砦の乙女は手厳しい (はなみつき)
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第一話 砦ノ男

注意
・突っ込みどころ満載かもしれませんがあまり気にしないでいただけたら幸いです。


 大地は荒廃し、海からは魚が消え、幾つもの国と言語が消滅するほどの大きな戦争があった……らしい。

 大断絶と呼ばれるその戦争は遥か昔の出来事として、人々にとってその戦争は記憶から記録になり下がっている。現在の人類の状況と過去の記録から察するに大断絶と呼ばれる戦争は確かにあったのだろうと考えられている程度の事だ。

 

 この国に数ある伝説の一つでしかない遥か昔の戦争など、歴史の授業でもないと思い出すことは無い。

 多くの国民にとって今晩の献立の方が関心度としては高いだろう。

 

 

 

 ここにもまた、大多数の例に漏れず今日の晩御飯をどうするか悩む人が居た。

 

「今日の夜ご飯は何にしようかしら?」

「俺的には肉が食いたいな。やはりお肉様は正義だ」

「そうね~、ヘークローさんの言う通りお魚にしましょう」

「……」

「……」

 

 ヘークローと呼ばれた男性と少女は無言で見つめあう。

 

 この部屋にいる人物は二人。

 そのためヘークロー……藤堂平九郎は同じ部屋にいる少女に今夜の食事の意見を請われたと思い返答した。しかし、彼女の決定はヘークローの希望に全く沿うものではなかった。むしろ、積極的に反対の事を言っているようにも思える。

 少女にとって彼の意見は大して重要でなかったようだ。いや、ある意味では一つの指標になっているのかもしれない。

 

「あの、もしもーし……フィリシアちゃん? 俺の話聞いてます?」

「お肉は昨日食べましたよね」

「あ、はい。すいません」

 

 フィリシアと呼ばれた少女はニッコリと、イイ笑顔でヘークローに言う。

 ここでは彼に献立の決定権は無いに等しい。

 彼の胃袋はこの場に居るフィリシアを含めた複数の少女達に握られているのだ。彼女達に下手にたてつけば今夜の食事が残念なことに成ることをよくわかっている。

 

 さて、この会話だけを見れば二人は妻と妻の尻に敷かれている夫にでも見えたかもしれない。

 しかし、実際には夫婦なんて言う甘い関係ではないし、この二人には明確な立場の差があるのだ。

 

 ヘルベチア共和国陸軍少佐藤堂平九郎。

 ヘルベチア共和国陸軍少尉フィリシア・ハイデマン。

 

 

 それが二人が持つ肩書きである。

 つまり、ヘークローは上司であり、フィリシアはヘークローの部下である。

 

 通常、軍という組織において上官に対してこんななめた態度をとれば厳しい罰を受けることは想像に難くない。

 だが、この基地においてそれは問題とならない。何故なら、この基地のトップである司令官はヘークローであり、そのヘークローが問題としないからだ。

 

 ヘルベチア共和国。

 大陸の東端に位置するこの国の名だ。

 ヘークローとフィリシアが所属する部隊はトロワ州セーズの街に駐屯し、第1121号要塞を拠点とする第1121小隊。

 彼らの役目は辺境の国境線防衛と警備である。

 隣国の正統ローマ帝国とは僅か二ヶ月前に暫定的に休戦したばかりであるため、ヘルベチアにとって国境防衛は重要任務と言える。

 しかし、第1121小隊が駐屯するセーズの街が接する国境線の向こう側は荒涼とした砂漠が広がるノーマンズランドであるため、第1121小隊に緊張感はゼロだ。

 

「魚……か……。な、なら焼き魚にしよう」

「ああ! 良いですね~。それじゃあ煮魚にしましょうか」

 

 せめて自分の好きな調理法方にしてもらおうとヘークローは悪あがきをするが、フィリシアは何食わぬ顔でその意見を却下する。

 

「……」

「……」

 

 ヘークローの表情は筆舌に尽くしがたい微妙な表情で、対するフィリシアは相変わらずニコニコとした表情で再びお互いに無言で見つめあう。

 

 まだまだ若い青年、とは言え今年で二十六歳のヘークローは年下のこの少女には逆らえない。

 心の中で溜め息をつきながらヘークローは思う。

 こんなことだから、腹黒だのなんだのと言われているのだ、と。

 

「ヘークローさん? 何か言いたいことでも?」

「なーに、君の夫になるであろう男性には同情を禁じ得ないと思ってね」

 

 ヘークローは「ははは」と、笑いながら冗談めかして言う。

 当然彼も本気で思って言っているわけではない。この程度何てことはないジョークだと。ちょっとした話のタネとするために深く考えずにポロっと口走ってしまったのだ。

 

「ヘークローさん」

「ん?」

 

 だが、忘れてはいけない。

 

「夕飯は抜きです」

「ぐえー……」

 

 今日のヘークローの胃袋は彼女が握っていると言うことを。

 

 

 

 ヘルベチア共和国トロワ州セーズの街。

 平和なこの街で第1121小隊は今日もゆるゆるである。

 




こんな感じで続けていきます。


もっともっと響け!
空の音よ!


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第二話 平九郎ノ日常・飲ム、寝ル、働ク

 

 

 藤堂平九郎は第1121号要塞、通称『時告げ砦』の司令官である。

 

 司令官の仕事は、簡単に言ってしまえば平時は諸々の書類にサインをして、有事の際には部隊の全体指揮を採ることだ。

 しかし、第1121号要塞には壊れた戦車を一両有するだけの第1121小隊しか存在しない。

 さらに、小隊と銘打っては居るが隊員の数は現在欠員が出ているため三名のみと、分隊並の人数しかいない。

 さらにさらに、小隊が有する戦車は旧時代の技術の遺物であり、ヘルベチア共和国内に十輌と残っていない高性能多脚戦車であるものの、唯一の戦力は現在修復中であり、自走も精密射撃も出来ない状態。

 整備マニュアルも残っていない過去のオーパーツを修理することのなんと難しいことか……

 

 と、話が逸れた。

 まあとにかく、この基地が戦略的に重視されていないことがよくわかるだろう。

 全戦力が壊れた戦車一両では全体の指揮もなにもないのが実情である。

 

 それでは、基地の司令官として諸々のデスクワークに励んで居るのかと言うと……

 

「ヘークローさん、お茶でも飲んで一息入れ……」

「ぐぅ……すやぁ……」

 

 寝ていた。

 

「全く、またですか。私がちょっと目を離したらこれなんですから」

 

 フィリシアは困った人を見る目でヘークローを見る。

 彼女が司令室に入っても起きる気配を示さないヘークローに対し、思わずため息がもれる。

 

「はぁ…… 仕方がないですね」

 

 フィリシアは持っていたトレーを一旦横の机の上に置き、キッチンから冷水で濡らしたタオルを持ってくる。

 これで準備は完了。

 

 彼女は机に置いたトレーに目をやる。

 トレーの上に載っているものは紅茶が注がれたカップ、ミルクピッチャー、砂糖が入った小瓶、ティースプーンである。

 ヘークローは紅茶を飲むときにはミルクと砂糖が必須であるため、それらをかき混ぜるためのティースプーンも一緒に持ってきているのだ。

 フィリシアはそのティースプーンで先ほど自分が淹れたばかりの熱々の紅茶を一杯すくい、それを寝ているヘークローの首もとまで持っていく。

 

「えい」

「……ヴェッ!?!? あッづ!?」

 

 掛け声と共に投下された紅茶はヘークローのうなじに集中攻撃!

 その圧倒的攻撃力は、さっきまでぐっすり寝ていたヘークローも堪らず飛び起きるほどである。

 

「おはようございます、ヘークローさん。これをどうぞ」

「あちち…… ほんとフィリシアちゃんは容赦ないよなぁ」

 

 ヘークローはまだ若干ヒリヒリする首もとに、受け取った冷たいタオルをあてがう。

 

「あ゛~、冷たくて気持ちいぃ」

「目は覚めましたか?」

「おかげさまでね」

 

 口をへの字に曲げながらそう言うヘークローにフィリシアは何時ものようにニコニコとしている。

 

「それはよかったです」

「いや、よかないんだが。下手すると首に水ぶくれができるんだが……」

「それで、書類の処理はちゃんと進んでいるんですか?」

 

 ヘークローのせめてもの反抗はフィリシアによってスルーされる。

 

「ああ、今日やらないといけない分はもうこれだけだ」

 

 だが、そんな小言など聞こえないとばかりに対応するフィリシアにヘークローも慣れたもので、さっきまでの不満たらたらな態度は改め仕事モードに切り換えていく。

 

「補充要員の申請書ですか」

「タケミカヅチの修復も早ければ今年中に終わるみたいだしな。砲手と装填手、後は操縦士も居てくれたら助かるな」

「そうですね。ノエルちゃんの負担を少しでも減らせられたらいいのですが……」

 

 ノエルは、この部隊の機械整備士兼操縦士の寒凪乃絵留伍長の事である。幼少ながらも軍のアカデミーに在籍し、史上屈指の天才少女である。

 また、タケミカヅチとは前述した壊れた戦車のことであり、そのタケミカヅチの修復を行っているのが天才少女ノエルである。

 

 ヘークローは要塞の格納庫に転がっていたタケミカヅチを修復するために自身のコネを使ってこの天才少女を引き抜いてきたのだ。

 

「それに、場合によっては通信士も必要になるか?」

「……その可能性はあまり考えたくは無いですね」

 

 二人は第1121小隊に所属するラッパ手兼通信士の少女のことを思い浮かべる。

 

「なーに、未来のことを今考えたって仕方がない。とりあえず、必要な人員を十分に連れてくりゃ良いんだ」

 

 静寂が包みかけていた部屋にヘークローの明るい声が満ちる。

 

「ふふ、そうですね。それでは、やはり藤堂司令には頑張って頂かなくてはなりませんね」

「……」

 

 フィリシアにイイ笑顔でそう言われたヘークローは「墓穴を掘った……」と心の中で嘯く。

 

 その時、彼女が持ってきてくれた紅茶を飲み干したヘークローの頭に仕事を抜け出すための名案が思い付いた。

 

「紅茶を飲んだら体が温まって眠たくなってきてしまったなー。このままでは作業効率が落ちてしまうなー。そうだ、今の時間ならノエルちゃんはタケミカヅチの格納庫で昼寝中のはずだから付き合って上げよう。そうしよう!」

 

 名案と言ったが、実際にはガバガバも良いところの適当な言い訳であった。

 

 そう言うや否や、ヘークローはフィリシアの死角から横をすり抜け司令室を飛び出して行ってしまう。

 

「あ、こら! ……本当にしょうがない人なんだから 」

 

