女難な赤い弓兵の日常inカルデア (お茶マニア)
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設定
設定変更点まとめ※随時更新


ゲーム中の設定と動作を現実的に考えてみると結構大変だと思う。


カルデアの爆発による被害者数変更

→男性職員は犠牲になりました。極限状況での内部分裂を狙うレフ教授の罠。

 

 

召喚される男性サーヴァントがエミヤしかいない

→女難だから。アストルフォとオリオン(アルテミス)は見た目女の子ですが、公式で性別が男扱いで確定しているので出ません。

→ホームズは自力で来るので例外。

 

サーヴァントの夢

→公式本編は第三章でマシュの夢を見ますが、本小説では先にエミヤの夢を見てもらいます。

 

 

主人公の名前

→女性主人公ですが、公式の男主人公「藤丸立香」はどちらでも違和感のない名前らしいので、同じ名前に設定しました。一人称は「私」にします。

 

 

EXTRA系列主人公の性別

→一応設定します。

 EXTRA(Extella)の主人公は男、無銘のマスターは女とします。

 また、名前は両方とも岸波白野です。

 

 

クラスの変更

→霊基再臨の応用で出来る設定。

 また変更したクラスには任意で変更可能(ただし、同時に複数のクラスに属することはできない)

 

 

カルデア英霊の召喚

→収穫祭の鮮血魔嬢の話でカルデアのサーヴァントを召喚しました。

 聖杯を願望機として使用することで、カーミラはエリザベート自身を触媒として召喚、タマモキャットはエリザベートの願いを叶えた結果となります。

 カルデアの召喚装置ではサーヴァント側に召喚の拒否権があるため、召喚後にカルデアへ所属しているサーヴァントは、その拒否権がないものとします。

 魔術王ソロモンがなぜそれをしないのかについては、第六次乙女協定の後書きで触れます。

 

 

サーヴァントの記憶

→特異点や過去に召喚されたときの記憶も都合よく保持または統合されています。

 

・エミヤ 

 stay nightでの生前のセイバールートとアーチャーとして召喚された第五次聖杯戦争のHFルート以外の記憶に加えて、無銘の記憶を保持。特異点Fつまり冬木市の特異点での記憶も一応保持しています。

 記憶の回復によってお人好し成分が多め。鈍感は話を進めるごとに改善します。

 本来ならありえないはずのアヴァロンを所持。理由は一番下の方で説明しています。

 

・アルトリア

 UBWルートと生前エミヤのセイバールートの記憶を保持。

 一番下の方に書きましたが、どちらのアルトリアも士郎は聖杯と同等以上に大切な人です。記憶の統合により、原作よりも士郎とシロウに対する愛情が深くなっています。

 公式の展開を見る限り、FGOのアルトリアとアルトリア・オルタは別個体として扱います。

 モードレッドとはまだお互いに気まずいので顔を合わせにくい設定とします。

 SNでのセイバークラス以外の適性は無いという発言は、生前だけという制限に変更。

 

・アルトリア・オルタ

 上記のアルトリアと同じ記憶に加え、特異点の記憶を保持。

 アルトリア・オルタの独立はジャンヌ・オルタと同じ原理です。

【サンタの扱い】

 クラスを変えただけでほぼ同一人物扱いとします。

 マスターの呼称はトナカイになる。

 

・ジャンヌ・ダルク

 Extellaと特異点(一章)の記憶を保持。

 Apocryphaの記憶はありません。

 設定変更で、

 ①ExtellaジャンヌとApocryphaジャンヌが別の時間軸で同時に召喚

 ②Extellaジャンヌが座に帰る前に聖杯が記憶の一部を消してFGOの特異点に召喚

 ③特異点のジャンヌが座に帰る前にカルデアに召喚

 という流れにしたので、アポクリファの記憶はないという荒業を使っています。

 

・メドゥーサ

 stay night全ルートの記憶とEXTELLAの記憶を保持。

 

・マリー・アントワネット

 特異点(一章)の記憶を保持。

 また、ストーリー上で退場してしまう彼女は、この小説ではエミヤが助けたため生存しています。

 

・デオン

 特異点(一章)の記憶を保持。

 この小説に限り、生前はセイバーと同様に男装の麗人だったとします。

 

・清姫

 特異点(一章)の記憶を保持。

 特に変更なし

 

・マルタ

 特異点(一章)の記憶を保持。

 特に変更なし

 

・カーミラ

 特異点(一章)の記憶を保持。

 エリザベート・バートリーの記憶の一部を垣間見た設定とします。

 たぶん本編よりも性格がマイルドだと思われます。

 

・エリザベート・バートリー(ランサー)

 特異点(一章、二章、五章)とEXTRACCCの記憶の保持。

 無銘の時にフラグを立てた。

 

・エリザベート・バートリー(キャスター)

 ランサーのエリザベートとほぼ同じ記憶だが、特異点はハロウィンと第一特異点のみ保持。

 

・ネロ・クラウディウス

 特異点(二章)とExtellaの記憶を保持。

 また、本編などで空気気味の頭痛持ちのスキルが偶に発動します。

 聖杯に触れたことで、生前の記憶を座に反映した設定。

 

・ブーディカ

 特異点(二章)の記憶を保持。

 特に変更なし。

 

・荊軻

 特異点(二章)の記憶を保持。

 酒癖の悪さを絡み酒に設定。

 

・タマモキャット

 特異点(二章)の記憶を保持。

 攻略したことで、某去勢拳を打たれにくくなった。

 

・アルテラ

 特異点(二章)の記憶を保持。

 無意識に巨神の頃と似た行動をとるに変更。

 

・フランシス・ドレイク

 特異点(三章)の記憶を保持。

 聖杯が願いを叶えたことで、英霊と特異点の記憶だけになった設定。

 

・アタランテ

 特異点(三章)とApocryphaの記憶を保持。

 Apocryphaの最後で、アキレウスを失望させたことを引き摺っている設定を追加。

 

・アン・ボニー&メアリー・リード

 特異点(三章)の記憶を保持。

 エミヤが無力化したことで生存。

 黒髭の敵討ちで藤丸立香に同行する設定に変更。

 

・メディアリリィ

 特異点(三章)の記憶を保持。

 

・ステンノ&エウリュアレ

 特異点(二章と三章)の記憶を保持。

 本編より若干マイルドに設定。

 

・マタ・ハリ

 特異点(ハロウィン)の記憶を保持。

 監獄城の案内役を兼任した設定を追加。

 本編よりもやや弱気に変更。

 

・沖田総司

 特異点(本能寺)と所謂別世界の聖杯戦争の記憶を保持。

 本編よりもややメンタル面が脆い。

 

・織田信長

 特異点(本能寺)と別世界の聖杯戦争の記憶を保持。

 史実ネタを時折採用。

 

・メディア

 特異点(本能寺)とstay nightのUBWルートの記憶を保持。

 幕間等での言動から、stay nightでのマスターの記憶が無いようなので、変更せずに採用。

 また最期の状況から、エミヤがマスターを手に掛けたと推測している、という設定を追加。

 

・モードレッド

 特異点(四章)とApocryphaの記憶を保持。

 アルトリアに関しては、まだお互いに気まずいので顔を合わせにくい設定とします。

 

・ジャック・ザ・リッパー

 Apocryphaのみを薄っすらと保持。

 エミヤをおかあさんと呼ぶ設定に変更。

 

・玉藻の前

 大体の記憶を保持。

 去勢拳の素振りをしておくか悩む。

 

・ナーサリー・ライム

 EXTRA、EXTRACCC、特異点(四章)の記憶を保持。

 本来なら倒されるが、黒幕に回収され聖杯の支配を受けた後、立香一行の活躍で解放され同行する。

 再臨なしでも自身のスキルの応用で一時的に姿を変えられる設定に変更。

 一人称はあたしとわたしの二つあるが、基本的に『わたし』に統一。

 

・フランケンシュタイン

 特異点の記憶は無し。Apocryphaを薄っすらと保持

 ヴィクター達の言葉に対して思うところがある設定を追加。

 

・アルトリア・ランサーオルタ

 特異点の記憶は無し。 

 誕生した経緯から、ロンゴミニアドでセイバーの全ルートを観測した設定を追加。

 ランサーとセイバー英霊としての違いは、故国の救済を望んだか否かで分岐すると判断。

 

・謎のヒロインX

 特異点(アルトリアウォーズ)の記憶を保持。

 ネームレス・レッドとは普通の仕事仲間の関係に設定。

 

・アルトリア・リリィ

 特異点(アルトリアウォーズ)の記憶を保持。

 

・両儀式

 特異点(オガワハイム)の記憶を保持。

 空の境界本編終了後という設定に準拠。EXTRAでの出演記録もうっすらと持っているようなのでそれに従う。

 

・「両儀式」

 大体の記憶を保持。

 カルデア召喚経緯を独自解釈し、概念礼装と共に召喚。

 細工できたのは「九字兼定」が折れたことにより可能になったものとし、固有結界による解析で細工ごと模倣できるものとする。

 また、以下の設定を付与する。

① アサシン式の「式」はセイバー「式」が居る間は表に出ない。

② セイバー「式」はカルデアの霊基情報が消えると完全に消滅し、アサシン式の「式」に戻れない。

③ 絆10どころか11くらいな危うさ。

 

・フローレンス・ナイチンゲール

 特異点(五章)の記憶を保持。

 特異点での描写から多少は会話できると判断。

 

・ネロ・ブライド

 特異点(五章)の記憶を保持。

 本編五章ではEXTRA経由のネロだったが、本作ではマイルーム同様EXTRA経由ではないネロが特異点に召喚されたという設定に変更。

 経歴にまだ謎があるため、今後の展開によっては修正する可能性がある。

 

・エレナ・ブラヴァツキー

 特異点(五章)の記憶を保持。

 

・スカサハ

 特異点(五章)の記憶を保持。

 マスター以外には積極的に師弟関係を築く。

 

・メイヴ

 特異点(五章)の記憶を保持。

 幕間通り、立香の隙を見て下剋上を目論む。

 

・ジャンヌ・オルタ

 特異点(贋作英霊)の記憶を保持。

 エミヤがジャンヌ・オルタの存在を認めるようないつも通りの発言をしたため、かろうじて存在が残り原作通りの復活をするという経緯に変更。

  

・ブリュンヒルデ

 特異点の記憶なし。

 体験クエストのシナリオの最後から、記憶を消して夢落ちにできると解釈。

 

・天の衣

 特異点(Zero)の記憶を保持。

 聖杯の端末なので、第四次聖杯戦争では汚染された聖杯が出現したという知識を持っている。

 本来のイベントではアイリと天の衣は別人だが、本作では同一人物とします。この変更により黒い聖杯を破壊しきれるので、四元素アイリが登場しなくなりました。この点についてお詫び申し上げます。

 

・源頼光

 特異点(鬼ヶ島)の記憶保持。

 

・酒呑童子

 特異点(羅生門終盤、鬼ヶ島)の記憶保持。

 

・茨木童子

 特異点(羅生門、鬼ヶ島)の記憶保持。

 

・アルトリア・ランサー

 特異点の記憶は無し。

 獅子王が公式本編よりも人間よりになったので、カムランの丘でロンゴミニアドが天啓を与えた。

 このランサーとセイバーの違いは、ベディヴィエールに内心を打ち明けたかどうかと推測。

 

・ニトクリス

 特異点(六章)の記憶を保持。

 オジマンディアスには悩み事が筒抜けだった。

 

・玄奘三蔵

 特異点(六章、天竺イベ)の記憶を保持。

【時系列】

 三蔵側 天竺イベ→六章→召喚

 立香側 六章→召喚→天竺イベ

 

・静謐のハサン

 特異点(六章)の記憶を保持。

 本編よりも思い切りが良い。

 

・百貌のハサン

 特異点(六章)の記憶を保持。

 百貌の男性人格は必要な時に本体が切り離し、用事が終われば本体に還る設定とします。ちびハサンは幕間の流れから、この設定の例外扱いとします。

 

・イリヤスフィール・フォン・アインツベルン

 特異点(イベント)の記憶を保持。

 プリヤ時系列は「ツヴァイ!」から。

 

・クロエ・フォン・アインツベルン

 特異点(イベント)の記憶を保持。

 プリヤ時系列は「ツヴァイ!」から。

 

・ジャンヌ・ダルク・オルタ・サンタ・リリィ

 特異点(イベント)の記憶を保持。

 リリィ化した経緯を変更。

 本編よりも甘えられるようになった。

 

・イシュタル

 本編とは違いお互いに顔見知り。

 対応会話から、エミヤ系相手では凛寄りになるのではないかという設定を追加。

 

・牛若丸

 本編七章までの記憶を保持。

 

・メルトリリス

 SE.RA.PH関連の記憶を保持。

 本編よりも素直。

 

・パッションリップ

 SE.RA.PH関連の記憶を保持。

 

・B B

 SE.RA.PH関連の記憶を保持。

 

 

幕間の物語

→FGO本編では霊基再臨が必要ですが、本小説では制限を取り払います。

 

終局特異点の突入タイミング

→第七章終了後に時間を置かないよう時系列を変更。

 

 

特異点Fについて(各種ネタバレ反転)

→アルトリア・オルタが意味深なスキルを所有していたので、特異点Fの情報を整理。

FGO一回目の聖杯戦争と特異点Fは異なる。

・特異点Fは第五次聖杯戦争が開催された(特異点になるまで衛宮士郎が存在した可能性のある)世界線である。

・エルメロイ二世曰く、第五次聖杯戦争が完遂された。

・同じ冬木だが呼称が特異点Fと特異点Xで分けられている。

・人理精算の辻褄が合わない。

・エミヤは、アルトリア・オルタの目的を理解した上で、カルデアの調査員を返さないつもりだった。

 本作的に重要なのは最後の項で今後の展開が待たれる。

おまけ

四章黒幕があの時点でロンドンに居る理由は謎だが、仮に最初から日本におらず、人理精算で彼の死亡が確定する場合は、大聖杯の敷設などでFGO冬木式聖杯戦争が遅れた理由の一つかもしれない。

 つまり、件の黒幕の死亡によってFGO世界に『衛宮』士郎は存在しない。

 裏を返せば、彼が四章で生存しアマデウスのように魔神柱の支配を破る出会いがあれば、多少遅れるがFGOの世界でも衛宮士郎が誕生する可能性はある。

 やはり聖杯戦争の重要人物である。

 

 

令呪

→ゲーム上では回復と復活ですが、ドラマCDとアニメではマシュの移動などの瞬間的な強化があったので、強化の倍率を低くして使えるように設定します。

 

 

エミヤの生前

→いろいろと調べると、何かの欠けていたセイバールートがエミヤの辿った聖杯戦争らしい。

 本小説ではエミヤのセイバールートは、聖杯<士郎ではなく、聖杯=士郎という考えのセイバーだったとしています。早い話、エミヤによる攻略は好感度が少し足らなかったということです。

 お互いの考えを認め合った妥協案として、二人の基本方針は聖杯の獲得でしたが、汚染されていたためセイバーがきっぱり諦めました。

 本編のセイバールートで衛宮士郎がセイバーを救っていることもあり、救えなかった負い目のあるエミヤは、本作初期は真名を呼ばないようにしていました。

 

・FGO世界でのエミヤは未来の英霊として扱うのか。

→平行世界で人理焼却が行われていない世界があれば、2015年以降に英霊となる可能性はゼロではないでしょう。処刑された年が全員同じなのか公式で明言されていませんが、アーチャーと無銘で過去の来歴が多少異なるので、処刑される年には差異があると解釈します。FGO世界(2015年で処刑)でも英霊となるのであれば、死後から含めると未来の英霊と呼べると思います。

 

 

アヴァロンの所有

→人類史の焼却という異常事態に加え、マーリンほどの力があれば星の内海からアヴァロンをエミヤに宿すのは可能ではないかと思い、この設定を追加しました。更に、カルデアでアルトリアと出会うことで疑似的に繋がりを再現できます。

 追加の最大の理由はエミヤを死なせないためです。マスターやマシュとは違い加護を貰えていないので、特に某アサシンの毒に耐性がないのでそのための処置です。

 




「────全て遠き理想郷(アヴァロン)は気に入ってくれたかな?」


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日常
エミヤ召喚と人類最後のマスター


初投稿です。


 白髪で褐色肌の偉丈夫──アーチャーのエミヤは、マスターである藤丸立香と召喚されたサーヴァントの中で最も付き合いが長い。

 これは、赤い弓兵の日常が綴る非日常の物語。

 

 守護者と言えど、抑止力の仕事ばかりではない。英霊としての召喚も稀にだがある。ただ、彼が平穏無事に召喚されたと思えば、他の所に皺寄せがきてしまった。そこに何かしらの因縁を感じずにはいられない。

 炎上した街並みと黒き騎士王だけがそう知らせていた。

 騎士王に破れた弓兵は、シャドウサーヴァントとして付き従うことになった。その時に交戦した一団のうち、二人の少女と一匹の獣は只者ではなかった。

 多くを語らない騎士王だったが、炎上した街に訪れた人間を帰すつもりは無かったようだ。言葉を交わさずともそれくらいは察しがついた。

 尤も、彼女達に二度と会う事は無いだろう。そう考えていたが、まさか彼女に召喚されようとは夢にも思っていなかった。

 

 召喚されたとき視界に映った二人の少女、件のマスター藤丸立香とその相棒(パートナー)──マシュ・キリエライトを見かけたとき、思わず郷愁の念にかられた。

 それが二人の髪の色によるものなのか、はたまた二人の纏う雰囲気によるものなのか、それを知るのは彼ばかりである。

 しかし、同時に二人の危うさも感じていた。それはあまりにも純粋すぎる心の在り方である。藤丸立香(マスター)に話を聞けば、カルデアに来たのはしつこくスカウトされたからであり、元々は魔術と無縁の生活を送っていたらしい。あまり他人(ひと)のことは言えないが、新米魔術師どころか新米マスターといっても過言ではない。

 最終的な結論は、サーヴァントという立場から今を生きるマスター達のために、かつての経験を活かして導き、過保護にならない程度に見守ることだった。

 その一方で、新米マスターとはいっても、マスターである藤丸立香の在り方はエミヤにとって好ましいものだった。

 自分の負担を減らすためという大義名分はあるものの、本来ならばサーヴァントに必要ない睡眠や食事を推奨していた。彼女の考えは、かつての自分(衛宮士郎)──もし彼女が正義の味方になるとか言い出したら止めねばならないだろう──に似たものがあり、エミヤが契約破棄を言い出さなかったのは、魔術師らしからぬ平凡さがそうさせた。

 

 人理の最後の砦であるカルデアは、レフ・ライノールの裏切りによる爆発で大勢が負傷した。レイシフト予定だったマスター候補生を始めとして、さらには職員の多数──なぜか男性ばかり──が重傷を負った。無事だった男性職員は、藤丸立香の部屋でサボっていたDr.ロマンことロマニ・アーキマン、そしてレオナルド・ダ・ヴィンチ──男のはず──だけだった。

 故に男性職員数の減ったカルデアでは、無事だった女性職員は総動員でレイシフト等の作業をこなさなければならず、徹夜も辞さないほど多忙だった。

 また、カルデアに凝った料理を作れる者は残っておらず、職員は栄養補給のために簡素な食事をとるだけだった。当然、娯楽として楽しむ余裕などない。

 エミヤの仕事は、彼が召喚された日から始まることになる。説明を受けた直後に現状を聞いたエミヤは、食事担当として立候補した。英霊が突然そのようなことを言い出すものだから、マスターを含め大多数がその腕を訝しんでいた。しかし、一口食べただけでその評価は一転することとなり、満場一致でエミヤは料理長として就任することになった。

 それだけで終わらなかった。重労働の職場でストレスを抱えているのではないかと心配したエミヤは、暇な時間を作っては女性職員をお茶に誘い、話を聞くなどしてメンタルヘルスケアに努めた。その尽力によって、翌日から暗い顔で作業していた女性職員達に笑顔が戻ったのは言うまでもない。同時に、女性職員達から熱い視線を送られていることに彼が気付くこともない。

 そして、そのエミヤが今何をやっているのかといえば──

「以前よりは幾分か増しになったな……マスター」

 椅子に座った藤丸立香(マスター)の髪を梳いていた。ここはエミヤに与えられた部屋であり、椅子に座る立香は安心した表情を浮かべていた。

 なぜこのようなことをしているのかといえば、髪の手入れに力を使っていない女性職員たちの無頓着さを見かねたエミヤが、メンタルヘルスケアの一環として始めたことがきっかけである。無論マスターも例外ではなく、一人の少女として御洒落は淑女の嗜みである。

 これが思いの外好評であり、今では事前に日程を組むほどの人気になっている。

「ちゃんとエミヤに教えてもらった方法でお手入れしているからね」

「それはいいが、早くに興味を持つべきだったと思うがね……今のうちに手入れをしておかないと、後々手遅れになる」

 手を止めないエミヤとされるがままの立香は談笑する。

 髪は女性の命であり、それを扱うエミヤの手つきは手慣れたもので実に繊細だった。

「ふむ……これでいいだろう」

「え~、もう少しやってよ」

「文句を言うなマスター、これ以上は逆に髪が傷んでしまう。何事もほどほどが一番だ。

 それに、後がつかえている」

 立香は思わず不満を漏らすが、櫛を持ったまま目くばせするエミヤの言葉を受けると、彼の視線の方向へ振り向く──

「先輩ばかり……ずるいです」

 順番待ちをしていたマシュが頬を膨らませていた。

「あ。……ごめんね、マシュ」

「エミヤ先輩に髪を梳いてもらえるのは滅多にないんですから……いくら先輩といえど許されません……独占禁止法違反です」

 エミヤが召喚されるまで、御洒落に大して興味を持っていなかったマシュではあるが、やはり気になるらしい。不機嫌そうだったが、エミヤが髪を梳き始めると途端に緩んだ表情になった。

 

 エミヤはこの平穏な日常が悪くないと思っている。間違いなくそう心に刻んでいるだろう。

 しかし、これはエミヤに待ち受ける女難の日々の始まりに過ぎない。

 

 

 




 私が(エミヤ)を始めて召喚したとき、彼は私ではない遠い誰かを見ていたような気がする。その表情も一瞬の内に張り詰めた表情に戻ってしまったが、理由を問い質す気にはなれなかった。────そのときの彼の表情がとても辛そうだったから。


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エミヤと盾の少女

次からタイトル回収です。


 エミヤは暇を持て余していた。料理長を務める食堂は営業が終わり、夕食の片付けも早々に終わってしまった。職員全員の人数が少ないからこそそうなってしまうのだが、多いなら多いで手が回らない。

 それなら代わりにと、最近始めた各部屋の清掃も夕食前に終わっている。残るは朝食の仕込みだけであり、その時間まで何をしようかと無意味にカルデアの廊下を散歩するばかりだった。

「あれは……」

 そんな中、エミヤの目を止めたのは、箱を持った少女の姿だった。

 薄い紫にも見える白い髪に、眼鏡をかけ白衣を纏う少女、彼女は藤丸立香の相棒(パートナー)、デミ・サーヴァントのマシュ・キリエライトに相違ない。

「マシュ、また書類の箱を運んでいるのかね?」

「こんばんはエミヤ先輩。最近レイシフトしてばかりでしたから、書類が溜まってしまったんです」

「なら、半分は私が持とう。なに、時間の心配はいらんよ、今は手持無沙汰なものでね。手伝わせてもらえるとありがたい」

「なら、お言葉に甘えます。ありがとうございます、エミヤ先輩」

 エミヤの問いにはにかんだ笑顔で答えたマシュは、首肯した。彼女が重ねていた二つの箱の内、エミヤは上の箱を取り上げる。

 サーヴァント──マシュの場合はデミ・サーヴァントとなり力が増したのは良いが、完全な英霊ではないため、怪我をするときは怪我をする。要するにエミヤは、心配だから手伝いを申し出た。

 マシュが先を行くと、後から歩幅を合わせたエミヤが並ぶように連れ立って歩く。

 

 エミヤは箱を持ってから改めて実感するが、意外にも中身が詰まっており、ずしりとした重量を感じさせる。忘れられがちだが、カルデアは(れっき)とした国連の機関であり、レイシフトはそもそもカルデアの独断で行っていいものではない。

 今は緊急事態で、人理焼却の阻止という大義名分はあるものの、人理修復の聖杯探索(グランドオーダー)が完遂すれば、待っているのは報告書の山だ。なぜかといえば、焼却中の記憶がない人に言葉だけで説明しても、単なる与太話で終わってしまう。証拠がなければ人は信用しない。だからこそ、裏付けるための報告書が必要となる。

 そんな激動の渦中で報告書を作成するのは、職務上の義務だからという訳でもない。箱の中の書類には、必ず完遂までサポートするという職員の覚悟と藤丸立香(マスター)への期待が込められている。絶体絶命ともいえる状況で、誰一人として弱音を吐くことはない。立香がそうであるように、職員も彼女と同様に奮起している。

 しかしながらエミヤは、二人の少女と職員ばかりに重荷を背負わせるつもりは毛頭ない。大層なことはしていないが、僅かばかりでも力になると立香に誓ったからだ。

 考え事をしていたエミヤは、今更ながらにふと思った。マシュはなぜ自分を先輩と呼んでいるのだろう。

 

 召喚された直後、不意にマシュへ視線を合わせると、硬い表情をしていた。おそらく彼女は少しばかり警戒しているのだろうと、その顔を見たエミヤは判断した。他でもない特異点で何度か狙撃してきた男であるし、それがなくとも眉間に皺を寄せた男を見れば、初対面なら誰でも警戒するだろう。

 召喚の翌日、その日の夕食も大盛況に終わり、食堂の片付けを終えたエミヤは自室に戻ろうとしていた。その途中で、書類の箱を運ぶマシュの姿を見かけた。

 それが功を奏することになる。足元がよく見えていなかったらしいマシュは、ちょっとした段差に躓いてしまい、あわや大惨事になるところだった。間一髪、一瞬で状況を判断できたエミヤの助けが間に合った。

 マシュはいきなりの出来事に頭の処理が追いついていなかった。

『怪我はないか?』

 とエミヤが尋ねるまで、マシュは放心していた。彼女は必死に思考を巡らせ──

『エミヤさん!? ……だ、大丈夫です』

 と答えた。

 マシュの返答から、大きな怪我もなく無事であることを確認したエミヤは、安心したためか思わず、

『ならよかった』

 と笑みを零した。

 職員達の歓待を受けカルデアの料理長として就任したエミヤは、食事後に涙ながらにお礼を告げていく職員達に対し、自分は大したことをしていないと思っていた。しかしながら、生前お礼など受け取らず立ち去っていたエミヤからすれば、新鮮な気持ちを抱かせた。カルデアの交流でエミヤ自身の物腰が多少柔らかくなったためか、それとも過去の記憶が刺激されたためか、偶然にもかつての恩人(遠坂凛)に見せた、『答え』を得たかのような笑顔だった。

 その笑顔を見て、放心していたマシュは我に返った。そして、急いで腕の中から脱出していた。

 その後で、エミヤはマシュの仕事の手伝いを申し出て、資料室まで運んだ。

『ありがとうございました。エミヤ先輩』

 マシュは笑顔でお礼を伝えた。

 そこから、マシュはエミヤのことを先輩をつけて呼ぶようになったはずだった。

 そこまで考えて、エミヤは思考を打ち切る。心境の変化があったにしろ、何にしろ、マシュがなぜそう呼ぶようになったのか、理由を考えるのは野暮というものだろう。ましてや聞くのは論外だ。運ぶことに意識を向ける。

 尤も、本音を言えばエミヤも気にならないという訳ではない。だが、マシュに『先輩』と言われてしまうと、掠れた記憶が刺激される。取り返しのつかない、引き返すことのできない道を進んだ彼が、遠い過去に捨て去った、かつての日常と日常の象徴を。

 それを思い出す資格など持ち合わせてはいない。

 

 運び終わった後、マシュの髪から埃を払い、手櫛を使って撫でていたところ、マシュはとても照れていた。

 なぜだろうか、そう疑問に思うエミヤだった。

 

 




 エミヤ先輩の笑顔を見たとき、脅威を全く感じませんでした。むしろ、儚さと覚悟の両方を感じる不思議な笑顔でした。
 だからこそ──エミヤさんはエミヤ先輩だと思いました。


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エミヤと青き騎士王

後書きも本編。


 カルデアには問題があった。それは、エミヤがレイシフトに同行することによる不在である。

 食堂に作り置きの料理を置いているため、日帰りである今は問題ない。だが、レイシフトがこちらの時間で一日以上続くようなことがあれば、満足度の低下で、職員達の士気と作業効率も低下する。最初の特異点の時など、職員全員が極限状態の中、気合でなんとか乗り切った。

 そういう事情も背景にあり、エミヤの不在時間を作らないためにも、新しいサーヴァントの召喚は必然だった。特に、料理を作れるサーヴァントも必要だった。

 幸いなことに、部屋はまだたくさん余っている。召喚したサーヴァントに一部屋ずつ割り当てることができ、掃除はエミヤが暇を見つけては欠かさず行っているので、いつ召喚しても受け入れることが可能であった。

 召喚の準備のため、聖晶石という魔力の籠った石を集める必要があった。先日から立香、マシュ、エミヤの三人は、こまめにレイシフトして収集に当たり、ようやくサーヴァントを一騎召喚できるまで集めた。

 エミヤの経験からすれば、サーヴァントがサーヴァントを召喚することはあっても、一人のマスターが二騎以上のサーヴァントを率いるなど前代未聞であった。それでも、カルデアのシステム上可能と言われれば、技術の進歩に舌を巻くしかない。

 仮にサーヴァントが二騎以上になっても、社交的な彼女のことだから上手くやれるだろうと、エミヤは確信を持って考えている。

 その彼は、現在部屋の最終確認を行っており、マスターやマシュとは別行動をとっていた。

 部屋からでも、そう遠くない場所で魔力が収束していることを感じとれるため、今まさに召喚が行われているらしいと察することができた。

 その瞬間──エミヤは体内の異物感を認めた。

 即座に体内を解析してもなぜか正体が分からなかったが、不思議なことに不快な感覚がなく、むしろパズルのピースが嵌るかのような、しっくりくる感覚に懐かしさを覚えてしまった。

 それによってある一つの可能性に至ったが、アレはもう無くなった、そんなはずはないと可能性を切り捨てて掃除用具を持つ。

 未だに釈然としない感覚を有したまま、エミヤが部屋を出ようとしたその時──突然扉が開き、目の前に現れた人物と衝突してしまった。

 衝撃でエミヤは柄にもなく尻もちをついてしまう。だがぶつかった瞬間、エミヤは自分の仮説が正しいことを知ってしまった。

 エミヤの体内の異物感の正体。それは、既に失われたはずの全て遠き理想郷(アヴァロン)だった。花の魔術師の差し金かと疑うこともできたが、そうすることはなかった。それ以上の衝撃が、エミヤを襲っていたからだ。

 弓兵がゆっくりと顔を挙げると、そこに居たのは──

「久しぶりですね……シロウ」

 かつての自分(衛宮士郎)が召喚したサーヴァント──剣の英霊(セイバー)、騎士王その人だった。

 此度の邂逅は、奇しくも運命の夜と同じ出会い方になってしまったが、エミヤの脳裏に浮かんだのは別れの瞬間だった。

 

 夜明け間近の丘の上で、少年と少女の二人が相対していた。

『あなたの剣として、戦えてよかった』

 鎧すら魔力に還元した少女が呟く。激闘の果てにあるはずだった勝利の報酬はなくとも、少女は満足だった。戦いの中、少年と考えは相容れなかったが、それでもお互いを理解しあうことができた。

『──シロウ。あなたにこれを。どうせあなたは、また無茶をするのでしょう?』

 願いを託すはずの聖杯が汚染されていることを知った少女は、迷わずに聖剣の輝きで破壊した。そんな彼女が渡してきたのは、返還したはずの聖剣の鞘だった。

『本当にいいのか?』

『ええ。私には、その資格がありませんから』

 躊躇した少年に受け取ってもらえるよう、更に鞘を前に差し出す。正義の味方を目指す少年の理想を知った、少女なりの餞別だった。

 首肯して受け取った彼が礼を言おうと思った矢先、唐突に別れは訪れる。

『シロウ……また、あなたに会いたい』

 その言葉が終わるよりも早く、戦いの終焉を告げる朝日が山間から昇り、眩い光が少年の視界を覆う。直前に見ることができたのは、曙光に照らされた少女の(かんばせ)だった。どちらの美しさで目が眩んだのかはわからないものの、一瞬の内に再び目を向けたが少女はそこにおらず、虚空が広がるばかりだった。

『ありがとう。俺もだよ……セイバー』

 少年は全て遠き理想郷(アヴァロン)を受け取り、世界を放浪する間常に体内に持ち続けていた。だが、いつの間にか体内から消滅していた。寂しさを感じなかったといえば嘘になる。しかし、正義の味方が感傷に浸ることは許されていなかった。

 

 複雑な思いを抱えながら、ようやく体内の異物感の正体に気付くことができた。

 それを差し引いても、エミヤには疑問しかなかった。彼女は死なずして聖杯戦争に参加したはずなのに、英霊として召喚されるものなのか。今思い出したが、彼女は特異点にも──口振りからするとその記憶はないようだが──召喚されていた。人類史の焼却によって過去を焼却された結果、このような例外を生み出したのかもしれない。

 しかし、特異点のセイバーもそうだったが、エミヤのことをシロウと呼ぶセイバーは二人いる内一人しかいない。

「私は、あなたのよく知るセイバーであり、あなたの知っているセイバーでもあります」

 エミヤの思考を読んだかのようなセイバーの発言だったが、彼女の発言から読み取れることは──

「──まさか、両方の記憶を持っているのか……セイバー」

「……はい」

 エミヤの辿り着いた突拍子もない回答に、首肯で返すセイバー。

 妖精郷に招かれる世界線のセイバーが召喚された時の記憶は、座に登録されることはない。つまり、記憶があるということは、妖精郷に招かれなかったセイバーが英霊として座に登録され、こうして召喚されているらしい。

 生前を含めエミヤの関わった聖杯戦争にイレギュラーで召喚された彼女は、このカルデアでもイレギュラーらしい。

「待ってよー、アルトリア~」

「先輩、もっとシミュレーターで体を動かしましょう」

 先に行ってしまったセイバーを追いかけてきたのか、遠くからマスターとマシュの声がエミヤの耳に届いた。事前に使う部屋を決めていたおかげで、迷わずに来られたらしい。

「あまり時間はありませんね……どちらのシロウも私の(・・)鞘ですから、あなたも真名で呼んでいいんですよ、シロウ」

 セイバーは、優しい声色でエミヤに問いかける。

 だが──

「いや、私にその資格はないよ。セイバー(・・・・)

 英霊エミヤは、衛宮士郎であって、衛宮士郎ではない。セイバーの知る少年はもう居ない。彼は、その提案を受け入れることができなかった。

 立香を迎えるため、エミヤはセイバーを残し部屋を出るが、エミヤの返しの言葉にセイバー(アルトリア)は不敵な笑みを浮かべていた。

 それを見てはいなかったが、なぜか嫌な予感がするエミヤだった。

 

 




 召喚後にカルデアの現状を説明され、協力しない訳にはいかなかった。しかし、
「アルトリアの部屋はエミヤが用意してくれているよ」
 マスターのその言葉で記憶が甦る。正義の味方に憧れる少年(衛宮士郎)正義の味方の到達点(エミヤシロウ)の二人に出会った記憶を──
 気付いた時には走り出していた。与えられた直感の導きに従い、辿り着いた部屋の扉を開けると、誰かとぶつかった。その誰かはもう分かっていたが、あの夜と似た構図で再会するとは思ってもみなかった。
 顔を挙げた彼に、万感の思いを込めて告げる──
「久しぶりですね……シロウ」


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エミヤと黒き騎士王

 冬木市に召喚されたエミヤは、とある少女と対峙していた。

 黒を基調としたドレスと重装の鎧を身に纏う騎士、先程外したバイザーで隠されていた瞳は金色だ。

 バイザーを外す前からエミヤは彼女を知っている、たとえその身が泥に染められていようとも、姿が変わっていようとも──セイバーの顔を見紛うはずがない。

『一体私に何の用かな? セイバー』

 平静を装ったアーチャー──エミヤの問いに彼女は迷うことなく答える。

『愚問だアーチャー……いや、シロウ。私は貴方を奪いに来た』

 ────なぜ彼女が自分の真名を知っている。

 もったいぶることなく、むしろ当然といった様子だった。眉一つ動かさないセイバーは、エミヤに衝撃の真実を語った。

 その事実に戦慄が走るが、動揺を抑えて後回しにすると、エミヤは思考を巡らせる。なぜなら、セイバーは先程と変わらず臨戦態勢だったからだ。ここで思考を止めてしまえば、戦う前から勝ちの目はない。

 だが、心眼で活路を見出そうとしても、黒く染まった聖剣を構え、金色の瞳でエミヤを見据えるセイバーには、隙と呼べる隙が全く見当たらない。

 勝利の可能性は一片たりともない。絶対に勝てないと分かっているエミヤは、それでもこの強敵に立ち向かわなければならない。いつの間にか呼び出されていたため状況は分からないが、困惑している背後の見知らぬマスターのために。

 ここで逃げれば敗走となる。この身に敗北は刻まれているが、己の信念にかけて、敗走を一度たりとも刻むわけにはいかない。

 覚悟は決まった。エミヤは、最も信頼する夫婦剣──干将・莫邪を投影すると、即座にセイバーに斬りかかった。

 

 結果は敗北だったが、善戦したと言っていいだろう。最優のセイバークラスを冠する騎士王に、補正のない近代の英霊が何合も打ち合えた。

 クラス相性が差を埋めたはいいが、それだけでは足りないほどに開きがあった。最悪なことにエミヤの手の内を知られていたため、牽制後に弓を構えたところ、読み通りと肉迫してきたセイバーに致命的な一閃を貰い、エミヤは地に膝をついた。

 最後に見た光景は、炎を背景に佇むセイバーの顔だった。

 意識を取り戻したエミヤが気付いた時には、シャドウアーチャー兼料理人として、セイバーに付き従っていた。しかし、泥に汚染されてはいたが、料理を手抜きすることは矜持が許さなかった。用意された料理を前にセイバーは不服そうな顔だった。

 その後しばらくは、セイバーと共に他サーヴァントの討伐に与していた。

 思わぬ伏兵は、どこからともなく現れたマスターとサーヴァントだった。後はキャスターを倒せばよいという段階だったが、計画の変更を余儀なくされ、沈痛な面持ちのセイバーに大空洞前の警護を任された。

 ランクが下がっても直感の恩恵は変わらない。セイバーの危惧していた通りに現れた藤丸立香達と大空洞前で交戦し、戦果を上げられぬまま、またも敗北することとなった。

 

 そして今、朝食の準備のため食堂に向かう途中のエミヤは、とある少女と対峙している。

 あの時と同じく、バイザーを外したセイバー──アルトリア・オルタと。

「また会えましたね、シロウ」

「……な、何か用かな? せ、……セイバー」

 昨日召喚されたアルトリア・オルタとは、用意した部屋で会わなかった。部屋の掃除が終わった後すぐに、エミヤは自分の部屋に帰ったからだ。だから、彼女が召喚されていることを知らなかった。

 次の日しかも朝早くに、ばったりと会ってしまった。戦闘以外では飾りだと思われた『幸運値E』は面目躍如、日常でも伊達ではないらしく、まさかの邂逅にらしくない動揺でエミヤの声は震えている。

 理由は分からないが本能的に危険を感じ、エミヤはこの場からすぐに逃げ出したかった。だが、目の前のアルトリア・オルタが発する威圧感が、それを許さない。

 ここまでか、とエミヤが諦めかけたその時──

「────シロウに何をしている」

 一陣の風が二人の間を別つように割り込んだ。

 エミヤの前にセイバー(アルトリア)が現れた。

「マスターと話していたときに比べて、随分と口調が違いますね……黒い私よ。もしかすると、シロウに媚びを売っているのですか?」

「誰かと思えばお前か……忌々しい我が内なる光よ。邪魔立てするなら……貴様を斬り伏せる」

 微細な違いはあれど、同じ存在(アルトリア)から誕生した二人の少女──どうにもお互いに譲れない者がある。

 剣まで構えてしまった。一触即発の剣呑な雰囲気を肌で感じ取ったエミヤは、なんとか仲裁しようとするが妙案が浮かばない。いや、二人の性格と先程の会話から総合して、たった一つだけ方法がある。

 なぜか見覚えのある道場が一瞬見えかけたが、針の筵に座りながらも蜘蛛の糸を掴んだ。

「け、喧嘩をするセイバーは、わたしはすきじゃないなー」

 その方法はエミヤの好みを伝えること。

 決して自惚れている訳ではないが、どうにもエミヤにただならぬ感情を抱いているようだ。流石に好きといった感情ではないと、エミヤには分かっている。

 それでも、あまり選びたくはない苦肉の策だった。途中から投げやりになってしまったが、それを差し引いても、今の二人には効果覿面だったらしい。

「く……勝負は預けます、黒い私」

「ふん……シロウに免じて、今回は引いてやる」

 互いに剣を収めたことを確認し、首の皮一枚繋がったことに安堵するエミヤだったが──

「では、食堂に行きましょうか……シロウ」

「なっ!?」

 流れるように自然な動きでエミヤの左腕に抱き着いてくるアルトリアと、素早い掌の返しように眼を見開いて絶句するアルトリア・オルタの対比だった。

 そこから言うまでもなく、喧嘩は再び勃発した。エミヤはそれを収めるため、右腕にアルトリア・オルタ、左腕にアルトリアを侍らせる折衷案を取って食堂へ向かった。

 エミヤ越しに視線で争う二人に苦笑する彼は、若干諦めの境地に入っていた。

 

 そしてこう思った、「これから毎日これがあるのか……」と。

 

 

 




 冷静さを欠いてしまった。あの時は聖杯の維持が目的だった。
 シロウに執着した挙句、自分で聖杯とシロウを天秤にかけてしまった。本来の目的のために、苦渋の選択の果てに、自分の心を押し殺して、彼を犠牲にしてしまった。その結果が何も得られぬ敗北だ……何一つ守れなかった。感情のままに彼に謝りたかった。だが、案山子に徹していなければならなかった。
 だが、もう自分を抑える必要はない。彼を犠牲にした私にそんな資格はないかもしれないが、二度と彼を失いたくない。
 ────今の私に、あの虚無感を抑えられる自信がない。


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エミヤとゴルゴンの花嫁

 各部屋の掃除を終え、自室への帰路に付いていたエミヤは、唐突に背後からの視線を感じた。

 普段ならば、視線の持ち主として第一候補に挙がる二名のセイバーは、レイシフトでマスターの立香共々不在であり、最近一緒にいるジャンヌは、そもそも物陰から見るような性格ではない。

 有力な容疑者がいないと思われたこの状況でも、エミヤには一人だけ心当たりがあった。

「そこにいるなら、出てきたらどうだろうか? ……ライダー。いや、メドゥーサ」

 確信を持ってエミヤは宣言する。それを機に彼の背後の物陰から姿を現したのは、予想した通りメドゥーサだった。寡黙な彼女は、エミヤの言葉が真実であることを行動で示している。

「よく分かりましたね……エミヤ──いいえ……士郎」

 似たような口調で似たようなことを言う。意趣返しを狙っているのだろう。

 真名を当てられると致命的なエミヤもとい士郎(シロウ)は、メドゥーサの言葉に頭を抱えている。セイバーが会うたびに真名を暴露しているため、第五次聖杯戦争で面識のあるサーヴァント、つまりメドゥーサにも今では知られている。

「まあいい。何か用でも? まさか、顔を見に来ただけではあるまい」

「忘れましたか……士郎。蛇は恨みを忘れないというのに」

 不機嫌かどうかは抑揚で判断がつかない。含みのあるメドゥーサの言葉、思い当たる節が無いわけではないが、心当たりがありすぎる。

 エミヤの予想が正しいかはわからないが、彼女が指しているのは──

「……月でのことなら、水に流してほしいといったはずだが?」

「当たらずとも遠からず。でも残念ですが、それだけではありませんよ」

 エミヤは一番可能性が高い心当たりを提示したが、残念なことに外れてしまっていた。

 とある因縁を彼女は忘れていなかった──

 

 ライダーにとって見慣れた街並みのあちらこちらで火の手が上がり、冬木市は炎上していた。

 いつの間にかサーヴァントとして召喚されており、マスター──桜ではない──の指示で原因の究明にあたっていた。だが、間が悪かった。

『誰かと思えば、君か……ライダー』

 この一件の黒幕を目撃することはできたが、先客の見知らぬ英霊、おそらくランサーが泥に呑まれていく所を目撃してしまう。状況から判断するまでもなく敗れてしまったらしい。そして、敗者は泥に飲み込まれる。

 発言の主をライダーは知っていた。

『こういうものには疎いのですが……イメチェンというものですか、アーチャー?』

『生憎だが、勝手にこの姿にされてね……今は彼女の頼みで事後処理をしているだけだ』

 顔には刺青のような紋様が走り、白髪を下ろしている弓兵。いつもと違うその顔は、既視感を思える。しかし、姿は違えど根は変わらないのか、アーチャーはニヒルな笑みを浮かべていた。

 だが、それが思い違いであったことをライダーは知ってしまう。

『さて、目撃者は始末しよう──』

 冷静な彼らしくもなく、言い切るが早いか、瞬く間に双剣を携えて肉薄してくる。しかし彼女はライダーのサーヴァント、接近するアーチャーを鎖で牽制すると、持ち前の機動力で後方に跳躍し大幅に距離を取る。

 戦法を切り替えたアーチャーは双剣を投擲すると、同じく距離を取って弓を構える。ライダーは鎖で飛来する双剣を弾き、飛来するであろう矢の迎撃態勢に入った──

『がっ!? ──はっ……』

 彼女がそう思った時には、胸から剣が飛び出ていた。いや、背後から剣が突き立てられていた。己を貫いたその剣には見覚えがある。

『迂闊でした……貴方の……存在を……セイ……バ』

 剣が引き抜かれ、ライダーは力なく崩れ落ちる。彼女の背後から現れたのは、セイバーオルタ。アーチャーは彼女の殺気が気取られぬよう、ライダーが逼迫する状況を作り出していた。

 意識を自分に集中させ、セイバーオルタに止めを任せるための策だった。ライダーは、囮役を買って出たアーチャーの策略に気付くのが遅すぎた。先客のランサーと同じ末路を辿り、体が泥に呑まれていく感覚と共にライダーは意識を手放した。

 

「見損ないました……士郎、二対一はともかく不意打ちをするなんて。昔はあんなに真っ直ぐだったのに、成長すると──」

「いや待て、メドゥーサ……戦いに卑怯はないだろう。

 そもそも私は君の知る衛宮士郎ではない。あの男と一緒にしないでもらおう」

 感情を表に出すようになった。両目を覆う眼帯越しに不満な態度が伝わってくる。

 メドゥーサに対し、身に覚えのあるエミヤは必死に弁明する。いろいろ複雑な事情があっても、厳密には衛宮士郎ではない。どんなに親密でも、エミヤには関係のない話になのだから。

「いいえ、許しません……これは士郎のから──」

「待ちたまえメドゥーサ……君は月のマスターやここの藤丸立香(マスター)とも懇ろな関係ではなかったのかね」

 これから言われるであろう先の言葉が分かったためか、エミヤは呆れかえってしまう。嫌な予感がしたため、その先を言わすまいと彼女の言葉を途中で打ち切る。

「気の多さでは、あなたに言われたくはありませんよ、士郎……また新しい女性と一緒にいて、しかも……ジャンヌにも好意を寄せられているようですね」

「ぐ……それは」

 ジャンヌの心を奪ったことへの嫉妬か、控えめなメドゥーサらしくない棘のある言葉。反論の余地がない事実で反撃してくる彼女の、慈悲の一欠けらもないカウンターに、エミヤは打ちひしがれるしかなかった。

 

 そして、迫りくる捕食者(メドゥーサ)から逃げる術は、マスターが返ってくるまで時間を稼ぐことだった。

 

 

 




 若いころの面影はなくなってしまいましたが、本質までは変わっていませんね……士郎。
 今の貴方は、桜を任せることができると確信した時と……同じ雰囲気ですから。今思えば、泥に染まった士郎は見ていられませんでした。
 そしてまだ、貴方ことをよく知りませんね。
 成長しても士郎は士郎ですから……愉しませてくださいね、士郎。私は、成長した貴方のことも気に入っていますから。


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エミヤと聖処女

 セイバーを召喚する前の話だ。

 人理焼却を覆すための旅の始まり。藤丸立香、マシュ・キリエライト、エミヤの三人で挑んだ最初の特異点──フランス・オルレアン。

 魔道に堕ちたジル・ド・レェの歪んだ願望によって蘇り、オルレアンに災厄を振りまく竜の魔女(ジャンヌ・ダルク)と、聖杯の辻褄合わせで召喚され、藤丸立香達と協力して真っ向から立ち向かった聖処女(ジャンヌ・ダルク)の戦い。

 多くのサーヴァントと出会い、かの聖杯大戦と同規模の争いの果てに────軍配は聖処女に挙がった。

 

 戦っては移動し、その分の時間が過ぎていく。日が落ち、夜になれば森の中で二回目の野営地を整える。エミヤは毎回手際よく用意している。最初は野宿に難色を示していたマスターの藤丸立香も、二回目ともなればフォウを抱き枕にして何の抵抗感なく眠りに付いている。

 一方、彼女のもとに集った英霊達は、穏やかな寝顔のマスターが就寝している間、サーヴァントの性質を生かして夜通し護衛しなければならない。

 焚火を中心に二人の少女が座っている。

 先程から俯いて黙ったままの少女は、この特異点に来て力を貸してくれたルーラー、聖処女(ジャンヌ・ダルク)。本人曰く、大幅にステータスが下がっているので足手まといだと言っていた。だが、その場の情勢を知る者がいるとどれだけ心強いだろう。少なくとも、彼女がいなければ情報収集で数日間は足止めを食っていた。

 そしてもう一人は、もはや目を瞑り就寝しているマシュ・キリエライト。元は人間であるため夜更かしには慣れていないのか、こっくりこっくりと舟をこいでいる。

 マスターの就寝を見届けたエミヤが戻って来た。マシュの動きを見て穏やかな笑みを浮かべると、毛布を投影して彼女にかける。その後に元々座っていた位置へ戻ると、無言で焚火に木を焼べた。

 ふと、エミヤの隣に座っていたジャンヌが口を開く。

『エミヤさんは……家族のことを覚えていますか?』

 勇猛果敢な聖処女が投げかけてきたのは何気ない質問だった。錬鉄の英雄は少し悩むと返答する。

『ああ……覚えているよ。といっても、情けないことに思い出したのは最近だがね』

『よろしければ、聞かせていただけませんか?』

『……あまり聞いてて気持ちのいいものじゃないぞ?』

 脅かしを込めて最終確認するが、眼から伝わるジャンヌの意志は固かった。観念したエミヤは語り始める。

 流石に多少ぼかしたが、実の両親を災害で失い、義理の父親に拾われ、義理の姉や妹分と過ごした穏やかな日々を、一つ一つ懐かしむように語り始めた。

 真剣な眼差しで聞いていたジャンヌは、話が進むにつれ目を見開いていった。

『……すみません、気軽に聞いていい内容ではありませんでした』

『君は知らなかったのだから無理もない。私が勝手にジャンヌに聞かせただけだ。だから気にしなくていい』

 ジャンヌの開口一番の言葉は謝罪だったが、エミヤは何ということはないと返す。その言葉の中には相手を慮るエミヤのさりげない気遣いが感じられ、ジャンヌにとっては何よりも嬉しかった。これまで、エミヤには何度も助けられたが、その中でも記憶に残っているのは、出会った初めの頃の出来事だ。

 生前のジャンヌは前線を走っていたが、ステータスが下がっているため今回は立香と同じ後衛に回っていた。代わりにマシュとエミヤが前線を走り、敵を打倒していった。時折、彼女達が討ち漏らした敵をジャンヌが捌いていたが、運悪く止めを刺しきれていなかった竜に隙を突かれた。

 立香が鋭利な爪に引き裂かれそうになり、宝具も間に合わない。ジャンヌはマスターを守るため、傷を負う覚悟で反撃の構えに入ったが、不思議なことに竜は突然崩れ落ちた。

『怪我はないか? こちらの不手際だからな。余計なお節介を焼かせてもらった』

 竜の後ろから黒白の双剣を携えたエミヤが現れた。そこで守られたことにジャンヌは気付いた。

 十全の力があれば遅れをとらなかった相手だけに、守られた自分の弱さにジャンヌは歯がゆい思いをした。だが、マスターのついでだとしても、守ってもらえたことが何よりも嬉しかった。誰に言われなくても、エミヤにとって仲間を守ることは当然なのかもしれないが。

 生前、捕らえられたジャンヌが処刑される原因となったのは、守っていた祖国(フランス)の裏切りであった。これが、元帥として聖女を支えていたジルを魔道に堕する契機となる。

 ジャンヌには、背中を預ける相手が居なかった。ジルとはまた違う役割の存在だ。傍にエミヤが居て共に戦えていれば、彼女の運命は大きく変わっていただろう。だが皮肉なことに、処刑されていなければこの弓兵に会うこともなかった。

 ただ、エミヤと言う男の生き方には気になる点がある。損得勘定で動かず、時には無茶をする姿を見た。その度に胸が痛くなるし、無事だと安堵する。彼女自身、愛といえば慈愛しかわからなかったが、これが恋愛というものなのか。そう思うと、胸の温かさが愛おしく感じられた。

『……ンヌ……ジャ……ヌ』

『ジャンヌ』

 突然のエミヤの声にジャンヌはハッとする。言われるまでもなく、呆けすぎていたようだ。

『ごめんなさい、エミヤさん。少しボーっとしていました』

『それは大丈夫なのか? 疲れているならゆっくり休んだ方がいい』

 心配してくれるエミヤの優しさは、彼本来の性格なのだと思えるほど自然なものだった。

『ご心配には及びません。まだ大丈夫です。

 エミヤさんのご家族は、楽しい方達だったのですね』

『そうだな……あの時間が無ければ、オレという存在はなかった。こう言っても過言ではないな』

 そう語るエミヤの横顔は、先程までの懐かしさに加えて、哀しさを滲ませる複雑な表情だった。

『私も……そう思います』

 ジャンヌが語る本心。救国の聖処女も、ただの村娘として過ごした時間があるということだ。

 それ以降、二人に会話はなかったが、ジャンヌがエミヤの傍から離れることもなかった。

 そして、この後会うことになるマリー・アントワネット(ライダー)に好きな人がいると指摘され、ジャンヌが焦ることになったのは言うまでもない。

 

 時は現在のカルデアだった。

「どういうことですか……シロウ、今なら弁明を聞きますよ?」

「逃がしはしないぞ、シロウ」

「お……落ち着け、セイバー」

 エミヤは、二振りの聖剣と二色のセイバーに詰め寄られ、絶体絶命の窮地に立たされていた。

 その原因は──傍に居た。

「安心してください、エミヤさん。この旗があればあなたを守ることができます」

 アルトリア・オルタが召喚された数日後に呼び出されたジャンヌ・ダルクが、エミヤに引っ付いていたからだ。

「それは、根本的な解決になっていないぞ。

 ──ジャンヌ、とにかく離れてくれ」

「それはできない相談です。ようやく思い出しましたが、月での借りを返していませんから」

「──助けてくれ、マスター!」

 悲痛な叫びに応える者は、残念なことに不在だった。

 

 藤丸立香(マスター)の到着まで、ジャンヌを抱えたまま逃げ続けることになるエミヤであった。

 

 

 




 はっきりと宣言しておきます、私はエミヤさんが好きです。
 背中を預けて戦う中で、ずっと見ていました。
 黒い私に揺さぶられて、自分自身を信じられずにいた私に、その真っ直ぐな瞳で、「君のことを信じている」と言ってくれました。
 根拠はないはずなのに、すんなりと受け入れることができて、彼の信頼に応えようと、最後まで諦めずに戦えました。
 マスター曰く、明日は明日の風が吹くらしいですが、それでもこの想いは何度明日が過ぎようとも変わりません。


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エミヤと王妃

 とある昼下がり、カルデアの食堂は需要の過渡期を終え、利用者が居なくなっていた。

 エミヤはオーブンの前に立ち、時が来るのを待っている。辺りには香ばしい香りが漂っていた。

 数分もすれば、無機質な金属音が鳴った。それを合図に、ミトンを両手にはめ、オーブンから型を取り出す。

「エミヤ、お願いしたものはできたかしら?」

 絶好のタイミングで顔を出したのは、神々しさを感じさせる少女だった。かのフランス王妃、マリー・アントワネット本人から直々に頼まれていた。

「待たせて申し訳ない。丁度焼きあがったところだ、王妃殿」

「まあ! 王妃殿ですって! もう……マリーと呼んでくださるってお願いしたのに。王妃殿だなんて……ぜんぜん可愛くないわ」

 小間使いかつ下っ端の英霊であると自虐し、己の評価が低いことに定評のあるエミヤ。しかし、へりくだった言い方はマリーの望むところではないらしく、可愛げのある態度で駄々をこねる。それすらも愛嬌を感じさせるのは、マリーの人柄ゆえだろう。なるべく敬語を使わないようにしているあたり、エミヤも努力はしているのだが、それがなかなか実らない。

「……分かった、善処しよう。マ、マリー」

「ちょっとだけぎこちないけど……まあいいわ。さあ、お茶にしましょう」

 マリーの気迫に押されて、エミヤの方が折れる。返事をしながらも、同時に焼きあがったモノをバスケットに容れ、誘われるがままに食堂を出た。

 残念なことに、カルデアにはお茶会用のテラスはないし、庭もない。まして今、外に出ても景観がよくない。しかし、マリーにとってはお茶とお菓子があれば、場所など関係ない。彼女がお茶を嗜む場所こそが、お茶会の会場となるのだ。 

 王妃の案内で辿り着いた先は──、エミヤの部屋だった。部屋の主も、場所はそこだろうとすでに分かっていた。

「エミヤ、紅茶を入れてほしいわ。貴方の淹れる紅茶はおいしいって、ジャンヌが言っていたもの」

「そこまで期待されれば、存分に腕を振るわなくてはな。万一などあってはならない」

 マリーから向けられる期待の眼差しを背に、エミヤは茶器を用意する。ここでバスケットから取り出したのは、フランス出身のオペレーターに譲ってもらった、由緒正しい紅茶ブランドの茶葉である。厨房に保管していたため、事前にバスケットにしまっておいた。件の彼女は紅茶に目がないらしく、話の流れで生前培った腕前を見せたところ、大層喜ばれてそのお礼として譲ってもらった一品だ。

 奇しくもその来歴と名前は、質素な椅子に上品に腰かけ、紅茶の出来に心躍らせているマリーに相応しいと言える。彼女だからこそ、これを選んだと言っても過言ではない。

 紅茶は淹れ方ひとつで風味が百八十度変わる。正義の味方を目指し世界を旅する中で、イギリス式だけではなく、フランス式の紅茶の淹れ方も修めた。その生前の経験を活かしつつ、温めておいたカップに注ぐ。立ち昇ってきた湯気と共に、その茶葉特有の香りと仄かなバラの香りが鼻腔をくすぐる。

 紅茶を注ぎ終えたカップをソーサーに乗せ、執事さながらの足取りと手つきでマリーの前に置く。

「砂糖とミルクは不要だったな」

「……! この香りは……これを選ぶなんて流石ね。期待以上で胸がいっぱいだわ」

 エミヤの腕前と選んだ茶葉は、見事マリーのお眼鏡にかなったらしい。彼女は嘘偽りのない感想を述べ、満足気な表情で再び紅茶に口をつける。その所作の一つ一つをとっても気品に溢れ、エミヤも思わず見惚れてしまうほどだった。

「喜んでもらえて何よりだな。……では、そろそろこれを出すとしよう」

 気を取り直したエミヤは、バゲットから例のお茶請けを取り出した。一緒に入れておいた皿に乗せ、マリーの前に差し出す。

 一見すると至って普通のパンに見えるが、マリーの所望したこれはただのパンではない。原料となる小麦の量を抑えた、現代で言うところの菓子パン『ブリオッシュ』──マリーの好物である。

「このときを待っていたわ、エミヤお手製のブリオッシュ」

「本当にこれだけでよいのかね?」

「ええ。いいの……これ以上の贅沢はできないわ」

 物憂げな表情を見せるマリーに、エミヤは二の句を継ぐことができない。カルデアの台所事情を察しただけの発言ではない。常日頃から明るく振る舞う彼女の胸中は察するに余りある。本来であれば後ろめたさのない好物も、言葉尻を捕らえられた経験があるために引け目を感じてしまうのだろう。

「それより、エミヤも一緒にお茶をしましょう。あなたともっとお話ししたいわ」

 先程までの心の暗さを押し隠し、いつもの明るい笑顔に戻るマリー。エミヤは、民を守ったことを後悔していない彼女に尊崇の念がある。ならば、望むままに話を聞くことがマリーにとって最大限の癒しになるだろう。

 

 このあとの話の中で押し切られ、マリーにもシロウと呼ばれるようになってしまうエミヤであった。

 

 




 竜の魔女(ジャンヌ・ダルク)を相手に殿を務めた。そのことを後悔なんてしていないわ。民の為なら、この命を投げ出しても構わないもの。
 カルデアのマスターさんたちが逃げるまでの時間は稼いだから、迫りくる止めの一撃を躱そうとは思わなかった。生きることを諦めた。
 でも、間に割って入る影があったの。印象的な赤い外套が最初に映った。
『マスターの頼みでね、君が民を守るなら、私は君を守ろう』
 振り向かず、背中越しに語り掛けてきたのは、シロウだった。
 鍔迫り合いの後、黒白の双剣と体術で竜の魔女を押し返した。後退してわたしを抱き上ると戦場を辞したの。最初からそのつもりだったみたい。
 立香は助けてほしいとしか頼んでいなかった。守ろうと言ったのは、彼の本心だったみたい。死によってではなく、生きて民を守ってほしいってことかしら。生前で恋をすることは何度かあったけど、サーヴァントになってから初めて恋をした、それもジャンヌと同じ相手に……。
 ジャンヌの恋心について茶化してしまった罰かしら。でも、たとえどんな結果になっても後悔しないわ。
 ────ヴィヴ・ラ・フランス!


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エミヤと白百合の騎士

 昼食で混雑していた食堂も閑散とした頃、水回りの掃除を終えたエミヤは自分の部屋に戻るところだった。ジャンヌがエミヤの部屋で話をしようと彼を誘っていたからである。

「あの後ろ姿は……デオンか?」

 食堂を出ようとしたエミヤの視界が捉えたのは、白百合の騎士──デオンの背中だった。装いが特徴的なため、服装で判別できた。男装の麗人繋がりで気が合ったのか、セイバーやセイバーオルタと固い握手を結んでいた。

 デオンは入り口付近のテーブルに突っ伏している。

「どうかしたのかね? 珍しいこともあるものだな」

「エミヤ……キミか」

「随分と落ち込んでいるようだが、何か悩みでもあるのかな?」

 竜の魔女(ジャンヌ・オルタ)に使役されていた時は、召喚の時点で狂化されていたこともあり、その時とは大きく性格が異なる。それを差し引いても、酷く意気消沈している様子だった。彼女の落ち込み具合が琴線に触れたか、エミヤは世話を焼きたくなった。

「キミも知っての通り、私は竜の魔女に狂化を与えられ、藤丸立香(マスター)達の前に立ちはだかった。

 そしてその中で、私はマリー王妃に刃を向け、あまつさえ……見殺しにするところだった。キミが王妃を救っていなければ、今頃は……」

 落ち込むデオンに対し、適切な言葉が見つからなかった。英霊は既に死した存在、特異点で消滅しても影響はない。だが、それをどう感じるかは本人次第だ。騎士である彼女からすれば、面識のあったマリーに刃を向けたことが後悔となって残っている。ジャンヌとマリーが親交を結んだ過去が残る傍らで、覚えていることが必ずしも良いとは限らない。カルデアの召喚で、特異点の記憶が何故か残っている弊害が露わになった。

「つまり、会わせる顔がない……という訳か」

「恥ずかしながらね」

 デオンの言葉は真実だ。エミヤは知っていた。先日行われた二度目のお茶会で、マリーから『最近、デオンが私を避けるの』と相談を受けていたからだ。

 しかし、本来は彼女達で解決するべき問題であり、エミヤが干渉するのは筋ではない。

 だが、顔を合わせ辛い経験を持つのは、エミヤも同じだった。

「……デオン、時間はあるかね」

「ああ……時間ならあるけど。それがどうかしたのかい?」

「では、少し待っていてくれ」

 マリーは、『デオンと一緒にお話ししたいわ』と哀しげに呟いた。その時の表情を見て何も感じないほど────エミヤの心は摩耗していなかった。

 厨房に引っ込んだエミヤを待つデオンだったが、 十分としない内にトレイを持ってエミヤが戻ってくる。そのトレイには、色から察するに紅茶が注がれているであろう一杯のカップが載せられていた。

「これを飲んでほしい。他ならぬ君にね」

「……? ああ、分かった。…………これは!」

 エミヤの言っている意味はよく分からなかった。疑問を抱えながらも、デオンはカップを持つ。そして口に近づけた時、仄かなバラの香りがデオンの遠い記憶を呼び起こした。

 それだけで紅茶の正体を看破すると、熱さを気にせず一気に呷る。

「君の想像している人物からの贈り物だ。デオン……君が負い目を感じているのは分かる。君の方から無理に会いに行ってほしいとは言わんが、マリーの方から君に会いに来たその時は、逃げないでもらえないだろうか」

「…………参ったな。考えておくよ。

 それにしても随分、マリー王妃と仲が良いんだね?」

 腕組みをして語るエミヤに対し、紅茶を飲み終えたデオンは棘のある言葉で彼に微笑む。それとこれとでは話が違うのかもしれない。会わせる顔がなくても、マリーのことが心配なのだろう。意地を張らずに会いに行けばいいのではないかとエミヤは思った。

「なに、素敵な笑顔で紅茶を嗜むマリーが顔を曇らせているのであれば、何もしない訳にはいくまい?

 無論……君もそうなのだろう、デオン」

 棘のある言葉に反応することなく、エミヤは事も無げに言い切る。その返答の早さは、デオンでも目を見張るほどだった。言いたいことはもうないのだろう。言葉が終わると、デオンの飲み干したカップを下げてエミヤは厨房に戻っていった。

 その時──

「デオン……」

 背後から忘れることのない声が、デオンの鼓膜を震わせる。

 そんなはずはないと咄嗟に振り向いた。

「マリー王妃……」

 聞き違いや空耳ではなかった。デオンが敬愛してやまないマリーがそこに居た。今日の予定が正しければ、デオンの記憶している範囲では、今日のマリーはレイシフトしていたはずだった。予定よりも早く終わったのだろうかと推測できる。

 エミヤとの話を終えてから考える間もなく、マリーの方からデオンに会いに来てしまった。

「お許しください……マリー王妃、私は……貴方を」

「……顔をあげて。いいのよ、デオン。暗い顔は貴方らしくないわ。どうしてもっていうなら……私とお茶をしましょう。

 あと、王妃なんて堅苦しいわ、マリーって呼んで?」

 頭を垂れて懺悔するデオンに対し、花咲く笑顔で許すマリー。

 騎士が顔をあげた時、マリーはデオンの背後に目配せしていた。それにつられて王妃の視線の先を見ると、デオンの視界に映ったのは、厨房で紅茶を淹れているエミヤの姿だった。丁度二人分の紅茶を淹れていた。

 ここで巡り合わせたのはエミヤの手腕かもしれない。デオンは掌で踊らされたような感覚だったが、不思議と悪い気分ではなかった。

 しかし、エミヤを見た時のマリーの顔は年相応の恋する乙女の顔であり、なぜかその事実は……デオンの胸を焦がした。

 

 二人の仲を取り持つことは成功した。だが、それまでに時間を使いすぎてしまった。

 エミヤが部屋に戻ると、ジャンヌは約束をすっぽかされたことに腹を立て、ベッドで不貞寝していた。布団に包まる聖女に平謝りをして許してもらったのはいうまでもない。

 

 




 エミヤ……君が最初に淹れてくれた紅茶は、マリーのお願いではなかったようだね。不思議な人だ。私はキミが気に入ってしまったよ。
 これからは、ご主人様であるマスターとマリーを共に守っていこう。
 生前から一生独身でいいと思っていたけど、サーヴァントになってから早々にこんな気持ちになるとは……ゆくゆくは私のドレス姿でも見てもらおうかな。


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エミヤと灼熱の抱擁

 自室に入ったエミヤは、まさかの先客に絶体絶命の窮地に立たされることになった。

 なぜならば、自室に戻ると怖いくらいの笑顔を受かべた清姫が、ベットに腰掛けていたからだ。

 

 部屋には鍵を掛けていたのにどうやって入ったのか、エミヤには分からない。だが、そんなことはこの際、些細な問題だ。

 あの笑顔は、身の危険を感じるほどに不味いと本能が警鐘を鳴らしている。しかし、意に反して体は蛇に睨まれた蛙のように動けない。

「エミヤさん……旦那様(マスター)に随分と慕われているのですね。お世話になっているとあればこの清姫、伴侶としてご挨拶しない訳にはいきませんわ」

 言葉だけを見れば、夫に尽くす妻の鑑ともいえるお礼の言葉だが、彼女が言うと意味合いが違って聞こえる。

 何を隠そう、清姫は自力でカルデアに来るようなサーヴァントだからだ。特異点では立香のことが大層気に入ったらしく、別れ際に意味深な言葉を残していたが、ここまで執念深いとは立香を含め誰も思っていなかった。

「ああ、私はマスターと長い付き合いだから──」

「ですが……なぜあなたのベットから旦那様(マスター)の匂いがするのでしょう?」

 エミヤの言葉を途中で打ち切ると、有無を言わせず早々と王手をかけられる。

 先日、ジャンヌがエミヤのベットで不貞寝していたことを聞きつけ、毎日のように、サーヴァント達が代わる代わるベットに潜り込むようになっていた。

 よりにもよって、昨日は立香だったのだ。いやもしくは、清姫は知っていたのかもしれない。立香がエミヤの部屋にいたことを。

「エミヤさん……理由を知っていますか? ああ、嘘はいけませんよ、嘘をついたら……」

 清姫は生前の経験からか、嘘を極端に嫌う。しかし、裏を返せば本音で話せばいい。

「私は、このカルデアでは一人しかいない男のサーヴァントだからな、おそらく興味本位で潜り込んでいるだけだろう」

 この客観的事実と分析に嘘は混ざりえない、本当のことを言っているだけなのだから。

 仮にこれでだめならば、大人しく焼かれるしかない。

「…………嘘ではないようですね」

「ああ、いささか複雑な心境であるがね」

 不幸中の幸いとはこのことだ。先程の発言は清姫のセンサーに引っかからなかった。そしてこの言葉には、部屋のセキュリティーが意味を成していないことも含んでいる。

「少し安心しました……もしかしたら、旦那様(マスター)は殿方が好きなのかと」

「まあ、そういったものは人それぞれだということだろう」

 立香は女性なのだから、男が好きでもおかしくはない、などと口には出さなかった。却って怒らせるだけだ。エミヤは当たり障りない言葉を選ぶ。

 清姫からすれば、マスターである立香は僧侶の安珍に見えている。つくづく狂化というものは恐ろしい、会話ができているのに噛み合わないことがある。狂化だけはしたくないものだ、とエミヤは思う。

旦那様(マスター)は本当に魅力的な方ですから、多くの方から好かれるのは仕方のないことかもしれません。ですが、私以外の方に愛を囁いた時は……」

「心配には及ばんよ。君の信じるマスターは、君を捨てるような薄情者ではないだろう。君は愛する者を信じていないのか?」

 これも事実だ。立香の人柄を、フランスの特異点でじっくりと見てきたエミヤは断言できる。

「……そうですね、少し考えすぎていたのかもしれません。

 そろそろ時間ですね、突然お邪魔して申し訳ありませんでした、エミヤさん。では私は、旦那様(マスター)の元へ向かいます」

 その言葉を最後に立ち上がると清姫は部屋を出て行った。エミヤは部屋の入り口に立っていたが、何とか体を動かすと道を開ける。

「……今までで一番命の危機を感じるとは」

 清姫が完全に立ち去ったことを確認すると、ついエミヤの本音が漏れる。

 愛が深かった故に、かつて愛したものに裏切られた清姫は絶望してしまった。そんな悲しい経緯によって、生きる嘘発見器となってしまった清姫との問答は、細心の注意を払って回答しなければならないため、精神的な疲労が溜まってしまう。

 裏切られるという点ではエミヤにも覚えがある。生前の死因は、助けた者の裏切りによるものなのだった。

 清姫との違いは、エミヤが己の力不足として受け入れたことだろう。それでも、一歩間違っていれば清姫と同じ道を歩んでいたのかもしれない。仮に、そんな自分を見てしまえば、消したくなってしまうだろう。

 エミヤは近くの椅子に座り、一息つきながらそんなことを考えていると、ドアをノックする音が聞こえる。

「エミヤ~居る~」

「エミヤ先輩いらっしゃいますか」

 少しばかり間延びした声はマスター、真面目な話し方はマシュのものだ。

 先程まで緊張で張り詰めていたため忘れていたが、そういえば今日はマスター達の髪を梳く日だったことを思い出す。

「入りたまえマスター、マシュ、すぐに用意する」

「は~い」

「分かりました」

 元気よく答えるとエミヤの部屋に入る藤丸立香とマシュ・キリエライト。

 そういえば、清姫は立香と入れ違いになったらしい。エミヤはそう思った。

「ふふふ……ますたぁ(旦那様)

 そして、そのやり取りを見ている者が居たことをエミヤ達は知らない。

 

 

 




 エミヤさん……旦那様(マスター)だけではなく、他の方とも仲がよろしいのですね。……女たらしというものでしょうか。まさか、貴方も安珍様なのですか。
 答えるときに嘘はついていないようでしたが、あなたの心が旦那様(マスター)と両想いに変わるようであれば…………お二人に灼熱の抱擁を差し上げます。


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エミヤと望まれた聖女

話数が増えるほどマイルドになるエミヤ。
あと初歩的なミスが多くてすまない。本当にすまない。


 エミヤがカルデアに召喚されてから、結構な時間が経ったそんな中、彼には悩みの種があった。

 このところ、自室への侵入者が多いのである。セイバーやセイバーオルタは部屋で寛いでいるし、メドゥーサが寝込みを襲いに来るし、藤丸立香やジャンヌはベッドで寝ているし、いったいどうやって侵入しているのか、エミヤには皆目見当もつかない。

 ロマニに話を聞いてみても、「流石に知らないなぁ」と同情の眼差しを込めた言葉を返され、ダヴィンチに話を聞いても、「し、知らないよ……」と冷や汗をかいて言われた。

 もはや手の打ちようが無くなった結果、特に害はないので放っておくことにした。

 

 そして、部屋に入ったエミヤの目に映ったのは意外な人物だった。

「お邪魔しているよ、エミヤ」

 新約聖書にもその名を遺す、聖女マルタその人だった。

 特異点で会った時は精神力の強さで一時的に狂化を抑え込み、逆転への道標となってくれた恩人である。このカルデアでは料理と掃除を共にこなす同僚だ。

 椅子に腰かけて気安く声をかけてくるが、これがマルタの素の姿らしい。世界を放浪していた頃、聖書に目を通すことがあったため、エミヤ自身も名前を知っているほどの人物である。

 カルデアに召喚された後、初めて素の姿のマルタに会った時は驚いたが、彼女の内側を知ると聖書に書いてあること以上の発見がある。

「聖女マルタも不法侵入か、そろそろお引き取り願いたいところだが」

「その割にはお茶を出す準備しているじゃない、息抜きぐらい許しなさいよね」

 侵入者が多いとは言っても、エミヤは本気で追い出すつもりはない。マルタもそれをわかっているのか、お互いに笑いながら軽口を叩きあう。

「それで、今日は何の相談があるのかね?」

 エミヤは紅茶を差し出すと、話を切り出す。

 マルタがエミヤの部屋に来るのは、何か相談事がある時ぐらいだ。最初に来たときは、「ジャンヌが目を輝かせて話を聞きに来るんだけど、どうごまかせばいい?」だったか。

「それなんだけどねぇ……私って、聖女らしいと思う?」

「というと?」

「タラスクと戦った後からかな、周りの人に聖女だなんて呼ばれるようになったんだよね、聖女なら言葉遣いとかちゃんとしなきゃって思うし」

 幻滅されないように、聖女としての振る舞いができているか、マルタは心配なのだろう。これはエミヤの勘だが、問題はそこではない気がする。

「…………そんな自分に疲れてしまう、か?」

「……顔に出てた? そんなところかしら。私だって最初はただの村娘よ? 妹や弟と、至って普通の暮らしをしていただけだもの。元々聖女なんて柄じゃなかったし」

 聖女と村娘の二つの側面を持つマルタは、聖女の面を必ず保たなければならない。

 

 いわば聖女の称号はマルタの行動を縛る枷のようなものであり、そうあらねばならない、周りの期待を裏切るわけにはいかないという義務感が常に付きまとう。

 マルタ自身が負っている苦労は、エミヤの想像を絶するものだろう。

 しかし、聖女マルタとは違う理想を追い求めた、ある愚かな男の末路をエミヤは知っている。お節介かもしれないが彼女の心を摩耗させるわけにはいかない、そんな自分ができることとすれば──。

「……月並みな言葉しか言えんが、君が素を出したいと思った時は、遠慮なく話をしに来てくれ。どちらの君もマルタであるのなら尚更だ、自分を押し殺して理想に近づいても、大抵碌なことにならんからな。それに、マスターもマシュも、聖女らしくないからという理由で幻滅したりはしない、そうだろう?」

「……そりゃあそうだけど」

「それに私も、こうして話をするために遊びに来てくれる君の一面を好ましく思っている。仮に完璧な聖女になってしまったら、君の本当の笑顔を見られなくなるだろう」

 マルタの不満を解消するために寄り添うことだろう。期待に応えるばかりでは重圧に押しつぶされてしまうが、このカルデアでは立香達もマルタの理解者になりえる。疲れた時くらい寄りかかってほしい。

 エミヤは本心を口に出したが、マルタは珍しく眼をそらしている。

「本当にそういう台詞さらっというんだから……」

「ん? ……何か言ったかね?」

 あまりにも小さく呟いたからか、エミヤの耳にマルタの言葉は届かなかった。

「……何でもないわ、そろそろ夕食の時間じゃない? 早く行きましょう、手伝うわ」

「…………そうか」

 マルタから会話を打ち切られたため、空になったカップを片付ける。これからいつものように食堂で夕食を作らなければならない。

 マルタが先に部屋を出ようとしていたが、突然振り返ると──

「また来てもいい、エミヤ?」

 穏やかな笑みを浮かべて問いかけてくる。

「無論だ。いつでも来たまえ」

 答えなど決まっている。マルタの誘いを断る理由などエミヤには存在しない。

 エミヤとマルタは食堂へ並んで向かうが、エミヤの隣にいるのは、聖女マルタではなく、ただのマルタだった。

 

 後日、不法侵入の幇助の疑いでダヴィンチが摘発されたが、相変わらずエミヤの部屋に侵入する者がいたのは、もはやいうまでもない。

 

 

 




 召喚早々に素の自分がエミヤにばれた時はどうなることかと思いましたが、彼は口外することもなく、話していると不思議と心地よさを感じました。
 一緒にいる内にだんだんと彼に惹かれていった。
 妹や弟と話しているときのような安心感を与えてくれて、聖女ではなくただのマルタを受け入れてくれた人。
 いっそのこと私と家族になりますか? エミヤさん…………なんてね。


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エミヤと血の伯爵夫人

アタランテは3章、エリちゃんは5章のサーヴァントと一緒に書きます。……反英雄って意外と扱いが難しい。
それにしても、エミヤオルタってどういう存在なんだろう。


 血を求めた末に畏怖の対象となったカーミラと、成長して怪物となることを拒んだエリザベート・バートリー、同じ存在から分岐した二人の英霊はフランスの特異点において激突した。

 互いが互いを憎み、決して相容れることのない二人の戦いは熾烈を極めた。しかし、決着はついた────過去が未来を凌駕する形で。

 敗者は消えゆくのみだが、狂化から解放されたカーミラは、悪態をつきながら述懐する──自分は生きていても死んでいても孤独だったと。

 

 夕食の片付けを終え、マルタと別れた後自室に入ったエミヤは、一歩踏み出したところで目の前の光景が理解できず、入り口で立ち尽くしていた。

 基本的にエミヤは部屋に物を置くことがないため、部屋は最初に与えられた時と変わらない殺風景な内装を保っている。、

 だが現在の状況は、部屋の真ん中に鉄の処女(アイアン・メイデン)が鎮座している。決してエミヤの物ではない、ある人物の私物──。

「エミヤ、いつまで待たせるつもり?」

 鉄の処女の影になって見えなかったが、エミヤが二、三歩進んでみれば、椅子に腰掛けたカーミラの姿を確認できる。

 こんな物騒なものを置いていかれれば、エミヤにあらぬ疑いがかかってしまう。

「すまない、いつもこの時間に部屋に戻るものでね」

「自覚なさい、貴方は私が求めた時には必ず部屋にいるものよ」

 仮面をつけているため、エミヤはカーミラの表情を窺い知ることはできない。

 言い方は些か傲慢であるが、言葉に込められた感情から察するに、どうやら拗ねているらしい。

カルデア(ここ)に呼ばれたとき、私は孤独じゃないといったのは、一体誰だったかしら」

 先程からカーミラは素直な態度ではないが、要は構ってほしいからエミヤの部屋まで来たのだろう。

 カーミラの部屋までエミヤを呼び出せばいいのに自分から出向いてくるあたり、過去の彼女の影響が大きいようだ。

 そもそも特異点では冷酷は性格だったカーミラがこうなったのは、エミヤの迂闊な発言にある。

 

 召喚された当初、救われる存在ではないと自虐していたカーミラは、自室に一人でいることが多く心を開かなかった。

 立香から彼女と仲良くなりたいと相談されたが、カーミラはマスターは裏切り、裏切られる関係にある、と考えているため、悩んだ末にエミヤがとった行動は、彼女の部屋の前で扉越しに──

『君を孤独にはさせない……一度だけでいい、マスターを信じてくれ。もし君の期待に沿えなければ、私の命を差し出そう』

 セイバー(アルトリア)達が聞いたら激怒する内容の説得をした。

 善良を体現する立香なら、カーミラの心を開かせることができる、そう信じているからこそ命を懸けることができるが、エミヤが命を懸ける理由はほかにもある。

 エミヤとカーミラは過去の自分に敗れている。

 その果てにエミヤは『答え』を得て、カルデアに召喚されて立香達に出会い救われたが、まだカーミラは救われていない。

 カーミラは間違いなく反英霊であるが、今のカーミラつまり、過去の自分の記憶に触れ、自分の罪を理解している彼女に限れば、救われる権利がある。

 それに成長した姿とはいえ、エミヤの知っている人物が苦しむ姿は、あまり見たいものではない。

 

 命を懸けた説得の甲斐あってか、次の日からカーミラは立香の前に姿を見せるようになり、次第に心を開いて立香を信頼するようになり、進んで協力するまでになった。

 いつかは分からないが、カーミラの心の中で踏ん切りがついたのだろう。

 ここまでで終わればよかったが、カーミラが信頼したのは立香だけではなく、エミヤのこともだった。

 ある日、エミヤが食堂から自室に帰ってみれば、部屋にはカーミラがおり、立香がレイシフトでいない間は話し相手になれ、とエミヤに命令してきた。

 命を差し出すといったから、てっきり拷問でも加えてくるのかとエミヤは思っていたが、実際の所、特異点で残忍な性格を見せていた彼女らしくもないお願いだった。

 お願い通りに話をしてみれば、聖杯にかける願いはあったが、今は血で汚したくなった程度でどうでもよくなったらしく、その言葉を聞いてエミヤは安心した。彼女の願いは、犠牲の上に成り立つ『永遠の若さ』だからだ。

 本当のことを言えば、初めの頃と変わらずにその願いを実現させようとしているのであれば、マスターを説得して討伐することを想定していた。

 尤も、マスターと関わっていればそうなることはないと思っていたため、全くの杞憂に終わったが。

 

 そしてカーミラは現在に至る──

「さあ、早く私を楽しませなさい……エミヤ」

「ああ、心得た」

 今のカーミラは孤独な存在ではない。誤った道を行こうとすれば、止めてくれる存在がいるのだから。

「ところで、今日は髪に触らないの?」

「回りくどいな君は、手入れしてほしいならそう言えばいい」

 月の裏側で会った、エリザベートの面影を残す仕草に、エミヤは苦笑した。




 他人のために自分の命を懸けるなんて、最初は頭がおかしいのかと思ったわ。
 損はなかったからエミヤの言葉に乗ったけど、彼の言う通りだった。自分を呼び出したマスターは、信頼できるマスターであると。
 そして、エミヤは死ぬほどお人好しだった。忘れているでしょうけど、心象風景である監獄城チェイテにはなぜか彼も一緒に居て、私が残る選択をしたときマスター達を先に行かせると彼は残ってこう言った。
『君を孤独にさせないと約束したからな』
 律儀というかやっぱりただの馬鹿ね、血の伯爵夫人にそんな言葉を言い切るなんて。もしもの話は無粋だけど、生前の私がマスターとエミヤに出会っていたら……。
 いずれは貴方のことも枯れるまで愛してあげるわ、エミヤ。


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不在のエミヤと第一次乙女協定(後書きに重大なネタバレ有)

※注意
後書きに重大なネタバレがあります。一応大幅に改行しておきました。
未プレイの方は自己責任で閲覧するか、本文終了後ブラウザバックをお願いします。

最終章を除き、第一特異点のみのサーヴァントは全員書いたので箸休めです。
次からは第二特異点のサーヴァントになります。


 夕食もとうの昔に終わり、職員達も一日の疲れをとろうと部屋に戻る時間だった。

 そんな中、藤丸立香の部屋にはほとんどの女性サーヴァントが集まっていた。古今東西から英霊、反英霊に関係なく、人理修復のために召喚された彼女達、集まって何をするかといえば勿論男子禁制の女子会である。エミヤには事前に伝えているため、彼の人柄を考えれば聞き耳を立てに来ることはないと分かっている。

「みんな、今日は集まってくれてありがとう」

 顔の前で手を組み女子会の開催を告げるのは、人類最後のマスター──藤丸立香である。

 女子会のためにか、普段は殺風景な彼女の部屋にはエミヤに投影してもらった卓袱台が置かれ、参加者は全員床に座っている。

「早速だけど、みんなには今……好きな人がいるよね。そして、その人物は多分同じ人だよね」

 何の気なしにさらりと本題を切り出す立香、流石にそこまで直球だと予想していなかったのか、サーヴァント達は動揺を隠しきれない。

「一体何のつもりですか、マスター?」

「アイドルさながらに、恋愛禁止の宣言でもするのか?」

 立香の発言に異論をはさむのは、アルトリアと彼女のオルタ。アタックが積極的であるため、カルデアで彼女たちの想い人を知らない者はいない。

「まあ……今は戦いの最中だから、そう言いたいのは山々なんだけどね。それに、私も人のこと言えないし……」

「では、何か理由があるのですか?」

 はっきりと自分の意見を主張する立香らしくもない歯切れの悪さ、疑問に思ったジャンヌは意図を問い質す。

「Dr.ロマンが『召喚されたサーヴァントは二日以内に戦闘効率が上がっている!? 一体何が』って言っていたんだけど……ここまで言えば、もう分かるよね?」

 その言葉が終わると、沈黙が場を制する。立香が何を言いたいか分かってしまったからだ。

「ねえデオン、これが噂の昼ドラ展開というものかしら?」

「……多分違います。マリー」

 全く違う結論に達した者もいたが、この場にいる全員は愛する者(エミヤ)が居るから強くなっているのである。レイシフト中は連戦になることもあり、戦場で士気を維持することは容易ではない。しかし彼女達には、この戦いを終わらせて聖杯(エミヤ)を手に入れるという目的がある。

 それ故に、立ちはだかるエネミーを鬼神のごとく蹴散らし、小規模の特異点を瞬く間に走破する彼女達の姿を見たDr.ロマンは、何が彼女達を駆り立てるのか見当がつかないらしい。尤も、その原動力が一人の同じ男によるものとは夢にも思うまい。

「……結局、どうするのですか?」

「聖女としては止めるべき……なのですが、やはり」

 これは、人理修復の戦いにおいて由々しき問題である。メドゥーサが先陣を切ると、葛藤している聖女マルタが後に続く。

「何を愚図愚図しているのかしら、貴方達が遠慮しているならエミヤは私が貰うわ」

「何?」

「させません」

 痺れを切らしたカーミラ──言い方の割に大人しく座っている──は高々と宣言するが、二人のセイバーによって同時に牽制される。

「ここからが本題だよ、みんな……協定を結ばない?」

 これ以上騒がしくなる前に鶴の一声で場を収める立香だったが、その発言は返って参加者を騒然とさせる。

「それは、なんな……どういった内容なのですか?」

「簡単な話だよ、要は独占を禁止しようってこと。話をしに行くのは自由だけどね」

 思わず素が出そうになったマルタの確認に対し、立香の提案は簡素なものだった。

 そして、立香から逆に問われる。

「それにみんな、聖杯探索(グランドオーダー)が終わった後、座に戻るの?」

 ダヴィンチ曰く、カルデアのシステムでは、霊基を保存することで同じ英霊の再召喚が可能である。絆を結べば、戦いで力を貸してほしいと思った時だけ座から呼ぶことができる便利な機能だが、この場に集った全員はその情報を知っていたものの、そもそも座に帰ることを考えていないため、立香の問いに答える者がいるはずもなかった。

「だからさ、協定を結ぼう」

 女子会最後の言葉は立香の決定の言葉で締めくくられた。

 

 女子会も終了し卓袱台を寄せた立香、部屋にはまだ一人のサーヴァントが残っていた。

「マスター、清姫はともかくマシュはどうしたの?」

 珍しいことにカーミラである。女子会の最初から最後まで不在だったマシュが気がかりらしい。

「清姫から聞いたんだけどね、マシュはエミヤのことどう思っているのか聞かれたときに、『エミヤ先輩は先輩と同じくらい尊敬しています』って答えたんだって。……その気持ちの正体がはっきりしていなかったから、呼ぶに呼べなかったんだ」

「……なるほどね。それにしても、何で協定なんか結んだの? まあ、貴方らしいとは思うわ」

「だって……不公平だもの」

 質問に答え、最後に右手の甲をカーミラに向ける立香。カーミラにはそれだけで立香の意図が伝わった。

「分かっていたけど、やっぱり貴方らしいわ。今のところは、貴方に従ってあげる」

 その言葉だけ言い残し、カーミラも立香の部屋から出て行く。

 とうとう一人になった立香が、ふと部屋の隅を見ると──

「フォウ!」

 まだ客人が残っていたことに気付く。優しく撫でながら謝罪する。

「ごめんね、気付けなくて」

 フォウは気にした様子はなく、撫でられるがままだった。

 

 














 立香とマシュの主従関係は美しい、そして何より彼女は誰に対しても対等であろうとする。それが不利益を被るものであっても、愛憎劇になるはずだった話を収めた上で、彼女は自分らしさを保っている。その真っ直ぐな心は、曇ることなく眩い光を放っている。
 しかし、エミヤのことは嫌いな訳ではないが、彼も惚れられていることを実感するべきだと思う。まあ自己評価が低いことが彼の良い所でもあり、悪い所でもある。もう少し見守ることにしよう。
 ……明日はエミヤにも毛繕いを頼もうかな。


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エミヤと薔薇の皇帝

 藤丸立香達が訪れた特異点は、繁栄を極めたローマの地だった。

 そこでは、レフ・ライノールによって仕組まれた戦争である、ローマを守るために立ち上がった皇帝(ネロ・クラウディウス)の帝国軍と、ローマに侵攻する名君や神祖を始めとした歴代皇帝達の連合軍との戦いが熾烈を極めていた。

 やっとの思いで元凶(レフ)を倒しても、その後には破壊の大王との死闘が待ち受けていた。

 だが最後は、己が信念を貫いた皇帝(ネロ)が勝利を収めた。

 

 新たな特異点の攻略を終え、藤丸立香を始めとした女性陣は皆士気が高かった。その気合の入りように、現地での協力者の一人──生前の姿であるネロ・クラウディウスは、何とも言えない顔をしていた。彼女と顔見知りのエミヤも首をかしげていた。

