厄神様は幻想郷が大好き【完結】 (ファンネル)
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プロローグ

 東方プロジェクトの世界観にハマり、自分も作品を書いてみたいと思い投稿しました。原作の設定とは少し食い違いがあるかもしれませんが、そこは二時設定と言うことでお願いします。


 桜の舞う季節もとうとう終わりの時を迎え、陽炎の立つ厳しい季節が幻想郷にも訪れようとしていた。

 ここ、妖怪の山は季節の変化が顕著に表れる場所だ。

 春には山全体に桜が満開し、夏には青々しい緑と虫たちの楽園と化す。

 そんな妖怪の山で河城にとりは実にすがすがしい笑顔を振りまきながら川沿いを歩いていた。

 

「カッパッパ~♪ キュウリを巻いて~♪」

 

 にとりが上機嫌で歩いていると、少し開けた場所に出た。

 そこにはいくつかのビニールハウスが立ち並び、何かの野菜を育てていると言うのが分かる。

 ここは河の水源を利用したにとりの菜園だ。中にはもうすぐ収穫されるであろうキュウリが山のように並べられていた。

 ここ妖怪の山の土は非常に高品質であり、水源の確保も容易で、太陽の日差しも強い。キュウリを育てる環境としてはもってこいの場所だったのだ。

 にとりはその内の一室に入り、中の様子を観察していた。

 

 

「ウホッ! もうこんなに大きくなってるッ! 収穫ももうすぐだねッ楽しみだなぁ。」

 

 

 ビニールハウスの中の特有の臭気と暑苦しさは少々不快ではあるものの、瑞々しく育っているキュウリを前にすれば全く気にならない。 

 にとりは、キュウリの放つ青臭い香りに誘惑されながら、少しだけつまみ食いしてしまおうかと思ったが何とか手を止める事が出来た。

 立派なキュウリがもうすぐ出来るかと思いながら、にとりは満面の笑みでビニールハウスの中から出てきた。

 

 嬉しい事がこの先待っている。そしてそれを待つと言うのも実に楽しい事だ。

 実に幸せな気分をにとりは感じていた。そしてこの幸せを他者にも分けてやりたいと。具体的にはキュウリのおそそわけになるのだが、今回のキュウリならきっとみんな喜んでくれると、そう思っていた。

 

 そんな幸せなにとりが帰路である河沿いを歩いている途中、彼女は見覚えのある人影を見た。

 真っ赤なドレスのようなデザインにたくさんのフリルを付けた可愛らしい服を着こんで、人形を思わせるような端麗の顔立ちをしている。にとりの友人の一人、鍵山雛だ。

 

 

「あ、あれは雛だ。お~い! 雛~!!」

 

 

 友人の姿を見て、にとりは駆け足で近付いて行った。

 そして、雛の方もにとりに気付いた。だが満面の笑みで駆け寄って来るにとりとは反対に、雛の顔には余裕と言う物は無く、とても焦ったような顔をしながら叫んだ。

 

 

「駄目ッにとりッ! 私に近づかないでッ!」

「ひゅいッ!?」

 

 

 突然、にとりの足が大きめの石を踏んだ。

いかにも形の整っていない石を踏みつけたにとりは足を挫いて、大きくバランスを崩した。真っ直ぐ立つ事の出来ないにとりの足は、河の方へと向かってしまい、河と河沿いの高低差はさらににとりのバランスを崩した。

 結果、にとりは河へ落ちる形でとダイブする事になってしまった。

 だがそれだけでは終わらない。

 にとりが落ちた河は非常に浅く、しかも落ちた先には大きな岩があった。にとりはその岩に後頭部をダイレクトに激突してしまい、完全に意識を失う事になった。

 意識を失う狭間に雛の叫びを聞いた気がするが、にとりは彼女がなんと言ったのかハッキリせずに深い闇へと意識を沈めていった。

 

 

「――う……ん……?」

 

 

 目が覚めたにとりが最初に感じたのは、後頭部に残る鈍い痛みと、それを包み込むような柔らかな感触。そして優しい匂い。

 にとりは目を開けようかとしたが、外の明るさにまだ目が慣れてなく、眩しくて開けられずにいた。だがそんなにとりの顔に影が重なった。良い具合に暗くなり恐る恐ると目を開けてみれば、そこには雛が自分の顔を覗き込んでいた。

 

 

「おわッ! ひ、雛ッ!?」

 

 

 友人の余りにも近い顔を見てしまったにとりは思わず素っ頓狂な声を出してしまった。

 雛もにとりの声に少々驚きはしたが、すぐに安堵したような顔に戻った。

 

 

「良かった。にとり……本当に良かった……」

「これは……いたたたッ!」

 

 

 起き上がろうとした瞬間、にとりの頭部に激痛が走った。

 そしてにとりは全てを思い出した。足を挫らせ、河に落ちて、岩に頭をぶつけた事に。

 

 

「駄目! にとり、動かないで!」

 

 

 起き上がろうとしたにとりを抑えこみ、雛は無理矢理に近い形でにとりの頭を膝の上に乗せた。

 そしてにとりも気付いた。さっきから後頭部に在る柔らかな感触は雛の膝の感触であると言う事に。

 にとりは雛の膝枕に気恥しさと、もう少しこの膝枕を堪能したいと言う煩悩で頭が沸騰しそうになっていた。

 だが顔を赤く染めているにとりに対し、雛の顔は優れない。今にも泣きそうな顔を雛はしていたのだ。

 

 

「ご、ごめんなさい……ごめんなさい……にとり……」

 

 

 本当に……雛は今にも泣きそうで辛そうな顔だった。

 何で彼女がこんなに謝っているのか、にとりは理解できなかった。

 

 

「な、何謝ってんのさ?――これは私がドジっただけなんだよ?雛が謝る必要なんか……」

「違うの……そうじゃないの……にとり……本当に……ごめんなさい!」

 

 

 にとりが雛を諌めても彼女は謝るのを止めない。

 泣きそうで今にも崩れそうな彼女に、にとりは説明を求めた

 

 

「雛、本当にどうしたのさ?何でそんなに謝るの?私には分からないよ」

「それは……さっき、にとりが頭を打ったのはきっと……私のせいだから……」

「ひゅい?」

 

 

 雛は説明した。原因の全てを……

 

 結論から言って、雛の『厄を溜めこむ程度の能力』がすべての原因だ。

 雛は厄払いで払われた厄を自分の周りに集めて、人間に戻らないようにしている。彼女は集めた厄を自身の回りに集めているため、彼女の近くにいると人間も妖怪も不幸な目に遭う。

 だがそれは雛を知る者たちならば誰もが知っている事だ。にとりだって当然知っている。彼女の近くにいれば不幸な目に遭うと。にとりは知っていて今まで交流を交わしているのだ。

 それは彼女の人格と言うか神格による所が大きい。にとりは妖怪の山の住人には珍しく、人間を盟友と呼んでしたっている。同じように雛もまた人間想いの神様だ。その上神様にありがちな強気な性格も持ち合わせておらず、むしろ温和な性格の持ち主である。そんな二人だ。彼女たちが出会って友人になるのに、あまり時間はかからなかった。

 だから雛の説明を受けた時は、にとりは鼻で笑ったように茶化した。

 

「あはは。何言ってんのさ。雛の近くにいれば不幸な目に遭うって勿論知ってるさ。でもさっきのは雛とは絶対に無関係だよ。私が気を付けていれば防げた事故さ」

 

 実際、今まで雛と交流を続けてきたにとりだからこそ言えるセリフだ。

 雛の近くにいれば不幸な目に遭うと言うが、それは誇張表現もいい所だとにとりは思っている。実際は足が躓いたり、鳥に落し物をされたり、動物の糞を踏みつけてしまう………ちょっとアレだけど、少し注意していれば十分に回避できるような小さな不幸。

 そりゃ、落し物を喰らったり糞を踏んだりするのは嫌だけど、そんな事で雛の事を嫌いになれるはずもない。にとりは雛を一人の神様として尊敬してるし、友人としても雛の事が大好きだ。

 

 だが雛の表情は明るくはならない。それどころか、雛の頬には一筋の涙が流れていた。 

 

 

「ち、違うの……そうじゃないのよ……にとり……」

「え? ひ、雛?」

「……うぅ……えぐ………」

 

 

 友人の、雛のここまで崩れる姿は今まで見た事がなかった。

 事情をいまいち把握できないにとりはただうろたえる事しか出来なかった。

 

 

「な、何が違うってのさ……雛……泣いてたら分からないよ」

「に、にとり……」

「ほら……涙を拭いて、落ち着いて……」

 

 

 にとりは起き上がって、雛の頭を撫でるように落ち着かせた。雛も最初は振りほどこうとしたが、にとりにがっちりと頭を捕まり、そのまま頭を撫でられる事になった。

 だが不思議な事に、雛はにとりに頭を撫でられる事に深い安心感を覚えつつあった。

 そしてしばらく時間が経過し、雛の方もようやく落ち着きを見せるようになった。

 

 

「落ち着いた?雛」

「え、ええ……ありがとう……にとり」

「それで一体、何があったのさ」

「それは……」

 

 

 雛はグスっと鼻をすすって落ち着きながら言った。

 

 

「私……もう厄を溜めこむ事が出来なくなったの」

 

「――ひゅい?」

 

 




 完結目指してがんばります。感想もよろしければお願いします。


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第一話

 厄を溜めこむ事が出来ない。

 雛は数日ほど前に、己の体に変調をきたしている事を感じた。最初のころは単なる体調不良か何かによる能力の低下だと思っていた。だが数日経っても能力が戻る傾向が現れなかった。 

 いよいよ危機感を感じた雛は独自に調べる事にした。そしてある事に気付いたのだ。

 体に異常は無い。そして能力も正常に発動出来る。ただ厄が溜めこむ事が出来なくなっている事だと……。

 もっと正確に言えば、厄を溜めこもうとすると自然と外に溢れだしてしまうのだ。

 これが意味する所を想像するのは難しくは無い。厄を溜めこむ程度の能力に問題があったのではなく、自身の厄を内包出来る許容量が限界に来ていたのだ。今まで溜めてきた厄が雛の中で飽和状態を起こし、それ以上の厄を受け付けなくなってしまっている。

 

 ある程度の説明を受けたにとりは確認のために、雛に追問した。

 

 

「――つまり雛の中で厄が一杯になっちゃって、それ以上溜めこむ事が出来なくなっちゃったって事なの?」

「……う、うん」

 

 

 今を思えば、雛にも思う所があったのだ。

 昨今、幻想郷の人間と妖怪の数は日に日に増加の一途をたどっている。

 百年ほど前の『吸血鬼異変』以来、妖怪は人間を襲う事が無くなってしまった。天敵がいなくなった人間は、まるで鼠算のごとく増えに増えて行った。

 そしてそれは妖怪の方も同じだ。人間を襲う事が無くなって、人間に討伐される事が少なくなった。人間と違って子を残すと言う事が少ない妖怪たちは、それ以上増える事は無いが、変わって寿命がとてつもなく長い。つまり増えもしないが減りもしないのだ。

 元々幻想郷は妖怪たちの楽園だった。元々の数では人間よりも妖怪の方が多かったのだ。

 さらには外からやって来る『外来人』と呼ばれる存在。次々に現れる封印されていた妖怪たち。つい最近では神霊と呼ばれる騒動でまた誰かの封印が解かれたと聞く。

 

 そんな風に幻想郷は妖怪と人間で溢れかえっている。

数が多いと言う事はそれだけ発生する厄も多くなると言う事だ。

それだけでは無い。最近、博麗大結界の結界が弱まりつつあるために、外界の厄もまた幻想郷に流れ込む事もあった。

だからいつか……いつかはこうなる日が来るのではないかと。

厄を溜めこめなくなる日が来るのではないかと、そう雛は思っていたのだ。

 

 

「でもさ雛。それは何か問題でもあるのかい?」

「……え?」

「いやさ、私って雛の厄と言う奴をあまり理解していないからこんな事言えるんだろうけど……要は雛の回りに厄がより多く発生するって程度の事だろ?それだったら今までと何も変わらないような気がするんだけど」

 

 

 雛の周りにいれば不幸な目に遭う。しかしそれは今までもそうだったのだ。厄が回りに漂うようになって何が変わるのか。

 

「にとり……貴女気が付かないの?」

「ひゅい?」

「貴女は死にかけたのよ?」

「はえ?」

 

 余りにも大袈裟な例えににとりは目を点にしてしまった。

 対し、雛の表情は真剣そのものだ。

 

「貴女は河の浅瀬に落ちて、岩に頭をぶつけたのよ?」

「お、オーバー過ぎるよ雛。確かに危ないとは言えるけど、タンコブが出来ただけだよ?それを死にかけただなんて……」

「人間にも同じ事が言える?」

「む……」

 

 

 ここにきて、ようやくにとりは雛の言わんとする事が理解できた。

 

 

「にとりは体の頑丈な妖怪だからそんな風に言えるのよ。でももしも貴女が人間だったら? 頭に小さな怪我を負うだけで死んでしまうような脆弱な生き物だったら? 貴女は同じ事が言える?」

「それは………」

「今はまだこの程度の災難で済んでいるけど、時間が経つにつれて厄の規模は大きくなっていくわ。厄の大きさに比例して被害も大きくなる。そしたらきっと貴女だって……」

 

 

 にとりは事の重大さにようやく気付いた。我ながら実にトンマであると思ったくらいだ。『程度』と言うのは人によって大きく変わるのだ。ある者にとっては大した事でなくても、他者には命にかかわるような重大な事だったりする。

 ましてや、雛は人間想いの神様だ。自分のせいで誰かが傷つくなんてきっと凄く許せない事なのだろう。

 

 

「な、何か方法は無いのかい? 厄を消すとかさ……」

「……分からない。ある程度なら私の行動で厄を消費出来るんだけど。ほら、私の原動力も厄なわけだし……」

「それだったら、雛がたくさん動けば……」

「それが駄目なのよ。私の行動で消費される厄なんてたかが知れてるわ。消費した分、さらに厄が集まって来る。厄の集まりと消費がまるで釣り合ってないのよ」

「むむ~」

 

 

 難しい問題だとにとりは顔をしかめていた。

 雛は厄をエネルギーに変えて行動している。厄は雛の原動力だ。動けば当然消費されるが、溜めこんだ厄を消費できるほどのものではない。

 だからといって、このままと言うわけにもいかない。雛からあふれ出た厄は時間が経つにつれて強力になって行く。その結果、雛の回りではこれまで以上の災厄が起きる事となるだろう。

 

 

「あれ?」

「どうしたの? にとり」

 

 

 何か良い方法は無いかと模索している最中、にとりはある事に気が付いた。と言うよりも何で今まで気が付かなかったのだろうか。

 

 

「私って今こうして雛の近くにいて普通に会話をしてるけど、それって大丈夫なのかい?」

 

 

 にとりが起きてからだいぶ時間が経つ。なのにそれと言って不幸な目にはあってはいない。

 

 

「ああ、それは大丈夫だと思う……多分」

「たぶんって……随分と曖昧だね。一応聞くけど、なんで?」

「『災難』と言うのは何かの行動が連鎖した先に起こるものだから。だからこうして何も無い所で何もしなければ何も起きないんじゃないかと……。それににとりをあのままにしておくわけにもいかなかったから……」

「あ、な、なるほど。ありがと」

 

 

 あのままにとりをほったらかしにしていたら、にとりは気絶したまま河の中に沈んでいたのだ。あのままにしていたらどこまで流されるか知れたものではない。

 

 

「とにかく、こうして話してる分には問題ないわけだね?」

「分からないけど……多分。あ、でも厄が強くなるにつれてそれも危なくなってくるかも」

「そう……よし! だったら、こんな所でのんびり構えてられないね!」

 

 

 そう言って、にとりは立ち上がり雛に手を差し伸べた。

 

 

「行こうよ雛ッ!」

「行こうって……どこに?」

 

 

 雛の手を掴み、立ち上がらせて言った。

 

 

「守矢神社さ」

 

 

 

 

 守矢神社は妖怪の山に建てられている神社だ。

 妖怪の山と言う事で人間からの参拝は無いものの、そこに住んでいる風祝の地道な宗教勧誘で信仰自体は非常に高い。

 また神様二柱と現人神一柱が居住しているために妖怪からの信仰もとんでもない事になっている。

 

 にとりと雛はそこに訪れようとしていた。

 そこにいる神様、八坂神奈子ならば雛の厄をどうにかする方法を知っているかもしれない。神様の事は神様に聞こうという結論に達した考えであった。

 雛の方も自分ではどうしようもないと分かっていたためにこれと言って反対する理由は無かった。ただ、自分の厄が守矢神社の者たちに何かしらに危害を加えないかどうか………それだけが心配であった。

 

 そしてそんな二人は、ようやく守矢神社上空まで到達した。

 

 

「ふうふう……よ、ようやく、ここまで来れたね雛……ふう……」

「はあ、はあ……え、ええ。そうね」

 

 

 守矢神社に来る道中、どういうわけか二人に――

 いや、二人と言うよりも、にとりに何故か多くの災難が付きまとった。

 山を登るように歩いていると、通行路が山崩れを起こして通行止めになっているし、空を飛んで向かおうと思ったら、山を哨戒中の天狗たちに侵入者と間違われて迎撃されそうになったり。おかげで、ここまでたどり着くのに二人はかなりの時間と体力と精神力を消費していた。特に雛は自分のせいだと言う自責の念で余計に精神的に負担がかかっただろう。

 

 

「ご、ごめんね、にとり。私のせいで……」

「雛のせいなんかじゃないさ。ほら守矢神社に到着したし、中に入れてもらおう」

 

 

 二人は守矢神社の玄関前に降りて玄関の戸を叩く。すると中からパタパタと軽い足音を立てながら玄関の戸を開けてくれた。

 中から出てきたのは緑の髪をした長髪の少女だった。

 

 

「はーい。どなたさん……ってこれはこれは。にとりさん、それに雛様も……」

 

 

 守矢神社の風祝、東風谷早苗である。

 

 

「やぁ、早苗」

「こんにちは、早苗ちゃん」

「こんにちは、お二方。――こんな所ではなんです。中へどうぞ」

「それじゃ邪魔するよ」

「お邪魔します」

 

 

 手慣れたように早苗は二人を中に入れて案内した。

 早苗たちの居住は本堂とは別にある。そこには早苗の部屋だけでは無く、八坂神奈子、洩矢諏訪子の部屋も存在している。神様が神社本堂では無く裏手の居住宅で寝泊まりするのは何となく違和感を感じるが、そこはさすが幻想郷の神様だと言うべきなのだろう。常識に捕らわれてはいけないのが幻想郷と言うモノだ。

 

 

「本日はどのような御用件で……?」

 

 

 お茶を出しながら早苗は尋ねた。

 お茶を受け取ったにとりは一口、口に含んだ後、事情の説明に入った。

 

 

「八坂様に相談があって来たんだけど、お目通し願えるかい?」

「神奈子様にですか? 残念ですが、神奈子様は只今留守にしておりまして……」

「留守?」

「はい。現在、神奈子様は山の大天狗たちとの会合に出席しているんです」

 

 

 なるほど。と、にとりと雛は思った。

 見張りの哨戒天狗の数がいつもよりも多かったのはそのためか。山の実力者と神が何かしらの会議を開いているのだ。そりゃ、見張りも多くなるわけだと二人は納得した。

 

 

「どれくらいで八坂様たちは帰って来るんだい?」

「そうですね……。もう間もなくだと思いますよ?そろそろ会合も終わってるでしょうし。何か急な用事なのでしょうか?」

「ま、まあ……そうだね。うん。急な話だと思う」

 

 

 にとりと雛は互いに目配せした。言葉は交わしてはいないモノの、これからどうしよう、と思っている目なのは第三者から見ても明らかな物であった。

 そのせいなのだろう。早苗が二人に興味を覚えたのは………

 

 

「もし宜しければ、私に事情をお聞かせ願えませんか? 何かのお役にたてるやもしれません」

 

 

 二人が何かしら困っているのは明白だった。何かしらの力になれるかもしれない。神事に携わる早苗の善心からの言葉だった。

 

 

「雛……どうする?」

 

 

 早苗に相談するかしないか………。にとりは雛に目配せしながら尋ねた。

 東風谷早苗は人間でありながら神でもある現人神と呼ばれる存在だ。彼女に相談すると言うのもまた一つの手ではあるだろう。

 だが厄を溜めこむ事が出来なくなったと言う問題は、出来るだけ秘密にしておきたいと言うのが雛の本音になのだろうとにとりは考えていた。厄神が厄を溜めこめなくなったなんて知れたら雛のメンツが立たなくなる。

 神にとって他者の信仰とは、自身を存在させるための力の源。人心を掴めるかどうかは正に死活問題なのだ。そのために神はメンツを重んじる。

 

 にとりにとって神とはそう言うものだと思っていた。メンツを何よりも大切にする者たちだと……。雛も例外ではないと思っていた。

 だが、雛は何の躊躇いもなく言った。

 

 

「そうね。彼女にも聞いてもらいましょう」

「え? 良いのかい?」

 

 

 何のためらいも無く言うモノだから、にとりは呆気に取られてしまった。

 

 

「彼女にも関係する事だもの。こうして私の側にいる時点で巻き込んでいるようなモノなのだから……」

「そ、そう……」

 

 

 改めて、にとりは雛が変わった神様だと言う事を実感した。それと同時に感心もした。やはり雛は良い神様なのだと。

 そして雛は早苗に全ての事情を説明しだした。

 



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第二話

「なるほど……そう言う事だったんですね」

 

 

 事情を聞いた早苗はあらかた理解した。

 初め自分も巻き込まれている等と聞いた時は何事だと思ったが、事情を聞いて納得した。

 雛が事情を説明し終えた後、にとりは改めて尋ねた。

 

 

「早苗。どうしたら雛は元に戻れるか……何か知ってるかい?」

「……申し訳ありません。私にもどうすれば良いか」

「そうか。早苗でも分からないか……」

 

 

 二人の――特に雛の表情が沈んでいく様を見て、早苗は軽い罪悪感を感じていた。

 得意げに聞いてみたのは良いものの、結局何も解決策を見出す事が出来なかったのだから。

 

 

「力になれなくて本当に申し訳ありません。しかし、神奈子様ならば何か知っているやもしれません」

「そうだね。まずは八坂様を待とう。雛もそれで良いね?」

「ええ。勿論です。」

「それじゃこれからどうしよっか?」

 

 

 結局、八坂神奈子に何か手掛かりを聞くと言う最初の提案に戻る形になった。

 だが、神奈子がいつ戻って来るのかは分からない。二人はその間にどうしようかと提案し合っていたが、二人の間に入って早苗はこう提案した。

 

 

「八坂様がお戻りになるまで、この屋敷にてお寛ぎ下さい。そう時間もかからないと思われますから」

「ふえ? い、良いのかい? 早苗」

「ええ。勿論ですとも」

「さ、早苗ちゃん。気持ちは嬉しいけど、私がここにいたら早苗ちゃんにも……」

 

 

 雛の側に居れば何かしらの災難が起きる。そのため雛は八坂神奈子が帰って来るまで、しばらくの間ここから離れていようと思っていた。そしてそれはにとりも同じだ。雛を連れてどこかで時間を潰してようと思っていた。

 だが、早苗は自信満々のしたり顔で言い放った。

 

 

「御心配には及びません! 失礼ながらこの現人神。たかだか厄ごときでどうこうされる様な存在では無いと自負しております。ですのでお二方。どうぞ安心して滞在なさってください」

「早苗……」

「早苗ちゃん……」

 

 

 体中から神々しいような覇気を出しながら、早苗は自信満々に言った。

 二人も、そう言う事ならお邪魔させてもらおうという形で決着がついたのだった。

 

 

「すでにお茶が無くなってしまいましたね。入れ直してまいりますので、しばらくお待ちください」

 

 

 そう言って早苗は二人のお茶を片づけながら席を外した。

 残されたにとりと雛は、早苗の言葉通り、部屋で寛ぐ事にしていた。

 にとりはだらりと仰向けに倒れ込んで、こう呟いた。

 

 

「いやぁ、早苗は話の分かる人だな。やっぱ守矢神社に相談に来て良かったね、雛」

「ええ。本当に……」

 

 

 誰だって不幸になるのは嫌だろう。しかし雛が側にいれば不幸がやって来ると言っているようなモノだ。誰でも雛の事を内心良いようには思わないだろう。誰だって不幸にはなりたくないのだから。雛自身、それが厄神としての宿命だと半分諦めていた。

 しかし早苗は違っていた。雛を一人の神様として、そして相談者として真摯に向き合ってくれている。

 雛はそんな早苗の行為に感謝しつつ、心のどこかで自分はエンガチョな存在では無いのかもしれないと少しだけ思っていた。

 そしてにとりもまた雛の心情を読み取っていた。少しはにかんだような笑顔の雛を見ていて心のどこかが暖かくなってくるのを感じた。

 しばらくして、ふすまの向こう側から足音が聞こえてきた。早苗が戻ってきたのだろう。

 にとりは起き上がって早苗を待った。そしてふすまが開いて、早苗がやってきた。

 

 

「にとりさん、雛様。お待たせ致しました。お茶菓子も持ってき―――」

「ッ!?」

「ッ!?」

 

 

 早苗がやってきたその瞬間、三人の耳に酷く耳触りと言うか、気持ちの悪い音が聞こえてきた。

 その音はグシャリッと酷く鈍い音を出した。そしてその音の発生源は早苗に在った。

 早苗はその音が何の音か判断、認識出来なかった。

 だがにとりと雛はそれを見た。その瞬間を見た。

 早苗の左足の小指がダイレクトに柱に激突する様を……。

 

 

「みぎゃああああぁぁぁぁぁッッッッ!!!!」

 

 

 早苗の断末魔が境内を駆け巡った。

 ほんの数瞬ほど遅れて早苗もようやく事態が飲み込めた。

 己の左足に走る激痛。

 それは言葉では表現できるようなものではなが、しいて表現するならば、足の小指と爪の間に太い針金を突っ込まれているような、そんな感覚を早苗は感じた。

 

 

「早苗ッ!!」

 

 

 反射的ににとりが叫んだ。

 早苗が足の小指をぶつけてからにとりが叫ぶまで、まだ1秒も経っていない。しかし、にとりは瞬間的に事の重大さに気付いていた。それは生物としての本能なのだろう。足の小指を強く強打する事を恐れるのは……

 

 そしてその数瞬後、早苗は倒れ込むように悶絶した。

 だが悲劇はまだ続いていた。早苗は倒れ込む際、お茶と菓子を乗せていた盆を放り投げていたのだ。

 その盆は綺麗に弧を描き、まるで計算されたかのようににとりの頭上へと落下した。

 

 

「おわぁッ! アッつッ! 熱づううぅぅッッ!!!」

 

 

 にとりは帽子を被っていたため、お椀は割れずに済んだのだ。だが代わりに、湯気が立ち込めるお茶をにとりは頭から被るように煽ってしまったのだ。

頭皮に感じる凄まじい激痛。にとりは倒れ込み、体をゴロゴロと転がり畳に擦りつけるように悶絶していた。

 だが、にとりのその行為が彼女にとってさらに不幸な出来事を呼び起こす事になった。

 右へ左へと転がった拍子に、先ほどから腰かけていた座卓に足の向う脛を強打したのだ。

 

 

「ぬがあああぁぁッッッ!!  弁慶の泣き所がぁぁッッ!!!」

 

 

 まるで、運命に決められていたかのような綺麗な連鎖だった。

 早苗から始まったこの連鎖、はたして本当に偶然なのだろうか?

