渦に呑み込まれて見えなくなる。

 それを尻目にアキはループレバーを操作してリロード、ナル・イャガの脳天を狙う――――!

 

「ふふ、そんな遠くから攻撃しなくても。随分と嫌われちゃったわ、私は貴方が『大好き』なのに」

「ハ、白々しい……『大好物』の間違いだろ?」

「ええ、勿論よ。そこのお嬢さんより、良い思いをさせてあげられる自信はあるのだけれど」

 

 『ポイズントゥース』の連射を、『精霊光の聖衣』が弾く。その圧倒的な質量は、生半可な攻撃では傷も付きそうにない。

 自らの防御に余程自信があるのか。ナル・イャガはクスクスと笑いながら、アキへと妖艶な笑顔を向けた。

 

「欲しがってるの、私の『子宮(ここ)』が……貴方のモノで、満たされたがってる」

「あ――――貴女は、何を言ってるんですかっ! お兄ちゃん、こんな人の言う事、真に受けちゃ駄目だよ!」

 

 剥き出しの下腹部に手を当て、さながら男を誘う娼婦のように。

 それに真っ先に反応したのは、顔を赤くしたユーフォリアだ。中距離からサーフボード状に変形させた【悠久】に乗り、『ルインドユニバース』を繰り出す。

 

「言われなくてもこんなメンヘラ女は願い下げだし、(オレ)には(アイ)(ユーフィー)もとっくに予約済みだ――――!」

 

 そのユーフォリアを支援し、アキは徹甲弾『ディアボリックエディクト』に弾頭を切り替えた。

 

「終わりに……しようぜ――――!!」

 

 ペネトレーション効果を持つその弾は、プロテクション効果を持つ『精霊光の聖衣』すら貫通してナル・イャガに到達する。並みの存在ならば、これでケリがつく一撃だ。

 

「あら、ちっとも痛くないわ……おかしいわね」

 

 しかし、『精霊光の聖衣』は並みではない。破壊されても尚、通常の防御として効果を発揮した精霊光の盾により……腹に傷が出来たのみ。

 

「行くよ、ゆーくん!」

 

 そこに『ルインドユニバース』が見舞われる。あとほんの数メートル、その距離で――――

 

「っ!」

 

 凄まじい悪寒を感じたユーフォリアは、【悠久】の軌道を無理矢理に変えてナル・イャガを回避した。

 

「――――きゃあっ!?」

 

 そのユーフォリアに追い縋るように、『業を喰うもの』が虚空に渦を巻く。何とか躱し続けてはいるが、このままではジリ貧なのは火を見るより明らかだ。

 

「ユーフィー!」

「そんなに心配しなくても、皆、ここで一つに成れるわ。だって、生命の行き着くところは生命の始まるところなんだから――――」

 

 それに気を取られた僅かな隙を、ナル・イャガは見逃さない。

 にこりと笑い、腹を撫でていた右手を――――ぞぶりと、銃創から腹の中に突き入れた。

 

「さぁ、こっちにいらっしゃい。生命の海にお帰りなさい――――」

「――――なっ!?」

 

 その右手が、アキの首筋を掴む。壮絶な力で引き寄せられるように、アキを中心に――――肉色の球体が展開された。

 

「そして、私と――――世界を、創りましょう!」

 

 それこそは、反転したナル・イャガの子宮。『子宮回帰』によりアキは、『()()()()()』へと還っていく。

 

 

………………

…………

……

 

 

 飲み込まれた、と感じた時にはもう遅い。辺り一面に蠢く肉の檻は、確かな圧力を持って彼を分解しようと……細胞の一つ一つをその腐海に呑み干そうとしている。

 ここは、全ての命を飲み込むナル・イャガの子宮の内。ならば頚に食い込む彼女の右手は、命を吸い出す臍の緒か。

 

――クソッタレ……このままじゃ、生誕の起火が持たねェ……!

 

 ナルの浸食に耐えていられるのは、種火とはいえ『侵されない力』である生誕の起火があるからだ。しかし、それも程なく尽きる。

 一体どうすれば、指先一つ動かせないこの深海の如き圧迫の中で、残り僅かな『起火(酸素)』を長引かせられると言うのだろう。

 

『何を貴様らしくもない……この程度の理不尽で!』

『信じてあげなさい、貴男の……いいえ、『刃位(あなたたち)』の力を!』

 

 そんな今際(いまわ)(きわ)に、二つの声が響く。他ならぬ、自らの左手に握る『刃』から――――『重圧のベルバルザード』と『雷火のエヴォリア』の声、そして『力』が伝わった。

 

――何だよ、俺にはお前らだけか。全く、クリストの皆にも期待してたんだが。

 

『あら、悪かったわね。こっちだって、あんたなんかに会いに来たくはなかったわよ』

『クリスト族もセトキ達に力を渡している。人徳の差、だろう。貴様には、我らが居ただけでも有り難く思え』

 

 家族を前に、いつも通りの空元気を出す。そんな彼に、二つの意思はいつも通りの憎まれ口を返して。

 

『こっちのナル存在は片付いたわ。後は、貴方達が相手にしてる奴だけよ』

『しかし、他の連中は疲労とセトキ達に力を渡したせいで動けぬ……龍騎兵(ドラグーン)――――貴様らに、時間樹の命運が懸かっているのだ』

 

 叱咤と共に、力が流れ込んでくる。それは、アイオネアのエーテルを介した『マナリンク』のようなもの。

 そして、流れ込んだその力が『()()』を理解した時には――――もう、遅いのだと覚悟を決めた。

 

――ああ……少し、自分が悪党だって現実を忘れちまってたぜ。

 

『あはは、じゃあ、死人は死人らしく『輪廻の轍(マナ・サイクル)』に還るとするわ……代わりに、あたし達の夢を叶えて』

『左様……我ら『光をもたらすもの』の存在理由……『時間樹の永続』を――――』

 

 受け取った『生命』の温もりと同じくらい、心が軋む。それは、その痛みこそはエヴォリアとベルバルザードが生きていた……そして、“天つ空風のアキ”が生きている証。

 それを、こんな醜悪な世界に飲み干させるなど――――この悪党が、赦す筈がない。

 

――任せとけ……出し惜しみなんて、莫迦な考えしちまった。そうだ、俺は……『刃位(おれたち)』は、斬り拓くための存在だったよな!

 

 消えていく声に、決意を返す。リンクが断たれた為、もう声は聞こえなかった。

 

【はい、そうです……わたし達、『生命』の持つ力――あらゆる苦難を乗り越える意志の力を。その体現たる、『未来を斬り拓く、人という名の刃』を!】

 

 故に、『刃位(人意)』であると。全ての命の濫觴が微笑む。勿論、ここで言う『人』とはホモサピエンスの事ではない。確かな意志を持って、明日を斬り拓こうとするモノ達の総称である。

 『(じん)』と、『(ジン)』。それこそは、この男の担うもの。『天』でも『地』でもなく、その狭間の『空』に生きる『人』の持つ可能性という『刃』。

 

【漸く思い出しおったか、この阿呆め。よいか、ここまで来れば最早、永遠神剣の格の差など意味を成さん……勝敗を決するのは、己を信じ抜く『意志の強さ』だ】

 

――任せろ、ロワ……『壱志(イジ)』ッ張りで俺に勝てる奴なんざ、何処を探しても居やしねェさ

 

 圧迫に軋む身体に、力を籠める。ミシミシと、弾けてしまいそうな苦痛と恐怖がその身と精神を苛む。だが、その顔には狂暴なまでの笑顔。

 そして動かせぬ筈の右手が、ナル・イャガの右手首を鷲掴みにした。

 

 ……幾度となく、永遠神剣はその強大な力を持って世界を滅ぼし、人を殺してきた。だがしかしそんな永遠神剣をも、同じくらい幾度となく、何の力も持たぬ人間が討ち滅ぼした事がある。

 

――確かに、人は小さい。永遠神剣なんて言う大津波からすれば、取るに足らないさざ波なんだろう。それを否定は出来ない。何せ、その通りだからな……。

 

 ナル・イャガの右腕を握り潰さんばかりの担い手の気迫に応え、【輪廻】の刃……雨粒の落ちる水面の如く波紋の広がり続けるダマスカスブレードが、撃剣形態のまま上下に分かたれた。

 龍の顎門を思わせるその分割線からは【輪廻】の本体である黄金の無限光を宿す鞘刃(さや)が覗き、周囲を回転する三枚のハイロゥの速度が増すのに合わせて煌めきを増し――――やがて臨界出力を迎えると同時に鈍い音が響き、ナル・イャガの右腕がだらりと垂れ下がる。

 

――だが、人はそれを、『繋がり』によって乗り越えてきた。親から子へ、子から孫へ……友へ、恋人へ……伴侶へ、後継者へ。生まれ変わり、死に変わりながら――――連綿と!

 

 その刃が、黄金の嵐を纏う。嵐は更に巨大な刃となり、擂り潰そうと迫る抵抗をも斬り拓く。

 右腕の拘束を振り払ったアキは、【輪廻】を右の腰溜めに構える。さながら、獲物を定めた獣のように。

 

――いつの日か、その彼方へと辿り着く刻を夢見て、歩き続けること……それが!

 

「それが――――輪廻(サン=サーラ)だァァァァァァァァァッ!」

 

 横一線、水平に放たれた無限光(アイン・ソフ・オウル)の斬撃『シャイニングブレイカー』は、完結した生命の海を薙ぎ払った――――――――

 

 

………………

…………

……

 

 

「お兄ちゃん!」

「ふふ、少しずつ失われていく……後は、貴方達だけ」

 

 次いで隙を見せたのは、アキが肉の渦に飲み込まれたのを見たユーフォリア。その彼女と【悠久】を赤い光――――獰猛な牙のような、空間自体を咀嚼するナル・イャガのサポートスキル『禁句』が瞬く。

 

「空間を捻り、事象を歪ませる……ああ、この力は……まるで……」

「くぅっ……力を貸して、ゆーくん!」

 

 それにより『業を喰うもの』に追い付かれ、『ウォーターシールド』を破壊されて更なるダメージを受けた。幾ら第三位のエターナルと言えども、投げ出されてしまう。

 その落下点にて、ナル・イャガの左手の糸を紡ぐようなしなやかに動きに操られる胃界【赦し】の見えない顎は、今や遅しと待ち構え――――その刹那、『子宮回帰』の肉の渦を破裂させた黄金の瀑風に続き、六挺のウィングハイロゥの銃口から纏めて放たれた『オーラフォトンクェーサー』に薙ぎ払われた。それに因るものか、ナル・イャガはアキを捉えていた右腕と腸を喪い、勢いよく腐った血とナル化マナを打ち撒ける。

 

「うっ……くっ!」

 

 そしてクリアにされた石の足場に叩き付けられるところを、『子宮回帰』から脱出したアキが受け止める。

 

「お兄ちゃん……良かった」

「オイオイ、俺があんな中古品で果てるとでも思ってたのか? 折角新品のお前を予や――――」

 

 等と軽口を叩こうとしたその刹那、『業を喰うもの』が襲い掛かる。数にして、十五を越える顎が殺到し――――

 

「――――ハァァァァッ!」

 

 『業を喰うもの』を堪えきったノゾムが、【叢雲】と【黎明】の二本を用いた『デュアルエッジ』で全て、流れるように叩き斬った。

 

「ご苦労さん、今ちょっとユーフィーから手と目が離せなかったから助かったぜ」

「もう分かったから、時と場合を考えていちゃつけってバカップル!」

「妬くな妬くな、お前にも何時か解るって」

「そろそろ本気で怒るぞ」

「あ、あはは……」

 

 ユーフォリアを下ろして【悠久】を構えたのを見届け、【輪廻】を構え直したアキと【叢雲】と【黎明】を構えるノゾムと軽口を叩き合う。それで、互いに余力を残している事を確認し合う。

 

「あら、腕の感覚が……? もう、困ったわね」

 

 同時に、ナル・イャガの動向も。そのナル・イャガは、アキの『シャイニングブレイカー』で吹き飛んだ腸や腕を不思議そうに見詰めているだけだ。

 しかし、変化は直ぐに。その打ち撒けた血の染み込んだ足場から、漆黒の『怪物』が這い出してくる。

 

『…………』

 

 グズグズに溶けた、腐乱死体のような。辛うじて人の形をした、ナルそのもののそれは――彼女の守護神獣である次元くじら『パララルネクス』の成れの果て。最早理性も何もなく、ただ消滅の恐怖にマナを飲み込み続けるだけの『ナル化存在(ヴォイド・ナル)』だ。

 

「んじゃ、そろそろ決めようぜ、ノゾム、ユーフィー」

「だな……いけるか、ユーフィー?」

「勿論です!」

 

 今まで共に戦い抜いてきた戦友、積み上げられて来た交友により――――残る余力は、互いに最早、幾許(いくばく)も無いと。

 何より、ナル化存在の出現と同時に高まった場のナルの濃度と、ナル・イャガの足下から這い上がった負の生命を帯びる植物の蔓が焦燥を駆り立てた。

 

 そして――――三人が同時にマナを高ぶらせる。

 

「集え、マナよ……我に従いオーラに変わり、究極の爆発となりて敵を包み込め!」

 