 負傷した兵の治療に回る余裕もあり、特に犠牲者もなく聖杯の回収を終えた。大所帯で修復を終えたため、カルデアに帰還する際には協力者に挨拶をして回ったが、ネロ以外の現地で出会った女性サーヴァント達は名残惜しそうな顔をしていた。

 やはりいつかまた会えると分かっていても、別れというものは辛いのだろう、それほどにマスターとマシュは稀な人材だ。

 そう考えるのはエミヤだった。夕食の片付けを終えた帰り際、最近の思い出を振り返りながら自室の扉を開けたのだが、もう慣れたもので先客が居ても大した驚きはない。

「私の部屋に何か用かね? ネロ」

「待っていたぞ、アーチャー」

 一際目立つ赤いドレスを見れば嫌でもわかる。つい最近まで顔を合わせていた、第五代ローマ皇帝──ネロ・クラウディウスである。皇帝という貫録を感じさせる座り方は、普通の椅子であっても玉座のような威圧感を醸し出していた。

カルデア(ここ)に居るアーチャーはまだ私しかいないが、その呼び方は癖になると混乱を招く……とマスターが言っていたな。あまり気乗りはしないが、真名で呼んでくれ、ネロ」

「うむ、善処しよう。

 さて、ここに来たのは他でもない。ローマでの報酬がまだ渡せていないであろう」

「特に希望はないのだがね」

「そなたならばそう言うと思っていた。なので余が決めることにした。客将として副官に任命するぞ。余の副官はアーチャー……エミヤしかいないのだ。月の戦いが終わったら姿を消すとはな、副官が余の傍に居なくてどうする。奏者と余の陣営にはこれからもそなたが必要だったのだ」

 ネロは赤いドレスを翻しながら立ち上がると、歌劇のように言葉を告げる。呼び方は危ういながらも言い直した。

 ネロはどうにも月での役割がご所望らしい。エミヤもその時(無銘)の記憶がないわけではないが、彼女には諦めてもらうしかない。

「生憎、今契約しているのは藤丸立香(マスター)でね。鞍替えは余程のことがなければせんよ。それに、君の知っている私は厳密には私ではない。副官という名の料理人なら他をあたってくれ」

 それに、ネロと玉藻と白野(君たち三人)の間に割って入ることなどできんよ、という言葉を告げるつもりだったが、咄嗟に飲み込む。なぜなら──

「エミヤは、余に仕えるのが…………嫌なのか?」

 華々しさはそこになかった。俯きながら、暗い声で呟くネロの姿を見てしまった。

 当然ながらエミヤは驚いた。翳りのあるネロを見ることができたのは特異点であり、月の記憶を持っていない生前の姿だからこそと思っていた。今の状態でそんな姿を見せるとは、エミヤは存外彼女に気に入られていたらしい。

 さしものエミヤも、この状態のネロを突き放すのは気が引ける。ネロと同じく知己の存在だった、エリザベート・バートリーの未来の姿であるカーミラの苦悩を見て、召喚されてから気に掛けるほどのお人好しであるから仕方ない。

 ここが月であったならば、月のマスター(岸波白野)に助力を頼むという選択肢もある。残念ながらその選択は取れないし、明らかにこちら側に非があるため、自分で蒔いた種は自分で処理しなければならない。

 あくまでも推測になるが、ネロは心細いのだろう。藤丸立香もネロの気に入ったマスターではあるが、やはりどこか主従関係に一線を引いている感覚はあった。ネロが奏者と呼び、全幅の信頼と愛を囁くマスターは、岸波白野を除いて他にはいない。

 そして、月でのことをを知るサーヴァントも限られる。思い起こせば、エミヤの知るネロは月のマスターに褒めてもらうことが至上の喜びであった。しかし、カルデアでは自分が素直に甘える対象が居ないため、その現状がネロの心の安寧を阻害するのだろう。

 エミヤは分析を終えると、この現状を打破するために気の利く言葉を探す。

「ネロ、私たちはこのカルデアで肩を並べる戦友だ。あの時のように将と副官という立場ではなく、友人として君と親交を深めたいと私は考えている」

「……エミヤ」

「それに、傍に居てほしいなら何時でも言うといい。私自身忙しい時もあるが、君が傍に居てほしいと言ってくれれば、時間を作って君に会いに行く」

 エミヤなりの妥協点だ。普段はネロに振り回される側であるが、こうもしおらしい姿を見せられてしまうと、どうしても強くは言えない。それに、特異点で皇帝としてのカリスマも見せつけられたことで評価を改めたところだ、弱気になっている時に支えるのも吝かではない。

 そう思えるほどには、ネロに親愛がある。

「こっちのエミヤの方が……優しいぞ」

「さっきも言っただろう、厳密には私ではないとな」

 微笑みながら、少しばかりの皮肉を返すネロの様子にエミヤは安堵する。そして、自分も腰掛けようと対面の椅子に座ろうとした──

「そのようだ──な──っ!」

「大丈夫か!」

 突然頭を押さえ屈みこんだネロに驚くと、すぐさま駆け寄る。特異点でも度々見かけたが、頭痛持ちのスキルを所有しているため、カルデアに召喚された後も頭痛に悩まされることがある。

 痛みが治まっても、未だに肩で息をしており、見ているだけでも辛さを感じさせる。

「少し横になるか?」

 そう問いかけるとネロはゆっくりと首肯する。

 彼女が動くよりも自分が運んだ方が速いと判断し、抱え上げるとベッドに運ぶ。横たわったネロは弱弱しく呟く。

「……温かいな。ブーディカの……ようで……そうか、これが。我が母が……エミヤのようであったら……余は……」

 その言葉を残し瞼を閉じると、規則的な呼吸を始める。安心したためか、どうやら眠ってしまったらしい。

 しかし、母のようだと言われるとはエミヤ自身思ってもいなかった。そこは父あたりにしてほしいと本人は思っている。だが、不思議と悪い気はしない。

 頭痛で歪んでいた顔は穏やかな寝顔を浮かべている。そんな彼女に掛けるものは、外套よりも一枚の毛布が相応しい。

 ベッド脇に椅子を置き座ると、目が覚めるまで見守っていた。

 

 後日ネロから話を聞いたマスター達におかんと呼ばれるようになった。

 これが、カルデアのおかん(エミヤ)誕生秘話である。

 

 




 余の戦いはエミヤと共にあった。そなたの補助がなければ、奏者やアルテラを救うことはできなかったといっても過言ではないぞ。
 皇帝特権では、頼れる存在を手に入れられぬのだ。余の伴侶は奏者だが、右腕はそなただけだぞ、アーチャー、いや、エミヤ。


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エミヤと勝利の女王

 ローマから遠征し、ガリアに着いた時の話だ。

 

 敵を蹴散らしながら野営地に到着した藤丸立香一行は、着いて早々に実力を試されることになった。無事に認めて貰えたものの、流石に少し疲れたため、エミヤとブーディカの抜群のコンビネーションによって完成したブリタニア料理に舌鼓を打った後はすぐに休むことにした。

 しかしながら、夜が来るまでに立香やマシュはブーディカに全力で可愛がられて揉みくちゃにされ、エミヤ達は苦笑いするしかなかった。

 大規模な食事会の片付けが終わり、すっかり夜も更けた頃だった。

 闇夜の中、エミヤは周辺の見回りにあたっていた。これまでの戦闘から予想されていたのだが、いつ敵がやってきてもおかしくないからだった。

 時間の間隔を空けているものの、既に三度目の見回りが終わっていた。

 何事もなかったと安堵しながら野営地に戻ると、焚火の前に人影を見つける。先程までは誰も居なかった。

『眠っておかないのかブーディカ。ネロに怪しまれるぞ』

『……大丈夫だよエミヤ。見回りありがとう』

 その影の正体は、ローマ帝国軍──客将のブーディカだった。今の彼女は、死後に召喚されたサーヴァントであり、生前のネロは生きていたと誤解している。

 ブーディカは明るい女性であり、立香達に向けた慈愛は本物だ。しかし、今の彼女の顔には翳りが差していた。

 エミヤはその顔に見覚えがある。

 誰にも告げず故郷を出ようとした時、姉代わりだったあの人(藤村大河)は見送りに来て、『たまには帰ってきなさいよ』と自分に告げた時の顔だ。

 思い出してしまうと、胸の奥にもどかしさを感じてしまう。悲しい顔をさせたまま別れたことへの後ろめたさだったのか、不干渉を貫くべきだったエミヤは、言葉にしてしまう。

『言うべきではないかもしれないが……やはり、まだ思うことがあるのか?』

『あはは……やっぱり分かっちゃうか』

 ブーディカの隣に腰掛け、問いを投げかける。彼女は無理をして笑顔を作り、乾いた笑いをしながらも、エミヤの言葉を否定することはしなかった。

『確かに最初は、復讐しようと思っていたよ。でも……ネロ公に実際に会ってからさ、分からなくなっちゃったんだ。

 会って早々に謝ってくるし、力を貸してほしいと頼んでくるし、蹂躙されるローマの民を守るため走り回ってるし、私の復讐するべきローマは……どこに行ったんだろうって』

 寂しげな表情で語り始めたブーディカの独白は続く。

『こうして客将として協力しているのも、ただの罪滅ぼし。ローマと同じことをした、私の……』

 先の言葉がなくとも予想はつく。彼女の最後を知っているからだ。

 下手な慰めなど逆効果で、沈黙を返すのみに止める。

『…………ふう、話すつもりはなかったんだけどなあ、なんでだろう? エミヤだったからかな。立香ちゃん達が慕っている他ならぬ君だから』

『褒め言葉として受け取っておく。しかし、慕っているとは言い過ぎではないかね? 私なんぞに抱くとしたら、良くても憧れだろうよ』

 思っていることを返したが、ブーディカは呆れた様子でこちらを見ている。『こりゃ、重症だね』とはいったいどういうことだろうか。

『まあ、それだけじゃないけどね。夕食を一緒に作ったときに分かっていたから。エミヤは信頼できるって……料理には、その人の心が現れると思うんだ』

『同感だな。最近では一人で作ることが多くてね、久しぶりに料理を楽しめたよ』

『でもやっぱり、エミヤが家族に居たらもっと楽しかっただろうなあ。冷たいように見えて、実は優しいし』

『冷めているだけさ。買い被りすぎだと思うがね』

 会話の途中から、ブーディカは焚火を避けて足を延ばし、空を仰いでいた。

 ブーディカにつられて見上げると、エミヤの視界には特異点特有の光の環とその外側に広がる星空が映った。

 星空に見惚れたためか、静寂が二人の周りを包む。

 逡巡の後、静けさを破ったのはブーディカだった。

『……ねえ、膝枕してもいい?』

 脈絡のない、突然の提案にエミヤは困惑した。普通は逆の立場が言う台詞だろうと。しかし、縋るような眼差しで見つめられては断ることなどできない。

 押しに弱いことを自覚しつつ、ブーディカの膝に頭をのせる。

『何か甘やかしたくなっちゃったんだ、あの子達みたいに』

 彼女の言う『あの子達』とは藤丸立香(マスター)達かそれとも──そこまで考えて、エミヤは余計な詮索を打ち切った。

 膝枕をしつつ頭を撫でられるのは、覚えている限り初めてのことだった。撫でる手つきは優しく、それこそ慈しみを感じさせるほどに。

 知らぬ間にエミヤは眠りに落ちていた。その寝顔を見ながら、ブーディカは頭を撫で続けていた。復讐の鬼ではない、女王としての優しい顔で。

『また、こうして膝枕させてね』

 その問いに答えが返ることはなかった。

 

 ────かに見えた。

「そろそろ終わった? エミヤ」

「ああ、もう片付いた。色々と助かっているよ」

 帰還後に召喚されたブーディカの登場により、カルデアの食堂はさらに盤石となった。

 激戦を一人で潜り抜けてきたエミヤにとっては、これ以上ない援軍だ。

「じゃあ、今日もしてあげるね」

「……お手柔らかに頼む」

 食堂の仕事が終わる度、その援軍に膝枕されることになっていた。

 エミヤはあの時完全に眠っておらず、夢見心地で『ああ』と答えてしまった。

 後悔先に立たずとも言うが、それでもブーディカが満足するなら、それでいいかと思うエミヤであった。

 




 エミヤか……息子が居たらこんな感じだったのかな。しかも、旦那にそっくり。
 実力を見せてもらうための模擬戦で、仲間を庇うその姿に重なって見えたんだ。
 もし、娘が彼氏としてエミヤを連れて来たら、楽しかったんだろうなあ。でも、娘二人で取り合いになるかも。
 マスターのこともエミヤのことも、大好き。後輩達も慕っているようだし、お礼も込めてこれからも甘やかしてあげるからね…………エミヤ。


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エミヤと不還の暗殺者

遅くなりました。


 第二特異点のローマで共闘し、最近カルデアに召喚されたアサシンのサーヴァント──荊軻は聖女マルタと気が合ったらしい。

 そのマルタや同じく特異点で共闘したブーディカの二人は、酒を飲みたいという荊軻の願いを叶える歓迎会を企画し、その準備をしていた。

 エミヤは歓迎会に参加しないながらも、マルタに頼まれる前から酒の肴を作ることに精を出し、それらは歓迎会の当日に振る舞われた。しかしながら、マルタ達は失念していた。

 ────史実にも残る、絡み酒だった荊軻の酒癖の悪さを。

 エミヤがそれを聞いたのは歓迎会の翌日つまり今日、二日酔いで倒れているマルタとブーディカの見舞いに回っていた時だった。

 エミヤは幸いにもレイシフトの予定はなく、よくある症状に悩まされながらも事実を語ってくれた二人の献身に感謝し、二人の部屋と食堂を行き来しつつ職員の夕食を作り、その傍ら二人には消化の良い食事を用意し、快復するまで世話を焼いた。

 

 そして件の荊軻は今──

「エミヤ……お邪魔している」

 マルタとブーディカの看病と食堂の片付けを同時進行で終え、部屋に戻ったエミヤの目線の先の椅子に腰を下ろしていた。

 旧くからの親友のように、そこに居るのが当然といったような自然さでエミヤの部屋に居た。アサシンならば誰でも持っているようなスキルなのだろうか。

「……一応聞くが、何の用かな?」

 脳裏には、先程まで息も絶え絶えに酒癖の悪さを語ってくれた二人の顔が思い浮かぶ。

「そう身構えるな。昨日のような失態はしない、だから一献付き合ってくれ」

 無意識のうちに体に力が入っていたらしい。

 普段から体の動きを読まれないようにしているエミヤの動きを見抜くあたり、その慧眼を評して流石はアサシンというべきだろう。

 しかし昨日の今日で酒の誘いに来るとは、マルタやブーディカですら一日中寝込んでいたにも拘らず平然としている。どうやら二日酔いという言葉は荊軻には存在しないらしい。

 そしてどこから見つけてきたのか、二個の猪口と一合の徳利が傍のテーブルに置かれ、二人きりの酒盛りに相応しい相手を待っている。

「……ふう、まあいいだろう」

 酒癖の悪さを忘れたわけではないが、ここは荊軻の先程の言葉を信じたい。淡い希望を抱きつつ、対面の席に腰を下ろす。

 

 徳利から猪口に澄んだ液体を注ぐと、互いに猪口を持ち、小さく乾杯を酌み交わして口に含む。

 これもどこから見つけてきたのか、口当たりの良い日本酒だ。料理酒以外でカルデアに貯蔵されているとは思ってもいなかった。

「こんなにいい酒だというのに肴の用意がないとは、下手をうってしまったな」

「気にするな、肴がなくとも酒は飲める。……しかし、二人には申し訳ないことをした」

「なら、気にするなという言葉はこちらも同じだな。その二人から言付けを預かっていたものでね」

 酒癖の悪さを訴えながらも、マルタとブーディカが最後に話した言葉は同じだった。荊軻が謝ってきたら気にしていない、と返してくれと。

「……そうか、やはりあの二人はいい女だ。ブーディカはともかく、マルタを嫁に貰ってやったらどうだ?」

「冗談はよしたまえ、私なんかがマルタに釣り合う訳なかろう。彼女が月なら、私はすっぽんがいいところだ」

 少しずつ飲んでは酒を注ぎ、他愛のない会話を交していたが、全く持って何を言っているのか、とエミヤと荊軻の胸中は一致していた。特にブーディカからエミヤは鈍感だと聞いていた荊軻は、その言葉を実感していた。本気で言っているならもはや手遅れだと。

 昨日の歓迎会では荊軻の柄でもない恋愛話になり、惚気に入ったブーディカを横目に頬を赤く染めたマルタの話を聞いていたが、どうやら完全にエミヤに惚れているらしい。

 そしてなぜ想いを打ち明けないのか問うたところ、惚気を終えたブーディカに『エミヤは鈍感なんだ』と言われたのだ。

「……ふ」

 空になった猪口を指で弄びながら自制する。今更気づいたが、他人の恋路に口を出すのは自分らしくない。

「────どこかに行くつもりか?」

 視線を落としていた顔を挙げると、真剣な眼差しのエミヤがこちらを見据えていた。

「……何のことだ」

「誤魔化さなくてもいい、マスターから相談を受けていてね。……目を離したら君が居なくなってしまいそう、とね」

「相変わらず耳が早い。……私の末路は知っているだろう? 情けをかければ、それだけ別れが辛くなる」

「確かにそうだが、それは君が一人の時の話だろう。ここはカルデアで、君は召喚されたサーヴァントの一人だ」

 エミヤの視線から逃れるように、猪口に酒を注ごうとするも、ひっくり返した徳利には一滴の雫も残されていなかった。

「引き留める者が居るように、君と共に旅に出る物好きもいるということだ」

 それが最後だと言わんばかりに話しを切ると、猪口と徳利を片付けるエミヤ。その背中を見つめ暫く部屋にとどまっていたが、『また相手になってくれ』とだけ残し荊軻は部屋を後にした。

 

 それ以来、猪口と徳利がエミヤの部屋に常備されるようになったのは必然であった。

 

 

 




 エミヤか……話には聞いていたが、変わった男だ。共に旅に出るなど今迄言われたことはなかった。
 あれから胸の奥で燻るものを感じる。命を奪われたことはあっても、心を奪われることはなかった。酔生夢死の人生にも春が来たということか。
 家族は苦手だったが、背中を預けられるならば守りに入るのも悪くはないな。これからは運命共同体というものだ…………エミヤ。


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エミヤと忠犬で猫な狐

難しかったです。


 浮き上がるような感覚を伴い、意識が覚醒する。

 エミヤはカルデアの料理長であり、朝食の準備があるため朝は非常に早い。常人であれば、再び寝てしまうほどの後ろ髪を引かれる眠気の誘惑は、もとより睡眠を必要としないサーヴァントに意味を成さない。

 いつものように起きて着替えるか、エミヤがそう思った時違和感に気付く────自分のものではない寝息が聞こえることに。

 急いで瞼を開き体を起こすと、寝息の聞こえる方向──右隣──に視線を向ける。そこに居たのは――。

「ご主人……エミヤ……もう食べられないのである」

 定番ともいえる内容の寝言を呟く、先日召喚されたタマモキャット。理性が封印され、狂化で振り切れた言動を発している彼女を見て、マスターと共に苦笑いしたのは記憶に新しい。玉藻の前(知り合い)と同じ顔だからこそ、そう思ってしまうのかもしれないが。

 

 何とも幸せそうな顔で眠っている。喋っている姿の方が印象に残るタマモキャットだが、無防備な寝顔を不意に見せられるとつい見惚れてしまう。彼女から出自はある程度聞いたがどうあれど、傾国の魔性と謳われた女性と同じ美貌を有しているのだから美しさは折り紙付きだ。

 しかし残念なことに、穏やかな寝顔のタマモキャットを起こさなければならない。襲うことはないと自負しているエミヤだが、そもそも男の部屋で男女が同衾など許されてはならないだろう。

 そんなことがまかり通る様になれば今は自重しているものの、いつの間にか背後にいる系サーヴァント第二位のメドゥーサが添い寝に来たら気付くことすらできない。

 そういえばオペレーターの一人に最近聞いた話だが、荊軻が主催する講座『バーサーカーでもできる気配遮断』というものが、マスターと女性サーヴァント達の間で人気らしい。

 まさかとは思うが、彼女達が気配遮断(そんなもの)を習得して来たら手に負えない。実際に目が覚めるまで、タマモキャットの添い寝に気付けなかった。今後同じことがないとは言い切れない……気配感知のスキルを持っているサーヴァントが居たら教えてほしいものだ。というよりもバーサーカーでもできる、のバーサーカーはもしかすると……いや、考えすぎだろう。

 そんな思いを胸にタマモキャットの肩を揺らし、声をかける。

「起きるんだ、タマモキャット」

「ん……」

 幾度か揺らした後、眠っていた彼女の意識が覚醒する。

 未だに微睡の中に居るためか、瞼がゆっくりと開く。数回瞬きをすると、あの大きな獣の手で器用に瞼を擦る。

「Good morning 昨夜はお楽しみだったな、エミヤ」

「朝早くから何を言っているんだ君は。……私は着替えるから早く自分の部屋に戻りたまえ」

「むう、つれないのだなエミヤ。いつもの女たらしな発言はどこに行ったのだ? まさか偽物なのか!」

「人聞きの悪いことを言わないでくれ。そもそも淑女が男の部屋にみだりに泊まる方がどうかと思うがね」

 開口一番にいつも通りの言動で挨拶するタマモキャットに、内心頭を抱えながらベッドから出る。寝るときはいつもの格好から赤い外套を抜いただけであり、外套を羽織る作業に着替えるも何もないが。

 しかしさりげなく言われたが風評被害になると困るため、女たらしという不名誉な称号は即刻返上させてもらう。

「さて、朝食の準備だ。……行くぞ」

 これ以上部屋に留まれば、朝食が起床時間までに間に合わない。間に合わなければ、とある活火山が噴火してしまう。

 そして結局、タマモキャットが部屋に帰ることはなかった。

 

 カルデアの廊下をエミヤとタマモキャットが共に歩いている。タマモキャットは四足歩行だったり、二足歩行だったりで定まっていないが、今日は二足歩行の気分らしい。

 エミヤが右後方をちらりと見れば、タマモキャットはエミヤの歩幅──エミヤがタマモキャットの歩幅に合わせている──についてきている。三歩ほどではないが、影を踏まず、ということか。やはり良妻(根っこ)の部分は変わっていないらしい。

 しかしなぜこんなにも懐かれているのか、その直前までの覚えている範囲で言えば、小規模の特異点で一緒にレイシフトしたとき、死角から藤丸立香(マスター)に襲い掛かってきたエネミーの攻撃からタマモキャットが身を挺して庇っている姿を見たことがあった。

 己の身を顧みない自己犠牲、その行動に既視感があった。そのため彼女にこう言ったことがあった。

『君が必要以上に傷つくと、マスターも悲しんでしまう。それに────』

 おそらくは伝わったのだと思うが、同時に懐かれてしまった。

 理由を聞いてもはぐらかされてしまい、それ故に現在に至るまで謎のままだ。まあタマモキャットが悪いことをしないのであれば、必要以上に対峙することもない。

 

 朝食が時間までに間に合ったはいいものの、タマモキャットが食事中に「昨日はエミヤと寝たからすこぶる調子がいいな!」と語弊のある爆弾発言をしてしまい、誤解した女性陣に詰め寄られるエミヤの姿を見たロマニは申し訳なさそうな表情で食堂を後にした。

 




 ご主人が死んでしまうとアタシは悲しい。だから命に代えて守ろうとしていたら、エミヤに怒られてしまった、ガックシ。
 しかし、エミヤはアタシに協力してくれると言った。
『それにマスターに尽くすのなら、私は君に降りかかる火の粉を払おう』
 なんとも気障な発言なのだな。しかし、不思議と悪い気はしない。諸悪の根源の一つに甘い言葉を放つ、女たらしは伊達じゃない!
 それからはエミヤのことも幸せにしたくなった。

 この前はマスターと一緒に寝ようと思ったら、清姫に睨まれたの巻。心の広いタマモキャットは譲ってあげたのである。
 仕方ないのでエミヤの部屋に入って添い寝してみたが、ついつい寝すぎてしまったのだな。
 マスターと一緒に寝た時と同じ幸せな気持ちになる。
 エミヤが望むなら真面目に良妻になってもいいぞ。アタシだけを見てほしいがやむを得ないにゃあ。ただし、一番はアタシなのだな。もしアタシを捨てたら…………なぁーんちゃって! だワン。
 アタシはご主人のサーヴァントだが、夫と妻の関係にはなれるぞ…………エミヤ。


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エミヤと 星の紋章

ステンノは三章が終わったらエウリュアレと一緒に書きます。
お団子イベントは確認したところ新規加入がいないので、今後は第三特異点に入っていきます。



 いつもであれば、食堂の片付けが終わり次第部屋に戻るエミヤだが、今日に限っては片付けが終わっても食堂に残っていた。どうしても作らねばならない料理があったからである。

「……よし」

 水回りの掃除と使った調理器具の洗い物を終えると、出来上がった品に蓋を被せ急ぐようにして食堂を後にする。

 

 廊下で誰にも会うことなく自室にたどり着くと、皿を片手に扉を開ける。するとそこには──

「……遅い」

 白のヴェールと褐色の肌が印象的な、空虚さを感じさせる女性が居た。

 自らを破壊の大王と呼ぶ、ローマの特異点でレフ・ライノールによって最後に召喚され、激闘を繰り広げることになったサーヴァント──アルテラ。

 感情の起伏に乏しい彼女らしからぬ、不満を孕んだ声で抗議してくる。こちらを見据える星を宿したかのような朱い瞳は、エミヤを捉えて離さない。

「私が呼んでおきながらすまない」

 作る時間を考慮して呼んだはずだったが、予定よりも遅れてしまったらしい。視線を逸らすことなく謝罪の言葉を述べ、部屋に踏み入る。

 アルテラは来客(しんにゅうしゃ)がよく座っている椅子に腰を下ろしており、当然その隣にはテーブルがある。彼女の目の前に持っていた皿を丁寧に置く。

「呼んだ理由は、これを君に食べてもらいたかったからだ」

 蓋を取ると皿の上にあったのは、飴色のみたらしタレがかかった十二個の白玉団子。手軽に作れるもので検討した結果、これを作ったという訳だ。串に刺していないため、食事用の串を投影して皿に添える。

「時間もなくてね、白玉団子しか作れなかった」

「なぜ私を選んだ? 食べるだけならば……マスターでもいいだろう」

「いや、これは君のために作ったんだ、特異点では申し訳ないことをしてしまったからな。食べてもらえると嬉しい」

 理由はそれだけではないが、笑顔で誤魔化す。

「私は闘う者だ……その結果が敗北であれど受け入れるしかない。だが、そこまで言うなら……食べる」

 ようやくエミヤから視線を外すと、アルテラのスキルが発動することなく串を持ち団子に突き刺す。手を添えて口に運ぶとゆっくりと咀嚼し、何度目かで嚥下する。

 食べている間無言の彼女は、同じ動作を繰り返す。

「飲むかね?」

 アルテラが四分の一を食べ終えたところで、彼女が食べている間に湯呑に淹れておいた緑茶を差し出す。

 彼女はこれまた無言でこくりと頷くと、湯呑を手に取り口をつける。

 再び団子を食べ始めると途中に緑茶を啜る工程を加え、あっと言う間に皿に載った団子は無くなっていった。

「……美味い」

 空になった湯呑をテーブルに置き、開口一番の言葉は率直な感想だった。

「戦い以外のことは感じないと思っていたが……私にも人並みの感情はあったようだ。なるほど……お団子は良い文明」

 随分とお気に召したらしい。表情を見る限りでは変わらない反応だが、感想を語る言葉には僅かだが感情が込められている。

「それは光栄だ……どうかしたのか?」

 団子に向けられていたはずの朱い瞳は、再度エミヤを映している。黙っているため分からないが、無言の訴えかけを何とか読み取ろうと必死に推測する。

「…………言ってくれればまた作るが」

 何とか答えを言葉にしようとして捻り出したが、正否がアルテラの口から明かされることはなく、エミヤの言葉が終わるとおもむろに立ち上がりベッドに向かう。

 エミヤ自身すぐに止める気にはならず、何をしようとしているのか確認するためしばらく静観する。

 

 アルテラはベッド脇に立つと枕を退かし、それがあった場所に仰向けで寝そべる。被っていたヴェールを外すと脇に置いて頭を壁に預け、足はベッドからはみ出させる。

「アントワネットが言っていた……一宿一飯の恩は働いて返すものだと」

「……一体何を教えたんだ、マリーは」

 以外にもマリーと仲が良いらしいが、実質的なマリーの付き人であり、アルテラについてよく知らないデオンの苦労が浮かぶようだ。……今度差し入れを持って話を聞きに行こう。

「さあ、来い」

 そう言ってアルテラは臍の少し下、丹田の部分をぽんぽんと叩く。それが意味するところとは──

「一応聞くが、何をしているんだ?」

「今の私は枕だ。お前の好きに使え」

 大体エミヤの予想通りだが、働く方向を間違えているのではないのかと同時に思う。

 そして、なぜ膝枕ですらないのか、いまいちその理由が分からない。

 疑問は尽きないが、ここは彼女の言葉に従った方がいいだろう。このまま問答を続けてもあちらが折れることはないのだから。

「仕方がない……失礼する」

 折れる判断を下すとベッドの上で横になり、彼女の腹部に頭を乗せ目を閉じる。呼吸の度に頭が上下するが、気恥ずかしさが上回っているため全く気にならない。

 元々は特異点での発言から、破壊できないものを求めていたアルテラの真意を汲み取り、月での過ちを繰り返さないようネロやジャンヌと相談し、別側面のアルテラを見守ろうとしていただけだった。それなのにどうしてこうなったのだろうか。

 

 アルテラはひたすらに悩むエミヤを見つめていたが、その表情は女神のように穏やかな顔だった。彼女が知り得るはずのない、かつての自分のように。

 

 




 マスターといい、サーヴァント(エミヤ)達といい、聖杯の力を得た私の力でも破壊できないものを持っていた。そして、破壊しかできない私にいろいろなことを教えてくれる。特にエミヤ、マルタ、ブーディカの三人は料理を教えてくれた。
 しかし、最近ではエミヤが傍に居ると私の心がざわつく。
 二人の時間を作って、お団子といういい文明を振る舞ってくれたあの時から、あの笑顔が、私の心をざわつかせる。この気持ちは破壊できそうにない。
 お団子の時はなぜあの行動をとったのか未だに理解できていないが、あれが最善だと思っている。
 エミヤはいい文明……いや、違う…………虜、そう私の虜だ。
 私に戦士ではない人生を歩ませてくれ…………エミヤ。


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不在のエミヤと第二次乙女協定(後書きに重大なネタバレ有)

箸休め回です。
改行しましたが後書きにネタバレを含んでいるので、未プレイなどの方は自己責任で読むかブラウザバックをお願いします。


 再びこの時がやってきた。我らが卓袱台(えんたく)は既に用意されている。

 一方で、マスター──藤丸立香は瞑想している。

 前回で協定を結んだのも束の間、戦力増強のためサーヴァントを召喚しなければならないマスターの責務からは逃れられない。それだけにこの交渉は必然でもあった。

 先程までエミヤ式マッサージを習ったらしいマシュの厚意で、全身をマッサージしてもらったが、そのマシュはエミヤに勉強を教わりに行ってしまった。どうにも勉強が楽しいらしく、教師役のエミヤも、教え子に恵まれたものだ、と満更でもない顔だった。……頭にフォウ君を乗せていなければ、いい話だけで終わったものだが。

 ────考えが脇道に逸れてしまった。

 協定について話していなかったおかげで、ブーディカの積極的な甘やかしについて異論を申し立てるサーヴァントが続出したため、第四回対策会議で前回の協定に参加したサーヴァントから委任を受け、協定に参加してもらえるよう説得することが今回の目的だ。

 

 一息で呼吸を整えると、閉じられていた双眸を開き参加者を見渡す。開催の言葉は決まり切っている。

「みんな、今日は集まってくれてありがとう」

「うむ、苦しゅうないぞ」

「いや、ネロ公が言ってどうすんのさ」

 意外なことに、誰よりも早くネロに突っ込みを入れたのはブーディカだった。特異点で共闘した縁はあるが、未だに苦手意識を持っていたブーディカの方から関わりに行くことは非常に珍しい。

 特異点の頃から突っ込み担当だったと思わせるほどの自然さだった、と立香は感心してしまったが、気を取り直して進行する。

「実はね────」

 前回で締結した第一次協定の概要と経緯を、時間を惜しまず使い事細かに説明する。

 聞き終えた後の参加者の反応は、似た内容であっても多種多様だった。

「別に余は構わんぞ。余の右腕は、元よりマスターに力を貸しているのだからな」

「あたしもかな、独占しなければいいだけだよね。まあ、甘やかす回数減っちゃうけど、仕方ないか」

 再び息の合った回答を返す、ネロとブーディカ。その反面、皇帝としての威厳を見せるネロと穏やかな笑顔のブーディカの表情の対比は、未だに交わることのない両者の性格の違いを如実に表している。

 もしもの話になってしまうが、違う出会いをしていればいい友人になっていただろう、と立香は改めて思う。

「私も賛同しよう。…………そろそろ友人から一歩進むのも、また一興だな」

 小さく呟かれたため後半の言葉は聞こえなかったが、暗殺者の荊軻からも承認を得られた。

 彼女が開設した講座には、立香を含め多くの受講者(サーヴァント)が集っている。協力を得られるに越したことはない。

「アタシはマスターとエミヤの両方選べるのだな? ならば反対する理由はないぞ」

 タマモキャットは賛成派に回ってくれたが、本当に狂化しているのか疑わしいほどしっかりとした受け答えだ。

 実は演技しているのでは、と勘繰りたくなるが好奇心猫を殺すともいう。彼女は曲がりなりにもバーサーカー、深淵を覗くと深淵もこちらを見ているのだ。深入りはしない方がいい。

 ここまでは順調だった。問題は──

「エミヤは私の虜。それを邪魔する協定は…………悪い文明……破壊する」

 初見では機械のようだと形容できるほど、空虚さを纏っていたアルテラ。その雰囲気は鳴りを潜め立香にも心を開いていたが、エミヤが何をやらかしたのか立香には知る由もないがえらく気に入っているらしい。

 このままでは卓袱台(えんたく)が決裂してしまう。最初の難敵に対し、人類最後のマスターの名に懸けてカルデアを守り切って見せる。

「アルテラ、この協定は悪い文明なんかじゃないよ」

「どういうことだ……マスター?」

「この協定は邪魔するためのものじゃない、皆の時間を確保するためのものなんだ。……それに……皆の仲が良いとエミヤも嬉しいみたいだし」

 明日を無事に生きるために我武者羅どころかもはや破れかぶれだが、このまま勢いで乗り切る。

「最後のだけでよかったのではないか?」

「あはは、マスターも大変だね」

「……微力ながらこれからも力を貸そう」

「キャットのように自由気ままな心を身に着けるべきだぞ」

 外野の評価は芳しくないように聞こえるが、こちらに向けているその表情を見れば、力を貸すことに惜しみはないということが窺える。

「なるほど……結束は良い文明。アントワネットの言っていた通りだ。ならば……破壊しない」

 その様子を見ていたアルテラは、気を悪くして怒ることなく良い文明だと認めてくれた。無感情に見えるその顔が柔らかく見えたのは、立香の気のせいではないはずだ。

 

 解散した後、立香は閑散とした自室で前回と同じように卓袱台を寄せる。

「ふう……」

 途中冷や汗を掻きながらも無事に第二次協定を締結することができ、張り詰めていた緊張を吐息に込めて吐き出す。

 これまででも思っていたが、英霊も人間と変わらない心を持っている。争点が恋愛なところが親近感を覚えることとなっているが。

 ────人理修復の旅が終わっても、こんな時間が続けばいいな。

 そう思うからこそ、マスターを嫌になって投げ出すことはない。自分は一人ではない────力を貸してくれる仲間が居るのだから。

 ベッドに体を預けたいところだが、汗ばんだままでは気分が晴れない。

 シャワー室に向かう立香の顔は晴れ晴れとしたものだった。

 

















 マギ☆マリの閲覧も終わり、デスクに置かれたコーヒーを啜ると資料を纏める。
 カルデアの所長代理となったロマニ・アーキマンは、睡眠時間を削って翌日の職務を減らす。
 ────マシュにばれたら不摂生だと怒られてしまうかな。
 自分の身を案じてくれる娘のような存在。立派に育ってくれて嬉しい、とそんなことを自分が思う資格などないがそう思ってしまう。
 そんなことを考えていたが、次の話題に切り替える。
 所属するサーヴァントの戦闘効率の上昇の謎はいまだにわかっていない、しかし原理不明でも今のところ確率は百パーセントだ。あまり運に頼るのもよくないと思うが、藁にでも縋りたい一心だ。
 そういえば先日、食堂で詰め寄られるエミヤ君を見ていたが、彼は鈍感すぎやしないかな。あんなことになっているなんて僕の千里眼でも見えていなかった。
 しっかりしてくれよ、万が一僕が居なくなったら、立香ちゃんやマシュが頼れるのは君だけだから……エミヤ君。


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エミヤと太陽を落とした女

 フランス、ローマに続く新たな特異点、そこは見渡す限り水平線で囲まれた大海原だった。

 立香一行は、この時代の聖杯を託された海賊──フランシス・ドレイクの協力を得て、彼女の愛船と共に海へ繰り出した。

 順風満帆な航海ではなかった。時空を超えて集結した名のある海賊達が立ちはだかり、その果てには神代の英雄達が世界崩壊を目論む謀略の海が待っていた。

 絶望的でも、不可能な航海ではなかった。数多の難航を前にしても、四海(オケアノス)を制したフランシス・ドレイクは、決して諦めなかった。

 

 生前のサーヴァントとの別れは、二度目のことだった。一度目はローマの特異点でネロ・クラウディウスだった。特異点が修復されれば、それぞれがあるべき時代に戻る。立香達との思い出は、なかったことになる。ローマでもオケアノスでもそれは変わらない。

 別れの時になって、初めてドレイクは心中を吐露した。立香達と世界一周の旅をしたかった、その願いがかなえられないことが残念だ、と残念そうに語っていた。それでも、最後は彼女らしい豪快さで笑って別れた。

 次に会うことがあっても、彼女は特異点の出来事を覚えていない───はずだった。

 

 カルデアに来てから何回抱えただろう。もはや日課と呼べるほど頭を抱えているエミヤは、眼前の現状から逃げ出したかった。

「はは、飲みすぎた~。……ごめん、膝貸して? エミヤ」

 ラム酒の飲みすぎが原因だと先程の台詞を聞かずとも分かるほど顔を赤くして、特異点で出会った(・・・・・・・・)ドレイクが甘えた声を出していた。来客用のいつもの椅子に座り、テーブルに突っ伏している。

 本来であれば、生前のサーヴァントが特異点の記憶を持っているはずがない。一つ違うことがあったとすれば、特異点の彼女はその時代の聖杯を持っていた。おそらくは、最後の最後に彼女の願いを叶えたのだろう。

 同じくネロも特異点の記憶を持っていたが、彼女がアルテラから聖杯を回収し、マシュに手渡していた。聖杯に触れた時に深層の願いを読み取り、記憶が座に反映されたのだろうとエミヤは推測する。

 考察もほどほどして、目の前の酔っ払いを処理しなければならない。

「自分の部屋に帰って寝るべきだと私は思うがね?」

「……流石に冷たすぎじゃないかい?」

 無論、先程の言葉が冗談だということをエミヤは一目見て看破していた。普段から飲み慣れているドレイクが酔っぱらうなど、召喚当日に行われた酒豪達の宴会ぐらいなものだ。セーブ役のブーディカまでもが潰されてしまい、様子を見に行ったエミヤが惨状を片付けたものだ。

 荊軻の時と同様に、心底申し訳なさそうな顔をしたマルタとブーディカの看病をしたが、平然としていた荊軻とドレイクの姿を見ると別の意味で感心してしまう。

 深夜だったためマスターに話を通せなかったことが失態だが、その当時に起きていたサーヴァント全員で、酔い潰れたサーヴァントを部屋まで運んだ。ドレイクを連れて行ったのはエミヤであるため、酔っているかいないかは反応と顔で分かる。

「まったく……嘘をついてまで頼むことでもないと思うがね」

「そう思っているのはアンタだけだよ、エミヤ。もう少し自分の価値を見直したらどうだい? 磨けば光るってアタシが保証するよ。

 それはそうと、アタシの船の料理長になるかって話の答えを聞こうじゃないか」

「買ってくれるのはありがたいが、残念なお知らせだ。謹んで断らせてもらうよ。第一、君は海賊だろう……正義感のある人間は嫌いなんじゃないのか?」

 演技する必要もなくなったため、ドレイクはとっくにテーブルから顔をあげている。彼女に向き合うよう、聞かれた質問に答えながら対面の椅子に腰かけ、エミヤからも問いかける。

 片や海賊、片や正義の味方、余程のことがなければ交わることのない水と油の関係、相成れぬにも程がある。

「言うほど正義感があるのかい、エミヤ? アンとメアリーを口説き落とし、冒険中はうちの野郎共と意気投合して船の修理とかしていたじゃないか。しかも、野郎共にはエミヤの旦那とか言われちゃってねぇ」

 そう言われてしまうと返す言葉もない。大人しくなったものだとエミヤは己をそう評する。

 思い返せば気を張ることが多かった。八つ当たりにも等しい自分殺しをかつての自分は考えていた。しかし、今のエミヤは考えてはいない。

 衛宮士郎(かつての自分)に敗れ、自分殺しに失敗した戦いがあった。その中で答えを得ることになったのは何たる皮肉か、と当時から思っていた。その答えさえ、記録になることが分かっていても、憑き物が落ちたように晴れやかな気持ちで、マスター()にあの男を託すことができた。

 今では藤丸立香(マスター)の下で人理修復の旅に力を貸しているが、これほどまでに居心地のいい召喚先はなかった。日々の中で自分の『答え』を体現できた。それが物腰の柔らかさに繋がっていたのだろうと結論付ける。

「そうさね。うちで働くのが嫌なら、その代わりにマスターやマシュと一緒の、世界一周の旅に付き合うってのはどうだい? エミヤも来るなら愉しい航海になるよ」

「……前向きに検討しておく」

「相変わらずつれないねぇ。まぁ、それがエミヤらしさってもんさね」

「しかし、君らしくもないな。計画性のある話をするとは」

「…………それもそうだね」

 竹を割ったような、さっぱりとした性格のドレイクらしくない動揺。先程から違和感を覚えていたが、どうにも図星らしい。彼女に一体何があったのだろうか。

「地獄に行くはずのアタシは死んで英霊になったから、時間の浪費が惜しくなっちまったのさ。召喚されてる間しか楽しいことはできないだろう? 生きているうちはパーッと使ってたんだけどね」

 誤魔化す(笑う)ことなく、珍しく物憂げな表情で本心を語るドレイク。特異点の記憶と元々の生前の記憶が混ざっているからこそ、マスター達との冒険で得られた愉しい思い出が、忘れられないのだろう。

「……すまない。意地の悪い質問だった。私でよければ、世界一周に付き合おう」

「本当かい!」

「ああ。ただし、この戦いを終わらせてからの話だが」

「約束……いや、契約だね。破ったら許さないよ! こういうのは信用が大事さエミヤ。それじゃまた来るよ」

 これもまた珍しい。財宝を手に入れた時のように心底嬉しそうな顔で喜んでいた。ドレイクは、軽やかな足取りで部屋を出て行く。やはり酔っていなかったらしい。

 

 それを苦笑いしながら見送るエミヤだった。

 

 




 エミヤねぇ、アイツは狡いよ。アタシが女扱いされるなんて、慣れているわけないだろう。幽霊に脅えて叫んだアタシを、すぐ守りに来てくれるんだからさ。
 船長が守られるなんてとんだ笑い話さ。それなのに嫌味たらしくないなんて、とんでもない女たらしさね。
 道理でマスター達が苦笑いしていた訳だよ。まあ、アタシもそれにやられたクチだけどねぇ。
 黒髭(ティーチ)には茶化されたけど、碌でもない男にしか会えなかったアタシからすれば、二度と手に入らない財宝さ。
 こればっかりは、いくら積まれても手放せないね。
 このエル・ドラゴを生娘にしたんだ、アタシを落とした対価は高くつくよ?


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エミヤと麗しの狩人

 大英雄(ヘラクレス)を葬るため、『契約の箱』に誘き寄せることとなった、オケアノスでの最後の決戦。

 平穏無事に終わることなく、女神(エウリュアレ)と逃げる途中に足を挫いた藤丸立香(マスター)を抱え、エミヤが全力疾走したのは記憶に新しい。大英雄に立ち向かうことは何度かあったが、撤退戦はエミヤの覚えている限りでは一度もなかった。 

 最近の運の悪かった出来事を脳内で回想しているエミヤだったが、ふと背後からの視線を感知する。エミヤにとって、背後から視線を感じることは初めてではないし、珍しいことでもない。最近では頻度が減ったものの、一定の周期でメドゥーサが背後に回る日があり、隙を見逃さぬ捕食者として熱い視線を送ってくる。

 しかしながら、エミヤの過去の経験と周期から察するに、正体がメドゥーサではないことは分かっている。

 それにエミヤが感じているのは、捕食者のようにねっとりとした視線ではなく、獲物を狙う獣の如く鋭い射貫くような視線。

 その持ち主は、このカルデアでは今のところ一人しかいない。

「何か用かね……アタランテ」

 エミヤはゆっくりと振り返り、予想した正体の是非について問いかける。 

 

 しらを切ることなく、背後の物陰から姿を現したのは、獅子耳が印象的なアタランテだ。フランスでは、デオンと同じく竜の魔女に使役されていたが、打って変わってオケアノスでは、起死回生の切り札(ダビデ)に引き合わせてくれたサーヴァントである。

「気付かれたか。やはり、森の中でなければこんなものか」

「今回は偶然だ。ギリギリの所だった」

 森の中では完全な気配遮断ができるアタランテでも、遮蔽物の少ないカルデアの廊下で気配を隠しきることは、流石に容易ではない。

 加えて、マスター達の気配が希薄に感じられるようになり、危機感を抱いたエミヤの特訓の甲斐もあった。ロマニに相談し、独学で気配感知を学ぶなど、打てる手は打っておいた。

 隠しきれなかった微かな綻びから、アタランテの気配を察知することができた。

「まさかとは思うが、アップルパイでも作ってほしいのかな?」

「否。……だが、作ってほしくないという訳ではない」

 エミヤなりの洒落っ気を出した冗談を即時に否定すると、視線を逸らしながら訂正するアタランテ。頬を赤く染めているため、気恥ずかしいのだろう。

 というのも、アタランテの召喚と特異点からリンゴを持ち帰った日が偶然にも重なったことがあった。その日は食後のデザートとしてアップルパイを振る舞い、アタランテは凛とした雰囲気を崩さずに瞳を輝かせて頬張っていた。あまりにもおいしそうに食べるものだから、作った甲斐があったとエミヤは微笑ましく思ったものだ。

「すまない、からかうつもりはなかったのだが。……では、改めて用件を聞こう」

「ではエミヤ、汝に問いたいことがある。────汝は、私の敵か?」

 先程までの和やかな空気は一転して、アタランテの気迫で張り詰めた空間へと変貌する。彼女の鋭い視線は再びエミヤを捉え、誤魔化しは許さないことを訴えかけている。この質問は、アタランテの信条が関わっているのだろう、とエミヤには察することができた。

「ふむ、なるほど。……今は敵ではない、としか言えんな」

「今は……か」

 多少は気に掛けてくれているのだろう。少しばかり残念そうな顔で、エミヤの言葉の一部を復唱するアタランテ。彼女には申し訳ないことになったが、敵になることはない、と断言してほしかったのかもしれない。だが、こちらは英霊として召喚されなければ、抑止力(うえ)の意思で望まぬ仕事を強いられる傀儡に過ぎない。そもそも、聖杯戦争ならば本来、敵同士だ。下手すれば次に会った時、そうなっていることもあり得る。

「ところで、その質問はジャンヌの件と関係があるのかな?」

「────っ! なぜ……?」

 質問の意図を裏側まで読まれるとは思っていなかったためか、アタランテは、大きく目を見開き動揺する。態度だけで見ても、如何に図星かが分かる。

 観念したのか、アタランテは目を閉じて大きく深呼吸すると、今一度目を開けて語り出す。

「私は先の聖杯大戦で、ルーラー……あの聖女と諍いを起こした。怨念となった子供達の魂を、救うか、救わないか、でな」

 エミヤは通路で通りがかった時、ジャンヌを相手にしたアタランテが喧嘩腰に話しかける所を見かけた。話しかけられた当の本人(ジャンヌ)はきょとんとした顔をして、『どこかでお会いしましたか?』と話しかけてきた人物(アタランテ)に返したのだ。その言葉で固まったアタランテは、そういうことか、と呟いた後、一言謝罪して去って行った。

 アタランテの言葉と態度から、余程のことがあったと思っていたが、原因がまさかの聖杯大戦とは大きく出たものだ。エミヤの想像を上回っている。

 そして、ジャンヌが覚えていないということは、召喚時の記憶が反映される前ということであり、覚えていないのも無理はない。

「私の願いは子供の幸せだ。だから、子供達を守るべきと判断した。だが、聖女は切り捨てるべきだと判断した。どちらも折れることなく、私自身の誇りを捨ててでも食い下がったが、韋駄天馬鹿(アキレウス)に失望させてしまった。詰まる所、私の独り相撲だったという訳だ。

 汝は私と似ている。だから聞いたのだ」

 やや自虐気味に語る。アタランテの翳りのある表情、その胸中は如何ばかりか、推し量ることは難しい。

「……先程の問いは忘れてくれ。過ぎた話だった」

 翳りのある表情のまま、アタランテは踵を返そうとする。だが、このまま帰していいものか。エミヤはそう思ってしまった。

「────待ってくれ」

 表情を見られたくないのか、彼女は振り向かなかった。

 エミヤからすれば、動きが止まったのならそれ以外は関係ない。アタランテの背中越しに、次の言葉を繋ぐ。

「二人の考えは、両方正しいのではないか? 悪に傾倒したのであれば、子供といえど排斥される。だが、外れた者を正しく導くことで悪の道から引き返させることもできる。それが可能なのは、君のような存在だけだ。

 しかし、全てを肯定して守るだけでは意味がない。君もそれは分かっているのだろう?」

 捨てられたアタランテがある意味真っ当に成長できたのは、アルテミスが遣わした育ての親である雌熊のお蔭だ。

 エミヤが彼女に会ったのはこれで三回目だが、特異点での冷静な彼女を見る限り、信条を否定する言葉についカッとなってしまったのだろう。

 決して悪気があったわけではない。自分の理想を否定されることは、辛く苦しいことだから。

 

 エミヤの言葉を聞き届けると、歩みを再開するアタランテ。

 アタランテの纏っていた陰鬱な雰囲気が霧散しているように見えたのは、エミヤの気のせいではないと信じたい。

 

 




 やはり似ているな。エミヤ、汝の言葉には実感が伴っているように聞こえた。かつて、私のような理想を抱いていたのだろうか。次は、汝の理想を聞かせて貰おう。
 しかし、導く存在か……私の願いを真摯に考えてくれたのは、汝が初めてだ。
 だが私だけでは、願いを叶えられるか不安で仕方ない。
 女神アルテミスの言葉を間に受けたわけではないが、純潔の誓いが揺らいでしまうほど、心を射貫かれてしまった。
 リンゴを使わずとも、汝には速く走れるようになってもらわないとな。
 期待しているぞ。


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エミヤと比翼連理の女海賊

 ベッドの上で寝転がりながら、エミヤは考えていた。

 どうしてこうなったのかまったく理由が分からない。そして、その原因は両隣に居た。

 エミヤが顔を右に向ければ、小柄な美少女──メアリー・リード。逆の左を向けば、大柄な美女──アン・ボニー。その二人がエミヤに添い寝する形で横になっていた。

 一人増えるならまだしも、二人分も増えてしまうとベッドも手狭に感じてしまう。それなら断れば済む話なのだが、お人好しのエミヤにその選択肢はない。

『私達と一緒に寝ましょう?』

『それとも、僕達と一緒に寝るのは……嫌?』

 そのように誘われると良心の呵責を感じてしまう。これは熱いお誘いの一部に過ぎない。アンは艶っぽく、メアリーに至っては上目遣いという技法を用いてきた。熟練の連携攻撃を食らってしまうと、尚更エミヤは断れない。

 口説き落としたとドレイクに冗談で言われたが、こんなにも懐かれるようなことをしただろうか、そう思いながらエミヤは回想する。

 

 遠距離に定評のあるエミヤを以てしても分が悪く、一度は撤退を余儀なくされた、海賊──黒髭(ティーチ)との戦い。彼らとのリベンジマッチ、その火蓋が切って落とされた。

 先鋒として現れた血斧王エイリークを倒した藤丸立香一行だったが、次に立ちはだかったのは、二人一組の女海賊──アン・ボニーとメアリー・リードだった。

 このまま細かく足止めされると埒が明かない。時間ばかりが過ぎていく。消耗戦を危惧したエミヤは立香達を先に行かせ、たった一人で対峙した。しかし、一人で戦うのは初めてではない。

 甲板で二人と一人は対峙する。

『白兵戦のできる弓兵なんて珍しいね』

 投影した黒白の双剣を見て、メアリーはそう評する。しかし、侮っている訳ではない。警戒心を解く事無く、エミヤの動きを観察する彼女に油断の文字は存在しない。

『なに、必要とあれば剣ぐらい取るさ。退屈はさせんよ』

『あら、ではお手並み拝見いたしますわ』

 メアリーと同じく、笑顔を浮かべるアンにも隙と呼べるものは見当たらない。

 何気ない二人の一挙一動は、お互いの動きに合わせたものだ。そこから分かる相手の持ち味は、阿吽の呼吸で迫る抜群のコンビネーション、一筋縄ではいかぬ相手だ。守り上手を自称するエミヤでも苦戦は免れない。

 だがそれだけだ。たとえ相手が誰であろうと、立香達のためにも、最初から負けるつもりは毛頭ない。

『────悪いけど』

『倒させてもらいます』

 最初に動いたのは二人の海賊だった。アンとメアリー、二人の言葉は同時に発せられた。

『生憎だがそれはできないな』

 エミヤも双剣を構え直し、迎撃態勢に入る。海賊流の生死をかけた戦い開戦の合図などはない。

 二対一の戦いは、一方的な展開になるかと思われたが、紙一重で拮抗していた。

 しかし、エミヤは圧倒的に攻めあぐねている。メアリーがカットラスで切り込み、アンが銃撃で援護と追撃を兼ねる。長年の戦闘で培った一糸乱れぬ連携攻撃だった。その手練れの猛攻を防ぐことに手一杯で、反撃が難しい。

 その一方で、アンとメアリーにも焦りが生じていた。大抵の敵であれば既に決着がついている時間で、これまで何合も切り結んでいる。生半可な連携ではないと自負する二人にとって、初見の相手を詰め切れていない事実は驚愕に値する。

 焦りが先走ってしまったのは、アンとメアリーだった。銃撃と剣戟の交代するタイミングが僅かにずれ、ついに連携に綻びが生じた。たった一瞬の隙だったが、勝機を窺うエミヤにとっては、降って湧いた千載一遇のチャンスだった。

『────はっ!』

『────ぐっ!』

 これまで銃弾に阻まれてできなかった。メアリーの攻撃を紙一重で躱し、その勢いのまま胴体に回し蹴りを叩き込む。小柄な少女はマストに体を打ち付け、暫らくの間は動けそうにない。

 そして、エミヤが狙うのは前衛のメアリーだけではない、後衛のアンもその対象だ。狙われていると分かったアンは、逃げることなく銃で切り結ぶ。だが、流石に攻撃を耐えきることはできない。

『そこだ──!』

『────あっ!』

 狙っていた訳ではないが、乗船前の狙撃で空けておいた船縁の穴へアンを弾き飛ばす。

 そのまま海へと投げ出されそうになったアンだったが、その腕を掴む影があった。

『しっかりして──アン!』

 先程無力化したはずのメアリーだった。未だに残っている痛みをこらえて戦場に復帰していた。

『だめよメアリー! 私のことはいいから』

 死を恐れないアンと情を捨てきれないメアリーの決定的な違いが、葛藤を生んでいる。互いが互いを想い合っている。

 英霊の身である以上、消えるだけで死は関係ない。メアリーもそれは分かっている。それでも、心情は別だった。互いに片翼しか持たない鳥は、一羽で飛ぶことは叶わない。メアリーはその一心で引き上げようとする。

 しかし、全盛期の姿で召喚される都合上、小柄のメアリーで大柄のアンを引き上げることはできない。

『お願い離して! このままじゃメアリーが』

『────掴まれ! 早くしろ!』

 二人の会話に割って入ったのは、敵対していたはずのエミヤだった。握っていたはずの剣を手放し、空いた手をアンに差し出している。

 呆気にとられるアンとメアリーだったが、いち早く我に返ったアンは恐る恐るエミヤの手を握った。

 そこから引き上げることは容易なことだった。助かったことに安堵したアンとメアリーは、静かに抱き合っている。

『どうして……僕達に手を貸してくれたの?』

 不意打ちをする様子もなく、その場から一歩も動いていないエミヤに向かって、メアリーは不意に口を開いた。敵対していた相手に手を貸したことが、釈然としていない様子だった。

『私に背を向けてでも半身を救おうとした君の姿に感銘を受けただけだ。仮に、あのまま攻撃を続けていたとしよう。どちらが正義か分かったものではないな』

『私達は海賊なのに?』

『海賊だから悪という訳ではないだろう。こちらの船長はドレイクだ。彼女も同じ海賊だが、偉大な航海者でもある。誰かを救おうとしている人間を悪と断じるならば、それこそが悪に他ならない。

 さて──どうする?』

 質問には答えたと言わんばかりに、エミヤは今後の展開を催促する。

 アンとメアリーは顔を合わせるとアイコンタクトを交わし、メアリーが口を開いた。

『……降参するよ。僕達じゃ敵いそうにないし、このまま戦って消耗させてもいいけど、助けて貰っちゃったからね』

『こちらとしては賢明な判断で助かるよ。では失礼する』

 メアリーの言葉を信じて気を許したのか、エミヤは武器を構えることなく、隙だらけの背中を晒して去っていく。

 このまま襲い掛かれば倒すことも可能だったが、アンとメアリーに動く気配はなかった。

 

 ────思い返してみたが、至って普通のことしかしていない。

 更に頭を悩ませるエミヤだった。そういえば、黒髭の最期を看取っていた時──

『エミヤ殿でしたかなwww。

 フラグ建設とは羨ま死ね。枕元に立ってやるでござる』

 と真顔で言われたが、果たして何のことだったのだろうか。

 

 




 忌み嫌われる存在だった私達を、何も言わず助ける変わった人。海へ弾き飛ばさずとも、剣で貫いた方が確実でしたわ。
 僕達は最後まで戦い続けると決めていたのに、想像してない行動に毒気を抜かれてしまったよ。
 助けることが救いになることに、エミヤさんは気付いていないのでしょう。
 それが当然だと思っているからじゃないかな。
 もっと傍に居たくなってしまいましたわ。
 ならば、手に入れよう……アン。
 相手がマスターでも、抜け駆け上等ですわ!
 舐めるなよ、海賊を! 覚えておいて、エミヤ。


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エミヤと仲良しの魔女

大変遅くなりました。


 エミヤが自室に戻ると、香ばしい香りが鼻腔をくすぐった。作り慣れたエミヤは、即座にクッキーの匂いだと断定することができる。

 そして、なぜそんな匂いがするのかといえば、先客の手土産だからである。

「お待ちしていました。エミヤさん」

 裏切りの魔女のかつての姿であるメディアリリィは、育ちの良さを感じさせる姿勢で椅子に腰かけていた。

 メディアリリィの目の前のテーブルには小さなバスケットが置かれ、エミヤの推測通りクッキーが収められている。

「先日料理を教えていただいたお礼に、クッキーを焼いてきました」

 クッキーへ視線を向けたエミヤに応えるかのように、メディアリリィは穏やかな笑顔で補足する。

 メディアリリィの言う通り、得意なお菓子以外にも料理を作れるようになりたい、と教えを請われたため、エミヤが指導員として付き合っていた。

 裏切りの魔女(メディア)の記憶も保有していることが、特異点での邂逅でも確認できており、生前含めてメディアの方に因縁のあるエミヤは、声を掛けられた時に思わず身構えてしまった。

 しかしメディアリリィの話を聞いてみると、申し訳なさそうな顔をしながら至って普通のお願いをされたので、それくらいなら、とエミヤは二つ返事で引き受けた。

「あれくらいならば、礼など気にしなくて良かったのだが」

「それでは、私の気が収まりませんから。ぜひ受け取ってください」

「ああ、折角作ってくれたのだ、無碍にはできんよ」

 微笑みながら勧めてくるメディアリリィは、頑として譲らないことが分かっている。

 最近の心境の変化もあってか、厚意を受け取らないのも失礼に値すると十分に理解しているため、エミヤの方から折れる。

「では、紅茶でも入れよう」

「それは楽しみですね、お願いいたします」

 クッキーを最大限楽しむために、紅茶は必要不可欠だ。エミヤは丹精込めて紅茶を注ぐ。

 

 ささやかながら始まったお茶会、メディアリリィのクッキーとエミヤの紅茶で会話が弾む。

「本当はパンケーキを作ろうと思ったんですが、材料がなかったもので」

「それは残念だな、また機会があれば作ってほしいものだ」

 そこまで言ってエミヤはふと気付く、パンケーキの材料は足りていたはずだ、と。

 もしかすると、メディアリリィが独自に開発した隠し味があるのかもしれない。だが、今聞いてしまうと面白みに欠けてしまう。己の舌で材料を当てることも食べることの醍醐味だ。

 突如湧いた疑問を口にすることなく沈黙していると、メディアリリィは次の話題を切り出す。

「そういえば、ここにいる皆さんは仲がよろしいですね」

「ああ、そうだな。私にも理由は分からないが」 

 社交性の高いマスターのことだから、当然の帰結だろうとエミヤは結論付ける。当然ながらエミヤには知る由もないのだから。

「でも、最近ではドレイクさんを筆頭として、争っていることが多いですね」

「争うと言っても、ジャンケンだがね」

 宝具の使用が禁じられているカルデアでは、藤丸立香の一存により勝負事はジャンケンでけりをつけることが義務付けられている。

 格上に滅法強いドレイクが、アルトリア(セイバー)達が持っているような『直感』系スキルを捻じ伏せる様は、エミヤが初めて見た時には度肝を抜かれ、今のところ代理人のネロが互角の勝負らしい、と解説役を務めていたマシュに説明された。

「……みんな仲良しが一番だと思うのですが」

 憂いのある表情でメディアリリィはため息をつく。そこまでして仲良しにこだわるのは、生前の経験からだろう、とエミヤには察しがついた。

「心配には及ばんよメディア……リリィ」

 エミヤ自身、どうにもその真名だけは呼び慣れないためか、あまりの違和感で間が空いてしまう。

「私の故国の言葉だが、喧嘩するほど仲が良い、というものがある。それに、ジャンケンで決着がついた後は、互いに笑顔で健闘を称え合っている」

「……そう……でしょうか」

 未だに憂いの晴れない表情をするメディアリリィ、やはり根は相当に深いらしい。

「それにかつてのオレも、とあるマスターと袂を分かったり、記憶を奪われたときに冷たくしたこともあった。だが、それでも信じて追いかけてくれるマスターがいた。そして、藤丸立香も同じ雰囲気を持つマスターだ」

 恩人の赤い少女と不屈の心を持つ月の少女、後ろめたいことをしたこともあるエミヤは、二人の存在に救われた。

「エミヤさん……」

「今すぐ信じろとは言わんよ、これからのマスターの行動を見て君が決めればいい。それに、気に病んでいることもすでに答えが出ているじゃないか」

 言葉を切ると紅茶に口をつけるエミヤには、メディアリリィの悩みの種の見当がついている。

 エミヤの意味深長な言葉に眉をひそめたメディアリリィは、少しばかりの逡巡の後にハッとしたように思い出す。

『これからよろしくね、メディアリリィ。特異点ではごめんね、そして……ありがとう』

 カルデア(ここ)に召喚されたとき、面識のある藤丸立香(マスター)は明るい笑顔で迎えてくれた。敵対していたはずのメディアリリィのことを──

 エミヤが言いたかったのはこのことだろうか、メディアリリィはそう考えながらぼんやりと紅茶のカップを覗き込む。

 飲み残された紅茶には、先程よりも和らいだ表情のメディアリリィが映されていた。

 

 そして後日完成したパンケーキが、エミヤの想像を絶する代物だったことは、また別のお話である。

 

 




 エミヤさん、イアソン様とは違ったお方。でも、あなたも私を惹き付けて離さない。
 今でも、信じたら裏切られるのではないか、そう思って身構えてしまいます。
 でも……マスターやあなたのことを信じたい。
 これからも、私のことを裏切らないでくれますか? ……エミヤさん。


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エミヤと上姉様

この二人は同日に投稿したかったので。




 エミヤは意識を取り戻す。

 視界には天井が映されており、体の感覚からいつの間にかベッドに寝かされていることを、エミヤは瞬時に理解する。

 なぜ自分がそうなっているのか経緯ははっきりと覚えていないが、確か最後に話していたのは……メドゥーサだったはず──

「目が覚めたみたいね。勇者さま?」

 寝起きのエミヤに呼びかけるような声。顔を少しだけ持ち上げ、声の聞こえる方向に視線を向ければ、エミヤの顔を見つめているステンノが、ベッド脇に座っていた。

 先日、初の二回連続召喚を試みたところ、ステンノとエウリュアレが顕現し、立香含むカルデア職員一同が腰を抜かしたことは、鮮烈な記憶として残っている。余談ではあるが、メドゥーサは卒倒していた。

 そして、神霊の連続召喚で負荷がかかりすぎたため、今後の連続召喚が難しくなったことは言うまでもない。

「アサシンの気配遮断は、便利なものね。声をかけるまで、全く気付かれないんだもの」

「……なぜ、私はここにいる?」

 何が面白いのか、薄く笑みを浮かべているステンノに状況を伺う。エミヤが察する限り、目の前の女神は無関係ではないはずだ。

駄妹(メドゥーサ)をけしかけて、私の部屋まで運ばせたのよ。私の力じゃ運べないもの……ああ、メドゥーサなら飲み物を取りに行かせたわ」

「誘った理由は?」

「レイシフトで(エウリュアレ)がいないから、退屈で仕方ないわ。相手になって頂戴」

 あっけらかんと言い切るステンノの姿は、ある意味清々しい。むしろ、メドゥーサに相手をしてもらえば、とエミヤは思いかけたが、メドゥーサばかりに苦労を背負わせることは(はばか)られる。

 しかしただの退屈しのぎのために、大掛かりなエミヤの誘い方である。気絶させられて運ばれるのは、正直堪ったものではない。

「……誘うなら声をかければ良いのではないかな?」

「いやよ、面倒くさい。それに面白くないでしょう?」

 エミヤは失念していたがこの女神……いや女神達にとって、人間は玩具の様なものだ。最初に会った特異点でも、なぜかエミヤは一人で洞窟探検(キメラ退治)をさせられた。

 対応に頭を悩ませていたエミヤだが、一つの結論を出す。

「サーヴァントは人間じゃないから、勇者とは呼ばないのではないのか?」

 ローマの特異点では、人間の勇者を待ちわびていた、とステンノ自身が語っていた。それなのに、エミヤを勇者と呼ぶ意図がつかめない。

「あら……そんなこと? 簡単な話よ。力なきものを守る存在を勇者と呼ばず、何と呼ぶのかしら? それに、"あなたは人間であろうとした"……違うかしら?」

 ステンノはすっと目を細め、エミヤを射貫く。全て遠き理想郷(アヴァロン)のお蔭で即死はしないが、金縛りのように体が動かない。

「誰よりも人間であろうとしたから、全てを救おうとした。そして、誰よりも人間であろうとしたから、心が摩耗した。こうみえても神よ? 英霊化の記憶統合で大体は知っているわ」

「……なら、私が勇者に相応しくない愚か者だということも、君は理解しているはずだが」

 矢継ぎ早に言葉を並べるステンノに対し、天井を仰ぎ見ている、諦観したエミヤの言葉は少ない。

「清廉潔白な勇者なんて、おとぎ話の中だけよ。最期まで足掻くのは、人間だけですもの。あなたも十分に人間だわ」

 近づいて顔を寄せると、エミヤの視界に収まったステンノは、甘い毒を孕んだ言葉で囁く。

 絶世の美少女に見つめられているエミヤは、恥じることなく目を合わせて言葉を返す。

「────いい加減に、本当の目的を話したらどうだ?」

「……もう気付いたの? 無粋な人ね」

 真相に辿り着かれたにもかかわらず、動じることなく笑みを浮かべるステンノ。

 彼女の手の内を知るエミヤには、最初から分かっていた。核心について話されてないことが。

「メドゥーサが生意気にも男を手玉に取ろうとしていたから、私が代わりにやっているのよ」

「……生憎、手札が分かっていれば騙されんよ。それに、君の伝家の宝刀も意味を成さない」

 先程から、もっと詳しく言えば、ステンノが話しかけてきた時から、『女神の微笑(スマイル・オブ・ザ・ステンノ)』が発動している。

 蠱惑的な一挙一動は死を予感させる。対抗策である全て遠き理想郷(アヴァロン)が無ければ、エミヤはもう何回も死んでいるだろう。

 尤も、防がれることをわかった上で、ステンノは発動させているのだが。 

「肩までどっぷりと嵌まっているのに、虜にならないなんて……もしかして女の子が嫌いなのかしら?」

「さてね、可愛い子は誰でも好きだよ、オレは」

 珍しく不満げな表情でエミヤを糾弾するステンノ。ようやく体を起こしたエミヤは、あらぬ噂が立つ前に否定すると、足早にベッドから降り立つ。

「では、私はお暇しよう。女性の部屋に長居するのは、よろしくないからな」

「────一つ聞いてもいいかしら?」

 部屋を出ようとしたエミヤを、ステンノは呼び止める。

 足を止めたエミヤが振り返れば、背を向けたステンノの姿が映る。

「なぜあの時、私を助けたの?」

 倒したと思った招かれざる客人(カリギュラ)に不意を突かれ、命を落としかけたステンノを、洞窟帰りのエミヤが現れて守り抜いた時のことである。

 難題を押し付けた提案者を、迷うことなく守りに来たエミヤの行動理念が、ステンノには理解できないらしい。

「誰かに守られなければ、生きていけないのだろう? 理由なぞ、それだけだ」

 即答すると、歩みを再開するエミヤ。

 部屋を出てくエミヤの背中を、振り返ったステンノはじっと見続けていた。

 

 そして、飲み物を持ってきたメドゥーサに鉢合わせ、結局ステンノの部屋に舞い戻るエミヤであった。

 

 




 困惑する様が見たいのに、全く動じない勇者さま。それでも、反応してくれるだけで楽しめる。
 それに、守ることに特化しているなんて、まるでメドゥーサのようね。
 今思い出したけど、アルテラが少女になったのは、エミヤが原因で間違いないわね。
 なぜこんなにも気に入っているのか、(エウリュアレ)も分かっていないようですけれど、あの子(メドゥーサ)も懐いているようですし、私たち三人に混ぜてあげましょうか? ………勇者さま(エミヤ)


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エミヤと下姉様

初の同日連続投稿。
なお質と量はいつも通り。


 日はとうに落ち、満月が空を支配する時刻、夜の帳が下りた海を黄金の鹿(ゴールデンハインド)号は進む。夜当番の見張りと総舵手以外は、疲れからか眠りについている。

 先の戦いでの収穫から、『契約の箱』を探しださなければならないことが分かった。立香達は、イアソンよりも早くそれを成さなければならない。

 今では落ち着いて航海ができているが、日中はアルゴ号に乗船していた、名の知れた神代の英雄達と交戦し、紙一重で凌ぎ切ると立香達は戦線を離脱した。

 無事に、とはお世辞にも言えない、雷光(アステリオス)という大きな犠牲を払ってしまったのだから。

 

 右舷──船縁の低い部分に腰掛け、足を海側に投げ出しているのはエウリュアレ。ゴルゴンの三姉妹が一柱の神霊である。

 夜風に髪を靡かせ、眼を閉じて歌うエウリュアレは月明りに照らされ、その周囲は切り取られたかのように、この世から隔絶した雰囲気を醸し出している。

『ここにいたのか、探したぞ……エウリュアレ』

 そこへ踏み入るのは、赤い外套を同じく夜風に靡かせるエミヤ。エウリュアレの不在に気付き、見回っていた。

 声を掛けられたエウリュアレは、歌を中断すると不敵な笑みを浮かべて答える。

『こんな時間に声をかけるのは感心しないわね、襲いにでも来たの?』

『それは違う。それと……すまなかった』

 エウリュアレの問いかけを即答に否定すると、エミヤは謝罪した。

『私には……彼を守る術があった、だが──』

『アステリオスのことなら、謝らなくてもいいわ』

 ためらいがちにも、言葉を述べようとしたエミヤを制すると、エウリュアレは先を読んで答えを返す。

『あの子のことだもの、助けなくてもいい、って言っていたんでしょう?』

 その言葉の通りだった。

 

 アルトリア(セイバー)を含めて頭数が多くとも、宝具の余波を考えれば、船上の戦いでヘラクレスを倒しきることは流石に容易ではなく、大英雄一人にそこまでの人員は割けない。

 全滅の回避とエウリュアレの死守のために、何としてでも撤退戦に持ち込まなければならない。

 その最中(さなか)の出来事だった。

 アステリオスが捨て身の策でヘラクレスとヘクトールを無力化し、立香達の逃げる時間を稼いだ。

 ヘクトールの宝具『不毀の極槍(ドゥリンダナ)』が飛来したとき、エミヤは即座に『熾天覆う七つの円環(ロー・アイアス)』を投影しようとしたが、アステリオスの叫びに止められた。

 そして、アステリオスの目を見たエミヤには、彼の思惑と言いたいことが伝わってきた。

『えうりゅあれ、まもって』

 ただエミヤがそう思っているだけかもしれない。

 だが、決意を固めた表情のアステリオスは、最後に笑っていた。過ごした時間こそ短かったが、アステリオスの人柄をエミヤが知るには十分だった。

 だからこそ、そう思った。一瞬の視線の交錯で、アステリオスの伝えたいことを。

 

 仲間を切り捨てることの選択を、立香は強いられた。その辛さを取り除くことのできないエミヤは、もどかしさを感じた。

 だがアステリオスとの別れは、エウリュアレにとっては、また違った意味を持つ。彼を(メドゥーサ)に重ねていた、エウリュアレには。

『私のせいで、アステリオスは死んでしまった』 

 物憂げな表情をした、エウリュアレの呟くような独白を、エミヤは黙って聞く。

『私が召喚されたから、アステリオスは死んでしまったの。私が居なければ、あの子が死ぬことはなかった。でも……私に何が出来るか、ようやく思い出したの』

『────あの子のためなら、命を差し出せるって』

 船縁から手を放し、エウリュアレは海に飛び込む────ことはできなかった。

 いつの間にかエウリュアレの背後まで近づいていたエミヤが、間一髪の所で、船縁から手を放した華奢な右腕を、しっかりと掴んでいたから。

 エウリュアレが纏っていた、薄氷を踏みしめているような危うさ。それを感じたエミヤの悪い予感は、残念なことに的中していた。

『……放して、エミヤ』

『それはできない、彼との約束を破ることになる』

 身投げしようとするエウリュアレに対し、頑として譲らないエミヤ。

『だってそうでしょう? 私が居なければ、イアソンの目的も──』

『────アステリオスは、君に生きていてほしかったんじゃないのか?』

 エウリュアレの言葉を遮り、冷静なエミヤらしくない感情の込められた言葉に、エウリュアレは思わず目を見張る。

『現界をやめることをとやかくは言わん。しかしその選択なら、マスターもアステリオスもやろうと思えば出来た。だが、君はこうして生きている。────二人が君に生きていてほしいと願っているから』

『……でも』

『私のことは嫌っても構わん。だが、君を姉のように慕っているアステリオスを、悲しませないでほしい』

 エウリュアレから手を放すと、背を向けるエミヤ。最後に残した言葉からは、彼のやりきれない哀しさが伝わってきた。

 エウリュアレは無意識の内に、エミヤの掴んでいた右腕に左の掌を乗せていた。

 

 連続召喚でカルデアに召喚されたエウリュアレを右肩に乗せ、眉間に皺を寄せたエミヤが廊下を歩く。

「なぜ、私がやらなければならないのだ?」

「あら……不満でもあるの、勇者さま? あの時みたいに抱き止めて歩いてもいいのよ」

 ヘラクレスから逃げる時、エミヤは転んだ立香ごとエウリュアレを抱き止めたことがあった。

 必然というべきか、当時居合わせたセイバーが、カルデアの留守組に愚痴をこぼし、希望者をお姫様抱っこして回る羽目になったことは記憶に新しい。

 このような冗談を言うほど、エウリュアレがエミヤに懐いた経緯といえば。

 仕留め切れていなかったヘクトールが最後の最後にあの宝具を使い、無防備なエウリュアレを狙ってきたが──

『オジサン、びっくりしちゃったねぇ。まさか本当に持ってくるなんて』

 エウリュアレと同じく警戒していたエミヤは、今度こそアイアスを投影して守り抜き、英雄(アステリオス)との約束を果たしたくらいである。

 そして別れの時、エミヤを屈ませたエウリュアレは、お礼と称して頬に口づけをしていたし、カルデアに召喚された後はステンノが不在の時、エウリュアレの方からエミヤに会いに行くほどだった。

 

 悲しいことにいくら頭を捻っても、エミヤには懐かれた理由が分からなかった。あの時の口づけを、額面通りに受け取っているエミヤには。

 そして特異点から帰還した夜、枕元で『エミヤ絶許』というどこかで聞いたはずのとある海賊の声が聞こえていたが、エミヤは気のせいとして処理した。

 

 




 寂しさで自暴自棄だった私を引き留めた勇者さま。不思議なことに、彼の言葉を受け止めて特異点を生き抜いた。
 それに、守ることに特化しているなんて、まるでメドゥーサのようね。
 早くアステリオスも来ないかしら。……ちゃんとお礼を言わないと。
 なぜこんなにも気に入っているのか、(ステンノ)も分かっていないけど、あの子(メドゥーサ)も懐いているようだし、私たち三人に混ぜてあげましょうか? ………勇者さま(エミヤ)


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不在のエミヤと第三次乙女協定

作風が安定しない。
この後は、第四特異点よりも先に、イベントか体験クエストのサーヴァントを書くと思います。
番外編も少しずつでも書きます。


 オケアノスの一件で、立香はマスターとして、時には非情な決断を下さなければならないことを知った。

 英霊は座に本体がある限り、特異点での消滅は一時的なものだ。しかし、一般的な魔術師からは程遠い立香は、割り切ることが出来なかった。それを理由にして、仲間を切り捨てるような真似はしたくなかった。たとえ、本人(アステリオス)の提案だとしても。

 初めての挫折だった。フランスとローマの二つの特異点で、全員を生存させて修復を成し遂げた経験が、却って立香の心を蝕み、思考を鈍らせていた。

 それ故に、オケアノスの最終局面で、立香はあわや取り返しつかない失態を演じるところだった。

 一瞬とはいえ、足元を確認していなかったがために躓き、抱えていたエウリュアレと共に、大英雄(ヘラクレス)の斧剣で絶命するはずだった。────立香が一人で戦っていれば。

『世話が焼けるな、マスター』

 体の浮遊感と共に投げかけられたのは、立香を案じる言葉だった。

 その声の持ち主である赤い外套の弓兵──エミヤは、心配そうな表情で立香を見ていた。

 そこで立香は理解する。葛藤と戦っているのは、自分だけではない、と。

 

「ふう……」

 自室で立香は一息つく。この行為は、例の時間が始まる前に必ず行う儀式のようなものだ。それに、今回はいつもよりも倍以上気を引き締めなければならない。

 なぜならば──

「一体何の集まりなんだい? マスター」

 今日の参加者は、抜け駆け上等を是とする、海賊ドレイクを始めとした一筋縄ではいかない曲者揃いだからだ。

 立香にとって、もはや暗唱できるまでになった、いつもの決まり事を参加者に告知する。賛同してもらえるかは、また別の話であるが。

「すまないけど、そいつには賛同できないねぇ」

「ごめんなさい、私達も」

「賛同できないんだ」

 立香の予想していた通りの反応だった。海賊である、ドレイク、アン、メアリーは、素直に賛同してくれるはずもない。

「みんな仲良しが、一番だと思うのですが……」

 三人の海賊に対し、異論を唱えるのはメディアリリィ。

 裏切りの魔女の対極に位置する仲良しの魔女は、争うことを好まない。

「汝に同意するのは癪ではあるが、斯様な争いを避けるべき、という言葉は妥当だろう」

 特異点で対峙したからか、メディアリリィと少し距離を置いて、意見を述べるアタランテ。ギリシャの痴話喧嘩をよく知る彼女は、争いを回避したい。

 しかしながら、不純だとエミヤに怒りの矛先を向けず、協定の参加によって事態の収拾を選ぶ所が、まさに惚れた弱みである。

 

 一回目の話し合いは、賛同派にメディアリリィとアタランテの二人、反対派にドレイクとアン、メアリーの三人で分かれた。

 立香にとっての正念場、反対派をどう切り崩すかで勝負が決まる。

 だが、カルデアに召喚されたサーヴァントの交友関係を把握している、マスターの立香には戦略がある。

 アンとメアリーは、ドレイクを船長(キャプテン)として慕っており、ジャンケンでの勝負もドレイクが代行している。

 つまり、二人が絶対の信頼を置くドレイクを説得すれば、アンとメアリーの説得も容易になる。

 ハイリスク・ハイリターンの賭けだが、これに頼らなければ、カルデアの平和は保たれない。

「ドレイク、この協定の損益をおさらいしよう」

 賽は投げられた。立香は手札を切る。

「この協定に賛同すれば、邪魔されることのない時間を確保できる。ただし、独占することが禁止される」

「たしかに、マスターの言うように魅力はあるよ。でもねぇ、欲しいもの……お宝は自分で手に入れるのが、海賊の流儀さね」

船長(キャプテン)の言う通りですわ」

黒髭(ティーチ)も船長としては悪くはなかったけど、やっぱり……ね」

 ドレイク達の言うように、海賊ならば当然の価値観だ。しかし、ドレイクにはもう一つの顔がある。

「そういえば、特異点の時、欲しいもの言っていなかったよね。一か八かの勝負(ジャンケン)をしなくても、相応のメリットを用意している協定に賛同して欲しいなぁ」

「……迂闊なことは言うもんじゃないね。ここで、それを持ってくるのかい? やっぱり、無欲な奴が一番恐ろしいねぇ。……いやマスターは、既にあるものを守ろうとしているだけか」

 ドレイクは海賊であり、商人だ。卑怯かもしれないが、立香が使える手札は全て使う。後は、ドレイクの考え次第だ。

「…………アン、メアリー、ここはアタシの顔を立てて、折れちゃくれないかい。船員──後輩の幸せも、船長として保証したいのさ」

船長(キャプテン)……ふう、仕方がないわね。いいかしら? メアリー」

「うん。船長(キャプテン)が最後まで戦って負けたんだから、従うしかないよ。でも、負けても損がないのは、多分初めてかな」

 第三回となったこの協定も、マスター──藤丸立香の活躍により、無事に締結された。

 

「はあ、良かったぁ」

 各自解散し、人数も少なくなった頃、協定の立役者である立香は、思い切り息を吐き出した。

 ドレイクが貸し借りを気にする人で良かった。踏み倒されたら立香に打つ手はなかった。

「あの……マスター?」

「ん? なに?」

 部屋には、メディアリリィとアタランテが残っていた。

あの二人の女神(ステンノとエウリュアレ)が見当たらないが、何かあったのか?」

「そうですね、少し気になります」

 二人の疑問は至極当然のものだろう。立香は二人の方を向く。

「実は、この協定が始まる前にメドゥーサの部屋に呼びに行ったんだけど、『妹の時間は姉のもの、邪魔はしないから、勝手に決めてくださいな』ってステンノとエウリュアレに言われちゃって」

「それは、……お二方らしいですね」

「成程、既に話は纏まっていた、という事か」

 女神は気まぐれだ。今の所、立香のことを認めてくれているが、この話をしに行くのは勇気が必要だった。

 身構えていただけに、あっさり承諾されて立香は拍子抜けしてしまったが。

 後、女神達に会いに行った時、眼帯で見えなかったが涙目だろうメドゥーサには、エミヤの差し入れをプレゼントしよう、と立香は心に決めていた。

 

 メディアリリィもアタランテも自身の部屋に戻り、就寝支度を終えた立香はベッドに横たわる。

 抱えていた悩みに、自分なりの答えを出した。

 仲間を切り捨てることはしないが、英霊達の想いを背負い、仲間と共に必ず前へ進む。それが、立香の目指すマスターの姿だ。

 その決意を胸に、立香は睡魔に身を委ねた。

 

 




 アトリエ兼工房で、ダヴィンチは一人悩んでいた。
「投影魔術……か」
 本来ならば、実践向きではない魔術を使い、英霊にのし上がった謎の男──エミヤ。
 宝具の投影も可能にしていることから、封印指定の対象にされてもおかしくはないほどの特異性を持つ。それなのに、人理焼却の直前でも、そんな男が居るという情報は入ってこなかった。
 もしかすると、エミヤは未来の英霊なのかもしれないが、そんなことは問題ではない。
 宝具の投影を可能にしていても、所詮は偽物。しかし、彼の投影する物から、ダヴィンチは固い信念を感じ取ることができた。
 贋作といえどそれを作るエミヤには、曲げられない信念がある。
「もし、これ(・・)の贋作が出たら、彼に捜査を依頼しようかな」
 ダヴィンチが見つめる先には、今の万能の天才と同じ顔の女性が微笑んでいる。


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エミヤと収穫祭の鮮血魔嬢

初のイベント特異点キャラです。
でもおかしい、こんなにしおらしいキャラだったっけ?


