軽文ストレイドッグス (月詠之人)
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零章

 

 

 彼女は荒野に立ち尽くしていた。辺り一面、見渡す限り何もなく、荒れた土だけがあり、文明も生物も何も其処には見当たらなかった。

 かつて、此の場所は荒野などではなかった。森林伐採だとか、酸性雨だとか、そう言った環境破壊の話ではない。そんなに何年も、何十年も時間の掛かる話じゃない。ほんの数十時間前、つい昨日まで、其処には街があったのだ。老若男女あらゆる人間が、集合住宅や戸建に店舗様々な建物が、車が、野鳥が、虫が、花が、街路樹が、線路が、電車が、野良犬や野良猫、または愛玩動物(ペット)が、様々な生命と文明に満ちた、ありふれた海辺の地方都市だったのだ。そんな賑わった街が、発展した都市が、ある時を境に跡形もなく消滅したのだ。

 彼女が乗り捨てた自転車の車輪が、カラカラと乾いた音を立てる。前籠は歪み、塗装は剥がれ、所々錆び付いた自転車は、荒野の中にあって唯一の文明機器となっていた。呆然としていた彼女は、ヨロヨロと、年若い女性に似合わない老婆のような動きで歩き出した。

 しかし、数歩も行かず座り込んでしまう。彼女は泣いていた。音を立てず、声を上げず、表情を歪めることなく、ただただ涙だけを流し続けた。それはまるで、彼女という存在を構成する何かが止めどなく溢れ出しているようであった。其の涙が止まったとき、かつて此処にあった街と同様に消え去ってしまうのではないかと錯覚してしまう。

 

「……守れ……なかったのね……」

 

 途切れ途切れにそう呟いた時に、彼女の表情が初めて歪む。其処に浮かぶのは喪失、悲痛、そして後悔。

 そして、彼女は叫ぶ。守れなかったものを愛しい者の名前を。やがて、声が嗄れるほど叫んだ彼女は、力尽きたように崩れ落ちる。何もない荒野に横たわり、涙を流す。もう、其の顔には何の表情も浮かべてなかった。

 

「私は……間違えたんだ……」

 

 彼女は倒れ込んだまま、肩から提げていた鞄を探ると、中から何かを取り出した。其れは簡素(シンプル)意匠(デザイン)のナイフだった。

 

「…………呪われろ…………」

 

 小さく呟くと、その白く、細く、美しい首筋に、勢い良くナイフを突き立てた。其の動きに躊躇いはなかった。まるで、そうすることが当たり前のように自身の生命を投げ捨てた。

 鮮血が辺りを濡らす。 何も描かれていない荒野(キャンパス)に血の赤だけが染みていった。

 目を瞑り、息絶えた彼女の口許は、

 

 

 

 微かに、自嘲するように、()()()()()

 

 

 



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壹章

 突然ではあるが、『異能力』の話をしよう。

 異能力。読んで字の如く、異なる能力。普通の人間とは違い不思議で不気味で不可解な異なる力。

 虎に化けたり、手帳の(ページ)を別の物に変えたり。もっと単純に傷を一瞬で癒したり、怪力無双だったり。異質で異常で異様な力が、此の世には少なからず存在する。

 ()く言うこの僕も異能力者である。名前は未だ無い。……失礼、名前はある。西

緒維新と言うのが僕の名前だ。東西南北の西に(へそ)の緒の緒、明治維新で西緒維新。

 此れから僕が語るのは、異質で異常で異様な、奇妙で奇怪で奇特な『物語』である。

 

 

 

 春麗らかな昼下がり、僕こと西緒維新は、快晴の空に誇るように耀く太陽を拝んでいた。透き通るような蒼穹の中、誰よりも眩しい彼女は――日本神話的には彼女で良い筈だ――今の僕には些か眩しすぎた。

 此の春。大学生になって三回目の春は、僕にとって忘れられない春になるだろう。何故ならば、大学生になって三回目の春であると同時に、二回目の大学二年生の春なのだから。

 

「はぁぁぁぁぁ…………」

 

 長く、重苦しい溜め息が何処からか聞こえてくる。考えるまでもない、僕の口からだ。

 昨年十二月某日。師走時。師も走る程忙しい月に、其の師たる学部長に呼び出され留年を告げられた。師曰く、今から全ての講義に出席して、全て最高評価を得ない限りは留年は免れないとの事。そんな、真面目にやっている人間でも中々に難しい事が、劣等生たる僕に出来る筈もなく、当然ながら必然的に自然の摂理のように落第した。

 そんな苦い記憶を思い返しながら、再び、今度は小さく弱々しく溜め息を吐くと、春がつられたように穏やかな息を吐き、薄紅色の花弁が小さく舞った。

 ふと、何と無しに正面を見ると、見知った顔が誰かを探す様に周囲を見渡していた。周囲を見渡すというより、周囲を窺う様に見えるのは、彼の人間性に因る物だろうか。

 艶のある黒髪を癖毛なのか、将亦(はたまた)手入れ不足なのか、其れとも時折吹く春特有の強風のせいか、勿体ないほどボサボサにしている。端正と言えなくも無い顔立ちは眉間に寄せた皺と、への字に結んだ口、そして濁りきった瞳のせいで其の見た目の印象を悪くしている。

 さらに、其の猫背気味の姿勢と若干挙動不審な様子により、完全に不審者となっていた。

 其の不審者たる彼は、其の腐った眼に僕を写すと、顰めっ面を崩すこと無く近付いてきた。

 

「やあ、亘。こんな所で奇遇だな」

 

 近付いてくる彼にそう声を掛ける。彼の名前は亘航。一つ下のゼミの後輩で、友人。そして、此の春からの同級生である。

 

「おう、奇遇でもないけどな」

 

 当たり前である。学科が同じでゼミも同じなら構内(キャンパス)で出会う可能性は他の人間より高い。しかし、広い構内だ。会わないと言う可能性も低くは無いが、僕と亘は行動範囲や行動理念が近しい所為か、こうして会う事は少なく無い。つまり、亘の言う通り奇遇という程でも無い。まあ、こんな長々と説明せずに、簡潔に纏めるなら、『冗句(ジョーク)を言ったが素で返された』と言うのが今の状況だ。

 僕がそんな意味の無い事を考えている間も、彼はキョロキョロと落ち着きなく周囲を窺っていた。其の姿はやはり不審者と相違ない。一言、注意してやろうと口を開いた其の瞬間、狙い済ましたかの様に亘が声を掛けてきた。

 

「ところで東緒」

 

「往年の名投手を挙げてくるんじゃない、僕の名前は西緒だ」

 

「悪い、間違えた」

 

「違う。(わざ)とだ」

 

「ああ、態とだ」

 

「態となのかよ……」

 

 此処までが何時ものやり取り、つまりは予定調和だ。

 亘に白い目を向けながら無言で続きを促すと、亘は軽く頷いた。

 

「猪上を見てないか?」

 

「猪上って、猪上堅二か?」

 

 質問に質問で返すと試験(テスト)は零点らしいのだが、会話の技術の一端であると僕は思っている。

 猪上堅二。其奴は僕と亘の共通の友人の名だ。成績も出席率も悪く、留年を繰り返す彼は、僕や亘よりも歳上である。間が抜けているというか、常識が無いというか、所謂馬鹿という表現がしっくりくる奴なのだが、其の歳上とは思えない童顔と屈託の無い笑顔が何処か憎めない、つまりは『愛すべき馬鹿』なのである。

 

「ああ、その猪上堅二だよ」

 

 亘は、最早標準(デフォルト)とも言える顰めっ面を更に不機嫌そうに歪めると言う器用な事をしながら、表情から想像するに容易い不機嫌な声で返答する。

 

「あの野郎、いい加減に金を返せって電話しようと思ったら、携帯止まってやがんだよ……」

 

 うん、何と言うか、此れも(また)何時もの事である。

 猪上はゲームをこよなく愛するゲームオタクだ。其の愛は非常に深く、生活費の大半をゲームに注ぎ込んでいる程である。両親からの仕送りも、自身が運営するゲーム攻略サイト『ぐらんぶる』の広告収入も家賃と電気代と水道代以外の殆どがゲームに消えている。

 其れでも他人から金を借りる事を殆どしない彼だが、三ヶ月程前に偶々持ち合わせが無い時――いつも、無いと言えば無いのだが――に、中古屋でずっと探してたゲームを見つけてしまい、近くにいた亘に金を借りたのだという。そんな事を本人の口から聞いたのが、つい先月の事になる。

 

「まだ返してなかったのか」

 

「ああ、早く返せよな、俺の英世」

 

 千円かよ……。千円くらいで躍起になっているあたり、亘も金が無いんだな。斯く言う僕も、大差無い訳なのだが。まあ、僕達に限らず学生という者は往々にして資金力不足に悩まされる物である。猪上の場合は特殊過ぎるような気もするが、趣味にお金を注ぎ込むと言うのも、学生らしいと言えば学生らしいだろう。

 苦笑する僕と不機嫌そうに溜め息を吐く亘の間を一陣、薄紅色を伴って、少し強めの風が吹いた。薄紅の行方を追い掛ける様に二人して視線を滑らせると、視線の先に見知った顔を見付ける。まあ、見知ったも何も無い。件の人物、猪上堅二が飄々とした態度で、何食わぬ顔――彼奴の事だから本当に何も食べて無いのだろう――で歩いていたのだ。

 

「見つけた……!」

 

 言うが早いか駆け出す亘。あっと言う間に猪上に追い付き、声を掛けている。

 亘は足が速い。腐りやすいと言う訳では無い。いや、ある意味ではもう腐っているのだが、そうでは無く、物理的に速い。と言うか、ああ見えて運動全般が得意なのだ。頭の回転も速いし、前述の通り顔立ちもそれなりに整っている。

 ちゃんとすればモテるだろうに、本人は今の立ち振舞い(スタンス)を変える心算(つもり)は無いらしい。本人曰く、「周りの評価の為に自分らしさを捨てるなんて下らない」との事。航は自分を曲げないよ! と言う事だ。あの台詞は曲げないにゃ! の方が曲げて無い感じがして良い気がするのだが。まあ、今は関係無い話だな、別に僕はアイドルに詳しい訳では無いし。

 相も変わらず無駄な思考を繰り広げ乍ら、僕も亘と猪上の元へ向かう。

 亘の苦言を困った様な表情で聞いていた猪上が、僕の姿を捕らえて大きく手を振った。

 

「維新もいたんだね、留年おめでとう!」

 

「そんな嬉しくないおめでとうを聞いたのは生まれて初めてだよ!」

 

 此れを嫌みで言っているのか、将亦素で言っているのか分からない所が、此の男の恐ろしい所である。

 

「学部長から聞いたけど、今回留年した人は学校全体でも僕とキミだけなんだって! 仲間だね!」

 

「やめろ! お前とだけは一緒にされたくない!」

 

 僕は此奴とは違う! 僕は優、良に届かずとも、最低でも可には届いている。留年の理由も何方かと言えば出席率が原因だ。しかし、猪上堅二という男は違う。課題、試験の大半で不可を頂戴し、出席率は五割を切る。僕なんかでは比べようも無い劣等生なのだ。

 

「……お前、結局留年したのかよ」

 

 気付けば、亘が白い目を向けていた。()めろよ、人間には出来る事と出来ない事があるんだよ。あの時点から留年を回避するなんて無理だったんだ……。

 

「そ、それで、結局金は返ってきたのか?」

 

 少し態とらしい話題の変更に、亘が苦笑しつつ首を振る。言わずとも分かるだろうが縦にでは無い、横にだ。其の後ろでは猪上が、気不味そうに視線を逸らしていた。恐らく、いや、ほぼ確定的ではあるが、今月も生活費の殆どを使い込んでしまったのだろう。

 そんな、二人につられるように苦笑すると、不意に、春とは思えない冷たい風が微かに吹いた。僕の背後から前方へ、抜ける様に吹いた風は冷たくはあるが、北風の様に乾いてはおらず、ヌメリとした嫌な湿り気を帯びた風であった。其の風に嫌な予感がしつつも、背後を振り返る。気持ちとしては、恐怖(ホラー)映画で追い詰められたとき、駄目だとは分かっているのに振り向いてしまう主演女優(ヒロイン)の様であった。

 恐る恐ると言う程には慎重ではなく、かと言って悠然と言う程に余裕を持たず、至極普通に振り向くと、其処には全身黒尽くめの長身の男が立っていた。こう言った言い方をしてしまうと、構内に不審人物でも入り込んだのでは無いかと思われるが、そうでは無い。別に頭脳は大人な某小学生探偵の因縁の相手が立っていた訳ではない。

 視界の端で身体は大人で頭脳が子供な男が微妙な表情をするのを捉えながら、僕は件の長身黒尽くめの男性に向き直る。因みに断っておくが、けして、けっして僕の身長が低い訳では無く、件の男性の身長が高いのだ。僕の身長は日本人男性の平均身長とほぼ変わらない。僕は西緒維新であって、自分の身長に悩むマハラギだかアギラオだかそんな名前の男子高校生では無いのだ。だから、もう一度言わせて貰うが、僕の身長はけして低くない。其れだけ分かって貰えれば結構だ。

 

「おはようございます、香田教授」

 

「――おはよう」

 

 何やら一瞬だけ間があって、しかし薄い微笑みを崩す事無く件の人物――香田学人教授が挨拶を返してきた。

 香田学人教授。此の人物に関して僕が知っている事はそう多くない。名前と外見、そして、僕達三人の選択している香田ゼミの講師であると言う事だけだ。此れは僕だけでは無く、此の大学に在籍するは殆どの人間が同じ様な認識しか持っていないだろう。

 容姿に関しては、二文字で表せば端麗、三文字で表せば美丈夫、四文字で表せば眉目秀麗。透ける様な白い肌と、整い過ぎるほど整った顔立ちをしている。経歴は不明。海外の超難関大学を首席合格首席卒業しただとか、中卒で働きながら独学で大検に受かっただとか諸説あり、出生も東西洋邦はっきりせず、出自の貧富貴賤も分からない、更に言うならば実年齢すら不明である。(まさ)しく謎めいた(ミステリアスな)人物である。

 謎多き美青年など、(さぞ)や女学生から人気が出そうな物だが、実際はそうでもない。彼は神秘的(ミステリアス)だが、同時に不気味(オーミナス)でもあるのだから。

 誤解が無い様に先に言っておくが、別に彼が悪人だと言っている訳では無い。悪い噂は聞かない。人物としては物静かで穏やかな、良心的な人物だと認識している。しかし、不気味で不吉で不可解なのだ。

 確かに美形ではあるのだが、整った顔立ちは作り物の様で、薄く浮かべた微笑みは其の笑顔が本来持つ、暖かみや慈愛を感じられず、只々管(ただひたすら)に寒々しく虚無的である。重く、深みに嵌まる様な低い声は、艶消しを使った様な黒く長い髪と、黒尽くめの格好と相俟って、深く、暗い、星も月も消え去った闇夜を彷彿させる。そんな不気味な闇夜の中、其の端整な白貌だけが、茫、と浮かび上がって見えるのだ。

 奇妙と言えば其の服装も奇妙である。大時代な銀縁の丸眼鏡を掛け、深い夜色の長裾外套(ロングコート)を纏っているのだが。秋頃や冬場なら兎も角、春先や夏時でも香田教授は此の格好(スタイル)を変えない。小肥りで眼鏡の痛々しい男子高校生とは違い、格好付けでも痩せ我慢でも無く、そうする事が自然の様に、そうある事が必然の様に彼は変わらない。薄い嗤いを仮面の様に貼り付けながら、穏やかだが重く、暗いけれど良く通る声で講義をするのだ。

 其の不可解な不安を、不明瞭な不吉を、不思議な不気味さを孕んだ其の人を、畏敬の念を払い、我々学徒一同は『魔人』と呼称している。

 

「三人共、課題は順調かね」

 

 『魔人』――香田教授が、深淵から覗かせるような声でそう言った。しかし、はて、課題?

 

「課題なんて出てたか?」

 

 思わず、という程には無意識的ではないが、口を突いて出てきた言葉に亘と猪上が揃って首を傾げる。まるで思い出せない。抑々(そもそも)、春休みが終わって直ぐに出てくる課題なんてあっただろうか。

 首を捻って思い出そうとする僕達三人を、香田教授は穏やかな、しかし其れでいて寒々しい微笑みを浮かべたまま、黙って見ていた。そんな教授の整った白貌を眺めている内に段々と思い出してきた。

 

「……都市伝説蒐集」

 

「――そうだ」

 

 不意に、今度こそ無意識的に出てきた其の言葉を教授が掬い上げる。再び失ってしまう事の無い様に救い上げる。

 教授の呟く様に短い、囁く様に小さい、しかし良く響く一言が僕達の脳髄の隅々迄染み渡る。

 

「あー、そういや、春休み中にゼミの連絡網で回ってたわ」

 

「そうだったね、すっかり忘れてたよ」

 

「もし昨日とかに伝えられてても、お前は忘れてそうだがな」

 

 亘の嫌味を否定したいが否定しきれずに憤慨する猪上を横目に、僕は違和感を抱いていた。不真面目な猪上や僕――僕や猪上では無く猪上や僕だ。順番は大事である――なら兎も角も、比較的真面目である亘まで忘れていたのは不思議だ。少し怠惰な所はあるが、課題などのやらなくてはならない事は(しっか)りとやる亘にしては珍しい。まあ、亘とて完璧では無いし、超優等生という訳では無いのだから忘れる事位あるだろう。

 そんな事を考え乍ら、思い出させてくれた礼を言おうと教授に向き直るが、既に其処に彼の姿はなく、春の構内特有の喧騒が広がっているばかりだった。相変わらず謎の多い人である。

 




 いかがでしょうか? 誤字脱字や言葉の間違いは此方でも気を付けてはいますが、もし見付かりましたらご指摘お願いします。

 各キャラクターについては、元になった作家さんの小説のキャラクターが元になっています。見た目は概ねそのまま、性格や話し方に関しては筆者の独断偏見都合などにより少し変わってしまうことがあります。

 横文字を漢字にしている部分に関しては、一応最低限調べてはいますが、造語、意訳などが含まれます。御容赦ください。


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貮章

「僕、あの人苦手なんだよね……」

 

 手に持った透洋杯(グラス)の中身を煽る様に飲んだ後、呟く様にして猪上が言った。其の一言に僕と亘が首肯する。

 

「あの人が得意な奴なんて、なかなかいねえだろ」

 

 失礼な物言いではあるが、此れ(また)首肯せざるを得ない。僕は二年間、彼の講義を受けているが、彼に好意を持っている人間を見た事が無い。

 特別嫌われていると言う事は無いと思うのだが、何となく腫れ物に触れると言うか、引き気味に接してしまうのだ。本人は気にしている様子は無いのだが、此れではいけないと、僕は平素な態度を心掛けている。しかし、滲み出る様な気味の悪さというか、気持ち悪さを抑える事はなかなか出来ない。

 現在僕達は、構内(キャンパス)にある茶寮(カフェ)に来ている。僕と亘の目の前には珈琲が置かれており、猪上は金が無い為に水だけを頼んでいた。どうやら本当に何も食べていないらしく、水で腹を膨らますと言っていた。何というか、逞しい奴である。

 亘が珈琲に、砂糖と加工乳(フレッシュ)を此れでもかと言う程に入れているのにも慣れたもので、其の様子を横目に僕は其の儘(ブラック)で珈琲を頂く。

 

「本当は練乳が欲しいんだがな」

 

「毎回そんなに珈琲を甘くしてたら、病気になるぞ」

 

「甘党なんだよ。それに、人生は苦い事ばかりだからな、珈琲位は甘い方が丁度いいんだよ」

 

「ハッ、その珈琲みたいに甘っちょろい考えだな。人生が苦い事ばかりなら、そんなものを入れずに飲んで、少しでも苦味に慣れておく事をお奨めしよう」

 

 亘の戯言に、僕が直ぐ様切り返す。此れも亦予定調和である。そんな僕達の何時も通りのやり取りを、水の御代わりを頼んだ猪上が退屈そうに、拗ねた様な顔で見ていた。何だろう、仲間に入りたいのかな。そう言う態度は可愛らしい女の子がするから心打たれるのであって、男がやっても心の揺らぎは半分以下である。

 

「それより、課題どうするの?」

 

 珍しく猪上から課題についての話題が出る。そう、抑々(そもそも)僕達が此処に来た理由は、課題についての話し合いだ。

 課題については同じゼミの島田さんに詳しく聞いた所、巷に溢れる噂話や都市伝説について調べ、自分なりの考察を纏めるだけだ。

 さて、都市伝説。風の噂、街談巷説道聴塗説。言うなれば世間でまことしやかに囁かれている出所の分からない話の総称である。信憑性の有無よりも、話題性や娯楽性の高さが優先される印象が僕の中にある。香田ゼミの研究テーマの一つに『民俗学と都市伝説』という物があるのだが、今回の課題は其の一端であろう。此の手の話題は学生であればやはり気にする所なのか、教授本人の人気とは裏腹に、彼の講義は人気である。

 

「お前達はどうするつもりなんだ?」

 

 僕はまず、取っ掛かりを他人に求めてみた。僕の言葉に二人は一瞬だけ考える様な仕草を見せたが、あてがあるらしく直ぐに答えてきた。

 

「僕は友達に聞いてみるよ、そういうの詳しそうな奴がいるし」

 

 成程、僕や亘と違って猪上には友人が多い。其の伝手で調べる様だ。抑々、課題の詳細を教えてくれた島田さんも彼の友人の一人だ。

 

「俺は妹に話してみる」

 

 亘は妹さんに訊くのか。確か亘の妹さんは高校生だった筈だ。噂話や都市伝説と言った類いには興味のある年頃だろう。

 二人の話を聞いた上で、僕自身の遣り方を考えてみる。僕は友人がそう多くは無い為、相談出来そうな人は思い当たら無い。妹と言うのは良い手だとは思うのだが、僕は亘と違って妹とあまり仲が宜しく無い。彼奴等、特に一番下の妹は僕の事を舐めている節があるので、相談事をする等という()()を作りたくは無い。となると、自ずと方法は絞られてくる。インターネット等の書き込みを見るか、地道に聞き込みである。

 何方も悪くは無いと思う。然し(なが)ら、問題もある。まず、インターネット上の情報は少々情報過多な嫌いがあるという点だ。別に指定がある訳では無いのだが、裏の取りやすい此の近辺の噂や都市伝説について調べたいと思うのだが、ああ言う大規模な情報を取り扱う場所は地方的(ローカル)な情報になるほど手に入りにくい。此れは僕の勝手な印象で、実際は調べ方に因るのかも知れないが、残念ながら僕は其処までパソコンやインターネットと言った物に詳しくは無い。

 もう一つの聞き込みに関してはもっと単純だ。面倒臭い事と、知らない人に声を掛けるのが気恥ずかしい、只其れだけである。抑々、調べる事がある程度決まっているのであれば兎も角、ただ漠然と噂話を訊くだけでは何となく聞き辛い物がある。

 何か良い案は無いだろうかと考えていると、亘が此方を見て頷いているのが目に入る。

 

「……何だよ?」

 

「いや、ネットは情報過多で裏取りが面倒だし、聞き込みも気恥ずかしいとか考えてるんだろうと思ってな」

 

 な、何故それを!? 此奴、もしかして超能力者(エスパー)か!? 等と、まるで中学生の様な科白を脳内に浮かべながら、驚愕の視線を渡に向けると、亘は、彼にしては珍しく優しげな微笑みを浮かべた。

 

「……元ボッチ同士の共感(シンパシー)って奴だな」

 

「待て! 僕は別にボッチだった訳じゃないぞ!」

 

 と言うか、そんな悲しい事をそんな良い笑顔で言うなよ。

 確かに僕は(かつ)て、友達を作らなかった時がある。当時の僕の言い分としては『人間強度が下がる』からという少し痛々しい理由ではあるのだが、あの当時はあの当時で人間関係で色々あったのだ。抑々だ、前述の通り、僕は友人を()()()()()()のであって()()()()()()訳では無いのだ。今此処で、二人とこうして茶寮にいる事が、何よりの証拠である。敢えて言わせて貰うが孤独(アローン)だった訳ではない孤高(マーヴェリック)だったのだ!

 そんな意思を込めて亘を睨め付けてみるのだが、何を勘違いしたのか、亘は僕の肩に手を置いて優しく頷いて見せた。まるで、自分だけは分かっているとでも言いたそうな態度だ。

 

「そんなお前に、俺の持つ48のボッチ技の一つを教えてやる」

 

「お前、超人だったのかよ……」

 

 残る47の技もさる事ながら、後に追加されるであろう52の技も気になる所である。屁のつっぱりはいらないのだろうか。

 

「人知れず情報を手に入れる。その名も『姿なき諜報員(エージェント・インビジブル)』だ」

 

「エ、『姿なき諜報員』……?」

 

 何故だろう、こう言う謳い文句(フレーズ)を聞くと胸の辺りがザワザワとするのは。こういった、所謂中二病的な感覚は完全に捨て去る事は出来ない物らしい。其れは僕だけでは無いはずだ、誰だってそうだ、僕だってそうなのだ。其の証拠に、猪上も興味深そうに亘を見ている。

 

「いいか、まずはイヤホンと携帯を準備する。あとは簡単だイヤホンを付ける、この時に音楽は流すな、無音だ。何ならイヤホンを何にも繋げてなくていい。そして、駅前や喫茶店なんかで話してる人間の近くを陣取り、いかにも待ち合わせや暇潰しをしているかのように携帯を弄りながら話を聞くんだ」

 

「ただの盗み聞きじゃねえか!」

 

 僕の叫ぶ様なツッコミに、茶寮にいた数名の客が何事かと此方を見るが、そんな物を気にしていたらツッコミ役は務まらない。いや、別に好きでツッコミ役に収まっている訳では無いのだが、僕の周りにはボケに回る人間が多い為、僕の様な常識人は――もう一度言おう、僕の様な常識人はツッコミに回らざるを得ないのだ。

 ……何故だろう、何処からか異議を唱える声が聞こえた様な気がするが、何度でも言ってやろう僕は常識人(モラリスト)誠実な人間(モラリスト)道徳家(モラリスト)である。

 

「おいおい、人聞きの悪い事を言うなよ、一人で静かにしてたら()()()()会話が聞こえてくるだけだ。何処でもかしこでも騒ぎ立てるリア充共が悪い、俺は悪くない」

 

 相変わらずの亘節である。どうして此奴はこんなにも捻くれているのだろうか。一度だけ訊ねた事があるが、『俺が捻くれてるんじゃない、世間が歪んでいるから真っ直ぐな俺が捻くれて見えるだけだ』と捻くれた返事が返ってきたので其れ以来訊いていない。

 悪い奴では無いのだが、こう言った言動が誤解を招きやすく、勿体無い性格をしていると思う。まあ、此れも彼らしさと言う奴だ、個性は大事にしなくてはならない。

 

「なるほど、何かその方法って、スパイみたいでカッコイイね!」

 

 ……猪上、少し素直過ぎやしないか……? 此奴は此奴で心配だ。悪い女に騙されて、高価な壺など買わされない様に眼を光らせておく必要がありそうだ。信じられないだろうが、此れでいて此の男は僕より歳上である。

 しかし、正攻法とはけして言えない此の作戦、よくよく考えると悪くは無いのかもしれない。確かに常識的、道徳的には問題のある行動かも知れないが、噂話と言うのは結局的に人の口から人の口へと渡り歩く物である。情報は鮮度が命と言う言葉が何かの娯楽小説に書いてあったが、進行形で話されている物など鮮度は抜群である。少し気は引けるが、やってみる価値はあるだろう。

 其の後、暫く雑談を楽しんだ後に解散という流れになった。亘は早速課題に取り掛かるらしく、猪上は友人とゲームをするらしい。僕らは友人同士であり気も合うのだが、行動を共にする事は、実は余り多くない。疑問に思うかも知れないが、猪上は他の友人との付き合いがあるし、亘は連れ立って行動する事を余り好まない。其れでも僕は、此の関係を心地好く感じるし、此れが僕達の在り方なのだと思っている。気の向いた時に会い、語らい、巫山戯あい、そして亦各々の生活に戻る。此れも亦友情の形なのだと僕は思うのだ。そして、恐らくではあるのだが、二人もそう思ってくれているのでは無いのかと思う。

 僕は一人茶寮に残り、洋杯(カップ)に残った珈琲を見つめる。黒洞々とした夜の色をした液体を見つめていると、不意に寒さを感じた。視線を上げると、蒼天に座していた彼女は、其の身を朱に染めながら、少し西に傾いていた。

 

 

 




 今のところは書き溜めがあるので更新は早いですが、無くなると急激に遅くなると思います。ですが、なるだけ早く更新出来るように頑張ります。


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參章

 翌日、一、二時限の講義を終わらせた僕は街に繰り出していた。耳にイヤホンを嵌めた儘、駅前や繁華街を出来るだけゆっくりとした歩調(ペース)で、怪しまれない程度に周囲に気を配り(なが)ら歩いていく。言うまでもなく、昨日渡から聞いた方法を実践しているのだ。

 大して情報は入らないだろうと高を括っていたのだが、意外や意外、結構な数の噂話を耳にする事が出来た。

 街中に現れる人食い虎、川を流れる男、車を片手で持ち上げる少年、良く当たる占い師、悪人を作り出す井戸、ポートマフィアの凄腕暗殺者、街中で忽然と姿を消す人達……etc.etc.(などなど)

 正直な所は何れも眉唾物なのだが、前述の通り、噂話や都市伝説と言った類いでは信憑性等よりも話題性や娯楽性の方が重要なのだ。更に、此れらの話は人と人との間を渡る伝言ゲームだ。其処には情報の齟齬や勘違い、聞き間違い、時には悪意や好奇心など意識的無意識的に関わらず尾鰭は鰭が付く。今日聞いた話もそうなのだろう。

 そんな様々な情報の中、僕が気になったのは此の噂話だった。

 

『横浜連続暴徒事件』

 

 僕達の住む此の横浜で起きている事件だ。今の今まで普通に生活していた人間一人が、()しくは複数人が、唐突に暴れだして周囲の人や物に危害を加え始める。此の事件自体は報道(ニュース)でもやっている有名な事件だ。ただし、一つ一つの事件は個別に解決しており、犯人も捕まっている。なので、本来は連続事件では無いのだが、先にも言った普通の人達が急に暴れだすと言う奇妙な共通点からそう呼ばれている。

 さて、ニュースでも流れている様な事件の何処に僕が気になる要素があったかと言うとだ。噂話ではこう語られていた。『此の事件には黒幕がいて、何れ横浜市民全員を暴徒とする計画の予兆である』との事だ。そう、所謂陰謀論である。将に典型的な都市伝説と言えるではないか。

 然も、世間を揺るがす事件として最近では報道で見ない日は無い程の大きな事件だ。インターネット上でも噂されているに違いない。つまりは情報が得やすい。此れは楽な課題になりそうだ。勝ったなガハハと笑い声を上げそうになるのを堪え、小さくガッツポーズを取ると、近くに座っていた占い師の女性と眼が合った。

 一言で言ってしまえば美人だった。強気そうな目付きも、白く澄んだ肌も、赤がかった長い茶髪も、全てが彼女を此の世界において確固たる存在として固定する為に神が指示したと言える様な美人だった。彼女と僕の間に強い風が吹く。春特有というよりは都会特有の高い建物から吹き返す風が、薄紅を伴う事無く只駆け抜けていった。其れは、端から見れば何かの一枚絵にも見えた事だろう。――まあ、僕が絵になる様な容姿をしていない事は認めよう。僕は普通で普遍で凡庸な、一般的な見た目をしている。だから、飽くまでも状況(シチュエーション)の話である。

 暫く見つめ合っていた僕達だが、女性の視線が怪訝な物に変わるのを見て、僕の方からゆっくりと目を逸らし、小さく掲げていた拳も下ろした。

 

「何か良いことでもあったの?」

 

 将か声を掛けられるとは思わなかったので、少し驚きつつも視線を彼女に戻す。しかし、其の台詞は何やら奇妙な感じがするな。金髪でアロハなオッサンが言いそうな台詞だ。若しくはツンデレ娘やツインテ娘、百合っ娘や前髪ちゃんなどの人達が其の台詞に独自性(アレンジ)を加えた物を本編に関係ない所で言ってそうだ。

 急に声を掛けられたので、上手く反応できずにいると、彼女は少し首を傾げて見せた。ぐるりと背面まで回るように傾げて見せる訳ではなく、普通に、小さく傾けた。何故だろう、今日は随分と声が出しにくいな、まるで昨日から全く声を出してないみたいだ。そんな事は無い筈なのだが……。

 

「占い師って、ちょっと見ただけで分かるものなんですか?」

 

「いやいや、ガッツポーズを取ってたら誰でも分かるでしょ」

 

 確かに其の通りだ。

 呆れた視線を受けながら、彼女に近付いてみる。白いブラウスに赤いネクタイ、土埃色(カーキ)の上着を着た彼女はあまり占い師っぽくは無く、普通の学生の様だった。しかし、小さい机に掛け布をし、貼り紙には『占』の一文字だけが書いているのを見ると、間違い無く占い師だ。彼女が通り掛かった際に、腹痛を起こした占い師のおじさんに代理を頼まれた可能性もあるが。いや、其の場合は花嫁衣装(ウエディングドレス)を着てなくてはならない気がする。何となくだが。

 占い、卜占、命・朴・相。人の運勢や未来、心模様を見透し、助言を授け、より良い方向へ助け導く行為だ。古くは政治等にも大きく関わっていた物で、国や集落の中心に占い師がいたり、亦は、其の主導者自身が占い師である事もあった。一般的には女性が関心を持ちやすく、雑誌やテレビ等で簡単に其の時の指針を示す物もあれば、街頭や店舗で直接占って貰い相談する物まで様々である。僕自身は占いに強い興味を持っている訳では無いが、其れでも朝のテレビでやっている占いで良い結果であれば気分は良いし、悪い結果なら複雑な気分になる事は否めない。きっと此れは僕だけに当てはまる事では無いのだろう。其れだけ、占いという物が世間一般に浸透している証拠である。さて、暫く此の占いに関する考察を続けても良いのだが、此れ以上続けると僕の知識不足というか、底の浅さみたいな物が露呈してしまいそうなので此処らで締めさせてもらおう。気になる人は自分で調べてみる事を推奨する。

 今日一日続けた所為で、すっかり癖になってしまっているゆっくりとした歩調で彼女の前に立つと、躊躇うことなく眼前にある椅子に腰掛けた。

 別に占って貰う訳では無い。こうして街中で占いをしている位だから、件の噂について何か知っていないかと思ったのだ。けして、彼女の見かけにつられて話したくなったとかでは無い、けっして無い。

 

「占いかしら?」

 

「いや、少し話がしたくて」

 

「……ナンパ?」

 

 彼女の訝しむ様な視線に慌てて首を振る。彼女位の見た目になると、ナンパ紛いの輩も少なく無いのだろう。紳士で真摯な僕としてはそう言った奴等と一緒にされるのは心外なのだが、彼女から見れば差異は無いのだろう。だから僕は、単刀直入に用件を伝える。

 

「『横浜連続暴徒事件』の噂について調べているんだが、何か知ってはいないか?」

 

 此れで少しは警戒が解けるかと思われたが、彼女は訝しむ様に細めた目を鋭く光らせ、睨み付ける様な表情に変わった。

 

「調べて、どうするつもり?」

 

 彼女の凛とした声が僕の耳朶に響く。冷たく、澄んでいて、其れでいて綺麗な其の声は繊細な硝子細工みたいだと思った。例えるならば、自分の胸の成長に悩む孤高の歌姫みたいな声だ。少し伝わり辛いだろうか、まあ良いか、先日も言ったが、僕は特別アイドルに詳しい訳ではないし。

 

「大学のゼミの課題なんだ。巷の噂や都市伝説なんかを調べて、考察を纏めるっていう」

 

「……そう」

 

 僕の説明に、彼女は少しだけ表情と語調を和らげる。張り詰めていた空気が少し弛緩するのを感じながら、僕はさらに彼女に声を掛けた。

 

「で、貴女の名前は?」

 

「噂はどうしたのよ、関係ないじゃない。やっぱりナンパなの?」

 

「いやいや、地の文でずっと彼女彼女と代名詞ばかり使ってたら、何だかゲシュタルト崩壊を起こしそうでさ」

 

「……何の話?」

 

 再び怪訝な表情になる彼女。前述の八割は当然冗談で、名前を教え合う事で少しでも友好的(フレンドリー)になれば話しやすいだろうという配慮だ。間違っても美人なお姉さんの名前が知りたかったとか、そう言う訳ではない。……本当だぞ。

 

「そうだな、自分から名乗らないのは失礼だな。僕の名前は西緒維新だ。東南西北の西に内緒の緒、繊維を新しくするで西緒維新だ」

 

「……はあ、志蔵千代丸よ」

 

 呆れた様な、若しくは諦めた様な声で名乗った彼女は志蔵千代丸というらしい。しかし、千代丸か……女性にしては少し珍しい名前だ。そう言えば志蔵には女性にとって必須と言えるもの、おっぱいが見当たらないな。若しかして男という可能性も……。

 

「……貴方、何かとてつもなく失礼な事を考えてない?」

 

「い、いや、けしてそんなことはない。女性にしては珍しい名前だと思っただけだよ」

 

 嘘は言っていない筈だ。敢えて口にはして無い事はあるが。そんな僕を志蔵は、じっとりとした疑わしい物を見る様な目で見ていたが、やがて先程と同様の溜め息を吐いた。

 

「本名じゃないわ。仕事用の……源氏名みたいなものね」

 

 源氏名。本来の意味としては源氏物語に因んで付けられた名前という意味で、現代では水商売や性風俗関係の職に就いている人の偽名として使われる言葉だ。更に其処から転じて、訳あって本名を名乗れない場合の偽名といった形で使われる事も多い。占い師という職に偽名が必要なのかどうかは分からないが、何か事情があるのだろう。僕が其処に踏み込む理由も権利も義務も無いので、深くは聞かない事にする。人間誰だって聞かれたく無い事はある物だしな。僕みたいに真面目に誠実に正直に生き続けるのも難しいものだ。

 

「それで、志蔵の歳は幾つなんだ?」

 

「え? 二十三だけど……」

 

「歳上かあ……呼び捨てやタメ口はまずいかな」

 

「いや、私はあまり気にならな……ちょっと! 本当にナンパじゃないのよね? さっきから関係ない話ばっかりじゃない!」

 

 志蔵が声を上げるが、僕は気にしない。こうして関係なさそうな話をする事で話しやすくするのが目的だ。……さっきから僕は何故言い訳みたいな事を言っているんだろうか? まあ良い、気にしたら負けだ。誰に負けるのかは良く分からないが。

 先程から通りすがる人達が、僕らのやり取りを奇妙な物を見るかの様な目で見ているが、僕は気にする事なく目の前の志蔵に話し掛け続けるのだった。

 



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肆章

一つ一つの話が長引いて、どこで切ればいいのやら……そんなこんなで五話目です


 本題に入る前に、章を跨いでしまった事を御詫びしたい。超物語的(メタフィクション)な台詞になってしまうが今更だろう。何せ寡黙で冷静(クール)で通っている僕は余り口数が多くないのだが、頭の中では色々と考えている事が読者諸兄には伝わっているだろう。なので、会話より思考の方が長く、ついつい脱線した内容を語ってしまう事についてはご容赦願いたい。さて、此れ以上次元を越えた(メタ)発言を続けると苦情になりかねないので本編に入ろうではないか。僕は某蝸牛の少女やmerc with a mouth(お喋りな傭兵)ではないのだから。

 

 

 

「それで『横浜連続暴徒事件』についてなんだが」

 

 一通り志蔵との雑談を楽しんだ僕は、漸く本題に入った。こうして他愛も無い会話をした僕達は、多少はお互いの事を知った筈だ。だから、今現在志蔵が僕に呆れた様な表情を向けているのは、心を開いているからこそなのだと思いたい。

 

「貴方、本題に入るまでどれだけの時間を使えば気が済むのよ」

 

「いや、僕は情報を得る側と与える側には何かしらの信頼関係が必要だと思うんだよ。しかし、僕と志蔵は出会ったばかりだ。そこには信頼も何もない。ならば、まずは話をして多少なりともお互いの事を知る必要があると思ったんだ」

 

「驚くほど口が減らない人ね……」

 

「失礼な。これでも僕は寡黙で硬派な人間で通っているんだぜ」

 

「貴方が寡黙で硬派ならリ○ァイ兵長は一言も喋らないわよ」

 

 可笑しいな、○ヴァイ兵長なら声は似ていると、亘なんかには良く言われるのだが。しかし、僕から寡黙さと硬派な所を奪ったら、冷静(クール)な所と知的(クール)な所と格好いい(クール)な所しか残らないじゃないか、全く失礼な奴だ。しかし、そう言った歯に衣着せない言い方は気を許している証拠だろう。そうに違いない。そう思うと少しばかり嬉しい物だ。そうして笑顔を浮かべる僕を、志蔵が気味の悪い物でも見るかの様な目で見ていたが、冷静で格好良くて知的(クール)な僕は狼狽えたりしない。ドイツ軍人並みに狼狽えないのだ。

 さて、閑話休題。

 

「とは言っても、私の方でも知っていることは多くはないわ。事件に黒幕がいて、横浜を混乱に陥れようとしているみたいな、ネットの書き込みや、街中の噂話と変わらないわね」

 

 なるほど、噂以上の事は知らないか。志蔵曰くネットの噂も大差無いらしいので、此れ以上調べて回るのは無駄足かもしれないな。

 

「そうか、ありがとう助かったよ」

 

「え? 私、大したことは話していないと思うのだけど……」

 

 素直に礼を言う僕に、志蔵が目を丸くする。美人と言うのはどんな表情をしていても映える物なんだな。男女の違いはあれど、正直に羨ましく感じた。

 

「いや、()()()()()()()()()も一つの情報だ。少なくとも無駄足をなくせるしな」

 

 其れだけでは無く、志蔵はネットの情報も大差ないと提示してくれた。つまり、インターネットで検索する手間も省けた。となると、後は帰って情報を纏めて自分なりの考察を書けば終わりだ。

 そんな事を考えていた僕に、志蔵が微笑みを向けていた。そういえば、志蔵の笑顔を初めて見た気がするな。先程お喋りに興じてた時は、終始呆れ顔だったような気がするし。

 

「意外と頭が回るのね。少し見直したわ」

 

「僕は知的(クール)な人間だからな」

 

「いいえ、貴方は愚か者(フール)よ」

 

「おいおい、僕の事をそんな風に呼んでいいのは水橋ボイスの後輩美少女だけなんだぜ。それに、僕はそんな評価を受けたことはないぞ。常に最高(オール)な評価だ」

 

「妄想乙。食屍鬼(グール)のように気味が悪いから誰も近寄りたがらなくて、結果として評価される事がなかったのでは?」

 

「おいおい、人形(ドール)のように愛される僕に対して言ってくれるじゃあないか」

 

「はあ、随分と自意識過剰ね。自分の役割(ロール)を分かってないんじゃない?」

 

「よし分かった。これ以上言われると僕の精神が辛い。そろそろ終わり(ゴール)としようじゃないか」

 

 山も意味も無い会話だった。此れで落ちまで無いと、一部女子から人気が出てしまうな。会話だけなら構わないが、話の流れがそうなってしまわないように気を付けなくてはならない。……(あら)ゆる意味でだ。西緒総受とかコメント欄なんかに書かれたら、僕は語り部を誰かに譲って引きこもらなくてはならなくなる。

 山も意味も無い会話の後に、山も意味もない思考を繰り広げた後、ふと思い立った事を言葉にしてみた。

 

「占いで噂の真相とか調べられないのか?」

 

 我ながら良い考えじゃないかと思ったのだが、其の考えは今日だけで見飽きる程見てきた志蔵の呆れた様な目に否定されてしまった。

 

「テレビの特番の見すぎよ。占いや霊能力で事件が解決するならこの世に未解決事件なんてないし、警察もいらないわ」

 

 ごもっとも。実に正論である。お恥ずかしい限りだ。

 志蔵の言う通り、超能力や占い、霊能力といった物で事件が解決するなら、此の世に未解決事件なんて存在しないし、未来を予見する能力でもあれば事件を未然に防ぐ事ができる。然し、世の中で事件や事故が無くなる事はなく、未解決事件も未だ未だある。そう言った事件は警察が解決に向けて尽力しているのだ。先程の僕の様な浅はかな考えは、解決に向けて努力をしている警察の人達、被害に遭われた方々、そして、其の関係者諸氏に失礼と言った物だろう。

 だが、可能性が無い訳では無いのだ。世の中に、そう言った()()()()()は確かに存在するのだから。

 

「試してみたのか? 試しもせずに否定するのはいただけないぜ」

 

「確かに、試してはいないのだけれど……」

 

 少々歯切れの悪くなる志倉。良く考えれば、仕事でも無いのに、高が噂話の真相を占おうとする占い師などいやしないだろう。そんな物は余程の物好きだ。そう考えると、先程の言葉は志倉に失礼だったかもな。

 

「では、僕からの依頼と言う形を取るのはどうだ?」

 

 謝罪の代わりに、僕はそう提案した。仕事であるならば、高が噂話でも、占う事に可笑しいところはない。

 

「でも、さっきもいった通り、占いって何でも分かる訳じゃないのよ? 言ってしまえば、ヒントを出すだけ」

 

「構わないさ、やってみることに意味があるんだ」

 

 かの近代五輪(オリンピック)の父と呼ばれるピエール・ド・クーベルタン氏も「参加することに意義がある」と仰っているではないか。因みに此の言葉、現代では「準備が万全でなくとも、とりあえずやってみろ」といった使われ方をするが其れは誤用であり、本来の意味は「重要なのは勝ち負けではなく、参加するまでに培ってきた努力こそが素晴らしい」と言う物である。抑々(そもそも)、前者の様な無責任とも投げやりとも取れる言葉に、感銘を受けるはずが無いと思うのは僕だけだろうか。もう一つ言うなれば、此の言葉は氏が考えた分かる訳では無く、聖公会のペンシルベニア大主教であるエセルバート・タルボットという人物が倫敦(ロンドン)五輪の際に米国(アメリカ)の選手たちに対して語った言葉であり、其の挿話(エピソード)に感銘を受けた氏が演説の中で使った物である。とは言え、氏の演説に因って有名になった所が大きいので、彼の功績はやはり偉大だとは思う。