 フィリシアは空になったカップを片付けようと手を伸ばしたとき、カップの下にメモが挟んであることに気がついた。

 そのメモには「こちそうさま。今日も美味しかった」と、書かれている。

 

「ふぅ…… こんなものを書く暇があるならさっさと書類を片付けてしまえば良いのに」

 

 そう言いながらも、メモを手にしたフィリシアの表情は穏やかに微笑んでいた。

 

 

 

 ☆

 

 

 

 フィリシアはカップを片付け終わり、仕方のない上司の代わりに書類を片付けてしまおうとした矢先にヘークローは司令室に戻ってきた。

 

「あら、随分お早いお帰りですね」

「……ノエルちゃんに昼寝拒否された。「イヤ」って言われた……」

 

 しょんぼりとした雰囲気を漂わせ、所在無げにしているこの基地の一番偉い人がそこに居た。

 

「それじゃあ、諦めてお仕事しましょうか」

「……はい」

 

 何だかんだ紆余曲折ありながらも今日も自身の仕事をこなす司令官なのであった。



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第三話 新人、来ル・クルクル

 

 フィリシア・ハイデマンは第1121小隊の小隊長である。

 

 彼女は容姿は金髪のロングヘア、メガネをかけた美人。

 常におっとりとした印象で、彼女と軽く関わったなら十人中十人が優しいお姉さんという印象を抱くことだろう。

 また、彼女は(彼女の上官もだが)日常生活で隊のメンバーが互いを階級で呼ぶことを禁止したり、自らが率先して軍規に緩い雰囲気を作ろうとしたりと、おおよそ軍人らしからぬ優しい立ち振る舞いが多い。

 

 そんなフィリシアは今、司令室で第1121小隊に新しく着任する新人と面会を行っていた。

 

「本日付で第1121小隊に配属されました、墨埜谷(すみのや)暮羽(くれは)二等兵であります! よろしくお願いします!」

 

 黒髪をツインテールにしている少女、クレハは教本通りの敬礼とともにフィリシアに対して着任の挨拶をする。

 

「第1121小隊小隊長のフィリシア・ハイデマン少尉です、よろしくね。それと、この隊では階級は抜きよ、クレハちゃん」

「え、えぇ? あ、はい!」

 

 フィリシアの思わぬ発言に彼女は気が抜けた返事をしてしまう。

 しかし、砕けた態度を要求してきたとはいえ、自分が今話している相手は少尉である。上官である。

 今までの常識から考えれば、上官に対して気の抜けた態度をしてはボコボコにされてしまう。そんな考えが脳裏をよぎり、姿勢をビシッ! っと正してからフィリシアに返答する。

 

「あ、そうそう。この第1121号要塞の司令官を紹介するわね。名前は藤堂平九郎。階級は少佐よ」

「へ? 藤堂平九郎少佐って、()()藤堂少佐ですか!」

「そうよ、あなたが考えている通りの人物よ」

「うわー! こ、光栄です! 藤堂少佐の部隊に所属出来るなんて!」

 

 さっきまで新しく自分の上司となる人物を前に緊張しっぱなしだったクレハであったが、フィリシアからもたらされた思わぬ情報に彼女のテンションはぐんぐん上がっていく。

 

「ほら、そこに居るから挨拶するといいわ」

 

 フィリシアはクレハに後ろを見るように促す。

 

「わわっ! いらっしゃったんですか! 失礼しま……し……」

 

 クレハがヘークローの存在に気がつかなかったのは仕方のないことだろう。

 これから着任の挨拶をしようというクレハはガチガチに緊張しており、司令室のドアを開けたら真っすぐ前に居るフィリシアのことしか見ていなかった。また、ドアを閉める時も彼が座っているソファの方を向くことはなかった。

 そしてなにより、彼女がヘークローの存在に気がつかなかったのはヘークロー自身が自分の存在を主張しなかったからだろう。

 いや、出来なかったと言った方が正しいかもしれない。

 

「……すぅ……すぅ……ンゴッ……」

 

 ヘークローは司令室の唯一の出入り口であるドアの真横に配置されたソファで寝ていた。

 クレハが入室するときのドアの開閉音にも気付かず、彼女の元気で快活なこれぞ新兵といった挨拶にも気付かず寝ていた。

 ソファのひじ掛けには頼らず、自身の手で頭を支えて横になっている姿はまさに毎日の仕事に疲れて眠ってしまったオヤジである。

 

「彼がヘークローさんよ」

「え……」

 

 いつの間にかヘークローの傍まで来ていたフィリシアはソファでだらしなく寝ている男のことを確かに藤堂平九郎少佐だということを示している。

 自身が尊敬する軍人の一人であるヘークローのだらしのない姿を見て固まってしまう。

 

「ほらヘークローさん」

「ん゛ッ! な、なんだ!?」

 

 フィリシアはヘークローが頭を支えていた腕を素早く手で払う。

 そんなことをすれば当然、手で支えられていた頭は重力に引かれて落ちるのが自然の摂理。

 物理法則は何時の時代どこでも変わることはない。

 

 期せずして頭が落ちた(断頭的な意味でなく)ヘークローはさすがに目を覚まし、自分が置かれた状況の確認をした。

 

「新任の()が来ましたよ」

「ああ、そうか……もうそんにゃ時間か……」

 

 まだ寝ぼけているのか、ヘークローは呂律が回っていない。

 あくびを噛み殺しながら後頭部をボリボリと掻いている彼の姿を見れば見るほど、クレハは今まで抱いていた藤堂平九郎少佐のイメージ像が音を立てて崩れていくのがわかった。

 

「あー、司令の藤堂平九郎だ。よろしくなクレハちゃん」

「ア、ハイ。ヨロシクオネガイシマス」

 

 ずっと尊敬していた憧れの人。

 しかし、実際に実物に会ってみるとただのだらしない軍人だったのだ。

 

 クレハの目に光はなく、話す言葉に抑揚はない。

 

「それじゃ、後はフィリシアちゃんに頼んだ……ふあーふぅ…… おやすみぃ~」

 

 もはやあくびを隠すこともしなくなった彼はクレハの対応をフィリシアに丸投げ、もとい一任して再び夢の世界に旅立った。

 今度は頭を落とされて昼寝を邪魔されないためにソファの肘掛けに頭を置いて寝始めた。

 

「それじゃあ、小隊のみんなの紹介と基地の案内をするわね」

「はい……」

 

「すごいところに飛ばされたなぁ」と考えながら、クレハはフィリシアに連れられ司令室を出ていったのだった。

 

 ソファで寝るヘークローだけが残された司令室に彼の寝息だけが響く。

 

 

 

 ☆

 

 

 

「んん…… ん? いっ痛痛(つつ)……」

 

 ソファで長時間寝ていたためにすっかり固まってしまった体を解きほぐすヘークロー。

 腰の辺りからポキポキとこぎみ良い音が聞こえてくる。

 

「よく寝たな……」

 

 司令室の窓から差し込む西陽が「もうすぐ一日が終わるぞ」とヘークローに訴えかけてくる。

 

「遅いお目覚めですね、ヘークローさん」

「フィリシアちゃん……」

 

 そこには、ティーカップに紅茶を注いでいる最中のフィリシアが居た。

 スプーン一杯の砂糖と少しのミルクを加えたらスプーンで軽くかき混ぜる。ミルクティーが完成すると、フィリシアはヘークローへとカップを持っていく。

 ヘークローの方もソファに座り直してミルクティーを受けとるために体勢を変える。

 

「どうぞ」

「あんがと」

 

 フィリシアが淹れたミルクティーを一口飲み「ふー」っと、一息つく。

 

「今日は随分お疲れですね」

「昨日の夜、我が隊の新人ガンナーに支給するライフルの整備をしてたんだけど、やってくうちに気分が乗ってきてね。気付いたらいつの間にかパーツの一つ一つを磨いてたんだよねぇ」

 

 ライフルをバラしてパーツを磨いては組み立て、仕上がりを確認しては気に入らない点が見つかる。その部分を処置して仕上がりを確認しては気に入らない点が見つかる。以下無限ループを繰り返し、何とか妥協できる所まで来たときには時告げ砦の乙女が始業を告げるラッパを吹く時間になっていたのだ。

 

「変なところで凝り性なんですから」

「ほっとけ。それよか、寝ている上官を使って新人ちゃんの緊張を(ほぐ)すのはやめたまえ」

「あら? クレハちゃんが入ってきてた時点で起きてたでしょう? 私はヘークローさんの意を酌んだんですよ」

「……」

 

 ヘークローはカップに口をつけて何も言わない。

 フィリシアはそんな彼の様子を見ていつものニコニコ顔である。

 

「俺にも威厳と言うものがあってね……」

「そんなもの、三日もすれば安いメッキだと言うことがクレハちゃんにばれちゃいますよ。クレハちゃん、ヘークローさんの事を尊敬してたみたいですし、実態を知ってショックを受けるなら早い方がダメージも少ないでしょう」

「……」

 

 再びカップを傾けてミルクティーを口に含む。

 別に何も言い返せないから紅茶を飲んでいるわけではない。紅茶を飲んでいるから何も言い返せないのだ。

 そうだといったらそうなのだ。

 

「新人に威厳を示したいのなら、まずは滞っている今日の書類を片付けることから始めましょうか」

 

 ヘークローは今の今まで寝ていたのだ。すると、当然今日するはずだった仕事は手付かずのまま残っているわけである。

 

「……あっ」

 

 再々度ミルクティーを口に含もうとカップを傾けるが、もうカップの中身は空になっていた。

 

「……おかわりを……」

「ちゃんと仕事をするならあげますよ」

「……はい」

「よろしい。準備してきますね」

 

 

 

 フィリシア・ハイデマンは金髪のロングヘア、メガネをかけた美人である。

 常におっとりとした印象で、彼女と軽く関わったなら十人中十人が優しいお姉さんという印象を抱くことだろう。

 

 しかし、彼女の事をよく知る人達はこう言う。

 

「フィリシアは黒いところがある」、と。



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第四話 練リ切リ・切リ込ミ

 

 墨埜谷暮羽は新兵である。

 

 歳は十四。

 黒髪を赤いリボンでくくり、ツインテールにした少女である。

 第1121小隊の砲手となるべく三日前に配属された新人である。

 

 

「どうだ、ここでの生活は慣れたか?」

「はい! 思ってた軍隊の生活とはかけ離れてましたけど……」

 

 第1121号要塞のダイニングルームでクレハともう一人の少女がお茶を飲みながら会話をしている。

 彼女の名前は和宮(かずみや)梨旺(りお)。第1121小隊のラッパ手兼通信士である。

 リオは小隊の先輩としてクレハの教育を担っていることもあり、今クレハが最も親しい人物であり、尊敬する先輩でもある。

 