 藤丸立香の元に送られた、独特の誘い文句が記された招待状。

 嫌な予感がした立香とマシュの二人は、乗り気でなかったエミヤに同行を依頼し、いつの間にか立香の後ろに居た清姫を含め、四人で監獄城チェイテへ向かった。

 立香一行を迎えたのは、扇情の踊り子、掃除の伯爵夫人、刺繍の串刺公、万能のメイド、そして謎の主催者だった。

 

 普段通りであれば殺風景極まりないエミヤの自室に、派手な衣装を纏った少女が来訪していた。

 その少女こそ謎の主催者であり、正体はフランスで出会ったエリザベート・バートリーその人だった。

 偶然にもフランスの地で聖杯の欠片を拾ったことでクラスが変わってしまい、そのまま戻れなくなったところを立香に拾われる形で契約した。

 このエリザベートとエミヤは、月の聖杯戦争で面識がある。短い期間ではあったものの、当時のマスターである岸波白野と協力関係にあった。

 だからこそ、エミヤはエリザベートの人となりを知っている。どう変わったのかを知っている。どう変わってしまったのかを知っている。

「ほら、もっと撫でなさい。それでも(アタシ)の執事なの?」

「まだ、あの時のことを根に持っているのかね?」

「当然でしょ、筋肉モリモリマッチョの変態さん?」

 文句を言われながらも、派手な帽子を外したエリザベートの頭を手慣れたように撫でるのは、部屋の主である弓兵(アーチャー)エミヤ。お互いにベッドに腰掛け、並んで座って居る。

 岸波白野の奮闘で、エリザベートは多少なりとも最後には改心した。その最中(さなか)で、無銘として召喚されたエミヤは、エリザベートに対してデリカシーのない発言をしてしまい、そのお詫びとして彼女の執事役をやらされていた。

 クラスが変わったからと言って、この時の記憶が都合よく消えるはずもなく、エリザベートはその権限を存分に発揮して甘やかされる。

「その呼び方はやめてくれ。本当に私が悪かった」

「じゃあ、赤オオカミかしら。子リスも子ジカも、満更でもなかったみたいだし」

「……まさか、精々頼れる兄貴分といったところだろう」

 ────ああ、そう。

 エリザベートはエミヤの朴念仁さに呆れながら、本人に聞こえないようため息をつく。やっぱり気付いていないのか、そう思いながら。

「魔法はあまり詳しくないから、治せそうにないわね」

「何か言ったか?」

「別に。……アンタの背中を見ていると、もの悲しくなるだけよ」

 誤魔化したはいいが、無防備な背中を見ると刺したい衝動に駆られるエリザベートでも、エミヤの背中を見ると成れの果て(カーミラ)を見かけた時のように、胸が強く締め付けられるばかりだった。目を逸らしてはならない、と本能的に判断してしまう。

 無銘の時から知り合いだが、エリザベートはその来歴について聞いたことはなく、聞く必要もないと思っている。気にならない訳ではないが、深入りすることは柄ではない。

 早い話、未来の自分と似たところがあるのだろう。他でもない、誤った道を進んでしまったエリザベート・バートリーと。

 

 エリザベートは監獄城(チェイテ)を改装して立香達を招いたが、聖杯の欠片の力でスタッフを揃えた時、なぜかカルデアのサーヴァントも呼び寄せてしまった。カーミラには呆れ顔をされたが、タマモキャットは乗り気であった。

 メインのおもてなしとして、マスターの立香にはエリザベート自慢のライブで楽しんでもらえたが、一番の問題はエミヤが勝手に楽しんでいたことだった。

 マタ・ハリにはエミヤがいつの間にかフラグを立て、カーミラには掃除のコツを真面目な顔で指導し、ヴラド三世とは刺繍や裁縫の話で盛り上がり、タマモキャットは甲斐甲斐しく立香とエミヤの世話をしていた。

 本音を言えば特異点で会った時から、気に入った立香と無銘ならぬエミヤに甘やかされたかった。

 尤も、素直にお願い事を言うことができず、元のクラスに戻れないことを利用してカルデアのサーヴァントとなったが、立香の周辺にはいつも清姫が張り付いているため、エリザベートの方からは迂闊に近づくことができない。

 結果的に、近づきやすく甘やかさせる口実の在るエミヤが適任だった。無銘の時よりも柔らかい態度であるため、話しかけやすいことも後押しした。

「……何をしているんだ?」

 エミヤの疑問を孕んだ声で、エリザベートは思考の渦から脱する。知らず知らずのうちに考え事をしており、エミヤにもたれかかっていたらしい。

「何でもないわよ。それより、撫でることを辞めていいなんて一言も言ってないわ」

「……全く、相変わらずだな君は」

 エミヤは呆れたように言葉を返すが、撫でる手を止めることはない。

「ちょっと……眠くなって……きた……わ」

「この後は、カボチャのケーキを作るんじゃなかったのか?」

「そうなん……だけど……ごめんな……さい…………」

「まあ、いいさ。といっても、もう寝てしまったか」

 規則的な寝息を立て、夢の世界に旅立ったエリザベート。エミヤは彼女をベッドに寝かせると、起きるまでの間にカボチャのケーキのレシピを書き起こすことにした。

 

 あの頃のように、一人ぼっちではない。エリザベートの顔は、ただただ穏やかな寝顔だった。

 

 

 




 (アタシ)としたことが、あのまま寝るなんて迂闊だったわ。まあ、アイドルだから愛されるのは当然よ。子リスが居ない分、子ジカと執事で埋めてもらわないと。
 お礼は何にしようかしら、カボチャのケーキもいいけど──
 折角だから、歌も贈りましょう。
 聞いてくれるわよね……執事さん(エミヤ)


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エミヤと陽の眼を持つ女

考えていたよりも湿っぽい話になった。


 自室に侵入者が居ることにも慣れ、多少のことでは動じないと思っていた、対応力に定評のあるアーチャーのエミヤ。しかし本日の先客は、彼の予想をはるかに上回っていた。

 何を隠そう、その先客の名はマタ・ハリ。ある時は扇情的な踊り子、またある時は情報を引き出すスパイとして、近代史に名を残している有名人である。

 彼女が何をしたのかといえば、普段の踊り子の洋装を肌蹴させて、何とも際どい恰好でエミヤを出迎えたのである。

 エミヤは扉を開け、室内を一目見た瞬間こそ動揺したものの、思考停止状態から立ち直った後の行動は早かった。

 急いで部屋に入ると扉を閉め、薄い毛布を投影してマタ・ハリに被せる。この一連の工程には、一切の無駄がなかった。

 

「全く、君はお茶目が過ぎるぞ。……で、用件は何かな?」

 エミヤはやんわりと注意すると、ようやく服を着直させたマタ・ハリに部屋を訪れた目的を訊ねる。

「驚かせちゃったかしら。ブーディカの話を聞いて、私もあなたに膝枕したくなったの……ダメかしら?」

 エミヤへの唐突なサプライズはこのための余興だったらしく、マタ・ハリの真のお願いは膝枕だった。

 蠱惑的な表情で小首をかしげるなど、女性の魅力を十全に用いてお願いしてくる様は、エミヤでも思わず見惚れてしまうほどだが、その内容は意外にも庶民的だった。

 エミヤに膝枕する英霊は、このカルデアでは数少ない。アルテラの独特な寝かせ方を数に含めるならば、ブーディカとの二人だけである。

 同じ日に重なることなく、ブーディカとアルテラの二人は膝枕を提供してくるが、膝枕される側になるのは何度経験しても慣れるものではなく、エミヤはむず痒さを感じてしまう。しかし、それで二人の気が済むなら、とここで断らないのは彼のお人好したる所以である。

 マタ・ハリは、召喚当日の歓迎会で気の合ったブーディカからいろいろと聞いていた。その際、膝枕した時の安堵感について語られたため興味を持ったのである。

「…………まあ、いいだろう」

 腕を組んでしばらく悩んだ末に、エミヤは返答する。当然の帰結で、やはり余程の事でない限り、頼まれ事をエミヤが断ることはない。

「ふふ……じゃあ、こっちに来て」

 ブーディカにやり方を教わった通り、マタ・ハリはベッドの枕元に腰掛けると、その膝の上にエミヤの頭を乗せる。

 加えて、膝枕中に頭を撫でるのも格別だ、とブーディカは言っていた。その言葉通りに優しく頭を撫でる。

「……そこまでしなくてもいいのではないか?」

「あら、頭を撫でるのはおかしいの? こういうことは、雰囲気が大事なの。甘やかしてあげるわ。うふっ」

 エミヤの野暮な指摘に、マタ・ハリは微笑みながらも口を尖らせる。そういうものか、と観念したエミヤは、目を閉じると黙ってされるがままとなる。先日はエリザベートを撫でていたが、今日は撫でられる日らしい。

 

「ねえ、エミヤ」

「なにかな?」

「エミヤは……他に何かして欲しいことってある? 何でもいいのよ?」

 互いに沈黙し、撫で始めてからしばらく経った後、マタ・ハリはエミヤを撫でながら顔を覗き込み、唐突な質問を投げかける。

 マタ・ハリが膝枕を提案した理由は、決して興味本位だけではない。エミヤとは監獄城チェイテで初めて会ったが、洞察力のあるマタ・ハリが彼を一目見た時、心が酷く摩耗していたように感じられたからだ。

「……特にないな、つまらない男だと笑ってくれ」

 目を開けたエミヤは、やや自嘲気味に答える。

 無論マタ・ハリの知るところではないが、生前のエミヤは常に誰かのために働いていた。しかし、彼は享受する権利のある感謝や報酬を一切受け取らなかった。いや、受け取ろうとしなかった。

 マタ・ハリが生前に会った男は自分本位が多かったが、エミヤはどこまでも他人本位だった。彼女の知るところとなったのは、エリザベートの依頼で踊り子としてのもてなしを行った後、チェイテの案内役として行動を共にした時だった。エミヤは、立香達の盾役から掃除の指南に至るまで、率先して誰かのために行動していた。故に、彼の振る舞いから察することができた。

 そうなった経緯を知らないマタ・ハリからすれば、ただの同情なのかもしれないが、他人本位なエミヤの在り方は彼女の心の琴線に触れた。打算からではなく、本心から癒したいと思った。

 その一方で、性的欲求を解消する方法で癒すのではなく、ありふれた膝枕を選んだのは、マタ・ハリの心に秘めた願いが作用した。数多(あまた)の男から宝石を貢がれたことのあるマタ・ハリでも、終ぞ手に入れることの叶わなかった幸せな家庭──マルガレータ(マタ・ハリ)のささやかな願い。

「もう少し、欲張ってもいいのよ?」

 男運の悪いマタ・ハリがカルデアで出会った男性(エミヤ)は、とことん欲がないため、押し付けた上で頼まなければ、彼は遠慮して受け取ろうとしない。

「……こうしてもらっているだけでも、贅沢すぎるな。これ以上を望むわけにもいくまい」

「……そう」

 何がエミヤをここまで駆り立てていたのか、一体己を何に捧げていたのか、マタ・ハリは未だにその経緯を聞いたことはないが、その理由も彼女の宝具で聞けば瞬く間に知ることができる。それでも、使う気にならなかった。何よりも、エミヤ自身の意思で話してほしい。

 

 会話はそこで終わり、二人は口を閉ざしたが、この時間は宝石よりも価値がある。

 男達の欲望に翻弄されたことを起点として、激動の人生を歩んだマタ・ハリに(もたら)された穏やかな時間。

 ようやく手に入れることができた、カタチのない幸せな時間を噛みしめ、マタ・ハリは一瞬の幸せを永遠の記録(おもいで)として刻みこんだ。

 




『役立たずなものか、君にしかできないことを極めれば、それは一流にも届く。それに、君は綺麗な目をしている。欲なんぞに囚われていないさ』
 監獄城の案内中に、英霊としては役立たず、生前は多くの男に抱かれた女、そう自虐した私の目を見てエミヤは言い切った。あんなに真っ直な目で見られたのは、今までにあったかしら。
 理由は分からないけど、エミヤに対して私の宝具で魅了しきれないし、使うつもりもないから、私自身の技量で魅了しましょう。それが、マタ・ハリとしての矜持。
 傍に居てくれる? ……エミヤ。


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エミヤと夭逝の天才剣士

本編を書く時間が取れたので投稿。
しかし、今週はこれで終わりです。



 別世界との位相が重なり、カルデアに侵入してきた謎の軍団。それは、別世界の聖杯によるものだった。

 事件解決に乗り出した藤丸立香一行の前には、戦国武将を重ねて召喚されたサーヴァントが迫りくる。極めつけに、改造された聖杯がまき散らす粒子によって、全員が残念なサーヴァントに変貌していた。

 ぐだぐだしながらもなんとか敵を蹴散らし、立香達は騒動を解決に導いた。

 そして、同行していたエミヤはこう述懐する。

『やはり、自分との戦いはろくなものじゃない』

 

 カルデアの廊下で一人の少女が、壁に手を、床に膝をついている。

「コフッ!? まだ、倒れるわけには……」

 吐血している少女は沖田総司、幕末で名を残した新選組の隊士である。生前の病弱さがサーヴァントのスキルとなって反映され、またもや苦しめられることとなっている。ここまでくると、呪いでもかけられたのではないか、と沖田自身が疑っていると──。

「大丈夫か?」

 声の方向である背後に顔を向ければ、屈んだエミヤ──長宗我部ではない──が、心配そうな表情を沖田に向けていた。

 

 エミヤは基本的に世話焼きである。そんな彼が吐血している少女を見かけたら、介抱するのはごく自然の事だった。

「……すみません。エミヤさん」

「あまり喋らない方がいい。また吐血するぞ」

 弱弱しく謝罪する沖田を宥めると、エミヤは布団を掛け直す。

 カルデアの廊下で吐血している沖田を発見したエミヤは、その場所から最寄りである彼の自室に運び、ベッドに回復体位で寝かせた。運ぶ過程で、咽喉に血が詰まらないように気をつけながらお姫様抱っこをしていたが、これは不可抗力である。

 吐血した沖田を介抱したのは、これが初めてといったわけではなく、騒動中の特異点でも吐血する度に介抱していたので、同行していた織田信長から、「これがサーヴァント界のオカンか」と感心したように言われたのは記憶に新しい。

 早い話、このカルデアには頭痛持ちのサーヴァントがネロとエリザベートの二騎いるので、エミヤの介抱技術は数を(こな)した分だけ洗練されている。

「でも、エミヤさんにはご迷惑をかけてばかりです。あの時も、土佐藩だという理由で切り捨てちゃいましたし」

「あれは私であって私ではないが、土佐藩の出ではないことは確かだ。気にしなくていい」

 エミヤは余り思い出したくないが、残念になった自分と知り合いを見せつけられた。当時のカルデアメンバーからして、エミヤ以外の当事者があの場に参加して居なかったのは僥倖ともいえる。

 顔なじみの島津(ランサー)毛利(キャスター)と一緒に居た長宗我部(エミヤ)を見て、沖田と信長以外の面子が複雑な表情をしていたことは、エミヤにとって忘れられない記憶になった。

 正直なところ気まずいので、もう一人の自分にこれ以上会いたくはない。

「少しいいですか? エミヤさん」

 エミヤがあの時のことを思い返していると、吐血の症状も落ち着いたのか、ベッドに横たわる沖田はエミヤを見上げている。

「なにかな? 辛かったら言ってくれ」

「体の調子のことではありません……私はマスターに剣を預けた身ですが、エミヤさんには背を預けてもいいでしょうか?」

「それは、どういう意味かな?」

 沖田の突然のお願いに、エミヤは面食らってしまった。エミヤの困惑している心情を読み取ったのか、沖田は補足する。

「エミヤさんと一緒に居ると、安心できるんです。人斬りに気安く声をかけてくれるのも、新選組を除けば、近所の子供ぐらいでしたから」

 かつての姿を思い返して懐かしむように、目を細めた沖田は呟く。その内容に、エミヤは親近感を覚えた。かつて、エミヤが助けた大人が化け物と罵る中、子供は助けられたお礼をしてくれた。 

「ご存知の通り、私は病弱な体ですから、最後まで近藤さんや土方さんと共に戦い抜くことができませんでした。だから、サーヴァントとして召喚された今だけでも、最後までマスターと共に戦いたい。……隊士失格の私には、高すぎる理想ですが」

 沖田の未練は、新選組の責務を全うできなかったことだった。その負い目が、真面目な沖田に重くのしかかっている。

「戦場に身を置くものとして、情けないことを言っている自覚はあります……ですが、もしよければ──」

「何を言っているんだ? 沖田」

 エミヤは沖田の言葉を遮った。この続きには断りの言葉が入るのだろうと察した沖田は、やはりそうなるかと諦観する。

「最初から私は、マスターや君を含めた仲間と共に戦っているつもりだったのだが、私の勘違いだったのかな?」

 エミヤはニヤリと笑うと、沖田の意に反することのない答えを返す。思わず呆気にとられた沖田だったが、嬉しさを押し隠しつつ、穏やかな笑みを浮かべる。

「やっぱり、エミヤさんは土方さんに似ていますね」

「冗談はよくないな、生憎私は、彼のように真っ直ぐな生き方はできていない」

「本質の部分で、ですよ。土方さんは、意外と世話焼きなんです」

「……まあ、それはいい。早く元気な君を見せてくれ……寂しげな表情よりも、笑顔の方が君に似合うのだからな」

 エミヤは本心から心配していたが、その内容はいつも通り(女たらし)だった。そういうところも土方さんに似ている、と感じた沖田だったが、嫌という訳ではないので気にしない。

「沖田さんの元気のために、手を握ってください……だめですか?」

「それくらいなら、お安い御用だ」

 エミヤは、沖田の差し出した右手を両手で包み込む。

 

 その手は暖かかった、沖田の手も、エミヤの手も。

 




 この胸の高鳴りの正体を……私は知りません。生前にこんな事はありませんでしたから。
 でも、エミヤさんと一緒に戦いたいという感情がある限り、収まることはないのでしょう。
 ならば! この沖田さんにもう迷いはありません! エミヤさんと一緒に、マスターの行く所どこまででもお供します!
 ひとまず、お団子でも食べに行きませんか? エミヤさん。……えっ!? もう作ってあるんですか!?


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エミヤと第六天魔王

遅くなりました。


 戦国武将の名前を聞かれた時、歴史にさほど詳しくなくても、日本人であれば大多数の人が知っているであろう人物。

 ────『織田信長』はそれほどまでに有名だ。

 おそらく、そんな有名人が実は女性であるということを知る者はいない。

 

 とある昼下がり、エミヤが部屋の扉を開けると、久方ぶりの光景を目にする。先客が静かに座り彼の帰宅を待っている姿、それは彼にとって見慣れたはずであるにも関わらず、初めて目撃したような新鮮さを感じさせた。

 尤も、慣れるほどの来客があること自体おかしな話ではある。

 そう考えながらもエミヤは、赤い外套を羽織り黒を基調とした軍服を纏う少女に目を向ける。

「私に何か用かね? 織田信長」

「うむ。わしのマスター──同胞の家臣が如何様か、直々に見定めに来たのじゃ」

 座っていながらも、威厳ある佇まいでエミヤを見据える信長。彼女の射貫くような視線を受けても、彼が怖気付く事は無い。

「ここ最近、実際にそなたの行動を見ていたが……流石はマスターが信頼するサーヴァントの一人よな! わしで言うところの豊臣秀吉(サル)じゃ。

 ────しかし、わしと同等の慧眼を有しておるとは、最初にマスターを見縊っていたのがますます恥ずかしいのぉ」

「……いきなり何を言っているんだ、君は? それは褒め言葉なのかね?」

 張り詰めていた表情から一転して、快活な笑いと共に矢継ぎ早に話しかけてくる信長の姿に一瞬気圧されたエミヤだったが、直ぐに気を取り直すと信長の対面の席に座る。

「褒めてるに決まっておる。まあ、サルに思うところがないわけではないがな。

 それはともかく、わしの最期は知っとるじゃろ? 火種を放置して裏切られたら、是非もなし案件じゃからな」

「……まあ、一理あるな」

 エミヤの脳裏をよぎるのは、裏切りなど一度たりともするべきではない、という戒めの言葉。

 過去をマスターに打ち明けた今は問題ないが、カルデア(ここ)に来た時に聞いていたら、エミヤは冷や汗を掻いていたであろう内容であり、それほどまでに核心を突かれていた。

「あと、そなたのことサルって例えたけど、強ち間違っておらんぞ。

 あのサル、わしが生きていた頃しょっちゅう浮気しよってなぁ。家臣の尻拭いとか、なんで将のわしがやらんといかんのか──」

 信長の豊臣秀吉への思うところとはこれのことだろう。

 途中から愚痴を言い始めた信長だったが、彼女のある言葉に反応したエミヤは、眉を顰めながら苦言を呈する。

「さっきから聞いていたが、私が浮気性とはなんだね? 誰かと結婚した覚えもないが」

「……それは本気で言っておるのか?」

「無論だ」

 心当たりがないのか、きっぱりと言い切ったエミヤ、彼に呆れながらも信長は質問を投げかける。

「わしには顔だけ見覚えのある、青と黒のセイバーとの関係はなんじゃ?」

「…………ただの同僚だが?」

「今の間は絶対過去になんかあったじゃろ!? そんな苦笑いしながら言われても説得力がないぞ!」

 墓穴を掘ることに定評のあるエミヤは、早速致命的な弱点を突かれる。

 本来持っていないはずの記憶を二人のセイバーが持ち込んでいることもあり、彼が気まずさを感じる悩みの種となっている。

「……まあそれはこの際置いておくぞ。なら、人斬りについてはどうなんじゃ? ……というか、彼奴が誰かに懐いている姿とかわし見たことないぞ」

 答えに窮していたエミヤを見かねた信長は、頃合いを見計らうと次の話を切り出す。

「人斬り? ……ああ、沖田の事か。彼女は真面目だから、頼りたくても頼れなかったのだろう。その反動ではないかな」

 エミヤの答えに思うところがあるのか、信長はしばらく悩んだ様子を見せると口を開く。

「……なるほどのぉ。時にエミヤ、そなたは────何を恐れておる?」

 先程までの朗らかな雰囲気は霧散し、信長は張り詰めた空気を纏う。彼女の突然の変化に、エミヤには緊張が走り、驚愕した。

 信長の口から放たれた言葉は、今日聞いた中でも一番エミヤの核心に迫っていた。

「わしが何を言いたいか、もう分かっておるんじゃろ? 矛盾を抱えた反応を返しておるんじゃからな。しかし、わしにはどうにも解せぬ。

 ────そうする必要がな」

 第六天魔王の称号は伊達ではないらしく、信長は有無を言わせぬ威圧感を持ってエミヤを問い詰める。

 追い詰められた犯人さながらな心情で、動揺を抑えたエミヤはどうにかして声を出す。

「……私は、未だ過去に囚われているだけさ。未来に生きると自分に言い聞かせたこともあったが、まだまだらしい」

 詳細を省いたものの、エミヤは胸中を語った。

 黙って聞き役に徹していた信長は、エミヤが言い終わったことを確認すると、再び口を開いた。

「詳しい話はこれ以上は聞かんぞ。わしにはどうにもできんし、できる保証もない。だが、時が来たらマスターに話をしておくんじゃな。それも、今語った以上の話をな。

 ……正直、諦めて後ろ向きな発言しておったら、どうしてやろうかと思ったわ!」

 信長の逆鱗に触れずに済んだのか、彼女は物騒な話をしながらも笑い飛ばしていた。

「かの織田信長に人生相談してもらえるとは、身に余る光栄だな」

「そうじゃろう、そうじゃろう。わしは有名人じゃからな。参謀でも敵役でも人気が出そうじゃろ!」

 その姿を見て安堵したエミヤは、一言呟く。

「やはり、私ではセイバー達に相応しくないからな」

「何でそうなるんじゃ!?」

 

 お茶を飲みながら、エミヤと信長の口論は夕食前まで続いた。

 その結果、エミヤは信長の家臣を兼任するということで落ちがつき、ネロがエミヤに詰め寄ったことはまた別の話である。

 




 いや、わしもあそこまで鈍感だとは知らなかったんじゃが。
 好意を避ける上に、自己評価が低いことが前提とか、前向きのべくとるが間違っておらんかのぉ。そりゃあ、マスター達も苦労するわけじゃなぁ。
 わしの家臣になったからには、その考えを改めさせてやろうぞ。
 あと関係ないけど、エミヤが茶をたてられるとか、わしの立つ瀬がなくない?


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エミヤと裏切りの魔女

多分シリアス風味です。


 エミヤからすれば、カルデアに召喚されるサーヴァントの中には、聖杯戦争を通して面識のある英霊が多い。

 それだけに、戦いの渦中で敵として対峙したり、裏切った相手が召喚されるとなると非常に気まずいことになる。

 

 エミヤの気まずい相手は、彼の目の前に居た。

 自室の扉を開けたエミヤの視線の先に居たのは、メディアリリィの未来の姿──裏切りの魔女メディアであり、彼女は椅子に鎮座している。似たような光景は、最近見た気がしてならない。

 見慣れたフードを深く被っているメディアは、口元に不敵な笑みを浮かべると、部屋の入口で固まっているエミヤに声をかける。

「また会ったわね。早く入ったらどうかしら……長宗我部の坊や(・・)

「……ああ、そうさせてもらおう。あと、長宗我部は私の方ではない」

 苦い記憶を突かれたエミヤは、ややぶっきらぼうに返答すると、足早に移動してメディアの対面の席に座る。

 呼び名からすれば、まるでエミヤの生前を知っているかのような口ぶりだが、彼はメディアが坊やと呼ぶ理由の見当がついている。

 カルデアに来てからずっと、メディアはお気に入りのアルトリア(セイバー)を観察しており、偶然にもセイバーがエミヤのことをシロウと呼ぶ姿を見かけたのだろう。先日、見られている気がする、とセイバーからエミヤに相談があった。

 記憶をどれくらい持ち込んでいるかに依るが、聡明なメディアはその僅かな手がかりから、エミヤの正体を推測したと思われる。

「それにしても、あの真っ直ぐな坊やが小狡い手を使うようになるなんて、何かあったのかしら?」

「悪いが、ノーコメントだ」

「あら、残念」

 口ではそう言いながらも、断られることが分かっていたであろうメディアは小さく笑っている。まだまだいじり足りない、とエミヤには見て取ることができた。

「で、まさかそんなことを言いに来たわけではあるまい? さっさとお引き取り願おう」

「随分と急かすのね。……メディアリリィ(昔の私)はなぜこの坊やを慕ったのかしら」

「……何か言ったかな?」

「いいえ、何にも」

 メディアの言葉が聞こえていたのか定かではないが、エミヤは不満げに問い質す。

 一方、この反応も分かっていたメディアは、気を悪くする事無く話を続ける。

「では、本題に入りましょうか。

 始めに一応聞いておくけど、貴方は私を裏切った経験があるわね?」

「ああ。……それに関してはすまない。だが、私にもやるべきことがあったものでね。誹りを受ける覚悟はある」

「私が坊やを謀って手に掛けていた可能性もあったのよ? 別に咎めようってわけじゃないわ。聞きたい事は別にあるもの。

 ────『黒い、水棲モンスターの名を冠する料理』って何かしら?」

「…………それが、聞きたいことなのか?」

「ええ、そうよ」

 暗い話になることを予想していたエミヤだったが、メディアの口から放たれた言葉は彼の予想をはるかに上回っていた。

「いや想像がつくし、知っているには知っているが、それを知ってどうするのかね?」

「もちろん、作るに決まっているじゃない。当然、教えてくれるんでしょう? 坊や」

「……断る選択肢はないのだろう? やれやれ、咎めないといったのはこのためか」

 メディアから送られる圧力に押し負けたエミヤは、観念して許諾する。

「だが、なぜその料理を作ろうと思ったんだ?」

「……私にも分からないわ。心に引っかかっていたのよ……。

 ────ねえ、坊や」

「今度は何かな?」

 珍しく口にすることをためらったメディアは、間を空けたものの決心して切り出す。

「あなたの記憶に残る、私の最期────その時の私は……誰を守っていたのかしら?」

「何を、言って……」

 その言葉を聞いて、エミヤは一瞬で理解することができなかった。

 しかし、ある仮説がエミヤの脳裏を過る。メディアの記憶には欠損があるのではないか、と。

 根拠もなしに考えついたわけでもなく、原因は不明だがこのカルデア内に限定しても、記憶に欠損のあるサーヴァントは存在する。エミヤにもその自覚があるからこそ、思い至った結論だ。

「どうしても……思い出せないの。私が命を投げ出すほどに愛したマスターの顔も、名前も……」 

 俯いたメディアの声は暗く、魔女の仮面は剥がれ落ち、一人の男を愛した女性の顔を覗かせている。

 因縁のある相手ではあるが、そんな姿を見せられると、エミヤも意地の悪いことはできない。

「────葛木宗一郎」

「……えっ?」

「君の知りたかった男の名だが? メディア(キャスター)

「葛木……宗一郎……様。ああ……顔はまだ思い出せないけど、この感覚は間違いないわ……」

 噛みしめるようにゆっくりと復唱し、その名に相違ないと肯定したメディアは、その後しばらく沈黙していたが、いそいそとフードを外すと、俯いていた顔をあげて笑みを浮かべ──

「────ありがとう、坊や」

 エミヤにお礼の言葉を述べた。

 その顔を見て、エミヤは酷く動揺した。素顔を見せたことや感謝してきたことも理由の一つだが、一番の理由は──。

 その顔が────あまりにも幸せそうだったから。

「……私の理想は、つくづく遠回りをしていたようだな」

「……? どういう意味かしら? まさか、誠意を見せたのが気に喰わなかったのかしら」

 エミヤの呟きに反応し、不満気な顔のメディアは苦言を呈する。

「いや、君に対してではない。まあ、君のお蔭で思い至ったわけでもあるが」

「あら、そう。悩みくらいなら聞いてあげるわよ」

「悩みというほどでもないが、要するに、自分との対決はロクなものではない、ということだな」

「自分との……対決……?」

 エミヤの意味不明な言葉に、メディアは頭に疑問符を浮かべている。

 もう一人の自分は長宗我部くらいしか思い浮かばないはずである。さしものメディアでも、エミヤが過去の自分を抹殺しようとしていたとは、夢にも思わないからだ。

 エミヤの言葉の真意、自分殺しを計画して最終的に"答え"を得たと言っても、運の巡り合わせが良かっただけにすぎない、ということだ。

「さて、早速食堂に行くとしよう。今日の夕食に、一品追加だ」

「……あなた、そっちが素なの? てっきり、枯れ果ててるのかと思ったわ」 

「さて、どうだろうな」

 明るい調子でその言葉を最後に残し、メディアに背を向けるエミヤ。

 呆れていたメディアも彼の背を追って食堂へ向かう。当然ながら、彼女からは背中しか見えていなかったために、エミヤの表情を窺い知ることはできなかった。

 そして、小さな呟きも聞こえなかった。

「────今も昔も多くを切り捨てた私に、その顔ができるのだろうか」

 エミヤにとって、メディアの幸せな顔は目映いものだった

 

 件の料理はエミヤとメディアにより再現することができたが、その料理を見た海外出身の職員やサーヴァント達からは、見た目が地味ではないかという声が出た。それでも、肝心の味は折り紙付きだったため、それ以降の文句はなかった。

 

 




 あの坊やが宗一郎様を手に掛けたことを気にしてない訳じゃないけど、聖杯戦争という殺し合う舞台ではなかったら、私は宗一郎様と出会えなかったでしょうね。もし争う必要が無かったら、お互いに幸せだったのかもしれないわね。
 分かっているでしょうけど、ここのマスターを見習って、今度は裏切らないで頂戴。十中八九、今度会う時はここでの出来事を覚えていないでしょうから。
 お手柔らかにお願いするわね、坊や。


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不在のエミヤと第四次乙女協定

牛若丸さんは七章です。
あと、いつもよりかは長いです。


 藤丸立香は、これまでに大規模な特異点で出会ったサーヴァントしか召喚していなかったが、先日の騒動のように、思いがけない出会い方をしたサーヴァントも召喚し得ることが分かった。

 つまり、縁を結ぶことができるサーヴァントの数がその分増えるという事であり、それに比例して立香の仕事も増えるということでもある。その仕事の増加は、どこかの弓兵の無自覚な振る舞いによるものであるが、それによって様々な恩恵を受けられるため、止めるに止められないのが現状である。

 

 立香がこうして会合を開くのは、早いもので四という数字を刻むに至っている。

 卓袱台の設営や会合の参加確認など、これまでの経験から得た反省点を生かし、円滑さを心がけることができるようになった。

 最初の頃、深呼吸してから始めていた始まりの挨拶も、もはや緊張することもなく言い慣れたものだ。

「皆、昨日伝えた時間の通りに来てくれてありがとう」

「一体何の集まりなの、子ジカ? (アタシ)のライブでも開催してくれるの?」

「……それはまた、別の機会に」

 アイドル気質のエリザベートは、事あるごとにライブ開催を提案してくる。

 事前に対策しておきたい立香は、話が脱線する前に軌道修正を図る。

 だからと言って、エリザベートに全く歌わせないのも違和感があるため、これまでに立香はエミヤに依頼し、二人だけで彼女の観客となったことがある。

 エリザベートから聞いた話、自分のために歌う時と誰かのために歌う時の違い。それを知っていたからこそ立香はエミヤを誘ったが、意外にも彼は断ることなく二つ返事で了承した。

 ()の弓兵は、「馬鹿な、上手いだと!?」と言っていたため、おそらく道連れになる覚悟で了承したのだろうが、最近のエリザベートならエミヤを相手にして歌う時が一番上手い、と立香は確信していたため、彼の反応を隣で見ながら微笑ましく思ったものである。

「分かったわ! きっと親睦を深める、かくし芸大会があるのよ。

 折角だから、最近覚えた安来節でも踊ろうかしら?」

「いろいろと反応に困るけど、それも違うからね。……でも、かくし芸大会は面白そうだね。今度企画しようっと」

 次に声をあげたのはマタ・ハリだった。

 召喚された当初は時折陰のある表情を見せていたが、ここ最近は明るくなった、と立香は思う。

 マタ・ハリ本人が苦手と言っていた戦闘も、得意の踊りによるサポートをしながら積極的に仲間と協力して戦うようになったし、彼女の思考が前向きになったというべきだろう。彼女の笑顔や踊りを見ると元気が湧いてくるので良いことではあるが、立香には彼女が明るくなった要因に心当たりがあるため、何とも言えない複雑な気持ちになる。

 そんなマタ・ハリは的外れな予想をしていたが、彼女の発言内容は立香の琴線に触れたためアイデアを拾っておく。

「なんか、人斬りと卓袱台に座っていると……ぐだぐだしたくなるのぉ。

 ────って、わしの茶請けを取るでない! 沖田!」

「これは、エミヤさんがみんなで食べるように、と持たせてくださったものです! 

 独り占めはダメです!」

「是非もないが、沖田に言われるのは……なんか釈然とせん」

 気が抜けたような信長とジト目の沖田は、仲が良いのか悪いのか対面同士で座っている。

 そして信長は、目の前にあった和菓子を沖田が取り上げたことに抗議していたが、正論を返されて悔しそうに押し黙る。

 この二人はあまり変わらない気がするが、信長は何か思うことがあるらしく、エミヤを家臣に任命した。沖田は、エミヤの部屋で介抱される回数が増えただけで特に異常はない。

「あら、和菓子って奴ね。早く食べましょう」

「ふふ……最近覚えたから、私がお茶を淹れるわね」

「……うん」

 信長と沖田のやり取りで緩んだ空気は、残りの二人に伝染しお茶会に移行する。

 立香は前言を撤回しなければならない。円滑な運営など、夢のまた夢であった、と。

 

「……さて、本題に入るよ」

 思わぬ一服をしてしまったが、湯呑を置いた立香は、ようやく本来の目的を話すことにする。

「ここにいるみんな……って、信長さんは目的が違うと思うけど、エミヤの事好きでしょ?」

 その言葉を受けて、参加者には衝撃が走る。

「────っ!? あ、私が執事(エミヤ)のことが好きですって!? ……それは……嫌いじゃないけど」

「私は好きよ。エミヤのこと」

「沖田さんが、エミヤさんのことが好き!? ……コフッ!?」

「流石はマスター、相変わらず慧眼を持っておる……って、沖田がまた吐血しよったぞ!?」

 ある意味、阿鼻叫喚の光景だった。動じてない人物が一人いたものの、恋愛経験が皆無の沖田にとって刺激が強すぎる話題だったらしい。

 

「……申し訳ありません、マスター。色恋沙汰には縁がなかったもので」

「別に、気にしなくていいよ。まあ、吐血するほど驚くとは思わなかったけど」

 不安げな表情の沖田に、励ましの言葉をかけた立香は、ベッドに沖田を寝かせると、卓袱台に向き直る。

「で、私たちをどうしようっていうの?」

「うん。実はね────」

 立香は、いつも通りの掟を伝える。

「まあ、いいんじゃない? ……月と似たようなものね」

「私は、マスターのことも好きだから我慢するわ。一緒に居られるだけでも幸せだから」

「お、沖田さんも賛成です」

 反応は思ってよりも悪くはなかった。────ある一人を除いて。

「ちと難しいと思うがのぉ。マスター」

「どういう意味? 信長さん」

 異議を唱えたのは信長だった。

「マスターの理想は、一理あるかもしれん。……じゃがそれは、この和菓子のように等しく分けられるものではないぞ。この先、不満を持つ者が居ないとも限らん」

 最後に一つ残っていた和菓子を摘まむと、信長は口に投げ入れて厳しい視線を立香に向ける。

「分かってる。これが私のエゴだということ……でも────みんなを悲しませたくない」

「子ジカ……」

「マスター……」

 信長の気迫に押される事無く毅然と立ち向かう立香の姿に、エリザベート達は心配の声をあげる。

「分かっていながら、茨の道を選ぶか?」

「どんな道でも、私は諦めない」

 しばし見つめ合っていた二人だったが、先に折れたのは信長だった。

「……うっははははははは!! 慣れぬことするものじゃないわ。わしの息が詰まってしまうぞ。

 よかろう、マスターの覚悟は分かった。この信長が力を貸すぞ……エミヤ次第じゃがな!」

「やっぱり演技だった? いきなりだったから、びっくりしちゃったよ」

 突然笑い出した二人の様子に、呆気にとられたエリザベート達は問い詰める。

「いや、なに二人で完結してるの!? 説明しなさいよ、子ジカ」

「やっぱり……マスターがあなたでよかったわ」

「沖田さんよりも貫禄ありますよ……ノッブはあざと汚いですね」

 真面目に対応していたのは、エリザベートだけだった。

 

 信長と沖田がじゃれ合いをしたものの、協定が無事に終わった立香は湯呑を洗う。

 試されていると分かっていても、信長の威圧感は圧倒的だ。それでも、立香は倒れるわけにはいかない。

 ────私がやらずして、誰がカルデアの安寧を守るのか。

 そんな決意を胸に抱いていた立香は、扉のノック音に気付いた。

「誰だろう?」

 最後の湯飲みを濯ぎ、手を拭くと扉を開けに向かう。

「こんな時間にごめんなさい。マスター」

 扉を叩いていたのは、メディアだった。彼女に詳しい話をしていないにも関わらず、心に決めた人が居るから、という答えで協定を欠席していた。

「一体どうしたの?」

「実はあなたに渡すものがあったの……これなんだけど」

 そう言ってメディアが差し出したのは、畳まれた服だった。

「カルデアの戦闘服らしいわ。ここの所長代理さんが、私に修繕を依頼してきたのよ」

「ドクターロマンが?」

「ええ……見た目は可愛いものじゃないけど、性能は私が少し調整したから、それなりの代物よ」

「そうなんだ。……いろいろとありがとう、メディアさん」

 微笑んだメディアに、立香は笑顔で労いの言葉を告げる。

「じゃあ用も済んだから、私は帰るわ」

「うん。おやすみなさい」

 部屋に帰ったメディアを見送ると、立香は戦闘服を広げる。

「ちょっと……機動性を重視しすぎかな、これ」

 目の前の服を着用した自分を想像し、デザインに些か不満の残る立香だった。

 




「立香ちゃん、気に入ってくれるといいんだけど……」
 ロマニは苦悩していた。立香の戦力を底上げするために、戦闘服を渡さざる終えなかった。
「僕から渡したら、セクハラになるかもしれないし、あのエミヤ君にも、嫌な予感がするって断られたしなぁ。一応、レオナルドに改善案を出しておくかな」


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エミヤと叛逆の騎士

やっと第四特異点ですね。

ちゃんとキャラが掴めていたら幸いです。


 四つ目の特異点は、人類の転換期である産業革命の黎明期にありながら、虚実が交錯する魔霧都市──倫敦(ロンドン)だった。

 英国(ブリテン)に再び降り立ったモードレッドらと共に、藤丸立香は先の見えぬ霧の中を駆け抜けた。

 悪魔、正体不明の殺人鬼、三人の黒幕、雷電、騎士王を乗り越えた立香は、遂に真の黒幕と対峙した。

 

 カルデアにある食堂の料理長──エミヤは昼食営業を終えると、ブーディカやマルタを筆頭とした料理が得意な同僚に、翌日の献立の相談を行っている。

 毎日同じ料理を出してしまうと、いかに美味でも飽きが来てしまうだろう、と危惧したエミヤの料理人としての気配りが感じられる。

 最近では料理のできるサーヴァントが増え、それに比例して意見が飛び交う回数も増えた。詰まる所、相談に時間がかかるようになった。しかし、その分濃密な話ができるため、今の所はデメリットを感じない。

「────おい、弓兵(アーチャー)

 不意にエミヤの後ろから、食堂から自室に帰る途中の彼を呼び止める声がする。

 呼ばれたエミヤが声の方向を向けば、通路の影からロンドンで共闘した騎士が姿を見せる。

 モードレッド──アーサー王(アルトリア)に反旗を翻し、カムランの丘で相討ちとなった叛逆の騎士。兜で顔を隠していないのは、彼女が手を貸すと言った立香への信頼の表れだろう。

 特異点でセイバー(アルトリア)が呼び出されなかったのは、モードレッドの性格を考えれば不幸中の幸いと言える。その代わりに、エミヤすら知らないアルトリアが、槍を携えて魔霧から現れることになったが。

「……私に何の用かな? モードレッド卿」

「心にもない呼び方はよせよ。なに、オレの質問に答えるだけでいい」

 エミヤがモードレッドと顔を合わせたことは、特異点を除けば全くない、と言っていいだろう。

 モードレッドからは顔見知りの関係だが、エミヤは伝承を介して()の騎士を知っている。彼女がセイバー(アルトリア)の縁者であることが、その理由だ。

 だからこそ、エミヤが特異点でモードレッドと鉢合わせ、騎士王に似た顔立ちから発せられる名乗りを聞いた瞬間の驚愕は、筆舌に尽くしがたい。

 その一方で、モードレッドの聞きたいことについて、エミヤは全くもって見当がつかない。

「────父上との関係は何だ?」

「……ただの同僚だが?」

 初歩的な質問であった。

 以前にもエミヤは、信長から同じような質問をされたが、まさかモードレッドからも聞かれるとは思っていなかった。

 別に隠すようなことではないかもしれないが、アルトリアと完全に和解していないモードレッドには、まだ言わない方が賢明だ。

「それは嘘だな。言ったろ? こういう時のオレの勘は当たるんだ」

 このまましらを切ることも一つの手だが、モードレッドは簡単に引き下がるような性格ではない。つくづく直感系統のスキルに弱いエミヤは、早々に降参するしかない。

 しかし、このまま素直に言うのも釈然としないので、エミヤは多少の意地を張る。

「誤魔化そうとしていたことは謝罪しよう。

 ────だが、君の父上に聞けばいいのではないかな?」

「────ッ!? テメエ……オレが父上に避けられているのを知った上で言ってんのか? 

 そりゃあ、黒い父上とかもいるけどさ……」

 モードレッドにとって、エミヤの指摘は図星だったらしい。アルトリア自身も顔を合わせにくいようだ。

 エミヤは、内心で若干の反省をしながらも話を続ける。

「癪に触ってしまったかな? それはすまない。だが、私が話すことにメリットは無さそうでね。黙秘させてもらおう」

「ハッ! だと思ったぜ。なら、こいつでどうだ?」

 返答を予測していたのか、そう言って気を取り直したモードレッドが虚空から顕現させたのは、彼女の得物である魔剣『燦然と輝く王剣(クラレント)』だった。

 カルデア内での私闘は基本的に禁じられているが、一部の例外はある。エミヤの予想通りであれば、彼女の言いたいこととは──

「シミュレータで模擬戦をする、という事かね?」

「話が早いな。ま、そういうことだ。オレが勝ったら、洗いざらい吐いてもらうぜ」

「……やれやれ、私はしがない弓兵なのだがね。マスターたちへの優しさを分けてもらいたいものだ」

 エミヤは、特異点での戦いぶりから意図を推測していたが、やはりモードレッドは血の気が多い方らしい。

 ジャンケンでもどうにもならない事態には、シミュレータで決着をつけるのが、最近改定された習わしだ。

 尤も、そんな事態が頻繁に起きるわけもないため、模擬戦の名前通りにサーヴァント同士が切磋琢磨するために使用されている。

 エミヤも空いた時間には模擬戦に誘われることが多く、ほとんどのサーヴァントと五分五分の戦いをするものの、最近では鬼気迫った表情の清姫に黒星を付けられることが多い。ある意味、清姫と似通ったモードレッドの執念に、色々な意味で感心したエミヤは観念する。

「冗談はやめとけ。お前が強い奴だってのは、ハッキリと分かる」

 エミヤの謙遜した自己評価に思うところがあったのか、モードレッドの反応は早い。

「確かに、才能といったものは感じないが、おまえの強さは戦場で磨いたものだろう? オレと同じようにな」

 確信を得るかのように話すモードレッドの双眸は、エミヤを捉えて離さない。

「ロンディニウムでおまえの戦いを見た時から、手合わせしたいと心待ちにしていた。

 ────守り特化の二刀使いなら、相手にとって不足はない」

 口角をあげ、鋭い目つきと自信に満ちた笑みで宣戦布告する叛逆の騎士の姿。

 大方、エミヤを戦いに駆り出させるための挑発だろう。

 エミヤは別にジャンケンでも構わないが、直感持ちでは相手が悪すぎる。必然的に、絶対に話したくない秘密だからこそ、彼には承諾する道しか残されていない。

 幸いにも、エミヤには夕食までの時間が残されている。自室での休憩時間を充てれば、挑発に乗っても問題はない。

 ────とんだじゃじゃ馬娘だな。

 内心ではそう思いながらも、エミヤが口にする事は無い。

 あくまで冷静に佇まいを正すと、エミヤもモードレッドに宣言する。

「いいだろう。私も全力を以ってお相手しよう」

 モードレッドの返答を待つことなく、彼女に背を向けてシミュレータを目指すエミヤ。

「ふ、そうでなくちゃな」

 闘志あふれる答えと共に、モードレッドも歩み出した。

 

 その後、二人の死闘の末に決着はついた。

 ────満身創痍のエミヤは、なんとか秘密を死守した。

 そして、夕食の時間に間に合ったことに、エミヤは一番安堵するのだった。

 




 父上が認めた男、お気に入りか。
 なら、蹂躙するのはオレの役目だ。必ず……オレが倒す。
 
 だが、実際に父上の幸せそうな顔を見せられると……オレはどうすればいいか迷ってしまう。なによりも。
 ────父上のエミヤ(アイツ)に向けた笑顔を、私にも向けてほしい。


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エミヤと正体不明の殺人鬼

諸事情で、先週は投稿できませんでした。申し訳ない。



 19世紀のロンドンを恐怖に陥れた殺人鬼。

 霧の中に潜むその人物は男なのか女なのか、それさえ不明だった。

 かろうじてただ一つ分かっていることは、その人物が『かえりたい』と願っていることだけである。

 

 最近のエミヤの趣味は裁縫である。

 彼は先日の特異点でヴラド三世に出会った折に、裁縫に関して意見交換を行っていた。さしものエミヤでも、やはり裁縫の技術は串刺公に軍配が上がるらしく、藤丸立香(マスター)達が呆れるほど話し込んでいたことは言うまでもない。

 熱量の伴う話し合いだったこともあり、ある時ふと思い立ったエミヤは、有意義だった時間を形として残すため裁縫を始めることにした。

 というのも、カルデアの倉庫を整理がてらに漁っていたところ、大量の布切れを発見することができたのである。

 おそらく爆破が起きていなければ、本来のマスター候補生達の息抜きなど、何かしらに使うことを先代所長は想定していたのだろう。しかし、現実は立香一人であるため、これらを使う機会は激減している。

 このまま倉庫の肥やしにするのも忍びないと考えたエミヤは、所長代理のロマニに話を通すと、布切れを裁縫に使うことにした。

 手探りながらに立香の旅を支えてくれるスタッフへ、ささやかではあるが日頃の感謝を伝えたい。投影魔術を使えば完成品を簡単に用意できるが、万が一破損した場合には消えてしまうし、己の手で作った真作を渡したい。

 その思いの下、錬鉄の英雄は針と糸を投影し、様々な布製品を作り始めた。

 完成した布製品は、召喚された当初から行っているスタッフとのお茶の時間に手渡していた。無論、ラッピングを欠かす事は無い。

 エミヤからの思わぬサプライズにスタッフ達は当然驚き、それが口コミとして広がるには十分すぎた。

 立香を含めた女性サーヴァント達が、作成依頼や指導を申し入れてきたのである。断る理由もないエミヤは快諾し、週に一度の講座を開設した。

 今日も今日とて依頼の消化を行うエミヤは、マリー用のハンカチを完成させると針を置き休憩を入れようとしたが。

「────おかあさん」

 横から自分の名前を呼ぶ声に気付く。

 顔を声の出所に向ければ、肌の露出が多い銀髪の少女──ジャック・ザ・リッパーが居た。

「どうしたのかな? ジャック」

 いつから居たのかはさておき、エミヤはにこやかに微笑むとジャックに問いかける。

「……」

 エミヤの問いにジャックは答えることなく椅子に座る弓兵に近づくと、彼の膝を目指してよじ登り始めた。

 再び微笑ましさを感じるエミヤは、沈黙した少女の意図を察すると、彼女を優しく抱え上げて膝の上に載せる。

 当の本人であるジャックは目的を達したからか、機嫌よくエミヤに寄りかかると力を抜いて身を委ねる。

 そんな少女の頭を、エミヤは自然な流れで撫で始めていた。

 撫でながらも、ジャックは甘えたくなったのだろうかと推察して苦笑するエミヤは、彼女と会った初めの頃を思い出す。

 

 ジャックの召喚直後は、平穏と言えるものではなかった。

 それもそのはずであり、ロンドンではスコットランドヤードを壊滅させ、最終的に敵対せざるを得なかったサーヴァントだからだ。

 当のジャックには特異点での記憶は無いらしかったが、先を不安視する声──特にジャンヌとアタランテがマスターの安全について意見で対立し、最終判断を立香に仰いだ。

 立香の答えは、『召喚されたのは何か意味があるはずだし、ジャックの未来を信じたい』であり、その場を収めることとなった。

 エミヤが関わることになったのは、アタランテが一緒に見守ってほしいとお願いしてきたことにあり、頭を下げられて断るはずもない。以前の彼女との問答で、意見していたことも理由にあるが。

 見守ると言っても、エミヤがやることはほぼ変わらなかった。

 ジャックに仕事の手伝いをお願いし、それができたら頭を撫でて褒める。

 解体してもいいかと発言すれば、ジャックに会えなくなるから悲しいなと諭す。

 ただそれだけである。

 効果があったのかは定かではないが、ジャックのエミヤへの呼び方が変化していた。

 最初の頃は、『エミヤおじさん』だったが、次は『エミヤおかあさん』、そして最近では『おかあさん』にまで短縮された。

 立香の呼び方は、おかあさんとマスターの両方に聞こえるが、エミヤの場合は、おかあさんだけに聞こえるため、呼ばれる本人は複雑な心境である。しかし、訂正はしなかった。

 そんなこんなで、気配だけを消してエミヤの後ろをトコトコと付いていくジャックの姿を一部のサーヴァントが見かけるようになり、それを見たジャンヌとアタランテが歴史的和解をしていたのはまた別の話である。

 

 回想しながらも、しばらくジャックの頭を撫でていたエミヤだったが、撫でられていた彼女はおもむろに身じろぎすると、動きに反応して撫でることを止めた弓兵と向き合うように体の向きを変える。

「おかあさん」

「なんだね? ジャック」

「おかあさんは……どうしてこんなに……愛してくれるの?」

 不安そうな顔をしたジャックを見たエミヤは、ようやく彼女の不思議な行動を理解した。

 ようするに、ジャックは幸せすぎて逆に不安になったのだろう。

 不安を煽らないよう、エミヤは優しい声色で話す。

「難しい質問だが、そうだな……ジャックを愛したいから、だろうな」

「……どういうこと?」

「マスターも言っていたが、私たちはジャックのことが好きなのさ。だからみんなはジャックを愛する。理由なんてそれだけだよ」

「……」

「かえって難しくしすぎてしまったな。だがオレは────、

 こうして頼ってくれるジャックのことが好きだよ」

 その言葉を受けたジャックは、さらに強くエミヤに抱き着いていた。

 そして彼女に抱き着かれている当事者は、周りに支えられてきたことを思い出していた。

 「生きていてくれて、ありがとう」、「ああ、安心した」と言った、英霊になってなお忘れることのない顔がエミヤの脳裏に浮かぶ。

 ────衛宮切嗣(じいさん)も、こんな気持ちだったのだろうか。

 エミヤシロウが衛宮士郎だった頃、無くしていた人並みの感受性が戻ってきたのは、義父だった衛宮切嗣と姉代わりの藤村大河を始めとした心優しい人間に出会い、愛されたからこそだろう。

 特異点で敵対したパラケルススは、ジャックに慈悲の心は"ない"と称していた。

 ならば、慈悲の心ができるまで何度でも愛して見せよう。マスターである立香がそう胸に抱いているように、エミヤもまた同じ思いだった。

 思いにふけっていたためにエミヤは気付くのが遅れたが、安心したジャックはいつの間にか眠っていた。

 なぜかジャックを動かす気が起きなかったエミヤは、彼女を優しく抱きしめた。

 

 後日、私服を欲しがったジャックへワンピースを仕立てたエミヤだったが、立香達にあらぬ疑いを掛けられ、尋問されることになる。

 

 




 わたしたちも、おかあさんが大好き。
 おかあさんの中にかえりたいと思っているけど……またおかあさんに撫でてもらいたい。
 もっと愛してほしい……おかあさん。


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エミヤと良妻な狐

遅くなりました。


 一人の男を愛し、皇帝と月で争った妖狐がいた。

 

 アタランテと共にジャックを寝かしつけ、一足先に自室に戻ろうとしたエミヤの前に見慣れた狐耳の女性が居た。その女性は顔こそ同じだが、カルデアに以前から居る猫な狐ではない。

 しかしながら、知り合いに廊下でバッタリ会うという展開は使い古されているものの、実体験したエミヤは思わず苦笑いしてしまう。

「みこーん! お久しぶりですねアチャ男さん! ロンドン以来でしょうか?

 いやあ、お互いに大変でしたね。ご主人様とのハネムーンの下見に来たらあんなことになって、一尾の状態じゃコテンパンですもの──」

 同窓会で旧友に積もり積もった話を聞かせるように、矢継ぎ早に語り掛けてくる女性は玉藻の前(キャスター)である。無銘の記憶が間違っていなければ、月の勝者である岸波白野の妻……のはずだ。

 その記憶をさらに深く辿っていくと、ネロの陣営で副官をやっていた時に彼女を見かけたが、途中までは冷酷な女帝の印象が強く、岸波への思いの丈を吐露してようやくその仮面が外れていたらしい。

 しかし、その情報を得て尚エミヤが今すべきなのは──

「ああ、そうだな。長くなるのなら、私の部屋でお茶を飲みながら語らないか?」

 場所の変更だった。

 

 勝手知ったる自室で紅茶を振る舞う弓兵と優雅にお茶を嗜む妖狐。

 日本の出身であるから緑茶の方が良いかと聞いてみたが、玉藻はエミヤの腕なら紅茶を飲みたいと言っていた。

 月で敵対していた割には、ある程度の信頼があるようで、無用な諍いを避けておきたいエミヤからしても悪い気はしない。

「紅茶の淹れ方は流石の一言に尽きましょう。確か……、執事(バトラー)でしたっけ?」

「自然とそう呼ばれてみたいものだが、私はまだまだ研鑽が足りんよ。

 ──ところで、私を呼び止めたのは何か用があったからだろう? 茶飲みに誘われることを期待していた訳でもあるまい?」

 そして、エミヤもある程度の信頼を玉藻に置いている。少なくとも、彼女が何の用も無く呼び止めることがないことくらいは分かっている。

「半分正解、とだけ言っておきましょう。三つに分かれたご主人様の一人を支えた家事力、(わたくし)の見込み通りです。

 そんなアチャ男さんにお願いがございます」

「いや、まずはそのアチャ男という呼び方は何とかならんのかな?」

「では、……アーチャーさん?」

「……エミヤでいい」

「なぜか真名は初めて聞く気がしますねぇ。

 では改めましてエミヤさん、私に家事のご教授をお願い致します」

 妙に畏まった様子の玉藻だったが、意外なお願いだった。無銘だったエミヤは陣営を去るときに遠くから岸波の様子を少しだけ見ていたが、彼女はネロに劣らぬ料理の腕を披露していたはずだ。

「良妻を目指す者として、家事も完璧に熟したいのです」

 岸波白野への並々ならぬ献身、彼女のそれを知っていれば違和感はないだろう。

「それでネロへの対抗心が無ければ気が楽なのだがな」

「あらあら、気が付かれてしまいましたか? 

 不肖私、玉藻の名に懸けて、あの皇帝様からご主人様の相棒枠を簒奪する所存。

 今の内に良妻力を磨きに磨かなければなりません」

 饒舌に計画を語る玉藻は、ネロに思うところがありながら心底楽しんでいるように見えた。エミヤの長年の勘がそう告げている。

「さてさてエミヤさん、お返事を聞かせて頂いても?」

「……断る」

「そんな殺生な。そこを何とか」

「断る」

「そんな殺生な。そこを──」

「待て、断らせる気がないなら返事も何も無いだろう?」

「いえいえそんな、エミヤさんに快諾していただいた方が差し障りはありませんでしょう?」

 危うく玉藻の術中にはまるところだったエミヤは苦言を呈するものの、当の本人は苦言に対してどこ吹く風か、悪びれることなく言い切る。

「やはり返事など聞く必要はないだろう。私は本気で断るつもりではないし、君がどういう人物かは大体把握しているからな」

「それは重畳でございます」

 エミヤの回答が分かった上で玉藻に遊ばれた気もするが、彼女のはしゃぐ様を見ると弓兵は毒気を抜かれてしまう。

 エミヤが玉藻と初めて会ったのは、月の裏側に居た時の時空の乱れによる連戦、その最終戦で白衣を着たマスターの男に彼女が付き従っていた時だった。

 まるで人形のように感情を殺していた玉藻の姿は、無銘だったエミヤから見ても痛々しいものだった。

 今こうして本来の自分を曝け出しているのは、玉藻が去り際に語っていた得難い岸波白野(マスター)に出会ったということでもあり、戦った身としては幸福な出会いが彼女へ訪れたことに安堵する。

「あ、そうでした。話は変わりますがエミヤさん。最近背後から視線を感じる、なんてことあります?」

「ん? ……あるな」

「やっぱりそうでしたか。

 いえ、カルデア(こちら)に召喚される前にメル友の清姫ちゃんからマスターと毎日ラブラブしているって惚気メールが来ていたんですが、途中からマスターが赤い弓兵に現を抜かしているという文章が送られるようになり、あっ(察し)となりまして」

「犯人は分かっていたんだが、まさかここで経緯を聞くことになるとはな」

「エミヤさんも努々油断なさらないよう。清姫ちゃんは背後になら何時でも立てる特技がありますから。後ろからグサリなんて優雅じゃありませんもんねぇ。

 まあ、ここのマスターはご主人様並みの胆力により、背後に立たれても一切動じないので見習った方がよろしいかと」

「……ああ」

 助言と取るべきなのか迷うところだが、エミヤは頷くしかなかった。

 しかしながら、強敵が味方の中に居るのは好ましくないため何とかしなければならない。

「しかも随分とモテるようですねぇ。合縁奇縁と申しますし、愛多ければ憎しみ至るとなりましょう。呪相・玉天崩(いろいろ)な意味で!」

「不吉なことを言わないでくれ」

「不安を煽るようなことばかりでしたが、これでも感謝致しております。特にタマモキャット(あっちの私)ネロ(皇帝様)エリザベート(トカゲ女)に構っておられるようで、……少し安心しました」

 爽やかさを残しつつ紅茶を飲み終えた玉藻の姿を見ながら、エミヤは背中を刺されないよう対策を練ることにした。

 

 次の日、約束通りエミヤから家事の習得に励む玉藻だったが、乱入してきたタマモキャットとの乱闘で酒池肉林になりかけたのは言うまでもない。

 

 




 エミヤさんはお変わり無いようで安心しました!
 ネロと無銘と玉藻(三人ユニット)で活動してましたし、お友達が居るのは安心できますねぇ。
 ご主人様は伴侶ですが、こちらのマスターにも誠心誠意仕えましょう!
 

 今思えば、無銘(アーチャー)さんはイケタマを燃やし尽くしてでも闘ってきたのでしょう。


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エミヤと誰かの為の物語

遅くなりました。


 読者に忘れられない物語があるように、物語も読者を忘れないことがある。

 

 エミヤは私服を持っていない訳ではない。正確に言えば、その場で作っていると言った方が良いだろう。

 ジャックの服を仕立て終えたある日のこと、エミヤはそれを機に自分も服装を変えてみようと思い立った。月では岸波白野が着せ替えを楽しんでいたこともあるし、気分を変えるにはちょうど良い。

 善は急げと行動に移したエミヤは、象徴ともいえる赤い外套を脱いで畳むとベッドの端に置く。ここで何に着替えるかで迷うが、無難に黒シャツとジーンズを選んで投影すると手早く身に着ける。最後のワンポイントとして伊達眼鏡を掛ければ、月でもよく着ていた服装がほぼ再現される。違う点は、悩んだ末に髪を下さなかったことだ。

 この間僅か五分の出来事だったが、着替え終わったところで彼の自由時間が終わってしまう。この後に裁縫の講座があるからだ。

 折角なので、エミヤは着替えた格好で会場に向かうことにした。 

 

 一時間が経ち講座が終わった後のエミヤは、自室でダヴィンチに貰った一人用ソファに身を委ねて寛いでいる。その万能の天才がこのソファを置いた去り際に、「今度は大きいベッドに新調しておくかい?」とさぞ愉快そうに笑っていたのは、なぜか無性に腹が立つ。 

「どうしたのかしらエミヤおじ様? そんな顔をして」

「……ああ、ナーサリーか。いや、服を積極的に変えておくべきだったと思ってね」

 珍しく気を抜いていたエミヤは返答が少し遅れていた。その彼の目の前には一冊の本が浮いている。

 しばらく浮かんでいた本はエミヤの膝の上に乗るとたちまち姿が変わり、ナーサリー・ライム──アリスと呼ばれる黒ドレスの似合う少女のサーヴァントに変容する。彼女の正体は絵本の総称、物語そのものであり実在の人間ではない。今は一人の少女(ありす)の物語を引き継ぎ、その姿を借りている。

 弓兵の身を案じて声をかける、月で会った時よりも素直で幼い印象の彼女を心配させまいと、エミヤ自身も気付かない内に明るい声色で答えていた。

 それと同時に、アリスに声をかけられるまで全く気配に気付かなかったため、気配遮断講座が相変わらず盛況なようだ、とエミヤは推察している。

 

 そもそもエミヤがなぜ悩んでいるのかといえば、黒で統一した現代衣装に身を包み講座に向かったまでは良かったが、彼に会った人々が一瞬で判断できず二度見されたことにある。

 彼自身が赤い外套のままで出歩くことが多かったため、服装がいきなり黒になったら分からないのも無理はない。会った人は彼だと分からなかったことが恥ずかしかったのか、頬を赤く染めて顔を背けていた。

 最初から着替える習慣をつけておけば、間違えさせて恥をかかせることはなかった。

 慣れないことはいきなりするものではないと思いつつ、いつまでも赤い外套を着ているのは堅苦しい。今後は今の格好で生活しようと決意するエミヤだった。

「今のおじ様の服はとっても似合っているわ!」

「……一応礼を言っておこう。

 まあ似合う似合わない以前に、その人のイメージカラーというものがあるからな」

 エミヤの眼下にいるアリスが黒、彼女の元マスターが白といった具合に。

「……ところで、なぜ私の膝の上に居るのかな?」

「お友達のジャックが、おじ様の膝の上は安心するって言っていたの。

 本当にその通りだったわ! あったかくてとっても落ち着くの!」

 ジャックと同じようにエミヤに背中を預けるアリス。そんな彼女はいつのまにかジャックと意気投合し、友人関係を築いていた。

 保護者的立ち位置のエミヤは、ジャックの交友関係が広がったことに嬉しさを感じる。

「でも、あたし……わたし(アリス)は悪い子だから、座ってはいけないの? ごめんなさいとあやまっても……もうだめかしら?」

「……私の降参だ。仕方がないな」

 終いにはアリスは顔を俯かせていた。心なしか声も沈んでいる。

 エミヤはアリスのヘッドドレスを外すと、気分の浮き沈みが激しい少女の頭を優しく撫でる。

「確かに君は月で残酷な一面を見せた。だが同時に、最期まで読者(ありす)の味方でもあった。体をバラバラにされても、主を慮るほどにな。

 それに、私の方も聖人君子ではない。君に偉そうなことは言えないし、慕ってもらえるような男ではない。その言葉が聞けただけで十分だ」

「嬉しいわ。嬉しいわ。ありがとうエミヤおじ様。

 でも、わたし(アリス)を救ってくれたことをもっと誇ってもいいのよ?」

 エミヤに撫でられるがままになりながらも、アリスは砂糖菓子のように甘い声で精一杯に反論する。彼女が弓兵に懐くきっかけとなった出来事を思い出しながら。

 

 アリスはロンドンに召喚された折、魔霧計画の首謀者に回収され聖杯の支配を受けていた。

 それにより、サーヴァントを思いのままに操る調整を受けた彼女は、ありすを探すという想いだけが強く残ったものの、ロンドンの住民たちを眠りに誘う昏睡事件を引き起こしていた。

 この事件は魔本事件と名付けられ、アンデルセンの推理とエミヤの推察により正体が暴かれた後、藤丸立香一行に討伐されるはずだった。

 だが、エミヤはこのままアリスを討伐してよいものかと考えあぐねていた。確かに、討伐することが最善策であることは理解していた。

 それでも、アリスを信じたかった。

 ありすを看取ったことに感謝していた、アリスの言葉を。命を奪えるほどの力を持っているのに、眠りに誘うだけに留めている彼女の抵抗を。

 そして本から少女の姿になり、エミヤの姿を捉えたアリスが助けを求めた声を無視できなかった。

 その結果として、エミヤの想いを汲んだ立香が提案に乗ってくれたおかげで彼女を救い出すことができた。弓兵とマスターのお人好しさに、アンデルセンは終始呆れかえっていたが。

 余談になるが、アリスが聖杯の支配を脱した事実に一番驚いていたのは、この後に立香達と邂逅した黒幕の一人であるパラケルススだった。

『幼子に手心を加えましたか、バベッジ……』

 戦いに敗れた彼は、最期にそう言い残していた。

 

 エミヤはパラケルススの最期の言葉について考えていたが、思考の片隅に追いやった。

「悲観的なのは私の悪い癖だ。なかなか治らなくてな。

 だが、君を悲しませるのは私の望むところではない」

「そうよ! エミヤおじ様は、幼気な少女(アリス)の……憧れなんだもの……」

 はにかみながら笑うアリス、彼女が憧れと言いきる前に躊躇っていた理由をエミヤが知る由はない。

 

 この後、エミヤがジャックとアリスの二人と遊ぶ姿を目撃される回数が増え、またもやあらぬ疑いけられたエミヤは尋問に掛けられることになる。

 

 




 拝啓 わたしのエミヤおじ様。
 同情はするなってお姉ちゃんに言いながら、わたし(ありす)わたし(アリス)が消えてしまう時、お姉ちゃんと同じ顔で看取ってくれた優しいおじ様。
 「一人にさせないし、寂しい思いはさせない」って熱い抱擁と共に救ってくれたんだもの、これからもずーっと、ありす(アリス)を見ていてね。


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エミヤと乙女の貞節

書く時間が欲しい。
今週はこれで終わりです。


 失敗作と断じられ、生みの親に捨てられた人工生命体。経年で磨かれた感情は、彼女に怒りを覚えさせることになった。

 それが彼女にとって良い結果をもたらしたのか、答えを知るのは彼女自身である。

 

 今日(こんにち)平和なはずのカルデアで、プラグがコンセントから勝手に抜かれているという事件が突如として起きた。

 穂群原改めカルデアのブラウニーとして働いているエミヤは、誰に言われるまでもなく自発的に事態の解決に乗り出す。被害を受けた場所が自分の部屋だから尚更だ。彼の部屋には来客用の湯沸かし器(ポット)があり、コンセントに挿し込んでいる時間は長い。

 修理の頃合いを図るため、日頃から雑談などで情報収集を行っているエミヤは、性質の異なる多数の情報を統合して犯人を断定することに成功する。

 そもそも今回の事件の原因は、プラグがコンセントから抜かれていることだ。そして、同じ原因を持つ事例は過去に一度だけあった。それをもとにして犯人を予想すれば、たった一人に絞られる。

「……ゥ……ゥゥ……」

「やっぱり君か、フラン」

 そして犯人はすぐに捕まった。正体はメドゥーサ並の長身に反し、華奢な印象を与える女性──フランケンシュタインの怪物、もといフラン。犯人は現場に舞い戻るというべきか、再びコンセントを抜こうとしているところを抑えた。普段通り前髪で目を隠しており、彼女の表情は窺い知れない。

 居た堪れない態度をとるフランを追い詰めないよう、エミヤはなるべく優しい声で問いかける。

「どうしてこんなことを? ……まあ、理由は大体分かっているが」

「…………ウゥ……ァ……」

「……なるほど。やはり、あの時のことを少しだけ気にしている訳か」

 自分は本当の意味で人間になれない。

 以前、フランは亡霊と化したヴィクター・フランケンシュタインと対峙していた。だが、その結末はなんとも後味の悪いものだった。せめてもの慰めか戦いが終わった後、立香はカルデア戦闘服のオーダーチェンジでジャンヌを呼び、祈りを捧げてもらっていた。

 魔霧に覆われたロンドン、その特異点で出会ったフランは、小説の記述どころか正史とも異なる。一番違いは、生みの親であるヴィクターが彼女を見捨てているものの逃走しておらず、フランが彼に対する怒りを抱いていないことだ。即ち両名の性格が若干異なる。

 現に、ヴィクターの知己であるチャールズ・バベッジは、創造主に見捨てられたがヴィクターの娘であると認識していたし、バベッジが黒幕に加担している可能性を感じ取った彼女は、庇う素振りを見せるほど純粋だった。

 サーヴァントのフランは聖杯に関係していなかったためか、特異点の記憶は持ち越せていないものの、正史通りの道を辿っても英霊となれば悪感情はある程度昇華される。だが、それに至るまでは怒りに満ちた人生だっただろう。

 亡霊のヴィクターともう一人のフラン(イヴ)に対して啖呵を切った彼女は、失敗作として見捨てられることを心のどこかで恐れていたのかもしれない。

「己を律し、節電を世界を救うための一助にしようという君の心がけは立派なのだが……、弱音を吐いたくらいでマスターが君を見限るわけがないだろう。君が何も言わず無理をする方が、マスターやマシュを悲しませてしまう。責任は私がとるから、一度本音を言ってきた方がいい。

 ──まあ、私が言えたことではないがね」

「…………ウゥ!」

「そうか、分かってもらえたようでなによりだ」

「……ゥゥ……ア……ァ」

「ん? 半分は合っていた、だと……」

 エミヤの前半の懇願に首肯したフランは、後半に含みのある言葉を残す。

「……ゥゥ……」

「最近、私が構ってくれなくなった? だから気を引こうとした?

 ……確かに、ここ最近は講義などで忙しかったからな。フランとあまり話す機会がなかったかもしれないな」

 予想外な苦言を呈される。

 自分と話す時間をそこまで大切にされているとは、エミヤは欠片も思っていなかった。

 彼女との会話は最初の頃は四苦八苦だったが、エミヤは毎日コミュニケーションを欠かさず行ったため、今ではマシュと同等の意思疎通が難なくできている。

 しかし、気づいてもらいたかったらしいが、直接対面することになったからフランは公言したようだ。方法は素直になれない小学生のようで、人間臭い行動な気もするが。

「……ウゥゥ! ……アァ」

「他の人とちゃんと会っているか? ……言われてみれば、以前よりもあまり会っていないな」

 フランの予想は的中している。

 カルデアにサーヴァントが増える度、マスター業で忙しい立香の手伝いとして、エミヤが何かと世話を焼く。必然的に、以前から居るサーヴァントとの時間が減ってしまう。召喚されたフランも例外ではなかった。

 彼自身にも思い当たるところがあり、相手の方から会いに来ることが非常に多かった。最近では、酒飲みのサーヴァントに飲み会の誘いを受けたり、プライベートコンサートに誘われたり、ジャンヌがエミヤの部屋で不貞寝するなど、それらの回数が増えている。フランの言葉を是とするならば、辻褄が合う。

「……ゥゥ……ウゥゥ」

「そうだな。フランの言う通りだ。私はいつの間にか、みんなとの時間をおざなりにしていたのかもしれないな」

「ナァァーー!」

「鈍感、か。耳が痛いな」

 死してなお、その言葉を突き付けられてしまう。

 ビジネスライクほど割り切ってはいないし、親しい間柄を悲しませるのは生前の焼き直しである。

 エミヤがやることは一つだ。

「……ではフラン、私とこれからお茶でもどうかね?」

「……ゥゥゥ」

 

 自分からも積極的に会いに行くべきだろうと決意するエミヤは、とりあえず自身の自由時間を削ろうとしていた。

 そして、エミヤはもう少し誤解させない言葉を選んだ方が良いのではないかと思いながら、相伴にあずかるフランだった。

 

 





 えみやは、わたしの、あいて。


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エミヤと槍の黒き騎士王

遅くなりましたが、今週の投稿はこれで終わりです。


 騎士王の得物といえば星の聖剣(エクスカリバー)

 しかし神代と幻想の時代、その最後を飾る『王』は、世界を繋ぐ星の聖槍(ロンゴミニアド)を得物にして戦い抜いた世界もある。後に人ならざるものになろうとも。

 

 地獄に落ちても忘れないほどエミヤの記憶に強く残るアルトリアの姿は、月夜を背景に不可視の聖剣を携えた凛とした佇まいである。それくらい剣を持つ姿が印象的だ。

 彼女の言に依れば、生きたままサーヴァントとして現界するには、剣士(セイバー)のクラスでしか呼ばれないらしい。

 では、その彼女が違うクラスで召喚されるとどうなるのか、今まで考えもしなかったエミヤには想像がつかない。

 それ以前に、会うことはないと断定していた。────目の前に現れるまでは。

「貴様がシロウか?」

 自室にて、立香とマシュに課した宿題を採点していたエミヤは、来客が扉を叩いていることに気付くと足早に出迎えた。

 その相手こそが、アルトリアの別側面であるランサークラスにして、黒化(オルタ)の姿。成長して大人びているが、その素顔はアルトリア(セイバー)の面影を残す。呼び方を短く纏めれば、アルトリア・ランサーオルタと呼ぶべきだろう。

 エミヤが扉を開けたときに一人だったため、どうやらラムレイは留守番らしいと彼には見て取れた。

「何か用かな? まあ、立ち話もあれだろうから入りたまえ」

 エミヤはそう言ってランサーのアルトリアを部屋に招くと、言われた本人は大人しくソファに座る。

 未だに怜悧冷徹な雰囲気を纏う彼女は、先日敵としてロンドンに現れたため対峙したことがあった。狂化を付与された影響なのかは不明だが、彼女に覚えはないらしい。モードレッドの必死の叫びに眉一つ動かさない、敵対する者に容赦なく恐怖を与える嵐の王(ワイルドハント)としての姿は、剣を持つアルトリアしか知らないエミヤからすれば初めて見た光景だった。

「……聞きたいことは一つだ。貴様は私のことを知っているのか?」

 エミヤの差し出した紅茶にミルクと大量の砂糖を足しながら、アルトリアは弓兵の反応を窺っている。

「知っているといえば知っているし、知らないといえば知らない、そして私は槍を持った君に会ったことがない」

 試されているエミヤは、それを理解しながら至極当然な反応を返す。やや回りくどい言い方は、つい出てしまったいつもの癖だ。

「……なるほど、貴様が知っているのは……、剣を持つ私だけか」

「そんなにがっかりした顔をされると、悪いことをした気になってしまうな」

「そんな顔などしていない。仕方のないことだ。ただ……、とある夢を見ていた」

「夢? 生前ということか?」

「そうだ。早い話、私がこの姿になれたのは奇跡といっても過言ではない。本来なら人ではなく、神へと存在が昇華されるところだった。

 だがある時、神に成り行く私の心の片隅に、人として在りたいという僅かな願望が生まれた。この槍を持ってから、何度か夢で垣間見た別の私の記憶。その中の一つ──一人の少女として、一人の少年を愛した私の記憶によってな」

 呪いで黒く染まった槍を空いている手に顕現させると、アルトリアはしみじみとした様子で呟いた。槍を握る彼女が見せた過去を懐かしむ顔、普段とは違う穏やかな表情は、エミヤにとって初めて見る顔で、かつて見た顔だった。

「それにあてられた私は、人としての側面を残すためあらゆる手を使った。ワイルドハントの化身と称されたことや別の私が受けた聖杯の呪いすら利用し、強力な自己暗示によって己の存在を再定義することができた。皮肉なことに、この槍が無ければ叶えることなどできなかった」

「……君をそこまで駆り立てたのは、まさか……」

「他の私の経験を追体験していると、いつの間にか胸に燻るものがあった。今は戦いしか知らぬ私だが、それは変わっていない」

 紅茶のカップを静かに置くと、アルトリアは言い切る。

 兜越しではない、アルトリアの金の瞳に射抜かれながら言葉を聞き終えると、エミヤはソファの背もたれに体を預け諦観するしかなかった。生前に会ったことがない、ランサーのアルトリアにまで好意を抱かれているとは夢にも思わない。

「だが……、この槍は呪いによって敵と味方を問わずに破壊を齎す。貴様は私の傍から離れるなと言っても、味方の方へ行くのだろう?」

「……ああ、その状況ならそうなるな。……そうなるが、もし君が一人で戦うなら、私も加勢しよう。女の子だけ戦わせるのは、忍びないものでね」

「──っ! ……やはり、あなたは変わっていない」

 アルトリアは声を出さないようにして驚きを押し隠した。茶化したつもりか不敵に笑うエミヤの顔が、いつだったか彼女が夢で見た少年と重なっていたからだ。

 起きたことは戻せない。夢の中でそう語っていた少年は、常に前を向いていた。途中で道を外しても、目の前の男は根本から変わっていなかった。

 座には記録されていないアルトリア──おそらく妖精郷に招かれたであろう自分に、ランサーのアルトリアは思わず嫉妬してしまう。なぜなら……、『アルトリア』という人間に一番早く辿りつき、少女としての幸せを手にするのだから。少年が命まで賭けていたのだから尚更だ。その一心で、このまま燻った感情をエミヤに吐露することは吝かではないが、まだその時ではない。

 アルトリアの目の前に居る彼が共に過ごしたのは、セイバークラスのアルトリアだ。断じてランサーではない。今、ランサーのアルトリアがエミヤに対して抱いている感情は、他の自身(セイバー)からの借り物。そして彼女は、借り物の好意を伝えてもエミヤが受け入れないことを理解している。

 胸の内を明らかにするのは、ランサーのアルトリアにエミヤが好意を持った上で、彼女の想いが変わっていないことが最低条件だ。

 このカルデアにはセイバーのアルトリアを含め好敵手(ライバル)は多いが、それでも王として冷酷な判断を下さなければならない戦に比べれば、遥かに気が楽かもしれない。

「どうしたんだ? 私の顔に何か付いているのか?」

 黙り込んだアルトリアが自身を見つめていることに気付くと、心配して声をかけるエミヤ。たとえクラスが違っても、彼がアルトリアに向ける信頼は変わらない。

「いや、些事に過ぎん。

 それよりも、夕餉はジャンクな料理を所望する」

「……まあ、いいだろう。専用で作っているからな」

 エミヤは知る由もない。目の前の彼女は、嵐の前の静けさであることを。

 

 




 他の私も狙っているようだが、戦いだから容赦はしない。
 出遅れた分は、取り戻すまでだ。
 そうだろう? ……シロウ。


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不在のエミヤと第五次乙女協定

久々の週二投稿。
今週はこれで最後です。
次週からは第五特異点までの一部イベントをやります。


 魔霧に包まれたロンドン、魔神柱と化したマキリ・ゾォルケンを倒した藤丸立香一行は、遂に人理焼却の黒幕と対峙した。

 魔術王──ソロモンと名乗ったそれは、アンデルセン曰く、グランドキャスターという霊器(クラス)で、一般のサーヴァントとは格以前に権限が違うらしい。

 圧倒的な力の差、特異点で協力してくれたサーヴァントが次々と倒される中、魔術王の脅威を前にしても立香の闘志は消えなかった。

 

 立香は回想する。

 人間を有効活用してやると心底楽しそうに語ったソロモンの言い分に腹を立て、つい感情的になって啖呵を切った時のことを──

 その行為に踏み切ったことを後悔している訳ではない。

 例え消えることになる歴史でも、特異点で出会った人々は懸命に生きていた。サーヴァントは、仮初の今を生きる人々を救おうとした。

 だが──、ソロモンは彼らの存在を否定した。

 自身をへっぽこ魔術師と呼ばれるのは許せても、彼らの行いを否定されることは立香にとって我慢ならない。それだけの理由で、圧倒的な力の前に立ちはだかった。

「──どうしたのおかあさん(マスター)? 顔がこわいよ?」

 立香を呼ぶ声で彼女は我に返ると、声の方向に顔を向ける。

 その声の主──立香の膝の上に座るジャックは、膝の持ち主の顔を見上げている。

 最近の立香はポーカーフェイスが得意な方だったが、人の機微に敏いジャックにはお見通しだった。

「ううん、なんでもないから大丈夫だよ。心配してくれてありがとう……ジャック」

 銀髪を撫でると、ジャックは安心したように目を細める。

 かつて、「解体していい?」と挨拶のような気安さで何度か聞いてきた少女だけに、甘えたがりな一面だけが強化されると、ジャックの未来を信じた立香は肩の荷が下りる。

 協力してくれたアタランテとエミヤには感謝しなければならない。

 そんなジャックはカルデアで待機している時、エミヤが仕立てた素朴なワンピースを好んで着ており、実は殺人鬼だと紹介されても信じられないだろう。

「……そろそろかな」

 恒例行事と化してきた協定を今回も始める。

 このままジャックを撫でることに没頭していたら本末転倒だ。

 

 立香はいつも通りの趣旨説明を行う間、卓袱台に集った英霊の顔ぶれを確認しておく。最終的に、今回の欠席者はモードレッドと玉藻の前となった。

 モードレッドは、「オレが倒すべき相手だ」と武人のような心構えでエミヤを評していたため立香は現状維持を図り、玉藻の前は、「エミヤさんは良いお友達ですよ。なぜそんなことを……あっ(察し)」と気まずそうな顔をしていた。

「つまり、エミヤおじ様との甘いお茶会ができなくなってしまうの?

 そうなってしまったら、悲しいわ、悲しいわ」

「えー……、それは駄目だよおかあさん(マスター)。わたしたちもナーサリーもかなしいよ」

 立香が説明を終えると、ほぼ同時に声が上がる。

 一方は、未だ立香の膝の上から移動していないジャック。

 もう一方は瞳を潤ませたナーサリー。

 彼女はスキルによって、一時的に絵本からドレスを着た少女の姿に変化している。

 不便だろうと考え、その不安定なスキルを強化して姿を固定化させるため、現在ロマニとエミヤの共同で霊基再臨のシステム復旧が行われている。幸いにも完全な破壊ではなかったため修復できるが、破壊しようとしたレフ教授は念には念を入れていたようだ。

 「そういう訳ではないから安心して」と立香が声をかけると、二人は納得したようだった。

 反対のされようからふと思い出したが、エミヤはジャックやナーサリーと仲が良かったため彼の嗜好を二度も疑ったことがあった。そのことは最大の失態として重く受け止めている。

「……ゥゥ」

「波風を立てるのは得策ではない……か。やむを得ないな」

 花嫁衣装なフランはいつも通りに唸っている。

 エミヤは努力の末、彼女との意思疎通の術を体得したが、それは立香からするとまだまだ遠い領域だった。この場にマシュがいれば完璧な通訳してもらえたが、そういう訳にもいかない。しかし、少なくとも反対ではないことは辛うじて理解できる。

 そして、その隣で顎に手を当てて考え込んでいるランサーのアルトリアは、普段からどこか一線を引いた立ち位置をしている、と立香は認識していたが、意外なことに顔を出してくれるとは思っていなかった。

「じゃあ、全員賛同でいいかな?」

 特に反対意見もなさそうだと判断し、立香は締めに入る──

「──待て、マスターよ」

 立香を制止させたのは、さっきまで考え込んでいたアルトリアだった。

「今はこの協定に賛同するが、この先……人理修復を成し遂げた『後』、シロウが座に帰ろうとしたらどうするのだ?」

「……それは……えーと」

 聞かれてしまった核心、カルデアの分裂を防ぐために始めた協定だが、遂にというべきか綻びを看破された。

 言葉に詰まる立香だったが、絶体絶命の窮地に立たされたときこそ活路を拓くことができる。

 確かにその通りだが、ランサーのアルトリアよりも前に気づいた人物は居るような気がしてならない。特に、直感系のスキルを所有しているサーヴァントがこの欠陥を見逃す訳がない。つまり、黙っていてくれたのだろう。

 ならば、なぜこのタイミングでアルトリアは発言したのか。立香の読みが正しければ、これは彼女に試されている、意思確認をされているということに他ならない。

「エミヤが自分の意思で残ってくれるように……頑張る」

「……そうか」

 おもむろに瞼を閉じたアルトリアはそう呟いた。

「……だが、幾分か良くなった今のシロウでも、自分から幸せを掴みに行くとは……いや、受け取るとは思えんな──」

「────なら、わたしたちで、かえればいい」

 諦観した様子のアルトリアの言葉を遮ったのは、少し前から沈黙に徹していたフランだった。

「わたしは、ますたーも、えみやも、だいすき。だから、りょうほう、ほしい」

 喋るのは疲れると公言しているフランがここまで喋るということは、今が重要な局面だと理解している彼女の決意の現れに他ならない。

「うけとらないなら、うけとってもらう。

 ますたーが、ひとりで、できないなら、みんなで、やる。それしか、ない」

「…………ふっ、私としたことが一番重要なことを忘れていたな。シロウは幸せになっても良い、と私たちで伝えるべきだったか」

 珍しく露わになったフランの瞳からは、硬い意志が見て取れた。アルトリアはしたり顔で察しているようだが、立香は戸惑うばかりだった。

「それってつまり……、いろいろと協力してくれるってこと?」

「無論だな。共に歩む者がいないのでは話にならん」

「お姫様と王子様のラブロマンスもいいけど、なによりハッピーエンドが一番よ」

「おかあさんたちが仲良しならそれでいいよ」

「まりーが、いっていた。あいの、かたちは、いろいろ、あると」

 英霊達の反応は多種多様なものだったが、その意思は一つだった。

 

 現状の維持に関して賛同を貰った協定も一刻前に終わり、閑散とした自室で就寝前の立香はベッドに転がると天井を見つめる。

 最近、祭りが終わった後の寂しさと言うべきか、楽しいことの後に悲哀の感情に囚われるようになった。

 いつまでもこの時間が続けばいいと願っても、人理修復が終わった後も一緒にいられるのか立香自身にも定かではない。

 アルトリアが先のことについて言及したということは、他のサーヴァントと同様、遠回しに座に帰らないと明言しているようなものだ。それでも、今過ごしている時間がいつか幻になってしまうのかもしれない。

 そう考えると、人の持つ時間の短さについて揶揄していた魔術王の嗤った顔がちらつく。だが、ソロモンの考えを肯定したくはない。

 この件は、まだ胸の内に秘めておくべきだろう。

 そう結論付けた立香は意識を手放した。

 

 




 最近はシロウが構ってくれない。暦上ではクリスマスが近いので、何かしらで気を引くしかない。
 そういえば、霊基再臨装置というものが修理できたらしい。あれを応用してクラスを変えてみるか。セイバー以外もたまにはいいだろう。

 そう……ライダーとかな。











































 立香の脳裏に誰かの声が響く。
「────人を羨んだコトはあるか?」


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エミヤと聖夜の騎士王

今週は多忙につきこれだけです。


 十二月二十五日──()の聖女マルタに(ゆかり)のある人物の生誕祭がピークに達する日。

 とある国では雪が降り積もる時候であり、七面鳥を始めとしたご馳走を食べる日とされている。その夜には、聖人(サンタ)が贈り物を渡しに来るだろう。

 

 人理焼却により(カレンダー)の意味が消失したカルデアでは、永続的な非日常からの脱却を図るため、変わりない日常を意識づける定期イベントが開催される運びとなった。

 無論、主催は藤丸立香である。以前、エリザベートからの招待状を受け取っていた立香は、そこから企画の着想を得ていた。更に、マタ・ハリとの会話で何かしら手掛けたいとも思っていた。

 そこで、時間の経過をカレンダーと照らし合わせた時に直近だった、日本人である立香には馴染みのあるイベント──クリスマス会を計画した。

 あまり盛大に祝うことはできず名前を借りるだけになったが、たまには食事会で気分転換をしてもらいたい、立香はそう思っていた。

 その姿を陰から見ていたエミヤは、言われるまでもなく当日張り切って料理を作り上げた。途中からカルデアの食堂を担うサーヴァント達も参戦し、各国の料理が並ぶテーブルは圧巻の一言だった。

 立香の人徳か、一番の問題だった信仰、宗教の違いすら乗り越えた祭事となったが、この後に待ち受けていたのは争奪戦だった。

 事の発端は、会場に遅れて現れたアルトリア・オルタの登場である。

 彼女にはいつもと違う点があり、服装がミニスカート、サンタを自称していたこと、よく確認して見ればクラスが『ライダー』に変化していた。

 気合の入った仮装だ、とエミヤに意見を求める立香だったが、当の弓兵は変化した理由に思い当たる節があったのか、曖昧な表情で沈黙していた。

 そのサンタのアルトリアは、持参してきた袋から出所不明のプレゼントを取り出すと、カルデアの職員やサーヴァント達に配布していた。

 やはりサプライズかと思われた矢先に事件が起きる。

 アルトリア・オルタは袋が空になったことを確認すると、「では、私もプレゼントを貰おうか」と宣言し、エミヤに反応させることなく彼を空いた袋に詰めた。

 呆気にとられる一同だったが、自称サンタは「聖夜のドライブにでも洒落込むか」といつの間にか用意していた手作り感あふれるソリ──カバに見える──に飛び乗り、「マスター(トナカイ)も来い」と立香も連れ去った。

 二人を連れ去った結果がどうなるか、それは火を見るよりも明らか。

 こうして、アルトリア・オルタの主動で特異点を股に掛ける逃走劇が始まった。

 

「こうまでして誘う必要があったのかな?」

「当然だ。プレゼントを渡したらパーティー会場から立ち去る、それがサンタの流儀というものだ。本来なら、もっと早くから活動するべきだったがな。

 それに、シロウは私に構ってくれな……最近では二人きりになることが無かったから、役得を頂いたまでだ」

 牽引するはずのトナカイが不在なため、『約束された勝利の剣(エクスカリバー・モルガン)』とアルトリア・オルタの『魔力放出』で高度二千メートルの空を飛ぶソリ。

 ラムレイ二号と名付けられたそれの後部座席に該当する位置で、袋から顔だけを出しているエミヤは呆れ顔をしている。

 一方、前の席に座るアルトリア・オルタの顔はいつもと変わらぬ無表情、その左隣に座る立香は疲労からか眠りに落ちている。寒くないよう毛布を掛けている所にアルトリア・オルタの気遣いが窺える。

 三人を乗せたソリの眼下には雪原が広がっているが、どうやってカルデアから特異点に移動したのか理解が及ばない。

「君の真の狙いは、マスターの休養だろう?」

「……やはり気付いていたか。レイシフトで忙しいだろうに働きすぎだ。部屋でもゆっくり休めないだろうからな。こうして連れ出した。

 シロウなりにトナカイの負担を軽減しているようだが、私に言わせればまだ甘い」

「これは手厳しいな」

「全く、シロウといい、トナカイといい、自分を大切にしなさすぎる。

 ……どれだけ心配させるのか」

 エミヤはアルトリア・オルタに文句を言われていることは聞き取れたが、風切り音で後半を聞き取ることができなかった。

「人理を救う戦いだ。犠牲無しに成し遂げられるものではない。なら、私が負担を肩代りした方が──」

「またそうやって自分を犠牲にするのか? シロウは本当に何も変わっていない。

 貴方が傷つくことに悲しむ人が居るのだぞ?」

「……」

 エミヤには直ぐに返せる言葉がなかった。

 表情こそ変わらないが、アルトリアの珍しく怒気を込めた口調に思わず委縮してしまう。それでも、気圧(けお)されることなく口を開く。

「……確かにそうだ。みんなが私を気遣っていることは理解しているよ。身に余る光栄と言っても足りない程にな。

 だがな──、咄嗟の出来事になるとつい体が動いてしまう。こればかりはどうにもならんよ。私が『英霊エミヤ』である限り……な」

「なら私が正してやろう。シロウが道を踏み外す限り……な。

 ────シロウ自身が幸せになってもいいのだからな」

 エミヤの言葉に被せるように、いつの日だったか彼に言われた言葉を加えて断言する。しかし、その声色は優しい。アルトリア・オルタは前を向いていて良かった。頬を染めている姿を見せられない。当然エミヤは気付かなかった。

 その彼は言われた言葉に覚えがあったのか、記憶の片隅から引き上げると目を丸くしていた。

「それに、トナカイには仲間の力を借りろと言っておいて、自分は一人で解決しようなど矛盾している。今の私の契約者はトナカイだが……、貴方と轡を並べて戦うこともできるのですよ、シロウ」

 一瞬だけ振り返りながら、ようやく表情を崩したアルトリア・オルタの微笑みに、エミヤは安堵した表情で応えた。

「参ったな……、成長していないのは私だけらしい。あの時と立場が逆になってしまったか。……まあ、善処するよ」

「本当に分かっているのか? ……いや、それがシロウらしさというものか。

 それにしても、マスターには感謝している。この私と縁を結び、カルデアに召喚してくれたこと。何かに追われることもなく、こうしてシロウと語らうことができる」

「そうだな……。まあ、君が来た当初は大変だったがね」

「あれは光の私に責任が……、そういえば聞いたぞシロウ。あちらの私のことを真名で呼んだらしいな。自慢してきたぞ」

「そ、それはだな……」

 一転して不機嫌そうな顔と声色で問い詰めるアルトリアに対し、エミヤの声は些か頼りない。

「あの装置のおかげで、私はセイバーとライダーの両方に変更できる。

 ここは公平に、私のこともクラス名ではなく真名で呼ぶべきではないか? 譲歩して二人きりの時に限定してやろう」

 完全に振り返り、エミヤと顔を合わせたアルトリアの顔には、有無を言わせぬ笑顔が張り付いていた。さしものエミヤでも、これに逆らうことはできない。

「了解した。……アルトリア」

「──っ!! ええ、それで構いませ……構わない。

 ではそろそろ戻るとしよう、追手も増えてきたから、いつ撃墜されてもおかしくはない」

「ああ、そうだな」

 アタランテが放っているであろう矢を避けながら、普段通りに行われる二人のやり取りは、穏やかな寝顔の立香だけが知っていた。

 

 




 はあ……、何で私が字の練習をしなければならないのよ。
 いつの間にか召喚されているし、さっさと煉獄にでも戻りましょう。
 こうなったのは、何もかもあの女たらしの弓兵のせいよ。
 同情でも軽蔑でも哀れみでもない、知ったような顔で心を揺さぶって、「君の信念は紛い物ではない」とか言ってきて何なのよアイツ。強者を挫き、弱者を救うなんて、愚かにもほどがあります。
 ……とりあえず契約用の字はこれでいいのかしら。


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エミヤと謎のヒロイン

活動報告『投稿ペースについて』更新しました。

なぜか最近アルトリアしか書いてないな。


 新年を迎え、正月明けから特異点の調査に向かった藤丸立香一行。

 そこで出会ったのは、若き日の姿と思われるアルトリア・ペンドラゴン・リリィ、SFチックな宇宙船と共に(ソラ)から降ってきた謎のヒロインXを名乗る少女の二人だった。

 生前のエミヤ並みに人の好いリリィはXの言葉を信用し、強さへの悩みを解消するという名目で、特異点に散らばった宇宙船の部品集めをすることになった。

 斯くして始まる修行の旅。

 セイバーの殲滅を目論むXとの修行の行方がどうなるのか。心中複雑なエミヤは静かに見守っていた。

 

 遠い昔、遥か彼方の銀河系……(サーヴァントユニヴァース)から宇宙船『ドゥ・スタリオンⅡ号』に乗ってやって来た謎のヒロインX、彼女はアサシン(セイバー)クラスだ。その正体は誰にも知られていないはずである。

 Xの目的は、自身以外のセイバーの抹殺と、増えすぎたアルトリア顔の殲滅──個人的感想でリリィを除く──のみ。

 実現不可能に思われるが、何もヒロインXは一人で戦っているわけではない。

 日夜、『コスモギルガメス』、『キャプテン☆ニコラ』を相手にサーヴァント界の平穏を守る正義のヒーローには、多くの仲間が居るのだ。

「という訳で、サーヴァント界に戻るのです。ネームレス・レッド」

「何が『という訳』なんだ。レディ・X」

 自室の扉を開けたエミヤを出迎えたのは、件のヒロインXだった。

 無風のはずの室内でマフラーを靡かせ、ジャージ姿で仁王立ちしている少女に色々と思うところがないわけではないが、出て行きなさいと強く言えないところが赤い弓兵の悪いところだろう。

「あの口煩いネームレス・レッドがここまで大人しいなんて……、やはりここは夢の中では──」

「残念だが現実だ。そういえば以前にもそう言っていたな。ネームレス・レッドという名前に引っかかることはあるが、そこまで私に似ているのか?」

「ええ、それはそれは。昨今で社会問題となっている氾濫したアルトリア顔の如く。

 ……流石にネームレス・レッドの増殖は私の使命の範囲外ですが」

「そうか……、とりあえず適当なソファにかけたまえ。茶の一杯ぐらいはもてなそう」

 目を閉じて腕を組み、何度か頷くXの姿から視線を外したエミヤは、いつものようにもてなす準備を始めていた。

 

「──なるほどな。つまり、ネームレス・レッドというのは教師の名前で、職場の同僚というわけか。……まったく私は、別の宇宙にも居るのか……」

 Xから事情を聴いたエミヤはその全貌をようやく掴むことができた。

 どうやら彼女は、別の宇宙にある正義の学び舎『コスモカルデア学園』からやってきたらしく、『新円卓の騎士』なるものを結成しているようだ。更に話を聞く限りでは、あちらにある英霊の座にも『英霊エミヤ』がいることに間違いはないらしい。

 その中で『正義』の言葉を聞いた弓兵は、その学園から輩出されたサーヴァントが体の良い駒にされないでほしい、と願うしかなかった。

「さしもの私でも、一人でできることに限界はありますから仕方ありません。

 だからこそ、私は仲間の力を借りることで忍法を使えるようになるのです」

「……やはり、セイバーを名乗っているのに忍法でよいものか」

「聞き捨てならない言葉が聞こえましたが、気のせいですか?」

 小さく呟いたつもりだったが、Xの耳は地獄耳だった。咳払いして取り繕うと、すかさずエミヤはお茶を濁す。

「ああ、それはただの空耳だろう。

 ここまでの君の話からすると、私とネームレス・レッドという人物は同一ではないな。座には一切記録されていない。尤も、宇宙が違うという時点でそうだとは思っていたがな」

「そうでしたか。まあ、あの口うるさい講義がないだけマシだから良しとしましょう。

 しかし、来た時から思っていましたがこのカルデアにはセイバーやアルトリア顔がたくさん居すぎでは? ……もしや貴方の趣味ですか?」

 死活問題なのか、苦汁を舐めるとはこういう顔だろうとすんなり納得できるほど苦々しい顔でXは呟く。だが、彼女が最後に付け加えた言葉はエミヤからすれば心外だった。

「それこそ馬鹿なことを言わないでくれ。召喚しているのはマスターなのだからな。触媒はおそらく、マスターが結んだ縁だろう。

 ──それに、よく分からないが君の言う条件に当てはまらないサーヴァントも居るんじゃないかな?」

「後半はいいとして、前半の言葉が嘘でないことを祈りますが……」

「どうかしたのかね?」

「いいえ、別に」

 訝しむ表情のエミヤの視線から逃れるように、Xは視線を逸らす。

 実のところ、「ほとんどのサーヴァントから熱い視線を向けられ、いまいち説得力に欠ける」と付け加えたいところだった。

「ああ、そういえば忘れていました。貴方のことは何と呼べばいいでしょうか? ネームレス・レッドでは被ってしまいますし」

「何でも構わんさ。アーチャーでも、エミヤシロウでも、好きに呼ぶといい」

 本来なら真名を軽々しく名乗らないエミヤだが、もはや隠すまでもなく真名(フルネーム)が知れ渡り、シェロなる愛称まで設定されてしまった。知られるのも時間の問題で、無駄な抵抗はしない。

 この現状をクー・フーリン(ランサー)辺りが知ったら、間違いなく笑いの種にされるだろう。

「そうですか、では…………、

 ──シロウ。そう、シロウが良いですね。この響きは何というか、何かしらティンときました……そんな顔をしてどうしたのですか?」

 Xの突然の問いかけの意図が分からず反応が遅れてしまう。

「そんな顔とはなんだね?」

「そうですね。……懐かしいものを見るような顔でしたよ」

 無意識の内に、エミヤは過去の記憶と目の前の光景を重ねていたようだが、そう言われてようやく自覚できた。

「……少しだけ、昔を思い出しただけだ」

「何か怪しいですね。実はその昔に、アルトリア顔と関わったのでは? 青か黒か黒槍か、はたまた三人まとめて……よもや、話に聞くスケコマシというものですか?」

「それこそ風評被害だ。第一、私程度が相手では彼女達に失礼だろう。それにな、仮に関わったとしても私には何もできなかったよ。

 ……そうさ、私には結局、彼女を本当の意味で救えなかった」

 何を馬鹿なことを言っているのか、眉間に若干の皺を寄せて反論するエミヤだったが、Xはあまりの朴念仁さに宿敵のはずのアルトリアへ同情してしまった。

 最後の言葉は聞き取れなかったものの、リリィに似た卑屈な言葉を並べるエミヤ何とかしなければと思い立つ。すると突然──、Xの頭脳に電流が走る。

「これは…………、ある意味チャンスでは? リリィのことは心苦しいですが」

 朴念仁を憂いているアルトリアは、ここにも居るのだから。

「……そんなしょぼくれた顔をしている場合ですか、シロウ。

 私が言うのもなんですが、もっと自信を持ったらどうです? 何もできていないなどある訳がないでしょう。貴方が考えているよりもずっと、何かを成しているのです……色々な意味で」

「最近よく言われるんだが、私としても当たり前のことをしているだけだから、どうにも実感が湧かないものでね」

「なら、いいでしょう、この私が導いてみせます。アルトリウムと共にあれ。

 最後に貴方の隣に居るのは、他のアルトリア顔やセイバーではない……この私だっ!」

「なぜか嫌な予感しかしないのだが……」

 

 この後、謎のヒロインXがどこかの特異点で頂上決戦を何度か勃発させるのは、また別の話である。

 

 




 謎のヒロインZの攻撃から身を挺して庇われたあの時から、目で追っている私が居ました。
 ネームレス・レッドは頼れる仲間ですけど、シロウは何というか……あれですよって、言わせないでください恥ずかしい。そうです、彼の人となりを知るうちに、彼の剣として戦うことを想像していました。
 何という不覚、とんでもないものを盗まれてしまいました。これは責任をとってもらわなければなりません。
 というか、一部のアルトリア顔もシロウって呼んでるんですか……、シロウに免じて使命は一端中断しますけど、貴方に相応しいセイバーが誰なのか教えてあげます。私にいい考えがありますからね。


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エミヤと花の旅路

無駄にシリアスになりがちな癖を何とかしたい。


 滅びの結末から生まれた幻想は、どんな過程を歩もうとも結末が変わることはない。

 それでも、今を生きる少女は花の旅路を歩み続ける。たとえその先に、滅びが待ち受けていようとも。

 

 シミュレーターに認証されたサーヴァントは二騎。

 片や赤い外套の弓兵で、片や純白の姫騎士、実践型の修練と思われる戦闘は何合かの打ち合いの末に弓兵の勝利で終わりを告げた。

「ありがとうございました。エミヤ先輩」

「これくらいなら別に気にしなくてもいいが、気持ちは受け取っておこう。

 ──しかし、やはりというべきか、勝つことが段々と難しくなってきたな。リリィの成長速度には目を見張るものがある」

「いいえ、これも指導してくださる皆さんのおかげです。

 エミヤ先輩は、双剣と弓を織り交ぜて戦っていますからとても勉強になります」

 得物はすでになく、互いに無手で称え合う。

 本心から称賛の言葉を贈る弓兵ではあったが、クラスを問わずカルデアのサーヴァントへ教えを乞うほど熱心に鍛錬する姫騎士は、謙虚なためかそれを固辞する。

 持ちうる技術の全てを費やして防ぎ切ったエミヤに対し、剣捌きが洗練されてきたリリィにはまだまだ成長の余地が残されていた。もうしばらくもすれば、この赤い弓兵が相手でも勝ち越せるようになるだろう。

「役に立てているのなら幸いだ。

 そういえば前から思っていたが、私を呼ぶ時は堅苦しくなくてもよいのではないかな?」

「やはり、先輩やさんを付ける呼び方は変えた方が良いのでしょうか?

