オリジナル短編集 (はまっち)
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あの落下傘に恋をして
二月も早中盤。本土なら粉雪の一つや二つくらいちらついてもいいだろう時分。
はあ。ため息の一つでも吐きたくなるような快晴だ。遠くに見える山々は緑が青々と生い茂り、雪化粧の一つすらする気配がない。
高緯度地帯。タイの最南端に位置するこの飛行場に雪の影はない。それどころかみぞれすらもない。
俺は荒れ放題になった滑走路の草抜きをしながら呆然とそう考えていた。
「……なんで俺が草抜きなんか」
ぽつりと漏らして、雑草を力任せに引っこ抜く。根元で千切れて残ったしぶとい根を、小円匙で土ごと引っぺがしてはひとまとめに束ねて投げ捨てる。
はあ。本日通算10数回目のため息。長かった雨季の影響か泥だらけになった半長靴にもうひとつ続けて吐き出し、小隊長のくそったれと心の中で毒づいた。
「何でこんな時勢に……だれが磨くと思ってんだこの半長靴」
確かに、酒保で乱闘騒ぎを起こしたのはまずかった。しかも相手が航士上がりの少尉殿だったのもまずかった。
しかし今回の件はひとえに飛行中隊の奴らが俺たち挺進隊のことを歩兵以下の雑兵だとの穀潰しだのとほざきやがったのが悪い。そう上官に向かって口答えしたのもさらに悪かった。
本来なら上官への反抗や軍旗を乱した罪で最悪除隊や軍法会議送りになったかもしれないことなども考えると、独房送りではなくて草むしり程度で勘弁してくれているのはある意味温情たっぷりの措置なのかもしれない。
とりあえず一区画を真っ平らに仕上げた後、隣の区画のまだ雑草の多いところを選んで仰向けに寝っ転がった。
ずっと折り曲げられたままだった腰が引き伸ばされていくのが解る。軍服の上からでもちくちくと刺さる雑草の濃密な土の匂いが鼻腔をくすぐる。
「あー……空が青いな」
太陽がだいぶ高いところまで昇っている。丁度お昼時と言っても良いくらいだが、まだ自分に課したノルマが終わっていないので酒保に足を進めることすらもできない。
「とりあえず、早く片付けるか」
数十秒ばかり腰を休めた俺は、また草をむしる作業に戻るべく立ち上がる。
「……ラッカさん!」
丁度そのときに投げかけられた高い声。元気良くはきはきとした声色が空に響く。一瞬なんのことかと思い辺りを見渡したところで、ふと思い当たった。
そんな呼び方をするのは彼女しかいない。
「ロムちゃん! どうかしたか!?」
声の主にむかって手をふりながらよびかけると、向こうも気付いたようで大きく腕を振り返してくる。
しばらくすると、褐色の肌をした尋常小学校くらいの年齢の女児がとてとてと走り寄ってきた。
「ラッカさん。くさむしり?」
「おう、あとそのあだ名は止めてって何回も言ってるじゃないか」
「ラッカさんは
俺が落下傘部隊――挺進第二連隊所属だから、ラッカさん。なんとも単純なあだ名だなと俺は思う。
「ラッカさん、イマいそがしい?」
「丁度休憩してたところだよ。ところでなぜここに……?」
「ラッカさんのおテツダいにきた……じゃ、ダメ?」
ロムちゃんは上目遣いにそう言うと、有無を言わすことなくそっと近くにあった木鎌を掻っ攫っていった。
手伝いに来てくれたのは嬉しいけど、一応ここは軍事基地だ。そうやすやすと民間人が立ち入って良いところじゃない。そんな複雑な感情を抱えたまま俺は雑草へむけて小円匙を突き刺した。
「……ラッカさん。チカいうちにせんそうがおこるって、ほんと?」
「ん、ああ。そのための俺たち兵隊だからな」
ぶちぶちと音を立ててちぎれた雑草に舌打ちしながら、仕方なく小円匙で根っこを掘り返す。ロムちゃんのほうも
「せんそうはコワいって、ブンミーじいちゃんもいってた。ラッカさん、コワいのへいき?」
「そりゃ勿論平気さ」
「でも、ラッカさんいつもしかられてる。しかられるのコワくない?」
そりゃ勿論恐いにきまってる。だが恐いの部類がちがうのだ。そういっても、彼女は納得してくれないだろう。だから俺は小さく苦笑した。
「まあ……戦争が起こったらここも焼け野原になるし、平和が一番かな」
「そっか。ラッカさん、じつはけっこうコワいひとかともオモってた」
そういうとえへとはにかむ。俺は小円匙を地面に置いて、ぽつりと呟いた。
「まあ、初めての実戦が近いうちにあるからさ」
そう笑いながら、前日の作戦説明を思い出した。
南方の都市、パレンバンに敵中降下してコレを占領せよ。
作戦決行は2月の14日。本日が2月13日であることを加味すると、あと18時間ほど後の早朝にこの飛行場を出立する予定である。
