瀟洒な従者増殖中 (うえうら)
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1日目:従者増える

幻想郷には異変が起こる。逆さまのお城が浮かんだり、夜が明けなかったり、春がこなかったり、空を紅い霧で覆い尽くしたり等々。およそ小説よりも奇妙なことが起ってきたし、起こしてきた。私も幻想郷に来て長い。大なり小なりの異変は茶飯事と化し、館の主としてそうそうのことでは驚くまいと自負もあった。

「お嬢様、どうしたのですか」「そんなに大きく口を開けて」

 四つの青い瞳が私を見ていた。

 遠回しに表現してみたけれど、それで現実が書き変わるわけでもない。端的に言えば、咲夜が二人いる。二人いるのだ。

 青みがかった白銀の髪も、埃一つないメイド服も瓜二つである。

「紅茶が冷めてしまいますよ、お嬢様。さあ、どうぞ席へ」「せっかく二人なので、コーヒーも入れてみました」

「……あら、気が利くわね」

 館の主として取り乱すわけにもいかず、私は促されるままに席へついた。陶磁のカップが二つ並んでいて、湯気が立っていた。

 頭の中は疑問符まみれである。

 どうして二人いるのか? 何故増えているのか? 咲夜は驚いていないのか? その涼しい顔はなんだ? 驚きの順応力と称賛したい。さてはどちらかが偽物だな。そうだ。偽物の作った飲み物は不味いに違いない。

 ほう……。

 茶葉の香りはふくよかで心地よく、コーヒーに至っては私好みに砂糖が加えられていて清々しい味わいだった。

 美味しかったと素直に言うと、左様ですかと返される。どっちが好みにあったかと訊いてこないあたり、両名とも瀟洒な私の従者でありそうだ。

「時に咲夜、単刀直入に聞くのだけれども」

「何でしょうか、お嬢様」

 何でしょうも何もないと思うだがね。

「どうして二人になっているのかしら」

「さあ、皆目見当もつきませんわ」

「いつの間にか――というより朝起きたら二人になっていました」

「パチェにおかしな薬を飲まされたり、変な術式をかけられたりは?」

「いいえ特に」

「人体錬成は3年前に諦めたそうですよ」

「二人に増えて具合が悪くなったりは?」

「お気遣いありがとうございます。十六夜咲夜、五体満足、健常ですわ」

「二人ですからハウスキーピングも捗ります。これからは、おはようからおやすみまでずっとお嬢様とご一緒できますわ」

 やはりこの従者、どこか抜けているところがある。普通の人間がドッペルゲンガーを見たら顔面の一つでも蒼白にするところだが、咲夜はこれ幸いと共生を選んだようだ。このくらいの方向音痴な前向き思考でなければ、紅魔館のメイド長は務まらないのかもしれない。

「お嬢様もしかして――」

銀盆でカップを下げながら、咲夜が言った。もう片方はテーブルを拭いている。

「あれを気にしているのですか」

 “あれ”の見当がつかないので、目線で続きを促す。すると、銀盆を持っている方が続けた。やはり本物の咲夜なのだろう。

「お給金ですよ。いきなり増えて、二倍出してくれというのは我ながら厚かましいと思いまして。最近不景気らしいですし。そうですね、二人目以降は最初の一割でどうでしょうか」

 人里の着物屋みたいな売り出し方である。二着目以降が途端に安くなる謎の仕組みを雇用条件に適用させようと言うのだ。

「そのくらいの甲斐性はある。一人でも二人でも咲夜は私の大切な従者よ。でも、何で増えたのか分からないのは気になるわ。パチェに訊いてくる」

 そう言って、席を立つ。

「突き当たって左の上り階段が図書館へ直通ですよ」「おゆはんまでには帰ってきてくださいね。今夜はパンケーキですよー」

 重なり合うソプラノの声を聞きながら、私は図書館の主のもとへ向かった。

 

 

「地下にある図書館へ行くのに、階段を上るのはなんか不思議だ」

 独り言をつぶやいた。

 この館の時間と空間は改造されきっており、どこがどこへ繋がっているかは管理を一手に引き受けている咲夜にしかわからない。それも日替わりでレイアウトが変わったりするので、通路を覚えておくこともできず、やはり咲夜を頼らなければお風呂にも入れない有様だ。ここまで依存していいものだろうかと、我ながら悩んでしまう。

