キリトin太刀川隊 (ZEROⅡ)
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番外編
キャリバー①


どうも、長いことほったらかしにしていてすみません。

言い訳ににしかなりませんが、仕事を辞めたりなんだりと、色々忙しくて時間が取れませんでした。

それでようやく時間が取れて書こうとしたのですが、長いこと執筆から離れていたからか、まったく本編が書けませんでした。なので、ちょっとしたリハビリとして、もうちょっと本編が進んでからやる予定だった「キャリバー編」を、番外編として投稿します。

普通に本編未登場のキャラも出てきていますが、ご了承ください。


 

 

 

 

 

『今年も残すところあと3日。皆様、いかがお過ごしでしょうか?』

 

 

という女性アナウンサーの明るい声が聞こえるテレビを、寝ぼけ(まなこ)でボーっと眺める。

 

 

「お兄ちゃん、また夜更かし?」

 

 

「学校の課題だよ。メカトロニクスの」

 

 

「メカトロ……ふーん」

 

 

妹の直葉にそう答えながら、俺はカップに淹れられた濃いめのコーヒーを口にする。

12月末、今年も終わりに近づいてきた年の瀬のこと。学校はとうに冬休みに入っており、今日明日はボーダーの防衛任務もないので、久方ぶりの完全オフの日だ。

なので昨夜は少し徹夜してしまったが、学校で選択したメカトロニクス・コースの課題に集中することができた。たまに太刀川さんから「レポートを手伝ってほしい」などという連絡が届いていたが、風間さんに報告してからは来なくなったので、もう大丈夫なんだろう。

 

 

「お兄ちゃん、これ見て」

 

 

という声とともに直葉は差し出した薄型タブレット端末を受け取り、画面を覗き込んだ。

表示されているのは、国内最高のVRMMORPG情報サイト《MMOトゥモロー》のニュース記事だった。ページカテゴリは《アルヴヘイム・オンライン》ことALO。言われるがままにぼんやりと記事のリード文を読み始めた直後、俺は声を上げてしまった。

 

 

「な……なにぃ!」

 

 

【最強の伝説級武器《聖剣エクスキャリバー》、ついに発見される!】

 

 

記事にはそのように記されていた。それを食い入るように読み進めながら、俺は短く唸る。

 

 

「うぅーん……とうとう見つかっちまったかぁ……」

 

 

「まあ、これでも時間かかったほうだと思うけどねー」

 

 

俺の向かい側で、直葉もトーストに自家製ジャムを塗りながら応じる。

 

 

《聖剣エクスキャリバー》。

それは、ALOにおいて最強にして唯一の武器と言われている。だがその存在は、公式サイトの武器紹介ページ最下部に小さな記述と写真で確認できるだけど、ゲーム内での入手方法はまったく知られていない。

……いや、正確に言えば、知っているプレイヤーが4人、ではなく5人だけいた。俺と直葉、明日奈、ユイ、そして俺のリアル友達である出水。その5人によってエクスキャリバーの秘密は保たれてきた。

 

 

「あぁーあ……とうとう誰かに取られちまったか……」

 

 

俺のそんなぼやきに対し、直葉はトーストを一口かじってから、俺の誤解を訂正した。

 

 

「よく読んでよ、まだ見つかっただけだよ。入手まではいってないみたい」

 

 

言われてから、俺は再度タブレット端末に視線を落とす。確かに記事には、エクスキャリバーの存在を確認したとは書いてあるが、誰が入手したという記述はなかった。

 

 

「なんだよ、驚かすなよ……」

 

 

それを読んだ俺は、ホッと息を吐いて安堵した。

 

 

数ヶ月前。俺/キリトと直葉/リーファとユイは、アルンフォーゲンで巨大ミミズ型モンスターに飲み込まれ、地下世界《ヨツンヘイム》に落とされた。

そこで俺たちは、4本腕の人型邪神級モンスターが、象のような水母(くらげ)のような邪神を攻撃している場面に出くわした。

リーファに「いじめられている方を助けて!」とお願いされてしまった俺は、4本腕をなんとか湖まで誘導して落とし、象水母邪神を勝利へと導いた。リーファによって《トンキー》と名付けられたそいつは、8枚の羽を生やした姿に羽化すると、俺たちを背中に乗せて地上へと繋がる通路まで運んでくれた。

その途中で、俺たちは見たのだ。世界樹の根に包まれてぶら下がる巨大な迷宮と、最下部で輝く……黄金の長剣を。

 

 

「いつか取りに行こうと思ってたんだけどな」

 

 

「お兄ちゃん、ずっとボーダーで忙しそうだったからね。たまに休みの日は、新アインクラッドの攻略に取り組んでたし」

 

 

「しかし、どうやって見つけたんだ? ヨツンヘイムは飛行不可だし、飛ばなきゃ見えない高さにあっただろ、エクスキャリバーがあった場所は」

 

 

「誰かが私たちみたいにトンキーの仲間を助けて、クエストフラグ立てるのに成功したのかな……」

 

 

「そういうことになるのか……。あんなキモい……いや、個性的な姿の邪神を助けようなんていう物好き……いや、博愛主義者がスグの他にもいたとはビックリだなあ」

 

 

「きもくないもん! 可愛いもん!」

 

 

そう宣言しながらジロりと俺を睨むと、今年で16歳になったはずの妹は続けて言った。

 

 

「でもそれだと、誰かがあのダンジョンを突破して剣の入手に成功するのも時間の問題かもだよ」

 

 

「そう……だよな……」

 

 

「どうする、お兄ちゃん?」

 

 

トーストを食べ終えた直葉が、両手で牛乳のカップを持ちながらそう問うてくる。それに対して俺は、咳払いしてから答えた。

 

 

「スグ。レアアイテムを追い求めるだけが、VRMMOの楽しみじゃないさ」

 

 

「……うん、そうだよね。武器のスペックで強くなっても……」

 

 

「でも、俺たち、あの剣を見せてくれたトンキーの気持ちに応えなきゃいけないと思うんだ。アイツもきっと内心じゃ、俺たちがダンジョンを突破することを期待してるんじゃないかな。だってほら、俺たちとトンキーは友達じゃないか」

 

 

「ふーーん………さっき、キモいとか言ってたのに?」

 

 

じっとりとした視線を向ける妹に、俺は最大級の笑顔で尋ねた。

 

 

「つうわけで、スグ、おまえ今日ヒマ?」

 

 

「……まあ、部活はもう休みだけど」

 

 

それを聞いた俺は「よし!」と左掌に右拳をぶつけ、すぐに攻略方針を立てる。

 

 

「確か、トンキーに乗れる上限は9人だったな。てことは、俺とスグ、アスナ、カイト、クライン、リズとシリカ……あと2人か。エギルは店あるしなぁ……クリスハイトは頼りないし、レコンはシルフ領にいるだろうし……ユズさん、はダメだ。見返りが怖すぎる」

 

 

「あ、そうだ! シノンさん誘ってみようよ!」

 

 

「おお、それだ! これであと1人か……」

 

 

「じゃあ私、みんなに連絡するね。あと1人決まったら、お兄ちゃんからよろしく」

 

 

「おう」

 

 

タブレット端末を手に、メンバーへの召集連絡をしている直葉を尻目に、俺は最後の1人に誰を誘うかを考える。

あと俺の身近な人間でALOをやっているのは、那須隊オペレーターの志岐と、最近俺と出水が楽しそうだからって理由で始めた米屋くらいか。でも確か今日は那須隊が防衛任務に入ってたから志岐は無理だな。米屋も、無理っぽいな。年末になると親戚同士で集まることになってるって宇佐美が言ってたし。

 

 

「ん……宇佐美?………そうだ、アイツなら!」

 

 

パチンっと指を鳴らし、俺はすぐに携帯端末を取り出して電話帳をスクロールさせたのだった。

 

 

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 

 

いかに日曜日とはいえ、年の瀬の午前中に9人パーティがあっさり揃ってしまったのは、招聘した俺の人徳──などではなく、やはり《聖剣エクスキャリバー》が皆のネットゲーマー魂を揺さぶった結果だろう。

待ち合わせ場所となったイグドラシル・シティの大通りに看板を出している《リズベット武具店》の工房では、鍛冶妖精族(レプラコーン)の店主が皆の武器を順に回転砥石に当てている。

 

 

「ぷはぁーー!」

 

 

その店の壁際にある長方形のテーブルに座り、《景気づけ》という名目で朝から小樽型のジョッキに入った酒を煽っている火妖精族(サラマンダー)の刀使いクラインに、その向かいに座るふわふわした水色の子竜を頭に乗せた猫妖精族(ケットシー)の獣使いシリカが訊ねた。

 

 

「クラインさんは、もうお正月休みですか?」

 

 

「おう、昨日っからな。働きたくてもこの時期は荷が入ってこねーからよ。社長のヤロー、年末年始に1週間も休みがあるんだからウチは超ホワイト企業だとか自慢しやがってさ!」

 

 

クラインは、あれでも小規模な輸入会社に勤めるれっきとした会社員だ。いつも社長に対して悪口を言っているが、SAOに2年間囚われた彼を見捨てず、生還後も即座に仕事に復帰できたのだから実際いい会社なのだろう。

などと壁際に寄り掛かりながら考えていると、そのクラインの隣に座る、青い短髪に真っ白なロングコートが目を引く男性プレイヤー。水妖精族(ウンディーネ)の魔法使いカイトが頬杖を付きながら会話に加わった。

 

 

「現にめちゃめちゃホワイトじゃないっすか。ボーダーなんて年末年始はあって無いようなもんですからね。おれとキリトも、明日からまた防衛任務ですし」

 

 

「はっはっは! ボーダー様も大変だな!」

 

 

うんざりしたように語るカイトの背中を、クラインはバンバンと叩きながら豪快に笑うと、途端に俺の方を見て言った。

 

 

「おうキリの字よ、もし今日ウマイこと《エクスキャリバー》が取れたら、今度オレ様のために《霊刀カグツチ》取りに行くの手伝えよ」

 

 

「えぇー……あのダンジョンくそ暑ぃじゃん……」

 

 

「それを言うなら今日行くヨツンヘイムはくそ寒ぃだろが!」

 

 

低レベルな言い合いをしていると、カイトの正面に座っている猫妖精族(ケットシー)の弓使いシノンがぼそっと一言。

 

 

「あ、じゃあ私もアレ欲しい。《光弓シェキナー》」

 

 

「キ、キャラ作ってそんな経ってないのにもう伝説武器(レジェンダリーウェポン)をご所望ですか」

 

 

「リズが造ってくれた弓も素敵だけどさ、できればもう少し射程が……」

 

 

すると、工房奥の作業台で、その弓の弦を張り替えていたリズベットが振り向き、苦笑しながら言った。

 

 

「あのねぇ、この世界の弓ってのは、せいぜい槍以上、魔法以下の距離で使う武器なの。百メートル離れたとこから狙おうとするなんて、シノンくらいだよ」

 

 

それに対してシノンはクスりと笑いながら、シレっと言い放つ。

 

 

「欲を言えばその倍の射程は欲しいとこね」

 

 

「えっ……あはは」

 

 

シノンのその要望に、リズはもう笑うしかなくなったようだった。

 

 

「たっだいまー!」

「お待たせー」

 

 

すると、工房の扉が勢いよく開いた。ポーションの買い出しに行っていたアスナとリーファだ。シリカとカイトが「おかえりー」と言葉を返すと、2人は手に提げたバスケットから色とりどりの小瓶をテーブルに広げていく。

そしてアスナの肩から飛び立ったナビゲーション・ピクシーのユイが俺の頭まで移動してポスンと座ると、鈴の音のような声ではきはきと言った。

 

 

「買い物ついでにちょっと情報収集してきたんですが、まだあの空中ダンジョンまで到達できたプレイヤーまたはパーティは存在しないようです、パパ」

 

 

「へえ……。じゃあ、なんで《エクスキャリバー》のある場所が解ったんだろう」

 

 

「それがどうやら、私たちが発見したトンキーさんのクエストとは別種のクエストが見つかったようなのです。その報酬としてNPCが提示したのがエクスキャリバーだった、ということらしいのです」

 

 

ユイのその言葉に、ポーション類を整理していたアスナが小さく顔をしかめて頷いた。

 

 

「しかもソレ、あんまり平和なクエストじゃなさそうなのよ。お使い系や護衛系じゃなくて、モンスターを何匹以上倒せっていう虐殺(スローター)系。おかげで今、ヨツンヘイムはPOPの取り合いで殺伐としてるって」

 

 

「そりゃ確かに穏やかじゃないな……」

 

 

「けどよぉ、それって何か変じゃねーか?」

 

 

俺も思わず唸っていると、カイトががしがしと頭をかきながら口を挟む。

 

 

「キリトの話じゃ《聖剣エクスキャリバー》ってのは、くそ強ぇ邪神がたくさんいる空中ダンジョンの最下層に封印されてんだろ? それを何でNPCがクエストの報酬として提示できるんだよ?」

 

 

「言われてみれば、そうですね。ダンジョンまでの移動手段が報酬、っていうなら解りますけど……」

 

 

頭上から下ろしたピナの頭を撫でつつ、シリカも首を捻った。

 

 

「──ま、行ってみれば解るわよ、きっと」

 

 

全員が疑問符を浮かべる中、シノンが相変わらず冷静なコメントを発する。

 

 

その直後──工房の扉がガチャリと開いた。

 

 

「えーっと……りずべっと武具店ってのはここでいいんだよな?」

 

 

その声の主に、工房にいた全員の視線が集中する。そこに立っていたのは、モコモコと柔らかそうな黒髪と3のように尖らせた口が印象的な影妖精族(スプリガン)の少年プレイヤーだ。

シリカと同じくらい小柄なその身に上下共に黒い衣服を着込み、さらにその上からすっぽりと包み込むようなポンチョを身に着けた少年。彼が工房の中をキョロキョロを見渡してると、壁際にいた俺と目が合った。

 

 

「おっ、キリト先輩。おまたせ、遅れてもうしわけない。こなみ先輩がなかなか解放してくれなくてな」

 

 

「それは災難だったな」

 

 

ペコリと頭を下げて謝罪する少年に、俺はそう応える。そんな俺たちの短い会話に口を挟むようにクラインが声を上げる。

 

 

「おいキリの字、そいつがおまえさんが言ってた最後の1人か?」

 

 

「ああ。ALOを始めてまだ2週間かそこらの新規プレイヤーだけど、センスは折り紙付きだ」

 

 

「どーもはじめまして。おれはユーマ、影妖精族(スプリガン)のユーマだよ。どうぞよろしく」

 

 

三の目に3の口という、表情を作るシステムがどう作用しているのかよく分からない顔で、ユーマは片手を上げて他のメンバーに自己紹介をする。

 

 

「皆を紹介する前に、ユーマ、まずは武器を出してくれ。そこにいるぼったくり鍛冶屋が耐久力を回復してくれるから」

 

 

「誰がぼったくりよ!」

 

 

俺がユーマにそう言うと、リズベットが工房の奥から怒鳴りながらやって来た。そして俺を軽く睨んだあと、視線をユーマに向けて声をかけた。

 

 

「ユーマ、ね。あたしがこのリズベット武具店の店主、リズベットよ。リズベットでもリズでも好きに呼んでちょうだい」

 

 

「ふむ……じゃあリズ先輩で」

 

 

ユーマに先輩と呼ばれたリズベットは、少しこそばゆそうに笑うと、すぐに誤魔化すように咳払いをしてから言葉を続けた。

 

 

「それじゃあ、武器を貸してちょうだい。あたしが責任もって回復してあげるわ」

 

 

「ほほう。では、よろしくお願いします」

 

 

「はい、お預かりします」

 

 

そんなやり取りをしながら、ユーマが開いたウインドウを操作してオブジェクト化した武器を手渡すと、それを受け取ったリズベットは珍しそうに声を上げた。

 

 

「へぇ、ナックル系か、見かけによらず武闘派なのね」

 

 

「たまにダガーも使うけどね」

 

 

受け取っていたのは、黒鉄の篭手(ガントレット)。ALOの装備の中で唯一、二対一体となっている《拳術》専用のナックル系武器だ。俺はあまりナックル系統の装備には詳しくないため名前までは出て来ないが、ユーマが所有するそれは、確か古代級武器(エンシェントウェポン)の一種だったハズだと記憶している。

 

 

「んじゃ、ちゃちゃっと回復させてくるわね」

 

 

受け取った武器を抱えて、リズベットは再び工房の奥に戻って行った。

するとそれを見計らって、テーブルから立ち上がったクラインがフランクな態度でユーマに声をかけた。

 

 

「おう、ユーマっつったか? オレ様はクラインってんだ。クライン先輩って呼んでいいぜ」

 

 

「わかった。よろしくな、クライン先輩」

 

 

「おーおー、キリの字と違って素直だなおめぇ。にしてもチビっこいな。ひょっとしてリアルでもこんくらいか?」

 

 

「よく言われるよ」

 

 

わしゃわしゃと黒髪を撫でてくるクラインと戯れるユーマ。それに続くように、アスナやリーファ、シリカがユーマのもとに集まって自己紹介を始めていく。俺はそこから少し離れた壁際に背を預けながらその様子を眺める。

皆の中心でわいわいと賑やかに笑っているユーマの姿を見て、俺は思わず頬を緩ませながら、アイツと出会った日の事を思い出していた。

 

 

俺がユーマ/空閑遊真と出会ったのは、12月の中頃だった。とある事情によりボーダーから追われていた空閑は、実力派エリートこと迅悠一の手引きによってボーダーに入隊することになり、来月の正式入隊日まで《玉狛支部》に身を置くことになった。それからも本部と玉狛の間でひと悶着あったのだが、迅さんの暗躍によって事なきを得た。

 

それから個人的に玉狛とも親しかった俺は空閑とも仲良くなり、彼をALOの世界に誘った。当初はVRMMO対して興味どころか知識すらも皆無だったが、空閑は瞬く間にその魅力に取り込まれた。もちろん、玉狛での訓練もあるので、ずっと入り浸っているわけではない。諸事情により、眠らなくても問題ない空閑は、主に深夜の時間帯にログインしている。

 

まだキャラを作成してから二週間しか経っていないが、完全スキル制のALOにおいて並外れたセンスを持つユーマはメキメキと頭角を現した。高難度のダンジョンでも十分に活躍できるだろう。

 

 

──おれはあいつに《楽しい時間》を作ってやりたい。

 

 

あの日……迅さんはそう言っていた。だから沢山の遊び相手がいるボーダーに空閑を入隊させたと。それについて異論はない。俺もボーダーに入隊してから、ランク戦で出水や米屋と戦り合うのがすごく楽しいから。

 

だけど、楽しい時間を作れるのは、ボーダーに限った話じゃない。

VRMMOも一緒だ。気心知れた仲間たちと異世界に飛び込み、困難かつスリリングなミッションに挑むのも、最高に楽しい時間だ。それを空閑に知って欲しくて、俺はアイツをこの世界に誘った。それが正解だったのかどうかは、今はまだ分からない。

 

だけど今──ユーマは楽しそうに笑っている。それだけで、今は十分だと思えた。

 

 

などと考えていたら、工房の奥でリズベットが叫んだ。

 

 

「よーっし! 全武器フル回復ぅ!」

 

 

「おつかれさま!!」

 

 

のねぎらいを全員で唱和。新品の輝きを取り戻したそれぞれの愛剣、愛刀、愛弓を受け取って身に着ける。次にテーブルで指揮能力に長けたアスナが7分割したポーションを貰い、腰のポーチに収納。持ち切れない分はアイテム欄にしまった。

9人+1人+1匹の準備が完了したところで、俺はぐるりと皆を見回し、軽い咳払いをしてから言った。

 

 

「みんな、今日は急な呼び出しに応じてくれてありがとう! このお礼はいつか必ず、精神的に! それじゃ──いっちょ、頑張ろう!」

 

 

「おー!」と、やや苦笑混じりの唱和に聞こえたのは気のせいだと思い込みながら、俺はくるりと振り返って工房の扉を開ける。そしてイグシティの真下のアルン市街から地下世界ヨツンヘイムに繋がる秘密のトンネルを目指して、大きく一歩を踏み出した。

 

 

 

 

 

つづく




原作は7人が制限だったんですけど、話の都合上9人に変更しています。それらしい理由も思い浮かばなかったので。どうぞ、ご了承ください。


出水/カイトのアバター姿は、青色の髪に、太刀川隊の隊服の色の黒を白に、赤を青に変えたイメージ。

遊真/ユーマは、見た目は黒トリガーを持つ前の姿そのもの。装備も同様に、上下共に黒の衣服で、上からポンチョ(バッグワーム)を纏う。武器のナックルは、黒トリガー戦闘隊の腕部分をイメージ。


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キャリバー②

番外編第2話です。

カイトとユーマを絡ませるのは結構難しい。

たぶん今日中にもう1話いけます。


 

 

 

 

「うわぁ……いったい何段あるの、これ」

 

 

直系2メートルほどのトンネルの床に造られた下り階段を駆け抜けながら、リズベットがうんざりしたようにそう囁いた。

 

 

「うーん、新アインクラッドの迷宮区タワーまるまる1個分はあったかなー」

 

 

先頭に立って降りるリーファが答えると、カイトとクライン、リズとシリカが同時にうへぇと声を漏らした。俺はつい苦笑し、この階段の有り難さを力説する。

 

 

「あのなぁ、通常ルートならヨツンヘイムまで2時間はかかるとこを、ここを降りれば5分だぞ!」

 

 

「ふむ、なるほど。秘密の近道というわけですな」

 

 

そう納得したユーマの言葉を聞いて、俺は満足気に頷きながら言葉を続けた。

 

 

「その通り! 文句を言わずに1段1段感謝の意を込めながら降りたまえ、諸君」

 

 

「あんたが造ったわけじゃないでしょ」

 

 

俺の前を走っているシノンがボソッと一言。彼女の相変わらずのクールな突っ込みにはボーダーでも定評があり、あの佐鳥に嬉し涙を流させたほどだ。そんな有り難い突っ込みを入れてくれたことに感謝の心を抱くべきだろう。

 

 

「御指摘ありがとう」

 

 

「フギャア!!」

 

 

礼を言って、彼女の水色の尻尾を感謝の意を込めながらギュッと握った。その瞬間、シノンは物凄い悲鳴を上げて飛び上がった。

 

 

「このっ! このっ!」

 

 

顔を真っ赤にしてくるりと振り向き、後ろ走りで器用に階段を降りながら俺のを顔を引っ搔こうと両手を振り回すのを、ひょいひょいと避ける。

 

 

「アンタ、次やったら鼻の穴に火矢ブッコムからね!」

 

 

フン! と勢いよく振り向いたシノンの先で、他の女性陣が完璧に同期した動きでやれやれと首を振った。後ろでクラインが「怖れを知らねェなおめぇ」と感心したように唸り、その隣のカイトは「ユズさんにもそれやってぶっ飛ばされたの忘れたのか?」と呆れたようにぼやいていた。

 

 

「ふむ……なあ、その尻尾って触られると痛いのか?」

 

 

「え? えーっと……」

 

 

すると、そんな俺たちの一連の様子を眺めていたユーマが、気になったのか同じ猫妖精族(ケットシー)のシリカにそう尋ねていた。いきなり話を振られたシリカは一瞬だけ言いよどみ、苦笑しながらその問いに答えた。

 

 

「痛くはないんだけど……いきなり強く握られたりすると、すっごくヘンな感じはするかなぁ……」

 

 

「ふーん……ほいっ」

 

 

それを聞いたユーマは、チラリとシリカの尻尾に視線を送った次の瞬間、何を思ったのか先ほど俺がシノンにしたように、ぎゅむっと強くそれを握った。

 

 

「フミャア!!」

 

 

直後、シリカは可愛らしい悲鳴と共に飛び上がる。すぐにユーマの手から尻尾をひったくると、それを庇うように抱えながら、真っ赤になった顔でユーマを睨んだ。

 

 

「ユーマ君!? 何で握ったの!!?」

 

 

「すまんねシリカ。こうきしんには勝てなかったぜ」

 

 

「理由になってない!?」

 

 

事の犯人は三の目を輝かせて謎のドヤ顔を浮かべながらそう供述しており、反省の色はない。だがその好奇心はよく分かると、俺は密かに同意した。

未だに抗議の声を上げているシリカだが、当のユーマは「たしかなまんぞく」と勝手に自己完結しながら、その抗議を右から左に聞き流していた。

 

 

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 

 

それから予定通り5分ほどで、パーティはアルヴヘイムの地殻を貫く階段トンネルを走破し、行く手に仄白い光が見えてきた。

同時に、仮想の空気が一段と冷たさを増した。数秒後、俺たちはついに地殻から飛び出して、視界にヨツンヘイムの全景が広がった。太い木の根に刻まれた階段はそのまま空中を伸び続けていて、15メートルほどで消滅している。

 

 

「うっ……わあ……!!」

 

 

「すごい……」

 

 

「おおっ……キオンみたいだ」

 

 

ヨツンヘイムを初めて目にするシリカとシノンとユーマの3人が声を上げる。

目の前に広がるのは、雪と氷と常夜で覆われた美しくも残酷な極寒の世界だ。その世界を氷の天蓋から何本も突き出す巨大な水晶の柱が、地上から導く光で照らしている。その真下に存在するのは、あらゆる光を飲み込むような底無しの大穴。《ボイド》だ。

 

視線を正面に移すと、地上のアルヴヘイムに屹立する世界樹の根に抱え込まれるようにして、薄青い逆ピラミッド型のそれが、天蓋から鋭く突き出している。それこそが俺たちの目的地である《空中ダンジョン》だ。

 

一通りの状況確認を終えると、まずアスナが右手をかざして滑らかにスペルワードを唱える。全員の体を一瞬薄青い光が包み込んだ。すると、先ほどまでの肌寒さがウソのようになくなった。

 

 

「おっけ。凍結耐性の支援魔法をかけたよ」

 

 

アスナの声を受け、リーファが頷くと、右手の指を唇に当てて高く指笛を吹いた。僅か数秒すると、くおぉぉぉー……ん、というような鳴き声が風の音に混じって聞こえてきた。眼を凝らしてみると、ボイドの暗闇から白い影が上昇してくる。

 

 

「トンキーさーーーーん!」

 

 

アスナの肩からユイが精一杯の声で呼びかけると、象水母邪神のトンキーはもう一度くおーんと鳴いた。こちらへと向かって急上昇すると、たちまち俺たちの眼前までやって来たトンキーを見て、クラインが「うおぉ……」と唸りながら後退る。その姿に苦笑しながら俺は言った。

 

 

「へーきへーき、こいつこう見えて草食だから」

 

 

「でも、こないだ地上から持ってきたお魚あげたら、一口でぺろっと食べたよ」

 

 

「……へ、へぇ」

 

 

クラインがもう一歩下がる。するとトンキーは、象のように長い鼻を伸ばし、ふさふさと毛の生えた先っぽで、クラインの逆立った髪をわしっと撫でた。

 

 

「うびょるほ!?」

 

 

「ほら、背中に乗れっつってるよ」

 

 

「そ……そう言ってもよぉ、オレ、アメ車と空飛ぶ象には乗るなっつうのが爺ちゃんの遺言でよぉ……」

 

 

「こないだダイシーカフェで、爺ちゃんの手作りっつって干し柿くれただろ! お裾分けしたボーダーの連中にも好評だったから、またください!」

 

 

ヘタれる刀使いの背中を、俺は容赦なく押すと、クラインはおっかなびっくりしながらトンキーの平らな背中に移動した。

次に、相変わらずのくそ度胸のシノンと動物好きのシリカが乗り込み、リズベットが「よっこらしょ!」と乙女らしからぬ掛け声で続く。ユーマはすでにトンキーの背中に腰を据えており、「おお、これはなかなか……」と興味深そうに呟きながら背中の毛を撫でている。続けてアスナとリーファとカイトがぴょんっと飛び乗り、最後に俺もトンキーの背中に飛び移った。

 

 

「よぉーし、トンキー、ダンジョンの入り口までお願い!」

 

 

首のすぐ後ろに座ったリーファが叫ぶと、長い鼻を持ち上げてもう一鳴きし、トンキーは8枚の翼をゆっくりと羽ばたかせた。

 

 

飛行型邪神《トンキー》に乗ってヨツンヘイムの空を翔ける。白銀の雪と氷に覆われた地上を見渡していると、トンキーの背から真下を覗き込んでいるリズベットが言った。

 

 

「……ねえ、これ、落っこちたらどうなるのかな?」

 

 

言われてみればそうだ。ヨツンヘイムでは原則的にどの種族の妖精も飛行不可能。高所落下ダメージも普通に適用される。ここから落ちた結果など、考えるまでもないだろう。もしかしたら何らかのセーフティが存在するのかもしれないが、進んで試す気にはならない。

みんな似たような危惧を抱いているようで、気持ち良さそうにしているのは《スピード・ホリック》のリーファと、彼女の頭上に移動したユイ、そして好奇心旺盛なユーマと、そのユーマのもさもさ頭に座しているピナだけだ。

リズの問いに答えたのはアスナだった。何故か俺の方を見てニッコリと笑って言う。

 

 

「きっとそこにいる、昔アインクラッドの外周の柱から次の層に上ろうとして落っこちた人が、いつか実験してくれるわよ」

 

 

「そりゃいいな。いつかと言わず、今実験してこいよ剣バカ」

 

 

「…………高いとこから落ちるなら、ネコ科動物のほうが向いてるんじゃないかな。あと押すなよ魔法バカ」

 

 

俺は蹴り落とそうとしてくるメイジの右足を、左手で掴んで押し返しながら、代案を進言する。途端、ネコ科2人がぶんぶんと首を振って拒否した。それはそうだ。こんな高いとこから飛び降りるなんて、アクション派狙撃手(スナイパー)の荒船さんでもしないだろう。……たぶん。

 

 

そんなやり取りをしていた時だった──いきなりトンキーが8枚の翼を鋭角にたたみ、急速なダイブへと突入したのは。

 

 

「うわああああああ!?」

 

 

という男3人の太い絶叫。

 

 

「きゃあああああ!!」

 

 

という女性陣の高い悲鳴。

 

 

「おおおー……」

 

 

という三の目3の口の少年。

 

 

「やっほーーーーう!」

 

 

と、リーファ。

 

 

必死に背に生えた毛を掴み、襲ってくる風圧に耐える。ほぼ垂直となった体勢で、遥か下方の地面がみるみる近づいてくるのが分かる。トンキーが目指しているのは巨大な大穴《ボイド》の南の縁あたりらしいことを視認した直後、急激な減速によって俺たちは邪神の背中にべたっと張り付いた。

再び緩やかな飛行に戻ったらしいトンキーの背で俺たちがぐったりしていると、リーファが鋭い声を上げた。

 

 

「お、お兄ちゃん、あれ見て!!」

 

 

言われるがまま、俺たちは8人は一斉にリーファが差した方角を凝視した。

それと同時に、大規模攻撃スペルのものと思われる眩いフラッシュ・エフェクトと、遅れてやってきた凄まじい重低音サウンドが薄闇の中で炸裂した。

トンキーが、くるるぅぅーん、と悲しげに鳴く。その理由は、目の前に広がる光景だ。

 

トンキーに似た大型のモンスターが、30人以上はいると思われる異種族混成の大規模レイドパーティに攻撃されていた。それだけならば《邪神狩りパーティ》と言える。しかし俺たちが驚いたのは、そのパーティの中には明らかに異形の者が混ざっていたからだった。見間違えようもない、出会った時のトンキーを殺そうとしていた4本腕の人型邪神だ。

人型邪神が粗雑な剣を象水母に叩き込み、倒れたところをプレイヤーたちが一斉に攻撃している。

 

 

「あれは……どうなってるの? あの人型邪神を誰かがテイムしたの?」

 

 

アスナが囁くように口にした疑問に、シリカが首を振って答える。

 

 

「そんな、ありえません! 邪神級モンスターのテイム成功率は、猫妖精族(ケットシー)のマスターテイマーが専用装備でフルブーストしても0パーセントです!」

 

 

「ってことは、あれは《便乗》してんのか? 人型邪神が象水母邪神を攻撃して、そこに追い打ちをかけてよ……」

 

 

「でも、そんなに都合よく憎悪値(ヘイト)を管理できるものかしら?」

 

 

カイトが唸るように口にした言葉に、シノンが眉を寄せながらも冷静にコメントする。

そしてどうにも状況がつかめずに困惑している俺たちの眼下で、とうとう象水母邪神が地響きを上げて倒れる。そこにとどめの邪神とプレイヤーの一斉攻撃が襲い掛かり──

 

 

「ひゅるるるぅぅぅ……」

 

 

象水母は断末魔の悲鳴を上げながら、その巨体をポリゴン片へと四散させていった。くおうぅぅぅ……と、トンキーが悲しげな声を出す。その声にリーファが肩を震わせ、頭上のユイも顔を俯かせた。

そんな2人の様子に俺たちは何の言葉も言えないまま、眼下のレイドパーティに視線を向けることしかできなかった。だがその時、さらに驚愕の光景が飛び込んできた。

象水母邪神を倒した人型邪神と数十人のプレイヤーたちが、新たなターゲットを求めて、共に移動を始めたのだ。

 

 

「なんで人型邪神と戦闘にならないんだ!?」

 

 

そう声を上げた俺の隣で、アスナが何かに気付いたように顔を上げた。

 

 

「あっ……見て、あっち!」

 

 

アスナが指差したのは、遠く見える丘の上だった。そこでも、先ほどのようにレイドパーティと人型邪神が協力して、他の邪神を狩っている光景が広がっていた。

 

 

「こりゃァ……ここでいったい何が起きてンだよ……」

 

 

呆然としたクラインの声に、リズベットが呟いた。

 

 

「もしかして、さっき上でアスナが言ってた、ヨツンヘイムで新しく見つかったスローター系のクエスト……って、このことじゃないの? 人型邪神と協力して、動物型邪神を殲滅する……みたいな……」

 

 

それを聞いて俺たちを息を呑んだ。

おそらく、リズベットの言う通りだろう。クエスト進行中ならば、特定のモンスターと共闘状態になることは珍しくない。だが、そのクエストの報酬が《聖剣エクスキャリバー》というのはどう考えてもおかしい。本来ならあの人型邪神は、あの剣が封印されている空中ダンジョンにいる。つまり剣を手に入れるために倒さなければいけない存在なのに……

そこまで考えたその時、俺は後ろに何かの存在を感じて振り返った。両隣にいたカイトとクラインも感じたのか、同じように後ろを振り向く。するとそこには、光の粒子が音もなく漂い、凝縮し──ひとつの人影を作り出していた。

 

ローブふうの長い衣装に、背中から足元まで流れるように波打つ金髪。優雅かつ超然とした美貌を持つ、女性だった。

 

その女性を見た瞬間、振り返った俺とクラインは、反射的に言葉を発してしまった。

 

 

「でっ…………」

「………けえ!」

 

 

女性に対しては失礼な言葉だが、無理もない。女性の身の丈はどう見積もっても3メートルはある。幸い、俺とクラインの言葉に気分を害した様子はなく、静謐な表情のまま口を開いた。

 

 

「私は《湖の女王》ウルズ」

 

 

巨大な美女は、荘重なエフェクトを帯びた声で、続けて俺たちに呼びかけた。

 

 

「我が眷属と絆を結びし妖精たちよ。そなたらに、私と2人の妹から請願があります。どうかこの国を、《霜の巨人族》の攻撃から救ってほしい」

 

 

話を聞きながら、俺はこの女性に対して疑問を覚える。彼女はシステム的にどんな存在なのか? 無害なイベントNPCなのか、攻撃的クエストMobの罠なのか、もしくは人間のGMが動かしているアバターなのか、それが判別できない。

すると、俺の左肩に移動したユイが耳元で囁くように言った。

 

 

「パパ、あの人はNPCです。でも、少し妙です。通常のNPCのように、固定応答ルーチンによって喋っているのではないようです。コアプログラムに近い言語エンジン・モジュールに接続しています」

 

 

「……つまり、AI化されてるってことか?」

 

 

「そうです、パパ」

 

 

ユイの言葉を頭の隅で考えながら、俺は《湖の女王ウルズ》の言葉に耳を傾けた。

 

 

女王ウルズの話はこうだ。

この《ヨツンヘイム》は《アルヴヘイム》と同じように、世界樹の恩恵を受けて美しい水と緑に覆われた世界だった。しかしヨツンヘイムのさらに下層に存在する氷の国《ニブルヘイム》の支配者、霜の巨人族の王《スリュム》が、《全ての鉄と木を断つ剣》エクスキャリバーを世界の中心である《ウルズの泉》に投げ入れ、世界樹の根を断ち切ってしまった。その瞬間、ヨツンヘイムは世界樹の恩恵を失った。

 

スリュムとその配下の《霜の巨人族》はニブルヘイムから大挙して攻め込み、ウルズたち《丘の巨人族》を捕えて幽閉し、《ウルズの泉》だった大氷塊に居城《スリュムヘイム》を築いてヨツンヘイムをを支配したらしい。

 

女王ウルズとその2人の妹は逃げ延びたが、かつての力を失った。だが霜の巨人族は止まらず、今度はその眷属たちをも皆殺しにしようとしている。そうすれば女王の力は完全に消滅し──スリュムヘイムの上層を、アルヴヘイムまで浮き上がらせることができるらしい。もちろんそんなことになれば、この上にあるアルンの街は崩壊を免れないだろう。

 

 

「な……なにィ! ンなことしたら、アルンの街がぶっ壊れちまうだろうが!」

 

 

クラインが憤慨したように叫ぶ。ユイいわく、固定プログラムではなくちょっとしたAIだという女王ウルズはその言葉に頷き、言った。

 

 

「王スリュムの目的は、そなたらアルヴヘイムもまた氷雪に閉ざし、世界樹イグドラシルの梢にまで攻め上がることなのです。そこに実るという《黄金の林檎》を手に入れるために」

 

 

ウルズは視線を地上に向けると、悲しげな顔で続けた。

 

 

「我が眷属たちをなかなか滅ぼせないことに苛立ったスリュムと霜巨人の将軍たちは、ついにそなたたち妖精の力をも利用し始めました。エクスキャリバーを報酬に与えると誘い掛け、眷属を狩り尽させようとしているのです。しかし、スリュムがかの剣を余人に与えることなど有り得ません。スリュムヘイムからエクスキャリバーが失われる時、再びイグドラシルの恩寵はこの地に戻り、あの城は溶け落ちてしまうのですから」

 

 

「あぁ!? じゃあエクスキャリバーが報酬ってのはウソなのかよ!? んな詐欺みてーなクエストありか!?」

 

 

カイトの驚嘆の声に、女王は頷いて言った。

 

 

「恐らくスリュムは、見た目はエクスキャリバーとそっくりな《偽剣カリバーン》を与えるつもりでしょう」

 

 

「ふむ、なかなか狡賢い王様だな」

 

 

ユーマが若干感心したように呟く。ウルズはもう一度頷いて、深く息を吐く。

 

 

「その狡さこそがスリュムのもっとも強力な武器なのです。しかし彼は、我が眷属を滅ぼすのを焦るあまり、ひとつの過ちを犯しました。配下の巨人のほとんどを、巧言によって集めた妖精の戦士たちに強力させるため、スリュムヘイムから地上に降ろしたのです。今、あの城の護りはかつてないほど薄くなっています」

 

 

ここに来て、俺はようやくこのクエスト──《女王の請願》の行く末を悟った。

湖の女王ウルズは、その大きな腕をまっすぐ上空の《スリュムヘイム》に差し伸べ、静かに言った。

 

 

「妖精たちよ、スリュムヘイムに侵入し、エクスキャリバーを《要の台座》より引き抜いてください」

 

 

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 

 

「……なんだか、凄いことになってきたね……」

 

 

《湖の女王ウルズ》が金色に光る粒子となって消滅し、今度は緩やかな上昇を始めたトンキーの背中で、まずアスナがそう呟いた。

 

 

「これって普通のクエスト……なのよね? でもその割には、話が大がかりすぎるっていうか……」

 

 

「どう考えたって普通じゃねーだろ。このクエストが失敗したら、今度は地上が霜巨人に支配されちまうんなんざ、大型イベントクエストでもない限り有り得ねぇよ」

 

 

「……だよな」

 

 

続いてシノンの呟くような声とカイトの唸るような言葉に、俺は腕組みをしながら頷く。

 

 

「それに、運営側がアップデートや予告もなくそこまでするとは思えない。もしこれが《街をボスが襲撃イベント》なら、最低でも1週間前には予告があるはずだ」

 

 

うんうん、と全員が首を縦に振る。すると、俺の左肩に乗っていたユイが飛び立ち、中央でホバリングしながら皆に聞こえるように言葉を発した。

 

 

「あの、これはあくまで推測なのですが……この《アルヴヘイム・オンライン》は、他の《ザ・シード》規格VRMMOとは大きく異なる点が1つあります。それは、ゲームを動かしている《カーディナル・システム》が機能縮小版ではなく、旧《ソードアート・オンライン》に使われていたフルスペック版の複製だということです」

 

 

確かにその通りだ。このALOはそもそも、1人の男が旧SAOプレイヤーの一部を自らの違法研究の実験台とするために、オリジナルのSAOサーバーを丸ごとコピーして作り上げたものだ。当然、この世界を動かしている自律コントロール・システム《カーディナル》も、SAOのそれと同等のスペックを持っているということになる。

 

 

「本来のカーディナル・システムには《クエスト自動生成機能》があります。ネットワークを介して、世界各地の伝説や伝承を収集し、それらの固有名詞やストーリーパターンを利用・翻案してクエストを無限にジェネレートし続けるのです」

 

 

「へえ、そんな仕組みになってたのか、クエストって。じゃあこのクエストも、そのカーディナルってシステムが作ったもんってことか?」

 

 

カイトが感嘆したように唸りながら問い掛ける。ユイはそれに頷いて、難しい顔で話を続けた。

 

 

「先ほどのNPCの挙動からして、その可能性が高いです。だとすれば、ストーリーの展開いかんでは、行き着くところまで行ってしまうことは有り得ます。……私がアーカイブしているデータによれば、当該クエスト及びALOそのものの原型となっている北欧神話には、いわゆる《最終戦争》も含まれているのです。ヨツンヘイムやニブルヘイムから霜の巨人族が侵攻してくるだけでなく、更にその下層にある《ムスペルヘイム》という灼熱の世界から炎の巨人族までもが現れ、世界樹を全て焼き尽くす……という……」

 

 

「………《神々の黄昏(ラグナロク)》」

 

 

神話や昔話が好きで、この手の話に詳しいリーファがぽつりと言った。

 

 

「そんな……いくらなんでも、ゲームシステムがマップを丸ごと崩壊させるようなことできるはずが……!」

 

 

もっともな話だが、ユイは首を左右に振って否定した。

 

 

「……オリジナルのカーディナル・システムには、ワールドマップを全て破壊し尽くす権限があるのです。なぜなら、旧カーディナルの最後の任務は、浮遊城アインクラッドを崩壊させることだったのですから」

 

 

「……………」

 

 

俺たちは呆然と黙り込む。次に口を開いたのは、今までじっと話を聞いていたシノンだった。

 

 

「──もし、仮にその《ラグナロク》が本当に起きても、バックアップデータからサーバーを巻き戻すことは可能じゃないの?」

 

 

その問いに、ユイは再び首を横に振った。

 

 

「……カーディナルの自動バックアップ機能を利用していた場合は、巻き戻せるのはプレイヤーデータだけで、フィールドは含まれません」

 

 

「……………」

 

 

またも全員が暗い顔で黙り込んでしまう。

 

 

 

「……なあ、みんな何をそんなに考えてるんだ?」

 

 

 