 エミヤ先輩以外のカルデアの皆さんもそう言っていましたし……」

 自らの知るアルトリアとは別人でも、彼女にしょげた表情をされるのは落ち着かないものがある。

 普段は明るい性格のリリィでも悩むことはある。そう思うエミヤはどうにかして励ましの言葉をかける。

「それはおそらく、リリィと仲良くなりたいからだろう。君の丁寧さは美徳だが、距離を置かれているように感じることもある」

「そうなのですか……考えてみます。

 では、エミヤ先輩も私と仲良くなりたいのですか?」

 未だに不安そうな顔で見上げてくるリリィの返答で、弓兵は墓穴を掘ったことに気付いてしまう。

 思い上がりかもしれないが、この状況で条件反射の如く違うと言ってしまえば、彼女の顔は今以上に暗くなってしまうかもしれない。それはエミヤの望むところではない。

「……ああ。これからカルデアで過ごす仲間だからな。

 ──そもそもの話だが、私は君にそう呼んでもらえる資格がない」

「でも、マシュさんもエミヤ先輩って呼んでいますよね?」

「先日、呼び方を変えてみないかと提案してみたんだが、『エミヤ先輩はエミヤ先輩だからエミヤ先輩なんですっ!』と力説されてね。そちらについては諦めたんだ」

「……では、私も変えたくはないです」

 遠い目をして語るエミヤを見ながら、なぜか胸を張るリリィは堂々と呼び方の変更に拒絶の言葉を述べる。

「理由を聞いても?」

「説明しにくいのですが、マシュさんのことがとても羨ましくなったんです」

「そうか……、ならこれ以上は何も言わんよ」

 そう言った弓兵は背を向けると、マニュアルに従い使用後の手順としてシミュレーターの設定を初期状態に戻し始めた。

「……エミヤ先輩、私からもいいですか?」

「ああ、答えられる質問であれば」

「どうして悲しい顔をしているのですか?」

 

 その質問に操作していた手がピタリと止まる。

 耳にした言葉が予想だにしていないほど突拍子もないから仕方がないが、不意を突かれるとやはり動きが止まるものだ。

 残っていた些細な作業を終えゆっくりと体を動かし振り向けば、意を決したような面持ちでリリィはエミヤを見ている。

「どういうことかな?」

「エミヤ先輩は私を含めたアーサー王を見ると、時折そのような顔をしているんです。

 未熟な身でありながら、出すぎた真似をしていることは理解しています。ですが、貴方の悩みはどうしても言えないことなのですか? 私では力になれませんか?」

 それを聞いて眉を動かしてしまったのは、エミヤといえども仕方のないことだろう。

 純真さによる気付きというべきか、マシュにも隠し事をしていないかと聞かれたことはあるが、リリィの質問は明らかに確証を得ている。

 未来の姿と断絶していても自身に関することだからより聡いのか、天性の感受性がそうさせるのかは分からない。

 一瞬しらを切るべきかと考えてはみたが、直ぐに看破されると思い至りエミヤは抵抗を諦める。

 リリィの真摯な瞳に抗えなかった。

「……私は、彼女との約束を守れなかった」

 だが、弓兵の複雑な心中が慎重に言葉を選ばせる。

「生前の私は、とある夢を追い求めていた。かつて参加した聖杯戦争のパートナーであるアルトリアにも、その夢を語って別れ際に激励を受けたよ。

 しかし、その頃の私は愚直過ぎた。目指す理想を高く掲げた結果、夢に破れて英霊となり、あろうことかサーヴァントとしてその過去を否定しようとしたこともある。

 ここに居るアルトリアは私が夢を語った彼女だ。だからこそ私は気にしてしまうんだよ。どんなに彼女が今の私を認めてくれても、私は心の奥底で自分自身が許せないままだ。体たらくな結末を見せた私が合わせる顔など、当の昔に置いてきたのだからな」

「エミヤ先輩は夢を追い求めて英霊となった。その夢とは──」

「──残念だが、私の話はここまでだ。希望に満ちた君の旅に暗い話があってはならない。私が暗い影を落としてはならない」

「────そんなことはありません」

 エミヤの言葉を打ち消したのは、リリィの静かな訴えだった。

「エミヤ先輩は……、X師匠と同じく私を見捨てないでくれました。

 旅の中で、聖剣(カリバーン)の真価を発揮できなくて悩んでいた時、『その剣は君の成長を待っている』と暖かい笑顔で励ましてくれました。それは、私の成長を信じてくださったからですよね? アーサー王として成長する素養があると確信してくださったんですよね?

 私はその言葉で救われたんです。先の見えない暗闇で迷っていた私に、光を与えてくださったんです。だから……、そんなことを言わないでください。明るい顔と悲しい顔の両方が真実でも、私はエミヤ先輩の優しさを信じます」

 天真爛漫、ポジティブ、アルトリアと異なる彼女だが、聖剣について深く悩んでいた。それ故に、立香達はリリィに関わることになった。

 そんなリリィの最大の武器は、相手を信じること。選定の剣に見初められた純真な王の素質。

「……すまない、また悪い癖が出てしまった。気を抜くとすぐにこれだ、学習しないな……私は。

 だが──、抱き着かなくても良かったのではないかな?」

 弓兵は視線を下に向けるがリリィの表情は見えなかった。彼女は感情のまま咄嗟に抱き着いたらしい。

「私がそうしたかったんです。……離れてほしいですか?」

「そうだな、君が清廉な淑女であるならそうしたほうがいい」

「なら──、今度私とパイを作ってください。エミヤ先輩は料理がとても上手ですから、一緒に居てくださると心強いです。このお願いを聞いていただけるなら離れます」

「それぐらいなら、お安い御用というものだ」

 癖を矯正してくれたせめてものお返しに、笑顔で答えを返す。

「──では、パイ作りを楽しみにしていますね」

 名残惜しそうにエミヤの体に巻き付けていた腕を離すと、リリィも最後に笑顔を残して立ち去っていく。

 見送ったエミヤは部屋へと踵を返すことにしたが、彼女が向ける好意を素直に受け取る訳にはいかなかった。

 未来の姿を見ているからこそ、リリィを励ますことができただけなのだから。

 

 この後、部屋に戻ったエミヤが仁王立ちする謎のヒロインXと会うことになるのは、もはや言うまでもない。

 

 




 エミヤ先輩は、一見冷たいように見えますがとても暖かい人で、傍に居るととても安心します。
 私が王になる時が来たら、エミヤ先輩は臣下……いいえ、もっと近しい存在になってくださるでしょうか。


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エミヤと空の境界

 突如現れた謎の特異点。

 先に調査に向かったカルデアのサーヴァントの失踪事件を受け、すぐさま魔境に赴いた藤丸立香一行は、疑似サーヴァントを自称する少女と出会う。

 立香はマスターとして、曰くつき物件の影響で変質した仲間を苦悩の果てに倒し、屋上にて黒幕と対峙した。

 

 エミヤはクーラーボックスを肩から下げ、ある人物の部屋へと向かう。

 中身が何かと問われれば、日本でも有名なメーカーのストロベリーアイスと答えるしかない。雑務を請け負うことに定評のあるエミヤは、依頼を受けて運んでいた。

「例の物を持ってきたぞ、両儀」

 部屋の扉を叩き入室の許可を仰ぐと「勝手に入れよ」との言葉が返され、空いた手で扉を開けて中に踏み込む。

 しかし、一歩進んだところで弓兵の表情は強張った。

「……客人を迎え入れるなら、それなりの格好をするべきではないかな?」

 部屋の主──オガワハイムというマンションで共闘した両儀式は、おそらく襦袢であろう薄着のままベッドに片膝を立て、ストロベリーアイスを嗜んでいる最中だった。

 生前、姉代わりの女性の生家に赴いた時、『両儀』という変わった名字を聞いた気がしないでもないが、ただの記憶違いだろうと判断する。

「シャツは洗濯中だ。

 部屋でどんな格好してようとオレの勝手だろ? いいからさっさと補充してくれよ」

「全く……、仕方がないな」

 エミヤを一瞥し、プラスチック製のスプーンを咥えたままの式は、さもそれが当然のように振る舞う。

 かくいう弓兵も、本人の意向ならば特別気にする事は無いため、彼女の指示通り部屋に備え付けてある小型冷凍庫の扉を開放する。

 今思えば、甘いものが苦手と言っていたり、アイスを勝手に食べても良いと許可していたり、実際の好き嫌いは不明のままだが、弓兵が依頼通りにクーラーボックスからストロベリーアイスを移し替えていると、式は突然口を開いた。

「今更なことを聞いてもいいか?」

「なんだね?」

「おまえはそれが素なのか?」

 位置関係的に背後から投げかけられた疑問、式の格好に配慮したエミヤは振り向かずに答える。

「そうだ……、としか答えようがないな」

「あっそ。意外と嘘が下手なんだな」

「────どういう意味かな?」

「そのままだよ。

 おまえが一番分かっているだろ、エミヤ」

 エミヤは声で心情を判断するしかないが、式がここまで相手を気に掛けることは非常に珍しいという事実に気付けるはずもない。

 発言内容からすれば、マシュやリリィとは違う角度からエミヤの内心を見抜いているのだろう。

「……同じ顔が多い……アルトリアだっけ? その名前のセイバーとか、それ以外のサーヴァントとかがおまえに向ける好意に、どういう訳か気付いていない振りをしてるだろ? 色男」

 式本人としては重要な話だと思っていないのか、アイスを食べながら雑談のように軽く話しかけるが、後ろを向くことも忘れたエミヤは少しばかり動揺していた。

「ま、まさか……、そんなことあるはずないだろう。大層な男ではない」

「またそうやって嘘を吐いて逃げるのか? 現実を見ろ。

 そこだけが残念だよな、おまえの場合は。オレ好みの陰陽剣を見せてもらったし、飛び降りた所を引き上げてもらった借りがあるから、そこまで嫌いじゃないんだけどな。

 何よりも、自分が見えているのに誤魔化している所が気に喰わない」

 ぶっきらぼうに言い切りながらも、実は周りをよく見ている式の慧眼に頭が痛くなる。さして口の上手い方ではないエミヤがはぐらかせるような相手ではない。

 以前にも、月の聖杯戦争で彼女に会ったような気がするが、詳しくは思い出せない。だが、強敵だったということははっきりと覚えている。ナイフなど持っていなくても十分に強い。

 アイスの補充を終えてはいたが、エミヤは振り返ることなく切り返す。

「仮にそうだとして、私にどうしろと?」

「隔たりを作っているのなら、素直になればいいだけだろ?」

「……ここまできて随分と雑だな」

「それ以外に何かあるのか? むしろ簡潔明瞭な答えだ。相手にしないってのは、道理じゃない。お前に本物の心があるなら理解できてるんだろう? ま、理由があるならオレはこれ以上何も言わない」

 ここまでくれば詰みのようなものだ。

 呆気なく押されたのは、織田信長以来かもしれない。

「……降参だ。

 ──そうだな、確かに理由はある。些細なことかもしれないが、まだ心の整理がついていなくてね。君がそう思うのも無理はない。

 だが、言うとしてもまずマスターに話すだろうな」

「なら、おまえの勝手にしろ」

 諸手を挙げて抵抗を諦めるエミヤを見ながら、式はほんの少しだけ満足そうにしていた。

「寛大な心に感謝するよ。では、私からも相談があるのだが」

「なんだ、急にかしこまって」

「実をいうとだな……、彼女達の好意というものは……、ただ単に一過性のものではないのか? 私は彼女達に比べれば釣り合う男でもないし、特別好かれるようなことはしていないのだが」

「……本心か?」

「ああ、嘘偽りない本心だ」

「……そっちは本当に誤魔化しているわけじゃないとか、どういう料簡だよ」

「どうかしたのか?」

「悪い、オレじゃ無理だ。他をあたってくれ」

 あっけらかんと言ってのける弓兵に、普段から冷静な式ですら複雑な表情を浮かべるしかなかった。

「そうか……、ではこのことは内密に頼む。私の不甲斐なさ故のことだ」

「内密? ……なら、対価代わりに一つ聞かせろ」

「なんだね?」

「──おまえの死の線が見えない」

 洞察力のある式はアイスを食べる手を止め、エミヤの背中──動揺したこと以外は何の変哲もない背中を見据えていた。

 偽りは許さないということだろう。彼女の問いかけは、意図を語られずとも弓兵には容易に察することができた。

「…………君の眼は想像以上に厄介だな。隠し事ができそうにない」

「御託はいいからさっさと話せよ」

「詳しくは言えないが、私の体と同化している宝具の影響だろう。なぜこうなったのかは私にも分からない。

 あくまで奥の手で、余程のことがなければ使うことはないがな」

「……持ってるだけで綻びをなくせる? 死の線が細い訳でもないとか、あの男より性質が悪いな。

 宝具ってだけでも随分と胡散臭いけど、性能までそれとか何処の橙子案件だよ、まったく」

 スプーンを咥えている式は、苦々しい表情をしていた。

 苦言を呈されても、人理焼却という状況下においても存在し続ける理想郷──由来がそこにあるからこそ、『直死の魔眼』すら跳ね除けるのかもしれない。

 『とうこ』案件が何を指すのかは分からないが、まさか蒼崎橙子ではないだろう、とエミヤは気にしないことにした。

「聞きたいことはそれでよかったのか?」

 アイスの補充はとうの昔に終わっているため、女性の部屋に長居は無用だ。そう考えるエミヤは、問答が終わったことを確認すると帰り支度を始める。

「ああ、聞きたいことも聞いたし、もう帰っていいぞ」

「お言葉に甘えるとしよう。あまり食べすぎないようにな」

 その言葉を最後に、クーラーボックスを再度肩に掛けた弓兵は部屋を後にした。

 

 完全に扉が閉まったことを確認すると、式は食べ終えたアイスの容器をダストボックスに放り込む。

 気を楽にして寝転がると一人呟く。

「……幹也やマスターと同じ大莫迦の一人か、エミヤは。

 それにしても鈍感男とか、マスターも苦労するな」

 部屋の窓際に提げた赤いジャンパーを見上げながら、式の顔は過去を懐かしんでいた。

 

 




 なんにせよ腕は立つ。
 安心しろよ、万が一立つ瀬がなくなったら、家政婦兼助手として雇ってやるよ。
 家に来られたらの話だけどな。


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エミヤと「 」の境界

明の境界

今週だけ二回投稿。
あと、どうしてこうなったのか分からない。


 根源への到達──一般的な魔術師が追い求める至高の課題。

 仮に人間の肉体が根源に接続されていると知られれば、多数の死者が出ることは間違いない。

 

 依頼を終え、クーラーボックスを食堂に返却して部屋に戻ったエミヤは、ふとあるものに気付く。

 ソファに立て掛けられた一振りの刀、念のため見覚えのあるそれに近づいて解析をかけると、違和感があるものの予想通りの名前が判明する。

「『九字兼定』? なぜこんなところに……」

「──私が置いたの」

 その声は背後から聞こえた。

 弓兵が素早く振り向けば、嫋やかな大和撫子が淡く微笑んでいた。

「……『両儀式』か、忘れ物は感心しないな」

「あら、ごめんなさい。どうしても、あなたを驚かせたかったの」

「まったく、音も気配もなく後ろに立てるのなら、回りくどい手を使う必要はなかっただろう」

 一切気取られる事無くエミヤの背後を取り、童女のように笑う白い着物の女性は、自称アサシンの疑似サーヴァント──両儀式の肉体に宿る人格で、実は根源の一部だと本人が大したことでもないかのようにさらりと語っていた。

 本来、両儀式は「両儀式」を認識できず、今の状態でも幽霊扱いするほど薄くしか見えないらしい。口裏を合わせてほしいと懇願されたが、サーヴァントになってまで危険を冒し、カルデアに来た理由は謎のままだ。

 根源の接続者などと、魔術師が聞けば卒倒するような内容だ。彼女を召喚したのが藤丸立香のような一般人で良かったとエミヤは思うが、そもそも立香でなければサーヴァントとして会いに来なかっただろう。

 どこか浮世離れした幻のような女性ではあるが、マスターの立香はともかく、玉藻からすれば苦手な相手らしい。そのようなことを茶飲み話で本人が語っていた。

「もしかすると、あの子の部屋に行っていたの?」

「ああ、アイスがなくなりそうだから補充してくれと頼まれてね」

「式ったら、相変わらずアイスクリームが好きなのね……私は苦手だけど。

 でも、安心したわ。あの子も、ここのマスターやあなたのことを気に入っているから」

「気に入っている? そうには見えなかったが」

「そうでもなければ、世話を焼いたりしないわ。気を許した相手には、面倒見が良いのだから」

 そう話す式だったが、和装による制限など存在しないかのように足取りは軽く、優雅な所作でソファに腰を下ろす。

「不躾でごめんなさい。

 ──紅茶を頂けるかしら」

 

 たってもない本人の希望で、弓兵が仄かに湯気の立つ紅茶を淹れて差し出すと、冷静で無邪気な式は喜んでいたようだ。

「緑茶もいいけど、紅茶もなかなかね」

「そこまで喜んでもらえるとは思ってなかったよ」

「そうかしら。サーヴァントととして命令されるのもそうだけど、こうしておもてなしを受けるのも、なんだか新鮮で楽しいわ」

「ならいいのだが、私もまだまだだ。料理に限っても上には上が居るものだからな。

 ──そういえばその刀を置いていたということは、今は二振り持っているのか? それだけでもかなりの業物だがな」

「ええ、そうよ。召喚された時、一緒に来てくれたの。

 綺麗な子は、何口あってもいいのだし」

「……失礼を承知で聞くが、その刀は折れたことがあるのか? どうにも日が浅いように感じる」

「やっぱりわかってしまうのね。

 そう──、この子は一度折れてしまったの。だから、培った年月は失われてしまった。本当なら、あらゆる結界を切り裂けるほど強い子だけれど、今は全盛の力の半分も出せないわ」

 エミヤの目に映る、優しい手つきで刀の鞘を撫でる式からは、普段の意味深長な態度からは想像できないほどの愛着を感じ取ることが出来た。

「そんなに大事なものなら、尚更他人の部屋に置いていくべきでは──」

「──あなたになら、安心して預けられるもの」

 表情を変えない式の唐突な切り返しに、エミヤは面食らってしまった。

「そうでしょう? 錬鉄の英雄さん」

「……失念していたよ、君らはそういう存在だったな。阿摩羅の体現と言ったのは私だったか」

 エミヤの言葉を聞いても、目の前に居る女性の微笑みは崩れない。今は紅茶を雅に嗜んでいる。

「アラヤの怪物は好みじゃないけど、今のあなたは好きだもの」

 臆面もなく言ってのける式だが、おそらく友人としてだろうと判断するエミヤは口の端を歪ませる。

「光栄な話だが、大層つまらない男だよ、私は」

「自己を捨て他人に尽くし、贋作への信念を持つあなたが、つまらない男だなんてとんでもないことでしょう。興味を持ったからこそ、こうして会いに来たの」

「それこそ買い被りだ。

 一度は道を踏み外し、過去を否定しようとした。そこに何の道理がある?」

「あなたは、当たり前のことをしたかっただけなんでしょう。誰もが当然の行いであると理解し、成果に目を向けることもない、『正義の味方』としての本懐に」

 式の端麗な表情が崩れる事は無い。

 一方で、エミヤの顔は険しかった。

「……結局はなれなかった。

 絶対的な正義など、この世には存在しないのだからな」

「なら……、願ってみる?」

「──なんだと?」

「本当なら、言ってはならないことだけど、あなたが語った絶対的な正義、私がやろうと思えばその世界を実現できるわ。

 あなたの望みを叶えてあげる────、どうかしら?」

 その微笑みが悪魔の囁きにすら見えなかったのは、彼女自身の在り方故か。

 弓兵はその甘言を受け──

「断らせてもらう」

 取らなかった。

「……あら、どうして?」

「確かに、君の力を借りれば容易く実現できるだろうさ。だが、それを望んではならない。

 それが人の在り方ではない、などと言うつもりはないが、オレが置き去りにした過去への裏切りだ。

 それにな、不条理などと嘆くつもりはないさ。力不足な私でも、夢を果たすことはできた。答えを得ることができた。願わずとも、望みを叶えることができたんだ。

 だからこそ、こう思う。────オレは、間違えてなどいなかった」

 沈黙が二人の間を支配する。

 この間ですら、式の表情は変わらなかった。

「……断られるとわかっていたけど、そこまできっぱりと言われるとは思っていなかったわ」

「薄々勘付いてはいたが……、まったくもって人が悪いな君は」

「そうかしら。元々は執着しない主義だから、自分を曲げてみただけよ。以前は何事も為す前から、疲れてしまうという理由で何もしなかったもの。こうしているのも、平凡な人生を感じてみたいと思ったから」

 目を細めた式は更に続ける。

「生まれながらに肉体という牢獄に囚われ、目覚めさせられて、人の世を内側から見続けていた。でもそれだけ。()っているだけで、経験してはいなかった。

 マスターには感謝しているわ。命令される側になって、お茶をご馳走になって……、今がこんなにも楽しいもの。人形が人に憧れたようなものかしら。不自由な形になりたいだなんて、どうかしてしまったみたいね」

 遠い記憶──ある少年が、肉体、精神、魂に分割されたことがあったことを思い出す。

 彼女に苦悩という概念があるのか、何に悩むのか、経験していないエミヤには想像もつかない。

「……その望みは、今後も叶えられそうか?」

「残念ながら……ね。私は一時の夢──現世に居てはいけない存在だもの。何もせずにカルデア(ここ)から消えると、式の所にも戻れないわ。いつの日かお役御免になる時が来たら、何も残すことなく、眩むような朝焼けと共に、今の『私』は完全に消えてしまうでしょうね。──ただ一つの手を残して……ね」

 思わせぶりな式の言葉に、エミヤはすかさず答える。

「なら、その手段を使えばよいのではないか?」

「私の力は、そこまで便利ではないの。

 でも──、あなたがいれば、どうにかなるのだけれど。何も聞かず、私に力を貸してくれる?」

「ああ、困っているなら力を貸そう」

 あまりの速さで即答するエミヤに、式は躊躇いがちに問い直す。

「……本当にいいの?」

「無論だ。こういう男でね」

「やはり、あなたはそうなのね。でも、必要なことはもう終わったから大丈夫よ」

「……なんだとっ!? ……まさか──」

「そう、あなたが解析し、貯蔵した『九字兼定』には封印が施されていた。それを私の還る場所にしたの。最初に言ったでしょう? あなたを驚かせたかった……って。

 召喚に応じる際、仮初の肉体に人格ごと移す必要があったから、今の『私』だけを切り離してきたわ。そうして肉体の人格である私が顕現できているから、今の『私』に必要なのは還る器の存在だけ。そのために、物には魂が宿るという逸話、それを私が再現するの。

 そうするしかできなかったわ。……私は、ここに居て、ここに居ない存在だから」

 エミヤの視界がぼやけると、瞬く間に目の前から式は消えていた。

 振り返ると、彼女は扉から出ていこうとしていた。呼び止めるため、先のやり取りで抱いた疑問をぶつける。

「最初からその算段だったのか?」

「安心して。断られたら、跡を残さず露と消えるだけ。さっきも言ったように、これは一時の夢ですもの」

「……一つだけ聞かせてくれ、なぜ一介の守護者に肩入れする?」

「そうね……、私もあなたと同じ伽藍洞だから……かしら。

 このまま座に帰らせたら、あなたが摩耗してしまうでしょう? 夢の中には入れないけど、座で見守ることはできるもの。還った後もよろしくね、()も無き守護者──エミヤシロウさん」

 最後の最後に花が綻ぶような笑顔を見せると、式は完全に出て行った。

「嫌という訳ではないのだが……、私が何をしたというんだ」

 

 残されたエミヤの独白を聞く者はいなかった。

 




 この感情が好きと呼べるものかはわからないけれど、思わず間違いを犯してしまったわ。
 でも干渉するのはそこまで、人の願いで叶うものが無くなるまで、傍観に徹するだけだから許してね。
 還る場所があるというのも、楽しいもの。

 是を覚えたくば即ち己を忘れ、是を救いたくば即ち己を殺す。螺旋矛盾。
 さて、どういう意味かしらね。


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不在のエミヤと第六次乙女協定

監獄塔はラストだけしか書けない。
どうするべきか。

後書き長めです。


 白昼夢──

 最近の藤丸立香は急にそのようなものを見るようになった。

 オガワハイムから帰った一週間後だったため、最近のレイシフトで疲れが出たのかと結論付けたものの、用心するに越した事は無い。

 マスターとしてあまり心配をかけたくはなかったが、誰にも言わず黙っているほうが迷惑がかかると判断してロマニに相談することにした。

 だが、医者(ドクター)である彼の返答は、「どこも異常がない」だった。意識が薄れることを除けば、精神も体調もすこぶる良いらしい。

 全くと言っていいほど原因が分からず、症状が急変したらすぐ伝えるように、としか言えないため、ロマニ自身もこれ以上の手の打ちようがなかった。

 これを受け、自分の身を案じた立香の決断は早かった。彼女は倒れる前にやらねばならないことがあるのだから。

 そう、協定を結ぶために招集だ。ここで倒れる訳にはいかない。立香はこれがレイシフトの次位に重要な任務だと思っている。

 幸いにも、五番目の特異点に挑む前であり、これまでで参加者が最も少ない。だからこそ、早いスパンでも協定を締結する必要があった。

「……今日は集まってくれてありがとう」

 参加者は両儀式を除いた三名だった。

「なんでしょうか、マスター。名誉セイバーの表彰式ですか? それはありがたいのですが、正直生きた心地がしないので早く帰りたいです」

 早々に口をはさんだのは謎のヒロインXだった。

 彼女がカルデアに来た当初はセイバー打倒を掲げていたが、ここ最近は鳴りを潜めている。なぜそうなったかは分からないが、エミヤが関係していることに間違いはないだろう。

 また、Xの目の前に居る着物の女性──「両儀式」が、にこやかに微笑んでいることも理由の一つだろうと推測される。

 立香はその詳細を知らないが、実は当たらずとも遠からずであり、「あまりマスターとエミヤを困らせてはダメよ」と諭されたXは、式を相手にした時の危険性を直感的に理解していた。

 そんな彼女の要望に応える訳でもないが、立香も急ぎたいので手早く説明に入る。

 

「……成程、そんな取り決めがありましたか。

 私が一番のセイバーであることに変わりありませんが、急いてはなんとやら、らしいので、謙虚な私は喜んで賛同しましょう」

 目的は言わずもがな、アルトリア達と競っている彼女があっさりと賛同したことは、立香にとって驚くべきことだった。

 話している最中に、Xは淡く微笑んでいる式を一瞥していた。彼女は一体、何を警戒しているのだろうか。

「X師匠……正々堂々と決着をつけようとする懐の広さに感激しました! 私もそれに倣わせていただきます」

 純真なアルトリア・リリィは大層感激したらしく、今更になって迷っていたXは引くに引けなくなったため、「ええ、当然ですとも! 真のセイバーならね!」と覚悟を決めたようだ。

 やはり、さしものXでもリリィの真っ直ぐな眼差しには勝てないらしい。

「私も同意するわ。マスター。

 みんなで一つの約束事を守るというのも、きっと楽しいでしょうね」

 穏やかな表情を変えず、式は言い切った。

 いつの間にか立香の傍に居たり、エミヤの傍に居たり、Xの傍に居たりと神出鬼没な大和撫子である。

 こうして言葉にされるまで、どう答えるかが一切予想できないため、意外だった、やはりそう答えるのか、という相反する感想を同時に抱く。

 余談として、立香は今まで多くのサーヴァントを呼んだが、卓袱台に正座の姿が一番似合うのは彼女だろうと感じている。

「……ありがとう、みんなにちゃんと聞いておきたかったんだ。

 それともう一つ、質問したいことがあるんだけど──」

 続きを待つ三人の顔を見渡し、立香は口を開いた。

「エミヤから話は聞いているよね。

 ────みんなは、どう思う?」

 冷静な面持ちで語る少女は、最後の言葉に自身の想いを込めていた。

 数日前から、心の整理をつけたエミヤはサーヴァント全員に話して回っており、幸福に包まれていると生前の罪悪感からそうなることを許せなかった、そう語っていた。話の最初と最後で謝っていたあたりが筋金入りだ。

 彼は、「これを話すのは君たちで最後だろうがね」と話していたが、立香の勘はどうにも、あと何回かあるだろうと思わせる。

 なぜならば、根本の好意を持たれる所以(ゆえん)を理解できていないからだ。

 といっても、好意を持たれないようにしろ、などとは言えず、こうなっても憎めないのは彼の日頃の行いによるものだろう。

「ふふふ……、どう思うか、ですか。答えは最初から決まっています。

 シロウをあわよくばお持ち帰……、ではなく導くのはこの私です。ヒーローが正義の味方に手を差し伸べても問題はないでしょう。他のアルトリア顔やセイバーがどう答えたかは知りませんが、いい恰好はさせませんよ」

 Xは不敵な笑みを浮かべて宣言する。

「いつもエミヤ先輩に助けられてばかりですが、優しいエミヤ先輩がどうしてそうなってしまったのか、私には分かりません。

 ──ですが、人生経験も浅く未熟者な私でも、エミヤ先輩に幸せになってもいいって伝えたいんです。エミヤ先輩は、何の(しがらみ)もなく幸せになってもいいんです」

 リリィは自身の感情のまま口にする。

「余計なお世話かもしれないけれど、私はエミヤがエミヤで無くならないよう、見守ることにしているもの。ここに来てから、何回も主義を曲げているわ」

 式はどこまでも穏やかに告げる。

 答え方は違ったが、三人の意思は一つの方向を向いている。

 この日までに急いで確認したサーヴァント達の想いもまた同じだった。

 立香達が知っていて知らない誰かの言葉を一部借り、敢えて想いを言葉にすれば、「エミヤが自分を許せないなら、彼の代わりに許し続ける」ということに他ならない。

 その終わりがいつになるのか、定かではないが。

 

 参加人数が最少で、終了時刻も最速となった六回目の協定。

 片づけを終えた立香の部屋には、彼女を除いて一人だけ残っていた。

「無理をしていない? マスター」

「……もしかして、顔に出てた?」

「あら、その言い方は少しエミヤに似ているわね」

 楽しげに笑う式だったが、我慢して無理をするところまで似てしまったら人のことをとやかく言えない。それほどまでに、彼女の指摘は的確なものだった。

「言わないほうがいいかもしれないけど……、明日になったら皆に話そうと思っていたし、言っておくね。

 数日前から白昼夢を見るんだ。ここじゃない、監獄みたいな冷たい部屋に居る夢。一日でそれを見る頻度が増えていて、カルデア内を歩いている時も突然そうなるんだ」

 立香の真剣な眼差しを、式は疑わなかった。ここでつまらない嘘を吐くような人物ではないと理解しているから。

「やはり、そうなのね。

 ──ごめんなさい。今の私でも、あなたの助けになれないわ。……その夢の中に現れて、あなたを守れたらよかったのに」

「ううん。そう言ってくれるだけでも嬉しいよ」

「なら……、これだけは言わせてね。どんなことがあっても、

 ────あなたを見失わないで」

 その言葉を最後に、式の姿は掻き消えていた。この部屋には最初から、立香しかいなかったかのように。

「……ありがとう、覚えておくね」

 式が聞いているかは分からないが、お礼を言わずにはいられなかった。

 そして立香は約束する。たとえ何があっても、必ずここに帰ってくると。

 

 その翌日、起こしに来た清姫が自室で意識を失った立香を発見することになる。

 

 




 医務室で職務を遂行するロマニ・アーキマンは、オレンジジュースを片手に最近の出来事を纏める。
 カルデアのサーヴァントが行方不明になったこと、これが最大の問題だ。
 以前、カルデアのサーヴァントが聖杯によって他のサーヴァントの元に呼び出されたことがあった。
 実際に冷や汗もので、それのセキュリティの強化が間に合わぬ内に次の行方不明事件が起こってしまった。今は多少の干渉であれば問題ないが、聖杯による呼び出しなら強奪は可能だろう。
 そして語るまででもないが──、現在はただの無防備という訳ではない。強奪は防げなくとも、奪取は迅速に行えるようにした。
 今回はそうではなく、おそらくその何者かは何かしらの方法で立香と縁を結んだサーヴァントである、とカルデア側に錯覚させ、実体を伴わずに召喚基点から堂々と乗り込んできたのだろう。
 問題はその方法が何なのか。
 いままで謎だったが、立香の症状で一つの仮説を得た。それは、魔術王ソロモンによる呪いだ。
 マシュからの報告では、ロンドンで彼の男と直接対峙したらしい。神代の魔女すら容易く配下にできるのだから、呪いをかけるくらいなら、さほど難しくはない。
 一方、なぜカルデアの装置で呪いを検出できなかったのか、それは魂が堕ち行く先を定めただけだから。
 だからこそ、矛盾した現状が生まれたのだ。決められた運命への辻褄を合わせるかのように、原因のない結果が立香を蝕む。
 はっきり言って、手の打ちようがない。
 具体的には、メディアの宝具──『破戒すべき全ての符(ルールブレイカー)』、メディアリリィの宝具──『修補すべき全ての疵(ペインブレイカー)』を使ったとしても治せない。ロマニにできることがあるとすれば、彼女がいつ倒れても大丈夫なように準備しておくだけ。
 しかし、その呪いを利用したのは魔術王本人ではないだろう。
 全能を語る王がサーヴァントの強奪をできないはずがない。それをしない最大の理由は、人やサーヴァントを見下す以前に、本腰を入れて手を下すまでもなくカルデアが終わると思っているからだろう。実際にロンドンで対峙した時、カルデアは相手にするまでもない、と言って立香に呪いをかけただけで見逃している。
 そんな男がここまで手の込んだことをするはずがない。即ち、事前に配下としていたサーヴァントの仕業だ。オガワハイムでは、影ばかりで姿は確認できなかったが。
 術者と利用者がそれぞれ異なり、解呪もできない。呪いによる死の運命から逃れるには、どこにいるかも分からないそのサーヴァントを倒さねばならない。
 立香の付け入る隙があるとすれば、力を過信した"慢心"その一点だ。致死性の呪いであれば、とうに発動している。魔術王の策略を破れるのは、他でもない彼女の力だけだ。ソロモンを最もよく知る男と自負するロマニは確信している。
 今まで多くの難局を乗り越えた立香なら、必ず帰ってくる。
 そう信じるしかない。魔術王と違い、非力なロマニにできるのはそれだけだ。だが、それが情けなくて仕方がない。
 立香だけが死と隣り合わせなのだ。
「────ドクター!! 先輩が目を覚まさないんです」
 珍しくノックもせずに扉を開けるマシュ。表情を見るまでもなく、それだけでも状況が逼迫していることが分かった。

 ロマニは聞き終わるが早いか急いで席を立ち、立香の部屋へ向かった。

 ────もし、僕にしかできないことがあれば……、その時は


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エミヤと鋼鉄の白衣

今回の話に出てくるとある用語の使い方が間違っていたらご指摘お願いします。



 意識不明の重体から復帰した藤丸立香は、十分な休養を取ると五番目の特異点へ向かった。

 そこは、別人と化したクー・フーリンと大統王に固執しているエジソンが争う北米大陸、ケルト神話が誇る歴戦の戦士に対するは、銃弾と砲弾を駆使するアメリカ兵士とエジソンが量産した機械化歩兵の軍勢。

 これまで以上の出会いを別れを繰り返すことになった立香と共に、どちらの思惑に囚われることなく、確固たる信念で鋼鉄の白衣は大陸を駆け巡る。

 そして、彼女の治療によって多数から一つ(イ・プルーリバス・ウナム)は成し遂げられた。

 

 カルデアの医務室、そこへ呼ばれていたエミヤは入室の許可と共に足を踏み入れていた。

 彼の目の前にあるデスク、その前に座ってカルテを眺めていたのは、ロマニ・アーキマン──

「来ましたねエミヤ。約束通りの時間です」

 ではなく、フローレンス・ナイチンゲールだった。

 彼女が来て以来、ロマニは部屋を譲っていた。撤退の準備をしていた本人曰く、決しておやつの量を制限されたくなかったわけではないらしい。

 レイシフト先の戦闘で運悪く両陣営に挟まれる形となり、サーヴァントの切り払いがあっても躱しきれない流れ弾で掠り傷を負った立香は、幸いにも友好的だったアメリカ兵士に謝罪と治療を提案され、状況の把握を兼ねてとある野営地へ赴いた。

 そこで出会ったのが、立香には見覚えのある赤い軍服の女性──ナイチンゲールだった。簡易的な治療室を所狭しと移動する苛烈な性格の人物で、サーヴァントとして協力してもらうには一工夫が必要でもあった。

 順番を待ち、ようやく手の空いた彼女の診察を受けたが、流石に立香の腕を切断される事は無かった。ただ、砲弾を受け重傷だった場合は分からない。

 どんな状況でも臆さない行動優先な性格ではあったが、彼女が居なければアメリカを救うことはできなかった。

「さて、何か用かな婦長殿。生憎と怪我はしていない訳だが」

「いいえ、エミヤ。貴方は病んでいます」

 椅子から腰を上げ、エミヤの前に立ったナイチンゲールは視線を一切逸らさず言い切った。怪我ではなく病気だ、と。そんな彼女の赤い瞳は一切の揺るぎがない。

「あちらに現界していた時から考察していましたが、貴方は精神的な病気です。

 幸いにも憶えていましたので、こちらに召喚されてからあらゆる文献に目を通しました。そうしてようやく、納得のいく結論に辿り着きました」

 さも当たり前のことをしているように聞こえるが、エミヤが彼女の背後に視線を向けると、資料室から本棚ごと運んだのか、多様な医療の書物が所狭しと並ぶ光景が飛び込んでくる。

 以前ロマニが使っていたのか新品ではないようだが、目につくだけでも二十冊以上のそれらは決して薄くはなく、ゆうに百(ページ)を超えているだろう。

 見逃してはならないとそれら全てに目を通す、看護師の(さきがけ)は伊達ではない。

「その病名は、心的外傷の一つである『サバイバー症候群』でしょう。……ですが、貴方の場合は常軌を逸している。

 怪我をすることに恐怖を感じない人はいません。それでも貴方は、積極的に何度でも誰かの代わりに怪我をする。それは正常な人間の反応ではありません。故に病気です」 

 実際にその通りなのだから、間違えることなどないかのように、確信を持って話す彼女の慧眼は曇ってなどいない。

「まったく酷い言われようだ。まあ、その通りの愚か者が私だがな」

「そうでしょう。ですので貴方には治療が必要です。迅速に治療を受けなさい。貴方が嫌だと言っても、私との対話に付き合っていただきます」 

 エミヤとナイチンゲールはお互いに顔色一つ変えなかった。

「それは無理な相談というものだ、ナイチンゲール女史。貴女が人を救うように、私も人を救わねばならんのだよ。たとえ、誰かに止められようともな。

 それに、残念ながらこれは難病どころか死んでも治らない不治の病でね。幾ら貴女でも、それでは治せないだろう」

 クー・フーリン・オルタに対して病気だ、と宣言した婦長と言えど、治せないものはある。実際、狂王に不治の病だと返された時は言葉に詰まっていた。エミヤも因縁深い()の男の言葉を借りるのは癪だったが、そう言うしかなかった。

 いまいち不穏なのは、顔色一つ変えないナイチンゲールが沈黙を保っていることだろう。

 そう考えていたエミヤの体感で一分が過ぎた時、ようやく口を開いた。

「────悔しい」

 変わらぬ表情で発した言葉は、治療法が見つからなかった時と同じく単純な一言だった。

 だが、その中に込められた幾つもの感情は、生前の葛藤と同じく複雑怪奇に絡み合っていた。珍しいことに、彼女は初めて視線を下に向けると語り始める。

「私の使命は全ての病と怪我を治療すること。たとえ全ての命を奪ってでも患者の命を救う。それなのに──またしても断念せざるを得ない。体の傷は治せても、深く刻まれた心の傷までは治せない。治せない病気など在ってはならないのに、私自身の無力さが腹立たしい」

「そこまで気にしなくても良いのだが、それでこそ貴女らしいともいえるか」

「治療した兵士を再び治療する、そのようなことは戦場では何度も経験しました。ですが、心を壊しては生きることができません。

 ────貴方は生きることを手段だと割り切っている」

「それはお互い様だ。貴女も私が居ない間は随分と無茶をしていたらしいな」

 特異点で協力を仰いだ後、ナイチンゲールは重傷のラーマを背負うことになった。

 無防備に近い二人を守るため、エミヤは「君の戦場はここではないだろう」と言って、二手に分かれるまでは守りながら戦っていた。

 エミヤの行動に対し、カルデアへ帰還した後はアルトリア・オルタを筆頭としたサーヴァントに詰め寄られていたのはまた別の話だ。

「いいえ。私はこの世から病が根絶されない限り倒れる訳にはいきません。そのためならばあらゆる傷を受け入れます。その為に生きなければならないのですから。そして、例え幾万回死のうとも諦めません。

 ──言い方が悪ければ変えましょう。貴方はその先に自分の命を保証していない。方向性は違うかもしれませんが、貴方は私の同志であると感じています。己を捨て狂い堕ちなければならない環境だったのでしょう。それでも、病が命を脅かすのであれば、私は看過するわけにはいきません」

「勿体ないほどの評価だ。剣も知恵も尽くして戦ってきたが、私はやり方を間違えてしまってね。貴女のように患者の心に寄り添うことをしなかった。それだけに、自分を大切にしていない、ということは認めざるを得ないな。

 ────ただ、この生き方は変えられない」

 どんなに矛盾していても、自覚しても、『エミヤ』である限り変わらない根幹。

 決意を込めたエミヤの表情を見て、ナイチンゲールはこう答える。

「では、こうするべきです。貴方の治療法が見つかるまで、私の助手として働きなさい。基本的な知識や的確な治療法の提示など申し分ありませんでした。

 盤石な体制でも綻びが無くなる訳ではありませんが、貴方だけが重荷を背負う必要はありません」

 牢獄からの脱出後、道中で呪いに苦しんでいたラーマの呪いを緩和するため、経験のあったエミヤは、『修復すべき全ての疵(ペインブレイカー)』を投影して煮沸消毒し、治療に使うよう提言した。

 本来であれば死んでいるラーマの呪いを完全に解除することはできず、刺し続けなければ進行を遅延させる効果がない。ナイチンゲールを納得させるための策だったが、本物を加工し、あまつさえ茹でる訳にはいかなかった。

 加えて、難民キャンプなどを渡り歩き、時たま医療関係の指導をしてきたエミヤの腕を買っているのだろう。

 最後の言葉は、患者に寄り添う彼女の本質が表れていた。

「別に私は治さなくてもいいのだが──」

「──貴方は既に私の患者です。必ず治療法を見つけますので、大人しく指示に従いなさい」

「……了解した」

 どれほどまでに譲歩しているのか、エミヤが分からない訳ではないものの、これ以上断れば目の前の婦長は拳銃に手を掛けるだろう。この時点で抜かれていないのは奇跡に等しい。選択肢など他にはなかった。

「話は以上です。退出して構いません。ただし、手洗いうがいの励行を」

 そう告げた婦長は再びデスクの前に座るとカルテを手に取る。

 弓兵はそれを見届けると、踵を返して退出した。

 

 カルテを眺めるナイチンゲールの顔が心配そうに見えたのは、おそらく見間違いだろう。

 

 




 一人の患者に執着するとはらしくありません。
 無駄なこと、子供っぽいことは終わりにしたはずですが、抱えているこの感情が如何様なものか、断定するのは早計でしょう。


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エミヤと花嫁な皇帝

同一人物の別人とは一体……?


 もしも、薔薇の皇帝が月に召喚されることが無かったとしたら。

 

 いつもの日課、もとい家事が全て終了し帰路に付くエミヤだったが、彼の胸中は些か複雑だった。というのも、悩みの種が現在進行形で隣に居るためである。

「突然どうしたのだエミヤ? 眉間に皺が寄っているぞ」

 純白の花嫁衣装に身を包んだネロ・クラウディウス、所謂ネロ・ブライドが左腕に抱き着いているのだ。

 先日の特異点で色々あった後に彼女が召喚され、こうして傍に居ることが多い。心配な点は、彼女の首に巻かれている鎖が花嫁衣装に何とも不似合いで、マスター達にあらぬ誤解をされないかどうかだ。

 ただでさえこの光景を見て、赤いドレスのネロは情報量の多さにどう反応すべきか分からない曖昧な表情を浮かべており、偶然その顔を見た玉藻は、競争相手(岸波の伴侶)として喜ぶべきか、経験談(タマモキャット)として励ますべきかの二択を迫られていた。

 そんな中、ネロ・ブライドの積極性で一番影響を受けているのは間違いなくアルトリア達である。エミヤもそう理解しているものの、気のせいだと信じたかった。

 今は居ないが、先程まで背後から薄っすらと感じていた視線が非常に気まずかった。ヒロインXらしき声が、「まさか赤……白いセイバーが良いというのですか……なら私もリリィになるしか……」と呟いていたことも拍車をかける。

「……一応聞いておくが、なぜこうなったのかね?」

「我が右腕よ、聞かずとも分かっておろう……これは余の花嫁修業である! 

 しかし、実のところ……花嫁とは何をすれば花嫁なのかてんで分からぬ。それ故に、余の直感に身を委ねたのだ。行動あるのみ、とな」

 赤いドレスのネロと同じく、自信満々に答えるネロ・ブライドだった。経緯は違えど、ネロという英霊の根幹は変わらないらしい、とエミヤも納得する。

 ただ、すぐさま実行する真っ直ぐな姿勢は一目置くほどだが、肝心の花嫁像が方向性を見失っているのは如何(いかん)ともしがたい。今度、料理教室を開くべきだろうか。

 ともあれ行動原理に一応は納得したが、疑問として引っかかることはある。ネロ・ブライドという存在は、果たして皇帝のネロと同一存在なのだろうか。

 もしもの姿で言えば、アルトリアのリリィやランサー・オルタと同じではある。しかしあちらが、少女として幸せな人生を歩んでいたら、神ではなく人として生きたくなったら、という仮定に対して、ネロ・ブライドは生前と死後に伴侶を見つけることができなかった、という正反対な仮定となっている。

 誰がそれを望んだのか定かではないものの、その過程をたどったネロ・クラウディウスが確実に存在する。これは紛れもない事実である。

 ここで、ネロ・ブライドがランサー・オルタのように行動し、本体から逸れた違う側面だとしたら、本体の英霊はどうなっているのか────

「むう……もっと構ってくれても良いのではないか? 流石の余でも、反応が無いのは堪えるぞ……」

「それはすまない。君のことを考えていてね」

「────なっ!? そ……そうであったか、ならば不問にしようぞ」

 無言で考察していたエミヤだったが、恨めしい視線で抗議されると敵わない。思考を中断すると釈明する。

 残念なことに、相変わらずの不用意な言い回しで誤解されているとは夢にも思わない。そのまま話を変えようと、ふと思いついた質問を投げかける。

「そういえば、君は私を『右腕』と呼んでいたが、それはなぜかな?」

「ふむ。良い機会ではある、か……余の心の内を明かすのも吝かではないな。

 よかろう、忘れたとは言わせぬぞ……あの特異点でのことを」

 口元に手を当てて考えていたネロ・ブライドは、逡巡の後に語り始めた。

 

 北米大陸の特異点が修復されていない時の事、計画の一つとして考案された暗殺に失敗し、戦いへの誇りすら捨てたクー・フーリン・オルタを相手にすることになってしまった。

 なぜなら不運なことに、エミヤが弓兵の利点を生かして遠距離から狙撃しようにも、建物が遮蔽物となり、狙いをつけられないことが大きな誤算となった。建物ごと吹き飛ばすことができない訳ではないが、死傷者を出すような策はナイチンゲールに止められていた。

 それがなくても、彼の槍兵は矢除けの加護を持っているし、そのクー・フーリンが傍に居る限り、加護の無いメイヴを狙っても意味がない。

 結局は接近戦で暗殺を狙ったが、圧倒的なまでの力の差だった。

 ネロ・ブライドの宝具──『星馳せる終幕の薔薇(ファクス・カエレスティス)』の派生元『招き蕩う黄金劇場(アエストゥス・ドムス・アウレア)』で弱体化して尚クー・フーリンは強く、ネロ・ブライドと共に槍兵の戦い方を熟知しているエミヤの二対一で戦ったが防戦一方で太刀打ちできなかった。

 ロビン・フッドは全滅を察したジェロニモの機転で早い内に離脱したが、その彼とビリー・ザ・キッドは、途中から参戦してきたアルジュナに敗れて大地にひれ伏し消滅間近だった。そして、有利な戦場を作り出す生命線のネロ・ブライドは満身創痍で、辛うじて動けるのは回復込みでも左腕が使い物にならないエミヤのみ。

 そんな中で動いたのはジェロニモとビリーだった。アルジュナが無抵抗だと判断した隙に仕掛け、一瞬ではあるがクー・フーリンとアルジュナの気を引いた。

 エミヤが視線を向けると、彼らは『逃げろ』と目で訴えていた。ネロ・ブライドの宝具は強力だったからこそ、離脱させようと判断した。

 その意図を汲んだエミヤは狂王の槍を弾くと、『偽・螺旋剣(カラドボルグⅡ)』を可能な限り投影し弾幕を張って離脱した。

 不意打ちの代償として────凶槍を受けたジェロニモとビリーの笑みに応えながら。

 

「私は関係あるのか? それはジェロニモ達が功労者のような気がするのだが……」

「勿論忘れてはおらぬ。この先で会うことがあれば、余の客将にならないかと打診するつもりであるぞ。それにすぐその場から離れてしまったから、礼の言葉を伝えておらぬ。

 何にせよ、余とエミヤの連携は即席ではあるがなかなかに相性が良かったのではないか? 安心して背中を任せられる相手は得難いものであるからな」

 なぜ相性が良いのかといえば、当然エミヤがネロ・ブライドの前に皇帝のネロと組みこれまでに戦ってきたからである。しかしながら、そのお陰でどちらのネロにも『右腕』として認定されることになった。

「見たところ、あまり嬉しそうではないな。もしや余に右腕と呼ばれるのは……嫌か? ……無理強いはできぬ。エミヤがそう思うのなら呼び方を改めよう」

 ネロ・ブライドは不安げな顔で俯いた。そこまで硬い表情になっていたのかは定かではない。正直な話、ネロの顔が二人とも同じであるため、エミヤもどう接すれば良いのか分からないだけだった。

 前にも似たようなことがあったが、経歴は違えどネロが悩む点は同じらしい。

「いや、その心配はない。

 友人として接しているからだろうな、右腕や副官などと大層な称号で呼ばれると私の方が勝手に委縮してしまうだけだ。どう呼ぼうと構わないから、気にしなくていい」

 重く受け止めがちなネロ・ブライドの不安を払拭できるよう、なるべく明るい声色で答える。

「そうか、では一つ頼みごとがあるのだが……」

「……それは何だね?」

「エミヤ……そなたのことをシェロと呼んでも構わぬか?」

「そんなことか、さっきも言っただろう。許可を取らなくとも勝手に呼んで構わない」

「承知した。世話を掛けてすまぬなシェロ……それに──」

「────それに?」

 言いにくいことなのか、躊躇いがちに言葉を切る。ネロ・ブライドの様子を見て疑問に思ったエミヤは聞き返した。

「…………いや、余の勘違いであった。何でもないぞ」

「そうか、分かった」

 彼女の言葉が真実なのかは分からないが、深入りするような野暮なことはしない。そう決めたエミヤは、先にネロ・ブライドを部屋まで送ろうと行き先に足を向ける。そして、自室に戻るまで彼女が離れることはなかったことに苦笑することとなった。

 

 翌日、フランに花嫁姿を基調とした私服の依頼をされたり、謎のヒロインZのようにジャージを白く染めたXを宥めることに頭を痛めた。

 

 




 ずっと傍に居てくれると嬉しい、などと言える訳があるまいな。シェロの優しさに甘えてばかりでは、花嫁としても余の為にもならぬ。
 ……本当なら、右腕ではなく余の"──"になってほしいものだが、まだ言葉にするべきではないか。


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エミヤと隠された女神

違和感があったため、急いで書き直しました。


 世界を渡った魔術師は、天才すぎたが故に苦悩する。

 嘘、詐欺、トリック、インチキなどと己の所業を糾弾されても、彼女は研究を止めなかった。

 

 大統王──エジソンが、ホワイトハウスから追われて造った拠点、そこはケルト軍との決戦を明日に控え、昼間はその準備で慌ただしかったが、夜になると英気を養うための就寝で流石に静まり返り、嵐の前の静けさを想起させる。

 そんな時間に通路を歩く人物──エレナ・ブラヴァツキーは、ある人物の部屋を目指していた。

『そなたのお蔭で、余はシータと再び相見(あいまみ)えることができた……』

 目的地が近づいてくると、エレナの耳に入ってくるのは誰かの話し声だった。扉越しのくぐもった声だが、話し方から察するにおそらくはラーマの声だろう。ただ、立ち聞きは行儀のよくないことだと理解はしているが、思わず足を止めてしまった。

『……その……だな。あ、ありがとう……すまない、余としたことがこんな言葉しか思いつかないのだ。…………そう言ってもらえると助かる。

 ──遅くに訪問してすまなかった、明日に備えるとしよう』

 部屋の扉が開くと、中から出てきたのはやはりラーマだった。

 幸いにも、彼は背を向けて去っていくため、結果的に聞き耳を立ててしまっていたことに気付かれなかった。

 『ラーマーヤナ』の英雄の姿が完全に見えなくなったことを確認すると、満を持して扉を叩く。

『……誰かな?』

「あたしよ、ミスタ・エミヤ」

『貴女だったか、入っても構わんよ』

 簡単なやり取りで入室の許可を得たエレナは扉に手を掛けた。

 

 一目見て分かったが、節電の為に蝋燭を照明としている部屋は必要最低限の明るさしかなく、部屋の仮初の主であるエミヤはベッドに腰掛けていた。

「夜分遅くにどうしたのかな? だが生憎と用意が無くてね、お茶の一杯も出せない」

「随分と元気そうね。婦長さんに、『安静にしていなさい!』って言われてたはずよ。先客も居たみたいね」

「私の場合、左腕は完治と呼んでも差し支えない程度だったからな。ラーマがどうしても礼を言いたいと来てくれてね、断るのも忍びないだろう?」

 外套を脱ぎ黒のインナー姿になったエミヤは、知られているにも関わらず疲労を見せようとしなかった。エレナはそんな彼の姿を見ながら、ラーマが先程まで使っていたであろう椅子に腰を下ろす。

 暗殺に失敗したロビンフッドの報告で、エミヤ達の帰還は絶望視されていた。少なくとも、エミヤは特異点からカルデアに戻れる筈なのに、ロマニからそのような報告がされなかった。まさか捕虜にされたのではないか、一抹の不安がカルデア関係者の脳裏を掠めるが、マスターである立香は彼らの意志を無駄にしないよう決意を固め、ケルト軍との決戦に備えるための会議に臨んだ。

 エミヤが会議の場に姿を現したのは、議論が終結し一致団結した時だった。広間の扉が突然開かれた音で全員が振り向くと、ボロボロの赤い外套の弓兵は、「どうやら間に合ったようだな、マスター?」と気を失っている花嫁姿の皇帝を横に抱きかかえながら、いつも通りのニヒルな笑みを浮かべていた。 

 しかし生還を喜ぶ間もなく、ナイチンゲールは負傷した二人の姿を認めたと同時に簡易治療室へと連行していった。

「先客の件は大目に見るわ……でもね、帰って来て早々働きすぎよ。カルナの言う通りに休めばよかったのに……」

「それについては面目ない。働いている方が気が紛れるものでね。おまけに、明日からは全霊を以って挑まねばならないからな。

 ──さて、本来の目的を聞くとしよう。なぜこの時間に来たのかね?」

「……そうね」

 一区切りすると、エレナは一度深呼吸した。そこまでの準備が必要な要件なのだろうか、とエミヤが推測していると、女史は意を決したのか語り掛けた。

「ここに初めて連れてくる時、手荒な真似をしてごめんなさい。エジソンを止められなかったあたしにも非があるわ」

「何かと思えばそのことか、私は気にしていない。そちらにも事情があって貴女が考えた上での結論だったのだろう? どちらにせよ気に病む必要は無いと思うが────」

「────それでもよ」

 エミヤの言葉を途中で遮ってでもエレナには譲れない一線があるらしく、力強い言葉だった。

「あんなことしておいて、助けてほしい、だなんて言えないもの。

 もしも、あなた達の助けが無かったら、きっとあたしは後悔していたわ。この国どころか友人さえ救えなかった……って」

「尚更だな。それはマスターの功績であって、何もしていない私に謝る必要が皆無だと思うが?」

「誤魔化さなくてもいいわ。あなたも私が迷っていることに気付いていたでしょ? だから必要以上に対立しないよう、言動で誘導していたもの」

「……そちらから教えてもらったも同然だがな。やろうと思えば、より安全に収容できていただろう」

 エレナの真剣な眼差しから、エミヤは眼を逸らさない。

 妄執に囚われていたエジソンが間違っていることを理解しながら、彼女は発明王を見捨てて裏切ることができなかった。それ故に、今度はエレナ自身が二律背反の感情に囚われていた。

 だが、マスターという新勢力に一縷の望みを託そうと思ったのだろう。カルナという最高戦力を追手には出したが、良心の呵責に(さいな)まれているため、行動に迷いが見られた。大統王(エジソン)の拠点で牢獄に収監する際、一切の武器を没収することなく、また意味深長な言葉を残していた。

 その不可解な点をエミヤを含めた冷静なサーヴァントは見抜いていた。

「そもそも貴女が居たからこそ、エジソンは完全に道を踏み外すことがなかったのではないかな? 仮にエジソンだけでアメリカを救おうとすれば、早い段階でケルト軍に敗れ去っていただろう」

「その可能性は……否定できないけど」

「友人を傷つけたくないという貴女の葛藤は決して間違いではない。……私には成しえないことだったからな」

 エミヤにも親しい友人と呼べるほど気の置ける存在がかつて居た。

 『聡明で真面目な男』が居た。だが、僧侶の道へ進んだ彼と再会する事は無かった。

 『口は悪いが根はいい男』が居た。だが、とある戦いで分かりあうことが出来ず、二度と会う事は無かった。

 『正義の味方に協力する男』が居た。だが、無銘(エミヤ)の在り方に恐怖を抱かれ、裏切らせてしまった。

 生前、至らない点があったばかりにそうさせてしまった。過去を置いてきてしまった。

 エジソンとエレナの友人関係が良好だからこそ、自身に足りなかったものが見えてくる。

「私たちが来た時点で誰かが欠けていれば、この戦いをここまで進めることはできなかった。そう断言できる……違うかな?」 

 エミヤとネロを生かすため、ジェロニモとビリーは命を懸けた。それを思い返しながら、更に続ける。

「そういえば、ラーマが来る前に会ったカルナも言っていたな、エレナ女史が居なければ自分の言葉も届かなかっただろう……とね」

 目の前のエミヤと手を貸してくれたカルナが知り合いだということは、最初の邂逅でエレナは見て取れていた。だからこそ、その言葉は嘘ではないのだろう。

「……そうね。…………ありがとう、ミスタ・エミヤ」

「その言葉は素直に受け取るが、礼なら私以外にも言っておいてくれ」

「ええ、最初からそのつもりだもの。

 ──あまり長居するのもよくないわね、そろそろ行くわ」

 そう言ったエレナは、椅子から立ち上がりエミヤに背を向けると、部屋を出るため扉に触れる。

 その直前に振り返り────

「最後に一つだけ聞いてもいいかしら?」

「何かな?」

「あたしの…………友人になってくれる?」

「貴女にそれを言われるとは光栄なことだ。私でよければ謹んで御受けしよう」

「そう…………よかった」

「なら友人として言っておこう。私にできることがあれば、遠慮なく言ってくれ」

「ええ、よくってよ!」

 笑顔を見せると、向き直ったエレナは扉から出て行った。

 

 珍しいことに空き時間を持て余していたエミヤは、カルデアの自室で裁縫に耽っていた。

 そんな時、弓兵の部屋を訪れる人物が居る。

「居るかしら? シェロ。

 たまには、肉体労働もしないとね……と思ったけど、数が多いから手伝ってくれる?」

 親し気に弓兵を呼ぶエレナの誘いに、弓兵は二つ返事で了承していた。

 




 支えて、支えられている、彼はそんな人ね。見ていて危なっかしいほど誰も裏切らない。マスターの気持ちも分かるわ。
 人生を急ぎすぎたかしら……あたし。


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エミヤと影の国の女王

全体から見ると折り返しはまだ遠い。


 死を乗り越えてしまった苦悩は、本人にしかわからない。

 死を憧れる本人にとって、死の価値は公平である。

 

 フランから依頼された私服を仕上げ手渡した帰り道、平穏で身の危険を感じないはずのカルデアの通路で立ち尽くし、赤い外套を纏い直したエミヤは緊張感に包まれていた。

 彼は何事も無ければ自室に戻り、献立会議での草案を纏めようとしていたのだが、突如として剣呑な渦中に放り込まれた形となっている。

 ピリピリと肌で感じる殺気がまるで実力を試しているかのようだ、とエミヤは断片的に理解しつつも、一切の油断はできなかった。

「────ッ!」

 しかし、警戒していた甲斐はあった。

 戦局の些細な変化から襲撃を察知し、背後への振り向き様に強く握りしめた拳を突き出す。

 そこに居たのは────

「────私の勝ちだな」

 戦装束の布越しに(パー)を見せつけるスカサハの姿だった。

 

 修復前のアメリカの特異点において、スカサハはクー・フーリン・オルタに敗れていた。

 だが、人理焼却でようやく疑似的な死を与えられた女性が、霊基ごと消滅させられる訳がない。

 立香はスカサハの敗北しか知らなかったが、()の女王は間一髪で戦線離脱し、最後は神槍──李書文との一騎打ちに臨んでいた。

 そんな彼女は、先日立香によって召喚されていた。まるで、スカサハの方から召喚されに来た(・・・・・・・)かのように。

「……私の敗北か」

「ふむ、ゲイ・ボルグの方が好みだったか? 期待に応えられぬようですまぬな。郷に入りては郷に従えでこの手を使ってみたのだが、存外面白くてな。

 ──では、小手調べはここまでにしておくか。エミヤ、お主は私の修行を受けるつもりはないか?」

 本来であれば、スカサハがマスターの言いつけを守るはずもない。だが立香の人柄ゆえか、サーヴァントとしての一歩引いた立ち位置を良しとしていた。

 簡素な勝敗の付け方としてこのカルデアではじゃんけんを主流としているため、勿論彼女も例外ではなくこれに従っている。

 最初は物足りなそうにAランクの『千里眼』によって無双するスカサハだったが、どのような相手にも同じ土俵で戦うことができ、『直感』や『啓示』、『皇帝特権』など一筋縄ではいかない相手と戦えるため飽きないらしい。

 残念なことに、エミヤは未来予知ができるほどのスキルは保有していないため、現在に至るまでスカサハとのじゃんけんで負けが続いている。

 直接聞いたところスカサハは、「未来予知ぐらい自力で破ってもらわねばな」と高いハードルを設定していることが判明した。

「なぜ私に? ここには私以上の英霊が目移りするほどいるが?」

「確かにそうだが私にも好みがある。ただの戦士でも、ただの蛮勇でもよくない」

「なら私は蛮勇の戦士だ。お門違いにも程がある」

「よく言ったものだ。話には聞いているぞ、その蛮勇の戦士が勇敢な戦士(クー・フーリン)に食らい付いた……とな」

 エミヤについての情報を集めていたことは明白だった。ただの憶測でじゃんけんと声を掛けに来たわけではない。

 スカサハは澱みなく次の言葉を並べる。

「私の目でも剣の才能というものはまるで見えぬ。だがな、それにも関わらず神秘の薄れた近代の英霊が努力のみで古代の英霊に一矢報いた。戦いの素質があることに間違いはない。

 ──興味を持たぬ方がおかしかろう。お主のような変わり種の原石を見せられて血が湧きたってしまった」

 真紅の目を細め、獲物を逃がさぬと言わんばかりに弓兵を射貫く槍兵。

 見られている本人としては、なぜ知っているのかという動揺を隠すため、気にしていない風体を取り繕うことに余念がなかった。

「ふ……、貴女のような妖艶な女性に指導してもらえるとは魅力的な提案だが、謹んで辞退させてもらおう」

「世辞とはいえ悪い気はしないが……なぜだ? 伸びしろを伸ばそうとは思わんのか?

 私の方から稽古に誘うなど滅多にあるものではないぞ」

「そう言って貰えるのは光栄にもほどがあるが、流石に買い被りすぎだろう。実力に関してもそうだ。貴女の弟子に手加減してもらえなかったら……どちらにせよ腕の一本ではすまなかった。

 ──しかも、私は正規の英霊ではなく一介の守護者に過ぎない。仮に教えを受けても誇りを無くした男(クー・フーリン・オルタ)と同じように、それを弱者に対して何の躊躇(ためら)いもなく使うようでは勇気ある戦士には程遠い……違うかな?」 

 顔馴染みの英雄──クー・フーリンを鍛えた師匠に誘われるなど、歴戦の英傑が羨む千載一遇の好機だろう。

 エミヤも強くなりたくない訳ではないが、現在の立場によって決断に踏み切ることができない。

 というのも、エミヤは紆余曲折があった上で結局は座に還ることになるだろう。

 だが、本体に持ち帰った記憶が記録になり、当事者としての自覚が薄れたとしても、指導によって得た力を振るわなければならない状況に陥った場合、果たして彼女に顔向けできるだろうか。

 教える側のスカサハ本人ですら、戦う者としてのこだわりがあるのだから、エミヤが守護者である以上、首を縦に振るなど許されないと判断してしまう。

「ほう、私の言葉を使って返すか……成程。

 ──では一つ聞こう、お主は人理焼却の黒幕とやらに今のままで通用すると思っているのか? それ以前にこの先で苦戦しないというのか?」

「……保証は……できないな」

「先を見ることは古今東西、戦局を分けるほどに重要なことだが、目先の出来事を蔑ろにするようでは本末転倒に過ぎぬ。第一、マスターに死なれては困るのだろう? 受けておいて損はなかろう。守るべきものが守れなくてもよいのか? それでよいのならこれ以上の無理は言わぬよ」

 飄々とした態度を封印し、武人たる面持ちで諭すスカサハの姿を見ると、クー・フーリンが影の国に赴いて師事を仰いだ理由も分かる気がする。

 彼女の場合は傍若無人な振る舞いではあれど、ある程度の一線は引いている。

 そうでなければ、弟子の不始末を取るためにケルト軍へ反旗を翻したりはしないだろう。尤も、召喚者がメイヴであったことも理由の一つではあるが。

「……分かった、降参だ。貴女の顔を立てよう。

 ──どうか私に受けさせていただけないだろうか?」

 熱心な説得に負け、諸手を挙げて抵抗を諦める。

 ただ、一言付け加えることを忘れなかった。

「しかしな、そこまでして受けさせたいのかね?」

「無論だとも。ただ、性根が悪いと恨んでくれるな。うっかりと長生きしすぎて魂が人の道から外れてしまったのだ……こればかりは私でもどうにもならぬ。

 それにな……自分を殺せる相手の目処がついた以上、ただ死ぬのを待つよりはいじり甲斐……教え甲斐のある戦士の育成をしながらその時を待つ方が建設的ではないか」

 多少の本音が聞こえてしまったが、スカサハの言葉は嘘ではない。

 時の流れは『肉体』と『魂』を腐敗させてしまう。例え、高潔な意志の持ち主ですら、生きることだけが目的の怪物へ成り果ててしまう。イギリスで交戦した()の人物は、生き延びた世界でも逃れることはできなかった。

 人から外れたスカサハですらその影響を受けるのだから、ただの人間が耐えられるものではない。

 そうならない一つの可能性があるとすれば、悠久の時を過ぎしても風化しない、圧倒的な『精神』を持ち続けることだけだ。

「ふむ、話は纏まったな。さあ行くぞ、我が新しき弟子よ」

「……行く……とは?」

「ん? シミュレーターでは味気ないからな。手頃な特異点にて実戦形式で鍛えるとしよう」

「…………すまない今日のと────」

「────そう遠慮するな。今日の所は基礎だけだ」

 断る間もなく、引き摺られるように連れて行かれるエミヤに対し、スカサハは満足気だった。

 

 数時間後、自室には疲労困憊で寝込むエミヤの姿があった。

 

 

 




 セタンタ程の素質は無いが粘りのある男だ。儂の弟子としてこれからも鍛えてやろう。

 それにな、私の『千里眼』で見えたエミヤの未来……自らの手で覆してもらわねばな。


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エミヤと兵士たちの母

 一人の戦士に執着した女性は、振り向かせることに懸命だった。

 

 カルデアの食堂では、営業が終わると食器洗いが待っている。

 かつての当番制度は一人で行う作業だったが、所属人数も増えたため現在は二人となっていた。食器の位置を把握している熟練者とそれ以外の人物を一人ずつ当てはめる訳ではあったが、本日の当番であるエミヤの顔は一層険しかった。

「どうしてそんなに怒っているのよ? 遅れたから?」

 弓兵の隣で彼が洗い終えた食器を乾いた布で拭きながら、不満を口にする女性がいた。

 コノートの女王にして魔性の女メイヴ──以前の特異点で敵対したサーヴァントの一人である。また聖杯の力を利用して、存在しないはずの英霊クー・フーリン・オルタを顕現させ、アメリカを戦渦に巻き込んだ元凶でもある。

 外見からは人懐こい小型犬のような愛くるしさを感じさせるが、その内面には鋭い牙を携えた猟犬のように獰猛な一面を併せ持っている。隙を見せればたちまち虜にされてしまうだろう。

 恋多き、気が強い女性、そんな彼女が一人の男に認められたい、という一心で特異点の騒動を巻き起こしたのだから、修復に奔走した藤丸立香を始めとするカルデア一同にも思うところはある。

 現在のエミヤは、なぜメイヴが苦虫を噛み潰したような顔で皿洗いを粛々と行っているのか、それが疑問となっている。考えに耽ると表情が固くなるのは致し方ない。

「別に怒ってなどいない、ただの気のせいだろう。私自身不愛想だと自覚しているものでね」

「あらそう。はあ……、本当に悔しいわ」

「まったく、一体どうしたのかね?」

「どうしたもこうしたもないわよ。あの時よりパワーアップしたメイヴちゃんが、まさか普通の実力で負けたのよ? もっとこう……男のサーヴァントくらい召喚しておきなさいよね」

「じゃんけんの次は実力勝負を挑んで負けたのか。遅れた理由に合点がいったよ。

 しかし……仮にそれで勝ったとしても、手加減されているようなものだがね」

 現在の悔しがりようから、皿洗いする前のメイヴは地団駄を踏んだのだろうと弓兵には予想がつく。

 最初の頃はともかく、マスターとして一歩ずつ着実に力をつけている今の立香ならば、余程の事が無ければ心配していない。カルデアに所属する古今東西のサーヴァントを統括しているのは、曲りなりにも彼女なのだから。

 しかも残念なことに、このカルデアのサーヴァントは女性がほとんどであり、メイヴの最大の武器は通用しないと言っても過言ではない。

「それにあれよ、クー・フーリン・オルタ(クーちゃん)が来てくれたら次は私が勝つのよ」

「ああ、そうだな」

「絶対信じていないわね。

 ……そういえば、貴方はクーちゃんと面識があるのかしら?」

 喜怒哀楽が激しいのか、手は止めないものの顔だけをエミヤに向けて問いかけてくるメイヴは、瞳を輝かせて興味津々だった。

「そう思った理由は何だね?」

「だって初めて会った時、知っている口振りだったじゃない」

 メイヴの言及している時系列は、狂王(クー・フーリン・オルタ)の暗殺計画が失敗した時のことで間違いないだろう。

 ジェロニモとビリーを伏兵のアルジュナに対処させ、ネロ・ブライドと皇帝についての問答を行った狂王は、ふと興味の矛先をネロの背後に居たエミヤへと向けた。

 かつて弓兵の剣に誇りが欠けていると言ってのけた益荒男(ますらお)の姿は影も形もなく、戦いへの誇りすら捨て去った槍兵の退屈そうな目に、幾度となく戦火を交えてきたエミヤは(ささ)やかな意趣返しをしたのだが、変質(オルタ化)しても相容れない定めなのか、その言葉が却って狂王に目を付けられる要因になったのは災難だった。

 よくよく考えてみれば、傍にはメイヴも居たのだから、当然このやり取りは知られている。

「『まさか誇りを喰わせるとは思わなかった』って断言していたんだから、元のクーちゃんを知っているってことでしょう?」

「覚えていたのか……忘れていて欲しかったのだがね。何かと縁がある男なだけだよ」

「やだ……妬けちゃうわ。私は召喚しないと会えなかったっていうのに」

「……代われるものなら、是非とも代わってほしいものだ。

 ──まあ、あの男は苦い……おそらく喜ぶだろう」

 これまでの召喚される先々で顔を合わせているため、内心では皮肉にもお互いに「またか」と同じ意見でとうんざりとしている。

 エミヤとしては、生前の一度目の死因になったことから因縁が始まっているので、相対することが運命付けられているのかもしれない。ただし、あまりにも物騒な話であるので、そうあってほしくはない。

 やりようのない諦観を皮肉として混ぜようとしたが、気が付かない内に浮かべられたメイヴの笑顔が、威圧感を発していたため、途中から無難な言葉で締めくくる。気が強い女性の笑顔には、必ず何かしらある。思い出していた過去の経験がエミヤの窮地を救うことになった。

「でも、クーちゃんと戦おうだなんて勇ましいのね。貴方は近代の英雄らしいけど、そういう勇士は大好きよ!」

「そうだな……褒め言葉として受け取っておく」

「……え、それだけ? 『メイヴちゃんサイコー!』って傅いたりしないの?」

「そこまで驚くほどのものかね?」

「当然よ! 私が微笑むとどんな男だって私の(しもべ)になるの。

 ──もしかして、女性に興味はないのかしら?」

 食器を拭く手を止め、さも自然の道理であるように断言する。

 メイヴに絶対の自信があるからこその発言だろうが、締めの言葉には異論を唱えなければならない。

「まさか……私だって可愛い女の子は好きだ」

「なによ、私は可愛くないって言うの?」

「いや、私の目から見ても君は可愛いという部類に入るだろう」

「ふーん……そう、嬉しいわ。折角だからこの後、私の部屋でお話ししない?」

「謹んで遠慮させてもらおう。君の愛する男に刺されるかもしれんからな」

「……成程ね。そういうことは分かるのかしら」

「何か言いたいことでも?」

 メイヴの何かを察した言葉に、今度はエミヤが手を止めて問いかける。

「いいえ、何でもないわ。知っているって訳でもなさそうだし。

 ……私の誓い(ゲッシュ)を素で躱したってことかしら」

「そうか、なら今度はこちらから聞かせてもらおうか。

 ──君は一時は戦った間柄だろうに、なぜマスターに手を貸す?」

 洗い物が終わり、水で湿った手をタオルで拭きながら、エミヤは核心を突いた疑問を投げかける。

「最初に言っておくけど、負けたことは忘れていないわよ。私の王国を崩されて悔しい思いをしたことは特にね。今日だってそれのリベンジマッチを挑んだら思わぬ落とし穴に嵌まって負けちゃったけど、また挑むわよ。

 ただ単純な話──それ以上に応援したくなっただけよ。この私を倒した立香が人理修復できませんでした、だなんて……私は絶対に認めないわ」

 ケルトの戦士にとって昨日の敵は今日の友ということだろう。それは女王メイヴであっても例外ではないのかもしれない。

 口は悪いが、根は善人と言ったところだろう。

「これもマスターの人徳が為せる業ということか」

「どう意味よそれ? (ほだ)されて貴方たちに迎合したつもりはないわよ」

「心配しなくてもいいさ。そう言うことにしておこう。食器洗いも手伝ってくれているからな」

 エミヤは微笑ましい心境で返答したのだが、メイヴはお気に召さなかったらしい。振り回されるより、自分が振り回したい女性であるから仕方ない。

「……分かったわ。貴方がそのつもりなら私にも考えがあるから。強い男ほど主導権を握りたくなるのよね。

 ────あらゆる力が──」

「──楽しそうだなメイヴよ」

 怪しげな前口上を唱えるメイヴを遮ったのは、聞き覚えのある声だった。

 吹き抜けのカウンターから顔を覗かせるその女性は────

「貴女はスカサハ……師匠」

「……ほう。ちゃんと憶えておるようだな、安心したぞ」

「ええ、何でここに居るのよ……」

「私が弟子を迎えに来るのは不思議か? 偶にはこういうこともあるだろう。

 ──全くもって、相変わらず元気なことだ」

 先日、半強制的にスカサハへ弟子入りさせられたエミヤは時折稽古をつけてもらっている。

 偶然にもメイヴの皿洗いと稽古の日が合致してしまったために、犬猿の仲である二人は睨み合いとなっていた。均衡はそう簡単には崩れないだろう。

 こうしてすっかり蚊帳の外に置かれたエミヤは、とりあえずお茶を淹れようとお湯を沸かすのだった。

 

 本当にスカサハが偶然足を運んだのか、深くは考えなかった。

 




 本当に気障な男、私を翻弄しようだなんて許せる訳ないわ。
 でも、いいこと思いついちゃった。エミヤを私の勇士(モノ)にすれば、マスターに勝てるってこと。
 クーちゃんもくれば最高ね。


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エミヤと偶像の鮮血魔嬢

 偶像(アイドル)は一日にして成らず。

 競争が激しく厳しい世界であるが故、戦乱の渦中においても弛まぬ努力が必要とされる。

 

 エミヤにとって、それは久しぶりに見るよくある光景だった。

 扉を開けた先、自室で先客が待ち構えている状況、腰に両手を当てながら仁王立ちしている姿など、よくある光景と言ってよいものか正確な判断はつかない。そして、先客が若干引き攣った笑みを浮かべているのだから、直面したエミヤの疑問は当然尽きない。

 彼女が一体何を所望しているのか定かではないが、この状況下でエミヤのとる行動はただ一つ――

「ふむ……成程分かった。

 ――とりあえずお茶を淹れよう、エリザベート」

「――何でそうなるのよっ!?」

 エミヤが咄嗟に提案した最善と思われる策は、どうにもエリザベートの望むところではなかったらしい。

 

 よく使う茶葉をいつも通りの淹れ方で注げば、馴染みのある色で紅茶はカップを満たす。香りを堪能した後、一口含む。エミヤは紅茶を淹れる技術が(なま)っていないかどうか、飲む度に毎度確認している。だがその心配には及ばず、今回も味が落ちていないことを確認することができた。

 記憶が戻った今はさておき、摩耗により大部分の記憶が朽ちても、修めた技術が不変であることはエミヤが己を失っていない一つの指標になっている。

 目の前のソファに腰掛けるエリザベートが未だにむくれていなければ、感慨に耽りながらゆったりとしたティータイムを楽しんでいただろう。

「先程から不機嫌そうだが、私は君に何かしてしまっただろうか?」

「……そうね。何かしたっていうより、何もしていないが正しいわね」

 エリザベートは口をつけていたカップをテーブルに置くと、どう説明すべきか逡巡していたが、エミヤに何かを期待しているのか、思考時間に反比例した、意図的に些か不明瞭で捉えどころのない回答になっている。

「もしかすると……君の専属執事の件かね? すまないが、専属として付きっきりという訳にはいかないな」

 弓兵はカップをソーサーに戻しながら、間を置くことなく即答する。思い当たる節があったのは、キャスターのエリザベートの態度を見たことがあるからだ。

 本来のランサークラスが召喚されると細かな違いが浮き彫りになる。理屈は不明だが、聖杯の欠片でクラスが変わった影響か、キャスターのエリザベートは若干素直である。また、ある時から協調性という気遣いをみせるようになった。

 一方でランサーのエリザベートは、やはり素直になり切れないのか本心の一部を隠している。視点の変わったエミヤであれば少しの差異に気付くことはできるが、今まで気が付かなかった鈍さに笑ってしまう。勿論、内心の話で表情には出さなかった。

「そう、それよっ! それっ! 特にこの前の時よ。

 ケルト軍に捕まったのかと思ってたら、ひょっこり生還してきたことはひとまず置いておくけど、どうしてお姫様抱っこでネロを連れてたのよ。

 ……アイドル勝負をする前から、何か負けた気がするじゃない!」

 エリザベートにはそういう機構が備わっているのか、はたまたアイドルとしての天性の直感か、初対面であるネロ・ブライドをライバルとして認めており、再会の(のち)にアイドル勝負を挑む約束をしていたが長らく延期となっていた。それがおそらくカルデアで果たされることになったのは言うまでもないが、始まってすらいないのになぜ負けたの思うのか、その理由も分かっていない。

 そんな彼女の言葉で思い起こされるのは、助けを借りた上で狂王から逃げ出した後のことだ。逃走に成功したまでは良かったが、追跡を避けるために遠回りせざるを得なかった。しかも、二手に分かれて行動していたのでそれなりの時間が経っており、ラーマの妻であるシータを救うためアルカトラズへ向かったマスター達は目的を達しているかもしれない。今からそこへ向かっても入れ違いになるだけで手詰まりだった。

 追い打ちをかけるように問題となったのが、カルデア式の連絡用の念話はマスターからの一方通行であるため無事を伝えられないことである。今まで使わずに済んだことが仇になったようなものだ。初期設計の段階でこうなっていたのか、今となっては知る術はない。改良しようにも、今から手を加えたところで間に合わない。初歩的なミスで勘が鈍ってしまったと判断するのも無理はないが、原因を切り捨てられない葛藤に苛まれる。

 途方に暮れていたエミヤ達だったが、ふと幻聴が聞こえた。「――眠る前に偶然繋がったようだね。エジソンの拠点に向かうといいよ」と聞き覚えの無い若い男の声が助言を伝えてきたのだ。

 脱出した時、エジソンの拠点の位置は大まかに把握していたので行くことは可能だった。謎の声は本来なら怪しむところだったが、他に頼るものがない以上、それ以外の選択肢はない。頭痛と負傷による疲労で気を失っているネロを抱きかかえたエミヤは、一縷の望みをかけ全速力で向かったのだった。

「左腕が回復したのだから、怪我人を運びやすい体勢にするのは当然ではないのか? 遠回りした以上、急がねばならなかったからな」

 視点が変わっても肝心なところにエミヤの気が回らないのは、改善の途上であるから仕方のないことである。

「せ、正論で返すのやめなさいよ。……とにかく、気軽にやっていいものじゃないんだからね!」

「気軽に……か、全く耳が痛い話だ」

「私は頭が痛いわよ、冗談にならないけど色々とありすぎて」

 額に手を当てるエミヤに対し、エリザベートは頭を抱えていた。

「重ね重ね申し訳ないことをしたらしい。では、私はどうすべきかな?」

「そうね……とりあえず頭を撫でなさい。クラス違いの私や未来の私にもやってるんだから、できないってことはないでしょう?」

「……心得た」

 慎ましやかなお願いに微笑ましさを感じたエミヤはソファから腰を上げると、座ったままのエリザベートの傍に立ち、角や装飾に当たらないよう注意しながら丹精込めて撫でる。

 実際に頭が痛かったのかは定かではないが、エリザベートは『頭痛持ち』だ。その可能性は十分にあるからこそ、労わる気持ちがある。

「上から見下ろされるのは趣味じゃないけど、この際だから我慢してあげるわ」

「それはありがたい。お気に召したようで何よりだ」

 しばらく撫でていると、不機嫌そうだったエリザベートの顔は段々と穏やかに変化していく。しかし、どこか影が差していた。

「────どうかしたのか?」

 それを見逃すエミヤではない。基本的に誰かが困っていることには人一倍敏感な男なのだから。

「やっぱり、こういう時だけ鋭いのよね。子リスも子ジカも苦労する理由が分かるわ……。

 ──私の生前の話は知っているでしょ? 頭を撫でられたなんてこと……在ったかしら。仮に在ったとしても、私は憶えてすらいないのね……」

「……君はそう言うがな、初めて会った時に比べると物腰が柔らかくなっただろう」

「──それは忘れなさいよ」

 月であった彼女はカルデアで再会した時よりも棘のある態度だった。しかし、月のマスターである岸波白野の尽力により多少なりとも改心した。

「英霊の根本は変わらないが、君は過去の罪から目を逸らさなかった。そんな君だからこそ、白野(マスター)に力を貸してくれたのだろう?」

 どこかの世界で少しだけ異なる人生を歩んだエミヤ(無銘)の記憶が、弓兵の言葉に感情を乗せる。

「…………力を貸した理由は、子リスだけじゃないけどね」

 エリザベートの小さな呟きが、エミヤに聞かれる事は無かった。

「怒る気が無くなっちゃったわ。

 まあ(アタシ)としては、別に付きっきりでなくてもいいんだけど……浮気はダメよ。主の鞍替えなんて許さないんだから」

「浮気とはまた大袈裟なものだ。だが、期待には応えるとしよう」

 

 エリザベートが満足するまで、エミヤは頭を撫で続けるのだった。

 