私が良くて咲夜がいいならそれでよいではないか、とも思う。しかし咲夜が現状をよかれと思っているかは分からない。愛想をつかされないか、心配である。

 思案をしているうちに、図書館へついた。整然としているが本棚と本棚の間隔は狭く、およそ人が入れ違うことは考慮されていない。絨毯を踏みしめ黙々と歩く。やがて最奥に居候にして友人の部屋があった。コンコンとノック。

「パチェーいるー?」

「どうぞ、勝手に入ってちょうだい。適当に待ってて。コア、何か飲み物を」

 薄暗く、薬品と古書の臭いが染み付いた部屋だった。辺りを見回し、適当なソファを見つける。ハンカチーフでひとふきしてから座ると、パチェの使い魔がコーヒーを持ってきてくれた。

 口をつけた途端、淡泊な苦みが口内に広がった。

「ひどい顔」

 キャスタ付きの椅子をくるりと回転させ、パチェがクスクスと笑う。「100年経ってもブラックはダメなのね」

「好みではないだけ。飲めなくはない」

 けれど進んで飲みたいとも思わない。咲夜が淹れたのじゃなければ、やっぱり私はだめだ。

「で、何のよう?」

 苦いだけの汁を無表情に飲みながら、パチェが尋ねてくる。

 かくかくしかじかと異変を伝え、それに対する彼女の見解をうまうまと聞く。

 ふむ。

「ドッペルゲンガーでも、なり代わり系の怪異でもないのね」

「そうね。悪意があれば私の結界が反応するわ」

「咲夜に危険がないなら別にいい。本人も楽しんでる節があるし」

「ならいいじゃない。増えた原因って言っても証拠不足で何も分からないしね」

「こんなに本があるのに、この図書館は何も教えてくれないわ」

「書を捨ててあるきなさい。事件は現場で起きてるのよ」

 進展を生まない会話を繰り返すうちに、ちびちびと飲んでいたコーヒーがようやく底をついた。無味な達成感を得たが特に意味はない。おかわりどうです? と小悪魔に聞かれてしまい、慌てて断る。ちょっとオーバなリアクションになったかも。その証拠にパチェがクスリと笑いやがる。

「邪魔をしたなご隠居」

 バツが悪くなりソファを立つ。

「あなたの方が干支10週分目上よ」

 キャスタを回転させたパチェは背を向けていた。

 部屋から出て、スンスンと鼻を働かせる。古書と薬品の臭いがドレスにしみてないか心配だった。

 



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2日目:やっぱり増える

「どうして来たのと同じ道で帰れないのだろうね?」

「時間は巻き戻せませんわ。時間と友達の空間も」

 疑問を投げかけてみたのだが、横を歩く従者は煙に巻いてきた。

 図書館から自室へ帰れなくなってしまい、咲夜を呼んだのだった。ちょっぴりと情けない。

 しかし館の主にしてこのざまなのだから、白黒の本泥棒が図書館へたどり着ける確率は推して知るべきであるし、フランが495年迷子になっても決して不思議ではない。後半は嘘だけど。

 ふと、咲夜が一人であることに気づいた。

「もう一人は?」

「ただいまパンケーキを焼いておりますわ。トッピングはクランベリー? それともブルーベリー?」

「甘い方で」

「あら、ごめんなさいお嬢様」ふいに咲夜が立ち止まる。「クランベリーは切らしておりました」

「そう、なら青い方で」

 別にどちらでもよいのだ。咲夜が焼いたものであれば。

 咲夜に連れられ階段を下ってからもう一度上り、私が首をかしげている間に扉の前についていた。階段の踊り場に、取ってつけたようにドアノブが生えている。現在進行形でリフォーム中なのかもしれない。

 扉を開けると、焼き上がったパンケーキの甘い香りが鼻をくすぐってきた。長方形の食卓には既にフランが着席している。右手にナイフ、左手にフォークを装備して、「美味しそー」と破顔していた。

 もう一人の咲夜がフランの前のパンケーキにシロップを注いだ。黄金の湖が広がるにつれて、フランの瞳がうっとりと輝いていく。

「咲夜ーありがとねー。とっても美味しそうよ」

「何よりですわ、お嬢様」

 2人のやり取りを見て、ぐぬぬぬと奥歯をかむ。何故か噛んでいた。お嬢様は私であって、フランはフランお嬢様だったのに。

「嫉妬ですか?」と私の横の咲夜。

「そうかな?」

「ええ」

 咲夜が微笑む。

「そうかも」

 永く生きても心というのはよく分からないもので、不思議と私も微笑んだ。

 いつも以上にパンケーキが甘い。

 