「……じっせん、しゅっせいスルの?」
「え?」
俺の目には、ロムちゃんが一拍の間を開けて息を大きく吸い込んだのが見えた。
「…………ワタシ、ラッカさんにコワいとこいってほしくナイ! ファランなんかとタタかってほしくなんてナイ! ラッカさんしぬの、イヤだ!」
息つく暇もなく、ロムちゃんは叫んだ。
ロムちゃんの豹変に対応できず、あわあわと右往左往するしかない。
「タイのひと、みんなヤサしい。ニホンかえらなくたって、イきてける。ラッカさんだって、こわいコンジープンきにしなくてスム……」
「ダカラ、にげよ? ラッカさんなら、むらのミンナかんげいする。もっとトオくにニげることだって、オサたちならできる! そしたら、ラッカさん、しなない。だったら――」
そこまで言い放ったところで、小さな口に手のひらを持っていって優しく塞いでやる。ロムちゃんはぱちくりと目を点にした後、俺の手を払いのけるようにして口を自由にした。
「それ以上は、駄目だ。恐いおじさんが来るから」
「…………となりのアナンおじさんヨリも?」
「そうだ」
「ファランたちヨリも?」
「まあ、そうだ」
白人を表す単語。構わずロムちゃんは続ける。
「『
「……そうだ」
静かに、そう答えた。
特高警察といわれる奴らがこんな外地まで管轄にしているとは思えないが、軍事基地の周辺で反戦的な事を唱えればどうなるか。想像に難くない。
その後はどちらともしゃべることなく、黙々と草を刈る時間が続いた。
その間中、やけに力が入って雑草の根が残っていくように感じた。
翌日、0214早朝。
ついに作戦決行の日がやってきた。
日頃の訓練の成果を発揮して穀潰しと言われないようになるための、初戦だ。そう考えるだけでゲートルを巻く腕が軽やかになる。
小銃を受領したのち眠気覚ましに外の空気を吸ってくることに決め、木造の兵舎から昨日ちょうど罰則の草むしりを完了させた飛行場へと向かった。
…………すると、そこの木陰にはすでにロムちゃんが立っていた。
心臓が胸からとびでそうなほどの驚愕が襲ってきたが、逆に深呼吸をして精神の統一を図る。
「なんで、ここに」
「わたしたいモノがある、から」
いつになく真剣な顔立ちのロムちゃん。俺もつられるようにして真面目に向き合う。
「ラッカさん」
トーンをいつもより下げて、口を開く。
後ろ手にまわしたその小さな腕に、何かビニールに包まれたものを隠し持っているのが見えた。
「コレ、ラッカさんにあげます。『せんにんばり』ナンカじゃないけど……」
そう言って、俺に向かってその包みをまっすぐ差し出した。緊張で小刻みに震えるロムちゃんに皮膚が当たった瞬間、びくりと日に焼けた腕が跳ねる。
俺の掌の上に落とした包みを見る。茶色い不格好な長方形の塊が、ビニールに密封されるかたちで入っていた。
「ファラン、きまってこのひにおくりものする。そういったらグンイさんがそっとワタしてくれた」
何でも、医療用の代用チョコレートのようだ。そんな嗜好品を俺のためにもらってきてくれたロムちゃんに頭が上がらない。
「ラッカさん。弾、当たらナイで」
「ぐんしんトカ、しんぺいナンカならなくてイイ。ワタシ、ずっとまってるから」
ぐずりと鼻をすする声が耳を刺す。彼女は彼女なりに俺の身を案じているのだと解って、胸が張り裂けるほど痛くなった。
「第一中隊集合! 分隊ごとに集まったら機内に乗り込め!!」
少し遠くで聞こえた、中隊長の大声。はっと我に返って駐機場のほうへ足を向ける。
それはロムちゃんとの最後の会話を打ち切る事と同義であって。
「それじゃ、落下傘部隊の名に恥じぬ戦果を上げてくる。じゃあなロムちゃん。チョコレート、ありがとう」
歩き出そうとした瞬間に、右腕に違和感があった。何かに後ろから引っ張られているような。
振り返ってみてみると、ぎゅっと、ロムちゃんが軍服の袖口を指先で力いっぱい握っていた。
俺が少しでも腕を振るうだけで振りほどけそうな拘束。
それでも力尽くでふりほどく気にはなれなかった。
「ロムちゃん。帰ってきたらタイ語を死ぬほど勉強するからさ。その時は教えてほしい」
彼女がこくりと頷いたと同時に、指先だけの拘束がとかれる。
目の前でじっと唇をかんで涙を堪えるロムちゃんに背を向けて、ひらひらと手を振りながら戦場へと向かった。
吊り紐のついた小銃がずしりと重い。折りたたまれた落下傘が胸を圧迫して、なにやら息苦しく感じる。
今日涙をこぼした滑走路を征く。昨日草むしりした地面を踏みしめる。一昨日話した大地を踏みにじる。
――Dichan rak khun ka!
