すべてを救いたかったんだ (ソウブ)
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1話 真っ白な転校生

 

 

 ――俺は、すべてを救いたかった。

 もう、誰かの理不尽な死なんて許容出来なかった。

 すべてを救う者で在りたかった。

 

 …………。

 ……無理だったよ。

 身の程知らずだったよ。

 諦めた。

 

 

 けれど――。

 諦めてない。

 俺は、すべてを救う者だ。

 

 簡単な結論に、至れたんだ。

 あの子のおかげで。

 

 その簡単な結論に、俺はかなりの遠回りをしていたんだ。

 本当に、遠い遠い、遠回りだった。

 

 ――それは、あの時からだ。始まりの時は、あの日から。

 

 

 ――――――――――。

 

 

 暗い空間。

 そこには闇を体現せし人ならざる者達が集っている。

 その数、七。

 言葉を交わし合う闇達。

 企てを、目的を、凶事を、話す。

 

 目的など、至りたいと願う場所はそれぞれ違う。

 されど、今やるべきことは同じ。

 狂なる宴を催し、待つことのみ。

 その先に、己の希望があると信じて。

 

 闇の者達は、止まらない。

 

 さあ、宴を始めよう。狂気と狂喜が支配する、愚かで意味の無い、闘争を。

 罪人達の、狂騒が――

 幕を開ける。

 

 

 

 

宮樹(みやき)市連続】マンイーターを考察するスレ・怪物16人目【怪死事件】

 

 

 304:喰われた人より匿名:2011/06/04 01:12:27

     死体が獣に食われたように抉れてるってそマ?

 

 305:喰われた人より匿名:2011/06/04 01:13:05

     >>304 マ。ソースは>>104を参照

 

 306:喰われた人より匿名:2011/06/04 01:15:46

     結局人間なの?

 

 307:喰われた人より匿名:2011/06/04 01:17:13

     野犬だろww完全に獣の歯型らしいしww

 

 308:喰われた人より匿名:2011/06/04 01:19:48

     人間が器具使ってそう見せてるんじゃねえの。知らんけど

 

 309:喰われた人より匿名:2011/06/04 01:23:33

     マジで化け物だったりしてな。というか俺はその説を押す

 

 310:喰われた人より匿名:2011/06/04 01:25:52

     >>309 妄想家乙

 

 311:喰われた人より匿名:2011/06/04 01:27:38

     マンイーターなんて呼ばれてるけどただの殺人鬼だろ。本気で信じてるやつは頭湧いてる

 

 312:喰われた人より匿名:2011/06/04 01:30:34

     >>311 でもそう思った方が面白いだろ。噂もされてるし

 

 313:喰われた人より匿名:2011/06/04 01:32:29

     >>312 人が死んでるんだぞ! おまわりさーんここに犯罪者予備軍がいまーすwwwwww

 

 314:喰われた人より匿名:2011/06/04 01:34:57

     結局人間? 動物? それとも別の何か?

 

 315:喰われた人より匿名:2011/06/04 01:36:44

     >>314 マジレスすると人間が細工してるか、野犬か、動物園から逃げ出してきた、または移送中のトラックから脱走してきた、報道されていない大型獣とかそういうのだろ。警察が解決するまでわからんけど。

 

 316:喰われた人より匿名:2011/06/04 01:38:19

     >>315 さすがに動物園うんぬんはねーよ。もしそうなら報道規制する理由が無い。政府の陰謀とかなら別だけどwww

 

 317:喰われた人より匿名:2011/06/04 01:40:04

     >>316 それこそねーよww

 

 318:喰われた人より匿名:2011/06/04 01:40:20

     草生やすな

 

 

 …………………………。

「…………」

 

「和希さん」

 

 声を掛けられネット掲示板を見ていたスマホから顔を上げる。

「ご飯を食べながらは、お行儀が悪いですよ」

 指を一本立て、眉を(ひそ)めて、上目遣い。

「わかったよ」

 スマホをポケットに仕舞い、食パンにかぶりつく。

 

 めっ、と言うように注意して来たのは妹のアイラだ。

 アイラは、綺麗という言葉も霞むほどの黄金色の長髪を朝の陽光に煌めかせている。

 藍の瞳は宝石のようで、肌は陶磁(とうじ)の如き白さ。

 黄土色のブレザーに、青色のスカート。

 そして背と胸は、高校一年にも拘らずとにかく小さい。

 身長は150行かないし、胸は良く知らないが平均を下回っているのは一目瞭然。

 口に出したら拗ねてしまうだろうけど。

 

 今は朝食の最中。

 一人ならともかく確かに誰かと食べてるときにスマホは駄目か。

 ついつい気になって調べてしまった。

 地元のことなら、尚更。

 

「なあ、アイラ」

「なんですか?」

「ここ最近の変死体、どう思う?」

 アイラは顎に人差し指を当て、少し不安そうに。

「どう思う、と聞かれましても。早く解決するといいなって思いますよ。親しい人たちに危害が及ぶのは絶対に嫌ですから」

「そうか」

 本当に。誰かに害が及ぶなんてあってはならない。

「危ないことは、しないでくださいね?」

 眉をハの字にした、心配げな表情。

「俺に事件を解決できるかよ。何の力も無いんだし」

 推理なんて、その道の人に比べたら一般人の俺など役に立たないだろう。

「それならいいんですけど……」

「まあ出くわしたら分からんけどな。その時は俺がコテンパンにする」

「駄目ですよ。逃げてください」

「俺が負ける訳ないだろ。逃げたら被害が広がる」

「さっき何の力も無いって自分で言ったじゃないですか」

「それとこれとは別だ」

「別じゃありません」

 ピシャリと言われる。

 心配してくれるのは嬉しいが、俺は目の前の危機を見過ごすことはしたくない。

 絶対に。

 

「和希さんが鍛えてるのは知ってます。いつも見てますから。でも、自ら危険に飛び込んで行ってたら、そのうち持たなくなってしまいますよ」

 悲しげな、表情。

「わかったわかった。無理はしない。俺も死にたくはないからな」

「死ぬなんて……そこまでは言ってないですけど……」

 シュンと気落ちしてしまうアイラ。

「大丈夫だ。そうそうそんな目には合わないし、たとえそうなっても俺は切り抜ける」

「……そうですよね。頑張ってますもんね」

「ああ、鍛錬は怠っていない」

「はい。何かあったら言ってくださいね」

「あー、まあ」

「ちゃんと答えてくださいよ」

「何かあったら言うって」

 嘘だ。

「はい、わかりました」

 微笑み。

 

 アイラが淹れてくれた紅茶を飲み干す。

「ご馳走様。今日も美味かった」

「はいっ。お粗末様ですっ」

 パッと笑顔になるアイラ。

 俺の食器を片付けていく。

 何度も自分で片付けると言っているのに、アイラはいつも食べ終わるなり食器を掻っ攫っていく。

 いつしか俺も、諦めていた。

 

「今日のお弁当ですっ」

 食器を洗い終わると、アイラは弁当の包みを渡してきた。

 いつも美味い物を食べさせてくれるのは、ありがたい。

「今日も美味しく食べさせてもらうぜ」

「はいっ。召し上がれですっ」

 

 そうして二人で、家を出た。

 

 

 

 アイラと肩を並べて通学路を歩いて行く。

 日光がコンクリートを照らし、爽やかな風で木の葉は揺れる。

「なあ、委員長の仕事、大変じゃないか?」

 アイラはクラスの委員長になっているらしい。

 頼まれたら嫌といえないアイラのことだ、どうせ他にやりたいやつがいなかったから押し付けられたのだろう。

「そこまで大変じゃないですよ。ちょっとやることが増えるぐらいで、仕事って程じゃないです」

「疲れないか?」

「普通に学校に行くのと大して変わりませんよ」

 苦笑気味な笑み。

 心配し過ぎだとでも思われているのだろうか。それはアイラも同じだろうに。

「問題、無いのか」

「はい」

 何の気負いもない返事。

 なら、問題ないか。

 

 そうして話しながら十数分ほど歩いていくと。

 俺たちの通う学校。明日明(あすめい)学園が見えてくる。

 まばらに歩く名前も知らない生徒と共に門を通り。

 少し歩くと昇降口に着く。

 アイラとは学年が違うのでここで別れてそれぞれの教室へと行く。

 

「今日は放課後な」

「はい、放課後に」

 次にいつ会うのか確認して、背を向ける。

 階段を上り、三階の二年A組へと行く。

 ガラガラっとドアを開け入る。

 比較的まだ静かな方の廊下から、一段騒がしさが増す。

 昨日のテレビの話、ソシャゲの話、漫画の話、マ○コデラックスの話、総理大臣の話、オ○マのモノマネをしているやつ、エトセトラ。

 ざわざわと言葉が飛び交う。

 

 いつもの教室。

 真ん中の一番後ろ。自分の席の机横に鞄を引っ掛けながらドカッと座る。

 いつも通りにすぐに寄ってくるやつがいる。

 

「おっす和希。今日も決まってるねえ!」

「なにが狙いだ?」

 開口一番褒められたが、こいつが俺にこんなことを言ったことは一度も無い。

「いやー御見通しか」

「当たり前だ馬鹿」

「宿題移させてください!」

「自分でやれ」

「そこをなんとか!」

「努力を怠ったのが悪い」

「ネトゲのイベントがあったんだ!」

「それこそ自業自得だろ!」

「…………この前俺に格ゲーやった時、貸しが一つ生まれるという条件で対戦したよな。そしてお前は負けた」

「…………」

「お前は約束は守るよな」

「ちっ……くそがっ」

 俺は鞄からノートを出して目の前の男に放り投げた。

 片手でキャッチして満面の笑み。

「さっすが和希だ。話が分かる」

「これで貸しはチャラだからな」

「わかってるって」

 

 してやったりといった感じにニヤニヤするこいつは剛坂津吉(ごうざかつよし)。俺の友人と今は言いたくないが、多分友人だ。

 髪は茶。背は俺と同じで165ぐらいだろう。体格は普通。

 平凡な青春を謳歌する学生、という言葉が似合いそうなやつだ。

 

「あ。あんこちゃんが来た。それじゃ、後で返すぜ」

「おう」

 教室に入ってきたのは小中学生みたいな背格好をした栗色の背ぐらいまでのウェーブヘアー教師。

 伊里村庵子(いりむらあんこ)。その見た目からあんこちゃんやあんこちゃん先生と呼ばれている憐れな人だ。

 あと、もうすぐアラサーらしい。

 

 今日も今日とて、ホームルームが始ま――

「HRの前に、今日は転入生を紹介するね~」

「は……?」

 庵子先生の言葉に思わず小さく呟く。

 今日は、春と夏の間の季節。

 6月4日だ。

 ついでに、どうでもいいが木曜日。

 この変な時期の転入生?

 ベタ過ぎるだろ。

 まあそういう王道展開は嫌いじゃないが。

 でも、まさか本当にそんなことが起こるとは。

 俺の高校生活も捨てたものではないのかもしれない。

 

「入って来て~」

 先生の声掛けの後。

 ざわざわとしだす教室の扉を開けて、一人の少女が入って来た。

「うわっ。マジか」

 ここまでベタだと何かの運命を信じてしまいそうになる。

 転入生は、それはそれは、美少女だった。

 

 色素が一切入り込まない、穢れ無き神聖さを感じる腰ほどまでもある白髪(はくはつ)

 神秘的で少しの妖艶さも醸し出すヴァイオレットの瞳。

 アイラと同じくらいの綺麗な肌の白さ。

 背は160いかないぐらいか?

 黄土色のブレザーに、二年だから緑色のスカート。

 ただの制服も見事に着こなしているといえよう。

 月並みだが、髪の色を合わせてまるで天使のようだ。

 

 教室は静まり返り、誰もが息を呑んでいる。

 俺はそんなんではないが。

 黒板の前に立ち、チョークで名前を書いていく。

 書き終わると、クルリと弾むように振り返り。

 

春風真白(はるかぜましろ)です! みんなよろふぃぐー!」

 

 …………。

 噛んだ? 噛んだ? あれ噛んだよね? という小声がそこかしこから聞こえる。

 それでも春風は笑顔を絶やさない。

 

「元気な挨拶ですね~。春風さんに質問ある人、数人くらいならしてもいいですよ~」

 庵子先生の言葉の後すぐ、質問が飛び交う。

 

「趣味は何?」

「ゲーム!」

 

「どこから来たの?」

「向こうの方!」

 指差す。

 

「恋人はいるんですかー!?」

「いません!」

 

「なんでこんな時期に転校してきたの?」

「それはね、ひ・み・つ!」

 最後にウインク。

 

「珍しい髪色だね。染めてんの?」

「白は何ものにも染まりません!」

 

「それってキャラづくり?」

「違いまーすー!」

 少し頬を膨らませて飾り目(><)

 

「馬鹿にしてんのか?」

「してない!」

 俺の質問に元気よく笑顔で。

 

 

 なんか、最初の印象と違って愉快なやつだな。

 もっと言えば変なやつ。

 いじめられそう感がハンパない。

 しかし。

 

「春風さんって変だけど面白いね。元気でいい子そう」

 そう言ったクラスメイトがいたが、全員の総意みたいだ。

 不思議と教室の雰囲気は悪くなくて。

 元気溌剌なアホ発言。ふざけた解答の連発。

 そんなことをやらかしておきながら変わらず、笑顔を絶やさず意味も無く楽しそう。

 誰もが楽しく、笑っていた。

 春風真白という転入生は、人を元気にさせる不可思議な明るさを持っていた。

 どこか憎めないやつ。

 カリスマとも少し違うような気がする。

 前言撤回になるが、人から好かれるタイプだ。あれは。

 俺は、そんなでもないけれど。

 

 

 

 昼休み。

 四時限目が鈴倉(すずくら)教諭の授業だったせいでそこはかとなく眠い。

 アイラの弁当と早く続きが読みたいラノベを持って、席を立つ。

 腹も減ってるし、とっとと教室から出ようと足を進めていると。

 春風が昼を食べる誘いを断っている光景が目に入った。

 休み時間には話し掛けられまくって楽しそうに話していたというのに。

 一人で食べるのが好きなのだろうか。

 俺も今日は一人だが。

 

 そんなことを考えていると、その春風が白の髪を(なび)かせて此方(こちら)へと一直線に歩いてきた。

 なんとなく逃げるように教室を出てみた。

 廊下を進んでいると、まだ追いかけてくる。

 そして。

 

「ねえあなた、ちょっといい?」

 声を掛けられた。

 まあ、別のやつだろ。

 そうに違いない。

 そうであれ。

 

「ねえねえ、そこの無視して歩こうとしている男の子。美味しそうなお弁当を大事そうに持ってるあなたですよ」

 ……まあ、俺だよな。

 一応振り返り。

「何の用だ春風?」

「名前覚えててくれたんだね。一緒にお昼食べようと思って」

 小首を傾げ、笑顔。白髪(はくはつ)がさらりと流れる。

「なぜ急に」

「ちょっと、ね」

 含みがあるような、曖昧な返事。

「俺のことが好きなのか?」

「そんなんじゃないよ!」

 飾り目(><)で両腕を上下にブンブン。

「そうか。俺の嫁の一人に加えてやっても良かったんだがな」

「ここは日本だよ。一夫多妻制はよその国でーす」

 口を尖らせてジト目。

「馴れ馴れしいな」

「そういう君は偉そうだね」

 苦笑? 微笑? の表情。

「ああ、俺は偉い」

「言い切ったね」

「言い切らなければ偉さも生まれないだろう?」

「あははっ! なんだか変な人」

 口元に手を当て楽しそうに笑う春風。

「お前に言われたくない」

「お前じゃなくて春風真白だよ」

「細かいな」

「細かくないよ」

「なら春風、俺は腹が減った。ここで無駄話してるよりも飯を食いたいんだが?」

「ならそこにわたしも加えてもらえると嬉しいなっ」

「妹と食べる日なら即却下させてもらうところだったが、生憎と今日は一人だからな、好きにしろ」

「じゃあ好きにさせてもらうね!」

 

 俺は最後まで聞く事無く歩き出す。

 廊下を進み、階段を昇って行く。

 アイラとは一緒に食べる日もあれば食べない日もある。今日のアイラは友達と食べると言っていた

 

「一応言っとくが、それなりに汚いぞ」

「? どこで食べるの?」

 キョトンとした無垢な幼子の様な顔。

「定番」

「?」

 最後の階段を上り、辿り着く扉の前。

 

「この先は屋上だね」

「ああ、そうだ。屋上だ」

「出れるの?」

「出れなきゃ食べられない」

 ノブを回し、押し開く。

 キイィィと擦れる音が響いて開かれた扉に身体を入り込ませる。

 春風も後から付いてくる。 

 ガタンッと重い音を立てて閉まる扉。

 

「わぁ……本当にそれなりに汚いね」

 この学校の屋上は、それなりに汚く誰も寄り付かない。

 俺ぐらいが静かな時間を欲して来るぐらい。

 ベンチはある。それなりに汚いけれど。

 柵もある。こっちはちゃんと頑丈で高い。

 まあとにかく、雑草がそれなりにボーボー生えているのだ。

 本当はアイラと食べたかったが友達と食べるならしょうがない。

 ベンチに早々と座り、弁当の包みを開ける。

 

「で、何の用だ?」

 

 いまだ立ったままの春風に問いかける。

 クルリと緑のスカートと白髪をふわっと靡かせながら振り返った。

「ん? わかってた?」

「一言もまともに話したことない転入生が、俺一人を狙い撃ちして飯一緒に食べるだけなんてある訳ねえだろ」

「それもそうだね」

 バツが悪そうに苦笑。

 

「で?」

 卵焼きを頬張りながら。

「えっと……そういえば、今気づいたんだけど君、名前は?」

「ああ、そういや名乗ってなかったな。じゃあ、しかとこの俺のご尊名を脳と心に刻めよ」

「ふふっ、うん、ちゃんと覚えるよ」

 春風の柔らかい微笑み。

 俺は一呼吸溜めて。

 

「俺の名は相沢和希(あいざわかずき)。いつかすべてを救う者だ。覚えておけ」

 

 …………。

 沈黙。

 だが、引いたとかではない。

 春風の表情は、寂しさとか、悲しさとか、複雑な色々が混ざっているように見えた。

 ヴァイオレットの瞳は、先までの元気さを隠すように神秘さが増している。

 一寸後。

 

「和希くんだね! カズくんってよんでいいかな?」

「馴れ馴れしいな」

「君もデフォで偉そうだね」

 複雑な表情はまるで幻だったかのように消え、楽しそうな顔で笑っている。

 

「まあ、好きに呼べばいい。どんな呼び方だろうとその程度のことを気にするほど俺の器は小さくない」

「じゃあカズくんって呼ぶね!」

 

 白米を咀嚼し、飲み込む。

「で?」

「あ、そうだったね。要件だね」

「ああ、早く言え真白」

「…………」

「どうした真白?」

「ナチュラルにわたしの下の名前呼んだね」

「真白」

「わたしも訊いたんだし訊いてくれないかな? 呼んでいいかどうか」

「真白」

「カズくん、誰かから意地悪だって言われたことない?」

「野蛮だと言われたことは無いな」

「じゃあ意地悪は認めるんだ」

「俺は優しいぞ?」

「まあ、真白でもいいけどっ。わたしもカズくんって呼んでるし(むし)ろ妥当なんだけどっ。何も嫌じゃないし問題ないんだけどっ」

「そろそろ言わないと飯食い終わっちまうぞ」

「ううっ…………本当に意地悪だねっ」

「はよ」

「じゃあ用を言うよっ! 言うからねっ! 今からすぐに言いますからねっ!」

「うるさい」

「うん……」

 

 数秒の間。

 俺はプチトマトを口に放り込む。

 

「カズくんって、イベツシャ……だよね……?」

 

 少し不安げに、そう聞いてきた。

「イベツシャ? なんだそれは?」

 いきなり訳の分からん単語を。

「あ……あれ? 違った……?」

 急に焦りの表情に変わる。

「違ったならいいんだ! ごめんね変なこと言って」

 取り繕うような笑顔で、両手を肩の高さでブンブンと振った。

「おい。なんだそれ。気になるだろ」

「いいのいいの! 大したことじゃないから!」

「イベツ車? なにかの乗り物……じゃないな。俺がそうじゃないかと聞いてきたんだ。つまりイベツ者? イベツってなんだ?」

「わー! わー! 掘り下げないで考えないで! 何も面白いことなんてないから!」

「カリギュラ効果って知ってるか?」

「知らないよ! とにかくさっきのは忘れて!」

「そう簡単に忘れられるか」

「うう~っ……でもお願い。ここは触れないでいて……」

 嘆願するような、懇願するような視線。

 

 溜め息を一つ。

「そこまで言うなら、今は考えないでおいてやる」

 今は。

 

「え!? いいの!?」

「お前が頼んだんだろ」

「いや、そうなんだけど。うん。カズくんってもっと意地悪なんだと思ってた」

「おい、俺はそこまでじゃないぞ。この短時間でどういう目で見ていた」

「偉そうで意地悪な人?」

「散々だな」

「あはははっ。カズくんの自業自得だと思うけどなっ」

 楽しそうな笑い。

 

 ミニハンバーグを口に入れる。

「それはそうと、ここ最近、この辺りで起きている事件について何か知らない?」

 急な、唐突な、話題転換。

 事件?

「ここ最近っていうとあれか? マンイーター」

「そうそうっ」

「特に多くは知らない。ネット掲示板で見たぐらいだ」

「そっかー、ありがとう答えてくれて」

 これで話は終わりだと言わんばかりに、言葉にはピリオドが込められていた。

 

「まるで食われたみたいに死体が損壊しているって話だよな?」

「うん」

「マンイーターがどうした? 気になるのか?」

「ううん。ニュースで見てちょっと聞いてみたくなっただけだよ」

「また誤魔化すのか」

「誤魔化してないよ! 別に変なことは言ってないでしょ!」

 怒っている様子はないが、飾り目でいきり立つ。

「ムキになるなよ」

「ムキに――なってるのかな……」

 強く言い返そうとして、途中で萎らしくなった。

 

「まあ、これ以上は訊かねえよ」

 訊きはしない。

「ありがとう。ごめんね。勝手に尋ねて説明も無しに触れないでなんて。こっちの方が道理に合ってないよね」

「いや、いい」

「カズくんは意外と優しいね」

「意外は余計だ」

「余計かな~?」

 あははと笑いながら。

「お前は秘密が多い女だな」

「その方が美しくなるんだよっ」

「いってろ」

 

 白米の最後の一固まりを口に放り込み咀嚼。

 嚥下。

 弁当箱は空になった。

 スマホを取り出し時計を見る。

 

「ところで、昼飯はいいのか?」

 スマホの画面を見せる。

「あ! お昼休みって……」

「あと五分で終わる」

「わああああ! 早くご飯食べないと! 一口も食べてないよ! っていうか気づいてたの!?」

「まあ、途中から」

「なんで言ってくれなかったの!?」

「なんか話したそうだったし」

「本当は?」

「面白そうだったから」

「もおおおおおおおっ! カズくんはっ! ほんとっ! もうっ!」

 

 騒ぐ真白を無視して、教室に戻った。

 結局ラノベの続き読めなかった。

 

 

 

 放課後。

「ありがとうね相沢君。手伝ってくれて」

「いや」

 クラス委員長の女子がなんか仕事多くて困っていたので、手を貸した。

 主に重いものを別の教室に運んだ。

 困っているやつは助ける。窮地の人は救う。信条に従ったまで。

「じゃあまた明日」

 そう言って委員長は教室から出て行った。

 アイラが待っているかもしれない。急がなければ。

 教室を出て廊下を歩く。

 リノリウムの上を進んでいると、掛けられる声。

 

「あ、相沢さん。この前はありがとう」

「いや」

 バスケットボール部員だったか。

 また女子生徒だ。意図は別にない。

 助ける者の選別などすべてを救う者にあるまじき行為だ。

「また何か壊れたら修理お願いねっ」

「気が向いたらな」

「ふふっ、じゃあね」

 そう言って去って行った。

 確かバスケットゴールの金具がゆるゆるになっていたのを直したんだっけ。

 もっとまずい壊れ方なら俺では直せなかっただろうが、あの程度なら造作もない。

 俺も再度歩き出す。

 

 

 一応、今まで困った人は助けて来た。

 だが、満たされない。

 これじゃない、といつも思う。

 誰かを助けているはずなのに、違うんだ。

 根本的に、なにかが。

 今までで一番しっくり来た人助けは何だ?

 それは――

 一つの光景が頭に浮かぶ。

 

 ――いや。やめよう。こんな思考は。

 本当は分かっている。

 俺の些細な人助けなど、ただ渇きを癒しているに過ぎない。

 代償行為に過ぎない。

 

 先に頭に浮かんだ光景。それは、強姦未遂の現場だった。

 俺は偶然見つけて、女の子を一人助けた。

 救った。

 それが、今までで一番、しっくりきたのだ。

 

 



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2話 マンイーター

 

 

 下駄箱。

「あ、和希さん」

 昇降口で待っていたアイラが近づいてくる。

「悪いな。遅くなった」

「いえ、待ってませんよ」

 靴を下駄箱から取り出し、上履きから履き替える。

 トントンッと爪先を地に打ち付けて位置を直す。

「じゃあ行くか」

「はい」

 下校だ。

 

 

 帰り道。

 日はまだ夕暮れには早い。

 最近この町、宮樹(みやき)市で起きている連続怪死事件の影響で、下校時刻が早まっている。

 

 宮樹市連続怪死事件。

 被害者はこれまでで七人。

 五月終わり間近から、いずれも獣に食い千切られたような変死体が発見された。

 犯行は夜。人気のない場所で死んでいる。

 野犬程度が全く見つからずに、そんな人数を殺せるとは到底思えない。

 ここらへんに山などないし、動物園の獣が逃げ出したなんて情報も無い。

 すぐにネット掲示板で、マンイーターなどと呼ばれるようになった。

 

 人を喰い殺す存在。 

 全くもって、相応しい名だ。

 そんな名前が似合う存在、永遠にいなければどれだけよかったか。

 もう七人も、死んでるんだ。

 警察は何をやっている。

 いつも後手後手じゃないか。

 警察じゃ、犯行を防げない。あいつ等は後から解決するだけだ。

 それでは駄目だ。

 それじゃ誰も、救われない。

 どうせ変な考えを持っただけの殺人鬼だ。

 そんな殺人鬼は、この俺が。

 救ってやる。

 

「和希さん?」

 

「――あ?」

 右横を見ると、怪訝な顔をしたアイラ。

 相変わらず黄金色の髪が陽光を照り返して、宝物(ほうもつ)のようだ。

「話しかけても返事がなかったので。何か考え事ですか?」

「ああ……ちょっとな」

「悩みがあるなら言ってくださいね?」

「ああ。で話って?」

「お夕飯、何が良いかなと」

「夕飯か、なんでもいいぞ」

「よくいいますけど、それが一番困るんです」

 頬を少し膨らませて。

「アイラの料理ならなんでも美味い」

「そう言われてしまうと、嬉しいけれどもっと困ります」

 膨らんだ頬を赤く染めて、でも口元は笑みに近づいて膨らみは萎んでいく。

「今日の弁当も美味かったし、好きに作ってくれ」

「……はい。ならいつも通りに作りますね」

「そうしてくれ」

 

 帰り道を、数分歩いただろう。

「……無理、しないでくださいね」

「ん?」

「いつも、鍛錬とかいろいろやってますけど、無理して潰れないでくださいね」

 不安そうな、心配そうな、親が離れていきそうな幼子が、必死に引き留めようとしているような。

 弱弱しい表情。

「朝にも同じようなこと言ってたが、俺は別に無理なんてしてないぞ」

「和希さんがそう思っていても、私から見たらすごく危なっかしいんです」

「そうか?」

「そうなんです。とにかく、頑張りすぎないでくださいね……」

 俺はただ、したいことをしているだけなんだが。

 

「まあ、それはともかく、笑え」

「ひゃっ!?」

 アイラの両頬を引っ張ってやった。

 無理矢理笑みの形にするが、変な顔になるだけだった。

「お前は、笑ってるのが一番いい」

「ひょんらほろ、ひふぁれふぇほ」

 なんて言ってるか分からん。

 手を放す。

「アイラは笑ってるのが一番可愛いんだ」

「ふえっ!?」

 ふえって。

「だから、笑っていてくれよ。今日のお前、暗い顔ばかりじゃないか」

「…………はい」

 アイラは俯いて、さらさらとした金髪で顔が隠れてしまった。

 前方に、二階建ての一軒家。

 我が家が見えて来た。

 

 

 

 グツグツと、鍋が煮える音がダイニングに響く。

 ついでに、テレビの雑音も流れる。

 いい匂いがしてきた。

「~~♪ ~~♪」

 ひよこの絵が描かれたエプロンを付けたアイラは、上機嫌に鼻歌を歌いながら調理台の前に立っている。

 ダイニングの席に座して頬杖を突きながら、アイラの華奢な背中を見る。

 その背中を眺めているのは飽きない。

 ラノベの続きを読みたいが、これも楽しい一時(ひととき)だ。

 

「~~♪ ~~♪」

「……なあ、アイラ」

「? なんですか?」

 アイラが振り返る。

 黄金の髪がさらさらと、エプロンがひらりと揺れる。

 穏やかな微笑みの表情。

 藍色の瞳が優しく細められている。

 

「楽しそうだな」

「はい、楽しいですよっ」

「なんでだ?」

「美味しく食べてくれるかな~って考えながら作る料理は楽しいからです」

 楽しそうな、満面の笑み。

「知ってるけど、アイラはやっぱり料理が好きなんだな」

「はい。好きですよ」

 グツグツと、いい匂い。

 カレーの、美味そうな匂い。

 

「楽しそうな表情って、楽しい時になるもんだよな」

「……? そうですね」

 何が言いたいのか、良く分かってはいないのだろう。

 分かるようには、言っていないが。

 

「今日、転入生が入ってきたんだ」

「そうなんですか? こんな時期に? どんな人です?」

 興味を惹かれたのか、鍋を確認した後前のめりに聞いてくる。

「春風真白っていってな。女の子なんだが、これが変なやつでな」

 あいつの笑みは、一部違和感がある時があった。

「女の子ですか。変ってどんな?」

「無駄に元気っつーか、今まで会ったことないタイプの人間って感じだな」

「可愛いんですか?」

「見てくれは良いと思うぞ。見てくれは」

「少し会ってみたいですね」

 ふふっと微笑み。

 まあ、アイラと真白なら、もし会うことがあってもうまくやるだろう。

 だが、あまり会わせたくはないな。

 あいつは、何かを知っている。

 

 ――イベツ者。マンイーター。

 真白は、調べていた。

 何か関係があるのか?

 あいつに考えないでいてやるとは言ったが、俺は『今は』とあの時伝えた。

 それに気づかなかったあいつが悪い。

 というかどっちにしろ考えないなんて土台無理な話だ。

 つい考えてしまう思考を、止めることなどできない。

 

「ふふっそこから始まる恋物語、ですかね?」

「始まらねえよ」

「でも、変な時期の転校生ですよ。その子と結構関わった雰囲気じゃないですか。それにかわいい子なんですよね? やっぱりそれっぽいですよ!」

「少女漫画と恋愛小説の読み過ぎだ」

「好きなことに読み過ぎもやり過ぎもありませんよっ」

「それはそうだが、こっちに持ち込むな。俺は関係ない」

 アイラはぷくっと柔らかな頬を膨らませて。

「でも、シチュエーション的に申し分ないですよ?」

「それがどうした」

「燃えますよね?」

「燃えねえよ」

「萌えますよね?」

「萌えねえよ」

「和希さんの好きなライトノベルにもそういう展開ありますよね?」

「確かにあるが俺はほとんどバトルものしか読まん」

 これは理由にはならないか。

 バトルものにもそういう展開はよくある。

「もしもの時は、私が取り持ってあげますねっ」

「はぁ……」

 まったく。たまに暴走するなこの妹は。

 

「あっ、お鍋お鍋」

 カレーのこと忘れてたなこいつ。

「ふぅ、よかった」

 味に支障が出ることは、ない様子だが。

 

 

 今日の夕飯。

 カレーが出来上がり、食卓に並べられる。

「「いただきます」」

 スプーンで掬い、口に入れる。

「美味い。アイラの料理は今日も美味い」

「ふふっ、ありがとうございます」

 アイラも、はむっ、とカレーを食べる。

 身長150行かない女の子がもごもごと食べる姿は、まるで小動物のよう。

 言ったら拗ねるかもしれないが。

 俺は食っていく。

 カレーを食っていく。

 何度も掬い口に放り込み、咀嚼し嚥下する。

 水をゴックゴックと飲む。 

 それを何度も続け、カレーのおかわりも皿に入れた頃。

 

 視界の端。

 ああー……。

 うん。

 無粋極まりない輩がこの部屋に紛れていた。

 黒いアレだ。

 Gともいう。

 直接的に言うとゴキブリ。

 ちなみにアイラは大の苦手だ。

 というか虫とか全般苦手だ。

 俺は大丈夫だが。

 いや、流石にゴキブリレベルになると出来れば触りたくないし、目視していると生理的嫌悪感を禁じ得ないけれど。

 

 とりあえず、アイラはまだ気づいていない。

 俺から見てアイラの右後方辺りの壁に張り付いているからだ。

 我が妹様はカレーを頬張っている。

 まあ、こういうときはアイラが気づく前に始末したりするのがいいだろう。

 普段なら。

 

 でも今は、なんというか。

 アイラをからかってみたい。

 そんな欲求が凄いんだ。

 うん。すごいすごい。

 すごいならしょうがないよな。

 やっちゃえ。

 

 俺は席を立った。

 アイラの後方へ歩いて行く。

 そして、黒いそれをガシッと掴み取った。

 鍛錬の成果か、一発で捉える事が出来た。

 背筋から生理的嫌悪感が這い上がる。

 だが耐える。

 これもアイラと楽しい時間を過ごすためだ。

 

「アイラ」

「なんですか?」

 振り返る可愛い妹。

 眼前に、もぞもぞと蠢く黒い生き物を突き付ける。

「――――」

 最初は理解出来なかったようで、頭に疑問符を浮かべた表情。のち。

 アイラの表情が固まった。

 まるで時が止まったかのよう。

 そして。

 

「きゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」

 

 それはそれは、凄まじい叫びだった。 

 

 ……。

 …………。

 ………………。

 

 夕食は終わったが、二人で食いきれる筈も無く、明日もカレーだろう。

 美味いから別にいいが。

 あの後、俺はアイラにグーパンチを貰った。

 顔面に。

 まあ、それほどのことをしてしまった自覚はある。

 ゴキブリはちゃんと始末した。 

 

 今は、食後の紅茶をアイラが淹れている。

 我が妹はお茶を淹れるのが上手い。

 そりゃプロかって程に。

 カップを温めたりとか色々してるし。

 俺は知識がさっぱりだから詳しくは分からんが、美味いから上手いのだろう。

 その紅茶と共に食うチョコもまた格別になったりする。

 

「あ」

「? 和希さん?」

 俺の声にアイラが振り返る。

「チョコ切らしてたの、忘れてた」

「そうだったんですか。なら今日は紅茶だけにします?」

 首を傾げ、綺麗な金髪がさらさらと流れる。

 見つめてくる藍色の瞳を見ながら。

「いや、チョコは必要だ。今からコンビニまで一っ走りしてくる」

 即座に椅子から立ち上がり、俺は家を出るべく進み出す。

「え? でも外もう暗いですよ。事件のこともありますし危な――」

 

 アイラの言葉を最後まで聞かず、俺は早々と家を出た。

 

 

 

 すっかり暗くなり、少ない星々が散らばり月が照らす夜道を走る。

 チョコは俺の好物なんだ。

 だから急ぐのもしょうがない。

 しょうがないことだ。

 アイラの好物も買ってきてやろう。

 それで手打ちだ。

 なんの?

 わかってる。

 罪悪感?

 俺はやりたいことをやってるだけだ。

 死にたい訳じゃない。

 そもそも遭遇の可能性なんて高くない。

 だからただ俺はチョコが食いたくて、コンビニに直行しているだけだ。

 寄り道なんてしていないし、するつもりもない。

 アスファルトを叩く俺の足音だけが、辺りに響いている。

 街灯がチカチカと点滅した。

 

 イレブンマート。コンビニに何事もなく辿り着き、店内に入る。

「うぇぁっさゃっせー」

 店員のやる気のない声。

 お菓子コーナーに直行し、チョコを流し見る。

 まあ、アイラも待ってることだし、今日は特に選ばない。

 業務用の、四角い一口サイズのチョコが大量に入っているやつを一袋。これさえあればしばらく持つ。

 アイラには、まず饅頭。必ずこし餡を。粒餡を買っていったらあいつは拗ねる。

 そしてついでに、駄菓子も買っていってやるか。

 帰ったらそれで宥めてお茶を濁そう。

 うひゃい棒を二本ほど手に取ろうとして、考える。

 何味が良いだろうか。

 適当にチーズとコーンポタージュでいいか。女が好みそうな味だし。

 そんな偏見を基準にして一本ずつ手に持つ。

 これでいいだろう。

 レジまで行った。

 

「373円にゃうぃわぅすー」

 373円だけ聞き取れたから良しとしよう。

 500円玉と一円玉三枚を出した。

「130円のうぉけぇせぇににゃいあすー」

 釣りを受け取り、無事購入。レジ袋をひっさげながら店外に出る。

「あうぃうぇとぅやすぇとぅあー」

 あの店員いつかクビになるな。

 

 

 家まで走って直行だ。

 周りに目は走らせるが、寄り道はしない。

 ただ、帰るだけだ。

 俺は必要なものを購入後、帰るだけ。

 それだけだ。

 夜道を行く。

 走った。

 普通に走った。

 アスファルトを靴裏で叩いて、前に進んで行った。

 だが。

 走って間もない時。

 

 立ち止まった。

 なにか――――オカシイ。

 

 白い日常に、一点の黒が落とされたように。

 違和感。

 普段なら、聞かない音。

 およそほとんど、聞くことがないような、音。

 耳に、入ったような。

 

 ドクンッ――――心臓、得体の知れない脈動。

 

 人気の、全くない道。

 街灯すらあまり届かない、暗い道。

 俺は今、そんな場所にいる。

 耳を、澄ます。

 

 ぐちゃぐちゃ。

 ぐちゃぐちゃ。

 

 気持ちの悪い、異音。

 どうやって出しているのか想像したくない、気味の悪い音。

 やはり、聞こえる?

 

 ぐちゃぐちゃ。

 ぐちゃぐちゃ。

 

 聞こえる。

 この近く。

 すぐ近く。

 なにかが、この音を、立てている。

 

 ぐちゃぐちゃ。

 ぐちゃぐちゃ。

 

 すぐそこの、路地裏。

 ついに、来たか?

 遭遇か?

 俺は、救いを為せるか?

 いや、為すんだ。

 俺の足は、吸い寄せられるようにその路地裏へと進む。

 しかし慎重に。

 壁に張り付き、そっと覗き込むんだ。

 意識を研ぎ澄ませ、細心の注意を払いながら忍び足で進む。

 壁に密着した。

 心臓が激しく動悸を繰り返す。

 バクバク、バクバク。心音が煩い。

 ありえないとは思うが、心音が聞かれたらと思うと恐怖と焦りが背から浸食してくる。

 

 ぐちゃぐちゃ。

 ぐちゃぐちゃ。

 

 息を落ち着けようとゆっくり呼吸。

 (のち)、極力体を出さずにそっと覗き込んだ。

 

 最初に視界に入ったのは、赤。

 濃い、鮮血の赤色。

 地面に、広がっている。

 むせ返る血臭。

 

 ぐちゃぐちゃ。

 ぐちゃぐちゃ。

 

 人影。

 人影だ。

 倒れているナニカと、ひと、か、げ……?

 あれは、人か?

 

 ぐちゃぐちゃ。

 ぐちゃぐちゃ。

 

 死体を貪るあの化け物は、なんだ。

 黒い、獣。

 人間の右腕の部分が、目も鼻も耳もない、四肢すらない、口だけの無数の歯をズラリと揃えた獣の様なものに変質した、怪人。

 右腕の大きさは、人の腕の十倍ぐらい。

 そいつが、死体を喰っている。

 貪っている。

 右腕の、無貌(むぼう)の黒き獣。

 それが、人の肉を、凶悪な鋭い牙で、ぐちゃぐちゃと咀嚼し、血を散らし、肉片を躍らせ、骨をバリバリと砕き、食事をしている。

 それは、地獄から出でたような、暴悪。

 それは、人を捕食するためだけの、闇の怪物。

 

 あんなものが、この世に存在するのか。

 存在する訳がない。

 だが、俺に目に、耳に、感覚に、焼き付いた。

 幻覚の可能性もある。

 しかし、なぜ今このような幻覚を見る?

 現実か。

 今見ているものが、現実だ。

 だから、あんな化け物が、存在してしまうのだろう。

 人を無残に喰い殺す、化け物が。

 

「――ぅ」

 気分が急激に悪くなり、胃から逆流する。吐き掛けた。

 音を出しては気づかれてしまうから、両手を口に押し付けて必死に耐えた。

 なんとか、吐き気の我慢に成功する。

 しかし気分は、最悪だ。

 

 死体が落ちていて、偶然捕食しているなんてことはあり得ないだろう。

 数刻前に、自らが死体へと変えた人間を、喰っているんだ。

 その食事風景は、絶対的強者の捕食、蹂躙。

 抗えない力無き者は、ただただ自らの味を楽しませ、栄養となるのみ。

 マンイーター。

 あれが、マンイーターか。

 あんな化け物だったのか。

 ただの殺人鬼だと、半ば確信していた。

 決めつけていただけだ。

 足が竦む。

 這い上がる恐怖が、加速する。

 俺は……。

 だが、あれは化け物だろうか。

 変質した右腕以外は、人間だ。

 なら、人間か。

 右腕が黒い獣になっている人間など、聞いたこともないが。

 しかし、人間ならば。

 俺の、救済対象だ。

 

 ぐちゃぐちゃ。

 ぐちゃぐちゃ。

 ――ぺちゃ。

 

 捕食が、終わったようだ。

 今俺に出来ることは?

 マンイーターに襲われる助けるべき人は、既に死んでいた。

 なら、マンイーターを助ける?

 そもそも助けるってどうやって?

 助けるなんて咄嗟に考えたが、善意を信じすぎでは?

 奴は自分の意思でやってるかもしれないんだぞ。

 救いようのない悪かもしれないんだ。

 誰も殺さないように説得して、もしもあの右腕が意思やら体やらを蝕んでいるようなら助ける。

 でも自分で望んだ力かもしれない。

 自由に行使しているのだから。

 そもそも命の危機に瀕している訳でもないのに助ける必要が?

 止めるだけでいいんじゃないのか?

 殺さずに倒して、止める。

 誰も、殺させないようにする。

 警察に引き渡す。

 それで解決なのでは?

 

 だけど人間じゃない可能性もある。

 化け物が人形(ひとがた)を取っているだけかもしれない。

 だから殺すべき敵なのでは?

 

 本当に?

 わからない。

 助けるべき人かもしれない。

 その可能性は十分にある。

 やはり話して、説得が一番だ。

 

 説得の余地があるのか?

 問答無用で襲われたら、いくら俺でも殺されるんじゃないか?

 俺は今、丸腰。

 対してあちらは、化け物の右腕。

 

 ……俺に出来ない訳が無い。

 俺はすべてを救う者。

 やろうと思って、出来ない訳が無い。

 だって俺だぞ。

 すべてを救う、救世主様だ。

 

 足音。

 迫って。

 気づいた。

 

 マンイーターが、俺がいる道、こちらへと歩いて来ていた。

 もう、すぐそこまで迫っている。

 気づかれた――訳ではなさそうだ。

 俺のいる方角一直線ではなく、道を歩いている。

 ただ、こちらの道を選んだだけだ。

 だが、このままではどちらにしろ見つかる。

 

 咄嗟に、道の隅、茂みの中へと身を躍らせて隠れてしまった。

 身を極力屈め、息を潜める。

 マンイーターは、気づかずに歩いて行く。

 少しでも情報を得ようと、マンイーターを視界に収める。

 

 男、か?

 背は、普通。

 若い?

 痩せている。

 平均よりも、だいぶ。

 

 そして、右眼。

 特に異彩を放つ印象。

 奴の右眼は、オレンジ色に輝いていた。

 ただ光っているだけなんて、そんなものではないことは、その目に移した瞬間から解らされた。

 超常。常とは異なるもの。

 自然現象から逸脱した強大。

 科学技術から乖離(かいり)した現象。

 そんな、脅威。 

 

 なんだ、あの右眼は。

 化け物の右腕といい、オレンジ色に輝く右眼といい、いったいなんなんだ。

 マンイーターは、人間なのか?

 わからない。

 だから、救う対象なのか、殺すべき化け物なのか、わからない。

 分からなければ、今は手を出すことは控えて、情報収集に当たろう。

 

 マンイーターの背中が見えなくなるまで、俺は茂みの中でじっと見ていた。

 

 

 

 すっかり、遅くなってしまった。

 俺は家路を走って辿る。

 アイラが、待っている。

 

 警察に電話するのは、止めておいた。

 すぐにその場を離れても、電波を辿って家に尋ねられ、事情聴取をされるなんて展開が頭に浮かんだからだ。

 そんな面倒なことは、避けたい。

 どうせ警察は頼りにならない。

 警察を過小評価している訳では無いが、対処が後手なのは事実。

 誰かが死んでしまう前に解決は出来ない。

 ならば時間の無駄だ。

 

 それに、あんな異質、警察どころか何にどう出来るってんだ。

 俺が、やらなければ。

 俺が、すべてを救う。

 

 家に着いた。

 玄関のドアを開ける。

 

「ただい――」

「和希さんっ!」

 ぶつかる衝撃。

 けれど、痛くはない。

 柔らかくて、衝撃で黄金の髪がふわっと(ひるがえ)って、女の子特有、またはアイラ特有の甘い匂いが鼻に心地よかった。

 俺は、アイラに抱き付かれていた。

「心配したんですよ! 帰りが遅くて、連絡もなくて、もう……」

 藍の瞳が涙に潤んでいる。

「ごめんなアイラ。俺は大丈夫だ。少し、買う物選ぶのに手間取っただけだ」

 レジ袋を掲げて見せる。

「本当に、それだけなんですよね?」

「ああ、それだけだ」

 アイラに言うことで、巻き込んではいけない。

 心配は……どちらにしろされているから今更だ。

 なるべくばれないように、心配もされないように気を付けなければ。

 

「なら、いいんですけど……」

 不安げに眉をハの字にしている。

 まだ心配な様子。

「それよりアイラは饅頭でよかったよな? ついでにうひゃい棒二本も買ってきたぞ」

「わ、私の分まで買ってきたんですか?」

 少し目が輝いた。

「いらなかったか?」

「い、いります!」

 拳にした両手を胸の前に持ってきて、グイッと前のめり。

「こしあん好きだろ?」

「好きですっ」

「うひゃい棒はチーズとコンポタだが、これで良かったか?」

「どっちも好きですっ」

「よし。なら今から食おうか」

「はいっ」

 靴を脱ぎ、ダイニングに向かう。

 

「あ、和希さん」

 後ろからアイラの声。

「なんだ?」

 振り返る。

「おかえりなさい」

 微笑み。

「ただいま」

 返事を返して、再び歩き出した。 

 

 ダイニングに入ると、テーブル上の紅茶は冷めていた。

 俺はズカズカと歩み寄り、ゴキュゴキュと一気に飲み干した。

「美味い。アイラ、もう一杯淹れてくれ」

「……っはい」

 満面の笑み。

 やはり、アイラは笑った顔が、いい。

 いつまでも、笑っていてくれるといい。

 

 

 



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3話 日常、誘い

 

 6月5日金曜日

 

 

 朝だ。

 俺はいつも通りに5時に起きた。

 ベッドから降り、木刀の短刀を持って一階に降りる。

 洗面所で顔を洗って、庭に出る。

 

 木刀を振る。振る。振る。

 いつもの鍛錬だ。

 俺はすべてを救う為に、力を付けなければならない。

 誰にも負けず、助ける事の出来る力を。

 

 振る、一瞬で順手から逆手へ持ち替え、突き出す。

 この器用さが、俺の取り柄だ。

 それを最大限伸ばしていかなければ。

 器用といっても料理は少ししか出来ないが。

 男料理と呼ばれるようなものぐらいしか。

 アイラには遠く及ばない。

 

 だがこういう器用さは、誰にも負けない自信がある。

 この力を伸ばし、上手く使い、やりたいことをやれる術とするんだ。

 

 振る、振る。持ち替え、突き出し、振り、持ち替え、振る。

 目の前に仮想敵を創り出し、それに向けて木の短刀を振る。

 相手の動きを予測し、それに対処する。

 

 何度も何度も、振る、突く、持ち替える。

 数十分した頃。

 

「おはようございます和希さん。今日も精が出ますね」

 アイラが起きて来た。

 水色のパジャマ姿。

 可愛く女の子らしい寝間着だ。

「おはようアイラ」

 挨拶を返し、すぐに鍛錬に戻る。

 

 振る、持ち替える、突く。

 脳内で創り出した仮想敵と、戦闘を繰り返す。

 

 アイラもいつも通りに縁側にちょこんと座って、俺のつまらない鍛錬を眺めている。

 本人は微笑んでいて楽しそうだが。

 

 風を切りながら振る。持ち替え、風と共に突く。

 敵の攻撃を避け、斬り付ける。

 敵の攻撃を受け流し、突く。

 

 今日の鍛錬も支障なく続き、そろそろ朝食を食べなければならない時間に近づいた。

 

 

 俺はシャワーを浴び、制服に着替える。

 その間にアイラも制服に着替え、朝食を作っている。

 ダイニングには味噌汁の煮えるいい匂いが漂う。

 椅子に座り、スマホを起動。

 ニュースの記事を見る。

 

 やはり、昨日のマンイーターに食われていた死体は、事件になっていた。

 八人目の犠牲者。会社帰りの男性だ。

 俺が救えなかった人。

 …………くそが。

 黒く濁ったイヤな感情が渦巻いた。

 

 朝食が並べられて行く。

 スマホを即座に消した。

 アイラの前で事件を調べるのは止めよう。

 なるべく心配は掛けたくない。

 いつものように、微笑んでいてほしい。

 

 アイラも席に座り、二人で、

「「いただきます」」

 味噌汁を流し込む。

 温かさと汁の味が、朝の体に染みる。

 ご飯を掻き込む。

 焼き鮭も美味い。

 そうして朝食を食べて行った。

 

 朝食を食べ終わる頃。

 アイラがうひゃい棒チーズ味を取り出した。

 昨日一本食って、もう一本残してたなそういえば。

 今から食うのか。

 俺は茶を啜る。今は緑茶だ。

 アイラは、紅茶ほどではないが緑茶を淹れるのも上手い。

 美味い。

 

 包装を剥がし、モキュモキュとうひゃい棒を食べ始めるアイラ。

 モキュモキュ。

 モキュモキュ。

 やはり小動物のよう。

 我が金髪ロリ妹様は、今日もキュートだ。

 緑茶が美味い。

 

 

 

 今日も今日とて朝の教室。

「なあ和希。俺は思うんだよ」

「何がだ?」

「転入生が来たら、なにかイベントがあるはずだろ?」

 津吉がまた頭のおかしなことを。

「何のだ?」

「そりゃ何かさ! 変な部活に誘われたり! 変なこと聞かれたり! なにかに巻き込まれるんだ!」

 確かに、変なこと聞かれたな。

「それなのに何さ! 全くそんなイベント起きないじゃないか!」

「そういうのは主人公に起きるものだ。お前は主人公じゃないということだな」

「うがーーー!」

 頭を抱えるほどのことだろうか。

「とにかく! 俺は! お前が読んでるラノベみたいな青春を送りたいんだよおおおお!!」

「諦めろ」

「無理だね!」

 ドヤ顔で言うな。

「お前は何かイベント起きたのかよおおう!」

「暑苦しいぞ。つーかまずテンションがおかしい」

「せっかく変な時期の転入生来たのに何も起きなければこうもなるわ!」

「どうしたんだ津吉。いい病院紹介するぞ? 知らないけど」

「ガチで心配そうな顔するんじゃねえ!」

 

 

 ガラガラ。教室のスライドドアの開く音。

「おはようおはようおっはよーうっ!」

 真白も朝っぱらから煩いテンションで入ってきた。

「来た! 転入生! ――おうおうおうおうおう! 俺に何のイベントも発生なしってどういう了見だ春風!」

 ヤンキーのように歩み寄っていくバカ。

「このアホ。真白に突っ掛かってどうすんだ」

 後頭部をすっぱたく。

 だが痛がる事無く一瞬で振り向いてきた。

 

「お前。今なんて言った?」

「このアホ」

「違う。その後だ」

「突っ掛かってどうすんだ」

「その中間」

「真白」

「…………」

「真白」

「お前なんで転入生をいきなり名前呼びしてんだああああ!!」

「うるさい」

「そういやさっきはぐらかされたが何かあったのか!? あったんだろ!? そうでなきゃそんなことにならねえもんなああああ!?」

「あ、カズくんおはよう!」

 真白が朝に眩しい笑顔で挨拶。

「おう。おはよう真白」

「うわあああああああ! カズくんって、もうあだ名かよ! 俺もつよつよとかよっしーとか呼ばれてえよおお!」

 その二つはどうかと思うぞ。

 

「朝からうるさいほど元気だねー。剛坂(ごうざか)くんもおはよう!」

 真白の、白の髪を揺らしながらの、笑顔。

「おはよう!」

 コンマ数秒もない切り替え。

 歯をキラッと輝かせた野郎の笑顔が憎い。

 現金なやつだ。

 結局青春らしいことをしたいだけなのだろう。

 あと真白。お前が言うな。

 

 そうこうしている内に、庵子(あんこ)先生が来てホームルームが始まった。

 

 ――話している間、津吉が少し寂しげに見えたような気もしたが。

 あれだけテンションが高かったのだから気のせいだろう。

 

 

 眠い。

 非常に眠い。

 途轍もなく眠い。

 

 今は古典の授業。

 いつもこの授業は、眠い。

 

 現在進行形で黒板にチョークを走らせ淡々と説明している教員。

 鈴倉佐生朗(すずくらさぶろう)。古典の教師だ。

 生徒たちからは、眠りの鈴と呼ばれ恐れられている人である。

 いつも眠そうな目をして、はきはきとしない声を念仏のように唱える。

 それが子守唄のように睡眠欲を激しく刺激してくる。

 

 あー眠い。

 かくんと首が傾いてノートが視線に入ると、ミミズがのたくったような解読不能な文字ですらないものが書かれていた。

 誰だよこんなん書いたやつ。

 俺か。

 

 周りを見ると、寝こけてるやつらがちらほらと。

 真白は堂々と突っ伏して寝ている。

 その横顔は幸せそうだ。ほっぺたを(ひね)ってやりたいぐらい。

 津吉は珍しくちゃんと起きて――ないな。目を開けたまま寝てやがるアイツ。

 他にもこくんこくんと舟を漕いでいるものが多数。

 いつも思うが大丈夫かこの授業。

 この学校の古典の成績は絶望的なのでは。

 もうあの教師クビにしたらどうだ。

 

 鈴倉は寝ている生徒に注意もせず、ただ淡々と授業を続けていた。

 つまらなそうに、機械的に、無気力に。

 

 

 

 昼休み。

 アイラと屋上で、並んでベンチに座り弁当を食べる。

「なあアイラ」

 アイラは噛んでいた食べ物をごっくんと呑み込み。

「なんですか?」

 小首を傾げ、金髪が揺れる。

「誰かを遊びに誘って、且つ確実に乗ってくれる方法ってないか?」

「う~ん、難しいですね。用事があったらそれまでですし、用事があってもそれを差し置いてまで遊びに行きたい理由がないと」

「理由? 例えばどんな?」

「それは、その一度しかないすごく楽しいこととか、でしょうか?」

「なんで疑問形なんだ」

「私も良く分かってないですから。やっぱり確実っていうのは難しいですよ」

 そう言って苦笑した。

 俺は卵焼きを頬張る。

「すごく楽しいこと、ねえ……」

 アイラは茶を飲み、一息吐き、

「誰か、誘いたいんですか?」

 聞いてきた。

「まあな」

「例の転入生ですか?」

「まあ、そうだな」

「普通に誘えばいいんじゃないんですか? 転入生なら最初の友達との関係は維持したいはずです」

「そうなのか。つーか友達になってたのか」

「友達じゃないんですか?」

「一応名前では呼んでるし、向こうにはあだ名で呼ばれてる」

「転入生、ですよね?」

「ああ」

「昨日が初対面、ですよね?」

「おう」

「早過ぎません?」

「なにが?」

「関係進むの」

「別にそういうのじゃねえよ。ただの成り行きだ」

「どういう成り行きだったらそんなことに……」

「まあ、話してたらとんとん拍子に」

「来週には結婚してそうですね」

「それはない」

 

 

 

 放課後。

 皆が皆、帰りの支度をしている時。

「よお真白。とびっきりの楽しくて楽しくて楽しすぎてもう何が楽しいのかすらわからなくなることするから今から俺と遊ばないか?」

「その誘い文句で乗ると思った思考回路が知りたいよ」

 教科書を鞄に詰めている真白のジト目。

「なにか用事があるのか?」

「う、う~ん……」

 曖昧な、複雑な表情。

 なにを考えているんだ?

 だがここで逃すわけにはいかない。

 俺はマンイーターの情報をこいつからなんとか引き出したい。

 今のところ情報源は真白ぐらいしかないからな。

 だから誘ったのだが、予想と違って芳しくない反応。

 ここで情報源を逃がして手をこまねいていれば、また一人犠牲者が増えてしまうかもしれない。

 普通に聞いても良かったのかもしれないが、それでは答えてくれないだろう。

 遊んでいる中さりげなく聞いて、何気ないことのように。

 心を許して気が緩んでいる時にポロッと零させ、情報をかすめ取るんだ。

 ここは畳みかける!

 

「おい津吉!」

 振り向いて叫ぶ。

「ん? なんだ?」

 まだやつは帰っていなかった、鞄に教科書を詰め終わったところ。

「今から真白とゲーセン行くんだが、お前も来るか?」

 するとやつは一瞬で目の色を変え。

「行く行く絶対行くって! 地球が滅亡しても行くぜ!」

 よし。青春バカが釣れた。

 このまま流れを持っていく。

 この雰囲気で断ったら空気読めないってぐらいに。

「行くよな? ゲーセン。ゲーム好きって言ってたもんな?」

 さっきは咄嗟にゲーセンといったが、自己紹介でゲームが趣味といっていたのを思い出して説得に使う。

 真白に詰め寄る。

 少し気圧されたようだが。

「…………なんでそこまで必死なのか分からないけど、そこまで言うなら行くよ。別にいやじゃないからね」

 またもや何を考えているのか読めない顔。

 しかし、説得は成った。

「それじゃ今から行くか」

「うん」

 立ち上がる真白。白髪が(なび)く。

「津吉、行くぞ」

「おう!」

 三人で教室を出た。

 

 

 廊下を歩く。

 歩いていたら、視線を感じた気がした。

 今すれ違った女の子がいたが、あの子か?

 振り向く。

 女の子は歩きながら目を向けていた。

 俺が視ると即座に恥ずかしそうに見るのを止め、足早に去って行った。

 伸ばしっ放しの野暮ったい、黒色のかなり長い髪。

 言っては悪いが、地味な印象の子だ。

 スカートの色が青色ということは、後輩か。

 でも、会ったことなんてあったか?

 記憶を辿る。

 ……何か引っかかるような気がするが、思い出せない。

 誰だ?

 俺を見てたってことは、向こうは俺を知っているはず。

 覚えてないってことは、少し関わった程度か?

 だから引っかかる程度、なのだろうか。

 

「カズくんどうしたの?」

「あ?」

 再び前を向くと、真白と津吉が立ち止まって待っていた。

「なんだ、和希。あの子が好みなのか?」

「ちげえよ」

 考えてても分からんもんは分からん。

 今は忘れよう。

 どうせ同じ学校だ。会いたきゃ向こうからくるだろ。

「行くぞ」

 立ち止まった二人を置いていくように、歩いて行く。

 忘れようと思ったが、妙に引っかかって苛立った。

 

 

 昇降口に着くと、アイラが待っていた。

 あ。アイラに今日は一緒に帰れないと伝えるのを忘れてた。

 家で主人の帰りを待つ小動物のように佇んでいる。

 このまま一人で帰ってもらうのはアイラに悪すぎる。

「なあ、もう一人誘っていいか?」

「もう一人? 別にいいけど」

「あ、もしかしてアイラちゃんか? 俺は大歓迎だぜ」

 津吉は面識もあるし、いつも俺がアイラと帰っていることを知ってるから察したのだろう。

 

 俺は先行して走り気味にアイラに近づく。

「和希さん?」

 俺の様子に頭にハテナマークを浮かべている。

「アイラ、昼に言ってた遊びの誘い無事通ったんだが、一緒に来るか?」

「私が一緒でもいいんですか?」

「あいつらは問題ないと言ってくれた」

「なら、いいんでしょうか?」

「ああ、いい。むしろ来てくれ」

 少しアイラは考える様子を見せた後。

「はい。行っていいなら、行きたいです」

 そう言って微笑んだ。

 

「おい二人とも。アイラも行くことになった」

「よっしゃ! これで男2女2でバランスいいな!」

「カズくんの恋人?」

 真白の、不思議そうな表情。

「ちげえよ。妹だ」

「妹…………」

 あまり納得いっていない様子。

相沢(あいざわ)アイラです。兄がお世話になってます」

 ぺこりとアイラはお辞儀した。

「あ、こちらこそ。わたしは春風真白だよっ。昨日転入して来たばかりなんだ。よろしくねっ」

「はい、よろしくお願いします」

 二人で笑い合う。

 仲良くしてくれるといい。

 

「それにしても、兄妹なのに随分と違うね」

「あ? どこがだ?」

「それだよそれ! カズくんはいつもそんな態度なのにアイラちゃんはお淑やかな感じだしっ」

「俺の態度が何だって?」

「すごく傲岸不遜っていうか、我が道を行くというか」

「俺もアイラも余裕を持った態度だってことだろ? なら同じだ。俺たちは似たもの兄妹さ」

「そうかなあ? あと見た目も――」

 

「春風さん」

 間隙(かんげき)を突くような、凛とした声音。

「ん? なにかなアイラちゃん?」

「早く遊びたいです。もう行きましょう」

「あ、そうだね。ごめん。立ち話続けちゃって」

「いいえ。歩きながらでもお話ししましょう」

「そうだねっ」

    

 そうして話は中断され、先の話がもう一度されることはなかった。

 

 

 



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4話 日常、ニチジョウ

 

 

 ゲーセンにて。

「そこ! 小足見てから迎撃余裕でした!」

「くそ! 虚言を吐くな!」

 俺は真白と格ゲーをしていた。

「お! うめえな春風! ゲーム好きは伊達じゃないってか。よし! そのまま和希をボコってやれ!」

「か、和希さん、頑張ってくださ~い……!」

 津吉とアイラは後ろでやいのやいのと言っている。

 

 俺は押されて行き、ついにはHPバーがゼロになった。

 キャラが吹っ飛び倒れて、画面にLOSEのでかでかとした文字が躍った。

「やったー! 勝ったー!」

 真白は笑顔で両手を振り上げバンザイ。

「つ、次勝てばいいんですよ……っ!」

 アイラが励ましてくれる。

「おいおい和希ぃ。大丈夫かよ」

 ニヤニヤといやらしい笑みを向けてくる津吉。

 だがこれは、二本先取。格ゲーの基本ルールだ。アイラが言った様に次勝てばいい。

「俺は一戦目遊ぶんだよ」

「へえ~」

「なんだ津吉、その顔は。拳めり込ますぞ」

「きゃ~和希くんこっわ~いっ☆」

 振り抜く拳。

「ぐへっ!? マジで殴るこたあないだろ!?」

 

「もう二戦目始まってるよ~!」

 真白の声に振り返る。

 即座に筐体のスティックを持ち、ボタンに指を添える。

 待っててくれたのかまだ俺のキャラは攻撃されていない。

「隙あり!」

 その意識の隙を突き、先制攻撃を仕掛ける。

「あ、ズルい!」

 ふはは。敵に情けを掛けたが運の尽きだ。

 俺のキャラの蹴りが真白のキャラに命中し、コンボを決めていく。

 一通りのコンボを決めると、真白のキャラのHPバーは三分の二ほどになった。

「ここから押し切らせてもらう」

「格ゲーで逆転なんて、わけないんだからねっ」

 俺の華麗なるスティック捌きによって、自キャラが真白のキャラに躍りかかる。

 

 …………。

 

 まあ、負けた。

 バンッ!

「台パンはマナー違反だよー」

 真白のヴァイオレットの瞳によるジト目。

「うるさいもう一回だ」

「往生際が悪いなあ二戦目も遊ぶ和希さんよお」

 うぜえ顔の津吉が割り込んできた。

「鼻へし折んぞ」

「さっきみたいな一撃は勘弁!」

 すぐに津吉は退いた。

「和希さん」

「なんだアイラ」

「いくら悔しいからって、お店の物を叩くのはめっ、ですよっ」

 むうっと頬を膨らませて右手の人差し指を立て、左手を腰に当てて可愛らしく注意してくる我が妹。

「すまん。もうしない」

「反省してくれたならいいんです」

 にっこり微笑むアイラ。その笑顔と金髪が眩しい。

「俺も春風と対戦してみたいんだが変わってくれるか?」

「好きにしろ」

「バッチこーい!」

 真白も元気に返事したので津吉に席を渡す。

 

 二人が騒ぎながら対戦を始める。

 さて。

 どうやって聞き出そうか。

 さりげなく聞き出すとはいったが、具体的には決めていない。

 普通に格ゲーをやってしまった。

 というかアイラがいる場所で聞くのはまずい。心配させてしまう。

 俺はなぜこんな状況にしてしまったのか、結局普通に訊けばよかったのではないか。

 話してくれなくても無理に話させる方法ぐらいあるはずだ。あまり荒いことはしたくないが。

 アイラがついてくることを考慮できなかったのが敗因だ。

 いや、俺はまだ負けていない。これから聞き出せばいい。

 まあ、難しく考えすぎても時間を無駄にするだけだ。

 ここは当たって砕けろだな。

 攻めに攻めればいい。

 

「だーー! 負けたーー!」

「また勝ったー!」

 どうやら津吉もボコボコにされたようだ。頭を抱えて悔しがっている。

「もう一回だ!」

「俺と同じこと言ってんじゃねえもう一回やるのは俺だ」

「わたしはいいけど、アイラちゃんは格ゲーやらなくていいの?」

「私は見てるだけでいいので。それにへたっぴですし」

 アイラが眉尻を下げて少し縮こまる。

 

 あ。

 閃いた。

 これしかない。

 

「せっかくだからアイラも久しぶりにやってみたらどうだ?」

「でも、下手過ぎてすぐに負けてしまいますよ? なんだか申し訳ないです」

 別に恐縮するほどのことじゃないんだがな。

「上手くなることを諦めることもないだろう? 試行錯誤してやってみろよ。面白いからさ」

「……そこまで言うなら、やってみましょうか」

 よし。折れてくれた。 

「真白は強すぎるからまずは津吉とやってみたらどうだ?」

「え? 和希さんでは駄目なんですか?」

 期待の眼差し。俺とやりたいってか。

 だが今は無理だ。お兄ちゃんとの楽しいゲーム勝負はまた今度にしてもらう。

「俺は勝負事では手加減しない主義なんでな。津吉だったら手加減してくれるだろ?」

「おうよ! アイラちゃんに色々手ほどきしてやるよ」

「と、本人もこう言っている。いいか?」

「……はい。やってみますっ」

 一瞬気落ちしたような顔をした後、すぐに隠すように明るく言った。

 

「じゃあここ座ってっ!」

 真白がアイラに席を譲る。

 これで真白と二人で話せる状況を作り出せたわけだ。

 アイラと津吉がゲームを始める。

 俺達二人は少し後ろに下がって並んで立つ。

 

「なあ真白」

「ん? なにカズくん」

 元気に振り向く真白。

「マンイーターってなんなんだ?」

 一瞬の硬直。後。

「…………これ以上聞かないって言ってなかったっけ?」

「忘れた」

「…………」

「最初は聞かずに自分で調べるつもりだった。だが自分で調べても、ただの一般人が得る事が出来る情報なんてたかが知れていたんだ。だから関係ありそうなお前に聞く以外に選択肢がなかった」

「なんでそこまで……?」

「俺はすべてを救う者だからだ」

「意味分からないよ」

 真白は呆れたように一息吐き。

「今は楽しく遊ぶ時だよ。こういう話はやめよ」

「またそうやって煙に巻くのか」

「そういうことじゃないよ。アイラちゃん達だって楽しんでるのに、わたし達がこんな雰囲気だったらぶち壊しでしょ」

 アイラはあたふたと四苦八苦しながらスティックをガチャガチャと動かし、ボタンをぎこちなく押している。津吉はそれを微笑ましそうに見ながらアドバイスを言ったりしている。

「二人とも気づいていない。なら問題ない」

「そういう問題じゃないでしょっ」

 少し視線を強くして俺を睨んでくる。

 初めて負の感情を向けられたかもしれない。

 しかしすぐに一転して明るい笑顔へと変わる。

「わたしは何も知らないから、今は遊ぼうっ。ほら、カズくん笑って笑ってっ」

 気分を入れ替えろとばかりに背中をポンッと叩かれた。

「納得いかない」

「それでもだよ」

「話せ。何かしてほしいことがあったらしてやる。マンイーターじゃなくてもイベツ者とかいうもののことでもいい。とにかく何か教えてくれ」

「じゃあ、全部終わったら詳しいことは避けて概要だけなら教えてあげる。それで我慢して。あと、絶対に他言無用ね」

「終わってからじゃ遅い。俺が何も出来ないだろうが。そのせいで被害が多くなったらどうするんだ」

「カズくん一人が増えたって変わらないよ」

 一瞬、寂しそうな目をした。

「変わる。俺に何も出来ない筈がない」

「自信過剰だよ」

 

 昨夜見た、人だか化け物だか良く分からないアイツが、脳裏を過ぎった。

 圧倒的な化け物。

 だが、絶対に倒せないなんてことは無いはずだ。

 どんな存在にも、弱点はある。

 

「マンイーターは、人か?」

「? どういう意味?」

「昨夜、マンイーターを見た」

「っ!」

 驚いたように綺麗なヴァイオレットの瞳を見開く真白。

「右腕が化け物だった。右眼がオレンジ色に光ってた。……人を、喰っていた」

「…………」

「もう一度聞く。マンイーターは人間か?」

「人間だよ」

 即答だった。

 それだけは間違いないと、確信している目を向けて来た。

「そうか。それならいい」

 人だというのなら、俺はそいつを、救う。

「それを見た上で、さっきまでのこと言ってたんだね」

「そうだ。俺は化け物みたいな力程度で屈しはしない」

「馬鹿だよカズくん。大馬鹿だよ」

 呆れたような、寂しそうな、悲しそうな、そんな表情。

「それは成せない者だったらだ。俺は成せる」

「それでも駄目だよ。カズくんにはこんなに楽しい日常があるんだから、それを自分から壊すようなことしちゃ駄目だよ」

「俺はそれでも、すべてを救いたいんだ。死にそうな人を、人としての尊厳を傷つけられそうな人を、助けたいんだ」

 

 理不尽にさらされている人。不条理に人としての尊厳を犯されそうになっている人。

 死にそうな人。殺されそうな人。

 そんな人達を、救済したいんだ。

 だから最近起きている連続怪死事件なんてものを、調べていた。

 警察に任せればいいことなのかもしれない。

 でも俺は、摘まれそうになっている命があるのに、自分が何もしないなんて、嫌だ。

 

「マンイーターを無力化する方法を教えてくれ」

「カズくんには無理だよ。それだけは言える」

「俺が普通の人間だからか?」

「…………」

「マンイーターは、そのイベツ者とかいうやつなのか?」

 者ってことは人ってことだ。

 聞いたこともない単語で、見たこともない人間を見た。

 関係あると思うのは当然。

「…………」

「沈黙は肯定になるぞ」

「……はぁ、どうしてそんなに鋭いのかなカズくんは」

 溜め息を吐き、少し諦めたような表情。

「これぐらい普通だ」

「でも、それだけわかってるなら勝てないって事も本当はわかってるんじゃないのかな」

「俺が負ける訳ない」

「だから、どこからそんな自信が来るのっ」

 また、怒ったような顔。

「救う者は、強くなければならないからだ」

「カズくんは一般人だし、弱いよ」

「だけど、やらない理由にはならない」

「それで死んじゃったら意味ないよ。今そこで笑ってる二人の顔が泣き顔に変わってもいいの!?」

 アイラと津吉の対戦は、もうすぐ終わりそうだ。

「俺は死なない」

「死んじゃうんだよっ。人って、簡単にっ」

 真白の顔は、俯いていて見えない。

 けれど、明るい顔をしていないことは見なくても明らかだった。

 

 人は簡単に死ぬ。

 確かにそうかもしれない。

 どれだけ頑張っても、死ぬときは死ぬのかもしれない。

 だけど俺は、死ぬつもりはない。

 すべてを救う者が、死んではならないからだ。

 それでは救えない。

 やらないなんて選択肢はない。ならば、必ず成し遂げて、死なずに帰ればいい。

 どれだけ難しい事だとしても、この俺に出来ない筈がない。

 

「あ……負けちゃいました」

「でもいい感じだったよアイラちゃん。この調子で続けて行けば上手くなってくよ」

 少し残念そうなアイラに津吉が言葉を掛ける。

 二人の対戦は終わったようだ。

「うんうんっ。アイラちゃんならすぐ上手くなるよっ。楽しそうだったし、やっぱりゲームが上手くなるには楽しむのが一番効果的だよねっ」

 一転して笑顔で楽しそうに振る舞う真白。

 対戦を見ていたのかは知らないが、適当なことを言っている。

 俺はあんまり見ていなかったが。

 

 これ以上はやめておくか。

 アイラの対戦も終わったことだし。

 アイラに聞かれるのは避けたいし、真白も、今はこれ以上訊かない方がよさそうだ。

 拒絶されて余計に聞き出しづらくなってはいけない。

 

「次は、どうする? このまま格ゲーか? それともレースゲーでもやるか?」

 努めて普通に、俺はそう言った。

 

 

 

「それじゃあまた月曜なー」

「カズくん、アイラちゃん、じゃあねー」

「おう」

「今度また、会えるといいですね」

 

 分かれ道で、真白と津吉と別れ、アイラと共に帰路に就く。

 津吉が月曜と言ったのは、うちの学校は土曜が丸一日休みだからだ。私立で緩い校風な所が有名だったり有名じゃなかったりする。

 

 夕日が空に在り、夜までもう長くないことが窺い知れる。

 俺とアイラ、二人の足音が静かに耳に届き、友人との遊びの終わりを感じさせる。

 

「今日は、楽しかったか?」

「はい。和希さんを加えて複数人で遊ぶのは初めてでしたし、賑やかで、楽しかったですよ」

 弾む声音でアイラは笑顔を向けて来た。

「そうか」

「はい」

 

 アイラのこの笑顔は、俺が危険に飛び込む度に歪んでしまうかもしれない。

 いや、実際最近その笑顔を崩してしまっていた。

 俺が、異常に関わることを止めない限り、アイラの笑顔はずっと続いてはくれないのだろう。

 真白にも言われた通り、手を引いてアイラたちと共に平穏を過ごすのが賢い選択なのだろう。

 だけど、俺は。

 

 それでも、救いたいんだ。

 バレなければいい。

 アイラに悟られなければいい話だ。

 知らなければ、それはアイラにとっては存在しない出来事なのだから。

 俺が気をつけてやればいいだけだ。

 アイラには、悪いけど。

 俺は、やめないよ。

 絶対に。

 我が侭だけど。

 アイラには、その上で、笑っていてほしい。

 それが俺の願いだ。

 本当に、我が侭だけど。

 矛盾してて、どうしようもない。

 

 顔を上げ、目の前の光景を適当に、投げやりのような感情で眺める。

 目に映るのは、橙色に染まる天体。ゆっくりと、落ちていく陽。

 夕日、綺麗だ。

 綺麗だな。

 明日の活力になればいい。

 いや、今日からか。

 今日の夜も、行動しないと。

 見つけ出すんだ、マンイーターを。

 そして、救うんだ。

 俺はやる。

 俺なら、やれる。

 すべてを、救う者だから。

 

 ――そういえば。

 

 俺はなんで、すべてを救いたいんだっけ。

 

 誰も死なせたくない。誰も不幸になんてなってほしくない。すべてを救いたい。

 そんな思いが、昔からあった。

 心に、在った。

 だから、それを目指し続けていた。

 唯々(ただただ)進み続けていた。

 だけど、原点は?

 今まで、気にしたことも無かった。

 思いに突き動かされるだけで、考えようともしていなかった。

 なんでだ?

 

 ………………………。

 ……………………………っ。

 

 まあ、いいや。

 考えても仕方ないだろう。

 わからないし、俺が全てを救いたいことに変わりはない。

 だったら、そんなものいらない。

 理由なんていらない。

 人を助けるのに、理由などいらない。

 無駄に理屈をつけたがる奴は、この俺がぶん殴ってやる。

 やりたいからやる。助けたいから助ける。

 それだけでいい。

 

 夕日は、徐々に沈んでいく。

 家までの距離も、近くなっていく。

 気温も涼しさを持たせて来た。

 夕方の静かな道は、寂寥感(せきりょうかん)を漂わせる。

 アイラと俺の、足音。歩く度に聞こえる微かな衣擦れ。

 会話はなくとも、気まずくはない長年連れ添った者同士の空気。

 

 だけど、どうしてだろう。

 妹のアイラが、とても可愛く感じた。

 そりゃ俺の妹だ、可愛いに決まってる。

 でもそういうのじゃない。

 なんていうか。

 

 有り体に言えば、アイラの衣擦れの音に欲情した。

 

 妹なのに。

 異性に対しての感情を抱いてしまった。

 でも、実妹だろうとずっと一緒にいることは出来るよな。

 たとえ結婚できなくとも。

 性行為は、どうだろう。

 中に出さなければ大丈夫か。

 

 俺は何を考えているのだろう。

 馬鹿か。

 アホか。

 疲れてるだけだな。

 きっとそうだ。

 そうに違いない。

 でなければ俺は変態になってしまう。

 

 …………アイラの髪、綺麗だな。

 黄金色の長髪が、夕暮れの涼しい風に踊る。

 頬に垂れる髪が艶っぽい。

 藍の瞳は、夕日を反射して、まるで秘宝。

 小柄で、線が細くか弱い体は、守ってあげたくなる。

 肌の白さは、思わず今すぐ触りたくなるほど。柔らかそう。

 両手で学生鞄を体の前で持つ姿が女の子らしくて、いい。

 

「和希さん?」

「は」

 アイラに話し掛けられて正気を取り戻す。

 俺疲れすぎだろ。

 どんだけだよ。

 ゲーセンってそんな疲れすぎるほどの場所じゃないだろ。

 アイラは不思議そうな表情をしている。 

「どうして私をずっと見つめてるんですか?」

 小首を傾げる姿が妙に可愛い。

「なんでもねえよ。ただアイラが可愛いなって思ってただけだ」

「ふえっ!?」

 ふえって。

 夕日のせいか俺の言葉のせいか顔を赤くするアイラ。

 まあ後者だろうけれど。

 兄貴の言葉なんかに照れてんじゃねえよ。

 それっきり黙ってしまうアイラ。

 顔は朱に染まったままだ。

 アイラのその表情を堪能しつつ歩いて行く。  

 

 道の端、電信柱についている電灯が、点き出してきた。

 静寂の夜は、もうすぐだ。

 

 

 

 

 夜。24時頃。

 アイラは既に寝静まっている。

 玄関まで息を潜めて移動し、鍵の音をなるべく立てないようにゆっくりと外す。

 ドアの開閉音もなるべく立てないように済ませ、家を出た。

 月の光が、夜を照らしている。

 聞こえてくる音は、虫の音ぐらいだ。

 門を出て、暗闇がそこかしこに顕在している深夜の道を、歩き出す。

 

 昨夜とは大幅に時間が違う。

 確か昨夜は、20時頃だったはず。

 マンイーターとの遭遇率は低いだろう。

 でも、だからといってやめる訳にはいかない。

 必ずあの時間に行動しているとは限らないのだから。

 少しでも遭遇できる可能性がある以上、俺は探したい。行動しなければうずうずして、もどかしくて仕方がない。

 それに、たとえ得体の知れない力相手でも、諦めることはしたくない。

 昨夜、おめおめと隠れて逃げ帰ってきた俺のいうことじゃないかもしれないが。

 だが今日は前回とは違う点がある。

 

 懐に手を当てた。

 ここには、いつも鍛錬に使用している木の短刀がある。

 これが在り、俺の剣技を以ってすれば、人間を無力化することは可能な筈。

 いや、可能なんだ。

 頭を殴られても平然とできるような、化け物でも無い限り。

 マンイーターは、右腕以外は人間だった。

 だからいける。絶対に。

 無力化して、事情を聞いて、救うんだ。

 警察か何かには、突き出すことになるかもしれないが。

 それでも罪を重ねさせるわけにはいかない。

 

 人を、殺してはいけないのだから。

 小さな子供でも知っている、当たり前なことだ。

 殺人は、踏み越えてはならない一線。

 一度越えたら、もう二度と戻れない。

 絶対の禁忌。

 だが、だからといって。してしまった者を外道と断定して救わない理由にもならない。

 やってはならないことをやってしまったからこそ、救いが必要ともいえる。

 赦されることではないけれど、それでも生きて、何かをしなければならないんだ。

 償いをしながら、苦しんででも生きなければならないんだ。

 人殺しだから死ねとか、どん底の不幸者に成れとか、それも、俺はなにか間違っている気がしてならない。

 勿論、どうやっても、赦されることではないけれど。

 それでも、俺は救う。

 とにかく、救う。

 なにがあっても、救う。

 

 夜の街に目を走らせながら、俺は歩き続けた。

 歩き回り続けた。

 

 ……。

 …………。

 ……………………。

   

 どれくらい歩いただろう。

 路地裏を見つけては、覗いた。

 覗きまくった。

 路地裏という路地裏を。

 路地裏マスターだ。

 何も見つけられなかったが。

 なにがマスターだ。

 

 駅前まで足を運びもした。

 案外、普段人が多い通りの近くにある小道とか、猫の額ほどの静かな場所にいるかもしれないと思ったからだ。

 結局、見つからなかったけれど。

 

 疲れた。

 俺は、疲労している。

 少し苛つく。

 後日、深夜徘徊している不審者がいるという情報が出るんじゃないかと思うほど、歩き回った。

 それはマンイーターも同じか。

 

 そういえば、マンイーターは夜に行動するということが分かっているのに、どうして警察は巡回とかしていないのだろうか。

 今更そんな疑問が頭に浮かんだ。

 これだけ歩き回って、巡回していたり、張り込みをしている警官を一切見かけないというのも可笑(おか)しい気がしてきた。

 

 ただの偶然かもしれない。

 偶然、俺が歩いた場所にはいなかっただけかもしれない。

 巡回しているのなら、相手も動いている。

 入れ違いのように俺が最初の方に歩いた方面に行っている可能性だってある。

 でも、どうだろう。

 案外、警察すらどうにかできる奴なんじゃないだろうかと思えてしまう。

 たった一人が、警察全てに影響を及ぼすなんて、出来る訳ないだろうけれど。

 警察だって、馬鹿じゃないんだ。

 なにか、理由があるはず。

 もしくは、俺の気のせいか。

 気のせいの確率が、一番高いだろうな。

 

 見つからない。

 疲れた。

 苛々する。

 見つからなすぎて、苛々する。

 今日は、もうマンイーターは出ないんじゃないか。

 昨夜とは時間が違うんだ。当たり前かもしれない。

 既に事を終えて帰ったか、今日は出ていないか、どちらかだろう。

 ずいぶん歩いた。それに体力も消耗して、もし戦闘になっても勝てる道筋がぐっと狭まっている。

 今日は帰った方が良いだろう。

 睡眠時間も欲しい。

 万全な体力で、再度挑むべきだ。

 帰ろう。

 

 そう判断し、俺は帰途に就いた。

 

 …………。

 ……………………。

 

 何事もなく、家に着いた。

 帰り道に、もしかしたら遭遇するかもしれないとも思ったが、杞憂に終わった。

 今日はもう寝よう。

 家に入り、鍵を掛ける。

 歩き疲れて少し汗ばんでいる。

 着替えを持って風呂場に入り、シャワーをざっと浴びた。

 寝巻に着替えて、自室へと続く階段を上る。

 二階の自室に入ると、ベッドに身を投げ出した。

 

 もう、今日は何も考えずに寝よう。

 疲れた。眠い。

 今何時だ。

 確認するの忘れた。

 結構な時間だろうな。

 まあ、とにかく。

 寝よう。

 

 すぐに眠気は意識を支配して来た。

 まどろみへと落ちていく。

 心地よい眠気に身をやつしながら。

 俺は、眠った。

 

 

 



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5話 お出掛け。出会い。

 

 6月6日土曜日

 

 

「――――さん」

 …………。

「か――さん」

 ………………。

「かず――さん」

 ゆさゆさ。体を揺すられている。

「和希さん」

 アイラの、声か?

 声だ。

「和希さ~ん。起きてくださ~い」

 耳元で喋られると、息が掛かる。

 こそばゆいような、くすぐったいような、少なくとも悪くない感覚。

「朝ですよ~。もう8時半ですよ~」

 なぬ?

 ベッドの上で上半身をガバッと起こす。

 横に立っているアイラに顔を向ける。

「おはようございます和希さん」

「ああ、おはよう。それで、今、何時だって?」

「8時半です」

「マジか」

「マジです」

 

 昨夜、夜遅くまで歩き回ってたのが災いしたか。

 今日は土曜日で、私立で緩いうちの学校が休みというのも拍車をかけた。

 それでもいつも通りの時間に起きれなかったのは、弛んでると思う、不覚だった。

 こんなんじゃ、駄目だ。

 

「今日は珍しく起きるの遅いですね。いつもなら5時くらいなのに」

 小首を傾げて意外そうな顔のアイラ。

「…………ああ、まあな」

「夜更かししてたんですか?」

「読んでたラノベが良いところで、切りのいいところが見つからなかったんだよ。それで結局最後まで読んだ」

 自分で言ったことだが、よくもまあそんな嘘がスラスラと吐けるものだと思った。

「そうなんですか。でも健康によくありませんから、あまり夜更かしはしないようにしてくださいね?」

「ああ」

 アイラはもっともらしい嘘にすぐに納得してくれたようだ。人差し指を立ててお姉さんぶった仕草で注意してくる。

 小動物のくせに。口に出したら拗ねるだろうけど。

 

「朝ごはん出来てますけど、食べますか? なんて訊き方も、ちょっと変ですね。食べないと体に悪いです」

 その笑みは、可愛かった。

 

 

 

 朝飯を平らげて、いつもよりもだいぶ遅い時間になってしまったがきっちり鍛錬もこなす。

 木の短刀を振って、仮想敵と戦うだけではない。

 腕立て伏せをし、近所をランニングもする。

 ランニング以外の時は、いつものようにアイラは縁側でちょこんと座って、俺のつまらない鍛錬を眺めていた。

 今日は起きるのが遅かったので、アイラはパジャマ姿ではない。

 服の名称とかはあまり知らないが、女らしい服みたいな感じだ。

 水色の、胸にリボンの付いたワンピース。清涼感のある見た目。

 そして白ニーソとミニスカートが作り出す絶対領域。

 絶対領域はいい。アイラはわかっている。白ニーソも俺好みだ。黒ニーソも嫌いではないが。むしろ好きな部類だが。

 アイラはおしゃれをしたいだけなんだろうけどな。

 

 

 11時ぐらいには、今日の鍛錬を終えた。

 シャワーを浴びて着替えると、アイラが「今日は二人でどこかに出かけたいです」というので、俺は二つ返事で「ああ、いいぞ」と答えた。

 今日は思い切り遊ぶのも、悪くない。

 どうせマンイーターについて調べても、一般人の俺では大したことは分からないだろうし、時間も無駄に浪費するだけだ。

 だから今は、心身を安定させるためにも、遊ぼう。

 

 ということで、少しリビングでくつろいだ後、二人で出かけた。

 

 

 

 特に決めていた訳ではないが、また駅前に来てしまった。

 昨日もこの近くのゲーセンで遊んだというのに。

「アイラ、どこか行きたいところないか?」

「どこでもいいですよ。ここでも」

 なんてアイラが適当なこと言うものだから、まあ、ここでいいのだろう。

 とりあえずもう昼なので、二人でファミレスに入って外食した。

 

 で。ファミレスから出た後。

「どこ行こうか」

「う~ん。どうしましょう」

 全く目的も決めていない外出だ。駅前でいいとはいえ、どこに行くか迷った。

 駅ビルのデパートに行くのも別に嫌じゃないが、アイラが積極的に行きたがらないなら俺も特に行きたい場所ではない。

「もうゲーセンでいいか? 二日連続になるが」

「そうですね。和希さんが行きたいならそれでいいですよ。他には――あっ。本屋さん行きたいです。新刊が出てたんでした」

「じゃあ本屋行ってからゲーセンでいいか」

「はい。そうしましょう」

 さっそく歩き出した。

 

 数分ほど歩くと、それなりの大きさの本屋へと着いた。

 自動ドアが開き、二人で店内へと入る。

 内装は、まあ本屋だ。

 本屋としか言えない。

 静かで、棚に本が所狭しと並び、白色なシンプルな内装。

 人は、土曜だからそこそこいる。

「では、私はあっちの方を見てきますね」

「おう」

 アイラは恐らく、恋愛小説か少女漫画が置いてあるところに行ったのだろう。

 ほんと好きだな。俺も人のこと言えないが。

 とりあえずライトノベルのコーナーに行こう。

 俺も欲しい新刊あったような気がするし。

 淡々と歩いて行き、ラノベの新刊が置いてある場所に着く。

 様々な文庫の様々な表紙。

 購入意欲をそそる新刊たちが色とりどりと平積みにされている。

 一冊手に取って最新1巻のあらすじを読んでみる。

 こうして吟味するのが楽しかったりもする。

 何冊かあらすじを読んでると、目に入った一冊。

 

「あ。これだ」

 欲しい新刊が出てたような気がしていたが、それを見つけた。

〈百殺の魔眼無双〉

 まあ、タイトル通りみたいなやつだ。

 異世界に転生した主人公が強力な魔眼の力を得て、敵をバッタバッタと倒し無双していく話。

 これだけ聞くとシンプルだが、このラノベ特有の要素もある。

 それは、その魔眼の力というのが百個の標的を指定しないと発動できないという強力だが面倒な力で、この能力をどう上手く使っていくかって感じの展開が続きが気になってしまうのだ。

 好みは人それぞれだが、俺はそれが気に入ってしまって続刊を購入し続けている。

 その最新6巻が今俺の手の届く範囲に存在していた。

 

 とりあえずこれは買おう。

 それと、さっきあらすじ呼んで気になったやつも買うか。

 もちろん異能バトルものだ。

 俺にとってのもちろんだが。

 

 さっそく〈百殺〉の6巻を手に取ろうと手を伸ばした。

 本の表紙に手を触れた瞬間、人肌の柔らかい何かとその手がぶつかった。

 というかぶつかった何かも手だった。

 咄嗟に手を放すのもなんか負けたような気がして嫌なので、そのまま本を取る訳でもないが手をそのまま固定した。

 相手の方は即座に飛び退く様に手を引いた。

 そちらの方に目を向けてみる。

 

 そこには、意外や意外、俺よりも年下であろう女の子がいた。

 この本を手に取ろうとするぐらいだから、中高生の野郎だとばかり数秒前は思っていたが。

 全然違った。

 完全に、どこからどう見ても中学生ほどの女の子。

 

 肩より少し長いほどの黒髪を小さくツーサイドアップにし、頭頂にはアホ毛が一本みょんと生えている。

 黒い眼帯を左眼に付けているが、本当に怪我か病気なのかアクセサリーの趣味が特殊なのかは判断がつかない。

 しかし服は女の子女の子した薄いピンクのワンピースだ。スカート部分に可愛らしいフリルが付いている。

 だがそう思った矢先に右腕に包帯を巻いているのを確認する。怪我をしているのかそれとも。

 そしてそして、黒ニーソ。

 絶対領域だ。

 わかってるなこの中学生。

 白い太ももが柔らかそうで眩しい。

 

「ふっ。同士ですか」

 眼帯に手を当てて不敵な態度でそう言った、多分中学生ぐらいであろう女の子。

 あ…………。

 眼帯も包帯も恐らく、いや確実に怪我でも病気でもないな。

 ちょっと特殊な子なんだと理解した。

 

 しかし。

 しかしだ。

 俺はそういう人種を差別などしないし、駄目だとも思わない。

 (むし)ろ伸び伸びと、好きなように生きてほしい。

 幸い俺もそういうのには造詣が深いと言えるだろう。なにしろバトルもののラノベを読み漁っているからな。

 ここはノリに任せて合わせてみよう。

 

「ああ。お前もこの書物を気に入ってるのか。心高ぶるよな〈百殺〉」

 一瞬ビクッと体を硬直させた女の子は、すぐに不敵な表情に戻ると。

「はい。私を満足させるに足る最高の書物と言えるでしょう」

 気分良さそうに言った。

 それ以降は特に口調を意識せずに感情を爆発させた。

「面白いよな!」

「はい!」

「4巻の最後らへんとかやべえよな!」

「はい! そこも好きですけど2巻の最後もいいですよね!」

「だよな!」

「はい!」

 

「ははははっ」

「ふふふふっ」

「「あははははははははっ!」」

 どちらともなく二人で笑った。

 女の子の黒瞳は楽しそうに輝いていた。キラキラしていた。

 

「ところで」

「はい」

「少し静かにするか。他の客に迷惑だ」

 こちらを迷惑そうに見ている客が数人ほど。

「……そうですね」

 反省したようだ。少しシュンとしている。アホ毛も萎れている。

 

「まあ、短い間だったがじゃあな」

〈百殺〉の6巻と新刊の1巻を二冊ほど手に取る。

「はい。本当に短い間でしたが〈百殺〉について話せてよかったです。なにしろ周りに好きな人がいませんから」

 苦笑する中二病なのかどうかよくわからない女の子。

 結構口調崩れるな。

「俺も同じだ」

 そう言い残して俺は会計へと歩いた。

 

 

 

 購入後アイラと合流し、店を出る。

 少し歩いてゲーセンへ着いた。

 

「つっても、アイラゲーム下手だしな。どうしようか」

「下手でも楽しめなくはないですよ?」

「そうなのか」

「そうなんです」

 笑みを向けてくるアイラ。そう言うのならそうなんだろう。

 

「ならホッケーやるか?」

「ホッケー……いい、ですよ?」

「今無理したろ」

「してないですよ」

 真顔で言ったが、イントネーションが少しおかしくなっている。

「ほう。本当に?」

「本当ですよ」

 今度は真顔&イントネーションも完璧。だが過去の失敗は覆せないぞ。

「そうか。そういうならホッケーやるか」

「望むところですよ」

 強がりはよせばいいのに。

 

 ホッケー台まで歩いて行き、対面に立つ。

 硬貨を投入すると、白色の平べったくて丸っこいものが出てくる。

「先行は譲るよ」

「はい」

 アイラに平べったい奴を渡す。

 

 所定の位置にお互いついて「初めていいぞ」と俺が言ってすぐスタートした。

 さあ、アイラの先行。

 動いた。

「えいっ」

 スカった!

 空振った!