 

 パンケーキの美味しさに頭がお花畑になっていたのだろう。咲夜が増えた原因を調査するはずだったのに、私はベッドで横になっていた。躰を動かす気にもなれないので、レミリア探偵事務所は明日から開業することにする。そんな怠惰の予定を立てて目を閉じた。

 吸血鬼だからといって、日が昇っている間に眠るというわけでもなく、夜行性なんて不便な生態でもない。好きな時にほどよく寝て、好きな時に活動する。お日様が出ていたら出ていたでそれは構わない。ちょっと眩しい程度の差し障りであり、基本的に気ままに生きる。それがノーライフ・クイーンの在り方にふさわしい。

 一つ思うところがある。こんなタイムスケジュールが破綻している私と行動を共にする人間はどのような一日を過ごしているのだろうか。実のところ、私は咲夜のことをよく知らない。仰向けで寝る派か横向き派かも分からない。そもそも寝ているのだろうか。

 

 

「……嬢様」

「朝ですよ、お嬢様」

 ゆさゆさと躰をゆすられた。

 毎度のことながら適当な時間になると咲夜は私を起こしてくれる。咲夜がいなければずっとベットの上で目を覚まさないかもしれない。

 そんな危惧もあり、かつて目覚まし時計という小さな時計を使ってみたのだが、あれは最悪だった。まずうるさくて、とにかくやかましい。おまけにすぐに壊れる。軽く叩いただけで、ネジが飛び出すほど脆弱だった。確認するまでもなく、香霖堂の棚に並ぶのはポンコツだらけである。

 思考の微睡みから、薄っすらと目を開けてみる。差し込んでくる朝日の角度が急で目が焼けるかと思った。きゅっと再びつぶる。

「洗濯日和な陽気ですね」

「サングラスかけます?」

 遅ればせながら気づいたけれど、咲夜の声はやはり左右からのステレオだった。一晩開ければ、一人に収束しているなんてことはなさそうである。

 ごしごしと目を擦り、伏し目がちに開ける。

 四つのメイド服が私を取り囲んでいた。この婉曲な言い回しにどれほどの意味があるのだろうかと匙を投げたくなる。

「そんな鳩が豆鉄砲をくらったような」

「というよりも目を白黒させてますね、お嬢様」

「夢ではないので、頬っぺたはつねらなくても結構ですわ」

「サングラスかけます?」

 頭を抱えたくなった。咲夜ズはそろいもそろってどこか抜けている。

「どうして増えた?」

「どうしてと聞かれましても」

「朝起きたら増えていましたわ」

「しかし人数が多いと便利ですね。フットサルチームが作れます」

「じゃあ、サングラスは私がかけますね」

 誰が言い始めたが知らないが、世界には自分と同じ顔の人間が3人いると言われている。それが一堂に会すれば肝の一つでも凍えそうだが、この従者はそうではないらしい。確かに昨日のドッペルゲンガーが気にならなければ、ドッペルゲンガーのドッペルゲンガーが問題にならないのは道理であるし、ましてやそのそっくりさんなど頭痛の種には役不足だろう。

 それは私も一緒だ。と内心で呟き、開き直ってみる。

 たった一人だった咲夜が2人になり、そして4人になった。こうなってしまえば、2人も4人も変わらない。……ような気がするのだ。それでも、レミリア探偵事務所を開店すると宣言した手前、原因だけは気になる。

 4人とくれば、心当たりが一つあった。

「ちょっとフランの部屋にいってくる」

「フランお嬢様のお部屋は突き当りの階段を上って右ですわ」

「地図入ります?」とサングラスの咲夜。

「結構よ。どうして実家で地図を見る必要がある」

 水色の寝巻のまま私は自室を出た。

 



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2日目:姉妹喧嘩

呼称が原作と異なりますが許してください。


 