 引き出すは【輪廻】の刃の内部、内包するは生命の源泉(レーベンスボルン)にして生命の樹(セフィロト)の果実。

 その無限の光を足下に黄金の魔法陣として、アキは右腕を突き出す。

 

「マナよ、オーラに変われ。光の奔流となりて、究極の破壊をもたらせ!」

 

 【悠久】を回転させながらマナを引き出しつつ右腕を突き出したユーフォリアもまた、足下に黄金の魔法陣を展開した。

 それはさながら――――宇宙創世の、原初の光。

 

「纏めて全部吹き飛ばす……出来なくはない! 見せてやれ、レーメ……これが、俺とお前の!」

 

 【叢雲】を握る右腕に青いオーラを纏いつつ、ノゾムは自身の守護神獣を招聘する。現れ出たのは、妖精の如き小さな少女。

 しかし、その姿は今までと違い、修道女のような服装となっていた。

 

(こころ)の輝きじゃ!」

 

 クロブークの左右に吊られた大きな鈴を鳴らし、やたら長い袖の紺色の法衣に白いニーハイブーツという出で立ち。その名は、『聖レーメ』。最早、天使を越えて聖人の格を得たレーメの姿である。

 そんな彼女の声に合わせて、両手に現出したオーラフォトンのチャクラムに掻き乱された大気がうねる。その怒りは、正に大気の怒り――――

 

「オーラフォトンブレイク!」

「オーラフォトンノヴァぁぁっ!」

「オーラフォトンレイジ!」

 

 三つの強大なオーラフォトンのうねり。それに曝されるナル・イャガは――――

 

「――――じゃ、滅んでね!」

 

 植物の蔓を巻き付けたまま、その全てを受け入れるかのように大きく腕を開いた。

 その瞬間、場のナルが弾けた。多くの神話に唄われる終末の日の具現、『罰の暴風』とナル化存在の『焦土』が全てを薙ぎ払う。

 

 根源が激震する。三つのオーラフォトンの塊と二つのナルの塊の鬩ぎ合いに、残り僅かな時しか残さぬ時間樹自体が、残り時間を待たずに崩壊してしまいそうな程に。

 天地終焉の如き烈震が止んだ刻、そこには――――

 

「くっ……こいつ、化け物が!」

「嘘……全力だったのに……」

「くそっ……何て奴だ」

 

 満身創痍、疲労困憊の三人と。

 

「もう……少し…………もっと私を、感じさせて?」

 

 同じく満身創痍、疲労困憊ながらも未だ、確かな余力を残したナル・イャガと――――いつの間にか三人の背後に回り込んでいたナル化存在。

 

「全て無くなってしまえば、新しい何かが生まれるの。だから――――」

 

 そして、ナル・イャガはまたも両腕を広げる。その身体を這い登る蔓も新たにナルを湛え、再度『罰の暴風』を放とうとしている。

 ナル化存在もまた、その背中の櫛のような二枚の翼から青白い虚ろな光を昂らせ、『焦土』を放つ用意を終えていた。

 

「クソッタレ……どんだけのナル化マナを!」

「ここまで……来てっ! 負けられやしないのに!」

「お兄ちゃん……望さん」

 

 ナル・イャガとナル化存在に対応する為にアキはナル化存在へ、ノゾムはナル・イャガへとそれぞれ【輪廻】と【叢雲】、【黎明】を構える二人の間のユーフォリア。

 昂るナルの渦に挟まれ、彼女は【悠久】を抱き締める。

 

「……やるしか、ねェな」

「やるって……何をだ?」

 

 その時、アキが呟く。決意を灯した琥珀色の瞳で。それにノゾムが、意識だけを向けて問う。

 

「俺の無限光と、お前のナルを――――全て、対消滅させるんだよ」

 

 イルカナと“黒き刃のタキオス”との戦いで行った、その賭けを……今度はノゾムと共に行う事を。

 

「そんな事、出来るのか……ナルカナの奴、滅茶苦茶怒ってるぞ」

 

 その疑念も最もだろう。マナとナルは対ではなく、一方的な浸食。それに何より、ナルカナの『一部』であるイルカナとの対消滅でもギリギリの状態だったと言うのに。

 だが、それでも――――

 

「やらなきゃ、いや――――やれなきゃ、守りたい全てを失うんだ……やるんだよ、何としても。是が非でもな!」

「空……」

 

 それでも、守りたい『故郷(せかい)』が其処に在る。

 

「……分かった、やろうぜ、空!」

「そっちの趣味はねェよ」

「俺だってねーよ」

 

 軽口を叩き合い、『セレスティアリー』と『メビウスリンク』で互いを繋ぐ。

 

【出来る訳無いでしょ、このど阿呆ーっ!!】

「煩せェェェ、やるって言ったらやるんだよ!」

【だいたいね、望ですらあたしを扱うキャパ不足なのに、あんたなんかに扱えるわけ無いでしょ! 『生誕の起火』も消えかけの癖に……あんた、死ぬわよ?】

「承知の上だ……いいから、早く!」

 

 いきなりナルカナに怒鳴られた。しかし、彼女も最早それしかないと分かってはいるのだろう。実に仕方無さそうに、そのナルを流してくる。

 

「――――っ!」

 

 その途端、吐き気にも似た苦痛が全身を駆け巡る。流し込まれるナルに、体が拒絶反応を示しているのだ。

 

【あたしの全てを出し切るからには……あたしは意識を閉じて全力を出すわ。手加減なんて……一切ないわよ?】

「――――くどい! 来い!」

 

 倦怠感を振り払うように、一気呵成に声を上げたアキ。それに合わせて、莫大なナルが流れ込んできた。

 それこそ――――アキを押し潰しても飽き足らぬ、濁流として。

 

【兄さま……わたしも、意識を閉じます。だから……】

「分かってる……信じてるさ、『刃位(おれたち)』の力を」

 

 次いで、アイオネアも意識を閉じる。アキを信じ、その全てを委ねた彼女の信頼に答えるべく――――アキは、両手で握る【輪廻】を臨界に押し上げる。

 その黄金の光が、漆黒の光に呑み込まれていく。やはり、一方的な浸食である。

 

――――まだだ……まだ行ける。そうだ、限界なんざ当に過ぎ去ったこの身……今更、ぶつかる壁なんて!

 

 『限界突破』で越えた限界の、その限界にぶち当たる。

 

【全く……仕様のない。折角、ナルカナを縛る為に取って置いたと言うのに……受けとれ、アキ!】

 

 そこに、フォルロワから新たな力が流れ込む。その途端、今まで感じていた不快感が緩和された。

 

「ロワ……これは?」

【我ら地位神剣の母、地位【刹那】から預かった力だ……本来は地位神剣を縛る力、多少ならばナルも制御できよう】

「……助かる! まだ行ける……俺なら、俺達なら――――」

「お兄ちゃん……頑張って! お兄ちゃんなら、出来る! あたしも手伝う――」

 

 そのアキの背中に、ユーフォリアが抱き付く。震える手で、確りと。

 現金なもので、それだけで――本当に、何でも出来る気がした。

 

「……ちぇ、見せ付けてくれるよな。全く……」

 

 そんなノゾムの呟きを聞いた気もしたが、今は――流れ込むナルを中和するだけで精一杯だ。

 

「マナよ、オーラと変われ。我らに宿り、永久に通じる活力を与えよ――――エターナル!」

 

 光に包まれ、形の判らなくなった――――強いて言うなら、まるで『鞘』のようになった【悠久】を担うユーフォリアより、青く清廉な永遠のオーラ『エターナル』が放たれる。その優しく、雄々しきマナを受け取り――――突破した限界の、更にその限界を突破した。

 しかし、それでも足りない。それだけ、第一位永遠神剣【叢雲】は強大な永遠神剣なのだ。

 

「まだだ……まだ、まだまだ行ける! 限界の限界の、その先へ……何度、壁にぶつかったところで!」

 

 更に、その限界を突破する。その有り様こそ――――生まれ変わり、死に変わる姿そのもの。幾度、苦しみを繰り返そうとも……いつか来る解脱に至るその時まで決して歩みを、轍を刻み続ける事。諦めずに、太刀向かう事。いつ終わるとも知れぬ永劫の刻の彼方まで、壱志を張り続ける事。

 即ち『輪廻解脱』――――人はそれに至る道程を、『輪廻(サン=サーラ...)』と詠んだ。

 

「だから――――消えて?」

 

 刹那、外界のナルが臨界に達した。放たれた『罰の暴風』と『焦土』は、今度こそ三人を滅するべく根源自体を破砕しながら迫り――――

 

「全て無くなっても――――」

 

 その破滅を目前にしながらも、ノゾムは一切の迷いなく【叢雲】と【黎明】を一本の大刀と為す。

 片刃の、美しい装飾の為された【叢雲】は、鍔本の勾玉より金と青の入り交じったオーラを生み出して長大な刃として――――肩に担ぐように、ナル・イャガへと大上段に構えられた。

 

「俺達は、諦めない――――」

 

 次いで、同じく鍔本の宝玉から生み出すオーラを大刀【輪廻】に金と青の入り交じった長大な刃として纏わせたアキが――――腰溜めに構えてナル化存在に向かう。

 

「「だから!」」

 

 そして、同時に眼を開く。迫る『罰の暴風』と『焦土』をそれぞれに捉え、それを――――真っ直ぐに、その刃で。

 

「「不滅の意志よ――――」」

 

 全てを超え行く、今を生きるもの達の輝きを宿した剣『イモータルウィル』が暴風を縦、焦熱を横に斬り拓き――――

 

「ああああっ?! そんな、私が……まだ、味わってない!」

 

 ナル・イャガを縦に、ナル化存在を横に切り裂き――――それでもまだ【赦し】を振るおうとしたナル・イャガを、『エターナル』を発動し続けるユーフォリアを支点にして踏み込むように反転し合った二人は、先程とは逆の対象へと。

 

「「刃となれ――――――――!」」

 

 その、二太刀目を叩き込んだ――――――――



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有限の宇宙 無限の世界

 闇が消え、光が溢れる。時間樹エト・カ・リファを形作るログ領域に溢れ出していたナルが正しく封じられ、滅びの刻はすんでで回避された。

 

「時間樹のリセットは完了……これで崩壊は回避、既に崩れた世界のサルベージと再構築も完了。何とか間に合った、か。しかしあいつら……良くもまぁ、あんな化け物に討ち克てたものだな」

 

 そこに佇んでいた『旅団』団長サレス=クウォークスは、眼鏡の位置を直しながら呟く。

 勿論、その礼讚はナル・イャガを打ち破った三人に対して。

 

「……やはり、他の団員とは違って、もう此方からの強制転送は不可能か。既に『異物』なのだな、お前達は」

 

 そして、寂しげに呟く。根源回廊の底に居た旅団団員達は既に元居た世界へと転送されている。

 今、根源に存在しているのは“叢雲のノゾム”と“天つ空風のアキ”、“悠久のユーフォリア”の三人だけ――――

 

「……チッ、この混乱に乗じて外部からのアクセスか。悪いな、流石に……此処からでは、助けてやれん」

 

 再設定し直した時間樹の自浄作用による転送の為にマナの光に還っていく体と、本型の第五位【慧眼】を見ながら、サレスは。

 

「全く……子供というものは、いつでも……大人の予想を超えていくものだな……!」

 

 ニヒルに、だが親愛に満ちた眼差しで――――マナに還っていったのだった。

 

 

………………

…………

……

 

 

 分離させた草薙剣(クサナギノツルギ)【叢雲】と両手大剣(バスタードスウォード)【黎明】、両刃長剣小銃(ライフルセイヴァー)【輪廻】と巨刃剣(グレートスウォード)【聖威】をそれぞれに両手に握ったノゾムとアキが、ゆっくりと……

 

「ふふ……うふふ…………信じられない……この、私が……この、“最後の聖母イャガ”が…………生まれたばかりの、エターナルなんかに」

 

 右肩から先、左脇より下を失ったイャガの滅び行く死骸に向けて歩み寄る。

 最早、手を下すまでもない死に体。ナル化存在や【赦し】も、既に神剣宇宙から消滅している今、彼女に出来ることはもう無い。

 

「……でも、忘れないことね。()()()()()()()である貴男達二人も――――私と同じ末路を辿ることを、ね」

 

 哀れむように、残心を示し続ける二人に笑い掛けて――――風に吹かれた塵のように、あっさりと消えた。

 それが遥か往古より存在し続けた、最古参のロウ・エターナルの一角である“最後の聖母イャガ”の最期だった。

 

「「…………」」

「はぁ、ふう……」

 

 それを確認して、漸くノゾムとアキは構えていた両の神剣を下ろす。その後ろではへたりこんだユーフォリアが、【悠久】を抱いて荒い息を吐いている。

 

「終わった、な。この時間樹の救済も、貴様との盟約も」

「ロワ……」

 

 その時、右手の【聖威】が光に包まれて化身と化す。化身化したフォルロワは、その胸を強調するような服装の上から腕を組む。

 そんな彼女に向けて、ノゾムは警戒したように厳しい視線を向けた。

 

「息巻くな、“叢雲”……今の我に貴様を縛るだけの力はない。どこへなりとも消えるがよい、暫くは野放しにしてやる」

「……それは、どうも」

 

