それは、輝きを求める物語 (豚汁)
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chapter-1 episode1『恋愛勇者』赤井橋恋虎
1話 勇者、愛を求める



初めましての方は初めまして、私は豚汁と申します。

この度、以前から書き溜めていた分を少しずつ投稿していこうと思い、投稿させて頂きました。是非楽しんで読んで頂ければ幸いです。

では、どうぞ――




 

 

 

 人は、何故“恋”をするのだろうか?

 

 

 

 道行く人にそんな問いかけをすると、きっと様々な答えが返ってくるだろう。

 

 

 

人は一人では生きられないから。

 

ずっと一緒に居たい人がいるから。

 

誰かに恋をすると幸せな気持ちになれるから。

 

ドーパミンという脳内物質が引き起こす感情的作用だから。

 

人類の持つ種の保存本能に従った生理的欲求だから。

 

 

 

 その数多くある答えの全てが正解で、人が恋をする理由を語るには充分だと俺は思う。

 

 でも同時に、それは口で語るだけの建前なんじゃないだろうかとも思う。

 

 きっと俺を含む多くの普通の人間は、そこまで深く考えずに恋をしているはずだ。

 

 

 

毎朝同じ携帯のアラーム音で目を覚まして一日が始まり。

 

学校や職場で特に代わり映えのしない一日を過ごす。

 

授業や仕事の合間の休み時間には、何の変哲もない話題で友人達と駄弁(だべ)り。

 

そして学校の授業や仕事が終われば、家に帰って布団に入って寝るだけ。

 

 

 

 こんな風に、特別な何かの才能を持っていない普通の人間は、差異はあれど毎日同じような変化の無い日々を過ごしている。

 

 だから人は、そんな日の当たらないような普通の人生に嫌気がさし、変化のない日常に光る何かが欲しくて“それ”を探すのだ。

 

 

 

 

 

だから俺は、ハッキリと言ってしまおうと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

人は自らの人生に、輝き(Sunshine)を求めて恋をするのだと――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ■ ■ ■ ■ ■

 

 

 

 

 

 

 

 

「お願いします! 必ず幸せにしますから、俺と付き合ってくださいッ!!!」

 

 

 

 

 ――ここは東京都千代田区にある、とある公立中学校の校門前。

 

 十二月の寒空の下、俺は朝の登校時間に中学の校門前で待ち伏せ、登校する他の生徒が沢山いる衆人環視の中でも構わずそう叫び、“運命の女性”に全身全霊で告白をした。

 

 ちなみにその運命の女性というのは俺と同じクラスの女子で、この子は三日前に俺の落とした消しゴムを拾ってくれて、明るく微笑みながら俺に消しゴムを手渡してくれたのだ。

俺はその優しい心遣いに一瞬で恋に落ちた、これぞまさしくフォーリンラヴ。

それから俺は三日間その想いを募らせ、ついに今日、告白にと踏み切ったのだ。

 

そんな俺の告白に彼女は驚いて目を見開き、その場に立ち止まって黙った。

 

 ふっ……この反応は勝ったな、今日の俺は一味違うぜ。この日の為に練習した告白のセリフは完璧、朝早起きしてしっかり決めたヘアースタイルもバッチリ。

 

 間違いない、これならイケる……今日こそ俺は、念願の彼女をゲットだぜ!!

 

 すると、心の中でそう確信する俺に彼女は、表情を全く変えることなく言った。

 

 

「あ~ごめん無理、アタシ彼氏いるし」

 

「――って、嘘ぉ!? 一週間前に聞いた時は居ないって言ってたじゃん!?」

 

「一昨日出来たばっかりなの、そういう訳だからゴメンね。告白お疲れ様~じゃあまた教室でね~」

 

「ま……待ってくれぇぇぇーーーーー!」

 

 

 そう言って、笑顔で手を振りながらその場を去る彼女に俺は必死で呼びかける。

 

 くっ……! ()()ダメだったか……!

 

 姿が見えなくなって、完全にフラれたと自覚した俺は、ショックでその場に膝から崩れ落ちる。そうしていると、さっきの一部始終を見ていた周囲の生徒からこんな話し声が聞こえた。

 

 

「うわぁ……あの男子は勇者か何かなの? 一体どんな精神してたらこんな衆人環視の中で告白できるのよ、恥ずかしくないのかな? ――ってか……誰アレ?」

 

「――え? 知らないの? 女子に手当たり次第に次々告白してフラれて、でも屈強な精神力で復活してまた次の女の子に突撃する、ウチの中学三年の『恋愛勇者』の噂……それ、アイツのことだよ」

 

「ああ……成程、()()がそうなんだ。納得のアダ名……あーあ、顔はカッコいいのに勿体ないね」

 

「でしょ、じゃあもう分かったなら行こう? アレに変に関わったら、今度は私達が告白されちゃいそうだし……」

 

「うわぁ……それ嫌……うん、行こう行こう!」

 

 

 地面に膝をつく惨めな俺の姿を見て、周囲の生徒は何やらそんな会話をしながらその場を去って行く。自分の事を滅茶苦茶に貶されていたような気がするが、俺はフラれたショックで何も言い返すことが出来なかった。

 

 まったく……『恋愛勇者』ってなんだよ、誰だそんなあだ名考えた奴。

 何となく響きはカッコいいけど、まるで恋愛でしか世界救えないみたいで馬鹿にされているような感じの呼ばれ方だ……くそっ、悔しい。

 

 だけど、そう言われてしまうのもすべて俺に彼女が出来ないのが悪い。せめて今の告白が成功していれば――いや、やめよう。もしかしたらの話を考えるほど虚しいことはない。

 

 はぁ、好きな子にフラれちゃった訳だし、もう今日は授業受ける気しないなぁ……家に帰って寝ちゃおうかなぁ……?

 

 

 俺がそんな事を考えて一人孤独に落ち込んでいると、長いベージュの髪を揺らしながら俺の元に歩みより、肩にポンと手を置く存在が一人。

 

 

 

「おおゆうしゃよ、ふられてしまうとはなさけない」

 

「……なんだよやめてくれよそれ、俺を慰める気あるのか梨子(りこ)? これでも俺、今すんげーショックなんだぜ? なんせ俺はたった今、運命の人にフラれちゃったんだからよ………」

 

 

 

 まるで、死んで教会に帰ってきた勇者を迎えるような口調の女の子に対し、俺は抗議の視線を送ってやる。

 

 このふざけた口調で俺に話かけている子の名前は、桜内(さくらうち)梨子(りこ)

 

 この子は俺と小学生の時から付き合いがあり、中学三年生となった現在であっても、こうして親しく話すぐらいに交流がある――まぁ、簡単に言うと幼馴染というやつだ。

 

 そんな俺の幼馴染様は、呆れた表情でため息をつくと言った。

 

 

「あのね……これがもし一回目の失恋だったなら、私ももうちょっと気を遣うよ? 

 でも――ねぇ、今フラれたのっていったい、()()()()()()()()()()()()?」

 

「え? ()()()()()だけど、それがどうしたんだ?」

 

「…………おおゆうしゃよ、ほれやすいとはなさけない」

 

「だからさっきから、その口調やめろって言ってんだろー!」

 

 

 そう言って俺を呆れたような目で見る梨子に我慢の限界に来た俺は、膝をついていた地面から勢いよく立ち上がって言ってやる。

 

 

 

「いいか、よく聞け! 俺は“勇者”なんて名前じゃねぇ! 

 俺の名は、赤井橋(あかいばし)恋虎(れんが)! ――恋に生き、恋に死す! 虎のように猛々しい生き様を送れと親からその名に刻まれた男を、幼馴染の身分で忘れたとは言わせねぇぜ梨子!」

 

「はぁ……そんなに大声で言わなくても分かってます。レン君みたいに変な幼馴染の名前、私が忘れる訳ないじゃない」

 

 

 

 梨子はそう言ってため息を吐きながらも、俺の名前を“勇者”とじゃなく、いつも通り“レン君”と可愛らしく略した呼び方をする。

 

俺としては“レン君”よりもしっかり“恋虎(れんが)”と呼び捨ててくれた方がカッコよくて良いのだけど、それを幼馴染に強要する程俺は器が小さい男ではないので放っておく。

 

 しかし呼び方は許せても、変な幼馴染だと言われるのは耐えられない。

 俺は梨子に言ってやる。

 

 

「おい、俺が変な人って言うのには異議を申し立てるぜ。俺は、ただちょっと人より運命を感じる機会が多いだけの普通の人なんだ!」

 

「……へぇ、じゃあどんな時にレン君は運命を感じるの?」

 

 

 ふふふ……かかったな梨子め、俺の今日あったばかりの素晴らしい運命を聞けば、俺が出会いの運命に愛された人間であるという事を理解せざるを得ないだろう!

 そう心の中で勝ち誇りながら、俺は自信満々に今日あった出会いの運命を語る。

 

 

「ああ……耳の穴かっぽじってよく聞きやがれ。

 今日俺はな……朝早く学校来る途中、すれ違ったスーツ姿の女の人と目が合って、なんとその人に笑顔で会釈されたんだよ! 

 どうだ……これって絶対俺に気があるだろ! 運命の出会いってやつだろ!? こんな風に俺の毎日には、女の子との運命に満ち溢れてるんだよ……分かったか梨子! 分かったら俺の事を普通だと認めて――」

 

 

俺がそう言うと、梨子はさらに呆れた様な表情でジト目になりながら言った。

 

 

「……ねぇレン君、そんな風に軽く『運命』を語ったら作曲家のベートーヴェンさんに失礼だから謝って」

 

「おっ……俺の運命を馬鹿にするなぁぁぁーーー!!!」

 

 

 キレて梨子につかみかかろうとした時、突然後ろから肩をグイッと掴まれて止められる。

 誰だと思って振り返ると、そこには赤いジャージ姿で竹刀を片手に持った筋肉ダルマの生徒指導部の先生が怖い顔で立って居た。その姿を見て、俺は顔から血の気がサーッと引いていくのを感じる。

 

 

「ほぉ……校門前で告白しているという馬鹿な輩が居ると聞いて来てみれば、()()貴様か恋虎(れんが)ぁ……! どうやら、生徒手帳に『不純異性交遊禁止』という項目が書いてあるのが、貴様には見えんらしいな! 来ぉぉい! 今日も生徒指導室で反省文だぁ!」

 

「嫌ァァァァァーーー!!! ま、待って下さい、また反省文ですか先生!? 俺、もう反省文書き過ぎて手が腱鞘炎になってしまいそうです! このままじゃ、女の子に送るラブレターが一通も書けなくなってしまいます!」

 

「良い事じゃないか、ならばもう二度とラブレターなんぞ書けないような体にしてくれるわぁ!! 喜べ、今日は原稿用紙百枚コースだぁ!!」

 

「ひぃぃぃぃーー! 梨子ぉ! 助けて梨子ぉ!! 反省文に殺される!! もう俺、今まで書いた反省文の文字数だけでかの名作長編小説のハリーポッ〇ー書けちゃう! ハ〇ポタ書けちゃうからぁぁーーー!!」

 

 

 先生に肩をガッチリと掴まれ生徒指導室まで引きずられるのに抵抗しながら、俺はわずかな望みをかけて梨子に助けを求める。

 頼む梨子助けてくれ……! 普段から真面目で先生達に気に入られてるお前が言えば、何とか説得を聞き入れて貰えるかも……!

 

 そう思って俺が助けを期待して梨子を見つめていると、梨子は頭を下げて言った。

 

 

「先生お願いします。どうかレン君に、世間の厳しさを教えてあげてください」

 

「ああ任せなさい、それにしてもこんなバカと幼馴染なばかりに大変だな桜内君は……君はピアノのコンクールが近いのだろう? 練習頑張れよ、先生は応援しているからな!」

 

「はい、ありがとうございます先生」

 

「梨子ぉーーー!! この裏切り者ぉ!! 人でなしぃぃぃーーー!!!」

 

 

 

 驚くほどあっさりと梨子に見捨てられ、俺は為す術もなく先生に引きずられて行きながらそう叫んだのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ■ ■ ■ ■ ■

 

 

 

 

 

 そして俺が筋肉ダルマの先生と二人っきりという、地獄の生徒指導室からようやく生還できたのは、二限の終わり頃になってからの事だった。

 

 先生の説教を受ける間に、いつの間にかさっきの失恋のショックを忘れられたのは良い事だったが、それ以外は本当に地獄だった。筋肉ダルマの巨体で威圧されながら、竹刀で脅されつつ書く反省文ほどつらいものは無いぞ、いやマジで。

 全く……前時代的なスパルタ教育はやめてほしいよ本当に……。

 

 俺は心の中でそんな愚痴を言いながら、黙って教室に入って自分の席に座った。

 

 

「レン君、反省文お疲れ様……少しは反省したの?」

 

 

 すると丁度今は休み時間のようで、俺の後ろの席に座っている梨子が声をかけてきた。

 そんな梨子に俺は、今回の反省文で掴んだ成果を話してやる。

 

 

「――反省? する訳ないじゃん。むしろ文章力鍛えられて、次書くラブレターはもっと表現豊かなシロモノに仕上げれそうだぜ! 俺の告白成功率を上げる手伝いをしてくれたんだと思えば、いっそ生徒指導の先生にも感謝したいぐらいだな~」

 

 

 梨子は俺が全く落ち込んだ様子が無いのに呆れたのか、机に頬杖をつきながら言う。

 

 

「はぁ……さっきフラれて落ち込んでたばっかりで、しかもその上先生にもお説教された後なのにもう復活したの?」

 

「まぁ、俺は切り替え早いのが取り柄みたいなもんだからな~。むしろ先生の説教があったからこそ、余計頭が冷えるのが早くて失恋の痛みを忘れられたぜ」

 

 

 梨子にそう言いながら俺は、カバンから学校に持ち込んだ便箋と封筒を取り出した。

 ちなみに俺のカバンの中には、この二つと筆箱しか入っていない。

 ――え? 中学三年の受験生なのに授業を真面目に受ける気無いのかって? そんなの、勉強なんて後でなんとかなるから良いじゃないか。

 

 

「……何するつもりなのレン君?」

 

「何って、見ればわかるだろ? 俺の次の“運命の人”に宛てて、今からラブレター書くんだよ。実はさっき反省文書いてる時に結構いい表現が思いついたからな、すぐ形にしようと思って……」

 

「うそ、もう次の運命の人見つかったの? 早すぎない?」

 

「いや、別に見つかった訳じゃないんだけどさ、とりあえず書いておこうかなって……だって今から書いておけば、次の人が見つかった時にすぐラブレター送れるじゃん? いわば未来の自分への投資ってやつだよ梨子!」

 

「はぁ……もう、本当に懲りてないんだからレン君は。ある意味そこまで行くとすごいよ」

 

 

 反省文を沢山書いたにも関わらず早速ラブレターを書き始める俺に、ついに梨子は呆れを通り越したのか感心したようにため息をついた。

 ふふん、ついに梨子も諦めたか。この俺の恋への情熱はたとえ幼馴染でも、先生でも誰にも止められないぜ!

 

 

「よっしゃー! 執筆意欲(モチベ)上がってきたー! じゃあこのまましっかり手書きで、目指すぜ百枚ラブレター!」

 

「え、れ、レン君……本当に今から書くの? もう授業始まるんだけど授業はいいの?」

 

「心配ご無用! 本当にヤバくなったら俺には()()()があるのさ!」

 

「もう……後で後悔しても知らないんだからね」

 

 

 そして俺はそのまま、三限目の始業のチャイムが鳴って授業が始まっても構わずに、まだ見ぬ運命の女の子に渡すためのラブレターを書き続けたのだった。

 

 

 

 

 

 

■ ■ ■ ■ ■

 

 

 

 

 

 

「――で、レン君はそのまま四限終わりまでずっと、ノートも取らずにラブレター書いてたの?」

 

 

 学校の四限が終わったお昼休みの時間。

 椅子に座ったまま梨子はそう言って、梨子の席の真横で土下座する俺を責めるような目線で射抜く。

 

 ぐっ……流石に梨子からの視線が痛い……! で、でも俺はここで引けない理由があるんだ!