「ははは! まあ、そうだろうな。ローマと休戦してからまだ二ヶ月とはいえ、セーズの街は平和そのものだ」

「良いこと……なんですよね?」

 

 クレハは正統ローマ帝国との国境線に直接面する地域で常に気を張っている同僚たちに対して何だか申し訳なく思ってしまう。

 

「少なくとも、この街が戦争に巻き込まれるよりはずっといいさ」

「そうですよね!」

「ああ、ここに配属されたクレハの運が良かったのさ」

 

 リオの言葉により少し気が紛れたように感じるクレハだった。

 

「運がいいと言えば、最初はあの藤堂少佐の隊に配属されてそれこそ「ラッキー!」って、思ってたんですけどねー。まさかあんな人だったなんて……」

 

 クレハは頬杖をついて拗ねたように呟く。

 

 彼女には尊敬する五人の軍人がいる。

 撤退線で活躍した(と、クレハは聞かされている)自身の父と父を含めた傷ついた兵士たちを治療していた衛生兵の母。

 三日間飲まず食わずで砂漠を横断して敵の砦を奪取し「砂漠の狼」「ミラクル・クラウス」と称された英雄的人物。

 ビネンラントの英雄、砂漠の狼と並ぶ戦車乗りの神様、国民からの信頼も厚い今は亡きイリア・アルカディア公女。

 そして最後に、その公女殿下の傍で支え、彼女の勝利の裏には必ず奴がいるとも噂された藤堂平九郎である。

 

 彼女にとってヘークローは公女殿下の勝利のために尽力し、その功績は全て公女殿下のために捧げ、それを決してひけらかさない騎士のような人物だと考えていた。

 しかし、三日前のヘークローとの邂逅ににより、彼女が抱いていた藤堂平九郎像は粉々に砕けてしまっていた。

 そのためだろうか、彼女の表情からはヘークローに対する失望の感情がありありと伺える。

 

 そんなクレハに対し、先ほどまでの快活とした様子はなりを潜め少しうつむき加減になるリオ。

 静かにカップをソーサーに置いたリオはクレハに静かに尋ねた。

 

「クレハはヘークローが嫌いか?」

「い、いえ! そんなことはないです! なんだかんだ言ってヘークローさんが私のことを気遣ってくれていることはわかりますし、意外と仕事もちゃんとやっていることも知ってます…………隊長にお尻を叩かれながらですけど……」

 

 改めて言葉に出してみるとおかしくなったのか、クレハは苦笑いしてしまう。

 そんなクレハを見てリオもつられて苦笑い。

 

「でもやっぱり、信じられませんよ。ヘークローさんがあのイリア公女殿下の副官として、ビネンラント戦線でも活躍した当時中尉の藤堂平九郎だとは」

「……まあ、そうだろうな」

 

 リオは第1121小隊での彼とそれ以前の彼の姿を思い浮かべて彼のいいところでも教えてあげようと思ったが、擁護のための言葉がパッと出てこなかったために断念する。

 

「実は同姓同名の別人とかじゃないですか?」

「いや、確かに本人だよ。私はイリア公女の傍に立つヘークローを見たことがあるからな」

「そうなんですか…… ん? じゃあもしかして公女殿下にもお会いしたことがあるんですか!」

「それ、は…… 昔、遠目にな」

「いいなー! いいなー!」

 

 クレハはイリア・アルカディアという有名人に会ったことがあると言うリオに羨望の眼差しを送る。その喜ぶさまは年相応であり、今まで軍人として努力していたクレハの姿ばかり見ていたリオにとっては新鮮なものだった。

 

「あっ、その…… 恥ずかしいところをお見せしました……」

「ふふ、いいさ」

 

 思わずはしゃいでしまったことを自覚したクレハはわずかに顔を赤くして小さくなってしまう。心を落ち着けるためだろうか、それとも赤くなった自分の顔を隠すためだろうか、ぬるくなってきた紅茶を一飲みしている。

 そんな姿がおかしかったのか、リオは笑みをこぼした。

 

「そういう先輩はヘークローさんのことをどう思ってるんですか? もしかして、あまり好ましくは思ってないんですか?」

 

 クレハは照れ隠しのためにさっきから気になっていたことを質問してみる。クレハはヘークローの話題になってからリオの様子が少し変わったことに気が付いていた。

 しかし、察しがいいクレハだからこそ、この話題は地雷だったのではと思い浮かぶのも早かった。

 

「そうだな」

「あ、いやその、今のは……」

 

 ちょっと考える様子を見せるリオ。

 やってしまったー! と、心の中で絶叫しているクレハ。

 

「私は……」

「たっだいま~」

 

 リオの言葉を遮るように聞こえてきたのは(くだん)の人物であるヘークローによるものだった。

 

「ヘークロー、また仕事を放って街をぶらついてたな?」

「なに、ちょっとした息抜きだよ。い・き・ぬ・き。仕事を効率的に行うために必要なことさ」

 

 相変わらずのヘークローに呆れた様子のリオは軽くたしなめるが、ヘークローはどこ吹く風と聞き流している。

 

「お、クレハちゃん。良いところに」

 

 そう言ってヘークローは肩にかけていたカバンをゴソゴソとあさり始めて三つの小さい木箱と一つの大きい木箱を取り出した。

 取り出した大きな方の木箱をクレハちゃんに渡す。

 

「私にですか?」

「おう、開けてみ」

 

 ヘークローに促されてクレハは木箱をのふたを開ける。

 

「これは……」

「Zf-41、ヘルベチア陸軍で正式採用されてる狙撃眼鏡だな」

 

 Zf-41は同じくヘルベチア陸軍で採用されているボルトアクション式小銃Kar98kにマウントすることができる、いわゆるスコープである。

 

第1121小隊(うち)の備品の物より状態が良いのを姐さんの店で見つけてな、衝動買いしてしまったのだ。新しくガンナーが来てくれたことだし、丁度いいと思って。官給品が流れてることは非常に問題だが…… まあ、そんなこと俺が気にしても仕方ないし、姐さんの店の売り上げになるならいいかってな」

 

 クレハの持つ、まるで新品のように傷のないスコープは光に反射して鉄色に鈍く輝く。

 

「ありがとうございます! 感激です!」

「うん? なーに、大したことないって。装備はしっかりしとかないといけないからな。ま、俺はそいつがそのままピカピカで居てくれることを願うがね」

 

 ヘークローは手をひらひらさせてクレハの謝意を受け取る。

 

「っと、そっちはおまけで本命はこっち」

 

 ヘークローはニコニコというよりニヤニヤといった様子で小さい木箱をリオとクレハに渡す。

 リオとクレハはそんな怪しい表情のヘークローをいぶかしみながらも木箱のふたを開ける。

 

「こ、これは……」

「あ、かわいい」

 

 初めのひきつったような声はリオのもの。

 感嘆の声をあげたのがクレハだ。

 

「ピーマンと花だな」

「お前……私に喧嘩を売っているな……」

「落ち着けリオちゃん。それはピーマンはピーマンでも、ピーマンの形をした練り切りだ」

「「ネリキリ?」」

 

 聞き覚えのない名前にクレハとリオの頭上には疑問符が浮かんでいる。

 

「和菓子っていうこの国の東の方で古くから伝わる菓子の一つでな、白あんを主原料としてるんだ。んで、この間偶然セーズの街で和菓子を作れる菓子屋のじーさんに知り合ったんで、作ってもらった」

 

 簡単に練り切りの説明をしたヘークローは自分用の三つ目の木箱から小鳥の形を模した練り切りを取り出し、一口食べる。

 

「ほのかな甘み…… うん、美味いな。そういえばじーさんが緑茶を飲みながら食うと美味いって言ってたな。なるほどなるほど……」

 

 右手に持った頭を無くした小鳥の形をした練り切りをしげしげと見ながらヘークローは呟く。

 

「で、なんでピーマンなんだ」

「それは、これを切っ掛けにリオちゃんのピーマン嫌いがマシになればと思ってな」

「ヘークロー……」

 

 自分のことを考えてやってくれたことだと知ったリオは感激した様子でヘークローのことを見つめている。

 

「ま、理由の九割は嫌がらせなんだけどね」

「ヘークロー!」

 

 椅子から勢いよく立ちあがり声を荒げるリオだが、気付いた時にはヘークローはダイニングルームのドアから廊下に脱出していた後だった。

 

 

 

 

 

 フィ、フィリシアちゃん……

 え? あ、いや…… これはただの散歩で……

 あっ、それは俺の分で……って、和菓子を一口で食う奴があるかっ……

 あ、いえ…… なんでもありません。はい、仕事に戻ります……

 

 

 

「ったく……」とぼやきながら再び席に着いたリオとクレハにドアの向こうからこんな話声が聞こえてきた。

 

 

「ぷっ……」

 

 先に堪え切れなくなったのはどちらだろうか。

 

「「あははははははははは!」」

 

 結局二人とも堪え切れずに声をあげて笑い始めてしまう。

 

「はーあ、クレハ、私はな」

「ひぃ…… はい?」

 

 リオはクレハに問われた質問に答える。

 

「私も、ヘークローのことは好きだぞ。もちろん男としてではなく、人として、上官としてな」

「はい!」

 

 

 

 ヘークローのお土産に舌鼓をうちながら、少女たちの話の花は咲く。



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第五話 乃絵留ノ絵・映像、想像、妄想

 

 

 

 寒凪(かんなぎ)乃絵留(のえる)はボクっ()少女である。

 

 第1121小隊の機械整備士兼操縦士であり、階級は伍長。

 小隊の配備戦車タケミカヅチの研究や復元を担当しており、それに情熱を注ぐあまり生活のリズムが不安定で常に寝不足。そのため、昼間に突然所構わず眠ってしまうこともしばしば。

 普段は寡黙で表情の変化も乏しいが、突発的に冗談も口にしたりと実はとても愉快な少女である。

 

 ヘークローは格納庫でタケミカヅチの修理をしているノエルのもとにやって来ていた。

 

「おーっすノエルちゃん、調子はどうだい?」

「ん、幸せ」

「そいつは良かった」

 

 中で作業していたであろうノエルがタケミカヅチの車長展望塔(キューポラ)から顔を出して答える。

 

「姐さんの店で追加のボルトとナット貰って来たからな。ここに置いとくぞ」

「おお……。助かる」

 

 ヘークローは手に持っていたボルトが入った箱とナットが入った箱を様々な工具を置いている小さめのテーブルの上に置く。

 それを知ったノエルは早速新しいボルトとナットを取ろうとタケミカヅチから出てくる。

 