 高圧的な彼女の物言いだが、それは今までのフォルロワからは考えられない台詞だ。

 それに毒気を抜かれた、と言う訳でもないだろうが。ノゾムは、警戒を解いた。

 

「……全く、苦心して作り上げたこの牢獄も……最早、意味はないか。我の意に沿わぬものなど、後は野となろうと山となろうと知った事ではないがな」

 

 そして、フォルロワは天を仰ぐ。根源の最下層から見上げるサファイアの瞳に映るのは――――燦然と煌めく、生命を湛えた時間樹エト・カ・リファの美しい姿。

 それに、誰に聞かせるでもなく彼女は呟いた。まるで、『母親』のように慈愛に満ちた眼差しで。

 

「……行くのか?」

「当たり前だ。我は『刹那の代行者』フォルロワ――――地位眷族の総意なり」

 

 アキの問い掛けに、フォルロワは銀色のポニーテールを振るわせて真っ直ぐに目を向けた。そこには、毅然たる一派閥のリーダーのカリスマが見てとれる。

 その様子に、アキはふんすと溜め息を吐く。煙草に火を点け、紫煙を燻らせながら。

 

「そうかい。まぁ、『気付いたら俺の神剣になってました』何て事がないように気を付けとけよ?」

「お陰様で、貴様のように神剣使いの荒い担い手になど騙されるものか。貴様こそ、女を口説きたければもう少し気の効いた台詞を用意しておくのだな……“天つ空風のアキ”」

 

 笑い合い、その姿を見送る。白いマナ蛍と化した彼女は、時間樹の外へと消えていった。

 

 後に残されたのは、今度こそアキとノゾム、ユーフォリアの三人のみ。

 

「……お前は、これから先どうするんだ、アキ?」

「どうもこうも、ノゾム……俺は風だ。気の向くまま、自由自在さ」

 

 等と、気取った調子で口遊(くちずさ)む。いつも通りのその調子に、ノゾムは苦笑いして……道は交わらない事を悟り、分離させた【黎明】を鞘に納めた。

 

「そうか……残念だな、お前達となら、楽しい旅になりそうだったのに」

「勘弁しろよ、俺、暁と違ってそっちの趣味はねぇぞ」

「絶にだって無いっての。第一、俺にだって無い」

 

 軽口を交わしながら、ショルダースリングを装着できない形状の【輪廻】を眺める。

 アイオネアは全力を出し切った為だろう、沈黙している。【輪廻】の刃には、小波の一つすら透かしてはいなかった。

 

 それは恐らく、【叢雲】もそうなのだろう。あの喧しい三人娘がうんともすんとも言わないのだから。

 そして――アキは、空いた右手で、へたりこんだままだったユーフォリアを抱き起こす。

 

「あにゅう~……」

「ほら、大丈夫……じゃあ無さそうだな。ったく、無理しやがって」

 

 だが抱き起こそうにも、彼女は余程消耗したのか、ほとんど腰砕けの状態だ。両手で【悠久】を握り締めたまま、膝は完全に笑っており必要以上に内股になっている。

 仕方なく、腰を抱く。それで、ユーフォリアの頬にぽっと赤みが増した。

 

「お兄ちゃん……」

「ユーフィー……」

 

 そこで、はたと見詰めあった二人。潤んだ青い瞳と、琥珀色の龍瞳が交錯する。静かにうねる根源の闇の彼方から、マナを宿した虹色の風がひゅうと吹き渡り、蒼穹色の長い髪と燻んだ刃金の短髪を揺らす。

 

「全く……このバカップルは」

 

 ノゾムが辟易したように吐き捨てるように、誰がどう見ても『良い雰囲気』という奴だった。

 無論、本人達もそうだ。どちらからともなく、唇を寄せ合い――――

 

「――――あらあら、お熱い事ですわねぇ。若いというのは羨ましいですわ」

「「「ッッっ!」」」

 

 突如として虚空より響いた笑い声に、各々【叢雲】、【輪廻】、【悠久】を構える。

 三対の眼差しの先には――――『星天』の種子に腰掛けて三人を見下ろす、杖を持った白い少女。

 

「しかし……『運命の女(ファム・ファタール)』とはよく言ったものですわ。そんな『無意味』まで籠絡してしまうなんて貴女、中々の悪女の素質がありましてよ?」

 

 まるで、狂言回しのように。白髪に蜂蜜色の邪悪な瞳を持つ少女は、くつくつと喉の奥で笑いながら詞を紡ぐ。

 

「“法皇テムオリン”――――何故、貴女が!」

「――――!」

 

 それに、今までの倦怠すら忘れたかのようにユーフォリアが叫んだ。

 その名に、一番衝撃を受けたのは――そんな彼女を支えている、その男。

 

「ふふ……分かっている筈ですわ。私達ロウ・エターナルの目的は唯一無二。『原初神剣への回帰』――――しかし、それにはどうしても“全ての運命を知る少年ローガス”と“宿命に全てを奪われた少女ミューギィ”が邪魔……無意味に強すぎますからね」

 

 立ち上がり、杖を……永遠神剣第二位【秩序】を掲げたテムオリン。その姿が掻き消え――――刹那の内に、空間跳躍で三人の目の前に現れる。

 

「その為に、『刃』を鍛えたのです。我が陣営の切り札(エース・オブ・スペード)となるエターナル……そして、巨大なマナを蓄えている上に上位の永遠神剣を持つ実力者“星天のエト・カ・リファ”とその時間樹、加えて“最後の聖母イャガ”を消滅させ……ナルなどと言う異物の塊【叢雲】を打ち砕く為に」

「そんな……それじゃあ、貴女はこの全ての出来事を」

「ええ――我ながら、怖いくらいですわ。ここまで首尾よく事が運ぶのは、実に久方ぶりです」

 

 満足そうに、三つの戦意を受け流す。最早、居並ぶ三人が己を脅かす敵でない事は解りきっている為に。

 そして――にたり、と口を半月のように歪めて口を開いた。

 

「それにしても、因果な話ですわねぇ……私の作戦を邪魔してくれた“聖賢者ユウト”と“永遠のアセリア”の娘が、私とタキオスの因子を混ぜた――強いて、極めて強いて言えば息子のようなものと愛し合うなんて……正にロミオとジュリエット、悲劇の愛……ですわね。うふふ」

「えっ……?!」

 

 テムオリンの台詞に、ユーフォリアは直ぐ脇の男を見遣る。彼女の台詞に、龍牙を剥いて睨み付ける彼を。

 

「ハ……てめぇらの仕出かした事になんざ、何の興味もねぇ。第一――」

 

 そのユーフォリアの視線から逃れるかのように、首に掛けた時深の御守りを揺らしながら、アキは『一の太刀・輪剣』をテムオリンに叩き込んだ。

 

「――――あの糞親父にも言ったけどな、俺の親は時深さんだけだ!」

「親の心子知らず、とはこの事ですわね。折角、生まれるチャンスすらモノに出来なかった落ち零れに私謹製の『龍の因子を持つ肉体(リュトリアム・ガーディアン)』の器を与えてあげたと言うのに」

「テメェの為だろ、恩着せがましい……!」

 

 褐色の強靭な肉体から繰り出された、『龍の爪撃』を思わせる猛烈な一撃。それを軽々と、自動展開された『秩序の杖』が防ぐ。突破するには圧倒的に、余力が足りない。

 対して、テムオリンは十全過ぎる余裕を持って。

 

「それでは、まずは貴男の意識から奪いましょうか」

 

 ゆっくりと【秩序】を振るう。その刹那、アキの精神と肉体が軋みを上げた。

 

「ッッ――――ぐ、アァァァァァッ!?」

 

 まるで、無理矢理生爪を剥がされているような苦痛。それは――――永遠神剣による強制力。

 かつて、【幽冥】や『触穢』の神名に幾度となく心を苛まれた事のあるアキでも絶叫する程に、【秩序】の強制力は苛烈だった。

 

「アキ――――!」

「お兄ちゃ――――!」

 

 二人の声すら、遠く聞こえる。それは痛みによる麻痺、そしてテムオリンの『秩序の杖』の障壁の内側に呑み込まれたが故。

 

「ふふ、言ったでしょう、『貴男の体を用意したのは私』だと……当然、貴男は私の眷族。とは言え『生誕の起火』が有る状態では効かないでしょうから、この時を待っていたのですわ」

 

 確かに、全てを『透禍(スルー)』出来る『生誕の起火』が有る状態ならばこのような事にはならなかった。しかし、エト・カ・リファにタキオス、ナル・イャガと化け物に次ぐ化け物との連戦で、それを温存しきるなど出来よう筈もない。

 その全てを計算付くで、テムオリンは傍観していたのである。

 

――クソッタレ……こんな、こんな奴に読み負けたってのか……!

 

 失望に、頭が真っ暗になる。思わず、瞼を閉じてしまう程に。

 

「抵抗など無意味……全ては、初めから定められていた事。貴男と言う無意味が生まれた意味は、【輪廻】をこの世に産み落とすためだけなのですから」

 

 暗闇の中、アキは胸元に拳を握り締める。拳の中には――――時深の御守りの手触り。

 だが、そんな物が何だと言うのか。魂を鑢で小削ぎ落とされるかのようなその苦痛は、彼の人生で与えられたあらゆる苦痛を上回り――――

 

「……ハ、何てこたァ無ェな、この程度」

「……何ですって?」

 

 にたり、と。血筋か、全く同じ悪辣な笑顔を浮かべた彼に、テムオリンは微かに眉を顰めた。

 

「何てこたァ無ェっつったんだよ、お袋さんよ。この程度の痛み――――十何年も続いた時深さんの扱きに較べたらよ……ぬるま湯もぬるま湯だぜ……ッ!」

 

 琥珀の龍瞳を煌めかせ、鋭い龍牙を剥きながら。イメージするのは、銃の撃鉄。

 自らを『()()』として、ならば()()()()が『生誕の起火』だ。

 

「生意気な――――被造物の分際で、造物主たる私に逆らうつもりですの?!」

 

 更なる強制力の嵐が襲い掛かる。しかし、最早遠い。有名無実の主君の勅命になど、誰が従うと言うのか。

 【輪廻】の起爆剤を得るまでもない、自身の深奥――――生命の大海原(わだつみ)に波紋を刻む。

 撃鉄の一撃より生まれた深滄の轍は、際限無く広がる空海に何処までも広がり――――御守りの中身『時果の漏刻』が弾けて。

 

「――――漸く、私の出番ですか。全く、遅いにも程があります」

「え――――?」

 

 トッ、と。実に軽い音を立てて、テムオリンの胸に突き立った――――

 

「“時詠みの……トキミ”……かふっ!」

 

 テムオリンが呆然と呟くのと、【時果】が引き抜かれたのは同時。そして、鮮やかな血が吹き出したのも、やはり同時。

 巫女装束を翻した少女の、文字通りに『致命的な一撃(クリティカルワン)』。最早、テムオリンは絶命を免れない。

 

「何故――――『座標軸』を仕込んでいたのなら、手を貸すべき危機(タイミング)はタキオスの時にもイャガの時にもあった筈……なのに、何故、こんな時まで干渉せずに力を温存できたと……」

「あら、貴女が言ったんじゃありませんか。『母親の真似事でもしてみろ』と。親の役目とは、最後の最後まで監督してあげること。先達としての、見本を示すことですよ」

 

 幾許かの余命を残す法皇が、血を吐きながら問うた言葉。彼女が周到に確認を重ね、最早時深の助けはないと確認に確認を重ねた結果が覆されているのだ。

 それに、時の女神は平然と皮肉を返した。今より十数年の過去、彼女に向けて法皇が放った皮肉への意趣返しを。それに気付いた法皇はこの謀略を開始して以来、初めて表情を歪めた。

 

「ふ、ふふ……言葉は我が身に返る訳ですね……私とした事が、少しばかり策に溺れ過ぎたようですわ……」

 

 その小さな、白い体がマナ蛍と還っていく。死ぬのではない、外宇宙で再構築される為に。タキオスと同じ、だ。

 

「しかし――闘争には負けましたが、戦争は私の勝ちですわ。何故なら……」

 

 死に逝く蜂蜜色の魔瞳が、一人の少女を捉える。蒼穹を溶かしたように、美しい青の少女を。

 

「今回の『破滅に導く女(ファム・ファタール)』は、私でも貴女でもなく、その小娘……苦痛への耐性を持つものは、得てして『過度の幸福(ユーフォリア)』に弱いもの……ふふふ、それにしても、見れば見る程あの二人そっくり……実に、実に忌々しい……その無垢な顔を……絶望に、染めて……みたく……なります、わ…………」

 

 そんな今際の際に在って尚、壮絶な悪意を宿した笑顔を浮かべたままでテムオリンは消滅していった。

 

「……やはり、貴女は親にはなれませんね。子を、駒にしか思えないなど」

「お兄ちゃん!」

 

 吐き捨て、【時果】を懐に仕舞った時深。その瞳が、アキに駆け寄って抱き付いたユーフォリアを見遣った。

 

「こら、泣くなよ……俺は、笑ってるお前が好きなんだからな」

「ぐすっ……お兄ちゃんの馬鹿……あんな無茶したら、女の子は泣いちゃうんだよ……?」

「そりゃあ、迂闊だった。以後気を付ける」

 