 そんな決心で俺は再度梨子に『お願い』をする。

 

 

「そ、そうなんだけどさ……ほ、ほら、さっきの授業終わりに、先生が急に来週の月曜小テストやるって言いだしたじゃん? 俺……今学期始まってから今までロクにノート取ってなくて……だからノート見せてください梨子様!」

 

「だからそれは自業自得って言ってるじゃない。授業をろくに聞かないで女の子にラブレター書くようなおバカさんには、絶対見せてあげないんだから」

 

「そんなぁ! ノートしっかりとってる梨子が俺の最期の頼みだったのに! お願い、神様、仏様、梨子様! このままじゃ小テスト赤点取って、補習の授業受けないといけなくなるんだよ~!」

 

 

 俺はそう言って涙ながらに梨子に頼み込んだ。

 

 ちなみに、補習というのは我が中学で中学三年生の受験生になったら課されるペナルティーのようなもので、各教科ごとに不定期で行われる小テストで赤点を取れば、問答無用で休みの日にその教科の補習を受けさせられるという鬼畜なシステムである。

 俺はこれの所為で貴重な休日が潰されるのがどうしても嫌で今、現在進行形で梨子に頭を下げているのだ。

 

 すると、梨子は驚いたように言う。

 

 

「え……まさか奥の手って私の事だったの!? だったら残念ね、良いじゃない、補習はレン君にはいい薬よ」

 

「そ……そんなぁ……リコえも~ん……」

 

「はいはい、私に四次元ポケットは無いから諦めてねー」

 

 

 俺の頼みを軽くスルーしながら梨子は、何かのイメージトレーニングをするように目を閉じた。

 

 く、くそぅ……もう無視か……確かに俺にも非があるのは認めるけど、こんなに頼んでるんだからちょっとは見せてくれてもいいじゃないか、梨子のケチ。

 

 

「~♪ ~♪」

 

 

 すると梨子は、鼻歌で何かのメロディーを唄いながら一定のリズムで指先を動かしていた。

 何やってるんだ梨子……? あ、もしかして。

 

 

「梨子、今やってるのってもしかして、朝先生が言ってたピアノのコンクールの練習?」

 

 

 そう言うと、梨子は何かを思い出したようにパッと目を開いて俺を見た。

 

 

「……そうだ! 朝から校門前でレン君が変な事してたから、すっかり言うの忘れちゃってた。あのねレン君、私今度、前言ってたピアノのコンクールに出られることになったの!」

 

 

 梨子は妙にハキハキと嬉しそうな様子でそう言った。

 確かにそういえば前に梨子が、結構大規模なコンクールだから絶対に出たいんだって言ってたような気がするな……ってか、出場決まったのか、すごいな……流石梨子だ。

 そう思って、精一杯祝ってやる気持ちで俺は言う。 

 

 

「本当か!? おめでとう梨子! あ、でも……結果出したいのは分かるけど、そうして学校の休み時間削ってまで練習するなんて……あんまり無理しすぎるなよ?」

 

「ううん、ちょっとぐらい無理したいの。だってせっかく出られるんだから、最高の結果を出さなきゃ損じゃない。心配ありがとう、気持ちだけ受け取っておくね」

 

 

 そう言って梨子は、やる気に満ち溢れた表情で笑ったのだった。

 

 

 ――俺の幼馴染である桜内梨子には、ある一つの特技がある。

 

 

 それがピアノであり、その腕はわずか十五歳という年で将来を期待されるレベルらしい。

 

 実際に俺も何度も梨子の演奏を聞いた事があるのだが、素人耳にも同世代の子と比べてレベルが違うという事はハッキリと分かるものだった。そして俺自身も、そんな梨子のピアの演奏を聴くのが大好きだ。

 

 だから梨子は、毎日友達と遊ぶわずかな時間すらも削って、ほぼ毎日のようにピアノのレッスンを受けるという大変ハードなスケジュールを送っている。だから俺は、梨子が友達と遊んでいるという話を殆ど聞いたことが無い。

 

 そんな梨子に以前、少し練習で根を詰めすぎじゃないかと思った俺は、肩の力を抜いてやるつもりで

 

『そんなの彼氏できたらろくに遊べないじゃん、ちょっとは休めよ』

 

 ――と、冗談交じりに言った。

するとやたら不機嫌な表情になった梨子に『私をレン君と一緒にしないで』と言われて怒られ、それから俺は梨子の練習量の件に関してはあまり口を出さないことにしたのだった。

 

 でも、こうして僅かな休み時間ですらも削って練習をしている梨子を見ると、やっぱり根を詰めすぎなのじゃないかと俺は思わずにはいられなかった。頑張り過ぎたせいで、体調崩さないと良いんだけど……。

 

 俺がそんな心配をしていると、梨子は言いにくそうにしながらも、ゆっくりと口を開いてこう言った。

 

 

 

「あの……だからね、そのコンクールがね、来週の土曜日にあるんだけど……その……良かったら、レン君も来てくれる?」

 

 

 

 ――出た、この謎の梨子の問いかけ。

 

 こんな風にして、コンクールがある度に毎回梨子は何故か決まって俺に、暇だったら来てくれないかと申し訳なさそうに頼んでくるのだ。

 全く……梨子ぐらいのピアノの腕だったら、そんな自信なさそうに言わなくても、ちょっとは『私の演奏を聞け!』って感じで、自信満々に誘ってもいいのに……しょうがない奴だな。

 そう思い、俺は梨子に親指を立てながら笑顔で言ってやる。

 

 

「――え? 今更何を言ってるんだよ梨子! 俺が梨子のピアノの発表会に行かない日あったか? 当然今回も行くに決まってんじゃん! だって俺、梨子のピアノ大好きなんだぜ?」

 

 

 補習に費やされる休日なんてまっぴら御免だが、梨子の為に費やす休日なら大歓迎。梨子のピアノの演奏を聞けるならなお最高。俺は笑顔で梨子にそう言ってやった。

 

 すると梨子は、さっきまでの不安な表情が嘘だったかのように、パァッと明るい表情に変わった。

 

 

「……うん、ありがとうレン君。じゃあ私、来てくれるレン君の為にも演奏頑張るね」

 

 

 梨子はそう言って満足そうに笑った。

 俺はそんな上機嫌な梨子を見て好機だと思い、再度同じお願いをする。

 

 

「じゃあ……梨子様。そんな梨子様のコンクールに行く俺の貴重な土曜日が、赤点追加の補習で潰れないように、是非ともご慈悲を頂きたいのですが……」

 

 

 その俺のお願いに梨子は少しだけ悩んだ後、やれやれと言った表情で口を開く。

 

 

「……もう、分かりました。今回だけだからね」

 

「やったー! リコえもんありがとう!」

 

 

 そう言って俺は梨子に差し出された、もうこれで通算十回目を越えた『今回だけ』の梨子のノートに嬉々として飛び付いた。

 ふふふ……何だかんだ言って最後には俺に甘いんだって事、お見通しなんだぜ梨子……。

 

 

「もう……私が居なかったら、レン君きっと今頃どうなってたんだろうね?」

 

 

 そんな調子の良い俺を見て、ちょっぴり嫌味を言うように軽く拗ねる梨子。

 でも実際、かろうじて俺が全教科赤点を逃れられているのは梨子のお陰だったりするからお礼は言うべきだろう。俺はそう思って両手を合わせて梨子を拝む。

 

 

「いやぁ……本当だよ、いつもありがとう梨子。梨子が居なったら俺、毎週のように赤点補修受けてたよ」

 

「もう、自覚あるんだったら、明日から真面目に授業受けてよ」

 

「はーい。あ……でも、これから梨子のノート見せてもらえるんだったら、もっとラブレターに割く時間増やせるよなぁ……」

 

「あ、そんな事言ってる人には、やっぱり貸してあげませーん」

 

「ああっ、ゴメンゴメン冗談だって! まったく……冗談が通じない真面目さんなんだから梨子は」

 

「ふふっ……そんな冗談を言うレン君が悪いんだよ」

 

 

 梨子はそう言って楽しそうにクスクス笑う。

 そんな梨子を見ていると俺は、朝から女の子にフラれたり先生に怒られたりした嫌な記憶が何処かに飛んで行ってしまうかのように、気持ちが和らいでいくのを感じる。

 

 ――ああ、やっぱり梨子と話していると落ち着くなぁ。

 

 俺はしみじみとそう思った。

 実は、俺はいつも言葉にはしないが、梨子がこうして俺と仲良くしてくれているのに感謝していたりする。 

 

 なぜなら俺は、ほぼ毎週のように校内で女の子に告白しているところを目撃されている所為か、クラスの中で浮いた扱いを受けている。

 それは別に嫌われているという訳じゃないし、無視されてイジメを受けているという訳でもない。

 だが、俺が誰に話しかけても、みんなはまるで日曜日に家に来たセールスマンを相手するかのように、早々に話を打ち切って何処かに去って行くのだ。

 

 だからクラス内での俺の扱いは、『見ている分には楽しいから放っておこう』という、半ば他人事のような感じで放置されていた。

 

 そんな俺に、学校で親しい友達と言える存在など梨子以外にいる訳がなく、勉強がわからない時に頼れる相手も、こうして親しく話せる相手も梨子以外には居ない。

 

 ――でも、別に俺は一人でいるのが辛いという訳でもない。

 それに、こういうのは自分で言うのもなんだが、俺は己の感情に正直に生きている人間だという自覚がある。

 

 だから、そんな正直に生きた行動の結果で『恋愛勇者』なんて変なアダ名をつけられ、クラスで自分が避けられるような扱いをされて、文句は言いはしてもそれは仕方ない事だと納得している。

 

 しかし、それでもフラれて落ち込んでいる時に、何度でも呆れながらに励ましてくれる存在がいるというのは、それだけでも俺にとって心の救いになっていた。

 

 だから俺は、梨子にとっても感謝している。

 例え梨子が本心では俺の事を嫌っていて、幼馴染として放っておけないという義務感だけで仲良くしてくれているのだとしても、それでも俺は梨子に感謝の言葉以外にないのだった。

 

 

 だから俺は、梨子にずっと―――

 

 

 そう思って、俺は梨子に笑いかける。

 

 

「……? ねぇレン君、急に笑ってどうしたの?」

 

「いや、梨子みたいに優しい奴が俺の幼馴染で、本当に良かったって思っててさ」

 

「えっ……きゅ、急にどうしたの? そんな変な事言って……」

 

 

 そう言って、梨子は照れたようにそっぽを向いた。

 そんな梨子に、俺は続けて言う。

 

 

「変な事じゃないって、俺本当に梨子には感謝してるんだ。今もこうして仲良くしてくれたり、色々助けてくれたりしてさ……俺きっと、冗談でもなんでもなく、梨子が居なかったら生きてけないよ」

 

「そんな……言い過ぎだよレン君、私そんな大したことしてないよ」

 

「いや、大したことしてる!」

 

 

 そう言って俺は、真剣さが伝わるように机の上の梨子の両手を握り、真面目な表情をして梨子の方に顔をズイっと寄せ、彼女の綺麗な琥珀(こはく)色の瞳を至近距離で見つめた。

 

 

「え……えええええっ!?」

 

 

 すると梨子は、ボフンと湯気が出る効果音が出そうな程に顔を真っ赤にして、目を驚きで見開らかせる。

 そんな狼狽した様子の梨子に構わず俺は、自分自身のありのままの気持ちを正直に伝える。

 

 

 

「あのな、梨子……だから俺は――」

 

「ま……ままままままま待ってレン君! こっ……心の準備させて!」

 

 

 

 すると梨子は慌ててそう言って俺の手を振りほどき、両手で赤くなった自分の顔を抑えながら、「や……やった、ついに……」「で、でもなんで今? 恥ずかしい……でも……」――などと、そんな意味のわからない呟きを小声でブツブツと呟く。

 

 そしてしばらくした後、深く深呼吸をして背筋をピンと伸ばし、まるで何かの覚悟を終えたような強張った表情で梨子は俺を見据えた。

 

 

「よし……い、いいよレン君。い、いつでもどうぞ」

 

「あ、ああ……なんかよくわからないけど、言っていいなら続けるぞ?」

 

「は、はい!」

 

 

 梨子がさっきから様子が変だが、それを気にせずに俺はハッキリと言う。

 それは、今の俺のありのままの本心だった。

 

 

 

「だから梨子……ずっと俺の傍に居てくれ! ――()()()()()()!」

 

「は、はい! …………って……え?」

 

 

 

 すると梨子は、何故かさっきまで明るかった表情から一変、呆然としたように俺を見た。

 

 あれ……もしかしてダメなのか?

 

 俺は心配になって言葉を重ねた。

 

 

「え……? だ、だってさ……こうして幼馴染だから俺は梨子にとんなことでも気楽に相談できるし、梨子も俺の相談に乗ってくれるだろ? こんなの、普通の友達じゃあ絶対に無理だよ。

 だから、ずっとこんな関係で高校や大学に行っても――いや、たとえ大人になってもずっと、梨子とはこうして一緒に居たいって思ったんだ! だから……ダメかな?」

 

 

 俺がそう言うと、梨子の表情に一瞬影が差したように見えた。しかしそれが一瞬見えた錯覚かのように、次の瞬間には梨子は明るい笑顔になって言った。

 

 

 

「……うん、いいよ。レン君がそう言ってくれるなら、私はずっと幼馴染でいいよ」

 

「本当か梨子! ありがとうー!」

 

 

 

 俺は梨子の笑顔に俺は若干引っかかるものを感じたが、でも大したことじゃないだろうと思って気にせず梨子の手を取って笑う。

 

 

 

 こうして俺は今日も、梨子と過ごすいつも通りの学校での一日を終えた。

 

 

 

 

 

 

 ――俺にとっての輝き(Sunshine)は、今だ見つからないままである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





ここまで読んで頂きありがとうございました。

察しの良い方はもうご存知の通り、恋虎君のキャラはボカロ曲の『恋愛勇者』という曲を参考にさせて頂きました。この曲はもう今となっては昔の曲になってしまったかもですが、私個人としては今でも大好きな曲ですので、興味のある方は是非聞いてみてください。

しかしあくまでも参考にしただけなので、もし恋虎くんのキャラが曲のイメージと違っている所があったとしても、それは仕様だと思って頂けると嬉しいです(懇願)

では、もし良ければまた次回お会い致しましょう。ではでは……




PS
更新予定や活動報告をTwitterで呟いています。
@kingudmuhatu



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2話 勇者と海の音

 

 

 俺はふと気が付けは、布団の中で眠りについていた。

 

 目を開いて布団から身体を起こすと、今の状況を思考できるぐらいには段々と意識が覚醒してきたのを感じるが、一体何時から眠っていたのかと思い出そうとするも、起きかけのボーっとした頭が考えるモヤのかかった思考では、自分の昨日の行動をよく思い出すことが出来なかった。

 

 しかしそんな状態でも、何故かさっきまで見ていた夢の内容だけは鮮明に思い出せた。

 

 それは、お父さんの運転する車にお母さんと一緒に乗って、遠い海にまで家族みんなで遊びに行くという夢で、人からすれば何の変哲もない普通の夢かもしれない。

 

 けれどもその夢は、俺にとって何よりも温かいもので……同時に、悲しくて胸が張り裂けそうになるものだった。

 

 

 ――今日は、起きたくないな。

 

 

 そう思い俺は、寒い外気から身を護るように深く布団を被り直す。

 そして俺はそのまま、さっき夢の続きが見たくて再度眠り直す事を決意した。

 

 

 しかしそんな俺の二度寝は、威勢の良いしわがれた声で阻止される。

 

 

 

『ほら、もう朝だよいつまで寝てるんだい! 起きな恋虎(れんが)!』

 

 

 

 その声に俺は目を開けて、自分を起こしに来た人物の顔を見た。

 するとそこには、齢七十代の白髪でありながら、そのしわが無数に刻まれた表情に若々しい活力を感じさせる老婆が居た。

 

 

 ――ああ、俺、まだ夢の中にいるんだな。

 

 

 その人――おばあちゃんの顔を見た瞬間俺は、自分がまだ夢の中にいる事を理解した。

 

 俺は眠い目をこすりながら布団から起き上がると、自分の手足が異様に短くなっている事に気付く。

 

 どうやら俺は今、自分が小学生だった頃の記憶を夢に見ているらしい。

 もしかして、これが明晰夢(めいせきむ)ってやつなのだろうか……? 話には聞いた事あるけど、ここまでハッキリ見えるなんて初めて知った。

 

 そんな事を考えていると、俺の顔を見たおばあちゃんは言った。

 

 

恋虎(れんが)……またお父さんとお母さんの夢をを見たのかい? あーあ、そんなに泣いてまぁ……コイツを使いな』

 

 

 おばあちゃんはそう言うと、俺に向かってティッシュの箱を放る。俺はそれを受け取って初めて、俺は自分の頬を伝う涙に気が付いた。急いでティッシュを二、三枚取ってごしごしとふき取る。

 

 

『――よし、男前になったね。いいかい恋虎、男が過ぎた過去を振り返ってメソメソ泣いてちゃいけないよ……あの親不孝者のアタシの馬鹿息子とその嫁もきっと、忘れ形見のアンタにそれを望むだろうさ』

 

 

 おばあちゃんはそう言って、年を全く感じさせない晴れやかな笑顔で俺の頭をワシワシと撫でる。年を取って肉付きが薄くなった骨ばかりの手だったけど、それでも俺はその手に、あったかい温もりを感じた。

 そして、しばらくの間撫でられるがままにされていると、俺が落ち着いたと感じたおばあちゃんは言った。

 

 

『さぁ、元気になったならサッサと行くよ恋虎!』

 

 

 ――どこに? と俺が問うと、お祖母ちゃんはニヤッと笑った。

 

 

『――海に、だよ! ほら、分かったなら四十秒で支度しな!』

 

 

 そう言ってさっさと身支度を始めるおばあちゃんに、俺が四十秒以内で出来たことは、テーブルの上の食パンを牛乳で胃に流し込んで朝ご飯を終え、洗面台で顔をサッと洗った事ぐらいだった。