「こほんっ。もう一度です」

 頬を染めて咳払いをするアイラ。

 

「えいっ」

 今度はスカらなかった。

 だが。

 カンッ。

 俺の側のゴールの横。角に当たって跳ね返る。

「わわっ。わっ」

 アイラは跳ね返ってきた平べったいやつを何とかしようとするが。

 カコンッ。ゴールに入る音。

 俺に一点入った。

 あっけなく自滅したアイラ。

 

「ううっ。まだですよ。私だってこれくらい」

 少し涙目になりながら再び構えるアイラ。

「えいっ」

 今度も空振らない。

 角にもぶつかりそうになかったので俺は打ち返す。

 全力で。

「わっ、早いですっ」

 対処しようと、卓球をしているように大きく動くアイラ。

「きゃっ」

 カコンッ。

 アイラはすっ転んだ上に俺に二点目が入った。

 やはり絶望的にアイラは運動オンチだ。

 無理に強がるものだから思わず意地の悪いことをしてしまったが、なんかかわいそうになってきた。

 

 対面に倒れているアイラの元に向かう。

「大丈夫か? やっぱりホッケーはやめるぞ。飽きた」

 手を差し出すと、アイラはその手を取って起き上がった。

「は、はい……そうしましょう」

 倒れた拍子にぶつけたのか鼻を赤くして恥ずかしそうに言った。

 

 

 その後は縦スクロールシューティングゲームやガンシューティングなど、二人で協力プレイできるものを主に楽しんだ。

 アイラは相変わらず下手だが、楽しそうに笑っていたので問題ないだろう。

 ガンシューティングをやり終え、歩いていたところ。

 

「あ」

 なんか、見覚えのある姿を見かけた。

 最近というか、ついさっき見たばかりの姿。

 本屋で出会った女の子である。

 UFOキャッチャーの前で難しい顔をしている。

 

「アイラ。ちょっと知り合い見つけたんだがいいか?」

 知り合いとすらいえないかもしれないが。

 なにしろ数分話しただけだ。

「え……? はい。いいですよ」

 アイラは微笑んでそう答えた。

 

 女の子に歩み寄って、すぐには話し掛けずに少し後ろで見守ってみた。

「くっ、この私をここまで追い詰めるとは、舐めた真似してくれますね……っ」

 苦渋の表情で女の子は呟いていた。

 どうやら欲しい何かが取れない模様。

 覗き込むと、UFOキャッチャーのガラスの中には沢山のぬいぐるみが所狭しと散乱していた。

 意外と女の子らしいものが好きなんだな。

 意外とか数分しか会ってない俺が言えることじゃないかもしれないが。

 

「あっ! この天からの魔手弱すぎます! 詐欺です! 貧弱魔手です!」

 アームが弱いのか鳥のぬいぐるみが落ち、女の子は黒いツーサイドアップとアホ毛をブンブン振り回す。

 こういうのはアームが弱いと相場が決まってるだろうに。

 ぬいぐるみなら地道に移動させるかタグに引っ掛けるかのどっちかだな。

「くうぅ……この魔の箱は、どこまで私の力を奪えば気が済むんですか……」

 結構小銭を吸われたらしい。

「うぅぅ…………もう、お金が……」

 可愛らしいデザインの財布を何度も(あらた)めながら嘆いている。アホ毛もシュンと萎えている。お通夜ムードな女の子。なんか不憫だ。UFOキャッチャーというものがそういうものなんだとしても。

 だからという訳じゃないが。しょうがねえ。

 

「〈百殺〉の同士よ。どうやら苦戦しているようだな」

 どんよりと俯いていた女の子が振り返る。

「あ、あなたは……! あの時の……!」

「ああ。いつぶりになるだろうな、俺たちが会いまみえるのは」

 女の子は、はっとした様に体をビクッと跳ねさせると「本当に、いつぶりでしょうね……」一転、態度を変えて左目の眼帯に手を当てながら返してきた。何時ぶりも何もついさっきだが。

「加勢するぜ。もうほとんど弾ないんだろ?」

「え…………はい。そうなんですけど……さすがに悪いですよ」

 と思ったらまた一転して中二病がぶれる女の子。申し訳なさそうに眉をハの字にしている。

「遠慮するな。俺がやりたいからやる。それだけだ」

「あ」

 静止する間を与えずに、俺はすかさずUFOキャッチャーの前へ移動し、硬貨を投入した。

「ああっ、そんな、でも」

 女の子は狼狽えるが無視する。

 

 ぬいぐるみにタグは、ちゃんと付いてるな。

 ――よし。この角度なら、いける。

 横に移動するボタンを押すと、軽快で珍妙な音を鳴らしながらアームが移動する。

 ここだ。

 再度ボタンを押してアームの動きを止める。

 今度は縦に移動するボタンを押し、タイミングを計って止める。

 よし、アームの開き加減は女の子がやってるのを見てたから問題ないはず。

 最後のボタンを押す。

 アームが開き、下降していく。

 そして、上手くぬいぐるみのタグにアームが引っかかった。

 そのまま上昇していく。タグが落ちることはなかった。

「す、すごいです……」

 狼狽していた女の子は途中から固唾を飲んで見守っていてくれたみたいだ。

 固唾を飲んでいたかは分からないが。とにかく、静かに見ていたようだ。

 無事落とし口にまで到達し、ぬいぐるみは落とされた。

 取り出し口から鳥のぬいぐるみを掴んで出す。

 

「一発です……どこの猛者ですか? 歴戦の戦士なんですか?」

 黒い瞳をキラキラさせてそんなことを言ってきた。

「俺はちょっとばかし手の器用さには自信があってね、それだけさ」

 言ってから気づく。

 手先の器用さはUFOキャッチャーに関係ない。

「神の手ですっ。ゴッドハンアームです!」

 ハンドかアームかどっちかにしようか。

 女の子は俺の失言に気づく様子はない。

 ならば良しとしよう。

「まあとりあえず、はい」

 鳥のぬいぐるみを女の子に押し付ける。

「え、で、でも。貴方が取ったものですし……」

「男の俺はぬいぐるみなんていらないんだ。だからかさばるし押し付けただけだが」

「で、でも」

「でもじゃねえよ。渡すために取ったのに受け取ってもらえなかったらそっちの方が嫌だぜ俺は」

「……はい、わかりました。ありがとうございます。大切にします」

 数秒逡巡した後、女の子はぬいぐるみを抱きながらペコリとお辞儀して来た。

 ふわっとツーサイドアップとアホ毛が躍る。

 女の子の甘い匂いが漂ってきた。

 

「俺は相沢和希だ。お前は?」

「え……?」

 小首を傾げる女の子。

「名前だよ名前。教えてくれ。俺は名乗ったぞ」

「あ、はい。詩乃守姫香(しのもりひめか)といいます」

「詩乃守か。俺は高二だがそっちは?」

「い、言わなきゃダメですか?」

「ん? やはり見知らぬ男に情報を与え過ぎたくないか?」

「う…………」

 図星なのか目を泳がせている。

「もうすでに名前を言ってしまっているのに?」

「そ、それは、相手に名乗られたら名乗るのが礼儀じゃないですか」

「そうだな。まあ別に言わなくてもいい」

 相手が何歳だろうとそんなことは重要じゃない。

「…………中三です」

「そうか。なんで今答えた」

「なんだか負けた気がしていやだったので」

「変な所にこだわるんだな」

「ということは相沢さんは先輩ですね。相沢先輩ですか」

「おう、先輩だ。敬えよ?」

「自分から言われると抵抗がありますね」

 とはいえ、やはり中学生だったか。アイラと同じくらいちんまいしな。アイラに言ったら拗ねるだろうけど。

 そろそろいいか。アイラを待たせ過ぎるのも悪い。

 

「じゃあ達者でな。元気でやれよ。夜にならない内に帰るんだぞ」

「はい。先輩も元気で。本当にありがとうございました」

 詩乃守は微笑んでそう言った。

 何度も感謝なんてしなくていいんだが。

 けれど、感謝されるというのは悪くないものだな。

 俺は詩乃守に背を向けて、アイラの元へ帰った。

 

 

 

「和希さん。あの子は?」

 アイラの元に戻ると、詩乃守について聞いてきた。

「ああ。あいつは詩乃守姫香。さっき行った本屋で会って意気投合した」

「さっきですか!? は、早過ぎませんか和希さん。春風さんの時もそうでしたけど、女の子と仲良くなるの早過ぎですよ!」

 アイラは驚愕と衝撃で慄いている。

 そんなオーバーリアクションされても。

「確かに現状だけ見ればそうだが、ただの成り行きだぞ?」

「そうはいっても、やっぱりこれは天性ですよ。和希さんはどちらが本命なんですか? どちらも悲しませてはいけませんよ?」

「なに言ってんだお前は。選ぶも何もねえよ」

「もしかしてハーレムがお好みですか!? それは修羅の道ですよ? 覚悟はあるんですか?」

「ちょっと黙れ」

 アイラの額にチョップする。

「あいたっ」

 飾り目(><)で痛がる。

「うぅ……ひどいですよ和希さん」

 自分の額をさすりながら涙目でこちらを見てくる。

「お前が変なこと言うからだ」

「だって」

「だってもヘチマもねえ」

「意地悪です~」

「そうだな」

「認めないでくださいよ~」

「面倒くせえ」

「むうぅ~」

 あ、頬を膨らませた。かわいい。

「悪かった悪かった。とりあえずどこか行こうぜ。ずっとゲーセンばかりじゃつまらない」

 アイラは頬を膨らませながら上目遣い。

 沈黙数秒。

「……はい。そうですね。どこかいきましょう」

「おう。どこ行く?」

「公園とかコンビニとか」

「公園はいいが、なぜコンビニ? 悪い訳じゃねえけど」

「うひゃい棒食べたくなっちゃいまして」

 照れ笑いをするアイラ。

「そうか。じゃあコンビニ寄ってから公園行くか」

「はい」

 そうして二人で、歩き出した。

 

 

 



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6話 初戦

 

 

 コンビニでアイラはうひゃい棒、俺はチレルチョコを購入後、公園へと来た。

 宮樹市自然公園。

 宮樹市でも結構広い部類に入るんじゃないかと思う公園だ。

 名前の通り自然が前面に押し出されていて、子供が喜びそうな遊具はなく、原っぱが続いている。

 中央には噴水。所々にベンチが乱立する。

 

 俺たちは噴水近くのベンチに並んで座った。

 アイラはうひゃい棒の包装を丁寧に解き、モキュモキュとハムスターかリスのように棒状の菓子を頬張っていく。

 俺はチレルチョコを口に放り込んだ。

 舐めていると舌に甘さが浸透して脳が落ち着いていく。

 

「なあ、アイラ」

「ふぁい?」

 うひゃい棒を口にくわえたまま小首を傾げるアイラ。

「とりあえずそれ食ってからにしよう」

 アイラはモキュモキュしながら頷いた。

 やがてすぐに食べ終わる。

 

「なんですか?」

 数秒俺は沈黙し、頭の中を整理する。

 終了の後、言葉を発した。

「やっぱり、悲しいことって、嫌だよな」

「……? そうですね」

 アイラは不思議そうに首を傾げながらも答えた。

「誰だって、嫌だよな」

「はい。みんな、嫌だと思います。私だって、和希さんもそうでしょう?」

「ああ、そうだな」

 

 まだ陽は高めだ。

 青空が、澄んでいる。

 まるで、何事もない平和のように。

 でも、違うのだ。

 平和になんか、この世界が一度としてなったことがあるだろうか?

 多分、ない。

 いつでも、争いや悲しみは絶えない。

 いつまでもいつまでも。

 救われない。平穏が一時、存在したとしても。

 

 こんな青空が、下の世界まで浸食してくればいいのに。

 そうすれば、澄んだ純粋な世界になるだろうか。

 そんな妄想さえ、抱いてしまう。

 妄想。

 俺の信念も、似たようなものなのだろうか。

 だが、やり通せば、そんなことはなくなる。

 いつの時代だって、そうだったではないか。

 飛行機を開発したどこかの誰かだって、そうだったはずだ。

 

「なんでそんなこと聞くんですか……?」

 理想の青空を眺めていると、アイラが言葉を発した。

 どこか不安そうな声色。

「俺は、諦めないって、再確認したかった。ただそれだけだ」

 結局俺も、不安なのかもしれない。

 心配させたくないなんて思っておきながら、不安を煽るようなことを訊いてしまったのだから。

 バレなければいいなんて思ってもいたのに、自分からバラすようなことしてどうする。

「諦めないって、何をですか?」

「いいたくない」

「…………」

 きっぱりと即答すると、アイラは黙って俯いた。

 俺はアイラに、笑っていてほしかったはずなのに。

 本当に、何をやっているんだ。

 

 数十秒ほどの、間が空く。

 俺は何かを言おうか迷った。

 アイラの心配を和らげる事の出来る言葉を。

 何を言えばそんな事が出来るのか、思いつけはしなかったが。

 

 俺がもたついている内に、ポツリと、アイラは言葉を零してきた。

「具体的には何もわからないんですけど、すごく、嫌な予感がするんです……」

「…………」

 

 ああ、その予感は、恐らく当たっているよアイラ。

 マンイーターなんて化け物、普通ではない。

 異常の産物だ。

 でも、人間らしい。

 人間なんだ。

 そう聞かされた。

 

「何もかも変わってしまいそうで、終わってしまいそうで、怖いんです。もし何か変なことに関わっているのなら、もうやめてほしいです……」

 アイラの金髪が風に(なび)く。藍色の瞳は寂しさで彩られていた。

 小さな体がより小さくなってしまったかのような、錯覚。

 

 今すぐ安心できる言葉を掛けてあげたい。

 俺が一言、何にも関わらないと言えばそれは可能だろう。

 そうすれば、アイラとの平穏な生活が続いていく。

 ずっと。

 …………。

 本当に?

 本当にずっと続くと言い切れるのか?

 ずっとなんてこの世には無い。

 寧ろ俺が何かしないことで、悪い結果になってしまうのではないか?

 平穏が、突然終わってしまうのではないか?

 こっちから行かなくても、向こうから潰しに掛かってくるかもしれない。

 

 どっちにしろ、アイラに何を言われようと、俺はやめるつもりなど毛頭ないが。

 もしやめてしまったら、今までの俺はなんだったんだ?

 鍛錬も何も、意味が無くなってしまう。

 そんなこととは関係なく、俺はただ救いたいだけだけれど。

 人の命を、救いたい。

 それは、悪いことなのか?

 違う。断じて違う。

 それが間違っているのなら、俺はそんな論理絶対に認めない。

 やる。やり通す。

 救いたい。その思いを、曲げたくない。

 

「俺は、絶対にやめないよ」

「和希さん…………」

 俯いたまま、落胆したような吐息。

「でも――」

「……?」

 アイラが顔を上げる。

「必ず、帰ってくる」

 藍色の瞳をしっかりと見て、俺は言葉をぶつけた。

「これだけは、約束する」

 アイラの瞳が、揺れる。

 迷う。惑う。

 沈黙が、しばらく続き。

 俺はその間、ずっとアイラの、澄んだ藍の瞳を見つめていた。 

 やがて。

「……信じて、いいんですか?」

「ああ」

「絶対に、戻って来て下さいよ?」

「ああ」

「帰ってこない時があったら、泣いちゃいますからね?」

「ああ」

「毎日、何も言ってくれない石の前で、泣いちゃいますからね……」

「ああ」

「もう一度、言ってください……帰ってくるって」

「絶対に帰ってくる。いつも、必ず、何時(いつ)だって、アイラの元に」

「…………はい」

 アイラは、頷いてくれた。

 俺はその頭に手をポンと乗せ、撫でる。

 頬を染め、目を細めて気持ちよさそうなアイラ。

 まるで猫か何かのよう。

 

「さて、俺、アイラの淹れてくれる紅茶が飲みてえな」

 なんだか今は、無性に飲みたい。

「なら、家に帰りましょうか」

 アイラはそう言って、微笑みを見せてくれた。

 そうして、二人してベンチから立ち上がり、俺たちの家へと歩き出す。

 

 陽は、もうすぐオレンジ色へと変わるだろう。

 そう、あのマンイーターの右眼と、同じ色彩に。 

 

 

 

 すっかり外が暗くなった夜。20時頃。

 夕方前に家に帰って紅茶を飲んでからは、リビングでアイラとのんびりしていた。

 俺はソファから立ち上がる。

「それじゃあアイラ、俺ちょっと出かけてくるわ」

 アイラはこちらに笑みを向けて、言った。

「はい。あまり無理しないでくださいね。何をしに行くかは詳しくは聞きません。でも、約束は絶対に守ってくださいね」

「ああ、わかってる」

 俺は頷き、足を踏み出す。

 リビングを出、二階に寄って木の短刀を懐に忍ばせる。

 これだけで、準備は完了する。

 あとは、心意気次第。

 一階に下り、玄関から出る。

 

 今日も暗い夜を白い丸が照らしている。

 そこに白い粒が点々と在って、もう明るくていいのではないかと思う。

 けれど暗い夜道はそれを拒絶し、静かな街路を築いている。

 俺はその道を歩き出す。

 何時(いつ)会えるかも分からない、救うべき敵を止める為に。

 ただただ愚直に、思いを全うするために。

 

 

 歩き、歩き、歩いた。

 だが一向にマンイーターの姿は見かけない。

 よく考えなくても分かることだ。この町は別に狭い訳ではない。

 遭遇率はどれくらいかは知れないが、会おうと思ってどこにいるかも分からない他人にすぐ会えるほど人が少なくもない。

 その上、外にいるかどうかも判っていない。

 20時に出たのは、二日前にマンイーターを見つけた時の時間帯だったからだが、安直過ぎただろうか。

 こんなのでよく自信満々に出かけられたものだとは自分でも思うが、探さなければ出会う可能性すらも消えてしまう。

 あの時偶然にも見つけ出す事が出来たんだ。だから次も必ず見つけ出せるとまでは言わないが、どこかで会える確率はそう低くない筈。

 俺はただ目的を胸に、前に進めばいいだけだ。

 今日会えなくても、明日。明日会えなくとも、そのまた明日。

 歩き、探し続ければいい話だ。

 何度も、何度でも。

 俺は、救う者なのだから。

 

 

 さらに歩いた。

 路地裏も何度も通った。

 今日も見つからないか?

 そう都合よくはいってくれないか?

 今日はもう、帰るべきだろうか。

 睡眠を十分に取り明日に備えることも重要だ。

 しかし、全ての場所を探せたわけではない。

 まだ行ってないところはある。

 少し遠いが、足を延ばすべきだろうか。

 どうするべきか。

 夜の空を見る。

 まだまだ夜は長く、町を覆っている暗闇。

 周りは静寂のみが支配し、葉擦れの音さえ聞こえそうだ。

 

 ドクンッ――――二日前の夜と同じ、得体の知れない脈動が襲った。

 

 そんなにも静かだったからなのか。

 ただ大きな音だったからなのか。

 なにか、この夜に相応しくない音が、

 いや、これ以上ないくらいに相応しい音が、聞こえた気がした。

 

 ――石が砕けるような音。

 ――悲鳴。

 ――狂気じみた踊り狂うような足音。

 

 明らかな、異常。

 常時なら聞かないだろう旋律。

 断続的に鳴り響いている。

 

 俺は即座に決断し、走り出す。

 この音が聞こえる先に行けば、もう戻れない。

 踏み越えた先は、何が在るのかも分からない。

 それでも、俺は行く。

 後悔するかもしれないなど、考えない。

 どちらにしろ、後悔はするかもしれないのだから。

 結局何を選んだって、後悔するときはするのだ。

 だったら俺は、やりたいようにやる。

 

 道の先。

 街灯が寂しく照らす道を走り抜いて。

 角を曲がった。

 

 瞬間。視界に入る光景。

 真っ先に捉えるは、必死の形相で此方(こちら)へと走ってくるスーツを着た会社員だろう男性。

 そして、その後方。

 右眼を煌々(こうこう)とオレンジ色に輝かせ、自身の右腕を大口の化け物へと変貌させた男。

 マンイーター。

 俺が止めるべき相手。

 殺さず、救うべき敵。

 だが今は。

 

「助けてくれえええええ!」

 角から飛び出してきた俺を見て、助けを求めた人を救うのが最優先だ。

 懐から木の短刀を抜き出す。

 

「『喰ラエ』」

 マンイーターが何かを呟いたように見えた。

 直後。

 右のオレンジ色の眼が、輝きを強めた。

 刹那。

 マンイーターの右腕、四肢も貌も無い獣。

 急速に、蠢動(しゅんどう)

 後、伸びた。

 勢いに乗り、加速し伸びる黒き獣。

 走る男の背に迫る。

 

 だが、俺とその男の人は走りながら擦れ違う。

 すぐに迫り来る獣の大口。

 木の短刀で迎え撃つ。

 大口の横に叩き付けた。

 

 重い。

 木刀程度で正面から受けるのは不可能。

 だから逸らそうと思い横に叩き付けた。

 だというのに、凄まじい重さ。     

 剣道場で竹刀を打ち合わせたことはある。

 されど、この重みは体験したことのない別格。

 容易く人の命を奪うことを可能とする一撃。

 一歩(たが)えば死という精神負荷の重み。

 

 完全には逸らせなかった。

 化け物の下顎が左肩に激突する。

 吹き飛ばされた。

 転がる。勢いに乗って即座に立ち上がった。

 長年の鍛錬の成果だ。だが、『本物』とやり合うのはこれが初。

 

 間髪入れず、さらに伸びた右腕の獣が俺ごと逃げていた男性に打ち付けられた。

 二人して硬いコンクリートの塀に叩き付けられる。

 その拍子に肺から息が吐き出された。

 左肩も背中も酷く痛む。

 そのままずり落ちるように倒れる。

 

「クワ……セロ……」

 マンイーターが、言葉を発した。

 しゃがれた、老人のような声音。

 しかし奴は、どう見たところで十代止まりの容姿。

 衰弱しているような、深淵に足を引っ掛けた声音。

 こちらの方が正しいだろう。

 どう受け取ったところで、発した言葉の内容は終わっているが。

 

 再び右腕の獣が蠢動。加速。

 俺と同じく倒れていた男の人に向かって、飛び掛かった。

「待て!」

 俺の言葉は、空しく響いた。

 無理矢理身体を起こして立ち上がるが、遅い。

 遅すぎる。

 何もかも、緩慢だ。

 

 黒き獣の大口は、男性の上半身に喰らい付き、引っ張った。

 伸びていた右腕が、巻き尺を収納するように短くなっていく。

 その勢いでさらに加速し、マンイーターの前に男性は為す術なく引き寄せられた。

 

「イタダキマス」

 決定的な言葉と共に、黒き獣の牙が合わせられた。

 肉が潰れる音。くぐもった悲鳴。

 もがく下半身。

 溢れる鮮血。

 命が、零れていく。

 

「やめろおぉっ!」

 走り出す。

 殺すな!

 殺すな!

 誰も殺すな! 死なせるな!

 

 (おぞ)ましい咀嚼音。

 骨が砕ける音。

 悲鳴はもう聞こえない。

 下半身は力無く弛緩している。

 大量の赤は、終わってしまっていることを如実に知らせてくる。

 

 ――くそ。

 くそ! くそ! くそっ!

 こんなにも簡単に、死ぬ。

 あっさりと、人は死ぬ。

 ふざけた世界。

 理不尽なこの世。

 俺は最初から、躓いてしまった。

 救えなかった。

 すべてを救う者は、最初の一人さえ救えなかった。

 

 …………認めない。

 認めない。認めない。認めない。

 俺はすべてを救う者だ。

 まだ誰も救えない訳じゃない。

 まだ救える。

 救える人を救え。

 今、救える人を。

 なにも、終わってなどいない。

 俺は、救いを為す。

 それだけだ。

 

 マンイーターに肉薄する。

 右腕の獣が振るわれた。

 上から振り下ろされる黒き重量。

 咄嗟に木の短刀を楯にする。

 木が割れる音が響き、罅割れは瞬時に全体に広がる。

 一瞬で木刀は砕けた。

 破片が顔に降り注ぐ。

 勢いは殺せず地に叩き付けられる。 

「がっ……」

 背中が地面のコンクリートに叩き付けられ、呻きが漏れた。

「ちょっと邪魔しないでくれないかな。あとで食ベテアゲルカラサア!」

 右腕の獣は咀嚼し続ける。

 絶命した男性の肉片を味わい尽くしている。

 なぜ、人を食う。

 マンイーターも人間の筈だろう。

 真白はそう言っていたのに。

 人が人を食うなど、あってはならない。

 食人嗜好? ナンセンスだ。 

 

 あの右腕が悪いのか。

 あの化け物がこの人をオカシクしたのか?

 狂わせた?

 違う?

 分からない。

 なにが悪いのか、分からない。

 とにかく、救う。

 

「生憎だが俺はまずいぞ」

 立ち上がる。

 もう武器はない。

「それは食べてから決めるさ」

「トライアンドエラーは大事だが場合によるぜ」

「僕は食べるだけさ」

「食われてやるかよ」

 

 男性の死体が獣の口から放り出される。鈍い音を立てながら無造作に転がった。

「お前! 人をなんだと!」

 人には、尊厳ってもんがあんだろうが!

 人として、可笑しく思わないのかよ!

 なぜ、傷付けるんだ。

 

 全身を食べ尽す気すらないらしい。

 そういえば今までの犠牲者も死体が残ったまま発見されている。

 まるで鼠だ。

 

「『喰ラエ』」

 言の葉が紡がれた。

 マンイーターのオレンジ色に輝く右眼が、さらに輝きを増す。

 右腕の獣が蠢動。加速。

 此方(こちら)へ向かって、撃ち出されるように伸びた。

 

 横に跳ぶ。

 一瞬後。狂った獣が真横を通過し、風圧が襲う。

 着地し、体勢をすぐに整える。

 そのまま走り、マンイーターに接近する。

 武器など無くとも、人間を無効化する手段ぐらいある。

 首を絞め落とすなり、顎を殴って脳震盪(のうしんとう)を起こさせるなり色々と。

 諦める訳にはいかない。まだ勝てない事はない。

 いや、勝てる。

 この俺が勝てない筈がない。

 だって俺だぞ?

 俺様だ。

 死んでやるかよこの野郎。

 俺はすべてを救う者。

 アイラに、絶対帰ると、約束したんだ。

 

 拳を固めた。

 マンイーターに肉薄した。

 オレンジの右眼と、俺の平凡な黒の目が合う。

 禍々しい光。

 オレンジ色なのに、そんな印象を持った。

 だが。

 マンイーターの左眼は、虚ろな黒瞳に見える。

 この目は、ただの殺人鬼とは違う何かが在るような気がした。

 拳を振りかぶる。

 

 瞬間。

 怖気が奔った。

 悪寒が襲う。

 予感は焦燥。

 警鐘は痛いほど。

 

 即座に素早く、後ろを振り返った。

 迫る狂獣。

 右腕の獣は鋭角に曲がり、背に襲い来る。

 機動力が予想以上。

 蛇と見紛う軟体。

 

 回避するため、身体を強引に捻った。

 狂獣が身体に掠り、弾き飛ばされる。

「ぐぅっ……」

 地面に受け身も取れずに叩き付けられ、転がる。

 

 間髪入れず振りかぶられる異形の右腕。

 開かれた獣の口腔は、絶対の捕食者。

 口内は何の色も存在し得ない深淵の闇。されどエストックの様な白き牙は、鮮血の赤に彩られている。

 俺を食い殺す為に、放たれた。

 

 おいおい。

 瞬時に悟った。

 避けられない。

 マジか。

 マジじゃない。

 こんなもの認めるかよ。

 俺はこんなところで死ねないんだよ。

 死んでやる訳にはいかないんだ。

 俺は死なない。

 為せる。

 為せないなんてありえない。

 

 すべてを救う者は、初めての化け物人間との戦いで死にました。

 

 そんなの、滑稽すぎるだろ。

 嘲笑すら貰う。

 俺はそんなものいらない。

 救うんだ。

 この目の前の、どうしようもなく終わってる人さえ、救うんだ。

 

 確かにやれないときはやれない。

 どんなに強い者も、死ぬときはあっけなく死ぬ。

 それはわかっている。

 だけど、俺はやるんだ。やれるんだ。

 初めから諦めてて、後ろ向きな思考で、何がやれるっていうんだ。

 だから俺は生きるぞ。

 ここを切り抜けて、絶対に為すんだ。

 アイラの元に、帰るんだ。

 成し遂げた後の、凱旋だ。

 それまで、死ぬわけにはいかないんだ。

 

 避けろ。

 動け。

 跳べ。

 この程度の攻撃、対処しろ。

 俺に出来ないことはないんだろ。だったらやれよ。

 動けよ身体。

 なんでだよ。

 思考だけが無意味に流転する。

 走馬灯のように一瞬で思考が流れて行くだけ。

 それだけで、何もやれない。

 避けれない。

 この一撃を、耐えるしかないのか。

 耐えれるのか。

 喰い殺されて終わりなのでは。

 俺の体は鋼鉄ではない。

 柔らかい人間の肉だ。

 あの牙に捉えられたら最後、終わりだ。

 助からない。

 助かるわけがない。

 ならば避けろ。

 無理だ。

 

 ……………………。

 詰み。

 人生の終着点。

 そんなわけないだろ。

 ふざけるのも対外にしろ。

 俺はここを切り抜けて、帰る。

 そして、アイラに笑顔で迎えてもらう。

 それが必然。

 それが当たり前。

 それ以外ありえない。

 ありえてはいけない。

 

 されど、想いなど関係なく。

 捕食の牙は、俺へ突き立てられようとしていた。

 あと一秒もしない内に、俺は完全に致命的な一撃を貰う。

 それが抗い得ない現実だった。

 

 

『護り為す白き羽』(ティアティス)!」

 

 

 声。

 叫ぶ声。

 聞こえた。

 誰の声?

 聞いたことがある気がする。

 いや、確実に聞いたことがある。

 

 羽だ。

 純白の羽が、視界に割り込んできた。

 俺の目の前に。

 どこからともなく、飛来したんだ。

 

 

 



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7話 あなたの罪科は傲慢

 

 

 楯のように重なった、無数の羽。

 宙に浮いていることから、ただの羽ではないことは一目瞭然。

 それとは別に、淡く白く発光する羽は、神聖な現象だと本能で理解する。

 

 マンイーターの右腕、その黒き獣が白き羽の楯へと、牙を突き立てた。

 衝突。

 金属に刃物を叩き付けたような甲高い音が鳴り響き、受け止められる。

 獣は弾かれ、(たわ)んだ。

 その後、白き羽の楯は消滅した。

 

 たす、かった……。

 多分。

 いや、確実に。

 俺は傷を、今の一撃で一切負っていないのだから。

 未だ戸惑いは残るが、助かったことは――助けられたことは、事実。

 それを分かっているのなら、動ける。

 とにかく俺は、死んでいない。

 

 立ち上がりながら走り、マンイーターから距離を取る。

 だが、そう易々と離脱させてはくれない。

 追撃は、あった。

 

 振るわれる右腕。迫り来る黒き狂獣。

 俺は避けようと――

『護り為す白き羽』(ティアティス)

 再度、声。

 俺の背後に白羽の楯が飛ばされ、狂獣の一撃を防ぐ。

 獣は跳ね返り、楯は消滅。

 俺が距離を取るまでの時間は、それで稼がれた。

 

 そいつの隣に並び、マンイーターと対峙する。

「カズくん大丈夫?」

 助けてくれた真白が、聞いてくる。

 視線はマンイーターを見据えたまま油断することなく。

 その姿は、一目で変容していると分かった。

 真白の背に、翼が生えていたからだ。

 

 純白の一対の翼。

 天使を体現するかの如き、白一色の神聖。

 白一色に一点のヴァイオレット。真白の瞳。

 纏う雰囲気は神秘と神聖の狭間。

 

 素直に、綺麗だ、と思った。

 信心深い一般人が見れば、崇められてしまうのではないか。

 真白も、日常とは外れたものを持った者だという事を、確信した。

 純白の髪は、先の白き羽と翼と同じ色だな、と益体もないことを一瞬考える。

 本当に、天使のようだ。

 俺もマンイーターの動きを一挙手一投足見逃すまいと視線をやりながら。

「ああ。で、なんでこんなところに? っていう質問は野暮だろうな」

 真白は既に何かを知っている様子満載だったのだから。

「止めたよね、わたし」

「そうだな」

「なんで首突っ込んできてるの? さっきほんとに死んじゃいそうだったよ」

 少し怒気が滲んでいる。

「俺は手を引くなんて一言も言ってないけどな」

「でも――っ!」

 真白の言葉の途中。

 マンイーターが、動いた。

 

 振るわれ迫る、四肢無き狂獣。

 獲物に飛び掛かる捕食者の進行。

『護り為す白き羽』(ティアティス)

 神聖を漂わす何十もの白羽が、真白の背の翼から射出される。

 その羽が重なり、形状を象る。結晶状の楯と成った。

 一瞬で為した事象。

 

 宙で固定された白き楯。

 黒き狂獣の進行を妨げる。

 跳ね返り、攻撃は中断。後、楯の消滅。

「下がってて。話は後だよ」

 そう言って真白は俺の前へと出る。

 確かに真白の方が俺より強いだろう。

 俺は超常など行使できない。

 しかし、それが俺の何もせずに見ている理由にはならない。

「俺は手を引く気はないと、さっきも言ったはずだ」

「カズくん!?」

 真白の隣に並び立つ。

「だめ! お願いわたしに任せて」

 俺に縋りついてまで、嘆願して来た。

 その表情は、焦燥と不安。

 だが俺は。

 

 ――右腕の(かお)無き狂獣が、放たれる。

『護り為す白き羽』(ティアティス)

 翼から羽が射出。楯を生成。獣を防ぐ。

 少し、楯が軋んだ。

 されど、攻撃は止まった。

 ならば、今が隙だ。 

 俺はマンイーターに向かって走り出す。

「ばか! ばかばか! ほんとにバカなんだから!」

 後ろで真白が喚いているが、気にしない。

 俺はやる。

 真白がいる今なら、戦力が増えた状態。

 ならば、為せる確率は格段に上昇した。

 

 マンイーターの右腕が白き楯に弾かれる。同時。

 俺は奴の目の前まで肉薄していた。

 拳を振り抜く。

 顎を狙った一撃。

 しかし、空を切る。

 マンイーターは後ろに跳び、俺の拳を避けた。

 だが奴の着地と共に、続けて連撃を浴びせる。

 上段の、再度顎を狙った蹴り。

 左腕に防がれた。

 しかしダメージは与えられたようで、マンイーターは呻く。

 こいつの左腕は、ただの人間の左腕なのだから。

 骨が折れるほどの傷は与えられてはいないだろう。 

 けれど打撲ぐらいは行ったはずだ。

 奴の体はかなり細い方なのだから。

 人を貪り食っているのに、本人はガリガリ。

 栄養が行ってないなら、今すぐ人食いなどやめてしまえ。

 左の拳を放つ。

 再度左腕に防がれ、今度は呻かなかった。 

 顔に余裕が戻って来ている。

 何故。

 視界の隅に映った。

 

 瞬時に右腕の獣が最初の長さに戻されていく。

 巻き尺のように戻ると、

 俺が次に放っていた右拳に合わせて、獣の大口を自身の間に滑り込ませてきた。

 

「――っ」 

 背筋が氷を()め込まれたように氷点下へと突き落とされた。

 不味(まず)い。

 拳の勢いは止められない。

 自ら捕食者の口腔へと向かって進んで行く。

 

 飛来する白き羽。

 拳と大口の間に、割り込んだ。

 拳と獣が楯へと激突し、

 金属板を殴ったかのような衝撃と痛みが襲う。

 お互い跳ね返り、楯は消滅。

 

 手は赤くなり痛い。

 だが、助かった。

 マンイーターの右腕の小回りが利く今、このまま畳みかけても不利。

 奴を視界に入れながら走り、少し距離を取る。

 

 どう攻めれば奴を(くだ)せる?

 また真白に隙を作り出してもらうしかないか?

 それが安定策かもしれない。

 しかし頼りきりは駄目だ。

 念頭には置くが、自分で打ち勝つ手段を考え続けろ。

 本能のままではなく、考え続けて戦ってこそ上を行く相手に勝つ道が(ひら)けるのだ。

 ――前言撤回。

 寧ろ考えない方がいいのか?

 下手に考えたところで隙を生じさせてしまうだけだろうか。

 どちらが正しい。

 思考は流転。

 

『貫きを為す攻性の羽』(ティアティス)

 真白の声。刹那の後。

 純白の翼から、鋭く尖った羽が放たれる。

 数は、数十ほど。

 穿ち貫こうと翔ける。

 

 マンイーターの、目つきが変わった。

「『喰らい尽くせ』」

 文言を囁き、後。

 オレンジ色の右眼が、煌々と輝きを増した。

 先より数段、禍々しき光が強い。

 単に光量が上がっただけではないことは確実。

 

 振るわれた右腕は、先と同じ様に伸びる。

 右腕の獣をUターンさせるように横に展開、鋭い羽根を防御。

 白き羽は、獣を貫くことはなかった。

 刺さってはいる。

 が、針が刺さった程度の傷だ。

 

 刹那。

 黒き獣が蠢動。再度、伸びた。

 俺へ向けて。

 

「くっ……!」

 横に跳ぶ。

 間に合わない、か!?

 

『護り為す白き羽』(ティアティス)

 俺の前に飛来し、成る楯。

 獣が白き楯に激突し、跳ね返り、撓む。

 これで、一旦この攻防は終わるはずだった。

 今までならば。

 

 蠢動。加速。

 勢いを瞬時に取り戻し、捕食者が飛び掛かるが如く伸びて行く右腕。

 今度は、真白に。

 

 すぐに真白は自らの前へと白き羽の楯を創り出した。

 しかし。

 その楯へ、獣が正面からぶつかることはなかった。

 

 真白の横を素通りする黒き獣。

 そのまま、真白を中心に円を描く様に伸び、包囲。

 まるで蛇が蜷局(とぐろ)を巻くかの如く。

 そして、強く、一気に真白の華奢な体へと巻き付いた。

 

「あっ……がっ……んっ……――~~~~~~~~っ!!」

 真白の苦しみの喘ぎ。

 不味い。

 ギシギシと締め付ける獣は、獲物を確実に捕らえた獰猛な捕食者。

 このままでは真白の骨は折れてしまう。

 いや、それだけでは済まない。

 見て判断。あと数十秒もすれば全身粉砕骨折。

 肉が無残に潰されて死に至るだろう。

 翼も一緒くたに巻き付かれているため、あの白き羽も使えない。

 使えたらすでに使っているはずだから。

 いや、まて、本来ならこんな猶予(ゆうよ)さえなかったのではないか。

 普通の人間なら数十秒と持たず、肉を潰され骨を砕かれるのではないか。

 もしかしたら、真白の翼が体を包み護ってくれているからすぐに潰されずに済んでいるのかもしれない。

 あの翼は、普通の翼ではないのだろうから。

 どちらにしろ、短い猶予だ。

 急がなければ、終わる。 

 

「ふざけるな! やめろ!」

 やめろと言われてやめる奴はそう居ない。

 解っていても、叫んでしまった。

 口を動かすだけでは何にもならない。

 それも解っていたから、マンイーターに向かって走っていた。

 

 肉薄し、殴り掛かる。

 マンイーターは跳び下がると共に、真白に巻き付いたままの右腕を振り上げた。

「邪魔しないでくれない、かな!」

 その表情は、狂気に歪んでいた。

 獰猛な笑みに、オレンジの右眼が禍々しさを引き立てている。

 咄嗟に、身を投げ出すように横に転がる。

 

 振り下ろされる莫大質量の右腕。

 石材が砕ける破砕音。

 コンクリートの地面が、粉砕された。

 その破片が俺の体に降りかかる。

 巻き付かれていた真白にも、衝撃は直に伝わる。

「あ゛っっ! ぐっ……ごほっ、げほっ……!」

 痛みに呻き、咳き込む。

 

 やめろ。

 真白が傷付く姿が、目に焼き付く。

 やめろ。

 遠い、何かが、刺激される。

 やめろ。

 脳裏に、微かに浮かんだ光景。

 

 赤の海。

 むせ返るような(いや)な臭い。

 倒れている、誰か。

 なん……だ……?

 だれ……だ……?

 

 そんなこと、今はどうでもいい。

 真白を、助けなければ。

 ――どうやって?

 

 マンイーターを倒せばいい。

 無力化すればいい。

 意識を奪えばいい。

 

 (たお)してはいけない。

 真白を助けて、敵も殺さない。

 綺麗事上等だ。

 

 立ち上がり、再度マンイーターに殴り掛かる。

 と見せかけて、上段の蹴りを放った。

 しかし、フェイントなど意味を成さず。

 横に跳んで避けられた。

 

 振り抜かれる右腕の獣。

 鞭の様に迫る。

 蹴りの後の硬直。

 避けられず、直撃する。

 衝撃が全身を襲い。

 叩き飛ばされた。

 塀に叩き付けられ、無様に崩れ落ちる。

 何とか骨は、折れていない。

 受け身を上手くとったおかげか、真白を巻き付けている分、横の攻撃は距離を稼がなければ自重で威力が落ちているのか。

 そんなこと、どちらでもいいが。 

 

 早くしなくては、真白が死んでしまう。

 だが、打開の道が見出せない。

 今みたいに突っ込んでも、真白を拘束したまま右腕を使える奴には直ぐに勝てない。

 されど早くしなくてはいけない。

 

「ちく、しょう…………」

 救わないと。

 護らないと。

 助けないと。

 ここでなにも守れなかったら、俺の今まではどうなる。

 絶対に殺させてたまるか。誰も死なせない。

 

 でなければ、俺はまた。

「――――っ!」

 ――――――――――。

 

 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――。

  

 ドクンッ――。

 得体の知れない脈動。

 マンイーターに初遭遇した夜、そして、現在の戦闘が始まる前にも感じた、鼓動。

 ドクンッ――――。

 脈動が、強く、速くなっていく。

 ドクンッ――――――。

 脈絡のない突然の異常。

 どくんっ。ドクンッ。

 戸惑う暇も無く。

 どくんっ。ドクンッ。どくんっ。ドクンッ。どくんっ。ドクンッ。どくんっ。ドクンッ。どくんっ。ドクンッ。どくんっ。ドクンッ。どくんっ。ドクンッ。どくんっ。ドクンッ。どくんっ。ドクンッ。どくんっ。ドクンッ。どくんっ。ドクンッ。どくんっ。ドクンッ。どくんっ。ドクンッ。どくんっ。ドクンッ。どくんっ。ドクンッ。

 

 ――――ドクンッ――――

 

 何かが、変質した。

 

 魂。本質。変動。

 魔の()、創造。

 異別(いべつ)、発現。

 

 大罪戦争(たいざいせんそう)への強制参加資格を取得。

 あなたの罪科(ざいか)は、傲慢(ごうまん)

 罪科に対応せし魔眼、完全譲渡。

 

 逃走は不可。

 闘争を推奨。

 血に狂え。

 戦え。

 殺せ。

 すべては願いの為に、望みの為に。

 血で血を洗う宴を彩れ。大罪者よ。

 殺し合いの、幕開けだ。

 

 戦え。

 殺せ。

 闘争。殺人。闘争。殺人。闘争。殺人。闘争。殺人。闘争。殺人。闘争。殺人。闘争。殺人。闘争。殺人。闘争。殺人。闘争。殺人。闘争。殺人。闘争。殺人。

 

 ――期待している。

 

 

 俺は立ち上がる。

 頭に、魂に流れ込んでくる詠唱を、紡ぐ。

「『総ての救済を望む傲慢な愚者よ、殺戮し、終わりの(ことわり)へと導け』」

 受け入れがたい、絶対に受け入れてはならない言の葉。

 だが今は、この力が必須。

 救う為には、何でも使え。

 

 自らの左眼。

 翡翠色(ひすいいろ)に変色。

 右手には、何時の間にか、当然のように、

 翡翠色の短剣が握られていた。

 柄、(つば)、刀身、全てが翡翠色に彩られた超常。

 

 殺戮終理(さつりくついり)の魔眼。

 

 それがこの異常を為した力の名。

 総てを救いたいと思う者が手にした、殺す為の力。

 

 

 走る。

 マンイーターと目を合わせた。

【ロックオン】

 死の概念。目を合わせた対象。

 カチリと(くさび)()め込まれる感覚。

 死の楔。前段階。

 

 真白を締め付けている右腕へと肉薄し、

 翡翠色の短剣を突き立てた。

 刀身が三分の一ほど刺さり食い込む。

 後は、魔眼の固有能力を発動させるだけ。

 それだけで、いい。

 それだけで、終わる。

 

 ――――。

 だが、それでいいのか。

 殺せない。殺したくない。

 殺さずに倒して、真白を助ける。

 二人とも救う。

 殺さない。死なせない。

 

 されど、敵を殺さなければ真白は殺される。

 この力を使う以外に今直ぐ拘束から逃れさせる術はないのだから。

 殺さなければ、真白が死ぬ。

 殺したら、真白は確実に助かる。

 迷っている暇はない。

 迷って時間を無駄に浪費すれば、真白は死ぬ。

 どちらも救えない。

 ならば最悪の結果になってしまう前に終わらせるべきだ。

 そんな訳はない。

 俺はすべてを救う者だ。

 殺して解決など馬鹿げている。

 殺人は、してはいけないこと。間違ったことなんだ。子供でも知ってることだろ。

 でも他に手は? 敵を殺さずに今直ぐ真白を助ける事が可能な奇跡的な一手は?

 そんなもの、ない。

 

「んんぅっ……あぁぁ……」

 ほら、真白が苦しんでるだろ。

 骨が、肉が、軋む音聞こえるだろ。

 このまま砕かれて潰されて死んでしまうんだよ、ぐちゃぐちゃに。

 嫌だろ?

 絶対に避けたい出来事だろ?

 だったら殺せよ。

 殺さないと失うぞ。

 

 また。

 

 ――――。

 殺すしか、ないのか。

 

「――っ!」

 マンイーターの右腕が巻き尺のように戻っていく。

 俺はその反動で弾かれた。短剣も抜ける。

 真白は拘束から解放され、地面に投げ出される。

「がほっごほっげほっ……!」

 咳き込んでいる。

 生きている。

 死んでいない。

 何故やつは拘束を解いた?

 

 マンイーターは、俺を睨んでいた。

 最大限の警戒の瞳で、油断なく身構えていた。

 

 ああ、そうか。

 俺、力を発動してしまおうかと思ってしまったしな。

 能力が分からなくとも、危機を察知したのか。

 同じような力を持つ者同士、だからか。

 俺も感じるよ。

 その忌々しく禍々しい力を。

 本質は右腕や短剣じゃない。オレンジ色や翡翠色の、魔眼だ。

 

 でも、そのおかげで誰も死なせずに済んだ。

 よかった。

 よかった?

 本当に?

 

「ここは不利か」

 マンイーターが呟く。

 後ろへと跳び下がっていく。

 退いていく。

 

『貫きを為す攻性の羽』(ティアティス)」  

 鋭い羽根が純白の翼から放たれる。

「『喰らえ』」

 黒き獣の右腕を伸ばし、横に振るう。

 白き羽は右腕に刺さり、防御された。

 

 真白は攻撃の後、前のめりに倒れ込む。

 マンイーターは走り出し、逃げていく。

 

 真白が心配だ。しかしマンイーターをここで逃がすのか。

 二つの行動。

 どちらを選ぶかなんて、決まっていた。

 

 傷付き倒れているクラスメイトに、走り寄った。

 翡翠の短剣は意識するだけで消えた。左眼も元の黒へと戻る。

「大丈夫か。おい」

 手を貸そうとするが真白はそれを制し、何とか自力で身体を起こした。

「大、丈夫だよ……ちょっと待っててね……」

 そう言って息を深く吸って吐いた後。

『包み癒す擁の翼』(ティアティス)

 自らの白き翼が真白を労わるように包み、発光する。

 真白の表情が少しずつ楽になっていく。

 やがて光が治まると、翼の抱擁は解かれる。

 傍から見たらどれくらい怪我が癒えたのか分からない。

 締め付けを食らって負った怪我だから、表面では分かり難いのだ。

 それでも、完全には治ってないし、楽にもなっていないことは察せた。

 表情が、無理に元気を装っていたのだから。 

「うん、これで大丈夫! カズくんも、もうちょっと近づいて」

 俺には空元気に見える笑顔でそう促してきた。

 言われた通りに近づく。

 

「カズくん、言ったのはわたしだけど近すぎるよ……」

 密着するほど迫ってみたが頬を染められ制された。

 微妙なユーモアに心安らげばいい。

 手が繋げるほどの距離に退く。

『包み癒す擁の翼』(ティアティス)

 俺の身体に白き翼が手を添えるように接触。再び発光しだした。

 倦怠感が和らいだ。打撲の痛みが薄らいでいく。

 光が消え、翼も霧散する。

「とりあえずの傷は問題ないと思う。自然治癒力も少し高めたから一晩寝れば明日には元通りだよ」

「そうか、ありがとな」

 真白は笑みを見せる。

 数秒の間。

 

「カズくんを異別者(いべつしゃ)だって思ったの、少し違うけど間違ってなかったみたいだね……あの時は兆しぐらいだったから……」

 転入して来た日、屋上で訊かれた事を言ってるのだろう。

「もうこうなったら、止める止めないの問題じゃないね。完全に関わっちゃってる」

 暗い顔なんかするな。

「元より俺が望んだ事だ。お前が気負うのは筋違いだぞ」

 最初から全力で巻き込まれに行っていた俺に悲しまれる余地などないのだから。

「そうなのかな…………」

「そうだ」

 断言。

 

「……とりあえず、巻き込まれちゃったなら無関係ではいられないし、協力関係、結んでくれる……?」

 真白が小首を傾げると白く綺麗な髪がサラサラと流れる。

 不安と期待を乗せた夜明け色の瞳。

「ああ、問題ない」

 迷う必要など無かった。

 こいつはいいやつだ。ほんの少しの時間しか共にしていないが、俺はそう思った。

 だから、俺一人で戦っていけなくもないが、一緒に戦ってくれる者がいるのなら、それでもいい。

 目的は、きっと同じようなものなのだろうから。

 真白は空元気でもない、心からの笑顔を浮かべ、

「ありがとう。これからよろしくねっ。よかった……」

 最後にポツリと零した一言は、声量が極小だった。

 一応聞こえはしたが。

 安心してくれたのなら、それでいい。

「ああ、よろしくな」

 真白が手を差し出してきたので、俺も差し出し、手を握る。

 その白く小さな手は柔らかく、力を込めれば折れてしまいそうなくらい華奢だった。

 血生臭い戦いには、酷く不釣り合いだ。

 デザートでもつまんでいるのが似合う、か弱い女の子の手そのものだ。

 なぜこんな荒事に関わっているんだ。

 聞かないけどな。

 手を放す。

 

「じゃあ、今日はもう遅いから明日色々話すね。寝て体力回復しないと」

「明日は日曜だぞ。場所と時間は? というか連絡先――は携帯持ってきてねえな」

 もし戦闘するのなら邪魔になると思い置いてきた。

「なら連絡先は明日交換しよう。お昼の3時くらいに駅前でいいかな?」

「ああ、構わない」

 俺は朝からでもいいが、真白にも色々あるだろう。

「また明日。おやすみなさい」

「また明日」

 別方向へと俺たちは帰路を辿り出した。

 

 今回の戦闘は、何とか乗り切った。

 敵は逃がしてしまったけれど。

 もっと良いやり方があったのではないかと思う。

 説得の言葉を投げかければ少しでも違っていただろうか。

 そんなこと頭からすっぽ抜けていた。

 目の前で人が殺されて頭に血が上っていたのもある。

 勝手に説得の余地はないと選択肢から切り捨てていた。気絶させて無力化するしかないと。 

 次からは気を付けよう。

 そう、次があるんだ。

 まだ、取り戻せる。

 俺たちは、生きているのだから。

 生きているのなら、また次がある。

 真白という協力者も出来た。

 俺は救いを、諦めない。

 諦めたく、ない。

 

 

 

 家に帰り着いて玄関を開け、少し廊下を歩きリビングに入ると、アイラがいた。

「ただいま」

「おかえりなさいっ」

 アイラは満面の笑みで迎えてくれた。

 絶対に帰るという約束は、とりあえずのところ今日は果たされたのだった。

 

 

 

 

 

 …………。

 ……………………。

 ………………………………。

 

 

 

 

 

「うぼごっえ゛え゛え゛え゛え゛え゛ぇぇぇっっ!」

 深夜。

 自宅のトイレ。

 便器に覆いかぶさり吐く。

 吐く。

 吐く。

 吐く。

 胃に在る物が根こそぎ戻される。

 グロテスクな固形物がドロドロと流れ落ちる。

 味覚が酸っぱさで満たされた。

 気持ち悪い。

 不快感が全身に虫が這うように蝕む。

 

 救えなかった。

 救えなかった。

 死んだ。

 目の前で。

 助けられなかった!

 救えなかった!

 もっと上手くやれたはずだ!

 やれたはずなんだ!

 ちくしょう。

 ちくしょうっ!

 また死んだ。

 死ぬんだ人は。

 いなくなるんだ人は。

 簡単に。

 何かしないと。

 何かしても。

 

 救えなかった救えなかった救えなかった救えなかった救えなかった救えなかった救えなかった救えなかった救えなかった救えなかった救えなかった救えなかった救えなかった救えなかった救えなかった救えなかった救えなかった救えなかった救えなかった救えなかった救えなかった救えなかった救えなかった救えなかった救えなかった――

 

「うげっぼっえ゛え゛え゛え゛え゛ぇぇぅっ」

 

 ――失いたくない。

 

 

 




マンイーター、罪科は暴食。
暴食の罪科異別は『狂獣顎腕(きょうじゅうがわん)の魔眼』
瞳がオレンジ色に輝く。
右腕が、世に存在するどのような獣よりも恐ろしい外見の獣の顎と成り、質量が増加。
伸縮は魔力消費により、魔力が続く限り可能。
その顎は強靭。


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8話 説明、中二ごっこ

 

 6月7日日曜日

 

 

「おいしーっ!」

 シュークリームにかぶりついてご満悦な真白。

「クリーム」

 自分の口の端を指さしながら俺は言う。

「あっ。ありがとっ」

 ペロリと、口の端に子供みたいに付けていたクリームを舐めとる女子高生。

 真白の前には、何個ものシュークリームが所狭しと並べられている。

 

 俺たちは15時に駅前で合流、その後連れてこられたのが、この今日限りデザートバイキングをやっている店だった。

 でなければこんな大量のデザートを高校生の所持金で食うにはきつい。

 現に俺もそれなりの数の甘味を目の前に並べている。

 

 話をするのに適当といえるのかいえないのか判断に迷う場所だ。

 真白は食べ放題が今日限りなら絶対食べておきたいと言い、俺も話をするのはどこでもよかったのでここに来たのだが。

 話しそっちのけで真白はシュークリームを貪っている。

 

「で、説明してくれるんだろ? 食ってばかりじゃ何しに来たのか分かんねえぞ」

 そう言いながらも俺もチョコパフェを一口スプーンで掬い口に入れる。

 チョコアイスのほのかな味わいとクリームの甘さが合わさってこれぞ、ザ・スイーツだ、といわんばかり。

 甘いものは良い。心を落ち着けてくれて、集中力が高まる。

 もしかするとそれが真白の狙いだったのか? 集中力を高めさせたところで話をして呑み込みを早くさせるという。 

 

「そう急かさない急かさない。これ食べてからね」

 そんなことを言ってシュークリームを頬張るこいつを見ていると、とてもそんな高度な思考を持ち合わせているとは思えない。

 だが俺は知っている、こいつはそんな馬鹿では決してないことを。

 昨日の夜の出来事だけでもそれは簡単に解る。

 雰囲気からして違う。

 

 ……よし。

「あ、UFOが空に。マジでUFOだ。これ以上ないくらいにUFOだ。やべえよあれキャトられてえよ」

「え!? うそ!? ほんと!? どこどこ!?」

 窓の外を馬鹿丸出しな感じでキョロキョロとする真白。

 ふぅーー。

 なんかため息が漏れた。

「なあ」

「ん? なにかな」

 真白は窓から顔を離して向き直る。

「まあ、とりあえず今のは嘘なんだが――」

「嘘だったの!?」

「ああいいから、それもう終わった話だから」

 真白は不満そうに口を尖らせたが黙った。

 ということは最初からUFOなんて信じてなかったんじゃないのか。

 

「それはなんだ? キャラづくりなのか?」

 真白は一瞬硬直。

「なにが?」

 心底不思議だというような表情をしてすっとぼける。

「無駄に元気な所とか、お前そこまで実際アホじゃないだろ。あんな顔と声音で喋っておいて今更なんじゃねえかって」

 俺を止める為に必死だったり、戦闘中の目や顔つきを見た後だと、どうも違和感というか調子が狂う。

 いや、馬鹿でも必死になる状況かもしれなかったが。

 しかし雰囲気が、そんな風に思わせるものがあったのだ。

 

「少し違うかな。そんなんじゃないよ」

 きっぱりと断言。

 嘘ではない、のか?

「ならそれは素だと?」 

「そんなようなものだよ。最近本来のわたしを忘れがちだったような気がするんだよね。ここらへんでアイデンティティを取り戻しておかないとっ」

 再びシュークリームを頬張る。

 今までは切迫した状況だったからああだっただけで本来はこんな感じなのだろうか。

 まあ、どうでもいいことか。  

 

 真白が食べてからと言っていたシュークリームを食べ終わる。

「さあ説明するよこれでもかってぐらい説明するよ」

「それはいいんだが、まず俺も解った、というよりは知識が流れ込んできたことがあるんだが、どっちから話す?」

 昨日、能力が覚醒した時に押し付けられるように得た知識だ。

 ここまで非日常が続けばもはや驚きもない。

 

「ややこしくなってもあれだから、まずはわたしが基本的なことを説明してからでいいかな?」

「ああ、それでいい」

 

「う゛っうんっっ」

 姿勢を正した後、咳払いをする真白。

「まず、カズくんは異別者(いべつしゃ)なの? って訊いたことがあったけど、その異別者について」

 大体察しはついているがそのまま聞く。

「異別者は、異別(いべつ)っていう――簡単にいうと魔法とか超能力みたいなのを使える人のことを指すんだよ」

 異別を使う者だから異別者。この上なくシンプルな名称だ。

「それで、カズくんは異別者だね。多分マンイーターも異別者だと思う」

 俺も奴と同じ超常を手にした。

 けれど人を食いたいとか殺したいなどとは毛ほども思わない。

 なにゆえアイツは人を食うのだろう。

 

「わたしは異別者じゃなくて、天使なんだけどね」

「は?」

「は? ていわれても」

「でも、天使だぞ?」

 今まで荒唐無稽なこと続きで何が起きても「そういうもの」で片付いてしまうと思っていたが、御伽話とかで親しんだ想像上の存在が出てくると、思わず、は? とでも言いたくなってしまう。

 確かにまるで天使のようだとは思ったが、本当にそうだったとは。

 

「別にお話に出てくるような天使とは違って人間ではあるよ。ただ生まれた時からそういう存在ってだけで」

「そうか」

 良く分からんが人間ってことか。まあいい。

「とにかくマンイーターが人を殺して回っている以上、止めなくちゃいけない。そのためにわたしは天使の組織から派遣されてきたんだ。まず一通りはこれくらいでいいと思うけど、何か質問ある?」

「お前一人だけか? もっと人員を割いてくれなかったのかよ」

 人が死んでいる案件に一人だけとは、あまりにも少なすぎる。

「ちょっと他の事に駆り出されててね。天使は異別者と比べても圧倒的に人数少ないから戦闘要員はわたしぐらいしか来れる人居なかったんだよね。一応組織のサポートはあるけど、学校入れたのも組織のおかげだし」

「そうか、それで変な時期の転入ね……ド定番だな」

「?」

 頭に疑問符を浮かべたような表情で首を傾げる真白。

 その夜明け色の瞳は純粋だ。

「いや、なんでもない。組織組織言ってるが、その組織に正式名称はあるのか?」

「あるよ。わたしが所属する天使の組織の名前は『ヘヴンズ』っていうの。ついでにいうと異別者の組織もあるんだけどそれは『異別定保会』(いべつていほかい)って名前」

 俺はチョコケーキを自らの口へと誘導する。

 それを見て真白も再びシュークリームを頬張る。

「異別ってのには種類はあるのか?」

「異別は異別だけだよ。天使が使うのは天使術。違いは、異別が多種多様なものがある代わりに強いものも弱いものも使える能力も使えない能力もあるってことかな。天使術は防御と回復が主で、力を開放すると純白の翼が生えるのが特徴。まあ異別炉(いべつろ)から魔力を引き出してすごい力を使うって意味ではどっちも同じなんだけどね」

「異別炉?」

「うーん、ゲームで例えるなら異別炉はMPバーみたいなものかな。そしてそのバーに入ってるMPが魔力」

「なるほどわかりやすい」

 

 コーヒーを飲んだ。

 真白はジュースを飲む。

「一通りは解った。俺の方も話していいか?」

「うん、いいよ」

「まず、魔眼ってのは何だ?」

「魔眼は異別の一種だよ。誰でも持ってしまうことのあるイレギュラーって感じ。異別者でも天使でも、ごくまれだけど一般人でも発症したこともあるよ。まあ一般人で持っちゃったらその人はその時点で異別者なんだけど。カズくんはまさにそれだね。マンイーターも魔眼持ちだったけどカズくんと同じかどうかは見ただけじゃわからないかな」

 マンイーターの右眼はオレンジ色に、俺の左眼は翡翠色に変容する。

 それが魔眼か。

「魔眼の力はどれも強力なんだよ。マンイーターのあれを見たら分かるよね」

「まあな」

 伸縮する右腕の獣の姿が脳裏を過ぎる。

 そして、俺の能力の詳細を思い出す。

 …………。

 絶対に発動はさせたくない。

 

「大罪戦争とか罪科とか良く分からん知識も得てしまったんだが、挙句の果てに大罪者とか傲慢だとか言われたような」

 昨夜の、力が覚醒した時のことを思い出しながら口に出す。

「え? 聞いたこともないよそんな単語。――いや、でも、その名称からして多分」

「なんだ? なにかあるのか?」

 真白の様子が一変した。

 考え込むように顎に人差し指を当ててぶつぶつ言っている。

「ヘヴンズの人に調べてもらうよ。まだ確証はないけどすごくまずい状況かも。人員他から割いてくれるかな……」

 憂う表情を見せる真白は、ヴァイオレットの瞳も相まって神秘さを漂わせていた。

 

 まあ俺も、自分の言った単語から薄々感付いてはいる。

 創作物でよく見るからな。

 大罪とか傲慢とか、完全に――

 

 

 

 あの後、真白が組織の人に連絡を取りたいと言ったので別れた。

 必要なことは大体説明してもらったし、拒否する理由もない。

 その後ぶらぶらと、あてもなく意味も無く街を散策した。

 いつの間にか空は夕暮れへと変容していた。

 哀愁を漂わせる河川敷の土手を歩いて、家路を辿る。

 

 ――正直。

 荒唐無稽、だとは思った。

 真白の話した内容は、常時では到底信じられなかっただろう。 

 なにしろ俺が普段読んでいる創作物にありそうなことオンパレードだった。

 だが、俺はこの目でしっかりと見てしまっている。

 あの魔眼を、黒き狂獣と成った右腕を。

 そして、見るだけでなく体の奥底から体験もした。

 殺戮終理(さつりくついり)の魔眼。

 俺の得た超常。

 ここまで来たら、もうなんだろうと信じる以外にない。

 真白の言うことは疑うことなく信じた方が色々と面倒が無くていいだろう。

 その上でこれから起こる事象に対処していく。

 差し当たってはマンイーターの蛮行を止め、人を殺すなんて事をさせないようにする。

 当然相手の抵抗はある、だから倒して気絶でもさせる。説得して改心させる。

 警察は異別関係に精通しているだろうか。真白に聞いておくのを忘れていた。

 とりあえず拘束したら、どこかの、警察なり真白が知っている組織なりに引き渡した方が良いだろう。

 説得は二の次でもいいかもしれない。とにかく奴に人を殺させないように出来さえすれば。

 言葉を掛けても攻撃されるだけの可能性が高い。なら積極的に気絶、または拘束するために攻撃を仕掛けて然る場所に引き渡す。

 方針はこれでいいだろう。

 

 …………。

 本当にいいのだろうか。

 やはり守りに徹して説得に集中した方が良いのでは。

 武器で威嚇し攻撃を仕掛けてしまえば、より人を信じられなくなってしまうのではないか。

 敵意には敵意が返ってくる。

 当然の理だ。

 しかし、奴は既に人を何人も殺してしまっている。

 説得の余地はどれくらいあるだろうか。

 皆無だったら、意味が無い。

 やはり止める為には少々乱暴でも仕方ないか。

 わからない。

 どう行動するのが正しいのか、わからない。

 決めたことを、愚直でもいいから信じて突き進むしかないのだろうか。

 

 …………いけない。

 こんなに悩むなど俺らしくもない。

 もっと気楽に。

 俺に出来ない筈がない。

 大丈夫だ。思うようにやればいいだけ。

 俺はすべてを救う。

 誰も死なせない。

 昨日死なせてしまった事実があっても、次は助ければいい。

 まだ次がある。

 終わってない。

 何度でも救えばいいだけだ。

 

 

 と。

 視界に映る。

 河川敷、川の前に突っ立っている人影。

 黒いマントをバサリと翻し、黒の眼帯を左眼から外して高らかに叫んだ。 

 

「我が混沌の魔眼よ! 従属せし世界に知らしめよ!」

 詩乃守姫香(しのもりひめか)だ。

 中二遊びの真っ最中らしい。

 楽しそうだな。

 俺も何回かやったことあったっけ。

 

 それにしても。

 魔眼、か。

 もう純粋に、かっこいいってだけではいられなくなってしまったな。

 危険な超常。

 そんな忌避めいた複雑な感情が、少し邪魔する。

 物語の中の魔眼がかっこいいのは、何も変わりはしないというのに。

 

 よし。

 ここらでその気持ち、取り戻すか。

 気落ちしてても何も始まらないしな。

 土手を下り、河川敷に下りる。

 川のせせらぎが聞こえる中、詩乃守の背後数メートルまで近づいた。

 詩乃守がビクッと体を跳ねさせたように見えた。

 

「よう詩乃守。魔眼の力はそう易々と開放するもんじゃないぞ」

 驚いたように振り返る小柄なマント姿。

「あ。相沢先輩ですか。こんなところで会うなんて奇遇ですね」

「おう。今まで出会わなかったのが不思議なくらいのエンカウント率だな」

「人をモンスターみたいに言わないでください」

 

「さて、突然だが詩乃守、貴様の魔眼の力試させてもらうぞ」

 一瞬キョトンと目を丸くした後、詩乃守も乗ってくる。

「ふっ。後悔しても知りませんよ? なにしろ私の魔眼は最強ですから」

 左目に手を翳して不敵に嗤う中三。

「最強とは強気に出たものだな。最強が勝つんじゃない。勝った方が強いのだよ。どんな強者も、負けるときは負ける」

「確かにそうです。なら、私が勝てばいいだけのこと」

 

 お互いバックステップ。

 先に詠唱を紡いだのは、詩乃守。

「我が混沌の魔眼よ! 従属せし世界に知らしめよ!」

 咄嗟に横に転がる。

 俺が一瞬前まで存在した位置。

 その空間が爆ぜる幻視をした。

 中二遊びはイメージ力が大事ってそれ一番言われてるから。

 

 俺は立ち上がり様に詠唱する。

()の魔眼は(つるぎ)を創る」

 俺の右手に長剣が握られる幻視。

 走り出し、詩乃守へと接近する。

 

「我が混沌の魔眼よ! 従属せし世界に知らしめよ!」

 詠唱。

 俺の存在する位置が爆ぜる。

 しかし俺は既に右斜め前へと身を投げ出していた。

 そのまま転がり、勢いを付けて立ち上がるように跳ぶ。

 詩乃守の目前へと肉薄した。

 

「なっ!?」

 俺の身体能力が思った以上にあったのか、驚愕の表情を見せる。

 鍛錬を続けた者の動き、舐めるなよ。

 

 長剣を横に薙ぐ。

()ぜろ!」

 詩乃守は簡易詠唱で目の前を爆破し、爆風に乗って自分は後ろへと退き、俺は剣の軌道を逸らされた上に爆発の衝撃で怯む。

 

「我が混沌の魔眼よ! 従属せし世界に知らしめよ!」

 詠唱する時間を稼いだ詩乃守は確実に力を発動させた。

 本来ならここで詰み。

 だが。

 俺は剣を楯にしながら後ろへ跳ぶ。

 空間が爆ぜる。

 爆発と衝撃は、全て剣に収束し俺に被害はなかった。

 その後剣は破砕し、消滅する。

 肩代わりの剣だ。

 その身を以ってしてこの剣は俺への害を防ぐ。

 

 ……そんなようなことを、身振り手振り雰囲気で伝わるようにした。

 詩乃守のイメージ力が試される。

 

「なかなかやりますね」

「俺は強いぞ」

「大した自信ですね」

「お前もな」

 

 数秒の静寂。

 後、再び動く。

 

「其の魔眼は剣を創る」

「我が混沌の魔眼よ! 従属せし世界に知らしめよ!」

 右手に剣が現れ、爆ぜる空間を跳んで避ける。

 

「混沌の混沌よ! 捻じ曲げ捻じ曲げ、呑み込め!」

 戦慄。

 隠し玉か。

 多く力を使うがために、そう何発も撃てない類のやつか。

 詠唱の内容的に、効果は。

 

 黒く巨大な渦が発生。

 全てを呑み込み、バキバキに(ひしゃ)げさせ消してしまう混沌。

 俺は瞬時に呑み込まれゲームセットって寸法か。

 

 だが、負けるつもりなどない。

 俺は右手に持つ剣を渦へと投擲する。

 吸引する力はそれで弱まった。

 その隙に動く。

「其の魔眼は剣を創る。創る」

 さらに両手に長剣を生み出す。

 続けて両方投擲。

 

 三本の肩代わりの剣を呑み込んだ混沌の渦。

 爆発とともに消滅した。

 爆煙に紛れ詩乃守に接近する。

 

「其の魔眼は剣を創る」

 右手に剣を生み。

 爆煙が晴れた頃には詩乃守の眼前に肉薄していた。

 長剣を振り下ろす。

 致命的な命中。

 しかし殺人はナンセンス。

 

「この剣は人を殺さない。精々眠りを堪能するといい」

 意識を刈り取るだけの、人を傷付けない剣だ。

「随分優しいんですね。私の負けです。おみごと」

 

 詩乃守の負け宣言で、この戦闘の俺の勝ちは確定した。

 もちろん実際には何も起きてはいない。

 実戦のように身体を動かしまくっていただけだ。

 能力は俺たちの想像の中でだけ。

 詠唱をしても何が起こるわけでもない。

 でも、楽しかった。

 俺はやはりこういうのが好きだ。

 特殊な能力が殺し合いの道具だとしても。

 詩乃守も楽しそうじゃないか。

 確かに魔眼を手に入れて、複雑な心境が全くないとは言えない。

 しかし、だからといって嫌いになるのも違う。

 まあ、こういうのは楽しければいい。

 血生臭いものと一緒に考えない方が良いだろう。

 

「そういえば〈百殺〉の最新巻読みました?」

「まだ読んでない。色々ごたごたしてたしな」

「今回も面白かったですよ。時間が空いた時にでも読んでみてください」

「ああ」

 家に帰ったら読もう。

 

「それじゃあ私はこの辺で」

「じゃあな」

「はい。また会えたら話でもしましょう。ネタバレされたくなかったらその時には読み終えていてくださいね」

 ツーサイドアップとアホ毛を揺らして微笑む姿。

 

 その顔を見ていたら、妹みたいだな、と思った。

 俺にはすでにアイラという妹がいるけれど。

 アイラに似ているというわけではないのに。

 

 俺と詩乃守は揃って帰路に就く。

 夕日が照らす道を歩く。

 カラスが鳴いている。

 もうすぐ夜か。 

 腹減ったな。

 

 

 先程の中二ごっこ。

 あんなふうに、実際の場でも完璧に旨く出来ればいい。

 ただのごっこ遊びだったから出来た事なんて、思いたくない。

 殺さず倒し、誰も死なせずに事を終わらせる。

 俺の望む救いに必要なのは、それだ。

 

 



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9話 何一つできやしない

 

 

 夜。

「いってきます」

「いってらっしゃい」

 アイラに笑顔で見送られながら俺は家を出る。

 月明かりが照らす暗い外。

 静かな道を歩いて行く。

 

 連絡先を昼に交換していた真白と先程連絡を取り合って、今から合流しようという話になった。

 何事もなく合流地点に着いた。

 学校前だ。

 俺が着いてから数分ほどすると、真白がやってきた。

 

「待ったかな?」

「いいや。数分程度だ」

「なんだか恋人みたいなやり取りだねっ」

「そうか」

「そこは突っ込んでよっ」

「誰が恋人だー」

「うわぁ……今さらな上に棒読みでおざなり。目も当てられないよ」

「とりあえず奴を探すぞ」

「急な話題転換だね」

 構わず歩き出す。

 真白もついてくる。

 二人の足音だけが夜道に反響する。

 

「そういや警察って異別者(いべつしゃ)とか知ってんのか?」

 疑問に思っていたことを尋ねる。

「知らないよ。多分上層部の人間ぐらいしか。異別者たちの間の警察の役割は異別定保会(いべつていほかい)が担ってるからね。警察は異別が関わる事件と知れば全て異別関係者に任せることになってるの」

「そうか、わかった」

 なら、無力化した敵を引き渡す場合は、異別定保会か天使の組織ヘヴンズのどちらかだな。

 

「組織に調べてもらった事なんだけどね。分かった事があるんだ」

 真白が早々に本題に進める。

「大罪戦争は過去にも事例があるみたいだったよ。60年くらい前にも一度」

「どんなものなんだ?」

 逸る気持ちを抑えながら聞く。

「簡単に言えば殺し合いだね。参戦する大罪者七人がいて、他の大罪者を全員殺せばどんな望みも殺した者の魂を代償に叶えるっていう」

「…………そうか」

 

 荒唐無稽。

 何度思っただろう。

 けれど、実際に見て感じてしまっている。

 その荒唐無稽が在る事を実感してしまっている。

 

 ふざけた殺し合い。

 そんなものがあったのか。

 この世に。

 60年前といえば戦時中だが今は平和な時代だ。

 少なくとも日本は。

 そのはずだ。

 しかし現に、こんな事が起きている。

 そして俺はその当事者。

  

「カズくんが覚醒した魔眼は『罪科異別』(ざいかいべつ)っていう名称らしいね。大罪戦争ではその罪科異別で殺す必要があるというルールもあるみたい。一般人でも殺せば殺した分より高い望みを叶えられるなんてものも」

 苦々しい表情で語る真白は、ヴァイオレットの瞳を曇らせていた。

 俺も拳が痛くなるほど無意識に握られた。

 

 災厄だ。

 この殺し合いは、一般人をも多く巻き込む災厄と化している。

 そんなルールなら、確実に大惨事になる。

 そうなるように組まれている。

 本当に願いなど叶うのか。

 俺は信じない。

 願いとは自分の手で掴み取るものだ。

 だが、俺がそう思っていようと他の者がそう思うとは限らない。

 そんなものに縋るしかない人達も多くいるだろう。

 残念な事に、人を殺してでも願いを叶えたい人達は存在する。

 俺みたいに人を殺したくない人が参戦させられている可能性もあるが、そうでないやつが一人もいないなどありえないだろう。

 一人でもいれば、殺し合いが起きる。殺したくない人も、身を護る為に戦わざるを得ない。

 そもそもそんな人間は最初から参戦対象にはなっていないかもしれないが。

 しかし俺は参戦してしまった。

 大罪者の一人に選ばれてしまった。

 なぜ人を殺したくない俺が?

 戦う意志さえあればいいのか?

 俺は止めようと今も夜道を歩いている。

 ならばそういうことなのだろうか。

 いずれにせよ、止めるしかない。

 誰も死なせたくなどないのだから。

 

「待てよ。ということはマンイーター以外にもあと五人いるわけか。人を殺す可能性がある人間が」

「そういうことになるね」

 真白は吐息を一つ。

 六人もの行動を、止めなければならないのか。

 それは至難だろう。

 不可能かもしれない。

 それでも俺がやることは変わらない。

 殺させてたまるか。

 

「それで、大罪とかの名前の通り、この戦争を起こしたのは悪魔という存在なんだ」

「悪魔……」

 まあ、そうだろうなとは思っていた。

 悪魔に天使か。

 いよいよファンタジーじみてきた。

 最初からか。

 右腕が化け物とかありえない。

 事実として起こってしまっている現象だから認めるしかないがな。

 俺も魔眼なんて持ってしまっているし。

 

「その悪魔ってのはどういうやつなんだ?」

「悪魔は、力を開放すると黒い角が生えるんだ。数は少ないけど危険な存在だよ。悪魔術を使うんだけど、それが破壊の特性を持っているのが特徴」

「破壊の特性。嫌な想像しかできないな」

 破壊するってことは在るものを壊すってことだ。

 それは不の事象を意味することが多いだろう。

 

「悪魔は歴史上でも色々と大惨事を起こしているから、増援を頼んだんだけど難しいって言われちゃった。たははは」

「笑ってる場合かよ。一人も寄越せないのか?」

「うん。そもそも元から人手が足りなくてわたしが来たからね。一応頼んではみたけどやっぱり駄目だったみたいな感じ」

「俺達だけで、なんとかするしかないっていうのか?」

「そうだね。そういうことみたい。まいったよね。こんな大役。でもやるしかないんだから前向きにいった方が良いね絶対。うん。なんとかなるよきっと」

 真白は笑顔を作ってそう言う。

「確かに俺に出来ないことはない。やるからには救って見せる」

 結局、俺が止めればいい話だ。

「カズくんはいつもそれだね」

 含みのある表情をする真白。

「悪いか」

「ううん。悪くはないけど。無理すると大変なことになっちゃうよ。だからまずは自分の身を大事にして。そうしてくれればわたしから言うことは他に何もないよ」

「俺は死ぬつもりはないし、その上で救うつもりだ」

「そう、だったら、いいんだけどね」

 

 夜明け色の瞳で俺の顔を見て、真白はゆっくりと言葉を発した。

 俺は本当に死ぬつもりなんてない。

 ただ救う為に全力を尽くしているだけだ。

 それで危険が伴うならば自分の力で跳ね除けてしまえばいい。

 

「あ、それと大罪戦争には絶妙に都合のいい認識疎外の異別が掛けられているらしくて、夜中にドッカンバッカン大暴れしても一般人に気づかれないみたい。直接襲われない限りは、みたいだけど。全ては大罪戦争を必ず成功させるためだね」

「なんだよ、それ」

 真白は苦笑しながら。

「そうだよね。なんだよそれって言いたくなるのも解るよ。でも事実なんだ。

60年前もそのせいで、終わるまで気づかれることなく大惨事になったみたい。今回は前例があったからわたし達の組織も気づけたけど」

「なら、気づいてる俺らが絶対になんとかしないとな」

「うん。そういうこと」

 真白は力強く頷いた。

 

「なあ、話を聴いた限りだと、大罪者よりも悪魔の方を何とかした方がいいと思ったんだが」

「確かに、そうなんだけど、難しいね。なにしろ60年前も尻尾を最後まで掴ませなかったから。大罪者を何とかしつつ、悪魔についても調べる、っていう方針がいいかも」

「そうか。調べるって具体的には?」

「主にヘヴンズの非戦闘員が調べてくれると思うけど、わたし達に出来ることはあんまりないかもしれない。ここまで大掛かりなモノを仕掛けるぐらいだから、準備は万全だろうし、わたし達が数日の間少し調べたって時間の無駄になると思う」

「なら、基本大罪者を何とかした方がいいってことか」

「うん、そうなるね」

 俺たちは一息吐いた。

 

「まあ、話しておくことはこれぐらいで終わりかな。楽しくお喋りでもしながら歩こうかっ」

 能天気な事を言って笑顔を輝かせ白髪(はくはつ)を揺らす真白。

「真面目に敵を探せ」

「ちゃんと周りには気を配ってるよ。だから大丈夫!」

「本当にそうか?」

「ほんとほんとっ。これで嘘だったら首吊るよ!」

「そうか、じゃあ今吊れ」

「嘘だったらって言ったよね!」

「嘘でも吊るな。命を大事にしろ」

「冗談を言っただけなのに。それにその言葉はカズくんには言われたくないな」

 ジト目で見つめてくる。

「俺は命を大事にしているぞ」

「そこに自分のが、本当に含まれているのかな?」

「当然だ、さっきも言っただろう?」

「それにしては無謀に突っ込み過ぎな気もするんだよね。昨夜の戦いなんてわたしが来なかったら死んじゃってたと思うんだけど」

「俺はその時にやれることを臆さずやっているだけだ。それに今、生きている。運が味方した証拠だ」

「味方したのは運じゃなくてわたしなんじゃないかな」

「どっちにしろ生きている。だから問題ない」

 自信を持って言ってやる。

「だったら、無謀に突っ込むのはやめてよね」

 真白はヴァイオレットの瞳を揺らして眉根を寄せている。

「無謀には突っ込まねえよ。勝算が少しでもあるから突っ込むんだ」

「もう……だったらわたしが気を付けておくよ。護りの戦法を重視して戦うから」

「あの楯か。頼りにしてるぞ」

 真白の天使術、白き羽が寄り集まった楯を思い出す。

 

「はいはい。頼りにしてねほんと。仲間なんだから」

「仲間か」

「そう、仲間。これから命を預け合って戦うんだから」

「確かにな」

「うん。仲間仲間っ」

 やけに楽しそうに笑う真白は犬か何かのよう。

 

 

 俺達は、大罪者を探してくだらない事を話しながらしばらく歩いた。

 だが今日の夜は、一人も見つけられなかった。

 

 

 

 6月8日月曜日

 

 

 朝。

 そう、朝なんだ。

 カーテンの向こうからは微かな陽光が差している。

 だから起きた。

 時計を見れば、午前5時。

 鍛錬をしなければ。

 あ。

 木刀はあの時の戦いで壊されたのだったか。

 いや、予備があったはずだ。

 クローゼットの奥辺りに。

 寝起きの酩酊が少し抜けない中、クローゼットまで歩み寄り、開け、中を漁る。

 ガサゴソと、服やら読み終わって積みまくった本が存在する暗闇を探す。

 

 こうして探してはいるが、疑問にも思う。

 鍛錬に意味はあるのか。

 確かに、少しは役に立った。

 していたおかげで出来た動きもあった。

 しかし、鍛錬をしていなくてもしていても、あの時罪科異別が覚醒しなければ俺は死んでいた。

 やたらと自信を持っていた器用さも一切活用できなかった。

 それにこれから連日戦う事になるかもしれない。

 今から少し鍛錬したところで(たか)が知れている。

 体力は温存した方が良いだろう。

 やるにしてもこの一連の騒動が終わってからだ。

 

 俺は馬鹿馬鹿しくなり木刀を探すのをやめた。

 再び寝る気も起きず、このまま起きたままでいる事にする。

 寝巻から制服に着替え、一階に下りて洗顔と歯ブラシをした。

 その後リビングのソファにどっかりと背を預け、考えに耽る。

 誰も死なせずに解決する方法。

 無理せず助けて終える方法。

 しばらく考えた。

 

 結局、戦って止める以外に方法はないと結論に至る。

 手持無沙汰になりスマホを点けた。

 適当にネット掲示板でも開く。

 

 

【宮樹市連続】マンイーターを考察するスレ・怪物58人目【怪死事件】

 

 

 109:喰われた人より匿名:2011/06/08 00:4:34

     まだ捕まらねえのかよ。警察無能過ぎ。税金泥棒が

 

 110:喰われた人より匿名:2011/06/08 00:6:56

     >>109 マンイーターは化け物なんだから当然だろ! 所詮人間でしかない警察責めてやるなよ

 

 111:喰われた人より匿名:2011/06/08 00:9:27

     どっかのヒーローでも現れて退治してくれるのを待つしかないな。蜘蛛男とかww

 

 112:喰われた人より匿名:2011/06/08 00:11:33

     俺の上司とクソ社長マンイーターに食われてくれねえかな

 

 113:喰われた人より匿名:2011/06/08 00:13:47

     世に居るリア充食い漁られろ

 

 114:喰われた人より匿名:2011/06/08 00:15:19

     不謹慎

 

 115:喰われた人より匿名:2011/06/08 00:17:04

     >>114 不謹慎厨が湧いたぞ!! 捕らえろおおおおおおおおお!!!

 

 116:喰われた人より匿名:2011/06/08 00:18:59

     >>114 うおおおおおおおおおおおおおおお!(縄持ちながら

 

 …………。

 ……………………。

 ………………………………。

 

 155:喰われた人より匿名:2011/06/08 5:30:10

     飽きてきたな~。こうドバっと新情報とかないの?

 

 156:喰われた人より匿名:2011/06/08 5:32:57

     >>155 そうそうあるかよ思考停止乙

 

 157:喰われた人より匿名:2011/06/08 5:35:41

     マンイーターが警察組織占拠とかヒーローがマンイーターを打ち滅ぼしましたとか?wwww ねえよクソバカ

 

 158:喰われた人より匿名:2011/06/08 5:37:11

     こうしてマンイーターは忘れられていくのであった

 

 暇潰しに書き込むことにした。

 スマホをタップ、タップ、タップ。

 

 159:救う者:2011/06/08 5:39:23

     マンイーターは俺が止める

 

 160:喰われた人より匿名:2011/06/08 5:40:30

     >>159 ファッ!?

 

 161:喰われた人より匿名:2011/06/08 5:40:52

     >>159 つまんねーことしてねえで働けニート。俺もニートだけど

 

 162:喰われた人より匿名:2011/06/08 5:42:31

     >>159 で、その救世主サマがなにしてくれるって?wwww

 

 163:救う者:2011/06/08 5:44:29

     >>162 俺が救うのは世界じゃない、人だ

 

 164:喰われた人より匿名:2011/06/08 5:46:08

     >>163 ファーーーーwwwwwwwwww

 

 165:喰われた人より匿名:2011/06/08 5:46:13

     >>163 俺が救うのは世界じゃない、人だ(キリッ)

 

 166:喰われた人より匿名:2011/06/08 5:46:22

     >>163 いたたたたたたた そのクソコテやめろハゲ

 

 167:喰われた人より匿名:2011/06/08 5:46:34

     >>163 お薬出しておきますねー

 

     

「…………」

 俺は中二病ではない。

 こうなることは、書き込む前から一応解ってはいた。

 この住人たちはノッタだけだ。

 だけど、なんでだろうな。

 スマホを握る手の力が強まった。

 少しイラつく。

 

 人が死んでるんだぞ。

 それなのにバカ騒ぎできるのか。

 いや、騒いではいないか。

 ああいう輩は、適当に深く考えずに書き込んでるだけだ。

 こんな掲示板を覗く俺も悪い。

 しかし、イラつく。

 

 

 170:喰われた人より匿名:2011/06/08 5:46:59

     >>163 やってみろよ。どうせ何一つできやしないクソニート

 

 

 スマホをぶん投げた。

 対面のソファに当たって跳ね返る。

 俺の膝上に落ちた。

 

 何一つ、できやしない、だと……?

 やってやるよクソ野郎。

 無気力に適当に掲示板へ文字打つことしかできない惰弱者共めが。

 今に見てろ。

 絶対に死なせずに終えてやる。

 

 と。

 ガチャッという、リビングのドアが開く音。

「和希さん、おはようございます」

 アイラが起きてきたのだ。

 水色の可愛いパジャマ姿。

「おはようアイラ」

「あれ……? 今日は鍛錬やらないんですか?」

 首を傾げると同時に黄金色の髪がサラサラと流れる。

 その金髪は朝の陽光に煌めいていた。

「ああ、しばらくはやめとこうかと」

「そう、ですか…………」

 眉根を寄せるアイラ。

 藍の瞳を揺らす。

 何故そんな残念そうな顔をする。

 いつも見てたが、そんなに面白いものだったか?

 俺だったら飽きて本読みだす。

「まあ、また必ずやりはすると思うぞ」

「そうなんですか?」

「ああ」

「そうですかっ」

 アイラの顔がほころんだ。

 気分が少し弾んでくれてるのを感じる。

 自分の心が、少し楽になったような気がした。

 

 



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10話 カードゲーム

 

 

「おはようカズくんっ」

 登校して教室に入ると、真白が元気満々とばかりに声を掛けてきた。

「ああ、おはよう」

「おはよーっす」

 津吉も片手を上げて挨拶してくる。

「おはよう」

 教室内を眺めると、むすんでひらいてをやっているやつら、しりとりをスマホを弄りながらだらだらやっているやつら、フューーッジョンッ、ハッ、をやっているやつら。

 今日も学校生活が始まる。

 

 

 昼休み。

 今日も屋上で食べようと鞄からアイラ作の弁当を取り出した。

 と。

「カズくーん! お客さんだよー!」

 真白の呼ぶ声。

 教室の入り口。

 真白が振り返って笑顔で手招きしている。

 

「可愛い女の子だよー。隅に置けないねえっ!」

 ニヤニヤ笑いだ。

 女の子?

 アイラなら真白の言い方は変だ。

 俺の知り合いに女の子なんて、この学校の中でクラス以外にいたか?

 いや、いたか。

 少し前まで、辺り構わず困った人助けてたし。

 誰かしらがお礼を言いに来ても可笑(おか)しくない。

 お礼ならその場で済んでいると思うんだがな。

 

 疑問に思いながら立ち上がり、弁当を机に残して入口へと歩く。

 真白の後ろ。

 扉に隠れるようにして立つ人影。

「じゃ、頑張ってね~☆」

 真白はウインクしながら舌をペロリと出して踵を返し去っていく。

 そのステップは軽やか。

 ふわりと白髪が(なび)いた。

 なにが頑張ってだ。

 

 人影を見る。

 伸ばしっ放しの野暮ったい、黒色のかなり長い髪。

 言っては悪いが、地味な印象。

 スカートの色が青色ということは、後輩か。

 オドオドと俯きがちに俺を見ている。

 両手の指を弄ったり解いたりしながら。

 典型的な、根暗っぽい子。

 それでも、素材が良いのか可愛い部類に入る女の子だ。

 

 ん?

 この子どこかで見たような。

 …………。

 あ。

 そうだ。

 この前放課後の廊下ですれ違った女の子だ。

 俺を何故か見ていたから少し気になったあの子だ。

 あの時は、会いたきゃ向こうから来るだろうと思って考えないようにしたが。

 まさか本当に来るとは。

 

「なにか用か?」

「す、すいません先輩、急に呼び出したりして……」

 目が隠れるほどの前髪の間から俺を見上げ、俯きがちなのもあって自然と上目遣いになっている。

「それは別にいいんだが。謝るような事じゃねえよ」

「は、はい、それで、あ、あの、話したい事があるので、場所を変えていいですか…………?」

「ああ、問題ない」

「よかった…………それでは、こちらに……」

 そう言って歩いて行く女の子。

 俺はその背に付いて歩いて行った。

 

 

 

 人気(ひとけ)のない、校舎裏。

 付いていったら、こんなところまで来た。

 言動からして誰にも聞かれたくないようだったし、妥当な場所だろう。

 喧騒は遠い。

 少し草木が生い茂っている。

 薄暗い空間。

 

「あ、あの……それで……ええと……あ、そうだ。私の、名前は、蕪木美子(かぶらぎみこ)って、いいます……」

 つっかえながらも頑張ったのがかなり伝わる自己紹介。

 わかった。

 この子尽くすタイプだ。

「呼び出したって事は知ってるかもしれんが、俺は相沢和希だ。好きに呼んでくれ」

 ビクッと跳ねるように、蕪木は俯きがちな顔を若干上に方向修正した。

「す、好きに、呼んでいいんですか……?」

「おう、好きにしろ」

 名前など、そいつの呼びたいようにすればいい。

 俺は変な呼ばれ方以外大体どんな呼び方でも構わない。

 初対面でもあだ名でオーケーだ。

 結局誰か解ればいいのだから。

 

「なら……和希先輩って、呼んでいいですか……?」

 緊張したように恐る恐る訊いてくるが、なんてことはない。

「いいぜ。普通の呼び方で安心した」

 津吉には最初「あい○き」と呼ばれたのでぶん殴ってやった。

 そもそも一文字は俺の名前に入ってすらいないだろうと。

 そうしたら相沢の沢が液体を彷彿とさせるから間違ってないと(のたま)ったのでもう一度殴ってやった。

 

「和希先輩……和希先輩……和希先輩…………ふふっ……」

 蕪木は小さな声でぶつぶつと呟き笑っている。

 やっぱりこれは、あれなのだろうか。

 だが、そうだとしたら。

 俺は――

 

「それで、話って?」

 呟き続けたまま進まなそうだったので促す。

「あ、そうでした……え、えっと、その……」

「焦らなくてもいいぞ」

 促しはしたが急かすつもりはない。

「はい……………………………………………………和希先輩」

「おう」

「好きです、付き合ってください…………」

 

 蕪木は意を決した様に、顔を真っ赤にしながらも、そう言葉にした。

 やはり、か。

 そんな気は、していた。

 勘違いの可能性もあったが、その可能性はもう意味をなくした。

 本人の様子を見るに、相当の覚悟と勇気を持って言ったのだろう。

 だが。

 

「すまん。無理だ。俺にはやらなければならないことがあるんだ。そういう事に意識を持っていく余裕はない」

「……!!」

 

 俺は、すべてを救いたい。

 少なくとも、大罪戦争が終わるまでは無理だ。

 終わっても、分からない。

 そもそも俺は、この子が好きなのか?

 初対面のようなものだ。

 どういう人間かよく知らないのに、好きかどうかなんて判るわけがない。

 大罪戦争とか関係なく、俺は断っていたのかもな。

 

「そう、ですか。そう、ですよね……私なんかじゃ、だめですよね……うん、わかってた、わかってました、ごめんなさい…………っ」

 俯きながら、早口で、そして小さな声で捲し立てて、蕪木は踵を返して走り去った。

 長い黒髪が靡いて、女の子の甘い香りを感じたが、今はそれに寂寥を覚える。 

 

 友達からなら、良かっただろうか。

 それで蕪木のことをよく知って、どうするか決める。

 いや、無理に希望を持たせるだけか。

 期待させるだけさせておいて、俺があの子を選ばなかったら、友人関係すら続かなくなるかもしれない。

 俺はそのまま友人でも構わないが、蕪木は負担だろう。

 少ししか接してないが、あの子が耐えられなくなる想像は容易についた。

 なら、これで良かったのか。

 間違った選択はしていないはずだ。

 俺はあの子と付き合う気はないし、あの子をこれ以上傷付けないためならここで縁を切る。

 間違っていない、最善。

 俺は少しの間ポツンと立っていたが。

 やがて歩き出し、弁当を取りに教室へと戻った。

 

 …………。

 

 たった数日後の俺は、こう思った。

 ――間違いだった。

 

 

 

 教室へと戻ると、自分の席に腰掛ける。

 昼休みの時間は残り少ない。

 今日はもう教室で食べてしまおう。

 急いで食べないと間に合わない。

 空腹を抱えたまま授業とか嫌だからな。

 

「カズくんっ。どうだった?」

 興味津々そうに目を輝かせて聞いてくる真白。

 アイラといい、女はそういう話に興味持ち過ぎだ。

「プライバシーの侵害はよくないぞ」

「またまたぁ。何かいいことあったんでしょ?」

 鬱陶しく食い下がってくる。

「相手の方のプライバシーについて言っている」

 だから正論を叩きこんだ。

「う、まあそれはそうなんだけど……」

「黙ってくれるな?」

「うん……」

 少ししょんぼりしてしまう真白。

 反省してくれたならいい。 

 

「おうおうなんだなんだ? 和希に何かあったのか?」

「お前は黙っとけ」

 妖怪剛坂津吉は適当にあしらった。

 

 

 淡々と午後の授業は終わって行き。

 放課後になる。

 鞄をひっつかんで教室を出ようとした時。

「カズくんカズくん」

 真白が話しかけてきた。

「なんだ?」

「今日はこの教室で遊ばない?」

「なぜ教室」

「わたしが教室で遊びたいから!」

 ドヤァとばかりに、これが正当な理由だ! と宣う。

「そうか」

「それに、一緒に戦っていく仲間なんだからお互いをよく知っていくために遊んだりした方が良いと思うの」

「まあ、そうだな」

 確かに親睦を深めることで戦闘において良い効果はあるのかもしれない。

 息を合わせたり、意思疎通の短縮化。

 他にも色々と。

「アイラちゃんも呼んで、ついでに津吉くんも呼んで四人で遊ぼう」

「ああ、ついでに津吉も誘ってやるか」

「俺がついでにされてるのは納得いかないんだが」

 ヌッと津吉の顔が割り込んでくる。

 暑苦しい。

 しっしっ。

「俺はアイラを呼んでくる」

 そう言い残して教室を出た。

 

 いつも歩いているリノリウムに足音を残しながら、思う。

 こういう日常を維持するのも、大事なんだな、と。

 

 …………。

 

「連れてきたぞー」

「お邪魔します」

 別に人の家ってわけじゃねえのにアイラは教室に入る時そう言った。

 長年付き合ってきた俺だから、変に礼儀正しい時があるのは、もう慣れたが。

 

「来たねっ。待ってたよ!」

「おお、アイラちゃん! これで四人揃ったな!」

 机を四つ合わせて合体させた簡易テーブルに、所狭しと色々なゲームが乗っている。

 ボードゲーム、ジェンガとか玩具感溢れるゲーム類、カードゲーム。

 なんでもござれと言わんばかり。

 

「これ、誰のだよ? こんなに沢山」

「わたしが持ってきました!」

 満面の、良い笑顔で堂々と言葉を発した真白。

 右手の親指を立て、サムズアップ。

 

 能天気なその様子を見ていたら。

 教師にバレたらまずいとか、そんな野暮な事は言う気は失せた。

 どっちにしろ言っていたかどうかは分からないが。

 まあ、このクラスの担任、庵子(あんこ)先生ぐらいなら簡単に丸め込めるだろう。 

「さっ、どれやるどれやる?」

 真白が言い、みんなで物色する。

 人生ゲーム、お化けすごろく、ジェンガ、バナナバランス、麻雀、トランプ、エトセトラ。

 遊び方が良く分からない物も多い。

 というかこんな量どうやって持ってきたんだ。

 四次元ポケットでも持ってんのか。

 

「おっ」

 これは、俺が前にやっていたトレーディングカードゲームじゃないか。

 今でも根強い人気を誇る、俺が純粋な幼児だったころからあるTCGだ。

 デッキ構築を学校の授業の時よりも頭を使って真剣に考えてたな。 

 

 ちなみにやめた理由は資産ゲーだということを悟ったから。

 大会で勝つほどまでに強くなるためには、学生の俺にはとてもじゃないが払えない高騰したカードを手に入れる必要があった。

 こんなゲームやってられるか! となるのは必然。

 カードゲーマーを子供に持つ親はさぞ小遣いのおねだりに苦労していることだろう。

 仕事して金が手に入るようになったらまた始めようかは悩んでいる。

 結論、カードは子供がやる物なんてトチ狂った意見を持つ『一般人(笑)』がいるが、それは全くもって見当違い。

 TCGは、金を持った大人のやる遊びなのだ。

 麻雀みたいに。

 麻雀は金は掛からないが。

 賭けは違法だからな。

 まあ、逆に時間が無くてカードやれない大人も多いらしいけどな。

 あ、でも最近はデッキ三つ買うだけで容易に強いデッキ作れるなんて話も聞いたな。

 大体4000円いかないぐらいか?

 かなり良心的だな。 

 しかしラノベ五冊買えてしまう。

 悩みどころだ。

 

 そんな益体もないことを考えていたら、少しやりたくなってきた。

 俺の昔の、カードゲーマー、いや、デュエリストとしての血が騒ぐ。

「これがやりたいの?」

 俺がずっとそのカードの束――恐らくデッキだろう――を見つめていたからか、真白が聞いてきた。

「ああ。前にやってたことがあるんだ、懐かしくなってな」

「そっかっ。二人ともこれでいい?」

 真白は笑顔で応えた後、振り返ってアイラと津吉に訊いた。

「私は何でもいいですよ」

「それなら俺も前にやってたことがあるぜ! 問題なしだ!」

 津吉もやってたのか。それは初耳だ。

 地獄に叩き落してやる。

 

 ということで、デュエリストがここに、四人誕生した。

 一人は現役、二人は復帰だけれど。

 いや、完全に復帰するつもりはないが。 

  

 …………。

 

「おらあ! アルティメットホールホーンドラゴン召喚だ!」

 べしんっ、と机にカードを叩き付ける形で場に出す。

 あ、スリーブはちゃんとしてあるので大丈夫です。

「ここでホールホーン!? ガチカードいきなり投入なんてズルいよ~」

 目を線状にして不満を漏らす真白。

「ふはははは。これはお前のデッキだろう? 予測ぐらい出来なかったのか?」

「予測出来ても出来なくても手札で最善手を打つしかないんだよっ」

「お前の場の伏せカード全てを墓地に送り、さらに楯二枚を破壊し、命に2000点のダメージ」

「インチキ効果もいい加減にしてよっ!」

 

 俺たちが使っているカードは、全て真白が持ってきた物だ。

 デッキは既に何個もあったから、その内の一つを使わせてもらっている。

 一からカードを借りて作った訳ではない。

 だからどういうデッキかは真白は知っているのだろうが。

 知っていたからと、そう簡単に勝てる訳でもないのがTCGだ。

  

「ターンエンド」

「ここからだよ! そんなカード使ったからって必ず勝てると思わないことだね!」

「これお前のデッキだっつってるだろ」

「わたしのターンっ。ドロー!」

「お? ディスティニードローのつもりか?」

 真白は大仰に体を動かし、手刀を横に放つようにデッキから一枚ドロー。

 その引いたカードを覗き込み、目をキランッ、一言。

「――きた」

「そんなカードゲームアニメみたいな――」

「パーフェクトフェイスクイーン召喚」

 ことが起こるわけ…………。

「てめえええええええええ!!」

 ガチカードそっちも入ってんじゃねえか!