 偶然だろう。一連の流れはただの偶然。早苗の不注意から起きたただの事故だ。ただ単に早苗もにとりも運が無かっただけだ。

 だが、この中でそれを偶然と信じられない人物が一人だけいた。

 

 

「あ……あぁ……」

 

 

 雛は顔面蒼白になりながら、その場から後ずさりした。

 この惨事は自分のせいだ。雛はそう思い込んでいた。雛は目に涙を浮かべながら一歩、二歩とその場をさらに後ずさりした。

 にとりと早苗は朦朧とする意識の中で、そんな雛を見てしまった。そして叫ぼうとした。『これは雛のせいじゃないッ』と。

 だが、その言葉を発する前に、雛は半狂乱で叫んだ。

 

 

「あ、あああぁぁッッッ!!!ごめんなさいッ!ごめんなさいッ!ごめんなさいッッ!」

 

 

 雛は許しをこうように、その場から飛びだして行ってしまった。

雛が出て行く瞬間、にとりが何か叫んだが、それは雛には届かなかったようだ。そして そんな狂乱してしまった雛を見てしまった二人はとんでもない事をしでかしたと内心焦った。自分たちのせいで誤解させてしまったと……

 

 

「さ、早苗……。う、動けるかいッ!?」

「う……ぐぅッ……あぅ……」

 

 

 にとりの問いに、早苗は嗚咽で返した。どうやら想像以上にダメージが大きかったらしい。

 

 

「わ、私は雛を追うからッ! 早苗はそこで待っててくれッ!」

 

 

 多少、痛みの引いてきたにとりは足を引きずるように立ち上がり、守矢神社から出ようとした。

 そんなにとりを早苗は渾身の力を振り絞って声を出した。

 

 

「に、にとりさん……ほ、本当に、申し訳ありません、。ひ、雛様に謝罪を……」

「全くだよッ! 全部早苗のせいだからねッ!」

「か、返す言葉もありません……」

「雛は必ず連れ戻すから。戻ったらきちんと雛に謝ってよッ!」

「も、もちろんです。 誠心誠意謝らせていただきます。だから、だから雛様を……!」

「ああ分かってる! それじゃ、行ってくるよッ!」

 

 

 必ず連れ戻すと約束したにとりは大急ぎで守矢神社から飛び出して行った。

 そして早苗は、足の局部に走る激痛と己の余りにも情けない姿に泣きそうになりながらその場にうずくまっていた。

 

 

 

 ………………………………

 

 

 

 守矢神社を飛び出した雛は、息切れを起こしている己の体を休ませるために一度地上に降り立った。

 

 

「はぁ……はぁ……ッ」

 

 

 体はとても火照っていると言うのに、頭は何故か非常に冷え切っていると、雛はそう感じた。

 そしてその冷静な頭は、次から次へと雛に負の念を起こさせる。

 

 

(わ、私のせいだ……私のせいで早苗ちゃんもにとりも……)

 

 

 何も考えずに飛び出したものだから、ここが何処だか分からない。

 一度空に上がれば場所を把握できるのだろうが、そんな事をする気にもならない。今はただ誰も居ない所でじっとしていたい。今は何もしたくない。

 雛はその場にうずくまったまま、自責の念に捕らわれていた。

 その結果、雛の回りに大量の厄が集まってくるとも知らずに……。

 




 足の小指の骨折は、ギャグではよくある表現ですが、実際はガチでヤヴァイです。
 作者は、小指の骨折で二週間はまともに歩けませんでした。


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第三話

 にとりは完全に雛を見失っていた。守矢神社を出た時にはすでに雛の姿は無かったのだ。

 

 

「むむぅ……雛ぁ、何処に行っちまったんだよ」

 

 

 妖怪の山は幻想郷の中でも屈指の面積を誇る場所だ。闇雲に探して見つけるのは難しい。しかし今は己の足で探すしかほかないのだ。手がかりが無いのだから。

 そしてにとりはしばらく上空を飛び続けた。そしてふと気が付いた事がある。

 

 

(哨戒天狗たちの姿が見えない?)

 

 

 雛と共に山にやって来た時は厳しい検問がしかれていた。しかしどういうわけか今は検問が解かれているようだ。そしてその理由ににとりは心当たりがあった。

 

 

(多分、大天狗様と八坂様たちの会合が終わったんだろうな……) 

 

 

 にとりは早苗が言っているのを思い出していた。

八坂神奈子は天狗たちとの会合に出掛けたと。そしてもうすぐ帰って来る。そのように言っていた。このタイミングからして、哨戒天狗たちの見張りがいなくなってるのはそのためだろう。

 そして、なんともタイミングの悪い事だとにとりは憤慨した。もしもまだ天狗たちが哨戒中であったならば、雛の事を見かけていたかもしれないと言うのに………

 

 気が付けばにとりはすでに河が流れる山麓にまで降りていた。

ここはキュウリ畑のすぐそばだ。ここから先はもう妖怪の山の領地外となる。にとりは焦っていた。この先に行かれたら本当に手がかりが無くなってしまうからだ。

 

 

(雛……本当に何処に行っちゃったんだよ)

 

 

 一度にとりは地上に降り立った。そして熱くなっている頭を冷やす様に河の水を被った。火照った体に冷水はかなり効いたようだ。にとりは次第に冷静になって行った。

 そしてにとりは辺りを見渡した。ここはキュウリ畑の近い場所でもあるが、今朝方に雛と出会った場所でもある。もしかしたらこの側に雛がいるかもしれないと考えた。そして付近を探していると、何やら河の上流の方から黒くてどんよりとした気配が流れてきた。

 これは『厄』だ。

 通常、厄と言う物はネガティブな想いや感情に関する心意現象だ。それらは視認する事の出来ない存在である。しかし一か所に集まってしまうと目の前に在るように、ドス黒く、どんよりとした何かに可視化する。

 にとりは厄の発する方へと向かって行った。そしてようやく彼女を見つける事が出来た。

 

 

「ようやく見つけたよ、雛」

「に、にとり……?」

 

 

 ほっと安心したような顔に対して、雛は俯いたまま立とうとしない。

 

 

「さあ、雛。守矢神社に戻ろう。こんな所にいたって何も解決しないよ?」

「も、戻れないわ今さら。早苗ちゃんにあんなひどい事を……」

「あれは雛のせいじゃない。早苗のせいさ。早苗も変に誤解させてしまって謝りたいって言ってる」

「あ、あれは誤解なんかじゃないわッ!」

「ひ、雛……?」

 

 

 雛は叫んだ。それは普段の冷静な雛とは思えない強い言葉だった。

 

 

「だ、だってにとり……良く考えてみて? あんな風に事故が連鎖するなんて普通はありえないでしょう?」

「だからあれは偶然で――」

「例え最初は早苗ちゃんの不注意から始まった事だとしても、私の厄がその後の連鎖を後押しした事は疑いようもないわ」

「雛……」

「それにこれを見てにとり。貴女にも見えるでしょ? 私の回りに纏わりついている『厄』が。さっきよりも強く、色濃くなっている。これから先、こんなふうにお喋りしてるだけでもきっと……」

 

 

 雛の回りにはどす黒くウヨウヨとした煙と言うか気配と言うか、とにかく形容できない物が漂っていた。その中心のいる雛のドレスは鮮やかな紅色では無く、まるで血が固まったかのようにどす黒く変色している。

 

 

「だ、だったら……だったらどうする気なのさ、雛! このままでいられるわけがない。絶対に良くならない。もっと悪化するに決まってるよ。だから早く守矢神社に……。今なら八坂様も帰ってきてるよ。山の警備が解かれていたからきっと帰ってきてる。だから……!」

 

 

 にとりは何か嫌な予感がした。勘と言う不確かなものに違いないのだが、今雛を一人にさせたら絶対に良くない事が起きる。そんな気がしてならないのだ。

 しかし、そんな必死のにとりを雛は軽くいなした。

 

 

「駄目。守矢神社には行けない。八坂様たちが帰ってきたのなら尚更。もしもあの方たちに何かあればみんなが困るわ」

「そ、それじゃ、雛はどうする気なんだッ!? 『厄』を消す事が出来なかったら結局みんなに災難が……!」

「大丈夫。大丈夫よ」

「は、え?」

 

 

 少々熱くなっているにとりに対し、雛は冷静な声で言い放った。『大丈夫』だと。

 余りにも冷静な声に一瞬、不安を覚えて言葉を失ってしまった。

 

「厄神としての使命だけはきちんと果たすわ。この厄は私が責任を持って消して見せる。だから、もう大丈夫なの……」

「な、何を言って……」

「ごめんね、にとり。今まで嫌な思いさせちゃって」

 

 

 にとりの嫌な予感がいよいよ確信的になってきた。今、この厄神を一人にしてしまったら絶対に取り返しのつかない事になる。この不安は予感と言うよりも確信に近い。妖怪としての、河童としての勘がそう言っているのだ。

 厄を消す事が出来る?

 それが出来ないから雛は泣いていたんじゃないのか?

 それが出来ないから守矢神社に相談に行ったのではないのか?

 

 

「雛ッ!!!」

 

 

 にとりは雛の手を掴みとって走り出した。

 余りにも急な事であったために雛は呆然としたまま引っ張られて行く事になる。

 

 

「ちょ、ちょっとにとりッ! 何するの!? 離して!」

 

 

 振り払おうにもにとりは力一杯雛の腕を掴んでいた。

 にとりは雛の言葉を無視するように言葉を続けた。

 

 

「雛、この先にね、この先に私のキュウリ畑があるんだ! もう収穫間近でねッ! すでに熟れてるキュウリも幾つかあるんだッ!」

「にとり、離しなさいッ! 今の私に触れるなんてどうかしてるわッ! 離してッにとりッ!」

「嫌だッ! 離さないよ」

「にとり!?」

「絶対に離さない。今、雛は絶対に良くない事考えてるだろ?だから離さない」

「にとり……私の側にいたら不幸になるわ。だから……!」

「雛! 雛は今、いろんな事が起きすぎて嫌な気分になっているだけなんだ! 美味しいキュウリを食べればそんな嫌な気分なんか一瞬で吹っ飛んで、幸せな気分になれる。厄だってどこかに消し飛ぶさ! だから雛ッ! 一緒にキュウリを食べようよッ!」

「にとり……」

 

 

 今の雛がこんなにも思いつめていたのはにとりにとって予想外だった。自分よりも他者を優先するのは『厄』を一身に背負う厄神としての本能のようなモノなのだろうか?

 雛は良い奴だ。本当に良い神様なのだ。

誰よりも人間を愛している立派な神様なのだ。

 しかし雛は今、能力に限界が来てしまったと言う不安から、誰かを不幸にするのではないか、誰かに災いをもたらすのではないかと怯えてしまっている。

 

 だがそんな事は無い。決して無い。にとりはそう強く信じている。

 だから雛の目の前で誰も不幸では無い事を証明しなければならない。雛の近くにいて幸福だと言う事を彼女の目の前で証明しなければならない。

 そして、手短な幸福と言えば、美味いモノを喰う事だ。これは人間であれ、妖怪であれ、神であれ、誰も変わらない幸福と言う名の一つの形だ。

 

 雛と一緒にキュウリを食べる。

 今回のキュウリの出来は、今までの中でも最高傑作と呼べるような代物だ。雛に食べてもらう。そして美味しいと喜んでもらう。そして褒めてもらおう。そうすればにとりだって幸福だ。育てたキュウリを褒めてもらえれば幸せな気分になれる。

 

 雛に元気になって欲しい。雛に、側にいるだけで災厄が起きる事は無いと言う事を証明させたい。

 その一心で、にとりは河沿いを下って行く。

 もうじき、土地が開けた場所に出る。そこがにとりのキュウリ畑だ。

 だがにとりはまだ知らなかった。

 『厄神である雛の側にいても災難に見舞われる事は無い』

 その認識がどれほど甘いものであったのかを。にとりは後に知る事になる。

 




おひょおおぉ!
お気に入り登録されている!? やっったああぁぁッ!!


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第四話






 キュウリ畑にやってきた二人が見た光景は、見るも無残な光景であった。

 

 

「そ、そんな……どうしてこんな事」

 

 

 にとりは急いでビニールハウスだった場所に駆け寄った。

 ビニールハウスが完全に倒壊していた。いや倒壊では無く破壊と言った方が正確だろう。

 地面には無数の獣のような足跡があった。そこから推測するに、野生の獣か野良妖怪か。いずれかの仕業であると疑いようが無い。

 にとりはその場所にペタンと膝をついた。まるで全身から力が抜けたように。

 

 

「あ、あああぁぁッッ!! キュウリッ! 私のキュウリがッ!!」

 

 

 にとりは憤りを晴らすかの如く拳を振り上げ地面に叩きつけた。

 彼女の目の前には無残に喰い荒されたキュウリの残骸があちこちに落ちている。

 

 

「うぅ……ひぐぅ……な、なんで、なんでこんな事にッッ……」

 

 

 何度も何度も拳を振り上げた。泣きながら振り上げた。

 獣の対策を怠っていたわけではない。ビニールハウスの回りには針金の鋼線が敷き詰めていた。野良妖怪に対してもそうだ。ここは天狗たちの管理する妖怪の山であり、本能だけで動くような野良は基本的にはこんな所に来たりはしない。

 だと言うのに、どうしてこんな事になっているのか?

 不運にも程がある。災難にも程がある。

 

 

「にとり……」

 

 

 雛は蹲って泣いているにとりの肩にそっと手を置いて呟いた。

 

 

「ごめんなさい、にとり……」

「――ッッ!?」

 

 

 まるで自白をするかのように雛が謝罪した。この惨状は自分のせいであると……。

 

 だからなのだろう。にとりのなかで何かが。何か憎悪のようなネガティブな感情がほんの一瞬だけ芽生えたのは……。

 意識していたわけでもない。ただ、無意識ににとりは雛を見上げながらこう呟いてしまった。

 

 

「ひ、雛の……雛のせいだ……ッ」

「――ッ!?」

 

 

 その言葉を口にした途端、にとりは我に返った。

 無意識の、他意の無いただの呟きだった。決して本気で雛を貶めるわけでは無かった。本気で雛のせいだなんて思ってはいなかった。

 

 

「ひ、雛ッ! 違ッッ!!」

 

 

 にとりはすぐに弁解をしようとした。だが何もかもが遅かった。雛の顔を見た瞬間、口が止まった。言葉がそれ以上、続かなかった。

 

 

「ひ、雛……?」

 

 

 雛の回りに纏わりついていた『厄』。それが急激に強くなったのだ。

 真っ黒な煙のような形をした『厄』は雛の姿を完全に覆い隠してしまった。真っ赤なドレスは完全に漆黒に変わり果て、雛の姿はさながら昆虫のサナギのような姿に変わった。

 だが、にとりが言葉を発せなくなったのは雛の変わり果てた姿を見たからではない。

 にとりは確かに見たのだ。『厄』が雛の姿を覆い隠す前の彼女の目を。

 雛の回りに纏わりついている『厄』なんかよりも黒く、深く、酷く悲しそうな目をしていた。

 

 

「にとり……」

 

 

 『厄』を纏い、完全に姿を隠している状態で雛は喋った。その声はとても透き通っており、綺麗な声をしていた。

 

 

「ごめんね……」

 

 

 一言、そう言い残し、雛はその場から飛び去って行った。その場に在った厄の残骸も雛の後を追うようにその場から消え去った。

 その場ににとりだけが残された。

 にとりは雛の後を追う事が出来なかった。

 それは雛の――いや、雛を酷く傷つけてしまった事が原因か……。

 一体何をもって彼女を追えと言うか? 

 雛をあんな風にさせてしまったのは自分自身だと言うのに………

 にとりは、日が沈みかける時間帯までそこから動く事が出来なかった。

 

 

 

 …………………………………

 

 

 

 

 霧雨魔理沙は妖怪の山の周辺を愛用の箒を持って航行していた。

 別段、何か山に用事があったわけでは無いのだが、近くを通りかかったので散歩がてら、景色を覗いてみようとやって来ただけだ。

 そして妖怪の山の上空に差し掛かった辺りで、魔理沙は見知った姿を見た。

 

 

「お、あれは……お~いッ! にとり~ッ!」

 

 

 魔理沙は高度を下げ、地上に降り立った。そしてにとりの側まで近寄ると、彼女が何か様子が変だと気付いた。にとりは蹲ったまま動かないのだ。しかし、反応だけは返してくれた。

 

 

「やぁ、魔理沙。どうしたんだい?」

「お、おい、にとり? どうしたって、お前の方がどうしたんだよ? 目が真っ赤じゃないか」

 

 

 にとりの目は真っ赤に腫れ上がっており、とても酷い顔をしていた。

 明らかに大泣きした跡だ。誰がどう見てもただ事では無かった。

 

 

「だ、大丈夫なのか? にとり」

「わ、私は大丈夫だよ……。なんともない」

「なんとも無いわけがないだろう! にとり、どうして泣いてるんだ? 教えてくれ、私でよければ相談に乗るぜ! 誰かに酷い事をされたのか!?」

「違うッッ!!」

「ッ!?――に、にとり?」

「酷い事をしたのは……私だ……」

 

 

 その後、にとりは大粒の涙を流しながら魔理沙に事の成り行きを説明した。

 雛の事。キュウリ畑が壊滅した事。雛に酷い事を言ってしまった事。

 何もかもを、まるで罪を吐き出すかのように言った。泣きながら自白した。

 魔理沙に説明し終えた後も、にとりは泣き続けた。そしてにとりが落ち着きを取り戻すまでしばらく時間がかかった。

 

 

 

 

 …………………………………

 

 

 

 

 

「落ち着いたか……? にとり」

「うん。ありがとう魔理沙」

 

 にとりが泣いている最中、魔理沙はにとりの傍らに座りこみ、ずっと彼女を宥めていた。

 そのお陰でにとりは何とか落ち着きを取り戻していた。

 

 

「雛が居なくなった後……」

「うん?」

「雛が居なくなった後、私はずっと考えていたんだ。畑が荒らされたのは本当に雛のせいだったのかって……」

「それで……お前は今どう思ってるんだ?」

「畑が荒らされたのは、偶然の不幸なのか、雛の『厄』が起こしたものなのか……。私はずっと考えていた。でも結局のところ、それを証明する事は出来なかった。どっちにも証拠がないからね。――でも、でも仮に……畑が荒らされたのが雛の『厄』が原因だと仮定して、雛が悪いのかと言えばそうじゃない。雛をキュウリ畑に連れてきたのは私だ。雛も畑を荒らしたいなんて思っていたわけでもない。そして雛が畑を荒らした張本人と言うわけでもない。雛は何も悪い事なんかして無いんだ。それなのに、私は……雛はちっとも悪くないのに……私は、雛を責めてしまった。何も悪い事してないのに……雛に怒りをぶつけてしまった。私は……最低の妖怪だッ!」

 

 

 歯を食いしばりながらにとりは己の心を告白した。

早苗に偉そうな説教をかませたが、自分も同じだった。その事ににとりは自虐的に苦笑してしまった。

 

 

「それで……お前はこれからどうするんだ? にとり」

 

 

 にとりの告白を聞いた魔理沙が尋ねてきた。

 これからどうするか……分からない。

 

 

「分からない。これからどうするか……分かんないよ、魔理沙」

「いや、言葉を間違えた。これからどうするか、じゃない。お前はどうしたいんだ?」

「どうしたい……って……」

「にとり。お前はこれからどうしたいんだ? 何がしたい? 言ってみろよ」

「わ、私は……ひ、雛に謝りたい。謝ってまたいつもみたいに笑って欲しいよ……でも、今私が雛に会ったらまた雛を傷つける。雛もきっと私に会いたくないと思ってる……」

「厄神の気持ちは関係ない。今重要なのはお前の気持ちだ。にとり。お前は何がしたいんだ? 声に出して言ってみろよ」

「わ、私は……」

 

 

 自分が何がしたいのか?決まってる。そんな事決まってるのだ。

 にとりは声を荒げながら叫んだ。

 大粒の涙を目に浮かべながら叫んだ。

 

 

「雛に会いたいッッ! 雛に会いたいよッ! 会って、謝りたいッ! そしてキュウリを一緒に食べたいよッ! 会いたいッ! 雛に会いたいんだッ!」

 

 

 まるで欲望を吐き出すかのように叫んだ。

 にとりの声は山全体に響き渡った。

 

 

「そうか、にとりはそうしたいんだな?」

「うんッ! 私は雛に会いたい!」

「良しッ! 決まったなッ! 厄神に会いに行けよ。お前が会いたいと思ってるならそうすべきだ」

 

 

 にとりは魔理沙に思考を誘導されたような気がした。だが実際に口にしてみると決意が固くなるのを感じる。

 会いたい。雛に会いたい。

 より一層、にとりはそう思えるようになっていた。

 いつの間にか涙は止まっていた。

 

「魔理沙はずるい奴だね。相手の気持ちも考えないでさ……。人間って本当に自分勝手だよ、自己中だよ」

「そうとも、人間は自分勝手な生き物なのさ。自分がやりたい事を優先的に考える。その上、私は魔女だ。自分の欲望のためなら何でもする、自己中の鑑だぜ」

「誉れる事じゃないねそれ。――でも魔理沙、ありがとう。魔理沙のおかげで腹が据わったよ」

「……そっか」

「うん。私は雛に会いたいんだ。そうしたいからそうするんだ。確かに雛の気持ちは関係なかったよ。――それじゃ、魔理沙。私はひとまず守矢神社に行く。八坂様に雛の厄の解決方法を聞いてくる。その後、雛に会いに行こうと思う。」

「そうか、それじゃ私も一緒に行くぜ。箒の後ろに乗れよ。守矢神社に送ってやるぜ」

「一緒? 一緒って、魔理沙には関係の無い事だよ? 魔理沙は人間だし、余りこの件には関わらない方が……」

「冗談じゃない。事情を知った以上私も関係者さ。それに私は『人間』。お前は『河童』。私たちは『盟友』だろ?」

「魔理沙……」

「さ、思い立ったら即行動って言うぜ。行こう、にとり!」

「うんッ!」

 