 

 

 そしてその一時間後俺は、おばあちゃんが運転する大型バイクに乗り、東京の早朝の首都高で風になっていた。

 

 

『ヒャッホォォォ! やっぱりこの時間帯の首都高をバイクでかっ飛ばすのはたまらんわ! 気分が若返るようだよ! どうだい恋虎、今の気分は!? 最高じゃろ!?』

 

 

 大型バイクを高速でかっ飛ばしながら、イキイキとして後ろの俺にそう聞いてくるおばあちゃんに、俺はその腰に強くしがみつくことで応じた。

 

 ――そういえばそうだった、おばあちゃんは年に似合わずおっきなバイクを乗り回すのが大好きな人だった。一緒に暮らしてた頃は、よくこうして色んな所に連れて行ってもらったっけ。

 おばあちゃんの腰にしがみつきながら、俺はそんな事を思い出していた。

 

 

『おやおやなんだい? この程度でビビっちまったのかい? 男がなさけないねぇ、ほらほら、まだまだ年寄りの趣味に付き合って貰うよ――かっ飛ばすぜベイべーーー!!』

 

 

 そう叫んでさらにスピードを上げたおばあちゃんの運転に、俺は悲鳴を上げながら必死でしがみつく。

 

 そうしてその後、地獄のような二時間を過ごし、やっとおばあちゃんは高速を降りてくれた。

 高速を降りた後もしばらくおばあちゃんはバイクを走らせ、そして目的の場所に着いたのか、おばあちゃんはそこでバイクを止めた。

 

 

『ほら、ついたよ恋虎。見てごらん!』

 

 

 そう促されて俺が見ると、目の前一面に透き通るような白さの砂浜と広がっていて、そしてその砂浜と対極のような色合いを持つ、(あお)く澄んだ海が水平線の彼方にまで続いていた。その海の水面には太陽の朝日がキラキラと反射していて、まるで万華鏡を覗いているような感覚を覚える。

 ここが夢の中であると分かっていても尚、素晴らしいと感じてしまうその光景に、俺はいつの間にか心を奪われてしまっていた。

 

 

 ――思い出した。確か小学五年生の頃、こうしてここに連れて来てくれた事あったっけ。そうか、今見てるのはその日の夢か……ってか、よく覚えてたな俺……懐かしい……。

 

 

『どうだい、綺麗だろ? 恋虎に一度この海を見せてやりたかった。

 ここは、静岡県の内浦という所の海でな、アタシは昔ここで爺さんにプロポーズされたんだよ……ああ……あの時の爺さんは本当にカッコよかったわぁ……』

 

 

 そう言っておばあちゃんは俺の記憶にある通りのセリフを言い、内浦の海の遥か彼方の水平線を眺めながら、幸せそうな笑顔で昔の事を語ってくれた。きっとおばあちゃんにとってその記憶は、何よりも大切ものなのだろう。

 

 俺がそう思っていると、不意におばあちゃんが真面目な顔になって言った。

 

 

『――なぁ恋虎や、聞いてくれんかい?』

 

 

 その問いに小学生の俺は素直に頷いていた。当時の俺は随分おばあちゃんっ子で、おばあちゃんの話になんでも興味があったから、今度は何を教えてくれるんだろうかとわくわくしてたんだ。

 それを見て、おばあちゃんは話し始める。

 

 

『恋虎は……人が、なんで恋をするのか知ってるかい?』

 

 

 俺は首を横に振る。

 そんな俺に、おばあちゃんは水平線の向こうを指差しながら言った。

 

 

『それはね……人はみんな、アレを求めてるからなんだよ』

 

 

 おばあちゃんの指先を見つめると、そこには朝の街を照らす輝く太陽がそこにあった。

 

 

『――そう、お日様だよ。お日様はすごいよ……眩しくてあったかくて、思わず手を伸ばさずにはいられなくなる……そんな存在さ。本当の恋をすると、まるで人は心に太陽を貰ったような気持ちになって、生きる気力が湧いてくるんだ。

 アタシはそれがあったから、日本がアメさん相手に戦争しとった時に、配給が足りんで飢えて死にそうになっても、草むらで跳ね回るイナゴを貪って意地でも生きてやろうって思えたんだ……だから、恋は素晴らしいものなんだよ』

 

 

 そう言って朝日を見つめながら昔の自分を語るおばあちゃんの顔は、朝日に照らされてキラキラと輝いて見えた。

 

 ああそうだ思い出した――小学生だったその時の俺は、そんなおばあちゃんがとっても眩しくてカッコいい存在に見えたんだっけ。

 

 そしておばあちゃんは、そんな俺の視線に気づいたのか気付いていないのかこちらに振り向き、俺の目をしっかりと見据えながら言った。

 

 

『だから恋虎、お前さんがいつか運命の人を見つけて、本当の恋をした時は……その時はその子を全身全霊で愛し抜きな。

 ――お前さんだけの輝きを見つけたら、それを決して離さないようにするんだよ……分かったね? おばあちゃんとの約束だよ』

 

 

 だから当時の俺は、自分もおばあちゃんみたいになりたいと思って、真剣な眼差しで俺を見つめるおばあちゃんのその約束に応じるように、強く頷いてこう言ったのだ――

 

 

 

『うん! おれ、ぜったい、うんめいのひとを見つけて、本当のコイをする! そして、おばあちゃんみたいにキラキラした人になるんだ!』

 

 

 

 無邪気に笑ってそう答える俺を見て、おばあちゃんは満足そうに笑う。

 

 

 

 ――そして、その笑顔を最後に、俺の夢は途切れたのだった。

 

 

 

 

 

 そうか……そうだった。思ってみればこの日からだったかもしれない。

 

 ――俺が“運命の人”を求めて、恋をするようになったのは。

 

 

 

 

 

 

 

 

■ ■ ■ ■ ■

 

 

 

 

 

 

 

 

 ピンポーン! ピンポピンポーン!

 

 

 

 

 

 家のチャイムが連続で鳴る音で俺は目を覚ます。

 

 うるさいなぁ……こんな朝に俺の家にまで来るなんて一体誰だ? 折角さっきまで懐かしい夢が見れてたのに……。

 

 と、チャイムの主にそんな感想を抱いていると、チャイム音と共に外から声が聞こえて来た。

 

 

 

「レン君ー! 何時まで寝てるのー? もう起きないと学校遅刻しちゃうよー!」

 

 

 

 その声の主は、どうやら寝坊したらしい俺を起こしに来てくれた梨子(りこ)だった。

 そうだった。こんな朝に俺の遅刻を心配して家にまで来るようなお節介焼きは、梨子以外にいる訳が無い。

 

 とにかく、わざわざ起こしに来てくれた幼馴染の好意を無駄にする訳にはいかない。

俺は急いでベットから起き上がって自室の窓を開け、外に居る梨子に言った。

 

 

「ごめん梨子、今起きた! 四十秒で支度するからちょっと待っててー!」

 

「もう、やっぱり寝てたの? なんで四十秒なのか知らないけど、とにかく早く出てきてねー?」

 

 

 梨子に急かされるようにそう言われ、俺は急いで制服に着替えて机の上にあるカバンを掴み、キッチンから食パンを一枚とって家の廊下を駆け足で玄関に向かう。

 

 

――おっと危ない、朝の挨拶を忘れる所だった。

 

 

 自分で宣言した約束の四十秒は過ぎてしまうが、俺は玄関に向かう足の向きを変え和室に入る。

 

 

 

そして俺は、部屋の隅にある仏壇の前に正座し、(りん)を鳴らして手を合わせた。

 

 

 

 仏壇に飾られた写真立ての中に、さっきの夢でみたのと同じ笑顔を見つけ、俺はそれに笑いかけながら今日もいつも通り宣言する。

 

 

 

「おはよう、おばあちゃん、父さん、母さん! 俺――赤井橋(あかいばし)恋虎(れんが)は、今日も一日、恋のために生きる事を誓います!」

 

 

 

 

 

 ――こうして、俺の一日はまた始まった。

 

 

 

 

 

 

 

■ ■ ■ ■ ■

 

 

 

 

 

 学校の終業のチャイムが鳴り、放課後の時間になった。

 

 今日も俺はいつも通り―――

 

 

 

「毎日動物のお世話をしている君の心優しさにやられてしまいました! だからどうか、俺と付き合ってください!」

 

 

 

 ウサギ小屋の前で俺は、新しく出会ってしまった“運命の女の子”に、一世一代の告白をしていた。

 

 ちなみに今回の俺の運命の女性は、眼鏡をかけた後輩の女の子で、飼育委員の仕事で毎日ウサギ小屋で餌をやっていたり掃除したりしている、優しいおっとりとした感じの子だ。

 

 下校途中で小屋の前を通りがかった時に見た、餌を与えながらウサギを愛でるその、慈しむような優しい瞳に俺はフォーリンラブイット。想いを三日間募らせ、こうして今告白するに至っている。

 

 そして俺がドキドキしながら相手の子の反応を窺っていると、その子は言った。

 

 

「ごめんなさい……私、気持ちは嬉しいんですけど、その……なんていうか……先輩の事、よく知りませんから……」

 

 

 やっばーい、もう速攻でお断りの雰囲気出てるぅ……。

 だ、だがしかし! 今回はここで終わる俺じゃないのさ!

 そう思って俺は、この日の為に三日もかけて用意したものをカバンから取り出そうと探りながら、その子に言った。

 

 

「待ってくれ! 俺、君に少しでも俺の想いが届いたらって思って、ラブレター書いてきたんだ! せめて……それを読んでからでも考えてくれないか?」

 

「えっ……? 私に、ラブレターですか? ……じ、じゃあ、読むだけなら……」

 

 

 そう言ってその子は、ほんの僅かにだが期待するような表情でこちらに手を差し出した。

 

 ――よっし、思ったより好感触! やっぱり、手書きのラブレターを貰ったら女の子は嬉しいんだって聞いた噂は本当だったんだな! 一生懸命書いて良かったぁ! これで……ついに俺にも念願の彼女が……!

 

 そう思いながら鞄の中から白い便箋を取りだし、俺はその子にそれを手渡した。

 女の子は自分の手の上にある“それ”を見て、訝しげな表情で首を傾げながら言う。

 

 

「あの……すいません先輩、“コレ”って……一体何ですか?」

 

「え? さっき俺ラブレターって言ったじゃん、それがそうだよ!」

 

「え……あ、あの……それは分かってるんですけど……な、なんですかこの、()()は?」

 

 

 そう言って彼女は手に持ったその封筒の、辞書ほどの厚さをアピールするように指でつまんで俺に差しだしてきた。俺は胸を張って答える。

 

 

「ああ……俺のこの胸に溢れる情熱は、とてもラブレターの用紙一枚程度には収められる気がしなくてな……だからその中にA4サイズの用紙、()()()()()()()()()()()()()()()()()()! ……どう? これで、俺の君への熱い気持ち伝わってくれたかな!?」

 

 

 俺がワクワクしながらそう聞くと、女の子は口をワナワナさせながら言った。

 

 

「ウェェェ……気持ち悪いよぉぉぉぉぉ………!」

 

「――――なんだってぇ!?」

 

「ひっ……!」

 

 

 俺は、あんなに優しかったはずの彼女の口から出たその言葉が信じられなくて詰め寄ると、その子は物凄い速さで後ずさった。

 信じられない思いで俺がもう一歩距離を詰めると、彼女はジワッとその両目を涙で潤ませた。

 

 

「嫌ぁっ! こっち来ないでぇぇぇーーー!!!」

 

「ま、待ってくれーーー!!!」

 

 

 そしてそのまま、逃げる彼女と追う俺の、熾烈な追いかけっこが始まった。

 校舎周りをグルグルと何周も走り回り、校舎の中庭を突っ切るという縦横無尽なコースをその子と俺は駆ける。

 ……というか、君そんなに体力あったんだね、知らなかったよ。もしかして火事場の馬鹿力ってやつかな? そんな火事場発揮するほど俺って怖いのかな? 俺、泣いていいかな?

 

 俺が女の子を追いながら涙で潤む瞳を袖で拭った頃、ようやく追いかけっこの決着がついた。

 逃げた彼女の向かった先は学校の焼却炉だったのだ。そこには丁度燃えるゴミを処理していたのか、用務員のおばちゃんが居た。

 

 

「用務員さーーん!! コレお願いしますぅぅぅ!!!」

 

 

 俺の制止を振り切り彼女は、その華奢な体型からは想像できない程の綺麗なフォームで、おばちゃんに向かって俺のラブレターを投擲した。

 俺のラブレターは綺麗な放物線を描いておばちゃんの元にまで飛んでいく。

 

 

「――あいよ! 任せときなぁ!」

 

 

 そして、おばちゃんは意気揚々それをキャッチし、焼却炉の中に勢いよくダストシュート。俺の想いは、燃えるハートのようにメラメラと燃え盛ってあっという間に真っ黒コゲになってしまった。

 

 

「おっ……俺のラブレターがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーー!!!」

 

 

 そして、その場から悲鳴を上げて逃げ去る彼女を尻目に、俺は焼却炉の前で叫ぶ。

 

 

 

 

 ――こうして、俺の通算58人目の“運命の人”への告白は、またも失敗に終わってしまったのだった。

 

 

 

 

 

 

■ ■ ■ ■ ■

 

 

 

 

 

 

「おおゆうしゃよ、ふられてしまうとはなにごとだ」

 

「……前回とパターン変えてきたね……なんで俺が、またフラれたってわかるんだよ……梨子(りこ)?」

 

 

 

 俺が、またもや運命の人にフラれてしまったその翌日の土曜日。

 

 前に行くと約束した通り俺は、梨子と共にピアノコンクールがある会場に電車で向かっていた。

 普段なら梨子はこういったコンクールの時は会場まで親の車で送ってもらうのだが、今日は二人共他に用事があるらしく、俺がおじさんとおばさんの代わりに梨子を送る役目を頼まれたというわけなのだ。

 

 そして俺は、電車の座席で隣に座っている梨子に、またもや教会で迎えられるような台詞を言われてしまった――という次第である。

 

 尋ねる俺に、梨子は呆れながら言う。

 

 

「もう……だってレン君、朝からずっと世界の終わりって言わんばかりの顔してたもん。誰だって分かるよ。そんな顔されちゃったら、演奏前なのに気分が滅入(めい)っちゃうからやめて」

 

「でも……だってさ梨子……せっかく三日もかけてラブレター書いたのに、焼却炉に放り込まれたんだぜ? なにも燃やさなくても……」

 

「――ところで、そのラブレターの枚数は?」

 

「そりゃあ勿論、バッチリ気持ちを込めて百枚書いたさ!」

 

「…………それはフラれて当然だって私は思うけど」

 

「な、なんでだよ梨子! 気持ちは沢山籠ってた方が良いに決まってるだろ!?」

 

 

 そう言って俺は、自分の書いたラブレターの正当性を主張した。

 そんな俺に、梨子は怒ったように言う。

 

 

「込めすぎ! レン君絶対その子にストーカーか何かかって勘違いされたよ? 確かに気持ちが籠ってるのは嬉しいけど、多すぎると逆に怖くなっちゃうものなの!」

 

 

 そんな梨子の説教に、俺はハッとなった。

 

 

「そうか……卵焼きの砂糖だって入れ過ぎればマズくなるのと同じって訳か……くっ、今回は失敗して当然だったんだな……」

 

「そうそう、気持ちを伝えたいなら量より質が大事なんだよ? そんな大量のラブレターもらっても、普通の女の子は喜ぶより怖くなっちゃうんだから――」

 

 

 俺は梨子の意見に納得し、悔しさで唇を噛む。

 くそっ……今回フラれたのはそれが理由か……なら仕方ない! 理解したなら次に生かせばいいだけの話だ。だったらこれ以上クヨクヨするな! 前向きさだけが取り柄なんだろ俺! この失敗をバネにして、次こそは運命の人を彼女にしてみせる!

 

 ――と、俺がそんな意気込みを新たにしていた時だった。

 

 

 

「レン君からそんなの貰って喜ぶのは……私ぐらいだよ」

 

 

 

 俺の隣で呟くように梨子が何かを言った気がしたが、小声過ぎてよく聞き取る事が出来なった。

 

 

「あの……何か言ったか梨子?」

 

「う、ううん、何でもない! それより、そのラブレター随分熱心に書いたみたいだけど……書いてる間レン君はちゃんと勉強してたの?」

 

 

 すると、慌てて誤魔化すように梨子がそう言った。

 俺はちょっと梨子の態度を不思議に思ったけど、気の所為だと思い直して今回のラブレターに懸けていた情熱を語ってやる事にした。

 

 

「当然、やってない! 学校の授業中も構わず書いて、寝る間も惜しんで書いてたからな! おかげでここ最近はずっと寝不足なんだぜ!