 出自を知って尚のその暖かさに、涙が零れそうになる。こんな汚物にまで、他と変わらぬ……否、他よりも遥かに深い『愛』を注いでくれる彼女に。

 だからこそ、決意した。例え――――マナの霧に消えようとも、その荊棘(いばら)の道程を踏み越える事を。

 

「有り難うな、ユーフィー……俺の、大事な(ひと)

「どういたしまして、お兄ちゃん……あたしの、大事な(ひと)

「……このバカップルは」

 

 時深は呆れ果てた溜め息を一つ吐いてユーフォリアを見遣り、首根っこをむんずと捕まえる。そのまま、二人の仲を引き裂くように引き剥がして。

 

「さて、そろそろ帰りますよユーフォリア。それにしても、はぁ……ユウトさんとアセリアに何て詫びればいいんだか……こんな事なら、さっさと去勢しておけば」

「は、はう~、お兄ちゃん助けて~」

 

 と、彼女は再びこれ見よがしな溜め息を吐く。それもこれも、アイオネアの()()()()()()()、成長した姿のままの彼女を見ているが故。

 そして、その原因を作ったのが――他ならぬ、()()()()()()()であるが故に。

 

 わたわたと脱出を試みる彼女だが、実力と余力の差は歴然だ。

 

「はは……心配すんな。すぐ、拐いに行くさ――――混沌の中にあっても、風は風だからな」

「お兄ちゃん……うん」

 

 その少女を、わしわしと撫でる。多分、絞り出せた笑顔のままで。

 それに、ユーフォリアは応えた。多分、絞り出せた笑顔のままで。

 

「カオスの方は、任せて……あたし、頑張るから。いつの日か、全ての命が当たり前の人生を全う出来る世界の為に」

 

 少女は、虚勢を張る。今にも零れ出しそうな涙を湛えた瞳で。もしかしたら、最後となるかもしれない、その笑顔を見遣る。

 そして両刃長剣小銃(ライフルセイヴァー)【輪廻】を空転させると、お決まりの空元気を出した。

 

「莫迦め――――俺を、誰だと思ってる? 宇宙の調和を破壊する刃位神剣【輪廻】が担い手……“天つ空風のアキ”だ」

 

 物騒な物言いとは違い、返した笑顔は今まで見せていたものとは正反対。悪辣さなど微塵すらない、生まれたばかりのように純粋な笑顔で。

 

「ロウの方は任せとけ。いつの日か……どんな命も、当たり前の人生を全う出来る世界の為に……俺は、今のクソッタレの宇宙をぶち壊してみるさ」

 

 恋人の言葉を引用して、言い切った。本当は、同じ道を歩みたい者同士が――――自ら、離れた。

 それは、“時詠みのトキミ”を持ってしても……詠む事の出来ない未来。もしかしたら、この後に来るかもしれない未来だった。

 

「……では、行きますよ。それと、“天つ空風のアキ”」

「はい――――何ですか、“時詠みのトキミ”さん?」

 

 煙草に火を点け、慇懃無礼を絵に描いたような仕草で紫煙を燻らせる。金色のオイルタンクライターは鈍い音を立てて閉じられ、羽織直された外套の内ポケットに仕舞われた。

 その冷たさは、敵であるが故に。そして――愛するが故に。

 

「貴男の道は、貴男次第です……ですが、『女の子を泣かせるような男に育てた覚えはない』とだけ言っておきます」

「ハハ――――手厳しいなァ。まぁ、心配には及びませんよ。俺ァ、約束は守る男ですから」

 

 そう言われては、弱い。がしがしと金髪の頭を掻き、苦笑いを返す。

 時深は、そんな『息子』に。

 

「それと、ユウトさんに会ったら覚悟なさい。今度は、『溜め無しノヴァ』程度じゃすみません。『溜め無しコネクティドウィル』くらいは自然な成り行きです」

「……地味に怖い」

 

 体を抱いて震えた男を、笑いながら彼女は見いる。多分、最後の『親子』としての関係で。

 

「心配には及びませんよ、貴男は……私の、最高の息子なのですから」

 

 その言葉に、煙草の灰が落ちる。虚を突かれた言葉に、思わず龍瞳を剥いて。

 

「……了解。“倉橋”空、生命(いのち)を全うします」

 

 お道化るように返したのは、『元服』して以来使っていなかった姓名(なまえ)

 それに、彼女は一瞬泣きそうな顔をして――――虚空に溶けるように、ユーフォリアと共に消えていった。

 

 そうして、守るべき者を無くした彼の肩をノゾムが叩いた。

 

「じゃあ、俺も行くよ。あれだ――――『それ以外』は、任せろ」

 

 と、ノゾムは宣った。『カオスとロウ、それ以外は任せろ』と。

 その心強い笑顔を見遣る。既に、半身が消え掛かった彼を。

 

「任せた――――精々、俺とユーフィーがイチャイチャ出来る世界を」

「じゃあな――――次に会う時は、敵同士じゃない事を祈ってる」

 

 軽口を遮りながらそう言い残して、『生涯の友』は消えた。後には、もう何もない。虚空に消える紫煙のみだ。

 

「……さて、俺も行くか」

 

 誰にともなく、そう呟く。根源の静寂が、酷く淋しかったから。

 

「一体、何処を目指すかねぇ」

 

 吸い殻を投げ捨てて歩き出せば、甦る記憶。良い事など余り無かったが、いざ去るとなれば名残惜しい。

 

「――――ハハ」

 

 自分にも、人並みな感傷が有った事に苦笑する。人ならざる身で、分不相応な、と。

 透徹城から、揚陸艦を招聘する。AIの自動操縦(オートパイロット)により飛翔するそれに、アキは『最速』で艦橋の艦長席に座った。

 

AI(アーティ)――進路真っ直ぐ、何処かに着くまで進め」

了解(ラジャー)艦長(キャプテン)。では、到着後のご予定は?』

 

 そして、周りを見渡す。少し前までは、騒がしいくらいだった艦橋。今は、機械的なアナウンスが流れるのみ。

 その背後に、景色が流れていく。故郷の大樹は青々と繁り、幾つもの生命の営みを育み、輪廻させている。そこにはもう、神の意思など介在しない。後は、現在(いま)を生きる者達次第だ。

 

「そうだな、先ずは――――」

 

 だから――――もう、戻ることもない。その輪廻には、二度と戻れない。

 再び煙草に火を点け、鈍い金髪を掻き上げ――――

 

「先ずは――――乗組員(ブリッジクルー)を集めるところからだな」

 

 琥珀色の龍瞳で見詰める神剣宇宙の闇に向けて、紫煙と共に溜め息をを吐き出した――――――――…………

 



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そして…… Eternal Skys
サン=サーラ...


 時の流れとは、主観である。確かに、時計は水晶の振動数を元に一秒を刻む。

 しかし、進んだ針を見て『早い』と感じるか『遅い』と感じるかは観測者次第だ。

 

 『彼』が生まれ故郷の時間樹を旅立って、既に一周期が過ぎた。僅かに一つの周期、しかしそれは、永遠を生きる者達が自らの為に作り上げた単位。

 尋常の者にとっては『五劫の摩り切れ』、正しく『永遠に等しい時間の永さ』である。

 

 様々な命が瞬いた。ある世界では、並び立つ二つの石の墓標に毎日参じていた金髪の老騎士が、息を引き取る間際にその役目を子供に譲った。

 またある世界では、かつて家族を全て失った青い髪の老婦人が、同じように孤児だった大勢の子や孫、曾孫や玄孫に囲まれて幸福な生涯を全うした。

 ある世界では、頭打ちとなった科学技術の中興の祖と讃えられた今は亡き人物の銅像の除幕式が行われた。白いベールが取り払われ、不敵な笑みを浮かべた、猫耳の男性の若かりし頃の像が御披露目された。

 

 既に滅びたある世界では、鉄や機械、アスファルトの瓦礫の中から幾つもの草木の芽が芽吹いていた。

 そしてその大地を耕し、種を巻いた男――大薙刀から鍬に得物を持ち変えた金髪の偉丈夫が、朝日を浴びてそちらを見遣る。

 倒壊した鉄筋コンクリートの残骸に背を預けて座り、辺りを走り回る孤児達と――抱いた赤子に『慈愛』に満ちた微笑みを送る、翡翠細工の女を。

 

 そんな二人が天寿を全うした頃には、その世界には新たな命の輪廻が……『光』が満ち溢れていた。

 

 それは、ほんの一部だ。時間樹の大いなる輪廻の元では、さざ波に等しい成果だった。

 それでも――――それは、続いていく。受け継がれ、新たな時代へと。新たな世代へと……移ろいゆくからこそ、生命は尊いのだ。

 

 その営みから――――永劫の時間の果て、無限に等しい距離の闇の中を。直掩として、己よりも遥かに巨大な戦闘空母一隻を引き連れたその艦は漂っていた。

 幾度となく戦火を潜り、傷付き。それでも尚、修復を重ねてきた事が一目で分かる年代物の揚陸艦。その艦橋で――――。

 

「――――(ロン)海底摸月(ハイテイモーユエ)!」

「グォォッ、また振り込んじまったァァァッ! 筒子(ピンズ)なら大丈夫だと思ったのに!」

 

 いかにも『蛮族』といった皮革や鱗、羽毛を織り混ぜた鎧を纏うグレーの瞳の獅子面の獣人(レオニン)が悲しみの咆哮を上げながら赤金色(ブロンズ)の鬣を掻き毟り、麻雀牌を散撒(ばらま)きつつ椅子ごと後ろに倒れ込む。

 身の丈三メートル強、体重三百キロを上回る屈強な体躯でそんな事をするものだから、艦橋全体がギシリと揺れた。

 

「勘弁してくれよ、兄ィ! このままじゃオイラ、破産しちまう!」

 

 隣の青年に情けなくもそう宣ったこの獣人、第四位永遠神剣【金剛】と第三位永遠神剣【羅漢(らかん)】の担い手。神剣宇宙を荒らし回った海賊大船団の元締めにしてロウ・エターナル、その名をアズヴェルザーグと言う。

 

『所詮はぬこの浅知恵、ワwwwロwwwスwww』

 

 と、その隣。顔が見えない程の近さでノートパソコンのキーボードをタイプする脂ぎった黒い長髪、チェックのバンダナと揃いの上着に下はジーパンの、汗ばんだ小肥りの男が頭上に吹き出しを発生させた。所謂、拡張現実――――立体映像と言う奴である。

 この男も、ロウ・エターナル。第三位永遠神剣【不還(ふげん)】の担い手ビウィグ。自らの生まれた時間樹のログ領域を生身のままクラッキングした程の神技レベルのクラッカーである。

 

「んだとコラ、ブタァァァァ! 叉焼にして晩飯にしてやろうかァァァ!」

『うわなにするはなせくぁwせdrftgyふじこlp……』

 

 と、アズヴェルザーグの豪腕がビウィグの脂肪まみれの首根っこを引っ付かんだ。首だけで自重を支える羽目になった彼は、太く短い足をばたつかせながら吹き出しを作る。

 それに、正面の女――――中国の太后のような豪奢な装束に身を包んだ薄金色の狐耳と九つの尻尾の妖女が、煙管を蒸かしながら呆れ声を上げる。

 

「はぁ、喧しいのぅ……負けて喚くなど、男の風上にも置けぬぞえ?」

 

 やはり、彼女もロウ・エターナル。第三位永遠神剣【蓬来(ほうらい)】の担い手にして、誕生した浮き世界全てを支配した文字通りの『世界帝国』の女帝イズルハ。

 

「姉ェは手厳しいねェ、だがそこが良い。あれだ、亀の甲より年の功って奴だな」

『うるせぇBBA(ババア)wwwwww ょぅι゙ょに生まれ変わって出直しやがれwwwwww』

「コンコン……良かろうて。そこに直れ、小童ども。四肢を引き千切って龜の中に塩漬けにしてやろうぞ」

 

 がはは、と悪気なしで笑った獅子。ぶひひ、と悪気のみで笑った豚。

 その二人に、妲己は笑顔と殺意でもって答えた。

 

「ハハ――――まだまだだな、ヴェル。ビグとルハもそこまでだ、遊びで諍いなんて起こしてんじゃねェ」

「兄ィ……」

『ショボーン(´・ω・`)』

「コンコンコン……陛下がそう仰るなら」

 

 その一連の流れを笑って見下ろした、獅子の隣の琥珀の龍瞳――――鈍い金髪の青年。紺碧のアオザイに身を包み、漆黒の聖外套を羽織った浅黒い肌の『覇皇』。

 ロウ・エターナル“輪廻の観測者ボー・ボー”に導かれてロウ・エターナルとなり、“法皇テムオリン”配下として名を上げたその男。刃位永遠神剣【輪廻】の担い手にして、この前後の周期に現れたルーキーのエターナル達の中でも白眉と呼ばれる“天つ空風のアキ”が、嗜めるように口を開いた。

 

「――どうぞ」

 

 と、抑揚の無い無機質な声と共に、その横からソーサーに載ったカップが差し出された。

 それを為したのは色素の薄いケミカルなグリーンのシュートボブにエルフ耳、硝子玉のような紫水晶色(アメジスト)の――――エプロンドレスの少女。

 

「おぅ、悪いな()()()()

「どういたしまして、艦長(キャプテン)

 

