勇者の俺は魔王に取り憑かれているが決して闇堕ちしてはいない (市場龍太郎)
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序章「勇者(笑)アルス」

王道物語を書きたい(書けるとは言ってない)
目を通してくれてありがとうございます。

初投稿となります。どうか可愛がってやってください(-_-)


 ――ある夜に、夢を見た。

 

 それは不思議な夢だ。

 俺の視界は一面星空に包まれ、目がチカチカする程眩い光を放っている。

 

 それは美しい景色だ。

 生涯初めて見る、正に星の海と呼ぶに相応しい光景には誰であろうとも息を飲むこと必至だろう。

 

 そして、その景色に見惚れることしばし。天から聞き覚えのない声が聴こえてきた。

 

『――――……』

 

 ……聴き取れない。

 ノイズだとか何かしら別の音に遮られたわけではなく、単純に声量が小さすぎて聴き取れなかった。

 ただ、誰かの声ではあるという確信。

 

 ――誰だ?

 

 俺がそう尋ねる。

 

『――ほしい……』

 

 俺の問いかけに応じるように、声は少しだけ大きな声量を振り絞って答える。

 どうやら何かを求めているらしい。

 俺はもう一度声が聴こえてこないかと、耳をすませる。

 

『――名……せて、ほしい』

 

 先程よりもはっきりと。しかし未だに全ては聴こえない。

 俺は流石に焦ったくなって、もう一度誰だ、と空に向かって尋ねた。

 

『――名を、聞かせて……ほしい』

 

 質問を質問で返すとはこれいかに。

 誰だと聞いたら名を尋ねられた。

 どうやら声は俺の声に反応していたわけではないらしい。

 

『名を……聞かせて、ほしい』

 

 そして、再び同じ事を言う。

 明確な意思の疎通は出来ないという事が分かった。

 俺は大人しく名乗ることにする。

 

「……アルス。アルス=フォートカス」

 

 しかし名乗ったからと言ってなんなのか。そもそもからしてこの声の主は誰なのか。

 疑問だらけではあるが、俺は黙って空からの返答を待つ。

 

『――感謝する……』

 

 ……うん、お礼を言うのは大事なことだ。

 だからお前は誰なんだと聞いているんだが俺の質問に対する返答は……。

 

『我は……』

 

 空の声が何かを答えようとした時。

 

 俺の夢は、そこで途切れてしまった。

 

 

 

 ◆

 

 

 

「……んぁっ?」

 

 鼻提灯を弾けさせ、閉じていた瞼が開かれた。

 ぼやけていた意識と視界は徐々に鮮明になっていき、周囲の喧騒が耳に届いてくる。

 ……どうやらいつの間にか俺は寝ていたようだ。

 何か夢を見た気がするが、はっきりとは覚えていない。寝ぼけている頭を働かせて、ひとまず自分の今いる場所を再確認する。

 

 現在地はかなり広い大衆酒場のような建物。壁や床に歴史を感じるが、決して汚れているわけではなく、清掃が行き届いていてむしろ清潔感が感じられる。

 俺はちょうど中心辺りの椅子に腰掛けてうたた寝をしてしまっていたらしい。

 

 ギルドと呼ばれるこの施設では、貴族や王族に雇われている傭兵に、洞窟や迷宮を探索する冒険者といった人々が集まる。

 今も夜更けであることも御構い無しにギルドの中は武装した男女の集団が談笑したり、見目麗しい女性ウエイトレスが料理を運び、忙しなく働いている様子が見られ、非常に賑わっている。

 

 俺の目の前には冷めてしまっている紅茶が一杯。まだカップになみなみと残っていることからすると、どうやら殆ど飲む前に眠りに落ちてしまったようだ。

 

 そんな急に眠気に襲われた覚えもなく、はて、と首を傾げつつ俺は冷めた紅茶に口をつけた。

 超高級の茶葉というわけではないが、流石に巧く淹れられている。冷めても尚透き通るような香りと味は変わらない。

 

「……はぁ」

 

 半分ほど一気に喉に流し込んだところで俺は一息つく。

 正確には俺のすぐ横に立てかけられている剣を見て、疲労を滲ませたため息をついた。

 

 ――王都ソルディース。

 それが俺が今居る街の名にして、ソルデ王国の首都として位置付けられている。

 ソルデは近隣国との貿易、商業などで栄え、その首都であるソルディースは最も人口が多く、物の行き交う街だ。

 片田舎に住んでいた俺でさえもその名くらいは聞いたことがあるくらいには有名な巨大都市である。

 ここは国民にある程度の富を約束できる程度には裕福かつ善政をしいているが、全くの平和、というわけではない。

 

 数年ほど前……この国に、というかこの世界に魔王と名乗る者が現れた。何だよ厨二病かとか頭のネジが飛んだ奴かとか思うが、決してそんな鼻で笑って一蹴できる物じゃない。この魔王は実際に人だって羽虫のように殺すし、今まで潰されてきた街や国は一つや二つではないのだ。

 数千年前に女神との戦争で敗れた邪神だとか、魔族を統べる存在だとかいう話だが、それは今は置いておくとして。

 この国は一見平和に見えて正に現在進行形でその魔王とかいう奴に狙われている場所なのだ。

 魔王の目的はなんだか知らないが、ちょくちょくこの王都には魔物が侵攻してくる時がある。

 

 魔物と言うのは口から火を吹く竜や、動く骨などの異形の怪物。人間と共存する温厚な亜人族とは全く違って危険な魔物達を退けるために、この国にはこうして傭兵や冒険者なんかがよく集まるのである。

 ギルドはそんな環境から生まれ、傭兵やら冒険者をまとめて管理、支援する施設だ。

 

「カップ、お下げしますね」

 

「あ。ありがとうございます」

 

 ちょうど紅茶を飲み終わったところでウエイトレスが慣れた手つきで空になったカップをトレイに乗せて下げてくれる。

 ……毎度思うがあの制服。少し斜め下から覗けば下着が見えそうになるミニスカもさる事ながら肩やへそ付近など少し露出が多いのではなかろうか。彼女たちの振る舞いや肅然とした雰囲気でそれが清楚な物へと浄化されているから不思議だ。

 

 ……話を戻すと、剣を持つ俺は傭兵や冒険者なのか。そう尋ねられれば答えはNOである。

 俺の職種は言うなれば、勇者。

 ……いや、勇者とは言っても半ば強制的に任命されて勢いに流されて辺境の村からこんな王都とかいう大都会まで流れてきたただの貧弱一般人なわけだが。勇ましい者とはなんだったのかと言わんばかりの自他共に認めるヘタレ少年だ。

 

 女神に選ばれた勇者の資格を持つ者の元には専用神器(アーティファクト)と呼ばれる武器が降臨するという。

 人違いなのかなんなのか、俺の元にその専用神器(アーティファクト)が来てしまったのだ。

 勇者はその武器と、内に眠ると言われる魔力を使って魔王を打ち倒す使命を授かるのだ……が。

 俺には武器こそあるものの生まれてから18年の間で剣なんて振ったことないし、そもそも内に眠る力ってなんだよ。そんな都合よく使えるようにならないっての。

 

 勇者などという肩書きの所為で村の人々にはやけに祭り上げられるし、親は泣いて喜ぶしでもう俺の人生は散々だ。

 魔物と戦ったことなんて無いし、だいたい一国の騎士団を一晩で捻り潰せる魔王になんて勝てる気がしない。

 だから俺は村にとんぼ返りする事もできず、日がな一日中こうやって王都のギルドで一人寂しく項垂れているのだ。泣きたいのはこっちだっての。主に悲しみの涙だが。

 

「……お前が俺のとこに来なきゃ良かったんだよ、馬鹿」

 

 なんて吐き捨てようとも剣は喋らない。

 俺はやるせない気持ちでいっぱいになってまた机に項垂れた。はらり、と俺の茶色い髪の毛が一本机に落ちる。

 自らに課せられた使命の重さとどうにもならない絶望感で現実逃避が止まらない。

 

『……なんだ、随分と腑抜けた奴だ』

 

「ちげぇよ、俺が腑抜けなんじゃないよ……この世の中がおかしいんだって……」

 

 不意に聞こえてきた声に俺は反射でそう答える。もう罵倒に反論する元気もない。

 

 

 ……はた、と俺の思考が一瞬停止する。

 

 

『……どうした。なにをそんなに驚いている』

 

 再度聞こえてきた言葉に俺は身体を起こして慌てて辺りを見渡す。

 

 俺の周りには誰もいない。

 

 それもその筈。俺は紛う事なき生粋のぼっち。ギルドは賑わっているにも関わらず俺の周りは空席が多い。ぼっちが標準装備している能力、『俺に近づくんじゃねぇオーラ』は正常に作動しているわけだが……今の声は、ひょっとして幻聴か、他の人の会話が聞こえただけなのかもしれない。

 

「き、気のせいか。なんだ、脅かすなよ……」

 

『気のせい、とは何に対してだ?』

 

 気のせいじゃない。

 絶対気のせいじゃない。この声は間違いなく俺に話しかけている。というか、この声に痛烈なデジャヴを感じる。

 

「……な、なんだ、なんなんだ。お前は誰だ?」

 

 震える声で俺はついさっき見た夢と同じように質問する。

 

『我は……オルガニア。先程も名乗った筈だがな。アルスよ』

 

 声は今度こそ俺の質問に正確に答えた。先程も名乗った、というのは俺の記憶に無いが少なくともこいつは俺の夢に出てきたあの声だ。ひょっとして俺の精神はトチ狂ってしまったのだろうか。夢の中の出来事が現実に乗り込んでくるなんて中々終わってるとしか言いようがない。

 

「まだ夢見てんのかな」

 

 現実に戻るため、俺は自分の頬を勢いよく……は痛くて嫌だから少し抓る。

 するとピリッとした痛みが俺の頬に伝わってきた。……夢ではない。

 

『夢……? なんだ、お前はあの出来事を夢と勘違いしたか。随分と愉快な頭を持っているのだな』

 

 なんかいきなり馬鹿にしてきた。

 では聞くが普通の精神の持ち主が見えない何かが自分に語りかけてきたこの状況を夢以外の何かと捉えると思っているのだろうか。

 オルガニア……と名乗った声は俺の疑問に対して何処までも落ち着き払ったように答えた。

 

『見えない何か、か。言い得て妙だが我はお前の中にいる存在。お前は我に名を教え、依り代となる事を許可したではないか』

 

「……は?」

 

 確かに夢の中で名を教えはしたが。

 なにを言っているのか分からずに俺は図らずも頓狂な声を出してしまう。

 

『我は異界より流れてきた魔族を統べる王。……魔王、とでも言うべきか。説明はした筈だが、よもや聴こえていなかった、などという事はあるまい』

 

 聴こえていませんでした。

 だいぶ壮大な話をされていたみたいだけど、それ全部聴いてませんでした。

 

「ちょ、ちょちょちょ。俺の中ってなんだ。お前は……ま、魔王? ってあの魔王?」

 

『左様。とは言ってもこの世界にいる魔王とは別。我は異界から来たと先程も言ったが』

 

 理解が追いつかずに俺の思考回路がショートしかかる。ただ、凄く嫌な予感がする、という確信にも似た予感が俺の胸を支配していた。

 

 

『暫くの間、世話になるぞ』

 

「…………ッはぁぁぁぁぁぁぁぁ!!??」

 

 

 

 かくして、俺は異界の魔王に取り憑かれたのだった。




勇者と魔王の共同生活、始まる。


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第一幕「取り憑かれし勇者」
第1章「魔王と精神ルームシェア」


 絶叫してから数分後。

 いきなり叫んだ事により周りから白い目で見られる事を耐えかねた俺は宿に戻るために都の大通りを歩いていた。

 

『ふむ……人とはここまで栄える物だったのは思わなかったな。ここに魔力の暴風を起こしたらどれ程の塵が生まれる事か。お前、興味はないか?』

 

 しかし引っ切り無しに聞こえてくる俺の中に取り憑いてるという魔王さんの声のせいでさっきから俺は混乱しっぱなしだ。というかなんかさらっと怖いこと言ってるし。

 

「えぇっとぉ……オルガニア、だっけか。お前……いや貴方様は俺の精神に入り込んでる……んだよな?」

 

『畏まらなくとも良い。この世界で魔王という立場に固執するつもりも無い。……その通り、我はお前の精神、つまり魂に憑いている。お前の中にもう一人生命体が居るとでも思えばいいだろう』

 

「うげぇ……なんつー状態だ……」

 

 自分の中にもう一人誰かいるというのは中々気持ち悪い。なんだか常に通信魔法石で遠くの誰かと通話している気分だ。

 幽霊に取り憑かれるなら話は分かる。いやそれでも十分非現実的だがそれでもまだ分かる。しかし魔王に、しかも異世界の魔王に取り憑かれるとはどういう事なのだろうか。

 

「……なんでわざわざ異世界になんて来たんだ?」

 

『……我は自身の世界にて勇者と戦っていたのだが……その最中手傷を負わされ、戦略的撤退を行ったまでだ』

 

 別の世界にも勇者と魔王というのはいるらしい。というかなんかカッコつけた言い方をしているが、要するに……。

 

「勇者に負けたから、逃げてきた、と……」

 

『…………』

 

 あ、黙っちゃった。どうやらその通りらしい。

 

『ええい、彼奴らが卑怯だっただけだ。よもや数百人の軍勢がこぞって我の弱点となる水を操ってくるとは思わんかったのだ』

 

 なんだ、魔王のくせにこいつは光とかじゃなくて水が弱点なのか。

 それはどうでもいいとして、取り憑くといっても何故俺だったのだろう。この世界にはごまんと勇者がいるし、勇者じゃなければいけない、なんて事はないだろうに。

 

『なに、それは偶然だ。憑依の魔法は対象の意識が無い状態でなければ成立せんのでな』

 

 そう言われて、すぐに俺の疑問は氷解した。なるほど、偶然にも俺が寝ていたから、魔王は俺を選んで憑依の魔法とやらを使ったんだろう。

 ……偶然とは言え、自分の間の悪さに心底腹がたつ。というか寝ている奴はこの世界に何人居たんだよ。ちょっと俺の運が悪すぎやしないか。

 

『しかし我の依り代となる存在が勇者とは、皮肉なものよ。やはりお前の目標はこの世界の魔王の討伐なのか?』

 

「いいや、違う」

 

 魔王の質問に俺は即座に首を横に振る。

 勇者として任命されたが、俺は周りと同じように熱り立って戦いに身を投じたりはしない。というかできない。

 勇者の肩書きを一生隠し通せるとは思わないが、それでも俺は普通に生活をしていたいんだ。

 そう説明すると、オルガニアは静かに息を吐いたような気がした。

 

『……そうか。勇者とは、世界により様々だな』

 

 そして、そう呟いた。

 俺はそれ以上何か聞かれるかと心配していたが、オルガニアはそれっきり静かになってくれた。

 ほっと胸を撫で下ろしたところで、俺が泊まっている宿が見えてきた。

 二階建ての宿屋はどこにでもありそうな、という表現が似合う素朴な作りで、俺はかれこれ一月はここに滞在し続けている。

 

 俺と同い年か、少し下の女の子がここを一人で切り盛りしているらしく、それほど手持ちのない俺でも一月居られる位には価格が安い。というか、この宿は王都の宿の中では最も安いのではないだろうか。

 

「あっ。おかえりなさいませー!」

 

 宿屋の戸を開けると朗らかな少女の笑顔が出迎えてくれる。俺も微笑んで軽く会釈で答えた。

 その人懐っこい笑顔には癒しの力が込められているようで、俺の心労はほんの少しばかり和らいだ。

 

 俺は階段を昇って2階へ行き、自分の部屋へと向かう。

 毎度思うが、そこそこ広いこの宿屋をあの子が一人で掃除する、というのは大変を通り越して無理なのではないだろうか。俺なら間違いなく心が折れる。

 目立った汚れは殆ど見受けられず、驚く程に綺麗だから脱帽ものだ。

 

「よっ……と」

 

 俺は剣を立てかけて、部屋に備え付けてあるベッドに腰掛ける。

 落ち着こうとはするものの、全く落ち着けないのはやはり受け入れ難い現実の所為だろう。

 

「なぁ、お前何時まで俺の中にいるんだ?」

 

『我の力が戻るまで、だ。それが何時になるかなどは知らん。明日か、それとも1年後か……』

 

 1年も魔王と精神をルームシェアするわけにはいかない。なんとか叩き出す方法はないだろうか。

 いくつか方法を思案し、俺は一つの提案をする事にした。

 

「……俺じゃなくてさ、他の奴に取り憑く、とか」

 

『憑依の魔法は今の我の状態ではもう一度行うことができんのでな。それにこれといって出て行く理由もない』

 

 いや、俺には出て行って欲しい理由があるんだが。流石に魔王というだけあって考えが自己中心的だ。

 

「お、俺に拒否権は……」

 

『無いな。なんなら今ここで残った魔力を暴走させてお前を乗っ取ってやってもいいくらいなのだ。我の譲歩と善意に感謝せよ』

 

「め、めちゃくちゃだ……」

 

 俺の体を乗っ取るとか言われたらもう諦めて泣き寝入るしか無い。そして絶対にそれだけはやらせまいと心に決めた。

 

「ああ……なんで俺の人生はこう……穏やかに進まなくなっちまったんだ」

 

『して、お前は自身を勇者と言っていたが……』

 

「……専用神器(アーティファクト)っていう武器が俺の所に届いたんだよ。ほら、そこにある剣がそうなんだけど。俺らの世界では女神様に選ばれた勇者の元にだけ現れるんだ」

 

『……ほう』

 

 俺が立てかけてある剣を指差して嘆息する。あんな物を託されても困ってしまうというに。

 見てくれはなんの変哲も無い鉄製の剣だが、俺が鞘から引き抜くと一瞬だけ刃が光る。だから俺に何かしら勇者的な力がある事は確かなんだろうけど……いかんせん荷が重すぎるのだ。

 

『なるほど。与えられた使命を他の勇者に丸投げ、ということか。しかしこの神器は中々どうして……変わっているな』

 

「なんとでも言ってくれ。というか女神様が作ったものらしいし……変わってるのは当然なんじゃないのか?」

 

 オルガニアの訝しげな声に俺は興味なさそうに答える。それにしても今の俺は側から見ればどんな風に写っているのだろう。声高々に独り言を言う芸達者な奴か狂人、とでも言ったところか。

 ……外ではオルガニアと話すことを控えよう。

 

「はぁ……」

 

『……なんだ、眠るのか』

 

「そうだよ。こうなりゃフテ寝だ。夕食の時間まで寝る」

 

『まぁ、好きにするといい。我はお前の行動の一切を阻害しない』

 

 こっちに関わる気があるのかないのかよく分からないやつだ。

 俺は自身に取り憑いた変わった魔王をどう追い出してやろうかと考えながら、まどろみの中に意識を落としていった――。

 

 

 

 ◆

 

 

 

「……あれ?」

 

 眠りに入ってからすぐの事。目を開けると、そこは俺の泊まっていた宿の一室ではなく、一面の星空の空間だった。

 一目見てわかる。今度こそこれは夢の世界。

 しかもこの満点の星空は……。

 

「美しいだろう。我の世界の夜だ」

 

「……オルガニア、か?」

 

 背後から聞き覚えのある声が聞こえる。起きていた時とは違って、いくらかクリアに声を聴き取ることができた。

 この野郎、夢の世界にまで入り込んできやがるのか。いや、俺の精神に憑いているのだから、ある意味当然のこと……なのだろうか。

 心休まる時間が無いかもしれないと俺の頬に冷や汗が伝う。

 それにしてもここまで意識がはっきりした夢なんて初めてだな、と不自然にも感じながらオルガニアの声がした方に振り返ると……。

 

「お前と面と向かい合うのは初めてのこととなるか」

 

「…………What?」

 

 目に飛び込んできた光景に、俺の口から異国語が飛び出た。

 

 目の前にいるのは……齢10歳かそこらの幼女。

 謎の幼女は勝気な瞳で俺を見上げ、地面につきそうなまでに長く伸びた目の覚めるような赤毛はツインテールにされている。黒の外套を見にまとっているが、サイズが合っていないようで袖がだいぶん余ってしまっていてだぼだぼだ。

 

「なんだ? 今度は何をそんなに驚いている」

 

「……おまっ、おま、お前……オルガニア?」

 

「……そうだが。我は何度名を名乗ればいいのだ」

 

 呆れてため息をつくオルガニア。その一挙手一投足があどけなさを感じさせ、声色はあまり変わってはいないが、確かに良く聞くと少女と言っても不自然はない。

 威厳を感じさせるはずの言葉遣いもこれではただの背伸びした発言に成り下がる……もとい昇華される。

 

 これは純粋に……可愛っ、いや待て違う。落ち着け俺。

 

「ど、どうしたんだよ。その姿」

 

「む。我のこの姿が不服か」

 

「いや不服っつーか魔王っぽくないっていうか……いや確かに俺も大好きだった青少年向け絵物語の中に出てきたヒロインもお前みたいな少女魔王だったけど。お前、それでいいの?」

 

「わけのわからん事を言う奴だ。我の姿の何処が……少女……」

 

 馬鹿かお前は、と言わんばかりに鼻で笑うオルガニアは、はたと何かに気づいて自身の前に手をかざす。

 すると星空の中に突然楕円状の鏡が出現し、オルガニアの姿を写す。

 オルガニアはしばし鏡に写った姿を見ながら、自分の頬をプニプニとつついたり、ビヨーンと伸ばしたりして、やがて……。

 

「な、ななな、なん、なんだこれはぁぁあああ!!!!」

 

 ついさっきの俺と同じように、爆ぜるように絶叫した。

 そして猪の如く突進して鏡を鷲掴む。その顔は青ざめ、若干泣きそうにもなっていた。

 

「ば、馬鹿な!? 我の身体がこんなにも小さく……威厳溢るるあの姿は何処へ……我は、我はこれ程までに力を無くしていたのか!」

 

「え、えっと。な、なぁ? お前の元の姿って、女なのか?」

 

「女……? いや、魔族に性別などはあってないような物。……しかしそうだな。人間の価値観で見るのであれば限りなくそれに近いと言えるだろう。こんなにちんちくりんでは断じてないがな……!」

 

 小さくなったのが相当ショックだったようで、オルガニアは鏡の前でわなわなと震え続けている。それにしても、そうか……元々中性的な声色だったから分からなかったが、オルガニアは女の姿をしていたということか。

 小さい今でもかなり可憐な少女。オルガニアの元の姿はさぞかし美しいのだろうということは想像に難くない。

 

 ……正直、得体の知れない化け物をイメージしていたので、なんだか毒気を抜かれてしまった気分だ。これでは何というか、追い出すに追い出せない。

 

 決して可愛い幼女だからとか育ったら凄そうとかそんなやましい下心などは微塵たりともない。ただ純粋に庇護欲に駆られているだけだ。

 下心は決して、無い。大事なことなので2回言った。

 

「ぬぅ……これでは力の復活にいつまでかかるかも分からん。のんびりと自然治癒を待っている場合では無いな……」

 

 俺が自身の邪な心情を完全に払拭し終わると、同時にオルガニアも何かしらの結論を出したようだった。

 オルガニアは鏡から身を離し、鏡を元の星空へと戻す。

 

「さて、アルス。このままではお前の寿命を3個使ったとしても我の力は自然治癒しない。もっと積極的に魔力を吸収せねばならんようだ」

 

「あ、ああ。そうなのか。頑張れ?」

 

 なんでわざわざ俺にそんな事を説明するのか。オルガニアの言葉の真意が俺には分からない。

 

「というわけで、お前のあの専用神器(アーティファクト)とか言う剣。アレを我に寄越せ」

 

 オルガニアはその小さな指を俺に突きつけ、突然そんな事をのたまった。

 俺はオルガニアから数歩距離をとって狼狽える。

 

「いやいやいやっ、あれが無くなったらいよいよ俺が勇者って証拠が1個もなくなるんだが!?」

 

「そんなの知らん。そもそもお前は勇者の責務は放棄しているのだろうが」

 

「いや、でも俺の勇者って肩書きに変わりはなくてだな……!」

 

 概ねオルガニアの言う通りだが、力も殆ど無いのに、この上女神の武器すらなくしたらいよいよ俺は何もできなくなる。間違いなく故郷の村に帰って親に土下座するという事は不可避になるだろう。

 

 今までこれと言って勇者らしい活動もしてないだけに、このまま故郷に帰るというのはバツが悪いなんてレベルの話ではない。

 

「喧しい。我もなりふり構っていられんのだ。お前に拒否権は無い。駄々をこねるようであれば今度こそお前の身体を乗っ取るぞ」

 

 ずいっと俺に詰め寄ってきたオルガニアが邪悪な笑みを浮かべながら恐ろしい事を言ってきた。小さくともこいつは魔王。俺の背に脂汗が一筋流れた。

 そう脅されては俺はもう首を縦にふるしかない。

 

「よし、物分かりのいい奴だ。ならばお前が目覚めた後、遠慮なくいただくとしよう。まぁ、魔力だけだがな」

 

「魔力だけ吸い取ると……俺の専用神器(アーティファクト)はどうなる?」

 

「力を失い、ただの剣となる。それか魔力を元に出来ていたのであればボロボロに朽ち果てるだけだ」

 

「……ああ、そうかい……」

 

 オルガニアは事も無げにさらっと答える。

 確かに今まで神器を忌々しく思っていたが、いざ無くなるとなると胸につっかえる物がある。

 結局一度もまともに振るったことは無かったが、なんというか呆気ない幕引きだ。

 

「それにあの程度の剣だけでは足りんな。もっともっとこの世界にある強力な神器の魔力を吸収せねば」

 

 こいつは女神から授かった神器をあの程度呼ばわりした。というか剣だけに留まらず力を持った神器の魔力を取ってポンコツを量産しようとしている。

 

「な、なぁ? 魔力を持った道具って神器だけじゃないしさ。そこら辺に売ってる魔法道具とかでも……」

 

「塵はいくら積もうと塵だ。山になる頃には、人の寿命が終わってる」

 

「え、えぇー……」

 

 全く聞く耳を持ってくれない。というかこいつはどれほど食いしん坊なのだろうか。

 ともすればこの世界にある神器全てがオルガニアにぶっ壊されてしまいそうだ。

 

「さて……そろそろ眠りから覚めておけ。我は早くあの専用神器(アーティファクト)とやらにありつきたいのでな」

 

「……はぁ。分かったよ、もう勝手にしてくれ」

 

 この小さな魔王にはやはり逆らうだけ無駄だ。

 俺は深くため息をついて、降伏、とばかりに両手を上に上げるのだった。

 




ロリ魔王、爆誕ッ!!

ここまで読んでくださりありがとうございます。
読みやすくかけてる……のかは分かりませんが暇な時にまた来てくださると嬉しいです。
勇者(笑)と作者を応援よろしくお願いいたします。


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第2章「お祓いに行こう」

「…………はぁ」

 

『なんだ。未練でもあったのか?』

 

 夢の中で一悶着あった後。

 あれから目覚めた俺は約束通り女神から貰った専用神器(アーティファクト)の魔力を全てオルガニアに渡したのだ。

 かくして魔力を全て吸収された剣は一般的に売られているような普通の剣へと成り下がり、俺が握っても、もうなんの反応も示さない。まぁ反応しても少し光る程度だったから、殆ど差はないのだが。

 

「……で、まだ魔力は戻りきってないのかよ?」

 

『あれ如きの魔力で足りるわけがないだろう。もっと必要だ』

 

「はぁ……そんなにホイホイと神器は見つからないっての」

 

 俺はベッドの上で肩を落とす。

 オルガニアに言い渡された俺の新たな使命は「神器集め」だった。

 神器というのは遥か昔、神が作り出した道具や装備品の事を指すのだが……滅多に見つからないらしく、生涯で1つ神器を見つけられれば運がいい方、とまで言われるほどだ。

 

 それだけ聞くと神器の数がそもそも少ないのか、という疑問が出てくるが別にそういうわけではない。

 昔は様々な物を司る神が何柱もいたらしいから、寧ろ多い方だ。

 けれども何故だか神器は人前に姿を現さないらしい。

 

 だからこそ神器を探すとなると難航する事は確実。これから先の苦労を考えると俺の口からはため息しか出ない。

 

『なに、断っても構わん。その場合お前の身体を乗っ取ってここら一帯を更地にしながら神器とやらを探すまで』

 

「それ断るなって言ってるような物だからな!?」

 

 達の悪い魔王ジョークなのかなんなのか、こいつは事あるごとにこんな風に脅してくる。あの小さな身体のこいつがそんな事を出来るかは甚だ疑問ではあるが……。

 

「なぁ、お前さ。本当に俺の身体を乗っ取るとか出来るのか? 更地とかは別として」

 

『造作もない。我の力が雀の涙以下しか残っていないとしても、お前の全てを支配するのに支障はないな』

 

「ならさ、実演してみてくれよ。出来たら俺も神器集め頑張るぜ」

 

『ほう。やれるものならやってみろ、と言うか。存外お前は度胸があるようだな』

 

 オルガニアが不敵に笑ったような気がして、俺の背中にぞくりと悪寒が走る。

 けれどもこいつの言うことが本当かどうかも分からない。もしハッタリであったら神器集めなどやらなくていいのだ。

 

『では、やってやろう』

 

 そう言うと、オルガニアは途端に静かになった。

 何かを念じているのだろうか、オルガニアは一切喋らない。

 つられて俺も黙ってしまった。

 

「…………」

 

 乗っ取る、というのは一体どういう感覚なのだろうか。今回の俺の提案はそういう怖いもの見たさから来る好奇心も理由の一つにあった。

 なにが起こるのかを少しだけ楽しみにしながら、俺は動かずにただじっと待つ。

 

 すると数分もしないうちに、俺は額に脂汗が浮かんでることに気がついた。俺は何気なくその汗を拭う。

 

 ……そういえば、なんだか身体の内側がやけに火照っている。

 いや、熱い。……いや、滅茶苦茶熱い。

 

 ちょっと待て、焦げる。

 

「って、あっつ!? あっちちちちちっちち!? なんじゃこりゃ!?」

 

『はっはっは。お前の中を暴れ回って一度お前を殺そうとしているのだが』

 

「ちょっ!? なんて事してんだお前は!? やっぱりやめろぉ!!」

 

 必死の思いでオルガニアに懇願するが、あまりの熱さで転げまわる俺を笑い者にしながらオルガニアは尚もやめてくれない。

 

『ククク……まるで音の出る玩具だな。まぁここらで止めておいてやろう。これで分かっただろう?』

 

「…………ぐふっ」

 

 痛いほどによく分かった。

 しかしそう返答しようとしても口が上手く動かず、鉄の味がする咳が漏れた。

 

 俺を一度殺して俺の肉体だけを奪う。というのが身体を乗っ取る方法らしい。

 精神だけ入れ替わる的なもっと優しい物を想像していたのだが、これは予想外だ。いくらなんでも物理的過ぎやしないだろうか。

 

「……こうなったら、ちょっと試してみるしかないな」

 

 なんとか身体が動くまで復活した俺は誰へともなくそう呟いた。

 幼女の見た目に油断したが、これ以上こいつと一緒にいたら間違いなく俺の命は文字通り灰塵と化す。

 俺は僅かな望みをかけて、ある場所へと向かう事に決めた。

 

 ただの剣と成り下がった専用神器(アーティファクト)を担ぎ、俺は部屋のドアを開けて廊下に出る。

 

「あっ、お出かけですか?」

 

 廊下に出るとすぐに宿屋の主人である少女に声をかけられた。どうやら掃除中らしく、彼女の手には箒とちりとりが握られている。

 本当に一人で掃除をしていた事実に改めて驚愕するが、少女の顔には疲れは見られず、穏やかな笑顔は変わらない。

 

「はい。夕食までには戻ります」

 

「分かりました。お気をつけて!」

 

 俺はそう言ってにこやかに笑う少女に癒されながら外に出た。目指す場所はただ一つ。教会である。

 

 俺が向かう場所を告げると、オルガニアはつまらなさそうに鼻を鳴らした。

 

『この世界の聖職者如きに我を祓えると思うとは、お前も中々諦めが悪いな。……まぁ、好きにしろ』

 

 などとかなり馬鹿にしているが、王都の教会はこのソルデではかなり有名だ。

 大昔、邪神との戦争から人々を護ったと伝えられている女神、セイクリアを祀り、崇める事で救いを求めるセイクリア教はソルデでは最もメジャーな宗教である。

 そして王都ソルディースのセイクリア教会といえば、そのセイクリア教の総本山。正に聖地と言われる場所だ。

 

 教会には女神の加護を受けた専用神器(アーティファクト)を持つ勇者、もとい大神官のレストという名の老人がいるらしい。

 彼の力を持ってすれば、俺に取り憑いた魔王オルガニアを追い出せるのでは無いか、と思ったのだ。

 

 聖地と呼ばれる理由は諸説あるらしい。まぁそれはセイクリア教に所属していない俺の知るところではないが。

 と、そこまで説明するとオルガニアは早速とあるワードに食いついてきた。

 

専用神器(アーティファクト)を持つ者、か。ふむ、アルスよ。中々やるではないか。早速我に神器を貢ぐとはな』

 

「いや目的はお前のお祓いだからな。間違っても神官さんの神器の魔力を根こそぎ取ったりするなよ。絶対だからな!」

 

『それは、して欲しいというフリか?』

 

「断じて違うわ!」

 

 なんでこいつは変なところで無駄に人間味を帯びているのだろうか。

 こうやって普通に話しているとこいつが魔王だという事を度々忘れてしまいそうになる。

 

 夕食まで寝れると思っていたが、オルガニアに起こされた所為で眠っていた時間はあまり長くなかったようだ。その証拠にまだ日が傾きかけていても王都の大通りは明るかった。

 一切の行動を阻害しないとか言っておきながらバリバリ阻害してるじゃねぇかと突っ込みを入れたいが、今は取り敢えず黙っておく事にする。

 

 人通りはまだまだ盛んで、俺のデカい独り言を不審に思った周囲の人間から白い目で見られる。

 今、親に手を引かれる小さな子供に指を指されたような気がするが気のせいだろう。気のせいだと思いたい。

 

「ママー、あの人なんか変ー」

 

「こ、こらっ見ちゃいけませんっ」

 

 生きているうちにそのテンプレのような会話を聞けるとは思わなかった。いやはやあれが俺に向けられた物でなかったら珍しい物を見た程度で済んだのだが。

 

 唐突に俺は、死にたくなった。

 

 少年よ、人を指差してはいけません。

 

「ああ、忘れてた……なんで普通に喋っちゃうかなぁ俺は……」

 

『ぷっ……ふふっ、中々滑稽な物を見せてもらったぞ』

 

「クソ……お前、マジ、覚えてろよ……」

 

 楽しそうにオルガニアが笑いを堪えている。こいつ、さては分かってて話してやがったな。

 俺は今は歯を食いしばって屈辱に耐える。

 大丈夫。大神官ならこの野郎を抹消させられるはずだ。

 

 見てろこの馬鹿魔王。その余裕の表情……は見えないが、余裕の態度はすぐに無くなる事になるんだぞ……。

 

 

 

 ◆

 

 

「つ、ついた……」

 

 心に深い傷を負いながらも、俺はなんとか教会にたどり着いた。

 時刻はすでに夕方。茜色の光に照らされて、神々しい外観の教会は更に神聖な雰囲気を纏っていた。

 俺は教会の戸を開き、中へと入る。

 

 教会の中はギルドよりもふた回りほど大きい。祈りを捧げる信者たちの為にいくつもの椅子が用意され、奥の高台には女神セイクリアを模した石像が厳かで優しい照明の光を浴びて鎮座している。

 壁にあるいくつものステンドグラスが外の夕日を集め、暗くもなく明るくもない、幻想的な光景がそこにはあった。

 

 祈りを捧げる信者もちらほらと見られる。もう夕方だというのに殊勝な事だ。

 

『教会とやらに入るのは我は初めての経験だが……あれがこの世界の女神か?』

 

 オルガニアが尋ねてくる。

 あれ、というのは最奥にある女神の石像の事を指しているのだろう。俺は小声でそれを肯定した。

 慈愛に満ちた微笑みを携え、全てを受け入れるように差し伸べられた両手。石像なので色は分からないが、腰の辺りまで伸びている躍動感あふれる長髪が神々しさを感じさせる。

 

「ああ……そうらしい。女神セイクリア。俺の専用神器(アーティファクト)もあの女神から貰ったものだよ」

 

『なら、さしずめ人間はあの女神の下僕とでも言ったところか』

 

「言い方を変えろ言い方を」

 

 聞かれれば信者たちに囲まれてボッコボコに殴られそうな台詞だ。

 女神は自身の力を大昔の邪神との戦いで使い果たし、今ではそのなけなしの力を魔王に襲撃されている人間達の為に使ってくれている……らしい。人のために身を削って力を貸してくれているのだから下僕、という表現は正しくないだろう。

 

 勇者にのみ渡される専用神器(アーティファクト)も女神の力添えの1つだ。他の八百万の神が作り出した神器とは違い、女神セイクリアの力が多く込められている。俺のは既にその力を無くしているが。

 

「……さて、と」

 

 話はそれくらいに切り上げて、俺は教会の奥の方、女神像の元へと歩く。

 

 教会が開かれている時間では神父かシスターが一人は必ず常駐していて、呪いのお祓いや入信の依頼が出来るのだ。

 だから俺は静かに佇んでいるシスターさんに話しかけ、依頼を持ちかける。

 

 ちなみに信者でなくとも利用は可能だ。来る人拒まず。但し、お祓いには寄付金という名の料金がかかる。

 

「あの、すみません。お祓いをお願いしたいんですが」

 

「お祓い、ですか? かしこまりました。ではこちらの手帳にお名前をお願い致します」

 

 シスターさんに言われた通り、手帳にペンで名を記す。

 お祓いはそれほど複雑な事は無い。

 聖職者が持つ魔力を対象に送り込んで除霊、あるいは呪いを身体から追い出すだけ。

 

「では……寄付金として3銀を頂きますが、よろしいですか?」

 

「はいはいっと」

 

 俺は腰につけていた麻袋から銀貨を3枚取り出してシスターさんに手渡す。金に関しては勇者には国が支援金という名である程度の補償をしてくれるので問題はない。国民の税金で成り立っているのであまり無駄遣いはできないが。

 

 この世界の通貨は金貨、銀貨、銅貨と3種類存在し、金貨が最も価値が高い。銅貨10枚で銀貨一枚分。銀貨10枚で金貨一枚分といった単純な仕組みだ。

 

 パン一つが銅貨3枚から5枚程度だから、銀貨3枚というのは少しばかり高値と言えるだろう。お祓いというのは簡単に見えて意外と危険性を孕んでいるというのがお高い理由の一つらしいのだが。

 

「それでは、始めます。目を閉じて、精神を統一してください」

 

 シスターさんが優しい声でそう促してくる。シスターさんが魔王を祓えるかどうかは分からないが、取り敢えず試しにやってみてもらおう。

 俺は言われた通りに目を瞑って心を落ち着ける。

 

「…………」

 

 沈黙が辺りを包む。

 

 しかし暫く続くかと思った沈黙は、直ぐにシスターさんによって破られることとなった。

 

「きゃあっ!?」

 

 シスターさんの悲鳴が静かな教会に木霊する。

 何事かと俺は目を開いた。

 

「こ、これは……。ちょっ、ちょっとお待ちください!」

 

 数歩後ろによろめいたシスターさんは見るからに狼狽えて、即座に奥の部屋へと駆け出していなくなってしまった。

 ……お祓いをしようとはしてくれてたみたいだが、やはり無理だったか。

 

『なんだあの粉のようなスカスカ魔力は。相手にならん。次』

 

 そして案の定シスターさんの力を弾いた俺の中にいる呪い……ではなく魔王はつまらなさそうに鼻を鳴らす。

 

 本当にお祓いは上手くいくのだろうかと、俺は一抹どころではない不安を抱いた。




読んでくださりありがとうございます。
なるべくテキパキと更新を続けていきたいと思っていますのでおヒマな時にでもまたお立ち寄りをノシ

取り敢えず手っ取り早く魔王の凄さを最初に見せておきたいところです。


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第3章「聖職者VSチート魔王」

「はぁぁあああ……!!」

 

 ろうそくの火が立ち並ぶ不気味な部屋で、神々しい光の粒子が見るからに熟練、といった風態の男神官から溢れてくる。

 なにやら途轍もない力を感じるが、果たして。

 

「ハァッ!!」

 

『千年修行してから出直してこい。次』

 

「あばばばばばばばばッ!?」

 

 俺の頭に手を乗せて力を放った神官は俺の中の魔王によって逆にその精神を蝕まれ、身体を痙攣させてからドサリという音をたてて床に伏した。

 

 さて、こうして気を失った聖職者達がこれでもう何人目になっただろうか。

 俺の周りには涎を垂らして白目をむいている神官達がゴロゴロと折り重なるようにして倒れていた。

 正に死屍累々。これは子供にはちょっとお見せできない光景である。

 

 俺をこの浄化部屋と呼ばれる簡素な小部屋に連れてきた最初にお祓いをしてくれたシスターさんは部屋の隅で顔面を蒼白にしながら小動物のようにガタガタと震えていた。ともすれば泣いてしまいそうである。

 

 数々の聖職者達を千切っては投げを繰り返し、退屈そうに欠伸をしているオルガニアに俺は諌めるように言った。

 

「あのさぁ……お前もうちょい手加減しないの?」

 

『している。こやつらが小物過ぎるだけだ。というか緻密な硝子細工を作るような高度の魔力調整をしている我を少しは讃えてもいいのだぞ』

 

 オルガニアは困ったように不平を言う。心なしか口を尖らせているような気がした。

 

 それにしても熟練の聖職者をまとめて小物扱いとは、こいつの規格外さがよく分かる。

 チートかこいつ。チート魔王。

 

 加減してもこの有様だという事実にドン引きしていると、不意に浄化部屋の扉が開けられ、白髪を携えた老人が入ってきた。

 

「こりゃあ一体……なんの騒ぎですかな?」

 

「あ……だ、大神官様っ! おかえりになられていたんですね!」

 

 大神官、という名を聞いて、俺の耳がピクリと動く。

 扉の方を向くと、かなり細身の老人が顎髭を弄りながら立っていた。

 真打登場、というにはあまりにも迫力のない登場の仕方だが、シスターさんはまるで女神でも見たかのように目を輝かせて涙を浮かべながら大神官に縋り付いた。

 

 この人が、大神官レスト。ソルデにおいて最も力を持つ勇者……もとい大神官。

 見た目はただの老人。覇気や威厳を感じさせるわけではなく、デコピンしたら死んでしまいそうなほどに弱々しく感じる。

 というか小刻みに震えてる。大丈夫なのだろうかこの人。できれば今直ぐベッドで寝ててほしい程に危なっかしい。

 

「ほほう、呪いを祓えない、と……。はて、この教会にいる者たちは皆一様に手練れではあるはずですが……はてはて」

 

 俺が観察している間にシスターさんが状況を説明してくれていたようで、大神官レストは俺の頭に手を乗せる。

 ……そして。

 

「あぁー。こりゃ無理ですな。諦めてくだされ」

 

「は、はぁ!?」

 

 即座に尻尾を巻いて逃げ出した。

 予想外の言葉に俺も見ていたシスターさんも口をあんぐりと開ける。

 

「はて……これほどの強い魔力。わたしは感じた事がないですな。およそこの世の物とは思えない。よって、無理です」

 

 戦いを挑む前から白旗を振る大神官。その選択はもしかしたら正しいのかもしれないが、些か釈然としないものがある。

 

『ふん。その勘の良さは認めよう。だが我はお前の持つという神器が必要なのだ。逃げてもらっては困るな。女神の下僕よ』

 

「……ほほう。その御仁は女神様のお力を求めているのですかな?」

 

 喧嘩を売りに行ったオルガニアの挑発的な物言いに大神官レストは目を細めて反応する。

 

「オルガニアの言葉が聴こえるのか!?」

 

「オルガニア……それがその者の名ですかな? しかし女神様を侮辱するその言葉はいただけない。女神様は人を下僕などとは考えてはおられない」

 

『女神がどのような考えであるなど知った事か。我から見ればお前達は立派な女神の下僕そのもの。お前は一体何年その現実から目を背けてきた?』

 

 当然のようにオルガニアと話をする大神官レストの力は本物のようだ。

 2人の話はヒートアップしていき、両者の間に火花が散る。訳のわからないシスターさんは徐々に高まっていく大神官レストの魔力におろおろとしながら俺に助けを求めるように涙目を向けてきた。

 正直俺に助けを求められても困る。

 

 そもそもオルガニアを宥める事など俺にできっこない。こうなる事はなんとなく分かってたし、大神官様には是非ともオルガニアと全力で戦っていただきたい。

 

「なるほど。そこまで言われてしまっては、女神様の名にかけて引くわけには参りませんなぁ」

 

『最初からそうしろ。そしてとっとと神器を寄越せ』

 

「……後悔なされるな、異界の王よ」

 

 大神官レストがそう呟いた、次の瞬間。

 

 爆発にも似た轟音と共に目を開けていられないほどの眩い光が部屋を支配する。

 大神官レストが、女神から賜った専用神器(アーティファクト)を引き抜いたのだ。

 

 徐々に光が落ち着いていき視界が鮮明になると、大神官レストの持つ専用神器(アーティファクト)の姿が露わになった。

 錫杖のようなその神器は淡い黄金の粒子を振りまき、一振りするごとにその軌跡には光が奔る。

 

 ――これが、本物の勇者。

 

 勇者の力を正しく振るうものが持つ神器というのがここまでの輝きを放つとは知らなかった。というか俺のと違いすぎてこれは若干ヘコむ。

 

「あ、あれ? というかこれ俺大丈夫? 俺消し飛んだりしない?」

 

「心配なされるな。人の身には影響は出ませんぞ」

 

 先程の弱々しいイメージから一転。大神官の名に恥じない程の風格をまとった大神官レストは錫杖を構えながらそう言った。

 これなら本当に魔王を祓う事ができるのでは無いだろうか。

 俺の胸に期待が芽生えてきた……が。

 

『――粉の長は所詮、粒か』

 

 オルガニアは、依然としてその態度を崩さなかった。

 それどころか、何故だか冷ややかな目線を向けている気がする。

 

「参りますぞ。……キィェエエエエエエイ!!」

 

 大神官レストは雄叫びと共に輝く錫杖を振り上げ、地面に突き立てる。

 錫杖より放たれる光の魔力は大神官レストの右掌に集まり、その輝きは太陽を彷彿とさせる程に強大なものだった。

 当然目を開けていられるはずもなく、俺は身体を強張らせてぎゅっと目を瞑る。

 

 大神官レストの掌が、俺の頭に触れたような、気がした。

 

 そしてそれと同時に――俺の中にいる少女の姿をした魔王が、フッと、笑った気がした。

 

『――浅薄』

 

 刹那。

 

 今まで輝いていた光の全てが弾け飛んだ。

 俺に手をかざしていた大神官レストの放っていた光も、錫杖から溢れていた光も、全てが弾け、霧散した。

 

 訪れる無音の世界。

 誰もが口を開かなかった。

 

『話にならん。次』

 

 しかしオルガニアは、いつもの調子で欠伸をしながらそう言うのだった。

 大神官レストは何も言わずに俺から手を離し、ふーっと息を吐く。

 

「いやはや……完敗ですな」

 

「あ……ダメでしたか」

 

 肩を落とす大神官レストを見て、俺も脱力する。少しだけ期待してはいたが、最初に大神官レストが言った通りやはり無理だったようだ。

 

「……しかし、それ程の力を持つ存在を内に宿してなんとも無いとは。貴方も中々に規格外な存在ですな」

 

「え、えぇ……」

 

 規格外(チート)なのは俺の中にいる魔王なのに、何故か俺までも規格外扱いされてしまった。

 

「申し訳ありませんが、我々では力不足……。どうか貴方様にセイクリア様のご加護があらんことを」

 

 結局、お祓いは成功せず、俺は大神官レストにお礼を言ってから教会を後にすることにした。

 以前オルガニアの言っていた事が正しいのならば、オルガニアに残っている力というのは殆ど無い……。それほどまでに弱っているとの事だったが、こいつが万全の状態になったら果たしてどうなってしまうのだろうか。

 世界を滅ぼすとかは簡単……とか言いそうだ。

 

 ちなみに大神官レストの持っていた専用神器(アーティファクト)についてだが。

 

『余すことなく魔力をいただいた。あれはもうただの棒切れだ』

 

 だそうだ。女神を信仰している聖職者からしたら女神の力が込められた神器をただの杖にされるというのは耐え難い事だろう。今更ながら本当に悪い事をした。

 俺は大神官レストに同情しながら、オルガニアに喰わせるのは持ち主のいない神器にしようと密かに決意した。

 

「……それでもまだ魔力は戻らないのか?」

 

『うむ、まだだ。あれがあと30本でもあれば少しは戻るだろうが』

 

「それでも少しかいな……」

 

 こいつの胃袋のデカさにはほとほと呆れてしまう。俺はこれから神器を見た瞬間ポンコツに変える爆弾を抱えながら生きていかねばならないのかと思うと胃が痛くなった。

 

「……そういえば、大神官さんの魔力には手をつけなかったのか?」

 

 胃をさすりながら、素朴な疑問をオルガニアに投げかけてみる。

 いや、やれとは言わないが、やってもおかしくはないと思っていたのだが。

 

『命を持つ者から魔力を奪い盗るには、少し工夫がいる』

 

「……工夫、か」

 

『そう。殺してから奪い盗るのだ』

 

「工夫!?」

 

 断じて違う。それは工夫という名の暴力だ。

 なんでわざわざそんな事をする必要があるのかと今後の身の安全のためにも俺は聞いておくことにした。

 しかし割と感覚的な物らしく、オルガニアが言うには……

 

『蓋の開いていない料理をお前はどうやって食べるというのだ?』

 

 ……だそうだ。そう言われれば確かに食えはしないが。

 だとしたら、やはりオルガニアに与えるのは命を持たない道具限定という事になるか。塵はいくら積もうが塵らしいので、神器クラスの道具に限るが。

 

 ――ふと空を見れば、もう日が落ちていた。東を見ると僅かに太陽の光が見える。

 ……そろそろ夕食の時間である。

 腹が減ってはなんとやら。嫌な事を考えるのは後回しにして俺は足早に宿屋へと戻るのだった。




清々しいまでの完封。異世界の存在だからこそできる芸当。魔王という存在はいつだって圧倒的でなければいけないのです。

ここまで読んでくださりありがとうございます(-_-)
なるべく読みやすく楽しい物語を、と思っています…。
助言や指摘は泣いて喜びますので暇な時にでも是非よろしくお願いします!


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第4章「勇者の責務。新たな使命」

 ――魔王との生活が始まって一週間が経った。魔王との生活って表現がもう色々と参るが、それでも一週間が経ったのだ。

 

 取り敢えずオルガニアは意外とお喋りだという事が分かった。

 気になることは何でも俺に聞くし、事あるごとにコメントする。なんというか、好奇心旺盛で聞いてて飽きないけど俺は始終独り言を言っているように周りに見られるので、正直受け答えはあんまりしたくない。

 

 かと言って無視しようとすれば。

 

『おい、我の言葉が聞こえてないわけではないだろう』

 

 などと言いながら俺の全身を焦がしにかかってくる。

 オルガニアの姿はあどけない幼女なわけだが、あの姿のまま頬を膨らませて拗ねるだけならまだ可愛いと言える。

 だがオルガニアの拗ね方はお世辞にも可愛いなんて言えない程にアグレッシブだ。

 灼熱の苦しみを味わった後には俺の口から煙が吐かれる。

 

 俺は少しでも開放感を求めてギルドにやってきているのだが、それでもオルガニアの口は止まらない。

 

『ふむ、人間と言うのはああいうのが好きなのか。年端もいかない小娘如きが色気付きおって』

 

『おいアルス、乱闘が起こってるぞ。お前も参加してきたらどうだ? ……なんだ、すぐにつまみ出されてしまったな、つまらん』

 

『ほほう、この世界の人間の料理というのは初めて見るがこれは豪勢だな。ところでアルス。お前は紅茶だけでいいのか? ……金がない? なんだそれは』

 

 現に今も、喋り倒しである。

 露出多めの制服を着るウェイトレスを見て、酔った冒険者の乱闘騒ぎを見て、周囲の机に並べられている料理と俺の目の前にある冷めた紅茶を見比べて、もうベラッベラ喋り捲る。かれこれ1時間はこの調子だ。

 そして俺は金が無いのではなくて、単純に無駄遣いが嫌いなだけだ。

 

「なぁ、オルガニア……楽しいのか?」

 

『うん? ……ああ、そうだな。我は万を超える年月を転生し、生きてきたが、異界に来るのは初めての事。――我にとっては全てが魅力的な刺激なのだ』

 

 遠い目をするかのように、オルガニアは語る。

 オルガニアが言っている事は分からなくもない。

 きっと自身の世界にはもう知らない事などないのだろう。逃げてきたらしいし、オルガニアはただ純粋に命の脅威のないこの世界を楽しんではしゃいでいるのかもしれない。

 そう考えると途端にオルガニアが本当に珍しい事に目を輝かせる年相応の少女のように思えてくる。

 普通の少女、という風には思わないが、楽しんでるならそれは結構な事だし、それに水を差すほど俺も無粋ではない。

 

「お前ってさぁ、変に人間味あるよな」

 

『なんだ、それは? 馬鹿にしているのか』

 

「いやいや、違うって!」

 

 再び身体を焼かれそうな雰囲気になったので俺は慌てて全身でそれを否定する。ギルドは今日も賑わっているおかげで、俺の独り言は喧騒の中に掻き消えていってくれた。

 確かに万年生きる魔王に対しては不敬な言い方だった気もするが、普通に感想を言っただけだ。許して欲しい。

 

『……ふん。まぁいい。それにしてもアルス、お前は本当に1日街から出ないのだな。流石に飽きてきたぞ』

 

「……いやだってさぁ、街の外って危ないじゃん?」

 

『……はぁ?』

 

 心底わけがわからない、というようなオルガニアに俺も何を言ってるんだお前はという意味を込めて息を吐く。

 

「魔物が出るんだぞ? 強いんだぞ、怖いんだぞ? お前はこんな非力で温室育ちのお坊ちゃんに戦えっていうのか?」

 

『そんなに威張っていう事ではあるまい……というかお前は温室という程に裕福な家庭には産まれていないだろうが』

 

 なんと言おうが俺は絶対に外に出ない。それは例えこの身を焼かれようが決定事項だ。どうせ外に行けば遠くない未来俺は死ぬ。焼かれるのと大して変わらん。

 

 外に出るくらいならとっとと死を選ぶ。

 無様なニートの俺を焼くならば焼け。さぁ焼けすぐ焼け今焼けほら焼けバッチコイ。

 

『何故お前はそういう変なところで豪胆なのか……わからん奴だ』

 

「まぁ子供が追い払えるくらいのウサギ型魔物なら俺も戦うのは吝かではない」

 

『お前、自分が情けないとは思わんのか……』

 

 疲労感たっぷりのなじるようなオルガニアの声が俺の胸に突き刺さる。

 情けないとは思う。当然ながら思う。だけど戦おうとは思わない。

 自分を情けないと思うのと戦いに出ようと奮起するのはまた別の話だ。

 

 いのちだいじに。この物騒な世の中では非常に大事な言葉である。

 

「前にも言ったかもだけど俺は剣振ったことないし、頼みの綱の専用神器(アーティファクト)も無くなったし。それで戦えって言う方が無茶だぜ」

 

 これ以上外に出ろとか言われるのは嫌なので、俺はオルガニアのしたことを盾に嫌味ったらしく屁理屈をこねることにした。

 

『お前の勇者としての魔力はお前そのものの力だろう。神器が無くとも戦えないということはあるまいて』

 

「……それができたら世話ないんだよ」

 

 つくづくこのちんちくりん魔王は無茶を仰る。

 

 俺だって最初は自分の可能性を信じて訓練をしていた。その中で勇者の力を使ってみようとした事もあったが……どういうわけか、俺の魔力はうんともすんとも言わなかったのだ。勇者は女神から使命を授かった瞬間、その力の使い方をまるで知っていたかのように覚えるらしいのだが、俺は全くこれっぽっちも覚えてなかった。

 

「つまり、俺には才能がないんだよ」

 

『才能、か。お前がその言葉を使うにはまだ早過ぎるとは思わんか』

 

「早かろうが遅かろうが俺はもう諦めたんだよ。俺の行動の一切を阻害しないんだろ?」

 

『確かにそうは言ったが』

 

 不貞腐れるようにして机に突っ伏した俺にオルガニアはまだ何か言いたげだったが、俺はそれを無視するようにして目を閉じた。

 

『だが神器集めはやってもらうぞ』

 

「……へーいへい」

 

 これだけは言わせてもらうとオルガニアが釘を刺す。それについては俺もできる限りの協力はするつもりだ。身体は乗っ取られたくない以前に殺されたくない。

 しかし果たして危険な橋を渡らずに神器を集める方法はあるのだろうか。

 俺はそれだけが不安だった。

 

『女神という奴も間抜けだな。お前のようなサボリ魔を放っておくとは……。我ならば生まれてきた事を後悔させるほどの天罰を与えるところだ』

 

 暫くじっと黙っていたオルガニアが、ふとそんな事を言った。

 相変わらずさらりと空恐ろしい事を言うが、そこまでされたらもう反省する前に再起不能になるんじゃなかろうか。

 

『役立たずの下僕は居ないのと同じだ。早々に殺してしまうに限る』

 

 オルガニアの声色は何か冗談を言うような軽い物だった。

 まるで育ちの悪い植物を間引くような、さも当然のように命を軽んじている感覚。

 魔王というのはやはり死生観というものも逸脱しているのだろうか。

 

「俺の意思ガン無視で勝手に任命したのにサボったからって天罰か……それ仮にされたらマジでどんなブラック企業だよって話だぞ。低賃金労働者もビックリだわ」

 

『まぁ、神とは身勝手なものだ』

 

 本当に身も蓋も無い事を言ってくれる。

 だがその意見には概ね同意だ。

 

 

 ……さて、無駄話も程々にして。俺は神器を集める方法を考えなければならない。

 

 この前のように持ち主のいる神器、ないしに専用神器(アーティファクト)をオルガニアに喰わせるのは論外。発生する迷惑が尋常じゃない上に俺の僅かな良心が痛みすぎて辛い。

 

 となると当然探すべきは野生の神器……もとい持ち主のいない神器を探す必要があるのだが、ノーヒントで見つけるのは難易度が高すぎる。

 

 そこで何かしら力添えを期待できないかと、俺はオルガニアにある事を尋ねてみることにした。

 

「なぁオルガニア。お前は神器の場所とかって探せたりするか?」

 

『さぁな。だが魔力を探ることはできる。大きな魔力の元へと向かえば神器もあるのではないか?』

 

 それだ。魔王をレーダー代わりにするというのはなんだか贅沢な気がするが、その魔力探知の機能を是非とも活用させていただこう。

 

「そうとなりゃ善は急げ。オルガニア、王都にあるでっかい魔力を探してくれ!」

 

『やる気なのは良いことだ。だが王都限定で良いのか? 我がその気になればこの世界丸ごとくらいは探索範囲に入れる事ができるが』

 

「だから外出たくないんだっての」

 

 絶対引きこもり宣言を改めてすると、オルガニアは今度こそ諦めたように嘆息した。

 

『……良いだろう。では我の導く通りに進め』

 

「おう、分かった」

 

 その気になればこの世界に探索範囲を広げられると豪語するオルガニアに戦慄しながら、俺はギルドを後にして言われた通りに歩きだす。

 大きな魔力の反応はそう遠くはないらしい。

 

『ほれ、あの建築物だ。あの中に魔力を感じる』

 

「ああ? ここって……宿屋、だな」

 

 魔力の反応があるとオルガニアが指したのは、あろう事か俺が贔屓にしている、というか現在進行形で泊まっている宿屋だった。まさかここに神器があるというのだろうか。

 

『兎も角、入れ。もう少し詳細に探してやる』

 

「あ、ああ……うん」

 

 促されるままに俺は宿屋の扉を押し開ける。

 1階のラウンジには受付であるカウンターと……待合席がいくつか置いてある。フローリングの床にはやはり埃一つ見受けられず、今日も店主の少女の掃除は完璧なようだった。

 

「あ、おかえりなさいませ!」

 

「た、ただいま戻りました……」

 

 オルガニアの探知結果の報告を待っていると、不意に奥の扉が開き、箒とちりとりを持った少女が現れた。

 店主の少女はいつものように屈託の無い笑顔で俺を出迎えてくれる。

 

 彼女のふわふわの髪の毛からは一房の髪がぴょこんと癖っ毛になっており、何かするたびに右へ左へと揺れているのが見てて面白い。

 

『アレだな』

 

 はて、この宿屋に神器らしき物はあっただろうか……と考えかけたところで、オルガニアが突如反応して声を上げた。

 アレ、とはどれのことだろうか。

 

『あの小娘の持つ箒とちりとりだ。神器と呼べるほどの魔力を宿している』

 

「え、えぇええ!?」

 

「ひゃっ! ど、どうされましたか!?」

 

「あ、ああいえ、何でも……」

 

 いきなりの大声量にビクッと肩を震わせた少女に俺は何でもないとアピールして誤魔化す。

 思わず派手にリアクションしてしまったが、ここで話すのはマズい。

 俺は不思議そうな少女の視線から逃げるようにして駆け足で部屋へと戻った。

 

 俺は焦燥を隠そうともせず、すぐにオルガニアに問い詰める。

 

「ど、どういう事だよオルガニア。箒とちりとりって神器になるのか!?」

 

『それは我の知るところでは無いが……専用神器(アーティファクト)と同程度にあの二つの掃除用具にも魔力が込められていたな』

 

「なんてこった……」

 

 近場で見つかるとはなんたる豪運、と喜ぶべきなのだろうが、決して手放しで喜べない。

 またしても持ち主のいる神器だからだ。

 驚きはしたが、仕方がない。今回のは見なかった事にして諦めるとしよう。

 

『さて、ではいただきにいくぞ』

 

 しかしちんちくりん魔王様は諦めていないようで早速ポンコツを作りに行きたいと言い出した。

 お願いだからやめてくれ。きっとアレはあの少女には必要不可欠なものに違いない。

 神器がいきなりただの道具に成り下がって泣く彼女を俺は見たくない。というか自責の念でいっぱいになって俺はこの宿屋にもう泊まれなくなる。

 

『問題ない。我が魔力を喰った証拠は残らないからな。事故として処理すれば……』

 

「俺の良心がズッタズタになるんだよ、このお馬鹿!」

 

『なに、ちょっとだけ。ちょっとだけだ。一瞬で終わる』

 

「分かった、待て、早まるな。俺があの子に交渉して神器を譲ってもらうから。それまで待ってくれ。な? 頼む待っててくれマジで」

 

 やる気満々に目をギラつかせるオルガニアを必死に宥めて引き止める。

 

 その気持ちが伝わったのか、オルガニアは暫く押し黙った後、仕方がないなと折れてくれた。

 よかった。このまままた犠牲者を出してしまった日には俺が良心の呵責で首を括ることは不可避だっただろう。

 

『そこまで言うならば、しっかりとあの小娘から神器をふんだくってこい。殺しても構わんぞ』

 

「勘弁してくれ……まぁ頑張るけどさ」

 

 とんだ地雷を踏んでしまったと俺は頭を抱えてうんざりする。

 こうなっては仕方がないが、果たして俺はあの少女から神器を譲り受ける事ができるのか。

 

 ……ひとまずは、少女と接触。更にはあの箒とちりとりがどういう物なのかを知らなければならないだろう。




ここまで読んでくださり感謝の極みです。

今の所だいたい1日に一回ペースで更新できている……書きだめがあるからできる芸当だがこれが何時まで続くのか……応援よろしくお願いいたしますノシ


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第5章「さようならニート生活」

 静まり返った宿屋のカウンターの奥で、俺は店主の少女の目をただ真っ直ぐに見つめていた。

 時計の秒針がやけにデカく聴こえる。時間帯が時間帯だからか、宿屋の1階には俺と少女しかいない。

 

 地面に押し倒した少女に、俺が四つん這いで覆いかぶさっている状況。側からは俺が今、正に少女を食べようとしているように見えるだろう。性的な意味で。

 

 辺りに置いてあった本や雑誌類はバラバラに散らかってしまっていて、俺たちがいる場所だけがくっきりと浮かび上がっているように見えた。

 

 押し倒した拍子に少女の衣服ははだけてしまったようで、艶かしい鎖骨が覗いている。更に仰向けになっている所為で少女の年不相応なまでに育っている豊かな双丘が扇情的に変形していた。ひょっとしたらこの子は着痩せするタイプなのかもしれない、なんて邪な考えが頭をよぎる。

 

 逃げ出してしまいそうな気もするが、俺はそれを許さない。しっかりと肩を掴み、目線を合わせて少女の潤んだ瑠璃色の双眸を見つめ続ける。

 

 少女は顔を紅潮させ、緊張と恐怖で震える口を開いた。

 

「そんな……わたし、そういうのは初めて、なんです……」

 

 俺の申し出を少女は首を小さく振って拒絶とも受諾とも取れる曖昧な答えを出す。少女の声はか細く、ともすれば消えてしまいそうな程だった。

 けれど、真っ直ぐに、ただひたすら真っ直ぐに少女を見つめる俺の耳はしっかりとその一言一句を漏らす事なく聴き取る。

 

「大丈夫だ。俺は必ず満足させてみせる。君はただ、俺に全て任せてくれるだけでいいんだ」

 

「そんな……でも、わたし……っ」

 

 行き場を失った少女の目が泳ぐ。

 その頬は更に紅く染まっているが、俺はそれに構わず祈るように肩に置く手の力を入れなおした。

 

 

 ……何故こんな事になってしまったのか。何故こんな事をしなければならないのか。

 俺は内心悲しみと羞恥で涙目になりながら尚も真剣な面持ちで彼女を見続けている。

 

 

 ――俺の脳裏には、つい1時間前の記憶がフラッシュバックしていた。

 

 

 

 ◆

 

 

 

「さて……あの子は」

 

 オルガニアをなんとか説得した俺は、とにかくまずは少女と話そうと思い、1階の受付までやってきていた。

 掃除が終わった後だろうから、その後彼女は少し休憩をとって洗濯や夕飯の準備に取り掛かる筈だ。

 1ヶ月という長い時間滞在し続けているおかげで店主の少女の時間割をなんとなく把握してしまったのだが、それがまさかこんな形で役に立てられるとは思わなかった。

 ともかく、あの子とコンタクトを取るなら、今が絶好のチャンス。

 

「……いた」

 

 ターゲット、補足。

 店主は受付のカウンター前に腰掛け、なにやら雑誌を読んでいるようだった。

 この宿屋は破格の値段で泊まれるというのに、それほど客の出入りが激しくないのが不思議だ。建っている場所が大通りから少し離れているのが原因なのだろうか。静かでいいと思うのだが。

 

 何はともあれ、作戦決行。

 作戦名は「取り敢えず仲良くなってから取り入る作戦」だ。内容はその名の通り。時間はかかるが確実性はある……はず。

 

 人とのコミュニケーションが苦手というわけではないが、得意でもない俺にとっては難易度の高い作戦ではありそうだが、生憎それ以外の良策は思いつかない。

 

「……こんにちは」

 

「……? あっ、こんにちはー!」

 

 俺が声をかけると、少女は心なしかいつもより明るさ割り増しの笑顔で応じてくれた。

 さて、俺のコミュニケーション能力でどこまで会話を長引かせられるか……。

 

 ……と、不安に思っていたのだが。

 俺が暇で少しぶらぶらしてたと言うと、予想外なことに少女の方から話を色々と振ってくれた。

 元々挨拶を交わす事はしていたし、フレンドリーな子だな、とは思っていたが予想以上に友好的だ。

 

 宿屋の少女の名は、エミィ=レンティアと言った。俺は1ヶ月宿屋にいたが店主の少女の名前を聞いたのはこれが初めてだ。

 そして更に驚くべきことに、少女エミィの歳は15歳だと言う。15歳にしてはあまりにも大人びた出で立ちに、同年代の誰もが羨望し、妬むような抜群のスタイルだと思うが、彼女は特別発育がいいのだろう。

 

 ソルデにおける成人は18歳。まだ成人すらしていないエミィが1人で宿屋を切り盛りしているというのはどういう事なのだろうかと疑問を持ったが、エミィの両親は既に亡くなっていて、今は叔父の家にお世話になっているんですと教えてくれた。

 

 その場合、エミィの父と母が経営していたと言うこの宿屋は普通店じまいして領地を売り払ったりするのだが、エミィの希望によりそのまま経営が続けられる事になった、との事だ。

 

「ここは……わたしが育った家なんです。お父さんとお母さんが居て……お客さんがいて。ここで働いてると、何かに守られている気がするんです」

 

 どこか遠い目をするエミィは過去を懐かしむように言う。エミィの言葉は過去に縛られている、というよりも受け入れた上で尚も父と母の形見を継ぎたいという彼女なりの決意が感じられた。

 なんと純粋で健気な少女だろうか。誰にでも真似できる事ではない。物語にして出版したら誰もが少女の姿に号泣する事請け合いである。

 

「本当は1人で休憩してる時とかすっごく退屈で……寂しくて。アルスさんが話しかけてくれて嬉しかったんですよ!」

 

 エミィは心底嬉しそうにしながら俺に打ち明ける。

 驚くべき事に彼女には所謂、媚びるだとか偽るという営業用の気というのが全く感じられない。文字通り純度100%。爪の垢を煎じてオルガニアに飲ませてやりたい気分だ。

 

 そんなエミィには天真爛漫という言葉がよく似合う。それ程までに澄んでいて、明るい太陽のような笑顔だ。

 彼女が普段にこやかな顔で客を送り出したり、出迎えたりする行為には、もしかしたらいつでも話しかけて欲しいという意味が込められていたのかもしれない。

 

 この太陽を直視し続けていると、俺の邪な企みなどまとめて浄化されてしまいそうになる。

 

「えへへ……アルスさんは長い期間ここに居てくれてますし、わたしから話しかければ良かったんですけどね。えっと……これからも、ここに泊まっている間で良いので、お話し相手になってくださいませんか……?」

 

 エミィは俺を見上げながら恐る恐るといった風にお願いをしてきた。

 身長差のおかげでその視線は強制的に上目遣いとなり、天然上目遣いという物の破壊力は魔王の力に匹敵するやもしれないほどで、あまりの神々しさに俺は眩暈を禁じえない。

 

 世界中のどんな男であろうとも、この仕草には庇護欲を掻き立てずにはいられない事だろう。

 繰り返すが彼女には一切の企みも計算もない。ただただ自然体のままに天下一品の可愛い仕草をやってのけるのである。

 

 げに恐ろしきは天然妹キャラ。本題に入る前に俺がやられそうだ。

 

 とは言ったものの、ここで俺がノックアウトされてしまっては泣いてしまうのはエミィだ。

 場もあったまってきているようだし、ここは心を鬼にして本題に入らせていただこう。

 

「あの……さ。エミィがいつも持ってるあの箒とちりとり。あれって、何か不思議なものだったりする?」

 

 俺は意を決してエミィに神器……箒とちりとりの話を振る。

 こんな訊き方では少し怪しまれるか、と思ったがエミィは俺の言葉の裏に潜む意味などまるで気づきもしていないようで、正直に元気いっぱいにこくりと頷いてくれた。

 

 そしてすぐ側にあったロッカーから実物を取り出して俺に見せてくれる。

 

「はいっ、亡くなったお父さんが使ってた物です! ……凄いんですよ! パッてはくと、スパパパパーンッて辺りのゴミとか埃が集まってくるんですっ!」

 

 突如、エミィは飛び切りの冷や汗モノな話を放り込んできた。

 

 あの箒とちりとりは父親の遺品。

 父親の遺品である。

 父親の遺品を俺はこれからポンコツに変えようとしているのである。

 具体的にはオルガニアが、だが。

 

 げに恐ろしきは天然妹キャラ。どこに地雷が埋められているのかまるで分からない。容赦なく踏み抜いて俺のメンタルをぶち壊してくれる。

 もういっそこのままオルガニアに全て吸い取ってもらって、何も見なかったし聞かなかった振りをして黙って帰ってしまおうか、という考えが浮かんだが即行で却下した。

 

 俺は勇者の責務を放棄するヘタレニートだが、一般的な良識と常識は持ち合わせているつもりだ。ここで退いては男が廃る。

 

「…………」

 

 俺はどうしたものかと、一旦言葉を噤んで俯向く。

 

 一度はけば辺りの埃やゴミをかき集める箒。なるほど、確かに神器と呼ぶに相応しい。是非とも一家に一本欲しい代物だ。

 ただ、それだけならば良かった。

 

 だがエミィの持つそれは、父の形見。

 それを何かと交換してくれというのは土台無理な話だろう。というかそもそも交換を切り出す事すら偲ばれる。

 

 にこにこ顔のエミィには気づかれないように悔しげに歯噛みしていると、痺れを切らした俺の中の魔王様がいよいよ動き出してしまった。

 

『埒があかんな。もう実物はそこにある。いただくぞ』

 

「ちょっ、ちょいちょい待ち……! お前に慈悲はないのか……!」

 

 小声でオルガニアを制しつつ、とにかく俺は思考を巡らせる。

 どうすればいい。オルガニアを説得するのは多分、いや絶対無理だ。

 だが、このままだとまた犠牲者が出る。

 

『全く……面倒だ。いただくぞ……』

 

「……なぁ、3分くれないか」

 

『…………うん?』

 

 もう限界だ。

 

 そう思った時には、俺の口は動いていた。

 俺の泣きの一回ならぬ、泣きの3分の願いは、オルガニアをギリギリ踏みとどまらせる事に成功した。

 

『……良かろう。3分でお前が何をするのか。見届けてやる』

 

 残された時間はもう無い。

 これは最終手段だ。

 

 俺は、下に向けていた目線を上げてエミィを、見る。

 

「……?」

 

 エミィは小動物のようにちょこんと首を傾げて様子のおかしくなった俺を見ている。頭が傾けられ、癖っ毛が揺れた。

 

 それをなんとなく眺めて……俺は心の中でエミィに謝ってから、行動を起こす。

 

「えっ……きゃあっ!?」

 

 エミィの肩を掴んで、怪我をさせないように注意しながら地面に押し倒す。

 エミィの身体は軽く、非力な俺でも支える事ができたが、辺りに積んであった本や雑誌が音を立てて散らばってしまった。

 

 だがそんな事は関係ない。なりふり構っていられんのだ。

 俺の突然の奇行に目を白黒させているエミィをしっかりと見つめ、俺は声高々に懇願する。

 

「俺を、ここで働かせてくれ!!」

 

 それは、渾身の脱ニート(ジョブチェンジ)宣言であり、俺が考えた最後の手段だった。

 

 

 ――そして冒頭に戻る。

 

 出会って1ヶ月経ったとは言ってもまともに話したのは今日が初めて。だというのに突如としてこんな暴挙に出た俺はぶん殴られて衛兵に突き出されてもおかしくはないが、それでも俺は退くわけにはいかなかった。

 

 確かに今までずっと1人で切り盛りしてきて、人を雇うのは初めての事だろう。

 

 だが安心して欲しい。俺は非力だが家事スキルは中々の物だと自負している。掃除洗濯料理皿洗い。家ではそれらは全て俺の担当だったからだ。

 ()()()()()()()()()()()()の働きをしてみせよう。

 

 たかが少女1人のために何をそこまでと嘲るならばそうするがいい。神器が力を無くした事によるショックからエミィが立ち直るまでの間は俺が代わりに働くのだ。というか神器の力無くして、この広い宿屋の掃除はエミィ1人では絶対にできないだろう。

 そんなエミィを黙って見ていられる奴は人間じゃない。鬼か悪魔か魔王だ。

 

 言うなればただの自己満足だが、そうする事で救われる何かがそこにある。働くのは少しだけ面倒だが、それでも俺にできるのはこれくらいだろう。

 それこそが俺の勇者としての初めての仕事……だという事にしておきたい。

 

 もちろん、俺のこの行動が完全に善意のみによるものか、と聞かれたらそれは違う。流石に俺はそんなにできた人間ではない。

 ただ、街で働けば外に出なくて済むし、国の支援金以外の収入も期待できるかもしれない。俺にとってのメリットも十分にある。特に街の外に出なくて済むというのが素晴らしい響きだ。実に良い。

 

 俺の不退転の意思を感じてくれたのか、エミィは顔を真っ赤にさせながらも、折れかかってくれていた。

 

「はぅ……そんな強引に……でも、でも、そうしてくれると、凄く嬉しいかもですけど……」

 

 俺は今だけは女神様に祈りを捧げてエミィの返事を待つ。

 

「あの……わたしと、ずっと、働いてくれるんですか……?」

 

「勿論だ。その覚悟が俺にはあるぜ!」

 

 勿論1日ずっと。馬車馬の如くとまでは無理かもしれないが朝から晩まで働く覚悟はできている。元々退屈なニート生活にはそれほど固執してはいないのだ。

 

 俺の決意表明を聞いたエミィはいよいよ折れて、熟れたトマトのような顔を縦に振ってくれた。

 

『……3分だ。中々変わったものが見れたな。正直どうリアクションしていいか我には分からんが……』

 

 と、そこで丁度タイムアップ。戸惑った様子のオルガニアが神器から魔力を吸い取る。

 けれども俺は、謎の達成感で満たされていた。

 

「す、末長く……宜しくお願いします……」

 

 頭から煙でも吐きそうな程赤くなったエミィが、そんな事を呟いた気がするが、その言葉は俺の耳には殆ど届かなかった。






勇者、ジョブチェンジ!!