後ろから聞こえてきた、なんて言ったのか解らない。聴いたことのないはずの言葉の羅列。
でもなぜか、言わんとする意味はよく解ってしまった。
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李下王と瓜田姫
昔々、ある国に李下王(りかおう)という王様がいました。
王様は正しくないことが大嫌いだったので、少しでも嘘をついたり悪いことをした人たちを容赦なく殺していきました。
幾人もの人を殺した連続殺人犯の首を吊らせ、軍隊を私のものにした将軍を絞首刑に処し、城に忍び込んだ泥棒を縛って吊し上げました。
でも、一向に国は良くなりません。この日も、勝手に私腹を肥やしていた大臣を捕まえて首を括らせていました。
王様はかんがえました。
「大臣はいまわの際に『やっていない』と叫んでいたな。なぜ、悪いことをしたのに言い逃れしようとするのか」
そのことを奥方に聞いてみました。奥方は王様に優しく諭しました。
「それは嘘というのです」
「なぜ悪人は嘘をつくのか」
「嘘をつくことで、王様の判断を妨げようとしているのです」
なるほど! 王様は納得しました。
――つまりは、嘘をつく人こそが悪人なのです。
次の日から、王様はさらに疑り深く人を見るようになりました。
冗談めかして笑いを誘った奇術師に矢を射かけ、偽の報告をしてきた官僚の腸を引きずり出し、過大な戦果確認をした司令官を部下の観測班ごと死地へと赴かせて殺しました。
そうして、幾春もの月日が経ちました。疑り深い王様は、玉座に腰掛けながら腕を組んでうむ。と大きく頷きました。
「これで国はよくなったな」
しかし、ひっそりと影口を叩く輩がたくさんいます。王宮の宦官たちがひそひそとはなしているのを、聞いてしまったのです。
なおかつ、私達は何も言っていません。と言い張るのですから大変です。王宮内の全員が宦官たちを擁護したので、王様は混乱してきました。少しだけ伸びてきた髭を間違って剃ってしまうくらいには憔悴しきっていました。
もはや、だれが嘘をついているのか解らない。にこやかな笑顔のうらでは何を考えているのかわかったものではない。
そう顔を青ざめさせた王様は、はるばる西の国から高名な学者を呼んで訊ねました。
学者は真っ白く蓄えた髭を弄びながら答えました
「ふむ、それは王様お一人だけでなんとか出来る物ではありません」
「では、どのようにすればよいのか」
「法です。法を作るのです」
「なぜ法を作る必要があるのだ」
「法を作れば、人民は自ずからその規則の中でのみ活動するようになります。それこそが法治国家です」
なるほど。王様は納得しました。
――――つまりは、嘘偽りのことを頭に思い浮かべたであろう人物を処刑するような法を作れば良いのです。なんと素晴らしき法治なのでしょう。
王様は家臣に命じて、城下町の一番目立つところに高札を掲げさせました。
『誰かと嘘偽りの混じった事を話してはならぬ』
『誰かを騙そうと企てはならぬ』
『それらを破った者には厳重な処罰を与える』
それを見張るために王様は秘密の警察を組織して、密告されるのを待ちました。すると、一つ、二つ、三つや四つと少しずつではありますが、どこそこ村の誰それは嘘をついているという密告が相次ぐようになったのです
高札の通り、密告された嘘つきには厳重な罰がありました。
口があるから嘘をつくのだとして、大勢の嘘つきたちの首が灰色の空を舞いました。
その結果、人々は嘘をつくのを止めました。いつどこで密告されるかも解らない恐怖に怯えながら、正しいことだけを口にするようになったのです。
王様はこれでよしと思いましたが、有るとき大臣の一人が駆けてきました。
「何事だ」
「王様、なにとぞ処刑をおやめくださいませ」
王様は静かに頷くと、そう進言した大臣を穴の中に放り込みました。
「王様、何故に大臣を処刑したのですか。彼は良き士でありましたのに!」
次の日、大臣を穴の中に放り込んで処刑したことを責めてきた弟を蛇の餌にしてやりました。
「王様。それは法ではありません。ただの独裁です」
その次の日、巻物を手に烈火の如く怒り散らしてきた学者を、火あぶりにして殺しました。