 

 にとりは魔理沙の箒に跨り、その場を猛スピードで駆け抜けて言った。

 必ず雛を元に戻す。

 そう決意をあらたかにし、二人は守矢神社に向かっていったのだった。



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第五話

 守矢神社にたどり着いた二人は早速屋敷の戸を叩いた。

 すると中からパタパタと走って来るような足音が聞こえてきて、勢いよく戸が開いた。出迎えてくれたのは意外な人物だった。

 

 

「も、椛!?」

「にとり……」

 

 

 白狼天狗の犬走椛が二人を迎え入れてくれていた。

 余りの意外な人物に、にとりと魔理沙の両名はいささか状況を判断しきれていなかった。

 

 

「待っていたよ、にとり。さぁ、中に入ってくれ」

「椛、なんで君がここに?」

「それは中で話すよ。八坂様たちが君を待っている」

 

 

 二人は言われるがまま屋敷の中に入り、居間に通された。

 そして居間には、八坂神奈子、東風谷早苗、洩矢諏訪子の三名。そしてもう一人、これまた意外な人物も同伴していた。カラス天狗の射命丸文だ

 

 

「これはこれは。にとりさんに魔理沙さん。お久しぶりですね」

「あ、文!? 何で、文も!?」

「げッ! 射命丸!?」

 

 

 にとりと魔理沙の反応はお互い違っていた。にとりはただ単に意外な人物に驚いただけだが、魔理沙は明らかに嫌悪感をむき出しにした。

 まぁ、魔理沙と射命丸の二人は最速がどうとかでいがみ合っているかららしいのだが、今はそんな事はどうでもよかった。

 にとりは二人の天狗にここにいる理由を尋ねた。

 

 

「なんで、二人ともここにいるんだい?」

「簡単な理由ですよ。八坂様の会談が終了した時、大天狗様から八坂様の送迎を命じられまして。まあ、要は護衛と言う形で椛と一緒にやって来たわけです。八坂様に護衛なんて必要ないとは思うんですけどね……。でもまぁ、それだったらついでに取材でもさせてもらおうかと思い上がり込んだわけです。――しかし、ここに来てみれば八坂様たちとの会合とは別に、なかなか面白い話題を知る事が出来ましたよ」

 

 

 ジャーナリスト特有のなんともねちっこい笑顔で文は言った。今回の件を知って、新聞のネタになると少々喜んでいるようにも見える。

 そして玄関先で椛が出てきたのは、早苗が動けなかったからなのだろう。今、早苗の足の指にはこれでもかと言う位の包帯が巻かれている。固定化している所を見ると骨に異常があるのかもしれない。

 

 

「河童、天狗。二人とも、もう良いかな? 私も話を進めたいのだが……」

 

 

 神奈子が口をはさみ、にとりと魔理沙は神奈子の前に座りこんだ。

 状況が整ったのを見て、神奈子は説明を開始した。

 

 

「……さて。早苗から大まかな事情は聞いた。それでお前と厄神を待っていたのだが、その様子では何かあったようだな?」

「……はい」

 

 

 にとりはこれまでの成り行きの説明を始めた。神奈子を含む6人は黙ってにとりの話に耳を傾けていた。

 そしてにとりの説明が終えると、神奈子がふぅとため息をついてそこで一段落となった。

 

 

「なるほどなぁ。あの厄神がな……」

「ごめんね早苗。あんな偉そうなこと言っておきながら、雛を連れ帰るどころか、こんな……」

「いいえにとりさん。元はと言えば私のせいです。私があんな事しでかさなかったら……」

「はいはい、二人とも。反省会はまた今度にしよう。」

 

 

 パンパンと手を叩き、神奈子は注意を則した。

 

 

「状況は分かった。――さて、何から説明したものかな」

 

 

 神奈子は手を口の上に乗せながら、どう説明するか、悩んでいた。

 そして、神奈子の悩みは事の重大性を表している事だと、その場にいる誰もが気付いた。

 そして神奈子はにとりに向き合い、質問を開始した。

 

 

「……なぁ河童よ」

「ひゅぃ?」

「今一度、確認するのだが、確かに厄神は『もう大丈夫』だと言ったのだな? この厄は己が何とかすると。そう言ったのだな?」

「は、はい! そうです。大丈夫だって……そう言いました」

「そうか……」

 

 

 神奈子は目を落とした。何か察したような、そんな雰囲気を漂わせていた。

 そしてそれは神奈子だけでは無い。諏訪子もまた目を落とし、何かを察した感じがした。

 同じ神として心当たりがあるのだろう。

 それゆえににとりは嫌な予感がした。いや、にとりだけでは無い。他の者たちもだ。 二柱が揃いもそろって同じ反応を示したのだから。

 にとりは神奈子に尋ねた。

 

 

「八坂様、八坂様に聞きたいんだ。雛はあの時――大量の厄が雛の回りに集まった時、雛は必ず消して見せると言った。その時の雛の顔が未だに忘れられないんだ。まるでここから消えてしまうかのような儚い顔をしていた。ものすごく嫌な予感がするんだ。八坂様は雛が何をする気なのか知ってるんですか?」

「……」

 

 

 神奈子はにとりの質問に少し困ったような表情をだした。

 神奈子は知っているのだ。厄神がこれから何をしようとしているのかを。だがそれをにとりに伝えるのに気が引けた。それは神としての神奈子の心遣いに他ならない。

 とは言う物の、黙ったままと言うわけにもいかない。神奈子は腹を据えてにとりに対面した。

 

 

「――お前にとって辛い話しになるぞ?」

「構わない。私は知りたいんだ。いや知らなくちゃならない。雛をあそこまで追い込んだのは私だ。だから私は知らなくちゃいけないんだと思う」

「そうか……」

 

 

 ふぅ、と神奈子はため息をついて改めてにとりと対面した。

 

 

「分かった。話そう」

「あ、ありがとう、八坂様」

「――結論から話す。あの厄神は……鍵山雛は『自身を一つの厄の塊』として、それら全てを厄流しにするつもりなのだろう」

「なッッ!!?」

 

 

 強い衝撃をにとりは受けた。いやにとりだけでは無い。諏訪子以外の場の全員が驚きの表情を出した。

 自身を含めた全ての厄を流す。それは雛自身も厄流しされると言う事だ

 

 

「そ、そんな……。そんな事をしたら雛は、雛はどうなるんです!?」

「さあな。流された厄の行きつく先など分からん。外界か異世界に行くのか。もしくは言葉通り流されて消えるのか。いずれにしろ、厄神はこの幻想郷から消え去る」

 

 

 にとりはようやくあの時の雛の顔の理由が分かった気がした。

 雛は知っていたんだ。自分が厄流れしたらどうなるのかを……。だからあのように優しそうな顔で大丈夫だと言ったのだ。

 にとりを含む全員が言葉を失っている最中、射命丸が慌ただしく尋ねてきた。

 

 

「ちょ、ちょっと待ってください!? 八坂様、それでは幻想郷に厄神様が居なくなってしまいますよ!? そんな事になったら幻想郷に厄が蔓延するんじゃ……」

 

 

 射命丸の疑問は尤もだった。

 今まで幻想郷の厄は雛が全部一人で、集め、溜めこみ、消していった。

 その雛が居なくなっては、むしろ災厄が多く振りかかる事になるのではないか?

 だが、射命丸の疑問を神奈子は応える事が出来た。

 

 

「いや、その心配は無い。射命丸、お前は厄神と言うのがどんな神か、どのようにして生まれたのか分かるか?」

「どのようにとは……。雛様に限っては、確か厄流しによって厄が集まった事により生まれたとか何とか……」

「そうだ。雛に限らず、厄神と言うものは人間の業によって生み出される、いわば自然発生した後天的な神なのだ。私や諏訪子のような先天的な神とは意味合いが違う。」

「つまり、それは一体どういう事なのでしょうか?」

「つまりだ。今回の件で、厄神が消えてしまったとしても、厄が溜まればまた新たな厄神が生まれると言う事だ。雛とは違う、新しい厄神がな」

 

 

 自然発生した神は、たとえ消えてしまったとしても、条件がそろえばまた生まれる事が出来る。種族としてのランクに違いはあれど、根源的な所は妖精と同じ存在なのだ。鍵山雛はその代表格と言ってもいい。

 だから雛が消えたとしても、雛とは違う新しい厄神が発生して同じように厄を集める事になるのだろう。確かに問題は解決している。

 

 

「ちなみに、早苗から事情を聞いた時、私が真っ先に思いついた方法でもある。厄神もどうやらこの解決方法を知ってはいたようだな……感心だ」

 

 

 神奈子の言葉に真っ先に反応を示したのは魔理沙だった。

 眉間にしわを寄せながら魔理沙は神奈子を睨みつけた。

 

 

「感心だとッ!? 最初に思いついた方法だとッ!? 神奈子、お前は……ッ!」

「何を感情的になっている? 溜まりに溜まった厄はこれで一挙に無くなる。結果的に幻想郷にも大きな災厄が起きなくなる。万事解決ではないか?」

「ふざけんなッ! あの厄神を犠牲にして何が解決だよッ!」

「だが、最とも確実な方法でもある。大体な、犠牲がどうとか人間のお前がそれを言うのか? そもそもの元凶は全てお前たち人間のせいであろうが。厄神を生み出したのはお前たち。自分たちが不幸にならぬよう、厄祓いし、それを厄神に一人に押し付けてきたのもお前たち。そんなありがたい神を信仰もせず、汚物を見るかのようにエンガチョして来たのもお前たち。そしてその結果が今回の一件だ。それでもお前は、人間は厄神を犠牲にしていないと? 犠牲にするなんて間違ってると言うのか?」

「あ……いや、でもそれは……」

「『厄神と言うのはそういう神だろ?』とでも言いたいのか? 確かにその通りだ。元凶はお前たちだが、お前たちが悪いわけでもない。厄神と人間の関係はそう言うモノだからな。お前たちが厄流ししなければ厄神は生まれる事もなかった。そして厄神も人間の流した厄を集め溜めこまなければ存在する事も出来なかった。そう言う関係なのだよ人間と厄神と言うのは。――詰まる所、今回の騒動の元凶はお前たち人間ではあるが、原因は厄神の力不足だ。まあ、他にも要因は幾つもあっただろうが、どっちが悪いかと二極端で判断するのならば悪いのは厄神の方だろうな。雛もそれが分かっていたから、責任を持って消える事を決意したのだろう」

 

 

 神奈子が説明を終えると、みんな黙りこんだ。そしてしばらくの間、静寂が居間を包んでいた。

 雛が消える。その事で今回の騒動は終わる。幻想郷の厄も消えて、災厄が降りかからなくなる。そして厄がたまれば新しい厄神が生まれる。

 恐らく、鍵山雛の前にもう厄神と言う神は居たのだろう。そしてその前も、その前にも。きっと存在していたのだろう。そして今回と同じように、雛と同じように厄を持って消えて行ったのだろう。

 だから今回、雛が居なくなるのはきっと定められた運命のようなものだったのかもしれない。

 

 

「まあ、河童よ。そう言うわけだ。厄神の言う通り、今回の一件は待っていれば自然と解決する事になる。厄神を助けたいと言うのならば諦める事だな。すでに厄神も決意しているのだろうからな」

 

 

 神奈子がそうにとりに優しく伝えた。

 これでこの件は終わりを迎える。万事解決だ。誰もが諦めの雰囲気を醸し出している中、にとりは、にとりだけは諦めたはいなかった。

 

 

「――そんなの嫌だ」

 

 

 ハッキリと拒絶の言葉を口にした。

 

 

「そんなの嫌だ。間違ってるよ、こんなの……雛は何も悪い事してないのに!」

「それが厄神と言う物だ。悪い事をしたからとかじゃない。そういう存在なんだよ」

「それでも、それでも私は……」

 

 

 厄が溜まったら集めて溜める。そして溜まりに溜まったら自身ごと消す。そしてまた新たな厄神が生まれる。

 それは一つのシステムだ。にとりにだってそれは理解できる。でもそれでも嫌だ。例え、システムなんだろうが運命なんだろうが、雛が居なくなるのは嫌だ。あんな酷い事を言って、まだ謝ってもいないんだ。悲しませたまま消えてしまうなんてあんまりだ。

 

 

「それでも私は、雛にいて欲しい。雛には幻想郷の厄神として、ずっと居て欲しいんだ」

「ハッキリ言うぞ河童よ。鍵山雛にはもう幻想郷の厄神として機能する力は無い。ただいたずらに厄を振りまくだけの存在だ。雛をこのままの状態にしていたらいずれ幻想郷に大きな災厄が起きるぞ? それこそ異変などと言う言葉が優しく思えるほどのな……。そして恐らく雛もその事に気が付いているのだろう。だから消えようとしている。きっかけを作ったのはお前なのだろうが、お前が悪いわけじゃない。いずれこうなる事だった。それでもお前は雛を止めるつもりなのか? 決意して消えようとしている者を止めるのか?それはとても残酷な事だ。一生、雛に軽蔑されるぞ?」

 

 

 神奈子が再確認するかのように言った。

 だが、にとりの決意も変わらない。

 

 

「それでも……それでも私は雛にいて欲しい。私がきっかけで起きた事だ。責任は全部私にある。例え、一生軽蔑されても、この選択が間違っていたとしても……私は後悔しない」

「……そうか」

 

 

 神奈子はため息をついた。にとりに何を言っても無理だと悟ったのだろう。

 そして間をおかず、にとりが尋ねてきた

 

 

「八坂様、私は雛を止めるよ。絶対に止めて見せる。でもそれだけじゃ何も解決した事にはならない。雛の厄を何とかしなくちゃ解決しない。だから八坂様、どうかお願いします。何か方法は無いのですか? 雛の厄を何とか消す方法を……。私は何でもするッ! どんな事でもする! だから、だから……八坂様、力を貸してください!」

 

 

 にとりはその場で土下座の姿勢を取った。見栄もへったくりもあったものではない。

 だが、そこでにとりを笑う者などは決していない。それどころかもう一人、助け舟を出す様ににとりに並んで神奈子に土下座する者がいた。早苗だ。

 

 

「わ、私からもお願いいたします神奈子様!」

「早苗!?」

「今回の件は私も要因の一端を担っております。どうか、もしも雛様の厄を消す方法があるのならば、どうか……御教えください!」

 

 

 神奈子を信仰している早苗には似合わない態度だ。彼女は常に神奈子の言葉を優先に考えるからだ。だからこそにとり驚いた。自分を助けようとしてくれているのか?だとしたらそれはとてもありがたかった。感謝にたえないとにとりは深く想った。

 

 

「う~む――確かに厄神の厄を消す方法は確かにあるにはあるが……」

 

 

 神奈子の言葉を聞いた瞬間、にとりと早苗に笑顔が戻った。だが希望に満ちた二人に対し神奈子は対照的だ。明らかに神奈子は悩んでいた。

 

 

「だが、この方法はな……」

「八坂様ッ!」

「神奈子様ッ!」

「わ、分かった!分かったからそんなに怒鳴らないでくれ! 恐いじゃないか」

 

 

 神奈子にも思う所があり、かなり悩んだのだろう。しかし二人の決意はとても堅い。何を言っても無駄だと判断した神奈子はとうとう折れた。

 

 

「あはは。軍神と言えど娘には勝てないようだね、神奈子」

「茶化すな諏訪子」

 

 

 ケラケラと笑う諏訪子に神奈子は調子を崩されたようだ。

 全てを観念した神奈子は改めて、皆の前で説明を開始した。

 

 

「一応確認をするが……危険が伴うぞ? 何でもすると言うのは本当か? 河童よ」

「くどいですよ八坂様。私の決意は変わりません」

「そうか……ならば話してやろう。厄神の厄を消し去る方法。それは――」

 

 

 そして守矢神社では数時間にもわたる長い作戦会議が始まったのだった。

 



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第六話

 雛は現在、妖怪の山から少し離れた河辺にいた。

 時間はもう深夜だ。月明りが山全体を照らしており、実に美しい光景を作り出している。

 だが雛の回りだけは違う。ウヨウヨと厄が漂っており、雛を中心とした部分だけまるで別の世界のように感じられる。そこには月明りも届かなければ、澄んだ空気も入って来ない真っ暗な世界だ。

 

 

「もう、こんなに集まってる……今日が満月だったのは僥倖だったわね」

 

 

 月明りは人を狂わせる。そんな言い伝えがある様に、何故か満月の日は特別厄が多く発生する。そしてその厄の強さが最高に達する時間は丑の刻。『丑の刻参り』と言う言葉があるくらいだ。この時間と厄と言うのは何かしらの因縁があるのかもしれない。

 今は丁度午前零時と言ったところだろうか?雛は近くに石に座り込み、時間が経つのを待っている。

 そして雛はふと、河の水に映し出された自分の姿を見た。月明りに照らされた水は鮮明に雛の姿を映し出していた。

 

 

「なんて、醜い姿なのかしら……」

 

 

 真っ赤なリボンとドレスは真っ黒に染められてた。そしてそのせいか肌の色も血の気の通ってない真っ青な顔に見える。

 雛は自分の醜い顔を見て苦笑してしまった。実に災厄を身に纏う厄神らしい姿だと。

 

 刻々と時間が経過していく。

 もうすぐ自分は消える。この厄と共に……。

 消える事は怖くは無かった。厄神と言うシステムはそういう物だと思っていたからだ。

 厄を溜めこみ、溜めこんだ厄ごと消える。そんな存在。

 消える事は恐くは無い。だがこの幻想郷に未練が無いわけでもない。ちらほらと雛の頭にはにとりの顔が思い浮かんでいた。

 にとりと過ごした日々は本当に楽しかった。自分の側にいれば災難に見舞われると言うのににとりはいつも笑顔で接してくれた。それが雛にとってどれだけな幸せな事であったのか、きっとにとりは知らないのだろう。

 だが、にとりとの幸福な日々を思い浮かべると同時に、にとりのあの時の顔も思い浮かんで行く。あの時、キュウリ畑が荒らされた時のにとりの悲しそうな顔と憎しみを含めた憤怒の顔を。

 あの時のにとりの顔が忘れられない。あの顔を思い出すだけで心が締め付けられそうになる。それが耐えられない。

 

 

「そっか。私は……」

 

 

 雛は何か思いついたように口走った。

 

 

「私は、にとりに嫌われたくないから消えるんだ……」

 

 

 厄神のシステムがどうとかは単なる建前に過ぎない。

 多分、にとりのあの顔を見る前だったらきっと最後まであがいていたのかもしれない。自分が消えなくても良いようにと……。

 恐らく、歴代の厄神たちも同じような事で消えたのだと思う。大切な人を傷つけないように……もしくは傷つけてしまったために。自分から消えて行ったんだろう。

 

 

「にとり……」

 

 

 いざ消えようと言う時に限ってにとりの事が鮮明に思い浮かぶ。だが楽しかった日々も幸福な日々ももう終わりだ。自分はここで消える。

 時間が経過していく。それにつれて厄も強くなっていく。

 そろそろ頃合だろう。

 丁度良い具合に厄も集まっている。皆が寝静まっている深夜だから大騒ぎにはならないが、もしもこれが昼だったら異変と呼ばれる位の騒ぎになったに違いない。何せ、妖怪の山全土を黒い厄で包みこんでいる程の規模なのだから。山に住んでる妖怪たちには悪いが、何もしなければ災難には巻き込まれないだろう。

 

 雛は河に中に入り、厄流しの最終段階に進めようとしていた。

 だが、ここで思わぬ事態が発生した。

 

 

「な、何? これは……」

 

 

 妖怪の山に……いや、厄の領域に入って来る者がいる。

 一人や二人なんて数じゃない。大多数だ。こんな時間に――しかも厄の領域に大人数が入って来る。

 すでにこの厄の領域は雛の領域と同義だ。この領域内で起きた事は雛にも把握できる。そしてこれはただ事では無かった。しかもその団体は間違いなく雛の方に向かって行く。

 

 

「一体、何が……」

 

 

 次第に近づいてくる気配を見て、雛は驚愕した。

 

 

「雛ぁーッ!」

「に、にとり!?」

 

 

 にとりが霧雨魔理沙の箒に乗せてもらいながらこっちに飛んできたのだ。

 いや、驚愕すべきはそこじゃない。飛んできたのはにとりと霧雨魔理沙だけじゃなかったのだ。

 博麗の巫女に八雲の管理者、そして小さな百鬼夜行。白玉楼のお姫様にその庭師。永遠亭のウサギ達。山の二柱と現人神が一人。カラス天狗と白狼天狗の大軍。さとり妖怪を中心とした地底の妖怪たち。さらには命蓮寺の飛行船まで飛んできた。

 

 

「な、ななな……何なのこれは!?」

 

 

 幻想郷のパワーバランスを担う勢力――しかもその中核をなすトップが揃いもそろってこの場に終結したのだ。雛が思わず叫んでしまったのも無理はない。

 

 

「にとりッ! これは一体どういう事なのッ!?」

 

 

 いきなりの事で雛は思考が追いつかなかった。

 だが、そんな雛の言葉を無視し、にとりは叫んだ。

 

 

「雛ッ! ――私たちと弾幕勝負だッ!」

 

 




どうしてこうなった・・・・・・


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第七話

 事の発端は数時間前の、守矢神社で起きた。

 

 

「雛が厄の消費をしきれないと言うのならば、雛から厄を取り除く方法は一つしかない。今溜めこんでいる厄すべてを吐き出させる事だ」

 

 

 神奈子がそうみんなに伝えた。

 溜まったモノは吐き出すのが一番。単純な理屈ではあるが合理的でもある。だがそれは厄が消えた事にはならない。ただ吐き出されただけだ。

 

 

「ちょ、ちょっと待ってください八坂様。それは厄が消えた事にはなりませんよ? むしろ厄を幻想郷に降りかからせる事になります」

 

 

 射命丸がそう質問を返してきた。だが彼女の言い分も尤もだ。今の雛の回りにある厄が全部吐き出されたらきっと幻想郷中に厄が蔓延する事になるだろう。その結果、幻想郷には多くの災難が降りかかるに違いない。

 

 

「射命丸、最後まで話を聞かないか。そんな事私だって分かってるさ」

「あ、す、すみません……」

 

 

 さすがに神奈子も無策と言うわけでもなかったようだ。文はバツが悪そうな顔で引っ込んだ。

 

 

「話を続けるぞ。確かに射命丸の言う通り、ただ厄を吐き出させれば良いと言うわけではない。それじゃ意味がないからな。だからこそ、厄を何かに変換させて吐かせなければならない」

「変換? 厄をか?」

 

 

 魔理沙が尋ねてきた

 

 

「そうだ。お前たち人間も食物を小便や大便に変えて体外に出すだろう? それと同じだ」

「ッッ!!? げ、下品だぞッ!神奈子ッッ!!」

「そうですッ! その例え話はありえませんッ!」

 

 

 魔理沙と早苗。人間二人が顔を真っ赤にしながら怒鳴った。心なしか、にとりも天狗二人も顔を赤くしてしまった。

 

 

「す、すまない。確かに今の例え話は品が無かったな……。ち、違う例え話をしよう。魔理沙。お前は魔力をどんなふうに消費する?」

「私か? そりゃ、空を飛んだりとかして消費するが……」

「それじゃ一番魔力を消費するのは何をする時だ?」

「そりゃモチロン弾幕勝負だろうな。特にマスタースパークは燃費が悪くて……あッ!!?」

 

 

 何か魔理沙が気付いたようだ。魔理沙だけじゃない。早苗も何かに気付いたように顔を驚かせていた。

 

 

「そうだ。厄神の原動力は厄だからな。つまり雛の厄を全て弾幕に変換させて吐き出させればよいのだ。そうすれば雛の厄は無くなる事になるだろう」

 

 

 厄神の原動力は厄。そしてその厄を弾幕に変換し、大量に吐き出させる。それが神奈子の出した作戦だった。

 にとり達は次第に笑顔になって行く。希望が見え始めてきたからだ。なんて事は無い。要はただ単に弾幕勝負をするだけで良いのだから。

 しかし、顔がゆるんできたにとり達に比べ、神奈子と諏訪子は未だに真剣な顔をしている。

 

 

「まあ待て。確かにこの方法ならば厄神から厄を取り除く事が出来るが、問題が幾つもある。その中で最も難しいと思われるのは、消える事を決意している厄神をどうやって弾幕勝負をする気にさせるかと言う事。そして、もう一つは厄神の放った弾幕を受けきる事が出来るかどうかだ」

 

 