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第6章「こんにちは労働者生活」

「よっ……と!」

 

 埃やら何やらがまとめて詰まったゴミ袋を全てゴミ捨て場に放り込む。

 宿屋というのは意外と大量のゴミが出るらしく、それだけでもかなりの労力を要する。非力な俺は何度かに分けることで、ようやく全てのゴミを処理し終える事ができた。

 これで掃除は終わり。次に何をするべきかエミィに指示を仰がねば。

 

 ……俺が勇者から宿屋の従業員にジョブチェンジしてから早三日。俺は早速清々しい汗を流して楽しい労働者生活を送り始めていた。最初は1日の仕事量に眩暈がしたものだが、それももはや慣れてきた。

 

 ちなみにだが、掃除は最初エミィがやろうとしていたのだが、譲って貰った。

 というのもまだ神器が力を失った事に気づいていないエミィが。

 

「わたし、お掃除してきますねっ!」

 

 なんていつもの調子で言うものだからつい衝動的に引き止めてしまったのだ。延命してもいずれ神器がただの道具になっているという事には気づいてしまうのだろうが、正直に言って見ていられなかった。

 ちなみに俺に掃除する事を譲ってくれたエミィは俺に神器……だった箒とちりとりを貸してくれたのだが。

 

「これを使うとすっごく楽チンなんですよ! それじゃあ……お任せしますね!」

 

 何も知らないエミィはそんな事を言う始末である。罪悪感といたたまれなさで一瞬死にたくなったが、俺は乾ききった笑いでその場をなんとか凌いだのだった。

 

 そして俺が掃除に向かおうとすると最後に。

 

「分からないこととかがあったら聞いてください。えと……な、なんでも、丁寧に、教えます、から」

 

 と、顔を伏せながら言った。顔が赤いように見えたが、風邪でもひいてしまったのだろうか。

 

『……おい』

 

 俺は蛇口を捻って一旦手を洗ってから、すこぶるイイ顔で額の汗を拭う。

 これが労働の程よい疲労感と楽しさ。今の俺の姿は正しく労働者の鏡といったところだろう。

 

『おい』

 

 さて、休んでいる暇はない。

 客がそれほど多いわけではないが、宿屋というのは仕事が目白押しらしいのだ。

 布で手を拭きながら俺は1階のエミィの元へ……。

 

『おいコラ』

 

「あっっつぁぁぁあああ!!!」

 

 行こうとしたところで散々無視し続けた魔王からの制裁が下った。

 全身が燃え尽きる程の熱に俺はたまらず廊下でのたうち回る。周りに人がいないのが不幸中の幸いといったところか。

 

 煙を吐きながら俺はピクピクと小刻みに身体を痙攣させ、白目を剥く。危うく意識が天に逝く所だった。

 

『いつまでそんな事をやってるつもりだ阿呆が。今のお前の姿を見たらお前を勇者に任命した女神は間違いなく泣くぞ』

 

「う、うっさいわい!? こちとらお前の尻拭いしてんだぞコラ! というか勇者が宿屋で働いて何が悪いんだよ!」

 

 オルガニアの所為で現実逃避していた頭が完全に引き戻される。

 折角人が労働の悦びに目覚めようとしていたというのに、こいつは悉く俺の邪魔をしてくれる。

 それにいつまでというが、俺が働き始めてからまだ3日しか経っていないというに。

 

「普段なーんにも社会に貢献してない俺がこうやって殊勝に働いてるんだぜ? 拍手喝采で讃えられて然るべきだろ」

 

『……む?』

 

 俺は態とらしく肩をすくめて得意げにそう語る。事実、こんな風に普通に働いている勇者だってこの世には沢山いるし、それで文句を言われる謂れはないというものだ。

 

「つか、俺が勇者って事は黙ってりゃバレないんだし、このままのんびり穏やかなホームシティ生活をだな……」

 

『どうでもいいが我はお前に一つだけ言っておきたい事がある』

 

「あ? なんだよ?」

 

 堂々と戦わない事を正当化できる理由を盾にいい気になっている俺に水を差すようにオルガニアが改まって物申す。

 

『お前は、学習をしない馬鹿者だ』

 

「はぁ? なんだそりゃ……あ」

 

「えっと……」

 

 振り向くと、そこには何かいけないものを見てしまった、とでも言いたげな顔をしたエミィが立っていた。

 なるほどオルガニアの言う通り、俺は学習をしない馬鹿者だったようだ。

 血の気が引き、俺の身体中の汗腺から一気に冷や汗が吹き出る。

 

 オーマイグッドネス。女神よ、何故私にこれ程までに辛辣な試練をお与えになるのですか。信徒ではないからですか。

 

 信徒にでもなんでもなるからこの状況をどうにかしてください女神様。

 

 ……などと祈ってみるも俺の声は女神には届かない。現実は非情である。

 

「えっとな、エミィ? 違くてだな」

 

 ともかくなんとか誤魔化そうと俺は顔を引きつらせて先ほどから目の焦点が合ってないエミィに語りかける。

 しかしエミィは聞く耳を持ってはくれず、ただ無言で首を横に振ると、ぎゅっと目を瞑った。

 

「……いえ、何も言わなくて大丈夫です。アルスさん。薄々分かってはいたんですけど……今ので、確信しましたから……」

 

 何を確信したのだろう。彼女は何を確信してしまったのだろうか。俺が白昼堂々恥も外聞もなく独り言を喚き散らす変態だという事をだろうか。

 

 だが待ってほしい。どうか弁明をさせてほしい。割と弁明の余地がないが取り敢えず何か言わせてほしい。

 そしてさっきから俺の中で必死に笑いを堪えているオルガニアが地味にうざい。

 

 俺が心の中で叫ぶ必死の懇願も虚しく、エミィは俺を真っ直ぐと見つめ返して、そして……。

 

「アルスさんは……女神様と交信なさっていたんですよねっ!?」

 

 ……言い放った。

 

「…………は?」

 

 一瞬、何を言っているのか分からず俺の目が点になる。

 オルガニアはエミィの言葉を聞くなり堪えきれなくなったのか盛大に吹き出して大笑いしていた。

 

「あの……エミィ?」

 

「アルスさんが度々独り言を言うので、何かなぁって気になって聞いちゃってて……専用神器(アーティファクト)とか、勇者とかの話を聞いてしまって……盗み聞きして本当にごめんなさい! きっと女神様との交信は内緒にしておかないとダメなんですよね……?」

 

「あ、あぁ……うん、あぁ……」

 

 頭を下げて必死に謝るエミィを見る俺の口からは言葉にならない声しか漏れない。

 というか殆ど聞かれてたのか俺の独り言。恥ずかしいにもほどがある。

 

『あっははははっ! ふっふふはは! なんと愉快な小娘だ、気持ち悪いアルスの独り言を言うに事欠いて女神との交信などと解釈……滑稽すぎぶっ、あっははっ!』

 

 そして女神と勘違いされた魔王は俺の中で未だに笑い転げていた。初めて聞くオルガニアの大爆笑だが、俺はお前と会話してるわけで、気持ち悪い独り言とか言われるのは心外である。

 

 ……さて、この状況をどうしたものか。

 エミィに何かを言う前に俺は思考を巡らせる。

 

 適当に誤魔化すために、勘違いだ、それは全部俺の独り言で俺は独り言を言うのが趣味の変態なんだ。とか言ったら俺が社会的に死にそうなので却下。最終手段にも適用できない愚策と言える。

 

 かと言ってオルガニアの事を説明しても理解はできないだろうし、何より言って良いものかどうか。オルガニア本人に訊けば良いのだろうが、この場でまたオルガニアと会話……もとい独り言を言ってしまえばエミィの誤解を更に拗れさせる事になりかねない。よって、この案も却下だ。

 

 ならば俺に残された選択は一つ。

 

 俺は片手で顔を抑えて、フッと鼻で笑った。

 そして周りに誰もいない事を再度確認して、不安そうな顔をするエミィに向かって声高らかに打ち明ける。

 

「よく気づいたな、エミィ! そう、俺は勇者! そんでさっきは……えーと、女神と今後の方針を話し合ってたんだ!」

 

「や、やっぱりそうだったんですね!?」

 

 勘違いしてるのであればそのまま勘違いしていてもらおう。幸いにしてこの手段ならば、俺の痛い独り言もオルガニアの存在の隠蔽も両方カバーできる。

 俺が打ち明けた驚愕の真実にエミィは目を見開いて驚く。リアクションが大きくて見ていて楽しい。

 

「なんだか凄く親しげにお話しなさっていたので……ア、アルスさんって女神様とそこまでフランクに話せる程の力を持っているのかなって思って……」

 

「その通り、普段だらけきっている俺は仮の姿。本当はこう、なんか凄いこといっぱいできる女神に一目置かれる勇者なのだ」

 

「わぁ……!」

 

『こいつ、嘘に嘘を重ねたな』

 

 横からオルガニアのなじるような声が聞こえるが気にしない。

 エミィの俺を見る瞳がどんどんキラキラした憧れの眼差しに変わっていく。これくらい言っておけば取り敢えず変に疑われることもないだろう。

 

 女神の存在を簡単に連想することや、受け入れる辺り、もしかしたらエミィはセイクリア教に属しているのかもしれない。

 

「まぁそういう事で。俺の独り言については他言無用だぜ?」

 

「は、はいっ……絶対内緒にします! ……そっかぁ……女神様とお話できる勇者様……」

 

 夢見心地、とでも表せるほど惚けた表情のエミィを見て、俺はほっと胸を撫で下ろす。

 

 危機は去った。俺はこの戦いを見事乗り切ったのだ。

 女神よ、お前の救いが無かろうとも俺はやってのけたぞ。

 バーカバーカ女神のけちんぼ、おたんこなすー。お前の加護なんて必要ない事が証明されたな。

 

「でも……そうだとしたらごめんなさい」

 

 明るかった表情に急に影が差し、エミィは深々と頭を下げてきた。

 突然のエミィの行動の意味が分からずに俺は首を傾げる。

 

「え、なにがだ?」

 

「わたし、そんな事情も分からずアルスさんの優しさに甘えてしまって……やっぱりアルスさんは魔物との戦いで大変、ですよね」

 

「……え? いや、うん、いや、まぁね?」

 

 これ以上嘘を重ねると面倒な事になりそうだが、俺は止むを得ずしどろもどろになりながらも頷く。

 

 なんだか雲行きが怪しくなってきた気がする。

 それを裏付けるかのように、窓から差し込んでいた太陽の光が陰った。

 

「一緒に働いてくれるって言ってくれたのは……本当に嬉しかったです。でも、やっぱりアルスさんは、使命に集中なさってください」

 

「……え?」

 

 エミィは悲しそうに、それでも微笑を浮かべて俺を見上げてきた。

 目尻に涙を浮かべた彼女は可愛いな、などと思うがそんなエミィを目に焼き付ける余裕は今は無い。

 

「いや、あのさ、エミィ」

 

「いえ……何も、何も言わないでください。せめてわたしは、使命で傷ついたアルスさんのお帰りをここで待っていますから……」

 

 お願いだから勝手に話を進めないでほしい。そんな本当に悲しそうな顔をして言われると俺としても非常に困る。

 

「本当に短かったですけど、お手伝いしてくれて、ありがとうございました!」

 

 そして最後に飛び切りの笑顔でお礼を言い、締めくくってしまった。

 この空気ではもう挽回はできない。きっと俺が何を言っても彼女はそれを俺の優しさからくる気遣いと思ってしまい、揺らぎながらも首を横に振ってしまうだろう。

 勇者の俺に迷惑はかけられない。自分のために俺に時間を使わせてはいけないという気遣いで。

 

 エミィの純粋な心と優しさと気遣いで胸が痛い。あとついでに胃が痛い。

 

「じゃあわたし、これからお昼ご飯の準備、してきます!」

 

「あっ……」

 

 いつもの元気な笑顔で、エミィは駆けて行ってしまった。廊下に一人取り残された俺は、ただ呆然とその場に立ち尽くす事しかできない。

 

『……さて、愉快な茶番も終わったところで、次の神器を探しに行くか』

 

 口をぽかんと開ける俺の代わりにオルガニアが仕切り直す。

 

 ――ごめんなさい女神様。馬鹿とかケチとかおたんこなすとか言ったことまとめて全部謝りますから。

 

 どうか、盛大に自爆した哀れな俺にご加護をください。

 




ここまで読んでくださりありがとうございます。
やったね主人公。勇者の肩書きを見事に取り戻したぜ!

これからもセコセコと更新を続けていくので、哀れな勇者とその作者を応援よろしくお願いしますノシ


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第7章「ギルドの依頼(強制イベント)」






『……で、結局ここに戻るのだな』

 

「うっさいよ……もう、ほっといてくれよ……」

 

 昼食を終え、あれから何か仕事を手伝おうとしても案の定エミィに駄々をこねる子供をしつけるような顔をされ、アルスさんには大切な使命があるんですから、と断られてしまった。

 

 止むを得ず俺は剣を抱えて外に出てきたのだが、行く当てもなくこうして再びギルドの酒場の一角で項垂れていた。

 

 ちなみに出かける時にエミィは今まで以上の明るい笑顔で送り出してくれたわけだが、今回ばかりは癒されるどころか俺の精神に多大なるダメージを与えてくれた。

 

『ふん、因果応報だな。調子に乗った罰とでも思え。これを機にして勇者稼業に真面目に取り組んだらどうだ?』

 

「お前は俺に死ねと?」

 

 挙げ句の果てにはオルガニアも俺に説教してくる始末である。魔王のくせに勇者にまともに働けと言うのは如何なものかと思うが。

 

『それにしても変だな』

 

「んぁ? ……何がだよ?」

 

 訝しげなオルガニアの言葉で、上半身を完全に机に預け、半目になりながら机の傷を数えていた俺は重たい頭を上げた。

 

 変、とは何がだろうか。と俺はなんとなく首を回して辺りを見やると、確かに何時もと比べて人の出入りが激しいような。

 それに酒場の方ではなく、ギルドに集まった人々からの依頼を受注する受付の方に列ができている。

 

『初めて見る光景だな。ここは随分日和った場所だと思っていたが』

 

 オルガニアの言う通り、普段のここは傭兵や冒険者の憩いの場。楽しげな大衆酒場だ。

 しかし今はギルドで列を成している冒険者や傭兵達は皆一様に真剣な顔をしている。

 いつもは机で談笑している一団も、今日は真面目な面持ちで何かを話し合っていた。

 

 異様な光景に何事だろうかと思考を巡らせると、俺の頭は直ぐに答えにたどり着いた。

 

「……しまった。もう活動期の季節か」

 

『カツドウキ?』

 

 だとしたらヤバいシーズンにギルドに来てしまった。

 いつもこの時期は少し高くても別の酒場や店に入り浸ったり、宿屋で1日を過ごしたりしていたのだが、色々とあったせいでその事が完全に頭から抜け落ちてしまっていたようだ。

 

『アルス、カツドウキとはなんだ』

 

「ああ、季節特有の恒例行事みたいなもんだよ。春の終わりら辺のこの時期には魔力を含んだ風ってのが吹くんだけど、その所為で魔物の動きが活発になって一時的に被害が増えるんだ」

 

『ほう……つまりその活発になった魔物討伐の依頼が増える、と?』

 

 つまりそういう事だ。

 傭兵や冒険者といった戦う事を生業としている人達にとっては稼ぎ時だし、一般的な民衆は身の安全を確保するのに必死になる。

 

 例年の事とは言ってもこの時期は王都に魔物が攻め込んでくる、なんて案件もざらにあるので馬鹿にはできない。

 魔王の軍勢が何かをしかけてくるのも当然この活動期の時期である。

 

 と、ここまで説明したが何故この時期にギルドに来てはマズいかというと。

 

「あのっ! 冒険者か傭兵の方ですよね!? 今人手が足りなくて……良ければこれをお願いします!」

 

 来た。早速来た。来てしまった。

 先程まで走り回って忙しなく働いていたギルドの女性職員が俺の元に一枚の紙を叩きつけるようにして差し出す。

 内容は王都周辺の森に溢れかえった吸血スライムの討伐。倒せるだけ倒してきてほしいとの事だった。

 

 半ゲル状の物体であるスライムは家畜やら人に襲いかかり、分裂によって個体を増やす魔物である。

 余程の変異体でない限り動きが鈍く弱いため、駆け出し冒険者などでも余裕で倒せる相手だ。

 

 数ある依頼の中で簡単と言えるスライム種の討伐を選んで持ってきてくれたということは、ギルドに来る俺の格好がいつも軽装だったこと、更に普段依頼を受けない姿などを鑑みて俺を駆け出しと結論付けたからだろう。

 

 今日は剣を持ってきているし、冒険者でも傭兵でもありません、という嘘は些か無理がある。

 さてどう断ったものか。

 

「この紙を受付に持っていって判を貰った後に討伐に向かってください。では、よろしくお願いします!」

 

 女性職員は早口で捲し立てると、俺が何かを言う前にまた次の仕事へと走っていってしまった。

 俺はその背を引き止めようとするも、既に職員さんの姿はない。

 

「参ったなぁ……今までこの時期だけはミスらないようにって注意してたのに……なんで来ちまうかなぁ」

 

 この時期に武器を持ってギルドにいる、イコール依頼を受ける事を受理する。というのが暗黙の了解だ。

 俺は渡された紙を見て舌打ちをする。

 

『ほう、スライムか……中々強大な魔物の駆除を頼まれたものだな』

 

「ん? いやスライムはそんなに強くないぞ。動きもトロいし、柔らかいしな」

 

『む、そうなのか……。いやなに、我の世界でスライムというとそれこそ勇者にけしかける奥の手のような存在なのでな』

 

 それは意外、と俺はオルガニアの物言いに少なからずとも驚いた。

 俺の中ではチート魔王と名高いオルガニアが奥の手と言うとは、オルガニアのいた世界でのスライムとはいったいどれほどの化け物なのだろうか。

 

『体組織が殆ど水分だから切られても殴られても死なず、食欲のままに全てを飲み込み骨の一片も余さず消化するのだ。山程の巨大なスライムとなれば街一つは一晩で綺麗に無くなる』

 

「……ぉぉう」

 

 オルガニアは自分の世界を懐かしむようにそう話し、俺は顔を引きつらせた。

 体組織が水分、という事は俺の知るスライムと見た目は同じなのだろうがその危険性は雲泥の差だ。

 俺の知るスライムは切ったり叩いたりすれば弾け飛んで死ぬし、山程のデカさにもならない。

 オルガニアとのカルチャーギャップには毎度驚かされる。

 

「スライムならなんとかなるのかもしれないけど、怖いなぁ」

 

『ならば他者と行動したらどうだ?』

 

「いや、それも考えたんだけど、スライムごときでパーティ組むってのはな。組んでくれる人いないぞ多分」

 

 ギルド内を見渡しても俺と組んでくれそうな駆け出しと思わしき人はいない。この時期になると危険な依頼も増えるので、駆け出し達は敢えてギルドには近づかないからだ。

 スライムの討伐などという簡単な依頼は依頼の難易度指数が必然的に上がるこの時期には極めて稀なものと言える。

 

「なぁオルガニアー。魔王パワーでサクッと殺っちゃえないのか?」

 

『何故我がそんな事をせねばならんのだ。というより我はお前以外の外に干渉する事はできんぞ』

 

「うぐぐ……なんとかなんないのか? ほら、死んだ魔物から魔力を取ればいいじゃないか」

 

『それほど潤沢に魔力を蓄える魔物がいるのであれば考えなくもないが。特にこの世界は魔力の濃度が薄いのだから効率を考えねばならん』

 

 オルガニアは面倒臭そうに俺の提案を却下する。

 

 確かに、オルガニアの世界とこの世界の魔力の規格というか、最小値と最大値に大きな格差があるというのは薄々感じてはいた。

 オルガニアが残った僅かな力でも大神官レストに完全勝利したことや、神器を軽んじるオルガニアの発言からしてその事は確実だろう。最早力が強い、だとか魔王だからだとかそんなレベルの差ではないのだ。

 

 となればこの世界でオルガニアが回復するために少しでも効率を重視しなければならない理由も分かる。

 

 俺は思考を打ち切って、机に置かれた紙を引っ付かんで立ち上がる。

 

「しょーうがねぇーな。まぁスライムくらいならなんとかなんだろ」

 

『この世界の魔物、我も興味があるな。さぁ行けアルス』

 

「俺はお前の乗り物じゃないっての……」

 

 疲労の混じったため息を吐いてから俺は歩き出す。

 オルガニアが新しい物見たさに興奮してはしゃいでいるのは、なんだか聞いていて悪くない、なんて思いながら。

 

「まぁギルドにハンコ貰ってから行かなきゃなんだけどな。待ち時間30分だとよ」

 

『ええい、面倒なシステムだな!』

 

 短気なオルガニアには行列の相性は最悪だったようだ。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 王都ソルディースから15分程南に歩くと、舗装された街道から外れた所に広大な森が見える。

 ソルディースに最も近く、魔物が出る場所と言えばこの森林だ。南の森、だとか王都の森などと呼称され、駆け出し冒険者達の修行の場になっている。

 

「騎士団の遠征訓練とかにも使われたりしてて……まぁ奥に行きすぎなければ安全な場所ってわけだな。今回みたいな活動期じゃなけりゃ魔物が溢れたりするほど多くないし」

 

『ふむ、確かに魔力を殆ど感じない。ただの森、だな』

 

 まぁそのただの森に生息する貧弱魔物にですら重傷負わされかけるのが俺なわけだが。

 忘れもしない、角が無駄に発達した肉食羊に追いかけ回され骨折したあの日を。

 傷は魔法で治して貰ったものの、あれ以来俺の中で戦いは若干トラウマだ。

 

「……よし、行くぞ」

 

 俺は腰に下げている剣の柄を握りしめ、固唾を飲んでまだ明るい森の中へと一歩踏み出した。

 

 靴越しに足に伝わってくる草を踏む感触。

 何処からか響いてくる鳥類の鳴き声。

 鼻をつく花の香りや草木独特の青臭さ。

 森に一歩入るだけで、そこに広がっているのは人工の平穏とは懸け離れた野生の世界。

 俺は、久しぶりにこの空気を肌で味わう。

 

『少しは肩の力を抜いたらどうだ? 見ていて痛々しい程にガチガチではないか』

 

「え、え? なんか言ったか?」

 

 頭の中に響いてくるオルガニアの言葉が聞こえないわけではないのだが、頭の中にその言葉は入ってこない。

 全身から血の気が引き、柄を握る手は震えている。

 

『はぁ……おいコラ、頭を冷やせ』

 

「あっつぁ!? ……あれ? ちょっと……熱い」

 

『……手間をかけさせるな。ちょっと怪我をしたくらいで死にはせんだろう』

 

「……あ、ああ、うん」

 

 オルガニアが呆れ口調で俺を諭すように言う。いつもの炭になるが如く高熱ではなく、今回はかなり控えめの温度だった。

 ひょっとして、あのオルガニアに慈悲の心が芽生えたのだろうか。だとしたら俺は盛大な拍手でオルガニアを褒め称えなければならない。

 

「ありがとな、オルガニア」

 

 しかしこんな所で一人拍手喝采というのも虚しいので、俺は素直に緊張をほぐしてくれた事に礼を言う。

 俺の言葉に何かしら嫌味でも返してくるのかと思ったら、意外にもオルガニアは黙りこくってしまった。

 

 我儘で自己中心的だが、もしかしたらオルガニアにも優しさや気遣いというものがあるのかもしれない。そう感じさせる一幕だったと思うんだがちょっと待て熱い。

 

「あっつ!? あっちちちちぃにぃああああああ何でぇぇぇぇえええ!?!?」

 

『……うるさいっ。気分だ』

 

「理不尽だぁぁあああああ!!!」

 

 一頻り身体が焼けるような熱で悶えた俺は、やっぱりこいつは我儘な魔王だという事を再確認した。

 

「つぅ……こんなん毎回やられてたら死ぬ……精神が擦り切れて死ぬ」

 

『お前が我の気分を害さなければ良いのだがな?』

 

「それの難易度が高いっつーんだよ。やれやれ……」

 

 オルガニアの自己中心的な発言に嘆息して、俺は重たい身体を持ち上げる。段々慣れていっている気がして自分の身体が怖い。

 

「しっかし……スライムがいないな」

 

『なんだ、場所を間違えでもしたか?』

 

 先ほどから森を歩いてはいるが、スライムの姿は全く見当たらないのはおかしい。というか、ここまででこれっぽっちも魔物と出会っていない事態が不審なのだ。

 今は活動期。かなり魔物が増えて森の入り口付近にも魔物がいて然るべきなのだが……。

 

「いや、かなり浅い場所に生息してるんだけど……あ?」

 

 オルガニアにその事を説明しようとした所で、唐突に足に不快感が伝わってきた。

 何事かと俺が足元を確認すると、そこにあったのは青色とも水色とも言えない独特な色をしたゼリー状の「何か」。

 紛れもなくこれは、スライムの死体。もとい残骸だ。

 

「一個や二個じゃない……うわ、なんじゃこりゃ!?」

 

 どういうわけか地面にはスライムの死体が無数に飛び散っていて、青白い絨毯が出来上がっていた。

 見慣れない異常と言える光景には不気味さが感じられる。

 

「殺されてるな……俺の他にもここで依頼受けてる奴がいる、のか?」

 

 ひとまずギルドへの報告用にスライムの残骸をバックパックに入れつつ考察を始める。

 

 スライムの討伐以外にも依頼があったのかもしれないし、一応自然環境の維持のため、原則依頼内容以外の魔物を倒すことは禁じられているが、その強制力はそれほど強くない。誰かがこの場でスライムと交戦した事は十分に考えられる。

 

「……嫌な予感がする。すぐに帰ろう」

 

『嫌な予感、か。その野生の勘は思ったよりも当たるようだな』

 

「……はぁ?」

 

 立ち上がって来た道を速やかに帰ろうと早足で歩き始める俺に、オルガニアが不吉な事を言う。

 

『我は周囲の魔力を探る事ができる。さて、逃げるなら走った方がいいぞアルス』

 

「……マジでか」

 

 確かに、オルガニアに神器を探らせる為にその力を使って貰ってはいた。

 危ないの分かってたなら、もっと早く教えてくれよ……と文句を言おうと口を開いた――直後。

 

 バキ、という何かが軋んで、割れる音が遠くから聞こえてくる。

 今のは木が折れた音。そして……折れているのは1、2本ではない。

 鈍い音は徐々にこちらに、近づいてきている。

 足音は2つ。1つは大股の獣。もう1つは、やけに忙しない。小動物か人間だろうか。

 

「……久々に出かけたらコレだよ……勘弁、しろよなっ!?」

 

 とにかく、大きな何かが、強大な何かが後ろにいる。

 

 俺は脱兎のごとく走り出した。

 



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第8章「アルスの作戦」

『デカイな。デカいがアレは弱そうだ。何故逃げる?』

 

 森の草木を掻き分けて疾駆する俺にオルガニアが呑気そうに尋ねる。

 俺は息を切らしながら、肺に一気に空気を取り込み、一息で答えた。

 

「いやいやいや、そりゃお前からしたら弱いかもだけどな!? 俺みたいな貧弱が戦ったら一瞬で命が消し飛ぶわ!」

 

『見かけは狼のようだが、ふむ。牙が異常に発達してそれに身体も伴った、といった所か。興味深い進化だ』

 

「話ィ聞けや!!」

 

 血管を浮き上がらせて尚も悠長に考察しているオルガニアに怒鳴り散らす。

 それほど深くは潜っていないものの、森は広大だ。未だに出口は見えてこない。

 

 息切れで思考が定まらないが、俺は霞にも似た違和感を感じていた。

 おかしい。いくらなんでもとっくの昔に森を抜けるはずだ。だというのに森は尚も続いていて、俺の視界には緑しか映らない。

 

「なっ……!?」

 

 加速する不安感と違和感を振り払うようにして走り続けていたが、俺は目の前の光景に目を見開いて足を止めた。

 

 踵を返して真っ直ぐに元の道を走っているはず、だったのだが、そこにあったのは……。

 

「か、壁……!? 嘘だろ、真っ直ぐに走ってたはず……」

 

 ゴツゴツとした立ち塞がる岩肌に触れ、それが本物である事を確かめる。森の奥は傾斜のある山だ。これがその一部だと考えると、俺はさっきから奥へ奥へと向かって走っていたということになる。

 俺は方向音痴ではないはずなのだが、パニックになって逃げる方向を間違えてしまったのだろうか。

 

 それにしたっておかしい。俺は森の()()()()()迫ってきた魔物から逃げる為に()()()()()走ったのだから、俺が奥に行く事は絶対にない。そう、ないはずだ。

 

 森は同じ景色ばかりで方向感覚が狂うと言うが、こんなのはまるで、途中で道がひっくり返ったかのような……。

 

『ふむ、お前は中々チャレンジャーだな』

 

「違うからな。急に頑張りたくなったとかそういうんじゃないから」

 

 意味不明な現実を目の前にして俺はただ涙を流す事しかできない。

 しかしこうなっては仕方がない。大人しく食われるか大人しく捻り潰されよう。

 

 そう覚悟を決めて肩をすくめていると、魔物の足音と……もう一つ、気になっていたやけに忙しない足音が迫ってきた。

 今まで振り返る事もなかったためその姿は分からなかったが、こちらに迫ってきているのは人間だ。

 

「はぁっ、はっ……はぁっ……! けほっ、けほっ」

 

 草を掻き分け、ふらつきながら走ってくる音の正体は息も絶え絶えになった少女だった。

 少女は頭にいくつも枯葉や埃をつけながら転がるようにして俺の目の前で倒れこむ。

 

「え、えーと……大丈夫か?」

 

『死んだか?』

 

「いや……死んでねぇだろ」

 

 床に伏してピクリとも動かない少女の長い髪は色々な方向に跳ね、髪を結っていたのであろうゴムは外れかけて髪の毛に引っかかっているだけになっているという見るも無残な状態だった。

 見た感じ、恐らく歳はエミィよりも上だろう。

 

 土まみれ埃まみれな所を見ると、この子も相当焦って走っていたらしい。

 

「うっ、げっぼ! ……あ、あれ……いき、どま……り……」

 

 少女は咳き込みながら目の前にいる俺の奥にある壁を見て目の光を失くす。

 絶望する気持ちはよく分かる。

 

「もう、だめ……走れない……。見知らぬ冒険者の方、もしあたしの仲間に会ったなら、どうかあたしは死んだとお伝えください……」

 

 そして地に顔をつけて完全に動かなくなってしまった。どうやら依頼途中に仲間と逸れた冒険者の少女のようだ。

 

 しかし伝言を頼む相手を間違えている。だって多分、俺も君と一緒に死ぬと思うから。

 現在、走っては来ていないようだがゆっくりと魔物の足音は俺たちに近づいてきている。

 

「ああ……なんで俺、出かけちゃったんだろうなぁ」

 

『おい、お前が死んだら後処理が面倒なのだ。その女をそこらに縛り付けて囮にでもしたらどうだ』

 

 頭の中に悪魔の囁き……ではなく魔王の囁きが聞こえてくるがその案は却下である。後味が悪いどころの騒ぎではない上に助かる保証もありゃしない。俺は完全に森の出口を見失ってしまっているのだから。

 

 オルガニアにその事を言い、壁に寄りかかりながら人生を振り返っていると、肩で息をしながら倒れていた少女の手が痙攣したかのように僅かだが動く。

 そして、先程の死にかけの態度とは一転、文字通り全身のバネを使って飛び起きた。

 

「はっはーん! なーんてうっそぴょーん! こんな所で死んでたまるもんですか!! 最後まで足掻いてみせるわよバーカバーカ!!」

 

 握りこぶしを作って少女は虚空に誰へともなく叫ぶ。先ほどの死んだ魚の眼のような彼女からは想像できない程のハイテンションだが、それは誰に対する台詞で誰に対する罵倒なのだろうかと突っ込むのは野暮というやつか。

 

「そこのあんた! 剣持ってるとこ見ると冒険者よね? 名前は?」

 

「え? あ、あー。俺はアルス。冒険者としては、まだ駆け出しもいいとこだけどな」

 

 勢いよく指をこちらに突きつけてくる少女に俺は適当にはぐらかしながら答える。ここで勇者ですと名乗っても今の俺にその証明となるものは何もないし、過度な期待をかけられても困る。

 俺がそこまで自己紹介すると、少女は見るからにがっかりしたような目で俺を見た。

 

「あっそー、駆け出しかぁ。役にたたなさそうねー」

 

「うっさいわ!? というかお前はどこの誰だよ!」

 

 役に立たないという事を否定する気はないが、そんな事を言うならそっちこそどうなんだと問い返してやりたくなる。

 

「あたし? あたしはシルベル。シルベル=シュレイクよ。ふふん、シルクって呼びなさい」

 

「冒険者歴は?」

 

「7日よ」

 

「なりたてじゃねぇか!!」

 

 駆け出しを罵倒した後にさらりと駆け出し宣言する少女に俺は驚きを禁じえない。

 なんでそんなに胸を張って言えるのか不思議でならないというか、先程の台詞を是非鏡を見つつ謝罪の言葉も含めて言っていただきたいところだ。

 7日というと、依頼を2つか3つ程度しかこなしていない事だろう。

 

「まぁいいわ。あんたもあの魔物から逃げてる最中よね。ここは協力してなんとか脱出しましょう!」

 

「いいけど、俺はなんもできねぇぞ」

 

「冒険者名乗ってるなら剣術はできるでしょう? その腰のは飾りかしら」

 

 ――はい、飾りです。

 とは流石に言わなかったが、このシルク、という少女が経験は浅くとも一端の冒険者ならば便乗して俺が逃げられる可能性は十分にある。彼女こそが俺の救いの女神となってくれるに違いない。

 

 そう期待を込めて俺は彼女に質問をしてみる。

 

「ちなみに、君は何ができるんだ?」

 

「障壁魔法よ」

 

「なるほど、それから?」

 

「障壁魔法よ」

 

「……それから?」

 

「障壁魔法よ」

 

 なんだ、この子は俺を馬鹿にしているのだろうか。壊れた録音機の如く同じ事しか言わない。だというのにシルクの自慢気なドヤ顔は一体何を意味しているのだろう。

 

「あたしは障壁魔法しか使えな……使わないのよ」

 

 女神は死んだ。

 

「……役に、たたなさそー」

 

「うるっさいわね! あんたよりは役に立ちますー!」

 

 まあそれはそうだろうが、それにしたって偏りすぎだ。言い直してる辺り意地を張っているのだろうが、この分だとその障壁魔法も大した事無さそうだ。

 

 障壁魔法というのは読んで字の如く、魔力によって壁を生成する魔法の一種である。

 魔力そのものを硬化させて壁にする基本的な物から、物質に魔力を流し込み、壁を作る応用的な物まで様々だが、シルクは恐らく基本的な魔力の壁しか作れないことだろう。

 

「ふ、ふん。魔法は難しいのよ。頭の悪そーなあんたには分からないでしょうけど」

 

「そーですかいっと」

 

 耳をほじりながら適当に返事をして、耳を澄ませると足音は大分近くまで来ているようだった。流石にこれ以上悠長に話している時間はなさそうだ。

 

「ゆっくり、物音を立てないように行こう。この森、やっぱりなんか変だ」

 

「わ、わかったわ。しょうがないから今はあんたに、したっ、従ってあげる」

 

 声を震わせて何がしょうがないだ。俺が声のトーンを下げて辺りを見渡しただけでこの怯え様。この子、相当な小心者だな。

 

「……オルガニア、この森……」

 

『ああ、微かだが森全体から魔力を感じる。細工されたのはお前が入った後だな』

 

 シルクの前に立ち先導しながら小声でオルガニアに尋ねてみると、やはり予想通りの答えが返ってきた。

 

 まず間違いなく俺たちは襲撃されているという事でいいだろう。

 まさか、魔王軍か……はたまた人間の犯罪者か。

 ともかく冗談ではなく魔物に無残に食われて死ぬのはごめんだ。

 

「ね、ねぇ? あんたこういうの、慣れてるの……?」

 

 後ろにいるシルクが俺の服の裾をつまみながら訊いてくる。声は震えまくって既に泣きが入っているが、残念ながら俺はシルクを安心させてあげることはできない。

 

 俺がこういう状況に慣れてるわけがない。普段は街から殆ど出ずギルドに入り浸り、いつの間にか店員と顔なじみになって「たまには依頼をお受けにならないんですか?」とか超直球の皮肉を通り越して嫌味を言われるくらいには弩級の引きこもりだ。

 

 だから今の俺の手は震えまくってるし、何か答えようにも口がガチガチと鳴らないのを抑えるだけで手一杯。前に出たのは顔面蒼白なのを見られるのが少し嫌だったからだ。

 俺はなんとか受け答えようとしたが、噛みそうだったのでやめた。

 

 周囲に最大限の注意を払い、抜足差足で歩いていると、いつの間にか魔物の足音は遠のいていた。

 どうやら、撒いていたらしい。早期発見からの早めに逃げの手を取ったのが功を奏したのだろう。

 後はなんとか森を抜けるだけだ。

 

「はぁ……」

 

 俺は安堵の息を吐いて、一瞬足を止める。

 その正しく一瞬と呼べる程の短過ぎる油断のせいで、俺は頭上から差す巨大な影に気がつかなかった。

 

「……ッ! 前ッ!!」

 

「は?」

 

 シルクの切り裂くような悲鳴で我に帰り、俺は無防備に目線をあげる。

 

 俺の目の前には、ズラリと並んだ銀色の刃物……ではなく、牙。

 そして、俺に振るわれる丸太のような豪腕と、それについている大剣のような重量感のある爪。

 

 ――死。

 

 全く状況を理解できない俺の頭に、ふとそんな文字が浮かび上がった。

 

「『護れ』ぇぇえ!!」

 

 俺の頭を吹き飛ばしかけたその爪と腕は、しかし一枚の見えない壁によって阻まれる。

 そして硝子が弾け飛ぶような音と共に衝撃が駆け抜け、俺は横に吹き飛ばされた。

 

「ぐぅっふっ、あがっ!?」

 

 木に背中から衝突し、骨が軋んで肺から一気に酸素が抜ける。

 なんだ、一体何が起こった……?

 一瞬で視界が真っ赤に染まり、明滅を繰り返す。

 

「ちょっと、あんた大丈夫!?」

 

 シルクがこちらに駆け寄ってくる声が聞こえる。

 俺は何に殴られたんだ。俺は生きているのか……?

 

『馬鹿が。目を覚ませ』

 

「ぅあっちぃ!? げほっ、げほっ!」

 

 身体が弾けるような熱に晒され、意識が急速に現実に向かって浮上する。

 意識が飛びかけていたギリギリの所でオルガニアに叩き起こされたようだ。

 

「良かった、防御しても凄い音したから死んじゃったかと……って、頭から血出てるわ!」

 

「わ、分かってる。それどころじゃない、走ろう……!」

 

 どうやって俺の目の前まで来たのかは分からないが、今度こそ完璧に見つかった。4メートル前後はあるであろう怪物から逃げられるかは分からないが、もう走るしかないだろう。

 先程俺の頭が弾け飛ぶのを辛うじて防いでくれたのは恐らく、シルクの障壁魔法なのだろうが、一発で消し飛んだ。もう一度攻撃を受ければ間違いなく死ぬ。

 

 4足の狼のような魔物――図鑑で見たことがある。名はグランウルフ。この森には……生息していない魔物だ。

 

 グランウルフは涎を垂らし、前傾姿勢をとる。目は血走り、獲物を狩る目だ。もしかしたら空腹状態なのかもしれない。

 

「あ、あんた、走れるの……?」

 

「無理……ぽい」

 

 骨にヒビ、いやもしかしたら軽く砕けているかもしれない。そんな状態の俺は走るどころか立ち上がれない。

 万事休す、という奴だ。

 

「ひっ……」

 

 シルクからか細い悲鳴が漏れる。

 グランウルフが一歩、こちらに近づいてきた。

 

『おいアルス、立たんか』

 

「立てる……わけねぇだろが」

 

 この状況でもオルガニアはさして慌ててはいないようだった。この図太さは流石魔王と言ったところなのだろうが、良かったら助けてほしい。

 

『ふーむ、できれば魔力をあまり使いたくはないのだが仕方がない』

 

「出来れば早くしてくれ……」

 

『そう急かすな。……回帰の魔法。地を叩いた水は天へと昇り、1は0へと還る』

 

 オルガニアがそう唱えると、俺の視界が歪み始める。空間湾曲とでも言えそうなほどの歪みっぷりはついさっきの衝撃以上に吐き気を催すものだ。

 

「なん……っ!?」

 

『さて、ではどうにかしてみろ。もう使わんからな』

 

 あー疲れた、と言ってそれきりオルガニアは静かに寝息を立ててしまった。

 俺は目をパチクリと瞬かせて頭に手をやる。

 

 痛みはない。血もない。

 ……動ける!

 俺が足に力を込めるのと、グランウルフの口が俺に向かって開かれ、シルクが声をあげるのはほぼ同時の出来事だった。

 

「危ないっ!」

 

「ぉぉおりゃあ!!」

 

 俺を食い千切ろうと迫る恐ろしい牙を済んでのところで身をよじって躱す。

 俺を捉えきれなかった歯は、俺の真後ろにあった太めの木を抉り、毟った。

 どんな防具ですらも貫通し、破壊する強靭な牙と顎。

 グランウルフはバラバラに噛み砕いた木のかけらを吐き捨て、ゆらりと俺に向き直った。

 先程ダメージを与えたからか、ターゲットは完全に俺である。

 

 考えてみたら、こいつの最大速度は人間のそれを遥かに凌ぐ。走って逃げるなんてのは難しいを通り越して不可能だ。

 だが手段がないわけじゃない。幸いにして今この場には障壁魔法を扱えるシルクがいる。

 倒せはしないが、怯ませて撒くくらいの事はできる。

 

「……行くぞ!」

 

「え? って、きゃあ!」

 

 俺は脂汗を拭うのも忘れ、シルクの手を取り猛スピードで駆け出した。

 

「俺が言ったら障壁魔法を張ってくれ。出来るだけどでかくて、出来るだけ硬いのだ!」

 

 



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第9章「格好つけるなら最後まで」

「出来るだけ硬くて……って、あたしのじゃどうせどんなに硬くしても壊れちゃうわ」

 

「いいんだよ。それだけじゃなく大きいってのも大事なところだ。それから、向き。壁として使うんじゃなくて……」

 

 先手を打って走り出したが、グランウルフとの距離はそれ程離れていない。

 チャンスは一回、ミスったら死ぬ。

 こればかりはシルクの魔法センスを信じるしかない。

 

 人間が使う魔法というのは、便利だがかなり面倒臭い面がある。

 人間は魔力を操れるが人間自身が魔法を使えるわけではなく、人間が集めた魔力に寄ってくる精霊と呼ばれる生物たちの力を借りているのだ。

 

 魔法使いは元来、精霊と定期的な魔力の供給を約束して契約し、詠唱によって魔力を操作することでようやく精霊の魔法を借りる事ができるようになる。

 魔力の操作が上手く、すぐに精霊を沢山集める事ができるなら、詠唱は短くても構わない。理論上は1文字でもできると言われている。

 

 シルクがどの程度の障壁魔法を使ったのかは不明だが、彼女は詠唱を『護れ』の3文字だけでやってのけた。魔法のセンスがないわけではないだろう。

 

「……来る!」

 

 後ろを確認すると、グランウルフは予想通りの超スピードで数メートル程に迫っていた。追いつかれ、噛みつかれるまで数秒である。

 

「…………今だ!」

 

「んっ! 『護れ』――!!」

 

 減速などは考えずに、俺たちを追っているグランウルフの眼前に透明の壁が出現する。

 ただし、それは面を向かい合わせ、壁として使うのではなく――。

 

「いっけぇええええ!」

 

 俺が叫ぶと、何かがグランウルフに衝突し、鈍い音を響かせる。障壁魔法を貼る角度を大体90度傾けてシルクに貼らせたのだ。壁は途中木々や草花に遮られながらもその規模を膨らませ、やがて止まる。

 

 障壁魔法によって出現する壁は、見えずとも実態がある。

 そう、実態があるのだ。

 つまり、相手に向かって伸びていくように工夫すればこんな風に……敵にぶつけて押し込む事ができる。

 グランウルフは見えない何かに弾かれる事となったが、唐突すぎる衝撃からすぐさま立ち直ると苛立ったように吼えた。

 

「でもまたすぐに来るわ!」

 

「や……やる事は同じだ。あいつは直線的に追いかけることしかしてこない。ともかく上手くいって良かった!」

 

 障壁魔法は使い方によっては攻撃魔法にも変化する。

 固定概念に囚われてこれに意外とみんな気づかなかったりするのだ。

 

「森の出口……滅茶苦茶に走っててどうにかなるものなのか……?」

 

「どうにかなるわよ! ほら、見て!」

 

 何度かグランウルフをシルクの障壁魔法で足止めし、真っ直ぐに走り回っていると今まで木しかなかった視界には、一筋の光が見えていた。

 

「ほ、本当にどうなってんだこの森は……!?」

 

 あれが本当に街道に続いているのかどうかも疑わしいが、もう信じて走り抜けるしかない。

 グランウルフは何度目かの妨害でかなり引き放せている。

 

 木々の間から漏れ出る光との距離は徐々に近づいてきて、そして――。

 

「よっしゃぁ、抜けたぁあああああ!!」

 

 木の葉が髪に張り付くのも無視して勢いよく外へ飛び出す。

 しかし安心は出来ない。更に森から離れなければと、次の一歩を踏み出そうとして……。

 

「あぁぁぁぁ……あ?」

 

「へっ?」

 

 踏み出そうとして、足が空を蹴る。

 

 

 ――俺達は、森を勢い良く抜け出し、崖へと飛び出していた。

 暫し存在を忘れ仕事をしていなかった重力が、それを認識した瞬間に動き出す。

 

 結果。

 身体を反転させて崖に掴まる事も出来ず、落下は免れない。

 

「ぎぃやぁああああああ!?!?」

 

「きゃぁああああわわわわわっ! えと、えとえと『護れ』! 『拡がれ』っ! 『穿て』ぇぇぇ!!」

 

「ぁああああああ――うぐぉっ!?」

 

 奈落の底へ一直線、というところで杖を半狂乱で振り回しながら矢継ぎ早に繰り出されたシルクの障壁魔法が完成する。

 

 崖の岩肌に人が2人乗れるほど拡大した障壁が垂直に突き刺さり、俺達はその障壁に激突するように着地した。

 

「あ、ありが……ありがとな……」

 

「ど、どど、どういたしまして……」

 

 再び訪れた死の恐怖に震えながら息を整える。

 透明な障壁越しに下を見ると、濁流のような勢いで流れる川が見えた。

 運動不足の俺があそこに落ちたら間違いなく死ぬだろう。

 というかとてもではないが人間が泳げるような流れではなかった。

 

『ふぁ……ぁぁ……っんぅ……。ああ、良く寝た。……ん? アルス、お前は今どこに居るのだ?』

 

「お、起きたのか……」

 

 息が整った辺りで今の今まで眠りこけていたオルガニアが可愛らしい欠伸と共に起床する。

 唐突な視界の切り替わりに、オルガニアは状況を飲み込めていないようだったが、説明するとなると長くなる。

 

 まぁ、簡単に説明すると。

 1、大きな魔物から逃げ出した。

 2、森を抜けたらそこは何故か崖だった。

 3、障壁で空中に着地。

 

 以上。

 と、オルガニアに説明してやると、オルガニアは「ふむ」と頷いてから、俺に確認するように訊いてきた。

 

『森には本来生息していない魔物がいて、道が滅茶苦茶になっていた……そうだな?』

 

「……そうだな」

 

『……』

 

「なんだよ、誰がそんな悪趣味な事したとか、分かるのか?」

 

『…………いや。まぁ、そのな……』

 

 なんだ、妙に歯切れが悪い。

 今までかなりはっきり物を言うオルガニアにしてはかなり珍しい事に只ならぬ不安と不信感を抱き、次の言葉を待とうとしたところで、俺はハッと我に返った。

 

 隣にはシルクがいるのに普通にオルガニアと会話をしたのはマズかったかと、何度目かになる失敗に自分を叱責しながら横を見やる。

 俺の予想に反して、シルクにこちらを不審がる様子はない。

 

 というか、最初に見た時のようにうつぶせになって何やら呪詛のように呟いている。

 

「疲れた……こんなに魔法使ったの久しぶりだし、もう無理ぃ……うぇぇぇぇ」

 

「……やれやれ」

 

 オルガニアとの会話が聞かれない事に安堵しつつ、俺は泣きじゃくるシルクから目線を外して上の方を見る。

 

 崖から地上までは数メートル程。幸いにして深く落ちる前にシルクが行動してくれたようだ。

 ただ、ロッククライミングなどをした事がない俺がコレを登れるかどうかは別の話である。

 

「……って、あれ。あれって、街道までの道か?」

 

 グランウルフがまだ近くにいないかを探りつつ辺りの景色を見ていると、見覚えのある景色が崖の反対側に見えた。

 

『……まるで切り離されたかのようだな』

 

 オルガニアが呟く。

 その表現は言い得て妙だ。街道への道だけが崖で断絶されていて、森が隔離されている。

 誰の目から見ても異常な情景だった。

 

「あそこに渡ればなんとか……帰れそうだな」

 

 活路が見えた事で胸の不安が少しだけ薄れる。

 そしてどうやらそれは俺だけではなかったようだ。

 

「ふっっかーーっつ!! 私が満身創痍とか思った!? 大間違いですー、騙されたわねバーカ!」

 

 先程まで項垂れていたシルクがまたしても蘇り自らを鼓舞するように叫ぶ。本当に浮き沈みの激しい奴だ。

 

「さっ、とっととあそこ登っちゃいましょう。今から障壁なんとか広げるからこんな所からは……」

 

「……? どした?」

 

「…………」

 

 歓喜にも似た光を爛々と漲らせていたシルクの目からその光がフッと消える。

 そして硬直させた表情は徐々に暗くなり、沈黙してしまった。

 シルクは何かに取り憑かれたかのようにその場で硬直してしまっていた。

 

『……死んだか?』

 

「いや、だから死んでねぇって。なぁ、シルクどうしたんだよ」

 

 執拗にシルクを殺しに来てるオルガニアに軽く突っ込みを入れ、俺は覗き込むようにシルクを見る。

 

「……私の仲間が、まだ森にいるのかも」

 

 シルクは、口を殆ど動かさずにそう言った。

 そういえば、シルクはパーティで動いていたことを発言していた。逸れたのなら森に仲間が取り残されている可能性は十分にある。

 さっきまでは逃げる事に必死だったが、落ち着いた事でそれを思い出したのだろう。

 

「確かにそうかもだが……戻っても……」

 

「……そうね。私が行ったところで、どうせ殺されちゃうでしょうね」

 

 沈痛な面持ちで肩を落とすシルクに俺は何も言うことができない。

 ここで俺にちゃんと勇者としての力があったのならば救出を提案したのだろうが、それも叶わない話だ。

 

 暫く沈黙を保っていたシルクの震える口が、ゆっくりと開かれた。

 

「…………。私」

 

「ん?」

 

「私、戻る。仲間を探しに行くわ」

 

「えちょっ……ま、マジでか」

 

 恐怖に震えながらも確かな決意を感じさせるシルクの言葉に俺は耳を疑った。

 シルクは今さっき味わったばかりの恐怖を押しのけてまでも仲間を救おうというのか。その仲間って奴はそれほどまでにシルクにとって大切な人物なのだろうか。

 

「……怖いけど、放っておけないわ。障壁魔法をもっと拡大して向こう岸に渡すから、あんたは先に行ってて」

 

「…………」

 

 これほど迄に真剣な彼女を、俺は止める言葉を持たなかった。

 

 ――というか、止める必要もなかった。

 

「さぁ……私に構わずいきなさい」

 

「いや、うん。取り敢えず立ってから言ってくれ」

 

 身体を小刻みに震わせたシルクはそのまま事切れるかのように倒れてしまっていた。

 格好つけるのも勇気を振り絞るのも構わないんだが、やるならしっかりやっていただきたい。

 ……やはり色々と限界のようだ。

 

「あー、あのさ。悪いこと言わないから一回戻ろうぜ。ギルドに報告して捜索隊を出してもらったほうが効率がいいだろ」

 

「……うぅ」

 

 自分で提案をしておいてなんだが、なんとも望み薄な提案だ。

 活動期でギルドは忙しいし、不確定要素だらけの森の異変などに割ける人員や戦力などたかがしれている。捜索隊を出してもらえるのは早くて数日後。それでもかなり早い方だ。正直、一週間以上かかると見ていいだろう。

 

「……でも、でも……」

 

「でももテロもない。いいから戻れって」

 

 頭をガシガシとかきむしり、俺はシルクに肩を貸して立ち上がらせる。

 ぎゅっと瞑ったシルクの目尻には涙がたまっていて、どうしても帰りたがらない。

 

「周り見て、危険がなかったら俺もついてくから……先登ってくれ」

 

 可哀想だとは思うが、俺は何も言えない。ただ泣きじゃくりながら首を振るシルクを街に帰らせる事しかできない。

 残りの魔力を使い、シルクが障壁魔法を坂のように作り直すことで出口までの道を作る。

 

「…………」

 

「さて……じゃあ、また後でな」

 

 まるで母親から離れた迷子の子供のような沈んだ面持ちのシルクに俺は軽く手を振る。

 

「って、あんた……どこ行くのよ?」

 

「いやーはっはっは。実はバックパックどっかに引っ掛けたのか落っことしちゃってな。今から拾いに行くつもりなんだ」

 

「拾いに……って」

 

 そうとだけ告げ、俺はシルクに背を向ける。そして、障壁魔法で出来た坂を登り、また森へと向かった。

 

「ちょっ、あんた……特に何もできないんでしょ!? そんなのあんたが死ぬじゃない! ミイラ取りがミイラもいいところよ!」

 

 シルクは俺が何をしようとしているのかを察して止めようとしてくれているのだろう。だけど俺はシルクに背を向けながら軽く手を上げて別れを告げた。

 俺が振り返る事はもうない。

 

 その通りだ、その通りだとも。

 悲しいかな俺は1人では何もできない貧弱人間。

 

 ……1人では、何もできないのだ。

 

「あのさオルガニア」

 

『……ふん。格好つけるならちゃんと格好つけろか。鏡でも見て言えばどうだ? 足が震えているぞ』

 

「やかましいわ。声が震えなかっただけ褒めてくれてもいいんだからな?」

 

『随分と低い基準だ。……で、要件はなんだ』

 

 俺は、俺の中にいる絶対的超絶チート……魔王に語りかける。

 こんな事を言ってしまえば後戻りはできないが、知らん。恨むなら中途半端に強い俺のくだらない正義感を恨め。

 

「俺、これから神器集めちゃんと頑張るからさ。俺が危なくなったら……その、お願いですから助けてくれ」

 

 骨も砕けてあわや死亡、というところまで重傷を負った俺を一瞬で完治させたオルガニアの魔法。きっとその他にも色々と出来るのだろう。

 だが、魔力を使うのが嫌でそれらの使用を渋るのならば、俺はそれ以上の魔力をオルガニアに提供しよう。

 

『…………。我との契約はそこらの悪魔と比べ物にならん程に達が悪いぞ』

 

「はははは。デスヨネー……」

 

 乾いた笑いを浮かべる俺を、オルガニアは馬鹿にしたように……けれども楽しそうに、鼻で笑い飛ばした。

 

『良いだろう。代わり、先の約束(ことば)、忘れるな』

 

「じ、上等……こうなりゃやってやんぜコンチクショウが……!」

 

 そっちがこちらに危害を加えてくるのなら、俺は世界最大のインチキでそれを完膚なきまでに凌駕してみせる。

 

 

 こうして勇者な俺の、第2の人助けが始まった!!

 

 



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第10章「異界の魔法とこの世の魔法と」

『我の魔法について軽く触れておこう』

 

 道順の滅茶苦茶になった森を慎重に歩きながら、俺はオルガニアの言葉に耳を傾ける。

 オルガニアはまず、俺の世界の魔法とオルガニアの世界の魔法についての違いを説明した。

 

『我の世界の魔法は、火炎、電撃、冷気の三大元素からなる属性魔法、更には時と空間を操る原初魔法の2つに分けられる。言ってしまえばこれ以外の事はできん。お前達の世界の魔法は魔力を操る事で多くの魔法を作ることができるようだが、我の世界でそれは不可能だ』

 

「へぇ……。ん? いやでもオルガニアの弱点って水じゃなかったか? それだと水属性がないじゃないか」

 

『冷気と火を同時に使うことで水を作る事ができる……ということだ。特定の組み合わせで属性が変わる事がある。属性変化を説明するには我の世界の理と構造が絡んでくるのだが……今それを説明する意味はあるまい』

 

 素朴な疑問だったが、今はどうやらそういう物として扱うしかないようだ。

 俺は中腰で生い茂る草を掻き分け進みながらオルガニアに続きを促した。

 

 辺りは静まり返っている。

 どうやらグランウルフはこの辺りにはいないようだ。

 

『先刻、お前にやって見せたのは時を操る原初魔法だ。世の理を操作する術故に負担が大きい。具体的に言うなら時を巻き戻した分の倍、眠ってしまうのだ』

 

「時を巻き戻した分以上の時間寝る……。ああ、なるほど」

 

 先程、回帰の魔法とやらを使った直後にオルガニアが眠ってしまったのは単に疲れてたわけではなく時を操った代償だったらしい。

 

『原初魔法に至っては我とて使いこなせるわけではない。巻き戻す時間も数分単位で先の行使でも必要以上に巻き戻してしまったからな』

 

「そうか……お前にも難しい事ってあるんだなぁ」

 

『当たり前だろう。我は神ではないのでな』

 

 オルガニアの言う神というのは俺の世界の神ではなく、オルガニアの世界の神なのだろう。

 こいつよりも強い存在がいるというのはとんでもない話だ。異世界に行くなどという奇天烈な事件に巻き込まれる事があった時は間違ってもこいつの世界にだけは行きたくない。

 

『属性魔法ならまだしも原初魔法はとにかく魔力消費もデカくて敵わん。それらをあまり我に使わせるなよ』

 

「その属性魔法とやらでオルガニアが敵を倒す……とかはできないのか?」

 

『無理だな。原初魔法で空間を操り我の姿をこの世に顕現させれば不可能ではないが、今の魔力量でそんな芸当はできん』

 

「ダメか……」

 

 前にも不可能だと言われた提案を再度バッサリと切り捨てられ、俺は落胆する。

 

 人間では逃げられないような早くて強い理不尽な魔物なんてごまんといるのだから、何かしら早めに手を打たないと本当に死ねる。

 

 俺は自身の取った行動を早くも後悔し始めていた。

 今からでも諦めて帰ろうかと思うがシルクの障壁魔法でできた橋はとっくに消えてしまっている事だろう。

 救助が来るまでの間帰れるかどうかが非常に不安だ。考えなしの行動というのも考えものである。

 

『ただ……』

 

「ん、ただ?」

 

 いっその事俺も救助が来るまで何処かに引きこもってようかと考えたところで、オルガニアが何やら思いついたように口を開いた。

 

『我の魔力をお前に渡す事はできる。お前が魔法を使えばいいのだ』

 

「え、いや……嫌だけど」

 

『な、なんだと。お前、我がせっかくしてやった提案を……』

 

「あのなー、俺は戦いたくないんだよ。できれば危ない目には会いたくないんだよ! なんのためにオルガニアに戦ってもらおうと思ってんだ? 俺の身の危険を最大限減らすためだぞ? その辺分かってんのか?」

 

 俺の煽るような文句にオルガニアはぐうの音も出ない。

 オルガニアは黙りこくってしまった。

 

「というか契約のタチが悪いとかどうとかいうならちゃんと見返りに俺の事助けてくれよなーほんと。頼むぜ魔王様よー」

 

『…………』

 

 ヘラヘラと笑う俺の表情が硬直する。

 しまった、流石に調子に乗りすぎたか……と後悔するが時すでに遅し。俺はだいぶ命知らずな事をしてしまったようだ。

 

「え、えーと、オルガニア? 悪かったよ、俺が自分の事を棚上げしてるだけだよな」

 

『…………』

 

 俺が慌てて訂正して機嫌を取ろうとするも、オルガニアは以前喋らない。

 いい加減不安になってきた所で、オルガニアが静かに口を開いた。

 

『そうだな。契約というならば、お前の言う事は正しい』

 

「え、え?」

 

 来るべき灼熱の衝撃に目を瞑り身構えていたが、返ってきた返答は予想外の物だった。

 なんだろう、この肩透かしな感じは……。

 

『すまなかったな。……ならば我の持つ力を余す事なく()()で、()()()使い、この世界を更地に変える程の超火力で、全てを無に帰してお前を守るとしよう。もちろんその反動でお前は死ぬが、なに、契約通り外敵からはお前を守れる』

 

「ごめんなさい2度と調子に乗りませんので許してください魔王様!」

 

『……ふん』

 

 普通ならリアリティの欠片もないブラックジョークだが、オルガニアの言う事となると途端に現実味を帯びる。

 俺は顔に土がつくことも顧みずその場で素早く土下座をかまして命乞いを敢行した。

 

「というかお前……前々から聞きたかったんだけどどうやって更地に……」

 

『……む』

 

「……え、どした? やめろよそういう不安感煽る声出すの。いやさ、お前どうやって俺以外の外に干渉を……」

 

 やはり森の異変を知ってからというもののオルガニアの様子がおかしい。こいつはこんなに張り詰めたというか、シリアスな空気を振りまく事はしない。

 もっとこう、こういう事件には面倒くさそうに、それでいて楽しそうに振る舞ってるはずだ。

 

 そして何故かどうしても俺の質問に答えてくれない。ひょっとしてできないんじゃなかろうか。

 そこを突っ込んだら今度こそ焦がされそうだから聞かないが。

 

『また魔力の流れが変わった。これは……』

 

「な、な、なんだよ。まさか超ヤバイ魔物がいるとかか?」

 

『いや、これは、我の世界の魔法だ。空間を入れ替える力、転向の魔法……比較的簡単な原初魔法だが、この世界にはそれと酷似した魔法があるのか?』

 

 緊張で張り詰めたようなオルガニアの問いには即答できる。

 

 ――そんなもの、無い。

 

 仮にあったとしてもそれは大神官レストくらい熟達した勇者クラスの大魔法使いが10人がかりとかでやっとこさ完成するくらいの超級魔法だろう。空間を操るとかオルガニアとのカルチャーギャップに慣れている俺以外が聞いたら飛び上がって驚くような力なのだから。

 

「ぁぁぁぁぁぁ――!」

 

「いっ!?」

 

 俺の心に一筋の闇のような不安が差し込んできた所で、突然切り裂くような悲鳴が森の遠くから聞こえてきた。

 急な不意打ちを喰らったかのように俺はビクッと肩を竦ませる。

 

『今の空間操作で何かが起きたな』

 

「まさか、シルクの仲間か!? なぁオルガニア。どうしたらいいと思う!?」

 

『知らん、そんなもの自分で考えろ』

 

「ですよね畜生! 信じたくないけど信じてるからなお前!」

 

 どうするかなどというのは実は俺の中では決まってる。

 

 ……とにかくオルガニアの力を信じて捨て身の特攻をするだけだ。

 俺はとても覚悟とは言えないやけのような気持ちで声の聞こえた方角に一直線に走り出したのだった。

 

「わああああああああーーー!!!」

 

「あ、あいつか!?」

 

 数分走っていると、反対方向から少年が慌ただしく走ってくるのが見える。

 ……が、相当焦っているようでその様は半狂乱だ。

 

「ちょっ、ちょっと待て! あんたってシルクの……」

 

「き、きききき君! 助けてくれ!」

 

「いや、落ち着け! なぁお前ってシルクの……」

 

「でっかいのが、でっかいのが沢山……あばばば……そ、それで、人ががががが」

 

 ダメだ。話を聞いてくれない。

 こんな事ならシルクに外見の特徴を聞いてくれば良かったかと後悔する。

 あの時は緊張と恐怖でいっぱいでそんな事頭から抜け落ちてしまっていたのだ。

 

 少年は更に森の奥を指差しながら言葉にならない声で必死に何かを訴える。

 

「この先に誰かいるのか?」

 

「そ、そそそそそう、そうです!」

 

 口どころか身体ごと震えている少年の肩を掴み震えを強引に止める。

 

「というか、なぁお前シルクの……」

 

「だらッッシャアぁ!!」

 

「「ぎゃぁああああーーっ!?」」

 

 どうしても確認しておきたかった事を再三尋ねようとした所で、突然背後に大声量で怒鳴りながら木をなぎ倒す大男が現れた。

 

 そのショックでどうやら何かが振り切ったのか、少年は白目を剥いて気絶。俺も気絶はせずとも完全に硬直してしまっていた。

 

「……ああ? なんだ、また1人増えてんな」

 

 筋骨隆々の大男は身の丈程のある大剣を背中に背負い、血がべっとりとこびりついた外套を乱雑に引裂き、脱ぎ捨てるとそう言った。

 

「…………キャラ、濃そー……」

 

 状況を正しく飲み込めない俺の口からは、そんな訳のわからない言葉しか漏れなかったのだった。

 

「キャラ濃いだーぁ? 生まれてこのかた何回も言われたわほっとけ。つぅかよ、どうなってやがんだこの森は? オメェら……1人は気失ってっけど何か知ってるか?」

 

「え、えぇ……いやそれは」

 

 俺もよく分からない、と言いかけた所で、筋骨隆々ガチムチ男は大剣を引き抜いて空を薙ぎ、俺に背を向けた。

 

「な、何事……?」

 

「まだいやがるな。次から次へと面倒くせ」

 

「まだ居るって、ひょっとしてグランウルフが……」

 

「ああ、今2体相手してきたが……何時からここは狼どもの巣になったんだ?」

 

 さもあらん、とまるで普通の事の様にさらりと言っているが今この男はとんでもないことを言った。

 グランウルフを2体相手にして生き残れる、更には言い方からして勝ったのだろう。それほどの実力を持つこの男がこんな森にいるべき存在ではないのは明らかだ。

 

 俺はそれを不審に思いつつも辺りに警戒を巡らせる。

 

『アルス……』

 

「……どした?」

 

『……魔力の流れがまた変わった。森が変形したぞ』

 

 オルガニアが警告を言い終わるや否や。

 

 俺の目の前には牙を剥き出しにしたグランウルフが唐突に現れた。

 オルガニアの言う通り、空間が捻れ、道がバラバラになったのだろう。

 

 などと冷静に分析をしているようだが、そうではない。

 俺の頭は、またしても真っ白になっていた。

 

「ちょ……っ!?」

 

 グランウルフは目の前に突然現れた餌である俺を確認すると、舌舐めずりをして目をギラつかせた。

 飛びかかってくるまであと数秒、といったところである。

 

冷皮(れいひ)の魔法。湧き立つ血肉は銀の冷気を身に纏う――次ぐ、燃出(ねんしゅつ)の魔法により燃ゆる息吹は魔を討ち祓う!』

 

 グランウルフが出した舌を引っ込めると共にオルガニアは詠唱を始める。

 

 そして数秒程の詠唱の後、俺の身体に異変が発生するのとグランウルフが俺に飛びかかってくるのは完全に同時だった。

 

「っ……どわぁぁぁああああ!?」

 

「グゥォオオオ! ………グルルル!』

 

 空気が弾けるような小気味いい音がしたかと思うと俺の左腕から驚くほど多量の白い冷気が迸り、かと思えば今度は赤い炎が冷気を押し退け、爆発するかのように噴き出した。

 突如として現れた燃え盛る火炎にグランウルフは声を上げて怯み、一歩後退してから毛を逆立て俺に威嚇行動を取っていた。

 

 効果は抜群だ。動物系の魔物は火を嫌うと言うが、全くの不意打ち、更にこれ程の熱量となれば如何に狼の王と言えども怯えないわけがない。

 

「す、すげぇ……全然熱くない、どうなってんだ?」

 

『冷皮の魔法で腕を保護し、燃出の魔法で火炎を吹かせる。出来るとは思わなかったが、案外上手くいくものだ』

 

「ちょっ!? 失敗したら俺食われてたんじゃねーか!」

 

『煩い。文句を言うな』

 

 腕を轟々と燃やしながら俺はオルガニアに抗議する。というか、これは腕だけ保護されてるのだから他の場所をうっかりこの手で触れようものなら炭にしてしまう事だろう。自分の身体も含めて。

 

「そこどけッ!!」

 

「うわっ……と!?」

 

 腕の炎が消え、オルガニアの魔法の恐ろしさをひしひしと感じた俺のすぐ横を突進するように走り抜けていく何か。

 俺が勢いで倒れかける体を踏みとどまらせてから慌てて目で追うと大剣を肩に担いだ男が勇猛果敢にグランウルフに飛びかかって行っていた。

 

 グランウルフは燃えてない相手なら、と士気を奮い立たせるために雄叫びを上げ、標的を男に変える。

 そして猪の如く突っ込む男が目の前に来る時に合わせて、その強靭な爪を振り下ろした。

 

「危な……ッ!!」

 

 爪が男を切り裂き、あわや肉塊が辺りに飛び散る……かのように思われたが。

 爪が男に食い込み、切り裂いた瞬間、その姿は空へ霧散する。

 

「……え」

 

「幻視は初めてかよ?」

 

 俺とグランウルフの目の動きがリンクし、同じタイミングで()()()に立つ男を見つける。

 男はグランウルフを静かに見据え、そして人差し指をグランウルフの丁度真上辺りを指差した。

 

「……『紫電伝う空の霞、一条の矢よ、落ちて砕け』!」

 

 詠唱が完了すると男の指差した方向に雷雲が放たれ、グランウルフの数メートル真上で停滞する。

 一拍時が止まり、そして――雷は空を切り裂きグランウルフの脳天へ落ちる。

 雷の音が大地を揺らし、俺は驚いて耳を塞いだ。

 

 光速の雷に何もする間もなく撃たれたグランウルフは喉の奥から甲高い悲鳴を上げ、身体を一度痙攣させるとその場に倒れ伏した。

 