「そっちの場のカード全部デッキに戻してねっ☆」

「うるせえよ!」

 俺はカードを傷つけないように、けれど荒々しく集めデッキに戻しシャッフルする。

「本当にここからだよ、カズくん☆」

 ☆じゃねえよ。

「その笑顔を絶望に染めてやるのが楽しみで仕方がないぜ」

「笑顔のまま終わらせるよっ☆」

「はは、は」

「ふふふ」

「ははははは」

「ふふふふふ」

「「あっははははははははははっ!!」」

 火花が散る。

 

 …………。

 

「ダイレクトアタック」

「負けたあああああああ!」

 真白が白髪(はくはつ)を振り乱して悔しがる。

 俺は勝った。

 ギリギリの戦いだった。

 だが、

「俺には到底及ばないなあ!」

 最大限の煽り顔を見せてやる。

「くやっしいいいいいい! その顔殴りたいっ!」

 とうとう地団太を踏み出した。

 ふははは。

 

 

 次は津吉とデュエルすることになった。

 別にトーナメント形式とかではなく、みんなで適当に満遍なくデュエルしている形なだけである。

 お互いガンを飛ばす。

「デス、ミー」

「ノー。ミー、ヘル」

「怪しい英語喋ってないでさっさと始めたら?」

 津吉とデュエル前の牽制をしあっていると、真白が辛辣な一言を少し離れたデュエル台(机二つを合わせたもの)からアイラと向かい合ってシャッフルしながら投げてきた。

 根に持つタイプかあ?

 まいったな。ふはは。

「「デュエッ!」」

 早速始めた。

 

 …………。

 

 さて、カードゲームはルールに沿ったゲームだ。

 ルール通りに事を進め、ルール通りに勝利をもぎ取る。

 これは不文律であり、絶対に侵されてはならない。

 カード効果でもないのに、引いたカードが気に入らなかったからといって余分に一枚ドローしたり。

 カードの能力でもないのに、マナが一足りない! よし、置いてしまえ! とばかりにマナをもう一枚チャージしたり。

 それをやってしまったらただの無法地帯になってしまうのだ。

 なんでもありで勝敗すらわからなくなる。

 果てはリアルファイトか。

 だからお互い紳士的に、ルールを守って楽しくデュエル! てな感じでやらなければ楽しくないゲームなんだ。

 

 ――さて。

 どうイカサマしてやろう。

  

 

 今は、津吉のターン。

 手札と睨めっこしながら長考している相手。

 そして、やつの場に伏せられた二枚のカード。

 

 内容が気になるなあ。

 気になっちゃうなあ。

 どうしようかなあ。

 知りたいなあ。

 

「あ。庵子先生」

 トーンを極力自然にし、さも本当に驚いて今気づいたかのように、指をさすジェスチャーまでおまけする。

 指す方向は津吉の後ろ、教室の出入り口の方。

 

「え? マジで!? やばくね? いや、やばくねえか」

 津吉の考えは解る。

 え? 先生来たとか、このカード見られたら私物持ち込みで怒られるんじゃね? あ、でもあんこちゃん先生なら簡単に丸め込められるか。なんなら混ぜてしまうことも出来るんじゃないか?

 こんなところか。

 俺もさっき考えたから手に取るように解る。

 

 まあ、津吉が俺の言葉に振り返った隙に迅速な行動に移させてもらうが。

 ペラッ。

 津吉の場に伏せられた二枚のカードをめくる。

 瞬時に視界に入れ、すぐに元の位置に戻す。

 ふむふむ。

 右の方が厄介だな。

 左の方は特定のカードがないと効果を発揮しないから、やつの手札次第では今腐ってるカードだ。

 

「て、誰もいねえじゃねえか!」

 振り返っていた顔を戻す津吉。

「すまんな。俺の見間違えだったみたいだ」

「ああん? 見間違えぇ?」

 津吉は怪訝な顔で数秒沈黙。

 俺の顔を凝視しながら。

「おい。じろじろ見んな」

「……はは~ん、さてはお前あんこちゃん先生のこと好きだな? だからその姿を幻視した! 多分それほどなら夢にも出てるだろう」

「は?」

 そこには、全く見当違いな方向に思考を走り幅跳びさせた馬鹿がいた。

「だがお前には譲らねえぞ! 俺だって好きなんだからな! あのキュートさは俺の独り占めだ!」

「勝手にいってろハゲ」

「なら勝手にさせてもらう! あんこちゃんを口説き落とすのは俺だ!」

「玉砕しろ」

 俺の言葉を無視して津吉は手札との睨めっこに戻る。

「ん~、じゃあこいつでアタックしてターンエンドだな」

「ならそのエンド時にトルネード発動。破壊する伏せカードは俺から見て右な」

「かーーーー! お前これ破壊しちゃいけない方だろ! なんでこっち選んだ!」

「勘」

「ないわ~。天性の才とかクソ食らえだわ~。ぺっぺっぺっ!」

「つば吐くな」

「実際には吐いてねえよ! それぐらい察してくれ!」

 そんなことは知っている。

 

 …………。

 数ターン後。

「クエスチョン発動! このカードは相手のデッキの一番下のカード名を宣言し、確認して合っていたらそのカードを俺の場に出す!」

「そんな博打カード入れてたのか……いや、真白のデッキだったから元々入ってたのか」

 だが真白がそんなカード入れるだろうか?

 本人の性格的に入れそうだが、意外とガチカードが多い。

 そんな真白のデッキに、全くデッキのテーマとも合っていないのにそんなカードが入ってるなんて少し不自然じゃないか?

 まあ、真白の気まぐれといってしまったらそれでおしまいなのだが。

 気まぐれでなくとも本人的にはちゃんと意味がある場合もある。

 

「俺が宣言するのは、キングデッドヘルムーン!」

「ガチカード言っとけばいいと思ってるだろ」

 しかし残念。

 そのカードはこのデッキには入っていない。

 アルティメットホールホーンドラゴンならまだ可能性があったものを。

 余裕の表情を浮かべながら俺はデッキの一番下を公開する。

 

 視界に映るのは、キングデッドヘルムーンのキラキラと輝く加工された文字。

 

「よっしゃ! 運いいぜ俺! さあ、召喚させてもらう!」

 瞬時に。

 俺は全てを理解した。

 

「なにが運いいだ! 俺のデッキにはこんなカード入ってねえぞ!」

「デッキ確認した時に見逃しでもしたんじゃね?」 

 すっとぼけた顔。

「イカサマじゃねえか! お前ふざけんなよ! イカサマとか人としてどうなんだよ! 最低だな! こういうゲームでイカサマとか、面白くなくなるんだよ! なにもわかってないな! この大馬鹿は!」

「ああん? やんのかコラぁ!? お前こそイカサマしてたんじゃねえのかよ!」

「してねえよ! 友達疑うとかほんと最低だなお前!」

「いいや絶対してたね! ちょっと違和感があったんだよどこからか! ……あ、もしかしてあんこちゃん先生のくだりの時か!?」

「……ちげえよ。そもそもイカサマなんて俺はしてねえし」

「今の最初の間は何だ!? やっぱりしてたんだろ! 正直に言ってみろ一発殴るだけで済ましてやるから!」

「お前がイカサマしたんだろうが! 言うに事欠いて逆切れして殴るだあ? 人として終わってんなマジで」

「ああ!? やんのかごらぁ!?」

「上等だ掛かって来いやごらあ!」

 お互いの拳が同時に頬にめり込んだ。

 その後、服を掴み合い、膝蹴りを、拳を打ち付け合う。

 

「やめてください二人とも! 喧嘩はダメです!」

「やめなさ~い! リアルファイトは厳禁!」

 アイラと真白の声が同時に発せられた。  

 

「アイム、デッド、コール!」

「ユー、ブラッドプール、スイミング!」

「だから怪しい英語言い合わないで! 殴り合わないで~っ!」

 真白の叫びが木霊した。

 

 …………。

 

 その後、俺達の間に割り込んできたアイラと真白にリアルファイトは中断された。

 さすがに間に入られたら他二人が巻き込まれかねない。

 それは避けたい出来事。

 だから必然的に中断せざるを得なかったのだ。

 まあ。

 最初から本気で喧嘩していた訳じゃないが。

 あと、イカサマは厳重注意された。

 今度やったら鼻にクリーム詰めて、耳にバナナ刺すらしい。

 

「では、これを出して、これで、攻撃です」

 今はアイラとデュエル中。

 アイラはほとんど初心者といえるが、ルールを理解していない訳ではない。

 俺が前にカードをやっていた時に、対戦相手が欲しくてアイラに頼んだ事がある。

 その時にルールはしっかりと教えていた。

 あの時は毎日のようにデュエルをしたっけな。

 毎日のようにしていたんならアイラは初心者とは言えないんじゃないか。

 いや、でも、なんかそんな雰囲気なのだ。

 アイラのカード捌きとか、カードゲーム用語のたどたどしさとか、そういうのがいつまでも初々しいのだ。

 だから、つい初心者と呼びたくなる。

 あの頃のアイラの勝率は4割くらいだったかな。

 アイラはカードを俺としかやってなかったから俺との勝率ということになる。

 あれ? 結構俺負けてね?

 

「ターンエンドです」

「俺のターン、ドロー」

 淡々と過ぎていくターン。

 陽が机を優しく照らしている。

 照り返すカードのイラスト。

 アイラの黄金色の髪も淡く綺麗で。

 穏やかな時間。

 ゆったりとして、落ち着く。

 過ぎていく。

 ターンは繰り返す。

 そして。

 

「このカードで、ダイレクトアタックです」

「なん……だと……」

 普通に負けた。

 

 ……。

 …………。

 ………………。

 

 夕方過ぎまでカードで遊び倒し、解散となった。

 何がめでたい訳でもないのに、騒いで騒いで騒ぎたおした。

 楽しかったのだと、思う。

 平和だ。

 あんなことがこの町でまかり通っているなど、とても信じられないくらいに。

 でも、起きているのだ。

 実際に、人が何人も死んでいるんだ。

 日常の傍らで、非日常の闇がいつも寄り添っている。

 今日のような平穏が、どこにでも在れるようにしたい。

 その為には、努力を惜しまない。

 戦う。

 いつまでも。

 

 ――騒ぎ倒している時、ふと津吉がいつもと違う表情をして口にしていた言葉が、なぜか印象に残っていた。

『俺はやっぱり、こんな時間が大好きだよ。この日々が、日常が』

 穏やかに目を細めて、そんなことを、言っていた。

 

 



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11話 魔竜

 

 

 夕食の匂いが鼻孔に届いて、食欲が刺激される。

 料理をするアイラの後姿は可愛らしく、主婦、若妻というよりも、子供が頑張っているみたいだ。

 ひよこの絵が描かれたエプロンを付けて、ひょこひょこと動く。

 その度にスカートが、金髪が、揺れて踊る。

 視覚良好。目の保養。

 毎日できるリラックス法だ。

 

「できましたっ」

 くるっと振り返って笑顔のアイラ。

 その手には、湯気を上げるオムライスの乗った皿。

 今日も我が家の夕食は、美味そうだ。

 

 

 美味かったオムライスを完食後。

 アイラが紅茶を淹れてくれた。

「はい、どうぞ和希さん」

 素人の俺が見てもいい感じの色合いだと思われる紅茶が俺の前、テーブルに置かれる。

 アイラも対面に座って飲み始める。

 落ち着く時間。

 ラノベを読みながら飲もう。

 続きを最近読めていない気がする。

 まあ、その前に一口飲んでから。

 カップを傾けて口内に注ぐ。

 芳醇。

 その一言に尽きる。

 可愛い妹の淹れてくれた紅茶ってのが、一番の美味さ要因かもしれないけれど。

 ラノベを取りに行く前に、やっぱりもう一口だけ飲もう。

 カップに口を付ける。

 香りを直に感じながら、淡い色の液体を楽しもうと傾ける。

 

 

 ドクンッ。

 

 

 奥の奥からの、全てを震わす鼓動。

 手元が狂い、カップを取り落とす。

 カップがテーブルと衝突する、嫌な鈍い音が響く。

 紅茶が撒き散らされ、テーブルに広がっていく。

 

「わっ、和希さん大丈夫ですか? タオルタオルっ」

 アイラは慌てて立ち上がって、タオルを取りに行った。

 視界が歪む。

 まるで立ち眩みのよう。

 だが違う。

 それを俺は解っている。

 感覚で理解する。

 今の鼓動は何か。

 心臓でもない、脈打った異常は何か。

 大罪戦争やら、得体の知れない情報を得た時と似たような感覚。

 その時と同じように、完全に、確実に、結実に、理解する。 

 

 今、先に鼓動を感じ取った瞬間。

 どこかで、俺以外の大罪者が罪科異別(ざいかいべつ)を使った。 

 つまり、この町で今、戦闘が起こっている可能性が高い。

 

 それを知ったなら、俺は何をするか。

 決まっている。

 

 アイラがタオルを持って戻ってきた。

「アイラ、俺今から出かけてくる。急用だ」

 アイラの、藍色の瞳をしっかりと見つめながら言った。

「はい……気を付けてくださいね。絶対に、帰って来てください」

 アイラも真剣な表情に変わる。

「わかってる、約束したしな」

「はい、いってらっしゃい」

 送り出す言葉と共に、微笑みを見せてくれた。

「いってきます」

 俺はそう返すと、すぐに走り出した。

 

 リビングを出、短い廊下を駆け、靴を履く時間も惜しいと急いで履き、玄関を乱暴に開けて外に出る。

 外は暗い夜。

 星が瞬き、月が照らす。

 走る、走る。

 アスファルトを踏み締め、街灯が寂しく光る夜道を()く。

 目指すは、鼓動を感じ取った方向。

 北東方面だ。

 絶対に、救う。

 待ってろ巨悪。

 走りながら、俺は携帯を取り出した。

 掛ける人は、この状況では一人しかいない。

 登録されている番号へと掛けて、コール音が鳴る中待つ。

 数コール後、繋がった。

『どうもどうも、真白だよ。なに、カズくん?』

「大罪者が罪科異別を使用した。俺の家から北東方面だ」

『え!? ほんと!?』

「冗談でこんなこと言うか」

『そうだね。じゃあわたしも今すぐ行くよ。まずは学校で合流しよう』

「いや、今でも戦闘が起こってるかもしれないんだ。直行したい。目的地にそのまま向かって合流だ」

『それは危険だよ。学校で合流、それ以外は駄目。譲らないからね。それにわたし、カズくんの家どこか知らないし』

 別に俺の家からで例える必要はなかったと後から気づいた。

 お互いが知っている場所からどっちだと伝えれば良かっただろう。

 だがどっちにしろ、真白の声音は頑として譲らなさそうだ。

 今は時間が一秒でも惜しい。揉めている時間が在ったら迅速に行動したい。

「ちっ、分かった。学校に行く」

『うんうん、そうして。わたしも今すぐ行くから』

「切るぞ」

『あまり気負いすぎな――』

 ピッ。

 最後に何か言っていたが聞く前に切ってしまった。

 まあ、いいか。

 そんなことより急がなければ。

 走る、走る。

 ただひた走る。

 

 

 

 校門前に着いた。

 真白はまだ来ていない。

 俺から家を出て走りながら電話したのだ。当然といえば当然。

 しかし、焦燥感が募る。

 まだ来ないのか。

 早く来い。

 今にも誰かが死んでしまうかもしれないんだぞ。

 無意識に貧乏揺すりをしていた。

 駄目だ。クールになれ。

 冷静さを失わずに対処するべきなんだ。

 真白が来る前に、落ちつけよう。

 深呼吸。吸って、吐く。

 繰り返す。

 次第に少しだけだが落ち着きを取り戻してくる。

 外に意識を向けてみた。

 目の前の建物を見上げる。

 夜の学校は、闇を讃えて不気味さを放っている。

 今の心境からそう思えてしまうだけなのだろうが。

 本当は、ただの建物だ。

 学び舎だ。

 俺たちがいつも通っている。時にめんどくさく、時にかったるく、時に楽しい。

 そんな場所だ。

 間違っても、俺たちに害を及ぼすような場所ではないのだ。

 今日も、四人で遊ぶのは楽しかった。

 それが連綿と続く空間なんだ。

 

 足音が聞こえてくる。

 走っている音だ。

 振り返る。

「カズくん、おまたせっ。ごめん遅くなって」

 真白だ。

 急いで来ただろうに、あまり息を切らせていない。

 意外と体力があるのか。

 いや、意外でもなんでもないか。

 どっかの組織に属しているんだもんな。

「本当だ。遅いぞ」

「だからごめんって」

「そんなことより急ぐぞ」

「うん、そうだね」

 二人して即座に走り出す。

 目指すは、北東。

 具体的な場所は分からないが、そっち方面に向かっていれば戦闘音とか、とにかく普通じゃない異音が聞こえるだろう。

 日常には相応しくない、音が。

 

 

 しばらく走った。

 角を何度か曲がり、家の、店の、前を通り。

 住宅路の一角。

 そこに不審な人影を見つけた。

「あ! あそこの人!」

 真白も気づいたようで、指差す。

 俺と真白は走っていた足を止めた。

 視線の先、数メートル。

 見止めた人影は、スーツを着た中年男性。

 恐らくサラリーマンか何かだろう。

 それだけを見れば、何も不審な点などない。

 しかし、明らかに一般人ではありえない異質を、その男は持っていた。

 

 超然と濃いピンク色に光る、輝く、煌めく、左眼。

 魔眼だ。

 俺の魔眼が訴える。

 こいつは、大罪者だと。

 あの魔眼は、罪科異別だと。

 ならば。

 倒さなければならない相手だ。

 誰も殺させない。

 もうすでに殺しているかもしれなくとも、今からは一人たりとも殺させない。

 ふん縛って、終わらせる。

  

「『総ての救済を望む傲慢な愚者よ、殺戮し、終わりの(ことわり)へと導け』」

 俺は戦闘態勢を整えておいた方が良いと判断し、詠唱する。

 左眼が、翡翠色に煌めきながら輝きを宿した。

 柄、鍔、刀身、全てが翡翠色の短剣が右手に握られる。

 

 そんな俺を視界に入れた後。

 懐に手を入れる男。

 取り出したのは、出刃包丁。

 料理にしか使ってはいけない筈の、人を殺すことが容易の刃物。

 間違っても、こんな路上で取り出していい物ではない。

 それを言ったら、今の俺も大概か。

 包丁と短剣だったら、短剣の方が武器らしい。

 それでも俺は、殺す為にこの武器を使ったりなんてしない。

 したくない。

 してたまるか。

 短剣を構える。

 真白も純白の翼を背に出現させた。

 いつでも戦闘を開始できるように。対応できるように。

 来いよ。人を殺すなんて考え、叩き折ってやるから。

 こっちは二人だ。優位なのはこちらの方のはずだ。

 大丈夫、いける。

 マンイーターは能力が強力だっただけだ。

 このぐらいの相手なら。

 いや、油断するな。

 何か隠してる手があるかもしれない。

 最初から全ての手を表にさらけ出してるなんて、寧ろあり得ないと思え。

 そう、あの魔眼の能力が判っていない。

 包丁は能力とは無関係の物だろう。

 どこの家庭にもある物なのだから。

 ならば最大限の警戒を。

 意識を鋭敏に。

 どんなことが起きても対処できるように。

 汗が頬を伝っていく。

 身体を強張らせてはいけない。

 それは動きを阻害する。

 息を整えろ。

 だが息継ぎの隙を突かれるな。

 慎重に。ある程度リラックスして。

 相手の出方を窺う。

 突っ込んだ方が良いだろうか。

 先手必勝という言葉がある。

 まずは相手に動かせて対処しようと立ち止まったが、そのまま走り寄って攻撃に移った方が良かっただろうか。

 しかしもう手遅れだ。

 今さら別の戦法に変えることができる時間などない。

 一度立ち止まってしまったのだから。

 武器を出す余裕を与えてしまったのだから。

 このまま出方を窺う戦法にするしかない。

 さあ、どう動く。

 

 待て。

 俺はまだ、一言も話し掛けていない。

 包丁なんて持っている相手だが、話してみたら仕舞ってくれるかもしれない。

 可能性は低いが、無くはない。

 話してみれば意外とわかるやつだったなんて事例はこの世にごまんとあるだろうから。

 とにかく、戦闘を避けられるのならそれに越したことはない。

「わたしたちは、攻撃しません。あなたが攻撃してこない限り。ちゃんと話し合わせてください。何か問題を抱えているなら相談に乗りますから。あなたがそれを捨てて、ハッピーハッピー大団円だと嬉しいな」

 俺が何か言う前に、真白が先陣を切った。

 純白の翼を消して、笑顔を浮かべている。

 ならば俺も、それに乗っからせてもらう。

 異別炉(いべつろ)という力の供給源を絶つ感覚を脳内に描き、短剣を消す。魔眼と成っていた左眼も元の黒い瞳へと戻る。

「俺たちは戦いたくてここに居るんじゃない。誰も死なせたくないからここに居る。だからそっちが話をしてくれるのなら無駄な争いはしなくて済むんだ」

「――っ!?」

 サラリーマン風の男が、息を呑んだような気がした。

 

 話し終えると、待った。

 俺たちは、待った。

 俺も真白も迂闊に動かず、待ちの姿勢だった。 

 けれど、数秒もの間、男は呆然とこちらを見て立ち止まっているだけだった。

 何故だ?

 見ているだけの理由は?

 動かない意図は?

 思考でも巡らせているのか?

 迷ってくれているのだろうか?

 それとも、俺達が攻撃するのを待っているのか?

 何か言ってくれなければ、こちらも動くに動けない。

 応えてくれ。

 ただ立って相対しているだけだというのに、精神が削られる。

 これが狙いなのか?

 考えてくれてるのではなく、精神に負担を掛けるため?

 わからない。

 くそっ。

 されど、変化は訪れる。

 変わらないものなど、この世に無いように。

 

 目の前の、濃いピンクに輝く魔眼を持つ男は、反転した。

 後ろに、体の向きをぐるりと変えて。

 振り返って、俺たちとは反対方向に、走り出したのだ。

 つまり。

 逃げた。

 逃げ出した。

 

「ま、待って!」

 真白が叫ぶ。

 俺は動揺が全身に奔り、一瞬動くのが遅れた。

 その間にも距離は離されていく。

 交渉は決裂なのか?

 その上で、戦ったら二人相手だと分が悪いとでも思ったのか?

 それとも何かの罠か。

 どうして。戦わずに済むなら、そっちの方が圧倒的にいいはずだろ。

 なんで、応えてくれないんだ。

 どちらにしろ、結局追いかける以外にないか。

 罠を警戒しつつ、追う。

 これで行く。

 そうと決まれば、距離を放され過ぎる前に行動しなければ。

 即座に走り出す。

 まだ追いつけない距離じゃない。

 真白も俺に並んで走る。

 走る。

 

「『総ての救済を望む傲慢な愚者よ、殺戮し、終わりの理へと導け』」

 左目が翡翠色の魔眼と化し、右手に翡翠の短剣が握られる。

 交渉が決裂したのなら、攻撃を加えてでも止める。

 人を殺させるわけにはいかないのだから。

『貫きを為す攻性の羽』(ティアティス)

 真白も同じ結論を持ったのか、走りながら白く煌めく羽を放つ。

 足を狙ったのか、低い位置。

 しかし。

 コンクリートに刺さる。

 外した。

 俺も男の足に向けて翡翠色の短剣を投擲する。

 されど二の舞。

 外す。

 短剣は地に落ち、金属音を鳴らす。

 距離は、まだまだ縮まらない。

 真白が再度、羽を放とうとする呼吸を感じた。

 

 刹那。 

「『狂い狂う地獄の獣よ、その強靭無比の砕く顎を、矮小なる腕へと貸し与え賜え』」

 

 声、後。

 風切り音。

 聞こえたような。

 いや。

 風を押し潰す音。

 前者より、こちらの方が近い。

 そう思った直ぐ後に。

 (ごう)と、脅威がやってくる。

  

 逃走する男の横合い。

 その道から現れる。黒。

 高速で暴れ狂い突撃してきた、黒き獣。

 突然の事態に、俺は一瞬動揺した。

 もし動揺していなくて、何が出来ていたのかと考えても。

 結局、何も出来なかったのだろう。そんな風に、思う。

 瞬時の出来事だったのだから。        

 

 蛇のような、目も鼻もない口だけの黒き狂獣が、男に喰らい付き。

 捕食者に捉えられた憐れな大罪者は、深淵の闇へと引っ張り込まれるように横の道へと姿を消した。

「あ……」

 喉からヒューと、変な息が漏れた。

 焦りか恐怖か、汗が肌に浮かんでくる。

 あの容姿は、一目見て何か理解した。

 わかってる。

 助けなければ。

 救わなければ。

 まだ生きているはずだ。

 

 どうせもう助からない。

 すぐに死ぬ。

 黙れ!!

 

 横の道に飛び出す。

 そこにはやはり、マンイーター。

 右の眼をオレンジ色に光らせた、飢えた痩せぎすの捕食者。

 そいつが右腕の怪物に、先程の男を咀嚼させていた。

 男の悲鳴が、夜の静寂を切り裂いて響く。

 致命傷だ。

 内臓は既にぐちゃぐちゃであろう。

 助かる見込みは、ない。

 違う。

 可能性はゼロなどではない。

 真白はあの夜、回復する天使術を使っていた。

 それを使ってもらえばあるいは。

 回復できる度合いは知らないが、それでも賭けたい。

 まだ、わからない。

 

「『総ての救済を望む傲慢な愚者よ、殺戮し、終わりの理へと導け』」

 右手へと短剣が握られる。 

 これが、投げたら武器を失うと分かっていながら投擲した理由だ。

 詠唱すれば手元に出現するならば、詠唱の時間を考慮しなければ何度でも投擲できる。

 

「また、君たちか」

 マンイーターが呟いた。

『貫きを為す攻性の羽』(ティアティス)

 だがそれに、俺たちは応えない。

 真白が白き鋭利な羽を飛ばす。

 俺は翡翠色の超常を握り締め、マンイーターへ接近する。

 奴は右腕の獣を盾にしながら、後ろに跳び下がり(ざま)に咀嚼していた男を放り捨てた。

 白き羽が何本か右腕に刺さるが、あまり効いている様子はない。

 やはり右腕以外に命中させなければ効果は期待できない。

 着地後即座に、マンイーターは詠唱。

「『喰らえ』」

 右腕の黒き獣が、蠢動。加速。伸びる。

 横に跳び転がって避けた。

 前回と同じ(てつ)は踏みたくない。

 その為には長期戦は危険だ。

 殺さずに、直ぐに決める。

 足でも何でも、切り裂いてしまえ。

 殺しさえしなければ、御の字だ。

 人を殺した相手に、容赦など必要ない。

 体の部位欠損ぐらい、我慢してもらう。

 立ち上がりの動作に続けて走り出す。

「カズくんしゃがんで!」

 即座にしゃがんだ。

 俺の頭上を、獣の大口が後ろから通過する。

 俺が最初に避けた後に、蛇の様にUターンして二撃目を放ってきていたのか。

 以前にもやられた手だが、焦って失念していた。

 真白のおかげで、助かった。

 

『貫きを為す攻性の羽』(ティアティス)

 連続攻撃を回避されて隙が大きいマンイーターに、白く鋭利な羽が殺到する。

 左腕、左足に、命中。刺さった。

 怯み、体勢を崩す。

 それで、さらに隙が出来る。

 ここが、好機。

 畳みかける。

 走る。接近する。

 肉薄する。

 後は。

 ここで。

 この短剣の柄で。

 顎を殴り付ければ。

 脳震盪を起こし気絶させ。

 終わる。

 

 

『――――――――――――――――ッッ!!!!』

 

 

 咆哮。

 獣の、いや、ただの獣とは思えない、闇から届くような咆哮が、聞こえた。

 直ぐ近く。

 ありえないほど直ぐ近くから、聞こえた気がした。

 目の前のマンイーターも、突然の事態に驚いたような表情をしている。

 ならば、これにマンイーターは関与していない?

 

 ――何故か。

 今は、暗い夜だ。

 月明かりと星の煌めき以外では、街灯ぐらいしか照らすものなどない暗い夜。

 それは解っているが、先程までよりも、自分の周りが。

 より――暗い気がした。

 

 それを感じると同時。

 咄嗟。反射。

 目の前のマンイーターを、突き飛ばす。

 その反動で、自分も後ろに跳んだ。

 一瞬後。

 

 数秒も経たないほど前に、俺とマンイーターのいた場所が。

 その地面、コンクリートが、弾け飛んだ。

 ただ、地面が砕けたなんて、生易しいものではない。

 爆砕だ。

 凄まじい大音が響き、視界がコンクリート片、土埃で塞がれる。

 衝撃が襲う。

 爆弾でも投下されたかのよう。

 衝撃波、風圧で後方に吹き飛ばされる。

 

「カズくんっ!」

 真白の叫ぶ声が聞こえた。

 硬い地面に打ち付けられた痛みが奔り、転がる。

 地鳴りが、辺りに響いた。

 巨大な生物の足音のような響き。

 違う。

 そのまんまだ。

 

 俺の視界に映るのは、巨大な竜としか言えないものだった。

 二階建ての屋根を優に超える、羽のない黒き竜。

 四肢を持ち、二本足で立つ姿は、まさにドラゴン。

 想像上でしか存在しない筈の、脅威。

 生物の頂点に君臨する絶対暴力が、そこにいた。

 

「こんなところで、ラスボス級くんなよな……」

 今までにない脅威。

 身体能力、生物としての力量差は圧倒的。

 普通なら、抗えずに蹂躙され、死ぬ。

 遭遇したこと事態が間違い。

 標的にされたら、終わり。

 

 でも。

 人じゃない。

 なら、殺していい。

 こんな化け物、存在していいはずがないのだから。

 

魔竜(まりゅう)……なんでこんなところに……」

 真白が愕然と呟いた。

 魔竜。

「ハハハ……」

 見た目通りの、そのまんまの名前じゃないか。

 故に、力の権化。

 

「『喰らい尽くせ』」

 マンイーターは、状況の悪さを理解したのか逃げの一手を打った。

 やつの後方にある電柱に、伸ばしに伸ばした右腕の獣を巻き付け、後ろに跳んでいく。

 竜の尾。

 長く鞭のように(しな)るそれが、袈裟切りのように振り下ろされた。

 標的は、マンイーター。

 

 だが俺は、その隙に魔竜へと接近する。

 殺していい相手なら、容赦なく、一片の躊躇なく、やってやる。

「む、無茶だよカズくん! だめ! 逃げるよ!」

 真白が後ろで叫んだが、無視する。

 これは無謀でも蛮勇でもないのだから。

 

 しかし、真白の声でなのか、それとも既に気づいていたのか。

 魔竜の左手。

 強靭で凶悪な鋭い鉄塊のような黒爪を宿した手が。

 俺に向かって振り下ろされた。

 同時。

 魔竜のマンイーターを狙った尾の狙いが、逸れる。

 

 俺は、前に跳んだ。

『護り為す白き羽』(ティアティス)!」

 超常の羽の集合体。真白の生成した楯が黒爪と一瞬ぶつかり合う。

 が、数秒と持たず楯は、破砕音を立てながら粉々に砕かれた。

 それでもその少しの時間が、生死を分ける。

 俺の直ぐ後ろの地を砕く魔竜の左手。

 コンクリートの道は瓦礫と化し、粉砕された欠片が体を打つ。

 鈍い痛みが背中側からいくつも奔る。

 衝撃で前に跳んでいた勢いをさらに後押しされ吹き飛ぶ。

 

 魔竜の尾の狙いが逸れたおかげでマンイーターは間一髪のところ回避し、電柱に巻き付けていた右腕を解き、さらに後方の電柱へと巻き付け、遠くへと跳んで行った。

 俺は吹き飛ばされた後、転がって受け身を取り、即座に膝立ちになる。

 魔竜の黒い視線は、俺を捉えていた。

 標的が俺に移った。

 俺も、魔竜のその目に、睨み返す。

【ロックオン】

 死の概念、対象指定。

 カチリと、楔が填め込まれる感覚が広がる。

 

 マンイーターは、逃げおおせてしまうだろう。

 また取り逃がすことになるが、今はそんなこと言ってられない。

 この化け物を殺すことが、最優先事項だ。

 人を殺すしか能のない怪物など、存在してはいけない。

 

 魔竜が、両腕を振り上げた。

 この化け物は、決して遅くはない。

 この図体で、かなりの速さだ。

 何とかギリギリ避けてはいるが、それもいつまでもつか分からない。

 そもそも二度目は真白のおかげだ。

 体力を消耗して来た時が、最後。

 だから、スピード勝負だ。

 俺の体力が今の動きを維持できなくなる前に、魔竜を殺す。

 簡単なことだ。

 

 俺に向けて振り下ろされる魔竜の両手。

 その大爪に掠りでもしたら、肉は千切れ弾け飛ぶであろう。

 魔竜に向けて、跳ぶ。

 多分、それでも避ける事は叶わなかったのだろう。

 さっきと同じだ。

『護り為す白き羽』(ティアティス)

 後ろで、楯の割れる音。

 地が砕かれる音。

 これは先よりも早く聞こえた。

 両手になった分、すぐに楯が破壊されたのか。

 衝撃が襲う。

 石礫が背に何個か激突し、呻きそうになる痛みが奔る。苦鳴は無理矢理呑み込んだ。

 前に、吹き飛ばされる。

 魔竜の方へ。

 地に再び打ち付けられて転がった先。

 目の前には、魔竜の足。

 

 この怪物の身体は、触れずとも強靭だと分かる。

 コンクリートを爆砕して見せる膂力と身体強度は、動物を優に超えている。

 だからこのちっぽけな短剣を、目の前にある鉱石のような爪を生やした足に刺したところで、魔竜にとって大した傷ではないだろう。

 そうして攻撃後の俺は、為す術なく殺されるだろう。

 圧倒的な化け物。

 ただの人間には、逃げ惑うことしかできない怪物。

 

 されど。

 殺してもいい相手なら、簡単だ。

 

 目の前に鎮座する足に、数瞬後には蹴り上げられて殺されるだろう。

 されど、それまでには僅かな時間が存在する。

 その時間に、動く。

 

 魔竜の足に、翡翠の短剣を思い切り突き刺す。

 刀身が、刃が、ほんの少し食い込む。

 ほんの少しでも、刃が刺さっていればいい。

 そうすれば、絶対の能力は発動する。

 

「『殺害せよ』」

 詠唱と共に、翡翠色をさらに輝かせて発光する短剣と左眼。

 そうして成す力。

 カチリ、と変わる法則。

 キイン、と世界に響き渡る。

 死という概念を、存在の全てに叩き付ける。

 世界の絶対法則として、書き換える。

 

 殺戮終理(さつりくついり)の魔眼。

 この罪科異別は、死の顕現。

 一度でも目を合わせた相手を【ロックオン】し、その対象に前段階の概念、死の(くさび)()め込む。その後、自らの手に握られている翡翠の短剣を僅かでも刺した状態で詠唱することで、対象に死の概念を確立させる能力。

 生存を許さない、殺す為の力。

 如何(いか)な力量差が在ろうと、覆してしまえる力。

 

 詠唱から一瞬後。

 魔竜の巨体は、黒い霧のように霧散し、消滅した。

 

 俺はしばらく、茫然と敵の消えた宙を見つめていた。

 

 

「カズくん! 大丈夫?」

 純白の翼を消して走り寄ってくる真白。

 俺も短剣を消し、魔眼は普通の瞳へと戻る。

「無謀ではなかっただろ?」

「いや得意満面に言われても。すごく無茶なのは変わらないよ!」

「俺の能力は教えてあっただろうが」

「知ってても無茶だと思ったんだよっ。実際わたしが防いでなかったら危なかったでしょ?」

「真白なら何とかしてくれるって思ったんだよ」

「本当に?」

 訝しげ。

「本当だ」

 何とかしてくれなくても何とかなるだろとは思っていたが。

「まあ、今はそれはいいや。傷、治療するからじっとしてて」

 そう言って、座り込んだ俺の前に膝立ちになる。

 ふわりと白色のスカートが揺れ、甘くいい匂いが届く。

 白色のパーカーには、血が一滴も付いていない。

 

 あっ。

 なんか、張り詰めたものが抜け落ちていくような感覚がした。

 心が、少し暖かくなる。

『包み癒す擁の翼』(ティアティス)

 真白の背に生えた白き翼が、俺を包む。

 最もひどかった背の痛みが、癒えていく。

 擦り傷も、癒えていく。

 白く綺麗な髪に、白き翼、白のパーカー、白のスカートで、白尽くし。

 本当に、天使のよう。

 そういやこいつ、天使だった。

 今日は、もう終わりか。

 やれることは――  

 

「きゃっ!」

 俺が無理矢理立ち上がったことで、突き飛ばされたみたいに尻餅を突く真白。

 一瞬の罪悪感を握り潰し、走り出す。

 どうして忘れていたんだ。

 一時でも失念していたことに憤死しそうなほど自身を嫌悪した。

 倒れている人影に近づく。

 マンイーターに大怪我を負わせられた大罪者だ。

 大怪我なんだ。致命傷なんかじゃない。

 そのはずだ。はずだ。

 そうであってくれ。

 

 その人の前に着くと、膝を突き体に触れてみる。

 首、手首、触れる。

 脈は、ない。

「――っ」

 いや、わかってた。

 わかってたんだ。

 見ただけで、この出血量はどうあがいても助からないって、わかってたんだ。

 瞳を閉じたその顔は、苦悶なのか安らぎなのか、わかりもしない。

 待て。まだ諦めるな。

 助ける方法は。

 

「真白! この人を回復することは出来ないのか!?」

 最後の頼みの綱だった。

 今から救急車を呼んだところで絶対に助からない怪我。

 しかし、超常の力を持つ天使の真白になら、二度俺の傷を癒したように治してくれるかもしれない。

 頼むよ。

 もうこれしかないんだ。

 

「カズくん……わたしの力は、そんなに強くないんだよ。天使の中でも、一番弱い方なの。だから無理。ごめん。それにここまでの傷だと、たとえわたしよりもずっと強い天使でも難しいと思う」

 沈痛な表情を俯かせる真白。

「どうして俺なんかの軽傷の方を優先させた? 俺よりも一早く助けなきゃいけなかっただろうが」

 自分でも、わかっている。

 俺は、最低なことを言っている。

「さっき診た時、もう、手遅れだって解ってたからだよ。そうでなきゃ重傷者の方を優先させるよ」

 俺が茫然としていたときに、既に診ていたのだ。

 知ってた。

 薄々知ってた。

 だって、綺麗に死体が仰向けにされて、目が閉じられていた。

 わかってたよ。

 でも理解したくないんだ。

 納得したくないんだ。

 その感情の発散を、真白にぶちまけるのは間違っている。

 冷静な思考はわかってたはずなのに、止まらなかった。

 

「くそっ! だったらお前は、どれぐらいの怪我なら治せるんだよ。それでも天使かよ」

「重傷は無理かな……軽傷なら大丈夫。軽傷異常だと、厳しい。カズくんの手当てをした時の怪我くらいで、わたしの回復天使術の力60%ぐらいの強さかな。あと、わたしは一応天使だよ」

 穏やかな声音で、寂しい微笑を浮かべながら答えてくる。

「……」

 そんな顔で言われたら、何も言えなくなった。

 最低の感情放出は、あっけなく途切れた。

 

 まただ。また助けられなかった。どうしてだよ。どうしてこんなんばっかりなんだよ。

 心の中では、理性的でない自分がそう叫ぶ。

 でも理性的な自分は、もう黙って、真白への罪悪感に耐えるように目を瞑っていた。

「すまん。ごめん。酷いことを言った。さっきも突き飛ばしたみたいになって悪かった」

「ううん。いいよ。わたしもそんな時があったから」

 首を振って微笑みを向けてくる。

 それに少し、救われた気持ちで、死体に振り返る。

 死者蘇生なんて禁忌でもなければ目を覚まさない、ただの骸だ。

 もうこの人は、死んでいる。

 事情も何も、聴けないまま。 

 

「これで、大罪者は一人減ったのか……?」

 魔眼を所有していたということは、そういうことなんだと思った。

「多分……でも、何か違う気がする」

 しかし真白は、歯切れ悪くそう答えた。

「違う?」

「うん。魔眼を発光させていたのに罪科異別を使っている様子が無かったから、そんな気がしたんだけど。今はまだ断定は出来ないかな」

「そうか……」

 俺も、違和感はあった。

 でも、今はわからない。

 だから、考えたところで適当な憶測しか出来ない。

 いろんな可能性を推測しておくことは、大事かもしれないけれど。

 

「なら、今日はもう終わりか」

「そうだね。帰ろう。疲れたもんね」

「ああ……」

 本当に。

 手を差し伸べてくれた真白の手を掴み、立ち上がる。

 そうして俺たちは、帰路に就いた。 

 

 



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12話 励まし

 

 

 6月9日火曜日

 

 

「お前今日元気なくね?」

「は?」

 津吉がそんなことを言ってきた。

「俺ほど元気なやつはそう居ないぞ」

「自分で言うのか……つーか元気ないやつのそんな言葉信じられるかってんだ」

 呆れたような表情。その顔殴っていいすか?

「友を信じないとな?」

「何でもかんでも受け入れるのと信じるのは違うんだよなあ」

「ああ言えばこう言う」

「それはお前だろ」

 

 ふと目に入る鉄色。

 刃物。危険物。

 津吉の手に握られている。

 心臓の脈動が、手を当てずとも分かるくらい早くなった。

 

「そ、その包丁は何だよ」

 声が震えて少しの恐怖が芽生える。

 昨日の夜の出来事が、脳内に映る。

 濃いピンクの魔眼を持った、大罪者。

 包丁を取り出し、相対したと思ったら逃げ出し。

 そして――。

 

「なにいってんだ。今は家庭科だろ」

「え? ――――あ」

 視界が鮮明になる。周りを見る。

 俺が今居るここは、家庭科室。

 クラスメイトがめいめいのテーブルについて料理をしている。

 そうか。

 料理してるんなら、包丁ぐらい使うよな。 

 今は、家庭科か。

 何時間目だっけ。

 作ってる料理はなんだったか。

 野菜炒め? チンジャオロース? ボルシチ? ハヤシライス?

 忘れた。

 

「お前本当に大丈夫か?」

「なにがだ」

「いや様子がおかし過ぎるだろ」

「おかしいのはお前の頭だろ?」

「茶化すなよ」

 しつけえな。

 

「は~い。お話ししてないでちゃんとやらなきゃダメだよ?」

 その時、担任の伊里村庵子(いりむらあんこ)先生が俺たちの間に割り込んで甘ったるい声を響かせた。

 小中学生みたいな背格好をした栗色の背ぐらいまでのウェーブヘアー教師。

 顔は童顔で老けた様子が一切ない。

 これでももうすぐアラサーだから世の中分からないと思う。

 

「はい! わっかりましたあんこちゃん!」

 津吉が暑苦しく鬱陶しいぐらいのテンションで答える。

「さーせん」

 俺も一応返答する。

「もう、庵子先生でしょ?」

 頬を膨らませて自分の呼び方を注意する庵子ちゃん先生。

「でもあんこちゃんはあんこちゃんなので!」

 爽やかないい笑顔で言葉を発する津吉。 

「もう、剛坂(ごうざか)くんは。しょうがないんだから」

 苦笑少し、優しい微笑ほとんど、みたいな表情で言う庵子先生。

 ちょろい。

「ちょろい」

「え?」

「バッ、お前!?」

 思わず口に出てしまった。

 あまりのチョロさに俺の口は耐え切れなかったようだ。

 津吉の慌てようからするとこいつも思ってはいたみたいだな。

「むぅ。相沢君ひどいよ。私そんなんじゃありませんよ?」

 眉をハの字に頬をまた膨らませ、ご立腹。

「あんこちゃんかわいいよ!」

「庵子先生です!」

 津吉が叫び、俺に言われて気が変わってしまったのか再度名前を訂正しだす庵子ちゃん先生。

 

「とにかく、ちゃんと料理完成させてくださいね? じゃないとひどいですよ?」

「そこはもうお任せください!」

「はい、すいませんでした」

 庵子先生は他のテーブルの方へと去っていった。

 

「なあ。和希」

「なんだよ」

 一間空いた。

 その一瞬だけ、全ての音が遠ざかったかのような錯覚を覚える。

 

「頑張れよ」

 

「…………」

 なにをだ? という言葉が、なぜか出てこなかった。

 どんな言葉も、返せなかった。

 そして妙に、その言葉が染み渡った。

 

 津吉は言うだけ言うと、野菜を切る作業に戻った。

 家庭科の授業は(つつが)なく進み、やがて終わった。

 

 

 

アイラside

 

 

 休み時間の教室。

 私は悩んだ末、お友達に相談してみることにしました。

 隣の席の千枝(ちえ)ちゃんに向き直って、訊ねます。

「千枝ちゃん、元気のない男性を喜ばせるいい方法を知りませんか?」

「ぶふぉうっ!?」

 椅子から立ち上がりかけていた千枝ちゃんは、聞いたこともない声を出して噴き出しながら尻餅をついてしまいました。

「だ、大丈夫ですか?」

 急な変容で心配です。

「だ、だいじょぶ……」

 首をブンブン振って意識を切り替えている様子、揺れる茶色のポニーテールは千枝ちゃんのチャームポイントです。

「アイラちゃん、男でも出来たの……?」

「え!? そんなんじゃないですよっ。ただ和希さんが元気ないように見えて、何かしてあげたいけど何が一番いいのか分からなくて」

「ああお兄さんね ほんとブラコンなんだから」

 千枝ちゃんは少し呆れた様子ですけど。

「はい、大好きですよ」

 私は自信をもって答えます。

「……そんな満面の笑顔で頬赤くされたらもう何も言えないわよ」

 苦笑を浮かべる千枝ちゃん。

「まあ、そうねえ、お兄さんを喜ばせる方法ねえ」

「はいっ、元気出してほしいんです」

「次会うのはお昼休みの時でしょ?」

「そうですね、お弁当を一緒にいただきます」

 千枝ちゃんは少しの間考えるように唸った後。

「うん、そうね、まず女の子に積極的に迫られたら男ってのは嬉しいものなんじゃないかしら」

「積極的、ですか」

「そうね、多分。そして、男女二人で弁当食べるんならアレよ」

「アレ、ですか?」

「そう、アレよ――」

 

 

side return

 

 

 

「はい、あ~んです」

「は?」

 昼休みの屋上。

 アイラと、ベンチで隣り合って座りながら弁当を食べていた時。

 なぜか唐突にアイラがそんなことを言いだした。

 微笑みを浮かべながら卵焼きを俺の口の前に差し出してきている。

「なんのつもりだ?」

 今までこういうことをしてきたことがなかったので戸惑いと怪訝な思いが溢れる。

「やってみたかったんです」

「急だな。俺の予定も確認してくれよ」

「とにかく、あ~んしてください」

 軽口はサラッといなされた。

 しょうがないので妹の我が侭に付き合ってやる。

 口を開けて待った。そこに卵焼きが詰め込まれる。

「どうですか? 美味しいですか?」

 アイラが笑顔で首を傾げると、サラサラと黄金色の髪が肩を流れる。

「まあ、いつも通りに美味い」

「ふふ、それならよかったです」

 そう言うとすぐに次のおかず、一口サイズハンバーグを差し出してきた。

「はい、あ~んです」

「お、おう」

 また口に入れられる。

 咀嚼、嚥下。

「あ~ん」

 主食の米まで。

「待て、いつまで続けるつもりだ」

 流石に制止する。

「全部食べ終わるまでですけど」

 キョトンとした表情。

「いや、なぜそんなこと言うのか分からないみたいな顔されても」

「ダメなんですか?」

 残念そうに眉を下げる。

「いいか。アイラ」

 諭すように言葉を紡ぐ。

「はい」

 真剣に聞く態勢のアイラ。

「俺たちは恋人じゃない」

「そうですね」

「俺たちは兄妹だ」

「そうですね」

「だからこれはおかしい」

「兄弟ではなぜダメなんですか?」

「こういう行為は恋人同士がするものだからだ」

「そんな決まりはポイッってしちゃえばいいんですよ」

 頬を膨らませて不満顔。

「モラルは大事だぞアイラ。人の世を生きて行く上で」

「誰も見てないここなら大丈夫です」

「なぜそこまで意固地になる」

「和希さんこそ」

「うーむ」

「むむむ……」

 お互い唸りながら頭を悩ませる。

 やはりあれか。

 津吉にも言われたが元気が無いように見えるのか。

 そんなつもりはなかったんだが。

 仮に、元気がないからってこんなことする理由はわからない。

「したいんです、させてください」

 上目遣い。

 アイラはわざとそういう行為をする性格ではない。

 背が低いので必然的にそうなってしまうことが多いのだ。

 台詞も誤解を与えそうだがいたって本人は大真面目。

 しかし、アイラにこんな顔されたら全く心が動かないというのも無理というもの。

「まあ、いいが」

「本当ですかっ? やったっ」

 満面の笑みを浮かべ米を差し出してくる。落とさないか危ういな。ああ、何粒か落ちそう。

「あ~ん」

 アイラのあ~んを聞きながら、落ちないうちに急いで口に入れた。むしろ自分から食い付きにいった。

 咀嚼していると。

「これからも美味しいごはんいっぱい作りますから、食べてくださいね。食べてくれますか?」

「ああ」

 何を当然のことを。

「……」

 沈黙、何か言いたげな雰囲気。

「なんだ?」

 黙っていられるのも嫌だったので促した。

 

「辛かったら、いつでも前言撤回して放り出してしまっても構わないですからね」

 そうしたら、そんなことを言ってきた。

「それはしない。頑張るに決まってんだろ」

 諦める訳にはいかない。

 というか、もう逃げだせる状況ではない。

 俺は大罪者に選ばれてしまったのだから。

 この大罪戦争が終わるまでは、どちらにしろ巻き込まれる。

「何を勘違いしてんのか知らねえが、俺はいつも通りだぞ」

「和希さん……」

「それに、なんで言ってもねえのに俺のこと分かんだよ可笑(おか)しいだろ」

「わかりますよ。何年妹やって来てると思ってるんですか」

 まるで包み込むような、暖かい笑顔だった。

「そういうもんか……?」

「そういうものなんです」

 

 心遣いは、俺の為を思ってしてくれるのは嬉しくない訳ではないが。

 俺はやりたいことを全力でやってるだけで、それはつまり自業自得なわけで。

 気遣いが心地いいと同時に、複雑だ。

 

「あ~ん、ですっ」

 弾んだ可愛らしい声音。鈴を鳴らしたような、なんて月並みな言葉では表しきれないほど。

 密着しそうなほど隣り合って座っているから、甘くいい女の子の匂いを感じる。

 揺れる黄金色の髪はいつも通りに綺麗で。

 慈愛溢れる存在。

 そんな単語が頭に浮かぶほど、アイラは――俺の妹は理想の女の子を体現していた。

 前に妹相手に欲情してしまった事があったが、それを自分でしょうがないと思ってしまうほど。

 複雑さは消えないが、今は流れに身を任せてもいいかもな。

 

 そして何度もあーんを繰り返すと、俺は気づいた。

「アイラ、お前弁当が無くなりそうじゃねえか」

「あ、本当ですね」

 弁当箱の中身は、プチトマトが一つとご飯が少量だけになっていた。

 アイラはまだほとんど食べていない。

「食え」

 と俺は自分の弁当を差し出した。

「いいんですか?」

「お前が作ったもんだろ。つーかお前の方を俺がほとんど食ったんだから同じ弁当を交換するみたいなもんだ」

「それもそうですね。では、少しだけください」

「少しも何も全部いいんだがな」

「和希さんの分はいつも私より多めに作ってますから、まだ物足りないでしょう?」

「まあ、少しはな」

「はい、なので少しでいいですよ」

 といっても三分の二ぐらいはあげてもいい。

 それだけアイラが食べれるかは分からないが。

「では、ください」

「おう、食いたいぶんだけ食え。その後俺はかっ込むから」

 弁当を渡そうとした。

 しかしアイラは受け取らない。

 腕を動かそうともしない。

 口を開けている。

 こちらを期待の瞳をキラキラさせてじっと見ている。

 これは、あれか。

 俺にもしろと。

 そういうことか。

「しょうがねえな」

 嫌ではない。

 俺は、雛鳥のように開けて待っている口に何度も食物を投入し続ける作業をしばらく続けた。

 こんなの、完全に恋人じゃないか。

 そう思いながらも止めようとしない自分に苦笑と自嘲をしながら、昼休みを終えた。

 

 

 

 今日も授業が終了し、放課後になる。

 アイラは友達と遊ぶ約束をしているらしいから、今日は一緒に帰ることは出来ない。

 一人で帰ろうか、それとも津吉か真白と帰ろうか、はたまた三人で帰ろうかと考えながら椅子から立ち上がった。

 すると。

 トンッ。

「あ?」

 後ろから肩を小突かれた。

 振り返ると、ダッシュする直前体制の真白。

「あははっ、カズくんここまでおいで―!」

 そう言ってパチリとウインクし、放課後特有のクラスの喧騒をすり抜け走り去っていった。

 

 カチン。

 意味不明で生産性のない行動と、その態度にさすがの俺もおこだった。

 全力ダッシュである。

 

「待てやゴラアアアア!」

 教室を出、廊下を走る。

 真白の背を猛獣のように食らい付こうと追いかける。

「あははははっ」

 真白は笑いながら走っている。

 三階の廊下を駆け抜け、階段を飛び降りるように下り、二階、一階と下りていく。

 そして一回の廊下を猛ダッシュ。

「お前ら何をやってる! 廊下で走るな!」

 教師の怒鳴り声も無視し。

 驚きの速さで靴に履き替え、昇降口を出る。

 校庭を走り、校門から道路に出る。

 それでもまだ真白は走るのをやめない。

「お前、どこまで行くつもりなんだ! わけわかんねえぞ!」

「あははははははっ」

 俺の叫びには答えず、ただ楽しそうに笑い声をあげながら走る速さは全力なまま。  

 意地になって追いかけた。

 ただただ追いかけた。

 二人して街を疾走する。

 俺は黙々と。

 前を走るヤツは大笑(たいしょう)しながら。

 俺はなぜこんなことをしているのだろう。

 

 ……。

 …………。

 

 そしていつしか、河川敷についていた。

 詩乃守と遊んだ場所だ。

 お互い疲れて、土手に斜めになった場所の芝生にぶっ倒れる。

 もう走れない。

 ここまでずっと全力疾走してきたのだから当然だ。

 

「「はあ……はあ……」」

 しばらく俺たちは息を整える。

 見上げる空は青い。

 うん、青い。

 どうってことない、いつもの空だ。

 太陽が眩しい。

 

「お前、何がしたかったんだよ、どうしてそんなに元気なんだよ」

 息を整え終わると、言葉をぶつけずにはいられなかった。

「月並みだけど、辛い時こそ笑えって言葉があるでしょ? つまりそういうこと」

「なにがそういうことだよ」

 太陽のような笑顔でそんなことを宣うもんだから脱力感が酷い。

 辛い時こそ笑え、ね。

 

「……」 

 違和感のある楽しそうな笑顔を前に見たが、そういうことなのか。

 変なテンション高い発言も、そういうことなのか。

 こいつは、隠すタイプだ。

 無理にでも笑って、前向きに生きようとする。

 今日のそれは極端だが、基本そんな感じなんだろう。

 

「あんまり無理すんなよ。そのうち潰れても知らねえぞ」

「カズくんにだけは言われたくないな」

「なんでだよ」

「わかってるくせに」

「……………………」

 

「――絶対に、救うぞ。俺たちで」

「うん。悲しい結末なんて、いらないよ」

 もしかしたら、こいつは俺と似ているのかもしれない。

 いや、似てないな。似てない似てない。

 

「なあ」

「なあにカズくん」

「昨夜の戦いで魔竜とか言ってたが、あれはなんだ?」

「あぁ……魔竜ね。うん。あれは、魔竜は凄く強いんだよ。なんで倒せたのか今でも不思議なくらい」

「まあ俺だしな」

「その自信過剰っぷりにはもはや呆れを通り越して感心すら覚えるかもしれなくもないかもしれないな」

「どっちだよ」

「それはそうとして、魔竜の前に魔獣から説明しなきゃならないんだけど」

「続けてくれ」

「魔獣っていうのは、異別や魔力が色々何やかんやあって混ざったり化学反応ならぬ魔力反応を起こして発生してしまう怪物の総称なんだけど、魔竜はその中でも最上級で、滅多に現れないんだよ」

「具体的にどれぐらい強い?」

「それはもう、歴史に惨劇を何度も作り出してきたほどだけど。具体的に言うなら戦闘のプロの異別者が何人束になっても皆殺しにされてしまう割合の方が多いくらい」

「そうか」

 やっぱり、強いのか。

「一般にお化けとか妖怪とか宇宙人って呼ばれてるのは基本多分魔獣のことなんじゃないのか、というのが異別関係者の大体の見解だね」

「魔獣や魔竜を人が創り出すことは可能か?」

「まあ、できるね」

「魔竜は滅多に出ないんだよな?」

「うん、そうポンポン現れたら人類存亡の危機だよ」

「なら、昨夜の魔竜は」

「カズくんの考えてる通りかもしれないね。どこかの異別者、多分大罪者の罪科異別の可能性が高いと思う。相当強力な異別じゃないと魔竜を創り出すほどまでは無理だからね」

「……そうか」

 

 戦わなければならない敵に、あれほどの化け物を創り出せる相手がいる。

 より気が引き締まる思いだった。

 何とか昨日は斃せたが、本来なら為す術なく蹂躙されるほどの圧倒的な化け物だったのだ。

 

「というか、カズくんの罪科異別もそれと同じくらい破格だよ。ことがうまく運んだからとはいえ、魔竜をあっさり倒しちゃうんだもん」

「まあ、な……」

 人には使いたくないから、化け物相手限定の能力だが。

 それ以外では、ただの短剣に過ぎない。

 

「なにはともあれ、魔竜を創り出すほどの敵は警戒しといた方がいいよ」

「そうだな……」

 

 しばらく寝そべっていると、夕焼けが見えてきた。

 もうこんな時間か。

 俺たちを労わるように、空を暁色で覆っている。

 見るものなど、その時その時の心情で変わってしまうものなんだな。

 前は、マンイーターの魔眼と同じ色だな、なんて思ったが。

 横を見ると、真白はじっと空を見つめていた。

 さっきからお互い黙って寝ころんでいたが、不思議と心は凪いでいた。

 落ち着かないという感情は、湧いてこない。

 会って間もないはずなのに、なんでだろうな。

 一応、一緒に死線を潜った仲ではあるが。

 

 

「何そんなとこで寝そべってんですか?」

 視界は暁から黒とピンクへ。

 詩乃守が俺の顔を覗き込んでいた。

 今日も今日とて、この河川敷で中二趣味をしに来たらしい。

 黒マント、黒眼帯、薄いピンク色の服。

 黒髪のツーサイドアップとアホ毛がひょこひょことゆれている。

 かっこよく見せたいのだろうが、小動物のような可愛さが大部分に出てしまっている。

 このままでいいと思うから本人には言わないが。

 

「いや、な。頑張ろうって話だ」

「? よくわからないですけど、頑張ってください?」

「おう。頑張るよ」

「で、そちらは?」

 詩乃守は真白の方を見て訊ねてきた。

「あ、わたしは春風真白っていうんだ。カズくんの友達だよ。よろしくね」

 笑って手を振り、気さくに対応する真白。

「詩乃守姫香です。よろしくです」

 詩乃守は礼儀正しくお辞儀した。

 あれ? 俺の時より相手敬ってね?

 

「ぁ……」

 真白が小さく声を漏らし、少し気遣うような様子を見せた。

 詩乃守の顔に視線を数瞬固定していた。すぐに自然体に戻ったが。

「あの眼帯はただのファッションだぞ」

「ええ!? そうなの?」

 大げさなリアクションでびっくり仰天する真白。

 白髪(はくはつ)が跳ねて踊った。

 

 詩乃守は左の眼帯に右手を当て、無駄に洗練されたかっこいいと思われるポーズを取った。眼帯への手の当て方すら凝っている。きっと何度も練習したんだろうな。この角度が良いかな? なんて鏡の前でやっている姿がありありと浮かぶ。

「この眼帯は、私の大いなる魔力が暴走してしまわないように――」

「とまあ変なこというやつだが悪いやつじゃないと思うぞ」

「そうだね。可愛いもんね」

「話を聞け!」

 

 詩乃守は一つ息を吐いて。

 その後深呼吸をして。

「あの……先輩……」

 躊躇いがちに言葉を発してきた。

「なんだ?」

「えっと、その……」

 数秒黙った後。 

 

「ごめんなさい……やっぱりいいです」

 かなり思いつめたような表情でそんなことを言った。

「そんな顔で言われても納得できないんだが、とにかく言ってみろ」

「いえ、ほんとにいいです!」

 強めの口調で放たれた言葉は、拒絶を意味していた。

 自分から最初は話し掛けておいてそれはなんだと言いたくもあるが、迷った挙句のことで、今は言いたくないのなら、無理に聞くのも悪いか。

「なら、言いたくなったときは遠慮なく言え」

「はい……」

 そう答えてくれたので今はこの話は終わりにする。 

 

 その後は気分をお互い切り替え、三人でしばらく駄弁って、帰途に就いた。

 詩乃守はまだ河川敷に残るようだった。

 元々中二ごっこをしに来たのだろうし、少しやってから帰りたいのだろう。

 もちろん、暗くなる前には帰れと釘を刺しておいた。

 

 



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13話 螺旋の黒槍

 

 

 夜。静かなリビング。

 アイラと二人ソファに座って、俺はラノベを、アイラは恋愛小説を読んでいる。

 

 今、佳境なシーンだ。

 主人公が力を覚醒させ、強大で、数も多い敵をバッタバッタと倒していく。

 疾風のような剛撃を、その上を行く速度と力で捻じ伏せる。

 敵の攻撃は、掠りもしない。

 一足一刀で敵は沈む。

 後に残ったのは、無数の屍と一人立つ主人公のみ。

 正に強力無比。

 戦闘ではなく蹂躙。

 絶対に負けず、必ず敵を倒す。

 

 俺も、こうできたらいい。

 こうしたい。

 いや、して見せる。

 救うんだ。

 敵を殺さず、自分も死なず、誰も殺させず。

 

 ――――殺さず?

  

 

 今は、夜の10時くらい。

 大罪者の捜索は、もうしていない。

 昨夜、罪科異別の発動を感知できることが判明したため、わざわざする必要はないだろうとなったからだ。

 続けたとしても、無駄に歩き回って体力を消費するだけだろう。

 このことは既に真白に言ってある。

 つまり、それまでは待つしかない。

 ずっと気を張っていても滅入ってしまうし、いつも通りに過ごす。

 そうやって自然体でいた方が良い。

 時が来たら、兜の緒を締めて出陣する。

 その心構えだけ忘れずに、突然の事態にも一瞬で切り替えて対処できるようにしておくことが大事。

 だから今はラノベを読む。

 とにかく何でもいいから普通に日常を過ごす。

 

 一息吐く。

 身体が少し震えた。

 少し催したようだ。

 本をソファの上に置いて立つ。

 アイラも同時に立った。

 同時に歩き出す。

 ドアの前でぶつかりそうになった。

「なぜ俺と同じ行動をする」

「え、えっと、お花摘みです」

「俺もだ」

「男の人はそう言わないみたいですよ」

「そんなことはどうでもいい。俺は我慢が出来ない」

「わ、私もですよ?」

「どうかお兄ちゃんに譲ってくれないだろうか」

「でも、こ、このままだと……」

 アイラは太ももをすり合わせて顔を赤くしている。

 ふう。

「漏らすと?」

「はい……」

「なら一緒に入ろうか」

「無理ですよ……。女の子は座ってするんですよ……?」

「むしろ座らずにできるのだったらいいと思ってるような言動に驚きなんだが」

「ごめんなさい和希さん、私行きますね」

「しょうがねえな」

 リビングから出てすぐ近くにあるトイレに入るアイラ。

 まあ、待っていよう。

 女性よりは我慢できる自信はある。

 抑えられるのにアイラをからかっていたまである。

 あと一、二時間はいける気がした。

 

 ドクンッ――。

 

 内の奥から、鼓動が響いた。

 視界が一瞬捻じれる。

 (こと)なる(ことわり)を感知。

 罪科異別が、使用された。

 

 今、来るのか。

 いつ来ても、おかしくはないのだろうが。

 気がかなり、緩んでいる時だった。

 

「アイラ、少し出かけてくる」

 トイレ越しにアイラに伝えた。

「へ!? あ、入らなくていいんですか?」

 アイラの問いには答えず、俺はスマホを取り出しながら走り出す。

「真白、罪科異別が使用された。方向は――」

「い、いってらっしゃい……!」

 後ろからアイラのそんな声が聞こえた。

 

 

 

 夜道を走る。

 罪科異別が発動されたであろう地点を目指して、走り続ける。

 その道の横に、街灯と共に公園がある。

 小さな公園。

 そんな言葉がぴったりな、本当に小さな公園。

 視界の端、その公園内に、異形が見えた気がした。

 

「…………」

 立ち止まる。

 目的地に向かうことを優先するか、目の前の脅威かもしれないものを探すことを優先するか考えた。

 時間は惜しいが、とりあえずさっき視界に映ったものを確認してから考えようと思う。

 方向を転換し、公園の敷地内に入る。

 

 昔妹とよく遊んだ場所。

 遊具はあの時よりも少ない。

 球体上のぐるぐる回るやつとかが消えている。

 撤去されたのだろう。

 ジャングルジムはまだあるが、そのうち撤去されそうだな。

 最近のご時世は煩いからな。

 妹との思い出の場所だけに少し寂しさがないと言えば嘘になるが、今はそんなことを考えてる場合じゃない。

 確認した後に、すぐ大罪者の元に向かわなければ。 

 

 

 ザザッ、と脳にノイズが奔ったような、嫌な感覚。

 目の前の光景が霞み、別の光景が映し出される。

 過去の光景。

 それはテープが擦り切れそうなビデオのように砂嵐が混ざった、不鮮明。

 その幻の中では、俺の背が異様に低い。

 視点が低いんだ。

 そして目の前には、ジャングルジムを上る背中。

 幼い後ろ姿。

 昔の妹の姿。

 アイラの黄金色の髪が。

 ……?

 黄金色? 金髪?

 違う。

 違う?

 ん……?

 …………っ。

 っ。

 ぁ……。

 

 ノイズが、消えた。

 砂嵐交じりの光景が消失、元の視界が戻ってくる。

 ただの、夜の公園。

 今のは。

 ただの、夢だ。

 昔の夢。

 白昼夢。

 昼じゃないが。

 妹と昔、この公園で遊んだ記憶。

 あの時からアイラは既に可愛かったな。

 うん、アイラ可愛い。

 俺の妹は女神さま級だ。

 とにかくさっき見えた異形を探さないと。

 そいつが一般人を殺すかもしれない。

 

 公園内を、視界を注意深く巡らせながら練り歩く。

 何もいない、ように見える。

 遊具達が静かに佇んでいるだけだ。

 立ち止まる。

「…………」

 俺は、息を吐いた。

 

 風切り音。

 横に跳んだ。

 割れ砕かれる衝撃音。

 地が破砕された。

 

 俺は立ち止まった瞬間に、違和感に気づいていた。

 恐らく何者かが背後にいると。

 殺気のようなものを感じたんだ。

 死線を潜ってきた影響か、そういうものがなんとなく分かってきたのが幸いした。

 なので息を吐いて隙を晒しているところを狙われる可能性が高いと考え、身構えながら息を吐いて、避けたのだ。

 案の定死の一撃を向けられたわけだが。

 

 目を向ける。

 襲撃者の姿は、悪魔の様。

 否、ガーゴイルとかの方が近いか。

 蝙蝠(こうもり)のような一対の羽を持ち、幼児ほどの体格、両手に短槍を持っている。

 明らかな化け物。

 一対の羽をバタバタとはためかせて、滞空している。

 こいつは、真白が言ってた魔獣か?

 くそっ、あの時の魔竜といい、よく邪魔が入る。

 まんまと誘い出されたという訳か?

 早く真白と合流して、罪科異別を使用した大罪者の元に向かわなければならないというのに。

 でも、放置して誰かを危険に晒すことも出来ない。

 

 突き出される黒い短槍。

 のけ反って避ける。

 もう一本の短槍も突き出される。

 後ろに跳びつつ身体を捻った。

 槍が服を掠ったが、何とか避けた。

 体勢を崩して地面に落ちるが、受け身を取り、転がって起き上がる

 

「『総ての救済を望む傲慢な愚者よ、殺戮し、終わりの理へと導け』」

 翡翠色に左眼が変容し、翡翠の短剣が右手に握られる。

「来いよ化け物。俺は急がなきゃならねえんだ」

 俺の言葉を理解したのかは分からない。

 短槍の化け物は、突撃してきた。

「直ぐに殺してやる」

 その声は多分、低かったんじゃないかと思う。

 

 

 

真白side

 

 

「カズくん遅いな」

 また学校で待ち合わせをして、校門に背を預けて待っている。

 スマホを取り出して画面を見ると、わたしがここに着いてから十分くらい経ちそうだった。

 カズくんの性格からして数分も待つことなく直ぐに来るか、前みたいに先に着いてるかのどちらかだと思ったんだけど。

「…………」

 もしかしてなにかあったのかな……。

 わからないけど、確認しておくことに越したことはないよね。

 スマホを操作してカズくんの番号に掛けた。

 

 プルルルル。

 プルルルル。

 

 コール音がやけに大きく聞こえた。

 今は夜で、ほとんどの音が途絶えた時間だ。

 学校前は車も滅多に通らないし、虫の音が少し聞こえる程度。

 風もあまり出ていなくて、葉や草の音も聞こえない。

 その中で、コール音だけが鳴り続ける。

 

 何コールされても、電話は繋がらない。

 繋がる気配すら感じられなかった。

 やがて、留守番電話センターに繋がると、わたしはメッセージを残すことなく電話を切った。

 

「やっぱり、なにかあったのかもしれない……」

 口に出してみると、よりその可能性が高く感じられた。

「行かなくちゃ」

 カズくんの家の場所は知らないけど、前に帰っていた方向ぐらいならわかる。

 とりあえずその方向に向かってみよう。

 もし特になにもなかったら行き違いになる可能性もあるけど、その場合は電話が出来る状態だろうからカズくんから掛けてくると思う。

 思考を整理すると、わたしは走り出そうとした。

 でも、その足は止まった。 

 

 何か、金属物を引きずるような音が響いてきたからだ。

 

 耳障りに響き続ける音。

 一人分の足音も、混ざっていた。

 振り向くと、道の先にはわたしより少し背が高い人影。

 よく観察すると、高校生ぐらいの男の子に見えた。

 

 その左眼が、濃いピンク色に輝いている。

「……?」

 同じ?

 昨夜に殺されてしまった人と全く同じ魔眼。

 同一の魔眼は、ほとんどないと聞く。

 ほとんどというと例外もあるのだろうけど、同じ魔眼を二日続けて別人から見る、そんな偶然があるのかな?

 しこりのように残り続けていた違和感が、明確に表出してきた。

 やっぱり、なにかある?

 

 その手には、大きなシャベル。

 コンクリートの地面で引き摺られて、嫌な音を響かせる。

 近づいてくる。

 凶器を手に。

 

「あなた誰? 昨日の人と関係あるの?」

 声を掛けてみた。

 返答は。

「あの人から、離れて!!」

 全く関係ないものだった。

 わたしを睨んでくる眼は、魔眼とか関係なく、常軌を逸していた。

「あの人? 誰のこと?」

 無言でシャベルを構え、こちらに向かって走ってきた。

 

 答える気はないみたい。

 シャベルが振り下ろされる。

 わたしは難なく避ける。

 動きが完全に素人だ。

 何度も振り抜かれ、繰り出されるシャベルの一撃。

 それを避ける、避ける、避ける。

 

「ねえ、あの人って誰? 教えてくれなきゃわかんないよ」

「話し合おうよ。そうすれば解決するかもしれないよ」

「お願い。何か喋って」

 

 その間何度も声を掛けたけど、結局。    

 最初の一言以降、何も応えてはくれなかった。

 説得は無理だ。

 まずは無力化するしかない。

 

 振り降ろされるシャベル。

『護り為す白き羽』(ティアティス)

 純白の翼が背から一対生える。

 翼から射出された羽の集合体が楯と成った。

 シャベルと楯が激突する。

 少年は衝撃でシャベルを取り落とした。

 今っ。

『貫きを為す攻性の羽』(ティアティス)

 翼から鋭利な羽を射出。

 少年の両の二の腕と太ももに命中し、刺さった。

「――っ」

 怯んだ。

 わたしは好機を逃さないよう、飛び掛かる。

 痛みで大して力も入らないだろう少年は抗えず、そのまま倒れた。

 腕をがっちりと押さえつけてわたしは馬乗りになった。

 少年は暴れる。

 羽が刺さった位置から流血して痛いだろうに、それでも暴れ続ける。

 腕は羽が刺さっている上に押さえつけているから脅威にはならないけれど、足が少し厄介。

 何度もお尻や背中を膝で蹴られる。

 でも、足にだって羽は刺さっている。

 やがて暴れる勢いが治まっていき。

 ついには、脱力したようにおとなしくなった。

 

「わたしの勝ちだね。さあ教えて。さっき言ってたのは何のこと? 大丈夫。お姉さんが相談に乗ってあげるから」

 出来るだけ優しい声を心がけて話し掛ける。

 わたしの方が年上かどうかはわからないけど。

 この男の子は童顔だから幼く見える。

 

「………………え?」

 少年の口から声が漏れ出た。

 驚愕という文字を、これだけ表情で表せる人もそういないだろうと思うぐらいの驚きの顔をしている。

 いつの間にか、濃いピンクに光る魔眼は消えていた。

「てん、し……?」

 茫然とする少年。

 さっきまでの雰囲気とガラリと変わって、年相応の少年のような態度。

 常軌を逸した瞳などしていない。

「……? あなた、誰?」

 その少年の様子を見て、わたしはある推測を濃厚にした。

「え、僕……? ――痛っ……!?」

 羽が刺さっている痛みに今気づいたとでもいうように、少年は呻いた。

「あ……ごめんね。すぐに消すから」

 わたしは刺さったままだった鋭利な羽を消した。翼も消しておく。

 多分、もう消して問題ないと思った。

 わたしの考えが正しければだけど。

 確信を得るために訊ねる。

「もう一度訊くよ。あなたは誰?」

犬塚(いぬづか)……孝也(たかや)

「犬塚くんだね。今まで何してたか覚えてる?」

「………………あれ? 僕は、えっと、確か姉ちゃんに頼まれてコンビニに、それから…………あれ?」

「コンビニに行った後からここまでの記憶がないんだね?」

「う、うん……」

「わかった。もういいよ。帰っても――あ、その前に」

「?」

『包み癒す擁の翼』(ティアティス)

 再度翼を生やして、犬塚くんを包む。

「ぁ…………」

 犬塚くんは安らかな表情をしている。

 羽が刺さった傷が癒えていく。

 傷が治ると、翼を消した。

「これで大丈夫。もう帰っていいよ。今見たことは全て忘れてね。約束できる?」

 安心させるために笑顔を向けた。

「う、うん」

 犬塚くんは顔を背けて答えた。

 顔が少し赤く見えるのは気のせいかな?

 シャベル振り回してたから暑いのかもしれない。

 よく見ると汗も浮かべてるし。

 

「あ、あの……」

 犬塚くんがおずおずと言葉を発した。

「うん? なあに?」

「どいてくれないと、帰れないんだけど……」

「あ……」

 わたしはさっきからずっと、馬乗りになったままだった。

 

 

side return

 

 

 

 突き出される漆黒の短槍。

 身体を捻って避ける。数センチ横を短槍が通り過ぎて行った。

 もう片方の短槍が間髪入れずに繰り出される。

 翡翠色の短剣を短槍に打ち付け、滑らせて逸らす。

 その隙に魔獣に肉薄。

 短剣を突き刺そうとするが、後ろに下がられて避けられた。

 

 仕切り直しかと息を吐く。

 冷や汗が背や首を伝っている。

 危うい戦闘だ、何度致命傷を食らいそうになったか分からない。

 戦闘が長引けば、体力が削られ不利になる。

 それはいつも同じか。

 そもそも短剣というのが悪い。短槍とはいえ圧倒的に槍の方がリーチが上だ。

 だが俺には武器がこれしかないのだから、不満を持ってもしょうがない。

 持てる手の中で最善を尽くし、敵を打倒するだけだ。

 一発入れれば、勝てるんだ。

 その一発を、どうにかすればいい。

 

 魔獣が、天空へと飛翔した。

 空高く、蝙蝠のような羽をはばたかせ、上がる、上がる、上がる。

 

「逃げてる……?」

 ――いや。

 違う。

 

 数十メートル上空で魔獣は静止した。

 短槍を二本とも、下方に構えている。

 静が、動へと変転。

 

 錐揉み、回転しながら、こちらへと突進してくる。

「……っ!」

 まずい。

 あれは、掠っただけで戦闘続行不可能にまでされるだろう。

 重力を味方にして、勢いを増加。  

 風を纏い、巻き込み、渦を形成し、全身を一本の兵器と化している。

 螺旋の黒槍。

 あれはもう、そんな名前の兵器だ。 

 

 俺は直ぐに全力疾走を始めた。

 いきなり動いたものだから転びそうになる。

 何とか体勢を立て直し、足を捻り掛けながら走る。

 一方向に走り続ける。

 風が荒立っているのが肌で感じられた。

 もうそこまで、奴は迫っている。 

 

 背後で、槍の穂先が地に触れた感覚。

 轟音と共に衝撃が後ろから吹き付け、土砂に塗れながら吹き飛ばされる。

 地面を転がり、砂塗れになり、砂が口に入ってじゃりじゃりとした嫌な感触だ。 

 砂煙が晴れた頃には、公園の一箇所に小さなクレーターが出来ていた。

 

 掠っただけで死ぬ。

 そう一瞬で理解させられた。

 奴の持つ槍の穂先に皮一枚でも捉えられたら、人体はバラバラにされるだろう。

 

 クレーターの中心から魔獣が飛び立ち、羽を羽ばたかせながら再び上昇していく。

 もう一発やってくるか。

 

 視線を周囲に巡らせる。

 なにか、打開策を。

 このままでは次第に追い詰められて詰む。

 

 短剣を投擲したとしても弾かれるだろう。

 近づくのは論外。

 ならば他の要素を利用するしかない。

 

 視線を回し、脳をフル回転させる。

 何か。

 何か。

 何か。

 視界を巡らせる。

 巡らせる。

 巡らせる。  

 

 ――あれか?

 多分、あれが使えるかもしれない。

 しかし。

 本当に使えるのだろうか。

 

 魔獣の上昇が止まった。

 時間はない。

 今はこれしか思いつけなかったのだから、手遅れになる前に実行するだけだ。

 迷うな、動け。

 

 即座に走り出す。

 ある場所の近くに向けて。

 死の螺旋は風を荒らしながら突き進んでくる。 

 自らの背後に死を犇々(ひしひし)と感じながら、走り抜けた。

 

 目的の物体の後ろに回り込んで、地面に飛び込むように伏せる。

 丁度、俺と魔獣の間に挟まれる形で存在する公園の遊具。

 そこに、螺旋の黒槍が突っ込んだ。

 

 その遊具、ジャングルジムの大部分が弾け飛ぶ。

 鉄が砕け、引き千切られるように飛び散る。 

 衝撃波が頭上を通り、数メートルは突き抜け、地面を抉った。

 されど、力の波はすぐに止む。

 

 魔獣は、奇妙な体制で僅かに残ったジャングルジムに絡まっていた。

 完全に身動きは出来ないようだ。

 何とか狙い通りになってくれて安堵する。

 だが、戦いはまだ終わっていない。気を抜く前に、翡翠色の短剣を手に魔獣へと接近していく。

 

 魔獣と、目を合わせた。

【ロックオン】

 死の概念へと繋がる楔が、カチリと、魔獣へと填め込まれる感覚。

 反撃を警戒しながら魔獣の足先に短剣を刺す。

「『殺害せよ』」

 詠唱の後。

 世界の法則として概念を強制定義させる。

 絶対の死という概念を。

 魔獣は瞬時に、塵も残さず消滅した。

 

 途端に夜は、静寂を取り戻す。

 後に残ったのは、砂地の抉れた公園と、鉄くずの建造物と化したジャングルジムだけだった。  

 それを視界に収めて、妹とジャングルジムで遊んだ記憶が頭を過ぎる。

 自分でやった作戦とはいえ、妹との思い出が汚されたみたいで苛ついた。

 

 だが、今は急いで真白と合流しなければ。

 俺は直ぐに小さな公園を後にして、走り出した。

 

 

 

 合流地点の学校付近にまで来ると、正面、視界の先に真白の姿。

 向こうもこちらに走って来ていて、俺を視認すると手を振ってくる。

 俺が遅かったから呼びに来ようとしていたのか。

 

「真白、すまん。魔獣と遭遇して戦っていた」

「やっぱりそんなことになってたんだね。怪我はない?」

「当然」

「……うん、結構砂塗れだけど怪我自体はないみたいだね」

 俺の身体を丹念に調べながら、真白は呟いた。

 手でペタペタと躊躇いなく触ってくる。

「くすぐったいんだが」

「あ、ごめん。でも怪我してたら治さなくちゃならないし」

「ないって言っただろ」

「もししてたとしてもカズくんならそう言いそうだったから」

「俺を誰だと思ってる」

「無茶ばっかりする危なっかしい人」

「…………それよりそっちは何もなかったのか?」

「誤魔化しは流すことにするよ。こっちもちょっと襲われたけど、分かったことがあるんだ」

「分かったこと? って襲われたって誰にだ」

 オウム返しに問うてから、そっちよりも重要な点に気づく。

「昨夜、ピンク色の魔眼を持った大罪者がいたよね」

 俺の質問には答えずに続ける真白。

「ああ、覚えてる」

 突然逃げ、マンイーターに食われた人だ。

「多分あの魔眼、人を操る系の異別だよ」

「……何?」

「昨日の人もただ操られてただけだと思う。さっきの質問に答えるけど、わたしが襲われたのもピンク色の魔眼を持った人だった。そして、同じ魔眼はほとんど存在しない」

「つまり」

「ピンク色の魔眼は、精神操作系の異別を持った大罪者ってことだね」

 真白がそういうのなら、そうなのだろう。

 この世界に足を踏み入れたばかりの俺は、そういう異別関連のことは詳しくないのだから。

 

「厄介だな」

「そうだね……」

 なにが厄介って、一般人を積極的に巻き込む能力内容が一番厄介だ。

 実際、昨夜は操られた一般人が殺されてしまった。

「なんとか、しないとな」

「うん、だから明日はその大罪者を探すことに全力尽くそうと思ってる」

 俺は無言で頷き、賛同を示した。

「それとカズくんが戦った魔獣、もしかしたら魔竜を使役していた大罪者と同じかもしれないから、そっちも気を付けていかないとね」

「ああ」

 明日は、忙しそうだ。

 

 明日「も」か。

 

 

 

姫香side

 

 

 どうしてこんなことになってしまったのか。

 荒い息を吐きながら全力疾走を続ける。

 体力が限界に近い。

 ちょっとコンビニまで切れたシャンプーを買いに行っただけなのに。

 

 ヒュンッ、風切り音。

 恐怖で身体が硬直して、大きく躓いた。

 頭上を硬く鋭いものが高速で通り過ぎていく。

 それは、銀色の長剣。

 偶然躓いたことで避けれただけの、今私の命を奪っていただろう凶器。

 何とか体勢を戻して、走り続ける。

 

 そう、今、私は、剣を持った男の人に追われています。

 今投げられたけど、確か二本持っていたからもう一本をその手に猛追して来てるはず。

 だってまだ私とは違うもう一つの足音が止まない。

 振り返れない、怖い。

 なんで追われているのかはわからない。

 殺そうとしてくるなんて、正気の沙汰じゃない。

 そんな恨まれるようなことした覚えはないのに。

 でも、こんなことになる心当たりならある。

     

 

 ――数日前のことだった。

 いつもみたいにわたしの魔眼の力を知らしめようと顔に右手を当て、最高のポーズで決めた時。

 

 なぜか突然、左眼が光りだした。

 

 自分の烏羽色(からすばいろ)に輝く瞳は、魔眼というものだと、頭の中に情報の波が押し寄せて強制的に理解させられた。

 最初は興奮が沸き上がって、嬉しい気持ち。

 望んでいたものが手に入ったと思ったんです。

 でも、魔眼以外の理解した情報に問題があると直ぐに気づく。

 大罪戦争。殺し合い。

 

 途端、嬉しい気持ちや興奮なんて吹き飛んで、すごく不安になりました。

 だから、相沢先輩に河川敷であった時、打ち明けようかと思った。

 こんなこと警察に言っても信じてもらえるわけない、魔眼の能力を見せたとしても大騒ぎになるだけということは予想が難しくなかった。だからってお母さんとお父さんに言っても同じ。見せてもどう対処すればいいか困るだけ。迷惑を掛けてしまう。

 それでも。

 知り合いになって間もないのに、相沢先輩は不思議と頼りになりそうな雰囲気があって、頼りたくなったんです。

 助けてほしかった。

 

 けれど、寸でのところで思い止まる。

 相沢先輩がいくら頼りになりそうだったとしても、こんなことに巻き込んでしまうなんて酷いことだ。

 もしかしたら先輩が死んでしまうかもしれない。

 いや、かもしれないじゃなくてその可能性は著しく高いと思った。

 それも巻き込んだ私のせいで。

 そんなのは嫌。

 自分も死にたくないけど、言うのをやめる理由には充分だった。

 

 でも、今になって。

 後悔していないと言えば、嘘になる。

 けれどもし言っていたとしても、この状況の中に巻き込んで先輩は死んでしまっていたかもしれない。

 結局、どっちが良かったのかわからないよ。 

 わからないし、怖いよ。

 

 

 まだ、追ってきてる。

 このままだと、追いつかれる。

 だから、振り向いた。

 言の葉を紡ぎ、詠唱。

「『破壊、破壊、破壊。(あまね)くすべてを破滅へと』」

 私の左眼が烏羽色に輝いて、背後に迫る男の前の地面。

 その地点が破壊され、小さな穴が出来た。

 男はその穴に躓き、転倒。

「ぐうっ! くそ!」

 男が悪態をつく。

 私はその隙に走って行き、どんどん距離を離す。

 

 破壊破滅の魔眼。

 これが私が手に入れた魔眼。

 魔眼で視認して細かく指定した位置を世界から破壊する能力。

 範囲によって魔力消費量が変わる。

 

 空間把握能力がかなりある私には扱いがそれほど難しくない。

 それでも自由自在とはいかないけれど。

 

 今使った力は、その範囲を間違えて相手を殺してしまうことが嫌で、かなり威力を抑えた。

 殺されそうになってる今の状況でも、殺すことは考えたくない。

 そのため落とし穴レベルの穴は作れずに転ばせる程度にはなったけど、逃げ切れればいい。

 運動が得意なわけじゃない私が、自分より年上であろう男の人に足で勝てる筈もない。

 だから、この力を使うしか逃げ切る事が出来ずに殺されてしまう。  

 本当は、こんなの使いたくなかったけど。

 命には代えられない。 

 

 そのまま何度か魔眼を使って、逃げ切った。

 

 

 誰も追ってきていないことを確認して家に入ると、いつもより鍵を強めの力を入れて掛けた。それで鍵の強度や効果が変わることはないけど。

 自分の部屋に逃げるように入ると、この部屋の鍵も掛けて、ベッドに飛び込み、布団に(くる)まる。

 

 もう、しばらくは家から出たくない。

 こわいよ。

 こんなの、望んでなかった。

 魔眼はあんなのじゃない。

 もっと、かっこいいものなのに。 

 こわい。

 こわい。

 こわい。 

 けど、誰も頼れない。

 

 助けて。

 誰か、(たす)けて。

 

 



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14話 嫉妬の罪科

 

 

 6月10日水曜日

 

 

「カズくん、多分精神操作系の大罪者は学校関係者だよ」

 一時間目終わりの休み時間。

 真白に屋上まで連れていかれたと思ったら、開口一番そう切り出した。

 

「何で分かった?」

「昨夜会った操られてた子がね、「あの人から離れて」ってわたしに言ったんだ」

「ふむ」

「つまりわたしと関係のある人から離れてってことだから、必然的にわたしの行動範囲内にいる。そして、あれほど叫んで言うぐらいだから、ごく最近にも頻繁に一緒にいる人の可能性が高いよね。わたしが最近関わってるのはカズくん、アイラちゃん、津吉くん、この三人。全員この学校に通っているし、会う機会もこの場所が一番多い。だからその大罪者も学校にいる可能性が高いと思う」

 真白の予測は理に適っているだろう。

 俺もその説明を聞けば、敵は学校関係者としか思えない。

 

「カズくんに心当たりはない?」

「ない」

「なら、津吉くんとアイラちゃんの知り合いをまずは調べてみようか」

 俺は賛成の意を示す為に首を縦に振った。 

 

「今すぐ探そう」

「今? もう休み時間終わるけど……」

 少し困った表情で首を傾げる真白。

「何悠長なこと言ってる。授業よりも人命の方が大事だろ」

「それは当然だよ。でも授業中に動いても生徒はほとんど教室の中だから何も聞き出せないし、先生に見つかったらお説教くらって余計に時間をロスすることになると思うな」

「ぐっ……」

 それは正論だ。

 でも、敵が近くにいるのに直ぐに何もしないでいることが、もどかしくて堪らない。

 無意識に両手を、痛いぐらいに握りしめていた。

 

「とにかく教室に戻ろ? 今動いてもしょうがないよ」

「…………ああ」

 真白の言葉に辛うじて同意すると、教室への道を歩き出す。

 気分を切り替えていかなければ、実際、真白の言っていることは正しい。

 俺の自制心が脆弱なだけだ。

 深呼吸をしながら、真白の後ろを進んで行った。

 

 

 

 二時間目後、三時間目後の休み時間は真白と手分けして学校内を探索する。

 アイラと津吉の知り合いを本人二人から聞き出し、二人の友達や知り合いの生徒を観察したり、最近行動や様子が変じゃないか他の生徒に訊きまわった。

 しかし、休み時間は短い。

 学校中を探索しきることはまだできていなかった。

 

 昼休み、屋上。

 真白と共に昼飯を食べながら、成果をお互いに報告し合う。

 俺はアイラが作ってくれた弁当、真白は購買のパンを食べている。

 メロンパンとクリームパンという甘々なメニュー。

 

「こっちは成果なしだ。俺が見た限り誰も変じゃないし、誰に聞いてもいつも通りで変な所はないという」

「わたしの方もそんな感じだったね」

 状況は芳しくない。

 俺の方で全然収穫が無い時点で大方そうなるだろうなとは思っていたが、何割か期待していただけに少し落胆する。

「まあ、二人の知り合いは全滅だったとはいえ、まだ学校全てを調べたわけじゃない。昼休みもこれ即行で食い終わってまた調べるぞ」

「うん、喉詰まらせないようにしなよ?」

「わかってる」

 

 

 ドクンッ――。

 

 

「――っ」

 魂に直接伝わるような鼓動。

 知らされる超常。

 その意味は、罪科異別の発動。 

 

 来た。

 ここだ。

 この場所だ。

 真昼間から、それも学校で能力使いやがった馬鹿がいる。

 まだ、人が何百人もいるというのに。

 こんな所で戦闘なんかした日には、血の海が出来る。

 少なくとも誰かが死ぬ。

 ――そんなこと、させるか。

 

「真白、罪科異別が使用された。今、この学校内で」

「え!?」

 真白の驚愕の声を置き去りに、俺は即座に走り出す。

 

「ちょっ!? カズくん、わたしも行くよ! 一人だと危ないでしょ!」

 真白もすぐに俺を追いかけてきた。

 

 屋上から校内に戻り、行き交う生徒の目と様子を確認しながら走る。

 あいつは。

 目を向ける。

 ただ歩いているだけの普通の生徒。

 あいつは。

 首を向ける。

 談笑している二人の一般生徒。

 あいつは。

 目を巡らす。

 教室に駆け込む男子生徒。

 一瞬だったので顔が見えなかった。

 怪しい。

 知らないクラスの教室まで追い、男子生徒の首根っこを掴む。

 

「お前! 大罪者か! なぜ教室に駆け込んだ!」

「な、なんだよ!? 急いでるんだからやめてくれよ!」

「人を殺す為にか」

「は……?」

「人を殺す為に急いでるのかって訊いてるんだ!」

「なに物騒で訳の分からないこと言ってるんだ!? 今ダチとゲームの途中なんだよ、遅れると俺に不利な細工される可能性がある、だから放してくれ」

「そんな誤魔化しは訊いていない!」

 突然横合いから手が伸びてきて俺の手を掴み、男子生徒を拘束していた手が離される。

「カズくん、少し落ち着いて! この人は違うよ!」

 その間に男子生徒は再び教室に入っていった。

「魔眼は発動を解いちゃったら確かに普通の目と見分けがつかないけど、様子だって別におかしなところはなかったよ」

 真白は力強い目で俺の目を見て、勝手な行動はさせないとばかりに掴んだままの手に力を込めてくる。

 数秒の間。

 

 冷水を浴びせられたかのように、はっとした。

 落ち着いて行く。

「…………あ、ああ、そうだな、そうだった……悪い、気が動転してた」

「今から冷静になってくれればいいよ」

 微笑んで俺の手を放す真白。

「それは任せとけ」

 真白の言葉に答えると、再び走り出し、二人で探していく。

 廊下全体に視線を回す。

 

 誰も彼も、平穏に昼休みを送っていた。

 

 

 

 校内を駆けずり回った俺たちは、へとへとになりながら人気のない校舎裏でへたり込んだ。

「見つからなかったね……」

「くそっ……」

 そう、誰も様子が変じゃなかった。

 魔眼を光らせているやつも、いなかった。

 

「でも、何も起こってないならまだいい方だよね」

 真白は安堵した表情。

「…………」

 真白の言う通り、騒ぎなど一切なかった。

 誰も恐らく、死んでいない。

 そう信じたい。

「だが、誰も見ていないところで一人か二人殺された可能性もある」

「それは、確かにそうだね……」

 安堵の表情が曇る。 

「でもそれならすぐにわかるよね、放課後に調べよう」

「ああ」

 何も、なければいい。

 

 ――――。

 

 何もなかった。

 本当に誰も殺されていなかった、死んでいなかった。

 アイラに先に帰ってもらい、放課後に真白と共に教師や生徒に聞いて回ったところ、誰も昼休み以降にいなくなったなんてことはないらしい。

 

 誰も死ななかったのは良かった。

 それは本当に良かった。

 けれど。

 

 だったら、大罪者は何の為に罪科異別を発動したのだろう。

 

 

 

 

 夕食後。

 アイラの淹れてくれた紅茶を飲んでいる。

 湯気に乗って運ばれてくる香りを堪能し、ちびちびと口を付ける。

 今日もアイラの紅茶は美味だ。

 甘い物が好きな俺がミルクも入れず、砂糖も入れないほどの香り。

 その香りを薄めたくないと思えるんだ。

 落ち着く。   

 

「これってリラックス効果でもあるのか?」

「はい、ありますよ。日本で一番親しまれてる紅茶であるダージリンの効能です」

「今日も美味いよ」

「ありがとうございます」

 

 微笑むアイラの顔を見ながらさらに一口飲む。

 美味い。

 

「ふうーーーーー……」

 溜まった(よど)みを排出するように息を吐いた。

 

「お疲れですか?」

 アイラも紅茶を一口飲んだ後訊ねてくる。

「……ああ、まあ、そんなところだ」

 妹に言われて気づいたが、確かにそうかもしれない。

 今日も、何も解決できていないのだし。

 

「全部は言わなくてもいいですけど、話だけでも聞きますよ」

「何を言ってるかもわからない変な愚痴になると思うぞ」

「それでもいいですよ。和希さんが少しでも楽になるのなら」

 妹の優しさに甘えていいものか、迷った。

 数十秒ぐらい、悩んだ。

 その間、アイラは静かに待っていてくれた。

 俺はそれに安心感を覚えてしまって。

 ストレスとか色々溜まっていたのか。

 自然と口が動いていた。

 

「なんでなんだろうな……」

 返答を望んだ言葉ではないことを察したのかアイラは何も言わない。

 

「なんで、傷付けるんだろうな。なんで、分かり合えないんだろうな。誰も辛い思いなんてしたくないし、死にたくもないはずだ。なのに、なんでその嫌なことを押し付けるんだ。結局自分さえ良ければそれでいいのか。全ての人間がそれを否とし、優しさを望んで相手に向ければそんなことは起こらず幸せがそこかしこで生まれそうなのに、なぜ辛いことばかりで、それを回避する為に他人を犠牲にして悪いことばかりが起きる。こんなの間違ってるだろ。どうすればこの負の連鎖が絡まってどうしようもなくなった世界を良くできるのか、一人の人間が考えたところでどうにもならないのかもしれないが、誰も考えなかったら確実に何も変わらない。でも、一人ではただ悩むだけで終わる。だが人を動かす力も俺にはありはしない。もう自分で自分が何を言ってるのかわからなくなってきたが結局のところ俺が言いたいのは」

 一つ息を吐いた。 

 

「傷付けるのをやめてくれ。わかり合いたい。みんなで幸せになろうじゃないか。

 

 ――――――いや」

 紅茶を一口飲む。

 

「さっきまでの言葉全部、綺麗事だ。本当は俺、多分そんなこと思っちゃいない」

 最近分かったことだ。

 アイラは黙って聴いている。

 

「俺は、本当は……

 

 本当は…………」

 

 その先の言葉は、言えなかった。

 言葉に出してしまったら、それが完全に真実になってしまいそうで。

 

 まだ戻れる。 

 言ったら意識がその考えに浸食されて戻れなくなりそうだ。

 俺はすべてを救う。

 誰も殺させない。

 誰も殺さない。

 

「…………もう、いい」

 話したいことはない。

 俺の戯言はここで終わりだ。

 

「楽になりましたか?」

 アイラの穏やかな声音。

「どうだろうな……もやもやは晴れていないが、確認にはなったのかもしれない」

「それなら私は、少しは役に立てましたかね」

 苦笑するような、微妙に違うような表情。

「俺はアイラに聴いてもらえて嬉しかったよ」

「そう言ってもらえるなら、私も嬉しいです」

 今度は安心したような微笑み。

 紅茶を一口飲む。

「また、頼ってくれてもいいですからね」

「ああ」

 アイラに答えたその言葉は、自分の中で曖昧だった。

 本当に頼っていいのか?