 フラれて家に帰った日に夕方から今日の朝まで寝込んでたから、それが唯一ロクに寝た記憶だな」

 

「はぁ……やっぱり……もう、レン君は受験生の自覚足りてないよ? そんなので本当にあの音ノ木坂に受かるつもり? あそこ、今年けっこう入試倍率高いみたいだけど大丈夫?」

 

 

 梨子は心配そうにそう言って、とある高校の名前を出す。

 

 “音ノ木坂”というのは『国立音ノ木坂学院』という名前の高校であり、結構最近まで女子高だった過去を持つ、共学の公立高校だ。

 

 その高校は昔、入学者数が少なく廃校の危機と言われた過去を持つものの、当時の理事長が“女子校”から“共学校”にと経営方針をガラリと変えるという、博打に近い勇敢な改革を行ったり、そして名前こそ聞いた事はないが、“伝説”とまで称されるようになった学校のアイドル――『スクールアイドル』の活躍のお陰で、学校の名前が有名になり、なんとか入学者数を持ち直し廃校を脱したという、なかなか波乱万丈な歴史を持つ高校だ。

 そして今現在は入学者数も毎年安定して増加の一途を辿っていて、都内でそこそこ人気のある高校だと言える。

 

――そう、まさに俺と梨子はその高校、音ノ木坂学院を第一志望にしているのだ。

 

 

「大丈夫大丈夫、梨子は心配性だな。ほら、俺はやれば出来る子だから! それに今日来れたのだって、あの小テスト合格したからだろ? こう見えてテスト前は梨子のノート見て頑張って勉強したんだぜ俺!」

 

「そうだよね、レン君はやれば勉強できるんだよね……あーあ、レン君はその集中力のままでずっと勉強出来たらいいのに……」

 

 

 梨子はそう言うと、まだ心配なのか呆れたようにため息をついた。

 むむ、梨子め、せっかく俺が小テストの結果を例にしたのにまだ危ないと思ってるな。わかったよ、だったらもっと説得力のある事言ってやる……。

 そう思って、俺は口を開いた。

 

 

「なぁ……梨子……俺が、女の子いっぱいの高校生活を目の前にして、みすみすそれを逃がすような男に見えるか?」

 

「うーん……そう言われちゃうと説得力が増すのがレン君だから困るよね……」

 

 

 どうやら今度は一瞬で納得してくれたらしい。

 あれ? なんだこれ……いくら普段の行動がアレだからとはいえ、そこまですんなり納得されるとちょっと悲しいものがあるぞ。俺って、そんなに梨子から軽い男だと思われてた? ――いや、思われてそうだな、うん。

 

 

 まぁ……とはいえ、梨子がそう納得してしまうのも分からない話じゃない。

 

 なぜなら音ノ木坂学院はさっき言った通り、共学化してから暫く経つとはいえ、女子高だった過去を持つので、今だ生徒の男女比は3対7ぐらいと、まだまだ女の子の方が多い状況にあるのは事実だ。

 だからこそ、“運命の人”を求めて恋をし続けている俺にとっては、まさにうってつけの高校だと言える。

 

 ちなみに噂では、これでも男女比はマシになった方だと言われており、過去に音ノ木坂が共学化を始めるにあたって、設備や教育制度などの問題を調べる為に募集した『共学化試験生』という制度で入学した男子の数は……なんと、一人だけだったらしい。

 それを聞いて俺は、なんだよそのラノベ的展開は羨ましい――と思ったのと同時に、ソイツの真似は出来ないなと、その入学した男子に畏怖の感情を覚えた。

 

 流石に、どんだけ女好きでも女子高に男一人は心細すぎるだろ、その入学した奴はよくやったよな……ひょっとして、俺なんかよりもよっぽど勇者なんじゃねソイツ?

 

 ――と、まぁ、音ノ木坂の男女比率に対する話はここまでにするとしよう。

 過程はどうあれ、大事なのは俺が、その女の子でいっぱいの高校生活を目指しているということである。そしてそんな不純な入学動機は、梨子にしてみればお見通しなんだろう。

 

 

 でも本当は……俺は、そんな理由だけで音ノ木坂を目指している訳じゃないんだ。

 

 

 俺は出来る限り真剣な表情を作り、梨子の瞳を真っ直ぐ見つめながら、()()()()()音ノ木坂に通いたい理由を言った。

 

 

 

「それに俺……梨子と、一緒の高校に行きたいんだ」

 

 

 

 ――そう、女の子との出会いを目指すのもあるが、俺が音ノ木坂に行きたい一番の理由はそれだった。

 

 音ノ木坂学院は音楽に力を入れている高校で、梨子は親の薦めもあり、その学校にピアノの一芸入試で合格を狙っている。

 だからそれを聞いて俺は、音ノ木坂学院を第一志望にしたのだ。

 だって、俺は梨子と小学生の頃から今までずっと一緒に居たんだ。高校に行ったら離れ離れになんて……そんなの、考えただけで寂しすぎて死んでしまいそうだったからだ。

 

 すると、俺のそんな想いの籠った言葉を聞いた梨子は、しばらくぼーっとした表情で俺の顔を見つめた後、急いで目線をそらして下を向き、頬を真っ赤に染めながら言った。

 

 

「……うん。私も……高校でもレン君と一緒に居たい」

 

 

 どうやら、梨子も俺と想いは同じようだった。

 梨子は暫く下を向いていた後、ガバッと顔を上げて言う。

 

 

「だっ……だから、私はレン君にはしっかり勉強してほしいの! ……わかった!?」

 

「うん、わかった。梨子にそこまで言われたからには、しっかり勉強頑張るよ」

 

「……本当に分かってるの?」

 

「大丈夫大丈夫、心配しなくても絶対合格してやるからさ!」

 

「……うん、だったら私、レン君の事信じてるからね」

 

「おう! 任せとけ!」

 

 

 念を押す梨子に、俺は自信満々にそう答えてやる。

 やれやれ……いつも家に帰ったら告白のイメージトレーニングのために純愛映画見てたけど、これからは真面目に勉強するのも悪くないかな。

 

 

 ――と、梨子と話しながらそんな事を考えていると、ようやく目的の駅に着き、俺と梨子は電車から降りた。

 そして駅から会場ホールまで歩いて到着し、そこで梨子とは手続きや衣装替えをしに行くため一旦俺と別れたのだった。

 

 

 

 

 

 

 ■ ■ ■ ■ ■

 

 

 

 

 

 

 俺が会場ホールの観客席に着いてしばらくして、ピアノのコンクールが始まった。

 

 事前にコンクールの宣伝がされていたのか、ホール内の観客席はほぼ全てが埋まってしまっていて、それだけ注目されている大規模なコンクールなのだという事が、ピアノの世界をロクに知らない俺でも簡単に察する事が出来る。

 

 そして舞台に出て来た司会進行の挨拶の後、早速番号と共に演奏者の名前が呼ばれると壇上に真っ黒な燕尾服姿の男性が現れ、そしてピアノの演奏が始まった。

 

 その人が奏でるピアノの音色は、流石この大会の出場可能基準に選ばれただけあって綺麗で繊細であり、それでいて尚且つ力強い重厚感のある演奏をしていて、それだけで素人目であっても高いレベルに居る奏者であることを簡単に想像させた。

 

 そしてさらに、さっきの人が特別なのかと思えばそうでなく、その男の人が演奏が終わってって次に現れた女の人も、その次の人もほぼ同じレベルの高さの演奏を難なくこなし、俺はこのコンクールのレベルの高さを否応なしに実感させられた。

 

 なんて凄いんだ、こんなコンクールに出場できるなんて、梨子お前やっぱスゲェよ……お前ならいつか絶対プロのピアニストになれるよ。

 

 しかし、そう思うと同時に、俺にはある一つの不安を覚えた。

 

 

 ――こんなハイレベルな大会で、梨子は本当に大丈夫なのだろうか?

 

 

 今、発表順番を待ちながら梨子はこのレベルの高い演奏を聴いているはずだ。梨子はプレッシャーに強い性格はしてない、その所為で、必要以上に緊張してしまったりしてないだろうか?

 

 勿論、梨子の実力を疑ってる訳じゃない。でも昔、おばあちゃんが言っていたんだ。人は緊張したら思うように身体が動かなくなってしまうものだって……だから、本番で小さなミスをしてまったり……最悪、この会場の空気に飲まれて……なんてこともあり得る。

 

 いや、そうじゃないだろ。梨子の事を信じろよ俺。

 梨子は、クラスメイトから『恋愛勇者』とまで言わしめた鋼メンタルを持つこの俺の幼馴染なんだぞ――だから、こんなプレッシャーぐらいでどうにかなるような奴じゃない。だから……きっと大丈夫なはずだ。

 

 そして、ついにその時は訪れた。

 

 

 

「――五番、桜内梨子さん。曲は、『海に還るもの』」

 

 

 

 ピアノのコンクールのプログラムはつつがなく進行が進み、ついに梨子の演奏の番が来たことを告げる司会進行のアナウンスがコールされた。

 

 会場の観客の拍手に迎えられ、舞台の壇上に発表用の薄桃色のドレスに身を包んだ梨子が現れた。そして梨子はゆっくりと一礼し、壇上のピアノにまで歩いて向かった。

 

 そんな梨子の姿は、先程まで電車内で親しく話していた俺の幼馴染としての面影はなく、一人のピアノ奏者としての雰囲気を醸し出していた。

 そんな梨子を俺は、心配しながら見つめる。

 

 そして梨子はピアノの前の椅子に着席し、一呼吸置いた後、ゆっくりと鍵盤の上に手を乗せた。

 

 

 手を乗せて――

 

 

 

 

 

―――そして梨子は、そこで固まってしまった。

 

 

 

 

 いつまで経っても演奏を始めない梨子に、次第に俺の周囲の観客席がざわつき始める。

 その瞬間、俺は心配していた事が的中したと思い、心臓を冷たい手で鷲掴みにされたような感覚を感じた。

 

 

 梨子……! 負けるな頑張れ! 俺は見てたぞ……お前、今日まですごく練習頑張って来たじゃないか! 昼休みの時間まで削ってずっとピアノ弾いて練習してただろ!? それを……ここで無駄にして良いと思うのか!?

 

 俺はそんな梨子にせめて気持ちだけでも届いてくれと、心の声で必死にエールを送る。

 

 

 ――すると梨子は突然、深く深呼吸をして目線を観客席の方に向け、まるで何かを探しているような雰囲気を見せた。

 

 ――もしかして、俺を探してるのか?

 

 その仕草を見てそう思った俺は、反射的に梨子に向かって手を振って『ここに居るぞ』とアピールする。そんな俺に隣に座っている人がギョッとした目線を向けてきたが、それも無視して俺は手を振り続ける。

 

 俺を見つけた梨子は、まるで何かから解放されたかのように安堵した表情になると、俺に向かって笑顔で微笑む。

 

 そこにはもう、一人のピアノ奏者としての梨子は消え去っていて、そしてその場所には小学生の頃から今までずっと一緒にいた、俺の大切な幼馴染がいた。

 

 

 

そして梨子はピアノに向きなおり――ついに、ピアノを弾き始めた。

 

 

 

 演奏が始まると同時、俺を含む会場内の観客の全員が思わず息を呑む。

 

 その、十五歳とは思えぬ程のピアノの演奏技術の高さと、圧倒的な表現力にだ。

 

 彼女の奏でるピアノの旋律は、まるで曲名通りと呼んでふさわしい程に、聴く者全てを海の世界に誘い、包み込むような優しさがあった。

 

 

 ――すごい梨子、本当に凄い……まるで海の中に居るみたいだ。

 

 

 そんな梨子の演奏に俺は、まるで会場の全てが海の中に沈んでしまったかのような光景を幻視(げんし)する。耳を澄ませると、ピアノの音に交じって海の音まで聞こえてくるような気さえしてしまう。

 

 そう感じてしまう程に俺は、梨子の演奏に心を奪われてしまった。

 

 

 そして気が付けばあっという間に時間が過ぎ去り、梨子の演奏が終わった。椅子から立ちあがって礼をする梨子に、会場から大きな拍手が送られる。

 

 

 よかった梨子……おめでとう、演奏お疲れ様!

 

 

 

 観客と同じように拍手をしながら俺は、今日一番頑張ったであろう梨子に、心の中で思いっきりそう祝福したのだった。

 

 

 

 

 

 

■ ■ ■ ■ ■

 

 

 

 

 

 コンクールが終わった後、俺と梨子は二人で会場から駅に向かって歩いていた。

 

 ちなみに梨子のお父さんとお母さん――おじさんとおばさんはというと、二人は車で来ていたのもあって、今日の梨子のお祝いの為にご馳走を買ってから帰るつもりらしく、俺に行きと同様に梨子を送る役目を任せ、そのまま車で行ってしまったのだ。全く……無責任な話だ。

 

 最初おばさんの口からそれを聞いた俺は、車で来ているのだから、そのまま梨子を乗せて一緒に行けばいいじゃないかと言ったが、おばさんはニッコリと笑顔で微笑んで――

 

『いいから、恋虎(れんが)君は梨子と一緒に帰ってあげて、ね?』

 

 ――と言って、一向に譲る気配を見せなかったので仕方なく折れ、こうして俺は今梨子と一緒に帰っているのだった。

 まぁ……梨子と一緒に帰るのが嫌という訳じゃないから、別にそこまで文句はないのだけれど、おばさんが梨子の送り役を任せた時、俺に向かって意味深な笑顔を浮かべていたのが気になっていた。全く……何か変な事でも企んでなかったらいいんだけど。まぁいい、今はそんな事気にしてないでまず―――

 

 そう思い、俺は隣で歩く梨子に笑顔で言う。

 

 

「いやぁ……それにしても、入賞おめでとう! 梨子!」

 

「ありがとう、でも……最優秀賞が駄目でちょっと残念だったなぁ」

 

「良いじゃん良いじゃん、あんだけスゴイ人達に囲まれて、それでも賞状とれるなんて凄いじゃん! さっすが俺の自慢の幼馴染だな、よっ、未来の有名ピアニスト様!」

 

「もう……それは言い過ぎだって……」

 

 

 梨子はそう言って、褒められて嬉しいような照れくさいかのような表情になって笑った。

 

 ――そう、梨子は先程のコンクールの結果、最優秀賞とはいかなかったものの、それでも見事入賞を果たすという素晴らしい成績を残したのだ。

 これで実質、音ノ木坂学院の一芸入試における進学条件を十分に満たしたと言える。

 

 そしてそれだけじゃなく、さっきのコンクールは年齢によって部門が分けられておらず、梨子ぐらいの年齢で入賞するのは十年に一人居るか居ないかのものらしい。そして、その賞を取った人は今、全員プロの世界で活躍している。つまり梨子はこれで、プロの世界でも通用する存在だと世間一般的に認知されたも同然だった。

 

 だからこそ現在俺は、梨子の事を褒めちぎっている真っ最中なのだ。

 

 そうして俺が褒めていると、梨子は改まったように言う。

 

 

「でも……レン君、本当にありがとう。私が今日結果を出せたのは、きっとレン君のお陰だよ」

 

「えっ……俺?」

 

 

 急にそんな事を言い出す梨子に俺は首を傾げた。

 

 あれ……俺、梨子にそんなお礼言われる事を何かしたっけ? 

 俺がそう思って少し困惑していると、梨子は語り始めた。

 

 

「あの時私……舞台の上で頭が真っ白になって、何をすれば良いのか分からなくなっちゃってた。上手い人達がいっぱいで、私なんかのピアノを聞いてくれる人なんているのかって思って……そう思ってたらだんだん、自分がなんでここにいるのかさえも分からなくなって……」

 

 

 そして梨子は一旦言葉をとめ、俺の方を見て言う。

 

 

「――そしたらね、レン君が来てるのを思い出して……そして、レン君がこっちに手を振ってくれてるのが見えたから、私、レン君のために頑張ってピアノ弾こうって吹っ切れる事が出来たんだよ? だから……ありがとう、レン君」

 

 

 そう言われて俺は、なんだか気恥ずかしくなって顔が熱くなるのを感じた。

 正直あの時、俺は梨子が心配で必死に行動しただけだった。だから、今にして思えばあの時は随分恥ずかしい事をやってしまったのではないかと考えてしまう。

 俺は動揺してるのが梨子にバレないように、少し見栄を張るように笑顔で言う。

 

 

「そ、そうか……でもさ、結局は梨子が頑張ったからその結果があるんだって、だから……普通に自分の実力に胸張っていいんだよ梨子は。今日のピアノ最高だった、演奏聞かせてくれてありがとう梨子」

 

 

 すると梨子は頬を桜色に染め、微笑みながら言った。

 

 

「……レン君って、本当に優しいよね。私が落ち込んでる時はいつだって傍に居て励ましてくれて、逆に今日みたいな嬉しい日の時は一緒になって喜んでくれて、そして沢山褒めてくれる……。私、好きでピアノ始めたんだけど、そんなレン君が傍に居てくれたから、もっともっとピアノの事好きになれたんだって、そう思うの。

 だから……やっぱり、今日私がこの結果を出せたのはレン君のおかげ。ありがとう……レン君」

 

「そんな……買いかぶりすぎだって、俺は別にそんな大した事――」

 

 

 そう否定しようとした瞬間、急に梨子がスッとこちらに歩み寄り、俺の手を両手で掴んだ。

 

 

「ううん、レン君は大したことしてるよ」

 

「――うわっ! り、梨子、どうしたんだよ一体……ビックリするじゃん」

 

 

 そう言って梨子から視線を逸らしながら、急に鼓動が早くなった胸をもう片方の手で軽く抑えた。

 あれ……? 梨子の手って、こんなに柔らかかったっけ? いつも気軽に触ってたのに、なんでいきなりこんなに心臓がドキドキするんだ……? おかしい、どうしたんだよ俺……?