「よっと……一丁上がりだな。お前さん、やるじゃねぇか。詠唱は聞こえなかったがそりゃ何の魔法だ?」

 

 木の上から飛び降りた男はグランウルフに駆け寄りながら俺に尋ねてきた。

 俺は耳を塞いでいた手を離して、どう答えようか思案する。

 

 何か適当な魔法の名前を言おうかと思ったが、俺はそれほど魔法の種類を知らない。

 ある程度工夫の効くこの世界の魔法だが、それでも大元となる魔法が説明できないのは不自然だ。

 

『お前は勇者なのだから、勇者の力、とでも言っておいたらどうだ』

 

「……ふむ」

 

 あまり答えに詰まれば不審に思われるのが関の山。

 俺はオルガニアが出してくれた助け舟に乗ることに決めた。

 

「……えっと、俺、勇者なんだ。だからその……あの魔法は俺の勇者の力、かな」

 

 少ししどろもどろになったものの、それっぽい事は言った。

 勇者である事を証明できる物は持っていないが、俺が勇者である事自体は嘘ではない。王都の役所にある住民名簿には俺が勇者であることが明記してある。

 

 男はこちらを見て一瞬目を見開いたが、すぐに納得したかのように頷いた。

 

「なるほどなぁ。それなら納得だ。……ってぇ事は、お前さんこのおかしくなっちまった森で迷ってる奴の保護が目的か?」

 

「えー、えーっと、まぁそんな所」

 

 頬をかいて目線を宙に向けながら男の言う事を肯定する。

 というかちょっと待った。よく考えたら俺が勇者である事をバラしてしまったら逃げるに逃げられなくなるんじゃ……。

 

『どれ、探検と行こうか。少し気になる事があるのだ』

 

「クソ……オルガニア……狙ってやがったな……!?」

 

『はて、何の事やら。お前は素直な奴だな』

 

 引っかかった俺も俺だが、珍しく助け舟出したかと思ったらこれだ。

 俺はこいつが魔王であるという事を失念する傾向がある。本当にそれだけは気をつけねばならない。

 

 俺はこめかみに青筋を浮かべている事を気付かれないように努めて穏やかな顔を心がける。

 

「ふっ……! よし、これでいいな」

 

「なぁ……あんた、名前は何ていうんだ?」

 

「んぁ? 俺ぁガスト=グラディエルス。お前さんは」

 

「……アルスだ。アルス=フォートカス」

 

「そうかい。よろしくな」

 

 ガスト、と名乗った男は大剣をグランウルフの死体に突き刺すと、毛皮を剥いで、草に流れる血も気にせずに肉を一部切り落とした。

 そしてそれを背負っているカバンにしまい込むと、先ほど見たときのように大剣を払って血を落とす。

 

「……ところでよ、もう1人どこ行った?」

 

「へ? ……あ」

 

 言われて辺りを見渡すと、先程まで気絶していたはずの少年の姿が消えている。

 木の陰などを探しても見つからず、完全に行方が分からなくなった。

 ひょっとして空間の変動とやらに巻き込まれてどこかに飛ばされてしまったのだろうか。

 

「ったく……めんどくせ。あいつのついでに探すかね」

 

「あいつ……そうだ、なぁガスト。シルクって知ってるか? シルクは愛称みたいで、シルベルって名前の女の子なんだけど」

 

「……あ? なんだ、お前シルクの知り合いか」



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第11章「その線から一歩踏み出して」

「シルクの言ってた仲間ってのは……ガストの事だったのか」

 

「仲間……仲間って程じゃねぇよ? 俺は今回付き添いで来ただけだぜ」

 

「……え?」

 

 さらりと放たれたガストの言葉に俺は首をかしげる。

 シルクの心配っぷりはそんな出会って数日の人間に対する物ではなかったし、昔馴染みの友人なのかなと勝手に勘ぐってしまっていたが……ガストが言うにはそんな事は全くないらしい。

 

「俺はちょいと前に、村から出て来たって言うからあいつに街を案内してやったぐらいだ。誘われたから一回くらい付き合ってやるとは言ったが」

 

「あ、ああ……そうなのか。浅いなぁ、関係」

 

 蓋を開けてみたらとんだ肩透かしである。俺はひょっとして人違いをしていてシルクの仲間は別にいるのではないかと本気で考え始めた時、ガストがため息をついて仕切り直した。

 

「なんにせよ心配かけてんのなら悪りぃ事したな。とっとと帰るとしようぜ、勇者サマ」

 

「……アルスだよ。その呼び方やめてくれ」

 

「いいじゃねぇか。誇っていい事なんだろ?」

 

「……諸事情がありましてね」

 

 あんまり働かなくて済むように勇者の肩書きを隠したいという事情を懇切丁寧に説明するわけにもいかないが、取り敢えず勇者サマという呼び方は非常によろしくない。やっぱり勇者名乗ったのは失敗だったようだ。

 ガストとの行動は今回限りだろうが、2度と会わない保証もない。

 

「とは言ったものの……出口が分からないんだよな」

 

 辺りを見渡してみるも、森は似たような風景が多くて分からない。

 けれどオルガニアの言った事が正しければ、確かに道は変わってしまったという事になり、それは同時に出口までの道も変わった事になる。

 

「あ? そういやそうだったな。出口探すのが早えか……それとも弄ってる術師を探して絞めた方が早えか、だな」

 

「術師を絞める、か……」

 

 俺1人では出来ない事だが、今はグランウルフを複数相手取っても勝つ事ができるガストがいる。それもあながち不可能な話ではないだろう。……と、考えるのが普通だがそれではダメだ。

 

 もし仮に。この森を操作している術師がオルガニアの世界の誰かだとしたら。

 その可能性は十分にあり得る。空間を弄る魔法はオルガニアの世界独自の物だし、現にオルガニア自身もこの世界に来ている事から向こうには異世界に渡る魔法も存在するのだ。

 

 俺の憶測が的外れという事はないと思われる。

 

 そして俺の憶測が当たった場合、オルガニアの世界の住民に喧嘩を売ったらほぼ間違いなく勝てないわけで、相手が友好的な生物でなかったら詰みである。

 

「……オルガニア。どうするべきだと思う」

 

『二択だ。戦って勝つか、運任せで逃げるか。術師の場所は我が探せるぞ』

 

「よし、運任せで逃げよう」

 

『お前という奴は……』

 

 即答。迷う余地はない、逃げよう。

 さっきも出口には運任せで辿り着いたわけだし、今回もきっと大丈夫。大丈夫だと思おう。

 

「いやだって、無理だろ。お前の世界の力がこっちに比べてチートなのはもう分かってんだよ。逆に聞くけどお前は勝てると思うの?」

 

『無論だ。見込みがないなら逃げろと言う』

 

「……え、勝てんのか?」

 

『我の世界の力は確かに、この世界と比べ強大だ。だから、前にも言った通り我の力を使ってお前が戦えば勝てる見込みは充分に……』

 

「逃げる。ぜっっったい逃げる。超逃げる」

 

『……もういい、勝手にしろ』

 

 逃げ腰丸出しの俺に呆れたのかオルガニアはそっぽを向くようにしてそう言い捨てた。

 勝手にしろと言われれば勝手にさせてもらおう。天がひっくり返ろうとも俺が戦うという事は反対である。

 

「おーい、何ブツブツ言ってんだ。取り敢えず移動しようぜ!」

 

「あ、わ、分かった!」

 

 既にだいぶ遠くに離れていたガストに呼びかけられ、俺は一度オルガニアとの会話をやめる。

 この状況で置いていかれる事はないだろうが、いつ空間が変わるのかと気が気でない。目の前にいた仲間がいきなりいなくなる、なんて事もありえないわけではないだろう。

 

「何話してたんだ?」

 

「え? あ、いや別に……」

 

「んだよ恥ずかしがんなよ。契約した精霊と話してたんだろ?」

 

「……あー、ああ、うん。やっぱちょっと恥ずかしいからな」

 

 口が動いていたのが隠せなかったようで、どう誤魔化そうかと考えていたらガストは勝手に解釈をしてくれていたようだ。

 

 それにしても精霊との会話と来たか。

 人それぞれ、捉え方が全く違う物だと不思議に思うと同時に、ガストという男に疑問を持つ。

 解釈をできる、という事はつまり価値観や常識がその方面に偏っているという事だ。

 

 ガストが背負っているのは身の丈ほどの大剣。そしてその野性的な肉体に髪型からして重戦士型で剣を振るう傭兵か何かなのかと完全に思い込んでいたが、そういえばガストは先程魔法を行使していた。

 となれば導き出される答えはひとつ。

 

「ガストはさ、魔法使いなのか?」

 

「あー? ああそうだぜ。攻撃も治療も補助もなんでもござれの万能魔法使いサマだよ」

 

「やっぱりか……というよりその見た目で魔法使いなんだな」

 

「はっ。よく言われる。つか俺も自分で自分が可笑しいっての」

 

 自嘲気味なガストの言葉には、それでも今の状況を楽しんでいるかのような雰囲気を感じられた。

 しかしそれならば、背中に背負われている大剣はなんのためにあるのだろうか。まさか殺した獣の皮や肉を剥ぐだけにあるのではあるまい。

 

 俺がその事を訊くとガストは大剣の腹を優しく撫でて、少しだけ目を細めた。

 

「……これは魔法の威力を増幅させる大剣ってところだ。適当に杖持つより遥かに強えってんで使ってる」

 

「へえ……あ、神器とかか?」

 

 何気なく質問してしまったが、俺はすぐにしまった、と慌てて口を押さえた。

 もし仮にガストの持つ大剣が神器であった場合。

 ほぼ間違いなくうちの食いしん坊魔王は喜々としてその魔力を空になるまで奪う事だろう。

 

 どうか神器ではありませんように、と心の底から祈りながらガストの返答を待つ。

 

「神器ではねぇな。魔力を与えてくれるってーよりか元々の魔力に倍率かけてるっつーか……まぁ俺もよく分かんねぇわ」

 

「……ほっ」

 

 よかった、と俺は一先ず胸をなでおろす。

 考えてみたらオルガニアは魔力を探って神器を見つける事が出来るのだから、俺の心配は杞憂だった。

 

「なんだよ、貸さねぇぞ? そもそも勇者サマにゃ専用神器(アーティファクト)ってのがあんだろ?」

 

「え? あ、あー、あはは。そうだな……」

 

 久し振りに専用神器(アーティファクト)という単語を聞いた気がするが、それを言われると辛い物がある。何故なら俺の持つ専用神器(アーティファクト)はもうないのだから。

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 森を歩いて、数時間が経過した――と思われる。

 空が徐々に茜色に染まり、気温が下がってきたのが肌で感じられる。

 森が変化していなかったとしても、夜の探索は非常に危ない。

 

「本当に道が滅茶苦茶なんだな。こりゃ今夜は野宿か?」

 

「こんな森で野宿とか死ねる……それは絶対に回避したいな全力で」

 

 その危機感を背負ってはいるが、案の定俺達の森の探索は難航していた。

 襲いかかってくる敵はガストがなんとか撃退してくれるものの、肝心の探し物が見つからなければ意味がない。

 

「なぁオルガニア、どうだ?」

 

『無理だ。ただの人間が持つ小さい魔力……魔物や森全体と似たり寄ったりで区別がつかん』

 

 最初は面倒臭がって渋っていたオルガニアをなんとか宥め、消えた少年の魔力を探らせようとしたが……その結果は芳しくない物だった。

 

 オルガニアの魔力探知はそれほど正確では無いらしく、漠然とそこに小さい魔力、或いは大きい魔力があるというのが分かる程度のようで探し物の持つ魔力が周囲と明確な格差を持たなければ発見は不可能だという。

 

「参ったなぁ。向こうもじっとはしてないだろうし」

 

『戦わないのならとっとと諦めるのが賢明だと思うが』

 

「帰り道が分かったのなら俺は諦めてたよ……はぁ」

 

 シルクの仲間……というか知り合いのガストを見つけた時点で俺の目的は達成されているのだ。これ以上ここにいる理由はないが、出れない理由は知っての通り。

 それに、このまま見てしまった人を見殺しにしていいものかと俺の中の中途半端な正義感野郎が囁いている。

 

 俺は肩を落として自身の不運を再度嘆いた。

 

「お前んとこの精霊って結構お喋りなんだな」

 

「って、へ?」

 

 かなり小声で喋っていたはずだが、少し距離の離れているガストがそんな事を言ってきた。聞かれているとは思っていなかったので正直予想外の耳の良さだ。

 

「あー、はは。そうだな。やたら話しかけてくるよ」

 

「いいねぇ旅が退屈しなさそうだ。俺のなんか事務的な事しか喋りゃしねぇからな」

 

『おい。我を有象無象の精霊如きと同程度に扱うな』

 

 適当に誤魔化しているとオルガニアが口を尖らせて分かりやすく不貞腐れた。

 言いたいことは分かるが、身体の中に魔王を宿しているなんて言えるはずもなし。分かっていただきたい。

 

『ん……アルス。また森が変わったぞ』

 

「は? またかよ!?」

 

「ああ? どうしたいきなり怒鳴って」

 

 オルガニアとの会話をコソコソやる意味もなくなったので俺はいい加減溜まった疲労と鬱憤を晴らすようにして怒鳴った。

 

『タイミングも空間の動かし方も滅茶苦茶だ。どう考えても相手はこちらの位置を把握できてないどころか原初魔法を巧く扱えてない。――その証拠に、後ろを見てみろ』

 

「後ろ……? あ」

 

 言われてすぐに首を回して後ろを見ると、そこは見覚えのある光差す道だった。

 木が生い茂りアーチのような形を作っている見紛うことの無い王都の森の入り口。

 

「ああ? ありゃ帰り道か……罠か?」

 

 また崖でもあるのかと疑心暗鬼になりながら俺は近づいてみるも、道が途切れている事はないし何かが出てくる様子もない。

 

「帰れる……のか」

 

『…………』

 

 俺はそのまま森の外まで歩き、もう殆ど暗くなりつつある舗装された道を見渡す。特に偽物という事もなさそうだ。

 暫く呆然としていると、ガストが後ろからついてきた。

 

「もう日暮れだ。一旦王都に戻ろうぜ勇者サマ。夜の探索はこっちが危ねぇ」

 

「……そう、だな」

 

 ガストは消えた少年の話をしているのだろうが、俺の頭の中は別の事を考えていた。

 

 ――下手人の目的が分からない。

 何を意図してこの森を操作して、中にいる人間を殺そうとしたのだろう。

 ただのイタズラで片付けるには余りにも大掛かり過ぎる。これがただのイタズラだったのなら俺は何としても犯人を見つけてぶん殴ってから更にぶん殴りたい。

 取り敢えず生かしては返すまい。

 イタズラしてた奴が強かったら逆に俺が生かされないのだろうが、まぁぶん殴る云々は妄想の話だ。

 頭の中でボッコボコにする。現実で逃げる。これ即ちこの上ない大勝利である。

 

『アルス』

 

「……ん? どした?」

 

 森を出てからというもの黙りだったオルガニアがふと俺の名を呼んだ。

 オルガニアは少し悩んだかと思うと、すぐに次の言葉を紡ぐ。

 

『我はお前の非力さと貧弱さと愚鈍さとヘタレっぷりと世間知らずさと中途半端さはよく知っている。――その上で頼みがあるのだ』

 

「うん、お前はさ、頼みごとしたいの? 俺のメンタルぶち壊したいの?」

 

 一息でそこまで悪口が出るとは恐れ入った。人の貶し方も魔王級と言ったところだろう。

 メンタルがスライムどころかクッタクタに煮込んだうどん並の硬度しかない俺からしたら堪ったものではない。

 

『この一件。更に首を突っ込んでみてはくれないか』

 

「…………。嫌だけど」

 

 オルガニアの頼みとは、後日森の探索をもう一度行え、というのと同義だった。

 

 少しだけ。本当に少しだけ迷った。

 ちょっと前の俺ならば間違いなく即答で断っていただろうが、消えたあの少年の事が少し気掛かりではあったからだ。

 それでもやはり、俺が森に入っても足は引っ張っても役には立たない。

 

 少年を助けたいのならば俺が行くのではなく、強い人に頼むべきだろう。少しもどかしい気がするがそれが最善というものだ。

 

「俺は二度と森には入らない。このまま王都に戻ったら活動期が終わるまでは引きこもってやる……」

 

 理屈染みた理由で言い訳するのも格好悪い気がするので俺はいつもの如く絶対引きこもり宣言でオルガニアを諦めさせようとした……が。

 

『――――頼む』

 

「…………え」

 

 呆れられるか身体を焦がされるかの二択かと思ったのだが、オルガニアはまるで頭を垂れるかのように神妙な空気で俺に頼み込んできた。

 

 やはり、オルガニアの様子がおかしい。

 なんだろう。オルガニアは何を考えているんだろう。

 戦い慣れた察しのいい勇者や冒険者なら、オルガニアの意図を察する事が出来るのだろうか。

 

 ただ、俺でも分かることは――ここで頷いたら、()()に踏み込んでしまうという予感。

 引き返す事は許されなくなるであろうという確信。

 

『……アルス』

 

「わ、分かった。分かったよ。そんな声出すなっての……」

 

 初めてのオルガニアの切なる願いに、俺はいよいよ根負けし、受諾した。

 どんな目で俺を見ているのかは分からないが、そんなすがるような声で俺の事を呼ばないで欲しい。

 

『そうか。よし、では明日早速向かうとしよう。いやなに、森の何処かに大きな魔力を感じてな。もしや神器かと楽しみで仕方ないのだ』

 

「……は?」

 

 俺が首を縦にふるのと同時に、一転。オルガニアは唐突に饒舌になった。

 先程の今にも泣きが入りそうな儚げな少女の空気なんて一瞬で消し飛び、いつもの悠々とした態度が取り戻される。

 

「おい……コラ……」

 

『お前は本当に御しやすいな。付き合いの短い我でさえも手綱を握れるとは。その分ではいつか碌でもない人間に騙され……』

 

「ッざけんなコラぁ!? 無効だ無効! 今の俺のシマじゃノーカンだから!? つかふざけんなよてめぇやり口が汚過ぎんだろが!」

 

『ふはは。中々可憐な少女だったろう。声だけで表現するというのは難しいものだぞ。もっと褒めろ』

 

「褒めてねぇよ、馬鹿ァ!!」

 

 街近くだというのも忘れて俺は感情のままに怒鳴り散らす。このクソ魔王は本当にやってくれる。頼む女神よ。今この瞬間俺に世界最強の力をください。この邪悪な魔王を捻り潰したいんです。

 

「おーい。あんまデケェ声で喋ってんなよ。それ端から見たらただの独り言だぜ?」

 

「…………悪い」

 

 街が近づいてきた事もあってか、ガストから注意が入る。

 俺は苦虫を噛み潰したかのように顔を歪めて歯をくいしばる事で文句を飲み込んだ。

 

 オルガニアに笑われながらガストと共に並んで歩く道を月明かりが照らす。

 王都の電灯の明かりが徐々に大きくなってきて、平穏な場所に帰ってきたという事を告げるように街の生活音が耳に響く。

 

 けれど確かにそこにある平和はきっと明日にはまたなくなってしまうんだろうな、と俺は思わずにはいられなかった。





ここまで読んでいただきどうもありがとうございます(-_-)
魔王に振り回される勇者の様子。2人の関係はこれからどう変化していくのか。


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第12章「変わり始める少年」

 森の異変騒動が起こってから2日が経過した。

 未だ活動期真っ只中ということもあるので俺とガストはギルドには行かず、朝早くから宿屋の食堂で向かい合っていた。

 

 ちなみに宿屋というのはもちろん、俺御用達のエミィが経営する宿屋の事である。

 

「色々試行錯誤してみたが、やっぱ森にもっぺん入る事は出来なさそうだ。タイミング悪けりゃ即座に帰り道がなくなる」

 

「そうか……こっちでオルガニアが……じゃなく俺が調べた魔物の数だけど、増えてるっぽいんだ。随時補充してるらしい……と思う」

 

 1日各々で森を外から観察し、情報を交換する。空間把握能力や歩き慣れしてるガストは森の道の規則性を。オルガニアの力を借りて魔力を探れる俺は中の生き物の数を調べた。

 

「……なぁ、シルクはやっぱり街には見当たらないか?」

 

「あいつが泊まってる宿行っても帰ってきてませんの一点張りだし、ギルドは一度窓口で救難要請を出されたっきりとしか聞けなかったからな。……やっぱあいつ……」

 

 ガストがここで俺に協力してくれる理由はこれだ。

 あの日街に戻った俺たちは泊まっている宿を教え合ってから別れたのだが、ガストのその後の話を聞くにどうやらシルクが見つからないとの事。

 ああいうのも何かの縁だしと、ガストはシルクを捜索するために森に目をつけたわけだ。

 

「あんまチンタラはしてられねーからな。俺は明日あたりまた森の周りの調査に行こうと思うんだが……お前さんはどうするよ?」

 

「えーと、俺は……」

 

『待て、アルス。少し落ち着いて話がしたい。色々と考えたことがある』

 

 一緒に行こうか、とも考えたが横というか身体の中からオルガニアが割り込んできた。

 俺は一拍思考した後、すぐに答えを変えた。

 

「なら、俺は……ちょっと気になる事があるから別行動で」

 

「そうか、分かった。なんかあったら言ってくれ。ま、お互い死なねえように気をつけようぜ」

 

 ガストが嘲笑するような口調で空恐ろしい事を言う。

 しかしガストならばケロッとした顔で生き延びてそうだが。

 

 宿屋から立ち去るガストを見送り、俺はゆっくりと息を吐き出す。

 思えば、他の冒険者の人とこうしてゆっくり話すのは初めての事になる。

 俺もこうしてペラペラと喋れてるわけだから、ガストは相当取っ付きやすい性格をしているようだ。

 

「あの、お疲れ様でした。アルスさん、紅茶、いりますか?」

 

「え? ああ……ありがとな、エミィ」

 

 一息ついた俺の後ろから小柄なエミィがひょっこりと顔を出す。

 エミィは持っていたティーセットを机に置いて紅茶を淹れると、心休まる紅茶の注がれる音と共に暖かそうな湯気が立ち上る。

 

「森の立ち入り禁止の知らせ、わたしも聞きました。アルスさん……無理はしないでください」

 

「ははは。俺は無理出来るほど勇敢な人間じゃないけどな」

 

「それでも、です。気をつけてください」

 

「……分かった、ありがとな」

 

 エミィの心配が胸に染み込んでくるかのように伝わってくる。

 こうやって俺に帰るところを提供してくれるエミィは本当にいい子だ。仕事づくめだった彼女にとって唯一とも言える友人が俺だけだという事もあるのだろうが、それでも心強い事に変わりはない。

 

 俺の中に少し、ほんのちょっとだけやる気が湧いてくる。

 なんとも俺は都合のいい生き物だと自分で自分が浅ましく感じるが、まぁいいだろう。

 俺はゆっくりと紅茶に口をつけた。

 

『格好つけとる場合か。部屋に戻らなくていいのか?』

 

「……あ。ああ、うん、戻るわ。ごめんエミィ。紅茶、部屋に持ってっていいか?」

 

「はいっ、構いません。……あの、アルスさん」

 

 足早に上に上がろうとする俺をエミィかわ呼び止め、少し考えたかと思うと……何かを思い出したかのようにパッと顔を明るくした。

 

「……貴方様に女神の加護がありますように」

 

 エミィは少し拙いながらも片方の手で半円を作るように弧を描き、もう片方の手でも反対から半円を描く。

 

 繋がった一つの円は女神が与える全てを包み込む慈愛と祝福の表れ。

 円を描き終わると、水を受け止めるかのようにお椀型になる両手は全てを受け入れ許すセイクリアの姿である。

 

 誰かの無事や幸運を願う時、セイクリア教徒達のお決まりの祈り方だ。俺も見たことがある。

 ただ、言葉は少しだけ違ったような気がする。

 

「えへへ……お父さんとお母さんがセイクリア教徒だったんです。わたしは最近なったばかりでまだよく分からないんですけど……合ってましたか?」

 

 エミィは恥ずかしそうに笑いながら可愛らしく頬をかいた。

 合ってるかどうかは分からないが、少なくとも俺の心は温まった。考えたこともなかったが、他者に贈る祈りとはこういう力があるのかもしれない。

 信仰心を欠片も分かっていない俺がこんな気持ちになれたのだから、それで十分なはずだ。だから――

 

「――合ってるかどうかってよりかは、信じられるかどうかだよ」

 

 だから俺は、精一杯優しい声で玉虫色な解答をしたのだった。

 

 ――合ってるかどうかとか知らん。

 だって俺、勇者だけどセイクリア教徒ってわけじゃないから。

 

 俺の言葉に感動したように目を輝かせるエミィを見ながら、俺はふっと嘲笑気味な笑いを自分に向ける。

 俺は勇者であるはずなのに、セイクリア教には属していない。

 これは極めて異例の事であり、世界で俺くらいなものなのではないだろうか。それほどまでに勇者が受ける女神の恩恵は巨大なのだ。

 その不信心者の俺が宗教の真似事をしようとは、焼きが回ったという奴だろうか。

 

 俺はエミィに倣って両手で円を描く。

 

「……えーと。そして祈る貴方にもまた加護がありますように」

 

「え?」

 

「……いや、なんかそんなんあったなって思ってさ」

 

 俺が照れ隠しに頭を乱雑にかき、恥ずかしそうにそう言うと、エミィはにっこりと笑ってお礼を言ってくれた。

 

 ちなみに今の返しはうろ覚えなので、絶対所々間違えていたと思う。

 

 円を描く順番とか、大きさとか速さとか。色んな意味でややこしくて面倒だからあんまり好きじゃないんだよな、宗教って。

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 エミィに見送られながら俺は紅茶を片手に部屋の椅子に腰掛けていた。

 オルガニアは待ちくたびれたように深く息を吐いてから話し始める。相変わらず待つのが嫌いな奴だ。

 

『さて――まず敵についてだが、目的はなんとなく分かった』

 

 今現在で特に特定の情報だけを探らなければならないという事はなく、オルガニアは自身の考察全てを俺に話すつもりらしい。

 俺は話を聞くためにオルガニアの言葉に静かに耳を傾ける。

 

『敵の目的は、誘導と隔離。そして森の閉鎖だろう。王都に最も近いあの場所を拠点とする事が出来るのならば魔王にとってこの上なく有益だからな。ついでに調査に来た人間も異界の魔法があるならば正体を知られる事なく殺せる』

 

「……俺らが逃げちゃってっけど、そこはどうなんだ?」

 

「そこはひとえに運だな。それほど広くない森だというのもあるか。……敵方は転向の魔法の真髄を理解していないように思える。だからこそ、自身が見つからないようにする事だけを念頭に置いている使い方をするのだろう」

 

 転向の魔法、というのは森の道を滅茶苦茶に入れ替えていたオルガニアの世界の魔法の事だったはず。

 しかし道を入れ替える魔法の真髄とは、一体なんなのだろうか?

 俺は頭に思い浮かんだ疑問を率直にオルガニアに投げかけてみる。

 

『転向の魔法は入れ替える魔法ではない。決まった範囲の空間を幾つかの正方形で切り取り、1ブロック毎に回転させる魔法なのだ。……道をパズルのように組み替える事はできんが、一つ一つの方向を変えることができる』

 

「ふ、ふむ……? 待て待て。だとしたら俺の眼の前にいきなりグランウルフが現れた事が説明できないじゃ……」

 

『そこだ。そこに転向の魔法の真髄がある。転向の魔法の効果範囲は正方形。だがその正方形は仕切りがなく、全て繋がっているのだ。故に、大きめの物などは二つの正方形を股にかけて存在している事が少なからずある』

 

 

 そろそろ分からなくなってきた俺の問いを待ってましたと言わんばかりにオルガニアは即座に口を挟みこむ。

 俺は流石に意味不明になってきたので、自分の頭の中で図を描いていくことにした。

 

 一つの正方形の透明な箱にぴったりと隣り合うようにもう一つ同様の箱置く。この密接した二つの箱が森だと仮定しよう。

 空間はあくまで空間であるため、箱の触れている面の仕切りはないものとして……二つの箱をまたぐようにしてちょっと長めの板を入れる。

 

 すると板は橋を渡しているかのように二つの箱両方に半分ずつ存在する事になる。

 

 ……そこまでは理解した。

 しかしそれの何が真髄なのだろうか。

 

『操作した範囲の方に少しでも触れている物体は、存在を全て持って行かれるのだ。身体半分他の範囲にあろうとも、一時透過の力を得て回転する空間に巻き込まれる。問答無用で自分の立っていた場所が回転し、別の場所とくっつく。そうなれば目の前は一瞬で別世界だ』

 

「ん? あー、うん。なぁオルガニア。3行で頼むわ」

 

『少しは考えろこのヘタレ馬鹿』

 

「ヘタレ馬鹿ってなんだよ!?」

 

 でも、その罵倒には割と反論できない!

 結局俺は声をあげる事しか出来ずに頭を抱えた。オルガニアの世界の魔法は少し複雑すぎやしないか。

 

「まぁザックリとそう言うものだと割り切れ。実際アレはしっかり考え正しく使ってみれば分かる。本来は遠視だとか空から辺りを見れる魔物と連携して使い、空間の仕切りの狭間に入った人間をどんどん別の場所に運び、餓死させる魔法だからな』

 

「うわなんだそれえっげつねぇ……不規則に目の前の景色が変わりまくって永遠に出口にたどり着けないとか生命削りきる前に精神ぶっ壊れるだろ」

 

 オルガニアの世界の魔法は中々複雑な物が多い気がする。特に原初魔法。

 1から理解する必要もないし、取り敢えずはそう言うものなのだとしておこう。

 

 ……その空間の回転の速度が滅茶苦茶早かった場合、かなりの長い距離を強制的に移動させる事ができるのではなかろうか。

 空間の向きを回転させる転向の魔法は効果が転向なんてチャチなもんじゃあ断じてない。何を言ってるのかわからねーとは思うがこの世で最も恐ろしいものの片鱗を見た気がする。

 

 相変わらずやる事がチートすぎるのは流石にそろそろ慣れた方がいいのだろうか。いや、無理だ。

 

『敵が勘で魔法を使っているのなら、大方物音で近くに人がいるのかどうかを察知しているだけだろう。となれば音さえ立てずに行動すればいいだけだ』

 

「音を、か。うーん、静かに動くのには限界あるし、グランウルフがいるからな。無理じゃね?」

 

『そこは、アレだ。お前たちの魔法でなんとかしろ』

 

「てきとーだなー最後……」

 

 ただ、オルガニアの出す対抗策がそこそこ効果的であるということは分かる。

 魔法には魔法で対抗しなければ勝ち目などないのだから、その結論に至るのも納得だ。

 音を消す魔法。俺はその名前を知っている。

 

「……防壁【ミュート】なぁ。俺は魔法殆ど使えないし、ガストが使えればそれが一番なんだけど」

 

 それは障壁魔法の一種だ。自身の周りにボール状の膜を張って音が外部に漏れないようにする魔法。密会だとか、隠密行動など、闇に紛れた汚いお仕事をする時に好んで使われる。

 ……のだがこの魔法、使っている間は自分の周囲が青白く光る。【ミュート】だけで使おうものなら即座に見つかること必至だろう。

 

 ガストは森で使ったような落雷を発生させる、紫電【フォールボルト】(という名前だった気がする)のような攻撃魔法一辺倒の魔法使いではないと言っていた。

 けれど防壁『ミュート』はそこそこ難易度の高い魔法であり、障壁魔法しか使えないシルクに頼んだ方がまだ希望はありそうだが、そのシルクは残念ながらここにいない。

 

「……なぁ、オルガニア。お前が気になってるってのはさ、やっぱり犯人の事か?」

 

『そうだ。……我の世界の住民が、この世界に来ているのかもしれん』

 

 音を消す方法を考えるついでに俺が話題を変えると、オルガニアは沈痛な声で頷いた。

 

「へ、へー。なんかあれだな。異世界ってポンポン来れるもんなんだな」

 

『いや、我とて長い時間の準備と膨大な魔力を使って来たのだからな。……それほどの力を持つ者がこの世界に来たとするならば……』

 

「この世界危ないだろそれ。え、マジで? なんか旅立っていきなり魔王と遭遇してる気分なんだけど」

 

『魔王は我だが』

 

「いや、ちげえよ例えだよ! 俺、もうちょっと小っちゃい話かと思ってたんだけどなぁ……?」

 

 確かに危険な話ではあると認識してはいたが、どうせオルガニアの方が強いだろとタカをくくっていた。

 しかし今の話を聞くに恐らく犯人はオルガニアと同等、或いはそれ以上の力を持った存在だ。

 

「……なんとかなるのか?」

 

『なんとかならん話をしている気は無いが』

 

「……なら、いいんだけど」

 

『いいのか?』

 

 意外だ、という呟くような独り言とも取れるオルガニアの声が聴こえる。

 大方、また俺がごねてヘタれるかとでも思っていたのだろう。

 俺だって自分がこんなことしてるのが意外だが、乗りかかった船は沈没するまでは乗り続けようかと思ってるだけだ。

 

「まぁなんかあったらオルガニアに全部ぶん投げてどうにかしてもらうだけだからな!」

 

『…………いや、何も言うまい。一歩成長と言ったところだろうからな』

 

 もちろん俺は沈没する船からは救命ボートで悠々逃げ出そうかと考えている。

 ただそれだけの事だ。

 

『……アルス。出かける準備をしろ。森に行くぞ』

 

「え、なんでだよ。音を消す方法なんてまだ無いぞ?」

 

『無いなら無いで我がなんとかする。お前は一先ず下手人を特定する事だけに集中しろ』

 

「あぁ……そうなのか。……分かったよ。頑張ってみる」

 

 覚悟なんて格好いいものを決めたつもりはないが、俺は重い腰を上げて鈍い足取りで動き出すのであった。

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

「あ? なんだ、オメェもこっち来たのか」

 

「ガスト。ここにいたのか」

 

 森の入り口にさしかかった辺りで、何やら一本の木を睨んでいるガストを見つけた。

 ガストは近づく俺に気がつくと振り返ってから挨拶代わりに軽く手を挙げる。

 

「おーう。お前も森の調査か?」

 

「ああ、そのつもり。ガストも一緒に……」

 

『待て。そいつが居てはかえって邪魔になる。そいつが音を消す魔法を持っていなければ置いていけ』

 

 ガストに森への同行を頼もうとしたところ、オルガニアからストップが入る。

 ガストがいれば千人力なのだが、仕方がない。俺は言葉を飲み込んで、すぐに別の言葉に変えた。

 出来れば音を消す魔法を覚えていてほしいところなのだが、果たして。

 

「……ガストは、音を消す魔法を使えるか?」

 

「あ? 音消すだ? ……そりゃ流石に俺じゃキツイな。いや少しくらい障壁も使えんぞ? そこはシルクと一緒にすんなよな」

 

 俺の唐突な質問を訝しげに思ったようだが、ガストは答えてくれた。

 しかしその答えはやはり芳しくはないもので、これで俺は1人で森に特攻する他なくなったわけだ。

 

「何するのかは知らねぇが、なんかする時は俺に言えよ?」

 

「ああ、もちろん。俺、基本1人じゃ何にもできないからな」

 

「ハハッ。嘘つけよ勇者サマ」

 

 俺の言葉を謙遜として受け取ったガストの不敵な笑みに対して、俺は苦笑いしか返すことができなかった。最後にありがとう、とだけ付け足して。

 

 俺はガストに一旦事情を説明して、森に入ってみることにする。ガストには異変があったらすぐにギルドに戻れるように、外で待機してもらうことにした。

 

 木漏れ日の差す一見平和で静かな森に1日ぶりに足を踏み入れると同時に、オルガニアの詠唱が始まる。

 

 俺は、息を飲んで森の先を見据えるのであった。



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第13章「全ては起こりはじめた」

『霹靂の魔法。蒼の槍、紫の鎧。我、白の裁きを求めたもう。次ぐ降雪の魔法により、降り積もる恵みは時を止め、踏みしめる地は凍りつく――』

 

 オルガニアの詠唱はそこで止まらずに、続く。

 オルガニアの世界の魔法の詠唱というのは兎角、長い。

 俺たちの使う魔法のように詠唱を短縮することができないのだろうが、これではオルガニアが魔法を打つ前に極限まで切り詰めた詠唱を5、6回は唱えられそうだ。

 

『雑ぜる盾嵐の魔法により――巡れ、咆哮』

 

 長かった詠唱も終わりを迎え、最後の呪文を紡ぎ終わるや否や、早速変化が現れた。

 

 初めはのどかなそよ風が。

 次に、髪が煽られる強風が。

 やがて、木々全体をかき乱す突風へと進化していった。

 その勢いたるや正に台風。俺は目を瞑り、飛ばされないように腰を落とした。

 声を出そうとするも、風に掻き消されてそれすら叶わない。

 

『落ち着け。お前に害はない』

 

「……?」

 

 暫く目をぎゅっと閉じ、踏ん張ってみるも、確かにオルガニアの言う通り特に風が吹いている感じがしない。

 声や音こそ風に掻き消されるが、俺の行動は驚く程に制限されていなかった。

 砂埃や木の葉の舞う目の前の光景からは想像もできない程の無風。俺の周りの一切合切が遮断されてしまったかのようだ。

 

『盾嵐の魔法はお前の身体から円状に風の空間を作る魔法だ。大抵の物は弾きかえす風の壁。これが周りの音を消すのに一役買うというわけだ』

 

「なるほど……音を消す、というか誤魔化せばいいんだ」

 

『音が消せないのならば、音を全て同じにしてしまえばいい。盾嵐の魔法はこの森の半分以上を呑み込む魔法だ』

 

 胸を張ったようにドヤ顔ならぬドヤ声なオルガニアの説明に俺は吹き出す。

 

「森半分って……何してんのお前!?」

 

『そういうものだ。さぁ、この森の木の葉全てが散る前に片付けに行くぞ』

 

「俺に森の命運託すのやめてくんない!?」

 

 森の命は今オルガニアが握っていると言っても過言ではない。

 まだこれから豊かな緑が元気に光合成をする時期だというのに、冬を告げる冬の妖精もびっくりなほど森を丸裸にされたのではいたずら通り越してもはや犯罪だ。四季をなんだと思ってるんだと怒鳴りたくなるがオルガニアはどこ吹く風である。

 

「く……わかった、わかったよ。やってやる!」

 

 俺は半ば自棄気味に森を駆ける。

 しかし、森に入ってすぐに、俺はまたしても異変に遭遇することになった。

 

「……魔物がいない?」

 

 しばらく走ってみたが、グランウルフはおろか、魔物の一匹もいなかった。

 これが音を消した効果なのだろうかと一瞬考えたが、違う。

 俺は不信感から一旦足を止め、辺りを見渡してみる。

 

『……どうした』

 

「なぁオルガニア。空間って切り替わったか?」

 

『――いや。魔力の流れは変化しなかった。確かに、さっきから魔物に遭遇しなさすぎるな』

 

 俺は目で周囲を見ながら。オルガニアは魔力で辺りを探知しながらの二段構えで索敵していたのだが、全く何の気配もなかった。

 まるで、今度は避けられているかのような気持ちになる。

 

『一応、魔力はあちこちにある。ただ、全く動きがないな……』

 

「動きがないって、魔物は本能的に動いて獲物を探す動物だぞ? その場にじっと留まってるなんて寝てるぐらいしかあり得ないぞ」

 

 肉食系の魔物は特にそうだ。

 生命活動のために常に動き続ける体力を持ち合わせる。まぁ常に動いてなければ死ぬって程でもないが、むしろ体力が有り余りすぎて、動いていないとストレスが溜まり、やがて死ぬのだ。

 朝から晩まで動き回り、体力を使い切った夜に眠り、また朝から動く。

 そういうルーチンワークで魔物は生きる。

 知性を持った魔物や独自の進化をした魔物はその限りではないものの、獣から進化した魔物は基本、今説明した通りの生態のはず。

 

『ならば生息する魔物が変わった……とかか?』

 

「生息する魔物……いや、グランウルフも元々ここには居ない魔物だし、魔物を呼んでるのは召喚魔法ってやつのはずだ。召喚する魔物を変えたか……いやでも、うーん、何がしたいんだよマジで!」

 

『アルス』

 

「え、な、なに? 今度はどうした?」

 

「近いぞ」

 

「へぁ?」

 

 突然オルガニアの声のトーンが一つ下がり、俺は驚きと不安が混じったかのような奇声をあげる。

 大きいとは、何のことだろうか。魔物の大きさか、はたまた森の広さのことか。

 

『以前にも1度感じたが、かなり巨大な魔力をまた感じた。そう遠くはないぞ』

 

「……は? え、え? マジで?」

 

 音を誤魔化し、変に妨害されないとここまで簡単に見つかるものかと肩透かしを食らった気分だが、そんな悠長に構えてはいられない。

 

 オルガニアに巨大な魔力と言わせるほどの存在とは、果たしてどれ程の化け物なのか。

 やはり本当にオルガニアの世界の住民か、はたまた魔王の一団の幹部か。

 

「確認だけ取れたら、帰ってギルドに報告。そうしよう。それが一番真っ当で確実だ」

 

 巨大な敵に単身突っ込むのは勇者か愚者のどちらかだ。俺は勇者だが勇者でない。故に、こんなところで特攻かける事はしないのだ。

 

『お前はここまで来てまだへたれるのか』

 

「うっせぇよ! じゃあお前マジで俺と代われ! こええもんはこえーし! ヘタレ舐めんな!」

 

『挙句逆ギレとは恐れ入った。まぁいい。元より無理やり戦わせる気だ』

 

「うっ……また熱攻めか!? 暴力反対! 無理やりダメ、絶対! いやちょっとホント落ち着いてくださヌワーーーーー!!!」

 

 止める言葉もむなしく、俺の身体は内側から燃やされるかのように熱くなる。

 死んだら来世は普通の人間に生まれたい……と思い始めたところで、俺の周りに吹いていた風が止み、オルガニアの出す熱も止まる。

 

「……あれ」

 

『悪いが前言は撤回だ。すぐに引き返せ』

 

「けほっ……出た出た出た。もう慣れてきたわ。次はなんだー?」

 

 喉奥から煙のようなものが吐かれたが、俺は訝しげな態度でオルガニアに尋ねる。

 オルガニアは焦っているのか、何処となく早口で語調が強くなっている。

 

『空間が次々と切り替わっているようだ。術師はこの術を理解し始めている。つまりだな……ええい、ともかく戻れ』

 

「わ、分かった。分かったよ。戻りゃいいんだ……っとぉ!?」

 

 相当切羽詰まった状況なのか、オルガニアに尻を叩かれるようにして動き出したが、俺は足元にいきなり現れた影に躓きそうになり、足を止めた。

 

「……あれ? お前、確か……」

 

「ヒッ……! あ、貴方は……」

 

 そこに蹲っていたのは最初にガストと出会ったときに一緒に会った少年だった。

 相も変わらずガタガタと震えて顔面は蒼白だ。

 元々色白の少年ということもあるのだろうが、控えめに言って病院を薦めたくなるほどの真っ青である。

 

『おい、そいつに訊け。召喚士はお前だな? と』

 

「はいはい。召喚士はお前だな? ……って、は?」

 

「ひぃぃ……そうです、ごめんなさい……だからお願い殺さないで……」

 

「は? はぁあ!? お前が召喚士ィ!? ひょっとしてグランウルフって、お前が呼んだのか! いや、なんでこんなところにそんな黒幕の一部分みたいな奴がいるんだよ!」

 

 俺が怒鳴ると少年は更に叫びにならない叫び声をあげて縮こまってしまった。これでは満足に話もできない。

 

「あっ、ぁぁぁぁああの、ぼく……頼まれて、人に……そ、そそそそれで呼んだんです……ご、ごごごごめんなさいぃいい」

 

「ちょちょちょ! 待て! 頼まれたって、誰に、何で!」

 

「ひっ……すみません、怒鳴らないで……」

 

 怯えたいのはこっちなんだけど!

 と今すぐ怒鳴り散らして泣き叫びたいのを我慢する。

 今この瞬間、こいつに何か魔物を呼ばれたらおしまいだ……が、俺に力がないってことが気づかれることはこいつの怯えっぷりから察するになさそうだ。

 

「誰か、誰かは分かりませんんん……でも、ぅウルフををを呼べば解放するって……い、いいぃい言ってたのに……はな、話が違うぅ」

 

「なんじゃそりゃ……これじゃ訳わかんないな」

 

『こいつはただ利用されただけか……』

 

 どうやら頼れる魔王様は何かに気づいているらしく、俺は黙ってそれを聞くしかない。

 

『敵の狙いは陽動に幽閉……。それは合っていたがもう一つあったようだ。――それが、奇襲。転向の魔法により、それが実行されたのだ』

 

「へぇ……って、へ? それってさ、近場が森から放たれたグランウルフの群れに襲われてる……ってこと?」

 

『そういう事だ』

 

「……はぁぁぁああ!?」

 

 だとしたら一大事なんてどころの騒ぎではない。

 ここは南の森。王都の森と呼ばれるほどに王都に近い。人の多く集まる王都などグランウルフにとって食料庫のようなもので、襲われるとしたらほぼ間違いなく王都だ。

 

 更にそれが全く前兆のない奇襲だったとしたら……。

 

「迎撃の体制は整ってない……。活動期と言ってもちょっと人数増えた門前の衛兵が精々だよな。おまけに王都には冒険者が少ない……!」

 

 俺の頭の中で連想ゲームが巻き起こる。

 起こりうる最悪の事態と怒った事態の凶悪さが徐々に理解できてきた。

 

「そうなると、被害はゼロってわけにはいかない……!」

 

『だろうな。だがそんな事より、巨大な魔力は森の外に出た。恐らく王都だろう』

 

「そんでもって親玉も王都に突貫かよ! おいおいおい、どうするんだよ、どうする俺!?」

 

 今から帰ったとして、時間的にはグランウルフとの交戦は既に始まっている事だろう。よしんば混乱やギルドの事を考えてあまり強く報告していなかったのがこれでは完全に裏目である。

 その戦闘の中を切り抜けて逃げられるわけがないし、このまま森の中に居てもそれもまた危険だ。他の魔物がいないとも限らない。

 

「そうだ……ガスト! あいつ、どうしたんだ……?」

 

 唯一知る頼れる冒険者の安否を案ずるも、それを確かめる手段はない。

 恐らく戦って王都に引いたか、そのままやられてしまったか……ガストに至って後者はないはずだが、今までの比ではない数のグランウルフを同時に相手にして果たして勝てるのだろうかと疑ってしまう。

 

『アルス。早く王都に戻れ。これ以上森にいても意味がない』

 

「う……わ、分かったよ。なぁ、ここは危ないからお前も一緒に……」

 

 蹲る少年に手を差し伸べて王都に連れて行こうと目を向けると、少年はぎょっとするほど青ざめた顔を手で覆い、尋常ならざる汗を流していた。

 少年は呪詛を唱えるかのように低く、小さな声で何かを呟き続けている。

 

「ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい……お願いしますころころころころ殺さないで、いやだいやだいやだいやだ……」

 

「お、おい! 大丈夫か?」

 

「はぁっ……はっ、はっ、はっ……たす、たすたす……助けてぇええええええええ!!!」

 

 そして、何かが爆発するような金切り声で少年は助けを乞う。

 

 するとその声に呼応するかのように空間は歪み、世界に亀裂が入り、そこから全く別の場所の景色が覗いたかと思うと中からは……何度か見た奴の姿がのっそりと現れた。

 

「グランウルフ……! こいつ、詠唱無しで召喚できるのかよ……!?」

 

『恐らく小僧に即座に魔法を起動できる魔法陣か構造が埋め込まれているのだろう。この世界の魔法はよく分かっていないが、あってるか?』

 

「分かりませんっ! 逃げられるかこれ!?」

 

『逃す。――極光の魔法。日出る空よ、無に光を』

 

 グランウルフが俺という餌に気づき、目つきを変えたと同時にオルガニアの詠唱は完了する。

 何度か静電気のような音と光が俺の周りで散ったかと思うと、俺の身体は眩い太陽の如く一瞬光った。

 

「うおっ!?」

 

 それにより俺の動きが止まったが……目の前で光を直に見たグランウルフは苦しそうに半歩下がって目を強く閉じる。

 

『さぁ走れ。道は我が教えよう』

 

「分かった……! クソ、ガストもシルクもエミィも無事でいてくれよ!」

 

 何が起こっているのかまだ不鮮明なまま、俺は王都に向かって森を再三駆ける。

 

 王都に辿り着けば全てが分かる。

 俺は不安を振り払うように首を強く横に振り、全力で走った。



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第14章「誇るべき物は」

「なぁ……っ! 道合ってるか!?」

 

『問題ない。出口はすぐだ』

 

「ひぃ……ったく、最近走り通しすぎる!」

 

 オルガニアの言う通り、俺は間も無くして森を抜ける。先程の超光る魔法でグランウルフを予想外な程怯ませたようで、追っ手はなさそうだ。

 

「はぁ……はっ、はっ。ガスト! おーい、ガスト! いるか!?」

 

 俺は森を出て道に出るなり声を張り上げた。

 けれど、ガストの姿は周囲にない。

 あるのはやけに規律正しく一直線に伸びるグランウルフの物と思われる足跡だけだ。

 

「……なんだこりゃ。こいつらレールの上でも走ってたのか……?」

 

『敵が王都に仕向けるようにしたのだろう。方法は……』

 

「って、考えてる場合じゃないな……!」

 

 ガストがいないという事も気がかりだが、ガストはまだ自分で戦うことができる。それも、グランウルフを数体同時に相手にしても勝つことができる程の実力者だ。

 

 シルクもガスト程ではないが、そこまで案じてはいない。障壁魔法に長けているようだし、きっと上手く敵を躱して逃げ延びているはずだ。

 

 でも――エミィは違う。

 宿屋を1人で切り盛りしているあの儚い少女は、魔物は愚か、命の脅威にさらされたことなどない一般人だ。

 

 エミィは無事に避難できているだろうか。

 知り合いの安否を確かめる手段がない以上、俺は王都に戻ってそれを確認しなければ気が済まない。

 

「っ……」

 

 だけど、怖い。

 事態を飲み込んで、理解して、現実を目の当たりにする。

 何十体もの強大な魔物の足跡を見て、身体が震えて足が竦む。

 また弱音が出そうになったところで……。

 

『行け、アルス』

 

 オルガニアの声が聞こえた。

 

『勝てる戦いだ』

 

 魔王の発する、短い鼓舞。

 こいつの事だから、どうせ神器がどうのとか言い出すのだろう。

 

 だけどその言葉は、俺に一歩踏み出させるには十分過ぎる物だった。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 端的に言えば、王都では既に戦闘が始まっていた。

 引っ切り無しに街にサイレンが鳴り、切羽詰まったようなギルド職員の声が現状を説明する放送を流す。

 街の門近くの衛兵の姿は見受けられない。血痕はないところを見ると、街に退いて戦っているのか。

 

 不安感に押しつぶされそうになりながらも俺は一直線に宿屋方面に走り、息が切れるのも忘れて傷ついた王都を駆けた。

 

「うわぁ……」

 

 が、その足が途中で止まる。

 エミィの宿屋に向かうまでの道は正に今戦闘が繰り広げられている場所だったからだ。

 

「くそっ! 避難の時間を稼げ! もうじき援軍も来るぞ!」

 

「洒落んなってねーだろ敵の数! ほんと死ね魔王!!」

 

「俺この戦い終わったら……あああフラグも立てさせてくれねー!」

 

 数人の冒険者が誰へともなく怒鳴り散らしながらも三体のグランウルフと大立ち回りをしている。

 俺はそれに気づかれないようにして横道をすり抜け、更に先へと進んだ。

 

「……あれは……」

 

 戦闘区域から少しだけ走ると、避難途中なのか、道を見失ったのか、4人の小さな少年少女達が泣きながら立ち往生していた。

 やはり奇襲だったためか、避難が間に合っていない。

 

「う……」

 

 放っておこうと考える前に、後ろ髪を引かれるような衝動で俺の足はピタリと止まる。

 

「ど、どうすりゃいい……?」

 

『面倒見切れんのなら放っておけば良いものを』

 

「いや、そうだけど……そうじゃなくてだな……」

 

 またも出てきやがった自分の中途半端な正義感に俺はなんとも言えない気持ちになった。

 だが、あの子供らをなんとか避難場所に送り届けるくらいの事はできるはず。

 

「って、げっ!?」

 

 そう思っていた矢先、不幸はいつもベストタイミングでやってくる。

 さっき冒険者達が戦っていた方向から一体のグランウルフが走ってきていたのだ。……まさかとは思うが、彼らは負けてしまったのだろうか。

 

 このままでは間違いなく俺たちも食われる。

 

「ちょっ……!?」

 

「や……やめろ! ぼくたちに近づくなーー!」

 

 どうしようかとまごついている内に、グランウルフの目の前に4人の内の1人の少年が手を横に大きく広げて立ちふさがった。

 年齢は10歳程度だろうか。あの子達の中では恐らく最年長だ。年上故の責任感か正義感か、叶うはずのない相手に恐怖で足を震わせながらも少年は必死に勇み、叫ぶ。

 

 グランウルフは止まらない。

 一直線に、まずは彼らに飛びかかって食い散らかすだろう。

 

 刻一刻と迫っていく少年達と悍ましい魔物の距離。

 仁王立ちしたまま動かない少年は祈るようにぎゅっと目をつむって歯をくいしばる。

 

 どうしよう。そう考えるのもそっちのけで、俺の頭は全く別のことを考えていた。

 

 コンマ数秒の内に蘇るのは、約10年前の記憶。

 

 まだ背も小さく、わんぱく盛りなクソガキだった頃。

 無邪気な顔をして、宙を見ながら誰へともなく夢を呟く。

 

 

 

 ――――俺も、勇者になれるかなぁ。

 

 

 

 剣は持っていなかったから、アホみたいに魔法の勉強をして、アホみたいな絵空事ばかり考えて、アホみたいなほど魔法の練習をしていて、そんでアホかってくらい身体を鍛えようと頑張った。

 

 いつか、勇者になる日を夢見て。

 

「ぁ……ぁぁぁ」

 

 でも、俺には才能が無くて。

 

 俺は、その殆どができるようにはならなくて。

 

 ある日ぽきりと、心が折れる音がしたんだ。

 

「ぁぁあ……ああああああ!」

 

 けれど何もかもやる気を無くしていたある日、俺の元に、一本の剣が現れた。

 

 現実を呪った。

 もっと早く来いよ、空気読めよ女神。俺には何もできないって俺が気づいてしまう前にそれが欲しかったよ、と。

 

 それでも機会が与えられたのだからと、もう一度だけ頑張ってみても、やっぱりダメで。

 

 良かったね、夢が叶ったね、と涙を流す親の顔を見るのも辛くて、悔しくて何が何だか分からなくなって。

 

 

 やめてくれ、俺は、勇者にはなれない。

 

 そう、心の底から叫びたかった。

 

 

 

 俺の意識は急速に浮上し、過去の世界から現実に帰還する。圧倒的な嫌悪感と気持ち悪さを感じて胸が煮え繰り返りそうになる。

 

 だが。

 

 

「うぉああぁあああああああああああああ!!!!」

 

 

 気がついたら俺は、腰の剣を引き抜いて、叫びながらグランウルフに剣を叩きつけていた。

 

 皮膚を切り裂き、肉を断つ嫌な感触と共に、地に鮮血が飛び散る。

 突然の痛みにグランウルフは突進を止め、数本後ずさって俺から距離をとった。

 

「グルルルルル!!?」

 

「はっ……はっ……はぁっ。クソ……ええ分かってますとも、俺の雑魚っぷりは……」

 

 俺は喉から絞り出すように悪態を吐く。

 いつもの弱音でもなんでもない、本音からくる自分自身への愚痴。

 

「何もしないで逃げられないって、見捨てられないって中途半端さがあるから本当に最悪だよなぁ……!? 一番邪魔なやつだよ本当!」

 

 誰へともなく、俺はただ空へと吠える。

 染み付いた負け犬根性は相変わらず、俺が何もかも諦めたのはいつ頃だったか定かではない。

 

「でもさ、ほんとに、ほんとに何もしなくなっちゃったら俺……昔の自分にぶん殴られそうで怖くてな。このまま何もしないのは……きっと、死ぬよりダサいだろ」

 

 混乱から目が覚め、自身のやった事を盛大に反省する。

 いよいよやってしまった。やってしまったのだ。

 こうなったらもう、逃げられない。

 

 でも、後悔はしていない。

 

「ああ、もう! は、早く逃げろ! できれば俺も逃げたい!」

 

「ひっ……う、うん!」

 

 俺の必死さが伝わったのか、俺の表情を見て顔を引きつらせた少年は全員を引き連れて走り出した。

 

『ふふふふ……あっはははは!』

 

「な、何を笑ってんだよオルガニアぁ……」

 

 目の前のグランウルフは俺をじっと見て狩るべき相手かどうかと力量差を確かめている。

 俺は何故か笑い転げているオルガニアに何事かと尋ねた。

 

『けほっ……フフッいや何、やはり中々面白い事をする奴だな。存外、お前には勇者の才能があるではないか』

 

「あのな、俺に勇者の才能があるなら今頃滅茶苦茶強くなってたっての……」

 

『よく聞けアルス』

 

 俺の文句など御構い無しにオルガニアは言葉を続ける。

 なんだろう。オルガニアは一体何を言おうとしているのだろうか。

 

『我は万年、様々な勇者と出会い、戦ってきた』

 

 魔王(オルガニア)は、不敵に――そして機嫌が良さそうに笑みを作りながら言葉を締めくくった。

 

『――真に才能のある勇者とは、人のために立ち上がれる者の事を指す』

 

「え…………」

 

 ――言葉を、失った。

 

 こいつは今、なんて言った?

 魔王の癖に……否、これは魔王だからこそ言える言葉なのだろうか。

 嫌に説得力のある言葉が、俺の胸に突き刺さって抜けない。

 

『お前は弱い。お前は脆い。お前は恵まれなかった』

 

「オルガニア……?」

 

 そこまで俺の事を罵る必要があるのかどうかはさておき、その言葉に何時もの棘は無く、オルガニアの声のトーンは未だかつてないほどに優しい。

 

『だがお前は勇者の才に溢れている……とまでは言わんが、確かにそれを持ち合わせている。誇れ。その力は、誰もが持つ物ではない』

 

「っ……!」

 

『アルス、前を向け。……今度こそやれるな?」

 

 これもオルガニアのカリスマ性なのか、自然と視線は前を向き、気分が高揚していく。

 

 オルガニアの言うそれが、本当に勇者としての才能なのかは分からない。というより、それもう完全に根性論の話じゃないかとツッコミさえしたい。

 

 しかし、目の前の脅威に対する恐怖は、もう殆どなくなっていた。

 

「……多分な!」

 

『……いい顔だ。では行くぞ。敵は一匹。取るに足らん』

 

 俺は剣を構え直して、グランウルフと対峙する。

 俺が戦う決心をしたのが伝わったのか、グランウルフも同じく姿勢をより低くして襲いかかる準備を整えた。

 

『今から我の言葉を復唱しろアルス』

 

「え? 復唱?」

 

『一から生まれ、一へと消える元素の神』

 

「え、あちょ……イチから生まれ、イチへと変える元素の神……?」

 

 唐突にオルガニアが詠唱を始め、俺は言われた通りに復唱する。

 その途中で、グランウルフはいよいよ俺に飛びかかってきた。

 

「どわぁああああ!!」

 

『零を滅ぼし、零を蘇らせる原初の神』

 

「は!? ちょっと待て! ゼロを滅ぼし……えーと、ゼロを蘇らせる原初の神!」

 

 グランウルフの牙が剥かれ、俺に襲いかかる。それを俺は間一髪で伏せて避け、砕けた建築物の残骸の中を無様に逃げ惑いながらも、オルガニアは言葉を止めず、俺は慌ててそれを繰り返す。

 

『火炎、電撃、冷気、時間、空間、円環は均衡を保ち、世界を維持し続ける』

 

「いや待て待て多い! 火炎、電撃……冷気、時間、空間、えんかんは均衡を保ち、世界を維持し続ける……合ってるか!?」

 

『されど我、円環の理から抜け、無を求めん』

 

「されど我……円環の理から抜け無を求めん! まだ終わんないのかよ!?」

 

 飛んだり跳ねたりしてグランウルフの牙や爪を躱すのにも限界がある。

 長い長い台詞も、次でようやく終わりを迎えた。

 

『壊せ、壊せ、無の力よ。無くせ、無くせ、黒の世界よ。あらゆる理を無へと壊せ』

 

「壊せ、壊せ、無の力よ。無くせ、無くせ、黒の世界よ。あらゆる理を……無へと壊せぇ!」

 

 30秒を超える長い詠唱ののち、俺の持つ剣に異変が起きる。

 

「は……? ぎゃああああああ!?」

 

 剣から黒い何かが迸り、巻きついていく。

 グランウルフも謎の物体に驚き、咄嗟に俺から距離を取った。

 

 俺は改めて、真っ黒になった剣の刃を見る。

 

 黒い。本当に黒い。そこになにもないように思えてしまうほど、恐怖を感じてしまうほど黒い。

 

『――波動の魔法』

 

「……は?」

 

『元素も原初も取り払い、無を操る。我が生み出した我だけの魔法だ』

 

「ぜんっぜん波動っぽくないんだけど。てか、は? 無を操る? 無って無いから無なんじゃないの?」

 

『それはこの魔法の真の力を使った時に分かるだろう……ほれ、来るぞ』

 

 説明も何も殆ど無しのままグランウルフが俺に突進してくる。

 迷っている時間はない。俺はオルガニアの力を信じて剣を袈裟掛けの方向に振るった。

 

 なりふり構わず噛み砕こうとせまるグランウルフ。

 それを迎え撃つ俺の黒塗りの剣。

 

 彼我の距離が迫るのが殊更ゆっくりに見えて、そして――。

 

「うおお……おりゃあ!!」

 

 黒の剣はグランウルフの皮膚を切り……はせずに吹き飛ばし、肉や骨を消滅させた。

 そして音も立てず描かれた無の軌跡はその場にある全てを飲み込んだ。

 突発的過ぎる現象に俺は慌てて剣を引き戻したが時すでに遅い。

 頭から半分ほど黒に染められたグランウルフは既に息絶えていた。

 

 ――やがて辺りを沈黙が支配する。

 

「うっわ……グロ……」

 

 血すらも消滅し、グランウルフの横たわるそこには何も散らかっていない。文字通り頭と身体が半分ない死体だけがそこにあるという怪現象だ。

 

『ふむ……まぁ上出来だ。人の身でここまでちゃんとした形にできるとは驚きだな』

 

「おまっ……え、嘘だろコレなに? 消し飛んだぞ?」

 

『それが無というものだ。万物は必ずこの世の中で循環し、本当の意味での消滅などはありえない。……だが波動の魔法はその理を壊し、本当の意味で消滅させる無の力。文字通り触れたものは消えるのだ』

 

 俺はその説明にただならぬ恐怖を感じ、危うく剣を落としそうになるも慌てて握り直した。

 今の話が本当なら、この刃に触れた物は全て消える。地面に落とした日が最後、容赦なくこの大陸を分断し、無へと帰すことだろう。

 

 途轍もなく強力なだけに、たった今この剣は世界をぶち壊しうる神器と化した。

 

 ……恐ろしいが、今に限ってはこれ以上に頼もしい武器はない。

 

「やっべぇけど……これなら、一応なんとかなる、のか!」

 

 剣による危機が増えたが、魔物による危機はこれでだいぶ薄れた。これがあれば、本当に全てを守る事ができるかもしれない。

 

 まずはエミィの安否を優先して確認。その後にガストやシルクを見つけてどこか安全な場所を見つけよう。

 

 俺は決意を新たにして、目の前を睨みつけた。

 先程と同じ方角から、またしてもグランウルフが走ってきている。

 やはりもうあの道に冒険者達はいないのだろう。

 

『さぁ殺れアルス。今のお前は――この世界で、誰よりも強い!』

 

 



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第15章「黒幕」


そういえばこの作品にはみんな大好き肌色成分があんまりないなと思い、いっその事ここはいっちょ健全でピュアな作品を目指してもいいかなと熱り立ったもののその案は秒で却下されたというのが3日前の出来事です。

肌色大好き市場です。これからもどうぞよろしく




「てりゃっ!」

 

 軽い気合の声と共に剣を振るうと、突進してきたグランウルフは音もなく斬り裂け、消滅し、その命を儚く散らした。

 

 本当に空気を斬っているような感覚だ。手応えも何もないので返って不気味にすら感じる。

 

 刃には血もなにも付かない。

 音もなにも発しない。

 ただ触れた所が黒く染まり、無へと帰す。

 無とは黒に見えるのかと疑問に思ったが、光すらもないから人間には黒に見える、とはオルガニアの言葉だ。考えてみたら当然なのかもしれないが、光さえも消滅させる黒が一層恐ろしく思える。

 

「よし……よし……!」

 

『噛み締めている場合ではないだろう。敵は更に奥だ。王都の中心か……その辺りだな』

 

「中心、か」

 

 エミィのいる大通りから少し離れた場所でなくてよかった。あそこは潜伏も出来そうなほどの場所だが、敵の親玉は今は交戦しているのだろうか。

 

「みんな、待ってろよ……!」

 

 黒塗りの剣の柄を握りしめて、俺はもう一度走り出す。息は切れ、肺が酸素を求めているが、止まっている暇はない。

 

「エミィ! いるか!? 生きてるかー!?」

 

 宿屋に着くなり俺は声を荒げて呼びかけた。

 避難しているならば良し。しかし、もしも怪我をしているのであれば……必ず助けるつもりだ。

 死んでいたら、という仮定が頭によぎるが、俺は必死にそれを振り払う。

 

 建物は壊れていない。グランウルフは餌である人にしか見向きしないからだ。

 

 俺は宿屋の中も駆けずり回ってエミィの名を呼ぶが、反応はない。

 

「オルガニア、この辺に魔力は……!?」

 

『……ないな。というより、あの小娘は魔力を持っているのか?』

 

「誰もが必ずちっちゃくても魔力を持ってるんだ。でも、そうか……ここにはいないとなると……」

 

『食われたか、逃げたかのどちらかだろう』

 

「だあああ、真っ先に食われたとか言うな! 嫌がらせかお前は!」

 

 頭をかきむしってエミィの無事を信じ、俺は先へと進む。避難所も確認したいが、どこにあるのかが分からない。

 宿屋で発見できなかったのであれば、今はとにかく信じるしかないだろう。

 

 ……ただ、真っ先に避難誘導されるはずの子供がまだ避難が間に合ってなかったわけで、信じはしても安心はできない。

 血痕は無かったから、少なくとも宿屋で襲われてはいないようだが。

 

「くそ……どこだ、エミィ!」

 

 立ち止まっている暇は正直に言って無い。エミィは無事だと自分に言い聞かせて、宿屋に後ろ髪を引かれるような思いを抱きながらも先へと進むことに決めた。

 

「お……おい! そこの奴!」

 

「え?」

 

「戦える者か……!? 良ければ手を貸してくれ!」

 

 オルガニアの言われた通りに更に王都の広場に近づくと、血だらけの重傷者を背負った中年の男が俺に呼びかけてきた。

 男も頭に怪我を負っているようで、顔の半分ほどが痛痛しく血で濡れている。

 

「お、おい! 大丈夫か!?」

 

「俺たちの事はいい……! この先の救援に向かってくれ。あの魔女は、化け物だ……!」

 

「魔女……? 魔王軍の幹部とかか?」

 

「ああ……自らを魔王軍幹部だと……っ。今は複数人の市民をかばいながら1人の冒険者が戦っている! どうか助太刀を……」

 

「わ、わ、分かった。この先だな! なぁ、今戦況はどうなってるんだ!? 冒険者と傭兵以外に怪我人は!?」

 

 言い終わる前に俺は慌てて頷いて引き受け、矢継ぎ早に質問を投げる。

 

「怪我人は多数出てる……が、一般人の死傷者の報告は今の所出ていない……」

 

「そ、そうか……」

 

 警戒態勢だったのが功を奏したのだろう。冒険者や傭兵の被害がゼロとはいっていないようだが、一先ずは良かったと胸をなでおろす。

 

「俺たちは町外れの地下避難所に移動する……どうか、頼む」

 

「……ああ、分かった。やってみるよ」

 

 冒険者と別れ、俺は全てを終わらせるために前を向く。

 敵の大将を倒せば、それで終わりなはずだ。この剣で叩き切るだけ。たったそれだけの事だ。

 

「よし、行こう……!」

 

 ただそれだけの事がどれほど大変なのか。この時の俺には分かりもしなかった。

 

 

 

 ◆

 

 

 

「え……?」

 

 俺はその目を疑った。

 必死に目を凝らして、何度も目を瞬かせてはこすって、また見るもそこに映っているものは変わらない。

 

 空を飛んでいるそいつは、見るからに凶悪そうな杖を持ち、悪役らしい黒のローブを羽織っている。

 あんなあからさまな風態では、自分が悪役ですと言っているようなものだ。そして実際それは合っていた。

 

『あれは……我の錫杖か! あの小娘、一体どこであれを……!?』

 

 オルガニアが驚愕の声をあげ、歯噛みするが、俺の耳にはそんな声は全然入ってこなかった。

 

「なぁオルガニア……あれ、なんだよ」

 

 最初は小さくて見えなかった。それでもなんだか嫌な予感がした。

 近づけば近づくほどにその予感は膨らみ、そして……確信。

 

『あれは……ヘプタグラム、という我の作り出した錫杖だ。この世界の神器数十本に匹敵する魔力を持ち合わせているが……なるほど、誰が教えたか知らんが転向の魔法が使えたのはアレのおかげだったということか』

 

「……勘弁しろよ」

 

 心の底から思う。

 

 俺は、折角知り合いになった奴と戦いたくはない。

 オルガニアの杖を振りかざし、詠唱を行いながら数多の()()()()を展開するその少女は……たった数時間ではあったが、俺が行動を共にした少女ととてもよく似ていた。

 

「……シルク」

 

 シルベル=シュレイク。

 俺が最初に森から脱出してからというものずっと、行方を眩ましていた駆け出し冒険者が空に浮いていた。

 

「シルク!!」

 

 俺は居ても立っても居られなくなり、シルクの元へと走る。

 空に浮くシルクは駆けつけた俺を一瞥すると、膝をついているこれまた俺の知り合いに笑いかけた。

 

「あははっ。良かったじゃない。援軍が来てくれたわよ?」

 

「ハッ……なら形勢逆転させてもらうぜ……」

 

「はっはーん。残念でした。今のあたしに勝てる奴なんかいるわけないわ」

 

「ガスト! 大丈夫か!?」

 

 グランウルフを数体相手にしても怪我すら負わなかったガストが頭や足から血を流して苦しげに呼吸している。

 空でほくそ笑んでいるシルクの笑みはいつか見たような気もするが、その空気感は全く違う。

 

「あ……アルスさん……っ!」

 

「……って、エミィも……良かった無事……って言えないよなこれ」

 

「アルスさん……良かった、怪我は、してないんですね……」

 

 俺の姿を見てか、少し距離が離れた家の影にはエミィがこちらの様子を心配そうに見ていた。見る限り怪我はしていないようだ。一安心である。

 

 他にも数人が不安げにこちらの様子を伺ったり祈りを捧げたりしている。

 あれらは全員逃げ遅れた人たち…ということか。恐らくシルクは単独で転向の魔法を使い、王都の中心に飛び込んで来たのだろう。

 

「アルス、来てくれてサンキューな……ワリィ、正直きつかった」

 

「いや、その前にこれどういう事だよ! なんでシルクが……」

 

「にっぶいわねーあんた。あたしがこうして悪人ヅラしているだけで気づきなさいよ!」

 

 空からシルクが誇らしげに胸を張る。

 そして渾身のドヤ顔を決めながら、高らかに名乗り上げた。

 

「あたしの名は、シルベル=シュレイク! 魔王軍防衛隊隊長! 幹部よ幹部! ふふん、恐れ慄き跪きなさい!」

 

「調子にのる性格は素なのか……にしても、やっぱり魔王軍の幹部……! 全然そんな風に見えなかった……」

 

「そりゃ、あたしのパーフェクトな演技の力よ。潜入捜査の時はガストのおかげで街の構造がよく分かったし、森ではアルスを使って転向の魔法が上手く使える事が分かったし。まぁちょっとあたしも襲われかける誤算もあったけど概ね完璧よ!」

 

 シルクは大層嬉しそうに空中で飛び跳ね、ガストは舌打ちをしてそれを睨みつける。

 

「だから、後の邪魔はあんた達だけ……粗方片付けて、早く援軍呼ばないといけないのよ」

 

 シルクが錫杖をこちらに向けて、口を開く。詠唱をするつもりだ。一体障壁魔法だけで何をするというのだろうか。

 いや、もしかしたら障壁魔法しか使えないという事がそもそも嘘だったり……。

 

「『護れ』『拡がれ』……『穿て』」

 

「あ、そこは本当なのか!?」

 

 一番嘘っぽいところが本当だった事に驚くが、それどころではない。

 巨大な障壁が高速でこちらに突進してきている。三つの魔法を極限まで切り詰めた詠唱で連続発動。魔法の応用技術でもあるこの技術の名は、連鎖起動(チェインタスク)

 

「アルスさん!!」

 

 エミィの悲鳴が後ろから聞こえてくる。

 俺は、肩越しにエミィを見て、震える口を歪めて笑みのようなものを作って見せた。

 

「今日の俺は、もう――逃げない!」

 

「潰れて消えなさい!!」

 

「チッ……避けろ、アルス……!?」

 

 俺は右手に握りしめた黒塗りの刃を構える。

 

「うぉおおおおおおお!!」

 

 迫る巨大な障壁を迎え撃ち……触れた範囲を無へと帰す。

 真っ二つになった障壁はそのまま左右に別れ、勢いを無くして消え去った。

 

「ぶふっえええええーーー!?!?」

 

 いきなり自分の魔法を消し去られた事でシルクが吹き出して目を見開く。

 

「ちょっ!? ちょっと待ちなさい何よそれ!? なんなのよその……呪物は!! 禍々しすぎるでしょう!? あんた何!? 魔王様!? あんた一体……何者なのよ!!」

 

「お、おいアルス……お前そりゃあ……」

 

「……俺は」

 

 シルクやガストの驚きも当然のことだろう。俺が使っているのは正に未知の力を。誰1人として見たことがないのだから。

 

 俺は2人の声を無視して、切っ先をシルクへと突きつける。

 そして、震える声を今度こそ制し、力強く言い放ってみせた。

 

「俺は、アルス! 勇者、アルス=フォートカスだ!!」

 

「勇者……嘘でしょ、勇者って……なんだったっけ……!?」

 

「すまん、俺もそれは疑問に思わざるをえねぇ」

 

 そりゃそうだろう、勇者というのは女神の光の力を色濃く持っている存在だ。

 もちろん俺にそんなものはない。今の俺にある力は……異世界の魔王の力。それだけだ。

 

 だがそれがどうした。光の力を使わないと勇者として認められないなんて法律は聞いた事がないし、そもそも存在しない。

 

 どんな力を使おうとも女神に認められた俺は勇者。お前達(魔王軍)の敵だ。

 

「くっ……! 嘘をついてたのはお互い様ってところね。いいわ! あたしの障壁魔法の真骨頂、見せてあげる!」

 

『向こうも本腰を入れてくるようだな。アルス、油断するな。あいつが持っているのは我の錫杖。強さは先の畜生共の比ではないぞ』

 

「ああ、分かってる……やってやるさ!」

 

「『護れ』! 『霧散せよ』! 『穿て』!」

 

 素早い三つの詠唱が終わるや否や、無数の粒状へと化した障壁が雨のように降り注ぐ。これではさっきみたいに全部を消滅させることはできない……!