そんな中で──3の口を尖らせてきょとんとした顔のユーマが発した、そんな疑問の言葉が静かに響いた。

 

 

「アンタねぇ、ちゃんと話聞いてたの? このままじゃALO全体が大変なことになるかもしれないのよ!」

 

 

リズベットが叱るようにそう言い放つが、ユーマは首を傾げながら言葉を返す。

 

 

「聞いてたぞ。かーでぃなるとか、らぐなろくとか、話がよくわからんかったからだまってたけど」

 

 

それを聞いて、リズベットは「こいつもしかしてバカなんじゃないか?」と言いたげな顔をしていた。

無理もないよな、と俺は思う。ユーマはつい最近まで信号などの交通ルールについても知らなかったのだから、北欧神話やシステム関連の話について行けなくても当然だろう。ユーマの生い立ちを考えれば仕方ないとも言える。

 

 

などと考えていると、ユーマは一点の曇りもない赤い瞳で真っ直ぐと俺たちを見ながら、静かに言った。

 

 

「よくわからんかったけど……おれたちがこのクエストをクリアしないと、地上(うえ)の街が大変なことになるってことだろ? だったらもう、やることは決まってるだろ」

 

 

その言葉に、俺たちはハッと顔を上げた。

確かにそうだ。俺たちがこのクエストに失敗すれば、あの巨大な氷のピラミッドが地上まで浮き上がる。そうなったらアルンの街は大騒ぎどころではなくなるだろう。最悪の場合、本当に《ラグナロク》が起きて、アルヴヘイムが焦土と化してしまうかもしれない。年末の、日曜の、午前中というこの時間帯では運営も機能していない。

つまり、それを止められるのは……このクエストを受けた俺たちだけ。その俺たちで、やるしかない。考えてみれば簡単な話だ。

 

 

「……そうだよな、ユーマの言う通りだ。それに元々、今日集まったのは、あの城に殴り込んで《エクスキャリバー》をゲットするためだったんだからな。護りが薄いっていうなら願ったりだ」

 

 

俺は頷き、ウインドウを開くと、装備フィギュアを短く操作した。

背中に背負ったロングソードと交差して、先日に新アインクラッド15層ボスからドロップした剣が出現する。

久々に2本の剣を背負った俺を見て、クラインはニヤリと笑いながら腰に差した刀を鞘から引き抜いて、高々と掲げて叫ぶ。

 

 

「オッシャ! 今年最後の大クエストだ! ばしーんとキメて、明日のMMOトゥモローの一面載ったろうぜ!」

 

 

それに合わせて、全員が武器を掲げて「おおー!」と唱和する。足許のトンキーも翼を動かして「くるるーん!」と鳴いた。

その鳴き声に被せるように、俺はユーマに向かってぽつりと呟いた。

 

 

「ありがとな、ユーマ」

 

 

「? キリト先輩、なんか言ったか?」

 

 

「気にすんな」

 

 

きょとんとしているユーマの頭を右手でわしゃわしゃと撫でながら、俺は前を向く。すでに氷のピラミッドは目と鼻の先だ。

上昇速度を上げたトンキーは、たちまちピラミッドを横切り、上部の入り口にその巨体を横付けした。最後に氷のテラスに飛び移ったリーファが、トンキーの大きな耳を撫でながら言った。

 

 

「待っててね、トンキー。絶対、あなたの国を取り戻してあげるからね!」

 

 

振り向き、腰から愛用の長剣を抜く。同じように武器を手に取る俺たちの前方には、氷の扉が立ち塞がっている。

いつもならそこで最初のガーディアンと一戦を交えなければならないが、今はウルズの言葉通りそのガーディアンは存在しないので、すぐに扉が開かれた。前衛に俺とクラインとリーファ、中衛にユーマとリズとシリカ、後衛にアスナとカイトとシノンというフォーメーションを素早く組む。

 

 

そして俺たちは──巨城《スリュムヘイム》へと突入したのだった。

 

 

 

 

 

つづく



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キャリバー③

番外編3話目です。


 

 

 

 

「ヤバイよお兄ちゃん、金色のほう、物理耐性が高すぎる」

 

 

俺の左側で、リーファが早口に囁いた。頷き返して何か言うよりも先に、その《金色のほう》が巨大なバトルアックスを振りかざした。

 

 

「衝撃波攻撃2秒前! 1、ゼロ!」

 

 

小さな体から精一杯の大声を上げるユイ。そのカウントに合わせて、前衛と中衛の6人が左右に分かれて大きく飛ぶ。その間を、力強く振り下ろされた斧の刃と、そこから発生した衝撃波が一直線に駆け抜け、彼方の壁に衝突して激しい轟音を響かせた。

 

 

氷の居城《スリュムヘイム》に突入してから、すでに20分が経過した。

《湖の女王ウルズ》が言っていたとおり、ダンジョン内は雑魚Mobどころか、フロアの中ボスも半分が不在で相当な手薄だった。しかしさすがに次層へ降りる階段手前の広場を守護するフロアボスはきっちり残っていた。

 

第一層の単眼巨人(サイクロプス)型ボスを何とか倒し、次いで駆け抜けた第二層のボス部屋で俺たちを待っていたのは、2体の《ミノタウロス》型の大型邪神だった。右が全身真っ黒、左が全身金ぴかで、武器は両方とも巨大なバトルアックス。しかも黒いほうは魔法耐性、金色のほうは物理耐性がそれぞれとんでもない高さに設定されている。

 

最初は黒牛を集中攻撃で殲滅し、この後に金色を攻めるという作戦を立てたのだが、この2匹の牛頭は意外なほどの絆で結ばれているらしく、黒牛のHPが減ると金牛が憎悪値(ヘイト)を無視して守りに入ってくる。その間に黒牛は後方で座禅を組んで瞑想し、HPを回復させてしまう。

なので黒牛が回復している間に金牛を集中攻撃で倒そうとしたのだが、あまりにも物理耐性が高くて前衛・中衛の攻撃ではろくにHPを削れない。

ならばと次に取った行動は、パーティ唯一の火力メイジであるカイトを主軸にして金牛を一気に削り倒すという作戦。だがこの牛2匹、連携行動も可能らしく、金牛を狙った魔法攻撃を黒牛が受け、黒牛を狙った物理攻撃を金牛が受けるという、まさしく阿吽の呼吸で対処されてしまった。結局、MPのガス欠を起こしたカイトは後方に下がることになり、それが回復するまで唯一の魔法攻撃の手段を失ってしまった。

 

それを悟ったのか、再び黒牛は後方で回復中。逆に俺たちは即死級の大技は避けても範囲攻撃のダメージだけでガリガリ削られてしまう。アスナ1人のヒールでは長時間支えきれないのは明白だ。

 

 

「キリト君、今のペースだと、あと150秒でMPが切れる!」

 

 

金牛が振り下ろした斧の刃を、交差させた剣で受け止める俺の後ろからアスナの叫びが聞こえた。耐久戦においてヒーラーのMPが切れれば、そのままパーティの壊滅に直結する。そうなればアルンの街まで《死に戻り》だ。またここまで来るとなると、相当な時間がかかる。

そんな俺の懸念を察したのか、後ろでリーファが右手に持ったメダリオンを見ながら言った。

 

 

「メダリオン、もう7割以上黒くなってる。《死に戻り》してる時間はなさそう」

 

 

《湖の女王ウルズ》から与えられたその巨大な宝石は、カット面の半分以上が黒く染まっていた。あの石が完全に黒く染まったその時こそ、地上の動物型邪神は狩り尽され、ウルズの力が完全に消滅した時。スリュム率いる《霜の巨人族》のアルヴヘイム侵攻が始まる合図だ。

それがもうすでに7割も黒に覆われている。リーファの言う通り、時間がない。

 

 

「わかった」

 

 

それを聞いて、俺は腹をくくった。

 

 

「みんな、こうなったらできることは1つだ! 隙は大きいが、魔法属性を持つソードスキルなら、金色にダメージを与えられるかもしれない!」

 

 

受け止めていた金牛の斧を弾き返しながら、俺は全員の耳に届くように叫ぶ。

 

 

「いちかばちか、金色を、ソードスキルの集中攻撃で倒し切るしかない!」

 

 

《ソードスキル》

それこそ、かつてのSAOをSAOたらしめていたゲームシステム。

今年5月のアップデートにより、ALOにもソードスキルが一部仕様を追加して導入された。その1つが《属性ダメージの追加》だ。現在の上級ソードスキルには、物理属性の他に、地水火風闇聖の魔法属性を備えている。ゆえに、物理耐性が高い金牛にもダメージを与えられる。

だが当然、リスクはある。連撃数の多いソードスキルはその分、発動後の硬直時間が長い。そこを狙われれば、HPケージは丸々削られる。横の範囲攻撃なら、前衛と中衛の即死は必至だ。

しかし仲間たちは、そのリスクを理解した上で、すぐさま頷いてくれた。

 

 

「うっしゃァ! その一言を待ってたぜキリの字!」

 

 

刀を構えたクラインを筆頭に、リーファは長剣を、リズがメイスを、シリカが短剣を、ユーマがナックルをそれぞれ構えた。それを確認した俺は、後方で待機しているカイトに向かって声を上げた。

 

 

「カイト!」

 

 

「わかってる、MPはもう回復した。サポートなら任せろ」

 

 

「よし! 一瞬でいい、カウントで奴の動きを止めてくれ!」

 

 

「OK、しっかり仕留めろよ!」

 

 

俺の指示に返事を返した直後、カイトは呪文の詠唱を開始する。同時に俺も、大声でカウントは叫ぶ。

 

 

「──2、1、今!」

 

 

「《バインド》!」

 

 

直後、金牛の足元から出現した水流で構築された複数のロープが、瞬く間に金牛の胴体と四肢を絡めとる。補助系魔法《バインド》。それによって魔法耐性の低い金牛は5秒間の《拘束》のデバフを付与され、動きを止めた。

 

 

「ゴー!」

 

 

俺の絶叫に合わせ──アスナとカイト以外の全員が、一斉に駆け出した。

 

 

「う……おおッ!」

 

 

口々に吼えながら、それぞれが習得している最大級のソードスキルを発動する。

 

クラインの炎を纏った刀が豪快に叩き込まれ、リーファの長剣が疾風と共に斬り裂き、シリカの水飛沫を伴う短剣が突き立てられ、リズの雷撃のごときメイスが炸裂し、ユーマの闇を帯びた拳が痛打する。更に後方から、シノンが放った氷の鏃を煌めかせた矢が貫く。

 

同時に俺も、オレンジのライト・エフェクトを纏った右手の剣を全力で撃ち込んだ。高速5連突きから斬り下ろし、斬り上げ、そして全力の上段切り。片手剣8連撃ソードスキル《ハウリング・オクターブ》。物理4割、炎6割の属性を持つこの技は相当な大技だ。当然、その後の硬直──スキルディレイも長い。

 

今の攻撃で、俺の目に映る金牛のHPバーはようやくイエローゾーンに入ったところで、倒すには至らなかった。カイトが施した《拘束》も解けている。

 

 

「キリト! くっ……硬直が……!」

 

 

他のみんなも、スキルディレイによって動けなくなっている。そして金牛は目の前にいる俺に狙いを定め、斧を振り被る。

 

 

「──ここだっ!」

 

 

そこで俺は、意識を右手から左手に切り替える。その瞬間、右手の剣からオレンジの光が消え、入れ替わりに左手の剣に水色の光が宿る。

 

 

「おおおおっ!」

 

 

咆哮と共に水平斬りに振った剣が、金牛の腹部の半分くらいまで埋まる。そのまま剣を思いっきり押し込んで刃を深く突き刺す。そのまま柄を押し上げ、梃子のように刃が跳ね上がって腹を垂直に切り裂いた。

3連重攻撃《サベージ・フルクラム》。物理5割、氷5割。そこでまた、左右の手の意識を切り替える。

 

 

「く……おッ!」

 

 

短い気勢を乗せて、再びオレンジの光を取り戻した右手の剣を振るう。バックモーションの少ない垂直切りから、上下のコンビネーション、そして全力の上段斬り。高速4連撃《バーチカル・スクエア》。金牛のHPがガンガン減少していく。

そしてそこに、スキルディレイが終了した仲間たちが二度目の集中攻撃を開始する。

 

 

「ぜぇりゃあッ!」

 

 

先陣を駆けるクラインの居合切りが胴を斬りつけ、一拍遅れて切り口から爆炎が迸る。

 

 

「たあああッ!」

 

 

そこへリーファの風を纏った長剣が連続で振るわれ、追い打ちをかける。

 

 

「やあああぁッ!」

 

 

さらにシリカが逆手に握った短剣で、水飛沫を散らしながら切りつける。

 

 

「せーのっ!」

 

 

続いてユーマの闇に染まった右拳が、アッパーの要領で金牛の顎を打ち抜く。

 

 

「ぬぇえええい!」

 

 

落下の勢いのまま、頭上目掛けて振り下ろされたリズの雷を帯びたメイスが、落雷のように叩き込まれる。

 

 

「ふっ……!」

 

 

後衛から前衛に飛び出したシノンが、ヤマネコのごとき俊敏な動きで金牛の体を駆けあがり、脳天から氷の矢をゼロ距離で撃ち込んだ。

 

 

「でりゃあぁぁぁあああ!」

 

 

最後に俺が、深紅のライト・エフェクトを帯びた左手の剣を構えて駆ける。ジェットエンジンのような振動音と共に俺の腕を超高速で撃ちだす。単発重攻撃《ヴォーパル・ストライク》。物理3割、炎3割、闇4割。

途轍もない衝撃音を轟かせ、剣が根元まで敵の下腹に貫通する。その直後、俺を含めた全員の体がスキルディレイによって硬直する。

そして金牛のHPゲージは一気に減少していき──残り僅か2パーセントのところで止まった。

 

 

俺たちの猛攻を耐え切った金牛はニヤリと笑い、大斧を振り上げる。回避行動を取ろうにも、その意志に反して体は動かない、動くことを許さない。高々と振り上げられた大斧は凶暴に輝きながら、一気に打ち下ろされる……

 

 

「い……やァァァッ!」

 

 

その時だった、鋭く響く気勢を伴って青い疾風が俺の横を駆け抜けたのは。右手に握られたレイピアが、目にも止まらぬ速度で突き込まれる。出が最速の高位細剣技《ニュートロン》。物理2割、聖8割。聖なる輝きを帯びたレイピアが、斧を振り上げた金牛の体を穿ち、僅かに残っていた命を削り取った。

 

その奥で、瞑想によりHPを全回復させた黒牛が立ち上がる。勝ち誇ったように笑いながら、斧を振りかざす。だがその直後──相棒である金牛の巨体が、四方にポリゴン片をまき散らすように飛散した。

 

…………え。

 

というような表情で眼を剥く黒牛に、硬直から解放された8人が一斉に眼を向ける。そして俺たちを代表してクラインが、黒牛に言い放つ。

 

 

「おーしテメェ。そこで──正座」

 

 

数秒後、黒牛は呆気なく爆散することとなった。

 

 

「やったー!」

 

 

全員が勝鬨のように声を上げる。それと同時に、クラインが俺のほうに詰め寄って来て叫んだ。

 

 

「それはそうと、オメェ何だよさっきのは!?」

 

 

その問いが先ほどの2本の片手剣による連続ソードスキルを差してるのは明らかだったが、いちいち仕組みを説明するのもめんどくさい。なので俺はその気持ちをそのまま顔に表して言った。

 

 

「……言わなきゃダメか?」

 

 

「ったりめえだ! 見たことねえぞあんなの!」

 

 

ズズイと詰め寄って指差してくるクラインの手を押し返しながら、俺は簡潔に説明する。

 

 

「システム外スキルだよ。《剣技連携(スキルコネクト)》」

 

 

「スキルコネクト?」

 

 

「この前のアップデートでソードスキルがALOに導入されたろ。でも、《二刀流》や《神聖剣》みたいなユニークスキルは実装されなかった」

 

 

「けどよぉ、オメェさっき両手で……」

 

 

「さっきのは《二刀流》じゃないよ。片手剣ソードスキルを、両手で交互に発動させたんだ。ディレイ無しで繋げられるのは、いいとこ3・4回だけどな」

 

 

おー、という声がリズやシリカ、ユーマやシノンの口から漏れる。すると不意にアスナが右のこめかみに指先を当てて唸り、カイトが右手を腰に添えて、左手で後頭部をガシガシと搔きながら難しい顔をする。

 

 

「う……なんか私今、すっごいデジャブったよ……」

 

 

「おれも……なーんかどっかで見たような……」

 

 

「気のせいだろ」

 

 

俺は肩を竦め、水妖精2人の背中をポンッと叩いてから、声を張った。

 

 

「さあ、のんびり話してる余裕はないぜ。リーファ、残り時間はどれくらいだ?」

 

 

「あ、うん……今のペースのままだと、1時間はあっても2時間はなさそう」

 

 

リーファが取り出したメダリオンは、傍から見てもわかるほどに黒に侵蝕されていた。

 

 

「そうか。──ユイ、このダンジョンは全四層構造だったよな?」

 

 

「はい。三層の面積は二層の7割程度、四層はほとんどボス部屋だけです」

 

 

「ラスボスの戦闘に30分はかかるとすると、あと30分でボス部屋までたどり着かないと……」

 

 

「こうなったら、巨人の王様だかなんだか知らないけど、どーんと当たって《砕く》だけよ!」

 

 

俺の背中をどーんと叩いて、リズベットがそう叫ぶと、他の面子も「おう!」と応じた。俺も口元に笑みを浮かべながら、強く頷いた。

 

 

「──よし、全員HPMP全快したな。そんじゃ、三層はさくさくっと片づけようぜ!」

 

 

「おおー!」

 

 

もう一度声を合わせて、俺たちは次のボス部屋目指して走り始めた。

 

 

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 

 

それから第三層へと突入した俺たちは、地図データにアクセスするという奥の手を今回に限り解禁し、ユイの指示に従いながら、細く入り組んだ通路を全速力で駆け抜ける。所々で立ちはだかるギミックも、2回の中ボス戦もさっさと片付けた俺たちは、僅か18分で三層のフロアボスの部屋まで到達した。

 

そこで待ち受けていたのは、一層や二層のボスの2倍近い体躯を誇り、長い下半身の左右にムカデのような足を10本も生やした気色の悪い巨人だった。先の金牛に比べれば物理耐性はそれほどでもなかったが、その分攻撃力が尋常ではなかった。タゲを取り続けた俺とクラインは何度もHPが赤くなり、どっちかが死んだら壊滅確定という鬼畜な戦闘を9分間繰り広げた。

 

それでもユーマ、リズ、シリカ、シノン、そしてピナが頑張って巨人の足を切り落とし、動けなくなったところをソードスキルによる一斉攻撃で叩みかける。

 

 

「今だ! 仕留めろ、カイト!」

 

 

「仕留めてくださいだろ。おまえごとハチの巣にすんぞ」

 

 

そんな軽口を言い合いながら、すでに呪文の詠唱を終えていたカイトは、数多の光の矢を放つ。光系攻撃魔法《ライトニング・アロー》。最大ヒット数30もの聖属性の魔法が降り注ぎ、それがトドメとなってムカデ巨人は甲高い断末魔を上げて爆散していった。

 

 

「よし、後はラスボスだけだ!」

 

 

フロアボスが倒れたのを確認してすぐ、そう言って意気揚々とボス部屋の奥の部屋に流れ込んだ。

 

 

そしてそんな俺たちの眼に飛び込んで来たのは──判断に迷う、ある光景だった。

 

 

それは、壁際に作られた細長いツララの柵で覆われた檻だった。その奥に見える、1つの人影。巨人ではない。身長はだいたいアスナと同じくらいだろうか。

肌は雪のように白く、長く流れる髪は深いブラウン・ゴールド。失礼な言い方だが、このパーティの女性陣全員を凌ぐほどのスタイル。なよやかな両腕両脚には、氷の枷が嵌められている。

 

予想外の光景に足を止めた俺たちに気がついたのか、囚われている女性は俯かせていた顔を上げる。その顔立ちはこれ以上ないほどに整っており、このゲームでは珍しい西欧風の美貌に満ち溢れていた。

 

 

「お願い……。私を……ここから出して……」

 

 

女性から発せられた助けを求めるか細い声。それに釣られてフラフラと檻に吸い寄せられそうになっているクラインを、俺はバンダナの尻尾をがっしりと掴んで引き留める。

 

 

「罠だ」

「罠よ」

「罠だろ」

「罠だね」

 

 

俺とリズ、カイトとシノンが間髪入れずにそう言った。

 

 

「お、おう……罠、だよな。……罠、かな?」

 

 

往生際の悪い刀使いに呆れながら、俺は頭上のユイに「どうだ?」と尋ねる。

 

 

「NPCです。ウルズさんと同じく、言語エンジンモジュールに接続しています。──ですが、一点だけ違いが。この人は、HPゲージを持っています」

 

 

そう言われて気づく。俺の視界にも、確かに彼女のHPゲージが表示されていた。通常、クエストに登場するNPCのHPゲージは無効化されているものだ。HPを持っているということは、戦闘になるかもしれないということだ。

 

 

「罠だよ」

「罠ですね」

「罠だと思う」

「罠ですな」

 

 

アスナ、シリカ、リーファ、ユーマが同時に言う。

 

 

「もちろん罠じゃないかもしれないけど、今は寄り道してる余裕はないんだ。1秒でも早く、スリュムの所まで辿り着かないと」

 

 

「お……おう、うむ、まあ、そうだよな、うん」

 

 

早口に言った俺の言葉に、クラインは小刻みに頷き、氷の檻から視線を外した。そして奥に見える階段に向かって走り始める俺たち。その背後から再び聞こえる声。

 

 

「……お願い……誰か……」

 

 

正直助けてあげたい気持ちはある。もしこれが罠で、時間に余裕があったなら、ハマってみるのも一興だろう。だけど今はそんな無用のリスクを背負い込んでいる場合ではない。

そう思っていると、揃っていた足音の1つが乱れ、氷の床に擦れた。振り向くと、クラインが両手を握り締め、深く顔を俯かせて立ち止まっていた。彼は無精髭の生えた口元から押し出すように、言った。

 

 

「……罠だよな。罠だ、わかってる。──でも、罠でもよ。罠だとわかっていてもよ……それでもオリャぁ……どうしても、ここであの人を置いていけねェんだよ! たとえ……たとえそれでクエが失敗して……アルンが崩壊しちまっても……それがオレの生き様──武士道ってヤツなんだよォ!」

 

 

がばっと顔を上げて、力強くそう吼えるクライン。そんな彼の姿を見て、俺たちの胸に2つの感情が去来する。すなわち──

 

…………アホや。

 

と、

 

クラインさんかっけぇ!

 

 

と、いうものだ。どちらが上回っていたかと比べるのは、野暮というものだろう。

 

 

……なんてことを考えていたその時、突然、何の前触れもなく、ユーマが動き出した。

コツコツと氷の床を鳴らしながら、クラインの脇を通り過ぎ、無言で檻にいる女性に向かって歩いて行く。

 

まさか、今のクラインの力説に心を動かされて、彼女を助けるつもりなのか?──と思ったが、どうやらそういう訳ではないようで、檻の前で立ち止まったユーマは見下ろすようにして、じーっと女性の顔を見つめている。それに対して女性も、懇願するような表情でユーマを見上げている。

 

あまりに突然すぎる彼の行動に、俺たちが困惑で何も言えないでいると、不意にユーマが女性に対して口を開く。

 

 

「おまえは──おれたちの敵か?」

 

 

静かな口調で、そう訊ねた。それに対してNPCの女性は顔色を変えることなく、同じように静かに返した。

 

 

「いいえ。私はあなた方の敵ではありません」

 

 

少年と女性の真っ直ぐな視線が交差する。時間にすると僅か数秒だが、それ以上に長く感じた。やがてユーマのほうが「そっか」と納得したように頷いて、クラインに向かって言った。

 

 

「クライン先輩、この人ウソついてないから、助けても大丈夫だよ」

 

 

「え……お、おう……おお?」

 

 

いきなり話を振られたクラインは、ポカンとした顔で眼を白黒させて固まっている。俺は小さく溜息をつくと、そんな刀使いの背中を押してから言ってやった。

 

 

「ユーマがああ言ってるなら、たぶん大丈夫だ。思う存分助けて来い」

 

 

「お、おう、わかった! おっしゃァ、今いくぜー!」

 

 

了承を得たことであっという間にいつもの調子に戻り、囚われの女性のもとに走っていくクラインに軽く呆れていると、入れ違いでユーマが戻って来た。

 

 

「すまんね、キリト先輩、かってなことして」

 

 

「いいさ。どの道クラインが助けてただろうし、罠じゃないってわかっただけで十分だ」

 

 

謝罪するユーマに、俺はそう言葉を返す。するとそこに、シリカが戸惑ったような口調で割り込んだ。

 

 

「あ、あの、どういうことですか? どうして、あのNPCが罠じゃないってわかるんですか?」

 

 

シリカの問い掛けに同意するように他のメンバーも頷いている。あんな会話とも言えないやり取りで、罠の有無を判断なんてできる訳がない──普通なら。

俺は、「ああ」と短く声を漏らしてからそれに答えた。

 

 

「ユーマは《嘘を見抜く》能力があるんだよ」

 

 

俺がそう言うと、メンバーたちにどよめきが生まれた。その中で、リズベットが訝しげな顔をしながら言う。

 

 

「嘘を見抜く能力……そんなスキル、聞いたことないわよ」

 

 

「そりゃそうさ、これはシステム外スキルとか、そういう類いじゃない。現実(リアル)のユーマが元々持っている特技だからな。なんでも、プレイヤーだろうとNPCだろうと、相手がつく嘘が解るらしいんだ。なあ、ユーマ?」

 

 

「まーね」

 

 

俺が説明している横で、当の本人は三の目、3の口という緊張感のない表情を浮かべている。

 

 

「……アンタ何者よ?」

 

 

「タダ者です」

 

 

そんなユーマの態度に毒気を抜かれたのか、みんな苦笑する。

今は時間が限られているので、とりあえずこの話はまた後日という形でみんなにムリヤリ納得してもらった。と言っても、アスナとカイト、そしてシノンは、ユーマの《能力》の正体に勘づいているだろう。

 

 

ユーマの《嘘を見抜く》能力。それは《サイドエフェクト》と呼ばれる力だ。

高いトリオン能力を持つ人間が稀に持つ超感覚のこと。これは俺もごく最近知ったことなのだが、どうやら仮想世界の中でもサイドエフェクトは有効らしい。

ボーダー開発室の室長いわく、そもそもサイドエフェクトはトリオンが脳や感覚器官に影響を及ぼして発現する《副作用》と言われている。多重電界によって脳そのものや五感に直接アクセスするアミュスフィアを介した完全(フル)ダイブなら、そういったことがあっても不思議ではないらしい。仮想世界にまで作用するとは、副作用とはよく言ったものだと思う。

 

 

……などと考えていると、何かが割れるような音が俺の耳に届いた。その音の発信源を見てみると、クラインの愛刀がツララの檻と四肢を束縛する鎖を粉砕していた。

檻から救出された女性は、力無く顔を上げて囁いた。

 

 

「……ありがとう、妖精の剣士様」

 

 

「立てるかい? 怪我ァねえか?」

 

 

しゃがみ込み、右手を差し出すクラインはすでに《入り込んで》いる。まあVRMMOのクエストで、ストーリーに没入することは悪いことではない。むしろプレイヤーとして正しい姿勢だろう。だからここでクラインに一歩引くような態度を取るのは間違っている。間違っているのだが……

 

 

「ええ……大丈夫です」

 

 

頷いて立ち上がった女性は、すぐによろけてしまう。その背中を一応紳士的な手つきで支え、クラインはさらに訊ねる。

 

 

「出口まではちょっと遠いけど、1人で帰れるかい、姉さん?」

 

 

「……………」

 

 

その問いに対し、女性は眼を伏せて沈黙した。

ユイが言っていた《言語エンジンモジュール》とは、簡単に言えば、プレイヤーとNPCの会話をかなり自然なものにするためのものだ。もちろん擬似的なものなので、プレイヤーの言語を認識できない場合が多々ある。その場合はプレイヤーが《正しい問いかけ》を模索しなければならない。

今のクラインの問いに彼女が答えないのもそういうことだろうと俺は思ったが、それに反してNPCの彼女はまるで意を決したように顔を上げて、言った。

 

 

「……私は、このまま城から逃げるわけにはいかないのです。巨人の王スリュムに盗まれた、一族の宝物を取り戻すまでは。どうか、私も一緒にスリュムの部屋に連れて行って頂けませんか?」

 

 

「お……う……むぅ……」

 

 

《武士道に生きる男》クラインも、今回ばかりは難色を示した。少し離れた所で見守る俺の隣で、アスナがそっと口を開く。

 

 

「なんか、キナくさい展開だね……」

 

 

「だなぁ……でも……」

 

 

「一応、あの人はウソは言ってないよ」

 

 

頷きながらチラリと向けた俺の視線を感じ取ったユーマが、そう答える。するとこちらを振り向いたクラインが情けない顔で言う。

 

 

「おい、キリの字よう……」

 

 

「……あーもー、解った、解ったって。ユーマもウソはついてないって言ってるし、最後までこの分岐(ルート)で行っても大丈夫だろ」

 

 

俺がそう答えると、クラインはニヤリと笑って女性に威勢よく宣言した。

 

 

「おっしゃ、引き受けたぜ姉さん! 袖すり合うも一蓮托生、一緒にスリュムのヤローをブッチめようぜ!」

 

 

「ありがとうございます、剣士様!」

 

 

女性がクラインの左腕に抱き着くと同時に、パーティリーダーである俺の目の前にNPCの加入を認めるかどうかのダイアログ窓が表示された。

 

 

「そですりあうも、いちれんたくしょう……日本にはむずかしい言葉があるな」

 

 

俺の隣では、そんなことを呟きながらユーマが首を傾げていた。とりあえず、覚えなくていい言葉ということはあとで教えておこう。

 

 

「ユイとユーマに妙なことわざ聞かせるなよなー」

 

 

文句を言いつつ、俺はイエスボタンを押した。すると、視界の左端に並ぶ仲間たちのHP/MPゲージの最後に、10人目のゲージが追加された。彼女の名前は【Freyja】となっていた。フレイヤと読むらしい。おそらくメイジ型だろ、ずいぶんとMPが高く設定されている。

そこでふと、俺はリーファの胸元に下がるメダリオンを一瞥した。もう9割以上が黒に染まりつつある。残り時間は見立てたとおり30分ほどだろう。

 

 

「ダンジョンの構造からして、あの階段を降りたら多分すぐラスボスの部屋だ。今までのボスより更に強いだろうけど、あとはもう小細工抜きでぶつかってみるしかない。序盤は、攻撃パターンを掴めるまで防御主体、反撃のタイミングは指示する。ボスのゲージが黄色くなるとこと赤くなるとこでパターンが変わるだろうから注意してくれ」

 

 

こくりと頷く仲間たちの顔を見渡し、俺は語気を強めて叫んだ。

 

 

「──ラストバトル、全開でぶっ飛ばそうぜ!」

 

 

「おー!」

 

 

このクエストが始まってから3度目の気合いに、俺の頭上のユイと、シリカの肩のピナ、そしてNPCのフレイヤまでもが加わって唱和した。

 

 

 

 

 

つづく




サイドエフェクトに関しては、作者の個人的見解です。ご了承ください。






↓作中でカイトが言っていた、見覚えのあるシーン。



─ボーダーのランク戦ブースにて─


米屋
「おい桐ヶ谷! なんだよさっきの必殺技みてーなの!?」

和人
「……言わなきゃダメか?」

米屋
「ったりめーだろ! あんな攻撃見たことねえよ!」

和人
「……SAO時代の技だよ。《ソードスキル》」


出水や米屋と出会って間もない頃の話です。


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キャリバー④

番外編4話目です。

今回はちょっと楽しく書けました。


 

 

 

 

下り階段を降り切った突き当りにあったのは、二匹の狼が彫り込まれた分厚い氷の扉が立ち塞がっていた。どうやらここが、《霜の巨人族の王》がいる玉座の間らしい。

俺たちが近づいた途端、扉は自動的に左右に開かれた。奥からはいっそうの冷気と、言葉では言い難い圧力が吹き寄せてくる。

 

 

「みんな、支援魔法張り直し(リバフ)するよ」

 

 

「では私も」

 

 

アスナとカイトが全員に支援魔法を掛け直すと、それに参加したフレイヤが、全員のHPを大幅にブーストするという未知のバフを掛けてくれた。

HP/MPゲージの下に、いくつものバファアイコンが並んだところで、全員でアイコンタクト。頷き交わし、扉の中へと歩みを進めた。

 

内部は途轍もなく巨大な空間が広がっていた。青い氷で造られた装飾が広がるその部屋で、俺たちが真っ先に目を奪われたのは、左右の壁際から奥へと連なる──黄金の山だった。ありとあらゆる種類の黄金製オブジェクトが、数えきれないほどの規模で積み重なっている。

 

 

「………総額、何ユルドだろ………」

 

 

この中で唯一プレイヤーショップを経営しているリズベットが呆然と呟いた。かく言う俺も脳裏で「ストレージをスッカラカンにしてくるんだった」と密かに悔いていた。

立ち尽くすパーティの中で、クラインが妙に浮ついた足取りでお宝の山に数歩近づいた。だが、それ以上進むより早く──

 

 

 

「………小虫が飛んでおる」

 

 

 

広間奥の暗がりから、地面が震えるような重低音の呟きが聞こえた。

 

 

「ぶんぶん煩わしい羽音が聞こえるぞ。どれ、悪さをする前に、ひとつ潰してくれようか」

 

 

ズシンっと床が震える。続けてズシン、ズシンっと近づいてくるその音は、俺たち全員に緊張感を走らせるには十分な重々しさだ。やがて、部屋の暗がりの奥から、ぬうっと1つの人影が出現した。

 

巨大──などという表現ですら、足りない。4本腕の人型邪神、単眼巨人(サイクロプス)牛頭巨人(ミノタウロス)、これまで見てきた邪神と比べても、明らかに倍以上にデカい。限界まで見上げてやっと、その頭がようやく見えるというほどの高さ。一体何メートルあるのか、考えるだけでも億劫になる。

 

肌の色は、鉛のように鈍い青。筋骨隆々とした体を、古代ギリシャのキトンをイメージしたかのような服装で纏い、その上から膝下まで届くマントを身に着けている。その上に乗る頭は、影に隠れて輪郭しか見えない。だが、額に乗る冠の金色と、寒々とした青い眼光が、闇の中で鮮やかに光っている。

 

旧アインクラッドでも、ここまで巨大な敵とは遭遇したことはない。飛行も不可。いったいどうやって戦えばいいのだろうか。

などと考えていると、その目の前の巨人が、銅鑼を打つような声で笑った。

 

 

「ふっ、ふっ……アルヴヘイムの羽虫どもが、ウルズに唆されてこんなところまで潜り込んだか。どうだ、いと小さき者どもよ。あの女の居所を教えれば、この部屋の黄金を持てるだけ呉れてやるぞ、ンンー?」

 

 

桁外れの体躯や額の王冠、そして今の台詞で確信した。こいつこそが《霜の巨人族の王スリュム》だと。

ウルズやフレイヤと同じくAI化されているのであろう大巨人に向かって、真っ先に吼えたのはクラインだった。

 

 

「……へっ、武士は食わねど高笑いってァ! オレ様がそんな安っぽい誘いにホイホイ引っ掛かって堪るかよォ!」

 

 

そう言うと同時に、クラインは左腰の鞘から愛刀を引き抜いた。それを合図に、俺たちも各々の武器を取り出す。

メイジであるカイトを除けば、全員の武器が古代級武器(エンシェントウェポン)か、マスタースミスであるリズベットが鍛えた会心の銘品だ。しかし巨人の王スリュムは、それらの武器を突き付けられても不敵な笑みを崩さずに、口元に蓄えられている髭を撫でている。

そして俺たちを遥か高みから眺めたあと、その視線が最後尾に立つNPCの所で止まった。

 

 

「……ほう、ほう。そこにおるのはフレイヤ殿ではないか。檻から出てきたということは、儂の花嫁となる決心がついたのかな、ンン?」

 

 

「ハ、ハナヨメだぁ!?」

 

 

その言葉に、クラインが半ば裏返った声で叫ぶ。

 

 

「そうとも。その娘は、我が嫁としてこの城に輿入れしたのよ。だが、宴の前の晩に、儂の宝物庫をかぎ回ろうとしたのでな。仕置きに氷の牢獄に繋いでおいたのだ、ふっ、ふっ」

 

 

どうやらこのフレイヤというNPCは、一族の盗まれた宝を取り戻すために、スリュムの花嫁になると偽ってこの城に入り込み、夜中に宝物庫に侵入して宝を奪還しようとしたが、そこを門番に見つかって牢獄に繋がれてしまった──という設定らしい。

ユーマが言ったとおり罠ではなかったが、どうにも筋書きがややこし過ぎる。フレイヤの言う《一族》の種族とは? 奪われた宝とは? 疑問が頭に浮かぶ中、リーファがこそっと俺に囁いた。

 

 

「ねえ、お兄ちゃん。あたし、なんか、本で読んだような……。スリュムとフレイヤ……盗まれた宝……あれは、ええと、確か……」

 

 

しかしリーファが思い出すよりも先に、後ろでフレイヤさんが毅然とした態度で叫んだ。

 

 

「誰がお前の妻になど! かくなる上は、剣士様たちと共にお前を倒し、奪われた物を取り戻すまで!」

 

 

「ぬっ、ふっ、ふっ、威勢の良いことよ。さすがは、その美貌と武勇を世界の果てまで轟かすフレイヤ殿。しかし、気高き花ほど手折る時は興深いというもの……小虫どもを捻り潰したあと、念入りに愛でてくれようぞ、ぬっふふふふふ……」

 

 

不気味に笑いながら巨大な手で髭を撫でるスリュムが発した台詞に、周囲の女性陣が一様に顔をしかめた。

 

 

「てっ、てっ、テメェ! させっかンな真似! このクライン様が、フレイヤさんには指1本触れさせねェ!!」

 

 

前線に立つクラインが左拳を震わせながら叫ぶ。

 

 

「おうおう、ぶんぶんと羽音が聞こえるわい。どぅーれ、ヨツンヘイム全土が儂の物となる前祝いに、まずは貴様らから平らげてくれようぞ……」

 

 

巨人の王が一歩踏み出した瞬間、部屋全体がすっと明るくなり、影に覆われていたスリュムの全貌が見えるようになる。同時に、俺の視界右上に、3本もの長大なHPゲージが表示された。あれを削り切るのは相当な困難だろう。

 

 

「──来るぞ! ユイの指示をよく聞いて、序盤はひたすら回避!」

 

 

俺が叫んだ瞬間、スリュムがその巨大な右拳を高々と振りかぶり──青い霜の嵐を纏ったそれを、猛然と振り下ろす。それが──開戦の合図となった。

 

 

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 

 

霜の巨人族の王スリュムとの最後の戦いは、予想通りの大激戦となった。

 

 

「ぬぅンッ!」

 

 

スリュムが巨大な掌で掌底を放つと、氷の突風が俺たちを襲う。一直線に飛来するそれを、前衛と中衛の6人は左右に飛んで回避した。

 

 

「氷ブレスの一種です! 予備動作(モーション)が大きいので、見てから十分に避けることが可能です!」

 

 

「後衛は範囲攻撃に注意! 前衛は散開して脚を攻撃! あれだけデカければ脚元は死角だ、踏まれるなよ!」

 

 

ユイの指示に続いて、俺も全体に向かって叫ぶ。だがその言葉を返すように口を開いたのは、スリュムだった。

 

 

「ぬふゥッ、小癪な真似を。しかァし、所詮小虫は小虫ッ!」

 

 

そう言うとスリュムは自分の右掌に小さな結晶──俺たちからすれば十分巨大だが──を出現させると、俺たちの足元の氷の床に異変が起きる。

 

 

「な、何っ!?」

 

 

戸惑うリーファの声。次の瞬間、床から這い出るように現れたのは、青い氷で生成された、20体ものドワーフだった。

 

 

「ぬっふっふ、目には目を、小虫には小虫よ! さあ()けいッ、我がしもべどもよ!」

 

 

スリュムの指示に従って、俺たちを取り囲む氷ドワーフが一斉に俺たちに襲い掛かる。スリュムに加えてこんな奴らも相手にしないといけないなんて、厄介だが無視もできない。俺は仕方なく剣を構えて、目の前にいる氷ドワーフに斬りかかろうとする。

 

 

だがその時──俺の視界の端を、黒い影が(はし)った。

 

 

「え……?」

 

 

俺が呆けた声を漏らすと、目の前に何体かの氷ドワーフが吹き飛んでいた。更に続けて、後方から飛来した数本の矢が氷ドワーフの頭を貫いて砕く。

それを見た俺は、先の所業を行った2人の人物の名を叫んだ。

 

 

「ユーマ! シノン!」

 

 

1人は俺と同じ影妖精族(スプリガン)のナックル使いユーマ。小柄な彼は見た目どおりのスピードタイプで、動きがとにかく速い。同時にナックルを装備するだけのパワーを兼ね揃えているだけあり、ポンチョを靡かせながら潜り込むように接近し、ドワーフの氷の胴体に拳を叩き込んでは粉砕していく。

2人目は猫妖精族(ケットシー)の弓使いシノン。GGOで培った射撃能力を持つ彼女は、3本の矢を同時に放って、寸分違わず3体の氷ドワーフの頭部を撃ち抜く。

瞬く間に氷ドワーフを片付けていく2人の手際に、俺の隣のクラインも「すっげ!」と声を漏らしている。

 

 

「2人とも助かる! ドワーフは任せていいか?」

 

 

「了解」

 

 

「ええ、任せて」

 

 

俺の頼みを快く了承してくれるユーマとシノン。これで厄介なドワーフは何とかなるだろう。

 

 

「よし! 俺たちも攻撃……」

 

 

と、その勢いのままスリュムに攻撃しようとした俺たちだが、高く高くそびえ立つ巨躯を前にして、つい尻込みしてしまう。

 

 

「えーっと、その……当然脚狙い……よね?」

 

 

「そ、そうだな」

 

 

リズベットの問いに、俺は力無く頷く。と言うより、近づくと脚しか見えない。俺が全力でジャンプしても膝にすら届かないかもしれない。

 

 

「パパ! 踏みつけ(ストンプ)3連続、来ます!」

 

 

なんてことを考えている間に、ユイの激が飛ぶ。直後、巨大な右脚が俺たち目掛けて落ちてくる。

 

 

「とにかくどこでもいい! 叩ける所をぶっ叩け!」

 

 

ストンプを回避し、俺たちはすぐに反撃に出る。だがやはり、俺たちの攻撃はスネ部分にまでしか届かない。しかも二層の金牛ほどではないにせよ、なかなか高い物理耐性も持っている。一瞬のチャンスを逃さず、3連撃までのソードスキルを叩き込んで、懸命にHPを削る。

 

 

「私も──戦います!」

 

 

そこで戦況を動かしたのは、フレイヤさんの放った雷撃系攻撃魔法だった。スリュムに降り注ぐ紫色の稲妻が、確実にHPを削った。あとでクラインには全力で謝らなければならないな。

 

 

「うおー、すっげ。おれも負けてらんねーな」

 

 

フレイヤさんに触発されたのか、カイトも負けじと魔法を放つ。使用したのは、高威力の火炎攻撃魔法。曲線を描きながらさながら爆撃の如く降り注ぎ、爆発と火炎のダメージを与える魔法だ。火属性ということもあって、HPを多めに奪い取る。さすがは領主クラスも認める天才メイジだ。