 アイラが不幸になることは、絶対に避けたい。

 巻き込んで死なせるなんてありえない。

 だから、わからなかった。

 今みたいに話すぐらいならいいだろうか。

 アイラも嬉しそうだし、それぐらいならいいかもしれない。

 アイラのおかげで、気持ちが晴れなくとも、整理は出来たのだから。

 

 

 

 6月11日木曜日

 

 

 ドクンッ――。

 

 夜中。

 暗闇の刻。

 それは、来た。

 

 罪科異別の発動、感知。

 

「アイラ、ちょっと出かけてくる」

「はい、いってらっしゃい」

 一言いって、アイラに背中を見送られながら家を走り出た。

 

 そのまま感知した方向――学校へと急行する。

 

 

 今日は、朝から普通に過ごしていた。

 結局のところ、罪科異別の発動を感知する以外に確実性のある対処方法はない。

 相手は(したた)かだ、昨日の時点でボロを出す可能性が低いことは分かっている。

 無駄な労力を使うよりは体力を温存しておくべきだとなった。

 真白と二人で話して、そういう方針にしたのだ。

 そして。

 

 今、動く時が来たんだ。

 

 絶対に、止める。

 死なせてたまるか。

 

 

 

 ――夜の学校。

 俺たちの通う、明日明(あすめい)学園。 

 今日は、一段と不気味に見えた。

 校門に着き、一つ息を吐く。

 心の準備を整えていく。気持ちを切り替える。

 完全な戦闘態勢に。

 

「カズくん!」

 真白もやって来た。

 前回同様、真白には走っている途中に電話してある。

 

「行くぞ」

 挨拶もせずに俺は地を蹴る。

「あ、カズくんっ、急ぐのはいいけど気負いすぎないようにね!」

 真白も言葉を発しながら追いかけてくる。

 わかってるさ。

 多分。

 

 

 校舎に入ると、一層不気味さが増した気がした。

 罪科異別を発動したのが学校ということは分かったが、具体的な場所までは判らない。

 廊下に足を踏み出す。

 しらみ潰しに探すしかない。

 

「慎重にだよカズくん」

「わかってる」

 奇襲を掛けられる恐れもあるからな。

 慎重に廊下を歩いて行く。

 まずは一階からだ。

 足音を極力立てないように。

 完全に音を立てないことなど、戦闘の熟達者ではない俺には無理だが。

 それでも極力抑える。

 周囲に意識を巡らせたまま進む。

 死角から致命的な一撃が来ても対応できるように。

 

 神経を使いながら一階の探索は終わった。

「誰もいないね」

「ああ」

「次は二階に行こう」

「ああ」

 二階へと続く階段を上った。

  

 静かな廊下を、また歩いて行く。

 教室の中を覗き込む。

 一階同様誰もいない。

 静寂のみが支配し、机と椅子が並んでいるだけ。

 職員室にも、誰もいなかった。

 誰一人、見つからない。

 

 戦闘音も聞こえない。

 罪科異別を発動する状況ということは、誰かと戦闘する時を意味する。

 なのに、何も聞こえないというのはおかしくないか?

 もっと上の階だからなのかもしれない。

 それでも、今の静か過ぎるほどに静かなこの建物では、微かな音ぐらいは耳に入りそうなものだが。

 屋上なら聞こえないだろうか。

 校舎に入る前に聞こえるのでは。

 いや、戦闘が一旦止まっていたのかもしれない。言葉を交わしていた可能性もある。

 それならその会話の音が聞こえてきていないとおかしいか?

 そこまで俺の耳はいいだろうか。

 ただ聞こえていなかっただけ。

 そうかもしれない。

 

 駄目だ、神経質になり過ぎている。

 こんな思考に意味は無い。

 結局、進んで行けばわかることなのだから。

 

 歩く。

 教室を確認する。

 誰もいない。

 歩く。

 教室を確認する。

 誰もいない。

 

 嫌な予感がする。

 今までとは比べ物にならないほどの、暗い何か。

 どろどろとした不安が重く圧し掛かってくる。

 なんだ。

 何がそんな気分にさせる。

 いつも通りに戦えばいいだけだ。

 会話ができそうなら説得すればいい。

 説得できそうな相手なんて今までいなかったけれど。

 敵をぶちのめして誰も死なせなければいいだけなんだ。

 

「気負わないさ……気負わない、問題ない」

 静寂の中誰も聞こえないほどの小声で呟く。

 真白に言われるまでもない。

 俺は最強だ。

 できないはずがない。

 

 三階に上った。

 俺たちのクラスのある階だ。

 進んで行く。

 

 と。

「――っ」

「あれはっ……」

 前方に人影。

 真白と同時に立ち止まる。

「男子生徒、か……?」

「多分、そんな風に見えたけど……」

 その、恐らく男子生徒が、すぐそばの教室へと入っていった。

「鍵が掛かってないのか?」

「みたいだね」

 鍵を開けるような動作もタイムラグも無く入っていったということはそうなのだろう。

「大罪者だよな」

「ここにいるなら、その可能性は高いけど、操られた人の可能性もあるよ」

 ああ、そうだった。

 精神操作系の罪科異別を持つ大罪者。

 その場合も考慮しなければならない。

 

「行くか」

「うん」

 立ち止まっていた足を動かす。

 心臓の脈動が早まった。

 嫌な予感は、足を進める度に高まっていく。

 月明かりぐらいしかないほど暗く、さっきまで気が付かなかったが。

 進んで行くと、男子生徒が入っていった教室が自分たちのクラス、2年A組の教室だと分かった。

 胸の苦しさが、さらに増す。

 

 一直線に前だけ見据えて、いつも自分が通っている道を歩いて行く。

 教室の前まで着いた。

 教室内は闇の様に暗いが、さっき見た男子生徒が真ん中にポツンと突っ立っているのは分かる。

 

「ねえ、カズくん、わたしすごく嫌な予感がする。だから一旦戻ろう」

 俺の耳元で真白がそんなことを言った。

「は? なんでだ。もう敵はすぐそこなんだぞ。ここで退いたら何にもならないだろ」

「それでもだよ。それでも戻らないといけない気がするくらい嫌な予感がするんだよ」

「曖昧だな。お前のその感覚は信じていいのか?」

「わたしの勘は当たる。今度わたしの知り合いに聞けば同じことを答えると思うよ」

「ほんとかよ……」

 

 半信半疑、というのが正直なところ。

 でも、信じた方が良いのだろうか。

 仲間の言うことは、信じるものだ。

 忠告は、聞いておくべきこと。

 なら、ここは一旦退くか。  

 しょうがない、また考えて行動方針を練ればいい。

  

「わかった。今は退こう」

「ありがと。そうしてくれると助かるよ」

 安堵した様に真白は息を吐く。

 

 そして。

 二人で踵を返した。

 同時。

 

「きゃああああああああああああああ」

 女の子の悲鳴。

 聞こえた。

 耳に入った。

 瞬時に理解する。

 

 誰かが殺されそうになっている。

 死にそうになっている。

 ――――そんなこと、認められるか。

 

 踵を返した足をさらに返し、教室内に入る。

 恐らくこの中から悲鳴は聞こえた。

 

「カズくん!!」

 後ろで真白も走って追いかけてくる音が聞こえる。

 

 教卓前に、そいつはいた。

 女子生徒の首に包丁を突き付けている男子生徒。

 俺たちを視認すると、包丁を突き付けたまま即座に片腕で女子生徒を拘束した。

 左眼が、濃いピンク色に輝いている。

 精神操作系の能力の魔眼。

 こいつは、本体か、それとも操られた一般人か。

 

「その子を放せ」

 俺の言葉には一切反応せず、沈黙している。

「しょうがないなカズくんは」

 そうぼやきながら真白は純白に煌めく一対の翼を背から生やした。

 俺も戦闘態勢に入る。

「『総ての救済を望む傲慢な愚者よ、殺戮し、終わりの理へと導け』」

 左目が翡翠色に輝き、右手に全てが翡翠色の短剣が握られた。

 

「和希先輩……助けて」

「……っ」

 人質のその声は、聞いたことがあった。

 この前、俺に告白してくれた後輩だ。

 伸ばしっ放しの野暮ったい、黒色のかなり長い髪。

 暗い印象だが、それでもかなりの美少女。

 蕪木美子(かぶらぎみこ)の特徴。

 間違いない。

 

「今すぐ助ける。待っていろ」

 まずは、あの包丁をどうにかしなければ。

「放してもらおうか」

 男子生徒は一切喋らない、動かない。

 こちらが動いたら突き刺すぞと言わんばかりに、蕪木から包丁を離さない。

 一歩でも近づこうものなら躊躇いなく刃は蕪木の肌を抉る。

 そんな気がして堪らなくなった。

 

 数秒の静寂。

 膠着状態が続くかと思われた。

 だが。

 変動はすぐに訪れる。

 

 男子生徒が蕪木に突き付けていた包丁を投げた。

 真白に向けて、投擲したのだ。

 

 馬鹿が。

 それは悪手だ。

「――っ」

 真白は難なくそれを避ける。

 その光景を見止めると同時。

 俺は蕪木を拘束している男子生徒に向けて疾駆する。

 武器を自ら手放した相手は、隙だらけだ。

 投擲した姿勢を戻す合間に、目の前まで俺は移動した。

 こいつが素手で蕪木をどうにかする前に、片を付ける。

  

 翡翠色の短剣、その柄頭を男子生徒の顎に叩き付けた。

 男子生徒は脳震盪を起こし、意識を失って倒れる。

 蕪木は拘束から解放された。

 

「よし……」

 息を吐く。額の冷や汗を拭う。

 なんとかなった。

 振り返る。

「蕪木、大丈夫――――」

 

 身体に小さな衝撃。

 蕪木の身体が、密着している。

 俺の背中に両腕を回し、強く抱き付いてきた。

 安心させようと頭に手を伸ばす。撫でてやろうと思った。

 瞬間。

 

「つーかまえた」

 

「え?」

 戦慄。

 そんなものが、全身を走った。

 

 今の声は、どこから聞こえてきた?

 自分のすぐそばから。

 蕪木からだ。

 まるで。

 

 まるで、罠に嵌まった間抜けを嗤うような。

 そんな声だった。

 

 ――ガタ。

 少し離れた場所、この教室内ではない場所から、扉を開くような音が聞こえた。

 

 ガタ。

 ガタ。

 ガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタ。

 

 扉の開く音が何度も聞こえてくる。

 断続的に、連続的に。

 嫌な予感が爆発的に警鐘を鳴らした。

 

 バタバタバタバタバタバタバタバタバタバタバタバタバタバタバタバタバタバタバタバタバタバタバタバタバタバタバタバタバタバタバタバタバタバタバタバタバタバタバタ。

 

 集団の足音。

 うるさいほどに、耳に入る。

 今すぐ、この場から離れろ。

 心の奥の俺は、そう叫んだ。

 でも、動けなかった。

 蕪木のような、華奢な女の子の拘束程度すぐに解けるというのに。

 茫然としたまま、即座の判断が出来なかった。

 脳の理解が追い付いていなかったのだ。

 

「カズくん!」

 真白がこちらに走ってくる。

「こないで!」

 蕪木が、叫んだ。

 真白がその声に一瞬怯む。

 

 そうして、この教室に雪崩れ込んでくる。

 何十人もの人間が、集まってきた。

 皆総じて、左眼を濃いピンク色に輝かせている。

 その姿は、この学校の生徒や教師に見える。

 操られた人達だ。

 

 なぜ、ここに来るまで気づけなかった……!

 どこに潜んでいたんだ。

 周囲に注意を払いながらここまで来たというのに。

 

『貫きを為す攻性の羽』(ティアティス)

 真白が純白の翼から、複数の煌めく鋭角な羽を射出した。

 その白き刃は蕪木へと殺到する。

 

 蕪木は俺を突き飛ばし、その反動を利用して後ろに跳んだ。

 白き刃達は空を裂いて黒板へと突き刺さった。

  

 走ってきた真白が俺の手を握る。

「飛び降りるよ!」

「ここは三階……」

「なりふり構ってられる場合じゃないよ!」

 言われるまま引っ張られて足を動かす。

 今、俺は木偶(でく)と化していた。

 無能。

 そんな単語が脳裏を過ぎる。

 馬鹿な。

 違う、俺は……。

 

 真白が窓を開ける。

 目の前に、人が降ってきた。

「なっ……!?」

 真白が驚愕する。

 ロープを持って、左眼を濃いピンク色に輝かせた人達が上の階から降下してきたのだ。

 何人も、窓に張り付いた。

 真白は俺の手を引いて後ろに下がる。

 

 窓からも精神操作された人達が雪崩れ込む。

 後ろには、操られた人達、前にも、操られた人達。

 俺たち二人は、教室の真ん中へと追いやられた。

 

 囲まれた。

 逃げ場は、ない。

 

「和希先輩、こっちに来てください」

 蕪木が、言葉を放ってきた。

「なんでだ……」

「私は和希先輩に仲間になってほしいんです」

 俺を、懇願するような、嘆願するような瞳で見つめてくる。

 濃いピンク色に、左眼を輝かせながら。

 

 その魔眼は、禍々(まがまが)しく、深く、なにか、可笑(おか)しい気がした。

 何が可笑しいか。

 乖離性(かいりせい)

 そう、人の目に、人の一部として、あの魔眼が存在している事にこの上ない違和感を覚えた。

 人に御し切れるモノとは思えない感覚。

 膨大なる、異の存在。

 今、そこに立っている女の子は本当に蕪木なのだろうか。

 

「だったらなぜこんなことをした」

 蕪木の言に対して返す。

 その一言にしか、集約しない。

 普通に言ってくれれば、そんな事は二つ返事のようなものだったというのに。

 目的が競合しないなら当然すぐ承諾した。

「和希先輩だけ、来てほしいからです」

「……どういう意味だ?」

 わかってる。

 それでも、訊いてしまった。

 

「そこの女は消えて、そして二度と関わるな」

 真白に向けて、言い放つ。

 ドスの利いた、昏い声音だった。

「それは無理な相談だよ」

 真白も一言、毅然と言い返す。

 それを無視して、蕪木は俺に視線を戻し言い募る。

「お願いです和希先輩、私の傍にいてください」

「俺はフッたはずだぞ。それに、こんなことまでするほどなのか」

 あの時告白されて、断った。

 俺に関わるのは拒否しないが、こんな方法なんて受け入れられるわけがない。

 大罪者になるのは意思とは関係ないだろうけれど、罪科異別を使ってまで。

「なにをしてでも、それでも傍にいてほしいんです」

 分からない。俺には蕪木が分からない。

 人に害を与えてまでする価値を、恋愛に見いだせない。

 蕪木のそれは、本当にそういう感情なのか?

「ならこんな事は止めろ。操ってる人達を全員解放しろ」

「それは出来ないですよ。そうしたら和希先輩は何をします?」

「お前を拘束するだろうな」

「なら出来ないです。私はそれを望んでいませんので」

「こんな事をしても俺は思い通りにならないぞ!」

 

「だったら……どうすればよかったんですか……」

 その声は、どこか弱々しかった。

 

「ただ仲間になりたいって言いに来ればよかったんだよ。こんな方法は駄目だ」

「なんで…………」

 小さく、蕪木が言葉を零した。

「なんで! なんで来てくれないの! 私はこんなに好きなのに!」

 癇癪を起こした子供のように、体を荒々しく振って叫ぶ。

「こんなやり方をしたからだ! 今ならまだ間に合う。今すぐこの人達を解放してくれ。話はそれからだ」

「和希先輩、なんでなんでなんでなんで!」

 蕪木は俺の言葉に耳を貸さない。

 なぜそこまで、蕪木は俺を。

 俺なんか――。

「わかってくれよ蕪木」

「わからないです!」 

 

 くそっ。クソッ!

 わからねえ。

 わからねえよ。

 蕪木はどうしたいんだよ。

 

「蕪木さん」

 真白が、荒れた海に静止の波紋を落とすように蕪木を呼んだ。

「カズくんは、ちゃんと正面から向き合って話せばわかってくれるよ。だからこんなことやめよ?」  

 優しく微笑みを浮かべて、説得の言葉。

 

 だが。

 けれど。

 されど。

 蕪木は。

 

「お前が……」

 昏い声で小さく言った後。

「和希先輩をそんな風に呼ぶなあああああああ!!!」

 思い切り叫んだ。

 

 その瞬間。

 左眼を濃いピンク色に輝かせた人達が、一斉に動いた。

 真白に殺到する。

 圧殺するかの如く、濁流の様に押し寄せる。

 

「くっ……。蕪木さん、大丈夫だから。わたしも話を聞くから。信じて」

「うるさいっっ!!」

 真白の決死の言葉も、蕪木は受け付けない。

 

 真白は能力を使わず、身構える。

 操られているだけの一般人を、殺す事はしたくないのだろう。

 真白を直接助けようにも、この数を殺さずに何とかする事は不可能。 

 

「待て蕪木! やめろ。やめてくれ。時間を掛けてじっくり話せばわかる」

「いやあああああああああ!!」

 だから、真白に殺到した事で出来た人の隙間を通って、蕪木に掴みかかって至近距離から言葉をぶつける。

 蕪木は俺の声が耳に入っていないのか、ただ意味もなく叫んだだけだった。

 

 真白が人の波に呑み込まれた。

 悲鳴は聞こえない。

 

「蕪木!」

「放して! 放さないとそこの女を殺しますよ! ここにいる人達も殺しますよ!」

 俺の手を引き剥がそうと、いやいやをするように首を振りながら抵抗する。

「話を聴いてくれ!」

「放して!」

「どうしてなんだよ! なんで聴いてくれないんだよ!」

「いや!」

 

 ――――――――――。

 きっと。

 もう話は通じないのだろう。 

 何を言っても、今は無駄。

 ならば。

 

「……っ!」

 蕪木が目を見開く。

 俺が短剣を振りかぶっているからだ。

 殺しはしない。

 何回かやったように、顎に柄を叩き付けて気絶させるだけだ。

 でも。

 

 蕪木は、俺が殺そうとしているように見えたらしい。

 

「いやああああああああああああああああ!!!!」

 蕪木が、咆哮の様な悲鳴を上げると同時。

 

 血飛沫が、舞った。

 

 何、が。

 起きた?

 

 次々と、赤の噴水が上がった。

 机が、椅子が、床が、壁が、血に染まる。

 机と椅子が大きな音を立てて、滅茶苦茶に倒れる。

 いつも過ごしていた日常が、汚されていく。

 

 状況が移り変わり過ぎて、脳が、追いつけない。

 追いつけないが。

 それでも動け。

 適応しなければ、死ぬ。

 

 一瞬にして教室を血の海へと変貌させた存在。

 目に入る。

 黒。

 黒の獣。

 それは、黒い四つ足を持つ、百獣の王に似た体形の黒獣。

 

 恐らく、魔獣。

 また、魔獣か。

 大罪者の罪科異別で創り出されたであろう魔獣。

 ここで、またお前が来るのか。

 ふざけんなよ。

 

 血の不快な臭気が鼻を刺激した。

 今、この広くはない部屋に何体もの死体が転がっている。

 それを作り上げたのは、蕪木でもなく、俺でもない。

 魔獣。

 どこかでこの状況をほくそ笑んで知っている、大罪者だ。

 

 

 ああ、そうか。

 これが、罪科異別。

 俺は今まで普通に使っていた。

 強力な力だとは、思ってはいた。

 けれど、ここまでなんて。

 非道で、残虐で、醜悪な事が簡単に出来てしまう能力だなんて認識までは、理解はしていたけれど、実感が無かった。

 今まで、何度も見てきてはいた。

 それでも、ここで初めて本当の意味で実感した。

 罪科異別は、在ってはならない力だ。

 

 

 黒き魔獣が、凶哮する。

 学校中に響き渡るのではないかと思うほどの、咆哮だった。

 その所為(せい)で。

 その所為(せい)何かにはしたくないけれど。

 とりあえず。

 とにかく。

 俺は。

 一瞬怯んだ。

 いや、盛った。数秒だ。 

 数秒、動けなかった。

 

 数秒あれば、戦闘中の隙として大きすぎた。

 そして。

 動けなかったのは、蕪木も同じだった。 

 

 薙がれる魔獣の前足。

 衝撃。

 吹っ飛ぶ。

 蕪木と共に、机を薙ぎ倒しながら吹き飛び転がる。

 

 しかし、大して痛くなかった。

 痛かったといえば、机で身体を打った痛みくらい。

 でも。

 生暖かい液体で、俺の両手が濡れている。

 

 蕪木が目の前に、転がっていた。

 背中から脇腹まで、裂傷。

 魔獣の爪で裂かれた、一目で致命傷と分かる怪我。

 けれど俺は、ほとんど無傷。 

 

「あ…………」

 気づく。

 俺はきっと、死んでいた。

 逆だっただけで。

 魔獣が腕を振る方向を、逆にしていただけで。

 少し運が悪かっただけで、俺はあっけなく死んでいた。

 蕪木の代わりに。

 

 魔獣の咆哮。

 やつは絶対強者として、この場にその異様を誇示させていた。

 

 ――――――――――。

 ――――――――――――――――――――。

 

 ――今は、何も考える必要はない。

 考えてはいけない。

 俺は立ち上がる。

 翡翠色の短剣、その柄を、強く握り込む。

 やるべき事をやるだけだ。

 殺す。

 

 一足で飛び掛かってくる魔獣。

 その速度は、普通の人間がこの距離で避けれるものではない。

 獣の疾駆とは、それほど速いのだ。

 

 されど。

 俺は、負けるなどとは少しも思わなかった。

 

『護り為す白き羽』(ティアティス)

 飛来した白く煌めく羽が、俺の目の前で刹那の間に楯と成る。

 真正面からその楯に激突した魔獣は、頭が跳ね上がり、四足がたたらを踏む。

 ここから体勢を立て直すまでに、奴は二、三秒程度必要だろう。

 ごく短い時間。

 けれど。

 

 二、三秒あれば、十分だった。

 

 魔獣の目を見る。【ロックオン】

 概念の(くさび)が、カチリと()め込まれる。 

 右手に握った翡翠色の短剣を、魔獣の額にぶっ刺す。

「『殺害せよ』」

 短い詠唱の後。

 死の概念が顕現、定義、決定、確定。広がる。

 魔獣は瞬時に絶命。

 消滅した。

 

 

 途端に教室内は、静かになる。

「はぁ……はぁ……はぁ……」

 荒い息を吐く。

 何もかも、ギリギリだった。

 だが、まだ全部終わっていない。

 

 血の水溜まりを踏んで、ぴちゃぴちゃと音を鳴らしながら俺は歩く。

 周囲に目を動かす。

 ほとんどの、操られていた人達は死んでいる。

 それでも数人は、生きているようだった。

 その数人は、座り込んで微動だにしていない。

 真白はほとんど怪我を負っていないように見えた。

 俺はよく見ていないが、人の波に呑まれた時も自分で何とかしたのだろう。恐らくマンイーターに巻き付かれた時の様に翼で防御したのだ。

 そうして、倒れている蕪木の前まで来た。

 

「かず、き、先輩…………」

 生きているか、確認しに来たのだが。

 もう、虫の息だ。

「真白、治せるか」

 返答は分かっている、それでも聞いた。

「無理、だね……」

 真白は悲しそうに、申し訳なさそうに、小さく言う。

 

 俺は、前みたいに取り乱してみっともなく騒いだりしなかった。

 ただ、何もできずに、蕪木を見ていた。

 

 なにかを言いたげに、俺を見つめ返す蕪木。

「せん、ぱい……」

「なんだ」

 俺は、聴く。ちゃんと、耳を傾ける。 

「私、あの時から和希先輩のこと……」

「あの時?」

 数秒、蕪木が固まった。

「覚えて、ないんですか……?」

「え……」

 なんの、ことだ……?

「あ、あははは……私、馬鹿みたいですね。覚えられてなかったなんて」

 親において行かれた子供のような、酷く寂しそうな表情。

「待て、今思い出す。蕪木と前に会ったことがあるんだろ?」

 前に廊下ですれ違った時、それが最初の、蕪木との邂逅だと思っていた。

 でも、その時に何か引っかかっていたはずだ。

 頭にしこりが残るように。

 あの時は思い出せなかったが、今なら。

  

 思い出せ。

 思い出せ。

 思い出せよ。

 

「……すまん……ヒントをくれ」

 いくら頭をこねくり回しても、出てこない。

 蕪木は弱々しく笑った。

 

「悪いやつらから助けてくれたヒーロー」

 

 その一言だけを呟いて、目を伏せる。

「悪いやつらから、助けた……?」

 助けた、黒髪で、髪の長い女の子…………。

 ぁ……。

「もしかして、あれか?」

 あの時の、女の子なのか?

「なあ、蕪木、もしかしてお前――――」

 

 蕪木は、目を開けない。

「おい、蕪木」

 肩に触れた。

 微動だにしない。

「おい」

 痛いかもしれないが、揺すった。

 動かない。

「おい」

「カズくん、もう……かえろ」

 真白の言葉なんて、耳に入らない。

 入っちゃいけない。

 認めてはいけない。

 それが揺るぎない真実となってしまうから。

「おい、まてよ」

 せっかく、思い出せたのに。

 今から少しでも、こいつの心を救ってやれたかもしれなかったのに。

 傲慢か?

 それは傲慢なのか?

 ふざけんな。

 ふざけんなよ。

 ここでなにも、伝える事さえ出来ずに死んだら。

 

 何も、救いがないじゃないか。

 

 俺は、救うんだ。

 俺に、出来ない筈がないんだ。

 救わなければならないのに。

 どうしてだよ。

 なんなんだよこれ。

 もう、頭の中滅茶苦茶で、本当に、なんなんだよ。

 

 いつの間にか、俺の頬には熱い透明が流れていた。

 俺は、何もできないのか…………。

 そんなわけない。

 だって俺様だぞ?

 無敵のヒーローだ。

 無敵のヒーローが死なせちゃいけない人死なせるかよ。

 すべてを救う?

 全く、お笑い草だ。

 

 

 背中から、暖かい感触。

「カズくん」

 真白が後ろから、抱きしめてきていた。

 柔らかく、落ち着く香りがする。

「すべてを救おうとする気持ちは、すごいと思う。美しいと思う。尊いものだと思う。だから、とめたりはしないよ」

 ぎゅっと、腕の力が強まった。

「でもね、救えないときもあるんだよ。どんなに頑張っても、失敗するときもある。だから、潰れないで。悲しくても、それを目指したなら前を向いて。すぐに忘れて次に、なんて言えないけどさ、とにかく、まだ失っていない大切なものに目を向けて」

 …………。

 そうだよな。

 真白の言う通りだ。

 わかってる。

 そうなんだけどな。

「わたしも、ちゃんとそばにいるから。耐えられなくなったときは、頼ってくれていいから。投げ出したくなったときも、恥なんて捨ててわたしに言ってくれていいから。わたしは、許してあげるから」

「ああ……」

 少し、心が安らいだ。

 

 

 ははっ。

 でもな真白。

 俺は、最初から。

 

 すべてを救えるなんて、思っちゃいなかったよ。

 

 多分。

 きっと。

 くだらない、理想。

 現実の前には脆く儚い、幻想。

 理不尽に、不条理に、あっけなく潰される。

 そんなものだと、心の底では解っていた。

 

 だから、すべてを本当に救えるなんて、思っちゃいない。

 けれど、理想って一番そうなったらいいことだと思うから。

 誰もが望む、真実の最上だと思うから。

 だから誰もがそれを諦めてしまったら、それこそ終わりなんだ。

 目指す事を、諦めたくない。間違っているなんて、思いたくない。目指すからには、思っちゃいけない。

 俺は誰も、死なせたくないんだ。

 すべてを、救いたいんだ。 

 俺はそうでしか在れないし、そう在りたいのだから。

 

 

「ありがとうな……」

「ううん……」

 真白も、何も思わない筈がない。

 だって、体が微かに震えている。

 それなのに、俺に言葉を掛けることを優先してくれた。

 

 俺の肩から出している真白の横顔に視線が行く。

 いつもとは違う、大人びた表情をしていた。

 ヴァイオレット色の瞳は、神秘さが増しているように見える。

 流れる髪は、純粋な白。月明かりに反射していた。

 こんな時なのに、綺麗だ、なんて思ってしまう。

 それでいて、こちらの胸が締め付けられるような切ない顔。

 辛さと悲しさを抑えた、狭間の美しさを湛えた姿。

 彼女も耐えている。

 耐えている。

 耐えている。

 俺は数秒間、真白の横顔を見つめていた。

 

 

「カズくん、帰ろっか……」

「ああ……」

 俺達二人は蕪木に、そして死体達に黙祷を捧げてから、血の匂いが充満する教室を後にした。

 まだ生きている操られていた人達は、昇降口辺りまで背負って移動させた。

 それぞれの家までは分からないけれど、あの場所に留めて置くよりは良いと考えたからだ。

 少しは、安全な筈だ。 

 

 明日は、どうなるのだろうか。

 休校か。

 それとも、大罪戦争を起こした奴らが隠蔽するか。

 ――――。

 どっちでもいい、と思った。

 知るか。

 

 

 俺は、家に力無い足取りで帰った。

 玄関を開ける。

 リビングに入ると、アイラがソファに座って小説を読んでいた。

 アイラが本を閉じてこちらを見る。

「おかえりなさい」

「ただいま」

 アイラの前に立つ。

「? 和希さん?」

 妹は不思議そうな顔。

 俺は膝を突く。

 アイラの腹に顔を埋める形で抱き付いた。

「わひゃっ!? 和希さん?」

 アイラの匂いは、落ち着く。

 柔らかさと暖かさも、それを助長する。

 少しすると、慌てていたアイラが。

「大丈夫です」

 抱きしめ返してきてくれた。

「私はちゃんとここにいますからね」

 情けねえよな、俺。

 でも、落ち着いたら、頑張るからさ。

 今は、こうさせてくれよ。

 もう少ししたら、強い俺に戻るから。

 その程度、俺に出来ない訳がないのだから。

 まあ、いつもの俺が強いかどうかは、わかんないんだけどな。

 

「好きなだけ、こうしてていいんですからね」

 その言葉が、ありがたかった。

 しばらくそのままでいると、安らぎの中で自然と意識が闇に落ちる。

 ゆっくりと、眠った。

 

 

 ――――――――――。

 ――――――――――――――――――――。

 ――――――――――――――――――――――――――――――。

 

 

 俺が、中学三年だったかの頃。

 路地裏を、何かの理由かそれとも気まぐれか、通った時がある。

 その先で、複数人の声が聞こえてきて。

 男の中に一人だけ女の子の声が聞こえた気がして。

 気になって歩いて行った。

 

 そうして顔を道の角から出すと、俺は、それはもう驚いた。

 強姦未遂現場なんて、本当にあるんだな。もうすぐ未遂じゃなくなるんだろうけど。

 そんな暢気な言葉が頭に浮かんだ。

 すぐに思考を切り替え、近づいて行く。

 俺はすべてを救うんだ。と心の中で唱えながら。

 

「おい」

「ああん?」

 女の子の服を脱がし掛けていた手を止めて、下種野郎共が振り返る。

 三人か。

 余裕だな。

「今すぐ失せろ」

「は? なに言ってくれちゃってるわけ? このガキが」

「あんまりチョーシくれてっと死ぬぞ?」

「お家に帰って震えてろ。サツにチクったらぶっ殺しに来るからな」

 俺の言葉に耳を傾けるはずもなく、べらべらと不愉快な言動。

「警告は一応したぞ」

 こんな奴らにそんなもの必要ないとは思うが。

 

「お前らやっちまえ。俺はこいつを抑えておく」

 上の立場っぽいやつが女の子に逃げられない様に体を押さえつける。

 残りの二人が近づいてきた。

「じゃあさっそく、痛い目みてもらおうか」

 右ストレートを放ってくる一人目。

 それを難なく掻い潜り、顎にアッパーを決めた。

 あっけなく一人目は気絶。

「なんだ、こいつ……くそっ!」

 二人目が蹴りを放ってくる。

 その蹴り足を取り、引っ張って転がす。

 仰向けに倒れた男の顎に蹴りを入れて、意識を刈り取った。

 

 ――――体を横に逸らして、後ろから来た突きを避ける。

 飛び退きながら振り返ると、残り一人の男がナイフを持っていた。

 無言で近づいてきた事から前の二人よりは出来るようだが。

 ナイフが突き出される。

 だが、動きは全然だ。

 手首を掴み取り、背負い投げへと移行。

 投げ飛ばした。

 背中を打ち付けられた男は呻き声を上げる。

 そしてまた顎を蹴り飛ばし、脳震盪を起こして意識を落とさせた。

 

 終わった。

 簡単だ。

 この程度のやつらに後れを取ったら、今まで俺は何をしてきたんだ、となってしまう。

 でも。

 なんだ、この充足感は。

 

「立てるか?」

 壁に背を預けて座り込んでいる女の子の前まで歩いて行き、手を差し伸べる。

「はい、ありがとうございます……」

 俺の手を握って立ち上がる女の子。

 長めの黒髪の、女の子。

 怪我は何もしていないように見える。

 大丈夫そうだ。

「じゃあな。これからは人の多い道を歩けよ」

 特に関わる理由もなかったので、そのまま背を向けて歩き出す。

 

「あ、あの……っ!」

 すると後ろから声を掛けられた。

 振り返る。

「なんだ?」

「な、名前を、教えていただけませんか……?」

 それぐらいなら問題ない。

「相沢和希だ」

「相沢、和希さん……」

「聞いたからには覚えて置け。いずれすべてを救う者の名なんだからな」

「はい……」

 女の子は顔を綻ばせ、微笑んだ。

 

 そうして俺は、立ち去る。

 心の中は、一つの事で塗り尽くされていた。

 

 これだ。

 これこそが、俺が求めていた救いだ。

 人を、命の危機、またはそれと同レベルの状況から助ける。

 それこそが、俺がしたかった救済行為。

 

 俺の、すべてを救いたいという漠然とした曖昧な目的が、しっかりと明確に、意味を持って定まった瞬間だった。

 興奮が冷めやらない。

 噛みしめていた、自分の生きる目的を。

 偶然とはいえ、俺に道を示してくれた女の子の事を忘れて。

 

 

美子side

 

 

 男達の下卑た笑い声。

 押さえつけられる身体、抵抗は全力でした。両腕や両足を力の限り振り回そうとした。 けど無理だった。

 やめてといった、でも当然やめてくれない。

 叫ぼうとしたら、口を手で押さえられた。

 ここまでやって、わかった。

 逃げる事は無理そう。

 

 …………。

 もう、どうでもいい。

 いつもそうだ。

 悪い事ばかり。

 嫌な事ばかり。

 

 両親は最初から、私に興味持ってないし。

 ネグレクトっていうんだっけ? どうでもいいけど。

 一応生活はさせて貰ってるけど、全然関わってこないなら意味が無い。

 仕事仕事仕事ばっかりで、話し掛けてもほとんど無視される。

 

 学校も学校で、イジメっぽい事に遭うし。ぽい事というかそのものだけど。

 それも、わけのわからない理由で。

 なんだよ、陰気だから、暗過ぎるからって、わけわかんないよ。

 

 だからもう、どうでもいい。

 好きにすればいい。

 どうせ私を大切に思ってる人なんていない。

 私も大切な人なんていない。

 だったら、何が起こっても気にする事なんてない。

 

 終わるまで。全てが終わるまで、目を瞑っていよう。

 適当に時間でも数えてたら、いつの間にか終わってるんじゃないかな。

 終わったら、そのまま寝るか帰るか、何でも好きな方を選べばいい。

 どっちでも、構わない。

 知らない。

 そのまま殺されてもいい。

 むしろ殺して。

 何もかも、どうでもいい。  

 

 私の服に手が掛けられる。

 これから剥かれるのだろう。

 どうでもいい。私には関係ない。

 そうして、目を閉じようとした。

 時。

 

「おい」

 

 下卑た男達とは違う、男の子の声。

 目を閉じるのをやめて、声が聞こえた方を見る。

 私と歳の近そうな、男の子だった。

 結構かっこいい。

 

「今すぐ失せろ」

 私を襲った男達も何か言うけれど、その男の子の声しか耳に入らなかった。

 視界にもその人しか、映らなかった。

 なぜか、すごく胸が高鳴った。

「警告は一応したぞ」

 そう最後に一言告げると、男の子はバッタバッタと悪いやつらを倒していく。

 ナイフまで出されたのに、あっさり倒してしまった。

 

 そうして男達を気絶させた後、男の子は私に近づいてきた。

「立てるか?」

 座り込んでいる私に、手を差し伸べてくれる。

「はい、ありがとうございます……」

 礼を述べて、男の子の手を握って立ち上がった。

「じゃあな。これからは人の多い道を歩けよ」

 そのまますぐに背を向けて歩き出してしまう男の子。

 

「あ、あの……っ!」

 私が声を掛けると、振り返った。

「なんだ?」

「な、名前を、教えていただけませんか……?」

 聞かずにはいられなかった。

 だって、この人は、今まで会った人とは何もかも違ったから。

「相沢和希だ」

「相沢、和希さん……」

 その名前を噛み締める。

 記憶に刻みつけるように、心の中で反復する。

「聞いたからには覚えて置け。いずれすべてを救う者の名なんだからな」

「はい……」

 最後に言ったことの意味は分からなかったけど、すごくかっこいいと思った。

 

 再び背を向けて去っていくその姿は、とても輝いていて、眩しくて。

 ヒーロー。そんな言葉が頭に浮かんだ。

 私を助けてくれた、かっこいいヒーロー。

 こんな私に、初めて優しさを向けてくれた人。

 本当に、ほんの僅かな時間しか話さなかったのに、初めて大切だと思える人。

 

 一緒にいたい、と思った。

 でもそれ以上、声は掛けられなかった。

 その背を引き留める言葉が、出てこない。

 ここにきて、臆病になってしまう。

 拒絶されたらどうしよう。

 そうしたら、また生きていても意味の無い生活に逆戻りだ。

 それが怖かった。

 迷っている内に、相沢和希さんはもういなくなっていた。

 

 

 それからは、ずっとその人の事だけを考えていた。

 簡単に言うと、好きになってしまった。

 一目惚れと言えるか、ちょっと違うかわからないけど。

 とにかく、好き。

 いつまでも、ずっと、一緒にいたい人。

 そばにいてほしい人。

 高校生になって再会した時は、嬉し過ぎて飛び跳ねそうになった。

 それでもしばらく、話し掛けられなかったけど。

 

 

 ――そうしてある日。

 魔眼が宿った。

 

 

 




 蕪木美子、罪科は嫉妬。
 嫉妬の罪科異別は『浸食憑依(しんしょくひょうい)の魔眼』
 瞳が濃いピンク色に輝く。
 魔眼と目を合わせた者の身体を乗っ取る。その者の異別耐性の強さによってどこまで完璧に憑依出来るかが変わる。天使や悪魔にはまず憑依は出来ない。
 嫉妬増幅の副作用在り。


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15話 あなたのおかげで生きてるよ

 

 

 6月12日金曜日

 

 

 目を開ける。

 何も見えない。

 なんか、いい匂いがする。

 甘い香り。

 顔を上げてみた。

 目の前にアイラの顔があった。

 

「…………」

 アイラに抱きしめられて横になっている状態。

 狭いソファで、二人一緒に寝ている。 

 なぜこんな状況になった。

 記憶を辿ってみる。

 …………。

 ああ。

 あのまま眠ってしまったのか。

 起こしてくれればよかったのに。

 アイラは起こすのを悪いと思ってくれたんだろう。

 そんな妹の寝顔を眺める。

 安らかで、穏やかな表情だ。

 

 あ、起こさないとな。

 今起きないと学校に間に合わない。

 ――今日学校があるかは分からないが。

 とりあえず準備しておくに越した事はないだろう。

 

「ん…………」

 起こす前に、アイラが瞼を開いた。

「おはよう」

「おはよう……ございます」

 まだ寝惚けているのか、ゆっくりとした返事。

「…………」

 数秒、眠そうな瞳で黙るアイラ。

 抱きしめ合ったまま、至近距離で見つめて待つ。

「あ、え、と……ご、ごめんなさい……! きのう、起こしちゃ悪いかなって思って、それで、そのまま寝たらこんな感じになってしまって……! 一緒に寝たいと思ってしまったのもあるんですけど……!」

 慌てたアイラは捲し立て、言わなくていい事まで口からすっぽ抜けていく。

 顔を真っ赤にしている妹は、やっぱり。

 かわいいと思った。

 

 

 

 その後は何とかアイラを落ち着かせ、朝食をとり、学校へ向かった。

 連絡は何もなかったから、休校とかそういうのは多分ないと判断した。

 

 校門へ着くと、いつも通り。

 進んで行く。

 学校内も、いつも通りに登校中の生徒が歩いている。

 そうして。

 何事もなく教室に着く。

 

 中に入ると、いつもの教室だった。

 死体など一体もない。

 床や壁にこびり付いた血も、一滴すらない。

 滅茶苦茶に倒れた机や椅子も、元の位置に戻っている。

 

 大罪戦争を始めた奴ら、悪魔の隠蔽か。

 今こんな完璧な隠蔽をするのなら、なぜ最初の頃の変死体は隠さなかったのだろうか。

 度が過ぎれば隠すがそれ以外は関与しないとかそういうのか。

 結局、確認でもしなければ分かりはしないけれど。

 どうでもいいことか。

 俺はそんな奴らの思惑をぶっ潰すだけだ。

 すべてを救うんだ。

 まだ、諦めてはいけない。

 何も終わってないのだから。

 

「おはよっす」

「おはよう」

 津吉の挨拶へいつも通りに返す。

「和希」

 立ち止まり、一転変わって真剣な表情になると、津吉は俺の名を呼んだ。

「なんだよ改まって」

 いつもと違うその態度に、調子が狂う。

 たった一言俺の名を呼んだだけなのに、場の空気が変わった気がした。

 その雰囲気が真剣すぎて、こいつは一体何を考えているんだ、なんて思ってしまう。

 そして、一呼吸の後。

 津吉が一言放つ。

 

「まだ、頑張れるか?」

 

 …………。

「どういう意味だ……?」

 意図を計りかねた。

 だから問うた。

 だけど。

 ――頑張れよ――

 今の言葉は、前に一度聞いた津吉の言葉と、同じ響きを持っていた。

 

「どういう意味って聞かれると少しばかり困るんだが、そうだな……。最近巻き込まれてる苦難、それから護り通せる意思がまだあるか。みたいな感じかな」

「最近巻き込まれている苦難…………」

 もしかして。

 津吉は、大罪戦争の事を知っている?

「お前は……」

「おっと何も訊かないでくれ。俺も言えたら最初から言っている。でも無理なんだ」

 両手を前に出して拒否の意思を表現する津吉。

「どうして」

「それも言えないんだ」

 複雑な、遣り切れないような笑みを浮かべる友人。

「自分の意思で言わないのか? それとも、自分の意思とは関係ない他の要因で言えないのか?」

 それは、知っておきたかった。友人を疑いたくなんてない。

 だけど。

「…………」

 沈黙。

 それも、言えないってか。

「その、何も言えないお前は俺に何を求めてるんだよ」

 釈然としなくて、少し棘がある言い方になった。

「俺としては、お前にちゃんと頑張ってほしいんだよな。今よりも、もっともっとな」

「なんだよそれ」

「酷なのは解ってるさ。十分にな。でもさ、お前以外にいないんだよ。お前以外に、出来るようなやつを知らねえんだ」

「なんだよそれ」

 同じ言葉を、吐き出した。

「だから頼む。俺が、お前が、庵子(あんこ)ちゃんが、アイラちゃんが、春風が、みんな笑って生きている。そんな結果を出してくれ」

「随分勝手に言うんだな」

「ああ、勝手だ。ひでえやつだ。でもな、俺じゃどうしようもないんだよ」

「ははは、そりゃお前程度じゃな」

「言ってくれるな」

 思わず憎まれ口を叩いてしまった。

「まあ」

 

 今までだって必死に頑張ってたよ。

 その一言は、言わなかった。

 これ以上どう頑張れってんだ。

 その二言目も、言わなかった。

 

「俺に出来ない訳がない」

 すべてを、救うんだ。

 

 数秒呆然として、津吉は黙った。

 そして。

「お前はほんと、変わらねえなあ」

 苦笑いをしながら、そんな言葉を発した。

「なんだよ、それ」

 三回目の同じ言葉を、思わず吐き出す。

「ま、あれだ。結局こんな話には大した意味は無い。俺がとうとう言いたくなっちまっただけだしな。話をしただけで、敵を倒せるわけじゃないんだ」

 津吉は背を向ける。

「最後にもう一回伝えとく、頑張れよ。俺は最後まで信じてるぜ、親友」

 そうして自分の席へ、戻っていった。

「なんだよ、それ」

 俺は結局、そんな事しか言えなかった。

 

 ………………。

 …………。

 ……。

 

 昨夜ここで死んだ生徒や教師たちは、行方不明ということになっていた。

 朝のホームルームで、そう伝えられた。

 生き残った者たちは、操られていたので記憶が無く、目覚めたら病院にいたとの事。

 その結果、騒ぎは大したことにはならなかった。

 こうして、大罪戦争は誰にも知られる事はない。

 一部の者以外には。

 

 

 気分が悪い。

 一時間目が始まってから、耐えがたき嫌な感情が限界に近くなってきた。

 この教室で、昨夜、たった十数時間前に、蕪木が死んだんだ。

 血に染められた光景が思い出される。

 思考から追い出そうとしても、脳に吸い付いて離れない。

 俺が今使っている机も、誰かの血に汚れていたものかもしれない。

 そう思うと、吐き気がする。

 

 ――くそっ。

 俺はこの程度の事で屈しない。屈しはしない。

 まだ救える誰かがいる。

 だったら俺は、その人を救うだけだ。

 俺はやる。

 やるんだ。

 だから、蕪木、ごめん。

 お前の事は忘れないけど。

 今は、考えないようにするよ。

 

 

 一時間目後の、休み時間。

 俺はこの教室から少しの間でも離れたくて、席から立ち上がり教室の外を目指す。

「カーズくんっ」

「どわっ……!?」

 後ろから、両肩にバシンと手を乗せられた。

 その人物は――真白は俺の前に回ると。

 笑顔をパッと輝かせ。

「何かお喋りしよーよ」

 そんな事を言った。

 

 ――辛い時こそ笑え。

 確か真白は、前にそう言葉を発していた。 

 これも、その一環なのだろうか。

 やたらと、元気そうだ。

 でも、俺は真白みたいには出来ない。

 人が死んだんだぞ。

 しかも、関わりのない完全な他人とは違う人が。

 笑えるかよ。

 気落ちしてても仕方がないのは分かるけどさ。

 でも笑えねえよ。

 

「カズくん、ここは日常だよ」

 真白は笑顔だ。

「……わかってるさ」

「非日常なんかじゃない、一緒に楽しく過ごした場所だよ」

 とても自然な笑顔だ。

「ああ……」

 わかってるはずだ。

「全部終わったら、その時思いっきり泣けばいいよ」

 笑顔を保っている。

「…………ああ」

「その時はわたしも付き合うから。一緒に泣くから」

 元気な、こちらも元気を貰えるような、表情。

「ああ」

 ずっと明るい笑顔のまま、真白は喋った。

 

 笑えない、笑えねえけど――。

 そこまで言われたら、出来ない事もやってやろうって気になってしまう。

 だから、無理矢理、不敵な笑みを作った。

 真白は、別に無理に笑えといっている訳ではないのだろう。

 落ち込んでても良い方向には行かない、みたいな事をいいたいのだろう。

 だけどまずは、形からだ。

 不敵な笑みの俺は、言葉を発する。

 

「で、なんか話すんだろ?」

「ぁ……うん! それでね――――」

 俺の変化に嬉しそうに頷き、真白は話し始める。  

 

 日常は、過ぎていく。

 休み時間になる度に、真白は元気よく話し掛けてきた。

 内容はどれもくだらない話だったが、楽しくはある。

 いつか来る不穏を孕みながら、それでもいつも通りに平穏が、そこにあった。 

 

 ※

 

 一人の、少年がいた。

 少年は、過去に異常者に誘拐された。

 そして、人肉を食べさせられ続けた。

 少年は助け出された後、人肉以外を受け付けなくなっていた。

 病院に入院し、通い、ようやく普通の食事を問題なく食べれるようになった。

 しかし。

 人肉以外を、美味いとは思えなくなっていた。

 いつも飢餓感に苦しんでいた。

 

 ただ、それだけの話。

 

 ※

 

 授業は上の空のまま過ぎて行き、昼休みになった。

 

 弁当を持って椅子から立ち上がり、教室を出て廊下を歩いて行く。

 今日はアイラと昼飯を食べられる日だ。

 最後の階段を上り、屋上の扉を開ける。

 足を踏み出すと、ベンチに座っているアイラがこちらに視線を向けてきて、俺だと確認すると笑みを零した。

「よっ、アイラ」

「はい、和希さん」

 一言言葉を交わすと、アイラの隣に腰掛ける。

 弁当の包みを解き、蓋を開けた。

 今日もアイラの、美味そうな弁当。

「いただきま――――」

 

 

 ドクンッ――。

 

 

 鳴動。

 鼓動。

 脈動。

 罪科異別が、発動された。

 

 今か。

 今来るのか。

 まだ、昼間だ。

 また、昼間だ。

 前回昼間に罪科異別が発動された時は、何の被害もなかった。

 だからといって、今回もそうだなんて希望的観測もいいところだ。

 そもそも何の根拠もない。

 行かなくては。

 早く、誰かが死ぬ前に。

 

 弁当に蓋をして脇に置き、立ち上がる。

「アイラ、すまん。俺行かなくちゃいけないところが出来た」

「……っ。和希さん……」

 アイラは一瞬面くらい、すぐに俺が最近やっていること関連だと理解したのか心配そうに名前を呼んでくる。

「それじゃ、いってくる」

 走り出そうとした。

 けれど、一、二歩進んだだけで止まる。

 後ろに引っ張られたのだ。

 その後ろへ、振り返る。

 アイラが、俺の服の袖を掴んでいた。

 

「行かないでください…………」

「なんでだ……?」

 アイラはいつも、いってらっしゃいと言って送り出してくれた。

 なら、なぜ今止める?

 必ず帰ってくる。

 あの約束を、信じてくれるんじゃないのか?

「今日の和希さん、いつもより、なんというか、辛そうというか、悲しそうというか、ボロボロなまま無理に動こうとしてる人みたいで……このまま行かせたら、帰ってこないような気がして…………だから、とにかく今だけでも、行かないでください。少なくとも、元の和希さんに戻るまでは……約束のことは、わかっています、でも…………」

 アイラは、悲痛な表情で話した。

 そして、言葉を切らして俯いた。

 

 みんな、俺の様子をすぐに解ってしまうんだな。

 津吉も真白も、そうだった。

 でも。

 辛いとか、悲しいとか、それがどうした。

 だからって、やらない理由にはならない。

 俺は、やりたいことをやるだけだ。

 アイラとの約束は必ず守る。

 生きて帰る。

 だけど、やりたいこともやり通す。

 救うんだ。すべてを。

 一人でも多くを。

 立ち止まってる暇なんて、ない。

 今すぐ救いに行かなくてはならないんだ。

 そうしないと、救える命が減ってしまう。

 だから――。

 

「ごめんなアイラ。それでも行きたいんだ。絶対に帰ってくるから、信じて待っていてくれ」

 そんな言葉だけを残して、アイラの手を出来るだけ優しく振り解いて走り出す。

「あ――和希さん……!」

 アイラが呼ぶが、立ち止まらない。

 立ち止まるわけにはいかない。

 今にも人が、死んでいるかもしれないんだ。

 ほんと、ごめんなアイラ。

 ごめんなさい。 

 

 

 学校の階段を走り下りながら、携帯で真白に電話する。

 数コールで出た。

「カズくん、どうしたの?」

「罪科異別が発動された。集合場所は校門でいいか?」

「うん、わかった。今すぐ行くよ」

 真白は即座に状況を理解し、そう返してくる。

「そうしてくれ」

「一人で行かないでね……?」

 念を押すような言い方。

 さすがの俺も、学んでるっての。

 それに前の時だって、結局一人で行かなかっただろ。

「わかってる」

 電話を切り、携帯をポケットに仕舞って走る速度を上げる。

 全力で走る俺に向けられる、生徒の驚きと奇異の視線を無視しながら、進んで行く。

  

 アイラにはああ言ったが。

 死なない保証なんてある訳がない。

 そんな事は解っている。

 相手が俺を上回ってくるか、運が悪かったらそれで終わりだ。

 それでも。

 俺に出来ないわけがないんだ。

 俺は、すべてを救うのだから。

 約束は、守る。

 

 

 

 真白と校門で合流し、駅まで走り、電車に乗って移動した。

 たった一、二駅ほどだが、こちらの方が速い。

 今回は、いつもより少し遠くで罪科異別が発動されたのだ。

 だから、急がないと手遅れになる。

 少しでも早い方法を取らなければならない。

 

 そうして。

 その場所に、着いた。

 隣町の高等学校。

 見ただけで、すぐに異様だと解った。

 だって。

 

「カズくん、この学校、結界張られてるよ。それも全域に」

 真白が表情を険しくしてそう言った。

 違う、俺が言いたいのはそうじゃない。

 結界とやらも今初めて聞いたし、気になるが、それじゃない。

 

 俺の目の前、校門前には人だかりが出来ていたんだ。

 学校の敷地内の、校門前に立ち尽くす人。

 壁なんて在るように見えないのに、見えない壁を必死に叩く人。

 俺たちの姿を見止めて、助けを求める為に大声を上げているように見える人。

 こちらには何一つ音は伝わってこないけれど。

 非常事態だという事は、嫌でも伝わった。

 そして、このまま見ていても何にもならない。

 

「真白、その結界とやらは入れるのか?」

 それが問題だ。

 入れなければ、手の出しようがない。

「これを見た限り、わたし達みたいな存在なら入れそうだよ。もっと詳しく言うなら、大罪戦争に関わっている人なら入れるんじゃないかな」

 真白がヴァイオレット色の瞳を純白に煌めかせて言った。

 見た限りの推測でしかないが、目に何かの異別でも使ったのだろう。

「そうか、なら問題ないな」

 拳を掌に叩き付け、気を引き締める。

 一呼吸。

「行くぞ、真白」

「うん」

 二人して足を踏み出す。

 

 結界内には、少しの違和感と共にすんなりと入れた。

 いきなり霧が充満した空間に放り入れられたような、そんな違和感だった。

「お、おい! あんたら自由に行き来できるのか? だったら助けてくれよ。外に出られないんだ……!」

 平然と入ってきた俺たちに、声が掛けられる。

 見た目から判断するに、この学校の男子生徒だろう。

「なんかわけのわからん化け物が、みんなを殺したんだ! ちくしょう……!」

「早く私を助けて! でないとアイツが来ちゃう!」

「死にたくない!」

「助けて!」

 次々と周りの者が近づいて来て、言葉が放たれる。

 皆、必死な表情。

 藁にも縋る思いなのだろう。

 だが、これでは前に進めない。

 押し退けて進んで行くしかないか?

 真白も考えあぐねているようで、困ったと顔に出ている。

 鬱陶しい。

 俺は急いでるんだ。今安全な者にかまけている時間はない。

 と。

 

「みんな、少し落ち着いて! というか落ち着けなくてもいいから黙って!」

 鶴の一声。

 その声が聞こえた直ぐ後、全員が静かになった。

 生徒たちの間から歩いてくる女性。

 俺たちの前で立ち止まる。

「ごめんなさいね、うちの生徒が。こんな状況だから、どうか許してあげてほしいわ」

「あ、いえ! 大丈夫です。怒ってませんから」

 真白が答えた。

 俺は咄嗟に答えられなかった。

「私はこの学校の教師です。今が普通の状況ではない事は一応理解しています。そして、この外から入ってきた貴方達が普通ではないのだろうとも思っています。だから話を聞いていただけませんか?」

 女教師が真剣な大人の顔で言葉を発する。

 さっき一瞬で静かになった生徒を見るに、よっぽど信頼されているのだろう。

 

「問題ないですよ。俺たちがなんとかしますから」

 俺は静かになった生徒たちの間をすり抜けて走り出す。

 そんな事に時間を使ってる場合じゃないんだ。

 要はここにいる大罪者をぶっ倒せばいい。

 それで解決だろ?

 殺さずに、無力化する。

 俺に出来ないわけがない。

 俺に任せろ。

 

「あ、カズくん! ――ごめんなさい! ちゃんと何とかしてきますので!」

 後ろで真白が追いかけてくる足音。

 心配するな真白。一人で行くつもりなんてないさ。

 走る速度を次第に真白に合わせて行き、二人並ぶ。

「よかった。せっかく電話で言ったのに一人で行かれちゃうかと思ったよ」

 ほっとしたように真白が言う。

「まあ、ついてくるのが遅かったら置いて行ったかもな」

「え!? ほんと油断も隙もないね……」

「冗談だ」

「……冗談に聞こえない冗談はやめてほしいよ」

 げんなりして呟く真白。

 そんなことを話している内に、昇降口に着く。

 そのまま進み、校舎に入った。

 

 直後。

 空気が変容したように感じた。

 気分が悪くなってくる空気だ。

「カズくん、ここからはもっと警戒してね」

 真白もそれを感じ取ったのか、注意を促してくる。

 ならば先に、武器を出しておいた方が良いだろう。

「『総ての救済を望む傲慢な愚者よ、殺戮し、終わりの理へと導け』」

 左眼が翡翠色へと輝き、右手に柄も鍔も刀身も翡翠色の短剣が現出した。

 

 周囲に気を向けながら、足を踏み出す。

 逸る心を抑えながら、警戒して進んで行く。

 一階の廊下には、誰もいない。

 なら、教室を一つ一つ確かめるよりは、上の階に行った方が良いだろう。

 校門で少し聞いた話に寄れば、廊下に何も無いなんて事は無いと思うから。

 

「……っ」

 二階へと続く階段に差し掛かると、微かな異臭を感じた。

「カズくん、これは」

「ああ」

 一段一段上る度に、その嗅いだ事のある嫌な臭いは増していく。

 だが、そんな事で足を鈍らせている暇はない。

 速さを緩める事なく、進む。

 真白も並んで、進んで行く。

 そうして。

 二階へと辿り着いた瞬間、目に入ってきたものがあった。

 

 ――赤。

 赤色だ。

 (いや)な臭いの、赤色だ。

 さらに足を進めると、廊下に出る。

 校舎の二階廊下。

 そこに、そいつはいた。

 廊下一帯を血に染め、死体が散乱した中心に、荒い息を吐きながら立ち尽くす男。

 右眼をオレンジ色へと光らせ、右腕を黒き無貌(むぼう)の獣へと変化させた大罪者。

 マンイーター。

 人を喰う者。

 本名は、知らない。

 

 と。

 視界の端に、動くもの。

 見ると、死体に囲まれ、血を浴びた女子生徒がへたり込んで震えていた。

 逃げ遅れたのか……っ。

 動けないようで、瞳を恐怖に染めたまま立とうともしない。

「カズくん、あの子を護らないと」

「わかってる」

 女の子の前を通り、庇う様にマンイーターと女の子の間に立つ。

 真白も女の子の前方へと立った。

 その間、奴は何もしてこなかった。

 先までと変わらず、手負いの獣の様に、ただ荒い息を吐きながら立ち尽くしている。

 

「よお。マンイーター。話が聞けるなら今すぐ人を殺した事を懺悔して投降してくれないか?」

 こんな言葉、意味は無いだろう。

 現に奴は何も反応を示さない。

 でも、言わなくたって同じだ。

 だから俺は、言いたいから言った。

 言葉を発せずにはいられなかった。

 そうしないと、今すぐにでも冷静さを欠いて殴り掛かりそうだったから。

 沸々とした怒りは、収まらない。

 死体が目に入る度、それは加速した。

 憎悪さえ、顔を出しそうになる。 

 

「――なぜ、殺す。こんなに、沢山の人を。食べる、とか前に言ってたな。だったら好きに飯食ってろよ。なんで、人を殺すんだ!?」

 マンイーターは、静かに佇んでいる。

 なにも言葉なんて返ってこない。

 そう思っていた。

 しかし。

 

「君は、飢餓を感じた事があるか?」

 返答が、あった。

 静かな、荒々しい暴食とはかけ離れた声音。

 食人鬼は、話を続ける。

「三大欲求を極限まで高められた人間は、本能に逆らえない。それは抗えない自然の道理だ。そして、僕は人間以外では満たされない。普通の食事で体に必要な栄養は摂れても、心が飢え続ける。それが続けば、僕の精神は死に至るだろう」

 

 マンイーターは、流暢に話した。

 わけのわからないことを、当然のように。

 だが、ここで嘘を吐く理由がない。

 こいつのその感覚は、俺には想像できないけれど。

 逸脱した、理解できない存在に思えた。

 人を喰う事でしか満たされない?

 どうやったら、人間がそうなるんだ。

 奴がそうなってしまった経緯など、知ったところでどうなるわけでもないが。

 

「だから、人を殺すのか!?」

「そうさ」

「そんなの、間違ってる……!」

「僕は生きる為に喰らっているだけだよ」

 そうなのだろう。

 それは理解できる。

 人が生きる為に食事をするように、こいつは人でしかその食事が出来ない。

 そうする事でしか、生きられない。

 マンイーターとは、そんな存在なんだ。 

「それでも俺は、人を殺すお前を認める事は出来ない」

 認めては、いけないんだ。

「ならば僕に死ねと?」

「そうは言っていない」

「でもそういうことだろう。僕は人を食べなければ生きていけない。そして君は食べるなと言う。何が違う?」

「他の方法を探せばいい。人を殺さなくてもいい方法を。それが見つかるまでは俺から削ぎ落とした肉を食ってもいいぞ」

「足りないよ。人間の治癒速度は遅い。肉が補充されるまで待てるわけがない。削ぎ落とした肉が元に戻る前に君の全身を喰らってしまうよ」

「……だったら、治癒速度が、再生速度が恐ろしく早い異別者でも見つければいい――そういう能力を持った人っているか?」

 真白に尋ねた。

「どこかには居ると思う。でもすぐには見つからないかも。それに、あなたの肉をくださいとでも頼むつもりなの? 絶対断られるよ」

「……確かに、そうだな」

 

 そんな簡単な事にも、さっきは思い至れなかった。

 焦っている証拠だ。

 焦るな。

 冷静になれ。

 

「だから、わたしの力じゃ無理だけど、他の天使の力を借りれば肉体の少しの損傷なら即座に治療できるから、それで飢えを凌いでもらうって方法があるけど…………本当にいいのカズくん……?」

 心配するような、思いつめたような、信じられないと言いたいような、動揺したような、複雑な表情をしている真白。

「ああ」

 俺は間を置かずに頷いた。

 痛いのは嫌だが、それで誰も死なずに済むのなら、仕方がない。

 

「…………もう遅いんだよ。そんな事できる段階はとっくに過ぎている。話は終わりだ」

 マンイーターが、周囲の死体を眺めながらそんな言葉を発した。

 直後。

 この場は、戦場と化した。

 

 マンイーターの右腕、その黒き獣が不意打ち気味に飛び掛かってくる。

 俺と真白は、瞬時に戦闘態勢へと移行し、左右へと跳んだ。

 すぐ横を、黒き塊が通過する。

 髪に掠った。質量が通過した影響で、風が吹き付ける。

 俺達から狙いを外した黒き獣は、床のタイルを砕け散らせた。

「話は、もう出来ないって事か」

「もとより最初から、意味なんてなかったよ。話をしたところで結局はこうなる――僕達は、敵同士なのだから――!」

 マンイーターは黒き獣を蛇の様に撓らせ、引き戻す様に、Uターンさせる様に、俺の背へと獣の牙を突撃させる。

 学校の廊下はそう広くない。

 だから、右斜め前へと跳んだ。

 擦れ擦れで避ける。

 俺が床に着地するかしないかの時。

『貫きを為す攻性の羽』(ティアティス)

 真白が、白く煌めく鋭利な羽を数本射出した。

 マンイーターは後ろに下がりながら自らの右腕の陰に隠れ、楯とする。

 数本黒き獣に刺さったが、奴にはほとんどダメージは入ってないだろう。

 マンイーターはさらに下がって行き、俺は深追いすると不利になると判断し、短剣を構えて立つ。

 

「いい加減お前の戦い方も見飽きてきたな」

「それはこちらも同じだ」

 だが、どうする。

 奴との戦いは三度目と言ってもいい。

 今言葉を交わした様に、お互いの手の内は割れている。

 迂闊に同じ手を打つと、足元を掬われるかもしれない。

 それは相手も、同じ事だが。

 

「出し惜しみしている場合ではない、よね……あとの戦いに響くだろうからあまり使いたくなかったんだけど、ここで負けたら何の意味もない。そう、僕は君らに二回負け掛けた事を認めなければならない」

「……っ」

 厭な予感が、した。

 目の前で、魔力とやらが膨れ上がったような感覚があった。

「カズくん気をつけて!」

 真白の忠告の言葉の後。

 

「『暴食よ、狂食と成れ』」

 

 詠唱の言霊が紡がれる。

 そうして。

 そこに。

 

 総てを喰らい尽くす、魔の暴食が体現した。

 

 マンイーターの左眼もオレンジ色に輝き出し、両目が魔眼と化す。

 ――バキゴキガギゴギ。

 骨が折れる様な、成長する様な異音を奏でながら、マンイーターの左腕が右腕と同じ黒き無貌の獣と成る。

 ――バキゴキガギゴギガゴバグベガギガゴギ。

 されどそれに止まらず、両腕の黒き獣は膨脹し、二回りも巨大化、変形、角の様な物が生え、大口が腕の半分ほどまで裂ける。

 

 マンイーターが右腕を振るう。

 黒き化け物が、突進してきた。

 いや、突進などという猪でも出来る、程度の低いものではない。

 ただただ喰らおうと、絶対の捕食者は食事をしようとしているだけだ。

 この化け物にとって、人間だろうと、特殊な能力を持った異別者だろうと、己の捕食対象でしかない。

 人一人の全身を呑み込むほどの巨大な大口が、迫ってくる。

 

 今までで最大級の警鐘が、頭の中を掻き回すほど鳴らされる。

 死ぬ。

 死を、覚悟した。

 このままだと数瞬後には、絶対に死ぬ――っ!

 

 完全に、咄嗟だった。

 我武者羅に短剣を大口の中に投擲し、全身全霊で必死に、横へと跳んで身を投げ出す。

 後の事など考えない、今のこの一撃だけを全力で避ける為にした、本能的な行動だった。

 しかし、結果的にその行為は幸運に傾いた。 

 短剣が口内に刺さったのか、一瞬黒き化け物が怯んだ。

 そのおかげで、俺は喰らい付かれる事なく済んだのだから。

 されど、完全に避ける事は出来なかった。

 黒き化け物の身体に跳ね飛ばされ、壁に叩き付けられる。

 そのまま床に伏した

 

「カズくん――っ!」

 真白が叫ぶ声に反応して顔を上げると。

 

 もう一体の、左腕の黒き化け物が眼前に迫っていた。

 ここから避ける事は、不可能だ。

 

『行かないでください…………』

 

 アイラの、俺を引き留めた時の悲痛な顔が脳裏に浮かんだ。

 俺は、死んではいけない。

 こんなところで、死ねないんだ!

 

『護り為す白き羽』(ティアティス)!」

 真白の言霊。

 目の前に、白き羽が集まって生成された楯が展開された。

 黒き化け物が白き楯へと真正面から喰らい付く。

 一瞬の硬直。

 後。

 白き楯は、呆気なく破砕された。

 そのまま突っ込んでくる黒き化け物。

 僅かに勢いが衰えていたのと、楯を壊した時に口を閉じたのが良かった。

 受け身を取れば、なんとか叩き飛ばされるだけに済ませる事が出来るはず。

 

 いや。

 よくない。

 全く、良くない。

 この化け物は、前までの獣とは違うのだ。

 

 兇悪(きょうあく)な、黒き一本角が生えている。

 

 突撃が、直撃した。

 胸に、強い衝撃。

「か――はっ――」

 血が散る。足が地から離れた。

 胸を黒き一本角が貫通し、背中から生えている。

 俺を貫いた後も勢いは止まらず、黒き化け物は魚雷の様に進み続ける。

「カズくんっ!」

 真白の、悲鳴のような声が聞こえた。

 

 やば――い。

 やばい。

 やばいやばいやばいっ!

 

 この傷は、まずい。

 この怪我は、致命的。

 痛い。

 痛い、痛い、痛い。

 どう、すれば。

 うご、けるか……?

 わからない。

 でも動け。

 でなければどちらにしろ、終わる。

 死ぬ。

 

「『総ての……救済を望む、傲慢な愚者よ……殺戮し、終わりの理へと……導け……』」

 先に投擲して無くなった翡翠色の短剣を、新たに右手に呼び出した。

 同時。

「きゃっ――!」

 背に何かがぶつかる。

 真白だ。

 黒き化け物は、俺を刺し貫いたまま真白を跳ね飛ばし、まだ進む。

 真白に角が刺さらなかったのが、不幸中の幸いだ。

 

 どこまで、伸びるんだよ。

 この、化け物が……っ。

 自らの手に持つ、翡翠色へと目を向ける。

 ここで能力を使えば、倒せる。

 いや。

 (たお)せる。

 だが、マンイーターは死ぬ。

 しかし、ここでやらなかったら俺が今にも死ぬ。

 でも。

 それでも。

 でき、ない……。

 できない?

 本当に?

 違う。

 俺は、殺すのか?

 いや、だ。

 嫌だ?

 

 頭の中が、滅茶苦茶になりそうだ。

 もう、何でもいいから刺そうと思った。

 瞬間。

 黒き獣の勢いが止まり、胸から一本角が抜け、運ばれていた勢いのまま吹き飛んだ。 

 床に落ち、転がる。

 体が血で汚れる。

 自分の胸と背から溢れた血なのか、周りの死体の血なのか、判らなかった。

 

 二体の黒き化け物が、引き戻されていく。

 前に飛ばす力を溜める為だろう。

 この僅かな時間に、何かをしなければ。

 チャンスは何度も、やってこない。

 

 ああ……。

 ああ…………。

 でも。

 ははっ。

 動けねえや。

 胸に空いた穴から赤い液となって命が零れていく。

 立ち上がろうとしても、膝が震えて立てない。

 視界が霞み掛ける。

 痛いのかもあまりわからなくなってきた。

 くそ。

 くそ、くそっ。

 根性でもなんでもいいから、動いてくれよ。

 ちくしょう。

 

 両腕の黒き化け物が、解き放たれた。

 

 (すべ)てを喰らい尽くすため、暴食の怪物は俺達に迫る。

 廊下全体を覆い尽くす二体の黒き化け物の巨体。

 壁が迫ってくるようなものだ。廊下内では、避けようがない。

 当然、未だに震えて動けない、女の子もだ。

 なんとか、しねえと。

 なんとかしないと、いけないというのに。

 立て、ない。

 動けない。

 歩けない。

 走れない。

 役立たず。

 無力。

 今の俺は、そんな程度のやつだ。

 俺に、出来ないわけがないんじゃなかったのかよ。

 でも。

 かろうじて、右手に握った短剣だけは、離していない。

 強く強く、俺は握る。

 

 真白は、動けない女の子を教室に放り込んだ。

 ほとんど投げていた。

 それほど必死に、助けた。

 だが、そうしたことで。

 自分が教室内に逃げ込む時間が無くなっている。

 

『護り為す白き羽』(ティアティス)!」

 純白の翼から白き羽が射出され、真白の前に集積し楯と成る。

 白き楯に一体の黒き化け物の、その一本角が突撃。

 ガラスの様に、数秒も持たずに楯は破砕された。

 左腕の半ばまで裂けた大口が、真白を捉える。

 真白は純白の翼で閉じられる顎に抗った。

 しかし、兇悪な黒き牙は純白の翼に食い込み、白を穢す。

 危ういところを保っているだけだ。

 現に強靭な顎は徐々に閉じていっている。

 このままでは、真白は確実に――。

 

 俺の方にも、右腕の黒き化け物が迫ってくる。

 今の俺は、真白みたいに抗えない。

 あの大口が俺を捉えた瞬間、即座に喰われて死を迎えるだろう。

 

 ――いや。

 一つだけ、ある。

 俺の、唯一の武器。

 翡翠色の短剣。

 柄も、鍔も、刀身も、全てが翡翠色の、超常の武器。

 その能力。

 人には使いたくない。

 だから、人間の敵相手ではただの短剣でしかなかった。 

 規格外の能力を持ちながら、俺は使わなかった。

 しかし。

 冷静に、普通に考えて。

 

 ただの短剣一本で、あんな化け物を倒せるとでも思っていたのか俺は。

 

 無理だろう。

 どうやってこんなちっぽけな刃物で倒せと。

 でも人を殺したくない。

 今そんなことをいっている場合か。

 今やらなければ、俺だけじゃなく真白が死ぬ。

 アイラとの約束も守れなくなる。

 それでいいのか。

 選べよ。

 敵を生かすか、真白を助けてアイラとの約束も守るか。

 即断しろよ。

 考えている暇はない。

 黒き化け物は、もう目の前だ。

 

 俺は、すべてを救うんだ――!

 無理だ。解ってただろ。

 今は、どちらかしか生かすことは出来ない。

 真白か、敵か。

 大切な仲間か、大切じゃないどうでもいい存在か。

 簡単だろ。

 簡単じゃない!

 簡単だ。 

 

「うああああああああああああああああああああああああああ!!!!」

 

 叫んだ。

 どうしようもなくて、ただただ、叫んだ。

 叫ばずには、いられなかった。

 

 ――――脳裏に浮かぶ光景。

 赤の海。

 むせ返るような厭な臭い。

 倒れている、誰か。

 二人。いや、三人。

 そして、その中心に、立つ者。

 冷徹で冷血で鋭い眼をした、誰か。

 俺を、嘲笑う様な瞳で、見下ろしていた――。

 

 今のは、なんだ……?

 前にも、少し見た。

 これは、記憶?

 ……そんなことは、どうでもいい。

 

 真白とアイラの姿が、頭を占める。

 真白の太陽のような笑顔と、アイラの花開くような笑顔を思い出す。

 失われるようなことは、あってはならない。

 何をおいても、絶対に嫌だ。 

 

『だから頼む。俺が、お前が、庵子ちゃんが、アイラちゃんが、春風が、みんな笑って生きている。そんな結果を出してくれ』

 

 ――――。

 誰かから聞いた、誰かの言葉。

 なぜか、唐突に思い出した。

 覚えてもいない、誰かの言葉のはずなのに。

 ……なあ、知らない誰かさん。

 それって、大切な人達に生きていてほしいってことだよな。

 俺も、そう思うよ。

 

 ――大切な人を殺す奴なんか、死んでしまえ。

 違う。

 俺は、すべてを救うんだ!!

 戯言だよ。

 

「戯言なんかじゃ、ねえよ……」

 俺は、それを目指すんだ。

 理不尽に潰される青い理想だろうと、俺はそうしたいんだ。

 

 でも。

 今は。

 今だけは。

 

 何も考えない。

 

「うああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!」

 

 叫んだ。

 叫んだ。

 思考を全て蹴散らす為に。

 一つの事を完遂する為に。

 

 真白を護って、俺も生きて帰る。

 そのただ一つだけを、行動原理として。

 考えず。考えず。叫びながら。

 前を見据える。

 

 迫るは、頑強な一本角を生やし、腕の半ばまで裂けた大口を開き、兇悪な牙と奈落の底の様な口内を見せつけて前進する、黒き化け物。

 相対するは、胸に(あな)が空き血だらけな、満身創痍の俺。

 

 一瞬だ。

 一瞬で、この勝負は決まる。

 

 黒き化け物が、獰猛に飛び掛かる。

 俺は、膝立ちのまま翡翠色の短剣を握り込む。

 

 黒き化け物が俺に喰らい付いた。

 短剣を持った右腕を振り上げる。  

 

 俺の背と脛に、漆黒の牙が食い込む。

 コンマ数秒すらない後、俺は牙に串刺しにされるだろう。

 ――されど。

 

 翡翠色の短剣、その切っ先が黒き化け物の口内に突き立つ。

 ――俺の方が速い。

 

「『殺害せよ』」

 

 短い一言の、言霊。

 それが発された刹那。

 世の(ことわり)として、現実が定義される。

 今、この瞬間、刀身が突き立っている存在は死ぬ、と。

 以前填め込んだ楔が効果を成し、広がる。

 死の概念を、絶対として定義され、逃れられない現実と成る。

 

 そう、それこそが『殺戮終理(さつりくついり)の魔眼』という、規格外の異別のチカラ。

 人間相手では、ただの短剣として腐らせていた本質。

 本来この剣は、殺す為に在るのだから。

 

 結論。結果。

 マンイーターは、死ぬ。

 名前も知らない男は、命を散らす。

 

 黒き化け物は消滅し、視線の先で敵が倒れるのを見止める。

 死体を確認するまでもない、奴は死んだ。

 本能で理解している自分の能力が、いやでもそう伝えてくる。

 終わった。

 今回の戦いは、これで、終わった。

 

 

 

 黒き化け物が消滅した事で、解放された真白が少しふらつきながら歩み寄ってくる。

 俺は座り込んだまま、動けない。

 視界が霞む。

 体の感覚が、なくなってきた。

 俺、死ぬのかな。

 まだ、死ねないんだけどな。

 アイラとの、約束があるんだ。

 

 …………。

 考えないようにしていた事が、頭の中に戻ってくる。

 

 俺は、ただ、救いたかった。

 誰かが理不尽に死んでしまう事が、嫌で嫌で仕方がなかった。

 だって、人が死ぬって悲しい事だから。

 悲しくて悲しくて、耐えられないくらい認められない事だから。

 俺は止めたかった、助けたかった、護りたかった、救いたかった。

 なのに。

 なのにこのざまだ。

 誰も救えない。

 死んでいく人ばかり。

 

 俺が、殺した。

 被害者面は、赦されない。

 俺は、俺の目的のために、人を殺した。

 敵に向かって、人殺しなんてもう言えない。俺も同じなのだから。

 

 …………。

 でも。

 それでも、人を殺させたくない。誰も死なせたくない。

 自分が殺しておいて、何様だとは思うけれど。

 まだ、そんな理想を諦められない。

 少なくとも、自分の周りと、その時目の前にいる命だけは、救いたい。

 だって、人が死んでいくのが当然だなんて、あんまりじゃないか。

 それは寿命でいつかは死ぬだろう。

 けどさ、理不尽に殺されて終わりなんて、悲しすぎる。

 俺は、認めない。

 そんなのが、仕方がないと諦められる世の中など、ふざけている。

 自分が諦めて、真白だけを選んだくせに。

 それでも、だ。

 

 真白が目の前で膝を突く。

 純白の翼が、俺の身体を包んだ。

『包み癒す擁の翼』(ティアティス)

 光が、流れ込んでくる。

 胸に空いた孔、死を身近に感じる大怪我、そこから生じる闇のような恐怖。

 それが、癒されていく、暖かい。

 でも、治ってる、みたいな感覚はあまりない。

 大怪我は治せない、と真白は前に言ってたか。

 だったら俺は、どうなる……?

 まあ、いいや。

 よくない気がするけど、いいや。

 

 真白が、正面から抱きしめてくる。

 甘くいい匂いが、した。

「カズくん、これだけは言わせて」

 真白が言う。

 

「助けてくれて、ありがとう。わたしは、カズくんのおかげで生きてるよ」

 

「…………っ」

 心が、震えた。

 俺は、救いたかった。

 なのに、俺が救われている。

 罪はどうやっても消えない。

 どれだけ取り繕っても、俺はさっきまで絶望していた。

 だというのに。

 たった一言で、救われてしまった。

 真白の、たった一言で。

 俺は、完全な絶望から、少し、引っ張り上げられる。

 心が、少し軽くなった。

 一筋、涙が落ちていた。  

 

「ぁ……」

 視界が、暗くなってくる。

 意識が、途切れそうだ。

 腕一本上げるのも億劫な状態。

 視界も、狭まってきた。

 と。  

 

 視界の先。

 真白の後ろ。

 廊下に、白い足と、黄金色の髪が翻ったように見えた。  

 

 意識が完全に落ちる前。

「ごめんね。わたしじゃ、助けられないよ…………」

 真白の、悲しそうな声が聞こえた気がした。

 

 



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16話 アイラと真白

 

 

 6月13日土曜日

 

 

 まどろみ。

 意識。

 が。

 浮上していく。

 瞼が上がる。

 

「…………」

 いつも見ている天井だ。

 少し視線を下に向けると、いつもの机、本棚、扉。

 どうやらここは、俺の部屋みたいだ。

 というか。

 それよりも。

 

「すぅ……すぅ……」

「ん……ぅ~……」

 俺が寝ているベッドに突っ伏すように体を預けて、金髪の少女と白髪(はくはつ)の少女が寝息を立てている。

 アイラと真白だ。

 なぜ二人がここに?

 でも、二人の姿を視界に収めると、なんだか落ち着く。 

 ていうか。

 さらにそれよりも。

 

「俺は、生きてるのか……?」

 胸に、(あな)が空いていたはずだ。

 真白でも治せない致命傷だった。

 なのに、今こうして生きている。

 触って確かめるが、胸には一ミリも孔など空いていない。

「生きてるのか……」

 俺、生きてる。

 よかった。

 よかった……。

 アイラとの約束を、破らずに済んだ。

 でも。

「どういうことだ……?」

 わからない。

 多分、状況からして、二人が事情を知っているだろう。

 なら、起きてから聞いてみればいい。

 それまでは、まあ、適当に時間を潰していよう。

 

「ん…………和希、さん……」

 なんて思っていたら、アイラが起きた。

「とりあえず、おはよう」

「おはようございます……」

 アイラはまだ寝惚け眼だ。

 かと思ったら、突然目を見開いて。

「和希さん! どこも痛くありませんか!?」

 ぐぐい、っと近づいてそう言って来る。

「あ、ああ、全く痛くない。なぜか孔も開いてない」

 その様子に少し気圧されながら答える。

「そう、ですか。よかったです……」

 一先ず安心してくれたのか胸を撫で下ろすアイラ。

 

「なあ、なにがあったんだ……? 俺は致命傷だったはずなんだが」

 さっきから不思議に思っていたことを言葉に出す。

 生きているのは、そりゃ嬉しいし、死ねない理由があるけれど、不可解であることに変わりはない。

「それは、春風さんが起きてからちゃんと話します」

 アイラは俺の目を見てそう言った。

「そうか」

 ならば信じて、真白が起きるのを待とう。

 

 

「和希さん」

「なんだアイラ」

「手、握ってもいいですか……?」

 唐突。

「まあ、いいが」

「はい。では遠慮なく」

 右手が、握られる。両手で、包み込むように。

 柔らかく、暖かい。

 小さな、女の子の手だ。

 アイラの手は白く綺麗で、触り心地が良い。

 藍色の瞳を細めて、穏やかな表情でアイラは握った手を見つめている。

 朝の陽光が、黄金色の髪に反射して、幻想的だ。

 かわいいな、アイラ。

 俺の妹は、かわいい。

 一歩間違えば、落とされてしまいそうなほど。

 うっかり抱きしめてしまいたくなる。

 そのまま口づけして、押し倒してしまいたくなる。

 しないけどな。

 兄妹だし。

 

 

「う、ぅん……ほぇ……?」

 真白が、瞼をゆっくり開いた。

 それを確認すると、アイラは俺の手を放した。

 眼をこすりながら身を起こす真白。

「おはよ、カズくん、アイラちゃん」

「おはよう」

「おはようございます」

 朝の挨拶をした後。

 一呼吸置き。

 

「じゃあ、どういうことか、あの後どうなったのか話してくれ」

 アイラに、ひいては真白にも向けて言った。

「? 何の話?」

「昨日のことですよ春風さん」

 起きたばかりだからか、話について行けてない真白にアイラが説明する。

「ああ、昨日のことね……」

 真白は理解して姿勢を正した。

 

「まず、何から聞きたいですか?」

 アイラが訊ねる。

「そうだな……俺の怪我が治ってる、っていうレベルじゃないほど全くないのは?」

「それは、私の異別で治したからです」

 俺は数秒、固まった。

 アイラの口から、『異別』なんて単語が出るなど、思ってもみなかったからだ。

 いや、思いたくなかっただけかもしれない。

 

「ごめんなさい和希さん。今まで黙っていて……」

 目を伏せて、申し訳なさそうにアイラは言った。

「……謝らなくていい、俺だって隠してたしな」

 何も教えずに、アイラを無理矢理納得させて戦いに出ていた俺に、責める資格はない。

「ありがとうございます……」

 アイラは複雑な笑みをした。

 

「その異別は、遠距離からでも使えるのか? あの場所にアイラはいなかったよな。運ぶにしても、その間に死にそうな傷だったような気がするんだが」

「いいえ、対象に手を触れないと使えませんよ。私はあの場所にいましたから」

「……何でアイラがその場にいたんだ?」

「それは、その……やっぱり心配になって追いかけたんです……」

「そうか……」

 アイラが止めるのも構わずに、振り切るような形で飛び出したのだ。

 そうしたくなっても仕方がないのかもしれない。

 けれど、さすがに追いかけてまで来るとは思わなかった。

「アイラ、あまり危険なことはしないでくれ。もしも誰かに襲われたりしたらどうするつもりだったんだ。お前に何かあったら俺は終わる」

「それ、和希さんが言えることじゃないですよ」

 ちょっと頬を膨らませた、怒ったような顔。

「…………それは、そうなんだが」

 言い返されてぐうの音も出ない。

 道理が通ってないことも解ってる。

 でも、アイラにはそういうことをしてほしくないんだ。

 

「カズくん、アイラちゃんのおかげで助かったんだから、とりあえず今は結果オーライだよ」

 真白がアイラのフォローをする。

「ああ……分かったよ。とりあえずそのことについては、もう何も言わない」

 真白が言うように、結果的にアイラが傷ついてないなら今はいい。

 二人にここまで言われて食い下がるつもりもない。

 

「そういえば、あの学校に入れたのか?」

 話題を変える。

 大罪戦争に関わっている者以外入れない、結界があったはずだ。

「見えない壁みたいなものがあって最初は通れなかったんですけど、しばらくしたら通れるようになって、入っていったら人が沢山亡くなっていて……その先で、和希さんと春風さんを見つけたんです」

「戦いが終わって結界が解かれたとかそういうのか?」

「うん、多分そうだね」

 真白が答える。

 

「――それじゃあ一通り話したかな?」

 真白が確認する。

「あ、まだあと一つだけある」

 重要なことが頭から抜けていた。

「なんですか?」

 首を傾げるアイラに向かって。

 

「その異別って、何か副作用とかないか?」

「……魔力を使いますけど、特にありませんよ」

「本当か?」

「はい。私の異別は『魂の橋渡し』(ソウルロード)といって、魔力を使ってどんな怪我でも治せる能力です」

「そうか」

 ならいい。

 副作用とかあったら、使わせるわけにはいかないからな。

 

「もう聞くことはない?」

 真白が再度確認する。

「ああ」

 俺が無事な理由とアイラの異別について知ったら、他に聞くことはないだろう。 

 

「それじゃあ、次はわたし達のことについて話さないとね。アイラちゃんだけだとフェアじゃないし」

 真白が両手を合わせてそう言った時、アイラが複雑そうな、申し訳なさそうな表情をしたように見えた。

 気の、せいか……?

 

 そうして、二人で大罪戦争についてアイラに説明した。

 本当は知ってほしくないが、ここまで来て隠し通すことなどできないのだから、仕方がない。

 

 …………。

 ……。

 

「そんなことに、巻き込まれてたんですね……」

 アイラは俯き気味に言った。

 そして、顔を上げる。

 決意に満ちた表情で。

「和希さん、私も戦い――」

「それは駄目だ」

 アイラが何を言うか予測していた俺は、言い終わる前に却下した。

「どうしてですか? 私の能力は役に立ちますよ。和希さんや春風さんが怪我してしまったらすぐに治せますよ。だから私も連れていってください」

「それでも駄目だ。危険すぎる。アイラが傷つくのは嫌だ」

「それは和希さんも同じだって、さっき言ったじゃないですか」

「……でも、待っていてくれるんじゃないのか? 必ず無事に帰るって約束したろ。今まで見送ってくれてたじゃないか」

「私がいなかったら、その約束は今回果たされませんでしたよ」

「それは…………」

 そうなんだが。

 でも。

「あんな光景見たら……和希さんがあんな姿になってるのを見たら、私ももう黙って待っているだけなんて無理です……約束よりも、命の方が大事です。和希さんに、生きててほしいんです……」

 懇願するように、嘆願するようにアイラはそう言った。

「アイラ…………」

「私だって、役に立ちたいんです。和希さんが誰かを救いたいように、私は和希さんを救いたいんです」

「…………」

 

 俺は、言葉を返そうとした。

 しかし、出来なかった。

 正当性は、先の時と同じでアイラにあるだろうから。

 だが俺も先の時と同じで、そんなもの度外視してでもアイラには危険な目に遭って欲しくない。

 

「アイラちゃん」

 真白が言葉を発した。

「なんですか……?」

 アイラは、突然の別方向からの言葉におっかなびっくり聞く。

「アイラちゃんは回復役タイプだから、味方が多くて十分に護れる戦力があれば別だけど、わたし達だけで護りながら戦うのはかなり厳しいんだよ。だから、戦いが終わって帰って来てから、その時に治療してくれる方が絶対に役に立つし、いいと思うよ」

 だから、一緒に連れていくことは出来ない。

 やんわりと、諭すように真白は言った。

 アイラは反論しようとしたのか一回口を開きかけたが、すぐに閉じた。

 真白の言葉は、自分よりも正論だと思ったのだろう。

 そして。

「はい……」

 渋々とそう答えた。

「いい子いい子だよ。アイラちゃんはカズくんのことが大好きなんだね」

 真白はアイラの頭を優しく撫でながら、笑顔でそんな言葉を喋る。

「うぅ……」

 アイラは頬を染めていて、微妙に困り顔だが嫌ではないようで抵抗はしない。そんなアイラを真白は構わず笑顔で撫で続ける。

 なんだか、姉妹みたいだ。

 アイラの身長が低いのも、それに拍車をかけている。

 

 やがて頭撫でが終わると。

「……こほん」

 アイラは気を取り直すように可愛らしい咳払いをして、口を開いた。

「なら、絶対に、必ず、帰ってきてくださいね」

 俺に顔を向けて、真剣な表情で言う。

「ああ、わかった」

「春風さんも、和希さんが危なかったらなにがなんでも私のところに連れてきてくださいね。その時は私が治して見せますから」

「うん、了解!」

 真白が手敬礼をして元気よく答えた。

 

「じゃあ、朝飯でも食うか」

 話が一段落したと思って提案する。

「そうですね、もう時間も時間ですし。春風さんも食べていってください」

「そうだ、食ってけ。今日は学校もないしな」

「うん、なら遠慮なくご相伴(しょうばん)にあずからせてもらうよ」

 そうして三人で一階のダイニングへと向かった。

 

 …………。

 ……。

 

「んぅ~~っ。アイラちゃんの料理美味しいよ!」

「ありがとうございます」

 アイラが作った朝食を、三人でテーブルに着き食べる。

 真白は、それはもう美味そうに食べている。

 俺も焼き鮭へと箸を伸ばす。

 ご飯をかっ込む。

 うん、今日も美味い。

 

 

 朝食がほとんどなくなってきた時。

 アイラが口を開いた。

「そ、その、あの、えっと……」

 真白に体と顔を向けて、言い淀んだ後。

「真白さんって、呼んでいいですか……?」

 そう言った。

 真白は満面の笑みを浮かべて、親指を立てながら答える。

「お姉ちゃんと呼びなさい!」

 俺はその白髪(はくはつ)を殴った。

 

「ごめんなさい。ちょっとした冗談なんだよ。だからそんなに怒らないで」

「別に、たいして怒ってはいないが」

「じゃあなんでか弱い乙女を殴ったの!?」

「人聞きが悪いな、小突いた程度だろう」

「いやちょっとばかし結構痛かったよ?」

「どっちだよ。ちょっとならいいだろ」

「ちょっとでもよくないと思うけど」

「いちいち細かいな。禿げるぞ"白髪"(しらが)

「あーーっ! 今言っちゃいけないこと言った! これは"白髪"(はくはつ)っていう立派な髪なんだよ! 衰えと一緒にしないで! 訂正して!」

「わかった! わかったから掴みかかんな! 揺らすな!」

 真白は必死の形相でガクガクと俺の身体を揺らす。

 何が彼女をそうまでさせるのか。

 深く考えるべきではないと思った。

 それはともかく、真白の"ハクハツ"は綺麗だと思うぞ。

 

「ふふふふふっ」

 アイラが、くすくすと楽しそうに笑っていた。

 俺たちは思わず騒ぐのをやめ、動きを止めてアイラを見る。

 その笑顔は、眩しく輝いていた。

 まさに平和の象徴のような、そんな表情だった。

 

「それで、お姉ちゃんと呼んだ方がいいですか?」

「真白でお願いします!」

 即答だった。

 

 



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17話 戦って戦って揺らいで

 

 

 昼食後。

 俺は一人で、外をぶらついていた。

 ずっと家にいても、いらないことばかり考えると思ったからだ。

 真白は朝食後に帰っている。

 今日は三人で一緒にいるのも悪くなかったが、やっぱり一人になりたかった。

 歩く。

 無心に、目的地もなく歩く。

 …………。 

 

 殺し、たんだよな。俺が。

 

 空を見上げる。

 まばらに雲が漂う、いつもの青い空だ。

 

 目指した理想を、諦めるつもりはない。

 けれど、一人一人の人間に出来ることは限られていることも、分かっている。

 それでも。

 出来なくても、何かしたいんだ。

 やりたいからやる。

 救おうとせずに諦めて殺す、それが気に入らないからやらない。

 ただ、それだけなんだ。

 

 では、殺さなくては大切な人が護れなければ、殺すのか?

 昨日みたいに。

 ……わからない。

 でも、迷っていたら大切な人が死ぬ。

 一瞬でも迷って遅れたら、それで終わりなんだ。

 絶対的な決断が必要。

 だけど。

 けれど。

 それでも。

 すべてを救いたいというのも、俺の本心で、諦めたくない。

 

 …………。

 そもそも。

 なぜ俺は。

 

 すべてを救いたいなどと思っている?

 

 根本的な、知っていなくてはいけないこと。

 目指すなら、その確固たる理由、想い、信念が無ければ話にならない。

 前にも一度抱いた疑問。

 あの時は、途中で、考えてはならないという思いに突き動かされ、思考を放棄した。

 だが。

 漠然とした、そんな信念で何かを為せるわけがない。

 なぜそんな、曖昧なものを信じ続けていたんだ。

 だから、確固たるものが欲しい。

 思い出せ。

 なんで俺は、すべてを救いたいんだ?

 そんな重要なこと、覚えていない筈がない。

 なら、なぜ俺は知らない? 

 考えろ。考えろ。

 

 …………。

 もしかして。

 記憶がない?

 覚えていない筈がないことを、知らない。

 ならば当然、そう帰結する。

 まさか、生まれてから本能的にだなんて、人間の俺にはありえないのだから。

 記憶を、掘り起こせ。

 水槽内の砂を、一粒掴むように。

 手を伸ばせ。

 

 …………。

 ……。 

 

 思い出せない。

 どれだけ記憶を探っても、わからなかった。

 俺は、生まれてから、妹と両親と、四人家族で生きてきて、途中で両親が海外に赴任して、妹のアイラと共に今までやってきた。

 そこに、すべてを救いたいと思う事象がない。

 ならなんで、俺は。

 

 くそ……っ。

 わからない。

 わからないんだ……。

 

 と。

 ずっと思考しながら歩いていたら、いつの間にか河川敷。

 丁度いい、ここでゆっくり休もう。

 足を踏み出すと、人が見えた。

 

 黒髪のツーサイドアップ。

 左眼に黒の眼帯。

 薄いピンクのワンピース。スカート部分に可愛らしいフリル。

 右腕に怪我を保護する目的ではない包帯。

 黒ニーソ。

 詩乃守だ。

 

 彼女は、河川敷の草が生えている斜めの部分、そこに体育座りをしている。

 足を進め、詩乃守に近づいた。

 隣に腰掛ける。

 横に目をやると、俺が前に取ってやった鳥のぬいぐるみを、詩乃守は大切そうにぎゅっと抱いていた。

 

「相沢先輩ですか……」

「ああ」

 俺が何も言わないでいると、詩乃守が話しかけてきた。

 一言だけでその後は黙ってしまったが。

 俺も何かを喋る気にはならず、沈黙が支配したまま二人並んでこの場に居続けた。

 詩乃守も、悩みごとでもあるのだろうか。

 だんまりで暗い雰囲気を纏っている詩乃守は、いつもの調子とは言えないだろう。

 今の俺に、相談に乗ってやれる余力があるとは思えないが。

 けれど、もしも俺に喋ってきたら、出来ることはしてもいい。

 

 …………。

 水の音が、連続的に耳に入る。

 川のせせらぎは、心を癒してくれそうで、されど気分が晴れることはない。

 その音は、耳を伝って、ただ流れていくだけ。

 それでもこの場は、他よりも落ち着いた。

 

「相沢先輩……」

 再度詩乃守が口を開いた。

「なんだ?」

「魔眼は好きですか……?」

 なぜそんな質問をしてくるのか、意図を計りかねた。

 今も詩乃守は眼帯をしていて、中二病の魔眼好きが窺える。

 俺は、とりあえず答える。

「……詩乃守の言う魔眼は、嫌いではない。でも、胸を張って好きとは、言えなくなってしまったかもしれない」

 色々あったから。

 魔眼には、何度も苦しめられた。

 その魔眼と、俺の好きなラノベに出てくる魔眼は違うとは、判っていても。

 複雑な思いを抱いてしまうことは避けられない。

「そう、ですか…………」

 俺の答えを聞いて、詩乃守は少し顔を俯かせてぬいぐるみを抱く力を強めた。

 そして、また沈黙の時間が続く。

 俺はそれに、身を委ねた。

 今は、この場所で何も考えず、川の音でも聴いていたい。

 たとえそれが、停滞だとしても。

 

 ………………。

 …………。

 ……。

 

 気づいたら、空は暗闇だった。

 星が少しだけ見える。

 夕方さえ超えて、夜までここにいてしまった。

 隣には、詩乃守もまだ座っている。

 よく見ると、目を閉じ眠っていた。

 小さな子供のようにあどけない、安心した寝顔だ。

 かなり、可愛いと思う。

 

 ――――寝顔が、大切だった誰かと重なったような気がした。

 だがその感覚は、すぐに消えて、思考は途切れ、続いた。

 

 このまま寝顔を眺めているのもいいが、もう暗いし、そろそろ帰らなければ。

 特に、年ごろの女の子である詩乃守は、親御さんも心配するだろう。

 起こすために、肩を揺すった。

「ん……んぅ……?」

 詩乃守は小さく声を上げながら瞼を開く。

「せん、ぱい……?」

「起きたか? もう夜だから帰った方がいいぞ」

「…………はい」

 詩乃守は頷いたが、その後動かず沈黙した。

 眠いのかと思いさらに声を掛けようとすると。

 

「その前に、一つだけ。聞いてもいいですか?」  

 そんな言葉を、投げかけてきた。

 詩乃守の表情は、不安と寂しさで彩られている。

「ああ、何でも言ってみろ」

 多分あるだろうと思っていた悩み事を、自分から打ち明けてくれる気になったのなら。

 俺は全力を尽くそう。

 いつもなら、言わずとも聞き出していたが、今はそれは関係ない。

 とにかく俺は、耳を傾ける。

 そうして。

 詩乃守の口から言葉が紡がれる。

 

「大罪戦争って、知ってますか……?」

「…………っ。なぜ、それを……?」

 動揺した。

 いや、物語の話かもしれない。

 どこかにありそうな名前だ。あってもおかしくはない。

 そういう名称が出てくる創作物について、訊いているのかもしれない。

 

 そんなはずないだろう。

 思いつめた表情で訊くことではない。

 ならば。

 つまり。

 つまり。

 

「知ってるんですか……!?」

「ああ、絶賛巻き込まれ中だ」

「そう、だったんですか。先輩も……」

「も? もってことはやっぱり」

「はい。私も巻き込まれてます」

 なんてことだ。

 そんなひらがな六文字が、頭を通り過ぎていった。

 

「先輩……私、私……先輩もこんな状況で辛いと思うのに、言いたくて堪らないことがあるんです……」

 今にも泣きそうな顔で、詩乃守はそう言った。

「大丈夫だ、聴いてやるから」

 安心させるように、そう返した。

「なら、言います………」

 詩乃守は一息。

 後。

 

「助けてくださいっ!」

 

 涙を散らしながら、詩乃守は全力で言葉を出した。

「怖いんです。怖くてたまらないんです……先輩とこの前、この河原で能力使うっぽく遊んだじゃないですか。その日の夜に、遊んだ時のこと反芻してポーズ決めてたら、なぜか、変な魔眼の力が宿って、情報が流れ込んで来て……それでもただの気のせいだと思おうとして、普通に過ごしてたんです……でも、そしたら、一度殺されそうになって、魔眼って恐ろしい力なんだって心底理解させられて……でも、この戦争から逃げることは出来ないと、本能から解らされて……もうどうしようもなくなって…………死にたくないですっ!」

 詩乃守は、たどたどしく、言葉を続けていく。

「左眼が、痛いんです……もう、耐えられそうにないくらい、すごく痛くて…………」

 黒色の眼帯に手を当てながら。

「罪科異別というのを、今すぐ叫びながら片っ端から発動したいです……でも、怖くて、それもできないんです……だけど、このままだといつか」

 

「ま、待て。その左眼が痛いってなんだ?」

 今まで俺は、そんな風になったことはない。

 罪科異別には、俺の知らない副作用でもあるのか?