 マナゴーレムの群体ナノマシンで構築された身体を持ったAI。所謂『艦魂』のような存在、それが現在の彼女だ。

 芳しい香気と湯気を上らせる珈琲を受け取り、一口啜る。少女は、少しだけはにかんだ笑顔のようなものを浮かべながら耳のインカムを弄った。

 

「おい、アーティ。オイラ達の分は?」

「ご自分で淹れれば良いかと」

「相変わらず可愛いげの無い奴じゃのぅ……」

『我々の業界ではご褒美です(笑)』

 

 等と騒がしくなった艦橋、珈琲を啜るアキはそんな喧騒を心地よい音楽のように聴いていた。

 と、その耳元の空間が鋭い爪の付いた枯れ枝のような五つの手らしきもので引き裂かれ、押し広げられた。覗いたのは、確かな可塑性を持った原色の渦と――――開かれた、失敗した福笑いのように滅茶苦茶な配置とサイズ、色をした七つの眼と牙の不揃いな三つの口。

 

「陛下、御時間ハ有リマスカナ?」

「何だ、ジル? 敵襲か?」

 

 『それ』は、酷く発声に向いていなさそうな喉笛を鳴らして語り掛けた。

 勿論、アキ配下のロウ・エターナル。第三位永遠神剣【逆流(ぎゃくる)】の担い手であり、幾つもの世界を内包したある銀河で『邪神の王』として崇拝された名を、ジル・イバと言う。

 

「或イハ、敵ヨリモ厄介デスナァ。副長殿ガモウ其処マデ来テオリマスゾ」

「「『「マジか」」』」

 

 艦橋に響いたノックの音と共に声と吹き出しを揃えた四人は、即座に行動した。獅子は扉を開かないよう押さえ、豚は監視カメラの映像を問題ないように改竄し、妖狐は雀卓を虚空に消した。覇皇は全員に『最速』の概念を与えて、零秒でそれぞれの席に戻らせた。

 此処に、証拠隠滅は完成したのである。

 

「――――等と思っていませんよね、陛下?」

「……あ、葵……」

 

 真横からの、氷点下の気配。桔梗色のポニーテールにペイズリーの瞳。紺の上着、赤いミニスカートからなるセーラー服の少女がアキの肩に手を置いた。

 第五位永遠神剣【湧渾(ゆうこん)】と第二位永遠神剣【回向(えこう)】の担い手にして、アキの副官であるロウ・エターナル、アオイ。元々は『秩序の派閥』より、アキを監視する為に与えられたエターナルだった少女。

 

「鬼ぞ……鬼が居るぞよ……」

『おっふ!? あふぁ! あ、ありがとうございます! ありがとうございます!』

「…………」

 

 見れば、妖狐は頭にタンコブを拵えてさめざめと泣き、張り倒された豚は突き上げた尻を革靴で踏みにじられ、獅子は鉄拳制裁の上に氷の檻に囚われていた。

 因みに、邪神は既に『覗き窓』を閉じて逃亡済みだ。

 

「全く……貴殿(あなた)方には自覚が足りないのです。ロウ・エターナルが一派『聖永輪廻(サン=サーラ...)』の王候としての自覚が。我々は、臣民達の見本となるべき品位を持たねばならないのです。我々の失態は即ち、陛下の失態なのですよ? 『仕える』とはそういう事なのです。大体……」

「「…………」」

『(´・ω・`)』

 

 纏めて刑場に引き出された死刑囚のように跪かされ、くどくどと、明らかに自分達よりも齢下の少女に説教されながら、獅子と豚、妖狐はしょんぼりと項垂れている。

 その四人を尻目に、珈琲を啜るアキはゆっくりと艦橋を後にするべく艦長席からたちあがる。

 

「……何処に行くのですか、陛下? 次は陛下にご謹上(きんじょう)差し上げねばならない喫緊(きっきん)のお話があるのですが」

「……明日じゃダメか?」

「今すぐです」

 

 しかし、その足は霜で床に張り付き、珈琲はカチンコチンに凍り付いていた。勿論、極上の笑顔で青筋を浮かべた制服少女の為に。

 その目の前の自動扉が開き、四人の男女が姿を現す。

 

「ちわーす、交替に……って、またやってんすか、聖上? 良く良く飽きませんやね」

「どー言う意味だ、陶冶(トウヤ)?」

 

 先ず呆れた声を出した和服に袴に下駄、ファイアパターンの染め抜かれた袖付きの陣羽織。更に虎の毛皮を腰帯に巻いて瓢箪が吊られた、山羊の角が生えた散切り頭の燃え立つような炎髪に漆黒の瞳の傾奇者風の美青年。

 第三位永遠神剣【須臾(しゅゆ)】の担い手にして、幾度となく生誕世界への夷狄――――カオスやロウの侵入や侵略、介入を打ち払ってきた、あるニュートラル・エターナルに仕えていた夢魔(インキュバス)の筆頭武将トウヤ。

 

「あはは、葵ったら。相変わらず、空が大好きなのね。流石雪女、凍らせてでも離したくないんだ?」

「なっ――――那由多、貴様、私を愚弄する気か!」

 

 それを笑って見遣ったのは、トウヤの仕えしニュートラル・エターナルにして実の妹。自らの生まれた世界で『ままごと』を行っていた、羊の巻き角が生えた燃え立つような長い炎髪にくりくりとした漆黒の瞳、矢絣(やがすり)模様の着物と紺の袴とブーツを穿いた淫魔(サキュバス)の美少女。

 第二位永遠神剣【言葉(ことのは)】の担い手ナユタへと、アオイは顔を真っ赤にしながらがなった。

 

「アオイ、煩いぞ……交代時間は過ぎている。主上とその他諸々には……誠に遺憾甚だしいが、休憩をして貰わねばな」

「シェラさん……擁護になってないんですが、それは」

 

 と、陰鬱な無表情の頬に青筋を張り付けた褐色の肌の少女――――アラビアンナイトな衣装に曲刀ズー・アル・フィカールを持つ、長い銀髪に海青石(アクアマリン)の瞳。そして、座った火器管制席のコンソールに金色のランプを置いた彼女。それをしおにトウヤは操舵席、ナユタはオペレーター席に腰を下ろす。

 彼女は、第二位永遠神剣【蟲毒(こどく)】の担い手シェラトリィハ。覇軍の軍医にして、自らの永遠神剣の副作用により滅びた故郷の廃都にて、永劫に誰も訪ねる者の無い医院を続けていたエターナル。

 

 

「ふぁ……眠い。アキ、詰まらない話は後で良いでしょう?」

「エリー、そう言うな。仕事がないと暇でしょうがないぞ?」

 

 と、室内にも関わらず藍色の洋傘を開いていた少女が欠伸混じりに呟いた。彼女は、第二位永遠神剣【罪業(かるま)】の担い手エリーシア。

 娯楽としての死を定められて生まれたガイノイド、ただ狩られる対象だった麗しき獲物。一瞬の油断が即座に死に繋がる、蒸気と煤、濃密な闇と薄い瓦斯燈の明かりと致死の罠に溢れた魔都を駆け抜けた娘――――目映い黄金色(ブロンド)の長い髪に柘榴石(ガーネット)の瞳を持った中世欧州(ヨーロッパ)の貴族衣装の淑女。彼女はそのまま、とことこと歩き――――アキの膝の上に座った。

 

「……エリー、貴様の席は其処ではなく戦術指揮席だろう。早く主上の膝から下りろ」

 

 それを横目で睨み付けた、シェラトリィハ。アオイもまた、同じく。ただし彼女は再び(からか)われないように口を閉ざしているが。

 

「――――無理よ、私の取り柄は可愛いことだけ。つまりマスコットだけしか出来ないわ、シェラ」

「何言ってるのよ、エリー! 『聖永輪廻(サン=サーラ...)』のマスコットは、この那由多ちゃん一択でしょぉぉぉ!」

『ぶひぃぃぃぃ! ナユタちゃんktkr(キタコレ)! prpr(ペロペロ)!』

「キモい、死んで」

『我々の業界ではご褒美――ぶげらァ!?』

「……真剣に転職を考えるか」

 

 人形の物言いにぷんすかとばかりに頭から湯気を吹いた淫魔、吹き出しと血反吐を迸らせる萌豚。そのやり取りにふぅと溜め息を吐きながら、前を向き直す魔女(いしゃ)

 

「全ク……何時ニ増シテ騒ガシイナ、シェラトリィハ。幾ラ、混沌(カオス)ノ本部ヲ襲撃シタ翌日ト言エド」

「今に始まったことではないだろう、ジル。魔女(わたし)邪神(おまえ)が加入したときと同じ――――変わらぬ喧騒だ」

『クク……確カニ、ナ。カノ“法皇(テムオリン)”ト“黒キ刃(タキオス)”ノ息子ガ率イル軍勢トハ、トテモトテモ……』

 

 因みに、レーダーは邪神に任せきりである。カレには、睡眠というモノの必要が無い為に。

 

「ダハハ! 兄ィがそんな小せェ枠に納まる訳ねぇだろうがよ! いや、しかし相変わらず良い女だなエリー。オイラの餓鬼を生んでくれねーか」

 

 語り合うジル・イバとシェラトリィハに豪放な快哉を上げたアズヴェルザーグが、エリーシアの肩に手を置く。

 誤解の無いように言っておくが、彼は、至って真面目である。真面目に、女性と見れば同じ事を宣う。

 

「……キモい、死んで」

「あだァァァァァ! 虎鋏(トラバサ)まれたァァァァ! 獅子(ライオン)なのにィィィィ! てゆーかオメー、殺す気ねーだろ! 百歩譲って、苦しませるだけだろ!」

 

 人形が洋傘で顔を隠せば、透けて見えるのは涌き出るような漆黒と燃え立つ炎のような眼差し。刹那、その手に、バチンと虎鋏(トラバサミ)が食らい付いた。無論、そんな物は今の今まで無かった物。ならばそれが『何か』は、察して余りあるモノ。

 それを力尽くで外した獅子は、歯を剥きながら彼女に吼えて抗議する。人形は煩わしげに覇皇の膝から降りて、獅子を無視して自席に座る。

 

「あ、あはは……何て言うか、凄く個性豊かな人達だね?」

「ふふ……だって、兄さまに付いて来れる人達だからね」

 

 その時、背後から二つの声が響く。開きっぱなしだった扉の向こうに立つ――――

 

「……よう、そんな所に縮こまってないで、さっさとこっちに来いよ」

 

 その二人に、アキは手招きした。

 

「はい、兄さま」

 

 自らの永遠神剣・刃位【輪廻】の化身である人魚姫『劫初海の輪廻龍后(プリンセス・オブ・ドラゴネレイド) アイオネア』と――――

 

「あ、うん……お兄ちゃん」

 

 つい先日、カオス・エターナルの本拠地より強奪したばかりの――――“悠久のユーフォリア”を。

 左右に侍った美しい青の少女達を抱き寄せ、アキは満足げに頷いた。その有り様は、まさに『覇皇』。自らの意を通す者。他者の思想など歯牙にも掛けない、ただ――己の在り方を肯定するモノだった。

 

「しっかし、兄ィ。流石に今回は死ぬかと思ったぜ……“知識の呑竜ルシィマ”に“堕落のヴェンデッタ”、“破滅の導きパウリコスカ”……何より“聖賢者ユウト”と“永遠のアセリア”、“時詠みのトキミ”を纏めて相手取るとか、母ちゃんに拳骨(カミナリ)落とされた時以来でウンコ漏らし掛けたぜ……」

 

 傷を癒した獅子が、早くも苦笑いした。しかしそれは総意である為、誰一人として口答えしなかった。寧ろ、ウンウンと首肯している。

 確かに、数では此方が彼らを上回っていた。しかし、そのエターナルとしての実力差と経験差は圧倒的。今、こうして実働隊全員が帰還しているだけでも奇跡なのだから。

 

「――ハハ、莫迦(バカ)言えよ。テメェ等が、そんな程度で殺られるタマかよ」

「いや、俺ら脱出するだけでギリギリだったんすから……」

「“全ての運命を知る少年ローガス”が居なかっただけでも儲けモンだろ? あの怪物が居たら、幾ら俺でも策を練らなきゃいけなかったからな」

 

 瞬間、覇皇と覇軍の将校達が笑う。それは、強壮足る自軍を誇って。そして、彼の覇軍を自負する彼らの誇りであった。

 

「『真正面からぶん捕らないと気が済まない』と仰った時は、真剣に正気を疑いました。しかも態々(わざわざ)、予告してまで……」

「そ、そうだよ、お兄ちゃんってば……普段から悪い事ばっかりしてて有名だし、そんな事までするからパパ、カンカンに怒ってたよ? 『こんなヤクザに娘はやらん!』って」

「ハハ、まさか溜め無しコネクティドウィルを『エターナル』で二連発してくるとは思わなかったな。最速じゃなきゃ死んでたぜ……けどまあ、折角――お前のバージンロードを飾って下さったお客様方だ、きちんとお相手差し上げないとな」

「もう……」

 

 と、アイオネアとユーフォリアが同時にその頬を抓る。それを窘めるでもなく、アキは受け入れた。

 

「それに――――一秒でも早く、この腕にお前を抱きたかったんだよ」

「はぅ……お兄ちゃんのばか」

 

