サタデーナイトスペシャル (蒼穹の我慢汁)
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ジャスティスウォリアーズ
上海ベイベ(前編)


 

 第二次世界大戦は、ナチス・ドイツの電撃的な勝利で終わった。日米は遂に参戦せず、第二次世界大戦の緊張感を引きずったまま冷戦状態を迎える。そして、日本は米国の核の標的にされる。核戦争の結果、日本列島は沈没した。東京は東京湾に沈み、主要な都市は月面のクレーターのような穴だらけにされた。大日本帝国の崩壊である。

 列強国に分割され、アメリカやロシア、更にはドイツに中国にも占領される日本。国連がやって来たころには日本は滅茶苦茶だった。国連は仕方なく、何とか生き残っていた近畿地方を統治下に置き、そこを特別区にしたのである。

 

 その特別区の中でも最も欲深く、最も悪く、最も荒れ果て、最も楽しい都市――大阪。これは大阪を舞台に活躍する亜侠(アジアンパンク)たちの物語である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 朝。大阪の歓楽街「ミナミ」は、今日も騒がしかった。朝でもなぜか光り続けるネオンライト、少し見渡すだけで様々な人種、性別、老若男女の人間が観察できる。大阪はいまや、あらゆる人種の坩堝である。アメリカンドリームも顔負けのオオサカドリームを求めて来る者や、利権を得るために幅を利かす結社「盟約」などの影響でありとあらゆる人種が輸入、そして混在している。

 多様性のある街と言えば聞こえはいいが、文化の違いによる衝突や殺し合いも絶えない。しかし、人々の表情に影はなく、快活ささえ感じる。無法で麻薬も流通する都市で懸命に生きようとするDNAがそうさせるのか、ここで暮らす住人はタフで楽観的であることが多い。

 

 そんな大阪の歓楽街「ミナミ」、その街の地下によく繁盛しているバーがあった。狭苦しく、汚いバーだが、亜侠(アジアンパンク)――侠の紛い物、つまりチンピラ――にとっては非常に心地良い場所であった。バーの名前はJAIL HOUSE。このバーは仲間を集めたり、依頼を受注するにはうってつけの場所だ。

 このJAIL HOUSEに、やや異色の五人組がいた。彼らは亜侠、つまりチンピラのくせにも関わらず、「正義」を訴えていた。彼らの燃えるような正義感は(彼らの主観で)悪人(と思われる)を幾人も撃ち滅ぼしてきた。時に警察に追われることもあったが、正義のためにはやむを得ないことである。

 

 彼らはチーム「ジャスティスウォリアーズ」。正義の戦士たちである。

 リーダーのポンテック・マヤンは友人でありチームメイトの野村美沙と楽しく談笑していた。女性同士ということもあって、気が合うのだろう。ポンテックはマスクをした厳つい女性だが、結構面倒見が良い。家事も得意である。野村美沙は女子高生で、なぜか忍者装束を着ている。彼女は常々、「日本人はみんな忍者なんです」と言ってはばからない。

 彼女らの横で、チームのマネージャーである本田栄介が十字を切りながらお経を読む。彼は宗教家だ。「ゴータマ・クリスト」なる謎の人物を崇拝しているらしい。そのお経を聞きながらピョートル・ダンコーは目線を空に向けて溜息を吐く。彼は路上生活者だが、訳あってかなりの教養がある。栄介の無茶苦茶な信仰心に呆れているのだろう。

 そして、一際異彩を放つのがチームの荒事担当、カーシム・アジズである。齢八十五歳という高齢でありながら、道着を身に纏ったその姿はまさしく武人である。武人であるように見えるのは、おそらくその強靭な肉体のおかげだろう。その丸太のような腕はとても高齢の男性のものには見えない。

 

 そんな彼らの下に、一人の男が近づいて来た。男の名は、蘭冠文(ラン・グァンウェン)。中華街で代筆屋を営む中国人である。

 

「君たちに頼みたいことがあるんだ」

 

 蘭がそう言うと、ポンテックが立ち上がる。先ほどまで女子高生と仲良く談笑していた女性と同一人物とは思えないほど、鋭い眼光で蘭を睨みつける。その手は、既にホルダーのトカレフに伸びている。

 

「中華街の代筆屋が、アタシたちに何の用だ」

 

 ポンテックがドスを聞かせた声でそう言うと、蘭は落ち着きながら手を挙げる。敵意は無いということだろう。だが、蘭の悪い噂を耳にしていたポンテヤックは、どうにもこの男が信用ならない。大阪ではそこまで珍しくもないが、料金の代わりに貞操をいただくとか、そんな噂だ。

 

「まあ、落ち着いてくれ。依頼に来たんだ」

「依頼?」

 

 ポンテックは警戒を緩めずにそう聞いた。「こんな男が言うのだから、碌な依頼ではない」と、彼女は思っていた。

 

「ああ。正義のための依頼だ。ジャスティスウォリアーズ……君たちは、正義の味方なんだろう?」

「正義!」

 

 ポンテックは歓声を上げる。彼女は、正義が好きだった。考えるのは苦手なので何が正しいのかは判断しないが、正義を実行することを一番にしている。とにかく、彼女は正義が好きなのである。それはカーシムも同様で、彼は道着の内側で筋肉を震わせ、まだ見ぬ敵を屠るためにパンプアップさせる。周囲の客はそれを見てそそくさと彼から離れた。

 

「そうそう、正義だよ。時に、君たちは『上海ベイベ』を知っているかな?」

 

 蘭の言葉に、全員が首を横に振る。ジャスティスウォリアーズの中には、上海ベイベとやらを知っている者はいなかった。物知りのピョートルでさえも、だ。

 

「まあ、知らないだろう。君たちへの依頼は、それを捕まえてきてもらうことだ」

「上海ベイベってのは何なんだ? 人か? 動物か?」

 

 ピョートルが真っ先に質問する。上海ベイベが何なのか、それをまったく知らなければ捜索が困難になるからである。しかし、蘭はピョートルの質問には答えず、

 

「ふむ、質問をするということは私の依頼を受けてくれるということかね?」

 

 と、逆に質問をする。確かに、まだ依頼を受けるとは言っていなかった。しかし、ピョートルは既にリーダーの答えが決まっていることを知っていた。彼は両手を広げ、呆れたようなジェスチャーをするとポンテックに目線を向ける。

 

「受けるに決まってるだろう!」

 

 リーダーのポンテックは、メンバーに確認を取ることなく、独断でそう言った。しかしながら、この場にリーダーの決定を覆そうという者はいない。彼らもまた、盲目な正義の信者なのである。

 

「それは嬉しい返事だ。では、先ほどの質問に答えよう。これはマンハント……人捜しだ。そして、これは大幇(たいばん)の依頼でもある」

 

 大幇とは、大阪を牛耳る五大盟約の一つである。流石にそんなビッグネームが出て来ると、チームの面々にも動揺が走る。

 

「というわけで、こちらも急いでいるんだ。期限は今から二日後の朝までに頼むよ」

 

 蘭はそういうと、懐から札巻を取り出してジャスティスウォリアーズの人数分、つまり五つをテーブルに置いた。

 

「これが前金だ。成功した暁には札束でお礼をしよう」

「ところで、上海ベイベを見つけてきたらあなたのところに連れて行けばいいんですか?」

 

 美沙が丁寧な口調でそう聞いた。忍者装束というアホらしい恰好だが、意外と礼儀正しい女の子である。しかし、鷹の目を持つ蘭は彼女が袖の中にチーフスペシャルと称される拳銃を隠し持っていることに気づいていた。蘭が奇妙な行動に出れば彼女はすぐさまそれを抜き放つだろう。

 

「ああ、そうしてくれ。ただ、偽物である可能性も捨てきれない。期限の間、本物を捕まえるまでは捜索を続けてもらう」

「わかりました」

「アタシたちに任せとけ!」

 

 美沙が頷き、ポンテックが無い胸を叩くのを見て、蘭は満足そうに去って行った。

 

 蘭の依頼を快諾したものの、上海ベイベの情報は名前くらいしかない。ジャスティスウォリアーズとしては、まず上海ベイベの詳しい情報を集めるのが先決である。

 ポンテックはテーブルの上の札巻を掴むと、栄介にすべて手渡した。

 

「栄介、とりあえずソレ預かってくれ。勝手に使うなよ?」

「わかった、神に誓おう」

 

 栄介は両手を合わせてお金を拝み、それを内ポケットへ入れた。ポンテックは苦笑しつつ、ピョートルの方を向く。

 

「まずは上海ベイベの情報を集めるぞ。ピョートル、参謀のお前が頼りだ」

「ああ、わかった……それより、美沙とカーシムさんがすごい勢いで出てったけど、どうしたんだ?」

 

 ピョートルがJAIL HOUSEの出口を指差しながらそう言うと、外から断末魔が聞こえた。ポンテックが辺りを見回すと、巨漢と忍者の姿がない。巨漢の方はともかく、美沙は本当に忍みたいに行動が早い。

 

「さあな。その辺りの人間にでも聞いてるんじゃないのか?」

「情報収集で叫び声が出るもんかね」

 

 何でもないように言うポンテックに、冷や汗を垂らすピョートル。自分だけは常識人だと信じながら、ピョートルは愛器の『エル・マリアッチ』を撫でる。彼はとある映画と、音楽が好きだった。

 噂をすれば、外に出ていた巨漢と忍者が帰ってくる。

 

「いやあカーシムさん、しけた情報しか集まりませんでしたね」

「そうだな。もうちょっと締め上げてやればよかった」

 

 そんな物騒な話をしながら、二人は帰ってくる。カーシムの手には血の跡があり、美沙の忍者装束にも赤褐色の染みが見られる。周りの客はとくに騒ぎもせず、注目もしない。このくらい、大阪では日常茶飯事なのだ。

 

「よう、精が出るな二人とも。成果はどうだい?」

「んん……あまりめぼしい情報は集まらなかった。太陽の塔が動くだとかゴジラが上陸するだとか」

「なんだそりゃ。悪人はくだらないことばっかり考えてるな」

 

 彼ら正義の味方の情報収集は、悪を狩り戦闘を行うことである。巻き込まれた人々が悪人かどうかは調べないが、それっぽい奴を見かけたらとりあえず狩って情報を引き出すのである。その結果“なぜか”警察に追われたりもするが、きっと警察も悪なんだろう。彼らはそんな風に考えている。

 ポンテックは悪人(と思われる)から得られた情報のいい加減さに溜息を吐き、ピョートルに向き直る。

 

「ピョートル、頼むぜ」

「お、おう……よし、そうだな。ちょっと骨がいりそうだ。栄介、お前のノートパソコン貸してくれないか?」

 

 ピョートルは美沙とカーシムの行動に少し引きながら、頬を叩き気を引き締める。情報収集と言えばパソコンだが、パソコンは高価な物で、路上生活者のピョートルに所持できるはずがない。そんな時はチームで一番の金持ちの栄介に頼むのが良い。この宗教家はなぜか金持ちなのだ。

 

「うん? いいぞ。我がノートパソコン、『イエ-ス・ブッダ』を貸してやろう」

「お前、わかってないようでわかってるだろ?」

 

 そんなやり取りを横で見ながら、ポンテックと美沙、カーシムは首を傾げる。この三人はチームでも横並びの“おばか”なのである。

 それはともかく、ピョートルはノートパソコンを開き、ネットの海へと飛び込んでいく。バーJAIL HOUSEはwi-fi対応の先進的な店である。ピョートルは真剣な顔をしてノートパソコン、『イエース・ブッダ』に集中しているので、しばらくは話しかけても無視されるだろう。

 

「よし、ピョートルが探してる間、アタシも足で情報を稼いでくる。また昼に落ち合おう」

 

 ポンテックはそう言ってJAIL HOUSEを飛び出して行った。それを見た栄介はスッと立ち上がり、前金でもらった札巻を取り出す。そして、金の勘定をしながら売店へと歩いて行く。

 

「これでありったけの飯をくれ」

 

 札巻を一つ取り出し、栄介が言う。先ほどリーダーから「勝手に使うな」と言われたはずだが、どこ吹く風である。それを見ていた美沙とカーシムは栄介に近寄り、彼の高級そうな礼服を掴んだ。

 

「私にも何か買ってくださいよー」

「ワシもワシも」

 

 駄々をこねる十六歳と八十五歳の剣幕――主にカーシムの馬鹿力による衣服の破損を恐れ――により、栄介は更に札巻を二つ出してしまった。リーダーのポンテックの意向はガン無視である。購入したものはワルサーppkと硬貨だ。拳銃はともかく、なぜ硬貨をわざわざ買うのか、それよりもなぜ硬貨をお札を出して買わなければならないのか。それは「大阪故致し方なし」と言わざるを得ない。

 硬貨を欲しがった張本人、カーシム曰く「ワシの気弾に乗せて撃てば超強い」とのこと。この超老人は最近某漫画も真っ青な気弾とやらを撃てるようになったらしく、仲間内に自慢している。ピョートルはそれを聞いて「世界の法則が乱れそうだからやめてほしい」と嘆いていたものだ。

 

「よし、こんなもんかな。みんな……は、いないね。うん」

 

 ピョートルが一人ノートパソコンを閉じて満足気に振り返るも、仲間の姿はなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ポンテックは、十三(じゅうそう)(下町風の日本街)に来ていた。女の勘がこの十三フラワー商店街に情報があると告げていた。商店街は主婦(おかん)や主婦、お魚くわえたドラ猫を裸足で追いかける主婦などの活気で溢れている。大阪特有のおばちゃんたちは、万引き犯や強盗が現れればその手に持った大根や自分の赤ん坊を振り回して戦うことだろう。

 商店街のおばちゃんから話を聞くも、ここはよそ者に冷たい。ベトナム系のポンテックの顔立ちは日本人に近いところがあっても、彼らとの違いが目立つ。ここ十三ではカタカナの名前や外国人風の顔立ちは警戒されてしまう。

 そんな時、この十三には珍しい、日本人以外の人物を見かけた。ポンテックはその後を追う。そいつのフラフラとした足取りを見るに、どうやら麻薬中毒者(ジャンキー)のようだ。何かの間違いで十三に入り込んだのだろう。路地裏に入ったところで、ポンテックは彼に声をかける。

 

「おい」

「ン? なんだァ、テメ――オウッ!」

 

 男が振り返り、ポンテックにメンチを切った瞬間、彼は崩れ落ちた。崩れ落ちる直前の彼には、ポンテックの拳が深々と突き刺さっていた。彼は地面に吐瀉物を撒き散らす。悪(と思われる)には鉄拳制裁。正義の基本である。

 

「一つ聞きたいことがある。いいか?」

 

 ポンテックは男の髪の毛をむんずと掴み、引き上げる。男はポンテックの拳のショックでか、クスリの恍惚状態から目が覚めてしまったようだ。その目からは涙が漏れる。ポンテックは「男のくせに、情けない」と思いつつ睨みを利かせる。

 

「は、はいぃぃ!」

「よしよし。お前は上海ベイベを知っているか?」

 

 捜索対象を薬中に聞こうとするポンテックも相当なものだ。しかし、男は首を縦に振って頷いているではないか。ポンテックの顔に喜色が浮かぶ。

 

「おお、そうか。知ってるのか。ぜひ教えてくれ」

「シャ、シャンハイベイベーだろ? 知ってる知ってる。この辺で見たよ。テレビとかでやってた」

「ああ? テレビだ?」

 

 ポンテックの声がドスの効いたものになる。自分の失態に気づいた男は震えると、慌てて言葉を繋いだ。

 

「い、いや違ったカナ! この辺で見た……人、だったかな!」

「おお、なんだ人か。それならそうかもしれないな」

 

 男の話を聞くとポンテックは満足したのか、男の髪の毛から手を放す。どう見てもこの状況から逃れたくて言っているようにしか見えないが、教養の低いポンテックにはそれがわからなかった。

 

「よし、一旦電話をかけよう」

 

 ポンテックが携帯電話を取り出すと、その隙に男が逃げていく。その姿を横目で見たポンテックは、麻薬中毒者を悪の道から救い出してやっただとか、そんな身勝手なことを考えているんだろう。電話のコール音が続き、ガチャという音ともに女性の声が聞こえてくる。

 

「もしもし? どうしたんですかリーダー」

「おう、美沙。十三の方で上海ベイベの有力な情報を掴んだから、ピョートルにそう伝えてくれるか?」

 

 ポンテックがそう言うと、携帯電話から美沙の間延びした「ピョートルさん、リーダーが有力情報をゲットしたらしいですよー」という声が聞こえてきた。ピョートルがそれに対して何と言ったのかは聞こえなかったが、ポンテックは「感心しているんだろうな」と自己満足な妄想に浸っていた。

 

「あ、リーダー? その、がんばってください、とのことです」

 

 何となく美沙の言葉は歯切れが悪い。違和感を覚えつつも、ポンテックはそれを気にしないことにした。考えるのは嫌いなのである。

 

「わかった。それから、お前のケータイ一つピョートルにあげてくれ。あいつ貧乏だから持ってないだろ?」

「あ、はい。わかりましたー」

「それじゃあそっちもがんばれよ」

 

 そう言ってポンテックは電話を切った。まだまだここで情報を収集する必要がある。大阪のおばちゃんたちと(バーゲンで)戦ったり、左右に揺れ動くフラワーと猛烈な(ダンス)勝負を繰り広げながらもポンテックは情報を集めていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 JAIL HOUSE。ピョートルは美沙から、「リーダーが有力情報をゲットしたらしいですよー」と言われ、「デマだろうけど、がんばってくださいと言っておいて」と返した。その罰が当たったのか、ピョートルは悲しげな表情で目の前の携帯電話を見つめていた。

 路上生活者であるピョートルには携帯電話は高価なものである。しかし、チームとして連絡を取り合うのに携帯電話は必要不可欠だ。だからこそ、美沙の予備の携帯電話をもらえるのは有難かったのだが――。

 

「すごい……可愛い携帯電話だね……」

「え、そうですか?」

 

 何と言うか、とてもデコデコした携帯電話だった。音楽を愛し、ロックを愛するピョートルには正直つらいものがある。背中の『エル・マリアッチ』が泣いているようにすら感じた。そんなことは気にも留めず、美沙はキョトンとしている。

 

「あ、ピョートルさん、道頓堀にご飯行きましょうよ」

「すごい唐突だな。まあ、そっちの方でも情報収集してみるか」

 

 美沙の切り替えの早さというか落ち着きのなさにピョートルは溜息を吐くが、彼女のヴェスパ(スクーター)に乗せてもらえれば移動が楽でいい。何度も言うが、ピョートルは路上生活者で自転車すら買えないのだ。

 二人はカーシムと栄介に一言言い、JAIL HOUSEを出て行った。残された二人――それも両者とも高齢の――は互いに顔を見合わせる。

 

「若い者がいなくなっちまったな」

「ふむ、そうですな……カーシムさん、どうせならアダムスキー救世教大神殿に行きませんかな?」

 

 丁寧な口調で栄介が提案する。頭のネジが何本か外れた栄介も、流石に自分より年上のカーシムには礼儀を守るようだ。しかし、カーシムは眉をひそめた。栄介の敬語が気に入らなかったわけではない。その場所の名前が問題なのだ。