 

 

それから10分以上の奮戦の末、俺たちはようやく最初のゲージを削り切った。

 

 

「ぬふぅッ。小虫どもめ。なかなかどうして足掻きよるが、そろそろ王の威厳を、脆弱な骨身に染み込ませてくれようぞ!」

 

 

巨人の王のひときわ強烈な咆哮が轟く。

 

 

「パターン変わるぞ! 注意!」

 

 

叫んだ俺の耳に、隣で剣を構えるリーファの切迫した声が響いた。

 

 

「まずいよ、お兄ちゃん。もう、メダリオンの光が3つしか残ってない。多分あと15分ない」

 

 

「………………」

 

 

スリュムの3本ある内の1本を削るだけでも、10分もの時間を使ってしまった。残った15分で2本を削り切るのはかなり難しい。金牛の時のような、上級ソードスキルと《スキルコネクト》によるゴリ押しでも、大ダメージと言えるほどのゲージを奪うのも不可能だ。

 

 

「ぬっふっふ、どうした、かかってこぬのか?」

 

 

そんな俺の焦りを見透かしたように、スリュムはニヤリと笑った。

 

 

「では喰らえいッ! 霜の巨人の──王者の息吹をッ!」

 

 

スリュムが、両胸をふいごのように膨らませ、大量の空気を吸い込んだ。

強烈な風が起こり、ドワーフを相手にしていたユーマを除く、前衛・中衛の5人を引き寄せようとする。まずい、これはきっと、広範囲の全体攻撃の前触れだ。回避するには、まず風魔法で吸引力を中和しなければならない。すでにリーファがスペルの詠唱を始めているが、もう間に合わない。

 

 

「リーファ、みんな、防御姿勢!」

 

 

俺の声に、リーファがスペルを中断して両腕を体の前でクロスし、身をかがめた。全員が同じ姿勢を取ったその瞬間──スリュムの口から、広範囲に膨らむダイヤモンドダストのようなブレスが放たれた。

 

吹き荒れる吹雪のような風が俺たちを飲み込む。アスナのバフすら貫通し、5人の体がみるみる凍結していく。そして瞬く間に、俺たちは氷の彫像と化してしまった。そして氷の中に閉じ込められた俺の目に映るのは、ブレスを吐き終えたスリュムが、巨大な右脚を持ち上げる光景。ヤバイと、まずいと、脳内でガンガンと警報が鳴り響くのと、ほぼ同時に。

 

 

「ぬうぅぅーん!」

 

 

野太い雄叫びとともに、スリュムが床を猛然とストンプした。そこから生まれた衝撃波が、凍りつく俺たちを襲い、ガシャーン! という破壊音を響かせながら、全身を覆っていた氷が砕け散った。

目もくらむようなショックを受け、思いっ切り床に叩きつけられる。視界の端で、10のHPゲージのうちの半分が一気に赤く染まった。

 

だが、俺たちのHPが8割近く奪われた直後、アスナの高位全体回復スペルの光が降り注いだ。ダメージ発生を先読みして呪文をプリ・キャストしていなければ不可能な、絶妙なタイミングだ。

 

何とか一命を取り止め、立ち上がった俺たちを見たスリュムが、忌々し気に吼える。

 

 

「猪口才なッ! 今度こそこの一撃で、一気に止めを刺し──!」

 

 

だが、その言葉は途中で遮られた。長い顎鬚が垂れるその喉元に、赤々と燃える火矢が立て続けに突き刺さり、盛大に爆発した。

シノンの両手長弓系ソードスキル《エクスプロード・アロー》だ。物理1割、炎9割の属性ダメージが霜巨人族の弱点を突き、HPゲージを目に見えて奪い去る。

 

 

「むぬぅん!」

 

 

スリュムが怒りの声を上げ、標的をシノンに変えて前進する。だが、それすらも許さないというように、スリュムの脚元から火山の噴火のように炎が吹き出した。

カイトの火炎系攻撃魔法。地面から溢れ出す炎は、ダメージを与えると同時に、スリュムの動きも止めた。

 

 

「《速度強化(クイック)》」

 

 

それに続くように、スリュム目掛けて駆け出したのはユーマだった。走りながら強化魔法で移動速度をブーストさせると、駆け抜ける速さが更に上がる。元々のスピードの高さも相まって、相手の脚元近くまで到達したのは、ほぼほぼ一瞬だった。

 

 

「《攻撃力強化(シャープネス)》」

 

 

続けて物理攻撃力をブーストさせる魔法を発動しながら、走る勢いのまま飛び上がる。

 

 

「っせ────の!」

 

 

そして弾丸のような速度で高々と飛び上がったユーマは、相手のがら空きのボディーに向けて、右拳による強烈なパンチを放った。単発重拳撃ソードスキル《スマッシュ・ナックル》。物理7割、炎3割のダメージに加えて、数秒間だけモンスターのディレイ──行動遅延(のけぞり)を引き起こすことができる。巨人の腹の鳩尾部分に深々と突き刺さる小さな右拳が、その巨体を押し返す光景は、なんとも痛快だった。

 

 

「ぬぅぅッ!」

 

 

先ほどより割り増しで怒りの声を上げるスリュム。ターゲットを完全にシノンとカイトとユーマに絞ったらしく、瀕死の俺たちには目もくれず、3人を集中的に攻撃し始める。

俺たちが立て直す時間を稼ぐために、あの3人が決死の囮役を買って出てくれたのだ。それを無駄にするわけにはいかない。

 

 

「シノン、カイト、ユーマ、30秒頼む!」

 

 

俺の叫びに、シノンとユーマは小さく頷いて返事を返す。そしてカイトは、ニッと口元に不敵な笑みを浮かべて、言った。

 

 

「OKOK、時間はきっちり稼いでやる。泣いて感謝しろよ、剣バカ」

 

 

そんな頼もしい言葉を聞いて、俺はポーチから取り出した回復ポーションを呷る前に、小さく笑って言い返した。

 

 

「誰が泣くか、魔法バカ」

 

 

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 

 

瀕死のダメージを負ってしまったキリトたち前衛・中衛組が態勢を立て直す時間を稼ぐため、霜の巨人族の王スリュムに立ち向かうのは、シノン、カイト、ユーマの3人。

 

 

「うし、とりあえずおれが一旦引き付けっから、あとは各自臨機応変に」

 

 

「「了解」」

 

 

つまるところ、《好きに暴れろ》という意味だ。そんな作戦とも言えないカイトの指示を、2人は文句を言うこともなく了承する。そしてカイトは、呪文の詠唱を始める。

 

 

「Ek fleygja þrjátiu knottr muspilli」

 

 

速攻で呪文を詠唱を終えたカイトが放つのは、火炎系攻撃魔法《ファイア・ボール》。体の周囲に浮遊するように出現した数十発のボールサイズの火球を、次々に撃ち込んでいく。ランク的には下級に分類される魔法だが、霜の巨人には有効な火属性であり、尚且つ1度の発動で30発もの連射が可能なのである。質より量優先で撃ち込まれていくそれは、ちょっとずつだが、着実にHPを削っていた。

 

 

「そーら、こっちだこっち」

 

 

「むぬゥ、小癪な!」

 

 

そのままカイトは火球を放ちながら移動し、スリュムの注意を自分に引き付ける。その思惑が成功し、スリュムの憎悪値(ヘイト)がカイトに向かったのにその攻撃に合わせて、ユーマが動き出す。

 

 

「《速度強化(クイック)》」

 

 

《クイック》で強化された素早さで接近すると、身軽な動きで相手の巨体をひょいひょいと登っていく。そしてあっという間にスリュムの顔の前まで躍り出たユーマは、その鼻っ柱に左拳を叩き込んだ。

 

 

「ぐうゥ……おのれ小虫が、叩き潰してくれる!」

 

 

憎々しげに声を荒げながら、スリュムはユーマを叩き落そうと、空中にいる彼に巨大な右拳でパンチを打とうとする。だがその瞬間、またもやスリュムの喉元に、シノンが放った数発の火矢が爆裂する。

 

 

「む、ぬゥ……!」

 

 

「ナイス、シノン先輩」

 

 

タイミングの合った援護をしたシノンを称賛しながら、ユーマは空中で再び拳を構えると、右拳に金色のライト・エフェクトを帯びる。しかしすでにスリュムとの距離は数メートルほど離れており、超近距離武器のナックルでは到底届きそうにもない。にも拘わらず、ユーマは金色に輝く右拳を思いっきり振り切った。

 

その瞬間、ユーマの右拳に纏っていた金色のライト・エフェクトが弾丸となって飛んで行く。ナックル装備唯一の、射撃系拳術ソードスキル《サージ・テラフィスト》。使用者の闘気が込められた気弾が、スリュムに直撃して爆発する。

 

 

「む、ぬゥ、うゥンッ!」

 

 

攻撃を喰らいながらも、風を切る勢いで振り下ろされたスリュムの大樹のような左腕が轟音を上げながら氷の床に叩きつけられる。

 

 

「うおっ……!」

 

 

ユーマは直撃はしなかったものの、発生したスプラッシュ・ダメージを浴びてしまい、HPが2割ほど削られてしまう。マズイと判断したユーマは、床に着地すると同時に一旦スリュムから距離を置くために後退する。

 

 

「すまんね、一旦下がる」

 

 

「任せて」

 

 

すると、スリュムから離れたユーマと入れ替わるように、今度はシノンが接近する。軽やかな動きとジャンプで、床に叩き付けられていた巨大な左手の甲の上に着地する。そして弓矢を構えながら、スリュムに対して挑発的な笑みを向けた。

 

 

「ぬゥゥ、無礼者ォッ!」

 

 

憤慨したスリュムは左手を振るが、シノンは振り落とされる前に離脱する。スリュムは逃がすまいと右手で追撃を仕掛けるが、これも回避して右腕の上に飛び移るシノン。

 

巨体に似合わず、スリュムの攻撃は予想以上に速い。だがその巨体に纏わりつきながら回避に専念していれば難しくないと、シノンは判断する。

 

 

「シノンさん!」

 

 

「ユイちゃん!?」

 

 

するとそんなシノンのもとに、小さな妖精ユイが飛んできた。

 

 

「パパたちは回復中ですから、わたしがサポートします!」

 

 

「OK、お願いね」

 

 

「はい! さっそく来ます!」

 

 

「ぬゥォオオオオオオッ!」

 

 

シノンとユイの即席タッグが結成されると同時に、スリュムがシノン目掛けて両手の拳を使った連続パンチを放ってきた。

 

 

「あの巨体で連打!?」

 

 

「恐らく自分より小型の相手に登られた場合の対処行動です! 狙いは荒いですが連打なので、攻撃の予測猶予は1秒以下です!」

 

 

「1秒……ま、銃弾ほどではないわね」

 

 

そう言ってシノンは不敵な笑みを浮かべると、襲い来る巨大なパンチの嵐を軽やかに動き回りながら回避し始める。ユイの指示で攻撃の予測ができるとはいえ、パンチ1発も掠らずに避け続けるのは見事としか言いようがない。GGOにおいてもボーダーにおいても、狙撃手(スナイパー)というポジションにいる彼女は、アタッカー組からは逃げるしかないので、その経験が生きているのだろう。

 

 

「次の左掌底は……」

 

 

「当てよっか?」

 

 

「えっ?」

 

 

「この弾道なら、中指と薬指の間をすり抜けて、あいつの顔の前」

 

 

「で、でも顔の前は、氷ブレスの可能性が──」

 

 

「いいのよ」

 

 

最後に襲い掛かる左手の掌底を、宣言通り中指と薬指を間をすり抜けて回避し、スリュムの眼前に飛び出したシノンは、確信めいた表情で、続けて言った。

 

 

「私に憎悪値(ヘイト)が集中してるこの状況で、あとの2人が黙ってるわけないもの」

 

 

直後、スリュムの顔面の周りが大爆発を起こした。

 

 

「おれらを忘れてんじゃねーぞ、デカブツ」

 

 

その正体は、カイトの放った空間爆裂攻撃魔法。相手がいる位置に数回の爆発を巻き起こす攻撃魔法によって、紅蓮の炎がスリュムの視界を覆った。もちろん、それで終わりではない。

続いて燃え盛る紅蓮の炎の中を突っ切って現れたのは、右手で強く拳を握り、それを大きく振り被ったユーマだった。

 

 

「《攻撃強化(シャープネス)》」

 

 

加えて物理攻撃力をブーストさせたユーマは、そのまま右拳をスリュムの脳天に打ち付けた。ナックル系上位ソードスキル《デッドリー・ブロウ》。強化魔法も合わせたその一撃は、スリュムの顔を後方にのけ反らせるには十分な威力だった。

 

 

「シノン先輩、そろそろ時間だぞ」

 

 

「了解、戻りましょう」

 

 

そしてシノンはダメ押しと言わんばかりに、至近距離で火矢を1発叩き込む。それを最後にシノンとユーマは地面に着地し、後退していった。

 

 

「よしよし、2人は離脱したな。んじゃあ1発、デカイのぶっ放すか」

 

 

シノンとユーマがスリュムから離れたのを確認したカイトは、最後の一撃を仕掛けるために呪文を詠唱する。

 

 

「Ek fleygja einn himinn muspilli, ú-fljúga staðr kalla eldr stjarna brydda land」

 

 

今までの呪文に比べると、驚くほど長いスペルワードが述べられる。ALOにおける魔法は、呪文が長くて難解であるほど大規模な魔法とされている。ゆえにカイトが放とうとしている魔法も、相応のものであるということが伺える。

そして詠唱を終えると、カイトはニッと口角を吊り上げながら、その魔法の名を囁いた。

 

 

「《メテオ・エクスプロージョン》」

 

 

爆裂系攻撃魔法《メテオ・エクスプロージョン》。相手に巨大隕石をぶつけ、着弾と爆発でダメージを与える。攻撃魔法の中でも、絶大な威力を持つ上級魔法の1つ。

天井から降って来た巨大隕石──スリュムにとっては己の拳程度の大きさだが──を受けて、スリュムを中心に凄まじい爆発が起こった。

 

 

「うお、すごいな」

 

 

「こんな規模の爆裂魔法を平然と放てるなんて、さすが天才メイジ様ね」

 

 

「ま、これでもあのデカブツには大したダメージは入ってないだろーけどな」

 

 

巻き起こる爆炎を見て、ユーマとシノンが感嘆の声を漏らす。しかしカイトは今の魔法をもってしても、さほどのダメージは入ってないと推測する。

 

事実、爆炎が晴れた先には、依然として霜の巨人族の王が君臨しており、視界に映るボスの2本目のHPゲージも4分の1ほどしか削れていない。

 

 

「ユーマ、シノン、そろそろキリトたちも戻ってくる。こっからが踏ん張りどころだ、気合入れろよ」

 

 

「「了解」」

 

 

3人は再び巨人の王に挑む。

 

 

シノン、カイト、ユーマの3人が囮として行動してちょうど30秒。回復のため退避していた、キリトたちが戦線に戻ってくる時間だった。

 

 

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 

 

「……攻撃用意」

 

 

カイトたちが囮役で稼いでくれた時間を使い、ようやく8割近くまで回復したHPゲージを確認し、俺は仲間たちに声をかけた。左右の剣を握り直し、カウントを始めようとした、その瞬間──

 

 

「剣士様」

 

 

不意に傍らから声がして、俺はぎょっとしながら眼を向けた。そこに立っていたのは、10人目のパーティメンバーのフレイヤだった。AI化されたNPCである彼女は、金褐色の瞳で俺を見つめながら言った。

 

 

「このままでは、スリュムを倒すことは叶いません。望みはただ1つ、この部屋のどこかに埋もれているはずの、我が一族の秘宝だけです。あれを取り戻せば。私の真の力もまた蘇り、スリュムを退けられましょう」

 

 

「……し、真の力……」

 

 

俺は呼吸1回分の時間を費やして迷ったが、すぐに決断を下した。一瞬、真の力を取り戻した彼女が、スリュムに加勢して襲ってくる可能性を考えたが、NPCの嘘をも見抜くユーマの証言によりそれは否定されている。それに、このまま持久戦を続けていれば、壊滅はしなくとも、制限時間には間に合わない。ならばもう、なりふり構ってはいられない。

 

 

「解った。宝物ってどんなのだ?」

 

 

NPCの認識範囲ギリギリの早口で訊ねる俺に、フレイヤは両手を30センチほどの幅に広げてみせた。

 

 

「このくらいの大きさの、黄金の金槌です」

 

 

「……は? か、カナヅチ?」

 

 

「金槌です」

 

 

繰り返すフレイヤの顔を、つい呆然と眺めてしまう。と、その時、先ほどまで上手い連携でかわし続けていた3人が、ついにスリュムの攻撃のスプラッシュ・ダメージを喰らって、HPを2割近く奪われてしまっていた。これ以上タゲ取りを3人に押し付けてはいけないと判断した俺は、素早くクラインやリーファたちに言った。

 

 

「先に援護に行ってくれ! 俺もすぐ合流する!」

 

 

「おうともさ!」

 

 

一声叫んだクラインを先頭に、駆け出した。たちまち始まる集団戦闘の音を聞きながら、俺はこの途轍もなく広い玉座の間を見渡した。

氷の壁際には、高く積み上がった黄金の山々。あの中からたった1つのトンカチを探し出すのは難易度が高すぎる。恐らくは30人以上のレイドパーティを想定しているのだろう。オレ1人では、探し出すことなんてできない。

 

 

「……ユイ」

 

 

すがるような思いで、頭上のユイに声をかけたが、残念ながらふるふると首を横に振った答えが返ってきた。

 

 

「だめです、パパ。マップデータにはキーアイテム位置の記述はありません。おそらく、部屋に入った時点でランダム配置されるのだと思われます。問題のアイテムを発見し、フレイヤさんに渡してみないとそれがキーかどうかの判断はできません!」

 

 

「そうか……うう……~~ん……!」

 

 

俺は必死に脳をフル回転させて、打開策を絞り出そうとするが、まったく良いアイデアが浮かんで来ない。こうなったら身近な山から掘り返していくしかないか……。

 

そう考えた時、戦場で奮闘するリーファが、一瞬だけこちらを見て叫んだ。

 

 

「お兄ちゃん! 雷系のスキルを使って!」

 

 

「か、かみ……?」

 

 

一瞬唖然と目を見開いたが、すぐに剣を構えて、言われた行動を開始する。

 

 

「……せああっ!」

 

 

気合を乗せて踏み出した、空中での前方宙返り。同時に逆手に持ち替えた剣を、真下の地面目掛けて突き下ろす。俺が唯一、雷属性のダメージを生み出せる数少ない重範囲攻撃《ライトニング・フォール》。物理3割、雷7割。

 

深々と突き刺した剣から地面に伝わる雷撃が、雷鳴を轟かせながら全方位へ疾走する。俺はすぐに体を起こして、再び黄金のオブジェクトの山を見渡す。

 

 

「…………っ!」

 

 

その時、見えた。オブジェクトの山の中で、雷に呼応するかのように淡く輝く紫色の光。俺はすぐさまそこへ駆け寄り、黄金の宝の山を掘り返していく。

 

 

「……これか!?」

 

 

そこから出てきたのは、細い黄金の柄と、宝石をちりばめた白金の頭を持つ小型の槌。その柄を手に取って持ち上げようとした瞬間、とんでもない重量が右手に伝わってくる。俺は両手を使いながらほとんど気合で持ち上げ、振り向きながら叫ぶ。

 

 

「フレイヤさん、これを!」

 

 

そしてそのまま、遠心力を使った投擲で金槌をぶん投げた。直後、軽く焦る。この行為でNPCアタックフラグが立ってしまうのではないかと。

 

しかし、そんな俺の心配とは裏腹にフレイヤさんは、あの重い金槌をすらりと細い右手で軽々とキャッチした。そして受け止めたそれを見ながら、パチパチと2回まばたきをしたその時──

 

 

「うぅ……!」

 

 

小さく呻きながら体を丸め、長いウェーブヘアが流れ、露になった白い背中が小刻みに震える。

 

 

「………ぎる………」

 

 

ぱりっ、と空中に細いスパークが走る。

 

 

「……なぎる……みなぎるぞ……」

 

 

明らかに様子がおかしい彼女に、顔が引きつる。「フレイヤさん!」と、戦場から刀使いの声が聞こえるが、すでに彼女の耳には入っていないだろう。

激しくなっていくスパークがフレイヤさんの全身を駆け巡っていく。そして3度目となる、もう完全にフレイヤさんのものではない絶叫が響き渡った。

 

 

「みな……ぎるぅぅぉぉおおオオオーーー!」

 

 

まばゆい雷光を迸らせながら、美女の真っ白い四肢と背中の筋肉が縄のように盛り上がる。同時に彼女が身に纏っていたドレスも引き千切れ、消滅する。

 

 

「フレイヤ……さん?」

 

 

恐らく今の俺の顔は、かなり引きつっているだろう。ポカーンと目を見開く眼前で、美女が何かに変貌していく光景を見ては、仕方ないと思う。

 

すると、何か感じ取ったのか、戦場で戦っていたクラインがこちらに振り向く。今や一糸纏わぬフレイヤさんを見て、両目が剥き出される。その直後、顎ががくーんと落ちた。

 

無理もない。激しい雷光を纏ったフレイヤさんが、目に見えて巨大化していくのだから。腕や足はなんかもう大木のように逞しくなり、胸板はスリュムを上回るほど筋骨隆々としている。右手に握られた金槌も、雷光を放ちながら持ち主と一緒に巨大化していく。

 

 

「…………えっ」

「マジかよ……」

「うおっ……これは……」

「オ……オオ……オッ」

 

 

そして──この場にいる男性陣に最大最凶のショックを与える光景が出現した。

 

 

俯いた顔の、ごつごつと逞しい頬と顎から伸びる、金褐色の長い、長ーい──おヒゲが。

 

 

 

「「「「オッサンじゃん!」」」」

 

 

 

男4人の絶叫が、部屋に響く。

 

今や、クラインの武士道が救ったうら若き囚われの美女の姿は欠片も残っていない。圧倒的迫力でその巨躯を持ち上げた大巨人は、どう見ても40代は上回るナイスミドルなおじ様。

 

 

「オオオ……オオオオーーーッ!」

 

 

部屋中をビリビリと振るわせるほどの砲口を上げる巨大なおっさんは、分厚い皮のブーツに包まれた右脚をズシンと踏み出した。

 

そこで俺はふと、視界の左端に表示されている10本のHPMPゲージの一番下に視線を落とした。先ほどまで【Freyja】と記されていたはずの名前は、いつの間にか変わっていた。

 

Thor(トール)】。それが俺たちの新しい仲間である、おっさんの名前だった。

 

 

 

 

 

つづく




カイトとユーマの魔法とソードスキルは、基本的にゲームからの輸入です。効果などはオリジナル部分もありますが。

因みにカイトの魔法の呪文は『ソードアート・オンラインノ全テ』を参考にして書きました。

古代ノルド辞書で言葉の意味を調べながらでしたので、ちょっと大変でしたが、自分の中の厨二心を発揮していたので苦ではありませんでした(笑)。文法等が合っているか不安ですけどね。


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キャリバー⑤

番外編5話目です。


 

 

 

 

 

 

リーファと違って神話の類にはたいした知識のない俺でも、聞き覚えがある。

 

北欧神話において、主神オーディンや道化神ロキと並んで有名な──雷神トール。(いかづち)を呼ぶ鉄槌を携え、巨人を次々に打ち倒すその姿は、多くの映像作品やゲームのモチーフとなっている。

 

これは後にリーファに聞かされて知る話なのだが、北欧神話には《巨人の王スリュムに盗まれたハンマーをトールが取り戻しに行く》という話が存在するらしい。恐らくカーディナルもその話をモチーフにしてアレンジし、今回のクエストのサブルートに取り入れたのだろう。

 

あの檻の前で、直感と武士道によってフレイヤを助けてくれたクラインには感謝するが──こうしてフレイヤの《正体》が明かされた今、その言葉は無意味だと悟る。よくよく思い出してみれば、フレイヤは1度たりとも、自分は女だと言っていない。だからユーマも、その正体に気づかなかったんだろう。

 

 

「ヌウゥーン……卑劣な巨人めが、我が宝《ミョルニル》を盗んだ報い、今こそ贖ってもらおうぞ!」

 

 

雷神トールは、右手に握った巨大な黄金のハンマーを振りかざし、地響きを轟かせながら突進する。

 

対する霜の王スリュムは、右手にハァっと息を吹きかけると、そこに氷の斧を造り出した。それを握り締めて振り回すと、叫び返す。

 

 

「小汚い神め、よくも儂をたばかってくれたな! そのひげ面切り離して、アースガルズに送り返してくれようぞ!」

 

 

考えてみれば、スリュムもフレイヤに変装したトールの被害者だよな。しかも結婚までしようとしていたのに、その正体がヒゲのおじさんだったのだから、敵ながら少し同情してしまう。

 

広間の中央で金ヒゲと青ヒゲの巨人たちは、黄金の鉄槌と氷の戦斧を激しく衝突させる。生み出された衝撃が、スリュムヘイム全体を揺るがす。そんな中で俺たちは、この期に及んでもなおフレイヤのオッサン化のショックが抜け切らずに呆然としていたが、やがて後方から、HPMPの回復を終えたカイトとシノンが叫んだ。

 

 

「ぼさっとしてんじゃねえぞキリト! 今がチャンスだろ!」

 

 

「トールがタゲ取ってる間に全員で攻撃しよう!」

 

 

その通りだ。俺も鋭く剣を振り、2人に続くように叫んだ。

 

 

「みんな、全力攻撃! ソードスキルも遠慮なく使ってくれ!」

 

 

そして9人は一斉に床を蹴り、スリュムに四方から肉薄した。

 

 

「フレイヤさぁーん! ぬうおおおおーーーッ!」

 

 

ひときわ強烈な気合を放ちながら、刀を大上段に振りかぶって突進するクライン。その眼からきらりと光るものが零れたような気がしたが、それは俺の胸の内で留めておいた。スキルディレイも気にせず、俺たちは3連撃以上のソードスキルを次々スリュムの両脚に叩き込む。

 

ワンドからレイピアに持ち替えたアスナが、神速の連続突きをアキレス腱に見舞う。

 

リズベットが雷撃を帯びたメイスを、右脚の小指の先に叩き込む。

 

左脚の外側にある踝部分を、ユーマの黒鉄の拳が穿つように打ち込まれる。

 

壁を伝って大きく跳躍したシリカが、短剣で脳天から股下まで縦一線に切り裂く。

 

 

「ぐ……ぬむゥ……」

 

 

堪らず唸り声を上げたスリュムが、ゆっくりと崩れ落ち、ついに左膝をついた。

 

 

「ここだっ……!」

 

 

俺の声に合わせ、全員が最大の連続攻撃を放った。まばゆいライトエフェクトの嵐が、青い巨体に叩き込まれる。更に上空から、オレンジに輝く矢と魔法が豪雨の如く降り注ぐ。スリュムは断末魔を上げながら、今度は床に両手両膝をついて崩れ落ちる。

 

 

「地の底に還るがよい、巨人の王!」

 

 

そしてトドメとばかりに、トールが右手のハンマーを平伏すスリュムの後頭部に叩きつけた。王冠が砕けて消滅し、地響きを立てて額を床に減り込ませた。空となったHPゲージも消失すると、スリュムの巨体がピシピシと氷に覆われていく。その時、苦しげな呻きを上げていたスリュムの声が、不気味な低い笑いへと変わった。

 

 

「ぬっ、ふっふっふっ……。今は勝ち誇るがよい、小虫どもよ。だがな……アース神族に気を許すと痛い目を見るぞ……彼奴らこそが真の、しん」

 

 

ズドン! とトールの強烈な踏み付けが炸裂し、氷に覆われていたスリュムの巨体を踏み砕いた。同時に凄まじい規模のエンドフレイムが巻き起こり、数歩下がった俺たちを、雷神トールは遥かな高みから見下ろした。

 

 

「………やれやれ、礼を言うぞ、妖精の剣士たちよ。これで余も、宝を奪われた恥辱をそそぐことができた。──どれ、褒美をやらねばな」

 

 

持ち上げた黄金のハンマーに、そっと左手をかざした。すると嵌っていた宝石の1つがころりと外れ、それは光を放ちながら、普通の人間サイズのハンマーへと変形する。

トールが持つ黄金のハンマーの縮小版とも言えるそれは、クラインに投げ落とされた。

 

 

「《雷槌ミョルニル》、正しき戦のために使うがよい。では──さらばだ」

 

 

トールが右手のハンマーを高々とかざした瞬間、思わず眼を覆うほどの光が広間に満ちる。そして光が消え、再び瞼を開けた時には、すでにトールの姿はなく、視界の左端に映っていたトールのHPMPバーも消滅した。ついでに言えば、その広間に積み上げられていた黄金の山も消えてしまっていた。

 

スリュムを倒したことで発生したドロップアイテム群がパーティの一時的(テンポラリ)ストレージに収納されたことを知らせるダイアログが出現し、それを眺めた俺は「ふう……」と小さく息を吐いた。他のメンバーも戦闘が終わって、やれやれと肩の力を抜く中で、妙に背中から哀愁が漂うクライン。

 

 

伝説級武器(レジェンダリーウェポン)ゲット、おめでとう」

 

 

「…………オレ、ハンマー系スキルびたいち上げてねェし」

 

 

俺が後ろから肩に手を置いて言うと、腕で目元を覆って男泣きする刀使い。そしてそれに同情した男性陣が、彼のもとに集まって慰めの言葉をかける。

 

 

「あー、えーっと、クラインさん、俺はクラインさんの武士道カッケェって思いましたよ。少なくとも、ウチのヒゲ隊長よりかはいい男ですから、そのうちいい人見つかりますって」

 

 

「泣くなクライン先輩。悲しみをのりこえてこそ男は強くなれる、ってようたろうが言ってたぞ」

 

 

「うるせー! ヘタな慰めなんざいらねーよ! てか誰だよヒゲ隊長とヨウタロウって!」

 

 

どうやらお気に召さなかったらしく、涙目で喚くに、周囲から笑いが起こった──その瞬間。

 

 

体全体に響くような重低音と共に、氷の床が激しく震えて波打った。

 

 

「きゃああっ!」

 

 

「おっと」

 

 

三角耳を伏せてシリカが悲鳴を上げて倒れそうになる。それを隣でユーマが受け止めながら、囁くように言う。

 

 

「なんだ……? 動いてる……いや、浮いてる……?」

 

 

それを聞いてから、俺も気づいた。巨城スリュムヘイムが、生き物のように身震いしながら、上昇するように浮いているのだ。何故? と考えた次の瞬間、その答えに行き着いた。

 

同時に首から下げたメダリオンを覗き込んだリーファが、甲高い声で叫んだ。

 

 

「お……お兄ちゃん! クエスト、まだ続いてるみたい!!」

 

 

「な……なにィ!?」

 

 

喚くクライン。気持ちは俺も同じだ。この城のラスボスであるスリュムを倒せば、このクエストも終わる者だと思っていた。だが思い出してみると、依頼主である《湖の女王ウルズ》は、『スリュムヘイムに侵入し、聖剣エクスキャリバーを台座から抜いてほしい』と言っていた。スリュムを倒せとは一言も言っていない。つまり、スリュムとの戦いもクエストの過程でしかなかったということだ。

 

 

「さ、最後の光が点滅してるよ!」

 

 

「パパ、玉座の後ろに下り階段が生成されています!」

 

 

「……………ッ!」

 

 

返事をする間も惜しんで、ちょっとした小屋のような大きさの玉座の裏に回り込む。そこにはユイの言う通り、氷の床に下へと降るための小さな階段が口を開けていた。

両隣に仲間たちが揃って並ぶのを確認してから、俺は強い口調で言った。

 

 

「──行こう!」

 

 

それを合図に、俺たちは薄暗い階段の入り口に、躊躇わず突っ込んで行った。

 

 

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 

 

階段を降り切ると、そこは氷を正八面体の形にくり抜いたような空間。《玄室》とも言えそうな部屋だった。壁はかなり薄く、透き通ったその向こう側にはヨツンヘイムのフィールド全体が一望できるようにもなっている。

 

 

そして目の前には──深く清らかな黄金の剣が存在していた。

 

 

黄金の輝きを纏ったそれは垂直に伸び、刀身の半ばで氷の台座から露出している。微細なルーン文字が刻まれた薄く鋭利な刃。精緻な形状のナックルガードと、細い黒革を編み込んだ握り(ヒルト)柄頭(ボメル)には大きな虹色の宝石が嵌め込まれた長剣。

 

 

──ついに、ここまで来た。

 

 

かつて俺は、これと同じ剣を握ったことがある。あの時俺は、世界最強の剣をたった一言のコマンドで作り出した──いや、作り出せてしまったことに、強い嫌悪感を感じていた。だけど今度は、偶然の成り行きではあるが、正当な手段でこの剣を手にする時が来たんだ。

 

 

「……待たせたな」

 

 

ポツリとそう囁きかけると、俺は右手で長剣──《聖剣エクスキャリバー》の柄を握った。

 

 

「っ………!!」

 

 

台座から引き抜こうと、出来る限りの力を込めて持ち上げようとする。

しかし剣は動かない。まるで台座と一体化したオブジェクトのようにビクともしなかった。負けじと左手も使って、両足と腰で思いっきり踏ん張って剣を引く。

 

 

「ぬ……お………!!」

 

 

しかし結果は変わらない。今この場にいる9人の中で、俺が一番の筋力値を持っている。つまり俺が抜けなければ、他の誰がやっても意味はない。全員それを理解しているらしく、手を出そうとしない。

 

だけどその代わりに、背後から声が聞こえた。

 

 

「がんばれ、キリト君!」

 

 

アスナの声だ。それに続いて、他のみんなも声援を上げる。

 

 

「ほら、もうちょっと!」

「根性見せて!」

「パパ、がんばって!」

 

 

リズが声を張り上げ、シノンが叫び、ユイが精一杯の大声を出す。

 

 

「ここまで来てヘタってんじゃねーぞ!」

「ファイトだぞ、キリト先輩」

「がんばれお兄ちゃん!」

 

 

カイトの激励が飛び、ユーマがいつも通りの口調で言い、リーファが強くエールを送る。

 

 

「キリトさん、がんばってください!」

「きゅるるぅ」

「しっかりやれよ!」

 

 

シリカの声援に、頭の上のピナも鳴き、クラインもそれに続いて言い放つ。

 

 

みんながそれぞれの声援を送ってくれる。このパーティを招集した者としては、これに応えないわけにはいかない。

 

 

「うぅぅ……あぁぁぁあああああ!!」

 

 

ここまで来たらもう気合と根性だ。咆哮を上げ、あらん限りの筋力と意志力を振り絞る。もうこれ以上続けたら脳波異常で強制ログアウトさせられるんじゃないかという所まできたその時──

 

 

「あっ………!」

 

 

ピキっ、という音が耳に届いた。次の瞬間、足元の台座からまばゆい光が溢れ出し、俺の視界を金色に染めた。そしてまたその直後、重厚かつ爽快な破砕音のサウンド・エフェクトが耳に轟いた。俺の体がいっぱいに伸び、四方に飛び散る氷塊の中で、右手に握られた長剣が宙に鮮やかな金色の軌跡を描いた。

 

剣を引き抜いた反動で後ろに大きくふっ飛んだ俺の体を、8人の仲間が支えてくれる。抱いた剣のとんでもない重量を感じながら真上を向くと、見下ろす仲間たちと視線が合う。全員の顔が綻び、笑顔に変わり、そして盛大な喝采が放たれる──と思われたが、その瞬間には次の現象が引き起こされた。

 

氷の台座の中に閉じ込められ、エクスキャリバーの刃によって断ち切られていた、直径5センチほどの小さな木の根。空中に浮きあがったそれが、一気に成長を始めた。極細の毛細管が、みるみる下方に向かって広がっていく。

 

上からも、凄まじい轟音が響く。見上げてみると、俺たちが駆け抜けてきた螺旋階段を粉砕しながら、巨大な根っこが駆け下りてくる。それは、スリュムを取り巻いていた、世界樹の根だった。

 

正八角形の空間を貫いてくる世界樹の根と、台座から解放された根が、1つに交わって融合した。

 

その直後──これまでの揺れとは比較にならないほどの衝撃波が、スリュムヘイムの城を襲った。

 

 

「おわっ……こ……壊れっ……!」

 

 

「やべーなこれ……」

 

 

クラインの叫びとカイトの呟きのほぼ同時に、周囲の壁に無数のヒビ割れが走った。耳をつんざくような大音響が轟き、分厚い氷の壁が次々に分離し、遥か真下の《グレートボイド》へと崩落していく。

 

 

「スリュムヘイム全体が崩壊しています! パパ、脱出を!」

 

 

「って言っても、階段が!」

 

 

ユイはそう言うが、すでに俺たちが降りてきた螺旋階段は世界樹の根に吹き飛ばされてしまっている。

 

 

「根っこに掴まるのは……無理そうね」

 

 

シノンが冷静に真上を仰ぎながら、肩をすくめて呟いた。玄室の半ばまで伸びている世界樹の根は、俺たちがいる場所からではとてもジャンプして届くような距離ではない。

 

 

「こっから飛び降りて脱出したとして、飛行不能エリアだから飛べねえ上に、落下先は地面かグレートボイド。……どうなると思う?」

 

 

「死にますっ!」

 

 

「死ぬね」

 

 

「だよなぁ」

 

 

真円のフロアから顔を出して、真下の光景を覗き込むカイトの問い掛けに、シリカが涙目で叫び、ユーマが三の目で答える。

 

 

「よ、よォし……こうなりゃ、クライン様のオリンピック級垂直ハイジャンプを見せるっきゃねェな!」

 

 

意気揚々とそう言った刀使いが、直径僅か6メートルほどしかない円盤の上で助走し──

 

 

「ちょっ、クラインさ……!」

 

 

「バカ、やめ……」

 

 

俺とカイトが止める間もなく、華麗な背面飛びを見せた。が、根っこまで手が届くはずがなく、そのまま放物線を描きながら、フロアの中心にずしーんと墜落した。

 

次の瞬間、その衝撃のせいで──とみんなは後々まで信じ続けた──周囲の壁に一気に亀裂が入り、玄室の最下部、つまり俺たちがいる場所が、ついに本体から分離した。

 

 

「く……クラインさんの、ばかーっ!」

 

 

絶叫系が苦手なシリカの本気の罵倒が尾を引きながら、9人+1人+1匹を乗せた円盤は、果てしなき自由落下に突入した。

 

VRMMOにおける高高度からの落下は、それはもう超怖い。たとえ飛行が売りのALOでも、場所が飛行不能エリアならばそれは同じだ。ボーダーでトリオン体になって、民家やビルの上などを飛び降りしている俺でもかなりの恐怖を感じる。恐らく他のボーダー組も同じ気持ちだろう。いや、ユーマだけはやけにのんびりしているが、あいつは色々と例外だ。ともかく俺たちは、氷の円盤に四つん這いになって、いっせいに全力の悲鳴を上げざるを得なかった。

 

おそるおそる円盤の縁から真下を覗き込んでみると、黒々と《グレートボイド》が口を開けている。そして俺たちが乗る円盤は、その中央に向かって落下している。

 

 

「……あの下ってどうなってるの?」

 

 

隣で呟くシノンに、俺はどうにか答える。

 

 

「もしかしたら、ウルズさんが言ってたニブルヘイムに通じてるのかもな!」

 

 

「寒くないといいなぁ……」

 

 

「い、いやぁ、激寒いと思うよ! なんたって霜の巨人の故郷だから!」

 

 

そんな会話をしていると、円盤の上で器用に胡坐をかいで座り、身に着けたポンチョを垂直にたなびかせたユーマが、同じく金色のポニーテールを垂直にたなびかせているリーファに声をかけた。

 

 

「ふむ、そういえばリーファ先輩、クエストの残り時間はどうなってるんだ?」

 

 

すると、リーファはすぐに胸元にあるメダリオンを見た。

 

 

「あ……ま、間に合った! まだ光が1個だけ残ってるよ! よ、よかったぁ……」

 

 

顔全体で笑いながら、安堵の息を吐くリーファ。そんな妹を見ながら、両手にしぶとくエクスキャリバーを抱いた俺は内心で考える。

こうして世界樹が本来の姿に戻ったからには、《湖の女王》ウルズとその眷属の力も戻ることだろう。ならばこのまま俺たちが墜落死しようとも、その犠牲は無駄にはならないというわけだ。

唯一の気がかりは、俺が両手に抱く《聖剣エクスキャリバー》だ。俺はみんなが見てないところでこっそりウインドウを広げて、ストレージへの収納を試みたが、当然のように弾かれてしまった。

 

 

「間に合ったってことは、これでクエストは完了なのか?」

 

 

「いや、ちゃんとあの依頼主の女王様に報告しねえと完了したことにはなんねーだろ。現にさっきからキリトがエクスキャリバーを収納しようとして拒否られてっからな」

 

 

──前言撤回。ばっちり見られてた。みんなからの「おまえこんな時に何してんだ」的な視線が凄い痛い。

とにかく、カイトの言う通り、やはりきっちりクエスト終了フラグを立てなければ所有権を得ることは出来ないらしい。

まあいいさ、どうせこんな金ピカのレジェンダリィ武器なんて俺の趣味じゃないからな。などと自分に言い聞かせて、ムリヤリ納得しようとしていると。

 

 

「…………何か聞こえた」

 

 

「え……?」

 

 

ピクリと耳を動かして、リーファが辺りを見回した。俺も反射的に耳を澄ませるが、落下時に生じている風の轟音しか聞こえない。

 

 

「ほら、また!」

 

 

「お、おい、危ないぞ……」

 

 

再び叫んだリーファが円盤の上で立ち上がる。それを制しようと叫びかけたその時、俺の耳にも、くおおぉぉー……ん、という鳴き声が聞こえた、気がした。

ハッとして視線を巡らせると、落下する氷塊群の向こう、南の空に、小さな白い光。それは魚のような流線型の身体と、八枚四対の翼、そして長い鼻を持った────。

 

 

「トンキー!」

 

 

両手を口に当てたリーファが叫ぶと、くおぉーんと返事が返ってくる。間違いない、あれは俺たちをスリュムヘイムまで送り届けてくれた飛行邪神トンキーだ。

 

 

「助かったぁ」

 

 

「よし、トンキーに乗り移って脱出しようぜ!」

 

 

アスナが安堵し、カイトが叫ぶ。そして大の字になっていたクラインがようやく顔を上げて、ニヤリと笑って親指を立てた。

 

 

「へへっ……オリャ最初っから信じてたぜ……アイツが絶対助けに来てくれるってよォ……」

 

 

──嘘つけ!