「……ノエルちゃん、女の子としてそれはどうなの?」

「無問題」

 

 今の時期は春。

 とは言え、夏もすぐに控えている今の時期に熱のこもる戦車の中でずっと作業していたノエルの額には汗が浮かんでいる。

 そして、そんなくっそ暑い環境の中で軍服をカッチリ着る訳がない。

 作業着ですら着ることを拒んだノエルの今の格好は、下こそズボンを履いているものの、上は黒の薄着姿である。下着姿と言ってもいいかもしれない。

 

「そんな格好で居たら、時告げ砦のこわーい狼に襲われちゃうぜ?」

「……」

 

 手の五指を第一、第二関節だけ曲げて獣の手のようにして「ガオー」なんて言いながらノエルを脅してみるヘークローであるが、ノエルの表情に変化はない。

 渾身のボケに何の反応も示さないノエルに対して、引っ込みがつかなくなり二の句が継げぬまま固まるヘークロー。

 もちろん、獣の真似をしたままである。

 

「……」

「……」

 

 一秒、二秒と格納庫に設置している時計が確実に時を刻む音が聞こえる。

 

「……」

「……ふっ」

 

 しばらく二人で無言で見つめ合うような形になっていたが、沈黙を破ったのはノエルの嘲るような笑いだった。

 

「な、なんだよ」

「ヘークローくんが……狼……。ふっ」

「なんだよ!」

 

 ヘークローは相変わらず鼻で笑うノエルに段々と恥ずかしくなって来たようだ。獣の真似をやめてノエルのことを直視できなくなったのか、ノエルから顔を逸らす。

 にへらっと笑っていたノエルは顔を真っ赤にしてそっぽを向くヘークローが面白かったのかさらに「ぷぷぷ……」と笑い始めてしまう。

 

「けっ、どうせ俺にそんな度胸は無いよ」

「それがヘークローくんの、良い所」

「それは褒めてるのか?」

 

 ヘークローは褒めてるのか貶してるのか微妙に判断が付かないノエルの物言いに納得はできないものの、「まあ、いいか」と思うことにした。

 自分は度胸がないのではない、紳士故にそういった間違いは犯さないのである、と自分に言い聞かせながらタケミカズチから少し離れた位置にござを敷き始める。

 

「昼寝?」

「ああ、今日は朝から散歩……ん゛ん゛っ! 街の警邏をして、その後はフィリシアちゃんに捕まって今さっきまで机に縛り付けられてたからな。もう限界だ」

 

 ござをシワなく敷き終えたヘークローはその上に寝転がる。

 固い床に薄いござは決して寝心地の良い物ではないが、過去に経験した戦場での寝床のことを考えればヘークローにとって天国みたいなものだった。

 

「ヘークローくんはよくここで寝てるね。何か理由でもあるの?」

 

 ノエルは新品のボルトを一つずつ手に取って規格外品が混じってないかじっくりと品定めをしながらヘークローに聞いてみた。

 ヘークローは仕事が辛くなると、フィリシアの目をかいくぐり、司令室を抜け出しては様々な自身のお気に入りスポットで昼寝をしているのである。まあ、司令室を抜け出すことなく椅子に座ったまま居眠りすることも多々あるのだが……

 

「そうだなぁ、ここにはタケミカヅチって言う古代技術の産物、その代表みたいな物があるからかな。俺って、大断絶以前から存在してたものが好きでさ。やっぱ遥か昔のオーパーツってのはロマンがあるしなぁ」

「その気持ち、良くわかる」

「うんうん、やっぱノエルちゃんとは……気が合うなぁ……」

 

 ござに寝転がっていると眠気が急に襲ってきたのか、ヘークローの言葉が途切れ途切れになる。

 

「ここだとノエルちゃんの作業の音も、心地いいし……それに、ここで寝てると…… 動いてるタケミカヅチが……夢の…… 中、で……見られる……」

 

 とうとう我慢の限界にまで到達したのか、ヘークローは夢の世界に旅立ってしまった。

 

 

「夢の中での、タケミカヅチ……」

 

 ノエルは品定めしていたボルトを元の箱に戻すと、ヘークローが言った夢の中で動くタケミカヅチに思いをはせる。

 

 現在の人類が自力で作り得る四脚式多脚戦車アラクネー。

 そのアラクネーを遥かに上回る機動性、アラクネーの砲撃なんてものともしない装甲、目標を正確に一撃で粉砕する主砲。

 人類がかつて到達した技術の最高峰。

 録画したビデオを繰り返し繰り返し見るかのように頭の中でその雄姿が再生されている。

 

「夢の中……。よし」

 

 ノエルは改めて決意する。

 タケミカヅチの復元を頑張ろう、と。

 誰もが過去の遺物と決めつけたタケミカヅチを復元し、再び縦横無尽に走り回るその姿を見ることはノエルにとってもロマンの追及であった。

 

 ノエルは思う。

 第1121号要塞の司令官であるあの男はタケミカヅチの動く姿が見られるだけで満足なのだろう、と。

 タケミカヅチが一人でも多くの敵を殺すことを望んでいるわけではなく、願わくはセーズの街に住む人々、そして第1121小隊のみんなを守るために動いて欲しい、と。

 

「ん、幸せ」

 

 ヘークローの寝息を聞きながら、ノエルは再びボルトの品定めを始めた。

 

 

 

 ☆

 

 

 

「ノエルちゃん、そろそろ晩御飯の時間ですよー」

 

 タケミカヅチが置かれている格納庫にやって来たのは小隊長のフィリシアであった。

 どうやら晩御飯が出来たから格納庫で引きこもって修理をしているノエルを呼びに来たようだ。

 そこで、フィリシアはタケミカヅチから少し離れた位置に引かれたござの存在に気が付いた。

 

「あ、ヘークローさんもいたんですね……あら?」

 

 ござで寝るのはフィリシアのもう一人の探し人であるヘークローであることはすぐに分かった。だが、予想外のことにござで寝ている人物はヘークローの他にもう一人いた。

 

「本当にしょうがない人達ね」

 

 フィリシアが目にしたのはござの上で大の字になって寝ているヘークローとヘークローの腕を枕にして寝ているノエルの二人の姿である。

 

「困ったわ…… ヘークローさんだけなら叩き起こすのだけど」

 

 そう言ったフィリシアは格納庫に置いてあるタオルケットを二人にかけて静かにその場を去るのであった。



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第六話 祭リノ準備・赤イ籤

追記
やはり違和感がすごかったので祭りのくじ引きをカナタが来る二週間前に変更



 

 和宮(かずみや)梨旺(りお)はラッパ手である。

 

 男勝りかつクールな性格で、一見何事にも動じないような芯の強さを持っているが、実は怪談話、ピーマン、料理が苦手などの意外な一面を持つ。

 階級は曹長。第1121小隊の中で上から二番目、第1121号要塞の中では上から三番目の階級であるため、隊の実務を任されており、日常生活での指示なども出す小隊の先輩的存在だ。

 なお、この小規模小隊で「上から何番目の階級」などという考え方はとくに意味もないことであるため、年上だからその立場におさまっていると言った方が正しいのかもしれない。

 

「はーい! それじゃあ今年の水かけ祭りの主役、炎の乙女役を決めたいと思いまーす」

 

 フィリシアは四本の紙切れを握りしめながらそう宣言した。

 

 水かけ祭りとは、悪魔から街の人々を命をかけて救った五人の少女「炎の乙女」の伝説が残っているセーズの街において、炎の乙女たちを称えるための春のお祭りのことだ。

 炎の乙女役は毎年第1121小隊の女性隊員から選出されるのが習わしである。

 クレハが小隊に着任してから四ヶ月ほど経っただろうか。水かけ祭りを二週間後に控えたのが今日である。

 

「ささ、早く決めちゃいましょ。先が赤く塗られた紙を引いた人は今年の乙女役です。ノエルちゃんからどうぞ」

「ん」

 

 ノエルは突き出された四本の紙からとくに悩むことなく一番手前のものを引き抜く。

 紙の先は白。ハズレである。

 

「次はクレハちゃん」

「はい……」

 

 くじを選ぶことを促されるクレハであるが、彼女の頭の中には様々な考えが錯綜していた。

 

(も、もしここで当たりを引いてしまったら私が炎の乙女役……。まだセーズの街に来て日も浅いのにそんな大役務められるのかなぁ? こうなったらなんとしてもハズレくじを引くしかない! ハズレはどれ? 一番手前? それとも一番奥のかもしれない? いやいや、少し飛び出ている真ん中のあれ……。な、なーに、勝率三分の二の分の良い賭けよ。気軽に引けば……)

「ほーら、クレハちゃん。はやく」

「うぇ!? は、はい!」

 

 何だかんだとうだうだ考えていたクレハであるが、フィリシアにさらに促されることで結局一番引きやすい手前のくじを選ぶ。

 紙の先は白。またハズレである。

 

(ふう……、よかった)

 

 なんとかハズレの当たりくじを引くことができて安堵の表情を浮かべるクレハ。

 一方、クレハの向こう側に居るフィリシアは誰にも気付かれないようにほくそ笑む。

 わずかに顔をうつ向けたことによって彼女のメガネが怪しく輝いた気がした。

 

「私は最後でいいから、次はリオね」

「ああ」

 

 一瞬見せた悪い顔など最初から無かったかのようにフィリシアはにこやかに残った二本のくじをリオへつきだす。

 残ったくじは二本。

 どちらかが一方が先を赤く塗られた当たりくじ。

 

 リオはそう思っていただろう。

 

 

「うげ……」

 

 紙の先は赤。当たりである。

 

「決まりね。今年の炎の乙女役はリオで決定」

「な、なあ、私なんかがやるより、お前の方が適任なんじゃないか?」

「まあまあ、そう言わずに」

「いや……だが……」

 

 くじにより決定された今年の祭りの主役を称えるようにフィリシアは軽く手を打ち鳴らす。

 フィリシアにつられるようにしてクレハとノエルもパチパチと拍手し始めたために、流石のリオも照れてしまったのか、痒くもない頬を指でかいている。

 

「はあ、仕方ないか……」

 

 

 さて、そんな空気をぶち壊す存在がこの基地に存在していることを忘れてはいけない。

 

「諸君! おはよう!」

 

 ダイニングルームのドアを勢いよく開けてバーン! と言う効果音とともに現れたのはこの基地の司令官、ヘークローであった。

 

「あれ? ヘークローさんがこんなに早くから起きてるなんて珍しいですね」

 

 いつもは小隊のみんなが昼食を食べる時間に朝食兼昼食を食べることが多いヘークローである。

 珍しい事態にクレハが思わず質問する。

 

「今日は水かけ祭りの打ち合わせが有るんでな! 早起きしないわけにはいかないな!」

「どれだけ楽しみなんですか……」

 