 現実主義者の癖に、助けを求める声に弱いってこと知ってるんだから。
 私の無様な姿を見られたんだから、責任とってもらわないとね。


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不在のエミヤと第七次乙女協定

次回はイベントシナリオです。


 今回の旅も色々なことがあった、と立香は振り返る。流れ弾で負傷したことやエミヤの生還など、思い出話は枚挙にいとまがない。

 そして、協定を開催するということが何を意味するのか分からないはずもない。つまりはそういうことなのだ。エミヤの言動が相変わらず変わっていなかったことに、安心と呆れの両方の感情を抱いたことが一番印象的だった。

 

 立香は自分で淹れた紅茶のお茶請けとして、直前にエミヤから貰っていたクッキーを食べながら、やはりエミヤが淹れた紅茶の方が香りも味も違うという感想を抱く。長い修行の末に紅茶の腕を磨いたのだろうと感心してしまうが、そんなことを頭に浮かべながら、彼がなぜそうせざるを得なかったかは深く考えないことにして、今日の参加者をぐるりと見渡す。

「なぜ私たちを呼び出したのでしょうか? 説明をお願いします」

 そう切り出したのはフローレンス・ナイチンゲールだ。

 白衣の天使と呼ばれているほど有名な彼女だが、本人としてはそう呼ばれたくないらしい。実は可愛い所もあると立香は知っているが、その彼女を呼ぶために部屋の掃除を前日に決行したことは記憶に新しい。殺菌した茣蓙(ござ)を敷き、洗濯した座布団と磨き直した卓袱台を置いて今日を迎えたのだ。

「ほう、中々美味いものだ。迷わず召喚されに来て正解だったかもしれんな」

 説明を求める婦長とは打って変わって、目の前のクッキーを堪能しているのは影の国の女王スカサハである。

 彼女が見込んだ人物をスパルタ式で育成することは、既に身を以って知っている。ただ、サーヴァントとして契約している以上、師匠と弟子の関係で完結させたくないと本人は悩んでいるようだ。

「ええ、紅茶にとても合うわ。

 ──一息入れることも重要じゃなくって? 婦長さん。クッキーがいらないのなら無理は言わないわ」

 スカサハに同意するようナイチンゲールを説得するのはエレナ・ブラヴァツキーだった。

 一時は敵対していたエジソン陣営の重要人物で、その時のことを謝罪されたが、立香は気にする事は無いと返していた。ここで気になったのは、あのナイチンゲールが説得で踏みとどまったことだろう。前進あるのみな彼女を知っている人であれば、驚くことは間違いない。

「本当に……アレよね。全く……」

 エリザベート・バートリーはなぜか遠い目をしていた。

 キャスターのエリザベートとは同一存在の別人らしいが、エミヤと知り合いであることに変わりはなく、彼女が知るエミヤはかつて何をしたのだろうと立香の好奇心が刺激される。

「うむ。流石は我が右腕であるな。余も鼻が高いぞ」

 花嫁衣裳の鎖が邪魔にならないのかと心配になるが、絡まる可能性を露ほどにも思っていないネロ・ブライドは胸を張っている。

 彼女もまた同一存在の別人らしいが、立香が先日に見かけた時、赤いドレスのネロは花嫁のネロに対して思案顔をしていた。

 本日の参加者は以上となるが、参加を一人に拒否されてもいる。隠すほどでもないが、その人物はメイヴである。

 声をかけたところ、「絆されたわけじゃないわ。先に私がエミヤを傘下に引き入れて見せるから!」と自信満々に宣言されたのだ。立香は、「そこをなんとか……」と説得したが、メイヴは折れなかった。結局、譲れない信念というものがあるのだろうと立香は納得することにした。

 ひとまず、呼びかけに応じてくれたサーヴァント達に説明をしなければならない。

 

「……貴女の説明は理解しました。要求を呑みましょう」

「へえ……どういう風の吹き回しかしら?」

「マスターは私の信頼する司令官です。浅慮な考えで提案しているとは考えられません。それならば、従うことに異論はありません」

「なるほど……そうね。私も同感だわ」

 ナイチンゲールはきっぱりと言い切った。婦長の人柄をよく知るエレナは意図を探るような発言をしていたが、人柄同様の実直さを垣間見たのか、これには不満が無いらしい。

「私も今はサーヴァントである以上、お願いを聞かぬわけにはいくまい。

 ──時間が限られるなら、稽古の質を上げればよいのだからな」

 目を細めたスカサハは、これからの展望を楽しそうに語る。

「それで寝込んでいたら元も子もないような気がするんだけど……気にしたら負けな気がするわ。

 ──(アタシ)も別にいいわよ。子ジカの提案に乗ってあげる」

 スカサハの言葉を聞いて、最初は小さく呟いていたエリザベートだったが、重要な部分はいつも通りの声量で答えていた。

「むう、余はもっとエミヤの傍に居たいのだが……寂しくなるな」

「何言ってんのよ、ネロ。アイドルたるもの限られた時間で行動するのは当然でしょ?」

「エリザベート……そうであったな、余はアイドルでもあるのだ。

 ──礼を言おう、余のドル友にして最大のライバルよ」

 少しだけ不満そうなネロ・ブライドだったが、エリザベートの激励で立ち直った。

 アイドル活動をする上で、競争相手(ライバル)はお互いに必要なのだろう。正直なところ、立香はエリザベートが援護してくれたことを意外に思った。

「みんな……理解してくれてありがとう。これからもよろしくね」

 

 会合の終了により、各自解散して割り当てられた部屋に帰っていき、主催の立香は自室で使用済みのカップを洗っていた。

「少しいいか? マスター」

 立香が呼びかけに振り向くと、視線の先にはスカサハが居た。戻ってきたことに気が付かなかったものの、言い忘れたことでもあったのだろうと予想する。

 堅苦しい話し方はやめてほしいと本人から言われているが、なかなか慣れない。

「何かあったの? スカサハさん」

「ああ、二点ほど言っておくことがあったのでな。

 ──まず一つ、メイヴのことは私に任せてくれ。あやつのことはよく知っているし……お主が掛かりきりという訳にはいかぬだろう」

 人差し指を立てて話すスカサハだったが、彼女からそう言ってくるとは思いもしなかった。

 所属人数が増えている現状を放置するわけにもいかないが、本当のことを言えば自分で解決したかった。しかし、時間が掛かりすぎることもまた事実である。ここはスカサハを信じて任せることも手の一つだろう。一応念には念を入れておく。

「……うん、分かった。だけど……余りきつくならないようにしてね」

「私とメイヴからすればお互いにじゃれているだけだぞ? 心配性だな。だが……それがお主の強みでもある。そう望むのなら従わぬわけにはいくまい。

 では二つ目だ──」

 一端言葉を切ったスカサハは剣呑な空気を纏う。立香のように戦士ではなくとも、話題が穏やかではないということを肌で感じ取る。

「──心して聞いてくれ。マスターとエミヤの二人は、危うい運命を辿っている」

「…………え?」

 青天の霹靂とはこのことだろう。一瞬呆けた後、立香はその言葉の意味を理解する。

 危うい運命がどこまで悪いのかは分からない。ただ、最悪の事態を想像すれば──

「それって、死ぬ……ってこと?」

「そう焦るな、私の『千里眼』はAランクが精々でな……規格外(EX)には程遠くまだ決まったわけではない」

「……びっくりしたよ、いきなり危ういなんて言われて」

「すまぬな、驚かせるつもりではなかった。ただ……五つの特異点を越えても、お主の戦闘能力が凡人であることに変わりはない。ふとしたことでその命は掻き消されてしまうだろう」

「それは分かっているけど……もしかして、エミヤが私を庇って消えてしまうとか?」

「確かにサーヴァントが危ういと言っても、このカルデアの仕組みであれば結局はここに戻るだろう。そうだな……マスターを守る騎士役がそうならぬよう、私はエミヤを鍛えているのだから……そう心配するな」

「……ならいいけど、私も鍛えた方が良いかな?」

「心がけは立派だが、余り気負わないほうがいいだろう。役割分担、適材適所というものだ。……長くなってしまったな。私はこれで失礼するよ……ゆっくり休んでくれ、マスター。

 ──ああ、そうだ。マシュのことをもっと気にかけた方が良いぞ」

「────どういうこと?」

 答えは返ってこなかった。それだけ言い残すと、スカサハは背を向けて部屋から出て行ってしまった。

 

 洗面台でぼんやりと自分の顔を見つめ、スカサハの忠告を思い出す。特に「危うい運命」とは他人事ではないのだから当然だ。

 命の危機は最初から隣にあった。だが、サーヴァントであるエミヤまで名指しされているのはなぜだろう。スカサハの言う通り、サーヴァントは特異点で消滅してもカルデアに戻るから心配はない。そう考えても、立香の思考から嫌な予感が消える事は無かった。予知が外れていればそれでいい。それと、最後に言っていた「マシュを気に掛けろ」という言葉も気になる。

 おもむろにベッドに寝転がると、忠告を頭の片隅に留めながら立香は意識を手放した。

 

 




「ではよろしく頼む、ドクターロマン」
「ああ、分かっているさ」
 エミヤの退室を見送り、ロマニは机に向き直る。
 先日のレイシフトで発覚した欠陥、念話の一方通行は火急の要件だった。あまりにも単純なことに気付かなかったのだから、二人で苦笑いしあった。
 システムの再構築はダヴィンチに丸投げになるが、一番頼りになるのだから仕方がない。
「勘が鈍った……ね」
 尤も、最大の悩みはエミヤが責任を感じていることにある。彼らしいといえばそれまでだが、何事にも限度というものがある。 気負いすぎないようにと口を酸っぱくして伝えてはいたが、もう一度そう願うしかなかった。
 なぜなら、早くに気付くべきはロマニ自身だったのだ。カルデアが一枚岩でないことはとっくに承知していたのだ。
 だからこそ、どんなに後悔しても許してはもらえないだろうと理解している。


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エミヤと竜の魔女

 エミヤが違和感を抱くほどの情熱が込められた贋作──言わずと知れたダヴィンチの名画の複製品が流通し、撲滅のため調査することとなった立香一行。性格の異なる六人の英霊が行く手を遮るが、足を止める事は無く、道に迷いながらも裏で糸を引く黒幕に辿り着く。

 その驚くべき正体は、フランス──オルレアンを戦火の脅威に晒した竜の魔女(ジャンヌ・ダルク・オルタ)だった。傍らに個性的な性格をしている銀髪の女神を侍らせた彼女の真意を探るため、立香達は戦いを挑むことにした。

 

 サーヴァントに割り当てられたカルデアの一室、持ち主の一人であるエミヤの部屋は殺風景極まりない。辛うじて内装には、以前ダヴィンチに押し付けられたソファとテーブルに来客用のティーセットなどが置かれているため、殺風景だと断言はできない。

 当のエミヤは久々に休憩を取ろうとしていたが、その部屋にあるベッドの前で呆れ顔を浮かべていた。彼の視線の先には、人が掛け布団を被っているかのように不自然な膨らみが出来ており、誰かが居るということは間違いない。

 ここで挙げられる一番の容疑者はジャンヌ・ダルクだが、彼女は今回の犯人ではない。なぜならば自室に戻る直前、部屋の前で別れていたからだ。令呪や聖杯にでも頼らない限り、どうやっても先回りすることは不可能だろう。

 では、目の前の光景を作り出しているのは誰なのか、不思議に思いながら掛け布団を(めく)ると──

「あら、迷惑だったかしら? それにしても遅すぎです」

 不敵な笑みを浮かべたジャンヌ・オルタが横たわっていた。ジャンヌと同じ顔だが、違う点は肌が若干色白であることと金色の瞳だろう。

 台詞とは裏腹に、悪びれていない態度の彼女がそこに居た。

「…………一応聞いておくが、何をしているのかね?」

「説明しないと分からないの? 鈍感ね。私がこうして居れば、寝ようと思ってもアナタは入ってこられないでしょう」

 返ってきた言葉を一瞬で理解できなかったのは、もはや仕方のないことだろう。そうする必要性はどこにあるのか、全くもって分からないのだから。

 

 かれこれ数十分の後に、ジャンヌ・オルタをソファへ座らせることに成功した。現在は紅茶を飲んでいるが、説得するのは容易なことではなかった。最終的に行き詰まったエミヤは、ベッドを諦めて食堂で休むことにしようと思い立ち、そそくさと部屋から出て行こうとしたが、それを見た彼女は急いで這い出てきた。

 それを思い返しながらも対面に座るエミヤは、紅茶を飲むジャンヌ・オルタを見てもう一つの違う部分に気付く。ジャンヌは紅茶に砂糖を余り入れないのに対して、ジャンヌ・オルタはその倍の量を入れている。もしかすると、オルタ化には嗜好を反転させる作用があるのかもしれない。

「────さっきからなに黙っているのよ?」

 考察に耽っていたエミヤを現実へ引き戻すように、ジャンヌ・オルタは不満を孕んだ声で抗議する。

「お客様を放置するなんて……そんなに私のことが嫌いかしら?」

 さぞ愉快そうに嗤うジャンヌ・オルタだが、勝手に入ってきたという事実は棚に上げている。しかし、エミヤからすればそんなことは関係ない。

「それはすまない。君の姿に見惚れていた」

「……ハアッ!? い……いきなり何を言い出すのよアンタは」

「いやなに……初めて振る舞った相手の動作がこなれていたものでね、感心していただけだ」

「……ああ、そのことね。この時の為にイメトレ……じゃなくて、これくらいならできて当然です。

 ──期待させるだけさせておいてこれとか……やっぱりアレだわ」

「やはり何か不満でも?」

「──いいえ、なにも。女たらしさんには……関係のない話ですから」

 不敵な笑みを浮かべるジャンヌ・オルタは時々口調が変化する。この場合、丁寧な物言いは本心を隠すための囮だ。問い詰めたところで、何のことかと受け流される。

「やれやれ、女たらし……か。どうにかしようと努力しているのだが、まだ遠いか……」

「心当たりがあるならいい加減学習しなさいよ。苦手分野が極端すぎじゃないの?」

「一歩ずつだが進歩はしている。

 ──しかし意外と……いや、やはり世話焼きなのだな」

「ハァ……また突拍子もないこと言いだしたわね。よりにもよって、この私が世話焼き? 疲労で目が曇っているのかしら。さっさと寝なさい」

 エミヤの評価に呆れながら、ジャンヌ・オルタは掌を前後させて否定する。

「そうでもなければ、彼らを送り返していただろうからな。聖杯の欠片を持っていた君なら、造作もないだろう」

 復讐の聖女が否定をしても、弓兵は意見を翻すことなく両手を広げて応戦する。

「……全くもって馬鹿らしいわ。しかも、その件は忘れなさいと言ったはずです。

 ──いい? 前にも言ったけど、私が呼び出した英霊はただの駒。そして、(たお)したのは他でもないアンタたち。以前の私と同様……もう二度と会うことはない、うたかたの存在に過ぎない」

「────だが、君は覚えている。理由はどうあれど、駒と言い切りながら忘れていない」

 ジャンヌ・オルタがエミヤの言葉を受け入れる事は無く、それを体現するかのようにしばらく睨み合った。

 均衡を崩したのは────

「……何を言っても無駄のようね。勝手に判断しなさい」

 ジャンヌ・オルタだった。

「ただ、これだけは言っておく。私には同情も哀れみも必要ない。それだけは忘れるな」

 その気迫は復讐者(アヴェンジャー)に相応しいほど重く、深い感情が込められていた。

 言い切ると同時に会話が途切れてしまう。ジャンヌ・オルタは、どうすればよいのかという戸惑いを隠しながら沈黙を保つ。

「ああ、了解した。だが、一つだけ聞かせてくれ……君の存在を願う者とは一体誰だったんだ?」

 エミヤはこの時を待っていたかのように、本題を切り出した。

 贋作の犯人を捜し辿り着いた拠点で、聖女の知名度を利用して復活していた復讐の聖女(ジャンヌ・オルタ)と邂逅した。その時、ジル・ド・レェ以外に存在を願う者が居た、と彼女は語っていた。エミヤはその時に聞いた『存在を願う者』が誰なのか、未だに分かっていなかった。

「────本気で聞いているの?」

「ああ」

 複雑な表情を浮かべたジャンヌ・オルタは、一息つくと断言する。

「そうね……ソイツはお人好しの愚か者よ。

 贋作(にせもの)が生まれ落ちた事実は変わらない。真作(ほんもの)を越えようとする意志は紛い物ではない、なんて言っていたわ」

「…………待て。それはどこかで聞いたことがあるのだが」

 思い当たる節──自暴自棄になっていたジャンヌ・オルタに向けて自分が言った言葉だと悟ったエミヤは、話を途中で切ろうとするがジャンヌ・オルタを止めるまでには至らなかった。

「その男は考えなしだったのかもしれないわね。まさか自分の一言が切っ掛けとなって、存在が希薄な私を繋ぎ止めることになるなんて、想像つく方が可笑しいですもの。癪だけどあのまま完全に消えるよりはマシだったわ。

 ──そこからは簡単、完全な存在を確立させるためにあのマスターちゃんと縁を結ぶだけ。確実に出会えるよう、あの聖女(ジャンヌ・ダルク)の知名度で残滓を補填してから行動を起こしたって訳よ」

「そのためだけに、わざわざあの贋作を作ったのか……」

「当たり前でしょ? 手抜きの贋作なんかアンタは歯牙にもかけないし、脅威として認められなきゃ意味ないじゃない」

 なぜ当たり前のことを言っているのか、そう言いたげな顔で眉を顰めるジャンヌ・オルタだったが、行動力の使い方を間違っている、とエミヤは内心で考えていた。そして、あの時抱いた違和感はこのことだったのかと同時に思い至る。しかしながら、オルタ化しているはずなのに元の英霊と同じ真面目さを持っていることが窺い知れる。

「だが……解せんな。それならば、彼らを召喚する必要はなかっただろうに」

「……忘れなさいと言った傍から……まったく。この際だから特別に白状してあげましょう。あまり喋ることに慣れていなかったから、話し相手に呼んだだけです」

 もう語る事は無いという意思表示か、立ち上がると退出の為に扉へ足を向ける。

「ああ……紅茶は美味しかったわ。あと、ちゃんと寝なさいよ」

 サーヴァントが睡眠を必要としていないことはジャンヌ・オルタも分かり切っている。おそらく、彼女なりに心配しているのだろう。

 

 出て行くジャンヌ・オルタに対して腰掛けたままのエミヤは、律儀に忠告していった彼女を静かに見届けた。

 




 共感だとか、親愛だとかは関係ないわ……私が関係ないと言ったら関係ありません。贋作者(フェイカー)には、贋作がお似合いでしょう? 
 仕方ないから力を貸してあげる。マスター共々、精々頑張りなさい。

 いい子ちゃんのジャンヌには負けません。


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エミヤと戦乙女

 悲運の戦乙女(ワルキューレ)、彼女が恋焦がれるのは一人の英雄。彼女の瞳に映る者が、その英雄となる。

 

 横になってどれくらいの時間が過ぎただろうか、当の昔に日を跨いだのか不明だが、唐突に誰かが呼ぶ声がした。夢を見ないはずの英霊を、眠りから呼び覚ます誰かの声が。

「────おはようございます。起きて、あなた(シグルド)

 瞼を開いて頭を持ち上げる。そうして視界に捉えたのは、どこかの特異点で出会ったサーヴァント、昨日カルデアで再会した、贋作英霊ではない本来の姿だった。

 一見すると穏やかな物腰の女性はベッドサイドに腰掛け、エミヤの方を見据えていた。

「君は……ブリュンヒルデ……か」

「初対面という訳では、ありませんね……愛しき英雄(あなた)

 エミヤは体を起こしつつ、ブリュンヒルデを視界に捉えようとしたが、動きに反応して突き出された彼女の手に上体を押し留められる。

「身勝手なことだと……思われるかもしれません。どうか、どうかそのままで……お願いします」

 発言といい、行動といい、彼女の反応に違和感を抱いたが、関係ないと判断して今は考えないことにする。

「…………ああ、分かった。格好のつかない体勢で申し訳ないがね。

 ────なにか話でもあるのかな?」

 本当のことを言えば、今すぐにでもソファへ座らせて紅茶を振る舞う方が、エミヤとしては落ち着く形ではある。ただ、ここまで言うからにはブリュンヒルデにも考えがあるのだろう。

「ええ……そうです。この機体(わたし)に与えられた役目、英雄に寄り添う者として、あなたにお願いがあります」

「お願い? それは一体?」

「……私を……壊してほしいのです」

 頭だけを動かしていたエミヤは、ブリュンヒルデの寂しげな表情を目の当たりにしていた。

「……まったく、穏やかな談笑とはいかないものだ、訳を聞かせてもらおうか。私にはなぜその結論に至ったのか、見当もつかないものでね」

「…………あの人(シグルド)への愛が、感情が、抑えきれない奔流となって私を狂わせてしまう。マスターとあなたを見ていると、いつも想ってしまう、いつも昂ってしまう……愛する者(シグルド)と混同してしまう。そうしたら私は……あなた達を(あい)してしまう、(ころ)してしまう。

 ────壊れてしまった私の中で鎮まらない(あい)が……いつか巻き込んで焼き尽くしてしまう。私はそれが嫌だから、そうならないようにしたい。だから……」

「──壊してほしい……か」

「……はい」

 ブリュンヒルデがシグルドという英霊に並々ならぬ想いを持っていることは、贋作英霊の時点で分かっていた。だが、その想いが今現在の彼女の意識を蝕んでいるとは、本人に会うまで分からなかった。会って早々、暗い表情で『シグルド』と呼んできたブリュンヒルデは、その心の中で常に葛藤していたのかもしれない。

「だが、今の君にそのような兆候は見られないが?」

「今の私は……大丈夫です。記録を再生すれば……昂った心を冷やせます。胸の奥で燻る炎を抑えられます。でも、抑えられなくなったとき────私のお願いを叶えて頂けますか?」

「…………そうだな。それを君が望むなら、そうせざるを得ないだろう。

 ────だが、その心配は必要ない」

「なぜ……ですか?」

「君が優しい女性だからだ」

「私が……優しい? そんなこと……ありません。一目見ただけで、マスターを殺そうと考えています」

「そうかな。今の君が普段(あちら)の君の本心なら、マスターを傷つけたくないからこそ、事前に頼みに来たのだろう? マスターを大切にしたいと思っていなければ、そうする必要もあるまい」

「ですが……どうしても抑えられなくなって、突然マスターを傷つけることもあります」

「それも心配はいらない。マスターだけではなく、私を含めた周りの者が君を止めるからな。

 ────悪いことをしようとするなら、ちゃんと叱るさ。まあ、これは杞憂だと思うがね」

「……でも……」

「そこまで悩まなくてもよいのではないかな。それに、私以上にお人好しなマスターはその程度のことで君を見限るような性格ではない。

 ────なんにせよ、小さいことでも困ったことがあれば言ってくれ。できる範囲で力になる」

 寝転びながら腕を頭の後ろに回す。どこまで届いたかは分からないが、思いつめた戦乙女が早まらなければそれでいい。

「ああ……見誤ってしまいました。私は愛する者(シグルド)に壊してほしかったのに、英雄(あなた)ならと思ったのに……私を救おうとするなんて。魂が摩耗しても、誰かの為に立ち上がれる優しいヒト…………そんなにも優しいと……」

「────待て、なにをっ!?」

「そのままでは……困ってしまいます。ごめんなさい。今から少しだけ、ほんの少しだけ……あなたの唇に触ります。大丈夫です、ルーンに委ねてくださいませ」

 エミヤが抵抗するよりも早く指が触れ、なぜか身動きが取れなくなった。ルーン魔術であろう刻印が浮かぶが、どのような効果があるのか、当然弓兵にはわからない。現在のエミヤに内包された宝具の影響により、実害のあるものであればその効力は霧散するはずだった。

「本当は、そう言ってもらえて嬉しいです。でも……私は……自分自身を信じられない。此度の邂逅は、無かったことにします。優しいあなたに、これ以上の迷惑はかけられません。大丈夫……です。最初からここは、夢の中ですから」

 段々と意識が遠のいていく、ブリュンヒルデの言葉を聞き取ることで精一杯だった。

「…………はい。出来上がり、です。さようなら、我が英雄。

 ────助けてほしいなんて……言えませんから」

 弓兵が最後に見た光景は、微笑むブリュンヒルデの顔だった。

 

 エミヤがカルデアの廊下を歩いていると、彼は視線を感じることに気付く。毎度のことで多少は鍛えられたのか、視線の種類くらいは何となく分かるようになっていた。

 だが、眼帯をしている騎兵(メドゥーサ)や闘争心を燃やす和服の清姫(バーサーカー)など、日によって相手はまちまちだが、今回は初めて感じる視線だった。

 その一方で、弓兵は背中へ視線を感じても特に驚かなくなってしまった。英霊にも適用される『慣れ』を恐ろしいと感じながら振り向けば、物憂げな表情を浮かべている昨日会ったばかりの戦乙女が立ち尽くしていた。

 身の丈以上の大きな槍を携え、視線を向けていた対象に振り向かれても、微動だにしないことが弓兵にとって違和感を抱かせた。ただ、一つの可能性として、気付かれることを想定した上での行動なのかもしれない。

「さて、私に何か用かな……ブリュンヒルデ?」

「…………」

 エミヤは左手を腰に当て、右手を遊ばせながら問いかけるが、なぜかブリュンヒルデは口を開かないため、いくら待っても質問の答えは返ってこなかった。

 しばらく沈黙したまま見つめ合ったが、このままでは話が進まないと判断し、痺れを切らした弓兵が先に静寂を破る。

「そうだな……言いにくいことならば、また時間を改めても構わないが?」

「その悲しい背中……貴方は……シグルド?」

 弓兵は気品ある通った声に反応が遅れる。そして、彼女が言葉を終えてから、ようやく目の前の女性が発したのだと気付く。だが、問題はその内容が突拍子のないものであることだ。

「昨日も言われたが、シグルド……彼の英雄と間違われるとは光栄な話だが、些か尻込みしてしまう。しかし、残念ながら人違いだ。

 ──まあ、困ったことがないのであれば、それに越したことはないな」

「…………」

 相手が再び沈黙してしまい、会話を折り返すもすぐさま途切れてしまう。

 流石に噛み合わない返事を訝しんだエミヤがブリュンヒルデを注視すると、穏やかな微笑とは裏腹に彼女は槍を強く握りしめ、震える手は何かを堪えているかのようだった。

「本当に大丈夫かね? まさかとは思うが、霊基の具合が悪いならマスターを呼んだ方が良いではないか? 念話ができないなら私が代わりに連絡しよう」

「…………優しくされると、困ります」

 そう言い残したブリュンヒルデは、踵を返すとエミヤとは正反対の方向へ歩き始めた。彼女が振り返ることはなく、体調の方は問題ないようだった。エミヤなりに気を遣ったのだが、生憎とお気に召さなかったらしい。

 呼び止めようか迷ったが、困らせている原因が自分にあるなら逆効果ではないか、そう判断した弓兵は、額に手を当て当惑しながら戦乙女の背中を見送った。

 




 愛する者(シグルド)英雄(シグルド)……あなたを愛して殺せるのは私だけ。

 ああ、あなたを…………(ころ)したくはないのに。


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エミヤと天の衣

 第五次聖杯戦争の十年前、衛宮切嗣が臨んだ第四次聖杯戦争、その時系列で誕生した特異点を修復するため、立香一行はレイシフトすることになった。

 そこで出会う人物に心当たりしかなかっただけに、複雑な心境で迷っていたところを説得されたエミヤは、結局ついていくことになったものの、最後まで顔は険しかった。

 

 先日の特異点、エミヤの知る冬木市の十年前で出会った一人の女性──アイリスフィール・フォン・アインツベルン。カルデアのアルトリアの証言と同じく、召喚されていたのがセイバー(アルトリア)だったこともあるが、彼女と出会ったエミヤが動揺してしまったのは無理もないことだろう。

 確固たる根拠はなかったが、銀色の髪、真紅の瞳、雪の妖精を彷彿とさせる容姿を一目見た瞬間、彼女が義父──衛宮切嗣の妻であり、義姉──イリヤスフィールの母親であることに考えが至った。

 生前は切嗣が過去の詳細を話すことはなく、その存在を推測するだけだったエミヤにとって、本人との邂逅は不思議な感覚であった。会ったことは初めてだったが、未来が違えば義母として接していたのかもしれない。 

 だが、それは今回関係のない話だった。そもそも、特異点の彼女は衛宮切嗣と結婚していないどころか、会ったこともなかったのだ。特異点でのアインツベルンはホムンクルスに関する技術が高くなっており、外部の協力者を必要としなかった。

 その彼女には現地で協力してもらったのだが、大聖杯前での決戦後、アイリスフィールの体で眠っていたはずの小聖杯が突如として覚醒し、サーヴァント扱いになったのだ。仮初のサーヴァント──『天の衣』と名乗った彼女は、このままアインツベルンに戻っても居場所がないと訴えたため、カルデアで保護することになった。

 同化した影響か、天の衣になったアイリスフィールは、打って変わって衛宮切嗣と結婚した記憶があるらしい。複雑な顛末であることに違いはないが、それはつまり、どういうことか──

「エミヤくんは切嗣の縁者なの?」

 必然的と言うまでもなく、関係性を問われるのは明らかだった。

 

 カルデアの食堂、閑散とした時間帯にアイリスフィールは現れた。

 特異点ではクラスで真名を隠せていたが、真名呼びが基本のカルデアでは違和感でしかない。アイリの前で名前を出さないように、と周りに言っておくのは簡単だが、それはできなかった。単純に、そうまでして隠すのはエミヤの気が引けた。

 記憶の摩耗したかつての自分であれば、その手段を迷いなく実行したかもしれない。だが、失ったはずの記憶を埋められ、本来の性格に近くなってしまった以上は仕方ない。したがって、アイリが『衛宮(エミヤ)』の名字に縁を感じるのは時間の問題だった。

 天の衣はそれを聞きに来た訳だが、落ち着いて話をしようというエミヤの提案で席に着き、テーブル越しに興味津々な様子で弓兵を見ていた。

「ミス・アイリスフィール、説明したいのは山々なのだが……どこから説明すればよいのだろうか」

 エミヤはそう言って紅茶を差し出すと、対面に座る。

「……それなら、まず貴方と切嗣の関係について教えてもらえるかしら?」

 一口紅茶を含んだアイリ、彼女から開口一番に飛び出したのは、エミヤの核心に迫る質問だった。

 だが、そう聞かれることを想定していた弓兵は狼狽えることなく語る。

「衛宮切嗣は私の義父だ。災害で孤児になった私を引き取ってくれたんだ」

「その災害は魔術によるものかしら?」

 思わず固まってしまう。ただの災害と言ったはずなのに、アイリは魔術と断定して聞き直した。大方察しがついているのだろう、エミヤは正直に話すべきだと判断する。

「……ああ。魔術──第四次聖杯戦争によるものだ」

「信じたくはなかったけど、貴方の知る聖杯も汚染されていたのね」

 アイリは手にしていたカップを慎重に戻すと、俯きかけた顔をあげる。

「私が聖杯の端末として覚醒した瞬間、切嗣と汚染された聖杯が見えたの。

 ──本来の聖杯に……意思はないはずなのに」

「冬木の聖杯は、特異点で戦ったと同じくこの世全ての悪(アンリマユ)に汚染されていたからな」

 エミヤの答えにアイリの心は沈んでしまい、何を言うべきか迷っていた。第四次聖杯戦争に参加しただけに、知らなかったことが大きな被害を生んだ。

 その姿を見た弓兵はすぐさま付け加える。

「貴女が気に病む必要はない。汚染されているなど予想する方が難しいというものだ。それに、衛宮切嗣に助けて貰った以上、感謝こそすれ恨むなどお門違いだ」

「貴方はそれで…………いいえ、何でもないわ」

 本来なら否定すべきだろう。しかし、その資格があるのか定かではないし、目の前の男は完全に割り切っていた。その顔に言葉が出なかった。

「……貴方のことをもっと聞かせてもらえる?」

「ああ、了解した」

 それからも話し続けた。

 衛宮切嗣との短い生活を送ったこと、第五次聖杯戦争を駆け抜けたこと、理想に溺れ挫折したこと、包み隠さず答えていた。後から思い返しても、なぜそこまで語ろうと思ったのかは分からない。

 アイリは時折相槌を打ちながら、それを静かに聞いていた。

「そう……イリヤにも会ったのね」

「最終的に和解はできたんだが、共に過ごせたのは一年ほどだった……」

「……一つ聞いてもいいかしら?」

「なんでしょうか」

「イリヤと……何かあったの?」

 その問いかけにエミヤはハッとした。包み隠さず答えていたが、全てを事細かに話していた訳ではなかったからだ。

 その一つ、自分殺しに失敗した召喚で、イリヤを実質的に見殺しにしていたことを話していなかった。母親であるアイリには、それを聞く権利がある。エミヤを恨む権利がある。だが、どうしても言い出せなかった。

 気が付けば、テーブルの上で組んだ拳に力が入りすぎていた。この震えを見れば、何かがあったと察しが付くことは想像に難くない。

「私は…………オレは……」

 この期に及んで言葉を発することができない。そこまでの甘さは、当の昔に捨て去ったはずだった。

「ねえ、エミヤくん。私の話を聞いてもらえる?」

 葛藤するエミヤの思考を遮ったのは、どこまでも穏やかなアイリの声だった。

「……ああ、分かった」

「ごめんなさい……途中で遮ってしまって。それじゃあ話すわね。

 ──エミヤくんも知っていると思うけど、切嗣は正義の味方を目指していたの。人類の恒久的な平和、それが聖杯に託す望みだった。でも聖杯戦争の最中で、一つの疑問が浮かんだの。切嗣は世界と私を天秤にかけた時、どちらを選ぶのかな……って」

「それは……」

 一を切り捨て九を救う、魔術師殺しと呼ばれた男は常にそうしてきた。彼の理想を継いだエミヤも、似たような境遇となってしまった。

「汚染された聖杯で切嗣が何を見たのかは分からないけど、私はどっちでも良くなったの。理想を捨てて家族をとっても、私を捨てて理想を叶えても。切嗣とイリヤが生きていればそれでいいって」

「……なぜ、そう思ったのだろうか?」

 言葉が出なかったエミヤは、辛うじて疑問を投げかける。

「だって────私は切嗣の奥さんだもの。名前を捨ててでも、信じる道を駆け抜けた夫の味方になってあげなくちゃ。たとえその結末が、私を否定することになってもね」

 弓兵は今度こそ絶句した。しかし、同時に腑に落ちる物があった。

 特異点で協力関係にあった己以外の守護者、彼こそが別世界の衛宮切嗣だった。戦いが終わった後、彼は気付かれる事無く立ち去ってしまったが、異聞の彼方でも色褪せることのないアイリから衛宮切嗣への愛情の深さ。

 それがあったからこそ、彼女を犠牲にして聖杯を得られなかった切嗣は酷く落胆した。魔術師殺しとしての彼が消え去るほどに。切嗣とアイリが結婚は、運命的なものを感じる。

「私の知るイリヤと貴方の知るイリヤが同じかは分からないわ。でもね、あの子は聡い子なの。そうでなければ、切嗣の理想を継いだ貴方の味方でいるなんて……言えないと思うの」

 アイリはそう言って微笑む。その(かんばせ)が、やはりイリヤの母親だと思わせる。

 エミヤが先程までに感じていた重圧は、跡形もなく消えていた。

「しかし、なぜ私にその話を?」

「エミヤくんの目が……切嗣に似ていたから。あの人が時々見せてくれた『弱さ』に似た目をね」

 エミヤの記憶に母親の思い出はない。だが母親というものは、彼女のように温かな存在なのかもしれない。

「……礼を言う。ミス・アイリ」

「どういたしまして……かしら。でもね、エミヤくん。ミス・アイリは固すぎじゃないかしら? アイリさんでもいいのよ?」

「いえ、私の中で区切りを付けたら、そう呼ばせてもらいます」

「……そうね。急がなくてもいいから、貴方の抱えているものとゆっくり向き合ってね」

 エミヤはいつの日か、「アイリさん」と呼ぶ時が来るのだろう。

「それじゃあ、エミヤくん。セイバー……じゃなくて、アルトリアさんとはどうなの?」

「……それは……どういう?」

「勿論、女の子として好きかどうかよ! ここに来てから気になってたの」

 先程までの重々しい雰囲気はどこへ行ったのか、水を得た魚のようにはしゃぐアイリを見て、エミヤは違う意味で頭を抱えた。

 




 あの人の息子、あの子の弟、どこかにある可能性の世界なら、一緒に暮らせたかもしれないわ。
 でも、貴方は私の大切な家族よ、エミヤくん。……呼び方はシロウくんの方が良いかしら?

 それにしても……モテモテね……。


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エミヤと平安の神秘殺し





 数日前、酒気にもまれながらも剣呑な雰囲気漂う京の街を正した立香一行。

 次に向かったのは、妖気を纏う岩の要塞──鬼ヶ島だった。三度再会した坂田金時や風魔小太郎の力を借り、一風変わった御伽草子を再演する。

 だが、鬼が居るのは島だけではない。一行がそれに気づいたのは、戦いが佳境に入ってからだった。

 

 とある昼下がりのカルデア、食堂の厨房に一組の男女が居た。

 一方は黒のインナーの上に簡素なエプロンを掛けたエミヤ、もう一方は戦装束に前掛けをしている源頼光だった。

「一時はどうなることかと思ったが、刃物の扱いについては見事という他ない」

 頼光に各国の料理を学びたいと教えを請われ、二つ返事で快諾した料理長エミヤは、カルデアの調理担当に一人ずつ日替わりでコーチすることを通達した。

 今日は最初の担当としてエミヤが厨房に立っているのだが、いざ教えようと指導を開始した数分で、彼は我が目を疑うことになる。

 まず教える側として、教わる側の腕前がどれほどのものか確認する必要があった。簡単な料理を作ってほしいと頼んだところ、頼光は包丁を手に取り、食材を空中に放り投げ、落ちてくるまでの間に包丁を振るって切り分けていた。独学で何年も料理していたためか、手慣れた手つきで太刀筋に迷いが見えなかった。

 彼女の目の前にあるまな板が、落ちてきた食材を受け止めるだけになっていた。ただ悩ましいことに綺麗な切り口であるため、切り方が下手という訳ではない。

 最終的な結果が同じであるから、エミヤとしてはそのままでも良いのではないかと一瞬だけ考えたが、脳裏に「いや、いや、ちゃんと基本から教えようよ」とブーディカの忠告する情景が浮かんだため考え直した。こうして基礎から始めることになってしまったが、元々の筋は良いのか頼光はあっという間に基本技能を習得した。

「先生、私としたことがお手を煩わせてしまい申し訳ありません」

 艶やかな視線を向ける頼光は形から入る性格なのだろう。生徒として教えを請うからか、指導役を先生と呼ぶらしい。

「なに、気にする事は無い。多少の失敗などよくあることだ。

 ──では、基礎課程を終了して次の工程へ移ろう」

 指導と言っても頼光は元々和食の達人であるため、教えるのは海外の料理だった。カルデアのサーヴァントは西洋圏の英霊が多いため、カバーしきれていない国の料理をエミヤが受け持つことになっている。この過程で頼光に作ってもらった料理は夕食に回す予定だ。

「海を越えた先には、私の知らない料理が多く存在しているのですね」

「それはそうだろうな。貴女の知る時代以降も新たな調理法が確立されてきた」

「ですが、またこうして……母として、子に夕餉を振る舞える。何と幸せなことでしょうか」

 心底幸せそうな顔で、頼光は鍋から灰汁を取る。

 その光景を見ながらエミヤは考えていた。マスターの立香には故郷の母親が居るだろう。グランドオーダーの発令から一年が経とうとしており、長い時間の中で両親に会いたいという感情が芽生えてもおかしくはないが、人理焼却の影響でそれが叶う事は無い。加えて、マスターである以上、心配をかけまいとする立香は本心を晒そうとしない。エミヤは冗談でお母さんみたいだ、と言われることはあるが、決して母代わりにはなれない。早い話、母親を知らないため分かるはずがない。その反面、年長としての包容力がある頼光は、立香を年頃の少女として甘えさせることができる。

「やはりそうなのか……」

「どうかなさいましたか、先生?」

 自分に言い聞かせるよう呟いたエミヤの独り言に、頼光は耳聡く反応する。作業の手は止めないあたり抜かりがない。

「……いや、大した話ではないんだが、母親とは如何に大きな存在なのかと理解したところだ」

「エミヤ先生、よろしければお話を聞かせては頂けませんか?」

 言葉の裏に隠された含みを察した頼光は、一瞬だけ考えを走らせるとエミヤに提案する。

「構わないが、今は目下の作業に勤しむとしよう」

 エミヤに断る理由はなかった。

 

 料理教室を終え、夕食までの小休止。食堂のテーブルに対面で座り、紅茶で一息ついていた。

 エミヤは義理の母親と再会した経緯を話していた。

 その話を聞くうちに、会えなくなった状況を想像してしまったのか、頼光は瞳を潤ませていた。

「そうなのですか、初めて御母上と会うことができたのですね。

 私は、我が子である金時やマスターに長い時間会えないと考えただけでも、恐怖で頭がおかしくなってしまいそうです」

「そこまで大切に想ってもらえるとは、金時もマスターも果報者だな」

「ふふふ……ありがとうございます。幾つになっても、我が子は可愛いものですから。あまり遠出をすると心配になってしまいます」

「そうだな。まあ、一般には可愛い子に旅をさせよともいうがね」

「まあ……エミヤさん、マスターはその最中(さなか)ではありませんか?」

「……すまない、私としたことが失念していた」

「何か……思うことが?」

 エミヤの微妙な反応に何かを感じ取ったのか、頼光は疑問を投げかける。、

「ああ。実のところ、旅をさせよというよりも、旅をさせていると言った方が正しい。非常時とはいえ、世界を命運をあの年頃の少女に背負わせるなど、狂気の沙汰としか言えんよ」

「ですが、エミヤさんは最初にマスターのお力になったのでしょう?」

「偶然にも私が先に呼ばれただけだ。仮に貴女が先に呼ばれても私と同じことをしただろう」

「それはどうでしょうか」

 その返答は意外だった。予想に反して即座に否定される。

「……理由を聞いても?」

「ええ。私は怖がりですから、実際にあいまみえることがなければ、私はこちらに招かれる事は無かったでしょう。

 生前は、自身の中で眠る異形の力を知られて慕う者が離れてしまったらどうしよう、そのような妄執に憑りつかれ、金時に悲しい思いをさせたこともあります。鬼ヶ島での愚行を阻止していただいた後、悪鬼羅刹と罵られることを覚悟していました。ですが、立香さんは『誰にでもある』と言ってお許しになりました。奇しくも、あの日の金時と同じように」

 頼光の陰りある一面は、羅生門や鬼ヶ島の騒動で明らかになったことだ。

丑御前(わたし)を受け入れてくださった度量、金時のように優しい子に育ったからこそ、私は我が子(マスター)に会えたのです」

 エミヤはかつてを思い出す。新米マスターの立香と新米サーヴァントのマシュ、まだ駆け出しだった二人と共に、各地の特異点を巡ってきたことを。二人はその過程で多くのことを学び、今ではエミヤの手を借りずとも立派にやれている。いつの間にか自然な流れで特異点に同行することになっていたが、そろそろ指導役を降りるべきかと考えている。

「そうだな。貴女の言うように、マスターは真っ直ぐ成長している」 

 賛同したエミヤだったが、彼の目に映ったのは憂慮する頼光の顔だった。

「……それはそれとして、母には心配なことがあります」

「それは一体?」

「マスターは、我慢しすぎるきらいがあるのです」

 本心から心配していることが頼光の表情から見て取れる。補足するように、彼女は話を続けた。

「他者を(おもんばか)る姿勢は嬉しいのですが、相手を優先しすぎています。

 昨日も寝かしつける私の身を顧みて、心配させまいと振る舞っていました。私がどうしてもとお願いして、ようやく折れてくれるのです」

「……誰かに似てしまったか、心当たりがあって申し訳なさが先立つな」

「そうですね……短い付き合いながら、貴方にも通ずるところはあります。ですが、今はさておくことにしましょう。

 私の目から見ても、マスターは落ち着いた性格だと思います。それが悪いとは申しませんが、少しだけでも自分の意志で振る舞ってほしいのです」

「頼光殿のおっしゃる通りかもしれないな。……マスターの将来を私が潰すわけにはいかない」

「それとですね」

 頼光はエミヤの頭に手を伸ばし──

「よしよし……ふふふ」

「一体、何事だろうか?」

「すみません。私と似た雰囲気(モノ)を感じましたので。

 何も知らぬ私に、貴方の悩みを解消できるはずもありませんが一つだけ。貴方の身を案じる存在がいる、それを知ってほしいのです」

 エミヤは珍しく目を丸くしてしまう。頼光は何も知らぬと謙遜しながら、的確に本質を捉えていた。マシュの言っていた母親の空気とはこのことだろう。

「……そろそろ、夕食の支度をしなければな」

「ふふふ……そうですね。この頼光、腕によりをかけましょう」

 金時よりも慌てずに取り繕ったエミヤは、何事もなかったかのように提案する。その姿を見た頼光は深く追及しなかった。

 




 マスターの健やかな成長を願って、共に支えましょう。
 エミヤさんも、御母上とご自分を大切になさってください。


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エミヤと大江山の頭領

京言葉が間違ってたらと思うと不安。

真の頭領は次回


 刹那の快楽に酔う鬼が居た。

 その生き方に流行り廃りはなく、心の赴くままに振る舞う。決して共感を得られなくとも、それが変わる事は無い。

 

 帳簿を眺めながら自室への帰路についていたエミヤは頭を抱えていた。

 というもの、カルデアは大酒飲みが非常に多いのだが、最近に至っては酒の消費量が尋常ではないほどに多い。禁酒令を出したら後が怖いため、他の対応策を考えている。女性を怒らせたら身が持たない、生前に落とされたテムズ川でそう学んだ。ただし、今更エミヤがそう考えても、もはや後の祭りではある。

 そもそも、悩みの大本の原因はといえば──

「これはまた奇遇やなぁ、赤い兄やん」

 酒呑童子だった。

 彼女、酒呑童子にはスキルとして「果実の酒気」が備わっており、声だけでも思考を蕩けさせてしまう。サーヴァントであれば、酷い状態でも酩酊する程度で拮抗できるが、一般人には文字通り毒となる。幸いなことに、エミヤの体調が悪化することはなかった。

 弓兵は羅生門周辺の酒気で無様を晒したこともあり、レイシフトの終了後、二日ほど寝込んだ。二の轍を踏まないためにも、精神干渉型のスキルで酩酊状態にならないのはありがたい。

 思考を脇道に逸らしたエミヤはそういえばと思い出す。酒呑童子がロマニにシミュレータの設定を無茶振りする場面に立ち会った時、彼は医療部門の関係者でありながら酒呑童子のスキルで思考を乱すことなく、色香に惑わされて悪ノリするだけだった。オペレーターとのお茶の時間でロマニについて聞いた話によれば、前所長であるマリスビリーの助手を務めていたらしい。少なくとも、ロマニは魔術関係の素人ではないことが確かだった。

 そう結論付けて思考を一時中断する。

「私に何か用かね? ……先に断らせてもらうが、食堂の営業は終わっているぞ?」

 大方、酒のつまみでも欲しいのだろうと見当を付けながら、親しい友人のように近づいて来る相手の挙動を観察する。

 酒呑童子は控えめに評価しても、マントを脱いで戦闘態勢になったジャック並に際どい恰好をしている。

 その一方で弓兵は警戒していた。先日の協力者、Mr.ゴールデンこと坂田金時は、カルデア一同に向けて絶対に油断しないよう忠告していたからだ。マスターの安全を最優先にしているため、基本的には中立の立場をとるエミヤもそうせざるを得なかった。彼女は鬼と言うだけあり、天邪鬼な一面もある。

 そのような相手でも、立香の社交性を考慮すれば彼女自身で対処できる案件だろう。しかし、彼女に過度に期待しすぎるのもよくはない。多くの特異点を越え、数多くのサーヴァントと縁を結んだマスターと言えど、等身大の少女に変わりはないのだから。期待で押し潰すわけにもいかない。

 斯くして、酒呑童子は酒豪のサーヴァントと一緒に酒宴を開いており、今の所は平穏だ。

「そないに警戒されると、うちは傷ついてしまうわぁ……」

「そう悲しむ必要はない。君が何もしなければ、私が手を下す事は無いのだからな」

 エミヤが歴戦の英霊といえど、人間の挙動は酒呑童子からすればお見通しなのだろう。

 弓兵は看破されても白を切ることなく、譲歩をしながら返答する。

 無意味に事を荒立てれば、相手の土俵に乗ってしまうと理解している。専ら、頼光と酒呑童子の諍いを宥めることが多い。

「まあ、ええけど。……そうや、うちの晩酌につきおうてほしいなぁ」

「その相手を私に……か、どういう風の吹き回しだ?」

「みぃんな先週は飲みすぎたっちゅうて、人が集まらんもん。いうて一人で飲むのも味気ないやろ? ほなら酒の肴とええ男がおらんかなぁと探しとったんよ」

 随分と遠回しな表現だが、彼女の要望とこうして会いに来た理由を考えれば、エミヤの予想通り一杯付き合えということだろう。彼女の言う「ええ男」に該当するのかは分からない。

「まあ……朝の仕込みのついでに用意できなくもないが……」

「なら決まりやな。楽しみにしとるよ」

 言っておくことは全て話したと言わんばかりに、いそいそと背を向けて去っていく。

 呆気にとられたエミヤは、帳簿を閉じて頭を掻くしかなかった。

 

 あまり待たせるのもよくない、そう思ったエミヤは一人で仕込みを終わらせ、他のメンバーに宛てた書置きを残して食堂を後にした。

 仕込みの片手間に作っておいたツマミを運びつつ、場所を聞いていなかったと失態に後悔しながらひとまず自室に向かったが、部屋の前に見慣れた影があった。

「ようやく来てくれはったねぇ」

 一見して、最初からエミヤの部屋で酒盛りする算段だったということは自明の理だ。

「探す手間が省けたものだが、まず私の部屋でやると言って欲しかったものだな」

「堪忍なぁ。うちがうっかりしてもうて。……あぁ、うちは追い出されてしまうん? 他の女子(おなご)はようても、鬼はいやどす?」

 妖艶な鬼は愉しそうな笑みを浮かべて弓兵を窺う。反応を楽しんでいることに間違いはなく、もしここで拒絶すれば、多少の脚色を施して口外するであろうことは直感が無くともわかる。どちらに転んでも、酒呑童子に利がある。

「ふっ……冗談だ。そこで待たずとも、中に入っていても良かったのだがね」

「それは雅とは言えへんなぁ。今か今かと待つことを楽しむのも、乙なものやないか」

 感性の違いか、はたまた風情に疎いからだろうか、エミヤにはその感覚が分からなかった。

「……このまま問答ばかりでは埒が明かんな。

 すぐに用意するから適当に掛けてくれ」

 部屋に入りながらそう言って振り向くと、エミヤの言葉が終わるよりも早くに酒呑童子は我が物顔で席に着いている。酒は自前の物を用意したらしい。弓兵は苦笑いを浮かべながらも、差し出す準備を整えていた。

 目の前の皿から箸で一口食べた酒呑童子は満足げな表情を浮かべているため、お気に召したと察する。

「ほんまに腕の立つ板前やね。あんたはんのような人なら、うちのお山にも一人くらい欲しいわぁ」

「生憎だが、スカウトは間に合っている」

「もう、いけずやね。……せや、酌でもしまひょか?」

「私は構わんさ。別に呑めない訳ではないが、料理を食べてもらうだけで満足だからな」

「ほんまに欲のない人やね……ああ、それがあんたはんの好みなんやな? 食べとる姿を見るのが好きやなんて」

 酒呑童子は箸を止め、心底愉しそうな顔でエミヤに問いかける。

「ここぞとばかりに曲解をしないでもらいたいものだが……」

「そないに怖い顔せんでもええよ。あんたはんを取って食う訳でもあらへんしな」

 彼女の生前を考えれば当然かもしれないが、さも当然のように物騒な単語が飛んでくる。

「冗談でもヒヤリとするな。私をからかうのは楽しいのか?」

「愉しいかどうか内緒やで。それに……ほんまに冗談だと思うたんか?」

「君が本気だったら私はとうに手負いだろうさ。まあ、生半可な攻撃で負けるつもりもないがね」

「鬼を前にしておきながら威勢の良いことやね」

「これを虚勢だと思うか?」

「おお怖い怖い。怒らせん方が良さげやな」

 言葉とは裏腹に笑みを崩さない酒呑童子は、このやり取りですら愉しいからこそ手を出さないのだろう。

「しかし、なぜ私を誘った? 日頃イケメンが居ないなどと言っていたような気がするが……」

「気ぃ悪くせんでな。ドクターはんもあんたはんも、並よりも上やから。

 せやねぇ……鬼の本質を理解した相手と呑みたくなったってところやね、小僧とよう似とるんよ。危険だと分かっていても、情を切り捨てられんところがな」

 盃を傾けながら、珍しい雰囲気で語り出す。 

「そないな相手と、酒に酔いながら命を奪い合う、肌を重ねながら騙し合う、なんとも乙なものやないか?

 ──あの時もそうやったなぁ。盃に月明りを映した蒼い瞳を浮かべたら、死んでも佳いかと思うたで……そないな顔してどうしたん?」

「……いや、風情があると思っただけだが?」

「そうかいな。今はその言葉……信用したるさかい」

 決して交わることのない平行線だが、金時と酒呑童子は独特の関係があるのだろう。

 揶揄(からか)われながら、エミヤは最後まで相手をしていた。

 

 後日、微小特異点まで酒の買い足しに走るエミヤの姿があった。

 

 




 頼光の大将はんは口煩いものやけど、旦那はんやエミヤはんは面白いからなぁ。
 金時の小僧がいない代わりに愉しませて貰おか。


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エミヤと大江山の真の頭領

 古来より伝わる大江山の重鎮、勝手気ままな烏合の衆である鬼を纏める手腕は誰が有していたのか。

 

 黒いインナー姿のエミヤは、お菓子作りのために食堂へ向かっていた。珍しく、ナーサリーやジャックとのお茶会で提供するお菓子を切らしてしまったからだ。

 その彼の顔は険しかったが、レシピに困っている訳ではない。同じお菓子が連続しないよう予め考えているし、足りない材料は特異点まで調達に向かっている。

 では、一体何がそうさせる原因なのかと言えば、尾行してくる気配があるからだ。その相手に気付かれないように一瞬だけ背後に視線を向けると、予想通りの英霊が居た。

 第一印象が髪から着物までが金色の少女──厳密には鬼の少女だが、その真名は茨木童子で、何度か敵対したことがあるサーヴァントだ。

 大江山を治めていた鬼の頭領は酒呑童子である、広く伝えられた伝承にはそう記されていたが、真実はそうではなかった。茨木童子こそが大江山の頭領かつ首魁であり、鬼の軍勢を纏め上げていた張本人である。伝承と異なる理由は、実際に相対した立香達の納得がいくものだった。

 酒呑童子は良くも悪くも鬼らしい。気の向くままに人を襲い、酒を飲む、自由奔放な彼女は鬼を束ねるような立場に興味がなく、束ねる気もない。その一方で、茨木童子は鬼らしくない鬼という形容詞が当てはまるほど人間味のある鬼だった。人より強い鬼も、個では人間の集団に押されてしまうことを憂いた彼女は、率先して鬼を束ね大江山に御殿まで構えた。そうなると、鬼という恐怖の存在として強く印象に残るのは酒呑童子の方であり、そちらの面だと茨木童子の印象はどうしても押し負けてしまう。ただし、彼女は慎重派ではあるが、羅生門では真面目さが祟り、酒呑童子の無茶振りに付き合わされて騒動を引き起こしていた。しかし、その状態でも酒呑童子には頭が上がらないらしく、強く出ることができない小心さが垣間見えた。

 話を戻し、エミヤがなぜ正体を予想できたかと言えば、足音などの音は消していても彼女の気配が隠しきれていなかったからだ。以前から、カルデアの女性陣は交流の中で気配遮断の基本を嗜んでおり、新参のサーヴァントも数日で修めている。頭を悩ませており、独学で気配を察知できるよう努力していたエミヤがぎりぎりの所で知覚できるということは、所属してまだ日が浅いということに他ならない。

 それに該当する者は二名で、そのうちの一人である酒呑童子なら尾行する以前に正面から堂々とやってくる。

 食堂とエミヤの自室を繋ぐ通路も中盤に差し掛かっており、どこまでついてくるのかまでは想像できない。放っておけば、このまま最後までついてきてもおかしくはないだろう。

 足を止めずにしばらく考え込んだエミヤは、奇策に打って出る。

「──そこに居るのは分かっている。姿を見せたらどうだ?」

 そう言って振り向く。彼女の性格が弓兵の把握している通りだったら──

「……なっ!? …………くくく、ははは、今更(われ)に気づいても遅いわ! (なれ)は獲物として捉えられたのだからな。存分に怖がるがいい!」

 振り向かれたことに驚く茨木童子だったが、呆けていたのは僅かな時間だった。いつも通りの調子を取り戻すと、エミヤの思惑通りに乗ってくる。

「ほう。……では全力でお相手するとしよう」

「だっ、だがな! 今すぐ取って食う訳ではないぞ。吾に供物として甘い菓子を献上すれば見逃してやらんこともない」

 急変した弓兵の雰囲気を感じ取ってか慌てたように取り繕うものの、鬼の少女はそれでも余裕を崩さない。それもそのはずで、茨木童子は常日頃から相手に見縊られないよう口調を変えていることが分かっており、その心掛けはエミヤにも似通ったところがある。

「そこまで言われてしまっては、聞かぬわけにはいくまい。私も命が惜しいからな。

 ──まあ後をつけずとも、気兼ねなく言ってくれればいつでも作るのだがね」

「……まさか最初から気付いておったのか? その上で吾を謀ったのか? ええい、これではただの道化ではないか! 剣呑な雰囲気を出しておきながらさっさと矛を収めよって」

「依頼には全力を尽くすのが私の性分でね。気合を入れすぎて驚かせてしまったことは否定しない。杞憂に越したことはないが、てっきり言いにくいことがあるのかと心配していたからな」

 朗らかな表情を浮かべるエミヤに対して、茨木童子はまんまとしてやられたことで悔しさを噛みしめていた。

「吾を辱めようとするとは、汝の言うように気合を入れて作ってもらわねばならぬな。万が一に不味いものを出したらどうなるか分かっておるな?」

「心配には及ばんよ。私は料理に関して一切の妥協も嘘も許さない。

 ──しかし、珍しいものだな」

「弓兵よ、何が言いたい?」

 エミヤの突然の切り返しに訝しんだ茨木童子は聞き返す。

「いやなに、酒呑童子は一緒ではないのかと思ってね」

 弓兵の疑問は尤もなものだろう。その言葉通りに、茨木童子と酒呑童子は二人で揃っていることが多い。酒呑童子は食客として迎えていた頃からの付き合いであり、茨木童子は肩を並べる強さを持つ彼女を尊敬し慕っている。

 主に酒呑童子が茨木童子をいじっているのだが、エミヤはいがみ合いが起きないことから両者なりのコミュニケーションであると推測していた。

「……別に誘えなかった訳ではない。酒呑がマスターと一緒にどこかへ行ってしまって、一人でいることが退屈になったからではないからな」

 身長差のあるエミヤの視点からでも、少しだけ拗ねている様子が窺える。一言が多く語るに落ちているのだが、そこは触れないことにした。仕方のないことだと分かっていても、一緒に連れて行ってもらえないことは不満なのかもしれない。やはり、心底惚れこんでいるのだろう。酒呑童子が還ってきたら、瞳を輝かせて一番に会いに行くのは間違いない。

 エミヤがそこまで想像した時、ふと頭に浮かんだ。酒呑童子はわざと茨木童子を置いて行ったのではないだろうか。喜んで駆け寄ってくる茨木童子の表情を見たいが為に。

「……いや、考えすぎか」

 流石に邪推の極みというものだ。偶然そうなっただけで酒呑童子が策を巡らせた形ではないだろう。

「立ち話も仕舞だ。早う用意せんか」

 幸いにも、茨木童子は急かすだけで、エミヤが聞こえない程度に呟いた声は聞こえなかったようだ。

「よかろう……といいたいところだが、私としては君の力を借りなければならんな」

 

 当初の目的だったお茶請けの片手間に作ることになったが、エミヤの基準からすると労力はそこまで問題ではなかった。

 甘いお菓子としてチョコレートを選択した茨木童子は、節約するために材料となるカカオを特異点で調達してきた。材料や加工法が限られる土地での料理経験があるエミヤは、それを十全に発揮して難なく甘いカカオチョコレートを作り上げた。

 カウンターに行儀良く座りながら、その出来上がったチョコレートを頬張る茨木童子だったが、些か不服そうな顔をしていた。

「おかしくはないか? 献上の品で甘いちょこれーとを食べられるはずだったのに、なぜ吾も行かねばならなかったのだ」

「一応理由があってね。この前の会議で決まったことなんだが、節約の為に素材を現地で調達しなければならなくなった。このレイシフトについては、マスターとドクターロマンから許可を得ている」

「まったく、随分と根回しの良いものだな」

「そう怒るのも無理はないが、君も経験があるのだろう? 多少の違いはあるのかもしれないがね」

 不測の時代に備え、このレイシフトは二人以上での行動を原則としている。そして、食べるためには働かねばならない。茨木童子もこの道理には返す言葉もなかった。

「終わったことは仕方がない。これ以上の不満は飲み込んでやろうぞ」

「それはありがたい」

 調理台から覗くエミヤは、半分ほど消費されたチョコレートを見て苦笑いしていた。

 

 この後、茨木童子がナーサリーとジャックに連れられてお茶会に参加するようになったのは、また別のお話。

 

 




 尾行は気付かれたが、酒呑の言っていたことはやはり間違いではなかったな。人間の癖に人間らしさがない。それは関係ないか。
 甘い菓子どころかなんでも拵える板前など、喉から手が出るほどに欲しいわ。是非とも山に持って帰りたい。


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不在のエミヤと第八次乙女協定

 今回の談合を無事に迎えることができた。それは即ち、一つの特異点を修復できるほどの時間が経っていることでもある。知らぬ間に早く過ぎたことを、立香は身を以って実感していた。

 もはや懐かしい記憶を思い返せば、魂が監獄に囚われたり、レイシフト早々流れ弾で負傷したりと、ただならない事態に陥ったこともあった。

 その一方で、悠長にそんな感想を抱いている場合ではないということも分かっている。魔術王の配置した聖杯は、五つを回収して尚まだ二つも残っているのだ。カルデアに与えられた猶予は残り半年しかない。2015年以降が失われた人類の歴史は──

 

「表情が険しいです……何か考え事をしているのですか、マスター?」

 そこまで深く考えていた訳ではなかった。呼びかけに意識が向き、聞き覚えのある声に気付くと、俯きがちだった立香は一瞬で顔をあげる。

 彼女の思考を断ち切ったのは、心配そうな顔をしている頼光の声だった。

「あ……ご、ごめんなさい、頼光さん。少し考え事をしていて……」

「母と呼んでも構いませんのに。ですが……今はさておくことにしましょう。

 差し出がましい物言いをお許しください、気負い過ぎては己の為になりませんよ。いつの日か、マスターが無茶をするのではないかと……母は……今から心配になってしまいます」

「頼光さんの言う通りね。私たちが居るんだから、貴方は一人でそんなに悩まなくてもいいのよ。……あの人みたいに……ね」

 一言も説明するまでもなく、何で悩んでいるのか簡単に看破されてしまった。

 今更になって大事であると認識し、無意識に重く受け止めていた。それによって、力を貸してくれるサーヴァントに気を遣わせてしまった。

 瞬く間に涙を浮かべ、今にも泣き出しそうな頼光を立香は宥めていた。

 その途中で、アイリスフィールにも視線を向けると、彼女は赤い瞳に立香を映しながら、どこか遠くを見ていた。

「……で? マスターちゃんが私たちを集めた理由は、いつになったら説明してもらえるのかしら?」

 頼光の様子が落ち着いた頃、沈黙を保っていたジャンヌ・オルタはようやく口を開いた。

 卓袱台に頬杖をつきながら、不機嫌さを隠そうともしない。それに比例した口調は若干威圧的だが、立香の手が空いた時を見計らった上で発言しているため、マスターを大切に想っていない訳ではない。それに、大人しく着座している時点でそれが証明されている。

 仕切り直しを要求したジャンヌ・オルタの確認で気を取り直し、三名の顔を見渡す。

 今回参加したのは三名だった。というのも、ブリュンヒルデに声を掛けると、

『シグルドが……二人? そうなってしまったら、私は…………とても困ります』

 と彼女自身が参加を固辞し、酒呑童子と茨木童子は、

『源氏の大将はんが煩いからなぁ……まあうちらはそれに関しては邪魔せんから、旦那はんは自由にしはってええよ』

『そうだぞ。吾には思いもつかないが、酒呑はなにか凄いことを考えついているのだ!』

『……茨木は少し黙っとこか』

『しゅ、酒呑!?』

 と、おそらく中立の立場を表明したため不参加だった。 

「うん。今から説明するね──」

 毎度の事ながら長い概要だが、一言に要約すれば『みんな仲良く』だった。

 

「エミヤさんは皆さんからとても慕われているのですね。私も常日頃からお世話になっております」

 料理教室で指導を受けていた頼光は、朗らかな笑顔で語る。

 立香も頼光の拵えた試作品の洋食をご馳走になったが、方向性は違えど、エミヤの作った料理と遜色ない出来栄えだった。

「そうね、嬉しいことなんだけど……私はとても複雑ね。そう……いろいろな意味で……ね」

 頬に手を添え、困惑の笑みを浮かべるアイリは、アルトリア達の内心を知るために素直に喜べない。カルデアの英霊達とお話しするのが好きな彼女は、自然と情報を仕入れていた。

「……ふん。やはりそういうことでしたか。そんなにも粉をかけるのが好きだなんて……とんだ色男でしたね」

 そんな中、ジャンヌ・オルタは鋭い目つきで口角を釣り上げていた。彼女の発言を聞き終えた立香は、ふと疑問に思った。

「……ジャンヌはエミヤのことをそういうふうに思ってるの?」

「今更何を言うのかと思えば……当然です。そんな男を好きになれと?」

「別に好きかどうかは聞いてないよ、ジャンヌ」

 正攻法でジャンヌ・オルタが素直になる訳がない。邪道かもしれないが、あっけらかんとしたように立香は手札を切る。思惑を察したのか、ジャンヌ・オルタの表情が変わり始めた。笑顔の立香を見つめながら、だんだんと眼を見開いていく。

「全く……困ったちゃんなマスターね」

「ごめんね……ジャンヌが本当はどう思ってるのかどうしても知りたくて」

 ため息を一つ吐き、ジャンヌ・オルタは苦言を呈した。

 早々と謝罪した立香だったが、ジャンヌ・オルタの声色に怒気は含まれておらず、むしろ冗談を言い合う友人のように親しげだった。

「そこまで言うのなら譲歩してあげましょう。ええそうですよ、マスターちゃんのご想像通り……色男の甘い毒に中てられたのよ。これで満足かしら?」

「それって……最初からそう言ってもよかったんじゃない?」

 ジャンヌ・オルタからは予想以上に素直な回答が返ってきた。そこまで言い切れるなら出し渋る必要もなかったのではないのかと、立香は別の意味で驚いた。

「ふふ、お二人は仲がよろしいのですね、母は嬉しいです」

「そうね……ここにも居たなんて、私びっくりしちゃったわ」

 我が子のように可愛く思う立香が、ジャンヌ・オルタと良い関係を築けていることに、頼光は安堵の笑顔で見守る。

 その隣で先程と同じように困ったような笑顔をしたアイリは、頼光の発言とは違う意味も含ませて呟いていた。

「仲が良いだなんてそんな訳ないでしょう。冗談も休み休み言いなさい。

 ──ただ単に……マスターのサーヴァントとして、当然の振る舞いをしているだけです」

 直接の指摘を受けても、やはり本心を表に出さないジャンヌ・オルタは、視線を逸らして()なした。かえってそれが照れ隠しに見えたのは、立香だけではなかった。

 

 それからはお茶を飲みながらお菓子を食べ、頃合いを見て解散した。しかしながら、雑談でも話し込みと長くなってしまうのはよくあることだ。

 部屋に一人残った立香は片づけを終えると、マシュの部屋に向かっていた。明日のレイシフトについて急遽打ち合わせが決まったため、いつものように合流するからだった。協定の日と被ったのはそれが理由にある。

「あ──先輩、お待たせしました」

「それはこっちの台詞だよ、マシュの方が早かったね」

 立香が辿り着くよりも早く、マシュは部屋から姿を現した。嬉しそうな笑顔を見せるマシュに返事をしながら、今回は出遅れてしまったと感想を残す。いつもであれば、立香の方が先だったからだ。

「そういえば、ロマンも慌ただしいみたいだね。今日の打ち合わせも午後になってから通達されたし」

「はい……急を要すると念を押されましたが、ドクターがあわてんぼうなのはよくあることです。ですが、いざという時には冷静さを欠いたりしませんから、それで帳消しなのでしょう」

 二人で並んで歩きながら管制室を目指し、他愛のない雑談に興じる。

「それにしても、先輩といっしょに旅を始めてから随分と長い時間が経ちましたね」

「うん。本当に最初は勝手が分からなかったから、マシュやエミヤに引っ張ってもらったし。

 初めてエミヤ無しで決断した時は正直……マスターの責任に負けそうだったよ」

「やっぱり先輩は凄いです。わたしはまだまだエミヤ先輩の後ろに隠れがちでしたが、先輩はそれを乗り越えてきました。マスターのサーヴァントとして、わたしはもっと精進しなければなりません」

「マシュならすぐに追いつけるよ。いっしょに頑張ろう」

 窮地に陥っても、心持一つで前に進むことができる。今回は立香の方が早く気付いただけだ。

 人一人には重すぎる目的を背負ってはいるが、なぜ投げ出したりしないのか、その理由はとっくの昔に分かっていることだから。

「はい。それに先輩……不謹慎かもしれませんが、わたしはこの旅が楽しいです。

 悲しいことや辛いこともありましたが、それに負けないくらいの喜ばしいことや嬉しいことに出会うことができました。敵味方を問わず、英霊方の鮮烈な人生を垣間見ることができました。

 ──この先も、先輩やエミヤ先輩……と……」

「マシュ──?」

 唐突に違和感を抱いた。会話が急に途切れそうになったことに疑問を持ち、立香はマシュの方へと振り向く。

 呆気にとられた表情で、本人すら何が起きているのか分かっていないようだった。

「あれ……わたし、立って……られ…………ない」

 それを最後に────マシュは力なく倒れた。

 

 慌てながらも、立香はロマニの元へマシュを連れて行き、そこで衝撃の真相を知ることになる。

 

 





 早暁の紅掛空色が覆う草原に、一人の男が居た。
 その人物は、白を基調としたローブを纏い杖を突く、さながら魔法使いのような風貌で、ある騎士を見送った後だった。
 かつて些細な動機で犯した大罪、それを償うために永劫の時を彷徨った騎士は、人生最後の旅に出たのだ。その代償で、想像を絶する死の恐怖を味わうことになっても、決意は揺るがなかった。
「敢えて言わなかったけど、餞別はアレ(・・)だけではないんだ。でも、必ず会うことになるだろう。不完全な継承だったが、剣には鞘がつきものだからね。
 ──良い旅を……ルキウス」


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エミヤと聖槍の騎士王

二話分纏めたので長めです。


 砂漠を支配する古の(ファラオ)、聖地に君臨する獅子王、二大勢力に振り回される山の民。各地を巡り、歴代ハサンの力を借りた立香一行は聖都の攻略に挑む。

 行く手に立ち塞がる祝福(ギフト)を受けた円卓の騎士を倒し、とある騎士の悲願を果たす為に足を止める事は無い。

 その先で、真名を得た盾の少女は白亜の城を顕現させる。忠節の騎士は、仕えた騎士王の為に獅子王を殺す。そして赤い弓兵は、彼女の成れの果てが創り上げた究極の理想に相対する。

 

 食堂で作業していたエミヤが部屋に戻ったのは、予定よりも遅い時間だった。今日に限って雑談に誘うサーヴァントが多く、ついつい話し込んでしまった。

 少しばかり反省しながら自室に辿り着くと、部屋の前で佇む女騎士を視界に捉える。

「来ましたか……アーチャー」

 ランサーオルタを裏とすれば、このアルトリアは表と呼べる存在である。

 兜を外しているため、凛々しい顔立ちを余すことなく認識できる。聖槍を振るったために成長したその姿は、大人になったアルトリアともいえる。愛馬のドゥン・スタリオンはラムレイ同様、部屋で留守番役を任されているらしい。

「珍しい客人もあるものだ。いつから待っていたのかは分からないが、部屋の中で待っていればよかっただろう」

「先程来たばかりでしたから心配には及びません。そもそも、サーヴァントにそのような気遣いは無用では?」

 訝しげな顔をするランサーのアルトリアから、尤もな返答をされる。

 先客が居ることに慣れ過ぎてしまったが、とりあえずエミヤはその事実を脇に置くことにした。そして、提案するのはいつもの誘いだった。

「だが、少しとはいえ待たせたのは事実だ。茶の一杯くらいは振る舞わせてくれ」

 

 ソファに座る白銀の騎士に紅茶を差し出すと、弓兵は対面に腰掛ける。

 それを見届けたアルトリアは、眼差しをカップに向けるとおもむろに口に運んだ。

 彼女が感想を述べる事は無かったが、飲む姿を眺めていたエミヤは、アルトリアの眉が微妙に変化したことを見逃さなかった。

「その様子では喜んでもらえたようで何よりだ。

 ──紅茶のお供にクッキーなどは如何かな?」

「……遠慮なく頂きましょう」

 確証もない予想だったが、答えは芳しいものだった。それを聞いて、事前に用意しておいた皿を差し出す。さり気なく勧めたお茶請けだったが、アルトリアは何度も手を伸していた。別人でも味わって食べてもらえるなら、エミヤは満足だった。

 皿のクッキーが半分に減ったころ、アルトリアは襟を正すように切り出した。

「訊ねた用事を済ませましょう。

 お聞きしたいのですが、なぜアナタは私を避けるのでしょうか?」

 アルトリアはいつも通りの冷静な表情に戻していたが、彼女の口から出たのは意外な質問だった。気付かれないとは思っていなかったが、ここまで早いとは想像していなかった。

 弓兵には目の前の騎士と顔を合わせ辛い個人的な事情があり、それを覚られないよう振る舞っていたのだが、努力の甲斐もなく返って裏目に出ていた。

「やむにやまれぬ……という奴だ。だが、気を悪くしたのならば謝罪しよう」

「本当にそうなのですか? ……いえ、今はアナタの言葉を信じるしかありません」

 不信感は完全に払拭できなかったが、仕方のないことだった。今のアルトリアには関係があって、関係のない話だからこそ説明がし辛い。

 そうなった事の起こりは先日の特異点にまで遡る。

 

 数多くのサーヴァントに協力をこぎつけて聖都に攻め込み、何かと縁のある太陽の騎士を紙一重で下すと、立香達と並んでエミヤは玉座の間に踏み入った。

 騎士王と共に駆け抜けた鮮烈な時間を、今ならば克明に思い出せる。圧倒的な威圧感と存在感を放つ女神を前にして、一瞬だけ物思いに耽ってしまった。

 騎士王の理想は民のためにあった。彼女自身の幸せを顧みることなく、故国の為に聖杯を──一個人の存在と引き換えに選定のやり直しを求めた。

 共に過ごしたのは短い時間だったが、その間だけでも分かるほど、騎士王(アルトリア)という少女には危うい部分が確かにあった。別の存在であってもアルトリアという少女に違いはない。

 彼女は神霊に成り行く過程で最初の想いが欠落し、選ばれた人間を保存できればそれでよいという超越的な思考に落ち着いていた。思い上がりも甚だしいとエミヤには分かっていたが、彼女の理想を知る者として、『答え』を得た者として、獅子王に相対しなければならない。

 しかし、神へ至った獅子王を打倒するのは、エミヤ一人でなしえないことだった。聖槍に関する前情報はあれど、相手側の獅子王一人に対し、ベディヴィエールを含めたカルデア側は複数人でようやく拮抗する戦力だった。スカサハやランサーオルタのアルトリアと訓練を重ねていなければ、早々に全滅していただろう。息をも吐かせぬ苛烈な戦闘により、各々のサーヴァントは幾度となく傷を受け、エミヤに至ってはマスターの立香を庇った際に手酷く負傷していた。予言通りに現れたカルデアを前にして、油断なく押し切ろうとした獅子王──女神ロンゴミニアドは、真名開放した聖槍で畳み込もうとしていた。

 その絶望的な戦局を変えたのは、決意を固めたマシュだった。名探偵に与えられた英霊の真名と共に、盾の真の力を開放した。その防御は真名開放されたロンゴミニアドを完全に防いでいた。それは同時に、騎士ベディヴィエールにとって千載一遇の好機だった。ほんの一瞬だけ無防備になった獅子王に死力を尽くして肉迫すると、自身の生命と引き換えに聖剣を返還した。

 確かに聖槍は消え去った。だが、文字通りの決死の覚悟により、彼は千五百年の時を越えた代償として、体が砂に変わりつつあった。それなのに、死を前にしても穏やかな顔で安堵し、肩を並べて戦った時間を一生忘れないと立香達へ感謝の言葉を贈り、ベディヴィエールは人生に幕を下ろした。

 犠牲は決して小さいとは言えなかったが、カルデア陣営の勝利だった。聖杯を手に入れた段階で、特異点の原因を排除するだけだった。

 先程の死闘で玉座近くの壁に打ち付けられたエミヤは、回復しつつある体を壁に預けて、帰還の始まりを待っていた。それ故に動くことなく、立香達の動向を見守っていた。弓兵の視力が捉えた光景では、聖剣を手にした獅子王は勝ち逃げされることを不服そうにしていた。

 それを見ながら、考えることがあった。今際の際のベディヴィエールが視線を合わせてくれた時、何かを託された気がしていた。それが気がかりだった。

『敗北というものは──如何様にも形容しがたい感情だな』

 いつの間にか立香達との話も終わっていて、その後は玉座に帰ると思われていた獅子王はエミヤに近づいて来た。彼女から殺気を感じることもなく、不思議と憑き物が落ちたように見えた。

『逆境でも挫けない心は人間の最大の武器であり、強敵を打倒し得る強さに他ならない。神霊を上回ってもおかしくはないだろう。

 ──マスターもその一人だ。そのような人物と契約できたのだから、私としても自慢の一つにはなる』

『マスター……か……その選択は私には考えもつかない。

 ──だが一つだけ分かることがある。その強さとやらには、貴公も関わっているのだろう?』

『……どういう意味かね?』

『この場では分からずともいい。今の私ではない──私の鞘よ』

 質問の意図が分からなかったエミヤの問いかけに、獅子王は更に気になる発言をした。そして、立香の方に顔を向けると、よく通る声で宣言した。

『カルデアのマスターよ、気が変わった。勝ち逃げではなく痛み分けにさせてもらおう』

 そう言って向き直った獅子王は、優しくエミヤを引き寄せると──

『────ええっ!?』

 モニター越しのロマニが、「これは……不味いかもね」と言うなど、驚きの声がエミヤの耳に届いた時、獅子王の顔は目の前にあった。

『……何の恩恵もないが、餞別に私からの祝福(ギフト)だ。

 敗れはしたが、今も私の理想が間違っていたとは思わない。そして……ベディヴィエール卿の旅もな』

 エミヤから離れながらも言葉を続ける。

『皮肉なものだ。聖槍を手放した瞬間に全てを理解したのだ。しかし、この私には(それ)を持つ資格がない。理想と共にここで終わる身だ。

 だから──私を導いて欲しい』

 最後の願いを発した時に、獅子王(アルトリア)は初めて微笑んだ。それを見てしまったエミヤは、玉座に向かう獅子王の横顔から目を離せなかった。

 ランサーのアルトリアが召喚されたのは、帰還して日が浅い時だった。獅子王ほど人の身を越えてはいないが、雰囲気を含めてよく似ていた。

 最後の願いであった「導いて欲しい」はどういう意味を持っていたのか、真相が明らかになる事はもう無い。

 

 エミヤはこれまでの情報を纏めていたが、どういう説明をすべきなのか言葉に迷っていた。

 ここは、気まずかったので顔を合わせ辛かった、と正直に言おうとしたが──

「返答に悩んでいるようでしたら、この件は終わりにします。アナタの言葉を信じると言ったばかりですから」

 助け舟を出したのは、ランサー(アルトリア)本人だった。

「こちらとしてはありがたい話だが、君はそれでいいのか?」

「ええ。代わりと言っては何ですが……一つだけお願いがあります。今後は私のことを避けないでほしいのです」

 エミヤと目を合わせて芯のある声で言った。冷静な顔でさらりと言われたため、どう反応すべきか分からなかった。

「本当のことを言えば、私はマスターと一定の距離を置くつもりでした。自分でも人間性が希薄だと思っていますし、聖槍の影響で価値観がずれてしまった以上、アナタたちの言う獅子王のように、その相違でむやみに傷つけたくなかったのです。

 ──ですが、止めることにしました」

「先程の発言と関係があるのか?」

「大いにあります。アナタに避けられているのではないかと考えた時、胸の奥が痛みました。おそらく、かつての私が抱いた悲しいという感情だったのでしょう。なら、マスターに同じ思いをさせたくはありません」

「それにしても……しがない弓兵をそこまで気に掛けるのかね?」

「アナタは自身をそう称しますが、それは違います」

 甲冑越しに胸へ手を当てて、アルトリアは続きを話す。

「アナタとは……初めて会った気がしないのです。何かの導きと言えば都合が良すぎますが、カムランの丘で聖槍を返還した時に受けた天啓と同じでした。神に至ることなく人から外れて久しい身ですが……私は……アナタから得られる感情を見極めたい」

 初めて柔らかい雰囲気を纏った。

 冷静な顔でもなく、冷酷な顔でもなく、一人の女性としての素顔を見せている。それを見たエミヤに断る選択肢はなかった。

「……まずは約束についての返事をしよう。君のことを避けるような真似はしない。悲しませるのは私としても本懐ではないからな。

 後のことについては、気の済むまでやってみるといい。私はそれで構わないさ」

「ええ、これからもよろしくお願いします。それとですね、アーチャー……」

「今度は何かな?」

「他の私のように、呼び方を変えてもいいでしょうか?」

 真面目に許可を求める様子に苦笑しながらも、弓兵はまた決まった答えを返す。

「それこそ、好きに呼ぶといい」

「分かりました。これからもよろしくお願いします───シロウ」

 

 獅子王の理想もベディヴィエールの旅も間違いではなかった。

 エミヤの目の前に居る彼女との出会いもまた、間違いではないのだろう。

 ある一人の騎士が座に迎えられたのだから、当然の話だった。

 

 

 




 しがない弓兵など謙遜が過ぎます。
 誰でも良いわけではないのです。言えなかったのですが、好ましい相手に嫌われたら……私だって傷つきます。

 力に頼らず、アナタを手に入れたい。
 


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エミヤと天空(冥界)の神

 一人になってしまった(ファラオ)には、本心を吐露する機会がなかった。

 

 閑散とした食堂で一人、エミヤは夕食の仕込みをしていた。人の輪の中に居ることは彼にとって嫌という訳ではないが、無意識の内に一人になってしまう。多少改善された相手の気持ちを受け取ることとは、また別の問題だったからだ。

 ただ、このカルデアで一人になることは難しい。

 エミヤがふと視線を感じて入口の方を見ると、褐色肌の少女が目に映った。その人物は、こちらの様子を窺うかのように半身だけを現しており、目線を逸らしているその姿から、どうやって弓兵に声を掛ければよいのか戸惑っているようにも見えた。

 正体に見当はついている。エジプト由来の薄着と頭に付けられた特徴的な飾りを見る限り、女王ニトクリスに間違いはない。

 お互いに動きがなく、膠着状態では埒が明かない。この現状を打開するため、一計を案じたエミヤは、未だ接近に気付いていないほど悩んでいるニトクリスへゆっくりと近づく。

「──失礼。女王自ら御足労願えると思わなかった。我が身の非礼を許していただきたい」

 膝をついて頭を垂れつつ、なるべく驚かせないようにしたのだが、ニトクリスは小さい悲鳴を上げると恐る恐るエミヤを見上げる。しかし、その直後にハッとした様子で態度を直した。

「……(ファラオ)に対する不遜な物言い、本来ならば不敬に値します。……ですが、今回はその殊勝な態度に免じて赦しましょう。

 ただ……相談というか、意見を聞きたかったというだけですからね」

 言葉だけならば威圧的だったが、口調からは怒りが伝わってこなかった。思わぬ事態にならなくて良かったと、エミヤも安堵した。

「そういう訳なら、立ち話するわけにもいかない。席まで案内しなければな」

 

 話があるのなら、飲み物はあった方が良い。そう考えたエミヤが紅茶を淹れて戻ってくると、ニトクリスは食堂の椅子で思案顔をしながら座っていた。何かに悩んでいるということは、弓兵の目にも明らかだった。とりあえずカップを差し出すと、女王は手に取って口に運ぶ。

「……これが紅茶というものですか。初めて飲みましたが、芳醇なものですね」

「こちらで癖のないものを選ばせてもらった。お気に召したのならば何よりだな」

 一口で大きく表情を変えたニトクリスの様子を見て、エミヤはほくそ笑んだ。

「先程までの殊勝な態度はどこに行ったのです? まったく、貴方は貴方で変わりませんね。それが少しだけ羨ましいです。…………いや、私は何を言って!? ──い、いいですか、先程の発言は直ちに忘れなさい」

 慌てて訂正するニトクリスは口が滑ったのか、はたまた知らない仲ではないからこそ自然と口を突いてしまったのか。どちらにせよ、独り言は自らの意志ではなかったらしい。

 焦りながら要求を通そうとする彼女には申し訳なかったが、悩みの種がそこにあると予想したエミヤは敢えて追求することにした。

「さて──どういう意味かな?」

「うう……どうしても忘れないつもりですか。

 こうなれば仕方がありません。同盟者──立香のサーヴァントだからこそ特別に話すのですからね、心して拝聴しなさい」

「案ずることはない──無論そのつもりだ」

 今まで立っていた弓兵は、ようやく対面に座り腰を据えて女王の話を聞く姿勢に入った。

 心の準備のために機会を窺っていたニトクリスは、一度深呼吸してから話し始めた。

「私の経歴についてはご存知でしょう。ファラオ・オジマンディアスのように後世まで伝わる輝かしい偉業を為したわけでもなく、ファラオ・クレオパトラのように国と最期を共にしたわけでもありません。生前に為したことは、兄弟の敵を討つための復讐だけでした。

 神へ至る者の称号をあまつさえ復讐の道具にした私は……(ファラオ)に相応しくないのです。だからこそ、どの世代の(ファラオ)にも劣っています」

「疑っているわけではないが、必ずしもそうとは限らないだろう?」

「いいえ、私が英霊として座に至った時点でその証明になっています。(ファラオ)でありながら死者復活の準備を怠り、自ら永遠の国に至る権利を手放したのですから。……早とちりしてしまうのも、生前の行いが祟ったのでしょう」

 エミヤの問いに対して、ニトクリスは王として相応しくないと(かたく)なに否定した。だが、彼はそう思えなかった。

 山の翁の一団に攫われていたところを救出して、初めて顔を合わせた際、目を覚ましたニトクリスは立香一行が誘拐したのだと早とちりしていたが、誤解が解けてからは立香が砂漠を移動する度に助力を惜しまなかった。

 オジマンディアス王との謁見後に食料を分けてくれた時は、ささやかな忠告を伝えてくれたし、ランスロットの一団に追われていた時は、魔術による幻影で相手の気を引いてくれた。

 そもそも、オジマンディアス王の勢力は獅子王と拮抗していて、当時はまだカルデア側と協力関係でもなかった。第三勢力である立香達への支援は、オジマンディアス王に仕えていたニトクリスの立場を悪くする可能性があった。

 つまり、少し交流しただけで見ず知らずの他人だった立香達に情が移ってしまうほど、ニトクリスは情に厚い女性なのだ。そして情に厚いからこそ、親しい相手の命が奪われれば苛烈なまでの負の感情を抱いてしまうのだろう。

 ある言葉で表すのなら、情けは心の贅肉と言えるのかもしれない。でもそれは、不必要なモノではないはずだ。この言葉を投げかけた本人ですら、心の贅肉を捨てることはできなかった。だからこそ、エミヤシロウは一度目の死から生還できた。

 そして、一番の気がかりは他にある。

「……私は誇りのない身だが、一つ聞かせてほしい。君は──(ファラオ)になったことを後悔しているのか?」

「──へ?」

「先程、君は自分が相応しくないと言っていたが……それは真実だろうか? ニトクリスという女王は存在するべきではなかった、と」

 手を組みながら鷹の眼を向けて問いかけるエミヤに対し、ニトクリスは完全に不意を突かれていた。

 直ぐに返答する事は無く、熟考しているのかしばらく沈黙していたが、そう長くはなかった。彼女の持ち前の聡明さで冷静になると、弓兵と視線を合わせて答える。

「そのようなことを聞くとは不敬です……と言いたいところですが、貴方にそう言われても仕方がないでしょう。ですが、(ファラオ)になったことだけは後悔したことがありません。どんなに無様な末路であったとしても、王であった事実は我が誇りです。

 ……しかし解せませんね、なぜそう思ったのですか? 後悔しているなどと……」

 今度はニトクリスが質問する番だった。察しの良い彼女ならば、そう来るのは自明の理だった。

「つまりは簡単な話だ。私は英雄になったことを後悔している……いや、後悔していた」

「……過去形なのですね」

 ニトクリスは言葉尻に隠された意味をしっかりと捉えた。それを覚ったエミヤは話を続ける。

「ああ、私はやり方を間違えていただけだった。ただ、君のように最初から後悔していないと言えればよかったのだがね」

 そう言いながら遠くを見るエミヤの姿を見たニトクリスは、自然と腑に落ちる物があった。彼も、似たような考えを抱いたのだろうと。そして、解決された悩みを深く掘り下げる必要はないと判断した。

「やはり、いらぬお節介だったようだな。あの男(カルナ)の言葉が身に染みる」

 エミヤは破顔すると体の力を抜いて緊張を解く。思い悩んでいるのではないかという心配は杞憂に終わったからだ。

「ですが、後悔はしていなくても王として未熟であることに変わりはありません」

「それについては私も分からない。まあ、君が(ファラオ)として失格だったのであれば、オジマンディアス王が黙ってはいないだろう。違うかな?」

 そう言われたニトクリスは、特異点でオジマンディアスに仕えていた時のことを思い返した。提言を揶揄われることはあっても、最期まで仕えさせてくれた。王を守るために我が身を冥府に差し出そうとすれば止めていた。最初から、彼の王はニトクリスの本質を見抜いていた。彼女を(ファラオ)であると認めていた。そうでなければ、傍に置く事は無かっただろう。

 私事かつ些末事で手を煩わせたくないと天空の神は尻込みしていたが、太陽を自負する王には、悩みなどお見通しだったのかもしれない。

「さて、私も口が過ぎたようだな……気に障ったのならば謝罪しよう。不用意な発言だった」

「──いいえ、むしろその逆です。今日は話しに来てよかったです。今まで見落としていましたから」

「それなら私としてもありがたいのだがね」

 劣等感に苛まれていたニトクリスの顔は憑き物が落ちたかのように晴れやかだった。

「恩赦を与えるべきですね……あの……また誘ってくれてもいいんですよ?」

 王としての威厳を保つため言葉を選んでいるニトクリスのお願いに、エミヤも彼女の真意を察する。

「成程。僭越ながら、次回も女王の時間を頂戴してよろしいかな?