 雛はすでに消える事を決意しているのだろう。

 そんな雛に弾幕勝負を強いらなければならない。確かに難しいかもしれない問題だ。

 だが、神奈子の言ったもう一つの問題。雛の弾幕を受けきれるかどうか。この問題だけ魔理沙には理解できなかった。なぜなら魔理沙は一度厄神に弾幕勝負で勝っているからだ。

 

 

「神奈子。厄神の弾幕を受けきれるかどうかって……。あいつの弾幕はてんで大した事ないぜ? 実際、私は勝ったこともあるし……何が問題なんだ?」

「馬鹿を言うな魔理沙。私は受けきれるかどうかと言ったぞ? 厄を弾幕に変えると言ったがそれは通常の弾幕と違い、厄を含む弾幕と言う事になる。つまり雛の『弾幕を避ける事は許されない』。分かるか? 『避けてはならない』のだ。こちらも弾幕を放ち、厄神の弾幕を消し飛ばさなければ厄を消すと言う事にはならない。」

「げッそれって……!」

「お前たち人間は火力と言うよりも回避に重点を置いているだろう。そんなお前たちが今の厄神の弾幕を消すほどの力があるはずもない。その上お前が相手にした時の厄神は、厄が安定していた時の厄神だ。だが今回の厄神は違う。厄が溢れかえっており、その厄が弾幕として放出された場合、どれだけの威力になるか想像も出来ない。その上、あれだけの厄だ。ただの弾幕ではないのかもしれない。物理的なダメージが発生するのか……。少なくとも遊びではなくなるぞ。スペルカードルールそのものが適用しないかもしれない」

「ッッ!……そ、それは……ッ!」

 

 

 弾幕勝負の一番の特徴は殺し合いを禁じている所にある。

 そのため妖怪たちは気軽に異変を起こせるし、人間たちも軽い気持ちで異変を解決出来る。力の無い人間が唯一、強力な妖怪に立ち向かえるルールとも言えるだろう。 

 だから、神奈子の言ったスペルカードルールが適用しないと言うセリフは魔理沙を戦慄させるに十分すぎる威力を持っていた。そして神奈子の言葉の意味を重くとらえたのは魔理沙だけでは無い。同じ人間の早苗も、種族として力の弱い方でもある河童も。神奈子の言葉に戦慄した。

 

 

「そして、大問題がもう一つ……」

 

 

 神奈子はさらに言葉を続けた。

 

 

「この作戦自体が根本的な解決にはなっていないと言う事だ。一旦、厄が無くなったとしても時間が経てばまた同じ事が起きる。元の木阿弥だよ。その場しのぎの作戦でしかない」

 

 

 神奈子の作戦はただ厄が無くなるだけだ。雛の厄の貯蔵量が増えるわけでもない。根本的な解決にはなっていないのだ。

 

 

「そう言うわけだ河童よ。一応、策の全てを話してはやったが――やはりあまりお勧めは出来んぞ? 危険が伴う上、根本的な解決にもなっていない。それでもお前はあの厄神を止めるのか? 厄を溜めきれなくなった力の無い者のために命をかけるのか?」

 

 

 神奈子がどうして最初に雛が消える事を考えたのかその場の全員がようやく気付いた。

 根本的な解決方法が無いからだ。それだったら、危険が無くてより確実な方法。つまり雛が消えて次の厄神を待つと言う方法の方がはるかに良いだろう。もしも次の厄神が雛よりも優秀だったら儲けもの。例え雛より劣っていたとしても厄神のシステムの循環が早まるだけ。それだけだ。

 

 神奈子の問いににとりは答えた。

 

 

「勿論だよ。私は雛を助ける。絶対に消えさせない」

 

 

 迷いの無い言葉だった。

 神奈子は顔をしかめながら再度問うた。

 

 

「厄神は助けて欲しくないと思ってるやもしれぬぞ?」

「雛の気持ちは関係ない。私が助けたいから助けるんだ。その結果、雛に恨まれる事になっても、私は構わない」

「……そうか。分かった、もう止めない。好きにすればいいさ」

「ありがとうございます。八坂様」

 

 

 にとりは立ち上がり、一礼した。そして魔理沙の方を向いて言った。

 

 

「魔理沙、聞いての通りだ。かなりの危険が伴うかもしれない。魔理沙はここで降りた方が良いと思う」

 

 

 付いて来てくれると言った魔理沙だったが、人間の魔理沙では荷が重いと判断したにとりはここで同盟を切ろうと言いだした。

 

 

「冗談じゃない。私も行くぜ」

 

 

 だが魔理沙はにとりの提案を鼻で笑いながら返した。

 

 

「八坂様の話を聞いてなかったのかい? 魔理沙、スペルカードルールが適用しないかもしれないんだ。人間の君には危険すぎる」

「要はただの危険な弾幕勝負ってだけの話だろ? 弾幕勝負なら私は誰にも負けない自信があるんだ」

「で、でも……危険すぎる」

「良いから連れて行けよ盟友。大体、お前の火力じゃ雛の弾幕を相殺しきれるかどうかも怪しいじゃないか。私がお前の武器になってやるよ」

「それは……いや、魔理沙……ごめん」

「ごめんじゃない。そこはありがとうって言うんだぜ?」

「そ、そうだね。あ、ありがとう魔理沙……」

 

 魔理沙は本気だった。本気で得にもならない事だと言うのににとりを手伝おうとしていた。それは彼女の意地か何かか……。それはきっと魔理沙にしか分からないだろう。

 魔理沙の本気の目を見てにとりはとうとう首を縦に振った。

 

 

「それじゃ、私たちはもう行くよ。八坂様、早苗。いろいろありがとう」

 

 

 にとりと魔理沙が出て行こうとした時だ。突然、後ろから声が響いた。

 

 

「待ってくださいッ!」

 

 

 早苗だった。

 

 

「――私も。私も行きますッ!」

「え?」

「ちょッッ!? さ、早苗ッ!?」

 

 

 早苗のいきなりの発言に素っ頓狂な声を出したのは神奈子だった。

 神奈子は急いで早苗を諌めた。

 

 

「さ、早苗、何を言ってるんだい! 私の話を聞いてなかったのかい!?」

「聞いてました。しかし、『義を見てせざるは勇なき無り』と言います。二人の覚悟を見て動かなかったら人として笑われます」

「お、お前は私の風祝だろうッ!? 他の神のために動くなんて……!」

「お言葉ですが神奈子様。私は風祝と同時に現人神。下の者の願い事を聞けなくて何が神ですか!? ――とにかく、私は行きます。何を言っても無駄ですから」

「さ、早苗~……」

 

 

 早苗は立ち上がり、にとり達の所に寄って行った。

 

 

「良いのかい? 早苗」

「良いんですよ。嫌だと言われても後ろから付いていきますから」

「……ありがとう」

 

 

 早苗がそう言った時、射命丸が三人を止めた。

 

 

「お待ちください御三方」

「……な、何だ射命丸」

 

 

 気持ちが一つになっていざ出発と言う時のこの発言。

 魔理沙は少しイラっと来た。だが射命丸は気にせず言葉を続ける。

 

 

「三人でも恐らく手に余るでしょう。我々が各勢力に協力を要請してきます。了承さえ取れればかなりの戦力を揃えられるはずです」

「な、そ、それは本当かい、文!」

 

 

 一番最初に喰いついたのはにとりだ。

 他の勢力から協力を得られればかなりの戦力になるはずだ。

 

 

「はい。さすがに全ての勢力を……とはいきませんが、話だけは付けておきます。尤も危険が伴う今回の一件。協力を得られる保証は出来ませんが……」

 

 

 射命丸の提案は魅力的なものだった。確かに得にもならないのに協力してくれとは虫の良い話ではある。だがもしも。もしも手伝ってくれる者がいればこれと無いほど心強い存在になる。

 

 

「では、私は各勢力の元へ行き、話しを付けてきましょう。椛、貴女は大天狗様に報告を。この妖怪の山が決戦の地になるでしょうから。もしも余裕があったのならば天狗の勢力を使う事の提案もしておいてください」

「了解しました」

「それでは、行って参ります!」

 

 

 文は窓から凄まじい速度で彼方へと消えて行ってしまった。椛もそれを追うかのように守矢神社から離れて行った。

 にとり達も行動を開始しようと、守矢神社を離れて行った。

 そしてにとり達が出て行き、静かになった守矢神社では神奈子と諏訪子が取り残されていた。

 

 

「行っちゃったね、みんな」

「そ、そうだな……」

「それで? 神奈子は動かないの?」

「はぁ? じょ、冗談だろう諏訪子。なんで私が他の神のために……」

「うわぁ、ないわ~。作戦の立案者が何もしないとかないわ~」

「ウぐッ!」

「あの子たちに危険が伴うかもしれない作戦を提示しただけじゃなく、希望まで持たせちゃって、自分は何もしないとか……うわ~汚い! さすが神! 汚い!」

「ぐぐぅッッ!!」

 

 

 諏訪子からくどくどと嫌味を言われつづけ、神奈子はとうとう心が折れた。

 そして三人を追うように飛んで行った。

 三人もそう遠くまで離れていなかったようですぐに見つけられた。そしてこう伝えたのだ

 

 

「ま、待ちなさい! はぁはぁ……」

「か、神奈子様?」

「や、厄神が厄流しを行うのは恐らく深夜だ。その時間帯が最も厄の力が高まる時だからな。今お前たちが向かった所でする事は何も無い。天狗たちが戻って来るまで神社で休んでいなさい。その間にいろいろと作戦を立案してあげるから!」

 

 

 神奈子は息を切らせながら三人に伝えた。

 そして神奈子の協力を得られる事に成功し、三人はハイタッチして手を鳴らし、喜びを分かち合った。

 

 

 

 

 そしてその数時間後………

 

 

 

 

 時間は夜。辺りを見渡せば、とんでもない光景だ。

 そうにとりは思った。

 いや、にとりだけでは無い。きっと魔理沙も早苗も二柱も……誰もが思っているに違いない。何せ、各勢力のトップが揃いもそろって守矢神社に集結しているのだから。

 

 

「なんともまぁこれだけの勢力を……私、あの天狗の事甘く見てた」

 

 

 魔理沙がそうぼやいた。そしてそのぼやきは文にも聞こえたようだ。

 

 

「いいえ、魔理沙さん。私だって予想してませんでしたよ。まさか皆さんが何の疑問もなく一発オーケーするなんて信じられませんでした。皆さんそんなに暇なんでしょうかね~? 理由を尋ねたら面白そうだからとか何とか。純粋に雛様を助けたいと仰ってくれたのは命蓮寺だけでしたよ。いやはや何とも何とも……」

 

 

 そして射命丸も別に煤ましくしている訳ではなさそうだ。ただ純粋に驚いていた。

『面白そうだから』

 いつも幻想郷を駆け回っている射命丸には分からないだろう。長寿の妖怪たちは常に刺激を求めていることに。そのため、面白そうと言う理由は、命を賭けるに値する理由なのだ。

 

 

「しかし紅魔館の協力を仰げなかったのは残念です。散々事情を説明したのですが、興味無いの一点張り。まあ危険が伴う事ですし、何の得もないので彼女たちの言い分は尤もなんですがね。それだけ彼女たちの戦力は残念です」

「これだけのメンツだ。あんな奴等いなくたって大丈夫だぜ」

「あはは。かもしれませんね」

 

 

 射命丸は各勢力に協力を要請する事に成功はしたのだが、紅魔館だけは協力を拒否されたのだ。理由は興味がない。得が無い。この二点だけだ。

 これだけのメンツを目の前にしておきながら、射命丸はそれでも紅魔館の戦力を勿体ないと感じていた。それだけの存在感を持つ者たちなのだ。紅魔館の住人は……。

 

 

「早苗、あんた等またとんでもない事をしようとしてるわね! こんな奴らを集めて……!」

「ち、違います! 今回は我々は関係ありません!」

 

 

 魔理沙たちと少し離れた所で霊夢と早苗が言い争っている。そしてその傍には八雲紫と伊吹萃香が霊夢を宥めている。

 早苗も苦労してるなと、にとりは思った。

 

 

「失礼します。貴女が河城にとりさんですか?」

「――え?」

 

 

 にとりに近づく者たちが現れた。一人は紫とブロンドの二色を持つ長髪しており、実に穏やかそうな顔をしていた。そしてもう一人は金髪で長い槍を持った実に立派な風貌をした女性だった。

 

 

「え、あ、うん。そうだよ。私が河城にとりだ」

「お初にお目にかかります、にとりさん。私は命蓮寺で僧を務めております、聖白蓮と申します。そしてこれなるは毘沙門天の代理を務めています、寅丸星と申します。星、挨拶を……」

「はッ! ――初めまして。命蓮寺で毘沙門天様の代理を務めてます、寅丸星と申します」

「え、ええ! あ……その……ご、ご丁寧にどうも……。私は河城にとりと言って……か、河童です」

 

 

 白蓮と星の余りの丁寧な自己紹介に、にとりは思わず似合わない自己紹介をしてしまった。

 

 

(この人たちが命蓮寺のトップか………絵にかいたような善人だな)

 

 

 にとりが二人を見て最初に思った感想だった。射命丸の話によれば、この命蓮寺の人たちだけは暇つぶしだとか、面白そうだとかそんな理由では無く、真摯な気持ちで雛を助けようとやって来てくれた者たちだ。胡散臭さマックスだったがにとりはこの二人と対面してそんな事は無かったと実感した。

 

 

「えっと……白蓮さんだよね。今日は私のために集まってくれて本当にありがとう。こんな事につき合わせちゃって凄く悪い気もするんだけど……」

「何を仰いますかッ!」

「ひゅいッ!?」

 

 

 白蓮はにとりに迫って、にとりの手を胸元で両手で包みこんだ。その姿はまるでにとりを崇拝し、祈っているように見える。

 

 

「天狗の方から聞きました! 友を危険な目に会わせぬよう自ら消えゆく神! そしてそれを止めようとする友! その覚悟ッ! その決意ッ! 種族の違いなど関係なく、ただ友のために危険を顧みないその姿勢! か、感動ですッ! 私は感動致しましたッ! にとりさんッ!」

「え、ええ……あ、その……」

 

 

 聖はブンブンとにとりの手を上下に振っていた。

 しかも感涙極まったのか、白蓮は涙も流していたのだ。しかも、その隣にいる星も白蓮を止めようとしない。にとりは思わず後ずさりした。気味が悪かったからだ。

 

 

「にとりさん! 我ら命蓮寺を好きなようにお使いください! 貴女方が元の関係に戻れるよう、我々は協力を惜しみませんッ!」

「え、あ、う、うん!あ、ありがとう!」

「はいッ!では後ほどッ!」

 

 

 そう言って白蓮たちは去って行った。

 にとりは白蓮の余りの善人振りに思わずその場で茫然としていた。

 そしてしばらくして、もう一組がにとりに近づいてきた。その者たちを見た瞬間、にとりは思わず恐怖した。あの頭に生えている一本角。忘れたくたって忘れられない。鬼の星熊勇儀だ。そしてもう一人、大きな目を持った少女だ。

 

 

「ようッ! 河童!」

「ひゅいッ! ゆ、勇儀……様!」

「応! 久しぶりだな! 聞いたぞ、厄神を救うために私たちを利用する腹なんだろ? やるじゃないか」

「え、ええ……いや、その……これは………」

「何を慎んでるんだ。私は褒めてるんだ。友を想うお前の性根。立派だと思うぞ」

「あ、ありがとうございます」

 

 

 褒められているのだろうが、鬼に対する恐怖感が邪魔をして素直に喜べないにとりだった。

 

 

「あ、そうそう……紹介がまだだったな」

 

 

 急に話題を変えてきたと思ったら、勇儀は隣にいる少女の紹介を始めた。

 

 

「こいつは古明地さとり。とっくに知ってるだろうが、今の地底を治めている奴でな……まあ、今の私たちの大将って事だ」

「初めまして、河城にとりさん。古明地さとりと申します。こうして直接御会いするのは初めてでしたね」

「あ、これはどうも……」

 

 

 魔理沙と地底の異変を解決する際、一度弾幕勝負で対決した事のある人物だ。

 こうして直接会うのは確かに初めてである。

 そして最初に思った事は、やはり小さな少女だな、と言う事だ。

 この人物が、恐ろしい鬼たちをも束ねているなんてやはり信じられない。にとりはそう思っていた。

 

 

「ふふ。私を見る者はみんな同じような事を思うのですよ」

「ひゅい!?」

 

 

 心を読まれた事ににとりはようやく気付いた。

 すぐに無心になろうとあれこれ考えるが、それすらもさとりに見破られていた。

 

 

「今回、山の神の協力要請との事でやって来たのですが……なるほど。貴女は心の底から厄神を救いたいと思っているのですね。立派な事だと思います」

「こ、これはどうも……」

「我ら地霊殿は、河城にとりさん。貴女を助力する事に全力を尽くします。私の能力もきっと何か役に立てるかもしれませんので、ぜひお使いください」

「あ、ありがとう。でもどうして私なんかの為にそこまでしてくれるんだい? 何も得する事なんかないのに……」

「あら? これでも一応下心があるのですよ?」

「下心?」

「ええ。我々地底の妖怪たちは、本来ならば地上にいてはならない存在です。単純に嫌われていますからね。あの地底異変以来、こうして地上に出られるようにはなりましたが、まだ地底妖怪に対する反感は続いております。ですのでこう言うボランティアで、少しでも地底の妖怪に対する感情を軽くしていきたいのですよ」

「ふ~ん……」

 

 

 参加しても得なんかしない今回の騒動だが、得と言うのは人それぞれに違う物なのだなとにとりは実感した。

 そしてそれと同時に、さとりの紳士的な程度を見て地底の妖怪たちに対する認識も少し変った気がする。

 

 

「ふふ。貴女は実に優しい心の持ち主なのですね。我らをそのように思ってくださるとは……」

「あッ……また読まれた」

「申し訳ありません。相手の心を口にしてしまうのはさとり妖怪の性分と言う奴なのです。……では私たちもこれで。行きましょう勇儀」

「ああ。それじゃぁな河童。うちらに働きに期待しててくれて構わないぞ」

「あ……は、はい!」

 

 

 そう言って、さとりと勇儀はにとりから離れて行った。

 

 そして時間が経過していき、とうとう哨戒役の椛から伝令が走った。

 

 

「神奈子様! 厄神様に変化あり! 恐らく厄流しを開始するつもりなのでしょう!」

 

 

 椛は千里を見通す事の出来る能力を持つ。先ほどからずっと雛の様子を千里眼で見ていたのだろう。

 椛の伝令が全員に伝わると、先ほどのほのぼのとした雰囲気は一気に張りつめた糸のように変わった。恐らく、ここにいる全員が知っているのだろう。この先に――とんでもない戦いが待っている事を……

 

 

「良し! 我らも出発するぞ! ――が、その前に……」

 

 

 神奈子はにとりを引っ張って行き、皆の前に立たせた。

 にとりは訳も分からないまま皆の前に立つ。

 

 

「え、あ、あの……神奈子様?」

「にとりから皆に話があるそうだ! ほら、にとり。何か皆に言ってやれ」

「ちょッ!? か、神奈子様!? どういう事ですか!?」

「ここにいる奴らはみんなお前の為に集まって来た奴らだ。言うなればお前が大将と言うう事だ。大将は仲間たちに檄を飛ばすものだぞ。さぁッ!」

「おわッ!」

 

 

 神奈子がにとりの背中をポンと押して、無理矢理皆の前に立たせた。

 そしてみんながにとりを注目している。にとりはすでに逃げる事も出来なかった。

 

 

「え、ええと……その……」

 

 

 檄と言われても気の良いセリフなど思いつける筈もない。

 刻々と時間が経っていく。実際の時間は幾分も経っていないのだが、にとりはそれが途轍もなく長い時間に感じた。

 そんな中、皆の中から野次……と言うか助け舟を出してくれた人物がいた。魔理沙だ。

 

 

「にとり! 別に気のきいた言葉を話す事は無いんだ。ここにいる連中はみんな理由を知っているんだからな! だからお前はただ、自分の気持ちを言ってしまえば良いだけなんだぜ!?」

「魔理沙……」

 

 

 魔理沙は回りからやかましいと注意を受けた。

 だが、にとりはそんな魔理沙に感謝した。深く感謝した。心が軽くなって行くのを感じる。そうとも。ここにいるみんなはすでに事情を知っているのだ。ならば、大義名分みたいな言い訳を言うのではなく、ただ単に自分の気持ちを話せばよいのだ。

 

 

「みんな……わ、私は雛を助けたい。でも、雛は助けて欲しくなんか無いのかもしれない。私のやっている事はエゴなのかもしれない。自分勝手なのかもしれない。それでも、それでも私は雛に幻想郷の厄神でいて欲しいッ! 雛に消えて欲しくなんか無いんだ! ――でも、でもそれは私だけじゃ無理なんだ! 私は弱いから……雛を止める事が出来ない……だから、助けて欲しい! みんなの力を私に貸してほしいんだッ! ――みんな……助けてくれ!」

 

 

 実にエゴイズム満載の自分勝手な檄であると、にとりはそう思った。

 でもこれが本音であり、偽らざる真実なのだ。雛に消えて欲しくない。今はただそれしか思い浮かばない。

 にとりが皆に向かって、『助けてくれ』。そう言った時、誰だか知らないが急にこう叫んだ。

 

 

「えい! えい! おーッ!」

 

 

と。

 

 

 

 一人だけじゃない。二人三人……どんどん増えて行った。次第に声は合わさって行き、大きくなっていく。

 

 

「「「えい! えい! おーッ!」」」

「「「えい! えい! おーッ!」」」

「「「えい! えい! おーッ!」」」

 

 

 みんな、楽しそうに声を合わせて出す。

 声は天高くまで届き、幻想郷中に響き渡っていたのかも入れない。

 ふと、ポンとにとりは肩を叩かれた。神奈子だった。

 

 

「ノリの良い奴らだな……」

「八坂様……」

 

 

 感涙極まってにとりは思わず涙を流しそうになった。だが、この涙はここで流す物で無いと、にとりは袖ですぐに拭きとった。

 

 

「さぁ!それでは行くとしようッ!厄神の元へ――!」

 

 

 神奈子がそう皆に伝えると、一斉に声が返って来た。

 

 

「「「「おおおおッッッ!!!!」」」」

 

 

 そしてみんな守矢神社から一斉に飛び立ったのだった。

 厄神を元に戻す。そしてにとりの願いを叶える、そのためだけに………

 



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第八話

 

「雛ッ! 私たちと弾幕勝負だッ!」

 

 

 状況を判断できない雛は混乱していた。

 どうしてこんな事になっているのか?その上、弾幕勝負とは一体どう言う事なのか。

 

 

「にとり! これは一体どういう事なの!? 何でこんな……それに弾幕勝負ってどういう事!?」

「まぁ、普通はそうなるわな。私があの厄神の立場だったら同じように発狂するぜ」

 

 

 雛の言葉に魔理沙がそう呟いた。

 無理もないだろう。ここのは各勢力のトップが揃いもそろって並んでいるのだから。

 そして魔理沙の後ろからにとりが叫んだ。

 

 

「雛ッ! 今雛が纏っているその厄を、全部弾幕に変えて吐き出すんだ! 私たちがそれを受け止めて見せるからッ!」

「なん……ですって……? 何を言っているの? にとりッ!」

「聞こえなかったのかい雛ッ! 私たちが雛の厄を受け取るって言ったんだ! さぁ雛ッ掛かって来い!」

「馬鹿なこと言わないでッッ!!」

 

 

 雛の――とても温厚な雛の顔が酷く歪んでいた。真剣そのものだった。

 

 

「貴女達は一体、何を考えているの!? ここにいたら危険だから早く離れなさい!」

「嫌だよ!」

「何ですって!?」

「ここにいるみんなは雛の厄を受け止めるためにやって来たんだ! 雛を元に戻すために来たんだ! 君の厄をどうにかしないうちには絶対に帰らない」

「~~ッッ!!!」

 

 

 にとりの言葉にその場の全員が頷いた。

 本気だった。あの場にいる全員は本気で厄を受け止めるつもりだ。

 厄を弾幕に変えたとしたら、それはスペルカードルールに適用されない攻撃的な弾幕に代わるだろう。それは物理的なダメージが発生するだけでなく、もしも被弾したのならば厄が全身に回る事になる。

 『厄』と言うのは、何も災難の要因、起因になる現象だけを言うのではない。マイナスの思念――恨み、辛み、妬み、嫉み、僻み……それら全ての負の感情がもたらす心意現象も『厄』に内に入る。そんな物が体に入ってしまったのならば、精神に深い傷を負う事になるだろう。人間の業を受け止めきれる存在など何処にもいやしない。人間は言わずもがな、精神面の大きい妖怪にとってもこれは致命的だ。

 

 