 ヘークローの発言に頬をひきつらせるクレハ。

 そんなクレハに気付く様子もなくヘークローは再来週行われる祭りを全力で楽しむことだけに気が向いているようだ。

 

「お、今年はリオちゃんが炎の乙女役か」

 

 楽しい妄想から現実世界に帰ってきたヘークローは先が赤く塗られた紙をリオが持っていることを気がつく。

 

「ふふん、今年こそ悪魔役であるこの俺が炎の乙女に打ち勝って見せよう!」

「それだと祭りの趣旨が変わるだろ……」

 

 炎の乙女役は代々第1211小隊の女性隊員が担ってきたのに対し、(かたき)役である羽の生えた悪魔役はセーズの街に住む希望者が務めることになっている。

 ヘークローが第1121号要塞の司令官となってからはヘークロー自身の強い希望もあり毎年彼が悪魔役をやっているのだ。

 

「俺はこれから悪魔のかぶり物を受け取りに行ってくる。炎の乙女よ! 頭を洗って待っていろ!」

 

 そんなことを言ったかと思うとヘークローは「はーっはっはー」と高笑いをあげながら走り去って行ってしまった。

 

「洗うのは首だろ……あいつ、睡眠不足でおかしくなったか?」

「いつも通りじゃないかしら」

 

 ヘークローとの付き合いが長いリオとフィリシアは彼の奇行について冷静に切って捨てる。

 

「それじゃあ、ボクは格納庫に戻るよ」

「……あ、じゃあ私は料理の下準備始めときますね」

 

 話がひと段落したところでマイペースなノエルが初めに動く。

 ヘークローの様子を呆然と見ていたクレハも正気を取り戻し、自分のやるべきことをすることにしたようだ。

 ダイニングルームに残ったのはフィリシアとリオの二人だけ。

 

「……まだヘークローさんのこと、許せない?」

 

 ヘークローが現れてから僅かにだが変化したリオの様子をフィリシアは見逃さなかった。

 

「許すとか、許さないとか…… そいうんじゃないさ」

 

 リオはいつも首にかけている鈴を特に意味もなく指で弄ぶ。

 

「前にも言っただろ? ただ、いつもあの人の隣にいたあいつが羨ましかっただけ。子供のころのそんなしょうもない感情が今も時々浮かんでくるだけだって」

 

 棺に横たわる金髪の女性。

 彼女の回りには沢山の花とトランペットが添えられている。

 そして、その棺の前でひたすら謝罪の言葉を唱え続けている青年の姿。

 

 そんな情景がリオの頭にフラッシュバックする。

 

「だから、大丈夫だ」

 

 そう言ってリオはフィリシアに向き直る。

 そんな様子を見てフィリシアも安心したように微笑む。

 

「そうよねー、リオはヘークローさんの事を人として、上官として好いているものねー」

「なっ! 何でその事をッ」

「私とヘークローさんの会話聞こえてたでしょ? その逆もまた然り、よ」

 

 さっきまでの優しい微笑みとは打って変わって、フィリシアは悪戯に成功した小悪魔のような笑みを浮かべている。

 ウインクをして人差し指を頬の横につけるポーズがイヤに様になっているのは気のせいだろうか。

 

「わ、私は整備に出したトランペットを取りに行ってくる!」

「はーい。いってらっしゃい」

 

 赤くなった顔をフィリシアに悟られぬように素早くきびすを返して部屋から出て行ったリオであるが、フィリシアにはバレバレである。無駄なあがきとはこの事か。

 

「さーて、今度来る新人ちゃんのために楽しい歓迎会の企画を始めなきゃ」

 

 フィリシアは手で握りつぶした『先が赤く塗られたくじ』をポケットにねじ込みながらそう言った。

 

 

 

 

 祝いの日を盛り上げるため、皆が動き出す。



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第七話 鬼・悪魔・ヘークロー

 

 

 その日、セーズの街に「ありがとう」が溢れた。

 

 「ありがとう」と言いながら、洗えば簡単に落ちる赤褐色の染料を溶かした水を人々はお互いに掛け合うのがセーズの街で行われる水かけ祭りの特徴だろう。

 そこには大人も子供も男も女も関係なく、皆が笑顔で水を掛け合っている。

 

 

 

“ずっと昔、世界が今みたいになるずっと前のこと

 この街の谷底に羽のはえた悪魔が棲みつきました

 悪魔は炎を吐き大地を揺らし人々を苦しめました

 そしてついに砦に住んでいた乙女たちをさらい

 地下の迷宮に閉じ込めますけれど、娘たちはあきらめず

 天主さまから授かった金の角笛で呼び合い迷宮を脱出すると

 巨大な蜘蛛のちからを借りて悪魔を倒しその首を討ち取ります

 するとその首は激しく炎を吹き上げます

 このままでは上にある街は全て燃えてしまう

 娘たちは吹き出る炎をおさえるために順番に悪魔の首を抱き続けました

 燃えさかる悪魔の首と娘たちに村人たちは毎日水をかけ火は一年経ってようやく消えました

 以来村を救った娘たちの霊を慰めるため水かけ祭りを始めたのです”

 

 

 

 これがこの街に伝わる伝説と水かけ祭りの由来。

 この祭りでは誰もが村を救った娘たち、つまり炎の乙女に感謝する日なのである。

 

 今日初めてのこの街にやって来た少女、空深(そらみ)彼方(かなた)もまた祭りを楽しむ一人であった。

 彼女はセルベチア共和国陸軍の軍服を身に纏う、どこから見ても軍人だ。

 本来であれば自身が所属することになる第1121小隊が駐屯する第1121号要塞に向かう予定だったのだが、しっかり祭りに巻き込まれてしまったようである。

 

「えーい! ありがと!」

「わー! ありがとう!」

 

 カナタに一番始めに水をかけた少女に水をかけ返すのはもちろん、周りの人達にも水をかけまくる。

 祭りの中には勝敗を決めるものも多くあるが、セーズの水かけ祭りでは勝ち負けなんて物はない。

 

 そんな勝ち負けも何もない祭りであるが中には謎のこだわりを持ってその祭りに参加するものも居た。

 

「悪魔が来たぞー!」

「奴を狙え!」

「あー! やられちゃったー」

 

 笑い声が満たされていた空間の一部からそんな声が聞こえ始めた。

 

「悪魔?」

 

 この楽しい場に似つかわしくない言葉が聞こえてきた事に不思議に思ったカナタは他とは違う盛り上がり方をしている場所に目を向ける。

 

 騒ぎの中心に居たのは猿(いや、鬼だろうか? とにかく、異形の生き物)の面をつけた人物だった。

 その面をつけた人物は竹で作った簡単な水鉄砲を一挺だけ持ち、住人たちからの集中砲火を前後左右へのステップ、時にしゃがんだりジャンプしたりと無駄に洗練された無駄の無い動きで全て避けていく。

 その合間に若い女性だけを狙って皆と同じ色水を当てていることが見てとれた。

 

「うわぁ、何だろうあの人?」

 

 その呟きが聞こえたのか、悪魔と呼ばれた人物はカナタの方を見る。

 

「なるほど……。砦の乙女だな?」

「え?」

 

 そう言うやいなや、悪魔は素早い動きでカナタの目の前までやって来る。そして、持っている水鉄砲を勢いよくカナタの顔へと向けた。

 

「わっ!」

 

 突然向けられた銃口(水鉄砲)に驚いたカナタは咄嗟に手で顔を守る。

 

 ヒョロロロロ~

 

 あえて言葉にするとしたらこんな感じだろうか?

 悪魔の水鉄砲から放たれた水はカナタのガードの隙間から顔面に命中する。

 ただし、水の勢いは水鉄砲を向けられた勢いとは反してとても弱いものだった。

 カナタに水をかけて満足したからか、はたまた住民の追撃が激しくなったからか、悪魔はカナタの傍から離れて再び若い女性を狙い撃ちにする作業に戻っていった。

 

「なんだったんだろう……」

「ははは! 災難だったな嬢ちゃん。悪魔に食われちまうたーな」

 

 呆然としているカナタの横まで歩いてきたおじさんが声をかける。もちろん、この男も例に漏れずびしょ濡れだ。

 

「悪魔ってなんなんですか?」

「ん? もしかして新人の軍人さんか」

 

 この街の住民ならほとんど誰でも、それこそ砦の乙女なら必ず知っているであろう事を知らないカナタをこの街に来たばかりの新人であると男は判断した。

 

「はい! 今日セーズの街に到着しました!」

「そうかそうか、あいつも意地の悪い奴だな」

「あいつ?」

「なーに、すぐにわかるだろうさ」

 

 男はニヤニヤと面白がるようにカナタに言う。その場を立ち去ろうとした男は「あっ」と何かを思い出したかのようにこう付け加えた。

 

「そうだ。悪魔に食われるなんて今年一番の災難に襲われたからな、少なくとも今年中はそれより酷いことは起きないだろうぜ」

 

 男は「じゃーな、風邪引くなよー」と言いながら今度こそ立ち去っていく。

 

「さよーならー! 悪魔……かぁ」

 

 去っていくおじさんに対して手を大きく振って別れの挨拶を告げたカナタはポツリと呟く。

 カナタの水かけ祭りはこの後、ラッパ手の先輩少女の目に留まるまで続いたのであった。

 

 

 

 ☆

 

 

 

 

 ここ、セーズの街を初めて訪れた人は必ずこう感じるだろう。

 

 ここは迷路であると。

 

 所狭しと建てられた家々によって数多くの通路が形成され、また土地柄から坂道や階段等による上下移動も多い。

 その結果、方向感覚を失いがちになり、土地勘の有る者でも入り組んだ小路に入ってしまうと迷子になることもしばしばあるという。

 

「誘われたか……」

 

 面を被った男、ヘークローは堪らず面の下で顔をしかめる。

 

 街中で若い女性に水をかけまくっていたヘークローは、また同時に街の男達から追いかけ回されていた。

 行き止まりの通路には入らないように気を付けていたヘークローであるが、夢中になって逃げ回っている内に追い込まれてしまったようだ。

 

 左右、後ろは壁のため行き止まり。

 唯一の出口である前方には水鉄砲を持った五人の男達が立ちふさがっている。

 上に逃げようにも周りを囲む壁は高く、登ることは不可能。

 

「これまでだな、悪魔よ」

「残念だったな、今年もしっかりやられてくれ」

 

 二人の男がヘークローに通告する。だが、そんなこと知ったことかと言わんとばかりにヘークローはニヤリと笑う(面で見えないが)。

 

「ふん、この程度で俺を追い詰めたなどと思ってもらっては困るな」

 

 ヘークローは言う。

 それはまるで壇上に立つ演劇者のように、芝居がかった様子で。

 これぞまさしく深夜テンションの賜物だろうか。

 

「訓練を受けたこの俺が、最近お腹周りが気になり始めたおっちゃんたち五人に遅れを取るわけなかろうなのだ!」

 

 ヘークローはだらんと下げていた腕をあげ、水鉄砲を五人の男たちに向ける。それに反応した男たちも油断なくヘークローへと銃口を向ける。

 お互いに銃口を向けあったまま、どちらも動かない。理論上で考えれば、数の利をもって五人の男達が一挙にヘークローへ攻撃を仕掛ければそれで事は終わるだろう。

 だが、ヘークローが発する強者特有の気のようなものが、彼らの行動を抑制する。

 

「なんだ? 来ないのなら、こちらから行かせてもらうッ」

 

 ヘークローが突撃を敢行しようとしたその時、事態は急変する。

 

「ごぼぼぼぼぼぼぼ…… ンガッ!?」

 

 ヘークローが攻撃を想定していなかった方向。

 そう、真上から大量の色水とついでとばかりに水をそこに貯めていたのであろう金だらいが彼の頭頂部にクリーンヒット!