 

 そう思い俺が自身の心の異変に戸惑っていると、梨子は俺の手を握ったまま言う。

 

 

 

「あのね……だからね……その……私はっ……!」

 

 

 

 梨子はそうやって何かを言おうとして、しかし逡巡するように視線を彷徨わせる。その表情はまるで高熱にあてられたかのように上気していた。

 

 そんな、いつもとはまるで違う様子の梨子に、俺は思わず緊張で唾をのみ込んで梨子の次の言葉を待つ。そして、梨子の発した言葉は――

 

 

 

「…………やっぱり、なんでもなーい」

 

「――へっ?」

 

 

 

 梨子はパッと両手を離し、そしてそのまま俺に背を向けてしまった。

 俺は拍子抜けさせられたような気分で口を開く。

 

 

「な、なんだよ梨子、わざわざこんな事してなんでもない事ないだろ!? 何か重大な話があるんじゃないのか?」

 

「なんでもないったらなんでもないの……ほら、この間レン君が急に私の手を取って一生親友宣言してくれたよね? それのお返し。どう? ビックリした?」

 

「ええ……おいおいふざけんなよ、ドッキリかよ! 全く……梨子は本当に……」

 

 

 俺はそう言い、梨子より先に駅に向かって歩き出す――

 

 

 

「だって……折角ここまで我慢したのに私からなんて……そんなの、我慢した意味なくなっちゃうから」

 

 

 

 すると、後ろから不意に梨子が呟いたその言葉に俺は振り向く。

 しかし、そこにはもういつも通りの笑顔を浮かべる梨子がそこに居た。

 

 

「なぁ梨子、今言ったのってどういう意――」

 

「あ! もうこんな時間! あと少しで電車来ちゃうから早く行こレン君!」

 

 

 するとそう言い、梨子は俺の問いを振り切りながら先を急ぐ。

 そんな梨子に俺は、やれやれとため息を一つ吐き、そしてその後を追うように駅に向かって走りだした。

 

 

 こうして、色々あったがどうにか無事に、梨子のピアノコンクールは終わりを迎えたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――しかし、この日からそう遠くない未来に俺は、この日の事を後悔する事になる。

 

 

結論から言ってしまえば俺は、梨子の様子がおかしいと感じたこの時に、強引にでも梨子が言おうとした言葉のその内容を尋ねておくべきだったのだ。

 

人生は選択の連続で、選択肢を誤るとすぐに手痛いしっぺ返しを受けてしまう。だからこそ、人は何かを選ぶ時に慎重になり、選択肢を誤らないように細心の注意を払っている。

 

しかし、時として人生には、自分にとってはなんの変哲の無い小さな出来事が、今後の人生を大きく左右するような、そんな重大な選択肢を迫られている事があるのだ。

 

そう、それこそが、俺にとってのこの日だった。

 

 

 

 

その事に俺が気付いたのは、もうどうしようも無い程に全てが終わってしまった後で、そして、取り返しのつかない大切な“何か”が変わってしまった後になる。

 

 

 

 

 

 

 




細かい変更ですが、章番号をchapter-0からchapter-1に変更しました。




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3話 勇者の約束

 

 ピンポーン、ピンポーン。

 

 

 梨子のピアノコンクールが終わって週が明けた月曜日の朝、俺は梨子の家の前で呼び鈴を鳴らしていた。

目的はただ一つ、いつまで経っても登校の待ち合わせ場所に来ない梨子を学校に連れて行く事。

全く……梨子も仕方ない奴だ、いつも俺に適当な奴だと言っておきながら、自分も人の事言えないじゃないか。ムフフ……今日の事を言い訳にして、今度注意されたら梨子に反論してやろう。

 

 そう思いながら誰か出ないかと待っていると、家のドアが開いて中から梨子のお母さんが出て来た。おばさんは俺の姿を見ると、優しく微笑みながら言う。

 

 

「おはよう、いらっしゃい恋虎君。迎えに来てくれると思ってたわ、ありがとう。あの子まだ自分の部屋で寝てるみたいだから、上がって起こしてあげて」

 

「あ、はい、ありがとうございますおばさん、じゃあお邪魔しまーす」

 

 

 勝手知ったる幼馴染の家。俺はそう言い、梨子の家に入って玄関で靴を脱いで階段を上がり、二階の梨子の部屋を目指す。

 そして梨子の部屋の前に立ち、扉をトントンとノックをした。その後、数十秒ぐらい待っても反応は何もないのを確認する。どうやら熟睡しているようだ。

 

 

「……反応なしか。よーし、なら仕方ない! いまから梨子の部屋に入って寝起きドッキリ仕掛けてやるぜ! 行くぞ、遅刻防止の名の下、大義は我にあり~」

 

 

 俺は驚く梨子の顔を想像しながら、ニヤニヤと笑って部屋の扉を開く。

 さーて、梨子をどう脅かしてやろうか。こんなイタズラするの小学生の時以来だからワクワクする

 

 すると、そんな俺が扉を開けた先で俺が見たものは、毛布を一枚羽織っただけのパジャマ姿で、ピアノの前で突っ伏しながら眠っている梨子の姿だった。

 

 

「――って、おいおいおい! こんな所でよく寝れたな梨子! 風邪ひいてないか大丈夫!?」

 

 

 それを見た俺は脅かすのを忘れ、急いで梨子に駆け寄って肩をゆすった。

 梨子は寝ぼけ眼を開き、ボーっとして焦点の定まらない目で俺を見ながら言う。

 

 

「……あ、れんくんだぁ……おはよう……」

 

 

 うぐっ……可愛い……。

 寝起きの所為か非常にふにゃふにゃとした口調でそう言う梨子に、俺思わずそんな感情を抱いてしまう。しかし俺は気を引き締めて言う。

 

 

「いや、おはようで合ってるけど! 何? どうしてこんなとこで寝てるのさ?」

 

「……ん~? ピアノ……弾いてて……そのまま……すぅ……」

 

「寝るなぁぁぁぁぁーーーーー!!!」

 

 

 俺はそう言って、また寝ようとした梨子の肩を激しく揺さぶって起こすのだった。

 

 

 

 

 

 

 

■ ■ ■ ■ ■

 

 

 

 

 

 

「うぅぅぅぅ……恥ずかしい……なんで起こしてくれなかったのお母さん……!」

 

「まーだ引きずってんのか? まぁなんとか今から歩いてけばギリギリ遅刻しないで済みそうだし、ちょっとの寝坊くらい誰でもやるから、あんまり気にしすぎんなって梨子」

 

 

 ――梨子を起こして30分後、俺と梨子は学校に向かって歩いていた。

 しかし梨子は、さっきからずっと俺が何を言っても、顔を真っ赤にしたまま下を向いて歩いてるのだった。

 そんなに寝坊が恥ずかしい事なのかな? 確かに梨子が寝坊するのなんて珍しいけど、あんな寝方してたら目覚まし時計セットするの忘れてただろうし、仕方ないと俺は思うけどなぁ。

 

 そう思っていると梨子は、真っ赤になったままの顔をこちらに向け、怒ったようにして言う。

 

 

「そんなのを気にしてるんじゃないの! も~……よりによってレン君にあんな所見られるなんて最悪……」

 

 

 あ、なんだ、寝坊したのはそこまで気にしてないんだな梨子。だったらよかった。

 そう思い、俺は気にする事ないという風に言ってやる。

 

 

「なんだ、寝起き見られたの気にしてたのか? そんな事ぐらい気にしなくていいのに」

 

「そ、そんな事って――」

 

「別に寝起き見られて恥ずかしいって事はないだろ? だって、その……まぁ、あんな感じでふにゃふにゃした梨子見れたのも悪くないって思うし……その……正直、可愛いって思っちゃったしさ」

 

「か、可愛っ――!?」

 

 

 俺の言葉に梨子は不意を突かれたようにビクッと反応し、真っ赤な顔のままこちらを見る。そして、また下を向きながら口を開いた。

 

 

「……レン君って、女の子にガツガツするのやめたら、絶対女の子泣かせになっちゃいそう……」

 

「――え? 俺ってそんなひどい奴だったのか?」

 

「そういう意味じゃないんだけどなぁ……まぁ、レン君だからそんな心配しなくてもいいかな、うん」

 

「うーん……なんか、馬鹿にされてるような気分……」

 

 

 俺は梨子の口ぶりに、そう言って不満な顔を返してやる。

 まぁ、梨子が俺に対して辛辣な事を言うのは今更だから、そこまで気にしてはいないのだけど。

 

 

「それにしても、どうしてまたピアノ弾いてたんだ? コンクールは終わったんじゃないのか?」

 

 

 そう言って気を取りなおすように俺は、気になっていた事を尋ねた。すると梨子は少し照れながらも誇らしげに言う。

 

 

「いや……実はそのコンクールは全国予選も兼ねてて、私……入賞したから今度は全国規模のコンクールの方に出られる事になってね。だから、ついじっとしてられなくて練習しちゃってそのまま……」

 

 

 その理由を聞いて、俺は口をあんぐりと開けて驚いた。

 

 

「嘘だろ!? じゃあアレか? 梨子今度は全国大会に出るのか!?」

 

「う、うん……そういう事……に、なるかな」

 

「マジかよ……! スッゲェよ梨子!」

 

 

 俺は感激のあまり梨子に抱き付いた。

 

 

「えっ……わわわわわわっ! な、なななにするのレン君っ!?」

 

 

 何やら梨子が思いっきり慌てている様子だが、俺は構わず言う。なぜなら、俺はそれが自分の事のように嬉しさを感じてしまっていたからだった。

 

 

「だって……これは喜ばずにはいられるかよ! 梨子が全国だぜ!? 俺の親友が全国に行くんだぜ!? すごい事だろ! やっばい、鳥肌立ってきた……!」

 

「そ、そんなに!? もう大げさだって、とりあえず離れてー!!」

 

「あっ……ああ、ゴメンつい……」

 

 

 切羽詰まったような梨子の声に、俺は慌てて離れた。

しまった……つい嬉しくてやっちゃった、まさかそんなに驚かれちゃうとは……。

 梨子は俺が離れた後、荒い息で呼吸しながら吐き出すように言う。

 

 

「はぁ……はぁ……死ぬかと思った。心臓に殺されるかと思った……」

 

「なんか……すっごい息荒いけど、大丈夫か梨子?」

 

「ううぅぅ……レン君の所為なのに……」

 

 

 梨子はそう言って涙目でこちらを責めるような目つきで見る。

 マジか……俺のせいなのか? そんな風に俺は軽くショックを受けながら言う。

 

 

「そ、そんなに俺に抱き付かれるの嫌だったのか? 調子に乗ってゴメン梨子……」

 

「いや、そういう意味じゃないんだけど……もう、レン君は本当に天然なんだから……!」

 

 

 謝ったものの、梨子はまだ怒りを収めてくれないようで、ムッとした表情のまま俺を見ていた。

 マズい、抱き着かれたのが嫌なんじゃ無かったら、なんで梨子が怒ってるのか分からない。とにかく謝らないと……

 

 

「な、何のことか分からないけど、とにかくごめん! 俺に出来る事あるなら何でもするから、だから許して!」

 

 

 他の女の子だったらいくら嫌われても我慢できるけど、梨子にだけは嫌われたくない。そんな想いで俺が頭を下げると、梨子は軽くそっぽを向きながら言った。

 

 

「だったら……その……また私のピアノ、聞きに来てくれる? だったら許してあげる……かな?」

 

「梨子……! うん! 行く行く! 絶対行く! 俺、梨子のピアノ超楽しみにしてる!」

 

 

 俺はその差し出された救いの手に、条件反射のように飛び付いた。――というか、言われなくても行くつもりだったし、そんな条件で許してくれるなんて、梨子って天使か何かなんじゃないかとすら思えてしまう。

 

 すると、俺の返答を聞いた梨子は満足そうに笑って言う。

 

 

「……うん、よし。だったら今回は特別に許してあげます。レン君は次からは気をつけるように」

 

「梨子……ありがとう! で、でも、本当にそんなんでいいのか? もっと言ってくれれば俺なんでもするぜ? ただでさえ俺は梨子にいつもお世話になってるんだし……」

 

 

 俺はあまりにも条件が軽すぎると思ったのでそう言ってしまうと、梨子は首を横に振りながら言う。

 

 

「ううん、いいの。だって、レン君がピアノ聞いてくれてるって思うだけで、私、いつも以上に頑張れるから。だからそれだけで十分」

 

 

 梨子のその言葉に俺は、梨子がなんで俺を毎回コンクールに連れて行きたがるのかの理由を察する。

 

 成る程……そうなんだ。梨子にとって俺は、一種の願掛けみたいなものなんだな。居てくれるとそれだけでいつもより調子が出るような、そんな存在なのか。

 

 ――だったら、光栄じゃないか。

 こんな俺でも梨子に出来る事があるなら、精一杯それをやってあげたいって心から思える。だって梨子は、俺の大切な幼馴染で、かけがえのない親友なんだから。

 

 そんな想いで、俺は笑いながら梨子に言ってやる。

 

 

「成程……そっかぁ。じゃあ、俺が聞いてるだけで梨子の演奏が良くなるなら、俺、一生梨子のそばでピアノ聞いててやるよ! ……いや、聞きたい! だって俺、梨子のピアノ大好きだから! この間だって、梨子のピアノ聞いてたら海の音が聞こえてくるみたいで凄かった! ずっと聞いてたいって思えたんだ、だから――」

 

「……え……一生……?」

 

 

 すると梨子は、呆気に取られたようにそう呟いた。

 あ、マズい、こんな言い方したら鬱陶しいって思われちゃったかも……ああ、さっきも今も、どうして俺はいつもこうなんだ。熱くなったらつい周りが見えなくなっちゃって、勝手に口や体が動いてしまう。だから『恋愛勇者』なんてアダ名がつくんだよ俺……。

 

 

「……あ、も、勿論、梨子が嫌じゃなかったらだけど。ご、ごめんな、つい一生なんてそんな気持ち悪い事言っちゃって……あはは、ストーカーかよ俺。だから、別にさっき言った事は忘れてくれても――」

 

「う、ううん! 大丈夫! いいよ……全然いい!」

 

「――えっ?」

 

 

 すると梨子は突然俺の手を取り、顔を真っ赤にしながら躊躇うようにゆっくりと言った。

 

 

「じゃあ……約束ねレン君。これから先……ずっと……わ、私と、一緒に居てくれる?」

 

 

 少し言葉のニュアンスが変わっていたが、梨子はピアノの事を言ってるのだと俺は思った。

 それに対する答えは決まっていた。俺は迷わずに笑って言う。

 

 

「ああ勿論、一緒に居るぜ。俺、梨子のピアノずっと聞いてるよ、約束な!」

 

「――! あ、ありがとうレン君……約束!」

 

 

 梨子は俺の言葉に、まるで長年の夢が叶ったかのような嬉しそうな笑顔で笑って言い、そして手の小指を俺の手の小指に絡めて指切りをした。

 良かった……変に思われてなくて。……それにしても、やけに嬉しそうだな梨子。そんなに喜ばれたら、なんか俺まで照れくさくなっちゃうじゃん、やめてくれよもう。

 

 と、俺が考えていると、そんな照れくさい気持ちを梨子も思っていたのか、梨子も顔を真っ赤にしていて、俺と梨子はその場で二人で向かい合ったまま照れたように笑い合った。

 

 

 キーンコーンカーンコーン

 

 

 すると、そんな俺達二人を正気に戻す学校のチャイムが遠くの方から聞こえて来た。

 あ……ヤバい、今何時だったっけ? って、もう8時半!? 遅刻じゃん!