 

「栄介、あんたは宗教家だったと思うが、アダムスキー救世教金星派なのか?」

 

 アダムスキー救世教金星派。テレビを使った布教活動で一躍人気となった新興宗教である。大阪では知名度があるため、カーシムもその名前に心当たりがあったのだが、栄介からその名前が出てくるとは思わなかった。

 栄介はカーシムの言葉に笑いながら首を振った。

 

「いやいや、違いますよ。相手は異教徒ですからね。異教徒を調べるのも正義のためですよ」

「なるほど、正義のためなら仕方ない」

 

 正義のためなら仕方ないのである。カーシムはその言葉を無条件に信用してJAIL HOUSEの出口へ向かった。栄介は表にシトロエン2CVを転がしている。カーシムが乗れるのか不安になるサイズだが、意外にもゆったりと乗車することができるようだ。

 

「よし、行きましょう。正義のために!」

「ああ、正義を実行しよう!」

 

 老年の二人を乗せ、2CVは行く。トラブルがないように祈りたいものだ。

 



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上海ベイベ(後編)

 

 結果として、道頓堀でもアダムスキー大神殿でもこれといったトラブルはなかった。しかし、上海ベイベの情報もほとんど得ることができなかった。再びJAIL HOUSEに集まった面々には焦りの色が浮かんでいる。もう夜の帳が下りてくるころで、上海ベイベ捜索の一日目が終わろうとしているのだ。亜侠たちは早寝早起き、睡眠をバッチリ取るのが嗜みなので夜中に行動することはあまりない。

 そんな中、リーダーのポンテックだけが戻ってきていなかった。

 

「リーダー、どうしたんでしょう」

 

 美沙が少し顔を俯かせて言う。メンバーの中でも仲が良く、信頼しているリーダーが帰ってこないとあっては心配にもなるだろう。ピョートルは情報が単なるデマだろうと予測を立てながらも、戻ってくるように言わなかったことを後悔していた。

 重苦しい空気の中、JAIL HOUSEに新たな客人がやって来た。それはジャスティスウォリアーズのリーダー、ポンテックだった。しかし、様子が少しおかしい。

 

「ッ!? リーダー!」

「リーダー、どうしたんだその傷は!?」

 

 美沙とカーシムがポンテックに駆け寄る。ポンテックは重傷を負っているようだった。彼女は不敵に笑いながらも、一枚の紙を取り出す。

 

「へへ……ちょっと弾もらっちまってな。だけどな、サウナにいたヤクザをボコったら上海ベイベの情報を吐きやがったぜ」

「そんなところまで調べてたのか」

 

 ピョートルはポンテックの奮闘に感心しながら、彼女から紙を受け取る。そこには血の跡とボコボコにされて震えながら書いたのであろう、ヤクザの筆跡が残されていた。

 

「勘で行ったサウナにいたヤクザが気に食わなかったんでボコボコにしたんだ。そうしたら野郎、反撃してきやがった」

「そんな、ひどいです!」

 

 ポンテックの行動はどう考えても狂人のソレだが、美沙やカーシムは彼女に同情的だ。ピョートルは文章から、ボコボコにされた男が実はヤクザではなく動物園の飼育員であることを知るが、それは黙っていた。ポンテックは文字が読めないので、黙っていることが彼女にとっても幸せだろう。

 ちなみに、彼らは『オオサカベン』と呼ばれる多民族言語で会話をしている。これで大抵の人種、民族と会話や筆談ができる。

 

「よし、上海ベイベは動物園にいるみたいだ!」

 

 哀れな飼育員の文章を読み終えたピョートルは、みんなにそう呼びかけた。ポンテックは椅子に腰かけ、ぐったりとしていたが空元気を起こして手を振り、

 

「おう、さっさと行ってこい。アタシはちょっと休んでるからよ」

 

 と言った。ポンテックをJAIL HOUSEに残し、四人は「天王寺公園」を目指す。この公園の中には動物園があり、そこで名物となっている猿が上海ベイベと呼ばれているらしい。この猿は上海から寄贈されたもので、まさしく上海ベイベと呼ぶにふさわしいだろう。人ではなかったようだが、名前が一致しているとあっては仕方がない。

 

 動物園に到着した四人は、夜になり人気の少ない動物園を捜索する。上海ベイベは金色の毛並をしており、金糸猿という種類の猿らしい。しばらく歩いていると、美沙が一つの檻を指差して声を上げた。

 

「あ、いました! あれじゃないですか?」

 

 美沙の指先の檻の中では、金色の毛並をした猿がお尻を掻いていた。探していた上海ベイベで間違いないだろう。ピョートルが早速檻に近づく。

 

「よし、捕まえよう……あ、クソ! 鍵をかけてやがる!」

 

 当然のような気もするが、檻に鍵がかけてあったことでピョートルは悪態を吐いた。すると、美沙がピョートルを押しやり、檻の前に立つ。何やらガチャガチャとやった後、鍵の外れる音がした。

 

「ふー、開きましたよ」

 

 まるで泥棒のような鮮やかな手際に、ピョートル含め男性陣一同は引き気味である。「正義の味方なのに……」という副音声が聞こえてきそうだ。その様子を見た美沙は慌てて手を振る。

 

「い、いや、これは違います! これはそう、忍術……忍法『鍵開け』です! ニンニン!」

「お、おう……」

 

 ピョートルはその剣幕に気圧されながら頷いた。そして、全員で檻の中に入る。中に入ると、上海ベイベの体がとても大きいことに気がつく。これを連れていくとなるとかなり骨が折れそうだ。

 げんなりとするピョートルの前に、カーシムが出る。チームの中でも随一の巨体と筋肉を持つカーシムなら、上海ベイベに対抗できるはずだ。

 

「ワシに任せておけ」

「おお。頼むぞ、カーシムさん」

 

 ピョートルは期待を込めてカーシムの肩を叩いた。その肩は熱を持ち、既に筋肉が出来上がっているようだった。全員がカーシムの勝利を予感する。カーシムはその巨体を駆動させ、上海ベイベに飛びかかった。

 

「ふん!」

「うきー!」

 

 カーシムが上海ベイベに組み付くと、上海ベイベは唸り声を上げた。お互いがお互い、一歩も退かない攻防である。男たちの汗が飛び散り、むわっとした熱気が檻の中に広がる。傍から見ていても、凄まじい力のぶつかり合いだと理解できた。

 

「ふん! ふん!」

「うきゃきゃ! うきー!」

 

 幾度かの攻防の後、カーシムと上海ベイベは示し合わせたように体を離した。そして、ガッシリとお互い握手を交わす。

 

「良い勝負だったッ」

「うきー!」

 

 男の友情が結ばれたようである。周囲が呆然とする中、カーシムは戻ってくる。

 

「素晴らしい“雄”であった」

「そうか……ついて来てくれそうか?」

「それは知らん」

 

 どうやら、カーシムは失敗したようだ。しかし、何やら達成感めいたものを感じているようである。参謀のピョートルは胃を痛めながらも、縋るように栄介を見た。栄介はピョートルの視線を受け、自信満々に頷くと礼服の上着を脱いだ。

 

「どれ、神の教えを説いてやろう」

「がんばってくださいー!」

 

 美沙の応援を受け、栄介は振り返らずに手を挙げる。猿に宗教が通じるのだろうか。しかし、信者にしてしまえば言うことを聞くような気がする。栄介は胸の前に手を当て、慈愛の表情でベイベを見つめた。その心は聖母マリアのように澄み切っている(と本人は思っている)。

 

「よし、猿よ。お前に有難い教えを授けてやろう。まず、神は世界を――」

「うきー!」

「ぐええッ」

 

 ダメだった。猿に宗教はわからない。先ほどのカーシムとのやり取りで興奮していたのもあってか、上海ベイベは栄介の足を掴んであっさりとひっくり返した。

 

「くそう! 畜生がッ!」

 

 栄介は腰を抜かしながらも元気に悪態を吐いて帰ってきた。ピョートルはやれやれとため息を吐く。そしてふと、視線を感じることに気づいた。周囲のみんなが、ピョートルを見つめていたのだ。その目は雄弁に「お前はやらないのか?」と語っている。

 

「え、俺もやらないとダメ?」

「それはそうだろう。みんなやったんだ」

「美沙もやってないぞ」

「女の子にこんなことをさせるつもりなのか? おお……神は嘆いておられる」

「男らしくない。さっさと行け」

 

 ピョートルは栄介とカーシムに押され、上海ベイベの前に飛び出してしまった。間近で見ると、更に大きい。

 

「ちくしょー」

 

 ピョートルもジャスティスウォリアーズの一員である。ここで逃げたら男が廃る。意を決して飛び込んだ。もしかしたら、奇跡が起こるかもしれない。この大阪では何かの拍子に超常的な力を手に入れたり、相手が突然動かなくなったりすることは日常茶飯事である。その天運にかけるしかない。

 

「うきー」

「うわああああ」

 

 ピョートルはあっさりと吹き飛ばされ、みんなの下に落下した。

 

「ぐえっ」

「……まあそうですよね」

 

 ボソッと呟いた美沙の一言が何よりも痛かった気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 四人は動物園の関係者に見つからずに帰って来れたものの、成果を上げられなかったことでポンテックをガッカリさせることとなった。バッドニュースは傷に響きそうである。

 そして、五人は一般的な亜侠らしく朝まで睡眠を取ることとした。睡眠は大事である。人間、ひいては生物の生活習慣は地球の自転を基準としており、一定の生活サイクルを保つことはとても大事なのである。よって、このような非常時にぐっすりと朝まで眠ることは大阪では何らおかしいことではない。

 

 やがて、上海ベイベ捜索二日目の朝がやって来た。期限は捜索三日目の朝までである。十全に行動できるのは、今日が最後だろう。

 JAIL HOUSEに集まった面々は作戦会議を行う。まず、栄介がポンテックの腕を掴んでこう言った。

 

「私はリーダーを医者に見せようと思う。具合が悪そうだ。神の愛で治せれば良いんだが……」

 

 栄介は傷のせいか青い顔をしているポンテックの前で十字を切る。非常に縁起が悪く、ポンテックの気分も良くない。しかし、提案した内容はまともである。

 

「それじゃあ、俺たちは昨日の動物園に再チャレンジしよう」

「ああ、今度こそ捕まえよう」

 

 ピョートルに賛同し、カーシムがそう言う。栄介がポンテックを病院に連れて行き、他三人が動物園へ行くこととなった。

 カーシムが自転車で、ピョートルが美沙のヴェスパに乗せてもらって動物園へと向かう。カーシムの自転車は本人の身体能力を受け止め、最高のパフォーマンスを発揮した結果、ヴェスパを易々と追い抜いて動物園に辿り着いた。

 

「ハッハッハ。二人とも、若いのに遅いぞ!」

「こっちはオートバイなので、これが限界です」

 

 何やらおかしい会話だが、「カーシム故致し方なし」という気もする。ピョートルはそう自分を納得させた。それはともかく、三人は迷わず上海ベイベの檻の前に辿り着く。朝ということで人もいるが、善は急げという気持ちで決行する。檻の鍵を開けるのは当然、美沙だ。

 

「はい、開きました」

 

 昨日で構造を把握してしまったのか、檻の鍵は美沙の手によって瞬く間に開錠させられた。あまりの手際にピョートルたちの脳裏にモンキーなパンチが思い浮かぶのだが、彼らの気のせいだろうか。

 彼らが檻に足を踏み入れると、上海ベイベは「またか」という顔をした。

 

「よし、ワシに任せてくれ」

「カーシムさん、今度はキッチリ最後まで相手してくれよ?」

 

 気合を入れるカーシムに、ピョートルは念を押した。ピョートルはもう、昨日のような思いをしたくないのである。カーシムは自分のぶ厚い胸板を叩くと、

 

「任せておけ」

 

 と、言った。カーシムは上海ベイベの前に立つ。ベイベも、昨日の今日とあっては容赦するつもりはないようだ。殺気立ち、毛が逆立っている。カーシムは無駄のない足運びでベイベの体の内側に入り込んだ。そのまま腕を掴む。

 

「ふん!」

「うき!?」

 

 なんと、ベイベはあっさりと倒された。カーシムは首に腕を回し、ベイベの首を締め上げる。ベイベは苦しそうに唸り、必死に腕を外そうともがくが万力のようなその力に抵抗は弱まっていく。

 

「う、うきー……」

 

 数分後、ベイベは失神した。カーシムはベイベの巨体を軽々と持ち上げて檻から出る。

 

「よし、見つからないうちに行くぞ」

「お、おう」

 

 ちょっとかっこいいなと思ったピョートルであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 蘭の下へと上海ベイベを連れて行く。ベイベの巨体を見た蘭は何処かに電話をかけ、何度かやり取りを行った後に電話を切った。そして、首を横に振ってこう言った。

 

大幇(たいばん)が探しているのはこれではない。それから、新しいベイベの情報が入った。どうやらミナミのSMクラブに上海ベイベという麻薬があるようだ」

「麻薬?」

 

 もう、人でも動物でも何でもない。マンハントとは一体なんだったのか。そんな疑問がピョートルの頭を過る。

 

「とにかく、調査をしに行ってくれ。探しているベイベかもしれない」

 

 前金をもらっている手前、細かいことを気にするのは良くない。他のメンバーは微妙だが、ビジネスとしての考え方くらいはピョートルにもある。ここは言う通りにした方が良さそうだ。

 蘭の言葉に従い、SMクラブには調査に向かう。その前に、JAIL HOUSEに集合だ。先ほど連絡があったが、どうやらポンテックが無事に治療を終えたらしい。

 

 三人がJAIL HOUSEに向かうとそこには栄介の姿があった。ピョートルは早速ポンテックの様子を聞く。

 

「栄介、リーダーの調子はどうだ?」

「ああ、ご覧の通りだ。神の奇跡によって治癒したかのように万全だ」

 

 栄介はテーブルでぐったりと項垂れるポンテックを見せ、自信満々に言った。その様子を見た美沙は心配になり、ポンテックに近寄る。ポンテックはかなり意気消沈しているようだが、しっかり治ったんだろうか。美沙は恐る恐る声をかける。

 

「リーダー、大丈夫ですか?」

「……おう。体は大丈夫だ」

 

 美沙にそう言ったポンテックの表情は暗い。治療がつらいものだったのかと美沙は推測するが、栄介はそれを否定する。

 

「治療は凄腕だったが、あのクリニックの雰囲気が馴染まなかったんだろう。私もあそこにはもう行きたくないね」

 

 栄介もしかめ面をして十字を切った。何においても十字を切る男である。しかし、一体何があったんだろうか。

 

「あのクリニック、院長がゲイで男の看護師とイチャイチャしながら治療するんだよ。ハゲるかと思ったぜ」

「うわあ」

 

 大阪では珍しくない光景だが、確かにそれを目の前でやられるのは厳しい。

 げんなりとした様子のポンテックだったが、新しい上海ベイベの情報を聞くと顔色を変えた。そして、上海ベイベのある場所を聞くとまたもげんなりした表情に戻った。次の標的はSMクラブ。そういった性関係の場所にはもう立ち寄りたくないのである。

 

「ピョートル、お前がSMクラブに行ってこい」

「え、俺が?」

 

 突然の指名にピョートルが動揺する。しかし、この選定は的を得ていた。なぜなら、このチームの中で十人並みに恋愛経験があるのがピョートルだけだったからである。大阪では恋愛経験の少ないものが恋愛強者に近づくとたちまちトリコにされてしまい、酷い時には奴隷のように扱われるのだ。

 

「じゃあちょっと行ってくる。乗り物貸してくれ」

「それじゃあ私のオートバイ貸してあげます」

 

 ピョートルは美沙のオートバイに乗ってSMクラブに向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ピョートルはすぐに帰ってきた。どうやら、既に蘭の下へ麻薬を届けた後のようだ。

 

「あっさり手に入ったが、あれも上海ベイベじゃないらしいぞ。それから、新しい情報だ。道頓堀にある中華料理屋の看板が上海ベイベって呼ばれてるそうだ」

 

 随分と手際の良いピョートルに、一同はどうやって麻薬「上海ベイベ」を手に入れたのか気になった。聞いてみると、ピョートルは笑いながら、

 

「ああ、アヤメって女が『抱かせてくれるならただであげる』って言うから、やらせてやったら下手くそだったからビンタして麻薬だけもらってきた」

 

 と答えた。最低である。一同ドン引きである。バンドマンはクソと辞書にも載っているが、この『エル・マリアッチ』を愛する男も同様であった。

 ともあれ、あれやこれやの事情で疲労したピョートルを除く四人は道頓堀へと向かう。期限まで時間もない。明日の朝までにはベイベを発見し、捕獲しなければならないのだ。ピョートルからベイベの詳しい特徴を聞き、四人は道頓堀の中華料理屋に向かった。

 

 道頓堀に到着した四人は、周囲から漂ってくるおいしそうな匂いに魅了される。大阪一、いや東洋一と言っても過言ではない繁華街は屋台から本格的な料理店まで多種多様に揃っている。その中に、目的の中華料理屋を見つけた。

 

「あれじゃないですか?」

 

 美沙は目敏く、ピョートルに教わった特徴と一致する中華料理屋を発見する。その中華料理屋の前には確かに看板があった。看板はチャイナ服を着た美女の姿をしている。ポンテックは看板に近づき、怪訝な表情を浮かべた。

 

「なんだあ? 普通の看板にしか見えないな。これのどこが上海ベイベだって――」

 

 ポンテックが「上海ベイベ」の名を口にした瞬間、看板は固定されている場所から自分の身を引きはがし、猛然と四人の前から走り出す。あまりの出来事に四人は呆然とし、このような名状し難い出来事に精神を揺さぶられる。しかし、四人はすぐに気を取り直して看板を追う。

 

「追うぞ! あれが多分ベイベだ!」

「よし、ワシが愛馬黒王号(自転車)で追いかけよう!」

 

 ポンテックと栄介は車を所持していたが、乗っている暇はないだろう。カーシム以外の三人は自らの足で看板――ベイベを追いかける。そして、カーシムは黒王号を駆り、凄まじい速度でベイベに迫る。ベイベも相当なスピードで走るが、徐々にその差は狭まっていく。

 道行く人々はあまりの速度に、ベイベとカーシムの二人の姿が影のようにしか捉えられないだろう。やがて、ベイベの姿を射程範囲に捉えたカーシムは黒王号を飛び降りる。

 

「ふんッ」

「ちくショー!」

 

 どうやらこの看板は喋るらしい。カーシムはそんな奇々怪々な異変に惑わされず、しっかりとベイベを押さえつけた。それから、ポンテックら三人がようやく追いつく。

 

「流石だなカーシム。よくやった」

「早速蘭さんのところに行きましょう!」

 

 ポンテックが労いの言葉をかけ、ベイベを縄で拘束した。四人は蘭の下へ向かう途中、JAIL HOUSEに寄る。ピョートルを回収するためだ。

 ピョートルは意思を持って動き、「離セー!」と喚き立てる看板を見て精神的な動揺を受けるが、自分のチームメンバーを眺めて精神の安定を取り戻した。忍者、謎の宗教家、巨漢おじいちゃんと一緒に並べてみると、喋って動く看板も意外と違和感がないかもしれない。非日常の一コマだと、ピョートルは自分を納得させた。