 

「今だ! 全員で囲んでボコボコだー!」

「「「「おー!」」」」

「ちょちょちょっ、やめ、やめろー! 口の中に、がぼぼぼぼ…… 」

 

 金だらいが頭に落ちてきたとき特有のなんとも言えない音を合図に、五人の男たちは持っている水鉄砲でヘークローに攻撃を仕掛けたのだった。

 総攻撃が終わった後、そこには頭の先からつま先まで余すところなくびしょ濡れになったヘークローが打ち捨てられていた。

 

「みなさーん、悪魔の討伐お疲れさまでーす。後の処理は私に任せてください」

「おうよ! 夜の主役は炎の乙女だが、昼の主役は俺達だからな」

「そんじゃ、僕たちはこれから悪魔討伐の報告に行ってきますんで」

「お願いしまーす」

 

 役目を終えた五人の男たちは悪魔の討伐を広場に居る皆に知らせるべくこの場を立ち去る。

 地面に打ち捨てられていたヘークローは仰向けになり、まっすぐ空を見上げると予想通りの人物がそこに居た。

 

「やっぱり、おっちゃんたちを動かしてたのはフィリシアちゃんか」

「ヘークローさんが無駄に強すぎるのがいけないのですよ」

 

 ヘークローに向けて水と金だらいのコンビ攻撃をかましたのはフィリシアだったのだ。また、街の男たちにヘークローをこの路地に追い込むように指示したのもフィリシアである。

 

「それにしても、金だらいも落とすことは無いんじゃない?」

「それについてはごめんなさい。手が滑ってしまったの」

「……本当だろうな?」

「ええ」

「……信じるぞ」

 

 フィリシア真剣な表情で謝っているようなので、ヘークローも許すことにする。しかし、言葉ではそう言ったもののいまいちフィリシアの言葉が信じられないヘークローだった。

 勿論彼とて部下の言葉は信じたいのだ! 信じたい……。信じたいのである。

 

「もうすぐでヘークローさんの出番も始まりますから、準備してください」

「わかった……って、新人ちゃんはどうした?」

 

 今頃今日来る新人の歓迎をしてるはずのフィリシアがヘークローを迎えに来ていることを不思議に思う。

 

「それがね、時間になっても来なかったのよ。それでしばらく待っても来なかったから留守番はクレハちゃんに任せて先にあなたを迎えに迎えに来たの」

「ふーん、迷子かね。そいつはちと面倒なことになったか?」

「砦は遠くからでもよく見えるし、人に聞けばすぐ来られると思うわ」

「それもそうだな。となると、来られない理由が別にあるのか……」

 

 ヘークローは「参ったねぇ」と言いながら頭をかく。

 ここで悩んでもどうにもならないと悟ったのか、炎の乙女に奉納する舞の敵役を演じるヘークローは立ち上がり集合場所へ赴こうとする。

 そんな時、ふと思い付いたことがあった。

 

「フィリシアちゃん」

「はい?」

「俺の代わりに司令官やんない? 俺より才能有ると思うよ」

「丁重にお断りさせていただきます」

「ああ、そう……」

 

 特別期待していたわけではなかったが、フィリシアちゃんが司令官を代わってくれたなら楽が出来るな、などということを考えていたヘークローは結構残念そうである。

 

 

 

 その後、悪魔の首はしっかり落とされ(斬首的な意味で)、今年も祭りはつつがなく終わった。

 

 ……かのように思われた。

 

 遭難レベルの迷子になった未来の砦の乙女が自身の居場所を伝えるために吹いたラッパの音を住民の一部が「すわ伝説の金の角笛か!?」などと勘違いを起こし、ちょっとした騒ぎになったとかなんとか。

 

 なお、その後無事に少女の救出も完了し、今度こそ水かけ祭りは終了を迎えた。



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第八話 新人二人目・二日酔イ

 

 

 空深彼方は新兵である。

 

 性格は明朗活発かつマイペースでやや天然なムードメーカー。

 幼少期に聞いたトランペットの曲に憧れ、軍に入れば音楽が勉強できると思い志願したという聞く人が聞けば激怒しかねない理由で軍に入った少女である。

 第1121小隊着任の日にいきなり遅刻&ちょっとした騒ぎを起こすというミスをやらかしながらも尊敬できるラッパ手の先輩、年の近い同僚たち、優しい隊長に巡り合えて充実した毎日を送る事が出来るだろうと考えていた。

 

 おや? どうやらカナタはまだ最後の一人には会っていないようだ。

 

 

 

 カナタが砦にやってきて初めての朝食と自己紹介を終えると、クレハによる第1121号要塞の案内が行われた。

 それが終わる頃にはちょうど昼時となり、リオの呼びかけにより昼食の準備ができたことをカナタとクレハの二人は知る。

 

 

「それじゃあ、いただきましょうか」

 

 五人の少女がイスに座るとフィリシアはみんなにそう呼び掛けた。

 砦のダイニングルームに置いてある大きなテーブルには六人分の食事が用意されており、そのうち一つは折りたたみ式の蠅帳によって覆われている。カナタはここに居る人数と合わない料理の数を不思議に思う。

 

「あの、その食事は?」

「そういえばカナちゃんはまだヘークローさんとは会ってなかったわね」

「ヘークローさん?」

 

 朝食の時の自己紹介で四人の少女達の名前を覚えたカナタであったが、聞き覚えのない名前であったために頭に疑問符が浮かぶ。

 

「後で紹介しようと思ってたのだけど、まだ起きてこないのかしら? いつもはお昼ご飯の前には顔を見せるのだけど」

「昨日はかなりはっちゃけてたようだしな。街の男たちと夜遅くまで飲んでたらしい」

「本当に仕方のない人なんですから!」

「あの起床ラッパでも起きないヘークローくん、流石」

 

 フィリシア、リオ、クレハ、ノエルはめいめいにヘークローのことを評する。

 

「え、えーと……」

 

 四人の話を聞いて総合した結果、カナタの中でヘークローという人物は「普段から起床は昼前であり、街で飲んだくれ、起床ラッパもガンスルーする仕方のない人」となっていた。

 

「あら? 噂をすれば」

 

 ダイニングルームと廊下を隔てるドアが開く音を聞いたフィリシアは噂の人物が目を覚ましてやって来たことに気がついたようだ。

 いつもならスムーズに開閉するドアであるが、このときは蝶番が錆びついているのかと思うくらいゆっくりと、そして古いドアを開けるときのような軋む音が部屋に響いた。

 

「諸君……おは、よう……」

 

 体は壁に寄りかかり、頭を手で押さえているヘークロー。

 おそらく、彼の頭の中では内側から針でそこらじゅうを無茶苦茶に刺されている様に感じているのだろう。

 また、顔からは血の気が引いて真っ白になっている。

 

 今現在のヘークローの状態だけを見れば、どんな医者でも「ちょっとやばいのでは?」と思うかもしれない。しかし、彼女たちは昨日ヘークローが何をしていたのかという重要な情報を知っている。

 そして、その情報を知ってさえすれば、今のヘークローの状態をこう断言するだろう。

 

 二日酔い、と。

 

「彼がヘークローさん。この基地の司令官で階級は少佐よ」

 

 一目で分かるほど体調の悪いヘークローを気にする様子もなくフィリシアはカナタへとヘークローを紹介する。

 

「そ、空深彼方二等兵であります。よろしくお願いします」

「よ……よろしく、ね……カナタちゃん……」

 

 ヘークローはカナタに対して今できる精一杯の笑顔を向けているつもりなのだが、今の幽鬼のような彼が笑みを浮かべても不気味なだけである。

 彼の努力もむなしく、笑うために口角を挙げるのに比例してカナタの口元も引きつるばかりだ。

 

「ほら、ヘークローさん。カナちゃんが怖がってますから止めてください。水を飲みに来たのでしょう? 早く水を飲んで、今日はもう休みましょう」

 

 見るに見かねたフィリシアはヘークローの介助を行うことにした。

 

「それがな……夢の世界に、逃げ……込もうと思ったんだが……不思議な、旋律が聞こえてきてから……ぱったりと眠気が、消え失せ、てな……」

「あっ……」

 

 そうヘークローは証言する。

 実はヘークローは起床ラッパが鳴る少し前から目を覚ましては居たのだ。

 しかし、二日酔いによる頭痛が酷かったため、再び眠りについて夢の世界に逃げ込もうとしたのだが、その矢先カナタの決して上手とは言えない起床ラッパがヘークローにトドメを刺したのである。

 その結果、眠ろうにも眠れず昼頃までベッドの上でのたうち回っていたのだ。

 

「そう言うこと」

 

 ノエルは一人納得していた。

 

「私はヘークローさんを部屋に運んでくるから、気にせず先に食べてて」

「うぅ……」

 

 フィリシアはヘークローの腕を首にまわして、片方の手で彼の体を支えながらゆっくりと歩き出す。フィリシアに支えられるヘークローはもはやうめき声しか出せないようだ。

 その様は戦場で負傷した軍人とその負傷した同僚に手を貸す軍人のようである。

 

 しかし、実態はただの酔っ払いとその付き添いでしかなかった。

 

「えっと……、もしかしなくても、私のせいですかね?」

「気にするな。祭りの次の日のヘークローはいつもあんな感じだ」

 

 自身のラッパがヘークローを苦しめてしまったことを悔やむカナタにリオは気にするなと励ましの言葉をかける。

 ただし、「今年は特にひどいけどな」という言葉は胸の内に留めておいたリオであった。

 

 