 こんな触れ合いは、実に久方ぶりであり……幸福な事、この上無かったから。

 

「お兄ちゃんより、あたしの方がず~っと逢いたかったんだから」

「何言ってんだよ、俺の方に決まってんだろ?」

 

 優しく、しかし抵抗を許さない琥珀の龍瞳に見据えられ、ユーフォリアは恥じらって顔を背けた。幼い姿の頃と変わり無いそんな仕草に、愛しさが渾々と湧き出す。

 

「天位神剣【永劫】と地位神剣【刹那】を取り込めば、【輪廻】は真実の『刃』となる。その時、俺が収まる『鞘』は――――お前だからな」

「ほえ? あ、あう……それって、むぅ~!」

 

 アキの言葉に、一体何を思ったのか。ユーフォリアは恥ずかしそうに膨れっ面になる。

 尚、誤解無き様に説明しておけば――――アキは、彼女が本当に『鞘』である事は知らない。あくまで、『命を奪うしか能の無い己が帰る場所』という意味で、彼女を評しただけである。

 

 因みに、周りの将校達は一様に砂糖を吐きそうな顔をしていた。

 

「さて、それじゃあこれからの話だが……あ、しまった! 初夜を忘れてた」

「お兄ちゃん!」

「はいはい、冗句はここまでな。漸く、“宿命に全てを奪われた少女ミューギィ”の居場所が判った。これより、我が拠点『天元(てんげん)』の『時間樹海(ピースフル)ニルヴァーナ』に帰還、戦力と軍備を整えた後――――【宿命】と【虚空】を口説き落とす」

 

 場を和ませようとして女性陣から睨まれ、仕方なく真面目にブリーフィングを行う。

 次に相手取るのは、ロウ・エターナルの最高戦力。第一位永遠神剣【宿命】の担い手“宿命に全てを奪われた少女ミューギィ”と、その弟にして第二位永遠神剣【虚空】の担い手“虚空の拡散トークォ”の二人。用心してもし足りない程だ。

 

「やれやれ……またそんな化け物を相手取るのかよ、兄ィ」

『ビウィグたんアウトしたいお』

「やっておられぬのぅ……」

「勝算ハ――――フム、小数点以下デスゾ?」

「はぁ……またスタンドプレーですか、陛下」

「俺、次は待機組で良いっすか?」

「過労は美容の大敵だから、那由多ちゃんも休むわ」

「やっぱり転職しよう」

「終わったら起こして」

「テメェらシャラップ」

 

 一斉に、将校達はブー垂れ始めた。それを、咳払い一つで黙らせて。

 

「トークォは俺が何とかする。ユーフィー、作戦の鍵はお前だ。この策を成功させりゃあ――――神剣宇宙制覇に……そうだな、飛車を手に入れたくらいの進歩にはなる」

 

 それが、狙いだ。即ち『強敵』であればある程、仲間にするメリットは多い。

 勿論、口にする程簡単な事ではない。心を壊して隠遁したミューギィを始末しようとした法皇テムオリンの軍勢は戦闘体勢を取る事も出来ずに消滅させられたと言うし、トークォはトークォで第二位永遠神剣の担い手の中でも最強の呼び声高い使い手だ。

 

「解った、頑張るよ。でも、それなら望さん達にもお願いすれば良いのに」

 

 ユーフォリアの何気ない一言に、周囲が何とも言えない空気となった。

 アキが銜えた煙草に脇に控えていたアーティが火を点し、彼は紫煙を燻らせながら口を開く。

 

「……“叢雲のノゾム”とは、手は組めねェ。アイツはロウ・エターナルを――――同盟を結んでる『地位神剣』に属する“日向(ひゅうが)のヘリデアルツ”の弟、“日向のガルバルス”を消滅させちまいやがったからな……こっちにも、体面(メンツ)がある」

「あっ……」

 

 それに、悲しげに表情を曇らせたユーフォリア。アキの横顔に、本気を悟った為に。

 この男は、己の身内に手を出されて黙っているような軟弱ではないと、知っているが故に。

 

「……“宿命に全てを奪われた少女”の次は、“法皇テムオリン”の『秩序の派閥』を吸収してロウ・エターナルを掌握する。そして次に第一位永遠神剣【運命】の担い手“全ての運命を知る少年ローガス”を破り、カオス・エターナルを取り込む。最後に、“叢雲のノゾム”とその一派……ナル・エターナルどもを手中に納める!」

 

 それは、さながら決意するかのような宣言。自らの迷いを捨て去る為に、退路を断つ為であるかのような薫陶だった。

 

「皆の者、魂に刻め――――“天つ空風のアキ”は停滞した神剣宇宙を覇し、新たなる神剣宇宙を生む!」

 

 二人を下ろした後、煙草をアーティの用意していた灰皿に躙って消す。そして、アーティが自身を再構築して形を為した両刃長剣小銃(ライフルセイヴァー)【輪廻】を抜き放って立ち上がり、号令を掛ける。

 

『ハッ、口だけじゃねぇだろうな? 俺っちが力を貸してやんだ、中途半端は許さねぇぜ!』

『アタイの片羽、せいぜい役立ててくんなよ!』

『行きましょう、ワタクシ達の未来のために!』

呵々々(カカカ)、しかしまぁ、儂らも(ほだ)されたものよのぅ』

『どーでもいいからさぁ、もっと一杯可愛い女の子を仲間にしようよ。僕、次こそ天馬(ペガサス)牝馬(オンナノコ)が良いんだけど』

『…………』

 

 その周囲には極彩色の薔薇窓のオーラフォトンと黒曜石の水墨画のダークフォトン、黄金の無限光からなる三重冠。背には三対六丁の龍翅……片刃長剣小銃(ライフルスウォード)

 そして、腰のホルスターに納めている六挺の拳銃――――深青のコルトパイソン【連理】と深紅のデザートイーグル【比翼】、純白のCZ-75【天涯】と極黒のベレッタM92F【地角】、萌翠のトーラス・レイジングブル【海内】と深淵のデファイアント・デリンジャー【烏有】から顕現した、比目の蒼錦蛇と片翼の紅金鷲、白く煌めく鳳凰、黒く眩めく大海蛇、翡翠に萌える幽角獣(ユニコーン)、燃え立つ漆黒の陽炎の如き幻影死霊(ドッペルゲンガー)が付き従った。

 

「――――あいよ、腕が鳴らぁ!」

 

 号令に、両端を布で覆う金属の六角棍型の第四位【金剛】と、背後に浮遊する雷神の持つような太鼓の環――第三位【羅漢】を構えた“迅雷の凱歌アズヴェルザーグ”が笑い。

 

「――――Yes,sir(イエッサー)! 戦艦(おおぶね)に乗った気で任せときなよ、Brother(ブラザー)!」

 

 解けたPC――――コンピュータープログラムの永遠神剣第三位【不還】を身に纏い、三頭身の生身から八頭身で強壮な機械の身体を得た“条理の改竄者ビウィグ”が、金属質な地声で軽口を叩き。

 

「コンコンコン……まぁ、それも一興じゃて」

 

 空間の一部を歪め、その城塞型永遠神剣第三位【蓬来】の一角を現せた“傾城(けいせい)イズルハ”が苦笑いし。

 

御意(オンイ)ノママニ……」

 

 裂け目型の永遠神剣第三位【逆流】の“空亡(くうぼう)のジル・イバ”が惨たらしく三つの口角を釣り上げ。

 

「まぁ、そうでなくては陛下らしく有りませんし」

 

 絶えず水滴を湛えた刃に弦を張った、弓としても使用可能な刃のみのシャムシール型の永遠神剣第五位【湧渾】と、凍気を司る掌大の籠手型の永遠神剣第二位【回向】の担い手、“凍雲(いてぐも)風花(かざはな)アオイ”が仕方無さげに肩を竦め。

 

「俺らは着いてくだけっすよ、聖上の見せてくれる『生き甲斐』にね」

 

 時空を細切れにして無茶苦茶に繋ぎ直す効果を持つ野太刀型の第三位【須臾】を肩に担いだ“須臾のトウヤ”が、恭しく礼を取り。

 

勿論(もち)、那由多ちゃんもね!」

 

 どこぞのアイドルのようなポーズを取りつつマイクスタンドを持ち出した、モノの本質に作用する『言語』の永遠神剣第二位【言葉】の担い手“言葉のナユタ”がウィンクし。

 

「まぁ、最後に一稼ぎとしようか」

 

 磨く魔法のランプより溢れだした、漆黒の渦。『病の病』を生み出して、本来は正反対のものである治療をも可能とする害毒疾病の永遠神剣第二位【蟲毒】の担い手“災禍の胡蝶シェラトリィハ”が無関心そうに呟き。

 

「……居る居る、そういうツンデレ」

 

 彼女の認識する『景色』を彼女の走り抜けた地獄の風景に塗り替える永遠神剣第二位【罪業】の担い手“痛みの永久(とこしえ)エリーシア”が、そんなシェラトリィハを嘲って笑う。

 

――――オオオオオオオォォォォォォォォ!

 

 そこに、大音声が木霊する。艦橋を埋めたのは、隣の戦闘空母を運航するアキの配下の下位神剣の担い手達が開いた、無数の拡張現実の覗き窓。勿論、アイオネアの『サンサーラ』の霊水によりアイオネアの眷族……半エターナルと化した者たちだ。

 そこには老若男女、剣士や魔法使い、格闘家や占い師、僧侶や遊び人等の人間は勿論、ゴブリンやオークにトロル、リザードマンやスライム、ドラゴノイド。蜘蛛女(アラクネ)植物女(アルラウネ)鳥女(ハーピー)、果ては鬼や半死人(ゾンビ)食屍鬼(グール)白骨死体(スケルトン)など、明らかな人外までもが当たり前に肩を並べていた。

 

 何れも、一騎当千の実力者。アキがそう、太鼓判を押した者達。その快哉に、アキは満足げに頷いた。

 

「はい、兄さま……行きましょう、輪廻の彼方まで」

 

 その筋肉質な左腕に、アイオネアが抱き付く。足りない【輪廻】の本質を埋めるかのように、その抱擁はきつく、きつく。

 

「お兄ちゃん……」

 

 そして、右腕を取った“悠久のユーフォリア”。その不安を握り潰すかのように。

 

「行くぞ、ユーフィー――――お前にも、輪廻の向こうを見せてやる」

「輪廻の、向こう……?」

 

 よく理解できていないユーフォリアに、ニカッと笑い掛ける。それは、多寡だか『神剣宇宙』に収まる器ではなく。

 

「その次は、その外の世界。その次は、更にその外の世界だ。楽しみだろ、まるで――」

 

 子供のように、はしゃぐ男。それに、漸く彼女は思考が追い付いた。

 

「まるで――――『聖永輪廻(サン=サーラ...)』のように、終わりの無い夢をな」

 

 それは、正に夢。彼が配下に約束した、叶うかどうかなど正に夢のまた夢。それでも――――男は、決定事項であるかのように伝えた。

 その『生き甲斐』に、配下――――数多のエターナル、神剣士は付き従う。他の、無意味な永遠に感受するエターナルではなく、『あるがままであれ』という約款のみを標榜する『聖永輪廻』に。

 

 間違いなく、その男は『覇皇』。だからこそ、自らの(イロ)との約束を違える筈もなく。

 

「うん、信じてるよ……()()()

 

 そう答えた、何よりも守りたい笑顔を――――例え命に、存在に代えても。守り抜く、決意である。

 世界は、終わらない。夢は終わらない。だからこそ――――

 

「さぁ――――行くぞ、テメェら! 終わりのその先に!」

 

 だからこそ、『永遠』の意味がある。そんな、灰色でさえも……虹色に変える、『夢』が有るのだろう――――――――――――………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




さて、後書きとなりました。先ず申し上げたいのは、此処までお付き合い頂いた皆様への感謝です。

こんな拙作にお付き合い頂き、誠に有り難う御座いました。

思えば、長い話でした。作者が『永遠のアセリア』を知ったのは学生時代、深夜帯にOVAのCMを見た時でした。その時のソウユートの『インスパイィィィィアッッッ!』に魅せられて、永遠神剣シリーズの魅力に憑り付かれました。

そして出会った、『聖なるかな』。成長したユーフィーに一撃でやられました(笑)
既に『原作よりも傑作』と言われる作品が有る中、投稿させていただいたのはその為です。拙い作品でしたが、お楽しみいただけたのであれば幸いです。

では、長く続きましたが、これを最終の挨拶とさせていただきます。皆様、本当に有り難う御座いました。






『サン=サーラ...』了        ドラケン


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外典 《Apocrypha》
エターナル設定


三ヶ月ぶりに懲りずに失礼します。フォレストページさんの方にも載せていますが、最終話に登場したエターナル達の設定を更新します。
作者の趣味全開ですが、少しでも楽しんで頂ければ幸いです。


・天つ空風の“アキ”

 

 天津風。『生死』や『有無』等の『両儀』を司る、世界卵型の――『人位』や『刃位』とも呼ばれる神剣【輪廻】の担い手です。ただ『()(かえ)す』だけの殺傷力皆無な神剣ですが、永遠神銃【是空】と呼ぶ両刃の長剣にして小銃に納める事で無尽蔵のマナ源となります。化身(アバター)に『劫初海の輪廻龍姫“アイオネア”』が存在します。美しく気高く、聡明で心優しい潮騒と月影の媛君です。