と、恐らく俺を含めた8人全員の心が一つになった瞬間だった。

 

 

「クライン先輩、つまんないウソつくね」

 

 

俺たちの心を代弁して、ユーマが三の目でクラインを見つめながら、3の口から「ふぅー」と呆れたように息を吐いた。

まあ今の今まで俺たちもトンキーのことを忘れていたのだから、ユーマのように口に出すのは控えておいた。

 

それから滑るようなグラインドで近づいてきたトンキーだが、周囲に無数の氷塊が舞っているせいで、巨体をピッタリと円盤の横につけることができずに、五メートルほど間隔を空けた位置でホバリングした。これくらいの距離ならば、たとえ重量級プレイヤーだったとしても跳べないこともない。

 

まずはリーファが鼻歌混じりにひょいと跳び、トンキーの背に降り立つ。こちらに手を差し伸べて「シリカちゃん!」と叫ぶと、今度はシリカがややぎこちない助走ながらしっかりと跳ぶ。足りない飛距離は両手の小竜ピナがパタパタと羽ばたいて補いながら、そのまま無事にリーファに抱き止められる。

 

それに続いてユーマが「ほっ」という掛け声の軽いジャンプで難なく跳び移り、対照的にリズベットが「トリャアア!」と威勢の良い掛け声で跳ぶ。更にアスナが流麗なフォームでロングジャンプを決め、カイトも慣れた様子で助走をつけて跳んで着地する。シノンに至っては空中で二回転する余裕まで見せた。残ったのは、俺とクライン。

 

 

「お先どうぞ」

 

 

「わ、わかってらァ! うへー、高けェなァ……」

 

 

「早くしろ」

 

 

やや強張った顔で一向に飛ぼうとしないので、その背中を思いっきり押してやった。クラインは「うおおおぉぉぉ!!?」と尾を引く悲鳴を上げながら落ちていったが、トンキーが伸ばした鼻でキャッチしてくれた。

 

 

「おおトンキー、助かったよ」

 

 

トンキーの助けられながら、クラインもその背中に乗った。最後に残った俺も、短い助走をつけて跳ぼうとしたが──跳べなかった。

 

原因は両腕で抱えている《聖剣エクスキャリバー》だ。まるで重石のような重量を持つそれは、こうして抱えて立っているだけでも、ブーツが氷に減り込んでいた。このままでは5メートルすらも跳ぶことは叶わない。他のみんなも、それに気づいたようだった。

 

 

「キリト!」

「キリト君!」

「キリト先輩!」

 

 

切迫した声が届く。

 

──どうやら俺には、まだ重すぎるようだ。

 

俺は顔を伏せ、強烈すぎる葛藤に一瞬奥歯を強く嚙み締めた。

 

 

「パパ……」

 

 

頭上で心配そうに呼びかけてくるユイに、俺は小さく頷き返した。

 

 

「…………まったく……カーディナルってのは!」

 

 

低くそう叫んだ次の瞬間、俺は黄金の剣を、真横に放って投げ捨てた。

直後、嘘のように軽くなる体。そのまま軽く助走して踏み切り、俺はトンキーの背に飛び乗った。同時に、今まで円盤に同調落下していたトンキーがホバリングに移行して、落下が止まった。

ふと投げた剣を見ると、キラキラと輝きを放ちながら、重さのわりにゆっくりと、大穴目掛けて落ちていく。それを眺めていた俺の肩を、隣にやってきたアスナがポンっと叩いた。

 

 

「……また、いつか取りに行けるわよ」

 

 

「わたしがバッチリ座標固定します!」

 

 

すぐにユイもそう告げる。

 

 

「……ああ、そうだな。ニブルヘイムのどこかで、きっと待っててくれるさ」

 

 

そう呟いて俺は、落ちていく最強の剣に内心で別れを──告げようとしたのだが、それを妨げるように、シノンが俺の前に進み出た。

 

 

「……200メートルか」

 

 

呟きながら左手で肩から長大なロングボウを下ろし、右手で銀色の細い矢を構える。続けてスペルを詠唱し、白い光が矢を包む。

 

唖然として見守る俺たちを他所に、弓使い(アーチャー)にして狙撃手(スナイパー)のシノンは、彼方に落下するエクスキャリバーの更に下方に狙いを定めて、無造作に弓を引き絞り──射った。

 

矢は銀色のラインを引きながら飛翔する。弓使い専用の種族共通(コモン)スペル、《リトリーブ・アロー》だ。矢に強い伸縮性・粘着性を持つ糸をつけて発射する。使い捨ての矢を回収したり、離れた位置にあるアイテムやオブジェクトを引き寄せたりできる便利な魔法だが、システムによるホーミング性は無し。更に付与した糸が矢の軌道を歪めるので、とても長距離で使えるものではない。

 

距離はリズが作った弓の射程の2倍。加えて、揺れる足場に落ちてくる氷塊、目標物も落下中の悪条件。

 

 

──無理だろう、幾ら何でも。

 

 

俺は内心でそう呟く。だが……彼方を落下する黄金の光と、飛翔する銀色の矢は、まるで引かれ合うかのように近づき……そして──たぁん! と軽やかな音を立てて衝突した。

 

 

「よっ!」

 

 

シノンが、右手に握った魔法の糸を引っ張る。それに繋がれた黄金の剣もまたぐいっと引き寄せられて、次の瞬間には、俺が別れを告げたはずの剣が、すぽっとシノンの手の中に収まった。

 

 

「うわ、重……」

 

 

呟きながら両手でそれをなんとか抱え、振り向いた猫妖精様に。

 

 

「「「し……し……し……」」」

 

 

8人とユイの声が、完全に同期して言い放たれた。

 

 

 

「「「シノンさん、マジかっけぇーーーー!」」」

 

 

 

全員からの称賛に、三角耳をピコピコと動かして応えたシノンは、俺のほうを見る。

 

 

「あげるわよ、そんな顔しなくても」

 

 

呆れたように投げかけられる言葉。どうやら俺の顔は雄弁に「欲しい!」と語っていたらしい。

 

 

「ん」

 

 

「あ……ありがとう」

 

 

差し出された剣を、礼を言いながら受け取ろうとすると、途端にひょいっと剣を引き戻された。

 

 

「その前に、1つだけ約束」

 

 

そして水色の髪の猫妖精族(ケットシー)は、間違いなくALOに来てから最大級の、輝くような笑顔でニッコリと笑い──メテオラ10発分の破壊力を秘めた爆弾を落とした。

 

 

「──今度2人っきりで、ボーダーの訓練に付き合ってね」

 

 

ピキリと凍りつく空気。じとーっと突き刺さる女性陣の冷たい視線に、シノンから手渡された《聖剣エクスキャリバー》の途轍もない重さを感じる余裕もなかった。

 

 

「おーお、つらいナ、モテるおと──がふっ!」

 

 

空気読む気ゼロな発言をしようとしたクラインの顎を思いっきり蹴り上げて黙らせてから、俺は出来るだけ平静を装って、一度咳払いをしてから声を出す。

 

 

「……うん、俺で良ければ、いくらでも訓練に付き合うよ。ありがとう、さっきは見事な射撃だった」

 

 

「どういたしまして」

 

 

最後に軽いウインクを決めると、シノンはトンキーの尻尾方向に移動する。矢筒から取り出したハッカ草の茎を咥え、すぱぁーっと一服。一見とてもクールな仕草だが、水色の尻尾が小刻みに震えているのを俺は見逃さない。あれは爆笑を堪えている証拠だ。やられた、と内心で呻くが、今更どうしようもなかった。

 

 

「ふむ、なるほど。今のがキリト先輩の、たらしというものだな」

 

 

なんてことを考えていると、ユーマの口から聞き捨てならない台詞が吐かれた。顎に手を添えて、三の目3の口の表情でうんうんと頷いている後輩に、俺は即座に詰め寄った。

 

 

「ユーマ、その言葉は誰に教わった?」

 

 

「ん? とりまる先輩が言ってたぞ。きりがや先輩は、てんねんのたらしだから、いつも周りに女の人が絶えないって」

 

 

──京介ェ!!

 

 

俺は脳裏に浮かんだ、もさもさ頭のイケメン後輩に対して力の限り怒鳴る。小南ならともかく、純粋なユーマになんてこと教えるんだアイツは。

 

 

「別に京介は間違っちゃいね──ごふっ」

 

 

俺の心を見透かしたように余計なことを言おうとしたカイトの腹に、膝蹴りを1発叩き込んで黙らせる。とりあえず、あとでユーマの誤解は解いておこう、と俺は内心で決意した。

 

 

「くおぉーん……」

 

 

とここで、長く尾を引く鳴き声を放つトンキー。8枚の翼をはためかせて上昇に転じる。釣られるように上空を見ると、ヨツンヘイムの天蓋に深々と突き刺さっていたスリュムヘイム城が、ついにまるごと墜落し始めた。

 

 

「……あのダンジョン、あたしたちが1回冒険しただけで無くなっちゃうんだね……」

 

 

「ちょっと、もったいないですよね。行ってない部屋とかいっぱいあったのに……」

 

 

「もしかしたら、エクスキャリバーの他にもレアアイテムがあったかもな」

 

 

「マップの踏破率は、37.2パーセントでした」

 

 

実に残念そうな声でリズとシリカとカイトが言うと、ユイも同様に残念そうにしながら補足する。

 

そんな中で、ついに完全崩壊したスリュムヘイム城の断末魔のような轟音が響き渡る。巨大な氷塊群が崩れ落ちていき、それらは真下の《グレードボイド》に吞み込まれていく。

 

だがその直後、無限の暗闇と思われた大穴の奥深くから、先ほどとは別種の轟きを生みながら、大量の水が迫り上がってきた。更に天蓋からは、スリュムヘイムが無くなったことで解放された世界樹の根が、大きく揺れ動きながら真下へと伸びていく。そして世界樹の根は、大穴を満たす清らかな水面に吸い込まれ、たちまち広大な水面を網目のように覆って、先端は岸にまで達する。

 

そして四方八方に広がったその根からは、若芽が立ち上がり、黄緑色の葉が次々に広げた。更に今までのヨツンヘイムに吹き荒れていた冷たい木枯らしとは打って変わって、暖かな春のそよ風が吹き抜ける。ずっとおぼろげに灯っていた天蓋の水晶群は、まるで小さな太陽のように白い光を振りまいている。

 

大地を覆っていた分厚い氷や氷雪は、暖かな陽気と風を浴びてみるみるうちに溶けていく。その下からは、新たな新緑が次々よ芽吹き始める。

 

 

「くおおぉぉーーーーん………」

 

 

突然、トンキーが8枚の翼と大きな鼻を力いっぱい持ち上げて、高らかな遠吠えを響かせる。

数秒後、同じような遠吠えが、世界のあちこちから返ってくる。泉や川の水面、そして巨大な湖から次々と現れたのは、トンキーと同じ象水母を筆頭にした、多種多様な動物型邪神たちだった。

 

フィールドを闊歩する彼らの姿を眺めていると、不意にリーファがぺたりとその場に座り込み、トンキーの背に生える白い毛並みを撫でながら囁きかける。

 

 

「……よかった。よかったね、トンキー。ほら、友達がいっぱいいるよ。あそこも……あそこにも、あんなに沢山……」

 

 

ポロポロと涙を零す姿を見て、俺も胸に込み上げてくるものがあった。すぐにシリカがリーファに寄り添いながら、同じように涙を流す。アスナとリズも目元を拭い、腕組みしたクラインが顔を隠すようにソッポを向き、シノンですら何度も瞬きを繰り返す。カイトは涙こそ流していないが、満足そうにニッと口角を吊り上げ、同じように笑顔を浮かべたユーマと笑い合っている。最後に、俺の頭から飛び立ったユイが、アスナの肩に着地して髪に顔を埋めた。最近のユイは何故か俺に涙を見せるのを嫌がる。まったくどこでそんなことを覚えてきたのか、と思っていると……

 

 

「見事に、成し遂げてくれましたね」

 

 

その時、聞こえてきた声にハッと顔を向ける。トンキーの大きな頭の向こうに佇んでいたのは、今回のクエストの依頼主である《湖の女王ウルズ》だった。

不思議な青緑色の瞳を穏やかに細め、ウルズは再び口を開いた。

 

 

「《全ての鉄と木を斬る剣》エクスキャリバーが取り除かれたことにより、ヨツンヘイムはかつての姿を取り戻しました。これも全て、そなたたちのおかげです。──私の妹たちからも、そなたらに礼があるそうです」

 

 

そんな言葉とともに、ウルズの右側が水面のように揺れ、人影が現れた。少し短めの金髪に、深い青色の長衣、そして優美な顔立ち。身長は俺たちからすれば見上げるほどだが、ウルズと比べればやや小さいくらいだった。

 

 

「私の名は《ベルザンディ》。ありがとう、妖精の剣士たち。もう一度、緑のヨツンヘイムが見られるなんて、ああ、夢のよう」

 

 

甘い声でそう囁きかけると、ウルズの左側につむじ風が巻き起こり、3つ目の人影が出現した。

鎧兜を身に纏い、ヘルメットとブーツの側面から長い翼が伸びている。金髪は細く束ねられて、美しくも勇ましい顔の左右で揺れている。そして身長は他の2人と違い、俺たちと背丈をしていた。その姿を見て、クラインがムグっと変な声を出していた。

 

 

「我が名は《スクルド》! 礼を言おう、戦士たちよ!」

 

 

凛と張った声で短く叫ぶ。すると、ベルザンディとスクルドが揃って右手をかざした。その瞬間、俺たちの|テンポラリ・ストレージにアイテムやユルドが、滝のように一気に流れ込んでくる。9人パーティのストレージはかなり余裕があったはずだが、もうすでに溢れ返りそうになっていた。

 

 

「──私からは、その剣を授けましょう。しかし、ゆめゆめ《ウルズの湖》に投げ込まぬように」

 

 

「は、はい、しません」

 

 

ウルズの警告とも取れる言葉に頷くと、今まで俺がしっかりと抱えていた黄金の長剣、伝説級武器《聖剣エクスキャリバー》は、すっとその姿を消して、俺のストレージの中に収まった。それを確認し、思わず「よしっ」と呟いて右拳を握ったのは仕方ないだろう。

 

 

「ありがとう、妖精たち。また会いましょう」

 

 

3人の乙女たちが声を揃えて言うと同時に、俺たちの眼前にクエストクリアを知らせるシステムメッセージが表示される。すると、3人は身を翻し、空に向かって飛んで行く。

だがその時、トンキーの頭に飛び乗ると、高らかに叫んだ。

 

 

 

「すっ、すすスクルドさん! 連絡先をぉぉ!」

 

 

 

そんな間の抜けた叫びに、どうツッコミを入れていいかわからず、俺たちはついフリーズしてしまった。

 

すると、驚いたことに、スクルドさんはこちらに振り向き、気のせいか面白がるような表情でもう一度小さく手を振った。その手からは、何やらキラキラしたものが発せられ、クラインの手に飛び込んだ。そしてクラインも、それを抱き締めるように両手を自分の胸に当てた。

 

そして今度こそ、スクルドさんは飛び去っていってしまい、彼女の姿が見えなくなるのと同時に──リズベットとカイトが呟くように言った。

 

 

「クライン。あたし今、あんたのこと、心の底から尊敬してる」

 

 

「やっぱ、色々と男だよな、クラインさん」

 

 

俺も、まったくの同感だった。

 

 

「……あのさ、この後、打ち上げ兼忘年会でもどう?」

 

 

俺の提案に、さすがに少し疲れた様子のアスナがほんわかと笑い、言った。

 

 

「賛成」

 

 

「賛成です!」

 

 

その隣で、ユイが元気よく右手を上げた。

 

 

ともあれ──2025年12月28日の朝に突発的に始まった俺たちの大冒険は、こうしてお昼を少し過ぎたところで終了したのだった。

 

 

 

 

 

つづく




次回はエピローグになります。


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キャリバー⑥

今回でキャリバー編は終了です。

突発的な番外編にお付き合いいただき、ありがとうございました!

おかげさまで本編を書くモチベーションが戻って来たので、頑張りたいと思います。


 

 

 

 

 

「トリガー、起動(オン)!」

 

 

台東区御徒町の《ダイシー・カフェ》にて、俺は高らかに叫びながら、右手に握ったトリガーを起動する。もちろん、これは俺が防衛任務やランク戦に使用する戦闘用トリガーではない。

俺の手から離れたトリガーが、薄緑色の光を放ちながら宙に浮かぶ。そしてそのトリガーから聞こえてくるのは、我が娘の声。

 

 

《トリガー起動開始。起動者からのトリオン供給完了》

 

 

《トリオン体生成。データをトリオン体に変換》

 

 

「トリガー起動完了、です!」

 

 

そして光が消えると、そこには純白のワンピースに身を包んだユイが、満面の笑顔で立っていた。

 

 

「「「おおぉ~~っ!」」」

 

 

その様子を見ていたリズ、シリカ、クラインから感嘆の声が上がる。

 

 

「はぁ~、話には聞いてたけど、本当にユイちゃんが現実に出て来れるようになったのね」

 

 

「はい! これも全部、パパやボーダーのみなさんのおかげです!」

 

 

「よかったね、ユイちゃん!」

 

 

「これで心置きなく、リアルで忘年会ができるな!」

 

 

現実で初めて会うことが叶った4人は、心から嬉しそうな笑顔を浮かべていた。

 

 

突発的忘年会はの場所を決める際、リズやシリカからは今回のクエストで大活躍だったユイが必ず参加できる、新生アインクラッド第22層の《森の家》で開催するべきじゃないかと打診があったが、そこを我が出来た娘であるユイが「リアルで!」と言ったため、そのようになった。もちろん、ただを気を遣ったわけではなく、ちゃんと秘策があったからだ。

 

それがユイ専用のトリオン体だ。俺がボーダー入隊してから鬼怒田さんを始めとした開発室の全面協力のもとで開発されたそれは、俺たちの夢の結晶と言っても過言ではない。今まではボーダー基地内や三門市内でしか使用を許されていなかったが、先日ようやく本部からの全面許可が下りたのだ。特に鬼怒田さんの後押しがあったのが大きい。もちろん使用時には本部の許可が必要だが、大体は鬼怒田さんにメールを1本入れれば済むので問題ない。

 

というわけで、忘年会は午後3時から台東区御徒町の《ダイシー・カフェ》にて行われることとなった。店主のエギルに予約の電話を入れた時は、「いきなり言われても食材が足らんぞ」とブツクサ文句を言っていたが、それでも時間には店の名物をたっぷり用意してくれるのだから商人の鑑だ。

 

それから、家が激近のシノンを最初に、俺と直葉とユイ、アスナ、出水、クライン、リズ&シリカの順番でメンバーが集う。ユイのトリオン体お披露目も終わり、残る1人であるユーマを待つだけだった。しかしあと15分ほどで約束の3時になろうという時間になっても、ユーマは未だにやって来ない。

 

 

「ユーマの奴、遅いな……ん?」

 

 

カウンター席に座っている俺が時計を見ながらそう呟いたところで、携帯端末から短い着信音が鳴る。確認してみると、メールが届いていた。差し出し人は──案の定ユーマだったのだが、その内容に愕然とした。

 

 

──まよった

 

 

と、簡潔な一文。携帯端末を使い慣れていないユーマなら当然かもしれないが、それでも少し面食らってしまった。

 

 

「どうかしたの、キリト君?」

 

 

「パパ、どうしたんですか?」

 

 

俺の隣に座るアスナと、その膝の上で抱えられたユイが揃って傾げる。こうして見ると、アスナとユイはけっこう似ているかもしれない、などということを考えながら、俺は席を立ちながら言葉を返す。

 

 

「……ユーマが道に迷ったらしい。ちょっと迎えに行ってくる」

 

 

「えっ!? 大丈夫なの、わたしも行こうか?」

 

 

心配そうに立ち上がろうとしたアスナを片手で制しながら、俺は笑って言う。

 

 

「平気だって、すぐ見つけて戻ってくるから」

 

 

それから俺は、店にいるメンバーに聞こえるように声を大にして言い放つ。

 

 

「というわけで、ちょっとユーマを迎えに行ってくる! もし時間までに戻ってこなかったら、先に始めててくれ!」

 

 

間に合わなかった時のためにそう言ったが、それに対して出水とクラインが溜息まじりで言葉を返してきた。

 

 

「おいおいカズ、今日の主役がなに言ってんだ」

 

 

「戻るまで待っててやっから、とっとと行ってこい!」

 

 

そう言ってくれた2人の言葉に、他のメンバーも同意なようで、笑って頷いてくれる。

 

 

「悪い! できるだけすぐ戻ってくる!」

 

 

俺はみんなに深く頭を下げてから、店を飛び出した。それからすぐに、ユーマに居場所を聞くために携帯端末を取り出して、電話をかけながら走り出したのだった。

 

 

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 

 

「まったく、忘年会だってのに忙しないわねぇ」

 

 

出て行った和人と見送りながら、リズベット/篠崎里香が呆れたように呟く。それを聞いてアスナ/結城明日奈も「あはは」と苦笑しながら続く。

 

 

「仕方ないよ、ユーマ君は三門市に住んでるから、ここら辺の土地勘がないんだし」

 

 

「アスナさんは、ユーマ君とリアルでもお知り合いなんですか?」

 

 

「キリト君の紹介でね」

 

 

「じゃあ、ひょっとしてシノンさんも?」

 

 

「まあね」

 

 

シリカ/綾野珪子とリーファ/桐ヶ谷直葉が小首を傾げながら訊ね、明日奈とシノン/朝田詩乃は頷いて答える。

 

 

「キリトの紹介ってことは、ユーマもボーダーなの?」

 

 

「うん。でも、正式に入隊するのは来年の1月で、今は仮入隊ってことになってるらしいよ」

 

 

「ふーん、ボーダーに入隊かぁ。あたしとシリカは入隊試験で落とされたからねぇ」

 

 

「はい、残念です」

 

 

「私もですよ~」

 

 

里香が苦笑気味に言うと、珪子と直葉も少し肩を落としながら同意する。里香と珪子は明日奈や詩乃と同時期、直葉は兄である和人と一緒にボーダーの入隊試験を受けたのだが、残念ながら落とされてしまったのである。しかしあまり過ぎたことを引きずらないタイプである里香は、すぐに話題を切り替える。

 

 

「それで、ボーダーに入隊してどうだった? やっぱり訓練とか厳しい?」

 

 

「うーん、あんまり内容を話したらダメだから詳しくは言えないけど、わたしやキリト君と同じ年代の隊員が多くて、楽しいところだよ。チームを組んで一緒に近界民(ネイバー)と戦ったり、隊員やチーム同士で競い合ったりして、組織の一体感を高めてる感じかな。キリト君も、しょっちゅう他の隊員と戦闘訓練してるらしいよ」

 

 

「あはは、あいつらしいわね。そう言えば、キリトってボーダーじゃどんな感じなの?」

 

 

「あ、それあたしも聞きたいです!」

 

 

「私も! お兄ちゃん、あんまりボーダーでの話してくれないし」

 

 

里香がそう訊くと、珪子と直葉も興味津々の眼差しで明日奈を見つめる。

 

 

「え? うーん……わたしも入隊して3ヶ月くらいだけど、いつもキリト君と一緒にいるってわけじゃないからなぁ……」

 

 

「え、そうなの?」

 

 

和人と明日奈はいつも隙あらばイチャついているバカップルなのでボーダーでもよく一緒にいる、と里香は思っていたのだが、ボーダーでは意外とそうでもないということに目を丸くした。

 

 

「シノンさんもですか?」

 

 

「そうね、私もボーダーに入ってからは、キリトより同じ狙撃手(スナイパー)の人たちとの交流のほうが多いかもしれないわね」

 

 

珪子の問い掛けに、詩乃は頷く。

 

 

「ユイちゃんは?」

 

 

「私は最近までずっと、トリオン体完成のために開発室に籠っていましたので、詳しくは知りません。でも、パパは開発室のみなさんとはすごく仲良しですよ」

 

 

直葉もユイに聞いてみるが、彼女も詳しいことは知らないと言う。すると、明日奈が思い出したようにポン、と両手を叩きながら口を開く。

 

 

「でも、けっこう色んな人に慕われてると思うよ。キリト君のことをお兄ちゃんって言ってる子もいるし」

 

 

「あ、知ってます、緑川駿君ですよね!」

 

 

明日奈の話を聞いて、その話題に飛びついた直葉が声を上げる。

 

 

「この間、カイトさんやその友達と一緒にウチに遊びに来てました。あの時はビックリしたなぁ、お兄ちゃんが友達を家に連れて来たのは初めてだったから」

 

 

「けっこう酷いこと言ってる気がします……」

 

 

しみじみと語る直葉に、珪子が苦笑しながら囁く。明日奈もそれに釣られて笑いながら、話を続ける。

 

 

「緑川君の他にも、年下の子には頼られたりしてるかな」

 

 

「まあ、なんだかんだ言ってあいつ、面倒見はいいからね」

 

 

「年上の人たちには、純粋にキリト君の実力が気に入ったって人が多いかも。よく模擬戦挑まれてるし」

 

 

「あー、それもなんとなくわかるわ。で、あんたもその年上の1人に数えられてるってわけね」

 

 

「そ、そんなことないっ……ことも、ない……かな……?」

 

 

呆れたようにそう言った里香に対して弁明しようとした明日奈だが、心当たりがあるのか、眼を右往左往に泳がせながら段々と言葉の語気が小さくなっていき、最終的には黙りこくってしまった。どうやら図星のようだ。

 

 

「あっ、そ…そうだ! こういう話ならカイト君のほうが詳しいと思うよ! キリト君のチームメイトで同年代のお友達だし、その分一緒にいることも多いから!」

 

 

慌てた口調で早口にそう捲し立てる明日奈。分が悪くなった話題を変えようとしているのは明らかだが、里香もそこまで意地は悪くないので、その話に乗ることにした。

 

 

「それもそうね。じゃあさっそく──カイトー、あんたちょっとこっちに来なさい!」

 

 

女性陣とは離れた席でクライン/壺井遼太郎と話していたカイト/出水公平を、里香が大声で呼びつける。

すると出水はいきなり呼ばれたことに疑問符を浮かべながらも、それに従って里香たちのいるカウンター席にやって来て合流する。その際、ついでに遼太郎もついて来た。

 

 

「なんすか、リズさん?」

 

 

「ったく、いきなりオレ様とカイトの男同士の話に水差すなよな」

 

 

「別にクラインは呼んでないから、アンタは1人で店の端っこで飲んでなさいよ」

 

 

里香の辛辣な言葉に遼太郎は「ひでェ!」と叫ぶが、全員がスルーして、出水に本題を話した。

 

 

「キリトって、ボーダーじゃどんな感じなのかなーって話してたのよ。で、キリトと同じチームを組んでるっていうアンタに詳しく話を聞いてみたいのよ」

 

 

「カズの?……ああ、そういうことっすか。いいですよ、おれの知ってる範囲で良ければ」

 

 

「お、さすが、話がわかるわね!」

 

 

出水は里香の言いたい事を察したかのように頷くと、快く了承する。そして出水は自分の顎に右手を当てて考える仕草を見せると、唸りながら話し始める。

 

 

「そうっすね、まずここ最近の話だと──うちと同じチームの柚宇さんをゲームで負かして首絞められてましたねー」

 

 

「…………は?」

 

 

誰かからそんな声が漏れる。出水が話し始めた話の内容に、明日奈や里香たちが目を丸くしているが、本人は構わず話を続けている。

 

 

「柚宇さんって、ゲームで負けると泣きながら相手の首絞めるクセあるんすよ。しかもその時の絞め方がヘッドロックだったからカズの奴、苦しんでんだか喜んでんだか、よく分かんねー顔してたんすよ」

 

 

「い、出水君……?」

 

 

「それに……カズに軽くひねられた香取ちゃんが半泣きで突っかかってきたのを頭を撫でて宥めてたり、加古さんに壁ドンされながら勧誘されてたり、くまに勉強教えてたら顔が近いって言って殴られたり、体調を崩した那須さんをおぶって家まで届けたり、宇佐美にメガネについて延々語られたり、三上ちゃんに甘えられたり、成り行きで綾辻さんを膝枕することになったり、えーっとあとは……」

 

 

「ま、待って待って! ちょっと待って!」

 

 

「あ、アンタいきなり何の話してんのよ!?」

 

 

更にペラペラと語り続ける出水を、見かねた明日奈が大声で彼を止める。そして同時に、里香が出水に突っかかるように言い放つ。だがそれに対して出水は、不思議そうな顔で反応する。

 

 

「え? 何って、カズがボーダーで起こした女性関係のトラブルっすけど……あれ? 違いました?」

 

 

「違うわよ!」

 

 

出水は、彼女たちはてっきり和人のボーダーにおける女性関係について訊きたいのだろうと思っていたのだが、どうやら違っていたらしく、里香に怒鳴られる。

 

 

「で、でも、ちょっと聞いてみたい気もします……」

 

 

「私も……」

 

 

その傍らで、頬を赤く染めた珪子と直葉がそう呟いていたが、幸い誰の耳にも届かなかった。

 

 

「キリの字のヤロー、ボーダーでもそんな羨ましいことになってんのか」

 

 

そこに、遼太郎が嫉しそうな口調で呟く。それに対して出水は、苦笑しながらそれに応える。

 

 

「カズの周りはいつもそんな感じっすよ。しかも本人が自覚なしってのが厄介なんだよなぁ」

 

 

「チックショー、こうなったらオレ様もボーダーに入隊して……」

 

 

「やめときなさいよ。アンタが入隊しても、年寄りの冷や水にしかならないんだから」

 

 

「さっきから辛辣過ぎやしませんかねェ、リズさん!」

 

 

またも里香の容赦ない一言によって撃沈する遼太郎だが、当然のごとく全員スルー。

 

 

「カイト君、わたしたちが聞きたかったのは、キミから見てボーダーでのキリト君はどんな人に見えるかって話だったの」

 

 

「あ、なんだそういうことっすか。すみません、この面子ならカズの女性関係のことかと思って」

 

 

「もう、カイト君ったら……」

 

 

明日奈が誤解を解くと、出水は左手で自分の後頭部を掻きながら謝罪する。そしてそんな出水の左肩に、明日奈が優しく微笑みながら右手を置く。

 

 

と、その瞬間──

 

 

「その話はあとで……く・わ・し・く・聞かせてね?」

 

 

「う、うっす」

 

 

バーサクヒーラーと呼ばれた女性から向けられる影を帯びた微笑みと、左肩に置かれた手から伝わる途轍もない威圧感に、顔を真っ青にした出水は引きつった声で、大人しく頷くしかなかった。

 

──カズ、すまん。

 

同時に、この場にいない和人に対して心の中で合掌と謝罪をした。

そんな明日奈から発せられる圧を、里香たちも感じたのか、誰もこの件に関してそれ以上追及することはなかった。

 

 

と、その時──

 

 

「待たせてすまん! ユーマを連れてきたぞ!」

 

 

「どーもみなさん、遅れてもうしわけない」

 

 

勢いよくダイシー・カフェの扉が開かれ、今のいままで話題になっていた和人と、その和人に連れられた小柄な白髪の少年、ユーマ/空閑遊真が飛び込んできた。

 

 

良いのか悪いのかわからない、微妙なタイミングで戻って来た和人に、出水や里香たちは思わず固まってしまったのであった。

 

 

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 

 

迷ったというメールが届いてから約十数分。俺はなんとか約束3時までにユーマを引っ張ってくることができた。あいつの迷っていた場所が、意外と店の近くだったのが幸いだった。

 

 

「はじめまして、空閑遊真です。背は低いけど15歳だよ。どーぞよろしく」

 

 

そんな俺の視線の先では、ユーマがクラインやリズたちの前で自己紹介をしながらペコリとお辞儀をしている。だけどクラインたちは挨拶よりも、物珍しそうな視線をユーマに送っていた。

 

中学3年生にも関わらずシリカよりも低い小柄な体型や、真っ赤な瞳もそうだが、何よりみんなの目を引いているのは、一点のくすみもない真っ白な髪だろう。明らかに日本人離れしたその髪は、ふわふわとした髪質とも相まってまるで綿菓子のようだ。

 

そんな中で、最初にユーマに歩み寄ったのはクラインだった。

 

 

「なんだおまえ、ALOアバターと一緒でチビっこいな! ホントに15歳か?」

 

 

「まーね」

 

 

気さくに話ながらその白い頭をわしゃわしゃと弄るクライン。それにユーマも嫌な顔はせず、ALOでも見せた三の目3の口の表情で答えている。それに続いて、リズベットやシリカたちもユーマの側に集まる。

 

 

「うわー、本当に髪真っ白ね。これ生まれつき?」

 

 

「昔は黒かったよ。けどいつの間にかおどろきの白さに」

 

 

「同い年であたしより背の低い男の子、初めて見ました」

 

 

「そうか? けっこういると思うぞ?」

 

 

「なんだか小動物みたいで可愛い~!」

 

 

「おお? リーファ先輩、ちょっとくすぐったいぞ」

 

 

ユーマを中心にわいわいと賑やかにしている間に、ようやく忘年会の準備が整った。

 

2つのテーブルをくっつけた卓上に料理と飲み物が並べられ、その中心に見事な照りを纏ったスペアリブの大皿が置かれると、全員で店主に拍手を送る。そしてエギルもエプロンを脱いで席に着き、未成年組にはノンアルコール、成人組には本物のシャンパンが注がれると──。

 

 

「祝、《聖剣エクスキャリバー》とついでに《雷槌ミョルニル》ゲット! お疲れ、2015年!──乾杯!」

 

 

「「「カンパーーイ!」」」

 

 

俺の省略気味な音頭に、全員が大きく唱和し、グラスを軽くぶつけ合う小気味の良い音が響いた。

 

 

「えっ!? ユーマ君って外国に住んでたの!?」

 

 

「そうだよ。まあ住んでたっていうより、物心ついた頃から親父と一緒にいろんな国をまわってたかな。日本に住み始めたのも最近だし」

 

 

「その年で国巡りかよ、オメェただもんじゃねェな!」

 

 

「いえいえそんな、ただ者です」

 

 

そんな感じで始まった打ち上げ、兼、忘年会。みんなが思い思いの料理を食し、ジュースを飲み、好き放題に騒ぎ始め、主にユーマの話で盛り上がっている。

 

 

それから10分ほどした頃……

 

 

「……なあ、出水」

 

 

「な、なんだ、カズ?」

 

 

正面に座る出水にお互いにしか聞こえないくらいの声量で声をかけると、出水は目に見えて肩をはねらせ、わざとらしく俺から視線をそらす。そんな奴の態度を怪しく思いながら、俺は続けて言った。

 

 

「おまえ、さっきから俺にやたら料理を回してきてないか?」

 

 

「そ、そりゃあ、カズはよく食うからな! もしかしたら足りねーんじゃねえかと思ってよ!」

 

 

貼り付けたような笑顔に冷や汗を垂らしながらそう言って、出水は俺の取り皿に2本のスペアリブを置く。ありがたいと言えばありがたいんだが、何だか気味が悪い。

なので俺は、もう1つ疑問に思っていたことを聞いてみた。

 

 

「ひょっとして──さっきから怖いくらいの笑顔で俺を見ているアスナと何か関係があるのか?」

 

 

「……………」

 

 

その問いに出水は、口をモゴモゴと動かしながら顔を俯かせると、ポツリと囁いた。

 

 

「……カズには、悪いことをしたと思ってる」

 

 

「おまえ俺がいない間に何をした」

 

 

あまりにも不穏な返答に、不安を隠せない。それから出水は俺と一切眼を合わせようとせず、黙々と料理を食べ始めてしまったので、これ以上追及することはできない。

なので俺も、不安な気持ちを料理と一緒にグッと飲み込んで食事を再開することにした。その際、左隣のアスナの笑顔を見る度に凄まじい悪寒に襲われたことは、気のせいだと思っておく。

 

 

「……それにしても、さ」

 

 

それから約1時間後、右隣に座るシノンがそう呟いたのは、テーブルの料理があらかた片付いた頃だった。

 

 

「どうして《エクスキャリバー》なの?」

 

 

「へ? どうしてって?」

 

 

俺が意図をはかりかねずに首を傾げると、シノンは指先でくるくるとフォークを回しながら補足する。

 

 

「普通は、っていうか、他のファンタジー小説やマンガだと大抵《カリバー》でしょ。《エクスカリバー》」

 

 

「あ……ああ、そういうことか」

 

 

「言われてみればそうだよな」

 

 

質問の意図にようやく合点がいった。左隣では同じように出水も納得している。

 

 

「へぇ、シノンさん、その手の小説とか読むんですか?」

 

 

向かいの出水の隣に座る直葉が訊ねると、シノンは照れ臭そうに笑った。

 

 

「中学の頃は、図書室のヌシだったから。アーサー王伝説の本も何冊か読んだけど、訳は全部《カリバー》だった気がするなあ」

 

 

「うぅーん、それはもう、ALOにあのアイテムを設定したデザイナーの趣味というか気まぐれというか……」

 

 

情緒の欠片も無いことを言った俺に、ようやく怖い笑顔を止めてくれたアスナが苦笑しながら言った。

 

 

「たしか、大元の伝説ではもっと色々あるのよね。さっきのクエストじゃ偽物扱いされてたけど、《カリバーン》もその1つじゃなかったかしら」

 

 

すると、アスナの膝に座るユイがはきはきと答える。

 

 

「主なところでは《カレドヴルフ》、《カリブルヌス》、《カリボール》、《コルブランド》、《カリバーン》、《エスカリボルグ》等があるようです」

 

 

「うは、そんなにあるのか」

 

 

「だったらもうキャリバーとカリバーなんて誤差みたいなもんだろ」

 

 

驚きつつ出水の言葉に、内心でそうだよなと思っていると、再びシノンが口を開いた。

 

 

「まあ別に大したことじゃないんだけど……《キャリバー》って言うと、私には別の意味に聞こえるから、ちょっと気になっただけ」

 

 

「へえ、意味って?」

 

 

「銃の口径を、英語で《キャリバー》って言うのよ。例えば、私のへカートIIは50口径で《フィフティ・キャリバー》。因みにボーダーのアイビスも同じよ。エクスキャリバーとは綴りは違うと思うけどね」

 

 

そこまで言うとシノンは、一瞬だけ口を閉じて、ちらりと俺を見てから続けた。

 

 

「あとは、そこから転じて、《人の器》って意味もある。《a man of high caliber》で《器の大きい人》とか《能力の高い人》」

 

 

「なんと、銃口にそんな意味が……」

 

 

ユーマが三の目を光らせて言うと、シノンは「たぶん中学のテストには出ないかな」と笑う。

すると、いつの間にか話を聞いていたリズベットが、テーブルの反対側でニヤニヤと笑いながら俺を見ていた。

 

 

「ってーことは、エクスキャリバーの持ち主はデッカイ器がないとダメってことよね。なんかウワサで、最近どっかのボーダーのA級隊員様が、どーんと稼いでるって聞いたんだけどぉー」

 

 

「ウッ……」

 

 

ボーダーの給料は階級によって変わる。C級は訓練生なので《無給》。B級は《防衛任務での出来高払い》。そしてA級隊員は《固定給+出来高払い》となっている。先月の防衛任務ではけっこうな数のトリオン兵を狩ったので、それなりの額が振り込まれている。まあすでに直葉のナノカーボン竹刀やら、緑川や黒江にご飯を奢ったりやらで色々使ってはいるが。

ぶっちゃけそれは同じ太刀川隊の出水も一緒なので、この際に道連れにしてやろうかと考えたが、それこそ俺の器が問われてしまう。なので俺はどーんと胸を叩きながら、宣言する。

 

 

「も、もちろん最初から、今日の払いは任せろっていうつもりだったぞ」

 

 

途端、四方から盛大な拍手とクラインの口笛が響いた。それに手をあげて応じながら、俺は内心で考える。

 

 

SAO、ALO、GGO、そしてボーダーでの戦いの経験を通して、人の器について学んだとすれば、それは《1人では何も背負えはしない》ということだ。

 

 

俺はいつも挫けそうになりながらも、多くの人たちに支えられて歩き続けてきた。今日の突発的冒険の展開こそ、まさにその象徴だった。

 

 

だからきっと、俺の──いやみんなの《キャリバー》とは、仲間全員で手を繋いでいっぱいに広げた輪を作った、その内径を差すのだ。

 

 

あの黄金の剣は、自分1人のためには決して使うまい。

 

 

内心でそう決心すると、右手にグラスを持った出水が、俺の肩に左腕を回してくる。

 

 

「よーしカズ、もういっちょ乾杯しようぜ!」

 

 

「さっきやったろ、今度はなんの乾杯だよ」

 

 

「んなもん決まってんだろ!」

 

 

そう言われて俺は、ふと顔を上げる。

 

 

そこには俺を支えてくれる仲間たちが、手にグラスを持って待っててくれている。だから俺も、テーブルのグラスに手を伸ばした。

 

 

「みんなの《キャリバー》に!」

 

 

そして出水のその言葉に続くように、俺はグラスを高々と掲げて言い放った。

 

 

 

 

 

「────乾杯!!」

 

 

 

 

 

キャリバー編

──完──







綺麗に締めましたが、このあとキリトはアスナに説教されました(笑)。


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序章編
桐ヶ谷和人


どうもZEROです。初めての方は初めまして。お久しぶりの方はごめんなさい。

最近は活動の場をpixivに移していたのですが、また戻ってきてしまいました。

今更ながらSAOにドハマリし、WTとのコラボを妄想したら止まらなくなってしまい、このような作品が出来上がりました。

とりあえず、pixivに投稿済みの4話まで投稿いたします。感想お待ちしております。


 

 

1万人もの人間を死の牢獄に捕らえた最悪のVRMMORPG《ソードアート・オンライン》通称SAO。

ゲームでの死が現実での死に直結するデスゲームと化してしまったSAOは2年も続いた。

そしてそのSAOは今……終焉の時を迎えようとしていた。

 

第75層のボスを倒した直後に判明した最悪の真実……それはSAO最強ギルド《血盟騎士団》の団長である男《ヒースクリフ》が、このデスゲームの元凶にしてSAO開発者である茅場(かやば)晶彦(あきひこ)であるという事。

 

それを《黒の剣士》の異名を持つプレイヤー《キリト》が暴き、ヒースクリフは自分の正体を見破った報酬として、この場でゲームクリアを賭けた最後の戦いを行う事を提案した。

 

 

「いいだろう、決着をつけよう」

 

 

「キリト君!」

 

 

「ごめんな……ここで逃げる訳にはいかないんだ」

 

 

キリトはヒースクリフのGM権限によって麻痺状態にされている最愛の恋人《アスナ》に薄く微笑みながら謝罪の言葉を口にする。

 

 

「死ぬつもりじゃ…ないんだよね?」

 

 

「ああ。必ず勝つ……勝ってこの世界を終わらせる」

 

 

「……わかった。信じてるよ、キリト君」

 

 

静かだが、確かな覚悟が宿ったキリトの言葉に、アスナは彼を信じて送り出す事を決めた。

そしてキリトはアスナから離れると、ゆっくりとヒースクリフに向かって歩き出しながら、背中に背負った二刀の剣を引き抜き、彼にのみ許された《二刀流》の構えを見せる。

 

 

「キリトーー!!」

 

 

後ろから聞こえた自分を呼ぶ声に、キリトは一旦足を止めて、振り向きながら麻痺状態で倒れている2人の男性に声をかける。

 

 

「エギル」

 

 

「!」

 

 

1人は黒人の男性《エギル》。キリトにとっては気を許せる人物で、数少ない理解者の1人である。

 

 

「今まで剣士クラスのサポート、サンキューな。知ってたぜ、お前が儲けの殆ど全部を中層プレイヤーの育成に注込んでいた事」

 

 

「っ………!」

 

 

キリトのその言葉に、エギルは何も返さない。まるで最後の挨拶を交わすかのような彼の口振りに、何も言えなくなってしまったのだ。

 

 

「クライン」

 

 

次にキリトが目を向けたのは、野武士のような顔立ちと頭に巻いたバンダナ特徴の男性《クライン》。キリトがSAOにログインして最初に知り合った人物で、キリトにとっては兄貴分のような存在である。

 

 

「あの時……お前を、置いて行って悪かった」

 

 

「っ……て、てめぇキリトォ!! 謝ってんじゃねえ!! 今、謝ってんじゃねえよ!! 許さねえぞ!! ちゃんと向こうでメシの1つも奢ってからじゃねぇと、絶対許さねぇからなぁ!!!」

 

 

「わかった……向こう側でな」

 

 

クラインの涙ながらの叫び。その声にキリトは現実世界での再会を約束した。

 

 

そしてキリトが最後に目を向けたのは、最愛の恋人であるアスナ。だがキリトは彼女に対して言葉を紡がず、小さく微笑みかけると、顔をヒースクリフへと向けた。

 

 

「悪いが、1つだけ頼みがある」

 

 

「何かな?」

 

 

「簡単に負けるつもりはないが、もしオレが死んだら──しばらくでいい、アスナが自殺できないように計らってほしい」

 

 

「!……ふっ、よかろう」

 

 

キリトのその頼みにヒースクリフは一瞬だけ意外そうな顔をしたが、すぐに笑みを浮かべてその願いを了承した。

もしキリトが敗れたら、アスナは彼の後を追って自殺するつもりでいた。だがそんなアスナの考えを見抜いていたキリトは、事前に彼女が自殺するという道を絶ったのだ。

 

 

「キリト君ダメだよ!! そんなの……そんなのないよぉ!!!」

 

 

後ろから聞こえるアスナの叫びを背負いながら、二刀の剣を構えるキリト。対するヒースクリフも自身に施していた不死属性を解除し、剣と大盾を構える。

 

 

最後にして最強の敵と対峙する中で、キリトは自身の心に言い聞かせるように内心で呟く。

 

 

 

……これは決闘(デュエル)じゃない、単純な殺し合いだ。そうだ……オレは、この男を──

 

 

 

──殺す!!!!