 その時には菓子の一皿でも献上しよう」

「……! ええ、大いに構いません。正直に言えばとっても嬉しいです。次回も貴方の働きに期待しますよ……エミヤ」

 

 喜んでもらうため、期待に応えようと胸に刻む弓兵だった。

 

 




 王として未熟なれば精進あるのみです。
 私に必要だったのは、気心の知れた友人と背中を支えて押してくれる臣下でした。同盟者……いえ、立香が信頼していた理由も分かります。
 永遠の国に至れずとも、兄弟の安寧をここから祈りましょう。


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エミヤと三蔵法師

 天竺を目指した有名な僧侶は、波乱万丈の旅を終えて悟りに至っても、決して人の道を外さない。

 

 サーヴァントに与えられた部屋、カルデアのとある一室に茣蓙が敷かれている。そこでは正座した一人の英霊──アーチャーのエミヤが、一心に写経している。その脇には、部屋の主である袈裟を着た女性が、同じく正座していた。

「これでどうだろうか…………お師匠様」

 署名を終えた弓兵が恭しく尋ねると、師匠と呼ばれた女性は紙に目を通し、口を開いた。

「文句なしよ。試しに言ってみた……確信を持って分かっていたけど、流石はあたしの弟子二号ね! 経験を積んだことくらいお見通しなんだから」

 玄奘三蔵は、何かを言いかけたが途中で訂正した。ただし、褒めているという事だけは間違いない。察したエミヤは反論しなかった。

 彼女の言う弟子二号はエミヤのことを指し、弟子一号は立香のことを指す。更にこの後には、俵藤太とアーラシュが三号、四号と続く。生前、剣はセイバー(アルトリア)、魔術は凛に師事していたエミヤだが、カルデアでの師匠はこれで二人目だった。スカサハには問答無用で弟子にされ、今回は三蔵の思い付きでそうなった。

 また、写経することになったのも三蔵の思い付きだった。生前の友人に体験させてもらったとエミヤが話せば、善は急げと実際にやって見せることになった。

 生前から仏教に縁遠い事は無かった。それどころか、お釈迦様本人にどこかで会ったような気もするが、肝心の記憶が朧気だった。記憶違いで、ただの気のせいだったのかもしれないとエミヤは軽く流した。

「まさか、英霊になっても写経することになるとはね。いつ役に立つのか……何事もその時にならねば分からないものだ」

「久しぶりに会えたんだから、細かいことは気にしないの。トータにも言ったけど、シローだってもう少し師匠の言うことに付き合ってくれてもいいんだからね。あたしのことはほったらかしで、なにかと三人で盛り上がってばっかりだったんだから……」

 二人は正座のまま対面で話を続ける。

「それは申し訳ないことをした。

 成程、師匠の頼みとあらば肝に銘じておかねばならんな」

 機嫌を損ねてはいけないとスカサハで身に染みていた。どこで聞かれるかは分からないので、声には出さなかった。

 エミヤの知っている玄奘三蔵との初邂逅は、特異点の砂漠を横断していた時のことだった。当時の彼女は、相方の俵藤太とはぐれて一人になり、度重なる不幸で愚痴をこぼしていた。

 カルデア一行と行動を共にすることになった三蔵は、アーラシュ、藤太、エミヤの三人をお供に任命するなど自由奔放だった。その理由を彼女自身が語っていたが、お供が居ないと寂しいらしい。ただ仮初めのお供といっても、キャスター一人に対し、アーチャークラス三人で揃えるのはバランスが悪すぎた。

 しかし、それ以上に三蔵の一挙一動が目を離せないほど心配で、放っておけない性格だった弓兵三人は、自然な流れで結託することになった。三人そろって弓兵(アーチャー)だったこともあり、意気投合するのは時間の問題だった。エミヤは特に、藤太と和食談義で盛り上がり、アーラシュとは一緒に狩りに出かけた。そして、仲を深めただけに突然の別れは痛切だった。拠点としていた村を聖槍による裁きから守る為に、アーラシュは立ち向かった。短い時間で説得しようにも、ペルシャの英雄は頑として譲らなかった。むしろ、後の事を託された。

 流星を放つ彼の最期を藤太と共に見届け、エミヤは英雄の意思を引き継いだ。

 ただ、三人の内心とは裏腹に、三蔵への心配は杞憂だった。エミヤたちの知るところではなかったが、彼女はどんなに弱音を吐いても、危機が迫れば仲間の為に力を振るい、脅迫に屈しない確固たる信念を持っていた。善なる者しか通さない門を自身の存在と引き換えに突破し、疑問を抱けば砂漠を横断してまで世界の果てへ足を延ばす、正真正銘の英傑の一人だった。

 出会いは必然か偶然か定かではないが、彼女が居なければ聖都攻略の難易度は格段と上がっていただろう。強者を(すく)め、弱者を導く、天竺への道のりを踏破した経歴は伊達ではない。

 そんな彼女はカルデアに来ることが念願だったらしく、召喚された日は立香と抱き合っていた。

 そのように三蔵との経緯を振り返っていたエミヤには疑問が浮かんだ。三蔵に弟子と呼ばれるようになってから、心のどこかで引っかかっていた。

「……一つ聞いてもいいだろうか?」

「うん? 何かしら? 一つと言わず二つでもいいわよ?」

「懐の広さを感じるが遠慮しておこう。そこまで大層な話ではないし、別に多くもない。

 なぜ弟子一号は孫悟空や俵藤太ではなく、マスターなのだろうか? 出会った順番が違うのではないかな?」

 その質問を聞き終えた三蔵は、彼女にしては珍しく呆気にとられた顔になった。

「それはね──」

 

 唐突なレイシフトに巻き込まれた立香は、岩に閉じ込められていた。当然、傍にはマシュもフォウもいない。加えてロマニのサポートもない。

 以前にも監獄に囚われた彼女だったが、その時とは異なって身動きが全く取れない。途方に暮れ、今後の展望を一人きりで悲観していたところ、僧侶に出会えたのは地獄に仏の気分だった。

 道案内の妖怪に逃げられ、馬を失った僧侶の三蔵は、彷徨いながらも歩いていた。記憶の齟齬を解消するため、何としてでも天竺へ向かうという強い意志があったからこそ、諦めるという選択肢は無かった。ただ一人旅は困難を極め、弱音を吐こうとしていたところで一人の少女に出会った。

 五行山から救出し、お互いに事情を話すと、それからは二人で行動することになった。三蔵曰く、新しい旅だから立香は一番弟子とするらしい。

 しばらく進むと、同じく岩の下に一人の英霊がいた。それは印象的な赤い外套を纏った弓兵だった。三蔵によって同じように救助されたエミヤは、立香に馴染み深い存在であり、いつも通り旅の安心感が違う。

 途中で繋がったカルデアとの通信は、なぜか不安定であり、サポートを期待することはできなかった。襲い来る魔物を倒した上で得た旅の目的は、経典を集め、天竺へ向かうことだった。

 天竺までの長旅を三人は徒歩で移動したが、エミヤは一人で二人分の働きだった。道中の野営も慣れた手つきで用意し、戦闘は三蔵と二人で受け持っていた。しかしながら、敵として出てきたのは見覚えのある英霊ばかりで、特に消毒液を大盤振る舞いしていた人物は、忘れることの方が難しい。

 艱難辛苦の果てに天竺へ辿り着いた。それによって、三蔵は本当の記憶を思い出す。

 成仏得脱した三蔵は、サーヴァントとしての召喚に応じるか迷っていた。『仏』は人類の衰亡に関わらない。それを理解しているからだ。だが、『人』としての三蔵は迷っていた。何もせず傍観しているだけでよいのかと。その小さな迷いが立香を引き寄せた。迷いを見通した御仏は、掌の上で救済への道を用意していた。人類の存亡に対し、三蔵は仏と人のどちらを取るのか試練を課した。その答えを三蔵自身が見つけられるように。

 最期の試練、見知らぬ世界への恐れを具現したカルナとアルジュナを倒し、旅路は終幕を迎える。試練の果てに得た答えを言葉にすることなく、再会が許されるのは御仏が導いた時だと残して、彼女は別れを告げた。

 

「──という感じで、あなたたちのことを知っていたのよ。砂漠で会った時は不覚にも忘れていたのよね」

「……そうか」

 三蔵の説明を聞いたエミヤは未だに首を捻っていた。

 立香の弟子番号についての疑問は晴れたが、新しい疑問が浮かぶ。

 なら、二号のエミヤはどうなっているのか。なぜ自分はそれを覚えていないのか。それほどの旅があれば、カルデアに記録されているはずだし、忘れず記憶に残っているだろう。

「ああ、これを聞いていなかったな。そもそも、なぜマスターはそこに?」

「たしかね……偶発的な事故に巻き込まれたらしいわ。カルデアのレイシフトがどうのこうのって。知ってる風に話されたから、その時はあまり理解できてなかったのよね」

「……まさか……気のせいで済んでほしかったものだ」

 今更思い出す。なぜ今になって思い出したのか。今日は管制室でダヴィンチとロマニによる改良型レイシフトの始動実験があった。当然、立香も参加するし、偶発的事故で結びつくのはそこしかない。

 そして、覚えていないのも無理はない。三蔵との出会いはこの後で起きる出来事の先にある。英霊の召喚は時系列に依存しないからこそ、複雑な事態になる。

「すまない! 私はここで失礼する」

「ぎゃーてー!? 待ちなさいよー」

 いきなり立ち上がったエミヤの勢いで三蔵は驚く。その間に、エミヤは部屋から飛び出していた。

 無事に帰れると分かっているし、行動する必要はない。だが、エミヤにとってそれとこれとでは話が別だった。一刻も早く管制室へ向かわねばならない。

  

 間に合ったエミヤは立香と共にレイシフトする。迷える僧侶の手助けをするために。

 

 




 やっぱり、一人でいるよりも弟子たちと旅をする方が好きみたい。
 モテすぎる弟子は……この際良しとして……悟空もそれくらいモテてれば、あたしも安心なんだけどね。
 
 本当──ここに来てよかった。
 


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エミヤと静謐の暗殺者

 生きるモノを(あや)めてしまう彼女が触れられるものは少ない。

 

 何の変哲もない貴重な時間を過ごしすぎた弊害だろうか。何の警戒もせずに通路を歩いて、分かれ道の死角から現れた影を避けることができなかった。本来のエミヤからすれば、迂闊だったことは否めない。

 エミヤと出合い頭にぶつかったその相手は、髑髏を模した仮面を外している年若い少女──静謐のハサンだった。召喚当初、ナイチンゲールが烈火の勢いで静謐を治療しに来たが、エミヤと立香の二人がかりで何とか説得できた。そう思えば、静謐の後ろに目を向けるといきなりの出来事に目を丸くしている立香も居た。位置関係から、二人が並んで歩いていたことは一目で分かる。

「すまない。私の不注意によるものだ」

 即刻、非を認めて謝罪したエミヤだったが、よく見ると静謐は酷く動揺していた。

「何かしてしまっただろうか?」

「……ごめん……なさい。

 ──失礼します、マスター」

「え? ──ちょっと待って!?」

 エミヤの返答を待つことなく、立香へ振り返ることもなく、静謐は慌ててその場を立ち去ってしまった。謝罪の言葉が何を指したものなのか、その時点では分からなかった。

 明日になればその理由も聞けるだろう。その予想は裏切られた。

 翌日以降、静謐の調子が悪くなった。戦闘中でも上の空であることが多く、立香と必要以上の会話をしない。また、立香の部屋を前にして俯く姿が職員の間で噂になった。

 争う間柄だが、やはり心配なのだろう。清姫はライバルの不調を多少は気にしていた。そして、エミヤが静謐の不調を気にしない事は無かった。廊下での一件の後に調子が悪くなっていたのだから。

 

 カルデアに召喚される以前に出会った静謐のハサンは、聖都の軍に捕らえられ、地下牢で拷問されていた。百貌のハサンの信用を得るためという建前はあったが、そこへ助けに向かったのが立香一行だった。陽動作戦で砦内の守りを手薄にして、最奥部の牢屋へと辿り着いた。

 後は救出するだけだった。しかし、そう簡単には終わらなかった。サーヴァントに悪影響を及ぼす鎖を人間の立香が断ち切り、必然的に落ちてくる静謐を受け止めようとしたところで、意識を取り戻した彼女は受け止めないでと拒絶した。

 百貌のハサンが陽動に回ってしまったのことが裏目に出た。呪腕のハサンは己の至らなさを悔いた。静謐のハサンの体質について教えていなかった。

 当然、静謐の叫びが意味することを理解できず、一瞬だけ理解が及ばなかった立香だったが、ここで転落する訳にはいかないと、必死の踏ん張りによって留まった。スカサハの訓練で足腰が強化されていなければ、支えきれずに二人は石畳に叩きつけられていただろう。尤も、落下しても大丈夫なようにサーヴァント総出で待ち構えていた。

 転落しなかったことに安堵して、無事でよかったと声を掛ける立香に対し、抱きかかえられた静謐は戸惑っていた。なぜ死んでいないのかと立香本人に聞くほどだった。

 その戸惑いの原因は静謐の毒によるものだったが、幸いにも立香に与えられた毒耐性は上位のものだった。毒そのものである静謐は、触れても死なない存在に出会った。殺したくないと望むようになった静謐は、予てからそれを求めていた。

 それ以来、静謐は立香に心酔していた。

 ──エミヤに触れて、他に毒が効かない存在を認知するまでは。

 

「あまり詳しい話はできなかったけど……大丈夫かな?」

「問題はない。だが、最後は君に任せるとしよう」

「……分かった。ここで待ってるね」

 詳細を理解した訳ではないが、エミヤの真意を覚った立香は信頼を込めた眼差しで答え、立ち去る男の背中を見送った。

 立香の部屋を後にしたエミヤは、集めた情報から推測を纏めていた。これまでに、立香を含めた一部の女性陣に聞き込みを行っていた。

 確証はないが、どこかの魔術師(マーリン)に押し付けられたであろう聖遺物(アヴァロン)が静謐の毒を無効化していた。本来なら所有しているはずないが、カルデア召喚後の後天的要因とはいえ、現在所有していることに変わりはない。それによって、静謐は立香を慕う根本を揺るがされてしまった。なぜ立香『だけ』に心酔しているのか。

 そこまで考えて、エミヤは苦笑する。ここに来なければ、そのように考える事はできなかった。尤も、人の事を言える立場ではないし、いつになるかは分からないが、己も何かしらの答えを出さなければならない。

 そうこうしている間に静謐の部屋に着いた。ノックをするが、中から出てくる気配はない。

カルデアの各所で目撃情報がない以上、在室で間違いない。

「聞こえていると判断して勝手に話をさせてもらう。

 触れて死ななければ、誰でも良かった。確かに、発端は客観的事実によるものだ。だが、そこから生じた君の本心はどこにある?

 マスターは君とここで終わりになるのは嫌だそうだ。部屋で待っているとも言っていたな。今後どうするかはそちらの判断に委ねよう」

 エミヤはそれだけを言って立ち去った。彼は本来、そこまで深入りするつもりは無かった。ただ、アーラシュが静謐の動向を案じていて、最期の一瞬で自分に託されたと判断したまでだ。

 借り物の理想をきっかけとした男は、その生涯を後悔していた。当然、自分の体を投げ捨てることも褒められるやり方ではなかった。だが、間違いではなかったと気付いた。

 途中で投げ出すこともできた。諦めることもできた。それでも走り抜けた。誰かが喜ぶなら、笑っていられるならと、常にそう願っていた。助けなければならないという強制された人生は、助けたいという己の意思だったことに気付いた。

 先の結末は違うかもしれない。ただ、似たような悩みを持つ存在に、助言しない訳にはいかなかった。

 

 エミヤが静謐の部屋を訪れた次の日、その答えは明らかになった。

 かつての日々と同じように、立香を挟んで清姫と火花を散らす静謐の姿がそこにあった。立香本人からの話によれば、昨日は清姫と静謐と我が子を取り巻く風紀の乱れを危惧した頼光による三つ巴の戦いが繰り広げられていたらしい。

 部屋の主は慣れたもので、最終的には何事もなかったかのように就寝したそうだ。静謐を諭した立香の誠実さと、同時に逞しさを感じさせる。何はともあれ、これで良かったのだと安心したエミヤだった──が、それで終わるほど甘くは無かった。

 その日の午後、カルデアの通路には二つの影があった。

 表情に諦観の色を浮かべたエミヤの後ろを静謐はピタリとついている。

「……まだ気が済まないのかね?」

「はい。まだ……分かっていません」

 彼女が悪意を以って危害を加えてくるわけではないのでエミヤは放っていたのだが、やはり尾行されているようで落ち着かない。かれこれ、一時間は同じことを繰り返している。その間、人とすれ違うたびに一体何事かと訝しげな顔をされていた。分かるものは恐らくいないだろう。

 今、エミヤは部屋に帰ろうとしているのだが、このままだと部屋に押し掛けられる勢いだった。その可能性は十分にある。

「静謐……で良かっただろうか」

「はい。お好きにお呼びください」

「そうか。これから私は部屋に戻るから、君も部屋に戻りたまえ」

「それはできません」

 エミヤのさり気ない気遣いを受けて、悩むそぶりを微塵も見せなかった。昨日までの様子からは考えられないほどの即決で断られた。立ち直れたことは良いことだ。

 額に手を当てたエミヤは、淡い期待は叶わないものだと内心で自嘲していた。

「ならば、どうして後をつけているのか。それくらいなら話してくれてもよかろう?」

 押して駄目ならば引いてみる。理由が分かれば今後の対処も容易だからだ。

「……分かりました。単刀直入に申し上げます。

 私にマスターへ寄り添う者としての作法を教えてください」

「…………すまない。私としたことが聞き逃したらしい。

 もう一度だけ言ってもらえるかな?」

「私にマスターへ寄り添う者としての作法を教えてください」

 間違いであってほしいという儚い願いも空しく、静謐の発言は一言一句違わなかった。

 聞きたいことは次から次へと湧き上がってくるが、第一に聞くことがある。

「なんだね、その……寄り添う者の作法と言うものは?」

「詳細は割愛します。エミヤ様も知っての通り、マスターの顔をまともに見ることができないほどに私は迷っていました。

 でも、貴方からの助言を受け取って考えました。私はマスターの人柄に心酔し、生涯寄り添うと誓います。もう悩むことはありません」

 特に変わった話ではなかった。助言が役に立ってよかったとエミヤは胸をなでおろそうとした。 その瞬間に雲行きが怪しくなった。

「だから、清姫様に奪われてしまう前にマスターの隣を確保します。

 エミヤ様は戦闘も休息もマスターと長く行動を共にされていると聞きました。私も寄り添う者として頑張りたいです。ご指導をお願いします」

 頭を下げられしまうと手の付けようがなかった。ここからどうやって挽回すればよいのか。エミヤは短時間で妙案を出さねばならなかった。

 

 結局、上手い断り方を知らないエミヤが思いつくはずもなかった。

 

 




 決める。決めます。決めました。初代様の晩鐘が響くことになっても、この選択を私は後悔しません。
 マスターに尽くすことを、この私の誇れることにしたい。そのために、エミヤ様からの手解きを会得します。


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エミヤと百貌の暗殺者

 専科百貌は、千差万別の人格を持つ。

 

 食堂で休息をとるエミヤのもとに訪問者が現れた。

 やって来たのは、分体ではない百貌のハサンの主人格だった。髑髏の仮面を外している彼女は真剣な表情のまま、エミヤが座っているテーブル席まで歩みを進める。

「エミヤ、静謐が世話を掛けていると小耳にはさんだのだが?」

「ああ、それは成り行きでね。努力すること自体は正当なものだ、彼女も私に否定される謂れはなかろうさ」

 エミヤはテーブル席で座っていた。腕を組みながら、百貌の問いに片目だけを開いて答える。静謐は邪な考えを持って頼み込んで来た訳ではないため、引き受ける理由はあっても、お願いを断る理由が見つからなかった。

 ただ、百貌の本題はそれではなかった。

「……小さい私もまた、世話になったようだ」

 申し訳なさそうな顔で百貌は切り出す。

 現在、エミヤの隣には一人の少女が座っていた。目の前にはパンケーキの載った皿が置かれている。彼女は喋ることはなかったが、満面の笑みを浮かべながら一口ずつ食べていた。感想は聞かずとも、表情を見るだけで分かる。

 この無口な少女は百貌のハサンの人格の一つである。それを巡って一悶着あったが、今では解決した。

 エミヤと少女の出会いは、ジャックとナーサリーを介したものだった。当初は怯えられたものだったが、今では一人で会いに来てくれるまで打ち解けた。そして、今日も少女は食堂に現れた。今日のエミヤは、おもてなしでパンケーキを作っていた。

「ここに来たということは……何か用だろうか。火急の要件なら今すぐにでも対応できるが?」

「いや、気になさるな。大した要件ではありませぬ。ただ、目の届かないところに居るのは心配ゆえにな……」

「……何か考え事でもしているのかね?」

 面がないため、百貌の表情の変化が手に取るようにわかる。彼女の顔を見たエミヤは声を掛けた。言葉もそうだったが、彼女には思うことがあるように見えた。

「何でもない……とはいいますまい。先日の騒動は知っているでしょう。この人格は何も知らぬ者、用途は察しがつきますかな?」

 百貌は、皆まで言わなかった。

「……成程。実に合理的だろうさ。好き嫌いは別れるがね」

ここ(カルデア)のマスターとマシュにも似たようなことを言われましたな。……そうか、こちらも合点がいった」

 百貌は、腑に落ちたと言わんばかりに感心する。エミヤには何のことだかよく分からなかった。

「一人で納得されても困りものだな」

「それは申し訳ない。二人はエミヤの影響でも受けたのだろうと思いましてな」

「何を言うかと思えば、買い被りだ。私が居ても居なくとも、同じことを言っただろうさ」

 それは違うとエミヤは言った。だが、百貌は内心で首を傾げた。

 エミヤの言い分は正しいかもしれない。ただ、立香とマシュが素直な性格でいられたのは、彼の献身が大きいと思っている。

 根拠も一応あった。エミヤはサーヴァントとして一線を引いている。世話を焼くことはあっても、肝心な選択は自分で決めさせている。過剰に頼られ過ぎたりしていない。加えて、余分な不安要素と不確定要素は彼自身が潰す。だからこそ、立香は迷わずに決められるのだろう。言葉に表さずとも、互いに信頼しているからこそ成せる関係だ。しかし、マシュについては断言できるほどの確証はない。だが、彼女はエミヤを先輩と呼んでいる。目標として彼の背を追いかけているのかもしれない。

 傍から見ていた百貌からはそう見えていた。エミヤが大手を振って公言しないのは、見返りを求めない姿勢の表れだろう。彼自身は素直でないらしい。

「……そういうことにしておきましょう」

「そういうもなにも、それしかないだろう。

 ──しかし、意外だったな」

「意外とは?」

「君の方からこの少女についての話をしてもらえるなどと、露程も思っていなかったものでね」

 手を組みながらテーブルに両手を置き、エミヤは表情を緩める。百貌は、したり顔に近いその顔を以前にも見たことがあった。静謐の救出によって、カルデアと山の翁の共同戦線が成立した後のことだ。

 とり纏め役を預かっていた百貌は、呪腕のハサンとは違う視点で村を見守っていた。その時に、平時の村のあちらこちらで弓兵の働く姿をみかけていた。彼は、村の民は勿論、多くの英霊とも親し気に会話していた。基本的に友好関係を築きやすいのかもしれないのだろう。戦闘では緊迫した表情を浮かべる男でも、食事の下拵えなどをしている時は楽しげな顔だった。

 一方で、百貌の感性が違和感を抱くこともあった。エミヤからは暗殺者に似た汚れ仕事の匂いがしていた。アーチャーのクラスを冠する彼が同業とは思えなかったが、そうであっても別におかしくはない、不思議と納得してしまう。

 どちらが本来のエミヤなのかと聞かれたら、答えは一つだった。皮肉を言うことはあっても、それ以上にお人好しさが目に付く人物だと評価している。共に戦ってきた中で、良い同僚だと断言できた。

「おっと……そろそろ遊びに行く時間のようだ」

 エミヤは唐突に発言した。それに反応した百貌が何事かと意識を向けると、その答えが分かる。エミヤが言い終わるよりも早く、小さなハサンがぺこりとお辞儀をして食堂を出て行くところだった。

 見送りが終わると、視線を少女の背中から目の前の男に向け直す。

「驚きましたな。随分と懐いている様子。私の場合は手がかかったものですが」

「こちらも同じ事だ。最初は影に隠れられて手をこまねいたよ。ジャックやナーサリーに感謝せねばならん」

 うんざりとした様子はなく、その態度からして相手をすることは悪くないらしい。やはりお人好しなのだろうと百貌は再度結論付けた。

「──君も何か飲むか?」

 立ち上がったエミヤの手には、片付けようとしている空の皿があった。パンケーキは残される事無く、綺麗さっぱり頂かれていた。

 小さなハサンを一目見たこともあり、手持無沙汰だった。百貌はしばらく悩むと口を開いた。

「では、遠慮なく頂きましょう」

 

 静かな食堂は、百貌からすると逆に落ち着けなかった。席に着いたまま、ふと遠巻きに厨房を見やる。丁度、エミヤが戻ってくるところだった。

 真剣な顔をしながら厨房で作業した弓兵は、カップを片手に、もう片方の手に皿を持っていた。

「これも試食してもらおうか」

 エミヤはそう言って、両手の物をテーブルへ静かに置いた。その一つである差し出された皿の上には、さっきまでハサンの少女が食していたパンケーキが載せられていた。

 それを凝視した百貌は、我に返るとエミヤに異議を申し立てる。

「まさかとは思いますが、私にこんな可愛げのあるものを食べろと? 気恥ずかしくて敵いませぬぞ」

 反応を予想していたのか、エミヤは慌てることなく答えた。

「これはあの少女の願いでね……感覚を共有していないからこそ、君にこの美味しさを味わってほしいそうだ。

 だが、そこまで言うのなら私も強くは言えないな」

 冗談めかしたように、芝居がかった態度でエミヤは右手を遊ばせる。わざとやっているのだと百貌は容易に看破した。目の前の弓兵は完全に小さいハサンの味方をしている。

 見え透いた挑発に乗るのは釈然としなかったが、片意地を張る必要もない。それ以前に、あの少女は発した折角の願いを拒むなど、できるはずもない。ここ(カルデア)で送る幸せな日々を享受してほしいと、百貌が有する全ての人格が思い抱いている。

 息を吐くと、百貌はフォークに手を掛ける。

「今回ばかりはやむなしですかな。私もこれを頂きましょう」

「そういえば……もう一つ伝言があったな。

 もう少し肩の力を抜いてほしい、だったか」

 腕を組んでいたエミヤは、言い終えると厨房へ帰って行った。

 百貌はそれを聞いて驚いた。最初は避けられ、隠れられていた少女から、労わられると思っていなかった。観念したように、それでもどこか安堵した表情で、パンケーキを食べ始めた。

 




 ここでの生活が悪くないと思っているのは、他ならぬ私もでしたか。
 良い同僚にも恵まれるとは、何が起こるか分かりませぬな。


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(不在の)エミヤと第九次乙女協定

 一部に知れ渡っている協定へ参加したのは、ランサーのアルトリア、玄奘三蔵、百貌のハサンだった。静謐のハサンは料理教室があり、立ち直った際に本心を聞いている為に不参加である。

 座長を自称する立香は、招集したサーヴァントから手早く同意を得ていた。ただ、つつがなく終わってしまうと不思議な安堵感がある。彼女は協定の終了時にふとそう思ってしまった。

 その原因とも言える波乱万丈の騒動があったのは、六番目の特異点を修復した頃まで遡る。名前は言えないが、獅子王によく似た英霊が押し掛けていた。エミヤ自身に大部分の責任はないが、何事かと問い詰めたくなる気持ちは立香にも分かる。

 意外だったのは、それをエミヤが切り抜けたことだった。以前の彼なら取り乱したものだが、心境の変化があったらしい。そんな感想を抱くが、余り他人事ではない。変わらなければというよりも、進まなければならないのは立香も同じだった。

「何かありましたか? マスター」

「……え? 何が?」

 立香の意識を呼び戻したのは、よく通る声だった。

 獅子王と違う人生を歩んだランサーのアルトリアは、実直な眼差しを立香に向けていた。

「お節介であれば申し訳ない。ただ、マスターが黙り込んでしまったのなら、声を掛けるのは道理でしょう」

 百貌のハサンが補足するために続いた。膝の上には、もう小さなハサンがもたれかかりながら眠っていた。

 彼女の一言でようやく立香は状況を把握した。解散とは一言も言っていなかった。一度他の事を考えてしまうと黙ってしまうのは、自身の悪い癖かもしれない。 

「その顔には迷いがあると見たわ。あなたのお師匠様にドンと話してみなさい。お釈迦様だって見てくださってるんだから」

 立香とエミヤを弟子に任命した師匠こと玄奘三蔵は、溌溂とした笑顔で訊ねる。知ってか知らずかは定かではないものの、立香の胸中を見抜いているかのようだった。

 一人で悩んでいても仕方がない。未だに迷っていた立香は、アルトリア(ランサー)、三蔵、百貌に悩みを打ち明けた。

「私がどのような言葉を掛けても、気休めにしかならないでしょう。

 ですが一つだけ、嫌われたくないと思うのはマスターだけではありません」

「一切皆苦、諸行無常、諸法無我、あなたの道は平坦なんかじゃないわ。

 でも大丈夫よ。あたしが保証してあげるんだから」

「名句を持ち合わせぬ不肖の身ですが、一言だけ残しておきましょう。

 お二方の絆は容易く絶たれるものではありませぬ」

 

 先程、協定の解散を告げたばかりだった。最後に背中を押してもらったが、今の心境は特異点で正念場を迎えた時と同じだった。ある部屋の扉を前にして、立香は今一度気を引き締める。

 これまでに、今日を含めて九回の協定を結んだが、その存在を知らせなかった人物がいる。悩みを抱えるほどになったのは、その人物がマシュだからだ。

 藤丸立香にとって相棒と呼べるサーヴァント、かけがえのない存在だ。その間柄はエミヤよりも長い付き合いで、そうなるのは当然ともいえる。

 相棒たる少女ならば、最初から呼ぶべきだっただろう。ただ、マスターである立香の交友関係は、マシュだけで完結してはいなかった。カルデアの職員達や召喚に応じて力を貸してくれる歴戦の英雄達、時間をかけて絆を結んだ存在の数だけ、交友関係は広がっていた。全てに手が回らなくなるのは必然的だ。

 だが、そうしなかった理由はもう一つある。特別扱い、徹頭徹尾ただのエゴだ。

 カルデア以外の世界を知らなかった彼女が、初めて持ったであろう感情を立香は決めつけたくはなかった。時間をかけて答えを得てほしいという一心だった。いい方法が他にもあったかもしれないが、当時の立香はそれくらいしか思いつかなかった。意図したものではなかったが、仲間外れだと言われれば否定が難しい。

 おそらく、今のマシュはその答えを得ている。だからこそ、黙っていたことを打ち明けて一対一で話をするべきだと判断した。たとえどのような結末になろうとも、そうするしかない。

 覚悟を決めて扉を叩く──

「どうかしましたか、先輩?」

 その直前に横から声を掛けられた。その声の主に心当たりがあり、動揺しながら振り向くと、小首をかしげたマシュが不思議そうに立香を見つめていた。あちらから声を掛けられるまで、まったく気付かなかった。

「うん……話したいことがあって。そういえばマシュはどうしたの?」

 立香も朝起きたら清姫と静謐が挨拶をしてくるような環境にいたから、特別慌てることなく対応する。

 部屋に居なかった疑問に、マシュは微笑んで答えた。

「はい。作りすぎたそうで、静謐さんとエミヤ先輩からお菓子を御裾分けしてもらえました。

 丁度良かったです。先輩も一緒に食べませんか?」

「いいの? ありがとう。

 後でお礼を言わないとね」

 静謐のハサンは、料理を作れるようになったことが嬉しくて、皆に振る舞っている。立香も何度か貰ったことがあり、静謐が料理できるようナイチンゲールの説得に協力してくれたのもエミヤだった。そんな懐かしい話を思い出したが、無意識の内に緊張が解れていたことには気付かなかった。

 立ち話も終わり部屋に入って早々、手伝おうかと立香は打診したが、マシュからは「お客様ですから待っていてください」とやんわりとした雰囲気で断られた。こうして手持無沙汰になった立香は、行儀良く座りながらマシュの給仕姿を眺めていた。

 淀みないかつ手際の良いその様は、少女を通して赤い弓兵を彷彿とさせる。実際、彼に指導を受けているのだから当然なのかもしれない。

 長くも短い時間の内にマシュは用意を整えた。

「お待たせしました」

 立香と視線が合うと、気恥ずかしそうに照れ笑いした。そんな顔をしながら零した一言と共に、マシュは立香の元へと戻ってくる。そして、同じく慣れた手つきで配膳を始めた。

 テーブルに置かれた皿を一目見ると、静謐とエミヤの御裾分けした品はマカロンだと分かる。

 いただきますと切り出して、他愛のない会話を交わして、お菓子とお茶を消費する。

 ここまで見ればただのお茶会だったが、本題を忘れてはいなかった。

「……マシュ」

「はい。なんでしょうか?」

 名前を呼ばれて返事をするマシュは、立香の呼びかけに真摯な眼差しを向けて応える。

「私は……マシュに謝らないといけないことがあるんだ。

 まず、マシュはエミヤのことをどう思ってる?」

 謝りたいという内容と話を繋げられないからか、マシュは困惑していた。だが聞き返す事は無く、立香の問いに答える。

「そうですね……気付くのに時間が掛かってしまいましたが、私はエミヤ先輩のことが好きなんだと思います。

 ですが、先輩はなぜ謝るのですか?」

「この前もそうだったけど、エミヤのことが好きな人は他にもいるんだ。だから、この旅が終わるまでは協力し合おうっていう取り決めをしていた。マシュはこのことを知っていた?」

「……いいえ。知りませんでした」

「それを伝えないようにしていたのは……私の判断だったんだ」

 返事はない。マシュは話しの続きを静かに待っていた。

「今まで黙っていて……ごめん」

 深く頭を下げた。

 ここからはマシュの表情を知ることはできない。視線は手元のカップだけを映している。

「先輩、顔をあげてください」

 沈黙は長く続かず、マシュから怒りや悲しみは感じられなかった。おそるおそる顔をあげるが、表情からも同じことが読み取れる。

「これは予想ですが……わたしのことを考えた上でそうしたんですよね?」

「うん。そうだけど……」

「それなら謝る必要なんてありません。先輩がわたしのことを考えてそうしたのなら、そこには何か理由があるはずです。カルデアの中で過ごしていたわたしに、素敵な時間をくれたんです。

 ──ですから先輩、気に病まないでください。」

 かつて、マシュはアイコンタクトだけで分かり合える関係が目標だと語っていた。立香の真意を汲み取れる程度には、当の昔に辿り着いていたらしい。そんな彼女に返せる言葉が見つからなくて、立香はようやく出た一言を伝える。

「ありがとう、マシュ」

「いいえ。大したことではありません。先輩にはそれ以上のお世話になっていますから」

 騒動に巻き込まれたりする二人だが、根に持つ性格ではない。マシュは右手を差し出した。

 その意味が分からない立香ではなかった。互いに握手を交わして絆を確かめ合った。 

 




 エミヤは食堂から自室へ戻る途中だった。足を止めたのは、部屋の前に人影があったからだ。
「やあ、おかえり。エミヤもといシロウ」
「……工房の主が一体何の用かな? 生憎と改装の予定はないが」
「そんなに怖い顔をしないでほしいなぁ。私は何もしていないよ? ただの世間話をしに来たのさ」
 その人物は、平時なら自らの工房に籠っているような英霊──レオナルド・ダ・ヴィンチだった。怪訝そうな顔をした弓兵を宥めるように、万能の天才は軽く笑う。
「確かにそのようだな。では、本題を聞かせてもらおうか」
「おいおい、せっかちだな。急かす男は嫌われるぜ? 
 ──まあ、キミからすればそうでもないか。なんせ小さい子の扱いも一級品だからね」
 エミヤが立ち話をさせることは珍しい。基本的には分け隔てのない性格だが、金色のアーチャーや蒼いランサーのように苦手な存在も居る。掴み所がない万能の天才もその中に入りかけていた。決して苦手でも嫌いでもないが、贋作騒動ではダヴィンチの私情が挟まれていたために乗り気にはなれなかった。
「マシュに差し入れするよう提言したのは君だろう? 立香が何をしていたのか、薄々察していたからだろうね」
「……何のことかわからんな。私は細やかなアドバイスをしたまでだ。提言などと大それたことはしていない」
 事実だったが、エミヤはあえてとぼけた。
 その話は大したことがないものだからだ。
「その反応も計算通りさ。以前のキミなら、そこまでの深入りはしなかったのにかい?」
 ここで初めてエミヤの表情が強張る。度肝を抜かれたと言った方が正しいのかもしれない。好意というものを朧気に理解したからこその変化だった。
「……何を企んでいるのかは知らんが、最後はどうなるのか英霊ならば分かる話だろう? ──レオナルド・ダ・ヴィンチ」
「ああ、その通りだね。全くもって反論の余地がない。なら……これ以上の長居は無用か。私からは以上だよ。また会おう、贋作の担い手よ」
 ダヴィンチは背を向けると振り返ることなく立ち去った。まさに突然現れて嵐のように去って行った。
 呼び止めることもなく見送ったエミヤは、完全に姿が見えなくなると自室の扉をくぐった。
「分かってはいたけどね、何事も上手くはいかないものだ。
 ──でも、キミの思う通りにも進むだろうか。何が起こるか分からない、未来はいつだって未知数だからね」
 帰路に付きながら呟いた独り言を聞くものはダヴィンチを除いて他にはいなかった。


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エミヤと白の魔法少女

 先日のヴァカンスの原因──時空の歪みは、平行世界がカルデアへ干渉しているために発生したものだった。

 正体を看破するためにレイシフトした立香一行は、その世界で早々に正真正銘の魔法少女に出会う。彼女の名は──イリヤスフィール・フォン・アインツベルン、エミヤには見知った人物だった。

 

 最初の魔法少女(ファースト・レディ)は、(ミラー)を切り捨て世界を守った。そして、いつしか世界を恨むようになった。カルデアに召喚されて多くの英霊に出会い、立香に同行して様々な特異点を巡ったが、守護者であるエミヤには彼女ほど既視感を覚える生涯はないだろう。一つだけ違う点があるとしたら、矛先を内に向けるか外に向けるかだった。

 エミヤが口を挟まずとも、二人は最期に和解することができた。そして、レディの遺志はあちらの世界のエレナが継いでいく。

 奇跡とは、純粋に誰かを願う気持ちが起こすものだ。最良の結果を齎すことができたのは、一重に彼女の功績だろう。

 己の過去と照らし合わせながら述懐していたエミヤは、目の前に居る少女──イリヤと向き合った。食堂に来て、エミヤと話がしたいと願い出た彼女は、時間通りに彼の部屋へ来ていた。

「あの……忙しいのに時間を作ってもらってありがとうございます」

「気にしなくていい。私が居なくとも、厨房には優秀なシェフが残っているからな。

 ──それで話とは何だろうか?」

 不安げな表情のイリヤは深呼吸した後、言葉にした。

「アーチャーさんは……お兄ちゃん……なんですか?」

 イリヤ本人が言っていたが、お兄ちゃんとは衛宮士郎のことを指す。

 だからこそ、出来ることなら会いたくはなかったが、やはりこの時が来てしまった。エミヤも事前に分かっていたが、いざその時が来ると正確な答えが定まらない。とぼけることも一つの手だが、縋るような瞳には、彼にそうさせない魔法が掛かっていた。

「なぜそう思ったのか、理由は何だね?」

 自慢する訳ではないが、見た目で分かるほど簡単ではないはずだった。

 しかし、聞き方に問題があったのか、エミヤに威圧するつもりは無かったがイリヤを委縮させてしまった。もう少し優しく聞くべきだったかと、エミヤは反省しながら回答を待つ。

「ええと……この前作ってもらった麻婆茄子の味付けが似ていて……それに、別の世界のママが、アーチャーさんのことをシロウって呼んでいたから……です」

 聞き終えても、これでは言い訳のしようがなかった。味付けならまだしも、名前を聞かれていたのだから。

 そもそも、イリヤがカルデアに来たことは想定外のことだった。

 平行世界からやって来た、既視感のある魔術礼装のルビー曰く、お互いに元々の世界に帰るはずだったが、鏡写しのように元の世界へ帰った自分とここに居る自分の二人に分かれたらしい。別存在になった以上、当然カルデアに来た魔法少女には帰る場所がない。

 立香の帰還後、二人(・・)の魔法少女が居て驚くことになった。幸いにもサーヴァントの霊基を得ていたため、このまま所属する運びになった。この後、天の衣と出会って困惑していたことは記憶に新しい。

「……その質問に答えるならば、私は衛宮士郎ではない別人だ、としか言えんな」

「ええと、まさかとは思うんですが、わたしって……もしかしたら勘違いしてますか?」

「それは違う。まあ、誤解するのも無理はない。

 そうだな、同じ人間でも環境によって性格が変わったりする。それと似たような所だ」

 分かったような分からないような、それを見て取れるほど表情がころころと変わる感情豊かなイリヤを、エミヤは初めて見た。。

「でも……お兄ちゃんには変わりないんですよね?」

「残念ながら、この私は君の兄と同一ではない」

「でも、自分の事を衛宮士郎って……すみません、なんでもないです」

 やはり聡い少女だ。事情があると察し、潔く身を引いた。エミヤはそう分析する。

 二人の間に沈黙が訪れたが、それを破るように、エミヤは問いかける。

「──君に一つ相談があるのだが……いいだろうか?」

「……? はい、何でしょうか?」

「例えば……ある男が居て、彼には自身の夢を応援してくれる姉が居たとしよう。

 記憶を失った男が姉を見殺しにしても、姉は味方ままで居てくれるだろうか? 私としては、恨まれても仕方がないと思うのだが」

 エミヤは、生前と英霊になった後の事を混ぜて話している。イリヤからすれば脈絡のない話だった。だが、弓兵の真剣な眼差しは冗談などではないと彼女に訴えかけている。

「……れ……ます」

 最初は小さな声だった。

「味方で居てくれます!」

 二度目はエミヤがたじろぐ程の声だった。

「だって、その二人が仲良しにしか聞こえません! レディさんやミラーさんだって、色々あったのにお互いを想い合っていたんですよ。そのお話の男の人は絶対に後悔していると思います。男の人のお姉さんだって、それを分かっているはずです!

 ──って、わたしったら熱くなっちゃって……すみません」

 意気消沈という言葉が適切な程の変わりようだった。

 レディとミラーの和解。それは、切り捨てる側と切り捨てられる側の和解だった。

 エミヤはある意味、他人事のように思っていた。切り捨てる数が多かった自分は、そちらの人間から恨まれているだろうと確信していた。例え話もそれを前提としていた。

 正面から否定されれば、姉とよく似た別の世界のイリヤであっても、エミヤの心を揺さぶるには十分な熱弁だった。

「……謝罪は不要だ。君の意見は大変参考になったよ」

「よく分からないんですが……お役に立てたのなら良かったです」

 険しさの中に安堵を混ぜた顔で、弓兵はお礼の言葉を述べる。

 事態が呑み込めていなかったが、男の顔を見た少女は笑顔で応えた。

「私が君の兄ではないことは確かだ。しかし、そうだな。

 些か複雑だが、君さえ良ければ兄のように思ってくれて構わない」

 今更になって、衛宮士郎と重ねられるとは思わなかった。エミヤの予想が正しければ、目の前に居るイリヤが居た世界の衛宮士郎は、正義の味方を目指してはいないのだろう。 

 絆されずに違うと突っぱねてもよかった。そうしなかった理由は言葉にし辛いが、(おとうと)らしいことをしてこなかった贖罪という面もある。喜んでいる少女に、無粋なことは言えなかった。

「じゃあ、お兄ちゃんて呼んでも……いいんですか?」

「ああ、今更撤回はしない」

「ありがとう……お、お兄ちゃん。

 あっ!? そろそろ戻らなくちゃ!! また来ます!」

 夕食を、天の衣(アイリ)と一緒に取る約束をしていたことを思い出したらしい。そう言ってイリヤは、慌ただしく出て行った。彼女の足の速さは一級品のようだ。

 

 苦笑いをしながら見送ると、表情を正したエミヤは口を開く。

「聞き耳を立てているとは、信用されていないという事だろうか?」

「あら~気付かれてましたか?」

 反応は早かった。わざとらしく仰々しく、悪びれた様子のない羽付きの五芒星が姿を見せる。やはりエミヤの記憶にはないはずだが、本能的に危機感を覚える。

「随分と謙遜する。そちらは加減していたと思うがね」

「いえいえ、(面白そうな気配を感知した)ただの通りすがりですからねー。気付かれてしかるべきでしたよ」

 本音は言葉通りだろう。変質した特異点で聞いた話によれば、ルビーと契約したイリヤは、挫けそうになっても美遊という少女の為に、己の意志で戦うことを選んだ。それについてとやかくは言わない。

「成程。彼女を焚付けたのは貴様だったか」

「人聞きの悪いことを言いますね。こちらのイリヤさんは別存在みたいなモノですから、愛しのお兄ちゃんを慕っても問題はないはずですよー」

 ルビーは器用に羽を動かして、人のような反応をする。これ以上追求しても無駄だと悟ったエミヤは、改めて釘を刺す。

「純粋な親愛を無碍にはしないし、見殺しにするつもりも無い。

 ──が、彼女に害を成す気ならば覚悟をしておくことだ」

「あらあら~イリヤさんも幸せ者ですね。そこまで想ってもらえるなんて。

 お近づきの印にイリヤさんからのメッセージをどうぞ!」

 イリヤはルビーに言付けでもしていたのだろうか。そう思うエミヤだったが、先程まで居たイリヤは言い忘れたことでもあったのだろうと結論付けた。

『話は大体分かっているわ。本当に──手のかかる弟なんだから。シロウも幸せになっていいんだからね。本当は優しいことくらい、お姉ちゃんにはお見通しよ?』

 エミヤは、我を忘れて目を見開いた。

 送り主は確かにイリヤからだった。ただし、魔法少女ではない、己の知るイリヤからのメッセージ。何処で知り得たのか、本人で間違いないのか、疑問は尽きない。

 間違いなく言えることは、彼女が今尚エミヤの幸せを祈っていることだ。

「まったく……」

 我に返った時、ルビーは既に消えていた。言うだけ言って逃げてしまうとは、やはり傍迷惑な存在だ。

 だが、怒りすら湧かなかった。

 

 今はこの余韻に浸っていたい。エミヤは感慨に耽ったまま動かなかった。

 

 




 お兄ちゃんだけど別人なんだよね。わたしは一体どうすれば……。

 平行世界のイリヤさんに力を貸してもらったおかげで有耶無耶にできました。
 
 
「ふーん。そういうことね」
 黒の魔法少女は、イリヤが部屋から出てくる姿を見ていた。


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エミヤと黒の魔法少女

 ある少女から解き放たれたもう一人の少女。彼女を現世に繋ぎ止めているカードに宿った英霊の正体は──

 

 イリヤとルビーが去って行き、静まり返った部屋でエミヤは未だ感傷に浸っていた。記録と化していた後悔の蟠りが、綺麗に溶けていくようだった。

 だが、静かな時間は長く続かなかった。何者かの接近を感知し、意識を扉に向ける。

「──こんばんは。……シロウさん」

 開けると同時に声を掛けてきたのは褐色肌の少女、クロエ・フォン・アインツベルンだった。エミヤには見慣れた外套の意匠が、相変わらず彼自身との関与を匂わせる。

「その名を呼ぶということは成程……察するに盗み聞きをしていた訳か。行儀が悪いぞ?」

「そういうあなたは意地が悪いわ。今の今まで名前を黙っていたんだから」

 座りながら腕を組むエミヤの苦言に、クロは口を尖らせる。彼女は不満げな表情をしていたが、流れるような動作で椅子に腰を下ろす。

「それはすまない、名乗る必要性がなかったものでね。この意地の悪さは盗み聞きの対価と思ってくれ」

「曖昧にして煙に巻くの? ずるい人ね」

「そういう男でな……この話はさて置くことにしよう。まさかとは思うが立ち聞きをするために来たわけではあるまい。何か用でもあったのかもしれないが、その前に私は君に聞きたいことがある」

「なになに? もしかしてわたしに興味があるの?」

 クロは艶やかな唇を指でなぞった。凛が小悪魔的と言うならば、目の前の少女は蠱惑的と分類できるだろう。

「──君は何者だ?」

 しかし、エミヤには効果が薄く、弓兵の鷹の瞳から送られる視線は冷静に少女を射貫いた。

「うーん……どうしようかしらね。言ってもいいんだけど、それじゃおもしろくないわ。

 ……そうだ、キスしてくれたら言ってもいいかなぁ?」

「そうか。では聞かなかったことにしよう。薄々だが、幸いにも見当はついているものでね」

 エミヤは近くに置いてあった食料の帳簿を開く。その行動が自分をあしらうためのパフォーマンスだと悟ったクロは、不服そうにしながらテーブルに頬杖を突いた。

「えー……つれないわね、それじゃつまんないわよ。もう少し慌てるとかしてもいいんじゃない? 女の子と二人っきりなんだから」

「ノーコメントだ。それと別に君を楽しませるつもりはない。私から言うならば、淑やかさを身に着けてはどうだろうか。そうはしたないままでは折角の美人が台無しだ」

 エミヤは頁を捲る手を止めないが、世間話をするように大した意図を持たずに発言する。如何に改善されようとも、迂闊な発言は治っていない。

 不意打ちを受けたクロは、珍しく目を丸くしながら照れていた。

『やっぱりこういうところは同じなんだから』

 内心でそう思ったため、エミヤには知られなかった。

「──話を戻そう」

 パタンと帳簿を閉じ、それを合図としてエミヤは意識を切り替えた。

「君の力についてある程度の憶測は立てている。

 そちらの世界にはサーヴァントの召喚以外で英霊に干渉できる方法があったな」

 イリヤと行動を共にしていた時に、夢幻召喚《インストール》という変身法について聞いていた。クラスカードという英霊の力を行使できる魔術礼装によってそれが可能となる。

 カルデアの召喚に応じる前のことだが、エミヤは一度だけ心当たりがあった。

 座に鎮座していたエミヤは、何処かの世界から、己の全てを差し出してでもたった一人の義妹(いもうと)を守ると誓った少年の切なる願いを聞いた。

 驚いたのは無理もない。それを抱いたのは、あろうことか衛宮士郎だった。『答え』を得た記録の追加によって、衛宮士郎への八つ当たりに近い恨みは薄れても、未熟者であればそう簡単に力を貸す事は無い。だからこそ、エミヤに出来なかった選択を下した少年の覚悟を、一笑に付すこともできなかった。

 機運という歯車が噛み合わなければ成立しない、気紛れに近い施しだった。だが何の因果か、その時の縁が巡り巡って目の前に居る。

「とまあ大袈裟に言ってみたが、私に分かるのは文字通り君の力(・・・)だけだ。では今一度聞こう。──君は何者だ?」

 その問いかけの意味が読み取れないほど、クロは鈍くない。

 観念したように一息つくと、口を開いた。

「わたしはもう一人のイリヤよ。正真正銘の本人。ただね、運の巡り合わせが悪かったの」

 重い沈黙を破って語り始める少女は、あっけらかんとした様子でありながら影が差していた。

 そこから堰を切ったように、クロはこれまでの経緯をつらつらと話した。かつてイリヤの中に封印されていたこと、イリヤと激突しその存在を認められたこと、生きたいと願ったこと。全ての話を終えると、一端言葉を切った。

「聖杯戦争の為に生きるはずだったイリヤ……か」

 平和な世界で過ごすには、魔術の世界に身を置くイリヤの人格は表に出せない。アイリスフィールに、すれ違いで積もり積もった負の感情をぶつけたことも、ある程度は理解できる。

「まさか、カードを核にして受肉を果たすとはな」

 ただ一番の驚きは、平和に近いイリヤの世界ですら、大聖杯が登場することだった。衛宮切嗣が『人間』になる道を選んでも、運命は、聖杯は、彼らを引き戻そうとするのかもしれない。しかし、その一件があったからこそ、クロは今ここに居る。

 エミヤの真剣な顔を観察していたクロは、同じく真剣な顔で切り出した。

「それでこの力……投影魔術は、あなたのものなんでしょ?」

 クロの問いに、エミヤは沈黙を以って返した。彼女にはそれだけでも充分だった。

「そっか……」

 一言そう呟いて自分に向けた顔を、エミヤは忘れないだろう。

「ちゃんと因果は繋がってたんだ」

 蠱惑的な表情が鳴りを潜め、聖母にも見えるほどに穏やかな顔で、胸に手を当てていたのだから。

「ありがとう。あなたのお蔭で、今わたしはここにいるの」

 感慨深そうに言葉を紡ぐクロに対して、淑やかさについてとやかく言う必要などなかった。

「流石にそのことで礼を受け取る訳にはいかんな。たまたま力を望んだ者が居たから私は手を貸しただけで、君を救おうと思ってそうした訳ではない」

「もう……素直に受け取ってもいいでしょ。そもそも、あなたがいたから救えた命なのよ」

 腰に手を当てながら、クロは言い切った。

「それがここに来た理由、わたしが言いたいのはそれだけだから。また来るわねシロウさん」

「……そうか。大したもてなしができなくてすまないな」

「気にしてないわ。どうしてもというなら、夕食のデザートでも楽しみにしているわ」

 赤い外套を翻し、クロは背を向けた。

 

 エミヤがサーヴァントとして直接救った命は、数える程度にはある。ただ、英霊になったからこそ救えた命は、おそらく初めてだろう。

「……皮肉というべきか」

 一度は断ち切ろうとした、衛宮士郎という世界を越えても線で繋がれた宿命に、救えた命があった。

 座が時系列に囚われない以上、それを知るエミヤも居れば、記憶を制限され自分殺しに向かうエミヤも居るだろう。

 だがそれでも──

「時間を無駄にしては居られんな」

 間違いではなかったという確証を得ることができた。

 ならば、考える機会をくれたイリヤとクロには、細やかながらの感謝を示す必要がある。そう思って立ち上がる。

 厨房へ向かう弓兵の背中は、憑き物が落ちたかのように晴れやかだった。

 




 自分を大切にしなかったから、お兄ちゃんとは呼んであげないんだから。でも、好きなことに変わりはないわ。
 迷っていたけど踏ん切りがついたもの。イリヤが悩んでいる隙に手に入れちゃうわよ。
 まずはこの力の使い方を手取り足取り教えてもらわないとね。


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エミヤと聖夜の竜の魔女

 ──腹立たしい。

 一目見れば不機嫌だと分かるほど、ジャンヌ・オルタは煮え切らない想いを隠そうとしなかった。

 その原因は、先程出くわしたアルトリア・オルタに自慢話をされたからだ。霊基をサンタ(ライダー)に変更し直した彼女は、クリスマスにどこかの赤い弓兵と二人きりになる時間を作ったと語っていた。それを気にするほどの事ではないと自覚しながらも、やはり気にしていた。

 そこまで仲が悪い訳ではないが、お互いに我が強く、何かと反りが合わない。だからこそ、ジャンヌ・オルタはアルトリア・オルタに言われると無性に腹が立つ。さらに、赤い弓兵が話題に出たことも拍車をかける。

 当人には言ったことがあるが、たとえ成り行きだったとしても、紛い物の自分を認めてくれたことが、ジャンヌ・オルタは嬉しかった。好かれる要素のない、負の感情をぶつけられて当然の存在だと思っていたのに、ジャンヌ・ダルクを越えるという信念(在り方)を肯定してくれた。彼との出会い方が違えば、抱くことのない感情だった。

 そしてそれは、いつも通りの彼女ならば一笑に付すような企みに手を貸すことを良しとした。もっと素直になれる(かも)という甘言にのってしまった。

 相談する参謀が居れば、踏みとどまることができただろう。この後の出来事を未だ知らぬジャンヌ・オルタは、翼の生えた杖が差し出した薬を一気に呷った。

 

 二度目の早い(・・)クリスマスが終わり、立香達は食堂の片づけをしていた。その中に混ざるエミヤも、適宜指示を送りながら荷物を運んでいた。

 一年前のこの時期とは異なり、最近のカルデアは空気が少し重かった。それもそのはずで、先日ついに七つ目の特異点へのレイシフトが可能になったからだ。魔術王の言っていた最後の特異点ということもあり、カルデアの面々は決戦の時を実感していた。

 さしもの立香も緊張を隠せない。五つ目の特異点、北米の戦いからその片鱗はあったが、修復の難易度が格段と上がっている。行先は古代のウルク、キャメロット以上に何が起こるか分からない紀元前、魔術王が直々に聖杯を送りこんだという唯一の特異点でもある。その事実が改めて重くのしかかっていた。

 もしかすると、過去の立香は楽観視していたのかもしれない。このままならば世界を、抹消された人類史を取り戻せると。

 持ち前の明るさが翳るほど、立香の心は張り詰めていた。その緊張を取り払うために、古今東西の英霊達は、彼女に楽しい時間を送ることにした。

 今回のクリスマスの主催は、他でもない英霊側だった。召喚の機会を与えてくれて、楽しい時間をくれたマスターに、今度はお返しをしたいという声が上がっていた。

 その甲斐もあり、立香はいつも通りのマスターに戻ることができた。

 正確に言えば、パーティー前日の出来事もその一因だった。

「エミヤさん!」

 弓兵が呼ぶ声の方へ振り向くと、聖夜に相応しい装いの少女が近づいていた。

 この少女は、ジャンヌ・ダルク・オルタ・サンタ・リリィ、ジャンヌ・オルタの在り得ない過去の姿である。何も聞かずに薬を呷ったジャンヌ・オルタは、某愉快犯(ルビー)から渡された試作品の『若返りの薬』を飲んで少女の姿に変わってしまった。

 その後に捕縛された犯人(ルビー)は、時間経過で元に戻ると白状し、イリヤによる見事なまでの直訴によって観察処分になった。

「ジャンヌ・リリィ、私に何か用でもあるのか? 重い荷物があったならそちらに行こう」

「いえ、そうではなくて。その、お片付けが終わってからなんですが、この後……お時間はありますか?」

「すまないな。この後には先約が入っていてね。嬉しいのだが、その誘いは受けられそうにもない」

「大丈夫です! 論理的に考えて、黒い騎士王さんにお話しは通してあります」

 先刻、アルトリア・オルタの元へ向かったジャンヌ・リリィは、黒の聖剣を構えた彼女に謝罪しながら時間を譲ってほしいと懇願していた。決意の程を確かめるかのように、目の前へ聖剣の切っ先が振り下ろされたが、驚きを堪えながらも少女は視線を逸らさなかった。

 そして、その強い意志に黒き騎士王は根負けした。サンタが子供の願いを叶えることは当然のことだと、ジャンヌ・リリィにそう言った。

「やはり……ご迷惑ですよね。エミヤさんはお忙しいですから」

 エミヤはいろいろと驚いて反応が遅れてしまった。返答までの間から、断られると考えたのか、リリィの表情は一転して不安の色に変わってしまった。

「私としたことがすまない、心配には及ばんさ。君からの願いを断るなど、それこそ無粋というものだ」

 その言葉を聞いた少女は、見た目相応の笑顔で喜んだ。

 立香に事情を話すと、二人は食堂を出た。

 

 空と水面(みなも)を赤く染める夕陽が沈もうとしていた。

 その景色を眺めつつ、エミヤジャンヌ・リリィは、波打ち際に佇んでいた。

「……二回目でもこんなに色鮮やかに見えるなんて、私は知りませんでした」

「そうだな。忘れられぬ光景とはそういうものだ。私にも覚えがあるよ」

 ジャンヌ・リリィは危うい存在だった。というのも、彼女の存在が希薄であるからだ。

 願望によって生み出された英霊の存在しない過去の姿は、ほんの少しの揺らぎで世界から容易く掻き消えてしまう。最悪の場合、ジャンヌ・オルタの霊基諸共、カルデアから消失していた。皮肉にも、人理崩壊という異常が辛うじて支えていた。

 消滅を防ぐ為、幼い少女は咄嗟にサンタという肩書に頼った。自分が有用な存在であると、必要とされる英霊であると証明するために。歪んだ存在でも誰かの願いを叶える存在になりたいと、本心を内に秘めていたからだ。

 だが、子供の願いを叶えるサンタを、子供が代行するのは矛盾していた。期間限定で願いを叶えてもらう。それが子供の立ち位置だった。

 その誤まりを理解してもらい、本当の願いを引き出す。

 落ち込み気味だった立香は、自分以上に困っている人が居る実情を把握すると、己を奮い立たせて一計を案じた。英霊の力を借りて成し遂げ、引き出された願いは、『海を見たい』という素朴なものだった。

 しかし、その光景を見たジャンヌ・リリィは、人目を憚らず涙を流した。その涙は、彼女がジャンヌ・ダルクである証左だった。

 子供であると自覚したリリィは、『此処に居たい』という望みを立香に伝えた。

 それに応えぬトナカイさん(マスター)は居なかった。立香は、制限時間により消えかけたジャンヌ・リリィを見事に召喚してみせた。

 サンタをよく知る謎の男、『サンタム』として参戦したエミヤは、奇跡的な光景を感慨深く見守っていた。

「予てから一つ気になっていたのだが……」

 突然の呟きに、ジャンヌ・リリィはエミヤの顔を見た。

「なんですか? もちろん遠慮はいりませんよ」

「では失礼して、なぜまたこの景色を見たいと思ったのかね。私なぞも誘ってな。些か風情がありすぎて、二人きりでは逢瀬とも間違われかねん」

 それを聞いて不満に思ったジャンヌ・リリィは、頬を膨らませて抗議した。

「もうっ! 論理的に考えても分かるはずだったのに。答えなきゃいけないんですか? 

 ……エミヤさんの言った通りです」

「…………すまない。失言だったようだ」

 甘え方を知らなかった少女は、日夜勉強していた。それを汲み取れず、今一歩、己の評価を上げられない男は、明後日の方向に目を向けた。

「ジャックとナーサリーに聞いたんです。自分の気持ちを伝えるにはどうすればいいのか、私には分かりませんでしたから。

 やりたい事は無いのかって聞かれて、その時に浮かんだんです。貴方と二人で、この景色を見たかったと。理由までは分かりませんでした。でも、成長した私を見てようやく分かったんです。傍で同じ時を過ごしたいのだと」

 かつてはナーサリーとジャックにも『さん』付けだったが、すっかり仲良くなったらしい。

「それは光栄な話だな。気の迷いでなければの話だが」

 元は一人だったが、ジャンヌ・オルタとジャンヌ・リリィの二人に分かれても、好意のベクトルは変わらなかったらしい。だが、願いを持つ彼女の輝きは、願いを持たなかったエミヤに眩しすぎた。

「本当ですからねっ! 最初から私の事を見守って、背中を押してくれた貴方だから、こうしてお願いしたんです」

 薬を飲んで幼くなったジャンヌ・オルタが初めて出会ったのは、偶然通りすがったエミヤだった。「……まさかとは思うが、君はジャンヌ・オルタか?」という一言から、立香主導の小さな旅が始まった。

 ただ、リリィの言葉を聞いてもエミヤは素直に受け取れなかった。エミヤは、サンタとして導く師匠役は不適格だったと理解している。もしもの話では何も始まらないが、サンタが本当に聖人君子だったのかと、逆の視点で意見する立場が必要だった。しかしながら、エミヤに最も近く、最も遠い人材は、このカルデアには居なかった。

「でも、お願いしてばかりではいられません」

「……驚いたな。それは一体どういう意味かな?」

「『賢者の贈り物』という物語がありますよね。私はあの夫婦の選んだ贈り物が不適切だと思っていました。でも、違ったんです。二人がお互いを理解しているからこそ、適切な贈り物を選ぶことができたんです。

 だから、私は貴方の事をもっと知りたいです。サンタとしてだけではなく、私自身が貴方のお願いを叶えたいんです。ダメですか?」

 見上げながら心中を吐露するジャンヌ・リリィは、感情の高ぶりで瞳が潤んでいた。決して軽くはない思いの丈は、エミヤにちゃんと届いていた。

「……時間は少ないが、それでもいいなら話は別だ。

 ただ、私は願いのない男だがね」

 その会話を最後に、二人はまた海を見た。

 

 その日のうちに、ジャンヌ・オルタに二人きりで海に行ったことがバレて、結局三回も来ることになるエミヤだった。

 

 




 もしダメだと言われても、論破して見せますから。
 サンタさんの相棒は、トナカイさん(マスター)だけではありません。先輩の騎士王さんがそう言っていました。


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エミヤと魔神王

 カルデアは、遂に魔術王の居城を発見した。

 それは、魔獣が蔓延る古代ウルクに存在した特異点の修復と同時の出来事であり、命と引き換えにウルクを救った英雄王からの餞別のようであった。

 しかし、喜んでばかりはいられなかった。カルデアが観測したということは、魔術王(あちら)側も観測できているということに他ならなかった。

 時間軸から切り離された砦は、唯一の利点を失った。もはや一刻の猶予もないことは明らかだった。

 人類の存亡を懸けて、正真正銘最後の戦いが始まる。

 神殿の周囲は宇宙空間だった。魔術王改め魔神王ゲーティアは、創成から歴史をやり直すつもりだったため、それは必然でもあった。

 立香はここに降り立って、レフの歓待と視界を埋め尽くすほどの魔神柱見た。魔神柱の残基による再生を繰り返された絶望に、一度は押し負けた。

 だが、運命は彼女を見捨てなかった。

 サーヴァントの召喚制限を取り払ったカルデアからの援軍。

 立香との縁に導かれて現れた敵味方を問わぬ増援。

 英霊達に背中を支えられ、宇宙(そら)を彩る極天の流星雨に鼓舞されて、立香は再び立ち上がり、ゲーティアを打ち破った。

 

 そして、一度倒したはずのゲーティアは──立香の帰路に立ち塞がる。

「おまえを生かしては帰さない」

 ゲーティアの消失によって光帯の状態が不安定となり、その余波で神殿が崩れ始めていた。もはや一刻の猶予もなかったが、聖門を潜らせまいと行く手を阻む。

「だが、私の大望を阻む壁がもう一枚あったようだな」

 待ち伏せのような出現であったが、幸いにも立香の方が聖門に背を向けている。そんな彼女を庇うように、赤い外套の弓兵が前に出た。

「まさかここで顕れるとは、予想しなかった訳ではないがね。だがその心情は理解はできる。──意地というものだろう?」

「……そうだ。私にも意地が出来たというべきか。

 限りある生を得てようやく理解した。人間の精神性をな。3000年の努力は見当違いだったという訳だ」

 エミヤの軽口に付き合うゲーティアは、一度消滅したとは思えぬほど存在感が大きかった。

 弓兵は背後の少女に視線を流す。

「どうにもそうらしい。意地の張り合いには君が付き合う事必要も無い。先に戻ってもらえるかな?」

「……でも」

 立香は即答できなかった。普段の彼女であれば考えられない。

 だが、無理もない。

 戦いの最中でマシュを失い、ドクターロマンことソロモンは存在を座から消滅させた。親しい人の訃報が立香の心に重くのしかかっていた。ここでエミヤも消えてしまうのかと思うと、決断が鈍る。

 五番目の特異点でも似たようなことはあったが、冠位時間神殿の特異性故に、エミヤが無事に帰れる保証はない。

 立香の苦悩を察したのか、弓兵は諭すように語る。

「君は私が思った以上に成長している。傍で見ていたが、七つの特異点を乗り超えたんだ。

 立香──そんな君が最初に呼んだサーヴァントが最強でないはずがない。それに、ここで逃げてはマシュに合わせる顔が無くなってしまう」

 エミヤは初めて立香を名前で呼んだ。

 穏やかな顔は、英霊エミヤではなく、サーヴァント──エミヤシロウとしての顔だった。

「マスター──指示を」

 サーヴァントとしての務めを果たそうと、切り替えられた視線は再度ゲーティアに向けられた。

 弱体化したゲーティアが相手でも、エミヤが負ける可能性は十分にある。立香も共に戦うべきだろうが、勝利条件はカルデアへの帰還だ。

 マスターである彼女にできることは、一つだけだった。

『必ず──帰ってきて』

 その言葉と同時に、立香の左手の甲から令呪最後の一画が消える。一日で全回復する令呪だが、立香が使い切ったのは初めてだった。限定的な強化を可能とするこれに、言葉も宣言も必要ない。しかし、どうしても伝えたかった。

 エミヤにこの場を任せ、聖門へ向かう立香の背に声が届いた。

「やれやれ……これは負けられないな」

 立香にはエミヤの苦笑する姿が思い浮かんだ。

 

 ゲーティアは静観していた。

 彼の立場では、立ち去る立香を襲っても良い筈だった。

「マスターと戦いたいのではなかったのか?」

「最初はそのつもりだった。

 いつ頃からだろうか、おまえが見過ごせない存在となったのは」

 表情を変えず、魔神王は言った。

「取るに足らぬ英霊だと思っていたが、どうにも様子がおかしかった。何事も無ければ、私の前に立つのはカルデアのマスターだった」

 未来を視るゲーティアは、不思議そうに話す。彼の言葉通りならエミヤはここに居らず、立香がゲーティアと戦っていただろう。それに違いはない。

「だが、その仮定など今となっては意味を成さない。

 抑止の守護者よ……今一度問おう。未だ人類に期待するのか?」

「無論だよ。喜びも悲しみも、過去を背負って未来に進むのが人間だ」

 人々に裏切られて処刑されたエミヤだが、恨むのは過去の自分自身だけだ。信頼を得られなかった己の力不足が原因だと考えている。

 それに、すべてを無かったことにして歴史を造り直そうとするゲーティアには、賛同できなかった。かつて置き去りにしてきた過去がそうさせない。

 表情を変えずにその回答を受け止めたゲーティアに、驚きは見られなかった。エミヤがどう答えるのか、分かっているかのようだった。

「これ以上の問答は不要か。決着の時は来た」

 その宣言を待っていたかのように、不安定だった光帯が魔神王の左手に集束し始める。

「もはや対人に抑える必要はない。ソロモンの存在は消滅したが、一度くらいは放てる」

 それは、ソロモンの第三宝具だった。人類の営みを熱量に変換した魔力は、直に本来の姿へ戻る。それをこの拡散するエネルギーに代行させて放とうとしていた。

 対人宝具であった一度目は、雪花の盾を掲げた少女が命を賭して防いだ。しかし、二度目はそれを上回る対人理宝具としての使用だった。

「私は私の譲れないものの為に君を倒す。これが私の全力(すべて)だ」

 畏れることなく、エミヤは平然と言い放つ。

「怖気づく訳にはいかんな。彼女(マシュ)の先輩として示しがつかない」

 そう言って右腕を胸に置いた。

 しばし睨み合った両者だったが、先に動いたのはゲーティアだった。

「魔神王……いや、人王ゲーティア最期の攻撃だ──おまえの焼却を以って痛み分けとする」

『──誕生の時きたれり、其は全てを修めるもの(アルス・アルマデル・サロモニス)

 集束した光が一気に解放される。広範囲に広がらず、エミヤという一点に向かう。

 対人理に復帰した宝具を真面に食らえば、霊基は瞬く間に消滅し、カルデアはおろか座にすら帰れない。

 迫りくる破滅の光を見据えながらもエミヤは冷静だった。短い時間の中で、スキルの鷹の眼と心眼(真)により戦況を分析していた。

 エミヤの背後、直線上には立香が居た。ゲーティアもそれを分かった上で攻撃している。ここで止めなければ全てが水の泡だ。

「──同調、開始(トレース・オン)

 この状況を覆す方法は何か。

 月の聖杯戦争ではないため、流石にアイアスでは荷が重すぎる。

 無限の剣製では、固有結界を貫通されると時間稼ぎにもならない。

 己の体内から、この状況を覆し得る鍵──もはや持つことがないと思っていた、あの宝具を取り出す。

 それは、とある聖剣の鞘だった。

「何と言って怒られるだろうか。いや、次に会う時は忘れているだろうな」

 自分を顧みない戦いは、筋金入りだと自覚している。どんなに諭されようとも前に立つだろう。誰かを守れるのなら、エミヤはそれでいいのだから。

 生前に一度呪いを弾く力を貸してくれた鞘を構え、想像し得る限り最強の守りの真名()を呼んだ。

「これは私の幻想だ──」

『──全て遠き理想郷(アヴァロン)

 守護の光と破滅の光が拮抗する。

 一瞬の時間が永遠に思えるほど引き延ばされていた。

 人理焼却で焼き払えなかった理想郷の力を有する鞘は、対人理宝具すら防いでいた。

 ただ、防げるだけだった。攻撃を跳ね返して相殺しても、押し切れない。投影品ではないが、本来の担い手ではないことで性能を引き出しきれていない。

 しかし、ここは立香が逃げるだけの時間を稼ぐことが最優先課題だ。数秒、数分が経過し、エミヤが注視すると、ゲーティアの放つ光帯もあと僅かであることが見て取れた。

 そして、無情にも鞘は力を失いつつあった。

 目論み通りに立香がカルデアへ帰還し、その影響で魔力供給のパスが薄れ始めていた。隔絶した空間同士だったため、当然の事でもあった。英霊にとってこの空間は悪影響しかない。

 限定的な貸与を受けたこの鞘は、魔力がなければ維持できない。

 カルデアからの供給が途絶えただけで、均衡が崩れる。一人の人間に、人類の歴史が持つ熱量はあまりにも重すぎる。

 そしてエミヤは、光に包まれた。

 










 エミヤを消し去ったはずのゲーティアは、浮かない顔をしていた。同時に、満ち足りた顔をしていた。
「最期まで人の縁に阻まれるか。だがそれもいい。私は彼岸よりおまえたちの旅を見届けよう。実に……素晴らしい……命だった」


 ──人の、人生は


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エミヤと──

 遠い、遠い夢を見ていた。正義の味方を目指して荒野を往く日々。

 夜、一人で空を見上げては、届かぬ星に手を伸ばし続けたあの頃。

 胸に秘めた鞘が背中を押しているような気がしていた。

 

 手を引かれるように、導かれて意識を取り戻す。

 エミヤは、自分が横たわっていることに気付いた。視線の先は、どこか懐かしい朝焼けの空だった。

 変わった点は一向に明ける気配がないことだった。

「ここは一体……」

「キミなら予想がつくだろう」

 上体を起こしたエミヤの背後から声がした。それは、ウルクで聞き覚えのある声色だった。

「……ああ、理解したよ。やはりというべきか、花の魔術師(マーリン)?」

「私は特に覚えがないけどね、エミヤシロウ君」

 如何にも魔術師といった装いで、足元に花を咲かせている男はマーリンだった。鋭いエミヤの視線もどこ吹く風という佇まいだ。

「罪なき者だけが通れると聞いていたが、どんな手品を使ったのか是非ともご教授頂きたいな」

「簡単さ。鞘を使えば使用者の身は理想郷(ここ)に来る。それなら、私が相手を選んで干渉するのは容易なことだよ」

 ゲーティアの光に包まれる直前に引き寄せたという。さも簡単そうに語る魔術師を見て、エミヤは苦笑いをした。

「これ以上聞いても参考にならんらしい」

「つれないな、ここまで大変だったんだ。カルデアの新システムには間接的に関わって、魔力はここから送って、徒歩でウルクにも出張したのもね」

「加えて、私に鞘を宿した、か。あの盾を融通したのもおそらくは──」

「──そう、私だよ」

 そう言って、魔術師は笑った。

「世間話は嫌いではないが、そろそろ本当のことを話してもらおうか。

 私をここに呼んだ理由をな」

「勘が良いね。生前でも鈍くなければ……と、これは関係ない。

 単刀直入に答えようか。君がここに来たという事実が欲しかったんだ」

 想像の斜め上を行く回答に、エミヤはマーリンの言葉を一瞬で理解出来なかった。

「何を想定しているのか、私の存在で何が変わると──」

「──ここには彼女が居る」

 エミヤは押し黙った。マーリンの言葉を理解したために。

「キミではないキミが再び剣に出会うなら、もう一人のキミの力が必要だ。

 自分の道を信じ抜けばアヴァロンは門戸を開くだろう。ベディヴィエール(ルキウス)のようにね」

「……なぜ私なんだ? 気に掛ける理由は何だと言うんだ」

「その答えは、もう心の中にあると思うけどね。敢えて別の答えを言うなら、これはただのお礼さ」

 マーリンは、悪戯が成功した子供のように楽しげに笑っている。

「彼女が聖杯を求めるようになって、一度は消滅の危機だったんだよ。生きたまま参加しているから余計にね。でも、彼女は救われたんだ。かつて捨ててしまった、大切なものを取り戻したからね」

 マーリンは覚えている。彼の少女が選定の剣を抜く時、マーリンの問いかけに何と答えたか。

「だが、それを成したのは、私ではないがな」

 否定するエミヤだったが、マーリンはそう思っていなかった。

「少し違うよ。キミに出会えたから運命が変わったんだ。衛宮士郎と出会う運命にね」

 アーチャーとなるエミヤがアルトリアと出会っていることは、衛宮士郎の視点で確定していた。マーリンは、その確定事項が大事だったと言う。

「何も出来ないと諦観していたんだけど、他でもないキミが、彼女の心に変化を与えたんだ。そして、もう一人のキミが最良のハッピーエンドを見せてくれた。だからこそ、アーサー王はここに眠っているのさ」

「事情は分かった。しかし、よく渡せたものだな。私にはその資格がないと思っていたが」

「今更何を言っているんだい、鞘はキミを認めていたんだよ? キミ自身が迷っていたから内海に還って来ただけさ。それでも、キミを見守っていた」

 その言葉を受けて思い返すことがあった。

 なぜ、エミヤは生前の記憶を思い出せるようになったのか。答えは簡単で、体の一部だった鞘が記憶を蓄積していて、エミヤの記憶を補完したということだ。

 一端話を切ると、マーリンは言った。

「それでどうだろう、全て遠き理想郷(アヴァロン)は気に入ってくれたかな?」

「……お陰様でな。

 お節介な英霊が居るものだと思っていたが、思惑までは気付かなかったよ。意図的な女難の相は副作用と言ったところか」

 生前縁の女難の相を発揮し、味方として冠位時間神殿に援軍で来たはずの黒髭から恨めしそうな視線を向けられたりもしたが、今となっては過ぎた話だ。

「……どういうことだい? 副作用なんて、私には心当たりがないけど」

 マーリンは無情にも否定した。

 珍しく、信じたくないと言う顔をしてエミヤは空を見上げる。何度見ても綺麗な空だった。

「馬鹿な、在り得ないだろう。元からここまで酷いと言うのか」

「元気を出して欲しいな」

 エミヤには、マーリンのその言葉すら励ましに聞こえた。

「それに、キミはカルデアに帰るんだろう。準備はもう出来ているけど?」

「ああ、確かにそうだ。誓ってしまったからな。正式な別れはその後になるだろう。

 しかし、何事もなければ一番だがそうもいかないだ。マスターは失ったものが多すぎる。何もできないとは、何とも不甲斐ない」

 エミヤの心情を察したのか、何も語らないマーリンは虚空へ杖を翳す。

 すると、その先に光が集まり、扉のようなものが出現した。

「さあ、もう時間だよ。あまり待たせない方が良いだろう?」

 マーリンの顔を一瞥したエミヤは、立ち上がると光の扉に足を向ける。

「あと一つ、言い忘れたことがあったな」

 潜る直前になって突然振り向いた。

「何かな。一つとは言わずいくらでも受け付けているよ」

 マーリンは、どのような文句が飛び出すのかと楽しみにしていた。

「礼を言っていなかったな。私は、また正義の味方に戻れたよ」

 言い切ると、エミヤはすぐさま光の中へ消えていく。

 珍しく驚いた顔のマーリンは、顔を見られなかったことに安堵しながら、思い出すことがあった。

「本当に、キミ達は似た者同士だね。召喚されたのは当然のことだったのかもしれない。

 さようなら錬鉄の英雄、キミは直ぐ知ることになるだろう。世界はまだ救われていないと……」

 

「運動不足かな。少し疲れてしまったよ。今回は……長く眠りそうだ。

 しばらく、休ませてもらうよ」

 



















『起きるんだ、エミヤ君』
 どこかで聞いた声に起こされる。その声の持ち主には、二度と会う事が出来ない。
 目を開いたエミヤは、見覚えのない部屋の中に居た。起こされたとき、小動物の気配もしたはずだが誰も居なかった。殺風景な部屋で、会議に使っていたのかもしれないテーブルと椅子が置かれていた。
 気にすることでもないかと判断したエミヤは、部屋を出る。
 彼はまだ知らないが、その部屋は『ロストルーム』と呼ばれていた。

 マスターの立香を探して外に出ると、雲一つない綺麗な空がエミヤを迎えた。
 そして、弓兵の姿を捉えた立香に抱き着かれたエミヤは驚いていた。死別したはずのマシュと再会し涙を流されたこともあるが、ダヴィンチの一言が更に追い打ちをかけた。
「お楽しみ所、申し訳ないんだけど、カルデアは業務を継続することになったんだ。
 ……え? 何故って? 特異点らしき存在が観測されたのさ。カルデア側はこれを亜種特異点と呼ぶことにしたんだけど、同時に修正対象になってしまったんだ。国連でも議題に挙がるだろうね──」
 事の顛末によって、今後の運営が変わるだろうという説明をしていたが、花の魔術師は何も言っていなかった。
 冷静になって考えてみれば、体内の『アヴァロン』も健在だった。役目が終わるなら回収するはずであり、彼の魔術師が知っていたと判断するには十分すぎる。
「文句の一つでも言っておくべきだったか」
「どうしたの、エミヤ?」
「いや、何でもない」
 立香にも聞かれなかった呟きを、胸にしまうエミヤだった。

 
 大いなる旅(グランドオーダー)は、まだ始まったばかりだ。


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エミヤと天の女主人

 その少女に出会ったのは、一度だけではない。

 魔術師の冷徹さと相反する人の良さを併せ持つ彼女に、時には命を奪われそうになり、時には命を救われた。それは、死後も変わらなかった。

 しかし、疑問に思う。彼女はいつから衛宮士郎の事を知っていたのか、今となっては知る由もない。そして、彼女へ抱いていた感情が好意だったのか、憧れだったのか、それも──今となっては分からない。

 

 亜種特異点修復に向けた作業が進む中、エミヤは厨房で皿を洗っていた。

 ダヴィンチの交渉術によって食糧難が解決し、多少凝った料理も作れるようになった今、エミヤは存分に腕を振るっていた。

「……初めてここに来たようだが、女神が一介の英霊に何か用かね?」

 そんな彼の元へ近づく気配があった。

 気付いたエミヤは振り返らずに問いかけると、聞きなれた声で返事があった。

「あら、随分な言い草ね。相応しい態度でもとってみたらどうかしら。少しはマシになるかもしれないわ」

 浮遊する弓──マアンナに搭乗したサーヴァント、イシュタルは憮然とした表情だった。

「おっと、これは失礼した女神様。生憎と用意がなくてね、茶の一杯も出せない我が身を許していただきたい」

「……やっぱり聞かなかったことにして頂戴。貴方にそう言われると、なんだかむず痒くなるわ」

「全く、勝手な女神様だ」

「そもそもね、常日頃から少しくらい敬ってもいいとは思わないの?」

「然るべき風格を身に着けた上での発言ならば、私も相応の振る舞いを心がけるのだがね」

「失礼しちゃうわ。ま、許してあげる」

 イシュタルは、浮遊する弓から飛び降りると、近くの席に座る。

「用件はちゃんとあるわよ。

 中々の評判らしいわね。──オムライスを作って頂戴」

 

 半熟のオムレツをナイフで開帳し、女神は差し出されたスプーンを手に取ると、これまた慣れた手つきで一口含んだ。

「……評判に違わずね。貴方、生まれる時代を間違えたのかしら」

「料理人の畑とでも? 相当の機会がなければそちらの道には進まんだろうな」

 座るイシュタルに対して立ったままのエミヤは、給仕を終えて腕を組んでいた。

 しかし、その心中は穏やかではない。

 気の赴くままに振る舞うイシュタルは、あの賢王(ギルガメッシュ)ですら苦い顔をするほどのトラブルメイカーであり、彼女の依代がよりにもよって──遠坂凛だった。

 依代の仕組みは、孔明もといロード・エルメロイ二世に聞いたこともあり、無事が保証されていることは分かっている。

 何度か危険に晒した手前、強くは言えないしその資格もないが、彼女が傷つくと肝が冷える。

 一瞥すると、イシュタルの影響を受けているのか、際どい恰好をしていた。本人の意識があれば、どう思うだろうか。

「何か気になったものでもあるの? 見かけによらず厭らしいのね」

 気が付くと、イシュタルは愉し気にエミヤを見ていた。

「さて、何を見ていると思ったのかこちらが聞きたいところだ。腕が衰えていないと確信していただけだ」

「大した自信家ね。女神を眼中に収められる事実を光栄だと思いなさい」

「先程の言葉、君に返却させてもらおうか」

 オムライスを頬張る女神を尻目に、弓兵は食後のコーヒーを用意しようと厨房に体を向ける。

「……口は悪いけど、やっぱり(・・・・)腕はいいのね。」

 思わず足が止まった。

 イシュタルが食堂に来たのは今日が初めてなので、特異点で振る舞った機会を基準にしているのかもしれない。

 だが、妙に実感が籠っていた。人格が違うと、勘違いしてしまう程に。

「……どうかしたの?」

「なに、勿体ないほどの褒め言葉だと思ってね」

「妙に素直ね。調子が狂っちゃうわ」

 

 機嫌も悪くなく、食後のコーヒーも気に入ったようだった。

 珍しいことに多くを語らず、優雅に嗜む姿は美の女神を体現している。

「それで、何があったのかしら?」

「ん? ……ああ、さっきの事か。素直に評価を受け止めただけだ」

「──嘘ね」

 静かにカップを置いたイシュタルの紅い瞳が、エミヤを捉える。

「私を通して別の誰かを見ていたんでしょ? より正確には私であって私ではない誰か、と言ったところかしら」

「随分と勿体ぶるものだな。真相は既に分かっているだろう」

「貴方の口から聞くまで、ただの推測に過ぎないわ」

 頑として譲らない女神に、弓兵の方が先に折れる。

「降参だ。

 君が依代としている少女とは面識があってね。老婆心ながら心配していた」

「ふーん……本当にそれだけかしら」

「何か言いたげだな?」

 腕組を解いたエミヤに対し、イシュタルは頬に指を添えていた。

「だって貴方──笑っているじゃない。

 余程の思い入れがなければ、そんな顔はしないはずよ」

 その言葉を受け止めるには、少しばかりの時間が必要だった。

 エミヤの胸中を察したのか、イシュタルは不機嫌そうな顔になる。

「信じてないでしょ」

「それもそうだ。信ずるに足る確証がないからな」

 そうは言ったが、内心は状況の判断で忙しなかった。

 感情を表に出すようになったからとはいえ、どのような表情を作っているのかエミヤ自身は自覚している。

 そう言われて直ぐに認められるはずもない。

依代()の子がそんなに良いんだ。ちょっと妬けちゃうわ」

「……勘弁してくれ。恩人を大切に想うのはよくある話だと思うがね」

「だって私、女神だもの。分からないわ」

「まさにそうだな。君を理解していない私が迂闊だった」

 女神の機嫌を損ねると突拍子もない災難に襲われる。カルデアではよくあることだが、イシュタルまで加わるのは如何ともしがたい。

「第一にだな。そこまでよく知りもしない掃除屋に、君が構う理由などないだろう」

「あるわよ、理由」

 イシュタルは、あっけらかんとした表情で続けた。

「文句を言いに来たのよ。

 かっこつけすぎだって」

 弓兵は怪訝な顔で女神を見返す。

「貴方はね、一人で抱え込み過ぎなのよ、マスターのあの子やマシュを見習ったらどう?」

「何を言っているのか、我々は手を貸す側であって──」

「──それがそもそもの間違いなのよ」

 エミヤの返答をバッサリと切って、イシュタルは極めて冷静に諭す。

「どうして貴方一人でなんでもこなそうとするわけ?