「罪科異別をずっと発動してないと、こうなるんです……狂いそうなほどの痛みに襲われるんです……」

 本当に苦しそうに、詩乃守は言った。

 俺は、罪科異別を長く発動していない時は、なかったと思う。

 今まで自ら何度も発動してきた俺には、何も影響のないことだったということか。

 

「なら、今から使え」

「でも……」

「発狂しそうなほど痛いんだろ? だったら無理するな」

「発動したら、敵に気づかれちゃうじゃないですか! そしたら、また……」

「だったら、それによって起こる、あらゆることから俺が守ってやる。だから遠慮なく使え」

「…………ほんとう、ですか?」

 捨て犬のように縋る瞳を向けてくる。

「ああ、約束だ」

 詩乃守は、しばらく俺の顔を見つめた後。

「なら、指切りです」

 小指を差し出してきた。

「子供っぽいな」

「いいじゃないですか」

 俺はその小指に自分の小指を絡める。

「ゆ~びきりげんまん、嘘ついたら魔眼の力ぶーつけるっ、指切った♪」

「その歌詞は笑えないな」

 指を解きながら呟く。

「ふふっ。ではこれで、契約成立ですねっ」

 詩乃守は、満面の笑顔でそう言った。

「ああ」

 俺も、少し笑って返した。

 

 

「それじゃあさっそく、一発いかせてもらっていいですか」

「少し待っててくれ。敵が寄ってきた場合に備えて援軍を呼んでおく」

 まずは、真白に電話をしておかなければ。

「いえ、これ正直切実に今すぐ使わないと、まずいです」

 よく見ると、詩乃守は顔中に汗を掻いて、耐えるように震えていた。

「今までもギリギリだったのに、緊張から解放されて、我慢が、もう」

 とても、あと数十秒さえ耐えられるような様子には見えなかった。

 仕方がない。何かあったら俺が守ればいい。

 このまま使わずにどうにかなる方がことだ。

「よし、幸いここは河川敷だ。広いから思う存分やれ」

「わかり、ました。使っていいんですね……?」

「ああ、問題ない」

 スマホで真白へと電話を掛ける。

 

「『破壊、破壊、破壊。(あまね)くすべてを破滅へと』」

 

 詩乃守が言の葉を紡ぐ。

 眼帯越しに、左眼が烏羽色(からすばいろ)に輝いた。

 瞬間。

 空間が、爆ぜる。

 川の一部を削り取りながら、衝撃が走った。

 これが、詩乃守の罪科異別か。 

 

『今なんか変な音聞こえたけど、何かあったの!?』

 電話の向こうから真白の慌てた声が聞こえる。

「詳しく説明する暇が今は惜しい。だからとにかくすぐに学校で合流したい」

 罪科異別を発動したこの場所にいるよりは、離れた方がいいだろう。

『けっこうまずい状況?』

「まずいことになるかもしれない状況だ」

『うん、だったらすぐ行くね!』

「そうしてくれ」

 真白との電話が終わると、詩乃守を見る。

 不安そうな表情で、こちらを見ていた。

「大丈夫、ですよね……?」

「ああ」

 俺は頷いて。

「大丈夫だ」

 そう言った。

 

 

 

 俺と詩乃守の足音が、静かな夜の街路に響く。

 二人で、学校に向けて走っている。

 なるべく早く、他の大罪者に見つかる前に遠くまで離れる必要があった。

 だから、かなり全力で走っている。

 詩乃守の走る速度に合わせてではあるが。

 

 街灯が、点滅した。

 その下を通り過ぎていく。

 学校までは、まだ遠い。

 

 隣に視線をやる。

 詩乃守の顔色は、先よりも格段に良くなってはいるが、不安そうなのが見てすぐわかるのは変わらない。

 それでも俺に助けを求めて、俺が守ってくれると、そう信じてくれてるんだ。

 ならば、その想いには応えねばならない。

 必ず、護ってみせる。  

 

 と。 

 俺達以外の足音。

 静かな街路に、聞こえた。

「詩乃守」

「はい……」

 足を止め、詩乃守の前に手を広げて下がらせる。

 夜の闇、その奥から近づいてくる人の影。

 一般人か? 大罪者か?

 姿が、露わになる。  

「あ、あ、あの人は……」

 詩乃守の、怯えた声を聞いて、理解した。

 目の前に立つこの男は、大罪者だ。

 真白と合流する前に、出会ってしまった。

 くそっ。

 俺と同い年ぐらいに見える、目つきの鋭い男。

 そいつが、言の葉を紡ぎ、詠唱する。

 

「『()(つるぎ)は、殺せず、(ただ)、刈り取る』」

 

 男の右眼が、蒼色(あおいろ)に輝いた。

 その両手に、現出する銀。

 銀色に煌めく長剣を、二本手に持った。

 双剣。

 銀の双剣を構える男が、前方に立つ。

 その双剣は、異質。

 ただの剣ではないことが、溢れる魔力で理解する。

  

「『総ての救済を望む傲慢な愚者よ、殺戮し、終わりの理へと導け』」

 左眼が翡翠色に輝き、俺の右手には、翡翠色の短剣が握られる。

 

「あんた、名前はなんだ。俺は相沢和希だ」

 俺は今まで、敵に名前を聞いてこなかった。

 それは、絶対に殺さないという前提があったからだ。

 だが、今から戦う相手の、殺してしまうかもしれない相手の名前すら知らないというのは、気に入らない。

 殺すつもりはない。なるべくなら殺したくはない。

 けれど、聞いておきたかった。

 俺にはすでに、前科があるから。

 

「なぜ今から殺す相手に名乗らなければならない」

「俺は名乗ったぞ」

「…………」

「一言いうだけだ」

「……佐藤孝典(さとうこうすけ)だ」

 答えてくれた。なら、まだそのくらいの心は残っているということ。

 説得の余地が、あるかもしれない。

「そうか、覚えておく」

 佐藤か。

「なあ佐藤、退いてはくれないか」

「それは聞けないな。俺にも叶えたいことがあるんだ」

 佐藤のその言葉に、一瞬俺は硬直した。

 

 叶えたいこと。

 そういえば、大罪戦争は生き残った一人にどんな望みも叶える力が与えられる。なんてものがあったな。

 救うことだけ考えてて、そんなこと頭から抜けてしまっていた。

 

「だったらあんたは、何を望んで、人を殺してまで叶えたいことがあるってんだ」

 人を殺してまで叶えたい望み。

 ――俺が真白を助けるために、名前も知らない男を殺したようにか。

 

「力が必要なんだ」

 佐藤は言葉を零し、地面を蹴った。

 銀の長剣を振り上げ、斬りかかってくる。

 説得する時間は、もう与えられなかった。与えてくれなかった。

「俺には、絶対的な力が必要なんだ!」

 斬り付けられる両の長剣を、受け流し、後ろに下がる。

「人を殺して力を手にして、その後に何があるというんだ」

「これ以上、今から殺す敵に話す事などない」

 問答無用とばかりに、佐藤は肉薄してくる。

 俺はそれを、迎え撃つ。

 今は何を話しても、何も言葉は返ってこないだろう。 

 

 踊る長剣。

 軌跡を描き、何度も繰り出される。

 短剣を振り、受け流し、受け流し、受け流す。

 短剣と長剣では、根本的に重量が違う。

 だから弾く事も、受ける事も出来ない。

 それでも、受け流す事は出来る。

 なら、勝てないなんて事は無い。

 むしろ。

 不利ですらない。

 剣戟が続く。

 剣同士がぶつかり合う音が、何度も響く。

 何度も、何度も、何度も。

 斬り付け、受け流し、弾かれ、避け、突き、避けられ、斬り流し。

 次第に。

 こちらが押してきた。

 優勢。

 

 しかし、二刀対一刀。

 向こうに利がある部分も、あった。

 優勢になった僅かな隙を、突かれた。

 俺の左腕に、長剣が突き立つ。

「ぐっ……!?」

 だが、血が流れなかった。

 それどころか、一切、皮一枚さえ、斬れていない。

 されど、確実に俺は何かしらのダメージを受けた。

 そう、まるで意識が、削れたような。

 剣が突き立った瞬間、立ち眩みのような感覚が襲ったのだ。

 いや。

 今もそれは、続いている。

 つまり。

 あの銀の双剣は、物理的ではない何かを削り取る能力を持っているということだ。

 突き立ったままの剣から、連続的に斬り付けられているかのように、精神が摩耗していく。

「く……そ……」

 刺さっている剣を抜いて、後ろに下がろうとした。

 しかし、突き立った剣を抜く前に、間髪入れずにもう一振りの長剣が振り下ろされる。

 

 これを喰らったら、やばい。

 瞬時の理解。

 短剣で長剣を受けることも、難しい。

 咄嗟の判断。

 危険な賭け。

 俺は、翡翠色の短剣を突き出していた。

 殺さない意識を、消し飛ばしながら。

 

「――っ!」

 佐藤は一瞬で顔色を変え、跳び下がる。

 この短剣の危険性を理解したのだろう。

 あのまま下がってくれなかったら、あの時点でどちらかが負けていた。

 俺の意識が刈り取られるのが速かったか、それともその前に奴が死ぬのが速かったか。

 だから危ない賭けだった。

 その賭けには勝てたが。

 なるべくなら殺したくはない。

 しかし、今のは殺す気でなければ俺が敗北して、結果的に俺も詩乃守も殺されていたはずだ。

 なにが、正しい?

 くそ。

 左腕に突き立ったままの長剣を抜き捨てる。

 意識が朦朧とするような精神へのダメージは、それで消え去った。

 

「『其の剣は、殺せず、唯、刈り取る』」

 佐藤が再度の詠唱。

 抜き捨てた剣が消滅し、佐藤の手に銀の長剣が現れた。

 新たに双剣へと戻る。

 

 佐藤の罪科異別は、人を殺さずに意識を刈り取れるはず。

 俺が、一番望んだ能力だ。

 その力、俺にくれよ。

 こんな殺す為の力なんかじゃなく、殺さずに解決できるその力を。

 でも、佐藤は、殺す為にその力を使っている。

 だから。 

 

「力の為に人を殺すお前に、負ける訳にはいかないんだ」

 今度はこちらから、足を踏み出した。

 意識が少し混濁するが、まだ戦えないほどじゃない。

 もう一度斬り付けられたら、意識は即座に刈り取られるだろうが。

 食らわなければいいだけの話だ。

 俺の言葉に、佐藤が形相を変える。

「俺には、殺さなくてはならないやつがいるんだ!」

 佐藤が言葉を吐き出す。

 銀の長剣が振られた。

 翡翠の短剣で受け流す。

「あいつを殺したクソ野郎を殺す為には、今の俺では圧倒的に力が足りないんだ!」

 それは思いのたけ。

 奮起の叫び。

 自分は力の為ではなく、大切な人の為に戦っているという宣言。

 二本目の長剣が、薙がれる。

 それを短剣で、流す。

 復讐、か。

 それが、佐藤の望み。

 

「そうかい。なら、絶対に退く気はないんだな」

「当たり前だ」

 復讐は何も生まないなんて綺麗事、言うつもりはない。

 退く気がない強い意志もその表情から感じ取れる。

 でも。

「だったら、俺も容赦なんてしない」

 俺だって、譲れないものがある。

 殺させる訳にはいかないんだ。

 容赦をしてたら死ぬ。

 だが、また殺すのか?

 ――。

 ちくしょう。

 殺したくない。

 

 銀の長剣が二刀、同時に薙がれた。

 後ろに跳びながらなんとか受け流す。

 地面に着地すると、距離が少し開いて対峙する形になった。

 お互い相手の出方を窺う。

 次に、どんな手で自分を敗北させようとしてくるかを。

 油断なく、武器を構えて。

 敵を見る。

 

 刹那。

 佐藤が動いた。

 左の長剣を、勢いよく投げた。

 長剣を投擲するなど、相当な筋力が必要だ。

 だが何度も切り結んだことで、佐藤がそんな筋力を持っていないことは解っている。

 ならば、あの長剣が普通ではないのだろう。

 

 投擲された長剣は、俺の方に投げられたのだと思っていた。

 しかし、それは違った。

 背筋が、凍土に晒されたように凍てつく。

 長剣は俺の後方、詩乃守へ向けて投擲されたのだ。

 今からでは、間に合わない。

 護ると、約束したというのに……!

 

「『破壊、破壊、破壊。遍くすべてを破滅へと』……!」

 詩乃守が言の葉を紡いだ刹那。

 宙を飛ぶ長剣が、破壊される。

 詩乃守は、自力で危機を回避した。

 俺はそれを、ただ見ている事しか出来なかった。

 俺が護ってやると言ったのに、この体たらくだ。

 覚悟が足りない。

 護る為に、何でもする覚悟が。 

 

 今は、約束を守る事だけ。

 詩乃守を護る事だけ考えていればいい。

 そうしなければ、護れない。

 それどころか、自分の命さえ、危うい。

 

「詩乃守、すまん。だけど、もう大丈夫だ」

「先輩……」

 詩乃守を安心させるため、そして自分の決断を後押しするため、俺は言葉に出した。

「『其の剣は、殺せず、唯、刈り取る』」

 佐藤は再度、双剣を手に持つ。

 俺も短剣を、構える。

 ここからが、本番だ。

 護る為の、戦いだ。

「「うおおおおおおおおおおおお!!」」

 お互い同時に、地を蹴り。

 肉薄した。

  

 銀と翡翠が舞う。

 金属がぶつかり合う音が、幾重にも夜に響く。

 斬撃の軌跡が光の線の様に走り、交差。

 何度も交差、交差、交差。

 短剣と双剣が、踊り狂う。

 守る為。

 死なない為。

 ただ目の前の敵を倒す事だけ考えて、剣を振るう。

 手加減など一切ない。全力。

 翡翠の短剣を、振る、薙ぐ、斬る、流す、突く、線を描く。

 銀と翡翠は、舞い続ける。

 何度も。

 何度も。

 何度も。

 ぶつかり合う。

 お互いの、全力の猛攻。

 

 ――――――――――。

 ――いつしか、思考を介せず、ただ戦っていた。

 剣を、振り続けた。

 そして。

 その果てに。

 気が付いた時には。

 右手に持つ翡翠色の短剣が。

 佐藤の心臓に、突き立っていた。

 

「ごふっ……」

 血塊を吐き出す佐藤。

 そのまま倒れた。

 立ち上がろうとはしてこない。

 出来ないのだ。

 動かない。

 もうじき死ぬだろう。

 

 そう。

 能力なんて使わなくても。

 凶器で刺されたら、人は死ぬんだ。

 

 また殺した。

 全力で戦わなかったら詩乃守が死んでいたかもしれなかった、なんていい訳だ。

 すべてを救う? 全く、お笑いだ。

 これで良かったのだろうか。

 いや、少なくとも良かったなんて事は無い。

 分からない。わからなくなった。

 …………。

 けれど。

 それでも。

 振り返る。

 詩乃守が、こちらに駆け寄ってくる。

 俺は一人を、護れたんだ。

 詩乃守が、生きている。

 今はそれで、いいのではないだろうか。

 信念は揺らぎ、心は渦巻いているけれど。

 今は、とりあえず、いい。

 

「先輩!」

 詩乃守は、悲しそうな、それでも安堵した表情で、俺に向かって来る。

 

 ――――血飛沫が、舞った。

 

 倒れていく詩乃守。

 その光景は、ゆっくりと俺には見えた。

「せ、ん……ぱい……」

 目から光が消えていきながら、詩乃守は俺を見ていた。

 鈍い音を立てて倒れた詩乃守の背中は、血に染まっていた。

「…………は?」

 え……?

 は?

 な、んだ?

 なんだ、これは……。

 

 ザザッ――――

 視界が、ノイズを走らせた。

 倒れゆく詩乃守に、誰かの姿が重なる。

 大切な、誰かの姿が。

 守りたかった、誰か。

 記憶の奥底の、鮮血の最悪。

 重なった大切は、瞬時の内に。

 記憶の奥へ、()け消えた。

 

 倒れた詩乃守のすぐ傍に立つ、人影。

 右眼を黄色く輝かせている事を除けば、見知った男だった。

 剣の様な形状に削れた看板を手に持ち、詩乃守をその手に掛けた男は、俺の通う学校の教師。

 鈴倉佐生朗(すずくらさぶろう)だった。

 ほとんど、接点もない教師だ。

 いや。

 そんなことは、どうでもいい。

 

「ふざ…………な」

 詩乃守が、死んだ……?

 俺は、護れたはずだ。

 さっきまで、生きていた。

 なのに。

 俺を頼って信じてくれた大切な後輩は、倒れて動かない。

 約束したのに。

 約束、したんだ……。

 

「ふざけるなああああああああああああああああああああああッッ!!!!」

 翡翠色の短剣を握り込み、全力で接近、肉薄する。

 短剣を、突き出す。

「なあ、お前」

 鈴倉が、言葉を発した。

「敵を助けようとしている所を何度か見たが、随分大層な考えを持ってるようだな?」

 短剣は、鈴倉の持つ看板に防がれた。

「それがどうしたッ」

 憤激と悲しみに支配される。

「よくも、よくも詩乃守を……!」

 短剣で斬り付ける。

 阻まれる。

「貴様、絶対に許さない」

 殺意を秘めた視線で、睨みつける。

「助けようとするその信念はなんだ? 教えてくれよ」

「急に出てきてなんなんだ! 今まで、あんたは戦いに参戦していなかっただろ。なのに、なんで今なんだ。なんで今出てきて、詩乃守を殺すんだ……」

「俺は何かをするつもりはなかった。最初はな。動くつもりなどなかった。死ぬならそれでもよかった。だがお前の戦いを盗み見て、気が変わった。それだけだ。答えろよ」

 

 頭の中で、何かが切れた感覚。

 答える必要などないというのに、勝手に喋っていた。

 ぶちまけたかったのかもしれない。

「そんなもの、すべてを救いたかったからに決まってるだろ!!」

 人が理不尽に死ぬなんて悲しい事、許容出来なかっただけだ。

「すべてを救う? 馬鹿げている。諦めろ。現実はそんなに甘くない」

「うるさい! 詩乃守を殺したお前が何を言う!」

「お前も殺したろ」

「それでも、この信念は間違っていない筈なんだ!」

「だが、救えなかっただろう?」

「……っ」

「お前じゃ誰も救えねえよ」

「ちくしょう……!」

「守れなかったお前には、絶対に無理だ」 

「なんでそんなこと、あんたに言われなきゃならない」

「俺も以前は護ろうとした、だが無理だった。みんな死んだ。諦めた。ただそれだけだ」

「だったら、一緒にするな! 俺はお前のような諦めた奴とは違う!!」

「証明も出来ていないくせに、随分偉そうだな」

 剣のような看板を鈴倉は薙いだ。

 短剣で受け流そうとして、あまりの強い衝撃に失敗した。

 鈴倉の膂力が、桁外れだったのだ。

 後ろに倒れ、短剣は弾かれ飛んで行く。

 

 ああ、わかってる。わかってるんだ。

 もう最近は、その信念が薄くなっている。

 護る為に殺した時点で、揺れて、迷ったままだ。

 その理念も思い出せず、(まど)って、止まっている。

 でも。

 それでも、間違っていない筈なんだ。

  

 歪な剣が、俺へ向けて振り下ろされる。

 人間など一瞬で粉砕する、地を穿つ一撃。

 先程知った膂力なら、それほどの攻撃。

 

 それを間一髪、跳び転がりながら避ける。

 すぐ傍の地面が、破砕音を立てながら砕け散る。

 戦う為には、短剣を早急に取り戻さなければならない。

 再詠唱をするよりは、1、2メートル先に転がっている短剣を手にする方が早い。

 手を伸ばす。

 後ろで、剛力を駆使した鉄剣が横に一閃。

 間に合わないっ。

 

『護り為す白き羽』(ティアティス)

 真白の、いつもの詠唱が聞こえた。

 来るのが遅い。

 でも、ありがとう。

 

 俺の背後に展開された白き楯は、砕け割られながらも、鈴倉の一撃の軌道を逸らしてくれた。

 その間に、俺は翡翠色の短剣を手に掴む。

「真白」

「うん」

 今まで一緒に戦ってきたからか。

 阿吽(あうん)の呼吸だった。

 俺は真白がやってくれると信じて、前へと突っ込んだ。

 鈴倉の正面から飛び込む。

 このままなら、奴が手に持つ歪な剣に一瞬で斬り捨てられるだろう。

 だが、俺は、真白を信じている。

『護り為す白き羽』(ティアティス)

 薙ぎ払われる鈴倉の剣の前に、白き楯が出現。

 想定通り。

 俺は限界まで前傾姿勢を取る。

 楯が割られながら、歪な剣は俺の頭上を掠めながら通り過ぎていく。

 これで、終わりだ。

 

 ……っ。

 …………クソッ!

 俺は、翡翠色の短剣を。

 鈴倉の首へと突き立てた。

 

 紅い血が、大量に舞い散る。

 その中で。

「ほら、な……無理なんだよ。すべてを、救うなんて」

 そんな声が、聞こえた気がした。

 

 鈴倉は倒れ、もう息をしていないだろう。

 鮮血が、地面に広がっていく。

 殺した。

 

 殺さなければ、俺が死んでいた。

 真白にも、危険が及んでいたかもしれない。

 

 そんな言い訳はどうでもいい。

 俺は、敵を殺した。

 それだけだ。

 それだけが、事実だ。

 

 すべてを救う、か。

 そんな夢物語、まだ俺に目指せるかな。

 こんな俺に。

 でも、やりたいんだ。

 矛盾する行為をしてなお、俺は。

 まだ、諦めきれない。

 

 詩乃守の方へと向かう。

 歩み寄り、抱き起すが、瞼を開いたまま動かない。

 光の亡い瞳は、寂しくて、悲しくて、本当に何も無い。

 手を鼻の前に翳すが、呼吸の風は皆無、息をしていない。

 生きて、いない。

 血の嫌な臭いが、鼻を突いた。

 涙が、一筋流れる。

 一瞬後には、溢れた。

 俺は詩乃守の瞼を、閉じてやる。

 こう見ると、安らかに眠っているようにも見える。

 そんなことで、詩乃守は救われはしないけれど。

 

 大丈夫だって、言ったのに。

 護れなかった。

 指切りまでした約束も、守れなかった。

 助けを求めてくれた人さえ救えなかったら、俺はなんなんだ。

 不安そうな顔を、安心した笑顔に変えれたと思ったのに。

 もうあの笑顔を、見ることはできない。

 仲良くなった、大切な後輩。

 "また"一人、大切な人がいなくなった。

 詩乃守は――に似ていた。絶対に護りたかった。

 なのに、このざまだ。

 何が、すべてを救う者だ。

  

「カズくん……」

 真白が、俺の傍らに立った。

 学校で合流のはずだったが、遅かったからか探してくれたのだろう。

 そのおかげで、俺は助かった。

 

 気を緩めたら、すぐにでも真白に縋りたくなる。

 ともすれば、泣きついてしまいそうなくらい。

 だが、何度も寄り掛かるわけにはいかない。

 俺は、そんなに弱いやつじゃない筈だから。

 

「そう、姫香ちゃんが…………」

 詩乃守を見て、真白が一瞬泣きそうな顔をする。

 だけどすぐに、耐えるように唇を噛み、両手を握り締めて、涙を出さなかった。

 真白は詩乃守と、一度だけだが会った。

 知り合いになって、一緒に話していた。

 そんな子が死んでしまったというのに、情けない俺とは違って、涙をこらえた。

 思い切り泣いても、誰も責めないというのに。

 そして、真白は俺に向いた。

 

「ごめんね……遅くなっちゃって」

「いや、謝ることじゃない」

 恐らく探し回ってくれただろう真白を責めるのはお門違いだ。

「わたしが遅くなったせいで……」

「やめろ。お前のせいじゃない」

 真白に罪はない。 

 彼女は口を閉じると、数秒の沈黙。

 後。

「わたしが弱いから、ごめんね……」

「何言ってるんだよ」

「カズくんにばかり、こんなことさせてごめんね……」

 こんなこととは、人を殺すことか。

「私が、もっと強かったら……」

 下唇を噛む真白。

 

「強かったら、自分が殺してたとでもいうつもりなのか?」

 真白は視線を落とした。

「ふざけんなよ…………」

 俺は詩乃守を優しく寝かせ、立ち上がる。

 詩乃守たちに背を向けて、歩き出す。

 真白は無言で、ついてきた。

 

 しばらく歩く。

 三人が死んでしまったあの現場は、もう見えない。

 死体たちは、どうせこのふざけた戦争を始めた奴らが隠蔽するだろう。

 文字通り、悪魔達だ。

 

 無言で静かな夜を歩いた。

 重い空気が漂っている。

 耐えかねて、俺は口を開いた。 

 

「それだったら、俺がやる」

 さっきの話の続きを言葉にする。

 真白が目を見開いて何か言葉を発しようとする。

「能力の相性的にも、俺の方が適任だ」

 俺は遮って続ける。

「真白は、護る方が向いてるからな」

「……でも、カズくんはすべてを救う者なんでしょ……? 最初に会った時に、言ってたよね……?」

 

 ――俺の名は相沢和希。いつかすべてを救う者だ。覚えておけ――

 

 そんな名乗りをした時も、あった。

 大切な身近な知り合い一人護れないくせに。

 でも。

 すべてを救う者で在りたい。

 それを否定するつもりもない。

 

「それを目指すのをやめてはいねーよ。ただ、真白がそうするぐらいなら俺がするって言いたいだけだ」

「ダメだよそんなの。それだったらわたしがする」

「女の子が積極的に殺すなんて言うな」

「男も女も関係ないよ」

「とにかくお前にはそんなことさせない」

「わたしもカズくんにそんなことさせない。これ以上やって、傷ついてほしくない」

「とにかく俺がやる」

「いいや、わたしがやるよ」

「俺だ」

「わたしだよ」

「俺」

「わたし」

「…………」

「…………」

「まあ、どっちにしろ相手を殺さなくて済むなら、殺したくないよな」

「そうだね……ほんとに、そう」

「俺は、すべてを救う者だしな」

「うんっ、でも、辛くなったらやめてもいいんだよ……? その理想を目指すのは、とても辛いだろうから」

 優しい微笑を湛えて、真白は言った。

「やめたくはない、目指したい。けど、ありがとうな」

 今は、まだ、理想を諦めたくない。

 やりたいから、やる。

 真白は笑みで答えた。

 

「あっ」

「どうした?」

「カズくん、頭から血が出てない?」

 真白がすぐ近くまで来る。

「ちょっとしゃがんで」

 言われた通りにすると、真白は俺の頭を間近で見て調べる。

「やっぱり出てるよ。すぐに治療しなきゃ」

 多分、最後の鈴倉の攻撃が頭を掠めた時の傷だろう。

 

 …………。

 なんだか真白との距離が近すぎる気がした。

 今までは、あまり気にならなかったのだが。

 今は、なんとなく気になる。

 女性特有の甘い香りが、俺はどうやら好きらしくて、落ち着く。

 だが、なんだかこのまま抱き付いてしまいそうだ。

 それは危険だと思い、身を捩って真白から離れようとする。

 

「ちょっとじっとしてて、出血してるんだから」

 しかし、親に叱られるように止められてしまった。

『包み癒す擁の翼』(ティアティス)

 純白の翼が俺を包み、白き光が漂う。

 しばらく女の子の匂いに精神を乱されながらじっとしていると、発光が静まり、翼が消える。

「よし、これで大丈夫」

 俺の頭に手で触れた後、真白は立ち上がった。

 俺も立ち上がる。

 

 今まで真白の服装になど気を止めていなかったが、今はなんだか、意識した。

 白のパーカーに、白のスカート、白いハイソックス。

 いつもの、名前通りの白尽くし。

 女の子らしくて、可愛いと思った。

 こんな時なのに。

 

「じゃあ、帰ろ、カズくん」

「ああ」

 二人で歩き出す。

 

 俺は、一度だけ詩乃守がいた方向に振り返り。

 詩乃守。

「さよ…………」

 さよなら。

 なんて、言葉にしたくなかった。

 

 

 





 詩乃守姫香、罪科は色欲。だがその罪科は無意味。一応の当て嵌め。
 色欲の罪科異別は『破壊破滅の魔眼』
 瞳が烏羽色に輝く。
 イレギュラーの大罪者。最も悪魔術に近い罪科異別。
 魔眼で視認して細かく指定した位置を、世界から破壊する。範囲によって魔力消費量が変わる。魔力消費量が多く何発も撃てない。
 魔眼を使うシミュレーション(中二ごっこ)で才在りと認識され、その日の夜にも魔眼を使う動作(鏡の前でのポーズ取り)をしてしまったせいで、魔眼の所有者に選ばれてしまった。その大罪に合った者が現在宮樹市にはいなかったというのと、七大悪魔の内に迷いのあった者がいた事も原因。不幸な事故。大きな力を動かす儀式故不備や誤作動が起こり得てしまった。


 佐藤孝典(こうすけ)、罪科は憤怒。
 憤怒の罪科異別は『精神消削(せいしんしょうさく)の魔眼』
 瞳が蒼色に輝く。
 絶対に物理的に傷つける事は出来ず、意識を削り刈り取る銀の長剣の双剣。所有者からは重さがほとんど感じられない。投擲に向いている。直撃すればまず意識が閉じられる。だが命は奪えない。だから殺す為にナイフも持ち歩いている。


 鈴倉佐生朗(すずくらさぶろう)、罪科は怠惰。
 怠惰の罪科異別は『寄生強化の魔眼』
 瞳が黄色に輝く。
 その魔眼を他者と合わせて【設定】した者が生存している限り。身体能力が大幅に上がり、手に持った物の強度や切れ味が上昇する。



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18話 なんてことのない一目惚れ

 

 

 玄関を開け家に入ると、アイラがリビングから顔を出した。

「おかえりなさい」

「ただいま」

 リビングに入り、ソファーに身を沈めると、アイラの第一声。

「もしかして、戦ってきたんですか……?」

「……! よく、分かったな……」

 察しがよくて驚いてしまい、身体が硬直した。

「判りますよ。昔から和希さんを見てきてますから」

 まじか。

 これが、妹の観察眼なのか。

「怪我はないですか? 真白さんも無事ですか?」

「怪我はない。真白も無事だ」

「大丈夫、なんですよね……?」

「ああ」

 アイラはやはり、心配そうだ。

「紅茶、淹れましょうか?」

「……ああ、頼む」

 アイラは立ち上がり、紅茶の準備を始める。

 俺はその姿を、何とはなしに眺めた。

 水色のワンピース、黄金の髪を揺らす少女。

 女の子らし過ぎる妹の可愛い姿。

 アイラのその姿を見ていると、なんだか。

 なんだか。

 押さえつけているものが、溢れそうな。

 そんな、感覚。

 

 紅茶が、テーブルに置かれた。

 アイラが対面のソファーに座る。

 俺は立ち上がった。

「? 飲まないんですか?」

 アイラが不思議そうに首を傾げる。

 俺はテーブルを回り込んでアイラに近づいた。

「きゃっ!? 和希さん……!?」

 アイラを押し倒した。

 妹は顔を真っ赤に染めて、あわあわと口をパクパクさせている。

 

 こんなことをしてしまったが、別に俺は、おかしくなった訳ではない。

 性欲に支配された訳でもない。 

 ただ。

 俺は。

 

 抱きついた。

 ぎゅうっと、アイラの背に手を回して、小さな胸に顔を埋めて。

 幼子が母親に縋るように。

 抱きしめるのではなく、抱きついた。

 そう、俺は。

 ただ縋りたかっただけなんだ。

 多分。

 

「和希さん…………」

 アイラは、頭を撫でてくれた。

 自然と口が開く。

「なあ、アイラ」

「はい」

「俺って、すべてを救う者だろ」

「昔から、そう言ってましたね」

 アイラは、穏やかな声音で撫で続けてくれる。

「でもさ、最近わからなくなってきたんだ」

 アイラは静かに聴いてくれる。

「もちろん、やりたいからやめるつもりはない。誰かが理不尽に死ぬのは気に入らないからな」

 すぐ近くで、甘くとてもいい匂いがする。

 落ち着く。

「だけど、どれだけやっても、どんなに頑張っても、今まで鍛錬してきたとか、努力とか、そんなもの関係なく、理不尽は、超常は、何もかも奪っていくんだ」

 誰も、救えなかった。

 敵も、護ると約束した子も、誰も。

「一人も救えてないくせに、すべてを救う者なんて、名前負けここに極まれりだよな」

 アイラは俺を抱きしめ、頭を優しく撫で続けているだけで、何も言わない。 

「すべてを救いたい。それが甘く青い、くだらない考えだってのは解ってる。まず普通に考えて出来る訳がない。現実の見えてないガキの夢物語だ」

 そんなこと、前からよく解っている。

 現に今も、思い知らされている。

「だけど、そんなの知るかよ。俺は、俺が気に入らないからそうしてるんだ。俺がやりたいから目指してるんだ。だから、すべてを救う者であることをやめるつもりはない」

 でも。

「そうは、思ってるんだ。思ってるんだけどさ。やっぱり、どうしようもないことがあるんだ」

 遣る瀬無さが、湧き上がってくる。

「今まで誰も救えなくて、そして、これからも誰一人救える気がしないんだ」

 それが、わからなくなっている一番の問題だ。

「圧倒的に、力が足りなすぎるんだ」

 俺には、誰かを殺す為の超常しか、ほとんど頼れる力が無い。

 今まで鍛錬で培ってきた短剣術、武術はある。

 だけどそれだけなんだ。その程度なんだ。

 その程度の力では、圧倒的な超常の前には無力なんだ。

「理想を諦めたくないのに、この先何も為せないなんて、辛すぎるだろ……そんなの、いつか……」

 潰れる。

「だから、わからないんだ。この先その信念のままでいいのか、それともそんなくだらない考えは捨てて、護りたい大切な人だけ護ればいいのか」

 その大切な人さえ、護れなかったけれど。

 アイラは俺の頭を撫でたまま、沈黙。

 だがやがて、口を開いた。

「強要は、出来ません」

 その一言から、続けていく。

「和希さんがたとえどんな答えを出したとしても、正解でも間違いでもないと思います」

 俺は抱きついたまま、黙って聴く。

「だから、和希さんがしたい方でいいんです。辛いなら、やめてもいいんです」

 一呼吸開け。

 

「でも」

 ゆっくりと、俺にしっかり伝えるように。

「私の個人的な思いをいうと」

 アイラは、言った。

 

「和希さんがそれを目指す姿はとても輝いていて、大好きでした」

 胸に顔を埋めていて見えないが、アイラが優しく微笑んだように思えた。

 

 ――――。

 ああ……。

 俺は。

 その一言で。

 たった、一言で。

 

「けれど、それは私が勝手に、個人的に思っていたことでしかなくて、和希さんが別の道を選んでも、私は傍に寄り添いますよ」

 そんな優しい言葉を掛けてくれるが、俺は、もうそれに縋ることはない。

 決まったんだ。

 決めたんだ。

 つい数秒前、何ものにも揺らがす事の出来ない考えを、手に入れた。

 俺が、絶対の決断を固めるに値する言葉を、大切な妹が与えてくれた。

 ただの、一言でしかないのに。

 俺にとっては、何にも代えられない大切なものだった。

 

 大好きなアイラが、すべてを救う者である俺を、大好きと言ってくれる。

 ただそれだけで、何があっても頑張れる。

 無限の力が、湧いてくる。

 安い男かもしれない。

 他から見れば滑稽かもしれない。

 だが、俺にとって、それは神託にも勝るんだ。

 

「アイラ、もう心配いらない。俺はすべてを救う者だ」

 アイラは一瞬嬉しそうな表情をした。

 が、すぐに眉を下げ申し訳なさそうな顔になる。

「……私、もしかして余計なこと言っちゃいました……?」

「いや、なんでだ?」

 俺はアイラの言葉のおかげで、頑張れそうなんだ。

「私が目指してほしいみたいな言い方になってしまったかと思って……それでとんでもないものを背負わせてしまったのではないかと……」

「そんなことはない」

「本当、ですか……?」

「ああ、信じてくれ。それに」

「それに?」

「また迷ったら、アイラに相談する。だから問題ない」

 アイラは花開くように笑顔を咲かせ。

「はい。問題ないですね」

 そう言った。

 

「俺、頑張るよ」

「はい」

「だから、見ててくれ。ずっと、見ててくれ」

「ずっと見てます。いつも見てましたから」

 俺は、それだけで前に進む事が出来る。

 いや、それがあるからこそだ。

 アイラが見ててくれるのなら、俺はやれる。

 俺は、すべてを救う者だ。

 誰も彼もを、救うんだ。

 理不尽な死から、護るんだ。

 出来なくても、やる。

 愚かでも、目指し続ける。

 アイラが、見ててくれるから。

 

「アイラ……」

 抱きつくから、抱きしめるに変えた。

 アイラの身体は柔らかく、暖かい。

 背が小さく線の細い体は、強く力を入れたら折れてしまいそうだ。

 宝物を包むように、抱きしめる。

 やっぱりアイラは、いい匂いがした。

 心地いい。

「和希さん……」

 アイラも、抱きしめる力を強くした。

 ああ……。

 このまま、寝てしまいたい。

 

 

 

 

 

 ――されど。

 穏やかな時間というものは。

 唐突に終わってしまうことがある。

 

 そう。

 今みたいに。 

 

 

 

 

 

「――――ハハハハッ。見つけたぞ」

 聞いたこともない男の声が聞こえた。

 刹那。

 爆音。

 振動。 

 咄嗟にアイラを護る様に抱き込んだ。

 

 俺は、放心した。

 なぜなら、なんでか、家が吹き飛んでいたからだ。

 アイラがいつも料理しているキッチンも、いつも二人で見ていたテレビも、いつも食事をしていたテーブルも。

 全部、粉微塵に吹き飛んだ。

 一瞬で、何もかも消し飛ばされたのだ。

 俺達がいる場所を除いて。

 

 コツコツ――。

 足音。

 近づいてくる。

 コツコツ――。

 俺は足音の聞こえる方向に振り向いた。

 そこには、二十代前半ほどに見える男が立っていた。

 いや、そんな事はどうでもいい。

 それよりも重大な事がある。

 そいつの頭部には、角が生えていた。

 二本の黒き角が、歪に斜めに屹立(きつりつ)していたのだ。

 悪魔。

 真白が言っていた存在を、思い出した。

 

 圧。魔力。犇々(ひしひし)と。恐怖。

 今までの敵とは比べ物にならないほどの魔力を感じる。

 圧迫感が襲う。

 一目見ただけで、本能で理解させられる。

 こいつは、勝てる相手ではないと。

 

「な、なにが起きてるんですか……!?」

 アイラが慌てた声を出すが、俺にも分からない。

 でも、すぐに適応して行動しなければやられる。

 それは分かった。

 

「『総ての救済を望む傲慢な愚者よ、殺戮し、終わりの理へと導け』」

 魔眼の力を使い、翡翠色の短剣を呼び出した。

「アイラ、ここは俺に任せて逃げてくれ」

 恐らく悪魔だろう男を視界に入れ、警戒しながらアイラに言う。

「で、でも……!」

「アイラは戦えない。ならここにいても足手纏いにしかならない」

「……っ」

 酷な言葉だとは思った。けれどこうでも言わないとアイラは逃げてくれない。

「だから逃げろ」

「はい……っ」

 アイラは走っていこうとした。

 

「逃がす訳にはいかない」

 悪魔が言葉を発する。

 風切り音。

「……っ!」

 アイラの足元に、ナイフが突き立った。

 そのせいで、立ち止まる。

「次は当てる」

 悪魔の威圧感が、増した。

 このままでは、アイラが逃げられない。

 

 俺は悪魔に接近する。

 圧倒的な差のある敵と戦うには、決死の覚悟が必要だ、

 覚悟も無しに強敵に勝てるほど、この世界は甘くない。

 ただ突っ込むだけでは、一瞬で潰されるだろう。

 されど、俺はアイラの為ならば、その覚悟をいくらでもできる。

 どんな相手だって、倒して見せる。

 負ける訳には、いかないんだ。

 

 風切り音。

 聞こえたと思った時には、もう遅かった。

 足に衝撃が走ると同時に前のめりに倒れ込んだ。

「和希さんっ!」

 アイラが俺の名を呼ぶ。

 俺はそれどころではなかった。

「ぐっぅ……」

 足に激痛が奔る。 

 俺の右足には、ナイフが刺さっていた。

 この足では、もうまともな機動力は期待できない。

 全く、反応出来なかった。

 それほど、奴のナイフは速かったのだ。

 まともに走る事も出来ない状態で、この化け物に勝てる方法。

 そんなもの、あるだろうか。

 

 たった一手。

 最初の、取るに足らない一手で、俺は詰まされた。

 悪魔は力の一端さえ出していないだろう。

 こんな様で、アイラを護れるかよ。

 

「くそっ! 動け!」

 ナイフを無理矢理抜き、激痛に耐えながら立ち上がろうとする。

 血液がボタボタと、流れ落ちた。

 辛うじて立てたが、この傷では歩くのも辛い。

 息を荒く吐く。

 冷や汗が垂れる。

 こんな状態で、戦える気がしない。

 けれど、護らないと。

 翡翠色の短剣を握り込む。

 

「ぐぁ……!」

 悪魔に向かって歩き出そうとした左足にも、ナイフが突き立った。

 今度は、転びはしなかった。

 けれど、機動力はほぼやられたも同然だ。

 こんなところでやられる訳にはいかないんだ。

 近づけないのなら、近づかないで攻撃すればいい。

 短剣を投擲した。

 悪魔へと一直線に飛ぶ。

 悪魔の手から銀閃が飛んだ。

 金属同士がぶつかり合う甲高い音が鳴ると、短剣はナイフに弾き落されていた。

「『総ての救済を望む傲慢な――――』」

 詠唱で短剣を呼び戻そうとしたが、ナイフがさらに両足に突き立った。

 今度こそ、俺はその場で倒れ込んだ。

 やはり何度見ても、俺の速さではあのナイフに反応出来ない。

 力量差が、在り過ぎる。

 鍛錬で鍛えてきた技術は、悪魔の技術には意味を成さなかった。

 

「終わりだ」

 悪魔が呟く。 

 同時。

 悪魔の魔力が、溢れ出した。

 異別炉(いべつろ)から()られていく膨大な魔力。

 

 瞬時に理解する。

 奴は、今から超常の能力、異別――いや違う、悪魔術を使う気だ。

 そして。

 それが発動されれば、俺は抵抗することも出来ず一瞬で消されるだろう事も。

 回避も防御も許されない、破滅の一撃が来る。

 

 ……ちくしょう。 

 動けない。

 あと数秒後には、死ぬ。

 嫌だ。

 死にたくない。

 でも。

 そんなことより。

 アイラだけは、護りたいんだ。

 絶対に、守らなければならないんだ。

 無理矢理にでも立ち上がろうと、全身に力を込める。

 激痛が奔り続ける。

 だが、そんなものが何だという。

 アイラを護れるのなら、どんな痛みだって耐えてやる。

 

「やめてください! やめて!」

 その時、アイラが叫んだ。

 それは未だ立とうとする俺に向けてか、それとも俺を殺そうとする悪魔に向けてか。

「和希さんを、殺さないで!」

 悪魔に向けて、アイラは涙を流しながら懇願した。

 だが奴は、その言葉を無視して力を発動する。

 

 俺は死なない。必ず守る。

 アイラにそう言ってやりたかった。

 でも、声が出なかった。

 悪魔術が、発動される。

 

「『破滅(はめつ)黒光(こっこう)』」

 

 詠唱の言霊。

 刹那。

 発動。

 

 ――軽い衝撃。

 突き飛ばされた?

 悪魔の力ではない。

 アイラが、俺を突き飛ばしたのだ。

 おい。

 まてよ。

 そんな。

 ふざけんなよ。

 

 悪魔が前に突き出した右手。その手の平が漆黒に瞬く。

 黒よりも黒き闇の光が、巨大光線の様に迸った。

 光を避けられる人間が、いるはずなどない。

 それは、突き飛ばされた俺が元いた位置に、一直線に閃く。

 そう、アイラが今いる所に。

 

「――っ!」

 気のせいか、それに悪魔が動揺した様に見えた。

 漆黒の閃光が僅かに逸れ、魔力も弱まった様に感じた。

 されど。

 アイラへの直撃は、為された。

 腕や足が千切れ飛んで、大切な妹が鮮血を舞わせながら吹き飛び転がる。

 

「あ……ああ……」

 あんなの、もう。

 助からない。

 

 ――――。

 頭に、激しい痛みが奔る。

 ザザッ――――

 ノイズが、騒めく。

 詩乃守が殺された時と同じ。

 誰かと、アイラの姿が、重なる。

 頭に、一際強い痛み。

 それが奔ると。開く。

 なにかが。

 記憶が。

 忘れていた事が。

 浮かんで来た。

  

 ――それは、あまりにも。

 今更な事だった。

 

 アイラが、殺された。

 アイラが、もういない。

 その時点で、もう意味を成さない。

 俺は何も、護れていない。誰も、救えていない。

 一番護りたかったたった一人さえ、その手から零した。

 

 アイラ。

 アイラ…………。

 アイラ……っ!

 

「殺してやる」

 すべてを救う者である俺が、一番口にしてはいけない言葉を吐き出した。

 悪魔を睨む。

 殺意を瞳に乗せて、睨んだ。

「『総ての救済を望む傲慢な愚者よ、殺戮し、終わりの理へと導け』」

 今までで最速の言霊。

 痛みや怪我など忘れて、ただ我武者羅に奴へと向けて走った。

「死ね! 死ね! 死ね! 死ね! 人を殺す奴は全員、死んでしまえええええ!!!」

 それは、ずっと抱いていた本音。

 殺人への憎悪。

 矛盾した、我が侭。

 人を理不尽に死なせる奴が、許せない。

 そんな悪人は、この手で殺してやりたい。

 わるものを殺して、護りたい人だけを護る。

 それが、すべてを救う者であるはずの、俺の本音だった。

 一番大切な人を殺された俺の、みっともない本性だった。

  

「『破滅の闇手(あんしゅ)』」

 悪魔が地面に手を突けると、その地面は無くなった。

 奴へと肉薄していた俺が踏み締める大地まで、崩れて、悪魔の右手へと吸い込まれていく。

 歪なクレーター状に、大地が数十メートル範囲崩壊し、消失し、悪魔の右手へと総て宿る。

 エネルギーが貯蔵されたかの様に、悪魔の右手に集中して魔力が跳ね上がっていた。 俺は突然崩れた地面に足を取られ、転倒。クレーターを滑り落ちる。

「ぐっ……あぁ……!」

 擦り傷が刻まれる。瓦礫に身を打つ。

 止まった頃には、ただでさえ無理矢理動かしていた体は、もう完全に動かせなくなっていた。

 悪魔が俺を見下ろし、右手を前に突き出して構える。

 

 ちくしょう……っ!

 アイラ……!!

「俺は」

 両腕を支えに、体を起こそうとした。

 だが、力が上手く出ない。

「俺は、すべてを救う者なんだああああああああああああああああああああああ!!!!」

 アイラが望んでくれた、俺の姿。

 それを無様に叫ぶ事しか、出来なかった。

 目の前の、殺してやりたい相手を睨みながら、そんな事しか言えなかった。

 

「それが最後の言葉か」

 悪魔が呟く。

 圧倒的な実力差。

 今までにない強敵を前にして、俺は何も出来ない。

 いや、向こうにとっては敵にすら成り得ていない。

 強者に踏み潰される、弱者でしかない。

 技術も、魔力も、能力も、全ての力が奴の足元にも及ばない。

 

「なんで、こんなことするんだよ……」

 憤りと悲しみで、思わず口に出していた。

「なんで、人を殺すんだ…………」

 その理不尽が、理解出来ない。

 それだけの力を持っていながら、何をしたいんだ。

 悪魔が言葉を発する。

「大切な人、お前にもいるだろう」

「お前が殺した……」

 憎悪が増す。

「俺は取り戻したいだけだ」

 悪魔はそれだけ言って、俺に再度殺意を向けた。

 

「大切な人の為、人を殺すっていうのか」

 それは、俺もしてきた事だ。

 そんな俺が、糾弾出来る資格などないのかもしれない。

 だけど、そんな事は関係ない。

 奴はアイラを殺した。

 俺にとって、それだけの存在だ。

 赦せない敵だ。

 結局。

 相容れない敵同士でしかない。

 どんな理由があろうと、俺の大切な人を殺す存在は、俺が殺す。

 その覚悟がなければ、力のない俺には護れない。

 どちらにしろ、護れなかったけれど。

 

「終わりだ」

 悪魔が、終焉の言の葉を紡ぐ。

「『破滅の黒光』」

 漆黒の閃光が迸る。

 回避する事も、防御する事も不可能。

 俺は、刹那の後には死ぬと、確信した。

 

 アイラ……。

 ごめんな。

 護れなくて。

 助けられなくて。

 救えなくて。

 最後まで、すべてを救う者でいられなくて。

 

 視界が、黒に埋め尽くされた。

 

 

アイラside

 

 

 ――――幼い頃。

 私は、ずっとお城で過ごしていました。

 広いお城で、のんびりと過ごしていました。

 使用人の人から教わってお勉強したり、遊んでもらったり。

 お父様とお母様は忙しそうでしたけど、時々会った時はすごく優しくて、遊んでくれた時はすごく楽しくて。

 いい毎日だと思っていました。

 

 そんな毎日を過ごしていた時。

 お父様とお母様のお友達がお城にやって来ました。

 その人たちと、私と同い年くらいの男の子と女の子もいました。

 女の子の方は、黒髪のかわいい女の子です。

 男の子の方は――

 

 見ると、男の子と目が合いました。

 その時、キュンという音が胸の奥から聞こえてきたような気がしました。

 それは錯覚なのでしょうけど。でも。

 ずっと城に居て、初めて会った同年代の男の子を一目見て、

 なんだかよくわからない、ふわっとしたような、じんわりと熱いような、苦しいような、それでいて心地の良い、不思議なものを感じたのは確かです。

 まだ一言も話してもいないのに、そんな感覚を覚えてしまったのです。

 なぜでしょう?

 最初は疑問しか湧きませんでした。

 

 でも、その気持ちになったときから、男の子から目が離せなくなってしまって。

 最初は、その夢のような感覚に身を委ねていました。

 

 けれど。

 その男の子と接してみて、分かったことがありました。

 

 この男の子、特に良いところがない。

 

 大変失礼な考えですけど、その時には小さいながらそう思ってしまったんです。

 あんな感覚をくれた人なのだから、きっとすごい人なのだろうと考えて接してしまったのが良くなかったのかもしれません。

 なので気を取り直して、一緒に過ごしてみました。

 

 そしてまたわかったことは。

 特に悪いところもないと気づきました。

 さらに、特に良いところがないと最初思いましたけれど、そんなことはありませんでした。

 良いところがありました。

 なにせ初めて会うタイプの人でしたから、上手く判断がつかなかったのです。

 

 男の子に優しくしてもらいました。

 元気で、見ていて楽しくなります。

 

 絵本で呼んだ王子さまとは全然違うけど、少し口調が乱暴な時もあるけど、元気で優しい男の子。

 

 そんな評が私の中で固まっていました。

 今まで会ったことのない同年代の男の子。

 不思議で、暖かいものを感じる人。

 

 でも、まだわかりませんでした。

 なぜ自分はあんな感覚をこの男の子に覚えたのでしょう?

 男の子のことを知ったうえで考えても、疑問に満たされました。

 

 悪い人ではないと思います。

 良いところもあります。

 優しい男の子です。

 でも、なぜ私はあれほどのものをこの男の子に感じたのでしょう。

 その感覚を覚えるほどの人なのでしょうか。

 あんな、宝物のような思いを。

 少ししか生きてませんけど、人生でそう多く感じられるものではないと思えるポカポカ感を。

 わかりませんでした。

 悩みました。

 

 ――そうして。

 出会って、過ごして。

 その男の子が帰ってしまう時が来ました。

 その時、ようやく分かったんです。

 

 その想いは、理屈ではないのだと。

 この人と一緒にいたい。

 尽くしていきたい。

 別れたくない。

 離れたくない。

 

 これは恋だと。

 恋って、そういうものだと思いました。

 私は、一目惚れというものをしてしまったのだとわかりました。

 日本の少女漫画が好きで読んでいた私は、すぐにわかりました。

 最初からわかりそうなものでしたけれど、一目惚れに憧れていた私は、とにかく素敵なものだと漠然と思っていただけでした。

 理想だけで、ちゃんと理解していなかったのです。

 だけど、そんな素敵なものを直に知りました。

 

 私は、和希さんが好き。

 大好き。

 愛しています。

 なにがあっても、あなたに尽くします。

 あなたと、一緒にいたいです。 

 ずっとずっと、あなたの傍に――。

 

 

 なんてことのない一目惚れ。

 なんてことのない初恋。

 それをずっと、大事に抱え続けました。

 私の、私だけの、宝物です。

 

 

 ――――――。

 ――――。

 ――。

 

 

「おい、まだ生きているだろう?」

 悪魔の声が聞こえる。

 感覚が、もうほとんどない。

 左腕と左足も、()い。

 血もいっぱい出て、後少ししたら、私は死んでしまうでしょう。

 和希さんは、和希さんはどうなったの……?

 どうか、和希さんだけでも生きてほしい。

 私はもう、無理ですから。

 

 悪魔が私の傍に近づいてきた。

「生きているな。なら聞け。さっきまでいたあの男は俺が殺した」

 ころ、した……?

 あの男って、和希さん……?

 私が目で訴えると、悪魔が口を開く。

「そうだ。今お前が考えているその男を、俺が殺した」

 そんな…………。

 そんなの、いやです……。

 和希さんが生きてなかったら、私は……。

「あの男に生きていてほしいか?」

 当然です。

 私は瞳に怒りを交えて悪魔を見ました。

 悪魔はいつの間にか、水晶玉のようなものを手に持っていました。

「なら、お前の力を使うんだ。そうすれば可能だろう?」

 

 そう、でした。

 和希さんが殺されたという言葉がショックで、その考えに思い至っていませんでした。

 私の『魂の橋渡し』(ソウルロード)なら、もうすぐ死んでしまう私の命と引き換えに、和希さんを生き返らせる事が出来る。

 なぜ悪魔がこんなことを私に話すのか、それは分かりませんけれど。

「力の出力は抑えたが、ほとんどあの男の身体は残っていない。それでもできるな?」

 当然です。

 私は答えずに心の中だけで言うと、身体を無理矢理動かす。

 這いずってでも、和希さんの元へ。

「その体じゃ無理だろう。あの男の残骸なら持ってきた」

 そう言って私の手元に悪魔はナニカを置きました。

 それは、もう人かどうかもわからない肉塊でした。

「……っ……っ!」

 涙が止めどなく溢れます。

 和希さんが、こんな姿に……。

 和希さん、和希さん……っ。

 

 ――――。

 私の、せいでしょうか。

 私が、理想を目指してる姿が好きなんて我が侭を言わなければ、和希さんは逃げてくれたのでしょうか。

 私のせいで、和希さんは死んでしまったのでしょうか。

 ごめんなさい。ごめんなさい。

 和希さん、ごめんなさい。

 今、生き返らせますから。

 私の命に代えても、元に戻しますから。

 私はその後には、生きていられませんけど。

 和希さんだけでも、生きてください。

 本当は一緒にいたいけど。

 もう会えないなんて、このまま消えてしまいたいほど悲しいけれど。

 それでも、和希さんには生きて幸せになってほしいです。

 私がいなくても、幸せを掴み取ってほしいです。

 真白さんもいますし、きっと大丈夫なはずです。

 だから。

 さようなら、和希さん。

 

『魂の橋渡し』(ソウルロード)

 肉塊に手を置いて、能力を発動します。

 私の全身が藍色の輝きを纏いました。

 それと共に、悪魔の持つ水晶玉のようなものも輝きを放ちました。

 

『魂の橋渡し』(ソウルロード)

 私の生命力を譲渡する事で、相手を回復させる異別。

 本来、生命力の譲渡が本質の異別。

 魔力だけを使用する事も出来るというだけ。

 魔力だけなら、怪我を回復させる力。

 そして、生命力全てを使い果たす事で、人を蘇生する事すら可能な、禁断の力。

 

 和希さんたちには嘘ついちゃいましたけど、それが私の異別の、本当の詳細。

 もし本当のことを言っていたら、和希さんたちにはこの異別は絶対に使わないでと止められていたでしょう。

 だから、言えませんでした。

 私だって、和希さんの役に立ちたいんですから。

 そして今が、使う時です。

 

 どんどん生命力が無くなっていく感覚がします。

 意識も、暗い所に落ちていって。

 あぁ……もうすぐ私、消えちゃうんですね。

 もっと、和希さんと一緒にいたかったな。

 デートも、もっといっぱいしたかったな。

 でも、我慢です。

 和希さんが生きて幸せになるためなら、しょうがないです。

 意識が、完全に。

 おち、そ、う……。

 もう、お、わり、です、ね…………。

 最後に。

 

 

 和希さん、大好きです。

 誰よりも愛していました。

 それと、できれば。

 

 

 恋人に、なりたかったなぁ。

 

 



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19話 救い

 

 

 俺には、妹がいた。

 可愛い、妹だ。

 シスコンと言われるくらい、溺愛していた。

 いつも一緒にいた。

 というか俺が離れても妹がくっ付いてきた。

『黒髪』の、かわいいかわいい妹。

 その子は、詩乃守に似ていた。

 いや、詩乃守が、妹に似ていたんだ。

 俺はその妹――華怜(かれん)と両親と共に、普通に楽しく幸せに、暮らしていた。

 

 そして、小学校低学年の頃くらいか。

 両親の外国の友達のところに、旅行に行くことになったんだ。

「お兄ちゃん! りょこーだよりょこー!」

「おお! 旅行だな! 初めてだな!」

 初めての旅行に妹と一緒に大いにはしゃいでいた。

 飛行機に乗って、遠い国へと渡った。

 

 オーロラ王国。

 それが、旅行先の国の名前だった。

 そしてあろうことか、両親の友人はその国の王と王妃であった。

 確かに、俺たちが生まれる前は両親共に海外を飛び回っていたと聞いてはいたが、まさか友達に王族がいるなどとは想像できるはずもなく、面食らったのを覚えている。

 今思えば、両親は異別者だったのだろう。優秀な異別者であっただろう両親は、それ関連で仲良くなったのだ。

 両親に連れられ、立派で巨大な、自分たちが住む家が何個分になるのか分からないほど広い城へと入った。 

 

 そうして。

 そこで出会ったのが。

 王と王妃の娘であるお姫様。

 俺は一目見て、立ち尽くし、視線を釘づけにされ、見惚れた。

 その黄金色の髪にも、藍色の瞳にも、白い肌にも、お姫様らしいドレスにも。

 見惚れ、しばらく動けなかった。

 美しい、綺麗、なんて言葉では到底表せられなかった。

 

「はじめ、まして、わたしは、アイラ・アウロラランド、です。あなたのなまえは、なんですか?」

 

 アイラとの最初の邂逅、その第一声は、カタコト気味な日本語で為された。

 しかし、この年で日本語が喋れるのは凄いことなんだと、その時は気づけなかった。

 だからその時の幼い俺は、女の子に見惚れた自分が恥ずかしくて、つい言った。

 

「変な喋り方するんだな」

 すると黄金色の髪の女の子は。

「あう……ごめんなさい。がんばって、おべんきょーしたんですけど、まだまだ、ですね……」

 しょんぼりしてしまった可愛い女の子に、俺は慌てた。

「い、いや、ちゃんと喋れてるし、意味も伝わるから、すごいと思う。君はすごいよアイラ」

 アイラは藍色の瞳で、上目遣いに見つめてくる。

「そう、ですか……?」

「ああ、俺はそう思うよ。それと、名前だったよな。俺は相沢和希だ」

 アイラはパッと明るくなり、とびきりの笑顔を見せた。

 初めて見る、アイラの笑顔だった。

「ありがとうございます、カズキさん」

 その笑顔に、また見惚れないわけがなかった。 

 

 ――それから。

 俺とアイラはすぐに仲良くなり、アイラは妹とも仲良くなり、三人で遊び回った。

 お城の中庭を駆け、広いお城でかくれんぼをし、女の子二人のおままごとに付き合い、衛兵さんにイタズラしようとしてアイラに止められたり。

 とにかく、いっぱい遊んだ。

 

 数日後、家に帰る時。 

「カズキさん、カレンちゃん、かえらないで」

 アイラは涙ながらに俺たちに言った。

 俺はアイラの頭に手をポンと乗せ、撫でる。

「また会える。一生の別れじゃないんだ。だから、また会いに来るよ」

「ぜったいに、また、あえますか……?」

「ああ、だから、またな」

「…………はい、またですっ」

 アイラは渋々納得して、俺たちは日本に帰った。

 

 ――――。 

 

 それから、数年後。

 もうすぐ中学校に入る頃。

 俺たちは、またオーロラ王国へと旅行に行った。

 

「和希さん! 華怜ちゃん!」

「おお、日本語かなり上手くなったんだなアイラ」

「はい、和希さんたちともっとちゃんとお喋りできるようになりたくて頑張りました」

「上手い上手い! かわいいよアイラちゃん!」

「かわいい関係あるか?」

「ほんと久しぶりだねーアイラちゃん」

「無視すんなよ」

 華怜はアイラに抱き付いていた。

「わ、わわっ、苦しいです華怜ちゃん」

「いい匂いだね~、病みつきになるよ~」

 華怜は何かの動物のようだった。

「お兄ちゃんも堪能する~?」

 馬鹿なことを華怜は聞いてきた。

「ああ、当然だ。アイラがいいのなら」

 俺はアイラに近づいた。

「ええっ!? だ、だ、ダメです!」

 顔を赤くして必死な様子で言われた。

「あはははお兄ちゃん振られたー!」

「うるせえ」

 俺たちは、再会を喜んだ。

 

 数日間、俺たちは語らい、遊んだ。

 数年間の内にあった出来事を伝え合ったり、俺が持ってきたカードゲームで遊んだり、昔みたいに駆けまわったりはしなかったが、とにかく楽しく遊び倒した。

 そう、会えなかった数年間を埋めるように。

 アイラも華怜もとても楽しそうで、嬉しそうで。

 俺も心が暖かくなって。

 こんな平穏が、幸せが、続いて行けばいいと思った。

 

 

 そして、滞在する最終日。

 それは、起こった。

 起こって、しまった。

 

 超常の力を持った者の、襲撃。

 

 その化け物の力は強大で、城の外壁は破壊され、人が沢山殺された。

 優秀な異別者の両親は、最後の砦のように、果敢に戦っている。

 アイラとアイラの両親は王族だから、城の奥に匿われていた。

 俺と華怜も匿われていたが、両親が心配で抜け出してきたのだ。

 だが、抜け出してきたにも関わらず。

 俺は、それを後ろで見ている事しか出来なかった。

 華怜も一緒で、俺にしがみついて震えている。

 動けなかった。

 現実感も無かった。

 俺は怖くて、まるで別世界の出来事のような目の前の光景に、ただ震えていた。

 超常を、非日常を始めて体感した俺は、何も出来ない幼子と化したのだ。

 当然だ。

 小学生の子供に、何が出来るというのか。

 

 逃げる事も出来ずにいると、やがて両親は倒れ、動かなくなった。

 殺された。

 辺りは、血の海だ。

 悲しみに暮れる暇もなく。

 化け物と言える力を持った奴は、俺たちに近寄ってくる。

 俺はそこで、やっと、恐怖から一時的に逃れられた。

 大切な妹を――華怜を護らなければならない。

 思考がその一点のみに埋め尽くされたからだ。

 華怜の手を取って逃げた。

 この城でやった、前みたいな遊びではなく、死に物狂いの鬼ごっこが、始まる。

 と思った。

 だが、一瞬でそれは終わりを告げたのだ。

 なにかの音と、衝撃が奔ったと思うと。

 俺は転がっていた。

 理解が追い付かないまま傍らを見ると、妹が血まみれで倒れていた。

 すぐに、死んでしまっていると、解った。

 解らされた。

 俺が、抜け出したりしなければ、妹もついてくる事なく、こんな事にはならなかったのではないかと、どうしようもない自責の念に駆られる。 

 俺のせいで華怜が死んだ。

 度し難いほどの愚か者だ。

 

 そして。

 俺は思った。

 思ったんだ。

 

 人が死ぬって、こんなにも悲しい事なんだって。

 耐えがたいほど、辛くて苦しくて、何もかも嫌になる事なんだと。

 絶望の中で、意識を失いながら、俺はそう思ったんだ。 

 

 誰も死なない結果がいい。

 すべてを救いたい、と。

 

 

 その後目を覚まし、気がついた時には俺は全てを忘れていた。

 両親が死んでいる事も。

 大切な妹の華怜がもういない事も。

 なぜか俺の家に住んで、妹になっているアイラが、本当は妹じゃない事も。

 

 でも、一つだけわかる。

 俺は、アイラに救われていたんだ。

 一人になった俺には、誰もいなかった。

 けれど、アイラはいつも一緒にいてくれて、支えてくれていた。

 その優しさに、暖かさに、笑顔に、助けられていた。

 俺は、大切な人どころか自分ひとりすら救えずに、アイラに救われていたんだ。

 

 そして、妹じゃないと分かった今だからこそ、思う。

 俺は、アイラの事が初めて会った時から、好きだったのかもしれない。

 

 いや、かもしれないじゃない。

 

 俺は、アイラの事が、ずっと前から。

 異性の女の子として。

 好きだった。

 

 

 6月14日日曜日

 

 

 ――――。

 意識が、明瞭になっていく。

 目を開けたら、白色。

 見覚えのない寝起きの光景。

 一瞬で寝起きのぼんやりさが消失した。

 

 アイラは? アイラはどこだ!?

 あの後どうなった。

 なぜ俺は生きている。

 

 部屋内を見回す。

 簡素な部屋だ。 

 家具もそんなにない。

 窓から差し込む陽光が、今の時間は夜ではないと知らせてくる。

 

「真白……?」

 俺が寝ていた布団、その横にもう一枚敷かれた布団で真白が寝ていた。

 白髪(はくはつ)が広がり、陽光に照らされている。

 あどけない寝顔は、幼子のようで、素直に可愛いと思った。

 それを起こすのは悪いが、俺はアイラがどこにいるか知らなければならないんだ。

 

「真白。起きてくれ真白」

 肩を揺する。

「ん…………カズくん」

 真白は、意外とすぐに起きた。

 あくびを噛み殺しながら起き上がる真白。

「おはよう、カズくん」

「あ、ああ、おはよう真白」

 挨拶をされたので逸る気持ちを抑えながら返す。

「それで、訊きたいんだがアイラはどこだ?」

 他の何よりも、一番知りたい事だった。

 

「アイラちゃんは……………………」

 真白は表情を歪めて言い淀んだ。

 嫌な予感が沸き上がり、加速した。

 認められない想像が、脳内を駆け巡る。

「言ってくれ。知らなければ、何も始まらない」

 頭の中の想像を吹き飛ばしてほしくて、言葉を絞り出した。

 そんなことは、ありえてはいけないのだから。

「うん。なら、言うよ……」 

「ああ……」

 真白は一呼吸後。

 

「アイラちゃんは、もういないんだよ……」

 

「――――――――――」

 あぁ……。

 知ってた。

 知りたくなかった。

 真白が、天使の組織――確かヘヴンズといったか、の治療施設に搬送したとか、そういうのだと、思いたかった。

 俺は、大好きな女の子を、護れなかった。

 

「昨夜、カズくんの様子が心配になって電話を掛けたんだ。そしたら何度掛けても繋がらなくて、嫌な予感が膨らんで、大げさかなとは思ったけどこんな状況だから確かめた方がいいって考えて、それで、わたしが駆け付けた時には、もう…………」

 

 アイラは、もういない。

 いない。

 会えない。

 ということは。

 俺はこの先、アイラと過ごす事が出来ないという事。

 あの黄金色も、藍色も、笑みも、見る事は出来ない。

 話す事が、出来ない。

 声が、聴けない。

 体温を感じる事が出来ない。

 甘くいい匂いを感じる事もない。

 一緒に、いれない。

 

 なんだ、それは。

 何の意味もないじゃないか。

 俺は、アイラがいたから、頑張れてたんだ。

 アイラがいない世界など、俺にとって何の価値もない。

 

 いや。

 それよりも。

 何よりも。

 

 なんで、アイラが死ななくてはならないんだ。

 あの子は、こんなところで死んでいい子じゃなかった。

 本当に、心優しい女の子だったんだ。

 なのに、ちゃんと幸せにならずに、こんなところで終わるなんて、あっていいはずがないだろ。

 そんなの、あんまりにも、アイラが救われないじゃないか。

 

 すべてを救う者?

 そんなの今口にしようものなら、鼻で嗤われるほどだ。

 最も大切なたった一人を救えずに、誰を救えるっていうんだ。

 

 アイラ。

 ごめん。

 ごめんな。

 ごめんなさい。

 もっと、笑わせてやりたかったよ。

 もっと、幸せにしたかったよ。

 もっと、一緒にいたかったよ。

 

 大好きだったよ。

 

 涙は、枯れていたと思っていた。

 でも、そんな事はなく、何度も溢れて、(いや)になる。

 絶望と後悔の中で、ただアイラを想って涙を流す。

 もういやだ。

 くそ。

 くそっ!

 クソォッッ!!

 

 ――ふわりと。

 白髪が舞った。

 甘い匂いが、鼻孔に届く。

 女性の柔らかさと、暖かさを感じる。

 俺は、真白に抱きしめられていた。

 幼子を抱く母親のように、慈しむように、その胸に抱かれる。

 

「いい子いい子」

 頭を優しく、撫でられた。

 背中を、赤子をあやすようにポンポンと叩かれた。

 

 ……。

 俺は、守られているのだと。

 染み入るように、理解した。

 悲しみ全てから、今、真白が守ってくれているのだと。

 俺は。

 それに、身を委ねた。

 真白は黙って、俺を守り続けた。

 

 ――――。

 しばらくすると、心が少し、落ち着いてきた。

 いや、落ち着いてはいないのだろう。

 ただ、荒れた動が、騒めく静へと変わっただけだ。

 少なくとも、涙はもう、出なくなった。

 枯れただけかもしれないが。

 枯れていなかったはずなのに。

「ありがとう、もういい」

 俺はそう言って、体を離した。

 よく見ると、真白の目元が赤みを差しているように見える。

 真白も、泣いていたのだろうか。

「本当にいい? いつまででもいいんだよ」

 今までで一番優しい表情をして、真白は言葉を向けてきた。

「いい。問題ない」

 そこまで、弱くはいられない。

 すでに十分、弱いのだけれど。

「そう」

 真白は俺の意思を受け取ると、立ち上がった。

 それから寝ていた布団を畳んでいく。

 

「朝ごはん作るね」 

 真白はそう言ってキッチンへと向かう。

「ここは、どこなんだ……?」

 今さらのように、俺はその質問をした。

「ここはヘヴンズが手配してくれたわたしの借り家だよ」

「そうか……」

 通りで物が少ないと思った。

 

 それから俺は、動く気にもなれず、座り込んでただ真白の行動を眺めていた。

 料理をする真白の後姿を、無気力に視界に写し続ける。

 

 ――その姿が、アイラの料理する姿と重なった。

 いつも料理をして、俺なんかの飯を作ってくれていた妹。

 戻った記憶からすると、妹じゃないんだっけか。

 どうでもいい、俺にとって大切な存在だという事は変わらない。

 揺れる白髪が、黄金色に見え掛ける。

 アイラ。

 

 ――駄目だ。

 こんなんでは駄目だ。

 アイラはもういない。

 いないのだ。

 …………。

 アイラ……。

 

「出来たよ、カズくん」

 真白は隅に在った丸テーブルを持ってきて、その上に朝食を並べた。

 食パン、目玉焼き、サラダ、牛乳。

 一般的且つ栄養のいい朝食だ。

「さあ、食べよ」  

 真白は手を合わせいただきますと言い、食事に手を付け出す。

 俺は。

「いただき、ます……」

 とりあえず、食べる事にした。

 作ってもらったからには、食べないといけない。

 そんな使命感めいたものを抱いた。

 アイラの料理を、毎回残さず食べていたからこそ抱いたものなのか、真白の料理を食べるのはこれが初めてだったからか。

 それは分からないけれど。

 とにかく食べる事にした。

 食欲は、あまりないが。

   

 目玉焼きを食パンに乗せて、一口齧った。

 美味い。

 アイラほどではないが、美味かった。

 うまかったんだ。

 

 なんでか。

 また涙が出そうになった。

 

 

 ――――。

 食事が終わると、そんな事したくもないのに、いつもの日課を繰り返すように顔を洗い、真白の予備の歯ブラシを借りて歯を磨いた。

「カズくん、なんとか貴重品とかは回収しておいたから、確認して」

 真白が一つの鞄を俺の前に置く。

 開けてみると、財布や通帳、少量の着替えが入っていた。

 

 そういえば。

 結局あの悪魔は、何が目的だったんだ。

 真白は、今は何も訊いてこないけれど、訊きたいはずだ。

 俺を気遣って、言葉にしないだけで。

 とりあえず、何が起きたのかだけは話しておくべきだと思い、俺は口を開く。

 

「カズくん、シャワー浴びる?」

 俺の発しようとした言葉は、真白の言葉に遮られた。

 タイミングを逸して、今は真白の問いに答えようと思う。

 シャワー。

 考えるまでも無く。今の俺は全くそんな事をする気は起きない上、やりたくもない。

 けれど真白が、臭いのは嫌かもしれない。

 昨日は動き回って汗を掻いたし、全く変な臭いがしないなんて事もないだろう。

 なら、入るしかないか。

「ああ」

 俺はそう答え、着替えを持って立ち上がった。

 

 

 シャワーの音が、広くはない部屋に響く。 

 こうしてシャワーを浴びて立っていると、嫌でも思考が浮かび上がってくる。

 俺はそれを押しとどめて、別の事を考える事にした。

 

 俺の信念の起源。

 過去を、なぜ忘れていたのか。

 今なら分かる。

 記憶を取り戻した今なら。

 少し朧げだが、恐らく催眠療法だ。

 家族を全員殺され、心を壊した俺にアイラの両親が施してくれたのだろう。

 生活費も、多分アイラの両親がどうにかしてくれていたのだろう。 

 通帳には結構な額が書かれているのだから。 

 

 だが、アイラが妹となって一緒に住んでた理由は、なんだろう。

 襲撃に関係しているのか、アイラ自身に関してか。それともどちらもか。

 というかそもそも、俺はなぜ生き伸びたのか、あのまま俺も殺されているべき場面だっただろう。遠い過去でも、つい昨夜の事でも。

 見逃されたのか? 誰かに助けられたのか?

 それはまだ、わからない。

 過去に城を襲撃したあの化け物は、どうなったのだろう。

 誰かに助けられたのだとしたら、その人が倒した事になる。

 見逃されたのだとしたら、あの化け物はまだ生きてどこかにいる可能性がある。

 見逃された理由なんて、思いつかないけれど。

 だけど、それらは今、考えるべき事ではないのかもしれない。

 

 

 キュッとノズルを回しシャワーを止める。

 結局、益体も無い事を考えただけだったな。

 そんな事を考えたところで、いい方向に物事が転がる訳でもない、敵を倒せる訳でもない。

 

 敵と言えば。

 あと残っている大罪者は、一人だけか。

 俺、詩乃守、蕪木、マンイーター、佐藤、鈴倉、魔獣使い。

 これで大罪者は全員だ。

 そして、生き残っているのは俺と、姿を一向に見せない魔獣使いのみ。

 悪魔という強大な敵も増えたが、それでも敵は後二人かもしれない。

 この戦争を引き起こした他の悪魔も出てこなければの話だが。

 

 浴室から出て身体を拭き、着替える。

 部屋に戻ると、真白も別の服に着替えていた。

 というか着替えている途中だった。

 さらに、途中というか、着替えの最中に座り込んでぼーっとしている様子だった。 

 着替えるだけなら、俺がシャワーを浴びている内に時間の余裕は十分だっただろう。

 にも拘らず着替え途中という事は、それなりの時間ぼーっとしている事になる。

 

「真白……?」

 目に毒な、名前と同じ白い下着姿をなるべく見ないようにしながら、名前を呼んだ。

「あ……カズくん」

 真白が今気づいたようにこちらに視線を向ける。

「どう、した?」

 流石に心配になり、声を掛ける。

「なんでも、ないよ……」

 真白は何事もなかったかのように微笑んだ。

「なんでもないわけ――」

「カズくん」

 俺の言葉を遮り。

「そういえばわたし、着替え中だよ……? 部屋の外でちょっと待ってて」

 頬を赤らめて、真白は言ってきた。

 

 そういえばって、お前も忘れてたんじゃないかと。

 忘れるほど何か考えてたんじゃないかと。

 それは何でもないとは言えないと思うぞと。

 口にしたいことは色々あったが、そう言われてはこのまま留まる事は出来なかった。

 

 部屋の外に出てドアを閉める。

 衣擦れの音がドア越しに聞こえる。

 

 やっぱり、あれだよな。

 気づいたら赤らんでいた目元、先のぼーっとしていた様子。

 真白も、悲しくない訳ないんだよな。

 

 当たり前の事か。

 涙を見せない分、俺よりも強いが。

 一人の少女である事に変わりはない。

 俺は、情けない。

 情けねえ。

 でも。

 そう簡単には、いかないんだよ。

 

 アイラ。

 アイラ……。

 俺は――。

 君をまもりたかっただけなのに。

 心の奥の、本当の想いはそれだけだったのに。

 記憶が封じられていた弊害か、捻じれて歪んで、曲解していた。

 すべてを救いたいなんて、俺は本当は思っていなかったのではないか。

 今では、そう感じてしまう。

 アイラがいない、今は。

 

「カズくん、もういいよ」

 真白の声を聞いて部屋に入る。

 着替え終えた彼女は、なぜかいつもよりオシャレをしている気がした。

 いつも通りに綺麗な白髪(はくはつ)、神秘的なヴァイオレットの瞳、陶磁のような白い肌。

 その体を包むのは、いつもと違う、なんというか、服の種類はあまり詳しくないが、ふわふわとした桜色の女の子らしい服だった。

 

 だが特に言及はせず、部屋の壁に背を預け、俺はまた無気力に座り込む。

 何かをする気が起きない。

 動きたくない。

 真白は、身支度を整えていた。

 どこかへ行くのだろうか。

 

「カズくん、ちょっとついて来て」

 気づくと真白は、俺の目の前に手を差し伸べていた。

「……?」

 ついて来てって。

 どこにだよ。

「いいから、ほら」

 真白は俺が怪訝を表すのも気にせず、手を無理矢理取って引っ張った。

 予想以上に力があったからか、俺はその勢いで立ち上がる。

「いこ」

 手を取ったまま、そのままどんどん歩いて進んで行く真白に流されて俺も足を動かす。

 その勢いに逆らう気はあまり起きなかった。

 特に動きたくはなかったが、特にじっとしていたい訳でもなかったから。

 真白がそうしたいなら、真白の意思に任せよう。

 俺はもう、無理だから。

 真白に家から連れ出され、進んで行く。

 歩いて行く、歩いて行く。

 手を引かれるまま、無気力に。

 ズンズンと進む真白の手は、暖かった。

 

 

 

 真白に連れられてきた場所。

 その場所は、ショッピングモールだった。

「こんなところに来て、何をするんだ?」

 流石に理由を聞いた。

 敵でも潜伏しているのか? こんな人の多い場所に?

 真白は振り返って、当然の事のように言った。

「何するって、ショッピングモールに来てすることといったら一つでしょ?」

「…………は?」

 思考が一瞬停止。

 すぐに結論に至る。

「ああ、必要な物資の調達だな」

「ううん、違うよ」

 思考が数秒停止した。

 

 ショッピング、娯楽、遊び、日常。

「こんなときに、なにを……!」

 理解できない暢気さに怒りさえ湧く。

 

「こんなときだからこそ、だよ」

 

 だが真白は、真面目な顔と声音で断言した。

「どういう、意味だよ」

 どうしてそんな、真剣なんだ。

 たかが、遊びだろ。

「カズくん、わたし達は多くの人達の犠牲の上に、立っているんだよ」

 話が飛躍したように思えた。

 口を挟もうとしたが、真白の言葉はまだ続き、最後まで聴く事にする。

「わたし達はその分生きて行かなくちゃいけないの。絶対に、生きていなくてはいけないの」

 真白は、強い意志の宿った瞳で語る。

「必ず生き抜く為には、心も重要なんだよ」

 真白は一呼吸の後、結論を口にした。

 

「意気消沈したままじゃ、生き抜けないよ」

 

 それが、ここに来た理由。

 生き抜く為に、前を向いて行動した結果。

 俺をまた立たせようとしてくれた、ということ。 

 

 ――強い。

 

 真白は、俺よりも先に行っている。

 中途半端に信念掲げて走った俺よりも、先の強さを持っている。

 

 似ていると思っていた。

 真白は、無理をして前向きにいつも笑っていた。

 俺も、多分無理をしていた。

 だけど、似ていると思っていた彼女は、俺よりも強かった。

 

 辛いときこそ笑え。

 前に真白がそんな言葉を言っていた。

 考えてみれば当然だ。

 俺は、それが出来ないのだから。

 真白みたいに、笑えない。

 辛いときは、辛い。

 その反対の感情を、無理矢理出すなんて芸当、出来ない。

 

 俺はアイラの分、生きなくてはならない。

 アイラの為にも、前に進まなければならない。

 きっとアイラも、それを望むだろうから。

 

 それは解ってる。わかったんだ。

 だけど。

 やっぱりそれで、はいそうですか、なら自分もそうしよう。なんて簡単にはいかないんだよ。

 

 アイラがいないという事は、俺にとってすべての消失に等しいんだ。

 それだけ、アイラは大きな存在なんだ。

 軽くなんてない。

 そんな程度じゃないんだよ。

 どうしようもなくて、真白の顔を見ていられなくて、俺は力無く俯いた。

 

「カズくん……」

 真白の、俺を呼ぶ声。

 動けない。

 応えるべきだ。

 無理だ。

 

「いこ」

 真白に手を取られ引っ張られるが、足が重い。

「きて」

 さらに強く、引っ張られる。

「お願い」

 懇願の言葉。

 ようやく、かろうじて。

 足だけは動いた。

 真白に手を繋がれながら、ただ流れに身を任せて歩く。

 

「カズくん、カズくんが頑張れないなら、わたしがカズくんを生き残らせて見せるよ」

 

 ほんとに。

 本当に君は。

 

 強いな。

 

 

 

 ショッピングモール内を真白に手を引かれて歩いて行く。

「カズくんカズくん、アイス食べる?」

「俺はいい。真白が食べたいなら食べればいい」

「う~ん、じゃあ今はいいかな」

 そういうとまた、歩いて行く。

 

「カズくん、服買ってあげようか?」

 服屋の前を通りがかると、真白がそんな声を上げた。

「いいって、高いだろ」

「でも、着替えちょっとしかないよね?」

 悪魔に襲撃された家はもう無く、真白が回収してくれた衣類も確かに少ない。

「だが、やはり買ってもらうのは悪い。そもそもお前金あるのか?」

「いいから、お姉さんに任せなさいっ!」

 同い年だろ。と思ったがわざわざ口には出さなかった。

 勢いに呑まれて真白と共に服屋へと足を踏み入れる。

 

「う~んこれはちょっと違うかな。これは、惜しい。あ! これ! だめかな」

 真白は男物の服を物色している。

 俺は店内へと視線を巡らす。

 当然ながら、服しかない。

「これ! ……別のにしよう!」

 真白は俺の身体に何度も色々な服を当てた。

 着せ替え人形のような気分になってくる。

 俺は突っ立っているだけだった。

 

「これにしよう! すごく似合ってるよ!」

 結局小一時間ほど着せ替え人形にされた後、ようやく真白は買う服を決めた。

 紺色のジャケット、黒色のシャツ、暗色のスラックス。 

「これ絶対高いだろ」

 しかも三つも。

 むしろ靴下や下着まで選ばなかった分抑えているのだろうか。

「そんなこと気にしなくていいの。買う側が大丈夫だって言ってるんだから」

 そう言われては何も言えなくなってしまう。

 それでも何か言おうとする暇も無く、真白はレジに服を持って行った。

 

 購入後俺の元に戻ってくる。

「はい、カズくん」

 服の詰まった袋を、笑顔で俺に差し出してきた。

 とりあえず受け取る。

 だが、やはりこのままでは納得できない。

「だったら、俺もお前に買ってやる」

「へ?」

 真白は自分の服装を見下ろして。

「この服、気に入らなかった……?」

 上目遣いで不安げに問うてきた。

「いや、そういう意味じゃない。ただこのままじゃ俺が納得できないだけだ」

「でも、お金大丈夫?」

「同じ心配すんなよ」

 確かに金の余裕はあまりないかもしれないが、服を買えないほどじゃないはず。

 残金が危ういほど高かったとしても、そんなのは後でバイトでもすればいい。

「じゃあ……お願いします?」

 首を傾げて真白は言ってきた。

 

 俺は買い物に時間を掛けるタイプではないので、すぐに決める事にする。

 しかし適当に選ぶ訳でもない。

 とりあえず見て回った。

 

 うん、これがいいだろう。

 真白に似合いそうだ。

 俺は店員さんを呼び、これを下さい、とガラスのショーウインドウに入った服を指差し示す。

 購入すると、真白の元へ戻る。

 ショーウインドウに入ってたやつだけに高かったが、それは仕方がない。

 真白に一番似合いそうなのがこの服だったのだから。

 

「ほら」

 真白に袋を差し出す。

「…………」

 真白は、目をキラキラさせてしばらく黙り。

「ここで、着てっていい?」

 静かに、そう口にした。

 

 ――――。

「ルンルンっ。るんるん♪」

 やけにご機嫌に歩く真白。

 その姿は、白くフリルのついたワンピースへと変わっている。

 綺麗な白髪に、陶磁のような肌に、白いワンピースで全身白の天使のよう。

 そういえば天使だった。

 毎回忘れかける。

 しかしその白の中に一点のヴァイオレットが存在し、神秘さを際立たせている。

 うん、やはり似合っている。

 俺はいつの間にか、手を引かれる必要が無くなっていた。

 

 されど。

「ありがとうねカズくんっ」

 くるりと振り返って、真白は笑顔でそう言ってきた。

 ――――――――――。

 ぁ。

 その姿が、アイラの笑顔と重なった。

「ぐ……っ」

 

 アイラは、もうこんな笑顔を浮かべる事は出来ない。

 アイラの未来、命、想い、すべてはもう、亡い。

 

 それを思い出すと、もう駄目だった。

 足が止まる。

「カズくん?」

 少し進んで真白が振り返る。

 俺の様子を見て、表情を曇らせる。

「カズくん……」

 そうして寂しげに声を発した。

 だがすぐに強い笑みに戻り、俺の手を握った。

「いこ」

 

 

 先刻と同じく手を引かれ、しばらく歩いた。 

「カード見に行ってみようか?」

 カードゲームか。

 みんなでやったな……。

「どっちでもいいが」

「なら行こう!」

 

 カード売り場に着く。

 専門的なカードショップと違って、ショッピングモールの玩具売り場にあるようなのはパックとデッキぐらいだ。

「あ、新弾出てたんだ。わたしは買ってみるけど、カズくんは買う?」

「いや、いい。今はやってないからな……」

「そっか、残念。カズくんとパック剥いてみたかったんだけど」

 本当に残念そうな顔をする。

 少し心が動くが、今はそんな気分じゃない。

「じゃ、買ってくるからちょっと待っててね」

 

 真白は買って戻ってきた。

 近くのベンチに二人で座る。

「とりあえず5パック買ってきたよ。新しいカードはどんなのかな~」

 一パック五枚入りだ。

 俺の隣で楽しそうにパックを開ける真白。

 少し気になって、真白の手元を見る。

 

 俺がやってた頃とはまた違う、目を引く効果なカードがあるな。

 長く続いてると、奇抜な効果のカードとかも出てくるものだ。

 

「カズくん、気になるなら、買う?」

 真白は微笑んでこちらを見てきた。

「いや、いい」

「そっか」

 真白は最後のパックを開ける。

「これは……」

 真白の声に反射でカードを見た。

「チートだな……」

「チートだね……」

 真白が持つ五枚のカードのうち一枚。

 キラキラに加工されたそのカードの効果は、反則級といってよかった。

「すぐ禁止カードになるだろうな」

「そだね……」

 なぜこんなカードを作ったのか。

 制作側は何を考えていたのか。

 それは別に、どうでもいい事だった。

 

 

 それから。

 ショッピングモール内の飲食店で昼食を取った後、広い店内の色々な店を真白と見て回った。

 行く先々で、真白は俺に頻繁に話しかけてきた。

 真白の気遣いが、痛いほど理解できてしまって。

 ありがたくも、胸の奥が痛んだ。

 それでも俺は、立ち上がれないのだから。

 

 ――卑怯で最低な事さえ、しなければ。

 

 

 

 宮樹(みやき)市自然公園。

 噴水近くのベンチ。

 夕焼けが支配する光景の中、俺達は隣り合って座る。

 

 この場所で、今と同じように座って、アイラと話した事があった。

 俺はあの時、絶対帰ってくると言った。

 でも、待っててくれる人がいないと、それは意味が無い。

 俺が首を突っ込んだから、こんな事になったのだろうか。

 いや、大罪者になってしまった時点でこの戦争から逃れる事は叶わなかっただろう。

 なら、何がいけなかったんだ。

 

 ああ――。

 そんなこと、解っている。

 ――俺が弱かったのがいけなかったんだ。

 

「もぐもぐ」

「真白……」

「なあに?」

「今それ食べて、夜飯入るか?」

「うん、これは別腹だから」

 そう言って、コンビニで買ったシュークリームを食べるのを再開する真白。

 俺はその様子を、眺める。

 

「もぐもぐ」

 アイラもこの場所で、同じように駄菓子を食べていた時があった。

 やはり、どうしたって重なってしまう。

 なら、ここに来なければよかったのではないか。

 真白は意図して選んだ訳ではないだろうが、俺が拒否すれば別の所に行っただろう。

 でも俺は拒否しなかった。

 つまるところ。

 俺は、アイラを忘れたくない。

 そういう事だと思う。

 触れる事はもう不可能だけれど、もっと近くに感じていたいんだ。

 

「もぐもぐ」

 真白は、随分と美味しそうにシュークリームを食む。

 アイラも、随分と美味そうに駄菓子を口にしていた。

 

 アイラ。

 その姿が、笑顔が過ぎる。

 

 ――――くそ。

 ずっとアイラを想っていたい。

 ならば、生きていなくてはいけない。

 アイラがいない世界に希望は見いだせない。

 けれど、だからって自殺したり殺されたりして終わる訳にもいかないんだ。

 生きて、アイラの全てを抱いて、思い出を持ちながら、進んで行く、

 生きるのを諦めたところで、俺の中のアイラまで死んでしまうのだから。

 だったら、立ち上がるしかないだろ。

 

 立ち上がるしかないんだ。

 けれど、でも、なんて逆接の言葉は思ってもいけない。

 だけど。

 それでもすぐに、切り替える事なんて難しい。

 だから、ごめん真白。

 俺は今から、最低な事をする。

 

「真白」

「ん? なにカズくん」

 真白はシュークリームを食べ終わったところだった。

 

 俺はその女の子を、抱きしめる。

 強く、抱きしめる。

 大切なものを、掻き抱くように。

 取りこぼさないために、護るように。

 

「へっ!? どうし、たの……?」

「アイラ……」

「……っ」

「ごめんな、アイラ」

「カズくん…………」

「護れなくて、ごめん。救えなくて、ごめんなさい」

 自然と、落涙していた。

 想いが溢れてくる。

「アイラ、俺、君とずっと一緒にいたかった」

 最低だ。最悪だ。

 真白を、アイラの代わりにするなんて。

 アイラの代わりになんて、誰だってなれないというのに。

 もちろん、真白の代わりだって。

 

 それでも、俺はアイラに言いたかった言葉を続けていく。

「他の誰よりも、君を護りたかった……!

 誰よりも、大切だった!

 誰よりも、好きだった!」

 それはきっと、昔からだ。

 妹というフィルターが除かれた瞬間、押さえていたものが止まらなくなるほどに。

 

「カズくん」

 決意の表情で、真白が言った。

「わたしはアイラちゃんじゃないけど、今だけはアイラちゃんだと思ってもいいよ。大切な人の代わりになんてなれないけど、そう思ってもいいよ。大丈夫だから。わたしは受け入れるから」

 真白の方から、強く抱きしめてきた。

 

「ごめんな」

 それは、今目の前にいる白い少女へ言ったのか、黄金色の少女へと言ったのか。

 自分でも、判らなかった。

 

 想いが止まらず、衝動が湧き上がった。

 愛しい人への、欲望が。

「アイラ……」

「……っ、カズくっ……んぅ……っ」

 アイラ(真白)へと、口づけをした。

 渇望し、求めるように。

 ここに、留めるように。

 殴られてもいい。

 突き飛ばされてもいい。

 それでもこうしたかった。

 だけど。

 彼女は最初抵抗するような挙動を取ってはいたが、すぐに大人しくなり、受け入れてくれる。

 

 口づけの味は、甘ったるいシュークリームの味だった。 

 それは、アイラとは違う、真白だからこその、感覚だった。

 

 ――――――。

 ――――。

 ――。

 

 深夜。

 真白と共に布団に入り、身を横たえる。

 真白は既に寝息を立てていた。

 

 俺も、寝て起きたら今日みたいにはいられない。いちゃいけない。

 生き抜く為に、戦う意思を持って立たなければいけない。

 信念も何も、定まっていない。

 決断なんて、出来ていないけれど。

 それでも前に進む。生きる事だけは、諦めない。

 間違えず、真白と共に生き残るんだ。

 それが、俺の中のアイラを護る事にも、きっとなると思うから。 

 

 …………。

「すぅ……すぅ……」

 真白の、無垢な幼子のようにあどけない寝顔を眺めながら思う。

 この、いつも元気で、どこか少し自分に似ていて、それでいて自分よりも強くて優しい女の子のことも。

 いつしか、好きになっていたのだと。

 

 

 

 

 暗い部屋、潜伏先に佇む一人の男。

 暗色の青色をした神父服に身を包んでいる。

 神父服の男は、魔力の回復に専念していた。

 しばらく何も仕掛けず、後の時に全力を以って挑む為に。

 最高戦力で敵を排除し、目的を成す為に。

 神父は無表情に、ただ理想だけを見据えていた。

 

 



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20話 固まる道

 

 

 6月15日月曜日

 

 

 朝。

 目を開けると、目の前には真白の顔。

 小さな子供のような、可愛らしい白い少女の寝顔。すぅすぅと静かに呼吸している。

 素直に、愛しいと思った。

 手触りのいい白髪を、頭を一撫でし、俺は起き上がる。

 

 今日も。いつの日に何があったとしても。

 新しい一日は、始まる。

 

 

 真白の作ってくれた朝食の最中。

 俺は、思い出す。 

 状況確認を、していなかったと。

 あの夜何があったかを、真白にまだ伝えていない。

 説明責任は果たさなければ。

 

「真白」

「なに?」

「あの夜の事を話すよ」

「うん、聴くよ」

 

 そうして俺は、恐らく悪魔だろう人物に襲撃され、俺だけがなぜか生き残ったことを伝えた。

 

「悪魔、とうとう来たんだね」

 神妙な表情をして真白は呟く。

「結局、それでも方針は変えられないんだろうけどね。大罪戦争を、これ以上犠牲を出さないように終わらせるしか」

 真白は悔しそうに、苦笑する。

 一間置き。

 さらに一呼吸真白は入れた。

 

「復讐、とか考えてない……?」

 静かに目の前の女の子は訊いてきた。

 俺は数秒考え、答える。

「したくないわけじゃない。というより何が何でもやってやりたい。だけど、生き残る方が先決だ」

 俺の中の思い出は、亡くさせる訳にはいかないのだから。

 煮え滾る憎悪を無視してでも、俺は俺のアイラを守る。

「そう…………ならいいんだっ」

 真白は一転、笑ってそう言った。

 

 

 

 朝食後。

 何をするでもなく座っていると、ふと疑問に思ってしまった。

 真白は。

「どうしてそこまでしてくれるんだ?」

 今さらながら、その問いをした。

 真白の献身を、俺は今まで享受してきた。

 けれど、よく考えたら俺は真白と会って半月も経っていない。

 なのに、どうしてそこまでしてくれるのか。

 

「どうして、か…………」

 真白は苦笑、というよりも曖昧に笑ってから。

「そんなの、簡単に言えば好きだからだよ。ただ受け入れた訳じゃないんだよ。カズくんならいいと思ったから。だから、何されてもよかったんだよ。それでカズくんが笑えるなら、いくらだってね」

「…………」

 こうもストレートに言われると何も言えなくなる。

「もしこれだけで納得できないなら、もっと詳しく聞く?」

 俺の無言をどう取ったのか、そんな事を言ってきた。

 けれど、気にはなる。

 よく考えたら、俺は真白の事を、一部だけで多くを知らないから。

 肯定の意思を示す為に、俺は静かに頷いた。

 

 真白はそれを見取り、一度息を吐く。

「わたしの両親もね、天使だったんだ」

 その一言から、話し始めた。

「でもね、わたしが小さい頃悪魔に殺されてしまった」

 それは、俺の過去と酷似していた。

「それで、お母さんとお父さんがいた天使の組織、ヘヴンズに引き取られたんだ」

 話は途切れず続く。

「それからはその組織で、どうやったら誰かを、大切な人を護れるか考えながら訓練してたの。もうあんな悲しいことなんて嫌だったから」

 真白は苦笑して。

「つまりね、わたしもね、カズくんと同じなんだ。守れなかった。護りたかった。みんなが楽しく笑っている世界がよかった」

 

 本当に、同じだった。

 本当に俺達は、似た者同士だったのだ。 

「でもね、途中から諦めてた。いくらやっても無理だったから、どうしても犠牲の少ない、けれど必ず誰かが不幸になってしまうやり方をするようになってたんだ」

 俯き気味に一呼吸。後、顔を上げた。

 

「そんな時に、自分はすべてを救う者だーなんて自信満々に言っちゃう人が現れたんだよ。眩しかった。輝いてると思った。すごく憧れた、強い人だって」

 

 その真白の笑顔は、信念を破ってしまった俺には直視でき得るものではなかった。

「昔の真白と同じで何も知らなかっただけさ」

「それでも、カズくんは諦めずに抗い続けた。進み続けた。諦めかけてたわたしにとって、それは凄いことだったんだよ」

 真白はまた俺に笑顔を向けて。

「だから、かな。それからカズくんのことが気になっていって、一緒に戦っているうちに、ね、好きになっちゃった」

「……そうかい」

「うん。カズくんが聞きたがったから言ったけど、これも結局きっかけにすぎないんだけどね」

「そうかい」

「うん。そうなんだよ」

 それで、真白の話は終わった。

 

 

 

 今日も、ずっと一緒にいよう。

 真白がそう言ったので、一緒にいた。

 昨日歩き回ったから、今日は家から出ない事にした。

「ゲームしよう」

 真白が唐突に提案したが、いやではなかったのでやる事にする。

 

「そこ! あ! この! 入ってっ!」

「ぐぅ! あ! 読めてんだよ! あ、スカッた!」

 何気に格ゲーに熱中してしまった。

 

 ――――――。

 ――――。

 ――。 

 

 テレビゲーム、ボードゲーム、いくつかのゲームを経て、今は原点回帰とばかりにカードゲームをやっている。

 というか真白はここを借り家とか言っていたが、ゲームをこんなに持ち込んでるとは、よっぽど好きなのか。

 

「ターンエンド」

「わたしのターン」

 今は先程までと違い静穏にやっていた。

 

 それがあまりにも、落ち着いていた空間だったからか。

 押し込めていた思考が蘇っていた。

 

 すべてを救う者。

 俺は、それを目指すべきなのだろうか。

 俺の本心は、どこだ?