 

「アルス、こっちこい!!」

 

「ぐえっ!?」

 

 覚悟を決めて横っとびに逃げようかと思ったところでガストに首根っこをつかまれて引っ張られた。

 人外の力で引き寄せられ、俺とガストは障壁の雨の範囲外に出る。

 

 そのまま引きずられるようになりながら建物の影へと一旦身を隠す。

 

「障壁【フロントガード】を拡散【マルチバリア】でバラして、仕上げに固定【フックロック】でこっちに突っ込ませる……あの野郎、魔法のチョイスが普通にうめぇ。んでもって見事に全部障壁魔法の一種、と」

 

 ガストが頭で分析をしながらどう攻めるべきかを思考する。

 今ガストが言った三つの魔法は確かに全て障壁魔法だ。いや、厳密に言えば障壁を作り出すのは障壁【フロントガード】だけだが、何も障壁を張るだけが障壁魔法ではない。

 

 拡散【マルチバリア】は障壁のサイズと数を変える魔法だし、固定【フックロック】はいつかシルクが崖で使った時のように障壁を勢いよくぶつけて引っ掛けることで固定する魔法だ。

 

 確かにその三つを同時に連鎖起動(チェインタスク)すれば先ほどのような障壁の霰を降らす事が理論上は可能ではある。

 規模も威力も、オルガニアの世界の魔力を使うことで更に強化されているようだし、とてもではないが真っ向勝負で競り勝つことは不可能だろう。

 

 まぁ、そもそもシルクのように詠唱を何文字かで済ますことは普通はできない。その時点で最初は不審に思ったが、あの時もっと言及していれば良かったと思うのは後の祭りだ。

 

「くそ……障壁魔法を攻撃に使われると明確な対抗手段がねぇ……反射できないのが辛いな……」

 

「ガスト、何か封印系の魔法を使えたりはするか?」

 

「ねぇよ、そんな高等魔法。正直、ガチであいつと俺は戦闘の相性が悪すぎる」

 

 ガストがお手上げとばかりに手を挙げるが、諦めてはいないようだ。俺も必死に頭を巡らせる。

 確かに中級の魔法を使って攻め立てるガストは障壁を破る程の火力は出ない。

 

 それどころか防がれた挙句障壁がそのまま反撃に使われるのだ。

 どう足掻いても後手に回るし、そもそも攻撃をさせてくれなくなる。

 シルクは正しく魔法使い殺し、といったところだろう。

 

 俺が提案したように魔力ごと封印して魔法を使えなくしてしまえばいいのだが……ガストが使えないのであれば良い案とは言えなくなってしまった。

 

「やっぱインファイトしか……って、あぶねぇ!!」

 

「へ? あぎゃあああああっ!!?」

 

 空気を切り裂く音と共に霰が降り注ぐ。

 俺たちは必死に走ることでそれをまたしても回避した。

 障壁が降り注いだ場所の地面はへこみ、抉れている。人の頭にあんなものが当たった日には、即死は免れないだろう。

 

「何かしてくるのかと思ったら……長くない? ミーティングタイム」

 

「うっせぇ! ちょっと待て! 5分寄越せ!!」

 

「はっはーん! やーなこった!」

 

 シルクはちろっと舌先を出してガストを小馬鹿にする。

 こめかみに青筋を浮かべて切れそうになっていたが、ガストはなんとか冷静さを保つ。

 

「アルス。俺が魔法詠唱するから、間髪入れずに突っ込んで障壁をぶった切ってくれ」

 

「え!? あ、お、おう。任せろ!」

 

 突然任務を任されて戸惑ったが俺はすぐに剣を構える。

 数秒、時が止まり……そして動き出す。

 

「『高き炎熱よ、猛虎の嘶きと共に吹き荒れよ』!」

 

「ぉおおおおおお!!」

 

 ガストの詠唱が始まると同時に俺もシルクに向かって突進する。

 

「……ふんっ。『弾け』」

 

 が、シルクは俺の剣が届かない高度まで浮き上がると一拍遅れて詠唱したにも関わらず爆速詠唱でガストの炎の波を防ぎ……そのまま反射される。

 

「どわぁあああっちちちちちぃ!!」

 

『ちっ。冷皮の魔法。湧き立つ血肉は銀の冷気を身に纏う』

 

「つめってぇええええ!!」

 

「悪りぃアルス! 大丈夫か!?」

 

燃やされた直後に冷やされて感覚がおかしくなったが、火だるまになる事は回避された。

俺は大丈夫、と手を上げたが盛大に咳き込んだ。

 

「飛ぶとか反則だろ!」

 

「ルールがあるわけないでしょ、バーカ!」

 

 俺の抗議の声もあえなく切り捨てられる。流石は魔王の手先。なんとも無情なことだ。まぁ魔王の手先的な意味では今の俺も大差ないわけだが。

 

「クソッタレ、魔族なのか人間なのかどっちかはっきりしろっての……!」

 

 空に浮かぶシルクを睨みつけながらガストが憎々しげに悪態を吐く。

 人間なのに魔族側に加担しているから、という意味だろうか。

 

「…………ふん、どっちかはっきりしてたら、あたしだってもうちょっと素直に育ってたわよ」

 

「……あぁ?」

 

 シルクは顔を伏せて吐きすてる。

 ガストの負け惜しみならぬ嫌味がなにかの琴線に触れたのか、その表情は見えないが声色はなにやら悲しげだ。

 

「不思議かしら? 人間が魔王軍にいることが」

 

「……」

 

「あたしは……」

 

 シルクは一旦言いよどんで、けれども意を決したように顔を上げた。

 

「……あたしはね、魔物と人間の混血なのよ」

 

「は……?」

 

『……ほう』

 

 魔物と人間の混血。

 聞いた途端俺とガストは目を見開き、オルガニアが目を細めたような気がした。

 

 魔物と人間の混血。

 聞いただけではあり得るように聞こえるが、俺の世界ではそれはある事を意味する。

 

 ……悪役というのは明確に悪いやつで、与える慈悲など必要ない。

 そんな事を子供の時に思っていたが、そんな事はなかった。

 

 悪者には悪者なりの過去があり、信念を元にして動いているのだ。

 

 この後すぐに、俺はそれを痛感する事になる。



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第16章「戦う理由は変わりたいが故に」

「あたしの父さんは人間。で、母さんは悪魔……アークデーモンって魔物だったわ」

 

 宙に浮かぶシルクは静かに語りだす。

 衝撃の事実にすっかり度肝を抜かれてしまった俺もガストも今は黙ってそれを聞いている。

 

 それはまるでおとぎ話のような物語。

 

 人里に住む優しい魔物は1人の男と出会い、愛し愛され結ばれた。

 

 いくら人の形をしているとはいえ、この世に魔物を受け入れる人が何人いるだろうか。

 強いて言うならば常に刃物を持って殺人衝動にかられるかもしれない狂人と一緒に暮らすのと同義だ。

 

「でも嘘って絶対ばれるものなのよ。……あたしが10歳の時に、母さんは、村の人に刺されたの。……いったいどこからばれたのか、あたしには分からなかったけどね」

 

「殺され、たのか……?」

 

「ここいらの小さな村なら不思議な話じゃないわ。母さんは魔物なんだから、殺されて当然。……それから父さんは……あたしを残して自殺した。」

 

「う……」

 

 不幸が不幸を呼ぶとは正にこの事だろう。

 シルクは親の死を2度もその目に焼き付けている。しかも10歳となれば物心も付いているだろうし、最悪の経験になって当然だ。

 

「……ほんと、父さんも母さんも……大っ嫌い」

 

 話途中でシルクは過去を思い出すようにして吐き捨てた。

 

「なんであたしを普通の人にしてくれなかったのよ……! 子供だったあたしも殺されかけたわ。命からがら逃げ出しても、母さんがいなかったから自分の姿を変えることもできなかったし! 行く先々で殺されかけて……!」

 

 魔物と人間の混血、というのはつまるところ人類の敵を意味し、この世界では堕ちた人間の象徴なのだ。

 

 セイクリア教が最もメジャーな宗教だという事は覚えているだろうか。

 セイクリア教は女神の敵である魔王……ひいてはその手先である魔物を完璧に敵対視している。

 つまり、その魔物の血を継いだ人間などというのは異教徒どころか化け物扱い。

 セイクリア教はいたる地域に山ほどいるわけで、居場所なんてどこにも無かったことだろう。

 

『…………』

 

「……?」

 

 徐々に感情が激昂していくシルクにつられるように……オルガニアが立ち上がったような……気がした。

 

「挙げ句の果てには母さんはあたしに障壁魔法しか教えてくれなかったのよ! 反撃もできないで……半分人間だから魔物にだって襲われるし!」

 

『……長い』

 

「へ?」

 

『敵の身の上話ほど退屈な物はないな。危うく貴重な原初魔法でも使って早送りしようかと考えたくらいだ』

 

「いやちょっ……こういう時くらいご清聴をだな……てか俺、続き気になるし……」

 

 緊張感と雰囲気をぶち壊しにかかってきたオルガニアを小声で諌めるも、聞く耳を持ってくれない。どうやら本当に痺れを切らしたみたいだ。

 

『魔物と人間の混血。なるほど女神を信仰するこの世界では生きづらいだろう。だが自らの出生を呪い恨む事は意味のないと知れ』

 

 聞こえもしないのにオルガニアはシルクに鋭い声色で言葉を紡ぐ。

 これはひょっとして……シルクのことを、叱ろうとしているのだろうか。

 

『己の過去を、生い立ちを、意味のないものに変えるのは何時でも己である事を知れ』

 

「あ……」

 

 オルガニアはシルクに向かって言ったのだと思う。

 だけど俺にはその言葉はとても他人のことだとは思えなかった。

 

「……己の過去を……」

 

「…………なんですって?」

 

 ぽつり、と俺の喉から言葉が漏れ、シルクが訝しげにこちらを見やる。

 何度目かのこの感覚は俺の中にある殻を破ろうと心の中を叩き、込み上げてくるかのよう。

 

「己の過去を意味のないものに変えるのは何時でも己である事を知れ……ってさ。……魔王様(オルガニア)の言葉だよ」

 

「……!? 何をわけのわからない事を……!」

 

 シルクには命をかけた苦しい過去があったのだろう。

 それが理由となって人間に敵対していて、そんな重たい歴史に比べたら俺の過去なんて軽いもんだろう。

 

 何故だろうか。

 俺はこいつに、無性に負けたくない。

 

「俺だって同じだ。嫌な事ばっかだったよ。だけど……確かに無意味な物には、したくないって、最近思うようになったんだ!」

 

「……っ。変えられないものなんていくらでもあるのよ……あたしを理解してくれるのは、居場所をくれるのは……魔王様だけ……!」

 

「ガスト! ……色々思い出すから、5分くれ!」

 

「……りょぉかい、勇者サマ。飛び切りの打開策頼むぜ」

 

「『護れ』!! 『護れ』、『護れ』ぇ!!」

 

 シルクの叫びにも似た詠唱に応えて障壁が3枚現れる。更に大きな規模の攻撃を行うつもりだろう。

 

「俺にゃお前らみたいなワケありな昔話はねぇけどよ。……何が正しいのかは、分かってるつもりだぜ」

 

 ガストは背から大剣を引き抜き、空を薙ぐ。

 

「5分だな、マジで頼むぜアルス! 『在りし力よ、須く虚無となれ』!」

 

 ガストが魔法の詠唱に入ると同時に俺はもう一度建物の陰に隠れる。

 一度は覚えた物だ。思い出す事は絶対に不可能ではないはず。

 

『……アルス』

 

「えっと……って、なんだ?」

 

 手近にあった小石を引っ付かんで地面にメモを取ろうとしたところで、オルガニアが俺の名を呼ぶ。

 

『奴が持っているのは我の杖。あれは内に宿す魔力もあるが、魔力を増幅させる力が大きい。まずはアレを奪え。全力で奪え』

 

「……大丈夫。それもきっとできる」

 

『それからもう一つ……』

 

「な、なんだよ? 俺早く……」

 

『奴の衣服の下に身にまとっているもの。あれは神器の一つだ。後で奪え』

 

「あー、はいはい、分かったよ! 衣服の下……」

 

 落ち着いて言葉の意味を確認して、俺の中の焦燥感が一気に冷める。

 衣服の下に身にまとっているもの。それってもしかしなくても……下着、という奴ではなかろうか。

 

 確かに女子の下着ともなれば見てもよし被ってもよし投げてもよしの三拍子揃った神器だが、それを実際に奪えと言うのか。しかもこそこそしたりせずに、身につけているものを剥ぎ取れ、と。

 

「いや、お前魔力吸収するなら近づけばいいだろ! なんでわざわざ……」

 

『……前にも少し言ったが。我が魔力を奪えるのはお前の近くにあり、尚且つ殆ど露呈しているものだ。人の魔力が奪えないのは人体組織に包まれているから。下着の魔力が奪えないのは衣服に隠れているからだ』

 

 蓋のついた料理をどうやって食べるのか。

 いつだったかオルガニアが言ったことだが、その蓋を開けというのか。

 今のシルクはローブを除けば胸部や腹周り、足もかなり露出している軽装だ。剝ぎ取るのは難しくはなさそうだが、相手が相手故にいかんせん抵抗がありすぎる。

 

『迷っている時間はないのではないか』

 

「だあああ、分かったよ、取り敢えずは了承するから! とにかく、思い出す!」

 

 結局俺はその場の勢いに任せて会話を打ち切ってしまった。今は本当にそれどころではない。

 

「『護れ』、『拡がれ』、『霧散せよ』、『穿て』!』

 

「『守護神よ、迫る脅威を拒絶せよ』」

 

 四つの魔法を同時に連鎖起動(チェインタスク)するシルクに対し、ガストは障壁【フロントガード】で対処する。

 あっという間に砕けてしまう障壁も、逃げる時間を作るのにはかなりの仕事をしてくれる。

 

「ちょこまか動かないでよ……! 『護れ』、『拡が――」

 

「『在りし力よ、須く虚無となれ』!」

 

 防戦に徹したかと思えばシルクの魔法を早口で詠唱した魔法で中断させ、反撃に転じる。

 阻害【バニシュスペル】は詠唱を強制的に中断させる阻害魔法だ。

 

「『我が志は折れぬ鉄剣と心得よ』。行くぞオラァ!!」

 

 強化【フィジカルビルド】で身体能力を引き上げ、空を飛ぶシルクの元へと跳躍。そのまま力任せに大剣を振るう。

 こうなればシルクの展開していた障壁は防御に使わざるを得なくなり、ガストが流れを引き戻す。

 

 オルガニアの魔力によって強化された障壁は壊れないものの、それならば正面にしか貼れない障壁の裏から攻撃すればいい。

 

 数秒も経たず戦況を理解し、相手の魔法に対して有効な魔法を正確に撃つ。

 後手に回っているように見えるが、無駄な動きが一切ない後出しじゃんけんのようなものだ。

 

 魔法の素人が見ても、ガストは強いと映る事だろう。強化、攻撃、阻害、障壁、回復、操作。とにかく使える魔法の幅がべらぼうに多い。

 俺はよしんば魔法の知識があるため、それを一層強く感じた。

 

 ガストはこちらに攻撃が来ないようにシルクの詠唱を消去(バニッシュ)しつつも普段はしないのであろう接近戦も交えて絶え間なく攻め立てている。

 俺はその戦いから視線を外して、自分のやるべき事へと頭を向けた。

 

「……絶えること無き力の流れは、弱者と強者を隔てる壁也……えーと、次は……いや、これじゃ順番逆だったか……?」

 

 実に10年ぶりにもなる詠唱で俺は呪文を思い出すことに苦労する。

 思い出せる場所は疎らで、忘れているところを見つけるたびに冷や汗が頬を伝う。

 手を動かし、地面に傷をつけながら呪文をメモして記憶を掘り起こす。

 

「……静かなる囁きは神の力」

 

 少し前に聞いたシルクの言葉が俺の中で反響する。

 

「……騒然たる叫びは悪魔の力」

 

 なんであたしを普通の人にしてくれなかったのか。

 シルクはそう言った。

 俺も同意見だ。なんで俺は普通じゃなかったのか。ずっと考えて、悩んでた。

 

「……汝、弱者の……違う。汝、強者と……ん? どっち先だ……? あれ? ……後につけんの、のとか、とだっけ?」

 

 そんな中、シルクは魔王に必要とされたのだ。

 必要としてくれる人の為に、恩返しの為に戦っているのだ。

 

 何が正しいのかは分かってるつもりだと、ガストは言った。

 普通の教育を受けた人ならばそうだろう。俺も分かってるつもりだし、きっとシルクもそうだったはずだ。

 それでもどこかで正義の方向性は変わって、考え方が変わった。

 

 シルクは復讐のために生きてはいない。

 過去を憂いて恨み、人とも魔物とも知れない中途半端な自分を変えるために戦っている。

 

 そして、自身を認めてくれる人のために戦っている。

 

「――――……」

 

 ――アルスさん……無理はしないでください。

 

 数日前までは弱気であった俺がいて。

 

 ――飛び切りの打開策頼むぜ、勇者サマ。

 

 数日前までは戦う覚悟すらなかった俺がいて。

 

 ――誇れ。その力は、誰もが持つ物ではない。

 

 数日前までは、変わりたいとも思わなかった俺がいた。

 

 

「なぁオルガニア。こんな時だけどさ」

 

『ん、なんだ?』

 

「いや、その……ありがとな。お前のおかげで俺は――戦える」

 

『…………。勝ってから言え。ヘタレが』

 

「そりゃそうだ。まぁ諸々アドバイスのお礼だよ。素直に受け取っとけっての。……ともかくさ」

 

 

 

 

 ――アルス、前を向け。……今度こそやれるな?

 

 

 

 

「今は、俺も……誰かの為に、負けられない!」

 

 小石を放り投げて完成した呪文を再度確認する。

 

 間違いは……ないはず!

 

「ガスト、できた!!」

 

「終わったか! んじゃ頼むぜ!」

 

「なんだか知らないけど……やらせないわよ!」

 

「させねぇよアホが! 『在りし力よ、須く虚無となれ』! 『紫電伝う空の霞、一条の矢よ、落ちて砕け』!」

 

 ガストの唱える魔法がシルクの詠唱をキャンセル。阻害してから、魔力を全力で乗せた特大の紫電【フォールボルト】で即座に追撃する。

 

 俺が詠唱を始める隙は十分にできた。

 

「やるぞ……『絶えること無き力の流れは弱者と強者を隔てる壁也。静かなる囁きは神の力、騒然たる叫びは悪魔の力……」

 

 詠唱がものすごく長く感じる。

 けれど一言一句間違えるわけにもいかないので、俺は慎重に、急ぎすぎずに口を動かす。

 

「なんの魔法……!? ともかく、あんた邪魔しないで!」

 

「そりゃこっちのセリフだっての……!」

 

「この……! 転向の魔法! 定められた空間は我が手のままに揺れ動く! そんでもって……『包め』ぇ!」

 

「は? なんだそれ……なぁぁぁっ!?」

 

 唐突に景色が変わったかと思えばガストの姿が視界から消えている。

 運悪く転向の魔法で移動させられる範囲に立っていたのだろう。あるいはそこに立たされたか。いずれにせよ初めて聞く詠唱のやり方に戸惑って阻害ができなかった事は明白だ。

 

 慌ててガストを探すと割と近いところに飛ばされていたようで、数メートル先で見つかった。

 

 視線の先ではガストがボール状の障壁の中に包まれ、閉じ込められてしまっている。

 あれは、障壁【スフィア】という魔法だが……上級魔法であるはずだ。

 シルクは上級魔法すらも三文字で詠唱を済ませてしまった。これがオルガニアの杖がもたらした力なのだろうか。

 

「…………!」

 

 ガストが障壁を叩いて怒鳴り散らしているが、障壁はビクともせずにガストの声は聞こえない。

 目の前では何故かローブが消え、露出度の高い服一枚になっているシルクが肩で息をしていた。

 

『……空間魔法の代償は、自身の身につけている物が一つ、どこかに飛んでいく、だ。我の杖でなくて良かった。探す手間が増えかねん』

 

「はっ……はぁっ。無理、してるわよ……でも、あんたらなんかに……負けられないのよ……!」

 

『ふん――――』

 

「……っ、汝、強者を討たんとするならば、声を聴き、力を求めよ! 汝、弱者を理解せんとするならば、耳を塞ぎ、力を捨てよ!」

 

 こうなったらもう最後まで行くしか無い。

 動揺を抑えきり、俺は詠唱を続ける。ここで止めてしまっては全てが崩れ、無駄になる。そうなれば本当に勝ち目は無くなるだろう。

 

「残念だったわね……! 『護れ』『霧散せよ』……『穿て』!!」

 

 シルクの作り出す障壁の霰が現れる。

 怪我をするのは承知で、俺も詠唱を無理やり続けようと覚悟を決めて息を吸い込む。

 

 やがて霰が降り注がれ、俺を貫こうとしたその時。

 

『……雑ぜる盾嵐の魔法により――巡れ、咆哮』

 

 突然の突風。

 俺の身体から吹き荒れた風は文字どおり盾となり、襲いかかる障壁の粒をまとめて押し返した。

 

「きゃっ! な、なに!?」

 

 俺が魔法を詠唱中に他の魔法が飛んでくるとは想像もつかなかっただろう。

 盾嵐の魔法は、音すら完璧に遮断する程の豪風を放つオルガニアの魔法だ。

 かつて音すらも搔き消した風の盾は、今の俺にとって、全てを完成させるための追い風に他ならない。

 

 最後の隙を得た俺は、オルガニアに心の中でお礼を言ってから呪文を締めくくるために口を開く。

 

「汝、両者にならんとするならば――動を棄て、等しき人間として壁の上に立つがいい』!!」

 

 長い詠唱を終え、俺の魔法がいよいよ姿を表す。

 淡い灰色の光が俺の手のひらに収束し、膨れ上がっていく。

 

「っ……! 『護れ』――」

 

「無駄だ……!! 喰らえ俺の超必殺奥義ぃ!! 封印――ゼロ・フォォォオオオオス!!!」

 

 突き出した右腕から爆ぜるように光が拡散し――この瞬間、俺を除いた空間、人間の持つ全ての魔力は……零になる!

 

「まさか……っきゃああああ!?」

 

 魔力がゼロになるのだから浮いていられるはずがない。

 シルクはなす術もなく重力に従って地面に叩きつけられる。

 更には全ての障壁もけたたましい音を鳴らして砕け散った。

 

 技量によってその効果時間は変わるというが、俺の場合、効果時間は8秒。

 

 

 8秒という短い時間は、俺がシルクの元へ走り、杖を奪った上で喉元に切っ先を突きつけるのには、十分過ぎる時間だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――それは俺がまだ8歳と少し経ったばかりの頃。

 簡単な魔法の教科書に載っていた物の一つも習得できなかった俺は、ある時親父に買ってもらったクソ難しい魔法の本を読んでいた。

 

 難しすぎて理解どころか読めもしなかったが、何故かたった一つだけ習得できた物があった。

 

 

 封印【ゼロ・フォース】。

 

 

 敵味方無差別に自分以外の魔力使用を一定時間完全に封印する魔法使い殺しの封印魔法。

 要求される魔力量も比較的少なく、難易度がそれ程高いわけでもないのに、上級魔法に認定され、熟練の魔法使いが数百人に一人しか会得できないらしい。……ではそれは何故か?

 

 曰く、魔法使い界隈でそれは「人を選び過ぎる魔法」。「これを習得するために人生を使ったのが馬鹿らしくなった」。「作った精霊は絶対に性格悪い」。と言わしめる魔法。

 

 

 この魔法は、捻くれ者の精霊が作った(バカにしか使えない)上級魔法だったのだ。

 

 



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第17章「日常は――」

「しっかり反省してくださいっ!」

 

「……はい。すいませんでした」

 

 全部が終わってから数時間後。

 王都の冒険者や傭兵たちが協力してグランウルフも殲滅し、今では行方不明者や怪我人、瓦礫等の下敷きになってしまっている人達の救助活動を王都の騎士団が行っている。

 

 シルクと戦っている間も含めてグランウルフの数が少ないと思ったら、反対側で大量発生していたそうだ。百を超えるであろうグランウルフの軍勢とは、なんとも凶悪すぎる陽動だ。

 

 ……で、俺はというもの、こうしてエミィの宿屋で正座をさせられているわけだが……これにはちゃんと理由がある。決して俺がエミィに叱ってくださいとかいう変態的な所望をしたわけではなく、ちゃんと理由があるので安心して欲しい。

 

 事の発端は勝負がついた後だった。

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

「…………」

 

「…………っ」

 

 数秒、時が止まっていたような気がする。それほどの静けさが辺りを包んでいた。

 俺は黒の剣をシルクの喉元に突きつけたまま動かない。

 

「……なんで、止めるのよ」

 

「…………」

 

「あんたの剣なら、振ればあたしを殺せるんでしょ。……なんでやらないのよ」

 

 うな垂れたシルクは俺から目を逸らしたまま動かない。

 波動の魔法を纏った剣は、確かに触れたものを皆無へと帰す。

 だが、今の俺にシルクを殺す気など欠片もなかった。

 

「……魔法学者バリス=ミネルが監修した教科書――導入部分にはこう書かれてる」

 

「……え?」

 

「障壁魔法は、凡ゆる障害に対し壁を以ってして拒絶する力であり、戦うための力ではない。戦火の中、尊い命を護るための力である。力を手に入れる前に、心優しい精霊がこの魔法を作り出した意味を、考えてみて欲しい――」

 

「それって……」

 

「読んだことあるだろ。有名な言葉だ。……お前のお母さんは、シルクに護る力を身につけて欲しかったじゃないかって、俺は思うんだ」

 

 《障壁魔法基礎》。というなんの変哲もない名前の教科書がある。

 障壁魔法は攻撃の力にできると考える学者は多い。というより、各国と戦争だらけだった昔は実際障壁魔法は攻撃魔法として扱われていた。

 

 そんな中、道徳的な意見を出して負のイメージを払拭し、今の障壁魔法の常識を作り出した教科書が《障壁魔法基礎》だ。

 俺はもう何十回も繰り返し読んでいるため、その内容の一部分なら思い出すことができる。

 ……当然、中に書かれている簡単な障壁魔法は一つも習得できなかったわけだが。

 

「……生き方にどうのってわけじゃないけど……えーとな、だからもう、そういう使い方はしないほうがいい……と思う」

 

 人を諭すように話したことなんてないせいか言葉が詰まり、しどろもどろだ。

 シルクは眉根を潜めて、下を向いている。今、何を考えているのだろうか。

 

「……あんたは、嫌じゃなかったの」

 

「……何がだよ?」

 

「……人の倍以上に不完全だったことよ。あんたも、あたしと同じって言ったじゃない」

 

 そう尋ねられて、俺は少しだけ言葉を考える。

 嫌かと問われればもちろん嫌だった。嫌じゃなければ俺は村を飛び出して不貞腐れていなかっただろうし、もう少し勇ましかったはずだ。

 

 俺は、シルクのこの問いに真摯に答えなくてはならない。

 それだけを決めて、口を開く。

 

「超嫌だったよ。何年やっても魔法の一つも覚えないし、やっとこさ覚えた魔法は馬鹿の証明みたいなひっどい魔法だったしな。おまけに勇者になっても力の一つも使えなくて……いやほんと、俺何やってたんだろうな」

 

 昔の愚痴ならばいくらでも出てくるってくらい努力した。

 俺は実らない努力ほど虚しいものはないと思う。

 

「……そう」

 

「…………」

 

「そう思ってもあんたは……恨まなかったのね」

 

「恨んださ。俺はそこまで聖人じゃないからな」

 

 中途半端に逃げても、俺のやりたい事は、結局の所変わらなかったのだ。

 即ち俺が恨んだのは自分。シルクが恨んだのは世界といったところだろう。違ったのはたったそれだけの事だ。

 

「……アルス」

 

「あ……ガスト。怪我、大丈夫か?」

 

「一応、な。治したがおかげで魔力はすっからかんだわ」

 

 首を回しながらガストが歩いてくる。

 血は止まっているようだがその顔色は青くなっている。魔法の使いすぎだろう。

 

「……で、こいつどうすんだ?」

 

「ああ、それなんだけどさ……逃がそうと思うんだ」

 

「は、はぁ? そりゃどういう……」

 

 ガストに尋ねられて、俺は最後の仕事をする決断をする。

 シルクを殺す気はない。更には王都の騎士団にも渡すつもりはない。

 何故なら――俺にはまだやるべきことがあるから。

 

「シルク」

 

「……なに」

 

「先に謝っておく。ごめん!!」

 

「は、はぁ? なによそれ、どういう……」

 

 シルクが怪訝そうな顔をするや否や、俺はシルクの服に鷲掴むような勢いで手をかける。

 薄い服を強引に引っ張った後、素早く剣で留め具を引き裂いた。

 剣はいつの間にかただの刃に戻っているが、怪我はさせないように細心の注意を払う。

 

「ぇ……ぁ」

 

 その結果、シルクのそれほど豊かでもない双丘と下着が露わになる。

 か細い悲鳴のような声が聞こえるが、気にしている場合ではない。

 

 罪悪感と良心の呵責で死にそうになったが、歯を食いしばってなんとか耐える。こうしないと俺が殺されるのだ。オルガニアの熱で。

 

 シルクどころかガストもなにが起こっているのか理解できないようで、口が開いたままだ。

 俺はそれを当然のことと思いながら心を鬼にして更に下着も切る。

 

「ぜぇ……ぜぇ……」

 

 剝ぐところまで剥いだシルクはもう見えるところまで見えてしまっている。

 いつもの俺ならばこういうのは図らずも見てしまうところなのだろうが、それをゆっくり観察する余裕すらない。

 

 シルクの玉肌を守る最後の一枚を取ったところで俺はようやく額の汗を拭う。

 

「…………ふぅ」

 

「なっ……ななななな」

 

 狼狽え、顔がみるみる朱に染まっていくシルクを横目に、俺は手に収まったフリル付きの可愛らしい白ブラジャーを見る。

 これで全てが終わった。この戦いも、俺の社会的な立ち位置も。

 

「なな、なに、なになになにすんのよ……この、変態ぃいいいい!!!」

 

「ほぶぁあああ!!」

 

 エクスタシーにも似た達成感を半ば現実逃避気味に味わうこと数秒。

 シルクのグーパンチが俺の頬を捉え、空高く吹っ飛ばしたのだった。

 

「変態変態っ! 変態っっ!! あんたなんか魔王様に殺されちゃえ! うわーーん!!!」

 

 俺は大の字で地面に転がったまま泣き叫んで逃げるシルクを見る。

 その顔は真っ赤なトマトのようで、意外と泣き顔可愛いな、などと取り留めのない事を考えた。

 

「……これで満足っすか」

 

『ああ、十全な結末だ。ふふっ、ふふふふ……我の杖……やっと戻ってきたぞ」

 

 俺が必死になって手に入れたシルクの下着もそっちのけでオルガニアは完全に杖に夢中である。

 

 ゆっくりとぶん殴られた頬を手でさする。口の中が切れているようで鈍い痛みが走った。

 やはり殴られるのも罵られるのも嫌なものだ。

 俺は変態と言われて殴られる事に快感は感じないノーマルな人間なのだから。

 俺は唖然としているガストを視界から外すようにして起き上がりながら空を仰ぐ。

 

「はぁ……もうめでたしって事で勘弁してく」

 

「アルスさん」

 

「……ださいませんでしょうか?」

 

 しかしそんな事許される筈もなく。後ろを見れば、目から光が消えている無表情な少女が一人。

 

 俺の戦いはこれからだった。

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 で、時間は今に戻る。

 事の顛末をバッチリ見ていたエミィは全く表情を動かさないままに俺が持つシルクの下着をひったくった。

 その後宿屋で俺の怪我を気にかけながらも真っ赤な顔でお説教する姿を見ると申し訳なさで心が押しつぶされそうになるのだから、エミィは天然の説教上手と言ったところだろう。

 ははは、笑えない。

 

「いやまぁ、正直止めなかった俺も悪かったからな。その辺にしといてやってくれよ、店主さん」

 

 流石に長時間の説教を食らっている俺に同情してくれたのか、はたまた呆れて見ていられなくなったのか、ガストが仲裁に入ってくれた。

 エミィは納得いかなさそうに頬を膨らませたが、やがて諦めたようにため息を吐いた。

 

「……ごめんなさい。疲れているのにこんなに長々と。あの、でも本当に、ああいう事はいけないことなんですからね!」

 

「……肝に銘じておきます」

 

 そう言い残して去っていくエミィに俺は再び頭を下げたのだった。

 反省するのは俺のほうだというのにエミィは俺の体を気遣ってくれたようだ。本当に、よく出来た子だと脱帽せざるを得ない。

 

「……にしても驚いたな。急に何事かと思ったぜ俺ぁよ」

 

「いや、うん。説明してる暇がなかったんだけどさ……」

 

 ガストにはシルクの下着が神器であったこと。そしてそれを剥ぎ取ったのはシルクの弱体化を狙っていた事を説明した。

 側から聞いたらただの見苦しい言い訳なので、エミィには説明しなかった。きっと納得はしてくれたんだろうけど、それでもエミィは怒ったと思う。

 

「やれやれ……ま、お疲れさんだったな勇者サマ。助かったぜ。ゼロ・フォースなんて隠し玉持ってるたぁ恐れ入ったわ」

 

「ひょっとして馬鹿にしてる?」

 

 戯けた言葉遣いのガストに俺は詰るような視線を向ける。

 しかしガストは言葉の雰囲気とは裏腹に、首を横に振った。

 

「あ? 褒めてんだよ。ゼロ・フォースが馬鹿にしか習得できない魔法っつってもなんの努力もなしに使える魔法じゃねぇってことは誰でも知ってる」

 

「……ガスト」

 

「……へっ。まぁ今日くらいきっちり休んどきゃいいんじゃねぇか」

 

「ん……そうだな。ありがとうなガスト」

 

 一瞬ガストの言い方に疑問を感じたが、気のせいだろう。

 ガストには悪いが、俺は暫く勇者として働く事はしないつもりだ。のんびりとまた平和な生活を送らせてもらう。

 という事を説明する必要はなく、俺はガストに別れを告げてから疲れた身体を引きずるようにして部屋へと戻った。

 

「……っ、はぁっ!」

 

 ベッドに身を投げて、息を勢いよく吐き出すことでようやく俺の緊張の糸は解けた。

 とても、とても長い1日だった気がする。

 外では夜の帳が落ち、もう街灯が付き始めていた。

 

「……なぁ、オルガニア?」

 

『ふふふっ……どうした、アルス?』

 

「お、おう……相変わらず上機嫌だな」

 

 杖を取り戻してからというもの、オルガニアはずっとこの調子だ。

 ちなみに俺はオルガニアの杖を部屋の隅に立てかけている。

 後々回収する、と楽しそうに言っていたが、はて、どういう意味なのだろうか。

 

「……あのさ」

 

 俺は1日……引いてはこの日までの大変だった日を思い出す。

 

 自分のためとはいえここまで協力してくれたオルガニアには聞いて欲しい事があった。

 

 俺は、静かに深呼吸してから語りだす。

 

「俺はさ、強い勇者になりたかったんだ」

 

 始まりはあの言葉から。

 勇者に憧れる言の葉を言ったその瞬間から、俺の夢はそれだけだった。

 

「誰でも助けられて、どんな敵にも勝てる……そんな勇者にって。……俺はそれに今日近づけた気がしたんだ」

 

『…………』

 

 浮かれ気味だったオルガニアは、静かに言葉を聞いてくれている。

 俺は一息入れて、話を続けた。

 

「物理的な強さってのもそうだけど。気持ち的な意味でな。だからまぁその……言いたいことはだな」

 

 最後を締めくくろうとしたところで、俺の言葉は詰まる。

 言いたいことはまとめていたつもりだったが、いざ言おうとすると小っ恥ずかしい。

 お礼も何度か言っているもののこれは少し訳が違う。

 

「……うーん。うん、あのさ」

 

『……なんだ』

 

「……あーーー!! やめ! やっぱやめだ!! なんでもない!」

 

『……はぁ?』

 

「魔力が戻るまでこれからもよろしくってこと! それだけな!」

 

 羞恥心が限界に達した俺は早々に話を切り上げてそのまま枕に顔を押し付けた。

 魔王に感謝する日が来るなどと誰が想像しただろうか。

 

「…………」

 

 しばし、部屋に静寂が訪れる。

 

『まぁ、よくやったと褒めておこう。神器は手に入ったし、杖を取り返したおかげで我の魔力は完全ではないにしろ大きく戻った。それだけで充分と言えるだろう』

 

「……杖、ね。そんなに大事なもんなのか?」

 

『無論だ。ふふっ、なにせこの杖は我がまだ、に――』

 

「……? なんだよ」

 

『……なんでもない。ともかく大切な物なのだ』

 

「……ふーん。なら戻ってきてよかったな」

 

 まだ、に――。とはなんだろうか。

 オルガニアは何かを言いかけたようだが、明らかに慌てて口を噤んだ。

 そういえばなんとなく一緒にいるけど、俺はオルガニアの事をまるで知らないままだ。

 

 オルガニアには、どんな過去があるのだろうか……なんて事を想像しながらまどろみの中に意識を落とそうとしたところで――しかしその眠りは扉が勢いよく開かれる音によって妨げられた。

 

「おい、アルス! お前にこんなモンが届いたんだが……」

 

「え、な、なんだよ? 届け物? 実家からか?」

 

 突然の事に頭が回らなかったが、取り敢えずガストは一枚の紙を持っていた。

 紙は見るからに人工的と分かるはっきりとした赤で塗られていて、実家からの贈り物にしては趣味が悪すぎる。

 一体なんなのだろうかと、俺はガストから紙を受け取って紙に記された内容に目を走らせた。

 

「え…………たい、ほ、じょう?」

 

 その紙には、広告の見出しのように大きく逮捕状と書かれていて、その下には細かな字が記されていた。

 

 逮捕状。

 

 この意味が分からないほど俺は馬鹿ではない。

 

「なんだこれ、どういう……」

 

「と、いうわけです。突然で申し訳ありませんが、ご同行願えますか?」

 

「……っ!?」

 

 俺と同じように困惑の表情を浮かべるガストの後ろから、凛とした雰囲気を持つ女性が入ってくる。

 

 胸元に華の文様が刻まれた銀の鎧。

 さらりと伸びた長い銀の髪の毛。

 大きく女性らしさがあれど、鋭さを感じさせる朱色の目。

 

 そんな女性が、俺をまっすぐに見つめて逮捕宣言をしていた。

 

 

 

 

 俺の日常は――まだまだ壊れ始めたばかりである。

 

 

 




ここまで読んでいただきどうもありがとうございました。
これにて第一幕は終わり、第二幕へと突入いたします。
今後ともこの作品をよろしくお願いします。


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第二幕「勇者と騎士とお祭りと」
第18章「ソルデ騎士団」


第二幕が始まりました。
コンゴトモヨロシク…






 逮捕状。

 

 それはこの国……ソルデの騎士団が使うことのできる権利の一つだ。

 これを発行し、突きつけた場合文字通り対象を半強制的(例外は重傷人とか妊婦とか、すぐに連行できない状態の人達だ)に逮捕して拘束、連行が可能になる。

 

 ただ、逮捕状が必ずしも犯罪者に送られる物であるというわけではなく、参考人へ事情徴収や証言を貰うために逮捕状を発行する時がある。

 

 だから、一概に逮捕状がマイナスの意味を持つわけではないのだが……。

 

(め、滅茶苦茶ヤバイ雰囲気だ……。目つき怖いし、本気の声だし。俺、一体何やらかした……?)

 

 さっきから俺を見る騎士と思わしき女の人目と雰囲気が本気だ。これは本気と書いて、マジと読む。俺が抵抗なぞしようとした日には今すぐにでも彼女は剣を抜いて俺に切りかかってきそうだ。

 

 逮捕の理由はなんなのだろうか。

 街中で危険度の高すぎる力を使った事だろうか。鎮圧した魔王軍幹部の下着を剥ぎ、あまつさえそれを逃した事だろうか。それとも今まで仕事を全くしてこなかった事だろうか。

 

 ……どうしよう。割と、心当たりしかない!

 

 俺が裁判を行う立場であったとしたならば、終身刑待ったなしだ。

 

 そんな緊張感の中、ガストがおずおずといった風に口を開いた。

 

「あー……なぁ、騎士さん? なんかの間違いじゃねぇか? こいつぁ街を救いはしたけど犯罪は……あー、まぁしたのか? スレスレの事はしたのか」

 

「語尾疑問系にならないで!? そんで意見を変えるな! いや気持ちは分かるけども!」

 

「貴方方かどのような想像をしているかは計り知れませんが、説明は団長から直々に、との事です。ともかく、アルス=フォートカス殿。逮捕条約に基づき、この場で拘束いたします」

 

 ガストの必死の弁明虚しく、結局俺は名も知らぬ騎士に連れられてソルデ騎士団へと連行される事になってしまったのだった。

 

 牢や取り調べ室までの連行途中は魔法のみを封じられる。

 連行と聞けば真っ先に思いつくのは手の封印だが、何故腕を封じないかというと、そもそも腕を封じる必要などないからだ。

 

 魔法で身体能力を強化すればどんな俊足が逃げ出しても捕まえられるし、反撃されてもねじ伏せられる。

 動体視力を強化すれば人質を取る隙さえ与えない。

 

 強化魔法というのは謂わば脳のリミッターを魔力で無理やり外す魔法であるため、一度に2種類から3種類同時にかけるのが限度なのだが、説明した通り犯罪者が逃走する事に対する抑止力となるには2種類でいい。

 

 態々費用を使って拘束具、ないしに拘束の魔法を使う必要もないというのははっきり分かるだろう。

 

「あ、あのー……俺はどうして逮捕されてるんですか?」

 

「……その説明は団長がされますので」

 

 そして先程から何度か俺が逮捕された理由を聞き出そうとしているのだが、まるで機械にでもなったかのように同じ答えしか返ってこない。

 

 しかし俺のことは刺すような目で睨みつけてくるのだから堪らない。せめて何が起こっているのかを教えてもらいたいものだ。

 

「こちらへ」

 

「……うわ」

 

 やがて到着した騎士団の本部を見て俺は息を飲む。

 何時も見る街の建築物とは比べものにならないほどに無骨で厳格な石造りの建物。

 関係者以外は立ち入り禁止、という文句は何処にでも見られるが、この場所ほどそれを体現している雰囲気を持つ建物はないだろう。

 

 ソルデ騎士団。

 

 王都ソルディースに本部を置き、ソルデの各街でその治安を守っている国家公認の武装組織だ。

 時にゲリラ的な魔物の発生で討伐隊を組んだり、傭兵のような活動を行ったりもしている。

 傭兵との違いは金銭を必要としないところだろうか。その分各地域から依頼が多く集まるので回転率は良くないようだが。

 

 ともかく彼ら彼女らは皆一様に正義感に溢れ、高い志を持って日夜平民の平和を守っている。

 ソルデには無くてはならない存在だ。

 

「少しの間、ここでお待ちを」

 

 暗くとも明るくもない内装を見つつ、俺が通されたのは冷たい牢屋ではなく、応接室のような部屋だった。

 どうやら犯罪で捕まったわけではないということが分かり、一先ずは胸をなでおろす。

 

 しかしそうなると、本当になんの用で俺をここまで引っ張ってきたのだろうか。

 よもや感謝状が渡されるわけでもあるまい。そうであれば逮捕ではなく招待という形になるし、そもそも騎士団本部ではそんな事やらない。

 

『ここは何もなくて退屈だな』

 

 10分ほどしたところでオルガニアが痺れを切らしたかのように話しかけてきた。

 一人きりで広い応接室に取り残されて心細かったが、なんとなく孤独が安らいだ気がする。

 

 普段は面倒に感じるオルガニアとの会話もこういう時はありがたいものだ。

 姿は見えずとも、そこに話し相手がいるというだけで孤独の感じ方は全く違ってくる。

 

「帰ったら、面白いことがあるからな。なんせ活動期も終わりに差し掛かってるからそろそろ……」

 

「お待たせいたしました」

 

 と、言いかけたところで応接室の扉が静かに開き、先程の女性騎士が入ってきた。

 俺は立ち上がって再び案内されるままに施設内を歩く。

 

「……団長。お連れいたしました」

 

 歩く事数分。それほど遠くないところに一際大きな扉が佇んでおり、騎士はそれを躊躇うことなく3度、ノックした。

 

「おーう、入っとくれー」

 

「!?」

 

 そのノックに答えるように、中からやたらフランクな声が聞こえてきた。

 声がしわがれていることから年配の男性ということは分かるが、正直予想外だ。

 中にいるのは本当に団長なのだろうか。

 

「……失礼いたします」

 

 女性騎士の後ろに続いて俺も中へと入る。

 部屋の奥、俺の視線の先には……やたらふんぞり返って座っている老人の姿があった。

 

「いやー、よく来たのー。君がアルス君か。あ、そこそこ。椅子、座っちゃっていいぞい」

 

「……はぁ」

 

『偉くガタイのいいジジイだな』

 

「……そだな」

 

 俺は言われた通りに一人掛けのソファに腰掛ける。

 随分と間の抜けたような話し方のせいで、ただのお調子者の老人としか見えない。

 オルガニアの言う通り身体つきは筋肉質であるため、騎士団の人間である事は感じられる。

 

「……ローガン団長。前々からもう少し威厳を大切にと言っているはずですが」

 

「んぁ? あー、ワシそういうの苦手とも前々から言っとるじゃろ? あっるぇーー? ミネルヴァちゃん忘れちゃったんかのー?? やーい、忘れんぼ――」

 

「……貴方が何時までも、その調子だから私はぁあああああ!!!!」

 

「あっ、ちょっ、ほら! お客さんの前じゃぞ! ストップ暴力! 攻撃反対!」

 

「……えぇ」

 

 頬をツンツンと突っつかれていたミネルヴァ、と呼ばれた女性騎士は赤い目をギラギラと燃え上がらせて激昂するが、ちらりと俺を見て抜きかけた剣を震える手で押さえた。その眉間にはシワが寄り続けているが、控えめに言って怖い。折角の美人が台無しである。それとは別になんだかどっと疲れたような顔をしているが……大丈夫だろうか。

 蚊帳の外の俺はただ呆然と座っているしかない。

 

「あー、ほら! 下がっていいぞいミネルヴァ! みんなの訓練でも見てこい!」

 

「くっ……。後で覚えていろ……」

 

 ミネルヴァさんは悔しげに歯噛みしてから部屋から去る。

 

 そして一息ついてから、目の前にいる団長……と呼ばれたローガンさんは呆然としたままの俺の身体をジロジロと見始めた。

 

「さてさて……ほぉん、なるほどのぉ……」

 

「……あの、俺はどうして呼ばれたんでしょう……?」

 

「細っこいのーお前。弱そうじゃし」

 

「開口一番で罵倒!?」

 

 身も蓋もないことをいきなり言い放たれるとは流石の俺も予想外。

 俺の胸の内などいざ知らず、ローガンさんは心底残念そうにため息を吐いた。

 

「もうちょいかっこいいの期待してたんじゃがなー」

 

「えぇぇぇ……」

 

「ま、ええか。見かけじゃなにも分からんからの。いやなに、ワシゃ言いたいこと言っちゃう性分でな。君も、もちっと肩の力抜いて話していいぞい。なんじゃふざけたじーさんだなぁとか」

 

「自覚あんのかよ……」

 

「そうそう、そういう感じじゃ。ぬぁっははは!」

 

 けたけたと面白そうに一頻り笑った後、ようやく本題に入るようでローガンさんはゆっくりと椅子に腰掛け直した。

 

「ま。困惑しておるじゃろう。一から説明するわい」

 

「……お願いします」

 

 俺はどうしてこの騎士団に呼ばれたのか。知りたいのはその一点だけだ。

 俺は静かに頷いて、ローガンさんの言葉を待つ。

 

「……お前さんの使う勇者の力。見た者から話を聞く限り普通の魔法じゃない……そうじゃろ?」

 

「……っ!」

 

 そこまで聞いた所で、俺は自分が逮捕された理由をすぐに理解した。

 あそこにはガストやエミィ……それに一般人までいたんだ。得体の知れない力を使っている事がバレるのはある程度覚悟していた。

 

 それでも見て見ぬ振りしてくれないかと期待はしたが、それは置いといて。

 強力な上に不気味な力を持っている奴を野放しにはできない、と言ったところだろう。

 

「……あれは俺の勇者としての力、です」

 

 騎士団側の疑いも分からないでもない……が、ここは白を切らせてもらう。

 色々と説明してオルガニア自身を面倒に巻き込むのは悪い気がするし、何より魔王を宿してる勇者ってだけで白い目で見られそうだ。

 

「ふぅむ……ならば、今見せてくれんかの?」

 

「い!?」

 

 ローガンさんの虚をつくような要求に俺は思わず声を裏返す。

 しまったと口に手を当てるも後の祭り。俺の反応にローガンさんの目が光った。

 今の反応ではいつでも使えないと言っているようなものだ。

 

「勇者の力というのは分からないものも多いがのぅ。ただ共通するのは誰もがまるで当然の事のように使い方を知っているということじゃ。……お前さんにはそれがない、と」

 

「うぐっ……」

 

 迂闊だった。こんな事ならばもう少し真面目に嘘を考えてくるべきだった。

 専用神器(アーティファクト)も無い、才能も無いとなればいよいよもって俺の勇者人生も終わりを迎えるか。ご愛読ありがとうございました……。

 

「……ヌハハハハ!! そんな硬いツラせんでいいわい! 何も変に疑っとるわけじゃない」

 

「……え?」

 

「強大な力には例外が存在する。予測不可能じゃからな。きっとお前さんは今までの常識から逸脱した人間なんだろうのぉ」

 

 ローガンのその指摘は近からず遠からず、といった所かもしれない。

 確かに逸脱した力という点では合っているが、俺のその力は所謂貰い物だ。胸を張って言えたものではない。

 俺はなんとなく反応に困り、曖昧な顔でお茶を濁す事にした。

 

「あはは……どうでしょう」

 

「ヌハハ……まぁこちらとしてはお前さんにその力を使いこなせるようになってもらいたいわけじゃ」

 

「使いこなす、ですか」

 

「そう。本題を言うと、お前さんにゃ一時、騎士団に所属してもらいたい」

 

「へぇ……騎士団に……」

 

 早く話が終わらないかな、と頭の隅で考えていた俺の脳が殴られたかのように揺れる。

 

「……今、なんて?」

 

 俺は考えるよりもまず反射的に聞き返していた。

 ローガンさんは声のトーンも変えずに同じように復唱する。

 

「騎士団に所属してもらいたい、と言ったんじゃよ」

 

「は?」

 

 ダメだ。2度聞いても何を言っているのか分からない。

 騎士団に所属しろというのはつまり……暫く騎士団と同じ生活を送れという事だろうか?

 もしそんな頓京な話を本当に持ちかけるのならば、全力でお断りである。

 

「ここでの生活を積み重ねれば、自ずと自分の力も理解できよう」

 

「…………」

 

 俺はローガンさんから目線を外さずに、その提案の真意を考える。

 俺を騎士団に招き入れる事にメリットは存在するのだろうか。

 

 しばし思考してみるものの、その答えは全く分からない。

 騎士団に入るための門はかなり狭いというし、俺みたいなぽっと出を迎えても白い目で見られる未来しかないはずなのだが。

 

『……目的は監視と調査だろう。得体の知れない強大な力など、もし存在すれば野放しにはできないはずだからな』

 

「……なるほど」

 

『力の扱い方、というのは口実。そもそも我の力を使い熟すなど土台無理な話だ。我がさせない』

 

 お前がさせないのかよ。と喉から出かかったツッコミを寸前で飲み込んで、俺は再度ローガンさんを見た。

 

 ローガンさんはにこやかにこちらを見ている。俺の答えを待っているようだ。

 相手にどんな思惑があろうと、俺の答えは決まりきっている。

 

「……折角ですけど、お断りしま――」

 

「まぁ断ってもいいんじゃが、そうなるとお前さんの後ろを付け狙ったりする奴が出るじゃろうなぁ」

 

「ぶっ!」

 

 相も変わらず軽いノリの警告に俺はギャグのように吹き出して咳き込んだ。

 このジジイ……よりにもよってなんて事を言うんだ。隠す気が全くないところも質が悪いが無理矢理監視なんてされたのでは堪ったものではない。

 

「……少し、考えさせてください」

 

 俺は眉間にしわを寄せた。

 そこまでされては答えを変更せざるを得なくなる。何かしら別の打開策を考えねば。

 

「ヌハハ……色好い返事を期待してるぞい」

 

 先程までの軽い雰囲気とは一転。途端に悪そうな笑みを浮かべるローガンさんはさながら悪魔のように感じた。

 



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第19章「試してください」

覗いていただきありがとうございます。
そういえばこうして書いている第二幕ですが、実は第三幕の予定でした。ストーリー構成ガバガバすぎィ!
まだ見ぬ第三の物語をお楽しみに(第二幕始まったばかり)

19章です。可愛がってください。






「……っあー」

 

『で、どうするのだ』

 

「いや、入らないに決まってるだろ……でもどうすりゃいいんだ……」

 

 送るから、と言われて待っていたところ、その役はまたしてもミネルヴァという女性騎士だった。

 この人、理由は分からないが殺意でも篭っているのかと疑うほどに強く俺を睨んでくるから、少し苦手だ。

 

「……」

 

 数歩前を歩く彼女は今も無言な上に明らかに不機嫌ですというオーラが漏れている。

 かと言って何故不機嫌なのかを問うのも違うと思うし、どうしたものやら。

 

「……貴方は、勇者なのでしたね」

 

「え? あ、ああ。まぁそうです……けど」

 

 気まずさをただ耐えていると、不意にミネルヴァさんが尋ねてきた。

 

 シルクと戦った時に調子に乗って勇者を公言してしまったため、俺の名前はそこそこ知れ渡ってしまったようだ。

 静かに暮らしたい俺にとっては人生で最大のミスと言えるだろう。

 

「あまり活動をしている様子はないと。ギルドの方で聞きましたが、事実ですか」

 

 ミネルヴァさんは淡々とした口調で俺に問う。その抑揚のなさはさながら機械のようで、謎の緊張感が俺の背筋を走る。

 

「……そう、ですね。俺は他の勇者とは違って弱いですから」

 

 俺はバツが悪そうな演技をして頬をかいた。

 悲しいかな、これは決して嘘ではない。

 まともに力を使えない事もまた事実だ。

 

「弱い、か。なら、貴方はどうして勇者を名乗る」

 

「……?」

 

 何かが彼女の琴線に触れたのか、口調がガラリと変わる。

 ローガンさんとは敬語無しで話していたし、これが彼女の素なのだろうが、突然の事で困惑は隠しきれない。

 

「勇者を名乗り、勇者として活動しない者などただの置物だ。貴方の力がどのような物なのかは知らないが――」

 

 ミネルヴァさんは一度歩みを止め、はっきりと、そしてより強い力を込めて俺のことを睨みつける。そして……。

 

「私は貴方を勇者とは認めない」

 

 静かに、言い放った。

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

「……そう、言われてもな」

 

 結局断る理由が思いつけないまま、2日が過ぎた。3日後に迎えにくると言っていたから、明日にはまたミネルヴァさんが逮捕状と鋭い目つきを携えてやってくる。

 

 俺はなんとなくミネルヴァさんの絶対零度の目つきを思い出した。

 正直に言うと認められないほうがありがたいが、今の俺は世間でバッチリ認知されてしまっている勇者。そろそろ世間体を気にしなければならない頃合いだ。

 

「どうすりゃいいんだろう……」

 

 大人しく騎士団に入って穏便に話を済ませるべきか、と自問自答を繰り返すも返ってくる答えは決まってノーだ。

 

 騎士団の朝は早く、訓練も厳しい。それに俺が付いていけるとは思わない。向こうはそういう事も考慮済みなのだろうが、きつい事はしたくないというものだ。

 

『おい、アルス。この前言っていた面白い事とはなんだ?』

 

「ん……? ああ、すっかり忘れてた。明日辺りで活動期が終わるんだけどさ、冒険者とか傭兵とか騎士とか、街を守ってくれた人を労ったり終わりを祝うためにお祭りが開かれるんだよ」

 

『……マツリ』

 

「祭り。知らないか?」

 

 尋ねられたから答えたが、どうやらオルガニアは祭りを知らないようだった。

 

 この行事は毎年恒例のもので、ちなみに俺は参加した事は一度もない。

 活動期が終わってから一週間後に祭りは始まり、その日は1日街全体が賑わうので俺は宿屋にこもりっぱなしだった。

 今回はオルガニアもいるし、少しくらいは周ってみようかと思っていたのだ。

 

「出店とか催し物があったり……見るだけでも珍しくて楽しいんじゃないか?」

 

「……ふむ。なるほどな。マツリか……マツリ……」

 

 響きが気に入ったのだろうか、オルガニアは祭りという単語を何度も復唱する。その姿が面白くて、俺はなんとなく笑みが溢れてしまっていた。

 

「お前、なんか子供みたいだな」

 

『馬鹿にしてるのかお前は?』

 

「いやいや、違う違う。ただ微笑ましいっていうかなんつーか」

 

『……まぁいい。我の力も中々戻った、はずだ。前とは違う事を見せてやろう」

 

「ははっ、見せるってどうやってだよ。また夢の中でか?」

 

 そういえば夢のような現実ではない世界であればオルガニアの姿を見ることができたという事を思い出したが、オルガニアはちっちっちと舌打ちしながら勿体振るように笑った。

 

『楽しげな催し物ならばお前の中にずっと居るのはつまらん。顕現の魔法を使い、この世界に降臨するのだ』

 

「顕現の魔法……って、それ確か魔力を結構使うんじゃなかったのか? やめとけよ」

 

『良い。これは我が個人的にやる物だから、契約の事は気にするな。それに、我はもう少し……』

 

 オルガニアの言葉が詰まるが、流石の俺でも今回ばかりはオルガニアが何を言いかけたかは分かった。

 

 帰るまでの時間が延びる。

 この意味と、オルガニアが言わんとしていた事は結びつく。

 オルガニアは、危険な自分の世界にまだ帰りたくないのだろう。

 

 そうなのだとしたら、俺としては止める理由はない。

 

「なら一週間後に使うといいんじゃないか」

 

『そうさせてもらおう。杖もこの手で持ちたいのだ』

 

 楽しそうに言葉を弾ませるオルガニアは本当に嬉しそうだ。祭りより、そっちの理由のほうが比重が大きいのではないだろうか。

 

「にしても祭りか……祭り……あ」

 

『む?』

 

 祭りの内容を思い出す内に、俺の中に何かが降りてきた。

 これなら行けると確信にも似た感覚が込み上げ、高揚感から顔がにやける。

 

「なぁオルガニア。俺が危なくなったら、今回も助けてくれるか?」

 

『契約は継続中だ。その分の魔力さえ提供すれば、是非はない』

 

「神器には心当たりがある。そんで上手くいけばきっと……騎士団との縁もさっぱり切れる! 流石は俺だな!」

 

『自画自賛とは寒い奴だ。少しはその貧弱さを改める為に騎士になるのも良いのではないか』

 

 相変わらずオルガニアは俺に辛辣だ。

 というか、オルガニアは俺を真人間にしたいのだろうか。情けなくて見ていられないと言われたら何も言い返せない。

 

 繰り返すようだが俺は騎士にはならない。断固拒否の姿勢を貫くつもりだ。

 俺は手を叩いて立ち上がり、握りこぶしを作って気合をいれる。

 

「よし、そうと決まれば直談判だ。迎えに来るって言ってたし、なんて言うか考えておくかな」

 

『何だか知らんが無駄な事だけはするなよ』

 

 オルガニアの忠告に頷きながら、俺は明日の事に思いを馳せる。騎士団に入ることに比べれば、他の苦労などはないに等しい。

 

 俺が思いついた方法。それは活動期の終わりを祝う祭。ソルディース祭における催し物の一つにおいて頂点(1位)を取ることだった。

 

「……ん?」

 

 と、ほくそ笑んでいたところで、俺の部屋の扉から小気味いい音が聞こえた。

 誰だろうかと扉を見るも、特に何も聞こえてこない。

 

「……? はい?」

 

 昨日の今日で嫌なことに見舞われ続けているにもかかわらず、俺は何も警戒せずに扉を開ける。

 若干の後悔をしたが、どういう訳かそこには沈んだ顔で佇んでいる少女……エミィがいた。

 

「エミィ……どうしたんだ?」

 

「あの、突然、すみません……。その、わたし……アルスさんが、心配で」

 

「あ……ああ。大丈夫だよ。特に悪いことじゃなかったんだ」

 

 心配、と言われてすぐにエミィが何を思っているのかを察する。

 多分、俺が犯罪者の濡れ衣を着せられていると思っているのだろう。実際濡れ衣かどうかを議論する事は端に置いておくとして。

 

「ほ、本当ですか……? 騎士の人たちに脅されたりとかしてませんか?」

 

「はは、それじゃ騎士が悪者みたいだな。大丈夫。少なくとも俺に犯罪の疑いはかかってないみたいだ」

 

「はぅ……よ、良かったです……」

 

 目尻に涙を浮かべるエミィを元気付けるように努めて明るい声で話す。

 ただ宿屋にいるだけの俺を気遣ってこうして泣いてくれるとは、エミィは本当にいい子だ。エミィの前では笑っていたいと自然と思わされる。

 

「でも、じゃあ……一体どんなお話があったんですか?」

 

「ああ、それは……」

 

「あっ、ごめんなさい。聞かない方がいいでしょうか……」

 

 涙を拭ってから大きな瞳で俺を見上げたかと思うと、顔を伏せてしゅんとする。エミィは本当に表情豊かだな、と思いながら俺はエミィを部屋の中へと招いた。

 

「ま、立ち話もなんだから中に入って座ってくれよ」

 

「はい……。失礼します」

 

 エミィを椅子に座らせて、俺は扉を閉め、施錠してからベッドの端に腰掛ける。一人用の部屋だから、椅子が一つしかないのだ。

 

 俺は後頭部をかきながらどう説明しようかと思考を巡らせる。

 

「ぁ……密室……二人きり……」

 

「さて、じゃあ話すか……エミィ?」

 

 粗方まとまったところで話を始めようとしたが、肝心のエミィが心ここに在らず、といった調子だ。どうしたのだろうか。

 

「ひゃ、……こ、心の覚悟はできてますん!!」

 

「……おう」

 

 心の準備ではなく、心の覚悟と来たか。それほどまでにエミィはこれからする話を重く捉えているのだろうか。

 親身になってくれるのは嬉しいのだが、他人事なのだからもうちょっと肩の力を抜いてもいいと思う。

 

 それからその言い方は「できてます」なのか「できてません」なのか。混合していてよく分からない。

 

 取り敢えず、耳まで真っ赤なエミィが暴走しているのは確かだ。

 

「えーとな。エミィ。一旦落ち着こう」

 

「へ? あ……あぁぁぁ、ごめんなさいなんでもないですごめんなさい!」

 

 エミィが一体何を考えていたのかは不明だが、どうやら現実世界に帰ってきてくれたようだ。

 これでようやく話が始められる。

 

 俺は騎士団でされた話の殆どをエミィに話してみせた。もちろん言葉のニュアンスはなるべく優しく、あたかも強制力は全くない話のようになるよう心がけながらではあるが。

 それでも顛末は理解してくれたようで、エミィはほっと胸を撫で下ろした。

 

「そういうことでしたか……。でも、凄いですアルスさん! 騎士団に勧誘されるなんて!」

 

「お、おう……そうだな……」

 

 実際は監視のためだけに誘われたのだが。

 まぁ本当に全部教えてエミィを心配にさせる必要はない。

 

「でも……やっぱりその勧誘を受けることはないんですか?」

 

「まぁ、な。俺は一応勇者だから」

 

 勇者だからというのは言い訳。ただ大変で面倒な事から逃げたいだけだ。

 俺はそんな腹の内をしっかりと押し込み、隠しておく。

 

「とは言っても、俺は凄いやつでもなんでもないよ。他と比べて全然弱いしな」

 

 エミィが言っていた凄いという言葉を忘れずに否定しておく。俺の評価なんてのは何時でも底辺でいいのだ。そうでなければならない。

 

 しかしエミィはそんな俺の考えなど御構い無しに首を千切れんばかりに横に振った。

 

「そんな事ありません! アルスさんは凄いです!」

 

「え、エミィ?」

 

 エミィは声を大にしてそう主張する。

 突然大きな声が耳に響き、俺は面食らった顔でエミィを見た。

 

「ガストさんも他の人たちも……わたしの事も。アルスさんはみんな助けてくれたじゃないですか」

 

「あれは、まぁほら。必死だったから」

 

「必死でもなんでも。アルスさんは来てくれました。……わたしにとって紛れもなく勇者様です」

 

「あー……」

 

 屈託のない瞳を向けてくるエミィに対して申し訳なさと、嬉しさが込み上げる。

 あの事件で今まで俺がサボってきた分がチャラになるわけでもない。エミィはただ、俺が今まで何をしてきたかを知らないだけだ。

 

 具体的に言えば何をしてきたかではなく、何もしてこなかったわけだが。

 俺のことを認めてくれるその気持ちは嬉しい。けれども素直に喜んではいけないと思う自分は確かに胸の中に居た。

 

 特にその後のお説教が非常に胸を刺す。

 

「……人のために立ち上がれる、か」

 

「え?」

 

「いや、なんでもないよ。ありがとうなエミィ。ちょっと自信ついた」

 

「い、いえ! わたしなんかが言うことではないのかもでしたけど……」

 

 マイナスの考えは一先ず断ち切り、俺は立ち上がって伸びをする。

 そして俺は精一杯明るい声でエミィに笑いかけてから、こう言った。

 

「明日から頑張るよ」

 

「……明日から、ですか」

 

 何故かエミィの声のトーンが少し落ちた。

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 翌日。

 俺は前回と同じようにミネルヴァさんに連れられて騎士団本部に足を踏み入れていた。

 

「……では、失礼いたします」

 

 ミネルヴァさんが退室し、俺とローガンさんだけが団長室に残る。

 俺はゆっくりと深呼吸をしてから席に着き、ローガンさんと対面した。

 

「さて、答えを聞かせてもらおうかの」

 

 淡々と、けれど期待と楽しさが滲み出ているローガンさんの質問に、俺はすぐに答えた。

 

「……俺を試してください」

 

「……ほぉ。試す、か。その方法は?」

 

「ソルディース祭では傭兵や冒険者達が自分の力を一般人に見せたり、遊び場として設けられている決闘形式の催し物があるのはご存知ですよね」

 

「……あるのぉ。安全に戦闘が見られるってんで人気みたいじゃな」

 

 ソルディース祭においてそれは「宴闘」、と呼ばれる。

 傭兵達にとって大事な宣伝の場であり、冒険者にとっては文字通り遊び場だ。

 強い者と決闘する事を遊びとするその価値観は理解できたものではない。

 

 ローガンさんの言う通り毎年大人気のようで、そこそこの規模の会場で執り行われる。

 

「そこで俺の力をお見せして、優勝します。力が操作できれば、良いんですよね?」

 

「ほほぉん、なるほど」

 

 宴闘のルールとして、相手に著しくダメージを与える魔法、攻撃を行った場合は失格という物がある。

 

 オルガニアの魔法が何処まで強いかという懸念はあるが、波動の魔法以外は俺の世界の魔法と効果は違えど威力に大差がない。死に至らしめることはないだろう。多分。

 

「くっくっくく……ヌハハハ!! いやぁ、若いのう!」

 

「へ、へ?」

 

 暫く何かを考えていたかと思ったら、ローガンさんはいきなり意味不明なことを言い出し、部屋中に響くような大笑いを始めた。

 

「ヌハハ……考えが浅く、愚直。思いついたままじゃ。いやー実に単純! 誰もが思いつくわいそんな交渉! ヌァハハハハハ!!」

 

「は、はぁ!?」

 

 心底楽しそうに笑いながらローガンさんは罵倒の嵐を俺に浴びせる。

 オルガニアの罵り方とはまた違ったベクトルの矢が胸に刺さってくる感覚がした。

 

「えっ……と、つまり、ダメですか?」

 

「あーいやいや。誤解するんじゃあないぞ。儂はその答えを予想していただけじゃ。寧ろただ従ったり頑なに拒否するだけの阿呆でなくてなにより」

 

 予想していて敢えて俺にそれを言わせるとは、本当に捻くれたジジイだ。この時点で俺は少し試されていたという事になる。

 などと文句を垂れたかったが、俺は大人しく眉根をひそめるだけで収めた。

 

『随分と捻くれたジジイだな。おまけにうざい』

 

 どうやらこの点ではオルガニアと意見が一致したらしい。

 

「予想はしていた……じゃから、儂はそれを認める。ただし、一つだけ条件を出させてもらうぞい」

 

「はぁ、条件……ですか」

 

「まっ、そんな難しいことじゃあないわい。一つだけ、そう、一つだけじゃ」

 

 この人は何処までも胡散臭いのだろうか、言い方の一つ一つに悪意しか感じられない。

 

 どんな理不尽なことを言われるかと身構える俺をローガンさんは面白そうに眺めながら……やがて勿体ぶるように言った。

 

「宴闘でミネルヴァと戦え」

 

 脂汗を垂らして顔を引きつらせる俺を見るローガンさんは、やはり楽しそうに笑うのだった。

 

 



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第20章「ミネルヴァ=スカーレット」

 ソルディース祭で開催される闘技大会、宴闘にはいくつかのルールがある。

 

 使える武器は刃を持たないもの、鋭利では無いものに限る。

 使用できる魔法は殺傷力の少ない初級クラス、或いは補助系統の魔法。該当するもの以外の魔法を使った場合は失格。

 二人以上での参加は不可。

 

 などなど、そのルールの多くは命を危険に晒さないための決まり事ではあるが、それでもやはり当たりどころが悪ければ大怪我に発展する事も少なくない。

 

 実際に俺はその事故を何件か知っているし、毎年の恒例行事みたいなものとされている。それもまた、活動期終わりの風物詩だ。

 

 ただ、やはりそういった野蛮な祭ごとに参加するのは控えめに言って血の気の多い馬鹿か暇人が多い。そのため力を持った優秀な傭兵、ないしに冒険者が参加する事は殆どないのだ。報酬も効果が眉唾物の神器が一つ。そのためだけに時間を無駄にする人間など居ない。

 

 そういうわけで俺は今回の宴闘でオルガニアの力を使って無傷で突破しようと考えていたのだ……が。

 

 ソルデ騎士団、副団長ミネルヴァ=スカーレット。

 

 彼女の出場が確定した事によってその望みはあっさりと砕かれた。

 

 団長ローガンに次ぐ権限と力を持ち、女性で史上初めてとなる副団長就任を遂げたかなりの実力者だ。

 有名な人らしく、調べたらあれよあれよと記事が出てきた。寧ろ知らないのは常識知らずと言われるほどの人物らしい。

 

 その人となりは厳格にして冷徹。しかしそれでいて尚、優雅。

 他人に厳しく、それ以上に自分に厳しく規律に従い生きる彼女は正しく騎士の鏡。彼女を慕い、憧れる人間は少なくないどころか多い。滅茶苦茶多い。ビビるくらい多い。

 近頃女性が騎士団に志願する事が多くなってきているらしいが、その背景にはもちろんミネルヴァさんがいる。

 

 趣味は絵画。自身で描くこともしているようで、やたら可愛らしい動物の絵しか描かないらしいが彼女の描く絵には質とはまた別のベクトルで価値がついている。

 後、光り物が好きらしく綺麗な石やアクセサリーを集めているようだ。その辺りは女性らしい所と言える。

 

 更に黄金の騎士という肩書きを持ち、光に質量を持たせる魔法を操る勇者。騎士であり、勇者でもあるという完璧な職業が彼女の人気の一部でもあるのだろう。

 

「調べれば調べるほど無傷で勝てなさそうだなこの人」

 

 ふっと鼻で笑ってから俺は新聞を閉じた。

 ここまで来るといっそ清々しい程濃い人だと思う。

 ミネルヴァさんの存在が色々とベタ過ぎる感じがするが、それこそが彼女の持つ魅力なのだろう。正直俺には甚だ理解できない。

 俺が調べていたのは、過去ソルデ騎士団の紹介として書かれていたコラム。そこにはこれでもかと言わんばかりに騎士団のことが記されていたが、それと同じくらいミネルヴァさんの記事で埋まっていた。

 

 俺は国立図書館の一角で椅子にだらしなく腰掛ける。

 こうして調べ物をしたのはいつぶりだろうかとぼんやりと考えるも、その思考に意味はない。

 

『なるほどな。その女は専用神器(アーティファクト)を持っているということか』

 

「ん? ああ、そうなるか。びっくりだよなーミネルヴァさんが勇者だったなんて。……勇者として認めないって、そういう意味だったのかね……って、あ。なぁオルガニア、食う?」

 

 口をついて出た悪魔のような提案をする自分に嫌気が指し、俺は言った直後に頭を抱えた。

 宴闘の時に使う武器は専用神器(アーティファクト)であるわけがないのだから、弱体化は図れないというのに。

 

『無論だ……と言いたいところだが、今回は姿を現すのでな。勝手に魔力を吸収すれば当然騒ぎになる。それは我の本意ではない』

 

「……そうか。それを聞いてちょっと安心したわ」

 

『取るのは次の機会でだ。焦らずとも良い』

 

 しかし機会があればやはり魔力を吸収するらしい。今更文句を言う気はないが、またオルガニアの世界の魔法道具か何かが転がり込んでこないだろうかと思わずにはいられない。

 

『……しかし、お前はどうやってあの女に勝つつもりだ?』

 

「え? そりゃまたオルガニアの力を貸してもらって……え、ひょっとして俺の中にいないと力が使えないとかあるか?」

 

『いや魔力の受け渡しは可能だが……契約の内容はお前が命の危険に晒された時に守る、というものだ。そんな遊びに我が付き合うと思っているのか?』

 

「……え?」

 

 顔が硬直し、背中に冷や汗が伝う。

 完全にやる気がなさそうなオルガニアの声に俺は頭から血の気が引くのを感じた。

 

「え、えーと。でもほら、危ないことに変わりはないだろ?」

 

『命の危険がない事は確かだ』

 

「いや、大怪我するかもなんだぜ?」

 

『そんなもの魔法か何かで治してもらえ』

 

 ダメだ。完全に取り付く島もない。オルガニアは本当に今回俺に力を貸してくれないようだ。

 確かに試合中は医療班が待機していて無償で傷の手当てをしてくれるし、危なくなったら試合が止まる。

 怪我の危険は高いが命の危険は殆どないと言っても過言ではない。オルガニアのいう事は正しい。

 

 という事は、つまり。

 

「よし、逃げる準備をしよう。さらばホームシティ生活」

 

『お前は……少しは成長したかと思ったら相変わらず腑抜けのままだな』

 

「無理ゲーにも程があんだろマジで。誰だよこんな事提案した奴」

 

 唯一の打開策が潰れた今、俺は素早く逃走を敢行。荷物をまとめてしばらくほとぼりが冷めるまで姿をくらます予定を立てる。

 騎士団の監視の目から逃げ出すには国境を越える必要があるだろうが貯蓄はあるから問題はない。

 

『国中に支部を置く騎士団なのだろう? お前如きが逃げられるものか』

 

「……ですよね」

 

 俺は諦めたように嘆息して椅子に座り直した。

 そのままもう一度資料に目を通そうとしたところで……俺の目の前に影が差す。

 

「そうだな。国中に散る私達騎士は貴方を逃すつもりなど毛頭ない」

 

「……は?」

 

 唐突に上から降ってきた声に俺は反射的に顔を上げた。

 目の前に立っていたのは……今まさに調べ物をしていた人物、ミネルヴァさん本人。

 なぜここに居るのだろうか。というよりも真っ先に出てくる疑問がある。

 

 今の口ぶりからするに、こいつは俺たちの話を聞いていたのか?