 

 ☆

 

 

 

 

 ヘークローとフィリシアの二人はおぼつかない足取りながらもなんとか司令室に到着していた。

 

「とりあえず座ってください。お水、もう一杯飲みますか?」

「ああ……。頼む」

 

 司令室に設置されているソファにヘークローを座らせたフィリシアはキッチンまで水を取りに行く。

 小走りでキッチンと司令室を往復したフィリシアの息は少し荒い。

 

「どうぞ」

「ありがとう……」

 

 水が満たされたコップを受け取るとすぐにコクコクと音を鳴らしながら水を胃に流し込んでいく。

 よく冷えた水がヘークローのノドを潤す。

 水を飲んだことで落ち着いたのか、ヘークローの体調も少しだけ良くなったようだ。

 

「私はもう戻りますね。今日はここで大人しくしててくださいよ」

「ああ……。あっ、机の上のモノ、カナタちゃんに渡しておいてくれ」

 

 ヘークローの言葉の通り、彼がいつも使っている執務机の上にはあるモノが置かれていた。

 

「もしかして、お酒を飲んで帰って来てからやったんですか?」

「酒入れて装備の整備するわけないだろ。行く前にやったんだよ」

 

 机の上に置かれていたのはライフルだった。

 前にヘークローがクレハのために手入れをしていたものと同じ型の物である。官給品であるため同じなのは当然と言えば当然であるが。

 

「そいつのおかげで飲み会に遅れて、駆けつけ三杯やらされちまったがな。しかも一気。全く……、誰だ最後にそれの整備をした奴は」

「三日前に新人のためにって言って整備してたのはヘークローさんじゃないですか」

「そうだった……」

 

 そう言って、ヘークローは腕を目の上に置く。

 眩しかったからそうしたのか、はたまた過去の自分が行った整備に満足できず、再び手入れをしていた自分に呆れてそうしたのか。フィリシアは「たぶん後者だろうな」と思いながら微笑む。

 

「それじゃあ、お大事に」

「あいよー……」

 

 これからカナタが使うことになるライフルを担いだフィリシアは今度こそ司令室から出て行った。

 司令室に残されたヘークローは一人、ソファで死人のように動かない。相変わらず眠気は全く感じないヘークローであったが、静かな司令室に居ると気分が落ち着く。なんだかんだで一番居る時間が長い部屋であるため、ヘークローにとっても司令室は最も落ち着くことができる部屋であった。

 なお、ヘークローの体力を最も削る部屋も司令室であることは今は忘れているのは御愛嬌。

 

「……雨か……」

 

 司令室の窓を叩く雨粒の音が部屋の静寂を打ち壊す。

 そんな昼下がり。

 

 




作者の知識がガバガバ過ぎて辛い……


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第九話 幽霊ノ正体・見エ見エズ

 

 

 

「念入りに調査して来い。万一会敵した場合はラッパを吹け! すぐに増援を送ってやる!」

 

 リオはそれだけ言うと一秒でも長くこの場所に居たくないと言った様子でフィリシアとノエルが居る部屋まで駆け出して行った。

 

「……なんで……うう」

「あの、二等兵殿」

「何よ、カナ、あ……二等兵!」

「何だか、ワクワクしますね」

 

 カナタはそう言ってニッコリと笑う。

 

 その時、タイミングを合わせたかのように雷が鳴り、あたり一面をパッと明るくした。

 カナタの笑顔に光があたったためだろうか、それともこの状況を楽しんでいるカナタを不気味に思ったからだろうか。

 クレハの恐怖心メーターはガンガン上がっていく。

 

 しかし、今は後輩の前である。

 それに、基本的に階級で呼ぶことを認めていない第1121小隊において、あえて先任としての敬意をカナタに払わせているクレハにとって、後輩の前で情けない姿を晒すことはあってはならないことであった。

 その一心だけが、今のクレハの足を支えている。

 

 さて、どうしてこのような状況になったのか、少し説明が必要だろう。

 それは二日酔いのヘークローを司令室に運んだフィリシアがダイニングームに戻って来てすぐのことだった。

 

 

 

 ☆

 

 

 

「そういえば、出た」

 

 最初にそう切り出したのはノエルだった。

 

「出たって何が?」

「幽霊」

 

 主語がなく不明瞭なノエルの情報を正確にするためにフィリシアは尋ねる。

 その結果、ノエルが言った「出た」という言葉の動作主は幽霊という思いもよらない存在であった。

 

「「幽霊!?」」

 

 その言葉に異様に反応した人物が二人。

 クレハとリオである。

 

 リオには苦手なものが三つある。

 料理、ピーマン、怪談話。

 そう、怪談話である。怪談話が嫌いとなれば、その主役ともいえる超自然的存在、通称幽霊と呼ばれる不確定で不明瞭で不自然でよくわからない存在が大嫌いであった。

 

 クレハも幽霊のことが大嫌いである。

 だが、クレハの場合、幽霊が嫌いなのはリオのようによくわからない恐怖からくる苦手意識ではない。

 夜中に金縛りにあったりだとか、一人で居るとピシピシ音が聞こえてきたりだとか、背中に誰かの気配を感じたから振り向いても誰もいないだとか、ずーっと廊下の隅にしゃがんで居る人が見えたりなどの心当たりがあるからだ。あり過ぎるのだ。

 気のせいといわれてしまえば気のせいで終わることかもしれないが、クレハにとっては「幽霊なんて居ない、絶対居ない!」と、自分に暗示をかけてでもその存在を否定したいと思うほどには恐怖の対象であった。

 

 ちなみに、この時点ですでにリオとクレハの二人の顔は少し青い。

 

 

 

 その後、話を進めるうちにカナタも幽霊を見ていたということが判明する。

 

 幽霊らしき影を見たというカナタとノエル。

 そんなものは居るわけがないと言うクレハ。

 

 クレハは科学者のくせに不確かなことを言うノエルに対し科学的に検証せよというが、ノエルは「怖い」という理由から幽霊の調査を拒否する。科学者であるノエルがそう言うこと自体がさらにクレハの恐怖心を煽っていることにノエルは気が付いていない。

 

 幽霊という存在を受け入れており、とくに不思議とは思わないカナタ。

 絶対に絶対に絶対に幽霊なんて居ないと言い張るクレハ。

 

 このままノエルやカナタに自由に発言させては幽霊の存在を否定するどころかさらに「居るかもしれない」という思いに襲われるてしまう。

 そうはさせまいとクレハは机をバンバンと叩いて議論を終わらせようと試みた。

 

「私もお前と同意見だ」

 

 一人でヒートアップしていたために息が切れたクレハの肩に手を置き、クレハにそう言ったのはやはりリオであった。

 ようやく得られた同じ考えの同士、それも尊敬する先輩ということで、クレハを安心させるのには十分であった。

 

「幽霊など居ない!」

 

 リオは言う。

 

「居ません!」

 

 クレハは答える。

 

「絶対に居ない!」

 

 リオは確認する。

 

「絶対の絶対です!」

 

 クレハは宣言する。

 

「よし!」

 

 

 幽霊の存在は絶対に居ないと宣言したクレハなら何も問題はないだろうと信じてリオは彼女を幽霊の目撃現場の調査に行かせた。

 お供にカナタを付けて。

 

 話は冒頭に戻る。

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

「あんたが先行、私がバックアップ!」

「はい」

「では、突入!」

 

 こうしてクレハとカナタによる第1121号要塞における霊的存在調査任務が開始された。

 

 

 第1121号要塞、つまり時告げ砦は大断絶以前から存在する建物をヘルベチア陸軍が改修して使用しているものだ。そのため、砦を構成する壁や天井などの材質は長年の雨風にさらされて酷く劣化・風化している部分が多く存在する。

 小隊が活動するために普段使う施設はそれなりの修復を行い、定期的に手入れもしているが、全く使っていない部屋などでは窓は割れ、物は散らばり、場所によっては壁もないと言った有様であった。

 今日みたいな雨の日は雨漏りも酷い。

 

 戦略的に重要視されていないこの地において、駐在する軍人の数はいつも少なかった。そんな彼ら・彼女らにとって時告げ砦は大き過ぎたのだ。

 結果、今に至るまで全く使わないところの修復は行えず、そのまま放置されているのである。

 

 そして、今回二人が来た場所はそういうところであった。

 

 瓦礫で狭くなった道をくぐって進み、荒れ果てた部屋を一つ一つ調べ、時にねずみの大群に追われながら二人はある部屋にたどり着く。

 

 その部屋には五線譜が引かれた黒板ともはや役目を果たせなくなったピアノが置かれている。

 

「きっとここで音楽も教えてたんだよ!」

「軍隊でもないのに?」

 

 これまでの砦の様子から、かつてこの建物ではカナタ達位の歳の子たちがたくさん集まって一緒に学ぶ場所である学校だったのだろうとカナタは考えていた。

 そして今居る部屋では音楽を教えていたのだろうと。

 

 少し前に訪れた部屋でイデア文字が書き込まれた本を手にしたカナタであるが、彼女にその文字を読むことはできない。

 しかし、ピアノが置いてある部屋に落ちていた楽譜の切れ端。こちらはカナタでも、現在の人でも同じように読むことができる。

 

 それはなんと不思議で素敵なことだろうか。

 生きる時代は違えど、使う文字すら違えど、音はいつでも変わらないということだ。

 

 クラリネットと演奏するクレハ。

 フルートを吹くノエル。

 ピアノをひくフィリシア。

 トランペットを演奏するカナタとリオ。

 そして、指揮棒を横においてソファで寝ているヘークロー。

 柔らかい光が差し込む部屋にそんなみんなが居る。

 

 セーラー服を着た五人の少女たちとワイシャツ姿のヘークローがカナタのまぶたに浮かんでいた。

 

 もしかしたらあったかもしれない未来。

 もしかしたらここであったのかもしれない過去。

 それはとても優しく、温かく……

 

「ちょっと、なに一人で浸ってんのよ」

 

 カナタを空想の世界から引き戻したのは、カナタがなにもしゃべらなくなって心細さを感じ始めたクレハだった。

 目を開くと、そこは変わらず荒れ果てた部屋のなかで壊れたピアノがポツンと置かれていた。

 

「ねえクレハちゃん!」

「な、何?」

「クラリネットやってみない?」

「はあ? 突然何よ」

「いいなって思ったから!」

「バカなこと言ってないで、さっさと次に行くわよ。こんな任務早く終わらせるんだから」

「うん」

 

 バックアップなのにさっさと先に行ってしまうクレハをカナタは急いで追いかける。

 

 その時、カナタはふと思う。

 

「あれ? さっきの服ってなんの服だっけ?」

 