 神剣宇宙の零地点であるとされる『天元』に集められた時間樹や浮き世界の塊『時間樹海(ピースフル)“ニルヴァーナ”』を拠点とするロウの派閥『聖永輪廻(サン=サーラ...)』の首魁です。紫煙と酒精、女香を常に纏う、頽廃そのものが形を成したような色男です。快活ながら陰惨な笑顔を見せ、悪辣ながら紳士的な振舞いの人物です。知略を愉しみ闘争を好む姿は、とあるロウ・エターナル二人と酷似します。

 

 ある時『輪廻の観測者“ボー・ボー”』の導きでロウ・エターナルとなります。その際、『法皇“テムオリン”』は抹殺の為の手勢を送った程です。それを全て消滅させられて渋々認めた彼女ですが、今でも互いに気を許してはいません。

 『あるがままであること』の一念に基づき、望む事を自由に為す彼の気っ風を慕う者も多い反面、カオスからは『ロウの中のロウ』として。ロウからは『カオス思想』、ニュートラルからは『自由という不自由』として敵視されています。本人は歯牙にも掛けていませんが。

 

 最近、カオスの少女を拐かしたとかで、カオスや『叢雲』から狙われているという噂もありますが、定かではありません。

 

 

 

・アーティラリア

 

 愛称は『アーティ』。『聖永輪廻』の旗艦である強襲揚陸艦のAIシステムであり、群体ナノマシンで構築された体を持つ少女です。少なくとも、人格的には『少女』です。

 永遠神剣は持っていませんが、マナゴーレムや抗体兵器の技術を発展させたモノなので、既存の兵器は勿論、下手な神剣士よりは遥かに強力な戦闘能力を持っています。また、『永遠神銃【是空】』を成す根幹でもあります。

 

 元々は前述通りにただの管制システムでしたが、半周期もの間のアキのアップデートの繰り返しにより、何時しか人格を持つに至りました。そしてビウィグが作っていた群体ナノマシンシステムにより身体を得ました。

 その後は、アキとアイオネアのメイドのように振る舞っています。主人二人には甲斐甲斐しいですが、他の諸侯に対しては淡白です。

 

 

 

・凍雲の風花“アオイ”

 

 常に刃に水滴を滴らせる、弦を張った刃のみのシャムシール型の第五位【湧渾】と絶対零度の凍気を操る籠手型の第二位【回向】の担い手の少女です。美しい髪をポニーテールにしています。

 少々融通が利かないところがありますが、真面目で有能な中間管理職の鑑な人なので、総じて信頼されています。何なら、アキよりも人望があります。最近はストレスのためか鉄拳制裁も辞さなくなりましたが、口で言っても言う事を聞かない『聖永輪廻』の面々には効果絶大です。

 

 元はアキを監視するために貸与された、テムオリン配下のロウ・エターナルでした。生まれ故郷を人質に取られており、彼女には決して逆らえません。

 アキがテムオリンの出す難題を全て攻略した褒美としてアオイの故郷を望み、手中にしたため、真の意味で彼の傘下となりました。テムオリンは大層悔しがったそうです。

 

 長距離狙撃と近接格闘、指揮も出来る才女です。魔法の素養も高く、隙がありません。アキには感謝と思慕の両方を抱いていますが、恥ずかしいのであまり表には出しません。所謂ツンデレ、というかツンギレです。

 

 

 

・痛みの永久“エリーシア”

 

 ヴィクトリア王朝風のドレスと日傘を持つ、風景型の第二位【罪業】の担い手の少女です。彼女とシェラトリィハ、ナユタの三人で、『聖永輪廻』の誇る最強格のエターナル『三姫』とも呼ばれます。

 美しい容姿は、造られたが故です。テレビショウの、愚かな道化として。彼女は、いかに面白おかしく死ぬかを楽しむ為の人形でした。イレギュラーだったのは、唯一。彼女は、何度死んでもまた、同じような存在として創造される事。繰り返す死に、彼女は願いました。『助けて』と。それに、【罪業】が答えました。善意を持って。

 

 その瞬間、観客と出演者は逆転しました。無限地獄の中、人々は、自分が見下していた人形よりも惨めに死んでいきます。自分が、絶対の安全圏に居ると信じている者など、その程度でした。気を付けた人々も、死に絶えます。結局、最後は助かると信じている者など、その程度でした。【罪業】は、マナを得る歓喜と共に震えました。

 彼女が駆け抜けた地獄を再現する【罪業】は、世界を滅ぼしました。善意を持って。だからこそ、エリーシアを己の罠の全てから守り抜き、外に連れ出したアキに、全てを託して消えました。一度でも多く、彼女が笑顔を浮かべられるようにと願いながら。

 

 その願いのまま、彼女はアキに甘えます。生まれたまま、誰にも甘えられなかったからこそ。【罪業】の力の副作用で、常にアキを死の危険に晒しながら。『聖永輪廻』で唯一の、隠す事の無い愛情を向けながら。

 

 

 

・空亡の“ジル・イバ”

 

 裂け目型の第三位【逆流】の担い手で通常とは位相の異なる次元に鎮座する、不定形で可塑性を持ち、極彩色の原形質な身体を持った存在です。

 エターナルとなる前から、そもそも『寿命』や『死』の概念自体がありません。眼や鼻、耳や口、腕や足などは、必要に応じて幾らでも作り出せます。

 

 元々は『銀河そのもの』であり、浮きマナを呑み込む体内には幾つもの世界を持っていました。その中には当然ながら生命が存在し、それらを観察するのが彼の唯一の楽しみでした。

 しかし文明が発達すれば、珠に彼の外に出ていこうとする者も現れます。それは即ち自分のマナが減少すると言う事であり、彼にとっては命を削る行為です。認められる訳がありませんでした。何時しか彼は『邪神』と呼ばれるようになり、彼も『被造物の反抗』を疎み、滅ぼす事を決意してしまいます。

 

 そんな折りに、彼の中に入ってきたのがアキでした。最初こそ【逆流】の能力で圧倒しましたが、銀河全体を『空間断絶』すると言う、『銀河斬り』によって敗北しました。その型に嵌まらない姿、そして何よりも『生誕の起火』の煌めきに魅せられ、アキの元に下ります。

 『どんなものでも引き裂いて繋げる』能力を買われ、以降は通信やセンサーの役割を担っています。しかし、『不気味すぎる』とか『心臓に悪い』と割と不評で、何気に傷付いていたりします。

 

 

 

・傾城“イズルハ”

 

 出流葉。虚空に浮游する、巨大な城郭型の第三位【蓬莱】の担い手である九尾の妖狐。普段は妖艶な美女の姿をとっています。

 享楽と法悦を是とする、破戒的な女怪です。古代の女帝のような衣装を纏っています。幼い頃から帝王学を仕込まれた、生粋の王者です。

 

 かつて、ある浮き世界を支配した世界帝国の女帝でした。神仙の類いであり、様々な妖術に長けていた上に永遠神剣を担う彼女には容易い事でした。その為にテムオリンの下に付く事を兎角嫌い、遂に反旗を翻しました。そこに鎮圧に派遣されたのが、アキでした。

 ミニオンや龍、無名の神剣士やエターナルなどの集めに集めた戦力を全て倒されて完全敗北、【蓬莱】自体も崩壊寸前まで追い込まれました。再起を図って逃亡するも、今度は自分の身内から裏切りに合い、アキに引き渡されました。無論、アキは『主君を売った臣下』を許さずに処断しています。本来は彼女も処刑される予定でしたが、自ら臣下の礼を取った事で彼の物となり、回避しました。

 

 以降は帝の位をアキに譲り、自身は彼の『ペット』として悠々自適の自堕落な生活を送っています。よくアオイから怒られますが、余り気にしていません。ただ、実害が及びそうになると『好きな場所に好きな場所を呼び出せる』効果を持つ【蓬莱】の中に引き篭もります。中には兵糧も兵員もあるので、一度籠ると中々出てきません。

 

 

 

・言葉の“ナユタ”

 

 那由多。言語型の第二位【言葉】の担い手である、元ニュートラルエターナルです。エターナルなので幼い容姿のままですが、淫魔である為に凄まじく美形であり、男性(希に女性も)には無条件でチャームが掛かります。

 楚々とした見た目とは正反対の、わがままで気ままな人物です。声をより遠くに届ける為にスタンド付きのマイクを使います。どこに仕舞っているかなど問題ではありません、彼女が『有る』と言えば有るのです。

 

 文明開化後の日本のような世界で生まれた、没落した華族の令嬢です。かつては、身の上を弁えてか大人しい性格でした。しかし、彼女の世界を形作る【言葉】に選ばれた事から、彼女の人生は一変します。『口にさえすれば全てが現実に反映される能力』により、今までの冷遇が嘘のように傅く諸侯、王公貴族。『自分は特別な存在』だと、歪むのは時間の問題でした。それが、【言葉】の目的とも知らずに。

 アキが現れたのは、正に歪みが絶頂に達した刹那でした。トウヤを打ち倒し、更には己の【言葉】が利かない彼に、遂にナユタは叫びます。『助けて』と。聞き入れたのは、【言葉】――――ではなく、アキでした。【言葉】の意思を破壊され、彼女の独裁は終わります。

 

 全てが終わり、王位を去った彼女は、『聖永輪廻』に無理矢理加わりました。意思を無くしても、【言葉】は健在です。アキとアイオネア以外には、不思議に思う存在すらいません。自称『聖永輪廻のマスコット』であり、事実上『聖永輪廻のアイドル』――――『象徴にして偶像』であるアイオネアには対抗心を抱いています。とは言え、別に嫌ったりはしていません。寧ろ、仲が良いくらいです。

 

 

 

・須臾の“トウヤ”

 

 陶冶。野太刀型の第三位【須臾】の担い手であり、カオス、ロウ両方の協力要請や侵略をことごとく打ち払ってきたニュートラルエターナルの武将です。夢魔である為に凄まじく美形であり、女性(希に男性にも)は無条件でチャームが掛かります。

 見た目に反して堅物ですが、洒落と風流を愛する人格者です。

 

 文明開化後の日本のような、東洋と西洋が独立したまま混ざり合う世界の生まれです。彼と妹は没落した華族であり、慎ましく生きていました。それが一変したのが、妹がその世界を統べる永遠神剣に選ばれた事です。強大な第二位神剣に選ばれた事で人格を蝕まれた妹を憐れむ彼を、【須臾】が選びました。全ては、慈しむ妹の為に。時空を滅茶苦茶に切続するだけの効果しか持たない【須臾】で、彼は自分よりも遥かに強いエターナルに対抗してきました。しかし、そのマナすらも全て妹の永遠神剣の糧となり、妹を苛む事になる現実に絶望していました。

 アキが現れたのは、そんな折です。【須臾】を手にして以来初めての敗北、そして妹を救ってくれた彼に、人生で二度目の忠誠を誓いました。

 

 その判断力を生かして突撃抜刀隊を任されており、所謂斬り込み隊長です。器用貧乏な為、『聖永輪廻』では損な役回りが多いですが、本人はそれなりに楽しんでいます。

 

 

 

・迅雷の凱歌“アズヴェルザーグ”

 

 六角棍型の第四位【金剛】と、輪のように連なった雷神太鼓型の第三位【羅漢】の担い手の、獅子の獣人です。筋骨隆々の偉丈夫で、体格に見た目が合わさって凄まじい威圧感を与えますが、本当は取っ付きやすくノリの良い好漢です。

 女好きで戦好きが珠に瑕であり、暴走しがちです。他の王侯からは調子に乗りやすい性格をよく諌められています。

 

 かつては、神剣宇宙を荒らし回る大海賊団の首領を勤めるロウ・エターナルでした。数兆ボルトの雷撃を手足の如く操り敵を蒸発させる姿から、『雷神』とも呼ばれていました。

 その運の尽きは、アキの揚陸艦を襲撃した事です。一騎討ちの末破れ、おまけに見逃されてしまいました。その後は何度もアキに再挑戦しましたが、その度に返り討ちにされて遂に七度目の敗北で心服。以降は彼を『兄ィ』と慕い、船団ごとアキの軍門に下りました。

 

 その経歴ゆえ、アキへの忠誠心は一番を自負しています。なお、ビウィグとは喧嘩友達の間柄です。

 

 

 

・条理の改竄者“ビウィグ”

 

 あらゆる機械を『物理的に』自在に操るコンピュータープログラム型の第三位【不還】の担い手の、豚の獣人です。小肥りの矮躯で、常にPCを弄る見た目が合わさって凄まじいオタク臭を与えますが、本当にオタクです。

 劣等感の塊でコミュ障であり、暴走しがちです。拡張現実を使わないと、普段は他人と会話すらできません。他の王侯からは躁鬱の激しい性格をよく諌められています。

 

 かつては、生まれた時間樹のログ領域を単独で、しかも神剣のバックアップなどない状態でハッキングしてのけた凄腕のハッカーなロウ・エターナルでした。摂氏数兆度の焔熱を操り敵を蒸発させる闘い方は、味方すらも焼き尽くすほどです。