「山の神よッ! 貴女なら分かるはずです! こんな事に何の意味もない事を……ッッ!」

 

 

 雛は神奈子の方を向いて叫んだ。

 意味は無い。危険を冒し、厄を消す事に成功しても、時間が経てばすぐに溜まる。無意味だ。

 

 

「まぁ、確かにそうなんだが……」

 

 

 神奈子は頬をポリポリとかいて、バツが悪そうな顔で答えた。何せ、自分自身、意味がないと何度も何度も口を酸っぱくしてにとり達に言ったのだから。

 

 

「それだったら……ッッ!!」

「でもな、頼まれたからなそいつ等に。ほら、私は神だろ? 頼りにされて何もしないってのは私の神としてのメンツに関わるのだよ」

「ッッ!!」

 

 

 神奈子の横で、早苗と諏訪子が冷めた目で神奈子を見た。

 よく言うわ~……と言わんばかりの目で、神奈子は少したじろいだ。

 雛も神奈子たちに何を言っても無駄だと判断したのだろう。神奈子ではなく、今度は霊夢と紫の方を見て睨んだ。

 

 

「博麗の巫女に八雲の管理者ッ! 貴女達を見損ないました! 貴女達二人のどちらかが欠けた時、幻想郷は終焉を迎えるッ! こんな……後先考えないような行動に走るなんて……ッ!」

 

 

 雛の叫びに、霊夢と紫はお互いに顔を見合わせた。

 そして少し考えた後、こう答えた。

 

 

「いやだって、これって『異変』って呼べるレベルじゃない? 『異変』を解決するのは私の仕事なんだから、私が出張って来ても何もおかしくないと思うんだけど……」

「な……ッ! も、もしも私が厄を弾幕に変えた場合、物理的なダメージが発生するのよ!? これはスペルカードルールに反する事ッ! ルールの上でしか異変を解決で出来ない巫女は下がっていなさいッ!」

「――イラ……来たよこれ、うん。久しぶりにカチンと来たわ」

 

 

 霊夢の頭に血管が浮き出てきた。そして神に仕える巫女とは思えないような憤怒の面構えに成っていった。

 雛の言葉は霊夢の地雷を踏んだようだ。霊夢には雛の言葉を気にしているのかどうかは分からないが、かなり癇に障ったようだ。

 そんな霊夢を見て、紫は面白おかしく笑っていた。

 そして、紫は微笑を絶やさないまま、雛に向かって言った。

 

 

「うふふ、厄神様。確かに貴女の言い分は尤もです。この子は決められたルールの上でしか闘えない未熟な巫女。しかしこの子はスペルカードルールを相手に守らせる立場にある者です。ルールを守らせる側にあるこの子にとって、ルールを無視した攻撃を対処する技術を身に付ける事は必要不可欠。ですので、今回のこの一件、この子にはいい勉強になると思われるのですが……」

「な、な、な……!?」

 

 

 雛は唖然とした。この二人は一体何を言っているのかと……。

 博麗の巫女と八雲の管理者は重要度は幻想郷でもトップだ。二人のうちどちらかが掛けたら幻想郷は終わる。

 大袈裟でも誇張表現でもないのだ。だと言うのに……。

 そしてそんな唖然としている雛に対し、大きな声で叫んだものがいる。魔理沙だ。

 

 

「ごちゃごちゃと五月蝿いぜッ厄神! どうしても私たちと弾幕勝負しないって言うのならお前をそのまま連れて帰るぜッ!」

 

 

 『にとり、しっかりと掴まってろ』

 そんな事を口にした途端、魔理沙は猛スピードで突貫しはじめた。魔理沙の行動は神奈子たちにとっても予想外の行動だった。まずは雛を弾幕勝負をする気にさせなければならないと言うのに、そのまま連れ帰ってたのでは意味がない。誰もが魔理沙の行動に驚いた。

 だが、一番驚いたのは雛の方だった。

 この時、雛の頭の中では突貫してくる魔理沙とにとりをどう対処すべきか、頭を回転させながら考えていた。

 魔理沙は猛スピードで雛に迫る。このままでは不味い。そう思った雛は、無意識に、弾幕を張った。

 

 

「わ、私に近づかないでッ!」

 

 

 その瞬間、雛の体が光り出した。纏っている厄が集まり、光と成って弾幕へと姿を変え、一斉に魔理沙を含む、全ての者へ撃たれたのだ。

 

 

「なッ……にいいぃ!?」

 

 

 その威力。その質量。ただの弾幕では無い。魔理沙の目の前には隙間など存在しないほどの弾幕の壁が迫り寄って来たのだ。

 魔理沙も勝算が無かったわけではない。雛が弾幕で応戦する可能性は十分高かったと判断していた。その上で、回避しきれると思ってた。伊達に幾つもの異変を弾幕勝負で解決して来たわけでは無いのだ。回避力には自信があった。どれだけの規模の弾幕であろうとも、避けられる。そして避けた弾幕は後ろの連中が何とかするだろう。――そう思っていた。

 

 だが、それが余りにも無謀な事であったのかを、魔理沙は目の前の弾幕の壁に迫られて初めて気付いた。

 

 

「魔理沙ぁッ!! ――霊符『二重結界』ッ!!」

 

 

 霊夢が叫んだ。その瞬間、魔理沙たちの目の前に結界が織りなす二重の壁が顕現した。結界は雛の弾幕を一斉に受け止め、魔理沙たちを守った。だが凄まじいまでの質量で迫ってきた弾幕を受けきれるはずも無かった。ガラス細工が崩れ去るような音を出しながら一重目の結界が崩壊した。二重目の結界が破壊されるのももはや時間の問題だった。だが、それだけで十分だった。魔理沙たちはすぐさま上昇し、雛の弾幕を回避する事に成功したのだった。魔理沙が回避した時、結界は完全に崩れ去った。

 

 そして魔理沙が避けた弾幕は後ろに控えている者たちに襲いかかって来た。

 

 

「全員ッ! 弾幕を張って相殺しろッッ!!」

 

 

 神奈子が叫んだ瞬間、その場にいる全員が弾幕を放った。弾幕の質も量も負けているが、人数の理ではこちらが上であった。一斉に放たれた弾幕は雛の弾幕とぶつかり合い、相殺されて行く。

 結果、雛の放った弾幕は跡も残らずに消滅したのだった。

 しかし、この結果を喜ぶものは何処にもいなかった。余りにも規格が良すぎるほどの弾幕。全力で放った者もいれば、様子を見て多少の力で放った者。それら全ての弾幕が放たれてようやく相殺、互角であったのだから。

 

 魔理沙たちは一旦、距離を取り、皆と合流した。

 

 

「はぁ、はぁ! す、すまない霊夢」

「無茶しないで魔理沙。――それにしても、なんて規格外な弾幕なのかしら。本当にあれはあの時の厄神なの?」

「恐るべきは人の業。――と言った所かしら?」

 

 

 紫がそう呟いた。あの弾幕の威力が人間の厄を吸いとって出来たモノなのならば、確かに恐るべきは人間の方であるとも言えるだろう。

 

 そして弾幕を放った雛は少々動揺していたようだが、すぐに気持ちを切り替えて叫んだ。

 

 

「はぁ……はぁ……。こ、これで解ったでしょうッ!? 貴女達にこの厄を受け止める事は出来ないッ! だから帰りなさいッ! 怪我をする前にッ!」

 

 

 雛にとってはそれは最後通告だったに違いない。もう時間もそれなりに経っている。丑の刻が尤も厄が強まる時間帯。この時間で無ければ厄流しが出来ないわけではないが、どうせならより多くの厄を持っていきたいと言うのが雛の本音だったからだ。

 

 だが、雛の言葉に耳を傾ける者はいない。

 驚き、たじろぐ者もいるのだが、帰ろうとする者は皆無だ。

 一体、何が彼女たちをここまでさせているのか。雛には理解が出来なかった。

 

 

「分からない……分からないわッ! 一体、何なの貴女達はッ!? 何でこんな事を……」

 

 

 雛の叫びに、にとりは大きな声で返した。

 

 

「それじゃ、逆に聞くけど雛ッ! 君はどうして『あの時』、霊夢と魔理沙の二人を助けようとしたんだ!?」

「あ、あの時?」

「そうさ、あの時さ。八坂様たちが初めて幻想郷にやって来た時の異変の事さ! 雛は二人が妖怪の山に入るのを止めようとしたよね! 危険だからと言って、二人を助けるつもりで止めようとしたんだよね!? 何で助けようとしたんだい!? 雛には何の得もありはしないと言うのに……」

「それは……」

「その結果、雛は弾幕勝負をする羽目になって。そうなってまで二人を助けようとした。ほっとけば良いのに……」

 

 

 にとりの言う通りだった。雛は言っても無駄な二人をほっておくと言う選択もあったのだ。なのに、助けようとした。弾幕勝負をする事になってまで……

 何故か?

 それはなぜだ?

 雛はここに来て、にとりの意図を読み取る事が出来た。

 自分は――危険な目に会うかもしれない二人を助けたかった。例え、弾幕勝負を持ちいられようとも……人間を助けたかったのだ。

 

 

「私たちは、あの時の雛と同じさ。助けたい。ただその想いだけなんだ。損得なんか関係ない! 雛、私たちは君を助けたい! 元に戻してあげたいッ! また、君に……笑顔になってもらいたいんだ! だから私たちは逃げないッ! たとえ、危険な目に会おうが絶対に……!」

「にとり……」

 

 

 にとりの叫びに皆が同意の意を示した。

 それと同時に雛は理解した。そうか……この者たちはあの時の自分なのか……と。

 ならば口で説明した所で何の意味もない。

 宙に浮き始めた。そして、皆に視線を合わせたのだった。

 

 

「本当に勝手だわ……にとり……貴女は勝手すぎるわよ。私は助けて欲しいなんて言ってないのに……消える事を望んでいるのに。貴女は酷い人ね……」

「そうとも! 人間に毒され過ぎてね。私も随分と自分勝手な妖怪になっちゃった!」

「……まぁ、あの時の私も助けて欲しいなんて言われてないのに、勝手に助けようとしたから人の事言えないのだけどね。――分かりましたッ! その『弾幕勝負』、受けて立ちましょうッ! 貴女達を退け、私は厄神としての本懐を遂げて見せるわッ!」

 

 

 弾幕勝負を承諾した瞬間、雛から大量の厄が発生した。月明りに照らされた河は完全に黒く濁り、空は不穏な空気にさらされる事となる。妖怪の山は完全に厄に包まれる事となった。

 

 

「なッ……うッ……おえええぇぇッッ!!!」

「さ、さとり様ッ!」

 

 

 雛が厄を展開した瞬間、さとりが嘔吐した。

 さとりの突然の嘔吐に皆が驚愕した。だが、神奈子だけはさとりの事態を把握していた。

 

 

「ちぃッ! さとりよ、『アレ』を直接『視た』のか!?」

 

 

 神奈子の言葉に大部分の者たちが理解した。

 雛は今の今まで幻想郷中から集めて溜めた厄を解放したのだ。それは厄と言うよりも、凝縮された『悪意』と言う表現の方が正しいかもしれない。

 心を読み取るさとりは、そんな凝縮された悪意の全てを読み取ってしまった。精神に致命的なダメージを負ってしまった。

 

 

「おいッ黒猫! さとりを連れて下がれッ!」

「あ、は、はいッ!」

 

 

 神奈子は燐にそう命令した。燐はさとりを抱えたまま後方へと飛んで行った。

 

 さとりを非難する者は誰もいない。むしろ事態の深さを誰よりも率直に教えてくれたとみんな思っていた。

 一目『視た』だけで、さとりを昏倒させるほどの厄。それが弾幕となって放たれた場合、どうなるのか……。皆に緊張が走った。

 そして雛の回りの厄が弾幕に姿を変え始めた。先ほどと同じだ。美しさを競い合う弾幕はどれもこれもが美しい色合いをしているが、雛の弾幕は美しさとは完全にかけ離れた色をしている。鈍く黒光りする弾幕の一斉発射は広範囲にばら撒かれ、一斉ににとり達を襲い始めた。

 

 

「これまで溜めてきた厄を――人間の業を受けてみなさいッ!」

 



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第九話

「全員、弾幕を張って相殺しろッ! 一粒でも外に漏らすなよッ!」

 

 

 神奈子が叫んだ。先ほどと同じ流れだ。色鮮やかな弾幕が雛の黒い弾幕とぶつかり合い、消えて行く。厄を含んだ弾幕は弾幕とぶつかり合う事で完全に相殺されている。妖怪の山は虹色の弾幕と黒い弾幕がせめぎ合う舞台となっていた。

 厄は確実に消えていた。雛の弾幕を相殺し続ければ、いずれ厄は尽きるだろう。その時がにとりたちの勝利だ。

 だが雛の弾幕の質量は凄まじいものだった。神奈子や魔理沙たちを始め、その場の全員が本気だった。本気で霊力や妖力を消費させながら弾幕を放っている。対する雛にはまだまだ余裕と言うのがありそうだ。こんな事を続けていたら、先に皆の方が参る事となるだろう。

 

 

「どうしたのかしら? 貴女達の力はそんな物なの? 私を助けると言っておきながら……期待はずれもいいところだわ!」

 

 

 雛に似合わない軽い挑発だ。

 だが、魔理沙はその言葉がカチンと来たようだ。後ろに乗っているにとりにしっかり掴まるよう指示をして、大きく叫んだ。

 

 

「はんッ調子に乗るんじゃねぇぜッ! そんな弾幕、私が一掃してやるッ! ――喰らえッ!『マスター・スパーク』ッ!」

 

 

 魔理沙の極太のレーザーが目の前の雛の弾幕を一掃する。それと同時に魔理沙は雛本人も狙いに定めたようだ。魔理沙のマスタースパークが一直線に雛を襲う――筈だった。

 マスタースパークがどれだけ強力な弾幕と言えど、弾幕は弾幕だ。弾幕はぶつかり合う事で相殺する事になる。雛の大質量の弾幕を多量に浴びたマスタースパークはみるみる内に、小さなレーザーになって行き、雛の所に行く頃には幼児のデコピン程度の威力にしかならなかった。

 

 

「うふふ。可愛い弾幕ね」

「うるせーッ!」

 

 

 皆の前で赤っ恥をかかされた魔理沙はただひたすら弾幕を放って相殺する事に専念するのだった。

 

 

 

 雛が弾幕を放ち始めてからどれだけ時間が経ったのか……皆の顔に疲労が見え始めてきた。対し、雛の弾幕は衰える事を知らない。それどころか、勢いが増しているような気すらしている。

 

 

「もう、そちらは後がないようね……これ以上は本当に危険よ? 負けを認めて早く消えたらどうなの?」

 

 

 雛がそう通告した。だからと言って誰も引かないのは雛自身分かっている。ただの挑発のようなものだ。

 そんな雛の問いににとりは大きな声で応えた。

 

 

「あははッ! 雛、厳しいのは君だって同じはずさッ! 厄は確実に減っている! 君の厄が切れた時が私たちの勝ちさッ!」

「うふふ……」

 

 

 にとりの言う通りだ。どんな物にだって終わりはある。雛の厄とてそれは変わらない。

 だがここで雛はさらに弾幕を増やした。

 

 

「何だとッ! さらに増えやがったッ!?」

 

 

 魔理沙が叫んだ。魔理沙だけじゃない。あちこちで悲鳴が上がる。何人かやられてしまったのだろうか?

 

 

「確かに厄は減っているようだわ。でもだから何だと言うの? 厄はすぐに溜まる。今この間にもね。貴女達のしている事は無意味だわ」

「意味があるとか無いとかは私たちが決める事さッ! いいから雛は黙って弾幕を私たちにぶつければいいんだッ!」

 

 

 にとりが叫んだ。いい加減、雛の方もイラつきが溜まって来ていた。当然だ。無意味だと分かっている事を繰り返し、いざ消えようと決意するも邪魔され、こうして勝手に傷つかれていく。

 もう雛の堪忍袋も限界に近付いてきていた。

 だが、にとりはそれでも叫び続ける。

 

 

「私も雛が分からないッ! なぜなんだい! なんで雛はそんなに消えたがるのッ! こうやって、厄を消していけばまた以前のように暮らせるのに……! 元通りになれるんだよッ! なのになんでッ!?」

 

 

 なんで消えたがるか?

 なぜそんな質問をするのか雛には理解できなかった。そして気付いた。彼女は何も気付いていないのだと。

 

 

「なんで消えたがるか……ですって? 貴女のせいよ……にとり」

「わ、私の……?」

 

 

 雛はそう言った。にとりのせいだと。

 どこか雛の顔は泣くのを我慢しているような辛い顔をしている。

 にとりには心当たりがあった。あのキュウリ畑で酷い事を言ってしまった事なのか?

 

 

「雛ッ! あのキュウリ畑の時の事を言っているのかいッ!? あ、あれは本当に酷い事をしたと思ってる。それで雛を傷つけたんだとしたら……」

「違うッ!」

「ひ、雛……?」

「やはり気付いていないのね、にとり……」

 

 

 雛は苦しそうな顔をしながら目を閉じた。

 そうだとも、己を消したい理由……それは……。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 ――生まれた瞬間から、私は孤独が常であった。目の前に映る物、流れる時間がただただ無価値でいて、それでいて厄神としての使命を胸の内に秘めていた。

 今にしてみれば、なんと色の無い……灰色な世界であったのだろうと思う。

 

 そこへ、ある時、一人の妖怪が現れた。

 彼女は自分は河童であると、私の友達になりたいと言った。

 側にいれば災厄に付きまとわれると警告したにも関わらず、友達になりたいだなどと……きっとその内、この子も汚物を見るかのように自分を嫌う事だろう。

 

 そう考えていた。

 そう考えていたのだが――。

 

 どうした事か、彼女はいつも幸せそうな顔で笑って過ごして――。

 私の世界に色を添えてくれたのだ。

 

 その後、彼女とは常に共に在った。

 そして人間や他の妖怪たちの嫌な視線から常に守ってくれた。

 それどころか、彼女は様々な場所に連れて行ってくれて、さまざまな人たちに紹介させてくれて、私に関する考え方をも改めさせてくれた。

 友達がたくさん出来た。山の神々と親交を深める事が出来た。そしてその巫女とも友人になれた。もう世界が灰色なんかに見える事は無かった。色鮮やかな世界に変わったのだ。

 

 しかしそれでも――私は厄神だった。

 

 側にいれば災難が降りかかる。不幸になる。それは絶対だ。だが、彼女はいつも笑顔で、不幸そうな雰囲気を一切見せなくて……だから、私が厄神だと言う事を忘れさせていた。

 

 いつか、にとりを不幸にする――その可能性に気付きながらも、自分の都合の良いように否定し続けた。彼女なら大丈夫だと。不幸なんかにならないと……。

 厄が大きくなれば、降りかかる災難も大きくなると言うのに……

 だが、彼女なら大丈夫。今までだってそうだ。いつも笑ってくれているのだから。

 

 でもそれは本当にそうなのか?

 

 日に日に増大していく厄。昔とは比べ物にならないほどの存在に変わっている。

 一緒にいたいと、共に生きたいと願ったとしても、たった一つの確実な未来を突き付ける。

 共にいればいるほど、厄が増えれば増えるほど――。

 

 

 いつか必ず、にとりを不幸に貶めるのだ。

 

 

 ならば如何するべきか……分かってた。

 最初から分かっていた事だ。彼女の前から離れる。それだけの話だった。

 だが、この色鮮やかな世界で生きる事を知ってしまった私に、元の灰色の世界に戻る事はもう……。

 厄が溜まり切って、もう溜めこむ事が出来なくなった後も、消える決意を見出す事が出来なかった。恐かったからだ。ずっとこの世界で生きていたいと願っていたのだから。

 そしてそこへにとりが現れた。

 彼女は厄が滞っている私を見てもいつもと変わらない笑顔を見せてくれた。

 私はそんなにとりに甘えきっていた。彼女ならきっと、不幸や災難をものともせず、自分と付き合ってくれると……。

 しかし、結果的に彼女に不幸が訪れた。

 だからこれはきっと罰なのだろう。にとりがあの時、私を怨むような目で見たのは……。

 とても痛かった、凄く痛かったのだ。彼女にあんな目で見られたのは。

 だが、それ以上に――にとりの泣き叫ぶ姿の方が私の心を抉った。

 

 彼女には笑っていて欲しい。この先もずっと……。

 だからこそ、自分は消えるべきなのだ。

 だと言うのに……。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 雛は目を開けた。

 目の前には迫り狂う弾幕の嵐。自分は感極まって幻でも見ていたのだろうか?

 とても懐かしい夢だった。だが、もう戻れない。

 消えたい理由。これでハッキリした。

 

 にとりを傷つけたくない。泣かせたくないのだ。

 

 だから消えるのだ。

 

 

「にとり。全部貴女のせいよ。貴女が私の前に……あ、現れ無かったら私は――こ、こんな世界に夢を見なくても済んだのに……ッ!」

「ひ、雛……?」

 

 

 雛はろれつが回っていなかった。

 それもそのはずだ。彼女は顔を真っ赤にしながら大粒の涙を流していたのだ。

 にとりは雛の泣き顔に動揺した。しかし状況はにとりが動揺しているほどのんびりと構えてはいなかった。

 

 

「きゃああああぁぁぁッッ!!!」

 

 

 何処からかまた悲鳴が上がる。誰かがやられたのだろう。

 雛が涙を流した瞬間、雛が纏っている厄の量が急激に増大したのだった。これまでとは比較にならないほどの弾幕が一斉ににとり達を襲う事となった。

 

 

「お、おい神奈子ッ! まだかッ? まだ厄は消えないのかッ!? もうみんな限界だぜッ!」

 

 

 魔理沙が叫んだ。

 もう魔理沙にもへらず口を叩いている余裕は何処にも無かった。それは魔理沙だけではない。他の皆も同様だった。

 

 

「おかしい……。これだけの量の弾幕だ。そろそろ切れてもおかしくない筈。なのになぜこんなにも厄が溢れるッ!?」

 

 

 何故だ?

 神奈子の頭にはそれしかなかった。もう十分すぎるほどの厄を消した筈だ。それだと言うのに雛からはまるで厄が消える気配が無い。

 いかに大量の厄を溜めこもうが無限ではないのだ。使えば無くなるのが自明の理。それなのに何故か?