 スマホで時間を確認した俺は、焦りながら梨子に言う。

 

 

「やばっ……ごめん、のんびりし過ぎた! 今からでも急いで学校に――」

 

「ううん……もういいよ、ゆっくりで。歩いて学校行こう?」

 

「えっ……梨子? いいのか?」

 

「うん、私はもう……今日はそういうのどうでも良い気分……」

 

 

 そう言うと、梨子はボーっとして熱でもあるような表情で俺の事を見つめた。

 確かに梨子の言う通り、今から急いでも遅刻するのは変わらないし、いっそ開き直ってゆっくり行くのもアリかもな。でも……それを、いつもは学校では優等生の梨子から言ってくるなんて予想外だ。もしかして、まだ寝ぼけてるんじゃないのか? まぁ……気にする事でもないし、いいか。

 

 

「そうだな、もう焦っても仕方ないしゆっくり行こうか、そして一緒に怒られようぜ?」

 

「うん、レン君と一緒に……」

 

 

 そう呟き、まだ俺に熱っぽい視線を向けてくる梨子に、俺は心配になって言う。

 

 

「……なぁ梨子、さっきから熱でもあるみたいな顔してるけど、ひょっとして、あんな所で寝て本当に風邪でもひいたんじゃないよな?」

 

「ううん、風邪はひいてないよ大丈夫。でも、心配してくれてありがとうレン君」

 

「お、おう……なら良いんだけど。じゃあ、とりあえず学校行こうか」

 

 

そんないつもと違う調子の梨子に少し戸惑いながらも俺は、出来る限り気にしないようにして歩き始めた。しかし、そこを梨子に制服の袖を引っ張られる形で止められる。

 

 

「え? どうしたんだ梨子? 何かあるのか?」

 

「……ねぇレン君、あの……その……今なら学校のみんな見てないから、手……つないでもいい?」

 

 

 その言葉に俺は一瞬、思考が止まるのを感じた。

 -―――え? なんでそんな事を言いだすんだ梨子?

 俺は振り返って梨子に言う。

 

 

「……な……なんでそんな急に……?」

 

「……ダメ?」

 

 

 すると、少し寂しそうな顔で言う梨子に俺は少し悩む。

 梨子がなんでそうしたがるのかは分からないけど、断る理由も俺には無かった。

 だから俺は、少し戸惑いながらも言う。

 

 

「い、いや……別にいいけど……」

 

「やった、ありがとうレン君」

 

 

 そして、ふっと右手が柔らかい梨子の手に包まれるのを感じた。それに俺は思わず体温が上がるような感覚を覚える。

 

 

「……本当に手、繋いじゃった……。よし、ごめんね呼び止めちゃって、じゃあ学校行こう?」

 

「お……おう……うん……行こうぜ」

 

 

 ――梨子、お前どうしちゃったんだ? 

 俺は梨子の手を引いて歩きながら、嬉しそうな笑顔でついてくる梨子をちらりと振り返って見てそう思った。

 

 梨子、もしかして友達との罰ゲームの最中なのか? それとも、この後何か無茶なお願いをする為に俺の機嫌をとってるとか? ――というか、それ以外に俺に、こんな事するメリットなんて一切ないはずだ。でも、そうだったらもっと機嫌悪そうにするだろうしなぁ……本当に、どうしてだろう?

 

 そう考えていると、梨子は思いついたように言う。

 

 

「あ……そうだ。レン君、学校終わったら私の家に来て?」

 

「家……どうして?」

 

「うん、よかったら私がレン君の勉強教えてあげようかなって……ほら私、試験とかないし。あと、ピアノの練習するつもりだから、良かったら聞いててくれると嬉しいなぁって思って……ほら、約束でしょ?」

 

 

 その梨子の“約束”という単語に、俺はさっきから梨子の態度がおかしい理由に、ようやく納得を得る。

 

 そうかわかったぞ。真面目な梨子の事だ、俺がさっき、ずっとピアノ聞いてるって言ったのを、本当に言葉通りの意味で受け取ったのか。別に大会とか発表会の時だけでいいのに……全く、梨子はうっかりさんだな。

まぁ、そう思ってくれるのは嬉しいし、梨子のピアノならずっと聞いていたって構わない。だったら、このまま勘違いされてるの悪くないかもな。

そう考え、俺は口を開く。

 

 

「ああ分かった、じゃあ喜んで行かせてもらうよ。ありがとう梨子」

 

「う、ううん、別に……当然だから。じゃあ、また学校終わったらよろしくね、レン君」

 

「おう! 楽しみにしてる!」

 

 

 

 それから俺達は、とりとめのない話をしながら歩いて登校し、一時間目の授業を十五分以上も遅刻して学校に着いた。そして俺達二人は仲良く、お馴染みである生徒指導の筋肉先生から生徒指導室で説教を受けたのだった。

 

――なお、なぜか筋肉先生の説教は梨子だけ妙に優しく、俺が扱いに格差を感じ殴ってやりたい衝動にかられたのは内緒だ。……あのクソゴリラめ、俺の大切な幼馴染に色目使ってんだ、いつかブン殴った上でロリコン教師として教育委員会に訴えてやるからな。

 

 

 

 

 

 ――その後学校が終わってから約束通り俺は、梨子と一緒に家まで行き、梨子に勉強を教えてもらいながら、その合間に梨子のピアノの練習に付き合い演奏を聞いて一日を過ごした。

 

 そして、その翌日も俺は梨子に誘われるままに家に行き、そうしているうちに自然と、梨子の家に行く事は俺の日課に変わってしまう。

 

 そして変化はそれだけじゃない、梨子の態度も最近は妙だ。

 俺が梨子に勉強を教わっている間、問題を解いている時にふっと梨子の方を見ると、梨子が俺の顔をじーっと見つめていて、そのせいで目が合う事が多くなった。

 そして、見ている事に気付かれた梨子はその度に『……ごめん、ちょっと見てただけ』と言い、照れたように顔を背けるのだ。――正直、何をしたいのか意味が分からない。俺の顔なんて見てて面白いのだろうか……?

 

 

 ――そして、何より一番驚いた変化は、ある時から梨子が学校に俺の弁当を作って持ってくるようになった事だ。

 俺はある日のお昼休みに、お弁当を二つ持ってきた梨子を見ながら言った。

 

 

「……えっと……なに、これ?」

 

「……その、レン君っていつもお昼コンビニで買ったもの食べてるから、自分でお弁当作る余裕ないのかなって思って、ずっと気になってて……だ、だから私、今日の朝早起きして作ったの。お母さんに教えてもらいながら初めて作ったから、そこまで自信ある訳じゃないけど、良かったら……その……」

 

「えっ!? 梨子が……?」

 

「…………いらないなら、別に――」

 

「いやそんなしょんぼりした顔しないで! 嬉しい、嬉しいって! ちょっとびっくりしただけ……ありがとう梨子。――じゃあ、折角だから一緒にお昼食べないか? なんだかんだ今まで一緒にお昼食べる機会無かったしさ」

 

「いいの? じゃあ……よ、よろしくお願いします」

 

「あはははっ、そんなかしこまらなくてもいいのに、梨子は変だなぁ」

 

「……む、もう、からかわないでよ。そんな事言うんだったらやっぱりお弁当あげないんだから」

 

「わわっ、ごめん悪かったって梨子」

 

 

 ――と、このような経緯を経て、梨子と一緒にお昼を食べるのも俺の日課に変わった。

 

 

 そんな風に、気が付いたら俺の日常は梨子がずっとそばに居るようになったせいか、俺は自分の内心の大きな変化に気が付いた。

 

 

 

そういえば俺……最近、恋してないな……

 

 

 

 

 そして、俺にとって本当に珍しい事に、そのまま新しく運命の女の子に出会う事もなく、一か月という時が過ぎたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 



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chapter-1 episode2『凡人嫌い』黒羽龍成
1話 天才、世界に絶望する


 

 

 

 

 俺は、凡人が嫌いだ。

 

 

 

 

 これは俺――黒羽(くろば)龍成(たつなり)という名の一人の人間が、今まで辿ってきた十五年という、短く、そして濃密な人生を振り返って至った一つの結論だ。

 

 俺がそんな、おそらく世間一般的な人道的倫理観から外れているであろう意見をもった理由は、語ると実に取り留めの無い話になってしまうかもしれない。

 

 だが、そんな話でも良いと言うなら語ろうではないか。

 

 まず、俺にとって凡人とは、ただ毎日を浪費するように生き、そして自らは何も努力をしていないのに、勉強が出来る者やスポーツの出来る者をただ“天才”と称し、その者のした努力の一切を無視してその才能を(ねた)んだり、あるいは過度に特別な存在だと崇めたて敬遠するような存在の事を言う。

 

 だから俺が今在籍している『学校』という名の施設は、俺にとってみれば凡人が集まるゴミ溜りと同義だと言える。

 俺は、そんな凡人(ゴミ)共と教室で席を同じくして授業を受けているというだけで、俺は時折吐き気すら(もよお)してしまう気分になってしまう時がある。

 

 ――しかし、学校という施設だけを見ればまだマシと言えるかもしれない。

 

 学校が社会の縮図を表していると偉い人間はよく言ったもので、ひとたび学校の外を出てしまったら目の前に広がる世界は、ほんの一部の素晴らしい人間を除けば、残りは凡人が圧倒的多数を占める、まるで巨大なゴミ集積所みたいなものだ。

 

 

富める者の生活を見ては、羨むばかりで自らがその立場になろうとは一切考えない現状維持主義の凡人(ゴミ)

 

夢や希望やなりたい自分すらも曖昧で、ただ生きる為だけに働いているだけの奴隷と同義な凡人(ゴミ)

 

そして極め付けは、優れた人間のほんの小さなミスを徹底的に探して叩き貶め、そして陥れた分の利益を得るような、寄生虫以下の凡人(ゴミ)

 

 

 世界はそんなゴミで溢れかえっていて、見るに堪えない醜悪な様相を呈していると断言できる。

 出来る事なら俺は、これから先の一生分の時間を、外に出ずに過ごしたい位だ。

 

 

 ――しかしそんな俺だが、何も幼い頃からそんな考えを持っていた訳ではない。

 

 

 俺まだ幼かった頃は、こんな事を考えたりも一切せず、人間はすべからく素晴らしい存在で、世界は太陽のように眩しく輝いたもので溢れていると純心無垢な心で信じていた。

 

 

 その理由は父、黒羽(くろば)秀一(しゅういち)の存在があったからに他ならない。

 

 

『人間は誰しもが光るダイヤの原石で、磨けば全て太陽のように輝くことが出来る存在である』

 

 

 父はそんな言葉を理念に掲げ、人材を積極的に自分の経営する会社に雇って活かし、事業をいくつも立ち上げてはそれを全て大成功させた。

 

 そうしてついには、『黒羽財閥』と称される程の一大財閥グループを築き上げるにまで至ったのだ。

 

 それは父がグループの社員全員を信頼し、そして社員もその信頼に応えた結果だった。

 

 そんな素晴らしい父の下に生まれた俺は、子供心の憧れのままに、将来は父の財閥グループを継いで皆を率いるような存在になってみせると決意したのだ。

 

 その為、当時まだ小学一年生になったばかりだった俺は、学校で習う学問は勿論のこと、帝王学や心理学など、およそ将来に必要になるであろう勉学全てに励んだのをよく覚えている。

 

 そして、自分で言うのもなんだが、俺は幼い頃から努力が結果に結びつきやすい人種だったらしく、どんな学問も寝る間も惜しんで努力して学べば、すぐに身に付ける事ができた。

 

 小学二年生で大学入試レベルの学問の範囲を全て理解し。

 小学三年生でパソコンのプログラム言語をマスターして自力でプログラムを組み。

 そして、小学四年生で夏休みの自由研究と称して発表した()()()()()は、革新的な研究内容だと絶賛され、アメリカの著名な学術雑誌に掲載されるまでになった。

 

 それほどまでに俺は必死だった。

 

 少しでも早く父さんに追い付きたい、父さんの役に立つ人間になりたい――そんな一心で、俺は同年代の子どもが虫取りやゲームに夢中になっているのを尻目に、毎日朝から夜遅くまで必死で机にしがみ付いて勉強したのだ。

 

 そんな俺が必死の想いで出した結果を、周囲の人間は

 

 

『黒羽様の息子は天才だ』

『坊ちゃまのような才のある方がグループを継いで頂けるのなら、黒羽財閥は今後も安泰ですな』

 

 

 と、口々に俺の事を“天才”だと誉めそやした。

 ――まるで、俺のした努力の一切を無視するかのように。

 

 だから当時の俺にとって、そんな他人の評価なんてどうでもよかったのだ。

 

 俺が頑張る事が出来た理由、それは――

 

 

龍成(たつなり)、凄いじゃないか! また塾の全国統一学力テストで総合一位だったんだろう? これで三年連続じゃないか、勉強頑張ったんだな……えらいぞ、さすが父さんの自慢の息子だ!』

 

 

 毎日仕事が忙しくて家に帰って来る事が少ない父が、帰って来た時に俺を褒めてくれるその言葉を貰う事だけが、俺の唯一の頑張る理由だった。

 

 人から“天才”だと言われ続けた俺の努力を評価してくれたのは、同じく人から“天才”だと言われ続けていた俺の父しか居なかったのだ。

 

 だから俺は、そんな優しい父の為に毎日血の滲むような努力をした。

 

 ――そう、俺がそこまで必死になる程に父は優しい人間だった。

 

 

『天才も凡人も関係ない。人間はチャンスにさえ恵まれれば、全て太陽のように輝く事が出来る存在なんだ――だから、俺はそんな人間にチャンスを与えてやれるような存在になってやりたいんだ。

 ――全ての人間が太陽のように輝く事が出来る世界を、俺は創ってみせる!』

 

 

 そんな絵空事のような夢を語り、その夢を叶う事を信じて努力を続けるお人好しで優しい人だった。

 だから、俺はそんな父の夢を叶える手伝いがしたかった。

 父一人では叶えられることが出来ない夢でも、俺と父と協力すれば、それを夢でなく真実にできると信じて疑わなかったのだ。

 

 そう、間違いなく幼い頃の俺の思い描いた未来の世界は、父の言うような輝きに溢れたもので、その未来が訪れる事を俺は信じきっていた。

 

 

 

 ――しかし、そんな未来は、まるで泡沫(うたかた)の夢ように唐突に弾けて消え去った。

 

 

 

 その事を詳しく話すと長くなるので、短く端的に、そして俺自身の感情を出来る限り廃し、淡々と語ると――こうだ。

 

 

 

 

 

俺が小学六年生に上がったと同時、父は死んだ。

 

 

 

 

 

 ――否、()()は殺されたに等しい。

 

 父は優秀な人間の中でも、さらに優れた人間だった。

 しかし、その優秀さを(ねた)んだ凡人(ゴミ)共に、父は陥れられて殺された。

 

 

 そんな“不幸な事故”が起こって三年が経った今でも、俺は()()()を詳しく思い出そうとすると(はらわた)が煮えくり返って冷静でいられなくなる。

 

 

 なので、これ以上多くは語らない。語れない。

 

 

 だからそれからだ……俺が、凡人だらけの世界に絶望するようになったのは。

 

 

 ――何故だ、なぜお前らは優れた統率者である父を殺した?

 

 父はお前らのような、救いようも無く腐るのみだった没個性の底辺共に、努力次第で等しく輝ける機会をやって救おうとしたではないか。

 

 そんな父の献身の結果が……それか。

 

 

 もういい分かった。ならば俺は――凡人(お前ら)を憎もう。

 

 

群れるしか能の無い、どこまでも他力本願で、困難に一人で立ち向かおうとしないお前らを蔑もう。

 

優れた天才(マイノリティー)の意見を、同調する人間が多いだけのつまらない凡人(マジョリティー)の意見で塗りつぶすお前らを嘲ろう。

 

天才が凡人に助けを施せば“偽善者”、施しをしなければ“冷酷人”と罵るお前らを、心から見下してやろう。

 

 

 

 

凡人(お前ら)天才()を嫌いなように、俺もお前らの事が大嫌いだ!!

 

 

 

 

 ――そんな、黒々とした、復讐にも似た想いを胸に抱え、小学六年生から中学三年生となる今まで、俺は生きてきた。

 

 

 

だから俺は、声を大にして言いたい。

 

 

 

 

 

 

 

凡人が跋扈するこの世界に、輝き(Sunshine)なんてものは欠片も存在しないのだと――!

 

 

 

 

 

 

 

 ■ ■ ■ ■ ■

 

 

 

 

 

 

 

「せ、先輩! 私と……つ、付き合ってください!」

 

 

 

 

 ――ここは静岡県の沼津市にある、なんの変哲もない市立中学校。

 

 そんな中学校の人気(ひとけ)の無い校舎裏にて俺は、目の前で顔を赤く染めながらそう告白してきた女子を半眼で見据える。

 

 恐らく俺は今、世間一般的には非常に羨まれる状況にあると思うのだが、俺は表情を一つも変えてやることなく、目の前の女子に無表情で言ってやる。

 

 

「悪いが俺は凡人には興味が無い。さっさと諦めて帰るんだな」

 

「そ、そんな……何が悪いって言うんですか! 私、先輩の事本気で……」

 

 

 ……ほう、どうやらこれ以上ないぐらいにハッキリ断ってやったのに、目の前の女子はまだ食い下がる気のようだ。

 俺はため息を一つ零し、言ってやる。

 

 

「はぁ……じゃあ、お前は俺のどこが好きなんだ? 言ってみろ」

 

「それは……その……先輩って、いつも一人で平気って感じで……群れてなくてカッコイイじゃないですか……だから……」

 

 

 しどろもどろになりながら、そんなありきたりでつまらない理由を述べる凡人に、俺はさらにため息を吐きつつ言葉を返す。

 

 

「はぁぁぁぁ…………つまり、お前は俺の何が好きという具体的なものがある訳じゃなく、一人で生きてる俺がカッコイイからとかいう、そんな曖昧な理由で告白をしてるというわけだ?」

 

「え……? い、いや、それだけじゃ……!」

 

 

 どうやら、今回の凡人(ゴミ)はしつこいようだ。

 俺はなおも食い下がろうとする目の前の女に、今度は決定的な言葉をくれてやることにした。

 

 

「ほぉ、じゃあなんだ? お前が俺を好きになった理由は他にあると言うのか?