 再び、閑話休題。

 

「じゃあ、占ってみるわね」

 

 そう言って志蔵が数枚の紙札(カード)を取り出した。其の数は九枚。点対称の幾何学模様が描かれている所をみると占い札(タロット)の様にも見えるが、表面は白紙で、占い札特有の寓意画(グレゴリー)は描かれていなかった。

 そんな物でどうやって占うのかと訝しんでいたのだが、目があった志蔵が唇に人差し指を当てて片瞬き(ウインク)をした。黙って見てろと言う事なのだろう。然しあれだな……何今の!? 超可愛い! もう普通に好き! 出会ってから無愛想な表情を見る事が多かっただけに、其の威力は計り知れない。生真面目な話し方と反するような、其のお茶目な仕草は僕の(ハート)を盗むには十分すぎる物だった。何だろう、此の高揚感は? 此れがギャップ萌えという奴なのだろうか? 左藤、坂木、藍空、お前らの言っていた事が、僕は漸く理解できた気がするよ……。

 萌えの入り口に立った僕が気付くと、準備は着々と済まされていた。等間隔に円形に並べられた九つの白紙の紙札の、其の円の真ん中に、志蔵が手を広げて置いている。ふと、空気が変わった気がした。そう、志倉の前で初めて『横浜連続暴徒事件』の名前を出した、其の時の空気に似ていた。ピリピリと肌に染みるような、張り詰めた空気。

 

「Mihi te est aequum parere

In mysterium novem nomine…」

 

 志蔵の口から淀みなく言の葉が紡がれていく。祝詞に当たるのか呪文に当たるのか、抑々何語なのかも、言語知識に乏しい僕には分からなかったが、其れを口にする志倉は、とても神秘的に僕の目に映った。

 僕が雰囲気に飲まれている間に言葉は終わり、気付けば九つの紙札に、何やら絵が浮かび上がっていた。僕の目の前、志蔵から見れば一番遠い紙札には女の子が描かれていた。

 何時の間にか配置も少し変わっていて、志蔵の目の前の紙札と僕の目の前の紙札を頂点にして、僕から見て右側に四枚、左側に三枚と少し歪な楕円形になっていた。

 左側の三枚の内一枚には灰色狼。残る二枚は子供の手を引く女性と占い師が描かれていた。右側の四枚は具象的に描かれていた左側と違い、とても抽象的だった。暗い紫と赤で塗り潰された物、炎と煙に見えなくも無い赤と白、荒野、そして真っ黒に塗り潰された物。何れも少し不気味に思える。

 顔を上げると、最後の一枚。目の前にある紙札を取って、微笑む志蔵と目が合った。

 

「やっぱり貴方は、未知数(フール)だったみたいね」

 

 そう言って穏やかに笑う彼女の手にあった紙札には、旅人の様な姿をした――僕が描かれていたのだった。



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伍章

 愚者(フール)占い札(タロット)()番目の札で。其の儘愚か者、落ち零れを指す場合もあれば、始まりや旅立ち、無邪気や未知数なども現し、時には天才を現す場合もある。先述の通り、僕は占いには然して詳しい訳では無いので良くは知らないのだが、愚者が天才を意味するというのは面白いと思う。

 そして、目の前で志蔵が持っている紙札(カード)には其の愚者の札に良く似た、旅人の様な姿をした僕の絵が描かれていた。道化師の様に奇抜で、旅人の様に草臥(くたび)れた服に、杖と少量の荷物。そして、何故か被っている歪んだ金の冠からは僕の象徴(トレードマーク)たる阿呆毛がちょろっと顔を覗かせていた。此の紙札を見て、僕が言える事は(ただ)一つである。

 

「『横浜連続暴徒事件』の真相を占ったんだよな? 僕は犯人じゃないぞ」

 

 そう、今日の今日まで此の噂を知らなかった僕が、占いの結果として出てきた事だ。当然、僕が黒幕という訳ではないし、周囲の人間が事件に巻き込まれたという事もない。其れに、他の札で人物が描いてある物に関しては、個人が特定出来る様な明確な描かれ方をしていないのに対して、此れだけは明らかに僕だと分かる様に描かれている所も気になる。

 そんな僕の疑問に対して、志蔵は笑顔を崩す事はなかった。ただ少し、笑顔の()が変わった気がしたが、どの様な意図に変わったのかは、僕には見抜けなかった。

 

「気付かない? 愚者の札の一番近くに、占い師の札があるの」

 

 言われてみれば、占い師の札は他の札よりも少し志蔵の方に、つまりは元々は愚者の札があった位置に寄っていた。まあ、現在僕の描かれた愚者の札は志蔵の手慰みにあっている訳だが。志蔵の手慰みにあう僕か……悪くない響きだ。

 

「気持ち悪い顔をしていないで、話を続けるわよ」

 

「え? 僕がそんなに変な顔をしてたのか?」

 

「そうね、今みたいな顔よ」

 

「いや、今のは真顔だよ! 真顔が気持ち悪いとか初めて言われたわ!」

 

 何なんだよ此奴。毒舌キャラとして売り出し中なのか? だったら髪を黒か紫に染めて出直してこい! 黒だったら早見声に、紫だったら斎藤声になるのも忘れるなよ。因みに、僕は罵倒されて喜ぶような変態ではないので、そういった口の悪い女の子とは付き合いがない。というより、普段から妹以外の女の子との関わりがあまりない。あれ、可笑しいな……僕の中の迸る青春が結晶となって瞳から零れ落ちそうだ。

 

「ちょ、ちょっと、冗談だから泣かないでよ! 言い過ぎたのは謝るから」

 

「な、泣いてない!」

 

 街中で女性から罵倒されて、涙を浮かべる男子大学生の姿が其処にはあった。言うまでも無く僕の事なのだが、厳密には罵倒されて泣いた訳ではない。罵倒された結果、悲しい事実に思い当たって泣いただけだ。……あまり変わらないな。寧ろ、もっと酷くなっている気がする。

 涙を浮かべる僕に、志蔵がハンカチを貸してくれる。綿の青と緑の格子模様のハンカチだった。落ち着いた色合いも、簡素(シンプル)意匠(デザイン)も彼女らしかった。志蔵は優しいな、自分で泣かせた相手にハンカチを貸すなんて、なかなか出来ることじゃない。……ん? 此れは優しいと言っていいのか? まあ、いいだろう、僕なんて妹を泣かせてもハンカチを貸してやった事なんてないからな。

 志蔵のハンカチで涙を拭うと、僕は目で話の続きを促す。其れに首肯だけで返事をした彼女は、愚者の札を元あった位置に戻した。

 

「この愚者は言うまでもなく貴方を現しているわ。そして、この占い師の札。分かるとは思うけど、これは私ね」

 

 其れについては、何となくではあるが理解できる。愚者の僕と占い師の志蔵。恐らくだが、今の此の状況を現しているのだろう。

 僕の目を見た志蔵が小さく頷いたのを見て、僕も頷き返す。其れを見た志蔵の形の良い唇の端が少し上がり、小さな笑みを形作った。

 

「理解が早いのは助かるわ。次に貴方の右側。今の貴方ではなくて、札の貴方ね。これが、貴方にとって有利に働くものよ」

 

 言われて右側。僕から見て左側の札達を見る。描かれているのは先程も述べた通り、子供連れの女性、灰色狼、そして志蔵を現す占い師である。しかし、有利に働くと言われても今一ピンとこない。占い師はまだ分かるとしても、子連れの女性が僕にとってどのように有利に働くのか、皆目見当もつかない。灰色狼に至ってはさらに解せない。日本の野生の狼は既に絶滅して久しいので、狼に会うには動物園に行くしかない。しかし、動物園で檻の中に入れられた彼ないし、彼等が僕にどうやって力を貸してくれるというのか。抑々だ、有利に働くと言われても何に対してかも分からないのだ。まあ、其れに関しては此の先を聞けば分かるのかもしれないので、僕は黙って続きを促した。

 

「子連れの女性に関してだけど、恐らくはそのままね。子連れの女性が貴方に協力してくれるということ。ただし、シングルマザーに見えることから苦難や離別なども読み取れる。協力関係になるには少し難儀するかもしれないわ」

 

 子連れの女性かあ……知り合いにはいないし、此れから出会う事になるのだろう。協力者になってくれるかどうかは僕次第のようだが、僕の溢れ出る人間的魅力と対人(コミュニケーション)能力があれば大丈夫だろう。

 

「もう一つ、灰色狼の方だけど、これは解釈が多いわ」

 

 オオカミ、狼、大神、ネコ目イヌ科イヌ属に属する哺乳動物で多くの神話、童話、民間伝承に登場し、多くの熟語、諺、慣用句に使われる知名度の高い(ポピュラーな)動物である。僕個人の印象としては多面性のある動物といった所だろうか。強き者としての印象があるが、其の実臆病で、孤高の象徴とされながらも群れをなし、古来キリスト教では神の天罰の代行者とされながらも七つの大罪の一つ『憤怒』の化身とされ、悪魔として扱われる。日本や世界の一部地域では益獣とされたり、神として祀られる一方、家畜を襲う害獣として忌み嫌われる。残虐な印象があるが、人間の子を拾い育てたという心温まる逸話もある。月の象徴とされたり太陽の化身だと言われたり、様々な伝承、逸話、解釈を持つ。処変われば意味の変わる物は数あれど、此処まで違いが出るのも狼位なのではなかろうか。

 そんな、多様な面を持つ狼ではあるが、多くの場合に共通するのが()()() である事だ。其れは悪役であっても、味方であっても変わる事はない。まあ、悪役の場合は大抵、其れを上回る知勇を持つものに敗れる訳なのだが。其れでも多くは賢しい存在として描かれる。

 

「そうね、賢く強い存在、それが狼。そして、個々として力を持ちながらも徒党を組むものを現していると言える」

 

 そういって志蔵が灰色狼の札に触れる。札の中の狼は精悍な顔付きで正面を、つまりは僕らを睨み付けている。恐ろしい存在であると同時に、味方に付ければ心強いことが伝わってくる。

 

「この横浜で、そんな存在が二つあるわ」

 

 ゆっくりとした動作で札から手を離すと、其の手を組んで卓の上に肘を付ける。分かりやすく言えば、某組織の遮光眼鏡(グラサン)で髭の司令官の姿勢(ポーズ)である。あの人はなかなかに まるで ダメな お父さん でマダオだよな、声も似てるし。おっと、また思考が逸れてしまった。真面目(シリアス)場面(シーン)では少し抑え目にしなくてはな。

 

「一つは狼を悪とした場合。強く、徒党を組み、悪賢い者達。ポートマフィアもしくはそれに準ずる組織よ」

 

 裏組織。此の横浜で悪の代名詞とも言える言葉――其の代表格であるポートマフィア。其の幹部の殆どは強力な異能力者だと言われている。

 

「もう一つは狼を善とした場合。強く、徒党を組み、知恵者たる者達。武装探偵社もしくはそれに準ずる組織」

 

 武装探偵社。此の横浜に探偵社は数あれど、最も有名なのは彼等だろう。構成する社員はほぼ異能力者で、数々の事件を推理と暴力によって解決するという。

 何方にしても、味方につけられるなら心強いが、関わる事、其れ自体を躊躇させられる程の高名さだ。志蔵は、若しくは其れに準ずる組織と言っている。其れは、其の二つに程近い組織が、善悪違いはあれど存在するという事だ。

 

「とにかく、そのどちらかが力を貸してくれるということか?」

 

「そうとも限らないわ。有利に働くといっても直接的に貴方を手助けしてくれるとは限らない。貴方が行動している裏で、お互いに知らぬ間に有利な行動をとっているかもしれない」

 

 成る程な。となると、別に協力要請をする必要はないかもしれないという訳だ。少しの安堵と共に息を吐く。流石に一介の学生が関わるには勇気がいる相手なので、そうあって欲しいというのが本音である。

 そんな僕を眺めながら、志蔵が左側の紙札達に触れる。白く長い指が紙札に触れるのを横目に見ながら、僕は頷くだけで話の続きを促した。

 ふと、目の前の志蔵の髪が微かに揺れているのが目に入った。気付けば、強く吹く風は止み、暖かなそよ風に変わっていた。




 作品とはあまり関係ありませんが、浅井ラボ先生、「されど罪人は竜と踊る」のアニメ化おめでとうございます! 先日知りました。GAGAGAに移ってから読んでいなかったもので……。まあ、この小説、浅井ラボ先生出てこないんですけどね(予定)


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陸章

 切り時を見失ってしまったせいで、いつもの倍近い文字数になってしまいました……加えて遅くなった事をお詫びします。申し訳ありませんでした!


 暖かなそよ風を受けながら、此れが講義中に吹いていたら何人が寝落ちするだろうか、等と下らない事を思いながら志蔵の目を見る。睫毛の長い、大きな目を数回瞬かせると、軽く咳払いをしてから話を再開した。

 

「さて、右側に対して左側。此方は貴方に不都合な出来事や、敵対するモノを現しているわ」

 

 左。不吉や不運、不浄を現し、時としては死や悪なども現す六合の一方。左前や左手の敬礼など良くない印象が多々あるものだ。そんな左側の紙札(カード)に目を向けると、其の印象に恥じない、立派に不吉な紙札が並んでいた。先述の通り具体的な画は少なく、大半は不安を煽る様に塗り潰されている。

 其の中でも割合具体的に描かれている荒野の紙札を指差して、僕は志蔵の目を見る。彼女の青みがかった灰色の瞳に、一瞬だけ僕の姿が映る。其の一瞬、水面の様に瞳が揺れたが、直ぐに真っ直ぐ僕を見つめ返してくる。

 

「……荒野の紙札ね。これは比較的説明が簡単で助かるわ」

 

 そう言った彼女の手の中には、何時の間にか荒野の紙札があった。まるで、奇術師(マジシャン)の様に鮮やかな手際である。そして、其の儘紙札を手の内でくるくると弄び始める。先程の事もあり、まるで手品でも始めかねない雰囲気だ。白く、細く、長い指が器用に紙札を回すのを見て、本当に奇術師に向いているのではないかと思う。いや、志蔵の場合、其の美貌を活かしてバニーガール姿で助手役というのも……いや、止めよう、何故かは言わないが悲しくなってしまうから。

 

「何か不愉快な視線を感じたのだけど……」

 

「気のせいじゃないか? それより紙札の説明をしてくれよ」

 

 此れで良い。真実を語る事が常に正義とは限らないのだ。何故なら真実は時として残酷で、嘘の方こそ優しいのだから。僕は志蔵を傷付けたいとは思わない。だからこそ詭弁を振るおう。真実を語らず虚偽を騙ろうじゃないか。そうする事でしか彼女を護れないのだから。(ただ)一つ、一つだけ彼女に伝えられるのであれば、声を大にしてこう伝えたい。――ちっぱいには、希望が詰まっているのだと!

 

「気のせいだとは思えないのだけど……まあ、いいわ。貴方の戯言に付き合っていたら日が暮れそうだし」

 

 失敬な。今まで僕の名前を呼んだ人間は3人以上いるし、全員ちゃんと生きている。勿論、孤島で首なし死体に遭遇した事もない。ツッコミ所が違うって? 気にしない方が良い。戯言だからな。

 僕の傍白(モノローグ)が再び脱線したのを見抜いたのか、志蔵が(わざ)とらしく咳払いをしてじっとりとした視線を向けてくる。僕の悪癖にも困った物である。此の儘だと文字数稼ぎに思われかねないので、少しは自重するとしようじゃないか。……出来るかどうかは置いておくとしてだ。

 

「荒野というものは安全で愛らしい庭園と対概念となるもので、錯乱し広大で危険で畏怖すべきものとされていて、敵対し試練を与えるもの。貴方の行先の困難さを現していると思われるわ」

 

 志蔵は一度言葉を区切ると、僕に荒野の紙札を見せてきた。成程、分かってはいたが、恐竜、アンデット、岩石の攻撃力と守備力を上げる物では無いらしい。因みにアンデッ()と書かれているが、正しくはアンデッ()であり、前者は誤植から定着した言葉だそうだ。ベッドをベット、バッグをバックと言ってしまうように、口語において【濁音】+【撥音】+【濁音】という組み合わせが【濁音】+【撥音】+【清音】に変わってしまうことは多々あることなので、文章に起こすときには十分に注意されたし。

 三度(みたび)、閑話休題。

 しかし、考えてはみたが、其処までして僕が事の真相を追うだろうか? 正直な話、僕が自ら進んで危険な事に首を突っ込む所は想像し難い物がある。僕は其処まで好奇心旺盛ではないと思うのだが。

 僕は内心で首を傾げているのだが、志蔵は構わず話を続けた。

 

「次に、赤と白に塗られている紙札ね。色のイメージとしては良い(ポジティブな)物と悪い(ネガティブな)物がある訳なのだけど、今回は悪い方を挙げていくわね」

 

 まあ、当たり前と言えば当たり前だろう。僕に敵対ないし、不利益を(もたら)す存在や状況に対して前向きな心象(イメージ)はどうしたって浮かばないからな。

 

「赤と白。日本人ならお目出度(めでた)い印象だけど、それ以外だと、血と骨、炎と煙、共産主義と資本主義、サタンとイエス、源氏と平家……挙げればキリがないけど、不吉な心象や対立を意味したりもする」

 

 源氏と平家の話は僕でも知っているな、確かスポーツの紅白戦の由来だった筈だ。共産主義と資本主義は露西亜革命だったか? そう言われてみれば、戦争に関する色の組み合わせとも言える。

 

各々(それぞれ)の意味を取っても、赤には残酷、戦争、憤怒、燃焼、爆発といった粗野で危険な心象を持っていて、白にも空虚、薄情、無意味、冷淡などの酷薄な心象がある。そのことから、明確な敵意を持った者に狙われる可能性、そして避けられない闘争があると思われるわね」

 

 敵意、闘争、そんな普段の僕の生活からかけ離れた言葉に知らず知らず冷や汗をかく。波風立たぬ生き方をしてきた僕は、諍いになる程の敵意を向けられた覚えは殆ど無いし、闘争どころか喧嘩すら滅多にしない。その喧嘩ですら、妹達と小学生の頃に取っ組み合いの喧嘩をして以来である。

 不安を隠しきれない僕の様子を、志蔵が窺うように見てきたが、僕は問題ない事を伝えて、続きを聞くために居住まいを正した。其れを見た志蔵は赤白の札を置き、紫と赤の札を手に取った。

 

「紫と赤の紙札、これは比較的単純ね。赤と紫の共通の心象は欲求不満よ」

 

「……欲求不満」

 

 僕の呟くような一言に、志蔵が侮蔑的な視線を向けてくる。どうせ僕が下世話な想像をしていると思っているのだろう。まあ、否定は出来ないが。しかしだ、欲求不満という言葉を聞いて食欲、睡眠欲、物欲に対する不満よりも性的欲求に対する不満を想像してしまうのはうら若い男児としては一般的ではなかろうか? 此の飽食の時代に空腹に対する不満を慢性的に持っている人間はいないとは言わないが、一部だろう。睡眠も余程劣悪な環境にいなければ、最低限はとれるだろうし、物欲に関しては人各々(それぞれ)ではあるだろうが、抗い難い程の強い欲求とは言えない。しかし、性欲に関しては人間の三大欲求に数えられる程に強い欲求であり、僕達若人を支配している物の一つである。特に僕のような女性との接点が少ない男は、其の欲望を持て余し、行く先を常に探していると言っても過言では無いだろう。……過言か? まあ、其処は人各々だろうが、多くの男性諸君は大なり小なり悩んでいる物だろう。そうで無いのなら此処までこの国の性風俗産業は発展していない。

 ……と言葉にしても良かったのだが、今以上に冷たい視線を向けられる事は、火を見るよりも明らかだったので自重する事にした。こう言った話題においては、常に男性は女性と比べて弱者なのである。

 

「……まあ、赤も紫も性的な意味(ニュアンス)を含む事は否定しないけど」

 

 そういって溜め息を吐く彼女の瞳からは、侮蔑の色は抜けていない。どうやら志蔵は下ネタが嫌いなようだ。しかし、下ネタが無いと退屈な世界になってしまうと思うのだが……まあ、其ればかりと言うのも問題があるし、要は程度(バランス)の問題である。

 

「この札からは抑圧された欲求、そして解決と現状維持に対する強い板挟み(ジレンマ)を感じるわ」

 

「僕がその状態に陥るのか?」

 

「そうかも知れないし、他人がそうであるかもしれない。いずれにせよ、貴方が解決しないといけない問題に違いはないけれどね」

 

 欲求不満と両刀論法(ジレンマ)か……僕がそうなった時、僕は打開策を見付けることが出来るだろうか。また、他人がそうあった時、僕は解決策を探してあげられるだろうか。考えても解は出ず、自信もなかった。

 其れが赤の他人であるならば、見捨てるという選択肢もとれるだろう。しかし、若し其れが友人ならば、家族ならば、見知った人間ならどうだろう。きっと僕は見捨てられない筈だ。其れが今日出逢ったばかりの志蔵であっても、僕は見捨てられないだろう。彼ら彼女らの力になれるのであれば良い。僕なんかが手を貸すことで事態が好転するならば、幾らでも手を貸そうではないか。偽善的と言われても構わない。寧ろ、偽善である事を肯定しよう。此れは僕が僕である為の利己的な行為なのだから。

 まあ、今は考えても仕方がない事だろう。考えても仕方が無い事は考えない様にするとは渡の言であるが、此処は其の主張に乗っからせて頂こう。

 

「左側最後の紙札はこの黒の札ね」

 

 僕が考え事をしている間に志蔵が赤と紫の札を置き、黒の札を手に取っていた。

 

「これが一番難しいわ。黒単色は意味が多すぎるもの。寂寥、底辺、虚無的、悪、暗闇、陰気、拒絶、恐怖、脅威、極限状態、孤独、死、絶望、沈黙、不安、不気味、不吉、冷酷……ただ漠然と(マイナス)想像(イメージ)を与えるものに使われる色」

 

「単純に黒幕の存在を現していたりするかも知れないな」

 

Exactly(そのとおりでごさいます)

 

 ……志蔵もあの漫画好きなのかな? 後で聞いてみよう。言いたい台詞が言えたからか、何処となく満足げな志倉の表情を見ながら僕は話の続きを促す。

 

「とにかく、危険なことには変わりがないから気を付けてね」

 

 随分と適当(アバウト)助言(アドバイス)である。まあ、抑々占いといった物自体が曖昧な物である以上は、こういった結果が出る事もあるだろう。其れに、僕としても気になるのは其の先にある紙札なのだから。

 

「これが、最後の紙札ね」

 

 そういって志蔵が手に取った紙札。愚者()から一番遠い位置にあり、其れでいて僕の目の前にある紙札――女の子の描かれた札。全体的に暗い色使いと、俯き加減に描かれた彼女は何かの悩みを抱えている様にも見える。

 

「黒の紙札が黒幕を現すのだとしたら、その札は何を現すんだ?」

 

 僕の疑問に、志蔵は直ぐには答えなかった。少女の紙札をじっと見つめ、気を落ち着かせる様に一つ息を吐いた。

 

「これは恐らく、到達点(ゴール)

 

「到達点?」

 

「そう、愚者(フール)が長い旅の末に世界(ワールド)を知るように、貴方はこの少女へ辿り着かなくてはならない。いいえ、貴方(フール)が辿る道の全ては、少女(ワールド)へ続くように宿命付けられている。貴方が忌避しようと自ら関わろうと、貴方の意思に関係なく、貴方の進む道こそがそうなってしまうの」

 

 僕の進む道全てが紙札の少女へ続いている。左右進退全ての道が紙札の少女へ続いている。いや、(むし)ろ逆なのだ。僕の選ぶ道が紙札の少女への道となるのだ。因果の逆転ともいえるその言葉に、僕は身体を少し強張らせる。刺し穿つ死棘の槍(ゲイボルグ)かよ……因みにあれ、原典では足の指で挟んで投げたとか何とかで、本来は槍の名前では無く其の独特の投擲方法の事を言った名前という説もある。

 亦々(またまた)、閑話休題。

 つまりは、先程の自ら関わる関わらないという疑念を抱いていたのは全くの無駄で、どう足掻いても関わる羽目になってしまうらしい。ならばと思い僕は立ち上がった。

 

「そうか、だったら僕は明日から動いてみるよ」

 

 そう言った僕に対して、志蔵は目を丸くしてみせる。

 

「正気? 危険と言った筈だけど」

 

「正気も正気さ。むしろ逃げる事の方が危険だろう。逃げて心構えの無い内に巻き込まれるくらいなら、自分から腹を据えて向かって行った方がましだとは思わないか?」

 

「なによそれ……」

 

 志蔵が呆れた様に溜め息を吐いた後で、柔らかく微笑んで見せた。所謂、『やれやれ、仕方ないな』の流れである。そんな主人公的仕種をした彼女は、足下から取り出した手帳の(ページ)を破ると、同じく足下から取り出した万年筆で何かを書き込み差し出してきた。

 

「これ、私の連絡先。何か困った事があったら力になるから」

 

 震える手で、笑顔の志蔵から手帳の切れ端を受けとる。此の気持ちを何と呼べば良いのだろうか? 愉悦、恐悦、享楽、狂喜、嬉々、歓喜、感謝、感激、感動……男児に産まれて苦節二十余年。僕は生まれて初めて、家族以外の女性の連絡先を手に入れたのだ。そう、僕は、志蔵から連絡先を貰って嬉しかったのだ。

 

「いっっっっっ…………よっっっっしゃあぁぁぁぁっっっっ!!」

 

 女性から連絡先を貰っただけで、(かちどき)を思わせる様な歓喜の叫びを上げる青年が其処にはいた。言う迄も無く僕なのだが……。

 気持ち悪い物を見る様な目で志蔵がドン引きしているが、些細な事だろう。何せ、今日初めて会った美人の連絡先が、僕の携帯電話に登録されるというのだ。此れ程の喜びが此の世界に何れだけあるというのだろうか? 恐らく片手で数える程であろう事は想像に難く無いと思われる。天に拳を突き上げ、直立で涙を流す僕。今にも「我が生涯に一片の悔いなし」と叫び出しそうだ。

 

「そんなに喜ばれると、女冥利に尽きるとかそれ以前に、普通に引くんだけど……」

 

 普通に引かれてしまっていた。しかし、そんな些細な事を気にする僕ではない。気を取り直す為に咳払いを一つしてから、志蔵に向き直る。

 

「一つ、質問してもいいか?」

 

「……いやらしいことじゃなければ」

 

「しねえよ! 僕を何だと思っているんだ!」

 

 全くもって遺憾である。真の紳士たるこの僕が、そんなセクハラ染みた事をする訳が無いじゃないか。

 

「……志蔵、君のその占いは『異能力』によるものか?」

 

 志蔵が息を飲む気配が伝わる。どうやら正解のようだ。

 ――『異能力』。読んで字の如く、普通とは異なる能力(ちから)。異質で異常な奇異なる能力。人智を越えた特異な能力である。

 

「…………そうね、そう呼ばれている能力よ」

 

 やはりそうか。まあ、普通に考えれば白紙の紙札に絵が浮かぶというのは少々奇妙だ。志蔵は手先が器用だから奇術(マジック)の可能性もあったが、どうやら間違いないらしい。少し表情を暗くして俯く彼女に僕は、躊躇う事なく声を掛けた。

 

「面白い能力だな」

 

「……え?」

 

「いや、未来の情報が絵となって浮かび上がってくるというのは、中々に面白い能力だと思ってな。占い師としては最高の能力じゃないか? 演出(パフォーマンス)の一環にもなるしな」

 

 僕の言葉に志蔵は、少しの間ポカンとした表情を浮かべていたが、急に可笑しそうに笑い始めた。

 

「貴方、変な人ね。普通は不気味に思うものじゃないの?」

 

「生憎と知的(クール)冷静(クール)な僕は、それくらいでは動じやしないさ」

 

 そう、()()()()()()()()では僕は動じたりはしない。

 僕の名前は西緒維新。始めに言った通り異能力者だ。僕の持つ()()()()()に比べれば、彼女の持つ能力は実に安全で可愛らしい。只、僕の『異能力』について、此の場で語るのは止しておこう。後から幾らでもその機会はあるだろうし、何より今回の話は極端に長くなってしまっている。だから、そろそろオチを着けようじゃないか。

 

「志蔵、最後に一つだけいいか?」

 

「何かしら?」

 

「『カードがウチにそう告げるんや』って言ってくれないか?」

 志蔵が僕に冷めた視線を向けるが、直ぐに打ち消して悪戯っぽい笑顔を浮かべた。

 

「だが断る」

 

 ……それは残念だ。

 

 

 




 七話にして漸く『異能力』という言葉が出てくるこの小説は、間違いなく文スト二次創作としては異質だと思いました。(小並感)


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幕間


 今回は番外編になります。番外編はエタフラグとか知らない……知らないったら知らない……。


 

「血だよ」

 

 俺の目の前に座る金髪碧眼の美少女がそう言った。その可憐な容貌に似つかわしくない、嗄れていて、草臥れた老婆のような声だった。美少女の名前は桜場一樹。俺の上司である雇い主であり、俺の働いている『灰狼探偵事務所』の社長である。陶器人形(ビスクドール)のような白く、美しさと可愛らしさを兼ね備えた横顔にははっきりと『退屈』と書かれていた。

 

「……血、ですか?」

 

 桜場社長の目の前に立っている白衣の男が聞き返す。とは言っても、この場にいる人間は俺と社長ともう一人の助手の少女――鷹橋弥七郎、そして市警から来た刑事以外、つまりはほとんどの人が白衣を着ている。

 場所は横浜市内の大学病院の一室。集まっている過半数が医者か看護師だ。そして、この部屋は殺人事件の舞台になった部屋だ。

 そんな、惨劇の部屋の真ん中で、ギシギシと音を立てる古いパイプ椅子に腰掛け、肩掛け(ストール)膝掛け(ラグ)代わりにして退屈そうに火の着いてない西洋煙管(パイプ)を弄んでいる。彼女が座っていると、古臭いパイプ椅子も骨董調(アンティーク)安楽椅子(ロッキングチェア)に見えてくるから不思議なものである。

 

「そう、血だ。血液だ。被害者の血液自体がその消えた凶器だよ」

 

 そんな優雅な雰囲気とは裏腹に、彼女の言葉に周囲がざわつく。

 

「血液? どうやってそんなもので人が殺せるんですか? 被害者の死因は円錐形の細い杭のようなもので……」

 

「君は阿呆か。いや、失敬、思い返せば市警は阿呆の集まりだったな。君だけが阿呆な訳ではない、安心しろ」

 

 言葉を遮られたばかりではなく、急に罵倒された刑事が鼻白むが、社長は気に止めることもなく言葉を続ける。

 

「凍らせたに決まっているだろう、円錐形の容器に入れてな。幸い此処は病院だ。採血すればいくらでも血は手に入る」

 

 そこで一度言葉を切ると、退屈そうに社長は欠伸をする。小さく、可愛らしい、少女然とした、まるで飯事に飽きた女児のようなつまらなそうな欠伸。

 

「血液の凝固点はだいたい零下0.56℃程度だ。冷凍庫に入れておけばすぐに固まる。業務用の冷凍庫に数日入れておけば強度も十分だ。まあ、採血からちょろまかした血の量なんてたかが知れてるからな、恐らく他人の血も混ぜているだろう。被害者の傷口付近を鑑定に回したまえよ、被害者以外の血液反応が出るだろう」

 

 そして、チラリと窓の外を見る。

 

「焼却炉が動くには未だ早い時間だな。中を漁ってみろ、支柱に使った割り箸と円錐形の容器が出てくるはずだよ」

 

 刑事が急いで部下を呼び出し、焼却炉を漁るように命令する。皆が青い顔をしているなか、一際顔を蒼白にしている一人の看護師が俺の目に入った。俺が気づくくらいだ、社長の目からは逃れられないだろう。

 

「そこの眼鏡の看護師。証拠が出てくる前に自白したらどうだね」

 

「わ、私が? ありえません! 証拠はあるんですか?」

 

 呼ばれた看護師が跳ねる様に顔を上げ、声を荒げる。そんな往生際の悪い態度に社長が呆れたような溜め息を吐く。

 

「だから、その証拠が出てこない内にと言っているのだが……それに、その台詞が既に証拠みたいなものだな」

 

 蒼白の顔に朱を差して憤慨する看護師に、桜場社長が指を突きつける。

 

「……その手の傷だ。刺した衝撃で折れた割り箸で切ったのだろうな、手術用の手袋か何かで指紋が着かないようにはしていただろうが、ルミノール反応はでるだろう」

 

 そんなのんびりとした社長の言葉とは反対に、扉の外から慌ただしく刑事を呼ぶ声が聞こえる。恐らく証拠が出てきたのだろう。

 その声に反応するように、看護師が走り出す。向かう先には窓。おいおい、飛び降りる気かよ。

 

「和馬!」

 

「分かってるよ」

 

 鋭く俺の名前を呼ぶ弥七郎に、言葉だけで短く返すと、俺は虚空から一冊の本を取り出す。『禁書目録(インデックス)』――俺の異能力だ。一度見た異能力を自分のものとして使える異能力。便利に聞こえるかも知れないが、デメリットがないわけではない。今は割愛するけれど。

 

「『風の聖痕(スティグマ)』ッ!」

 

 俺は『禁書目録』のページを開き、そう叫ぶ。俺の言葉に反応するように周囲の空気が圧縮、高速で射出される。圧縮された空気の塊に弾かれ、看護師――容疑者が倒れる。

 倒れた看護師は部屋に入ってきた警官に取り押さえられ、敢えなく御用となったのだった。

 

 

 

「全く、君の不運にも困ったものだな、蒲池君」

 

 唐突に背中から掛けられた声に溜め息で返す。現在、事務所までの帰り道を社長を背負いながら歩いている。小柄な社長は見た目に反しない軽さだ。彼女は体力が極端にないため、移動の際にはこうして俺がよく背負っている。

 別に好きで運が悪いわけではない、当たり前の話だが。生まれついての不幸体質。今回の事件も交通事故に遭った俺が、検査入院の為に病院に一泊したときに捲き込まれたものだ。事件発生の直後に丁度弥七郎から連絡が入り、二人に来てもらうことになったのだ。

 

「……すいませんでした」

 

 本当にあくまでも偶然なので、俺が悪いわけではない。しかし、二人を捲き込んでしまったのも事実だ。ここは素直に謝っておくべきだろう。

 

「……で、事故の怪我は大丈夫だったの?」

 

 珍しく心配してくれているのか、そんな言葉を掛けてくれる弥七郎。説明が遅くなったが、こんな名前だがれっきとした女である。本人は名前にコンプレックスがあるらしく、名前では呼ばせてくれないので、俺は名前から文字って「お七」と呼んでいる。

 

「ああ、うん、掠り傷ですんだよ」

 

「そう、よかったじゃない。……やっぱり、衝撃を吸収するのかしら……」

 

 俺の身体を上から下まで確認しながら何かを呟く弥七郎。よく、聴こえなかったが、きっと怪我が大したことなくて安心したとかそう言ったところだろう。

 同僚の優しさに触れて少し気分が晴れたところに、背中から再び声が掛かる。

 

「そうそう、今回の事件の依頼料と現場まで向かったタクシー代は、君の給料から引いておくからな」

 

 …………ナンデスッテ?

 

「え、っと……市警から褒賞金とか出たりしないんでせうか?」

 

「あの吝嗇(ケチ)な市警がそんなことするわけないだろう。良いとこ、感謝状が渡されるくらいだ」

 

 社長のそんな言葉を聞きながら、頭の中ではウチの依頼料と住んでいるアパートの家賃と通帳の預金残高が駆け巡っていた。いやいや、まずいだろ、これは何とかしなくては……!

 

「そ、そうだ、社長なにか甘いものでも食べに行きませんか!?」

 

「……君と二人でかね?」

 

 うっ、警戒されてる。

 

「いやいや、皆でに決まってるじゃないですか! お七も行こうぜ!」

 

「それ、アンタの奢り?」

 

「もちろんもちろん、奢らせていただきますですよ!」

 

「ふ~ん、ねえ、なぎさも呼んでいい?」

 

 なぎさというのは、ウチで事務員をしている山田なぎさ嬢のことだ。こうやって全員が出払っているときは留守をあずかってくれている。

 

「う……だ、大丈夫大丈夫、山田さんも呼ぼう」

 

 蒲池さんのお財布事情的には痛手だが、仲間外れも可哀想だ。それに、経理の担当は彼女だ。味方に付ければ温情が貰えるかもしれない。

 そんな俺の必死な姿が可笑しかったのか、弥七郎と社長の二人が同時に吹き出す。一頻り愉快そうに笑った後、社長が声を掛けてくる。

 

「君の厚意に免じて、依頼料はパッチェッテリア・マニカーニの風鈴菓子(プリン)で手を打とうじゃないか」

 

「あ、良いわねそれ」

 

 プリン? プリンなんかでいいのか、何だかんだ二人とも優しいんだな。

 

「プリンくらいいくらでも奢りますよ!」

 

 そう言った瞬間に二人がニヤリと笑った意味を、この時俺はまだ理解できてなかった。そう、高級洋菓子店『パッチェッテリア・マニカーニ』の一つ700円もする高級プリンを、持ち帰りも含めて合計18個も奢らされるまでは。

 

「依頼料に比べれば確かに安いけど………不幸だぁ~っ!」

 

 




 この話を書いてて思った事は、自分がミステリーを書くには文才と知識と発想力と構成力が足りてないという事でしょうか。ちなみに、この事件はフィクションであり、当然凶器や殺害方法に関しても只の素人知識です。ツッコミは随時、慎んでお受けいたします……。


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漆章

 三千字~五千字の間で淡々と進めていこうとしていた当初の計画は何処へやら……拾章過ぎる頃には一万字越えてそうで怖いですね……。


 翌日、僕は横浜市街地から少し外れた場所にある建物の前に立っていた。其の建物は、白い石壁に円錐状の屋根――確か尖塔アーチとか言ったか、其れ等を極端に細い石柱が複数本で支えており、窓には教会の様な着色硝子(ステンドグラス)が嵌められていた。所謂、ゴシック様式という奴である。そして、出入口の柱にはその西洋建築に似合わない、杉か何かを加工して作ったであろう大きめの板に、此れ亦建物の雰囲気に似合わない達筆で『灰狼探偵社』と簡素(シンプル)に書かれていた。

 先日、志蔵と別れて帰路に着いた僕は、最後の台詞は『当然!! 正位置ッ!!』にしておくべきだったか等と脳内で反省会をしながら、自宅でパソコンを弄っていた。早々にレポートを書き終えた僕は、志蔵の言っていた協力者について調べていたのである。検索単語(ワード)は簡単に『横浜 探偵社 狼』である。裏社会だとかポートマフィアだとかは少し気が引ける単語だったので、探偵社で検索を掛けた訳なのだが、其れで真っ先に出てきたのが僕の目の前にある此の『灰狼探偵社』だったという訳である。

 しかし、此処まで来てから気付いた事ではあるのだが、探偵社って予約とか必要なんじゃないか? こんな風に急に訪ねて話を聞いて貰える物なのだろうか。更に、追加の問題点は話を聞いて貰えたとして、何をどうやって依頼するかである。占いで不吉な結果が出たから守ってほしい、なんて言おう物なら叩き出されてしまいそうだ。とはいえ、高が都市伝説に過ぎない『横浜連続暴徒事件』の黒幕を探してくださいとも言い辛い。

 見切り発車だったかと(きびす)を返そうとした時、鈍く、しかし大きい音が辺りに響いた。ドゴッというかドガッというか、堅いものに何かがぶつかったような音だ。

 音の発生源が気になって周囲を見回してみると、少し離れた場所にある(ゴミ)置き場で自転車と樹脂馬穴(ポリバケツ)が倒れており、倒れた馬穴からは人の足が生えていた。恐る恐る近寄ってみると、馬穴から足が生えている訳ではなく、どうやら頭から馬穴に突っ込んでしまい抜けなくなっている様だ。起き上がろうとしているのか、はたまた抜け出そうとしているのか、ジタバタともがきながらくぐもった声で唸る姿は新種の妖怪にも見える。郷土妖怪バケツンとでも名付けようか。

 其の儘にしておくのも可哀想なので、バケツンの頭部である馬穴に手を掛け、引っ張ってやると軽い抵抗の後、意外とすんなり抜けた。内側と外側、両方から力を加えたからか、其れともバケツンの中の人が非力だっただけか、はたまた時機(タイミング)が合っただけなのか何れかは分からないが変に苦戦しなくて良かったと言える。そうこうして、哀れ郷土妖怪バケツンは最期の時を向かえ、中の人の御披露目となった。

 何が起こったのか理解が追い付いていないのか、暫く倒れたまま呆けていた中の人だが、やがてのっそりと起き上がった。身長は僕より少しだけ高いだろうが、猫背気味なせいで視線の高さはあまり僕と変わらない。縒れたワイシャツとズボンにはバケツンの内容物だったのであろう塵がくっついていた。あまりヤル気だとか生気だとかが感じられない瞳が僕を写すと、其の特徴的な髪型――詳細を言うなればツンツンと雲丹みたいに尖らせた黒髪――を無造作に引っ掻き回しながら口を開く。

 

「はー、いつも通りの不幸な朝かと思ったけど、まさか助けてくれる人がいるなんて……地獄に仏とはこのことだな」

 

 そういって中の人は手を差し出してくる。此れは……もしかしなくても、握手を求められているのだろうか? いやいや、元バケツンさんの手は塵だらけじゃありませんか。僕は特別に綺麗好きという訳ではないが、流石に此の手を掴むのは憚れる。そんな僕の躊躇いを感じ取ったのか、中の人は自分の手を見て、苦笑しながら引っ込めた。

 

「いやはや、申し訳ない。俺は蒲池和馬、其処の『灰狼探偵社』で探偵助手として働いている者だ」

 

 そういって朗らかな笑顔を浮かべた元バケツンの中の人――蒲池さんは再び手を差し出してくる。どうやら鎌池さん、僕が手を取ってくれなかった理由は、まだ自己紹介をしていないからと勘違いしているらしい。しかし、二度も求められておきながら応じないというのも無作法に過ぎるというものではないかと思い、少し躊躇いがちに其の手を握る。手は後で洗えば良いだろう。

 

「西緒維新……大学生です」

 

 そういって返した僕の愛想笑いをどう解釈したのか、蒲池さんは両の手で僕の手を握りしめると、幼子がやるように上下にぶんぶんと大きく振った。

 

「いやぁ、貴方のお陰で助かりましたよ!」

 

 そう言いながら手を振る度に大きく揺れる、()()の豊満な胸部から僕は目を離せないでいた。

 

 

 

 

 

 

 数分後、僕は灰狼探偵社の応接室に通されていた。助けて貰った礼をしたいと、蒲池さんに連れてこられたのだ。其の蒲池さんは入口で鉢合わせた事務員姿の女性に、汚れた格好で入ってきた事を叱られて、其のまま風呂場に叩き込まれていた。余談ではあるが、其の事務員の女性――山田なぎささんと名乗っていた――は地味目な見た目ではあったが、結構な美人であった事も追記しておこう。

 さて、今現在は僕一人で応接室にいる訳なのだが、どうにも居心地の悪さを感じてしまう。何せだだっ広い部屋の中、素人目にも高級と分かる調度品に囲まれている訳だ。しかも、生まれてはじめて入る探偵社。緊張こそすれ、安楽(リラックス)出来る状況とは言い難い。そんなこんなで落ち着きなく周囲を見回していると、重厚な扉の向こうから、控え目なノックの音が響き、事務員の山田さんが茶台車(ティーワゴン)洋杯(カップ)茶瓶(ティーポット)を乗せて入ってきた。 何やらとても絵になる光景である。給仕(メイド)服姿でない事が非常に悔やまれるが、其れを差し引いても眼福物であると言えよう。どうでも良いが、どうして事務員服と言うのはあんなに身体の線が出る意匠(デザイン)なのだろうか? スカートも短いし。某アイドル事務所のインカムの似合う事務員さんとかも、かなり際どい格好だしな。男からすると喜ばしい物だが、僕が女性だったとしたらあまり着たいとは思わないかもしれない。不摂生がすぐにバレるしな……。

 そうして、極力山田さんの方を見ないように気を付けながら、彼女の淹れてくれた紅茶を啜る。紅茶に詳しければ色々と蘊蓄を垂れたのだろうが、残念ながら紅茶に詳しい訳ではない僕としては、パックや缶の紅茶より美味しいという人並み以下の感想しか浮かばなかった。

 洋杯の中身が半分位になった頃、奥の扉から少女が二人出てきた。しかも、只の少女ではない。二人とも超が付く程の美少女だ。

 二人とも年の頃は十歳そこそこだろうか、背丈、顔立ち、身体付きを見る限り小学校の高学年辺りだろう。

 先に入ってきた少女は幼くもキリッとした表情の美少女で、(ひかがみ)の辺りまで伸ばした黒髪が実に似合っていた。華奢な身体付きに似合わないダークスーツを身に纏い背筋を伸ばしたその姿は、武道の達人の様な力強さと美しさを兼ね備えていた。特徴的なのは服装や見目麗しさだけではなく、腰に提げた身の丈程もあるだろう長大な日本刀だ。僕何ぞが言うのもどうかとは思うのだが……完璧(パーフェクト)だ! 華奢で小柄な美少女が身の丈程の、若しくは其れを越える大きさの武器を扱うのはまさに様式美と言っても過言では無いだろう。其の日本刀の少女が扉を押さえている内に、ゆったりとした歩調で部屋に入ってきた美少女を見た瞬間に、僕は思わず息を飲んだ。作り物めいた其の優美さ、可憐さ、愛らしさは其の場の空気を支配するに十分な影響力を持っていた。

 先の日本刀の少女と変わらぬ位の長さの金の髪は、最高級品質の絹糸の様な光沢を放ち、白磁の様に白く滑らかな肌とうっすらと朱が差した頬は可愛らしさと美しさを兼ね備えていた。切子細工の様な碧の瞳は、其の金の絹髪と併せて窓から入った陽光を反射する様にキラキラと輝いている。伏せ気味の長い睫毛は、彼女の妖精の様な見た目と相俟って、触れたら瞬時に消え失せてしまいそうな儚さを演出していた。白いフリルの付いた黒いドレスは、華美ではあるが上品さを失っておらず、手に持った陶器製の西洋煙管(パイプ)も十分に其の幻想的な美しさを引き立てる小道具の役目を果たしており、高名な画家な描いた一枚の西洋画の前に立たされている錯覚に陥ってしまいそうだった。

 絵画の様な少女は、歩調を崩す事無く歩みを進め、僕の目の前の机を挟んで反対側に置いてある安楽椅子(ロッキングチェア)に腰掛けた。其の傍らには日本刀の少女が控えている。まるで、遠い異国の地に飛ばされてしまった様な、不思議な感覚を受けて戸惑っている僕に対して、黄金色の美少女が口を開く。

 

「西緒維新……といったか」

 

 見た目の可憐さとは裏腹に、(しわが)れていて草臥(くたび)れた老婆の様な声だった。其れでいて強い威圧感を持った不思議な声である。空を飛びながら歩兵銃(ライフル)ぶっ放す幼女とか蛙みたいな力を持つ英雄(ヒーロー)の卵の声にも似ている。

 

「ウチの従業員が迷惑を掛けたな、謝罪と、礼を言おう。申し訳ない。そして、ありがとう」

 

 謝罪と礼。そう口にしてはいるが尊大な態度もあって、其の言葉に心が籠っているとは思えない。何よりも、二人して僕に警戒心を抱いている事が、表情に良く出ている。まあ、女所帯に男が入り込めばこういった反応だろう。良く、女子校が共学になって、主人公のハーレム状態という物語があるが、正直な話、男の妄想以外の何物でもない。良くてもいない者扱い、悪ければ村八分って所だろう。

 

「いや、流石に放っては置けない状態だったからな」

 

 嘘偽りも、紛れもない本音だ。というより、あの状態を放って置ける程に薄情な人間はそうはいないだろう。そんな僕の一言に、二人共僅かに眉を顰める。まあ、二人共事情は聞いているだろうし、同僚があんな状態になっていたと考えれば、こんな表情になってしまうのは分からなくもない。

 取り敢えず此処は、警戒心を解く為にも自己紹介が必要だろう。そして、僕が不逞の輩ではなく、紳士である事を知って貰うべきだ。別に、今回の話で僕が殆ど言葉を発していないからとか、美少女とお近づきになりたいからとかでは無い。断じて無い。僕は女児愛好癖(ロリコン)を患っている訳では無いので、何処ぞの桂木だか、御剣だとかいう男子高校生みたいに興奮したりはしないのである。

 

「はじめまして、見目麗しいしお嬢さん方! 僕の名前は西緒維新! 西南戦争の西に異国情緒の緒、維新(これあらた)にすると書いて西緒維新だ! 歳は二十と一つ、是非とも仲良くしてほしい!」

 

 僕の元気一杯夢一杯な自己紹介を聞いて、美少女二人組(ロリコンビ)が少し引いたような表情をしていた。というか、黒髪の方は実際に一歩退いていた。

 そして、其の黒髪美少女が、恐る恐るといった風に口を開く。

 

「……あんたって、もしかしてロリコン?」

 

 甲高いが耳障りでは無く、幼さを感じさせながらも凛とした声だ。まるで彼女の見た目の麗しさを、其の儘音声にした様な声。虎の異名を持つ小柄な女学生や、魔術の名門に生まれながらも魔力を持たない少女の様な声と言えば伝わりやすいだろうか? いや、伝わりにくいな。しかし、そんな可愛らしい声で言われても、女児愛好家(ロリコン)扱いは頂けない。

 

「失礼な美少女だな。僕をそんな不逞の輩と一緒にしないでもらいたい。僕は飽くまでも自分の価値判断基準に従って、美しいものを美しいと認める事が出来る素直な人間なんだ。そこに君達の年齢は考慮に入っていないし、僕の性的嗜好や興味は関与していないさ」

 

「そ、そう……」

 

 遺憾の意を示すかの様に早口で捲し立てた僕に、彼女は不承不承といった感じで頷いた。髪を弄りながら、俯き気味なその顔は少し朱に染まっていた。恐らくだが、勝手に人を女児愛好家扱いした事を恥じているのだろう。しかし、其の様な表情を見ていると、僕も少しキツい物言いだった事を反省せねばならないな。相手は年下だ。此処は大人として、寛大な態度で対応しよう。

 

「少し言い方が強くなってしまったな、済まない」

 

「いや、別に……」

 

「仲直りの為にと言うほど親しい仲ではないが、二人の名前と年齢、身長、三位寸法(スリーサイズ)を教えてくれないか?」

 

「そうね……って、ちょっと待ちなさいよ! 名前と年齢はともかく、身長とスリーサイズは要らないでしょ!? 本当はロリコンなんじゃないの!?」

 

「いやいや、ちょっと噛んだだけだ」

 

「どんな噛み方よ!? 絶対本気だったでしょ!」

 

 少し間違えただけで大袈裟な。本気で三位寸法を知りたいのなら、お前じゃなくて蒲池さんのを聞くわ! と声を大にしても構わなかったのだが、紳士たる僕は其れを口にはせず、やんわりと謝ってから自己紹介の流れに誘導するのだった。

 

「……鷹橋よ」

 

 渋々といった様子で自己紹介をした黒髪美少女――鷹橋は、短く自分の名前だけを、いや、姓だけを名乗った。

 

「いやいや、(ファミリーネーム)だけでなく(ファーストネーム)も教えてほしいんだが」

 

 僕の一言に小さく呻いた後、鷹橋は顔を紅くしながら俯いた。そして、小さい口を小さく開けて小さく呟く。かなり恥ずかしそうだが、異性に名を教えるのがそんなに緊張する事なのだろうか?