 そのままにしてたら、いずれ燃え尽きるわよ?」

「心配してくれるのは有難いがな。死んでも変わらん性格だ。こればかりは私自身でもどうにもならん。

 しかし……いや、なんでもない」

「なんで微妙なところで止めるのよ。気になるじゃない」

 イシュタルの忠告は尤もな話だった。しかしながら、本来の性格を考慮すれば優しすぎるほどだった。

 とはいうものの、極端すぎるだけで善悪の両面を併せ持っているだけだ。

 なぜイシュタルの依代に遠坂凛が選ばれたのか、エミヤは依代の災難体質ではないかと推測していたが、納得できる理由がようやく見つかった。

 二人が似た者同士という単純なものだった。

「気に留めるほどの事でもない。そんなに気になるならば、答えるのも吝かではない」

「本当に素直じゃないわね」

 呆れながら呟くと、イシュタルは席を立つ。

「ごちそうさま。なかなか良かったわよ」

「そう言ってもらえるなら、私の腕も捨てたものではないようだ」

 待機させていたマアンナに乗ろうとする女神は振り返ると、片づけをしている弓兵にこう言った。

「そうさせてもらうわ。

 ────衛宮(エミヤ)君」

 反応したエミヤが顔を向けるが、イシュタルは飛び去った後だった。

「まったく……やってくれるな」

 依代の記憶は共有していないはずだが、どこまで本当なのか。

 気にはなったが、答えてはくれないだろう。

 




 なぜか、あの呼び方が頭に浮かんだのよね。
 でも、私より依代の方が気になるだなんて許せないわね。女神を本気にさせたらどうなるか、思い知らせてあげるんだから。


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エミヤと九郎判官

 彼女は、大好きな兄の心が分からなかった。

 

 修復されつつあるオケアノス、その大海原を眼前にしてエミヤは居た。投影した釣竿を片手に、波で揺れる浮きを見ている。

「エミヤ殿、私は大漁でした。そちらは釣れましたか?」

 嬉しそうに声を掛けてきたのは、牛若丸だった。片手には、種類の豊富な魚が数珠繋ぎにされていた。

「残念ながら数匹しか釣れていないな。自信はあったのだが、今日は随分と調子が悪い」

 食糧事情が改善されたからと言っても、食料はあるに越した事は無い。二人は、実質的なカルデア代表となったダヴィンチの依頼で、魚介類の調達に来ていた。エミヤの相方が牛若丸だったのは、新人研修のようなものだ。

 依頼主がダヴィンチだったため本来なら断ることもあり得たが、彼女が真面目に働く姿を見ているエミヤは、断らずに引き受けていた。

「狙う獲物は違えど、狩りは得意ですから。

 しかし、エミヤ殿は弓だけでなく釣りの名手だとも主殿から伺っていましたが、珍しいものですね。ともすれば、主殿が以前言っていた『ふらぐ』とやらを立ててしまったのでは?」

 魚の首ならぬ頭だけを持ってこられなくて良かったと、エミヤは別の意味で安心していた。牛若丸が言うと、狩る対象が違うように聞こえてしまう。

「ジンクスか、私としては否定したいところだが、生憎と結果がそれを許さないようだ」

 自嘲気味に笑うしかなかった。己の発言を回顧すると思い当たる節はある。「釣りつくしてしまっても構わんのだろう?」と開始前に言い放ったが、それが良くなかったのかもしれない。

 一方、バビロニアでの失敗を生かして海上を走れるようになった牛若丸は、水面から木の棒で串刺しにして漁をしていた。どちらが優勢かなど、空きのあるバケツと紐に連なった魚を見れば一目瞭然だった。

 すると、思考の海に浸るエミヤの隣に牛若丸は腰掛けた。

「一休みか、はたまた勝者の余裕と云ったところか」

「そのようなつもりはありません。ただ、貴方に相談したくなったもので」

「ほう、それこそ珍しいものだ。なぜ私に?」

「おや、ご存じないのですか。

 エミヤ殿はカルデアの相談役であると、主殿から仰せつかっておりますが……」

 訝しげに眉を寄せる牛若丸に、エミヤはそれが冗談でないことを察した。

「成程、確かに初耳だ。後でマスターから事情を聞くとしよう」

「なにやら、楽しそうですね」

「さて、どうだろうか。怒りを隠しているだけかもしれんぞ」

「そのような顔で言われても、兄妹の微笑ましい喧嘩にしか見えません。喧嘩に関しては私にも覚えがありますからね」

 彼女の言う喧嘩とは、頼朝による義経討伐の事を指す。比較するには、規模も理由も違いすぎる。

 お茶を濁すために苦笑いしながら、エミヤは話題を変える。

「さて相談事だったか。

 私の予想では……君の兄上に関することか」

「……なんと、よくぞ見抜いたものです。私から兄上を連想するとは、当然ながら兄上の威光は遥か未来にまで轟いているのでしょう」

 それ以外に何があるのだろうかと、喉元に達した言葉を飲み込む。カルデアの面子に聞いても、十人中九人くらいは当てられるだろう。知る由もない牛若丸は、エミヤから返って来た至極当然の発想を感慨深そうに噛みしめていた。

「私はもっと兄上のお役に立ちたいのです。私には出来ぬことも、兄上ならば難なくこなして見せるでしょう。なら私は、さらに上を目指さなければならないのです」

 兄である頼朝に対する並々ならぬ感情、崇拝とも呼べる偏った兄弟愛、そんな牛若丸の姿勢には見覚えがあった。

「そうしなければならない……か」

「何か仰いましたか?」

「いや、他愛のないことだ」

 骨身に応える言葉だった。なぜ立香がエミヤを推薦したのか、その理由が何となく分かってしまう。

 一難去ってまた一難、未だにマスターとして忙しい筈だった。そのはずなのに相変わらずサーヴァントのことをよく見ていると、エミヤは感心してしまった。

「私に言えることは特にない。だが、張り切りすぎると返って遠回りすることになる。それに気を付ければ問題はないだろう。君が兄に劣っていると感じているのならば尚更だ。身の丈に合わん理想は自滅行為だ」

「……妙に実感がこもっていますね」

「それは気のせいだ」

 相手が衛宮士郎であれば、もう少し厳しく語っただろう。未熟さを悟られないよう、エミヤは平然を装った。

「最近知ることになったのだが、身を削りすぎると心配をかけてしまうらしい。

 君が傷つき倒れて、兄に無用な心配を掛けたくはないだろう」

「そういわれればそんな気もしますが……」

 牛若丸は歯切れが悪い。考えるよりも行動に移すことが多い彼女には、合わない考え方だろう。尤も牛若丸こと義経は、兄の頼朝に討たれたのだが。

「君は兄をどう思っている?」

「それはもう大好きです」

「なら、その逆もあり得るのではないか」

「……そうであれば、私に思い残すことはありませぬ。

 恨んではおりませんが、我が兄──頼朝が私をどう思っていたのか、全く分からないのです」

 戦場に立てば獅子奮迅の活躍をする英傑といえど、何よりも恐ろしいのが兄に嫌われることだった。

「政治の心得はありますとも。私を殺す必要があったからそうしたまでのこと。私の命一つで兄上のお役に立てるなら本望です」

 特定の誰かのため、自分以外の人間の為に命を擲つ姿は、あまりにも似ていた。

 相手の考えが分からず、戸惑い続ける姿は、よく知る彼女にどこか似ていた。

「……私には友人が居た」

「エミヤ殿?」

「素直になれず口は悪いんだが、根は良い奴でな。こんな私の事も心配してくれたんだ。

 当時の私は、彼の本心に気付けなかったがね」

 天才と称される牛若丸でも、突然語り出したエミヤの意図が掴めずにいた。兄に関することになると、なぜか彼女は思考が鈍ってしまう。

「私見で申し訳ないが、素直になれないだけで、本当は君の事を思いやっていたのかもしれんよ。君の言う兄は、非の打ち所がない美丈夫なのだろう?」

「ふふ、そうですか……」

「笑わないでほしかったのだが、仕方がない。こういったことは不得手でね」

 ニヒルな笑みを浮かべようとして、上手く決まっていない。彼自身、かつての友人の話をして気恥ずかしいのが原因だった。

 その原因を知らない牛若丸だったが、そんなエミヤの姿を見て弁慶を思い出していた。互いに敵として戦った鮮烈な出会いから始まり、安宅の関での名演技、そして最期の時まで共に戦った筆頭の家来。力の加減を弁えずに接することも少なくなかったが、そんな彼女に付き従った男は、ここぞという時こそ言葉を重んじた。

 だからこそ、牛若丸は弁慶を重用していた。目の前の男は、手先の器用さとは裏腹に相手への気遣いは不器用なところが、とてもよく似ていた。

「……笑った顔が可愛いとマスターは言っていたが。成程、間違いないらしい」

「ははは、冗談はいけませんよ。私が可愛らしいなどと、主殿もそうですがエミヤ殿も人が悪い」

 怒っているような文言だったが、若干ながら目が泳いでいた。褒められ慣れていないのだろうか、とこれまでの経験からなんとなく察したエミヤは、良かれと思って牛若丸をもっと褒めてあげるよう立香に進言することに決めた。

「相談役は見当外れではないようです。

 ……何はともあれ、主殿に仕える者同士。力を合わせましょう、エミヤ殿」

「私にできることなど高が知れているが、全霊を以って力添えしよう」

 カルデアでの相方を見つけた牛若丸は、楽しく立香に仕える未来を夢想していた。

 

 そしてエミヤの竿は、この会話が終わってもしなる事は無かった。

 

 




 エミヤ殿は是非とも勧誘したいものですね。
 与一に勝るとも劣らない腕前ならば、兄上も喜んでくださるでしょう。








 謎の装置を前にして、初老の紳士は不敵な笑みを浮かべていた。
「暇を持て余すとはいい身分だな。ご自慢の策とやらの仕込みは終わったのか?」
 紳士に声を掛けたのは、浅黒い肌の男だった。その金の瞳は鷹のように鋭い。
「勿論だとも。君の力も使わせてもらうよ、アーチャー(・・・・・)
「ぬかせ。貴様の方こそ足手まといになるなよ、アーチャー(・・・・・)


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エミヤと黒白のパラディオン

 薄暗い教会に一人の少女が打ち捨てられていた。

 際どい恰好の体は満身創痍で、手を動かすだけでも精一杯だった。さらに記憶も操作されており、己が何者かすら理解できていない。

 不幸中の幸いと言うならば、彼女の痛覚が鈍いことだろう。激痛にのたうち回ることもないが、現実に繋ぎ止める楔の一つが存在しないということでもある。

 このまま朽ち果てるのだろう。しかし、朦朧とした意識の中、諦観する少女の胸中に強く残るものがあった。

 どこにでも居そうな茶髪の少女とその彼女に付き従う赤い外套の騎士。

 ふと浮かんだその光景が何を意味するかは分からない。だが最後の力を振り絞り、袖に隠された右腕を天高く伸ばす。

 不思議なほどに、言葉が自然と口を突いた。

「助けて……アー……チャー」

 意味不明な言葉の羅列を、消え入りそうなほど儚い声で紡ぐ。状況が変わる訳ではなく、気休めの言葉に過ぎない。

 そして、これで思い残す事は無くなった。不思議と満ち足りた気持ちで、瞼を閉じようと力を抜く。

 だが、少女の切なる祈りが天に届いたか、教会の扉が音を立てて開け放たれた。

 

 そこに居たのは、夢で見た赤い外套の騎士だった。

 

 

 カルデアに召喚されてから、エミヤは幾度となく摩訶不思議な体験をしてきた。その数も今では、生前に負けず劣らずの回数となっている。その発端である藤丸立香のトラブル体質に同情しつつ、彼は彼女の助けとなってきた。

 しかしながら、見知った顔の見てはいけない光景に出くわすなど初めての経験だった。

 メルトリリスと相対して、エミヤは他人事のようにそう思った。

 自室に戻ったエミヤが目の当たりにしたのは、メルトリリスが彼の枕に顔を埋めている姿だった。それを見ると、一歩踏み出した状態で呆然と立ち尽くすしかない。

 彼が発した物音に気付いて顔をあげたメルトリリスは真顔になったが、立ち直るのは早かった。

 未だ呆気にとられるエミヤを尻目に、床を滑るように接近し、計算された軌道で華麗に宙を舞う。そして、本能的に受け止めようと伸ばされたエミヤの腕に収まった。

「ふふふ、会いたかったわアーチャー……いえ、シロウだったわね。酷い人、ちゃんとした名前があるじゃない」

 何事もなかったかのように振る舞う彼女を見て、エミヤは疑問を飲み込んだ。

 嗜虐的な笑みを浮かべる少女に、知られてはならない秘密(なまえ)を知られている。当たり前のように真名を呼ばれているが、第五次聖杯戦争の時ではありえないほどに迂闊だった。

 訂正するのを諦め、真名の情報漏洩への対策を疎かにしたエミヤに責任がある。

「生憎だが人違いだな。君の知る私と目の前に居る私は別人だ」

「それなら残念ね、私は細かいことを気にしないの」

「……そうか。ああ、分かっていたさ」

 形ばかりの説得もやはり空振りに終わる。彼はそう思うものの、効果があったためしがない。

 思い返せばメルトリリスは女神の集合体、並行世界の別人程度の誤差は気にするほどの事ではないのだろう。無論、先程の彼女が見せた失態も同様だろう。

「それでこの状況に説明がつくと良いのだが。私にはさっぱり分からなくてね」

 現在のエミヤは、両腕でメルトリリスを抱きかかえており、さながらお姫様扱いをしていた。

 遠回しに話題を振って行動がはしたないと窘めているが、抱き止めるという選択をしたエミヤにも多少の非はある。人の事を言えない。しかしながら、性格を把握したうえで行動したメルトリリスの思惑通りでも、エミヤ本人はそれを後悔していない。

 彼の胸中を知ってか知らずか、メルトリリスの態度は変わらなかった。

「心外ね、私達の間に何もなかった訳がないでしょ? あんなに濃密な時間を過ごして、私の大切な(もの)を奪ったのに」

「奇妙なものだ、些か記憶に齟齬が生じたらしい。何を奪ったかは知らないが、強いて言うなら命の奪い合いだったはずだと……いや、何でもない」

 熱を帯びた視線を向ける彼女に、呆れながら答えようとした。しかし、あと一歩のところで踏みとどまる。

 自分から別人だと言っておきながら、思わず失言しそうになった。うっかりには気を付けなければならない。

「せっかくの再会なんだから、もう少し喜んでほしいものね。それとも……私の顔なんて、もう見たくなかったの?」

 対する演技派なプリマは、一瞬にして儚げな表情を作る。それが本心かは定かではないものの、エミヤには突き放すことができない。

 彼はため息を一つ吐くと、抱えたままソファに腰を下ろす。

「まったく、そんな言葉をどこで覚えてくるのか。

 ああ分かった、降参だ。まったく……毒気が抜けるとここまで違うか」

「どういう意味かしら」

「存外、可愛らしいということだな」

 エミヤの素直な言葉を聞いて、メルトリリスは思考が止まる。

 かく言う彼は、メルトリリスの変化に驚いていた。最初に会った時と比べて、毒も薄く、棘も無くなり、雰囲気が柔らかくなった。

 交友関係の筆頭がキャスター(メディア)というのが不安の種だが、カルデアでの交流はメルトリリスに良い変化をもたらしていたようだと確信する。

「これだからドンファンって呼ばれるのよ。それを分かっていないのかしら、本当に不愉快だわ。素でこれなら天然の女たらしじゃない」

 メルトリリスは、頬を上気させながら聞こえないように呟いた。

 

 

 メルトリリスは、絶望に屈しそうだった。

 ビーストとして覚醒した魔性菩薩──殺生院キアラは魔神柱ゼパルすら取込み、圧倒的なまでの力を有していた。それは決して名ばかりではなく、呆気ないほどに、藤丸立香の命を容易く奪った。

 エミヤは、拘束されたままのパッションリップと満身創痍のメルトリリスを庇いつつ、予想外の権能に己の無力さを噛みしめながら、尚も立ちはだかっていた。

「怖い顔をしていますね。ですが安心なさってください。貴方も私の中に取り込んで差し上げます」

「ほう、内側から食い破られるかもしれんぞ」

 弓兵は虚勢を張るが、目の前の女に効果はない。月の聖杯戦争における無銘の記憶を閲覧されたことで、戦術も性格も知られていた。

あの男(アンデルセン)の不在、歯止めが効かないとこうまで変わるか。

 ……君に策はあるか?」

 背後の少女に弓兵は問いかける。

「ええ、たった一つだけあるわ。勿論、あの女が待ってくれるという前提が必要だけど。

 今が駄目なら、もう一度やり直せばいいのよ」

 エミヤはその言葉の意味を瞬時に理解する。やり直しと聞いて似たような経験を思い出したからだ

「成程、何とも皮肉なものだな。否定された手法に頼らざるを得ないとは。

 時間稼ぎならば私が引き受けよう。数秒くらいは持ち堪える」

「……本気なの?」

 メルトリリスの懸念は尤もだった。今のエミヤは回復手段を持っていない。あろうことか、奥の手を瀕死のメルトリリスに与えていたからだ。もし仮にあったとしても、勝てると言う確証はない。

 彼を突き動かすのは、己の想定が甘かったために結果としてマスターを死の淵へ追いやった事実。命を懸けるのは自分だけで良かったエミヤにとって、それが一番の後悔だった。

 死に場所を決めた弓兵は、さらに一歩前に出る。

「手がない以上、君を信じる他あるまい」

 

「────後は頼む」

 

 背中越しに見せた横顔は、岸波白野という少女に向けたものと同じだった。メルトリリスが、見ることができないと諦めていた顔だった。

 もう、言葉を交わす暇はない。

 飛び出したエミヤが防御に回る一瞬の隙に、跳躍したメルトリリスはパッションリップの鍵爪に着地する。背中を追うように向けた彼女の目は、必死に足掻きながらも魔神柱の触手に貫かれるエミヤの姿を映していた。

 メルトリリスの胸中を察することなく、それを為した魔性菩薩は余裕を見せる。人類の希望と、邪魔立てする英霊を葬ったのだから当然の事だった。斃した二人を吸収すれば、有用な栄養源もなる。

 故に、身動きの取れないパッションリップと軽傷のメルトリリスが何をしようとも対抗する術がある。

 それが、唯一の慢心だった。

 メルトリリスの意図を察したパッションリップが彼女を打ち出す直前、メルトリリス達の体が光に包まれる。

 何事かと原因を探るキアラの目が捉えたのは───既に斃した筈の立香だった。

 致命傷による激痛に顔を歪めながらも、気力を振り絞り、未だ折れない瞳でキアラを見据えていた。力の込められた彼女の右腕──その甲に令呪は残されていない。

 その意味をキアラが認識すると同時に、振るわれた腕からメルトリリスは空へ飛翔する。立香もエミヤもこの世界すらも置き去りにして、光速に至った彼女は時を貫く。

 強化された力が抜け落ち、貸し与えられた宝具も星の内海へ還ってゆく。

 彼らと出会い、紡いだ時間が消えてゆく。

 

 それでも──繋いだ心だけは離さなかった。

 

 助けを借りて過去に戻ったメルトリリスは手筈を整えていた。今度こそキアラを倒し、未来を取り戻す。その一心だった。

 そしてもう一度、エミヤにあの顔を向けてもらいたい。忘れようと心の奥に仕舞い込んだはずの想いが再燃し、それが二度目の恋になったと彼女は自覚していた。だが過去に戻ったことで、その時間軸におけるエミヤとは初対面になっている。過去の自分を抹消した後味の悪さを胸に残しながら、彼との再会を待つばかりだった。

 結果から言えば、出会えるには出会うことができた。しかし、メルトリリスの心情とは裏腹に、出会ったのは少し違う(オルタの)エミヤだった。

 それでも、彼は正真正銘エミヤだった。

 キアラに囚われ、体を奪われそうになった時、何かのついでかもしれないが、死体に鞭を打った状態で救ってくれた。

 彼の性格を考えれば、メルトリリスごとキアラを倒す方が確実だっただろう。なのにそうしなかった。メルトリリスが少しばかり勘違いしてしまうのも無理はない。

 別れを告げる暇はなかったのが、メルトリリスの心残りだった。

 

 

 エミヤの腕の中で、メルトリリスは思い返していた。本来ならこの記憶は残らないはずだったのだが、なぜか覚えている。

 おそらくは、あのBBの仕業だろうと推測していた。

「気が済むまで待とうと思っていたのだが、なかなか飽きが来ないものだ。私の腕にも限界がある」

 エミヤは呆れた様子で竦める。

「ダメよ。もう少しだけ我慢しなさい」

 そんな彼の顔を見上げながら、メルトリリスはいつになく上機嫌だった。

 

 




 本当に不愉快だけど、そんな気障な所も嫌いになれないの。仕方がないから、膝で突くのは勘弁してあげる。

 また掴めたアナタの手を、今度は離さないから。





 キアラは、メルトリリスが消失した点を見つめていたが、すぐに視線を元の位置に戻そうとした。
 あの行動が時間遡行であることは推測できており、SE.RA.PHの掌握は時間の問題である以上、それすらも意味を成さない。残ったパッションリップと立香達の亡骸を取込み、直ぐに追跡すればいい。
 そう思って、眼下を見た。
「────ッ!?」
 そして、キアラは初めて動揺した。
 気付かぬうちに、見知らぬ来訪者が立香の傍らに居た。一番の問題は出現を察知できていないことだ。
 だが落ち着いて考れば、最上位の英霊ですら歯が立たない存在の自分が何を恐れるのかと思い至る。
「……オレの柄じゃないが、敵討ちくらいはしてやるよ。安心して眠りな」
 キアラの目には、赤いジャケットと白い着物が重なって見えた。


               ── Sword, or Death ──
                   【MONSTER】



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エミヤと被虐のロマンシア

 最初は気にも留めていなかった。

 あの人が連れていたサーヴァントなんて。

 あの人が頼りにしていたサーヴァントなんて。

 

 カルデアの廊下をトボトボと歩く少女が居た。雰囲気は儚い印象を与えるが、その両手は小柄な体に不釣り合いなほど大きい鍵爪をしている。

 そんな少女──パッションリップは溜息をついていた。

 何もせずに愛されたいと思っていた彼女だったが、月の裏側で無条件に愛されることが無いと教えられた。その反省を生かし、このカルデアのマスターに召喚されてからずっと努力してきた。

 しかし、その結果は芳しくない。とある縁でこの場所に招かれたのだが、古参の英霊達と未だに馴染めていないのだった。

 何もしていないにも関わらず虐められている。疎外感を感じている。パッションリップが馴染めていないと判断したのは間違いではないだろう。溜息をついたのは無理もない。

 だがそれは、彼女の視点に限った話だ。

 パッションリップには、無意識の内に相手を煽る悪癖がある。それが馴染めない大きな原因となってるのだが、口が悪いと自覚していない以上、直しようもない。

 更には、イデススキルの被虐体質が相乗効果を齎している。その噛み合った性能で、聖女の一面を持つマルタや生真面目なデオンなど、温厚よりのサーヴァントですら逃れられない。

 例外ともいえる煽らない相手は、契約したマスターであり心から慕っている藤丸立香と不思議と波長が合い師匠と呼び敬愛しているタマモキャットくらいだ。

 自分よりも弱い癖に何度も突っかかって来るサーヴァントは見苦しい。自分のように慎ましくなるべきではないか。そのような経緯について考察することもなく、己の事情を棚に上げて考えていたパッションリップは、あまり会いたくないサーヴァントに出会ってしまった。

 

「ほう、出会い頭でそこまで嫌そうな顔をされるとは思わなかったよ」

 不敵に笑うのは、赤い外套を脱いでいるエミヤだった。月の裏側で暴走していた時、自身の愛が彼に害悪呼ばわりされたことを忘れたことはない。

「何もしてないです。私は悪くないんです。可憐な少女に筋肉を見せびらかす趣味を持つ人が悪いんです」

「失礼した。見苦しいものを見せてしまったようだな、それは申し訳ない」

「理解しておきながらどうして外套を脱ぐんですか。まさか見せびらかしたいんですか」

「理由はあることはあるが、説明する程の事でもない。そもそも常に同じ格好をしているとは限らないだろう」

 エミヤは生前、似たような服装しか持ち合わせが無かったが、今はそこまで偏重している訳でもない。髪型を変えることもある。

 サーヴァントとしては赤い外套と黒のインナーが基本であるが、外套を着ないこともあるし、無銘として召喚された時は岸波白野に着替えてみて欲しいと頼まれたこともある。

「よかった。自覚はあったんですね。てっきりセンスがないのかと思ってました。でも、服のセンスはいまさら何だっていいんです。

 名前は覚えてないんですけど、折角だからアナタに言っておきたいことがあります」

「……まあ、一部は聞かなかったことにしておく」

 パッションリップに悪気はないのだが、ここまでの会話だけでもやはり言葉の選び方が壊滅的だった。

「立ち話でも構わないが、場所を変えるか?」

「別に問題ないです。

 私が召喚される前に、アナタはメルトに何かしましたね。絶対に心当たりがあるはずです」

「随分と勿体ぶった言い回しだな。そんなことを言われても私にはどうにもならんのだが、詳細を聞いてから判断しよう」

 最近はパッションリップとメルトリリスとの仲が良いらしい。互いに性格が落ち着いたからだろう、そんな感想を抱いたエミヤは、廊下の窓枠に手を置きながら続きを促した。

「もう惚気が酷いんです。どこかのアーチャーにお姫様抱っこされたとか、私だってマスターさんとお話ししたくてメルトほど暇じゃないのに、いろんな話を聞いても居ないのに自慢してくるんです。私だって、マスターさんに同じことしてほしいのに……」

 エミヤは沈黙した。薄々気づいてはいたが、やはり己の知っていたメルトリリスとは、性格が違っていたのだという確信を得てしまったからだ。

 そして、パッションリップの惚気を聞かされているということも理解した。

「前はあんなに棘があったのにすっかり丸くなってました。嬉しいことなのに、ちょっとだけ複雑です」

 しかし、エミヤはこう言った相談事には慣れたものだ。

 すぐさま冷静な思考を以って、パッションリップにこう答えた。

「ほう、入れ込むほど惚れた相手ができたのか。ふっ──ああまったく喜ばしいな」

 誰とは言わなかったが、気付かれない範囲で回答した。

「誤魔化されませんよ、現実逃避は許しません。もしメルトを泣かせたらギュッってしますからね」

 上手くメルトリリスだけに関することだと誤解してくれた。エミヤは完全に体を窓へ向け、吹雪が収まらない外の風景を眺める。その表情は遠い目をしていた。図星と捉えたパッションリップはエミヤの態度を咎める。

 とはいうものの、エミヤにはメルトリリスの性格が変わる心当たりは全くない。再会したと思ったら、何事があったのかと困惑する程に好意を向けてきたからだ。

「君の言う通り、素直に喜ぶべきかもしれんが……いずれにせよ、私に選択権はない」

 かつて、可愛い女の子なら誰でも好きと言ったのは失言だったが、彼の本質と女性遍歴を考慮すれば強ち間違いでもない。

 もちろん、誰かに好意を示されることは嬉しくない訳ではない。だが今でも、全てを受け取る訳にもいかないし、受け取る資格もない。

「しかし、君も変わったな。これではどちらが姉か分からない」

 エミヤはそんな胸中を隠しながら、話題を変えるように姉の心配をする妹へ軽口を返す。

「本当にそうですよね。メルトは自分が姉だとか言ってますけど、私の方がお姉さんに相応しい筈です。アチラはどう見ても子供体け……って何でもありませんっ!」

「そうだな、今のうちに気を付けた方が良い。昔から苦言を呈する時に限って本人が現れると相場が決まっている」

 自覚はしていないが姉に対しては発言に気を付ける。過去に煽って失敗でもしたのだろう。

「それでも…………マスターさんに強くしてもらったから、虐められても耐えられます」

「虐められることが前提というのは如何なものかと思うがね。

 さて──」

 頃合いだと判断したエミヤは、パッションリップを真っ直ぐ見据える。

「そろそろ失礼させてもらおうか。なに、心配は無用だ。君の姉を悲しませないように努力しよう」

 そう言って、エミヤは背中を向けて歩き始めた。

「努力じゃなくて約束ですよ」

 立ち去る背中に念を押す声が届くが、二、三歩進んだところで歩みが止まった。

「ああそうだ。私も言っておきたいことがあった。

 これからもマスターをよろしく頼む。彼女達の言う通り、君の可能性を見誤っていたよ」

 言うだけ言って再び背を向けた。彼の脳裏に過るのは、白野と立香の顔だった。

 パッションリップは衝撃を以って受け止めた。かつて害悪呼ばわりしてきたあの怖い顔の男が、今の自分を認めてくれた。いや、認めさせたのだ。

「ん? マスターか…………分かった、すぐに向かう。私の部屋で落ち合おう」

 去り行く背中を追っていたパッションリップの胸中など露知らず、エミヤに立香からの念話が届く。

 在りし日のロマニ・アーキマンが突貫で調整した代物だが、残念な仕様として声に出す必要がある。機能が固定電話とほぼ同じだ。直接会って話す性格も相まって、立香は基本的に使わないが、相手を探す時間が無い時は例外として使っている。

 会話の内容は、久しぶりに三人でお茶がしたいというお願い事だった。パッションリップには分からなかったが、背中越しに立香とやり取りする姿が見て取れた。そうしている内に、エミヤは早い足取りで立ち去ってゆく。パッションリップは、ただ静かに見届けていた。

 

 マスターの立香は全員と会話するし、同行させるサーヴァントも回数が偏らない選出をしている。

 そんな彼女にも信を置く相棒が居る。真っ先に名前が挙がるのはマシュだ。

 だが、実力の高い英霊が数多く存在している中、マシュを除いて一番信頼されている英霊はエミヤだった。信頼とは別の感情を向けている相手も彼だった。

 パッションリップはこれまでに立香の様子を観察してきたが、一番楽しそうな姿を見せるのはあの三人で居る時だ。

 自分だって、立香から愛されたい。方法が分からなくても、愛されたくて前に進んできたのだから。

「アナタにだって……負けないもん」

 

 後日、エミヤに張り合って立香とべったりなパッションリップの姿が見かけられた。

 

 そして、清姫と静謐は新たな好敵手の誕生を物陰から見届けていた。

 

 




 メルトは任せますけど、マスターさんだけは渡しませんからね。
 精一杯尽くして尽くされるのは私の方です。


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エミヤと月の癌

 今もなお、忘れる事は無い。

 とある先輩との大切な時間を。

 隣に立っていた羨ましい立場の存在を。

 

 世界の運命を左右する重大な出来事が一つあった。

 それは、立香が死の運命から逃れたことだ。しかし、その忘却された出来事を覚えている者は数少ない。

 電脳世界(SE.RA.PH)での戦いは虚数事象としてひっそりと幕を閉じ、現実世界に些細な影響も及ぼさなかった。

 間一髪で危機を逃れたカルデアは、いつも通りに特異点という歪みを発見して、修正することの繰り返しだった。変わったことといえば、ひと月ほど前に転勤してきた職員の歓迎会を開いたことくらいだ。

 電脳世界へレイシフトして早々に保護され、そんな大事件に関わることのなかったエミヤは、今日も食堂でカップを磨いていた。

 凛には皮肉な態度を取ってはいたが、家事をすると心が落ち着くのは死んでも変わらない性分だ。

「アーチャーさ~ん!」

 そんな穏やかな時間は、儚く終わった。

 聞き覚えのある声に、エミヤは眉を顰めながら答える。

「もはや驚くまいと思っていたが、私の予想を上回る存在を失念していた。

 ──なぜ君がここに居る、B B」

 顔だけで判断すれば、かつての後輩の姿が重なる。全貌は黒コートを羽織った生徒に見えるし、なぜか教師にも見える。

 SE.RA.PHのAIにして、月の裏側に岸波白野達を引きずり込んだ黒幕、サクラ迷宮の主である少女がそこにいた。最後の最後に改心したような様子で、立香を救うために消えたはずだった。

 そんなB Bは、面白そうな玩具を見つけた子供のようにはしゃいでいる。

「えぇ~……まさかの塩対応にB Bちゃんも苦笑いを浮かべちゃいますよ。折角センパイに居場所を聞いてわざわざ足を運んだんだから光栄に思ってください。

 それ以前に、アナタがそれを言いいますか弓兵(アーチャー)さん。そもそも私のことを覚えていること自体がイレギュラーのはずですよ。俗に言う主人公補正でも働いてますか?」

 少女はエミヤの警戒など、どこ吹く風と言わんばかりに振る舞っている。気を悪くする必要すらないのだろう。

「希望に添えないようで残念だが、異常事態に応対した経験はそれなりにあってね。端的に結論付けるならば、慣れだ。

 それで、質問の答えを聞かせてもらおうか」

「……その様子だと、アレは覚えていないみたいですね」

 一瞬だけ観察するような視線をエミヤに向けると、B Bは小さく呟いた。

「それはそれとして……黒幕系後輩兼観測者たるB Bちゃんに不可能はないので~す」

 その直後に、飄々とした態度で胸を張る。切り替えの早さは、彼女の特徴だ。

 エミヤは訝しげな表情を見せるだけで、追及はしてこなかった。最初の方は聞かれていないようだったが、仮に聞かれていても意味が理解できない以上、問題は無い。

 一方のエミヤは、B Bの怪しい態度に疑わしい視線を未だに送りながら、厄介な人物に目を付けられたものだと、立香の運の無さに同情していた。

 これまでの経験から、B Bは敵としても味方としても恐ろしい女であると理解している。だが、そんな相手に一定の友好関係を築ける立香は、白野と同様に大したものだと感心もしている。

「結果はおおよそ分かってはいたが、正直に答えるつもりは無いという事か。今はそれで妥協しよう。

 しかし、マスターを先輩と呼ぶとは、何か心境の変化でもあったのか」

「何を言ってるんですか。先輩とセンパイは全然違いますよ。これだから素人さんは困るんです。要するに体の良いおも────遊び相手ですよ」

 エミヤの疑問にB Bはキョトンとした顔で即答した。要するに、発音の違いは彼女なりの信念があるらしい。エミヤはそう理解した。──一瞬だけ赤く染まった瞳に、不穏さを感じながらも。

「隠し事は苦手らしいな、欲望が溢れているぞ」

「そういう弓兵さんも隠し事は苦手のようですね」

「……何の話だ?」

「知ってますよ~。相変わらず女の人には見境なく粉をかけているそうですね。どこかのメルトリリスはともかくとして、つい先日転勤してきた……トラパインさんでしたっけ? その人にも心当たりがあるんじゃないですか。まったく手が早いんですから」

 B Bは蠱惑めいた顔で追及してくる。乾いた笑いにため息を一つ吐くと、エミヤは呆れた表情を浮かべた。

「何を言うかと思えば、その結論に至った見当はつくが他意はない。友人を歓迎しただけだ。邪推にも程がある」

 エミヤがトラパインと面識を得たのは、新宿から帰還した直後のことだった。今は解体されている海洋油田基地(セラフィックス)が健在だった頃、彼女の友人であるオペレーターを通して偶然紹介された。

 英霊の召喚は秘匿されるべきかもしれないが、そもそも現在のカルデアで矢面に立っているのは、同じく英霊のダヴィンチだった。加えて、カルデアからの通信は全て秘匿回線のため、誰が会話していたかは分からないし、存在の露出に問題は無いと彼本人が語っていた。

 それ以降、これも何かの縁であると考えたエミヤは、定期連絡の度に立ち会って必ず会話をしていた。慣れない環境で臆病になってしまった彼女も、少しずつ自信を取り戻していった。

 そんなマメさもあってか、好感を抱かれるのは時間の問題だった。冗談めかしてだったが、「何かあったら助けてほしいです」と言われるほどの信頼を得ていた。

 浮いた話どころか、飾り気のないエミヤの回答に、B Bは乾いた笑いを零す。

「はあ、なんとも皮肉なものですね。人生最大の功績を成し遂げても、世界を救った遠因には絶対に気付かれないなんて。報われないにもほどがありますよ」

「何か問題でも?」

「さぁて何のことでしょう。気のせいじゃないですか?」

 B Bは、真面目な態度をとったかと思えば、いつも通りの愉しそうな笑みを浮かべて話題を打ち切った。

「それは丁度良かった、私はこれから忙しいものでな。気を付けて帰るといい」

 言うが早いか背中を向けて、エミヤは食器類を棚に戻していく。

「本当にいじり甲斐がないですね。ま、その程度でへこたれるB Bちゃんではありません」

 彼女は胸を張りつつ、笑いながら自慢顔を披露する。そんな光景が見なくても分かった。

 その後立ち去る雰囲気でもなく、両肘で頬杖をついたB Bは、カウンター越しに弓兵の様子を窺っていた。その顔はニヤついている。

 反応すれば相手の思う壺だと理解しているエミヤは、作業する手を止めなかった。

「いじわるですね~」

 

「────せんぱい(・・・・)?」

 

 不意を突かれる一言だった。

 反応しまいと決めていたエミヤを振り向かせる言葉が、平行世界のAIから放たれた。

「……知っているのか?」

 傍から見れば険しい顔をしているが、エミヤは内心それどころではない。しかし、極めて冷静に問い質す。目の前の少女がどこまで知っているのかと。

「え? 呼んでみただけですよ? 何のお話しですか。詳しく聞かせてもらいますよ」 

「……断る」

 先程までの思わせぶりな態度は何だったのだろうか。そんなエミヤの苦労など知ったことではないと言わんばかりに、B Bは素知らぬ顔で返してくる。

 勘違いも甚だしかった。会話の最初の方でも言っていたはずだ、真面目に取り合った己の未熟さを恥じるしかない。

「いい暇つぶしになりましたし、この辺で切り上げましょうか。またお会いしましょう弓兵さん」

 エミヤの反応に満足したのか、B Bは嵐のように去って行った。

「……知らないならばそれで構わない。ただ付け加えるなら、私はその名で呼ばれるに値しない」

「多少なりとも検討してあげますよ、採用するかは私の匙加減ですから」

 その前に去り行く背中へ届いた言葉は、彼らしからぬ感傷的な声色だった。

 

「一言で表すなら、異常と言う他ありませんね」

 一人で通路を歩くB Bは、これまでの情報を総括していた。

「召喚されている英霊の偏り具合は原因不明ですが、それ以上にこの状況に微塵も影響されていないなんて、本当に元人間なんでしょうか」

 カルデアの男女比は9対1でも足りないほどの比率だった。エミヤを除けば、ホームズくらいしか人員が居ない。

 そんな女の園に身を置けば、英霊と言えど何らかのストレスがかかるはず。だが、現代人に近い価値観の彼にはそれが無い。

 単純に異性への興味がないか。あるいは、それを当然のように受け止められる環境に居たか。いずれにせよ、人間味をあまり感じられない。人間とロボットの中間が近いだろう。

 人間嫌いのB Bだが、好きにも嫌いにもならないのは珍しい。

「ま、そんなの関係ないんですけどね。

 これからも、おはようからおやすみまで、じっくりと観察してあげますよ……無銘の英雄さん」

 彼女の両目は、妖しく、赤く染まっていた。

 

 




 おも──遊び相手が増えてB Bちゃんはご機嫌なのでした。
 さて……次は誰が召喚されるんでしょうね、センパイ?


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Re:日常
Re:エミヤと盾の少女


年末なので長めです。


 盾の少女と赤い弓兵との出会いは偶然だった。一度目は特異点Fで敵として戦い、二度目はカルデアでサーヴァントを初めて召喚した時だった。

 その召喚に応じた彼の第一印象を受けて、少女は言葉に詰まってしまった。これまでの時間で会ってきたどんな人よりも、青年は刃物のように鋭利な雰囲気を纏っていた。その姿が、なぜか痛々しく、酷く哀しく見えた。少女はそう思ってしまい、弓兵と目が合った時に表情が固くなってしまった。それを知らない彼は、よくわからない内に料理を振る舞っていた。

 料理を率先して作る英霊に心当たりはなかったが、これまで食べてきた中で一番美味しいものだった。喜ぶ職員の顔を見て、満ち足りた表情をしている青年を見ると、最初に感じた剣呑な雰囲気は、少女の勘違いだったように思えた。

 相反する雰囲気のその差は何なのだろうか、どちらが本当の彼なのか、一度考えてしまうと思考を振り切ることは難しかった。人員の減少によって日課となっていた、職務の手伝い中でもそうだった。悩みとなって集中できなかった。それが、いつもなら気付いて避けている段差に躓いてしまう原因となった。

 しかし、転倒する事は無かった。少女が包まれた感触を認識して、掛けられた声に意識を向けると、赤い弓兵は怪我をさせないように抱き止めていた。デミ・サーヴァントであると自己紹介したにも拘らず、彼は怪我はないかと問いかけてきた。それは、瓦礫に押しつぶされた少女に手を差し伸べた、一人の先輩と同じ優しさだった。

 腕の中で少女は朧げに理解した。棘のある雰囲気が鋭利な切っ先を向けていたのは、他でもない彼自身だった。そんな彼は、本当はどこまでも他人に優しく、どこまでも自分に厳しいのだろう。

 倒れた少女を支えながら、無事を確認して安堵した顔を見せる青年の笑顔に、彼女は二人目の『先輩』を見つけた。

 

 投影した青いビニールシートを広げて、エミヤは座り込んでいた。

 少し前に、職員の一人からドライヤーを直してほしいと頼まれていて、並べながら分解し、今は部品を組み直している最中だった。

 心理的な問題もあり、一部の節電が実施されている現在のカルデアでは、ドライヤーの電力と引き換えに、近未来的な自動ドアは手動式となっており、インターホンも電源が落とされている。召喚されて日が浅かったころのエミヤが、女性陣にお洒落を意識させたためにこうなったとも言える。しかし、ストレス解消の一環になっているからこそ、所長代行のロマニも大手を振って許可している。

 弓兵の学生時代は修理を依頼されることが多く、この程度ならばさほど手間はかからない。生前、特に件数が多かったのはストーブで、解析魔術が大いに貢献してくれた。しかし、空調管理が徹底されているカルデアにストーブの仕事はなく、暖を取る目的では炬燵が大勢を占める。ナーサリーやジャック、アタランテは炬燵で寝ることも多い。

 そんな現状でも修理業が廃れる事は無く、機械類なら大体の修理に呼ばれる。今では、カルデアの技術職員にならないかと、冗談めかして誘われるほどだった。

 海外の機械製品も、構造が把握できればある程度の知識があれば応用が効く。今日も慣れた手つきで分解し、問題の箇所に適切な対処を施し、最後の仕上げに投影したドライバーで外装のねじを締める。

 ノック音による来客の知らせが弓兵の耳に届いたのは、まさに締め終わった直後だった。

「……鍵はかかっていない。入っても構わんよ──マシュ」

 その人物は、声を掛けるまで勝手に入ってこない。この時点で、エミヤには来客の正体が掴めていた。扉越しに許可を出すとようやく扉が開く。

「失礼しますエミヤ先輩。

 あっ──すいません……もしかしてお邪魔でしたか?」

 ようやく露わになった来客の正体は、幸いにもエミヤの予想が的中していた。しかし、それ以降の反応は、弓兵の想定外だった。

 礼儀正しく挨拶して扉をくぐった白衣の少女──マシュ・キリエライトは、ビニールシートを敷いていた弓兵の作業風景を認めると、作業中だと判断して申し訳なさそうに謝罪してきた。

「心配には及ばんよ。むしろ、丁度終わったところで何ら問題はない。

 すまないが……適当に掛けてくれ」

 今すぐにでも茶器の用意をしたいが、片付けなければそうもいかなかった。

 しかし、待たせるのは忍びない。そう思って早急に撤収させると、エミヤはお茶の準備に取り掛かった。一方のマシュはと言えば、勝手知ったように戸棚からお茶菓子を取り出し、皿に載せているところだった。

 来客には万全のおもてなしをするのがエミヤの心構えの一つであり、ただ単純に喜んでもらいたいという一心でもある。客人に仕事をさせるのは彼の性に合わないのだが、立香やマシュは手伝わせてほしいと熱心に頼み込んできたため、説得が手強いと判断したエミヤの方が早々に折れた。以降、その二人に関しては暗黙の了解で手伝ってくれている。

 弓兵がお茶の用意を終えてテーブルに向かえば、見栄え良く並べられたお茶請けが簡素な皿を彩っていた。

 マシュは差し出されたカップに口をつけると、穏やかな笑みを浮かべて一言呟いた。

「……エミヤ先輩の紅茶はいつも優しい味がします」

「優しい味……か、今までにもこういう機会は何度かあったが、そのような褒め言葉は初めてだな」

「そうなのですか、どの茶葉でも……一口飲むとほっとします。今ではこれを飲まないと一日が始まらないほどです」

 賛辞を贈るマシュは、至福の一時を満喫しているのか、にこやかな顔をしていた。

 エミヤも紅茶に関しては一家言あるだけに、そこまで褒められて悪い気はしなかった。

「あ──そういえば、最近までエミヤ先輩は執事服で給仕をされていましたよね?」

「……ああ……遭ったな。そんなことが……」

 獅子王との激闘から帰還した二日後の事、マスターの立香から渡したいものがあると言って差し出されたのが、見覚えのあるどころか、かつて着たことのある『執事服』だった。

 渡した意図を立香に尋ねてみると、アイリスフィールとメディアという意外な組み合わせと談笑していて、紆余曲折の果てにエミヤは執事服が似合うのではないか、という話になったらしい。

 受け取るべきか悩んでいたところ、「ごめん。やっぱり嫌だったよね……」などと素直に謝られてしまうと、断るのが心苦しかった。共に肩を並べて戦い、彼女の人柄が把握できているだけに、打算ありきで演技ができるような器用なマスターではないことくらい分かっていた。厚意で渡された代物を受け取らないなど、エミヤにできるはずもなかった。

 受け取った直後、エミヤは立香の背後に人影を発見する。ローブで表情は見えないが、間違いなく笑いを堪えながら、こちらを観察してくる見知った方のメディアだった。

 態度から全てが腑に落ちた。彼女がこれを着せるために誘導した犯人だと断定できる。手に持った執事服をよく解析してみれば、凝り性の匠が仕上げた逸品であることが動かぬ証拠になった。意外にも、男性服は門外漢ではなかったらしい。そして、やはり根に持っていたらしい。まさにエミヤの自業自得だった。

 おそらくはエミヤに執事服を着せて、アルトリアがメイド服を着るように口実を作ろうとしていたのだろう。だが、受け取った以上は仕方のないことだった。そのような経緯で執事服に袖を通し、数日間そのままで過ごした。物珍しさに引っ張りだこになってしまったのは言うまでもない。

「思い返しても洗練された所作でした。完璧(パーフェクト)執事(バトラー)の如く、パトラーです」

 間違いなく本心から褒めているのであろうマシュは、一点の曇りもない笑みを浮かべながらそう言った。オケアノスの残留特異点で遭遇したアマゾネスに、『ゴリウー』という言葉を残す独特のセンスに、彼女らしい純真さが垣間見えた。

「思えば、日常からレイシフト先まで、エミヤ先輩にはいつもお世話になっています。先日まで、わたしは勉強の方を教えていただきましたし」

「ふっ──そうだな。私としても教え甲斐があったよ」

 きっかけは、立香と同じ世界を知りたいというマシュの願いだった。それからのエミヤは時間があれば、マシュに勉強を教えていた。元々読書家だったマシュは無学という程でもなかったが、心もとない分野もあり、それを含めて可能な限り指導した。教える側としてそういう経験もあるにはあったので、特にエミヤ自身が困る事は無かった。

 特筆すべきだったのは、彼女が未知の知識に出会った時、新鮮な反応と共に楽しんでいることだった。これもまた彼女の純真さが為せるものだと、エミヤは微笑ましく思っていた。

「知らないことを知ることができる……旅に出るようになってからようやく分かりました。わたしはそれがとても楽しいんです。聖杯は残り一つですが、まだ多くの出会いがあると思います──」

 一端言葉を切ると、マシュは表情を引き締める。

「──ですが、その分だけ辛いことがありました。目の前で喪った命を知りました。それでも前を向く人の強さを知りました。あの時は答えられませんでしたが、魔術王(ソロモン)の言葉が正しいとしても……先輩やエミヤ先輩、出会って来た皆さんと過ごした時間が間違っているとは思えません。

 だからわたしは、たとえ次の瞬間に背後から迫る闇に呑まれるとしても、最後の一瞬まで目の前にある一筋の光に向かって進みます」

 長い旅路を通したマシュの述懐に、エミヤは過ぎ去った時間を垣間見た。彼がその過程で得たもの、失ったものは、言葉では語りつくせないほど多い。

 マシュの眼鏡を通して見える決意を込めた眼差し、どこまでも純粋な表情の輝きは目が眩むほどだった。地下のアトラス院で真名を得て、獅子王との決戦前では装いも変わったが、更に成長した心は変わらない強さを持っている。

「……それを、忘れないようにするといい」

「──はい」

 エミヤの口からようやく出た言葉は、とても簡単なものだった。だが、マシュは一瞬だけ驚いた顔をすると、すぐさま嬉しそうな顔で短く応えた。

「ですが……エミヤ先輩、わたしはもっと先輩たちのお役に立ちたいです」

「その気持ちはよく分かるが、急ぎ過ぎると後が怖いぞ? 焦らなくてもいい、また一歩ずつ進めばいいさ」

「……そうですか。押しの強い方が相手でも、エミヤ先輩の後ろに隠れないようにしたいのですが……」

「それについては……場数を踏むしかないな」

 戦場では勇猛果敢な一面を見せるマシュでも、エドワード・ティーチやフィン・マックールなど、戦闘以外でも強いサーヴァントに出会った時は、エミヤの背中に隠れることが多かった。それを見た黒髭は「主人公属性なんてずるいでござる」と叫んでいた。

「そうだな……まあ心配するほどでもない。

 私が居なくともマシュが居たからこそ、聖槍(アレ)を防ぐことができた──」

 そこまで悲観する事は無い、そう続けて心配を払拭しようとしたエミヤだったが、既に一転してしょんぼりしたマシュを見ると、言葉が続かなかった。

 そうなった理由も分からず、このような事態では弓兵も打つ手がない。どうするべきか戸惑うしかなかった。

「わたしは……エミヤ先輩と一緒に居るのが当たり前になってしまって、居なくなってしまった時は……とても悲しい気持ちになりました。居なくても大丈夫だなんて、そんなことはありません」

 ようやく呟いたマシュは、まずエミヤの言葉に異を唱えた。それは、エミヤが広大な北米大陸で心配をかけてしまった時の話だった。

「それに……私が前に立てたのはエミヤ先輩がマスターを庇ってくれたからです。その背中を見て奮い立つことができたんです」

 マスター狙いの思惑を覚ったエミヤは、一騎当千の力を振るう獅子王から立香を守り、防御の上から弾き飛ばされた。

「でも……わたしは誰よりも早く、わたし自身の意志で守りたいんです。先輩の盾に、エミヤ先輩の盾になりたいんです。……そうです、もう答えは決まっていました。

 ──背中で守られるばかりではなく、先頭に立って盾を掲げます」

 話す内に悩みごとの全てが解決したのだろう。エミヤの心配は杞憂に終わった。

 マシュは再び決意の籠った瞳で弓兵を捉える。その気迫に押されながらも、彼は充足感を味わっていた。立香もマシュもエミヤ自身の想像を遥かに超えていた。

「……分かった。これからも頼りにしている──マシュ。

 ただ、無理をして倒れない程度に頼む」

「……それはエミヤ先輩もです」

「これは手厳しい」

 あろうことか藪蛇だった。エミヤは苦笑いを浮かべるしかない。

 

 マシュが二人の先輩を守る、その時は間近に迫っていた。

 

 




 エミヤ先輩の傍に居ると、先輩とはまた違う温かい気持ちになれます。
 獅子王(アルトリア)さんとの一件では、驚くと同時に、なぜか羨ましいと感じました。先輩なら……この答えが分かるのでしょうか。


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Re:エミヤと青き騎士王

新しい趣向で書きました。


 エミヤの生前の記憶を辿れば、アルトリアという少女にとって、食事は魔力供給の代わりだったはずである。

 しかし、衛宮士郎がマスターだった時とは違い、カルデアに召喚された彼女の魔力供給に支障はない。

 それなのに食事を積極的に摂るのは、根が健啖家であるためか、それとも生前の食生活の不満を埋めるためか──

「シロウ、おかわりをお願いします」

 洗い終わった食器を拭きながら、考察に耽っていたエミヤを現実に引き戻すアルトリアの声。弓兵が吹き抜けのカウンターへ目を向ければ、お椀を弓兵に差し出す騎士王の姿があった。

 食べる量が少なくなったと言っても、一般人からすれば三杯目は多いだろう。

 

 アルトリアは、食堂に来ると毎回カウンター席で食事を摂っている。彼女はお代わりの回数が多く、エミヤからすれば食事を提供しやすい場所に居てくれるのはありがたい。

「相変わらずおいしそうに食べるな、セイバー」

「ええ。シロウの料理はとてもおいしいですから。ですが……こうしてまた、シロウの料理が食べられるとは思いませんでした」

 アルトリアは箸を止めると、しんみりとした様子で呟く。本来なら二度と会う事が無いはずだったが、生前のエミヤの記憶を持つことができた奇跡的な邂逅に感謝している。

 彼女の本心を聞いて懐かしさを感じる。当時はへっぽこ魔術師だったが、料理の腕なら一流を自負していた。このまま懐かしさに浸りたいところだが、本来の目的を果たすため、食器を洗い終わったエミヤはカウンターに手を置きながらアルトリアの顔を見る。

「セイバー、今の内に君に聞いておきたいことがある」

「……? 一体なんですかシロウ?」

 食堂を運営している同僚は先に帰っているため、この場に居るのはエミヤとアルトリアの二人だけだ。

 箸を止めてエミヤの顔を見つめるアルトリアは、これから聞いてくるであろう彼の質問に思い当たる節がないためか、きょとんとした顔をしている。

「最近……海外出身のサーヴァントが私をシェロと呼ぶのだが、心当たりはないか?」

「ありますよ」

 悩むそぶりを微塵も見せない、あまりにも早いアルトリアの回答に、エミヤは思わず拍子抜けしてしまう。

 といっても悪いわけではない。知りたい情報に限って一度目の聞き込みでは有益な情報が入らないと相場が決まっているが、これはなかなかに幸先のいい滑り出しだと言える。

「簡単に説明すると、そうですね……シロウと仲の良い女性は多い。ですが、彼女たちの大多数はあなたを"エミヤ"と呼んでいる。そこに壁を感じたあるサーヴァントが、愛称で呼びましょう、と提案しました」

「その人物は……一体誰なんだ?」

「────マリー……いえ、マリー・アントワネットです」

 アルトリアの回答を聞いたエミヤは思わず、『ああ』と納得した。

 当のマリーはエミヤを『シロウ』と呼んでいたが、他のサーヴァントが"エミヤ"と呼んでいる姿を見て壁があるように感じたのだろう。

 王妃として国民の幸せを誰よりも考えていた彼女であれば、自分以外のために行動を起こすことは自然な流れだ。

 そして彼女がシロウと呼ぶ練習をしていた時、日本的な発音が難しかったため何回かシェロになっていたことがあった。そんな彼女がシェロを発案したのだとすれば辻褄が合う。

 その呼び名に決まったことは偶然かもしれないが、エミヤがその名前で呼ばれるのは非常に懐かしい思い出だ。初めてシェロと呼ばれた時には、凛と激闘を繰り広げた金髪の淑女の姿が幻影として見えたほどだ。

「ようやく疑問が解消されたよ。ありがとう、セイバー。

 しかし、マリーと呼ぼうとしていたが、仲が良いのか?」

「そうですね。私と同じく民の幸せを考えながら、聖杯に過去のやり直しを求めない彼女の在り方に感銘を受けました。

 そして話を聞くうちに、いつの間にか仲良くなっていました。今思えば、彼女は不思議な人ですね。私のような王が持つものとは異なる、人を惹きつける才を持っている」

 穏やかな顔を見せてマリーについて語るアルトリアだったが、エミヤはその姿を見ると感慨深いものがある。

 生前に召喚した時、頑として選定をやり直そうとしていた彼女の口から、自身を王と称し、似て非なる考えの人物と仲良くなったと言われたら、ある意味エミヤの頑張りは無駄ではなかったと言える。

 エミヤ自身は気が進まないが、衛宮士郎に感謝しなければならない。自分のやってきたことは、間違いではなかったのだから。

「……シロウ? 聞いていますか?」

「────すまない。考え事をしていた」

 あまりにも呆け過ぎていたためか、不審に思ったアルトリアが声をかけてくる。咄嗟に取り繕うと、エミヤは次の話題を切り出す。

「そ、そういえば、セイバーは私をシロウと呼んでいるが……変えたりはしないのかね?

 もはや、君の知っている面影はないと思うが」

 エミヤの質問を聞いたアルトリアは瞑想するかのように目を閉じると、深呼吸をしてから翡翠の双眸でエミヤを見つめ直す。

「見た目はともかく、それ以外は貴方が思っているほど変わってはいませんよ。今もこうして食堂を切り盛りして、マスターとマシュの旅を初期から支えて、職員やサーヴァントのお願いを聞く。

 未だに自分よりも他人を大切にするところがあるので、完全には変わってはいませんよ、シロウ」

 かつての自分を知る女性に変わっていないという太鼓判を押されたが、最後に棘のある言い方をされてしまう。事実であるため否定はできない。

「それに、『シロウ』の名前は思い入れがありますから、変えるつもりはありませんよ」

 そう言って彼女は微笑んだ。

 以前に見た、今にも消えてしまいそうなほどに儚げな顔だった。

「ごちそうさまでした。シロウ、お先に失礼します」

「────待ってくれ」

 気付かない内に食べ終えていたらしく、郷愁の念に駆られたエミヤは咄嗟の判断が遅れてしまい、アルトリアが食堂を出て行く直前になってから呼び止めてしまう。

 それでも、振り返った彼女にどんな言葉を投げかければよいか、その言葉は既に決まっていた。

「オレも君の名前を忘れた事は無い。……ありがとう、

 ────アルトリア」

 カルデアに来て、面と向かって初めてその名を呼んだだろう。

 弓兵の目は、嬉しさを押しとどめる少女の姿を捉えていた。

 声にならないのか、エミヤには彼女の口の動きしかわからない。

 





 ────ようやく、呼んでくれました


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Re:エミヤと黒き騎士王

エミヤと竜の魔女の前日譚です。


 自室に入った途端、不機嫌な雰囲気を察知することは滅多にないだろう。

 我が物顔でソファに腰掛け、エミヤを見据えるアルトリア・オルタは、不機嫌さを隠そうともせず弓兵を睨んでいた。服装がセイバークラスの格好であるところを見ると、今日はサンタの気分ではないようだ。

 真の英雄は眼で殺すと言わんばかりの眼光は、呪術的な実害はないものの、蛇に睨まれた蛙の如く弓兵の体の自由を奪っていた。

「最近は随分と楽しそうだな……シロウ?」

 背筋に寒気が走るほどの冷たい声だった。一体彼女に何をしてしまったのか、エミヤは心当たりを探してみたが、該当する案件は無かった。

「……すまない、何のことだろうか……アルトリア」

「分かってはいたが、自覚はないか。ならはっきりと言っておこう。突撃女と随分と親し気だな?」

 痺れを切らしたアルトリアは本題を切り出して問い質す。

 ようやく話の意図を察したエミヤは、弁解を始めた。

「成程、そのことか……別に君が心配するような事態には陥っていない。ジャンヌ・オルタが鬱憤を晴らしにきているだけだろう」

「ほう……そう思っているのはお前だけかもしれんぞ、シロウ?」

「まさか好意を持たれているとでも? 私なら計画を何度も邪魔してきた男など、顔も見たくないがね」

 金縛りから解き放たれ、軽口を返せるほどに余裕を取り戻しエミヤは、立ち尽くしていた入口からゆっくり歩み寄ると、アルトリアの対面に腰を下ろす。

「ふっ……」

「何が可笑(おか)しいんだ? アルトリア」

「なに、一歩ずつ進んでいる様がシロウらしいと思ってな。だが、未だに女たらしと呼ばれているのも間違いではないらしい」

「ジャンヌ・オルタに耳が痛くなるほど言われているよ」

「それと、私は発言の一つ一つに気を付けろとも言ったな。あれはただ単純なもので、素直になれないだけだ」

「そういうものか? いまいち実感が湧かんな」

「いずれ分かることになる。突撃女は痺れを切らしたら向こう見ずだからな」

「……まあ、覚えておく」

 エミヤがそう答えると、唐突に会話が途切れる。

 両者はしばし見合ったが、弓兵が率先して口を開く。

「他に何か用でもあるのかね?」

「当然だろう。やはり鈍感か貴様は」

 

 仕切り直しを含めて休憩を挟む。

 アルトリア・オルタはエミヤの作り置きしていた試作品のお茶請けをつまみながら、砂糖がたっぷりと入った紅茶を啜っていた。

 彼女の嗜好を把握していたエミヤは、砂糖が多めでも問題ない紅茶の淹れ方を会得していた。黒き騎士王の満足気な表情を見ながら、確かな手応えを感じていた。

「悪くない。私の好みを把握しているようだな。あの時もこれくらいの対応があればよかったが……」

「無理もない。私も少しばかり性格が変わっていたからな。

 ──しかし、先程はすまない。生憎と鈍感なものでね」

「全くだな、シロウが頑固者であることを失念していた。早々に変わるほど素直ではなかったか」

「君の方こそ……な」

 エミヤの含みのある言い回しをアルトリアは軽くいなす。生前よりもお互いのことを理解しているからこそ喧嘩にはならない。

「しかしな、会いに来た理由を察してもよいだろう? 散々アピールして気付かれていないというのは、なかなかに堪える」

「入って早々に射殺すような視線でそれを言うのか、アルトリア……額面通りの殺し文句と捉えられても文句は言えんぞ?」

 腕組みをして苦言を呈するエミヤだったが、張本人のアルトリアはどこ吹く風かと気にも留めておらず、お茶菓子を頬張っていた。

「そこを察するのが貴様の仕事だろう」

「肩の荷が重すぎるな。

 ──ところでアルトリア、一つ聞きたいのだが?」

「何だ?」

「私の目から見ても浮かない顔をしているようだが、また何かしてしまっただろうか?」

 突然の問いかけに、表情の変わらない騎士王の顔に動揺が走る。他人には見せられない、呆気にとられた顔だった。

「……シロウ、本当に貴様という奴は……」

 珍しい表情はほんの一瞬で、すぐさま苦笑いを浮かべる。

「……いいだろう、先程の返答で大体分かってしまったのだ。シロウは私の好意に応えるつもりが無いとな。一切動揺しないなど、一周回って清々しいほどだ。

 ──いや、これ以上挙げ連ねるのは負け惜しみか。私はシロウにとって、行く末を縛り付けた過去の憧憬だ」

 アルトリアは堰を切って語り始める。その口調にいつものような覇気はなく、折れてしまいそうな少女のようだった。

「────それは違うな」

 静かに黙っていたエミヤは、独白が終わると同時に反応した。

「君は縛り付けたというが、正義の味方(この)道を目指したのは他ならぬ私自身の意志だ。かつてはそれを悔いていたが、今はそう思っていない。それにな……セイバー、守護者として擦り切れる日々の中でも、君との出会いを忘れた事は無かった。それすら忘れてしまったら、オレはオレで無くなっていただろう」

「シロウ……なら──」

「──だが、君に抱いていた想いが何だったのか、今となっては分からない。間違いなく言えるのは、憧れていたことだけだ」

「……そうか」

 当時の記憶を得ているアルトリアは、その時から衛宮士郎(エミヤシロウ)に好意を持っていたことを思い出している。だが同時に、その想いを押し殺してでも聖杯が欲しかったと理解している。それをいらないと断言できれば、また違う結果になっていただろう。

「それにな、君を含めて慕ってくれるのは嬉しいのだが、今は応える訳にはいかない。マスターの戦う相手が規格外である以上、気を抜くわけにはいかないからな」

「ほう……今は、か」

「まあ条件として、特異点の修復が終わってもここに残れればの話だ。こうして会えただけでも奇跡的という他ない」

「そうだな。それでシロウが女たらしでなければ、私も安心できたのだがな」

「痛いところを突いてくれる。至って普通の行動をしているだけだがね」

 アルトリアがしたり顔で放った言葉に、エミヤは首を竦めた。

「ふふ……何が琴線に触れるか分からないぞ」

「仮に分かっていても、私は同じことを繰り返すのだろうな。それが誰かの為になるなら、私は本望だ」

 生前の記憶を取り戻し、正義の味方の原点を見つめ直した彼でも、根本の部分は未だに変わらない。積極的に自分を犠牲にする姿勢は、死を以てしても変えるには至らなかった。

 しかし、全く変わっていない訳ではない。歪んだ自己評価を変えようなどと、生前では自覚して口にすることが無かったのだから、大きな成長だろう。

「茶も堪能した、そろそろ私は帰るとしよう」

「相変わらずの食べっぷりだな」

 棘があるような言い回しだが、その表情に曇りはない。

 エミヤはアルトリアの食べる姿を見て、作った甲斐があったと心が満たされるのだ。

「ああ、言い忘れていたな」

 出て行く直前になっていきなり振り向いた。

 予期していなかっただけに、エミヤは珍しく目を丸くする。

「私に言った言葉、我が内なる光にも伝えてやれ。アレも溜め込むタイプだからな」

「……ああ、分かった。ちゃんと伝えておくよ」

 エミヤの返事に満足したのか、アルトリアが二度と振り返る事は無かった。

「まったく……やはり変わっていないんだな、アルトリア」

 自然と砕けた口調で見送った。

 

 後日、エミヤは、アルトリア・オルタの講評していたジャンヌ・オルタの向こう見ずな行動を目の当たりすることになる。

 




 剣の道は違いましたが、未だに正義の味方を目指すなら、その背中は私が守ろう。


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番外編
アーチャーと赤の少女


設定変更で加えたものを使用しているので、微妙に違うUBWルートです。


『────右に避けろ』

 満身創痍の弓兵は、その言葉が終わると同時に引き絞った弦を解放する。

 使い慣れた黒弓に番えた剣は、寸分違わずに狙いへと向かい、彼の英雄王の額を貫いて絶命に足る止めを刺した。

 既に瀕死だったギルガメッシュは、怨嗟の断末魔を残して消滅する。これによって、アインツベルンの城で串刺しにされた雪辱を果たすことができた。

 件の男──アーチャーが視線を下に向けると、その先にはもう一人の人物が居た。蓄積した疲労で気絶し、柳洞寺の境内で倒れ伏す衛宮士郎だ。彼に、立ち上がる気配は微塵もない。

 本来の目的を考えれば絶好の機会だ。今なら衛宮士郎を容易く葬ることができるが、もうその必要はなくなった。

 アーチャーは自分殺しを果たすため、布石を打ち、全てを投げ打ってきた。だが、そんな未来は過去に否定された。

 理想を綺麗だと感じ、正義の味方になろうと憧れた最初の想いは──決して間違いではない。

 その一心で、理想の成れの果て(アーチャー)を前にしても、衛宮士郎は一歩も引かなかった。思いの丈を込め、未来の姿に突き立てられた一撃は、何よりも彼の心を雄弁に物語っていた。

 今になって初心に帰らされるとは思っても見なかった。運命というものは、随分と皮肉が好きらしい、エミヤはそう思わずにはいられなかった。

 だからだろうか、見捨ててもよかったのに、最後の最後で衛宮士郎の命を救った。

 召喚された当初の計画をここまで狂わされてしまった。自嘲気味に口の端を歪ませると、役目を終えた黒弓の投影を破棄し、魔力に還元する。

 影ながら凛達のサポートしてきたが、相当に無理をしてここまで生き延びた。

 全て遠き理想郷(アヴァロン)が健在だった頃なら、多少の無茶は何とかできていた。贅沢を言えばあの回復力が欲しかった。しかし、そう言える資格はとっくの昔に捨ててしまった。

 弓兵に与えられるスキルの『単独行動』を含めて色々と手を尽くしたが、もはや限界が近いらしいと直感的に理解する。

 ────誰にも気づかれぬうちに消え去るとしよう。

 傷だらけのボディーアーマーに、所々破れた赤い外套、戦いの壮絶さを示す証を直す余裕もなく、足を最期の地へ向ける。

 自然とこの場所を目指していた。

 そして、あの丘を目指していると過ぎ去った時を思い出す。生前の聖杯戦争をともに駆け抜けた、あの騎士王との別れの時を──

『シ■■……ま■、あ■た■■■■い』

 擦り切れた記憶では鮮明に思い出せない。

 摩耗した穴だらけの記憶では、その言葉を思い出すことができない。

 セイバーは最後に何と言っていただろうか。などと考える自分はつくづく薄情な男だと、アーチャーは吐き捨てるように呟く。

 生前に散々恩恵を受け、別れの餞別で全て遠き理想郷(アヴァロン)を渡してくれたのは、他でもないセイバーだというのに。

 澱んだ考え事をしている内に、開けた場所に出た。

 夜明け前の景色がアーチャーの眼前に広がる。もうじき顔を出すであろう朝日の輝きが、山間を照らしていた。

 幻想的な景色を前にして、不思議と懐かしさを感じてしまう。

 同時に、この美しさは今も昔も変わらないことを実感する。

 こんなにも落ち着いて夜明けを迎えたことは、アーチャーの生涯で一度しかなかった。

 様々な感想を抱きながら、丘の先端に立ってこの戦いを思い返す。

 ────イリヤには許して貰えないことをした。

 凛を裏切ってメディア(キャスター)側についた頃に、イリヤがギルガメッシュに殺害されたことを、キャスターの口から聞いた。

『お姉ちゃんはいつだって……シロウの味方だからね』

 ホムンクルスであるイリヤは短命だったが、最期の時まで姉であろうとした。

 寿命に気付いた時には手遅れで、最善を尽くそうとしたが、イリヤ自身がそれを望まなかった。

 その時の言葉だけは、掠れることなく記憶に残っている。あの時に何と答えたかは覚えていないが、正義の味方になろうとした自分が何を言うかは見当がつく。

 エミヤの知る存在(イリヤ)と違うと分かっていても、義理の姉をみすみす見殺しにしてしまった事実は覆らない。

 ────もはや会わせる顔がない。

 イリヤは今でも、こんな掃除屋の味方でいてくれるのだろうか、憂鬱な気分で落ち込んだアーチャーの頬を、そよ風が撫でるように吹き抜けていく。外套の裾のはためく感触が、不思議と心を穏やかにする。

 胸の(つか)えが取れた今のアーチャーは、穏やかな心持ちでいられるが、座に帰ればただの記録になる。

 英霊は一時の幻、例外はあってもいずれ別れが来る。

 聖杯戦争で生き残る資格も、サーヴァントとして存在する目的も、全てが無くなってしまったから、このまま消えゆくことに抗うことはしない。

 だが、アーチャーの唯一の心残りは、凛と袂を別ったまま消えてしまうことだ。折角得た自分なりの"答え"も、ずっと胸に秘めたままだ。

 ────生前で一度、凛に救われた。

 その時は恩人の正体が分からず、生涯持ち続けた所有者不明の宝石は早い内に返すことができたからいいものの、喧嘩別れは生前の二の舞だ。

 そんな心配をしていても、凛の(あずか)り知るところではないだろう。終わった存在であるアーチャーがこれ以上関わるのは、無粋というものだ。この時代に、衛宮士郎は一人で十分なのだから。

 贅沢を言えば、凛が傍に居れば衛宮士郎も安心だ。

 なぜならば、道を正してくれる彼女が居れば、守護者(エミヤシロウ)になる可能性はないからだ──

『────アーチャー!』

 幻聴ではない確かな凛の声が、アーチャーの耳に届く。

 これまで彼女を裏切り、囮にして、なお弓兵を追いかけてきたという事実に、アーチャーは驚愕せざるをえなかった。

 非常に徹しきれない魔術師は、契約すら断ち切ったサーヴァントを心配してくれているようだ。

 ────流石に心の贅肉が過ぎるぞ。

 そう皮肉を言いたいところだが、またとない機会だ。

 凛の騎士としては失格かもしれないが、弓兵(アーチャー)衛宮士郎(エミヤシロウ)として、彼女に別れを告げる。

 駆け寄ってきた凛は、息を切らしながら弓兵の背後で立ち止まっている。

『そういう訳だ、今回の聖杯は諦めろ凛』 

 やれやれと言った手振りを用いて、背中越しに語り掛けるアーチャー、凛はそんな騎士(エミヤ)の背中を見据えている。

 

 ────たった一度の敗北が、運命を決定的に変えた。

 




 未練なんて、本当は話すつもりはなかったんでしょうね。私が気に病まないように、敢えて言ってくれたんでしょう。
 やっぱりお人好しなところは、英霊になっても変わらないのね。ちょっとだけ安心したわ。
 あなたとの約束は、必ず果たすから…………アーチャー。


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エミヤと浪漫と白い獣(ネタバレ含む)

活動報告のリクエスト品です。
こんな感じで仕上がりました。
あと、ネタバレを含んでいるので自己責任でお願いします。


 ────また意識が飛びかけた。 

 はっきりとしないまま、ふとデスクの時計を見れば、すでに夜の八時を回っている。

 また食堂に行きそびれたな、とロマニはため息をつく。

 不慣れな仕事に弱音を吐く事無く、ロマニ以外のカルデアの職員が寝ている間も、不眠不休で職務に当たっている。

 薬で肉体疲労を誤魔化し、それを悟られないように飄々とした自分を演じていたが、二日続けて食堂に顔を出さないと流石に怪しまれてしまう。

 そう考えていた時、三回の規則的なノック音がロマニの耳に届く。

 こんな時間に部屋に来る人物といえば彼だろう、とロマニは見当を付けながら出迎える。

「Dr.ロマン、夜食を持ってきたぞ」

「フォウ!」

 赤い外套が印象的な弓兵──エミヤが、おにぎり二つとお茶を載せたお盆を持ち、部屋の前に立っていた。腰に水筒をぶら下げ、なぜか頭の上にフォウを載せた姿で。

 

「食堂を閉めてしまったからな、これぐらいしか用意できなかった」

 エミヤが慣れた手つきで、デスクの上に置いたおにぎりとお茶は、まだ温かな湯気を立ち昇らせている。

「ご、ごめんねぇ。集中していたら……つい時間を……忘れちゃって」

 おにぎりを頬張り、いつものように軽い態度で誤魔化す。口に入れた瞬間、独特の酸味がロマニの口内に広がり、中の具は梅干しだと断定する。種がない当たり、食べやすさを重視したようだ。

 昨日とはまた違った中身に、ロマニはエミヤのマメさを実感する。しかし梅干しがあるとは、カルデアの食糧庫はバラエティに富んでいる。

 それにしても、エミヤとロマニはいつの間にか長い付き合いになった。

 思い返せば、エミヤは召喚された日から食堂を改革し、ロマニが行動するよりも早い内から、職員やサーヴァントのメンタルヘルスケアに務めていた。

 広い視野で変化を察知し、思考を巡らせているエミヤが役割の一部を肩代りしているおかげで、ロマニの負担はそれなりに軽減されている。

 昨日、食堂に顔を出さなかったロマニの部屋に夜食を持ってきてくれるほど、この英霊は気が利く。

「気になってたんだけど、なんでフォウくんと一緒にいるんだい?」

「ここに来る途中に行き会ってね、少し話をしたらついてくることになったんだ」

「フォウ、フォーウ!」

「……そうなんだ」

 珍しいこともあるものだ、とロマニは口には出さないが感心する。

 フォウがロマニと顔を合わせることは滅多になく、専ら藤丸立香やマシュの傍に居ることが多いからだ。

「ところで、ロマン」

「なんだい?」

 ロマニが二つ目のおにぎりを一気に頬張った時、エミヤの方から声がかかる。

 

「いつになったら寝るんだ?」

「────っ!? ぐふっ」

 世間話のような気軽さで、突然核心を突いてくるエミヤ。ロマニは思わず、おにぎりを咽喉に詰まらせたため、お茶で流し込む。

「な、なんでそれを……」

 道化の仮面をつけることも忘れ、問い質してくるロマニに対し、ふう、と息を吐いたエミヤは呆れたように答える。

「自分でも気づいていないのか? 顔色が少し悪いぞ」

 まさか、それだけの変化で見抜いたというのか、ロマニは驚愕せざるを得なかった。肉体の疲労は薬で誤魔化していたが、精神の疲労は隠しきれていなかったらしい。

 少し前のロマニであれば、隠しきれていただろう。

「……皆には、内緒にしてもらえないかな」

「まあ、人のやり方にあまり口を出したくはないが、度が過ぎているぞ」

「君が言えた事かい?」

「……そうだな」

 心当たりがあるのか、ロマニのやり方に一定の理解があるエミヤは腕を組み、バツの悪そうな顔で首肯する。

「でも……こうでもしないと、空けられた穴は埋められないからね」

「そう言うと思っていたよ……これを渡しておく」

 頑として譲らないロマニの心境を察していたエミヤは否定することなく、腰にぶら下げていた水筒をロマニに差し出す。 

「中身は何だい?」

「オレンジジュースだ。搾りたてだから疲労によく効く」

 そういえば、おにぎりの中身の梅干しも疲労回復に効く、とマシュが言っていたことをロマニは思い出す。この弓兵は、ロマニの部屋に来る前から分かっていたらしい。

「では、私はお暇しよう。目的も果たせたようなのでね」

 空になったお盆を引き取ると、エミヤは部屋を出て行こうとする。ロマニは一番気になっていたことを問いかける。

「ちなみに、いつから気付いていたんだい?」

「疲労が溜まっている時、という意味なら昨日だな。顔を出していないことが、気がかりだったものでね。私なり(・・・)に調べさせてもらった」

 足を止めて背中越しにエミヤは答える。

 しかし、その答えには含みがあるのではないか、とロマニは感じた。

「ああ、私も聞き忘れていたな。……夜食の味はどうだったかな?」

「……うん、おいしかったよ」

 穏やかな顔で振り返ったエミヤへ、ロマニの返す答えは一つだった。久方振りに、心からの笑顔で感謝の言葉を述べる。

「そうか、無理をしないようにな。おやすみ、Dr.ロマン」

 ロマニの言葉を聞き届けると、今度こそ部屋を出て行くエミヤだった。

 そのエミヤは、終始フォウを頭に載せていたが。

 

 やっぱり気が利くなぁ、とロマニはしみじみと思う。忠告はしても、それを知った上で補助に回ってくれる。それでいて干渉をしすぎない。

 早くに出会っていれば、良き友になってくれただろう。

 ダヴィンチがカルデアに来るまで、基本的に周りを信用していなかったが、立香を始めとして信用できる人物がカルデアに呼ばれてくれたものだ。

 最後まで心配をかけることになるだろう。相手はあの(・・)魔術王だ、油断はできない。

 ────あの英霊が相手なら、ボクは全身全霊を以って迎え撃つ。

 部屋に一人残されたロマニの胸中を知る者は、誰もいない。

 

 




「フォウ!」
 ロマニの部屋で沈黙に徹していたフォウは、エミヤの頭から飛び降りると器用に着地する。
「もう行くのか?」
「フォウ、フォウ、フォーウ!」
「ああ、彼女によろしく言っておいてくれ」
 エミヤに短く別れを告げると、フォウはある人物の元へ走り去る。

 とある部屋の前に着くと、フォウは中の人物へ呼びかける。
「フォーウ!」
「……おかえりなさい、フォウさん」
 間をおいてフォウを出迎えたのは、マシュ・キリエライト。フォウがロマニの部屋を訪ねようとしたのは、マシュのお願いでもあった。
「フォウ、フォウ、フォウ」
「なるほど、途中でエミヤ先輩に会ったんですか。ドクターの様子は? ……流石、エミヤ先輩は仕事の手が早いですね」
 マシュはフォウを抱え上げると、椅子に腰かけて膝の上に載せ、フォウの毛並みを整えながら報告を聞く。
 ロマニの様子がおかしいことは、薄々感づいていた。しかしなかなか切り出すことが出来ず、考えた末にフォウに頼った。
 一方で、立香と同様にマシュが先輩と呼び慕うエミヤは、マシュと同じ疑問を抱いていたらしく、即断で悩みの解消をしてくれた。
 何ともエミヤ先輩らしい、とマシュは微笑む。
「医者の不養生はダメですからね、ドクター」
 何かと気にかけてくれるロマニは、マシュにとって父親のような存在だ。緩い所が玉に瑕だが。
「……そういえば」
 ふと、ロマニのある言葉を思い出す。
『マシュは今、幸せかい?』
 その質問に、今ならはっきりと答えられる。
 立香に出会い、エミヤを始めとした歴戦の英霊達に出会った。その心に触れた。そんな自分は──
「私は今、幸せです。ドクター」
 そんな呟きを残すマシュを、核心を話していないフォウは静かに見守っていた。


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シャドウアーチャーと炎上汚染都市(微ネタバレ含む)

時間が取れないので、こっちを先に投稿します。
漫画とアニメを足して二で割った展開です。


 高台に立ち周辺を見渡すのは、セイバーの手に堕ち、汚染されたシャドウアーチャー──エミヤ。イレギュラーが紛れ込んだ、というセイバーオルタの言に従い、閑散とした街へ偵察に来ていた。

 今なお雲隠れしてしぶとく生き残っているキャスターを討ち、それを以って完遂するはずだったセイバーオルタの計画に狂いが生じていることは、彼女から詳細の語られていないエミヤにも理解できていた。

 黒き騎士王の予言を証明するかのように、鷹の目で捉えた光景が物語っている。

 ライダー、今はシャドウランサーとなったメドゥーサによって、街の人間は全て石化したはずだった。だが、かつての記憶を刺激する髪を持つ、二人の少女がそこに居た。

 どこかに隠れていたのかどうかは定かではないが、やることは変わらない。

 二人の内一人は、何の変哲もない一般人のように思えたが、これまでの経験則は二人の少女を異分子と断定し、エミヤはそれに従って排除を行う。

 エミヤは慣れ親しんだ黒弓と捻じれた剣を投影し、いつものように構える。

 ────何もなければこれで片が付くはずだが、さてどうなるか。

 相手の力は未知数であるが、万一のことを考えながら、エミヤは剣を放つ。

偽・螺旋剣(カラドボルグⅡ)

 

 驚く結果になった。エミヤの放った剣は、盾を持った薄紫の髪を持つ少女に止められた。手を変え品を変え、様々な剣を矢にして放ったが、全て止められた。

 やはり英霊か、エミヤがそう思うのも無理はなかった。

 最大まで威力を上げることなく放ったとはいえ、仮にも宝具による弾幕攻撃だ。しかも、壊れた幻想(ブロークン・ファンタズム)を併用しても、盾の少女が守る者はおろか、あの一枚の盾すら突破できなかった。

 この結果が突き付ける事実は、厄介なイレギュラーのマスターとサーヴァントが、一人と一騎増えたことである。

 それにしても、エミヤの腑に落ちないのは、あの盾だ。

 弾幕を張る間、じっくりと解析していたが、例外を除いて大体の宝具を解析できるエミヤを以てしても、盾の使い方が分からない。

 盾の使用に何らかの特殊な条件があるのか、それとも盾の本来の用途ではないか。そう予想したが、どちらでも構うことではなかった。

 使い方は兎も角、エミヤにはその正体が分かっている。大方、花の魔術師(マーリン)が裏で手を引いているのだろう。()の魔術師はどこまで把握しているのか、全くもって見当がつかないが。

 盾が突破できないことは、エミヤによって実証された。ならば、盾を狙わなければいい。

 どんなに強固でも、守ることのできる範囲には限りがある。

 例えば、建物を狙撃して一斉に瓦礫を落としたら、果たして守り切れるものだろうか。

 照準を建物に合わせようとした時、エミヤは身の危険を感じて本能的に回避する。

 エミヤが立っていた場所には火球が襲来し、あわや焼き尽くされるところだった。

 飛来してきた方向にエミヤがゆっくりと目を向ければ、雲隠れしていたはずのキャスターがニヤリと笑っていた。

 交戦してキャスターを討伐したいところだが、エミヤは得た情報をセイバーオルタの元に持ち帰るべきだと判断した。

 一度鼻で笑うと、キャスターが追撃してくる前にエミヤは戦場から離脱した。

 

 セイバーオルタにエミヤが粗方の情報を伝えると、沈痛な面持ちのセイバーオルタは洞窟前の警護をエミヤに命じた。

 汚染されても、そこそこ付き合いの長いエミヤには、セイバーオルタが断腸の思いで決断したと察することができた。

 それほどまでに、あの少女達は難敵なのだろう。そして予想が正しければ、キャスターはあの少女達と接触を図るだろう。いや、図ったのだろう。

 エミヤの目の前には、その答えが在ったのだから。

 洞窟前の崖、その茂みで待ち伏せていたエミヤの視界は、キャスターと少女達を捉えている。

 崖の上という地の利を生かし、これ幸いにと背後から先制攻撃を仕掛けたが、警戒していたキャスターに阻まれる。

『へっ、信奉者のお出ましか。相変わらずセイバーのお守りをしてんのか、アーチャー?』

『生憎、信奉者になったつもりはないがね。まあ、門番程度の仕事は果たすさ』

 飽きるほど顔を見合わせた、槍無しのキャスターと軽口を叩きあうが、エミヤはそこで初めてマスターであろう何の変哲もない少女と顔を合わせる。

 盾の少女に守られていた時は、その陰に隠れていたためはっきりと見えなかったが、少女の瞳は強い意志を持っていた。彼女が何の変哲もないなんてとんでもない。こういう瞳を持った人間は強い。

 エミヤの意識に断片的に浮かぶ、強い意志を持った少女と共に戦い抜いた記憶、かつて強い意志を以って鞘を投影した記憶。

 その記憶があるからこそ、エミヤは油断しない。目の前の少女は、全力を尽くして戦うべき相手である、そう理解している。

 エミヤは黒白の双剣を投影し、崖から飛び降りた。

 

 エミヤの予想以上だった。無論エミヤは一切の油断なく戦った。しかし、その結果が敗北だ。

 キャスターと盾の少女を指示していたマスターの少女は、エミヤの戦力を上回った。

 固有結界を発動する間もない連携攻撃に、初見であるキャスターの魔術が決まり手となった。

 練度の高さから、ここに来るまでに作戦を練ってきたのだろう。

 やはり、あの時無理をしてでもキャスターを討っておくべきだった。そう後悔しても遅い。

『すまんな、セイバー』

 セイバーオルタに謝罪をすると同時に、やはりあのタイプは敵に回したくない、とエミヤは心の中で思った。

 

 そしてエミヤは、カルデアでマスターの少女──藤丸立香と再会することになる。

 

 




 はあ、最悪よ。
 突然レイシフトしたと思ったら、藤丸立香っていう一般公募のマスター候補生とデミ・サーヴァントになったマシュしか居ないし、カルデアにはロマニ・アーキマンしか指揮の執れる人間が居ないなんて。
 レフはどこに行ったの? はやくあなたに会いたい……レフ。


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無銘と月の少女(重大なネタバレ有)

三パターンの設定で想像して書いてみました。
あと時間が取れないので、今週の投稿はこれだけです。
また来週に投稿します。


 ────月の勝利者は少年であり、少女でもあった。

 エミヤの記憶には、月での経験も記録として含まれている。その時に彼を召喚した少女は岸波白野であった。

 しかし、その記憶は完全ではない。月の裏側や新天地での記憶は完全に覚えているものの、表側での記憶に欠損があった。月の表側で、体が完全か不完全かに関わらず、岸波白野は勝利と敗北という二つの結果を残したためである。

 その矛盾した記憶が重なり、人理焼却が影響しているのかは定かではないが、何かしらの因果によってカルデアのエミヤには記憶の欠損という形で反映された。

 少しの違いは、やがて大きな変化を齎す。一頭の蝶の羽ばたきが、竜巻を起こすように。だからこそ、無銘の時に会ったはずのドレイクをエミヤは覚えていなかった。

 

 岸波白野(少年)に敗れ、岸波白野(少女)の脱落が確定した。

 白野の召喚したサーヴァントは役目を終え、元々崩れていた半身と焦げた外観の体は、ゆっくりとではあるが本格的に崩れ始めていた。しかしその渦中にあっても、無銘の双眸は白野を捉えている。

 岸波白野(とある少年)の同位体である彼女は自我を獲得していたが、魂を獲得できていなかった。また、召喚者自身が不完全な状態であるためか、呼び出されたサーヴァントもまた不完全な状態だった。

 召喚された無銘は、岸波白野(マスター)の体が不完全な状態であることを理解していた。それでも、何も言うことなく力を貸した。召喚された時に見た白野の目は、何もせずこのまま消えることに納得していなかったからだ。

 マスターの方針に従うのがサーヴァントの役目、そう茶化した彼は手を尽くした。岸波が途中で脱落しないよう力を貸したこともある。その努力が実ったためか、白野の最後の相手は、彼の少年だった。

 少年が従えるサーヴァントは、自信に満ち溢れた赤の皇帝(ネロ)と、既視感で複雑な表情をしている妖狐(玉藻)の二騎であり、どちらが相手でも一筋縄ではいかない。それでも、無銘は最初から負けることを前提として挑む気はなかった。

 ────それでも、あと一歩届かなかった。

 もし万全な状態で召喚されていれば、勝つことができた未来もあっただろう。しかしそれは、敗者の結果論に過ぎない。なぜなら、今のマスターを勝たせることができたわけではないのだから。

『……アーチャー』

 今にも消えてしまいそうになるほど、白野の体は浸食されているが、彼女は動じることなく消滅の運命を受け入れている。そんな白野は相棒を呼んだ。

『────ありがとう』

 顔の半分以上が浸食され、整った顔立ちはその面影を残してはいない。そんな状態にあっても凛とした表情であることは、無銘には理解できていた。おそらく笑顔を作っているのであろう白野は、感謝の言葉を無銘に送る。

 無銘は、そんな言葉を受け取るわけにはいかなかった。白野が満足しているとはいっても最後の最後で敗北し、途中で脱落することになったのだから。

『いいの。アーチャーが私のために色々としてくれたことは、全部分かっているから。だから……』

 無銘の心中を察していた白野は言葉を途中で切ると、一度瞼を閉じ、再び開けると無銘を見据え──。

『────また、あなたに会いたい』

 その言葉を残して、先に消えてしまった。遠い記憶を呼び覚ますような感覚、この光景をどこかで見たような気がする。そんな言葉を言われたら、無銘はこう返すしかない。

『ああ……オレもだよ、マスター────』

 無銘の言葉が終わると同時に、彼の体も完全に崩壊した。

 白野と無銘、二人の消滅を、岸波と二人の従者は静かに見届けた。

 

 アンチセルを撃退し、アルテラを救った岸波の活躍を見届けた無銘は静かに立ち去る。異なる世界線からやってきた彼は、岸波とネロを最善の結末へ導いた。

 こうして力を貸したのは、数学者(アルキメデス)が気に喰わないだけでも、岸波のお人好しを見かねただけでもない。今の岸波と同じ立場にあった白野の最期の言葉があった──。

 アルテラを信じ切れず、アルキメデスの諌言に従って倒してしまったがために、今いる世界の未来は、その可能性は、永遠に閉ざされてしまった。

 未来のない世界で終わりを待つことは、アルキメデスに完全敗北したことと同じである。そう考えた白野がとった行動は、至ってシンプルなものだった。

 この情報を持ったサーヴァントを並行世界に移すこと。白野自身は、送り出す役目があるため除外される。そして適任は、付き合いの長い無銘(アーチャー)しかいない。己の存在を犠牲にすることを彼は良しとしないだろうから、白野は直前まで黙っておくことにした。

 他の世界線のアルキメデスに一矢報いることができれば、岸波白野(・・・・)にとって完全な敗北にはならない。

 そう考えていると、目的の人物が現れる。

 無銘、赤い外套の弓兵──もう二度と会うことができないサーヴァント。

 未練を断ち切り、彼に所定の位置に立たせると、白野は絶対的な王権──レガリアで願った。ムーンセル・オートマトンは、あらゆる願いを叶える力を持つという。その力で、無銘を並行世界に移すことを望んだ。その願いが叶う確証はなかったが、白野は賭けに勝った。

 珍しく慌てている無銘へ、最期の言葉を告げる。

『岸波白野とアルテラを助けてね。また会いたいな、アーチャー』

 無銘はその言葉に答えることができなかった。しかし、彼女の望みが叶った今ならば自信を持って返せる。

『約束は果たした……岸波白野(マスター)

 弓兵の独白を聞くものは誰もいない。

 




 私のために、いつも戦ってくれたアーチャー。偶にデリカシーのないことを言ったりするけど、私の頼れるサーヴァント。気になる異性と位置付ける方が適切かもしれない。地上に帰っても、また会いたいな。
 ありがとう……無銘(アーチャー)


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エミヤとマスターの条件《前編》

時系列は第一特異点より前です。


 ────少年は理想を目指した。正義の味方という届かぬ理想を、その手に掴むため。

 

 少年は荒野を歩いていた。故郷に別れを告げ、ようやく辿り着いた異国の地で、少年は歩き続けていた。しっかりとした足取りで、歩みが止まることはなかった。

 少年の為すべきことは、全ての人を救うことだった。幼い頃に義父と約束した月下の誓いが、空っぽな少年の全てだった。それは、ある戦いを通しても変わることがなかった。

 理想を実現するために、多くのものを置いてきた。かつての協力者や姉代わりの女性を始めとした大恩ある人々との縁を切り捨てた。

 少年が未練を感じることはなかった。彼からすれば、自分の行いで他の誰かが幸せになれば、自分も幸せなのだから。

 

 少年は英雄と呼ばれるために戦っていたのではなかった。ましてや、感謝してほしかった訳でもない。己の行いによって、救われた人が幸せを享受できる事実こそが、少年にとってなによりの報酬だった。

 しかし、少年の周囲の人からすれば、彼の行動は酷く異質なものに見えた。魔法のような摩訶不思議な現象を以って、縁も所縁もない他人を救う少年の姿は。

 無償の善意といえば聞こえはいいが、『その行動にはなにか裏があるのではないか』と大多数の人々は訝しんだ。こうして受け入れられない少年の信念は疑惑を呼び、人知を超えた彼の魔術は恐怖を生み出した。

 いつしか少年は、畏怖の対象とされていた。彼の意に沿わない行動をとれば、豹変して牙を剥かれるのではないか、周囲の人々は委縮し怯えるしかなかった。

 そんなある時、名も知らぬ一人の男が少年に石を投げた。殺されるのではないかと周囲は騒然としたが、少年は反応することはなかった。そんな姿を見て、相手が無抵抗であることが分かると、周囲の人々は悪意を表面化させた。石を投げつけながら、化け物と罵る、簡素で醜い行動を伴って。

 それでも少年は気にしなかった。自分に悪い所があったのだろうと思い、罵倒の言葉すら己の至らなさとして真摯に受け止めた。

 何年かが過ぎ、歩いていた少年は青年となった。見知らぬ誰かから貰った赤い外套を纏い、色素の抜けた髪や瞳を持つ姿に、かつての面影は残されていない。

 

 異端の存在を認識した時、多数が少数を排斥する。無償の善意を行う青年も、少数の例外として外されることはなかった。

 救われた人々が巡らせた策──最大の裏切りは、冤罪によるものだった。青年が止めた争いの原因の全てを、無実の青年に押し付けた。

 それでも青年は、それすらも己の力不足として受け入れた。

 誰かのためにと歩き続けた青年に待っていたのは、無慈悲な絞首台だった──

 

「────はっ!? …………ゆ、夢?」

 藤丸立香は跳ねるようにして体を起こす。おぼつかない呼吸をしながらも枕元の時計を見れば、夜の十二時を回ったところだった。夢見が悪いとは、まさにこのことだろう。一度思い切り深呼吸すると、ようやく落ち着いた頭で先程までの夢を整理する。

 少年の姿に見覚えはなかったが、成長して青年となった姿には見覚えがある。しかしその変遷は、言われなければ気付くことができないほどに劇的なものだった。裏を返せばある少年(おとこ)の生涯の一部、その晩年を断片的に見ていたことになるが、今も立香の胸中には青年を罵る人々への怒り、報われない行いをする青年への言葉にできない想いという、相反する感情が押し寄せている。

 ふと、頬の濡れた感覚に手を当てれば、立香はいつの間にか涙を流していたことに気付く。すぐさま傍にあったタオルで拭ったが、どんよりとした立香の心は晴れなかった。

 いっそのこと眠って気分を切り替えたいところだが、曲がりなりにも睡眠状態から覚醒し、完全に起きてしまったためこのまま眠ることは容易ではない。

 ────少し歩いてこよう。

 着替える手間を惜しみ、寝巻のままベッドから這い出た立香は部屋を後にした。

 

 深夜のカルデア、その廊下を立香は歩く。職員達も寝静まると昼間の明るい印象はここになく、言葉にし難い寂寥感に苛まれる。いつもは立香の隣にいるマシュも、自室で就寝しているはずだ。

 歩きながら、なぜあの夢を見たのだろうという疑問を立香は抱く。寝ている間に夢を見たことがない訳ではないが、先程の夢は妙に現実味を帯びていた。さっきまで見ていた夢の内容が、実際にあったというなら──

 そんな考え事をしていた立香は、あることに気が付く。

「……あれ? 食堂の電気がついてる。こんな時間に誰かいるのかな」

 立香の目に留まったのは、食堂の扉の隙間から漏れる光だった。消し忘れの可能性もあったが、扉越しに物音が聞こえてくる。強盗のような物騒な人間が居る、などと立香は思っていないが、万が一のことを考えて中を確認することにした。

 音を立てないように扉を少し開け、眩むような光を耐えて中を見るとそこには──

 立香が初めて召喚したサーヴァントであるアーチャー──エミヤが、エプロンを付けて作業していた。手元はカウンターで見えないが、十中八九料理関係だろうと立香は推測する。