 

 俺は目を見開いてミネルヴァさんを見る。

 

「……最初は聞き間違いかと思った。けれど、そうではなかったようだ。……オルガニアと呼ぶその存在、一体何者だ?」

 

 その視線から俺が何を思っているのかを察したのか、ミネルヴァさんは俺を一瞥してそう尋ねてきた。

 

 この聞き方。ミネルヴァさんには、オルガニアの声が聞こえていると考えていいだろう。

 

「……い、一体どこから話を……」

 

「私は強化魔法を得意としているからな。……聴覚の強化など造作もないことだ」

 

 なるほど、そういうことか。

 納得しつつも俺は心の中で舌打ちをした。

 オルガニアとの会話は最大限注意を払って小声でしていたつもりだったが、強化魔法は盲点だった。

 これではオルガニアの事を説明しないわけには行かなくなる。

 

 しかし聖職者でもないミネルヴァさんがどうしてオルガニアの声を聞く事が出来たのだろうか。

 いや、そもそも聖職者が声を聞けるという俺の解釈が違ったのかもしれない。

 現にシスターさんや他の神官さんはオルガニアの声が聞こえていないようだった。

 

 という事は、オルガニアの声を聞く条件は――。

 

「何を考えているのかは知らないが、私の事を調べるより先にやるべき事があるんじゃないか?」

 

「はぁ……なんでしょう?」

 

「体力作りのランニングだ。騎士団の訓練は甘くないからな」

 

「ま、負ける事前提かよ……」

 

 ミネルヴァさんの表情はどこまでも真顔だ。俺の事を見ているようでまるで見ていない。一種の不気味さすら感じられる威圧感だった。

 俺は彼女の顔をじっと見つめ、その雰囲気に飲まれないように睨みつける。

 

 すると、ミネルヴァさんの顔を見ているうちに一つ発見があった。

 

「あ……泣きぼくろ」

 

 少し長めの髪の毛に隠れて見えなかったが、ミネルヴァさんの目尻の少し下には可愛らしい泣きぼくろが付いていた。

 新聞記事の写真でも気づかなかったし、面白い発見をした気分になる。見つけられたのはちょっと嬉しい。

 

 しかし口に出してしまったのは失敗である。

 この空気の中そんな事を言えるほど俺の肝はすわってはいない。

 

 俺はミネルヴァさんの顔を見ていられなくなった。

 ……俺を刺す視線が一層険しくなった気がする。

 

 さておき、女の人に言われっぱなしというのはなんだかつまらない。

 俺も何かを言い返してやろうかと口を開きかけたところで、それは別の言葉によって遮られた。

 

『ならばお前は、今から土下座の練習でもしておくべきだな』

 

「へぁ?」

 

「……なんだと?」

 

 その声の主は、なんとオルガニアだった。如何にも挑発的な声色で挑発的な言葉を言う。

 

『勝負に十割は存在しない。その事も分からんケツの青い餓鬼が、活きるなよ』

 

「……っ。……失礼。その通りだ。余計な御世話だったようだな」

 

 意外にも、ミネルヴァさんはオルガニアの物言いに言い返す事なく、一瞬面食らったかのような表情をしてあっさり引き下がった。

 

 そういえばこの二人、雰囲気といい言葉遣いといい何処か似ている節がある。偶然だろうが、全く奇異な偶然だ。

 

「なら、貴方の顔が引きつる瞬間を想像しながら力を磨いていよう。異界の貴方に現実を突きつけるために」

 

『……ほお?』

 

 本当に、偶然にもこの二人はとてもよく似ている。

 皮肉に皮肉で返す所とか、挑発し合う所とか、色々。

 

 ともかく、そんな二人に板挟みにされる俺としては勘弁していただきたいという一心だ。

 俺は無理矢理でも早々に会話を切って、すぐに宿屋へと帰る事に決めた。

 

「……例え貴方が闇の力を使っても、私には勝てない。……いいや、勝たせはしない」

 

 小走りで去ろうとする俺に囁きかけるミネルヴァさんの言葉が、少しだけ頭に残った。

 

「なぁ、オルガニア?」

 

『……む、なんだ』

 

 図書館を出てから暫く。

 3度目くらいの呼びかけでようやくオルガニアが反応を示した。

 オルガニアは何か別のことを考えているのか、心ここに在らずだ。

 

「なんか、さっきはサンキューな。助かったっつーか、寧ろ焚付けちゃったわけだけど」

 

 話をすげ替えてくれたおかげで無理やりとはいえ特に何も説明することなく立ち去ることもできたわけで、良かったのやら、良くなかったのやらだ。

 いずれにせよ、こうして接触してきたということはミネルヴァさんはこれからも俺の元に訪れることだろう。オルガニアの事を聞きに……そして、俺の監視のために。

 

『我が我の言いたいように言っただけだ。……しかし、我らしくはなかったな』

 

「……? らしく?」

 

 オルガニアのいう言葉の意味がはっきりと分からず、俺はおうむ返しのように聞き返す。

 

『少し、そう少し。カッとなっただけだ。気にするな』

 

「……ふぅん」

 

 オルガニアがカッとなった、ね。

 俺は今までのオルガニアを思い出しながらなんとなくその事を疑問に思う。

 オルガニアは喜怒哀楽の中で取り分け怒るような事があまり無い。どちらかと言うと怒るというより呆れる方だ。

 

 長年生きているから怒ることもなくなったのかと勝手に思っていたが、案外そうでも無いらしい。

 

「なんにせよ、あんな啖呵切っちまったら勝たないと、だよなぁ……」

 

『ふん、分かっている。責任を取れとでも言うんだろう』

 

「はは。その通りだよ」

 

 幸いにしてオルガニアに力をねだるいい口実が出来た。オルガニアも少し引け目を感じているようだし、ここは遠慮なく図々しくならせていただこう。

 

『まぁ少し検証したい事もある。それを今回するのは吝かでもないのだが……そうだな。我はこれからお前に3つの魔法を教える』

 

 少しだけ考えてから、やがてオルガニアはそう言った。

 

「3つか。少ない方が覚えやすくていいよ。オルガニアの魔法は詠唱なっがいからなー」

 

『それと同じように、渡す魔力も3回分だ。どれを何時使うか、巧く考えてみろ』

 

「……え? いやいや、ちょい待って……」

 

「教えるのは冷皮の魔法。極光の魔法。そして烈破(れっぱ)の魔法だ。効果については追々教えよう』

 

 オルガニアの出した条件に何か言おうかと言いかけるも、直ぐに次の話に移ってしまった。

 完全に言うタイミングを逃した俺は、黙りながら頷くしかない。

 

 冷皮の魔法、極光の魔法については前にオルガニアが使った事があるので知っている。

 前者は身体から冷気を迸らせ、熱などから身体を保護する魔法。

 後者は超光る魔法だ。

 殺傷力のまるでないこの二種の魔法は、正しく試合向きであるのかもしれない。

 

 ……しかし、烈破の魔法とはなんなのだろうか。

 名前からして何かを破裂させる魔法……だとしたらそこそこ危険だ。効果を聞いて危なそうだったら使用は控えることにしよう。

 

『となると初めの詠唱と継ぎの詠唱を説明せねばならんな……あー面倒くさい。ともかく宿に帰ってからまとめて説明するとしよう』

 

「ありがとな。また今回も世話んなるよ」

 

『礼を言うのなら、少しは強くなる努力をしたらどうだ』

 

 オルガニアのお小言を適当に笑いながら受け流す。

 

 お生憎様、努力がトラウマの俺はもう一度何かを頑張ってみようとは思えないのだ。

 

 



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第21章「油断と失念」

 所変わって、再びエミィの宿屋。

 俺自身の部屋にて、オルガニアは俺に紙とペンを持たせていた。

 

『我の世界の魔法の詠唱とは、つまるところ水を沸かすような物だ。体内にある魔力を一気に爆発させ、言霊によって体外に射出する』

 

「へぇ……精霊とかは存在しないのか」

 

『一概にそうとは言えんかもしれんがな。さておき、魔法は使えば沸騰した体内の魔力を冷却、休ませる必要があるのだが、つまり魔法は連続して撃てない』

 

 魔法の使い方をメモするために俺はペンにインクをつけて紙に走らせる。

 魔法は連続で使えない、と。

 

 書き終えたところで、俺はオルガニアがチラリと言っていた単語の意味が少しだけ分かった気がした。

 

『そこで魔力を二分化して連続起動するのが継ぎの詠唱。二つを混ぜて別の物を作り出すのが(つい)の詠唱というわけだ。今回お前はその二つを使うな』

 

 二つは使わない、と。

 俺はなんとなくオルガニアの詠唱を思い出す。ぼんやりとしか覚えていないが、最初の()めの詠唱とやらを「次ぐ」という単語で繋いだのが継ぎの詠唱。「雑ぜる」で締めるのが終の詠唱なのだろう。

 

 長く面倒な言い回しにも意味があるものだと俺は頷くことで納得を表す。

 

「……ん? でもだとしたら俺に初めの詠唱だけを教えりゃ良かったじゃないか」

 

 俺は最もらしい質問を投げかけるも、オルガニアは呆れたようにため息をついた。

 

『お前が我の真似事をして事故を起こす光景が目に見える』

 

「いやそこまで馬鹿じゃねぇからな!?」

 

 あんまりなオルガニアの言い分に俺は勢い良く声を張る。

 自慢じゃないけど俺は君子危うきに近寄らずを信条に生きるタイプだ。そんな好奇心に身を任せた愚行をするわけがない。

 ……本当に自慢じゃない。チャレンジ精神というものを俺は少年時代で落としてしまったのだろう。

 

『では、呪文を教えよう。一度しか言わんからしっかり覚えろ』

 

「ん、りょーかい」

 

 オルガニアが言う三つの呪文を正確に記し終わった俺はペンを置き、背中ごと大きく逸らした伸びをした。

 

 読み直してみると、やはり長い。が、覚えるのに支障はなさそうだ。俺の隠し玉、封印【ゼロ・フォース】よりかは全然短い。

 俺は守るべき自身の日常、心の安寧のために重い腰をあげる事を再び決意する。

 

『さて、では取り掛かるとするか』

 

「取り掛かる? 何にだよ」

 

『顕現の魔法だ。今のうちから準備をしておこうと思ってな』

 

 顕現の魔法。

 その名を再度聞いて、来たか、と俺は思った。

 只でさえ俺の中にいても世界最強の爆弾なのだから大人しくしていて欲しかったが、まぁ今回は祭りを楽しむだけらしいし、大丈夫だろう。

 我ながら楽観的な考えだと思うが、何かないように俺も見ておけばいい。それくらいはしよう。

 

 しかし実を言うとこの魔法をオルガニアが使うと宣言してから俺の中では一抹の不安があった。

 

 顕現の魔法を使うということは、もう一つ、憑依の魔法とやらが使わなければならないという意味でもあるはずだ。

 当然、外に出た後のオルガニアはそのうち誰かの魂の中に帰らなければならない。そうでなければ魔力は回復しないし、そもそもこの世界に存在できないのだから。

 

 そして憑依の魔法が対象とするのは眠っている「誰か」。オルガニア自身が選べるかどうかはさておき、恐らく、夢の中でオルガニアの申し出を受諾したら憑依されるのだろう。

 

 その時、オルガニアは俺の中に戻ってきてくれるのだろうか?

 

「…………」

 

 そこまで考えたところで、俺は首を振って思考を無理やり断ち切った。

 

 逆だ。

 俺はオルガニアを追い出したかった。

 仮にこれでオルガニアが外に出てくれて、役立たずで適当な俺を置いて他の人に鞍替えしてくれるのであれば万々歳。正に願ったり叶ったりだ。

 その筈なのだが、俺の心は素直にそれを喜べなくなっている。これが所謂、焼きが回ったというやつだろうか。

 

『どうした、アルス』

 

「いや、なんでもないよ。やるんだろ? その顕現とかいうの」

 

 様子のおかしい俺に気づいたのか、オルガニアが尋ねてくる。

 俺は努めて何事もなかったかのように振る舞い、それを軽く流して誤魔化す。

 何か踏み込まれる前に俺はすぐに別の話題に切り替えた。

 今、俺はだいぶ曖昧な表情をしている事だろう。

 

 オルガニアに恐怖をあまり抱かなくなったのは、何時からだったか。

 こいつがちんちくりんの少女だという事が分かった時なのか。

 それとも取り留めのない話をするようになった頃からなのか。

 こいつの人格がなんとなく分かってからなのか。

 

 なんにせよ、オルガニアは多少……というより滅茶苦茶わがままだけど、悪い奴ではない。

 そういう印象が確かに俺の中にあった。

 こんな事を考えてはいけないと分かってはいるが、俺の思考回路は勝手にそれを考える。

 

『まずは触媒だが……そうだな、人間一人生贄に捧げるのもいいが……アルス、あの召喚士の餓鬼の行方は分かるか?』

 

「召喚士のガキ? って、もしかして森で会った?」

 

『そうだ』

 

 尋ねられて俺は顎に手を当てる。恐らく彼はとっくの昔に騎士団に保護されてるか、捕まってるだろう。

 オルガニアの言う召喚士の餓鬼というのは、ついこの間の事件でグランウルフを召喚していた少年の事だろう。

 名前すらも知らないが、結局あの後の動向は分からない。

 

『そうか……ならばアルス、何処かからか魔物でもなんでも捕まえてきてくれ。できるだけデカくて生命力の強い奴がいいな』

 

「うげ……なにすんのか大体予想たったけど。やめてくれよ、まさか俺に外に出ろってのか?」

 

『そのまさかだ。原初を二つ合わせて作る魔法には代償として命がいる。生命が強ければ強いほど魔法は強くなるのだ』

 

「うーわぁ……」

 

『だから魔物を寄越せと言っているのだ。我の善意と譲歩に感謝しろ』

 

 確かに同族でもある魔物を殺すために寄越せというオルガニアの気持ちも考えると納得を……いや、待て。そもそもこいつのわがままであるという事を忘れてはいけない。

 

 オルガニアは同族が死ぬ事にそれほど頓着していなかったはずだが、無為に命を奪うというのは俺自身罪悪感を感じざるを得ない。

 

「いや無理無理無理! 俺が魔物なんか捕まえられるわけないだろ!?」

 

『お前を使ってもいいのだが……』

 

 持ち上げた重い腰を再び下ろそうとすると、久しぶりにオルガニアが熱を発する予兆をちらつかせてくる。俺は分かりやすく慌てふためいて首を横に振った。

 

「ちょ、待て! 分かった、分かったって! うーん……どうすりゃ……って、あ」

 

 そして慌てた頭にふと、一つの案が浮かぶ。

 背に腹は変えられない。やはり気は進まないが、魔物を捕まえる方向で動こう。

 

「……だとしたら、来るのを待つか。なぁオルガニア、それって急ぎか?」

 

『……いいや。祭りが始まるまでに整えばいい』

 

「分かった。まぁ、来るだろ……ほんとお前は怖い奴だよ……」

 

『なんだ今更』

 

 疲労感を拭うように俺は深く息を吐く。

 恐怖感を抱かなくなったのは最近偶然たまたま俺がこいつの気分を害さなかっただけの事。こいつは相も変わらず魔王なのだ。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 それから3日後。俺は束の間の日常を過ごしたり、オルガニアの要求で魔力を宿したマジックアイテムを大量購入するなど、それなりに色々とあった。

 一つだけ奇妙な事があったとするならば、外出をした途端に妙な視線を感じるようになった事だろうか。

 恐らく、ミネルヴァさんではなく騎士団の誰かだろう。ミネルヴァさんは副団長だし、早々こちらに来れるわけではないはずだ。

 

 そんな疲れる日々を過ごしていた時、ようやく待っていた人間が宿屋に訪れた。

 

「よーう、久しぶりだなアルス。あの後はどうだったよ?」

 

「ガスト……待ってたよ」

 

「あぁ? 待ってたってのぁどういうこった」

 

 ガスト=グラディエルス。

 俺が待っていた人物とはガチムチの魔法使いであるこいつだった。

 傭兵稼業をしているガストであれば、魔物の捕獲経験もあるはず。

 今度討伐の依頼についていかせて貰えないかと頼みたいのだ。

 討伐する魔物を捕獲して、それをオルガニアに渡す。それならば結果としては変わらない。

 

「実はさ、今度何か魔物を討伐するような依頼があったら連れていって欲しいんだ」

 

「はぁ? 普段あんまり動かねぇお前がんな事言うとは……ほんとにどうした」

 

 ガストは俺の座る席の向かい側に腰掛けながら、訝しげな視線を俺に向ける。

 まぁ、その気持ちは分からないでもない。それほど長い付き合いではないが、ガストは俺という人間をなんとなく察してきたようだった。

 まぁまだあんまり働かないぐーたら人間、程度の認識で済んでいるようだが。

 

「たまにゃ勇者らしいことしねぇとカッコつかねぇってか? あ、よう店主さん。景気はどうだよ?」

 

「あ、ガストさん。こんにちは。相変わらず微妙です!」

 

「微妙って、そんな朗らかな顔で言われてもな……。で、何か理由があるんだろ?」

 

 カウンターで熱心に何かを書いていたエミィと軽く挨拶を交わしてガストはすぐに本題に入った。

 来客に気づかないなどエミィにしては珍しい。アレは何を書いているのだろうか。

 

 後で聞いてみようか、と考えつつも俺は頷いて、少しだけ誤魔化しを交えながら説明を始める。

 

「新しい魔法を試してみたくてさ。そんで……魔物が必要なんだ。だから、ちょっと狩るついでの魔物を貰えないかなって」

 

「何……? 魔力以外の代償を求める魔法なんて聞いた事ねぇぞ」

 

「……俺が作った魔法でさ。試してみたいんだ」

 

「……なにができる?」

 

 突っ込んでくるか。そこまでは想定内だ。

 ガストは俺が魔法を作ったと言った途端に目を細めた。その魔法がどんな物かを疑問に思い、また俺のことを警戒している。冗談ではないかという疑念もありそうだが。

 というのも魔法を作るのはそれなりに大変だし、なにより命を代償にする魔法なんてそもそも存在しない。

 

「召喚魔法みたいなもの、かな。ゆくゆくは魔力だけで使えるようにしていきたいけど、今は無理みたいで……」

 

 魔力だけで使えるようにする予定はないが、取り敢えず警戒を解くために今回の試みは飽くまで試験的なものである事を強調しておく。

 精霊のワガママ、とでも捉えてくれれば楽なのだが、さて、どう来るか。

 

「……魔法を使うにあたっては、必ずなにかしらのリスクを伴う。それで起きた不祥事が元になって豚箱行きになった人間なんて山ほどだ。……大丈夫なのか?」

 

 ガストの怪訝そうな目つきは中々変わらない。この場合の大丈夫は俺の身を案ずるというよりも、協力しても巻き添えは食わないのか、的な意味を孕んでいる。

 

 ここは根拠のない自信をかざすよりかは、少しだけ不安を煽ってみたほうが現実味が増すだろう。

 

「危ない事がないわけじゃないかな……だからガストの力も借りたいんだ」

 

「魔法を試したい気持ちは分かるがよ……あー……まぁお前にゃでけぇ借りもあるし……うーむ」

 

 でかい借りと言ってもガストも俺の命を助けてくれているわけで、チャラであるはずなのだが。その辺りはガサツなくせに律儀だ。

 

 ガストは暫く悩んだ後、決心したように頷いた。

 

「分かった。手伝ってやる。ただ……危ないって思ったらすぐ止めるからな」

 

「あ、ありがとうガスト!」

 

「魔物を生贄になんて、お前更に勇者っぽくなくなってきたなぁ。グロいぞ」

 

「……仰る通りっす」

 

「しかしまぁ、魔法使いとしてそういうブラックな感じは興味があるぜ。安全そうならやり方教えてくれよな。生贄召喚とか魔法使いっぽい」

 

 まぁ、協力してくれる理由としてはそんな事だろうなとは思ってた。

 俺は軽く息を吐いて立ち直り、意気込むようにして歯を食い縛る。

 また魔物の前に出るのは怖いが、ガストと共に行くのならなんとかなるのかもしれない、などと甘い事を考えながら。

 

「えーと、そしたら日程は……」

 

 俺はガストに日取りを教えて討伐依頼を探してきてもらう。

 

 

 ――この時の俺は完全に油断していた。というより、失念していた。

 

 この魔法を使うことが、とんでもなく面倒な事を招くという事を。



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第22章「ニーアとお呼びください」

「……これでいいのか?」

 

「ああ。サンキューな、ガスト。ほんとに助かったよ」

 

「いやまぁ、俺は元々狩りのために戦えるようになったから慣れてるっちゃ慣れてるんだけどな。だが、ほんとに上手く行くのかよ?」

 

「行く……と思う」

 

 時は来たれり。という奴だろうか。

 俺とガストの目の前には必要なものが全て揃っていた。

 もちろん人目に着くと騒ぎになる可能性がかなり高いので今は比較的安全になった王都の森の奥深くで作業を開始している。

 地面に突き立てられているのはオルガニアの杖。禍々しい気を放ち、その先端を凝視すれば空間が湾曲しているのが分かる。超高濃度の魔力が存在すると空間が歪む現象が起こるというが、なんとも空恐ろしい話だ。

 

 そして、杖の目の前には数々の魔力を宿したアイテムと、熊型の魔物が一匹。

 ブラッドグリズリーと呼ばれる爪と毛が赤い肉食魔物で、王都の森で出現する魔物の中ではトップクラスだ。グランウルフがいなくなったことにより縄張りに帰ってきたのだろうという所をガストが魔法で麻痺させて捕獲した。

 

 危険な存在から身を隠し、やっと家に帰れると安堵していた所にこの仕打ちである。ちょっと可哀想な気持ちになってくるが、あまり考えないようにした。

 

「……オルガニア」

 

『うむ、良くやった。では始めるぞ。杖を握れ』

 

 俺はオルガニアに言われた通りに杖を握る。

 持ち上げているわけではないのに、俺の腕にはずっしりと嫌な重量感が伝わってきた。

 今すぐに手を離して汚れた腕を切り落としてしまいたいと思う程の嫌悪感が全身を走る。

 

「うっ……わ!?」

 

 俺は反射的に手を離し、爪が食い込むほど拳を固く握りしめる。

 ひやりとした感触に驚き、背に手をまわすと、びっしりと冷や汗が滲んでいた。

 たった数瞬、手に取っただけでこの結果である。この杖はいったいどれ程の呪物なのかと考えるだけで手が震える。

 

「どうした!?」

 

 俺の反応にガストが慌てて走り寄ってくれる。

 俺は肩で息をしながらも大丈夫、と震える声で答えた。

 

『手を離すな、馬鹿者』

 

「……そうは、言うけどなぁ……なんだよこれ……」

 

『はぁ……。10数えろ。それで終わる』

 

「…………分かったよ」

 

 まるで子供をあやすような言い回しに俺は複雑な思いを抱きながら息を吐く。

 そして、もう一度。

 今度は強く、しっかりと杖を握りしめた。

 

「……い、いち……に……」

 

 なるべく心を鎮めるように、淡々と数字を数えていく。

 俺がカウントを始めると同時に、オルガニアもまた詠唱を開始した。

 

『先駆の魔法。奔る未知を欲すれば、今一度還る既知を回視せよ』

 

「さん……よんっ……ご……」

 

『次ぐ屈折の魔法により、現は写り、幻は映る』

 

「ご…………! ろく……! なな……」

 

『……雑ぜる顕現の魔法により、異のまぐわいは空と時の証憑とならん。影、目ざさんとするならば返照を受け入れよ――』

 

「はち……きゅ……っ!?」

 

 俺が10を数え切る前に、全ての詠唱が完了した。

 ――その、瞬間。

 

 俺の握る杖が赤黒く暗い輝きを放ち、地面に置かれたブラッドグリズリーとアイテム達を全て包み込む。

 水の中で泡が立つような鈍い音が辺りに響き、もがくブラッドグリズリーの抵抗を嘲笑うかのようにみるみる光――というよりも、暗い赤黒の波が呑み込んでゆく。

 

「ど、どうなるんだ……!? おい、アルス! これ、うまくいってんのかよ!?」

 

「わ、わかんな……」

 

 俺もガストも、ただ目の前の現象の威圧感に圧され、動けずにいる。

 全てを呑み込んだ赤黒い波はやがて少しずつ一つの形を作っていく。

 それはさながら人の形のようで、俺はその形に少しばかり見覚えがあった。

 

「…………!」

 

「んだぁ……? ひ、人……!?」

 

 

 自身の存在を確認するかのように大地を踏みしめ、現れたるは、齢10歳ばかりの小さな人間。

 

 血と、肉と、多量の魔力を貪り、この世へと顕現した。

 

 燃え盛る火炎の如く煌る真紅の髪はさながら鮮血の如く。

 

 強い意志と野望を持った眼は身体が揺れるたびに怪しく蠢めき――その光は寒気を覚えるほどの美しさを孕む。

 

 全ての生物の頂点に立ち、全ての生物とは逸脱した威圧感、覇気、魔力を以ってして全ての生物を支配し、転がす者。

 

 誰1人として一度見ればその存在を忘れない。この世に顕れた唯一にして絶対の存在。

 

 畏れよ。忌むべきその名は――「魔王」なり。

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

 暫し、時が固まった。

 風が吹き、草木が騒めく。

 しかしそれが止めば訪れるのは無音。

 緊張感ではない。圧迫感ではない。ただ、口を開くことのできない空気が辺りを支配していた。

 

「…………」

 

 ゆっくりと、少女は動き出す。

 静かに、おぼつかない足取りで、しかしはっきりとした目的の場所へと向かう。

 やがて辿りついた彼女は、その小さな手で身の丈以上の杖を掴む。

 

「……。ふ」

 

「…………?」

 

 一瞬、少女の口角がつり上がった。

 そして、次の瞬間。

 

「ふっ……はーっはっはははははは!!!!」

 

「んなっ……!?」

 

 森全体に木霊する高らかな笑い声が耳を貫いた。

 

「お、おいアルス。あの子は……なんだ? あれがお前の召喚したかったものか? どう考えても異界の悪魔かなんかだろありゃ。どっか頭のネジ吹っ飛んでんぞ」

 

 いえ、悪魔ではなく魔王です。

 とは流石に言わなかったが、あの姿、声。間違えるはずがない。あれはオルガニアだ。

 問題は、意志の疎通ができるかどうかだが……。

 

「……オル、ガニア?」

 

 多少詰まったが、俺はいつもの様にオルガニアの名を呼ぶ。

 するとオルガニアは予想外なほどにあどけない顔を俺に向けて、ちょこんと首を傾げてきた。

 

「なんだ、そんな情けない声を出しおってからに。我が顕現したのだぞ。拍手喝采で喜べ!」

 

 そしてオルガニアはまた嬉しそうに笑う。

 俺は胸を撫で下ろし、全てのプレッシャーを消すかの如く深いため息を吐いた。

 

「……何もんだ、あの子は?」

 

「あ、ああ。ええっと……俺が今までずっとお世話になってた昔の人の姿……っていうか、様はその……なんて言えばいいのかな」

 

「昔の人だぁ? 様はお前は還魂的な魔法を使ったってことかよ?」

 

 適当にはぐらかす言葉も動揺で思う様に出ず、結局ガストの解釈に丸投げしてしまった。

 いや本当に、顕現するなりオルガニアが俺のことを殺すとかそんな事件が起こらなくて良かった。本当に何事もなさそうで安心した。

 

「さてアルス。細かな説明がまだだ。ああ、お前はもう帰っていいぞ小僧」

 

「は、はぁ? いきなりなんだよ小僧って……おいコラ、アルス。後で説明はあんだろうな。わからねぇことだらけだぞ」

 

「は、ははは……」

 

 後で体の良い言い訳を考えておかなくてはと密かに決意を固めてから、ひとまずは王都へと戻る。

 道中のオルガニアは杖をしきりに撫でたり満足げにニヤニヤしたりと、正直気持ちが悪かった。見た目が幼女でも禍々しい杖とセットになると些か恐ろしい物がある。

 

「ま……借りは返したって事でいいよな。さっきはあんな風に訊いたが――答えたくなきゃ、別にいい」

 

「え……?」

 

「やんごとなき理由があんだろ? そんな目をしてんぞ」

 

 自分は絶賛魔王と精神ルームシェアしてて、その魔王の命令に命惜しさで従いました。

 

 本当に簡単に要約すると3行も要らない。肩の荷を下ろしたいという意味でこれを今すぐ暴露してしまいたい。

 ……まぁそれは叶わぬ事なのだが。

 

 急なガストの掌返しに戸惑いながらも、結局俺は一言お礼を言って頭を下げた後、ガストとは別れる事にした。

 

「ただいま戻りましたっと」

 

「あ、アルスさん! おかえりなさい!」

 

 オルガニアの事をどう説明しようかと考えながら宿屋の扉をくぐった俺を出迎えたのは浄化される程に眩しいエミィの笑顔だった。今日も元気そうにパタパタと玄関まで迎えに来てくれる。

 態々客に対してそんな風に出迎えなくてもいいのにと思うが、エミィは必ず俺を迎えてくれる。

 

 すると、すぐにエミィは俺の後ろに立つオルガニアに気づいた。

 

「あ……えと、アルスさん、こちらの方は?」

 

 エミィが恐る恐ると言った風に尋ねてくる。

 俺と一緒に入ってきた事から俺の知り合いだと判断したのだろう。

 

「えーと、俺の実家から来た知り合いの子だよ。暫くこっちで面倒みてくれって言われてて……うん」

 

 雑でしどろもどろではあるが、疑われはしないだろう、という俺の予想は割と予想外なほどに当たっていた。

 

 エミィは満面の笑みを浮かべてオルガニアに会釈をする。

 顧客に対し余計な詮索はせず、余計な疑いは持たず。エミィは本当に宿屋の店主としては鏡のような存在である。

 

「そうでしたか! 宿屋の店主のエミィと申します。よろしくお願いします、えっと……」

 

「名前は、オルガニ――」

 

「ニーアとお呼びください。よろしくお願いいたします、エミィさん」

 

「ん!?!?!?!?」

 

「ニーアちゃんですね! ……どうしたんですか、アルスさん?」

 

 俺が紹介するのを遮るようにオルガニアが華麗に一礼する。

 その振る舞いは見た目とは打って変わって淑女的で、穏やかで優しい声色はさながら本当に王族の娘か何かのようだった。

 

 当然俺はそんなオルガニアを見て絶句するしかない。

 ちょっと待て、お前は誰だとこの場で叫びたい衝動に駆られる。

 俺は歯を食いしばってその言葉を飲み込むと、首を傾げるエミィを置いて足早にオルガニアを自室に連れて行った。

 

「ちょっと待て、あれは誰だ!!??」

 

 そして、扉を閉めるなり開口一番。俺はオルガニアに問い詰める。

 オルガニアは慌てる俺とは対照的に落ち着き払った様子で面倒臭そうに首を回すと、さも当然のように語りだした。

 

「世話になる宿主にある程度の敬意を持つのは当然の事だろう」

 

 そう言うオルガニアの声はいつもと変わらない適当かつ威厳を纏わせる物で、先ほどのエミィとの会話で見せた姿など影どころか塵芥すら見当たらない。

 

「お前の中にそんな定義があったという事に人生最大の驚きを感じてるよ。つーかその理論からするとずっとお前の宿主やってた俺に対する敬意はどこいった!!」

 

「そこは、アレだ。親しき仲だろう」

 

「いつ俺とお前が親しき仲になったよ!?」

 

 俺とオルガニアの関係はいつだって利用され利用する契約を元にした関係であるという事を忘れるわけがない。

 調子のいい事言って誤魔化されると思ったら大間違いである。

 

「……まぁ本当の所を言うと、あの場で色々と見たあの小僧はさて置き、公共の場において我は余り正体を明かしたくはないという事だ」

 

「そんぐらいお前全然気にしなさそうだと思ったんだけどな……」

 

「まぁ、いざという時のための備えと――我が自由にこの世界を歩き回るためだ。納得はせずとも理解はしろ」

 

「……お、おう」

 

「……特にあの小娘を巻き込む事はお前としても本意ではないだろう」

 

「…………そりゃ、まぁ」

 

 オルガニアの指摘に俺は黙って頷くしかない。

 確かに異世界だ魔王だ神器だと、色々と面倒な問題なんてエミィは知らなくていい事であるはずだ。一般人であるエミィを不用意に巻き込むべきではない。

 もしかしてオルガニアなりににエミィの事を気遣ってくれたのだろうか。

 

 俺は少しだけ胸を撫で下ろし、ちょっとだけ気になった素朴な疑問を投げかけてみることにした。

 

「それにしてもお前、あんな仕草できたんだな。結構慣れてたりするのか?」

 

「…………。そうだ」

 

「……?」

 

 オルガニアの反応に俺は少しばかり疑問符を浮かべる。

 王として当然の振る舞いだー、などと俺を小馬鹿にしながら答えるかと思いきや、返ってきたのは少しの間と、一言だけだった。

 

 そんな珍しい反応にいい気になってしまったのか、俺は少しばかり調子に乗った。

 つい数分前の出来事を思い出して俺は腹を抱えて押し笑う。

 

「いやー、結構可愛かったと思うぞ? ぷくく、ニーアって名前も似合ってると思うしなー」

 

「…………」

 

「くっくく……つか、あれってお前軽くどころかだいぶキャラ崩壊してるんじゃんぬぁあああああああああっっっちぃいいいいい!!!」

 

「炭になりたくなければ地べたを這い、命を乞え」

 

「ごめんなさい。調子に乗ってごめんなさい。魔王様は魔王様です」

 

「ふん」

 

 俺の床にめり込まんばかりの土下座を一瞥し、オルガニアは嘲るように鼻を鳴らした。

 こいつ、俺の身体の外に居てもこの熱を持たせる力は使えるのか。その事が油断の種だったとは言え、本当に冷や汗ものである。考えてみたらこの世に顕現し、また誰かに憑依できようになった今、こいつが俺を生かしておく理由なんてもう殆どないのだ。

 

 その数少ない理由の一つに、平和に暮らしたいという願望があるのだろうが。

 

「という事でだ。我の事はこれからニーアと呼べ。説明したかった事とはその事だ」

 

「……分かったよ、オル……ニーア」

 

「……間違った時は直ぐに訂正しろ、いいな」

 

「イエス、マム。細心の注意を払います」

 

 ズゴゴと再び魔力が漲り始めたオルガニア……ではなくニーアを宥めるために俺は必死に敬礼をする。

 

 その姿勢に満足したのか、なんとか魔力を収めてくれたニーアことオルガニアは扉のノブに手をかける。

 

「で、出かけるのか?」

 

「ああ。少しでも多く見ておきたいのでな。ついて来いアルス。我を案内する権利をやろう」

 

「俺は付き人かっての……いや、まぁ行くけどさ。ほっといたら何されるか分からないし」

 

 俺はオルガニアの後ろを文字通り付き従うかのように歩く。

 魔王の顕現。それだけでなんだか一つ大きなことを成し遂げたような感覚に見舞われる。

 

 そのせいでなにかを忘れているような気がするが、気のせいに違いない。

 折角だからオルガニアに色々と紹介できればいいだろう。俺は伊達にホームシティ生活を送っていないから、割と穴場と言える店や場所を知っている。

 

「っきゃあああああああ!!!」

 

 などと考えていたところで、宿屋の外から空気を切り裂くような甲高い悲鳴が聞こえてきた。

 

「…………えぇ」

 

 俺の外に出る気がこれだけで一気に削がれてしまった。

 辺りそこら中が騒がしくなってきているし、何か問題が起きたということは猿でも分かる。

 

「なぁオルガニア。出かけるのはまた今度にしないか?」

 

「なにを腑抜けた事を言っているんだお前は」

 

「アルスさん、何かあったんですかっ!?」

 

 奥の部屋から異変を聞き取ったエミィが俺の元に駆けつける。

 窓越しから外を見たエミィは顔を青白く染めて、口を手で押さえた。

 

「大変……人が、大怪我を……! すみませんアルスさん、倉庫から担架を持ってきてください! 私は応急処置をします!」

 

「え、あ、お、おう!?」

 

「ニーアちゃんは、アルスさんの部屋にいてくださいね。アルスさん、お願いします!」

 

 そう言うなり、エミィは宿屋に備え付けてある救急箱を持って外へ走り出す。

 俺は暫し呆気に取られてしまっていた。

 

「小娘のが幾ばくか頭の回転が早いな。それじゃあ、騒ぎが収まるまで我は上にいる。終わったら呼べ」

 

「……もう、分かったよ。なんだってこう色々と面倒ごとが起こるかな!」

 

 倉庫の場所は前に働いていた時に確認した事がある。場所は大丈夫だ。

 俺は悪態をつきながらも、とにかく言われた通りに倉庫へと急ぐのだった。



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第23章「そしてまた不安は募り――」

「ふっ……!」

 

 カウンターの下にある鍵を取った後、俺は急いで離れの倉庫へと向かう。

 古ぼけた倉庫の鍵は古い南京錠というタイプの鍵で、慣れないうちは開錠に軽く戸惑う。

 

 俺は決して慣れているとは言えない手つきで南京錠を開け、埃っぽい倉庫の中から担架を引っ張りだした。

 

 ……外で大怪我をしている人がいる。

 俺自身窓の外は確認していないが、エミィの言っていた事は本当だろうか。

 まぁ特に疑っているわけではないが、こんな日中に一体全体どういう訳で傷だらけになったんだ?

 もしや通り魔でも出たのだろうか。このご時世に。

 

 エミィは窓の外を見て顔を青くするなりすぐに救急箱を持って外に出てしまったし、オルガニアも俺の部屋に行ってしまった。

 

 俺はくだらない考察を打ち切り、ともかく駆け足で担架を運んだ。

 

「エミィ! 持ってきたぞ!」

 

 担架の大きさから倉庫から出すのに多少悪戦苦闘したものの、俺はなんとか宿屋を出て声を挙げた。

 周囲には人だかりができていて、その中心には止血を行っているエミィと、倒れている被害者と思わしき男がいた。

 

 男は齢40かそこらの中年で、血で濡れた顎髭が目を引いた。

 

「あっ、ありがとうございます! そしたら急いで病院に運びま――」

 

 エミィは包帯を縛り終えたところで立ち上がり、俺の元へと走り寄る。

 俺は頷いてからもう一度倒れている男に目を向け――

 

「その必要は無い――」

 

 ――たところで、俺の意識は倒れている男……の目の前で静かに佇んでいる男に奪われた。

 

 つばの広い帽子を目深に被り顔を隠し、長身ではあるが何処となく華奢な身体つき。

 それにそぐわない無骨な手は……腰の剣の柄に添えられていた。

 

 こいつは何時からここに立っていた?

 と、若干間抜けた問いが俺の頭に浮かぶ。

 俺がエミィから……倒れた男から視線を外したのは一瞬。本当に、文字通り瞬間の出来事であった。

 この男はそのコンマ数秒の内にこれ程の人混みをすり抜けてここに立ったのだろうか。

 

 だとしたらこいつ、タイムセールの市場とかでかなり強いんじゃなかろうかいやいや。そんな事はどうでもいい。

 

 重要なのはそこではなく、佇む男の言った言葉だ。

 

「あの……?」

 

 エミィが警戒するかのようにおずおずと尋ねる。

 

「そう不安そうな顔をするな、娘。……俺は――悪しか斬らん」

 

 そう、言い終わるや否や。

 

「……え」

 

 俺の前髪が一房、はらりと地面に落ちた。

 

「……っ!?」

 

 慌てて切れた髪に手を当てる。少しばかり額が熱い。痛い。

 当てた手を見やると、べったりと血がこびりついた。

 

「宣戦布告はこれでいいか? 次は頭を切り落とす」

 

「いっ……!?」

 

 静かで、淡々とした男の声が空間に染み渡る。

 この男から向けられるのは本気の殺意。

 

 それを肌で、傷で感じ取り、俺の頭からら血の気が引き、一気に身体が弛緩した。

 シルクのような純粋な闘志とも違う。グランウルフのような相手を獲物と考えている感じとも違う。

 

 ただ単純に、淡々と相手を殺すと決めた

 顔。

 その空気はまるで経験したことの無いもので――俺は呼吸すらも忘れる程の感覚を覚えた。

 

「あ……アルスさんっ!!?」

 

 俺の異変を察知してか、エミィは狼狽える俺を見て額の傷に気づく。

 派手に切られた訳では無いが、頭の傷というだけあって血が派手に出る。

 血が入らないよう片目をつぶって目の前を見ると男を精一杯鋭い目で睨みつけるエミィがいた。

 

「これは公開処刑だ。この男も、君も――そして、この場にいる煩い人間共も」

 

「な、なにを……っやめてください。アルスさんに、なにをするつもりですか……っ」

 

 俺を庇うように立って尚も男を睨むエミィの声は震えている。

 泣き出してもおかしく無いほどの威圧感を持った大の男を前にしているのだ。怖くないはずがない。

 現に俺は怖い。めっちゃくちゃ怖い。

 

 俺はたまらず自身の頼れる相手……魂の中の魔王に話しかけ、すがった。

 

「お、オルガニア……なんなんだよこいつ、やばくないか……?」

 

 しかし、オルガニアからの返答はない。こんな時に眠っているのだろうか。洒落にならないからそういう冗談はもうちょっと平和な時にしてほしい。

 

「なぁ、オルガニア……? ……あ」

 

 2度、呼びかけたところで俺はようやく自分の愚かさを理解した。

 

 やってしまったと思った時には時すでに遅し。

 俺の()には今、オルガニアは居ない――!

 

「魔王様のような魔力に地味な顔つきの勇者……壁の娘が言っていたのは君だな。なるほど、中々の力を感じる」

 

「いや、地味て」

 

 まぁ地味だけどな?

 否、そんなツッコミはどうでもいい。いやどうでも良くないけど良いことにしておく。

 

 こいつ、今なんて言った?

 ()()()? それに、壁の女って……もしや、シルクのことだろうか。その言い方だとシルクのとある部位が絶壁というか戦闘力皆無のまな板みたいに聞こえる気がする。

 

「お、お前……魔王の……幹部、とか、か?」

 

「さぁ、な……君が知る必要のないことだ」

 

 男はゆっくりと、柄に添える手に力を入れて……声のトーンが、一つ落ちる。

 

「今から死ぬ君には、な」

 

 見えないほどの剣の速度。防ぐ手段も、避ける手段もない。

 正に万事休すの状態に俺はぎゅっと目を閉じた。

 

「……君」

 

「……っ」

 

俺の首が飛び、あわや大惨事。となる前に、男はエミィに話しかけた。俺は閉じた目を少しだけ開けて、目の前を確認する。

 

「退かねば、君ごと斬る」

 

「っ!! ……どき、どきません……ッ!」

 

目尻に涙をためるエミィは尚も歯を食いしばって立ちふさがる。男は、静かに息を吐くと、心底残念そうに、首を振った。

 

「善人よ。このような出会いでなければ語る時間もあっただろう」

 

キラリと、鞘から刃が姿を見せる。

俺は視線を交互に動かし、エミィと男を見る。

完全に折れかけていた心が、俺の体を衝動的に動かした。

 

「……なんの真似だ」

 

俺の足が、数歩前に出て、エミィの前へと動く。

 

「アルス……さん……」

 

「は、はは。……どうしよコレ」

 

今日も俺の中途半端な正義感は絶好調である。

どうしろっつーんだよ、本当に。この状況を打開できる方法があったら教えてくれ。窓からオルガニアがこっち見ててギリギリになったら助けてくれないかなぁとか期待してしまう。

 

……でも、前に出た。エミィのおかげとは言え、あの俺が命の脅威を前にして勇むことができた。

俺は喉を鳴らし、腰に下げていた剣に震える手をかける。

 

男は冷めた目で俺を睨み――再び凍えるような声で、一声。

 

「……。死ね」

 

男の剣が完全に解き放たれた瞬間を見た、その時。

 

「伏せろッ!!」

 

「なっ……!!」

 

 俺の命を救ったのは、外野から飛んできたその一言だった。

 いや、正確には一言というよりその言葉を発した本人だろうか。

 俺の事を押し倒すように人が覆いかぶさる。

 そのおかげで男の剣閃は空を切るだけに終わった。

 

 俺は慌てて自分を押し倒した相手の姿を見る。

 そこにいたのは……。

 

「み、ミネルヴァ……!」

 

「すぐに彼女を連れてここから離れろ」

 

 何故ここに、という疑問は言わずもがな。騎士団は俺を見張っている。この騒ぎを発見した騎士の誰かがミネルヴァさんを呼んだのだろう。

 

 さんを付けずに呼んでしまった事に今更気付くが、訂正する暇もなくミネルヴァさんは明後日の方向を指差して逃げるように指示する。

 しかし逃げようにも周囲は人だかりで先が見えない。簡単に走り抜けられるわけではなさそうだ。

 

「ソルデ騎士団副団長――ミネルヴァ=スカーレットだな」

 

「だったら、何だ」

 

「今はまだ君と戦うべき時ではないな。引かせてもらう」

 

「……私が、逃すと思うか?」

 

 有無を言わせずゆらり、とミネルヴァさんの身体が揺れ――爆ぜるように地を蹴る。

 最初の一歩で低く跳び、幅跳びの要領で瞬く間に男と距離を詰める。

 息を止め力を込めるミネルヴァさんは腰の剣を迷わず引き抜き、振り上げた。

 

「んんっ〜〜!!」

 

「っ……!」

 

 電光石火とも呼べるその速度に半歩遅れて反応した男は光を纏い始めるミネルヴァさんの剣を見て、即座に逃げの一手を取った。

 

「ッ――ゃぁぁぁぁああっ!!!」

 

 そして一気に吐き出される酸素と、パワー。

 剣は光の弧を描き、上空から地へと斬撃を奔らせる。

 その刃は空高く飛び上がった男のフードの端を切り裂き、地に落とし、破壊力を失わぬまま地を穿った。

 

 男は頬の冷や汗を拭うと剣の柄から手を離し、口の端を引きつらせる。

 

 勢いのまま剣を受け止めた地面は爆音と共に崩れ、剣先はめり込んでいる。

 ミネルヴァさんはことも無げにそれを引っこ抜くと、土埃の隙間から再度男を睨んだ。

 

 新聞などにも紹介がされていた気がする。

 ――騎士ミネルヴァの放つ一撃は豪胆なフルスイング。剣の重みを最大限に活用し、身体全体で振り下ろす一撃必殺の刃。

 その名は『撃剣』。彼女が生み出した独特の体重移動方と跳躍によって繰り出される文字通りの必殺技だ。当たれば死ぬ。慈悲はない。

 

「……女らしくない随分と重みのある剣技だ。少しばかり驚かされた」

 

「人を見た目で判断すると碌な事がないだろう?」

 

「……ふん……。大人しく今日は退こう。近いうちに来る戦いの時を楽しみにしている」

 

 男は呆気ない程早く首を横に振って撤退の意思を示した。

 それに警戒を抱かないミネルヴァさんではない。

 

「…………」

 

 だからこそ深追いは危険と判断したのか、ミネルヴァさんは大人しく剣を鞘に収めた。

 

「…………私は、逃げろと言ったはずだが」

 

「っ……」

 

 二人のやり取りにすっかり見惚れていた俺を咎めるような口調で俺を睨んだミネルヴァさんは、人混みを掻き分けてやってきた騎士達に何か指示を出すために俺から視線を外した。

 

 俺は、完全に頭がショートしていたようだ。

 今更になってようやく身体がまともに動くようになる。

 

「あの……アルスさん。宿に、戻りませんか? あの方は騎士さん達がなんとかしてくれますし……傷の手当をすぐにしないと……!」

 

 まだ顔を青くしているエミィが俺の方を見て、提案する。

 その意見には大賛成だ。さっきから額の傷がかなり痛い。怪我をするというのは何度目かになるが、たったこれだけでも耐え難い苦痛だ。

 

「やはり、お前は勇者でいるべきではない」

 

「…………」

 

 エミィに手を引かれ宿屋へと足を向ける直前。ミネルヴァさんの口からそんな言葉が聞こえてくる。

 おっしゃる通りだと、俺は少しだけ肩を落とした。

 

「あの」

 

それでも、今日の俺はちょっとだけ言い返す。

俺は振り返って、ミネルヴァさんの背に声をかけた。

情けなく声は震えているが、俺は確かに自分の言葉で宣言した。

 

「俺は――――」

 

 

 ◆

 

 

 

「……で、盛大に啖呵を切って帰ってきたのか。中々無謀だなお前も」

 

「その通りだよ。はぁ……やっちまった。つーか一体何者なんだ? あの男は……」

 

 頭に包帯を巻いた俺はまだ少し痛む頭を押さえて項垂れる。

 オルガニアは嘆息しながら小さな足を組み替え、首を横に振った。

 

「馬鹿者。何故、我の渡した魔力を使わなかった? 呪文を忘れたわけではないだろう」

 

「え……? あー……もう貰えてたんだ」

 

「そのすぐに真っ白になる頭をどうにかする事だな。それに――」

 

 オルガニアは更に説教を続けようと口を開くが、それは俺の部屋の戸を叩く音に遮られた。

 オルガニアは開いている口を一度閉じて、ドアを見る。

 

「あの、アルスさん。エミィです。入っても……大丈夫でしょうか?」

 

「あ、ああ。いいよ」

 

 俺が扉に向かって返事をすると、控えめな音を立ててエミィが顔を覗かせた。

 

「アルスさん、お怪我の様子は……」

 

「これは….まぁ、軽い傷だったみたいだしさ、大丈夫」

 

「アルス兄さんをありがとうございました、エミィさん」

 

「ニーアちゃん……。いいえ、私は、何もできませんでしたから」

 

「そんな、馬鹿な」

 

 と俺の口からは咄嗟に否定の言葉が飛び出した。

あの時、俺が前に出ることを、戦うことを選べたのはエミィのおかげだ。あの場に俺一人だったならば、きっと即座に尻尾を巻いて土下座なりなんなりして命乞いでもしていたところだろう。

 

「……ありがとう、ございます。何かありましたら、すぐに呼んでください。すぐに、ですよ?」

 

「ありがとうな、エミィ。そうさせてもらうよ」

 

 やはりどこか元気のないエミィを心配にも思うが、俺がかけるべき言葉が見当たらない。

 俺は部屋から去るエミィを静かに見送った。

 

「…………」

 

「……あの日、成長のきっかけはあった。お前はそこで片鱗を見せた。何事も僅かな時では完全には変わらない物だ」

 

 オルガニア椅子から立ち上がり、俺の目の前へと歩み寄ってくる。

 その語調はいつか俺がグランウルフを下した時のように力強く、勇ましい。

 

「かつて一瞬見えた成長。今後こそ我が物とするかどうかは……お前次第だろうな」

 

 そう言い残したオルガニアは眠いから寝る、と俺のベッドに寝転がり目を閉じてしまった。外への散歩はどうしたのだろうか。……ひょっとして、似合わない事を言ったことに対する照れ隠しのつもりか。

 

 部屋に一人取り残された俺は額の傷に手を当てて、静かにため息を吐く。

 

「……俺は」

 

 ミネルヴァさんの言葉が頭の中でぐるぐると回っている感覚。

 一度、変わりかけた自分。

 更に変わりたいと思う自分。

 変わるのが怖いと思う自分。

 本当に変われるのかと諦め半分の自分。

 このままではいけないと叫ぶ自分。

 

 結局、俺ってシルクと戦う前と殆ど変わってないな、なんて笑い事にもならない事実に俺の目頭が熱くなる。

 

 しかし抱えた不安と疑問を解消することなく、無情にも祭りの時はやってきていた――。

 

 

 

 

「……ところでお前、アルス兄さんってなんだよ」

 

「我はお前の血族と親しい設定なのだろう? ならばその呼び方が妥当だ。よろしく頼むぞ、に・い・さん」

 

「うわぁ……ときめかねー」

 

 



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第24章「まおーさまといっしょ」









「おにいさん、ええと……そちらの串をおふたつくださいませんか……?」

 

「おっ? 可愛い嬢ちゃんお使いかい? 偉いねー。そうだな……ほれ、一本はタダで持ってっていいぞ!」

 

「わぁっ……ありがとうございますっ」

 

「はっはは、いいって事よ! 気をつけて行けよ!」

 

「…………」

 

 という一幕を遠巻きに見ている俺の顔はきっと、素晴らしく祭りの空気にそぐわない渋い物となっている事だろう。

 眉間にシワは寄り、口はへの字に曲がり、目はこの世の物ではないおぞましい何かを見るような。

 そんな顔になっていると思う。

 

「……何をそんな見るに耐えない顔つきをしておるの……いるの? 兄さん?」

 

「おれは、にんげんふしんになりそうでつらい」

 

 買ったばかりの団子串を二本持ってやってくる少女は、この世に顕現した魔王、オルガニア。

 

 腰にかけてさらりと伸びる絹のような真紅の髪の毛を惜しげなくたなびかせ、幼げでも勝気な瞳ははっきりとした二重を携えてキラキラと輝いている。

 見た目はどこに出しても恥ずかしくない程度の美少女であるコイツはその姿をフル活用して祭りで屋台を出す大人達を騙くらかしていた。

 

 こいつ、そこそこ年のいったおっさんは幼女に弱いという特性を知っていやがる。

 上目遣いに加え、たどたどしい注文。口元に手を持っていき、小動物のようにちょこんと首を傾げる動作。

 そして、目的の物を手渡された時に喜んで天使のような笑顔を見せるアフターサービスも忘れない。

 

 この魔王、流石に処世術はトップクラスである。

 

「ふむ……次はあそこの遊び? でもやってくるか。魔法を使わず輪を投げるとは……中々難易度が高そうだ」

 

 オルガニア……ではなく、今この場ではニーアだったか。

 祭りの催し物がよほど物珍しいのか、団子を俺に預けて子供達が賑やかに遊んでいる輪投げ屋の中に入って行ってしまった。

 子供から大人まで楽しめる、などと看板に書いてあるが、そもそも大人は輪投げをしようという思考にすらならないのではないだろうか。

 

「やれやれ……。む、団子うまいな」

 

 オルガニア……もといニーアが買ってきた団子の一つにかぶりつき、輪投げ用の輪を受け取って怪訝そうな顔をしている可愛らしい魔王様を見ながら味の感想を呟く。

 

 活動期の終わりを告げる祭り――ソルディース祭が始まってからというものオルガニア……じゃなくて、ニーアはずっとあの調子だ。

 

 普段見ていた街とは大きく違った店、雰囲気に逐一目を輝かせ、アレはなんだ、コレはなんだと聞いてくる。

 そして顕現しているのをいい事にやってみたい食べてみたいという要求も凄まじい。

 ちょこっとだけ様子を見るだけの予定だったのだが、これは思わぬ出費だ。

 

 俺は一応まだ中身の入っている財布を見つつ、ため息をついた。

 

「おい……ではない。ねぇ、アルス兄さん」

 

「あー? なんだよ? というかその口調、めちゃくちゃ聞きなれないんだけど……げっ」

 

 どうやら輪投げから帰ってきたようで財布から目を離し、呼びかけてくるオルガニアの方へと振り向いて……俺は再度顔を引きつらせた。

 俺の目に飛び込んで来たのは小さな腕いっぱいに抱えられた大小様々な菓子の山。少し困ったようなオルガニアが俺に一歩近づくと、ポトリと菓子の袋の一つが地面に落ちた。

 

「どうしたんだよ、それ」

 

「一番遠いところに全部投げたらこうなったのだ」

 

「お前、輪投げの才能あるんじゃね?」

 

 輪投げの商品としては豪華な気もするが、5メートル程も離れた場所に全部輪をくぐらせられたら貰える特賞だという事らしく、オルガニアは他の追随を許さぬ驚異の投擲スキルで容赦なくそれを勝ち取ってきたようだ。

 

「はぁ……一旦宿に荷物置きに行こうぜ。ちょっと休みたい」

 

「相変わらず出不精な奴だ……仕方ない。10分休んだら直ぐに次だ。時は待ってはくれんのだぞ」

 

 最初は頑張っていたものの口調を飾る事など忘れ、オルガニアは食い気味に俺の前を先行する。

 菓子は半分程俺が持っている物の、小さな身体での運動はやはり未だ慣れていないらしく、いつ転ぶかといらぬ心労をかけさせられた。

 

「ただいま戻りましたっと」

 

「あっ、おかえりなさいませ、アルスさん、ニーアちゃん! お外はどうでしたか?」

 

「はい。お祭りは初めてで……とても楽しめています」

 

「ふふっ、良かった。そうだ、ソルデのお祭りではオススメの食べ物があるんですよー。後で教えてあげますね?」

 

「本当か小む……んんっ! ……ぜ、是非、お願いします」

 

 小娘、と言いかけたオルガニアは慌てて口を噤む。

 エミィはそれを特に不自然に思う事もなく、ニコニコとした顔でオルガニアに街の地図を書いて説明してくれていた。

 これにはオルガニアも少し肝を冷やしたのか、心なしか安心したような顔をしている。

 

「よっ……と」

 

 俺は少しだけ人の多い宿屋の光景を眺めながらラウンジの一角に腰掛けた。

 

 祭りの時期は様々な街や村から人が訪れるため、エミィの宿屋は多少なりとも賑わう。それでもそれを一人で切り盛りしてしまうのだからエミィはある意味での才女だ。

 

 エミィとオルガニアが楽しげに談笑するカウンターを微笑ましく眺めていると、不意に俺の真横辺りに人影が差した。

 

「よう、勇者サマ。可愛いお嬢様のお守りは一旦終了か?」

 

「……これから第二ラウンドだよ」

 

 意地の悪そうな笑みとともに俺に話しかけてきたのは王都に住まう大剣使いの狩人、ガストである。

 大剣使いとは言ってもその大剣はほぼ振るわれる事はなく、魔法の威力を強化するためのものらしい。

 

 ガストは手に持っていたジョッキをテーブルの上に置き、俺の向かい側に腰掛けた。

 

「……にしてもあの嬢ちゃん、殊の外無害だな。俺はもうちょっと警戒してたんだが」

 

「ああ……まぁ、ここにいる間は変なことはしないみたいだよ」

 

「なんだそりゃ? ……一体、あの子は何処から喚ばれてここに来たんだろうな」

 

 俺の曖昧な答えに疑問符を浮かべるものの、ガストはオルガニアを何か遠い物を見るかの様な目で眺めた。

 オルガニアの出所は俺の魂の中……更に元を辿れば異世界だ。

 しかし、今はまだガストに真実を話す気は無い。

 オルガニアが自身の身分を偽る事を保険と呼称していた事を俺は覚えている。恐らく、不用意に世間に自身の存在が知れ渡ると危険な何かが在るのだろう。

 

 俺は何度目かになる謝罪を心の中でしながら、どうだろうな、と肩をすくめてお茶を濁した。

 

「って、そういやぁ……お前、明日は宴闘だろ? こんなとこでのんびりやってていいのかよ」

 

「まぁ……一応準備はしてあるから大丈夫だよ。そういえばガストは出ないのか?」

 

「あ? んー、特別金に困っているわけでも神器に興味があるんけでもねぇしな。へっ、応援には行ってやるよ」

 

 ミネルヴァとやらの戦闘も見てみたいしな、と付け加えてガストはジョッキの中のドリンクを煽った。

 

 金に困っているわけではない……というのは、宴闘に出れば少なからず人の目に止まるので、傭兵にとっては売名の効果があるのだ。

 つまり、宴闘で力を見せれば仕事が増える。宴闘自体に賞金はかからずとも、結果的にお金に結びつくというわけである。

 

「ただ、ミネルヴァといやぁ知ってるか? あいつの剣技を」

 

「……撃剣の事?」

 

 ガストの問いに俺は首を傾げつつ答えた。そうだ、とガストは頷き、背もたれにもたれかかった。

 

「ありゃちっと昔に俺も見たことあるんだが……えげつねぇぞ。踏み込みと初速が早い上に、重い。よしんば予備動作が分かりやすいから威圧感もある。まず回避を考えさせられちまう一撃だわな」

 

「……そう、だな」

 

 ミネルヴァさんの一撃必殺の技、撃剣。

 魔法や武器の制限はあれど、地力と技の制限は無い宴闘においては充分に懸念するべき要素の一つだ。ガストは思い出すように目を瞑りながら言葉を続ける。

 

「それに加えてあの勇者の力――アレで殆どの反撃も魔法も力押しでブチ破っちまうようだぜ」

 

「光に、質量を持たせる力……か」

 

 ガストの言う通り、ミネルヴァさんは撃剣に自身の勇者の力を併用しているように見えた。そのおかげであの超馬鹿力の技の範囲は目に見えて巨大になっている。……巨大、と言っても半径数十センチから1メートル程だが、その僅かな距離の拡大は浅ましくもカウンターを狙う愚者を容赦なく吹き飛ばす効果をもたらす。

 

本来は宴闘で使用禁止である勇者の力。

それがなんと今回は認められるらしい。

恐らく、俺が騎士団に申し出た条件が力を試すことだから裏で手を回されたのだろう。

俺はその知らせを聞いたときにローガンさんから言外に「本気でやれ」と言われているような気がした。

 

「あれの欠点とか弱いところとか……知ってんのか?」

 

「いや……それはいくら調べても出てこなかったかなぁ」

 

 弱い所を態々情報として残しておく理由は無い。俺が調べた新聞などにはそういった事はしるされていなかった。

 ミネルヴァさんが宴闘の場で撃剣を使ってくるのかどうかは知らないが、本音を言うならばそういう情報は知っておきたい。

 

「知らねぇなら聞いてみたらどうだ?」

 

「へぁ?」

 

 さもあらん、という風にガストが軽はずみでとんでもない事を提案しだした。そんなの、どう考えても教えてくれるはずがない。

 

「って、馬鹿正直に聞くんじゃねぇよ? ただ、ハンデをくれって言えばいいのさ。戦いの経験を積んだ騎士と、剣技素人の勇者……流石にガチンコ勝負をしたら勝敗は火を見るよりも明らかだ」

 

「……おっしゃる通り」

 

「だから、あんたがどんな戦い方をするのか。そして、欠点はなんなのか。それを聞くんだ。その穴を見事突くことが出来たなら……お前の勝ち。それで力の証明にはなんだろ」

 

「……なるほどなぁ」

 

 まるで思いつきもしなかった提案に俺は目を見開いた。

 今更ながら、真っ向勝負というのはいくらオルガニアの魔力があると言っても不可能だと気づく。

 

 いや、俺はオルガニアの力があると油断して真っ向勝負を仕掛けようとしていた。……本当に危ない。

 完全にオルガニアの力を妄信していた自分の思考と油断を強く、強く自覚し、自省した。

 

「ありがとな、ガスト。助かった」

 

「あ? いや別にどうってことねぇよ。お前、結構ぼけっとしたトコあるからな」

 

「……ほんと、その通りだったわ」

 

 もう一度ガストにお礼を言ってから、俺は席を立った。

 すると、エミィとの会話が終わったのか片手に地図の書かれた紙を持ったオルガニアがパタパタと元気な足音で近づいてきた。

 

「さぁ休憩は十分だな。行くぞアルス!」

 

「って、ちょっと待てよ! 早すぎ……ガスト、またな!」

 

「おう、行ってら。頑張れよアルス」

 

「いってらっしゃいませ~!」

 

 俺はオルガニアに手をつかまれ、引きずられるようにして宿屋の扉へと走る。

 まだ10分も経っていないが、オルガニアは制止の言葉を聞いてくれなさそうだ。

 俺は諦めてガストとエミィに見送られ、再び祭りの場へと繰り出すのであった。

 

「……ったく、そんじゃあ俺は俺で頼りない勇者サマの為に一肌脱いでやるかね」

 

 去り際に聞こえたガストの呟きに耳を傾ける暇もないまま。

 

 それはさて置き、外に出るなりオルガニアは目を爛々と光らせて辺りを見渡していた。

 

「小娘の話によれば少し奥に行った方に雪かきこうりとやらがあるらしい。柔らかく冷たく甘く、まるで綿のような食感らしくてな」

 

「雪かき()()()、な。そういえば人気のかき氷が毎年安く売られるって話を聞いたことがあるようなないような」

 

「我は全てを制する魔王なり。そのかきこーりとやらも我の手中に収めるぞ」

 

「かき氷な。待てって、そんな早足で行くと迷子になるだろ!」

 

「何? ……全く、仕様のないやつだ。お前は我よりここに長く暮らしているというのにこの街で迷うつもりなの……」

 

「迷子になるのはお前の方な!? 祭りの規模は街全体だぞ、探しきれねぇよ!」

 

 呆れ顔のまま素っ頓狂な事を言う魔王に俺は声を荒げてガーッとツッコミを入れる。

 オルガニアは取り敢えず冷静になってくれたようで、立ち止まって俺が一息つくのを待った。

 

「ところで、一つ聞きたいのだが」

 

「ん? なんだ?」

 

「この祭りには魔物が参加しても良いのか?」

 

「はぁ? いや、魔物なんて寄り付かないけどな。そもそも魔物が活発になる活動期が終わった事に対する祭りなわけだし……」

 

 唐突なオルガニアの問いの意味が分からず、俺は疑問符を浮かべる。

 まるで何処かで魔物を発見したかのような口調だ。

 まさか、と俺は慌てて辺りを見渡してみる。

 しかしどこを見ても視界に広がるのは祭りを楽しむ通行人と屋台を出す店主だけ。

 

「……魔物なんて居ないぞ」

 

「お前の目は節穴か? ほれ、あそこに居るではないか」

 

「はぁ? ありゃただの人間じゃないか」

 

 オルガニアが指差す方向には……それほど遠くない場所にいる人間が一人。

 がたいは良いようだが、魔物呼ばわりするのは少しどころかだいぶん失礼だ。

 

「分からんのなら、奴に近づいてみると良い」

 

「なんだそりゃ……わかったよ」

 

 どうしても自身の言葉を証明したいらしく、オルガニアは俺の背をぐいぐい押してその人の元へ行かせようとする。

 俺は止むを得ずオルガニアの言われる通りに歩いた。

 

「……なぁ、やっぱ普通のにんげ……あれ?」

 

 その人は、確かにほんの十数メートル程離れた場所に立っていたはず。……なのだが、俺はそこまで歩いてもその人の目の前にはたどり着けていない。

 目測を見誤ったか、と考えるが、どうやらそうではないようだ。

 

「……デカっ!?」

 

 そして更に近づくこと十数メートル。

 目の前にはなんと、身長3メートルは越えようという巨人が立っていた。

 俺の中でぶっちぎりのナンバーワンガチムチであるガストの記録を優に書き換える程度の筋肉を持ち合わせている巨漢で、その巨人は近づく俺たちに気がついたのか重たそうな頭をゆっくりともたげ、俺たちを見た。

 

「あれぇ。お兄さん、僕に何かごよぉ?」

 

 その巨大からは想像もつかない程不自然な間延びした声が上から降ってくる。

 

「えっ、あっ、いやっ! すみませんなんでもないで……」

 

 下手に刺激したら踏み潰されそうな体格の差に俺はたまらず首を全力で横に振り、立ち去ろうとする……が、逆にオルガニアは近づいていってしまった。

 

「こんにちは。不躾に眺めてしまって申し訳ありませんでした」

 

 華麗に一礼したオルガニアは謝罪の言葉とともににこやかな顔で巨人の顔を見た。

 俺は口角を引きつらせながらも、なんとかそれに習って謝罪する。

 

「ううんー、気にしないでよぉ。こんなおっきぃの居たら誰でも見ちゃうよねぇー」

 

 なはは、とコロコロ笑うその巨漢はよくよく見ると朗らかな顔つきをしている。ただ、そのサイズは明らかに人間の域を越しているわけだが。

 

「えっと……貴方は、人間……? ですよね?」

 

「あははー、やめてよぉ敬語なんて。僕、ただの傭兵だしーもっとくだけてくだけてー勇者さまー」

 

「え……」

 

 巨漢は尚も笑いながら俺を平然と勇者と呼んだ。その呼び方はガストのようにおちょくるというよりかは、もっと尊敬の意を込めたような呼び方で……正直俺は、もの凄くこそばゆい感じがした。

 

 と、そんな事よりも聞きたい事がある。

 

「俺がなんで勇者だって……?」

 

「えぇー、知らないのぉ? んとね、君って一部の界隈ではゆーめーなんだよぉ。闇に愛された勇者様って」

 

「ちょっと待て、それマジで誰の事だ」

 

「ああ、それより僕の話だったねぇ。僕は巨人(ジャイアント)。モイヤって言うんだ。南の方の人種だからこの辺じゃ珍しいかなぁ」

 

「あの、悪いけどそれより先に俺の名誉毀損問題をだな」

 

 闇に愛された勇者というのは言い得て妙というか、核心を突いているというか。

 確かに俺の戦いは王都襲撃の際にエミィを含む何人かの一般人に見られていたが、まさかこんな短期間でそれが広がってしまうとは。

 

「えへへぇ、僕、勇者に会うのは初めてだなぁ。なんだか得しちゃった気分ー」

 

「王都に勇者はそこそこいると思うから大して珍しかないと思うけどなぁ」

 

「あはは、僕にとっては珍しさだけじゃないよぉ。後でサイン欲しいなぁ」

 

「いやいや、勘弁してくれよ」

 

 モイヤと名乗った巨人は本当に嬉しそうな顔で俺の言葉を謙遜と受け取ったようだ。

 隣ではオルガニアが興味深そうにモイヤの事を下から上まで眺め倒している。

 

「えへへ、そんな見られると照れちゃうよぉ」

 

「すみません、でも初めて見るものですから……凄く大きくて、憧れますっ」

 

 顔を紅潮させ、居心地悪そうに頬をかくモイヤを見上げながら楽しげにそんな事をのたまうオルガニア。

 よくもまぁ心にもない事をこんな明るい声で言えたものだ。

 

「そっかそっか。ありがとねぇ。この子はアルスさまのお友達ー?」

 

「よしてくれよ様付けなんて。まぁ友達っつーか……親の知り合いの子供、かな」

 

 どうやら俺が勇者である事が知られていると同時に名前も広がってしまっているようだ。

 プライバシーもひったくれもないなとは思うが、これも有名人ならではの宿命と言ったところか。

 