 

「……しち……う」

 

「シチュー?」

 

 随分と変わった名前だな。

 

「違う! 弥七郎よ! 鷹橋弥七郎!! これが私の名前よ!」

 

「そうか、それじゃあよろしくな鷹橋」

 

 そういって差し出した僕の手を、きょとんとした表情で見てくる鷹橋。

 

「バカにしないの?」

 

「何がだ?」

 

「名前よ。男みたいで変だとか……」

 

 なんだ、そんな事か。気にすることは無いのにな。僕なんて「維新」だぜ? 人の名前として付けるかどうかも怪しいのに……まあ、言葉の意味はけして悪くはないのだが。其れに、NISIOISINと書けば、回文の上に点対称だ。面白いだろう? だが、少女にとっては人と違うというのは重要な問題なのだろう。

 

「鷹橋の親が鷹橋の為を思って付けた良い名前だよ。馬鹿にする奴こそが馬鹿馬鹿しい。七は日本では最大値の吉数だ。郎には良いものをが長く続くようにと意味がある。それらを(ますます)と強調しているんだ。しかも、郎という字は古来より中国では高官に仕える者の意味があるから、良き上司に恵まれ立身出世するようにとの思いも込められているんだろう。そんな素敵な名前を、ひいてはそれを名付けたご両親をどうして馬鹿に出来るというんだ」

 

 長々と語った僕の目に写ったのは、顔だけではなく、耳まで真っ赤になって俯く鷹橋の姿だった。ふむ、考えてもみれば、思春期の少年少女にとって、両親を誉められるというのは複雑で気恥ずかしい物だろう。実際、僕も昔はそうだったしな。なんなら今でもそうだ。嬉しい半面、気恥ずかしいという思いが彼女の中で渦巻いているのだろう。

 

「……そ、そう、ありがと……」

 

 しかし、素直に礼を言える辺り鷹橋は実に良い子だ。僕みたいに素直な人間なら兎も角、亘や猪上辺りは下らないことを言ってはぐらかしてしまいそうだ。そんな鷹橋を微笑ましく思い眺めていると、彼女は不満気に此方を睨んできた。

 

「何よその眼は。言っとくけど、私は今年で十九よ。だから、その子供を見るような眼を止めなさい」

 

 な、なんだと……! あまりの衝撃に、言葉にすることどころか、呼吸すらも忘れてしまう。此の見た目で、まるで小学生の様な、ランドセルと吊りスカートが似合いそうな見た目で成人手前だと……!?

 硬直してしまっている僕に対して、少し得意気で、其れでいて嘲笑うかの様な笑みを浮かべる。彼女が年齢通りの見た目なら、妖艶な雰囲気が出そうな表情だが、見た目の幼さのせいで悪戯を成功させた子供にしか見えない。

 

「その反応はもう慣れたものね。どうかしら? 子供じゃなくて残念だった? ロリコンさん」

 

 嫌味たっぷりに言ってくる鷹橋に対して、僕は何も反応を返せずにいた。彼女の実年齢は、其れ程までに衝撃的だったのだ。何時迄経っても反応を見せない僕に、鷹橋が怪訝な視線を向けるが、段々と其れが不安の色に染まっていく。そして、僕に近付くと、心配そうに僕の顔を覗き込んできた。其の、不安に揺れる彼女の瞳を見て、漸く僕の頭と身体は再起動を果たした。

 

「合法ロリ万歳ッ!」

 

「キャワァッ!?」

 

 僕が急に大声を出したせいか、鷹橋が素頓狂な声を上げて飛び退り、其のまま金色の少女の後ろに逃げ隠れてしまった。しかし、そんな事を気にしてはいられない。僕には高橋の持つ素晴らしさを、彼女自身に知って貰うという使命があるのだから。

 

「鷹橋、君は素晴らしい! 此の世界の救世主と言っても過言ではない!」

 

「過言よ!」

 

「何を言っているんだ? 手が出せる年齢でありながら此のロリ度の高さ! 完璧じゃあないか!」

 

「ロリ度!? というか、手が出せるとか言うな!」

 

「あー、もう、焦れったいな! 何故、この素晴らしさを伝えるだけの語彙を持ち合わせていないんだ僕は! よし、分かった! 今すぐ結婚しよう鷹橋!」

 

「け、けけけけ、結婚!? 何言ってんのよあんた!? というかじわじわ近寄って来ないでよ! 来るなってば! 変態! de()変態! 変態大人(ターレン)!」

 

 大財閥のお嬢様アイドルの様な台詞で罵りながら、僕を押し退けようとする鷹橋。しかし、そんな事で僕の溢れ出る愛は止まらない。鷹橋に近付き、彼女を抱き締めようとした時、肩に何か軽い衝撃を受けた。

 

「……落ち着かんか馬鹿者」

 

 隣を見ると、何時の間にか椅子から降りた金色の少女がいた。僕の肩に当てられているのは陶器製の西洋煙管。白地に青い模様が美しい一品だ。其の青さが僕を冷静にさせてくれる様だった。

 気付けば目の前には怯えきった高橋、少し離れた場所には汚物を見るかの様な表情をした山田女史。

 

「すまない。鷹橋が可愛すぎて、つい暴走してしまった」

 

 素直に謝る僕に苦笑いで返す金色美少女。彼女が止めてくれ無かったらどうなってた事やら。市警のご厄介……なんて、勘弁だね。

 

「いや、構わんよ。私としても、従業員を助けてくれた恩人を、従業員を傷物にした不届き者として叩き出すのはしのびないからな」

 

 そう言って亦、少女は安楽椅子に腰掛ける。西洋煙管を咥えているが、煙は出ていないので恐らくは伊達西洋煙管だとは思うのだが真相は謎である。其の西洋煙管を二、三度吸っては吐く様な仕種をした後に口から離し、僕を真っ直ぐに見つめてくる。そして、桜の花弁を思わせる薄紅の唇が開き、言の葉が紡がれる。

 

「改めて、私の名前は桜場一樹。この『灰狼探偵社』の社長をしているものだ」

 

 静かな部屋に響く声。金色の少女は、灰色の狼を名乗ったのだった。

 

 

 




 相も変わらず文字数の割には話が進みません。というより、文字数の多い話ほど進みが遅いですね……何故でしょう……。


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捌章

 

 

 灰色狼を名乗る金色の少女――桜場一樹を正面に見据え、僕は言葉を失っていた。

 ――『灰狼』桜場一樹。其の人物の事を僕は少しだけ知っていた。とは言っても、昨日の夜にインターネットで調べた時に入ってきた知識ではあるのだが。

 曰く、冷酷の知恵者――灰色狼の化身であると。其の人物が人前に姿を見せる事は少なく、捜査は部下に任せ、部下の持ってきた情報を基に推理し事件を解決する安楽椅子探偵(ロッキングチェア・ディテクティヴ)なのだと。其の姿は醜悪な老婆であるとか、老獪な怪紳士であるとか、将亦(はたまた)病床の旧華族子息だとか、二足歩行の獣等という巫山戯た物迄大小様々な噂があり、其の中に絶世の美少女と言う物もあるにはあった。しかし、インターネット上では誰も信じてはいなかったし、僕自身も眉唾物だろうと一笑に付していたのだが……正か、其れが正解だったとは……。

 先の騒がしさとは打って変わり、静寂が支配した部屋の中。窓から降り注ぐ暖かな陽光を掻き消してしまったかの様な冷たい空気が満ちる。其のひやりとした空気の中で『灰狼』――桜場一樹は退屈そうに小さな欠伸をした。此のあどけない少女が巷で名探偵と呼ばれている事に、僕は少なからず動揺していた。見た目だけで判断してしまえば有り得ないと断じてしまうだろう。しかし、其の身から発せられる威圧感が、存在感が、そして威厳が信じるに値すると僕に訴えてくる。

 

「しかし、社長か……もしかして、僕より歳上だったりするのか?」

 

 僕の質問に対して、桜庭は眼を瞑った儘で小さく首を横に振った。

 

「いや、私は鷹橋君と違って見た目通りの年齢だよ」

 

 其の顔に浮かぶ表情は『退屈』、其の一点のみだった。先程の欠伸も其の『退屈』から来ているのだろう。しかし、其の歳で社長とは畏れ多いな。因みに、起業に関して年齢制限はなく、本人の意思能力と親権者の同意があれば未成年者でも起業は可能である。とはいえ、やりたいから出来るという程簡単なものではないし、資本金等用意する物も少なくないのでやはり未成年では容易ではないものである。だが、容易ではないというだけで実際に僕より年下で在学中に起業したという人間もいなくはない。ただ、小学生でというのは聞かないが。

 

「小学生で起業というのも珍しいな」

 

 僕のそんな何気無い一言に、桜場は不機嫌そうに頬を膨らませた。何だろうか、控え目に言って超可愛いな、抱き締めて頬擦りしたくなる。

 

「私は今年で十四だから、この国の教育課程に則れば小学生ではなく中学生なのだがな」

 

 おっと、小学生ではなく中学生か。十四という事は二年後には結婚できる年齢なんだな……いや、別に他意はないぞ。しかし、鷹橋といい桜場といい、成長に難がある奴らだな。少しは蒲池さんを見習った方が良いぞ。特に鷹橋だな。桜場は十四という年齢上まだ伸び代があるが、鷹橋は成長期を過ぎた十九歳だ。せめてもの救いは、胸の大きさなら二十歳過ぎても成長の余地があるという事位だろうか。胸だけ成長した鷹橋……何故だろう、一周回って犯罪臭がするな。

 

「……ねえ、今あんたからすっごい不愉快な視線を感じたんだけど」

 

「気のせいじゃないか? それより桜場、少し話があるんだが」

 

 鷹橋の疑わしげな視線を向けながらの質問を、華麗に流しながら僕は桜場に言った。そんな僕を睨み付けて無言で抗議をする鷹橋と、鼻を鳴らして呆れたような視線を向ける桜場。二者二様の視線を受けている僕に向けて、其の目に宿した呆れは其の儘に、桜場が口を開く。

 

「依頼かね」

 

 一応は疑問文の(てい)を成していたが、確信を持った物言いだった。

 

「よく分かったな」

 

「探偵社で探偵に向けて話があると言ったら大抵は依頼だよ」

 

 確かに、其れもそうだな。瞳の中の呆れの色を濃くしながら、桜場は西洋煙管(パイプ)に口を付け、吸って吐く様な仕種を見せる。火は着いていないし、抑々(そもそも)煙草の葉が入っていない可能性もあるので、当然煙も立たなければ臭いもしないのだが、其の姿は妙に様になっていた。其の行為の意図は分からない。抑々意図など無い気もしてくる。

 

「それに、元々君は私のこの探偵社に用があって来たのだろう?」

 

 自分の心臓が大きく跳ね上がり、そして、其のまま停止してしまったかの様な錯覚に陥る。数秒、ほんの数秒程だが、全身の細胞が停止したかの様な感覚を覚えた。そして、身体が機能を取り戻し、全身に血が巡る感覚と共にぶるりと身震いをする。

 

「待て待て! 何でそんな事が分かるんだ?」

 

 思わず声を上げた僕に、桜庭が()可笑(おか)しそうに口許を歪めて見せた。

 

「そんなものは、少し頭を使えば分かるというものだよ。この辺りには目立った商業施設も観光名所も史跡や寺社仏閣の類もない、ただの閑静な住宅地だ。そんな場所に学生である君が居たとなれば、八割方我が探偵社に用があるということになるだろう。ぶらりと散歩に出て辿り着いたという可能性を考えるよりは確率が高い」

 

「僕が学生という根拠は?」

 

「それこそ愚問というものだ。君くらいの年齢で、平日の昼間(こんな時間)から私服で出歩いている人間が学生なのか社会人なのか、どちらの方が可能性が高いと思う?」

 

 そう言って真新しい布切れを取り出した桜場は、手に持った西洋煙管を磨き始める。何となく分かってはいたが、どうやらあの西洋煙管は、彼女のお気に入りの様である。其れは其れとして、流石は探偵と言った所だろうか、少ない情報を見逃さず、聞き逃さず、状況と組み合わせて解を出してくる。確かに彼女の言う通り、()()()()()()()()()()なのだろうが、其れを当たり前の様に出来るという事だけでも称賛に値する。僕の考えが足らない事を差し引いても、桜場の洞察力、推理力は素晴らしい物だと言える。

 

「まあ、話が早いのは助かるな。察しの通り、依頼をしたい」

 

「内容は?」

 

「僕の護衛……に、なるのかな?」

 

 迷った末に、結局は正直に全て話す事にした。課題の話、街の占い師に占って貰った結果等、部分的に端折った所はあるが包み隠さず、嘘偽り無しに、虚飾をせず、虚偽を加えず、虚構を用いず、虚勢を張らず、虚言を吐かず、純然で客観的な事実のみを伝えた。それが今現在、僕が見せる事の出来る唯一の誠意だと思ったからである。しかし、返ってきた反応はあまり思わしくはない物だった。

 

「占いねえ……」

 

「申し訳無いが、信憑性に欠けるな。いや、君が嘘を言っていると言っている訳ではない。だが、所詮は占いだ。そもそも、その占い師が真実を言っているとも限らないだろう?」

 

 反応としては大凡(おおよそ)予想通りの物で、だからこそ其れ以上の一手を打ち出せない物だった。詰まる処は投了。お手上げ状態だ。

 志蔵の言っていた事を思い出してみれば、共に行動をしなくても、何かしらかの利になる行動を取ってくれるらしいので無理に依頼をする必要は無いのだろうが、僕としては、どうせなら連携を取っていきたいと思っている。別に美少女達と行動を共にしたいと思っている訳ではなく、状況を把握して効果的に動きたいからである。なので、依頼を承諾してもらい、情報の行き交いを円滑(スムーズ)にするのが最善手だと思っていたのだが、依頼を受諾して貰えないのではどうしようもない。

 

「そうか、だったら仕方がないな。長居しても悪いし、僕はこれで……」

 

 御暇(おいとま)しよう。と続けようとした僕の言葉は勢い良く開かれた扉に遮られた。扉の向こうに居たのは、先程の服装から着替えて事務員服を身に付けた蒲池女史であった。

 

「その依頼、受けませう!」

 

 開口一番、蒲池さんがそう宣言する。其の一言に、僕は腰を浮かした儘で阿呆面を晒し、桜場と鷹橋の二人は呆れた様な視線を向け、山田さんはそんな様子を見ながら只々苦笑していた。

 今一、状況が呑み込めないのだが、どうやら蒲池さんとしては僕の此の依頼に乗り気の様である。少年の様に眼を輝かせながら部屋に入ると、何故か僕の隣に腰掛けた。戸惑う僕に気を留めず、蒲池さんは真っ直ぐに桜場を見詰める。其の姿を横目で盗み見ると、湯上がりである為か頬はほんのりと上気し、つんつんと尖らせた髪も湿り気を帯びて洗髪剤(シャンプー)の良い香りが鼻腔を(くすぐ)った。出逢い方が衝撃的過ぎて気が回らなかったが、彼女も相当な美人である。男性の様な言葉遣いや仕種格好は、逆に彼女の見た目(スタイル)の良さを強調し、女性としての魅力を引き出している。何より、其れを狙って行っている様子が無いのが特に男心を擽るのだ。そんな事を意識してしまったからか、どぎまぎしながら彼女を見ていると、其れに気付いた彼女が片瞬き(ウインク)を一つ此方に寄越して、親指を立てた。何今の!? 超素敵なんですけども! 抱かせて下さい! いや、いっそ抱いて下さい!

 

「彼は俺の恩人です。どうか彼の依頼を聞き入れて貰えませんか?」

 

 真剣な表情で頭を下げる蒲池さんに二人共気圧されているようで、困惑した表情を浮かべて押し黙っている。ただ、困惑しているのは僕も同じだ。僕がした事等精々馬穴(バケツ)を引っこ抜いた位な物で、本来なら恩人と呼ばれる事すら烏滸(おこ)がましいのだ。僕が手を貸さなくても、何れ彼女自身の力で、若しくは僕以外の誰かに手を貸して貰い助かっただろう。僕程度が誰かを助けられる等と思うのは烏滸がましい。最終的に人は自分で勝手に助かるだけで、僕が他人に出来ること等は高が知れているのだ。

 そんな恩人とも呼べない僕に、蒲池さんは感謝の念を覚え手を貸そうとしてくれている。嬉しくはあるが、何処と無く居心地の悪さも感じてしまっていた。

 

「蒲池さん、そこまでしてもらわなくても大丈夫ですよ。断られる事は予想してましたし、僕一人でも何とかしてみせますから」

 

 そう言った僕に対して蒲池さんが向き直り、其の儘真っ直ぐに僕を見詰めながら腕を掴んできた。

 

「でも、危険かもしれないだろ」

 

「その危険に、無理に人を巻き込むわけにはいきませんから」

 

 此れは本当の事で、依頼として、仕事として手を貸してくれるのなら多少の危険は仕方がない事だと思う。しかし、仕事では無く、善意で手を貸してくれる人間を危険に晒す訳にはいかないのだ。ならば、依頼を拒否された僕が食い下がる訳にはいかない。()してや、探偵社員である蒲池さんの手を借りて迄も依頼を受諾させるのは間違っている。

 僕の言葉を受け、顔を伏せて数秒黙っていた蒲池さんだったが、顔を上げると上目遣い気味の視線を向けてくる。

 

「俺、今朝みたいなツイてない事が日常茶飯事で、何時も不幸な目にあってるんだ。助けて貰った事も殆どなくて……だから、今朝は西緒さんが助けてくれて本当に嬉しかったんだ。だから、今度は俺が貴方を助けたい。俺、頭は良くないけど、腕っぷしには自信がある。危険な事にも慣れてる。だから……」

 

 蒲池さんは其処で一度言葉を切ると、深呼吸をするように大きく息を吸った。

 

 

 

「俺に、貴方を守らせて欲しい」

 

 

 

 ――不覚にも、ドキッとしてしまった。

 真っ直ぐに僕を見詰める瞳は少しだけ(うる)んで見え、上気した頬と艶やかな唇から洩れる吐息が、大人の女性の色香を醸し出していた。台詞としては、男女が逆なのが情け無い限りだが、漫画や小説に出てきそうな一文に胸が高鳴るのを感じる。感極まってしまったのか、腕を掴んでいただけの筈が、何時の間にか抱き付く位に密着していた。唇同士が触れ合いそうな距離感で、腹部に至福の感触を覚えながら僕は彼女の長い睫毛を見詰めていた。ふと、何かの音が大きく響いたと思うと、其れが自分が唾液を飲んだ音だと気付かされる。きっと僕の顔は紅く染まり、表情はだらし無く弛んでいるだろう。自分の心音が段々と強くなっていき、爆発しそうな程に高鳴った時、急に強い力で僕と蒲池さんが引き剥がされた。

 

「……いちゃつくんなら余所でやって貰えないかしら……?」

 

 ――般若の形相の鷹橋がいた。其の迫力に気圧されて、僕と蒲池さんは腰掛けていた寝椅子(ソファー)の両端まで距離を開く。名残惜しさを感じながらも何処か安堵しながら鷹橋を見ると、機嫌を直したと迄は言わないが、先程よりは幾分かは落ち着いた表情をしていた。確かに自分の同僚と客人が、目の前で密着している所は余り見たくは無いだろう。

 

「べ、別にいちゃついてなんか……」

 

「あれをいちゃついてたと言わないで何をいちゃついてたと言うのよ。あんた完全に女の顔してたわよ」

 

「し、してない! 絶対にしてないぞ! ……してないよな?」

 

 いや、僕に確認されても……。しかし、真っ赤になって否定している蒲池さんは其れは其れで可愛らしいものだ。

 

「だいたい、あんたもあんたよ! さっきは私にけ、けけっ、け……ん……とか、……てた、……せに……」

 

 勢いよく振り向き、僕を怒鳴り付けたかと思えば、尻すぼみになっていき最後の部分は殆ど聞こえなかった。昨今の大衆文芸の主人公に代表される、突発性難聴ではなくとも聞き取れないだろう声量である。あれって謎だよな、一人称小説で、読み取れる文として書かれている以上は主人公の耳に届いている筈なのに聞こえていないだなんて。某小説の主人公は聞こえない振りをしていたが、其れであるならば理解は出来る。共感は余り出来ないがな。

 其の儘俯いてしまう鷹橋と、紅くなった儘で狼狽えている蒲池さん。そして、そんな二人にどう声を掛けたら良いものかと思案する僕とで奇妙な三角形を形成していた。三竦み……とは一寸(ちょっと)違うな。余談だが、三竦みと言えば、僕は未だに理魔法が光魔法に強いのが納得いっていない。光魔法は神の力の代行な訳だから、神が造り出した自然の理に負ける道理は無いと思うのだが……。詳しい人に是非解説をお願いしたい!

 閑話だらけの僕の話に於いて、此の言葉を何度使えば良いのだろうか、幾度目かの閑話休題。そんな膠着状態を脱する切っ掛けは桜場の小さな咳払いだった。

 

「蒲池君。君が其処の彼に入れ込むのは別に構わないが、『横浜連続暴徒事件』に関しては彼個人の依頼としては受ける事はない。あの事件は既に軍警も市警も動いているからな」

 

「どういうことだ?」

 

 僕の疑問に対して桜場は少し考えるような仕種を見せたが、直ぐに返答をくれた。

 

「……君が持ってきた事件の黒幕の噂だが、彼等もその可能性があると踏んで捜査をしているということだよ。ウチも情報提供を頼まれていてね。だから、君に此方から情報を流すことは出来ないのだよ」

 

 守秘義務という物に近い何かだろうか。兎に角、警察と情報を共有している以上は、一般市民である僕に情報を渡す訳にはいかないのだろう。

 

「警察が動いているということは、あの噂には信憑性があるということか?」

 

 僕の問いに対する返答は無かった。眠そうな眼で僕を一瞥すると、小さな欠伸を一つして、目を閉じて西洋煙管に口を付ける。話す事はない、若しくは、話す事は出来ないと言った態度だ。

 

「……それなら、この依頼は、俺個人が受けます」

 

「……勝手にしたまえ。その依頼を受けている間は欠勤扱いだぞ」

 

 蒲池さんの言葉に興味無さ気に桜場が返答する。しかし、其の言葉とは裏腹に、表情は何処か不服そうである。部下が自分の指示で無く、初対面の人間を優先したのが面白く無かったのかもしれない。桜場に対し無言で頷き、其れを返答とする蒲池さん。そんな二人を鷹橋が不安そうな表情で見ていた。僕の心中としても複雑である。僕の持ち込んだ依頼のせいで仲違いが発生しているのだから。

 

「……良かったんですか?」

 

「良いんだ。俺は、俺に出来ることをやるだけだから」

 

 強気な返答をして見せる蒲池さんだったが、彼女の顔には少しだけ寂し気な表情が浮かんでいた。其れだけで二人が……いや、此の探偵社の面々が仲が良い事が伝わってくる。桜場も蒲池さんも、当然鷹橋や山田さんも、そして僕だってこんな結果は求めていなかった筈だ。けれども、僕にはどうする事も出来ない。桜場の事情も、蒲池さんの決意も無下にする事は出来ず、折衷案も思い付かない。そんな自分がとても不甲斐なく、歯痒かった。

 

「……とにかく、もう一度その占い師に話を聞きに行きませう。何ていう占い師なんだ?」

 

「ああ、えっと、志蔵千代丸という女性の占い師です」

 

 其の名前に反応したのは蒲池さんでは無く桜場だった。驚いた様に眼を見開き、此方を見ている。

 

「……志蔵千代丸といったかね?」

 

「え? ああ、知っているのか?」

 

 僕の問い掛けに返事はなく、桜場は暫く考え込んでいた。そして数分後、上げた顔にはにやりとした笑みが浮かんでいた。

 

「良かろう。蒲池君、そして西緒君、前言撤回だ。君達に協力しようではないか。当然、欠勤扱いも無しだ」

 

 先程迄の退屈そうな表情から一変。愉しそうに笑いを堪える桜場に、僕と蒲池さんは怪訝な視線を向けるのだった。






 ヒョウカガアガッテル‼ ……失礼、取り乱しました。何時の間にかお気に入りしてくれている方も20人を超え、評価もしてもらって、合計UAも1500を超えていて驚くばかりです。そして、深く感謝してます。一人一人名前を挙げて感謝の言葉を述べたい所ですが、長くなりそうなので手短に。皆さんありがとうございます!


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玖章

 こういう場で、こういう事を言って良いのかは分かりませんが、漫画家の武田日向さんがお亡くなりになっていたそうですね。異国迷路のクロワーゼ大好きでした。なにより、この作品にインスピレーションを与えてくれたGOSICKの挿絵は素晴らしかったです。ご冥福をお祈りいたします。


 

 暫くの間、笑いを堪えていた桜場だったが、僕と蒲池さんから狐疑(こぎ)の視線を受けている事に気が付くと、咳払いを一つしてから居住いを正した。とは言え、未だ其の口角は上がり気味ではあるのだが。

 

「……先程、市警と軍警から情報提供を求められているといったが、正直な所、此方の利は大して多くはないのだよ」

 

「……(メリット)、ですか?」

 

 蒲池さんの言葉を無言の儘で桜場は肯定する。手に持った西洋煙管(パイプ)の空吹かし――吹かす様なお馴染みの動作(命名・僕)――の後、桜場は山田さんを呼び付け何かを(ことづ)ける。其の後、山田さんは僕等に丁寧にお辞儀をした後、部屋から出ていった。其れを見送ると、桜場は僕等に向き直り話を再開する。

 

「利益の話だが、一つは報奨金がでる。しかし、吝嗇(けち)な奴らのことだからな、どうせ雀の涙程度だろう」

 

 そう言って肩を竦め、苦笑する桜場。冗句(ジョーク)のつもりだったのだろうが、誰も笑う者はおらず、彼女も其れを気にした様子は無かった。

 

「もう一つは、警察組織に貸しを作ることができる。だが、実はこれも大した利点ではなくてな。既に売れる恩は売ってあるし、私は個人的に市警上層部に顔が利く。今さら奴らに貸しを作る意味もない……とまでは言わないが、労力を割く程でもない」

 

「じゃあ、どうして僕らに協力をしてくれるんだ?」

 

 僕の一言に桜場は口角を上げて鼻を鳴らす。そして、手に持った西洋煙管で僕を指し示すかの様に此方に向けた。

 

「君の言った志蔵千代丸という人物だよ。実は個人的に知っていてね、市警や軍警に貸しを作れるよりも、彼女に貸しを作れるのは万倍価値がある」

 

 そう言って満足そうに頷く桜場は、何処と無く年相応の可愛らしさがあった。達観している様に見えても齢十四の少女である。良い事があれば無邪気に喜びもするだろう。しかし、桜場と志蔵がどう言った知り合いなのかは分からないが、目の前の少女は随分と彼女の事を買っている様だ。偶然とは言え、あの時志蔵に声を掛けた自分を褒めたい気分である。

 

「じゃあ、依頼を受けてくれるということで良いんだな?」

 

「いや、依頼は受けない」

 

「…………え?」

 

 ピシッという擬音が聞こえる様な気がする程に、室内の空気が固まった。状況が理解出来ずに硬直しているのは僕だけでは無く、隣に座る蒲池さんも、近くに立っている鷹橋も同様だった。其れはそうだろう。協力はする。だが、依頼は受け無い。此れでは矛盾していると言う物だ。そんな凍土の様に固まった部屋の中で、桜場だけが涼しい顔で西洋煙管を空吹かししていた。

 

「……どういうことだ?」

 

 凍る部屋の中で、漸く其の一言だけを捻り出す事が出来た。そんな僕に、冷たい微笑みを湛えた桜場が応える。

 

「さっきも言った通りだよ。『横浜連続暴徒事件』に関しては警察組織から協力要請が来ている。その情報を一般人である君に、おいそれと渡すわけにはいかないだろう」

 

 言っている事は御尤(ごもっと)もなのだが、其れではお話にならないと言う物だ。護衛位はしてやるから、調査は自分でやれと言う事だろうか? しかし、其れで得た情報は彼女達も知る事となる。其れなら始めから協力して調査した方が良いのでは無いのか。

 僕が首を捻り考えていると、扉を叩く音が響き、山田さんが戻って来た。手に持った数枚の書類らしき紙を桜場に渡すと、再び部屋を出て行く。

 

「なに、形式というものだ。形だけでも義務を守っておかねば、いざというときに足元を掬われる」

 

 そう言って桜庭は、山田さんから受け取った書類を卓子(テーブル)の上に置く。

 

「書きたまえ、そうすれば全ての問題が解決するよ」

 

 

 

 

 

 

 

 桜場の提示した解決策は実に簡単な物だった。渡された書類は履歴書や契約書で、期間限定で僕を探偵社員として雇い入れると言う内容だ。こうする事で、僕は一般人でも部外者でも無くなる為、情報を共有する事が可能になると言う訳だ。当然、僕が依頼をした訳では無くなる為、依頼料は発生しないし、桜場も人手を得る事が出来る。正に両得(Win-Win)の関係である。

 そして、現在。僕は横浜の街を一人で歩いていた。早速、調査に乗り出す事にした……と言う訳では無い。あの後、書類を書き終えたら、手続き等がある為、本格的に動くのは明日からになると言われたので、今日はもう帰宅する事にしたのだ。明日は講義が終わったら直ぐに出勤になるので、ゆっくり休息を摂ろうと思ったのだが、一つの衝動が僕を突き動かし、横浜の街迄足を伸ばす事に相成った。

 読者諸君も、こんな経験は無いだろうか? 無性に甘い物が食べたくなる衝動に駆られる。と言う経験だ。

 僕は特別に甘い物が好きと言う訳では無いのだが――当然、嫌いと言う訳でも無い――、衝動的に摂取したくなる時が(たま)にある。つい先日、同じ衝動に駆られた時に、家の冷蔵庫に入っていた風鈴菓子(プリン)を食べた所、妹が楽しみに取ってあった物だったらしく凄まじい剣幕で怒られ、夜中にコンビニ迄走らされる事になった。其の反省を生かし、今日は甘い物を此処で食べて行ってしまおうと言う事である。

 さて、一口に甘い物と言っても其の種類は膨大である。こうして街を歩いているだけでも、多くの店が此の目に写る。洋菓子店や和菓子屋だけでなく、素数を冠した某有名氷菓子(アイスクリーム)店、男性敬称付きの有名糖天(ドーナッツ)屋、茶寮(カフェ)、軽食屋、移動販売の縮緬焼き(クレープ)屋等、数えれば其れこそキリが無い程である。そんな数ある甘味処の中でも僕が目を付けたのは、移動販売の氷菓子屋だった。此の氷菓子屋、最近此の辺りで評判になっている物で、売り子の青年が薄緑に肌を塗った道化師(ピエロ)の格好をしているのだ。勿論、味もかなりの物で、余りの美味しさに涙する者もいる程らしく、心の痛みを忘れさせてくれる味と称されている。

 海の見える公園にて、其の奇妙な道化師の店で氷菓子を購入した僕は、長腰掛け(ベンチ)に座り、海を眺めながら氷菓子を食べる事にした。因みに、購入したのは胡椒薄荷(ペパーミント)貯古(チョコ)の二段重ねである。空を見上げれば快晴。それが(また)自棄(やけ)にムカつくと言う程に捻くれてはいないので、気分は実に良い。風は凪ぎ、陽は穏やかで、外で氷菓子を食べるには絶好の日和と言えるだろう。

 潮の香りを鼻腔だけで無く、全身で感じながら氷菓子を一口(かじ)る。胡椒薄荷特有のピリッとした苦味と、氷菓子の甘味が混ざり合い独特の風味を醸し出す。濃厚でありながら、さっぱりとした爽やかさな甘味と鼻から抜ける薄荷の香りが全身を充足感で満たし、ホロリと、涙が零れた。成程、不思議な味だ。此れを食べる事で、生きている事を赦された。そんな不思議な感覚を覚えるのだ。僕の恐ろしい()()の事も、其の罪も、全ての()()を忘れさせてくれるかの様だった。

 海を眺めながら、涙をボロボロと零しながら氷菓子を食べる青年の姿が其処にはあった。まあ、紛れも無く僕の事ではあるのだが。もう一口食べようと口を開いた所で視線を感じて隣を見ると、一人の女の子が僕の座っている長腰掛けの隣に立っていた。涙を流しながら氷菓子を食べようとして口を開ける僕を、不思議そうに見つめる少女は、少し幼さが残るが、素朴な雰囲気の可愛らしい女の子だった。高校生位だろうか? 所々にレースをあしらった白いVネックの七分袖ブラウスと、デニム地のショートパンツが女の子らしさと活発さの両方を演出していた。少し色素の薄い髪を肩口で切り揃え、色が白く細身で小柄だが、顔色は良く健康的に映った。

 目が合って数秒程、お互いに言葉を発さずにいたが、先に動いたのは女の子の方だった。首を傾げた儘、頬に人差し指を当てて口を開いた。

 

「おにいちゃん、泣いてるの?」

 

 幼子が言う様な物言いだ。口調も心做(こころな)しか舌足らずな印象を受ける。

 

「ああ、アイスが美味しくてな」

 

「おいしいと泣くの?」

 

「いや、美味しいと泣くというか、あまりの美味しさに感動したというか……」

 

 少々取次筋斗(しどろもどろ)になってしまった僕に、少女はやはり首を傾げた儘だった。まるで中空に解を見付けようとしているかの様に視線を彷徨わせ、仕切りに首を捻っていた。彼女が首を動かす度に、ふわりと何か甘い香りが微かに漂う。

 彼女と一、二言だけ言葉を交わしてみて、僕は奇妙な違和感を抱いていた。見た目は確かに中高生位の少女なのだが、話してみると、まるで五、六歳位の幼女と話しているかの様に錯覚してしまう。口調なんかもそうなのだが、何より彼女の纏う雰囲気から、本来の年齢と(そぐ)わない印象を受ける。無論、実年齢が口調や雰囲気に合った年齢である可能性もあるが、其れだと今度は見た目か似わない。何とも値遇反遇(ちぐはぐ)である。

 

「かんどう……?」

 

 此れ亦、難しい事を聞いてくる美少女だった。感動――辞書を引けば「物事を深く感じ、心を動かすこと」と書かれている名詞及びサ変自動詞であり、大体の場合は歓喜、同情、興奮等の感情を覚えた時に使われる。等と言う説明を彼女が求めているのかは分からないが、近い内容を調子(ニュアンス)を変えて伝える事にする。

 

「嬉しいとか、幸せって思うことさ」

 

「うれしいのに泣くの?」

 

 其処で言葉を止めてしまった。いや、「そうだ」と答えるのは簡単なのだが、そうしたら次は「何故嬉しいのに泣くのか」と聞かれるに違いない。此れでは埒が明かないので、僕は無理矢理話題を変える事にした。

 

「ところで君は何をしているんだい?」

 

 そう聞かれた少女は、一瞬だけ不思議そうな顔をしたが、直ぐに笑顔になって僕の隣に腰掛けた。何か可愛いな、父性を刺激されるとでも言えば良いだろうか? 守りたい、此の笑顔。

 

「あのね、ここにはクツシタがいるの」

 

「靴下?」

 

 今度は僕が不思議そうな顔をする番だった。靴下とは、あの靴下だろうか? 靴を履く前に素足に履くあの靴下? 疑問符を浮かべる僕を気にする事は無く、少女は嬉しそうに足をパタパタしながら話し続ける。

 

「クツシタね、さいきんいっぱいゴハンを食べるの。だから、たいへんなんだ」

 

 食性を持っているのか、其の靴下!? 既に、僕の頭の中では鋭い牙を持った靴下と言う新手の化物(クリーチャー)が出来上がっていた。靴下型の化物を秘密裏に飼う少女……まるで小説や映画の話の様だ。戦々恐々としながら彼女を見ると、鼻唄を口遊(くちずさ)みながら音に合わせて身体を揺すっていた。そんな彼女が不意に顔を上げて、跳ねるようにして長腰掛けから降りた。

 

「クツシタだ!」

 

 そう言った彼女の視線の先を追うと、黒く小さな物体が此方に駆けてくるのが目に入り、思わず悲鳴を上げそうになる。しかし、『クツシタ』の正体に気が付いた時、安堵の息と共に胸を撫で下ろした。

 

「クツシタ~♪」

 

 少女が(しゃが)み込み、撫で回しているのは一匹の黒い仔猫だった。青い瞳に黒い毛並みで、四足の先だけが()()()()()()()()()真っ白だった。成程、だから『クツシタ』か。何処から取り出したのか、大きめの猫缶をクツシタに差し出した少女は彼――若しくは彼女だ――を一撫でしてから、此方を振り返った。

 

「かわいいでしょ?」

 

 其れは猫がか? 其れともお前か? 因みに何方(どちら)も可愛いので、何方の意図であっても、首は縦に振る事になる。無言で頷く僕を見て満足したのか、鼻息荒く猫を撫で回す作業に戻った。人気の少ない昼下がりの海辺の公園で、猫と戯れる少女を見詰める成人男性が一人……何だろうか、字面だけ見ると、とても危険に見えるな。そんな僕の心配など知るよしも無い少女は、猫缶を食べ終えたクツシタを抱き抱え、再び長腰掛けに座った。

 

「おにいちゃんもさわる?」

 

「え? 触って良いのか?」

 

 ……勘違いしないで欲しいが、僕はちゃんと猫の事だと理解している。勘違いなど一切していないし、若しそうだとしても此の無垢な少女にセクハラ紛いの行為などする訳がないだろう? 名実共に紳士として名を馳せた僕だぜ? 真摯で紳士な僕は嫌がる相手に手を出したりはしないのだ。――つまりは、同意の上なら問題無いのだ。

 

「いいよ」

 

 よし、言質は取ったぞ。と言う訳で早速、スッと手を出してみる。すると、ビクッと一瞬だけ身体を震わせたが、恐る恐る顔を近付けてきた。伺うような仕種をしてくるのを、無視して掌を頭に乗せて、嫌がる素振りを見せないのを確認すると、手を首元迄ずらしてみる。すると、手に頬を擦り付けるかの様に擦り寄ってくる。其の儘喉元を擽るようにすると、僕に身体を預けてきた。身体の線に沿って撫でていくと、段々と声が甘く、目付きも甘えるような物になっていく。

 

「クツシタ、おにいちゃんのこと気にいったみたいだね」

 

「ああ、動物には好かれやすい(たち)なんだよ僕」

 

 何か文句があるなら受け付けようじゃあないか、僕は端から猫の話しかしてないぜ。さて、おまけの場面(サービスカット)は此処迄だ。クツシタの可愛らしさを堪能したい方は、其の手に持った携帯端末で『子猫 靴下』で検索しよう!

 僕の撫で技術を十分に堪能したクツシタは、僕等から距離を取ると、芝生の上で少し毛繕いをした後、昼寝を始めた。随分と自由な奴だ。しかし、やはり其れこそが猫と言う生き物の魅力なのだろう。

 クツシタが食べ終えた猫缶を持参した袋に入れる少女を見ながら、ふと彼女の事を何も知らない事に気が付いた。名前も年齢も性別……は、流石に女性か。取り敢えず、自己紹介は大事なので名を名乗る事にする。

 

「お嬢ちゃん、僕は西緒維新という名前なんだが、お嬢ちゃんのお名前を教えてくれないかい?」

 

 ……何故か不審者の様な物言いになってしまった。まあ、誰かが聞いている訳でもあるまいし、特に気にする必要は無いだろう。

 

「お名前? つむぐ! はしもとつむぐだよ!」

 

 太陽の様な笑顔でそう言った少女は、本物の太陽の様に眩しくて、僕は思わず目を細めた。ふと空を見ると、中天を過ぎた太陽が少しだけ西に傾き、其の輝きは海へと降り注いでいた。凪いでいた風が微かに流れ、僕と彼女の髪を僅かに(そよ)がせるのだった。




 重い前書きで申し訳ありませんでした。しかし、桜庭一樹というキャラクターのイメージがGOSICKのヴィクトリカのため、言わざるを得ませんでした。問題があるようでしたら仰ってください。前書きは削除いたします。

 暗い話ばかりでは私の性に合わないので、明るい話をと言うか、感謝の言葉を。今週に入ってからUAが上がり続け、既に先週の三倍です。驚きです。某洋画の某緑色の怪人のように目玉が飛び出るかと思いました。皆様のお陰でモチベーションが保てています。本当にありがとうございます! お気に入り登録してくれた方、評価を入れてくれた方、感想をくれた方、本当に感謝しています! 後、誤字報告、本当に助かります! この作品の作風上誤字脱字は本当にマヌケと言いますか、失笑物になってしまいますので……気を付けます……。

 後書きが長すぎましたね、それではまた次回とか!