「そこに立っていないで、入ってきたらどうだ? マスター」

 思いもよらぬエミヤの突然の呼びかけに、立香の心臓は飛び出そうなほどに驚く。声を出さないよう口元に手を当ててこらえたが、正体がばれている以上、そもそもそんなことをしなくてもよかったと思い至る。

「ごめんね。……もしかして邪魔しちゃった?」

「いや、明日の仕込みはもう終わったのでね。むしろ、こんな時間に徘徊する方がいただけないな」

 扉を開けて謝罪する立香に対し、口元に笑みを浮かべたエミヤは立香の行動を窘める。その過程でエミヤの言葉から、一人で食堂を切り盛りできていた秘密と食堂の扉から光が漏れていた理由が明かされている。 

「……うん。そうだね……ごめん」

「まあ、座りたまえ。少しばかり、私と話をしてくれ」

 無意識のうちに、決まりの悪そうな表情を作って立香は返答する。それを見たエミヤは、立香の異変を感じ取って引き留める。

 立香が近くのテーブルに座ると、エプロンを外したエミヤは二つのカップを持って立香の対面に腰掛ける。

「ハーブティーだ。寝る前に丁度いい」

 片方のカップを差し出したエミヤは、もう片方のカップに口をつけている。促された立香も両手で持つと、少しずつカップを傾ける。

 ハーブ独特の香りと癖のない味が口内を満たし、嚥下すると立香はほっと一息つく。

「さて、何かあったのだろう? 良ければ、話してみてはくれないか?」

 立香が落ち着くのを見計らっていたのか、丁度良いタイミングでエミヤは話を切り出す。

「……夢を見たんだ。エミヤの夢を」

「そうか……なるほど」

 カップを置いて答えた立香の言葉に心当たりがあったのか、張り詰めた顔のエミヤはようやく合点がいった表情を作る。

「君の見た夢は、サーヴァントの生前の姿だ。契約したマスターとサーヴァントは、お互いの過去を夢に見ることがある」

「そうなんだ……でも、マシュも居たのに」

「マシュ嬢もサーヴァントである以上、その可能性はあった。だが、デミ・サーヴァントという特殊なサーヴァントだから、私の方が優先されたのかもしれん」

 エミヤは立香の身に起きた異変を懇切丁寧に解説する。

「マスターは、今後もサーヴァントを召喚することがあるだろう。そして、召喚した人数分の夢を見ることになる」

 エミヤの言葉が終わると、しばらくの間ハーブティーを啜りつつ無言でエミヤの回答を反芻していた立香は、今一歩踏み出す勇気がなかったために抱えていた疑問をようやく切り出す。

 あの夢がサーヴァントの生前というなら、その時の心情は本人から聞くしかない。

「エミヤは……後悔しなかったの?」

 問いかけの言葉は簡素なものだったがその反面、これが最適な量であると直感的に理解できた。

「……後悔しなかった、と言ったら嘘になるが、今は後悔していない」

 エミヤは一言で回答した。これ以上は答えないのか、多くを語ろうとはしなかったが──

「今はこれしか言えないが、君が成長した時には、必ず詳細を明らかにすることを誓う」

 もう一言だけ付け加えた。

 エミヤへの疑いなど一片たりともないからこそ、立香はその言葉を信用した。空になったカップをテーブルに置くと、エミヤにお願い事をする。

「なら、明日の調査中にマスターの心構えについて教えて。ドクターロマンは、なかなか教えてくれなくて」

「……分かった。それと、そろそろ眠った方がいいな。カップは置いたままで構わない」

「うん。一人前のマスターになってみせるよ、エミヤ。じゃあ、おやすみなさい」

「ああ、おやすみマスター。今度はいい夢を」

 挨拶を交わすと立香は食堂から出て行こうとした。

「────すまないマスター、最後に一つだけいいかな?」

「ん? なに、エミヤ?」

「君は、マスターになって後悔していないのか?」

 呼び止められて振り返った立香に、エミヤは疑問を投げかける。

「うん。自分で選んだことだから」

 立香はきっぱりと言い切った。後輩の手を取り、死の運命に瀕した出来事を後悔していない、と。

「マシュの心を守れたし、エミヤにも会えたから」

 それだけを言い残し、今度こそ食堂を去る立香。エミヤはその後姿を眺めながら、懐かしいものを見るような眼差しで見守っていた。

 

 




 古今東西の英雄がサーヴァントとして召喚されるけど、エミヤはどこの英雄なんだろう。
 この疑問を明らかにするためにも、エミヤに一人前だと認めて貰わなくちゃ。


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エミヤとマスターの条件《後編》

 エミヤの淹れたハーブティーのお蔭か、再び床に就いた藤丸立香は朝まで熟睡することができた。起床した立香は朝食を摂ると、特異点Fの再調査を行うために、マシュとエミヤを連れてレイシフトするのだった。

 

 再び訪れた炎上する街、こうなった発端の片棒を担いだエミヤは、いささか複雑な心境だった。記憶を共有していることが、却って責任を感じさせる。加えて、理由も分からずにいきなり召喚されたと言っても、傍で困惑していたマスターを守り切れなかったことに、彼は己の不甲斐なさを感じた。

 だからこそ、人理修復という大義を掲げる少女を育てなくてはならない。この先、エミヤの手を借りなくてもいい日が来るように。

「────そういうわけで、マスターとサーヴァントは、精神的に対等であることが望ましい」

 とはいうものの、たった一人のマスターに世界の救済を委ねるなど、おそらくエミヤ以外のサーヴァントが聞いたとしても、正気の沙汰ではないと判断するだろう。

 だが、それが間違いであるとは言い切れない。なぜならば、負傷したマスター候補生達は生粋の魔術師だからだ。邪推かもしれないが、こんな状況でも彼らが一致団結して人理修復に挑むとは、エミヤには到底思えない。むしろ、一般公募から選ばれ、魔術師の価値観を持っていない立香一人に任せる方が、当たり障りのない最善の策とも言える。

 しかし、この先に待つ敵の強さが分からない以上、マシュとエミヤの二人だけで立香が生き抜くことは、到底不可能だろう。幸いにも、カルデアのシステムではサーヴァントの複数契約が可能であり、戦力の増強には事欠かないが────それでも足りない。具体的な強さが分からなくとも、人理焼却を容易く成し遂げる前代未聞の脅威であることに、おそらく間違いはないからだ。

 故に、サーヴァントを率いる立場にある、立香自身のマスターとしての成長が必要だった。そもそも彼女は一般人から転向した身であるため、サーヴァントのマスターとして持っておくべきだった、基本的な知識と心構えが分かっていない。これを身につけていなければ、指揮する上で取り返しのつかないミスを犯すかもしれない。

 そして、教えられる側だったエミヤが、かつての()のように指導側に回るのは、何らかの因縁があるに違いない。

「……とりあえず、今すぐに必要なものとしてはこんなところだろう。あとは、これからの経験で補うしかない」

 講座の合間に乱入してくるエネミーを倒しつつエミヤは話を続けていたが、ようやく講座の方も一段落ついたため、立香達は安全地帯で彼からの締めの言葉を聞いていた。

「うん、ありがとうエミヤ。やっぱり、知らないことだらけだったよ」

「知らなくても当然だ。むしろ、分からないと言って逃げようとせず、マスターとして成長しようとする君の前向きな姿勢は、私にとって大変好ましい」

 昨晩の立香のお願い通りに、マスターとしての心構えを説いたエミヤは満足そうに呟く。その言葉を受けて反応したのは、立香ではなくマシュだった。

「当たり前です、エミヤ先輩。先輩は、ベストマスターオブザイヤーの大賞確実です」

「……そうだな」

 マシュ独特の言い回しは思わず力が抜けてしまうが、そんな彼女の存在が立香の支えになっていることは、エミヤには既に理解できていた。立香とマシュ──二人の関係は、切っても切れない絆で結ばれている。マスターとサーヴァントという主従関係ではなく、相棒のような距離感。今回の講座では、それを他のサーヴァントでも実現してもらえるように促す狙いもある。

「話は変わりますが、エミヤ先輩……いえ、サーヴァント・アーチャーにお聞きしたいことがあります」

「……それは何かな?」

「なぜ、私たちに親身にしてくださるのですか?」

 マシュの突然の質問に、眉を少しばかり動かしたエミヤは返答に困る。純粋な二人が危なっかしくてほっとけないから、などと正直に言っても信じてもらえないだろう。ここはもっともらしい答えを考える。

「私の指導でマスターが一人前になったら、私と契約すればマスターとして大成する、という箔がつく。そうすれば次のマスターに召喚された時、せいぜい高値を吹っ掛けられるだろう?」

「……つまり、情けは人の為ならず、ということですか?」

「まあ、そんなところだ」

 わざとらしく笑みを浮かべたエミヤの答えに、マシュはとりあえず納得したらしく、それ以上は何も言わなかった。

「うーん……でも、精神的に対等って、なんだか実感がわかないなぁ」

「まあ、いずれ分かるさ。さっきも言ったが、今は英霊でも、元は生きていた人間なんだからな……」

 珍しく悩んでいる立香に対してアドバイスをしていたエミヤは、言葉を途中で切ると突然眉を顰めて考え込む。

「……ああ、私としたことが、一番大切なことを言い忘れていたな」

「え? 何なの、大切なことって?」

 ついうっかりしていたエミヤは、ようやく思い出して発言する。あまりにも唐突だったため、立香は面食らってしまった。

「君の右手の甲に刻まれた、『令呪』のことだ」

「それって、これのこと?」

 エミヤの言葉を受け、彼に向けて令呪をかざす立香。彼女の行動を見て頷いたエミヤは、話を続ける。

「それは、サーヴァントを御するうえで重要なものだ。聖杯戦争においては、サーヴァントの瞬間的な強化やサーヴァントを自害させる、という使い方もある。……カルデアのそれは性質が多少違うようだから、ロマンに詳しい話を聞くといい」

「分かったけど、自害って……穏やかな話じゃないね」

「令呪があっても殺されることはあるし、マスターと思想で対立したから、という理由で召喚した英霊に殺されてしまっては、元も子もないからな。君がバーサーカーあたりを召喚した時、身の危険を感じたら使うことも視野に入れなければならない。尤も────」

「先輩は、そんなことしないと信じています。私も……エミヤ先輩も」

 エミヤの言葉を引き継いだマシュは、そうですよね、と彼に目配せする。

「マシュ・キリエライト嬢に、おいしいところを取られてしまったな。……これは、信頼を裏切らない采配が必要だぞ、マスター?」

 気を悪くするどころか、口元に笑みを浮かべたエミヤはマシュとアイコンタクトを取ると、立香に少しだけ意地の悪い問いかけをする。

「うん! これからも、カルデアに居る全員(・・)で世界を守ろう」

 エミヤとマシュの示し合わせたかのようなやり取りに、満面の笑みを浮かべた立香の答えは、どこまでも真っ直ぐだった。

 そんな立香の姿は、エミヤにとって眩しすぎた。────『信頼を裏切らない』などと、どの口が言うのだか。

 

 立香達は炎上する都市の調査を粗方終えると、今日の所はカルデアに帰還する選択を取った。次の任務つまり、レフの言っていた大規模な特異点にレイシフトとすることが、優先順位の高い案件だからだ。ここに来るのは、その任務終了後の次回になってしまうが仕方ない。

 ロマニの指示を受け、帰還するために踵を返した立香達だったが。

「────っ!? ……まさかな」

「どうしたの? エミヤ?」

 不意に途方もない脅威を感じ、エミヤは振り返って立ち止まる。

 途中で急に止まったエミヤを心配した立香は、マシュに先を急がせると彼の背中越しに呼びかける。

「またここに来るときは、最善の用意をしてからにするぞ、マスター」

 立香の呼びかけで振り向いたエミヤの言葉に、彼女はキョトンとしてしまったが、彼の張り詰めた顔から真意を汲み取り、すぐさま真剣な表情に戻す。

「エミヤがそこまで言うってことは、そうなんだね。……分かった」

 少ない会話で伝えきったためかそれ以上の会話はなく、立香とエミヤの二人は再び歩みを始めた。

 

 エミヤの予感は的中している。脅威を感じたその頃、とある城の守り手が大空洞に赴いていたのだから。

 

 




「うーん。アマゾネスを突入させようとしたのに、タイミングを逃しちゃったなあ」
 モニター越しに立香達を観測していたロマニは、唸りつつ残念そうに呟く。講座と戦闘の区切りがはっきりとしていて、終始真剣な空気を出していたためか、エミヤに横槍を出せなかった。
「まあ、立香ちゃんの成長に繋がるから、結果オーライかな。……ん?」
 ふとロマニがパソコンを見ると、マギ☆マリが更新されていた。
「なになに? 『サーヴァントがレイシフトできる数を増やすといいかも!』か。できないわけじゃないけど難しいなあ。……でも折角の提案だし、時間をかけてやれるだけやってみようっと」


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エミヤと無限の剣製

リクエストの幕間シリーズはこれが最後です。



 あの時エミヤは言っていた──最善の用意をしておけと。

 藤丸立香にはその本当の意味がようやく分かった。彼女の目の前には、巌の巨躯を持つ大英雄の影が佇んでいる。

 

「……ふう」

 色々とあったオケアノスから帰還した数日後、立香は特異点Fの最終調査を行っていた。

 立て続けにレイシフトする激務となってしまったが、先程その調査も終了したため一区切りがついた。

 だからこそ、彼女はカルデアの自室でベッドに寝転がり、思い切り羽を伸ばすことができている。しかし、数時間前には調査の締めくくりと言わんばかりの死闘が行われ、それを経て得られた昂りは未だに収まっていない。

 立香は何度か深呼吸すると、ようやくシャドウバーサーカー(ヘラクレス)に勝利した事実を実感する。しかし、あれがシャドウの存在であることを忘れてはいない。つい最近オケアノスで戦ったヘラクレスは撤退戦をしなければならないほどの強敵で、彼女に最初の挫折を味合わせたサーヴァントだ。

 ロマニが冗談で茶化していたが、もし本物のヘラクレスにリベンジする機会が回ってきた時、影の存在──エミヤ曰く、あれでも弱体化している方──に勝てたから次もなんとかなる、と慢心できるほど立香は楽観的ではない。

 マスターから普通の少女に戻った彼女の結論は、ヘラクレスの顔はしばらく見たくない、こっちの命がいくつあっても足りない。

 今の立香に必要なのは英気を養うことだ。

 思考を纏めていた立香は今日何度目かの息を吐くと、ふと思い返すことがあった。それは、エミヤの固有結界についてだ。

 これまでの戦いで彼が固有結界を出す機会は、立香の覚えている範囲では一度もなかった。なぜなら、出す前に決着がついていることがほとんどだからだ。

 だから立香は、固有結界そのものを見たことがない。けれど似たようなものなら、一度見たことがある。偶然見たネロの宝具が本人曰くそれであり、豪華絢爛という言葉が相応しい煌びやかな黄金劇場だった。似たようなものでこれなのだから、固有結界はきっとこういうものなのだろうと立香は理解していた。────さっきの死闘でエミヤの固有結界を見るまでは。

 エミヤの詠唱が終わった瞬間、彼を中心として炎が広がると世界はがらりと姿を変える。立香の目に飛び込んできた光景は、大空洞と呼ばれた洞窟の変わりに一面に広がる荒野、そこに突き立つ無数の剣、そして天空を覆う歯車だった。()の大英雄を前に固有結界を展開したエミヤの背中は、背景も相まって立香の心に今も強く残っている。

 本人が言っていたが、その風景が唯一の宝具で扱う魔術もそれから派生したものらしい。

 ヘラクレスを倒した後、最初は立香がある程度成長するまで封印しておくつもりだったと彼は語っていた。

 魔術にそこまで詳しくない立香にはいまいち解せないこともあった。ロマニに聞いた話だが、固有結界は使い手の心象風景が強く関係しているらしい。だとすれば、エミヤの固有結界(それ)はなぜあのような風景となったのか、それについて詳しく語らなかった彼は、なぜはぐらかしたのか──

「────マスター。少しいいかな?」

 立香が頭を悩ませていると、在室を確認するためのノック音と共に聞き慣れた声が彼女を呼ぶ。件の人物であるエミヤの声で間違いない。

「ごめん、ちょっと待ってて」

 立香は今すぐに出迎えることも可能だったが、エミヤから少しばかりの時間を貰い、寝転んだ拍子に乱れた髪を手櫛で整える作業を優先した。

 

 多くのサーヴァントを自室に招いて話をする立香ではあるが、エミヤを招くのは初めてのことだった。お茶とお菓子を目当てに、専ら立香の方がエミヤの部屋に出向くことが多いし、彼が用件を伝えに来ることがあっても、精々部屋の前でやりとりするため室内に入ることがないことも理由の一つだろう。

「疲れているところ、すまないな」

「気にしなくていいよ。最近は動いていないと違和感があるくらいだから」

 開口一番に立香を体調を気遣うエミヤだったが、対面に座っている立香の成長を改めて実感する。

 アルトリアを召喚した頃はまだ運動に慣れていない少女だったが、今はそんな発言ができるようになっていた。

「だが無理をせず、休めるときには休んでくれよ、マスター。……こう言ったからには、早速本題に入らなければな。以前の約束通り、今日は君に話しておかなければならないことがあってね」

「……あれって、一人前になったらじゃなかったっけ?」

「それは心構えの話だ。一人前を目指す半人前なら構わんさ」

 意味深長な発言、詐欺紛いの言い回しで前置きしたエミヤに対し、立香は無言で続きを促す。

「私は……、過去の召喚でマスターを裏切ったことがある」

 『裏切り』

 お人好しなエミヤの口からそんな言葉が飛び出してきたことに、立香は驚きを禁じ得なかった。当然目を見開いて動揺したが、口を挟むことなくエミヤの言葉を待つ。

「その時のオレには、やるべきことがあった……それは……」

 途中で言葉を切ったエミヤは、しばらく間を置くと再び口を開いた。

「────過去の自分を殺すこと」

 

 頭が真っ白になるという表現があるが、立香の脳内はまさにその状況だった。彼女の目の前にいるサーヴァントは、あろうことか過去の自分を殺すと語った。

「過去の自分を殺すって……どういうこと?」

 言葉が咄嗟に出てこないが、辛うじて残されていた冷静さが立香に適切な問いを投げさせる。

「私から言っておいてなんだが、この話は君が快く思わない内容が含まれている。それでも聞くかね?」

 立香はエミヤの問いに大きく首肯した。ここまで聞いて引き下がることなどできない。

「──分かった。では続けよう。

 マスター、オレはとある大火災の生き残りだった。瓦礫や炎を避け、長い時間歩き続けて力尽き倒れた後、運よく後の義父となる男に拾われて命は助かった。その代わりに、『士郎』と言う名前以外の全てを失ってしまった」

 立香の目から見ても、まるで自分を戒めるかのようにエミヤは語っている。

義父(じいさん)……ああ、オレは義父をそう呼んでいたんだ。

 彼はそれから数年の内に亡くなってしまったが、最期の会話がオレの運命を決定づけることになる。それは────、『正義の味方』になりたかった、そう言っていたよ。

 何と答えたと思う? かつてのオレは、その夢を形にしてやると言ったんだ。当時のオレは、助かるかもしれなかった人々を犠牲にして助かったから、この命を他人の為に使わなければならないという価値観に囚われすぎていた。

 その言葉通りに見返りを求めず身を粉にして働き始め、何年も経ったある日、高校生へと成長したオレは、マスターとして聖杯戦争に参加することになる。その時のサーヴァントは……アーサー王だ。

 ……聖杯戦争については、ロマンから聞いただろう?」

「うん。…………アルトリアが……なるほどね」

 立香は合点がいったように呟いていたが、エミヤは気にすることなく話を続ける。

「割愛するが、最終的に勝者はオレということになった。だが、目的の聖杯はある事情で汚染されていてね。破壊するしかなかった。

 それからは、聖杯戦争で世話になった魔術師の伝手で倫敦(ロンドン)に渡って経験を積み、しばらくして日本に帰った。

 帰国後は『正義の味方』を本格的に目指すため、説得も聞かずに恩人や知人と袂を分かって故郷を後にした。ここが人生の分水嶺だな。

 この後はほぼ君の知っての通り、追加点は途中に世界と抑止力の契約を挟んだぐらいで、最期は絞首台で人生を終えた」

 エミヤが語った言葉には、言葉数で表し切れていない程の含みがあったように感じられた。少なくとも、立香が一言で語れるような人生ではない。

 そんな立香が気になったことは、抑止力という謎の単語だけだ。

「先に言っておくと、私は他のサーヴァントのような正規の英霊ではない。生前に自身の死後を売り渡し、アラヤ……霊長の守護者に連なる、抑止力になることで英霊となったんだ。いわば、先の未来(死後)において英霊となるものだな。こうして召喚されている以上、そういう未来があるということだ」

 立香の思考を先読みしたのか、エミヤは彼女の疑問に先手を打つように言い切った。過去の回想と同じ声色で話すエミヤの胸中は如何ばかりか、与えられる情報の多さに困惑している立香には全くもって想像がつかない。

「なら、どうして……抑止力っていう存在になったの? 死後を売り渡すなんて、よっぽどの事でしょ?」

「尤もな疑問だが、オレは心底他人が大事でね。自分ではどうにもならない事態に直面した時、限界以上の力を望んでしまったのさ」

 本来ならその選択はありえないと言えることを、彼が言うとさもその通りのように感じてしまう。エミヤが日頃から他人の為に働いていることは、立香自身も十分に理解していた。そもそも、彼女が召喚した日からそうだった。

「その時のオレは、抑止力……英霊になればさらに多くの人を救えると思っていた。だが気付くのが遅すぎた。

 抑止力と聞こえはいいが、既に起きた出来事の掃除屋がその実態だった。善悪など関係ない、『正義の体現者』という言葉が相応しいな」

「掃除屋って……まさか……」

 嫌な予感が立香を引き留める。それでも、聞かずにはいられなかった。

「ああ、そのまさかだ。人を殺して人類を救う自浄作用、世界を動かす歯車の一つだよ。……全てを救いたいオレからすれば、耐え難いものだった」

 硬い表情のエミヤはさらに続ける。

「望まぬ殺戮を繰り返し、現実と理想の板挟みになっていた私は、いつしか自分の理想が間違っていたのではないかと思い始めていた。そんなある時、摩耗しきった私の元へ千載一遇の好機が訪れた。

 ──過去の自分が参加していた聖杯戦争に、サーヴァントとして呼ばれたんだ」

 そんなことがあるのか、と立香は言葉にしようとした。

 だが、目の前に居るのは死後の未来で英霊となるものだ。エミヤの言葉通り、実際に英霊として存在する以上そういう未来が必ずある。どんなに昔でも彼が召喚される可能性はある、と思い至る。

「今思えばただのやつ当たりだったが、過去の自分を殺すことでオレという存在を抹消したかった。英霊エミヤは居ない方が良かった。それがこの手で奪ってきた命への贖罪で、唯一の希望だと確信していた。

 ──だが、そう言った私を打ち負かしたのは、他でもない過去のオレだった。私の辿った過去を見せたのにあの男は、誰かを救いたいという理想は決して間違いではないと断じた」

 憎たらしげに語りながらも、エミヤの顔から嶮しさは消えていた。

「その通りだった。理想を裏切ったのは、間違っていたのは……、私の方だった。

 いつの間にか忘れていたよ。過去を変えるなんて望んではならないなんて、とっくに分かっていたはずなのにな。実に皮肉なものだよ。

 その後は乱入してきた他のサーヴァントの攻撃で瀕死の重傷を負い、最期まで足掻いて自己満足の罪滅ぼしをしてから消えようとしたんだ。そうしたら消滅の間際に、私が裏切ったはずのマスターが追って来た。私には勿体無いほど優秀なマスターだったんだが、非情に徹しきれない魔術師でね、私の真名は既に分かっていたから、固定された英霊エミヤが救われない存在であることに気付いたんだろう。あまり気負ってほしくなかったから、躊躇いがちだった彼女に衛宮士郎()を頼むと言った後にこう言ったんだ──」

 「オレもこれから、頑張っていくから」エミヤは最後にそう続けた。

 言いたいことが終わったらしく饒舌だった弓兵は沈黙している。それなのに、立香は声を出すことができなかった。

 エミヤの過去に何と言えばよいのか、実際に経験しなければわからないほどの道を彼は歩んできた。今なら理解できる。エミヤの固有結界は、彼の人生そのものだ。

 これまでサーヴァントの過去を聞いたことはあったが、それらとはどこか性質が異なるように感じる。正規の英霊ではない、とはこのことだろうと理解する。

 しかし、過去がそうだったからといっても、エミヤが悪逆非道の人物には思えない。マスターである立香がすべきことは──

「エミヤは、後悔してないんだよね?」

「ああ」

「じゃあ、私を裏切る?」

「それは絶対にしないと約束する。信用してもらえないかもしれないが」

「私はエミヤを信じるよ、これまで一緒に戦ってきたんだから」

 サーヴァントの『今』を見ること。英雄、反英雄に関わらず、このカルデアには様々な過去を持つ英霊が存在する。

 全員が伝承通りの人物像かといえばそうではない。立香と同じように喜怒哀楽を表現する人だと分かっている。

「エミヤも昔言ってたよね? 『サーヴァントとマスターは精神的に対等であることが望ましい』って。

 裏切った経験を後ろめたく思って打ち明けたってことは、つまり、弱さを打ち明けられる間柄だって認めてくれたんでしょ?」

 立香の言葉を耳にしたエミヤは目を丸くする。彼の予想以上に、立香は成長していた。

「……君はいずれ、最もサーヴァントを知るマスターになるだろうな」

 そう言って立ち上がったエミヤは、立香の傍まで近づくと騎士のように傅く。

「今一度、私の剣を君に預ける。君の信頼に応えよう、マスター」

「……うん、これからもよろしくね。エミヤ」

 満面の笑みを浮かべる立香につられたのか、無意識にエミヤも微笑んだ。

 

 

 そして、扉の隙間からとある人物が覗いていたことに気が付かなかった。

 

 




 ふふふ……、ますたぁ(旦那様)……


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エミヤとバレンタイン

タイトルこれなのに甘い話にならなかった。

Xオルタが来る頃には甘い話になるかな。


 二月に入ったカルデア。サーヴァントの失踪事件が起こる前のことだった。

 

 藤丸立香は悩んでいた。

 今の時期だと、日本ならイベントとしてバレンタインデーが存在する。

 すかさず、バレンタインイベントをやります、と宣言したいところだったがそうもいかない。

 昔聞いた話ではあるが、日本と海外のバレンタインデーは内容が異なるらしい。

 その差異をどう埋めるかが重要だが、とりあえず日頃の感謝を込めた贈り物としてチョコレートを渡すイベントにしようと考える。しかしまだ課題はある。

 現在、このカルデアに在籍するサーヴァントは四十を超えている。

 この状況でそんなことを言えばどうなるか。もはや義理かどうかは問題ではなく、このままでは大多数のサーヴァントがほぼ間違いなく、合計して一般人を確実に胃もたれさせる量のチョコレートを()の弓兵に渡すことになり得る。これだと、甘党のロマニですら裸足で逃げ出すだろう。

 しかも、サーヴァントだけでこの数なのだから、職員の数も合わせれば更に増える。

 つまり、最大の問題点は──、間違いなく味に飽きること。如何にアレンジを加えようとも、基本はチョコレートだ。更に、その状態に陥っても、お人好しな彼が貰った物を食べ切らないとは考えられない。

 サーヴァントが体調不良を起こすのか立香には分からないものの、味覚などの感覚は人と変わらないため、無理をさせるのはあまりにも忍びない。

 ならばどうするか──

 

 先日の二月十四日、エミヤが立香に呼ばれて食堂に赴けば、バレンタインパーティーなるものが開催されていた。

 お菓子やデザートによる立食会というべきだろう。勿論、パスタなどの主食もある。

 最近、カルデア内が何かしら慌ただしいとエミヤは思っていたが、蓋を開ければこういうことだった。同時に、そういえばそんな日があったかと思い至る。

 心当たりといえば、偶には休んでほしいと言われて直近の食堂のシフトから外されていた。だが、提案の意図を考えもしなかった。

 生前の記憶を遡っても、赤い少女()金色の淑女(ルヴィア)が箱を片手に拳や魔術でやたらと張り合っていたような気がするが、チョコレートを貰ったことはそれくらいしか記憶にない。単純に忘れているだけかもしれないが、だからこそ覚えは悪い。

 弓兵は少し遅れて参加することになったが、日頃お茶に誘っている職員から丁寧な包装が施されたチョコレートを貰った。受け取っただけで大層喜ばれ、彼自身は少々むず痒さを感じることとなった。

 マスターの立香からは、サーヴァント全員が一つずつ作った小さい焼き菓子、それらの詰め合わせを代表して手渡された。

 話によると、職員にチョコレートを作ってもらい、サーヴァント側がそれ以外を作るようになったのは立香の発案であり、時間の合間を縫って一人一人に賛同を貰ったらしい。

 「ホワイトデーと被ってごめんね」とは立香の言葉で、気にすることはないとエミヤは返した。

 これは弓兵の予想でしかないが、立香自身もチョコレートを作りたかっただろうに、第一に食べる人のことを考え、その上でサーヴァントと同じ物を作る所が彼女らしいものの、些か申し訳なさを感じる。

 立香が去って行った後、彼が詰め合わせの袋を開ければ、クッキーやビスケット、マカロンなど多様なお菓子が収められていた。それぞれの色も異なり、味の違いを見て取ることが出来る。

 ここまで良いものを貰ったのだから、エミヤがお礼を言いに回るのは自然な流れだった。

 回る中で、「頑張って作った」と一部のサーヴァントに飛びかかられたり、アルトリア達が、「口に合えばよいのですが」と同じような言葉を話していたことに不思議と安堵したり、自信満々のエリザベートが、「ちゃんと食べなさいよねっ!」と胸を張っていたことに肝を冷やした。

 後でカーミラが、「隠し味を入れないよう見張っておいたわ」と言っていたので安心した。ただ、仮面越しでも気苦労を背負っていたように見えたのは、おそらくエミヤの見間違いではないだろう。

 月での経験を垣間見た彼女は、料理の腕がどれほどのものなのか自覚しているのかもしれない。エミヤが彼女に感謝しながら頭を撫でたことは記憶に新しい。カーミラはなぜか照れていた。

「────楽しんでいるかい? エミヤ君」

 

 唐突に弓兵は名前を呼ばれる。

 パーティの喧騒から離れ、食堂の隅に置かれていた椅子に座り、考えに耽りながら渡された贈り物を眺めていたエミヤに声をかけるのは、ロマニ・アーキマンだった。彼自身が甘党なこともあり、皿一杯に甘味を載せている。

「……ああ、そんなところさ。

 ──ロマンほどではないがね」

「あはは……、痛いところを突かれちゃったかな」

 そう言うと、ロマニはエミヤの隣に腰を下ろす。

「でも──、君は本当に楽しめているのかい?」

 珍しく真面目な顔を見せるロマニ、彼が時折見せる二面性ではあるが、普段の態度からすれば、こちらが素の顔なのかもしれない。

「……そんなに分かりやすかったか、私は?」

「いや、むしろ分からない方が凄いだろうね」

 ロマニは皿の甘味を口に運びながらエミヤの問いに答えていた。

「なんて言ったらいいんだろうね……、お礼を言いに回っていたけど、一人になった時はどこか悩んでいるように見えたんだ」

「……そうか、以前よりも顔に出るようになっていたか。

 別に嬉しくない訳ではないさ。ただ、私がここまでしてもらっていいものか、少しだけ考えていた」

「僕も疑問に思っていたんだけど、どうして君はそう考えているんだい?」

「とある理由があってね、私が勝手に引け目を感じているだけだ。

 なにより、この手の中にある物の重みを、私は今まで知ろうともしなかった」

 チョコレートの箱を片手にエミヤは語る。その嬉々として悲痛な面持ちに、ロマニは言葉が出なかった。

「よく言われるよ。『なぜ好意から目を背けようとするんだ?』とね。そうしないようにすると誓ったが、どうしても誤魔化そうとしてしまう。誤魔化せる相手ではないと分かりながらな。

 ──だが、そろそろ心の整理をすべきかもしれないな。心当たりはなくとも、私の都合で逃げ続ける訳にもいかないからな」

「……色々と大変だね、エミヤ君も」

「私の苦労など、マスターの任務やカルデアの職務に比べれば些細なことだ。

 ──さて、そろそろデザートが足りなくなりそうだ。休んでいた分、私が追加を作らねばな」

「おっと、僕は和菓子が欲しいかな。勿論、こし餡でね」

 アルトリア達のいるテーブルを一瞥し、贈り物を抱え立ち上がるエミヤだったが、会話中に甘味を消費していたロマニは、持ってきていた分を完食していた。

「……まあ、いいか。餡子の在庫はある。

 つまらない話を聞かせたお詫びに作っておこう」

「うん。楽しみにしているよ」

 やり取りを終えると、エミヤは背を向けて厨房へ消えていった。見送るロマニだったが、パーティー中でも率先して世話を焼く弓兵は、何とも彼らしいとしか言いようがない。

「…………君が、答えを出せることを祈っているよ」

 

 エミヤの和菓子を食べている内に、真面目な顔のロマニはいつの間にか消え、いつも通りのロマニがそこに居た。

 

 




 やれやれ、ロマニがどうしても参加したいっていうから観測を代わったけど、おかしな特異点が見つかったね。いや、果たして特異点と呼べるのだろうかな。
 場所は……特異点Fと同じ島国か。


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幻影のエミヤと立香と巌窟王

巌窟王ってこんな感じで合ってるのだろうか。


 残酷な運命に翻弄された一人の男、恩讐の炎が燃え尽きる事は無い。

 

 カルデアで意識を失った立香は、気が付けば監獄に居た。そして、牢獄とも呼ばれるその中に居た先客──復讐鬼(アヴェンジャー)を名乗る男の(いざな)いで、監獄塔──シャトー・ディフから七日以内の脱出を目指すことになった。幸いなことに、時間の流れは監獄塔とカルデアで違うらしい。

 脱出する方法は単純で、七つの裁きの間を踏破する連戦に挑むことだった。奇妙なことにその対戦相手は、カルデアに居るサーヴァントであれば、会ったことのないサーヴァントも居た。しかし、総じて性格が攻撃的だった。それもそのはずであり、それらは英雄などではなく人の業──七つの大罪の化身であり、外側は英霊でも、内側の本質は別物だった。

 唯一、『ルーラー』クラスのジャンヌと天草四郎を名乗るサーヴァントは、正気を保っているような素振りを見せていたが、立香が真相を知る由もない。

 勝ち残るごとに連戦も終わりが見え始め、途中で助けた女性──『メルセデス』も倒せば、遂に最後の相手となった。

 最後の相手とは……、巌窟王──エドモン・ダンテスだった。かつての彼をなぞるかのように、ファリア神父の代理(たった一人)でしかこの監獄塔から抜け出すことはできない。

 特異点ではサーヴァントの力を借りて共に戦う立香だったが、ここで一緒だったサーヴァントはアヴェンジャーとメルセデス、必然的に彼女一人で戦わなければならない。

 予想していなかったわけではないが、戦うことになった。「いままで助けて貰った彼には申し訳ないが、ここで倒れる訳にはいかない」と、立香は短い思考時間で反芻する。

 一番の問題は、サーヴァント相手に単身生身で戦うことだ。メディア監修で改造されたカルデア戦闘服は着ておらず、魔術礼装はマスター候補生制服のままである。防御はそこそこで、攻撃手段は無い。他に役立つものは令呪くらいだ。

 冷静に考えると戦力差は絶望的で敗北は必至だが、魔術師ではなくとも──、マスターとして、相手に背中は見せられない。マシュやエミヤを始めとした他の皆を頼らず、彼女の地力で戦う時が来ただけだ。

 ────その時だった。

 立香とアヴェンジャーの間を遮るかのように、目の前の空間に砂嵐のようなノイズが走ると、徐々に色が変容していった。

 そこに現れたのは、暗い闘技場の篝火よりも赤い外套、立香からすれば見慣れた男の背中。おそらく、この場において最も相応しい男であり、最も不似合いな男だった。

 予期していなかった光景に立香は目を見開いて驚いたが、それは巌窟王も同じで、表情は保っているものの動揺していた。

 覚悟を決めた矢先に思わぬ援軍が来たが、正直に言えば立香はほっとした。

 「ついて来れるか」と言わんばかりの背中を、立香はいつも見ていた。マスターとして右も左も分からなかった彼女を常に鼓舞してきた。だからこそ、追いつこうと頑張れるのだ。

 

 決着がついたのは、そう遅くはならなかった。二対一で卑怯な気もするが、巌窟王はそれを許容したのだ。そして、気が付いた時には、幻影の弓兵は消えていた。

 戦いの後、魔術王を嘲笑いながら語るアヴェンジャーの言葉で、立香はようやく思惑を察した。彼は倒されることを予期していたのだ。

 人間(エドモン)ではない巌窟王(モンテ・クリスト)としての姿でも、老賢者との思い出を忘れてはいなかった。導き手として、最後に命を懸けた。その果てに勝利を手にした。

 ひとしきり心中を明かしたアヴェンジャーは、一転して落ち着いた雰囲気で話し始める。

「……驚いたぞ。よもや、この塔で幻を呼び出すとはな。おまえの希望があれを呼び寄せたか」

「……アヴェンジャー」

「分かっているな……と言いたいところだが、今はただ忠告しておいてやろう」

「忠告?」

「そうだ。この先、仮初かどうかは知らんが、おまえは他のサーヴァントと契約することがあるのだろう」

「間違いなくそうなるね」

「おまえはこのオレをも使いこなして見せた。その点は心配などしていない。

 ──だが、なぜ復讐鬼を名乗るオレが素直に従ったのか、不思議には思わなかったか?」

 素直だったかは定かではないが、確かにアヴェンジャーの言う通りだった。

 ここに来た当初、立香は流されるがまま彼と仮契約を結び、こうして共に戦ってきた。その最中の出来事で、彼はぶっきらぼうな態度ではあったが、メルセデスを助けようとした立香の意志を最後まで尊重していた。

 その気があれば見捨てさせることも、後から追い出すこともできたはずだ。

「英霊がサーヴァントとして現界すれば、感情を持って行動する。つまりは、マスターとサーヴァントは互いに影響を及ぼし合う関係となる。ただ、同じ性格であれば干渉も少ないだろうが、性格が正反対であればどうなる? 些細なことでいがみ合うに決まっている。おまえの場合だと、契約する数が多ければそうなる可能性は十分にある。

 ──ここまで言えば分かるな。マスターとは、英霊が持つ悪性の廃棄孔だ。契約関係を円滑にするためのな。そもそもとしておまえは、影響を受けていなければおかしい(・・・・・・・・・・・・・・・)のだ」

「仮にそうだとしても、私は何ともないよ?」

「そう急くな、話はまだ終わっていない。そう思うのも、『今は』という不確かな確証に過ぎん。この先、それを溜め続けてみろ。おまえの精神は更に深く沈んでいくことになるぞ。いつ限界を迎えるのか、オレにも見当はつかんがな。

 ──この話はここまでだが、もう一つ、あの男のことだ」

「あの男……って、エミヤのこと?」

「先の赤い弓兵をそう呼ぶのならばそうだ。本人ではないにしろ、奴は恩讐の権利を有しながら、己を除いて何も憎んではいないようだな。よくここに来られたものだが、おまえがこれまで倒してきた七つの裁きの間の番人のどれとも違えば、そうであるともいえる。ただ確かなことは、人間でありながら破綻した人間だ。

 どう思っているのかはおまえ次第だが……、その背を追うのなら、往く先に待つのはシャトー・ディフ以上の地獄だぞ?」

 帽子の陰から覗くアヴェンジャーの鋭い眼光は、立香の覚悟を問いただしているかのようだった。

「たとえそうだとしても、私は前に進み続けるよ。追いつかないと、分からないこともあるから。────待つばかりじゃ居られないよ」

「……そうか」

 少しだけはにかんで笑う少女の姿に巌窟王は何を見たのか、目を閉じて沈黙した。ただ、それは僅かな時間だった。

「ならば迷わず往け! そして足掻くがいい! おまえがそれを望む限り!

 魂の牢獄から解き放たれたおまえは、歩み続ける限り必ずや世界を救うだろう!」

 高らかに叫ぶ巌窟王だったが、それを待っていたかのように彼の体は粒子になり始めていた。敗北したのだから当然だろう。別れの時は突如としてやって来た。

「助けてもらってばかりだったけど、ありがとうって言うより、また会おうって言ったほうがいいかな」

「クハハハハ! 再会を望むか、アヴェンジャーたるオレに? ならばオレはこう言うしかあるまいな! マスター!

 "────待て、しかして希望せよ"とな!」

 エドモン・ダンテスが消滅すると同時に、立香は光に包まれた。

 

 いつの間にか、光に包まれていたはずの立香は目の前が暗くなっていた。現状を認識すれば、瞼を閉じているだけだった。

 長くて短い夢から覚め、ゆっくりと瞼を開けると────

「先……輩……? ……目が覚めたのですね、おかえりなさい先輩」

「フォウ、フォーウ」

 最初に映った光景は、瞠目してから心底安堵した表情に変わったマシュと顔を覗き込むフォウ君の姿だった。

「理由は分からないけど、見違えたね。……落ち着いたら精密検査をしようか」

 ロマニは感慨深そうに無事を喜んでいた。

 目覚めて早々の反応で、カルデア──皆の元に帰ってきたことを実感する立香は、三人の顔を順番に見る。そして三人の後ろにいたのは────、いつも通りのニヒルな笑みを浮かべた弓兵だった。

 

 ロマニの予言通り、この後清姫を筆頭としたサーヴァント達が押し寄せ、落ち着くまでには時間がかかった。

 

 




 ファリア神父の教え通りなら、赤い弓兵も救われるべきだろう。
 立香はエデのように……いや、エデではなくそのままで導くか。
 
 だが、オレを呼ぶならば、我が共犯者であるおまえを笑いに行くぞ。マスター。


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エミヤと月下の誓い

ほのぼの書けない……困った。
あと、活動報告に今後予定している投稿の概要を載せておきます。


 あり得た可能性の世界──もう一つの第四次聖杯戦争において、聖杯を完全に破壊して一段落が付いた。

 召喚された守護者に事情を聴こうと赤い弓兵は声を掛けようとしたが、フードを被った彼の影はどこにもなく風の如く去った後だった。

 

 いつの間にかは分からない。エミヤがはっとして気が付いた時には、既に畳の部屋に居た。

 カルデアの自室でないことは明白だったが、知らない部屋という訳ではなく、むしろ見覚えのある部屋だった。周囲を見渡して上で断定する。生前、長きに渡り生活の拠点としていた自室に間違いはない。

 自らの置かれた状況から、夢の中であると推測しても外れてはいないはずだ。基本的にサーヴァントはマスターの過去の記憶の再生でしか夢を見ないが、人理焼却が影響しているのならば通常と違っていても不思議なことではない。

 サーヴァントの召喚以外で温かな団欒の時間を過ごした武家屋敷へ戻ってくることになるとは、エミヤ自身予想だにしなかった。お誂え向きに自分の部屋でもある。

 しかしながらなぜここに居るのか、前後の記憶は曖昧だが、ここで何をすべきなのかは朧気に理解している。そう結論付けると、弓兵は足早に部屋を出た。

 

 外の風景は暗く、空を見上げれば満月が輝いていた。正確な時刻は分からずとも、夜で間違いは無さそうだ。

 それを横目に廊下を渡り、障子を開けてとある部屋に入る。視界に映るのは自室と同じ畳張りの和室、そして開け放たれた障子の先、その奥に人影を捉えた。

 縁側に胡坐で腰掛け、エミヤに背を向けている男は、草臥れた甚平に手入れのされていない黒い髪が月に照らされていた。

「────切嗣(じいさん)

 思わず声が出てしまった。エミヤの突然の呼びかけに反応した男──衛宮切嗣はゆっくりと振り向く。その顔は歓迎しているように見えた。

「久し振りだね……士郎」

 切嗣がその名前で彼を呼ぶのは、久し振りというにはあまりにも長すぎた。あの時より、外見も声も殆どが別人と化している。それなのに、間違えることはなかった。

「オレが分かるのか?」

「……分かるよ。士郎が僕と同じ目をしていたから」

 視線で促され、弓兵は会話をしながら切嗣の隣に腰掛け、それからは他愛のない話をした。

 積もり積もった話の中で、シロウは切嗣に聖杯戦争へ参加したことを明かした。それを聞いた切嗣は驚いた表情を浮かべ、「そうか……」と一言呟いた。そして、セイバーがアーサー王だったことを話した時には、苦笑いを浮かべて釈明するしかなかった。

 かつては切嗣がシロウに土産話を聞かせていたが、立場が逆転していた。

 しかし不意に会話が途切れ、互いに沈黙するしかない。その中で話題を切り出したのは切嗣だった。

「──いつの間にかここに居て、誰かが来るような気がしていたんだ。まさか、士郎にまた会えるなんて、思ってもいなかったけど」

「それはこちらも同じだ。……未だに信じられない」

「でも、僕たちが偽物かどうかなんて、いまさら問題じゃないさ」

 シロウの言葉の裏を読み取った切嗣は、晩年の姿でありながらはっきりとした意志で言い切った。

「────士郎は僕のことを恨んでいるかい?」

「何を言っている──?」

 不意を突かれたシロウは思わず聞き返していた。切嗣の発言に驚くのも無理はない。

「僕はあの夜、正義の味方について語っていたね。小さかった士郎は形にすると約束してくれて、その想いがあれば道を外さないと思っていた。

 だけどね、僕は世界が残酷なものであることを知っていたんだ。同じ理想を掲げて、誰もが悲しまない世界を作るのだと息巻いていた僕が、理想(ユメ)に破れたように。

 魔術に関しても、最初から教えない方が良かったのかもしれない」

 夜空を見上げる切嗣の横顔が、シロウの覚えている姿と重なる。

「僕は、士郎が正義の味方になると約束した時、こう言うべきだったんだ。『正義の味方ではなく、誰かの味方になってあげなさい』とね。大多数の他人ではなく愛する家族を守るべきだと気付くのが遅すぎた、僕の二の舞にさせないために。

 諦めきれなかったんだろうね……結果的に、僕は士郎に理想(のろい)を科してしまった。だからこそ士郎には恨む権利がある。それを押し付けた僕を恨んでいい──」

「──本当に何言ってるんだよ切嗣」

 イリヤとの最後の会話で、言われた言葉であり、言った言葉でもあった。やはり父親なのだと実感しながらも、切嗣の話が終わるが早いか、シロウは制するように話し始めた。

「正義の味方になる……それを形にしてやると約束した言葉は、オレの内から零れ落ちた感情ではなかったとしても、尊いものだと感じたのは紛れもない本心だ。

 切嗣に感謝はしていても、本気で恨んだことなんて一度もないさ。おまけに、魔術という力がなければ聖杯戦争を生き抜くことも難しかった」

 思わぬ返答で呆気にとられた切嗣は、じっとシロウを見ていた。

「だが、生き方に後悔しなかったといえば嘘になる。オレはやり方を間違えて、助けを求めた人々に疑念を抱かせてしまった。結果論だが、誰かの助けをしたいなら警察官や弁護士を目指すべきだった。

 ──それでもオレは、誰か一人を選ぶのではなく巨悪に虐げられる全ての人を救いたいと願った。どんなに矛盾していても、それがオレの信じた正義の味方なんだ」

 今の切嗣は反対に、今度はシロウが月夜を見上げる。

「こうは言ったが、切嗣の言葉が間違っているとも思わない。サーヴァントとしてマスターを守った時には、正義の味方の夢を叶えることができた。

 ──今もそうだ。人類史を抹殺しようという強大な敵に立ち向かう、たった一人のマスターに力を貸している」

 正義の味方を目指さなければ守護者にはなれず、守護者になれなければ誰かの味方になることもなかった。

 自らを構成する悉くを擦り減らし、正義の価値観の下に善悪を問わず切り捨てる抑止力と化してなお、追い求めた理想に辿り着くことはできた。脳裏に浮かぶのは、月で契約した少女と人類最後の契約者である少女の二人だった。

「座に還れば摩耗した(元の)オレに戻ってしまうとしても、そうなった事実は変わらない。

 だからさ────、切嗣の理想(ゆめ)は間違いなんかじゃなかったよ」

 赤い少女に誓った時と同じく、弓兵の顔は少年のようだった。

 それを聞いた切嗣は、何かを堪えているように見えた。

「そうか────」

 視線を外すと安堵した顔で──

 

「……くん……シロウ……」

 優しく呼びかける声がした。意識の覚醒と共に瞼を開く。

 最初に映ったのは、慈しみの眼差しで弓兵を見ているアイリスフィールの顔だった。

「ミス・アイリ? ……私は……」

「ふふ、さっきまで眠っていたのよ。とっても可愛い寝顔だったわ」

 褒め言葉と受け取るべきか分からない総評に苦笑しながらも、エミヤの思考は徐々にはっきりとしてきた。そのおかげで直前の出来事を思い出す。

 少し前に、アイリスフィールは母親らしいことをしたいと言ってエミヤの部屋に来ていた。断るほどでもないだろうと内容を聞かずに快諾したのだが、アイリのお願いは「膝枕をしてあげたい」だった。話を聞けば、カルデアの女性陣に相談したところそれを提案されたらしく、またイリヤにもよくやっていたらしい。

 内心で苦笑いをしながら膝枕されていたエミヤは、「眠っている所を起こしてあげたい」と追加のお願いをされてしまった。簡単に眠れないと悩んでいたところで、アイリの奥の手として催眠術をかけられた。どこかで見つけたらしい原始的な五円玉の振り子で眠るはずないと高をくくっていた弓兵だったが、開始数秒で眠りに落ちていた。

 そこまでの内容を整理してふと思った。眠っていた時に夢を見たはずだが、それを思い出せず、忘れてしまっていた。しかし、懐かしい感覚だったことは覚えている。

 深く追究するほどでもないかと判断したエミヤを、アイリは頭を撫でながら見守っていた。

 

 




 ああ────安心した


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エミヤと夏の砂浜《前編》

 水平線と青い海、白い砂浜、照り付ける太陽、絶好の海水浴日和だった。

 

 ロマニがシステムを改良し、試験的に導入された大人数でのレイシフトだったが、不運にも時空の落とし穴に邪魔をされてしまった。これまでに時間の流れが異なったり突発的なレイシフトを経験していたためか、カルデアの対応も早かった。しかし、慌てながらも必死だったロマニの解析によって、そう簡単に帰還できるような案件ではないことも判明した。その結果として、見知らぬ南国の島に降り立った立香一行は、束の間のヴァカンスを楽しむことにした。

 そして、それを尻目に黙々と住まいの建設を続けるのは、エミヤを差し置いて他にはいない。華がある女性陣に囲まれるよりも、汗水流して家を建てる方が性に合っている男だった。

 家を丸ごと投影した方が早いかもしれないが、魔力の消費もばかにならない。万が一を考えて島の木を使ってツリーハウスの建設に勤しんでいた。

 だが、本当の狙いは他にもある。

「エミヤは泳ぎに行かないの?」

「ドクターロマンも言っていたが、ここも時間の流れが異なるらしいからな。腰を据えて待つだけの機構は必要だろう。最小限の範囲で、ということになるが」

 泳ぎに誘われるのを断りやすいからだ。地上に降りたエミヤへ、水着姿(・・・)の立香が声を掛けてきたように。余談だが、彼女の水着は決してエミヤのお手製ではない。

 その理由を説明できる人物──スカサハも、立香とエミヤの元にやって来た。

「家くらいならばルーンを組み合わせてお手軽に作れるのだがな」

「結局資材が必要になる以上仕方があるまい……し、師匠」

「ん? 一瞬間があった気がするが──」

「──ただの気のせいだろう。スカサハ師匠」

 エミヤの投影した布をスカサハがルーンで加工したものだからだ。これまでに色々と経験したエミヤならば、線引きくらいは弁えている。

「それで、何か言うべき事は無いか?」

 両手を広げ、かかってこいと言わんばかりの格好だが、生前の経験が役に立った。凛とルヴィア曰く、こういう場合は褒めるべきらしい。

「ふむ。実によく似合っていると思うが? 綺麗さが際立つと言うべきか。

 マスターもよく似合っているな。実に君らしい」

「……まあ、悪くない」

「エミヤ、不意打ちはずるいなぁ」

 スカサハが霊基を弄って、この場に居る女性陣全員が水着姿になっていた。そして、エミヤは辞退した。

 クー・フーリンが居たら同じ質問で揶揄うだろうスカサハだが、思いの外に素直な称賛が返ってくるのは悪い気がしない。

 

 立香とスカサハも海へと去っていき、エミヤは作業を再開していた。

 手を休めずに思考を重ねる。この島には、魔獣以外(・・・・)の生物が居なかった。エミヤが小舟を作ってアンとメアリーが外洋から見た結果、絶海の孤島だという情報が付け加わっただけだ。スカサハは何か引っかかったように考えていたが、この状況を覆せるものではないと言っていた。

「木の実が生っていて助かりましたわ」

「食べられる魚はいなかったからね」

 下の方から声が聞こえる。食料調達に出ていたアンとメアリーが戻ってきた。拠点である以上、食料を貯蔵しなければならない。無人島のサバイバルにおける目利きは、二人の経験の方が勝る。

 半日以上の時間があったために、丁度よく建設作業が終了してしまったのは、不幸と呼ぶべきだろうか。

「そうか、食糧庫も作るべきだな」

「そんなに働いて大丈夫なの?」

「息抜きがてらに私たちと遊びません?」

「それは光栄な話だが、こればかりは早急に作るべきだ。

 ……時間があればお相手させてもらう」

 再び降り立ったエミヤは未だに働く意思を見せる。

 呆れた目で威圧する二人に押されて、エミヤも妥協するしかなかった。

「そういえば、僕たちの感想も聞きたいな」

「名案ですわね、いかがですか?」

 意味ありげにポーズをとるアンとメアリーに苦笑しながらもエミヤは答える。

「海賊としての誇りを感じる二人ならではの意匠だな。

 ただ……」

 歯切れが悪くなるのは当然だった。

 アンとメアリーの手足には、枷のようなものが、陶器のような白い首元には、似つかない首輪がついていた。

 霊基を弄ったのはスカサハだが、イメージは対象に依存する。海賊である二人の過去からして、つまりはそういうことだろう。

「ああ、これが気になる?」

「気にする必要はありませんのに」

 一歩引いたエミヤの回答に不完全燃焼だった。

 

 遊ぶ約束をしたのならば、さっさと片付けた方が良い。

 食糧庫も簡易的なものだ。難民キャンプなどでの経験もあるから、初めて作るものではなかった。

 敷物を置き、ピンと張ったロープに布を被せるだけの非常にお手軽なものだが、長居はしない以上、これで十分だった。

 いざロープを投影しようとした時、右後方から差し出されるものがあった。

「これは何かに使えませんか? シロウ」

 差し出した人物はアルトリアだった。輪っかのように巻かれた太い蔓をその手に持っている。

「よく分かったものだ。いや、君は時々鋭いから当然というべきか」

「ええ、そんな気がしましたから。また一人で抱え込んでいますね」

「まったくもって反論のしようがないな」 

 仕方がない人だと言わんばかりに見つめるアルトリアの視線から逃れるように、エミヤは顔を背ける。

「どうしましたシロウ、それだと私の姿がよく見えないのでは? 

 皆と同じように聞きたいことがありますから」

「先程見たさ……月並みだが、似合っているよ。

 私には覚えがないが、そのデザインは君の存在を引き立てている」

 エミヤはそう返事をしたが、アルトリアが何も反応しないため、不審に思って見つめ直す。

「その言葉は面と向かって話すものです」

 記憶にあるものと同じ微笑みがそこにはあった。

 

 作業が終わると、アンとメアリーとの約束を果たすために砂浜に来たエミヤは、外套を脱ぎ捨てて黒のインナーで過ごすことにした。

 到着すると二人のほかにマリーが居た。話を聞けばビーチバレーをしたいらしい。霊基を弄った結果、彼女はビーチボールを携えるキャスターになったが、球技には魔術師という異名が存在するため違和感はない。

 そこからはアンとメアリーの熟練のタッグ、マリーとエミヤの即席タッグで試合をする運びになった。

 一方的かと思われたが、意外にも接戦を繰り広げた。エミヤが出来る限りのフォローをしたことも一因だが、運動に慣れていないマリーがあらぬ方向にボールを打ち込んでも、一度も相手コートからはみ出さないこともそうだった。偶然にも回転を掛けていることがエミヤの視力で把握できたが、末恐ろしい幸運だった。

 僅差で敗れたものの握手を交わし、互いの健闘を称え合った。

「エスコートしてくださってありがとう、シロウ」

「王妃殿に何かあっては一大事だからな」

「もう……意地悪な人ね」

 花の様な笑顔で冗談を受け流すマリーは、水着の上に白いワンピースを着て、同じ色でつばの広い帽子を被っていた。波打ち際で素足を濡らす彼女をエミヤは腕組みしながら眺めていた。

「でも、そんなあなたに答えてもらいたいわ。この衣装は、わたしに似合っているかしら?」

「ああ。……そうだな、映画の主演と言われても信用できるほどに似合っているな」

「ありがとう。今日は王妃としてのわたしがお休みなの。今だけは、マリーとして微笑んでいたいから」

「私には不相応な言葉だが、今だけは謹んで御受けしよう」

 

 カルデアからの連絡は未だない。

 ヴァカンスはまだまだ続く。

 

 




 慌ただしい管制室で作業するロマニは、手を休めることなく、事態の解決に動いていた。
「やっぱりまだ早かったのかなぁ……なんて、今はそれどころじゃないか。
 完成するにしても、これが役に立つ時が来なければいいんだけどね」


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エミヤと夏の砂浜《後編》

 サーヴァントと違い、マスターは食事の必要がある。

 果実ばかりだがどうしようかと悩んでいるエミヤは、漠然と砂浜を歩いていた。

「あら、考え事でもしてるの?」

 声に気が付き、そちらの方に視線を向ける。エミヤに呼びかけた人物はマルタだった。

 砕けた話し方で、今日はそちらの気分であることが分かる。

「いやなに、果物だけで料理を作るなど滅多にない経験だと思ってね。これでは栄養が偏ってしまう」

「何かと思えば、それが悩みなのね。とってもあなたらしいっていうか。でもまあ、それもそうよね……」

 マルタの歯切れの悪い返事に、エミヤはある程度の内容を察する。

「ところで、これから私は食材調達を兼ねて島の魔獣を退治しようと思っているのだが、一人では心許ない。

 よければ、君の力を貸してもらえないだろうか」

「えっ──? どうして分かったの?」

 弓兵の発言の意図を察したマルタは、内心を覚られたことに驚き、呆気にとられる。それを見たエミヤは、視線を逸らしながら続けた。

「深く語るつもりは無いが……そうだな、それを含めて君なのだろう?」

 ルーラーかつ聖女という言葉だけでは、マルタを完璧に表現することはできない。

 言われた本人は、目の前の彼が以前にも似たようなことを言っていたと思い出す。つくづく変わらないと呆れながら、少しだけ嬉しいと思ってしまう自分が恨めしかった。

 だから──断る気は毛頭ない。

「仕方ないわね。久しぶりに腕が鳴るわ」

「意気込みはいいが、全てを倒すわけではないぞ?」

「……それくらい分かってるわよ」

「ふ、確認しただけだ。ああ、それともう一つあってね。

 ──君の美しさは絵になるな」

 言うだけ言うと、エミヤは背を向けて先に行く。

 先程も驚いたが、それ以上に驚かされた。エミヤの方からそんな言葉が聞けるとは思わなかったからだ。

「もう、待ちなさいよ」

 それでも、怒るにも怒れない。本当に仕方のない人だと頬を緩ませながら、聖女は弓兵の背中を追った。

 

 レイシフトした時間は、この島で言うと朝早い時間だった。まだ日は高いために、エミヤはドライフルーツと燻製の作成に取り掛かっていた。

「せっかくのヴァカンス日和だというのに、ちょっと遊んだらすぐ仕事に戻るなんて勿体ありません!、仕事人間のエミヤさんはこの状況をエンジョイしないんです?」

 エミヤの元へ、ビーチパラソルを片手に玉藻がやって来た。

「ここまで違和感が無いとは恐れ入ったな。夏というイメージが直接伝わる格好だ。尤も、一番見せたい相手が居ないとは無情なものだ。

 しかし、楽観的すぎるのも考えものではないかな?」

「贅沢は尽きませんからね、控えめで謙虚が一番。ですが、褒め言葉は素直に受け取りますよ。

 そうは言いますが、悲観的すぎるのもまた然りでしょうに。まあ、夢のような状況を満喫しないのはエミヤさんらしいですけどね」

「私とて浮かれていない訳ではない。ただ、万が一ということもある」

「……そんなあなただからこそ(わたくし)も現状は静観している訳ですが──」

 そう言いながら、玉藻は明後日の方向に蹴る動作をしていた。

「──こうなれば玉藻が一肌脱ぎましょう……ってもう水着になってるから脱いでるんですけど、友人が物足りない夏を過ごしただなんて良妻として見過ごせません!」

「……先程から気になってはいたんだが、いつもより言動に落ち着きがないな」

「タマモちゃんサマー、ヴァカンスver(バージョン)──圧倒的解放感によって魅力アップ!

 前もって用意したこの浮き輪が火を噴くぜ!」

 夏とはここまで人を変える物なのか、エミヤはそう思いながら返答する。

「そうか、楽しそうで何よりだ。そういう訳で私は仕事に戻ろう」

 エミヤは何も見なかったと言わんばかりに、休めていた作業の手を再び動かす。

 これには玉藻も即座に反応した。

「みこっ!? 待ってくださいよ~、こんなに誘っているのに足蹴にするなんて祟っちゃいますよ?」

「そこまでして誘いたいのか……私にはその情熱の根源が理解できんよ」

「夏と言えばパッション! 当然ですとも。

 そうですね……仲の良い友達と遊びたいから、では足りませんか?」

 唐突なしおらしい態度に、傾国と謳われる魔性の片鱗を見た。

 基本的に自由奔放だが、極稀に見せる正直さが玉藻の長所だ。

「……最初からそういえば良かったろうに、そこまで言われては断るのが忍びない。

 五分だけ待ってくれ」

「はい!」

 さしものエミヤもこれには敵わなかった。

 

 玉藻との遊びに付き合った帰り道、岩陰で立香を眺める清姫に出会った。

 いつもと違い、髪型がポニーテールになっていた。

「ふふふ……ますたぁ(旦那様)、水着姿も素敵で…………好き」

 清姫は立香の魅力に当てられたのか、途中で語彙力が消失し、最も簡単な一言に思いの丈を凝縮していた。そんな情熱的な視線をその身に受けている立香に、気付いた様子はない。

 ここは、エミヤも見なかった振りを──

「どちらに行かれるおつもりですか?」

 しようと思って踵を返した瞬間、目の前には清姫が居た。逃げようとしても、玉藻の時のようにそう上手くはいかないらしい。

「はて、何か後ろめたいことでもあったのかね?」

「いえいえ、後ろめたいことはございません。強いて言えば、邪魔も入らず旦那様(マスター)と水入らずだと思っていたのに、一番の強敵(ライバル)が居たことに歯噛みしたことくらいです」

「強敵が何かは分からんが、君がここで足踏みをしている理由にはならないだろう」

「それは……そうですけれど……」

 珍しく煮え切らない態度を見せる清姫は、人差し指を突き合わせながら言葉を引き出した。

「は、恥ずかしいではありませんか。このような破廉恥な服装など、マスターの為にでもなければ着ませんもの」

 箱入り娘の清姫には水着姿になることは刺激が強いらしい。そして、エミヤに見られても恥ずかしいことではないらしい。恥ずかしがる基準が分かりにくい。

 ただ、それを口に出せば、鐘に閉じ込められて串刺しだった。

「ならば自信を持てばいいだけの話だ。君の着こなしと淑やかさは一級品だろう。

 そら──早く行った方が良い。マスターも待ちくたびれてしまうぞ?」

 エミヤが指さした方向を清姫が見ると、立香が手を振っていた。

「……ここは素直にお礼を申し上げます。ですが、負けませんからね」

 改めて宣戦布告した清姫にエミヤは苦笑いするだけだった。

 

 ようやく日も暮れた頃、料理の仕上げに入ったエミヤは背後からの気配を察知する。

「話がある。アーチャー」

 振り向けば、霊基を調整した影響で日に焼けたモードレッドが、サーフボード(プリドゥエン)を脇に抱えながら、憮然とした表情で仁王立ちしていた。

「堂々とつまみ食いとは感心しないな」

「違うに決まってんだろ。

 もう一度聞かせてもらうしかねえと思ったんだよ。お前と父上の関係をな」

「確かその件なら、決闘の報酬で以前に話しただろう」

 過去に、負けたらアルトリアとの関係を話すことを条件として決闘に挑んだことがあった。

 一度は退けたこともあったが、負けず嫌いな彼女に何度も挑戦されると、負けるのは時間の問題だった。

「オレもそれで一度は納得したけどな。ただ、今日のアレを見ていたら疑問が湧いたんだよ」

 視線で強く訴えるモードレッドに、エミヤは心当たりがないと首を捻る。それを見透かした叛逆の騎士は、思い起こせとさらに追及する。

「父上に泳ぎ方を手取り足取り教えてたじゃねえか」

「何かと思えばそのことか。頼まれたのだから当然だろう」

「それが、マスターとサーヴァントの関係だけじゃ説明がつかないってことだよ。仲が良すぎる(・・・・・・)。親愛以上って所か」

 玉藻との遊びに付き合った際、そこへ、アルトリアが泳ぎ方を教えてほしいとやって来た。

 意地でも水着に着替えなかったエミヤは、玉藻に茶化されながらもアルトリアの手を取って指導していた。

 それを見ていただろうモードレッドの疑問は尤もだ。彼女には、召喚したサーヴァントがアルトリア(セイバー)で、聖杯戦争中はよく助けられたと言っただけだ。アルトリアが聖杯に懸ける願いを教えることもなかったし、今抱いているであろう感情を伝えてもいない。

「──邪推が過ぎる。

 そこまで気になっていたのなら、加われば良かったろうに……」

「なっ!? そんなことできる訳ねえだろ。まだ父上とロクに話も……って何言わせんだよ! …………覚えてろっ!」

 霊基が変わった影響か、動揺しやすいらしい。捨て台詞を残してモードレッドは駆け出して行った。

「まったく、見た目相応の活発さだな」

 話が終わったと判断したエミヤは、作業を再開した。

 

 食事も終われば、夜になるまで時間はかからなかった。

 昼間の疲れが出たのか早めの就寝をとった立香と周辺を警戒するサーヴァントに分かれたが、エミヤもその一人だった。

 そんな中、浜辺で一人の少女に出会う。

「こんばんは、エミヤ先輩」

「マシュか……星でも見ていたのか?」

「はい、あまりにも綺麗だったので。

 先輩も少し前まで居たんですよ」

「ああ、先程すれ違った。今は夢の中だろうがな」

 エミヤの知る限り、野営に慣れた立香は特別寝つきが早い。彼女なりに環境へ適応した結果だった。

「少しお話しませんか?」

「……私で良ければな。隣に失礼する」

 マシュを左手に見るようにエミヤは砂地に腰を下ろす。彼女に倣って空を見上げれば、夜空に散りばめられた星々が輝いている。魔術王の光帯が存在しない夜空は初めての事だった。

 それらの眩さは、かつて抱いた正義の味方という理想や、聖剣の騎士王の煌きと同じに見えた。しかし、今はその星をただ見つめるだけになっていた。手が届かないと知ってしまったからだろう。

「長い旅の中でわたしは、綺麗な夜空を自分の目で見ることができました。本で知識を得た時よりも感動しました。過去に生きた人々も、空を見上げては同じことを考えたのでしょうか」

 その言葉が気になったエミヤは、マシュの横顔を見る。彼女は、眼鏡を通して笑みを湛えていた。

「時を越えて同じものを見ている……か、なかなかに情緒の真理を突いている」

 カルデアという閉じた空間から特異点という広い世界に出たマシュならではの視点だった。星の位置が気になるが、これは些細なことだろう。

「あ──突然すいません。先程の発言は論理的ではなく感情的と言いますか」

「むしろ、私は感銘を受けてしまった。それに、訂正する必要はない」

「────はい」

 ホッとした顔で、マシュは頷いた。

「エミヤ先輩ともこの空を見ることができて、本当に良かったです。

 それと、話が変わってしまうのですが…………いえ、何でもありません」

 寸前で躊躇したマシュは、質問を取り下げてしまった。何を聞こうとしたのか、その内容はエミヤには定かではない。外れていようとも、言えることはただ一つだけだ。

「そう言ってもらえると、こちらも喜ばしいものだ。

 ──それと、言い忘れていたことがあったな。よく似合っているぞ、マシュ」

 それを聞いて、完全に油断していたマシュは膝を強く抱えた。

「ええと……その……わたしは先輩方と比べると地味ですので──」

「──地味であるかどうかは関係しない。私の主観に基づく評価だ」

「…………お、おやすみなさいエミヤ先輩。ありがとうございました」

 存外に、正面から褒められると恥ずかしい。不快ではないが、居た堪れなくなったマシュは、すぐさま立ち上がって野営地に戻る。焦っていたため、お礼の言葉が最後に来ていた。

 そうとは知らず、慣れないことを言って気を悪くさせてしまったかと自省するエミヤは、再び空を見上げる。月は無くとも、夜空は美しかった。

 

 翌日、カルデアに帰還しようとした立香一行の前に巨大な魔猪が現れて死闘を繰り広げたり、無人島の正体が判明したりするなど最後に色々とあったが、短いヴァカンスは充実したものだった。そして、元の霊基への復旧が可能だったお蔭で、スカサハは珍しく安堵した。

 

 




 レイシフト失敗の原因を解析したロマニは、深く溜息を吐く。特異点に限りなく似ているが、人理に全く影響しない時空の歪みがそれだった。
 放っていてもよいが、再び今回と同じことが起きないとは断言できない。不安要素は修正しておくべきだ。
「でも、何かおかしいような気もするなぁ。うーん……こうなると、立香ちゃん頼みしかないか」

 

 女王を名乗る魔法少女の戦車による突進を受け、跳ね飛ばされた少女は、自身の魔術礼装と逸れながらも、決意を折ることはなかった。
「────美遊(ミユ)を助けなくちゃ」


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エミヤと同じ穴の狢(アルトリアウォーズ)

七章は次回からです。


 激動の旅が終わり、地球に人類の歴史が戻ってから数週間が経過した。

 レフの爆破テロなど、もはや遠い昔の出来事のように感じるほどだったが、その一件による負傷者をようやく本土へ搬出できることになった。■■にあるカルデアよりも、本土の病院の方が療養に適している。一方で、特に負傷が酷かったAチームのメンバーは、未だそれに至ってはいなかった。

 グランドオーダー開始の時点で、職員の人数が大幅に減っていたカルデアだったが、未だに補充要員は来ない。カルデアの属する国連の本部が、時計塔や魔術協会への説明と対応に苦慮しているからだ。

 納得してもらうには、まだまだ時間が掛かりそうだった。立香を巻き込まないため、所長代理となったロマニ・アーキマンによる巧みな指揮で世界が救われたと報告したからだ。更に亜種特異点という悩みの種も出現したのだから、相手が後手に回るのも無理はない。

 少なくとも、直に特異点の修正任務が始まることだけは通達されていた。つまり、召喚もレイシフトも許可されている。

 初期から働いているエミヤだったが、特に影響もなく生活は特に変わらない。

 

 ──はずだった。

 

 何者かに攫われ、行く末を悟ったエミヤは、横抱きにされながらやれやれと言った様子で声を掛ける。

「今度は君か、セイバー・オルタ(アルトリア)

「この状況で軽口を叩けるとは、なかなかに肝が据わって来たらしいな」

 機嫌が良さそうな口調で、アルトリア・オルタは答える。

 現在カルデアの廊下を疾走しているが、背後からはもう一つの突風が接近していた。

 道中すれ違った職員は風の影響を受け、髪を手で押さえてはいるが、もはや見慣れたよくある日常の一幕なので特に気にしていない。

 迷惑が掛からないよう調節しているし、サーヴァントである彼女達が初歩的なミスをしないと信じているからだろう。

「褒め言葉として受け取っておこう。

 それにな、この状況の原因には心当たりがある」

「少しは改善されたか。少しだけ補足してやろう。

 ここには同じ顔が何人か居るが、誰が最も貴様に相応しいかを決める戦いだ」

「…………何を言っているんだ?」

 不敵に笑うオルタに対し、眉を顰めて理解が出来ないと言った様相のエミヤ。

「誰が一番かなど興味はない。アルトリアがどのような道筋を辿ろうと、そこに何の違いがある」

「貴様という奴は度し難いな……まったく」

 言葉とは裏腹に、その青白い顔は少しだけ赤かった。

「生憎と、今の私は君たちを蔑ろにするつもりがないものでね。寛大な心で許してもらいたい」

「……いいだろう。その言葉は私の胸にでもしまっておこう。

 ただ、シロウはそう思っていても、私たちからすればそうではない。何事にも偏りはある」

 アルトリアという少女は、我が強いが繊細な感性を持っている。選定の剣を抜かなければ、どこにでもいる少女だっただろう。記憶を引き継いでいる彼女なら、焼きもちの一つや二つは妬くだろう。

 そして、負けず嫌いだ。追手の暴風は、間近に迫っていた。

「さて、この状況をどう解決するか」

「心配はいらん。私が居る限り──」

 エミヤにそう答えるアルトリア・オルタだったが──

「安心してください」

 突然の声に、二人は意識を奪われた。

 

 はっと気が付くと、そこはベッドの上だった。

 体を起こしたエミヤだったが、横から声がかかる。

「気が付きましたか、シロウ」

「ああ、夢でも見ていた気分だ……」

 顔を向けると、ある意味で壮観な光景だった。

 純粋な聖剣の担い手──セイバー・アルトリア。その可能性の一つ──アルトリア・リリィ。聖槍の担い手──ランサー・アルトリア。反転したランサー・アルトリア・オルタ。そして、謎のヒロインX。更に、気を失って椅子に座らせられたアルトリア・オルタが居たからだ。

 あまりの情報量の多さに、言葉が続かない。

「気にしないで下さい。抜け駆けは厳禁という決まりですので」

 取り付く島もなく、有無を言わせぬ雰囲気を醸し出しているランサーのアルトリアにそう言われると、エミヤも従うしかなかった。

「どこかで聞いた話だ。

 それにしても、珍しい顔が居るな」

 納得することにしたエミヤは、話題を変えて疑問を呈す。その相手はヒロインXのことだった。

 アルトリア顔は全員倒すと息巻いている彼女が、大人しく同じ空間に居ることに違和感を抱いたからだ。

「あまり過激な発言をするとアホ毛(これ)の命が……いえ、なんでもありません。

 考え方を変えてみたのですよ。私がシロウのヒロインになることでアルトリア顔の連中を精神的に抹殺できるのだと」

 前半は小声で、後半は大声で発言した。周りからの鋭い視線もどこ吹く風と言った風体だ。

「叶いもしない夢は言うだけ空しいものだ」

「ほう、負け惜しみですか。受けて立つのも吝かではありませんよ」

「け、喧嘩はいけません。師匠も別の私も仲良くしましょう……」

 冷徹な眼差しのランサーオルタに対し、ヒロインXは余裕の表情だった。自信の根拠がどこから湧いてくるのかは、彼女のみが知っている。

 そんな一触即発の雰囲気を仲裁するのはリリィだった。おどおどしているようで芯の強い性格は、騎士王の片鱗を感じさせる。

「騒がしくてすみません、シロウ」

「気にしなくてもいい。部外者は早々に退場しよう」

 申し訳なさそうなアルトリアに断りを入れると腰を上げる。だが、立ち上がることはできなかった。

「……何の真似だ? セイバー」

「早い段階で結論付けるのはあなたの悪い癖だ。話はまだ終わっていませんよ」

 敢えてクラス名で呼んでは見たが、無駄な抵抗に過ぎなかった。

 肩を抑えるアルトリアの顔には笑顔が浮かんでいるが、同時に嫌な予感がエミヤの脳裏をよぎる。

「頑固者であると私も理解していましたが、まだまだ甘かったようですね」

「──はい。私も同じ結論に至りました」

 セイバーのアルトリアに、ランサーのアルトリアが加勢する。元が同じだからだろうか。息が合っている。

「貴方は守る存在でありながら、自分の傍に守る人が居ることを良しとしない」

「その認識を変えることが一番の特効薬でしょう」

「わ、私も不肖の身ながらお手伝いします!」

 アルトリア、アルトリア・リリィ、ランサー・アルトリアが流れるように会話を繋ぐ。

 その内容の意味はすぐさま理解はできないが、好意という感情からきていることくらいは理解できた。

「手温いな。言って聞くような男ではない。こちらが手を引かなければ容易く道を踏み外すだろう」

「甚だ遺憾ですが、珍しく意見が合いましたね」

 ランサーのアルトリア・オルタとヒロインXは、前に出た二人のアルトリアに対峙する。

「やはり、手を取り合うことはできませんか?」

「マスターの命が無ければ、被害は甚大だっただろう。それを考慮すれば平和的だ」

「師匠……」

「弟子よ、貴方と言えど私の前に立つなら容赦はしません。師匠と弟子は闘う運命にあるのです」

「──白熱しているようだが、一つだけ言いたいことがある」

 一斉に視線が向けられる。

 椅子に縛られていたアルトリア・オルタは目を覚ましたらしい。

「何用ですか、黒い私。抜け駆けの反省でもしましたか?」

「今更詫びることなどない。どの口が言うのか、昨日(さきに)抜け駆けしたのは光の私──貴様だっただろう。

 それはそうと……槍の私がシロウを連れて出て行ったようだが、追わなくていいのか?」

 その言葉を受けて四人が辺りを見渡すが、話題の人物は忽然と姿を消していた。

 

 再び逃走劇が始まったのは言うまでもない。

 




「成程……あの様に誘うのですね。勉強になります」
「この聖女サマは一体何を言っているのかしら。あんなのが参考になるとでも?」
 ジャンヌ・ダルクとジャンヌ・オルタは、物陰からアルトリア達の大捕物を観察していた。オルタの顔は呆れ顔だった。
「この状況で沖田さんが一緒に居る意味あります? というか仲良いですね」
 通りすがりの沖田も、なぜか参加させられていた。三人が縦に顔を出す姿は団子のようだった。
「ええ。可愛い妹ですから」
「ハアッ!? 冗談はやめなさい。
 第一、アンタが姉だなんて認めないわよ」
 オルタは沖田の発言を否定し、ジャンヌに釘を刺す。しかし、その反応は照れているようにしか見えなかった。
「そういうことにしましょう。沖田さんは空気が読めますから。
 あ、ついに花嫁姿のネロさんも参戦しましたね」
 迂闊に助けることもできず、孤軍奮闘のエミヤだったが、意外にも一人で切り抜けるのだった。
 後に残ったのは、恥ずかしさで身悶えするアルトリア一行だった。


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エミヤと正義の味方(じゃあくなるもの)

 亜種特異点の調査に降り立ったのは、藤丸立香とエミヤ。そして、同行できないマシュに代わって参加しているアルトリア・オルタとジャンヌ・オルタの合計四人だった。

 しかし、特殊な環境の為か、レイシフト先の座標が狂って四人は逸れてしまう。

 逸れずに済んだ立香とエミヤの前に現れたのは、愉快な紳士だった。

 拠点を決め、アルトリアやジャンヌと合流し、名探偵の助力を得た一行の前に、一人の男が幾度となく立ちはだかる。

 その男の名は──。

  

 

 眠らない街、近代的なビルが立ち並ぶ新宿に、突如として不似合いな塔が出現した。新宿のアーチャーによる陰謀は、最終段階を迎えていた。

 それを止めるために奔走する立香達だったが、足止めを食ってしまう。

 先を行かせるために残ったのは、エミヤとジャンヌ。その相手は、再起した新宿のアヴェンジャーともう一人──。

「勇ましいことは結構だが、その様では哀れを通り越して滑稽としか言えんな」

 色の抜け落ちた白髪を剃り込む、金の瞳に黒い肌、エミヤと同じ顔を持つ男──エミヤ・オルタは、銃剣をエミヤ達に向けながらそう言った。

「はあッ!? 二人がかりでも少ししか時間を稼げないのに、アンタまで来るとか最悪じゃないの」

「全くだな。あの男には居た堪れない私の身を案じてほしいものだ」

「ややこしいけど、アンタに言った訳じゃないわよ」

「無論、分かっているさ」

 隙を見せずに軽口を叩くエミヤとジャンヌだったが、姿を見れば満身創痍であることが分かる。

 狼王は憎悪を剥き出しにして牙を研いでおり、一切の油断は禁物だった。

「……アレを任せてもらえるか?」

 エミヤの提案を受けて、ジャンヌは彼の表情を見る。鈍色の瞳の先には、金の瞳があった。

「ふーん。まあいいわ。分断さえできればこっちのものよ。正直、アレを見てると腹立たしくなってくるの。それに……アンタは……」

「何か言ったかね?」

「……私に指図するなら高くつくって言ったのよ」

「これは恐ろしい、手心に期待しよう」

 それ以上の会話は不要だった。

 互いの顔を見ることなく、二人は地を蹴った。

 

「あの狼からすれば、オレ達は人間扱いではないらしい。そら、笑えるだろう」

「口の減らなさはお互い様か」

 エミヤ・オルタは眉一つ動かさず、二丁拳銃でエミヤを狙い撃つ。相対しているエミヤは、飛来する銃弾を防御せずに躱していた。それらを解析した結果、そうせざるを得なかった。

 固有結界というエミヤも有する大魔術を弾丸に集束させ、命中した相手の体内で解放する。暴走すれば自身すら斬り刻むのだから、文字通り身を以って知っている。

 同じ剣属性の英霊だが、黒い弓兵は想像以上に固有結界を活用していた。

「──驚いた、私以上にあくどいとはな。そんな手は考えもつかなかった」

「いちいち白々しいな。使えるものは何であれ使うものだ。

 あんたもオレならば、同じ手段を取るはずだがな」

「生憎だが、貴様の剣製には誇りが欠けている」

 かつての腐れ縁から評された言葉を投げかける。

「記憶にはないが、誰かにそう言われた気がするな。まあ、何の価値もない情報だ。

 誇りなど仕事の上で不必要だから削ぎ落した。これで満足か?」

 意匠の同じ双剣と拳銃を互いに構えながら、両者は睨み合っていた。

「さぞおぞましいだろうな。腐り切った自分を見ると言うのは──」

 嘲る様な口振りでエミヤ・オルタは語る。

「──これがおまえの行き着く先だ。足掻きなど無様なだけだ、諦めも肝心だぞ?」

 アラヤと契約した守護者という立場が、エミヤの辿る未来を表している。

 カルデアから座に帰還すれば、また掃除屋として酷使される日々が待っている。摩耗して擦り切れれば、黒い弓兵と同じ末路を迎えるだろう。英霊として召喚され、自身の在り方を肯定できる記録が増えていても、気休めにしかならない。

 だからこそ、彼が得た答えは今も胸の奥に深く刻まれている。

「何が可笑しい?」

 エミヤ・オルタは、唐突に笑みを浮かべた眼前の弓兵に不快感を露わにする。

「ああ可笑しいさ、まるで鏡を見ているようだとな。

 断言してやろう、お前はまさしく私だよ──衛宮士郎(・・・・)?」

 エミヤの問いかけに、エミヤ・オルタは怪訝な表情を以って応える。

 相手の行動を見て、干将莫邪を握る両手に力を籠めた。事情がどうあろうと、衛宮士郎に二度も負けるわけにはいかない。

「結局のところ、他人を救うことに傾倒する愚かな頑固者だ」

「何を言うかと思えば世迷言か。微温湯につかりすぎて、鈍らを通り越して錆びついたか? そんな役立たずは廃棄されるのがお似合いだな」

「ほう。ならば一つだけ聞いてやろう。

 なぜお前は剣に拘る。使いやすいからなどと言ってくれるなよ、私とて銃を扱うことはあったが、銃剣を創ろうなどとは思わなかった」

 簡単な挑発に嫌気がさしたエミヤ・オルタは、苛立ちを隠そうともしなかったが、不思議と問いかけを無視することができなかった。反論しようにも、どうしても答えに詰まる。

 使い慣れているから干将莫邪を選んだ。だが、なぜ使い慣れているのか、なぜ使い始めたのか、過程が思い出せない。 

「己を見失ったのはお前の方だったか」

「──ッ!?」

 エミヤ・オルタは、この逡巡で初めて隙を見せた。心眼を持つエミヤが、それを見逃すはずがなかった。強化した脚力によって一瞬で間合いを詰め、互いの剣を交える。迫りくる刃を捉えた黒き弓兵は、瞬時に意識を切り替えて防ぐ。

 間合いを取り直し、先の光景を見てエミヤは確信した。堕ちた自分は、記憶のほとんどを失っていると。それと同時に、無意識に残した物を把握した。

 死しても、堕ちても治らない、誰かを救うという強迫観念。唯一の宝具である固有結界。剣への執着。

 無駄を省くと主張した男は、正義の味方の礎を捨てきれていなかった。

 

 接近に成功した赤い弓兵と黒い弓兵の白兵戦は拮抗している。いや、それは最初の内だけだった。

 黒い弓兵は動きが鈍り、今は赤い弓兵が押している。

  剣を合わせる度に心象世界が干渉しあい、エミヤ・オルタに彼の失った(知らない)記憶が流れ込んでいた。救われたような顔をした草臥れた男。月夜に映える金砂の少女。多くの映像が駆け抜けてゆく。

「──悪趣味だな」

「その言葉が聞けるとは、称賛の言葉として受け取っておこう」

 押し返して鍔迫り合いを脱すると、エミヤ・オルタは忌々しそうに呟く。再び睨み合いが始まった。

 エミヤは余裕を装いながら安堵していた。戦闘経験はあちら側に分があると理解しているし、堕ちた自分の過去を見て、少なくないダメージを負っていた。

 黒のエミヤは、おもむろに銃口を向けてくる。その顔には歪な笑みが浮かんでいる。赤のエミヤは気を引き締めようとしたが、銃声が先手を打っていた。

 だが、弾丸はエミヤに命中することなく、真横を通過していった。

「……理解出来んな。必殺の好機だったろうに」

「礼には礼を尽くすだったか? 後ろを見てみろ」

 振り返った先には、消えゆく狼王と血濡れのジャンヌ・オルタが居た。

「霊核を砕かれたか、あるいはそれに近い致命傷か。前者なら座に還ってしまうだろうな。

 さて、オレも打つ手がない、今が必殺の好機だ。あの女を見捨てれば、斃すことなど容易いだろう」

「────貴様ッ!」

「怒っている暇があるのか? 決断の遅さは命取りだ。いや、そもそも英霊はくたばって当然だ。気に掛ける必要も──」

 煽りの言葉が終わる前に、赤い外套が翻った。

 走り去る背中を見て、彼の目指す正義の味方がどういうものなのか、それだけで理解できた。

「それがおまえの答えか。お優しいことで、詰めが甘いな」

 一笑に付したが、真剣な顔のまま黒き弓兵はその場を立ち去った。

 

 狼王は、死力を尽くして抵抗してきた。あの時、銃弾を避けようとしなければ、危うく霊核を噛み砕かれるところだった。不幸中の幸いだろう。

 そして、自傷を覚悟の上で炎に焼かれたが、肺も機能しないほどの苦しさだった。なのに、あの聖女は恨みの一つも抱かないなど正気の沙汰ではない。朦朧とした意識の中、そんな感想を抱いていた。

 このままカルデアに還るのだろうが、できればマスターに加勢したかった。念話も妨害されてやることもない。

 彼女はふらふらとした足取りで、足元がおぼつかない。そして、意識は暗闇へと落ちて行った。

「──やれやれ、危なっかしいな。足元に気を付けなさいと言われただろう?」

 その瞬間、浮遊感に包まれる。声の主は下水道のステップに手を掛け、少女を抱き止めていた。

 彼が居なければ、汚水に(まみ)れていただろう。

「なによ、文句あるの? こっちは必死だったっての」

「確かにそれもそうだ。私は取り逃がしてしまったから非難する権利は君にある。

 だからこう言わねばならないな、君のお陰で助かったよ」

「まったく、ふざけるのも大概にしなさい」

 顔を背けながら悪態をつく。その表情は赤く、また不機嫌だった。

「でもそうね。謝罪は不要にするけど、正当な対価を要求するわ」

「私にできることであればよいが、それは一体?」

「…………私と踊りなさい」

 間を空けて放たれたのは、細やかな望みだった。

「踊る?」

「そうよ、あの冷血女を出し抜く為に、おーどーるーの。わかった?」

 少女の瞳は、男の顔を真っ直ぐに見据えていた。

 男は観念したように答える。

「……仰せのままに」

「フハハハハハ、取込み中のようだが失礼するぞ。

 初めましてと言うべきか、共犯者が信を置くアーチャーよ」

 見上げるようにしながら高笑いする謎の男。

 こうして二人は、暗闇に潜む帽子を被った青年に出会った。

 

 

 

 

 小惑星を消滅させ、任務を達成したエミヤ・オルタとセイバー・オルタは、共同戦線を解こうとしていた。

「おい貴様、どこへ行く」

「直感どころか理解力も鈍くなったのか、仕事が終われば帰る以外に何がある。傭兵に長居は無用だ」

「その上、顔も見たくないと言う訳か。嫌われたものだ」

 アルトリアはそう自嘲する。

 黒い弓兵は、最終決戦に臨む立香に依頼を受けた時からこの時に至るまで、堕ちた騎士王に目を合わせることなく、話しかけようともしなかった。その様は、とある男と重なる。

「ほう、おかしなことを言うな。嫌われるのは慣れたものだろう、王とは多かれ少なかれ恨みを買うものだ。その責任の所在に因らずな」

「心当たりがあると言いたげだな」

 背中を向ける男は、現界した体を魔力に還元しながら、顔を見られない理由としてこう続けた。

「まったくだ。あの捻くれ者に悪い記憶(ゆめ)を見せられた。

 そのせいで────あんたの顔を見てると、無性に泣きたくなる」

 その言葉が耳に届いた時には、誰も居なかったかのように、何もない屋上に戻っていた。

 少女はしばし沈黙していたが、立香に許可を取ってある目的地へ向かった。

 

 

 

 最初の亜種特異点の問題を解決し、カルデアに帰還する。

「やあミスター・エミヤ、私もカルデアで世話になることにしたよ」

 エミヤに与えられた部屋には、我が物顔のホームズがソファで寛いでいた。

「かの有名なシャーロック・ホームズが不法侵入とは、世も末だな。マシュ嬢に報告しておこう」

「ははは、やめたまえ。ミス・キリエライトは私を理解する貴重な読者なのだよ」

 冗談めかして名探偵は笑う。

 パイプを銜えながら飄々とした態度を崩さないのは、原典に違わずそういう人柄だからだろう。

「さて、ここまで来て何も無いとは考えにくい。要件を伺おうか」

「それは結構、話が早くて助かるよ。君に頼みたいことがあってね。

 これからあるものを作ろうとしている。そして、私とダ・ヴィンチしか知り得ない秘密だ」

 探偵の男は、世間話のように重要機密を持ちかけてきた。弓兵は驚くしかなかった。

「理解に苦しむな。私だけに伝える必要がどこにある」

「一つめに口の堅さ。二つめに義理堅い男であることだ。

 私の信条として、いかに有能でも女性を100%は信用しないようにしている。

 おっと、ダンスパーティーに巻き込まれた君からすれば、他人事でもないかな」

「お得意の推理で察してもらおうか……だが今は、喧騒のある日常も悪くはないと思っている」

「……話がそれてしまったね。返答を聞かせてもらえるかい」

 一瞬で名探偵の風格を纏わせるホームズ。普段から真面目にしていてほしいと思いながら、エミヤは答える。

「断る理由がない。確証を持たない限り話さないミスターがそう言うのであれば余計にな」

「君の助力は素直にありがたい。さしもの私でも、万能の才人(ダヴィンチ)には劣ってしまうのでね。

 問題の一つは片付いた。では、ついでにもう一ついいかな」

「何だろうか」

「かの女史が、服薬しようとすると目敏く止めに来るんだが──」

「──それは自業自得だ。大人しく治療を受けろ、名探偵」

 

 




「このカルデアは女性の比率が偏っている……些か不可解な状況だ。何者かによる作為的な関与が疑われるな」
『不確定要素にはなりえないけどネ』
「用心に越した事は無いな、我が宿敵よ」
 とある教授は、ホームズのエネルギーとして協力関係にあった。


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