 

 

 

「うおぉぉぉぉぉおおおお!!!!!」

 

 

こうして……《黒の剣士》キリトのSAO最後の戦いが始まったのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──とまぁその後も色々あったけど、結果的に茅場との勝負に勝った俺と約6千人のプレイヤーは現実世界に戻ってこられたんだよ」

 

 

「「「いや良い所で端折るなよ!!!」」」

 

 

俺が過去の話を終えた途端に、一斉にツッコミが入れられた。

 

 

『お~、キリ君かっこいい~』

 

 

それに続くように、俺たちが耳にしている通信機から、間延びしたしたような口調で称賛している少女の声が聞こえる。

 

 

ここは《三門市》と呼ばれる街の市街地の一角。だけど周囲には市民の姿がまったく見受けられず、時刻が夜ということも相まって、まるでゴーストタウンと化している。

それもそのはず、ここら一帯は《警戒区域》と呼ばれる廃棄された区域で、俺たち《ボーダー》に所属する人間しか立ち入ることが許されない場所だからだ。

そんな場所で民家の屋根の上で腰を下ろしている、俺を含めた4人の男たち。

 

 

「こら桐ヶ谷、肝心なとこを省くな。そのヒースクリフとかいう奴はどれくらい強かったんだ?」

 

 

太刀川(たちかわ)(けい)さん。

もじゃもじゃ頭に顎鬚が特徴の大学生で、俺がいる部隊の隊長。ボーダーにおいて《攻撃手(アタッカー)ランク》、《個人(ソロ)総合ランク》共に1位にして、A級1位部隊の隊長というあらゆる1位を総なめにしている規格外な人だ。

 

俺もこの人とは何度か戦ったことはあるが、1度も勝てていない。もしこの人がSAOに居たら、俺やヒースクリフを凌ぐ最強のプレイヤーと言われていただろう。

 

その反面、勉学が壊滅的で、毎回大学でレポートが出る度に手伝ってくれと高校生の俺に頼み込んでくるほどだ。あと《Danger(デンジャー)》を《ダンカー》と読んだ時は、本当にダメだこの人と思った。

 

 

「いやそこじゃないでしょ太刀川さん!! 桐ヶ谷先輩も、そのあとどうなったかちゃんと最後まで説明してくださいよ!!」

 

 

唯我(ゆいが)(たける)

俺の1つ下の後輩。《ボーダー》の大手スポンサーの息子で、コネでこの部隊に配属されたお坊ちゃんだ。実力が低く、態度だけはデカいので《お荷物》と揶揄されている。

 

 

「うるせーぞ唯我!!」

 

 

「出水先輩理不尽!!!」

 

 

そんな唯我に容赦ないケリを入れたのは出水(いずみ)公平(こうへい)

ボーダーでも天才と称される《射手(シューター)》で、高いトリオン能力と豊富な弾丸トリガーを使いこなすことができる。通称《弾バカ》だ。

俺の数少ない同世代の友人の1人で、同じ部隊ということもあってよく一緒につるんでいる事が多い。最近では俺の薦めで《ALO》にキャラクターを作り、その天才的なセンスですでに新規プレイヤーながら高難度ダンジョンでも充分に立ち回れているほどになっている。

 

 

『これこれ~、ケンカはいかんよ~』

 

 

そして先ほどから耳につけた通信機から聞こえる声の主、国近(くにちか)柚宇(ゆう)さん。

俺の1つ上の先輩で、かなりゆるふわな雰囲気を持つ女子高生だ。少なくとも、俺の知っている女性陣の中にはいないタイプの人だ。

因みにあまり見た目からは想像できないが極度のゲーマーで、VRMMOにも精通している。もちろんALOにもキャラクターを作っており、たまに出水と共に徹夜でクエストを手伝わされることがある。

 

 

「けどカズもスミに置けねーよな。ゲーム内とはいえ、恋人と結婚して、現実に戻って来ても関係が続いてるんだろ? しかもあんな美人と」

 

 

「確かに、前に写真を見せてもらいましたけど、キレイな女性でしたよね」

 

 

「ほう? そんなにか?」

 

 

「そりゃもう、メチャクチャ美人ですよ。羨ましいんだよこのリア充が!」

 

 

「ちょっ…やめろって出水!」

 

 

じゃれつくように軽いヘッドロックをかけてくる出水に苦笑しながら抵抗する俺。こういった気安い悪ふざけも、同世代だからこそできることだな。

 

 

『アスナちゃんは可愛い上に優しいからね~。キリ君が惚れちゃうのもわかるよ~』

 

 

「なんだ、国近は桐ヶ谷の彼女を知ってんのか?」

 

 

『直接会ったことはないけど~、私と出水くんはALOの中で何回かあったよ』

 

 

「あぁ、例のVRMMOとかいうゲームか」

 

 

『アスナちゃんはね~、キレイで優しくてすっごく強いんだよ。ボーダーの人で例えると~……加古さん!』

 

 

「桐ヶ谷………強く生きろよ」

 

 

「待ってください太刀川さん、そんな憐れんだ目で俺を見ないでください! アスナはゲームでも現実(リアル)でも料理上手ですから! あんな殺人炒飯と一緒にしないでください!」

 

 

「加古さんに聞かれたらまた炒飯食わされんぞ、カズ」

 

 

俺は絶対にあんなものを料理とは認めない。今でも思い出す……《ゴーヤホイップ炒飯》なるものを口にした時に感じた臨死体験を。あの時は一緒に堤さんも死んでたな。

 

 

『あ、みんな来たよ~。誤差5.23ね』

 

 

柚宇さんの間延びした口調でそう告げられた瞬間、今までの和気藹々とした雰囲気はなりを潜め、代わりにピリッとした空気に切り替わる。

 

 

「来たか。よしお前ら、仕事の時間だ。桐ヶ谷のSAO体験談と彼女の話はまた今度な」

 

 

「「うぃ~す」」

 

 

この場で隊長である太刀川さんがそう言って立ち上がると、それに続くように俺たちも立ち上がる。

 

 

「おい唯我、今日はモールモッドに落とされるなんてヘマすんなよ。もし今回も落ちたら後でケリ入れっからな」

 

 

「出水先輩ヒドイ!! 暴力支配だ!!」

 

 

「あはは…でも、最近唯我も少しずつ成長してるみたいだし、ちょっとは期待してるぞ」

 

 

「桐ヶ谷先輩……! 任せてください! 今日こそA級1位としてボクの実力を存分に──」

 

 

「うるせーお荷物。カズも甘やかすな」

 

 

『任務前に揉めちゃダメだよ~。あ、そうだキリ君、出水君、任務が終わったらALOでクエスト手伝ってね~。今夜は徹夜だよ~』

 

 

「マジですか……いいですけど」

 

 

「ってか柚宇さん……今夜は、じゃなくて今夜も、でしょう?」

 

 

そんな雑談を交わしながら、太刀川さんを先頭にして俺たち民家の屋根から飛び降りる。

そして全員が三日月をバックに3本の刀が描かれた紋章(エンブレム)が刻まれている《太刀川隊》のユニフォームである漆黒のロングコートをなびかせながら、誰も居ない三門市の街を駆け抜ける。

 

 

するとその瞬間……街の上空に小さな黒い穴のようなものがいくつも開かれ、さらにその穴から何体もの異形の怪物が出現した。

 

 

だけど俺たち4人は、その怪物に臆することなく、それぞれが愛用している武器を手にした。

 

 

太刀川さんは2振りの刀を、出水は両手に立方体のキューブを、唯我は2丁の拳銃を、そして俺は刃が輝く片手剣をそれぞれ構えた。

 

 

「よーしお前ら……今日もサクッと終わらせるぞ」

 

 

「「「了解!」」」

 

 

太刀川さんの号令のもと、俺たちは異形の怪物の集団へと向かって駆け出して行ったのだった。

 

 

A級1位 太刀川隊 攻撃手(アタッカー)

桐ヶ谷(きりがや)和人(かずと)

 

 

かつて《黒の剣士》と呼ばれた英雄は、今日も三門市という現実世界を守る為に──剣を振る。

 

 

 

 

 

つづく



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桐ヶ谷和人②

2話目です


 

 

「ハァ……」

 

 

場所は三門市の隣に位置する《御徒町》にある喫茶店《ダイシー・カフェ》。見た目がバーのように作られたその店は、どことなく大人の店という雰囲気がある。

その店のカウンター席では、学校の制服に身を包んだ俺、桐ヶ谷和人は、つい疲れたように溜息を吐いてしまった。

 

 

「どうした? ずいぶん疲れた様子じゃねーか」

 

 

「大丈夫? キリト君」

 

 

そんな俺に声をかけたのは、俺と同じSAO生還者(サバイバー)であり、恋人である《アスナ》こと、結城(ゆうき)明日奈(あすな)。そして同じくSAO生還者(サバイバー)であり、このダイシー・カフェのマスターの《エギル》こと、アンドリュー・ギルバート・ミルズ。長いから俺たちは相変わらずエギルと呼んでいる。

 

 

「いや、実は昨日防衛任務のあと、ALOでカイトと一緒にずっとユズさんのクエストに付き合わされてて……まさか本当に徹夜になるとは……おかげで授業中も眠くてさ」

 

 

「そりゃ災難だったな。あの嬢ちゃん、自分が満足するまで中々解放してくれねーからな」

 

 

「もう、ユズったら。今度私の方から注意しておくね」

 

 

「ハハハ……」と力無く笑う俺に、明日奈とエギルは労うようにそう言ってくれた。

 

 

ALOとは《アルヴヘイム・オンライン》のことで、SAOと同じくVRMMORPGの1つ。《アミュスフィア》と呼ばれるフルダイブ用電子ゲームハードを使い、電子の世界である仮想世界で遊ぶことが出来るゲームだ。

その中で俺は影妖精族(スプリガン)のキリトとして、かつてのSAOの仲間たちとプレイしている。因みに今言った《カイト》と《ユズさん》とは、俺と同じの太刀川隊の出水公平と国近柚宇さんのことだ。

 

 

「はぁぁ……正直今日はもう、何もやる気が起きない」

 

 

「ったく、こんなのがボーダーのトップ部隊のメンバーだとは思えねえな」

 

 

「うるさいな……」

 

 

エギルの皮肉めいた言葉に、俺はテーブルに屈しながら奴を睨むが、大人の余裕とも取れる笑みで躱されてしまった。すると、俺の隣に座るアスナが小さくクスッと笑った。

 

 

「キリト君、ボーダーに入ってからちょっと変わったよね」

 

 

「え? そうかな?」

 

 

「うん。最近はよくキリト君から同年代の友達や、ボーダーでの先輩と後輩の話もよく聞くし、何だかすごく生き生きしてる感じ」

 

 

「そう……かもな」

 

 

アスナが言った言葉に、俺は素直に頷きながら同意する。

実際、出水とか米屋たち同年代の奴らは俺がSAO生還者(サバイバー)って知っても、気さくに接してくれる気のいい奴らだし……太刀川さんや風間さんたち先輩にもすごく世話になってる。二宮さんはちょっと怖いけど……あと後輩の唯我と緑川も俺を慕ってくれているので、俺自身もあいつらを可愛い後輩だと認識してる。唯我はもうちょっと自立してくれるとありがたいが。

 

 

確かにアスナの言う通り、俺はボーダーに入ってから変わったと思う。ぶっちゃけ少し前の俺には、先輩後輩どころか友達すらいなかったからなぁ……自分で言っててちょっと悲しくなってきた。

 

 

それに……

 

 

「あの世界で2年間……俺が培った経験で、この現実世界の人たちを少しでも多く救えるのなら……俺は戦うよ」

 

 

俺は自分の右手を強く握りながら、自分自身に誓いを立てるようにそう呟いた。

 

 

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 

 

俺たちがSAOをクリアして、現実世界に目覚めた時……世界は少し変わっていた。

 

 

2年前……つまり俺たちがSAOの世界に囚われてからすぐに、また別の事件が起きたらしい。

 

 

その名も《第一次近界民(ネイバー)大規模侵攻》。死者1200名以上、行方不明者400名以上の被害を及ぼした。

 

 

事の発端は《三門市》と呼ばれる、人口28万人のとある街。俺たちがSAOに閉じ込められたその日……その街に異世界への(ゲート)が開かれた。

 

 

近界民(ネイバー)》──後にそう呼ばれる異次元からの侵略者が、(ゲート)付近の地域を蹂躙。街は恐怖に包まれた。

 

 

こちらの世界とは異なる技術(テクノロジー)を持つ近界民(ネイバー)には地球の兵器では効果が薄く、誰もが都市の壊滅は時間の問題だと思い始めた。

 

 

だけどその時──突如現れた謎の一団が、近界民(ネイバー)を撃退しこう言ったそうだ。

 

 

「こいつらの事は任せてほしい。我々はこの日の為にずっと備えてきた」

 

 

近界民(ネイバー)技術(テクノロジー)を独自に研究し、こちら側の世界を守る為戦う組織。彼らは僅かな期間で巨大な基地を作り上げ、近界民(ネイバー)に対する防衛対策を整えた。

 

 

その組織の名は……界境防衛機関《ボーダー》

 

 

それ以来、ボーダーの技術でこちら側の世界で開かれる(ゲート)は三門市でしか開かなくなり、たまに聞こえる轟音や爆音にも三門市の住民たちは慣れていった。

 

 

もちろん、2年間SAO世界に囚われていた俺は驚愕した。異世界からの侵略者などというゲームでもよくありそうな事が現実で起こっていたのだから。正直その話を聞いた時は「まだVRの世界の中にいるんじゃ……」と疑ったほどだった。

 

 

俺たちが目覚めてからしばらくして、ボーダーはゲームで生き残って帰還した《SAO生還者(サバイバー)》と呼ばれる人たちを、積極的にボーダーへ勧誘した。

目的はもちろん、生還者たちの社会復帰やリハビリなどの支援してメディアへのアピールをするというのもあるが……実のところ、ゲームとはいえ2年もの間命懸けの戦いを経験した生還者を戦力として加えたいというのが本音だった。もちろん俺もその1人だ。

 

 

どうやら俺はSAO生還者(サバイバー)の中でもかなり優秀な能力を持っていたらしく、特に手厚く勧誘された。そして色んな人からの薦めもあり、何よりあの世界での2年間が少しでも現実世界の役に立つのならと思った俺はボーダーに入隊した。それから1年経った今では……A級1位の太刀川隊に所属しているという訳だ。

 

 

短くまとめたが、これが俺がボーダーに入隊することになった経緯だ。

 

 

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 

 

「……っと、しまった!」

 

 

少し物思いにふけっていた俺はふと時計を見ると、時刻は夕方の5時過ぎを示していた。それを見た俺は慌てて席を立ちあがってリュックを背負う。その際にちゃんと代金をカウンターの上に置いておくのも忘れない。

 

 

「どうかしたの?」

 

 

「このあと出水や米屋と本部で会う約束してるんだ。あいつら遅れたらうるさいから。だからごめんアスナ、今日はこれで! エギル、ごちそうさま!」

 

 

「うん、いいよ。気を付けてねキリト君」

 

 

「まいど。もし本部で春秋に会ったら、また店に顔出すように言っておいてくれ」

 

 

「わかった。それじゃあ!」

 

 

挨拶もそこそこに、俺は急いでダイシー・カフェをあとにして、大急ぎで御徒町駅に向かって走って行った。

 

 

『ねぇエギル、キリト君にあの事は……』

 

 

『大丈夫だ、今のところバレちゃいねぇ』

 

 

『そっか。フフッ…来月が楽しみ♪』

 

 

『あの野郎が驚く顔が目に浮かぶぜ』

 

 

だから、俺が去ったあとのダイシー・カフェで、アスナとエギルがそんな会話をしていたことなど知る由もなかった。

 

 

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 

 

「オラァ!!」

 

 

「ハァッ!!」

 

 

多くの高層ビルが立ち並ぶビル街の市街地……そこはもちろん本物の街ではなく、ボーダーのトリオン技術で造られた戦闘訓練用の仮想空間だ。

その場所で俺は、槍を使う同年代の男と武器を交えていた。

 

 

「どうしたカズ!! いつもより動きが鈍いじゃねーか!!」

 

 

「今日はちょっと色々疲れてんだよ! お前は元気でいいよな槍バカ!」

 

 

「誰が槍バカだ、ゲームバカ!」

 

 

そう言いながら俺は槍を弾き返してこいつから距離を取る。

こいつの名前は米屋(よねや)陽介(ようすけ)。A級7位の《三輪隊》に所属する攻撃手(アタッカー)で、ボーダーで唯一の槍型《弧月》の使い手だ。別名《槍バカ》。

 

 

俺と米屋が行っているのは、ボーダー隊員同士の模擬戦。通称《個人(ソロ)ランク戦》だ。

その名の通り、個人の隊員同士が対戦し、勝った方が負けた方の個人(ソロ)ポイントを貰えるというボーダーにおける戦闘訓練の一環だ。

 

 

「そぉらよっ!!!」

 

 

「ッ!!」

 

 

米屋が放つ槍弧月による鋭い突きの連続。正直、その突きの速さはSAO時代に《閃光》と呼ばれたアスナの細剣(レイピア)に比べたら僅かに劣るが、それでも十分すぎるほどに速い。

それを俺は何とか眼で見切りながら、(メイン)トリガーの《レイガスト》で防御したり、回避したりで凌いでいる。

もちろん、俺も防戦に回っているだけじゃない。

 

 

「スラスターON!」

 

 

俺はブレードに手を添えるように構える。同時にレイガスト専用のオプショントリガー《スラスター》を起動させて、噴出されるトリオンの推進力でブレードを加速させる。

 

 

「オオオッ!!!」

 

 

「うおっ!?」

 

 

俺は加速させて振るったブレードを上手く槍弧月の刀身に当てて弾き返すことに成功する。それによって米屋の腕も上に弾かれ、体制を崩していた。

 

 

「ここだっ!!!」

 

 

すぐに俺は無防備となった米屋の体目掛けてレイガストを振るう。だけどそれに対して米屋は、ニヤリと笑った。

 

 

「……と、思うじゃん?」

 

 

「!?」

 

 

その瞬間…俺が振るったレイガストは、米屋の体を守るように出現した小さな六角形の盾によって防がれてしまった。これは、任意の場所にトリオンの盾を出現させる防御用トリガー《シールド》だ。

シールドの耐久力では、ブレードを完全に止めることはできないけど……一瞬だけでも止められてしまえば、その分米屋に回避する隙を与えてしまう。

 

 

「よっと!」

 

 

シールドに阻まれて一瞬止まったのを見計らって、後ろに飛びながら後退した米屋に、俺が振るったレイガストは紙一重で回避されてしまった。

しかも米屋は、すぐに反撃の一手に出てきた。

 

 

幻踊(げんよう)弧月(こげつ)!」

 

 

米屋は再び槍弧月で鋭い刺突を連続で放ってくる。

だけどこの突きはただの突きじゃない。弧月専用のオプショントリガー《幻踊》でブレードを変形させ、たとえ回避されたとしても変形したブレードが襲う変幻自在の突きだ。

 

 

「ぐっ……!!」

 

 

俺は何とかレイガストで弾く防御を試みる。だけど自在に変形するブレードまでは止められない。

徐々に俺の体中に切り傷が刻まれ、その傷から煙となったトリオンが漏れ始める。それでも何とか急所への攻撃は全て防いでいる。

 

 

「やっぱそう簡単に首を取らせてくんねーよなぁ!」

 

 

すると米屋は突きを止めて、今度は大きく振り上げた槍を一直線に振り下ろしてくる。いきなりの攻撃パターンの変化に俺は少し驚きながらも、レイガストを頭上で構えて防御態勢を取るが……その時、槍弧月のブレードがレイガストを避けるように変形した。

 

 

「なっ……!?」

 

 

直前に何とか身を引いたおかげで直撃は免れたが、それでも俺は右足を深く斬られてしまい、大きく体制を崩してしまう。

 

 

「もらったぁ!!!」

 

 

そしてそんな俺に向かってトドメと言わんばかりに米屋が放ってきた大振りの突き──ここだっ!!!

 

 

「スラスターON!!」

 

 

俺はスラスターを起動させて、レイガストに引っ張られるような形で崩れた体制をムリヤリ立て直す。

 

 

「なに!?」

 

 

そして俺は体を捻りながら間一髪で槍を回避して──

 

 

「ハァァァアア!!!」

 

 

足を地面に思いっきり叩き付けるように踏み込むと同時に、ダッシュのスピードを乗せた全力の突きを放つ。

スラスターによる推進力も相まって、まるでジェットエンジンのような振動音と共にレイガストの刃が米屋の胸を深く貫いた。

直後、貫かれた米屋の胸からブシューっと煙のようなトリオンが吐き出され、トリオン体がガラスのようにヒビ割れ始める。

 

 

「あーくそ……今日は勝てると思ったんだけどなぁ」

 

 

「悪いな、今日も俺の勝ちだ」

 

 

《トリオン供給機関破損──緊急脱出(ベイルアウト)

 

 

そのまま米屋のトリオン体は破裂して、米屋自身は緊急脱出(ベイルアウト)して、一筋の光が空に向かって消えていった。

 

 

《模擬戦終了 勝者 桐ヶ谷和人》

 

 

そんなアナウンスを聞きながら、俺はレイガストを軽く左右に振った後に背中のホルダーに収める。同時に俺の視界が光に包まれ、仮想空間から転送された。

 

 

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 

 

「あーあ、負けた負けたぁ」

 

 

「結局今日も全戦全敗じゃねーか。情けねーぞ槍バカ」

 

 

「うっせー弾バカ! お前も人のこと言えねーだろ!」

 

 

「おれは2勝してっから、お前よりはマシだ」

 

 

「俺に言わせてもらえば、米屋も出水もどっちもどっちだと思うけどな」

 

 

「「うるせーゲームバカ」」

 

 

個人ランク戦が終わったあと、俺と米屋ともう1人は、場所をボーダー本部内にある食堂でテーブルを囲んでいる。

もう1人のこいつは出水公平。俺と同じ太刀川隊に所属する《射手(シューター)》だ。高いトリオン能力と豊富な弾丸トリガーを使いこなす天才的な《弾バカ》だ。

そんな俺たちが3人でテーブルを囲んで話す事は主に、さっきまでのランク戦についてだ。

 

 

「最後の一戦での槍バカの敗因は、やっぱ油断した事だろ。カズの足を削ったところで勝ちを確信して、逆に足元を掬われたんだからな」

 

 

「それは否定しねーけどよ、あの状態から体制を立て直すなんて思わねーだろフツー」

 

 

「バッカお前、相手はカズだぞ? この変態が土壇場で予想外の動きをすんのはいつもの事だろ」

 

 

「……それもそうだよな」

 

 

「肯定するなよ米屋! さすがに変態呼ばわりは酷くないか!?」

 

 

「いーや、おれのアステロイドの両攻撃(フルアタック)を1発も喰らわずに全部避ける奴は変態で十分だ」

 

 

「いやあれくらい、相手の目線とかで弾道を予測すれば誰でも……」

 

 

「「できねーよ変態」」

 

 

何故だか俺に変態の称号が送られることになった。解せぬ。

 

 

「そういやカズ、最後に使ったあの突き……あれもソードスキルとかいう技か?」

 

 

「ん? ああ《ヴォーパル・ストライク》か。そうだよ、片手剣重単発攻撃のソードスキル」

 

 

「ゲームでの技をトリガーで再現するとか、本当にゲームバカだよな、カズは」

 

 

「いいだろ別に。2年間も使い続けてきたものなんだから、体に染みついてるんだよ」

 

 

「ま、それで攻撃手(アタッカー)ランク3位にまで入ってんだからたいしたもんだよな」

 

 

《ソードスキル》とはSAOに設定されていた、いわゆる必殺技だ。本来なら攻撃軌道を補正する《システムアシスト》を伴って、通常攻撃を遙かに凌駕する破壊力と攻撃速度を得ることが出来るものなのだが、当然ボーダーのトリガーにはそんな補正機能のようなものはない。

たとえソードスキルと同じ動きをしても、破壊力と攻撃速度はそれには遠く及ばない。

 

そこで俺は《レイガスト》の専用オプショントリガー《スラスター》に目を付けた。噴出されたトリオンの推進力でブレードを加速させて破壊力を上げるそのトリガーは、ソードスキルの再現に大いに役立ってくれている。

 

その練習も兼ねて、正隊員になってからランク戦をしまくっていたら、いつの間にかボーダーにおける攻撃手(アタッカー)ランキングの3位にまで上り詰めていた。

 

 

「そういや、もうすぐ正式入隊日だな」

 

 

ランク戦の反省会から雑談までの会話を繰り広げていると、出水が思い出したように別の話題を口にし始めた。

その言葉に、オレと米屋も「そう言えばそうだ」と頷く。

《正式入隊日》とは言葉の通り、ボーダーに新入隊員が入る日だ。年に3回行われるそれには、毎回100人近い新隊員が入隊する一大イベントだ。その正式入隊日が来月にまで迫ってきている。

 

 

「今年はどうなんだろうな? 緑川とか木虎レベルの新人が入隊してくれたら、バトれておもしれーんだけどな」

 

 

「それは難しいんじゃないか。最近の新人はパッとした奴がいないって、諏訪さんが愚痴ってたし」

 

 

入隊日を迎える度にボーダーの戦力が増えるかと言われれば、実はそうでもない。

ボーダーの入隊試験は《基礎学力試験》と《基礎体力試験》と《面接》の3つで構成されているが、ぶっちゃけこれらは合否の判定基準にはなっていない。

 

入隊試験の1番の合格条件は、トリガーを使う才能……つまり《トリオン量》の優劣だ。

 

極論を言えば、たとえ学力・体力試験が優秀でも《トリオン量》が合格基準に達していなければ落とされる。その逆もまた然りだ。まぁ実際に学力が残念な奴でもちゃんと入隊できてる奴はいるしな、目の前にいる米屋とか。

 

かと言って、トリオン量が優秀ならば良いという訳でもない。結局のところ、大事なのは才能があるか無いかではなく……戦う意志があるかどうかだ。

戦おうとする意志があれば、強くなろうと努力する。努力することに才能なんて関係ない。多少の差異はあれど、そういう奴こそ強くなれると俺は思っている。

だが、このところの新人の多くはボーダーの名前を一種のブランドのように語っている。『ボーダーに入れば人気者になれる』と思って入隊してくる奴がほとんどだ。

そういう奴こそ長くは続かない。どんなに才能に恵まれていようが、宝の持ち腐れ。万年C級の訓練生か、良くてB級下位止まりだろう。

 

少し話がそれてしまったが、つまりは即戦力になるような大型新人はそうそう居ないってことだ。

 

 

「いや、今回はそうでもねぇかもしれねーぞ」

 

 

すると出水が、何か意味あり気にニヤリと笑いながらそう言った。

 

 

「何だよ弾バカ、おまえ何か知ってんのか?」

 

 

「弾バカ言うな槍バカ。おれも噂で聞いた程度なんだが、実は──」

 

 

内緒話をするように少し声を潜める出水。そんな出水に俺と米屋は顔を近づけて、出水の話に耳を傾けようとする。

 

 

だがその時、俺たち以外の声が食堂に響いた。

 

 

「あーいたいた!! 和人兄ちゃん!!」

 

 

元気な少年の声。妹の直葉以外で俺のことを兄と呼ぶのは、このボーダーでは1人しかいない。顔を見る前から相手が誰だが察した俺は、そいつに視線を向けながら声をかけた。

 

 

「よお、緑川」

 

 

少年の名前は緑川(みどりかわ)駿(しゅん)。A級4位部隊《草壁隊》に所属する攻撃手(アタッカー)だ。因みに中学2年生。

先ほど話していた大型新人の1人で、入隊して僅か1年でA級隊員にまで上り詰めた奴だ。実際に才能はあるし、強い。間違いなく将来有望な隊員だ。

 

まぁそのせいで一時期、緑川には素行に色々と問題があった……一言でいうと調子に乗っていた時期があった。

なまじ才能があるせいで他のC級隊員や、自分より弱い正隊員を見下す傾向が露骨に見て取れた。いくら才能があると言ってもまだ中学生なので、それも仕方ないことなのかもしれないが……

 

すると緑川はある日、とうとうA級隊員にまでケンカをふっかけた。しかもその相手は俺だった。当時さすがに緑川の行動は少し目に余ると思っていた俺は、緑川と模擬戦で勝負し、結果ボロボロに負かしてやった。その後、今までのこいつの態度を改めさせる為にちょっとした説教みたいな事をしてやったのだが、この時緑川の中で何がどうなったのかは分からないが、それ以降俺のことを和人兄ちゃんと呼んでくるようになった。

 

因みに緑川いわく「何だか兄ちゃん」みたいだから、らしい。

 

 

「やっほー、和人兄ちゃん! いずみん先輩とよねやん先輩もよっす」

 

 

「「うぃーす」」

 

 

そんな軽い調子で俺や出水と米屋に挨拶を交わす緑川。

最近ではこの4人で一緒にいる事が多くなっているので、周囲からは俺たちは《A級4バカ》と呼ばれている。正直出水と緑川はともかく、米屋と一緒にバカのひとくくりにされるのは納得いかない。

 

 

「で、俺に何か用か? またランク戦の相手でもしてほしいのか?」

 

 

「いいね、やろーやろー! って言いたいところだけど、違うよ。さっきユイちゃんと会ってさ、和人兄ちゃんを見かけたら開発室に来てほしいって伝言を頼まれたんだ」

 

 

「ユイが? 開発室に?」

 

 

はて……今日は特に開発室に呼ばれる予定はなかったハズだが。とはいえ、ユイが呼んでいるとなれば行かない訳にはいかないか。

 

 

「わかった、知らせてくれてありがとな緑川。悪い2人とも、そういう訳だから今日はこれで」

 

 

「おう。ユイちゃんによろしくな」

 

 

「明日は朝から防衛任務だからな、遅れんなよー」

 

 

「じゃあねー和人兄ちゃん!」

 

 

3人に別れを告げてから食堂を後にした俺は、若干の急ぎ足で娘のユイが待つ開発室へと向かって歩き出したのだった。

 

 

 

 

 

「ところで出水、おまえさっきは何言いかけてたんだよ」

 

 

「あぁ、今度の新人の話か?」

 

 

「なになに? 何の話?」

 

 

「おまえのせいで中断した話だよ。いや、実はな──」

 

 

 

 

 

「今度入隊する新人の中に──SAO生還者(サバイバー)が数人いるんだってよ」

 

 

 

 

 

つづく



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ユイ

3話目です。


 

 

 

 

 

 

あれから出水たちと別れた俺は、ユイが呼んでいるという開発室にやって来ていた。

ボーダーの開発室はその名の通り、近界民(ネイバー)の技術であるトリガーを日夜研究・開発し、界境防衛に不可欠な新兵器を開発している場所だ。俺たちが普段使用しているトリガーも、この開発室に所属する技術者(エンジニア)たちあってのもの。ボーダーにとって必要不可欠と言っても過言ではない。

かく言う俺も、昔からこう言った技術系の仕事には興味があった為、たまに足を運んでトリガー開発の見学をさせてもらうことがある。

 

俺は自動ドアの前に立ち、パシュっという軽い音と共に扉が開かれたのを確認すると、そのまま開発室に足を踏み入れた。

 

 

「失礼します」

 

 

「あっ、パパ! いらっしゃいです!」

 

 

開発室に入った俺を最初に迎えてくれたのは、純白のワンピースに身を包んだ小さな女の子……ユイだった。

 

ユイ──今は無きSAOのメインシステム《カーディナル》の《メンタルヘルス・カウンセリングプログラム》の試作1号。コードネーム《Yui》。つまりAIプログラムだった。

紆余曲折あって現在では俺と恋人のアスナを《パパ》《ママ》と呼んで慕うようになり、俺とアスナもユイを本当の娘のように可愛がっている。今では開発室のマスコットのような存在だ。

 

 

「ようユイ。緑川から呼んでる聞いて来たんだが、どうかしたのか?」

 

 

「用があるのは私じゃなくて、鬼怒田おじさんです、パパ」

 

 

「鬼怒田さんが?」

 

 

「おお、来たか桐ヶ谷!」

 

 

そんなユイに続いて俺を迎えてくれたのは1人の男性。

ボーダーの上層部の1人で、この開発室の室長である鬼怒田(きぬた)本吉(もときち)さん。とある動物を連想させる見た目と、目の下の隈が目立つ仏頂面からはからは想像がつかないが、(ゲート)誘導システムの開発や本部基礎システムの構築、さらにノーマルトリガーの量産などの数多くの実績を持つデキる人。この人がいなければ今の防衛態勢は実現できなかっただろうと言われるほどだ。上層部の中で俺が一番尊敬している人で、俺とユイにとっては夢を叶えてくれた大恩人でもある。

 

AIであるユイはMMOの世界でしか自分の体を持たない。

当時ユイに外の世界を見せてやりたいと考えていた俺は、トリオンを使った技術でそれが実現できないかと考え、開発室の門を叩いたのが始まりだ。

そしてありがたいことに完成されたAIの存在に興味を持ってくれた鬼怒田さんが率先して俺の相談に乗ってくれた。それからは俺と鬼怒田さん、そしてチーフエンジニアの雷蔵さんをはじめとした技術者(エンジニア)たちで試行錯誤したのち……ついにユイの体をトリオン体で構成することに成功した。あの時の達成感は今でも鮮明に覚えている。それ以来、俺は鬼怒田さんには頭が上がらない。

 

 

「こんにちは鬼怒田さん。今日はどうしたんですか?」

 

 

「うむ、実は今新しいトリガーを開発しておるのだが、おまえさんから戦闘員としての意見を聞きたい」

 

 

「いいですよ。俺の意見でよければ喜んで」

 

 

俺が開発室に足を運ぶようになってからは、鬼怒田さんからのこう言った頼みを聞く事は多くなった。もちろん断る理由はないので、俺はそれを快く引き受けた。

 

 

「あ! 私も鬼怒田おじさんをお手伝いします!」

 

 

「おーそうかそうか、ありがとうなユイちゃん」

 

 

仏頂面から一転して、ニコニコと笑いながらユイの頭を優しく撫でる鬼怒田さん。

誤解のないように言っておくと、鬼怒田さんには離れて暮らす娘さんがいて、ユイを見ているとその娘さんを思い出すらしい。決して鬼怒田さんにアレな趣味がある訳ではない。

 

 

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 

 

「ううむ……やはり新型トリガーの開発は、攻撃手(アタッカー)用に重きを置いた方がいいか」

 

 

「そうですね、攻撃手(アタッカー)用トリガーは現状3つしかありませんから。もしその方向性で行くのなら、攻撃力特化の重装型というのもいいかもしれませんね。大剣のような大型のブレードトリガーとか」

 

 

「ですが攻撃力を特化すれば、その分トリオンの消費が多くなります。そうなるとトリオン効率が悪くなってしまいますので、玉狛支部の《双月》のように短期決戦型になってしまいます。継戦能力を重視している本部の規格からは外れてしまいますよ」

 

 

「そこはその分、耐久力を下げてトリオンを調節するしかないな。それでも弧月と同等の耐久力にはなるはずだ。同時に重量もレイガスト以上になってしまうけど、他の3つに比べて攻撃範囲を広くとれる」

 

 

「確かにそれはできんこともないが、それでは重量があまりにもかさみ過ぎではないか? 重すぎてまとも振れなくなっては、本末転倒だろう」

 

 

「一応トリオン体で持てるギリギリの重量を想定していますけど、スラスターのような重量をカバーする為の専用オプショントリガーの開発も視野に入れておいた方がいいかもしれませんね」

 

 

「うむ。では仮にそれを開発すると想定してのコストだが――」

 

 

開発室で交わされる、俺と鬼怒田さんとユイの3人による議論。主題はもちろん、新型トリガーについてだ。こうやって意見を出し合いながら議論を重ねることで、開発の幅が広がる。今回は3人だけだけど、たまに他のエンジニアの人たちも加わってグループディスカッションが行われることも珍しくない。

俺はエンジニアじゃないけど、こういった時間は楽しく有意義に感じている。

 

 

「む? もうこんな時間か」

 

 

そう言った鬼怒田さんに釣られて、ふと時計を確認すると、すでに時刻は夜中の9時を回っていた。どうやら議論に夢中になるあまり、帰宅予定の時間をかなりオーバーしてしまったらしい。

ポケットから取り出した携帯端末の画面を見てみると、妹からの『早く帰って来い』メールが数件来ていた。

 

 

「すみません鬼怒田さん、今日はもうこれで失礼します」

 

 

「ああ、長時間すまんな。今日もなかなか有意義だったぞ」

 

 

「こちらこそ。ユイ、帰るぞ」

 

 

「はい、パパ。鬼怒田おじさん、バイバイです!」

 

 

「またいつでも遊びにおいで」

 

 

鬼怒田さんに頭を下げて挨拶をすると、ユイは両目を閉じて、呟くようにある言葉を口にする。

 

 

「トリガー解除(オフ)

 

 

その瞬間、ユイの体が眩い光に包まれる。そしてその光の中でユイの体は粒子となって消えていき、光が止むとそこには1本のトリガーホルダーのみが残された。

 

このトリガーホルダーこそが今のユイの本体。通常ならトリガーホルダーの中にはトリガーの本体とされる《チップ》がセットされているのだが、このホルダーは鬼怒田さんお手製で、チップの代わりにかつて《ナーブギア》に内蔵されていたローカルメモリがセットされている特別仕様だ。

 

トリオン器官を持たないユイがトリオン体に換装する為には、他者にトリガーを起動してもらって、その起動者のトリオンを分け与えてもらう必要がある。もちろんその起動者は主に俺だが。

因みにこれはトリガー同士の《臨時接続》をヒントに思いついた技術だ。ただしまだまだいくつか問題点がある為、未だに本部と三門市の中でしか起動を許されていない。だからまだアスナたちにはユイのことは話していない。理由はもちろん、完成した時に驚かせたいからだ。

 

 

「では鬼怒田さん、失礼します」

 

 

「ああ、またな」

 

 

俺はユイのトリガーをポケットにしまうと、もう一度鬼怒田さんに頭を下げて、開発室を後にした。

 

 

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 

 

「うわ、またスグからのメールだ。これはかなり怒ってるな」

 

 

基地内の通路を歩きながら、俺はそう1人ごちる。さっきから数十分に1回の頻度で妹の直葉からのメールが届いている。内容はどれも早く帰って来いとのことだが、どうやらなかなかご立腹らしい。これは早く帰らないと晩飯を抜きにされかねない。

なので俺は少し急ぎ足で基地の出口へと向かって歩く。だけどその時、背後から誰かに声をかけられた。

 

 

「よう桐ヶ谷、久しぶり」

 

 

男の声。聞き覚えのあるその声に、俺は反射的に足を止めてしまう。そして振り向き様に、その相手の名前を口にした。

 

 

「迅さん」

 

 

「ぼんち揚げ、食う?」

 

 

その人はボリボリとぼんち揚げを喰らいながら、どこか含みのありそうな笑みを浮かべてそう問い掛けて来た。

サイドを残してオールバックにした前髪とブリッジ部のない珍しい形状のサングラスが特徴で、その身には青色のジャケットを羽織ってる。

 

彼の名前は(じん)悠一(ゆういち)。うちの隊長のライバルで、ボーダーの中で知らない人はいないとされるほどの有名人だ。

その理由はいくつかあるが、まず、迅さんはボーダーでも数少ないS級隊員の1人だ。S級隊員の詳細は割愛するが、その実力は折り紙付き。ボーダーの司令や本部長からの勅命を受けることもあるらしい。

 

 

「珍しいですね、玉狛支部の迅さんが本部に顔を出すなんて」

 

 

「そりゃあ顔くらい出すよ。おれみたいな実力派エリートはどこでも引っ張りだこだからな」

 

 

ぼんち揚げ片手に腹立つほどのドヤ顔の迅さん。

迅さんが所属しているのは本部ではなくて《玉狛支部》と呼ばれる、警戒区域の外縁上に存在している6つの支部の1つだ。ボーダー支部には基本的にA級を目指さない隊員が所属していることが多く、地域住民の窓口になっているのだが、玉狛支部だけは特殊だ。なんたって所属している隊員が全員A級の少数精鋭部隊で、A級1位の俺たち太刀川隊を差し置いて《ボーダー最強部隊》って呼ばれてるんだからな。実際、彼らは強いからそう呼ばれるのも仕方ないけど。

 

 

「桐ヶ谷も近いうちに玉狛に来いよ。小南とかが会いたがってるしな」

 

 

「小南に限っては、戦いたがってるの間違いでしょう?」

 

 

「そうとも言うな。あ、因みにもし来るなら今度の土曜日がオススメだ。その日はレイジさんが食事当番だからな」

 

 

「絶対に行きます」

 

 

俺は反射的にそう答える。

レイジさんが食事当番と聞いたら行かない訳にはいかない。あの人が作る料理はどれも絶品だからな。特に初めて食った《肉肉肉野菜炒め》は美味かった。あの味は中々忘れられん。アスナには悪いが、俺はあの人の作る料理も好きだな。

 

 

「……で、迅さんは俺に何の用ですか? ただ雑談する為に、ここで俺を待ってた訳じゃないですよね」

 

 

「ん、まあね」

 

 

俺の問いに対してあっさり肯定する迅さん。

ここでこの人と会ったのは偶然じゃない。迅さんが本部に来る時は大体上層部に呼ばれた時か、こうやって特定の人に会う為のどちらか。けど今、俺が通ろうとしていた通路は上層部の会議室には繋がっていない。と言う事は、わざわざここを通る俺を待っていたという事だ。もちろんこれは推測でしかないが、俺はほぼそうだと確信していた。

何故ならこういう時の迅さんはあの男……通信ネットワーク内仮想空間管理課、通称《仮想課》に所属する菊岡に似ているのだ。要するに胡散臭い。

 

 

「近いうちに《遠征》があるのは知ってるだろ」

 

 

「もちろん。というか、うちの隊も遠征部隊ですし」

 

 

当然だと俺は答える。

迅さんの言う《遠征》とは《近界(ネイバーフッド)遠征》のことだ。

その名の通り、選抜試験で選ばれた隊員を遠征艇を乗せて近界民(ネイバー)の世界である近界(ネイバーフッド)へ渡航し、現地の調査や未知のトリガーの回収を目的とした機密事項だ。今回は俺たち太刀川隊を含めたA級の上位3部隊で行く事になっている。

 

 

「その遠征だけど、桐ヶ谷だけはこっちに留まって欲しいんだ」

 

 

「は?」

 

 

それはつまり、俺は遠征に行かずにこっちに残れってことか。何故そんなことを……と、問い掛ける前に、迅さんはぼんち揚げを口に放り込んでボリボリと咀嚼しながら言葉を続けた。

 

 

「まだ詳しいことは言えないけど、桐ヶ谷がこっちに残ってくれた方が色々助かるんだよ。ボーダーにとっても、おれにとっても、桐ヶ谷自身にとってもね」

 

 

「……またお得意の暗躍ですか」

 

 

自分の趣味を暗躍と言ってのけるほど変わった人だ。だけどこの人には、どんな差し抜きならない状況もいつの間にか収束できるほどの手腕と能力を持っている。

 

 

「桐ヶ谷にとって決して悪い話じゃないよ。おれのサイドエフェクトがそう言ってる」

 

 

自身満々にそう言い放つ迅さんの言葉には、それを裏付けるほどの説得力があった。

 

サイドエフェクト──意味は《副作用》。

高いトリオン能力を持つ人間に稀に発現する特殊能力……と言ってもそれは超能力のようなものではなく、あくまで人間の能力の延長線上のものでしかない。ボーダーの隊員にも《常人の6倍の聴力》を持つ人や《経験した知識や技術を寝るだけで定着させる》などの能力を持つ人がいる。目の前にいる迅さんもそのサイドエフェクトを持つ1人だ。

 

そしてその迅さんのサイドエフェクトは《未来視》。目の前にいる人間の少し先の未来……それも《いくつかの起こりうる未来》が視えるという、俺が知る中でも強力なサイドエフェクトだ。

だけどそれは決して良いことばかりではない。未来が視えるという事は、同時に未来を知る者としての責任を負う事でもある。だからこそ迅さんは、最善の未来の為に暗躍を通して奔走する。普段は飄々としてるけど、実はボーダーの中で一番大変な立場にいる人なのかもしれない。

 

そんな迅さんの頼みを、俺はそう簡単に無下にすることはできなかった。

 

 

「今度は一体、何が視えたんですか?」

 

 

「ぼんやりとしか視えてないから、さっきも言ったようにまだ詳しくは言えない。だけど桐ヶ谷が遠征に行くか行かないかで、未来が大きく分岐することは間違いない」

 

 

つまり俺の選択1つで、未来が左右されるって事か。

実を言うと、俺は少し今回の遠征に興味があった。仮想世界とは違う本当の異世界に行くなんて、そうそう体験できることじゃない。それに向こうの近界民(ネイバー)との交渉次第では、未知のトリガーが手に入ったりもする。未知の世界に未知のアイテムと聞いて心が躍るのは、ゲーマーとしての(さが)だろう。

遊びではないことは分かっているが、それでも行ってみたいという気持ちは強い。

 

だけど、俺がその遠征に行く事で未来が分岐すると聞いてはそうも言っていられない。俺が迂闊に動くことで未来が確定し、結果的に三門市が大変なことになるかもしれない。街の安全を考えるなら、俺は遠征に行かない方がいいのだろうか……。

 

俺が胸の内で葛藤していると、それが顔に出ていたのだろうか、迅さんが安心させるように俺の肩に手を置いた。

 

 

「大丈夫、別に強制はしないよ。桐ヶ谷が遠征に行く未来を選択しても、そのまま最悪の未来に繋がる訳じゃない」

 

 

そう言われて、少しだけ気が楽になる。

迅さんのことだ。おそらく俺がどっちを選択しても理想の未来になるよう、暗躍を駆使して各方面に働きかけるだろう。そう考えると、今日俺に声をかけたのは保険のようなものなのかもしれない。

それでも俺は………!