 

 中華街、代筆屋蘭桂房に五人が入る。中はあまり整理されておらず、ごちゃごちゃしていた。本棚には難しそうな本が並び、古びた机と客用の椅子が並んでいる。五人とベイベを見ると、蘭はすぐに反応した。

 

「ほう。長い年月を経て魂を得たものの、逃げ出したというのはこいつか」

 

 蘭は感心したように言う。

 

「つまり、これが本物か?」

「ああ。これが捜していたベイベだ」

 

 ピョートルの問いに蘭が頷き、依頼は達成となった――かに見えた。

 蘭の言葉を受け、縄に繋がれていたベイベが暴れ出す。力のままにもがき、ベイベは縛られていた縄から逃れた。このままではどこかに逃げ出してしまうだろう。

 

「あ、こいつ!」

「捕まってたまるカ!」

 

 ポンテックの言葉に、ベイベは入口へと駆けながらあかんべーをする。逃がすわけにはいかない。ここで逃げられたら、正義が実行されないのだ。あと、ジャスティスウォリアーズのみんなはお金も欲しいに違いない。

 素早く行動したのは、忍者装束を身に纏う美沙だった。すぐさま一歩前に出ると袖口からスミス&ウェッソンM36、通称チーフスペシャルを取り出して発砲した。あまりの早業に周囲の人間には袖から銃弾が飛び出したかのように見えるだろう。

 

「忍法『チーフスペシャル』!」

 

 まったく忍法ではないが、生身の人間なら重傷を負うような弾丸の雨がベイベに降り注ぐ。しかし、ベイベの体はキンキンと音を立てながら銃弾を弾く。その体の表面には多少の傷がついているものの、ほとんど無傷であるように見えた。

 

「馬鹿メ! そんなものが効くカ!」

 

 ベイベはせせら笑いながら、その身を巨大化させる。先ほどまでピョートルと変わらない程度の大きさだったベイベは、いつの間にか蘭桂房の天井に迫るまで大きくなっていた。ポンテックはトカレフ、栄介はベレッタを準備しながら、その異様な光景に口を開けている。そんな中、カーシムは果敢にもベイベへと走り出した。

 そして、ピョートルは――。

 

「ハハハハハ! ヒャッハー! ロックに弾けやがれ!!」

 

 何が彼の琴線に触れたのか、ピョートルは狂ったような声を上げて愛器『エル・マリアッチ』を掲げた。そして、響く爆音。何と、『エル・マリアッチ』からはロケット弾が射出されていた。これが音楽を愛する男のすることなのか。音楽を冒涜するような行為だが、周囲の一同は承知の上だったのか、できるだけ気にしないようにしている。後ろで傍観していた蘭と、ロケット弾をぶち込まれたベイベはさぞかし驚いていることだろう。

 しかし、ポンテックはピョートルの発狂とは別の懸念があった。

 

「粉々に爆破してねえだろうな……」

 

 確かに、その恐れはある。ベイベが粉々になってしまった場合どうなるかはお察しである。報酬の札束からは羽が生えて飛び去り、最悪の場合大幇に命を狙われることになるだろう。

 だが、爆炎が晴れると良い色に焦げ付いただけで元気そうなベイベの姿があった。

 

「よくもやったナ!」

 

 ベイベはぷんすかと怒りながら腕を振る。まだまだ元気そうである。ロケット弾が射出されるギターも、それを受けてほとんど無傷な看板も明らかにおかしいが、正義の使者は細かいことを気にしない。美沙はすぐにテーブルの影へ入り込みながら、ワルサーppkを袖口から抜き放った。

 

「忍法『ワルサー』!」

 

 何でも忍法にしてしまう。しかし、その技術は凄まじい。まさしく“忍術”と言えるレベルの早業である。美沙が声を上げるころには銃弾がベイベに届いているのだ。

 

「サツガイ! サツガイ!」

 

 完全に語彙力と思考能力を失ったピョートルも『エル・マリアッチ』を掲げて銃弾をベイベに浴びせていく。銃弾が雨のように射出されるのを見ると、もはやギターではなく血戦兵器と呼称するべきだが、ピョートルは戦闘が落ち着けば音楽を愛する男に戻るのだろう。弦が切れていないことを祈る。

 

「お前も道連れにしてやル!」

 

 ベイベもこの銃弾の雨には堪えたのか、肩を破損しながらも近くまで迫って来ていたカーシムへと向かっていく。カーシムは当然、これを受ける構えだ。乾布摩擦にでも使うのであろうタオルを取り出しながら迎え受ける。そんな武器でいいのかとも思うが、硬貨を武器として欲しがる老人である。無理もない。

 

「ふん! ふん!」

 

 近づいてくるベイベに、カーシムはタオルを振り回す。クウェートでは戦場狂想曲の異名で畏れられたカーシム。振り回すタオルは、まるで衣服のようにカーシムの巨体を覆っていく。クウェート戦の当時、カーシムのこの技を見たイラクの兵士は「ドレスを着ているようだった」と声を震わせながら語ったものだ。

 ドレスが幻視されるほどのタオルの暴風に巻き込まれたベイベは、その巨体を大きく宙に浮かせる。

 

「ぐええェー!」

 

 銃弾、ロケット弾でもほとんど無傷だったベイベの体は、カーシムのタオルによって半壊した。腕は取れ、左足も破損している。ベイベは(出ないけど)涙ながらに命乞いをする。

 

「か、勘弁してくレ! わかった、オレの負けだヨ!」

 

 ベイベは、自ら足を引きずって蘭の下へ向かった。余程カーシムが恐ろしかったのだろう。周りで見ていたメンバーもあの状態のカーシムには近寄りたくないものだと、心から思った。蘭が何処かへ電話をすると、黒服の集団が現れてベイベを連れていく。

 

 かくして、正義は実行された。蘭は満足気に札の束を五つ取り出すと、ポンテックに投げて寄越した。

 

「見事な手際だった、ジャスティスウォリアーズの諸君。君たちのおかげでこの中華街、ひいては大阪の平和は守られただろう」

 

 蘭の言葉に、チームのみんなは喜びの色を浮かべる。ジャスティスウォリアーズは見事、身勝手な正義を貫けたのだ。動物園からは名物の猿がいなくなり、麻薬売人のアケミもピョートルのことを思いだしては泣くだろうが、これで良いのである。

 ポンテックは胸を張り、蘭の言葉に応える。

 

「ああ! また何か困ったことがあればアタシたち、正義の戦士――ジャスティスウォリアーズに任せてくれ!」

 

 ポンテックは札束を栄介に手渡し、颯爽と蘭桂房を後にする。チームのメンバーもそれに続いた。彼らは、これからもこの大阪で正義を実行する。時には五大盟約と争うこともあれば、メンバーに死人が出ることもあるだろう。それでも、彼らは突き進むのを止めない。すべては正義のために、すべては正義のために!

 





 読了ありがとうございました。もしよろしければ、感想欄に今回のMVP(もっとも活躍した人)と、ジャスティスウォリアーズそれぞれの評価をください。

 評価は、どんな働きをしたかで以下の中から選んでください。
・親分:チームをまとめた、仲間を助けた。
・闇商人:売買を行った、取引をした。
・殺し屋:敵を倒した/殺した、破壊工作や襲撃を行った。
・用心棒:仲間や依頼人などを守った、厳しい状況で生き残った。
・色事師:色香で何かした、デートやエロいことをした。
・ペテン師:巧みな交渉を行った、シャレた嘘を吐いた。
・泥棒:アイテムを盗んだ、警戒厳重な場所に忍び込んだ。
・走り屋:競争や追いかけっこに勝った、何かを運んだ。
・情報屋:有益な情報を手に入れた、謎を解いた
・裏職人:アイテムを作ったり、仲間を治療した
・キジルシ:常軌を逸した行動を取った、頭がおかしい
・ダメ人間:何もしなかった、チームに迷惑をかけた

例(あくまで一例です。お好きなように記入ください)
MVP:ポンテック、ポンテック:親分、カーシム:殺し屋etc...

 というように、もしよろしければ評価をくださると嬉しいです。ちなみに、この評価の結果が彼らの成長につながるので、そのあたりも考慮してみると面白いかもしれません。
 それでは、読了お疲れ様でした。そして、読んでくださってどうもありがとうございます。またの機会があれば、よろしくお願いします。


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絶対太陽軍団
俺たち凶暴につき(前編)


 

 金、暴力、セックス。アウトレイジなアウトローの三種の神器と言っても過言ではないその三つのファクターを近畿特別区「大阪」の住人は兼ね備えている。そこに「麻薬」も加えていいだろう。とにかく、大阪の住人は過激でパンクな連中なのだ。

 そんな大阪で最大の歓楽街「ミナミ」は、多種多様な食べ物屋の並ぶ「道頓堀」やオタクの聖地「日本橋電気街」を擁する賑やかな街だ。更には、怪しげな宗教団体の建設した大神殿や高級SMクラブ、名状し難い冒涜的なラーメン屋などなど、大変教育によろしくない施設やお店もある。

 だが、ミナミにも安楽の地はある。ミナミの外れにある「天王寺公園」はとてもゆったりとした、穏やかな場所だ。緑が豊かで人気の「動物園」まであるではないか。休日には家族連れで賑わうだろう。まさに大阪のカナンの地、涅槃と呼んでも差支えがない。

 

 朝。大阪の常識と比較して穏やかな公園、その中の動物園にややアウトレイジ、微妙にアウトローな連中がいた。例のごとく、亜侠(アジアンパンク)のチームだ。彼らは「絶対太陽軍団」。何が絶対なのか、どういった軍団なのかは不明だが、彼ら四人組は動物園を楽しんでいた。今のところは笑いながらロケット弾を発射したり、猿を誘拐したりするような奇行もなさそうだ。

 中でも目を引くのは西洋甲冑を着込んだ女性である。動くたびに鎧がガシャガシャと音を立てるが、彼女はそんなことお構いなしに犬との触れ合い広場へと駆けて行く。きっと犬が好きなんだろう。だが、犬は西洋甲冑が走ってくると蜘蛛の子を散らしたように逃げていく。当然である。彼女――(チャオ)(ラン)は犬に逃げられてしまったので、ガッカリと肩を落とした。

 その様子を見てクスクスと笑うのはフィリピン人と日本人のハーフ、真理(マリ)・サラジャニである。彼女は高級そうな葉巻に火を点け、不遜な態度で煙を吸っては吐く。煙が目にかかった動物たちは迷惑そうに彼女を睨むだろう。その横ではロシア出身のメーティニー・テレシコフが熊を威嚇していた。熊は彼女の戦闘力を察したのか、体を震わせて怯えている。理由はわからないが、見るからに使えそうもないボロボロの傘を手に持っている。

 そんな彼女らの様子を見て溜息を吐くのはチームの頭脳(ブレーン)であり黒一点、マハラジャ・マグナムである。やれやれと肩を竦める彼を、周りの熊が慰める。きっと熊たちは彼のことを仲間だと思っているのだろう。なぜなら、彼が熊の着ぐるみを着ているからだ。なぜ着ぐるみなのか、それは問うまい。しかし、着ぐるみの上から機能性の高そうな手袋をはめているのは一体どんな性癖なのか、小一時間問い詰めたいものだ。

 そんな家族連れがごった返す中で異彩を放つ絶対太陽軍団の諸君は動物園の職員の叫び声を耳にする。

 

「大変だ! 動物たちが逃げ出してしまった!」

 

 職員の悲痛な叫び声を聞き、絶対太陽軍団もそちらの方へと駆けて行く。正義感などではない、野次馬根性である。職員は駆け寄ってくる西洋甲冑、着ぐるみを目にして精神的動揺を引き起こすことだろう。動物の脱走という惨事と見るからに怪しい集団を目にして精神が崩壊したのか、職員は思いがけないことを口走る。

 

「あ、あなたたち!」

「ん、私たち?」

 

 突然指差され、蘭は甲冑の中からくぐもった声を上げた。職員は動揺したまま続ける。

 

「逃げ出した動物を捕まえて来てくれませんか!」

 

 どうした職員。チームでも随一のまともな人間(恰好以外)であるマハラジャは職員の急な依頼に困惑した。傲岸な表情で「そういうことはマネージャーを通してくれませんこと」などと、アイドルのように偉そうなことを考えている真理は葉巻の煙を思い切り吐いた。チームのマネージャーはお前である。

 

「そんなこと言われてもなー」

 

 チームのリーダーである蘭は甲冑のまま器用に腕を頭に回し、依頼の受注を渋った。今は動物園を満喫したいのだ。ここには可愛いパンダもいると聞いて、女性陣はみな期待している。職員は蘭の様子を見て落ち込み、一人悲しげに呟いた。

 

「そんな……名物のパンダもいなくなってしまって、どうしたらいいんだ……」

「それは大変。逃げ出した動物たちを捕まえよう」

「依頼を受けますわ」

「やるぞ」

 

 パンダの名前を聞き、一斉にやる気を出す女性陣。パンダのいない動物園なんて、麻薬のないセックスみたいに退屈だ。マハラジャはその様子を見て一人やれやれと首を振る。着ぐるみのせいか首が上手く回らない。

 職員はそんな即物的な彼女らの心情に気づかず、手を叩いて大喜びしている。

 

「あ、ありがとうございます! 私たちも動物たちがどこに行ったのかわからなくて困っていますので、そこから探していただけると助かります……」

「それはまた、大変な仕事ですわね」

 

 一時の熱が冷めたのか、真理は葉巻の煙で輪を作りながら静かにそう言った。これは「出すもの出してくれるんだろうな?」というジェスチャーである。職員は慌てて「少々お待ちください」と言って後ろにある扉へ飛び込んだ。何やら中で言い合っている声が聞こえてくる。

 

「園長、外の彼らが動物を探して捕まえて来てくれるそうです!」

「え、いきなりすぎるよ。大丈夫なの」

「大丈夫だと思います! さあ、園長の方から彼らに話を」

 

 そんな声が聞こえたかと思えば、中から先ほどの職員とでっぷりとした男性が出てきた。中々良さそうな服を着こみ、身に着けている腕時計などから裕福であることが伺える。園の経営は結構上手くいっているのだろう。彼がこの動物園の園長だ。職員のよくわからない気迫に押され出てきたのだろうが、困惑気味だ。

 園長は絶対太陽軍団の面々を目にすると頭痛がし、思わず渋い顔になった。西洋甲冑に着ぐるみの珍集団なんて、こんな連中に任せておけるはずがない。

 

「あー、君たち、申し訳ないがこれはだね」

 

 園長が早々に職員の申し出を取り上げようとすると――

 

「まさか“人に依頼を頼んでおいて断る”なんて真似はしませんわよね?」

 

 園長の言葉を、すかさず真理が遮る。真理はベレッタ・モデル92Fを取り出すと園長のこめかみに当てた。彼女は葉巻の煙を園長の鼻頭に吹きかけながら空いている方の手で顔を掴む。自分の方に引き寄せると、目をジッと見つめて拳銃を更に強く押し当てた。

 

「しませんわよ、ね?」

「は、はいぃぃぃ!」

 

 葉巻の煙も拳銃も脅しをかけるためのパフォーマンスに過ぎなかったが、この太っちょの園長には大変効果があったようだ。園長は悲鳴を上げるとおたおたしながら懐に手を入れ、札巻を取り出した。

 真理はこう見えて弁護士なのだが、このような暴力行為を働くところを見るに相当なインチキ弁護士だということはお察しである。

 

「こ、これが前金です……動物たちを捕まえていただけるならお礼は弾みますので、何卒、何卒……」

「そうそう、素直は良いことですわよ」

 

 恐怖の表情を浮かべた園長は真理の拳銃をチラチラ見ながら震えた声を発する。それを聞いた真理は満足そうに頷くと札巻を抱えて蘭の肩を叩いた。蘭はキョトンとしている。

 

「ん?」

「ほら、あなたがリーダーなんだから何か言ってあげたらどうですの?」

「あ、そうか! 私たち絶対太陽軍団に任せておいて!」

 

 真理に促され、蘭は甲冑に覆われた胸を叩いて園長に言い放った。甲高い金属音が鳴り響くと園長は体を震わせて「ヒッ」と声を上げたが、マハラジャが気にせず声をかける。

 

「なあ、園長さん。逃げた動物“たち”ってのは一体何なんだ? パンダだけじゃないよな?」

 

 その言葉に、園長の心は大きく動いた。西洋甲冑を着た女がリーダーの珍妙なチームに依頼をすることとなり、しかも脅されたのだ。そんな中このまともそうな発言はどうだ。園長は目まぐるしい状況の変化と恐怖で自分を見失っているだけなのだが、「この男は信用できるぞ!」と根拠もなく思った。着ぐるみを着ていながらまともそうなことを発言するという、ギャップによる効果もあったのかもしれない。

 

「は、はい。ペンギン、フラミンゴ、あと牛が何頭か……」

「牛なんか飼っていたのか」

 

 種類にもよるのだろうが、動物園で牛や豚を見ることはあまりない。メーテ――メンバーからは愛称で呼ばれている――は牛と聞くと歯を剥き出しにして騒ぎ出した。

 

「牛! メーテは牛が好きだぞ!」

「ああ、食べる方でな」

 

 そう、食用として好きなのである。しかし、今回は捕まえなければならないのだから食べてはダメだ。マハラジャはメーテを宥めつつ、園長に向き直る。

 

「動物たちに何か特徴はあるのか? ペンギンやフラミンゴ、パンダはともかく牛は普通の家畜との違いがわからん」

 

 メンバーの中では頭の良いマハラジャも動物に対する審美眼までは持ち合わせていなかった。園長は少しもごもごと唸った後、言い出しづらそうに口を開いた。

 

「写真もありますので、こちらを……特徴と言えば、うちの牛は二足歩行でして」

「んん?」

 

 マハラジャはターゲットの写真を受け取りつつ、思わず声を上げた。牛と言えば四足歩行であることから教義的に食すのがタブーとなっている宗教があるくらいである。つまり、四足歩行であることが当然の常識であり、園長の突拍子もない発言にマハラジャは言葉を失った。他のメンバーはそこまで気にしていないようで、蘭は兜の向きを直し、真理は葉巻を吸い、メーテは土をいじっている。

 

「二足歩行で銃も扱いますので、捕獲の際は気をつけてください」

「オーケーオーケー、この動物園はクレイジーだ。そんな牛を飼ってたのか」

 

 狂気染みているのはマハラジャの恰好も同様だが、この動物園も中々にパンクである。攻め過ぎである。そんな牛を飼育しておきながら西洋甲冑と着ぐるみ程度に驚くなと言いたい。

 

「それから、今回脱走した動物たちとは関係がないかもしれないのですが、もし金色の毛並の猿を見かけたら捕まえて来てください。お礼はします」

「金色の猿?」

 

 園長の言葉に蘭が反応する。聞き覚えがあったのだろうか、兜が邪魔でほとんど回らない首を捻って何事か考えている様子だ。

 