 ――違うだろ? お前は俺と付き合うというより、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 そんなコレクター精神で好きと言われて、誰が付きあうか。だからそのおめでたい凡人考えを改めてから出直せ、分かったな?」

 

「……ひ、ひどいです……うっ……うぁぁぁあ……ううううっ…………!」

 

 

 ……フン、泣いたか。まぁ、これで諦めてくれるならいいだろう。

 俺は泣く女子にそれ以上何も言わず、そのまま背を向けてその場を去った。

 

 全く……これで今までで何人目だ。俺はお前らのような没個性と仲良くしているつもりは無いというのに、何故こうなる。これだから学校は嫌なんだ、一人で居ても凡人共が向こうから勝手にすり寄ってくる。

 

 それにさっきの凡人……何が孤独な雰囲気が素敵だ、それっぽく言えばまかり通ると思ったのか? お前の真に言いたい事は分かってるぞ、『独りぼっちが惨めに見えたから慰めてやろうと思った』――そう言いたいのなら素直にそう言え! そしたら俺だってあそこまで厳しい事は言わずに、『同情など不要だからさっさと失せろ』と一言で切って捨ててやったのに。

 

 

 それに――俺の方がお前らと縁を切ってるのだというのが、まだわからないのか。

 

 

 俺はそう心の中で舌打ちをしながらも、教室に戻るために校舎の方に向かった。

 

 

 ――父を“不幸な事故”で失った日から三年という月日が流れ、俺は中学三年生となった。

 

 勿論俺は、学力的には中学校という施設に通う必要は無いのだが、だからと言って家に引きこもっていると、クラスの凡人共から“不登校者”のレッテルを張られ、見下されるのが我慢ならなかった。

 

 だから俺は、飛び級制度が充実していない日本の教育制度を内心で恨みながらも、毎日我慢して凡人の集う学び舎に、出席日数だけを稼ぐために登校しているのだった。

 ああ……早く後残り一年の義務教育期間が終わらないだろうか、そしたら後の高卒と大卒の資格など、すべて通信制で取ってやるというのに。

 

 と、そんな自らの身の上の事を考えながらため息を吐いて校舎の時計を見上げると、朝のHRの時間まで後十分ぐらいしか無いという事実に俺は気が付いた。

 

 くそっ、さっきあの凡人に呼び出された所為で、授業が始まるまでに教室で読む予定だった論文がまだ半分も読み終わってない。そう考えるとなんと時間を無駄にしてしまった事だろうか。

 

 ――ああ、イライラする……こんな時はこうするに限るか。

 

 俺はそんな苛立つ気持ちを紛らわすために、スマホにイヤホンを差して耳に装着し、中に入っているお気に入りのアーティストの楽曲を流す。

 そしてイヤホンから流れる、才能のある人間のみが織りなすことが出来る素晴らしい歌の旋律が、俺の胸を満たした。

 

 ああ――流石、己が持つ才能を十全に発揮している人間は素晴らしい。つまらない凡人と会話して心を乱された後だと、なお旋律が胸に染みゆくようだ……。

 俺は少しの間だけと決めその場に立ち止まり、目を閉じてこの才能ある者の歌の世界に没頭した。

 

 

「よーっす、タッツー! 朝から何聞いてんの~?」

 

 

 すると突然俺の名前をポケットに入りそうなモンスターの名で略して呼び、背後から俺の耳の片方のイヤホンを奪い、それを自分の耳に付ける男が現れた。

 

 この男の名は―――なんだったっけか? ……いや、違うか。俺にまとわりつく凡人だから名を覚える価値が無いんだった、忘れていた。

 なら、仮として“A男”と心の中で呼んでやろう。

 俺は思いっきり不機嫌な表情を作りながら、A男に向かって言う。

 

 

「おいお前、俺の朝の至福のひと時を邪魔するとは良い度胸ではないか……そのイヤホンをすぐ返せ」

 

「え~、タッツー冷た~い! 俺とタッツーの仲じゃんか許してよ……って……あ! この曲歌ってる人俺わかる! たしか先週金曜の“Nステ”で出てた人だよな!? 確か東京を中心にソロで活動してる若手男性アーティストで、名前は――」

 

「うるさい、お前の話は聞いていないから返せ」

 

 

 そう言って俺は強引にA男からイヤホンを奪い、そのまま音楽を聞きなおす気も失せたのでポケットに仕舞う。

 全く……今日は厄日じゃないのか? さっきの女子といい、この凡人といい、さっきからことごとく俺の予定が邪魔されていく。本当に迷惑だ。

 するとイヤホンを奪い取られたA男は、ショックを受けたような表情で言う。

 

 

「あ、なにすんだよタッツー! オレ達マブダチだろ? なんでそんなに俺の扱いが冷たいのさ!」

 

「すまんが俺は、テスト直前になってすり寄ってくるような寄生虫を友人にする趣味はないでな。お前が俺に話しかけてくる理由など分かっているぞ――勉強を教えてもらうなら他の人間をあたれ、お前なら友人は沢山いるだろ」

 

「え~! やだやだ、タッツーがいい~! だってタッツーって先生よりも教え方上手いじゃん! ほら、俺達今年から受験生だろ? だからタッツーお願い! 俺の壊滅的な成績を救って! ドーナツ奢るから!」

 

 

 今このA男が語ったのは、中学二年の頃に同じクラスだったA男に強引に数学の分からない問題の教えを請われ、押しについ負けてしまった俺が凡人の頭にでもわかりやすく順序だてて教えてしまった俺の過去の過ちだ。

 

 それからA男は、このように勉強で困ったタイミングで俺を利用するかのようにまとわりつく、いわば俺にとって時間を奪う寄生虫のような存在になってしまったのだ。

 

 はぁ……これだから凡人は本当に……優秀な人間を頼る事しか頭にないのだろうか?

 

 

「知るかいい加減にしろ、俺はお前らみたいな凡人とは違って暇じゃないんだ。俺を説得する暇があれば、今すぐ教室に帰って、一ページでも多く参考書を読んだ方が建設的だぞ」

 

「え~無理だって、だって参考書読むよりタッツーの話の方がわかりやすいもん」

 

「はぁぁぁ……だからお前は凡人だと言うのだ。やる前から無理だと諦めて人に甘える前に、まずは自分でやることを覚えろ」

 

「むむむ……どうしても無理だって言うなら……奥の手だ!」

 

 

 すると、なにやらA男は秘策があるらしく、なにやら準備を始めた。

 そしてA男はやたら気持ち悪い仕草でしなを作り、涙でウルウルさせた瞳で俺を見つめて、情感たっぷりに言う。

 

 

 

「タッツー……おねがぁい!」

 

「今すぐ俺の前から消え失せろッッッ!!」

 

 

 

 そのあまりの気持ち悪さに、俺は思わず条件反射的に罵声を浴びせてしまった。

 するとA男はとても衝撃を受けた表情で言う。

 

 

「馬鹿な……通用しないだと……!? 最強のお願いの仕方をネットで調べたら出た、かつて東京の秋葉原に居たと言われる、伝説のメイドの必殺技を完全にコピーしたはずなのに……! お前……まさかホモか!?」

 

「ホモじゃないから拒否反応を示しているんだろうがマヌケがぁ!! もういい、付き合ってられるか! 俺は教室に行くぞ!」

 

「ああ~、タッツ―待ってよ~!」

 

 

 俺はA男に付き合いきれずその場を足早に去ろうとするが、その後をA男はついてきた。

 ああ……鬱陶しい……! 何故だ、何故こうも俺の周りには凡人がまとわりつくのだ! 俺はこんなに凡人(貴様ら)の事が嫌いだというのに……!

 

 校舎に向かって歩きながらふと周囲を見回すと、学校の朝の門限の時間が近くなったのか、続々と生徒が登校してきているのが見える。 

 

 そして、その生徒達の目線は全て、俺に注がれていた。

 

 

 ――ああ、()()()

 

 

 そう思い、俺は出来る限り無心になるように努め、その生徒達(凡人共)の口が吐く雑音の奔流に身を任せる。

 

 

 

「きゃぁ~~!! 見て見て黒羽(くろば)様よ~! いつもはこの時間帯なら教室におられるはずなのに……こんな所でお姿を拝見できるなんてラッキー!」

 

「本当だ~! 今日も黒髪ショートがバッチリ決まってて、クールな切れ長なお目が素敵だわぁ~!」

 

「学力は校内トップ、しかも運動神経も抜群で……まさに完璧超人とは黒羽様のことを差すのよ! ああ……素敵ぃ……! 神々しいわぁ……!」

 

 

――同じ人間であるのに関わらず、俺を神のように崇めて(へりくだ)る凡人。

 

 

 

「チッ……スカしたツラしやがって……また学校来てるぜアイツ」

 

「なぁ聞いたか? この前中学生対象の全国統一テストあっただろ? それ、アイツ全問正解(フルマーク)やらかしたらしいぜ?」

 

「なんだよそれ、バケモノかよ……頭良いの分かってんなら、もう学校なんて来なくても良いだろ畜生……そんなに俺達の事を見下したいのかよ……」

 

 

――己の力を高める事すら忘れ、ただ俺という天才の存在を嫉むのみの凡人。

 

 

 

「ねぇねぇ、本当に待ってよタッツー! じゃあタッツーはどうしたら俺に勉強教えてくれるんだよ? ――ハッ! ま、まさか……靴か? 靴を舐めれば良いのか!? くっ……背に腹は代えられないか……」

 

「舐めなくていい、何をしても教える気など一切ないからな……それより、今俺に話かけるな」

 

「そんなぁ! タッツー!」

 

 

――優秀な人間に媚びへつらい、甘い汁を啜ろうとする凡人。

 

 

 

 

 ああ……今日も学校は凡人共のゴミ溜めだ。

 

 頼むからお前ら、今日は俺は機嫌が悪いんだ。これ以上世界に失望させないでくれ。

 

 

 

「タッツー……どったの? 今日はいつにも増して眉間にシワ寄ってるよ、機嫌悪いの? そんな時はとりあえずスマーイル! 笑ってたら元気になるって~」

 

五月蠅(うるさ)い! さっき黙れと言ったのが聞こえなかったのか!?」

 

「ひぇぇぇ~、タッツーマジギレこわ~い……も~俺は心配してあげたのに~」

 

 

 この期に及んで馴れ馴れしく話しかけてくるA男に一喝を浴びせ、その後A男が何か言った気がするが、それに何も返答することなく俺は歩き続けた。

 クソ……なんでコイツは俺にここまで馴れ馴れしくまとわりつくんだ。

 

 ああ、イライラする! クソッ……せめて面白い奴は居ないのか!?

 こんな俺にすり寄って来る寄生虫のような凡人なんかじゃない。

 くだらない俺の世界を一変させてしまうような、そんな輝く何かを持った面白い人間は居ないのか……!? 

 

 

 頼む……このままでは俺は、真っ暗闇で退屈な世界の絶望にとり殺されてしまいそうだ……!

 

 

 

 そんな事を、俺が天に願ったその時だった――

 

 

 

 

 

 

「―――今日は私の為によく集まってくれたわ! 未来のリトルデーモン達よ……聞きなさい!」

 

 

 

 

 

 俺の頭上から、女の子の声がした。

 

 その声につられ周囲の凡人共と同じように校舎の屋上を見上げると、そこには黒いマントをはためかせ、学校の指定の制服の端々に白いフリルを付けた改造制服を着こなす一人の少女が、やけにカッコつけたポーズで立っていた。

 

 そして彼女は、視線が一斉に自分の元に集まったのを確認した後、宣言した。

 

 

 

「私は天界より舞い降りし堕天使(Fallen Angel)――堕天使ヨハネ!」

 

 

 

 その言葉に、周囲の凡人共は皆一様に困惑の表情を浮かべる。

 

 凡人共の弁護をするつもりは無いが、そんな顔をするのも仕方のない事だろう。

何故なら急に屋上から呼びかけられ、“天界”だとか“堕天使”などという電波全開な話をされれば反応に困るのも無理はない。

 凡人共は屋上に立つヨハネという少女を、奇異な存在を咎める目線で射抜く。

 

 しかし、そんな目線を全く意に介した様子もなく、彼女はなおも続けた。

 

 

 

「私は求める。カンパニー“リトルデーモン”の一員となり、共に堕天する存在を! (とき)は本日の夕刻……校舎四階の空き教室にて待つ! 

 ――みんな一緒に、“堕天”しましょ?」

 

 

 

 そう言って少女は黒いマントを翻しながら立ち去り、そのまま視界から消え去ってしまった。

 

 

 

 ――なんだ、今の()()は?

 

 

 

 俺は無意識に沸き立つ胸の内を抑えながら、冷静にそう思った。

 

 自分を特別な存在だと思い込み、過度に自分を誇張して見栄を張ったり、周囲とは違った行動をとりたがるのは“中二病”と言い、凡人の取り得る行動原理の内の一つである。

 

 

 ――だが()()は、明らかにその範疇を凌駕している。

 

 

 自分から衆目に晒される所に立ち、多くの人間から忌避されるであろう発言を堂々と行い、眼前に広がる生徒達の困惑の目線に躊躇いを一切見せる事なく、最後までやり通して見せた。

 

 

 

 そんな所業(しょぎょう)……並の神経を持つ人間に――“凡人”に出来る筈がない―――!

 

 

 

「フフフッ……フハハハハハハハハハハッ!」

 

「……た、タッツー? 急に笑ってどうしたの? さっきの子が変なのは分かるけど……」

 

「うるさい、黙っていろと何度言わせればわかる……フフッ……今は珍しくいい気分なんだ、邪魔をするな……ハハハッ……」

 

「え……ええ~。タッツーがおかしくなった……」

 

 

 

 俺はA男を無視し、こみ上げる笑いをそのまま前へと再び歩みを進めた。

 

 

 “堕天使ヨハネ”――その名、仮の名であろうが覚えさせて貰ったぞ、お前は覚える価値のある人間だ。

 確か夕刻に四階の空き教室だったか……良いだろう、行ってやろうじゃないか。

 

 

 

 

 

“堕天使ヨハネ”……お前は、()()()人間だ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――俺はこの日、暗闇しかないと思っていた世界に一人の輝き(Sunshine)を見つけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ここまで読んで頂いてありがとうございます。

こちらの主人公のヒロインはタグにもある通り、全盛期だった頃の“堕天使ヨハネ”――中学生の善子ちゃんです。

そんな彼女と主人公はこれから一体どうなるのか……それを是非見て頂ければ幸いです。

では、良ければまた次回もよろしくお願いします。ではでは……


PS
果南ちゃんお誕生日おめでとうございます!
この作品での登場はまだ少し先になりそうですが、サンシャインで善子ちゃんと同じくらいに好きな推しキャラなので、是非魅力的に書きたい所存です。果南ちゃんにハグされたい……


Twitterで活動報告や更新報告などを呟いています
@kingudmuhatu



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2話 天才は堕天使と語りたい

 

 

 

 堕天使ヨハネという少女という鮮烈な存在に出会った後俺は、夕刻の時間――放課後の時間になるまで、退屈で仕方ない学校の授業をほぼ寝て過ごして乗り切った。

 

 そして、放課後のチャイムが鳴ったと同時に目を覚まし、俺は早速四階の空き教室に向かう。

 

 

「タッツー今帰り? じゃあ俺と友情を深めるために今からマスド行こうぜ! 今日なら丁度ドーナツ値下げセールやってるから、モチモチドーナツ食い放題――って、おいタッツー? 無視? 無視は悲しいぞぉ!? ……え? 走るの? 走っちゃう感じ!? タッツー! 行かないでぇぇぇぇぇーーーー!!」

 

 

 しかしその途中、絡んできたA男を振り切ろうとしたら追いかけられてしまい、しかもその後学校中を追い回されるという事態に陥ってしまった。

 そして、どうにかこうにかA男を振り切り、俺は二階の空き教室にまでたどり着いたのだった。

 

――クソ、無駄に体力と時間を使わされてしまった、A男(モブ)のくせにしつこいぞあの男! どこまで俺の邪魔をすれば気がすむんだ……!

 

 俺はそんな苛立ちの収まらない心と、走り回った後の息を整えながら、空き教室のドアに手をかける。

 

 

さぁ……この俺がここまでして来てやったのだ。その期待に応える程の出迎えを見せてみろ“堕天使ヨハネ”!