 神奈子は焦っていた。こちらも余力はもう残ってはいない。

 

 

「――や、山の神ッ!」

 

 

 後方から神奈子を呼ぶ声が聞こえてくる。その声は古明地さとりのだった。

 さとりは燐に連れられて、神奈子の後ろにやって来た。

 

 

「さ、さとりか!? 無茶をするな! あれほどの厄の集合体を『視た』お前は……」

「わ、私なら大丈夫ですッ。――それよりもお伝えしなければならない事実があります」

「事実?」

「はい。あの厄神の減らない厄についての事ですッ!」

「何だとッ!? 本当か!? 何か分かったのかッッ!?」

「はい。――あれは……あの厄は、厄神が今まで溜めこんできた厄ではありません。厄神が自ら作り出している厄です」

「厄神が自ら……? どういう事だ?」

 

 

 雛が自ら厄を発生させている。そうさとりは言った。

 その事に神奈子はどういう事か分からないでいる。さとりは構わず言葉を続けた。

 

 

「私は厄神の心を視ました。あの方の心は非常に入り組んでいました。あの方は心の底から消えたくないと願っています! しかし、それ以上に我々を――特ににとりさんを傷つけたくないと思っているんです。消えたくない、しかし消えなければならない。この二つの相容れない感情が厄を作り出しているんです」

 

 

 『厄』とは恨み、辛み、妬みと言った感情で発生する。その感情が強ければ強いほど厄は強くなる。詰まる所、厄とは想いの力でもある。

 

 

「にわかには信じがたいな……。いかに厄神が神の名を冠する存在と言えど、所詮は個人だ。個人の感情があれほどの厄を生み出すとは考えにくいが……」

「しかし事実です。私がこうして厄神を前にしても平気で居られるのは、すでに彼女が溜めこんでいた厄が全て消えているからなのです。今、厄神の回りの厄は全て彼女が発生させた物だけです」

「それが事実だとしたら、かなり厄介だぞ。厄神自身が厄を生み出しているのだとすれば、我々に勝機は無い」

 

 

 雛が溜めこんできた厄はすでに切れている。だが、新たに雛自身が厄を生成している。言うなれば今の雛は厄の永久機関だ。

 皆、本当に限界だ。これ以上時間はかける事は出来ない。

 さとりもまた、平気を装っていたが、またもや厄に中てられたようだ。燐に連れられ、後方へと避難して行く。

 

 

「おい神奈子ッ! 一体、どうすればいいんだッ!? 何か手は無いのか!?」

 

 

 魔理沙が叫んだ。

 魔理沙も後ろに乗っているにとりも神奈子とさとりの会話を聞いていた。

 神奈子は考えていた。

 どうするべきか?撤退はありえない。ここで撤退したのならば全てが無駄。しかし雛自身が厄を発生させているとなると厄を消し切ると言うのは難しい。

 そして神奈子は決断をした。

 

 

「と、当初の目的であった厄神が溜めこんでいる厄の除去には成功している。だから……厄神を何とかして止める。それこそ、気絶させてでもだ」

「お、おい! 神奈子それは……!」

 

 

 意味がない。そう魔理沙は言おうとした。

 この戦いは、確かに雛が溜めこんできた厄を吐き出させると言う目的だった。しかし、それと同じくらいに重大な事がある。それは雛を元に戻す事だ。能力云々では無い。雛が消えなくても良いよう彼女を諌める必要もあるのだ。

 だが、彼女の気持ちも変えないままこの戦いを終わらせてしまったのならば、雛はまた消えようとするだろう。それじゃ意味がない。

 

 

「だったらどうすると言うのだ魔理沙。引くわけにもいかない。かといってこのままではジリ貧だ」

「そ、それは……そうだけど……で、でもどうやって雛の所まで行くんだ? あんな弾幕の渦の中心に誰が行くんだ? 近づく事すら出来ねえぜ?」

「そこなんだよ……普通の奴じゃ無理だし……唯一いけそうなのは八雲紫くらいだろうが、奴は脱落して行った者たちのカバーと博麗の巫女の護衛で手が一杯だ。やつの性格からして博麗の側から離れるとも思えないしな」

 

 

 八雲紫の能力『隙間』を使えばすぐに雛の側まで接近できるだろう。

 しかし紫は動けない。

 脱落して行った者たちのカバーもあるが、一番の理由は博麗霊夢にある。勉強だとか言っているが、実際にダメージが発生する今回の弾幕ではいかに霊夢と言えど危険が大きい。そのため、いざという時の為に、紫は霊夢の側から離れない。博麗の巫女に万が一があったら今ある幻想郷のルールが崩壊してしまうからだ。そして彼女の性格からして、その役目を他者に譲るとも思えない。

 いやそれ以前に……。

 

(八雲紫は信用が出来ない)

 

 こんな状況で仲間を疑うのは、他の仲間の士気を下げてしまうが故に神奈子は口に出さなかった。

 八雲紫は信用が出来ない。

 彼女の腹の底が見えないと言うのが一番の理由ではあるが、この事態は彼女にとっても最悪の事態に間違いない。

 厄神の暴走による幻想郷の危機。

 彼女にしてみれば、危険極まりない厄神は消えてくれた方が良いと思っているに違いない。

 想う所はあるのだろうが、マニュフェストに徹するならば、厄神は消えた方が良いのだ。

 自分もそう思っていたのだから。

 信用が出来ない。

 それが八雲紫の力を最大限生かさず、霊夢の近くに居させている最大の理由。

 

 

「くっそぅ、咲夜が居ればな……! 時間を止めてそのまま雛を拉致って手段がとれるのにッ! なんで紅魔の連中は来ないんだよッ!」

「居ない者たちに期待しても無意味だろう? とにかく、厄神を止めない以上、我らも危険だ」

 

 

 だがここで『誰が?』と言う問題が発生する。それが一番の問題だった。

 そしてそんな時だ。

 神奈子の策に志願する者が現れたのだった。

 

 

「――我々が行きましょう」

「お前は――白蓮!?」

 

 

 声の主は聖白蓮だった。



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第十話

 

 声の主は聖白蓮だった。

 そしてその後ろには命蓮寺のメンバーも控えていた。

 

 

「我々ならばあの厄神様の所まで行けます。聖輦船を盾にしながら進めば、しばらくの間は持つと思います。その間に我々は厄神を抑え込みます」

「なッッ!?  白蓮それは……あの船はお前たちの寺そのものではないのか!?」

「そうだぜ、聖ッ! あんな弾幕をまともに受けたんなら、お前たちの船は木っ端微塵になっちまうぜ!」

 

 

 神奈子と魔理沙の言葉に、白蓮は首を横に振った。

 

 

「私を含め、皆も承知の上です。船が壊れたとしてもまた直せばいいのです。しかし、この世には絶対に壊してはならないものが存在します! それが『絆』と言うものッ!」

 

 

 白蓮の言葉に命蓮寺の者たちは大きく頷いた。

 そして白蓮は、魔理沙の後ろに乗っているにとりに顔を向け、宣誓するように言った。

 

 

「にとりさん。あの厄神様は我々がなんとしても貴女の元に送りだして見せます。ですので、我々の成功を祈ってください」

「ま、待ってよッ! な、なんでそこまでするんだ!? 君たちがそんな事までする理由は無いだろうッ!?」

 

 

 にとりはそう言った。

 元々、これはにとりと雛の問題である。命蓮寺とは協力関係にこそあるが、自分たちの大切な物まで壊そうとしてまで尽くす理由は何処にもない。

 しかし白蓮はにとりの言葉にも首を横に振った。

 

 

「いいえ、それは違います。――にとりさん、私たちは我々は貴女と厄神に感銘を受けたのです。互いが互いを想い合い、その結果今回の事が起きたのだとしたら――種族間との分かち合い、平等を唱えている我らにとって、今回の件は無視できない問題。我々の矜持に関わる問題なのです。にとりさん、貴女のお気持ちはとても嬉しい。しかし、これはすでに我々の問題でもあるのです!」

「白蓮……さん」

「では行ってまいります」

 

 

 白蓮たちはにとりたちに背中を見せ、聖輦船へと乗り込んで行った。

 聖輦船は急上昇し、雛に向かって突進を開始した。

 

 

「なッ! 嘘でしょ、こんな……」

 

 

 聖輦船の矛先である雛は驚愕した。無理もない。船が真っ直ぐこちらに向かってくるのだから。

 無差別にばら撒いていた弾幕を集中的に聖輦船に向ける。

 黒い弾幕は、聖輦船を完膚なきまでに破壊する。しかしそれでも船は止まらない。真っ直ぐに向かってくる。

 雛はこれが特攻であると言う事に気付いた。

 ならば、直線的な攻撃では無く、もっと広範囲に――オールレンジに弾幕を船に向けて掃射した。

 

 

「聖ッ! これ以上はもう持たないッ! 脱出しようッ!」

「駄目よ村紗! もう少しだけ持たせてッ!」

「右舷と左舷が同時に大破ッ!航行不能です!」

「落ち着きなさい一輪! 雲山を使ってバランスを修正させなさい。飛べなくなっても良い! 方向だけでもあの厄神に!」

「は、はい!」

 

 

 船の中で命蓮寺のメンバーは、少しでも長く船を持たせようとした。それこそ、雛に直接ぶつけようとする勢いでだ。

 雛も、すでに船を落としたと思った。しかし突然、大量の雲が集まりだして船を安定させてきたのだ。

 雲は人の姿へと変わり、船を両の手で支えるように雛の方へと向かってくる。

 

 

「あれは入道。あれじゃ落とせない――ならばッ!」

 

 

 いかに航行するための機能を破壊しようが、船を人力で動かしているのだとしたらどれだけ破壊したとしても落ちる事は無い。

 だとしたら、方法は一つだ。

 

 単純に、最大の火力を持って完膚なきまでに粉砕する。それだけだった。

 

 雛の回りの厄が一斉に増大し始めた。

 そして弾幕を形成して行く。形成された弾幕はもはや弾幕と呼べる代物では無い。一つ一つが弾と言うよりも、巨大な槍や矛と言った形に変わっていく。

 雛はそれを聖輦船に向けて放った。

 黒い槍は船底を貫通し、串刺しにしていく。串刺しにされた部分に集中的に弾幕を浴びせ、船を破壊して行った。

 そしてとうとう形が保たれなくなったと言う所で、白蓮たちは一斉に脱出した。

 その後、船は無残に大破した。

 

 

「五人……」

 

 

 船から脱出した人影は五人。それぞれ、白蓮、星、ナズーリン、一輪、村紗だった。

 聖輦船は彼女たちにとってかけがいの無い存在。しかし彼女たちの目に映るのは崩れゆく船ではなく、雛であった。

 白蓮たちはそのまま雛へと向かって行く。

 雛もそれに応えるよう、弾幕を展開させ、白蓮たちに向け始めた。

 

 

「うわぁぁッッ!!!」

「きゃあああッッ!!」

 

 

 初めに、村紗と一輪が雛の弾幕の犠牲となった。撃墜された二人は一瞬で意識を失う事になり、そのまま地上へと落下してくことになる。

 しかし、三人はそれに見向きもしないで雛へと迫る。

 雛は命蓮寺の者たちの言いようの出来ない覚悟と決意にゾっとした。

 弾幕を三人に向けて集中させる。

 

 

「私に近づかないでッ!」

 

 

 雛に近づけば近づくほど、弾幕の勢いは増し、避けきれるようなものでは無くなって来る。

 

 

「ぐはぁッ!!?」

「ご、ご主人ッ!?――うわぁッ!!?」

 

 

 先行していた星とナズーリンがとうとう撃墜された。まるで白蓮の盾替わりになるかのように……。

 いや、実際に盾替わりになっていたのだろう。

 白蓮はとうとう雛を目と鼻の先ほどの距離まで詰めたのだった。

 

 

「厄神よッ! 何が何でも、貴女をにとりさんの所まで連れて行きますッ!」

「くぅッ!?」

 

 

 雛は白蓮に向けて弾幕を放つ。

 しかし白蓮は雛の弾幕を手足ではじき返しながら前へと進んでいく。

 超人とはよく言ったものだ。遠くから魔理沙たちが『凄すぎる』等と目を奪われている位なのだから。

 

 

「あ、貴女には関係の無い事でしょうッ! 何故ここまでするのですかッ!?」

「関係なら大ありです! 貴女が消えてしまったのならばきっとにとりさんは悲しみにくれるでしょう! 私はもう泣いている妖怪を見るのが嫌なだけですッ!」

「わ、私が居ればにとりは不幸になるッ! それが嫌だから私は……!」

「いい加減になさいッ厄神よッ! 何故気付かないのですッ!? 貴女が消える事が彼女の不幸だと言う事をッ! 友を想う彼女の気持ちにどうして気付けないのですッ!? 何でそれが分からないのですかッ!?」

 

 

 白蓮はとうとう雛を補足した。

 超人と化した白蓮の握りこぶし。それで打たれた場合、いかなる存在も意識を闇の底へと落とす。

 

 

「聞き分けのない子は折檻ですッ!」

「――ッッ!?」

 

 

 振りおろせば白蓮の勝ちだ。

 これで全てが終わる

 

 ――筈だった。

 

 白蓮は拳を振り落としてはなかった。いや振り落とせなかった。

 

 

「なッ!? か、体が動か……」

 

 

 雛の回りに纏わり付いている厄が、白蓮にも纏わりだしたのだ。

 厄は粘着性の強い物質のように、白蓮の動きを止めていた。

 力が強いとかそう言う感覚ではない。しかし白蓮は厄を振りほどく事が出来なかった。何かの意思と言うべき力が働いているのか――。

いずれにしろ、白蓮は完全に動きを封じられたのだ。

 

 

「貴女に……」

 

 

 そして白蓮は雛の目をみた。

 その目は憎悪に満ちており、邪魔する者を全て排除する――そのような決意と強さを兼ね備えた目だった。

 

 

 

「貴女に私の何が解ると言うのよッッ!?」

 

 

 

 それは叫びだったのだろう、と白蓮は思った。

 雛は厄を弾幕に変え、至近距離で白蓮にぶつけた。実に禍々しい弾幕だ。動く事の出来ない白蓮はその黒い弾幕をダイレクトに喰らう事となる。

 

 

「ぐッ! ――ごほぁッッ!!?」

 

 

 弾幕は白蓮の顔に腹部にダイレクトに物理ダメージを発生させた。如何に超人と化し、肉体が鋼鉄に変わった白蓮と言えど、至近距離から――しかも大量の弾幕を浴びればただで済みはしなかった。

 公開処刑とも言うべき弾幕の一斉発射が終わりを迎えた時、白蓮は薄れゆく意識の中でそれを見た。

 厄を含んだ弾幕をその身に受けたためか、厄神の雛の深層意識とも呼べるものが白蓮の体に流れた。

 

 消えたくない。

 だが消えなければならない。

 自分が居れば友が泣く。

 それだけは耐えられない。

 厄神なんかになりたくなかった。

 もっと普通の何かだったら――。

 

 最後に白蓮はとある人物の顔を見た。

 にとりだ。

 薄れゆく意識の中で白蓮は確かににとりの顔を見たのだった。

 

 

(この厄神はこんな思いをしてまでにとりさんの事を――すみません、にとりさん……失敗してしまいました……)

 

 

 白蓮は雛に対しなんの恨みも無い。このような事をされても、あるのは雛に対する憐れみだけだった。

 願わくば、この厄神に救いがあらん事を――。

 そのような事を思いながら、白蓮は地上に墜ちて行くのだった。

 

 



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第十一話

「白蓮がやられた!」

 

 

 白蓮たちが墜とされた。それだけでにとり達の陣営は凄まじい動揺を見せる。何せパワーバランスの一角でもあり、この弾幕勝負で多くの弾幕を相殺させ、重要な部分を占めていた者たちがやられたのだ。

 白蓮たちを撃墜した弾幕は先ほどと威力の変わらない規模で皆を襲い始める。

 

 

「ちぃッ! ――早苗、諏訪子ッ! 命蓮寺の抜けた穴を埋めるぞッ!」

「はいッ!」

「了解ッ!」

 

 

 神奈子がそう叫び、すぐさま態勢を整えようとする。命蓮寺が抜けた穴は神奈子たち、守矢勢がすぐさまヘルプした。

 雛の弾幕は無情にも、動揺させる間をも与えてはくれない。隙間なく弾幕を放出する。

 

 

「神奈子ッ! 聖達はどうするんだ!?」

 

 

 魔理沙が叫んだ。

 

 

「大丈夫だ!すでに白狼天狗たちが救出に向かっている。奴らの事だ心配はいらない。

それよりも問題は私たちだ! もう手が無いッ! 厄神の厄をなんとしなければ今度こん本当に敗北だぞ!?」

「そ、そんな事言ったって、白蓮でも止められなかったものをどうやって!?」

「そんなの知らんッ!」

 

 

 神奈子たちはすぐさま命蓮寺が抜けた穴を防ぎに行く。もう神奈子たちにも余力は残ってはいない。

 そしてそれは魔理沙も同じだ。弾幕を多く放出し過ぎた。もう魔力が残り少ない。ここで何か手を打たなければ今度こそ本当に撤退しか残らない。

 そしてそれはつまり――雛が消えるのを黙って見てるしか出来なくなると言う事だ。

 だがもう手が無い。白蓮でも止められなかった厄を、誰が止められる?

 

 魔理沙がそう苦悩していると、後ろに乗っているにとりが服を引っ張ってきた。

 

 

「どうした? にとりお前は大丈夫なのか?」

「私は平気だよ。それよりもお願いがあるんだ」

「なんだ? 言ってみろよ」

 

 

 何か躊躇うような――。しかし真っ直ぐ、決意したかのような目を魔理沙に向けながら言った。

 

 

「私を……私を雛の所まで連れて行って欲しい」

 

 

 にとりの提案に驚愕する。

 先ほど、白蓮たちが撃墜された直後だと言うのに。

 

 

「お前は聖達を見ていなかったのか? 船を盾にしてようやく接近して、それでも雛を止める事は出来なかったんだぞ? それに、聖を止めたあの厄――まるで意思か何かを持っているみたいだった。例え近づけたとしても、あの厄に捕まったらお終いだ」

 

 

 白蓮を止めたあの厄はどういった物なのかは分からない。だが動きを止めると言う能力を備えている事は間違いない。

 後は白蓮と同じ目に会うだろう。止められて一斉射撃だ。

 

 

「それでも……それでもあの厄は私なら何とかなる気がするんだ」

「ッ!? 根拠は?」

「さとりが言ってたよね。あの厄は雛が作り出している物だって。それだったら私が行けば、雛はきっと戸惑って厄を引っ込めるんじゃないかな? 自信過剰かもしれないけど、私は雛の親友だ。だから私ならきっと……」

「お前がどんなに叫んでも止まらなかったじゃないか。根拠にしては程度が低すぎるぞ?」

「それは言葉だけだったから。口先だけならなんとでも言えるよ。それじゃ何も伝わらない。体を張らなきゃ伝わらないって事もあるだろ?」

 

 

 体を張らなくちゃ伝わらない。

 確かにそう言うのもある。さとりも雛がにとりを傷つける事を恐れているとも言った。

 根拠は無い。そしてにとりが向かった所で雛が止まるとも限らない。それ以前に雛に近づけるかどうかも怪しい。

 しかしもう後が残されてはいないのも事実。すでにジリ貧だ。みんな現状の維持で手が一杯でもある。

 

 にとりは魔理沙の言葉を待っている。

 そして魔理沙は少し考えた後、にとりに向かって言った。

 

 

「分かった。お前を必ず雛の元に連れて行くぜ」

「魔理沙ッ!? ありがとうッ!――でも、連れて行ってとは言ったけど、どうやって近づこうか……?」

「手が無いわけじゃないさ。一応、私にも考えがある。――射命丸ッ! こっちに来てくれッ!」

 

 

 魔理沙は文を呼び付けた。

 文はその場から一旦離れ、魔理沙の所へ向かう。

 

 

「何ですか? 魔理沙さん」

「勝負を決める。協力してくれ」

「協力ですか? むろん、構いませんが勝機はあるのですか?」

「それは分からない」

 

 

 魔理沙は簡潔な説明を開始した。

 にとりを雛の元へと連れて行く。それにより雛の無効化を図ると。

 射命丸も余りの勝率の低さに一瞬だけたじろいだが、すでに負け戦である事も重々承知していたために反対などはしなかった。 

 

 

「にとりを頼む。悔しいが、速さではお前の方が上だからな」

「分かりました。にとりさん、こちらへ……」

 

 

 そう言って、後ろに乗っているにとりを文に預けた。

 文はにとりを背負いながら、尋ねる。

 

 

「しかし、どうやって近づくのですか? 私は白蓮さんのように弾幕をはじき返しながら進むなんて芸当は出来ませんよ?」

「大丈夫だ。――道は私が作ってみせる」

「魔理沙さん……?」

 

 

 必ず道を作る。強い覚悟を感じ取った文は、魔理沙に全てを託す事を決める。

 そして魔理沙は愛用の八卦炉を取りだし、魔力を注ぎ込みはじめた。人間の微々たる魔力ではあるものの、魔理沙の全ての魔力を注ぎ込んだ八卦炉は、中で次第に増幅して行き、凄まじい魔力を蓄えていた。

 その魔理沙の魔力を感じ取った者たちは、これが最後の勝負なのだろうと察した。もちろん雛もだ。皆の関心が魔理沙に向かっていた。

 雛は意識を魔理沙に集中させはじめた。そして魔理沙も皆に向かって大声で叫んだ。

 

 

「これから最後の大勝負に出るぜッ! そして雛ッ! お前を必ず止めて見せるッ!!」

「ふふ……」

 

 魔理沙の叫びに、雛はどこか微笑して返した。

 それはこの戦いがもうすぐ終わると言う安堵からか。

 もしくは雛自身、魔理沙の足掻きを見る事を楽しみにしているのか、

 もしくはどれでもない何かか……。それは雛にしか分からないだろう。

 魔理沙の魔力に対し、雛は魔理沙たちに集中して弾幕を発した。

 

「皆ッ! 霧雨魔理沙に合わせて、射命丸を援護しろッ!」

 

 神奈子がそう叫んだが、叫ぶまでも無かった。

 その場に残っていた全員が、これが最後の弾幕なのだと直感的に理解していた。

 魔理沙たちに迫りくる弾幕を相殺する。

 しかし雛の放った弾幕は衰えを見せず、魔理沙に迫った。

 

(やっべ。魔力を溜める時間が……)

 

 迫りくる弾幕を見て、こんなことなら挑発なんてするんじゃなかったと魔理沙は軽い後悔をした。

 だが雛の弾幕が魔理沙たちに届く事は無かった。

 魔理沙たちの目の前に、巨大な二重の結界と――紅白の巫女が雛の弾幕を前に立ちふさがっていたのだから。

 

「霊夢ッ!」

「思いっきりぶっ放しなさいッ! 魔理沙ぁッ!」

 

 

 霊夢だった。霊夢の結界術【二重大結界】が魔理沙たちの眼前に展開されていた。

 だが、いかに二重大結界と言えど、人の想いの集合体とも言えるような厄の弾幕を長時間防ぐ事は叶わない。

 結界は破壊され、その術者である霊夢に弾幕が被弾する。

 ほんの僅かな、ただの時間稼ぎ。

 だが、それで十分だった。間に合ったのだから。

 

 

「すまない霊夢ッ! 喰らえぇッ雛ぁッ! 【ファイナル・マスタースパーク】ッッ!!!」

 

 

 霊夢の結界が破れた瞬間、魔理沙から極太のレーザーが雛の弾幕を消し去りながら迫った。

 弾幕の壁と表現すべき、雛の弾幕に一本の道が出来上がったのだ。

 

 射命丸はその瞬間を見過ごさない。瞬時に、開けた道を疾風の如く駆け抜けた。

 

 そして、全ての魔力を使い果たした魔理沙はもう飛んでいる力すら残ってはいなかった。ふらふらと朦朧する意識の中、魔理沙は『隙間』の中に落ちて行くのを感じてその目を閉じていった。

 それは八雲紫だった。 

 紫は、落ちそうになった魔理沙を隙間を使って保護した。意識を失った魔理沙は落ちることなく、地上に降ろされる事となった。そしてそれは霊夢も同じだった。被弾した霊夢もすでに意識が無く、紫に支えられながら目を閉じている。

 被弾が原因ではない。

 ずっと厄が外に漏れ出さないよう、誰よりも大きくそして強い結界を施し、雛の弾幕をずっと防いでいたのだ。その上、最後の霊力を使っての二重結界。すでに霊夢にも霊力が残されておらず、疲労の余り意識を手放したのだった。

 

 霊夢と魔理沙を回収した八雲紫は、二人に小さく呟いた。

 

「良く頑張ったわね。二人とも」

 

 紫は二人を安全な場所へと避難するため、この戦場から撤退したのだった。

 

 

 

 ◆

 

 

 

「これはッッ!?」

 

 雛は、聖輦船を落としたように、魔理沙の【ファイナル・マスタースパーク】に向かって弾幕を集中させた。

 だが雛の弾幕は、【ファイナル・マスタースパーク】を相殺させるに至らない。まるで吸収されるように消えていく。それでいて魔理沙の弾幕は衰える事を知らない。

 たまらず雛は急上昇して回避した。【ファイナル・マスタースパーク】は雛の下を通るように過ぎて行った。

 ほっとするも束の間。もうスピードでこちらに接近する者がいる。

 

 

(カラス天狗ッ!?)

 

 

 ここで雛は驚きと同時に雛はすでに弾幕を散布していた。

 意識してやったわけではない。それは動物の脊髄反射に近い反応速度であっただろう。

 雛自身、どうして弾幕を放っているのか……数瞬ほど訳が分からずにいたのだから。だが結果的にこれは雛にとって最上の幸運だった。

 そして雛の思いがけない反撃に、射命丸はスピードを落としてしまった。

 

 

(弾幕のリカバリーが早過ぎるッ!――これは……駄目だ!!?)

 

 

 奇襲は完全に失敗していた。

 あと数瞬だけ、雛が止まっていたならば成功していたと言うのに………

 

 

「だ、騙し打ちとはやってくれるじゃないッ! でも後一瞬だけ遅かったわねッ!」

 

 

 今度はハッキリとした意識を持って、雛は射命丸を捕らえた。

 聖輦船を落としたように、厄は黒い槍と弾幕を形成して行き、射命丸をオールレンジに襲い始める。

 射命丸は思わず下がり始めた。

 

 

「くぅッ! せっかく、接近できたのに……すみません、にとりさんッ! 失敗してしまいましたッ!」

「文……」

 

 

 思わず謝罪の言葉が射命丸の口から出た。それはもう近づく事が出来ないと言う明確な言葉だっただろう。

 だが 反省も後悔もしている時間は何処にもありはしなかった。雛の弾幕が四方から射命丸たちを取り囲んでいた。

 それは完全に詰みの状態だった。射命丸の特筆すべき点は、幻想郷最速とも言えるようなスピードにあるが、それはあくまでも直線的な早さに限る。早さが回避力の強さに繋がるとは限らず、オールレンジに向かってくる弾幕を回避するだけの技量を文は道合わせてはいなかった。

 

 

(やられるッッ!?)