「ええ、上海から寄贈された猿で、上海ベイベと呼ばれて親しまれていたんですが……この間いなくなってしまって」

「脱走か?」

「いえ、外部の者が檻の錠を外したようです。犯人はまだ特定できていません」

 

 マハラジャは「悪い奴もいるものだ」とチンピラ風情の自分らを棚上げして見知らぬ相手を非難した。蘭は上海と聞いて何か思い出したようで、手をポンと叩いた。正確には手甲を打ち合わせたので、ガシャンと叩いた。彼女は中国人であるから、上海ベイベの名に聞き覚えがあったのだろう。

 

「そうか、その猿も探してみよう。対象はペンギン、フラミンゴ、牛にパンダ、猿だな」

「はい……で、ですが、名物のパンダかベイベを捕まえて来ていただけないとこちらも困りますので、少なくともどちらかは連れて来てください……」

 

 園長の言葉は次第に尻すぼみになる。先ほどまで拳銃で脅されていたのだから無理もない。マハラジャもそれを少し不憫に思ったのか、安心させるように優しい声色で言う。

 

「大丈夫だ。パンダとベイベが見つからなければ報酬は必要ない。それくらいは保障しよう」

「ほ、本当ですか! ありがとうございます!」

 

 園長の中でまたもマハラジャの評価が上がった。チームのメンバーはぶーたれるが、仕事に対してこれくらいのメリハリは必要だと彼は考えていた。動物を殺してしまったら報酬はないだろうし、血気盛んなメンバーには注意が必要である。

 

「よーし、それじゃあ行くよ! アニマルハントだ!」

「私も行きますわ」

 

 蘭は腕を振り上げ、猛然と走り出した。流石は我らの猪突猛進なリーダーである。おそらく駐輪場に停めてある自転車を取りに行ったのだろう。真理もその後を追って駆け出した。メーテは依然として土いじりを続けている。マハラジャはそれを見てやれやれと首を振るが、ここで情報収集をすることを決めたのか動く様子はない。それから、園長にもう少し話を聞いておきたかったのだ。

 

「そうだ、他に情報や特徴はないか? 何でもいいんだ」

「他に、ですか。そうですね、役に立つかはわかりませんが……逃げ出してしまったパンダの名前は『ラン・ナウェイ』と言います。よろしくお願いします」

「それは逃げ出すのもわかる」

 

 園長が深々と頭を下げ、マハラジャが空を見上げて溜息を吐いた。名前の影響で何かが起こるわけでもないと思うが、もうちょっと考えて名付けるべきだと感じてしまう。マハラジャは気を引き締めるために息を吸い、頬を叩いた。着ぐるみのおかげで何も感じないが、こういうのは気の持ちようである。

 そこでふと、マハラジャはメーテの姿がいなくなっていることに気づく。

 

「む、メーテ? 園長、さっきまでここにいた子を知らないか?」

「い、いえ、わかりません。すみませんが、私は仕事がありますのでこれで失礼します。どうか動物たちのことをよろしくお願いします」

 

 園長がまた頭を下げ、扉の向こうへと消える。マハラジャはそれを手を挙げて見送り、すぐさまメーテの捜索に入った。動物よりもチームのメンバーが大事だ。という仲間意識もあるが、メーテはあれで喧嘩が強くて凶暴なのである。飛び散る薬莢の音と硝煙の臭いが好きだと公言するクレイジーな少女だ。うっかり一般人を殺害してしまうと警察がやって来て臭い飯を食うハメになることもある。何か仕出かす前に探しておいた方が良い。

 

「メーテ! どこだ!」

 

 マハラジャは動物園の客にメーテの特徴を伝えながら足取りを追う。その過程でポルノ反対運動を行う小規模団体――独立系小盟約「ポルノバスターズ」に目を付けられてしまう。しかし、それも無理もないことだった。着ぐるみを身に纏った二十代後半の男が手当たり次第に十代の少女の情報を荒々しい息使い(主観)で聞いてくるのである。少年少女を大人の魔の手から守るポルノバスターズに取って見過ごせないことだった。

 幸いにもポルノバスターズとのいざこざは無かったものの、以降マハラジャがアダルトでセクシーな情報を集めようとすると警戒されてしまうだろう。そんな組織に目を付けられたとは露知らず、マハラジャは動物園を駆ける。しばらくするとトレードマークのボロボロの傘を背負ったメーテの姿を発見した。

 

「メーテ! お前……どうしたんだその子は」

 

 メーテを見つけたマハラジャは安堵して駆け寄るが、その横に見知らぬ女の子が寄り添っていることに気づいた。何やらメーテに対して馴れ馴れしく、腕を取って頭を擦り付けている。まるで恋する乙女のようだ。メーテはそれをまったく意に介さず、尻を掻くゴリラを眺めている。マハラジャの声には気づいたようで、メーテは振り返ると気の抜けた表情で彼を見つめた。

 

「なんかくっついてきた」

「そうか……元の場所に返してきなさい」

 

 大阪ではペットを飼うように人間を飼うこともあるが、育てるならそれなりに責任というものが必要である。今はそんな暇はないのだ。女の子はメーテから引きはがされると親御さんの下へと泣きながら返され、最後の悪あがきにメルアドを交換していった。タフな女の子である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 天王寺動物園を一足先に出た蘭は自転車でJAIL HOUSEに向かっていた。西洋甲冑を着た女が自転車を漕ぐ。これは見かけた人の精神に来そうな光景である。ガシャガシャと音を立てながら器用に自転車を漕ぐ蘭の後ろから、シトロエン2CVに乗った真理がやって来た。真理は葉巻を片手に優雅に運転している。蘭の隣に並ぶと速度を合わせながら走行し、窓を開けて声をかけた。

 

「蘭、あなた一体どこに行きますの?」

「んー、とりあえずJAIL HOUSEかな。人いっぱいいるし。真理は?」

「私もそちらに行きますわ。ちょっと買いたい物があるので」

 

 真理は懐から札をチラつかせると不敵に笑った。先ほど園長からいただいた前金である。蘭はそれを見て物欲しそうな顔をする。彼女は自転車に乗って移動することからわかるように、とても貧乏だ。赤貧なのだ。

 

「えー、私にも何か買ってよー!」

「何が欲しいんですの?」

 

 蘭は真理にそう問われ、自転車の上で器用に頭を抱える。その後、特に欲しいものは無かったのか頬(兜)を掻いて照れたように笑った。真理は呆れた顔で葉巻を吸い、大きく煙を吐いた。真理は仕方ないとばかりに鼻を鳴らし、助手席からAKM――カラシニコフと呼ばれるアサルトライフを取り出した。

 

「特に欲しいものがないなら、これで我慢しておきなさいな」

「うわー何これ。すごーい!」

 

 蘭はカラシニコフを受け取り、目を輝かせる。チームの中では裕福な真理くらいにしか購入することのできない小銃である。しかし、よくもまあ自転車と車で並走しながら銃の受け渡しなんて器用な芸当ができるものだ。

 

 二人がしばらく並走していると、『エルヴィス・プレスリー』の看板が見えてきた。これがJAIL HOUSEの看板である。エルヴィスの死を悼むファンがバーの店員にでもいるのだろう。その店員が幼女から「おいたん」などと呼ばれるロッカーであれば最高である。

 それはともかく、二人はJAIL HOUSEの入り口に赴く。このバーは地下にあり、入るには薄暗い階段を降りなければならない。二人が扉を開くと、中の喧騒が彼女たちを包む。大阪中でも唯一の中立地帯となっているこのバーでは、様々な人種、盟約組織がごった返している。

 

「相変わらず薄汚いところですわね」

 

 真理は煙を吐きながらしかめ面を浮かべる。大阪では汚くない場所の方が珍しいのだが、このお嬢様風弁護士は大阪でも有数の金持ちの街「官庁街」に住んでいる。ありとあらゆる人種、無法者たちが集うミナミのバーとは大違いの環境だろう。蘭はそんなことは気にせず狭いバーの中をガシャガシャと移動する。ああ見えて人気者の蘭だ。その辺の人間から上手いこと情報を聞き出すかもしれない。

 蘭は周囲の人間から「良い鎧だな」とか、「よく磨かれている」などと褒められながら情報を集めていく。そんな中、一組のカップルが蘭の目に留まる。JAIL HOUSEの狭く小汚い空間でイチャイチャネチョネチョとしている。恋人と二度死に別れている蘭はそれを見て放心してしまった。カップルの姿に、何か思うことでもあったのだろう。

 

「あらあら……」

 

 そんな蘭の様子を見て、真理も悲しげな表情を浮かべる。真理も恋人と死に別れた経験があるのだ。見た目や性格の割に、重い過去のある女たちである。しかし、すぐにそんなことは忘れて真理はバーのカウンターへと向かった。大阪の亜侠は過去に囚われないのである。

 

「いらっしゃい」

「このお金でこれとこれ……あとこれもいただけます?」

 

 真理は札巻を放り投げて店員に渡した。慣れているのか、店員は札を上手にキャッチするとポケットへと入れた。そのままポケットマネーにしてしまうのではないかと思ったが、商品さえもらえれば問題ないと真理は気にせず葉巻を吸った。

 

「はいよ」

 

 店員は拳銃を二挺と大量のカロリーなメイトを取り出すと真理に手渡す。なぜバーに拳銃が置いてあるのか。ここが亜侠たちチンピラだけでなく、盟約組織にも人気があることも一因なのだろう。武器の需要はそれなりにあるはずだ。

 真理は無言で拳銃、携帯食料を受け取ると放心している蘭に近づく。声をかけて我に返すのかと思えば、西洋甲冑の兜に手をかける。真理が兜を取り去ると、蘭の素顔が露わになった。二十歳くらいの、かわいい女の子である。整った顔立ちをしているが、その目は血走り、歯ぎしりをしているおかげで台無しである。視線の先には先ほどのカップルがいる。亡き恋人との懐古の念に浸るでもなく、ただ妬ましく思っていただけのようだ。

 

「あれ、ありませんわね」

 

 真理が首を傾げた。何かを探しているようだ。蘭の手甲にも手をかける。ここでようやく、蘭が我に返った。その目に生気が戻る。

 

「真理、何してるの?」

「ようやく気がつきましたわね。あなた、携帯電話をたくさん持っていたでしょう。一つくださる?」

 

 金持ちは携帯電話など持たないのだ。不便だろうに、真理は携帯電話を普段使いするのは貧乏くさくて嫌だと言う。その点、蘭は携帯電話を三つも持っているのだからそれはそれで凄まじい。そのうちの一つは過去の男のメールからインターネットでのやり取りの記録までびっしりと詰まった恐ろしい携帯電話だとチームの中でもっぱら噂になっている。

 

「これならいいよ」

 

 と、蘭は手甲ではなく具足を外す。周囲の男たちは生足が披露されるかと色めきたったが、残念ながら中はジャージである。鎧にジャージとは一体何なんだ。ともかく、蘭はジャージのポケットから携帯電話を一つ取り出して真理に手渡し、具足をまた足に嵌めた。

 

「ありがたくいただきますわ。何かわかったら連絡を頼みますわよ」

 

 蘭から携帯電話を受け取った真理はJAIL HOUSEの出口へと向かった。

 

「ん、真理はどこか行くの?」

「ええ、ちょっと官庁街に」

 

 官庁街には警察の本部、「大阪市警」がある。もし園長が我に返っていれば、警察にも連絡を入れていることだろう。五大盟約に数えられ、怠慢に恐喝、大麻を販売するような大阪市警が動くとは思えないので先を越される心配はないが、何らかの情報は掴んでいるかもしれない。

 

「そっかー。わかった! 私はもうちょっとこっちでがんばってみるよ!」

「お互いに健闘しましょう。これ、差し上げますわ」

 

 真理は先ほど購入したメイトするカロリーを手渡す。チョコ味だ。

 

「わーい! ありがとー!」

 

 無邪気に喜ぶ蘭に微笑み、真理はJAIL HOUSEを去って行った。真理を見送った蘭は携帯電話を開くと、なぜか昼になっていることに気がついた。首を捻るも、理由はわからない。蘭は賢くないので考えるのは苦手だ。

 

 そんな時、蘭は知った顔を見かけた。かつて武装勢力に身を置いていたころ、敵対していた男である。そんな彼を見かけた蘭は――

 

「おらー!」

「うわっ!」

 

 いきなり飛びかかった。突然のことに彼は反応できない。そしてそのまま、蘭は彼に唇を重ねる。

 

「むちゅー」

「んー!?」

 

 唐突な口づけに男――青年は驚くが、くぐもった声を上げるくらいしかできない。周囲のおっさんたちは「いいぞー!」や「もっとやれー!」などと声をかけている。大阪ではこんなことは日常茶飯事なのだろう。長い口づけが終わり、解放された青年は動揺から立ち尽くしていた。いきなり西洋甲冑に身を包んだ女が襲いかかり、キスをかましてきたのだから動揺するのも無理はない。

 

「よし、動物園から逃げ出した動物の情報を教えてもらおうか!」

 

 蘭は口元を拭いながらそんなことを言う。青年はわけもわからずオロオロとするばかりだ。周りから「なんだーもう終わりかー!」とか、「脱げー!」などの声が上がるが、蘭は聞こえない振りをしている。

 

「乙女の唇を奪ったんだから出すもの出してもらうぞ!」

「え、えー……」

 

 これではまるで押し売りである。当たり屋にも近いかもしれない。こんな悪徳セールスみたいな真似が通るわけもないのだが、青年は気が弱かったのか蘭の剣幕に押されている。更に、脱走した動物たちに心当たりがあったのか、携帯電話を取り出して蘭に見せつけた。携帯電話の画面には何らかの動物――のようなものの影が映っている。

 

「動物って、これ?」

「おおー! すごーい……って、手振れがひどいなあ。写真を撮るのが下手だね!」

 

 せっかく情報をくれたというのに、蘭はあーだこーだと文句を言う。しかし、確かに携帯電話の画面に映る写真はひどい出来だった。これでは場所はおろか、これが何の動物かも判断つかない。

 

「そんなこと言われてもな……」

 

 彼は蘭の反応に苦笑する。突然変な女に襲われたというのに、対応の良い青年である。蘭は礼儀とか遠慮という言葉を知らないのか、ぐいぐいと質問をしていく。

 

「これどこで撮ったの? 何の動物?」

「うーん、天王寺公園の近くだったような。ペンギンが外に出てたから驚いて撮ったんだ」

 

 写真を撮った場所が天王寺公園だとすると、これは脱走してから間もないころの写真である可能性が高い。収穫と言えば収穫なのだが、蘭は少し期待外れだったたようで肩を落としている。

 

「ふーん、そっかー。それじゃあ写真はもらうね」

「あっ」

 

 蘭は他人の携帯電話を勝手に取り上げると、赤外線で自分の携帯電話に写真を送信した。勝手な女である。

 

「はい、ありがとー。ペンギン、どっちに行ったかわかる?」

「えーっと……新世界か日本橋電気街の方じゃないかな」

 

 ちゃんと教えてあげる青年の対応が眩しい。この絶対太陽軍団のリーダーよりも太陽のように優しい輝きを持つ男である。しかし、蘭にとってはその情報も期待外れだったようで、大きな溜息を吐いた。

 

「なんだー、それじゃわからないじゃない」

「ご、ごめん」

 

 青年はシュンとした様子で蘭に謝った。蘭の心の片隅にも良心というものがあったのか、そんな様子を見て励ますように青年の肩を叩いた。鎧の手甲は硬く、叩かれると痛い。

 

「まあまあ、気にすることないよ! 人によって得意なことは違うからね!」

 

 激励の言葉もいい加減な女である。しかしそれでも、青年は笑顔を浮かべた。良い人すぎる。そんな彼に、一人の女性が声をかける。どうやら青年の知り合いのようだ。

 

「あらー、何してるの?」

 

 蘭は青年に声をかけた女性を見てギョッとした。ロシア系の整った顔立ち、近づくと心地良い香りと妖艶な雰囲気に呑まれるだろう。女性であっても目を惹く、そんなオーラが彼女にはある。彼女の名はオルガ・(フェイ)。“銀狐”と称される銀髪の娼婦だ。フリーの街娼を守るために結成した自警団、SWEET ROSESという独立盟約の有名人でもある。

 そんなオルガが青年を見る目は優しい。蘭は女の勘か、この青年がオルガにとって割と“特別な存在”であることに気づいた。先ほどの蛮行が知られれば蘭もただでは済まないだろう。蘭は青年に耳打ちする。

 

「さ、さっきのことは内緒にして! お願い!」

「え、あ、うん」

 

 蘭は青年の了解を得るやいなや凄まじいスピードでJAIL HOUSEを後にする。せめて口封じの代金としてお金くらい握らせても良いものだが、そんなことは蘭の頭にはなかった。飛び出していく蘭を見てオルガは怪訝な表情を浮かべ、青年に問う。

 

「さっきの子、なんだったの?」

「な、なんだろう。よくわからないよ」

 

 蘭の雑な口約束は、善良な青年によってしっかりと守られた。彼がもし話してしまっていたら、オルガとその手下によって蘭はボコボコにされていただろう。蘭にはこの太陽のような青年をお手本に、もう少し真人間になってもらいたいものである。蘭はJAIL HOUSEを飛び出すとチームのメンバーに青年からもらったペンギンの画像を送信した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 真理は官庁街、大阪市庁舎に来ていた。都市を治める政府の建物のはずだが、貧相なビルである。それもそのはず、大阪の都市政府は「無恥・無能・無気力の三無主義」と言われ馬鹿にされているくらいなのだ。対して、お向かいさんの「日本管理委員会」のビルは大層立派である。アメリカ、ソビエト、ドイツ、中国で構成される彼らこそが大阪の真の支配者と言っていいだろう。

 真理は五大盟約「地獄組」の下部組織、「正統なるニッポン」や「神風師団」のような愛国者でも極右思想家でもない。日本管理委員会に隅へ押しやられ、貧相なビルで堕落した日々を過ごす都市政府の姿を見ても特別な感情は抱かない。精々、市庁舎前で行うデモ隊の声が煩わしいと感じる程度だ。

 

「アレだー! なんとかしろー!」

「税金泥棒ー! とにかく反対だー!」

 

 デモ隊のコールはこんな感じだ。あまりにお粗末というか、真理にもダメだとわかるくらい稚拙な文句である。溜息と葉巻の煙を吐きつつ、真理は市庁舎の中へ足を運ぶ。すると、見知った顔を見かけた。向こうも真理に気づいたのか、声をかけてくる。

 

「あらあら、真理ちゃんじゃない?」

「どうも、こんにちはですわ。山本さん」

 

 山本さんとは、真理の隣に住むおばさんだ。何らかの用で大阪市庁舎に来ていたのだろう。真理は愛想笑いを浮かべながら相手をするが、少々厄介なことになったと思っていた。大阪のおばちゃんは総じてお喋りで話が長い。調査のためにも要らぬ時間を割いている暇はないのだ。

 

「あらあら、こんにちは。そう言えば知ってる? 天王寺動物園から動物が逃げ出したんですって」

「あ、はい。そうみたいですわね」

 