 妹が小首を傾げ、上目遣いで訊いてきた。

「レミ姉、どうして目が赤いの?」

 やっとの思いでたどり着き、部屋に入った直後、フランの開口一番だった。

「ちょっと目にゴミが入っただけよ」

 目元を手でぬぐいながら、何でもないと取り繕った。

 フランの部屋にたどり着けず、右往左往した挙句半ベソになったのは内緒である。たとえ地図を貰っても涙を流していただろうと謎の自信もあった。咲夜によってリフォーム中の我が館はダンジョンに片足を突っ込んでおり、二股に分かれる階段の分かりづらさは反則級である。だから迷うのも仕方がなく、咲夜に泣きつかないだけ今日の私は大人だったと思う。

 フランの部屋の造りは基本的に私の部屋と同一である。ただ、妹の部屋の方が少々ファンシーで少女趣味めいていた。部屋の隅に天蓋付きのベッド。その反対にカラフルな絵本が並んだ書棚。カーテンにはゆったりとしたフリルが施されている。やたら大きなソファと星の形をしたクッションにはリボンが結わえられていた。

 それら敷物を無視して、フランは床にぺたんと座っていた。足を外側に開いた中途半端な正座で、くるぶしの肌色が眩しい。

 フランの右手には色鉛筆が握られていた。その色鉛筆で魔法陣を編ませれば、パチェに次ぐほど高度な陣を敷設するのだが、絵の実力となると外見年齢相応なレベルなのだから微笑ましい。

 今日はお絵かきの日だったようだ。

「お庭を背景にして書いてるの。これが美鈴でこれがパチュリー」

 生まれ持っての不思議な羽をふゆふよと揺らしながら説明してくる。私はうんうんと相槌をうつ。庭園の噴水を背景にした集合絵だった。

「それでね、これが咲夜でこれが咲夜で、これとこれが咲夜」

 満面の笑みで次々と絵の中の咲夜を指さす。二人がフランの横で、もう二人が私の横に並んでいた。

「やっぱり咲夜は4人なのね」

「レミ姉も嬉しいでしょ。大好きなものが増えて」

 直球な表現にドキリとさせられる。純真な言葉は幼さの強みであり、少し羨ましくもあった。

「否定はしないわ」

 けれど肯定も微妙なところだ。

「ねえ、せっかく4人もいるんだから一人くらい私の眷属にしてもいいでしょ」

「ダメだ」

 即答した。「咲夜は私の従者よ」

「よくばり」フランが口を尖らせる。「レミ姉ばっかりずるいよ」

「ずるくない」

「咲夜がいいって言えばいいはずよね」

「それなら……」頷きかけて、断固首を振る。「やっぱりダメだ」

「どうしてよっ! 咲夜が良ければいいに決まってる」

 本人のことは本人が決めるのが道理だとフランが理論武装する。

 自由意思を重んじるならば、よく考えるまでもなくフランが正しい。理屈ではそうだと私も認めざるを得ない。

 でも、咲夜は首を縦に振るかもしれないのだ。「一人くらいいいかも」と、自分のことながらどこか現実感なく答える姿が容易に目に浮かんでしまう。そして、その咲夜は微笑みながらフランの横を歩いていくのだろう。

 想像しただけで胃が捻じれそうだった。

 つまり、私が嫌なのだ。咲夜がよくても。

「フランがチャームしてるかもしれない」

「言いがかりよ。そんな恥知らずなことはしないわ」

 確かに分の悪い言いがかりだ。だけど、食い下がる。

「咲夜を増やしたのもフランの仕業でしょ。フォーオブなんたらってスペルがあったわよね」

「あれは人間には使えないわ」

「じゃあ何で増えたの」

「そんなのあたしの知ったことじゃない。――もういいわ! レミ姉さえいなければ咲夜は私のものだもの。我儘で欲張りで自己中なレミ姉なんか消えちゃえ!」

 フランが八重歯をむき出しにして叫ぶと、たちまち炎が彼女の右腕を取り巻いた。ちりちりと空気の焼ける音の中、赤々と燃える火は次第に形を変え、剣を成していく。フランはその切っ先を私に向けてきた。

 いいだろう。

 姉妹喧嘩なんて久しく忘れていたけれど、力ずくは嫌いじゃない。

「丁度いいわ。推理が外れてむしゃくしゃしていたの。姉に勝る妹など古今東西いないと教えてあげる」

 魂の通貨――〝血〟を右腕に集めて蒸発させる。槍を具現化させるとき、そんなイメージをするとするりと出てくる。鎖でも十字手裏剣でも、あらゆるイメージを形にできるのが私の血の強みだろう。