 カオスの侵入を迎撃した際、一緒にテムオリンの部下まで蒸発させてしまい、制裁の為にアキが向かわされました。時間樹全体のマナを集めた巨神機形態での敗北の後に、アキもロリコンであると知り心服。以降は彼を『ブラザー』と慕い、アキの軍門に下りました。

 

 その経歴ゆえ、アキへの忠誠心は一番を自負しています。なお、アズヴェルザーグとは喧嘩友達の間柄です。

 

 

 

災禍(わざわい)の胡蝶“シェラトリィハ”

 

 アラビアンナイトな世界の、マハラジャの娘です。害毒疾病型の第二位【蠱毒】の担い手です。【蠱毒】は普段は金色のランプ内ですが、呼べば風水を汚す漆黒の蝶の翅、或いは魔神の姿で顕現します。

 金儲けの事しかない父を嫌い、医者を目指していました。全ての人を救いたいと、真摯に祈ります。【蠱毒】は答えました。悪意を持って。

 

 『死を冒す病』を産み出し、『消滅』以外の死を無くしました。しかし、否、だからこそ人は争いを止めなくなりました。彼女を巡り、更に争いは激化します。その度に幾つも命は潰えました。『何故』と人々は彼女を呪い、『魔女』と呼びます。それを【蠱毒】は笑いながら見ていました。答える事は、彼女にも【蠱毒】にもできません。全ての命を見送った砂漠の都市で、彼女は無限の時を患者を待つ事に費やしました。生きている者が居る筈、と願いながら。それを【蠱毒】は笑いながら見ていました。過分の怒りを孕んで。

 【蠱毒】の力が通用しないロウ・エターナルによって、世界はマナの霧に還りました。彼女と【蠱毒】は、涙を流しながら見詰めました。救いたい世界が、滅ぼすべき世界が消えていく様を。

 

 以降は、『聖永輪廻』の軍医として従軍しています。鳥籠の中から救い出してくれたアキの為に。文句が多いのは、多分、照れ隠しです。少なくとも、【蠱毒】はそう彼女を弄って楽しんでいます。 



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星の煌めき 大樹の燈 Ⅰ

お久しぶりです、ドラケンです。懲りもせずに、またもや、完結済みの作品の更新をさせて頂きます。

一応、小編予定です。勿論、予定なので悪のりして中編になってしまう可能性も無きにしもあらず、ですがf(^_^;)
なお、番外編は、所謂『希美エンド』の世界状態です。少しでも楽しんでいただければ幸いです。

最後に……あのニュートラル、本当に便利ですよね(笑)


 星が、軋んでいる。まるで、歯車が廻るように。漆黒の闇の深奥、星々の満ち溢れた銀河。煙るような、綺羅星の虹色である。

 又は、歯車。星を飾り付けた、人智の及ばぬ材による装置。無量大数もの数で天球を為す、渾天儀の天蓋である。

 

「さあ、紳士淑女各々方(レディース・アンド・ジェントルメン)――――今宵も星が巡ります。夜天を昇り、地平に沈む迄の、ほんの僅かな夢宴の始まりの時です」

 

 心央には、少女。白く、白い、無垢そのもの。悠揚と、渾天の中に浮かぶ白化個体(アルビノイド)

 簡素な純白の衣に、足首までを編み上げるミュール。抱えるほどに大きな、禍々しい彫刻の施された白い竪琴を爪弾く樹術師(ドルイド)、盲目の吟遊詩人(バード)

 

「千夜一夜の物語の全ては星辰の巡り、揺れ動く歯車の震え。その星の数だけ、歯車の数だけ、物語には枝葉末節……未知なる道があるのです。確かなものはただ一つ、我らが輝ける【輪廻】の轍(サン=サーラ...)。日輪すら撃ち砕く我らが烈風の覇皇と、月影に揺蕩(たゆた)う珊瑚の后のみ」

 

 祈るように、夢見るように。詩人(バード)は歌う。見る事の出来ない己の白く濁る目の代わりに世界を観測する、星座盤(アストロラーベ)天運器(トルクエタム)の軋みに、渾天儀(アーミラリ)星光機(プラネタリウム)の回転に。

 かつて、無自覚の悪意により『殻の樹(クリフォト)』が聳えた場所。今は、彼女の遊び場である、この『星降の間』が深遠に神苑に佇むのみ。

 

「ええ、成る程、そうでしょう。未来とは現在からのみ続くもの。しかし、だからこそ、貴方の隣には選ばれなかった分岐が……数え切れない未来の骸が、数え切れないだけあるのです。要するに、つまり、成る程、そんな事は無い事もあります」

 

 数多の星が、時が。虹色に煌めき、無色に融けていく様を夢想しながら。さながら鉤十字(ハーケンクロイツ)のように捩れた、震わすだけで精一杯、飛ぶ事などは夢のまた夢の、二対四枚の白の翼。

 天使の如き鳥の翼と悪魔の如き爬虫類の(つばさ)、僅かに震わせて。

 

「さぁ、語りましょう。騙りましょう。今宵の物語は、あるエターナルの物語。そこより溢れ落ちたるもの、有り得たかもしれない物語――――」

 

 飛べない鳥は、唄う、詠う。白い髪を揺らめかせて。ぎしりと軋んだ世界の中心部(はて)で、謳い続ける。

 

「いざや、いざや。現在と未来を歪めて、廻れ、廻れ。今に、今に。【星辰(せいしん)】よ、巡れ、巡れ――――」

 

 夜に啼く鳥(ナハティガル)は、“可能性”の窓辺に囀ずりながら――――…………

 

 

………………

…………

……

 

 

 ふとした違和感に、彼は戦意を漲らせた琥珀色の龍瞳を周囲に巡らせた。しかし、辺りはただ、清澄な気配のみ。

 朝の、涼やかな空気。天木神社の境内は、神聖なる気配のまま。

 

「どうかした、お兄ちゃん?」

「ん――――あぁ、いや。何でもない、気のせいだ、ユーフィー」

「ふぅん……変なの」

 

 くすんだ金髪に浅黒い肌の風斬り羽の龍撃皇(キーンエッジ・ドラグーン)『天つ空風(かぜ)の“アキ”』は傍らの、低い位置から問い掛けてきた蒼穹の少女(ファム・ファタール)『悠久の“ユーフォリア”』の上目遣いに仏頂面を返す。

 少し前、『育ての親との別れ』の時の。まるで、意趣返しのように。

 

【兄さま……何でしょうか、一瞬だけ…………不思議な気配を感じました】

(お前もか、アイ……まさか、理想幹神どもの介入か?)

【いえ……この時間樹(エト・カ・リファ)のログ領域というよりも、もっと大きな……まるで、神剣宇宙の『概念情報(イシリアル・イデア)』そのものが揺らいだような。そんな感じでした】

 

 時は、理想幹攻略戦の前。写しの世界より、元々の世界に帰ろうという段で。不安に、焦燥に駆られたように、劫初海の輪廻龍媛(プリンセス・オブ・ドラゴネレイド)『アイオネア』――――長剣にして長銃たる永遠神銃(ヴァジュラ)【是我】を抱く、エーテルの鞘にして柄たる【真如】の化身(アヴァター)の念話に、アキは呟き返した。

 理解はできたが、実感はない。何が変わったか、それすらも変わったこの世界では――――

 

「巽様、ユーフォリア様、アイオネア様。後はお三方だけですよ。急がないと、“門”が閉じてしまいます」

「おっと、悪いな、綺羅」

「わっとと……ゴメンね、綺羅ちゃん」

「はう、御免なさい、キラさん……」

 

 と、前の狗耳の巫女の苦言に三人が正気を取り戻す。アキとユーフォリアとアイオネアは、誘われるように“門”を潜る。

 既に、エヴォリアとベルバルザード、鹿島信三はその彼方。

 

――気のせい、なら良いんだが。妙な感じだった、俺が――――俺そのものが、揺らいだような。吐き気を催すようなその感覚だけは、今も忘れがたい。

 

 果て無き星の輪舞を望みながら、見遣る“門”の彼方を見詰める。両手に握った、温かさを感じながら。

 次なる、『元々の世界』へと、足を踏み入れて――――

 

「いや――――悪いんだが」

「「「「――――ッっっっ!?」」」」

 

 その、僅かな残りの距離に。

 

「少し、我々の遊戯に付き合って貰おうか。若きエターナル達?」

「誰だ、アンタ――――」

「――――驚きました。まさか、『中立の永遠者(ニュートラル・エターナル)』までもが介入してくるなんて」

 

 刹那、【是我】を構えて龍翅のウィングハイロゥを展開したアキと小太刀を構えた綺羅の前に立ちはだかる、一人の青年の影。

 

「『夢の傍観者“ヤーファス”』――――! 」

 

 綺羅の鋭い声にも、魔法使いのようなフード付きのローブを身に纏う、逆光に眩んで窺い知れない表情の『捩れた螺旋状の飾りの付いた短めの杖』を持つ青年は。

 

「さぁ、【願い】よ――――」

 

 目映い光を放つ、短杖型の永遠神剣【願い】を担う、その男は何一つ構う事無く――――

 

 

………………

…………

……

 

 

 気付いたのは、森の息吹。だがそれは、清々しいようなものではなく、密林の不快な湿度と草いきれ。

 

「なっ――――何!?」

 

 驚き、立ち上がる。天すら覆う樹冠に、光は遮られて薄暗い。様々な虫や鳥、獣が蠢くジャングルを見渡せば、辺りに倒れているユーフォリアとアイオネア、綺羅の姿。

 

――嘘だろ、この俺が……何かの能力に呑み込まれた?!

 

 三人を順繰りに揺り起こして確認するも、最も危惧した敵の永遠者『ヤーファス』の姿は見当たらない。

 

「それにしても、ここ……どこなんだろ? あぅ、暑いよ~……」

「すごい密林ですね……参りました。この湿度と温度は……はぁ」

「そうだな……ほら、ユーフィー、綺羅。これを呑んどけば少しはマシになるぞ」

 

 留まっていても仕方ないので歩き出したが、ユーフォリアと、巫女装束という厚着の綺羅が耳と尻尾をだら~んと垂らして熱い息を吐いている。

 そんな彼女らに聖盃を渡す。一杯に清廉なるエーテルを湛えた盃を。

 

「そうですね、すごいです……植物も動物も、こんなに強く息づいて……素敵な世界です」

「そ、そうか……よかったな、アイ」

 

 唯一、アイオネアだけは周りの生命力の強さに慈愛に満ちた色違いの眼差しを向けるのみで、不快感などは感じていないらしいが。

 

「よし、先ずは脱出する方法を考えるか。一番手っ取り早いのは、精霊回廊を使うルートだよな?」

「そうですね、“門”は既に閉じたようです。あれは周期的に開くものでしたし……何より、ヤーファスの介入で捩れてしまったようですから」

「ヤーファス……か。何者なんだ、アイツは?」

 

 先頭で、下生えを【是我】の片刃で薙ぎながら歩く。その後ろの綺羅に問えば、同意と共にその渾名(なまえ)

 因みに、最後尾では薙がれた下生えにアイオネアが霊水を与えて蘇生させていたりする。

 

「『夢の傍観者“ヤーファス”』……第二位【願い】の担い手たる『中立の永遠(ニュートラル・エターナル)』です。無所属のエターナルでは、最も有名なエターナルでしょうね」

「へぇ……第二位【願い】か、道理で」

「はい、強力な永遠神剣です。『相手の願いを叶える』という能力の永遠神剣で、ヤーファスはその能力を使って、様々な人の『願い』を叶えては傍観しているとか」

「そりゃあ、有り難迷惑な話だな、こんな大事な時に」

 

 今から沖縄旅行というところで、台風に遭った気分である。永遠者の起こす騒動だ、そのくらいには抗いようがない。

 

「更に、願いを叶えるために本来とは別の世界を構築するそうです。そこは、時深様や『輪廻の観測者“ボー・ボー”』にすら関知できないとか……」

「うへぇ……」

 

 聞けば聞くほど、面倒な永遠神剣である。そして、傍迷惑な永遠者である。

 

「まぁ、兎に角は人里を探すのが先決だ。ちょっくら翔んでくる」

「あ、お兄ちゃん。あたしも行く~!」

 

 ハイロゥを展開して飛翔したアキ、その後を追って【悠久】を変形させたユーフォリアが緑の天蓋を突き破る。

 暗がりから飛び出したその一瞬、目映い陽光に眩惑される。だが、慣れてしまえば――――どこまでも続く樹の海と、まるで海面のように揺らめく空。

 

「あれ――――?」

 

 それに感じた、強い既視感(デジャ・ヴュ)。昔、こんな風景を見た事があるような気がして、アキは記憶を漁り。

 

「わぁ――――見て見て、お兄ちゃん! あそこ!」

「ああ……」

 

 いやに興奮した様子のユーフォリアの呼び声に、振り向いて。

 

「何だ、コリャ……」

 

 見覚えのある城、大樹に天空都市、砂漠、市街地、町並み――――されら全てを見渡して、口を開いた。

 

「『剣の世界(クランヴァディール)』に『精霊の世界(エルフィ・ティリア)』、『魔法の世界(ツヴァイ)』に『枯れた世界』、『未来の世界』に『写しの世界(ハイ・ぺリア)』か『元々の世界』――――全部、混じってやがるッて訳か」

 

 既に通り過ぎた筈の、その世界達の名を――――……



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