 

そんな事を考えながら扉を開くとそこには――

 

 

 

「呼びかけに応じよ、地獄に蔓延りし私の同胞……捧げし供物を媒体とし、姿を表せ……ルシファー!」

 

 

 

 カーテンで夕日の光が完全に遮られ、蝋燭の火だけが照らす薄暗い教室の中、机や椅子が全て撤去され、床の半分以上を覆う大きな魔法陣が敷かれていた。

 そして、その魔法陣の前で何かを召喚しようと試みる、黒いローブを羽織った女子がこちらに背を向けて立っていた。

 

――そこに居たのは間違いなく、俺の求めた“堕天使ヨハネ”の姿。

 

 

「ブッ……! ク、クククククッ……最高だ、それでこそ……!」

 

「――っ!? だ、誰っ!?」

 

 

 こらえきれず笑ってしまった俺に、慌てた様子で振り返るヨハネ。

 

 しまった俺としたことが……いきなりで驚かせてしまったようだな。

 よし、こちらから訪ねて来たのだ、まずは自分が自己紹介をするのが礼儀というものだろう。

 

 

「おっと、驚かせてしまってすまない。

 俺の名は黒羽(くろば)龍成(たつなり)。朝に屋上で演説をしていたのはお前だな……?」

 

 

 俺が尋ねるとヨハネは、戸惑った様子で言葉を返す。

 

 

「そ、そうだけど……それが一体どうしたというの?」

 

「どうしたもこうしたもない……お前が呼んだから来たのではないか。ほらどうした、何か言う事は無いか?」

 

 

 俺がそう言うとヨハネは、ポカンと呆気にとられた表情で俺の顔を見つめたまま、何も言わなくなってしまった。

 

 ……おいおい、どうしたその微妙なリアクションは? 俺はお前にとって、言わば折角来てくれた来客なのだぞ? もっと喜んでしかるべきじゃないのか……?

 

 しかし俺のそんな疑問は、次の瞬間にヨハネが信じられないような表情で呟いた一言で、すべて氷解する。

 

 

 

「嘘……本当に、来てくれるなんて……」

 

 

 

 ――成程。ここに来るまでA男に追いかけられてだいぶ時間を無駄にしてしまったからな……待っている間に、もう誰も来ないものだと思って諦めてしまっていたのか。

 俺はそう思い、自分とヨハネ以外に誰も居ない、薄暗い教室をぐるりと見回しながら言う。

 

 

「――で、これからどうするつもりなんだ?」

 

「……へっ!? あ……ああ……ええっと……」

 

 

 俺が言うと、ヨハネは狼狽えたようにキョロキョロ目線を動かして挙動不審な様子を見せた。

 そして少ししてヨハネは、気合を入れるように深呼吸を一つした後、片手を目元にやり、やたらカッコつけたようなポーズをとり、屋上に居た時と同じような声色で話し始めた。

 

 

「フッ……ようやく来たわね。私の魂の呼びかけに呼応し、リトルデーモンの一員になりたいと願う人間が……! 男よ、光栄に思うがいいわ……貴方が栄えある私のリトルデーモン第一号よ!」

 

 

 なんだこの、さっきの狼狽え様からの変わり身は?

 成る程……どうやら、仕事をする人間が休みの日とそうでない日で気分を切り替えて仕事をしているの似たようなものだろう。

 つまり、さっきのがこの堕天使ヨハネのスイッチが入っていない状態で、今がスイッチが入っているということ。

 

 言うならばこれは“堕天使スイッチ”――ふふっ、我ながら良い例えだ。

 

 そう内心で笑いながら、俺は言う。

 

 

「……リトルデーモン? そんな物には興味はない」

 

「えっ……? じ、じゃあ何で来たのよ! ――来たん……ですか?」

 

 

 お、堕天使スイッチがオフになった。しかも敬語が出たぞ……どうやら俺の制服のネクタイの色を見て、俺が最上級生だという事を察したようだな。となるとヨハネは下級生……制服を見るに一つ下の二年生か。

 フフッ、良いぞ……今は目上の者に敬意を払うという、そんな当たり前の事すらできない凡人が多い中、お前のように良識を弁えた人間は今や貴重だ。好感に値する。

 

――だが、“堕天使ヨハネ”。お前にそんなものは不要だ。

 

 

「ほう、上級生と見て言葉遣いを改めたか。それは良い心がけだ……だが、俺には不要だ、楽に話せ――“堕天使ヨハネ”よ」

 

「…………!?」

 

 

 俺はそう言い、挑発するように笑った。

 

 するとヨハネは一瞬動揺を見せた後、こちらを訝しむような目線で射抜きながらトゲのある口調で言う。

 

その目はまるで、()()()()()()()()()()()()()()()()――と語っているかのように見えた。

 

 

 

「……なら、リトルデーモン(眷属)になる気が無いのなら何故、堕天使である私の呼びかけに応じたの――人間(ニンゲン)?」

 

 

 

 ――そうだ、ヨハネ。その反応こそ俺の望んだ通りのものだ。

 

 そのヨハネの口調に俺は、朝見た時に見定めた“堕天使ヨハネ”という人間の本質が、想像している通りであった事を確信する。

 

 あの時、ヨハネは大衆の面前に立ち、“堕天使”や“天界”などの単語が入り混じったハイレベルな電波演説を一切の躊躇なくやってのけるという、凡人離れした所業を見せた。

 

 しかし、それはヨハネにとって何も特別な事ではなかったのだ。

 

 人間は大勢の人の前で演説をする時、目の前の観客を動物と思い込んで緊張を無くそうとするのと同義で、このヨハネにはあの時、眼下の群衆が“ただの人間の群れ”にしか見えていなかったのだ。

 

 

だってそうだろう? 自分より下等な生き物と話す時に、緊張する人間が居る筈がない。

 

 

――つまりこの堕天使ヨハネという女は、()()()()()()()()()()()()()使()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 ああ……堕天使ヨハネ……お前はなんて面白い人間なんだ。それでこそ、この俺が興味を持つに値する女だ。

 そう思い、俺が自分の答えが合っていたことに満足していると、ヨハネはより一層キツい目つきでこちらを睨み、真剣な表情で言った。

 

 

「まさか……あなた、教会から私を消しに派遣されてきた人間!? 成る程……フフッ……いつかこんな日が来ると思っていたわ、私の存在をその道の人間が放っておく訳ないものね。――良いわ、かかって来なさい……例えこの身に魔力が無くとも私は堕天使ヨハネ! 全力で抗ってみせる!」

 

 

 そう言ってヨハネは、明らかになれていない様子で不格好な構えを取った。恐らく武道の教本かどこかで見た、うろ覚えの知識なのだろう。

 ――マズい、笑ってしまいそうだ。

 いや、笑ってはいけない……本人は本気で言っているんだ、ここで笑うと気分を害しかねない。

 そう思い俺は、笑いを堪えながら努めて冷静なふりを装いながら言う。

 

 

「待てヨハネ。俺は別に教会の人間ではないし、お前を消すつもりなど毛頭ない」

 

「……そ、そう。じゃあ貴方は、本当になんのつもりで来たのよ?」

 

 

 構えを解いて訝しげな表情でそう問うヨハネに、俺はこの場所に来た理由を素直に言う事にした。ふざけていると思われない様、真剣な表情でヨハネの目を真っ直ぐに見つめながら、俺は口を開く。

 

 

 

「それは――ヨハネ、お前が魅力的な女だからだ」

 

「……………ふぇっ?」

 

 

 

 するとヨハネは、急にさっきまで入っていた堕天使スイッチを切り、顔を耳まで真っ赤に染めてマヌケな声を漏らした。

 

 何なんだこの反応は……? 俺は今正直に、ここに来た理由を話しただけだというのに。

 

 俺がそんなヨハネの行動を理解出来ないまま黙っていると、ヨハネはまだ動揺が収まらないままに堕天使スイッチをまたオンにしたようで、上気した顔のまま威勢よく言った。

 

 

「ふ、ふふふっ……成る程、()()()()()()

 ああ……知らず知らずのうちに人間の男を魅了してしまうなんて……ヨハネってなんて罪深いのかしら! まさに、悪魔のような魔性のオンナね! ――だけど残念。タダのニンゲン風情が、堕天使である私と釣り合う訳がないわ……まずは、私のリトルデーモンの一員になる事から始めなさい!』

 

 

 その口ぶりに俺はようやくヨハネの態度の理由を悟る。

 どうやら俺は、ヨハネに懸想(けそう)していると思われたらしい。ああ……そうか、確かによく考えてみれば、さっきの俺の言い方は誤解を生んでしまいやすいな。

 そう思案し、俺はヨハネの勘違いを正すために再度口を開く。

 

 

「――違うな、そういう意味じゃない」

 

「へっ……?」

 

「俺は、お前が“面白い”と思ったんだ――だから、お前の事を知りたいと思ってお前と語りたくなった、それが俺がここに来た理由だ」

 

「おっ……面白いってなによーーーー!」

 

 

 ヨハネは怒ってそう言い、俺に詰め寄った。

 マズい……言い方が若干マズかったようだ。

 俺は自分の失言をすぐさまフォローするように言葉を紡ぐ。

 

 

「違う、面白いというのは“趣深い”という意味で、決して馬鹿にしている訳じゃない、俺はお前に興味があってここに来た。お前と話したいだけなんだ――それ以上でも、以下でもない」

 

「……そう……なの……」

 

 

 するとヨハネはようやく俺の言いたい事を理解してくれたようで、怒りの矛を収めてくれた。

 

 ――ふう、一時はどうなる事かと思ったが、これでようやく落ち着いてヨハネと話が出来る。

 そう安堵し、俺はヨハネに色々尋ねる為に口を開こうとした。

 

 するとその時、ヨハネは暗く落ち込んだ様子で俯きながら呟く。

 

 

 

「……じゃあ……つまりあなたは、ヨハネと話がしたいだけでここに来た訳であって……別に、私のリトルデーモンになってくれる気で来たんじゃ……ないのね……?」

 

 

 

 ……なんだその表情は? そんなに俺がそのリトルデーモンとやらに入る気が無いのがショックだったのか?

 

 全く……そんなに落ち込んでいられたら、色々聞きたい事も聞けないではないか。

 

 ……よし、こうなっては仕方ない。どうせこの女とは長く付き合っていくつもりなのだ。このヨハネの言う“リトルデーモン”が何をする存在なのか分からないのが不安材料だが、ここは損か得かで言うなら、ヨハネの望む存在に俺がなってやった方が、長い目で見れば俺にとっては得になるだろう。

 

それにヨハネは二年生、この機を逃がせば三年の俺とは今後ほとんど接点がなくなってしまうだろう――なら、ここで接点を持っておくのも悪くない。

 

 俺はそんな損得勘定を冷静に計算した後、決意し言う。

 

 

「――良いぞ」

 

「…………えっ?」

 

 

 俺の言葉にヨハネは俯いた顔を上げ、瞳の色に少しの期待の光を灯して反応する。

 そんなヨハネに俺は、再度言ってやる。

 

 

「良いぞ……そこまで言うのなら、お前のリトルデーモンとやらになってやろうじゃないか」

 

「――ほ、本当? う、嘘だって言っても、もう取り消しは効かないんだから!」

 

「ああ、本当だ。――この俺に、二言は無いと心得ろ」

 

「本当……なのね……!?」

 

 

 そう言うとヨハネは、まるで新しいオモチャを貰った子供のようなキラキラした目で俺を見つめた。

 

 

「や、やった……やったっ! ヨハネの、初めてのリトルデーモン!」

 

 

 そしてヨハネは、よほど嬉しかったのか瞳を輝かせたまま俺の手を両手で強く握った。

 

 

「……おい、急に手を掴むな」

 

「そういう訳にはいかないわ、早速やってもらう事があるからこっちに来て!」

 

 

 そう言ってヨハネは俺の手を取りながら、先程ルシファーを召喚しようとしていた魔法陣の前にまで俺を引っ張って行った。

 

 

「な、なんなんだ一体?」

 

「――ではこれより、リトルデーモンの誓いの儀式を始めるわ!」

 

 

 ヨハネはまた、堕天使スイッチをオンにした独特な声色で宣言する。

 ……は? 儀式……? 一体何を始める気なんだ?

 俺は不審に思って尋ねる。

 

 

「ヨハネ、これから何をする気だというのだ……?」

 

「――それはいいから貴方は……って、名前は確か……黒羽龍成って言ったわね? (たつ)……ドラゴン……(りゅう)……よし、貴方のことはこれから“リュウ”って呼ぶわ! リュウ、ヨハネの真似をしてこう言って」

 

「なっ……!? この俺の事を軽々しくあだ名で呼ぶなど……! ……まぁ良いか。分かった、ならば従ってやろう」

 

 

 俺は変なアダ名を付けられ戸惑ったが、さして気にする必要もないと思い直した。

そして俺は言われるままに、ヨハネの動きを見て同じように真似をし、魔法陣の前で片手を翳してヨハネと同じポーズをとる。すると、俺の隣から契約の儀式の開始を俺に伝えるかのようにヨハネは言葉を紡ぎ、そして俺も同じ言葉を紡ぐ。

 ロウソクのみが照らす薄暗い室内で、俺とヨハネの二人の声が合わさった。

 

 

 

「堕天使ヨハネの名において、ここに決して違えることの無い契約を結ぶ者なり」

「――だ、堕天使ヨハネの名において、ここに決して違える事のない契約を結ぶ者なり」

 

「この絆は永遠、他の誰であろうと決して切れるものではない!」

「この絆は……永遠、他の誰であろうと決して切れるものではない」

 

「契約者――黒羽龍成。(あるじ)――津島(つしま)善子(よしこ)。我ら二人の人間としての仮初めの名を捧げ、ここにリトルデーモンの契約は成立する!」

「契約者――黒羽龍成。主――津島善子。我ら二人の人間としての仮初めの名を捧げ、ここにリトルデーモンの契約は成立する!」

 

「我らの魂は、永遠に共にあらん!」

「我らの魂は、永遠に共にあらん!」

 

 

 

 二人でそう宣言したと同時、ヨハネは素早く机の上にあったロウソクの火を消し、教室に暗闇と静寂が満ちる。それは儀式の終わりを意味していた。

 

 ――これで俺は、ヨハネのリトルデーモンとやらになったという事なのか……? 実感がないな……まぁ所詮、この関係も俺の人生の暇つぶしのようなものなのだ。そこまで本気に考える必要は無いか。

 

 そんな事を考えていると、ヨハネの手によって教室の電灯がつき、室内が明るく照らされた。そして興奮した様子で頬を上気させながら、ヨハネが俺に話しかけて来る。

 

 

 

「よし……リュウ! これであなたはもう普通の人間ではなく、栄えある私のリトルデーモン第一号よ! 光栄に思いなさい!」

 

「ああ……ありがとう、これからよろしく頼む……で、良いのか?」

 

「良いに決まってるわ、もう既に私達の間には契約が交わされたのだから。……いい? 悪魔との契約は絶対よ?」

 

「――わかった。宜しく頼む」

 

 

 俺はそう言った後、これから先の事で今一番気になる事を尋ねる事にした。

 

 

「――それで、リトルデーモンとは一体、何をするものなのだ?」

 

「……え? ……ええっと……」

 

 

 するとヨハネはあからさまに狼狽し、視線を左右に揺らす。

 この様子……さては詳しく決めていなかったな。――まぁ良い、リトルデーモンがどのような存在であれ、ヨハネに何時でも話しかけても構わない立場になれたのならば、それで万々歳ではないか。

 

 俺がそう思案していると、思い立ったかのようにヨハネは言った。

 

 

「あっ……そう言えば、リトルデーモンになったリュウに言っておくことがあったわ!」

 

「なんだ? 気にすることはない、言ってくれ」

 

「あのね……私の事は、ぜ~ったいに、“ヨハネ”って呼ぶこと! さっきの契約で私の人間界での名前を知ってしまったとは思うけど、間違っても、善子……なんて、そんなカッコ悪い名前で呼ばないで!」

 

 

 そう言って、ヨハネはこちらにズイっと頭を寄せた。

 

 善子……? 誰だその名は……って、そういえばさっき……人間としての名とか言っていたな、それの事だろうか。

――津島(つしま)善子(よしこ)。よし分かった、それがお前の本名か……覚えておこう。

 それにしても、わざわざ俺にそう言うほどに自分の本名が嫌いとはな、親が子供にどのように育って欲しいかが伝わるような、分かりやすくて良い名前だと思ったが……確かに、お前のような人間には、善子――なんて、そんなありきたりな名前は苦痛なのだろうな。

 

 

「――いい? 分かった? これは私のリトルデーモンなら、まず第一に心がける鉄則なんだから!」

 

「わ、分かった……お前の事はヨハネと呼ぶことを心がける」

 

「よし、それで良いわ……なら早速、リュウ! あなたにリトルデーモンとしての最初の指令を与えるわ!」

 

「……指令?」

 

 

 俺がそう聞き返すと、ヨハネは少しもったいぶった様子で言葉を溜めた後で言う。

 

 

 

「――明日のお昼、ここに集合する事! 共に食卓を囲み、互いに語らうわよ!」

 

 

 

 

 ヨハネの言った指令を聞いて俺は、自然と口元が緩んでしまっているのを感じた。

 

 

 ――どうやら、明日も面白そうな事が待っているようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





閲覧ありがとうございます。

次回は恋虎くんのストーリーの更新になります。
ではまた。


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