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拾章

 危ない……あと少しで八千字超えるところでした……書いている内に止まらなくなってしまいました。例の如く、止まらないのは無駄な話が多いせいですが……。


「ありがとー!」

 

 近くの自動販売機で珈琲と苺牛乳(ミルク)を購入して、長腰掛け(ベンチ)に座っている橋元ちゃんに苺牛乳を手渡すと、元気の良い謝礼の言葉が返ってきた。

 

「つまり橋元ちゃんは、本当は十五歳くらいなのに、記憶がなくて五歳児みたいなものって事か?」

 

「んー? たぶんそーだよ。ママがいってたから」

 

 つまりはそう言う事らしい。自己紹介の後、少し橋元ちゃんから聞いた情報を纏めると、そう言う内容だった。記憶喪失と言えば良いのか、幼児退行と言えば良いのか何方(どちら)かは分からないが、何かしらかの心的外傷か脳に直接外傷を負い今の状況なのかもしれない。ただ、僕はそんな当たり前の考えの陰に隠れた、一つの可能性を無視出来ずにいた。――『異能力』。何かしらかの異能で、記憶を封印、()しくは消去されていると言う可能性だ。無論、可能性は著しく低い。橋元ちゃんの様な普通の女の子が、誰かにとって都合の悪い記憶を有している可能性。相手が記憶の操作、(また)は精神の操作が出来る異能力者、若しくはそう言った異能力者が仲間内にいる可能性。そして、橋元ちゃんが、都合の悪い記憶を有しているにも拘わらず、殺してはならない人物である可能性。此の全ての可能性を揃えてなくてはならないとなると、可能性は著しく低い。だから、異能の可能性は無いと僕は断じる。自分が異能力者だから、そう言った可能性を疑ってしまうだけなのだと。――けして、可能性は皆無(ゼロ)では無いと言う、自分の心の声を無視しながら。

 其れから暫くは只の雑談の時間になった。大半は猫の事で、クツシタ以外にも家の近所の野良猫に餌をやっているらしく、泥(まみ)れの毛塗れになって帰っては『ママ』に怒られているらしい。其の後、素直に謝ってから一緒にお風呂に入るらしいのだ。仲睦まじい母娘の話で微笑ましい気持ちにさせて貰ったお礼に、と言う訳では無いが、僕からも僕の家族の話をしてあげると、彼女はニコニコしながら聴いていた。

 

「おにいちゃんのパパとママはケーサツカンなんだね」

 

「ああ、街の平和を守ってるんだぜ、格好良いだろ?」

 

「かっこいー!」

 

「あと、僕には両手で数え切れないほどの妹がいてだな」

 

「えー、ウソだー」

 

「いやいや、本当だぞ」

 

「だったら会わせてよ」

 

「いや、それは……」

 

 等と他愛も無い会話を楽しんでいたのだが、其の時間も終わりが来る。街中に設置してある拡声器(スピーカー)から、一斉に音楽が流れ始める。時刻は十七時、流れている曲は童謡の『ふるさと』で、所謂、五時の(チャイム)と呼ばれている奴だ。

 

「……あ~あ、帰らなきゃ」

 

 至極残念そうに橋元ちゃんが呟く。彼女が僕の何を其処程気に入ったのかは分からないが、別れを惜しむ様に僕の服の袖を摘まむ彼女を見ると、僕も少し寂しい気持ちにさせられる。

 

「じゃあ、家の近くまで送っていくよ。最近この辺りも物騒だしな」

 

「……いいの?」

 

 上目遣いで尋ねてくる橋元ちゃんに対して力強く頷いて見せると、意気消沈と言った表情が一変して喜色満面となる。飛び跳ねながら喜びを表現する彼女を見ていると、庇護欲と言うか父性と言うか、そう言った物が刺激されるのを感じる。守りたいと言う欲求と、護らねばと言う使命感に駆られるのだ。もし、彼女が異能力者であるならば、こう思わせるのが彼女の能力なのかもしれない。等と下らない事を考えながら立ち上がると、其れに(なら)う様にして彼女も立ち上がった。そして、此方に向かって手を差し出してくる。

 

「それじゃあ、はい!」

 

 ……此れは、手を繋ごうとか、そう言うあれだろうか? 流石に躊躇してしまうのも無理は無いだろう。何せ、橋本ちゃんは、言動は五歳児の其れではあるのだが、見た目は十五歳程。大人とは言い切れずとも、子供とは言い難い年齢である。そんな相手と手を繋ぐのは少し気恥ずかしいのだ。二十歳も越えた良い大人が十五の少女相手に何をと呆れる方もいるだろうが、僕の様に女性と接点の少ない初心(うぶ)な草食系男子にとっては、相手が中高生と言えど緊張する物なのだ。

 ふと、隣を見ると、不思議そうな表情で僕の顔と、自らの差し出した手を交互に見ている橋元ちゃんの姿があった。其の表情からは、『なんで手をつないでくれないの?』と言う橋元ちゃんの心の声が見て取れた。しかし、其の行動は五歳児基準の物であって、橋元ちゃんの本来の年齢からすれば、出会ったばかりの男と手を繋ぐのは異質な行為だ。そう考えれば、繋がないのが彼女の為である。彼女が若し何かの拍子に記憶を取り戻した時、僕なんかと安易に手を繋いだ事を不快に思うかもしれない。思わないかもしれないが、可能性が無い訳では無い以上は軽挙妄動は慎むべきだろう。仮に記憶が戻らなくても、彼女が此の儘成長し、思春期以降の精神性を手に入れた時、出会ったばかりの男と手を繋ぐのが普通だと言う感性を持たせてはならない。其の事を伝えようと、僕は彼女に向き直る。

 

「手、つないでくれないの……?」

 

「喜んで繋がせていただきます」

 

 ……軽蔑してくれたって構わないさ。

 

 

 

 

 

 

 橋元ちゃんと手を繋ぎながら繁華街を抜け、住宅街を歩いていた。先程よりも更に太陽は西に傾き、僕と彼女も周りの風景と同じ様に(あか)く染まっていた。長く伸びた影法師を見ていると、昔こうして妹達と手を繋いで帰路に着いた事を思い出す。あの頃は未だ今より仲が良くて、暗くなる迄一緒に外を走り回っていた。今では、仲が悪いとは言わないが、仲が良いとも言えない関係になってしまった。何時からそうなってしまったのかは、きっとあの事故からだろう。下の妹が遭った交通事故。…………まあ、其れで無くとも年頃の女の子だ、異性の兄弟なんて鬱陶しがられて今みたいな関係に落ち着いただろう。あの頃、両の手に、右に上の妹、左に下の妹の手の温もりを感じていたのが、今は左手だけに、今日会ったばかりの女の子の温もりに変わっている。……そう言えば、妹以外だと、こうして手を繋いで歩くのは初めてな気がする。そう思うと妙な気不味さが生まれたが、上機嫌で鼻唄を口遊(くちずさ)む橋元ちゃんを見ていると、其の感覚も薄れ、揺らぎ、消えていった。

 

「ご機嫌だな、橋元ちゃん」

 

「うん、おにいちゃんと一緒だもん」

 

 中々嬉しい事を言ってくれるじゃあないか。しかし、十年もしない内にそう言った事を言ってくれなくなると僕は経験上知っている。……悲しいかな、其れが現実と言う物だ。妹と言う者に幻想を抱いている諸兄は、今直ぐ其の幻想をぶち壊す事を推奨する。

 海辺の公園でそうだった様に、仲良く雑談を交わしながら歩いていると、遠くの方に人影が見えてきた。其れを見るや否や、橋元ちゃんが僕の手を離して影の人物に駆け寄る。

 

「ママー!」

 

 どうやら、此の先にいる人物が、件の『ママ』らしい。飛び付いてきた橋元ちゃんを少し危なっかしく抱き止めた其の女性の姿は、逆光の所為でよく見えなかったが、橋元ちゃんよりも少しだけ背が高い様だった。無論、橋元ちゃんが結構小柄なので、其の女性も小柄な部類に入るだろう。

 走って行った橋元ちゃんの後をゆっくりと追い掛けると、橋元ちゃんの『ママ』と目が合った。橋元ちゃんの母親と言うからには中年女性だと想像していたのだが、其の女性はかなり若く、二十代前半、見ようによっては十代の後半に見えた。母親と言うより姉に近い。そんな事を思いながら、もう数歩近付くと、其の女性に見覚えがある様な気がしてきた。何処で見たのか思い出そうとしていると、女性が険しい表情で手提げから巾着袋を取り出した。腰元まである長めの肩外套(ケープ)から白くほっそりとした腕が覗いたかと思うと、袋の中身を掴み、僕に向かって投げ付けてきた。其の瞬間に走る激痛――!?

 

「痛い痛い痛い痛いっ!?」

 

「聖なる灰に焼かれろっ!」

 

 灰ならもう燃え尽きた後だろとか、いきなり何をするんだとか、灰以外にも絶対ヤバいもん入ってるだろ此れとかそう言ったツッコミが頭の中に浮かぶが、余りの激痛に声にならずに消える。激しい疼痛に意識が暗転し始めた時に、心配そうな橋元ちゃんの声が聞こえた気がしたが、僕の脳は其れを処理する前に電源を落としてしまった。

 

 

 

          黒齣

 

 

 

 目が覚めた時、目の前には心配そうに僕を覗き込む橋元ちゃんの姿があった。僕が目覚めたのを確認して、嬉しそうに何処かへ走っていく。

 

「ママー! おにいちゃんおきたよー」

 

 どうやら『ママ』を呼びに行ったらしい。意識が暗転する原因にもなった激痛は既に無くなっており、激痛どころか僅かな痛みすら残っておらず、身体の何処にも不調は感じ取れなかった。一体どんな成分なんだよ、あの粉。兎も有れ、不調が無いならばと身体を起こし、周囲を見渡してみる。

板張りの床(フローリング)に絨毯が敷かれた部屋に、寝椅子(ソファ)と脚の低い卓子(テーブル)、そして、受像機(テレビ)が置かれているだけの簡素(シンプル)な部屋だったが、部屋を彩る其の家具家電達は何れも値が張る物であると一目で分かる物だった。広さは六、七畳程で、物が少ない分無駄に広く感じる室内は、清掃が良く行き届いていて清潔感が漂っている。ただ一つ違和感があるとすれば、出入口が扉では無く襖な事だ。洋間に見えるが、元は和室だったのかもしれない。

 そうして周囲を見渡していると、一分足らずで襖が開かれた。其処にはニコニコとした笑顔の橋元ちゃんと、仏頂面の『ママ』さんがいた。『ママ』さんが手にしている(トレイ)には、洋杯(カップ)茶瓶(ティーポット)が乗せられていた。其れを卓子の上に置くと、僕が寝かされていた寝椅子の対面に座った。良く見ると、やはり見覚えがある人物だ。何処で見たのかを思い出そうとしていると、何故か橋元ちゃんが向かいの寝椅子では無く、僕の隣に座った。……本当に、随分と懐かれてしまったな。そんな僕と橋元ちゃんを見ながら、正面に座る彼女は複雑そうな表情で溜息を吐き、其の儘の表情で口を開いた。

 

「久しぶりね、西緒維新……もっとも、一月程度だけれどもね」

 

 やはり、彼女と僕は知り合いらしい。切り揃えられた前髪と、腰まで伸びた艶やかな髪は高級感を漂わせる程に漆黒で、袖無し外套(マント)の様に丈の長い肩外套は其の髪に合わせた様な黒だった。少しだけ幼さを残しつつも、目鼻立ちの整った美人である。其の見目麗しさと丈の長い肩外套、そして、芝居掛かった其の口調は、何処と無く魔女を連想させた。

 

「ああ、久しぶりだな。たけ……たけ……竹ノ塚?」

 

「誰よ!? 武宮よ、武宮ゆゆこ! 同じゼミでしょう!」

 

 そうだ、其れで完全に思い出した。彼女は武宮ゆゆこ。僕や猪上、亘達と同じ香田ゼミのゼミ生である。

 

「ああ、すまない。だけど、同じゼミと言えど二十人近くいるゼミ生の中でも、僕らは殆ど会話をしたことないだろう? 名前が空覚(うろおぼ)えになるくらい勘弁して貰えないか?」

 

 僕の言い訳染みた言葉に武宮は、実に不機嫌そうな表情を作って見せる。

 

「……私、貴方と高校も中学も小学校も一緒なんだけど」

 

「え?」

 

「小学校の頃は貴方の妹と仲が良かったから、何回か家にも行ってるのだけど」

 

「すいませんでした!」

 

 流れる様な、綺麗な土下座だった。いや、しかし、本当に覚えていなかった。僕が覚えていないだけなのか、其の事実が本当は存在しないのかは分からないが、此の場は謝っておくべきだろう。

 

「まあ、妹の友達なんて記憶に無いでしょうね。噂が本当なら」

 

「噂? 何か噂されるようなことを僕がしたというのか?」

 

 皆目見当も付かないのだが。僕の様な誰にも迷惑を掛けず品行方正で、物静かで目立たない一般的で、普遍的で、常識的な人間に対して、一体全体どの様な噂が流れると言うのだろうか? 疑問符塗れの僕に対して、武宮は何故か頬を赤く染めて、俯き加減で口を開いた。

 

「西緒維新と亘航と猪上堅二は三角関係だって……」

 

「誰だ! そんな(おぞま)しい上に根も葉もどころか、花や実すらもないような酷い噂を流している奴は!」

 

「こっちだって困っているのよ! 貴方達みんな受けっぽいんだから、誰に攻めさせるかで迷うのよ!」

 

「そんなもんで迷うんじゃねえ! でも、一つだけ言っておくが、僕が受けだったら絶対に許さないからな!」

 

 言い争う僕達を見ながら、橋元ちゃんが不思議そうな顔で「うけ? せめ?」と首を傾げていた。此れは、彼女に悪い影響が出る前に話題を変えた方が良さそうである。

 

「受けじゃなければ良いのね!? 西緒ヘタレ攻めの亘ツンデレ受け……いや、猪上の姫受けで……待つのよゆゆこ、いっそ西緒俺様攻めという可能性も……」

 

「ねえよ」

 

 ぶつぶつと危険な事を呟き始めた武宮に、僕は冷たく言い放つ。と言うか、何だよ僕の俺様攻めって……其れはもう僕ではないだろうに。噂が本当ならば女性に興味が無くても仕方が無いと言いたいのだろうが、残念(なが)ら噂は噂に過ぎないし、僕達三人は飽く迄も友人であって、彼女が言う様な爛れた関係では無い。

 

「何か勘違いをしているようだが、僕は普通に女の子が好きだし、機会があれば女の子と付き合いたいと思う普通の男子だよ」

 

「……そうなの?」

 

「そうさ。女の子、ラブ! 僕は女の子が大好きだ! 愛してる! だから、女の子の方も僕のことを愛するべきだ……とまでは言わないが、世界中の女の子を愛していると言っても過言ではないな」

 

 節操が無いって? 違うな、博愛と呼んでくれ。僕のそんな告白を聞いた武宮は、俯いた儘小さく肩を震わせていた。何事かと様子を伺っていると、ポツリと小さく、彼女が呟いた。

 

「……も、そっち側か……」

 

「え?」

 

 良く聞き取れなかったので、聞き返してみる。其方(そっち)側って何方(どっち)側だよ。聞き返した僕に、上目遣いで睨め付ける様にして武宮が仄暗い瞳を向ける。表情は陰鬱にして憤怒が籠められていた。

 

「所詮貴様も性欲の下僕(しもべ)か! 穢らわしい牡が! どいつもこいつも肉欲に取り憑かれた愚かしい傀儡に過ぎないのよ! 全ての穢れは性欲に始まり性欲に終わるわ! そして穢れこそがこの世界を歪めている! 戦争も犯罪も不況も(ことごと)くは性欲から産まれた物よ! なれば性欲を排除した先にこそ人間の叡智の繁栄と真実の愛があるというのに愚昧なる人間共はそれに気付きもせずやれ男女交際だのやれ合コンだのやれセッ○スだの性欲丸出しで愚図のような思考を垂れ流して人間の叡智の象徴たる言語を汚染して……」

 

 其処迄武宮は早口で言い切ると、一度間を置いて、息を大きく吸った。

 

「ふ・け・つ・よ――――――っ!」

 

 武宮、魂の叫びであった。引き気味で武宮を見ている僕の隣では、橋元ちゃんが目を白黒させていた。急な大声に驚いたのか、其れとも『ママ』の豹変っぷりに驚いたのか、恐らくは両方だろう。

 

「というか、性欲だのなんだのって、さっきまで攻めだの受けだの言ってた人間が言って良いのかよ」

 

「BLは良いのよ。あれは世界の真理だから。海外の神話にだって少年愛は出てくるし、日本にも衆道があるわ。かつては真実の愛は衆道にこそ、男同士にこそ宿ると言われてたのよ」

 

 拗らせてやがる……。僕は語り始めた辺りで橋元ちゃんの耳を塞いでいた。本当は僕も耳を塞ぎたかったのだが、残念な事に僕は某人気ゲームの通信交換で進化する格闘家みたいに腕は四本も無いので、橋元ちゃんの純真無垢な心を守る事を優先した。と言うか、此奴こんな性格(キャラ)だったのか……ゼミでは物静かで落ち着いた深窓の令嬢みたいな雰囲気を纏っている癖に。

 さて、毎度お馴染み閑話休題。但し、今回は僕の所為では無いぞ。

 

「BLどうこうは置いといてだ、訊きたいことが二つほどあるんだが」

 

 橋元ちゃんの耳を塞いだ儘で口を開いた僕を、世界の男色の歴史を嬉々として、滔々(とうとう)と語っていた武宮が不思議そうな顔で見てくる。

 

「一つは、いきなり僕を攻撃したのは何故だ? というか、あれはなんだ?」

 

「一つと言いながら二つ訊くのね。まあ、いいわ、答えてあげましょう」

 

 口調を最初の様な芝居掛かった物に戻した竹宮は、ニヤリと笑いながら何処からか巾着袋を取り出した。いや、本当に何処から出したんだ? 肩外套の中から出した様にも見えたが……何だあれ。某青い猫型絡繰(ロボット)懐中(ポケット)みたいに四次元にでも繋がっているのか?

 

「これは悪しきを焼き、善性を高める聖なる灰よ。セイヨウヒイラギの木、マンドラゴラの根、トリカブトの根、ベラドンナの葉を乾燥させて磨り潰した物を混ぜて灰にした物」

 

「猛毒じゃないか!」

 

 良い子は間違っても作ってはいけない物だ。恋茄子(マンドラゴラ)大走野老(ベラドンナ)鳥兜(トリカブト)も僕が言った通り猛毒で、鳥兜は嘔吐・呼吸困難・臓器不全を引き起こし、恋茄子は幻覚・幻聴・嘔吐・瞳孔拡大作用があり、大走野老には嘔吐・散瞳・異常興奮の作用があって、何れも最悪は死に到る。西洋柊も、死ぬと言う話は聞いたことは無いが、食せば嘔吐・腹痛・下痢等の症状を訴える事になる。僕の知識不足で灰になる迄焼いた時の毒性は知らないが、僕が無事だった事を考えるとあの灰に毒性は余り無いのだろうが、だからと言って人の顔に投げ付けても良いと言う事にはならない。下手したら失明物だぞ。

 

「……で、何故そんな危険物を僕に投げ付けたんだよ?」

 

「暗くて顔が良く見えなかったから、紡を付け狙う変質者かと思ったのよ」

 

 黄昏時、()彼刻(がれどき)とは良く言った物で、人の顔の判別が付きにくい時間帯である。因みに交通事故も此の時間が一番起き易いとされている。(ただ)、相手が不審者であったとしても、行き成りあんな危険物をぶっ掛けたら余裕で過剰防衛である。

 

「お前、安易にそれ使うの禁止な」

 

「何故ッ!? 我が魔術の粋を集めた最高傑作よ!?」

 

「普通に危ないからだよ!!」

 

 同じ大学のゼミの人間が傷害罪で逮捕とか洒落にもならないからな。

 

「まあ、良いわ。とにかく、撃退しようと思って聖灰を掛けたら、良く見たら知り合いだし、紡に話を聞いたらわざわざウチまで送ってくれたって言ってるしで、焦ったわ。……ごめんなさい」

 

 最後の最後で素直に謝ってくる辺り、根は悪い奴では無いのだろう。抑々(そもそも)、僕を攻撃したのだって橋元ちゃんを護ろうとした訳であって、端から害意があった訳では無いのだから。

 

「いや、大丈夫だ。悪気がないのは分かったし、橋元ちゃんを守るためなら仕方がないさ」

 

 僕がそう言うと、武宮は幾分か安堵した様な表情になる。少しだけ和やかになった空気を感じ乍ら、僕は二つ目の質問に、話の本題に入る事にした。緊張が伝わったのか、僕に耳を塞がれた儘の橋元ちゃんが、不安そうな目で僕を見上げてきた。彼女の耳が、僕の両手で塞がれている事を今一度確認してから、僕は()()について訊ねる。

 

 

 

 

 

 

「どうしてお前が、橋元ちゃんの()()なんだ?」

 

 

 

 

 




 好きな事を書いていると、つい長々と主人公に語らせてしまうのは自分の悪い癖です。前回と今回で出てきた新キャラ「橋元紡」ちゃんと「武宮ゆゆこ」さんは設定を考えていた時からのお気に入りだったりします。元になったキャラわかる人いるのかな?


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拾壹章

 ……文字数は諦めました。今回はまあ、某有名コピペを入れたのでそれも原因でしょう。『僕は悪くない』。


「どうしてお前が、橋元ちゃんの()()なんだ?」

 

 静かな室内に、小さい筈の其の声は妙に大きく響いた様に感じた。聞こえてしまってないかと、恐る恐る橋元ちゃんの様子を確認するが、キョトンとした表情が返ってきただけだった。

 僕の疑問は、十人に訊いたら十人が十人同じ様に思うであろう疑問だ。()()紡の親が()()ゆゆこである。更に、橋元ちゃんは十五歳程で武宮は二十歳前後、五歳の時に子供を産んだと言うのは考え難い。後は、まあ、純粋に母娘と言うには似てなさ過ぎる。普通に考えたら二人に血縁関係は無いと思われる。しかし、武宮の其れは母親の愛情の様にも感じるし、橋元ちゃんも彼女の事を『ママ』と呼ぶ。其れは此の世界に於いて少し(いびつ)に映るが、確かな絆を感じさせる物だ。だからこそ、僕は二人の為に何かをしたくなった。二人が抱えている物を知って、其の重みを緩和する手助けをしたいのだ。十割余計な御世話だろうし、僕に何か出来ると思う事自体が自惚れなのだろうが、僕も関わりたいと思ってしまったのだ。

 僕の真剣な様子が武宮に少しでも届いたのだろう。呆れた様に溜息を吐きつつも、首を縦に振った。そして、武宮の指示で橋元ちゃんの耳から手を離す。少し力が入り過ぎてしまっていたのだろうか、彼女の耳周りは薄っすらと赤くなっていた。……後で謝っておかないとな。

 

「紡、自分の部屋に行ってなさい」

 

 武宮の言葉に橋元ちゃんは不服そうに頬を膨らませて抗議したが、武宮の「冷蔵庫に入っている氷菓子(アイス)を食べても良い」と言う言葉であっさり承諾して駆けていった。……僕より氷菓子が良いか……少し、切ないな……。そんな僕の心の傷の事など、お構い無しに武宮が話し掛けてくる。

 

「……紡はね、半年前に拾ったの」

 

「拾ったって……犬猫じゃあるまい」

 

 僕の軽いツッコミを、武宮は首を振って否定する。そして、訥々(とつとつ)と橋元ちゃんとの出会いを語ってくれた。

 二人の出会いは半年程前。秋も過ぎようとしており、冬の足音も聞こえ始めた季節の頃。港近くの倉庫街の路地裏で、寒空の下にも拘わらず薄い襤褸(ぼろ)だけを身に付けて、赤子の様に丸くなって気を失っていたらしい。目立った外傷や狼藉を働かれた様子も無かったが、放って置く訳にもいかず保護したのだそうだ。其の頃の橋元ちゃんの状態は本当に酷く、言葉を発さず、此方の言う事も理解できず、着替えも食事も一人では行えず、正に赤子の様だったとの事だ。しかし、武宮は諦める事無く懸命に世話を続けた。すると、徐々に辿々しくも言葉を覚え始め、着替えも食事も一人で出来るようになっていったと言う。

 

「まるで、子供の成長を早送りで見ている気分だったわ。……お風呂はまだ一人じゃ入れないのだけどね」

 

 そう言って苦笑する彼女は、其れでも何処か嬉しそうで、其処には母親としての慈愛が垣間見えた。産みの親より育ての親とは、(けだ)し名言にして至言である。此の二人は血の繋がり等無くとも、立派に母娘であると言えるだろう。

 

「しかし、そんな状態の橋元ちゃんの名前が良く分かったな」

 

 僕の言葉に、武宮の優しげな表情が少し強張ったのが分かった。数秒の間黙り込み、躊躇いがちに目を伏せていたが、近くに置いていた手提げから財布を取り出すと、其の中から何かを取り出した。其れは、名刺程の大きさの紙片だった。

 

「……被験体番号零壹捌參(0183)、橋元紡……これは……?」

 

 訊ねても、暫くは返事が返って来なかった。いや、僕とて其の言葉の意味が、()()()の意味が分からない程には愚かではない。其れでも訊ねざるを得なかった。此の紙片と橋元ちゃんの関係を。

 

「これは……紡が唯一身に付けてた襤褸のような服に付いていたものよ……プラスチックのカバーに入って、ピンで留められてた……」

 

 名札……いや、管理札だったのだろう。口の中にじわりと生臭く、鉄臭い物が広がる。気付けば、噛み締めた唇には血が滲んでいた。橋元ちゃんの過去に対する同情か、自分の不甲斐なさかは分からないが僕は無性に悔しかった。

 人体実験。僕と武宮、二人の頭の中には此の言葉が浮かんでいた。馬鹿馬鹿しい、戦時中じゃあるまいしと鼻で笑ってやれたらどんなに楽だったろうか。大戦が終わってから三十年以上経つ。未だ未だ治安が良いとは言えない此の横浜の街だが、()()等と呼ばれていたのは昔の事なのだ。だから、そんな非人道的な実験が行われている等、有り得ないと断じてしまいたい。だが、武宮が橋元ちゃんを見付けた状況が、橋元ちゃんの状態が、そんな非日常の可能性を示唆してくる。そして、僕達は其れを否定する材料を持ち合わせていなかった。

 

「わたし……恐くて……」

 

 震える声と同じ様に、武宮の唇が、いや、身体全体が震えていた。

 

「ずっと、ずっと一人で紡を護ってきた……長い間……誰にも言えなかった……何度も何度も間違えながらも、紡を護る為に生きてきたんだ……」

 

 一人で、か……。(さぞ)や心細かったであろう。半年と言う長い間、何かしらの凶悪犯罪の影に怯えながら、たった一人で一人の少女を護り続けてきたのだから。そう考えると、芝居がかった口調も、強気な態度も、魔術とやらも橋元ちゃんを護ろうとする彼女自身を護る為の鎧なのかもしれない。

 

「警察は頼らなかったのか?」

 

 当たり前だが、市民を護ると言うのが市警や軍警を筆頭にした警察組織の仕事である。僕の両親も其の組織に属している為、個人的には信頼に値すると思っているのだが、武宮はそんな当たり前の、誰もが思い付くような言葉を否定した。

 

彼奴(あいつ)らはダメよ、信用出来ない。それに……」

 

「それに?」

 

「奴らに話したら、紡と離ればなれになっちゃうじゃない……」

 

 随分と依存が強い様だ。しかし、分からなくもない。橋元ちゃんと武宮に血縁関係が無い以上は二人が幾ら想い合っていたとしても、橋元ちゃんは本来の()()()に戻されてしまうだろう。そうなってしまえば、今の様に簡単には会えなくなるだろう。断腸の思い――そんな言葉が、僕の頭を過る。子を連れ去られた母猿が悲しみの余り(はらわた)が千切れて死んでしまったと言う話を元にする故事成語である。流石に本当に腸が千切れたりはしないだろうが、其れ程の想いを武宮は彼女に注いでいるのだ。それに、橋元ちゃんが本来の()()()に戻されると言う事は、橋元ちゃんが再び危険な場所に行かされる可能性が高いのだ。彼女の事を『被験体』と呼ぶ奴等の下にだ。

 

「家族には相談したのか?」

 

 僕の言葉に、武宮は力無く首を振る。

 

「家族を巻き込みたくないし、頼りたくもないわ」

 

 弱々しい声ではあったが、きっぱりと言い切ってみせた。彼女の家庭環境を知る由は無いが、少なくとも此の件に関しては彼女は自分の家族を信用してはいないらしい。ならばと、僕は其の儘の疑問を彼女にぶつける事にした。

 

「じゃあ、何でこの話を僕にしてくれたんだ? 警察組織でもなければ、家族でもない、赤の他人の僕に」

 

「それは……」

 

 武宮が口籠る。しかし、そうなのだ。警察や家族が信用ならないと言うのに、僕を信用して話してくれる理由が解せないのだ。友達の兄と言うだけの弱すぎる関係性の僕にだ。

 武宮が黙ってしまって数分とややあって、漸く口を開いた。

 

「貴方は……敵じゃないと知っているから……」

 

()()()()()? それはまた、一体どういうことだ?」

 

 しかし、僕の質問に対する返答は無かった。武宮の口は堅く結ばれ、先程迄の話すのを躊躇っている沈黙とは違い、口を開かないと言う強い意思を感じる。

 僕は両手を挙げて降参を表明すると、目の前に置かれた紅茶を啜った。すると、昼に食べた氷菓子と同じ胡椒薄荷(ペパーミント)の香りが鼻腔を通り抜けていった。

 其の後、氷菓子を食べ終えて暇を持て余した橋元ちゃんが戻ってきて、空気を和ましてくれた。そして、暫く雑談に興じていると、良い時間になってきたので御暇(おいとま)する事にした。橋元ちゃんは不満そうだったが、また後日来ると言う旨を伝えると渋々ながらも了解してくれるのだった。

 後の事は特に語る事も無い。橋元ちゃんと武宮の母娘に別れを告げた僕は、寄り道する事無く家に帰った。色々あった一日だったからか、其れとも今日一日だけで三回も場面転換があったからか、妙に疲れていた。其の為、帰ってから風呂を済ませた後、折角用意して貰っていた食事も摂らずに寝てしまい、翌朝妹に怒られる羽目になるとは流石に予想はしていなかった。

 

 

 

 

 

 妹の小言を聞いていたら、見事に一限目の講義に遅刻してしまい、妹に続き教授に迄説教を貰う羽目になった僕は、少し暗鬱な心持ちで灰狼探偵社に向かっていた。沈んだ気持ちを盛り上げるような、愉快な出来事でも起きないかなと考えながら歩いていると、少し先を見知った黒髪長髪の少女が歩いていた。(ひかがみ)迄届く、長く艶のある黒髪、小柄な体躯――鷹橋弥七郎である。

 さて、読者諸君は此処で僕が例の如く、予定調和の様に、某物語の主人公みたいに鷹橋に飛び掛かり、セクハラ三昧の暴挙に出ると期待している事だろう。しかしだ、残念ながら其れは出来ないのだ。何故なら、僕と鷹橋は昨日出会ったばかりで、信頼関係を築いていない。そんな鷹橋に対して暴状を起こせば、本当に只の性的嫌がらせ(セクハラ)になってしまうじゃあないか。それに、僕の評価の問題もある。此処まで読んできた読者諸氏が、きっと勘違いしているであろう事を此処で確りと否定しておこう。

 

 

 

 僕は――幼女愛好家(ロリコン)ではないのだ。

 

 

 

 信用が出来ないと、そう言いたいだろうが、僕の話を少し聞いてほしい。昨日、鷹橋と桜場の二人の容姿を傍白(モノローグ)で褒めていたのは、飽く迄造形の美しさについてであり、美術品鑑定の其れと大差無い。つまりは、美しい物を美しいと褒めただけで、其処に僕の趣味嗜好は含まれていないのだ。僕は何方かと言えば胸の大きい、大人の女性の方が好みである。だから、もしセクハラをするのなら、鷹橋では無く蒲池さんにする! なので、皆々様方の期待には、残念な(なが)ら沿えないのだ。幼女愛好家(ロリコン)の汚名は被りたく無いしな。…………待てよ。確かに鷹橋は見た目こそは幼いが、年齢は十九と言っていた。十九と言えばもう大人と言っても良い年頃ではないか。そんな鷹橋に対して幼女(ロリ)やら童女(ロリ)やら少女(ロリ)やらと呼ぶのは失礼に当たるのでは無いだろうか? 昨日は何でもない様に言っていたが、鷹橋だって自分の容姿に思う事はあるだろう。何処に行っても子供扱いで、辟易としている事だろう。ならば、僕位は彼女を大人扱いしようではないか。彼女を一人前の淑女(レディ)として扱おう。其の為には、此の身を犠牲にする事も厭わない。

 ――さて、前振り、言い訳、建前、前座、其の他諸々の時間は終わりだ。僕は足を前後に軽く開き、膝を曲げ屈む様な姿勢を取る。身体は前傾に、其れを支える為に地に着いた両手は肩幅に、足の筋肉に力を込める。お待たせ致しました紳士淑女の皆々様方、此れが(おとこ)・西緒維新の生き様である。(しか)と目に焼き付けて戴きたい。

 

「たっかっはしーっ!!」

 

「ふぇ?」

 

 身体の撥条(バネ)を全力で使い、一瞬にして最高速に迄加速した僕は、其の勢いの儘、鷹橋に飛び掛かる。事態を把握できなかった鷹橋は間抜けな声を上げて、僕に抱き抱えられた。其の瞬間、我に返って暴れる鷹橋だが、時既に遅し、僕は鷹橋を撫で回し捏ね回し頬擦りをする。

 

「ギャーッ!! イヤーッ!!」

 

「こら、暴れるんじゃない! 髪の匂いが嗅ぎにくいだろ!!」

 

「ニャギャァ――――ッ!」

 

「鷹橋! 鷹橋! 鷹橋! 鷹橋ぃぃいいいやぁああああああああああああああああああああああん!!!

あぁああああ…ああ…あっあっー!あぁああああああ!!! 鷹橋鷹橋鷹橋鷹橋ぃいいぁわぁああああ!!!

あぁクンカクンカ! クンカクンカ! スーハースーハー! スーハースーハー! いい匂いだなぁ…くんくん

んはぁっ! 鷹橋弥七郎たんの黒髪ロングをクンカクンカしたいお! クンカクンカ! あぁあ!!

間違えた! モフモフしたいお! モフモフ! モフモフ! 髪髪モフモフ! カリカリモフモフ…きゅんきゅんきゅい!!

 

――――――――中略――――――――

 

よかった…世の中まだまだ捨てたモンじゃないんだねっ!

いやっほぉおおおおおおお!!! 僕には鷹橋ちゃんがいる!! やったよアリア!! ひとりでできるもん!!!

いやぁあああああああああああああああ!!!!

あっあんああっああん大河ぁあ!! ル、ルイズー!! シャナぁああああああ!!! 伊織ぃいやぁあああ!!

ううっうぅうう!! 僕の想いよ鷹橋へ届け!! 灰狼探偵社の鷹橋へ届け!」

 

「うっさい! 長い!! キモい!!! 死ね!!!!」

 

 瞬間、脳天から足元迄を貫くかの様な衝撃、激痛、目から星が飛ぶと言う古典的漫画表現を使ってしまいそうになる。僕が反撃に怯んだ瞬間、鷹橋が僕の拘束から逃れた。

 

「いってえな!! 何しやがる!?」

 

 痛いのも何しやがるも僕の事なのだが、そんな事は棚の上に投げ込んで置いて、鷹橋に向かって怒鳴る。

 僕の魔の手から逃れた鷹橋は、電柱に半身を隠しながら鞘に納まった儘の刀を手に此方を威嚇していた。あれで殴られたのか……死んだらどうする心算(つもり)だよ……。野良猫の様な声で此方を威嚇する鷹橋は、どうやら怒気と混乱で我を忘れているらしい。そんな彼女に僕は、敵意が無い事を示す為に両手を掲げて見せる。

 

「鷹橋、安心しろ僕だ」

 

 此れ迄の流れの中に、僕だから安心だと言う要素など何処にも無いとは思うのだが、一応は効果があったらしく、鷹橋が身を隠していた電柱から出てくる。

 

「あんたは……えーっと……西野?」

 

「人をいちごパンツで学年のアイドルのショートカット美少女みたいに呼ぶんじゃない。僕は東城派だ……違った。僕の名前は西緒だ」

 

「……ちょっと噛んだだけよ」

 

「違う、(わざ)とだ」

 

「うるさいうるさいうるさい!」

 

「逆ギレされた!?」

 

 そんな、ある種お約束の様な遣り取りを済ませた後、僕達は探偵社に向かう。鷹橋の存在が心を癒してくれたのか、曇天だった心は見事な快晴となり、足取りも軽くなった。

 

「鷹橋は、家がこっち側なのか?」

 

「ううん、ちょっと用事があって出掛けてたのよ。社には今から帰……って、誤魔化そうとしないで! さっきの事を許したわけじゃないんだからね!」

 

「あんなの軽いふれあい(スキンシップ)じゃないか」

 

「全然軽くなかったわよ!」

 

「そうか? 僕の妹なんか、挨拶代わりに正中線の中心に正拳突きしてくるぜ」

 

「……よく死なないわね……」

 

 まあ、そんな事をしてくる妹は一人しかいないのだが。あ、でも、流石に千枚通しは()めて欲しかった。

 そんな他愛も無い話をしながら歩いていると、漸く見えてきた探偵社から誰かが出てくる処だった。ツンツンと尖った短髪に、身体の線が出る様な細身のスーツ姿、女性にしては高めの身長に、整った顔立ちと覇気の無い眼。そう、我らが灰狼探偵社の社員が一人――蒲池和馬嬢其の人である。蒲池さんは此方に気が付くと、大きく手を振り乍ら近付いてきた。

 

「なんだなんだ、二人一緒だなんて仲良しだな」

 

「ええ、僕と鷹橋は両想いですからね」

 

「えっ? そうなのか!?」

 

「ちょっと和馬!! 本気にしないでよ!!」

 

 僕の冗談を真に受けて、鷹橋に突っ込まれている蒲池さん。鷹橋もそうだが、蒲池さんも中々に揶揄(からか)い甲斐のある人の様である。しかし、歳上の女性を揶揄うと言うのも余り良くは無いな。自重しようとするか。

 

「そ、そうだよな……昨日の今日で付き合うだなんて……」

 

「蒲池さん! 愛に時間は関係ないんですよ!」

 

「西緒ッ!!」

 

 ……我慢が利かない身体である。

 

「……で、蒲池さんは出かけるところですか?」

 

 猛る鷹橋を宥めながら、蒲池さんに訊ねる。訊ねられた蒲池さんの顔は、未だほんのりと紅い。どうやら蒲池さん、色恋沙汰には少々疎い様だ。

 

「あ、ああ、ちょっとお菓子の買い出しにな。切らすと社長がうるさいんだ」

 

 お菓子の買い置きが切れて、機嫌を損ねる探偵社社長と言うのも如何な物だろうか? 幾ら十四の子供だと言っても少々堪え性が無さ過ぎる気がする。橋元ちゃんだってもう少し我慢が効くだろうさ。

 

「というわけで、俺は買い物に行ってくるから、二人は気にせず中に入っててくれ」

 

「何か含みがあるような言い方ね……まあ、いいわ、行くわよ西緒」

 

 少し不満そうにし乍らも、鷹橋が格子門を開けて僕を促す。買い物に行く蒲池さんに会釈をし、格子門を(くぐ)って玄関前に立つと妙な緊張感を抱いた。良く考えるとアルバイトすらした事の無い僕にとって、中学時代の職場体験を除けば人生初の()()なのである。僕も大学の二回生である以上、早ければ来年には就職活動に勤しむ事になる。そう思えば、今回の事は良い機会だったのでは無いだろうか。僕は鷹橋に促される儘に玄関を抜け、広く長い廊下を進み、事務室と書いてある部屋の扉を叩いた。中から山田さんの返事が聞こえ、内側から扉が開かれた。山田さんが歓迎するように招き入れてくるのを見て、鷹橋と一緒に入室する。応接室に比べればやや狭いが、一般的には十分過ぎる程に広い室内に事務仕事用の机が五台、各々(それぞれ)に書類整理用と思われる簡易の本棚と新型の電算機(パソコン)が置かれていた。

 

「あれ? なぎさ、社長は?」

 

 鷹橋の問い掛けに山田さんが答える所に因ると、社長こと桜場一樹は自室にいるらしい。其処で、鷹橋の提案に因り僕が挨拶がてら呼びに行く事になった。山田さんから桜場の部屋の場所を聞くと、早速其の場所へ向かう。

 道中高価そうな壺や絵画に眼を奪われながら、桜場の自室に辿り着く。しかし、随分と広いな。一寸(ちょっと)した集合住宅(アパート)と較べたら遥かに広い。そんな感想を抱きつつ、薔薇の浮き彫り細工(レリーフ)の施された扉を叩いた。

 

「……入りたまえ」

 

 少々間があってから、気怠そうな返事が帰ってくる。僕は其の返事を聞いてから「失礼します」と一言断ってから重厚な扉を開く。扉を開いた僕の目に飛び込んできたのは、だらしなく寝そべり乍ら本を読む桜場と、積み上げられた分厚い洋書の山、脱ぎ散らかされた服、そして食べ掛けのお菓子逹だった。

 寝そべった儘で此方に視線だけ寄越した桜場は、つまらなさそうに溜息を吐いて視線を読んでいる本に戻した。

 

「君か。大凡(おおよそ)挨拶ついでに呼びに行けとでも言われたのだろう。まあ、一応は社長として君を歓迎し……」

 

「ちょっと待ってください社長!」

 

 言葉を遮られた所為で、眉を顰め乍ら首を傾げる桜場に僕は詰め寄る。

 

「な、なんだね?」

 

 急に距離を詰められた所為か、動揺し乍ら少し距離を取る桜場。何を焦っているのか、少し(ども)り乍ら顔を赤くしている桜場の肩を掴む。ピクリと小さな肩が僅かに震える。

 

「この部屋を、掃除させてほしい!」

 

 桜場が呆気に取られた様な表情で頷くのを確認してから僕は立ち上がる。前に話したかもしれないが、僕は特別綺麗好きと言う訳では無い。しかし、此の惨状を見て、何も思う事が無いと言う程でも無いのだ。

 先ずは山田さんに掃除用具の在処を訊く処からだろう。思い立ったが吉日と言う奴だ。僕は部屋を出ると、事務室に戻ることにした。部屋を出る際に、桜場が何かを呟いた気がしたが、僕の耳に届く事は無かった。

 

 

 




 前半と後半の落差が酷いですね。クオリティもいつも以上に低い気がします。しかし、次の話か次の次の話辺りでようやく本筋に入ります。言ってしまえば今までのは前座です。 ……長い前座だった。飽きられないように気をつけて、これ以上クオリティを落とさないように頑張ります。

 唐突にお礼のコーナー。好きなハーメルン作家さんが良くやっていて、感謝は大事だと思いまして。ようはパクリです。でも、本当に感謝してます。

 中原 千さん。最高評価ありがとうございます!
 騒々呻さん 東西南"北"さん TouAさん 空月 鬼饗さん 黒林りんやさん トーラスマンさん 楠木合歓さん 魔法騎士レイなんとかさん hisashiさん ましろんろんさん 九条明日香さん 12時30分さん 飯田 真央さん。高評価ありがとうございます!
 励みになっています!

  Skytakさん hisashiさん 騒々呻さん。誤字報告ありがとうございます!
 本当に助かります!

 他にも感想をくれた方、お気に入り登録をしてくれた方、読んでくれた方、全ての人に感謝してます!
 今回も読んでくれてありがとうございました!


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拾貳章

 今回は似非ミステリー要素が入るため、少し長めです。……過度な期待はしないでください。毎回トリックやら事件やら考えているミステリー作家の方は本当に凄いですね、尊敬します。

 追記:トリック部分を修正しました。


 

 数十分後、掃除が完了した部屋の真ん中で、僕と桜場は対面していた。本は本棚に仕舞われ、服は洗濯機に、お菓子は深皿に纏め、食べ滓も掃除した。僕が掃除している間、桜場は応接室にあった物と同じ型の安楽椅子(ロッキングチェア)に座った儘、読書の続きをしていた。手伝おうと言う気は一切無かった様だ。

 

「どうですか社長。綺麗になると気分が良いでしょう?」

 

「……まあ、それなりにはな」

 

 やりきった表情で訊ねる僕に対して、桜場は本から眼を離さずに返答する。人と話す時は相手の眼を見て話しなさいと、お母さんから習わなかったのかお前は?