 

 

 一斉にめがけて飛んでくる弾幕に射命丸とにとりは同時そうに思った。そして思わず目を瞑ってしまった。もうすぐ被弾する。結局、何も出来ないまま……。

 

 そう思っていた。

 

 だがいつまで経っても、弾幕は射命丸たちに向かってこない。

 これは一体どういう事か――二人は恐る恐ると目を開けてみた。

 するとどうした事か。目の前には実に頼もしそうな背中が映るではないか。

 

 

「――諦めるなッ! 天狗、河童ッ!」

 

 

 聞き覚えのある声。

 忘れもしない。山に住む者たち誰もが恐れた声だったのだから。

 それはかつて、恐怖で山を支配していた者たちの声。――星熊勇儀の声だった。

 

 

「え……勇儀……さん? それに萃香さんも……ッ!?」

 

 

 少し離れた場所に萃香もいた。そしてどういうわけか、雛の放った弾幕がこちら側ではなく、萃香を狙うように向かていったのだ。

 雛が放った弾幕を、萃香は能力を使いその身に弾幕を萃め、二人に向かわないようにしていた。

 そして勇儀は、萃香が集めきれなかった弾幕を、二人に被弾しないように自らを盾として二人の前に立っていた。

 

 

「私の能力で一手に弾幕を萃めるッ! お前たちはその間に厄神の元へ行けッ!」

「ですが萃香さんッ! それでは貴女が………ッ!?」

「私なら大丈夫! 必ずあんた達を厄神の元に送ってやるよッ!」

 

 

 能力を使って弾幕を一手に萃める。それは、全ての弾幕がホーミングしながら己に向かってくると言う事だ。避けられるわけがない。如何に、強靭な肉体を持つ鬼と言えど、あの白蓮を落とした弾幕だ。無事で済むはずもない。

 

 

「いいから行くぞッ天狗ッ!後ろの河童を絶対に振り落とすなよッ!」

 

 

 だが勇儀はそんな射命丸の言葉を遮り、二人を少しでも雛に近づけるよう、前に進ませる。

 己に降りかかる弾幕をその身で浴びながら………。

 



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第十二話

 萃香と勇儀がにとりたちの援護に向かっている一方で神奈子、早苗、諏訪子の守矢勢は誰よりも鮮烈を極めていた。

 すでに博麗の巫女を含め、霧雨魔理沙、永遠亭のウサギ達、妖怪の山の天狗たち、冥界の庭師――そして命蓮寺のメンバー。その全てがリタイアしてしまっている。

 永遠亭の薬師と姫は、今回は完全なバックアップと言う事で永遠亭に待機している。冥界の姫である西行寺幽々子はリタイアして言った者たちに流れ弾が当たらぬように護衛をしている。そして八雲紫は、霊夢がリタイアしたためかその場から消えていた。

すなわち、今この場で雛の弾幕の散布を防いでいるのは、神奈子たちだけと言う事になる。

 如何に弾幕が前の四人に集中しているとはいえ、大人数で止めてきた弾幕の嵐だ。三人で止めきれるはずも無かった。

 

 

「神奈子様ッ! もう限界ですッ!」

「踏ん張れッ早苗! 今ここで厄を含んだ弾幕が幻想郷にばら撒かれたら、また元の木阿弥だ!結界を維持するんだ!」

「でも神奈子……これ以上は……」

 

 

 頑張れと精神論を叩きつけたものの、すでに神奈子も限界だった。そして諏訪子もだ。

 神奈子は、厄神は自分よりも力の無い存在であると、今まで見下してはいたがそれがどうして――。

 

「これが想いの力か……ふふ」

 

 やはり人の想いと言うのは本当に凄まじいものだと思わず苦笑してしまった。

 しかしその笑みは決して余裕から来るものではなく――

 半ばあきらめの念のはいったものであった。

 

 

(駄目だッ――もう、限界だッ)

 

 

 今度こそ、本当に終わりだ。

 

 そう思っていた時だ。

 

「ん? な、なんだ? 力が……」

 

 何やら、力が湧いてくる感覚を神奈子は覚えた。その感覚を覚えたのは神奈子だけではない。早苗も、諏訪子もだ。

 

「何ですかこれは、力が戻る……いや溢れる!?」

 

 それは決して気のせいなんかでは無かった。どうした事か――。

 三人は不思議に思っていると、遠くから声が聞こえてくる。一人や二人なんて数じゃない。とんでもない人数だ。

 そして、それを見た神奈子たちは驚愕した。

 

 

『みんな~ッッ!!遅れてごめんッ!』

『まだ終わってないよねッッ!?』

 

 

 豊穣神と紅葉神が二柱――秋穣子と秋静葉の二人がそこにいた。

 なぜ彼女たちがここにいるのかと言う疑問よりも先に、彼女たちの後ろにいる存在に目が行く。

 彼女たちの後ろには、ものすごい数の人間たちが集まっていた。

 十人やそこらではない。もっと多くの――幻想郷の人里のほとんどの人間が彼女たちの後ろにいたのだ。

 それは異常な光景だった。

 危険度が最高レベルと言われる妖怪の山に、あれだけの人間が集まる事はきっと幻想郷の歴史でも無かった事ではないのか?

 その上、今は人間たちは寝ている時間だ。あれだけの人数で、なぜこんな時間にここにいる?

 

 

『村のみんなに応援を頼んだのッ!』

『みんなッ!八坂様たちを応援をしてッ!』

 

 

 秋姉妹の言葉に神奈子たちは状況を把握した。

 

「八坂様、これは……静葉様たちは……!」

「ああ。あいつら……。こんな危険なところに。いや、他の神のためにあんな事を……」

 

 この二人は――この二柱は里を巡り、人間を集めてくれていた。

 神にとって信仰を得ることは死活問題。そしてその信仰は神の威光によって保たれるものだ。

 彼女たちは、自分のメンツなんてお構いなしに、人間にお願いしたのだろう。

 神ともあろう者が、人間に頭を下げたのだ。

 自分とは関係のない他の神のために……。

 

「あ、あいつら……感謝する!」

 

 神奈子は目頭が熱くなるのを感じていた。

 元々センチメンタルな性格ではない。

 しかし、すぐ後ろにいる秋姉妹と人間たちの姿が、深く心に沁みるのだ。

 秋姉妹たちだけじゃない。里の人間たちもだ。

 里の人間たちは、こんな時間に――しかも危険が多い妖怪の山にまで来てくれていた。

 ただ神奈子たちを応援するために。その信仰を神奈子たちに向けるために。

 そのためだけに、危険を冒してまで来てくれたのだ。

 

 

 

『頑張ってくださいッ! 八坂様ああぁぁッ!』

『俺たちのせいで厄神様が……。本当に申し訳ありませんでしたッ!』

『八坂様ッ! どうか厄神様をお助け下さいッ!』

『どうか厄神様をッッ!!』

『頑張れッ! 早苗様ああぁッ!』

『諏訪子様も頑張れええぇッッ!!』

『八坂様ッッ!!』

『八坂様ッ』

『八坂様ぁッ』

『早苗様ッ!』

『諏訪子様ぁッ』

 

 

 妖怪の山で一気に守矢コールが反響した。

 神の力の源は『信仰』。そして『信仰』とは人間に想われる力だ。人間たちの心はすでに一つになって神奈子たちに向けられていた。

 神力を使い果たし、疲労困憊であったさっきがまるで嘘のようだ。力がどんどん湧いてくる。神奈子たちはそう感じていた。

 

 

「来た来た来た来た来たきたあああああぁぁぁぁぁッッッ!!!!!!」

 

 

 神奈子のテンションがいきなり豹変した。

 それと同時に、神奈子の回りに数十本という大量のオンバシラが出現した。

 それだけじゃない。早苗の回りには風が―――諏訪子の回りには鉄の輪がそれぞれ出現したのだ。それらは弾幕と姿を変え、幻想郷の空を覆うほどに至った。

 

 

「早苗ぇッッ! 諏訪子ぉッッ!! 幻想郷を私たち守矢の弾幕で染め上げるぞおぉッッ!!」

「はいッ!」

「ダッシャーッッ!!」

 

 

 太陽はまだ出ていない。

 しかし幻想郷の空は、守矢の弾幕によって染め上げられ、美し光を発していた。

 最高にハイッになった神奈子たちの弾幕は、雛の黒い弾幕を完全に力押しするに至った。

 外に漏らすどころか、むしろ内側に封じ込めるかのような勢いだ。

 そしてそれを見た里の人間たちがさらに大きな声ではやしたて、神奈子たちをさらにパワーアップさせたのは言うまでも無い。

 

 

 




ルナティック守谷――誰も勝てない


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第十三話

 一方の雛は、かなり狼狽していた。

 如何に弾幕を放とうとも、その全てが逸れて鬼の方へと集まってしまう。伊吹萃香はその弾幕を一手に集め、避けるでもなく体で受け止めていた。いや避けられないのだ。萃香が弾幕を集めると言う事は、萃香に向かってホーミングされると言う事なのだから。

 そして、そうしている内に、勇儀がにとりと射命丸を連れてどんどん接近して行く。

 

 

「がはッ!!」

「萃香さんッ!?」

「止まるなッ! 私に構わず行きな!」

「行くぞ、天狗ッ河童ッ!」

 

 

 射命丸が叫んだ。

 如何に鬼が強靭であろうともあの白蓮を落とした弾幕だ。それをその身に受けて無事で済むはずが無い。萃香に確実に物理的なダメージが発生していた。

 だがそれでも勇儀は二人を引っ張って前へ前へと進んでいく。

 

 雛は焦っていた。徐々に近づきつつある四人に。

 弾幕をどれだけ放とうとも、その殆どが萃香の方へと流れていく。そして残った弾幕を勇儀がはじきながら道を作っている。

 

 

「いい加減になさい、鬼よッ! それ以上、被弾したら本当に危ないわよ!?」

 

 

 雛が叫んだ。対し萃香は笑みを絶やさないまま言葉を返す。

 

 

「そう言うわけにはいかないさ! 私はあの二人に必ずあんたの所まで送ると言った! 私は鬼だからね! 嘘をつく事が出来ないのさ!」

「下らない矜持ですね。そんな事してもなんの得も無いと言うのに……。そもそも、貴女達にこんな事をする理由すら在りはしない! 何故、貴女もそこまでするのです! かつての山の支配ともあろう貴女方が! 何故ッ!?」

「言った筈だよ厄神ッ! 私たちは鬼だとッ! 鬼は嘘つきが大嫌いなのさ。嘘つきには直にぶん殴らなくちゃ気が済まないたちなんだよ!」

「嘘つき? 私が何か嘘でもついているとでも言いたいのですか?」

「そうだよ!この大嘘つきの神様め。――あんた、あの河童を傷つけたくないから消えるんだろ? さとり妖怪がそんな事言ってたからな! ――でもあんたのそれは嘘だ」

 

 

 雛は酷い不快感を感じた。

 心が読まれると言うのは実に不快だ。にとりの為に消える。その事実を誰にも言わぬまま消えたかったと言うのに………

 だが、それ以上に目の前に迫る鬼の萃香の言葉の方が不快だった。

 彼女の言っている事は矛盾している。心を読むさとり妖怪が読みとった事だと言うのにそれを嘘と言うのか?

 

 

「心を読まれると言うのは思いのほか不快ですね。しかし、それが嘘とはどういう事です? さとりさんが嘘でも言ったのかしら?」

「いや、さとりはお前の心をそのまま読みとっただけさ。そこに嘘は無い。お前も本心から河童の事を想っているんだろう? ただその想いが強すぎて、さとりはもう一つのお前の心を見損ねたのさ! お前は河童を泣かせたたくないのではなく――ただ自分が泣きたくないだけなんだろう?」

「――ッ!?」

「お前はな厄神よ――自分自身に嘘を付いているのさ! 他人を不幸にしたくないから消える? ハッ笑わせるなッ! 悲劇のヒロインにでもなったつもりか? いや、なっているつもりなんだろうな。お前はそんな悲劇のヒロインに酔いしれて、自分の本当の気持ちに気付かないふりをしているッ! 他人を守るためじゃない! お前は自分が傷つきたくないのさ! だからお前は消えるんだ!」

「だ、黙りなさいッ!」

 

 

 雛の顔が大きく歪み始める。

 対し、萃香は満面の笑みでさらに追撃する。

 

 

「何だ? 怒ったのか?怒ったのか!? 厄神よ。だったらもう一度言ってやるお前はな――にとりの『為』に消えるのではなく、にとりの『せい』にして消えようとしているんだ! 私にはそれが許せないッ!」

 

 

 萃香の言葉に雛の中で何か途轍もない衝撃が走った。そして雛は自問自答を始めた。それは体感時間的にほんの一瞬の出来事。しかし、確実に――彼女の中で何かが決定してしまった。

 

 

 

 自分がにとりのせいにして消えようとしている? ふざけるな、私は本当に彼女を――

 

 本当に?

 

 萃香の言っている事は間違っているのか?

 

 いや、間違っているだろう?

 

 私は彼女の為を思って――

 

 しかし――だったら、何故にとりはこんな事をしている? 厄を取り除こうとしている?

 

 私の為に?

 

 それじゃなんで私は消えようとしている? にとりが必死になって私を助けようとしているのに……

 

 ああ――そうか。

 

 そう言う事か

 

 本当の私は――にとりの為にではなくて――本当は――

 

 

 

 そこで雛の中で何かが音を立てて崩壊した。

 今までソレを支えにして今まで耐えてこれた。だがソレは実は全てが虚像であり嘘だった。

 それが今崩壊した――萃香の言葉によって……

 

 

 

「………あ、あ、ああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁッッッ!!」

 

 

 それは雛の慟哭だった。

 今まで気付かないふりをしていた想い。厄神として恥ずべき想い。さとり妖怪すらも気付くことなく、心の奥底に隠していた本当の想い。真実の中に隠してきた真実――その全てがむき出された。眼前の鬼によって。

 

 憎い。

 

 ただ途轍もなく憎い

 美しい想いの元、消えようとしていた決意。その全てが崩された。

 心をむき出しにされた雛の憎悪は、厄へ変わり始める。その厄は今までよりも黒く、禍々しい存在であった。

 そしてそれは弾幕に姿を変え始める。その弾幕はあらゆる者を死へと誘うかのような――それほどまでに禍々しいオーラを出していた。

 

 

「よ、よぐも……よくも私の心をッッ!!」

 

 

 一斉に弾幕を萃香に向けて放った。

 萃香は相も変わらず笑みを絶やさない。迫りくる弾幕を萃香は避けようともしなかった。能力を使ってホーミング状態にしていないにも関わらずだ。避けても良い筈の弾幕を彼女は避けずにいた。いや避けられなかった。

 勇儀たちを守るために、一手に弾幕を受けていた彼女の体はすでにボロボロだった。避ける気力すら彼女には残されたはいなかった。

 だが、それでも彼女は笑っている。

 そして弾幕が命中し、流血が伴いながらも笑っている。

 雛は萃香の不幸を願った。そして弾幕が萃香に命中し、これで少しは彼女が懲りたかと思った。でも実際はそうでなかった。彼女はずっと笑っているのだ。愉快そうに……。

 そして雛は確かに見た。そして聞いたのだ。萃香の最後の言葉を……

 

 

『――私たちの勝ちだ』

 

 

 

「捕まえたぞ。厄神。」

 

 

 大きな拳が雛の腹部を直撃した。

 

 

「――かッ――はッ――ッッ!?」

 

 

 腹部に感じる鈍い激痛。肺から空気が漏れ出し、胃の中の残留物が喉元に来るのを感じた所で雛はようやく事態の把握に成功した。

 

そして、その光景を眺めながら萃香は呟いた。

 

『ハハ……私の戯言に付き合うから……そうなる……のさ』

 

 そして笑みを絶やさないまま意識を失い、地上に落下して行く事となった。

 

 

 

 一方の雛は目の前の三人に完全に包囲されていた。

 

「雛……」

「に、にとり……」

 

 

 大切な人の悲しそうな顔を見て、雛はこの場から消えたいと切に願った。だが状況はそれを許しはしない。

 

 

「お前を一発でも殴らなくちゃ、私の気が晴れなかったんでね。安心しろ、手加減はしておいた。大して痛くは無かっただろ?」

「雛さん。もう終わりです」

 

 

 正面にはにとりが。そしてその左右には射命丸と勇儀がいる。この状況で何か動きを見せられるはずが無い。

 そしてにとりは雛の目を見ながら――そしてどこか悲しそうな目をしながら説得した。

 

 

「雛、もう止めようよ。もう雛の厄はとっくに無くなっているんだ。雛が願えば、また元の生活に戻れるんだ」

「も、元になんか戻れない」

「戻れるさ。絶対に戻れる。私が保証する。だから――」

「戻れないッ! 戻れないわ、にとりッ! 絶対に戻れない!」

「ひ、雛? ――やってもいないのに何で最初からあきらめちゃうんだ!? 何でッ!?」

「こ、恐いのよ……」

「恐い?」

 

 

 自分のせいで誰かが不幸になる。自分に近づいた者は不幸になる。

 自分はそう言う存在なのだと。そう思っていた。だからこそ、他者の不幸な出来事を見ても何も思わなくなっていた。

 だが、にとりがそれを変えた。

 幸せと言う物がどういう物なのかを教えてくれた。

 しかしその結果、他者の不幸という物を見る事が恐くなってしまった。その不幸が自分のせいなのかもしれないと思うと、胸が締め付けられそうな罪悪感に苛まれる。それが堪らなく辛いのだ。

 

 

「あ、貴女のせいよにとり――貴女に出会って私は……他人の不幸を見る事に苦痛を感じるようになってしまった。私は厄神として、弱くなってしまった」

「それは違うッ! 雛、君は弱くなったんじゃない、学んだんだ! 不幸や災厄がもたらす物がどういう物なのかを――。雛、逃げちゃ駄目だ! その痛みから逃げないでッ!」

「私は……そこまで強くない……」

「雛……」

 

 

 二人の会話は何処まで行っても平行線をたどっていた。

 そしてしびれを切らしたかのように、勇儀がその場にしゃしゃり出てきた。

 

 

「だああぁぁッッ!! ぐちぐちぐちぐちと……お前のようにハッキリしない奴を見ていると本当にイラついてくるッ! おい河童ッ!私はもう限界だぞッ! その厄神をさっさと気絶させるなり縛るなりしてとっちめろッ! それで今回の騒動は終わりだッ!」

「ゆ、勇儀さんッ! なんてこと言うのですか!?」

 

 

 射命丸が懸命に勇儀を諌めている。

 だが勇儀は今にも雛にかかって行きそうな勢いだ。

 物事にハッキリした態度を示す鬼のサガと言うべきか――。

 少なくとも、勇儀には悪意は無い。少し休んで頭を冷やせばすぐに治るだろうと言う考えの元発言した言葉だ。

 だが、そこはやはり鬼だなと言うべきなのだろう。強者は弱者の姿を意識しないが、弱者は一方的に振り回される。

 不安定になっている雛にその発言は無かった。

 

 

「あ、貴女のような粗暴な人に……ッッ!!!」

 

 

 突然、雛の体から大量の厄が発生し始めた。

 ただの厄ではない。その厄は触れる事が出来ないと言うのに、向こうからは一方的に動きを封じこむ事が出来る粘着質な厄。白蓮の動きを止めた厄と全く同一の物だ。

 厄は瞬時に三人を包み込むと同時に、動きを封じた。

 

 

「な、何だッ!?これはッ!?」

「こ、これは白蓮さんの時と同じ……ッ!」

「ひ、雛ッ!」

 

 

 鬼の勇儀の力をもってしてもほどく事が出来ない。物理的な力がまるで通じないのだろう。

 

 

「――何でかしら? 消えたいのだったら最初からこうしてしまえば良かったのに……。なんで私は行儀よく貴女達の話を聞いていたのかしら? うふふ、多分、まだ自分でもどこか希望でも見出していたのかもしれないわね」

 

 雛は思わず苦笑してしまった。そして厄はにとりたちの手足を縛るだけでなく、口を封じるように三人の顔に巻かれていく。

 

 

「ん゛ッ……ん゛~ッッ!!」

 

 

 喋る事が出来なくなったにとりに、雛は近づき優しく伝えた。

 

 

「ごめんね、にとり。今、貴女の声を聞いたら、また決心が鈍るわ。私は消える――もう決めた事なの」

「ん゛ッ!ん゛ん゛~ッッ」

「安心して。その厄は私の厄だから、私が消えると自然に消滅するわ」

「ん゛ッ!ん゛~ッ!!」

 

 

 雛は、そっとにとりの頬に手をやった。そして愛でるかのように指をゆっくりと頬を撫で、実に綺麗な瞳をしながら言ったのだ。

 

 

「今までありがとう、そしてキュウリ畑の件はごめんなさい。――大好きだったわ、にとり――さようなら」

 

 

 そう言って、雛はにとりたちに背を向けた。

 どんなに叫ぼうとも、声を出す事も、手足を動かす事も出来ない。

 にとりは目の前が滲んでいくのをただただ、見ているしかなかった。

 

 



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第十四話

 皆が雛との弾幕勝負の決戦を開始した頃――

 別の場所では誰にも知られないもう一つの戦いがあった。場所は、氷精の湖の奥に聳え立つ紅い西洋風の館――紅魔館。

 

 

「これはこれは……こんな夜更けに随分と珍しい客が来たものだわ」

 

 

 紅魔館の主、レミリア・スカーレットは目の前の二人を見て感慨深くそう思った。

 

 

「貴方たちは私の屋敷に来るのは初めてだったわね。歓迎するわ。――ワーハクタク。そして蓬莱人」

 

 

 上白沢慧音と藤原妹紅の二人は、奥の椅子でワインを片手にふんぞり返っているレミリアを睨みつけている。

 対し、レミリアは実に涼しい顔をしていた。

 

 

「レミリア・スカーレット。何故貴様は動かない?」

 

 

 慧音はすでにワーハクタクの状態になっている。

 二本の角に、長い尻尾を生やしている。

 

 

「動かないとはどういう事?」

「とぼけるな! 厄神の件についてだ! お前の所にもカラス天狗が来た筈だぞ!」

「ああ、コレの事か……」

 

 

 レミリアの左右には十六夜咲夜、そしてパチュリー・ノーレッジの二名が控えていた。

 そしてレミリアはパチュリーに指示を出す。

 パチュリーは水晶を取りだし、何やら詠唱を開始した。

 そしてパチュリーの水晶は淡い光を放ち、その映像を空中にスクリーン大画面で投影した。

 

 

「おッ♪ 丁度始まろうとしている所ね。実は私たちもこの件をゆっくりと鑑賞しようと思っていたのよ。この通りワインを片手に用意してね。貴女たちもどう? 一緒にこの馬鹿げた三文劇を鑑賞しない?」

 

 

 レミリアはそう言った瞬間、レミリアが持っていたワイングラスが大きな音を立てて弾けた。

 その結果、中に入っていたワインはレミリアの太股の部分にかかり、大きなシミを作り出す事になった。

 

 

「何故動かないのか? ――私はそう尋ねたはずだぞ?レミリア・スカーレット」

 

 

 慧音の掌から白煙が上がっていた。

 弾幕を放ったのだ。

 そして咲夜は右手にナイフを抱えながら、慧音たちに近づいていく。

 明らかな殺意を身に纏っている。だが、咲夜以上の殺意を後方から放つ者が居た。レミリアだ。

 

 

「待ちなさい、咲夜」

「しかし……」

「私は『待て』と言ったわよ」

「はッ。申し訳ありません」

 

 

 レミリアは笑みを絶やさない。だがレミリアの笑みはどう見ても友好的なそれとはまるで違っている。

 まるで獲物を見つけて歓喜している獣のような……とても攻撃的な笑みだったのだ。

 

 

「さてワーハクタク。貴女の質問に答えましょう。何故我々が参加しないか。――答えは簡単さ。理由が無い。得が無い。以上」

 

 

 実に簡潔にレミリアは述べた。

 

 

「他の者たちは、皆厄神を助けようとしている」

「知ってるさ。だが我々には関係ない」

「暇つぶしになるかも知れんぞ? どうせ、ずっと屋敷に引きこもっているのだろう? 刺激的な事が起きるかもしれない」

「かもしれない。だが参加するよりも、こうして映像にして眺めてる方が面白そうだ。他者の努力してる姿を見るのは実に気持ちが良い。そしてそれ以上に、努力した先に、なにも報われる事がなかったと言うシチュエーションを見た時などは心が躍る感動だ。――詰まる所、暇つぶしと言う理由も私たちが行く理由にもならないのさ。ぶっちゃけ、面倒くさいし」

 

 

 ピシッと屋敷内の空気が張り詰めた。

 これ以上何を言っても無駄だと双方、理解押したのだろう。そして口で言っても分からないならなんたらだ――妹紅や咲夜はすでに臨戦態勢だ。

 そして慧音もそれは同じだった。妹紅と顔を見合わせ、臨戦態勢に持ち込んだ。だが、ここでレミリアが二人に問うたのだ。

 

 

「一応、聞いておきたいのだけど良いかしら? ワーハクタク」

「何だ?」

「お前もどうしてそんなに必死になるんだ? お前たちとあの厄神は何の接点も無いじゃない。他の連中はお前の言った暇つぶしで参加してるんだろうが、お前は違う。明らかに自分の意思を持ってここに来ている。一体、お前はどんな理由であの厄神を助けようとしているんだ?」

 

 

 レミリアの問いに、慧音は真っ直に答えた。

 

 

「今回の騒動の元凶に、人間たちが多くからんでいる。彼女は人間たちの厄を一身に背負い自らを消そうとしている。私は人間を守る者として、責任の一端を感じているからだ」

「ふ~ん……つまらない答えね」

「そうだな。私自身、面白みのない理由だと思う。だからお前風に言い直すとしよう。――私はな、全ての災厄を厄神一人に押し付け、それで厄神が消えれば、はい終わり! なんて結末が気にいらないんだ! だから、是が非でもハッピーエンドで終わらせたいのさ」

「ハッ! ――少しは面白い事が言えるじゃない」

「褒めの言葉として受けておく――レミリア、今回の騒動はお前の『運命を操る程度の能力』が必要不可欠だ。人間の業は深いが、彼女の業もまた深い。運命自体を変えなければ同じ悲劇が繰り返される。だから力ずくでも協力してもらうぞッ!レミリア・スカーレットッ!」

「お前は? 蓬莱人。お前も同じ理由か?」

「いや。私はそこまで深い考えは無いよ。ただこうしてここにいるのは、慧音に協力してほしいと言われたため。そして、もう一つは――あの満月の日の竹林での仕返しをしに来たのさ。吸血鬼」

「――宜しい。ならば力付くで私たちをねじ伏せてみなさい。そうすれば協力を考えないでもない」

「行くぞッ!」

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

「屋敷をこんなに荒らして……賠償を要求するわよ?」

 

 

 慧音と妹紅が紅魔館に入り込んで数時間―――屋敷内部はあちこちがボロボロとなっている。

 だが屋敷以上に、慧音と妹紅はボロボロになって、レミリアの前で倒れている。

 

 

「貴方たちがここまでやるなんてちょっとビックリだったわ。あの時の永夜の時とはまるで別人――決意と言う奴は人をここまで強くする物なのかしら?」

「ぐぅ……!」

「ごほ……!」

「もうお止しなさいな。すでに決着は付いている。如何にルールに則った弾幕勝負と言えど、ダメージが発生しないわけじゃない。そこまでダメージと疲労を積み重ねていったら、危ないわよ?」

 

 

 レミリアはそれでも立ち上がろうとしてくる二人にため息をつきながら視線をずらした。

 丁度そこには、パチュリーの魔法によって映し出されたスクリーン映像があって、レミリアは外の様子を眺めていた。

 

 

「おや? ――御覧なさい。あっちの方も佳境に入ったみたいだわ」

「――ッッ!?」

 

 

 投影された映像を見ると、雛がにとりたちを厄で捕らえ、動きを封じている様が見える。

 慧音たちはそれを見た瞬間、立ちあがった。

 

 

(あれじゃ……駄目だ! 向こうも失敗したのか……!?)