 何はともあれ、俺とオルガニアの関係は他の人間に伝えた物と同じ内容を説明しておく。

 

「よしよし、可愛い子だねー。肩車してあげよっか?」

 

「是非っ!」

 

 にへらっとすっかり砕けた面持ちでいるモイヤの提案にオルガニアは両手を広げ、太陽のような笑みを咲かせる。

 その仕草は完全に抱っこをせがむ子供のそれだ。正体を知っている俺でさえもちょっと眩暈を起こしそうになる愛らしさである。

 

「いいよー、じゃあじっとしててねぇ。……よいしょっとー」

 

「っ!」

 

 大きな手で優しく包まれ、3メートル地点へと持ち上げられるオルガニア。

 少しだけ目を閉じて身体を硬直させていたが、唐突な浮遊感と視界の変化に戸惑ったわけではなく、アレもまた演技だろう。

 オルガニアにとっては3メートルどころか、十数メートル上まで飛ぶ事なんて訳ないはずだ。

 

「わぁ……っ」

 

「どうかなぁ?」

 

「とっても高いです!」

 

 小さな子特有の舌ったらずな感想にモイヤは満足げな顔で頷く。

 その傍ら、俺はオルガニアの行動に首を傾げていた。

 かき氷の店に行くために猛進していたはずなのに、何故急に巨人に興味を持ち、更に肩車までしてもらったのだろうか。

 周囲に溶け込むための演技にしては明らかにやり過ぎだ。

 

「あのっ、あのモイヤさん。一つお願いがあるんですっ」

 

「ん、どうしたのー?」

 

「うーんと……この辺りにかきこーりを売っている場所があるって宿屋の店主さんから聞いたんですが……見つからなくて」

 

 この魔王はつくづくセコい奴というか、目ざとい奴というか。

 まさか一々歩いて探すのが面倒だからとほぼ俯瞰視点で物を探せるモイヤにかき氷を探させようとは。

 

「任せてー。んーとねぇ……あ、あそこかなぁ。連れてってあげようかぁ?」

 

「ありがとうございますっ!」

 

 流石の視認距離と言ったところなのか、モイヤはすぐにオルガニアの求めるかき氷を出す出店を発見した。俺の視界からは見えないが、モイヤの視線的にだいぶん遠そうだ。

 

「アルスくん。そこに向かってもいいかなぁ?」

 

「ああ。連れてってくれるとありがたいよ。俺も後から追いつくからさ。それから雪かき氷な」

 

「りょうかーい。それじゃあしゅっぱーつ」

 

 モイヤもオルガニアに好感を持ってくれたようだし、折角なので俺は一旦子守から解放されるとしよう。

 オルガニアが一瞬俺の事をじろりとなじるような目線で睨んだ気がするが、俺はわざと目を逸らして無視する事にした。

 

 言われなくても帰らないっての。

 

「ふーっ、やれやれ……」

 

 モイヤに担がれたオルガニアを見送り、俺は一息つくために出店でラムネという炭酸飲料を買ってからベンチに落ち着いた。

 歩きっぱなしの足がじんわりと回復していく感覚はいつ感じても良いものだ。

 

「ほんと、この空気は久し振りだな」

 

 王都の大通りは広いため、人で賑わう今でも幾らかのゆとりがある。

 そのため窮屈さや閉鎖感はまるで無く、人々の喧騒や時々聞こえてくるイベントスペースからの楽器の音が街中に響いていて退屈を感じさせない。

 

 俺は目の前に立ち並ぶ出店を流し見しながらラムネに口をつけた。

 素朴な甘さと強目の炭酸が乾きかけの喉を走り抜けていく。

 

 そういえばエミィはまだ宿屋で仕事をしているのだろうか。休憩がてらオルガニアを連れて再び戻り、少しだけ店番を代わってあげてもいいかもしれない。

 遠慮はするだろうけども祭りの事を結構詳しいみたいだし、オルガニアと一緒に回らせたらなんやかんや楽しんでくれそうだ。

 

「ふぅ……う?」

 

 ラムネをもう一口飲もうかと考えたところで、俺は身を乗り出して目の前の出店を凝視した。

 いや、具体的にはその出店を経営している人を見た。

 

 そこにいる人物が売り出しているのは色取り取りの原石。摩訶不思議な力を持ち合わせると言われるパワーストーンという奴だろう。

 

 パワーストーンには魔法的な力もないし、俺からしたらそんな眉唾物に手を出す奴の気がしれないが、そういう物に絶対手を出さなさそうな人物がそこで座り、立ち寄る女性客に何やら説明をしていた。

 

「あのー、ミネルヴァさん?」

 

「はい、いらっしゃいま……っ!!??」

 

 なんとなくガストに言われた事を思い出した俺はミネルヴァさんとコンタクトをとることにする。

 話しかけると、ミネルヴァさんは予想外なほど無防備な声で俺の顔を見て……表情も体も硬直させた。

 

 あーそういえばこの人、光り物とか好きなんだっけ。

 俺は固まり続けるミネルヴァさんを見ながら、少し前に調べた彼女に関する情報を思い出していた。

 






誰だお前!?
と言いたくなるような怒涛の魔王様連打回でした。
圧倒的…ッ!圧倒的幼女…ッ!
というわけでお祭り初日はもうちっとだけ続くんじゃ。


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第25章「都合の良いときばかり」

「なにしてるんですか……?」

 

「……見ての通り。屋台を出している」

 

 ミネルヴァさんは体裁を取り繕うように姿勢を正す。その辺りの速度は流石と言わざるを得ない。

 だがやはり突然の不意打ちに若干顔が引きつっているような気がする。

 

「これ、パワーストーン……ですよね。ぱっと見綺麗だけど、ただの石って売れるんですか?」

 

 俺は陽の光に照らされてキラキラと光る石を眺めて売れ行きを尋ねる。

 俺の素人丸出しの問いにミネルヴァさんは笑い飛ばすことで一蹴した。

 

「ふん、パワーストーンの美しく透き通るような姿には様々な意味が込められている。だからこそ、その石を身につけ、或いは渡すんだ」

 

「ああ、お土産用なんですね」

 

 なるほど、そういう話で売り出すのであれば確かに王都のお土産としては売れそうだ。パワーストーンは特別王都にしかない訳ではないが、珍しいことに変わりはない。

 それにしても何故にミネルヴァさんが、しかもこんな所で屋台など出しているのだろうか。

 光り物が好きなのであれば売る方ではなく買うほうであるはずだ。

 

「例えば。そこにあるゼオライト。これは大地の力を宿していると言われている」

 

 と、ミネルヴァさんは濁りにも似た白の色彩を持つ石を一つ手にとって語った。

 そして更に二つ、三つと挙げていきうんちくを語り続ける。

 

 この辺りで足を止めた大体の人物はこう悟るだろう。

 

 ――ああ、布教がしたいんだな。

 

 つまり、ミネルヴァさんが出店をしている理由は1つ。やはりこれはどこまでも趣味であるということだ。

 自身が好きなものを他人にも知ってもらいたい。また、共有したい思いからこういう行動に至ったのだろう。

 なんというか……流石の行動力だ。

 

「そして更にこのサファイア。成功を呼ぶと言われ宝石にも加工される。青は精霊が好む色のようで、精霊石への加工も可能だ」

 

「あー、ミネルヴァさん、もうそれくらいで大丈夫っすよ」

 

 これ以上爛々と目を光らせるミネルヴァさんのうんちくを聴き続けているわけにもいかない。

 俺は曖昧な笑みを浮かべながらミネルヴァさんの言葉を遮った。

 

「……パワーストーンに興味もないのに、何故この店に立ち寄った?」

 

「いやまぁ、1つ訊きたいことがありまして」

 

「……言ってみろ」

 

 やばい、明らかに不機嫌になっている。

 そんなに話の腰を折られたのが気に食わなかったのだろうか。

 でも考えてみてほしいのだが、商品棚に置かれている石の種類はぱっと見る限り50種以上。しかもどこかで切らねばミネルヴァさんは延々とこの石ころの説明を続けていそうなのだ。そういう目をしている。

 傷の浅いうちに遮った事はむしろ英断だったと言って然るべしだ。

 

 俺は胸中で言い訳して少しだけのしかかった罪悪感を取り除く。

 こちらを睨みつけてくるミネルヴァさんの視線を気にしていない風を気取りながら、気を取り直して尋ねる事にした。

 

「明日の宴闘……俺にハンデをくれませんか」

 

「…………」

 

 無反応。

 続けろ……という意味と捉え、俺は話を続ける。

 

「俺は……自慢ではないですけど戦いの訓練はしてきませんでした。ですがそれでも力がきちんと使えるための証明をするために。せめて何か、弱点だけでも……」

 

「こちらから与えるハンデは2つだ」

 

 俺が喋っている最中に、何故か深いため息を吐いたかと思うと、ミネルヴァさんはそんな言葉で俺の話を遮った。

 意表を突かれた俺は口の動きを止め、面食らったように固まる。

 なんだろうか、この……俺が話すことを予測されていたかのような肩透かし感は。

 

「そのような話が出れば、譲歩するように……と、ローガン団長から言付かっている。ひとまずは及第点だな」

 

「…………。マジでか」

 

 あのクソジジイ……おっと、騎士団の元締め爺さんはどうやら絶好調のようだ。

 言付かっているという事は、俺がそういう行動に出ることを予測していたという事だ。

 

「隊長はお前をあらゆる方面から試験するおつもりだ。精々頭を巡らせて行動するんだな」

 

「……そ、そうですね。気をつけます」

 

 ミネルヴァさんは言いながらも腕を組んで俺を冷ややかな目で見つめ直す。

 

 ……やはり自分は幸運に、というより友の気遣いに助けられていたと認識する。俺はきっとガストに言われなければミネルヴァさんと接触することすら避けていただろう。

 自分の浅ましさで血の気が引き、背筋につつ、と冷や汗が伝う。

 

「だからこそ接触しやすいように祭りで屋台を出していろ、などと訳のわからない指令を出されているわけだ。……つまり、決して趣味を誰かと共有したいわけではない」

 

「にしてはまぁ随分と楽しそうですね」

 

「それは目の錯覚だ」

 

 こいつ、言い切りやがった。

 

 

 

 ◆

 

 

 

「……遅い」

 

「あははー。きっと誰かに声をかけられてるんだよー。アルスくん、ゆーめぇじんだしね」

 

「全く……」

 

 ぱくり、とモイヤの肩に乗っかったオルガニアが手に持っている雪のようなかき氷を口に運ぶ。色は赤みがかっているし、いちご味だろうか。

 そんな姿がようやく見えてきて、俺は二人に軽く手を振ってみた。

 

「あっ。アルスくんだ。ニーアちゃん、追いついたみたいだよぉ」

 

「兄さん……遅いですよ」

 

「悪いな、ちょっと野暮用があったんだ。モイヤもありがとう。助かったよ」

 

「ううん、おやすいごよぉだよー。ニーアちゃんとも話せたからね」

 

 モイヤは手のひらをひらひらと振りながら朗らかに笑う。この顔からは虫すらも殺せないように思えてしまう。本当に彼は傭兵なのだろうか。

 

「よいっしょ。それじゃあ、僕はもう行くねぇ。またねーアルスくん、ニーアちゃん」

 

「ああ。ありがとな」

 

「ありがとうございました」

 

 モイヤはゆっくりとオルガニアを降ろしてからまたにこりと笑って立ち去っていった。

 俺もオルガニアもそれぞれその背中に感謝の言葉を贈る。

 

「変わった奴にあったなぁ……あいつ、暫く王都にいるつもりなのかね」

 

「そうだな。この世界ではあのような男が魔物ではなく人間として通るのか……はむっ」

 

 未だ小さくならないモイヤの大きな背を見ながら、オルガニアが呟き……またかき氷を一口。

 気に入ったのだろうか、食べるペースが早い。

 

「なぁオルガニア。そんなに美味いなら、俺にも一口くれよ」

 

「ところで、あの騎士と話は済んだのか?」

 

「いや俺がした話じゃなくてさ、先に俺にもかき氷くれよ」

 

「自分で買え」

 

 取り付く島もなく拒絶される。

 子供のようにそっぽまで向かれてしまった。

 

「それ俺の金で買ったんだよなぁ……」

 

「これはあの巨人が買ったのだ。やはり肝心なところで財布を使う男は優秀だな」

 

「腹立つわぁ……っ。分かったよ、買ってくればいいんだろ買ってくれば」

 

 歩き回って熱くなってきたということもあって俺の喉は水分を欲している。

 俺は影でほくそ笑むオルガニアに背を向け、タイミングよく空き始めた屋台の列に並び、しばし待ってから店主に注文をした。

 

「雪かき氷……。そうだな、いちご。練乳入りで」

 

 と、そこで一つ悪戯を思いついた俺はオルガニアの持ついちごにある物を足してもらう。

 数分経たずに出来上がったそれを受け取り、俺は小走りでオルガニアの元まで戻った。

 

「んじゃ早速さっきの話だけど……」

 

「おい待て。貴様なんだその白いのは」

 

 食いつきが早すぎる。熟練釣り師もびっくりのスピードだ。

 俺の手に収まっているかき氷が自身のものと似てはいるが非なるものである事を目ざとく理解したオルガニアは白い液体……練乳をじーっと凝視し始めた。

 

「なんだよ、かけてもらわなかったのか? 濃厚になって美味しいぞ」

 

「……少し寄越せ」

 

「あっるぇ? オルガニアさんには自分の分があるじゃないっすかぁー」

 

「全てではなく少しと言っているのだぞ! 我の善意と譲歩に感銘を受けとっとと献上するべきだろう!」

 

 むきーという声が聞こえて来そうな程に噛み付いてくるオルガニアを見るのは非常に満足である。

 おっと、ちなみにあの熱を上げる術は使わないと踏んでいる。俺の体温を上げるあの術を使うと俺が持っているかき氷は熱伝導であっという間に水になってしまうのだから。

 

「きっ、きっさまぁぁぁ……! この我をここまで愚弄するとは……! 覚悟はできているんだろうな……!!」

 

「うっ……」

 

 顔を真っ赤にしたオルガニアの周りに黒い気体のような魔力がズゴゴと音を立てて沸き立つ。

 顕現している間は安全だろうとは言っても流石におちょくりすぎただろうか。

 

 かき氷のごとく粉砕される前に俺は白旗を上げることにした。

 

「悪かったって。ほら、お詫びにやるよ、これ」

 

 俺は最後に一口かき氷を口に放りこんでから、その入れ物ごとオルガニアに渡した。

 多少持ちにくそうだが、オルガニアはなんとか二つのかき氷を抱えて、魔力を鎮めてくれた。

 

「……都合のいい奴だ。面倒な」

 

「お前は直線的すぎると思うぞ」

 

 調子が狂ったように唸るオルガニアに再度背を向けて、俺はまた祭りで賑わう道を歩き始める。

 このまま逃してもらえないだろうかと内心冷や汗をかいていたら、服の裾がちょんちょんと引っ張られた。

 

「えーと、オルガニア? まだ怒ってるか……?」

 

「…………」

 

 振り返って機嫌を尋ねてみるも、オルガニアはじーっと自分の持つ二つのかき氷を眺めている。一体どうしたのだろうか。どこか具合が悪いのかを訊こうと俺が口を開いたところで、オルガニアもまた同じタイミングで口を開いた。

 

「……こんなに食えん。こっちはお前が持て」

 

 意を決したようなオルガニアの言葉に、俺は図らずも閉口してしまった。

 ちょっとだけ早口で、不器用な言葉。

 素直に物を渡されて、気まずくでもなってしまったのだろうか。全く、らしくもない。

 

「分かったよ。ただ、溶けるから半分くらい俺が食うぞ」

 

「はぁ、好きにしろ。全くそれ程食い意地をはらんでもいいだろう」

 

「それ、お前にだけは言われたくない」

 

 かき氷を片手に二人で並んで一度ベンチに落ち着きつつ、俺はオルガニアの横顔を盗み見た。

 嬉しそうな顔で未だかき氷を頬張る姿は、本当に小さな女の子のようで、ほんの少しだけ、俺の口角も綻んでしまう。

 

「それで、話を聞こうか」

 

「ああ。ミネルヴァさんの弱点……。正直弱点と呼べるかどうか分からないけど……オルガニアって、ミネルヴァさんの撃剣を見たか?」

 

「ああ。あの日、窓から見ていた」

 

 窓から見ていたのに助けに入らなかったのは、ミネルヴァさんが割って入ってくるのを見ていたからだろうか。

 あの時は本当に死ぬかと思ったんだぞと文句の一言も出て来そうになるが、俺はそれをひとまず飲み込んで話を続ける。

 

「あれって勇者の力と身体能力の他に、もう一つ身体強化の魔法も使ってるんだと。それって、弱点か?」

 

「あともう一つはなんだ」

 

「勇者の力で質量を持たせられるのは、自分が生み出した光だけ……って言ってた」

 

「だろうな。でなければ日中は奴の独壇場になりかねん」

 

 この二つが店でミネルヴァさんに聞くことができた弱点であり、俺に与えられたハンデだ。

 弱点らしからぬ話に疑問を持ち尋ねたが、自分で考えろの一点張りだったので、これ以上の情報は期待できないだろう。

 

「考えられるとするならば……この世界の身体強化の魔法にはなんらかの限界がある、といったところか」

 

「まぁ……人によるけど2つ、3つまでしかかけられない、くらいかな。身体というか脳が身体を使えなくなるんだって」

 

 言うなれば強化魔法はリミッター外し。脳が身体にかけているブレーキの何パーセントかを外し、それに耐えうる肉体の耐久力やスタミナを魔力で高めているという仕組みだ。

 だから発動に限界があるし、効果には制限時間がある。

 それ以上魔法を行使すると身体が拒絶反応を起こして気絶してしまうのだとか。

 

「でも、ミネルヴァさんは強化魔法が得意だって言ってたし、そんなのはミスらないだろ。弱点どころか長所だと思わないか?」

 

 愚痴めいた俺の問いかけにオルガニアは食べ終わったかき氷の入れ物にスプーンを入れつつ、「ふむ……」と独りごちる。

 

「はぁ、いまいちこの世界の魔法を把握していない現状、我には測りかねる。いい機会だ。今回は自分でなんとかしてみろ」

 

「おい、お前今ちょっと考えるの面倒くさいなって思ったろ!?」

 

「気のせいだ。……む。かきごーりが溶けてるぞ、勿体無い」

 

 オルガニアはぱくぱくと俺の持つ溶けかけのかき氷を食べ始めた。

 自分でなんとかしてみろ、か。……試してくださいと言ったのは俺だとはいえ、些か荷が重い気がしてならない。

 

「ほんと、ただ平和に祭りを楽しむだけならどんなに良かったか……」

 

「今回のことで更に名が知れ渡れば、よりぐーたらできなくなるだろうな」

 

「勘弁してくれぇ……」

 

 既に暗雲が立ち込めている未来に打ちのめされた俺は、だらしなくベンチの背もたれに身体を預けるしかなかった。

 

「……それを望んだのは他ならぬお前だろう」

 

「いつ俺がそんな事を望みましたかー」

 

「王都襲撃のあの日、剣を抜いた瞬間から、お前は戦う決意をしたのだ。己が使命と」

 

 綺麗にかき氷を平らげたオルガニアが、俺の目を見てそう告げる。

 それは、全くもってその通りだ。

 

「都合のいい時ばっか逃げて、都合のいい時ばっか勇んで……俺って端からみたら何してんのか分かんないだろうな」

 

「充分だ。それに文句を言う奴は、百戦を勇んだ猛者か、都合のいい時でさえ戦えない愚者に違いないからな」

 

 そう言い残してオルガニアは近くに備え付けてあったゴミ箱までかき氷の入れ物を捨てに行く。ゴミの分別もしっかりできるとは、出来た魔王だ。

 さっきのオルガニアの言葉からすると、ミネルヴァさんは前者と言ったところか。全く、とんでもない人に目をつけられてしまったものだ。

 

「…………。都合のいい時に頑張って、悪くなったら逃げる、か」

 

 もしかしたらそれが俺の根底なのかもしれない、なんて開き直ってしまいそうになる。

 それでも俺の思考は、着実にミネルヴァさんとの戦いに向かっていた。

 

 都合のいい時にしか戦えないのなら、常に都合のいい時にするしかない。

 そのためには、考えなければ。ミネルヴァさんの弱点を誰よりも、沢山。

 この足りない頭を人の倍以上使うつもりで。

 

 ベンチに項垂れていた俺の姿勢は、いつの間にか少しだけ前のめりになっていた。

 





オルガニアが渡したかき氷って、練乳入りなのか練乳無しだったのか。どっちがいいか悩んだ結果想像にお任せしますという方法を取ったのが昨日の話(唐突)


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第26章「ソルディース祭-2日目-」

「……んー」

 

「おい、いつまでぼーっとしておるのだ。我はもう寝るぞ」

 

「んんー。って、それ俺のベッドだからな!?」

 

 オルガニアと祭りをほぼ一周したところで日が暮れたので、俺たちは宿へと帰ってきた。

 そのまま俺は自室でミネルヴァさんから聞いた事を整理し、打開策を考えていたのだが……事もあろうにオルガニアは俺の部屋に一つしか備え付けられていないベッドに寝転がり寝息をたててしまった。

 いよいよ数時間後に決戦を控え、緊張している俺の事など御構い無しにこの野郎、どこまでも図々しい奴である。

 

「……まぁまだ寝ないからいいけどさ。というか、睡眠が必要なんだな」

 

 独り言じみた問いかけにオルガニアは返事を返さない。

 流石に1日人混みを歩き通しで疲れたのだろう。身体を動かすのに慣れてないようだし、当たり前といえば当たり前といったところか。

 

「明日はいよいよ宴闘、か」

 

 祭りの二日目。ミネルヴァさんと戦うことも当然大変なことであるが、それ以前にミネルヴァさんと当たるまで他の傭兵達にも勝たなければならない。

 宴闘のルールは通例でトーナメント形式だ。

 

「なぁ、最後に一個だけ確認なんだけどさ」

 

「……なんだ」

 

 今度はしっかりと質問の意を伝えると、オルガニアはその端正で綺麗な睫毛を揺らし、片目だけを開いて続きを促した。

 

「あの、オルガニアから貰った魔法って、そんなヤバい威力してないよな?」

 

 試合に出て間もなく失格など決してやってはいけないことだ。今回は勇者の力を使うことを禁じられてはいないようだけど、それにしたって限度はある。対戦者を控えめに言ってR18的な見た目に変えてしまっては大問題なのだ。

 

「まぁ平気だろう。使うのはただでさえ色々とセンスのないお前だ。余程相手が雑魚ではない限り死にはしない……ぐぅ」

 

「……なるほど」

 

 今度こそ微睡みの中に意識を落としたオルガニアはもう起きそうにはない。

 それにしても随分適当な答えだと俺は一人静まり返った部屋で嘆息した。

 

「俺がしっかり戦わないとな……。ほんと、これで日常が帰ってくりゃいいけどさ」

 

 一度宴闘の事から意識を離し、俺は眠っているオルガニアの姿を見る。

 オルガニアは布団の中で小さく丸まっている。布団をしっかりと握り、テコでも動かないといった姿勢だ。……恐らくというか十中八九、俺は今日地べたか椅子で寝ることになるだろう。

 

「……そういや、さ。俺ってお前のこと何にも知らないのな」

 

 少しだけ受け答えを期待して、ぽつり、と。そんな事を呟いてみた。

 オルガニアは寝息を立てたまま動かない。

 

「お前の普段の振る舞いを見てると……なんとなく、お前が何を言おうとしてたのか……分かった気がするんだ」

 

 俺がその事を聞いたら、オルガニアはなんて答えてくれるだろう。

 いつものようにはぐらかすか、聞くなと断るか。はたまた、ことも無げに答えてしまうか。

 でもそれを知ってしまったら、俺はお前の事をどう思うようになってしまうのだろうか。

 

「……仲良くなれてる気はするんだよな、うん」

 

 オルガニアは最初とあまり態度を変えていないように見えるが、なんとなく柔らかな感情を表に出す機会が増えた気がする。それはオルガニアの心が開いてきていることに他ならない……はずだ。

 

「…………」

 

 なんとなく。そう、本当になんとなく出来心で、俺は眠っているオルガニアの頭に手を乗せた。

 起こさないように、今にも砕けてしまいそうな程に脆いガラス細工に触れるように。

 優しく、そっと。

 

「お前って何歳なんだ……? お前はどんな生き方をしてきたんだ……? お前の部下は……人との戦争は……」

 

 止めどなく溢れるように俺の口から問いが出てくる。挙げれば挙げるほどの強まっていくそれの名は、興味。或いは警戒。……そのどちらとも異なる気持ちで。

 

 最初にオルガニアは言っていた。

 自分は、手傷を負わされた勇者から逃げてきたのだと。

 

 俺にはどうにもオルガニアが悪人だとは思えない。

 争いの原因はなんだったのだろうか。俺に何か出来ないだろうか。

 考えれば考える程疑問が浮かび、明日に控える大事な宴闘の事など頭の隅へと隠れてしまう。

 

「俺は、もうちょっとだけお前と一緒にいたいのかもしれないな……」

 

 また一つ、少しだけ返答を期待した独り言を投げかける。

 

 だが。オルガニアは依然眠ったままだ。

 

「…………」

 

 ちょっとくらい、調子に乗ってもいいかな、などと甘い事を考えた俺は、さらりと、オルガニアの毛並みに沿うようにして頭を撫でる。

 こいつは風呂にも入らないのに本当に髪ツヤが良い。何かしら魔法でも使っているのだろうか。

 

「…………」

 

 今だけはちょっと生意気で小さな妹を持ったような気分になって、何度かオルガニアの頭を撫で続ける。

 紅い髪の毛は一本一本が透き通るようで……視覚でも触覚でも飽きさせない。

 

「起きねぇな……。結構深く眠ってるのか……なぁっつぁーーーー!!!」

 

 さらさらとした髪の毛の触り心地を堪能していると、唐突に髪に触れていた俺の手が燃え上がるように熱くなった。たまらず叫び声を挙げオルガニアの髪から慌てて手を離す。

 こ、この熱は……。

 

「…………」

 

 オルガニアがその力強い半開きの瞳で俺の顔をじっとりと睨んでいた。

 

「え、えーと……起こしちまってすまん」

 

 取り敢えず何を謝ったら良いのか分からなかった俺は、思いついた謝罪の言葉を溢してみた。

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………つづけろ」

 

「へ?」

 

 まだ寝ぼけているのか、舌ったらずな口調でオルガニアは続きを促す。

 そしてぽふんと柔らかそうな音を立てて再び寝息を立ててしまった。

 

 ……続けて良いならなんで俺の手を熱くしたのだろうか、と尋ねるのは野暮という奴だろうか。

 

 まぁお許しが出たのなら是非もない。俺は再びオルガニアの頭に手を乗せて、静かに撫で始めた。

 

「…………」

 

「…………」

 

 そのまま、眠るオルガニアを俺が眺めるというゆったりとした時が流れること数分。

 オルガニアが、不意に口を開いた。

 

「……ときが、きたら」

 

「……ん?」

 

「……すこし、はなしてやむ……」

 

 話してやる、と言いたかったのだろうか。最後の方はごちゃごちゃとして聞き取りにくかった。

 

「時か……」

 

 なんとも曖昧な表現の仕方だ。

 俺はピタリとオルガニアを撫でる手を止め、ベッドの隣に自分の寝床を作り始める。

 

 利害だけの関係だけではなく、こいつと共に居てもいいのではないか。

 そんな酔狂な考えが俺の胸の中にじんわりと広がっていく。

 

「今日の俺は……きっと、逃げない」

 

 日付が周り、それと共にどんどん眠気も襲ってくる。確証のない誓いを立てて、俺は最後にオルガニアの頭を数回撫で――まどろみの中に意識を落とした。

 

 俺がオルガニアに抱いている感情は、分からないまま。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 翌日。待ちに待ってはいないが宴闘当日だ。

 

 俺は緊張からか珍しく朝に鳴く鳥の声で目を覚ました。本来なら清々しい朝なのだろうが、俺の胸中は些か清らかではない。寝癖だらけの髪をかきむしり、重たい身体を持ち上げる。

 

「ふっ……くぁ……」

 

 身体を大きく天井へと伸ばし、間の抜けたあくびをしながらベッドの方を見ると、オルガニアはまだ夢の中だった。寝かしておいてやったほうが良いのだろうが、起こさなかったら起こさなかったでうるさそうだ。さて、どうするべきか。

 

「おーい、オルガニア。朝だぞ起きろーー」

 

 念のために、声だけかけておく事にした。

 

「……よし」

 

 案の定起きなかったので俺は静かに扉を開けて宿屋のラウンジへと降りる。

 すると、いつもとは少し違った光景が目に写った。

 

「これは……精霊?」

 

 ふわふわと宿屋の中をせわしなく飛んでいるのは色取り取りの精霊たち。

 見た目は手乗りサイズの人間なのだが、背中に光る羽を持ち舞い踊る様はまるで美しい炎の様。

 で、精霊というのはそれとは別にちょっと変わった特徴を持っている。

 それはこいつらと関わればすぐに分かることだ。嫌でも知ってしまうし、染まってしまう。

 

「おう、アルス。はよーさん」

 

「ガスト……今日も来てたんだな。どうしたんだこの精霊?」

 

 粗雑な挨拶に出迎えられ、俺は首を傾げる。

 魔法使いであるガストが宿屋にいるということは、この精霊たちはガストと契約を結んだ精霊だろう。宿屋にかなりの数の精霊を飛ばせて、一体何を企んでいるのだろうか。

 

「驚いたろ? こいつらには一時宿屋の店番を頼んでんのさ。言葉は通じるしそこそこ働くし、まぁ少なくとも問題は起こさねぇさ」

 

「店番……? どうしてまたそんな事を……あ」

 

 咄嗟に飛び出しかけた疑問を俺は止め、ふとある事を思いつく。どうやらこの男、俺と考えることが同じだったらしい。そういえば昨日俺とオルガニアが祭りに行っている間ガストは宿屋にいたんだっけか。

 

「なるほど……。凄いな、精霊に店番を頼めるのか」

 

「ま、日々のコミュニケーションの賜物って奴よ。対価さえ用意してやればある程度の願いは聞いてくれるのさ」

 

 ガストが魔法を得意としているのは知っていたが、まさかこれほどまでとは知らず、俺は少なからず驚きを示した。

 精霊と仲良くなる、というのは並大抵の事ではない。ガストがどれ程の間精霊たちと暮らしてきたかが分かろうというものだ。

 

「お気遣いをしてもらって……なんだか申し訳ないです」

 

「あ、エミィ」

 

 ガストの影からおずおずと出てきたエミィはいつものエプロン姿ではなく、外出用の衣服を着ている。季節にあった服装に、キャスケット。少し古ぼけてはいるが丁寧に履かれている事が分かる革のブーツがエミィを少しだけ大人っぽく表現している。

 初めて見る姿に俺がしばし見惚れていると、ガストは野性味あふれる笑みを浮かべてエミィの頭をガシガシと撫で回した。

 

「子供が遊べねぇ祭りを人は祭りって呼ばねぇんだよ。いいからここは俺に甘えとけ」

 

「あうあう……ガストさん、ありがとうございます」

 

「……つーわけでだ、アルス。あのお嬢ちゃんはどこだ?」

 

「ああ、オル……ニーアのことか? あいつならまだ寝て――」

 

 寝てるぞ、と言いかけたところで階段からのっそりとした足音が聞こえる。

 振り返ってみると、寝ぼけ眼を擦りながら大きな欠伸をするオルガニアが現れた。

 

「うむむ……アルス、今は何時だ……」

 

(お、おいおいオルガニア。みんなの前だぞ)

 

「……んー」

 

 小声で忠告してやるも、反応なし。ダメだ、完全に寝ぼけている。

 口調を取り繕うこともせずにオルガニアは右へ左へ首を動かし自分のいる場所を仕切りに見渡した。

 

「うふふ……ニーアちゃん、おはようございます。ほら、そんなに擦ったら目に傷ができちゃいますよ?」

 

「んむ……? お前は……あ」

 

 目の前までエミィが近づいた所でようやく気付いたのか、オルガニアは気まずそうに目をそらし、軽く咳払いをした。

 

「お、おはようございますエミィさん……ええと、お見苦しいところを見せちゃいましたね……あはは」

 

「全然、気にしないでください。お顔、洗ってきますか?」

 

「そ、そうします……」

 

 最大の失態だ、と言わんばかりの面持ちのオルガニアはそのまま共用のお手洗いへと姿を消し、エミィはその様子を見て楽しそうに笑っていた。

 

「宴闘は昼過ぎに開催だったな。お前も色々気負うだろうが……余裕持つ程度が丁度いいぜ」

 

 先に外出てるぜ、と言い残したガストは楽しそうに笑いながら宿屋の外へと向かって行ってしまった。

 

「……。よし」

 

 俺は軽く息を吐いてから、気恥ずかしそうに俺を見上げるエミィを見つめ返した。

 

「んじゃあ2日目。楽しもうか」

 

「……はいっ」

 

 ――俺は自分にも言いかけるように、努めて穏やかな声でそう言った。

 

 



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第27章「全てが始まる数分前」

「魔の剣を背負いし者、我が契約者よ。我ら、汝との契りに基づき闇の帳が降りし時まで人たる者達に対する奉仕を行わん」

 

「ああ、頼むぜ。それから重い物運ぶときはなるべく魔法は使わずに複数人でだな――」

 

 近づいてきた精霊の一人とガストが会話をしている。

 精霊の喋る言葉というのは相も変わらず難解だ。というのも彼ら彼女らの話し方というのは一風変わった方言のようなのだ。

 その場で聞いた瞬間に意味を理解するのは相当な難易度と名高い。

 精霊を呼び出す詠唱が精霊達の言葉に似ているのはこういうところから起因しているのだろう。言っちゃあなんだが痛々しいというか寒いというか、ともかく変な言語だ。

 

 どうでもいいけど流石にガストは精霊との会話は慣れているようで、意味の理解が淀みない。

 

「受諾した――汝に王の光を」

 

「ああ、サンキューな」

 

 胸に手を当てて一礼した精霊はふわりと宿屋の一角へと飛んでいく。

 なんだかこれほど精霊が沢山働いていると変わった宿屋として変な噂が付いてしまいそうだ。1日だけ、それも半日だけなら大丈夫ではあるのだろうが、少し心配である。

 もちろん精霊達の働きぶりという意味で。

 

「ま、あいつらなら心配いらねぇよ」

 

「そうなのか?」

 

「頭いいぜ? 俺らなんかよりよっぽどな」

 

「……そうなのか」

 

 決してそんな風には見えない精霊たちを横目で見ながら、俺は顔を洗ってきたオルガニアを出迎える。どうやら出かける準備は整ったようだ。

 

「お待たせしました。出発しましょう!」

 

 完全に外行き用の口調と出で立ちになったオルガニアが跳ねるような声で出発を促す。俺たちは顔を見合わせてその様子を微笑ましく思いながら、先導するオルガニアについていくのだった。

 

「そういやぁよ、昨日はどこ周ったんだ?」

 

「えーと、街の東の地区までかな。西は宴闘の会場があるし、今日周るとしたら色々都合がいいかなって」

 

「なるほどな。したらまぁ、そうすっか? どうする店主さん。東側もちらっと見てくか?」

 

「ええと……その、できればわたしも雪かき氷を食べてみたいなって……」

 

「!! ……ではそうしましょう! アルス! ……にいさん! 私もいいですよね?」

 

 ガストが尋ね、恥ずかしそうにエミィがかき氷をねだってオルガニアがここぞとばかりに反応する。

 

 俺にとっては本当に新鮮な光景だ。奇妙な光景とも言えるだろうか。

 まさかこんなに大人数で祭りを周る事になるなんて、一ヶ月前の自分は考えなかった事だろう。考えたとしてもそれはただの現実逃避か何かだったはずだ。

 

 どうでもいいけどオルガニア。俺も大概だけどお前もちょくちょく演技崩れて俺の呼び方とか間違えてるの気づいてるからな。

 

「……そういえば」

 

 雪かき氷と聞いて思い出したが、今日もモイヤは祭りに来ているのだろうか。

 特に出店に興味があるようでもなかったし、あいつは一体何の用事で王都に来ていたのだろう。祭りの時期に傭兵の仕事なぞはないと思うし、疑問が残る。

 

 疑問といえばミネルヴァさんの出店も健在なのかと気になるが……それは考えないでおこう。多分、健在だろ。目を輝かせて女性客に石ころを売っているに違いない。分かんないけどきっとそう。

 

「それにしても……なんだか少し人が少ないような気がしますね?」

 

 かき氷を求めて歩く途中、エミィの最もな質問が投げかけられる。

 その疑問には「ああ」と相槌を打ったガストがすぐに答えた。

 

「そりゃ今日は宴闘があっからな。早めに行って見所のいい場所を確保する人が多いんだろうよ」

 

「なるほど……ガストさんはお祭りに詳しいんですね!」

 

「伊達に王都にいねぇよ俺は」

 

 素直に喜べばいいのにと俺は内心で笑みをこぼす。

 大人としての威厳を示したいのか、ガストはなんとなくエミィに対して親身かつ沈着だ。実際に大人なのだから当然かと思われるが、エミィの賛辞を当たり前だと軽くあしらうガストからはどこか得意げな空気を感じる。

 

「初日は出店、2日目は宴闘ってな。こりゃギャラリーはいっぱいだぜ勇者サマよ」

 

「変なプレッシャーかけないでくれよ……」

 

 ガストが野性味たっぷりの八重歯を見せて口の端を吊りあげる。

 俺としてはその眩しい表情を見るどころか肩を落とさざるをえない状況だ。

 弱音を吐くことはしないと決めたが、それでも緊張はするのだ。

 

「さぁ着きました。兄さん、お財布をください」

 

「財布ごと持って行こうとするなってか堂々とたかり宣言かお前は」

 

「だって、お財布持たされていないんですもん」

 

 ですもんじゃねぇよ張り倒すぞっつーか財布ごととかかき氷何個買うつもりだよ。

 などとツッコミを入れる前に俺は先手を取る事にした。

 

「ったく……ほら、二つ分。これでエミィとお前の買ってこい」

 

「えっ!? あの、アルスさん。わたし自分の分は出せますので……」

 

「度量の狭い奴だ……」

 

「今なんつった!?」

 

 小さな声でほぼ聞こえななかったが、恐らく態とギリギリ聞こえるように呟かれた罵倒に俺はガーッと怒鳴る。

 相変わらず容赦がないが金はお前の魔力のように無限には存在しないのだ。

 かき氷二人ぶんのお金を持ったオルガニアは戸惑うエミィの手を引いて昨日よりも少しだけ人の少ないかき氷屋の列へと混ざって行った。

 その場に残された俺とガストは近くに備え付けてあったベンチに腰掛ける。

 

「そういえばガスト、一つ相談したいことがあるんだ」

 

「んぁ? どうしたよいきなり」

 

 さて、エミィが並んでいる間に済ませておきたいことが一つある。

 宴闘やミネルヴァさんの弱点など色々と不安はあるが、俺は決して忘れもしない不安材料をどうにかしたかった。

 

「少し前に起こった殺人未遂の事件って知ってるか?」

 

「……あぁ。襲われた奴は貴族の出なんだってな。それがどうしたよ」

 

「その時の犯人が……かなりヤバい奴だったんだ」

 

「……現場にいたのか」

 

 俺の恐怖を孕んだ物言いにガストの目が細くなる。

 ガストは顎に手を当てて、眉間をひそめながら「その話だが」と前置きをしてから語り出した。

 

「混乱を招くからまだ大々的に報じられちゃいないが……そういう事件は今の所あれだけらしい。下手人の足取りは掴めてないんだとよ」

 

「……そう、なのか」

 

 あの分なら至る所で被害を出していそうだったが、そうではなかったのか。

 俺はほっと胸を撫で下ろし、あの男のことを思い出す。

 光の見えない、冷淡な目。それが一番印象に残っていた。

 

 それにしても現場に居合わせなかったにも関わらずガストはその事件を知っているようだ。そういう情報は一体どこから仕入れているというのだろう。

 

「……いやまぁ、俺ぁメディア関連の人間に知り合いがいるんだよ」

 

 と、訝しげな俺の視線を察してか、ガストは少しぼかしたような言い方で付け加えた。

 メディア関連の人間というのは大体王族の関係者が貴族達だ。そんな層に知り合いが居るとは、もしかしなくともガストは結構凄い人なのだろうか。

 

「無駄な詮索はナシだぜ勇者サマ。ほら、嬢ちゃん達帰ってきたぞ」

 

 話が一区切りついたところでガストの言う通りエミィとオルガニアがかき氷を片手に帰ってきた。

 エミィが持っているのは黒蜜がふんだんにかけられたかき氷。そしてオルガニアが持っているのは……例によっていちごミルク。どうやらあのフレーバーがお気に召したようだ。

 

「別の奴を買ってくると思ったんだけどな」

 

「食べたいものを食べるのが一番です。ひょっとして兄さんも何か食べたかったんですか?」

 

 てっきり味を変えて冒険するものかと思ったが予想に反してオルガニアは堅実だった。

 俺とガストはひとまず二人に椅子に座るよう促し、手持ち無沙汰だったので近くの出店で飲み物を買った。

 

「本当に、今日はありがとうございました。……おいひいです」

 

 宿の番を任せてしまったことに対する後ろめたさもあるのだろうが、エミィは黙々とかき氷を頬張る。一口ごとに口元を綻ばせていく辺り、きっとずっと食べたかったのだろう。

 

 それにしても、美少女が並んでかき氷を食べる姿を拝めるとは……なんとも言い難い気持ちになってくる。

 

「そうだ、ニーアちゃん。これも一口食べてみませんか?」

 

「わぁっ、ありがとうございます!」

 

 暫くたったところで、エミィがオルガニアに一口分のかき氷を差し出した。

 それを断るオルガニアではなく、すかさず目を光らせて喜ぶ。

 普段のオルガニアからは想像もできない微笑ましい光景だと半ば感動を覚えてつつ買ったラムネを口に含む。

 

 その直後。

 

「はいっ、どうぞ」

 

「あーん!」

 

「ブフッ!?」

 

 今までとは格の違うキャラ崩壊を目の当たりにし、口の中にあったラムネが虹を描いた。

 

「あ、アルスさんっ!? 大丈夫ですか!?」

 

「おい……いや、兄さん。もの凄いかかったんですが。ラムネが」

 

 いや、ごめんなさい。そんなマジな声で怒らないでください。

 咳き込む俺の背をさすってくれるエミィにまともに受け答えする事も忘れて俺は悶絶した。

 

 少し高めの可愛らしい声から放たれたるは魔法の言葉(パワーワード)。あーん。

 

 オルガニアの見た目程度の幼い少女ならばなるほど、そのセリフは面白おかしく聞こえるが、ことオルガニアが言うとなればそれは意味を違えてくる。例えるなら百獣の王が野に咲く花に向かってあーんしてるような。面白おかしいというかそれはもはやシュールだ。

 

 オルガニアの本性をちょっと知ってるガストもこれには堪らず苦笑い。あーん。

 

「そんなに笑わなくてもいいじゃないですか!」

 

 俺が噴き出したラムネを頭からかぶったオルガニアは拭きながら頬を膨らませて遺憾の意を表する。

 それにしてもこの魔王、ノリノリである。あーん。

 

「いや、ごめんなニーア。うん、不意打ちだったんだ。俺は悪くない」

 

「ベトベトじゃないですか、もう……」

 

「あ、ニーアちゃん。わたしハンカチ濡らしてきます。それで拭きましょう?」

 

「ありがとうございます、エミィさん」

 

 近くに公衆水道はないかとエミィは忙しなく走っていく。

 俺はというと必死にオルガニアから視線を逸らしていた。

 

「…………」

 

「…………」

 

 今オルガニアの顔を見るのはマズイ。ともすればまた吹き出しかねない。

 

「ほ、ほら。早く食べないと溶けるぞー」

 

「……言われずとも分かっている」

 

 完全に拗ねてしまったようだが、オルガニアは仏頂面になりながらもかき氷をもそもそと食べるのを再開した。

 

「ったく、コントやってる場合かよ。アルス、もう後2時間後あたりに始まる。ぼちぼち移動しようぜ」

 

「あ、ああ。うん。そうだな」

 

 ガストの言う通り、そろそろ宴闘の始まる昼過ぎだ。ぼちぼち昼食を済ませ、備えなければならない。

 迫る決戦を意識すれば俺の心は図らずも張り詰め、心臓が早鐘を打ち始めた。

 

「よし……よーし」

 

 気を紛らわすため、わざとらしい深呼吸を繰り返す。

 その不自然さを見かねてか、ガストは吹き出して笑い始めた。

 

「なんとかなんだろ、勇者サマよぉ。ちょっとくらい俺も手ぇ貸してやっから」

 

「え、ほ、本当か? いやでもどうやって……」

 

「ナイショだ。後々分かった方がおもしれぇだろ」

 

 口をいっぱいに吊り上げて野性味たっぷりの笑顔を見せてから、ガストは「先に行ってるぜ」と言い残して宴闘の会場まで去って行ってしまった。

 

 手伝う、とはどうするつもりなのだろうか。基本的に試合に参加する選手への補助行動は禁止されているはずだ。

 

「お待たせいたしました! はい、どうぞニーアちゃん」

 

「ごめんなさい、助かります」

 

 そんな俺とガストの会話の横でエミィがオルガニアの服や顔を拭いてあげている。

 その光景をぼんやりと眺めながら……ガストのやりそうな事がちょっとだけ分かってしまったかもな、なんて思うのであった。

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 さて、宴闘の会場は端的に言うと人でごった返していた。まさかここまで盛況しているとは露ほども思っていなかった俺としては正直目から鱗という奴だ。

 

「す、凄いですね……はぐれちゃいそうです」

 

「ガストは先に来てるらしいけど……どこにいるんだろうな」

 

 俺は小さい少女二人と離れないようになるべく気を配りながらも背丈の高いガチムチを探す。

 すると先に向こうの方から発見してくれたようで、ガストの声が響いてきた。

 

「おーい、アルス! こっちだこっち」

 

「分かった!」

 

 すぐさま見つかった事にひとまず安堵しながら、俺は先導してガストの元へとなんとか行き着く。

 広間のようになっているそこは他と比べて少しゆとりがあった。

 

「さぁて、いよいよだな勇者サマ。の前に、嬢ちゃん二人にゃこれを渡しとくぜ」

 

「ええと……これは?」

 

 出会い頭にガストが手渡したのは二枚の紙切れ。

 これは……整理券、だろうか?

 エミィとオルガニアが疑問符を浮かべていると、ガストは宴闘の会場指し示した。

 

「あそこに行くとその券に書かれた番号ごとに案内されるんだが、まぁ言われた通りの場所に座ってりゃあ問題ねぇ。そこそこ良いとこで勇者サマの勇姿を見られるぜ」

 

「そんな、ありがとうございます。でもこれ、どうやって……」

 

 紙の意味を知ったエミィは恐縮したように尋ねる。それは俺も是非聞いてみたいところだ。

 

「まぁ、知り合いのおかげって奴だ。はっ、今回はあいつに随分と借りを作っちまったなぁ」

 

 特に後悔は感じられない冗談めかした声色でガストは肩をすくめた。

 また知り合いか。その知り合いとは一体どこのお偉いさんなのだろうか。

 

「おっと、んなことはどうでもいいな。お嬢ちゃんら、俺らはちょっと準備があるが……二人で大丈夫か?」

 

「はい。迷いはしないはずです……多分」

 

「任せてください。バッチリです」

 

 自信のなさげなエミィとは裏腹に無駄な自信に満ち溢れるオルガニア。頼むから迷子とかは勘弁してくれよと祈りつつも、常に傍にいるわけにもいかない。

 

 ところで今、ガストがさらりと言った準備があるという台詞だが……。

 

「なぁガスト。やっぱり……」

 

「面白そうだからな。ま、他人の試合をよーく観察すると良いぜ?」

 

「はは……こりゃ頭が上がらないな」

 

 どこまでも面白そうに笑うガストに対して、俺は再三お礼を言う。

 気にすんなとガストは言うが、この男はどこまでも親切だ。

 

「それでは……アルスさん。ガストさん。頑張ってください」

 

 俺とガストは二人の少女に見送られ、会場の別口へと向かう。

 

「あ、あの。アルスさん」

 

 俺が背を向けようと後ろを向きかけたところで、エミィが俺の名前を呼んだ。

 

「ん? どうした?」

 

「そ、その……お怪我、しないでください」

 

「…………善処する」

 

 うつむき、消えそうな声で心配してくれるエミィと視線を合わせ、俺は努めて穏やかな声色でそう答えた。

 

「出場する方々はこちらに整列してくださーい!」

 

 沢山の人に悪戦苦闘しながらも声を張り上げ指示を出す女性スタッフに促されるまま、俺とガストも列に加わる。

 

 直に開会式が始まる。この場の何処かにミネルヴァさんが……そして、ローガン団長がいるのだろうか。

 それに、謎の剣士はあの後どこになりを潜めているのか。

 

「……やってやるぞ」

 

 その三人を探す余裕など今の俺には無い。

 

 様々な不安を抱え、俺の一世一代の決闘大会が今――始まろうとしていた。

 



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第28章「何時だって何処までも」

「入場に先立ちまして、諸注意をさせていただきます」

 

集合の時間を回ったところで、女性スタッフが一枚の紙を見ながらそう宣言した。

眼鏡を押し上げ淡々とした声色でルールを読み上げていく。

俺は宴闘の会場には初めて来るのだが、スタッフさんの制服、どこか見覚えがある。

考えることしばし。俺ははっと息を飲んで気づく。そういえばあの制服、ギルドの従業員さんと同じ物だ。

 

……それはさて置き。宴闘の基本的なルールを改めて確認する。

 

1. 戦闘形式は1対1。試合前の補助行為や魔法の使用は禁止。

 

2. 戦闘領域から出るか、降参宣言、主審の判断で勝敗が決まる。

 

3. 武器は刃を持たず鋭利でない物に限る。自身の剣を使いたい場合は鞘に収めたまま使う事でその規定をクリアできる。俺の場合はそうするつもりだ。

 

4. 使用できる魔法は初級の攻撃魔法。あるいは殺傷力を持たない強化、障壁、操作、封印などの補助的な物に限る。

 

5. それ以外、主審が正当性に欠けると判断した行為をした場合は失格となる。

 

と、長々とした話を要約してみたものの、ちなみに武器を鞘に収めたまま使うというのは盲点だった。事前にそういう説明をしてくれる辺り宴闘は親切だ。

 

「それでは、皆様の健闘をお祈りしております」

 

軽く頭を下げ締めくくった後、スタッフさんは参加者の通行路から横に逸れた。

 

「さ、始まるぜ」

 

ガストの言葉が宣言であったかのように。直後、会場全体にファンファーレが鳴り響いた。

 

『ご来場の皆様ーーーー!! 大変長らくお待たせいたしましたぁーー!!! 今年も血沸き肉踊る祭典、宴闘の時期がやってまいりました!! 見事活動期を戦いきった戦士たちの勇姿! 今年もしかとその目に焼きつけろーーー!!!』

 

ファンファーレをバックに元気そうな女性の声。いわゆる実況者がいるらしい。たかが決闘の大会だというのに随分大掛かりな気がしてしまうのは俺だけだろうか。

 

『それでは参加者の入場です! 皆様、盛大な拍手でお迎えをーー!!』

 

文字通り盛大な……というよりもはや地響きでも起きそうな程の手を打ち鳴らす音に俺は肩をビクつかせる。

そして会場へと入った瞬間――まさに俺は度肝を抜かれた。

 

「え、えぇ……」

 

俺を含めた参加者はゆっくりと列のまま歩き、入場する。その間に俺は辺りをぐるりと見渡したのだが、どこを見ても人、人、人。

決闘場を円状に囲むように出来た会場はまさに闘技場と呼ぶに相応しい荘厳で荒々しいデザインであった。

 

「う、うわぁ……凄い場違い感が……」

 

「あんまビビんなって」

 

冗談交じりにガストに脇腹を肘打ちされる。その拍子で肺から一気に酸素が抜き出て咳き込む俺をガストは面白そうに笑い飛ばした。

 

『実況解説を務めさせていただきますは私達ソルディース放送事務局のエンターテイナー!』

 

観客席の更に上。観客が2階にいるとすれば実況席は3階だろうか。

窓越しで顔はよく見えないが、そこに二人の女子が座っていた。片方は身を乗り出して、もう片方は気だるそうに頭だけをマイクに向け、机に突っ伏している。

 

『ソナーでーす!!』

 

『……エコーでーす』

 

二人が交互に名乗りを上げたとほぼ同時に会場がわっと歓声に包まれた。

思わず耳を塞ぎたくなる程の割れんばかりの声。あまりのうるささに耐えかねてオルガニアが会場を吹き飛ばさないだろうか。

吹き飛んだ後の会場は静まり返ってさぞ過ごしやすい環境となることだろう。

 

「……あいつらは双子の有名なラジオパーソナリティって奴でな」

 

「え? ラジオ?」

 

「ま、あいつらを見たいがために来てるっていう連中も少なくねぇ程度には人気のようだぜ」

 

会場がなんとか治まってきたところでガストが二人を見ながら軽く説明してくれる。なるほど、彼女らはソルディースにおいて所謂アイドル的な立ち位置といったところか。

 

「やかましいソナーが喋って知識人のエコーは色々と補足……って感じでうまくやってるらしい」

 

「……ふーん」

 

『さぁて戦士諸君の顔見せはここらでいいでしょうか! それでは皆様お待ちかね、第6回ソルディース宴闘を開催いたしまぁーーーーすっ!!!』

 

ソナーの大々的な宣言に、会場はまたしても歓声に包まれた。

 

形式的な開会式が終わった後は、俺たちは数字の書かれている紙を渡された後、ひとまず控え室に通される。

壁が特に塗装されているわけでもなく鉄材剥き出しであまり綺麗とは言えないが、少しだけ静かなところでほっと一息ついていたところ、俺は見知った顔に声をかけられた。

 

「アルスくん、アルスくん、昨日ぶりー」

 

「あ……モイヤ!」

 

間延びした声を携えて手を振りながらこちらに近づいてくるのは昨日遭遇した巨人の傭兵、モイヤだ。相変わらず大きい。今も控え室の天井スレスレだ。

 

「モイヤも出場するのか」

 

「もちろんだよー。今からすっごく楽しみなんだぁ。なんたって今回の宴闘には君を含めて勇者様が二人も出るんだよ?」

 

「はは……なるほど」

 

モイヤが祭りにいた事にようやく合点がいった。考えてみたらそれ以外ありえなかったかもしれない。

モイヤは所謂生粋の勇者オタク。

サインがどうのとかも言っていたし、勇者を追いかけて宴闘に出る事に決めたらしい辺り、本当に筋金入りだ。

 

「ああ、そうだ。ガスト。こいつはモイヤっていうんだけど……あれ?」

 

「あ、隣に居た彼なら、出番だから行っちゃったんじゃないかなぁ?」

 

「……出番? 早いな」

 

控え室に通されてからまだ30分も経っていないというのに、もう準備が整ったのだろうか。

 

「ほら、あそこのモニターに番号が書かれてるんだけど……さっき数字書かれてる紙貰ったでしょ? その数字と一致した人が出番ってわけ」

 

「へぇ……そうなのか」

 

控え室に向かう際に貰ったが、なるほどこれはそういう意味だったのか。

俺は8と書かれた紙をポケットから取り出し、手に取ってみる。

 

「それでね、試合も同じモニターで観れるから……研究するもよし、準備するもよしだよ~」

 

「……そっか。わかった。ありがとうなモイヤ」

 

「そんなそんな、えへへへ」

 

俺がお礼を言っただけでふにゃりと顔を砕けさせる。俺にとってはそれがなんとなく不思議で、なんとなく微笑ましかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それでは間も無く入場となります」

 

「おう」

 

戦いの場へと続く門の前に立たされる事数分。どうやら場は整ったようだ。

何も言わずにいなくなっちまったが、()()()は大丈夫だろうか。

 

静かに、扉は開かれる。

やれるだけの事はやったし、後はそれ相応に頑張って戦うだけの簡単なお仕事だ。ま、勢い余って勝っちまったらちょっと申し訳ねぇが。

 

「契約者よ。汝、かの者とは契約を果たしてはいない。その血、その刃は何のために振るわれる?」

 

「あ? あぁ……その事か」

 

普段事務的な事しか尋ねてこない精霊が久しぶりにそれ以外の事で話しかけてきたと思ったら、なんだそんな事か。

見返りもなんもないのに、どうしてアルスに手を貸すんだ、とコイツはそう訊きたいのだろう。

 

俺は言葉をまとめるために後頭部を雑にかく。

 

「理由なんか特にねぇよ。あいつの事は助けてやった方がいい……なんとなく、スゲェ奴なんじゃないかっ……て。直感だ」

 

「…………」

 

「大事だろ? そういうの」

 

あいつの人となりや過去は知らねぇし、逐一知ろうとも思わない。

ただ、俺は俺の直感を信じてあいつを……アルスを手伝ってる。

なんだかんだ理由をつけて手伝ってきたが、そろそろなんか企んでんじゃないかと疑われそうだな、なんて嘲笑しながら。

 

「……幾千もの思考を繰り返しても、汝の思考を手に取る事はできない」

 

「そーかよ、なら黙って付いて来い。今回のお相手は……気ぃ抜いたら格好つかねぇまま終わっちまうぜ」

 

精霊はそれ以降沈黙することで俺への答えとした。そんな精霊に俺は満足げに頷く。

開かれた門を潜り、そして……俺は精霊(相棒)と共に歓声の鳴り響くステージへと上がる。

 

『さぁ、それでは早速第一試合!! まずはトップバッターを任された戦士二人の名を聞こう!!』

 

「それでは、お名前と……何か言いたい事があればどうぞ」

 

ソナーの頭に響く声を聞き流しながら、俺はスタッフと思わしき人間にマイクを向けられる。

特に名乗る必要もねぇが、まぁ形式というのなら仕方ねぇ。

 

「ガスト=グラディエルス、傭兵だ。ま、てきとーに頑張るわ」

 

そして向かい側から現れた俺の対戦相手は――もちろん、思惑通り。

 

「騎士、ミネルヴァ=スカーレットだ。騎士として恥じない戦いを見せる」

 

騎士、ミネルヴァ。

たかだか宴闘に騎士団副団長が参加するなんて、本当にアルスはとんでもないバランスブレイクをしてくれたもんだ。

 

ミネルヴァが名乗ると会場は期待と困惑に騒ついた。それもそうだろう、あの女は文句なしの有名人。この場にその手のファンがいないはずがない。

やたら甲高い歓声が妙に喧しいが、こいつのファン層ってのは女が多いのだろうか。

 

『のっけからとんでもない人が出てきましたね! そんじゃエコー、二人のご説明をよろしくっ!』

 

ソナーの促しで今までほぼ沈黙を保っていたエコーがようやく口を開く。

 

『うん……と。ガストは、見た目的に肉体派だけど……実は万能型の魔法使い。使える魔法は百を超えてる……と思うわ。正に傭兵代表の魔術師……ね』

 

囁くように、というか篭ったような喋り方がエコーの特徴だ。マイクがなけりゃロクに聞き取ることもできやしない。

耳に張り付くような声と喋り方が絶妙に良いという物好きな連中もいるらしい。

 

『……ミネルヴァ、は、黄金の騎士さん。……光に質量を持たせる、勇者の力を持つわ……。後は……見かけによらず、パワータイプ』

 

『つまりはギャップ持ち同士のぶつかり合い!! こいつは楽しくなってきましたよ!! 間も無くスタートです!』

 

エコーの説明には毎度舌を巻かされるが、よくもまぁスラスラと人に関する情報が出てくるもんだ。俺やミネルヴァはまだしも、その他の殆ど活動してねぇような一般人染みた傭兵に関する話まで持っていやがるもんだから格が違う。

 

噂によりゃその手の魔法を使ってるとかなんとかだが、何れにしても眉唾だ。

 

そういえば、と剣を抜く前にある場所を見てみる。

あのお嬢ちゃん二人は無事にたどり着けたのかが気がかりだった。

いるはずの場所に視線を送ると……いた。どうやらちゃんとたどり着けたらしい。俺の目線を察したのか、ちっこい方の嬢ちゃんが手を振ってくる。

 

……やけに目がいいな。いつか何者なのかを聞いてみたいところだ。

 

「さて。あんたにとっちゃあ前哨戦だろうが……こちとらただの当て馬で終わる気はねぇぞ」

 

背中に背負う大剣を鞘ごと引き抜き、構える。鞘があるのはちと邪魔臭いが、俺は殆ど剣を振らないから我慢はできる。

ちなみに鞘と剣はしっかりと固定してある。それはミネルヴァも同じのようだ。

 

……あの剣が専用神器(アーティファクト)って奴か。

 

俺は俺の後に倣って構えるミネルヴァの剣を見る。

鞘に包まれるそれは、果たして力を発揮するのだろうか?

 

『両者、準備はよろしいでしょうか!? それでは……試合開始ーーー!!!』

 

様子を見るより、先手必勝が吉か――!

 

詠唱を始めるために口を開いた……刹那。早速その判断は間違っていたことに気づかされる。

 

「すぅ……はっ!」

 

「は……あっ!?」

 

突然の衝撃。そして視界いっぱいが白く染まり、身体が宙に浮く嫌な浮遊感が遅れてついてくる。

俺は何が起きたかを理解するのに数秒かかった。

 

『で、出たぁーー!! 速い! 光に質量を持たせる力! ちょと、これこっちも見えないけど!? どうなってる!?』

 

『……ガストが、ふっとんじゃったわ』

 

『よく見えるわねエコー! や、やはり黄金の騎士の名は伊達ではないようです! これは早速傭兵ガスト、ピンチかー!?』

 

「ご心配なく……! 普通の魔法使い舐めんなよッ!」

 

少しビビったが距離が離れたのは良い。更に数メートルの距離が出てくれたおかげで追撃の心配なく詠唱を――。

 

「遅い!」

 

「んなにぃー!!?」

 

しようと思ったところでまたしてもその隙を奪われる。

ミネルヴァは人外の速度でこちらに接近、そして構えは間違いなく……あの技!

 

「『守護神よ――』いや、『撃て』!!」

 

障壁では間に合わないと判断し、俺は急遽行使する魔法を変更。風撃【ゲイル】を足元に放つ。

地面を抉りとる風に乗って俺は思い切り地面を蹴って跳躍することで、ミネルヴァの振り下ろす剣の範囲からなんとか脱出を図った。

 

「ッ……ゃぁぁああああああ!!!」

 

光とともに重たい剣がしなる腕に合わせて振るわれる。

豪っ、とあたりの空気が斬り裂けて、土煙を上げながら剣は地面へと突き刺さった。

 

「ぐっ……どわっ!?」

 

剣はなんとか躱せたものの、剣撃の余波が俺を更に空高く打ち上げる。

……さて、これは着地をどうしたものやら。

 

「っざけんなよ、いつの間に強化魔法を使いやがった……!?」

 

空中でミネルヴァを睨み、俺は悪態を吐く。

しかし今は着地の事より次のことだ。

 

どう考えてもミネルヴァのあの動き、強化【フィジカルビルド】で身体能力を上げている。

タイミングは、光った時しか考えられないが詠唱の声は聞こえなかった。それほど小声では詠唱ができないはずだから、聴き漏らしたわけじゃないはずだ。

 

なら、何時だ……!?

 

「っぐ!!」

 

そこそこの高さから着地し、足が悲鳴をあげる。骨に異常がないことだけを祈り、俺はすぐさま距離を取るべく行動に移った。

 

「『流れよ』――『焦がせ』!」

 

詠唱を阻害される危険性もあったが、俺は二つの初級魔法を連鎖起動(チェインタスク)。同時に起動させる。

実はシルクと戦ったあの時以来少しだけ真似て練習していたのだ。

 

それほど大層な物はできなかったが、俺が使ったのは水撃【マリン】と炎撃【ティンダー】。それぞれ単体ではただ水を出す魔法と対象を発火させる魔法だが……水を発火させる事でちょっと変わった魔法になる。

 

「名づけて、煙幕【ベール】……あ、命名はウチの精霊な」

 

そこそこの量の水が一斉に発火。すると、水はみるみるうちに蒸発し、大量の湯気……もとい煙幕を場に撒き散らした。

 

「っ……!」

 

魔力をケチったか、ミネルヴァのその隙を当然見逃さない。強化【フィジカルビルド】を詠唱――は、せずに別の魔法を詠唱した。

 

「『命ず。磔に身を捧げ、罪の償いをせよ』」

 

煙幕の中、俺の大剣が怪しく黒い光を放った。

これで準備は完了。俺は力一杯剣を空に向けて放り投げる。

 

「……ハッ!」

 

ミネルヴァが放った光によって会場が再び白に包まれ、それに照らされるかのように煙幕が霧散してしまう。

なるほど、光に質量があれば霧払いも可能ってわけか。

 

だがそれはちと遅かった。ここからは攻守交代だ。

 

「……何か仕掛けてくると思ったのだがな……ッ!?」

 

「……気づくの早えな、オイ!」

 

俺の手に大剣が握られていない事に即座に見抜いたミネルヴァはすんでの所で落ちてくる大剣を躱す。

 

「ほいっとぉ!」

 

俺はすかさず指を打ち鳴らし、大剣に付与(エンチャント)した魔法を起動。

黒く光った大剣からは縄状の光が宙に展開され、徒党を組んでミネルヴァに襲いかかった。

これには流石のミネルヴァも不意を突かれたようで、後退を選ぶ。

 

「……ん? 使わねぇなって、逃すかよ!」

 

ちくり、と針に刺されたような違和感を覚えたが、今はそれを考えている暇はない。

後退するミネルヴァを追撃するように俺は駆け出す。

 

「『我が志は折れぬ鉄剣と心得よ』」

 

そして今度こそ【フィジカルビルド】をかけ――二歩目で、一気に加速。

 

「『空、仰がんとするならば――」

 

「ちっ――!」

 

流れるように剣を回収した直後、再三放たれる光に突っ込み、強化された膂力と動体視力に任せて迫り来る光を蹴る。

 

光の山を踏みしめ、瞬き程の時間もかけずに昇り、高く高く舞い上がる。正に電光石火、人外の動き。人の限界を超えた力を得るのが強化魔法だ。

 

「地に足をつけ、生きてみせよ』!」

 

そして魔法は、完成する!

 

操作【グラビティ】は自身にかかる重力を倍にする魔法だ。

俺の身体がズシリと重くなり、隕石の如き勢いを得る。

 

「『搔き消えろ』!」

 

高速落下が始まるため衝突に備えていると、俺の落下する勢いが急速に無くなった。

これは……。

 

「ディスペルか! 詠唱切り詰めてんなぁ!」

 

「少し無茶をするがな……っ!」

 

「ぬぐぅあ!」

 

空中ではまともに身動きも取れずに、剣での攻撃を防ぐ手段はこちらも剣のみ。

鞘と鞘がぶつかり合う一際重たい音が響き、俺は思い切り横に吹き飛ばされた。

 

「づっ……げぼ、ごほっ。にゃろうめ」

 

背中から叩きつけられ、俺は数回咳き込む。

手の甲で口元を拭い、追撃のために接近してくるミネルヴァを睨みつけた。

 

俺の重力を元に戻したのは阻害【マジックディスペル】。そこそこ要求魔力の多い阻害魔法だ。

それを使わざるを得なかったのなら……今のは上手く引き出せたな。

 

『おおお、両者一進一退の魔法合戦!! まさに、一瞬の油断が命取りといったところでしょう! やっぱ魔法勝負はテンション上がるわね!!』

 

『魔法使いの戦いって……実は先に魔力切れを起こした方が、負ける、地味な戦い……。でも、騎士ミネルヴァは剣士でもあるし……どうなる……かしら』

 

一連のやり取りを見てエコーがそんな事を言う。実際その通りだ。如何に相手に魔法を打たせ、こちらは少ない数でさばき切るか。その読み合いこそが魔法使いの戦闘の全てであるといえる。

その点考えると俺は一歩リードだ。

 

確かにミネルヴァは剣技も修めている騎士だが、魔法さえ通る様になっちまえば後はどうにでもできる。それが可能な程度には魔法ってのは便利で強力だ。

 

『……阻害魔法で体勢を崩して……相手の防御手段を狭めて、自分に強化も、つけられた。……これは……お見事、よ。……ぱちぱち』

 

気の抜けたような賛辞の言葉を聞く余裕も無い。ミネルヴァの剣撃をギリギリで捌きながら、ただ俺の頭は当初の目的も忘れて戦いの事だけに向かっていた。

 

「……負ける気でいたが、やってみっか」

 

飛び退く様にもう一度距離を取ってしきり直す。

アルスにゃ悪いがな、と。そう呟き……俺は剣を投げ捨てた。

 

『……? どういうことでしょう、傭兵ガスト、剣を捨てちゃいました……』

 

俺の行動に会場がどよめく。目の前で対峙するミネルヴァも警戒するかのように足を止めた。俺の力をある程度認めてもらった様で何より。

 

「実は俺って弱えんだよ。……魔法は使えても所詮凡人止まりだ。じゃあ強い奴に勝つにはどうすんのかって言ったら……」

 

動く準備を整えるため、俺は首と手を乱雑にぶん回す。

ゴキリ、バキンと嫌な音がするが、それが今の俺には心地よく響く。

 

「力の差を誤魔化すんだよ。沢山沢山、考えてな」

 

俺の戦いは、何時だって何処までも技巧派でなければならない。

我ながら似合わないな、なんて思うが、鼻で笑うことで一蹴する事にした。

 

 



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第29章「かませ犬の決着と……」

 俺の持っている大剣について触れてみよう。

 神器というには力不足であり、しかし普及品というには余りにも強大な力を持っている。

 俺の家の蔵に眠っていたそいつは祖父か祖母……どっちかは忘れたが、形見だったらしい。

 

 握れば誰しもが膨大な魔力を手に入れる――っていうインチキめいた性能を持つのが神器。

 では、高級品であるこの大剣の力はなんなのか。

 

 答えは、使用者が既に持っている魔力を倍にしてくれるという物。

 だから持ったからって使える魔法が増えたりしないし、たかだか倍だから魔法の威力が差して変わるわけでもない。

 唯一の特典としては、魔法の使用回数が増えることくらいだ。

 

 で、剣を捨てた上でなんでそんな事をわざわざ説明してるのかというと――

 

「『紫電伝う空の霞――」

 

「……『消えせしめよ』」

 

「『奔れ、琴線』!」

 

「っ……!」

 

 紫電【フォールボルト】で阻害【バニシュスペル】を釣り、その下位互換である魔法、電撃【ショックライン】を放つ。

 躊躇うことなく頭を狙った雷の速度を捌けるのは身体強化がかかっていたとしても勇者の光だけだろう。

 

「ハッ!」

 

 白い勇者の光がミネルヴァの身体から吹き出て、【ショックライン】を打ち払う。そろそろ反撃に出るだろうと踏んでいた俺は追撃はせずに、一度立ち止まって様子を見ることにした。

 

 その判断はどうやら正しかったようで、ミネルヴァの身体がゆらり、と静かに揺れる。撃剣の構えだ。

 

 俺は全速力で走り、ミネルヴァの懐へ突っ込む。

 

『は、走りました!! これは勝負を決めに行ったか!?』

 

 俺の決断に会場が一気にどよめく。

 もちろん考え無しの突撃ではないことは言わずもがな。

 俺は掌を突き出し、撃剣に合わせて詠唱を始める。

 

「〜〜〜〜」

 

 数秒、世界がスローモーションになったかのような錯覚を覚えたが、かくして雌雄は決する。

 

「っ……ゃぁあああああああ!!!!」

 

 俺が放った魔法と超威力の剣がぶつかり合い、弾け――結果、その爆風が俺を空高く吹き飛ばした。

 

『危ないっ!』

 

 ソナーの口から悲鳴にも似た叫びが放たれる。あいつめ、相変わらず仕事を忘れる上に単純な女だ。そのうち怒られんぞ。

 ただ悲鳴をあげるのもそのはず、俺は先ほどとは比べものにならないほど高く飛ばされているし、このまま頭から落ちでもしたら脳漿をぶちまけて会場に美しい花を咲かせる事だろう。

 

 しかし勘のいい人、というかミネルヴァとソナー以外の人間はもう気づいている。

 何故にソナーにも効いてしまったのかは不明だがこの際それは割とどうでもいい。

 

 さて、ではここらで話を戻すとしようか。

 俺の武器の強みは魔法を使える回数を増やすこと、というのは前述の通り。

 ではその増えた魔力で何をするのかと訊かれれば当然、消費魔力の多い魔法の行使だ。俺の戦術は基本、ある魔法を起点として回っている。

 

 で、その魔法を自然に使うにはある程度相手と交戦する必要があるし、疑われないような状況を作らねばならない。

 魔法使いの大半は所謂十八番という奴があるわけで、俺の場合はそういう面倒臭い魔法だったってわけだ。

 

 俺は今まさに空中をかっとんでいるであろう()()姿()を傍観者の様な目線で送り届けた。

 そしてゆっくりと、ミネルヴァの元に歩み寄る。

 

「まるで時が巻き戻ったかの様な。瞬間移動したかの様な――そのどれも違くて、俺の得意魔法ってのはもっとカッコ悪くて使いにくい魔法なんだよ」

 

 ()()()()()()()()()()大剣を突きつける。

 

「それじゃ問題だぜ。俺の十八番――」

 

 時間が来たと同時に、俺は魔法を解く!