 

「だったら、何か言うことがあるんじゃないですか?」

 

「そうだな………………君が私に対して敬語だと、何だか気色が悪いな」

 

「マジでふざけんなよ!」

 

 幾ら上司と言えど、此奴には絶対に敬語を使わないと心に決めた瞬間である。しかし、こうして見ると凄い数の本だ。出入り口の扉の周辺以外の壁は天井まで届く程の背の高い本棚で隠されており、其の殆どは小難しい洋書で埋められていた。数少ない日本語の題名(タイトル)だけ拾って見ても、伝記伝承の類いや学術書から小説まで種別(ジャンル)は様々である。正に本好きの為の部屋と言えよう。亘辺りを連れてきたら喜びそうだな……いや、彼奴が洋書を読めるのかは分からないが。逆に猪上何かは連れてきたら発狂しかねない。因みに僕も本は嫌いでは無いので、こうして本の薫りに包まれているだけでも少し心が安らぐのを感じる。……洋書は読めないから読まないが。僕が辺りを見回していると、読書が一段落着いたのか、桜場が本を閉じて此方を見ていた。

 

「……では改めて、西緒維新君。私、桜場一樹と我が灰狼探偵社は君を歓迎しようじゃないか」

 

「それはありがたいが、さっきの部屋の惨状はもう一寸(ちょっと)どうにかならないのか? 女の子なんだから、最低限小綺麗にしておくべきだと僕は思うんだが」

 

 僕の苦言に対して、桜場はつまらなさそうに目を細めて鼻を鳴らした。

 

「この男女平等を掲げる近代社会において、随分な偏見主義者だな君は」

 

「じゃあ、人間として問題があると言った方が良かったか?」

 

 僕の台詞に言葉を詰まらせた桜場は、不機嫌そうに頬を膨らませて外方(そっぽ)を向いてしまった。此の社長の肩書きを持つ少女、普段は平静(クール)を装っているが、どうやら中々に感情の起伏が激しいらしい。

 先程迄寝転がっていたからか、少し髪が乱れている。其の波打つ黄金色を手櫛で解かし乍ら、桜場が不満気に口を開いた。

 

「……君を雇ったのは失敗だったな。こんなに口煩い人間だとは思わなかったぞ」

 

 可愛らしく膨らませた頬を(つつ)きたい衝動を抑えながら、僕は苦笑する。想定外の事に驚きもすれば、叱られて拗ねる事もある。大人びている様でも、やはり未だ子供なのだ。

 

「……まあ、時間があれば、今日みたいに掃除してやるよ」

 

 妹がいる人間は歳下の女の子に甘くなると亘が言っていたが、此れでは否定が出来ないな。因みに姉がいると、歳上の女性に逆らえなくなるとは猪上の言である。間食用に持ってきていた貯古齢糖(チョコレート)で桜場の機嫌を取っていると、室内に電話の呼び出し音が鳴り響いた。音源は直ぐに分かった。 部屋の中央より少し奥寄りに置かれた、紫檀製の最高級書斎机、其の上に置かれた骨董調(アンティーク)の電話だ。全体的には木目調で、受話口と送話口は磨き抜かれた真鍮製、数字盤(ダイヤル)(ボタン)が見当たらない処を見ると、恐らくは内線用なのだろう。電子音では無く、昔懐かしの金属音で着信を告げる電話機を、桜場は鬱陶しそうに半目で眺めていた。

 

「出ないのか?」

 

「……面倒だ。君が出たまえ」

 

 此奴、僕の事を召使いか何かと勘違いしてないか? しかし、桜場のこう言った態度にも慣れつつあった僕は、特に抗議する事無く電話に出る。

 

「……もしもし?」

 

『あんた西緒? いつまで其処にいるつもりよ!? お客さんが来てるんだから、さっさと社長を連れて降りてきなさいよ!』

 

 此方が何を言う迄も無く、一方的に捲し立てられ、荒々しく受話器が置かれる音がする。其の後に流れる通話終了の電子音。鷹橋さん、中々に御立腹の御様子。鷹橋が耳元で大声を放ってくれたお蔭で、若干の耳鳴りがする耳を押さえ乍ら、僕の後ろで椅子に座った儘で不思議そうな表情を向けてきている桜場に来客の旨を伝える。

 

「……成程、了解した。それじゃあ、ん」

 

 何故か僕に向けて両腕を差し出してくる桜場。

 

「……その手はなんだ?」

 

「決まっているだろう。私をおぶって下まで連れていきたまえ」

 

「いやいや、自分で歩けよ」

 

「……使えん。蒲池君なら私が言わずとも背負ってくれるぞ」

 

 甘やかせ過ぎです、蒲池さん……。子供を甘やかせると碌な事にならないと言うのは良く言われる事なので、僕は桜場を甘やかす事無く其の手を引いて立ち上がらせて、不満気に口を尖らせた桜庭の手を引きながら歩き始める。

 橋元ちゃんが良い子なのは、彼女の持つ生来の資質も然る事乍ら、案外武宮の躾が良いのかもしれない。そんな事を考え乍ら階段を降りていくのだった。

 

 

 

 応接室の扉を開いて真っ先に目に飛び込んできたのは……掘削機(ドリル)だった。何を言っているのか分からないとは思うが、僕も良く分からなかった。さて、曖昧な描写では読者も混乱するだろうから、より明確な描写をすると、目の前に居るのは気障(きざ)な白スーツの男性だった。()つ国の出身なのか、若しくは其の血が混ざっているのか色白の肌と見事な金色の頭髪をしていた。顔立ちは整っており、色男と言う表現がしっくりきた。しかし、弱々しい印象は無い。僕の頭一つ分程背が高く、身体付きも適度に筋肉質で男性特有の力強さを感じる。さて、此処まで描写したら(さぞ)や素敵な美男(イケメン)が立っている様に感じるだろう。確かに彼は美男と呼んで良い顔立ちをしているだろう。問題は其の頭である。禿げていたりする訳では無い。抑々(そもそも)、禿げていても格好良い人は一定数以上いる。特に国外の活劇役者(ムービースター)等に多い。目の前の彼はそんな物を遥かに超える奇抜な髪型をしていた。恐らくは腰の辺りまであるであろう長髪を一つに纏め上げ、前方に角の様に()り出させている。其の様は西洋の伝説にある一角獣(ユニコーン)の様でもあり、某狩りのゲームに出てくる角の生えた甲虫の怪物(モンスター)の様でもある。兎にも角にも奇妙な髪型である。其の掘削機の君は、僕と桜場に気付くとカツカツと踵を鳴らしながら近付いてくる。

 

「……ふぅむ、今日は実に良い日だ。こんな都会だというのに、黒毛の子リスが見られるなんて」

 

「……………………は?」

 

 黒毛の子栗鼠? 何の話だろうか? と言うか何者なんだ此の人は?

 完全に展開に着いていけてない僕に、桜場がそっと耳打ちをしてくる。

 

「……市警所属の警視様だよ」

 

「警視!? この変な髪型の人が!?」

 

 僕の言葉に警視さんの動きが一瞬止まり、笑顔も引き攣ってしまった。失礼な事を言ってしまったと反省する思いもあるが、僕の気持ちも分かって欲しい。市警の警視と言う事は僕の両親の――直属では無いにせよ――上司に当たる人物である。其の人物が奇怪な掘削機頭の人物なのだ。思わず声も上げてしまうと言う物だろう。そんな掘削機警視さんは仕切り直す様に咳払いをすると、芝居掛かった口調と動作で続ける。

 

「さて、なんだかポエムでも披露したい気分だぞ。子リス相手に長ーいポエムでも詠むとするか」

 

 本気(マジ)で何言ってるんだ此の人? 頭の中が御花畑なのかもしれない。僕の可哀相な人を見る視線を物ともせず、金色の掘削機を搭載した警視殿は其の長い“叙情詩(ポエム)”を吟じ始めた。

 

「今朝方、この横浜の街で名士と名を馳せている資産家が死体で発見された」

 

「なっ……!?」

 

 声を上げかけた僕を桜場が片手で制する。彼女を見ると、黙って聞いていろと言わんばかりに鋭い眼光が飛んできた。しかし、僕が声を上げるのも無理はないと理解して欲しい。彼が口にしているのは詩等では無く、殺人事件の概要なのだから。

 

「兇器となったのは洋裁用の裁鋏(たちばさみ)だ。これで喉元をグサリッと刺されていたのだよ。刃が頸動脈を切り裂いていて、兇器は血塗れ。死因は失血死だな。室内は争った形跡があり、椅子や花瓶が倒れ、辺りは水浸しだったよ。兇器の裁鋏は被害者から離れた出入口の近くに落ちていた。そこで我々警察は、第一発見者の資産家の妻を緊急逮捕したわけだ」

 

 ……待て待て、話が飛躍し過ぎていて理解が追い付かない。何故、資産家の妻が捕まらないといけないんだ? 僕の表情から其の疑問を察したのか、警視さんが得意気な表情を見せる。

 

「簡単な話だよ子栗鼠君。兇器には二つの指紋がついていて、その片方が奥方の指紋だった。そのうえ、部屋は完全な密室だったのだよ」

 

「もう片方の指紋は?」

 

 僕の疑問は(もっと)もな物だったが、警察も馬鹿では無い。禄に調べもせずに逮捕するのは漫画の中の話であって、実際は其れなりの証拠があって逮捕に到る訳だ。だから、目の前で警視が鼻を鳴らすのを見ても、苛立ちは無く、其れもそうか位の気持ちしか沸かなかった。

 

「ああ、被害者のものだったよ」

 

「兇器に被害者の指紋? 何故、兇器に被害者の指紋が? 不自然じゃないですか」

 

「ああ、確かに少々不自然ではあるとは思うが、兇器の裁鋏はその家の物だった。何かの拍子に触っていてもおかしくはないだろう。そもそもだ、兇器に被害者の指紋が着いていたところで、容疑者の無実の証明にはならんだろ」

 

 何と無く、某裁判ゲームの主人公になった気分だった。彼もこんな気分で尋問(ジンモン)をしているのだろう。青い背広姿の奇妙な髪型の彼に、何処と無く親近感を覚えながら僕は次の質問に移る。

 

「確かに、それもそうですね。あと、密室……ですか?」

 

「そう、密室だ。現場は資産家の書斎。部屋に窓はなく、扉にも鍵が掛かっていた。そして! その鍵を持っているのは資産家自身とその妻のみ。つまり、犯行が可能なのは彼女しかいないのだよ」

 

 役者かと思う位に演技臭い言い回しと、身振りだった。と言うか、普通に僕と会話してしまっているが、叙情詩と言う設定は何処に行ったんだ? と言う疑問を表情に籠めてみたのだが、今回は汲み取って貰えず、普通に続きを話し始める。

 

「しかし、この奥方、自らの罪を認めようとしないのだよ。昨日は昼から呑んでいて記憶がないだとか、鍵は無くしただとか言い訳ばかりでな」

 

 昼からとは、随分と奔放な奥様だな。人の生活に吝嗇(けち)を付ける心算(つもり)はないが、家の事はどうしているのだろうか? と言うより……。

 

「鍵を無くした? じゃあ、別の人が鍵を拾って資産家を殺したという可能性もあるのでは?」

 

 僕の疑問に対して、直ぐに警視さんが首を振って否定する。嫌味な事に指を振り乍ら、チッチッチッと舌を鳴らす仕種付きでだ。此の仕種、漫画等では良く見るが、実際に見るのは初めてだ。

 

「いや、それは無いな。実はその鍵なんだが、昨日の昼過ぎの時点で交番に届けられていた。死亡推定時刻は昨日の夕刻から夜にかけてと分かっているから、その可能性は除外だ」

 

「でも、それでは奥さんも犯行が不可能になってしまうのでは?」

 

「そう、其処が分からないのだよ。だから私は一つの仮説を立てた。実は奥方が何かしらかの異能力者なのではないのかとね」

 

 自信満々に語る彼に向ける、僕と桜場の視線に呆れの色が混ざる。そんな物は荒唐無稽も良いとこで、若し本当に異能力者による犯罪だったとして、其れが奥方だと言う証拠は全く無い。其れ処か、犯人の候補が増えるだけだ。そんな僕達の白けた視線に気付かないのか、其れとも気にしていないのか、警視殿が大仰な身振りで話を再開する。

 

「私の考えはこうだ。少し前に暇を貰った元使用人によると、被害者である資産家はどうやら気弱な人間だったらしくてな、奥方の奔放な生活や浪費癖に辟易としながらも強くは言えなかったらしい。しかし、堪忍袋の緒が切れたというか、我慢の限界がきてしまったのだろう。兇器である鋏を持って、奥方を刺し殺そうとした。しかし、思わぬ抵抗にあってしまい、逆にグサリッとやられてしまったのだ。奥方は事件の発覚を恐れ、部屋に鍵を閉め、何かしらかの異能力で脱出した。もしくは、何かしらかの異能力で外から鍵をかけたのだ」

 

 どうだと言わんばかりの得意気な表情の警視に、僕はどう返せば良いのか分からなかった。確かに最後の異能力云々の(くだり)を除けば、全体的な辻褄は合っている様な気がしなくも無い。(ただ)、奇妙な不自然さと言うか、微妙な違和感が拭えない、そんな気分なのだ。

 

「……だが、奥方が異能力者だと証明できなくては、この推理は完成しない。其処でだ。その……うむ……エフンエフン、なんと言うかだな……ゲホンゲホン」

 

 急に態とらしい咳をし乍ら、桜場の方をチラチラと見る警視。彼女に何かを期待している様であるが、(しっか)りと言葉にして貰わないと意味が分からない。だが、其れまで黙していた桜場が、警視の態度を見て溜息混じりに口を開いた。

 

「……私の()()で、その女に真実を語らせればいいのだな」

 

「むー……まあ、端的に言えばだな、そういう話にはなるな、子リス君」

 

 何故僕に言う。どうも此の二人の間には、奇妙な空気がある。と言うより、此の警視が桜場に対しての態度が可笑しいのだ。けして目を合わせようとせず、会話も無く、一定の距離以上は近付かない。まるで、猛獣か何かと相対するかの様に、桜場を()()()()()()のだ。桜場は、片手で西洋煙管(パイプ)(もてあそ)び乍ら、此の部屋に入ってから初めて真面(まとも)に警視の顔を見る。其の瞬間、警視が気圧された様に、一歩後退りした。

 

「……昨日一日の、被害者の行動を分かっているだけ教えてもらおうか」

 

 容疑者では無く、被害者の行動を訊くのか。僕は疑問に思ったが、警視はそう思わなかったらしく、普通に話を始めた。

 

「被害者は、この所は部屋に籠りきりだったそうなのだが、昨日は朝から病院に行くと言って出掛けていったそうだ。帰ってきてからは、食事も取らずにまた部屋に籠りっきりだったと使用人が証言している。ちなみに奥方は夕刻頃には帰宅していたそうだ」

 

「この所というと?」

 

「ここ一週間くらいと、言ってたな。その時も医者に行った後だったそうだ」

 

「ふむ……傷は刺傷だけかね?」

 

「いや、傷と言うほどでもないが、注射の痕があった。まあ、医者にいったのだから不自然ではないだろう」

 

 其れを聞いた桜場は持っていた西洋煙管を咥え目を閉じる。

 

「……最後に一つ。被害者に子供はいるかね」

 

 子供? 何故、そんな事を訊くのだろうか。事件とは関係の無さそうな質問だったが、警視は律儀に答える。

 

「ああ、前妻との間に娘が一人。既に自立して家を出てはいるがな。今の奥方は娘が家を出てから娶った後妻だ」

 

 西洋煙管を咥えた儘、目を閉じて黙って聞いていた桜場だったが、(おもむろ)に西洋煙管から離した口を開く。

 

渾沌(カオス)の欠片は出揃った。今から私の中の知恵の泉が再構成をしてくれる」

 

 渾沌だとか、知恵の泉だとかは良く分からないが、口振りから察するに事件の真相が分かった様だ。

 

「それで、奥方の異能とは何なのだね子リス君」

 

「いや、僕に訊かれても困りますよ……。さく……社長に訊いてください」

 

 僕と警視の遣り取りを白けた目で見ていた桜場は、ゆっくりとした動作で歩みを進め、安楽椅子に腰掛ける。そして、小さく欠伸をしてから口を開く。

 

「桜場警視。君の頭は随分と愉快だな」

 

「誰の所為だ!!」

 

 桜場の科白に警視が心外だとでも言う様に大声を出す。警視さん、好きで其の髪型と言う訳じゃ無いんですね。しかも、警視の言い分では桜庭の所為であんな髪型になっている様である。いや、そんな事はどうでも良い。其れよりも、彼奴今、()()警視って呼んだか? 真逆、此の掘削機警視、桜場の血縁者か何かなのだろうか。僕のそんな疑問には触れられず、桜場が淡々とした口調で言葉を紡ぐ。

 

「愉快なのは頭の中の話だよ。いや、外側も十分に愉快なのだがね」

 

 小馬鹿にする様な科白と態度に警視が歯嚙みをする。しかし、警視の反応など意に介さず、桜場は其の淡々とした口調の儘で話を続ける。

 

「確かに君の回りには、私を含めて幾人かの異能力者がいる。だがね、それだからといって、少しばかり自分の理解の及ばない事があったからといって、何でも異能の所為にするのは思考の停止というものだよ。それは知性の墓場だ」

 

「むむむ……な、ならば、異能力無しで、密室から脱出する方法はなんだと言うのだね子リス君!」

 

 だから、僕に振るなよ……。相変わらずの警視の対応に疲れてきた僕は、口に出して突っ込む事はせず、話の続きを促す様に桜場を見る。

 

「無くはないが、その奥方には無理だろうな」

 

「じゃあ、鍵無しで外から施錠を?」

 

 しかし、僕の問い掛けにも桜場は首を振って見せる。それでは密室はどうやって作られたと言うのだろうか? 揃って首を傾げる僕と警視の二人を見て、桜場が盛大に溜息を吐く。殆々(ほとほと)呆れ果てたと言った様子だ。

 

「全く、君達の無能さには、呆れを通り越して感心するよ。いいか、鍵をかけたのは奥方ではないのだよ」

 

「鍵をかけたのは奥さんじゃない……?」

 

 僕の呟きに反応したのは、桜場ではなく僕の隣にいる警視だった。

 

「ば、馬鹿を言うんじゃない! それでは、鍵をかけられるのは()()()()()()()()()()だけではないか!!」

 

 声を荒げる警視を睥睨(へいげい)する桜場。其の鋭い視線に気圧された警視が押し黙る。全身に伸し掛かる様な重さを纏った空気の中、桜場だけが平然としていた。

 

「そういった心算だったが……理解できなかったのか?」

 

 馬鹿にする様な口調であり乍らも、有無を言わせない威圧感を孕ませていた。刹那か劫波か、時間の感覚を忘れる程の静寂と重苦しい空気の中、僕はやっとの思いで口を開く。

 

「待ってくれ、だったら被害者は誰に殺されたんだよ。誰もいないのなら、資産家を殺せ……」

 

 其処迄言ってから気が付いた。そうだ、いるのだ。たった一人だけ、無人の密室内で資産家を殺せる人間が。警視殿も気が付いたのだろう。目を見開いて、酸素の足りない魚みたいに口を喘ぐ様に開閉させ、小刻みに震える指先で桜場を指差した。

 

「ま、真逆、貴様……被害者は、資産家は、()()()()()()()()()()()()と、そう言いたいのか?」

 

 僕の視線と、警視の言葉を受け、桜場が満足そうに首肯する。

 

「その通りだよ。これは他殺などではない。回りくどい自殺なのだよ」

 

 フッと口の端を歪めて笑って見せる桜場に、警視が掴み掛からん勢いで迫る。

 

「馬鹿な! ありえん! 兇器は被害者から遠く離れた場所にあったのだぞ!?」

 

 呆れたような視線を向けながら西洋煙管を空吹かしする桜場は、面倒臭そうに口を開く。

 

「……言語化するのも面倒だが、このまま黙っている方がもっと厄介か……仕方がない、説明してやろう」

 

 そう言った桜場は、椅子に座った儘で西洋煙管を教鞭の様に振るう。其の姿はやはり何かの絵画の様で、妙にしっくりくるのだった。

 

「良いかね、君達が見つけたと言う兇器。それは兇器ではないのだよ」

 

「なっ……!?」

 

 声を上げようとする警視を桜場の鋭い眼光が射貫いた。黙って聞いていろ、と言う言葉が其の視線から伝わってくる。

 

「資産家は部屋に鍵を掛け、兇器と見せ掛ける為の裁鋏を扉の前に置いた。そして、氷で作った刃で自らの首を刺したのだ。真の兇器は解けて無くなり、偽の兇器が残る。家捜ししてみろ、裁鋏に良く似た形の型と、偽の兇器に付けるために血を保管してた容器が出てくるだろう」

 

 其処迄を言い切ると、休憩をするように西洋煙管を咥えて目を閉じる桜場。まるで、探偵小説の世界に紛れ込んでしまったかの様だった。陶人形(ビスクドール)の様に美しい少女探偵と、奇妙な警視、そして、どう仕様も無く凡人な僕。探偵小説の登場人物にはお似合いではないか。そんな意味の無い事を考えていたら、再び訪れた静寂を警視が打ち破った。

 

「……さぁてと、私はそろそろ帰るとするかね」

 

 そう言って出入口に向かう警視の前に僕は立ちはだかる。

 

「なんだね子リス君。私はこう見えても忙しいんだが」

 

「お礼の一言くらい、あっても良いんじゃないんですか……?」

 

 此の二人がどう言った関係なのかは知らないし、二人の間に何が在ったのかも分からない。しかし、急に訪ねてきて、勝手に事件の概要を聞かせて、真相が分かったら何も言わずに帰るなんて、流石に失礼が過ぎると言う物だろう。僕の頭半個分上にある警視の目を、見上げる様にして睨む。

 

「ふむ、それはすまなかったな。私の長いポエムに付き合ってくれてありがとう、子リス君」

 

「僕にじゃない! 桜――」

 

「――西緒」

 

 けして、大きな声と言う訳ではなかった。だけど、呟きにも似た其の声は、僕の耳に響き、言葉を止めるには十分過ぎる程の効果があった。

 

「気にすることはない。いつもの事だ」

 

「だけど……」

 

「構わんさ。警視、帰るのだろう。ならば早く帰りたまえ」

 

 そう言って追い払う様に手を振る桜場。其れを見た警視は、僕を一瞥してから鼻を鳴らし扉を開く。少々恨めしい気持ちで警視を見ていると、今まさに部屋を出ようとしている彼の背中に、桜場が声を掛けた。

 

「桜場警視、資産家の主治医に話を聞きたまえ。彼が鍵を握っているよ」

 

「なっ、それはどういう……」

 

「忙しいのだろう? 早く帰ったらどうだね」

 

 冷たい目で言い切った桜場は、もう話す事は無いとでも言う様に、目を閉じる。其の姿は、(さなが)ら等身大の仏蘭西人形の様だ。歯嚙みをし乍ら、暫く桜場を睨み付けていた警視だったが、埒が明かないと思ったのか荒々しく扉を開いて出ていった。

 暫くは警視の出ていった扉を見ていた僕だったが、何とは無しに桜場を見ると、彼女の口角が少しばかり上がっている事に気が付いた。してやったりとでも言う様な表情に、僕は思わず笑ってしまった。そんな僕の笑いにつられたのか、其れとも彼女も我慢の限界だったのか、小さく噴き出す様な音の後、桜場の可愛らしい笑い声が聞こえた。呵々大笑、思う様笑った僕は、少しばかり気が晴れた気がした。

 

「それで、主治医が鍵を握っているというのは?」

 

 

 散々笑った後、少し呼吸が落ち着くのを待ってから桜場に質問した。密室の謎は解けたが、まだ謎はある。兇器が氷で型どった裁鋏なら、どうして本物の裁鋏に迄血が付いていたのか。抑々、肝心の動機が分かっていない儘ではスッキリしない。

 

「ああ、注射の痕があると言っていただろう? あれは、採血の痕だ。その血を裁鋏につけて兇器に見せかけたのだ。ならば、主治医はある程度は話を知っていたのだろう」

 

「なるほどな。そもそも、何で資産家はそんな回りくどい自殺をしたんだ?」

 

「何、難しいことではないよ。病院から帰ってきて部屋に籠ってしまう程の出来事があった。つまりは、末期的な病が見つかったのだろう」

 

「それで? 何で自分の妻に罪を着せるような自殺をしたんだ?」

 

 質問を繰り返す僕に、桜場が呆れた様な視線を向け、其の視線から想像するに難くない声音で言った。

 

「少しは自分で考えてみたらどうだね? 自分の死期を悟り、自分の財産がどうなるかを考えてみろ」

 

 そう言われて気が付いた。浪費家の妻、子供の有無、其処から考え付くのは一つだ。

 

「遺産か……」

 

「そう、死期を悟った資産家はこれ以上、自分が死んだ後まで財産が好き勝手されるのを良く思わなかった。妻が自分を殺した事になり、逮捕されれば、妻に遺産は行かず、全て血を分けた娘に行く事になる。だから、病で死する前に、自ら命を絶ったのだよ」

 

 何とも虚しい話ではないか。真実が明るみになり、奥方の無実が証明されれば、亡くなった資産家の願いは叶わない。勿論、無実の人間が捕まると言うのを望む訳では無いが、自らの命を捨てて迄の行動が無駄になってしまったと言うのでは、資産家が報われない。確かに奥方は無実なのだろうし、悪人では無いのだろう。しかし、悪人では無くとも善人とも限らない。善良では無い人間が得をする結果になってしまうのは、何とも牴牾(もどか)しかった。

 

「……世の中、そんなものだよ」

 

 僕の心を見透かした様に桜庭が呟いた。彼女は職業柄、そう言った人間の醜い部分や、儘為らない世界の仕組みと言った物を僕より多く見てきたのだろう。但、其の低語には少しの憐憫が混ざっている様にも思えた。

 

「ところで、警視って何であんな頭をしてるんだ?」

 

 重くなった空気を変える為に、話題を変えてみる。急な話題の変更に、一瞬不思議そうな表情になる桜場だったが、直ぐに話題に乗ってきた。

 

「ああ、あれか? あれは、昔依頼料の代わりに、外出時には一生あの髪型でいることを命令したんだよ」

 

 なんて酷い事を……。少しだけ、あのいけ好かない警視に同情してしまった。彼の行動全てを許せる訳では無いが、桜場に対する態度の理由は何となく分かった。其の後、少しだけ桜場と話をした。警視が実は桜場の兄である事、海外の学校に留学していたが、飛び級に飛び級を重ねて直ぐに卒業してしまった事、近所に美味しい洋菓子屋が出来た事、少しずつ少しずつ、ゆっくりとだけど、桜場の事を知れるのは喜ばしい事だった。僕と彼女の雑談は、額に青筋を浮かべた鷹橋が怒鳴り込んで来る迄続いたのだった。




 ……書き終わって、投稿する前に読み返してみて、何処かで聞いたような内容だなとか思ってしまいました。でも、思い出せません。似たような内容の物を知っている方、もしいらしたら教えてください。

 追記:修正前のトリックはアルターソウルさんのご指摘により『名探偵コナン』に使われていたトリックと判明しました。修正はしましたが、これはこれで、何かと被っていそう……。これが筆者の限界です。話の流れを変えないように書いたので、違和感や矛盾があるかもしれません。

 お陰さまでお気に入り登録数も100を超え、UAも5000に届きそうです。本当にありがとうございます。まだ先は長いですが、完結までお付き合い頂けたらなと思います。


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拾參章

 待っている方がどれだけいるかは分かりませんが、待たせてしまって申し訳ありません! 仕事とか私用とか体調とか色々と言い訳はあるんですが……一番の理由は、書き溜めが尽きました。次からはもうちょっと早く更新したいです……。


 

 

 桜場と二人揃って鷹橋に叱られて、事務室迄引っ張っていかれた後、買い出しを終えた蒲池さんも帰ってきた所で簡単な自己紹介をする流れになったが、其れは割愛させて貰うことにする。各々の想像にお任せしよう。兎も有れ、こうして僕の探偵社員としての初日が始まった訳だ。

 事務室内の扉から会議室に移動すると、桜場、鷹橋、蒲池さん、僕の順に大卓子(テーブル)を囲む様に腰掛けていく。四人で使うには少し大き過ぎる会議用の机を小柄な人間が多い此の面子で囲むと、少々間の抜けた感じになる。人数が少ない事も、其の印象に拍車を掛けているのだろう。少数精鋭と言えば聞こえは良いが、只の人手不足である事は事務員の山田さんから聞いている。

 

「……さて、此処数日は大した依頼もなく暇なので、前々から市警連中からせっつかれていた『横浜連続暴徒事件』について調査を進めたいと思う」

 

 僕や警察組織が持ち込んだ案件は、暇潰し程度の扱いなのかよ。そうツッコミたくなるが、話の腰を折る訳にはいかないので黙っている事にする。空気を読むのは大人として必要な事と昔誰かが言っていたが、僕も二十歳を過ぎているのだから其の技術を身に付けておくべきである。……実際に読めているかどうかは此の際置いておくとしてだ。

 僕がそんな自分の役割(ポジション)から来る衝動を抑えている間に、桜場が目配せし、其れを受けた鷹橋が持っている封筒から数枚の資料を配ってから、隅にあった白板(ホワイトボード)を引いて来た。白板には横浜一帯の地図が貼り付けてあり、「『横浜連続暴徒事件』について」の文字も書かれている。文字が少し掠れているのが、此の案件に関して長らく放置をしていた事を窺わせた。其れ以外は綺麗な物で、余り使われてはいないのではないかと思われる。実際、桜場の推理を間近で見た所、細かい仕事では匆々(そうそう)と使う事は無さそうだ。

 資料を捲り乍ら、山田さんの用意してくれた紅茶を啜る。砂糖も何も入れていない筈の其れは、何故か甘酸っぱくて、微かに果実の様な香りがした。

 

「ローズヒップティーだよ」

 

 角砂糖を二つばかり入れ乍ら、蒲池さんが教えてくれる。先日も話したが、僕は紅茶と言う物をパックか缶でしか飲まない為、こう言ったお上品な物を飲む事は無い。小説等の創作物には良く出てくるので、存在を知ってはいたのだが、こうして口にするのは初めてだ。初めて飲む其の紅茶は、僕の口には合うのだが、個人的な好き嫌いは分かれるだろうと言う感想を抱かせた。因みにローズヒップのヒップは別にお尻と言う意味ではなく、薔薇科の果実の総称だ。つまりはローズヒップと言う言葉を直訳すると、薔薇薔薇(バラバラ)の実と言う事になる。何だか赤鼻の海賊になれそうだな。そんな下らない事を考え乍ら資料に目を落とすと、どうやら其れは此れ迄の事件の容疑者と被害者の目録(リスト)らしかった。

 ざっと容疑者の一覧に目を通していく。五十音順に並べられた其れは年齢と生年月日、性別、血液型、職業及び所属等が記入されていたが、此れと言った共通点は見当たらなかった。僕程度では思い当たらない事も、桜場なら分かったりする物なのだろうかと彼女に視線を向けると、彼方も僕の方向を見ていたらしく、視線が()つかり合う形になった。一瞬驚いた様な表情を見せた桜場だったが、直ぐに何故か不機嫌そうな表情に変わり、視線を逸らされる。そんな僕等を見ていた鷹橋と蒲池さんの反応は二者二様で、鷹橋は不機嫌そうに半目で僕を睨み、蒲池さんは何故だか苦笑していた。

 

「それじゃあ、始めるわね」

 

 一通り資料に目を通した後、白板の前に立った鷹橋が会議の開始を告げる。此処から会議の内容を(つぶさ)に語っても構わないのだが、長くなるし、正直な所で面白味に欠けるので、僕が掻い摘まんで話すと言う遣り方でお茶を濁してしまうことをご容赦願いたい。

 まずは事件概要の説明からだ。此れは此処迄読んでくれた読者諸君なら既知の事だろうが、今一度説明させて頂くと、善良なる一般市民が急に凶暴化し、周囲の人間や器物を攻撃し始めると言った事件だ。個々の事件では容疑者は確保されているものの、同じ様な事件が相次いで起こっている為、一連の事件として扱われている。そして、此処からが僕の知らなかった情報なのだが、事件は全て平日の十六時から十八時の間で起こっていると言う事と、容疑者は一様に事件当時の記憶が曖昧である事も共通点として挙げられていた。また、報道されている事件はごく一部で、小さな傷害・器物損壊事件も合わせると百を越えると聞いて驚きを隠せなかった。僕も気付いた事として被害者に学生が多い事を挙げてはみたのだが、鷹橋の「時間帯が時間帯だからでしょ?」と言う一言で一蹴されてしまった。

 次に事件の発生場所だが、事件の全てが横浜市街地に集中しており、 沿岸部にある港や倉庫街では事件は起こっていなかった。鷹橋が白板に貼り付けてある地図の事件の発生場所に、赤い封緘紙(シール)を貼っていくと、僅かな曲線を描いた一帯が浮かび上がってきた。桜場曰く、何かを中心に円形ないし、扇状に広がっている様に見えるとの事。目立った事件だけを挙げてみてもこの状態である。全てを調査し、地図に記していけば何かが分かるのではないかと言う事で僕と鷹橋、蒲池さんの三人が聞き込みに行くと言う事が決定して会議は終了となった。

 此れが僕の探偵社員としての初日の活動である。特筆すべきは他には無く、読み手としては退屈で欠伸の一つや二つ出てしまいそうだが、探偵稼業何て物はそう言う地味な所が多いらしい。だから、申し訳無い事に、もう暫くは此の退屈に付き合って貰う事になってしまうのだが、割り切って戴くしかない。

 

 

 

 翌日、土曜日と言う事で講義の無い僕は、朝から鷹橋、蒲池さんの二人と待ち合わせをして聴き込みをしていた。実際は個別に聴き込みに言った方が効率が良いのだが、今回は僕が初の聴き込みになので先輩二人に付いて回る形になったのだ。両手に花の状態は大歓迎なのだが、仕事なので浮わついた気持ちではいられないと、集中しようとしていた……のだが。

 

「物凄く見られているな……」

 

 呟く様に口から出た僕の言葉は、どうやら二人には届かなかった様だ。鷹橋は言わずもがな、蒲池さんもかなりの視線を集めている。

 鷹橋は煌めく程の美少女だ。整った顔立ちに意志の強そうな瞳、艶のある長い髪が風に揺れる度に光の粒子が迸っている様に錯覚する。対する蒲池さんも、髪型や服装は男性の様だが、整った顔立ちには大人の女性の魅力が溢れている。鷹橋と対称的に無気力な眼は、見ようによっては(うれ)いを帯びている様に見えなくは無い。そして何より、其の世の男子全てを、いや、女性すら魅了しかねない抜群の身体付き(スタイル)は道行く男性の視線を釘付けにしている。そんな美女と美少女が連れ立って歩いているのだ、目立って仕方がない。お陰様で一緒に歩いている僕にも視線が集まる。二人の様な好意的な視線ではなく、訝しげな、時には敵意すら籠った視線である。まあ、美人二人が連れているのが、僕の様な冴えない男では其れも仕方がないだろう。()し逆の立場だったら、僕だって嫉妬心から、そう言った視線を向けるだろう。そんな視線の針の(むしろ)を通り越して、視線の槍衾(やりぶすま)に曝され続けた僕は、夕刻を迎える前に精神的に疲れ果ててしまっていた。だから、

 

「近くに良い喫茶店を知っているんだが、休憩がてら寄っていかないか?」

 

 僕がそう提案するのも無理からぬ事だろう。けして、美人二人とお茶をしたかった訳では無い。……いや、下心が全く無いと言ってしまえば嘘になってしまうのだが、時刻は既に十五時を回っている。食事も摂らずに仕事をしていたので、精神的にも肉体的にも限界が近かったのだ。

 

「喫茶店?」

 

 首を傾げて訊ねてくる蒲池さんに僕は頷いて見せる。朝から聴き込みをしている割りには大した成果が上がっていない所為か、鷹橋は少し渋っていたが、休憩も大事だと蒲池さんに諭されて、溜息交じりに了承してくれた。

 現在地から五分少々歩くと、三角屋根の上でクルクル回る風見鶏が特徴の純喫茶が見えてくる。其の喫茶店の名前は『風見鶏』。名は体を表すとは言うが、其の儘過ぎる名付け方である。色硝子の嵌め込まれた木製の扉を開くと、カランコロンと小気味の良い鐘の音が出迎えてくれる。其の鐘の音と共にパタパタと誰かが小走りに近付いてくる。

 

「はーい、いらっしゃいま……なーんだ、アラタか」

 

「なんだとはなんですか、一応は客ですよ? 神様扱いをしろとは言いませんが、歓迎くらいはしてほしいですねマスター」

 

「コーヒー一杯で何時間も粘る子を歓迎しろって言われてもね……」

 

 苦笑交じりに話す彼女は叢山由佳さん。此の喫茶店の女主人(マスター)で、年齢不詳の美女である。初めて会ったのは五年程前で、僕が中学を卒業しようかと言う頃だ。喫茶店と言う物に妙な憧れがあった僕が、格好付けで此の店に入ったのが切っ掛けなのだが、此の方、其の頃から見た目が全く変わっていないのだ。当時は歳上のお姉さんと中学生と言った感じだったが、今は並んでしまえばどちらが歳上か分からない位だ。一度、興味本意で年齢を訊ねた事があったが、穏やかで、しかし、強烈な威圧感を伴った笑顔で「女性に年齢を訊ねたらいけません」と言われたので、それ以来訊いてはいない。

 

「あら、今日は女の子連れ? しかも二人だなんて、やるじゃない」

 

揶揄(からか)わないでください。職場の同僚ですよ」

 

「職場? 大学辞めて就職でもしたの?」

 

「いやいや、辞めてませんよ、色々あって……」

 

 不意に服の裾が引かれる感覚。振り向くと、鷹橋がじっとりとした眼で僕を睨み付けていた。対する蒲池さんは苦笑い。

 

「お七が、早く座りたいってさ」

 

「ああ、それもそうですね。待たせて悪かったな鷹橋」

 

 僕がそう言うと、何故か拗ねた様に外方(そっぽ)を向く鷹橋。

 

「……別にいい」

 

 ……何だ此の可愛い生き物は。しかし、何が「良い」のかは分からないが機嫌を損ねた儘と言うのも問題だ。仕事の連携に支障が出るかもしれないからな。と言う訳で、僕は飴を取り出して高橋に渡す。

 

「子供扱いしないで」

 

 と言いつつも確り飴を受け取る鷹橋を見て、頬を少し緩ませる。(ついで)に物欲しそうにしていた蒲池さんとマスターにも渡す。

 

「いつもお菓子を持ち歩いてるのか?」

 

 受け取りながら質問してくる蒲池さんに、僕は首を横に振って答える。

 

「妹をあやす為に使ったやつの余りですよ」

 

「アンタの妹、いくつなの?」

 

 変わって質問してくる鷹橋は、少しだけ機嫌が治っているみたいだった。

 

「ああ、たしか今年で十八になる」

 

「十八!? 逆に怒られない?」

 

「いや、そんなことはないぞ。『兄ちゃんに飴もらったー!』って大喜びだったさ」

 

 チョロいと言うか、単純と言うか、馬鹿と言うか、まあ、扱い易いから僕としては構わないのだが、我が妹乍ら、将来が心配になる位の阿呆さだった。でも彼奴、学校の成績は結構良いんだよな。

 

「流石はアンタの妹ね……」

 

 呆れた様に呟く鷹橋にどう言う意味だと問い質したかったが、注文を取りに来たマスターに遮られてしまった。

 

「ご注文は?」

 

 店内に流れる古い洋楽を聴き乍ら、僕は珈琲と三明治(サンドイッチ)を注文した。鷹橋は珈琲だけ、蒲池さんは珈琲と一緒に洋麺(パスタ)を大盛で頼んでいた。「……お腹空いちゃって」と含羞(はにか)む様にして笑った蒲池さんが、滅茶苦茶可愛かった事を追記しておこう。

 各々食事を摂り乍ら、暫し歓談に興じる。話の内容は様々で、蒲池さんが飼っている猫の話から、先日解決した事件の話まで多岐に渡り、話題が尽きる様子はなかった。愛しい人に傍に居てくださいと歌い続ける有名な古い洋楽と、彼女達の楽しげな声、そして、飲み馴れた美味しい珈琲が僕の心に安らぎを与えてくれた。

 

「そういえば、マスターが言ってた『アラタ』って?」

 

「初めて彼の名前を聞いたとき、漢字が分からなくて訊いたら、『これあらたって書きます』って言われて、それがなんだかツボにハマっちゃったのよ」

 

 小首を傾げつつ訊ねてくる鷹橋に答えたのは、僕では無く、何時の間にか近くまで来ていたマスターだった。僕としては漫画の登場人物(キャラクター)みたいで恥ずかしいので、()めていただきたいのだが、今の所聞き入れてくれる様子はない。恐らく、今後付き合いが有る限り呼ばれ続けるであろう事は、想像に難くない。そうして、会話にマスターも加わり、僕の昔話とかも穿(ほじく)り返される事になった。それから半刻ほど経った頃だろうか、鷹橋の携帯電話から呼び出し音が流れる。軽快な電子音を発する携帯端末を取り出して「ちょっと失礼」と断りを入れてから席を立つと、店の外に出ていった。

 暫くして戻ってきた鷹橋は、少しだけ不機嫌そうな表情を浮かべていた。何と無くだが、自分が頑張って考えていたなぞなぞの答えを、横にいた人間が勝手に答えてしまった時の様な表情をしている。分かり辛いか? 僕は良く見るぜ。妹がテレビのクイズ番組を見ている時に、考えてる妹の横で僕が答えを言うからな。其れはさておき、不服そうな表情を隠しもせずに戻ってきた鷹橋は、椅子に座って珈琲を啜ってから口を開いた。

 

「聴き込みは中止よ」

 

「何故だ?」

 

 短く告げた鷹橋に短く聞き返すと、険しい表情の儘で溜息を吐いた。

 

「……情報屋と連絡がついたのよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……此処だな」

 

 そう蒲池さんが呟いたのは港の近くにある廃倉庫の前だった。此処に鷹橋の言っていた『情報屋』がいるらしい。あの後、『風見鶏』を出た僕達は件の『情報屋』の下に向かおうとしていたのだが、鷹橋が同行を拒否した。鷹橋曰く、自分が着いていってもやることが無いし、何より其の相手に会いたくないとの事だった。後者の方が語調が強かったので、恐らく其方が本音だろう。何故其処まで嫌がるのかと訊ねると、鷹橋ではなく蒲池さんが「まあ、会えばわかるさ」とだけ答えた。と言う訳で、蒲池さんと二人で廃倉庫に入ると、埃っぽい臭いが充満しており、人の気配は微塵も感じられなかった。

 

「本当に此処にいるんですか?」

 

「……嘘を吐く奴じゃないよ。だから、アイツが此処にいると言ったら此処にいるんだ」

 

 そう言って薄暗い廃倉庫の中を、奥へ奥へと進む蒲池さん。時刻は既に逢魔ヶ時で、今にも異形の者が物陰から飛び出してきそうである。内心、少しびくつき乍ら、鎌池さんの後を着いていくと、急に蒲池さんが首だけ振り返って此方を見てきた。

 

「大丈夫だ。何が出てきても、キミは俺が守ってやる。そう言う約束だからな」

 

 どうやら心中の不安を見透かされていたらしく、思わず赤面してしまう。何だよ此の人、格好良過ぎるだろ! 僕が女の子だったら一発で惚れてるぞ! しかし、蒲池さんは気にした様子もなく、先に進んでいく。こうして、勇ましく暗がりを進む女性と、赤面しながら其の後を着いていく男子と言う彼辺此辺(あべこべ)な二人組が完成した。別に男尊女卑を唱える訳ではないが、こうした時に男子が女子を勇気付け、護ると言う形であって欲しいと思うのは僕だけでは無い筈だ。

 暫く歩いていると、倉庫の最奥に来てしまったらしく、壁と割れた硝子窓が見えてきた。但し、一つだけ可笑しな点を挙げるとしたら、其の壁に赤色の塗料(ペンキ)で大きな矢印が書いてあった事だろうか。其の矢印が指し示すのは下方。明らかに割れた硝子と床しかない。まさか、隠し階段でもあるのだろうか? と馬鹿馬鹿しい考えを浮かべていると、蒲池さんが壁の近くの床を叩き割った。

 

「な、何してるんですか!?」

 

「え? ああ、此処に隠し階段があるんだよ」

 

 ……あるのかよ、隠し階段。どうやら相手方は、演出と舞台装置には拘る性質(タイプ)の様だ。少し呆れ気味の僕を促して彼女が階段を下っていく。地下へと続く階段は、等間隔に吊るされた電球に照らされていて暗くは無かったが、 先を見通せる程に明るくは無く、精々足元の安全が確認できる程度の物だ。其の為、奥の方は真っ暗で、まるで地下に巣食う魔物の口腔に足を踏み入れてしまっているのではないか、と言う錯覚に陥ってしまう。

 地下への階段を進むこと数分。漸く終わりを迎えた階段の先には。煉瓦造りの広い空間が待っていた。『三匹の子豚』と言う絵本をご存知だろうか? あれの末弟が建てた煉瓦の家を想像して戴ければ、大体は今現在、僕と鎌池さんのいる空間と合致する。但、彼の家と違うのは、此の場所が、家だとか部屋だとか呼ぶには些か殺風景に過ぎると言った点だろうか。事務机と本棚が一つずつあるだけで、他には卓子(テーブル)や椅子すらも存在しなかった。

 其の空間の奥、事務机の近くに車椅子の男性が一人いた。此れと言って特徴の無い黒髪と、驚く程に整った顔立ちに貼り付けた不気味な……いや、不吉な笑顔が僕達に向けられていた。其の男性は、車椅子を自分で動かすと、少しだけ此方に近付いてきた。そして、僕と蒲池さんの両方の表情を確認するかのようにじっと見てから、少しだけ軽い調子で口を開いた。

 

「やあやあ二人とも、待ちくたびれたよ」

 

 ゾワッと全身の肌が粟立つ感覚が襲う。

 

「まあ、とは言ってもお得意様だからね。邪険に扱うつもりもないよ。歓迎しよう蒲池さん、西緒君」

 

 軽い調子で紡がれる其の言葉達は、発せられる度に僕の全身を(まさぐ)り、怖気(おぞけ)を誘う。

 

「特に、キミは初対面だったね。だったら自己紹介が必要だ」

 

 鋭い視線が僕を射抜く。其処に敵意、悪意、害意、殺意、犯意は無い。しかし、其れでも僕は彼の声に気味の悪さを感じた。

 

「俺の名前は鳴田良悟。職業はファイナンシャル・プランナー、巷では『情報屋』だなんて呼ばれているよ」

 

 其の男――鳴田良悟は、()()()()()()()()()()()

 

 

 




 前々回に引き続き謝辞を。

 アルターソウルさん高評価ありがとうございます! ケチャップの伝道師さん評価ありがとうございます!