 

 

「……わかりました。少し考えさせてください」

 

 

「うんうん、悩めよ若者。未来はあっという間にやって来るぞ」

 

 

ぼんち揚げを口いっぱいに頬張りながらドヤ顔されても、カッコつかないですよ迅さん。

 

 

「ああそうそう、それともう1つ」

 

 

「?」

 

 

「来月の正式入隊日に少し顔出してみろよ。おもしろいことがあるかもよ」

 

 

おもしろいこと? 何だろうか? とんでもない新人が入隊する未来でも視えたのだろうか。

 

 

「わかりました、気が向いたら行ってみます。それじゃあ」

 

 

「おう、早く帰った方がいいぞ。おまえが妹ちゃんに物凄く怒られてる未来が視えたから」

 

 

「…………」

 

 

迅さん……そんな未来が視えていたのなら、呼び止めないで欲しかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

つづく



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正式入隊日

4話目です。


 

迅さんの言う通り、未来はあっという間にやって来た。

9月8日。この日はボーダー隊員の正式入隊日だ。迅さんのすすめもあって、俺はこの日入隊指導の見学に行くハズだった。

だが運悪く、この日は朝からの防衛任務が入ってしまっていた。引き継ぎの部隊が来るまで、警戒区域を離れることは出来ない。

しかも……

 

 

「悪いカズ! 1体そっちに撃ちもらした!!」

 

 

「任せろ!!」

 

 

俺は勢いをつけてレイガストを振り下ろし、虫のような外見をした戦闘用トリオン兵《モールモッド》を弱点の目ごと真っ二つにして機能を停止させる。これで12体目だ。

 

 

『マズイよ! 南西の方でも誤差2.54で(ゲート)発生! トリオン兵がどんどん出てくるよ~!』

 

 

「あーもー! 何で朝っぱらからこんなにトリオン兵が出てくんだよ! しかも太刀川さんがいないこんな時に!!」

 

 

「言っててもしょうがないだろ! 行くぞ出水!」

 

 

怒鳴る出水を連れて、俺たちは警戒区域の南西部に向かう。

今日は朝から出現するトリオン兵の数が多い。しかも今回は隊長の太刀川さんが不在で、人員は俺と出水しかいないという状況だ。唯我? あいつは戦闘が始まって5分でやられて緊急脱出(ベイルアウト)した。

 

 

「あのヒゲ隊長……! あとで絶対に忍田本部長にチクってやる」

 

 

「同感だぜカズ。風間さんにも報告しとこうぜ」

 

 

俺と出水は今この場にいない太刀川さんへの怒りを露にする。

太刀川さんは大学生だが、基本的に単位がヤバイ。原因は本人が勉強できないのと、講義をサボってランク戦ばっかりやってるからだ。そして今回はそのツケが回ってきて、今朝の大学の補講に出席しないと単位が無くなってしまうらしい。なので急遽、太刀川さんは欠勤。俺と出水で防衛任務につくことになってしまった。

それを狙いすましたかのように、今日はトリオン兵の数が半端じゃない。倒しても倒しても次々に(ゲート)が開いて湧いてくる。MMORPGのレベリングならこんな状況でも大歓迎だが、現実での戦闘……しかもたった2人でこの状況はかなりキツい。すでに俺と出水で合わせて30体は倒してるだろう。

 

 

「柚宇さん! 増援部隊の申請は!?」

 

 

『もう終わってるよ~! だけど到着までに時間がかかるって!』

 

 

「これ以上出てこないのを祈るしかないな……」

 

 

『くっ……こんなにも戦場にいない自分を呪ったことはない!! しかし!! ボクは信じている!! 出水先輩と桐ヶ谷先輩なら、今こそA級1位である太刀川隊の真の力を見せてくれると──』

 

 

「うるせーぞお荷物!! 訓練室にブチ込んで死ぬまでハチの巣にすんぞ!!!」

 

 

『ヒィィ! 弁護士を呼んでくれ! 今のは殺人予告だーー!』

 

 

「あー…唯我、今の出水は気が立ってるから少し静かにしといたほうがいいぞ」

 

 

出水はだいぶイラついてるな。まぁ気持ちはよくわかるけど。

そんな話をしている間に、(ゲート)が開いた場所に到着した。すでに(ゲート)自体は閉じているが、代わりにトリオン兵の大群がひしめき合っていた。目測で見ても十数体はいるな。

 

 

「やっぱり多いなぁ。どうする出水?」

 

 

「決まってんだろ。とりあえずおれがぶっ放すから、あとは各自臨機応変に、だ」

 

 

「いつも通りか。了解」

 

 

俺は背中のホルダーからレイガストを抜く。そして右足を前にして半身にし、腰を落とし、右手に握ったレイガストのブレードがほぼ地面に接するほどに下げるという、いつもの慣れた構えを取る。俺の方は準備完了だ。まずはハデに頼むぞ、出水。

 

 

炸裂弾(メテオラ)

 

 

出水の右手に立方体のキューブが出現すると、そのキューブが4分の1…8分の1と段々と細かく分割されていく。

そして小さく分割されたキューブがそれぞれ弾丸となってトリオン兵の大群となって射出されると、その弾丸は着弾すると同時に激しく爆発し、大群の一部を吹き飛ばした。爆発で広範囲を攻撃する弾丸トリガー《炸裂弾(メテオラ)》だ。

 

射手(シューター)は銃を使わずに弾丸トリガーのみを射出する中距離戦闘ポジションだ。銃手(ガンナー)に比べると射程や命中率は劣るが、その反面、弾丸トリガーの設定を細かく調節できる。威力特化や弾速特化、分割して放ったり、そのまままるごと放ったりなども自由だ。特に出水は射手(シューター)の中でも天才と称され、種類豊富な弾丸トリガーを自由自在に使いこなす奴だ。だから弾バカって呼ばれてるんだけどな。

 

 

「行くぞ!」

 

 

出水の爆撃を合図に、俺も動き出す。まず爆発の余波に巻き込まれた奴から狙っていく。

俺は一番近くにいた巨大な捕獲用トリオン兵の《バムスター》に向かって飛び、そのまますれ違いざまに目の部分を切り裂く。直後にその巨体が静かに崩れ落ちて活動を停止する。

俺は地面に着地すると、すでに周りは3体のモールモッドで囲まれていた。すると目の前のモールモッドの1体が、2本のブレード型の足を鎌のように振るって斬りかかってくる。

 

 

「スラスターON!」

 

 

俺はオプショントリガーのスラスターを起動させると同時に、加速させたレイガストのブレードで、即座にモールモッドの2本の足を付け根から斬り落とす。

そして無防備になったモールモッドの目にレイガストを突き刺し、横に振り抜く。これでまずは1体。

俺は剣を振り抜いた勢いで体を回転させて、そのまま背後から俺に襲い掛かろうとした2体目のモールモッドの目にレイガストを叩き込む。斬られた部位から煙と化したトリオンを噴き出しながら事切れる2体目。

その瞬間、3体目のモールモッドが俺に向かって足のブレードを振り下ろされた。俺はその攻撃を空中に跳んで回避する。そのまま空中でレイガストを逆手に持ち替えて落下し、弱点の目ごとモールモッドの体を貫いた。

 

 

「カズ、一旦下がれ! アステロイド!!」

 

 

出水の声が聞こえたのと同時に、俺はバックステップでトリオン兵から距離を取る。その直後に、薄い緑色に光る弾丸が、流星群のようにトリオン兵に降り注ぐ。特殊な効果を持たない代わりに高い威力を持つ弾丸トリガー《通常弾(アステロイド)》だ。

流星群のごとき弾幕がトリオン兵の一部を殲滅していく中、生き残った奴等もダメージで身動きが取れなくなっていた。

 

 

「ナイスだ出水!」

 

 

この好機を逃さず、俺は動けないトリオン兵を1体2体と、確実に目の部分を狙って斬りつけ、戦闘不能に追い込んでいく。だけど順調に狩り続けていたのも束の間……俺の頭上を、突然影が覆った。

ふと上を見上げると、そこにはリング状の翼を持つ飛行型トリオン兵《バド》が5体、空を飛び回っていた。

新手の確認をした俺は、すぐに出水に向かって叫んだ。

 

 

「飛行型だ! 落とせ出水!」

 

 

「落としてください、だろ。誘導弾(ハウンド)!!」

 

 

言うや否や、出水は分割した弾丸を上空目掛けて放つ。自動で相手を追尾する《誘導弾(ハウンド)》は、その特性に従って曲線を描くような弾道で飛んで行き、見事に全てのバドを貫いた。飛行能力を失った5体のバドは重力の法則に従って墜落する。さすが出水、注文通りの仕事をしてくれたか。

すると、耳元の通信機から柚宇さんからの通信が入る。

 

 

『2人とも、砲撃型のバンダーを確認したよ! 砲撃に注意して!』

 

 

「「!」」

 

 

それを聞くと同時に、俺と出水の周囲にいくつもの光線が着弾し、凄まじい爆風を巻き起こした。

いきなりの出来事だったが、俺たちは咄嗟に《シールド》を張ったので事なきを得た。そして光線が飛んできた方角を見てみると、バムスターと同等のサイズを持つトリオン兵の姿。捕獲・砲撃型の《バンダー》だ。数は2体だけだが、俺たちから数十メートルは離れた場所を陣取っている。

かなり距離は空いているが、問題ないな。

 

 

「出水、援護頼むぞ」

 

 

「任せろ」

 

 

そんな短いやり取りをしてすぐ、俺はバンダーに向かって駆け出した。

 

 

「グラスホッパー」

 

 

走りながら俺は、足元に水色に発光するオプショントリガー《グラスホッパー》を設置する。それを思いっきり踏みつけると、それに強く反発する力が、俺の体を前方に向かって弾き飛ばした。

バンダーの1体に向かって真っ直ぐ飛びながら、俺はレイガストを構える。

だがそれに対して、バンダーの目の部分が発光している。さっきと同じ砲撃を放とうとしているんだろう。回避できなくもないが、俺にはその必要はない。何故なら、俺の後ろには頼りになるサポーターがいるからな。

 

 

『カズ、そのまま真っ直ぐ飛べ! 変化弾(バイパー)!』

 

 

直後、俺の後方から飛来するいくつもの弾丸。それらは不規則な弾道を描きながらも、俺に被弾することなく追い越していく。弾道を自由に設定して、自由自在な動きを可能にした《変化弾(バイパー)》による出水の援護射撃だ。

それらは全弾命中し、それに怯んだバンダーの砲撃発射を阻止することに成功した。

 

 

『サンキュー出水!』

 

 

『しっかり仕留めろよカズ!』

 

 

通信越しでそう軽く言い合いながら、俺も次の行動に移した。

左手でもう一度起動させたグラスホッパーを踏み、空中さらなる加速をつける。

 

 

「スラスターON!!」

 

 

俺はグラスホッパーによる加速とスラスターの推進力を加えた直突き……《ヴォーパル・ストライク》を放った。

ジェットエンジンのような金属質な音と共に突き出されたブレードの切っ先は、呆気なくバンダーの目を貫通した。突き刺した箇所からトリオンの煙を噴き出しながら、バンダーは地面に崩れ落ちる。

俺はすぐにバンダーの体から離れて飛び降りると、2体目のバンダーに目をやる。だがすでに相手の攻撃態勢は整っており、輝く目からは今にも発射されそうになっていた。

 

 

──スラスターON!!

 

 

だから俺は再びスラスターを起動させてレイガストを、投げた。

SAO時代で言う投擲スキルの要領で投げられたレイガストは、スラスターの推進力を得て凄まじい勢いで飛んで行く。そして一直線に放たれたそれは、バンダーの目に深く突き立てられ、トリオンの煙をまき散らしながら沈黙した。

「ふう」と軽くひと息つくと、耳元の通信機から出水の呆れたような声が聞こえてきた。

 

 

『おいおい、レイガストをぶん投げて仕留めるとか……やっぱ変態だなカズは』

 

 

『変態言うな。SAO時代に使ってた投擲スキルを応用しただけだよ。それよりそっちはどうなった?』

 

 

『残ってたトリオン兵は全部仕留めたぜ。とりあえず終わったっぽいな』

 

 

『ああ。これでようやく──』

 

 

休める……と言葉を紡ごうとした瞬間、柚宇さんからの最悪の知らせが入った。

 

 

『2人とも~、また(ゲート)が開いたよ~! しかも今度は北側と西側の2ヶ所!』

 

 

『『またかよ!』』

 

 

俺と出水は同時に叫ぶ。

どうやらまた(ゲート)が開いてしまったらしい。それも同時に2ヶ所で。西側はともかく、北側って今いる場所のほとんど真逆じゃないか。急がないとトリオン兵が警戒区域外に出るぞ。

 

 

『出水! 俺がグラスホッパーで北側に急行する! おまえは西側に急げ!』

 

 

『二手に分かれて大丈夫なのかよ!?』

 

 

『増援部隊が来るまでの辛抱だ! 無理に倒そうとせず、警戒区域を出ないよう足止めに専念すれば──』

 

 

『その必要はない』

 

 

俺の言葉を遮って、別の声が通信に割り込んで来た。

 

 

『こちら三輪隊。北側の現場に到着した。処理を開始する』

 

 

その声はA級7位部隊《三輪隊》の隊長、三輪(みわ)秀次(しゅうじ)の声だった。

あまり仲がいいという訳ではないが、俺と同い年ながらA級部隊の隊長を務める万能手(オールラウンダー)としてその実力はよく知っている。

どうやらその三輪隊が増援部隊として駆け付けてくれたようだ。これで少しは楽になるな。

 

 

『よう弾バカ、ゲームバカ、生きてるか? 助太刀に来てやったぜ。泣いて感謝しろよ』

 

 

『『うるせー槍バカ』』

 

 

途中でバカの陽気な声が聞こえて来たけど、出水と一緒に一言だけ言い返して、三輪に通信を繋ぐ。

 

 

『三輪、増援ありがとな』

 

 

『礼を言われる筋合いはない。近界民(ネイバー)は全て殺す。それだけだ』

 

 

底冷えするような冷たい声が通信越しに聞こえてくる。相変わらずだな。

三輪は第一次近界民大規模侵攻の際に、お姉さんを近界民(ネイバー)に殺され、それ以来近界民(ネイバー)に対して復讐の念を抱くようになった……と、米屋から聞いたことがある。それに対して俺は、三輪に何かを言うつもりはないけどな。

 

 

『桐ヶ谷と出水はそのまま西側に向かえ。奈良坂、太刀川隊の援護をしろ。陽介は俺と北側の近界民(ネイバー)を殲滅。章平は援護だ。行くぞ』

 

 

『出水、了解』

 

 

『奈良坂、了解』

 

 

『米屋、了解』

 

 

『古寺、了解』

 

 

テキパキと通信で指示を出す三輪。さすがはA級最年少隊長だ。

 

 

『桐ヶ谷、了解』

 

 

さて、ラストスパートだ!!

 

 

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 

 

「あぁ~、終わった終わったぁ」

 

 

防衛任務を終えた俺は、グッと体を伸ばしながら基地内の通路を歩く。

あれから三輪隊と共にトリオン兵を倒し終えた俺と出水は、後続がないことを確認したあと、防衛任務を三輪隊に引き継いでからようやく解放された。

出水は「疲れたから部屋で休む。あと唯我をシメる」と言って作戦室へと歩いて行った。正直俺もそれに同行しようと思ったが、迅さんに言われたことが頭をよぎったので、出水と分かれて新入隊員を見に行くことにした。

この時間だと、すでに入隊式は終わって、ポジションごとの入隊指導(オリエンテーション)に入っているだろう。とりあえず、攻撃手(アタッカー)銃手(ガンナー)組の方を見に行ってみるか。

 

そう決めた俺は、さっそく訓練室に向かって歩き出そうとした瞬間、背後からトントンと肩を叩かれた。そして首だけを動かして振り返ると、俺の頬に人差し指がささった。

こんなことをするのは1人しかいない。

 

 

「……何してるんですか? 生駒さん」

 

 

「何って、挨拶に決まってるやん」

 

 

「普通に声かけてくれたらいいじゃないですか」

 

 

「いやいや、後ろから挨拶するんやったらコレやるやろ? え? やらへん?」

 

 

「やりませんよ。少なくとも俺は」

 

 

「おもんないわ~。そこは冗談でもやる言うところやぞ桐ヶ谷」

 

 

俺の頬に指をさしながらそう語るこの人は、生駒(いこま)達人(たつひと)さん。

県外からスカウトされた関西出身の人。ボーダーの攻撃手(アタッカー)ランク6位に位置する実力者。

黒髪のオールバックに引き締まった目元を一見すると、硬派な印象を受けるが、実際はマイペースでノリが軽い。

 

 

「桐ヶ谷は仕事あがりか?」

 

 

「ええ、まあ。これから訓練室を見に行くつもりですけど」

 

 

「そうか、そう言えば今日は正式入隊日やったな。おもしろうやん、俺も行きたいわ」

 

 

「じゃあ、一緒に行きますか?」

 

 

「せやな」

 

 

そんな感じで、何故だか生駒さんと訓練室に向かう事になった。

その道中でもマイペースな生駒さんは、正直どうでもいい話題で俺に話しかけてくる。

 

 

「最近駅前にバーガークイーンのチェーン店が出来たん知ってる?」

 

 

「またですか? これで三門市だけで4店舗目ですよ」

 

 

「そこの名物メニューの《クレイジーバーガー》食ったことある? あれめっちゃデカいし、うまいやろ」

 

 

「あー、1回だけ俺と出水と米屋の3人で頼んだ事あります」

 

 

「店員の女の子もめっちゃカワイイし。俺しばらくあそこ通おう思っとるわ」

 

 

「そうなんですか」

 

 

「そう言えば桐ヶ谷、俺の好きなカレー知ってる?」

 

 

「いや、知らないですけど」

 

 

「ナスカレー」

 

 

……誰か助けてくれ。

 

 

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 

 

それからしばらくして、ようやく訓練室に到着した。

時間にしたら5分も経っていないハズなのにものすごく疲れたのは、絶対に生駒さんのマシンガントークのせいだ。

 

 

「おっ、やっとるな。今回の指導も嵐山隊か。嵐山も大変やな」

 

 

訓練室にはすでに今回入隊した白い隊服のC級隊員と、そのC級隊員を指導している赤い隊服を来た3人の正隊員の姿があった。

彼らはA級5位の《嵐山隊》。戦闘員でありながら、広報役としてテレビ等のメディアに出演もこなす、ボーダーの顔役。新人への入隊指導も彼らの担当だ。

通常の防衛任務に加えて広報の仕事もこなしながらA級5位の座についているので、戦闘員としての実力も折り紙付きだ。

俺と生駒さんは観戦席から訓練の様子を眺める。

 

 

「まだ最初の訓練みたいですね。対近界民(ネイバー)戦闘訓練」

 

 

「俺ん時もいきなりコレやったわ」

 

 

C級になって一番最初の訓練は、決まってこの《対近界民(ネイバー)戦闘訓練》だ。

仮想戦闘モードの訓練室の中で、ボーダーの集積データから再現されたトリオン兵と戦う訓練。小型化されたバムスターを相手に、制限時間5分の中でどれだけ早く倒せるかで評価点が上がる仕組みだ。

目安としては1分を切れれば優秀、30秒を切れれば即戦力、10秒を切れればエース級といった具合だな。

 

それからしばらく観戦しているが、ほとんどのC級の動きはぎこちなく、記録も2分だったり3分だったりと、正直パッとしない。

 

 

「なんやどいつもパッとせーへんなぁ」

 

 

「そうですね」

 

 

同じ事を思っていた生駒さんも少しつまらなそうにそう呟いて、俺も相槌を打つ。

 

 

《1号室、用意》

 

 

ふと、そんなアナウンスが耳に入り、俺と生駒さんは何気なく1号室の方へと視線を向ける。

 

 

「おっ、今度は女の子やん」

 

 

生駒さんが喰いつくようにそう言った。

3号室の部屋に入っていたのは、生駒さんの言う通り女の子だった。オレンジ色に近い茶髪のショートヘアに、翡翠色の大きな瞳が輝き、小ぶりな鼻と薄い唇がそれに続く。

C級隊員共通の白い隊服に身を包み、その手には金色に輝くナイフ型の光剣《スコーピオン》が握られていた。

俺はなんとなくその女の子を眺めていると、その子の訓練が始まった。

 

 

《始め!》

 

 

そこからの彼女の動きは早かった。開始の合図と共に走り出し、十分な助走をつけてからバムスターの顔に向かって高く跳躍。そのままスコーピオンを下から切り上げるように振るい、装甲ごと弱点の目の部分を素早く切りつけた。だけど傷が浅かったのか、バムスターはまだ倒れていない。

 

それを察したのか、彼女はバムスターの頭に片足を乗せて、再び跳躍。そして空中でスコーピオンを逆手に持ち替えて、そのまま落下した勢いを乗せて、トドメと言わんばかりに金色の刃をバムスターの頭上から装甲と目をまとめて刺し貫いた。今度こそ沈黙して倒れ伏すバムスター。

 

その戦闘を見ていたほとんどの人間が唖然とするなか、無機質なアナウンスのみがその場に響き渡った。

 

 

《記録──12秒》

 

 

この訓練が始まってから初の大記録に、C級隊員たちからドッと歓声が沸く。

 

 

「すごいですね」

 

 

「せやな……あの女の子めっちゃカワイイな」

 

 

「いやそこじゃなくて」

 

 

「あの子ええなぁ。うちの隊に入ってくれへんかなぁ」

 

 

「いや、生駒隊はもうフルメンバーじゃないですか」

 

 

「隠岐と代わってもらったらええやろ? あいつ男前でモテよるから、どこの部隊でも引く手あまたやろし」

 

 

「不当解雇以外のなにものでもないんでやめてあげてください」

 

 

そして相変わらずマイペースの生駒さん。女の子を部隊に入れる為に辞めさせられたら隠岐さんが不憫でならない。本人は冗談で言ってるつもりなんだろうけど、真顔で言われたら冗談に聞こえない。

俺がすごいと言ったのは記録ではなく、彼女の動きだ。動き出しから攻撃のモーションに入るまでまったく無駄がなく、洗練されたものだった。武道か何かの経験者だろうか?

 

 

そんなことを考えていると、再びC級隊員たちから「おおーっ!」っと歓声が沸いた。何だろうかと思っていると、その状況を知らせるアナウンスが鳴った。

 

 

《5号室、記録──3秒》

 

 

3秒!? 緑川の4秒を塗り替える大記録じゃないか!

俺はその記録を叩き出した人物を見ようとしたが、今いる場所からだと1号室は遠くてよく見えない。

 

 

「桐ヶ谷、見に行くで」

 

 

「あ、はい!」

 

 

同じく興味が湧いた生駒さんに連れられて、観戦席の最前列に移動し、1号室がよく見える場所へと向かう。

 

 

「すごいじゃないか! 3秒だなんて、歴代2位の記録だ!」

 

 

「そうなんですか? ありがとうございます!」

 

 

場所に近づくと《嵐山隊》隊長の嵐山(あらしやま)(じゅん)さんの声と、その嵐山さんに称賛されている女の声が聞こえる。

嵐山さんが褒めているということは、3秒の記録を打ち立てた人物もまた女性なのだろうか?

なんてことを思っていると、俺の目に2人の人物の姿が飛び込んだ。

 

 

「……え……?」

 

 

その瞬間……俺は思わず固まってしまった。

 

 

1人は後ろにながした黒髪と鳥の羽のような特徴的な毛先が目立つ男性……嵐山さん。

 

 

そしてもう1人は、栗色の長いストレートヘアを顔の両側に垂らし、大きな(はしばみ)色の瞳から眩しいほどの光を放っている。それに続くように小ぶりでスッと通った鼻筋の下で、桜色の唇が華やかな彩りを醸し出している。すらりとした体をC級隊員の白い隊服に包み、腰の左側には鞘に収められた《弧月》が釣り下がっている。

 

 

彼女の姿が見間違いでないことを認識した俺は、震える唇を何とか動かして、彼女の名前を口にした。

 

 

 

「あ──アスナッ!!?」

 

 

 

彼女の名前は結城明日奈。俺の最愛の恋人だった。

 

 

 

 

 

つづく




BBF風、桐ヶ谷和人のプロフィール



《桐ケ谷和人》
■太刀川隊 攻撃手(アタッカー)
攻撃手(アタッカー)ランキング3位
■17歳
■10月7日生まれ
■みかづき座
■A型
■身長:163cm
■好きなもの:VRMMORPG、アスナ、開発室見学
《RELATION》
■結城明日菜←恋人
■太刀川慶←隊長
■出水公平←友人・ALO仲間
■唯我尊←後輩
■国近柚宇←ALO仲間
■米屋陽介←友人
■緑川駿←弟分
■鬼怒田本吉←尊敬
《PARAMETR》
■トリオン:8
■攻撃:11
■防御 援護:4
■機動:9
■技術:9
■射程:2
■指揮:5
■特殊戦術:7
■トータル:55
■サイドエフェクト:なし
《TRIGGER SET》
(メイン):レイガスト(改)、スラスター、シールド、バッグワーム
(サブ):レイガスト(改)、スラスター、シールド、グラスホッパー


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結城明日奈

オーディナルスケール見てきました。

とてもおもしろかったです。特にラストバトルが熱かったです。ああいう展開はホント大好きです。

そんな映画に触発されて一気に書き上げました。


 

 

 

 

 

 

 

《5号室、用意》

 

 

そんな無機質なアナウンスを聞きながら、5号室の訓練部屋で大型トリオン兵、《バムスター》と対峙する少女──結城明日奈は腰に釣り下げた鞘から、攻撃手(アタッカー)用トリガーの1つである《弧月》を引き抜いた。シャランと鳴った音と共に輝く刀身を露にした弧月を軽く振るいながら、声に出さずに呟く。

 

 

──少し重いかな?

 

 

無意識にかつて愛用していた細剣(レイピア)と比べてしまい、明日奈は苦笑を漏らす。

そして目の前に立ちはだかる巨大な怪物へと視線を移し、その表情は僅かに強張った。仮想世界にて幾度となく怪物とも言えるMobと戦闘経験のある明日奈だが、現実世界で本物の異世界の怪物と戦うという事実に、訓練と言えども緊張を隠せなかった。

 

それでも明日奈は決して臆することなく、弧月を強く握り締める。全ては一足先にボーダーで活躍している最愛の少年と一緒に戦う為に。

すーはー、と一度呼吸を整えてから、左手を体側に引き付け、弧月はほぼ垂直になるように構えた。たとえ使用する武器は違えど、戦闘スタイルは変わらない。

 

 

《始め!》

 

 

「やあぁぁぁぁっ!!!」

 

 

開始の合図と共に鋭く響く声を上げながら、明日奈は思いっきり地面を蹴った。右手の弧月を腰溜めに構え、全力でバムスター目掛けて駆ける。トリオン体に換装したことによって彼女の運動能力は大幅に向上している為、自分でも驚くほどの走力が発揮された。

そして十分に速度が乗った所で再び地面を蹴る。直後に高く飛び上がった明日奈の体はまるで彗星のごとく、一直線にバムスターの顔目掛けて飛んだ。

 

そしてその動きにバムスターが何かしらの行動を起こすよりも速く、顔の中心部に存在する目に、突き出された弧月の先端が振れる。

その瞬間、まるで弾丸に貫かれたようにバムスターの目に風穴が空いた。貫かれた部分から気化したトリオンを勢いよく吹き出しながら、バムスターの巨体は力なく崩れ落ちて行った。

 

 

「──ふう」

 

 

敵が倒れたのを確認した明日奈は短く息を吐く。

そして一振りした弧月を鞘に収め、カチンとという金属音が鳴った瞬間に、部屋の外から「おおーっ!」っと歓声が沸いた。同時に再び響く無機質なアナウンス。

 

 

《5号室、記録──3秒》

 

 

3秒……自分の前に挑戦していた人たちが掛かった時間が2分やそこらなことを考えると、かなりいいタイムなのかもしれない。

そんな事を考えながら部屋の外に出ると、明日奈と同じ年ぐらいの赤いジャージ風の隊服を着た青年が、爽やかな笑顔を向けながら明日奈の方にやってきた。

A級5位《嵐山隊》の隊長、嵐山准だ。嵐山隊はボーダーの顔とも呼ばれ、テレビなどにもよく出演しているので、彼のことは明日奈もよく知っていた。今この場では、新入隊員の入隊指導の責任者でもある。

 

 

「すごいじゃないか! 3秒だなんて、歴代2位の記録だ!」

 

 

「そうなんですか? ありがとうございます!」

 

 

爽やかな笑顔で言われた称賛の言葉に、明日奈も負けず劣らずのキレイな笑顔で応じた。美男美女とも言える2人の笑顔に、周囲のC級隊員たちが感嘆の声を漏らしていたが、当の2人はそれに気づいていない。

するとその時──

 

 

「あ──アスナッ!!?」

 

 

明日奈にとっては聞き慣れた、愛しい声が聞こえ、声がした方へと視線を向ける。

先ほどまで明日奈が入っていた訓練部屋をぐるりと囲むように並んでいる、巨大な階段のような造りをした観客席。その最前列に、驚嘆で目を見開いている少年。その隣には見慣れない青年の姿もあるが、おそらく少年の友人だろう。

少しだけ長めの前髪に、線の細い、それでいてどこか鋭さを感じる容貌。黒生地に赤いラインが入ったロングコートを身に纏った少年の姿に、彼が用いているアバターと重なってしまい、思わず笑みがこぼれる。

 

 

──ボーダーでも相変わらず黒い服装なんだなぁ。

 

 

そんなことを思いながら、明日奈は唇をほころばせて、彼の名前を呼んだ。

 

 

「キリト君!!」

 

 

すると少年──桐ヶ谷和人は困惑の表情を浮かべた。

 

 

「な、なんでアスナが……!?」

 

 

「なんでも何も、見ての通りわたしもボーダーに入隊したの」

 

 

そう言って、白い隊服姿を見せるようにその場でくるりと回る。似合うかなと聞こうとしたが、当の和人は状況が把握しきれていないのか、目を白黒させている。

 

 

「俺、聞いてないんだけど……」

 

 

「うん。キリト君をビックリさせようと思って、ひと月くらい前から黙ってたんだ。大成功だねっ!」

 

 

そう言って笑う明日奈に対して、和人は「ははは……」と引きつった笑い声を上げながら、がっくりと脱力した。

 

 

「桐ヶ谷に生駒じゃないか。ひょっとして彼女は、桐ヶ谷の知り合いか?」

 

 

「なんや桐ヶ谷、このめっちゃカワイイ子と知り合いなんか?」

 

 

すると明日奈の隣に立つ嵐山と、和人の隣に立つ青年──生駒達人が同時に尋ねる。

 

 

「あ…ええっと……はい、紹介します。俺と同じVRMMOプレイヤーで、バーサクヒーラーのアスナこと結城明日奈」

 

 

「も、もう! キリト君、ちゃんと紹介してよー!」

 

 

先ほどの意趣返しのつもりなのか、不本意な紹介をした和人に抗議する明日奈だが、和人は笑いながらそのまま左手を隣に立つ生駒に向ける。

 

 

「で、アスナ。こっちはB級3位《生駒隊》隊長の生駒達人さん」

 

 

「どうぞよろしく」

 

 

硬派な印象に反してフランクな態度で片手を上げる生駒。次いで、和人は左手を明日奈の隣の嵐山に向ける。

 

 

「そっちは、アスナもテレビとかで知ってると思うけど、A級5位《嵐山隊》隊長の嵐山准さん」

 

 

「嵐山だ! よろしく!」

 

 

逆にこちらは好青年という印象をそのままに、一切の含みの無い爽やかな笑顔を浮かべる嵐山。明日奈は2人の紹介を聞いてから、改めて「よろしくお願いします」と言って頭を下げた。

 

 

「さて、俺はまだみんなの訓練を見ないといけないから、監督に戻るよ。結城くん、次の訓練の時間になったら呼ぶからしばらく桐ヶ谷と話しているといい」

 

 

「はい、ありがとうございます!」

 

 

「じゃあ、またあとで」

 

 

そう言うと嵐山は訓練生の監修に戻って行く。

 

 

「ほな、俺ももうすぐ三輪隊と交代で防衛任務やから行くわ。桐ヶ谷、またランク戦で相手してな」

 

 

「ええ、喜んで」

 

 

それに続いて生駒も訓練室をあとにして、防衛任務へと向かって行った。そうなると、必然的に和人と明日奈の2人がその場に残った。

 

 

「とりあえず、座るか」

 

 

「うん」

 

 

和人が促すと明日奈も頷き、観戦席の横長の椅子に並んで腰かける。そしてしばらくの沈黙のあと、和人がポツリと呟くような声で、明日奈に問い掛ける。

 

 

「いつから決めてたんだ? ボーダーに入ること」

 

 

「キリト君が入隊するって言った時からずっとだよ。一応わたしにもスカウトの話は来てたし。でもほら、わたしの家って親が……というよりも、母親が厳しくて、ずっと反対されていたの」

 

 

未成年者がボーダーに入隊するには当然、両親の許可が必要不可欠となる。

明日奈の父、結城彰三(しょうぞう)は仕事人ではあるものの、娘への愛情は人並みに持ち合わせてる。和人にもある程度の信頼を寄せ、明日奈との交際も認めてくれている。明日奈がボーダーに入りたいと言い出した時も、娘の意志を尊重して認めてくれた。

問題は母、結城京子(きょうこ)だ。厳格な性格で、SAO事件により明日奈がエリートコースから脱落したことや、現在の学校、そして和人のことも快く思っていない。勉強が遅れるというのを理由に、ずっと明日奈のボーダー入隊を反対し続けていた。

 

 

「でもね、それでもやっぱりわたしはキリト君の隣に居て、一緒に戦いたかった。だからわたし……母さんとケンカしたの」

 

 

「えっ?」

 

 

「あっ、ち、違うよ! ケンカって言っても殴り合ったとかそういうんじゃないから!!」

 

 

明日奈の口から放たれたなかなか物騒な単語に、和人は驚いて少し裏返った声を上げてしまう。対して明日奈は慌てたように両手をパタパタと振って弁解する。

 

始まりは単なる明日奈と京子の口論だった。いつもなら母と対立することを恐れる明日奈だったが、その時ばかりは譲れないものがあった為、京子との激しい舌戦を繰り広げた。

その結果、明日奈と京子はお互いの思っていることを語り合った末に和解した。その後の京子とのやり取りを、明日奈は鮮明に覚えている。

 

 

──あなたは、誰かを一生支えていくだけの覚悟があるのね?