「王様。私はもうついてはいけません、故郷へ帰らせていただきます。さようなら」
そのまた次の日、自室で荷物を纏めていた奥方を、長い麻縄で括って川へと放り捨ててしまいました。
その結果、王様のまわりにはもう誰も正してくれる人はいなくなりました。
堅い仮面のような笑顔を湛えた人間だけが、王様の前に侍っているだけでした。
髭も白くなってきた頃、王様のもとに一人の娘がやってきました。
西方の扇情的な装束を身につけたその娘は、隣国の隣国のさらにまた隣国の姫君だというのです。
王様は嘘だと思いましたが、どうしてもと言うので仕方なく王宮に入れてやりました。
玉座の前に跪いた娘は、自分を瓜田姫(かでんひめ)だと語り、こう言いました。
「王様、私は占いの才があります」
「占いとは嘘偽りを語って人を騙す悪魔の所行ではないのか」
瓜田姫は王様の手を握って、そっと言いました
「いいえ、それは違います。それは偽者の占い師です」
疑り深い王様は、それでは今から占ってみよ。と言いました。
瓜田姫はにっこりと微笑みながらこう囁きます。
「王様、私の占いは人を見るのではなく、空を見るのです」
「空を?」
「ええ、天にまします神様が何をすれば良いのかを指し示してくださいます。私たちはそれを見てその通りにすれば良いのです。それゆえに夜、それも星が見えているときにしか占えないのです」
王様は首を捻りました。この娘は嘘をついているのか否か。
それを判断するためにも、瓜田姫を夜の王宮へ呼ぶことに決めました。
「姫、よくぞ逃げずに来たな」
新月の夜、玉座の間に呼ばれた瓜田姫は毅然とした態度で返します。
「こうして王様に呼ばれることすらも神様のお導きですから」
ふむ。自信たっぷりに語る彼女を見て、嘘ではなさそうだと内心ほっとした王様は、瓜田姫の手に収まった円筒を見とがめました。これはなんだ?
「これは、望遠鏡と申します」
王様は、その望遠鏡とやらを初めて見ました。60年間以上この国を見てきて、そのような代物を見たことも聞いたこともなかったのです。
「私の故郷の瀆神技術者が、神様の御姿をこの目でしかと見てみようと死の間際に作り出したものにございまして……ええ。私の占いはこれを用いてやります故、ここに持参したのです」
ふむふむ。顎髭を右手で弄ぶ王様のしわしわの枯れ木のような手を瓜田姫は掴んでどこかへと引っ張ります。
「姫、いったいどこへ?」
「物見塔へ。おそらく番兵が寝ずの番をしている塔がありましょう。そこで星を見ます」
瓜田姫の脇には件の望遠鏡、大きな巻物、神話に伝わる八卦炉のような形をした方位磁針等々、大量の物品がありました。それらをガチャガチャと言わせながら、夜のとばりの元へと出てきました。
「さあ王様。占星のお時間です」
すぐ側にいた番兵をも手伝わせながら、望遠鏡を組み立てます。大きな巻物に描かれた星宿図を煌煌と輝く蠟燭の灯火で照らしながら方位磁針をもってしてきちんとした方位を調べ上げ、携帯式の座椅子に腰掛けた王様の前に披露しました。
「まずは……神様を探しましょう。北はあちらですね」
瓜田姫が指さしたのは、北辰。北の端と言われるところで軸のように決して動かないでいる暗い星。
「神様はいまはお静かですね。なら、とくに伝えたいことはないと言うことです」
「今は。ということは、揺らぐときがあるのか?」
ええ勿論。瓜田姫は王様の問いかけに快く答えました。
「たとえば……神様の星から少しだけ離れた、あそこの星はちかりちかりと瞬いているでしょう?」
「ああ。あそこは何かあるのか?」
「あの星は……後宮の星ですね。何やら仄暗い隠し事をしているか、何かを企てているご様子です」
嘆息した王様を尻目に、瓜田姫は続けます
「ほかには……少し北の方に行っていただいて、あの星。後宮の星のさらに奥に、煌々と輝いている星があるでしょう?」
「あの星は虚宿と言いまして、王様の学問の始めに丁度良い時分だと申しているのです。占星術という学問を用いて国を治めるには丁度の良い時分だと言うことでしょう」
ほう。王様は冷静を装いつつ、内心では歓喜していました
まさか、星を見ることで未来のことや人の心の中が解るかもしれないとは!