 

「いつ使ったでしょーか?」

 

「ッ――!?」

 

 裏を取る、とはよく言うがこれほど綺麗に決まる事が歴史上にあっただろうか。

 まぁ多分あると思うが、それレベルにはうまくいったと自負している。

 

 俺の十八番は操作【イリュージョン】と言う名の操作系魔法。読んで字のごとく幻視の魔法なわけだが、この魔法にはいくつか問題点がある。

 

 まず騙せる五感が視覚と聴覚のみ。それ以外は残念ながら誤魔化せない。防御に剣を使えば触覚の観点からバレてしまうため、止むを得ず最初に剣を捨てて見せたのだ。重く硬い剣を持ってるのに回避しかしないのも不自然だしな。

 

 そして、使うタイミングと呪文。

 これ見よがしに詠唱してしまえば当然阻害されて終わるし、ミネルヴァは起動後の魔法すら打ち消せる【マジックディスペル】なんてものも使えた。【イリュージョン】に向けてそれが使われてしまっては意味がない。

 そこで俺はまず、精霊にお願いして呪文を変えてもらうことに決めた。自分が考えた呪文を弄られることは相当奴らの琴線に触れるタブーらしく、かなり渋ったがこの試合だけの限定だと突き通した後、【イリュージョン】の呪文は『生きてみせよ』となった。

 

 これにより俺がいつ魔法を使ったかも判明する。言わずもがな【グラビティ】を使った時である。ついでに【グラビティ】の呪文もちょっと弄って、あたかも一つの呪文である様に見せつけたわけだが、こんなに無理を通してしまったのだから精霊には暫くお願いを聞いてもらえなさそうだ。具体的には1年くらい。

 

 仕上げに、これらの戦法を実現させたのはもちろん魔法を繋げて間隔を開けずに起動する技法、連鎖起動(チェインタスク)。ここでも練習の成果が遺憾なく発揮された。

 

「……なるほど」

 

「っとぉ動くなよ。あんたの身体強化の魔法はもう切れてる筈だ。今の撃剣で時間切れ、だろ?」

 

「……ふん」

 

 俺の指摘にミネルヴァは無感情に鼻を鳴らす。

 それも問題なく時間を計算していた。

 ミネルヴァが何か対抗しようとしても俺は制する事ができる。

 

『あ、えーと、こ、これは決まったぁーー!! 怒涛の魔法合戦を制したのは操作魔法で裏をかいた傭兵ガストの勝利! このまま騎士ミネルヴァは成すすべもないのでしょうか!?』

 

 思い出したかの様にというか、慌てて取り繕うかの様に叫んだソナーの声が現状を正しく観客に知らせる。

 大方エコーかスタッフに諭されて我に帰ったのだろう。

 

 そんなソナーの声を呆れ気味に笑いながら、俺はミネルヴァに話しかけた。

 

「早い所降参してくんねーか? 俺もあんま女は殴りたくねぇんだよな、気分的に」

 

「…………」

 

「……ってオイ。なんとか……」

 

 言えよ、と続けようとしたが、目の前の光景に俺は息を飲んだ。

 

 ミネルヴァの懐が青白く光ったのだ。

 一瞬だけ、けれどもはっきりと。

 

 

 俺は全身の血の気が一気に頭から引くのを感じた。

 

「……油断したな」

 

「オイオイ……クソッタレ、そういうことかよ!!」

 

 今更になってミネルヴァがどうやって身体強化をしたのかを理解し、様々な思考を放棄してとにかく距離を取る事に専念する。

 平静を取り繕う事すらもできない。自分の愚直さに嫌気なら差すが。

 

 端的に言えばミネルヴァは再度、強化【フィジカルビルド】を使った。

 詠唱いらずの魔法の正体は間違いなく……。

 

「遅いッ!」

 

 撃剣ではない、強化魔法により跳ね上がった膂力を活用した縮地で距離を一気に詰められる。

 俺は歯を食いしばって衝撃に備えると……ミネルヴァの動きは今度は急激に減速した。慣性の法則もあったものではない動きに流石に反応が遅れる。

 

「『奔れ、琴線』」

 

「げっ!」

 

 身を強張らせ、防御に徹していたのが災いし、俺はまんまとミネルヴァに詠唱を許してしまう。

 放たれた電撃を防ぐ手段はもはや無く――。

 

「ぅぐあ!?」

 

 直撃。

 バチンという嫌な電撃音に続いて全身が大きく痙攣し、視界が明滅を繰り返す。

 怪我とまではいかないがこの隙はあまりにも大きかった。

 

「せいっ!」

 

「おぉっ!?」

 

 そのまま足を払われ、慌てて起き上がろうとするも眼前には既に鋒が突きつけられていた。

 

「……ダメだこりゃ。ギブアップ」

 

「話が早くて助かる」

 

 俺の強化魔法は直に効力を無くす。魔法は詠唱しても意味は無く、ミネルヴァの様な便利道具を持っていなければ逆転不可能だ。

 俺は嘆息し、大人しく白旗を上げた。

 

『しょ、勝負ありーー!! まさかのどんでん返しで、長くに渡った初戦はミネルヴァ=スカーレットが制しました!』

 

 俺の言葉を受けた主審が旗を掲げ、それを見たソナーが宣言する。

 会場のミネルヴァ信者共が一斉に沸いた。

 

「……ケッ。随分コスい真似するじゃねぇかよ。騎士道精神どこ行った」

 

 俺の喉元から剣を引き、立ち去ろうとするミネルヴァに最後の負け惜しみをしてみる。

 するとミネルヴァはこちらに振り向く事もなく、肩越しに語り出した。

 

「人を護る為には、戦いに必ず勝たなければならない」

 

「あ?」

 

「その為ならば、私のプライドなど幾らでも斬って捨てるさ」

 

 それが私の騎士としての覚悟だ、と。最後にそう言い残してミネルヴァは去って行った。

 

「……わっかんねー女。まぁいいか。問題は……やっぱアレの存在だな。……あいつは気づいたかね?」

 

 モニターに映る映像ではしっかりと映らなかったかもしれない。

 どうせならば最後までかませ犬の役目を果たしてやろうと、俺は観客の惜しみない拍手に見送られながら控え室に足を向けるのだった。

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

「……な、何が起きたんだろうねぇー」

 

 ()の隣で一緒に試合を見ていたモイヤはその優しそうな目を見開いて唖然としていた。

 試合はほぼガストの勝利だったはずだ。強化魔法が切れる時間の計算も完璧。地力の差はあれど事前の準備と戦略でガストはミネルヴァを下した――ように見えた。

 

 あの土壇場で起こった出来事はたった一つの道具によって引き起こされていた。

 

「……精霊石、かぁ」

 

「精霊……の石ー? そんなのがあるんだねぇ」

 

 モイヤが間延びしたような声で俺の呟きに首をかしげる。

 まさかとは思っていたが、やはりミネルヴァさんはそれを所持していた。

 ちらりと出店に立ち寄った時にサファイアが置いてあったのを見て一抹の不安を抱いていたのだが案の定。

 

「精霊石は精霊を閉じ込めておくための道具で……ほら、詠唱って精霊を集めるためにする行為だろ? そもそも精霊が詰まってる精霊石を用意すればそれを省略できるんだよ」

 

「あ、そっかぁー……でもそれって、精霊さん窮屈じゃないかなー」

 

 窮屈とはつくづくモイヤらしい表現の仕方だが、しかし言っていることは的を得ている。精霊は自由を束縛されるのが大嫌いなのに違いはない。

 つまり無理やり押し込むことは不可能なわけだが――。

 

「だから、お願いで自主的に精霊石に入って貰える程仲良くなるのは相当キツい筈だけど……やっぱあの人って色々規格外なんだな……」

 

「そうだな。ったく情けねぇ話だぜ」

 

「ぅっわ! びっくりした!?」

 

 背後から急にドスの効いたガストの声がして俺の身体は跳ね上がる。

 どうやら控え室に戻ってきたらしい。

 

「ガスト……怪我は?」

 

「お生憎様、ほぼ無傷だぜ。個人的にはメンタルの方が痛え」

 

 そりゃ勝ったと余裕を見せ、フラグを立ててから思いっきり反撃されて負ければそうなるだろう。俺はなんとなくガストがかわいそうになってきた。

 

「ま、ここまでお膳立てしてやったんだ。なんか分かったんだろーな?」

 

「……なんとか」

 

「なら良いんだよ。まぁ取り敢えずミネルヴァとぶち当たるまで負けんなよ」

 

「……分かってる……うん?」

 

 はた、と俺の思考が停止する。

 そういえば、騎士団の方で対戦表でも弄られるのかなと思っていたが、そんな話は聞いてない。

 もしかしてもしかするとだが――。

 

「……三回までに当たらないと……詰む!」

 

 宴闘の試合はトーナメント制たが次の相手はさっき見た対戦テーブルの発表方法のように公布されない。

 相手によって対策を打ったりするなど公平性を欠く可能性があるとかどうとかいう話は聞いたことがあるが……。

 

 ミネルヴァさんの勝ち星はこれで1。どのみち俺がミネルヴァさんと戦うには何が何でも次の試合に勝たなければなくなった。

 

 オルガニアからもらった魔力は魔法3回分と余りにもな物なのだから、もう不安しかない。

 

「ぐ……俺の日頃の行いがここで生かされるときか……!」

 

「お前そんな真面目に生きて来たのか?」

 

「最初の10年くらいまでなら!」

 

「……短くね?」

 

 ガストは片眉をあげて俺をなじるような目で見てくるが、それは聞かなかったことにしよう。

 多分、物心つかない3年くらいの間はノーカンだと思う。女神様は相変わらずケチくさい。

 

「なんにせよそろそろ次の試合が……お」

 

「……え? あ、俺の番号だ」

 

 俺の後ろにある画面を見てガストが声をあげたので釣られて見てみれば、画面には無機質な文字で8と書かれていた。

 その隣には同様に20という数字が。

 

「俺の後か……ミネルヴァじゃなくて残念だったな。まぁ軽く行ってこいよ」

 

「ぅうわ……腹痛くなって来たな……相手どんな人だろ」

 

「僕だねぇー」

 

 隣でずっと沈黙を保っていたモイヤの声に俺はぎょっとして振り向く。

 モイヤの顔はいつものように笑顔ではあるが、その雰囲気からは確かな闘志を感じられた。

 

「よろしくね、アルス君っ!」

 

「あはは……よ、よろしくなー……」

 

 溢れんばかりの笑顔だがその巨体はやはり威圧感がヤバい。

 気のせいかガストも少し顔を引きつらせているようだ。

 モイヤはそのままニコニコと控室を後にする。

 

「……もしかしたらあいつも何か弄ってたのかもな」

 

「弄るって……俺と当たるように?」

 

「俺がしたみたいにな。内部に関係者がいりゃ難しいことじゃないし、例年必ずあるんだよな」

 

 モイヤは生粋の勇者オタク。

 そこまでするのも頷けるが、モイヤはそういうことをするタイプではないと思うんだよな……うーん。

 

 いや、とにかく今は確証のないことを考えている場合ではない。

 俺は腰に挿してある剣の柄を祈るように逆手で握りしめた。

 

「んじゃ頑張ってこいよ!」

 

「いってッ!! ……行ってくるよ」

 

 ガストに背中を思い切り叩かれ、咳き込みながらも、俺は文字通り背中を押されるような感覚を覚えていた。

 そうして少しだけ勇気を持ったまま、俺は控室を出る。

 

 来たる宴闘の第一戦。

 この戦いは、俺の予想とはちょっと違った形で荒れる事となる。

 



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第30章「それは初めから知っていたかのような」

 

 

『さぁ、お待たせいたしました! どんどん行きましょう!! 次の戦士達はー……こいつらだっ!!』

 

 エコーの目の覚めるような声に誘われ、俺は舞台へと立つ。

 相対するは巨人、モイヤ。

 嬉しさからか顔がニヤついていて、昂ぶる心は震えとなって表れている。

 生粋の勇者オタであるモイヤはどうやら俺と戦うのが楽しみで仕方がないようだ。

 

「アルス君、ひとつだけお願いしてもいいかな?」

 

「え、お願い?」

 

 緊張で歯が鳴るのを押さえ込んでいると、藪から棒にモイヤが申し出てきた。

 なんだろうか。手心を加えてほしいとかなら言っちゃなんだが無理だけども。

 寧ろそれは俺がお願いしたい。モイヤには是非ともデコピンだけで戦ってほしい。それで気分的には五分五分とかだよ。

 

 俺が一応聞く姿勢に入るとモイヤは意を決したように吐き出した。

 

「ぼ、僕が勝ったら! サインちょうだい!」

 

「…………は?」

 

 そしてその申し出は俺の目を点にするくらいには高威力の豆鉄砲だった。

 モイヤは緊張したままの面持ちでなおも語る。

 

「お祭りの時に言った時は流されちゃったからもしかしてそういうの苦手なのかなって……でも僕、やっぱり諦められないんだぁー……! 写真とまでは言わないから、お願いー!」

 

「か、勝ったら、な?」

 

 確かにサインは苦手――というより俺ごときのサインなどと恐縮してしまうのであまり書きたくないのが本音だ。

 しかしモイヤのあまりの必死っぷりと懇願に押されて俺はついつい変な受け答えをしてしまう。

 

 これでは自分が勝つことに絶対の自信を持ってるやつみたいじゃないか。冗談じゃないぞ。

 

「や、やったぁ! 僕頑張るからね!」

 

 子供のように、と例えるのがいいだろうか。それにしてはやたら大きな子供だがモイヤはガッツポーズではしゃぎ始めた。

 

『じゃあエコー、今回もよろしくね』

 

『うん……』

 

 ガストとミネルヴァさんの時と同じように俺たちの素性解説が始まるようだ。エコーがのっそりとした動きでマイクに顔を近づける。

 

『おっきいほうが、傭兵、モイヤ=タン。……全身鎧(フルメタルアーマー)の異名を持つ肉体派、よ。後は……勇者大好き。家にあるサインとグッズはほぼ全ての勇者を、網羅してるとか、してないとか』

 

「さ、流石にまだまだ全員とはいかないよぉー」

 

 エコーの言葉に受け答えるようにモイヤは頬をかきながら恥ずかしそうに呟いた。全員分集めるつもりでいるらしいが、一体何が彼をそこまで駆り立てるのだろうか……。

 

『……勇者、アルス=フォートカス。彼については……分からない、わ』

 

『へぇー……うぇえ!?』

 

 眠たそうなエコーの声での随分雑な紹介のされ方に俺自身こけそうになったがそれ以上に反応を示したのはソナーと……二人のファンと思わしき一団達だった。その証拠に興奮冷めやらぬ観客席の一部の動揺がはっきり聞こえるほど強い。それほどまでにエコーが分からないというのが珍しいのだろうか。

 

『先の王都襲撃以前の活動記録は無し……そして目撃情報によれば、剣を黒くする魔法を使う、みたい。……私は、知らないわ。……とってもミステリアス……』

 

 うっとりと惚けるようなエコーの言の葉に更に騒めく狂信者達。

 そして案の定一部のどよめきは俺に対する殺意へと変わったようだ。一体何が彼らの琴線に触れたのかは知らないがエコーのミステリアスと言う表現が最高の賛辞の言葉である事は分かった。

 

 無事に宴闘を終えられることを祈りつつ、俺は向けられたマイクに向けて軽く挨拶をする。

 ちらりとエミィとオルガニアのいる方に目を向けると、エミィが手を振ってくれていた。釣られて俺も少し振り返す。

 

 同様にモイヤも軽い自己紹介をして、場の準備はようやく整った。

 

『傭兵モイヤは異国の出だし、未知数ってやつね! あたしも話には聞いてるから楽しみだわ! それじゃ早速第2試合目! 行きましょーう!!』

 

 ソナーが元気よく腕を振り上げ火蓋が切って落とされる。さて、いよいよ後戻りはできなくなったぞ。

 

「ようし……いつでもいいよ、アルス君!」

 

 モイヤは手首と足首を入念に回し、ファイティングポーズを取る。

 攻めてくるつもりはないようだが……。

 

「なんだよ、もしかして先攻譲ってくれるのか?」

 

「もちろんだよぉ!」

 

 モイヤの様子はどこまでも嬉しそうだ。ここまで爛々と目を輝かされると少し照れるものがあるな、と思いながら折角なので初撃をもう少し考えさせてもらう。

 

 エコーが言った通りというか予想通りというべきか、モイヤは肉体派。魔法は使わないと見ていい。ガストのような変なギャップはないだろう。テンプレート通り自分の身長というアドバンテージを活かした戦い方をしてくるに違いない。

 

 ではそれを踏まえて俺はどの魔法を選択するべきだろうか。

 

 極光の魔法は却下だ。あれは目くらまししてる隙に相手を場外まで引きずるとかそういう戦略に使えるだろうが、身長差がありすぎる為不能。よしんば時間を稼いだとしても俺の頼みの綱、封印【ゼロ・フォース】もモイヤには意味がない。

 

 烈破の魔法はどうだろうか。オルガニアが言うには小爆発を引き起こすらしいが、それだけでは決定打にはならない気がする。詠唱後数秒の間に触れなければ起動しないのと爆発の規模が分からない不安定さから使うのが躊躇われる。

 

 よって消去法により、使うのは冷皮の魔法に可決された。

 これもどう役に立つか分からないが、オルガニアが言うには周りの気温も少し下がるから相手の動きを鈍らせるらしい。

 

「……よし」

 

 俺は深呼吸をして詠唱に備える。

 

「……ゲッホ!」

 

 そして勢いよくむせた。

 

『あっと、勇者アルス体調不良でしょうか!?』

 

 違います。

 と、心の中でエコーの言葉を否定してから俺は気を取り直して再度口を開く。

 

「――冷皮の魔法」

 

 エコーが俺の魔法を不思議と言っていたのは、呪文の事でもあるのだろうが呪文の改変は可能だからその限りではない。

 

 オルガニアの魔法が不思議だと言われる所以は恐らく、精霊を集める必要がないということ。魔法というのは精霊を操ることと同義なのがこの世界の常識であるはずなのに、だ。

 

 オルガニアの魔法は自身の中にある魔力が世界に直接影響を与える。だから俺の力でどこまでやれるかが心配だが、とにかく信じて唱えるしかない。

 

「湧き立つ血肉は、銀の冷気を身に纏う――!」

 

 詠唱が終了した後、聞き覚えのある空気の破裂音が響いた。

 次第に俺の身体の周りに現れた銀の霧がベールのように漂い始める。

 

 俺の吐く息は白く、肌や服には次々と霜が浮き始めていた。

 ――冷たい。けれども、何故か寒くない。

 身体の気温がどんどん下がるのを感じつつも、俺の心は先ほどの緊張が嘘のように穏やかだった。

 

 まるでこのまま、時でも止まってしまうかのような……。

 

『さっっっっっむーーーーーいぃ!!!!!』

 

 聖者のような静かな心は、しかしエコーの大声量に吹き飛ばされたことにより俺の意識はようやく現実世界に浮上してくる。

 慌ててあたりを見渡すと――殆どの人が身体を縮こまらせて震えていた。

 ……え? ちょっと待て、こんな魔法ではない、はずだ。

 雪こそないから視覚的な寒さはないものの、ただしんしんと染み渡る冷気は確かに会場の気温を一気に下げている。

 

『ちょっと、さむっ!! 途轍もない速度で会場の気温が下がっております! エコーだいじょう……あっ、1人だけ毛布ズルい! あたしにも貸してぇ!』

 

 いつの間にか毛布に包まっていたエコーに飛びつくソナーの声が今の状況を如実に表しているだろう。寒く、冷たく、痛い。決闘場と観客席の間には障壁魔法が張ってあるはずなのだがそれすらも貫通して冷気を伝えているというのか?

 

 これほどまでの冷気、モイヤは大丈夫だろうか。

 

「わぁ……凄いなぁ」

 

 しかし身体がまともに動かなくなってもいいはずなのに、はーっと手に白い息を吐きかけ、モイヤはただ感嘆しているだけだった。

 一体どういう身体の構造してるんだ。

 

「勇者様って、こんな事もできるんだねぇ」

 

「……そう、だな」

 

 モイヤが驚くのは当然のことだが、はて。

 俺の中には一抹の疑問があった。

 

 ――どうして俺は、そんなに驚いていないんだ?

 

 いつもの俺ならば、この突拍子も無い光景に目を見開き、大袈裟に騒ぐはずだ。話が違うとでも怒鳴っただろうか。

 ともかく何かしら物言いする事は賭けてもいい。

 

 身体に染み渡る冷気に乗って、何か別の物が流れてくる感覚。

 そう、まるでこうなる事は知っていたかのような……。

 

「……?」

 

 そして、違和感。

 俺はこうなることを……知っている?

 

 知っている。俺はこの力を、この光景を。

 知っている。見たことがないはずなのに、感じたことがないはずなのに――。

 

 俺は、頭の中で次々と流れる記憶のままに腰に挿してあった剣を鞘ごと引き抜いた。

 ゆっくりと、ゆっくりと天へ剣を掲げる。

 

「……アルス君?」

 

 モイヤはそれを止めるでもなくただ見守っていた。初撃を譲ると言っていたが、それとは別に俺の様子を訝しんでいるのだろう。

 

 知っている。この後何が起こるのかも。

 

 生まれた時から扱えたかのように。息をするかのように、本能で使い方を習得する。

 

 

 そして俺はまるで熱にでも浮かされたような感覚に陥りながらも――心の中で、唱えた。

 

 『固まれ』、と。

 

「っわ……!」

 

『な、なな、剣の周りに……冷気が集って行ってます!? あれは一体……何をしているんでしょうか!?」

 

 空に向けて掲げられた剣はかくして、おびただしいほどの冷気に包まれ始めた。

 包み込む冷気達は何かの形を模し始め……やがて音を立てて凝結を始める。

 気体が固体になるにつれ剣は重量を増し、いよいよ片手では持てなくなってしまった。

 

 どうしてオルガニアから貰った魔法でこうなるのかは分からないが、ただ一つだけ分かる事がある。

 

 それは喜びの感情。

 俺は今まで一度だって実感しなかった感覚を苦節十数年の末に手に取ったのだ。

 

 そう、これこそが正しく――

 

「これが、これが勇者の力の感覚だ!!」

 

 かくして完全に姿を現した新たな剣を両手でしっかりと握り、俺は歓喜の声を上げた。

 やった、ついに俺はやったのだ! 理屈こそ分からないが、勇者の力とは生まれた時から知っているかのように使えると言われている。

 今の感覚こそが俺の中の力であるに違いない!

 

 溢れ出た冷気は全て剣に集まり凝結したようで、徐々に場内の気温は元に戻り始めている。

 それでもまだ寒いのだろうが、俺の身体は興奮で完全に高ぶっていた。

 

『け、剣が……剣が! 辺りの冷気を纏ったかのように――ええと! とにかく何が起こったのか分からないけど! 勇者アルスの片手剣が、氷の太刀に変化したーー!!!』

 

 俺の構える剣は、柄こそ元の姿を僅かに覗かせてはいるものの刃も含めて殆どが氷に埋もれてしまっている。

 代わりに剣に張り付く巨大な氷が新たなる剣としての形を成しているわけだ。

 

 その様はソナーの言う通りの、太刀。

 身の丈以上の刀身は荒削りで無骨だが、猛々しい威圧感を放ち、両手で持ちやすいように柄が氷によって長くなっている。

 宴闘仕様なのか、刃はなだらかで切れはしないようだ。

 

 俺の気分を高揚させるのにこれ以上の演出はいらない。俺の長年の夢が、悲願が、原因も能力も不明だが殆ど達成されてしまったのだ。

 

「……行くぞ、モイヤ!」

 

「うんっ!! いつでもいいよ!!」

 

 再度構えを取るモイヤに俺は……接近せずに太刀を振りかぶる。

 重たいが、心地いい重さだ。

 

「……!」

 

 なにかが来る、と予測したモイヤは受けの姿勢から一転、腰を落として回避する事にシフトしたようだ。その判断は恐らく正しい。

 

「どっ……りゃあああああおらぁあああああ!!!!」

 

 なにが起こるのかも分かっているまま、ただ気合の掛け声で自身の背中を押して太刀を振り下ろす!

 

「ッ――!!」

 

 爆ぜるようにモイヤが地面を蹴り、衝撃で石がえぐれる。

 その抉れた石の破片が凍りつくのは、刹那の出来事だった。

 

「あ……っぶなかったぁー!」

 

『地を這う氷の波が傭兵モイヤを襲うーー!! しかしそれを回避! 良く見ました!』

 

『……ソナーちゃん、なんか今回、騒がしい、のね』

 

『さっきの試合見入り過ぎちゃって怒られたからね!』

 

 地を這う氷の波はミネルヴァさんの撃剣の速度には遠く及ばないものの範囲がかなり広い。……にも関わらず回避できたのはひとえにモイヤの跳躍力が並外れていたからだろう。一歩で5メートル近くは飛んでる。

 

「……それ、なら……!」

 

 俺は今度は太刀を横向きに構える。

 モイヤに攻撃をさせる隙は与えない事が唯一の活路だ。

 

「……そ、りゃあ!!」

 

 太刀の重さに身体が振り回されそうにもなるが、なんとか堪えての横薙ぎ。

 その軌跡に従って今度は氷が半円を描きながら宙に奔りだした。

 丸太ばりの分厚さを持った幅広の氷塊がモイヤへと迫る。

 

 が。

 

「……剛拳――中段。腰を落として……手は、鉄びしっ!!」

 

 素早くフォームを確認しながら繰り出されるモイヤの中段付きが氷塊とぶつかり合う!

 

 氷と拳は激しく火花を……いや、氷の破片を散らし、鍔迫り合う。

 普通なら人間の手が氷を打ち破るだろうが、氷塊の密度はそう簡単に壊れる程脆くはない。

 大丈夫……のはずだ。

 

「……よぉいしょっと!!」

 

 片手では不可能と判断したモイヤはなんと、もう片方の手でも氷塊をぶっ叩いた。

 その結果――迫っていた氷が無残に砕け散る。

 

「うっそだろお前!?」

 

『砕いたぁー!! これぞ全身鎧(フルメタルアーマー)! その拳は鋼鉄の如し!!』

 

 青白い結晶が宙に舞う様はさながら幻想的であっただろうが、それに囲まれて拳を振り抜くモイヤの方が俺には殊更幻想のように見えた。

 

巨人(ジャイアント)の身体って生まれつき岩みたいに硬いんだけど、僕ってそれがもっと硬いみたいなんだぁ。硬く、そして人のしなやかさを兼ね備える古武術、『剛柔拳脚』っていうんだよー」

 

 ギラリと闘志で漲る目を光らせ、モイヤはまたしても地面を抉り、俺との距離を一気に詰める。

 

 まずい、俺の武器の形状から接近戦は滅茶苦茶弱い……!

 なんとか距離を取ろうとしてもモイヤの速度相手では間に合わない。

 

「っ……!!」

 

 ぶん殴られて死ぬ――と来たる衝撃に備えて歯を食いしばっていると、身体が宙に浮く感覚を感じた。

 

「え? ――どぉうわあああああ!!!」

 

 もしやこれはと、目を開けて周囲を確認すると地面が遠い。俺は空に投げられたのか!

 

 なるほど、場外で試合を終えようというわけだ。モイヤらしい勝ち方といえばそれ止まりだが……九死に一生であった。

 

「よし……そりゃ!」

 

 再び太刀を袈裟掛けに振るい、氷の波を生み出す。

 弧を描いたような氷の波は場外の空中からリング内へと流れるようなコースターを作り、俺はそこに足をつけた。

 

「ん、ぁ、すべっ……!」

 

 そのままスケートのようにスムーズに滑ろうとしたところ、予想以上に難易度が高く敢えなく俺は転倒。よって転がり落ちるように顔面からリングに舞い戻る結果になった。

 バランス感覚もクソもない運動不足の体には無理があった。

 

「ぃっ……いってぇ……」

 

「ええとぉ、大丈夫ー?」

 

「も、モーマンタイ……」

 

 慌てて態勢を整えて、顔をブルブルと左右に振って無理やり気を引き締め直した。

 モイヤは追撃にこないし、恐らく俺の力をどこまでも見てみたいんだろう。全く舐められたものだ。

 

 だが気にしない。舐めプされようが心配されようが同情されようが最後に勝った方が勝者。俺は何が何でもこの試合に勝つ。勝たなければならない!

 

「冷皮の魔法は冷気を噴出させる魔法じゃない。冷気を皮みたいに纏わせる魔法だ。その力がもっと強く、広くなっているのなら――」

 

 俺は足元に太刀の鋒をこすりつけ、正円を描いた。描かれた線は冷気を放ち、怪しくゆらめている。

 

 そして太刀を振り上げ、もう一度氷の波をモイヤに向けて撃ち込んだ。

 

「そ、らッ!!」

 

「すぅ……剛拳、中段!!」

 

 やはりそれは砕かれる。モイヤは攻撃を防いでから同じように俺に接近してきた。

 

「ちょっと跳んで、上げる! 剛脚――」

 

 しかし俺の直前でモイヤは跳躍し、驚くほど柔軟な身体で足を大きく振り上げる。ゴリゴリの筋肉つけてるくせに、こんにゃくみたいに曲げてくるな。

 

 俺は一歩だけ後ろに下がる。

 

「――踵落としッ!!!」

 

「固まれぇッ!」

 

 モイヤのしなる鞭……いや、しなる丸太のような足が振り下ろされる刹那、俺の号令を受けて円は想像通りの働きをした。

 

 円を軸として霧散した冷気が急速に集合、結晶化を始める。

 空気中の水分を一気に凍結させ――高密度の氷の柱を作り出す!

 作り上げられた氷柱は見事にモイヤの足を捕らえた。

 

「わっ! ……っと!?」

 

 突然の出来事にバランスを崩したモイヤはそのまま転倒する。モイヤの攻撃がミネルヴァと同じように、モーションが大切なものなのだとしたら……。

 

「ととと、とぉ!?」

 

 途中でそれを崩されれば、リズムが乱れてコケる!

 

「くら……えぇ!!」

 

 再三、剣を振り下ろして最後の仕上げを行う。

 氷を這わせ、今度こそ態勢を崩したモイヤに氷塊がまとわりつき、首から下をすっぽり覆って縛った。

 

「んぐぐ……!!」

 

「わ、割れるなよ。お願いだからもう割れるなよ……!」

 

 モイヤが氷の牢の中で力むのを祈るように見ること数秒。

 

 しかし、俺の祈りも虚しく氷はピシリと音を立てて綻びを生じ始めた。

 割れた欠けらが床を叩き、その音が聞こえるたびに俺の血の気が引いていく。

 

 更に重ねるように氷を作るか――とも思ったが、ダメだ。気づけば俺の太刀は随分と細く、短くなっている。

 冷皮の魔法で生み出せる全ての冷気はこの剣に集まっていた。

 残っている冷気で氷を作ったって焼け石に水だ。

 どれだけ分厚くしようとも流石に氷くらいではモイヤの馬鹿力を止めることはできないか……!?

 

「ん〜〜〜〜……ダメだぁ、抜けないっ! ……参りましたぁ……」

 

 ……と、半分諦めかけていたところで、信じられない事にモイヤは諦めたかのように脱力して首を横に振った。

 

「え……か……った?」

 

 あまりにも呆気なくついた勝負に主審も一瞬判断が遅れ、一歩遅れて旗が上がる。

 それを持ってして俺の勝ちは確定した。

 

『こ、降参!! 勝負ありッ! ド派手な交戦を制したのは勇者アルス!! 肝を抜かすような氷の力で傭兵モイヤを捕えましたーー!!!』

 

 ソナーの宣言が会場に響き、拍手が巻き起こる。

 俺はモイヤを氷の呪縛から解いてからすぐに問いかけた。

 

「モイヤ、どうして……。あとちょっとやってれば割れただろ?」

 

「あはは、そうかもしれないけどぉ……でも捕まっちゃった時点で僕の負けだよー」

 

「そんな事……」

 

 モイヤは俺のサインを本気で欲しがっていたようだった。俺を思いやってくれてはくれても手は抜かないと思ったのだが……。

 

「それを言うならさ、どうして僕を捕まえた時にとどめを刺しに来なかったのさってなっちゃうよー」

 

「……え」

 

「捕まえて、それから剣でタコ殴りにだってできたよー。僕の体は硬いけど、喉元に剣を添えるとか、そうでなくても一撃入れるとか、ね」

 

「それは……」

 

 考えつきもしなかった。というのが本音だ。

 そうだ、今思えばなんで俺はモイヤを固めた後、棒立ちだったのだろう。

 捕まえておしまいなんて事はなく、祈る前にやれることなんて、いくらでもあったはずなのに。

 

「僕、分かったんだぁー。アルス君は、傷つけるのが凄く嫌いなんだね」

 

「モイ……」

 

「やっぱり勇者様なんだな……って。だからあれは僕の負けって事にしておいて欲しいなぁ」

 

「……分かった、そう言うなら」

 

 俺はモイヤにこれ以上は何も言わずに黙って首を縦に振った。あのまま続けていたら負けていたのは俺だし、俺は何か言える立場にない。何か釈然としないものがあるが、それは頭の隅に蹴飛ばしておく事にした。

 

「……モイヤ!」

 

「あ……なぁにー?」

 

「あ、あとで、サイン……書くよ。俺ので、良ければ」

 

 でもあれは、俺が実践慣れしていなかったからだ。俺の頭が馬鹿だったからという意味でもある。追撃の思考に至らなかったんだ。

 

 だからせめてものお礼に。

 俺は明らかにしょんぼりと肩を落とすモイヤの背中に声をかけ、そう告げた。自分のサインをあげるなんて言うのは恥ずかしいが、今はそれすらも頭の隅へと追いやろう。

 

「えっ!! 本当!? やったぁありがとう!! じゃあじゃあ、すぐに行くから、また後でー!」

 

「お、おう。またなー……」

 

 瞬間でいつもの調子に戻ったモイヤは最初に会った時……いや、それ以上に明るく、朗らかな日光のような笑顔で控室まで突っ走っていった。

 

 ……俺も戻る事にしよう。疲れた身体を一刻も早く休めたいのと、人生初の他人へと送るサインを書きに。

 

 



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第31章「転機の予告」

 

 モイヤ=タンへ。アルス。

 稚拙ながらもなるべくはっきりと俺は色紙に宛名と名を記す。

 人生で初となるサインの贈呈に俺自身も興奮とは違った感情を抱かざるを得なかった。

 一方でモイヤは爛々と目を輝かせて俺からサイン色紙を受け取る。

 

「あ……ありがとうー! 僕、これずぅっと大事にするね!」

 

「は、はは……喜んでくれて何よりだよ」

 

 感極まれりといった様子のモイヤは俺の名前が書かれた色紙を砕けきった表情で見つめている。

 ここまで喜んでくれるのなら、俺も釣られて和やかな面持ちになってしまう。

 

 さて、俺とモイヤの試合が終わり、今は別の人の試合が執り行われているところだろう。

 この後何試合か続いた後、1時間の昼休憩となる。2回戦はその後だ。

 

「はぁー……」

 

「どうしたよ? んな気ぃ抜けたような声出してよ」

 

「……いやさ、結局俺の勇者の力って、なんだったんだろうって」

 

「ああ……アレか」

 

 俺の試合はガストも見ていてくれたようで、俺が嘆息している理由をすぐに察してくれた。

 俺が使ったのはオルガニアの魔法であって、俺の魔法じゃない。だというのに何故あれほどまでの力を発揮し、あまつさえ操り方を熟知していたのか。

 いざ興奮が冷めてくれば疑問に浮かぶことなどいくらでも湧いて出た。

 やはりこの事は一度オルガニアに相談するべきだろうか。

 

「勇者の力は女神セイクリアにまつわる光の力……ってのが通例だったが、おめぇのはありゃどう考えても光要素はねぇな」

 

 ガストの指摘に俺は黙って首肯する。

 そうだ。オルガニアの魔力という点を考えればある意味闇の力とも言えるほどだ。間違ってもあれを勇者の力とは呼べないが、あの感覚は確かにそうだと俺の頭が告げている……が、自信が伴わない。

 

「うーん、休憩時間が待ち遠しいな」

 

 宴闘中オルガニアと会えるタイミングはそこだけだ。俺はすでに始まっている他の人の試合を観察しながら、今か今かとその時を待つのだった。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 あれから試合が2本終わった。

 両試合ともやたらに長引いてしまったようで、指定の試合数を終わらせることなくソナーのアナウンスが流れる。

 

『ただいまより、1時間の休憩となりまーす。みんな、ちゃんと5分前には自分の席に戻っといてねー! ……っあー、疲れた!!』

 

『ソナーちゃん、マイク、切らないと……』

 

 あの二人も喋り通しで大変だな。エコーの方は試合中殆ど喋らないけども。

 

 さて、そんなアナウンスもほどほどに聞き流しながら俺は素早く立ち上がり、控室を後にしようとした。

 そんな俺の背中にガストの声がかかる。

 

「おう、アルス。外行くなら俺も行くぜ」

 

「あ、うん。了解。モイヤは?」

 

「えへへ……あ、僕? 僕はまだしばらくここにいるよぉー」

 

 未だに俺からのサインを夢見心地な面持ちで眺めていたモイヤは置いといて、俺とガストは一路、会場の外を目指した。

 

「にしても……どうやって合流したもんかな。アイツらここまで来んのかよ、ったく」

 

 外に出たところで人の多さにガストは悪態を吐いた。実際その気持ちが分かってしまう程の混雑具合で、この国における宴闘の人気が伺える。……みんな刺激というか、娯楽がないのだろうか。

 

 オルガニアはどうだろう。あいつは体が小さいからこの人混みだと潰されてしまう気がする。

 

「……潰されようものならこの会場が潰されかねないな。エミィと一緒に居てくれてるから大丈夫……だよな」

 

 いや、待てよ。実際エミィも潰されそうだ。

 

「…………」

 

 俺の中で途方も無い不安感が焦燥となって湧き上がってくる。

 ついには居ても立っても居られなくなり、慌てて駆け出そうとするが――。

 

「……ちょ、ちょっと俺探しに行ってくるぁぁあああっっっつぁーーーーーーーー!!!!!」

 

 焦げるような身体の熱に俺は膝から崩れ落ちた。

 

「うおっ!? おいどうしたアルス!」

 

「ああ、いたいた。……ではない。アルス兄さん、大丈夫ですか?」

 

「無茶、すな……」

 

 心配してるフリして冷ややかな目でこちらを見やるオルガニアを俺は精一杯怨念を込めて睨みつけた。

 やりやがったな、と。

 

「げっほっ……だい、だいじょうぶ。ありがとうなガスト」

 

 ふらつきながらも立ち上がる俺に肩を貸してくれるガストに礼を言う。こういう良心を頼むから少しくらい見習ってくれないだろうか。お願いだから見習え。

 

「ん……? ところでオ……ニーア。エミィはどこにいるんだ?」

 

「まぁまぁ兄さん、取り敢えずちょっとこっちに来てくだ……さいっ!」

 

「は!? おい、ちょっと……わ、悪いガスト! また後で!!」

 

 予想外なほど強い力で強引に腕を引っ張られ、半ばさらわれるように人混みを掻き分けるオルガニア。

 ガストにまともに言葉を伝えることもできないまま、俺は人気のほぼない場所まで連れてこられた。

 

 俺の手を離してから開口一番。祭りの陽気から漏れた薄暗い道の壁に寄りかかりながら、オルガニアが問う。

 

「さ、て。アルス。説明してもらおう。あれはなんだ」

 

「説明って……お前の魔法使った時のか? そんなん、俺が聞きたいって!」

 

 結局あれは俺の勇者の力だったのか。聞きたいのはそこであり、期待しているのもそこだけだ。

 けれどもオルガニアは首を横に振るだけで――俺の期待する答えをしてはくれなかった。

 

「冷皮の魔法は、少なくともあれほど強大な魔法にはなり得ない。お前の力も残念ながら未知数だ」

 

「でも、あの時確かに……」

 

「ああ。お前は迷いなく冷皮の魔法を手繰ってみせた。……あれがお前の力である事は間違いないだろうが――得体の知れない力はいずれ身を滅ぼす」

 

 ピシャリ、と。

 静かに力を込めたオルガニアの忠告に俺はそれ以上言葉が出なかった。

 

「我がお前の力を見定めるまで、お前は不用意に戦闘するな。いいな」

 

「それは……願ったり、だけど」

 

「話はそれだけだ。今回の宴闘も……危険ならば我が会場を壊してでも止める」

 

「おまっ!? それは勘弁しろよ!?」

 

 俺が抗議をしてもオルガニアはやると言った時はやる。現に俺の懇願にオルガニアは無反応だ。それほど深刻な話なのかは分からないが……まだ使い方が分かるのならセーブの仕方も分かるはずだ。

 俺はなんとかなることを信じて、口をつぐむ。

 

「話は終わりだ。いけ」

 

「……分かったよ」

 

 先に戻れ、という意味なのだろう。素っ気なく背を向けるオルガニアをしばらく見つめた俺は、何かを言えるわけでもなく、ただその場を去ることしかできなかった。

 

「……もし」

 

 去り際に、かすかにオルガニアの声が聞こえた。

 

「もしも、我の魔力を操る力でなく――()()()()()()()()()だとしたら――」

 

 オルガニアは、肩越しに不安そうな背中を向ける俺を見た。

 

「アルス。お前は――なんと不憫な星の元に生まれてきてしまったのだろうな」

 

 けれどもその言葉は、俺に届ききる事はなかった。

 

「あ……そういえば、エミィはどうしたんだろう」

 

 取り敢えず、ガストが待つであろう人混みまで戻ってきたあたりで俺はぼんやりとそんな事を考えた。

 オルガニアと一緒にいたはずだが……一体今はどこにいるのだろうか。

 

 そう考えつつも、オルガニアの怒りとも、同情とも言えない曖昧な表情が頭から離れない。

 

「つーか、あいつエミィの事置いてったってことか? どんだけ焦ってたんだよ……」

 

 祭りの時とはまた別のベクトルでオルガニアの様子がおかしい。

 エミィのことも心配だが、俺はひとまずガストの元へと戻った。

 

「……あれ?」

 

 完全に意識は上の空だったが、しかしある程度進んだところで、やたらと人だかりが出来ていることに気づく。

 さっきから前に進めているようで全然進めてないのがその証拠だ。

 

「な、なん……だ?」

 

 人混みをかき分け、なんとかその渦中をのぞいてみると……。

 

「もーーガスト! だから言ったんじゃん無茶だって! あれ凄く危なかったんだよ!?」

 

「だぁああ、分かった、分かった話聞くからちょっとお前は……場所ってもんをだな……!」

 

「……手遅れ、ね」

 

 そこに見えたのは、がなり立てる少女と、辺りを見渡しながら何かを探す少女。そして……騒ぐ方をなんとか宥めるガストの姿だった。

 

「えーと、ガスト? 何やってんの?」

 

「アルスか! お前も間の悪い時にくんじゃねぇ!」

 

「え、ぇえええ!?」

 

 完全に蚊帳の外だったのにいざ中に入ろうとすると滅茶苦茶怒られた。

 というより、ガストの近くにいる二人、あのラジオパーソナリティとやらじゃなかったっけ?

 

「ぁ……っ」

 

「へ?」

 

 そんな中、静かな方の少女……エコーと目が合う。

 エコーは目の色を変えたかと思うと、ソナーとガストの手を取った。

 

「……ソナーちゃん、こっち。ガストも」

 

「あ? ああ、おう。おいソナー! 行くぞ!」

 

「……貴方も、こっちに来て」

 

「お、俺も!?」

 

 この場に取り残される事が一番厄介なことだと踏んだ俺は素早くエコーの後ろをついて行くことに決め、逃げるように走り出す。

 出来ればエミィを見つけてあげたかったが……それはまだ無理そうだ。

 

「ちょっ……人すんごい来るんだけど!? どんだけ人気!?」

 

「やだもー! そんな人気だなんて!」

 

「褒めてねぇよ馬鹿! エコー!」

 

「……『黒鉄の門。波打つ音は悠久の時を経て尚硬く閉ざれん』」

 

 ガストがソナーの頭に手刀を叩き込み、指示を受けたエコーは涼しそうな顔のまま詠唱を行なった。

 

 エコーの魔法が起動し、俺たちの周囲はドーム状の結界に守られる。攻撃を防ぐような分厚い壁ではない。これは――防音のための魔法。まさか、と俺は声を上げるが、エコーの詠唱はまだ終わらなかった。

 

「『命ず。宵闇の暗殺者よ、風に溶け込み、地に埋まれ』」

 

 そして、継いで起動する魔法でドーム型の壁は暗幕によって完全に包み込まれる。

 

「っし。取り敢えずこれでめんどくせぇ奴らは追ってこねぇだろ」

 

「防壁【ミュート】と操作【ブラックカーテン】って……どっちも上級魔法じゃないか……凄い」

 

「……ありがとう」

 

「うぉあ!?」

 

 魔法に気を取られている間に数センチまで距離を詰められていて俺はたまらず声を上げて飛び退いた。

 魔法を使ったのはこの人形のような少女、エコー。いつものように無表情で……しかし明らかに熱のこもった目を俺に向けている。

 

「……私は、エコー。貴方の事を、教えて欲しいの……」

 

 後ずさってもにじり寄って来る。なんだこの子は。俺が今まであった事のないタイプの人種だ。

 

「えっと……お誕生日、とか」

 

「そして聞くのは個人情報なのか……?」

 

 下から覗き込まれるような目線に俺はしばし意識を奪われる。

 その目は例えるならば黒真珠。どこか濁っていて、でも思わず手にとってしまいそうなほどに美しい。

 

「あぁ……貴方の事が何もわからないわ……いつ産まれてきたのかも、どうやって育ったのかも……とっても素敵な事……」

 

「え、えぇっと……」

 

「ほぉら、そのくらいにしときなよエコー。アルス君困ってるわよ?」

 

「んきゅ」

 

 熱に浮かされたようなエコーにどう対応していいか困り果てていたところで、迫る首根っこをソナーが掴んで強引に引き剥がした。

 その軽々しさは人形というよりぬいぐるみに近いかもしれない。

 

「ごめんねー、エコーは自分が興味持てる事が大好きなの」

 

「……ソナーちゃん、くるしい」

 

 なじるような視線で抗議するエコーにソナーは平謝りしながら手を離す。

 

「んなことより、お前らどうしてあんな人目のつくとこに来たんだよ?」

 

「やだなぁ、ガストが心配だったからに決まってるじゃなーい! っていうのと……エコーがね」

 

 この人、終始おどけた調子でどうにも言葉の真偽が分からない。

 そしてソナーに名を呼ばれ、ようやく落ち着いた様子のエコーがおずおずと前に進み出た。

 

「……ガスト、この子達と知り合いなんだな」

 

「んぁ? ああ、まぁな……んで、エコーがどうかしたのか?」

 

 歯切れは悪いがガストは俺の問いに首肯して、なるべく早くに話題を変える。なるほど、今回ガストの対戦テーブルを変えた内通者はこの2人だったのか。

 

「エコーの用事はアルス君にだけよ。ガストは別件」

 

「は? なんだよ全く……」

 

「え、あ。ちょっとー――」

 

 結局俺はエコーと二人かよ……。と、げんなりする間もなく、先程よりもいくらかしおらしくやったエコーが俺を見上げる。

 

「えっと……その、びっくりさせてごめんなさい」

 

「ああ、いやいや。気にしないでよ。誕生日くらいなら教えるしさ……」

 

 この子は、ちょっと情緒が不安定なのかもしれない、なんて思いながら、ガストとソナーは何を話しているのかが気になった。

 俺はエコーと緩やかなペースで会話しつつ、2人の会話に聞き耳をたてる。

 

「……間違いねぇんだな?」

 

「ええ。既に――通してあるんだけど……」

 

 ……ある程度距離が離れているせいで、聴こえにくい。

 

「これ、――てもいいか?」

 

「――けど、私達が――してよね」

 

 などと暫く聴いてみても話の顛末が分からなかったが……ガストがこちらに歩いて来ていた。もしや盗み聞きがバレたか……と思ったが違うようで。

 

「おいアルス。宴闘に襲撃予告が出てやがる」

 

「何話してたのって……は?」

 

 そう告げるガストの声色は聞いたことがないくらいに深刻なものだった。

 

 しん――と、結界の中が静まり返る。

 半笑いの俺の表情は凍りつき、すぐに無表情になった。

 

「い、いや……嘘だろ? だって、活動期は終わって……今は魔物の力が落ちてるはず……」

 

「理由は知らねぇが、最近のお偉いさんをピンポイントで狙った通り魔事件の事もあるし、無下にはできねぇ。……宴闘はギャラリーやゲストにその手の人間が多く集まるからな」

 

「え、えぇ……」

 

 突然の転機に頭を殴られたような錯覚を覚え、俺の頭はしばし固まる。

 あまりにも唐突過ぎる――いや、その前兆は既に合って、俺が目を背けていた、のか。

 

「宴闘の運営側にその襲撃予告状が来て……一応、騎士団には話を通してあるわ。ただ、どうなるか……」

 

「ミネルヴァさんもこの事を知ってるのか……」

 

 ガストの説明をソナーが受け継ぎ、俺は顎に手を当てて考える。

 ともすれば、試験だなんだと言っていられないんじゃないだろうか。

 

「……騒ぎになるから、伝えられない」

 

「そ、そうなのか?」

 

 ゆっくり近づいて来たエコーが付け足してくれる。これだけの人数が一同に動けば、そりゃ混乱もするということなのだろう。

 

「取り敢えず騎士団がいるなら少しは安心だ……が、お前は嬢ちゃんらを先に逃がしてやらねぇとだろ」

 

「そっ、そうだ。エミィにはこの事を伝え……」

 

 そうと聞いては黙っていられないと、慌てて結界の外に出ようとしたが、ソナーの手が強引に俺の身体を引き戻した。

 

「って、ストップ! これは運営の内通者と騎士団しか知らない情報だから、あんまり色んな人に言いふらさないで欲しいの」

 

「そんな事言ったって……!」

 

「……申し訳ないけど。でも、何かしら理由をつけて外に出てくれればいいわ」

 

「……分かった」

 

 大人の事情。

 ソナーの言外にはそんな言葉が含まれていた。表情を歪めて心底申し訳なさそうに顔を伏せる。

 

「……休憩時間は、まだ20分くらい、あるから……」

 

「だな。アルス、一旦嬢ちゃんらの所まで戻ろうぜ」

 

「う、うん」

 

 何事も起こらないというのはないだろう。

 できることなら普通に祭りを楽しみたかったのだが……その時間はもうおしまいのようだ。

 

 まだささくれが残っている額に手を置いて、俺はそんな事を思った。

 

 

 



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第32章「貴方にとっての勇者とは」

「くそ……せめてオルガニアに行き先を聞いておけば良かった……!」

 

 宴闘襲撃の予告の存在を知って、その後。俺はガスト、ソナー、エコーの3人と別れ、エミィとオルガニアを探しに観客席までやってきていたのだが、捜索はやはりというか、案の定難航していた。

 

 オルガニアはともかくエミィは観客席にいるものと踏んでいたのだが……予想外なことにエミィはそこにいなかった。連絡手段や集合場所のような物を決めておかなかったのはこちらの落ち度だと頭を抱えるも、完全に後の祭りである。

 

「くそ……休憩時間終了まであと10分……そろそろ戻らないと本気でまずいな」

 

 息を切らせ、額に汗を浮かばせながらも俺は周囲を仕切りに見渡す。

 何も時間ぴったりに控え室にいないといけないわけではないが、休憩が終わればまた試合が始まる。試合開始直前にいなければ棄権扱いとなり相手の不戦勝だ。それだけはなんとしても避けなければならない事項であるため時間には慎重にならざるを得ない。

 

「……いざって時にはオルガニアがついてる……はずだよな」

 

 あいつも休憩が終われば席に戻るはずだ。

 俺はその事を半ば無理やり信じ込んで、後ろ髪を引かれる思いのまま控え室へと方向転換するほかなかった。

 

「ぜぇっ……ぜぇっ……」

 

「おう、アルス。ちょうど一個試合終わったところだぜ。……嬢ちゃん達は?」

 

「……見つけられなかった、けど。はぁ……ふぅ。ニーアが付いてくれてるはずだから……多分大丈夫」

 

 ようやく控え室に辿り着いた頃には俺は息も絶え絶えになっていた。

 首尾を訊いてくるガストにも要点だけ伝えて、倒れるように椅子に座り込む。

 どうやら頑張って走ったつもりだが人混みのせいも相まって休憩明けの試合が終わってしまっていたらしい。

 

「アルス君、お水いるー?」

 

「さ、サンキューモイヤ!」

 

 モイヤの大きな手から手渡された水を受け取り、一気に喉に流し込む事でようやく俺は落ち着いた。

 酸素不足だった頭が冴えわたり、ようやく落ち着こうという気持ちになれる。

 

「武器、運営に預けなくて良かったなぁ」

 

「確かに、な。奇襲を受けてもこれならなんとかなるぜ」

 

「……? なんのお話しー?」

 

「ああ、いや。なんでもないよ」

 

 宴闘は運営が支給する武器でも戦う事が出来るわけだが、今回はそうしなかったのが不幸中の幸いだと思う。まぁ俺に至ってはどっちでも良かったのかもしれないけど。

 

 ともかく話を聞かれる控え室ではこの話題はもう出さないことにした。モイヤか誰かにバレてしまう可能性も十分にある。……別にバラしてしまってもいいと思うのだが、大人の面子やら都合はよく分からない。

 

『さぁーーて――ようやく――』

 

「っと。どうやら一回戦が全部終わったようだな」

 

「やっと、か」

 

 心配事はままあるが時間は無情にも進んでいる。

 控え室のモニターを見ながら呟くガストを横目に、俺は水の入っていた紙コップをなんとなく見つめた。

 

「エミィ……なんともない、よな?」

 

 さっきから胸騒ぎが凄い。虫が駆けずり回って頭の中に氷をまいているようだ。ミネルヴァさんと対峙する事の緊張感とはまた違った嫌な感じが俺を苦しめている。

 

 気持ちを落ち着けるためにモニターを見ると、どうやら一回戦のダイジェストのようなものが写っているようだった。

 画面の中の俺が氷の太刀を振るっている。

 

 俯瞰して俺の姿を見てみると、なんだか完全にのぼせたような顔をしていて恥ずかしい。

 

 ――得体の知れない力はいずれ身を滅ぼす。

 

 その光景から思い出されるオルガニアの言葉がちくりと胸に刺さり、また胸騒ぎ。

 ああ、本当に考えてみたら解決していない問題が山積みだ。

 

「――い、おいアルス!」

 

「ぁいって!」

 

 冷や汗を感じつつ奥歯を食いしばっていると、背中をガストに引っ叩かれた。

 すわ何事かと慌てて振り向くと、呆れた表情のガストがため息混じりに腕を組んでいた。

 

「あんま考えすぎんなよ。心配なのはわかっけど、どうにもできねぇだろ?」

 

「そう、かも、しれないけど……」

 

「もっとどっしり構えとけってぇの。俺らができることなんて……それくらいだろ」

 

「…………」

 

 自分でも気づいているのか分からないが、ガストは眉間にしわを寄せていた。

 ガストにも守りたい人はきっといるんだろう。あの2人か、それとももっと別の人か。

 

「心の準備、か」

 

 俺はぎゅっと硬く目をつぶり、何度も逃げない、逃げないと呟く事で恐怖と戦い続けることにした。

 

「アルス君、アルス君」

 

「え、え? どうしたんだモイヤ?」

 

「アルス君は剣の形を変える勇者様なの?」

 

「え……あー」

 

 モイヤにとっては素朴な疑問だったのだろうが、俺にとっては意表をつかれる質問。なるほど、それは盲点だったと目を見開く。

 

「あ、ごめんね。答えにくかったー?」

 

「ああ、そういうわけじゃなくて。俺、自分の力ってよく分かってないんだ」

 

「ほぇー……そうなんだ。凄いねぇ」

 

「はは……凄いっていうか、ダメダメな気がするけどな」

 

 自嘲気味に笑いながら、俺は考えを巡らせる。

 冷皮の魔法は別の使い方もしようと思えばできたし、剣の形を変えるのはあくまで1つの戦法に過ぎない、よな。

 でも剣の形を変える能力とかちょっと勇者っぽい気がするな。仮に別の魔法でも実現可能ならば一考の価値がある。

 

「……あと2戦までに、ミネルヴァさんと当たるかな」

 

「お前の事情を知ってるかどうか知らねぇけど……宴闘は全部で4回戦しかねぇし、大丈夫だろ」

 

 自分の出番が終わったのはやはりつまらないのか、ガストの励ましもどことなく適当だ。俺はようやく始まる2回戦の対戦テーブルを祈るように眺める。

 

 やがて表示された番号には――8、と記されていた。他ならぬ、俺の出番を告げる番号だ。

 

「相手は……」

 

 ガストが眉をひそめ、意気込むように息を吐く。まるで自分が試合に出るかのようだ。横を見やるとモイヤも「わぁー」と目をキラキラと輝かせている。

 

「やっぱり、来た」

 

 そんな2人の様子から、俺はすぐにそれを察することができた。対戦相手は言わずもがな、ミネルヴァさん。

 噂をすればというが……本当に来たな。

 

「アルス。気ぃ抜くなよ」

 

「あ、アルス君。頑張ってー!」

 

「う、うん。おう、大丈夫。ダイジョブ……」

 

 震える足と手で控え室の扉を開き、2人に背中を押されながら俺は重い足取りで闘技場へと向かう。

 勝算は考えて来たにせよ、やっぱり痛いのは、嫌だなぁ……。

 

「アルス=フォートカス様ですね。こちらへどうぞ」

 

「ああ、はい……」

 

 闘技場と目と鼻の先である扉の向こう側からは会場の騒めきが聞こえてくる。

 俺は頰をひっ叩き、無理やり気合いを入れ直した。

 

「っし! やってるさ、こんちくしょう!」

 

 多少涙ぐむほど強く叩いたのを軽く後悔しながら、俺は剣の柄に手を添えて一歩を踏み出した。

 まだ太陽は爛々と輝き、薄暗い室内との格差に一瞬目が眩んだ。

 

『それではいよいよ第2回戦! 激闘を制した面々の更に激しい戦いを期待しましょーう!!』

 

 初戦同様、ミネルヴァさんが闘技場に現れた事による歓声が会場を包み、俺はたまらず耳を塞いだ。人の声で地が揺れるとはこの事か。

 その歓声を一身に浴びるミネルヴァさんは刺すような視線で俺を睨みつけている。

 

 お互いが意気込みを聞かれ、軽く答えた後に俺はミネルヴァさんに殊更訝しむようにして尋ねてみた。

 

「……偉いトントン拍子に事が進みますね」

 

「本当は初戦で貴方と当たる予定だったのだが――()()()()()()()()()傭兵と当たってしまったからな。悪いが、少し急いでいる」

 

「おぉう……」

 

 やはり対戦テーブルは弄られていたかっていうか、それを上書きするガスト……というよりもソナーとエコーの権力が恐ろしい。あの2人はただのラジオパーソナリティではなかったのだろうか。

 

 ともあれミネルヴァさんは意味ありげな事を喋った。

 俺は確信をつくように迷いなくその事を問う。

 

「急いでいるのは、宴闘に襲撃予告が出たから、ですか?」

 

「……何故それを?」

 

「質問に答えてくださいよ」

 

 なんだ、何を俺はこんなにイラついてるんだ。

 無意識に語調が強くなった事に自分でも驚いた。今の俺は一体どんな表情をしているのか分からないが、眉間に皺が寄っているのは確かだ。

 

「……その通りだ」

 

「俺は、友人にその事を聞いた。どうして何も言わないんだよ。祭りなんかやってる場合じゃあ……!」

 

「口出しは無用だ」

 

 それでも、ミネルヴァさんは断固として俺の言葉を拒絶した。

 

「我々騎士団が、誰一人として傷つけさせはしない」

 

「っ……」

 

 威圧感と、確かな決意を感じる言葉。

 口出しは無用、なんてキツイ事を言った裏には、信じろ、と言っているように聞こえた。

 俺は諦めて口を噤み、喉まで出かかる言葉を飲み込む。

 

「1つ訊く」

 

「……?」

 

「私にとって……いや、世界にとって勇者とは――世界中の人を分け隔てなく救い、護る誇り高き戦士だ。私達はその力を与えられ、その資格をもたらされる」

 

 前置きとして、ミネルヴァさんは自身の胸に手を置いて、勇者のあるべき姿を語る。実際その通りだ。勇者は女神セイクリアに世界の人間を護れるだけの力を授かる。

 だから勇者はいざという時に、人々を護ってくれる。それが、一般常識。

 

「貴方にとって、勇者とはなんだ」

 

 ゆっくりと剣を構え、これが最後の質問だという事を示す。

 俺はミネルヴァさんの問いに目を伏せ――そして

 

「……分からない」

 

 答えることは出来なかった。

 

「そうか」

 

 ため息混じりの言葉の直後、ミネルヴァさんの身体がゆらりと傾く。

 

「やはり私は、お前を認めない!!」

 

「えっ――」

 

 怒号が響いた刹那、ミネルヴァさんの姿が消える。

 

「っ、どわぁ!?」

 

 気付いた時には、俺は思いっきり吹き飛ばされていた。

 

「ぐっ……!」

 

「はぁぁあ!!」

 

「うわぁっ! っぐぁ……! げほっ!」

 

『うぅわ……痛烈な蹴りが勇者アルスを捕えました……痛そうー!』

 

 荒削りで強烈な袈裟斬りを必死に転がる事で紙一重で回避し、続けざまに放たれる蹴りに鳩尾をえぐられる。

 

「貴方が今回の案件を案じる必要もない。……意味もない」

 

「げっほっ!! ぐ……」

 

 マズイ、出鼻を完全にくじかれた。肺から息が漏れ、鳩尾を蹴り抜かれた事による激しい嘔吐感で詠唱がままならない――。

 

「勇者としての誇りを持たない貴方には――誰かを護るなどとは言わせないッ!!」

 

「ッ……!!」

 

 もう一度振るわれる剣を――

 

『……あっ!』

 

 俺は初めて、自分の剣で受け止める。

 

 受け止めるとは言っても、力はミネルヴァさんの方が上だから、殆ど押し込まれてしまっているのだが。

 

「怖いんだ」

 

「……何?」

 

「怖いんだよ。どいつもこいつも簡単に命狙いやがって……魔物も、あの変な男も、襲撃予告も……滅茶苦茶、怖いんだよ」

 

 俺は口元に伝っていた唾液を乱雑に拭き取り、震える足で地を踏みしめる。

 漏れ出る弱音とは裏腹に、固めた決意は変わらない。俺の語調は怒りの感情を孕んだままだ。

 

「怖い、けど。せめて――」

 

 腕に力を込め、俺は鋒をミネルヴァさんに突きつける。そして――叫んだ。

 

「せめて雑魚の俺を信じて応援してくれてる人達(なかま)の事くらいは! 護れる()()でいたいんだよ!! 世界を護る存在なんて知るかぁ!」

 

 そうだ、俺はもう言われっぱなしでは終われない。

 ミネルヴァさんは、世界の人間を隔てなく護り、救うのが勇者だという。

 だけど俺はそれだけが勇者だとは思わない。

 

 俺は、仲間の為なら戦えるということを、ここで証明しなければならない。

 震える足と腹の痛みは歯を食いしばって耐える。この人にはせめて一矢報いたい。

 

 俺とミネルヴァさんは互いに一度距離を取り、仕切り直す。

 

 こうして俺の一世一代の大決戦は始まった。

 



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第33章「試される勇気」

 

「いくぞ!!」

 

 一歩踏み出す気合いを剣に乗せて、俺は力任せに腕を振るう。

 

 その一撃はミネルヴァさんに難なく受け止められ、鞘と鞘がぶつかり合う鈍い音が響かせる。

 が、それだけでは終わらない。

 

「……」

 

「……おぁ!?」

 

 ミネルヴァさんの剣が僅かに傾き押し込んでいた俺は勢いのままいなされ、すっぽ抜けるかのように前のめりに倒れそうになってしまう。

 転倒はなんとか防いだものの、慌てて振り向いた頃には目の前に剣の腹が迫っていて――。

 

 ガン! という音を立てて激突。

 

「あぐぁ! いっ……てぇ!!」

 

『ま、またも痛烈な打撃が勇者アルスを捉えました!』

 

 顔面に叩きつけられた重い一撃に一瞬頭が昏み、激痛の走る鼻っ柱に手をやると掌には痛々しい血がついた。

 なんて容赦のない一撃なんだ……いや、むしろこれは遊ばれてるのか。

 

「もう、いいだろう」

 

「立つ……ての!」

 

 ミネルヴァさんの視線は冷たい。目に光はなく、まるで心を殺して戦っているかのようだ。

 

 怖い。

 

 じわりと、またそんな弱音が胸の中から沸き起こる。

 けれど俺は再度手の震えを制して、ミネルヴァさんと対峙してみせた。

 

「……っ。何度やっても同じだ……!」

 

「こいやぁあ!!」

 

「この……せぇい!」

 

 今度はゴン、ということさら鈍い音が俺の頭蓋骨から鳴った。

 ミネルヴァさんの速さは手加減されているとは言えどもとても素人の俺が反応できる速度ではなく、撃剣を使ってきたという事は身体強化は施してあるのだろうが……今はその効果すらも無くなるくらいの手心を加えられているのが分かる。

 

 そこが好機だ。耐えて、耐えて、耐えて――。

 ミネルヴァさんが痺れを切らしてもう一度撃剣を使ってくれれば……!

 

「ぐぅあ!!」

 

『いっ……! 耐える、ただひたすらに耐える勇者アルス……! 何か、秘策があるのでしょうか……?』

 

 脇腹に横薙ぎの剣が、続いて肩に、そして鳩尾に突きが刺さる。その一連の動作は疾風と呼ぶに相応しく、俺の身体が倒れるのよりも素早い。

 身体中が耐えられない程の激痛に見舞われ、俺は激しく咳き込んだ。

 

 あまりのリンチっぷりにソナーはおろか、会場にも目を伏せるものが現れる程だ。生かさず殺さず。なんとも残忍な試合だ。

 

 なにせ鼻から血は吹き出て、頭からも軽く流血している。口は切れ、膝や腕も擦れて皮が剥げている事だろう。普段の俺なら泣き叫んで逃げてしまうほどの大怪我を負っている。本当に、今日の俺を過去の俺が見たら拍手喝采で勲章を送ること請け合いだ。

 

 よく頑張った。もう十分だ。さぁ、そろそろ逃げようじゃないか、と。

 

「やなこっ……た!」

 

「……!!」

 

 うるさい、ヘタレはちょっと今黙ってろ!

 

 この人からは、逃げたくないと。俺の全神経が始めて戦いを推進する。

 

「くそ……もう、もう……いい加減にしろッ!!!」

 

『あれは――撃剣の構え! これで決まるか――』

 

「そこだ……ぁ!!」

 

 勝負は一瞬、今度こそ俺は惚けることなくミネルヴァさんに向かって突っ込む!

 

 弱者をいたぶる事に耐えかねたのか、時間がないからか。どんな理由かはさておき、ミネルヴァさんは今度こそ悲鳴のような雄叫びをあげて突っ込んできた。

 

 撃剣にはミネルヴァさんが言っていた事とは別に大きな欠点がいくつかあるのはガストの試合を見て分かった。

 1つ目は分かりやすい予備動作。2つ目は体重移動といったフォームが大切であるがために妨害(カット)への耐性が皆無だということ。

 

 最後の3つ目は、攻撃範囲。

 撃剣の破壊力が宿るのは剣の部分だけだ。どんなに早い速度で突っ込んでこようとも、床にクレーターを作ろうとも、衝撃波のようなものが発生しない限り剣に当たらなければ意味がない。

 

 早いが話、実は撃剣はとてもかわしやすい。見てから斜め前辺りに突っ込めば剣には当たらないのだから。

 実際にはあの威圧感を前にしたら接近して回避するという思考にならないため、究極の初見殺しともいえる。

 

 ただ、それだけでは本当にただの残念な技だ。

 そこで撃剣の欠点である反撃への耐性はとある力で強引に補われる。文字通り何も見せないようにできるミネルヴァさんだけの方法で。

 

 言うまでもなくそれは彼女の勇者の力。光に質量を持たせる能力である。

 

 ガストの試合では幻影を見せられていたミネルヴァさんは暫く何もないところに向かって戦っていたのだが、その時にカメラの視点は少し引き気味になった。

 そしてそのアングルのまま、彼女が撃剣を放つ瞬間は映されたのだ。

 

 なんとか俺はそこで撃剣と同時に発する光が攻撃範囲をやたら広げていることが分かった。

 

 そして、予想通り光には撃剣程の威力は伴わない。

 

「剣をかわしても光に吹っ飛ばされるから後隙が狙えない……! だけど、勇者の光は連続して出せない! あんたの本当の弱点はそこだろミネルヴァさん!!」

 

 撃剣を使うときだけでなく、撃剣を使った後のインターバルをしのぐために身体強化は必要だし、逆にそれを封じられればミネルヴァさん唯一の暴れ技は無くなる。

 

『か、かわしたぁー!! 勇者アルス、光で大きく吹き飛びましたが辛うじて撃剣を回避!』

 

「なんとか分かった。あんたのその技、どう考えても未完成だろ! 身体強化してない俺ですらかわせるんだから!」

 

 鋒をミネルヴァさんに向け、答えを突きつける。予備動作もはっきりしていて突進の距離はほぼ一定。だから少し対象が移動しただけで容易く外れてしまう。

 

 そしてかわせれば――こっちのターンだ!

 

「はぁ、げほっ。行くぞ……極光の、魔法ッ!!」

 

 剣を掲げ、俺は声高々に詠唱を開始する。

 自身の必殺技を破られたミネルヴァさんはしかし怯むことはなく、俺の詠唱に目敏く反応した。

 

「日出る空よ――!」

 

「『消えせしめよ』!」

 

 聞いたこともない詠唱でどんな魔法かも分からないだろうが、取り敢えずは、といったところか。ミネルヴァさんは迷うことなく俺に向かって阻害【バニシュスペル】を使う。……だがそれは無意味だ。

 

 阻害魔法は詠唱によって大気に集まった精霊達を散らす魔法なのだ。

 オルガニアの魔法は自分の魔力が行使されるから、阻害の影響は受けないはず!

 

「無に、光を!!」

 

 かくして詠唱は完了し、俺の腕に一筋、電気が走る。どうやら俺は賭けに勝ったようだ。この魔法が阻害されてしまっていたら勝ちの目はいよいよ潰えたことだろう。

 ぱち、ぱち、ぱち。と次第に静電気のような光の筋は増えていき――

 

『な、なんでしょう? 勇者アルスの身体が発電してるよう、な――』

 

 ソナーの言葉が終わるよりも速く。

 全てを置き去りにする白い光が、爆発した。

 

『きゃぁぁああああああ!!!? 今度はなに!!?』

 

『ぅ。眩しいのは、得意じゃないわ……』

 

「「「「「ぎぃやあああああああああ!!!!」」」」」

 

 極光の魔法はすぐに役目を果たし、消えてしまったが、その効果は甚大な被害をもたらした。主に観客に。

 圧倒的な光量のお陰で殆どの人が目潰しを喰らってしまったのだ。あの光の大きさと強さはきっと眩しいどころの騒ぎじゃないだろう。

 観客席は人々の悲鳴の溢れる阿鼻叫喚の地獄絵図と化したのだった。

 

「は、はは……やっちゃったなぁ」

 

 流石にここまでの被害をもたらすとは予想外で、俺はその光景を呆然と眺める事しかできずにいた。この後どう責任取ろうかと冷や汗を垂らしたが、そんな事より今はミネルヴァさんだ。

 

「ぐっ……ぅあ!」

 

 あれだけの光をまともに直視したミネルヴァさんは観客同様目を抑えて悶えていた。自分の光で相殺すらできなかったのだから当然の結果だ。

 こんな魔法があるなんて予想だにしていなかったのだろうし、ちょっと反則くさいがこれで最後の準備をするだけだ。

 

 言わずもがな、阻害系を含めた対象を指定する必要がある魔法は相手が見えていなければ使えない。

 

 つまり、これで安心して()()()()()()()()を行えるというものだ。

 

「ふぅー……。『絶えること無き力の流れは弱者と強者を隔てる壁也――』」

 

『み、見えないけど……勇者アルス、ここで詠唱を始めた! この絶好のチャンスに戦況は覆るのでしょうか!?』

 

 落ち着いて、一言一句間違えないように言の葉を紡ぐ。体中の痛みを堪え、枯れて焼けるような痛みを訴える喉が咳き込みかけるのを唾を飲み込んで堪え、ふらつく足に鞭を打って、詠唱を続ける。

 汗でべっとりと額に張り付く髪の毛がうざったいが、払っている暇はない。

 

 ああ、これほどまでにゆっくり詠唱できるなんて、普通の実戦ではあり得ないな。

 

「『静かなる囁きは神の力、騒然たる叫びは悪魔の力――汝、強者を討たんとするならば、声を聴き、力を求めよ。汝、弱者を理解せんとするならば、耳を塞ぎ、力を捨てよ』!」

 

「くっ……その、呪文は……!」

 

 なんと、ミネルヴァさんはこの魔法を知っているのか。

 俺は詠唱中にちらと聞こえたその呟きに驚いた。これは確かに有名だが何故か人の記憶に残らない代物だというのに。

 

「『汝、両者にならんとするならば。動を棄て、等しき人間として壁の上に立つがいい』! ……よし、喰らえ! 【ゼロ・フォース】ッ!!」

 

 灰色の光が腕から弾けて、広がる。

 俺を中心とした一定範囲内の魔力はゼロになり、ミネルヴァさんの身体強化の魔法すらも消す!