 大切な人だけ護りたくて、人を殺すようなやつなんて殺していいと思っているのか。

 それとも。

 誰かが死んで起こる悲しみを防ぎたくて、すべてを救いたいと思っているのか。

 判らない。

 確かに生き残る為に前に進む事は決めた。

 しかし、それが定まっていないとどこかで迷いが生じて致命的な隙を晒してしまう可能性が高い。

 だが、何度考えても明確な答えが出てこない。

「…………」

 目の前の、自分の手札を睨んで唸っている真白を見る。

 

 相談、してみようか。 

 今さら遠慮など、するだけ無意味な関係と言えるのだろうから。

 

「真白、相談、していいか……?」

「相談? いいよ」

 真白が了承してくれたので、話す事にする。

「……俺は、すべてを救う者に成りたかったはずなんだ」

「うん」

「だけど、その考えが揺らいでしまっている。自分がどうしたいのか、判らなくなったんだ」

「うん」

 真白は優しい表情で、聴いてくれていた。

「生き残る為に戦う事は決めたが、このままでいいのかと思った。だから相談した」

「……そっか」

 しばらくの静寂。

 やがて。

 

「カズくんはすごく悩んでいるけれど」

 そう言って、静かに話し始めた。

「わたしから言わせてもらうとね、あなたの考えは優しすぎるんだよ」

 一呼吸。

「すんごく、優しいんだよ」

 感じ入るように真白は言う。

 そんな馬鹿な。

 俺がそう口に出す前に、真白は続けて話す。

 

「だって、手を差し伸べることが前提なんだもん。何の疑問やためらいも差し挟まないで、まず助けるということが前提の考えなんだもん。

 最初から、手を伸ばさない人もいっぱいいるよ。みんな自分が大切で、傷つきたくなくて、死にたくなくて、助けようとしない人が沢山いるよ。そりゃ難しいよ、怖いもん。でも、カズくんはその恐れを無視して手を伸ばし続けた。

 だから、そんなカズくんを、わたしは……

 そんな優しいあなたを、好きになったんだよ。そして、自分を追い詰めてしまうあなたをなんとかしてあげたい」

 俺は、そんなんではないのに。

 真白は流れるように、緩やかに包むように、言葉を続けていく。

 

「だから、わたしはこの言葉をカズくんに送るね」

 真白は俺に、柔らかい笑顔を向けてくれた。

 

「――やりたいように、やればいいんだよ」

 

 暖かい光が、降り注いだ錯覚がした。

 俺は、目と口を間抜けに開けたまま、硬直する。

「救いたかったら、救えばいい。それが出来なくて、苦しいなら、足掻いてもいいし、やめてもいい。それは義務じゃないんだから」

 真白は俺の両手を握る。

「だから、思うままに生きて」

 

 ――――――――――。

 俺は。

「俺は……」

 どうする。

 なにがしたい。

 考える。

 この迷いから抜け出す階段に、足をかけられた感触があった。

 真白に引っ張ってもらって、俺は希望へと近づく事が出来た。

 感謝しながら考えていると、さらに真白はヒントを与えてくれる。

 

「人の心なんて、一極的なものじゃないよ」

 真白は当然のように、語る。

「結局、やりたいかやりたくないか。自分が納得するかしないかなんだよ。だからもっと簡単に考えていいんだよ」

 やっぱり君は、強い。

「自分が納得できるやり方を選べばいいんだよ」

「納得できるやり方、か」

「うん、そう簡単じゃないかもしれないけど、選んでしまえばもう一直線だから、後はやるだけだよ」

 

 天啓を与えられたような、すっきりとする感覚が広がった。

 自分が納得するやりたいことを選んで、決めて、一直線に進む。

 やりたいように、やるだけ。

 それは一見単純な、すぐに思いつけそうなこと。

 されど、その考えに至れず悩み苦しんでしまう人が、この世には多いだろう。

 俺も、その一人だった。

 だが今は、違う。

 教えられたのなら、考えてみる。

 簡単ではないが、簡単に考えてみる。

 

 冷静にリスクヘッジして、自分がどうしたいか思考。

 俺は、どれならば納得できる?

 どのやり方なら、迷わず進んで行ける?

 大切な人には絶対に死んでほしくない、生きていてほしい。

 けれど、誰かが死んでしまうのも気に食わない。

 すべてを救う者を完全に諦めるのは、心が引っかかる。

 ならば。

 ――ならば。

 

 そうして、至った。

 俺が納得できる、中途半端で、しかしそれでいて強固な信念に。

 

 俺は。

 護りたい大切な人は必ず護る。

 他の人も救えるのなら可能な限り全力で救う。

 大切な人を護れない可能性があるのなら、俺は他を犠牲にする事を厭わない。

 

 恐ろしいほどに、俗物。 

 そんな、中途半端で独善的で偽善者な考え。

 だけど、それでいいんだ。

 俺がやりたいからそうする。

 俺がそうしたくて、それで納得できるからする。それだけだ。

 結局、人の生き方など一つではない。

 正解も間違いも、人の判断では答えなど見つからない。

 だから、自分が正しいと思った生き方なら、それが正解だと思っていいはずだ。

 もう迷わない。後は突き進むだけだ。

 苦しくても、辛くても、決断し定まったのなら、迷わずに歩いて行けばいい。

 

 アイラは、こんな考えに至った俺を見て、失望するだろうか。

 ……いや。

 アイラはどんな道を進んでも傍にいてくれるとも言ってくれた。

 なら、俺が決めた道を歩むのを、見ていてくれ。

 どんな情けない歩みでも、君が見ていてくれるのなら、そして、目の前の白い女の子が傍にいてくれるのなら、俺は進んで行けるから。

 俺の思い出の中に残るアイラは、笑ってくれただろうか。

 それは分からない。

 もしかしたら、傍にいてくれるとは言っていたけれど、見損なわれたかもしれない。

 

 けれど。

 多分、きっと。

 微笑んでくれたのだと思う。

 アイラは、優しいからな。

 

 だから俺は、傲慢に言い続けるよ。

 自分はすべてを救う者だって。

 正義の味方だって。

 ただし、言葉上は偽りでしかない、中途半端で独善的な偽物だけどな。

 

 だって、すべてを救いたいと思う事自体、圧倒的な強者の特権だから。

 俺のような弱者が抱いてはいけない希望だから。

 為せる者じゃなければ、それはただの妄言なのだから。

  

 アイラは、現在の現実にはいない。

 死んでしまったから、見ていてはくれない。

 けれど。

 俺の中のアイラは、見ている。

 見ていてくれている。

 ならば、俺は。

 

 

 ――和希さんがそれを目指す姿はとても輝いていて、大好きでした――

 

 

「君と交わした言葉だけは、守って見せる」

 俺は、すべてを救う者だ。

 何度も言うが、中途半端で独善的な、偽物だけれど。

 

 



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21話 戦い、その先

 

 

 夜。

 特に何をするでもなく、壁に背を預けて真白とお互いの身体を寄り掛からせていた。

 真白と共に、ここにいる事。存在している事。それに価値を感じる。

 準備は万端。

 後は英気を養うだけなのだから、こういうのもいいだろう。

 俺はもう、迷う事などないのだから。

  

「真白」

「なあに?」

「これからもよろしくな」

「急になに?」

 すぐ近くで苦笑する真白。

「お前は俺の、パートナーなんだからさ」

「うん……」

 気恥ずかしそうに、静かに返す女の子。

「信じるからな。何があっても、お前のこと」

「わたしも信じてるよ。カズくんなら、どんなことでも乗り越えて進んで行くんだって」

 俺達は、今お互いに信じている。

 だからってなんでも出来る訳でもないけれど。

 それでも、そうでないよりはずっといい。

 やってやれる気がしてくる。

 気力が、生き抜く為の活力が溢れてくる。

 だから、進もう、乗り越えよう。

 俺達は、生きる。

 アイラや詩乃守の分生きる――のは少し違う。

 俺が覚えているアイラや詩乃守を失わせない為に、生きて行く。

 これは、守る為の戦いだ。

 

 

 

 

 

 ドクンッ――――

 

 

 

 

 

 鼓動。

 振動。

 超動。

 

 感知する。

 罪科異別が、発動された。

 

 残る大罪者は、俺ともう一人のみ。

 魔獣使い。

 最後の大罪者。

 ついに、動き出したんだ。

 これが最後の戦いになるのだろうか。

 わからない。

 だけど、進もう。

 真白と共に、生き抜く為に。

 迷いはない。

 もう、抱く事はない。

 さあ。

 立ち上がろう。

 

「真白、来たぞ」

「――いよいよだね」

「ああ」

「いこう」

「ああ!」

 

 俺たちは、同時に立ち上がる。

 決意を固め、家から飛び出した。

 

 ――――――。

 ――――。

 ――。

 

 感知した方向へ走り、走り、走り続けた先。

 見えてきた光景。

 それは。

 

 地獄絵図だった。

 

 辺りに響き渡る悲鳴。

 崩壊する家屋。

 飛び、舞い散る血液。

 咆哮する魔獣の群れ。

 

 複数の魔獣が、人を一方的に襲い、蹂躙していた。

 

 必死で逃げる人を、また一人喰い殺している。

 そして別には、潰されて果実のように潰れる人。

 肉塊が、地面にこびり付く。

 淡々と、殺されていく人達。

 許してはおけない、所業。

 殺戮の意図を、理由を考えている暇もない。

 ただ、看過できる光景ではない。

 ならば、止める為に戦うのみ。

 

「『総ての救済を望む傲慢な愚者よ、殺戮し、終わりの理へと導け』」

 

 殺戮終理(さつりくついり)の魔眼、詠唱、起動。

 左目が翡翠色の光源と化し、右手に柄の底から刀身の先まで翡翠色の短剣が顕現、握られる。

 

『貫きを為す攻性の羽』(ティアティス)

 真白が純白の翼を展開し、鋭き羽を複数射出。

 

 瞬間。

 急激。

 魔獣の動きが、洗練され統率されたものに変化した。

 一斉に一般人を襲うのを止め、後方に退く。

 真白の放った鋭角な羽は避けられ、地面に突き刺さり消滅する。

 突きかかろうとした俺も、標的を見失って足を止める。

 

 異様な行動に、俺と真白は身構える。

 と。

 視界の奥。

 悠然と歩いてくる人影。

 神父服を着た男。

 そいつは。

 左眼を。

 深紅に輝かせていた。

 それは、罪科異別の魔眼の証。

 

「最後の、大罪者……っ!」

 魔獣使い本人が、とうとう姿を俺達の前に現した。

 

「これが最後か……貴様らは何の為に戦う?」

 ぶしつけに、神父服の男は問うてきた。

「救いたいからだ」

「守りたいからだよ」

 俺と真白は即答する。

「そうか……俺の望みは完全なる救済だ。超常の存在しない世界を、永劫の平和を手に入れたい。どんな方法を使ってもだ」

 誇示するように、そう宣言する魔獣使い。

 俺と似た願い。

 されど、相容れることはない。

 俺は、護りたい人に害をなす敵以外は殺さない。

 この男は、罪のない一般人をも殺す。

 故に、交わる事のない平行。

 俺は、その救済を認めない。

 人を殺して願いを叶えても、いい結果になどなるはずがないと思うから。

 

「お前の名前はなんだ」

 訊いた。相容れない、これから殺し合う敵の名前を。

 背負い、この胸に刻んでおく為に。

神埼進(かんざきすすむ)だ」

 神埼、進。

 覚えたぞ。

「俺は相沢和希だ」

「わたしは春風真白だよ」

 

 名乗り合った後、もう言葉は不要とばかりに、数秒の静寂。

 神埼と眼を合わせた。

【ロックオン】

 死の概念の楔が、カチリと填め込まれた。

 死へと続く前段階。

 後は、刃を突き立てるのみ。

 汗が頬を流れた。

 呼吸を乱さないように気を付ける。

 

 嵐の前の、間隙(かんげき)

 その戦意を燻らせる静けさ。

 それは。

 刹那の間に。

 終わりを告げる。

 

 俊敏な移動から、戦闘は開幕された。

 神埼の後方にいた魔獣の群れが、神埼の前へと寄り集まる。

 そして、体を密着、いや、合体と呼ぶべきか。

 何故なら、体を溶けさせ、膨脹し、融合していっているのだから。

 

『貫きを為す攻性の羽』(ティアティス)

 真白が羽の刃を放つ。

 されど、融合する魔獣は命中しても効いている様子はなく、蠢いている。

 俺は、その見た目と魔力のうねりに気圧されて、身構えたまま接近できなかった。

 接近できたとして、悪手になったかもしれないが。

 

 やがて蠢きは静止し。

 一瞬、黒き閃光が瞬いた。

 刹那の間、視界が光に包まれた後。

 三体の強力無比が、誕生する。

 

 数メートルはある巨躯の魔獣が、三体。

 一体は、禍々しく毒々しい色合いをした、大蛇(だいじゃ)

 一体は、破壊力の権化を思わせる筋骨隆々の巨人、二本角の邪鬼(じゃき)

 そして最後の一体は、羽のない黒き竜、魔竜。以前戦った怪物と同じ、最強の魔獣、その一角。

 

 咆哮。

 

 魔竜の闇から届くような咆哮。

 大蛇の精神を摩耗させる咆哮。

 邪鬼の上から叩き付ける咆哮。

 

 月夜に轟く咆哮の共鳴。

 膨大な量の魔力が、渦を巻き発散される。

 

 刹那。

 状況は。

 絶望的に。

 圧倒的に。

 どうしようもないほど(はや)く。

 

 激動した。

 

 まず、音が聞こえた。

 破砕音。

 地を踏み割る音だ。

 そして風切り音。

 高速で移動する音だ。

 

 魔竜が瞬時に、俺達を殺そうと肉薄する音だ。

 

 魔竜の掌が、それに付随する黒き爪が、速度を乗せ凶悪な質量と成って迫る。

 それは、容易く人を肉の塊へと変える一撃。

 身構えて準備して、それでも戦闘を積んだ俺達が避けれるか避けれないかの死の動作。

『護り為す白き羽』(ティアティス)

 俺達は全力で後方へと跳んだ。

 真白はその際に白き楯を前方に展開。

 楯は即座に割れ砕かれるが、ほんの僅かな時間を稼ぐ。

 これで、何とか避けられる範囲に脱出できた。

 前回の魔竜との戦いでの戦法を再現した形だ。

 

 されど。

 今回の敵は、魔竜だけではない。

 うねる大蛇、魔力の流動。

 その口腔から、濃紫色(のうししょく)の液体がこちらに向かって吐き出された。

 一目見ただけで、絶対に触れてはいけない類の液体だと理解する。

 理解はした。

 一瞬で、したのだ。

 だが、避けられない。

 今、魔竜の攻撃を避けたばかりなのだ。

 その瞬間の世界。

 次の動作をするまでのタイムラグ。

 行動の隙間。

 完全なる隙。

 そこを突かれたのだから。

 

 さらに、絶望は視える。

 邪鬼が、両腕を振り上げている。

 たとえ濃紫色の液体を回避できたとしても、後に凄まじい質量の剛腕が待っている。

 あの拳に直撃した瞬間、一つの形が赤を撒き散らしながら醜くひしゃげ潰れるだろう。

 

 いや。

 それだけでもなかった。

 

 強力無比の魔獣達の後ろ。

 どこから取り出したのか、神埼が両手で構えているモノ。

 鈍色の銃器――短機関銃。

 人を殺す為に作り出された、兵器。

 人外でもなければ避ける事など不可能な、殺人特化の速度の攻撃を可能とする物。

 それが今、こちらに深淵の穴の様な銃口を向けている。

 つまり。

 今までの全てを何とかしたとして、無数の鉛玉が牙を研ぎながら待機しているということ。

 

 完璧なる詰み。

 

 戦いは、始まって直ぐに最終局面を迎えた。

 圧倒的な力を持つ相手との戦いとは、一瞬で終わる。

 考える間も、駆け引きも、順番もない。

 技の応酬も、何もさせてもらえることはない。

 全てを蔑ろに、ぶち壊し蹂躙する。

 それが、強者の特権だった。

 それが、現実だった。

 

 俺は。

 俺は、こんなところで終われない。

 真白と共に、生き抜くと決断したんだ。

 だのに、なんだこの状況は。

 何の勝算も無しに、戦いに赴いた訳ではない。

 今まで生きて乗り越えてきた経験。

 何度も死線を潜り抜けてきた成長。

 戦闘技術も、勘も、理論だけでは到達できない経験のみが高めてくれるものを得てきたはずだ。

 その自負が、少なからずあった。

 けれど。

 甘かった。

 圧倒的な力の前には、戦略も戦術も技術も経験も、意味を成さない。

 ただただ、何も出来ず、潰される。

 

 あまりにも、呆気ない。

 こんなところで終わるのか。

 なにも救えず、守れず、(かす)の様に殺されて死んで。

 それで、終わるのか。

 俺の中の、アイラや詩乃守すら守れず、消えるのか。

 なんだよ。

 何の為に生きてきたんだ、俺は。

 俺の人生に、意味なんてない。

 こんなところで終わるようなら、塵以下の無でしかない。

 されど。

 この状況を打破できる力など、俺には無い。

 

 生き抜かなければならないのに。

 その為には力が必要だ。

 足りないんだ。

 敵を打倒する為の力が。

 もう、迷いは消えたというのに。

 力だけが、どうしようもなく足りない。

 精神力でどうにかなるものではない。

 されど、一朝一夕で都合よく手に入る物ではない。

 ましてやこの今の瞬間でなど。

 だからといって命を諦める訳にもいかない。

 結局、戦うしかない。

 だが今の戦況は詰んでいる。

 でも生きるには、どうにかしてこの場を切り抜ける他ないんだ。

 たとえそれが、望みの薄い――いや、望みが無い希望だとしても。

 

 

 ――――――――――――。

 ああ。

 でもな。

 やっぱり。

 

 完全な虚を突かれた一手を避ける術なんてないし。

 その死へと向かわせる攻撃に対抗する手段も、ないんだ。

 

 

 …………ごめ――――

 

 

『いいえ。和希さんたちは、殺させません』

 

 

 どこからか。

 聞こえた声。

 聴覚ではなく、内から響いたような。

 そんな感覚。

 だが。

 この声は。

 今まで何度も聞いた。

 もう聞く事の出来ないはずの声で。

 

 そんな、都合のよさがあるだろうか。

 思わず、笑いが込み上げそうになる。

 それは幻聴を聞いたと思っての自嘲か。

 本当に奇跡が起こったと確信しての歓喜か。

 どちらの笑いか、この瞬間では判らなかった。

   

『魂の橋渡し』(ソウルロード)、アイラ・アウロラランドの異別。

 魂。

 生命力。

 異別炉。

 感応。

 反応。

 混合。

 適応。

 覚醒。

 

 ――訂正。

 半覚醒。

 

『和希さん。見守ってます、寄り添ってます、ずっと、ずっと。だから、幸せにいてください』

 

 微笑みが、視えた気がした。

 

 意識が、走馬灯のようなトリップから帰還する。

「――ッ」

 

 翡翠一閃。

 

 短剣の走った軌跡上。

 翡翠色の斬撃、その爪痕が残る。

 元の軌跡が拡大された、楕円に近い神秘な色合いの歪み。

 

 空間が、断裂したのだ。

 

 楯の様に前に存在する翡翠の爪痕に、濃紫色の液体が命中する。

 液体は、何の効果も示さず消滅した。

 まるで、この世界自体から消える様に。

 

 既に開始されていた一斉攻撃。

 止まる事はない。

 

 邪鬼の両腕が、超質量の剛腕が間髪入れず振り下ろされる。

 翡翠の爪痕に触れた刹那、邪鬼の、何ものをも叩き潰す槌の如き拳は。

 跡形も無く消失した。

 

 神埼の放つ無数の弾丸。

 その軍団は翡翠色の亀裂に直撃した瞬間。

 吸い込まれる様に、(すべ)て無へと帰す。

 

 ――そうして。

 

 圧倒的なはずだった最初の一手の究極は。

 

 いとも容易く、総て、完全に消えた。

 

 俺や武器の外見上は、何かが変化した訳ではない。

 ただ、罪科異別の本来の力が、少し引き出されただけだ。

 アイラのおかげで。

 

 けれど、思ってしまう。

 

 こんな都合のいいものがあるのなら、もっと早く、持っていたかった。

 

 最初から在れば、俺は救えたかもしれない。

 取り零さずに、済んだかもしれない。

 最高の結末へと、辿り着けたかもしれない。

 

 ――――――――――――――――――――でもそれは。

 もしもの仮定でしかない。

 

 俺は今を生き抜くよ、アイラ。

 見守っていてくれ。

 君の言質(げんち)も、取ったからな。

 

 だから俺は、目の前の理不尽を、この君のくれた力で打倒してみせる。

 圧倒的な現実が襲い来るのなら、それ以上の理想で以って覆すまで。

 たとえ自分自身が、その理不尽になったとしても。

 

 翡翠の爪痕は神埼の攻撃が途切れた後、扉が閉じられるように綺麗に閉まった。

 能力の理解はまだ浅く、今の時点では隅から隅まで使いこなす事は出来ない。

 なぜ空間が断裂したのかも解らない。

 されど。

 今目の前の敵を倒すだけなら、それで十分だ。

 

「カズくん……」

「バカな…………」

 真白と神埼は、驚愕の表情でこちらを見ていた。

 けれど真白はすぐに顔を引き締め、首を振る。

「やろう。カズくん」

「ああ」

 

 神埼もすぐ立ち直り、戦闘者の目つきへと戻る。

 再度の対峙。

 数秒もなく、次の行動が始まる。

 

 魔竜、大蛇、両の拳を失った邪鬼。

 三体が、同時に動いた。

 真白へ向けて。

 

 神埼は、不利と悟ったのか分断に掛かってきたのだ。

 舌を巻く。

 神埼は、先の衝撃があるにも拘らず、冷静に最適な戦略を立ててきたのだ。

 一目見て、今の俺の力量を見破ったという事。

 普通に考えたら、今の俺の方を全力で叩き潰しに来るだろう。

 けれど、神埼はそうしなかった。

 最上レベルの魔獣"程度"、俺に仕向けても容易に斃され戦力を無為に失うだけだと理解したからだろう。

 だから真白を潰してから総力で攻める為に自分で時間を稼ぐか、または魔獣などより信用できる自分で戦うべきだと考えたのだろう。

 戦闘経験の長さが窺えた。

 

 真白へと、肉薄する魔獣達。

 真白の元へと走ろうとするが。

 連続的に続く銃声。

 神埼は、俺に向けて鉛玉の雨を撃ち出してきた。

 

 俺は、強い力を得たとはいえ身体能力が上がった訳ではない。

 出来る事にも、限度がある。

 ここで両方の対処は、不可能だ。

 

 短剣を縦に斬り落とす。

 翡翠の斬撃を銃弾の方へと残留させる。

 鉛玉はそれで対処できた。

 

 だが真白とは、完全に分断されてしまった。

 魔竜、大蛇、邪鬼の怒涛の連撃を真白は何度も下がって、時には能力で受け流し、避けていった事で、距離が随分離れてしまったのだ。

 

「これで、一対一だ」

 神埼が銃口を俺に向けながら、そう静かに言葉を発した。

 今から追いかけるのは、悪手だろう。

 ならば、奴の策に乗ってやる。

 あえて流され、その上で覆す。

 

 恐らく。

 神埼を斃せば魔獣は消滅する可能性がある。

 簡単な推測。

 あれらは、神埼の罪科異別で生み出されたモノなのだから。

 そうすれば、結果的に真白を手助けする形になる。

 もし違ったとしても、早々に倒して加勢すればいい。

 

 しかし。

 俺は予感がした。

 いや、確信ともいえる、信頼。

 真白は、あの強力無比の魔獣達を、一人で斃してしまうだろうと。

 

 真白とはパートナー。

 今まで共に戦ってきた、最高のパートナーだ。

 ならば俺は信じる。

 今まで生き抜いてきた力を。

 強大な敵を任せられる。それほどの存在だと。

 必ず勝つと、信じる。

 だから俺も。

 勝ってみせる。

 

「さあ、第二ラウンドといこうぜ」

 不敵に呟いてみせた。

 

 神埼の手には、いつの間にか一挺の銃。

 鉄色のマグナム。

 最強の拳銃、デザートイーグルだ。

 

 そうして。

 戦闘の開始を告げる合図のように。

 デザートイーグルの銃声が、響き渡った。

 

 

真白side

 

 

 ギリギリ、だった。

 最初から、ギリギリ。

 寸での所を、渡っている。 

 

 大蛇の濃紫色の液体が吐き出される。

 それを『護り為す白き羽』(ティアティス)を展開して防ぐ。

 

 魔竜の尾が横薙ぎに迫る。

 それを即座に地面に這い(つくば)って、間一髪避ける。

 

 邪鬼の轟脚による蹴撃(しゅうげき)が襲い来る。

 それを純白の翼に魔力を流して防御力を強化し、強い衝撃に耐えながら受け流す。

 

 それは、少しの判断ミスで死へと堕ちる攻防。

 張り詰めた集中力の行動。

 最適な動きへと連動。

 死力を尽くした限界の戦い。

 繰り広げる。

 

 もっとも。

 わたしは、防戦だけで手一杯だけれど。

 とはいっても、現在の防御重視の戦法だって、綱渡り。

 今まで死線を潜り抜けてきた経験と、続けてきた訓練の賜物だ。

 それでやっと、なんとかしのいでいる程度。

 それほどに敵は強大。

 いつまでも続けられるほどじゃない。

 僅かでも気を抜いてしまったら最後、骸へと変えられてしまう。

 

 カズくんが邪鬼を弱体化させてくれてなかったら、まずかったかも。

 それでも、まずいことに変わりはないけど。

 でも。

 だからといって。

 諦める訳にはいかない。

 弱気になってたら、集中力だって途切れてしまう。

 勝つために、生きて先に進むために、戦う。

 わたしは、こんなところで死んでしまうわけにはいかないのだから。

 

 紙一重の防戦は、続く。

 最後の一線を全力で守る戦い。

 攻には移れず、防の動きのみが洗練される。

 精一杯の崖っぷち。

 瀬戸際の正念場。

 

 魔竜の速度と技量。

 大蛇の遠距離範囲。

 邪鬼の力一点特化。

 

 そのどれも最上魔獣の能力を誇っており、容易に隙は見いだせない。

 けれど、護ってばかりでは、勝てない。

 

 どうしよう。

 

 あはは。

 思わず笑いが込み上げてきそうになる。

 ううん。

 もう心の中では、笑っちゃってる。

 わたし、もしかしたら怖いと笑えてきちゃうタイプかも。

 今まではどうだったかな。

 ここまでギリギリになったのは初めてだと思うから、わかんないや。

 というか。

 そんなことはどうでもいいの。

 えっと。

 ここから、どうしようかな。

 

 とにかく。

 カズくんと完全に分断されてしまったからには、カズくんを信じて、わたしは目の前の敵に集中した方がいいよね。

 つまり。

 

 つまり。

 そう。

 倒せばいいだけ。 

 

 魔竜は姿勢を落とし。

 魔力が逆巻き、筋肉の様な部分に流れ、行き渡る。

 魔の竜は、大地を粉砕せし脚力で、踏み込んだ。

 

 突進。

 結構、速い。

 いや。

 かなり速い。

 

 即決の行動。

 感覚の一瞬。

 純白の翼に、魔力を流し、浸透させる。

 硬化、強化。

 

 横に、力を振り絞って地面を蹴り、跳ぶ。

 既に魔竜は、目前。

 このままでは、直撃を受けて全身の骨を砕かれてしまうだろう。

 

 だから。

 翼で受け流す。

 硬化した翼を楯の様に使い、払い、流す。

 

 魔竜の肩辺りに翼が触れた瞬間。

 凄まじい衝撃が奔る。

 けれど、上手くいった。

 弾き飛ばされながらも、傷は何とかない。

 

 靴底を地面に擦らせながら、姿勢を整えて着地。

 されど。

 攻撃はそれだけではない。

 猛攻は続く。

 

 邪鬼が、わたしが弾き飛ばされ着地している間、その時間の中で。

 跳躍した。

 跳び上がった。

 それも、立ち並ぶ家々よりも、高く。

 どれほどの力があったら、あの巨体でそこまで跳べるのか。

 はかり知れない、脚力。

 正しく、あの魔獣は力の権化と()えた。

 

 両足を並べて伸ばし、こちらに向けて落下の勢いで迫る。

 ドロップキック。

 あの質量、巨体での、隕石の如きドロップキック。

 掠っただけで、わたしは戦えなくなってしまうだろう。

 命中したら、死体の原型も分からなくなるだろう。

 

『護り為す白き羽』(ティアティス)

 白き羽を、邪鬼の方向に向けて放ち、白き楯を展開。

 再度横に跳ぶ、ステップ、全力で。

 

 白き楯は、邪鬼の足裏に触れた刹那。

 ほとんど時間稼ぎにもならず、音を立てて割れ、霧散。

 そのまま大して速度を落とさず。

 超威力の塊が、飛来。

 

 先と同じ様に、命中の瞬間、翼で受け流す。

 なんとか、魔竜の時よりも叩き飛ばされながらも、邪鬼の攻撃は乗り切った。

 けれど。 

 態勢を完全に崩す。

「――あぁっ! ぅ……っ」

 コンクリートの地面に叩き付けられ、受け身もまともに取れずに転がる。

 

 ボロボロ。

 ゴミの様に吹き飛ばされ、満身創痍。

 それでも、続く攻撃は、止まってくれない。

 

 粘着質な液体音。

 濃紫色の液体が大蛇の口腔から飛び出た。

 

 咄嗟。

 異別炉から魔力を引き出す。

 翼に魔力を流して、殻に籠る様に翼で全身を覆い、護りを固める。

 

 液体を、避けることも出来ずに浴びる。

 魔力で強化したにも関わらず、液体はその猛威を振るう。

 硬化した翼すら、煙を上げながら溶かす。

 シュウシュウ、シュウシュウと。

 (いや)な臭いと音を立てながら、純白が溶け穢される。

 半ば推測できていた。

 でも今、確信。

 理解する。

 これは、毒液だ。

 

 そして。

 濃紫色の液体は、遂にわたしの生身へと到達した。

 横っ腹を、服ごと溶かされる。

「ん゛っっ!? っぐぅぅっ!! ――あ゛ああぁぁっ!!」

 いたい。

 想像を絶する体感に、神経を焼け焦がされる。

 皮膚が、その先の肉が、骨が、溶解していく。

 身体を溶かされる感覚なんて、初めてだ。

 気持ち悪い。

 

 最上級魔獣達は、今にも次の攻撃に移ろうとしている。

 右脇腹からの痛烈な痛み。

 かなりの怪我。

 動きの鈍り。

 そして。

 魔力の残量が、もう五割は切っている。

 絶対的な窮地。

 

 あー。

 これ。

 結構。

 うん。

 

 まずいかもしれない、なぁ。

 もう、限界、かな。

 引き攣った笑いの表情に、思わずなった。

 

 

side return

 

 

 デザートイーグルが咆哮する。

 銃口がこちらを向いた瞬間に、俺は既に翡翠の短剣を目の前の空間に斬り付けている。

 断裂された空間は、何ものをも通さない。

 マグナム弾は無へと消えた。

 

 続けて撃発されていくデザートイーグル。

 何発も、弾丸は視認不可な速度で飛来する。

 だが、それらは総て無へと還っていく。

 翡翠色の歪みが閉じる時を狙い放たれる弾丸。

 しかしそれは無意味。

 俺は、閉じる前にさらに一つ後ろの空間を斬り付け、断裂された無を生み出しているのだから。

 

 それを見てか。

 神埼は、動きを変えた。

 最上の拳銃、デザートイーグルが神埼の手から消失する。

 後。

 神埼の両手には、巨大な鉄の塊が抱えられていた。

 六本の銃身を持つ鈍色。

 ミニガン。

 いわゆるガトリング銃、機関銃と呼ばれる兵器である。

 普通なら、たった一人で扱える代物ではない。

 そんなものを神埼は一人で抱え。

 そして。

 運用する。

 

 俺はすぐさま翡翠色を一閃させた。

 連続的な射撃音が煩いほど響き渡る。

 六本の銃身が高速で回転し、銃口が火を噴き続ける。

 毎分何千発の鉛玉が発射され、荒れ狂う。

 神埼は射撃の反動で足が地に根を張っている。

 鬼神の如き表情での怒涛。

 掠っただけで、ただの人など瞬時に、意識も体も粉々に吹き飛ぶであろう暴流。

 

 されど。

 そんな制圧攻撃をされてなお。

 俺は無傷だ。 

 総ての鉛玉は断裂された空間へと何の変化もなく消えていく。 

 

 単なる楯ならば、それには耐久度が存在し、いつか壊れるものだっただろう。

 しかし断裂された空間は無だ。

 どのような攻撃を受けようと、ただただ、無へと変わるだけ。

 無には、耐久度などというものは存在しない。

 

 暴力的なミニガンの音が止む。

 一瞬後には、神埼の手からミニガンは消失していた。

 だがすぐ後、再度兵器がその手に現れる。

 

 鈍色は、変わらず。

 パイプの様な、円筒形。

 

 RPG。

 いわゆるロケットランチャー。

 

 そんなものまで、出せるのかよ。

 俺は自分を棚上げにして、その出鱈目さに目を見張った。

 

 瞬。

 神埼が、筒の暗い穴、砲口を向けてきた。

 俺はすぐさま目の前の空間に刃を走らせ断――

 神埼が、間髪入れずに横に跳躍。

 裂断された歪みの楯。

 その影響が及ばない直線が、俺と神埼の間に結ばれている。

 奴との空間を隔てるモノは何も、今この瞬間には存在していなかった。

 

 発射されるロケット弾。

 頭の中で警鐘が激しく叩き鳴らされる。

 今は、短剣を振り切った後だ。

 短剣を再度振る時間は、ない。

 命を分ける咄嗟。

 地を蹴りつけ、移動。

 裂断された空間を楯とできる位置に転がり込む。

 

 爆発音。

 コンクリートが爆砕、弾け飛ぶ。

 爆片爆炎爆風は、こちらに到達する前に無へと()る。

 何とか、回避に成功した。

 だが、余裕ではいられない。

 強力な力を手にしたとはいっても、神埼も弱くはないということだ。

 無駄と解っている場所に何度も攻撃を叩き込むほど馬鹿でもないということ。

 デザートイーグルやミニガンを正面からぶっ放してきたのも、油断を誘ってRPGという強力な兵器を、楯を避けて命中させるためだったのかもしれない。

 

 余裕だと考えていた訳でも、驕っていた訳でもないが。

 気を引き締めなければ。

 

 神埼が動く。

 俺はその動きを、注視する。

 奴の手からは、既にRPGは消えていた。

 変わりに、サブマシンガンが両手に一挺ずつ握られている。

 

 引き金が絞られた。

 銃弾の豪雨が飛び掛かってくる。 

 自由自在の熟練した、片手でのサブマシンガンの扱い。

 ミニガンを一人で扱ったのだ、このぐらいの芸当わけないのであろう。

 そして。

 神埼は、横に動き回る。

 先の時と同じ原理の戦法。

 いくら無敵の楯とはいえ、全身くまなくをフォローできるわけではないのだから。

 その弱点を突いた、理に適う戦術。

 

 けれど俺も、翻弄されてばかりはいられない。

 銃口を注視しながら、翡翠色の軌跡を紡いでいく。

 どの方向からの銃撃にも対応できるよう、身構え集中し、引き金が引き絞られる瞬間から空間を断裂裂断。

 

 何度も。

 幾度も。

 神埼の銃撃と俺の斬撃は放たれる。

 集中を切らさず、僅かな隙も見逃さず、命を摘み取る探り合いを続ける。

 

 神埼は、既にサブマシンガンの容量を優に超える弾数を撃っている。

 しかしリロードをする様子はない。

 ただ銃器を使っているという訳ではないということだろう。

 

 俺は先から、攻勢に一切出ていない。

 このまま神埼の銃撃を耐えているだけでは勝利はやって来ない。

 それは分かっているが、慎重にならざるを得ないのだ。

 近づけば、その分弾丸が俺に到達する時間が短くなる。

 つまり、空間を斬り付け断裂させるという行動に割ける時間も短縮されていく。

 これ以上接近したら、鉛玉に被弾する可能性が非常に高い。

 だから、迂闊に接近できない。

 

 翡翠の一閃と鉄火の撃発の応酬。 

 何回も殺すために引き金が引かれ、死なないために翡翠が斬撃を残す。

 隙を突き、勝利に就くために、相手の動きに気を巡らせながらお互い常に移動する。

 フェイントを混ぜ、緩急をつけ、紙一重の騙し合いを続ける。

 極限状態の、一秒未満さえミスの許されない戦場。

 死へと落ちるか、生へと挙がるかの線上。

 

 何度、幾度、幾回。

 攻防が、繰り返された。

 無限に続いて行くかと錯覚する戦い。

 

 ――――だが。

 その戦闘に。

 均衡状態だった場に。

 変化が、訪れる。

 

 異別を、何度も行使しているのだ。 

 この場では絶え間なく超常が顕現されている。

 つまり。

 魔力が、徐々に、確実に、減っていく。

 異別炉から生成される魔力が、枯渇していく。

 そう。

 お互いに。

 

 顕著な変化は、二つだった。

 神埼の手から銃が消え。

 俺の剣は空間の断裂が不可に。

 お互い一の武器が、無くなったのだ。

 

 刹那。

 一時。

 俺と神埼の、現状を認識する間が支配する。

 この先、どうするか。

 思考の逡巡。

 

 ――――――――――。

 

 戦いは、まだ続いていく。

 

 

真白side

 

 

 極限状態。

 絶望状況。

 このまま戦うのは、限界。

 今のままでは、勝てる見込みはゼロ。

  

 次の魔獣の攻撃を、一度なら何とか対処は出来るかもしれない。

 けれど、連続では無理かもしれない。

 いや。

 かもしれないではなく、無理だと断言。

 そんな状況に、今、立たされている。

 このままでは。

 "今"のわたしでは、ここからの勝利なんて奇跡でも起きない限りきっと不可能。

 

 ――――。

 …………。

 刹那の間の、逡巡。

 思考の巡り。

 決断のための、準備時間。

 

 ――。

 もう、あれを使うしかないかな。

 リスクは多大。

 されどこのままではどちらにしろ敗北は必至。

 ならば。

 だったら。

 

 やはりどうしたって、やるしかない。

  

 必要なのは、強固な覚悟、決断。

 どんな手を使ってでも、勝利を掴み取るという意思。

 自分の一部を失うかもしれない恐怖を乗り切る勇気。

 この先を考えない愚直さ。

 でも。

 多分。

 きっと。

 大丈夫なはず。

 

 しばらくだけ、永遠じゃない。

 たった数か月くらいだと思う。

 

 わたしが、天使術を使えない無力なただの人に成り下がるのは、たったの数か月くらいだ。

 

 能力を使用できないその間に、戦わなければいけないときが来るかもしれないという懸念はあるけれど。

 今までも、大罪戦争の最中だったから一度もこの手は使えなかった。

 一度の完全勝利を得ても、次に戦えなかったら意味が無かったから。

 でも、今は。

 そんなことを言ってる場合じゃない。

 出し惜しみして死んでしまっても、意味が無いのだから。

 

 ――――もしかしたら。

 一生能力を失う可能性も、あるけれど。

 この方法で天使術を使えなくなった天使も、実際にいるけれど。

 それでも。

 たとえそうなったとしても。

 今死んでしまうよりは、きっといいはずだから。

 

 だから、わたしは、やる。

 

 決意を新たに。

 決断をして。

 刹那の思考から、戻る。

 現実の、現状へと。

 

 視界に広がる光景。

 毒液を吐き出した後の体勢から、そのまま動き出す大蛇。

 疾走。

 地を這い。

 突撃。

 串刺しにするべく巨悪の牙を剥き出し、迫り来る。

 

 背に生える純白の翼。

 わたしはそれを、無理矢理移動させる。

 自身の両腕に。 

 性質変化。 

 

 天使という存在に置いて、顕現させた翼は、能力の核のようなもの。

 わたしが今やっていることは、例えるならば、心臓を武器に変化させることと同じ。

 どれほどリスクが多大かは、言葉にするまでもないだろう。

 

 白く白く白く。

 強く強く強く。

 純白の剣状に、翼は変幻する。

 魔力の性質は、攻性へと。

 異別炉から魔力を掬い上げ救い上げ。

 膨大放出。

 残存する魔力は(すべ)て、この(つるぎ)へと。

 ありったけを乗せる。

 

 目の前は、牙、牙、牙。

 大蛇の口腔が視界一杯に広がる。

 瞬間の光景。

 直ぐ後には、喰らいつかれ命が潰える。

 けれどわたしは。

 抗ってみせる。

 

 右手を、振り抜く。

 

『白翼の聖魂剣』(ティアエル)

 

 純白一閃。

 

 ティアエル。

 天使の、諸刃の剣。

 最大の、最後の切り札。

 魔力総てを乗せた、全霊の一撃。

 それは、核の一部と言える翼を代償に、最強の聖剣と成る。

 蝋燭が消える刹那の強い光のような、天使の輝き。

 純白の聖剣。

 先を顧みない、今、この瞬間の理不尽を打倒するためだけの、聖なる剣。

 

 一直線に肉薄していた大蛇には、それを避ける術などない。

 大蛇は。

 あっさり。

 あっけなく。

 当然のように。

 口腔から真っ二つになり。

 直ぐ後には蒸発するように霧散した。

 幾ら最上レベルの魔獣といえど、膨大な量の魔力を固めた全霊の一撃の前には、死を免れ得ない。

 

 続いて魔竜と邪鬼が、同時に迫る。

 今まではお互いの攻撃の邪魔にならないようにするための動きをしていたが、一早く脅威を排除しようとするような形振り構わない突撃。

 右腕の剣は放った後に消失した。

 残るは左腕の聖なる剣のみ。

 後、一発だけ。

 この一発で、二体を同時に斃さなければならない。

 二体が射程の範囲内に入るのを、見極める。

 敵を殺さんと疾駆猛突する二体の最上魔獣。

 

 まだ。

 もうすぐ。

 ――――。

 ここ。

 

 左腕を薙ぎ払う。

『白翼の聖魂剣』(ティアエル)

 白の残光が走る。

 純白の聖なる光剣は総てを一刀の下に伏す。

 邪鬼の強靭な肉体に、一筋の線が入る。

 光が、白く白く、拡散。

 存在を切り裂く光。

 広がる。

 邪鬼は、抗することが、出来ない。

 完全な、内からの光。

 強靭な肉体も、豪脚剛腕も、効果を発揮することはない。

 刹那。

 邪鬼は、消滅した。

 

 魔竜は。

 直前で、後ろに跳んでいた。

 最初から、避けるつもりでしかありえない動き。

 この状況において、魔竜は一手上をいった。

 聖剣は、魔竜に届かなかった。

 外した。

 斬撃は魔竜の鼻先で、掠ることも出来なかった。

 絶体絶命。

 

 左腕の光も、消失。

 聖なる剣は、もうない。

 翼は、堕ちた。

 魔力は、既に枯渇。

 詰み。

 終わり。

 負け。

 殺される。

 死ぬ。

 ここまで。

 これだけやって、命を賭しても。

 強大な敵には、かなわない。

 あと一歩、足りなかった。

 わたしは、ここで――

 

 ――そんなわけない。

 わたしは、こんなところで負けられない。

 剣がなくなったなんて、だれが決めたの。

 まだ戦える。

 何か方法があるはず。

 あと魔竜一体だけなんだ。

 あの一体を斃すだけでいい。

 魔竜を打ち負かす方法は。

 なにか。

 なんでもいい。

 なんだってする。

 今は。

 あの敵を斃す為だけに。

 すべてを。

 わたしの全てを賭ける。

 

 魔力はない。

 翼もない。

 だから敵を倒せる剣も、ない。

 なら何があるの?

 わたしの身一つ。

 それだけ?

 他には。

 魔力がゼロになった、異別炉。

 天使術の、天使としての、生物としての、核。

 翼は核の一部。

 けれど、異別炉は本当の核。

 

 これしか、ないのかな。

 ないんだろうね。

 魔竜は目の前。

 後、一秒もなくその爪で以って引き裂かれる。

 ならば。

 結局。

 やるしかない。

 今は、それだけ考える。

 

 自身の異別炉を、破壊する。

 ――――っ。

 数秒後くらいには、気絶すると思う。

 その後目が覚めるかは、わからない。

 けれど、今は。

 異別炉そのものを、エネルギーにする。

 魔力とは違う、されど魔力と似た性質。

 右腕に、集約させる。

 純白の、聖なる剣へと。

 

 これが、最後の一撃。

 右腕を振り下ろす。

『白翼の聖魂剣』(ティアエル)!!!!」

 世界が縦に、白色で割断(かつだん)された。

 絶対的な斬撃が、前方を縦に蹂躙する。

 一線上は、白く白く、何処(どこ)までも。

 遠く遠く、光は届く。

 正しくそれは、聖なる剣だった。

 

 魔竜が伸ばしていた腕は切り飛ばされ。

 その黒き体は、縦に二つに別たれ。

 一瞬の内に。

 消え去った。

 

 ――――静寂。

 最上の魔獣達は倒され、この世に何も一片も残さず消滅した。

 たった一人の天使、その全霊によって。

 

「はぁ……はぁ……」

 膝を突き、荒い息を吐く。

 痛み、苦しみ。

 なくなっていく感覚が、止まらない。

「カズくん…………」

 わたしは。

 生きて一緒にいるって。

 ごめんなさい。

 わたし。

「――――――――――――――」

 暗闇へ。

 意識が、一瞬で閉ざされた。

 

 

side return

 

 

 神埼が、一本のバスタードソードを生成。

 銃器は、生成されない。

 もうその分の魔力がないのだろう。

 俺も、空間を断裂させる力を使える魔力は、残っていない。

 頼れるのは、右手に持つこの短剣一本のみ。

 翡翠色を握り込み、踏み込む。

 同時に、神埼も踏み込んだ。

 

 接近、肉薄。

 翡翠と鉄色が、振られる。

 翡翠は力で劣り、受け流すため。

 鉄色は力で勝り、押し殺すため。

 剣と剣が触れ合う甲高い音。

 お互いの腕に衝撃が奔る。

 間髪入れず斬り返される翡翠と鉄色。

 再度甲高い音。

 受け流し、受け流され。

 一度目と同じ流れ。

 されど体力は確実に使われる。

 剣戟は、続けられる。

 体力が続くまで、どこまでも。

 翡翠が何度も奔り。

 鉄色が幾度も走る。

 剣同士の衝突が、繰り返される。

 速度は短剣のこちらが上。

 力はバスタードソードの神埼が上。

 お互いの利点を生かし、敵を斃すべく剣を振るう。

 

 俺は、以前鍛錬で鍛えていた動きを、無意識に取り入れていた。

 神埼が俺の速度に慣れてきた頃。

 一度衝突し受け流した後。

 直ぐ様片手で、素早く、流麗に、刹那の間に、短剣を逆手に持ち直す。

 斬り返される逆手の翡翠。

 短剣の刃の位置が変動したことで、到達する速度が変わる。

 今までの動きに慣れていた神埼は、タイミングを狂わされる。

 剣を扱っても間に合わないと判断したのか神埼は、後ろに跳んだ。

 服を切り裂き、鮮血が少量舞う。

 だが、大した傷ではない軽傷。

 ほんの少し、距離が空いた。

 

「俺は救済するんだ」

「俺はすべてを救うんだ」

 お互い無意識に、言葉が漏れていた。

 そんなことを俺たちは口にしながらも、殺し合っている矛盾。

 愚かな救済者達。

 されど想いは強く、どこまでも一直線。

 止まることはない。

 譲る気はなく、迷いはなく、進むことしか考えていない。

 故に、剣を手に。

 目の前の敵を打倒すべく、前に進む。

 

 一足、踏み込み。

 交差。

 金属音。

 連続。

 痺れ。

 集中、揺らさず。

 一つの意思、二つの合致。

 風を斬り、風を流し。

 闘争心を、手繰り続ける。

 眼光は、前へ、前へ。

 圧殺刺殺斬殺せんと振るわれる刃。

 順手逆手、順手逆手、相手を狂わせる速度の手捌き。

 受け流し、タイミングを計り、対応し、感覚を、間隔を、死と生の感に委ねる。

 咄嗟。

 刃の閃き。

 打ち合う、撃ち合う、討ち合う。

 舞った鮮血はどちらのものか。

 意識の外へ。

 朱は、跳ぶ。

 消耗、戦闘の力。

 お互い。

 されど停まらず、留まらず。

 戦の意思は莫大。

 一手、二の太刀、三の斬。

 流し、痺れ、震え合う。

 無心に、剣、剣、剣。

 手足と成り、動き、扱い、揮う。

  

 いつ終わるとも知れない剣戟。

 終わりなど考えは無。

 どこまでもどこまでも、永劫に戦う意思。

 目の前の敵が、倒れるまで。

 

 順手の斬り、逆手の刺突。

 重量剣の押し、鉄色の風切り。

 翡翠、鉄色、線の重なり。

 弾き、反動、威力乗せ。

 刃の閃光、瞬の躱し。

 振り薙ぎ、一の回避。

 振り下ろし、受け流し。

 

 続く、継続、永らえる、戦闘。

  

 敵のバスタードソードに注意を集束。

 その鉄色と、刃を交わす。

 集中が集中。

 ――。

 刹那。

 意識の死角。

 間隙、

 敵が剣を持たない左手。

 

 そこにもう一本の鉄色が、握られる。

 

 奴はまだ、武器の生成が可能だったのだ。

 集中を寄せさせ、最後の一手で決める。

 そういう、戦術。

 俺は、それに綺麗に嵌まった。

 

 迫る刃。

 鉄色の煌めき。

 回避は不可。

 反撃も無理。

 

 俺は――――

 終われない。

 生き抜かなければならない。

 決めたのだ、決断した。

 だから、死ぬわけにはいかないんだ。

 

 けれど、避ける術はない。

 意表を突いたこの一撃は、対処の外だ。

 死ぬ。

 道が途絶える。

 それ以外に、残された未来はない。

 

 ――普通なら。

 残酷な現実なら、ここで終わり。

 呆気なく殺され、一人の命が潰えるだけ。

 神埼は勝利を手に、信念を全うするだろう。

 幸福か不幸か、正解か間違っているか、関係なく。

 ただただ、進んで行くのだろう。

 

 ――――されど。

 

『そろそろ、異別が完全に浸透しますよ』

 

 俺は、理想の体現者(すべてを救う者)だ。

 

 浸透。

 定着。

 罪科異別、殺戮終理(さつりくついり)の魔眼。

 奥の奥。

 能力、掬い、救い。

 覚醒。

 

 

 ――――無の殺戮(タナトス・ゼロ)――――

 

 

 翡翠色に、両眼が輝く。

 柄も、鍔も、刀身も、全てが翡翠色の短剣。

 もう一本が、左手に握られた。

 

 二刀の翡翠。

 交差させる。

 左の翡翠を、迫るバスタードソードの線上に、翳す。

 短剣の刀身。

 バスタードソードの刀身がそれに触れた、瞬間。

 

 ――殺戮せよ――

 

 鉄色は、無残に、粉々に砕け、一刻の間に消滅。

 

 無の殺戮(タナトス・ゼロ)

 それは、総てを殺す力。

 どんな物象現象だろうと、あらゆるものを殺すことが出来る力。

 如何(いか)なる対象でも殺す為に、短剣での物質への干渉不干渉を選択可能。

 殺して救う。救う為の殺す力。

 

 先の空間断裂は、この力の一端に過ぎない。

 空間を、一時的に殺していただけなのだから。

 

 この反則で、俺はお前をぶっ潰す。

 

 驚愕と共に、それでも全力で振り下ろされるバスタードソード。

 右手の翡翠を揮う。

 

 ――殺戮せよ――

 

 鉄色は死を与えられ、消滅。

 

 もう。

 これで。

 

 翡翠色の刃。

 無手になった神埼。

 その胸に。

 突き立てた。

 

 ――殺戮せよ――

 

 終わりだ。

 

 神埼の、"数時間分の意識"。

 それを『殺した』。

 

 さらに。

 続けて翡翠をもう一閃。

 

 ――殺戮せよ――

 

 神埼の、"人を殺す意思"を『殺した』。

 

 神埼は倒れ行き。

 俺は、この戦いに勝利した。

 

 ――――。

 ――。

 

 戦いの終わり。

 神埼は、意識を失い倒れたまま。

 

 人を殺す意思を、神埼から殺した。

 もう、人を殺すことはないだろう。

 これが、良いことなのかは、分からない。

 人の意思を、無理矢理捻じ曲げる。

 誰かにとっては、悪なのだろう。

 それでも、俺は、誰かが死ななくて済むのなら。

 そうすることを、躊躇わない。

 俺は、すべてを救う者だ。

 歪で、中途半端でも、救うんだ。

 大切な人を必ず守り、救えるときは人を救う。

 それだけの、ただの凡人ヒーローだ。

 独善的な、偽善者の、すべてを救う者だ。

 俺はいい結末(未来)を手に入れたい。

 それだけなのだから。

 

「真白、勝ったぞ……」

 呟きながら振り返り、分断された真白のいるであろう場所に向かう。

 少し進んだ先。

 視界に入る。

 倒れている真白の姿。

 ――。

 

「真白!」

 足が(もつ)れながらも、走り寄った。

 抱き起こし、かかえる。

 

「真白、おい、大丈夫か!?」

 瞼は、閉じたまま。

 息は――

 自分の耳を真白の鼻に近づける。

 空気が何も、当たってこない。

 呼吸音も、聞こえない。

「おい……おい、おい、おい……!」

 胸に耳を当てる。

 心臓の音は、聞こえない。

 胸は上下していない。

「待てよ。待て。待ってくれよ」

 せっかく。

 せっかく、勝ったのに。

 俺は、生き残ったのに。

 君がいないと、駄目じゃないか。

 とても優しくて大切な、白い女の子は。

 動かない。

 

「真白、こんなのってねえよ。一緒に生き抜くって、絶対に、生きていなくてはいけないって言ったじゃねえかよ」

 抱きしめる。

 まだ、僅かに残るぬくもり。

 それを逃がさぬよう、強く抱きしめる。

 

「くそっ……クソ、クソ、クソ、クソォッッ!!」

 なんで、失うばかりなんだ。

 もう誰も、いないじゃないか。

 一体どれだけ奪えば気が済むんだ。

 

 真白、アイラ、詩乃守、蕪木。

 俺は誰一人、守れていない。

 すべてを救う者、だというのに。

 たとえ偽りのそれでも、救いたいという思いは本当なんだ。

 迷いは、もうないんだ。

 やることは変わらない。

 しかし救えない。

 俺に力が無かったからだ。

 強い力を得るのが、あまりにも遅かったんだ。

 今の俺なら、片っ端から全員、救えるというのに。

 

「――――――――――!!!!」

 声にならない叫びをあげた。

 慟哭(どうこく)だった。

 悲しみを、吐き出す為に。

 理不尽に、抗議するように。

 長い長い、叫喚。

 何も出ない、枯れた涙と共に。

 しばらく、崩れた夜の道に響き渡った。

 

 ………………。

 …………。

 ……。

 

 ――――――――――――――――――――。

 静寂が、続き。

 思考が、戻ってくる。

 

 大切な人は、もういない。

 生きるのなんて辛い。

 でも。

 けれど。

 俺は、生きて行かなくてはならない。

 俺の中の皆を、失わない為にも。

 アイラへの想いも、真白への想いも全部抱えて。

 これからも、歩いて行かなければならない。

 この優しくなく、理不尽な世界を。

 

 確かに辛い。

 けどさ。

 俺が覚えてる、アイラと真白の姿。

 守りたいのも、本当だから。

 今、何よりも喪いたくないものだから。

 だから。

 生きて、往こう。

 二人とも。生きるよ、俺。

 最後まで。

 

 ………………なんて、簡単に割り切れる訳が無い。

 ははは。

 どうしようもない笑い。悲しみの笑い。乾いた笑い。枯れた笑い。

 自分の心の中で響く。

 悲しみは、終わらない。

 …………。

 ……。

 

 

 

 

 

 

 

 と。

 足音。

 唐突に現れ。

 立ち止まる。

 俺は、その方向に向かって顔を上げた。

 

「津、吉……?」

 俺の目の前には、友である剛坂津吉(ごうざかつよし)がいた。

 ――なぜか今まで、記憶から消えていた。

 消えていた?

 忘れていた、ではなく、消えていた。

 どういうことだ。

 

 まあ、いい。 

 津吉には、あの時偉そうなことを言った。

 俺に出来ないわけがないと。

 身の程知らずにもほどがある。

 俺は、何も出来なかったのだから。

 あわせる顔もない。

 俺は友の顔を見られなかった。

 

「和希」

 津吉は一度だけ、悲しそうな瞳で真白を見た後、俺に向き直り言葉を発した。

「大罪戦争で生き残った者が望みが叶う、なんて言われているが、それは嘘っぱちだ」

 脈絡が無いように思える話を、津吉は唐突に喋り出す。

 

 最後の一人は、望みが叶う。

 そんな話も、あったか。

 他の大罪者を全員殺せばどんな望みも殺した者の魂を代償に叶える。真白は、そう言っていたっけ。

 止めることばかり考えていたせいで、失念していた。

 その一人に、俺がなったということか。

 本当に叶える事が出来ていたら、俺はみんなの蘇生を望む。

 津吉の(げん)通りなら、嘘らしいが。

 

 ――。

 待て。

 今、少し冷静になってみたが。

 なぜ、津吉はここに現れたのだろう。

 そんなことをわざわざ伝えるため?

 そんな訳がないだろう。意味がない。

 それよりも、なぜ知っている?

 以前意味深なことを言っていたが、それと関係が?

 大罪戦争のことを知っている風なことを言っていた。今、口にもした。

 なら、この目の前の友人は、いったいなんだ?

 

「おっと和希。疑うのは解るがそんな目を向けないでくれ。俺は敵じゃない。今から説明する」

「……そうか」

 なら、聴くまでだ。

 

「まず、最初に。俺はやり直す異別。時を戻す力を持っている」

「……は?」

 突拍子もない話に、思わずそんな言葉が漏れた。

「正確に言うなら『物語を破綻させる異別』だけどな。現在やれてることで簡単に説明するなら時を戻す力ってことさ」

「なにを、言ってるんだ……?」

「だがそれには色々と制約があってな。思ったほど万能じゃない」

 津吉は構わず続ける。

 俺も、黙って聴くことにした。

「その制約ってのがな、一つは、俺自身はやり直したい物事、つまり『決定付けられた物語』に干渉できない。今の場合は『大罪戦争』という悲しい運命が決定付けられた物語だ。二つ目は、それに関係ある話を誰かにできない。そして抽象的でも話してしまったら、しばらく話した対象の記憶から俺が消える」

 

 …………。

 頭を、全開で働かせた。

 突然の現状に、ついて行けるように。

 

「つまり、俺が今さっきお前に会うまで、お前を忘れていたのは、それが原因だと?」

「そういうことだ」

 あの時、俺に意味深なことを喋ったのがトリガーになってしまったということか。

 本当に、ただ意味深なだけだったにも拘らずそうなるということは、よほど扱いづらい能力なのだろう。

 その制約だと、過去を――物語を変えるのは容易ではないはずだ。

 

「そして俺は、いい結末が欲しい。友達が、大切な人たちがみんな生きている結末だ。だから何度も、やり直してきた」

 そこには、強い意思を持った俺の友人、剛坂津吉がいた。

 少しでも疑ったことが、馬鹿らしくなるほど。

 簡単に信じられるような話でもないが、突拍子のなさで言えば今さらなうえ、俺自身空間を断裂させたりなんて芸当をしている。

 そして津吉は、こんなくだらない嘘をこんな状況で言うやつではない。

 ならば、信じていいのだろう。

 

「なあ、和希」

「なんだ」

 

「何もかも、ぶち壊しにしてやりたいと思わないか?」

 

 イタズラ小僧のような笑みで、自信と不敵を湛えた声音で、津吉は言った。

「お前はこんな結末で満足か? 俺は嫌だ。みんな生きて、幸せな結末がいい。そして、またみんなで遊びたい。馬鹿騒ぎがしたい。『大罪戦争』という悲しき物語と決定付けられたこの事象を、俺はぶち壊したい」

 純粋な、一人の人間としての願いを津吉は口にする。

 俺は。

「ああ、俺だって、そんなことが可能なら、そっちの方がいいさ」

 いいに決まってる。

 だって、みんながいるんだ。

 当たり前だろ。

 一人でも生きて行くとは言ってもさ。

 想いを抱えて歩く決意を固めてもさ。

 やっぱり、取り戻せるのなら、取り戻したいに決まってるじゃないか。

 大切な人には、そこにいてほしいじゃないか。

 俺は、アイラと真白と共にありたい。

 守れなかった詩乃守や蕪木にも生きていてほしい。

 可能なら、それが最高に決まっている。

 

「そこでだ。話がある。俺がここまで話したのも、このための前段階だ」

「ああ、聴かせろ」

 俺は真白の身体を抱きしめながら、聴くことに集中する。

 

「まずぶち壊してやりたいこの『大罪戦争』だが、一度決定付けられた物語を破綻させるのは簡単じゃない。これまで何度も失敗してきた。だが、今回の大罪戦争は、今までと大きく違うところがあった。それは、和希が生き残った。ということだ。お前今までで、何回も呆気なく死んでるからな。今回はすげえよ。ほんとに」

 俺は何度も死んでいる。

 確かに、言われてみれば危ういところが何度もあった。

 死んでもおかしくない場面が、多かった。

 それを今回は、切り抜けられたということか。

 

「和希が生き残って、俺の望みに一歩近づいた。初めて生き残ってほしい人が全滅せずに済んだ。そうすると俺の異別は、もっとできることが増える。その方法が、今打てる最大の一手だ。というかこれしかない、一度だけの最大可能性だ」

 一息。

「俺がこういう事情を伝えたら、もう俺の異別は効力を失う。最後の一回を残してな」

「最後の、一回……」

「その最後の一回は、和希の記憶と経験、異別をそのままに、やり直せるんだ」

「ははっ」

 なんだか。

 笑えてきた。

「そして、最後だから、こんなプレゼントもできる」

 パチン、と、津吉が指を鳴らした。

 すると、何かを得られたような感覚。

 自分のものに、一瞬で成った一つ。

 

 『多重機動』(デュアルシフト)

 

「前の、つまり今のこの世界の自分と、身体能力をかけることで超人的な速さ、動き、身体強度になる、なんて優れものさ」

「ははははっ」

 笑った。

 笑うしかなかった。

「ありがたいよ」

 心から。

「さて。だから、今度こそ頼むぜ。ヒーローさんよ」

「ああ、わかってる。俺はすべてを救うものだ」

 チートだ。

 チート過ぎる。

 大笑(たいしょう)する。

 だけど。

 チート上等だ。

 みんなを救えるのならば、なんでもいい。

 

「最後だからな。必ずみんなを救ってくれよ、和希。このくそったれな物語をぶち壊してやってくれ」

 俺は、今度こそ。

 自信と強さを持って、この言葉を口にした。

 

「俺にできないわけがない」

 

 津吉は笑った。

 それはもう、楽しそうに。

 

 真白の、まるで寝ているだけみたいな顔を見る。

 絶対に、今度こそ。

 守るから。

 死なせたりなんて、しないからな。

 大切なものを守るように、強く抱きしめた。

 

「手を出してくれ」

「ああ」

 右手を出すと掴まれた。

 固い堅い、託すような握手。

 

「頑張れよ、親友」

 津吉の、その言葉と共に。

 握手した手の間から、光が溢れる。

 世界を包むかのように、大きく大きく、広がった。

 

 ――――気が付くと。

 

 目の前に、黄金色の髪色をした、藍色の瞳を持つ女の子。

 

 失ってはいけなかった、喪いたくなかった、失ってしまった、大切な人。

 

 アイラが、いた。

 

 ――俺は。

 

 戻ってきた。

 

 

 




 神崎進、罪科は強欲。
 強欲の罪科異別は『異別創生(いべつそうせい)の魔眼』
 瞳が赤色に輝く。
 魔力を使用し、禍々しい破壊の権化の生物を生成する。巨大なドラゴンなどの生成だと魔力を多く使い。大型犬や虫などの方が魔力の減りが抑えられる。
 罪科異別とは別に自身の異別を持っている。異別は武器の生成。剣よりも銃類を生成する方が魔力を使う。


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22話 物語の変動

 

 

 6月15日月曜日→6月6日土曜日

 

 

 夕日が、空に在る。

 俺は、座っていた。

 ベンチに。

 

 そして、隣に。

 すぐ横を向いた、目の前に。

 

 アイラが座っていた。

 駄菓子を頬張りながら。

「…………」

 俺の口内にも、甘い味覚。

 チョコだ。

 

 幸せそうな顔で可愛らしく駄菓子を食むアイラ。

 気分が和らぐ。むしろ一気に気が抜ける光景。

 脱力する。

 安心と、呆れ、遣る瀬無さ、そんなものを感じる。

 でも。

 

 ああ。

 本当に。

 最高だ。

 アイラが、こんなに平和そうに生きているなんて。

 これ以上の良いことなんてない。

 

 アイラが駄菓子を食べ終わった。

 俺は我慢などしなかった。

 気の緩んだまま、気の向くまま。

 アイラへの想いと喜びを爆発させた。

「きゃっ!?」

 強く強く、アイラを抱きしめる。

「な、なんですか和希さん!?」

「今度こそ護るから」

「え……?」

「絶対に、護るから」

「なんのこと、ですか?」

 こんなこと言ったところで、ここにいるアイラが解る訳が無いのは分かっている。

 けれど、俺は伝える。

 これは俺の決意表明でもあるから。

「必ず為してみせるから、いなくならないでくれ。ずっと、俺の傍にいてくれ」

 俺はさらにアイラの生を感じたくて、痛くならない程度に抱く力を強くする。

「本当に、いなくならないでくれ……」

 声が、震えてしまった。

 数瞬後。

 アイラから、困惑の気配が消えた。

「私は、ここにいますよ」

 アイラは、抱きしめ返してくれた。

「いなくなったりなんてしません」

 慈しむように、抱き返す力を強くしてきた。

「大丈夫ですから」

 とても、優しい言葉だった。

 アイラらしい、言葉だった。

 アイラ、ありがとう。

「大好きだ」

「――え? …………え!?」

 アイラの顔は、急に真赤になった。

「俺の方は、問題ないからさ」

 構わず俺は、言葉を続ける。

「ど、どういう……」

「アイラのおかげで、抗える強い力を手にする事が出来たからさ」

 無の殺戮(タナトス・ゼロ)。アイラの魂、生命力、異別、それらと俺の罪科異別が感応することで生まれ出でた究極。

 アイラのくれたこの力さえあれば、俺はどこまででもいける。

「私の……?」

「だから、何も心配いらない」

 この時のアイラは、俺がやろうとしていることに不安を感じていたはずだ。

 だから、そう断言してやった。

「心配いらないって……心配しますよ。でも――

 今の和希さんは確かに、先程までと少し雰囲気が違います。けど、なぜいきなり変わったんですか?」

「あとで説明する。近々にはなると思うが」

「……必ず、ですよ?」

 アイラは、離すまいとするように俺の背に回した腕の力を強め、正面からも、求めるように体をさらに密着させてきた。

「ああ、必ずだ」

 必ず。

「なら、ちょっと安心です……」

 アイラは力んだ体を緩めて、俺に身を預けてきた。

「不思議ですね。さっきまですごく嫌な予感がしていたのに、今は全然、そんなの感じないんです……」

 しばらく、この体勢のまま。

 穏やかな時が流れた。

 

 

 

 ――――――。

 夜。

 完全な夜。

 暗闇の道。

 マンイーターと初戦闘をした道に、俺は立っている。

 あの時は、何かに駆り立てられるように焦って、救うことばかり考えていた。

 けれど、今は違う。

 心は落ち着き、凪いでいた。

 やることは、決まっている。

 迷いは、微塵もない。

 俺は、偽善者で独善的な、言葉上は偽りでしかない、中途半端なすべてを救う者だ。

 ただただ前に、進んでやる。

 

 と。

 男性の悲鳴。

 瞬。

 場の気は変動。

 単なる夜道から、戦場へと。

 

「助けてくれえええええ!」

 前にも一度聞いた、男性の助けを求める叫び。

 今度は、それを取り落とすことはしない。

 

「『総ての救済を望む傲慢な愚者よ、殺戮し、終わりの理へと導け』」

 ――無の殺戮(タナトス・ゼロ)――

 

 両目を翡翠へと輝かせ。

 両手に柄、鍔、刀身全てが翡翠色の短剣が握られる。

 絶対の信頼を寄せる事の出来る、アイラが与えてくれた力。

 悪魔やら何やらに無理矢理押し付けられた力ではなく、大切な人と共に手にした力。

 たとえ元が何だろうと、これは俺とアイラの力だ。

 故に、自信を持たない理由はない。

 

 視界の先。

 逃げてくる男性の後ろから、右腕を黒き獣へと変質させ、右目をオレンジ色に輝かせた男が迫っている。

 マンイーター。

 前の時で、本名すら知る事なく殺した男。

 妙に因縁深い、何度も戦闘を繰り返した敵。

 俺は今日、戦闘をさせない。

 

 これから始まるのは、押しつけと蹂躙だ。

 

「『喰ラエ』」

 マンイーターの詠唱。

 直後。

 右のオレンジ色の眼が、輝きを強めた。

 刹那。

 マンイーターの右腕、四肢も(かお)も無い獣。

 急速に、蠢動。

 後、伸びた。

 勢いに乗り、加速し伸びる黒き獣。

 

 必死に走る男性と、擦れ違う。

 ここで、最初にマンイーターと戦った時。

 あの時俺が手にしていたのは、頼りない木の短刀だった。

 しかし。

 今は、違う。

 両手の翡翠を、握り込んだ。

 

 黒き獣が、迫る、迫る、迫る。

 目の前の人間を喰い殺さんと、迫り来る。

 俺の眼前に、化け物の異様は肉薄。

 本能的な恐怖を感じさせるその姿。

 人など直ぐ様喰い殺せる対象でしかない、正真正銘の化け物。

 だが。

 それは以前までの話だ。

 右手の短剣を操り。

 

 翡翠一閃。

 

 ――殺戮せよ――

 

 斬り付けられた黒き獣、その根源に死の概念を確定させる。

 マンイーターの罪科異別。

 それを『殺した』。

 黒き獣は霧散、消滅。

 マンイーターのオレンジ色に輝く右眼も、ごく普通の日本人の瞳、黒目へと戻った。

 罪科異別を失ったマンイーターは戦う術がない。

 一瞬で、ただの一手で、戦いともいえない戦いが、終わる。 

 

「な――――」

 驚愕の表情で固まるマンイーター。

 いや、もう単なる一般人。

 マンイーターなどとは呼べない。

 追われていた男性はそのまま走っていった。

 

「名前」

「……?」

 怪訝な表情をし、警戒するマンイーターだった者。

 俺は、打ち倒す、倒した敵の名前ぐらい、知っておくべきだ。

 前の時で殺してしまった人の名を、知っておきたい。

 知って、刻んで、それから前に進むべきなんだ。

 それが俺なりの、けじめ。

 意味が無いことかもしれないが、俺がやっておきたいのだ。

「お前の名前はなんだ? 俺の名は相沢和希だ」

 しばらくの沈黙の後。

 身構えながら、前方に立つ男は答えた。

池谷(いけたに)……新一(しんいち)

 池谷新一。

 俺はその名を頭に刻んだ。

 

「それで池谷、人はもう殺さないか?」

 池谷は、静かに口にした。

「僕は、飢餓感に苦しみたくないだけだ……。殺す為に殺している訳じゃない。罪科異別に元の飢餓感が増幅されてもいた。僕は、生きる為に食事をしていただけだ」

 それが、池谷の譲れない理由。

 喰わなければ、救われなかったのだ。

「そうか。なら」

 俺は池谷に肉薄した。

 翡翠色の短剣を振り上げる。

「俺が救ってやる」

 短剣を池谷に向けて振り下ろす。

 物質への不干渉を選択。人体を傷つけず素通り、されど刀身は入り込む。

 

 ――殺戮せよ――

 

 池谷の飢餓感。

 それを『殺した』。

 

「これは…………」

 池谷は、己の変化に戸惑う様子を見せる。

「これでお前は普通だ。後のことは知らん」

 人を殺した池谷を警察に突き出す資格は、俺にはない。

 それが正しいのかもわからない。

 だから後のことは、俺のやりたいことの管轄外だ。

 自然に任せる。

 

 短剣を消し、俺の瞳の色は翡翠から元の黒目へと戻る。

 まだ立ち尽くす池谷に背を向け、振り返った。

 

 視界の先には、真白がいた。

「カズ、くん……」

 真白は驚愕の表情で俺を見ていた。

 そういえば、前回はここで真白に命を救われたのだった。

 だから真白がここに来るのは、必然。

「カズくん、色々どういうこと……?」

 

 さて。

 どう説明しよう。

 

 ――――。

 いや。

 それより今は。

 真白が、いるんだ。

 ここに生きて、存在しているんだ。

 生きてて、くれているんだ。

 

「わわっ!? カズくん?!」

 俺は真白を、強く強く抱きしめた。

 

 

 

「お、お邪魔しま~す……」

 真白が控えめに玄関を通る。

 俺はリビングの扉を開けた。

「ただいまアイラ」

「おかえりなさいっ」

 笑顔で出迎えてくれるアイラ。

 その後、キョトンと呆けた顔になる。

「お邪魔します、最近ぶりだねアイラちゃん」

「どうして春風さんが……?」

 俺の後ろから入ってきた真白を見て怪訝な表情になるアイラ。

「えーっとだな、真白は俺から話を聞くために来たんだ。家に呼んだのはアイラにも聞いてほしいことだからだ」

「私にも聞いてほしいこと、ですか?」

「ああ、重要な話だ」

「――はい、なら聞きますね」

 アイラは二つ返事で了承した。

 三人ともソファに座り、話す準備が整う。

「まず、二人には一から説明する」

 俺はそう切り出して、一気にすべてを話した。

 

 大罪戦争のこと。真白のこと。アイラの異別のこと。自分の過去のこと。先の結末から津吉の異別で過去に戻って来たこと。

 

 それら諸々を、時に細かく、時に大雑把に説明する。

 アイラと真白が、前の世界で死んでしまった事は伏せた。

 わざわざ伝える必要もないだろう。

 やがて、話は終わる。

 

「だから、俺はもう記憶を取り戻して、昔の事は乗り越えたんだ。今まで守ってくれてありがとうなアイラ」

「和希さん……」

 アイラは、説明しがたい複雑な表情をした。

 嬉しいような、寂しいような、戸惑っているような、安堵したような。

 そんな、どう思っているか判断しかねる表情。

 真白を見ると、こちらも考え込んでいるが大半戸惑っている顔。

 

 ――はたと至る。

 俺は、自分の事情や気持ちに駆られて、考えなしだったと。

 普通に考えて。

 こんなこと急に説明されて、素直に信じろ、受け止めろという方が無理な話だ。

 真白には説明を求められたからしたとはいえ、それでも突飛で情報量が多かったかもしれない。

 色々と詰めが甘かったか。

 配慮が足りなかった。

 どうすれば。

 どういう言葉を口にすれば、しっかりと受け止めてもらえるだろう。

 そこそこ切れると自負しているが、そこまで切れるわけでもない頭を、答えを捻り出すために無理矢理回す。

 考える。

 考えた。

 やはり、一つ一つ丁寧に説明して、段階的に受け入れてもらうしかないか。

 

「和希さん」

 思考を巡らせていると、アイラが声を上げた。

 俺を真っ直ぐに見つめている。

「和希さんがこれだけ真剣に話すのなら、私は信じます。私の異別のことを和希さんが知り得る手段も思いつきませんしね」

 アイラは一息吐き。

「そのうえで、改めて先の言葉に返答します。ありがとうと和希さんは言いましたけど、私の方こそ救われていたんですよ? 和希さんの妹として今までずっと一緒にいれて、毎日平和で穏やかに楽しく過ごせて、本当に感謝しているんですから」

 アイラは慈母のように微笑んだ。

 胸が、暖かくなった。

 アイラはそう言うが、やはり俺の方がアイラに救われている。

「和希さんが過去を取り戻して、乗り越えてくれてよかったです。関係が少し変わってしまうのは不安ですけど、それでも、嬉しいです」

「……その不安は、いらないさ」

 だって、俺は。

 

「わたしも」

 今まで考えている様子だった真白が、声を発した。、

「わたしも、信じられないほど突飛な話だけど、信じるよ。異別は様々なものが在って、言っちゃえばなんでもありだからね。そういうのが、時間遡行なんて非常識極まりないことが出来るものでも在ってもおかしくはないと思うし、アイラちゃんの言った言葉と同じだけど、わたしのことを知る手段は現実的な理由と方法であるとは思えないからね」

「そう、か?」

「それにカズくんなら信じてもいいかなって」

 俺、なら。

 前の世界で真白は、俺が初めて会った時に口にしたあんな言葉に、憧れを抱いていたと言っていた。

 あの時の、馬鹿な男の妄言なんかに。

 ――けれど。

 そう思ってもらえたのなら、それ相応のいいところ、見せつけないとな。

 やり方は、変えないが。

 独善でも偽善でも、押し切る。

 それが俺の、やりたいことだから。

 俺はそれで、救うんだ。

 

 一通り話し終えれば。

 なんのことはない。

 俺が思い悩む必要などなかった。

 彼女たちは、自分で考えて一人で受け入れて、納得してしまったのだから。

 わかってたはずのことだけれど。

 アイラも真白も、強いのだ。

 俺の戦闘能力とは、別の部分が。

 途轍もなく、強い女性たちなんだ。

 

 俺も、頑張らないとな。

 そんな強い女の子たちを、守れるように。  

「なら、信じてもらったうえで話を進める。ここから先一連の騒動が終わるまで、俺としては一つに固まってた方がいいと思うんだ。だから、二人で住むには広めだったこの家を拠点にしたい」

 真白は少し考えるそぶりを見せ。

「……そうだね。わたしもその方がいいと思う。アイラちゃんはどうかな?」

 気遣うように真白はアイラに聞いた。

「私もそれでいいと思います。より安全なら、そちらの方がいいかと」

 アイラも、了承してくれた。

「よし。決まりだな。じゃあ二人とも、今からここは拠点だ。三人で暮らすことになる。いや、まだ人数は少し増えると思うが、いいか?」

 最終確認。

「はい」

「うん」

 それに二人は、頷いた。

 

 

 話はそれで、一段落した。

 今日話さなければならないことは、他には特にないだろう。

 ――しかし。

 俺には、もう一つだけ、こんな状況でも話したいことがあった。

 むしろ、絶対に必要とさえ言えてしまうだろう。

 俺は意を決して、立ち上がる。

 突然立ち上がったことで、自然とアイラと真白の視線が俺に向く。

 俺は何か聞かれる前に、高らかに宣言した。

 

「俺は、アイラと真白、お前たち二人が異性として大好きだ。必ず幸せにするから、二人とも恋人になってくれ」

 

 ――――――――――。

 沈黙。

 静寂が、その場を席巻した。

 しばらく、空間が固まったように、そのまま時間だけが過ぎた。

 やがて。

 二人の顔が、ポンッと赤く灯った。

「な、な、か、かずき、さん、そ、それは、どういう、どういう……ハーレムがお好みですかとは、聞きましたが、ま、まさか本当だったとは……」

 ハーレムがお好み? 

「何のことだ?」

「か、カズくん……た、確かに、俺の嫁に加えてやってもいいとか初めて会った時カズくん言ってたけど、まさか本気になるとは…………それに、わたしその時にこの国は一夫多妻制じゃないですって言ったよね……?」

 一夫多妻制?

「だから何のことだ?」

 

 ――。

 ああ、そうか。

 二人にとってはつい最近の会話でも、俺にとってはそれなりに前だからあまり覚えていない。

 ということ。

 閑話休題。

 

「それに、アイラちゃんはともかく、わたしたち、知り合ったばっかりだよ? あ、でも、カズくんは先から戻ってきたんだから違うんだね。でもその前の世界のわたしのこと、わたしは知らないし、カズくんのことだって、よく知らないよ」

 

 確かに、この世界の真白はあの時を経た真白とは違うのかもしれない。

 けれど俺は、好きだ。

 真白は真白なのだから。

 

「わ、私は、和希さんと一緒にいられれば、それで……」

 アイラは、受け入れてくれそうな態度。

 しかしまだ、戸惑いが抜けていない様子。

 

「というかそもそも、気は早いけどその先の結婚とか法律上不可能だけど、そこはどう考えてるの?」

 その真白の言に、俺は返す。

 

「わざわざ結婚手続きを踏む必要はないだろう。そんなことしなくても一緒にはいられる。結婚したいのなら一夫多妻制の国へ行けばいいだけだ。資金なら働いて稼げばいい。かなりの金が必要になるかもしれないが、問題ない。俺なら出来る」

 

「…………」

「…………」

 

「すごい意気込みですね……」

「その自信はどこから……」

 二人とも、面食らったような顔。

 

「なあに、すべてを救うことに比べたら、この程度造作もないさ」

「で、でもっ! さっきも言った様に今ここにいるわたしはカズくんのことまだよく知らないから、そういうのわかんないしっ、お断り――――――ほ、保留だよ…………」

 断られるのかと思ったが、真白は数瞬硬直して黙った後、意見を変えた。

 

「私は、和希さんが好きといってくれたので、それなら他は気にしなくてもいいかなと思います。春風さんと一緒でも構いませんよ。もとより私は、和希さんのことが大好きなので。そのぐらいは許容範囲内です」

 正直、最初は二人ともに断られると思っていた。

 しかしアイラは、予想以上に懐が深い女の子だったようだ。

 

「でも、ハーレムを志したからには、差をつけては駄目ですよ? 平等に愛を与えてくれないとイヤです。二人とも必ず幸せにするといったことも、嘘にしたら悲しいですよ?」

 覚悟を確かめるように、アイラは微笑み、しかし瞳は真剣に、釘を刺してきた。

「ああ、わかってる。それが困難なことも、十分承知したうえでの宣言だ。だが、俺はやる。二人と共に在りたいから。恋仲にならなければ、どこかで別れは来てしまうから、俺はそれが認められない。だから、二人とも離さないために、ハーレムを作るんだ。幸せにして、それを二人に許してもらうんだ」

 

 たとえどんなに困難でも、俺は二人とこの先も歩みたい。

 すべてを救うことに比べたら、大したことではないとは思う。

 だが、手を抜いたら達成など不可能なことなのは理解している。

 故に俺は、本気で、全力だ。

 全霊を以て、ハーレムを創る。 

 だから。

 

「真白」

「む、無理だからね?」

 声を掛けると身構える真白。

「絶対にお前に認めさせてやる。だから、これからを見ていてくれ。真白もアイラも、何が何でも幸せにして嫁にするからな」

 俺は真白のヴァイオレット色の綺麗な瞳を見つめて、言葉を伝えた。

 

「…………」

 真白は、困ったような表情をしていた。

 

 



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23話 和希さんハーレム

 

 

 6月8日月曜日

 

 

「アイラちゃんの料理美味しいね!」

「ありがとうございます」

 朝食を、三人でとっていた。

 前の世界と同じく、真白はアイラの料理を気に入ったようだ。

 俺は味噌汁を啜る。

 美味い。

 

 真白は昨日この家に泊まり、そのまま朝を迎えている。

 客間があったのでそこを真白の部屋としたのだ。

 

 朝食後の一時。

「それで、これからどうするの?」

 ソファに座りながら真白が話を切り出した。

「そうだな。まずはアイラと真白には学校を休んでもらう」 

 二人はキョトン、とした顔。

「今日は日曜日なので学校はありませんよ?」

 アイラが言う。

「ああ、そうだったか。まあ、明日からという意味でだ」

「そこまでする必要あるの? 学校内にはいるんだから別に――」

「駄目だ」

 真白の言葉を俺は遮って言った。

 少しでも離れたら、その間に襲撃されて取り返しのつかないことになるのではないか。

 そんな不安が付き纏う。

 敵が来るタイミングは前回を経て知ってはいるが、もし万が一違うことが起きないとは限らない。

 もう、前みたいなことは繰り返したくない。

「カズくん慎重すぎじゃない? わたしだって戦えるんだよ?」

「それでもだ」

 真白は、考え込んだ。

 

「和希さんは、前の世界のことがあるから慎重になっているんですよね」

 アイラが口を開く。

「まあ、な」

 なんとしても喪いたくないから、慎重になり過ぎている節があるのは認める。

 だが、生きるか死ぬかの瀬戸際では、慎重すぎるぐらいがちょうどいいだろう。

「ん~、確かにそれなら、先を知ってるカズくんの言うとおりにした方がいいとは思うけど。学校よりも命の方が大事なのは当たり前だしね」

 アイラのフォローもあり、真白は意見を変えた様子。

「わかってくれたか」

「うん、ぶっちゃけ最初からそこまで反対してたわけじゃないよ。ただ反対意見も言っといた方がいいかなって。カズくんがどこまで本気なのかちょっと知りたくて」

「試したのか?」

「まあね」

 さらりと真白は言ってのけた。

 確かに、真白なら慎重になり過ぎることの重要さは俺よりも解ってるかもしれない。

 信じるとは言ってくれたが、完全に信頼してもらうにはまだ今の真白が見た俺の実績が足りないのだろう。

「では、しばらく学校休んでできる限り一箇所に固まる。これでいいな?」

「はい」

「うん」

 二人は肯定の意を示した。

 

「それで今日することだが、実は夕方までは特にない」

「ないの?」

「ああ」

 今日は、詩乃守に会いに行きたい。

 しかし、俺は詩乃守の家も学校も知らない。

 唯一知っている会えるであろう場所は、河川敷だけだ。

 そして確か、俺の記憶違いでなければ今日の夕方に詩乃守は河川敷に来ていたはず。

 よって夕方までは特に重要なやることはない。

 

 今からやれることは他にもありはする。

 津吉と合流するという手もある。

 しかし、津吉の力は直接戦闘では意味を成さない。

 だったら共に行動したところで危険な目に遭わせるだけだろう。津吉は大罪戦争に巻き込まれた訳ではなく、狙われる立場にはないのだから。

 それに、津吉は俺にすべてを託してくれた。

 今更頼ることはしたくない。

 後は、俺が何とかする番だ。

 

 他には、鈴倉や蕪木の居場所はわかっていて、行くこともできる。

 だが、不確定要素は増やしたくない。

 夕方より先に時間が食い込んでしまう可能性がある。

 そうすると詩乃守に今日会えない可能性が出てくる。

 だから、夕刻まで特にやることはない。

 まずは詩乃守優先だ。

 あの、俺の妹に似た女の子を守ること。

 アイラと真白が傍にいる現状では、それが第一なんだ。

  

「じゃあ、このままここにいるの?」

 真白が首を傾げて問うてくる。

「それでもいいが、一つ試してみたいことがある。だから三人で出かけよう」

 そうして、アイラが待ったをかけたので準備をしてから、三人で家を出た。

 

 

 俺たちの住む宮樹市は、山に面した町だ。

 その山の中に、ぽっかりと空いた広場のような地帯がある。

 木々に囲まれ、下草の生えた休憩所。

 俺は小さい頃からこの場所を秘密基地のように扱い、鍛錬をするために訪れたこともある。

 この場所はいつも人気(ひとけ)がない。

 辿り着くまでが少々面倒で、その割に景色も良くない、そこまでいい場所というわけでもないのが誰も来ない要因だろう。

 そんなところに、俺たちは三人で訪れていた。

 

「へえ~、こんなところにこんな場所があったんだ」

 真白は物珍しげに辺りを見回している。

 アイラは俺と来たことがあるのでいつも通りだ。

「それじゃ、俺は練習するからそこら辺にいてくれ」

「はい」

「そこら辺って、アバウトだね」

 三人で一緒にいた方が良いと思ったからついて来てもらっただけで、特に二人にやってもらうことはない。

 アイラと真白は、少し離れた位置で並んで体育座りをした。

 

 俺は一つ息を吐き、意識を切り替えた。

 『多重機動』(デュアルシフト)

 前の世界の自分と身体能力をかけることで超人的な速さ、動き、身体強度になる異別。

 他の異別と例に漏れず、魔力を消費したうえで、だが。それでもなお強力。

 今日は、これを試すためにここへ来た。

 津吉から受け取ったこの力は、俺の異別とは違い自分の内から覚醒した能力ではないので、詳細を完全に把握できているわけではない。

 だから池谷との時も、自分の――アイラと俺の異別しか使わなかった。

 なので練習し、自分の力にする必要がある。

 この先も、戦いは続くのだから。

 

 多重機動(デュアルシフト)

 力を行使する意思を持つと、即座に呼び起こされた。

 全身に、何かが回ったかの如く、オーラか何かでも纏ったような感覚。 

 とりあえず、動いてみることにする。

 前に走り出す。

 

「――」

 以前よりも、何倍も速い。

 超人と呼べるほどの、常人ではいくら鍛えても不可能な速度。

 それに、既に最初からかなり身体に馴染んでいる。 

 凄まじい速度にも拘らず、目まぐるしく進んで行く景色に戸惑わずに動くことができている。

 津吉がそれなりに調整してくれていたのか、それともそういうものだったのか。

 とにかく、すぐに戦法として使えるだろう。

 

 ――――。

 しかし。

 まだ完全には馴染んでいなかったのか。

 

 ガッ。

 爪先に、地面に食い込んでいた石が引っかかった。

 すっ転ぶ。

 顔面から。

 まるでムーンサルトキックを失敗した様に。

 どべしゃっ。

 

「――あはははっ! カズくん今の流れすごかったよ。面白い見事な転び方だったっ」

 真白が俺を指差し大笑い。

 あんにゃろー後でひいひい言わせてやる。

「大丈夫ですか和希さん!?」

 アイラは優しいな。だが大丈夫だ。身体強度も上がってるからこれぐらい掠り傷にもならない。

 それを手を挙げて振ることで伝えた。

 

 体に付いた土を払いながら立ち上がる。

 さて、気を取り直して練習だ。

    

 

真白side

 

 

「頑張ってくださーい!」

 アイラちゃんがカズくんに声援を送っている。

 カズくんはもの凄い速度で走り、そこからサイドステップに移り、バックステップ。

 あのスピードで多彩な動きを見せていた。

 頼もしいな、とは思う。

 でも。

 

『俺は、アイラと真白、お前たち二人が異性として大好きだ。必ず幸せにするから、二人とも恋人になってくれ』

 

 恋人。

 ハーレムかあ……。

 正直、多分前の世界の感覚があるからなのかもしれないけど。

 カズくんと恋人になることは、いやじゃない。

 いやじゃないんだけど。

 

「アイラちゃん、ちょっと話いい?」

「? いいですよ」

 アイラちゃんは首を傾げ、それでもイエスの返事をした。

 わたしは意を決して口を開こうとする。

「それでね、えっとね……」

 だけどなかなかうまくいかない。

 アイラちゃんは微笑んで待っててくれている。

 ……んーーーー!

 パンパンッ!

 わたしは両掌を両頬に打ち付けた。

 いきなりの行動にアイラちゃんは目を丸くしている。

 落ち着こう。

「ふーーーー……」

 息を吐く、ゆっくり吸う。

 落ち着いた。

   

「それで話だけどね」

「はい」

「アイラちゃんは本当にいいの? カズくんと二人っきりがいいんじゃないの?」

 

 そう。それが問題なんだよ。

 アイラちゃんは見る限り、ずっとカズくんのことを想い続けてきたんだと思う。

 そんな関係に、ぽっと出のわたしが割り込んでいいのかなって。

 せっかく、両想いなのに。

 アイラちゃんからしたら、やっと両想いになれたってことだと思うし。

 だから、カズくんに少し冷たくしちゃった。

 意味の無い試すような真似なんかもしてしまった。

 さっき転んだのは心配したけど、思わずからかっちゃった。

 転び方が面白かったのは本当だけど。

 

「アイラちゃんは実際どう思ってるのかな? カズくんが無理に言ってるから我慢してるんじゃないの? それだったらわたしからも言ってあげようか? 協力するよ」

 沈黙、数瞬の時間。

 アイラちゃんは一度目を瞑り。

「春風さん」

 わたしの名前を呼んでから目を開けた。

「私は和希さんに愛してもらえて、傍にずっといられればそれで満足なんです。あとは、和希さんがやりたいことなら、それを突き進んでほしいんです。私、和希さんが何かを目指す姿が大好きなんです」

 屈託のない純真な笑顔で、アイラちゃんはそう言った。

 

「っ…………」

 その笑顔は、わたしみたいな女の子でも見惚れるほどだった。

 わたしは頭を抱える。

「あぁ……カズくんはなんでこんなにいい子がいるのに、わたしなんかにまで手を出しちゃったかなあ……」

 誰にも聞こえないほど小さな声で、呟いた。

 

「それに」

 アイラちゃんは、さらに言葉を続けた。

「それに?」

 今度はわたしが首を傾げる番だ。

「私、春風さんのことも好きです」

「え?!」

 そ、それは、両方いけるっていうこと!?

「なんだかお姉ちゃんみたいで」

「あ、ああ、そういう……」

 変なこと考えちゃってごめんなさい。

 

「なんででしょうね、少ししか一緒に過ごしてないのに、春風さんにはなんだか親しみを覚えてしまって」

「あ、それわたしも感じたよ」

 不思議と会ったばかりに思えない感覚。

 カズくんにも、アイラちゃんにも。

 やっぱりそれは、カズくんが話した前の世界のことが関係しているのかな。

「だから和希さんハーレムの一員として末永く仲良くできたらなって思います」

「和希さんハーレム……」

 そのネーミングはちょっと……。

 

「なので、春風さんじゃなくて、真白さんと呼んでもいいですか……?」

 上目遣い。

 か、かわいい。

 こんなの、断れるわけないよっ。

 断る理由も、ないし。

「うん、いいよ。わたしもアイラちゃんって呼んでるし」

「はいっ。ありがとうございます。なぜか、春風さんより真白さんの方がしっくりくるんですよね」

「呼ばれるわたしも、なんでかそう思ったよ」

 おさまるべきところにおさまった、みたいな。

 

 これで、アイラちゃんに遠慮する必要はなくなった、ということなんだろうけど。

 カズくんと、か……。

 どうなんだろう。

 アイラちゃんの好意に、甘えちゃってもいいのかな……。

 

 

side return

 

 

「和希さーん! お昼ですよーー! お昼ごはん食べましょーー!」

『多重機動』(デュアルシフト)を行使した動きが板についてきた頃、アイラが手を振りながら俺を呼んだ。

 異別の効果を解いて一息吐き、二人の元へ行く。

 

 歩きながら、思う。

 アイラと真白に、仲良くなってほしいと。

 今の仲が悪いわけではないが、前の世界ではさらに一段仲が良かっただろう。

 なにしろアイラが真白のことを苗字でなく名前で呼んでいた。

 この世界でもそうなったらいい。

 これから二人も俺と共にいる予定なのだから、仲良くいてほしい。

 三人で笑って進んで行きたいんだ。

 強制するんじゃなくて、以前のようにアイラ自身から呼びたいといわなければ意味がないが。

 それで、二人にぐっと親密になってもらうにはどうしたらいいのか。

 それを考える。

 どんな方法がいいだろう?