 懐かしい感覚だ。腰だめに握った槍の重みは血が騒ぐほど手に馴染んだ。

 躰を半身に逸らし、睨んだ先はフランの喉元。

「コンテニューなんてさせないよ。災禍の業火:レーヴァティン」

「咲夜は渡さないわ。深紅の神槍:グングニル」

 啖呵を切り合い、姉妹で切っ先を向け合う。

 先手を取ろうと、脚にためたバネを解き放つ――。

 その直後だった。

「お嬢様方ぁー、ワッフルが焼けましたよー」

 ドアが開かれ、香ばしくも甘い香りがふわりと広がる。

「あら、喧嘩中でしたか?」咲夜はきょとりと首を傾げてから、手に持った銀盆に目を落とす。「ならこれはパチュリー様への差し入れにしましょう」

 咲夜の手の上の銀盆にはチョコレートソースのかかったワッフルが並べられていた。こんがりとした焼き色に思わず食欲がそそられる。

 カランカランと足元から鳴った乾いた音に、自分の目がワッフルに釘付けになっていたと気づかされる。いつの間にか、私は槍を手放していたらしい。隣からはぎゅるるると、フランの腹に飼われている虫が騒がしい。横目で確認してみれば、フランの手に握られていた炎は既に影も形も無くなっていた。

 フランと互いに目を合わせ、コクリと頷きあう。

 腹が減っては戦ができないのである。

 そもそも争いには怪我や痛みが付き物なわけで、怪我や痛みより美味しいの方が好ましい。

「嫌だなあ咲夜、私とレミ姉は仲良しよ」とフランが肩を抱いてくる。

「喧嘩なんて子供みたいな真似はしないわ」

「ふふっ、そうでしたね。ところでお二人とも、よだれが出ていますわ」

 咲夜に身だしなみを指摘され、うぐっと声を漏らした。慌てて手の甲でぬぐい、隣のフランにはハンカチを貸してやる。それを見た咲夜がフフッと微笑んだ。どういう意味の笑みなのだろうかと気になる。

 しかし、よだれを出してしまったのはレディとしてあるまじき失態だった。私は朝ごはんを食べないまま館に翻弄され続け、フランはフランで夢中に絵を描いていたと言い訳をするにしてもだ。

 幸い、腹の虫が鳴る前に食堂へたどり着くことができた。お嬢様度(今作った指数) は1点くらい私のリードだろう。

 でも、どちらのワッフルが大きいかでもめたから、マイナスに傾いているかもしれない。

 

 

 吸血鬼というのは案外単純にできていて、お腹が満たされるとフランへの敵意もなくなっていた。フランも私くらい単純だったら嬉しい。

 昼下がりの午後、安楽椅子に座って推理をして見る。まず形から入るのが私の主義なので、チェックの鹿内帽も見繕ってきた。

「咲夜を増やしたのは誰だろうか?」

 素直に疑問を声に出す。

 パチェでもなくフランでもないとすれば、残るは美鈴だろうか。体術マスターの彼女が分身の術を咲夜に伝授した可能性も否定はできない。しかし、夢の見すぎな仮説である。

 では館の人間の仕業でないとなれば、外の人間の仕業だ。排中律である。

 例えば白黒の魔法使いは少しあやしい。頻繁に紅魔館に出入りしているし、パチェとは体系の異なる魔法を操るとも聞く。その白黒が魔法の触媒にするのは茸であり、分裂や増殖は茸の十八番だ。ふむふむ。十分あやしいので走査線に上げておく。

 次点に紫をあげよう。幻想郷の黒幕オブ黒幕の彼女なら、何をやっても不思議ではない。『咲夜が一人の境界と咲夜がたくさんの境界』を弄ったと言われても、もはや私は驚かないだろう。

 次々点として永遠亭の薬師があやしい。月の民というだけで甚だしく危険なのに、永琳はやつらの親玉なのだそうだ。それにだ。永夜異変の際、永琳はうちの咲夜に異様な興味を示してきた。『たくさん増やしてしまえば、一人くらいちょろまかしてもばれないでしょう』と企てても不思議じゃない。

 少し考えてみただけで、容疑者候補が簡単に出そろった。

 幻想郷恐るべし。

 明日は日傘を用意しよう。

 



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