「……では、あのせわしなく揺れ動いている星はなんなのだ?」
王様の手の向こう側にあったのは、どういうことか揺れ続けているように見える星。神様の星だと言われた西に
「あれは奎宿ともうしまして、戦乱や水害を予兆する星です。ここ最近、大きな戦争が起こっているのでは?」
王様は瓜田姫のその言葉を聞いたとき、少しだけ首を捻りました。ここ数年の内は隣国との緩衝地帯のおかげで特に大きな戦争はなかったからです
「――あるいは、これから少し後に起こりうる戦乱なのかも知れませんね」
王様の疑念は、どこかへと流されていきました。
瓜田姫による星占いがつつがなく終わった後、王様は姫に言いました
「素晴らしい。余は占いの力を懐疑の目でしか見れていなかったのだな」
王様ははずかしそうに続けます。わずかに痙攣する皺だらけの手を、瓜田姫へと伸ばしながら。
姫さえ良ければ、これからも少々留まって、国の政を補佐してはくれないか
瓜田姫は鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をしましたがはっとしたかのように微笑んで、差し出された王様の手を堅く握りました。
王様は随分と前に亡くなった奥方に代わって、瓜田姫を正式に娶りました。後宮の存在自体は変わらずにありましたが、王様がご高齢のこともあって全く活用されていませんでした。
瓜田姫と王様は、占いを元にして国を治めていきました。
戦争が起これば対処法を神様に聞き、水害や飢饉が起これば事前に神様に聞いていた策を講じて対処しました。
また、内乱を企てる輩や敵国のスパイなどを占いによって見つけ出しては処刑していきました。人の心の中までも見通せてしまう星占いの前には、どんな嘘偽りの混じった告白も通用しませんでした。
王様の目には、これによって国が良くなったと見えました。
占いの力を持ってして、真に正しく国を導けたのだ。と。
しかし、王様はもはや老い先が短いものでした。これまでの65年以上におよぶ国の統治は、晩年を除いて王様一人だけでやってきたようなもので、その心労なども祟って病床に伏せってしまったのです。
「姫。余の晩生で正しく国を導けたことは、全て姫が助けてくれたからだ。星占いというのは偉大なのだな」
王様は、真っ白く濁った瞳を灰色に塗り固められたかのような空へと向けました。嘘を排しても本当のことが見えなかった王様には、死人であふれかえった城下の様子は見えないままでした。
「余が死んだ後は、どこに行くのだろうか?」
「神様のお膝元、王様の星へと昇られるのです。これまでの王様たちと同じように、神様の判断のお助けをなさるのです」
そうか。無碍では無いのか。
瓜田姫は、それっきり息を引き取ってしまった王様の枕元に涙をこぼしながら、その口角を引き上げてポツリと漏らしました。
――嘘ですが
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戦争が終わった日
「――――なんだって?」
まず、耳を疑った。
その次に、そのような報告を平然と為す彼女にも、疑いの視線を向けたくなった。
「陛下が御前会議にて連合国からの降伏勧告の受諾および全国軍の戦闘行動の停止を決定されました。
――戦争は終わりです」
焦げ茶色をした軍服の襟を正し、いつも通りに氷のように冷たい声色で語る。その平常さが、逆に怖かった。
丁度最上部に上った太陽が、窓を通じてごく短い影を落とす。急に吹きすさんだらしい風が枯れ木のように細い緑樹の枝を揺らし、防空ガラスの表面を叩いていくのがわかる。
「戦争が、終わり?」
首肯。
「これまで15年続いた戦争が……終わったのか?」
再度、首肯。同時に、壁掛けの洋式時計がボーンボーンと正午を告げる。
終戦。その2文字が脳裏をぐるぐると回る。
本当に? 終戦したと言うことは、皇軍は、負けた?