 おばちゃん特有の噂話だ。このまま話を切って、近所関係に影響が出るのも困る。悪口もすぐに広まるのだから、おばちゃんのネットワークは侮れない。

 

「何でも高橋さんのところの奥さんが逃げ出した動物を見たらしいわよ。すごいわねえ」

「そ、その話詳しくお願いしますわ!」

 

 何と、予想外の展開である。大阪のおばちゃんは一度聞いた噂話を完璧に記憶する能力を持っている。高橋さんの奥さんの話も、しっかりと覚えているはずだ。真理は真剣な様子で山本さんの話を聞く。時折、要らぬ情報も耳に入るがこの際仕方がない。おばちゃん特有のマシンガントークは、真理の耳に情報を次々に叩きこんでいく。

 

「――で、こういうわけらしいのよ」

「ふむふむ、なるほど。ありがとうございますわ! さっそくみなさんに連絡しませんと」

 

 真理は蘭からもらった携帯電話を取り出し、メールで山本さんからもらった情報をチームのメンバーに英語で一斉に送信した。その時、真理はメールの着信に気づく。蘭からのメールだ。真理はメールを確認しようとするが、山本さんがそれに待ったをかける。

 

「あ、そうだ真理ちゃん、こんな話もあるのよ!」

「え、あ、ちょっとお待ちになって……」

 

 山本さんのマシンガントークは続いていく。おばちゃん特有の長話に付き合わされる羽目になった真理がメンバーの中に英語がわかる人間がいないことに気づくのは、もう少し先の話である。

 



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俺たち凶暴につき(後編)

 未だに動物園にいるマハラジャとメーテは、自分の携帯電話のバイブ音に気づいた。蘭からのメールだ。メールには画像が添付されており、何やら黒い動物の影のようなものが見える。蘭のメールには「これはペンギンだよ。天王寺公園にいたらしいよ」とのメッセージが添えられている。

 

「よし、とりあえずこれを手がかりに探すか」

「これなんて書いてある?」

 

 メーテの言葉に、マハラジャは着ぐるみに覆われた頭を抱える。そうだった、蘭は中国人、メーテはロシア人のハーフなのである。蘭のメールは中国語で書かれているため、読み書きはロシア語しかわからないメーテには読めない。マハラジャは中国語にロシア語、更にはオオサカベンまで堪能であるため、蘭のメールも簡単に読むことができる。

 

「その画像がペンギンだってことだ。天王寺公園で撮られたものらしい」

「おー、それじゃあここで探そう」

 

 ものぐさなメーテは動物園から出ないようだ。マハラジャはとりあえず、天王寺動物園から天王寺公園全域まで調査範囲を拡大するつもりだ。有力な目撃情報があるか、もしくはまだ近くにいるなんてことも考えられる。

 

「俺は行くぞ。また何かあったら連絡する」

「うん、がんばれ」

「お前もがんばるんだぞ?」

 

 メーテの他力本願な物言いに呆れつつ、マハラジャは動物園を出るため駆けだす。熊の着ぐるみのおかげか、途中、動物園の熊から惜しむような鳴き声もいただきながら動物園を後にした。動物園を出たところで、真理からメールが来る。すぐさまその内容を確認するが、マハラジャは舌打ちした。

 

「あいつ、英語で送ってきやがった」

 

 マハラジャは英語が読めない。マハラジャだけでなく、蘭もメーテにも読めない。有益な情報の可能性もあるため、真理には確認を取らなければならない。マハラジャはそのまま真理へと電話をかけた。

 長いコールの後、電話がつながる。

 

「おい、真理――」

「助かりましたわ!」

「はあ?」

 

 真理の第一声が何を言っているのかわからないが、そんなことよりも情報を聞き出さなければならない。

 

「……まあいい。お前、英語で送っても読める奴がいないんだから電話で連絡しろ」

「あっ、忘れてましたわ!」

 

 真理はうっかりしていたと言わんばかりの声を出す。マハラジャはやれやれと溜息を吐き、真理から情報を聞き出した。山本さんという近所のおばさんの話らしいが、ペンギンとフラミンゴがこの近辺にいたとの目撃情報を入手する。真理がしばらく説明を続けていると、電話の向こうから「私の話が聞けないって言うの!?」なんてヒステリーな叫び声が聞こえ、電話はガチャンと切られた。

 

「あいつも大変そうだな。よし、とりあえずペンギンとフラミンゴだ」

 

 マハラジャは情報を確かなものとするため、天王寺公園を駆けずり回る。情報は足で稼ぐことも必要なのだ。すると、何人かからペンギンとフラミンゴの目撃情報を新たに入手することができた。どうやら、ペンギンが日本橋電気街、フラミンゴがアダムスキー大神殿周辺にいることが噂になっているらしい。

 マハラジャはまた動物園の中に入場した。職員の目を盗んで入場料を支払わずに侵入する手際は見事である。おそらく、メーテに会うためだろう。その途中、中国語で蘭にメールを送り、真理に電話をかける。今度はすぐにつながった。

 

「真理か? ペンギンとフラミンゴのいる場所がわかった。日本橋電気街と大神殿だ。蘭にはペンギンのところに、メーテにフラミンゴのところに向かってもらう」

 

 チームの参謀だけあって、的確な指示である。真理も了解したのか、すぐに返答が来る。

 

「わかりましたわ。こちらもまた情報が掴めそうですの。少し待っててくださる?」

「ああ。何かあれば“電話”で頼む」

 

 そう言ってマハラジャは電話を切り、前方を見た。目線の先にはメーテがいる。メーテは先ほどの場所でボーっと動物を見ているだけだった。本当に働かないヤツだ。

 

「あ、マハラジャ」

「メーテ、仕事だ。フラミンゴが見つかった。アダムスキー大神殿に向かってくれ」

「えー」

 

 メーテは不満そうな声を出す。マハラジャはやれやれと首を振ってメーテの頭を撫でた。着ぐるみの感触が心地いい。

 

「そう言うな。上手く行ったらなんか美味いものでも奢ってやる」

「行く」

 

 マハラジャの言葉を聞くとメーテはすぐさま駆けだした。現金なものである。マハラジャはその様子を見て金持ちの真理に押し付けようだとか、そんなあくどいことを考えていた。

 時刻はもう夜に差し掛かってきたところである。コール音が鳴り響き、真理から再び電話がかかってくる。マハラジャはすぐに携帯電話のボタンをプッシュした。

 

「真理か。なんだ?」

「わかりましたのよ! 牛とパンダの居場所が!」

 

 と、興奮したように真理が言う。どうやら知り合いの弁護士が山本さんとやらのマシンガントークを止めてくれたついでに、動物たちの情報も教えてくれたようだ。至れり尽くせりである。流石、親のコネで弁護士になった真理とは違う本物の教養を感じる。

 

「牛は大阪ドーム、パンダは道頓堀にいるみたいですわ」

「よし、わかった。他二人への連絡は俺がしておく。お前は帰って休め」

 

 もう夜だ。亜侠は睡眠をぐっすり取るのが嗜みなので、そろそろ家に帰って寝なければならない。さっさと牛とパンダを捕まえに行けばいいのだが、睡眠は絶対なのである。一晩経てば牛もパンダも移動してしまいそうな気がするが、そんなことは彼らの頭にはない。物事の優先順位として、睡眠の方が上位に置かれているのだ。

 

「わかりましたわ。お願いしますわね」

 

 真理がそう言い、電話を切った。マハラジャはさっそく蘭とメーテにそれぞれ中国語、ロシア語でメールを送る。送信後すぐに返信が来て、二人とも無事にペンギンとフラミンゴを捕まえたようである。

 

「ふう、牛とパンダの場所はわかったし、後は明日だな。俺は……」

 

 マハラジャはふと、自分の手を見た。着ぐるみの上から白い手袋をつけた奇妙な手である。彼はこう見えて器用で、犯罪に長けている。動物園で動物を盗み出すことくらいわけないだろう。周囲を見回すと、熊がこちらをジッと見つめていた。熊の着ぐるみのマハラジャと熊。良い組み合わせに見えなくもない。マハラジャは檻に手をかけ、熊に手を差し伸べる。

 

「……俺と来るか?」

 

 熊が望むなら、ペットにしてやってもいい。マハラジャはそんなことを考えていた。園長の上海ベイベの話を聞いて「悪い奴もいるものだ」なんて感想を抱いた人間のすることとは思えない。自分は例外なのだろうか。

 熊の応えは――

 

「ペッ」

 

 唾だった。動物園の暮らしが結構良いのか、マハラジャが貧乏であることを察したのか。熊の吐き捨てた唾は着ぐるみに覆われていない額に当たる。マハラジャは無言のままそれを拭い、閉園間際の動物園を暗い顔で去って行った。家に帰り、ぐっすり寝て忘れてしまおう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 捜索二日目の朝。絶対太陽軍団の面々はJAIL HOUSEに集結していた。メーテはまだ眠いのか、目を擦ってこっくりこっくり船をこいでいる。マハラジャは先日の雪辱を睡眠によって解消したようで、すっきりした顔をしていた。ただし、着ぐるみは熊からパンダになっている。時代はパンダだ。この後捕まえに行くのもパンダだ。

 真理が葉巻を吸い、朝の眠気を晴らすように煙を吐く。

 

「さて、“私が集めた”情報で牛とパンダの居場所がわかったのですが……」

 

 ふふん、と鼻を鳴らし、真理はマハラジャをちらりと見る。どうだと言わんばかりの表情に、マハラジャは呆れたように「はいはい」と頷いた。真理の情報は同僚の弁護士の親切心で教えてもらったものだし、マハラジャもペンギンとフラミンゴの居場所を突き止めたのだが、そんなことは彼女の頭になかった。自分がナンバーワンなのである。

 

「まずはパンダから捕まえに行くか。優先してくれとのことだ」

 

 マハラジャの提案は妥当だ。いなくなったパンダが発端でこの依頼を受けることにしたのだから、女性陣も賛同すると思われる。だが、真理とメーテはつまらなさそうな顔をしていた。蘭は兜で顔が覆われているため、表情がわからない。

 

「メーテは牛がいい」

「お前は牛、好きだもんな。食料として」

 

 相変わらずのメーテに、マハラジャは呆れてしまう。しかし、真理は一体どうしたのだろうか。彼女は新しい葉巻に火を点けながら言う。

 

「私も牛を見に行きたいですわ。二足歩行の牛なんて、興味深いんですもの」

「園長の話を聞いていたのか……だが、これは依頼だ。そんな見に行きたいだとか、安直な理由で優先順位を――」

「ほら蘭。あなたからもこの分からず屋に何か言ってくださいまし」

 

 マハラジャの言葉を遮りつつ、真理は蘭の西洋甲冑を引っ掴んでガシャガシャと揺らした。

 

「ふえ? あ、ああ!? うん、聞いてたよ!」

 

 蘭は素っ頓狂な声を出して立ち上がる。鎧を着ていたためわからなかったが、居眠りをしていたようだ。作戦会議中に居眠りとは、リーダーの風上にも置けないヤツである。

 

「それで、蘭も牛を捕まえに行きたいですわよね?」

「え? うん! そうだね!」

 

 蘭は真理の話が何のことかわからないままに頷く。ともかく、これで三対一だ。マハラジャは頭を抱えるが、多数決の上にリーダーの決定とあっては覆すわけにもいかない。

 

「……わかった。大阪ドームに行こう」

 

 マハラジャは溜息を吐いてJAIL HOUSEの出口へと向かう。しかし、真理がその背中を叩いて制止した。

 

「マハラジャ、あなたは私の車に乗りなさい」

「なぜだ」

「いいから」

 

 真理はマハラジャの手を引っ張って自分の車へと連れ込む。蘭とメーテは肉体派なので自転車で移動だ。仕方ない、現実は非情である。シトロエン2CVに乗り込んだマハラジャは真理から二挺の拳銃を受け取る。S&W チーフスペシャルとワルサーppkである。どちらも小型の拳銃で、持ち運ぶには丁度いい。

 

「これを渡しておきますわ」

「ほう。助かるが、いつの間に買ったんだ?」

「昨日、園長から前金をもらってすぐ後ですわ」

 

 マハラジャの質問に、真理はエンジンをかけながら説明する。先日JAIL HOUSEで購入した拳銃とは、マハラジャのものだったのだ。この男、貧乏故粗悪な安物拳銃しか手持ちにない。それは蘭もメーテも同様で、チームのメンバーで火器を十分に購入できる財力があるのは真理だけだった。その潤沢なお金はインチキ弁護士として数々の人間から搾取したものか、裕福な親類の遺産によるものだろう。

 真理は2CVを走らせると、先に自転車で出発していた蘭とメーテを追った。車を横につけると、グローブボックスからベレッタ・モデル92Fを器用に取り出す。真理はメーテと並走しながら声をかける。

 

「メーテ、これを」

「ん?」

 

 真理はベレッタと弾倉をメーテに投げて寄越した。マハラジャはそれを見て肝が冷えたが、メーテは曲芸師のように自転車の上で拳銃をキャッチする。マハラジャは安堵の溜息を吐いて真理に笑いかけた。

 

「器用な奴らだ」

「あら、あなたほどではございませんわ」

 

 真理は葉巻を咥えながら呆れたように言う。マハラジャは先ほどもらった拳銃をいつの間にか見えないところに隠していた。いつでも取り出せるように着ぐるみの内側か外側か、巧妙に隠しているのだろう。真理はそれがわかっていたので、マハラジャの言葉にそう返答したのだ。

 

 少し行くと、四人は大阪ドームに辿り着いた。JAIL HOUSEから大阪ドームは線路一つ挟んだ向こう側である。意外と近いのであった。マハラジャと真理が車から降り、蘭とメーテが自転車をその辺に置く。

 ドームの周辺は少し騒がしい。南海ホークスのファンとトラキチとが喧嘩をしているのはよく見かける光景だ。しかし、今日は事情が違っていた。二人――二匹の牛が人間を拳銃で脅しているではないか。まず間違いなく、動物園から逃げ出した牛だろう。しっかりと二足で立ち、拳銃を構えて出店の店主を脅している。

 

「あいつらか……」

 

 話には聞いていたものの、あんまりな光景にマハラジャは溜息を吐く。真理は面白いもの――実際面白いが――を見るかのような目で牛を眺め、メーテは涎を垂らしている。加工前の肉だが、野生の強いメーテにはおいしそうに見えるのだろうか。

 

「モッ?」

 

 四人が近寄ると牛は機敏に反応した。振り返る仕草も人間みたいで、人が牛の着ぐるみを着ているだけなんじゃないかとパンダの着ぐるみを着ているマハラジャは思う。その横で、メーテは抜け目なく拳銃を準備しながら前へ出た。

 

「モー!」

 

 牛が臨戦態勢に入る。メーテの行動を警戒したのだろう。しかし、その瞬間には蘭がカラシニコフを取り出して銃弾を発射していた。いきなりの凶行にマハラジャが止めようと声をかけるも時すでに遅し。

 

「ちょ、お前」

「えーい、死ねー!」

 

 蘭の間の抜けた声とは裏腹に、カラシニコフから発射される銃弾の雨は凄まじい。後ろの出店への被害も心配である。二匹の牛は逃れようと体を捻るが、片方は蘭の銃弾に蜂の巣にされてしまう。瀕死のように見えるが、倒れ伏してピクピクともがくところを見るに一応大丈夫そうだ。銃弾から逃れたもう片方の牛は照準を蘭に合わせ、反撃とばかりに撃ち放った。

 

「モーッ!」

「そんなの当たらないよ!」

 

 蘭は悠々と銃弾から逃れた。しかし、牛は第二射を放とうとトリガーに指をかけている。それを見たマハラジャはどこから取り出したのか、チーフスペシャルを抜き放って牛に銃弾を浴びせていく。小さな拳銃からパンパンと乾いた音が鳴り響くと、血を流した牛が白旗を上げていた。動物のくせに器用な芸当である。

 

「……よし、これで終わりだな」

 

 マハラジャはまた何処へともなく拳銃を仕舞いこむ。その着ぐるみは一体どうなっているんだ。

 

「みんな手が早いですわね」

 

 真理もベレッタを準備していたのだが、出番はまったくなかった。いまは葉巻を優雅に吸っている。メーテが涎を垂らしながら死にかけの牛に近づくなどのハプニングもあったが、二匹とも確保できたので良い結果である。結果良ければすべて良し、だ。

 

 天王寺動物園に牛を連れていくと、園長は大変微妙な表情で迎え入れた。片方の牛は荒い呼吸を繰り返し、見るからに瀕死なのだから当然である。しかし、そんな手荒な真似をするチンピラに強くも言い出せず、引きつった笑顔でお礼を言っていた。気の毒だ。

 真理を除く三人、蘭とメーテとマハラジャはパンダのいる道頓堀へと向かった。真理は残りの動物――何者かの手引きによって逃げ出したという上海ベイベの情報を得るためにまたも大阪市庁舎へと向かっていた。偶然とはいえ、牛とパンダの情報が手に入った場所である。人間は成功を体験すると、安易にそれを繰り返してしまう動物なのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ミナミの道頓堀。先日、自走する看板のせいでちょっとした騒ぎになったその場所は、そんなことは忘れてしまったかのように商売の活気で満ちていた。そんな繁華街に、また異質な“騒ぎ”がやって来ていた。絶対太陽軍団の面々、蘭とメーテ、マハラジャはそのちょっとした騒ぎ、野次馬のおかげで目標をすんなりと発見する。

 白黒の模様にプリティなずんぐりむっくりボディ。みんなの人気者、パンダである。動物園から逃げ出したパンダ――ラン・ナウェイは道頓堀の料理店から盗んだのか、大きな筍を頬張っていた。こんな場所では笹を見つけることができず、仕方なく代替案として竹の子ども、筍を食べているのだろう。何だか不憫なような気もするが、適切な食事の出る動物園から逃げ出したお前が悪い。

 パンダを見るや否や、ベレッタを構えていたメーテがパンダに向かって発砲するべくトリガーに指をかけた。突然の発砲は大阪では日常茶飯事だが、その躊躇いの無さはすごい。

 

「あれ?」

 

 しかし、メーテがいくら引き金を引こうとも、出てくるのはカチ、カチという虚しい音だけだ。どうやら、弾が入ってなかったらしい。メーテは銃弾が出てこないのを不思議に思い首を捻っているが、単なるおっちょこちょいである。それを見たマハラジャは苦笑しつつラン・ナウェイのところへと向かおうとするが、隣にいた蘭がカラシニコフを取り出しているのを横目に見て足を止めた。嫌な予感がしたのだ。

 

「えーい!」

 

 マハラジャの直感は正しく、可愛らしい声を上げてラン・ナウェイに発砲する蘭。蘭とラン、同じ名前だというのに容赦がない。蘭の方はちゃんと弾が込められていたらしく、銃声とともに銃弾が何発かパンダへと飛んでいく。甲高い音に気づいたラン・ナウェイがすぐさま臨戦態勢に入るも、銃弾は彼の正中線を貫いていった。これにはマハラジャも殺してしまったのではないかと焦り、ラン・ナウェイへと駆け寄る。

 