 実はそこまで評価を気にしてやっている訳ではないのですが、わざわざ私なんぞの作品を読んでくれて、評価までしてくれる人がいるというのは嬉しいことです。

 次は早くお届けできるよう頑張ります……。


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拾肆章

 平均文字数以下とはいえ、こんなにも早く書ききってしまった事に驚きです。え? 書き溜め? ……こ、これから書きますよ……。
 とりあえず、拾肆章をどうぞ、おあがりください。


 資産運用相談役(ファイナンシャル・プランナー)と其の男は名乗ったが、本当かどうかは怪しかった。何故なら、其の男――鳴田良悟の雰囲気は、他人の人生を慮り、親身になって相談に乗ってやる様な良識や善意と言った物に欠けている様な気がしたのだ。少なくとも、こんな所に居を構えている時点で、真っ当な仕事に就いているとは思えない。無論、初対面で彼の内情や人間性を推し測れる訳では無いので、全て僕の憶測に過ぎないのだが、だからと言って、鳴田良悟と言う人物に対する不信感を全て拭える訳でも無い。

 

「おや? 警戒されているみたいだね。ショックだなぁ、初対面の人間にそんな態度を取られたのは……わりと頻繁にあるな」

 

 眉目秀麗が服を着て歩いている様な見た目に、へらへらと軽薄な笑みを浮かべる鳴田氏は掴み所が無く、味方だと言われても敵だと言われても、何方もすんなりと納得出来てしまいそうだった。

 

「警戒もするさ。その声は(わざ)とか?」

 

「声? ああ、気にしないでくれよ。これは自前さ。キミが声変わりする前からこの声だし、キミが能力に目覚める前からこの声だ」

 

「……僕の能力を知っているのか?」

 

 訊ねてはみたが、正直其処までの驚きはなかった。僕が普段は能力を使わず、他人に話す事が無いとしても、僕が異能力者である事を知っている人間は皆無では無い。情報屋と言う位だからな、どうにかして調べたのだろう。

 

「キミに合わせるなら、『俺は何でも知っている』と言ってやりたいけど、残念ながらキミの能力の全てを知るのは、俺の能力をもってしても難しいんだよ。だから、『何でもは知らないよ、知っていることだけ』と答えておこうか」

 

「僕の何に合わせたのかは知らないが、そういう(メタ)発言は僕の専売特許だぜ?」

 

「嘘を言っちゃあいけないな。キミの周りにはこういう(メタ)発言をする人がそれなりにいるはずだ」

 

 ……藍空に亘に新樹に……確かに何人かいるな。僕の妹達も(たま)そういう(メタ)発言するしな。

 

「しかし、僕の人間関係まで把握してるなんて、流石は情報屋といったところか。さっき、能力と言っていたが、そういう異能力なのか?」

 

「……俺の能力は今いる市町村集落で現在起こっている事、過去に起こった事が全部分かるんだ。『世界の中心、鳴田さん』って呼んでるんだけど、なかなか浸透しないんだよねえ」

 

 能力名に自分の名前を入れてしまうのは如何な物だろうかとは思う。しかし、其の街で起こっている全てを知る事など可能なのだろうか? 事実かどうかは少々怪しい所だ。

 

「おや? 疑っているね、じゃあ、キミの関係者に直近で起こった事を教えてあげるよ。特別にタダだよ」

 

 いや、別に頼んではいないんだが……。僕の物言いたげな表情に気付いていないのか、それとも気付いた上で無視をしたのか、能力を発動する鳴田氏。目を見開いて虚空を睨んだかと思うと、(おもむろ)に口を開いた。

 

「今から一時間ほど前、キミの友人の亘航君が同じくキミの友人の猪上堅二君を押し倒した」

 

彼奴(あいつ)らに何があったんだよ!?」

 

「冗談冗談。これは一昨日の話だから、直近の出来事じゃあないな」

 

「押し倒したのは!? 押し倒したのは事実なのか!?」

 

 本当に何があったんだよ!? そんな藤咲やら左藤やらが喜びそうな展開は求めてないぞ!! しかし、藤咲は兎も角として、左藤の奴は雑食すぎるだろ。妹萌えの話をした直後に、少年愛(ボーイズラブ)の話題に移れるのなんて彼奴位なものだ。まあ、同じゼミの腐った――人間性や物理的にではない――二人の話は置いとくとしよう。

 

「そうだね、君達が喫茶店『風見鶏』で頼んだメニューでも当てようか?」

 

「もう、それでいいよ……」

 

「そいつは結構。西緒君がミックスサンドとブレンドコーヒー、鷹橋さんがブレンドコーヒーのみ、蒲池さんがナポリタンの大盛りとブレンドコーヒーだ」

 

「お、大盛りとか、わざわざ言わなくても良いんじゃないか?」

 

 鳴田氏の言葉に、今迄黙っていた蒲池さんが反応する。女性としては大盛りを頼んだ事を言われるのは恥ずかしい様だ。僕としては、沢山食べる女性と言うのは好感が持てるのだが。寧ろ、玩具みたいな弁当箱で昼食を摂っている女子を見ると、もっと食べても良いんだよと言ってあげたくなる。

 恥ずかしそうに顔を紅くする蒲池さんを見て、鳴田氏がニヤリと嗤う。何やら嫌な予感がしている僕を余所に、鳴田氏が揚々と口を開いた。

 

「……その後、此処に来るまでに二時間もかかった理由は、蒲池さんが財布を落としたからだね。異能力のデメリットかと思うくらい見事な不幸っぷりだよ。見ていていっそ清々しい! 財布を落とすことになった原因は、ズボンのお尻のポケットに穴が開いていたことだね。ちなみにポケットが破けていただけじゃなく、実はお尻の部分も少し破けているようだね」

 

 なんだと……!? 赤面して両手をお尻に当てる蒲池さんを尻目に、僕は鳴田様の御言葉を傾聴する姿勢に入る。

 

「そこから少しだけ、注意して見ないと分からないくらいに、ほんの少しだけ下着が見えていてだね、本日の蒲池さんの下着の色は……」

 

「下着の色は!?」

 

 食い気味に反応した僕に対して、鳴田氏が口を(つぐ)む。何だよ! 此処迄来てお預けかよ!? こんなんじゃ気になって夜も眠れないよ!! さあ、言うんだ!! 蒲池さんのあの形の良いお尻を包み護る魅惑の布の色を!!

 僕が視線で訴えるのに対して、鳴田氏は口を閉じた儘で動かない。よく見ると、其の視線は僕では無く、僕の後ろに固定されていて、顔色も蒼白になっており、額には汗が浮いていた。此の飄々とした男が此処まで動揺するとは何事かと思い、僕は後ろを振り向くと其の儘硬直した。恐らく、今の僕は鳴田氏と同じ表情になっているだろう。何故なら其処には、

 

「……次は車椅子じゃなくて、病院のベッドから動けなくしてやろうかァ……?」

 

 夜叉般若と化した蒲池さんが立っていたからだ。其れを見た大の男二人が、速やかに土下座に移行したのは言う迄も無いだろう。ちなみに、鳴田氏は腕の力だけで飛び上がり、着地してからの土下座、所謂跳躍(ジャンピング)土下座を披露していた。……普通に凄いな。

 

 

 

 

 謝り倒し、宥め(すか)して、漸く蒲池さんの機嫌を取り戻す事に成功した僕と鳴田氏は、元の対面する立ち位置に戻っていた。

 

「……ところで、さっきの蒲池さんの言葉だけど、鳴田さんが車椅子なのは蒲池さんが原因なんですか?」

 

 其の質問に答えたのは、蒲池さんでは無く鳴田氏だった。

 

「まあ、ちょっと前にでっかい喧嘩をしてね。その結果がこのざまさ。軽くリハビリをするだけで歩けるようにはなるんだけど、戒めとしてこのままにしてあるんだよ」

 

 喧嘩で相手を車椅子生活にしてしまう蒲池さんに戦慄しつつも、其れを他人事の様に話してしまう此の男にも僅か乍ら畏怖を感じた。……とりあえず、蒲池さんは怒らせない様にしようと心に誓いつつだ。

 

「ちなみに、上の倉庫がボロボロの廃倉庫になったのも、その喧嘩が原因さ」

 

 驚愕の表情で振り返る僕に、気不味そうに苦笑し乍ら頬を掻く蒲池さん。……本当に怒らせない様にしなくては……。

 彼等が言う所の()()の原因やら、内容やら、顛末なんかが気になって仕方が無いが、此処に来た理由を忘れる訳にはいかない。本来の目的は、此の街の事なら何でも知っている此の男から、『横浜連続暴徒事件』の情報を聞き出す事だ。とりあえずと切り出し、蒲池さんが事件の事について訊こうとした時、鳴田氏が片手で制する様にして蒲池さんの言葉を遮った。

 

「大丈夫大丈夫、大体の事は把握しているからさ。『横浜連続暴徒事件』……ね。実は口止めされてて、多くは語れないんだよね」

 

「口止め? もしかして、犯人を知っているのか?」

 

「認知しているのかと言う意味でなら知っているけど、面識があるのかと言う意味では知らないよ。口止めしてきたのは犯人とは別の人物だからね」

 

「それは誰なんだ?」

 

「おいおい西緒君、俺だって情報屋の端くれだよ? 情報漏洩は万死に値するんだ。それとも、キミ達の正義感のために、俺に信用と職を無くせって言うのかい?」

 

 そう言われると口を噤むしか無くなる。僕等が仕事で此処に居る様に、彼だって仕事で情報の売り買いをしているのだ。情報屋と言う位だ。情報を流したり渡したりする事だけで無く、秘匿隠蔽、時には抹消するのも仕事の内なのだろう。其れが彼の生き方だ。其れを僕達の都合で否定する事があってはならない。喩え其れが、けして褒められた行為では無いとしてもだ。しかし、頭では理解をしても、心では納得しないと言う事は多々ある物だ。僕が其処を何とかと、頭を下げようとした時、蒲池さんが鳴田氏に食って掛かっていた。

 

「傷ついている人がいるんだぞ! 罪の無い人が苦しんでいるのに、お前はそれを見過ごすのかよ!?」

 

「ああ、見過ごすね。それが、人間の選択である限り、俺はそれを尊重する。その結果がハッピーエンドでもバッドエンドでもだ。貴女は俺がそういう人間だって知っているはずでしょう?」

 

 胸座(むなぐら)を掴み上げられても顔色一つ変えず、真っ直ぐに蒲池さんを見つめ返す鳴田氏の瞳には、強い信念が宿っている様に感じた。ほんの少しだけど、二人の()()の原因を垣間見た気がする。暫しの膠着状態の後、蒲池さんが突き飛ばす様にして鳴田氏を解放する。怪我人に対して行う行為では無いが、其れを咎める気にはならなかった。突き飛ばされた鳴田氏も気にした様子は無く、平然と服の皺を伸ばしている。

 

「……しかし、早合点は良くないな。俺はこう言ったんだよ、『多くは語れない』と。つまりは少しは話せる事があるってことさ」

 

 平生の通りの軽薄な態度に戻った鳴田氏は、へらへらとした笑みを浮かべた儘でそう言った。

 

「そ、そっか……すまないな……」

 

「いやいや、気にすることはないよ。なんたって、俺と貴女の仲じゃあないか。貴女のそんな所も愛せるよ、俺は」

 

 ……今、何か聞き捨てのならない事を鳴田氏が言った様な気がするんだが。

 

「あ、あの、蒲池さん……? もしかして、お二人は、そういう……?」

 

「なっ――!? ち、違う違う! そんなんじゃないよ!! お前も、誤解を招くような言い方するなよ!!」

 

 真っ赤になって否定する蒲池さんと、肩を竦めて苦笑するだけの鳴田氏の対比が実に印象的だった。何だか、小学校時代の「お前○○のこと好きなんだろー!」「ばか! べつに、あんなやつ好きじゃねーよ!」みたいな感じになってしまった。まあ、僕の小学校時代は友達が多くなかった――居なかった訳では断じて無い――為、そう言った遣り取りをした事は無いのだが、そう言った遣り取りは大体の場合、揶揄(からか)われた人間の照れ隠しで、実際は好きと言う場合が多い。今回はどうなのだろうか? 鳴田氏は(あま)り気にはしていないようだが、蒲池さんは反応が過剰で逆に判別がつかないな。

 

「安心してくれて良いよ西緒君。俺は特定の誰かを愛している訳ではないから。桜場さんだって、鷹橋さんだって、当然、キミだって平等に愛しているさ」

 

「博愛主義って奴か?」

 

「まあ、似たようなものかな。俺は人間を愛しているのさ。大好きで大好きで大好きで大好きでたまらないんだ! だから、いつまでも俺が愛せるキミでいてくれよ」

 

 ……一体どう言う意味だろうか。其れではまるで、一歩間違えば、僕が()()()()()()()になってしまうみたいじゃないか。表情を固くする僕に、相変わらずの軽薄な笑みを浮かべる鳴田氏。彼が愛変わらずにいられるのかは、僕次第と言う事なのだろうか。

 ――コホンと、小さな咳払いで我に帰る。隣を見ると、困った様な表情を浮かべる蒲池さんと目が合った。

 

「あー……とりあえず、話を戻さないか?」

 

 同感だ。其の意を籠めて首肯する。此の鳴田良悟と言う人物は、嘘こそ吐かないものの、どうやら冗句(ジョーク)を好む様だから、剰り深く考えてしまっては相手の思う壺だろう。視線を鳴田氏に戻すと、氏は掴み所の無い軽薄な笑みの儘、僕と蒲池さんを見ていた。

 

「……さっきも言った通り、多くは語れないよ。というより、一つだけだ。たった一つだけ、俺が今から言う場所を調べてくれ」

 

 そう言うと、ニヤニヤと言うかニタニタと言うか、非常に厭らしい笑みを浮かべる鳴田氏。勿体振る様に黙ること十数秒。妙に長く感じた其の時間の後に、彼が言葉を発する。

 

「……第三穂綿(ほわた)学園。其処を調べてみてくれ」

 

 第三穂綿学園……今、其の名前を聞くことになるとは思わなかった。

 

「キミにとっては馴染み深い名前なんじゃあないのかい、西緒君?」

 

 馴染み深い何てもんじゃない。良い思い出も悪い記憶も、全て其処に置き棄てて来たのだから。

 第三穂綿学園。大丸山の中腹に存在する中高一貫教育の公立校で、附属の大学も存在する。此の辺りでは五本の指に入る名門進学校だ。山を切り崩して作った巨大な学校で、生徒数は千人を超える。

 

 

 

 

 ――そして、此の僕。西緒維新の母校である。

 

 

 




 なんとか恒例にしていきたい謝辞のコーナー。

 有部理生さん、草柳さん、まりもさんさん、テレビスさん。高評価ありがとうございます!
 お陰さまで何とかかんとかやれてます。そろそろ、ちょっとは、少しは、ミリ単位くらいは人気になってきたと自惚れて良いでしょうか? ダメですか? ……頑張ります。
 hisashiさん。返信にも書きましたが、毎度誤字報告ありがとうございます。助かっています。いや、本当に助かっています!

 和泉マサムネ先生が、「俺みたいな弱小ラノベ作家は次々新作を出していかないと忘れ去られてしまう」みたいな事を作中で言ってましたが、じゃあ僕みたいな弱小二次創作作家は? 一ヶ月も開けたら存在否定でしょうか? とこの一ヶ月ビクビクしてました。皆様が読んでくれて一安心です。これから、書き溜めを作っていかないと、また一月後に更新とかになりかねないので頑張って書いていきます! だから見捨てないで!(切実


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小話

 ついでに短いのをもう一本。こちらは番外編になります。西緒君視点ではないので、珍しく三人称視点になります。……え? 書き溜め? い、今から今から。


 客人である西緒維新と蒲池和馬が立ち去った地下室は、平素より薄暗く、静まり返っていた。彼等が昇っていった石段の先を見つめ乍ら、平時と変わらぬ軽薄な笑みを浮かべる此の地下室の主――鳴田良悟は、くつくつと楽しげに喉を鳴らしていた。思いを馳せるのは本日出逢った青年――西緒維新の事だ。西緒維新と其の彼が此れから進む道を夢想し、期待に胸を膨らませていた。願わくば、彼が自分の愛する『人間』である様にと。

 鳴田良悟は自称、人間を愛している。()() と付けてしまえば其処に偽りや齟齬がある様な誤解を与えてしまいかねないが、語弊を恐れずに言うのであれば、それは矢張り『自称』であるのだろう。弁明をするならば、彼は彼が述べる通り、人間を愛している。人間が大好きで堪らなく、人間を愛してやまないのだ。いや、寧ろ人間を愛して病んでいるのかもしれない。だからこそ、人間の全てを肯定し、人間の全てを愛する彼の言動は誰にも理解されず、肯定されない。ならば、それは結局の所『自称』に過ぎないのだ。

 ふと、上機嫌だった彼の様子が、急に不機嫌に変わる。まるで、愉悦の一時に水を注されたといった感じだ。良悟は、其の不機嫌さを隠すことなく振り返る。其処には、薄暗い闇が広がっているばかりだ。

 

「ノックもなしだなんて、少し不躾すぎるんじゃあありませんか?」

 

 そう良悟が闇に問い掛ける。すると、闇が揺らぎ、其処に――芒――と白貌が浮かび上がった。

 

「――ノックをしようにも、この部屋には戸がないようだが?」

 

 闇が応える。闇は徐々に人の形を取り、大時代な丸眼鏡と季節外れの外套を纏った男性の姿に変わる。

 

「だからといって、声の一つも掛けないで背後に潜むなんて、一社会人としていかがなものでしょうか、ねえ――――香田学人教授」

 

 皮肉を籠めた良悟の一言に、闇色の男――香田学人は、顔色一つ、表情一つ変えることなくゆっくりと歩いて、良悟の正面に()()()。床に座り込むのではなく、(あたか)も其処に椅子か何かがあるかの様に中空に腰掛けたのだ。

 

「貴方のご依頼通り、彼らには最低限の情報しか与えてはいません」

 

「――御苦労」

 

 学人の短い返答に、良悟は眉を顰める。明らかに歓迎していない様子だ。事実、良悟は学人に良い印象を持っていなかった。――此の男は『怪物』だ――良悟の本能が、そう告げていた。彼は『人間』を愛する。だから『怪物』は愛することは出来ない。だから、彼は学人を愛することは出来ない。しかし、其れと同時に、彼は学人が『人間』じゃないと言う確信も掴めずにいた。『怪物』でないのであれば、人の形を取っている以上、其れは『人間』だろう。なればこそ良悟は学人の扱いに困っていた。『怪物』だと確信を持てれば、直ぐにでも此の男を消す段取りに移るのだが、暫定的にではあるが『人間』である以上は自分の()の対象になってしまう。其れでは此の男を殺せなくなってしまう。

 

「それで、何でこんな面倒な事を?」

 

 脳内で目の前の男を排除する方法を画策し乍ら、出来るだけ平静を装いつつ訊ねる。奇しくも其の表情は、先程迄、西緒維新が彼に向けていた表情に良く似ていた。

 

「――彼には、怪物を退治する英雄になって貰わなくてはならない。常に答えを示され続けた人間が、英雄になった試しはないのでね」

 

「巫山戯ないでいただきたい」

 

 声を荒げた訳では無いが、其の声にははっきりとした怒気が含まれていた。怒りも不機嫌さも敵意も殺意も隠さず、晒し、ぶつける。普段の彼を知っている人間が見れば、目を疑う様な光景である。

 

「怪物を倒しうるのは、常に人間だ。英雄などという『怪物』ではない。『怪物』と『怪物』が潰し合うのは結構だが、『人間』を『怪物』に仕立て上げてまで、そんなくだらないことをすると言うのであれば」

 

 

 

 

 

 ――――俺は貴方を赦さない。

 

 

 

 

 

 けして大きな声ではなかった。しかし、常時以上の静けさを感じる今の此の地下室では、強く、冷たく響いた。

 彼は言う。()()など、『人間』の都合で造り出された『怪物』だと。其れならば、西緒維新と言う、彼が愛すべき『人間』を『怪物』に変えてしまう行為には、断固として異議を唱えなくてはならない。

 

「香田教授。俺が貴方の依頼を受けるのは、貴方がまだ『人間』の皮を被っているからだ。もし貴方が、その皮を脱ぎ捨てて、『怪物』としての本性を現そうと言うのであれば……俺は容赦なく貴方を殺します」

 

「――ふむ。御忠言痛み入る……と言った所か。だがね、残念ながら私は人間だよ」

 

 そう語る学人の表情は、言葉とは裏腹に人間味と言う物に欠けていた。不気味な薄笑いは、其の肌の白さと相俟って能面を想起させ、一つ一つの動作は人間の動きを模した自動人形の様だ。

 此の街には『怪物』が多いと良悟は思う。物の善悪に関わらず、其処に人間性があれば良悟は愛する事が出来る。だが、此の街には不思議と、其の善悪を超越した『怪物』が集まる。物の善悪に関わらず、『怪物』は『怪物』である。二十年前、此の街を襲った一団にも一人、そんな『怪物』がいた。此の街の闇には『怪物』である事を強要された少女もいた。人間を『怪物』に作り替えようとする妖老もいた。探偵の皮を被った『怪物』もいた。此の街は『怪物』を呼び寄せる事と『怪物』を造り出す事に特化している。此の街の情報を集め続けた結果、良悟はそう感じた。『人間』を愛すると決めた以上、其れは阻止しなくてはならない。危険因子は排除しなくてはならない。そう、例えば、

 

「ご冗談を、貴方に比べたら、快楽殺人犯の方がまだ愛着が持てますよ」

 

 目の前の香田学人(『怪物』)の様な存在をだ。

 

 

 

 

 

 最後迄表情一つ変えなかった学人に苛立ちつつも、事務机に向かう良悟。話の後、学人は来た時と同じ様に闇に融けて消えてしまった。 無論、良悟の能力を(もっ)てすれば、彼が何処に行ったかなど丸分かりなのだが、其れを行う気にもならなかった。

 

「俺も、まだまだだな……」

 

 溜息を一つ。一匹の『怪物』に心を掻き乱された事を後悔していた。此の仕事をするに当たって、良悟は自分に様々な制約を設けていた。其の内の一つが、常に平静を装う事だった。純粋に情報屋としての信念でもある。

 『怪物』と対峙すると何時もそうだった。嫌悪感、不快感、不信感、不安感、不満感、汎ゆる負の感情に押し潰されそうになり、ついつい感情的になってしまう。未熟なり、と自嘲気味に呟いてから机の引き出しを開けると、其処から一つの綴じ込み帖(ファイル)を取り出した。綴じ込み帖の中には走り書きの紙片や、新聞記事などが大量に貼り付けられていた。街中の情報が手に入るとは言っても、商品にする為には証拠や裏付けが必要になる。こう言った地道な調査も実は彼の仕事の内なのだ。……とは言え、大体は面倒臭がって金で雇った人間に調べさせるのだが、流石に整理位はこうして自分で行っている。

 

「今回の情報量じゃあ、山田さんが代金を出し渋るだろうなぁ……」

 

 と呟き乍ら、得意先の事務員の姿を思い浮かべる。彼女は吝嗇家として此の界隈では有名である。流石に代金を踏み倒したりはしないだろうが、此処ぞとばかりに値引き交渉に来るだろう。しかも、意気揚々とだ。其れも已む無しかと、溜息と共に吐き出すと、綴じ込み帖に挟んであった一枚の写真を取り出す。

 

「……これは、過去の清算だよ、西緒維新君」

 

 其の写真には、第三穂綿(ほわた)学園の制服を着た、一人の少女が写っていた。

 

「……彼女が『怪物』になってしまう前に、見つけ出してあげなよ」

 

 そして、綴じ込み帖を元の場所に仕舞うと、徐に()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 




 はい、短めです。元々はこれくらいの文字数でサクサク進めたかったんですよね、この小説。上手くいかないものです。
 色んな人から「鳴田良悟黒幕やろ?」と言われるのが不憫で書いただけです。
 これにて、序盤の終わりになります。此処から解決編に向けて動き出しますよ。期待せずに待っていてください。


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拾伍章

 色々とご迷惑をおかけしました。コレで問題が無いようであれば最後まで突っ切って行きたいと思います。それまで、おつきあいお願いします。


『……第三穂綿(ほわた)学園。其処を調べてみてくれ』

 

 ――鳴田氏の言葉が頭の中で谺の様に響く。

 

『キミにとっては馴染み深い名前なんじゃあないのかい、西緒君?』

 

 ――僕の灰色に近い高校生活に、数少ない彩りがあった事を思い出す。

 

 ――そして、其の彩りの一つを失った事を。

 

 ――いや、失った等と、被害者面をするのは()めよう。

 

 ――僕は、()()を見棄てた。

 

 ――()()()なのだから。

 

 

 

 

 

「西緒?」

 

 

 

 

 

 蒲池さんの言葉に我に返ると同時に、足を踏み外すのにも似た感覚に襲われ、踏鞴(たたら)を踏む事になった。どうやら、階段を登りきったにも関わらず、もう一段登ろうとしてしまった様だ。考え事をしながら階段を昇降する物ではないな。気恥ずかしさを誤魔化す様に苦笑し乍ら蒲池さんを見ると、彼女の心配そうな目と僕の視線が()つかった。

 

「……大丈夫か?」

 

「ええ、お恥ずかしいところをお見せしました」

 

 彼女の心配する様な視線に動揺したのか、羞恥を誤魔化す為か、将亦(はたまた)別の理由か、自分でも判別はつかないが、馬鹿みたいに丁寧な物言いをしてしまう。其れが気に食わなかったのか、蒲池さんは少し不満気な表情になる。

 

「西緒はさあ、俺のこと苦手か?」

 

 不満そうな表情の中に少々の愁いを滲ませながら蒲池さんが訊ねてくる。自分の言動で、女性にそんな表情をさせるのは望む所では無いので、僕は慌てて否定する。

 

「そんなことないですよ! むしろ僕は蒲池さんが大好きですよ!」

 

 偽りの無い本心である。実際、蒲池さんは美人で親しみやすく、おっ○いも大きい! 好感を持つなと言う方が難しいと言う物だ。こんな人が姉だったら、姉妹依存(シスコン)待った無しである。当の蒲池さんは、どうやら僕の直接的過ぎる親愛の表現が恥ずかしかったらしく、顔を真っ赤にしていた。まあ、確かに親しい人間から急にそんな事を言われれば面食らってしまうだろう。

 

「で……でも、俺にだけ敬語だし……」

 

「それは、歳上で職場の先輩ですからね。敬意をもって話さないとと思ったからで、蒲池さんが嫌なら敬語はやめますよ」

 

 僕の其の言葉に、含羞(はにか)む様に、しかし、嬉しそうな笑顔で蒲池さんは頷いた。

 

「それが、いいかな。なんか……一人だけ、仲間外れみたいだからさ……」

 

「分かりました。いや、分かったよ。これで良いか?」

 

「ああ、それがいい! 改めて、よろしくな!」

 

「ああ、よろしく。そうだ、どうせなら呼び方も変えるか? 蒲池……いや、和馬さんとか」

 

 そう言ってはみたが、蒲池さんが真っ赤になりながら手を振って却下した。

 

「か、和馬さん……!? い、いや、それは今まで通りでいいや……いや、今まで通りがいいよ……」

 

「そうか?」

 

 僕としては親しみ易くて良いと思ったのだが、本人が拒否してしまったら無理を通す事は出来ない。まあ、確かに、呼び名を急に変えられるのは恥ずかしい物だろうしな。今さら、亘に名前呼びされたり、猪上に名字呼びをされたら強烈な違和感に襲われるだろう。ただ、やっぱり「アラタ」は少し恥ずかしいので変えて戴きたい。兎も有れ、こうして僕と蒲池さんの友情が深まったのだった。

 

「……で、私はいつまでこの三文芝居を見てればいいの?」

 

 聞き覚えのある声に振り向けば、少し不機嫌そうな表情の鷹橋が立っていた。何時もは腰に提げている大太刀を、鞘に収めた儘で肩に担ぎ、片手でポンポンと苛立たし気に肩を叩いている。(さなが)ら田舎の不良(ヤンキー)である。もしかしたら蒲池さんと同じで、仲間外れにされたのが気に食わないのかもしれないな。

 

「安心しろよ鷹橋。僕はお前の事も大好きだぜ!」

 

「何でそういう話になるのよ!!」

 

「愛してるぜ、鷹橋!!」

 

「あ、愛――っ!? ひ、人の話を聞きなさいよ、馬鹿西緒!!」

 

 友愛を示した僕を鷹橋が照れ隠しで罵倒し、蒲池さんが苦笑し乍ら其れを見ている。此処に呆れた様な表情をする山田嬢と、興味無さそうにし乍らも此方を気にする桜場がいれば完璧だ。未だ出会って数日ではあるが、既にお決まりとなった流れに心地好さを感じている僕がいた。そして、其の心地好さに罪悪感を覚える僕と、()()()()()()()()()()()()()()()()そんな僕もいた。過去を思い出した副作用だろう。此の感覚を覚えておこう。次は忘れない様に……。

 

 

 

 

 

 

「あの陰険に何か言われた?」

 

 帰り道、鷹橋にそう訊ねられた。「あの陰険」とは、恐らく等と言う副詞を用いずとも鳴田良悟氏の事だろう。しかし、其の呼称はどうなんだ……と言おうとしたが、僕も彼に対して敬語を使っていなかった事を思い出す。程度は有れど、其れは五十歩百歩と言う物で、敬意を失している事には違いない。となれば、僕が何か言えた義理では無いので、敢えては触れない事にする。

 

「いや……別に……」

 

 つい歯切れの悪い返し方になってしまった僕に、鷹橋が溜息を洩らした。

 

「何を言われたかは知らないけど、あんまり気にしちゃダメよ。アイツ、女の子の携帯を踏みつけるのが趣味の最低変態野郎なんだから」

 

「本当に最低だな!?」

 

 女の子の携帯を踏みつけるのが趣味って、どんな性癖だよ! しかし、何が恐ろしいって、其れを伝えられた所で『あの男なら遣りかねない』と納得してしまうのが恐ろしいのだ。鷹橋が会いたがらなかったのも納得である。

 

「最近はそうでもないって聞いたぞ」

 

 意外、と言う程でもないが言葉添え(フォロー)したのは蒲池さんだった。

 

「そうなのか?」

 

「うん。この間、携帯を踏みつけられるなら男でも女でもいいやって呟いてた」

 

「最低だ!! 『女の子の』の部分が抜けただけじゃあないか!!」

 

「いや、だってそう呟いてたし。タイムラインで」

 

「タイムラインで!?」

 

 彼奴の事だから、何処まで本気かは分からないけどねと苦笑しながら言う蒲池さんに、不思議な寛容性を見出だしながら、鳴田良悟と言う男の謎が深まるのを感じるのだった。と言うか、SNSとかやってるんだな、あの人……何だろう、何か意外だ。

 

「あんたなら大丈夫なんじゃない? 携帯踏まれても」

 

 情報屋の意外に広い守備範囲に頭を抱えていると、唐突に鷹橋がそんな事を言い出す。

 

「何だよ、連絡する相手がいなさそうって事か?」

 

「いや、何か携帯電話を大量に持ってそうだから」

 

「僕はそんな負完全な存在じゃねえよ」

 

 僕みたいな正直者を嘘憑き呼ばわりは止めて貰おうか。交差点で百円拾ったら、直ぐに交番に届けるあの人では無いが、近所でも正直者と評判の維新君なんだぜ? 本当だぞ?

 言わなくても分かるとは思うが、僕の携帯電話は一つしかない。因みにスマートフォンが主流の昨今にしては珍しく、昔乍らの折り畳み式――所謂ガラケーである。別に拘りがあって此奴を使っている訳ではないのだが、スマホの様に色々と機能が付いていた所で、僕には扱い切れないだろうと言う判断だ。此れは僕だけでは無く他の人間にも言えるのでは無いのだろうか? 此れは僕の憶測に過ぎないが、スマホの機能が百あった所で、殆どの人間は五十も使えていないだろう。僕としては、携帯電話等と言う物は、通話と電子便(メール)と目覚まし機能が付いていれば其れで事足りると思っているので、余計な機能は必要無いのだ。まあ、偶に、猪上の様に通話も電子便も出来なくなってしまう奴もいるが、其れは流石に論外だ。

 さて、何だか久々に言う気がするな、閑話休題だ。

 既に真っ暗になってしまった街を三人並んで歩く。きっと、此処はもう僕の居場所なのだろう。道中の下らない雑談も、一仕事終えた疲労感も、全てが妙に心地好かった。再び覚えた()()()を受け入れるのには、時間が掛かりそうだが。

 探偵社に帰ると、持ち寄った情報を報告する。どうやら鷹橋は僕と蒲池さんが鳴田氏と話をしている間、一人で聴き込みを続けていたらしい。何とも仕事熱心な事だ。僕と蒲池さんも鳴田氏から得た情報を伝える。余計な情報かも知れないが、第三穂綿学園が僕の母校である事も含めてだ。僕の様な凡庸な人間にとっては余分な情報でも、桜場の様な優秀な人間にしてみれば、何かしらの有益な情報の可能性があるからだ。

 

「第三穂綿学園って……この辺じゃ結構な進学校よね? あんた頭よかったんだ」

 

 鷹橋の其の言葉に、思わず苦笑してしまう。『()()()()()()()』と過去形で言われたのが、言い得て妙だったからだ。頭が良いかどうかは置いておくとして、実際に中学の頃迄の僕は、それなりに成績は良かった。学年でも上位に入っていたし、試験の成績も悪くはなく、教師陣の心証も悪くはなかっただろう。だが、其れは所詮井の中の蛙と言う物で、地力より少し上の学校に進んだだけでみるみる成績を落としていった。鶏口牛後と言う言葉があるが、僕は見事に牛後に成り下がったと言う訳だ。其れは、相対的に成績が低くなったと言うだけで無く、授業に着いていけなくなったのだ。中高一貫の学校で、数少ない外部受験と言う事もあり、友人も出来なくて、一時期は学校に行くのも億劫だった程である。必死に勉強して食らい付いてはみた物の、結局は附属の大学に進む程の学力は得られず、外部の大学を受験して今に到るのだ。そんな事実を踏まえた上で、鷹橋には「そんなことないよ」とだけ返しておいた。

 

「ふ~ん……まあ、あんたが勉強出来るかどうかなんて、どうでもいいけど」

 

「じゃあ聞くなよ……」

 

 ツンした態度に呆れ乍ら、僕は報告を続けた。その後、細々(こまごま)とした書類の整理を教えて貰っていたのだが、山田さんの「……残業代」と言う呟きに言い知れぬ恐怖を感じたので、僕を含む社員三人は退社する事になった。

 そうして僕の探偵社員二日目が終わった訳だが、既に時刻は二十時過ぎ。妹には外食で済ませると電話で伝えて帰路に着く事にする。

 

 

 

 

 探偵社から僕の家に帰るには、繁華街を抜けるのが一番近い。なので、夕食は其処で適当に見繕って摂る事にした。もう少し早い時間なら『風見鶏』に寄っても良かったのだが、あの店の営業時間は九時から二十時迄なので社を出た時点で既に間に合っていない。それに、『風見鶏』は軽食が主力(メイン)なので、今日の様に疲れて空腹の状態では少々物足りない。僕とて年若い男児なのだから、疲れている時はガッツリとした物が食べたくなるのだ。とは言え、明確に食べたい物がある訳でも無いので、何時ぞやの様に宛も無く彷徨う。

 不意に背中に軽い衝撃と、何か柔らかい物が押し当てられる感触がした。何事かと思い振り向くと、淡い色合いの髪と旋毛(つむじ)が見えた。そして、僕の背中の感触を楽しむ様に、グリグリと頭を押し付けてくる。

 

「紡!!」

 

 急に声が聞こえたので其方を向くと、其処にいたのは橋元紡ちゃんの『ママ』こと武宮ゆゆこ嬢だった。と言う事は、僕の背中におばりよんの如く貼り付いているのは橋元ちゃん其の人と言う事か。因みにおばりよんを家迄背負って帰れば黄金に変わるらしいが、此の娘を家迄持ち帰ってしまえば、貰えるのは黄金では無く、輪っかと鎖の組合わさった警察官御用達の銀製装飾具(シルバーアクセサリー)だろう。

 武宮の声に反応した橋元ちゃんは、僕から離れると、武宮の方へ駆けていく。無くなってしまった背中の感触に名残惜しさを感じつつも、僕も彼女の後に続き、武宮の許へ向かう。

 

「おにいちゃん、こんばんは!」

 

「こんばんは、橋元ちゃん。随分、元気が良いね。何か良いことでもあったのかい?」

 

「うん! ママとごはん食べにいくの!」

 

 仲良く手を繋ぎながら、橋元ちゃんが元気に返答する。其れを見ている武宮は、少し困った様な表情をしていたが、愛娘の可愛さに何も言えない様だ。其の証拠に、困った様な表情を作ってはいるが、口角が少しばかり上がっている。

 

「西緒維新。貴方は何故こんなところに?」

 

 努めて冷静に声を出しているが、嬉々とした雰囲気が隠しきれていない。だが、態々指摘してやる程に僕も性格は悪くは無いので、気付かない振りをして普通に返事をする。

 

「僕も夕飯にな。ただ、君らと違って一人寂しくだけど」

 

 其れを聞いた橋元ちゃんが、何故か少し悲しそうな表情になる。何事かと思い彼女に向き直ると、予想外の一言が飛び出してきた。

 

「おにいちゃん、さみしいの?」

 

「あ、いや、今のは物の喩えで……」

 

「でも、一人はさみしいよ? つむぐも、おうちに一人のときはさみしいもん」

 

 橋元ちゃんの其の言葉に、武宮の表情が暗くなる。彼女としては四六時中橋元ちゃんの傍にいたいのだろうが、実際はそうもいかない。彼女は学生だ。そうである以上は学校に通わなくてはならない。抑々、今は学生だから、それなりに一緒にいる時間を取れるが、将来的に就職すれば、更に其の時間は減るだろう。其れは彼女も望む所では無いのだろうが、其れを拒否してしまえば抑々の前提が破綻してしまう。結局は、彼女達の暮らしの先は長くは無いのだろう。其れでも今を懸命に、手を取り合って生きている此の二人を僕はとても尊く思えた。……いや、()()()()()なのかもしれないな。ならば、少しでも()()()()()選択を選ぶべきだろう。

 

「じゃあ、僕も一緒に食べてもいいかな? 一人は寂しいからな」

 

 僕の言葉を聞いた橋元ちゃんが武宮の顔色を窺う様にして見上げる。其れを見た武宮が、仕方無いと言った様に頷くと、橋元ちゃんが笑顔になる。

 

「おにいちゃんもいっしょだ!」

 

「ああ、一緒だぜ」

 

 橋元ちゃんと一緒に御飯が食べられるとは僥倖だ。それに、僕の方も武宮に訊きたい事があるしな。僕は、橋元ちゃんの隣に行くと、其の手を握る。そして、橋元ちゃんが武宮の手を握る。僕達三人は其の儘歩き出した。目下食事を摂れる場所を探してだ。夜の街の明かりに照らされて、僕達三人の影が伸びる。まるで家族の様な其の影からは、寂しさは感じられなかった。




 いかがでしたでしょうか? おかげさまでUAは1万を超え、お気に入りも300超えです。ひとえに皆さんのお陰です、本当にありがとうございます!

 さて、恒例になりつつある謝辞のコーナー。

 (確信)さん、Marineさん、猫狐獅子さん、マイペース男さん、葉咲 羽由さん、最高評価ありがとうございます! 朽木_さん、夜蛇さん、読書さん、アウトサイドさん、高評価ありがとうございます! カタミさん、ゆきねこさん、評価ありがとうございます!

 前も言った気がしますが、私みたいな奴の小説を読んで、評価までつけてくれるなんて……とても、ありがたいことだと思っています。これからも、頑張っていきますので、お付き合いよろしくお願いします!

 オンドゥルルルさん、殺多鴉さん、誤字報告ありがとうございます!

 本来自分で読み直して、修正しなくてはならないものを、わざわざ指摘していただけるのは、かなり助かります。誤字……気を付けないとなあ……。本当にありがとうございます!

 さて、活動報告でも書きましたが、一応ここでも書きますと。1、2日ほど見れなかった理由は「利用規約」に引っ掛かったからです。なので、しつこいようですが主張させていただきますと、西緒維新君及び、他の作中のキャラクターは架空の人物で実際の作家さんとは関係ありません。あくまでも良く似た名前の別人です。
 すいません、これをしっかり分かってもらわないと、また引っ掛かってしまうので……。まあ、少しだけだけど、名前も変えたし、キャラの中身に関しては作家さん本人とは別人だし、大丈夫だとは思うのですが……。

 いつも、読んでいただいてありがとうございます! 続きを早くお届け出来るように頑張ります! それでは、また次回とか!


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拾陸章

 大変お待たせいたしました……。仕事を辞めたり、就職活動をしてみたり、決まらなくてフリーターになってみたりしていたら二ヶ月程経っていました。大変申し訳ありません……。しかも、時間がかかった割には短めですし、今後も時間が開く可能性が高かったりとか……いくつ謝れば良いのやら……。まあ、放り投げる気が無いという事が伝われば幸いです。


 武宮達に着いて行って、辿り着いた先は至極一般的な大衆洋食店(ファミリーレストラン)だった。武宮も橋元ちゃんも、簡素(シンプル)乍らも高級感のある服装をしているし、住んでいる場所も市街地の高級高層集合住宅(マンション)に住んでいたので、少々拍子抜けだった。まあ、高級料亭とかに連れて行かれても、僕の手持ちでは払えないので助かったのだが。

 

「何、ファミレスじゃあ不満かしら?」

 

 そんな僕の心情を表情から読み取ったのか、眉間に皺を寄せながら武宮が訊ねてくる。

 

「まさか、僕は大好きだぜファミレス。良心的な価格設定に、徹底された分煙システム、庶民の僕らの舌に合わせた美味しい料理。非の打ち所がないね」

 

「そ、そう?」

 

 まさかのべた褒めに、少し引き気味の武宮。しかし、別に諛言(ゆげん)を呈した訳では無い。実際に僕はこういった店を良く利用する。というより、僕が外食をする時に利用するのは『風見鶏』以外だと、殆どは此の類だ。何故なら僕の友人に一人、大衆洋食店の……いや、サイ○リヤの信者がいるからだ。まあ、何を隠そう亘の事なのだが、彼奴と遊びに行くと昼食は間違いなくサ○ゼリヤに行く事になる。安いし、美味しいので異論は無いのだが、偶には別の物も食べたくなるのが人情だ。しかし、食に頓着しない僕や食べられれば何でも構わない猪上では代案が浮かばず、結局は亘の提案に従う形になる。

 と言う訳で、久しぶりに別の大衆洋食店に来て、僕も心が少々浮き立っているのである。全国展開している此の店は、テレビの宣伝広告等で良く見る程には有名だ。家からも近いので、僕も高校受験や大学受験の際にはお世話になった物である。いや、大した注文もしないで、四人席を一人で占領し、ドリンクバーだけで粘り続ける受験生と言うのは店側からすれば嘸や迷惑だっただろうが、僕は兄弟が多く、家では集中出来なかった為、図書館の自習室等が満席だった場合にはこうするしか無かったのだ。

 店員のお姉さんに人数と、禁煙席の希望を伝えると、休日の夕飯時にも関わらず数分の待ち時間だけで席まで案内された。席に着いた際に橋本ちゃんが武宮では無く、僕の隣に座った為、睨まれもしたが、橋元ちゃんの「ここの方がママの顔が良く見える」と言う一言で頬を弛ませていたのは流石の親馬鹿っぷりと言った所だろう。

 

「さて、少し話でもしないか?」

 

 品書き(メニュー)を見ながら目を輝かせている橋元ちゃんを横目に見乍ら、僕は武宮に話し掛ける。聞きたい事があるのだが、其の前の準備体操(ウォーミングアップ)の様な物だ。

 

「話? 別に構わないわ。何の話をしようかしら、男色? 薔薇? それとも、衆道?」

 

「何で選択肢が全部BL関係なんだよ!? 他に話題は無いのかよお前には……」

 

「他に……駄目ね、後は魔術関係くらいしかないわ」

 

 話題の選択肢が尖り過ぎ(ピーキー)だとも思ったが、BLも魔術関係(オカルト)も彼女の趣味だ。矢張、人間誰しも自分の好きな話題の方が喋り易いのだろう。実際に、口数が多い方では無い亘も、本の話になれば饒舌に語り始めるし、元々がお喋りな猪上なんかは、ゲームの話題になれば正に立て板に水と言った具合に話し出す。剰り意識した事は無いが、こうして語っている僕自身もそうなのだろう。

 僕が彼女に訊ねたい事は、其れ程長くは無いので、其の前に彼女と趣味の話に花を咲かすと言うのも悪くは無いだろう。但し、僕はBLの話を嬉々としてする趣味など無い為、此処は彼女の持つもう一つの話題である“魔術”の方を選択させて貰おうじゃないか。しかし、魔術だの何だのと言った物に対して、僕は然程(さほど)明るいと言う訳ではない。全くの無知と言う程でも無いのだが、自称とは言え魔女を名乗る彼女と討論が出来る程だとは思えない。となれば、僕は此れから彼女の魔術講義を聞く形になってしまうのだろう。何方(どちら)に転んでも聞き手に徹するしか無いと言う事実に不甲斐なさを覚えながらも、僕は口を開く事にする。

 

「お前の言う魔術って何処で覚えたんだ?」

 

「あら、私の根源を探ろうと言うのかしら? まあ、構わないわ」

 

 急に芝居掛かった口調に変わる武宮に、少しばかり呆れた様な視線を向けてしまうが、彼女としても何か譲れない所があるのだと思われる。そんな『ママ』の姿を見ても大した反応を見せない所を見ると、橋元ちゃんも既に慣れきってしまっているのだろう。そんな僕と橋元ちゃんの態度を気にする事も無く、口調の割に真剣な表情の武宮が口を開く。

 

「……我が魔術は、他に由来する物では無く、私の心象世界に封ぜられた前世の記憶から生じる物よ」

 

 ……まさかの自己流(オリジナル)だった。いや、神秘学(オカルト)の歴史を(ひもと)けば一番最初は恐らく誰かの独創(オリジナル)なのだろうが、まさかこの近代文明社会に()いて、独自の魔術形態を産み出そうとしている人間が居るとは思わなかった。まさしく驚天動地である。とは言え、完全な創作では無いだろう。最低限、何かを基準に置き、其処から想像を膨らませ創造に到ったに違いない筈だ。

 

「そ、そうか、ちなみに、どういった物があるんだ?」

 

「どういった物とは?」

 

「例えばほら、呪いだったり、占いだったり色々あるだろう?」

 

 占いと言う言葉に武宮が不快そうな顔をしたのが気になったが、占いと言う物は色恋が関わる物も少なくは無い。(男女の)色恋に対して良い感情を持っていない武宮が、そういう表情を浮かべるのも無理からぬ事だろう。

 気に食わなさそうな表情を浮かべ乍らも少し考える様な仕草をした武宮は、手提げ袋から一枚の紙片を取り出すと不等辺三角形を組み合わせた謎の幾何学模様を描き始めた。其れを白と黒に塗り分け、僕に差し出して来る。

 

「簡単に貴方とその周囲の人間について占うわ。その模様を見つめながら、この魔草を咬みなさい」

 

 そう言って、武宮が取り出したのは何処から見ても其処らに生えていそうな枯草だった。

 

「いや、それ、枯草だろう?」

 

「いいえ、魔草よ。枯れて見えるのはこれに宿る瘴気(しょうき)と魔力が、貴方の認識を歪めているからよ」

 

「いや、それが事実だったとして、危険度が増しただけだぞ!」

 

 枯草を咬むと言うだけでも嫌だが、そんな危険物は更に口にしたくは無い。必死に拒む僕だが、武宮は御構い無しにぐいぐいと僕の口許に謎の枯草を押し付けてくる。そんな僕と武宮の攻防は、料理が運ばれてくる迄続いたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 食事を終え、さてと小さく呟いて、僕は居住まいを正して武宮に向き直る。僕の様子から真面目な雰囲気を感じ取ったのか、武宮も姿勢を正して僕を見てくる。そして、数瞬見詰め合ってから、僕は咳払いを一つしてから口を開く。

 

「なあ、武宮。僕の卒業した後の、穂綿の話を訊きたいんだが」

 

「貴方の卒業した後の?」

 

「ああ、大した事じゃあ無いんだが、中等部で不登校だった奴が高等部進学を機に復帰したとか、逆に辞めてしまったとか、そう言った噂を聞かなかったか?」

 

 僕の言葉に竹宮は、何故そんな事を訊くのかと少し不思議そうな表情を浮かべたが、直ぐに言葉を返してきた。

 

「分からないわ。私、友達がほとんどいなかったから、噂とかそう言った類いの物は聞く機会が少なかったから……ましてや、中等部の話なんて興味もなかったわね」

 

「そうか……」

 

 安堵と落胆の二つの感情が胸に去来する。……僕は其の話を聞いてどうしたかったのだろうか? 彼女が復学していて、再会する事を望んだのか。其れとも、彼女が退学し、出会わない事を望んだのか。儘なら無い感情の渦は、ぐるぐると綯い交ぜになり、(やが)て、どろどろと濁った不快感へと変わってしまった。其の不快感は誰であろう僕自身に向けられた物だと気付いたのと同時に、不安そうな目をした橋元ちゃんと視線が打つかった。

 何れ程に黙り込んでいたのだろうか、怪訝な視線を向ける武宮と、心配そうな橋元ちゃんに問題無いと手を振る。誤魔化せた訳ではないのだろうが、二人が深く訊ねてくる事はなかったのは有り難かった。兎も有れ、女性二人を沈んだ表情にするのは僕の本意ではない。場の空気を変えるために、多少おちゃらけて見せるのも一興だろう。

 

「ところでこの前、亘が猪上を押し倒したらしいん」

 

「何それ詳しく!」

 

 ……どうやら話題の選択(チョイス)を間違ってしまった様だ……。

 後は語るべき事など特には無い。二人を家まで送り届け、帰宅し、入浴の後に就寝と言う極々平凡で、当たり前の家での習慣を(こな)しただけである。妹から、帰りが遅い事について多少のお小言を戴いたが、それもまた愛すべき日常に埋没していくのだった。

 

 




 まずは謝辞を

 キノコの森さん、妄想枕さん、安土さん、Amittere027さん高評価ありがとうございます!
bramさん評価ありがとうございます!