血の気が失せていく。
「やりましたね司令長官……いえ、中将。これで意味のない作戦詳報は無くなります」
彼女が私の机に放り捨てた書類を、震える手で拾う。
第701航空隊発、第五航空艦隊司令部宛。幾度となく見てきた未帰還の文字と戦果無しの文字が、これまでの犠牲と月日を嘲う。
ここで終戦、降伏勧告を受諾すると、私はどうなる? 連合国の虜囚となるまでは解る。だがその後だ。
特攻を指揮した戦犯として処刑されるのか? それとも、何もなくのうのうと生きられるのか? 私が死に追いやった若者の、その遺族からの報復は? 国家への忠誠は? ――――私は一体何処へ行く?
視界が揺らいだ、気がした。吐き気がこみ上げてきたような錯覚を覚え、感じる世界がおぼつかなくなった。
「ただ、これから忙しくなりそうです。南方戦線からの復員や、戦後の引き渡し。武装解除など、なにからなにまで沢山やることはありますからね」
心なしか口早に喋る。そんな航空参謀の口元が少しほころんでいるように見えて、どくんと動悸が高まった。
「……巫山戯てる」
気付くと、口が勝手に開いていた。
「え?」
「巫山戯ている。と言ったんだ、航空参謀」
きょとんと、ハトが豆鉄砲だかなにかでも食らったかのように呆けた彼女に、私は続けた。
「……ここで降伏なんてしたら、これまでに死なせてきた将兵はどうなる」
「中将……?」
「今まで埋没させてきた資産は、そんなものを望んではいない。――私は、国家は、まだ死んではいない!」
ダンと激情のままに天板を殴りつける。重く鈍い音が執務机から飛び出し、積まれた書類の摩天楼が大きく揺れて崩れ落ちた。
「…………航空参謀、現状の稼働機はどうなっている」
自分でも、よくこんなに感情の押し殺した声を出せたなと思う。荒げた声の割を食った荒い呼吸を繰り返しながら、続ける。
「723空でも、701空でも、練習機でも戦闘機でも構わないから、現時点にて稼働できるのは何機だと聞いているんだ」
航空参謀はまずあっけにとられ、ついで失望したような顔になってしゃがみ込んだ。
「…………書類は大切に扱ってください。これから大処分と整理があるんですから」
全く相手にされていないようで、頭に血が上ったことを直感した。
「5機か、10機か。使える兵と機を皆かき集めれば、せめて一発でも損害は与えられる!」
中将。静かに、諫められた気がした。
関係ない。もう敗れた。どさりと再び積み上げられた書類の山を見て、それに隠された航空参謀の顔を見ないままに考えは巡る。
執務机の引き出しから自決用の拳銃を取り出し、弾倉を確認する。
ここで戦わなければ、申し訳が立たない。その思いで一杯だった。
「機は何処だ。機は今だ。さあ駐機場へ行くぞ、操縦士も整備兵も、従わなければ撃ち殺してやれ!」
「……中将っ!」
刹那、視界が飛んだ。
温かい衝撃が頬に突き刺さったんだと気付いて、でも何故かは解らなかった。
「なんで、せっかく終わった戦争を続けようとするんですか」
ただただ冷酷に詰問される。なぜだ、なぜそこまで冷ややかな目で見られなければならない。カッと昇った血気のままに、私は叫ぶ。
「――私が続かないと、これまでの被害が、無駄になる。私がこれまで、これまでに何度も訓示してきた特攻の精神に生きようとするなら……考慮するような余地なんてないじゃないか!」
ガタンと防空ガラスが音を立てて震えた。一瞬うろたえたような表情を見せた航空参謀だったが、眉間に皺を寄せて呟いた。
「……勝手にしてください」
「ああ、勝手にさせて貰う」
私は拳銃を腰に指し、その場に立ち尽くす航空参謀に背を向けた。そのまま固い木製のドアを開け、執務室の外へと歩き出す。
執務机から1枚の白紙の文書を抜き取った彼女は、小さく何事かぼやいて壁沿いに歩いて行き、放置したままだったラジオの電源を入れた。
「……もう、あんな報告書を作らなくて良いと思ったのに」
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