「死んでないだろうな……」

 

 マハラジャは不安に駆られつつもラン・ナウェイの脈を取る。ドクドクと力強い音が鳴っているのを確認して一先ずホッとするも、このままだと危ないかもしれない。三人は急いでラン・ナウェイを担ぎ上げ、動物園へと向かった。

 

 ラン・ナウェイを動物園まで送り届けると、園長はワッと泣き出した。名物のパンダが変わり果てた姿で届けられたのだから、泣く気持ちもわかる。その財力で医者を呼び、治療してやって欲しい。これには流石の園長も不満が爆発したのか、文句をぶつけるべく立ち上がる。こっちは客なんだ、客の言うことを聞くのが仕事ってもんだ、と園長は自分を鼓舞させる。だが、すぐに意気消沈してしおしおと座り込んでしまった。最初に自分を脅した真理が合流してきたからだ。拳銃の冷たく硬い感触を思いだしてしまい、園長は顔を青くしている。

 園長とは反対に喜色満面の笑みを浮かべた真理は、三人の下までやってくると大きく大きな胸を張った。聞いてもらいたそうにチラチラと見つめてくるので、マハラジャは呆れつつ仕方なしに聞いた。

 

「真理、ご機嫌のようだがどうしたんだ」

「ふふん、聞いて驚くがいいですわ。何と、上海ベイベの居場所を発見しましたのよ。場所は新世界、ですわ」

 

 真理の言葉に「おおっ」と四人が湧き立つ。蘭とメーテ、マハラジャに加えて園長もだ。園長は脂ぎった額と同じくらい目をテカテカと光らせながら、期待を込めて言う。

 

「そ、それは本当ですか!?」

「嘘は言いませんわよ。疑ってるんですの?」

 

 真理は園長の言葉にムッとした表情になり、ベレッタを取り出し始めた。それを見た園長はそそくさと建物の柱の影に隠れる。もうあの拳銃の冷たい感触は味わいたくないのだ。しかし、勇気を出して話を続ける。

 

「お、お願いです。上海ベイベを捕まえて来てください。あの子は上海の動物園から友好のために寄贈された、大切な猿なんです……」

 

 園長の声には哀しい響きが混じっている。きっと上海ベイベという猿が大切なのだろう。これには真理も気の毒になり、ベレッタを静かにしまった。蘭は園長の言葉を聞くと鎧の胸当てを大きく叩く。

 

「任せて! 私たち絶対太陽軍団が、絶対に上海ベイベを捕まえてきてあげるから!」

「おお……ありがとうございます。何卒、何卒お願いします……」

 

 園長は蘭に対してペコペコと頭を下げた。犯罪に暴力、麻薬までやるチンピラ亜侠だが、誰かに頼られるというのも悪くはないものだ。四人は気持ちを引き締めて上海ベイベのいる新世界へと向かう。

 

 新世界は動物園のある天王寺公園からほど近く、通天閣がシンボルの繁華街だ。新世界のシンボル――大阪のシンボルと呼んでも差支えがないであろうその通天閣を制服警官が取り囲んでいる。ついに無機物も逮捕の対象になったのだろうか。大阪では戦車や装甲車が警官に捕まり、臭い飯を食うハメになることもあるらしいので通天閣が捕まっても不思議ではない。

 マハラジャはチームの中で唯一人、目敏く通天閣の異常に気づいた。

 

「む……みんな、あれを見ろ」

 

 マハラジャは通天閣のある一点を指差す。絶対太陽軍団のメンバーはそれに倣い、マハラジャの指差す方向に目をやった。目線の先、そこでは大きな金色の毛並をした猿――上海ベイベが棒状の物体を抱えて通天閣にしがみついていた。ある程度重火器を知っている人間なら、その棒状の物体がRPG-7だということがわかるだろう。

 

「こらー! 君は包囲されている。降りてきなさーい」

「くにのおっかさんが泣いてるぞー!」

 

 制服警官らはそんな間の抜けたことを言いながら上海ベイベの包囲を狭めていく。上海ベイベは地が揺れるような声で一声鳴いた。

 

「うきー!」

 

 鳴き声とともに発射されるロケット弾は、見事に制服警官の密集地の中央に着弾した。爆音が鳴り響き、爆風が蘭たち四人の下まで届く。野次馬たちはそれを見て蜘蛛の子を散らすように逃げていった。もうそこには死屍累々の制服警官たちと上海ベイベ、それから絶対太陽軍団の面々しかいない。

 

「これはまた、すごいね」

「大した暴れっぷりですわね」

 

 何でもなさそうに言う蘭と、呆れた様子の真理。上海ベイベは弾頭の無くなったRPG-7を放り捨てると、通天閣を降りた。そして、絶対太陽軍団の面々がいることに気づく。ベイベは歯を剥き出しにすると体を震わせて威嚇をした。

 

「うき! うききき、うきゃきゃうきうきゃー!」

 

 とても怒っている様子のベイベ。何を言っているかさっぱりわからないが、絶対太陽軍団の面々を指差して何事かを怒鳴り散らしている。その時、メーテが口を開いた。

 

「あ! お前たち、よくも俺様の逃がした動物たちを捕まえてくれたな! って言ってる」

「お前、猿の言っていることがわかるのか」

「何となく。ボディランゲージとかで」

 

 ボディランゲージすごい。これはメーテに交渉を任せておけば意外とすんなりと言うことに従ってくれるかもしれない。マハラジャはそんな期待を込め、メーテに頼み込む。

 

「メーテ、ベイベに伝えてくれないか。俺たちは争うつもりはない。動物園の温かい生活に帰ろう、と」

 

 連れていこうとした熊が唾を吐きかけてくるほど動物園の生活は恵まれているのだ(とマハラジャは思っている)。きっとベイベも動物園に帰りたいに違いないと、マハラジャはそんな人間の自分勝手な、傲慢不遜なことを考えていた。メーテはこくりと頷くと、ベイベに近寄って体を巧みに動かし動物の鳴き声を模倣する。

 

「うほ、うほうほ」

 

 猿よりもゴリラ寄りの鳴き声だが、ベイベには通じるものがあったのか彼は真剣な表情(に見える)でメーテの動きを見守る。

 

「うほほ、うーほっほ。うほ!」

 

 メーテは何事か手をワキワキと動かし、ステップを踏んだ後、華麗に中指を立てた。その様子を見てハラハラとした気持ちになるマハラジャ。最後のは人間界ではよろしくないボディランゲージなのだが、とマハラジャは不安になっている。

 ベイベはスッキリとした表情を浮かべると、何か手招きをするポーズを取る。それは絶対太陽軍団やメーテに対してではなく、自分の後方に向かってやっているようだ。ベイベの合図から一拍置いて、二足歩行の牛が二匹歩いてくる。彼らもまた、脱走した動物たちのようだ。マハラジャの中で期待が高まる。まさかこれは、上海ベイベに加えて新たに牛二匹を回収、大団円で終われるのではないか、と。

 

「うきー」

「モー」

 

 ベイベが何事かを牛に語りかけると、牛は背中からSFチックなアサルトライフルを取り出してベイベに手渡した。ベイベは小銃を受け取るとそれを天に向け、盛大にダダダダダと撃ち放った。更には雄叫びまで上げる。

 

「ヴォオオ!」

 

 もう猿の声ではなく、一匹の獣――まるで百獣の王のような貫録のある叫びだ。これにはマハラジャもメーテの肩を揺すって詰め寄る。

 

「おい、なんだアレ。どうしたんだアレ」

「すごい怒ってる。戦闘開始だ! って」

 

 冷淡にそう言うメーテは、こんな一触即発の空気にした張本人であるという自覚はないようだ。マハラジャは頭を抱え、真理ですら呆れたようにこの光景を見つめている。蘭は少し楽しそうにカラシニコフを準備している。やる気満々である。それを見たメーテもベレッタを用意して銃弾を詰め始めた。何なんだこいつら、とマハラジャは泣きたくなる。

 

「もうこうなったらしょうがない。やるしかない」

「やるしかないって、お前あんまりにも――うお!?」

 

 マハラジャが喋っている途中に、メーテはベレッタを発砲した。もう無茶苦茶である。標的となったベイベは転がって銃弾をかわし、AUGに弾を器用に込めてそのままメーテに反撃した。メーテもそれを横っ飛びに回避する。既に戦闘は始まっている。退くことはできないのだ。 

 蘭もメーテに続けとカラシニコフを体勢の崩れたベイベに向けていた。マハラジャがそれを意識したころには彼女は銃弾を発射している。

 

「いけー!」

 

 相変わらずの可愛らしい声とともに発射された銃弾はベイベの肩に命中。更に体の中に入り込んだ弾が腹から飛び出してきた。

 

「う、うきー!」

 

 ベイベは堪らず声を上げると一目散に逃げていく。どうやら重傷のようで、その足取りは遅い。メーテがすぐさま追いかけようと一歩足を踏みだすが、牛がその邪魔をする。牛は姑息なことに、その場にいる制服警官の死体に隠れて銃を構えていた。

 

「モー!」

 

 させるか!とでも言っているのだろうか、牛は安物拳銃をメーテに向けて発砲する。流石のメーテもこれは避けきれないと思ったのか、手に持っていた壊れた傘で弾道を逸らす。メーテの達人のような体捌きには感心するべきか安物拳銃の性能を笑うべきか。ともかく、メーテは無傷だ。

 

「クソ、やるしかないか」

 

 マハラジャは覚悟を決めて拳銃を取り出し、死体に隠れた牛へと放つ。しかし、銃弾は牛に届かない。マハラジャが悔しさを感じる間もなく、メーテが前に出てベレッタを構えて発砲した。銃弾は死体の後ろに隠れていた牛の眉間に突き刺さる、良いコースだ。牛もそれを察したのか、慌てて死体の山から逃げ出した。

 

「いまだ! みんなも援護して!」

 

 蘭がカラシニコフの銃弾をフルオートで発射していく。それに合わせ、ベレッタを準備していた真理やどこからともなく拳銃を取り出したマハラジャが死体の山に隠れている牛に銃弾を浴びせ、メーテが傘を投げつける。猛攻にたまらず死体の山から飛び出した牛たちを待っていたのは、銃弾の雨だった。身を守る盾を失った牛たちは、蘭の銃弾の嵐に巻き込まれる。

 

「モ、モー」

「モモー」

 

 血まみれの牛たちは白旗を上げている。もう動くのもつらそうだ。しかし、まだ終わりではない。

 

「上海ベイベを追いかけないと!」

「ええ、急ぎましょう」

 

 蘭がそう言い、真理が頷いて走り出した。四人は一斉に上海ベイベの足取りを追う。まだそんなに遠くへは行ってないはずだ。

 四人が通天閣から少し行ったところ、狭い路地裏の入り口で金色の毛並の猿が倒れているのを発見した。どうやら、道端のゴミ箱にぶつかって盛大に転倒、傷の痛みからか動けなくなっているようだ。何とも情けない猿である。

 

「う、うきー……」

「もう悪いことはしない。動物園に帰りたい、と言ってる」

「……本当だろうな」

 

 メーテの翻訳に、マハラジャはしかめ面を浮かべる。だが、この様子ではベイベは動けないようだし、容易に動物園まで連れていけるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 上海ベイベたちを引き連れて動物園に帰ってきた四人は、園長から歓待を受けた。園長はベイベを見ると涙を流して喜んでいた。これには絶対太陽軍団の面々も達成感というものが込み上げてくる。園長はちょっとした数の札束を積み上げると、絶対太陽軍団に快く差し出す。これは中々おいしい報酬である。金持ちのくせに守銭奴の真理なんかは目を輝かせていた。

 

「こんなにもらってもいいのか?」

「ええ、最初はどうなるかと思いましたが、上海ベイベまで捕まえて来てもらってはこれくらいのお礼はしなくてはなりません。怪我もひどいですが、帰ってきた動物も以前より従順になっているようでし、悪いことばかりではありません」

 

 園長は人の良さそうな顔をしておきながら、中々に苛烈なことを言う。しかし、依頼人が満足しているのであればそれで良いのだ。絶対太陽軍団、ミッションコンプリートである。

 四人は動物園を後にして、いつものようにぺちゃくちゃと楽しくお喋りをしながら公園を歩く。

 

「いやー、よかったねー」

「牛、食べたかった……」

「ふふ、お金がいっぱいですわ!」

「やれやれ、一段落だな」

 

 仲良さそうに話を交わす四人は、周りからどう見えるだろうか。奇怪な恰好をした頭のおかしな連中というのも是、仲睦まじい友人たちというのもまた是だ。また四人は何かの事件に巻き込まれ、依頼をこなしていくのであろう。この陽気なチーム――絶対太陽軍団の活躍をもうしばらく見守りたいものである。

 




 読了ありがとうございました。もしよろしければ、感想欄に今回のMVP(もっとも活躍した人)と、絶対太陽軍団のメンバーそれぞれの評価をください。

 評価は、どんな働きをしたかで以下の中から選んでください。
・親分:チームをまとめた、仲間を助けた。
・闇商人:売買を行った、取引をした。
・殺し屋:敵を倒した/殺した、破壊工作や襲撃を行った。
・用心棒:仲間や依頼人などを守った、厳しい状況で生き残った。
・色事師:色香で何かした、デートやエロいことをした。
・ペテン師:巧みな交渉を行った、シャレた嘘を吐いた。
・泥棒:アイテムを盗んだ、警戒厳重な場所に忍び込んだ。
・走り屋:競争や追いかけっこに勝った、何かを運んだ。
・情報屋:有益な情報を手に入れた、謎を解いた
・裏職人:アイテムを作ったり、仲間を治療した
・キジルシ:常軌を逸した行動を取った、頭がおかしい
・ダメ人間:何もしなかった、チームに迷惑をかけた

例(あくまで一例です。お好きなように記入ください)
MVP:蘭、蘭:親分、メーテ:殺し屋etc...

 というように、もしよろしければ評価をくださると嬉しいです。ちなみに、この評価の結果が彼らの成長につながるので、そのあたりも考慮してみると面白いかもしれません。
 それでは、読了お疲れ様でした。そして、読んでくださってどうもありがとうございます。またの機会があれば、よろしくお願いします


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番外編
亜侠に明日はない


 

 混沌とした都市大阪に数多く存在するチンピラ、パンクの紛い物――亜侠(アジアンパンク)。彼らは善と悪、どちらかと言えば悪に分類されるだろう。悪と言ったって、そんな大層な代物じゃない。巨悪、害悪はもっと他にいる。亜侠はせいぜい、そんな巨悪や害悪、あるいは大きな正義、大義に巻き込まれて惨めに死んでいくくらいの儚い存在である。大阪を牛耳る五大盟約だって、掃いて捨てるほどいる亜侠の顔なんていちいち覚えていない。

 そんな儚き亜侠たちは徒党を組む。チームを組むのだ。塵も積もればなんとやら、掃いて捨てるほどいる亜侠がすべて結束すればどれだけ大きな力となるだろうか。時に徒党を組んだネズミは、虎を狩るほどの脅威となり得る。

 しかし、何事にも例外というものは存在する。ありえないなんて事はありえない。亜侠の中に、この大阪――危険でパンクな街をたった一人で生き延びる猛者が存在する。盟約組織は彼らを「番外」や「伝説」、「化け物」と呼び、一目置いている。亜侠の不文律、「チームは一個の生命体」を独りで成し得る存在。そんな伝説的な存在を讃えずして、何を讃えようか。

 

 大阪の中華街は、とても活気に溢れた街だ。大阪で活気に溢れていないところの方が珍しいが、中華街の活力はその他を凌駕している。五大盟約の一つである大幇(たいばん)が目を光らせているおかげか治安も良く、料理もおいしい。最大の歓楽街ミナミと並ぶ人気のある街と言っていいだろう。

 早朝から食べ歩き、女でもひっかけて来たのかほくほくした顔で路地裏を歩いている中年の男――ロロ・ボンゴ。こんな路地裏で冴えない、人生の乾いていそうな中年男性が歩いているとたちまち身ぐるみを剥がされそうなものだが、彼に突っ掛かるものはいない。目の利く者ならロロの重心の動かし方、ぶかぶかのTシャツから覗く太い肢体、常に拳銃に意識を向けていることがわかるだろう。

 噂好き、情報通ならばロロの顔を見てピンと来る者がいるかもしれない。幼少の頃より命を狙われ続け、その都度キッチリ生還する男。“帰還者”とも呼ばれ、何度も死の淵から生き残っていることから付いたあだ名が「不死身のロロ」だ。盟約も一目置く、まさに“番外”である。

 

 ロロが路地裏をテクテクと歩いていると、一人の男が少女の手を引いて彼の横を通り過ぎた。通り過ぎ様に肩にぶつかっていく男にロロが文句を言おうとしたその時である。

 

「おい――」

 

 パンッ、という乾いた音とともにロロの肩にぶつかった男が倒れた。倒れる男に釣られ、手を引かれていた少女も転んでしまう。咄嗟のことにロロが倒れた男に駆け寄ると、男は呻きながら懐から金を取り出した。

 

「うう……頼む、お嬢様を助けてくれ」

「ああ? 何言ってんだお前」

 

 急な申し出にロロは困惑する。しかし男はロロの言葉が聞こえていないのか、押し付けるように札束を寄越した。彼はうわ言のように「頼む、頼む」とだけ繰り返している。

 

「逃がさないアル!」

 

 路地裏の奥、どうやらこの倒れ伏す男を撃ったらしき謎の中国人がアルアル言いながら姿を現した。隣には仲間なのか、生真面目そうな青年も立っている。彼らは見るからに少女、それからロロにも敵意を向けている。長年の経験からその敵対心を察知したロロは舌打ちをして少女に言う。

 

「おい、さっさと逃げろ。任されちまったようだし、この場は何とかしてやる」

「……うん」

 

 少女が頷くのを見ると、ロロはもう物言わなくなった男から差し出された札束を懐に入れた。そのまま前方の二人、中国人風の男と生真面目そうな青年に向かってモーゼル・モデル1896――C96とも呼ばれる拳銃を抜き放って一斉掃射した。

 

「カー! 何するアル!」

「う……」

 

 銃弾を肩に食らっても元気そうな中国人と比べ、青年は苦しそうなうめき声を上げた。更には外れた銃弾が落とした路地裏の植木鉢や物干し竿が青年の頭に直撃する。青年は命の危機からか、怪我の影響か体を震わせてその場に崩れ落ちる。

 中国人は怯え倒れ伏す青年に蔑んだ目を向け、ロロへ反撃とばかりに同じくC96を取り出して銃弾を掃射した。

 

「情けない奴アル……もういい、私がやるヨ。くらうアル! って、アイヤー?」

 

 銃弾は少女にもロロにも命中しないまま、すぐに弾切れを起こしてしまった。その隙を突いて少女は路地の奥に消え、ロロが新たな拳銃を取り出して中国人を狙い撃つ。

 

「弾切れとは残念だったな! って、ん?」

 

 ロロの取り出した拳銃もまた、中国人を貫く前に弾切れを起こしてカチカチと虚しい音を上げる。こうしたうっかりをやらかすから、女が寄り付かない乾いた人生を送ることになるのである。

 