 

 

 映像は明らかににとり達の敗北を映し出していた。

 あれでは駄目だ。厄神が消えてしまう。それでは今までの事が無意味になる。

 慧音と妹紅は立ち上がり、それを見たレミリアは感嘆の声を上げる。

 

 

「――驚いた。命に別状がないとはいえ、立てるようなダメージでは無かったはず……。そこまでしてあの厄神を助けたいの?」

「はぁ……はぁ……く、くどいッ! 当たり前の質問を繰り返すなッ!」

「ふぅ……。諦めなさい。お前たちは私には届かない。そしてあの厄神も消えるわ。だけど安心しなさい。これはお前たちが悪いわけじゃない。言うなればそうだな。――【運命】と言う奴じゃないかな?」

 

 

 レミリアは二人に背を向けて離れていく。

 変わって咲夜が二人の前に現れた。

 

 

「咲夜。もう十分楽しんだ。貴女が終わらせなさい。私はこの三文劇の終演を見てるから」

「了解しました。お嬢さま」

 

 

 咲夜は無表情にナイフを取り出し、慧音たちに向け始めた。

 咲夜は恐らく、なにも思う事なく、レミリアの命令を忠実にこなすだろう。

 そして慧音たちは終わる。敗北と言う形で。

 そして映像の先の河童たちも、もう終わろうとしている。厄神が消えると言う結果をもって……。

 それは運命だとレミリアは言った。

 運命を操る彼女が言う事だ。そして多分、それは間違いない結果なのだろう。

 終わり?

 厄神を助けると言う元、行われた戦いが全て無意味になるのか?

 

 

 ふざけるな

 

 

 慧音と妹紅の心に燈ったのはただ『ふざけるな』と言う気持ちのみだった。

 気が付けば、いつの間にか妹紅は咲夜に向かって走り出し、マウントを取って押し倒していた。

 そして妹紅と同時に、慧音もまた走り出していた。その身は一直線にレミリアへと向かった。

 

 

「レ、レミリア・スカーレットォッ!!」

 

 

 それは慧音の叫びだった。

 慧音は、わき見しているレミリアに体当たりして、押し倒した。

 

「なッ!?」

 

 レミリアは明らかに動揺していた。何処にそんな力があったのかと……。

 そして慧音はレミリアを馬乗りの状態にした。そして叫んだ。

 

 

「どうだッ! レミリアッ! お前ほど極端でないにしろ、私たち人間もこれくらいの運命だったら己の気持ち一つで変えられるのだッ! 何が運命だッ! 何が届かないだッ! たった今、お前の運命とやらは変わったぞッ! 私はお前に届いたッ!」

「――ッッ!?」

 

 

 レミリアは無防備だった。ここで慧音が何かくりだせば慧音の勝利となるだろう。

 だが慧音は何もしなかった。

 いや、出来なかったのだ。

 慧音の意識はすでに無かったのだから。

 

「無茶をするから……」

 

 立っている事が不思議なくらいのダメージを受けていたんだ。

 すでに彼女の意識は途切れていても不思議で反勝ったのだ。

 彼女たちの体を動かしたのは、執念のたまものか。

 意識がなくなっているにも関わらず、慧音はレミリアを取り押さえる行為を止めない。

 レミリアは慧音をどかし、立ち上がった。

 

 

「お嬢さまッ! お怪我はッ!?」

 

 

 咲夜の方も終わったようだった。

 妹紅は完全に意識を手放していた。もうピクリとも動かない。

 

 

「私はなんともない。それよりも、何故こいつを通した?」

「も……申し訳ありません。油断していました。まさかまだ動けるとは……」

「……」

 

 酷く申し訳なさそうな様相で主であるレミリアに謝罪する咲夜。彼女の様子には嘘はない。そこにいるのは、自責の念に捕らわれている一人の女性の姿だ。

 

 レミリアは思う。

 油断? 本当にそうなのか? と。 ある種の疑問が浮かび上がる。

 如何に油断していたとはいえ、咲夜の時間停止能力を使えば、レミリアの元まで届く事は無かった。

 なのに何故届いた? 

 何故、咲夜は使わなかった?使う事を忘れていたと言うのか? 

 あの咲夜が……。あり得ない。

 いや、問題は咲夜だけじゃない。自分もそうだ。

 なぜ自分はあの時、避けなかったのか。

 慧音が向かって来た時、自分はそれを避けれたはずだった。

 油断してわき見していたとはいえ、重症を負った者の特攻など、自分ならば防げたはず。なのにどうして体が動かなかったのか?

 

 結局のところ、慧音がレミリアに届いたのは一言で表せば幸運と言う奴だ。あらゆる要素が絡み合って出来た結果だ。

 だが、レミリアはそれでも届かないと思ってた。どんなに要素が深く絡み合っても、届く事は無いと。

 しかし慧音は届いた。レミリアに。

 そしてレミリアはある結論に達した。

 

 慧音たちは運命を変えたのだと。

 

 慧音たちは本来だったらレミリアに触れることすら出来なかったはずだ。

 運が良かったとかそういうレベルの話ではない。慧音の言う通り、気持ち一つで運命を捻じ曲げたのだ。

 

 

(気持ちで運命は変わる……か)

 

 

 慧音の言葉を思い出した。

 そしてその事にレミリアは深い関心と興味を覚えた。

 『気持ち』等と言う小さな要素で運命が変わるのだとしたら……。

 あの河童たちに小さなきっかけを与えたら運命はどう変わるのか? ――と言う事に。

 

 

「咲夜、そいつらに治療を――丁重にね。」

「え……あ、はい!」

 

 

 咲夜は言われるがまま、慧音と妹紅を運び込み、その場を後にした。

 そしてレミリアは御機嫌な顔でパチュリーが映し出している映像に目をやる。

 

 

「随分とご機嫌な表情ねレミィ。――まるで悪戯を思いついた子供みたい」

「分かる? パチェ。――あのワーハクタクの言葉が気になってね。厄神ではなくあの河童にチョットだけ――ほんのチョットだけ運命を変えてやったら、どんな結末になるのかな? って思ったのよ」

 

 

 投影されている映像には、にとり達が厄に捕らえられ、喋る事が出来ない状態になっている。

 そしてそこに厄神が別れの言葉を話している所だ。

 すでに運命は決められている。

 それをほんの少しのきっかけで変えられると言うのならば――。

 

 

 レミリアは映像に向かって、腕を掲げた。

 

 

「さて、河童よ。お前の運命を変えてやる。――そこでお前がどういう未来を紡ぎだすのか……。見せてみなさい」

 

 

 一言、そう言い放ち、レミリアは指を使ってパチンと渇いた音を出した。

 

 

 

 




レミリア様大好き

 次話、最終回です。


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エピローグ

 パキンっと乾いた音が発せられた時、突然、にとりを捕まえていた厄が消えた。

 

 それは本当に突然だった。依然、射命丸も勇儀も捕まっている状態にあると言うのに、どういうわけかにとりだけが解き放たれたのだった。

 異変を感じ、振り返った雛はそれを見て驚愕した。

 

「どうして……」

 

 何故、にとりが解放されているのだ? 

 確かに厄で拘束していた筈だった。自分は何もしていない。

 外部からか? 

 いや、そんなそぶりは誰も見せてはいない。何かの力とかそう言う次元の話ではない。

 さらに上――超常的な何かがそこに起きたのだ。

 

 雛は混乱の極みにあったが、それはにとりも同じだった。

 何故自分は解放されたのかと……。

 だが、にとりは考えるよりも先に体が動いていた。

 体が動く。ただそれだけの事実があれば彼女にはそれで良かったのだ。

 

 

「ッ雛あああぁぁぁッッ!!!!」

「――ッ!?」

 

 

 にとりは雛に突撃した。

 混乱の極みにあった雛が回避や迎撃など思いつく筈もなく、そのままにとりと衝突する形で激突した。

 その後、バシャンッ!と水が弾ける大きな音が鳴った。にとりは雛を下の川へと押し込んだのだ。

 二人は川へダイブする形で着水し、にとりは馬乗りになりながら雛の胸を何度も叩き始めた。

 

 

「雛の馬鹿ッ! 馬鹿ッ! 馬鹿ッ! 消えちゃ駄目だッ! 消えないでッ! そんなの嫌だッ! 雛がいなくなるなんて絶対に嫌だよぉ……」

 

 

 泣きながら、鼻水を出しながら、何度も何度も叫び、雛の胸を叩く。

 その姿はさながら、童のように見えた。

 雛もそれを苦しい等とは思っていない。ただ、目の前の少女が余りにも必死で――それで何も考えられなくなっている。

 

 

「雛ッ! 私は君が好きだッ! 君が好きだッ! 大好きなんだッ! そんな雛が消えるなんて絶対に嫌だ……お願いだよ雛……わ、私を……ひぐ……わ……私を……不幸にしないで……」

 

 

 目の前の少女が泣きながら必死に叫んでいる。

 好きだと――消えないでくれと――泣きながら叫んでいる。

 雛は自失していた。自分は、彼女を泣かせたくなくて消えようとしていた筈だ。彼女の泣き顔を見たくなくて消えようとしていた筈だ。

 そう思っていた筈なのだ。

 しかしどういう事か――。彼女は目の前で泣いている。消えないでくれ、不幸にしないでくれと泣き叫んでいる。

 何故彼女はあんなに泣いているのだ?

 キュウリ畑で見せた涙とは比べ物にならないくらい、取り乱して泣き叫んでいる。

 彼女を泣かせたくなかったのに……。

 そして自身の心に言いようの出来ない痛みが込み上がって来るのを雛は感じていた。 

 とても痛い――しかしそれでいて心地よい感覚だった。

 気が付けば、雛は涙を流していた。

 

 

「……うぐ……ひぐ……うぅ……」

「ひ……雛……?」

 

 

 雛は涙が止まらなかった。

 苦しいわけじゃない。それなのに涙が溢れ止まらないのだ。

 気が付けば、雛を纏っていた厄はいつの間にか消えていた。それと同時に、射命丸と勇儀を抑え込んでいた厄も消え、二人は解放されていた。

 厄を発生させる事が出来なくなって、雛はようやく気付いたのだ。これは悲しみの涙ではなく、うれし涙のだと。

 

 

「ひぐ……うぅ……に……にとりぃ……」

「雛、消えないで――雛は……私の事が嫌いかい?」

「嫌いなわけがないッ! 大好きよッ! 私は……にとりが好き……」

「雛……!」

 

 

 にとりが泣いている。

 彼女の泣き顔が見たくなかったというのに、どういう事か――。今は彼女の泣き顔がとても嬉しいのと雛は感じている。

 にとりは悲しそうな顔ではなく嬉しそうな顔で泣いている。

 厄はもう出ない。

 完全にしてやられたのだ。雛はにとりにしてやられた。

 もう厄が完全に消えてしまった以上、消える事は出来ない。

 完全な敗北だ。

 しかし敗北と言う言葉がまるで悔しいとは思わなかった。むしろこれで良かったのだと……。

 

 にとりと雛は、ずっと泣き続けた。

 空は丁度、太陽が昇る時だった。

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 

 雛の厄がとうとう切れ、異変と呼べる規模の夜は終わりを迎えた。

 気絶している者たちはそのまま永遠亭へと搬送され、無事だった者たちはにとり達の元へと駆け寄って行った。

 

 

「――終わったな、河童。そして厄神」

 

 

 神奈子たちが駆け寄り、そう口にした。

 雛はバツが悪いように、ぺこぺこと頭を下げ続けた。

 

 

「本当に――ご迷惑をおかけしました。八坂様」

「いや、良いってことさ。他の連中も多分何も思ってはいないんじゃないかな? みんな単純な連中だし。――ところで、確認するのだが、もう消えたい等とは思ってはいないだろうな?」

「はい。もう厄はすっかりと消えてしまっています。これでは厄流しすることも出来ませんし――何より、私はもっとにとりと一緒に生きていたいと思ってます」

「そうか。それは何よりだ」

 

 

 納得したかのように神奈子は頷いた。

 しかし、にとりと雛は、コレでめでたしという雰囲気ではなかった。

 そしてにとりは尋ねた。

 

 

「八坂様。雛の厄は消えたわけだけど、時間が経てばまた厄が溜まって同じ事が起きるかもしれない。そうならないために何か良い方法はないかい?」

「にとり……」

 

 

 にとりはそう神奈子に聞いた。

 今回の件はただのその場しのぎの策でしかなかった。時間が経てばまた厄が溜まるのは自明の理だ。根本的な解決方法ではない。

 神奈子は『う~ん』と唸りながら悩んだ後、諏訪子に目をやった。

 二人は口を開きはしなかったが、お互いに何を考えているか理解しているようだった。

 そして諏訪子がにっこりと笑顔で頷いて、神奈子も何か踏ん切りがついたようだ。

 頬をポリポリとかいて、答えた。

 

 

「ああそのなんだ……厄神よ。お前に厄が溜まるのを防ぐ方法は無い。厄を溜めこむのが厄神と言う奴だからな。その方法を変えたり、止めたりする事は出来ない」

「そ、そうですか……」

「だがな、変わりと言っちゃなんだが、お前の厄を溜めこむ許容量を増やしてやる事は出来る。そうすれば、今回と同じような事が起きる事は数十年、長数百年は無くなるだろう。もしかしたら永遠にな」

「ほ、本当ですかッ!?」

 

 

 今回の騒動の発端は、雛が厄を溜めきれなくなった事にある。

 その厄を溜めこむ許容力が増えれば、今回の騒動と同じような事は起きなくなる筈だ。

 雛とにとりは凄く喜んだ。対し、その方法を教えてくれる神奈子は少し複雑そうな顔をしていた。

 

 

「八坂様ッ! その方法はッ!?」

 

 

 にとりがずいっと近寄って尋ねてきた。

 神奈子は少し間を置いて、二人の顔を見た。ものすごく期待を込めた顔だった。複雑そうにしていた神奈子はため息をついて、とうとう答えた。

 

 

「神の力の源は信仰だ。つまり、信仰さえ得られれば自然と力は増す。――厄神よ。私たちの信仰をお前に分けてやろう」

「え?」

「え?」

「ちょッ!? 神奈子様ッ!?」

 

 

 真っ先に叫んだのは早苗だった。

 信仰を分け与える。それがどれほどの事なのか、分からない筈がない。

 だが神奈子は早苗を制止した。

 そして頭を撫でるように、早苗の頭に手を置いて諌めた。

 

 

「いいんだ早苗。この平和な幻想郷に『軍神』なんて、野蛮な神はいらないんじゃないかな~なんて思うんだ」

「祟り神もね♪」

「神奈子様……諏訪子様……」

「まぁ……その……早苗の今までの努力を無駄にするようで本当にすまないと思っているんだが……里の人間たちに厄神を信仰するよう手筈を整えてはくれないか?」

「それは……いいえご立派です、神奈子様。――了解しました。神奈子様の御心のままに……」

 

 

 雛は唖然とした。神にとって信仰とは力や命と同等の価値があるものだ。

 それを分け与えてくれると言っている。

 雛はまた眼頭が熱くなるのを感じていた。そしてにとりと守矢の三人になぐさめられる事となった

 

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

 

 後日談――と言う事になるのだろう。

 

 厄神の騒動から三ヶ月の月日が流れた。

 あの騒動の後、霊夢は修行不足だと紫に叱りを受けて、あれから厳しい修行を強いられる事となった。本人はものすごくやる気が起きなかったが、紫はやる気満々だった。

 

 魔理沙は、自分の最高の弾幕がまるで雛に通用しなかったのをきっかけに、さらなる弾幕の開発に勤しんでいた。

 白玉楼は特に変わりなく、永遠亭はこの一ヶ月間、大量の入院者が起きて大忙しであった。

 

 そして今回の最大の功労者であった守矢の三人だが――あの騒動の後、早苗は里や村の人間たちに厄神を信仰するよう呼びかけた。

 その結果、守矢の信仰は下がる一方――

 

 

 なんて事にはならなかった。

 

 

『守矢ッ!守矢ッ!守矢ッ!守矢ッ!』

『守矢ッ!守矢ッ!守矢ッ!守矢ッ!』

『守矢ッ!守矢ッ!守矢ッ!守矢ッ!』

『守矢ッ!守矢ッ!守矢ッ!守矢ッ!』

 

 

 それどころか、かつてないほどの信仰が守矢神社に集まったのだ。

 あの後――早苗が厄神の信仰を呼び掛けた時、その理由を聞いたのが原因だった。

 騒動を解決しただけでなく、他の神の為に己を犠牲にしようとした神奈子たちに、人間は酷く感銘を受け、感動していたのだった。

 その結果、厄神を信仰すると同時に、神奈子たちへの信仰もまた増えてしまったのだった。

 二心を抱くものは不忠者と言うのが相場ではあるが、二心を抱くのもまた人間なのだ。

 

 

『神奈子様あああぁぁぁッッ!!!!!』

『きゃああぁぁあッ!! 諏訪子様可愛いいいいいぃぃッッ!!!』

『早苗様あああぁぁッッ!!! 俺だあああぁぁッ結婚してくれええぇぇッ!』

 

 

 どうして信仰が増えているのか分からずにいる守矢たちは首を傾げる事となった。

 

 

 

 地底の妖怪たちと鬼達は治療を終えた後、地底へと戻って行った。

 地上との関係を良くしようとした彼女たちの目論見は、まあまあの成果を上げていた。秋姉妹が連れてきた人間たちの証言によって、地底の妖怪たちの反感が薄れていったのだ。

 今後、地底の妖怪たちはさらに地上に出入りする事になるだろう。

 

 聖輦船が崩壊し、お寺自体が無くなってしまった命蓮寺のメンバーだが、信仰者の人間と妖怪の協力を得て、船のかけらを全て集める事に成功して、また寺を再建させる事に成功した。

 途中でリタイアしてしまった命蓮寺のメンバーは、自分たちが倒れた後、どういう経緯があったのかを知る事が出来ず、どのようにしてあの厄神を元に戻したのかを知らずにいた。

 だがしばらくして、紅魔館が先の騒動の全てを記録していた事が判明した。

 紅魔館はその映像の公開を発表。外の世界のように『映画』と言う形で放映する事をカラス天狗たちに宣伝していた。

 

 宣伝後、紅魔館には大勢の人間や妖怪たちが集まり、一つのお祭状態へと変わってしまった。

 当然、命蓮寺のメンバーもそれに出席した。

 大幅な修正や編集によって大袈裟に変えられた映画をパチュリーの魔法によって映し出し、大スクリーンで上映された。

 その映画は凄まじい出来であり、その場の全ての者たちが涙を流した。

 特に白蓮の感動が余りにも凄まじく、この映像を貰えないかと直接紅魔館へ乗り込んで直に交渉しにいった程であった。

 レミリアたちは、白蓮の暑苦しい熱意にとうとう負けてしまい、その映像を譲渡した。

 その後、白蓮は一日一回はその映画を見る事が習慣になってしまった。

 

 

 そして――

 

 

 元凶とも言うべき雛とにとりはと言うと……

 

 

「雛ッ! ようやく出来上がったよッ! 今回は特に自信作のキュウリなんだ! 一緒に食べようッ!」

「ええ。凄く美味しそうだわ」

 

 

 妖怪の山でキュウリ畑を作っていた。

 

 あの騒動の後、厄神である雛へ対する感情は180度変わり、ありがたい神様として人間たちから大きな信仰を得る事となった。

 相も変わらず、厄は集まって来るが、もう溢れたりなんかしない。

 

 

「えへへ。三カ月も遅れちゃったね、雛」

「何が遅れたの? にとり」

「こうして、雛と一緒にキュウリを食べる事さ。あの時は、食べてもらえなかったからね。――さぁ、自信作のキュウリ、感想を聞かせてよ♪」

「ええ。それじゃ……いただきます」

 

 

 にとりと雛はこれから毎日、退屈な日常を過ごすのだろう。

 それはこれからも変わらない。そしてそれは本当に幸せな事に違いない。

 

 そして雛が口にしたキュウリは、その後の幸福を示すかのように瑞々しく、そして美味しかった。

 

 

「すごく美味しいわ、にとり」

「本当ッ!?」

「ええ。凄く美味しい」

 

 

 二人は共にキュウリを食べ、楽しい談笑に明け暮れた。

 その後、雛は立ち上がって言った。

 

 

「さて――もうこんな時間になっちゃったわ。そろそろ御暇しなくちゃね」

「え? もう行っちゃうの? まだいれば良いのに……」

「ごめんなさい。私にも厄神としての仕事があるから。――美味しいキュウリをありがとう、にとり」

「うん! それじゃ、また明日!」

「また明日!」

 

 

 また明日。

 そう言われて雛はにとりの元を飛び立った。

 

 

(また明日……か)

 

 

 また明日も素敵な事が起きる。

 そんな事を思いながら、雛は上空に上がり、幻想郷の全てに伝えるかのように言った。

 

 

「さて、貴方達の厄――私が取り除いてあげましょう」

 

 

 今日も雛はクルクルと回り続ける。

 

 明日への希望を持って――

 

 

 

 

 

終わり

 

 




 お、終わったあああぁぁッ!
 か、完結できた。

 皆さんの応援と感想があって、完結までいけました。

 ここまで読んでくださった読者の方にはとても感謝です。

 今後も執筆活動を続けていきますので、よろしくお願いします。


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