 

 

──う、うん。

 

 

──でも、人を支えるには、まず自分が強くないとダメよ。大学にはきちんと行きなさい。その為にも、これまで以上の成績を取ることね。もちろんボーダーに入っても、ちゃんと勉強と訓練を両立させなさい。

 

 

──……母さん……じゃあわたし、ボーダーに入隊しても……。

 

 

──言ったでしょう? 成績次第よ。どっちかが疎かになったら即辞めさせますからね。頑張りなさい。

 

 

──ありがとう、母さん……。

 

 

事の顛末を語り終えた明日奈は、隣に座る和人に向き直る。その透明感のある綺麗な瞳で見つめられた和人は、彼女が話で聞くよりも大変な思いをしてこの場にいるという事を、何となくだが察した。

そして何よりも、京子との様々な軋轢に苛まれていた明日奈がこうして和解できたということに、和人は嬉しく感じていた。だからこそ和人は、明日奈の瞳を真っ直ぐと見つめながら、彼女に言葉を送った。

 

 

「そっか──よかったな、アスナ」

 

 

「──うん。また、あの頃みたいにキリト君と一緒に戦えるね」

 

 

「そうだな。まぁ、あの頃と違って俺はもうソロじゃないんだけどな」

 

 

「あ、そっか。キリト君、部隊に入ってるんだったよね」

 

 

「そう。A級の太刀川隊。またあとで紹介するよ」

 

 

「キリト君のチームメイトかぁ。うん、楽しみ」

 

 

そう言いながら明日奈は陽だまりのような笑みを浮かべ、頭をぽふっと和人の肩に乗せる。そして和人もそれを受け入れて、お互いに寄り添い合う。

その時……

 

 

「何してるんですか? 桐ヶ谷先輩」

 

 

「「────!!?」」

 

 

突然背後からかけられた第三者の声に、和人と明日奈は揃ってビクっと肩をはねらせた。

そしてそっと背後を確認すると、そこには嵐山と同じ赤いジャージ風の隊服を身に纏った少女が、冷たい視線を和人に向けながら立っていた。

黒のショートヘアの前髪を右に多めに流した髪型。綺麗な部類に分類される顔つきだが、紫に鋭く光る瞳がキツめな印象を与えている。

そんな少女に、和人は引きつった愛想笑いを浮かべながら片手を上げた。

 

 

「よ、よお木虎。どうかしたのか?」

 

 

和人の問い掛けに、嵐山隊に所属する少女──木虎(きとら)(あい)は射抜くような眼差しで和人を睨む。

 

 

「どうかしたのかではありませんよ。あなた方のせいで、C級の子たちが集中できてないんですけど?」

 

 

「「あ……」」

 

 

そう言われて和人と明日奈は、訓練場にいるほとんどのC級隊員たちからの注目を集めていることに気がついた。C級隊員たちはザワザワと色めき立ち、特に女性隊員たちはキャーキャーとはしゃぐような声を上げている。

 

 

「まったく、きちんと場をわきまえてください」

 

 

「「す、すみません……」」

 

 

中学生に説教され、頭を下げる高校生2人。

 

 

「それから、えっと……」

 

 

「あ、結城明日奈です」

 

 

「嵐山隊の木虎藍です。結城さんも、そろそろ嵐山さんのところに戻ってください。この訓練ももうじき終わりますので」

 

 

「うん、わかった。じゃあキリト君、またあとでね!」

 

 

「ああ」

 

 

木虎の忠告を受け、明日奈は和人に小さく手を振りながら、C級隊員たちのもとへと戻って行った。

 

 

「桐ヶ谷先輩は、これからどうするんですか?」

 

 

「そうだな、防衛任務も終わってヒマだし、もうしばらく見物していくよ」

 

 

「そうですか。邪魔だけはしないでくださいね」

 

 

そう言うと、木虎も訓練生の監督に戻って行く。その背中を眺めながら思う。

 

 

──相変わらず生意気だな、木虎は。

 

 

和人は小さく嘆息しながら、C級隊員たちの戦闘訓練に視線を戻したのだった。

 

 

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 

 

あれからしばらく訓練生の戦いぶりを見てるけど、アスナとスコーピオンの女の子以外にこれといった記録を出した奴はいない。人数的に、もうそろそろ終わる頃だろう。

 

 

《3号室、用意》

 

 

もう数えるのも億劫になるほど聞いたアナウンス。少し退屈し始めていた俺は、ふと3号室の方へと目を向ける。どうやら今度は、あのメガネの少年が挑戦するようだ。武器は……レイガストか。

 

 

《始め!》

 

 

『あああああ!』

 

 

咆哮に近い声を上げながら、メガネくんは両手で握ったレイガストでバムスターに斬りかかる。

しかし……

 

 

『うわぁあ!』

 

 

メガネくんの攻撃は、バムスターの装甲に弾き返されてしまった。

 

 

「──は?」

 

 

俺は思わず、間の抜けた声を上げてしまった。

訓練用のバムスターは、攻撃してこない代わりに装甲が分厚く設定されている。しかし分厚いと言ってもボーダーのブレードトリガーならば、最悪でも切り傷程度は負わせられるはずだ。いくらレイガストが守備的トリガーだとしても、まったくの無傷だなんてありえない。

 

考えられる理由は1つ──トリオン量の差だ。

 

トリオンは《トリオン器官》と呼ばれる人体の見えない内蔵から生み出される、トリガーの動力源になる生体エネルギーだ。これには人によって個人差がある。トリオン量が多ければ多いほど、トリガーの出力はそれに比例して上がるから、同じトリガーでも威力に差が出てしまう。

つまり、あのメガネくんのトリオン量はレイガストの威力を発揮できないほど弱いということだ。

 

しかしそれだと1つ疑問が残る。それほどトリオン能力が弱いのなら、入隊試験ですでに落とされているはずだ。唯我と同じコネ入隊だろうか? けど見ている限りだと、そんないいとこのお坊ちゃんには見えない。ごく平凡な学生という印象だ。

だけど……

 

 

『うああああ!』

 

 

必死に剣を振るメガネくんの目からは、何か鬼気迫るようなものを感じる。そして俺は、あの目を何度も見たことがある。

そう……かつて仮想世界に浮かんでいた《鋼鉄の浮遊城》。あの城を攻略しようと、文字通り死に物狂いで戦った戦士たち。あのメガネくんの目は、どこか彼らと同じ強い目をしている。

 

 

時間切れ(タイムアップ)。3号室、失格》

 

 

しかし現実は無情で、結局メガネくんはバムスターに傷一つ負わせられずに失格となってしまった。他のC級隊員たちが彼をクスクスと笑っている。メガネくんは居心地が悪そうにしていたけど、その目は変わっていない。

するとちょうど全員の訓練が終わり、嵐山さんが訓練室全体に響くように声を上げる。

 

 

「じゃあこれで、対近界民(ネイバー)戦闘訓練を終了する! 次の訓練まで休憩だ! ラウンジまで案内するからついて来てくれ!」

 

 

嵐山さんの号令で、C級隊員たちがぞろぞろと彼らに続いて訓練室をあとにしていく。

そんな中で俺は、つい気になったあのメガネくんに声をかけた。

 

 

「おーい! そこのメガネのきみ! ちょっといいか?」

 

 

俺が声を上げてそう呼ぶと、メガネくんは周りをキョロキョロと見回したあと、自分が呼ばれたことに気がついて小走りで俺のもとにやって来てくれた。

 

 

「えっと、すみません、ぼくですか?」

 

 

「ああ、突然すまない。きみ、名前は?」

 

 

三雲(みくも)(おさむ)です」

 

 

「三雲か。俺は桐ヶ谷。よろしく」

 

 

俺がそう言うとメガネくん──三雲は頬に冷や汗を滴らせながら「はぁ……」と頷く。アンダーリムのメガネの奥にある瞳には、戸惑いが見て取れる。

まぁ見ず知らずに人間にいきなりで声をかけられたら当然か。

 

 

「少し聞きたいことがあるんだけど、いいかな?」

 

 

「は、はい。なんですか?」

 

 

「きみは──どうしてボーダーに入ったんだ?」

 

 

俺がそう尋ねると、三雲は驚嘆を露にしながらゴクリと息を呑んでいた。そして迷ったように視線を泳がせてから、ゆっくりと口を開いて質問に答えてくれた。

 

 

「守りたい子がいるんです。その子を守る為に、ぼくはボーダーに入りました」

 

 

なるほど、守りたい子か。その気持ちは俺にもよくわかる。だけど……

 

 

「無理だな」

 

 

「なっ……!?」

 

 

俺が言い放った言葉に三雲は絶句しているが、俺は構わず続ける。

 

 

「さっきの訓練できみの戦闘を見たよ。俺はこれでもA級隊員だからな、それである程度の実力は分かる。その上で、きみに戦闘員は向いていないと思った」

 

 

俺がA級隊員だと知ると、三雲はさらに愕然とした顔で口をあんぐりと開けている。

 

 

「守りたい子の為に戦う、それは結構だ。だけどボーダーはそれだけじゃやっていけない。今のきみじゃ、B級に上がることすら難しい。きみがボーダーでやっていきたいなら、悪いことは言わない。戦闘員を辞めて、オペレーターか技術者(エンジニア)に転向したほうがいい」

 

 

「…………」

 

 

俺がそう言い終わると、三雲は黙ったまま俯いてしまう。少し言い過ぎたかと思ったが、これくらいで辞めるようなら、俺の勘違いだったってことか。

それからしばらくの沈黙のあと、三雲は俯かせていた顔をぱっと上げると……

 

 

「忠告ありがとうございます。だけどぼくは、辞めるつもりはありません」

 

 

さっきよりも強い目で、俺を真っ直ぐと見据えながらそう答えてきた。

 

 

「どうしてだ? 他にも何か理由でもあるのか?」

 

 

「いいえ。ただ──自分がそうするべきだと思ってるからです!」

 

 

「!!」

 

 

自分がそうするべきだと思ってるから……か。その言葉を聞いた瞬間、俺はなぜ三雲がこんなにも強い目をしているのかわかった気がした。こんな質問が無粋だったと思えるほどに。

 

 

「そうか……急に変なこと言って悪かったな、三雲」

 

 

「いえ。失礼します」

 

 

「ああ、ちょっと待った。もしきみが訓練に行き詰ったら、太刀川隊の桐ヶ谷を訪ねてくれ。俺もレイガストを使ってるから、色々と教えられると思う」

 

 

「え、A級の人がぼくに、ですか!?」

 

 

俺の提案に、三雲はポカンとした顔で呆気に取られている。その顔が妙におもしろくて、俺はつい笑いながら言葉を返す。

 

 

「まぁ、さっき変なことを言ったお詫びだと思ってくれ」

 

 

「あ、ありがとうございます! その時は、よろしくお願いします、桐ヶ谷先輩!」

 

 

三雲は俺に対して深々と頭を下げると、すでに行ってしまったC級の集団を駆け足で追いかけて行った。

俺はその背中を見送っていると、不意に後ろから声をかけられた。

 

 

「キリト君」

 

 

「アスナ」

 

 

振り返ると、そこにはアスナが立っていた。

 

 

「さっきのメガネの子がどうかしたの?」

 

 

「いや、ちょっとおもしろい奴だと思ってさ」

 

 

そこで俺はふと、この間の迅さんの言葉を思い出す。

──正式入隊日におもしろいことがある。

あの言葉はアスナのことを指していたんだと思ったんだけど、もしかしたら……いや、これは考えても仕方ないことか。

 

 

「ところでアスナ、ラウンジに行かなくていいのか」

 

 

「あ、うん。あとで行くよ。ちょっとキリト君に伝え忘れたことがあって」

 

 

伝え忘れたこと? なんだろうか?

 

 

「実はね、今日入隊したのはわたしだけじゃなくて──シノのんも一緒なの」

 

 

「………へ?」

 

 

 

 

 

つづく




この小説のアスナは『マザーズ・ロザリオ編』の前に母親との和解を果たしたという設定です。

正直かなりムリヤリ感のある展開ですが、どうかご容赦ください。


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朝田詩乃

 

 

 

 

 

「さあ、狙撃手(スナイパー)志望の諸君。ここがオレたちの訓練場だ」

 

 

案内されて連れて来られた場所は、横一列に並んだ狙撃スペースに、その奥に広がった凹凸が激しい荒野のような広場だった。

ボーダーの狙撃手(スナイパー)専用の訓練室は、10フロアをぶち抜きで使用して、奥行き360メートルというボーダー基地の中でもっとも広い部屋とされているらしい。

朝田(あさだ)詩乃(しの)は、ここが建物の中だということを一瞬忘れてしまうほどの広さを有した訓練場に、少々呆気に取られる。

ひとしきり部屋を見回した後、今度は今の自分の姿を確認しながら、心の中で小さく呟く。

 

 

──トリオン体、だったかしら? 体感しても信じられないわね、これが人工的に造られた体だなんて。

 

 

不意に自分の目元に手をやる。いつもならセルフレームのメガネが指に当たるが、今はそのメガネは存在しない。代わりに服装はC級隊員共通の白い訓練服になっている。トリオン体に換装して身体能力が向上している影響か、心なしか体が軽い。感覚的に言えば、ALOの中にいるように感じる。

 

 

詩乃がボーダーに入ることになった切っ掛けは行きつけの喫茶店、《ダイシー・カフェ》の店長エギルからの薦めだ。話を聞くと、彼の友人がボーダーで働いており、その友人が近頃ボーダー入隊する新人狙撃手(スナイパー)の数が目に見えて減ってきていると嘆いていたらしい。中には辞めたり、転向する者もいるとのこと。

そこでエギルは『身近に狙撃手(スナイパー)に向いてそうな子はいないか?』と聞かれ、詩乃に白羽の矢を立てたのだ。

 

詩乃はVRMMOの1つ《ガンゲイル・オンライン》通称GGOを《シノン》という名でプレイしている。その実力はGGO内でもトップクラスで、狙撃手(スナイパー)として彼女の名前を知らない者はいないほど。エギルが推薦するには十分な理由が揃っていた。

そこへさらに同時期に入隊予定だった友達、明日奈に『一緒に入ろう!』と強く後押しされて、そのままなし崩しに入隊することになった。

もちろん最初は乗り気ではなかった詩乃だったが……

 

 

──ま、あいつも居るのなら、悪くないかもね。

 

 

と、かつて自分を救ってくれた少年のことを思い浮かべながら、入隊を受け入れた。

そんなことを考えていると、今回の入隊指導の責任者である赤いジャージ風の隊服に身を包み、両脇に振り分けた髪と細めの目が特徴の《嵐山隊》所属の少年──佐鳥(さとり)(けん)が、C級隊員の前に立って声を上げた。

 

 

「キミたちにはここでまず、訓練の流れと狙撃(スナイパー)用トリガーの種類を知ってもらう。えーと今回の狙撃手(スナイパー)志望は1、2、3、4……全部で5人か」

 

 

30人近い隊員が入隊したにも関わらず、狙撃手(スナイパー)志望者はたったの5人。狙撃手(スナイパー)が減ってきているという話も間違いではないらしい。

 

 

「よし! じゃあ正隊員にも手伝ってもらいながら、狙撃手(スナイパー)用トリガーを紹介しよう」

 

 

そう言うと佐鳥は実際に使用する狙撃銃をC級隊員全員に見せながら説明を始めた。その説明によると、狙撃手(スナイパー)用のトリガーは全部で3種類。

 

 

《イーグレット》──射程距離を重視した標準型。弾速も性能も高く、威力もある万能タイプ。ボーダーの狙撃手(スナイパー)の多くがこれを使用している。

 

《ライトニング》──軽量級の弾速重視。威力は低いが目標に当てやすく、速射性能も高い。手数で勝負するタイプと言える。

 

《アイビス》──重量級の威力重視。一撃の威力は高いが、弾速が遅く当てにくい。大型トリオン兵との戦闘で使用されるケースが多い。

 

 

「まぁ百聞は一見に如かずってことで、誰かに試し撃ちしてもらおうかな。じゃあ……そこの女の子!」

 

 

私? と、佐鳥に指を差された詩乃は目を丸くした。だが呼ばれて答えない訳にもいかないので、すぐに集団より1歩前に出て佐鳥に向き直る。

 

 

「それじゃあ実際に撃ってもらおうか。どれでも好きな銃を選んでよ」

 

 

佐鳥の声を聞きながら、詩乃は目の前の机に並ぶ3種の狙撃銃に目をやった。

好きな銃……そう言われた時点で、詩乃の中ではどれを使うかは決めていた。最初の説明の時から、すでに気になっていた銃があったのだ。

 

 

「……これを」

 

 

詩乃がそっと手に取ったのは《アイビス》。黒い金属が鈍い光を放つそれを手にした瞬間、ズシリとした重みが詩乃の手に伝わった。それでいて、初めて触ったのに妙に手に馴染む感覚。

それと同時に、詩乃は確信した。やはりこのアイビスは、GGOで愛用していた対物狙撃銃(アンチマテリアル・スナイパーライフル)《PGM・ウルティマラティオ・ヘカートⅡ》に少し似ている。

 

アイビスを手にした瞬間、詩乃はドクンっと心臓が跳ね上がるような感覚を覚える。その刹那、詩乃にとってトラウマと言える記憶が脳裏にフラッシュバックする。呼吸が荒くなり、耳鳴りに襲われ、手が震え始める。しかし詩乃はそれをぐっと抑え込む。

 

 

──大丈夫……私はもう、大丈夫。

 

 

自分に言い聞かせるように心の中でそう繰り返すと、さっきまでの不快感がすうっと引いていくのを感じた。

そして2、3回ほど深呼吸をしてから狙撃位置に立って、備え付けられたバイポッドで銃身を固定。覗き込んだスコープの視界には、およそ200Mほど離れた場所に位置する大型の標的。おそらくアイビスの特性に合わせて、大型近界民(ネイバー)を想定したターゲットを用意したのだろう、その頭の位置する箇所には、何重にも重なった円が描かれている。そこを狙ってスコープに映る照準線の十字を動かしながら、意識をターゲットに集中させる。

だがその時、緊張していると思ったのだろう佐鳥が、陽気な口調で詩乃に声をかけた。

 

 

「緊張しなくてもいいよ~。ボーダーの狙撃手(スナイパー)用トリガーはよくできてるからね、風とかの影響も一切受けないんだ。ちゃんと狙えばちゃんと当たるよ。それに万が一外しても、ボーダー基地の外壁はすごく頑丈だから、アイビスでも穴とかが空いたりする心配は──」

 

 

「──うるさい」

 

 

自分でも驚くくらい冷たい声が出た。

佐鳥なりの気遣いだと理解はしているが、つい煩わしくなってそう言ってしまった。ポカンとする佐鳥と他2人の正隊員とC級隊員たち。場がシンッと凍りついたように静まり返ってしまったが、詩乃は冷静にあとで謝罪しようと心に決めながら、再び狙いを定めることに集中する。

 

照準線の十字をターゲットに描かれた円の中央と一致させる。ふうっと軽く息を吐きだす。動かした人差し指を、そっと引き金にそえる。準備は整った。詩乃は息を溜めてから、静かに引き金を引いた。

 

その瞬間、爆発にも似た咆哮が響き渡る。

普通なら後退しそうなほどの反動が詩乃の体を襲うはずだが、トリオン体の恩恵なのか思ったより衝撃が少ない。

アイビスの銃口から放たれた弾丸はレーザーのごとく真っ直ぐに突進していき、照準線で狙った通りターゲットの中央に着弾した。直後、炸裂した弾丸はターゲットの中央を深く抉るように粉砕した。

大型近界民(ネイバー)用に開発されただけあって、威力は十分すぎるほど。もしもアレが本物ならば、その巨体の一部は粉々になっていただろう。

 

命中を確認した詩乃はふう、と息をつきながらスコープから顔を上げる。未だに周囲が静まり返る中、持ち上げたアイビスを元の机の上に戻して、正面から佐鳥を見る。そしてそっと、彼に頭を下げる。

 

 

「ありがとうございました。それと、さっきは失礼な態度を取ってしまってごめんなさい」

 

 

詩乃からの謝罪に、呆気に取られた佐鳥だが、すぐに慌てた様子で口調で答える。

 

 

「え、あ、いや、こちらこそ!」

 

 

何故か逆に謝られてしまった。

その様子に詩乃はフッと笑いを浮かべると、そのまま体の向きを変えて、訓練生の集団の中に戻って行った。

 

 

「あー、えーっと……そ、それじゃあ次は正隊員の指示に従って、各自訓練を始めようか!」

 

 

気を取り直すように佐鳥から告げられたその言葉に、ようやく止まっていた時が動き出したかのように言われた行動に移り始める訓練生たち。その原因の一端となった詩乃も、素知らぬ顔で指示通りの行動を始めたのだった。

 

 

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 

 

「すまない、少しいいだろうか?」

 

 

「はい?」

 

 

訓練生たちが各自で狙撃訓練をはじめ、その中に混じって詩乃は黙々とイーグレットとライトニングを交互に試し撃ちしながら撃った感触などを確認していると、横から声をかけられたので手を止めてそちらへと視線を移す。

目を向けた先にいたのは、長身で肩口まで伸びた黒髪の男性。先ほどまで佐鳥の隣にいたので、正隊員の狙撃手(スナイパー)だと思われる。濃紺の色をした隊服に身を包んだ姿からは眠たげな眼が目立つが、その佇まいからは指導者としての貫禄を感じさせる。

詩乃を警戒させないように微笑を浮かべながら、男性は口を開く。

 

 

「俺は東。一応、B級部隊の隊長をしてる。よろしく」

 

 

「朝田詩乃、です」

 

 

釣られるように詩乃も自分の名前を告げる。

男性──(あずま)春秋(はるあき)は眠たげな眼を詩乃に向けたまま、落ち着いた声色で言葉を紡ぐ。

 

 

「さっきの狙撃は見事だったよ。アイビスは狙撃手(スナイパー)用トリガーの中でも重量がある分、扱いが難しい。それを初見で使って的の真ん中に命中させるとは、なかなかの腕だ」

 

 

「ありがとうございます」

 

 

口調は素っ気ないが、狙撃の腕を褒められたのは素直に嬉しいのか、詩乃は口元に笑みを浮かべた。

 

 

「きみの狙撃する際の構えや佇まいは、熟練の狙撃手(スナイパー)のそれとほとんど遜色ない。誰かに教わったりしたのか?」

 

 

「いえ、ネットとかで構え方とかを調べて、あとはそれを自分のやりやすいように変えただけです」

 

 

「なるほど、自己流か。ということは、サバイバルゲームか何かの経験が?」

 

 

そう問い掛けた東の言葉は当たらずとも遠からずだった。詩乃がやっていたのは確かにゲームだが、サバイバルゲームとは一線を画す本格的な銃の世界なのだから。

 

 

「そう、ですね。VRMMOのゲームで少し……」

 

 

「MMO……?」

 

 

詩乃の返答に何か思い当たることがあるのか、東は右手を顎に当てながら視線を上に泳がせて考える仕草を見せる。だがそれも一瞬で、すぐに思い出したように、ああ、と呟くと再び視線を詩乃に合わせた。

 

 

「そうか、アンドリューの言っていた凄腕の狙撃手(スナイパー)とはきみのことか」

 

 

アンドリューという名に、詩乃は一瞬だけ疑問符を浮かべるが、すぐに自分をボーダーに薦めた喫茶店の店主、エギルの本名だったことを思い出す。自分を含めた全員が彼をエギルと呼んでいる為、いつの間にか彼の本名を忘れてしまっていたので、詩乃はエギルに対して心の中で謝罪しながら東との会話に戻った。

 

 

「じゃあ、エギルさんの友人って……」

 

 

「エギル? ああ、アンドリューのことか。そうだな、アンドリューとは長い付き合いになるな」

 

 

懐かしそうに目を細める東。片や純日本人、片やアフリカ系アメリカ人。一体この2人にどんな接点があったんだろうと気にはなったが、さすがに今それを聞く気にはならなかったため、詩乃は胸の奥で留めておいた。

 

 

「酒の席で愚痴ついでに言ってみただけだったんだが、まさか本当に紹介してくれるとはな。もし何かわからないことや、質問があればなんでも聞いてくれ。おまえには期待してるからな、朝田」

 

 

そう言いながら詩乃のわしゃわしゃと撫でると、東は他の新人の指導へと戻って行った。そんな彼の背中を呆然と宥めながら、詩乃は撫でられた頭にそっと手を置いた。

 

 

──期待してるなんて、初めて言われたかも。

 

 

この時、詩乃は初めてボーダーに入ってよかったかもしれないと思った。

 

 

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 

 

「それじゃ、これで狙撃手(スナイパー)の入隊指導は終わり! あとは各自、休むなり帰るなり、好きに行動していいよ! お疲れ様でした! 解散!」

 

 

あれからしばらくして、狙撃手(スナイパー)入隊指導(オリエンテーション)は終わった。

現場監督の佐鳥が解散宣言をすると、C級隊員たちはゾロゾロと訓練場をあとにしていく。その中で詩乃は訓練場から出ずに、壁際に備え付けられているベンチに1人腰を下ろした。

 

 

「ふぅ……」

 

 

少し疲れた……と、言葉には出さずに心の内で呟く。と言ってもトリオン体では実際に疲労を感じることはないので、この場合は精神的にと言った方が正しいかもしれない。だけどそのおかげでボーダーの狙撃銃のクセや扱い方のコツは大体把握できた。

あとは──

 

 

「シノン」

 

 

そこまで考えたところで、男の声が聞こえた。このボーダーで詩乃のことをプレイヤーネームで呼ぶ男は1人しかいない。

声が聞こえた方に視線を向けると、予想通りの人物がいた。

 

 

「キリト」

 

 

「やあ、お疲れ。ほら」

 

 

そう言って桐ヶ谷和人/キリトは、詩乃に向かって何かを放り投げる。反射的にキャッチすると、手にひんやりとした冷たさが伝わってくる。どうやら缶ジュースのようで、ラベルを見るとスポーツドリンクのようだ。

 

 

「ありがと」

 

 

お礼を言ってから、プルタブに手をかけて引く。カシュっという音と共に飲み口が開かれると、詩乃はそのままドリンクを飲み始める。こくこくと飲み進める度に喉に心地よい潤いが伝わってくるのを感じながら、詩乃は半分近く残した状態で缶から唇を離す。

 

 

「……不思議ね、生身じゃなくても味はちゃんと感じるんだ」

 

 

「ああ、よくできてるだろトリオン体って。味もしっかり感じることが出来る上に、生身以上に消化率がよくて、ほぼ100%の栄養が本体に還元されるからな」

 

 

「へえ」

 

 

キリトも缶コーヒーを飲みながら、詩乃の隣に腰かける。

 

 

「ただし、いまいち満腹感が得られないから、食べ過ぎて生身がどんどん太ってしまう可能性が──うぐっ」

 

 

「女の子相手にそんな話しないの。相変わらずデリカシーないわね」

 

 

キリトの脇腹に軽いパンチを叩き込む。もちろんキリトもトリオン体で痛みはないが、衝撃はしっかりと伝わっているので、僅かに顔を歪めながら「あはは」と苦笑している。

 

 

「それにしても驚いたよ。アスナだけじゃなくて、シノンまでボーダーに入隊してたなんて」

 

 

「エギルさんに薦められたのよ。あんまり乗り気じゃなかったけど、アスナにも後押しされたから。それに……」

 

 

あなたもいるから……なんて言えるハズがなく、詩乃は言葉を濁した。頬に僅かな熱を感じるのでおそらく顔が若干赤くなっているだろうが、キリトは頭に「?」を浮かべて首を傾げているから気づいていないだろう。今だけはこの男の鈍感ぐあいに感謝しながら、詩乃はわざとらしく咳をして話題を切り替えた。

 

 

「本当はリズとシリカも一緒に入隊するつもりだったんだけど、2人は入隊試験で落とされちゃったのよね」

 

 

「ああ、アスナから聞いたよ。2人ともすごい悔しがってたって。スグの奴も入隊試験で落とされて、かなり落ち込んでたからなぁ」

 

 

トリオン量が足りなかったんだろうな、と残念そうに呟くキリト。気心知れた彼女たちが入隊できなかったのは残念だが、こればかりは仕方がない。

 

……あの3人が悔しがってた本当の理由は、また別だろうけど。

 

内心でそんなことを呟きながら、詩乃が再び缶ジュースに口をつけて喉を潤おしていると、キリトが表情を曇らせながら、詩乃の様子を伺うように聞いてくる。

 

 

「そういえば、さ。シノンはもう大丈夫なのか?」

 

 

「なにがよ?」

 

 

「ほら、その、銃を撃つ事に……」

 

 

そこまで聞くと、キリトが何を心配しているのか理解した。キリトは詩乃の過去のことや、そのトラウマによる苦しみを知っているので当然と言えば当然。

そんなキリトを安心させようと、詩乃は薄く微笑む。

 

 

「大丈夫よ。訓練の時から何度も撃ってるけど、もう前みたいな発作は起きてないわ」

 

 

あの遠藤との一件以来、銃に対する発作は少なくなった。訓練の時も最初こそ不快感に襲われたものの、それも自分の意志で抑え込むことが出来た。

自分の抱える罪と向き合って、前に進むことを決めたその日から、間違いなく詩乃の世界は変わった。苦行としか思っていなかった高校生活も、今ではそんなに悪くないものと感じている。その切っ掛けをくれたのは、他でもないキリト。だから──

 

 

「──あんたのおかげよ」

 

 

「え?」

 

 

「あっ」

 

 

思っていたことをつい口に出してしまい、しまったと内心で動揺する。

 

 

「な、なんでもないわ! とにかくもう大丈夫だから!」

 

 

「あ、ああ、そうか。ならよかった」

 

 

頬を朱に染めた詩乃が早口で捲し立てると、キリトは戸惑いながらも納得する。それからまたしばらく沈黙が続いていると……

 

 

「桐ヶ谷」

 

 

詩乃にとって聞き覚えの無い男の声が聞こえた。

キリトの名を呼んでいることから彼の知り合いだろうか、と考えている間に、キリトがその声に応える。

 

 

「荒船さん」

 

 

キリトの視線を追うように、詩乃も荒船と呼ばれた人物に目を向ける。

黒生地に白のラインが引かれたジャージ型の隊服に身を包み、目深に被ったつば付きの帽子からは、茶色の髪と紫色の鋭い瞳を覗かせている男だ。

よく見るとさっきまで佐鳥や東と共に入隊指導をしていた正隊員の人だ、と思っていると、荒船はニッと意地の悪そうな笑みを浮かべながらキリトに対して言った。

 

 

「珍しい奴がいると思ったら、なんだよ、彼女と逢引き中か?」

 

 

「かっ……!」

 

 

その言葉に反応したのは、キリトではなく詩乃だった。。

彼女と逢引き中……その彼女とは言わずとも詩乃のことだろう。それを理解した詩乃は思わず声を上ずった上げてしまう。詩乃は先ほどよりも強い熱が頬に集まっているのを感じながら、荒船という男に対して声を上げようとすると……

 

 

「あはは、違いますよ。シノンはただの友達です」

 

 

即座に顔の熱が引いていくのを感じた。

特に悪気の無いキリトの言葉に無性にイラっとしたのだ。言っている事は間違ってはいない。間違ってはいないが、詩乃にとっては面白くなかった。

そんな詩乃の反応を見て荒船は色々察したのか、呆れたような視線をキリトに向けていた。

しかしどうやらキリトはその視線を『早く紹介しろ』という風に受け取ったのか、ベンチから立ち上がって詩乃と荒船の間に割って入る。

 

 

「紹介するよシノン、この人はB級《荒船隊》隊長で、アクション派狙撃手(スナイパー)の荒船さん」

 

 

「……荒船(あらふね)哲次(てつじ)だ。よろしく」

 

 

帽子のつばを摘まみながら小さく頭を下げる荒船。《アクション派狙撃手(スナイパー)》というの少し気になったが、今は初対面の相手と接する時に出てくる怯えの虫を押し殺して、ぺこりと頭を下げ返す。

 

 

「で、荒船さん。こっちは今期入隊したC級の中でもっとも有望な狙撃手(スナイパー)の、朝田詩乃です」

 

 

「ちょ、ちょっとやめてよ」

 

 

思わぬ紹介の仕方をされて小声で抗議するが、キリトはいたずらっ子のように笑うだけだった。しかしその紹介を受けた荒船は、肯定的な笑みを浮かべた。

 

 

「いや、アイビスでのあの狙撃は見事だったぜ。東さんも褒めてたしな。今期入隊の狙撃手(スナイパー)の中じゃ頭一つ抜け出てる。有望なのは間違いないだろ」

 

 

「あ、ありがとうございます」

 

 

気恥ずかしくてつい俯いてしまう。先ほどの東といい、荒船といい、今日はやけに褒められる日だ。

 

 

「朝田はもうどこの部隊に入るのか決まってるのか?」

 

 

「部隊……ですか」

 

 

そう問われて、詩乃は少し考える。

入隊前の説明会で、部隊に関することはある程度聞いている。

B級に上がって正隊員になれば、部隊に所属することができる。他の正隊員と組んで新しい部隊を結成するのも、既存の部隊に入れてもらうのも、もちろん部隊に所属せずに個人(ソロ)で活動するのも自由。

詩乃は少し思案してから、荒船の質問に対して答える。

 

 

「ごめんなさい、今日入隊したばっかりだから、部隊については全然……」

 

 

「ま、普通そうだよな。じゃあもしBに上がった時もまだ決まってなかったら、ウチの部隊にくるか?」

 

 

「そう、ですね。考えておきます」

 

 

「おう。もし入る気になったら言ってくれ。歓迎するぜ」

 

 

詩乃の出した答えはいわゆる社交辞令のようなものだが、それでも荒船は微笑を浮かべて頷くと、クルリと踵を翻して2人に背中を向ける。

 

 

「じゃあ、俺はもう行くぜ。桐ヶ谷、またランク戦で相手しろよ」

 

 

「いいですけど、剣の腕は鈍ってないですよね?」

 

 

「ぬかせ。ぶった切ってやるよ」

 

 

そう言いながら荒船はキリトに対して好戦的に笑いながら、片手を軽く振って訓練室をあとにして行った。そして荒船の姿が見えなくなってから、キリトがポツリと言葉を漏らす。

 

 

「シノンが荒船さんの部隊に入ったら、結構面倒なチームになりそうだな」

 

 

「どういう意味よ?」

 

 

その言葉が耳に入った詩乃はジト目でキリトを睨み、キリトは困ったように目尻を下げた顔で苦笑する。

 

 

「荒船さんの部隊は全員が狙撃手(スナイパー)で、遠距離に特化した部隊なんだよ。距離をとったまま包囲して敵を近寄らせず、方々から狙い撃つ戦術が得意なんだ。3人でもなかなか厄介なのに、もしそこにシノンが加わったら、かなり手強くなるだろうな」

 

 

「あら、いつだったか私の撃った弾を斬って防いだ剣士様の言葉とは思えないわね」

 

 

「あんなの視線で弾道が読めるくらい至近距離じゃないと成立しないって。そもそもあんなの滅多にやらないし」

 

 

「ふーん」

 

 

──できない、とは言わないのね。

 

 

なんてことを思っていると、キリトが思い出したように話題を変える。

 

 

「あ、そうだ、部隊と言えば……このあとアスナと合流してウチの隊の作戦室に行く事になってるんだけど、シノンも来るか?」

 

 

「作戦室?」

 

 

「そう、俺たち《太刀川隊》のな」

 

 

太刀川隊……A級部隊の中で1位の座に君臨する部隊で、キリトが所属しているチームだと詩乃は記憶している。あのキリトが籍を置いていて、尚且つA級1位部隊の作戦室に行くと聞いては、興味がないと言えば嘘になる。

 

 

「いいの?」

 

 

「ああ。部隊のみんなにアスナやシノンを紹介したいし」

 

 

「そう。なら、お邪魔させてもらおうかしら」

 

 

「OK。じゃあ行こうか。今なら、アスナはC級のランク戦のブースにいるだろうし」

 

 

そう言って歩き出すキリトの背中を、詩乃は残っていた缶ジュースを綺麗に飲み干してから追いかけたのだった。

 

 

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 

 

 

あれから狙撃手(スナイパー)用訓練室をあとにした俺とシノンは、一緒にアスナと合流する為にC級ランク戦の部屋にやって来た。

 

ここは文字通り、C級隊員がランク戦を行うための部屋だ。ロビーには対戦模様を観覧できる大型スクリーンとソファが完備されていて、101~400までの対戦ブースがある。

C級のランク戦は基本的に1対1の個人戦。勝った方が負けた方から個人(ソロ)ポイントを奪えるという単純なシステムだ。

C級の訓練生たちは、ここで日々切磋琢磨してB級への昇格を目指している。

因みにこのC級のランク戦ブースを使用できるのは訓練生だけじゃない。B級以上の正隊員同士の個人(ソロ)ランク戦にも使用できるので、正隊員も頻繁に出入りしている。

 

 

「へぇ、ここで隊員同士で対戦できるのね」

 

 

「ああ。といっても、狙撃手(スナイパー)にはあまり縁のない場所だけどな」

 

 

攻撃手(アタッカー)銃手(ガンナー)組と狙撃手(スナイパー)組では昇格のルールが違うから、シノンがここを利用することはあまりないだろうな。

 

 

「えっと、アスナは……対戦中だな」

 

 

アスナの姿を探してふとスクリーンを見ると、ちょうどアスナが対戦している映像が映っていた。相手はアステロイドを使っている射手(シューター)の男だが、アスナの動きについていけてない事が容易に見て取れる。実際、男が放っているアステロイドは1発たりともアスナに命中していない。

華麗なステップを織り交ぜたその動きに惑わされている間に接近を許し、高速で弧月の切っ先を次々と突き入れられる。《斬る》のではなく《突く》ことに特化しているゆえに、一撃のダメージは大きくないが、その凄まじい手数によって相手に手も足も出させない。あっという間に相手のトリオン体を破壊して、緊急脱出(ベイルアウト)させた。

 

 

「速ぇ……」

「あの女、これで何人抜きだ?」

「もう10人は余裕でいってるよな」

「カッコイイ……」

「綺麗……」

 

 

部屋のあちこちからC級隊員たちの感嘆の声が聞こえてくる。俺の隣にいるシノンも、アスナの戦闘に釘付けになって「すごっ……」と感想を漏らしている。

どうやらボーダーにおいても、かつて《閃光》と謳われた高速の剣技は健在みたいだな。いつも近くで見ていた俺ですらその剣舞のごとき流麗さに見惚れてしまった。

あの頃に比べたら若干剣速は劣るが、この調子ならB級に昇格するのもあっという間だろう。

 

 

「──────っ!!?」

 

 

なんてことを思っていたその時……突然俺の体に、ゾクリとした悪寒が走った。まるで飢えた獣に目を付けられたような殺気にも似た感覚が、俺の体を貫く。

しかし決して嫌な感じはせず、敵意も感じない。あるのは純粋で真っ直ぐな《闘争心》のみ。

 

 

コツコツと、周囲の喧騒に紛れて聞こえてくる荒々しい足音。背後から届いてくるその音は、間違いなく俺の方に近づいて来ていた。

 

 

それを感じ取った瞬間に、俺は悟ってしまった──

 

 

 

「よぉキリ、遊ぼうぜ」

 

 

 

──厄介な人に見つかってしまった……と。

 

 

 

 

 

つづく



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影浦雅人

アクセルワールドvsソードアート・オンラインを購入しました。

アクセルワールドの方は全然知識がなかったのですが、それでもかなり楽しめました。とりあえずストーリーは全クリしたので、あとはCG回収+クエスト消化に努めます。その後はオンラインプレイですね。


 

 

 

 

 

 

 

「よぉキリ、遊ぼうぜ」

 

 

背後からそんな誘い文句を聞いた途端、おそらく俺は「厄介な人に見つかってしまった……」という顔をしているだろう。振り返らなくても分かる。こんな攻撃的な声のかけ方をする人は1人しかいない。俺はおそるおそる顔だけを振り向かせて相手の顔を確認すると、思わず苦々しい声が出てしまう。

 

 

「げっ……カゲさん」

 

 

相手はニィっと口角を鋭く吊り上げて、まるで獲物を見つけたと言わんばかりの笑みを浮かべながら俺を見据えていた。

 

無造作に散らかされたバサバサの黒髪に、その下から覗いている野獣のように鋭い眼光。そして笑っている口元からはギザギザに尖った特徴的な歯が露になっていて、それを隠すためなのか顎元にはマスクが着用されている。意外と細身の体を、黒のシャツとカーゴパンツに包みこんだその姿は、ワイルドさを醸し出している。

 

影浦(かげうら)雅人(まさと)さんこと、カゲさん。B級2位《影浦隊》の隊長にして攻撃手(アタッカー)。性格は見ての通り攻撃的かつ好戦的で気が短く、度々暴力事件も起こしている。それが原因でA級6位からB級に降格してしまったり、個人(ソロ)ポイントを剥奪されてしまったりなどの罰を受けているのだが、本人いわく痛くも痒くもないらしい。

これだけ聞くとかなりの問題児だが、そんなに悪い人じゃない。凶暴そうな言動──いや実際に凶暴なんだけど──が目立つが、根は単純で裏表のない人だ。気に入った相手には実家が営んでいるお好み焼き屋《かげうら》でお好み焼きをご馳走してくれたりなど、意外と面倒見のいい一面も持っている。

攻撃手(アタッカー)としての実力はトップクラスで、俺でもこの人相手だと勝率はほぼ5割。なので俺もこの人に気に入られている部類に入っているらしく、たまにこんな風に唐突に模擬戦を申し込まれることがある。

 

すると、俺が無意識に出してしまった苦々しい声が気に障ったのか、カゲさんは笑みを引っ込めてピクリと片眉を上げる。

 

 

「オイ、人の顔見て『げっ』て何だコラ。八つ裂きにすんぞキリィ」

 

 

「あはは……すみません、つい」

 

 

ギロリと睨んでくるカゲさんを、俺はなんとか笑って誤魔化すことを試みる。しかしやっぱりカゲさんには通用せず、俺を睨む目がどんどん鋭くなっていく。

どうしようかと考えていると、突然隣にいたシノンが俺の服の襟首をぐいっと乱暴に引っ張ってきた。

 

 

「うおっ」

 

 

思わずそんな声をもらす俺を他所に、俺の顔を自分の顔の近くに寄せたシノンは、ひそひそと俺にしか聞こえない声で話しかけてくる。

 

 

「ちょっと、なにこの見るからにヤンキーみたいな人。この人もボーダー隊員なの?」

 

 

ヤンキーって……否定はできないけど。

 

 

「あ、ああ。この人は影浦さん。B級2位《影浦隊》の隊長だよ」

 

 

「2位……!?」

 

 

俺も同じように小声で答えると、シノンは驚いてギョッとした目でカゲさんを見ていた。B級2位といえば、A級予備軍と言われてるからな。事実、カゲさんは元A級だし。

 

 

「あぁ? なんだテメェ、俺になんか用か?」

 

 

するとシノンの視線に気がついたカゲさんの目が、俺からシノンに移り変わる。睨まれたシノンはカゲさんから視線を背けると、身を隠すようにそっと俺の背中に回る。そんなシノンに俺は苦笑しながら、彼女に代わってカゲさんに答える。

 

 

「カゲさん、俺の友達に噛みつかないでくださいよ」

 

 

「……チッ。だったらイラつく感情刺してくんじゃねーよ」

 

 

舌打ちと一緒にそう呟くカゲさん。まあ、第一印象でこの人に良い印象を持つ人なんてそう居ないだろうから仕方ない。

 

 

「んなことよりキリ、ブースに入れよ。久々にガチで戦ろうぜ」

 

 

「あーお誘いは嬉しいんですけど、俺このあと約束があるんで相手できないんですよ」

 

 

「あん? いいじゃねーか別に。一戦くれぇ付き合えよ」

 

 

「そういわれても……」

 

 

カゲさんからの模擬戦の誘いをどう断ろうか悩んでいると……

 

 

「うわっ、あれって影浦さんじゃね?」

「影浦って、あの?」

「ああ、暴力沙汰でA級から降格したバカなやつ」

「メディア対策室長にアッパーかましたんだっけ? 上層部にケンカ売るとか頭悪すぎだろ」

「ははっ、言えてる。あれでB級の2トップを陣取ってんだからいい迷惑だよな」

「さっさとクビにでもなれってんだ」

 

 

少し離れたところからそんな嘲笑う声が聞こえた。視線だけを動かして声がした方を見てみると、遠巻きでこちらの様子を眺めている人だかりできている。どうやらあの中に紛れて誰かが陰口を言っているらしい。人だかりに紛れていれば、聞こえてもバレないとでも思ってるんだろう。

だけどそんな小細工、カゲさんには通用しない。

 

 

「オイ、そこの2人。今なんか言ったか?」

 

 

「「え?」」

 

 

カゲさんが睨んだのは2人のC級隊員。まさかバレるとは思っていなかったのか、睨まれたC級の2人は顔を青くする。だけどそれも一瞬で、そいつらは白々しくとぼけ始めた。

 

 

「なんのことっすか? 俺ら別になんも言ってねーよな?」

 

 

「そーそー。俺らがなんか言った証拠でもあるんすか? 証拠もないのに言い掛かりとかやめてくださいよ~」

 

 

……こいつら腹立つな。

コソコソと人の悪口を言った挙句、その非を認めずに煙に巻こうとする2人に、俺は内心でイラだつ。どうやら俺の後ろにいるシノンも同じ気持ちらしく、背中越しに「最低ね、あの2人」という呟きが聞こえた。

とは言え、ここで問い詰めたところでこいつらは知らぬ存ぜぬを貫き通すだろう。そうなると時間の無駄だ。相手にするだけ損だろう。何よりこれ以上、カゲさんを怒らせたら──

 

 

──次の瞬間、C級隊員の片割れの首が飛んだ。

 

 

「え……?」

 

 

首を飛ばされたC級の呆けた声に一拍遅れて、そいつのトリオン体が破裂して生身に戻った。

……あーあ、遅かった。

俺は胸の内でそう呟きながら、カゲさんを見た。あんな離れた場所にいる相手の首を、一瞬で正確に刎ねるなんて芸当はこの人にしかできない。

 

 

「キ、キリト……今、なにが……?」

 

 

シノンは状況についていけてないのか、俺の服を掴みながら目を白黒させている。

 

 

「え…あ…えぇ!?」

 

 

「ひ……ひぃ!」

 

 

片や一瞬の出来事に狼狽し、片や首を飛ばされた恐怖で尻餅をついている。

 

 

「ちょ…ちょっ、もも…模擬戦以外のトリガーの使用は、隊務規定違反じゃ……」

 

 

「あ? 誰がいつ、トリガーを使ったよ」

 

 

「だ、だって今、こいつの首が飛ばされて……」

 

 

「知らねーよ。俺がトリガーを使ったっつう証拠でもあんのか?」

 

 

「しょ…証拠って……」

 

 

「証拠もねーのに言い掛かりつけてんじゃねーぞ! オイ!」

 

 

「ひぃっ!」

 

 

さっきあいつらが言ったことを、カゲさんはそのまま言い返している。手痛いしっぺ返しだな。

本当なら止めた方がいいんだろうけど、カゲさんは隊務規定違反による(ペナルティ)なんて痛くも痒くもないって人だから、おそらく言っても無駄だ。それにこう言ってはなんだが、俺もあいつらが悪いと思ってるしな。

 

 

「調子こいたカスが──死ね」

 

 

そう言うとカゲさんはゆっくりと持ち上げた右手構え、そのままそいつに向かって右手を素早く振るう。その瞬間、カゲさんの右手から目にも止まらぬ速さで刃が駆ける。そしてまた、C級隊員の首が飛ぶ──

 

 

──と、思ったその時……

 

 

「やぁぁああ!!!」

 

 

という気勢が鋭く響き渡った。カゲさんの刃がC級隊員の首に当たる直前、その間に割って入った別のC級隊員が、右手に握った弧月で刃を弾いた。……って、

 

 

「アスナ!?」

 

 

そのC級隊員とは、俺とシノンが迎えに来たアスナだった。

いつの間にか対戦ブースから出て来ていたらしいアスナは、右手に握った弧月を中段に構えながらカゲさんをキッと睨んだ。その気丈な振る舞いは、かつてSAO最強ギルド《血盟騎士団》の副団長だった頃を思い出させる。

 

 

「そこまでよ。さすがにそれ以上は見過ごせないわ」

 

 

「あぁ? んだテメェ」

 

 

カゲさんもアスナを鋭い眼光で睨む。けどアスナは怯む事無く、負けじとカゲさんを睨み続ける。お互いを睨み合うその光景はまさに一触即発で、今にもここで戦闘を始めてしまいそうだ。

しかしこれ以上、事を大きくする訳にはいかない。(ペナルティ)をものともしないカゲさんはともかく、今日入隊したばかりのアスナにまで(ペナルティ)がかかると、最悪除隊にまでなるかもしれない。ボーダーの司令は規定には本当に厳しい人だから。

なので俺はすぐに2人の間に割り込んだ。

 

 

「ストップストップ、カゲさんもアスナも落ち着いてくれ」

 