「ハッハッハ、馬鹿め! このままお前を殺してあのガキを追うアル!」

 

 中国人風男性は薙刀のように歪曲した刀身の、よく切れそうな剣を取り出してロロに襲いかかった。

 

「馬鹿はお前だ」

「ふべっ」

 

 ロロはそれをあっさりと受け止めると握りこぶしを男の頬にぶつける。中国人風男性が怯んだ隙に、ロロは背を向けて走り出した。わざわざ正面からやり合う必要もない。三十六計逃げるにしかずである。逃げるは恥だが役に立つとも言う。

 

「あ……」

「まだこんなところにいたのか。さっさと逃げるぞ」

 

 走っていると、路地裏の先に少女がポツンと立っていた。ロロは彼女の小さい体を抱えると、すぐ側に待機させてあったスクーターのエンジンをかけてその場から遁走する。すると、後ろから先ほどの中国人の叫び声が聞こえた。

 

「逃げても無駄ネ! ここは我ら大幇(たいばん)が包囲してるヨ! 中華街からは絶対に出られないアル!」

 

 大幇。ここ中華街を支配する五大盟約の一つだ。まったくとんでもない連中に目を付けられたものである。ロロは少女を恨めしそうに睨んだ。一緒に行動しているところを連中に見られているし、ロロの顔も手配されてしまっただろう。

 少女は意外にもロロの視線に真っ向から向き合い、睨み返してきた。これにはロロも驚き、視線を逸らす。少女にガンつけられて目を逸らす悲しい中年男性の図だ。

 

「そんな睨むなよ。俺はロロ・ボンゴ。助けてやったんだ、お礼と自己紹介くらいはしたらどうだ」

 

 ロロの言葉に応えず、少女はジッと彼を見つめてから、

 

「……アレクサンドラ・カスパロヴァ」

 

 とだけ言った。ロロは少女の名前があんまり長いものだから少しピンと来ず、首を捻る。その様子を見た少女は溜息を吐いて言う。

 

「サーシャでいい」

「わかった。サーシャだな」

 

 ロロは少女――サーシャから愛称を教えてもらい、神妙に頷いた。そのすぐ後、サーシャの不遜な態度とお礼を言われてないことに気づいてハッとした様子で眉間に皺を寄せる。

 

「あ、サーシャお前。さっきまでオドオドしてたくせに生意気な態度だな。礼も言ってないし」

「さっきまでは緊張してたの。人見知りだから」

 

 サーシャはつんとそっぽを向いて言う。妙な理由だが、ロロも「人見知りならしょうがない」といった反応である。実はこの中年男性も人見知りなのだ。そして相変わらず礼を言われてないのだが、ロロは気づかないでうんうんと頷いていた。よほど“人見知り”に共感したらしい。

 

「それはそうとサーシャ、お前なんで大幇になんか追われてるんだ?」

「私は……」

 

 ロロが尋ねるとサーシャは表情を暗くする。サーシャを頼むように言った男は彼女を「お嬢様」と呼んでいた。どこかの富豪の娘か、それとも。

 

「まあ、言いたくないんならいい。それより、どこへ逃げるか。包囲されちまったみたいだが」

「……まずは男人道(ナンヤンロード)に向かって。買いたいものがあるの」

 

 男人道とは小売店の並ぶ市場街だ。大抵のものはそこで揃う。中華街からひっそりと脱出するにしろ、大幇と(勝てるとは思えないが)全力で戦うにしろ武器や道具は必要である。

 

「よし、わかった。男人道だな」

 

 ロロはサーシャの言葉に頷いて、ヴェスパを転がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 男人道(ナンヤンロード)は活気に満ちていた。ロロたちが通ると商店のおっちゃんやおばちゃんの呼びかけが激しい。半分押し売りなんじゃないかと思うくらい強引に「あれいらんかい、これいらんかい」と声をかけてくる。

 サーシャはある店の前で立ち止まり、中に入って行った。店には「発明品」なんて怪しい看板がかかっていて、ロロは苦い顔を浮かべる。自分は特に買いたいものが無いので、ロロはさっそく周囲に警戒しつつ情報を収集することとした。大幇という巨大な組織の包囲網、そこにも“穴”があるはず。それを突くことが定石だとロロは考えていた。

 

「お一人ですか」

「っ!?」

 

 見知らぬ男がロロに声をかける。これでもロロは警戒していたつもりだ。死線も潜り抜けて来たし、気配や物音には敏感な方だ。それでも、この謎の男には気がつかなかった。まるで足音も気配もなく近づいてくる男はハッキリ言って不気味である。警戒から、ロロの手が拳銃に伸びる。

 

「おっと、待ってくださいよ。怪しい者ではありません」

「怪しい奴はみんなそう言うんだぜ」

 

 男の言葉にロロは不敵に笑ってそう言った。男は苦笑しながら一枚の紙を取り出してロロへと差し出す。

 

「これを」

「なんだこれは……地図?」

 

 ロロは不審な点がないことを確認すると、男に注意を払いながらそっと手渡された紙を見た。そこには中華街全域の地図が描かれ、大幇の文字と警備ルートが記されていた。少し見ただけでそれがこの包囲網を表していること、それから包囲網の穴の突き方まで丁寧に記されていることがわかる。

 

「お前、本当に何者だ」

「そんな怖い顔をしないでくださいよ。私はそうですね――情報屋のチュンと申します」

 

 チュンと名乗った男は会釈をする。ロロはその名前に聞き覚えがあった。伝説の情報屋、突然現れては目的の情報だけを手渡していずこかへ去っていくという謎の人物。大阪のチンピラの間では都市伝説的に、あるいは救いの神として噂され崇められている。ロロはそんなもの、根も葉もない噂だと思っていた。

 

「あんたがあの伝説の情報屋だって?」

「はあ、伝説というほどでもございませんが」

 

 そう簡単に信じられるものでもない。大幇の回し者で、偽の情報を掴ませてきた可能性もある。ロロが威圧するもチュンは特別焦る様子も、怯える様子もない。肝は据わっているようだ。ロロが彼の正体について訝しんでいると、チュンは小さな紙を取り出す。彼はそのままそこに書かれていることを読み上げた。

 

「アフリカの……とある小さな国が民の反乱で滅んだことがありましたね」

「なっ――」

 

 ロロはチュンの言葉に絶句した。そう、ロロにはチュンの言葉に大きな心当たりがある。そして彼はそれ以上その話を聞きたくない。

 

「その国の王族は」

「もういい。わかった、わかったよ。あんたは本物だ」

 

 ロロは手を挙げて降参のポーズを取る。チュンはそれに満足したのか、頷いて紙を仕舞いこんだ。この男が伝説の情報屋とわかったいま、ロロは聞いてみたいことがあった。

 

「なあ、あんた……チュンさんでいいか? チュンさん、俺はいまサーシャっていう女の子と行動してるんだが」

「ええ、存じてますよ。アレクサンドラ・カスパロヴァさんですね」

 

 そんなことまで知っているとは恐れ入る。ロロは札束を取り出しながら期待を込めて聞いた。

 

「ああ、その娘だ。そこでチュンさん、サーシャがなんで大幇に狙われているのか教えてくれないか?」

「ふむ、それはできません」

 

 チュンはロロの札束を押し返してそう言った。ロロも無理強いするつもりはなく、素直に札束を仕舞う。

 

「そうか。まあ、ちょっと気になっただけだから気にしないでくれ。それともう一つ気になったんだが、なんであんたは俺にこの情報を教えてくれたんだ?」

「ふふ、それも秘密です」

 

 チュンは笑みを浮かべてそう言った。まったく、食えない男である。ロロも呆れたように笑って手を振った。

 

「ハッハッハ、そうかい。それなら俺の聞きたいことはもうないよ。情報、ありがとうな」

「ええ、健闘を祈っています。どうかご無事で――不死身のロロ」

 

 チュンはそう言うとサッと姿を消した。ロロは頭に手を当てて空を見上げる。カラスが「カー」と一鳴きするのを見て、ポツリと呟く

 

「敵わねえなあ」

 

 ロロがそんなちょっとした感傷に浸っていると、年端もいかない女の子の甲高い声で名を呼ばれる。

 

「ロロ」

「ん? なんだサーシャか。もう買い物終わったのか――ん?」

 

 サーシャの声に振り返ったロロは、彼女がその手に持っているものを見て首を傾げる。何やらスケートボードのようなものを持っていた。わざわざこんな時にスケートボードを買うなんて理解に苦しむ。ロロの表情を察したのか、サーシャは弁明するようにその場でスケートボードに乗った。

 

「ほら、これ結構速いんだよ」

「おお」

 

 確かに、そのスケートボードはスイスイと男人道を駆ける。どうやら原動機付きとなっているらしく、仕組みはさっぱりだがロロのスクーターほどのスピードは出るようだ。

 

「ぶーんぶーん」

 

 とても楽しそうなサーシャの姿に、ロロは少し気が滅入った。確かに便利な代物だが、目立つのだ。追われている身なのだからお嬢様には少し控えてもらいたいものである。

 

『やれやれ、大変そうだな兄弟』

「ああ」

 

 突然、ロロは自分の脳内に直接響くような声を感じ取った。今度はチュンではなく、ロロの乾いた人生が作り出したイマジナリーフレンド――想像上のお友達である。自分の作り出したお友達と会話する中年とは、なかなかの狂気である。

 サーシャは一頻り原動機付きスケボーの感触を楽しむとそれを降り、ロロに向かってこう言った。

 

「次は夜總會(ナイトクラブ)リドに行きたい」

「おいおい待てよ。脱出する方法がわかったんだ。早く逃げた方がいいんじゃねえのか?」

 

 ロロはチュンからもらった紙を取り出してサーシャに見せつけた。サーシャはそれを見ただけで内容がわかったのか頷くも、首を横に振る。

 

「いや。まずは夜總會に行く」

「おうおう、スケボーで遊んだ後はクラブでパーティってか?」

 

 ロロは憎まれ口を叩きながらもスクーターに跨る。サーシャはスケボーを担いだままその後ろに乗った。

 

苦力(クーリー)を雇うの。早く出発して」

「スケボー買ったんならそれ乗ってけよ」

「疲れるの。さ、早く」

 

 サーシャに急かされ、ロロは溜息を吐いてヴェスパを発進させた。追われているというのに、まったく緊張感がないのも困ったものだ。夜總會リドは男人道を抜け、駅を越えた先にある。

 

 男人道を抜け、線路を越えて右折すると少々高級な建物が見えてくる。左手に見えるのは中華街最大の高級レストラン翠龍楼、右手に見えるのが夜總會リドである。昼間から金を持ってそうな連中が出入りしている。もちろん、屈強なガードマンをつけてだ。

 リドに出入りできるのはそれなりの身分のある者や誰かから紹介を受けている者だ。名が売れているとはいえ、間違ってもロロのようなチンピラが入れるような場所ではない。サーシャはリドの入り口で立ち止まるロロの脇をスッと抜け出してカードを取り出した。それをそのまま入口の男性に見せる。

 

「はい」

「……どうぞ、お入りください」

 

 カードを確認した男は入口の前を空ける。サーシャが「ついてこい」という目で見てくるので、ロロは困惑しながらを後を追った。こんな小さい、まだランドセルを背負ってそうな子どもがなぜ高級クラブに入れるのかさっぱりわからず、ロロを首を捻る。

 サーシャは既に、奥の怪しげな販売所に行ってしまっている。手持無沙汰なロロはこんな高級クラブでどうしていいかわからずにキョロキョロと辺りを見回した。サーシャは買い物に来ただけだし、女と遊ぶには時間もない。テキトーに見て回っていると、なんとこんなところに弁当が売っているのを発見した。流石高級クラブ、通常のクラブでは見かけることのないものを売っている。

 

『クラブに弁当なんて珍しいな』

 

 イマジナリーフレンドが話しかけてくる。普通なら友人たちと「こんなところにお弁当が売ってる」、「珍しいね」なんて会話も交わすんだろうが、ロロの話し相手はこの幻想のお友達くらいだ。

 

「ああ。こんなとこで弁当なんて売れんのかね……ちょっとおっちゃん、この弁当ちょうだいよ」

「あいよ」

 

 奇妙な独り言を言うロロを見て売店のおじさんは首を傾げつつも、客ということでお金と引き換えに弁当をいくつかロロに手渡した。ロロが弁当を受け取ると、奥の方から悲鳴と怒号が聞こえてきた。

 

「待て!」

 

 聞き覚えのない声だ。ロロが訝しんでいると、奥の方から何かを抱えたサーシャがスケボーに乗って全速力で駆けてきた。スケボーの原動機はフルスロットル、凄まじいモーター音を響かせている。後ろから彼女を追ってきているのは、どうやら大幇の連中に違いない。二人の男は銃を取り出して殺気立っている。スケボーに乗るサーシャも逃げ切れそうだし、ロロはすぐさまリドの出口へと向かった。

 

「クソ、待ちやがれ!」

 

 サーシャを追っていた男二人のうち、片方が発砲した。その銃弾はサーシャには当たらず、なぜかロロの肩を掠める。

 

「ちくしょう、痛えな!」

 

 ロロは被弾した肩を押さえて悪態を吐くも反撃には移らない。走っているところを見るに、あっちには車やバイクのような乗り物がない。このままスクーターに跨って逃げてしまう方が都合が良い。サーシャも結構スピードの出るスケボーで走り抜けることを考えているようだ。彼女はそのままロロのヴェスパを易々と抜いていく。

 ロロがちらりと後ろを見ると、追ってきていた二人はクラブのソファーか何かに足を引っかけたようで思いきり転んでいた。この隙に二人は夜總會リドを後にした。

 

 夜總會リドから逃げ出した二人は再び男人道を通って大阪影視城に来ていた。ここは大阪の映画ビジネスの中心地だ。もう夜の帳が下りるころだが、口角泡を飛ばして叫ぶ監督や死に物狂いで演技をする役者の姿が見える。中には本格的な銃撃戦のシーンなのか、実弾を使ってまさに死ぬ気で演じている俳優もいる。ロロとサーシャはそういった色んな意味で危ない連中には近寄らないように、映画製作陣御用達の売店に向かった。

 大阪の映画ビジネスの中心地だけあって、売店には様々なものが置いてある。本物としても使える手錠やロープ、パラシュートなんてものまである。更には拳銃、アサルトライフル、ショットガンと映画製作者だけでなく武装勢力も御用達になりそうなくらい充実したラインナップの武器が並んでいた。脱出するにしても、大幇に襲われた時のことを考えて装備を整えておく必要はある。

 

「よし、これをくれ」

「はいよ」

 

 銃に取り付けるアタッチメントを購入し、ロロはその場で弁当を食べ始める。これには脳内親友、イマジナリーフレンドも呆れ顔だ。

 

『おいおい兄弟、ここはレストランじゃねーぜ?』

「食える時に食っとかないとな」

 

 突然弁当を食べ始め、独り言を言うロロに店主は気味の悪いものを見るような目を向けている。ロロはそんなことを知らず存ぜず、むしゃむしゃと高級クラブのカニ飯弁当を食べていた。なぜカニなのか、それはわからない。

 ロロが一心不乱にカニ飯弁当を食べていると、サーシャが何かを持って近寄ってきた。その手には小さなパイナップルのようなものが握られている。サーシャは近寄ると、それをロロに差し出した。

 

「はい」

「あ? サーシャ、こりゃなんだ」

 

 絶品のカニ飯に意識が持ってかれているせいか、ロロはサーシャの差し出すブツが判断できない。

 

「手榴弾」

「ぶほっ」

 

 サーシャの言葉に驚き、ロロはカニ飯を器官に詰まらせてしまった。ゲホゲホとむせ、涙を浮かべる。

 

「危ねえな! 顔の近くに持ってくるのはやめろ。とりあえず預かっておくぞ」

「うん。ロロにあげるために買ってきたんだから、ちゃんと持ってて」

 

 手榴弾をポケットに入れ(それも危ないと思うが)、ロロはカニ飯にラストスパートをかける。すぐさま食べ終わり、弁当をその辺に放り投げて店を出て行った。最悪の客である。

 ロロは外に見知らぬ女性がいることに気づいた。そう言えば、さっきも見かけたような気がする。サーシャは女性に近づくと彼女からショットガンを受け取った。一体彼女は何者なのかと、ロロは警戒しながら近寄る。

 

「サーシャ、その人は誰なんだ。知り合いか?」

「うん。さっき買――雇った苦力(クーリー)だよ」

 

 サーシャの言葉に、女性はニコニコしている。苦力とは労働移民のことだ。決して奴隷ではない。怪しい契約や、時には首輪や足枷が付いていようと奴隷ではないのだ。サーシャの雇った苦力はきちんとした服を着て、拘束もされていない。衣食住の負担を条件に雇われる苦力はお嬢様と呼ばれていたり高級クラブに易々と入ったりできるセレブな少女に雇われれば、まあ生活の心配をしなくて済むので安心ではある。

 

 苦力を連れて二人は大阪影視城を出た。このまま大幇の包囲の穴を突いて脱出することも可能である。ロロは空を見上げ、そこに浮かぶ綺麗な星々を眺めた。

 

「……もう夜だな」

「夜だね」

 

 ロロの呟きに呼応して、サーシャも空を見上げる。

 

「一晩休んで、朝になったら中華街(ここ)を出るか」

 

 ロロは肩の傷を見ながらそう言った。二人、特にロロは精神的にもかなり厳しいところまで追いつめられている。朝の銃撃戦からここまで、ずっと警戒を続けていたのだから無理もない。

 

「それだったら、私のアジトがあるよ」

「アジト? 大幇の連中にバレてないといいが……」

 

 サーシャの申し出に、ロロは渋い顔を浮かべる。しかし、快適な睡眠を取るには安心できる家で休むのが望ましい。

 

『とにかく行ってみるのがいいと思うぜ兄弟』

「そうか、それもそうだな相棒」

 

 想像上のお友達の言葉に、ロロはうんうんと頷きながら答えた。中年男性が急に独り言を喋る光景は不気味なものだが、サーシャは特に驚かずに見守っている。一般的な感性を持つ苦力の女性はロロから少々距離を取っていた。

 

「慎重に、周囲を確認して行こう。アジトが抑えられてなければ問題なしだ」

「わかった」

 

 サーシャは頷くとスケボーに乗って走り出した。アジトの場所がわかるのはサーシャしかいないため、彼女が先導するしかない。ロロはスクーターに跨り、苦力の女性も乗せてやって後を追いかける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 サーシャのアジトは幸いにも大幇の連中には見つかっていなかったらしい。やはりというか、サーシャのアジトは立派な家だった。少女が一人で住むには随分と大きいような気がする。

 

『でっけー家だな』

「ああ、俺の心のように広い家だ」

 

 そんな風にイマジナリーフレンドと冗談を交わしつつ、ロロはサーシャの家に上がる。想像上のお友達と会話しながら少女の家に侵入する中年男性とは犯罪臭のする響きだが、ここ大阪ではそこまで珍しいものでもない。

 サーシャの家は人が集団で済んでいた気配があるものの、中はがらんとしていた。一緒に住んでいたのはサーシャの親か兄弟か。

 