 

 そんなことを考えながら二人の元へ着くと、下草生える地にシートが敷かれ、その上に重箱に入った弁当が広げられていた。

 一人一人に弁当箱が用意されているのではなく、みんなでおかずをつっつけることに特化した様式。

 アイラが出かける前に待ったをかけた理由がこれだ。

 弁当を作る準備時間が欲しいとアイラは朝に言ったのだ。

 

 俺はシートに腰を落ち着ける。

「真白さん、もっとこっちへ来てください」

「「ううぇええ?!」」

 俺と真白の声がハモった。

 俺は今しがた考えていたことが何もせずに叶った発言をアイラがしたもんだから驚愕。

 しかし真白は何に驚いておかしな声を上げたのか。

 これがわからない。

 真白が小声でぶつぶつ言う。

「……わたし少しは遠慮しようとしたのに、まさか自分から他の女を誘い込むとは思わなかったよ……アイラちゃん懐深すぎぃ……」

 バッチリ聞こえていたが、つまりどういうことだ。

 アイラが真白に近づいてほしいといったことがそんなに異常なことだろうか。

 むしろ名前で呼んだことの方が一大事だと思う。

 

「ずいぶん、仲良くなったみたいだな」

 俺がぼそりと言葉を出すと。

「はいっ。私たち仲良しなんです」

 アイラは満面の笑みで返答。

「うん、アイラちゃんはほんとにいい子だよ。いろいろ天然でやってそうなところが特に……」

 真白は微笑んで達観したような眼差し。

 後半はアイラには聞こえなかったようで首を傾げている。

 

 なにはともあれ。 

 驚くほどの速さで仲良くなったな。

 俺がなにかをするまでもなく、急接近だ。

 女の子はみんなこうなのだろうか。

 それともこの二人が特殊なのか。

 

 ――まあ。

 仲良きことは美しきかな。

 俺もそれを望んでいた。

 嬉しいことである。

 

 俺は用意されていた布巾で手を拭き、いただきますと合掌してから箸を取った。

 そうすると続くように二人もいただきますという。

 アイラが作った弁当箱の中身は色鮮やかだ。

 から揚げや卵焼きやおにぎりやプチトマトがある。

 今日も、美味そう。

 

 美味い。

 そう感じながら食事を続けていた。

「アイラちゃんの料理やっぱりおいしー!」

 真白が幼子のような笑みを浮かべながら卵焼きを頬張る。

「ありがとうございます」

 アイラはニコニコ顔でその様子を見ている。

 

 …………。

 なんか。

 なんだか。

 前の世界でも思ったが。

 本当に、姉妹みたいだ。

 二人を取り巻く光景が輝いている。

 澄んだ湖のほとりで戯れている妖精のような二人。

 暖かく綺麗な奇跡的空間。

 俺はこの貴き光景を堪能する。

 同時に、守り抜かなければと強く思う。

 俺はそのために、戻ってきたのだから。

 

 さらに食事を続けていくと、ほとんどの食べ物がなくなってきた。

 アイラはそこまで量を食べれる方ではないので、少し前に食べる手を止めている。

 俺と真白はまだ食べる手を止めていない。

 この調子だと弁当の中身がなくなるまで真白も食べ続けるだろう。

 今も美味そうな顔をしながらおにぎりをペロリと口に入れている。

 

 必然。

 重なった。

 箸が。

 から揚げを取ろうと俺と真白の箸が同時に掴み、ぶつかり合った。

 お互いの視線もぶつかり合う。

 

「……カズくん、ここは譲ってくれないかな?」

「……そういえば真白、お前さっき俺が転んだのを笑ったよな? あれ普通だったら怪我負ってたレベルの転倒だったんだが?」

『多重機動』(デュアルシフト)が在ったから全くの無傷だったが。

「そ、それは悪かったと思ってるけど……それとこれとは話が別じゃないかな?」

 真白は気まずそうに視線を落とす。

「いいや、別じゃない。ここは俺にお詫びと思ってから揚げを譲るべき場面だ」

「で、でも……」

 ぐいぐいとさっきから、から揚げを箸で引っ張り合っている。

 会話をしながら、その小さな攻防は続く。

「でもじゃないだろ」

 ぐいぐい。

「だって……」

 ぐいぐい。

「だってもヘチマもねえ」

 ぐいぐい。

 

「二人とも、お行儀が悪いですよ」

 ぴしゃりと、アイラの声が俺たちの間を通った。

 人差し指を立てながら眉を逆ハの字にしてアイラが俺たち二人を見ている。

「ここは平等にジャンケンで決めるべきです」

「平等……?」

「ジャンケン……」

 俺と真白は静かに呟いた。

「まて、アイラ。それは平等ではないぞ。真白のお詫びはどうなる」

 

「和希さん」

「はい」

 

 その時俺を呼んだアイラの声は、即丁寧な返事をしてしまうほどの何かがあった。

「そんな細かいことを気にしてはいけません」

「はい」

「いいですね?」

「はい」

「ではジャンケンですっ」

「はいっ」

 

「か、カズくん、ほんとにさっきのはわたしが悪いから……ごめんなさい」

 真白は思わずあの程度のことで平身低頭謝ってしまっていた。

 俺も怒っていたわけではないし、から揚げを手に入れるためと、からかうネタ程度にいっていただけなのだが。

「き、気にするな。それよりジャンケンだ」

「うんっ、そうだね」

 

 結局ジャンケンは俺がグーを出して負け、から揚げは真白のものとなった。

 

 



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24話 だからハーレムを作ることを躊躇わない

 

 

 夕刻。

 俺とアイラと真白は、河川敷に来ていた。

 詩乃守はもうすぐこの場所に来るだろう。 

 

 川のせせらぎを聞き、夕日を眺めていると。

 道の向こうから、詩乃守の姿が見えた。 

 

 アイラが詩乃守を視界に収めて、呟く。

「あの時は言いませんでしたけど、あの子、華怜(かれん)ちゃんに似てますよね」

「ああ」

 黒髪の色合い、顔立ち、纏う雰囲気が、そっくりだ。

「とっても、かわいい子です」

「ああ……」

 妹の華怜も、あのまま成長してたらこうなってたのかもな。

「でも、似てるだけだ。詩乃守は詩乃守だ」

「はい……。それは、そうですね」

 少し寂しそうな微笑みと声色で、アイラはそう言った。

 

 詩乃守も俺たちの姿を見止めたからか、こちらに近づいてくる。

 詩乃守が、生きている。

 彼女の姿が接近して来ると共に、その思いが強くなる。

 一度守れなかった、妹に似た女の子。

 でも、また会えた。

 アイラや真白と同じように、また会えたんだ。

 熱を持った感情が広がっていく。

 俺は詩乃守の元へ歩き出していた。

 

「相沢先輩、女のひと二人連れてどうしたんですか?」

 声が届くところまで近づくなり詩乃守はそんな言葉を放った。

 俺はさらに距離を詰める。

「お前を迎えに来た」

 気障(きざ)っぽいだろうかと思ったが、そんなことはどうでもよかった。

 実際言葉に偽りはない。

 俺は手を差し伸ばす。

「迎えにって、私を……?」

「ああ」

「どういうことですか?」

「そのままの意味だ」

「そのまま?」

 疑問符を周囲に漂わせて首を捻る詩乃守。

「大罪戦争」

「――!」

「罪科異別」

「――っ」

「わかるだろ? だから、詩乃守を助けに来た」

「助けにって……なんで……」

 詩乃守は、希望に縋りたい気持ちを抱きながらも、戸惑ってどうすればいいかわからない、多分、そんなような表情をしている。

 

 ――助けてくださいっ!

 

 この子は以前、俺にそういった。

 過ごした時間は少なくとも、仲良くなった後輩。

 妹に似ているとか、それが全くないとは言わない。

 だけど、それがなかったとしても、俺は詩乃守を助けたい。

 詩乃守はすでに、俺の数少ない大切の一員になってしまっているのだから。

 

 俺は、戸惑う詩乃守の手を取り、引き寄せた。

 抱きしめる。

「わきゃっ」

 変な声を上げる詩乃守。

「な、なにしてるんですか!? セクハラで訴えますよ……!?」

 それはまずい。

 だが、俺は構わずそのままでいた。

 戸惑いと不安を消してやるために、言葉を向けた。

 

「お前は戦わなくていい。後は全部俺に任せろ」

「――――」

 力があるのなら、戦えなんていわない。

 協力してもらった方が勝率が上がったとしても、俺はいわない。

 たとえ力があっても、怖いものは怖いのだから。

 死ぬときは、あっけなく死んでしまうものだから。

 戦いたくないやつは、戦わなくていいんだ。

 詩乃守は、戦わなくていいんだ。

 

 そもそも、詩乃守は巻き込まれただけだ。

 俺も含め他の大罪者と違って、完全に徹頭徹尾巻き込まれただけだ。

 それにこんなに震えている。

 詩乃守の、今まで怖かったんだよ、という感情が至近距離から伝わってくる。

 こんなにもか弱い女の子が、戦えるかよ。

 

 俺の服の胸辺りは、いつの間にか濡れていた。

 詩乃守が、少し鼻声になりながら声を発する。

「怖かった……」

「ああ、もう怖くない」

「不安で、堪らなかった……」

「ああ、もう安心だ」

「全部、本当に任せてもいいんですか……」

「ああ、全部俺に任せろ。約束だ」

 

 前に、果たせなかった約束だ。

 だけど、今度こそは必ず。

 

「相沢先輩は、すごいですね……」

 すごくねえよ。

「ああ、俺はすごい」

「ふふ……っ」

 詩乃守は、涙を流しながら少し笑った。

「なら、そんなすごい先輩に私は身を委ねます」

「ああ」

「助けてください」

「ああ、(たす)けてみせる。契約だ」

「契約ですか」

「ああ」

「ふふ……」

 その詩乃守の笑みは、妹が兄に向ける信頼の笑みのようで。

 俺は呆けて、しばらく見つめてしまった。

 

 …………。

 ……。

 

 それから。

 詩乃守の許可を取って、異別で詩乃守の両親の娘に関する記憶を一時的に殺させてもらった。

 守るために、拠点となった俺たちの家にいてもらう必要があるから取らせてもらった処置だ。

 詩乃守の両親には悪いが、少しの間友達の家に泊まるものだと考えれば罪悪感も薄まった。

 まあ、あくまで一時的なものだ。

 

 詩乃守の罪科異別も、無くしていいか聞いたあと殺させてもらった。

 罪科異別が在れば自衛の手段にはなるだろうが、そもそも大罪者で在り続けることの方が危険だ。

 大罪者でなくなれば大罪戦争から脱落し、誰からも狙われることはなくなる。

 それに、もし危険なことがあったとしても、俺が護ればいいだけなのだから。

 

 そして、家に帰ってきた。

「ここが先輩の家ですか」

「今は俺たち四人の家だな」

 そういいながら玄関を開け、俺を先頭に四人で入っていく。

 そのままリビングへ。

「へ~いい家ですね」

「無難な感想ありがとう」

 詩乃守の本音なのかお世辞なのか判らない発言に返答していると。

 

「ところでカズくん」

 真白が話しかけてきた。

「なんだ?」

「その子もハーレムの一員なの?」

「え」「違うぞ?」

 詩乃守と同時に言葉を発した。

「とてもそうは見えなかったんだけど」

「そうですね、完全にヒロインの顔でした」

「ヒロインの顔ってなんだよ」

 真白に同調したアイラの言葉に素で困惑する。

 たまにアイラは変なこというな。

「隠さなくてもいいんだよ? もうすでに二人いるんだから今さら怒らないよ?」

「私も、ハーレム仲間が増えるならそれはそれでいいと思います。ですけど、ちゃんとみんなを愛してくださいね?」

「詩乃守はそういうのじゃねーよ」

 大切な妹みたいな後輩だ。

 多分。

「本当に?」

「本当ですか?」

「ああ。大切な後輩、それ以上でも以下でもねーよ」

 多分。

「そうかなー?」

「そうですかー?」

「お前らほんとに姉妹みたいになってきたな……」

 息ピッタリすぎだろ。

 

 そこで、呆けたまま黙っていた詩乃守がおずおずと話に入ってきた。

「あの……なんの話ですか……?」

「和希さんハーレムの話です」

「そう、和希さんハーレム」

「なんだその名前」

 間違ってはいないが。

 なんか言葉にするとアレな感じが。

 陳腐というかアホっぽいというか。

 

「で、実際どうなの? え~と、詩乃守ちゃん?」

 真白が矛先を詩乃守へと移した。

「え? 私は、後輩ですよ――」

 詩乃守は数秒考えるように呆けた。

「はい、後輩です」

「なんだ今の間は」

 思わず俺が突っ込んで訊いてしまった。

「なになに? やっぱりそうなの?」

「そうなのってなんだよ」

「詩乃守ちゃんもやっぱり恋人なんですか、ということですよ」

「アイラ、丁寧に解説しなくていい」

 

「いえ、ただ……」

「「「ただ?」」」

 

「相沢先輩と会うのは二度目くらいのはずで、知り合いになったばかりみたいなものなのに、何度も会ってる感じがするんです」

 

「「「…………」」」

 それは、前の世界での。

 いや、さらに前の世界含めて全てのことか。

 俺は、前の世界からしか正確な記憶は持っていないが。

 少しは、俺以外にも記憶の引継ぎがあるということなのか。

 詩乃守の様子を見るに、本当に微々たるものだろうけれど。

 

「詩乃守、それはだな――」

 ということで、詩乃守にも説明することにした。

 友のおかげで、過去に戻ってきたことを。

 

 …………。

 ……。

 

「なるほど……そういうことだったんですね」

 詩乃守は過去の感覚も相まって信じてくれた。

 

「そういえば、自己紹介がまだだったね。わたしは春風真白、カズくんの……恋人なのかどうなのかよくわからない存在だよ」

「私は、今は相沢アイラです。和希さんの妹をしていた現恋人ですよ」

「うおぅ……濃い自己紹介ですね……私は詩乃守姫香です。中三です。これからよろしくお願いします」

「うんっ、よろしくね」

「よろしくお願いしますね」

 

 何とかみんなうまくやっていけそうな雰囲気だ。

 ハーレムの話は有耶無耶になってくれたのでよかった。

 閑話休題。

 俺は先から目についていた物について口にした。

 

「詩乃守はぬいぐるみが好きなんだな」

 そう、詩乃守はこの家に来る際、自分の家からぬいぐるみを持ってきていた。

 こんな時に持っていたいほど好きなのだろう。

「はい。かわいいですから」

 二つのぬいぐるみをぎゅっと抱き直す詩乃守。

「それ、俺が取ってやった奴だろ?」

 ぬいぐるみの片方を指さす。

 鳥のぬいぐるみだ。

「はい、最近のお気に入りです」

「そうか」

 鳥のぬいぐるみに頬ずりする詩乃守。

 そういえば躍起になってUFOキャッチャーで取ろうとしてたっけ。

 あれ、取れなかったのが悔しくて意地になってたわけじゃなくて、本当にそれほど欲しかったから躍起になってたのか。

 元から詩乃守が欲しかった物だとはいえ、自分があげた物をこんなに大切にしているのを見るとこちらも嬉しくなる。

「それで、こっちの方は昔お父さんからプレゼントされたぬいぐるみです。いつも抱いて寝てます」

 抱いていたもう一つのぬいぐるみを示して詩乃守は言った。

 猫のぬいぐるみだ。

 それから詩乃守は訊いてもいないのに語り始めた。

 やれ材質がどうのやれ容姿がどうのと、饒舌に。

 俺はそれを聞き流しながら、思う。

 

 この子、かわいい。

 恋人にしたい、と。

 

 ただの後輩?

 詩乃守はそういうのじゃない?

 いやいやいや。

 気に入った女は嫁にする、常識だ。

 

「詩乃守」

「はい? なんですか?」

 ぬいぐるみ語りを中断されキョトンとした顔。

「好きだ。恋人になってくれ」

「「「は?」」」

 詩乃守、アイラ、真白、三人の声が重なった。

 

「え? ……え? なんで……?」

 困惑、当惑、混乱、みたいな様子で固まる詩乃守。

 一足先に固まりから解放された真白とアイラが言葉を発する。

「やっぱりハーレムの一員にするつもりだったんじゃん!」

「やはりそうでしたか。私はそれでいいと思います。何度も言うようですが、ちゃんと愛してくれれば」

「だからアイラちゃん懐深すぎぃ……」

「詩乃守ちゃんもかわいくていい子そうですし」

「確かにそうなんだけどぉ……」

 

 そんな言葉が交わされるうち、詩乃守も固まりから解放され。

「先輩。私たち知り合ったばかりですよ……?」

「さっき色々説明しただろ? だからそうでもない」

 前の世界とか、きっと覚えてないその前の世界やそのまた前の世界でも逢っているはずだ。

「で、でも、こんなにかわいくて綺麗で素敵な人が二人もいるじゃないですか」

「ああ、そうだな」

「私、必要ないじゃないですか」

「そんなわけがない」

 

 かわいくて好きな女の子はそばに何人いてもいい。

 大切な人は、みんなそばにいてほしい。

 別離は悲しく、受け入れがたい。

 恋仲にでもならなければ、それはいつか必ず来る。

 離れないで、自分のそばにずっといてほしい。

 喪い続けた俺が至った結論だ。

 だからハーレムを作ることを躊躇わない。

 

「私に二人と同等の女の子としての魅力があるとは思えません」

「俺は思うぞ」

「うぅ……」

 詩乃守は頬を朱く染めて俯いてしまった。

「もう一度言う。詩乃守、好きだ」

「うぅ~~~~~~っ!」

 唸る詩乃守。

「恋人になってくれ。今すぐじゃなくてもいいから。今結論が出せなくてもいい。好きになってもらえるまで好意をぶつけ続けてやるから」

「――ば、ばか! 相沢先輩、ばか! あ、あと、あほ!」

 真っ赤な顔で涙目になり、そんな言葉を撒き散らして詩乃守はリビングから走り去ってしまった。

 部屋の外から階段を上がるドタドタという足音が聞こえた。

 

 静かになるリビング。

 ポツンと残される俺たち三人。

「あぁー……カズくん、どうするの? 詩乃守ちゃんちょっと泣いてたよ?」

 真白は辟易した顔で俺に問う。

「なんとかするさ」

「和希さんなら、幸せにできますよね?」

 絶対の信頼を湛えた笑顔で、アイラはそう言った。

「ああ、必ずしてみせる」

 これは、決定事項だ。

 失敗してはならない、俺がやるべきことだ。

 ずっとそばにいてもらうためには、最低限為さねばならないことだ。

 俺はみんなを、幸せにする。

 

 

 とりあえず今日は詩乃守を引き入れて目的は達成だ。

 詩乃守は夕飯の時にさっと戻って来て何も喋らずさっと食べてさっと出ていってしまった。

 今日はもう話しかけない方がよさそうだ。

 その後順番で風呂に入り。

 空き部屋に一人でいた詩乃守をアイラと真白が連れ出して、三人でアイラの部屋で寝ていた。

 俺も寝ることにした。

 三人と一緒に寝たかったが、自分の部屋で一人で。

 明日も、頑張ろう。

 

 



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25話 ハーレム入り

 

 

 6月9日火曜日

 

 

 小鳥のさえずり。

 白い陽光。

 カーテンの隙間から。

 

 朝だ。

 起きた。

 着替えよう。

 

 着替えた。

 顔を洗わなければ。

 部屋から出た。

 

「…………」

「…………」

 

 詩乃守がいた。

 ちょうど、アイラの部屋から出てきたところだった。

 

「おはよう詩乃守」

「…………おはようございます、相沢先輩」

 詩乃守はそれだけ言って、踵を返して階段を下りていった。

 二回の廊下には沈黙が降りる。

「なんとか、しないとな」

 挨拶は、してくれたけれど。

 一息吐き、俺も階段を下りた。

 

 

 

「…………」

「…………」

 四人での、静かなる朝食。

 

 真白とアイラは、こそこそと話している。

「アイラちゃん、これ大丈夫かな」

「和希さんなら大丈夫です」

「絶対の信頼だね」

「信じてますから」

「ん~、じゃ、お手並み拝見だね」

 

 小声だが丸聞こえだ。

 好き勝手言ってくれる。

 だが、それなら魅せてやろうじゃないか。

 ハーレムを目指す男の、やり方というものを。

 

「詩乃守、いいか?」

 詩乃守は食パンを齧りながら目を逸らし。

「いやでふ」

 食べ物が口の中に入っているので大変可愛らしい返事が返ってきた。

「そうか。いやか。でも続けるからな」

「ならなんで訊いたんですか」

「一応だ。それで、まずは腹を割って話そうと思う」

「腹を割って話す?」

「ああ、そうだ」

 

 結局、正面からぶつかるしかない。

 好きな女を落とす術なんて、恰好の良いものを俺は持ち合わせていない。

 だから、思いのたけをぶつける。

 それしか俺には、出来ない。

 

「初めに、俺が詩乃守の好きな所を話す」

「え」

「可愛いものが好きな所が好きだ」

「え!?」

「ここ最近は出ていないが、中二病な所も好きだ」

「ええ?!」

「その黒髪が好きだ」

「――!」

「そのツーサイドアップが好きだ。ストレートでもかわいいと思うが」

「――!?」

「頭頂から生えているアホ毛が好きだ」

「……!」

 詩乃守のアホ毛がぴょこんと揺れた。

「その顔が好きだ。黒い瞳も好きだ」

「あぁ……」

 詩乃守の顔が真っ赤に染まっていく。

「その白い肌が好きだ」

「ぁぁぁ……」

 首筋も朱く染まっていく。

「今は付けていないが、黒い眼帯や腕に包帯を巻いた姿も好きだ」

「ひぅ……」

「その薄いピンクのワンピースを着た姿が好きだ」

「……っ」

 詩乃守の身が震えた。

「声が好きだ」

「……っ!」

「つまりその姿も、性格も、全部が好きで大切だ」

「はわわわわわわ」

 詩乃守は変な声を発しだした。

 

「普通の、争いなんてしたくないと思っている、か弱い女の子な所が好きだ。守ってやりたくなる」

 

 そこで、俺の詩乃守の好きなとこ羅列は終わる。

 静寂。

 詩乃守は身体をプルプルと震わせている。

 まるで何かを発散する前の様に。

 

「な、なんですか! その褒め殺しわぁ!!」

 爆発した。

「ほ、本当にそんなこと思ってるんですか!?」

「当たり前だ」

「適当に言ってるだけなんじゃないですか!?」

「そんな訳がない」

「そ、そんなこと……!」

 詩乃守は俯く。

 

「まあ、落ち着け。まだ話は終わっていない」

「まだ何があるっていうんですか……」

「詩乃守、俺の何が嫌か言ってくれ」

「え……」

 詩乃守は顔を上げて呆けた。

「嫌な所があるなら直すからさ、詩乃守好みになるよう頑張るからさ」

「そ、そんな……」

 詩乃守は慌てたように首を振った。

 

 そう、俺が拒否されるということは俺に対して何か嫌なことがあるということだ。

 俺はそれを無視して好きだから恋人になってくれなんて無理は言えない。

 幸せにしたいから。

 楽しく笑っていてほしいから。

 だから、俺にとって相手が最高であるように、俺も相手にとっての最高になりたい。

 釣り合わなかったら、釣り合うようにもっといい男になるだけだ。

 だから、詩乃守がどう思っているか知りたい。

 俺に駄目な所があるなら、それを詩乃守が嫌といったなら、直したい。

 そして、好きになってもらいたい。

 そばに、いてもらいたい。

 

「詩乃守が俺をどう思っているか、教えてほしい。君の理想に応えるから」

「うぅぅ………………」

 詩乃守は、頬をほんのりと染めて視線を落とし、黙ってしまった。

 

 …………。

 …………。

 黙っている。

 

「とにかく、お前は俺が守る」

「……」

「避けられると悲しい」

「……っ」

「本当にゆっくりでいいからさ。俺はいつかだろうと、お前と離れたくないんだよ」

 

 ――――。

 俺の、言いたいことは言い切った。

 後は、待つしかないか。

 一息吐いて、食事に戻ろうとした。

 すると。 

 

「……正直、いいますと」

 詩乃守が話し始めた。

「相沢先輩のことは、全然嫌いではありませんでしたし。直してほしいところも、まったく無い訳ではないですが、ありません。少なくとも、伝えて強制的に直させるようなことはありませんし、したくありません」

 俺は黙して頷き、聴きに徹することにした。

 

「それに、そこまでいわれたら、そこまでいわれてしまったら、そんなに純粋に想いをぶつけられたら、折れるしかないじゃないですか。だって、元から嫌いじゃありませんし。頼れる先輩なんだろうなって、思ってましたし」

 詩乃守は、滔々と語り続ける。

「だって、そこまで言ってくれる人なんてそうそういないですよ。しかも、口だけじゃなさそうな所が性質悪いです。そんなマジな目をして。どれだけ私のこと好きなんですか。どうしたらそこまで言えるんですか。全面肯定じゃないですか。全面好意じゃないですか。そんなこと言ってくれる人、これから先現れるなんて思えないじゃないですか」

 詩乃守は一つ深呼吸して。

「そしたら、恋人になるのも――ハーレムとやらの一員になるのも、悪くないんじゃないかな、って思えてきてしまうじゃありませんか」

 

 詩乃守が、決定的な一言を口にした。

 俺の中で、希望の光が差す。

「それなら――」

「でも!」

 俺の言葉を遮り、詩乃守が続ける。

「でも、私、そんなちょろくありませんから。だから示してください。その言葉が本気であることを。やり通せる強さがあることを。かっこいいところを、見せてください。そしたら、信じます。そしたら……恋人でもいいです」

 詩乃守も、言いたいことを言い切ったように一息吐いた。

 俺は姿勢を正して詩乃守を見つめる。

「ああ、最高にかっこいいところを見せてやる。詩乃守を、みんなを完全に守り切る姿をよ」

 俺は宣誓の言葉を形にする。

 そうすると。

 詩乃守は笑顔になってくれた。

「はい! 見せてください」

 詩乃守が笑顔のまま抱き付いてきた。

 突然だったが何とか抱き留める。

 詩乃守は俺の胸に顔を埋めている。

「ちょろくないんじゃなかったのか?」

「これはサービスですよ。助けてくれるって、守ってくれるって言ってくれたから」

「そうか」

「はい……」

 ふと。

 そういえば、と思った。

「姫香って呼んでいいか?」

 この子だけ、まだ名前で呼んでいない。

「そ、それぐらいなら……」

 姫香は照れた様子だが、了承してくれた。

「なら、私は和希先輩って呼びますね。その方がフェアです」

 何がフェアなのかわからないが。

「ああ、いいぞ」

 

 ――――。

 とりあえずこれで、なんとかなってくれただろうか。

 避けられることは、もうないだろうが。

 認めてもらえるように、まだ頑張らないとな。 

 

 

「あの~……わたしたちがいること忘れてない?」

 真白が控えめに挙手しながら声を上げた。

「いいですっ。いいです。恋愛小説みたいです!」

 アイラは目をキラキラさせている。

「アイラちゃん、アイラちゃん、落ち着いて」

「でもでも、だって!」

 頬を上気させてトリップしているアイラ。

「ああ、もう、この子、嫉妬とかしないのかな!」

 真白が頭を抱える。

「私もちゃんと愛してくれれば問題ないですっ。和希さんを信じてますから」

「やっぱり懐深すぎぃ……!」

 

 ほんと仲良いな。

 俺は二人のそんなコントのようなものを見ながら、照れて俺から離れた姫香と共に朝食を食べ終わった。

 

 

 

 人気のない、校舎裏。

 俺は、蕪木をここに呼び出した。

 今日は、蕪木美子をなんとかする。

 そう決めて、ここにいる。

 アイラ、真白、姫香は近くで待機させている。

 例の如く、近くにいてもらった方が安心だからな。

 真白は戦えるから一緒に行くといったが、蕪木は俺一人で何とかしたかった。

 俺が、何とかしなければいけないと思った。

 だから説得して待ってもらっている。

 

 そして。

 蕪木が、来た。

 目が隠れ気味になるほど伸ばした黒髪の長髪を靡かせながら。

 オドオドと俯きがちに。

 俺の目の前に、やってくる。

 

 目の前に立つ蕪木。

「あ、あの……先輩、私に、何の御用でしょうか……?」

 オドオドとしたまま、蕪木は尋ねる。

 俺は。 

「『総ての救済を望む傲慢な愚者よ、殺戮し、終わりの理へと導け』」

 詠唱した。

「え……?」

 蕪木は両目と口を呆けたように開けた。

 

 ――無の殺戮(タナトス・ゼロ)――

 

 俺の両目は翡翠へと輝き。

 両手に柄、鍔、刀身全てが翡翠色の短剣が握られる。

 

 右の短剣を、蕪木に向けて薙いだ。

 物質への不干渉を選択。傷つけず、短剣は入り込む。

 

 ――殺戮せよ――

 

 蕪木美子の罪科異別。

 それを『殺した』。

 

「え……?」

 蕪木は、呆けたままだ。

 状況に理解が追いついていないのだろう。

 

 まずは罪科異別を殺し、この場の敵を無くした。

 そして、ここからだ。

 

「蕪木」

「は、はい…………」

 蕪木は。何とか返事が出来たといった様子。

「お前、俺のこと好きなんだよな」

 それは、尋ねるというより確信した物事に対しての確認。

「――え………………?」

 蕪木の顔は赤く変化し、戸惑う。

 でも、意味は解っているはずだ。

 ただ追いついていないだけで。

「どうなんだ」

 再度、間を開けて問う。

「あ……えと……あの…………」

 やはりまだ無理か。

「なら、そういう体で話を始めるぞ」

 蕪木は黙って俺を見ている。

 話を聞くつもりはあるようだ。

「俺を好きだというのなら俺のハーレムに入れ。こちらが惚れてないからまだ仮だがな」

「……ハー……レム……?」

 蕪木は首を傾げた。

「そう、ハーレムだ」

 蕪木は傾げた首を戻した。

 

 上から目線過ぎて自嘲しそうになる。

 けれど、たとえ傲慢でも、俺はこの選択をする。

 蕪木を救うには、これしかないだろうから。

 他にも方法はあるのかもしれないが、俺にはこれしか最善が思いつかない。

 この女の子は、俺に依存しすぎている。

 だったら俺が、なんとかしてやらねばならない。

 俺は依存を悪いことなどとは思わない。

 俺は、依存されることを嫌に思わない。

 ならばそれを、突き詰めてやればいい。

 

「……ハーレム、ということは、私以外にも、他の人がいるということですよね……?」

 蕪木の瞳が、暗くなった。

「ああ、三人ほどな」

 暗さが増した。

「……だったら、そいつらを排除――」

「こらこら。他の子に危害を加えたら俺はお前を嫌いになるからな。度合いによっては殺してやる」

「……っ」

 蕪木は怯んだ。

 本気では言っていない。それほど嫌いになるということを伝えたかった。

「だから無理に仲良くしろとは言わないが、俺のところに来るのなら悪くない関係を築いてくれ。出来るのなら、仲良くしてくれ」

「…………」

 蕪木は数秒黙った後。

「わかりました……」

 渋々だがわかってくれた。

「お前の見てくれは結構好みなんだ。だったら後は、想いで俺を惚れさせてみろよ」

 頬を赤くして蕪木は頷いた。

 実際蕪木は可愛い。

 長すぎる前髪に隠れて見えにくいが、顔の造形は整っている。

 その黒髪も、長い事に目が行ってしまいがちだがしっかりと手入れされていて、女の子の努力がうかがえる。

 肌も白く、綺麗だ。

「お前が俺を惚れさせたら全力で愛してやるから。まあ、簡単さ。案外俺は惚れっぽい」

「はい……っ」

 もうすでに、三人もの女の子に惚れてしまっているからな。

 惚れっぽいというのは、案外真実かもしれない。

「俺のところに来るのなら、責任は必ず取る。だから他に危害を加えるな、約束だ」

 最後に、念押しをした。

 もうあんなことは起きてほしくない――起こしてほしくないから。

「はいっ……約束、します……」

「なら、俺のところに来るか?」

「はい、行きますっ」

「ハーレムだが、いいな?」

「はいっ」

 微笑んで、いってくれた。

 約束も、してくれた。

 きっと、その表情からするに、嘘ではないだろう。

 俺はそう、信じたい。

 とりあえず、信じる。

 

「美子」

「――っ!」

 この子に、名前呼びの確認はいらないと思った。

 むしろ野暮だろう。

 それに。

 いきなり名前で呼んだ方が、喜んでくれると思ったから。

 

 実際。

 美子は今まで見たこともないような笑顔を浮かべていた。

 

「あの、私たち、もう恋人ですよね?」

「今は仮だからお前次第だが、ほとんどそうだといってもいいだろうな」

「なら、和希、って呼んでいいですか……?」

「ああ。問題ない」

「はい……っ。では、和希」

「ああ」

「和希」

「ああ」

「好きです」

「ああ」

 

「よし。なら、これより美子の仮ハーレム入りを認める」

「はい……っ。すぐに、好きになってもらいますから……!」

「ああ、楽しみにしている」

 

「和希」

「なんだ」

「ありがとうございます」

「ああ」

「罪科異別がなくなったら、すうっと気持ちが楽になって落ち着いたんです」

「……そうか」

 

 …………。

 ――推測だが。

 前の世界で美子が一切話を聞かずに襲ってきたのは、罪科異別、あの魔眼が影響していたのではないか、と。

 確認はできないが、恐らくそうだろうと思った。

 だって、今の美子はこんなにも魅力的に笑えているのだから。

 俺の話をしっかりと聞いて、納得できる場所を探してくれたのだから。

 

 



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26話 結束を固めるために

 

 

 話が決着した後。

 美子に早退してもらい、学校から出て、待機していた三人の元へと戻った。

 

「と、いうことで」

 美子の肩を掴んで前に出した。

「蕪木美子、新しいハーレム仲間だ。仲良くしてやってくれ」

「…………」

 美子はコクッと会釈した。

 精一杯の挨拶なのかもしれない。

 

「また増えた!?」

「仲間が増えましたっ」

「もう好きにしてください……」

 真白、アイラ、姫香は三者三様の反応を見せる。

 美子は警戒するような、窺うような様子で三人を見ている。

 

 そんな美子の姿を見て、アイラが前に出た。

 ビクッと体を震わせ一歩後ろに下がり、俺の袖を握る美子。

 その行動を気にせず、アイラは微笑んで右手を前に出した。

「これからよろしくお願いします、の握手をしましょう」

「…………」

 アイラは、微笑んで待っている。

 美子は、戸惑っている。

 俺含め他三人は、見守っている。

  

「……」

 美子は俺の袖を握ったまま、こちらを見た。

 その瞳は、いまだに戸惑いと、そして不安に揺れていた。

 俺は美子の目を見て、頷いた。

「……っ」

 美子は俺から視線を外し、意を決したようにアイラの顔を見る。

「よ、よろしく、お願いします…………」

 美子はアイラの手を握った。

 アイラはパッと笑顔になり。

「はい。よろしくお願いしますね」

 握手をしながら、そう言った。

「…………っ」

 美子は、頬を紅く染めて視線を下に落とした。

 でも、悪くは思ってなさそうだ。

 

「わたしもよろしくね」

「わ、私もです」

 

 真白と姫香も、二人の握手の上に手を重ねた。

「よ、よろしく、お願いします…………」

 美子は、先と同じ言葉を同じ言い方で、繰り返すように言葉にした。

 緊張しているのだろう。

 ぎこちなく、他人行儀だが、これから慣らしていけばいいか。

  

 そんなこんなで。

 俺たちの仲間に、新たに一人の女の子が加わったのだった。

 一応、仮だけどな。

 

 

 

 

 ――暗い、暗い空間。

 そこには闇を体現せし人ならざる者達が集っている。

 その数、七。

 言葉を交わし合う闇達。

 

 ――あの『傲慢』の力はイレギュラーだ。危険すぎる。

 

 ――殺していない。魂が無い。意味がない。

 

 ――予定調和の殺戮。いや、無殺蹂躙。

 

 ――早急の対処が必要。

 

 ――我々が介入するか。

 

 ――止めろ。儀式に影響が出てしまうぞ。

 

 ――どちらにしろこのままではその影響が出る。

 

 ――なら大罪者達の力を使えばいい。

 

 ――そうか。我々は手を貸すだけでいい。それなら儀式への影響も僅かだろう。

 

 ――即座に取り掛かるぞ。

 

 ――時はどれほど必要か。

 

 ――なあに、それほど掛からない。許容範囲内だ。

 

 ――具体的な提示を。

 

 ――具体的な提示は、状況の誤差で無理だ、しかし大体、

 

 

 ――――数日だ。

 

 

 

 

 美子を仲間にした後。

 俺と真白は皆を待たせて、敵の中で唯一居場所の分かっている鈴倉へ対処しようと学校内へと向かった。

 だが、鈴倉はいなかった。

 それどころかしばらく休むらしい。

 職員室にいる庵子(あんこ)先生に聞いて知った。

 

 身を隠したか?

 それだと探しても徒労に終わるだろう。

 

 他の大罪者は居場所が分からない。

 佐藤は学生だろうから周辺の学校を探せば見つかるかもしれないが、俺の勘違いで同い年ぐらいだと判断しただけで実は違うかもしれない。

 その場合無駄に労力を使うことになる。

 無理に早く見つけようとする利点もあまりない。

 ならば待つ方がいいだろう。

 罪科異別が発動されれば、すぐに感知できるのだから。

 

 

 俺たちの家は、四人の女の子と俺という、計五人が住む家と成った。

 随分、賑やかになった。

 全員、俺の恋人だ。

 ということで。

 

「これから一緒にやってくんだから、名前で呼び合わないか?」

 ということだ。

 リビングのソファに座りながら、俺は提案した。

「それはいいですね」

 手を斜めに合わせて賛同するアイラ。

「うん、わたしもいいと思う」

「はい、それでいいと思います」

「わ、私は別に……」

 皆も大体賛同の様子。

 

「まあ、俺はすでにみんな名前で呼んでるんだが」

「恋人ですもんね」

「じゃ、わたしたちは今からってことで」

 

「では私から、真白さん、はもう呼んでいますが、姫香ちゃん、美子さん」

「次はわたしが。アイラちゃん、は同じく呼んでるけど、姫香ちゃん、美子ちゃん」

「次は私で。アイラさん、真白さん、美子さん」

「……アイラさん、真白さん、姫香さん…………」

 皆それぞれ呼び合った。

 

「よし。これで一歩みんなの距離が近づいたところで、お互いのことをよく知るために、お互いの色々なことを話そうか」

「色々ってどんな?」

 俺の提案に真白が首を傾げる。

「自分のことを知ってもらえる話とか。プロフィールみたいな」

「なるほど」

 

 俺たちは、お互いのことを話した。

 他人には言えないことまで、話した。

 知った。

 真白の天使とか、アイラのお姫様とか。

 俺はそれを知っていたが、それ以外にも姫香がいつもどう生活しているのかとか、仲のいいクラスメイトの話とか、美子と俺が初めて会った時に美子がどう思ってたとか。

 全部が全部を喋る必要はないし、強制もしなかったが。

 俺は自分から言い出したこともあり、自らの過去も話した。

 そうして、しばらくの時が経ち。

 話が、終わった。

 

「俺たちは運命共同体だ」

 俺は手を前に出した。

 出した手の上に、皆の手が乗せられる。

「これからも、みんなでやっていこう」

「はい」

「うん」

 アイラと真白は、気前よくナチュラルに。

「はい」

「はい……」

 姫香と美子は躊躇いがちに、けれど嫌ではなさそうに。

 皆の手が、一つになる。

 結束を固めるために、こういうことをしておくのもいいだろう。

 俺たちは、みんなでやっていく。

 俺のハーレムに、幸せ漏れなど許さない。

 みんな幸せにしてやる。

 四人の楽しく笑ってる顔を、拝み続けてやる。

 

 

 

 夜。

「みんなで寝ようか」

「はい」

「「ええ!?」」

「…………」

 

 アイラは即応。真白と姫香は驚愕。美子は自然体で黙っている。 

 

「だが俺のベッドに五人は無理だな。布団を三枚ぐらい敷くか」

「ちょ、ちょっと唐突過ぎないカズくん」

「そうですよ。心の準備とか、色々あるじゃないですか」

「ハーレムだから当然だろ」

「当然じゃないよ!?」

「理に反することは言ってないはずだが」

「でもなんか違いますよ!」

 やいのやいのと、真白と姫香が騒ぐ。

 

「みんなで寝るの、楽しいと思います」

 ふんわり微笑んでアイラは言った。

「「うぐ」」

 真白と姫香はダメージを受けたかのように呻いた。

 アイラの笑顔は、眩しい。

「私は……ハーレムというくらいだから、そういうものなんだと思ってましたけど……二人は一緒に寝たくないということは……和希のこと、好きじゃないんですか……?」

「そ、そういうわけじゃ……」

「ないです、ですけど……」

 美子の言葉に、ごにょごにょと返す二人。

 

「真白さんと姫香ちゃんは、恥ずかしがり屋さんなんですよ」

 ふんわり微笑みの言葉が、俺たちの間を通っていく。

「な」

「恥ずかしいとかでは……」

 アイラは穏やかに微笑みながら続ける。

「でも、一度一緒に寝たらきっとすぐに慣れます。そうしたら、後は楽しいだけですよ」

「ぬぐう」

「ぐぬぬ」

 アイラの眩い笑顔にあてられ呻く二人。

「そんなにイヤなのか?」

 本当に嫌がっているようなら今日の所はやめておいてもいいだろう。

「イヤってほどじゃ……」

「こう、乙女の、複雑な心情、みたいな感じでですね……」

「だったら寝る。決まりな」

「「――――」」

 押し切った。

 

 

 この家で最も広いリビングに三枚の布団を敷き、俺を中心として五人で横になる。

 左から真白、美子、俺、アイラ、姫香の順だ。

「まったく、ほんとにまったく、まったくカズくんは」

「うう~~~」

 真白と姫香はまだ何か言っているが、俺は目を閉じた。

 美子は、ピトッと俺の左腕に抱き付いてきた。

 俺は、皆の体温の暖かさと抱き付いてきた美子の柔らかさに包まれながら。

 精神が穏やかな感覚になっていくと共に。

 寝た。

 

 

「――さん」

 起きた。

 誰かの声が聞こえた、と思ったら、何かが起きたのかと考えた。

 敵の夜襲を想定していたため、すぐに起きれるように意識を準備していたのだ。

「和希さん、まだ起きてますか?」

「今起きた」

 夜襲ではなく、アイラが話しかけてきただけだったみたいだが。

 他の皆は寝息を立てていて、寝静まっているようだ。

「起こしてしまいましたか……?」

「問題ない。それより話があるんじゃないのか?」

 俺に起きているか訊いたということは。

「……はい」

「アイラ?」

 アイラは、俺に抱き付いてきた。

 いや。

 抱きしめてきた、といった方が正しい仕草、抱擁だった。

 

「私、和希さんが体験した前の世界で死んじゃったんですよね?」

「――っ。なぜ、それを」

「和希さんのした話を聞いて、行動を見ていればわかります。あと、そんな感覚がするんです」

「…………」

「だから、ちゃんとここにいますって、伝えたくて」

 

 アイラは、やっぱり優しいな。

 そんな時に俺の心配かよ。

「アイラは強いな。自分が死んだことがあるとわかったら、また殺されるんじゃないかと怖がってもおかしくないと思うんだが」

「和希さんが守ってくれますから」

「過大評価かもしれないぞ?」

「そうなんですか?」

「違うな」

「それなら安心です」

 微笑みを向けてくるアイラ。

 どこまでも、信じてくれるんだな。

 その信頼には応えないとな。

 今度こそ、守って見せる。

 取り零さず、その手に保ち続けてやる。

 

 自分の手を眺めた。

 今の俺は以前より強い。

 特に戦闘面で。

 だから、驕りでも慢心でもなく、やれると思う。

 まあ。

 例え、この力が無かったとして、どんな手を使ってでも。

 守るけどな。

 

「和希さん」

 アイラが、お互いの唇の距離をゼロにした。

 最初は触れるだけだったが、逡巡の気配の後、舌を入れてきた。

 突然だったが、俺も我慢ならなくなり、没頭した。

 アイラが俺の口中、口蓋、歯、舌とすべてを舌で愛撫する。

 俺もアイラの口中に舌を行き渡らせる。

 舌を、絡め合う。

 ぴちゃぴちゃと、淫靡な音が静かな部屋に響いた。

 

「――ぷはっ……ぁふぅ……」

 息が続くまで深いキスを堪能し、口をお互い放す。

 アイラは扇情的な息を吐いた。

 潤んだ瞳もまた色っぽい。

 

「こんな風に、みんなも愛してあげてくださいね」

 色香を漂わせながら、アイラは微笑みを湛えて言った。

 

 言われて気づく。

 そういえば。

 ハーレム作ると宣言しておきながら、キスすらしていなかった。

 抱きしめるぐらいしかしていない。

 唯一真白とだけはしたことがあったが、それは前の世界の話だ。

 つまりこの世界ではアイラが初めて。

 

 余裕を出しながらも、張り詰めていたのだろうか。

 あまりそういうことに頓着していなかった。

 好きだ。幸せにするとは思っていたが、その方面を重要視していなかった。

 けれど、女の子はそういうのを望むのだろう。

 アイラからキスしてくれて、気づかせてくれた。

 こんなところでも、助けられた。

 やっぱりアイラは最高の女の子だ。

 みんな、最高だけれど。

 

 とにかく。

 せっかく気づかせてくれたのだから。

 ちゃんとしよう。

 俺は、ハーレムの皆――最も大切な人たちだけは、必ず幸せにして守り通すと誓ったのだから。

 いや。

 誓ったというよりも、俺がそうしたいのだから。

 

「アイラ、ありがとうな」

 今度は俺から、キスをした。

 

 そうして、しばらくアイラとキスを続けて幸せを噛み締めた後。

 眠りについた。

 

 



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27話 甘々と優しさ

 

 

 6月10日水曜日

 

 

美子side

 

 

 起きた。

 早めの時間だ。

 みんなまだ寝てる。

 名残惜しいけど、抱き付いていた和希の左腕を放した。

 起こさないようにそっと布団から抜ける。

 

 キッチンへ向かう。

 昨日はまだ戸惑いもあって、ちゃんと行動に移せなかった。

 和希に好きになってもらうために、色々してあげないと。

 まずは料理。

 男を落とすには胃袋を掴むのが基本、って前にネットのどこかで見た。

 だから朝ごはんにとびきり美味しい料理を振る舞って好感度を上げる。

 和希に惚れてもらって、愛してもらうんだ。

 これはその第一歩。 

 

 キッチンでどこにどれがあるのかは、昨日の夜ご飯をアイラさんが作ったときに確認済み。

 鍋に水を入れて、コンロに置いた。

 とりあえずメニューの一つは味噌汁に決めた。

 毎日味噌汁を作ってくれってプロポーズの言葉もあるくらいだし。

 安パイなメニューだと思う。

 後は焼き魚とかを付ければいいかな。

 幸い食材は色んなものが冷蔵庫にあった。

 アイラさんはよく料理をするんだろうな。

 これからは、私も和希のために作るんだから。

 

「美子さん」

「わひゃあっ!?」

 突然後ろから話しかけられた。

 びっくりした。

 振り返ると、アイラさんがいた。

 

「おはようございます、美子さん」

「お、おはようございます……」

 

 冷や汗が頬を垂れる。

 勝手に作ってて怒られるかな。

 役目取ったみたいな形になってるし、嫌われるかな。

 だとしても、私は和希に好きになってほしい。

 ここで止められるわけにはいかない。

 私は――

 

「一緒に作りましょう」

 優しい微笑み。

「……え?」

「朝ごはん、作ってくれようとしてたんですよね? なら一緒に作りましょう」

「あ……」

 

 この人は。

 私の想像していたことなんて全然考えてなくて。

 眩しい。

 きっと、優しいんだ。

 怒られるのか不安に思ってた自分が、馬鹿みたいだ。

 脱力して、安心した。

 なら、提案を突っぱねる理由もない。

 できれば一人で作ったものを和希に食べてもらいたいけど。

 でも、この善意は受け取ってもいい気がする。

 

「はい。一緒に作りましょう……」

「はい、では顔を洗って、着替えてきますね」

「あ」

 アイラさんの言葉で気づく。

 私も着替えてなかった。

 アイラさんが部屋を出て行った後、私も着替えに向かった。

 

 

side return

 

 

 味噌汁の湯気が立つ。

 起きたら、朝食が出来ていた。

 どうやらアイラと美子が二人で作ったらしい。

 俺は食卓に着いて、朝食を眺める。

 味噌汁に焼き魚に、ほうれん草のお浸し。そして白米。

 味噌汁の朝に似合う匂いが漂う。

 

「ど、どうぞ、和希。私、頑張って作りました……」

 美子が味噌汁の器を持って勧めてくる。

「ああ、じゃあ、いただきます」

 俺以外の皆もいただきますと手を合わせ、食事へと相成った。

 

 早速美子が勧めた味噌汁を啜る。

 味噌汁の香りが鼻腔から奥まで通り、豆腐や大根の食感、それら全てで味覚が刺激される。

「普通に美味いな」

 正直な感想を呟いた。

「ふ、普通、ですか……」

 俯いてかなり気落ちした様子な美子。

「いや待て。そう気落ちする必要はないぞ。普通に美味いものを作れるってのは貴重なことなんだぞ」

「そう、なんですか……?」

 顔を少し上げて訊いてくる。

「ああ。俺なんて料理はからっきしだし、普通に美味いものを作れないやつなんてごまんといる。そして、これは美味いから全然問題ない。そりゃアイラと比べたらまだまだだけど、美味いと思えて美子が作ってくれたという点が重要だ」

「そう、ですか」

 美子は、まだ少し不安そうだが、嬉しげに微笑んでくれた。

 アイラも笑みを浮かべて、そんな美子を見守っている。

「それこそ普通に褒めてあげればいいのに」

 真白がジト目で言う。

「褒めてるんだよ」

 

 ――。

 そうだ。

 昨日アイラに言われたことを、思い出した。

 いや、覚えてはいたが、今このタイミングだ、と思った。

 まだ少し不安そうにしている顔を、取り除くことができたらいい。

 

「美子」

 俺は席を立ち、美子との距離を素早くゼロにする。

 そうして、口づけた。

「んむう!?」

 驚きの声、驚愕の顔。

 構わず舌を入れ、口腔を舐め回す。

 美子はビクッと体を硬直させた。 

 しかし、少しの時を要した後、美子も躊躇いがちに俺の口腔を舐めてきて、舌を絡み合わせた。

 しばらくの後、顔を離す。

 

「あ、あの……私まだ、仮ハーレム入りでしたよね……? いいんですか、こんなこと、こんなに、嬉しいこと……」

 目を潤ませたまま上目遣いで美子は問う。

「仮とはいえ、ハーレム入りしたのならこれくらいはやる。それに――」

 

 もう、仮は取ってもいいかもしれない。

 ここまでいじらしく、俺を想って頑張ってくれる女の子を他の男に渡したくはない。

 惚れたかどうかは、分からないが。

 そのうち。

 

「それに……?」

「なんでもないさ」

 

 席に戻ると、皆の様子を見る。 

 アイラはニコニコと微笑み、真白はポカンとしたまま固まっていた。

 姫香は。

 

「早くも新しい女の子に、新ヒロインに首ったけですねっ。どうせ私は古い中古ヒロインですよっ」

 そんなことを、言ってきた。

「なんだ姫香。嫉妬か。かわいいな」

「なっ! そんなんじゃないです! 上から目線もほどほどにしてください!」

 頬を染めての必死の否定。

 わかりやすいな。

「安心しろ。俺は姫香も好きだ。嫉妬する必要はない」

「だから嫉妬じゃないです!」

「ムキになるなよ」

「なってません!」

 プイと顔を背けて、姫香は食事に戻った。

 気を荒くして、ガツガツと食べている。

「よく噛んで食べろよ」

「わかってます!」

 少し食べ方が丁寧になった。

 

 

 朝食後。

 ソファに座る姫香の後ろからそっと這い寄る男。

 俺だ。

 

 ガバッと後ろから覆うように抱きしめた。

「ひぃやぁ!?」

 慈しむように、お前を離しはしないと伝えるように強く抱きしめた。

「なにしてるんですかあ!?」

 暴れる姫香。

「なんでこんなことするんですかあ!?」

 姫香は拳を当ててこようとするが、がっちりホールドしているので俺には届かない。

「お前のことが好きだからだ。好きでなければこんな真似はしない」

「だからって急すぎます!」

「俺は姫香が好きだって伝えたかったんだよ」

「あううううう」

 

 嫉妬していたので、機嫌を直してほしかったのだ。

 物で機嫌を取るのは違うと思った、そして何かできることを考えた。

 結局、正面から愛情をぶつけるしかないと結論した。

 俺は猿ではない。

 発情した猿ではないが、これは必要なことなのだ。

 ラブラブしたいのだ。

 手放したくないんだ。

 

「可愛いな姫香」

「あうう~~~~っ!」

 顔を真っ赤にして素っ頓狂な声を上げている姫香に、口づけた。

「んんぅ!?」

 最初は触れるだけで、すぐに舌を入れ込んだ。

「んん~~っ!?」

 舌を絡ませ口中を味わっている内に、姫香はトロンとした目をして、声をあげなくなった。

 

 十分堪能した後、口を放す。

「ふはあ……」

 姫香は頬を染めて瞳を艶っぽく潤ませながら息を吐く。

「好きだぞ姫香」

「わ、わかりましたから……」

 姫香は俯いて小さく言った。

 わかったと言ったからには、わかってくれたのだろう。

 

「キスって、こんなに気持ちよかったんだ…………」

 小声で、そんな言葉が聞こえたような気がした。

 

 

 出かける前。家を出る直前。

 身支度を皆が整える中、俺は姫香にふと気になったことを尋ねる。

 

「そういえば姫香、前にも言ったが最近中二的な言動してないよな」

「中二的とか言わないでください。あれはかっこいい。でも、今は駄目ですよ」

「どうしてだ?」

「みんな、私が好きだったものが現実に在って、そのせいでみんな悲しんでるじゃないですか」

 

 それは姫香だって同じだ。

 大罪戦争自体、魔眼を与えられた者同士の殺し合いだから。姫香も美子も、それに巻き込まれた被害者だ。

 アイラは唯一の異別を持つが故、苦悩もあっただろう。真白は異別関係の組織にいた分、過去に色々あっただろう。

 そのことを、姫香は気にしている、ということか。

 

「私は、今でも魔眼とか異能力とか好きですけど、とっても複雑です。それらを好きだった私でもそうなんですから、他のみんなは好きじゃないと考えます。だから、そういう言動をとったらみんな嫌なこと思い出してしまうと思って。私だって、そんな無神経じゃないですから」

 姫香は。

 

「私の好きなもの、あれらは、かっこいいものなんです。

 人を悲しませたら、かっこよくないじゃないですか。

 かっこよくないのなら、それは意味ないです」

 

 姫香は、とても。

「優しいんだな」

 俺は姫香の頭を、撫でていた。

「……」

 姫香は不機嫌そうな顔をしながらも、頬を染めて満更でもなさそうだった。

 

「だったら、全て終わったらまたバリバリのキレッキレに戻るんだな」

「それはもう、言いまくりますよ。ポーズ取りまくりですよ」

 即答。

「そうか」

 またあの姫香を見れることを、願ってるよ。

 

 



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28話 真白

 

 

 山の中に、ぽっかりと空いた広場のような地帯。

 木々に囲まれ、下草の生えた休憩所みたいな場所。

 人気のない空間。

 

 俺たち五人は、二日前に俺が異別を使用する練習をした山中に、またやって来ていた。

 この間でほとんど感覚は掴めていたが、最後にもう一度試しておきたかったからだ。

 万全を、期すために。

 

「みんなはあまり離れないように、そこらへんで待っててくれ」

 俺はそう言って、広場の中心で異別を発動した。

 

 

真白side

 

 

 カズくんはカズくんでカズくんだからカズくんなんだろうな。

 意味わかんないね。

 カズくんは女の子が好き。

 だから好きな女の子全員でハーレムなんてものを実現させている。

 最初はアイラちゃんがかわいそう、と思ったけど。

 前にも言っていたように、今、アイラちゃんはとても幸せそう。

 姫香ちゃんも美子ちゃんも、特に不満はなさそう。

 なら、わたしは。

 わたしはどうしよう。

 もう決まってるようなものかもしれないけど。

 わたしもきっと、カズくんのことが好き。

 でも。

 やっぱり罪悪感みたいなものが、ある。

 カズくんほんとに大丈夫かな。

 わたしはともかく、みんなをちゃんと幸せにしてあげられるのかな。

 そこは信じてあげなきゃダメなんだろうけど、やっぱり心配。

 だから、踏み切れない。

 抱きついてみたいと思うけど、自分で引いた線の向こう側に行けない。

 抱きつくぐらい、ハーレム宣言される前なら簡単にできたと思うのに。

 

「真白さん」

「……なにアイラちゃん?」

 頭の中がぐるぐるぐちゃぐちゃしていると、横にちょこんと座っているアイラちゃんがわたしを呼んだ。

「なにかお悩みですか?」

 優しい笑みで、訊いてくる。

 ――。

 はたから見て分かるくらいだったのかな。

「……うん。まあ、そんな感じだね」

「私に言ってみてください。相談に乗りますから」

 アイラちゃんの笑みはすべてを包み込むようで。

 懊悩が限界突破していたわたしは。

 わたしは、思わず口走っていた。

 

「アイラちゃんは、みんなは、カズくんのことどう思ってる?」

 核心をそのまま言わず、少し外れたところを言ってしまった。

「大好きですよ。ずっとそばにいたいです」

 即答の、とびきりの笑顔。

「……うん」

 知ってたよ。

 訊いちゃってごめん。

 

 みんな近くで座ってたので、聞きつけてきた美子ちゃんと姫香ちゃんも答えてくれる。

「私だって、大好きですし、愛してますし……ずっと、永遠に一緒にいたいです……」

 やきもちを焼いたように、美子ちゃんは言った。

「いろいろと問題はありますけど……一緒にいるのもやぶさかじゃありませんし、か、かっこいい、とは思います……」

 姫香ちゃんが顔を赤くしながら、いまいち素直になれないかわいい反応をした。

 

「真白さんは、どう思ってるんですか?」

 アイラちゃんが優しい顔をして首を傾げながら、わたしに訊いてきた。

「わ、わたし……? えっと、わたしは……」

 訊き返されることを特に考えていなかったので、口ごもってしまう。

 わたしは……。

 抱きつきたいとは思える、ということは、好き、なんだと思う、けど。

 ううむむむ~~。

 一度拒否しちゃったせいで、なんだか好きだと言い辛い。

 軽い女の子だと思われちゃうのもイヤだし。

 それで嫌われちゃったら、悲しいし……。

 どうすればいいんだろう。

 ここは、ゆっくり時間を掛けて、徐々に心を開いていくみたいな――

 

「「「好き、なんですよね?」」」

「…………」

 

 三人に、ハモって言われてしまった。

「う、うん……」

 勢いに押されて、本音が出る。

 そのまま続けて喋ってしまう。

「でも、拒否しちゃってたから、なかなかうまくいかなくて、どうすればいいのかわかんなくなってきちゃって……」

 

「それならアタックしましょうっ」

「あの人はちょろいですから真白さんなら絶対余裕です」

「私は……ライバルが減るから失敗してもいいですけど、和希なら愛してあげてしまうのは確信できます……和希は、優しい」

 

 みんなそれぞれ好き勝手言うけど、全体的に伝えたいことは分かった。

 三人とも、わたしの背中を押してくれてるんだ。

 

「アタックと言いましたけど、和希さんはもう真白さんのことが大好きですよね」

「うん、まあ、それはわかってるよ」

 

 ――俺は、アイラと真白、お前たち二人が異性として大好きだ。必ず幸せにするから、二人とも恋人になってくれ――

 

 あれだけ劇的に宣言してたし。

 

「だから、和希さんは愛してくれます。今のままでも大丈夫ですよ。無理をする必要はないんです」

 アイラちゃんはわたしに優しい言葉をかけてくれる。

「でも、どうしてもなにかしたいのだとしたら、素直に自分の感情を伝えるだけでいいと思いますよ」

「うん……」

 素直に伝える、か。

 結構、難しいかも。

 でも、それが必要なことなのはわかるな。

 

「私も、今のままでも問題ないと思います。先輩は、なにせ私を好きになってしまうほどちょろいので」

 姫香ちゃんを好きになるのはわかっちゃうほど、姫香ちゃんかわいくていい子だと思うんだけどな。

 

「一度和希が好きになったのなら、どうしようと愛されて、追いかけてきて手を掴みに来ると思うのですけど」

「なにそれこわい」

「ストーカーですか?」

 

 わたしと姫香ちゃんの言葉に、美子ちゃんがムッとした顔になって返す。

「和希はどう行動しても、愛してくれるって言いたかったんですっ。間違ってたら正してくれるし、どんなになっても手を伸ばしてくれる」

 アイラちゃんがその言葉に嬉しそうに同調してきた。

「そうなんですよっ。和希さんなら絶対大丈夫なんですっ」

「そうなの……?」

 

「「そうなんです」」

 アイラちゃんと美子ちゃんは、信頼と自信たっぷりに言った。

 

「……なんだか私、自分がかなりダメな子に思えてきました……」

「なんで!?」

「だって、アイラさんと美子さんはあんなに想って、信じて、優しい人なのに。私はさっきから先輩の悪口しか言ってません……」

「そんなことないよ。わたしは姫香ちゃん、いい子だと思うよ」

「うう……」

 頭なでなで。

 手触りのいい黒髪の頭を、わたしはなでなでした。

 アホ毛がぴょんぴょん手に当たって気持ちいい。

 なでなで。

 なでなで。

 

「…………」

 でも。

 結局どっちでもいいなら、どうしよう?

 

 

 6月11日木曜日

 

 

 次の日。

 カズくんが行こうと言ったので、みんなでショッピングモールに来ていた。

 食材が足りなくなりそうだから、らしい。

 元々それなりにストックはあったみたいだけど、流石にカズくんとアイラちゃんの二人から、わたしと姫香ちゃんと美子ちゃんが増えて五人という大所帯になったからには相応の食材が一食ごとに無くなっていく。

 でも、それだったら近くのスーパーでもよかったんじゃないかなと思うんだけど、なんでわざわざショッピングモールなんだろう?

 深く考えても仕方ないのかな。カズくんだし。

 

 そんなわけで。

 今は、カズくんを先頭にわたしたちはショッピングモール内を練り歩いているわけなのです。

 わたしはなんだかまだカズくんに対する態度が決めづらくて、一番後ろを歩いているんだけど。

 

 う~ん。

 う~む。

 うみゅみゅ。

 

 変な唸りが心の中で響く。

 昨日みんなに背中を押してもらえたのに、結局こんな風に悩んだまま。

 ダメだなあ、わたし。

 わかってるんだけど、わかってはいるんだけど。

 うまく、いかないなあ。

 どうしてこんなに悩んでるんだろう。

 このままでも、カズくんにアプローチしても、どっちでも問題ないなら悩む必要なんてないと思うのに。

 決まらない。決まらないまま、このままでいるという選択肢を選んでいることになってしまっている。

 

 ん~む。

 む~ぬ。

 んにゅにゅ。

 

「着いた……」

 

 思わず呟いてしまったといったかのような、感慨深い声。

 足を止めたカズくんから、発されていた。

 カズくんの視線を追うと、ガラスのショーウインドウ。

 そこは、服飾店だった。

 …………ん?

 頭に何か、引っかかる。

 カズくんは振り返って言う。

 

「先にアイラと姫香と美子に謝っておくよ。でも俺はみんなを幸せにするし、誰一人蔑ろにしない。あとで同じようにしてやるから楽しみにだけしておけ」

 

 カズくんの言葉に、わたし含めてみんな首を傾げる。

 だけどとりあえず分かったとみんな頷く。

「じゃ、ちょっとみんな待っててくれ」

 そうするとカズくんは一人で店内に入っていった。

 どういうことだろう?

 わからなかったわたしは、ショーウインドウに飾られている白くてふわふわなワンピースを、いいなあ、と思って眺めながらカズくんを待つことにした。

 …………やっぱり何か、引っかかる。

 特に、このワンピースを見てると。

 

 すぐにカズくんは店員さんを連れて入り口近くに戻って来る。

 そして、わたしが見ていた白くてふわふわなワンピースを指さして言った。

「これ下さい」

「え?!」

 カズくん、もしかしてそういう趣味が……というのは冗談として。

 アイラちゃんとかにプレゼントするんだろうな。

 ハーレムを宣言してただけはあるね。まさかこんな行動に出るなんて。

 それに服のセンスいいよカズくん。

 

 わたしが腕を組んでうんうんと頷いていると。

 いつの間にかカズくんが目の前にいた。

「?」

 思わず首を傾げてしまう。

 カズくんの手には、プレゼント用の包装紙に包まれたさっきの服であろうもの。

 

「真白、これ、受け取ってくれ」

「?」

 カズくんは、わたしの名前を呼んで、わたしの目の前にあの服を差し出している。

 つまり、わたしへのプレゼント……?

「なんで……? わたしより――」

「これは、真白に受け取ってもらいたいんだ」

 わたしの言葉を遮ってカズくんは言った。

「どうして…………?」

 わからないよ。

 わたしは、みんなみたいにかわいい態度ができていたわけじゃないのに。

 イヤな態度ばかり取っちゃってたはずなのに。

 どうしてわたしに。

 

「これだけは、どうしてもお前なんだよ」

 なんで、そんなこと。

「着たくないなら、それでもいい。それでも、受け取ってほしい」

「どうしてそこまで……?」

 訊くと、カズくんは曖昧に笑っただけで、何も言わなかった。

 だけど、そこまで言われると貰わないわけにもいかなくなってしまう。

「うん……じゃあ、貰うよ……」

「ああ、貰ってくれ」

 カズくんは満足そうに笑った。

 わたしは綺麗な包装紙に包まれたそれを両腕に抱える。

 

 …………。

 つい、口をついて出た。

「ここで、着てっていい?」

 カズくんは、口をポカンと開けた。

 数秒、そのまま。

 けど、すぐに元の表情に戻ると、言う。

「ああ、着てこい」

「カズくん、カズくんに最初に見てほしいから更衣室の前で待ってて……」

「ん? あ、ああ」

 カズくんはみんなに

「ちょっと待っててくれ」

 と言ってからついて来てくれた。

 

 わたしは更衣室に入って、いつも着ている白いパーカーとスカートを脱いでいく。

 下着姿になって、なぜか逸る気持ちを抑えながら包装紙を解いていく。

「ふわぁ…………」

 白くフリルのついたワンピース。

 白くてふわふわなワンピース。

 視界に収めると、思わず声が漏れてしまった。

 なぜか胸が高鳴る。

 早く着たい。

 そんな思いがむくむくと膨らんで。

 ワンピースが破れないように、丁寧に、すぐに着た。

 更衣室内の姿見に、自分の姿が映る。

 白くてふわふわなワンピースを着た、わたし。

 

「あ…………………………」

 

 さっきから感じてる、頭の引っ掛かり。

 それが、存在すべてに浸透してしまうほど増した感覚。

 記憶。

 記憶が。

 知らないはずの記憶が、激流のように、脳裏に光景として映って、流れていく。

 

「うぅ…………」

 

 カズくんとの、日々、日々、日々――。

 

 一緒に戦った時。

 一緒に悲しんだ時。

 デートした時。

 楽しかった時。

 ぬくもりを感じた時。

 心が暖かくなった時。

 

 ――お前は俺の、パートナーなんだからさ。

 ――信じるからな。何があっても、お前のこと。

 

 色々な、いろいろな、言葉。

 そして、そんなカズくんとの時は。

 最後に、崩れ去ってしまった。

 終わってしまった。

 暗闇に、閉ざされてしまっていた。

 

 そのはず、だったんだ。

 そのはず、だったんだよ。

 そうならなくちゃ、(ことわり)的におかしかったんだよ。

 そうなって、全部全部、終わっちゃうことになっていたんだよ。

 

 カズくん。

 カズくん……。

 カズくん…………。

 好き。

 好き。

 大好き。

 

 うう……。

 ぅぅ……。

 もう、限界。

 張り詰めていたものが、すべて消えた。

 

「うえええ~~~~~~~~~~ん!」

 涙が大量に溢れる。

 もう頭の中、ぐちゃぐちゃで。

 わけがわからなくなって。

 ただただ、心から湧き上がってくるままに号泣だけが止まらない。

 

「真白!? どうした!?」

 更衣室のカーテンが開けられる。

 カズくんが、焦った表情でこっちを見ていた。

 敵が来た時に、警戒しているみたいな顔。

「真白……?」

 わたしを見て、キョトンとするカズくん。

 カズくんっ。

 カズくんだ。

 

 わたしは、思い切り飛びついて、抱きついた。

「うお?! マジでどうした!?」

「うえぇ~~~~んっ…………! わだし、じにたくなかったよぉおおぉぉぉぉ……っ」

 言葉が、せき止められることなく自分でもわからないまま漏れていく。

「怖かったよおおぉぉ……っ」

 気を張ってた、出してはいけない本音が湧き水の如く溢れる。

「カズくんがすごく辛そうで、悲しんでて。今にも潰れちゃいそうで。わたしが、まもらなくちゃって……。あんな時なのに服プレゼントしてくれて。キスして、幸せで。すごく、すごく好きだったのに。うぇっ……うぇっ……。かずくぅん……死にたく、なかったぁ……別れるなんて、終わるなんて、いやだったぁ…………」

 幼い子供のように、ただ激情を吐き出す。

「うえぇ~~~~~~んっ! カズくんっ。カズくん。カズくん!」

 強く強く、抱きついた。

 このまま溶け合って、一つの存在に成りたいかのように、抱きついた。

 すると。

 強引に、大胆に、でも優しく抱きしめ返される。

 ポン、と頭に手が乗せられる感触。 

「大丈夫。大丈夫だから。な?」

 そのまま、頭を撫でられた。

 わたしは、それだけで。

 たったそれだけで、すごく安心してしまって。

 今までで、一番、安心してしまって。

「うええぇぇぇぇぇん…………」

 心も体も暖かい中、衝動のままに泣き続けた。

 

 カズくん。

 だいだい、大好き。

 

 



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29話 帰途にて

 

 

 今日は、とあることがしたくてショッピングモールまで来ていた。

 次の戦いまでにやっておかなければならないことはとりあえず一通り終わったからだ。

 そんな状況になってみると、ふと思い出した。

 真白の服、あの時プレゼントしたワンピースは、この世界ではまだプレゼントしていない。

 このままだとこの先、あの白いワンピース姿の真白が見られない。

 それはなんだか嫌だった。

 なにより。

 あの時のことを、なかったことにはしたくない。

 

 だから俺は、もう一度プレゼントすることにした。

 資金の問題で、他の三人には無理だが。

 あの服だけは、どうしても真白なんだ。

 

 だが、俺はそういうところを適当にしないぞ。

 甲斐性を見せてやる。

 お金が足りないならば、バイトか手作りだ。

 みんなへプレゼントする。

 時間は掛かるだろうけれど、お金をかけた差は出てしまうだろうけど。

 思いだけは、差がないつもりだ。

 

 とまあ、色々考えたが。

 結局の結論。至り。

 

 みんな幸せにするんだから問題ない。

 俺はみんなが好きで傍にいてもらいたい。

 そして幸せにする。

 それだけでいい。

 

 ということで、真白にあの白いワンピースをプレゼントする。

 そのために、ショッピングモールまで来た。

 食料の買い出しの目的もあるが、半ば口実だ。

 渡す直前まで知られたくない。

 驚かせてやりたい。

 サプライズだ。ハッピーだ。

 

 そうして、着いた。

 あの服屋に。

 あの時と来る時間が違うから、あのワンピースが本当にあるのか少し心配だったが、杞憂に終わったようだ。

 今この時でも、あの服はショーウインドウに燦然(さんぜん)と飾られている。

 

「先にアイラと姫香と美子に謝っておくよ。でも俺はみんなを幸せにするし、誰一人蔑ろにしない。あとで同じようにしてやるから楽しみにだけしておけ」

 

 俺は、そんな具合にみんなに待っているように言うと、店内へと足を踏み入れる。

 みんなよく分かっていないように首を傾げていたが。

 本当に、楽しみにしておけ。

 まあ、アイラだけは首を傾げながらも何となく察していた様子だったが。

 流石、俺の妹として何年も暮らしていただけはある。 

 店員の元まで真っ直ぐに歩いて行き、声をかけてショーウインドウの服を購入した。

 さっと買い物を済ませると、プレゼント用の包装紙に包まれた服を手に持ち、真白の前に立つ。

 

「?」

 顔を上げてキョトンとし、首を傾げる真白。

 お前ら揃いも揃って首傾げてばっかだな。

 俺はそこまで奇妙奇天烈で不思議な行動をしているつもりはないんだけどな。

 それはともかく。

「真白、これ、受け取ってくれ」

 プレゼントを差し出す。

「?」

 真白は再度キョトンとする。

「なんで……? わたしより――」

 おっと、その先は言わせない。

「これは、真白に受け取ってもらいたいんだ」

 どうせ自分じゃなくて他の子にあげてほしいとか言うつもりだったんだろうが、そうはいかない。

「どうして…………?」

 わからない。と言いたげな表情。

「これだけは、どうしてもお前なんだよ」

 前の世界の記憶がない真白には、この言葉では解らないのは承知だ。

 それでも言いたかった。

「着たくないなら、それでもいい。それでも、受け取ってほしい」

「どうしてそこまで……?」

 俺は、曖昧に笑うだけにした。

 今、あの時のことを伝えても仕方がない。

 もっと、落ち着いた時ならいいが。

「うん……じゃあ、貰うよ……」

「ああ、貰ってくれ」

 真白は渋々受け取ってくれた。

 ようやく、また真白の手にあの服が渡ってくれた。

 言いようもない嬉しさが込み上げた。

 真白は渋々受け取ったにもかかわらず、綺麗な包装紙に包まれた服を大事そうに両腕に抱えている。

 喜んでくれたのかな。

  

「ここで、着てっていい?」

 

 俺は、思わず間抜けに口を開けた。

 あの時、初めてこの服をプレゼントした時と一言一句違わぬ言葉。

 不思議な感慨が染み渡る。

 なにかをやり遂げたような、高揚と幸福感、真白に対する愛しさが広がった。

 数秒、そのまま。

 やがて立ち直り。 

 

「ああ、着てこい」

 声を出すことに成功した。

「カズくん、カズくんに最初に見てほしいから更衣室の前で待ってて……」

 頬を染めた、上目遣い。

「ん? あ、ああ」

 意外な要請を受け、俺は突っ掛かりながらも答えた。

 好きな女の子にそんな表情されたら、断れる男はほとんどいない。

「ちょっと待っててくれ」

 俺は三人にそう言ってから、真白について行った。

 

 真白は長方形上の小さな更衣室に入り、俺はその前で待った。

 衣擦れの音が漏れ聞こえてきて、いやがおうにも情欲が刺激される。

 

「うえええ~~~~~~~~~~ん!」

 

 唐突に。

 そんな、大きな声が、聞こえた。

 更衣室の中から。

 何が起きた!? と考える間も無く、敵襲の可能性を巡らせた。

 その声が、泣き声のようにも悲鳴のようにも聞こえたからだ。

 即行動に移す。

 着替え途中とか、そんな思考は吹き飛ばした。

 今はそんな場合ではない。

 更衣室のカーテンを素早く開きながら。

「真白!? どうした!?」

 視界での状況確認の前に、思わず問いかける。

 無事なのか、と。

 だが俺は、すぐに固まることになる。

「真白……?」

 白いワンピースを着た真白が、なぜか号泣していたからだ。

 それはもう、号泣の言葉に相応しい涙の量、そして多分、泣き声であろう最初の声。

 一体何が起こった?

 真白が更衣室に入ってからの短い時間で、何があったんだ。

 動揺、動揺、動揺。

 真白って泣いたことなかったよな?

 確か、なかったはずだ。

 泣きそうな顔は見たことはあるが。

 でも、こんなに、"本気の泣き"ではなかった。

 いつも、辛いときこそ笑えを信条に、この子は気高く強くいた。

 けれど今は、ただの幼い女の子のように泣いている。

 俺は、どうすればいいのか分からなくなった。

 

 真白が跳び込んで思い切り抱きついてくる。

「うお?! マジでどうした!?」

 転びそうになったが体勢を整えた。

 ぎゅっと、子供が親を離すまいとするように真白は俺に抱きついている。 

 

「うえぇ~~~~んっ…………! わだし、じにたくなかったよぉおおぉぉぉぉ……っ」

 

 ――――。

 その声に、俺は冷静になる。

 ならざるを得なかった。

 俺は、その涙声の言葉に、心の奥の悲鳴のようなものを感じてしまったのだから。

 瞬時に、思った。

 守らなければ、と。

 とにかく状況確認も現状認識も度外視して、何が何でも守らなければ、と。

 

 真白は続けて言葉の激流を溢れ出させていた。

「怖かったよおおぉぉ……っ」

 その言葉で胸が締め付けられるように感じた。

「カズくんがすごく辛そうで、悲しんでて。今にも潰れちゃいそうで。わたしが、まもらなくちゃって……。あんな時なのに服プレゼントしてくれて。キスして、幸せで。すごく、すごく好きだったのに。うぇっ……うぇっ……。かずくぅん……死にたく、なかったぁ……別れるなんて、終わるなんて、いやだったぁ…………」

 理解する。

 何が起きたか分からないが、何かで記憶が刺激されて戻っているんだな。

 俺はその言葉を、受け止める。

 頑張ったんだな。ありがとうな。

「うえぇ~~~~~~んっ! カズくんっ。カズくん。カズくん!」

 真白は、俺の名を何度も呼び、一直線に、全力で縋ってくる。

 絶対の信頼を、俺はそれに感じ取った。

 

 これだけ大声で泣いていると、周りにも聞こえてしまっていたようで。

 他人のひそひそ声が聞こえてきた。

「あの男、あんなにかわいい子泣かせて」

「さいてー」

「馬鹿男はこれだから」

 内容までは聞こえてなかったのか、適当なことを言ってくれる。

 でも。

 

 本当に、まったくその通りだ。

 俺は何をしてたんだろうな。

 共に戦ってきたはずなのに。

 守りたいのに、守られるばかりで、何も分かっちゃいなかった。

 

 いつも気丈に振る舞っていても、真白はただの女の子だ。

 特殊な力を持っていても、十代の少女だ。

 どこで限界が来てもおかしくなかったのだ。

 あの元気さは強がりだって、最初思ったんだけどな。

 真白がいつもそうであり続けてたから、いつの間にかそれこそが真白だと思っていた。

 こんなに小さな女の子なのに。

 こんなにも、少し力を入れたら折れそうなくらい華奢な体で、子供みたいに縋りついてきているというのに。

 

 真白は泣くばかりで周りの声は何も聞こえていなかったみたいだ。

 今も、泣いている。

 今まで溜め込んだ悲しみを、すべて吐き出すように。

 

 アイラたちは離れた位置に居るが、状況はそれなりに伝わっているらしく。

 アイラは信頼の瞳で。

 姫香は不安の瞳で。

 美子は迷いの瞳で。

 俺を見ていた。

 

 真白は気高い。

 ここまで強い自分を続けてきたのだから。

 でも今は。

 今くらいは。

 俺が支えてやらなきゃだよな。

 

 ――カズくん、カズくんが頑張れないなら、わたしがカズくんを生き残らせて見せるよ――

 

 君はあの時、手を差し伸べてくれた。だから今度は、俺が君を守るよ。

 俺は、大切に大切に、強く真白を抱きしめた。

「大丈夫。大丈夫だから。な?」

 そう言って、真白の頭を撫でる。

 労わるように、安心させてやるように。

 今までよく頑張ったな、と言ってやるように。

 このあと真白が元の強い自分に戻るならそれでもいい。でも戻りたくないなら、あとは俺に全部任せてくれていいからな。

 

「うええぇぇぇぇぇん…………」

 その真白の泣き声は、さっきまでとは違うものに聞こえた。

 

 

 

 ――その後。

 真白は泣き止むと「もう大丈夫」と言いながら目を袖で擦っていた。

「戻らなくてもいいんだぞ?」

 俺が言うと。

 真白は首を振る。

「ううん。それでもこれがわたしだから、わたしはこのままがいい」

 真っ直ぐ俺の目を見て、彼女はそう言った。

 やはり。

 真白は、気高い女の子だった。

 小さな女の子でありながら、強い人間だった。

 俺は。

「そうかい」

 とだけ口にした。

「この服、本当にありがとうね」

 真白は大事そうに、着ている白いフリルのついたワンピースの襟をぎゅっと掴んで微笑んだ。

 その微笑みを見ていると、俺はこの世界でも同じようにプレゼントして良かったと、心の底から思えたのだった。

 

 

 帰り道。

 時は夕刻へと移っていた。

 ショッピングモール内をみんなで結構うろついてたからな。

 ゲーセン入ったり、店を見て回ったりと。

 アイラと美子は買う食材の相談とかをしていたし。

 家族での外出のような感覚だった。

 主に真白のために敢行してしまったが、皆それなりに楽しんでいたように見えたのでよかったのだと思う。

 

 大通りの道を俺たちは歩いている。

 車がそれなりに行き交い、ショッピングモール帰りの家族やカップルや友達グループであろう集団が散見される。

 全部が全部ショッピングモール帰りとは限らないけれど、とにかくいろんな人がいて、車も走っている。

 

 だから俺は、想定しておくべきだったのだ。

 誇大妄想でもなんでもいいから、想像して、一応周りを見ているべきだったのだ。

 そうしていれば、回避できた事だった。

 

 甲高いブレーキ音。

 ブレーキ音。それが一つ、反響する。

 キキイィィィィッッ。と。

 夕方の和やかな風景に、異質が割り込んだように。

 穏やかな帰り道が一変した。

 

 鈍い音を立てながら、小さな体躯が俺たちの前に転がり跳んでくる。

 年端もいかない少女だった。

 年齢一桁であろう女の子だった。

 車に跳ねられて飛んで来た女の子は、気絶しているようで動かない。

 目を瞑ったまま、手足がありえない方向に曲がっている。

 幸い血は流れていない。けれどそれが幸いかは分からない。

 この分では、死んでしまうかもしれない。

 死なないにしても、これから過酷な人生を歩むことになるであろう。

 なにせ手足があんなことになっている。

 見ているだけでこちらも辛くなる状態。

 

 皆、固まっていた。

 声をあげることができず、数秒固まっていた。

 俺も、動けないまま思考だけが空回っていた。

 

 なんで、こんなときに。

 さっきまで、楽しい時間だった。

 非日常の中で、楽しいと思える日常だった。

 なのに、なんで急にこんなことが起きる。

 事故は予告などしてはくれない。

 そんなことは分かっている。でも、これはないだろ。

 小さな女の子が、俺の前に横たわっているなんて。 

 多重機動(デュアルシフト)で助けに入る間もなかった。

 気づいた時にはもう遅かった。

 今まで、この世界に戻って来てから旨くいっていたというのに、旨くやれていたというのに、俺は子供一人救えないのか。

 独善的でも、偽善的でも、俺はすべてを救う者だというのに。

 

 けれど、そんな中。

 アイラはいち早く動いた。

 少女の元へ、アイラは走り寄って膝を突く。

 そして、両手を翳した。

 俺は一瞬、止めようと思った。

 でも、やめた。

 ここで女の子を見捨てる選択は選べなかったから。

 アイラの異別には、前にアイラが説明したもの以外にも何かあると分かってはいても。

 

 正確に解っている訳ではない。

 俺だけが生き残ってアイラが死んでしまった時、何かが起こったのだろうという事と。

 アイラのおかげで覚醒した『無の殺戮』(タナトス・ゼロ)、俺の中にアイラの力が在るのを感じた事。

 それらからの推測した可能性で、何かあると思っているだけだ。

 そういえば、アイラに訊いていなかったけれど、この事をアイラは知っているのだろうか。

 あとで訊いてみなければ。

 

『魂の橋渡し』(ソウルロード)

 アイラが、唯一の異別の名を詠唱する。

 アイラの両手が、藍色の光に包まれた。

 輝きを纏った両手から、魔力が流れ出ていく。

 ありえない方向に曲がった少女の手足は、正常な位置に戻っていく。

 見る見るうちに大怪我は無くなっていった。

 

 藍色の光に照らされた、そのアイラの姿に。

 俺は女神を錯覚した。

 

 

 ――――。

 女の子を完全治療した後。

 俺たちは急いでその場から離れた。

 どうやら怪我はないようです! と叫んで全力疾走した。

 多分、何とか誤魔化せただろう。

 あんな大怪我をすぐに治せるなどとは誰も思わないだろうから。

 アイラが治している間は、アイラの機転で自分の体を盾にして極力見えないようにした上、触診しているように見せかけていたのも効果があったと思いたい。

 能力の光が漏れてたとは思うが、人はありえない事実よりも、納得できる自分の中の解釈を信じやすい。

 だから騒ぎにはならないだろう。

 

 家に帰り着き、皆が落ち着いたところで、俺はアイラに尋ねた。   

「アイラの異別は『魂の橋渡し』(ソウルロード)といって、魔力を使ってどんな怪我でも治せる能力、俺は前の世界でそう聞いた。これは、本当か?」

「…………」

 アイラは真剣な表情で無言になった。何かを考えている様子。

「大事なことなんだ。本当のことを言ってくれ」

 俺もその真剣な表情に応えるように、真剣な目を心がけて見つめる。

「…………わかりました。話します」

 そして、アイラは全部喋ってくれた。

『魂の橋渡し』(ソウルロード)は、生命力も使うことで命の蘇生すらも可能だと。

 ただし、蘇生をするには自分の命を全て使い果たしてしまうということを。

 つまりアイラが死んでしまうということを。

 

 …………。

「そうか……それで」

 ようやく分かった。

 推測だが、ほとんど確信に近い推測。

 前の世界であの時襲撃してきた悪魔。

 あいつの狙いは、アイラだ。

 悪魔は大罪戦争を起こした側で、参加側ではない。

 本来俺たちを襲撃する意味はないはずなんだ。

 けれど襲撃してきた。それならその時にいた俺かアイラが目的だということ。

 しかし目的が俺だということはないだろう。その後一切接触がなかったのだから。

 そして俺が関係ないのなら、アイラしかいない。

 アイラの特別といえば、その唯一の異別だ。

 

「どうして、隠してたんだ?」

「もしもの時、使うのを止められたくなかったんです」

 

 アイラは申し訳なさそうな、子供が怒られるのを恐れるような表情で答えた。けれど譲る気はないような声音で。

 確かに俺はアイラが死んでしまうそんな能力の行使を全力で止めるだろう。

 アイラは、他の誰かが死んでしまったら使うことを躊躇わないだろうから。

 前の世界の俺も、恐らくそれで生き残ったんだな。

 アイラが死んでしまったら意味なんてないというのに。

 

「なら、絶対に使わせない。ここにいる誰も、死なせない」

 俺はアイラ、真白、姫香、美子を見渡す。

「もちろん俺も、死なない」

 拳を胸に当て、アイラの瞳と相対する。

「だから、使うな」

 アイラは、沈黙と瞳の相対を数秒続けた後。

 微笑み。

「私は和希さんを信じてます。だからわかりました。生命力を使うことはしません」

「魔力だけなら、命に関わることはないのか?」

「はい。それは本当です」

 俺はその言を信じることにした。

 アイラはここで、嘘はつかないと思ったから。

 

 

「それにしても、少しまずいな」

「なにがですか?」

 アイラが訊いてきたので答える。

「前の世界で悪魔に襲われたのが、恐らくアイラの異別が目的だ。そして多分、アイラが異別を使ったのを見られたから、その異別の存在を知られたのだと思う。だから今回も見られてたのだとしたら、また悪魔が襲撃してくるかもしれない」

 あの時戦いで傷ついた俺をアイラは異別で治した。

 それを見たことで、悪魔が来たと仮定する。

 もしも最初から知っていたとしたら、もっと早く襲撃があったはずだから。

 それこそ、俺が罪科異別を手に入れる前に。

「なら、警戒していた方がいいね」

 真白がそう結論して、皆で頷いた。

 必ずまた悪魔が来るとは限らない。

 だけど、想定しておいて損はないはずだ。

 もう奇跡のやり直しはきかない。

 失うわけにはいかないのだから。

 

 

 夜。

 電気を消した部屋の、布団の中で。

「もう、離れ離れにならないよね?」

 真白が眉をハの字にした上目遣いでそう言って、俺の左腕に抱きつく。

「あ、ず、ずるい……」

 慌てたように右腕に美子が抱きついた。

「……っ。……んっ!」

 姫香が躊躇いがちに頬を染めて、正面から俺の上に乗って抱きついてきた。

「や、やりますね……」 

 美子が呟く。

 水の流れの如く、皆の一連の行動。

  

 暖かかった。

 むしろ暑かった。 

 ぎゅうぎゅうだった。

 

 でも、いいかと思った。

「寝るぞ」

 俺は皆を促すと、目を閉じた。

 しかし、袖を引っ張られる気配。

 目を開けて見ると。

 アイラが左手付近の袖をつまんでいた。

 控えめだな。

 アイラはもう目を閉じていた。

 だからアイラに声をかけてみたかったが、止めて寝ることにする。

 

 みんな、不安なのだろう。

 強敵がもうすぐ来るかもしれないのだから。

 だから俺は、それを受け止めてやることにした。

 俺が守るから大丈夫だと。

 それに、抱きつかれるのは嬉しい。

 

 …………。

 ……。

 意識が落ちる直前。

 

「和希さん……私、和希さんのためならなんだってしますよ……ごめんなさい、だから本当にもしもの時は、ごめんなさい……」

 

 俺は。

 そんなことはさせないと。

 言いたかったが、眠すぎたので。

 その意思を込めて。

 俺の袖を握っていたアイラの手を、優しく強く、そんな力加減を心がけて握った。

 

 



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30話 封縛

 

 

 6月12日金曜日

 

 

 夜。

 それは、起こった。

 

 

 

 ドクンッ――――

 

 

 

 鼓動。

 振動。

 胎動。

 脈動。

 超動。

 

 脳を、心を、魂を通じて。

 感知する。

 罪科異別が発動された。

 

「みんな、ちょっくら用事あるんで出てくる。すぐに帰るから家から出ないで待っててくれ」

 家のリビングで俺は言い放ち、立ち上がる。

 

 できることならみんなの傍にいた方がいいのだろう。

 けれど今回は別だ。

 アイラが異別を使ったところを見られていた場合、その悪魔の罠の可能性がある。

 激しい戦いになるだろう。

 無の殺戮(タナトス・ゼロ)があるとはいえ、みんなを戦いながら護り切れないかもしれない。

 もしかしたら俺がいないときに襲われる可能性もあるが、その襲撃は俺一人で行かなかった場合は破綻する。

 俺が一人で必ず来るようにする策が一切されていないのならその可能性は低い。

 その筈だ。

 推測だが、的を大きくは外していないだろう。

 結局本当のところは分からないが、今悩み過ぎても仕方がない。

 危険が少ないと思える選択肢を取る。

 後は野となれ山となれ、俺が何とかすればいい。 

 だったら、ここは真白にみんなを任せて、俺がとっとと敵を倒して戻ればいいだけだ。

 早く戻ればもし何かあっても対処できる。真白がいるのだから。

 

 シンプルに考えよう。

 とっとと敵を倒してとっとと戻ってくる。

 それだけだ。

 

 俺は短い逡巡を終えると、歩き出す。

「待って」

「待ってください」

 真白とアイラの呼び止める声。

「わたしも行く」

「私も行きます」

 敵が来て俺が戦いに行こうとしていることをすぐに察した二人がそう言い放つ。

「あのな、真白が来たら誰がみんなを護るんだよ。アイラも戦闘能力はない。できることなら戦闘後に怪我を負ってたらあるが、その時にアイラが動けない状態だったら意味がないだろ」

「「う……」」

 二人は一つ呻き、黙って俯く。 

 だがすぐに真白は顔を上げ。

「でも、みんなで行ってわたしとカズくんで護ればいいんじゃん」

「真白」

 言い募ろうとする真白の頭に手を乗せた。

「大丈夫だ。俺は死なない。いなくならない。離れ離れになんてならない」

 言い含める。

 

 真白は、不安なのだろう。

 あの泣きじゃくった時の真白が脳裏を過ぎる。

 昨夜寝る前も不安そうだった。

 元の自分が自分だと言って、その後はいつも通りだったが、やはり出てしまう時はあるのだろう。

 

「俺が行く。みんなで行った方が危険だ。俺がいない間、真白にみんなを任せるよ。大丈夫だ。お前ならやれる。俺はお前の強さを知っている」

 俺を救い出してくれた、あんな状況で俺に手を差し伸べてくれた強さを知っている。

 戦い続けた強さを知っている。

 気高く強い女の子だということを、知っている。

 

 俺は真白の頭を自然と撫でていた。

「うん……」

 真白は瞑目した後、目を開いてそう答えた。

 その目にはさっきまでの不安の色はない。

 俺が知っている強い女の子の瞳だ。

 

「アイラも、いいな? 心配してくれるのは嬉しいが待っててくれ。俺の帰りを待っててくれ」

「はい……」

 困ったように、心配だけどしょうがないと言いたげの苦笑のような微笑み。

「まあ、無傷で帰ってきたらキスの一つでもしてくれればいい。傷を負ってたら生命力を使わない範囲内で治療してくれ」

「はい、なら、無傷がいいです」

 今度は、明るい微笑みだった。

 

 黙っていた姫香が鳥のぬいぐるみをぎゅっと抱き直して口を開く。

「わたしは戦えないので、足手まといになるだけなのは分かっているので特に止めませんけど、これだけは言わせてください。絶対に帰ってきてくださいね」

「ああ、分かってる」

 返答すると、姫香はそっけなく視線を逸らした。

 落ち着かなげにぬいぐるみを弄っている。

 自分の発言の照れ隠しのつもりなのだろう。

 

 微笑ましい姫香の姿に思わず笑みを浮かべていると、美子がいきなり抱きついてきた。

 俺の胸に顔を埋めながら少し籠った声を発する。

「死なないでくださいね。死んでしまったら私も死にますから」

 俺が死んでも死ぬな。一回そう言いそうになったが呑み込み。

「なら、何があろうと死なない。だから死ぬな」

 妙なことを考えさせないように抱きしめてやった。

「はい……」

 その返事を聞いて、俺はとりあえず安堵する。

 俺が死ななければいいことなのだろうが、美子は少し危ういところがある。

 それでも俺は今の美子とその返事を信じた。

 背中から手を放すと、美子は寂しげな表情をする。

「死なないから、みんなと仲良くな」

 俺が念を押すように言うと、美子は頷いてくれた。 

 

「じゃあ、行ってくる」

 そう言い残すと、俺を見つめる四人を置いて家の外に出た。

 

 月が照らす、寒々しい風が吹く夜だ。

 息を吸い、吐く。

 冷たくも暖かくもない空気が肺を巡った。

 そうして、走り出す。戦いに向けて。

 

 ――正義も大儀も善も仁も無く。

 必ず、やり通す。

 

 俺は、独善的で、偽善的で、字面は偽りでしかない、

 すべてを、救う者だ。

 

 

 宮樹市自然公園。

 その中央に、水の出ていない噴水が寂しく鎮座している。

 この広い公園に、俺は走って来た。

 夜の、人気のない公園だ。

 

 俺は仁王立ちし、前を見据える。

 噴水を脇に挟んで反対側。

 左から、佐藤孝典(こうすけ)、神埼(すすむ)、鈴倉佐生朗(さぶろう)が俺を迎え撃つように立っている。

 三人が結託したのか?

 それは知り得ないが、三人同時に相手しなければならないのは確実なようだ。

 戦意に滾らせた瞳を、一人として例外なく俺だけに向けているのだから。

 ならば、理解よりもまず対処、全力で潰すのみ。

 今の俺なら、それができる。

「『総ての救済を望む傲慢な愚者よ、殺戮し、終わりの理へと導け』」

 詠唱。

 

 ――無の殺戮(タナトス・ゼロ)――

 

 俺の両眼は翡翠の煌めきを宿し。

 両手に柄、鍔、刀身、全てが翡翠色の短剣が顕現。

 不浄な罪科異別を塗り替えた、俺とアイラの力、無の殺戮(タナトス・ゼロ)

 これがあれば、どんな相手だろうと負けない。

 この力で、目の前の敵を排除する。打ち倒す。

 さらにこれなら、殺さずに済む。殺さなくて済むなら、そちらの方がいい。

 俺はすべてを救う者なのだから。

 勝利を手に、生きて帰って見せよう。

 

 武器を手に、対峙。

 しかし、罪科異別を発動している者はまだ誰もいない。

 三人とも、魔眼を輝かせていない。

 俺は罪科異別の発動を感知してここまで来たというのに。

「戦うんだよな?」

 俺は思わず尋ねた。

「ああ」

 神埼が答える。

 短い会話は、それで終わった。

 戦意が在るのは分かった。なら戦うだけだ。

 元より俺たちは話すことなどない。俺とあの敵たちは関わることはない。

 お互い、立ち塞がる敵は退けるのみ。

 

 だが、まだ三人は罪科異別を発動していない。

 どういうことだ。

 罠か? 分からない。でもおそらく何らかの意味が在るのだろう。

 少しの罠くらいでやられるほどアイラのおかげで発現したこの力はやわではないが。

 無の殺戮(タナトス・ゼロ)は、総てを殺す。

 罠ごと、潰す。

 

 ならば先手必勝。

 戦闘において、強力な攻撃で先手を取ることはかなりのアドバンテージだ。

 相手に強力な手の内を出させること無く、本領を発揮させる間を与えずに危険を摘み取ることができる。

 旨く決まれば、そのまま何もさせずに勝って終わる場合が多い。

 俺はその理論に則ることにした。

 罠を張っているからと、それを易々と突破された場合を考えていない隙を突く。

 一気に、罠ごと押し潰す。

 どんな罠かは分からないが、総てを殺すこの力なら、どんなものだろうと殺せばいいだけだ。

 なら、いけない道理はない。 

 

 攻勢に、動く。

 駆け抜けようと前進――

 

「「「『悪魔術・封縛(ふうばく)』」」」

 

 三人が、同時に口にした。

 瞬刻。

 自分が鎖に縛られたような感覚。

 襲った。

 しかし何処(どこ)にも鎖は無い。

 

 されど如実に結果となる。

 翡翠色の右眼が、元の黒目に戻る。

 左手の短剣が、消失。

 力がごっそりと、押し退けられる感覚。

 

 理解する。させられる。 

 無の殺戮(タナトス・ゼロ)の力が、封じられた。

 俺とアイラの、総ての障害を打ち砕く力の結晶は、使えなくなった。

 

 どんな罠だろうと、アイラとの力が在れば打ち勝てると思っていた。

 だが、アイラとの力そのものを制限されるなどと、考えてもいない。

 

 驚愕、動揺、混乱、困惑、恐怖、悲哀、憤怒、焦燥。

 暴力的な感情が一気に荒れ狂う。

 俺は僅かの間それに翻弄され、致命的な隙を晒していた。

 

「『魔の権化共よ、創生し、従属せよ』」

「『其の剣は、殺せず、唯、刈り取る』」

「『怠惰者、気動、急動、強動』」

 

 ここに来て、三人はそれぞれ詠唱した。

 それぞれ赤、蒼、黄に片目が輝き煌めく。

 

 神埼の前に、黒い何かが出現し蠢いた。

 瞬時に渦を巻く様に形を成し、姿を現す。

 まだ記憶に新しい、三体の魔獣。

 魔竜、大蛇、邪鬼。

 その巨体が降り立った。

 

 佐藤の手には銀色の長剣が二本握られる。

 同時に神埼は懐から拳銃を取り出す。

 さらに神埼がどこからともなく大剣を現出させ、鈴倉がそれを手に取る。

 俺の僅かな動揺の間に、敵は戦闘態勢を流れるように整えた。

  

 ――俺は、独善的で、偽善者の、すべてを救う者だ。

 俺は、生き抜かなければならない。

 他の生き抜かなければならない者達を押し退け、突き飛ばし、潰し、消してでも、生き抜かなければならない。

 

 気を強く保ち、敵三人の目を見つめる。

【ロックオン】

 罪科異別、殺戮終理(さつりくついり)の魔眼の力を、使用する。

 カチリと音を立てて、敵に死の気配の楔が填め込まれた。

 これで、敵を殺す道程(みちのり)は整った。

 

 やってやるよ。

 やるしかない。

 やりたいように、やってやる。

 

 拳銃の銃口がこちらに向けられた。

 多重機動(デュアルシフト)――。

 前の世界の自分と身体能力をかけることで、超人的な速さ、動き、身体強度になることが出来る異別。

 瞬時に、起動した。

 

 地面を、思い切り蹴った。

 ただの横っ飛び、それは風を切り超人的な速さと成る。

 乾いた音を立てて射出された鉛玉は俺の横を通り過ぎ的外れの方向に進んで行く。

 されど攻撃はそれだけではない。

 佐藤が投擲した銀の長剣二本が足を掠める。

 魔獣三体と鈴倉が猛追してくる。

 

 大蛇が大口を開け、濃紫色(のうししょく)の液体を吐き出してきた。

 魔竜も邪鬼も鈴倉も、殺意を以って迫ってくる。

 正面からぶつかったら、物量で押し潰される。

 そう悟ると、俺は咄嗟に動いていた。

 横っ跳びした勢いのまま、走って往く。

 広い公園内に造設されている森の方へと。

 

 後ろで濃紫色の液体が地面を溶かす(おぞ)ましい音が聞こえた。

 背後に敵が接近している。

 迫っている。迫ってくる。

 俺を殺そうと、迫ってくる。

 それを引き連れたまま、森に入った。

 ここには、背の高い木も乱立している。

 

 魔竜と邪鬼は、俺の狙い通りその巨体故に一度木に阻まれた。

 だが直ぐに暴力の権化二体は、木を圧し折り薙ぎ払い進んでくる。

 さらに鈴倉は、そのまま突っ込んで来た。

 

 振り上げられていた大剣が、振り下ろされる。

 翡翠色の短剣を振るい逸らし、振り下ろしの勢いのまま地面を大剣が砕き、鈴倉は僅かの間硬直する。

 その隙に短剣を突き出そうとするが、間髪入れずその場から離脱した。

 

 サブマシンガンから放たれた弾丸群が通り過ぎる。

 投擲された銀の長剣が木に突き立つ。

 狙いの精度が尋常ではない。

 とはいえ一歩間違えば鈴倉に命中し死んでいた。

 共闘している間柄だろうに、お構いなしか。

 

 ――、一瞬、意識を外していたのが悪かった。

 魔竜が長い尾を鞭のように(しな)らせ打ち据えようと襲い来る。

 同時に邪鬼も潰し砕かんが為巨岩の如き両の拳を振り回す。

 何とか避けるべく動こうと――

 

 右手が砕けた。

 右手に持っていた翡翠色の短剣も落ちて失せた。

 血液が大量に溢れ弾け舞った。

「――――――――――っっっっ!」

 痛みによる隙を潰そうと叫びも押し殺し、必死に状況を見ようと考える。

 何とかしろ必ずしろ!