 

「キリ」

 

 

「キリト君」

 

 

俺が呼びかけると、睨み合っていた2人の意識が俺の方に集まる。すかさず俺は2人の説得を試みる。

 

 

「カゲさんの気持ちも分かるけど、さすがにこれ以上はダメだ。今度模擬戦いくらでも受けてあげますから、今は引いてください」

 

 

「……その言葉、忘れんじゃねーぞ」

 

 

結局、そのうち俺とカゲさんが模擬戦をする約束を取り付けてしまったが、この場を収めるためなら安いものだ。

 

 

「アスナも、今日入隊したばかりで問題を起こしたくないだろ?」

 

 

「キリト君がもっと早くにその人を止めてくれてたら、こうなってないんだけどね」

 

 

それに関しては返す言葉もない。

 

 

「もう……」

 

 

呆れたようにそう息をつきながら、アスナは弧月を鞘に収める。カゲさんが引くなら、アスナも対立する理由はないしな。

カゲさんとアスナが引き下がったのを見計らって、俺は次に腰を抜かして床に座り込んでいるC級の2人に歩み寄った。

 

 

「大丈夫か?」

 

 

「た、太刀川隊の桐ヶ谷先輩……!」

 

 

攻撃手(アタッカー)ランク3位の……!」

 

 

声をかけた俺を見た途端に、助かったと言いたげに顔を明るくする2人。だけど、別に俺は助ける為に声をかけた訳じゃない。

 

 

「大丈夫なら、とりあえずカゲさんに謝っておけよ。元はと言えばお前らが陰でコソコソと人の悪口を言っていたのが悪い」

 

 

「いやいや何言ってんすか桐ヶ谷先輩! どう見ても俺ら被害者でしょ!」

 

 

「そうっすよ! 先に絡んできたのあっちじゃないっすか! 大体、なんでそんなこと言い切れるんすか!?」

 

 

未だに自分たちの非を認めようとしない2人に苛立つ気持ちを俺はなんとか胸の内で抑え込みながら、言葉を続けた。

 

 

「人の心が読めるんだよ、カゲさんは」

 

 

「え……は……?」

 

 

「心を……読む……?」

 

 

「そういうサイドエフェクトを持ってるんだ。だから人一倍、悪意とかそういうのに敏感で、色々大変なんだよ」

 

 

俺がそう告げると、C級の2人は顔面蒼白で口をパクパクとさせている。たぶんこいつらは心の中でもカゲさんに対して悪態ついていたんだろう。それが読まれているとわかった今、こいつらの中にはもう恐怖心しかない。

 

 

「「し…失礼しましたーーー!!!」」

 

 

すると2人はあたふたと立ち上がって、一目散に逃げて行った。それを見送ったあと、俺は再び視線をカゲさんに向けた。

 

 

「まったく……カゲさんも、あんまりハデにやり過ぎるとまた減点くらいますよ」

 

 

「知るか。俺ァああいうのにナメられる方がムカつくんだよ。んなことより──」

 

 

そこで言葉を区切ると、カゲさんは俺から視線を外して、アスナの方に視線を向けた。

 

 

「おい」

 

 

「……なに?」

 

 

「テメェ、俺の攻撃が見えてたのか?」

 

 

カゲさんが聞いているのは、たぶん先ほどアスナがカゲさんが放った刃を防いだことだろう。カゲさんのあの攻撃は、視認することさえ難しいほどに速く、防げる人は攻撃手(アタッカー)の中でも上位クラスくらいだ。それを訓練生のアスナが防いだことに、カゲさんの興味を引いたらしい。

 

 

「ギリギリだったけど、見切れない速さじゃなかったから」

 

 

「──ハッ……おもしれぇ」

 

 

決して怯まない強い眼差しをしたアスナがそう答えると、カゲさんは最初に俺に向けたものと同じ、獲物を見つけたと言わんばかりの笑みを浮かべた。

 

 

「さっさとBに上がって来いよ。そしたら遊んでやらぁ」

 

 

アスナに向かってそれだけ言うと、カゲさんはくるりと踵を翻して俺たちに背を向けた。

 

 

「帰るわ。おいキリ、約束忘れんじゃねーぞ」

 

 

「わかってますよ。いつでも連絡ください」

 

 

「ケッ」

 

 

そう言ってカゲさんが歩き出すと、周りにいた野次馬はあの人を避けるようにそそくさと道を開けた。人ごみが左右に分かれて開かれるその道を、カゲさんは堂々とした足取りで歩いて行った。

そしてそのカゲさんがランク戦部屋から出て行くと……

 

 

「はぁ~~~っ」

 

 

長い溜息が、アスナの口から吐き出された。それが安堵からなのか、呆れからくるものなのかは俺には判別できなかったが、疲れた様子なのは見て取れた。

 

 

「お疲れ、アスナ」

 

 

「キリト君……もう、なんだったのあの人」

 

 

「本当よ。私なんかもう途中から全然ついていけなかったわ」

 

 

抗議をするようにジト目で俺を見てくる2人。特に途中で完全に蚊帳の外だったシノンは、恨みがましそうな目だった。

引きつった笑いと共に、いやに目立ってしまっているこの状況を見回しながら、俺は言葉を発した。

 

 

「とりあえず、ここを出よう。説明は移動中にするからさ」

 

 

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 

 

「B級2位の《影浦隊》?」

 

 

「そう。で、さっきのあの人が隊長の影浦雅人さん。1位の《二宮隊》と並んで不動のB級2トップだ。因みに歳は俺の1個上だから、アスナと同い年だな」

 

 

あれからランク戦の部屋を退出した俺たちは、太刀川隊の作戦室に向かって本部の入り組まれた通路を歩く道すがてら、先ほどのカゲさんの説明をしていた。

 

 

「そんなに強い人だったんだ」

 

 

「一時期はA級6位まで上がったこともあるんだけど、さっきみたいな問題行動が多くて降格されたんだ。本人はまったく気にしてないけど」

 

 

「そんなのがボーダーにいて大丈夫なの? さっきのを見た感じだと、ずいぶん疎まれてそうじゃない」

 

 

「まぁ確かに好戦的で敵を作りやすい人だけど、根は単純で裏表がない。そんなに悪い人じゃないよ」

 

 

「ふーん」

 

 

俺の言葉にシノンはそう相槌を打つけど、どこか納得していない顔だ。少し前まで高校で遠藤とかいう不良娘から嫌がらせを受けていたシノンにとって、カゲさんみたいな人は苦手なんだろう。だけどあの人と接していけば、そんな人じゃないってそのうち理解してくれると思う。

 

 

「ねえキリト君、その影浦君って人が、人の心を読むって……本当なの?」

 

 

訝しげな顔をしながらそう問い掛けてくるアスナ。

 

 

「まさか、本当に心の中を読める訳じゃない。実際は、自分に向けられている他人の意識や感情が分かる──《感情受信体質》。それがカゲさんのサイドエフェクトだ」

 

 

「サイド……」

 

 

「エフェクト……?」

 

 

アスナとシノンにとっては聞き慣れていない単語に、2人は揃って首を傾げている。俺はカゲさんの能力の前に、サイドエフェクトについての説明をすることにした。

 

 

「サイドエフェクトっていうのは、高いトリオン能力を持つ人間が稀に発現する超感覚の総称だよ。トリオンが脳や感覚器官に及ぼす影響らしい」

 

 

「超能力ってこと?」

 

 

「そんな超人的なものじゃない。あくまで人間の能力の延長線さ。耳がめちゃくちゃ良くなったり、何十メートルも離れた場所を目ではっきり見渡せることができたりとか、そんな感じだよ」

 

 

中には迅さんが持つサイドエフェクト《未来視》のように強力なものがあるが、発現する人は稀だろうな。

 

 

「すごいんだね、サイドエフェクトって」

 

 

「まぁな。だけどサイドエフェクトって言ってもそんなに便利な能力ばかりじゃない。サイドエフェクトの意味は《副作用》だからな」

 

 

「副作用?」

 

 

「発現した人にとっては有害にもなるってことさ。カゲさんの感情受信体質がまさにそれだと思う」

 

 

「どういうこと?」

 

 

「さっきも言ったけど、カゲさんのサイドエフェクトは、自分に向けられている他人の意識や感情がわかるって能力。カゲさんが言うには、それらが肌にチクチク刺さる感覚があるらしい。恐怖や安心、憧れや怒り……刺さり方には色々あって、負の感情ほど不快に感じるって言ってた。だから、それが原因でさっきみたいな事が起きたりもする」

 

 

言葉にすればそれだけのように思えるが、考えてみればこれほどしんどい能力はない。人が向けてくる善意や悪意を、常日頃からその身で感じ取ってしまうのだから。俺だったら視線恐怖症になって引きこもりになりそうだ。本人もクソ能力って呼んでるし。

 

 

「……なるほど、だからあの人ごみのなかで、悪態をついた犯人がわかったのね。自分に向けられている悪意を感じ取ったから。常に人の悪意が感じ取れるなんて……私だったら耐えられないわ」

 

 

「そうだよね……人の悪意って、本当に怖いから」

 

 

自分の体を両手で軽く抱き締めながらそう呟いたシノンと、物憂げな表情でそう語るアスナ。

確かに俺たちは、人の悪意によって引き起こされる事件をなんども見てきた。それは自己満足だったり、支配欲だったり、殺意だったりと様々だ。それを一身に感じ取れるカゲさんのサイドエフェクトは、おそらくトップクラスでしんどい能力だろう。

 

 

「まぁそんな訳だから、あんまりカゲさんの事を悪く思わないでくれよ。話してみれば良い人だからさ」

 

 

「うん、わかった。同い年だし、今度話してみるよ」

 

 

「そうね。私も今度会った時は、先入観は捨てるわ」

 

 

「そうしてあげてくれ──っと、ついたぞ」

 

 

話ながら歩いているうちに、我らが太刀川隊の作戦室前に到着した。

 

 

「ここがキリト君の部隊の作戦室?」

 

 

「ああ。と言っても、かなり俺らの私物が持ち込まれてるから、作戦室っていうより家に近いかもな。だいたいいつも散らかってるし」

 

 

太刀川隊は俺を除いた4人が片付け下手だから、俺が1人奮起してもまったく片付かない。見かねた本部長が月一で部屋を大掃除してくれる職員を差し向けるほどだ。

 

 

「アンタのチームメイトは部屋に居るの?」

 

 

「居ると思うぞ。今日は朝から防衛任務だったし」

 

 

その防衛任務をすっぽかして大学に行った太刀川さんももう戻ってきてるだろう。正直、太刀川さんにアスナたちを紹介するのは気が引けるけど、あれでも一応隊長だから紹介しない訳にはいかない。

 

 

「じゃあ開けるぞ」

 

 

俺は扉の横にあるパネルを操作して、部屋の暗証番号を打ち込む。そして番号が認証されると、ゴゥーンっという機械音と共に扉が開かれ──

 

 

 

 

「いだだだだだだ!!! ギブギブギブギブギブ!!! 風間さんギブだってギブ!!!」

 

 

「……………」

 

 

 

 

うちの隊長が中学生くらいの小柄な男に逆エビ固めを喰らっている光景が飛び込んで来た。

 

 

………なにこの状況?

 

 

 

 

 

つづく



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太刀川隊

最後がちょっと雑になったかもしれない。


 

 

 

 

 

 

「いだだだっ!! ちょっ、風間さん……! ホントにやめて! 俺今トリオン体じゃないからぁーーー!!!」

 

 

「だまれ」

 

 

……作戦室に入ったら、うちの隊長がシメられていた。

などという軽い現実逃避をしてしまうほど、桐ヶ谷和人は飛び込んで来た光景に唖然としてしまった。和人の後ろにいる明日奈と詩乃も、あまりの出来事に呆然としてしまっている。

どうしようかと考えていると、和人は逆エビ固めをキメられている太刀川と目が合ってしまった。

 

 

「き、桐ヶ谷! ちょうどいい! 助けてくれ!」

 

 

──うわ、呼ばれた。

 

 

助けを求められた和人はつい顔をしかめてしまう。しかしこのまま放置しては明日奈と詩乃にチームメイトを紹介できないと思い至り、仕方ないなと嘆息する。

 

 

「悪い2人とも、ちょっと待っててくれ」

 

 

「あ、うん」

 

 

「わかったわ……」

 

 

2人に断りを入れてから、和人は入室して無表情で太刀川をシメている赤い瞳に切れ目が特徴の男に声をかけた。

 

 

「風間さん」

 

 

「桐ヶ谷か。少し待て。今このバカにお灸をすえているところだ」

 

 

「あーはい、何があったのかは大体察しがつきますけど一応聞きます。何があったんですか?」

 

 

「大学のレポート。そう言えばわかるだろう」

 

 

やっぱりかと、和人は胸の内で呟く。

この太刀川慶という男は、大学の課題レポートを毎回後回しにして放置する。いわゆる夏休みの宿題を最後まで溜め込むタイプだ。そして期限ギリギリになると、ボーダーの大学生組に手伝ってくれるよう頼み込むのだ。それが時々だったらまだしも毎回なので、みんなうんざりしている。かく言う和人も持ち前のパソコン技術と知識に目を付けられて手伝わされることがよくある。しかも本人に反省の色がまったく無いので、シメたくなる気持ちは大いに理解できた。

 

 

「予想通り過ぎて、驚きも無ければ弁護の余地もありませんね」

 

 

「え? 俺ってそんなに信用ないの?」

 

 

逆エビ状態で本気で不思議そうな顔をしている太刀川に、むしろなぜ信用があると思っているのか小一時間ほど問い詰めたい衝動に駆られた和人だったが、それをグッと飲み込んでから、本来の話に戻す。

 

 

「個人的にはそのまま続けてもらっても全然かまわないんですけど、今はその……お客さんが来てますんで」

 

 

「なに?」

 

 

和人がそう言うと、風間と呼ばれた男は出入り口前で固まっている明日奈と詩乃の方に視線を向けた。

 

 

「C級隊員……今期入隊の新人か?」

 

 

「ええ、まあ。あと俺の個人的な仲間です」

 

 

「そうか、わかった。──ふっ!!」

 

 

「ああああああああっ!!!」

 

 

ゴキリと、およそ人体から鳴ってはいけない音が鳴った気がした。

太刀川の断末魔を聞いて気が済んだのか、風間はぐったりしている太刀川の背中から退いて立ち上がる。

 

 

「トドメは差すんですね」

 

 

「当たり前だ」

 

 

淡々とした口調でそう言い放つのは、A級3位《風間隊》隊長の風間(かざま)蒼也(そうや)攻撃手(アタッカー)ランク2位、個人(ソロ)総合ランク3位の実力者。低身長のせいで中学生と間違われがちだが、これでも年齢は21歳で太刀川よりも年上。仕事ができるので上層部からの信頼も厚く、和人を含む多くの後輩からも慕われている。高いプライドを持ち、常に冷静な人物だが、実は数々の壁を知恵と鍛錬で乗り越えてきたという熱い男。《小型かつ高性能》を体現した、和人が心から尊敬する人物の1人。

 

こういった常に冷静沈着でクールなタイプの男性は和人の周りにはそう居ない。というより、身近な男友達で真っ先に思い浮かぶのが出水と米屋たち同年代組と、あとはクラインとエギルぐらいしかいない。ボーダーに入ってからはマシにはなったが、それでも未だに浅い交友関係に和人はちょっと泣きそうになった。

 

 

「で、桐ヶ谷。あっちの女の子2人はお前の友達か?」

 

 

「チッ」

 

 

さっきまで床を這いつくばっていた太刀川がむくりと体を起こす。

うわ、生きてた……と和人も顔をしかめる。風間も仕留めきれなかったから忌々し気に舌打ちを漏らしてる。

……そのまま気絶してくれた方が明日奈たちの紹介もスムーズに終わったかもしれないのに。

そう心の中で呟きながらも、和人は軽く溜息を吐いて太刀川の質問に答える。

 

 

「そうですよ。2人とも今日入隊したんで、うちの作戦室の見学ついでに紹介しようと思って連れて来たんです。……正直太刀川さんに紹介するのは嫌だなって思ってたんですけど」

 

 

「おい、なんでそんな冷たいこと言うんだ。隊長だぞ俺」

 

 

「俺、ボーダー隊員としての太刀川さんは尊敬してますけど……人としての太刀川さんは尊敬できないというか、軽蔑してるというか、むしろ見下してるというか……」

 

 

「出水もそうだったんだけど、なんでおまえら今日は俺にそんな辛辣なんだ?」

 

 

この男は今朝の防衛任務のことをもう忘れたのだろうかと軽く呆れる。和人はあとで報告書を通じて本部長にもチクっておこうと心に決めた。

 

 

「おやおやキリ君、戻って来てたのかね~」

 

 

すると、作戦室の奥の部屋からひょっこりと国近柚宇が顔を出した。

 

 

「柚宇さん、いたんですか?」

 

 

「いたよ~。太刀川さんがうるさいから、仮眠室でゲームしてた」

 

 

そこでシメられえている隊長よりゲームを優先するところが彼女らしい。

そんなことを考えていると、また別の部屋から出水がやってきた。服装もすでに隊服ではなく私服姿。太刀川隊の紋章(エンブレム)が入った上着を羽織り、その下からはボーダーのメディア対策室のグッズ企画部が出水の為に作った『千発百中』という謎の四文字がプリントされたTシャツが覗いている。

 

 

「ああースッキリした。おうカズ、戻ってきてたか」

 

 

どこか晴々とした表情の出水……そしてその右手には首根っこを掴まれて引きずられている唯我の姿が。

 

 

「き、桐ヶ谷先輩! 助けてくださぁい! 出水先輩の暴力支配にはもう耐えられません!」

 

 

和人の姿を認識するや否や泣きついてくる唯我。

 

 

「……なにをしたんだ出水?」

 

 

「今日の防衛任務で早々に落とされやがったから、訓練室でヤキ入れてやっただけだ」

 

 

ああ、そういえばそんなこと言ってたなと納得すると、和人は泣きついてくる唯我をスルーして、騒々しい部屋全体に聞こえるように言い放った。

 

 

「みんな、お客さんだ」

 

 

 

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

 

 

 

「えーと、それじゃあ紹介します。今日の正式入隊で入隊した、俺のVRMMOプレイヤー仲間です」

 

 

あれから少し場が混沌としていたのを何とか収拾させて、明日奈と詩乃の2人を作戦室内へと招き入れた和人。そして大部屋の3人掛けのソファに右から和人、明日奈、詩乃の順番で座り、人数分のお茶が置かれたテーブルを挟んでその対面にあるソファには右から出水、太刀川、風間の順番で座っている。国近は別の部屋から持ってきたオフィスチェアに座ってもらい、唯我は床に正座させている。

そんな中で、まずはVRMMOプレイヤー組からの自己紹介を始める。

 

 

「結城明日奈です。いつもキリト君がお世話になってます」

 

 

明日奈は礼儀正しく、きちんと頭を下げながら自身の名前を告げる。お手本のような動作だが、最後のセリフには「保護者か!」と和人はツッコミを入れたくなった。

明日奈のことは和人が太刀川隊の中で何度か話題として出ていたので、太刀川さんたちは「ああ、あの……」といった反応だ。

 

 

「朝田詩乃です。よろしく」

 

 

次いで詩乃はまるで事務的な作業のように淡々とした自己紹介。性格的に自ら愛想を振りまくような奴じゃないので、彼女らしいといえば彼女らしい。

そして2人の自己紹介が終わると、柚宇が間延びした声を上げた。

 

 

「あ~! やっぱりアスナちゃんとシノンちゃんだったんだ~」

 

 

「え? えっと……」

 

 

「どこかで会ったかしら……?」

 

 

「んーん、リアルでは初めましてだよ~」

 

 

ポカンとした反応を見せる明日奈と詩乃。そして構わずマイペースで話を進める国近。

明らかに嚙み合ってない会話をフォローする為に、和人がすかさず間に割って入る。

 

 

「その話はあとでいいだろ。まずは一通り紹介するよ」

 

 

そう言いながら和人は、まず最初に対面のソファの中央に座する太刀川に右手を向ける。

 

 

「こちらがうちの隊長の太刀川慶さん。攻撃手(アタッカー)ランク1位、個人(ソロ)総合でも1位で戦闘の腕はピカイチだけど、私生活はダメ人間な人だ」

 

 

「こら桐ヶ谷、ダメ人間はないだろ」

 

 

失礼な紹介──間違ってはいない──をされた太刀川が抗議するが、和人は普通に無視して紹介を続けた。今度は太刀川の左隣に座っている出水を右手で示す。

 

 

「出水公平。弾バカ。以上」

 

 

「おいこら」

 

 

ぞんざいな和人の紹介に出水は睨むが、本人は意地の悪い笑顔を浮かべるのみ。そして今度は床で正座している唯我を示す。

 

 

「唯我尊。お荷物。以上」

 

 

「桐ヶ谷先ぱぁい!?」

 

 

ガーンッとショックを受けたように涙を流す唯我。するとそこで、その名前に聞き覚えがあったのか、明日奈が声を上げる。

 

 

「唯我って、もしかしてあの……?」

 

 

唯我とは確か明日奈の父、結城彰三がかつてCEOを務めていた総合電子機器メーカー《レクト》よりも、かなり大手の会社の社長の名前だったと明日奈は記憶している。

ひょっとしてそこの息子ではないかという明日奈の疑問に、和人は首を縦に振って肯定した。

 

 

「そう、こいつの父親の会社はボーダーで一番でかいスポンサーなんだ。で、こいつはそれを利用してA級隊員になって、太刀川隊に放り込まれた奴だ」

 

 

和人がそう説明すると、詩乃が怪訝そうな顔で眉をひそめながら口を開いた。

 

 

「つまり、コネでA級隊員になったお坊ちゃんってこと? それでちゃんと戦えるの?」

 

 

「いいや全然。実力は間違いなくA級隊員の中では最弱で、ぶっちゃけB級隊員の中でもかなり下の方だ。つまり完全なお荷物。他の部隊からは羽虫か何かだと思われていて、撃墜点を競うチームランク戦では太刀川隊のボーナスポイントと呼ばれている」

 

 

「衝撃の新事実!!? その扱いはあまりにも酷すぎますよ桐ヶ谷先輩!!」

 

 

「うるせーぞ唯我!! 本当のことだろうが!! 黙って正座してろ!!」

 

 

涙を流して喚く唯我を出水が容赦なく蹴りを入れて黙らせる。もちろんそんなやり取りに慣れている和人は、構わず紹介を続けた。次いで左手で示したのは、オフィスチェアに座った国近。

 

 

「で、彼女は太刀川隊オペレーターの国近柚宇さん。生粋のゲーマーでVRMMOにも精通してるんだ。2人もALOで会ったことあるだろ? 《キャットファイター》のユズさん」

 

 

「あ~! キリ君、その呼び名は恥ずかしいから禁止って言ったのに~!」

 

 

和人の紹介に国近からの抗議の声が上がる。

キャットファイターとは、ALOにおける国近柚宇のアバター……猫妖精族(ケットシー)のナックル使い、ユズの通り名だ。猫妖精族(ケットシー)特有の俊敏性を活かした《拳術》などの格闘スキルを多用することから付けられた通り名。本人いわくVRFTG、つまり格ゲーの応用らしい。因みに国近はその通り名があまり好きじゃないらしく、この名で呼び続けると、怒って対戦ゲームで負けた時ばりに首を絞めてくる。理由は「響きがちょっとやらしーから」らしい。

 

ALOにおいてアスナとユズは、キリトの紹介で面識はある。何度か共にクエストをこなして、時にはお茶会をすることもあった。ただしボーダーで和人と同じ部隊だとは聞かされていなかったので、聞いた時は驚いたが、知った相手だと知るとすぐに顔をほころばせた。

 

 

「そっか、あなたがユズだったのね」

 

 

「そだよ~。リアルでもよろしくね、明日奈ちゃん。あ、わたしのことは柚宇でいいからね」

 

 

「わかった。よろしくね、柚宇」

 

 

オフィスチェアのローラーを使って座りながら明日奈の近くへ移動して、国近は明日奈の右手を両手で掴んでブンブンと上下に振る。その豪快な握手に明日奈は一瞬だけ戸惑ったが、すぐに優しい笑顔を浮かべた。

 

 

「詩乃ちゃんも、よろしく~」

 

 

「あ、はい……よろしく、お願いします、柚宇さん」

 

 

国近のゆるふわな雰囲気に当てられたのか、少々戸惑いながらも詩乃も握手に応じる。

詩乃もALOで同じ猫妖精族(ケットシー)のユズとは会ったことはある。ALO歴が短い詩乃は彼女に色々教えてもらったりもしたのだが、そのあとで夥しいほどの数のクエストに付き合わされたので、若干彼女が苦手になってるらしい。

 

 

「あとわたしだけじゃなくて、いずみんもALOやってるよね」

 

 

「うす。朝田とはまだ会ったことねーけど、アスナさんとは何度か。水妖精族(ウンディーネ)のカイトって名前なんすけど」

 

 

「うん、覚えてるよ。キリト君のお友達で、何回か一緒にクエストに行ったこともあるよね。それにカイト君は水妖精族(ウンディーネ)の間じゃ有名だから」

 

 

ALOにおける出水公平/カイトは水妖精族(ウンディーネ)の間ではかなり名前が知られていた。多種多様な属性の魔法を状況に合わせて臨機応変に使いこなす天才魔法使い(メイジ)として。特に攻撃魔法に関しては領主クラスも認めるほどであり、キリトたちのパーティでは唯一の火力メイジとして重宝されている。その際、カイトとアスナは基本的に後衛に回されることが多く、カイトが火力メイジ、アスナが回復・支援メイジとして立ち回っている。なのでリアルで会うのは初めてだが、ALOではカイトとアスナにはそれなりに交流があった。

 

新たなVRMMOプレイヤー同士の交流を、嬉しそうに眺めていた和人は、最後に太刀川の右隣で黙々とお茶菓子の煎餅を頬張っていた風間を示した。

 

 

「最後に太刀川隊じゃなけいど、A級3位《風間隊》隊長の風間蒼也さんだ」

 

 

「風間だ。はじめまして」

 

 

頬張っていたものをちゃんとごくりと飲み込んでから挨拶をする風間。するとそんな風間に対して、明日奈が感心したような声を上げる。

 

 

「A級部隊の隊長なんだ、すごいね。見たところ中学生くらいなのに」

 

 

そう言った瞬間、部屋の空気がピシリと固まった。

 

 

「え? え?」

 

 

突然部屋が水を打ったように静まり返ってしまったことに、明日奈は何かマズイ事を言ってしまったのだろうかと思い戸惑う。その隣に座る詩乃も、状況が分からずに小首を傾げて難しい顔をしている。

 

 

「ぶっ……あははははははっ!!」

 

 

そして僅かな沈黙の直後、堰を切ったような太刀川の大笑いが部屋に響き渡った。

その太刀川ほどではないが、出水と唯我と国近も口元に手を当てながら顔を俯かせたり逸らしたりしており、笑い声を我慢しているのか体がプルプルと震えている。

 

 

「あ、アスナ……風間さんはな……」

 

 

どこか引きつったような表情をしている和人が、おそるおそると言った風に説明しようとしたその時、当人である風間が口を開いた。

 

 

「改めて──風間蒼也、21歳だ。はじめまして」

 

 

「えぇっ!?」

 

 

「うそ!?」

 

 

改めて彼の口から自己紹介を聞いた明日奈と詩乃に衝撃が走る。丸みを帯びた輪郭と小柄な体躯はどう見ても中学生ほど。しかし風間の年齢は21歳。立派な成人男性であり、この中では一番の年長者だ。

それを理解した明日奈はすぐさま立ち上がって頭を下げる。

 

 

「ご、ごめんなさい! 年上だって気づかなくて……!」

 

 

「いや、気にするな。よくあることだ」

 

 

「そうそう、風間さんは小さいから仕方な──ぐほぉっ!!」

 

 

笑いながら余計な茶々を入れる太刀川の脇腹に風間の肘鉄が減り込んだ。直後、二の舞にはなるまいと出水と唯我と国近はすぐに零れそうになっていた笑いを引っ込めて姿勢を正したのだった。

 

 

「アスナ、人を外見で判断するのはよくないぞ。特にこのボーダーではな」

 

 

「あはは……そうだね、気を付けます。すみませんでした」

 

 

和人の苦言に明日奈が苦笑を浮かべて、自分の失言を反省してもう一度風間に謝罪する。謝罪を受けた風間は再度「気にしなくていい」と告げると、再びお煎餅に手を伸ばしてボリボリと頬張り始めた。

 

 

「本当ならあと1人、どうしても紹介したい子がいたんだけどな。あいつも明日奈にすげえ会いたがってたし」

 

 

「え? 誰? わたしの知ってる人?」

 

 

「ああ。今日はちょっと定期検査──じゃなくて、都合が悪くてな」

 

 

「?」

 

 

一瞬何かを言いかけた和人に怪訝な顔をする明日奈。それを察した和人は追及される前に、強引に話を進めた。

 

 

「まあとにかく、その子はまた明日紹介するから! なっ?」

 

 

「う、うん……」

 

 

ムリヤリその話題を終わらせた和人に対して、明日奈は怪訝な顔をしながらも頷いてくれた。

 

 

──ユイに会ったら、明日奈はどんな顔するかな。

 

 

イタズラ心でそんなことを考えながら和人は笑った。本来ならユイのトリオン体が完成した時に知らせる予定だったのだが、明日奈が入隊したのならその必要もない。

あいにく今日一日はトリオン体の定期検査の為、会わせることは叶わなかったが、会えば必ず驚くし、喜んでくれるだろう。

和人は最愛の恋人と娘……現実世界における2人の再会を心待ちをしながら内心でそう呟いた。

 

 

「そういえばさ~」

 

 

するとそこへ、国近がのほほんとした口調で新たな話題を切り出した。

 

 

「明日奈ちゃんと詩乃ちゃんって今日が入隊初日なんだよね? ポジションはどこにしたの~?」

 

 

「わたしは攻撃手(アタッカー)かな」

 

 

「私は狙撃手(スナイパー)……」

 

 

「ほうほう。じゃあ2人はB級に上がったらチームを組むのかな~?」

 

 

「「え?」」

 

 

国近が言ったその言葉に明日奈と詩乃が揃って疑問を浮かべると、それに賛同するように和人が声を上げた。

 

 

「それはいいな。どこか既存の部隊に入って連携でギクシャクするよりも、気心知れたやつと新規でチームを作った方がいい。アスナとシノンなら連携も取りやすいと思うしな」

 

 

「ちょっと待って、チームってそんな簡単に作れるものなの?」

 

 

「チーム結成事態は結構簡単だぞ。4人以内の正隊員と1人のオペレーターが揃っていれば、あとは届出さえ提出すればいいだけからな」

 

 

詩乃の疑問に対して簡潔に説明する和人。

隊員同士が集まって部隊(チーム)を結成すること自体はそこまで難しいことではない。和人の言う通り、メンバーを集めて既定の用紙にメンバー全員の署名を集めて届ければ、即日受理されて結成される。隊員の脱退や増員の場合も同様。極端な話、戦闘員とオペレーターが1人ずつでも部隊は結成できる。実際にボーダーにはそういった部隊も存在している。

 

 

「本当に簡単なのね。でもチームを組むって、そんなに大事なことなの?」

 

 

「チームを組むこと自体は強制ではない」

 

 

続けて詩乃が口にした疑問に答えたのは風間だった。彼は和人が淹れたお茶をすすりながら、淡々とした口調で説明する。

 

 

「チームを組むのも、ソロで活動するのも個人の自由だ。だが、もしA級を目指す気があるのならば、チーム結成は必須だ。上にあがるには、チームランク戦で勝ち上がる事が絶対条件だからな」

 

 

上にあがる……その言葉に詩乃の心は少し揺れた。

 

 

「あ、でもオペレーターをやってくれる子がいないよ」

 

 

「それなら、正隊員に上がって結成する前に募集をかければいい。募集申請さえすれば、中央オペレーターから部隊オペレーターに転属希望を出している奴を本部から紹介してもらえる」

 

 

明日奈が口にした疑問を、風間がお茶をすすりながら説明する。

 

 

「あ、でも明日奈ちゃんはキリ君とチーム組みたいよね? 恋人さん同士なんだから~」

 

 

「ちょっ、柚宇! それ今関係ないよね!? それにキリト君はもうこの部隊の一員なんだし、引き抜きなんてできないでしょ?」

 

 

国近の指摘に顔を赤くしながら反論する明日奈。しかし国近はのほほんとした表情のまま、とんでもない爆弾を投下する。

 

 

「そんなことないよ~、引き抜き自体はそんなに珍しくないし。キリ君も、今もたまに他の部隊から誘われるよ。特に女の子が隊長の部隊から」

 

 

「女の子……から?」

 

 

その言葉に、明日奈が片眉がピクリと反応する。心なしか、呟いた声も若干低い。それに気づいた和人かマズイと判断した時にはすでに遅く、国近の口から言葉が続けられた。

 

 

「キリ君ってボーダーの女の子からすごく人気あるんだよ~。強くて優しいからチームに入って欲しいってね~。例えば加古さんでしょ~、那須ちゃんに~香取ちゃんに~、あと隊長じゃないけど柿崎隊の照屋ちゃんにも誘われてたよね~」

 

 

「柚宇さん!? それこそ今は関係な──」

 

 

「……へえ~」

 

 

「ひぃっ!」

 

 

明日奈から絶対零度の視線を向けられて、思わず顔を青くして悲鳴を上げる和人。それに続いて詩乃も、明日奈ほどではないが冷たい視線を和人に向けながら言い放つ。

 

 

「なるほど。やっぱりアンタはボーダーに入ってからも女の子を口説いてたのね」

 

 

「やっぱりってなんだよ!? それに俺は口説いてなんかいないって!!」

 

 

「どうだか。どうせ……『力になってやりたいんだ』とか『きみを守ってみせる』とか、そんな歯の浮くようなセリフを言ったんでしょ」

 

 

「う……」

 

 

「すげーな朝田、よくわかったな」

 

 

思い当たる節があるのか言いよどむ和人。そしてその現場を何度か間近で見たことのある出水は、詩乃のまるで見ていたかのような的確な指摘に感嘆する。

 

 

「キ~リ~ト~く~ん……!!」

 

 

「待て待て待て!! 落ち着けアスナ!! 誤解だって!!」

 

 

冷たいオーラを出しながらにじり寄ってくる明日奈に必死に弁明しながら後退る和人。

 

 

「はっはっは、さすがの桐ヶ谷も彼女には弱いみたいだな」

 

 

そんな2人の様子を他人事で眺めながら笑う太刀川。すると、またもや国近がのほほんとした口調で驚くべきことを言い始めた。

 

 

「あ、そーだ! だったら太刀川さんを追い出して、明日奈ちゃんにうちの部隊に入ってもらおうよ~!」

 

 

「は?」

 

 

「へ?」

 

 

その発言に対して真っ先に素っ頓狂な声を上げたのは、もちろん太刀川である。和人ににじり寄っていた明日奈も、その発言に目を丸くしている。

そしてそれに対して太刀川が何か言おうとすると、それよりも先にソファから立ち上がった和人と出水から肯定的な声が上がった。

 

 

「いいなそれ!」

 

 

「柚宇さん、それナイスアイディアです!」

 

 

「でしょ~?」

 

 

「んじゃあ、ついでに唯我も追い出して朝田にも入ってもらうか。そうすりゃ狙撃手(スナイパー)も入って戦略の幅も広がるしよ」

 

 

「出水先輩!? それは不当解雇というものですよ!?」

 

 

ついでで解雇通告を出され、涙する唯我。

 

 

「待て待て待て、それで話を進めんなお前ら。太刀川隊に俺がいなくなってどうすんだ?」

 

 

「桐ヶ谷隊か出水隊に改名すればいいんじゃないかな」

 

 

「大丈夫ですって。忍田本部長には、太刀川さんの今までの素行について俺たちの方から全部説明しておきますんで」

 

 

「どうしよう風間さん、唐突に俺の部隊が部下に乗っ取られた上に死刑宣告までされたんだけど」

 

 

「知らん。日頃の行いだ」

 

 

まさかの部下による部隊の乗っ取りと師へのチクリに助けを求める太刀川だが、風間にはあっさりと見捨てられてしまった。

 

 

「大事な防衛任務をすっぽかす隊長なんて隊長じゃありませ~ん」

 

 

「そーだそーだ、報告書を部下に書かせるなー」

 

 

「部下に大学のレポートを手伝わせるなヒゲ隊長ー」

 

 

……ああ、なるほど。今朝の防衛任務のことで怒ってんのかこいつら。

立て続けに上がる非難の声。それを聞いた太刀川は、ようやくなぜ今日はこんなにも自分の扱いが悪いのか理解した。太刀川は今朝の防衛任務は大学の補講授業で単位がかかっていた為、やむなく欠勤した。あとで報告だけは受けていたのだが話半分にしか聞いていなかったので、何だか大変だったらしいな、くらいにしか思っていなかった。しかしながら、どうやら思っていた以上の激務を彼らに押し付けてしまっていたらしい。怒るのも無理はない。

それを理解した太刀川は肩を竦めながら嘆息し、まいったと表現するように両手を上げた。

 

 

「わかったわかった、俺が悪かった。詫びに何かメシ奢ってやるよ」

 

 

「やった~! 太刀川さん太っ腹~!」

 

 

「さすが俺たちの隊長!」

 

 

「じゃあ焼肉で!」

 

 

「お前ら調子いいな」

 

 

「「「イエーイ!」」」

 

 

メシを奢ると言った途端に態度を一変させてハシャいでいる部下たちに、太刀川はやれやれと溜息をついた。焼肉で彼らの機嫌が直るのなら安いものだと、心の内で呟きながら。

 

 

「なにやってんだか……」

 

 

「ふふっ」

 

 

そんな太刀川隊のコントのようなやり取りを見て、詩乃は呆れたように呟く。そして明日奈は微笑ましいものを見るような目で彼らを見ながら笑って、ポツリと口を開いた。

 

 

「ねえシノのん、さっき柚宇が言ってたチームを組むって話……ちょっと考えてみない?」

 

 

「え?」

 

 

突然のそんな提案に目を丸くする詩乃だが、明日奈は構わず言葉を続ける。

 

 

「ほら、キリト君たちを見てて思ったんだけど……チームを組むって何だか楽しそうかなぁって」

 

 

「楽しそう……ね」

 

 

ふと、詩乃は目の前で笑い合っている太刀川隊に視線を向ける。その先に映るのは、出水と肩を組みながら笑い合っている和人の姿。そんな彼の姿を見て、詩乃は思った。

 

 

──あいつも、あんな顔して笑うのね。

 

 

決して和人の笑った顔を見たことがない訳ではない。しかしいつもの和人……特にキリトの時は、人を食ったような態度を取り、飄々としていてどこか大人びている。そんな彼が年相応にふざけ合いながら笑っている姿が、詩乃には新鮮に見えた。

それを見た詩乃は、明日奈に対して微笑を浮かべながら答えた。

 

 

「ま、いいんじゃない? 私は別に構わないわよ」

 

 

「ホント!?」

 

 

「ええ。それにこのボーダーで上にあがるのも面白そうじゃない。そうなるとまずは、B級に上がって正隊員になるところからね」

 

 

「確か、攻撃手(アタッカー)狙撃手(スナイパー)は昇格条件が違うんだっけ?」

 

 

C級隊員がB級に昇格する条件はポジションごとに異なっている。

明日奈たち攻撃手(アタッカー)銃手(ガンナー)組は、入隊と同時に渡されるトリガーにある個人(ソロ)ポイント『1000点』を『4000点』にまで上げることである。ポイントを稼ぐ方法は2つ。訓練の成績によって渡されるポイントと、C級ランク戦でポイントを奪い合うこと。つまり訓練をしっかりこなし、ランク戦で勝ち続ければいずれB級に上がる事ができる。

 

そして詩乃たち狙撃手(スナイパー)の場合は、方法はたった1つ。週に2回行われる合同訓練で《3週連続上位15%以内に入ること》である。それもC級隊員に限ったランキングではなく、正隊員を含む全狙撃手(スナイパー)の中で上位15%だ。正隊員の中には防衛任務だったり、サボったりで参加しないものが多いが、それでもなかなか難しい条件である。

 

明日奈と詩乃が正隊員に上がるには、まずそう言った条件をクリアしなければならない。

 

 

「がんばろうね! シノのん!」

 

 

「ええ」

 

 

当面の目標を確認して、2人は強く頷き合った。するとそこへ、和人が2人に声をかける。

 

 

「アスナ、シノン、太刀川さんが焼肉奢ってくれるらしいから一緒に行こうぜ」

 

 

「え?」

 

 

「わたしたちも、いいの?」

 

 

「大丈夫大丈夫。アスナたちの入隊記念ってことで。ね、太刀川さん?」

 

 

「あーわかったわかった、好きにしろ」

 

 

「なら、歌川たちも呼ぶか」

 

 

「え? 風間さんも来んの?」

 

 

「おまえの奢りなんだから当然だろう?」

 

 

「いやいやいやいや、さすがに風間さんたちの分まで出す余裕は……」

 

 

「嫌なら別に構わない。が……その代わり、今後レポートは自力で頑張るんだな」

 

 

「喜んで、奢らせていただきます」

 

 

「なら三輪隊にも声をかけてみるか」

 

 

「そうだな、槍バカたちも今回の太刀川さんの被害者みたいなもんだし」

 

 

「もう連絡したよ~。蓮さんに聞いたら、みんな来るって」

 

 

「なんかどんどん人が増えていってないか? 蓮のやつ、金貸してくれっかな?」

 

 

「カズは何食うよ?」

 

 

「やっぱカルビだろ。出水はハラミか?」

 

 

「まぁな。けど太刀川さんの奢りだから、種類に限らず食えるだけ食うけどな」

 

 

「同感だ」

 

 

「フッ、本来ならボクは焼肉などという低俗な食事はしないのですが、後輩たちの入隊祝いというなら仕方な──」

 

 

「じゃあテメェは1人で留守番してろ」

 

 

「ああっ、ごめんなさい!! ボクも一緒に行きたいです出水先輩!!」

 

 

賑やかにそう言い合いながらゾロゾロと作戦室をあとにしていく面々。そんな彼らの背中を明日奈と詩乃がぼんやりと見つめていると、2人に気付いた和人が笑いかける。

 

 

「なにしてるんだよ? 早く行こうぜ!」

 

 

そんな和人の心底楽しそうな笑顔を見た明日奈と詩乃は、どこか嬉しそうに頷き合い、彼のをあとを追いかけたのであった。

 

 

彼とその仲間たちと一緒なら、このボーダーでもやっていけるかもしれないという期待を胸に秘めて──。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

因みにこの日、太刀川の財布が死んだのは余談である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ、キリト君。柚宇が言ってた女の子からの勧誘の話、あとでちゃんと詳しく聞かせてね?」

 

 

「…………ハイ」

 

 

ついでに和人も一緒に(精神的に)死んだ。

 

 

 

 

 

つづく




カバー裏式人物紹介①


黒のA級フラグ建築士『キリト』
黒のロングコートに惹かれて太刀川隊に入ったゲームバカ。ボーダーの仕事に精を出している裏でVRMMOの布教活動を行っている仮想世界の申し子。因みに主な被害者は出水と志岐。嫁と娘がいるにも関わらず多くの女性から好意を寄せられる天性のタラシなので、ボーダーに入ってからも那須さんをお姫様抱っこしたり、熊谷とデートしたり、加古さんに炒飯食わされたり、香取に懐かれたり、小南と模擬戦したり、綾辻を餌付けしたりなど相変わらず色々大活躍している。とりあえず嫁に刺されればいい。


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