「部屋は何個かあるから、自由に使っていい」

「おう、ありがとな。こんなデカい家に住んでるなんて何やって稼いでるんだ?」

 

 高級クラブに入れたりポンと手榴弾を買ってくるようなセレブ少女に、ロロは金儲けの秘訣を聞く。もし自分にもできるようなことならあやかりたいものだと彼は考えていた。

 

「医者」

「は?」

 

 サーシャの端的な答えにロロはポカンとした表情を浮かべる。

 

「お医者さん」

「いや、聞こえてる、聞こえてるよ。医者ってサーシャお前、大丈夫なのか?」

 

 こんな年端もいかない少女に診てもらったり、手術を任せるなんて恐ろしい。

 

「できるできる」

「そ、そうか」

 

 腕まくりをして胸を張るサーシャに、ロロは渋い顔をして頷いておいた。できればお世話になりたくないものである。ロロは自分の肩の傷を眺め、軽傷なので自然治癒に任せようと心に誓った。

 

 やがて二人――苦力も入れれば三人だが――は明日に備えて眠りにつく。だが、ロロは肩の傷のせいか夜中に痛みを感じて目を覚ましてしまった。ついでにトイレによる。ロロはそろそろ年齢的にも尿漏れが厳しくなったり、トイレが近くなるのかなどといった不安を抱えながらトイレへと向かう。中年男性の悲しい心理である。

 ロロはふと、ある部屋――サーシャの部屋からすすり泣くような声を聞く。気配を殺しながら扉へと近づき、そっと中を伺った。

 

「うっ、うう……お母さん、お父さん……」

 

 それは額縁に収められた写真だろうか。サーシャはそれを抱いて蹲っていた。彼女はまだランドセルを背負っていそうな少女である。昼間、ロロといる時はそんな様子は見せなかったが、自分の命を大きな組織に狙われるというのは大変な恐怖だ。ロロは自分の命を狙われ逃げ回っていた幼少期を思い出したのか、唇を噛んでそっとその場を後にした。

 

『兄弟。あの子、守ってやりてえな』

「…………」

 

 イマジナリーフレンドがロロに話しかけるも、彼はそれに応えなかった。いまは明日の中華街からの脱出に備えてしっかりと眠るだけである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 朝。ロロとサーシャは示し合わせたように同じ時間に起きた。二人は「おはよう」とだけ軽い挨拶を交わして身支度を整えて外に出た。いよいよ中華街、大幇の包囲からの脱出である。脱出先は中立地帯であるミナミだ。そこならば大幇も無茶な真似はできないだろう。情報屋チュンの地図もミナミへ上手く抜けられるように包囲の穴を突くルートが描かれている。

 

「よし、行くか」

「うん」

 

 ロロの言葉に、サーシャは頷く。昨日の夜泣いていたことが嘘のようにサーシャはしゃっきりしている。ロロも昨日見たことを彼女に話すこともなく、それによって無理に気遣うようなこともしなかった。いまはただ、脱出という目的のために邁進するのみである。

 昨日の男人道を抜けた先、そこを右折せずに真っ直ぐ行けばミナミの方面である。そのまま行っても大幇の連中に確保されてしまうので、ロロたちはチュンの地図を確認しながら狭い迷路のような路地裏を通っていく。遠回りだが、これなら大幇の包囲を突けるはずだ。

 

 まもなく出口に差し掛かるというところで、見覚えのある男が立っているのを見つけた。それはロロがサーシャと出会った時に戦った中国人風の男と生真面目そうな青年である。

 

「見つけたネ!」

「なっ、ここも大幇に包囲されていたのか!?」

 

 チュンのことを信用していただけに、ロロはショックを受ける。しかし、中国人風の男性は首を横に振って否定した。

 

「違うアル。私は自分でお前のこと、ずっと追いかけてたネ。お前を取り逃がしたせいで出世コースから外れてしまったんだヨ! お前を殺して、その女の子を連れて行けばきっとまた評価してもらえるアル!」

 

 完全な私怨である。だが、大幇とは別に独自で行動していたおかげでロロの後を追うことができたのだから、その点は大したものである。

 

「ということは、お前を倒せば逃げ切れるってわけだ」

「ふん、今度は強力な助っ人を連れて来たヨ。さあ上海ベイベ、出てくるアル!」

 

 中国人風の男がそう言うと、ロボットのような――明らかに人間ではない人の形をした“物”が物陰から出てくるではないか。美少女を模したその看板は面倒くさそうな表情で中国人風の男性を見つめている。

 

「物使いが荒いナ。お前、オレを勝手に持ち出して怒られないカ?」

「大丈夫ネ! あの少女を連れて行けばチャラアル!」

 

 そんな二人がやり取りをしているうちに、ロロはそそくさと手榴弾と拳銃を準備し始める。それに気づいたのか、中国人風の男はゴミ箱の影に隠れながら上海ベイベに命令を下した。

 

「さあ! さっさと行くアル!」

「めんどくせーナァ……」

 

 上海ベイベはそう言いながらも、ロロに向かって猛然と走り出した。走っている途中、体がみるみるうちに大きくなり、見上げるほどの身長となる。そのまま上海ベイベは体当たりをしてくる。あの巨体に潰されれば一溜りもないだろう。ロロはすぐさま身をかわした。

 

「でけえ図体だ、な!」

「アァッ!」

 

 ロロは上海ベイベの巨体に潜り込みながらその肘を思い切り小突いた。ベイベの体に傷をつけることはできなかったが、彼女(彼?)にも痛覚はあるのか叫び声を上げて痛みを訴える。ファニーボーンというやつだ。

 ベイベを上手くやり過ごしたロロだが、生真面目そうな青年がサーシャを狙っていることに気づいた。ベイベの巨体からすぐさま這い出してサーシャの下へ向かう。

 

「サーシャ!」

 

 ロロは肩に銃弾を受けながらも、サーシャの身を守る。咄嗟のことに反応できなかったサーシャは目を丸くして固まっていた。

 

「ロロ……」

「俺のことはいい。武器の準備でもして下がってろ」

 

 ロロの言葉に、サーシャはこくんと頷くと拳銃とショットガンを取り出した。それを横目で見たロロは手に持っていた手榴弾を中国人風の男に向かって投擲しようとする。生真面目そうな青年はそれがわかっていたのか、銃弾をロロに浴びせ妨害してきた。これにはロロもたまらず、狙いが定まらなくなる。

 

『兄弟、俺に任せろ』

「相棒?」

 

 イマジナリーフレンドの声がしたと思えば、ロロの手に力が入る。中国人風の男、彼の隠れているゴミ箱を狙えばいい、それが確実だと想像上のお友達は言う。いつしかロロは青年の放つ銃弾も気にならなくなり、手榴弾を投擲することにだけ集中できた。

 

『さあ、行け』

「当たれ!」

 

 ロロの投げた手榴弾は弧を描いて飛ぶ。青年がそれを撃ち落とそうと必死に銃弾を浴びせるが、不思議と掠りもしなかった。手榴弾は見事にゴミ箱へと着弾する。

 

「アイヤー!」

 

 中国人風の男性の悲鳴が聞こえた。ロロは喜びから思わず、イマジナリーフレンドの姿を探してしまう。姿は見えなくとも、想像上のお友達とはいつも一緒だ。手榴弾を当てられたのもお前のおかげだと、お礼を言いたい。

 

「相棒、やったぜ……相棒?」

 

 ロロにいつも応えてくれるはずの、イマジナリーフレンドの声はいつまで経っても脳内に響かない。ロロはふと、直感する。あの手榴弾は、イマジナリーフレンドが乗り移ったものではないかと。彼が手助けをしてくれたのではないか、と。ロロの乾いた人生の生み出した、想像上のお友達。それがもしかしたら、魂――幽霊のような存在となって力を貸してくれたのかもしれない。

 しかし、ロロが浮かんだ涙を振り払って見たものは、残酷な現実だった。煙が晴れると、そこからほとんど無傷の中国人風の男が出てきたのだ。

 

「いやー、びっくりしたアル」

 

 隠れていたゴミ箱は消し飛んだものの、男にこれといった傷はない。上手く身をかわしたのか、それとも異常に丈夫な体を持っているんだろうか。男はニヤリと笑うとモーゼル・モデル1896を取り出してサーシャに向かって発砲した。

 

「くらうネ!」

「うわ」

 

 サーシャは転がって銃弾をかわす。生け捕りにこだわらないのか、彼らは殺す気で向かってきている。その証拠に生真面目そうな青年がサーシャの移動した先を狙って銃弾を発射していた。ロロはそれに気づいており、すぐさまサーシャと青年の間に割って入る。

 

「うぐっ」

「ロロ!」

 

 青年の弾丸は、ロロの腹を突き破った。まだ戦えそうではあるが、ロロの傷は見るからに重傷である。サーシャもそれがわかったのか、悲痛な叫び声を上げた。その時、サーシャの頭上に影がかかる。

 

「余所見してていいのかナ?」

 

 サーシャに襲いかかってきたのは上海ベイベだ。その巨体は小さなサーシャの体を覆う影を落とすほどである。サーシャはモスバーグ・モデル500を取り出して応戦する。彼女の放った弾は上海ベイベの巨体を僅かに逸らし、ベイベはサーシャの真横に落下した。

 

「うべっ」

 

 サーシャはそのまま体を引くと、ベレッタ・モデル92を中国人風男性に向けて発砲する。

 

「甘いネ」

 

 しかし、それはあっさりと避けられてしまう。その横ではロロがモーゼル・モデル1896――C96を上海ベイベに向かって掃射していた。この近距離であっても、上海ベイベの表面が僅かに剥がれるだけでほとんど無傷に見える。

 

「こいつ、硬い――サーシャ!」

 

 ロロが苦戦している横で、中国人風の男性が青竜刀を振りかぶってサーシャに襲い掛かっていた。ロロは叫び声を上げるも、サーシャは勇敢にショットガンを構える。サーシャの放った近距離で破裂した弾丸は、男の胴体に直撃した。

 

「ア、アイヤー……」

 

 男はそのまま崩れ落ち、体を震わせて顔を青くする。どうやら、爆風を乗り越えた体も胴体を貫いた弾丸には耐えられなかったようだ。青年が慌てて援護に向かおうと拳銃を向けるが、あまりにも慌てていたせいか拳銃はスッポリと手から抜けてしまう。それはそのまま上海ベイベの頭上に落下し――。

 

「ぐ、ぐえー」

 

 上海ベイベはうめき声を上げて倒れた。動かないようだが、わざとらしく「むにゃむにゃ」と言ったり演技のようにも見える。中国人風の男が倒れたからだろうか。さりとて、これは好機である。サーシャはそのまま青年に向かってショットガンを撃ち放った。弾丸は途中で分裂し、散弾となって青年に襲い掛かる。体制の崩れた青年に向かってロロは拳銃を向けた。

 

「これでトドメだ」

 

 パン、という乾いた音とともに青年が崩れ落ちる。この場で立っているのはもう、ロロたちだけだ。彼らはそのまま、中華街を抜けてミナミへと向かった。ようやく、大幇から逃れることができたのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 大阪の歓楽街、ミナミ。ロロたちはこの中立地帯に無事辿り着くことができた。ロロは重傷で疲労困憊だが、疲れながらも笑顔を見せる。ようやく逃れることができたのだ。一方でサーシャは暗い顔を浮かべている。大幇から逃れたのだから少しはその能面のような表情を動かせば良いものだが、顔を綻ばせる様子もない。

 誰かが近づいてくるのを察知し、ロロはすぐさま拳銃を構えた。相手は年若い男だ。黒髪でやや長髪、目鼻立ちの整った眉のキリッとした男である。ロロのように乾いた人生を送ってない、潤った人生を送っていそうな雰囲気を感じる。彼は拳銃を向けられても動揺することなく、拍手をして笑みを浮かべた。

 

「いやあ、よくやってくれた」

「お前は誰だ?」

 

 人好きのする笑みだが、ロロは警戒を解かない。ここまで来てサーシャを連れて行かせるわけにはいかなかった。男はロロの不安を打ち消すためか、身分を明かす。

 

「俺は(あかがね)大二郎(だいじろう)。地獄組のモンだ。よろしくな」

 

 大二郎はそう言ってニッと笑った。警戒を解くことはなかったが、ロロはその名に聞き覚えがあった。五大盟約の一つ地獄組、そこに中立地帯のミナミに単身乗り込んだ根性のある男がいる、と。それが彼、銅大二郎である。彼はミナミのホストクラブを乗っ取った功績から、幹部に抜擢されていたはずである。そんな彼がロロたちに会いに来る理由がわからない。

 怪訝な表情を浮かべるロロの心情を察したのか、大二郎は苦笑してこう言った。

 

「お前らが大幇を掻き回してくれたおかげでウチの連中は大喜びなんだよ。まあ、お前らはそんなこと知らないでやったんだろうがな?」

「……なるほど、そういうことか」

 

 大幇と地獄組は敵対関係にある。そんな中、大幇に狙われ、その包囲を脱出したロロたちの存在は地獄組にとって大層愉快だろう。ロロが話を飲み込んだのを見て、大二郎はアタッシュケースを取り出す。

 

「そんなわけで、これはお前らへの礼だ。ウチらが勝手に用意したもんだが、受け取ってくれ」

 

 大二郎の差し出したアタッシュケースには札束と「おたから」と呼ばれる貴重な道具が入っていた。特に、おたからは通常では手に入らない値打ち物である。その価値は時に、山のような札束を上回ることがある。

 

「もらえるんならもらっておく」

「ああ、そうしてくれるとこっちも助かる。それから、これは俺の名刺だ。何かあったら呼んでくれ。大幇の連中の悔しがるサマを想像すると笑っちまうぜ。ありがとな、兄弟」

 

 大二郎は名詞をロロに渡すと親しみを込めて彼を「兄弟」と呼ぶ。よほど大幇を引っ掻き回したロロたちのことを好意的に思っているのだろう。ロロの方はそんな盟約の有名人の言葉に心を躍らせたりはせず、「兄弟」という単語に一抹の寂しさを覚えた。

 大二郎はそのまま、アタッシュケースと名刺を押し付けるとその場から去っていった。ロロは思わぬ報酬に多少気分が良くなったような気はする。ただ災難に巻き込まれただけではなかったのだ。アタッシュケースのおたからにはサーシャにも丁度良さそうな可愛い、中がまるで底無しのポシェットもある。ロロはそれを取り出してサーシャに見せてやった。

 

「ほらサーシャ。結構可愛いのがあるぜ」

「……いらない」

 

 サーシャは俯いている。ロロの差し出したポシェットはサーシャの手によって払われ、地面に落下した。

 

「おいおい、どうしたんだ? 大幇から逃げ切れたんだ。もっと喜んでも――」

「お母さんとお父さん、いなくなっちゃった」

 

 ポツリと漏らしたサーシャの言葉に、ロロは口をつぐんだ。サーシャの表情は見えないが、ポタポタと地面に滴が落ちる。

 

「もう、みんないない。エヴァもカーチャも、ロボも、みんな……殺されちゃった」

 

 仲間の名前か。サーシャはえづきながら言葉を紡ぐ。ロロに言っているのか、独り言のように自分に言い聞かせているのかはわからない。それでもロロはサーシャの言葉を真剣に聞いていた。もう彼女は大幇から逃げている最中、寡黙で堂々としていたサーシャではない。泣いている、ただの普通の女の子のように見える。

 

「私はこれからどうすればいいの? みんないなくなっちゃって、どうすればいい?」

 

 サーシャが涙に濡れた目をロロに向ける。ロロは無表情でサーシャを見つめ、こう言った。

 

「どうしたいかは、お前が決めろ。俺は将来の夢だとか、これからの未来だとか明日だとか、そういう先の話は嫌いだね」

 

 ロロの言葉に、サーシャはまた俯いた。地面を濡らす彼女に、ロロは再びポシェットを差し出す。サーシャはそれを振り払おうとするが、今度はロロもポシェットを落とさないようにしっかりと握りしめていた。

 

「“今”を考えろ。今のお前は、どうしたいんだ?」

「私は……」

 

 ロロはポシェットを差し出しながら、サーシャに問う。その声は厳しく、強い調子だ。サーシャは潤ませた目を拭い、ロロの差し出したポシェットを掴んだ。

 

「私は、ロロと一緒にいたい」

「それならそうすりゃいい。俺は勝手に行くから、お前も勝手についてこい」

 

 サーシャの言葉に思わず笑みをこぼしそうになりながらも、ロロは頭を掻いてぶっきらぼうにそう言った。ロロはアタッシュケースを掴むと、あえてサーシャの方を見ないで歓楽街へと足を踏みだした。サーシャもそれを追って、とことことついていく。サーシャの顔には、ロロと同じ笑顔が浮かんでいた。彼女にはなんとなく、前を歩くロロが自分と同じ表情をしていることがわかって嬉しくなった。二人はそのまま、歓楽街の喧騒に飲まれるようにして消えていく。

 

 ロロとサーシャは、家族でもなければ仲間でもない。それでも、彼らは一緒にいるだろう。ロロは仲間でもないのに一緒にいる理由を聞かれれば、「任されちまったからな」なんて古い話を持ち出して誤魔化すに違いない。サーシャに聞けば、「なんとなく」と答えるのだろう。

 彼らはそのうち、亜侠の中でも異質な伝説として名を残すかもしれない。不死身のロロとたった一人の盟約継承者、アレクサンドラ・カスパロヴァ――サーシャとして。だけども、そんな明日(さき)の話はロロもサーシャも聞きたくないはずだ。だって彼らは、“今”を生きているのだから。

 

――大阪を生きる亜侠に明日(さき)はない。

 

 きっと彼らは、“今”を懸命に生きている。

 




 読了ありがとうございました。もしよろしければ、感想欄に今回のMVP(もっとも活躍した人)と、番外の彼らそれぞれの評価をください。

 評価は、どんな働きをしたかで以下の中から選んでください。
・親分:チームをまとめた、仲間を助けた。
・闇商人:売買を行った、取引をした。
・殺し屋:敵を倒した/殺した、破壊工作や襲撃を行った。
・用心棒:仲間や依頼人などを守った、厳しい状況で生き残った。
・色事師:色香で何かした、デートやエロいことをした。
・ペテン師:巧みな交渉を行った、シャレた嘘を吐いた。
・泥棒:アイテムを盗んだ、警戒厳重な場所に忍び込んだ。
・走り屋:競争や追いかけっこに勝った、何かを運んだ。
・情報屋:有益な情報を手に入れた、謎を解いた
・裏職人:アイテムを作ったり、仲間を治療した
・キジルシ:常軌を逸した行動を取った、頭がおかしい
・ダメ人間:何もしなかった、チームに迷惑をかけた

例(あくまで一例です。お好きなように記入ください)
MVP:ロロ、ロロ:親分、サーシャ:殺し屋etc...

 というように、もしよろしければ評価をくださると嬉しいです。ちなみに、この評価の結果が彼らの成長につながるので、そのあたりも考慮してみると面白いかもしれません。
 それでは、読了お疲れ様でした。そして、読んでくださってどうもありがとうございます。またの機会があれば、よろしくお願いします


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