 本当にありがとうございます。時間はかかりますが、ちゃんと完結まで書ききるつもりですので、よろしくお願いします!


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拾漆章

 お久しぶりです。覚えておいででしょうか? 仕事の合間合間で書いてたら随分と時間を喰ってしまいました……反省はしています。本当です。しかし、色々と余裕がないため、暫くはこんなペースだと思います。
 この辺りで物語はようやく折り返し地点。牛歩でしか進まないこの話も少しは進んで参りました。楽しんで頂けたら幸いです。


 

 翌日、世間一般では休日である筈の日曜日である。当然乍ら大学も休みなので、普段なら昼過ぎ迄惰眠を貪るところなのだが、今の僕は学生でありながら勤め人でもあるのだ。何処もそうなのかは分からないが、一般的な休日は探偵にとっては休日では無いらしく、今日も今日とて元気に出勤の予定が入っている。妹が用意してくれた少し遅めの朝食を摂り、意気軒昂と迄は言わないが、意気阻喪と迄も行かず、意気自若な心持ちで我が家を後にした。しかし、意気軒昂に意気揚々、似た様な言葉で同じ様な意味を持つが、浅学菲才な僕には使い分けが分からない。因みに同じ様な意味を持つ言葉なら、僕は意気衝天を推して行きたい。なんだか勢いがあるだろう?

 淡々と歩みを進める事数十分、此処数日ですっかり見慣れてしまった白堊の館の姿が見えてくる。相変わらずの高雅さを湛えた西洋建築は、陽の光を浴び、其の輝きを増していた。眩さに思わず目を細め乍ら門戸を潜り、見慣れた扉を開いた僕の目に映ったのは、玄関広間(ホール)で土下座する蒲池さんと、額に青筋を浮かべた鷹橋の姿だった。

 腕を組み、凄まじい剣幕で蒲池さんを睨め付ける鷹橋はまるで運慶、快慶らが造立した物が有名である仁王像の如くだ。因みに此の仁王像、正式名称は金剛力士像と言い、由来は「ヴァジュラダラ」ーー「金剛杵を持つ者」と言う意味の梵語(サンスクリット)から来ているそうだ。そんな彼が何故に仁王と呼ばれるかは単純明快、口を開いた阿形像、口を結んだ吽形像、二神一対とされるからである。二人の王で仁王像と言う訳だな。……どうも無駄話が過ぎるな……閑話休題して対する蒲池さんの様子を描写すると、彼女は五体投地とも言える程の見事な土下座っぷりを披露していた。

 

「……何をしているんだ?」

 

 僕が声をかけると蒲池さんは顔を上げて振り向き、鷹橋はほんの少しだけ表情を緩めて見せた。無論、緩めたとは言え、依然として険しい表情である事には変わり無く、結果として僕が睨まれている様な形になってしまった。

 

「いやあ、大した事じゃあないんだけどね……」

 

「大した事あるわよ! 何で名前が書いてあるのに食べちゃうのよ!!」

 

 困った様に笑う蒲池さんの台詞を遮る様にして声を上げた鷹橋の手には、合成樹脂(プラスチック)製の容器が握られていた。そして、其の容器の側面には商品名や販売元等とは別にでかでかと『鷹橋』と言う名前が書かれている。どうやら其れは風鈴菓子(プリン)の容器で在ろう事が遠目にも分かった。つまり、事の顛末としては鷹橋の買ってきた風鈴菓子を蒲池さんが誤って食べてしまったと言った所だろう。

 

「き、気付かなかったんだよ……蓋ならともかく、容器の方に書いてあるなんて……」

 

「うるさい! うるさい! うるさい! 楽しみにしてたのに! 今日、仕事が終わったら食べようと思ってたのに!」

 

 涙目に成り乍ら地団駄を踏み、蒲池さんを責め立てる鷹橋は、(とて)も成人間近の女性とは思えなかった。幼児(おさなご)じゃあ在るまいし、風鈴菓子程度で騒ぎ立てるなど見苦しいにも程があるので、蒲池さんに助け船を出す意味も含めて口を挟ませて貰う事にする。

 

「良いじゃないか、たかがプリンくらい。それくらい僕が後で買ってきてやるよ」

 

()()()()()()()()()……ですてぇ……?」

 

 急に背筋に寒気を覚えて鷹橋を見れば、柳眉を逆立てて鋭い眼光を飛ばして来ていた。どうやら、僕の一言が鷹橋の逆鱗に触れたらしい。後悔しても、時既に遅しと言った具合で、鷹橋が憤怒の形相の儘で僕との距離を詰めてくる。

 

「あんたねえ……! アレがいくらすると思ってんのよ! 七百円よ!? 七百円!! それを楽しみに取っておいたのに、食べられた私の気持ちが分かる!?」

 

「七百円!? 僕の昼食代とそう変わらないぞ!?」

 

「あんたのお昼代がいくらかなんてどうでもいいわよ。駅前の洋菓子店で限定販売されてるゴージャス・セレブ・プリンはなかなか手に入らないんだからね!」

 

「ゴージャスでセレブとは恐れ入るな……しかしだ、確かに()()()()()()とは言い難い代物だな」

 

 何せ、豪華(ゴージャス)著名(セレブ)なのだ、そんじょ其処らの風鈴菓子とは訳が違うのだろう。と言うか、僕も食べてみたくなって来たぞ、それ。

 気に成って仕方が無い気持ちを抑え乍ら鷹橋の目を見ると、興奮の剰りか目尻には再び微かに泪が浮かんでいた。食べ物の怨みは恐ろしいとは昔から良く言うが、時代が変われど其の真実は揺らがない様である。

 

 

 

 

 ーー処変わって会議室。蒲池さんに急いで買って来てもらった安物の風鈴菓子を与え、宥め(すか)して鷹橋を引っ張って来た。暫く御機嫌斜めだった鷹橋だったが、件の高級風鈴菓子を今度、一緒に買いに行く約束をすると、渋々乍らも態度を和らげてくれたのだった。

 さて、会議室に集まったは良いが、特に話し合う必要が有る訳ではない。何せ遣る事は決まっているのだ。

 ーー第三穂綿学園。僕の母校でもあり、“情報屋”鳴田良悟から手に入れた事件の手掛かり(ヒント)である。其の場所に向かい調べる事だ。何を調べるかは桜場から指示が有った。『異能力者』の有無と能力の判別、そして、其の人物の不在証明(アリバイ)である。

 

「しかし、どうやって異能力者かそうでないかを判別するんだ?」

 

 僕の疑問に応えたのは、心做しか自慢気な表情の蒲池さんである。

 

「俺の異能力『禁書目録(インデックス)』の能力を使うんだ。この能力はですね、一度見たことのある能力を自分の物として使えるのですよ!」

 

「へえ、随分と便利な能力だな」

 

「まあ、使えるって言ってもオリジナルに比べたら効果とか範囲とかが劣る劣化コピーなんだけどな……。とにかく、その中の一つに異能力者の能力を見抜くって奴があるんだ」

 

 そう言って蒲池さんは虚空から一冊の本を取り出して見せた。上製本(ハードカバー)の其の本は、淡く耀き、魔術書然とした雰囲気を醸し出している。そして、其れの(ページ)を捲り、小さく、然し不思議と良く通る声で呟く様にして言葉を発した。

 

「ーー『ダーク・バイオレッツ』」

 

 其の言葉と同時に、蒲池さんの右の(ひとみ)が暗紫色に染まる。少し不安になる色合いだが、何故だか惹き込まれる様な錯覚を受ける色だ。

 

「社長の知り合いで、古書店の店長をしている人の異能なん、だけ……ど……」

 

 何故か蒲池さんの目が見開かれ、言葉が途切れる。暫し黙っていた彼女だったが、ふと合点がいった様な表情に変わり、口を開いた。

 

「……鳴田が言ってた能力って、『異能力』の事だったのか」

 

 呟く様に言った其の言葉は、静かな会議室には良く響いた。そして、其れに逸早く反応したのは鷹橋だった。

 

「あ、あんた、異能力者だったの?」

 

 恐る恐ると言った様子で尋ねてきた鷹橋に対して、僕は首を傾げて見せる。世界や物語が傾く程は傾げず、僕の内面から溢れ出る可愛らしさを存分に発揮する、ちょこんと言うかこてんと言うかそんな感じの傾げ方だ。

 

「あれ、言ってなかったか?」

 

「聞いてないわよ!」

 

「あ、ああ、すまない、てっきり言ったもんだと勘違いしてたよ」

 

 僅かに言い淀む僕に対して、鷹橋は問い詰める様に距離を詰めてくる。そして、女子特有の甘い良い香りを楽しむ余裕も与えてくれずに彼女は、当然で想像に難くない質問を繰り出してきた。

 

「一体、どんな『異能』なのよ?」

 

 (さて)、どうした物だろうか……。僕としては自分自身の『異能力』に剰り良い思い出が無いため、出来る限り語りたくないと言うのが本音である。然し乍ら、仲間である彼女達に隠し事をしたくないと言う気持ちもあるのだ。良く見れば、鷹橋だけでなく蒲池さんも興味深そうに僕を見ていた。横目で桜場の方を見遣ると、此方は対照的に興味無さ気に瞑目しているだけで、関わる事すら面倒と言った具合である。

 

「あーっ、もう! 焦れったいわね! 和馬、アンタの能力でパパッと見ちゃいなさいよ!」

 

 黙り込んだ僕に痺れを切らしたのか、鷹橋が蒲池さんに向き直り、怒鳴り付ける様な勢いで指示する。然し、言われた蒲池さんは渋い顔で僕を見たまま黙っている。そんな蒲池さんを見て鷹橋が更に過熱(ヒートアップ)していく。

 

「何よ和馬! 良い子ちゃんぶる気!? こうなったら力ずくで……」

 

「ーー其処までにしたまえ」

 

 熱を冷ます寒冷色の一言が其の場を支配した。其の一言だけを発して、再び瞑目した桜場を全員が見詰める。蒲池さんの眸は元の色に戻り、鷹橋は腰の刀に掛けた手を静かに下ろす。……いや、ちょっと待てよ鷹橋。お前、其の刀で僕に何をする心算(つもり)だったんだよ……。

 

「桜場は……気にならないのか?」

 

 黙っていたのは自分の癖に思わず尋ねてしまった。語るのを良しとしないのであれば、此の言葉は呑み込む可きであった筈なのだが、無意識中の無意識に口から零れ出てしまった。そんな僕の戯言(たわごと)を桜場は、鼻を鳴らしただけで一蹴した。

 

「ならないと断じてしまえば嘘になってしまうのだが……そんなものは語るべき時がくれば、自然と語られるものだよ。抑々(そもそも)、抑々だよ、君達。『異能力』などという物は大体の者にとっては不幸の代名詞と言っても過言では無いのだから、無理に聞き出す様なものでもない」

 

 珍しく、少し早口に語る桜場に気圧されて、僕達は再び沈黙させられてしまった。其の沈黙の中、僕の頭に過ったのは、今の言葉は桜場にも当て嵌まる物では無いのだろうかと言う事だ。ーー『異能力』は不幸の代名詞ーーそう思わせる何かが桜場の身にも起きたのだろうか? 其の言葉の意味を各々が噛み締める中、お茶を運んできた山田さんが不思議そうな表情で僕達を見てきた。それに全員が気付いた時、重くなっていた空気が弛緩するのを感じるのだった。

 其れから暫くは作戦内容の確認を行った。とは言え、大した事を話し合った訳ではない。僕の昔の伝手を使って、具体的には当時の恩師に会いに行く形で入校させて貰うだけである。すんなりと話が進むとは思えないが、今は此れしか方法が無い事も確かなのだから、僕の狭小で希薄な人間関係に頼るしか無いのだ。情け無さを呑み込む様に運ばれて来た紅茶を口にすると、柑橘の香りが口一杯に広がり、少しだけ心を落ち着かせてくれるのだった。そうだ、落ち着き序でに聞いておく可き事を、訊いておく事にしよう。

 

「動き出すのは、明日からで良いんだよな?」

 

 僕の一言に、其の場にいた全員が僕に対して怪訝な表情を向ける。何か可笑しな事を言っただろうか? 首を傾げる僕に対して、蒲池さんが口を開いた。

 

「善は急げと言うし、今からでも良くないか? まだ昼なんだし」

 

「いや、行っても良いけど、今日は日曜だから部活をやってる人間とその顧問くらいしかいないと思うんだが……」

 

 僕の言葉に皆一様にして驚愕の表情を浮かべていた。鷹橋や蒲池さんだけでは無く、冷静(クール)な印象のある桜場でさえも目を見開いているのは、逆に僕が驚く羽目になってしまう。詰まる所、彼女達は本日が日曜日だと言う事を忘れていた、若しくは、日曜日が休日であると言う印象が無かったと言う事である。探偵家業の黒い(ブラックな)一面を垣間見た僕は小さく溜め息を吐き、肩を竦めて苦笑いを浮かべてしまう。豈図(あにはか)らんや一本取ってしまう形になって仕舞ったのだが、何故だろう、微塵も歓びを感じる事は出来なかった。

 

 

 

 

 

 明くる月曜日、僕達は大丸山を登っていた。大丸山は標高百五十(メルトル)程の低目の山だが、一応は横浜市の最高峰を担っている立派な山である。此の山の中腹を切り開いた所に僕の母校たる第三穂綿学園はあり、比較的緩やかな道を小一時間近く歩き続けると到着する。我が母校、第三穂綿学園は付属の大学を同じ敷地に持つ中高一貫教育の学校で、驚くべきはその広さ、何と約二十万平米にもなり、此れは彼の東京ドームが五つ近くも入ってしまう程なのだ。所で、良く聞く表現として東京ドーム○○個分と言うが、使った僕が言えた事では無いが、良く分からないだろうから簡単に説明すると、東京ドームの広さは四万六千七百七十五平米で畳三万二千四百七十二畳分だそうだ。ほら、余計に分からなくなっただろう?

 扨々、何時も通り閑話休題するとしよう。僕達は山を登っているとは言ったが、別にえっちらおっちらと登山に勤しんでいる訳では無い。昔は登校の度に此の坂道をひぃひぃ言いながら自転車で登っていたが、今は僕も大人になったと言う訳で自動車と言う文明の利器に頼らせて戴いている。因みに運転しているのは僕で、同乗者は蒲池さんと鷹橋のみだ。山田さんは事務員だし、桜場は外に出たくないとの事でお留守番をしている。其れで良いのか探偵社の社長さん……。

 此処で、何故僕が運転しているのかと言う疑問を持った人もいるだろうから答えておくと、理由は実に直截簡明で、探偵社の面子で免許証を持っているのが僕と蒲池さんだけだからだ。そして、蒲池さんに運転させるのは危険だと言う満場一致の意見により、僕が運転する事に相成ったのだ。抑々、此の車自体が僕の所有物なので僕が運転するのは当たり前と言えば当たり前であるのだが。そんな僕の愛車は、フォル○スワーゲンのニュー○ートルだ。嘗て製造されていたタ○プ1の面影を受け継ぎつつ、伝統的な「円弧」の題材(モチーフ)を現代風の意匠(デザイン)に落とし込んだ一品、いや、逸品である。確かに使い勝手が悪い所はあるが、其れ以上に……愛車自慢はもう良いって? 其れは残念だ。其れで、何故に僕の私用車を使っているのかと言うと、此れ亦簡単明瞭で、我が『灰狼探偵社』に社用車が無いからである。其れもそうだろう、僕以外だと免許を持っているのが蒲池さんだけで、(しか)も彼女は奇跡的な不幸体質なので、彼女に運転させる訳にはいかない。であれば、社用車は無用の長物と言う事になるので、所有していないのである。と、此処迄が状況説明になる訳だが、冗長な上に脱線しすぎで、四方山話も混ざり解り辛いとは思うが、簡潔にして話を完結させると、僕と蒲池さんと鷹橋の三人が自動車で山道を行き、当初の予定通り第三穂綿学園に向かっているだけである。

 普段、大学へは自転車か徒歩で通っている僕は、久々の運転に少々緊張しつつ、安全運転を心掛け乍らも軽快な間話(トーク)を交わす事も忘れない。今も尚、僕達は談笑を続けている。

 

「分かってない! 分かってないぞ、鷹橋! この流線型のボディの美しさが!」

 

「いやいや、見た目じゃなくて実用性の話よ。視界は悪いし、狭いし、乗り心地は悪いしで最悪よ」

 

「うっ……! そ、それを補って余りある魅力と浪漫があるんだよ!」

 

「浪漫でお腹は膨れないわよ。というか、そういうことは自分のお金で買ってから言いなさい。親に買って貰った車の自慢なんて恥ずかしいわよ」

 

「ぐっ……し、仕方ないだろ。貧乏学生にそんな余裕はないんだよ……!」

 

 …………………………ほら…………なんというか…………和気藹々としてるだろう? 別に口論なんかはしてないさ、僕と鷹橋は仲良しだからな。後部座席で蒲池さんが呆れた様に苦笑を浮かべているのだって気のせいだ。

 

「な、なあ、そろそろ着くんじゃないか?」

 

 後部座席で僕と鷹橋の遣り取りを聴いていた蒲池さんが声を掛けてくる。蒲池さんの言う通り、既に穂綿学園の直ぐ近く迄来ており、其の陰も見えて来ている。白壁の現代建築は巷でも良い趣味(ハイセンス)だと話題で、誰か有名な建築家が設計(デザイン)したとかで耳目を集めたらしいが、僕等生徒一同としては興味も無ければ好感もなかった。耳に胼胝(たこ)が出来る程聞かされた筈の其の建築家の名前が、最早思い出せないのが其の証拠だろう。

 今、正面に見えているのは総合棟と呼ばれる建物で、事務室や職員室、食堂等々の共有施設が入っている棟だ。中等部と高等部の生徒全員が利用する棟であり、教師陣も基本的に此処に詰めているので日頃から多くの人間で溢れている。此れから僕達は其処に向かい、入校の許可を得なければならない。とは言え、既に電話での前約(アポイントメント)は取ってあるので、棟に寄るのは形式的な意味合いが強いのだが、大人の社会では其の形式が大きな意味を持つ事が多いので無下には出来ない物であったりもする。因みに名目としては、生徒達から目撃証言を集める事と事件への注意喚起である。円滑(スムーズ)に話が進んだのは意外だったが、警察からの委託である事と、飽く迄も注意喚起等の学徒達の安全確保が目的である事を強調したのが功を奏したのだろう。騙した様な感じになってしまったが、警察から協力要請が出ているのは本当だし、生徒達から目撃証言を得る際の注意喚起を怠らなければ嘘にはならない筈だ。

 駐車場に車を停め、三人連れ立って事務室に向かい、必要書類に記入してから入校許可証を受け取る。そして、其の後は校長室で校長に挨拶をした後に、臨時の全校集会で注意喚起を促した。講堂の壇上に登るのは卒業証書を受け取る時位な物だったので妙な緊張感があったが、注意喚起や安全指導は畧々(ほぼ)蒲池さんと鷹橋が行ってくれたお蔭で、僕がやった事と言えば映写機(プロジェクター)の操作位で殆ど黒子の様な物だった。余談だが、僕は別に籠球(バスケ)は得意ではない。……本当に余談だな。

 生徒達の気(だる)い挨拶を耳にし乍ら一礼をして壇上を降り、控室になっている空き教室に向かう。其の途次(みちすがら)、僕は一人の男性教諭に声を掛けられた。

 

「……ん? 西緒か」

 

「ああ、お久しぶりです按田(あんだ)先生」

 

「おいおい、俺の事はアンダーテイカー、もしくはテイカーって呼んでくれよ」

 

 良く言えば人の良さそうな顔立ちで、悪く言えば気の抜けた顔立ちの中年男性。其の顔立ちと猫背気味の細長い身体からはおおらかと言うよりは図法螺(ずぼら)な雰囲気が漂ってきている。

 物理教師・按田定夏(さだなつ)。何の縁か高校三年間連続して僕の担任だった人で、高校時代で僕が頻繁に会話していた数少ない人物だ。アンダーテイカーと言うのは彼が自分で考えた渾名で、自分の名前を(もじ)った安直な物であり、親しみ易い教師を目指していると自称している彼は生徒達にそう呼ばせているのだ。実際、数人の生徒はアンダーテイカーないし、省略形のテイカー先生と呼んでいる所を見聞きした物だが、僕は頑として呼ぼうとはしなかった。呼んだら敗けだ。正直な所、渾名で呼ぶのは親しまれていると言うよりも、無礼(ナメ)られていると言う側面が強い為、そういった輩と一緒にされたくない僕は渾名で呼ぶのは差し控えているのだ。なにより、呼んだら敗けだ。

 件の按田教諭は、僕と連れの二人にじろじろとした視線を向けた後、急に僕に肩組みをしてくる。馴れ馴れしい行動だが、こう言った人間である事を知っている僕は、溜息一つを吐くだけに留める。

 

「まさか、お前がこんな美人を連れてくるなんて思わなかったよ。もしかして、どっちかがお前のこれか?」

 

 小声で、早口に捲し立てる様にして言った後、小指を立てて見せてくる。そんな時代遅れの手真似(ジェスチャー)を見た僕は再び溜息を一つ吐いた。僕としては其の勘違いは大いに結構なのだが、事実と異なる事を肯定は出来ないので、軽く首を振って否定して見せる。

 

「そうだったら嬉しいですが、残念ながら只の職場の同僚です」

 

「同僚? なんだお前、大学辞めたのか?」

 

 ……何故こうも、誰も彼も僕が大学を辞めた可能性を真っ先に口にするのだろうか? 学生であるならば、副業(アルバイト)である可能性が一番高いだろうに。と言うか、先程迄壇上に僕達が立っていたのを見ていなかったのだろうか?

 

「違いますよ、アルバイトみたいな物です。というか、さっきまで臨時の全校集会で警察からの委託で注意喚起と安全指導をしてたんですけど、見てなかったんですか?」

 

 僕の言葉に教諭は、暫く考え込む様な仕草をしていたが、(やが)て合点が行った様に手を打った。

 

「そう言えば、今朝がた職員会議でそんなことを言ってた気がするなあ。いやあ、さっきまで保健室でサボ……体調悪くて寝てたから見てなかったわ」

 

 ……そう言えば、講堂に集まった教師の中に彼の姿は無かった気がするが、だからと言って其れはどうなんだろうか? 茫乎(ぼんやり)とした表情の儘で教師として、と言うよりも大人としてどうかと思う様な台詞を宣う按田教諭に、ついつい白けた視線を向けてしまうのは仕方の無い事だろう。そんな僕の視線を受けても大して気にもしないで、彼は僕から少し離れて鷹橋と蒲池さんを見遣る。

 

「探偵……ねえ」

 

「何か?」

 

 教諭の不躾な視線に気分を害したのか、鷹橋が不機嫌そうな声色と表情を返す。しかし、鷹橋に睨まれた彼は、苦笑いを浮かべながら頭を掻いただけで気に留めた様子は無かった。ぺこりと会釈をする様に頭を下げると、「すまない、すまない」と軽い口調で謝罪を口にする。そんな按田教諭に毒気を抜かれた鷹橋は、不機嫌そうな表情の儘ではあるが、気にしてないとでも言う様に(かぶり)を降った。両者の間に微妙に気不味い雰囲気が流れたのを危惧してか、蒲池さんが慌てた様に一歩前に出て声を掛ける。

 

「は、はじめまして、西緒さんの仕事仲間の蒲池和馬です。こっちは鷹橋弥七郎。本日は宜しくお願いします」

 

「…………宜しくお願いします」

 

 蒲池さんが頭を下げるのを見て、渋々と言った様子で頭を下げる鷹橋。其れに対して、慌てて頭を下げ返す教諭。

 

「あ、ああ、いや、申し遅れました。私、西緒君の高校時代の担任の按田定夏と申します。まあ、私みたいな下っ端に丁寧な挨拶は大丈夫ですよ」

 

 大人の態度には大人の対応と言う事だろうか、僕や鷹橋相手とは違った言動を見せる按田教諭。彼がそう言う所謂社交辞令と言う物を使うのを始めてみた気がする。兎も有れ、先程迄の微妙な雰囲気は雲散霧消し、少しばかり穏やかな雰囲気が流れ始めるのだった。

 形式的ではあるが挨拶が済み、僕達と按田教諭は空き教室迄の道を一緒に歩いている。其処で、不図(ふと)して思い出したと言うか、魚の小骨が咽喉(のど)に引っ掛かる様に、ずっと気に懸かっている事を聞いてみる事にした。

 

「そう言えば先生、彼女は学校に来てますか?」

 

「彼女? 彼女って誰だ?」

 

 怪訝な表情を此方に向ける按田教諭に、僕は真っ直ぐな視線を向ける。遣る気だとか真剣味だとか、そう言った物に乏しい彼の表情が少しだけ引き締まり、少しだけ真面目な表情になる。

 

「三年前に不登校になった。谷河(たにがわ)……谷河(ながる)です」

 

 

 

 




 まずは謝辞を。
 霧島時雨さん、最高評価ありがとうございます!
 アシラさん、マネロウさん、牛凧の木さん、まびまび教信者さん、tetora123さん、高評価ありがとうございます!
 ……久しぶりに来ると、新しく評価して下さった方なのか、前から評価して下さっていた方が名前を変えただけなのか分からないですね……。もし、そうだったらすいません!

 さて、大分長らくお待たせしてしまいました。前書きにも書きましたが、暫くはこんなペースでしか書けません。待ってくださる方々には本当に申し訳ありません。何度も言いますが完結はさせます! お付き合い頂けたら幸いです。


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拾捌章

 今回は早めに書き終わりました。まあ、早かった理由は色々とありますが、まずは本編を読んでください。


 

 ーー谷河流(たにがわながる)。高校時代、友人を作らなかった僕の……唯一とも言える友人の名前である。彼女と僕の出会いは舞台的(ドラマティック)ではなく、運命的でもなく、極めて現実的で普遍的な物である。と言う導入をしてしまえば、察しの良い読者諸氏ならば気付いていただけるだろう……そう、過去編である。

 過去編と言う物は、語り部の自己満足(エゴイズム)と言う特性を持っている。種明かしをしたがったり、自分の考えた設定を(つまび)らかにしたがる作者の心根が透けて見えるので、僕も剰り好きでは無いのだが、今の今迄散々に思わせ振りな態度を取ってきたのだから、今更にして口を噤むと言うのも可笑しな話だろう。

 (さて)、其れでは物語るとしようじゃないか。普通で一般的で普遍的で(しか)し何処までも異常な僕ーー西緒維新と、異常で逸般的で不変的で然し何処までも普通な女の子ーー谷河流が、手も無く失い、為す術も無く(うしな)い、啻々(ただただ)(うしな)っただけの、そんな僕達の失物語(うせものがたり)

 

 

 

 

 

 三年前、高校三年生に進級して少ししてからの僕は、周囲から不良の標票(レッテル)を貼られていた。勿論、事実としてはそんな事は全く無かったと断言できる。煙草は未だに吸った事は無いし、今でこそ嗜む程度には行う飲酒も、当時は一切口にはしなかった。髪も染めていなかったし、耳飾(ピアス)等の装飾品の類いに到っては所持すらしていなかったし、偶に居眠り等をしてしまう事はあったが、其れでも授業態度は比較的真面目だったと言えるだろう。そんな品行方正な僕が、不良等と呼ばれていたのかは理解に苦しむのだが、予想がつかない訳では無い。当時僕は、とある理由で生傷が絶えず、学校を欠席する事も多かった。其処で、まあ、想像してみて欲しい。学校を欠席する事が多く、周囲から勉強が遅れ気味で、一匹狼な級友(クラスメート)が偶に出席したと思ったら彼方此方に怪我を負っているのだ。其処に、後ろ暗い事情があるのではないかと、根も葉も無い噂が流れてしまうのも分からなくは無いのだ。とは言え、理解は出来ても納得は出来ないと言うのが思春期の精神性で、周囲から腫れ物扱いを受け続ける剰り僕も悉皆(すっかり)やさぐれてしまい、集団で行動する彼等を同調と言う思考停止に陥った怠け者と、少数派を排斥し安寧を得ようとする悪と、多人数で固まらなければ何も出来ない弱者と断じ、そう言った彼等を“人間強度が低い”と蔑んでいたのだった。そして、他者との馴れ合いを“人間強度が下がる”行為だと忌避していた。今でこそ鼻で(わら)ってしまう様な思考だが、当時は割と本気でそう思っていて、言動も其の価値判断基準に則った物になっていたのだ。少し遅めの中二病だったのだろう、僕も若かったと言う訳だ。兎にも角にも当時の僕はやさぐれていた。余談だが、『やさぐれる』と言う言葉は本来家出を指す言葉だったらしい、其れが転じて不良行為を行う様や投げ遣りな態度を取る事を指す言葉に変わっていったそうだ。

 扨、何時も通りに閑話休題をするとして、其の日の僕は(すこぶ)る機嫌が悪かった。理由としては単純で妹と喧嘩をしたからなのだが、別に妹に対して腹を立てていた訳では無い。其の理由の下らなさに、自分の人間性の小ささに辟易していたと言った所だろうか。時期は黄金週間(ゴールデンウィーク)が過ぎた次の日曜日、皐月(ごがつ)の第二日曜日、所謂母の日である。此処で今更な情報を伝えておくと、当時の僕は両親との折り合いが悪かった。今でも仲良し小好しと言う訳では無いが、当時は特に不仲で、生活態度や成績に関して御小言を戴いては其れに反発していた物である。まあ、遅れて来たの反抗期と言う奴なのだが、そんな僕が母の日に何かをする訳も無く、部屋で休日を満喫していた所に妹達が来襲。母の日の御祝いをすると言う彼女達を疎ましく思い、ついつい減らず口を叩いてしまったのを皮切りに大喧嘩へと発展してしまったのだった。妹の最後の言葉ーー『そんなんだから兄ちゃんは、いつまでたっても大人になれないんだよ』と言う台詞に何と返したかも覚えていなくて、不貞腐れて部屋を飛び出して自転車に跨がって漕ぎ続けていたら、何時の間にか第三穂綿学園に辿り着いていた。習慣とは真に恐ろしい物で、二年と一ヶ月一寸(ちょっと)通い詰めた道は無意識の内に僕の足が向かう場所になっていたのだ。

 辿り着いたのは夕方には未だ少し早い時間だったのだが、何をする訳でも無く(ただ)単に呆けていたら、知らぬ内に日は傾き、夕日すら沈み、星が瞬き始めていた。雨止みを待つ下人の様な感傷主義(センチメンタリズム)に侵された訳では無いが、取り留めの無い事を考えては打ち消して、風に吹かれる木々の音を聞くとは無しに聞いていたーー詰まりは、途方に暮れていたのである。其れもそうだろう、突発的に部屋を飛び出した所為で財布も携帯電話も置き去りだし、家に帰ろうにも其処には眥裂髪指(しれつはっし)の妹が待ち構えているのだ。()いでに言えば、家出をする様な度胸も当時の僕には無かった。別に今なら有ると言う訳では無いのだが……兎に角、謝る気には未だなれず、家出をする勇気も無い僕は(まさ)しく途方に暮れていたのだった。

 不図(ふと)、風に(そよ)ぐ木々の音以外の草音が大きく響いた。がさがさと木陰が揺れ、飄然(ひょっこり)と黄色い飾紐(リボン)が現れる。どうやら何者かの頭部らしい其れは暗がりに紛れて良くは見えないが、恐らく少女の其れであるらしかった。頭帯(カチューシャ)に付いた飾紐が揺れるのは風の所為か、彼女が動く所為か、将亦(はたまた)其れ自体が意思を持っているのか……等と有り得ない想像を交えながら少女の動向を窺っていると、(やが)てそろそろと藪から這い出てきた。其の姿は背徳的で冒涜的で名状しがたい……と言う事は当然無くて、茶色掛かった黒髪を腰まで伸ばした幼さの残る小柄な少女だった。少女の見た目は控え目に言っても美少女で、強気そうな眼も、固く結んだ唇も整っていて、解語の花と称しても差し障りの無い程の美少女だった。

 そんな美少女が、夜の学校にいる。歳上らしく心配する気持ちと相反する様に、非日常染みた光景に心踊らずにはいられなかった。件の美少女はどうやら僕には気付いていないみたいで、辺りを少し窺う様な素振りを見せた後、閉じられた柵門を()じ登って校内に侵入していった。

 ーー扨、人と関わる事を良しとしていなかった僕だった訳だが、雰囲気に当てられたと言うか、惹き付けられる物を感じたと言うか、好奇心に負けたと言うか、言うなれば魔が差してしまった僕は彼女を追って校内に侵入してしまったのだった。

 暗がりを歩く彼女の後ろを気付かれない様に着いていくと、中等部の敷地に辿り着いた。中等部の校舎は高等部の校舎や総合棟と比べると(やや)古く感じる。此れは(かつ)て当学園が旧制高等学校だった頃の名残であり、中等部は其の頃の校舎を其の儘利用している為、旧時代的な古臭さを感じるのである。とは言え、旧制高等学校が廃止され現在の中等部に移り変わる際に、建て直しと迄はいかないが大規模な補修工事が行われている為おんぼろと言う訳では無い。しかし、中等部設立から高等部・大学部設立迄は十数年の空きがあるらしくて、時の流れに()って流行り廃りが移り変わり、お蔭で懐古風(レトロ)な雰囲気の中等部と近代風(モダン)な見た目の高等部と大学部と言う値遇反遇(ちぐはぐ)な印象を与える結果になった訳だ。

 そんな中等部の校庭に辿り着いた少女は、其の隅にある用具入れに向かって行った。何かしらの方法で鍵を入手していたのか、扉は呆気なく開き、彼女は其の中へ消えていった。しかし、其れっきりである。遠目から見ていた僕は、何時迄経っても少女が出て来ない事に不安を感じ始めていた。実際は其れ程時間は経っていないのだろうが、暗がりの中に一人でいると、狐にでも化かされたのではないかと言う気持ちにもなってくるのだ。其れに、若し幽霊でも狐狸の類いでも無いのであれば、少女が出て来ない事が心配である。

 

(中で何かあったのかもしれない)

 

 そう考えた僕は倉庫に近付いた。

 人との関わりを極力避けている僕ではあったが、問題が発生した時に相手の心配をする程度の良識は持ち合わせていたので、其の足取りは若干駆け足である。近付いて見ると、混凝土(コンクリート)製の壁と重厚な鉄製の扉は薄汚れて(くす)み、奇妙な存在感を放っていた。実物を見た事がある訳でもないが、伏魔殿と言う物は此の様な雰囲気を纏っているのではないかと思えた。ごくりっと生唾を呑み込んで、意を決し取手に手を掛けた其の瞬間、ゆっくりと其の扉が勝手に開いた。いや、勝手にと言うのは正しくないだろう。内側から少女が其の扉を開けたのだ。

 

「……………………」

 

「……………………」

 

 沈黙。無言。静寂。閑静。無音。

 気不味さや安堵やらで言葉もない僕と、驚きで声が出ない様子の少女。御互い見詰め合う事数十秒、先に動いたのは少女の方だった。じろりと不審気に僕を睨むと、溜息一つ吐き捨ててから口を開いた。

 

「あんた何、不審者?」

 

 出会って直ぐに不審者扱いとは途んでも無い誤解である。確かにこんな時間に彷徨(うろつ)いていたらそう言う輩に遭遇する事も有り得るだろうが、中等部と高等部の違いはあれど僕は此の学園の学生であるし、不審者と言える程に怪しい格好はしていなかった筈だ。とは言え、うら若き乙女が人気の無い暗がりで歳上の男性に遭遇すれば、警戒してしまうのも致し方無い事でもあるのだろう。そう言った理由を察した僕は、頬が引き攣りそうになるのを抑え乍ら少女に声を掛ける。

 

「いきなり不審者扱いはやめてくれないか? 一応僕は、この学園の生徒なんだが」

 

「あら、そうなの? にしても、見たこと無い顔ね」

 

「一昔前の不良みたいな物言いだな。お前は中等部だろ? 僕は高等部だから、見たこと無いのは当たり前だ」

 

「なんで高等部の人間が中等部の敷地内にいるのよ」

 

「お前が入っていくのが見えたから、着いてきたら此処にいた」

 

「夜中に女子中学生の後を着いてきたの? やっぱり不審者じゃない」

 

「……………………」

 

 正論だった。一連の流れだけを聞けば間違いなく其の通りだった。しかし、其処には好奇心や憂慮等の感情はあれど、彼女に何かしよう等といった邪な感情は抱いていなかった訳で、行動は兎も角も精神性に関しては一般的な常識に乗っ取っている物であると言い切れる。とは言え、悲しいかな此の現代社会に於いては客観的事実のみが取り沙汰されるので、僕の老婆心ながらの行動は僕の為人(ひととなり)を知らない者からすれば不審者の其れと相違無いのだろう。其処で僕は、対話によって警戒心を解くと言う方法に出る事にした。要は話を逸らす事なのだが、其の時の僕は家出少年と差異が無いので、冤罪で通報等されてしまっては面倒此の上無い事になってしまう。通報を免れる為と言う何とも情け無い理由ではあったが、必要に駆られて再び彼女に声を掛けた。

 

「オーケー、ならば身分を明かそうじゃあないか。僕は西緒維新、西狩獲麟の西に千緒万端の緒、維新志士の維新で西緒維新だ。この第三穂綿学園の高等部三年生で、部活には所属していない」

 

 急に自己紹介を始めた僕に対して、少女は怪訝な視線を向ける。其の儘、数秒程の時間を掛けて僕を観察するように見ていたが、漸く“へ”の字に結んでいた口を開く。

 

「何のつもり?」

 

 何の心算(つもり)とは何だろうか? と言うのは野暮だろう。要は急に自己紹介など始めてどう言う訳だと言うのだろう。

 

「何も大した事じゃあないさ、僕が怪しい者ではないと言う証明に自分の名前と所属を明かした訳だ。これで少なくとも“不審”者ではなくなった訳だ」

 

 自慢気な表情の僕に向ける視線が怪訝な物から、段々と白けた物に変わっていく。どうやら僕の理論を彼女は気に召さなかった様だ。

 

「じゃあ、不審者じゃなくて変質者ね」

 

「悪化してるじゃないか!」

 

 真逆(まさか)の格下げに声を荒立てる僕だったが、彼女の冷ややかな視線は変わらず、寧ろ呆れた様な溜息も追加で吐いてきた。随分と不躾な態度ではあったのだが、下手に刺激をしても良くないと我慢し乍ら黙っていた所、白眼視は其の儘に少女が口を開いた。

 

「……谷河流よ」

 

「え?」

 

 急に言われた所為で脳の処理が追い付かず、思わず変な声が漏れてしまった。すると少女の視線が少し(ばか)り鋭くなる。どうやら、僕の返答が気に召さなかった様だ。とは言え、出会ってから彼女の気に召された事は未だ無いのだが。

 

「だから、谷河流よ! あたしの名前! あんたが名乗ったんだから、あたしも名乗らないと不公平でしょう!?」

 

「あ、ああ、そういうことか」

 

 こんな事に公平性が必要なのかと言う疑問が浮かんだのだが、少し機嫌が斜めになってしまった彼女を見て余計な事は言うまいと当たり障りの無い返事をした。其の返答に、何が面白いのかニヤリとした不敵な笑みを浮かべた少女ーー谷河流は、月夜の下に有り乍らに太陽の様な熱と光を発している様に僕は錯覚してしまっていた。

 此れが、後に僕の友人となる美少女ーー谷河流と此の僕ーー西緒維新の初邂逅なのであった。

 

 

 

 そして、其の谷河との邂逅を果たした僕が何をしたかと言うと、白線引きを片手に校庭に謎の図形を(えが)かされていた。因みに、当の谷河は朝礼台の上に立って右だの左だの捻りを加えろだの指示を出すだけで一切手伝う素振りを見せなかった。

 

「なあ、これになんの意味があるんだ?」

 

「黙って手と足を動かしなさい」

 

 此の調子である。気難しそうな表情で何かを考える様な格好(ポーズ)を取り乍ら指示を出す谷河と、言われるが儘に校庭を縦横無尽に走り回る僕と言う光景は、僕らが出会ってからの時間の短さや年齢差とか其の時の時間帯等を差し引いても異様であったろう。古びた白線引きが、きぃきぃと耳障りな音を立てるのを聞き乍ら谷河の指示通り走り回る事数十分、僕達の目の前には立派な………………何だろうか? 秘露(ペルー)に在ると言う某地上絵も斯くやと言う謎の図形が画かれていた。

 一仕事終えた僕は谷河と並び、朝礼台に腰掛けて一息吐いていた。謎の地上絵を眇め乍ら僕は、図形の設計者(デザイナー)である谷河に声を掛けた。

 

「なあ、さっきも訊いたけど、これには何の意味があるんだ?」

 

「………………教えない」

 

 少しの躊躇いの後で、谷河はそう答えた。此れだけ苦労したのだから、僕にも知る権利くらいは有りそうな物だが、横目で見た谷河の表情を見て、抗議の声は引っ込んでしまった。何とも言い難い、哀惜とも憤慨とも取れる、しかし何方とも言えない複雑な表情をしていたからだ。事情の知らない僕が言える事は、其の表情からは達成感等の肯定的な感情を読み取れなかった事くらいであろう。

 

「………………ねえ」

 

 歯を噛み締める様にしていた口を開いた彼女は、僕や折角画いた地上絵を見る事なく、星空を見上げながら声を掛けてきた。其の表情は依然として複雑な儘である。

 

「どうした?」

 

 事も無げに返した僕を、矢張彼女は見る事も無く、僅かな逡巡の後に口を開いた。

 

「……あんたは、宇宙人っていると思う?」

 

 ………………深刻そうな顔をして何を言うかと思えば、随分と馬鹿馬鹿しい問い掛けが来たものだ。そんな物の答えは決まりきっている。質問自体が無意味(ナンセンス)だと言えるだろう。

 

「いるんじゃないか?」

 

 谷河が驚いた様な表情で此方を向いて来る。信じられない様な物を見る眼で僕を見ながら、(やや)震えた声で問い掛けてくる。

 

「なんで……どうして、そう思うわけ?」

 

「だって、見たことがないからな」

 

 訳が分からないとでも言いたげな谷河に、僕はニヤリとした笑みを浮かべて見せる。

 

「普通は逆じゃない? 見たことがないなら信じないと思うけど」

 

「それこそ“逆”だよ、見たことがないから否定が出来ないんだ。この目で見て、偽物だと暴いたのであればともかく、確たる証拠も無いのに存在ごと否定するなんて酷い話じゃあないか」

 

 それに、と僕は付け加える。話の続きを真剣な眼差しで待つ谷河。其の視線に僕は、奇妙な居心地の良さを感じてしまっていた。何時くらい振りであろうか、他人と言葉を交わすのが此れ程楽しく感じられたのは。此の頃の僕は家族以外だと担任の按田教諭か『風見鶏』の女主人(マスター)の叢山女史くらいしか殆ど会話をしていなかった様に思う。だからこそ、年の近い、年下の此の少女との会話に愉しんでいると言う事に少々の驚きと、新鮮さを感じていた。

 

「それに?」

 

 焦れた様に聞き返してくる谷河に僕は笑顔で言ってやる。

 

「ーーその方が面白いじゃあないか」

 

 僕の言葉に面食らった表情をする谷河。お互いに無言の儘に数秒が経ち、眼をぱちくりさせていた彼女は、不意に柔らかく微笑んだ。

 

「そうね、そのほうが面白いわ」

 

「ああ、面白いことは大事だ」

 

 お互いに然も可笑しそうに笑い合って、朝礼台の上で立ち上がった。僕と彼女の距離は先程迄と比べると、幾らかは近くなっていた。少しは心を通わす事が出来たのだろうか? 少なくとも、今の彼女は僕の事を不審者扱いはしないだろう。変質者扱いについては……まあ、誤解は(いず)れ解けるだろう。そんな事を思いながら谷河を見ると、先程の柔らかい笑みではなく、悪戯をする子供の様な笑顔を浮かべていた。

 

「ねえ、ニ砂糖」

 

「“しお”の所だけ拾って器用に間違えるな、僕の名前は西緒だ」

 

「失礼、噛んじゃったわ」

 

「違う、(わざ)とだ」

 

「そんなことはどうでもいいのよ」

 

 よくねえよ。不平を口にしようとした僕だったが、先に口を開いた谷河に遮られてしまう。

 

「あんたには、あたしの目的を教えてあげるわ!」

 

 ぐいっと顔を寄せてきた彼女に対して、僕は少し許り(たじろ)ぐ。そんな此方の様子等気にも留めずに、輝く瞳に星を写し、然も愉快だと言わん許りの笑顔を浮かべた。

 

「あたしの目的はね、この世界の何処かにいる宇宙人、未来人、超能力者を探し出して一緒に遊ぶことよ!」

 

 一瞬、ほんの一瞬だけ、呼吸が止まった。理由は何だろうか? 彼女の愉しげな笑顔の所為か、突拍子の無い発言の所為か、将亦(はたまた)彼女の台詞にあった()()()()と言う言葉の所為か。恐らくは全てだろう。

 

「…………超能力者ではなくて、異能力者じゃあ駄目なのか?」

 

「ダメね」

 

 即答。

 

「超能力の方が、何て言うか、そういう限定的なのじゃなくて、万能な感じがするじゃない? なんでも出来そうな感じ」

 

 要領を得ないが、取り敢えず、僕では彼女の期待には応えられないらしい。残念な様な安堵した様な複雑な気持ちで彼女を見ると、相手も僕の方をじっと見詰めていた。

 

「という訳で、あんたも協力しなさい」

 

「…………まあ、乗り掛かった船だしな、暇潰し程度には付き合ってやるよ。代わりにといってはなんだが、この地上絵の意味を教えてくれないか?」

 

 僕の言葉に眉を(ひそ)めた彼女は、短い溜息を吐く。

 

「そんなに知りたいの?」

 

「ああ、気になりすぎて今夜は寝られなさそうなくらいだよ」

 

 大袈裟ね、と苦笑してから谷河は大きく手を広げて見せた。

 

「これはね、メッセージなの」

 

「メッセージ? もしかして宇宙人にか?」

 

「察しがいいじゃない」

 

 ふふんと上機嫌に鼻を鳴らすと、谷河が夜空を見上げる。釣られて僕も満天の星空を見上げると、改めてその迫力に息を呑む事になった。山の中腹に建てられた此の学園は、どうやら天体観測には絶好の場所(スポット)のようだった。

 

「あたしはこの宇宙の何処かにいる誰かにメッセージを送ったの」

 

 星空を見上げ続ける谷河の横顔を見る。それは、先程迄の笑顔ではなく、最初に図形の意味を尋ねた時の複雑な表情だった。

 

「あたしは此処にいるって」

 

 そういった彼女の言葉に何処か湿り気を感じた僕は、何も言えずに彼女の横顔を見詰めているだけになってしまっていたのだった。

 

 

 




 まずは謝辞を。

 七刀さん、ばんぐらすさん、花蕾さん最高評価ありがとうございます!
 じょんがりさん、妄想枕さん、クッキー&バニラさん、本気さん、ませうさん、お昼ご飯さん高評価ありがとうございます!
 ちはやふうさん、mattaroさん、ライオギンさん、このよさん評価ありがとうございます!