 

「ぜぇ……はぁ……ど、どうだ。決まった、ぞ」

 

「……っ!!」

 

 俺の宣言に、ミネルヴァさんは悔しそうに歯を食いしばる。視界を封じられ、更には魔法すらも封じられた。あとはタコ殴りにでもなんでもできる。

 

「でも……ちょっと、やば――」

 

 しかし、俺の体は残念ながら限界だった。

 腕はもう上がらず、足は恐怖ではなく疲労で笑っている。

 流血と痛みで目はかすみ、意識がだんだん混濁してきたようだ。

 

「うん、どう……ぶそく、だなぁ……」

 

 意味不明なうわごとを最後に、俺はその場に前のめりに倒れたのだった。

 

『うぅ……やっと、ちょっと見えてきたぁ……なにがどうなって……あっ!! ちょっと、救護班さん急いでお仕事! えっと、この試合は騎士ミネルヴァの勝利と――』

 

 最後のソナーの声は、殆どなにを言ってるのか分からなかった。

 

 

 試合は、終わったのだろうか。

 

 

 朧げな意識の中、俺が考えることといえばそれくらいだった。俺は、負けたのか。

 嫌だなぁ。騎士団生活なんて、生涯で体験したくなかった。

 

 ――「俺ね、勇者になったら強くなるんだ。強くなって、凄くなって……誰でもまもれるようになるんだ!」

 

 ぼんやりと聞こえてくるのは、邪気を全く感じない少年の声。

 

 ――「だってその方がかっこいいよ! ……へ? それが出来なかったら?」

 

 あ、これ……おれか。

 

 ――「うんとね、じゃあお母さんとお父さんだけまもる。好きな人だけなら簡単だよ!」

 

 勇者って、それでいいのかな。

 

 走馬灯とも言えない声は、そこでぶつりと途切れた。

 

 俺は、重たい目を開ける。目を開けるのは凄く久しぶりのように感じたが、目の前に座っている人物を見てすぐにそれは気のせいだということが分かった。

 

「おう、おはようごぜぇます勇者サマ」

 

「……ガスト?」

 

「ここは医務室だぜ。怪我はどうだよ?」

 

「……ちょっと、痛い」

 

 野太い声に迎えられ、俺は目を覚ます。

 なんだか、変な夢を見た気がするが、取り敢えず気にしないでおこう。

 

 俺は頭に手を当てつつベッドから身を起こして周囲を見渡した。打ちっ放しの無機質な壁は控え室と同じだが、仕切り用のカーテンや医療器具などが設置されているここは言われた通り医務室なのだろう。

 

 だいたい察するに俺はミネルヴァさんとの試合の後ぶっ倒れてここに運ばれたのち治療を受けた、といったところか。

 

「ありがとな、ガスト。看病してくれて……。俺、どれくらい寝てた?」

 

「あ? さぁなぁ……10分くらいじゃねぇか?。にしてもひでぇことするもんだな、あの騎士さんは」

 

「……そうかな。……辛そうだった」

 

 ミネルヴァさんの目は、はっきり言って死んでいた。俺に対する怒りとかよりも何よりも、早く終わって欲しいという気持ちが前面に出ていて、最後の撃剣はその気持ちの表れだろう。

 

 ガストは俺の顔を見てなにを言うわけでもなく、ただ髪を乱雑にかいていた。

 そしてやはり無言のまま立ち上がり、部屋を出て行く直前に俺の方に振り返った。

 

「取り敢えず、嬢ちゃんらには顔だしてやれよ。試合に負けた奴は自由解散だからな」

 

「あ……そう、だよな」

 

 ガストはまたもバツが悪そうに頭をかいて……そして今度こそ何も言わずに医務室を後にした。

 一人取り残された俺は枕に倒れかかるように横になり、声にならないうめき声をあげる。

 

「あー……」

 

 あれだけ大口叩いておきながら負けてしまうとは。……まぁ当然といえば当然か。いくらオルガニアの力が強いからって、全く戦ったことのない俺が勝てると思う事自体がおこがましかった。

 実際撃剣を使わず、滅多打ちにされ続けていたら手も足も出ずにやられていただろう。よしんば冷皮の魔法を詠唱しても身体強化したミネルヴァさんには通用しなかっただろうし。

 

「エミィに、なんて言おうかな」

 

 寝返りを打ち、ポツリと呟く。

 しんと静まりかえる医務室ではその呟きはやたら響いて聞こえた。

 

 怪我をしないで、と言われたがだいぶ大怪我をしてしまった。回復系の魔法で良くなったものの、あれを見ていたエミィはきっと気が気ではなかっただろう。

 頭に血が上っていたとはいえ、我ながら馬鹿な真似をした。

 

「……ん?」

 

 後悔ともなんとも言えない気持ちに苛まれていると、医務室の扉がひとりでに開いた。

 扉の影からひょっこりと姿を現したのは……無表情のオルガニアだ。

 俺はもう一度重たい上半身をベッドから起こす。

 

「思ったよりも元気そうだな。この世界の回復の魔法とは便利なものだ」

 

「いやまぁ、疲労はなくならないんだけどな。……どうしたんだよ?」

 

「いやなんだ。少し労ってやろうと思ってな」

 

「……へ?」

 

 くつくつと可笑しそうに笑うオルガニアに俺は首をかしげる。労うとは何かの皮肉だろうかと身構えていると、オルガニアは静かに俺の寝ているベッドの端に腰かけた。

 

「殴られまくったのは抵抗のつもりだったのか?」

 

「……一応。そうだと思う」

 

「随分と成長したではないか。降参しなかっただけマシだ。……したら今度こそ燃やしてやろうかと思っていたが」

 

「お前さっきと言ってることちがくね?」

 

 やれ戦うな、力を使うなと言っておきながら冗談とも受け取れない声色でそんな事を言うとはなんと身勝手なのだろうか。

 

「不用意に使うなと。危なければ止める、と言ったまで。それとは別に無様な行為に走ったらどうするかなど、今更驚くことでもあるまい」

 

「グッジョブ、俺……! 頑張って良かった……!!」

 

 決してその事を意識して頑張っだけではないが九死に一生を得た俺は過去の自分を大いに賛辞した。胸を撫で下ろし過ぎて削れる程にはホッとした。

 それにしても当たり前のように大事な事を言うあたり、オルガニアは本当にタチが悪い。

 

「あ。ところでエミィはどうしたんだ? 俺……やっぱ謝らなきゃなって。心配かけちまったから……」

 

「ああ、小娘なら連れていかれた」

 

「連れていかれた? って誰にだよ」

 

 連れていかれた、とだけ聴くと犯罪臭がして俺は一瞬ひやりと肝を冷やしたが、あまりにも緊張感のないオルガニアの言葉に俺は警戒を解いた。もしかしたらエミィの知り合いか誰かが現れたのかもしれない。

 

「お前の額を切った男にな」

 

「…………」

 

 だが、その期待を裏切られた俺の頭は石化したかのように動かなくなった。

 今日何回目だろう、こんな気持ちになるのは。

 忘れていたわけではない。むしろこびりついて離れなかった恐怖が、ここに来て手を伸ばして来た。

 

「どういう事だよ……オルガニア!? なんで、お前一緒に居なかったのか!?」

 

「居た。だがあの場で変に動けば我の立場が危うかったからな。だから――」

 

「なんだよそれ……! そんな事で!」

 

 呑気に外に出てる場合ではなかったと、ちゃんと探してあげれば良かったと、思ってもそれは後の祭りだ。俺の中の焦りが怒りとなって滲み出る。

 

「そんな事だと? 頭を冷やせ、我にとっては重要な事であり、我の外に見せる人格は全て演技であるとお前は知っているはずだ」

 

「そう……っだけど……っ!」

 

 エミィが危険人物に攫われた事をそんなに軽く言ってしまうなんて。俺はエミィの事もそうだが、なによりその事に驚きと怒りを覚えていた。

 だって、あんなに楽しそうにしていたじゃないか。あれすらも演技だったっていうのか。

 

「お前が我に神器を約束する限りお前の命は守るが小娘がどうなろうと我の知ったことではない。そんな事よりも……」

 

「っ……!! 分かったよ、それなら……!」

 

 俺はオルガニアの言葉を遮ってベッドから跳ねるように飛び出す。

 そしてその勢いのままドアへと突進するかのごとく走りよった。

 

「待てアルス! 何処へ行くつもりだ?」

 

「決まってんだろ、エミィを探しに行く!」

 

「お前如きが勝てる相手かよく考えろ。残る魔力は魔法1つ分……命を捨てに行くだけだ」

 

 分かってはいる。だけど、オルガニアは俺以外の人間のために力を使わない。それも分かってるんだ。

 オルガニアに頼らずとも騎士団がいるから大丈夫か? 俺なんかが飛び出すよりもミネルヴァさんやローガンさん達に任せた方が上手くいくだろう。

 

 そうかもしれない、けど……俺は、勇者だ。

 ここで逃げたら、また同じになってしまう気がしてならない。さっき叫んだ言葉も、今までの苦労も、泡沫に消える。

 そうなってしまうような……。

 

 俺はドアノブにかけていた手の力を緩めかけたが――再度力を込めて、医務室から駆け出した。

 頭は未だ混乱しているが、それでもやらなければならない事は1つだ。

 

「……馬鹿が」

 

 去り際に聞こえた罵倒も聞こえないふりをして、俺は一心不乱に未だ続いている宴闘の歓声の中で疾駆した。

 



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第34章「まだ1人では立てなくても」

「くそっ……!」

 

 俺は無性に腹が立っていた。

 ぐらぐらと腹の中が煮え繰り返りそうで、何かを殴りたくなる衝動に駆られる。

 どうして、オルガニアはエミィが連れていかれるのを黙ってみてたんだ。オルガニアはエミィと過ごしている間、何も感じてなくて――全て演技で、あいつはやっぱり魔王なのだろうか。

 

 勝手にあいつの事を信頼してしまっていた自分が情けない。腹が立つ。

 

 俺は奥歯をぎゅっと噛み締めながらも、取り敢えず宴闘の観客席へ来ていた。

 エミィがいた席には、やはり誰もいない。

 代わりに、全身鎧を纏った騎士と思わしき人物が立っていた。

 俺はひとまず荒ぶる腹の虫を脇へ追いやってからその人に詰め寄るようにして話しかける。

 

「あ、あのっ! 騎士の人ですか!?」

 

「うぇ!? そ、そうでありますが、君は……? な、何かご用でございましょうか」

 

 顔は伺えないが声は若い男。俺と同じくらいだろうか?

 どうでもいいけどそんなに驚く程の剣幕だっただろうか。

 

「ここに、女の子が二人いたと思うんですけど……どこに行ったか分かりますか!」

 

「……あ、貴方は、勇者アルス殿、ですね?」

 

 騎士は迷いながらもおずおずと俺の名を確認した。どうして、と一瞬思うが恐らくさっきの試合を見ていたのだろう。

 俺はそれを訝しむ事はせずに「そうです」と一言肯定し、更に騎士に詰め寄った。悠長に質問をしている場合ではないんだ。

 

「連れ去られたのなら、協力させて欲しいんです!」

 

「え、ええと……当面の問題は下手人を暫く泳がせ、隙を伺っている最中でありまして、その……」

 

 煮え切らない騎士の言葉にいらいらが募るが、それを抑えるだけの理性はまだ残っている。ここで激昂しても良い結果には繋がらない。

 

「だったら、作戦出してる人は誰ですか? そいつに掛け合って……」

 

 しかしこのままでは埒があかないので、もっと上の人に掛けあおうとするが……目の前の騎士は慌てふためいたように首を激しく横に振った。

 

「い、いやいや! その必要はないであります! ええーと……しかし、うー」

 

「……まだ何かあるのか?」

 

「じ、じ、自分の権限を使って、勇者アルス殿に指示を出します。ですが、その。くれぐれも無理はなさらないようにお願いしたいのです」

 

 と、騎士は予想外なことを提案してきた。態度を見るにてっきりものすごく下っ端の方の人かと思ったのだが、そうではないのだろうか。

 

「ひょっとして、結構偉い人?」

 

「いいいいえ! 偉いなどとそんな事はありません! ……ただ、我々騎士は、各々が臨機応変に行動する事を許されています。行動を必ず他の騎士に伝える必要がありますが……」

 

「え、そうなのか……」

 

 ミネルヴァさんの事は調べたが、そういえば騎士のことなどまるで調べてなかったことに今更気づかされる。

 そのルールには一体どういう意図があるのだろうか。

 

「じ、人命を守るにあたって、戦場は刻一刻と状況が変動するであります。なので、えー、騎士は、自分が最善と考える行動を決め、実行します。な、なので……自分のような前線騎士は全ての前線騎士の行動と立案を把握する……。そのような、訓練を受けているのです」

 

 そこまでの説明を聞いて俺は愕然とした。それってつまり、部隊員全員のネットワークが完全に繋がってるって事じゃないのか。騎士団は臨機応変と言われるが、その徹底ぶりを垣間見た気がする。

 

「つまり、作戦を考える上司とかは、いない……ってこと?」

 

「そ、そうなります。なので、えっと、自分が怒られない程度に動いて貰えると助かるであります……」

 

「そっか……分かった。ありがとうございます」

 

 改めて目の前の騎士に感謝の意を伝えるのと同時に、やっぱり俺に騎士団の訓練は無理だということを再確認する。

 一人一人にかかる責任が尋常じゃない。ぱっと見頭のいいやり方のように見えるが、ハイリスクハイリターンなやり方だ。

 

「えっと、差し当たりアルス殿には人質がいる地点の偵察をお願いしたいであります。座標をお教えするので、到着したらこちらを使って欲しいです」

 

「これ……精霊石?」

 

「は、はい。操作【リモートワード】の魔法が封じられています。我々騎士団はこれを使って常に通信を取っているのであります」

 

 騎士が俺に渡した小さな石は、いわゆる通信魔法石と呼ばれる道具だ。魔法が使えない人でも操作【リモートワード】という離れた人に声を届ける通信の魔法を使うことができる。仕組みに関してはミネルヴァさんの使った精霊石と同じだ。

 

「続いて座標ですが……その、アルス殿」

 

「あ……何ですか?」

 

 エミィが囚われている場所を地図を広げて教えてもらっている最中に騎士はおもむろに尋ねてきた。

 

「そのですね……唐突でありますが、どう、思われました? ミネルヴァ副団長の事……」

 

「どうっ……て」

 

 藪から棒とも言える質問に俺はしばし固まった。まさか騎士からその事を尋ねられるとは思っていなかったのだ。

 

「あ、ああいえ! 心配しないでください。今の自分の通信魔法石は起動してないでありますので、この話が漏れてるという事はありません! じ、自分の素朴な疑問でありまして……」

 

「え!? あ、ああうん。そっか……んー、怖い人、かな」

 

「怖い人……でありますか。はは、たしかにそうですね」

 

 俺の答えに騎士は困ったように肩をすくめた。その表情は鉄仮面で伺えないが、なんとなく察する事ができる。

 もう少し言いたいこともある気がするが、取り敢えずまとめると怖い人、であっていると思う。

 

「そのぅ……ミネルヴァ副団長の事を、その、勘違いしないで欲しいのであります」

 

「勘違い、ですか」

 

 怖い人ではない、と言いたいのだろうか。しかしどうやらその事ではないようで、騎士は更に語り出す。

 

「先ほどの試合。ミネルヴァ副団長は通信を起動したまま戦っていました。試合の最中も我々の動きを把握したいから、と」

 

「そう、だったんですか」

 

 つまり、ミネルヴァさんと俺の会話は騎士たちに伝わっていた……ということか。なんか凄い叫んじゃったし、それはそれで結構恥ずかしいな。

 しかし突然の質問にもこれで合点がいった。この騎士はあの戦いに何か思うところがあったのだろう。

 

「どう、思いますか」

 

「……え?」

 

 唐突に、騎士の声色が真剣なそれに変わった。ただ、主語がはっきりしないため俺は疑問符を浮かべる。

 

「あ、ああ言葉足らずでした……。その、あれです。ミネルヴァ副団長が唱えた世界中の人を分け隔てなく救い護るっていう志であります」

 

「……無理、とまでは言わないですけど、ほぼ無理、なんじゃないかな……とは思います」

 

 この騎士はわざわざ会話は他の人に聞かれない、とまで言ったのだから俺がここで偽る必要はない。俺は素直に思っていた事を口にする。

 騎士は、俯いた。

 

「あの言葉は、我々騎士の目指さんとする理念でありまして、あの場では副団長は勇者と言いましたが……元々は、何世代も前の団長が考えたものなのです」

 

「……」

 

 騎士はゆっくりと語り出す。

 その理念は立派な事だとは思う……が、分からない。実現可能なのか、そうではないのか。

 俺はなんと答えていいのか分からず、口を噤んで唸った。

 

「あ、あの、なんか変なこと言って申し訳ありません」

 

「え? ああいや、大丈夫……ですよ。そういう目標の人が沢山いるのが、騎士団なんだな」

 

「あ……そうであります。ですのでどうか! ミネルヴァ副団長の事を誤解しないでいただきたいのであります。ただ無謀な事を口にしているだけではなく、あの人は……信じてるのです。人の力を、何処までも」

 

「ちょちょっ! わ、分かった、分かりましたから、顔上げてください!」

 

 この人腰曲げすぎってかヨロイ着てるのにそんな曲がる!?

 俺は慌てて土下座する勢いの騎士を宥める。

 

「あっ……じ、時間を取らせて申し訳ありませんでした。座標はこの辺りであります。お、お気をつけて!」

 

「……はい、ありがとうございました」

 

 我に返ったかのように騎士は敬礼をして畳み掛けるように話を終わらせてから姿勢を正した。この騎士さん、少し情緒不安定なような気がするが……きっと凄くいい人なのだろう。

 

 俺は協力してくれたことにお礼を言ってから、地図を握りしめて走り出した。

 

 

 

 ◆

 

 

 

「そういえば……これ」

 

 祭りで賑わう王都の中心から離れ、王都の森の辺りまで走った頃、俺はポケットの中に入れた精霊石の存在を思い出した。念のため、言われた通りに使っておこうと精霊石を取り出す。

 目的地は王都の森を横切り、更に離れた森林の中。距離はまだあるし、今のうちに精霊石を使っておいた方がいいだろう。

 

 えっと、使い方は耳にはめてから……二回叩く。

 俺は指先で耳に当てた精霊石を二度小突いた。

 

 キーン、という金切り音が少し続いたかと思うと、すぐに声が聞こえてきた。

 

『――ふ、フェルドより立案。えっと、以上の事により、勇者アルス殿に偵察を要請した次第であります』

 

 真っ先に聞こえてきたのは先ほど俺に指示を出してくれた騎士の声だ。彼の名前はフェルドというのか。

 話の内容的に早速騎士団のネットワーク内で俺のことが知らされているようだった。

 

 と、フェルドの報告を受けて、続いて間延びしたような女性の声が聞こえてきた。

 

『マキュリーよりフェルドへー。いいんじゃなーい? なんだったら突撃してもらおーよ』

 

『ロルドより立案。反対だ。奴は強力な力を持っているが戦場に慣れているわけではない。いざという時に足を引っ張るぞ』

 

 次に聞こえてきたのはガストよりも更にドスの聞いた声。

 

『で、ですが本人の強い希望がありまして、その……えっと』

 

『あ、割ってごめんけどマキュリーより行動報告ー。あたしE-5地点に移動するね。じゃあなんかあった時用に誰か行かせてあげればー?』

 

「…………」

 

 な、なんか、凄い。会話が止まらない。騎士は行動中に会議をし続けてるのか。

 ……さて、俺はどのタイミングで会話に参加すればいいのだろうか。

 

「え、えーと。これ、もう聞こえてるのか?」

 

『……あっ! アルス殿! 大丈夫であります、聞こえています。首尾はどうでありましょうか?』

 

 あ、よかった。ちゃんと通信はできているようだ。フェルドの安堵した声が聞こえてくる。

 

『……ミネルヴァより騎士フェルドへ。発言方式は伝わりやすいように、はっきりときちんと守るようにと何度も言っているはずだ』

 

『はっ、はっ!! 申し訳ありませんでした!』

 

 ミネルヴァさんの声も聞こえてきた。このネットワークに繋がっているのは知っていたが、どう反応するべきか困る。

 

『ふ、フェルドより立案! アルス殿。そのまま目標地点まで到着したらご報告を。動きがあればこのように随時連絡をお願いいたします』

 

 騎士団の勢いに押されそうにもなったが、こうしているとなんだか騎士団と協力している感じが強くして、胸が熱くなる。

 俺は頷きながら、はっきりと答える事でフェルドへの返事とした。

 

「アルスより、行動報告……。了解、これから言われた場所に行きます!」

 

『ぷっ、あはは。あたし達に合わせなくても別にいいんだよ〜』

 

「アッハイ」

 

 俺は、穴に入りたい衝動に駆られた。

 

『……ミネルヴァより、全騎士へ』

 

 顔が熱くなるのを感じていると、ミネルヴァさんからの通信が入った。

 全騎士への通達ということは、俺は含まれていないのだろうか。

 

『アルス=フォートカスの援護には私が行く。各騎士は各々が考える作戦を引き続き実行するように』

 

「……!」

 

 通信でつながっている騎士達が三者三様の返事をして、通信は一旦終わる。

 ということは……ミネルヴァさんがここにくるということか。頼もしい限りだが、なんだかすごく気まずい。

 それに俺を敵視していたミネルヴァさんが真っ先に来るなどと言ったんだ。何もないわけがない。

 

「……行こう」

 

 何を言われる結果になろうとも、俺は立ち止まるわけにはいかない。やけ気味になっているのは分かってるが、それに身をまかせる。

 

 俺が目的地に到達する頃。引っ切り無しに続いていた騎士団の報告の中でひときわ大きな声が響いた。

 

『ふ、フェルドより現状報告! 宴闘会場が巨大な障壁によって包囲されました!!』

 

「……っ!?」

 

 巨大な障壁という単語を聞き、俺は真っ先にとある人物が頭に浮かんだ。

 会場を覆うほどの障壁を貼れるのは間違いなくシルクこと、シルベル=シュレイクだろう。

 退治してから短い期間でまた現れるとは。あの時の精神ダメージはもう癒えたのだろうか。

 

 ……あんなことはもう二度としまい。

 思い出して俺の目頭がふと熱くなる。

 

『マキュリーよりりつあーん。あたしの読みどんぴしゃだったねー。という事でフェルドは中の人の案内お願いねー』

 

『ロルドより立案。マキュリー、結界の解除は後回しだ。外側に出てる俺たちで一度街の守りを固めるぞ』

 

『ほいほーい』

 

 状況が変わったことにより騎士団達はまた動き始める。宴闘の会場が結界で封鎖される事はマキュリーという騎士が予想していたようで、全員が閉じ込められたわけではないようだ。

 宴闘の会場内は今頃パニックになっているだろうが……フェルドだけで大丈夫なのだろうか。

 

「王都の防衛は他の者に任せておいて大丈夫だ。さて……」

 

「ミネルヴァ……! さん……」

 

「ここか。人質がいる場所は」

 

 ミネルヴァさんの視線の先には恐らく大型の魔物の巣であったのだろう洞窟が広がっていた。一寸先には光が届かず、漆黒の空間が広がっている。オルガニアの波動の魔法を彷彿とさせる場所だった。

 騎士の言葉が正しければ、エミィはここに捕まっているはずだ。

 

「騎士フェルドが余計な事をしたようだが……貴方は、もう帰るんだ」

 

「か、帰らないさ! 俺も戦う!」

 

「何度も何度も……同じことを言わせるなッ!!!」

 

 ミネルヴァさんの空を切り裂くような怒号が俺の耳を貫き、しんと空気に溶けていった。すわ何事かと木々に止まる鳥たちが一斉に羽ばたく。

 

「お前に戦いの知識はあるのか? 経験はあるのか? 他者の命を奪えるか!」

 

「そ、それは……でも」

 

「確かにお前の勇者の力は強い! だがそれだけだ。勇者の力だけで全てが覆るわけではない! そんな、都合のいい世界はないんだ……!」

 

 溜まった物が吐き出されるかのように、まるで自分を責めているかのように、ミネルヴァさんは怒鳴る。その表情は髪の毛に隠れて伺えない。俺は完全に剣幕に飲まれていた。

 

「勇気と無謀を、履き違えるな……アルス=フォートカス……!」

 

「むぼ……」

 

 胸にぐさりと刺さって、俺は言葉を失った。

 それは今の俺には一番効く言葉だ。

 逃げないと決めて、自分の中で見え始めた答えを証明しようとして――ここに来ることに決めた、けど。

 

 ここまで突っ込んで来た事は無謀、だ。

 実力の伴わない勇気は――無謀だ。

 中途半端な正義感だのなんだの言ってる俺が、一番分かってた、分かってたと思っていた事。

 

 熱されていた俺の頭にその言葉が冷や水のように降りかかる。

 俺は何も言い返せず、ただその場で立ち尽くす。

 

「じゃあ、俺……どうしたらいいんだよ……」

 

 気持ちだけじゃ、どうにもならない。その事が今はただ悔しい。残るオルガニアの魔力は魔法1つ分。確かにこれじゃあ本当に邪魔になってしまう。

 

「話は終わったか?」

 

「っ!?」

 

「え――」

 

 膝が折れかけ、諦めそうになった時――木々の合間を縫って現れたのは、小さな少女。オルガニアだった。

 

「オルガニア……どうしてここに?」

 

「お前を探すのにも慣れてきた」

 

 雑に言い捨てたオルガニアは歩みを止める事なくつかつかと不機嫌そうな足跡を立てて俺に近づき、そして……

 

「ふんッ!!!」

 

「ぶふぁ!?」

 

 惚けていた俺の顔面を容赦なく殴りとばしてきた。

 倒れる俺のマウントを取り、更に連続で顔を殴る。殴る。とにかく殴る。

 姿は子供なので膂力はそれほど強くないようだが、流石に本気で殴られると痛い……!

 

「いたっ、いっ……まっ、シヌ、死ぬ!」

 

「お前を追うのに散々走り回らされた……ランニングで少しは頭が冷えたかこの大馬鹿者が!」

 

「タンマ、ギブ! ほんとにちょっと……血、出てるから……!」

 

 オルガニアの拳がほんのり朱に染まり始めたあたりでようやく俺は解放された。

 脳震盪でしばらく立ち上がれず、俺は寝たままオルガニアを見る。

 思ったんだけど幼女にタコ殴りにされる光景って、はたから見るとどう映るのだろうか。

 

「貴方は……」

 

「我は魔王オルガニア。騎士の娘、ここから先は我の好きなようにやらせてもらうぞ」

 

「邪魔をしないでいただきたい。おつむの足りない魔王などに動かれては洞窟が倒壊しかねないからな」

 

 オルガニアが俺の中にいた時もそうだったが、早くも二人が火花を散らす。これは倒れている場合じゃないと俺は慌ててあいだに入る。

 

「い、今は喧嘩してる場合じゃ……」

 

「五月蝿い黙れ」

 

「寝ていろ、アルス=フォートカス」

 

「……はぃ」

 

 駄目だこの二人。目が鬼のそれだ。

 うん、思う存分喧嘩をするってのもたまには大事だと思うんだ、俺。

 殴られた痛みに身を任せて俺は再度地面に寝転がる。言い合いは聞こえないふりをして。

 

「アルス、立て」

 

「……なんだよ?」

 

 喧嘩は終わったのか、オルガニアが俺に話しかけてきた。

 その奥にいるミネルヴァさんは不機嫌そうに腕を組んでそっぽを向いてしまっている。

 

「気分はどうだ?」

 

「……最悪」

 

 寝たまま、オルガニアの方を見ずに答える。

 

「……我がどうしてここに来たか分かるか?」

 

 そういえば。

 何故だ? オルガニアはエミィの身の安全には全く興味がないと言っていた筈だ。

 俺は起き上がってオルガニアの顔を見る。

 

「我は借りを作るのが非常に。そう、非常に嫌いだ。それはあの小娘とて例外ではない」

 

「どういう事だよ?」

 

「……押し売りされたようなものだがな。お前の額を切った男が我と小娘の元に現れた時――」

 

 眉をひそめて面倒そうに俯くオルガニアはその時を思い出すかのように語る。

 オルガニアの口から語られたのは、驚くべきエミィの行動だった。

 

 ――ニーアちゃんには、手を出さないでください。

 

「小娘は我を庇って前へ出た。――それがあの場で起こった事だ」

 

「そう……だったのか……」

 

それを聞いた俺は、開いた口が塞がらなかった。

その話の真偽はわからない。わからない、が、ただ一つ分かることがある。

 にわかには信じられないが、エミィならそんな無茶をやりかねないのだ。あの殺気の漲る男を前に、怯え、畏れながらも前にでてその身を盾にする少女。それが彼女、エミィであると。

そうか……エミィは、またあんな無茶を。

 

「まぁ、お陰で我も下手に力を使って目立つ事は避けられたがな。あの小娘は良くも悪くもお前によく似ている」

 

「似てる、か? どこが?」

 

 言っちゃあなんだがそれは失礼というやつではないだろうか。エミィに対してだが。俺と一緒にされては向こうも不本意の極みだろう。

 

「対して強くもないのに無駄に正義感が強い所とか、特にな」

 

「似てる……かな、それ」

 

「そういう奴は我から言わせれば馬鹿だな。あと迷惑極まりない」

 

 俺とは違ってエミィのは筋金入りだ。誰に対してもあのような行動ができるという、不退転の覚悟を感じる。俺は……本当に命の危険に晒された時は怖くて迷ってしまうだろう。

 オルガニアはバッサリと切って捨てるが、その声色に嫌味は感じない。

 

「だが、愚か者ではない。この話をまたする必要はないな?」

 

「…………」

 

「さ、て。我はこの世界を十分楽しんだ。……そろそろ頃合いだと思っていたのだ」

 

「って、え?」

 

 オルガニアは唐突に話を切り替えて、軽く伸びをした。頃合いとは、どういう意味だ?

 

「我は今からお前の中に戻る。我もお前も……共に受けた借りを返しに行くぞ」

 

「……っ!」

 

 少しだけ残念そうにしたが、オルガニアはすぐに無表情に戻って告げた。

 そのまま一緒に行こうと言いたくなるが、オルガニアはこの世界で目立つことを良しとはしない。オルガニアの魔法はあまりにも派手すぎるのだ。

 

「……何をするつもりだ?」

 

 横で話を聞いていたミネルヴァさんが訝しんでくるが、オルガニアは意地の悪い笑みを見せるだけで、何も答えない。

 

「それに、お前の力は我が居なければ使えないだろう」

 

「え、魔力の受け渡しは顕現しててもできるんだろ?」

 

「我の言わんとしてる事は直に知るだろう。いや、勇者的に言えば思い出す、か? ……全く、お前の力なのに何故我が先に答えに辿り着くのだこの鈍感」

 

「悪かったな、鈍感で」

 

 詰るようなオルガニアの視線に俺はバツが悪くなり、目をそらして流す。

 何はともあれ、オルガニアが俺に力を貸してくれるなら願ったりだ。そのためなら乗り物にくらいなろう。

 そして、俺の力でエミィを助ける!

 

「ではしばしの間眠れアルス。夢の中で、また会おう」

 

「でもすぐには眠れな――」

 

 オルガニアはそう言い終わるや否や、後頭部に痛烈な一撃が入る。

 ぐわんと激しく目眩がして……間もなく俺の意識は闇の彼方へと消し飛んだ。

 

「……文句を言う暇もなかったじゃないか」

 

 俺が次に身を起こした場所は、一面の星の世界だった。眠らせる方法って物理かよ。

 この景色には見覚えがある。となると……。

 俺は辺りを見渡してオルガニアの姿を探した。

 

「最後に、確認をしておこう」

 

「っ!」

 

 ゆらり、と。不意に小さな魔王の姿が闇の中から現れ俺は図らずも身構えた。

 

「守るとは、他者の代わりに命を賭けると言うことだ」

 

「そんな洒落た言い方しなくても、分かってる。……頑張るよ。死にたくないし、死なせたくもないんだ」

 

「ふん、精々今回も我を楽しませろ。……では、名を――」

 

 最初の時と同じ質問をされる。

 俺は口を開き……

 

「アルス=フォートカス」

 

 意を決して、告げた。

 

刹那、世界はぐるりと反転して現実にいる俺の目は開かれる。

腹は決まった。力ももらって勇気ももらった。

 

『行くぞアルス。お前は――』

 

「この世界で最も強い、だろ?」

 

魂の中から聞こえる、オルガニアの少し靄のかかったような声を聞くのも久しぶりだ。

 

 そうだ、死なせたくない。死にたくもない。

 誰に何と言われようと、その覚悟だけを胸に、俺はもう一度ミネルヴァさんと向き合う。

 

「俺も、連れて行ってください」

 

「っ……。もう、好きにしろ。……なるべく私の側を離れるな」

 

 怒りや勢いでもなく、中途半端でもない。ようやく固まった俺の覚悟を感じてくれたのか、今度こそミネルヴァさんは折れ、洞窟の中へと歩を進める。

 俺はその後ろにぴったりと付き、敵の根城へと足を踏み入れたのだった――

 



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第35章「勝負の天秤」







「そっか……そういう使い方もできるわけだ」

 

「……」

 

 ミネルヴァさんの持つ剣先に灯った光が洞窟内を照らし、足元を確かなものとしながら俺たちは進む。

 質量があろうがなかろうが光は光。闇を照らすのには申し分ない。

 照らされた洞窟の風景に目を向けてみれば、そこには苔むした石の壁がどこまでも続いているいかにもな空間が映る。地面は下を見つつ気をつけて歩かねば転んでしまいそうなほどには泥濘んでいる悪路だ。

 

「それでも視界は悪い。気を緩めるなアルス=フォートカス」

 

「気ぃ緩められるほど図太い神経してませんよ……」

 

 抑揚のないミネルヴァさんの忠告に俺は震える声で答える。心配せずとも、俺の身体はすでに絶賛緊張中でガチガチである。

 その証拠にほら、今自分の足に足を引っ掛けて転びかけた。

 

「1つ聞く」

 

「……なんすか?」

 

 足元に気をつけながら歩いていると、先導するミネルヴァさんが振り向きもせずに話を切り出した。

 前に気を取られると、今度は何かにつまずいて転びかける。

 

「貴方はやはり、魔王と手を組んでいるのか?」

 

「あー……手を組む、というか契約してるというか。なぁオルガニア……言ってもいいのか?」

 

『好きにしろ。こいつには今更隠しても致し方がない』

 

 小声で諦め半分のオルガニアに確認を取り、お許しが出たということで俺はオルガニアと出会った経緯を話す。

 そういえばこうして詳しくオルガニアの事を話すのは初めてかもしれないな。むた

 ひとしきり語り終えると、ミネルヴァさんは暫く押し黙って、そして

 

「分かってはいたが……仮にも勇者を名乗る者が魔王などとそんな関係になるとはな」

 

 吐き捨てるように言った。

 やはり生粋の勇者からすれば魔族と手を組むという発送は唾棄すべき邪悪として考えるのが当然のようだ。

 そのことを自覚している勇者の俺は肩身が狭くてたまらない。

 

『やれやれ、視野の狭い女だ』

 

「ッ! 貴方にそんな事を言われる筋合いなど!」

 

『おまけに短慮、か? クックック』

 

「くっ……」

 

 くつくつと笑うオルガニアに良いように遊ばれていると自覚したミネルヴァさんは悔しげに歯噛みするしかない。

 ミネルヴァさんはその澄んだ朱色の瞳を吊り上げながらも唇をぎゅっと噛んでから、息を吐いて肩の力を抜いた。

 

「確かに、私の視野は……狭い」

 

『ほぉ……。物分かりのいい奴だな』

 

「……アルス=フォートカス」

 

「え、俺? ですか?」

 

 オルガニアとの会話から急に名を呼ばれ、俺はびくりと肩を震わせる。

 すわ何事かと目を大きく見開いていると、ミネルヴァさんは予想外なほどに静かな声色で語り出した。

 

「いつか、聞かせてほしい。……貴方の勇者としての答えを。誇りを」

 

「え……」

 

「そして、それで私が納得できたなら、その……できたら、だがな」

 

 妙に歯切れの悪いのを珍しいと思いながら俺は口を挟まずに続きを待つ。

 やがて「ごほん」という態とらしい咳払いを前置きとして、ミネルヴァさんが口を再度開いた。

 

「その時は――……その、謝罪、させてもらう」

 

「へぁ?」

 

 交わせるとは夢にも思っていなかった約束に、俺の口から裏返った理解不能の声が飛び出る。

 何を言っているのかを理解する前に、俺の心はミネルヴァさんの言葉に含まれる感情を受け取る。

 違うかもしれない、少しだけかもしれない。けれどもその言葉に含まれていたのは確かな「期待」。

 それを感じ取った俺の胸中にはふつふつと喜びの感情が満ち始めて、自然と口角が綻び、そして――

 

「その言葉、ぜっっったいに忘れるなよ!」

 

 目上の人に対する敬語も忘れて、指を突きつけていた。

 

「ふ、ふん。安心しろ。……私に、二言はない」

 

 いつもの調子を保とうとしていても、歯切れが明らかに悪くなっているのがわかる。

 前を向いて先導し続けるミネルヴァさんの表情はついぞ拝むことはできなかった。

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

『ミネルヴァより立案。――以上の推察により、私とアルス=フォートカスはこれより敵の拠点を奇襲、及び人質の救出に移る』

 

 そんな一報を宴闘の会場にいた騎士が俺たちに伝えてきた。アルス=フォートカス。その名を聞いた瞬間に()は自分の顔が引きつるのを感じた。

 あの馬鹿野郎、俺になんの相談もせずに一人で飛び出して言ったってぇのかよ。

 そのこと自体に苛立ちを覚えなくはないがアルスも錯乱していたのだろうし、仕方がないといえば仕方がない。

 

 俺たちが異変を感じて控室から外に飛び出した頃には、もう全てが始まっていた。

 時限式の召喚魔法、それが会場を含め街中のいたるところに設置されていたのだ。おかげさまで祭りをやっていた所に召喚された魔法人形(ゴーレム)が大量に出現し、街は少なからずの被害を被る結果となった。幸いにして外に出ていた騎士が何人かいたため、今のところ怪我人は出ていないということだ。あのお嬢ちゃんらは無事と見ていいだろう。

 

 そして宴闘の会場であるここにも当然のごとく魔法人形(ゴーレム)が湧いたのだが……

 

「クソ……ああ、邪魔だっての!」

 

 もう何度目にもなる魔法の詠唱が完了し、紫電【フォールボルト】が石造りの巨大な人形に突き刺さる。

 雷鳴が空を切り裂き、音だけは豪快に轟くものの、その実敵に与えるダメージは芳しくない。魔法人形(ゴーレム)には魔法があまり通用しないというのは勉強させられた。

 舌打ちをして大剣を背負い直していると、その隣でもう一つの激突が起こっていた。

 

「剛拳、中段――そぉりゃ!」

 

 アルスと戦った巨人、モイヤが岩のような拳を叩きつけて魔法人形(ゴーレム)を吹き飛ばす。身長と体格がほぼ同じな両者だが、武術を修めているモイヤの方が圧倒的に格上と言える。

 モイヤは確かな手応えを感じたようだったが、自身の拳を睨みつけて顔をしかめる。

 戦況は優勢。だという風に見えるだろうが、俺たちがこうして歯噛みをしているのには理由があった。

 

「こいつら……壊れねぇ」

 

「さ、さすがに頑丈すぎるよぉー」

 

 俺やモイヤ以外の傭兵たちも魔法人形(ゴーレム)の異様な耐久力に苦悶の表情を浮かべている。魔法人形(ゴーレム)の耐久力はあくまで素材に依存するはずなのだが、爆発でも本気の拳闘でも剣でも槌でも壊れない。おまけにこの木偶人形どもは召喚の魔法陣から次から次へと湧いて出てくるし、ジリ貧なんてものではない。

 どれほど雑兵だろうとも数という力を得させてしまえば俺たちはひとたまりもないだろう事実に俺は眉間に思い切りしわを寄せて脂汗を垂らした。

 魔法人形(ゴーレム)すらも壊せない自分が情けない。俺は、今まで何をやっていたんだか――

 

「……障壁」

 

「え? エコー、どしたの?」

 

 進退極まってきたというところで、俺の真後ろに控えていたエコーがポツリと言葉をこぼした。

 後ろを振り向くと無表情のエコーが魔法人形(ゴーレム)を指差しており、横でソナーが双子の妹の行動に小首を傾げている。

 エコーはそのまま姿勢を変えることなく、抑揚のない声で話し続けた。

 

「障壁が、貼られているわ……薄くて、見えにくくて……とっても、硬い」

 

「障壁……そうか、そういうことかよ! ならこのクソ硬いのも納得だわ畜生!」

 

 俺の目では確認できないがエコーには確かにそれが見えているようで、魔法人形(ゴーレム)達の規格外の耐久性の正体がようやく割れた。

 贅沢を言えばもっと早く言ってほしかったが、そうやって文句を垂れると

 

「……あんまり、見えなかったの」

 

「ちょっとガストー。先にお礼でしょお礼ー」

 

 肩を落としてわかりやすく凹み、姉のソナーがかばうように立って抗議の声をあげた。

 俺はバツが悪くなり二人から目を逸らしてから「悪かったな、助かった」と簡単に礼を告げてから前に向きなおる。

 

「にしても、魔法が理由なら阻害魔法で解除できる、よな。誰か阻害魔法の使い手はいねぇか!?」

 

 声を張り上げて周囲の人間に呼びかけるが……皆一様に目を伏せておし黙る。どうやらお求めの阻害魔法を使える人間はこの場にいないらしい。これだから無学な傭兵はいけないんだと悪態をつきたくなったが、特大ブーメランになるのでやめておく。

 言ってしまえば、障壁を解除する阻害魔法を使える人間は俺の真後ろにいるわけだが大量にいる魔法人形(ゴーレム)1体1体丁寧に阻害魔法をかけてたら魔力がいくらあっても足りはしないのは明白で、それの対応策も使()()()()()()()のが事実だ。こんなに人のいるところでやってしまえば目につくなんてどころの話じゃない。

 

「……ソナーちゃん、お願い」

 

「ちょい待て、言っとくけどやめろよ? ここでやったらシャレにならんだろが」

 

「……ガスト」

 

「んな顔してもだめだ。聞きわけろよ」

 

「……ソナー、ちゃん」

 

 エコーの提案を先んじて制し、有無を言わさずに黙らせる。少し語調が強くなったかと思ったが、ここは強く言っておくべきだと考えを改める。

 俺に取り付く島もないことが分かったエコーはソナーを頼っているようだが、頼みの綱のソナーも珍しく困惑の表情を露わにしてうつむくだけだ。

 俺は二人を完全に視界から外し、顎に手を当てながら次の行動を思案する。

 魔法人形(ゴーレム)の動きは鈍いため、一度吹っ飛ばせば態勢を整えるのが遅い。そこが俺たちがなんとか戦闘を続けられている理由だ。

 障壁が敵に貼り付いているなら……

 

「障壁」

 

 その単語が不意に俺の胸中で渦巻き始めた。

 魔法をそこそこ熟練しているエコーですら明確に捉えることのできなかった障壁。

 硬く、大量に貼れて、それを一括管理できる魔法使いを俺は知っている。

 

「まさか……また来てる、のか? あいつが……!」

 

 そう結論に達した瞬間に俺の血の気がさっと引き、いても立ってもいられなくなって足は勝手に動いていた。

 アルスとあのいけすかねぇ女が向かった敵の拠点とやらに潜伏してる下手人は十中八九魔王の軍団の幹部クラス。そして、それとは別に俺たちを捕まえているのもまた幹部だ。

 俺は先ほど俺たちに指示を飛ばした騎士に詰め寄って、声をあげる。

 

「おい、あんた! 今すぐアルスとお前んとこの副団長とやらに報告しやがれ。王都に幹部が2人……ああ、いや、もしかしたら3人いるのかもしれねぇ!」

 

「なっ……3人、でありますか! それは前代未聞ですよ!?」

 

「知るか! いいから早くしろっての、こうやって俺らが馬鹿やってるうちにシルクが向こうに合流しちまったらヤベェんだよ!」

 

 騎士は俺の訴えを受けてしばし硬直する。鉄仮面のおかげで表情はわからないが、俺の言葉の真偽を疑っているのだろうことは察することはできた。

 俺はそんな煮え切らない騎士の額を指で押しながら

 

「いいか、魔法人形(ゴーレム)にゃ障壁がついてる、それも超高性能で力技じゃあブチ破れないほどのな! そんでもって召喚魔法は誰が設置した!? これ全部一人でできっかよ!」

 

そう指摘してやった。

 

「し、ししししかし、召喚魔法も障壁魔法も術師が近くにいなければまともに運用できない魔法であります。敵が移動する可能性は限りなく低いかと……」

 

「できるわよ。障壁魔法なら」

 

「へ、え?」

 

 こうなれば力づくで言うこと聞かせてやろうかと拳を固めたところで……鈴のような声が俺と騎士の話を遮った。

 いつもの姦しい姿は何処へやら、真剣な表情のソナーがエコーを傍に従えて立ち、騎士と対峙する。

 

「ある程度熟達した障壁魔法使いなら、障壁を設置したまま移動できる。なんならやって見せる? 私じゃなくてエコーがだけど」

 

「お前はできないんかい」

 

「そこ。口を挟まない。今私が目立てる雰囲気なんだから」

 

 思わず口をついて出たツッコミを目ざとくジト目で制される。俺は雑に平謝りをしてソナーにどうぞ続きをと話を促した。

 ソナーは「こほん」と態とらしい咳払いを前置きにして口を開く。

 

「ともかく、こんなに凄い光景を見せられてるのに議論の余地がある? それとも相手の力量すらわからないほど騎士さんって無知なのかしら」

 

「い、いやそれは。しかしでありまして……」

 

「いいからさっさとするっ!」

 

「はいぃっ!!」

 

 一見理知的に見えた話し合いも痺れを切らしたソナーの怒号で一方的な終わりを告げる。

 完全に萎縮した騎士は言われるままに通信魔法石を叩いて仲間に通信を取ろうとしている。ひとまずはこれで安心だろう。

 俺は怒ったように吐息するソナーを見て、笑みを溢してから

 

「悪りぃ。助かった」

 

「べっつにぃ? 今度デート一回ね」

 

「けっ、アホ抜かせ。てめぇの親父にぶん殴られるぜ」

 

 お互い軽口を叩き合いながら笑い合う。

 ソナーの時々見せるこういう悪戯っぽい笑みは嫌いじゃない。小さい頃から一緒にいるが、それだけは唯一変わらないこいつだけの魅力だ。

 そうして光明の見えた事態に安堵のため息をついていると……騎士の困惑したような声が聞こえて来た。

 

「あ、あれ……お、おかしい」

 

 騎士は見るからに狼狽していて、何度も何度も通信魔法石を指で叩いてはしばらく固まっている。しかしそれでもまた暫くしたら通信魔法石を叩く。その繰り返しだ。

 ちんたらと何をしてるのかと苛つきが顔を出し始めたが、どうにも様子がおかしい。終いには騎士は耳に当てた通信魔法石を捨てて別の石を取り出して叩いていた。

 

「おい、どうしたんだよ?」

 

「つ、通じないのであります。通信魔法石が。予備のも全て……!」

 

「は、はぁ? なんだそりゃ、精霊石が故障するなんてことは」

 

 転がっている精霊石に異変は見受けられない。俺はエコーに精霊石を一度見せようと地面に転がる通信魔法石をひったくるように持って立ち上がって。

 そして、見せるまでもなく通信ができない理由を察した。

 考えて見たらシルクが出張っているのであれば簡単に分かることだった。それを失念いていたのは限りなく致命的だ。俺は顔をしかめて奥歯を噛みしめる。

 

「……精霊石に異変はねぇなら理由は簡単じゃあねぇか。防壁【ミュート】だ。あれの効果が及ぶのは何も通信だって例外じゃねぇんだ」

 

「【ミュート】、でありますか!? ですがあれは、上級魔法で、そんな通信妨害のような運用方法が取れる魔法とはとても……!」

 

「なら、試して来てやるよ。この精霊石、一個借りるぜ」

 

「ちょっ、ちょっとガスト! どこに行くつもり!?」

 

 精霊石を乱雑に服のポケットに突っ込み、蠢く魔法人形(ゴーレム)の群のいる会場の出口を睨みつける。

 出口は二箇所。一番近いのは目の前の一つだ。

 ソナーが目を見開いて俺のしようとしていることを止めようとしているが、それは俺の耳には届かない。

 

「モイヤ、だっけか? なぁお前、勇者サマのために働きたいとか思わねぇ?」

 

「え? 勇者様のために……それはもちろんだよぉ! 勇者様のためならなんでも、いっくらでも!!」

 

「よぉし」

 

 予想通りのモイヤの反応に俺は満足げに鼻を鳴らす。

 何も言わずに勝手に出て行ったことをあとで耳が腐るほど説教してやることを決意しながら俺は魔法を撃つ準備を始める。

 巨人の腕力に俺の魔法があればおそらく、俺一人だけならばこの会場を抜けることは可能だ。そしてシルクの貼る【ミュート】の範囲外に出て通信魔法石を使ってアルスに危険を知らせる。たったそれだけの仕事。

 しかし、不敵に笑っていざ一歩を踏み出す俺の前に、瑠璃色の双眸が立ちはだかった。

 手を広げて立つ澄んだ瞳の少女――ソナーの姿がやけにくっきりと俺の目に映る。

 

「ガスト、また無茶するつもりでしょ」

 

「はっ。言ったろが」

 

 俺はガサツに、けれども悪意は全く込めずに笑いかけ、ソナーの頭に手を乗せる。

 そしてかつての日を想起させるように、告げた。

 

「普通の俺は、無茶をしねぇと特別に追いつけねぇんだっての」

 

「そんなの……待って!」

 

「っしゃ、行くぜモイヤさんよ! 本気で突っ込め!!」

 

 俺は結局またソナーの制止を振り切って地面を思い切り蹴る。

 後ろ髪が引かれる思いに変わりはないが、それでも俺はあいつを助けてやらなければならない。自らの直感を信じて、そして、救ってもらった借りを返すために。

 ソナーを見てモイヤは一瞬躊躇ったようだが、俺が顎をしゃくると申し訳なさそうに眉を潜めつつも黙ってついて来てくれた。

 

「ガストくん……あの子、大丈夫なのぉ?」

 

「大丈夫だよ。ま、世話のかかる勇者サマのために一肌脱いでやろうぜ」

 

「……うん。わかった。行くよッ!!」

 

 俺はモイヤの肩に乗り込み、しがみついて衝撃に備える。

 後ろでソナーはどんな顔をしているだろうか。その不安は消えることはなかったが、その思考はモイヤが走り出したと同時に降りかかった体への負荷で強制的に中断させられた。

 爆ぜるような勢いで地面がえぐれ、一足の間に俺が飛ぶ数倍は疾る。いや、疾るというよりこれはもはや飛ぶというアクションに等しい。

 モイヤが振り落とされないでねと言ってような気がするが、声は風にさらわれて俺が歯をくいしばって耐えることに全霊を割いているためその声はほぼ聞こえない。

 急速に迫る出口と俺達の距離。それを阻むように押し寄せる魔法人形(ゴーレム)の群れ。

 モイヤに身体強化の魔法をかけてしがみつくように妨害してくるそれを強引に突破するのが俺の考えた作戦とも言えないゴリ押しだ。

 祈るようにモイヤの突撃を見守り、数分にも感じる数秒を過ごした後。

 

「抜けるよ、ガストくん!!」

 

「おぉっしゃあ、行ってくれ!!」

 

 いよいよ見えた僅かな隙間を見つけて、俺は吠える。

 そして、ようやく俺とモイヤの体は会場にいる人の目には完全に映らない外へと解き放たれるのだった。

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

「……馬鹿」

 

「……ソナーちゃん」

 

「ん。ごめんねエコー。だいじょぶ」

 

 魔法人形(ゴーレム)の中へと消えて行った幼馴染の後ろ姿を見送って、私は目尻に浮かびかけた涙をなんとか引っ込めた。

 背中に手を置いて心配をしてくれるのは無表情で感情豊かな妹、エコー。私は姉として、弱音なんて吐けない。けど。

 

「……怪我、しないでね」

 

 どんな相手がいるのかわからない。

 けれども驚異となっている存在は確実に強者だ。

 どこまでも自分は普通と言い張るガストの身を案ずることしかできない己の身を呪いながら、私は言葉を溢した。

 

 

 少しずつ、少しずつ。

 けれども確かに戦況は動いている。

 

 

 どちらに天秤が傾いているかは、隠されたまま。



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第36章「[結束]の光」

お久しぶりでございます。
約四ヶ月ぶりの投稿となりますがなんとか続きをかけました。


こつん、こつん、と。恐る恐る歩けば歩くほど靴音が耳に残る。

自分は歩いているのか、戻っているのかすら、ともすれば分からなくなりそうな道において唯一の道しるべは目の前に灯る光のみ。その光さえも見失ったらと思うとぞっとしない。

 

目の前に見える背中の歩みは慎重に、けれども決して臆することなく緩まない。その背は他に頼る物のない俺にとってどこまでも大きく優しいもので、すぐに足が竦んでしまうヘタレな俺の勇気の源に他ならない。

 

ミネルヴァ=スカーレット。

迷いのない歩みは、彼女が騎士であるという事を悠然に語っていた。

 

言うまでもなく、ここに一人で放り込まれたのならば俺は歩くことも戻ることもできずに限りのない闇へと溶けていってしまったことだろう。

どろり、どろりと。心さえも。

 

しかし、今は溶けることを反響する靴音が許さない。

そこに俺はいるのだと、進んでいるのだということを否が応でも肯定される。

お前は悪魔の巣に挑み、侵入したのだ。逃げることなどは許されない。

 

俺は乾ききった唇を舐めてから湿らす。

駆り立てられるように足を動かしながら、その事を強く、強く自覚した。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……人工物?」

 

ぬかるんで歩きにくい洞窟をそれでも励んで進む事十数分。俺とミネルヴァさんが見つけたのは地下へと続く先の見えない階段であった。

階段は石造りで、その形状は自然にできたものとは思えない程度には舗装されている。所々ひび割れてかけている岩肌から僅かに覗く無骨な鉄筋が人工物であることの証拠だ。

 

この状況において俺の胸中に真っ先に浮かんだのが「何故ここに人工の階段が」という疑問よりも、人の知恵の入った空間があるということに対する純粋な安堵だった。全くもって緊張感がないと言われればそれまでであるだろうが、それが常人の思考という事で許していただきたい。

俺はそんな自分の生っちょろさを気にすることもなく、他に道はないか辺りを見渡し始めた。

 

「他に道は……ない、みたいですね。行き止まりだ」

 

「ここまで一方通行とはな。気味が悪い」

 

階段に向かって吐息を漏らしながらミネルヴァさんは悪態をついた。

確かに、ここに来るまでドロドロの土と隆起した岩を除けば妨害など一切なしの一方通行。ともすれば只の洞窟探検と勘違いされそうなくらいに危険はなかった。

だというのにいきなりこのような異質な建築物を見せれたのだ。普通の感性を持つ人間ならば気味が悪いと感じるのは至極当然のことと言える。

 

『中々遊び心のある奴のようだな。歩く者の興を冷めさせない、いい作りだ』

 

が、普通の感性を持っていない奴が俺の中に約1名。

感心するような声で階段を作った者を褒めるのは晴れて俺の魂の中へと舞い戻ったオルガニアだ。通信魔法石を挟んだかのようなくぐもった声質を聞くのは僅か数日ぶりだというのに変に懐かしく感じる。

 

「やっぱお前って、迷宮作る側の奴なの?」

 

『いや、我は特にそういうのには携わらん。まぁ気にくわないものがあったら取り壊させるのだが』

 

「出たよ自分は何もしないのにダメ出しだけして帰っていく奴! しかも壊す辺り余計にタチが悪い」

 

どれだけ必死に構想を練って建物を作ろうとも、それの存続はオルガニアの匙加減1つ。改めてこいつの世界は政治形態含めパワーバランスがどうにかしてると思うが、それは今更だ。

 

「何をしているんだアルス=フォートカス。進むぞ」

 

「って、ちょ。置いてかないで……!」

 

階段に足をかけ始めるミネルヴァさんは見失う程遠くにはいないが、それでも一人になることに拒否感を覚える俺は慌てて後を追おうとして――不意に後ろを振り向いた。

 

「……あれ、今」

 

『どうした、アルス』

 

知っている香りが鼻をかすめたかと思ったが、後ろを向いても何もない。

あるのはただミネルヴァさんの光に照らされた岩肌だけだ。

右を見ればさっきまで歩いて居た道。左を見れば行き止まり。

誰も、いない。

 

「なんか、今、通らなかったか? 俺の後ろ……」

 

『今は魔力を探知していないから分からん。まぁ、何が居てもネズミには変わらん。それよりも我は先に進みたい』

 

「子供かよお前は。……んー」

 

いくら目を凝らしても見えなかったものは仕方がない。

さらに物珍しいものをお求めの好奇心旺盛な魔王に命じられれば逆らうわけにもいかず、先へ進む事を優先するべきと考えた俺は頭に引っかかったものを脇へ追いやってから階段を降りていくのだった。

 

「何かを見つけたのか?」

 

「あー、いや。気のせいでした。すいません」

 

「……そうか。些事なことでも見逃すな」

 

上で止まっていたのを訝しんでミネルヴァさんが尋ねてくるが、俺は首を横に振って答える。

出会った当初こそ俺の一挙手一投足を疑惑の目で睨んでいたものだが、意外なことにミネルヴァさんはそれとなく忠告だけを残して前を向き直った。

 

「それにしても、深いですね。この階段」

 

「もう終わりが見えた。油断はするな」

 

俺の視点からははっきりと見えなかったが、間も無くミネルヴァさんの言う通りに無限に続くかと思われた階段は終わりを告げた。

転倒しないようにゆっくりと最後の一段を降る。

地下は、地上の洞窟に負けず劣らずの暗闇で支配されていた。入り口から差し込む太陽の光がないから、上よりも暗いのかもしれない。

俺は唾を飲み込んでひんやりとした空気を肌で感じた。

 

洞窟とは打って変わり、光にぼんやりと照らされて見えるのは古ぼけたレンガ。壁一面にそれは敷き詰められており、先ほどまでのいつ崩れるかも分からない土くれの壁とは安定感が違う。年季の入り方から見て、最近作られたものではなさそうだが。

 

「ここって、一体どんな場所なんでしょうね?」

 

「さぁな。こんな場所は見たことがない。……不自然なことだ」

 

『ふむ……お前達の目が節穴だった、というわけではないか』

 

「お前は言葉の端々がトゲトゲしてんなぁ……」

 

嫌味ったらしいオルガニアの軽口をほどほどに受け流し、騎士団が、しかも副団長たるミネルヴァさんがこの近辺を把握できていなかったという事実に疑問を感じる。

なるほど、ミネルヴァさんのいう通りこの建築物はかなり不自然だ。単純に考えるとここは魔王軍が作った拠点か何かだろうが、そう考えると侵入者に対する罠の一つもないのがより不気味だ。

 

靴音を聞くのもすっかり飽きてきた頃、あまりにも何も起こらないせいで俺の気が一瞬緩んだ時だった。

 

ふっと。俺の頰を柔らかな風が撫でた。

いい加減陰湿な空間にうんざりとしていた所に清涼感を届けてくれた涼しい風に感謝をする、が――

 

頭を切り裂くような、痛烈な違和感。

 

……風?

 

情景を繰り返し説明するが、ここは地下。そしてレンガで壁は一面囲われ、暗闇のせいで通気口の有無は確認できないが、あれほど分かりやすい風が吹くことはないだろう。

 

「地下、なのに、風?」

 

「……なに?」

 

風を感じたのは俺だけのようで、ミネルヴァさんは訝しげな目を呆けた表情の俺に向けた。

実際、感じたことをそのまま口に出してしまったので、自分が何を言ったのかを遅れて理解する。

そうだ、今確実に風が吹いた。十中八九勘違いではないほどにはっきりと。

俺は慌てて周囲を見渡すと、自分たちがいつの間にか少しだけ開けた場所に立っていることに気づいた。

道は以前一本道。このまま先に進むこともできる、が。

 

「何か、いる――ような気がする……!」

 

「……ッ。ハッ!!」

 

さっと顔から血の気が引いて俺の頭に警鐘が鳴り響く。

その様子を異常と判断したミネルヴァさんはより鮮明な視界を得るために剣先から灯す光を強くし、全体を一気に照らしてみせた。

一瞬、爆発的に上がった光量に目がくらむが、それもすぐに慣れてくる。

恐る恐る目を開けてみると、目の前には

 

「待っていた」

 

長身の男が、亡霊のように佇んでいた。

 

「勇者達よ」

 

「――!!」

 

一歩、男が前へ進みでる。

その頭に初めて会った時の帽子はない。目の下に濃いクマを作り、虚ろで身をえぐるような目つきをみることができた。

目つきの悪さで言えば俺以上だ。泣く子はもっと泣き叫ぶ、そんな空気をひしひしと感じる。

男は静寂な空気を纏ってはいるものの腰に差した剣は早く血を吸いたいと猛るがごとく、その銀色の刃を覗かせている。

 

俺の意識は嫌でも額に持っていかれるが、それを押し殺して俺は口を開いた。

 

「お、おま、おまおままお前! エミィはどこだ!?」

 

「エミィ? ……ああ、彼女か。彼女は無事だ。彼女は正しさを証明してみせた」

 

「なんだその、なんか、なんだぁ!?」

 

分からない。こいつはなにを言っているんだ?

ついでに自分の言っていることも支離滅裂になってきて冷や汗が止まらない。

だってこいつ怖すぎるんだよ。目とか本気で睨み殺せそうだし、手がさっきから柄に添えられていていつ切られてもおかしくない。

とにかく背筋がぞわりと凍り、額のささくれがトラウマとなって俺の心を縛る。

 

「いくつか質問させてもらおうか。こんな穴倉に隠れてまで……一体なにが目的だ!」

 

「……答える気は無い。君らは知らなくてもいいことだ」

 

いつか聞いたものと同じ文句で突っぱねられて取り付く島もない。男は完全に俺たちと話をする気はないようでそれきり閉口してしまう。

そっけないを通り越して性格悪いその振る舞いにミネルヴァさんも苛立ちを隠さずに舌打ちをする。

まぁ、魔王なんかに加担する奴に人格を求めてもと言いかけるが、シルクの存在が脳裏をよぎって口を噤む。

もしかしたら、この男にも何かやんごとなき理由があるのかもしれない。

 

「私の名は、イェルス。つまらぬ善を、無意味な善を斬りし者」

 

「意味わかんね……ぇ!?」

 

いよいよ焦ったさが限界に達した俺も怒鳴りそうになったが、それよりも先に轟と唸る剣閃が地を抉るのが先だった。

不意の衝撃と共に俺の視界は真横に吹き飛ぶ。

何かに無理やり攫われたかのような感覚に既視感を感じつつ遅れて驚きの声をあげる。

 

「惚けるな! 次が来るぞ!」

 

「えっちょっ、早くない!?」

 

会話のキャッチボールが成り立たないのが分かってから攻撃までの間隔がほぼなかった。

そのことに意義を立てる暇すらもなく俺は半ば本能に従って走り出す。刹那、俺が蹴り出した後ろで見えない刃が三閃、またしても床と壁を削り取っていく。

 

「お、おっかなすぎる! 剣から何か飛ばしてるのか……? どうなってんだ?」

 

「下がっていろ、アルス=フォートカス」

 

胸のポケットから精霊石を取り出したミネルヴァさんは躊躇いなく指で石を小突く。

精霊石に宿る精霊たちが呼びかけに応えて大気へと一斉に飛び出し、封じられていた魔法が発現した。

ミネルヴァさんが持つ精霊石に込められた魔法は強化【フィジカルビルド】。ミネルヴァさんの能力を最大限に生かすための身体強化の魔法だ。

 

「……」

 

イェルス、と名乗った男が一度剣を握る手に力を込めれば強風が吹きすさび、地が割れる。

ある国に伝わる居合いという剣技に酷似している気がするが、この男がまともに剣技を修めているかは定かではない。

兎も角、この男の放つ斬撃はどこまでも速く、迅い。それだけは断言できる事実であった。

実際、身体強化を含めたミネルヴァさんでも回避に集中しなければ裁けないほどの速度だ。

 

「速度以前に、数が多い……なんだ、これは……!」

 

しかし均衡を保っていた状況は早くも崩れ始める。

止め処なく放たれる斬撃をかわしきれなくなりミネルヴァさんが苦悶の表情を浮かばせ始めてしまった。

それでも彼女は歯を食いしばりながらも剣で斬撃を跳ね除け、続けざまに放たれものを身を翻して躱す。彼我の距離は徐々にではあるが近づいていき、ようやくミネルヴァさんの攻撃圏内にイェルスが収まった。

 

「せぇああああ!!!」

 

身を翻したその勢いのまま強引に剣を叩きつけ、金属同士の奏でる不協和音と共に両方の刃から火花が散る。

間髪居れずに二閃、三閃と追撃が続き、いっそ見惚れるほどに鮮やかな剣戟は留まることを知らない。

剣と剣の接触音が十を超えたところで、ズンとミネルヴァさんが地面をへこますかのような踏み込みで構える。それを見たイェルスは直ぐに後退することで剣戟は終わりを迎えた。

 

「ふぅっ――きっとっべぇぇぇぇええええ!!!」

 

その一撃は足元に剣を振り下ろす――のではない。

踏み込んだ足で更に地を蹴り、もう一歩、大きく前へと進む。

大きな踏み込みと共に動いた者と、唐突に後ろへ体を飛ばせた者。どちらに分があるかは訊くまでもなく、ミネルヴァさんの体は爆ぜるように動き、後ろへと飛びずさったイェルスとの距離を一気につめた。

 

後退を予測した追撃の技。悪魔の首狩りを思わせる必殺の凶刃はイェルスの眼前へと迫り――

 

「甘いッ!!」

 

「なっ……あっぐ!?」

 

「うわっ! ミネルヴァさん!」

 

一刀両断。となる前に吹き荒れる風に阻まれた。

4度、空を切り裂いた鎌風はミネルヴァさんの体を攫い、壁に打ち付ける。

それほどの突風はもはや剣の風圧などでは説明できない。イェルスの繰り出す攻撃は魔法と見て間違いはないだろう。

しかし、何故詠唱せずに魔法が使えるのか……

 

「って、それどころじゃ……!」

 

壁に当たった衝撃はかなり強かったようでミネルヴァさんは歯を食いしばってうずくまってしまっている。

最悪骨にヒビが入っているかもしれない。

慌ててミネルヴァさんに駆け寄るが、震える足で立ち上がるミネルヴァさんは俺を無言の圧力で制した。

 

「遅いな。そして軽い。さて、その身体強化は今日で何度目になるのやら」

 

「……っ!」

 

イェルスの言葉にはっとなった俺はここまでのミネルヴァさんの戦いを思い出す。

ガストの時に動体視力と腕、足。俺の時にも恐らく同じ回数。計6回以上はくだらないはずだ。

身体強化で体力は強化できない。そのためミネルヴァさんの体に限界が来ようとしているのだ。

そもそもガストとの戦いで上級の魔法の詠唱を切り詰めて行うなど、大分無理をしていたはずなのだから、疲れていない方がおかしい。

本人もそれを分かっているようで、荒くなる呼吸を隠そうともせずに汗をふき取りながら、ふっと笑みをこぼした。

 

「本当は……もっと、手を抜いて戦うつもりだった」

 

剣を握り締め、目だけは敵を捕らえて離さない。

 

「だが……手を抜くのは失礼に当たると感じてしまった。……任務よりも感情を優先するなんて、私も……未熟だな」

 

「それが君の弱さだ。その弱さごと、私が斬ろう」

 

「ふん、言い訳をするつもりはない! やれるものならやってみろ!」

 

ふらつくミネルヴァさんに向かって、イェルスは剣を構える。ダメージを負ってしまった今のミネルヴァさんでは今度こそあのかまいたちは防げないはずだ。

しかしそんな中、動けずに固唾を飲んで傍観していた俺の目に、ちらりとなにかが映る。

 

「首に……魔法陣?」

 

イェルスの長い襟足の髪の毛でかなり隠れているが、首筋には刺青のような魔法陣が刻まれていて、淡く発光している。

あの魔法陣には、見覚えがあった。

 

王都の森であったグランウルフを召喚していたという少年。彼に刻まれていた魔法陣と、イェルスのそれは正に瓜二つではないか。

 

「じゃあやっぱあれは……!」

 

何故詠唱もなしに魔法が使えるのかは分からないが、あの光る謎の魔法陣。

それはかまいたちの正体は魔法であると結論づけ、そして俺をミネルヴァさんの前に躍り出るに至らせるには充分過ぎる証拠だった。

 

「なに……っ!?」

 

「なっ……アルス=フォートカス!」

 

「おおお、たんと喰らえオルガニア! 目の前にあるのは……蓋の開いた料理(むき出しの魔力)だぞ!!」

 

イェルスもここで俺が動くとは思っていなかったのであろう。ミネルヴァさんを仕留めようと構えていた手は止まらず、無警戒のかまいたちを飛ばしてしまう。

だがそれは俺には通用しない。しないはず。通用したら俺は死ぬ! 女神なんぞ頼りにならない。だからお願いします、魔王さま!

 

『我に命令するな馬鹿』

 

掌を正面にかざして半ば匙を投げるような祈りを捧げると、魔王はぶっきらぼうに応えた。そして――俺は賭けに勝った。

空気が爆発するかの如く猛烈な音が炸裂し、掲げた掌が衝撃で揺れる。けれど俺を両断するはずだった風は俺の目の前で跡形もなく消えたのだった。

 

「――!!」

 

この事態をすぐさま異常と判断したイェルスは一気に壁際まで跳躍して距離を取る。さて、本番はこれからだ。

 

「勇者の力……要するに光には、必ず意味があるんだ」

 

むせ返る程の土埃を払いもせずに、俺は自分の持つ専用神器(アーティファクト)を見つめて、呟くように言葉を溢す。

 

「大神官レストは分かりやすいよな。あれは[浄化]の光だ。闇を払って、魔を打ち消す。光の本質のような感じ」

 

「……」

 

唐突に始まった勇者の解説にイェルスは訝しげな態度を取りながらも俺に向かって切り掛かっては来ない。恐らく警戒しているんだろう。何かしら俺が隙を見せれば、また攻めてくるはずだ。

 

「じゃあ、ミネルヴァさんは? ……あれは[守護]の光。質量を持った光は、後ろに立つ者達を包んで守る。ほんと、どこまでも騎士向きだと思うわ」

 

「……」

 

ミネルヴァさんも、今は俺の言葉に耳を傾けて動かない。彼女は俺の言葉の真意を図ろうとしているのだ。

勇者の力を最初に使った時の高揚感はいずこへ。冷静になった今は激しい憤りに変わっている。俺はこの力に気づいてしまったが故に女神の理不尽さを痛感してしまったからだ。居場所が分かれば怒号を撒き散らして殴りかかってしまいそうな程に。

 

「じゃあ。じゃあさ! 俺のは、なんだったと思う?」

 

浄化だとか守護だとかいう名前は一部の人間が呼んでいる称号に過ぎないが、俺の勇者の力を漢字2文字で例えるとしたら、きっとこうなるだろう。

 

「……[結束]」

 

ポツリ、と。

本来は喜ぶべきだった自分の力の名前を俯きながら吐き捨てた。

灯台や松明があるように、光の下には人が集まる。そうして周りには街ができ、発展して文化を築く。光は人を集めてより強くできる。

俺は所謂、その力の拠り所なのだ。

早い話が、俺の勇者の力は他者から魔力を譲り受けた時に、貰った魔力を誰よりも強力に、巧く使える力なんだと思う。

 

それだけ聞いたら正に勇者らしいと誰もが言うだろうが、これは大事なことなので二回言う。言わなければならない。

これを聞いたからには全ての人間が女神の正気を疑うだろう。

 

――この世界に、誰かに魔力を渡す手段は無い。

 

繰り返す、誰かに魔力を渡す手段は無いのである。

 

つまり俺の力のコンセプトはのっけから完全否定されており、使いたくても使えない産業廃棄物なのだ。酷い、酷すぎる。ジョークだとしても笑いを通り越して恐怖で身体が戦慄するというものだ。

女神は俺に嫌がらせでコイツを寄越したんじゃないかと思うことをどうか許してほしい。誰であろうとも「ふざけんな」と叫ぶこと必至だ。

そんなわけで俺の胸中は力が見つかったことへの喜びと、女神に対する憤りでごっちゃごちゃ。

 

それでも、俺には一抹の希望が残されていた。

 

そう――オルガニアの存在である。

 

『よく自分の力に気がついたな。その利用法も』

 

「いやさ、考えてみたら俺、オルガニアの魔法バンバン使えちゃってるし、もうこれしかないかなーって。はは、ごめんなオルガニア」

 

『全くだ。我を利用するなど千年早い……が。こんなはした金ならぬはした魔力なんぞいらんから、お前にやろう』

 

的外れでもないが、俺の謝罪の意味をどこか履き違えているオルガニアに、そういえば俺はオルガニアに頼ってばっかりだなと自嘲気味にうすら笑う。

誰に許可を取ったわけではない、自分の意思に従って俺の口は詠唱を始めた。

 

「冷皮の魔法。湧き立つ血肉は銀の冷気を身に纏う」

 

『冷皮の魔法だと? 待てアルス。お前には冷気の魔力はもう残ってな――』

 

左手には、冷気を。

 

「次ぐ極光の魔法により。日出る空よ、無に光を」

 

そして、右手に電撃を。

 

起きている現実にいよいよオルガニアが俺の魂の中で目を見開いて声を震わせた。

 

『今吸収したのは我の世界にはない風の元素……? いや、だが……何故……お前は……』

 

オルガニアが二度俺に見せてくれた風の魔法。それを完成させるために必要なのは冷気と電撃の元素だ。

冷気を生み出す冷皮の魔法と、静電気を生む極光の魔法は、正にお誂え向きと言えるだろう。

 

「ごめんなオルガニア。俺ってやっぱ……見よう見まねでやっちゃうタイプだったわ」

 

『アル――』

 

静止の声を振り払い、そうして俺は一線を踏み越える。

 

雑ぜる(・・・)盾嵐の魔法により。巡れ! 咆哮!」

 

かくして、風は吹き荒れた。

 

 

 



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