 何とかできなければ、死ぬ。

 

 大蛇が、続けて毒の溶解液を吐出。

 足を動かし、避ける。

 躓いた。

 

 ここまで。

 多重機動(デュアルシフト)の速さを頼りに、何とか切り抜けられただけだ。

 数の暴力。圧倒的兵力の差。

 それを覆せたのは、速さだ。

 されど、数の力は凄まじいのか。

 劣勢。 

 

 鈴倉が高く跳躍。

 数メートル上から、重量級の大剣を振り下ろしながら、落下してくる。

 その上回転が加えられた、掠っただけでも肉片が飛び致命傷を負うだろう、刃。

 

 やば――

 

 

真白side

 

 

 居間のソファに座ったまま、わたしたちはカズくんを待った。

 ちょっと違った、それぞれソワソワしたり立って同じところを歩き回ったりしていた。

 

 姫香ちゃんはぬいぐるみをいじり過ぎて、鳥のぬいぐるみの顔が大変なことになっている。

 美子ちゃんは長い黒髪をさわさわ、いじいじ、くるくるしている。

 アイラちゃんは歩いたり、歩いたり、座ったり、俯いたり、目を瞑ったり、手を組み合わせて祈っている。

 

 でも、待つしかない。

 座して待つしかない。

 カズくんは必ず帰ってくるんだから。

 

 着ている白いフード付きパーカー。

 フードを被ったり脱いだり。

 被ったり脱いだり。

 かぶったりぬいだり。

 

 落ち着かないと。

 深呼吸。

 すうぅぅぅ、は――

 

 気配。

 強い気配。

 

 悪。惡。強。凶。恐。

  

「ごほっごほっ!」

 深呼吸の途中で息が詰まり、むせてしまった。

「どうしました?」

「大丈夫ですか?」

 姫香ちゃんとアイラちゃんが心配してくれる。美子ちゃんもそんな視線を控えめに向けてくれている。

「ちょ、ちょっと唾が器官に入ってむせちゃっただけだよ」

 気にしないでと手をひらひらと振って示す。

 

 たった今、感じたもの。

 今までの、感覚の中で、一番脅威だと思える気配だと思えた。

 そんなものを、感じ取ってしまった。

 これは、覚悟を決めるしかないかな。

 ないんだろうね。

 

 わたしは立ち上がった。

「みんな、わたしちょっとだけ出てくる、少し待っててね」

 ちょっととか少しとか、自分でも信じ切れていない言葉を使う。

 無駄に不安を多く与えたくなかったから。

 出る時点で不安かもしれないけど。安心してもらいたかった。

 どちらにしろわたしは、今から脅威に向かわなくてはならないから。

 

「真白さん、家から出ないで待っててって、和希さんは言ってましたよ」

 アイラちゃんが引き留めようと優しく、柔らかい口調で言葉をかけてくる。

「うん。でも、わたしにみんなを任せるとも言ってたよ」

 わたしは振り返って応えた。

「それは……」

 アイラちゃんは言葉に詰まる。

 姫香ちゃんと美子ちゃんは、わたしたちのやり取りを不安そうに見ていた。

 やっぱりどうしたって、不安を完全に拭うのは難しいみたい。

 

 黙ってしまったアイラちゃんに背を向けて、わたしは歩き出そうとした。

「あの、これだけは言わせてください」

 今まで様子を見ていただけだった姫香ちゃんがわたしの背に声をかけてくる。

「真白さんも、絶対に帰ってきてくださいね」

 それは、カズくんに言ったのと同じ言葉。

 わたしにも、カズくんと同じくらいそう思ってくれているということ。

「うん」

 帰ってくるよ。

 約束したい。

 できる限りそうする。そうなりたい。

 

「あなたがいなくなると、和希が悲しむ」

 ぼそりと、小さくだけど、美子ちゃんもそう言ってくれた。

 

「真白さん、今はあなたしかいません。任せました。どうか無事に……」

 アイラちゃんが意を決したような口調で最後に言った。

「うん。任せてよっ」

 笑顔を浮かべ、ガッツポーズを見せて。

 わたしは、家を出た。

 

 

アイラside

 

 

 私は、真白さんが出て行ったドアを見つめています。

 本当に、どうか、無事でいてください。

 

 力が無いことが悔しいです。

 力になれないことが悲しいです。

 

 今は待っていることしかできなくて、私の役目はその後。

 私にしか、出来ないことなのかもしれません。

『魂の橋渡し』(ソウルロード)、どんな傷でも魔力を用いて回復させることができる力。生命力を使えば、死者の蘇生さえ可能な異別。

 そんな力を持っていて、贅沢な願いなのかもしれません。

 けれど、和希さんや真白さんが戦ってる間、私は何もできない。

 戦いの中で支えることができない。

 二人を私が支えられたら、それはどれだけいいことでしょうか。

 和希さんや真白さんみたいに戦いたい。

 一緒に傍で、戦いたい。

 

 だから、和希さんたちが困ることが分かっていても、いてもたってもいられなくてついて行くと言ったり、引き留めたりしてしまいました。

 反省しなければなりません。

 足を引っ張るわけにはいきません。

 戦えるのは二人しかいないのですから。

 そう思っても、力になれないことがいやで。どうしようもなくて。

 

 それでもやっぱり、私にそんな力は無くて。

 どれだけ願ってもすり抜けてくだけで。

 私の力で、手の届く範囲で頑張るしかありません。

 だから今は、二人の帰りを待つことが私の手の届く範囲。

 これしか今はできません。

 

 待つことしかできない私は、祈ります。

 願って想って、祈ります。

 二人に、みんなに、幸福が在りますように。

 

 



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31話 刹那の突先

 

 

真白side

 

 

 いつもより、心なしか暗い気がする夜を走る。

 感じ取った気配を辿って、駆けて行く。

 怪しい月が、視界をか細く照らしている。

 そんな道を進んで行く。

 

 段々と近づいてくる気配。

 それにわたしから向かっていく。

 心胆が、震える。

 まるでわたしは火に入っていく虫のようだ、と思ってしまったから。

 それでも、護る為には向かうしかない。

 戦うしかない。

 

 やがて。

 暗い道の奥から、やってくる者に気づく。

 禍々しい。桁違いの気配。

 自分とは――天使とは反対の性質を感じる。陰と陽でいう、陰。

 視界に捉えられるのは、黒い角が頭部から生えた男。斜めに屹立する二本の剛角。

 悪魔だ。

 圧倒的な魔力を、犇々と感じる。

 実力の差も、叩き付けられるように理解する。悟る。

 

 足が竦んだ。

 拳で足を殴って叱咤する。

 しっかりしないと。

 戦うんだ。

 でないと、今まで何の為にヘヴンズで鍛えてきたのかわからない。

 わたしは、わたしの手が届くところまで守るって、悲しみをできる限り無くしたいって、その為にここまで来たんだから。

 だから今は、家にいる三人を護る為に戦う。

 カズくんに任されたんだから。

 カズくんも今戦っている。わたしも負けないくらい頑張らないと。

 

「あなたは、今からどこに行くの?」 

 まずは、本当に戦う意思があるのかを確認。

 戦わずに済むのなら、絶対にその方がいいから。

 悪魔は立ち止まった。

「お前は……あの大罪者と共にいた天使か」

 あの大罪者っていうのは、多分カズくんのことかな。

 大罪戦争は、悪魔に視られている、ということ。

 なら。

「目的はなに?」

「話す必要はないだろう」

「わたしがここで止めたらどうする?」

「殺す」

 震え上がりそうになった。

 圧倒的力量差を持つ相手に、殺意を向けられたのだから。

 鋭い瞳が、わたしを見てくる。

「わたしが止めなくても、今から誰かを殺しに行くんでしょ?」

 悪魔は何も答えない。

 けれど、沈黙は肯定だった。

「だったら、通すわけにはいかないよ」

 わたしたちを視ていたというのなら、アイラちゃんが――アイラちゃんの異別が目的だろうから。

 

 

「『破滅の黒光』」

 膨大な魔力が集束。

「――!」

 問答無用だった。

 放たれる、黒い極太のビーム状の光。

 破壊そのもの。

「『護り為す白き羽』《ティアティス》」

 わたしの背から白い一対の翼が生える。瞬時に目の前に白の楯を形作る。

 悟る。

 ――あ、これ無理

 咄嗟に全力で横っ跳びした。

 

 白き楯が一瞬で、無残に割れる音。

 白い羽の破片が散り消えていく。

 跳んだわたしの、紙一重横を、黒い光が過ぎて行く。

 服が、少し焼けた。

 地面になんとか着地、を少し失敗して膝を突くと共に、後ろから轟音。爆発音。

 背後が破壊で蹂躙される。

 爆風がわたしの背を叩く。

 コンクリ―トの地面が、塀が、無残に粉々と成り、クレーターが出来ていた。

 

 ――間一髪、避けれた。 

 ほとんど奇跡に近かった。

 ほんの僅か、天使術を使うのが、自分が跳ぶのが遅かったら。

 遅かったら、わたしは死んでいた。

 

 強過ぎる。力の差があり過ぎる。

『護り為す白き羽』《ティアティス》がほとんど意味を成していない。

 これは、わたしの普段の力では無理。

 直ぐに殺されてしまうだろう。

 圧倒的過ぎて、途方も無くて、逆に腹が決まった。

 

「『破滅の闇手(あんしゅ)』」

 悪魔が地面に右手を突く。

 その地面は、消し飛んで右手に収束していく。

 わたしが立つコンクリートまで崩れて、悪魔の右手へと吸い込まれていく。

 バランスを崩す前に後ろに跳んで、破壊の範囲から逃れる。

 エネルギーが貯蔵されるように、悪魔の右手に集中して魔力が跳ね上がっていた。

 

 わたしも、魔力を練る。

 練って、引き上げて、持って来る。

 異別炉を酷使。循環させる。

 純白の翼。自身の両腕に。性質変化。

 白く白く白く。

 強く強く強く。

 純白の剣状に、翼は変幻する。

 魔力の性質は、攻性へと。

 異別炉から魔力を掬い上げ掬い上げ。

 膨大放出。

 残存する魔力は総て、この剣へと。

 ありったけを乗せる。

 純性に、純正に、純生に、純聖に。

 聖剣で以って、勝利へ届かせる為に。

 

 普段使っている天使術が通用しないなら。

 そして、絶対に勝たなければならない戦いなら。

 もう、結局この手しかない。

 

「『破滅の黒光』」

 悪魔の右手から放たれる。漆黒の光。

 光速の黒は、破壊を内包。

 黒色のその光は、破壊の存在。

 正面から迫るは、破壊の王たる攻撃。

 

『白翼の聖魂剣』(ティアエル)

 白光する右腕を振り下ろす。

 純白一閃。

 白の斬撃。

 何処(どこ)までも届く、聖成る剣。

 

 激突する白と黒。

 拮抗。

 白剣と黒光。

 (せめ)ぎ合う膨大な力。

 

 ――刹那の間で。

 拮抗は破綻。

 

 暴爆。爆発。

 白と黒が散る。

 相殺。

 衝撃が辺りを荒れ狂う。

 跳ね飛ばされる。

 防御する間も無く地面に叩き付けられ、転がった。

 

「――――」

 わたしは顔を上げ、なんとか起き上がって膝を突くと、悪魔の表情に少しの動揺が見えた。

 自分の悪魔術が相殺されて驚愕しているのかもしれない。

 実際『白翼の聖魂剣』(ティアエル)は、異別、天使術、悪魔術を総合した中でも、最強クラスの一撃だ。

 そう、凄まじく強いんだ。

 ――強いん、だけど。

 

 悪魔術を相殺しか出来なかった上に、わたしだけが吹き飛ばされた。

『白翼の聖魂剣』(ティアエル)を破壊し、わたしを吹き飛ばした時点で、相手の行使した悪魔術の破壊力は破格級なんだ。

 早く倒さないと。

 埋められない差がある以上、戦闘が長引けば長引くほどわたしが不利になる。

 だったら、やれる内に最大の攻撃を叩き込んで終わらせる。

 今、悪魔が、ほんの微かな時だけど、動揺している。

 その隙に、白を奔らせる。

 

『白翼の聖魂剣』(ティアエル)

 純白の輝きが迸る。

 白の剣線が、遠く遠く、斬光を()く。 

 

 悪魔はさっき、力の補給のようなことをしていた。

 わたしはその光景から、推測。

 一度あの破壊の光を放った後は、その補給が必要な筈だ。

 だから今なら、この剣を届かせることが出来る!

 

「『破滅の闇手』」

 悪魔が、その右手で。

 ――『白翼の聖魂剣』(ティアエル)を、受け止めた。

 漆黒に輝く右手で受け止めたんだ。

 その右手に吸収されていく。

『白翼の聖魂剣』(ティアエル)が吸収されていく感覚が悍ましいほどに伝わってくる。

 全てを呑み込むブラックホールの様に。

 何もかもが、破壊の力へと。

 

 ――でも。

『白翼の聖魂剣』(ティアエル)はまだ消えていない。

 悪魔の右手の平も、微かだけど切り裂けている感触がある。

 なら、まだいける!

 このまま押し切る!

 斬り飛ばす!

 鼓舞し、力を振り絞り。

 剣よ届けと、精神を、魔力を、燃焼。

 斬り降ろす力に、全精力を込める。

 

 僅かずつ、斬り進めてきた。

 皮一枚ずつでも、斬り進めてきた。

 このままなら悪魔を斬り裂き、一撃を与えることが出来る。

 このままなら。このままなら。このままなら!

 もっと、もっと、魔力があれば。

 勝てる。

 勝てた。

 勝てる筈だった。

 

 ――――白き聖剣の勢いは、とまる。

 止まる、留まる、停まる。

 白の光は、黒の光に呑まれて往く。

 絶望が、心を侵食してくる。

 剣は、届かなかった。

 やがて。

『白翼の聖魂剣』(ティアエル)は、完全消滅した。

 

 項垂れて弛緩しそうになる身体を、無理矢理強く立たせる。

 まだ、まだ。

 わたしは、まだ。

「敬意を」

 悪魔が言葉を向けてきた。

「お前は俺の脅威と成れる敵だ」

 右手から赤い血を流しながら、悪魔は呟く。

「そんな相手は久しぶりだ」

 

 異別炉。異別炉。異別炉。

 異別、天使術、悪魔術、その全ての発動の核となるもの。

 異別炉から、魔力――

 死にたくない。

 もう一度死ぬなんていや。

 次はない。

 また死んでしまったら、今度こそ終わり。

 死にたくない。

 死にたくないんだよ。

 

 悪魔がわたしを見つめる。

「俺の味方にならないか? そうすれば殺さない」

「お断りだよ」

「即答か」

「死んでもお断りだよ」

 カズくんたちを裏切るような真似は、絶対に。

 選択肢にすら存在しない。

「そうか、なら死ね」

 風切り音。

 走る銀閃。

 投擲されたナイフ。

 身を護る翼は『白翼の聖魂剣』(ティアエル)に使った。もう無い。

 

 右足の太ももに、突き立った。

 風切り音。

 左の太ももにも。

 風斬り音。

 右の二の腕。

 銀が奔る。

 左上腕。

 突き立つ。

 

 全て、反応出来なかった。

 初撃を回避し損ねた時点で、痛みの隙と衝撃を狙われて、ナイフを避けることが出来なかった。

 激痛が苛む。

 四肢をまともに動かせない。

 痛い、痛い、痛い。痛いよ。

 

 コツコツ。

 足音が聞こえる。

 悪魔が、コツコツ、と足音を立てて歩いてくる。

 近づいてくる。

 接近。

 

「ああぁぁっっ!」

 激痛から叫ぶ。

 またナイフが、右脛近くに刺さった。

 銀の刃が、肉を突き裂いて入り込んでいる。

 力が抜けて、膝を突いた。

 四肢の感触が気持ち悪くて、痛い。

 激痛、撃痛、激痛。

 痛みに身体が蠢く。

 苦しみの中。

 

 悪魔が、懐から何かを取り出した。 

 黒い、水晶玉。

 それを見た時、最初に浮かんだ印象。

 悪魔が、それを持ってさらに近づく。

 ほんの数メートル先に、悪魔。

 接近している。 

 肉薄、している。

 

 悪魔が、よくわからない黒い水晶玉を掲げるように上げ――――

『白翼の聖魂剣』(ティアエル)

 激痛にもがき苦しんでも、わたしはまだ死んでいない。

 まだ、終わってない。終わるまでなら、やれる。

 この、近距離。

 そして、悪魔が何かをしようとしている隙。

 ここなら、命中する。

 倒せる。

 斃せる。

 最後の、異別炉を破壊して行使したこの一撃は、届く!

 

 振り切られた純白の聖剣は、白く高い線と成り。

 悪魔の、左腕を斬り飛ばした。

 

 ――避けられた。

 悪魔は、超越的な察知を以って、身を捻り、避けた。

 左腕は失わせた、けど。

 わたしには、もう手は無い。

 命も、終わっていく。

 

 いやだ。

 こんなところで。

 カズくん。

 

 視界が、段々と、暗くなっていく。

 気力が、体力が、無くなって。

 体が弛緩して、倒れ――

 

「その命、このまま散らすには惜しい」

 受け止められ、悪魔の声が響いた。

「お前でこの強さなら、あの男はそれ以上か。なら、さらに準備が必要だ」

 悪魔の声が、響いている。

 響いている。

 聴こえている。

 

 ――――見えない視界に、黒が瞬いた。

 

 

side return

 

 

 回転しながら振り下ろされる、超重量の大剣。

 身を、捻る。何とか、捻る。

 真横を落ちる大剣。

 風切り音と大地を砕く音が響いた。

 直後に飛んでくる拳。

 鈴倉は、大剣から右手を離し直接殴って来た。

 その拳速は、一流の武道家ほど。

 避け――

 右胸に拳が突き刺さる。

 本当は、右腕の傷口を狙われていたが、命中箇所をずらせはした。したが。

 殴り飛ばされる。

 地に落ち転がった勢いを利用して、薙ぎ倒された木の陰に入った。

 

 激痛が止めど無く奔る。

 右腕が亡い。

 血は流れ出て行く。

 だが。

 それでも。

 

「『総ての救済を望む傲慢な愚者よ、殺戮し、終わりの理へと導け』」

 左眼が翡翠色の煌めきを宿し、無くなった右手の代わりに左手に、全てが翡翠色の短剣が現れる。

 直ぐに跳んでその場から離れた。

 隠れていた木が魔竜の巨手によって砕き潰される。

 

 這う這うの体で下がって、体勢を一瞬整える。

 魔力は多重機動(デュアルシフト)で消費し続け、残りは何割か。

 辛うじて乗り切れているだけだ。

 間一髪の繰り返し。

 僅かに違えば、何処かで死んでいる。

 だが。

 それでも。

 

 この程度の絶望で、俺が止まると思うなよ。

 意図的に、不敵に笑う。

 俺は好き勝手に、やりたいようにやらせてもらう。

 絶対に、どんな手を使ってでも、貪欲に生きてやる。

 何があっても諦めない。

 弱気は終わりだ。もう終わった。

 障害は全て、ぶっ潰してやる。

 

 アドレナリンが大量に分泌され、心が高まり、精神が奇妙に凪ぐ。

 隻腕の痛みは、極限状況に無視された。

 多重機動(デュアルシフト)を意識する。

 この津吉のくれた力が在るから、俺は今戦えている。

 魔力はまだ残っている。

 まだいける。

 多重機動(デュアルシフト)の動きを意識するんだ。

 早く、速く、(はや)く。

 

 神埼の銃撃、避ける。

 腹を掠った。

 だが避けれた。

 離れた距離とはいえ、弾速を上回った。

 鉛玉を躱すことが出来た。

 

 されど、敵は神埼だけではない。

 数が違う。

 数の力は、喰らい進む。

 暴力の暴流が雪崩れ込んで来る。

 

 ライトマシンガンの鉛玉嵐。長剣の投擲。鈴倉の大剣撃。魔竜の撓る黒尾。邪鬼の豪腕。大蛇の毒液射。

 連続で、または一斉に、襲い来る。

 死の文字が頭に浮かんだ。

 躱さねば死ぬ。本能的に、咄嗟に動く。死を避けようと生物としての全霊が出される。

 見極め、全てを避け、短剣で逸らし、対処しようとした。

 脇腹が斬られる、足の甲に弾丸が食い込んだ。

 

「――っ!」

 それでも、まだ動ける。

 速度は傷を負い落ちただろう。

 痛みは蝕んで来ている。

 だが動けた。

 

 反撃する前に、流れるように続けて暴力の波が押し寄せて来る。

 魔竜の腕が疾走し振るわれる。大蛇の溶解液。邪鬼の大質量拳。鉛玉の雨。空を奔る銀の剣。大剣の振り回し。

 動く。避ける。視る。感覚で。

 死を潜り続ける。

 

 頬に血の線が出来る。

 太腿に毒液が少量掛かる。ズボンと皮と肉が溶けた。

 それでも生きている。

 動ける。

 

 暴力。波。

 魔竜。大蛇。鉛玉。長剣。大剣。邪鬼。

 避ける。躱す。意識的。無意識。

 脹脛(ふくらはぎ)が裂けた。

 

 暴。流。波。

 魔。剣。弾。

 動。避。躱。

 感。察。生へと手を伸ばす。

 髪が何本か斬られる。

 

 数の暴力の波。

 一斉攻撃。

 回避。

 服が斬れる。

 

 攻撃。

 回避。

 逃れる。

 傷は無い。

 

 魔力残量は少しずつ減って行き、血液も流れて行く。攻勢は止まない。

 

 暴力。

 避ける。

 掻い潜る。

 傷は皆無。

 

 

 極限状態の中。

 ここまで動き、まだ生きている。

 確実に、最初の方よりも傷を負わなくなって来ている。

 気づく。

 俺は、内側の変化を確信した。

 感覚のみのモノを、確信した。

 

 敵は最初、無の殺戮(タナトス・ゼロ)を無効化した。

 その無効化の原理が、原因だったのだ。

 恐らく敵が使用した手段は、俺の異別を半分制限することで、無の殺戮(タナトス・ゼロ)を使用できなくするもの。

 俺の異別は、殺戮終理(さつりくついり)の魔眼と、無の殺戮(タナトス・ゼロ)

 その半分の内、無の殺戮(タナトス・ゼロ)を無効化したのだろう。

 だが、奴らは知らない。

 多重機動(デュアルシフト)のことを。

 これは、俺の力であって俺の力ではない。

 津吉から譲り受けたものだ。

 半分制限ではなく、完全無効化だったら俺は死んでいただろう。

 しかし、半分制限なら、話が違う。

 つまり、無効化された無の殺戮(タナトス・ゼロ)、その半分の埋め合わせが可能なのだろう。

 だろうとしか言えないのは、事実そうなっているからだ。

 

 自分の内の変化を、自覚していく。

 簡単に言えば。

 力が半分制限された影響で、無の殺戮(タナトス・ゼロ)の分多重機動(デュアルシフト)の方で保管されている。

 無の殺戮(タナトス・ゼロ)、アイラの力の分が多重機動(デュアルシフト)に移って覚醒されている。

 多重機動(デュアルシフト)が、規格外なほど強化されている。

 段々と、その力が浸透していたんだ。

 そして。

 

 ――魔竜の腕を潜り抜ける。

 ――銃弾を視て回避。

 ――大剣を掻い潜り。

 ――投擲された銀の長剣を弾く。

 ――大蛇の毒液を余裕を持って避け。

 ――邪鬼の剛腕は亀の様。

 

 ここまで力が浸透すれば、もう終わりだ。

 完全無効化ほど強力ではなかった手段、そして、敵が俺と津吉の力――多重機動(デュアルシフト)を知らなかったこと。

 それが、お前らの敗因だ。 

 詰めが甘かったな。

  

 疾走。

 疾風の如く、奔る。

 魔竜が腕を振るい、兇悪な爪を以って俺を殺そうとする。

 その爪を、掻い潜る。

 そうして、潜った先。

 魔竜の眼を、見た。

【ロックオン】

 カチリ、と何かが填まる音。

 死の楔が、魔の者に宛がわれた。

 爪を振るった後の伸び切った魔竜の腕に、全てが翡翠色の短剣を、刺し込む。

 

「『殺害せよ』」

 

 死の言霊。

 詠唱の後。

 ギロチンが落ちる様に。

 世界に、魔竜の死という概念が決定付けられる。

 魔竜は瞬時にして黒い塵へと還り消えた。

 

 吐かれる大蛇の毒液。

 躱して、前に進む。

 大蛇の眼を見た。

【ロックオン】

 死へと誘う楔が、大蛇へと打ち込まれる。

 大蛇が直接、鋭い牙を突き立てようと咬み付きをしてくる。

 横に跳び避けた。

 間髪入れず、大蛇の横っ面に短剣を突き立てる。

「『殺害せよ』」

 死の現象を決定付けられた大蛇は、息絶える。存在が消滅した。

 

 銃弾の雨を潜り抜け、大剣と拳の連撃を捌き、投げられる長剣を逸らし弾く。

 その間に、邪鬼は高く跳んだ。

 数メートル高みから、隕石の如き邪鬼のドロップキックが此方(こちら)へと降って来た。

 神速で以って回避する。

 邪鬼は地面へと衝突し、地震の様な衝撃が辺りに広がる。

 邪鬼の周りはクレーターが出来上がっていた。

 

 俺はその着地の隙に、邪鬼の正面へと回る。

 眼を合わせた。

【ロックオン】

 概念の楔が填め込まれる。

 振り下ろされる豪腕。

 疾走。

 豪腕は背後の地面に減り込んだ。

 邪鬼の腹に、翡翠を刺した。

「『殺害せよ』」

 処刑人の斧が、振り下ろされた。

 死が確定する。

 概念が広がる。

 邪鬼は、跡形も無く消滅した。

 

 あとは、三人だけだ。

 その三人は人間だ。

 俺はすべてを救う者だ。

 されど。

 

 鈴倉が、大剣を捨て徒手空拳で迫る。

 一流の武人の如き拳打。連撃。  

 技は鈴倉の方が上だろう。

 だが、超越的な速さで、それを潰す。

 拳の初撃を避け、続きの連撃を短剣を払うことで牽制。

 鈴倉の拳の範囲から即座に跳び下がって逃れる。

 速さを乗せた短剣を、鈴倉に投擲。

 足に刺さる。

「『総ての救済を望む傲慢な愚者よ、殺戮し、終わりの理へと導け』」

 詠唱し、短剣を左手に戻す。

 その間に、俺は既に鈴倉の懐へと接近していた。

 痛みで、僅かにでも出来た隙。

 そこへ短剣を突き込んだ。

 鈴倉の肩へと刺さる。

 

 俺はすべてを救う者だ。けれど。

 字面は偽りだ。

 俺はやりたいようにやる。

 殺されない為に、殺す。

 必ず生きて帰る為に、敵を殺す。

 偽善上等、独善上等の納得者。

 今は善ですらない、利己主義者。

 だから俺は。敵を、殺す。

 守りたいものを、守る為に。

 

「『殺害せよ』」

 

 ガチン、とギロチンが落とされる。

 鈴倉の死という概念が、確定。

 波動の様に広がる。

 

 鈴倉は。

 俺が通う学校の教師は。

 糸の切れた人形の様に崩れ落ち、その命を終えた。

 

 ――次だ。

 佐藤へと向かうため踏み込み走る。

 疾風迅雷。

 迅速。神足。超速。神速。

 接近。

 銀の長剣が一本投擲される。

 難なく避け正面突破。

「くっっそがあっ!」

 肉薄すると、佐藤が焦りの悪態を吐きながら、振り抜かれる長剣。

 潜り避け、背後へと回る。

 その背へと、翡翠色の短剣を突き立てた。

「『殺害せよ』」

 概念の、ギロチンが落ちる。

 死の確定が広がる。

 佐藤は、息絶えた。

 斃れ、動かない。

 

 ――あと一人。

 神埼に向けて、一直線に向かおうと足を踏み出す。

 

 既に、銃口が此方に向けられていた。

 ミニガンの、六本の銃身が、確実に敵を殺そうと殺意の口を覗かせている。

 俺が走る直線状に、弾道は重ねられていた。

 今から、一切の時を用いずに、避けることは出来ない。

 さらに、ミニガンの毎秒百発、毎分何千発の弾丸が大雨の(つぶて)と成って襲うということ。

 

 今は、走り出した瞬間だ。ここから回避は不可能。

 一瞬後には、無数の鉛玉が正面から、一人の人間を殺す為に来襲する。

 

 ――されど。

 ならば。

 だったら。

 

 正面から、潰せばいい。

 

 やってやる。

 やらなければ死ぬ。

 出来なければ終わり。

 俺はすべてを救う者だ。

 俺に、出来ない訳が、無い!

 

 多重機動(デュアルシフト)を、更に、更に、更に、更に、感覚で捉える。

 浸透を意識する。感覚を、能力の最上を手繰る。

 浸透は既に十分。後は、慣れだ。感覚を掴め。

 五感を、第六感も、全てを支配し行使するんだ。

 最、高みへ。強く。

 強く、強く、強く!

 最大限を出し、感覚も総動員し、対処に当たる為に。

 刹那の間に、万全に力を高めて往く。

 

 後は、自分の力次第。

 出来るか出来ないか。

 死ぬか死なないか。

 勝つか負けるか。

 結果は、誰も知らない。

 だけど。

 

 俺に出来ない訳が無い。

 

 

 火花が散り、最初の鉛玉が射出。

 零点数秒と経たず、弾丸は到達し殺しの役目を果たす。

 

 翠閃、閃かせた。

 刹那を超える、疾さ。

 翠閃の突きは、鉛玉を打ち砕く。

 線は点と成り、撃ち砕く。

 

 刹那より、速く、早く、(はや)く、疾く、突先を閃かせる。

 目の前に広がるは、弾丸の壁。

 対して此方は、短剣一本。

 されど、打ち砕く。

 何度も、何度も。

 一瞬を、瞬間を、瞬時を、瞬刻を、瞬きを、寸刻を、寸時を、寸秒を、一寸を、刹那を超えて。

 突きを放つ。

 鉛玉は止め処無く襲い、そして死んで行く。

 

 弾丸。

 突き。

 鉛玉。

 突く。

 弾。

 突。 

 

 機関銃から放たれる弾を殺し続ける。

 視認ではない、(すべ)て感覚の彼方。

 (ただ)、突く。

  

 突く、()く、()く、()く、()く。

 突を総て、掌握する。

 

 弾丸。突く。弾丸。突く。弾丸。突く。弾丸。突く。弾丸。突く。弾丸。突く。弾丸。突く。弾丸。突く。弾丸。突く。弾丸。突く。弾丸。突く。弾丸。突く。弾丸。突く。

 

 ――――津吉は、そういえばこんなことを言っていた。

 ――まずぶち壊してやりたいこの『大罪戦争』だが、一度決定付けられた物語を破綻させるのは簡単じゃない。これまで何度も失敗してきた。だが、今回の大罪戦争は、今までと大きく違うところがあった。それは、和希が生き残った。ということだ。お前今までで、何回も呆気なく死んでるからな。今回はすげえよ。ほんとに――

 多重機動(デュアルシフト)は、前の世界の自分と、身体能力をかけることで超人的な速さ、動き、身体強度になる異別。

 その前というのは、一つ前だけではなく、以前に存在したすべての世界。

 だからなのか。

 今、その最大限を放出できているほど掌握したからか。

 流れ込んでくる。

 恐らく、以前に存在した、無数の世界の記憶が。

 

 弾丸。突く。

 ――アイラが死んでしまった時の記憶。

 

 弾丸。突く。

 ――真白が死んでしまった時の記憶。

 

 弾丸。突く。

 ――姫香が死んでしまった時の記憶。

 

 弾丸。突く。

 ――美子が死んでしまった時の記憶。

 

 弾丸。突く。

 マンイーター。池谷に殺された時の記憶。

 

 弾丸。突く。

 魔獣に噛み付かれて死んだ時の記憶。

 

 弾丸。突く。

 魔竜に引き裂かれて死んだ時の記憶。

 

 弾丸。突く。

 歪な大剣で殴り殺された時の記憶。  

 

 弾丸。突く。

 長剣に、ナイフに、串刺しにされた時の記憶。

 

 弾丸。突く。

 銃撃に斃れた時の記憶。

 

 弾丸。突く。

 ――大切な人達と過ごした記憶。

 

 一つ一つの光景が突いて弾を殺す度に浮かんでくる。

 死の記憶が多いのは、恐らく衝撃度が高い記憶だからだろう。

 俺は、その積み重ねの上で立っているんだ。

 惨劇を乗り越え、奇跡を経た上で、今この場所に居る。

 ならば、死を背負って、大切な記憶を抱いて、俺は進んでいかなければならない。

 望んだ結果を、手にする為に。

 

 突先を、放つ。

 魔力が続くまで、何処までも。

 ミニガンから発射される鉛玉を殺す。

 防ぐ。砕く。殺す。

 

 鉛玉の壁を、翡翠色の壁で潰す。

 総てを越え、翠閃が奔る。

 翡翠色の短剣が閃く。

 障害を打ち砕く、その一点で以って廻り流れる突先。

 救いを求め進む先。

 奇跡の軌跡を辿り、着き、突く、先。

 

「なん、なんだ……」

 神埼の、か細い声が聞こえた。

 弾丸を、突く。

 続けた果て。  

 

 いつしか。

 お互いの魔力が、切れた。

 

 神埼の手から、ミニガンが消失する。

 俺の手には、翡翠色の短剣。

 多重機動(デュアルシフト)は使えない。

 だから唯の走りで、俺は神埼に接近、肉薄した。

 

「お前は、なんなんだあああああああああああ!!」

 化け物を見るような目で、神埼は叫んだ。

 

 俺は考えた。

 俺は、なんなんだ。色んな名が頭に浮かぶ。

 浮かんでは消える。

 すべてを救う者。相沢和希。利己主義者。偽善者。独善者。

 

 だけど、今の俺を端的に云うなら。

 神埼の目前に、到達。

 俺は神崎の耳元で、呟いていた。

 

「――ただの、ハーレム野郎だよ」

 

 心臓に、短剣を突き立てた。

 魔力が無い。罪科異別は今使えない。

 されど、人が死ぬにはそれで十分だった。

 

「がふっ」

 神埼は血を吐き、倒れる。

 意識が落ち、命が潰えて往く光景が目に移る。

 血が流れ広がり、動かない男。

 神埼進は、死んだ。

 

 俺は。

 俺は、勝った。

 総てを殺し、勝利した。

 これで、みんなを護れた。

 守れた。帰れる。

 俺は、今から帰る。

 

 ふらついた。

 頭が痛い。意識が落ちかける。

 そういえば、今、右腕無いんだったか。

 血は、断面から未だに流れていた。

 足に力が入らなくなり倒れる。

 立てない。

 動けない。

 意識は混濁。

 

 ――でも。

 立たなければ。

 死ぬわけには、いかないのだから。

 死なないと、離れ離れにならないと、帰ると自分で言ったのだから。

 帰らないと。

 少しずつ、手間取りながら、体を動かす。

 左手を支えに上半身をゆっくり起こし、両足を慎重に動かして、立たせる。

 なんとか、立ち上がれた。

 

 歩き出す。

 遅いけど。

 普段の歩く速度より全然遅いけど。

 ふらふらと、歩き出す。

 目的地は、みんなが待つ家だ。

 暖かさが待つ、俺たちの家だ。 

 

 何度も倒れそうになりながら、歩いた。

 意識をギリギリで繋ぎ止め、ただ家へと足を動かす。

 動かす。動かす。動かす。

 歩いている感覚はほとんど無い。

 身体を引き摺るように、ただ気持ちだけを前に進める。

 歩き続ける。

 

 ――次第に。

 みんなが待つ家の明かりが見えてきた。

 心に明かりが灯る。

 もうすぐだ。

 もうすぐ、着く。

 ふらふら、ずりずりと、歩く。

 

 着いた。 

 家だ。

 ドアの前。

 震える手を駆使して、ドアを開けた。

 

 家の中から光が差す。

 俺はそれで、かなり安心してしまった。

 そうして気が緩んだからか、倒れる。

 玄関で倒れた。

 もう、流石に起き上がれそうもない。

 でも、ちゃんと帰れたんだし、いいよな。

 俺は今、生きている。

 

「和希さん……? それとも真白さんですか……?」

 リビングのドアが開くと同時に声が聞こえる。

 混濁する意識と視界に金の髪が映った気がした。

 

「和希さん!?」

 アイラの声が、最後に微かに聞こえたとき。

 

 ――ぷつりと、電源が切れるように。

 俺は気を失った。

 

 

 



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32話 死、対、破壊

 

 

 七人の闇の者。

 暗い室内で、声が響く。

 

 

 ――全滅か。

 

 ――これでは破綻だ。

 

 ――今回は無理か。

 

 ――新しい大罪者を用意すればいいのではないか?

 

 ――やめておけ。無意味だ。あの異別でまた無殺されるだけだろう。

 

 ――あの力を封じる我らの悪魔術も破られた。再び用意するのも困難。リスクは大きい。

 

 ――三人分は集まらなかったが、半分は魂が集まったのだ。今回は潮時であろう。

 

 ――ここで終わらせたくはないが、続けても無駄になるだけ、か。

 

 ――そうだな。それなら別の方法か次に対する準備をした方がいい。

 

 ――ならば、全員一致で今回は退く、ということでいいな?

 

 ――お前は何やら勝手していたが、どうする?

 

 ――俺はまだ目的がある。

 

 ――せっかく治してやったのだから簡単に死んでくれるなよ?

 

 ――…………。

 

 ――…………。

 

 

 綺麗な緑を映えさせる下草が生える丘。

 そこに、一つの墓があった。

 その墓前に一人佇む男。

「待っていろ。どんな手を使ってでも、取り戻す」

 誰もいない場所で、一人呟く男。

 誰にも譲らない決意を瞳に秘め、道を定める。

 何を敵に回そうと、何を犠牲にしようと、必ず叶わせる。

 一人の悪魔は、七大悪魔の男は、この時、この瞬間に、堕ちて往った。

 闇の先を、その先も闇だと知っていても、進み続ける。

 唯々、唯一の望み。

 大切な人を、取り戻したくて。

 

 

 ――意識が、浮上していく。

 段々と、戻ってくる。

 瞼を開くと、天井。

 周りを見ると家のリビング。

 すぐ近くの感触に視線をやると、アイラと美子と姫香。

 

 どうやら俺は、リビングに布団を敷いてそこに寝かされていたみたいだ。

 アイラと美子が左右に密着し、姫香が上に乗っていた。

 伝わる熱と重量が心地いい。

 しかし、真白はどこにいるのだろう。

 お花摘みというやつだろうか。

 それとも外で日向ぼっこだろうか。

 まさか一人でコンビニとかに行ってはいないよな。なるべく一人で行動しないでほしいのだが。

 大罪者は全員倒したとはいえ、まだ危険はあるはずだから。

 

 自分の体を見る。

 右腕はそこに在った。

 全身、どこにも痛みはない。

 アイラが治してくれたのか。

 それ以外、あの死にかけの状態から生存出来るとは思えない。

 むしろ家まで辿り着いてアイラの『魂の橋渡し』(ソウルロード)で回復させてもらうまで生きていられたのが不思議だ。

 恐らく多重機動(デュアルシフト)で身体能力が強化されたことで生命力も上がっていたのだろうけれど。

 多重機動(デュアルシフト)が切れてから少ししか時間が経っていなかったのが幸いした、ということか。

 死ぬわけにはいかなかったから、死に物狂いで歩いたが。

 何とかなったようで、安堵する。

 

「和希さん、おはようございます」

「……っあ、おはようアイラ」

 考え事をしている内に、アイラが起きていた。

「おはようございます和希」

 美子も目を開けていた。

 詩乃守を見ると、まだ寝息を立てている。

「なあ、二人とも真白がどこに行ったか知らないか?」

 質問すると、二人は黙ってしまった。

 まさか。

 俺は嫌な予感に囚われる。

 真白がいない。それに関して訊いて黙る。導き出される結論。

 思考は断絶。

 やがて。

 アイラが言った。

「真白さんは……何かに気づいて出て行ったきり、戻って来ていません……」

 

 俺は走り出していた。

 姫香を起こさないように俺の上から優しく降ろした後、走り出した。

「和希さん!」

「和希!」

 後ろから声が聞こえる。

 玄関を開け放った。

 それからまた走り出そうと――

 

 視界に見慣れないモノ。

 白い何かが、玄関の床に落ちた。

 衝撃に突き動かされるまま行動してしまったが、そのいつもと違う光景に少し冷静になる。

 よく考えたら――よく考えなくても、ここでアイラたちをおいて一人で探しに行っても、おいていった三人が危険になるだけだ。 

 とりあえず深呼吸して、落ちた物を拾い上げる。

 それは白い手紙封筒だった。

 ドアに挟まれていたのだろう。

「和希さん、それは?」

 後ろから追って来たアイラと美子が首を傾げる。

「手紙」

 俺はそれだけ答えて、焦りながら開封する。

 焦ったせいで少しもたついてしまった。

 この中に、重要な情報が入っている気がしてならなかったから。

 ようやく中の手紙を取り出すと、食い入るように読んだ。

 

「今夜、人気のない山の中で待つ。白髪の少女に無事でいてほしければ金髪の少女を連れて来い」

 描かれた地図と共に、そんな文言があった。

 自分で口に出して、怒りが増す。

 奥歯が割れそうなほど噛み締められる。

「そんなっ……」

「……」

 アイラと美子が悲痛な顔をした。

 真白は攫われたんだ。

 そして攫ったのは、悪魔。

 アイラを狙ったのはあの悪魔しかいない。

 だから、アイラを要求する脅迫文ということは、恐らくあの悪魔なのだろう。

 前の世界でアイラの命を奪った悪魔だ。

 また奪うのか。

 そんなこと、させない。

 させてたまるか。

 状況は悪い。

 悪魔は強大だ。 

 

 だけど。

 折れない。

 絶望なんて、蹴散らしてやる。

 真白を必ず、取り戻す。

 必ず、救い出す。

 俺はすべてを救う者なのだから。

 それがなくとも、真白が居なくなるなど、在ってはならない事なのだから。

 俺が真白に死んでほしくないから助ける。

 俺が真白に傍に居てほしいから救う。

 それだけだ。

 俺は自分が納得したやりたいことをするだけの、

 独善的で偽善者な、利己主義者なのだから。

 

 

 俺は何も喋らず、リビングのソファに座っていた。

 リビングに繋がったダイニング、そのキッチンから卵を焼く音が聞こえる。

 アイラと美子が朝食を作っている。

 

 真白を取り戻すために動けるのは、夜だ。

 今は何も出来ない。

 今動いても仕方がない。今何処(どこ)に真白が居るのか分からないのだから待つ他ない。

 焦りは募るばかりだが、焦っても意味はない。

 必ず取り戻す。その意思だけ持って、時間が経つのを待つべきだ。

 

「和希さん、朝ごはん出来ましたよ」

「和希、気を強く持ってください」

 アイラと美子が左右から俺の腕に抱き付いて、立たせてきた。

 そのままダイニングのテーブルへと連行される。

 背に手を当てて優しく押される感触。

「腹が減っては戦はできぬ、ですよ」

 姫香が俺の背中を押していた。

 別に食事を取らないつもりはなかったのだが。

 でも、みんなが元気づけようとしてくれているのは分かった。

「すまんな」

 情けなくて。

「なにを言っているのですか。謝るくらいなら真白さんをちゃんと助けてあげてください」

「ああ」

 姫香に激励され、食卓に着く。

「みんなありがとうな。いただきます」

 そうして、トーストとベーコンエッグとサラダを食した。 

 

 朝食後も、俺はただ座っていた。

 壁掛け時計の針が動く音が、やけに耳につく。

 カチ、カチ、カチ、カチ、カチ、カチ。

 何もしないのも無駄に思えて、戦いに向けて思考を巡らせた。

 あの戦いが終わった後、無の殺戮(タナトス・ゼロ)は戻っている。

 多重機動(デュアルシフト)は、先の戦いの力はイレギュラーなのであの時ほど発揮できないが、通常の多重機動(デュアルシフト)は使える。

 イメージトレーニングをしてみる。

 敵との戦いを想像して反芻する。

 相手はあの悪魔。だったら手の内は知っている。

 ナイフ投げと黒い破壊の光を放つ悪魔術だ。

 ――結論。持てる力を以って全力で対処に当たる。

 結局、それしかなかった。

 先の戦いの様に無の殺戮(タナトス・ゼロ)を封じられない限り、この力で何とかなりそうではあるが。

 油断せず行こう。

 ならばまだ時間はある。もっと色々考えてみよう。

 自分の異別の事。戦いの想定。その場合の対処法。

 

 ……。

 …………。

 ………………。

 ……………………。

 

 昼食も夕食も、アイラと美子が作ってくれた料理を食べて、英気を養う。

 今日は、姫香も料理を出来ないなりに少し手伝っていた。

 何かを頑張ろうとしているのが伝わって来て、背中を押された気分になる。

 俺も、頑張らねば。

 

 夜。

 時が来た。

 約束の時間だ。

 

「私たち、戦えなくてもちゃんとついてます」

「和希が死んでしまったら、私も死にますから」

「しゃんとしてくださいね先輩」

 

 アイラ、美子、姫香が立ち上がった俺を元気づける言葉をかけてくれる。

 最後に強く背中を押された気がして、意思が更に強固に固まる。

 偽りのすべてを救う者は、大切な人を――真白を救う。

 その為に、今から進む、戦う。 

 歩き出す。

 

 後ろからアイラもついて来ていた。

「なんでついてくる?」

「手紙に私を連れて来いって書いてありましたよね。だったら私が行きませんと真白さんに危険が及ぶかもしれないではないですか」

「確かにそうだが、それだと全力で戦えない。アイラを護りながら悪魔を倒すのは難しい」

「でも、それだと真白さんが」

 縋るようにアイラは見つめてくる。

「真白は俺が護る。だからアイラが来ても危険を増やすだけだ。必ず生きて連れ帰ってくるから、ここは待っててくれ」

 アイラまで危険な目に遭う必要はない。大切な人を誰も死なせたくない。

「…………はい」

 アイラは少し考え、不承不承の納得、了解の返事。

 その返事を聞くと、俺は再度歩き出す。 

 

「真白さんを、頼みました」

 後ろから、祈る様なアイラの言葉を聞いて、家を出た。

 

 

 山の中。

 夜の月光に照らされた、開けた場所。

 そこに、奴はいた。

 視界の先、二本の黒き角を生やした男。

 悪魔。

 あの男個人の名前は、知らない。

「来てやったぞ」

「そのようだが、あの少女は?」

「俺を倒してからにしろよ」

「そういうことか」

 悪魔は殺意を宿した黒い瞳を向けてきた。 

 

 俺はその殺意を受け流し訊く。

「お前の名前はなんだ?」

「なぜそんなことを訊く?」

「聞いておきたいからだ」

 これから戦う相手の名を、これから殺すかもしれない相手の名を知っておきたかった。

「訊かれたからといって、俺が態々(わざわざ)伝える理由も必要もないと思うが?」

「そうかもな」

 悪魔は、少しの間沈黙した。

「貴様の名を教えるなら教えよう」

「相沢和希だ」

「俺はルシファー。ルシファー・ヘルライ」

 ルシファーか。覚えた。

 殺すなら殺すで、その名を覚えて背負おう。

 傲慢で偽善な考えだが、俺はそうしたいからそうする。

 

「そして、この子の名も教えよう」

 ルシファーが言うと、後ろの木が連なる暗がりから、一人の少女が出てきた。

 

 ヴァイオレットの瞳は神秘的で、けれど光は無く、意識が在るのかすら分からない。

 着ている服は白いパーカーに白いスカート。

 しかしたなびく長髪は、漆黒。

 唯の黒ではない。邪悪。

 感覚、伝わる。あれは普通ではない。

 黒い黒い、悪魔の様な漆黒。

 

「堕天使だ」

 ルシファーが、そう口にした。

 

 息を呑む。

 焦燥と怒りと恐怖で心臓の鼓動が早鐘を打つ。

 その女の子に視線が釘付けにされる。

 

 ――その子は、間違いなく俺の知っている女の子で。

 ――あの女の子の髪は、本当は真っ白で。

 ――瞳には、元気な光が宿っている筈で。

 名前は、春風真白だ。

 

「お前、真白に何をした?」

 俺は言葉に怒りと殺意を込めていた。

 どう見てもまともじゃない。ただ髪を染色しましたでは済まない異常。

 

「この少女は俺の傀儡(かいらい)にさせてもらった。貴様の異別でも元に戻す事は出来ない。俺以外には不可能だ。さあ、金髪の少女を連れて来い。そして寄越せ。この少女を死なせたくないのなら、差し出せ。そうすれば助かる。助けてやる」

 

 思考が一瞬止まる。

 けれど心を奮い立たせ。 

「そんなこと、信じる訳無いだろ」

「もう一度言う。貴様の異別では元に戻す事は出来ない」

 

 仮に。

 仮にそれが本当のことだとして。

 アイラをルシファーの手に渡らせた場合、アイラは恐らく死ぬだろう。

 それは駄目だ。

 けれどルシファーを斃し、真白を取り戻したとして、真白は元に戻らず、真白は戻らない。

 どちらかを、選べと?

 二人のどちらかを選択しろとこいつは俺に向かって言っているのか?

 

 ――ふざけるな。

 俺が選ぶのは俺が望む道だけだ。

 アイラも真白も、二人とも居る道だけだ。

 大切な二人を取り零すなど、二度とごめんだ。

 ルシファーは俺の異別では元に戻す事は出来ないと言った。

 だが、裏を返せば俺以外で元に戻す事が出来る力を持った者がいるかもしれないとも取れる。

 ならば要求に応える必要はない。

 どちらにしろアイラを失う選択など俺がする訳が無い。

 そして真白が失われる選択も論外だ。

 出る結論は、敵を倒して他も何とかする。

 ルシファーを殺さずに倒せればいいが、そこまで甘い相手ではないだろう。

 殺さずに無力化出来れば、ルシファーに真白を元に戻させればいい。

 無理ならば、他の方法。

 それだけだ。

 俺に出来ない訳が無い。

 ならば後は、戦うだけだ。

 

「返事は決まったか?」

「ああ」

「なら聞かせてもらおう」

「クソ食らえだ」

 

「『破滅の黒光』」

 黒く黒い光が、瞬いた。

 極大破壊がルシファーの右掌から放たれる。

 一瞬にして存在を消滅し尽くさんとする一撃。

 問答無用の、不意の戦闘開始。

 

 刹那より速く、声を置き去りにした、意識感覚による詠唱。

 喉を介さない言霊。

 ()(かく)発動しなければ、俺は一秒と経たずに死ぬ。

「『総ての救済を望む傲慢な愚者よ、殺戮し、終わりの理へと導け』」

 

 ――無の殺戮(タナトス・ゼロ)――

 

 両眼が翡翠色へと輝き、両手に全てが翡翠色の短剣が具現。

 黒光へと左の短剣を突き出した。

 

 ――殺戮せよ――

 

 言霊を介さない、死の概念の顕現。

 翡翠の短剣と黒光がぶつかり合う。

 衝撃を周りに撒き散らしながら、死の概念と破壊の概念が拮抗する。

 

 最中。

 漆黒の真白が、動いた。

 

 真白の背から、闇の様な黒色の翼が一対生える。

 光の無い瞳、闇の様に黒い髪に翼。

 その容姿は、正に堕天使だった。

 更に、闇色の翼が漆黒の光と成って、堕天使の両腕へと宿る。

 その光は、刃状。

 右腕が振り下ろされた。

 

『黒翼の魔魂剣』(ティアエル)

 

 何処(どこ)までも届く、漆黒の刃。

 性質は、魔剣。

 真っ直ぐ線上に、此方(こちら)に届く。

 

 右の短剣を水平に翳した。

 ――殺戮せよ――

 漆黒の刃と死の概念を宿した短剣が衝突。

 空間が、震撼する。

 衝撃が更に周囲へと荒れ狂い、草は舞い散り木は薙ぎ倒された。

 

 魔剣と破壊、その両方を防いでいる状態。

 腕に掛かる負荷自体はそこまでではない。

 だが、物理的な威力以上の問題。

 魔力が湯水の様に消費され、力が摩耗して往っている。

 黒翼の魔魂剣(ティアエル)と破滅の黒光。無の殺戮(タナトス・ゼロ)を以てしても容易に消し去る事が出来ない。

 

 それでも。俺は、取り戻す。誰も失いたくなんてない。

 今は多くを考える事は不要。

 自分に出来る事を、全力で為すしかない。

 

 やがて。

 黒光と魔剣は消失する。

 多量の魔力を消費した拮抗の後に、殺す事が出来た。 

 防げない訳では無い。

 ならばやれる。

 道筋に手を伸ばし、進んで往ける。

 

「『破滅の闇手』」

 ルシファーを中心として、俺の足元までの地面が崩れて削れた。

 これは、前の世界でやられた……!

 相手のバランスを崩すと共に、右手にエネルギーを貯蔵する一手だ。

 崩れた地面の広さは数十メートル。深さはそこまでではない、一メートルほど。

 けれど、完全な対処は間に合わなかった。 

 バランスを崩し、しかし以前とは違い即座に体勢を立て直――

 

『黒翼の魔魂剣』(ティアエル)

 何処までも届く極大威力の魔剣。

 左腕を振り下ろした真白。

 漆黒の刃は狙い違わず此方へ。

 死神の鎌の如き、命を終わらせる刃落とし。 

 

 咄嗟に翡翠を翳す。 

 ――殺戮せよ――

 黒く黒い魔剣を受け止める。

 しかし、体勢は整っていない。

 集中が削がれる。

 物理的な衝撃に対して、大地に足を踏み締めていない。

 大部分は相殺出来たが、僅かだが相殺し損ねた。

 短剣と魔剣がずれる、拮抗が破綻。

 

 弾き飛ばされた瞬間。

 相殺しきれなかった、残った魔剣のエネルギーが暴発する。

 漆黒の余波、爆発、衝撃波。

 近距離でそれに晒される。

 吹き飛び転がった。

 爆発の前に丸まって急所は防いだが、腕や足の皮と肉が弾け鮮血が舞う。

 

 だけど休んでいる暇など無い。

 痛みを堪えて、転がりながら即座に立ち上がる。

 手足は動く。戦える。

 

 間髪入れず銀閃が空を奔った。

 ルシファーのナイフ。

 凄まじい速さと技量のナイフ投げ。

 何本も、此方へと寸分の狂い無く投げられる。

 

 避けて、短剣で受け流す。

 多重機動(デュアルシフト)の速さで、食らい付く、追い縋る。

 身体を捻る、横っ飛び、身を屈める、跳び退る。

 怒涛の、大量のナイフ。

 踏み込み、掻い潜り、身を逸らせ、跳ね上がり、滑り込む。

 対処、していく。

 それだけに集中しなければ避けれないほど、ルシファーのナイフ投げは脅威だった。

 

 故に。

 大きな隙。

 ナイフを逸らし、避けた瞬間。

 

『黒翼の魔魂剣』(ティアエル)

 刹那にして、漆黒の刃が真白の右腕に顕現。

 横に振り抜かれる何処までも届く漆黒の魔剣。

 両足が斬り飛ばされた。

 

「――ああああああああああっ!!」

 両足、鮮血、跳ぶ、飛び、舞う。

 痛みが脳を焼き尽くす。  

 投げ捨てられた人形の様に地べたを這い蹲る。

 

 絶体絶命。

 九死。

 死の瀬戸際。

 絶望の際。

 地獄の淵。

 最悪の状態。

 

 ――――だが。

 だけど。

 しかし。

 けど。

 けれど。

 こんなところで終われない。

 

 ――――――――――。

 

 執念。

 執念を爆発させろ。

 必ず、真白を取り戻す。

 それ以外認めない。

 ぶっ潰す。

 

 痛みと弱気、絶望、全てを置き去りに、多重機動(デュアルシフト)を全力発揮した。

 切断された足で。

 大地を蹴りつけ、真白の方へ飛ぶ。

 多重機動(デュアルシフト)で強化された速度と身体強度に任せて、無理矢理身体を前に進める。 

 先の戦い程の速さを出す事は不可能。けれど、超人的な速度という事は変わらない。

 一気に地を踏み切り、投げ出すように、己の身を射出する。

 その体ごと突っ込む。

 

 足を切断されているのだ。

 この状況、俺はほとんど負けている。

 ルシファーも、ほとんど勝ったと思っているだろう。まだ警戒はしていても、全く隙が出来ていないほど油断が一切ないということはないはずだ。

 だから、俺がここまで動けるとは想定していなかったのだろう。

 結果、ルシファーは虚を突かれた様子を見せる。

 ルシファーにとっては完全に予想外だったのか、対処が間に合っていない。

 俺はやると言ったらやる。

 敵の執念を侮ったなルシファー。

 後一秒と経たず、真白に肉薄する。

 時。

 

『黒翼の魔魂剣』(ティアエル)

 真白は右腕に漆黒の刃を顕現させた。

 即座に薙ぎ払う。

 脅威に特攻する愚かな敵を断罪する様に。

 

 短剣を強く握り込む。

 ――殺戮せよ――

 左の短剣で受けてから、受け止めている魔剣に右の短剣を打ち付ける。

 ――殺戮せよ―― 

 両の短剣で、魔剣を挟み込む様にした。

 死の概念が、翡翠色の短剣二本分発現。

  

 漆黒の刃を持つ魔剣を、殺した。

 

 一瞬にして消滅する刃。

 間髪入れず、俺は進む。

 前に進む。

 

 真白の目前。

 到達。

 右手に握った短剣を、突き出した。

 真白の胸に刀身が突き立つ。

 されどその刃は、幻想。 

 

 ――殺戮せよ――

 春風真白の、数十分間の意識を殺した。

 

 

 意識が落ち、倒れる真白。

 だけど、今の俺に真白を心配出来る余裕はなかった。

 真白の意識がなくなったと確信した後、直ぐに敵へと視線をやる。

 

 ルシファーが此方を見ている。

 俺もルシファーから視線を外さない。

 外した瞬間殺されるだろう。

 残るはルシファーのみだが、俺は満身創痍。

 なにせ両足が無い。今にも倒れそうだ。

 血が無くなっていく。

 痛みは連続的に襲う。

 意識を保つので精一杯。

 

 ここまで、僅かすら攻撃する時が無かったとも思えない。

 しかし、何故か。

 ルシファーは仕掛けて来ていない。

 そして。

 ルシファーが、懐から何かを取り出した。

 それは、何かが入った小瓶。

 身構えていると、ルシファーはその小瓶の蓋を開け中身を全て飲み込んだ。

 

 ――爆発的だった。

 ルシファーの、魔力が爆発する様に増量したのだ。

 元々桁違いの魔力量が、更に数倍と成る。

 しかし、ルシファーは吐血した。

 恐らく副作用だろう。そうでなければここまで使わなかった理由がない。

 されどその威力は、絶大。

 ルシファーが右手を此方に向けて突き出す。

 

「『破滅の黒光・Ωblast(オメガブラスト)』」

 

 放たれる。

 総てを破壊する力。

 黒。

 唯々黒い、極大の光柱(ひかりばしら)

 空間すらも喰らい尽しながら破壊し、破壊のエネルギーとする。

 今まででも既に最強クラスの攻撃。それが、更に比べ物にならないほどに強化されている。

 破壊破壊破壊。

 視認するだけで破壊が脳を埋め尽くしそうなほどの破壊。

 

 破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊。

 

 右手に持つ、翡翠色の短剣を前に突き出す。

 ――殺戮せよ――

 左手に持つ、翡翠色の短剣を前に突き出す。

 ――殺戮せよ――

 

 衝突。ぶつかり合う。

 死と破壊が、お互いを無に還さんと押し合う、喰らい合う、競り合う。

 対抗、出来ている様に見えた。

 けれどそれは見えただけ。

 焼け石に水。数秒と経たず押し負けそうになる。

 

 圧倒的な力。

 それを前に、ただ潰されるだけの木っ端。

 俺はそんなものだった。

 今この瞬間、俺はそんなものでしかなかった。

 

 やがて。

 押され。圧され。

 死へと、片足が浸かる。

 

 

 ――――――――――背に、手が当てられる感触。

「和希さん」

 俺の背に両手の平を当てた、アイラがそこにいた。

 

「何故ここにいる」

「追いかけてきちゃいました」

「大馬鹿だ」

「でも、そんな馬鹿な私だからこそ、今和希さんを助けられます」

 

 アイラが瞳を瞑る。

『魂の橋渡し』(ソウルロード)

 その両手が、藍色に光り輝き煌めく。

 刹那。

 瞬時。

 一瞬にして。

 俺が受けたダメージも、切断された足も元に戻る。

 完全回復。

 俺は両足で大地に(しっか)りと立つ。

 押し負ける寸前だった、破壊対死の競り合いは。

 何とか、あと一歩分の拮抗を取り戻せた。

 されど、また直ぐに破壊は此方を破壊し尽くす。

 それまでは僅かな時しか要されていない。

 

「一緒に戦いましょう」

 アイラが言う。

「どうやって」

「私が魔力を流します。『魂の橋渡し』(ソウルロード)を流します。それを上手くコントロールしてください」

「簡単に言ってくれる」

「私の方も、回復の力にせず上手く流せるか、出来るかはわからないんですけどね」

「おい」

「それでもやってみせます」

「大丈夫なのか」

「和希さんなら出来ますよね?」

 試す様な、当然と言った様な、信頼の言葉と笑み。

「当たり前だ」

「ふふ」

「俺に出来ない訳が無い」

 アイラは、明るい笑みを深めた。

 そうして意を決した様に瞳を閉じ。

 

『魂の橋渡し』(ソウルロード)

 

 アイラの手が、藍色に光る。

 流れ込んでくる。

 アイラの異別の力が、魔力が。

 それを、精神力を可能な限り総動員して把握する。

 

 実、やり方は良くわからない。

 感覚で補え。

 そうしようと想像し、動かせ。

 なんとなくでもいい、とにかく考えて内の力を動かせ。

 

 感覚。

 間隔。

 感覚。

 

 俺とアイラの力、『無の殺戮』(タナトス・ゼロ) 

 そして、アイラの異別『魂の橋渡し』(ソウルロード)

 その二つを完全に把握し、逢わせる。合わせる。

 不適合。

 適合させる為の思索。試作。視索。施策。

 

『魂の橋渡し』(ソウルロード)は生を司る。

 ならば、反転。無理矢理にでも、捻じ曲げる様に反転。

 死へと。

 殺へと。

 概念を反転。

 

 ――――。

 ――。

 

 適合。

 合わせる。

 可能。出来た。

 混ざらせる。

 力を強くする様に、操作。強く、強く、強く。

 完成へと近づいていく。

 アイラの魔力が加算され、混ざり合い、増幅する。

 更に近づく。強く成る。

 生る。為る。成る。

 殺す力を究極まで高めて往く。

 到達。

 一つの究極が、今此処(ここ)に顕現。

 

『lord・無の殺戮』(ロード・タナトス・ゼロ)

 

 二つの眼が、翡翠色と藍色に輝く。

 手に持つ短剣が、翡翠色と藍色が混ざり合った全身を持つ短剣へと、変貌。

 死の究極。

 殺しの到達点。

 それこそが『lord・無の殺戮』(ロード・タナトス・ゼロ)

 

 闇よりも黒い黒光と拮抗。

 互角。

 翡翠と藍色、漆黒、暗黒色(あんこくしょく)、黒色。辺りに散って行く。

 衝撃が周囲に広がり、近辺の木々や地面は折れ、崩れ、吹き飛んでいる。

 (これ)より勝利するのは魔力量、質、精神力に関する想いがより強い方。

 死の概念、対、破壊の概念。

 (タナトス)、対、破壊(ブロークン)

 

 背にいるアイラを思う。君を護る。

 傍らに倒れている真白を思う。君を救う。

 この(つるぎ)にかけて。

 その想いで。その為に。前に進む。

 

 ――限界の戦いを繰り広げているからか。

 全力の、最大最強の一撃同士が拮抗し、この攻防で総てが決まると確信出来ているからか。

 高揚した精神で、ふと思う。

 

「俺、ずっと思っていたことがあるんだ」

 こんな状況だというのに。

「このシチュエーションは、最高に主人公だってなあ!」

 いや、こんな状況だからこそ。

「主人公が負ける訳ねえだろうが!!」

 それを口にした。

 

 俺の、今までの出来事、今の状況全部引っ(くる)めて、完全に俺が読んできたラノベの主人公が経験するシチュエーションだ。

 今まで、そんな余裕がなかった上、不謹慎過ぎたので言わなかった。思わなかった。

 だけど、今は言う。これで最後なんだ。精神力を最大限まで高める為に。

 俺は、主人公だ。

 俺が負ける訳が無い。

 俺に出来ない訳が無い!

 

 アイラと、力を高めて往く。

 何処までも何処までも。

 内なるアイラとの力を、制御する。強く、高める、高める。

 さあ、死を与えよう。

 総ての力を、総てを殺す力に。

 破壊を、完膚無きまでに殺してやる。

 

 殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死。

 

 総てを殺し尽くす。

 

 ルシファーが、更に懐から小瓶を取り出し、飲み干した。

 破壊の力が、莫大に増大。

 数倍になったものから、更に数倍。

 破壊の概念が、荒れ狂う。

 総てを破壊せんと狂い迫る。

 

 破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊。

 

 目の前の破壊は強大。

 真に総てのものを破壊し尽くしてしまうだろう破壊の権化。

 圧される。壊される。破壊される。

 死が、破壊されて行く。

 

 ――されど。

 此方は死の権化だ。

 

 強く強く。

 高みへ、高める。

 アイラと共に、強く成る。

 際限なく、強く。

 

 死と破壊。

 

 拮抗。

 同等。

 対等。

 均衡。

 匹敵。

 

 狂い荒れ、在れ、喰らい合い、会い、逢う。

 殺し、破壊し、死なせ、破戒する。

 死と破壊が競合。

 

 いつまでも、何度も、何回も、幾度も。

 

 それでも。

 いつしか。

 いつかは。

 今ここで。

 

 崩れる。崩壊。

 

 殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺

死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死。

 

 死を。

 脅威へと、生涯へと、敵へと。

 死を。

 

 破壊を、殺す。

 破壊に、死を与える。

 

 概念を、殺す。

 

 そうして。

 ――――破壊の権化たる黒光は、消滅した。

 

 破壊の力を打ち砕いた。

 殺した。

 死んだ。

 

 翡翠色と藍色が混在した短剣を握り込む。

 多重機動(デュアルシフト)を使用。地を蹴り、速く、疾く、力を使い果たし立ち尽くすルシファーへと肉薄。

 目の前へ。

 右に持つ短剣を、突き出――

「俺は、あいつを取り戻すんだああああああああああ!! 死ねえええええええ!」

 茫然が刹那の間に変転。

 ルシファーは何処からか取り出したナイフを両手に持ち、執念の表情で正面から突貫。

 

 不意の突撃。

 このまま翡翠藍色の短剣を突き立てようとすれば、ルシファーの方が速く此方の命を奪う。

 

 ――だが。

 翡翠藍色を一振り。

 直ぐ目の前を、横に薙いだ。

 

 ――殺戮せよ――

 

 目の前の空間を殺した。

 翡翠藍色に広がった無の場所、俺とルシファーの間に出来上がる。

 その場は、死の空間。

 ルシファーは、勢いを殺せず、停まれないまま突っ込んで来る。

 その先は、死の空間。

 総てが死ぬ場所。

 

 ルシファーは、前のめりにその空間に突っ込む。

 上半身が丸ごと消滅した。

 

 死の空間が消失した後の場には。

 下半身だけが倒れていた。

 血液が水溜まりを作っている。

 

 ルシファーは死んだ。

 殺した。

 俺が殺した。

 

 



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最終話 『死ね』

 

 

 息を吐く。

 死体から少し距離を取った。

 深呼吸をした。

 吸って、吐く。

 

 でも。終わった。これで、すべて。

 アイラと真白のいる方へ振り返ろうと。

 

 胸から、何かが生えた。

 

「これで終わりだと思ったか? ハハハハハッ。残念。お前の死で、終わりだ」

 直ぐ近く、後ろから下卑た声。

 自分の胸を見下ろすと、腕が貫いていた。

 後ろに立つ男の腕だろう。

 だが、俺の頭の中は。何故? という言葉で埋め尽くされていた。

 何故、今、急に、唐突に、脈絡なく出て来た?

 明らかに敵な、初対面の男。

 別の悪魔か?

 ルシファーの仲間か? 

 でも、仲間だったら何故加勢に入らなかった?

 入れるタイミングは何度もあった筈だ、それこそルシファーが死ぬ前に。

 

「ルシファー以外の腰抜け共は退いたが、オレはお前をずっと観ていたぞ。目的が根本的にあいつ等とは違うからな」

 胸が空いている。声が出せない。

 痛い。

 痛い。まずい。なんとかどうにかしなければ。思考はその三言だけ。

 

「なあ、なあなあ。説明してやるよ相沢和希。お前が今どれほどの絶望に居るのかをな」

 男、恐らく話した内容からして悪魔が、喋る。

 態々(わざわざ)。饒舌に。愉しそうに。

 

「和希さん!!」

 アイラが叫ぶ。走ってくる音。

「少し待ってろ! 今いいところなんだよ!」

 悪魔の怒声。

 アイラが、停まった。

 まるで、見えない壁が在って、それに衝突した後無理矢理空間に身体を縫い付けられた様に。

 声すら出せないのか、僅かすらアイラの綺麗な声は聞こえてこない。

 

「それでな、説明に戻るとだな――そうだ、何か名前を付けよう。この演目に相応しい名前だ」

 怒声を放ってまで続けたかった筈の話を自分から中断し、唐突に横道に逸れる。

 この悪魔の、思考が、見えない。

「絶望説明、だ。そう、絶望説明。シンプルだが実にいい。絶望説明。気に入った」

 意識が朦朧としかける中。意味不明、その言葉だけが浮かんだ。

「では、これより絶望説明ターイムだ」

 一気に、慈悲も無く、愉しそうに、楽しそうに、此奴(こいつ)は言った。云いやがった。 

 

「最初に、相沢和希の妹と両親を殺した悪魔。それは、オレだ。オレでーす!

 まあ、殺したのは偶然だったんだけどな。だがこいつは良い絶望の演出に使えると思ったんだよ。いやー良い仕事だった。自分でも惚れ惚れする位だ。

 

 だって。 

 今こうして機を逃さずに愉悦を感じられているんだからなあ。

 

 楽しいよ。本当にまったく楽しいよ!

 まあ、大罪戦争でお前を見つけたのも偶然なんだけどな。ほんと、運命だと思ったよ。

 面白そうだったから他の悪魔に協力したけどさ、大罪戦争。この儀式。

 頓挫したけどな。面白そうだったのに残念。ま、オレはそれなりに楽しめたしいいかと思ったけど。

 でもメインディッシュが残ってたんだよ。そうだよ! お前だよ! 相沢和希!

 こんなに甘美な絶望を楽しめてるんだからな!

 人の苦しみを観るのって最高だよなあ?

 ほんと最高。

 なあ? 相沢和希?」  

 

 何も言えない。

 何も言えなかった。

 激情は在った。

 振り切れそうなほど在った。

 けれど、何も言えなかった。

 

「そうそう、言い忘れてたけどお前らがショッピングモールからの帰り道に事故に遭遇して、アイラ・アウロラランドが異別を使用することになったのは、オレの仕業さ。事故を意図的に起こした訳だ。そうしてそれを視たルシファーのやつがアイラ・アウロラランドを狙うって寸法よ」

 …………。

「面白い事になりそうだったからやってみたけど、ルシファーが斃された今の方が面白い事になってるなあ。人生何が起こるか分からないよなあ?」

 ………………。

「まだまだ絶望はこれからだぜ。今からやるから、待ってろ」

 楽しくて仕方がないと云った様に、悪魔は言う。 

「聞いてるか? 相沢和希? まだ死んでくれるなよ? 今すぐあそこにいる女二人を、いや、四人だな。殺してやるから。ぶっ殺してやるから。相沢和希。お前の目の前でな」

 

 四人。

 姫香も美子も、来てしまったというのか。

 アイラが来てたなら、不安に思ってついて来てても不思議ではないが。

 来てしまったのか。

 こんな、ところに。

 

「まず一人目からだ」

 俺の目の前に、アイラが停まったまま浮遊して移動させられて来た。

 苦しそうな顔をしている。

「おっと、まず解いてからだな。可愛い悲鳴が聞けるぞ」

 アイラの、首から上が解放された様に停止が無くなった。

「和希さん」

 心配そうな顔で、アイラは俺を見て言った。

 自分が今、大変で、殺されるって、聞いてた筈なのに。

 アイラは、他の心配をした。

 俺の心配をした。

 やっぱり君は、優しすぎる。

 失いたくない。

 

「ほらほら、始めるぞ。はい、スタート!」

 アイラの身体は、締め付けられる様な音を立てた。

「あっぐっ、ぎっぃ、んぐぅぁはっ」

 アイラが顔を歪めて、聞いたこともない声を発した。

 苦しんでいる。アイラが死にそうになっている。

 死へと近づいている。

「ああぁぁあ゛っ」

 アイラの腕が一本潰れる。

「はいまずは一本」

 死へと近づく。

「もう直ぐ死ぬぞ。死んでしまうぞお?」

 メキメキと、(ひしゃ)げる様にアイラの身体が軋んだ音を立てる。

「――――」

 あとどれくらいで死んでしまうのだろう。

 

 ――嫌だ。

 嫌なんだ。

 いやなんだ!

 

「この、クソ野郎!!」

 両手に持った短剣を、無理矢理気を振って体を動かし斬り付ける突き出す。

 両腕が、爆散した。

「あがああああああああああああああああああ」

「無駄だ。黙って見てろよ相沢和希」

 

 なにをした。

 こいつの力が、分からない。

 対処も出来ない。

 両腕が無い。

 胸は貫かれたまま。

 足も動かない。

 なにも出来ない。

 死ぬ。

 死にたくない。

 死ねない。

 アイラが死ぬ事など、もう在ってはならない。

 真白が死ぬ事も、姫香が死ぬ事も、美子が死ぬ事も在ってはならない。

 もう、そんなことは。

 なにも出来ない。  

 

 

 

 

 ――――――――――――――――――――しろ。

 出来ないではない。しろ。

 殺せ。

 敵を殺せ。

 失ってはならないのなら、やれ。

 殺せ。

 何でもいい、どんな方法でもいい。

 殺せ。

 手は、一つだけ在る筈だ。

 

 この悪魔は。

 俺の妹と両親を殺した。

 俺に、呪いの如き信念を生み出させた。

 人生を狂わせた。

 つまり、こいつが元凶。

 最大の敵。

 俺の人生最大の悪。

 

 そう。

 そういうこと。

 らしい。

 そうかそうか。

 それが真実。

 だから絶望しろ。ということか。

 

 ――心底、どうでもいい。

 

 今の俺にとって、そんなことはどうでもいい。

 今この瞬間の原動力にはなり得ない。

 

 今の俺の原動力。

 それは、今生きている大切な人達だ。

 その皆を救う為に、俺は戦う。

 こんなところで絶望して堪るか!

 

 敵は退ける。

 排除する。

 消す。

 潰す。

 殺す。

 俺は、今の幸せを持って進んで往く。

 だから除け、クソ野郎。

 

「さあさあ、今からアイラ・アウロラランドがくたばるぞ。見てろよ。観とけよ。見ものだぞ。そして絶望の顔をオレに魅せてくれよ」

「お前がくたばれ」

 

 悪魔の、両目を見た。

 振り返って、至近距離から。

 翡翠藍色に輝く、両眼を煌めかせて。 

 

「『死ね』」

 

 口にする。詠唱。

 純粋な、死の言霊。

 現代において、普段は本気で使用されない、本来の意味ではない罵倒語として多用される言葉。

 されどこれは、本当の、本来の意味での言霊。

 純粋に、一切の脚色なく、相手の死を望む言霊。

 

 殺戮終理(さつりくついり)の魔眼。

 死を司る魔眼の力。

 発現。顕現。

 殺す力。

 究極的な死を与える。

 

 悪魔は、糸が切れた人形の様に倒れた。

 俺の胸から腕が抜かれる。

 悪魔は、楽しげに笑った表情をしながら、動かない。

 生気は一切感じられない。

 死んでいる。

 呆気なく、敵の命は終わった。

 たおした。

 斃した。

 

 片目が弾け飛んだ。

 俺の右眼が、弾けた。

「ぐぅ、ううううう」

 尋常ではない痛みに呻く。

 まだ痛みを感じられる。  

 力の代償か、はたまた耐え切れなかったのか、片目を犠牲にしたが、勝った。

 

 本領を発揮させずに殺した。

 本来戦闘とは、いかに相手の強い手を出させず殺すかで死生が決まる。

 相手に強い手を打たれ、真っ向から潰す力が此方に在ればいいが、そうでなければ――そうであったとしてもそちらの方が遥かに生き残れる確率が高い。

 こちらの方が弱くとも、そうすれば斃す事も可能ということ。

 結局最後までこの悪魔の能力は分からなかったが、そんな事はどうでもいい。

 勝てば、いい。

 ルシファーには訊いたが、こいつの名前はどうでもよかった。

 永遠に知る必要はない。

 

 

 しかし、危うかった。

 至近距離からの、短剣を介さない魔眼の力。

 魔眼そのものだけで、死の概念を発現させた。

 今日、夜になるまで、戦闘に向かうまで、策を考えていた時。隠し玉として思い付いてはいたが、出来るかも分からなかった。至近距離でも成功するかは五分五分だった。

 なんとか、右目を失って成功したが。

 

「和希さん」

 悪魔の能力から解放されたアイラが、歩み寄って来た。

 自分の怪我も気にせず、心配を顔に浮かべて近づいてくる。

「アイラ……」

 目の前に立つアイラに何かを言おうとした。声は掠れている。胸に穴が開いている。両腕が無い。立てているだけ奇跡だ。

 アイラは無理に喋ろうとする俺の言葉を遮るように、潰れていない左手を此方に翳し。

『魂の橋渡し』(ソウルロード)

 アイラの左手が藍色の輝きを放ち、その光が俺を包む。

 空いた胸が塞がり、肉も骨も皮も血も元に戻る。回復する。

 正に、奇跡の御業。

 でも、右眼は見えないままだった。

 痛みは、消えたが。

「アイラも、早く」

「はい」

 アイラは自分に『魂の橋渡し』(ソウルロード)を使い回復した。

 潰れた右腕が元の華奢で綺麗な腕に戻り、外見では分かり難いが全身のダメージも治っただろう。

 俺の右眼は見えないままだが、今はそんなことより真白の方が重要だ。

 アイラは気づいていないようだから黙っていよう。

 推測すると、恐らく、俺の異別の代償で無くなったのだから、たとえ規格外のアイラの異別だろうと治すことは出来ないとか、そういうのだ。

 アイラの生命力を使った『魂の橋渡し』(ソウルロード)なら治せるかもしれないが、そんな事は思考に入れる事すら拒否したい。論外だ。

「ありがとう。助かった」

「和希さんを助けるのは当然です」

 アイラは微笑んで言った。

 

 俺は振り返って歩いて行く。

「真白」

 真白の所に、早く。

 元に戻してやらないと。

 真白の元へ向かう。

 すると。

 

「ぶはっ」

「けほっ」

 茂みの中から姫香と美子が出て来た。

 口の中に入ってしまったのか葉っぱを吹き出しながら。

「お前ら、やっぱり来てたのか」

 あの悪魔の言から知ってはいたが。

「「ごめんなさい」」

 二人は開口一番謝ってきた。

 姫香はバツが悪そうに、美子は申し訳なさそうに。

「別に悪いことはしてないだろ。アイラも来てしまったしな」

「確かにそうですね」

 姫香が頷きながら言う。

 逆にそう言われるとなんだか癪だが。

 美子は黙って複雑な表情。

 まあ、いい。終わったんだ。

 あとは、真白が。

 戻ってくれば。

 

 真白の傍で膝を突く。

 髪色は、いつもの白髪ではなく漆黒のまま。

 瞳は閉じられ、微動だにしない。

 俺が数十分分の意識を殺したのだから当然といえる。

 しかしこのままだと、再び意識を取り戻したとして襲い掛かられるか、それとも目覚めないかのどちらかになるだろう。

 元の春風真白として目覚めさせるにはどうしたらいいのか。

 俺の力では、殺す事しか出来ない。

 治す事は出来ない。

 この黒い、悪魔の力であろう部分だけでも殺しておくか? もしかしたら助けられるかもしれない。その悪魔の力こそが真白の精神を侵していたのだろうから。

 俺は翡翠色の短剣を発現させ手に握り、物質への不干渉を選択。真白に切っ先を刺し込んだ。

 ――殺戮せよ――

 真白の中に巣食う、明らかに真白の性質とは違う悪魔の力を見つけ出し、認識。殺す。

 

 漆黒の髪は、元の白色へと戻った。

 少なくとも外見は、元の真白へと帰ってきた。

 これで、真白を助けられただろうか。

 

 

 ――数十分以上経った。

 依然として真白は目覚めない。

 揺らして起こそうとしても、微動だにしない。

 希望的観測で以って、助けられた、かと思っていた。

 助けられていなかった。

 目覚めないのでは、真白は帰ってこれない。

 何とか出来ないのか。何か方法は。

 真白が戻ってこないと、帰れない。

 そんなものは俺の望んだ結末じゃない。

 

「私がやってみます」

 アイラが言って、俺の横に膝を突いた。

『魂の橋渡し』(ソウルロード)

 両手を翳す。藍色の光。真白を包んだ。

 光が消える。

 だが、まだ真白は目覚めない。瞼は動かない。

「和希さん、ごめんなさい……」

 顔を俯かせ、気落ちした様子でアイラは謝る。

「謝るな。アイラは悪くない」

 

 だが、どうすれば。

 治せる術を持った異別者か天使を探すしかないのか。

 本当にそんな者がいるだろうか。

 アイラの、唯一の異別ですら治せなかった。

 なのに、他に治せる力など、存在するのだろうか。

 無理なのか。

 真白の声を聞く事は、出来ないのか。

 戦いは終わったというのに、まだ終われないというのか。

 

「私が、生命力を使えば……」

「駄目だ」

 アイラの言葉を遮る。

「でも、他に方法が――」

「駄目だ」

 誰も、喪ってはならないのだ。

 誰もいなくなってはならない。

 幸せでなければならない。

 大切な人達は、生きて笑っているべきだ。

 

「先輩」

「和希」

 いつの間にか、姫香と美子が俺の服を掴んでいた。

 縋るような瞳、労わるような瞳。

 俺には、どうにも出来ない。

 俺は、殺すしか能がないやつだから。

 

「和希さん」

 アイラが俺を正面から見る。

 決意の瞳。

「駄目だ。やめろ」

「真白さんは私が助けます」

「やめろ」

「だって和希さん、泣きそうじゃないですか」

 アイラは包むように優しく微笑んで言う。

「泣いてないだろ」

「私も、真白さんのこと大好きですから」

「だったら生きて一緒にいるべきだろ。やめろ」

 

「その通りだぜアイラちゃん。君は生きるべきだ」

 

 唐突に。

 声。

 声が聞こえた。

「和希、なんだその顔は。お前はやったんだ。しけたツラしてないで胸張れよ」

 いつの間にか、どうしてか。

 親友、剛坂津吉が傍らに立っていた。

「津吉、俺はやれてない。真白がまだ戻って来ていない」

 それでは意味がないのだ。

 しかし、津吉は自信たっぷりに自分の胸を叩いて不敵に笑んだ。

「俺に任せとけ。俺が行きたい所まであと一歩まで来てるんだ。だからまた、能力で出来る事が増えた。少しの干渉が出来る。アイラちゃん、手貸してくれるか?」

 アイラは津吉を見ると。

「はい……!」

 力強く答えた。

 信じてみることにしたようだ。

 ならば、俺も信じよう。

 自信満々な親友の力を。

 真白を必ず救ってくれると、信じよう。

 

「いいか、アイラちゃん。俺の物語を破綻させる力と、アイラちゃんの絶対回復。それを合わせるんだ。出来るか?」

「やってみせます!」

「いい返事だ」

 津吉とアイラは、真白に手の平を向ける。

「じゃあ、始めるよ」

「はい」

 

『破綻させる観測者』(オブザーバー・ブレークダウン)

『魂の橋渡し』(ソウルロード)

 津吉の手からは黄金の光が、アイラの手からは藍色の光が放たれ、真白を包む。

 俺はそれを、祈るように見つめる。

 姫香と美子が、ぎゅっと俺の服を掴む力を強くした。

 

 待つ。

 待つ。

 唯々、時間が経つ。

 末。

「最後くらい綺麗に終わらさせてくれよ。奇跡をまた、起こさせてくれよ」

 津吉が、祈り願う言葉を発した。

 数分の後。

 優しい光が溢れていた。

 真白の為の、祝福の光だ。

 見ていると、心が洗われるようだ。

 

 そして。

 真白の瞼が、動いた。

 眼が開かれていく。

「ん……」

 声も、発した。

 真白の声だ。

 真白の声が、しっかりと耳に届いた。

 

 光は消える。

 終わったようだ。

 真白は目覚めている。

「よし、成功だ」

 津吉は、喜びを滲ませた声音だ。

 アイラは安心しきって疲れたように微笑んだ。

 

 俺は真白に近づく。

 目が開いている。

「カズくん……」

 俺の名を呼ぶ白色の女の子。

 真白は、帰ってきた。

 帰ってきたのだ。

「よかった」

 抱きしめる。

 俺は真白を抱きしめた。

 

 これが望んだ結末だ。

 元の、日常へと帰れる。

 

「カズくん……?」

 真白が俺を呼ぶ。

「泣いてるの?」

 真白が俺を認識して、ただ名前を呼ぶだけで、とてつもなく嬉しさが溢れた。

「いい子いい子。カズくんは強い子だよ」

 抱きしめ返され、頭を撫でられる。

「いい子いい子」

 撫でられる。

 撫でられる。

 撫でられる。

 

 子ども扱いはやめてほしかった。

 けれど。

 悪くなかった。

 

 

 

 

 

 

 すべてが終わった、後日。

 真白と二人になった。

 一度みんなと、一対一で話しておくべきだと思ったのだ。

 問題が片付いて、これからみんなでやっていくのだから。

 そのために、みんなの気持ちを知っておきたい。

 意識のすり合わせをして、確かな一歩を踏み出したい。

 

「心配かけさせやがって」

「カズくんにだけは言われたくないけど、ごめんなさい」

「今無事だからいいよ」

「…………」

「何だ、そんな見つめて」

「これからは、二人で――ううん、みんなで頑張っていこうね」

「ああ」

「わたしも、もっと強くならないと」

「これ以上強くなられたら、俺の立つ瀬がねえよ」

 真白は強い。本当に強い。

「カズくんの方が強いよ」

「いいや、真白の方が強い」

「わたしとカズくんが戦ったらわたし瞬殺されそうなんだけど」

「純粋な戦闘能力なら今はそうかもな」

「それ以外も、強くなってきてるとは思うけどね」

「まだまだだよ」

「確かに、まだ精進が必要かもしれないね。なんてったってハーレムを本気で作ろうとするおバカさんなんだもん」

「バカとはなんだ」

「だから、もっと強くなって、周りの女の子全員幸せにするんだよ」

「もとよりそのつもりだ」

「わたしはもう、すでに幸せだけどね」

「そうか」

「なに、そっけない反応」

「そんなつもりはないが」

「そうかな~?」

「そうだ」

「そうなんだ」

「そうなんだよ」

「うん、じゃ、抱きしめて」

「ああ」

 抱きしめると真白は、幸せそうな笑みを浮かべてくれた。

 あの時、助けられなかったら見れなかった顔。

 助ける事が出来たから、見れている表情。

 大切にしていこう。

 

 ――――。

 

 今は、アイラと二人。

「和希さん、これからも一緒ですよね」

「ああ、俺はみんなを幸せにするぞ」

「私だって、支えられるんですから、頼ってくださいね?」

 最後の戦いの時。アイラが来てくれなかったら勝てなかっただろう。

 負けて、殺されて、終わっていただろう。

 大切な人が欠けることなく今が在るのは、アイラのおかげだ。

 なら。

「これからは頼るよ。アイラも強い。アイラの力が必要になったら遠慮はしない」

「はいっ。そうして下さい」

 笑顔でそう言った。

 憑き物が落ちたような、自信に満ちた笑顔だった。

「和希さん」

「なんだ」

「大好きです」

「ああ」

「和希さんはどうですか?」

「大好きだよ」

「ふふっ。そうですか」

 何だよその顔。幸せそうにしやがって。

 俺が努力する余地残してくれよ。

 ――いや。

 この顔を保つために努力するんだ。

 

 ――――。

 

 姫香と、二人になった。

「先輩、これからは、私も先輩を助けられるように頑張ります。いっぱい助けられましたから」

「無理はしないようにな。俺はお前がそばにいてくれるだけで嬉しいから」

「な!? なに恥ずかしいこと言ってんですか!」

「本心を言ったまでだ」

「それにしても恥ずかしすぎます!」

「そうか」

「そうです!」

「じゃあ、もう言わないか」

「え」

「姫香が嫌ならしょうがないよな」

「え。え」

「本当に、そう思ってたんだけどな」

「あ、ああああっ、あの」

「なんだ?」

「えっと、言っても、いいですよ」

「なにをだ?」

「う、ううううっ、恥ずかしいこと、言ってもいいです……」

「嫌なんじゃないのか?」

「恥ずかしいですけど! 嬉しくも、ありますので……」

「そうか」

「そうです……」

「かわいいな」

「っ……」

「好きだぞ姫香」

「うう……はい……」

「姫香はどうなんだ?」

「わ、わかってるでしょうに……!」

「俺が言ったんだから姫香の口からも聞きたい」

「…………あーもうっ。好きですよっ。先輩のことっ。これでいいですかっ」

「ああ、いいぞ」

「はい……」

 抱きしめた。少しからかいが過ぎただろうか。

 かわいいからいいか。

「うう……」

 姫香は控えめに抱き返してきた。

 

 ――――。

 

 今、美子と二人でいる。

「和希、私、和希のこと大好きですから」

「ああ」

「だから、もっと大好きになってもらうために、色んなことがしたいです」

「ああ」

「何をしてほしいですか?」

「今のところは特に」

「私、なんでもしますよ? それでもですか?」

「うん、まあな」

「……えっちなことでも、いいんですよ?」

「…………まだ早い」

「早くないと思うんです。私たち高校生です」

「早い」

「でも、そういうことしてる人いっぱいいますよ?」

「それでも早い」

「……なら、いつなら早くないんですか?」

「いつかだ」

「曖昧です」

「気が向いたら」

「すごく曖昧です」

「まあ、落ち着いたらだ」

「少し具体的になりました」

「頼めることがあったら頼むよ」

「そうしてくださいね? 私、和希のためなら本当に何でもしますから」

「ああ」

 美子の頭を撫でた。

 そう言ってくれるからこそ、大切にしたいんだよ。

 と。時。

 美子から抱き付いて口を押し付けて来た。

 女の子の、唇の感触。

「強引だな」

「和希が好きだからこんなになってしまうんです」

「そうか」

「和希は、好きでいてくれますか?」

「そうじゃなきゃこうしていない」

「はい」

 安心が表出している笑顔。

 今の美子は、前では考えられないくらいの女の子へとなっている。

 魅力的な、女の子だ。

 

 ――――。

 

 アイラと、また二人になっていた。

「アイラ」

「なんですか和希さん」

「俺、頑張れたかな」

「頑張りましたよ。すごく、頑張ってくれました」

「そうか」

 なら、よかった。

「俺、やってけるよな」

「はい、やっていけます」

「俺、みんなが大好きだよ」

「はい。私もです」

「俺は、すべてを救いたかった、すべてを救う者だよ」

「はい。和希さんは、私たちを救ってくれました」

「これからも、守っていくよ」

「私も、一緒にですよ?」

「わかってるさ。真白も加えて三人――いや、姫香と美子にも、出来ることがあったら頼もうかな」

「はい。みんなで進んでいきましょう」

「ああ、みんなでな」

「はい。みんなでです。

 その右眼の分も、みんなで支えます」

「……気づいてたのか」

「見てればわかりますよ」

「そうか……」

 かなわないな。

「これからは、ちゃんと言ってくださいね?」

「ああ……」

「約束ですよ」

「頼るって、もう言ってしまったしな」

「はい。なので頼ってください」

 

 見つめる、見つめてくるアイラがかなり愛しく思えた。

 だからつい、行動に移した。

 アイラを抱き寄せて頭を撫で、口を付ける。

 口を離す。

「和希さん……」

 上目遣いで、頬が火照っているアイラ。

「よろしくな」

「はい……」

 

 

 

 

 

 そのまた後日。

 今日は休日。

 久しぶりにみんなで俺たちの家に集まった。

 

 ――あの戦いが終わってからのこと。姫香と美子は家に戻った。

 美子は毎日のように俺とアイラと真白の住まう家に来ている。

 姫香も一週間に数回はこの家に来ている。

 真白は、天使の組織、ヘヴンズの任務は指令が来たらするようだが、俺たちの家に住まいを完全に移した。

 津吉とは学校でまたバカをやっている。

 

 これで俺たちは、在るべき場所に、在りたい場所に納まった。

 望んだ平和を、勝ち取れたのだ。

 

「お昼ご飯できましたよー」

「……できましたよー」

 アイラがリビングに声を響かせた。美子も小さく。

 アイラと美子が昼食を作り終わったみたいだ。

 俺は読んでいたラノベをソファの上に置いて立ち上がる。

「ご飯ご飯ー♪」

 真白がパタパタとダイニングのテーブルに軽い足取りで向かう。

「なにはともあれ美少女二人の手料理! 最高だな! 和希ハーレムとかいうふざけた話は置いておくぜ! 誰に気持ちが向いていようと美少女イズジャスティス!」

 特別に呼んでやった津吉が椅子に座る。

 姫香もちょこちょことぬいぐるみを抱えたままやって来て椅子に座る。

「姫香、ぬいぐるみ抱いたままで汚さないか?」

 俺も座りながら言う。

「私ぐらいのヌイグルマーになるとこれくらい余裕です」

「ヌイグルマーってなんだ」

 

「いただきまーす!」

 真白が一足先に手を合わせる。

 続くように俺たちも言った。

「いただきます」

「いただきます……」

「いただきますです」

「いただきます!」

「いただきます」

 

 皆で団欒しながら食事をする。

 賑やかに話す周りの大切な人達。

 

 俺はこの日々が好きだ。

 とても尊いものだ。

 もしまた何か起こっても、守り続けて往こう。

 

 でも、今は。

 そんなこと考えず、ただ楽しもう。

 この日々に浸っていよう。

 

 ふと、いつの間にかみんなが黙っていた。

 全員揃って俺を見ている。

 話を聞いていなかったが何があったのだろう。

 

「和希さん」

「カズくん」

「先輩」

「和希」

 

 四人の女の子が俺を呼ぶ。

 

「「「「大好き」」」」

 

 面食らう。

「なんだ、急に」

「一度、みんなで言っておきたいかなって。ハーレムっていうくらいだから、みんなの結束力がなくちゃね」

 真白がそんなことを笑顔で答えた。

「なんだよそれ」

 

 唐突に津吉の顔が目の前にきた。

「大好き☆」

 殴った。

 顔面をグーで殴った。

 これは許されるはずだ。許されるべきだ。許されないわけがない。

 

 津吉は悶絶している。

 みんな笑顔だ。

 飯が美味い。

 いい天気だ。

 

 ――幸せだ。

 

 

 

 あ。

 そういえば。

 色々あって忘れかけていたが。

 三人へのプレゼント、用意しておかないとな。

 真白だけ贔屓する訳にはいかない。

 俺はハーレム野郎なのだから。

 

 

 



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