 前回の更新の際にも言いましたが、お名前が変わっただけと言うかたは言っていただければありがたいです。
 評価をくださったかた以外にも、お気に入り登録してくださった方、しおりを挟んでいてくれる方、読んでくださった方、誤字脱字報告をしてくれる方、色んな人のお陰で細々とですがやれてます。ありがとうございます!

 さて、今回書くのが早かった理由は、読んでくれた方は大体察していただけるかも知れませんが、内容が「化物語」つばさキャットと「涼宮ハルヒの退屈」笹の葉ラプソディのパク……オマージュだからですね。ですので、次回はもうちょっと掛かるかも知れませんが、気長にお付き合いください。それでは、また次回会いましょう!


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拾玖章

 難産でした……。一回一回の執筆時間が短く間も開くせいで、思うように書けなかったり、文章に対する自信の喪失(もとより強い自信はありませんでしたが……)などが原因で中々書けなかったです。一番はやはり活字に触れる時間が減ったのが原因でしょう。さて、誰も私の言い訳など求めてはいないでしょうし、本編をどうぞ。



「なんでお前が此処にいるんだよ」

 

 翌日の放課後、高等部の校舎を出た僕の目の前に仁王立ちする谷河流がいた。腕を組み、少し不機嫌そうな表情をしていた谷河は、僕を見据えて人差し指を向けた。探偵が犯人を告発する様な、若しくは幽波紋(スタンド)使いの高校生の様な、将亦(はたまた)若しくは特徴的な髪型の弁護士が異議を申し立てる時の様な格好(ポーズ)を取った彼女が其の儘口を開く。どうでも良い事なのだが、あの電脳遊戯(ゲーム)の世界の警察は何故ああも杜撰な捜査で赦されているのだろうか? 世界的に見ても優秀である我が国の犯罪検挙率は殺人や放火等の所謂凶悪犯罪に限って言えば八割を越えるし、更に殺人に到っては其の検挙率は九割を越える程だ。僕の両親は警察官と言う話を何時かだか話したとは思うが、家でゆっくりしている所を見掛けるのが珍しい位には其処此処と忙しなくしているので、もう少し優秀な所を見せ場として作ってあげて欲しい物である。飽く迄も創作(フィクション)の中の世界の話に長々と突っ込んでも仕方がないので、此処いらで閑話休題としよう。

 

「遅い。罰金」

 

「遅いも何も待ち合わせとかしてないだろ」

 

 呆れた様に返す僕に彼女の表情の不機嫌さが更に増したようだった。眉間に寄った皺が深くなり、目付きが鋭くなる。柳眉倒豎(りゅうびとうじゅ)と言う言葉があるが、女性が、()してや谷河の様な美人が怒りを顕にすると僕達男にとっては特別に畏怖を覚えると言う事は大昔から変わっていないのだろう。其の結果、思わず気圧されてしまいそうになってしまうのも仕方の無い事だろう。

 

「じゃあ、死刑ね」

 

 目が游ぎそうになるのを必死に抑える小心者の僕に対して、白く冷たい視線と、それと同じ位に冷めた声で谷河が告げる。

 

「刑罰重すぎるだろ!」

 

 思わず突いて出た大声で周囲の視線を集めてしまう。其の視線に居たたまれなさを感じた僕は、咳払いを一つしてから、少し声を抑えて谷河に話し掛けた。

 

「それで、結局何で此処にいるんだよ?」

 

「あんた、昨日言ったことも覚えてないの?」

 

 はて、昨日の話と言うのは何だろうか? 等と白化(しらば)っくれる心算(つもり)はないが、其れと彼女が今此処にいる事が今一繋がらない。昨日はあの後、夜も更けてきたので帰宅する事になった。送っていくと言う僕の厚意を断った彼女は、替わりにと言う訳では無いが連絡先を交換する事を提案してきたのだが、其の時の僕は携帯電話を家に置いてきていたので谷河の携帯電話に直接入力する羽目になったのだ。此処数年程連絡先を交換する機会など無かった僕は自分の携帯番号すら疎覚(うろおぼ)えであり、苦心惨憺(くしんさんたん)し乍ら宛先(アドレス)を打ち込んだのだったが、肝心の谷河の連絡先に関しては、帰宅し妹に怒られている時も寝る前も、其れ処か今此処に到る迄僕の携帯電話が鳴る事が無かった為に登録されていない。怪訝な表情を浮かべた儘で彼女を見ると、膨れっ面で僕を睨み付けていた。

 

「昨日、付き合ってやるって言ったのは嘘だったわけ?」

 

「いや、確かに言ったけど、連絡も無しに急に来るなよな。僕にだって都合ってもんがあるんだ」

 

 実際には予定など無かったのだが、相手に言われるが儘と言うのも癪に触るので、ついつい当たりが強くなってしまうのだった。すると、過熱(ヒートアップ)加熱(ヒートアップ)を重ねた彼女が、掴み掛からん(ばか)りに僕に詰め寄って来て怒鳴り付ける。

 

「何よ、その言い種は! あんたには誠意ってもんがないの?」

 

「なんだよ誠意って、そんなもんが必要な話か?」

 

 僕の物言いに呆れ半分落胆半分と言った表情で溜息を吐いた谷河は、首を軽く振ってじっとりと半眼で僕を見ると、少し表情を歪めて見せた。くるくると変わる表情に辟易とし乍ら言葉を待つ僕に彼女は、不満を隠す事なく口を開く。

 

「呆れる程の甲斐性の無さね」

 

「誠意の次は甲斐性無しと来たか、大体だな……」

 

 其処で言葉を区切ったのは態とでは無い。周囲からの視線に気付いて言葉が止まったのだ。視線を谷河から外し周囲に向けると、其処にいる人間の殆どが足を止め此方を見ていた。総じて、僕達を奇異な物を見る様な視線を向けており、心做しか其の視線には侮蔑の色が混ざっている様に思えた。

 視線が合うとさっと逸らされる。そんな遣り取りを数回行ってから、思い当たる節を考えてみる。

 

『付き合ってやるって言ったのは嘘だったわけ?』

 

『あんたには誠意ってもんがないの?』

 

『呆れる程の甲斐性の無さね』

 

 さあっと自分の血の気が引く音が聞こえた気がした。可笑しい、此れでは僕が年下の女の子を(たぶら)かした上に、態々(わざわざ)会いに来た其の娘を粗雑(ぞんざい)に扱う屑男の様ではないか。少し青褪(あおざ)めた顔で谷河を見ると、彼女は肩を震わせて俯いていた。周囲の人間から見れば、悪い男に騙されて落胆、若しくは涙する少女に見えただろう。然し、僕は見逃してはいなかった、俯いた彼女の口角が、ニヤリと上がっていた事を。嫌な予感を覚えて彼女に向き直ると、彼女は顔を上げて今にも泣きそうな表情を()()()()()。止めなくてはならない、そう頭の中で警鐘が鳴るのを聞きながら彼女に声を掛けようとしたが、僕の行動は今一歩彼女に及ばなかった。

 

「あの夜の事は遊びだったの!?」

 

「分かった! 僕が悪かったから!!」

 

 誤解を招く様な言い方に、遊びだっただろうがと言うツッコミも入れられず、慌てて謝罪をする羽目になった。其の時の彼女の勝ち誇った様な表情を、僕は未だに忘れてはいない。

 

 

 

 

 

 (さて)、周囲の異質な視線に堪え切れなくなった僕は、谷河を連れて山の麓にある公園に来ていた。道中にある自然公園でも良かったのだが、そちらでは人目に付きやすく、先程の騒動を眼にした人間に再び見られてしまう可能性があった為、通学路を外れた此の公園に来たのだが、別に悪い事をしている訳でも無いのに人目を避けなくてはならないと言う現状が酷く虚しく、惨めであった。

 煤けて汚れた真鍮か何かの金属で造られた名板(プレート)に書かれた「浪白公園」の読み方は、『なみしろ』で良いのか、将亦『ろうはく』と読む()きなのか判別は着かないが、掠れた文字の読み仮名を読み取る事が出来ない以上正解は解らないし、此れから語る内容には()して関係が無いので脇に置いておく事にする。

 僕に打ち勝ったのが嬉しいのか先程より少々機嫌の良い谷河を見ながら、僕は公園の隅に設置されている鞦韆(ブランコ)に腰を掛ける。ぐるりと周囲を見渡して見ると、隅の方に小さな砂場がある位で、僕の腰掛けている鞦韆以外の遊具は見当たらなかった。余りの遊具の少なさに物悲しさを覚えたが、きっと此の話が動画(アニメ)にでもなれば桔槹板(シーソー)雲梯(うんてい)等が建ち並ぶ賑やかな公園に描き換えられている筈なので気にする事はないだろう。

 

「で、結局僕に何の用があるんだ?」

 

 そんな僕の台詞に谷河が呆れた様な視線を送ってくる。まるで馬鹿を見るかの様な冷やかな眼の儘で谷河が口を開いた。

 

「そんなんで我がSOS団団員ナンバー002番が良く務まるわね」

 

「そんなもんになった覚えはねえよ」

 

 何だよ其の怪しげな一団は。名前に救難信号(SOS)を掲げてる団体になんて入りたくないし、そんな研究所員番号(ラボメンナンバー)みたいに言われても有り難みは皆無である。

 僕の返答が気に食わなかった様子の谷河だったが、直ぐに得意気な表情に変えると腕を組んで鼻を鳴らした。

 

「探しに行くのよ、宇宙人や未来人や超能力者を!」

 

 倒置法である。倒置法ーー文章等において、通常の語順と逆に語句を配置し修辞上の効果をあげる表現方法、と辞書にはある。印象としては、とある一定の年頃の少年少女ーー所謂中二病と呼ばれる病を発症する年齢ーーが好んで使うと言う偏った見解が僕の中にある。扨、思わず倒置法の説明をしてしまう程度には困惑してしまった訳だが、詰まる処は昨夜話した()()の話だろう。

 

『あたしの目的はね、この世界の何処かにいる宇宙人、未来人、超能力者を探し出して一緒に遊ぶことよ!』

 

 眼を輝かせて、そう語った昨夜の彼女を思い出す。然し乍ら、其れには問題が少なからずある。先ずを以て第一に手懸かりである。宇宙人やら未来人やら超能力者と言った類いの所謂空想科学(SF)小説に登場する様な(ともがら)が、何処にいるのか等と言う事は僕にはとんと見当も付かない訳で、言うなれば彼女に其の宛てが有るとも思い難い。問題は多岐に亘るが、目下其の問題が解決しなければ進展も何もあった物ではないので其処を直接訊いてみる事にした。

 

「どうやって探すんだ? 何か宛てがある訳でもないだろう」

 

「そうねえ……、まあ、適当にそこら辺にある物でも掴んでふりふりしたら出てくるんじゃない?」

 

「ゆけゆけ!!トラ○ルメーカーズかよ。と言うか良く知ってるな、そんな古くてマイナーなゲーム」

 

「あたしの中ではメジャーなのよ。複数人数でプレイするゲームが多い中、一人用ゲームって言うのも評価が高いわね」

 

「いやいや、一人用ならヨッ○ーストーリーとか色々あったろうに……」

 

「私、友達あんまりいなかったから流行りのゲームとか分かんなかったのよねえ」

 

 随分と悲しい事を言ってくれる。然し、確かに()の機体の作品は複数人数で遊ぶ事を推奨している物が多い。制御器(コントローラー)が四つ付けられるのが大きい処だろう。僕も昔は妹達と遊んだ物だが、携帯機が主流の昨今では肩を並べて仲良く遊ぶ、なんて事はしなくなった。そもそも、最近は余り電脳遊戯(ゲーム)自体をしなくなった気がするな……帰ったらやってみるか、等と考えながら谷河を見遣ると谷河が何かを差し出してきていた。

 黒い箱形に緑を基調とした色彩豊か(カラフル)な紙製の表裝(カバー)と控え目に光る鏡玉(レンズ)、安っぽい作りをしたそれは一般的に簡易写真機(インスタントカメラ)と呼ばれる物だった。因みに此の類いの写真機(カメラ)を簡易写真機と呼称するのは実は誤用で、簡易写真機とは撮影した直後に写真を現像してくれる写真機を指す言葉で、今僕の目の前で差し出されている物は鏡玉(レンズ)付き感光膜(フィルム)と言うのが正式名称である。然し、残念乍ら此方の名称は余り一般的には普及しておらず、誤用の方が広まっている。そんな安価な写真機を受け取ると同時に僕は首を傾げて見せる。何故其れを渡されたのかが理解出来なかったからだ。

 

「何だこれ?」

 

「使い捨てカメラよ」

 

「それくらい分かってるよ、僕が訊きたいのはそれを渡してきた理由だ。あと、その呼称はメーカー側は推奨してないぞ」

 

「細かい男ね、呼び方なんて何でもいいじゃない。……理由ね……それを使って怪しい物を撮りなさい、宇宙人とか未来人が写り込むかも知れないわ」

 

「心霊写真じゃああるまいし……」

 

「それはそれで面白いからアリね」

 

「アリなのかよ……」

 

 (まさ)しく何でも有りである。抑々(そもそも)、心霊写真だってそうそう簡単には撮れやしないのに、宇宙人や未来人を撮るのは容易では無いだろう。とは言え、宝籤(たからくじ)は買わなければ当たらないし、虎穴に入らなければ虎児は得られない。世の中には少なからず幽霊や宇宙人の目撃談があるのだから、下手な鉄砲数打ちゃ当たる方式に撮り続ければ、一つ位は奇妙な物が写り込むかも知れない。要は挑戦してみる事が肝要なのだ。挑戦無くして成功は掴めないのだから、谷河のやろうとしている事は(あなが)ち間違いと言う訳でも無いのだろう。

 そんな事を考え乍ら谷河から写真機を受け取ると、彼女の少し冷やりとした指先に触れた。末端冷え性なのかも知れない。と言った様な益体も無い事を考えている僕が、初めて彼女の身体に触れた瞬間だったと気付くのは数分後の事だった。兎も有れ、谷河流との二度目の邂逅は、勢いの着いた炭車(トロッコ)の様に性急で危なっかしく、尚且つ到着点(ゴール)の解らない物になったのだった。

 

 

 

 

 

 結論から言ってしまえば、僕達の探索は空振りに終わった。谷河は何処で調べて来たのかも解らない、市内の怪しげな場所(スポット)へ僕を連れ回した。廃工場に廃病院、廃校等の如何にもな場所を巡っていく。真剣に、けれども愉しそうに探索をする彼女と、本当に幽霊でも出そうな雰囲気にビクビクしながら彼女に着いていく僕は対照的で、傍目からは(さぞ)や滑稽に映ったであろう。そんな懦夫(だふ)と化した僕は谷河の指示で様々な写真を撮った。如何にも怪しげな物品や物陰から、何の変哲も無い瓦礫や野良猫の写真まで脈絡も意義や奇異の有無も無く、感光膜の残数が許す限り彼女の指示通り撮り続ける専属写真家(カメラマン)になっていた。そんな折、不意に気になり何の変哲も無い物を撮る理由を訊いてみた所。

 

「そんなことも分かんないわけ? いい? アイツらだってバカじゃないわ、如何にも撮ってやろうっていう奴らの前にのこのこ出てきたりしないわけよ。実際、古今東西の心霊写真やUMAの証拠映像なんかの撮影者は口を揃えて『何となくカメラを回してたら』何てことを宣っているわ。だけどね、私からするとなんてことない物を撮り続ける行為が既に怪しまれると思うのよ。だから、怪しげなものとそうでないものをバラバラに、不規則に、ランダムに撮って奴らの不意を突いてやるって作戦ね」

 

 と言う長文で返された。突っ込み所は多々あれど、成程と思わなくもない。言う為れば、道端の小石を蹴って側溝の穴を狙った所で中々入るものではないが、何となく蹴った小石が穴に入る事は間々あるものだ。谷河の言い分は其の状況を意図的に作り出そうと言うものだろう。更には、相手の心理面も考慮して不意討ち(フェイント)を仕掛けると言う二段構えである。けして成功率が高いとは思えないが、彼女なりの理論を持って導き出した答えを対案も無しに否定は出来ない。其れならばと僕は撮影係の仕事に勤しんだのであった。然し、先にも述べた通り、僕達の第一回不思議探索(命名は谷河)は空振りに終わる。別に特別な事があった訳ではない、其の日は何も見付からず、後日、谷河が現像してきた写真を見ても何も映っていなかっただけである。結局は何も見付からなかった事に谷河は不服そうではあったが、『風見鶏』で主人(マスター)お手製の洋生菓子(ケーキ)を奢ってやると、少しは機嫌が良くなった。主人に谷河との関係を訊かれたが、友人だと短く告げておいた。其の際彼女は少し驚いた様な表情を見せた後、意味有り気な、然し優しい笑顔を浮かべて店台(カウンター)の向こうに戻って行った。彼女の性格からして揶揄(からか)われるとばかり思っていた僕は少し肩透かしを食らった気分に為りつつも、其れが彼女なりの気遣いだと気付き、感謝の念と共に洋生菓子を食べる。ふわりと広がる凝乳(クリーム)の甘味と生地(スポンジ)の間に挟まれた果実(フルーツ)の甘酸っぱさが心地好い。何より作った人物の人間性を再現したとも言える、包み込まれる様な安心感を覚える味だ。

 

「……諦めないわよ」

 

 菓子に舌鼓を打っていると唐突に谷河が呟いた。少し俯き加減だが、確かに強い意思を感じる声と表情だった。

 無意味とも思える事に全力を尽くせるのが学生の特権であると、何かの小説で目にした記憶がある。然し、彼女の其れは、そう言った前向きで愉しげな物とは違った雰囲気を持っていた。何か追い詰められた様な必死さに違和感を覚えつつも、僕は其の理由を訊ねる事は出来なかった。

 其れは、少なくとも『一緒に遊ぶ』と語った彼女の愉しげな表情とは全く違うものだった。屹度(きっと)何か、彼女の中で二律背反の様な何かがあるのかもしれない。『宇宙人や未来人や超能力者を()()()()()()()()()()()』と思う気持ちと『宇宙人や未来人や超能力者を()()()()()()()』と思う気持ちが彼女の中にあって、其れは自分の中でも整理が着いていないのだろう。だから、彼女は良く表情が変わる。愉しげな表情も辛い表情も直ぐに顔に出る。ともすれば顔に出過ぎて、複雑な表情に為りがちな訳だが、そうなってしまえば其の感情は逆に読み取りにくくなる。其れは今、此の瞬間もそうであり、彼女の其の強い意志が何に基づく物なのかを僕は理解が出来なかった。

 口の中を甘くする菓子も、空気を甘くする事迄は出来ず、黙々と口を動かすだけになった。

 

「……次は、何か見つかるといいな」

 

 明らかな気休めである僕の言葉に谷河は少し不機嫌そうに頬を膨らませるだけだった。どんな言葉を掛けるのが最適解だったのか、僕は未だに解らないでいる。長かった独りでの日常が彼女の内面に踏み込むのを躊躇わせたのだろう。そして、僕は其れを今なお後悔している。では、踏み込めたから何だと言うのか、彼女を救えたとでも言うのか。当然ながらそうではない。そうではないのだが、何も出来なかった事にも、何もしなかった事にも未だに後悔しているのだから、一つくらいを軽減しておきたいと言う只の我が儘だ。其れが彼女に対して不実であると知りつつもそう願わずにいられないのは僕の持つ歪みなのだろう。

 ただ、此の時の僕は未来にそんな思いを抱くとも知らず、居心地の悪さを感じながら珈琲を啜るだけだった。




 そろそろ恒例と言ってもよろしいでしょうか? 謝辞の時間です。

涅槃にるゔぁーなさん最高評価ありがとうございます!
astarothさん、byakheeさん、ねじまきドラゴンさん高評価ありがとうございます!
セリヌんティウスさん、ハーフシャフトさん評価ありがとうございます!
 また、新たにお気に入り登録してくださった方々、本当にありがとうございます!
 日々の生活で荒みそうになる気持ちが、皆さんのお陰で救われています。大袈裟ですかね? でも、これがあるから書くことを辞めないんだと思います。本当にありがとうございます!

 しかし、今回は本当にクオリティーが酷いですね……文章も構成も雑と言うかなんと言うか……つ、次こそは皆様の期待に添えるものを! それでは、また次回とか!


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貳拾章

 正月休みを使って書ききりました。やはり、集中して一気に書く方が性に合っているようですね。前回に比べれば良く書けていると思うのですが……。


 (さて)、長らく続いた過去編も此処いらで終わりにしようじゃあないか。過去編を長々とやり続けるのは作品の迷走と人気の低迷を招きかねないからな。僕の語る此の(ものがたり)が人気かどうかは置いとくとしても、彼女に関してーー谷河流に関して語る(べき)事が其れ程多くはなくなってきたのも一つの理由だ。

 そんな僕達の物語は、最初に述べた通りの失物語(うせものがたり)だ。故に、幸せな結末(ハッピーエンド)は無く、曇天(どんでん)返しも無く、劇的(ドラマティック)でも無い。僕達の普通の物語は、普通に悪い結末(バッドエンド)を迎える事になる。其れは当然の帰結であるとも言える。普通の僕達には普通の物語が用意されており、そして、異常でもある僕には非情な結末が待ち受けているのである。普通に不通な、一般的だが逸般的な、普遍的で不変的な、異常であり異状な僕達は始めから噛み合う事はなく、(しか)して其れに気付く事も無く緩やかに終焉をーーいや、終演を迎えるのだ。悲劇と言うには陳腐で、喜劇と言うには救いのない、下らない三文芝居の幕を降ろそう。喜劇すら満足に演じきれない哀れな狂公子(ハムレット)滑稽劇(バーレスク)に徹する他無く、大根役者の汚名に甘んじつつも安価(チープ)で陳腐でちんけな芝居を続けるしかないのである。

 然し、大仰に言った所で此れは所詮猿芝居だ。観客を退屈させるだけの劇に価値は無い。成らば、此れは僕の独り善がりの独り語りの独り芝居という低俗で(ろく)でも無い笑劇(ファルス)だろう。其れではご覧あれ、愉快痛快とは程遠い、不快後悔の物語。

 

 

 

 

 

 

 初めての不思議探索から四ヶ月が経とうとしていた。此の四ヶ月の間、特筆して語る(べき)事はなく、穏やかで緩やかな日々が流れていた。僕達の活動に新規参入者はなく、週に二、三回程の不思議探索を行い、空振りに終わっては『風見鶏』で僕が菓子(ケーキ)と珈琲を奢ると言うお決まりの流れ(ルーティーン)が出来ていた。夏休みには其の頻度は少しは上がりはしたものの、受験生たる僕はーーと言うより内部進学が絶望的であると自己判断した僕は、大学受験の為に勉強を本格化しなくてはならなかった為、毎日と言う事にはならなかった。無人島に行ってみたいだの、映画を撮りたいだの無茶を言い出す谷河を宥め(すか)しつつも僕達は楽しく日々を過ごしていた。谷河に関しては想像の範疇を出ないが、少なくとも僕は楽しかった。数年振りに出来た友人と他愛も無い事を話してみたり、宛もない探し物をするのが確かに楽しかったのだ。

 そんな僕達に、決定的な問題が生じたのが此の時期である。夏休みも終わり、冷夏と言われた其の年の熱気を取り戻すかの様な、厳しい残暑の続く九月の前半。冷夏冷夏と報道(ニュース)では騒ぎ立てつつも、夏が暑い事に変わりはなかったと言うのに、其の上で残暑も厳しいのではやっていられないと辟易し(なが)ら自転車で通学路の山道を登る新学期。其れは何時(いつ)もの有り触れた愛す可日常の一つではあったのだが、其の日の放課後に僕は、常とは異なる行動を取ったのだった。常とは異なるのは異常である。異常と言うには大袈裟だが、常には(あら)ざる非常と言っても大仰に聴こえる。取り敢えずは、少なくとも無常では無いだろうと言う事だけは言える程度の言語知識しか持ち合わせていない僕の戯言だ。

 此の四ヶ月、谷河は欠かさず僕を高等部の校舎迄迎えに来ていた。初めは何事かと奇異の視線を向けていた周囲の人間も、一ヶ月、二ヶ月と過ぎる度に慣れていき夏休みを挟んだとは言え四ヶ月も経つと日常の風景として其れは溶け込んでしまっていた。僕は終礼が終わると共に直ぐに校舎を出ている心算(つもり)なのだが、何か不思議な力でも働いているのか、常に彼女の方が先に其処に居たのである。然し、其の不思議な力と言う物は偶発的で、どうやら必定の物では無かったらしい。何故なら其の日、彼女は其処に居なかったのだから。

 珍しい事も有るものだと内心驚きつつも、偶にはそう言った事も有るだろうと奇妙な納得も有り、唯茫乎(ぼんやり)と彼女が何時も立っている辺りを眺めていたのだが、不意に思い立って歩みを進める事にした。足が向くのは中等部校舎の方角。そう、偶には僕から谷河を迎えに行っても良いのでは無いだろうかと思ったのだ。

 中等部の校舎は総合棟を挟んで真反対にある。同じ敷地内に大学部も有るのだが、其れは其れでまた別の入口と管理棟が設けられていて、中高等部の面々とは関わりが少ない。兎も有れ、広い敷地を持つ我が学舎(まなびや)に嘆息し乍ら、からころと自転車を押して中等部に向かう。途中で擦れ違う事も有るかも知れないと思い、辺りを見回し乍ら歩いていたのだが、結局は谷河の姿を見付ける事無く中等部の昇降口付近迄辿り着いてしまった。そして、其の場で待つ事数分、昇降口から出てくる中等部生達の奇異の視線を耐え続ける僕の前に遂に待ち人が現れる。其の待ち人たる谷河は、僕を見付けると一瞬はっとした様な表情を浮かべて、直後に不機嫌な表情になると、ずんずんと僕の近く迄歩いてきた。

 

「やあ、谷が……」

 

「ここには来ないで」

 

 きっぱりとした拒絶の言葉。彼女から此処迄強く拒絶されたのは初めてだったので、少しばかり眼を白黒させてしまう。そんな彼女の表情は、何時もの不機嫌さとはまた違い、表情は陰を帯び、顔色は少しばかり青褪めている。良く見ると、僅に潤んだ瞳が泳ぎ、落ち着きが無い印象を受ける。彼女の落ち着きが無いのは何時もの事であるが、こうも不安気な彼女を僕は初めて見た。其れは見ているだけで、此方迄もが不安に駆られて仕舞う様な感傷を、胸を掻き毟りたくなる様な情動を、頭を抱えたくなる様な困惑を呼び起こさせる表情で、率直に彼女には似合わないと思った。不図(ふと)気が付くと、周囲の視線が此方に向いていた。其れは確かに奇異の視線ではあるのだが、僕が先程まで感じていた物とは毛色が違い、生(ぬる)い気味の悪さを孕んだーー好奇と悪意の入り雑じった不気味な物で、単純に不快感を催す物だった。くすくすと僅に聴こえる忍び(わら)いが、にやにやとした嗤い顔が、ひそひそと漏れ聴こえる陰口が怖気を誘った。背骨に一本の氷柱(つらら)を差し込まれて仕舞ったかの様な寒気と、脳髄に熱湯を流し込まれて仕舞ったかの様な熱気が僕を襲う。其れは恐らく怒りだったのだろう。其の不躾な視線に、無遠慮な行動に、無作法な態度に怒りを覚えたのだ。集団と言う圧力が彼女に向かうのを見てーー当時の僕が蛇蝎の如く嫌っていた集団と言う悪意を振り撒く、()()()()()()()()()を見て頭に血が昇ったのだ。

 何か一言言ってやろうと一歩踏み出した瞬間、谷河の手が僕の制服の袖を掴んで引き留める。僕を引き留めている、震える小さな手を見て幾分か冷静さを取り戻す。そんな彼女の横顔を見ると、蒼白とも言える顔色になっていて、僕を一瞥する事も無く震える唇を開いた。

 

「……帰って」

 

「だけど……」

 

「帰れ!」

 

 突然の大声に周囲の雑音が消える。其れは実際に周囲の人間が黙った所為でもあるが、何より彼女の拒絶の言葉が僕の胸に突き刺さったからだ。物の数秒程度の沈黙の後、周囲の音が戻るーー先程より強い嘲笑を引き連れてだ。但し、僕はもう彼等彼女等に何かを言う気は……いや、気力は無かった。他者から向けられた悪意の持った視線や言葉よりも、谷河から向けられた拒絶の言葉が、其の刃が、僕の怒りも気力も安っぽい正義感さえも削り取って仕舞ったからだ。

 

「……帰りなさいよ……帰ってよ……」

 

 僕の服の袖を握り締め乍ら、弱々しく呟く彼女の姿を見て、僕の胸に後悔の波が押し寄せる。其れは多分、しても仕方が無い後悔だ。故に此の感傷に意味は無く、此の感情を消す事も出来ない。僕の軽率な行動が彼女を傷付けたと言う事実だけが、頭の中に残っていた。今、此の状況は、彼女ーー谷河流が僕ーー西緒維新に見られたく無かった光景で、触れられたくなかった事実で、遠ざけていた現実だ。

 ーー谷河流には友達がいない。少し考えれば判りそうな物であるが、間抜けにも僕は其の考えに到ってなかったのだ。大勢の友人に囲まれた人間が、宇宙人や未来人や超能力者を探して遊ぼう等とは思わないし、毎日の様に歳上の、其れも異性を誘って出掛けたりはしないだろう。そう、谷河流は学級(クラス)で……下手をすると、学年や学校単位で孤立しているのだろう。理由は判らない。いや、もしかしたら、理由なんて物は初めから無いのかもしれない。其れは何時だって理不尽で、此方の都合や感情なんて無視して襲ってくるのだから。そして、孤立した人間が周囲の輪に入る事は殆どない。周囲が迎合しないと言う事もあるが、何より孤立した本人が其の輪に加わる事を拒むからだ。

 

 だから彼女は求めたのだ。

 

 宇宙人を。

 

 未来人を。

 

 超能力者を。

 

 其れは、彼女にとっての救いだったのだろう。僕が(かつ)て諦め、突き放した其れを、彼女は諦めきれず、存在の不確かな彼等に求めたのだ。其れは、不確定で不鮮明で不安定で不明瞭で不定形で不可解で不透明で不可視で不可侵で不可逆で不穏当で不可測で不可知で不寛容で不覚悟で不完全な物だ。多くの人が当たり前の様に手にしつつも、僕達の様に其れを手にする事を苦手とする人間もいる。()れだけ手を伸ばしても掴めやしないのに、何時の間にかーーそう、喩えば、夜の校庭で星を見上げた時とかに、気付かない内に不図、手元に合ったりする。

 

 人はーー僕達は其れを“友情”と呼ぶ。

 

 然し、其れが如何に脆い物かを、僕達は知らない……いや、知っているのだ。知らず知らずの内に()っている筈なのだ。そして、素知らぬ顔をしているのだ。

 兎も有れ、彼女の表情を見た僕は、僕達の友情の終わりを悟った。彼女の隠し続けた其れは、僕が……いや、僕だけは見てはいけなかったのだ。

 

 

 

 

 

 一週間、谷河流は僕の前に姿を見せなかった。

 

 

 

 

 

 一週間、谷河流は連絡が着かなかった。

 

 

 

 

 

 一週間、谷河流に会おうと足掻いた。

 

 

 

 

 

 一週間後、谷河流が手首を切った事を知った。

 

 

 

 

 

 気に食わなかったーー彼女の周囲が。気に食わなかったーー彼女を貶めた連中が。気に食わなかったーー咎めなかった連中が。気に食わなかったーー何も出来なかった自分が。

 後悔と言う物の多くはしても仕方が無い物である。何故なら其れは、後悔と言う物は選択肢を与えられ、其れを選択した時に発生する。だから何を選択しても後悔する。選ばれなかった選択肢の亡霊だ。其の亡霊は僕達に取り憑き、憑いて周り、また他の亡霊を産み出し、取り込み、肥大化する。

 だから、僕は……。

 

「何処へ行く気だい?」

 

 凜とした、それでいて(とぼ)けた様な声。少女の様で少年の様な、中性的な声。気付けば目の前に真っ黒で円筒状の影法師(シルエット)が立っていた。鍔の無い黒い帽子と黒い肩外套(マント)、真っ黒の中に浮かぶ白い顔は嘆く様な怒っている様な、左右非対称の何とも奇妙な表情を浮かべていた。其の顔に見覚えがある気がしたが、思い出せない。多分、同級の女子だった様な気もする。だけど、彼女の事は知らないが、僕は()()を知っている。世界が危機に陥りそうになった時に浮かび上がってくる“奇妙な泡(ブギー・ポップ)”。

 

「何の用だよ角野……今はお前の相手をしている場合じゃあないんだ」

 

 僕の科白に対して、数秒の無言の後に影法師ーー角野浩平は脈絡もなく口笛を吹き出す。此れは彼のいや、彼女か? まあ、此奴に性別なんて有って無い様な物だ。兎に角、其れは角野の癖の様な物である。其れはとある派手好きで浪費家の作曲家が作った喧しい古典音楽(クラシック)。然し、其れは口笛であるが故に、何処か淋しげだった。

 

「退けよ」

 

「退かないよ、まだ質問に答えて貰ってない」

 

 質問。角野が始めに言った何処へ行くのかと言う問い掛けに、僕は答えなかった。答える気は無かったし、どうせ此奴は判った上で訊いているのだから応える意味もない。

 

「判っているのかい? 今の君は()()()()の一歩手前だ」

 

 世界の敵か……そんな大仰な者になる心算(つもり)はない。僕程度がなれるのは精々級友(クラスメイト)の敵程度の者だろう。いや、今から僕が行おうとしているのは社会の敵になりうる行為だろう。無論、其れが()()()()()()()()()()()ではあるが。

 

「《異能》を使う気だね」

 

 そう、僕の異能力(ちから)なら、露呈()れる事無く彼女の敵を消し去れる。未だ安定したとは言い難い力だけど、人の十や二十程度なら簡単に消し去れる筈だ。但し、其れを行う前に此奴に悟られたのは厄介である。此奴に僕の《異能力》は効かない……いや、此奴には大略(おおよそ)《異能力》なんて物は効かないのだろう。だから、純粋にど突き合うしかないのだが、そんな正面切って堂々と、何て物に乗っかってくれる程に優しい奴じゃあない。

 

「もう一度言う、退けよ。今の僕にとって大事なのは世界の敵なんかじゃあない。僕の唯一の友人である谷河流の敵だけだ」

 

 そう、僕は敵に成りに行くのではない。唯一の友人の味方に成りに行くのだ。其れを邪魔するのなら、喩え相手が命の恩人でも押し通る気概でいるのだ。此の角野浩平と言う人物と僕は少なからず因縁があり、其の強さを僕は良く知っている。然し、其れは身を引く理由には成り得なかった。

 

「やめておいた方がいい。君じゃあ僕には勝てないし、無駄に()()だけだよ」

 

 僕は角野を強く睨み付け、闘いの為の構えを取る。無論、格闘技を習っている妹と違って、ど素人の僕の取る構えなど無茶苦茶な物だが、しないよりは(まし)だろうと言う心持ちで相手に拳を向ける。其れに対して角野は温度を感じさせない瞳で僕を(すがめ)ていた。

 

「……残念だよ」

 

 瞬間、僕の右腕が掻き消える。いや、消えた訳ではない。切り飛ばされたのだ、此の一瞬で。互いに手の届かない距離にいる筈なのにだ。

 

「ぐ……ああああぁぁぁぁあああぁっーーーーーー!!」

 

 ーー絶叫。

 自分の口から出たとは思えない程の声量だった。出血。そして、遅れてくる激痛。

 血血血血血血血血血血赤赤赤赤赤赤赤血血血赤赤赤赤血血血赤赤赤赤血血血血血赤赤。噴水の様に噴き出る自分の血に視界が染まる。腕を押さえて激痛に耐えていると、視界の端にきらりと光るものが映る。角野お得意の鋼条(ワイヤー)()る攻撃だ。相手を拘束する事も、今みたいに相手の身体を切断する事も可能だ。痛みに顔を歪め乍らも強く相手を睨む。

 問題ない。()()()()()()。僕は角野に向かって走り、()()()()()()()()。然し、手首に鋼条が絡まり、其の動きが止まる。

 

「相変わらず、厄介な《異能》だね」

 

 淡々と眉一つ動かさずに言う角野に、僕は悪態を吐きたい気持ちを舌打ちだけで伝えて、全力で蹴りを放つ。然し、其れも角野に届く前に僕の右脚が切り飛ばされる。ならばと左手を振り上げると、左手が飛ぶ。右腕が飛ぶ。左脚が、腕が足首が肩が脚が指が太股が手首が脛が次々切り飛ばされて行く。其れでも僕は前に進む、()()()。角野浩平と言う、世界の敵の敵を名乗る僕の敵を睨み付け乍ら時に走り、時に這いずり、時に歩き乍ら前に進む。痛みで意識が朦朧とし始め自分自身の目的も危殆(あやふや)になり始めた頃に、角野の声が冷たく、然し判然(はっきり)と僕の耳に響いた。

 

「少しは頭を冷やしたまえ」

 

 角野の其の言葉を最後に僕の意識が飛ぶ。最期に視界が捉えたのは、首が切り飛ばされた自分の(からだ)だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 次に眼が覚めた時、日暦(カレンダー)の日付は二日後を示していて、

時間は夜中の一時だった。仰向けの視界に映る天井は自室の物では無かったが、使徒と戦う事で有名な男子中学生の()の名言を呟く気にはならなかった。其の儘の体勢でぼーっと天井を眺め続け乍ら頭の中では色々な事を考えていたが、其の大半は谷河の事で、彼女が今はどうしているのかとかどうにもならない事ばかりが浮かんでは消えていた。怒りに我を忘れて短絡的な行動を取った自分を恥じはしたが、矢張(やはり)納得はいかないでいた。どうすれば僕は谷河を救えたのだろうか? 其の時の僕はそんな思い上がった事ばかりを考えていた。そう……誰かが誰かを救える等と言うのは思い上がりも甚だしいのだ。人が人を救う事は無く、出来る事は其の手助けだけで、結果的に人は自分で助かる他無いのだろう。此の時の自問自答の中で、漸くそんな簡単な事実の入口に僕は立ったのだ。

 

 然し、其れでも……何かをしてあげたかった。

 

 手を差し伸べたかった。

 

 声を掛けてあげたかった。

 

 (ただ)、友達でいたかったのだ。

 

 然し、哀しいかな機会(タイミング)を逃してしまえば其れすらも難しくなる。知らず泪を流し、日が上る迄眠れなくて、気付けば其の日も傾き始めた頃に見舞いに来た妹に心配されたのだった。

 妹に詳しく話を聞けば、どうやら僕は貨物自動車(トラック)に轢かれたらしい。そうーーどうやら()()()()()()()()()()()らしかった。此れ亦随分と都合良く()()()物である。但し、都合の良かったのは此れだけだ。僕は谷河に手を差し伸べられず、谷河はそれっきり学校に顔を見せる事は無かった。思い返せば、僕は彼女の事を驚く程に知らなかった。家も、生い立ちも、教室での立場も、誕生日も、血液型も………僕をどう思っていたのかも……。何も知らなかったし、判ろうともしていなかったのだろう。彼女との唯一の繋がりである電話番号等の連絡先も音信不通となっており、彼女の家を調べようにも教師から不興を買っている僕では怪しまれて追い払われて終わりだった。何より、一度途切れてしまった繋がりを結び直す方法が判らなくて、受験を言い訳に僕は彼女から逃げたのだった。

 其れっきりで、其れだけの話である。僕と彼女の間に確かに有った何かは、其の何かは正体を知る前に失われてしまったのだ。山も意味もない、落ちすら曖昧な失物語。此れは僕が愉快痛快に活躍する話では無く、深い後悔をする物語だ。

 

 

 黒齣

 

 以降、現在ニ續ク。




 いかがでしたか? 物語中盤戦にして漸くアクションシーンが入るというどうしようもない小説ですが、楽しんでいただけたのなら幸いです。

 それでは恒例の謝辞を。
 新しくお気に入り登録してくれた方々、栞を挟んでくれた方々、読んでくれた方々、皆様のお陰で頑張れています。本当にありがとうございます!


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