 セーラー服は内陸国のヘルベチアでは採用していない。海に面し、海軍を要するローマ帝国の水兵が着ているものだ。また、水兵が着ると言うことはセーラー服は基本的に男が着る服であり、下はスカートではなくズボンである。

 だが、カナタが思い浮かべた五人の少女は下はスカートのセーラー服を着ていた。これはカナタの常識から言えば非常に不自然なことである。

 しかし、何故かカナタにはセーラー服を着た五人の姿がとても自然に思えた。

 

「カナタ、早く!」

「今行くよ! ……ま、いっか」

 

 軍人のカナタは任務を続行する。

 

 

 

 ☆

 

 

 

 見回りもほとんど終わり、さまざまな困難をともに乗り越えた二人の間には安い言葉だが、所謂『友情』が芽生え始めていた。

 

 「やはりお化けなんか居なかったんだ」

 二人が思い始めた頃、そいつは雷鳴とともに現れた。

 壊れた壁から侵入して来た何かがバサバサと大きな音を立てている。

 

「え!? わああ! なになになに!?」

「い、いやっ! いやー!!」

 

 突然の事に混乱したクレハは走り出す。それを追いかけるようにカナタも続く。

 しかし、そこは足場が悪い廃屋の中。突然の事にあわてていることもあり、カナタはひび割れたタイルに足を取られて転んでしまう。

 

 転んだカナタを襲おうとしているのか、黒い何かは彼女の真上で留まっている。

 

「カナタッ!」

 

 転んだカナタと彼女を狙う何かに気がついたクレハは咄嗟にライフルを撃つ。

 拳銃とは違う、ライフル特有の重たい破裂音が闇を切り裂く。

 弾丸は目標を外し天井に着弾した。

 

「すごい……」

 

 だが、目的は達成できたようだ。

 大きな銃声に驚いたのか、それは気を失って転がっていた。

 

「あったりまえでしょ!」

 

 精一杯の意地を張って絞り出したクレハの声は、震えていた。

 

「フクロウ、だね?」

「幽霊ってもしかしてこいつのこと?」

 

 クレハが放った銃弾によって気を失い落ちたのはフクロウだった。

 正式な名称は彼女たちには分からないが、鳥類の中でも特徴的な容姿をしているその鳥は誰が見てもフクロウと言うだろう。

 

「全く人騒がせなんだから……。ね、カナタ」

「……」

 

 正体不明の幽霊がただのフクロウだったとわかったクレハは元気を取り戻したようだ。カナタに向けて声をかけるクレハであったが、カナタは返事をしない。

 

「カナタ?」

「……人……魂」

「え?」

 

 カナタはクレハのさらに向こう側、はるか後方に視線を向けている。

 クレハはゆっくりと首をまわす。それはもうゆっくりと。その様は油の切れたロボットが首を回転させるかのようにぎこちない。

 

「ぎゃああああああああああああああ!!!!」

 

 クレハは確かに見た。

 空中に浮かぶ橙色の火を。

 ガンナーとしての意地が人魂に向けて銃口を向ける。

 

「バ、バカ! そんなもんこっちに向けるな!」

「え?」

「ヘークローさん!」

 

 人魂に見えたものはヘークローが持つ蝋燭の火である。

 ランタンを使わずに古き良き手燭を彼は使っていたのだ。

 

「銃声が聞こえてきたから何かと思って来てみれば、なんだ? 今日は焼き鳥か。しかし、フクロウなんて食って美味いのか?」

「そんなわけないじゃないですか!」

「実は幽霊調査に来てて、その正体がたぶんこの子だと」

「ふーん、幽霊ね」

 

 ヘークローは未だ気を失っているフクロウに近づいてしげしげと眺めている。

 

「で、なんでヘークローさんはこんなところに居るんですか! 安静にしていなくて良いんですか!」

「ん? ああ、ちょっとこっちに用事があってな。それに大分休んだからもうどうってことないぞ」

 

 ヘークローの言うように、蝋燭の火に照らされる彼の顔色はダイニングルームで見たときとは比べ物に成らないほど良いものだった。

 そして、ヘークローにビビらされたクレハは弱冠キレ気味である。

 

「そんなに時間は経ってないと思うんですけど……あれ? ヘークローさん、それは何ですか?」

 

 カナタはヘークローが左手に持っている紙の束に気がついた。

 

「あー、これはな……まあ、なんだ。後のお楽しみだ」

「えー、気になりますよ!」

「まあ、それは良いだろ。幽霊の正体も分かったことだし戻るか、二人とも」

「はーい」

「……」

 

 ヘークローの呼び掛けに答えるカナタ。

 一方で、クレハは無言のままうつむいている。

 

「クレハちゃん、どうかしたか」

「……腰が……腰が抜けて立てません……」

 

 さっきまでの威勢はどこへやら。

 ヘークローとカナタが移動すると知ったクレハはとうとうその事を隠しきれなくなった。

 

「しゃーなしだな。ほれ」

 

 ヘークローは持っている紙の束をカナタに渡し、クレハの前にしゃがみこむ。そして、クレハにおぶさるように促した。

 

「えっと……でも……」

「いいから、早く乗れ」

「……失礼します」

 

 おずおずとヘークローの首に腕を回す。

 クレハの上半身が固定されたことを確認すると、ヘークローは前傾姿勢で立ち上がる。しっかりとクレハの太ももの部分を持ち、落ちないようにする。

 

「カナタちゃんはそいつも運んでくれるか?」

「はい! 任せてください」

 

 カナタはヘークローに持たされた紙の束は手で掴み、フクロウを腕全体で抱えるようにして運ぶ。

 

「まさか、こんなに幽霊嫌いだとは……。クレハちゃん、先に謝っとくわ。ごめん」

「え、なんですかそれ。なんなんですか!」

 

 こうして三人は無事にフィリシア達が待つ部屋に帰還した。

 

 

 

 

 その後、ヘークローが持っていた紙の束はそのままカナタの物になった。

 内容はトランペットを含む金管に関する旧時代の教本を翻訳したものだ。

 ヘークロー曰く、基地に残された過去の本を自分で翻訳したらしい。専門の学者か本当に真面目な教会関係者でもなければ読むことが出来ないイデア文字を読むことが出来るのはヘークローの密かな自慢だ。

 しかし、丸々一冊分内容が鮮明に残っている物はこの基地には無いはずである。それどころか、国内どこを探してもそうは無いだろう。いくらかつての印刷技術が優れていようと長い長い時が経てば読めない部分も当然出てくる。

 また、運良く状態が良いものが有っても、旧時代の書籍は教会が保護の名目で独占しているのだ。

 

 その本の出所を疑い尋ねたフィリシアにヘークローはこう返した。

 

「幽霊との取引だ」、と。

 

 

 後日、幽霊に体を乗っ取られたクレハにリオが告白されると言う事件があったのだが、それはまた別のお話。




原作とは少し違うところも有りますが、仕様です。


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第十話 紅茶ガ無イ日・薬ガ無イ日(前編)

 

 

 

 今日も時告げ砦はセーズの街に朝が来たことを告げる。

 

「……む」

 

 第1121号要塞の司令官、藤堂平九郎もまた朝が来たことを知る。

 

 

 

 ☆

 

 

 

「おはよう、諸君」

「おはようございます。ヘークローさん」

「ん? カナタちゃんだけか」

 

 目を覚まし、素早くカッチリと軍服に着替えてダイニングルームに向かったヘークローを迎えたのは朝ごはんの準備をしているカナタであった。

 

「なんだなんだ。カナタちゃん以外のみんなはまだ来てないとは、だらしないな」

「ヘークローさんがそれを言うんですか……」

「はっはっは、冗談さ」

 

 カナタが起床ラッパを担当するようになるまでのヘークローの起床時間は午前十一時頃であり、人の事を言える立場にはない。司令官自ら朝礼にすら出席しないのはどうかと思うが、この隊でそのことを叱責する人物は居ない。

 彼女たちはもう諦めの境地に達しているのだ。

 とは言え、やはり規則を破るのはいかがなものだろうか? と感じるだろう。この小隊において致命的な規則破り、それこそ隊員の命が関わる程のものでもなければこの砦の人たちは気にしないのである。それほどこの小隊は世間一般の軍隊とはかけ離れた場所なのだ。

 

「何か手伝えることはあるかな?」

「それじゃあ、台を拭いてもらえますか?」

「よし、わかった」

 

 カナタに食卓としてつかわれるテーブルを拭くように頼まれる。台布巾を取り、水でぬらすために水道が使えるキッチンへ向かう。

 そこではカナタが鍋の中身をおたまでゆっくりとかき混ぜている姿が見られれた。

 その鍋から漂ってくる発酵食品独特の香りにヘークローは覚えがあった。

 

「味噌汁か。良い匂いだ」

「はい、ヘークローさんはお味噌知ってるんですね。私の地元の郷土料理なのに」

「伝統の料理、工芸品、そして歴史。そういうのが俺は好きでね」

「そう言えば、ヘークローさんはイデア文字も読めますよね。すごいです」

「俺の両親は所謂学者でね、大断絶以前の旧時代を専門に研究してるんだ。親の影響もあって俺もそういったことが好きなんだよね。そんで、そんな親元で育った俺少年が母国語より先に読めるようになった文字はイデア文字だった、とさ」

「それは……ほんとにすごいですね」

 

 ヘークローは幼いころから学者の両親に連れられて国内の土地から土地へと転々としていた。旧時代の残滓というものは国内のあらゆる場所に存在しており、それらを実際に目で見て確かめるためにヘークローの両親は彼を連れて様々な場所へ向かったのだ。

 その道中、ヘークローが暇をしたときに聞かされる話はイデア文字で書かれた物語であったし、子守唄は旧時代の書籍に記録としてあったものである。その結果、彼が最初に読めるようになった文字はイデア文字であった。

 ヘルベチア共和国の公用語の文字をヘークローが読めないと気がついたときの両親の慌てようは長い年月がたった今でも平九郎の記憶に強く残っている。

 

「俺は味噌汁好きだから、こんな風に味噌汁をカナタちゃんが毎日作ってくれたらうれしいなぁ」

「ええ!? そ、それって……どどどどどど、どういう意味合いで……」

 

 ヘークローの呟きに顔を真っ赤にしてどもりまくるカナタ。

 

「おもしろいよね。その土地特有の表現って。その土地の気質と歴史を感じられるから」

「え? ……あっ!  からかったんですね!」

「はっはっは」

 

 恥ずかしさで真っ赤にした顔のまま『プンスカ!』といった感じでカナタはヘークローに詰め寄るが、ヘークローはつい先ほど冗談を言ったときと同じような笑い方で答えるだけである。

 

「もう…… あ、それじゃあこの間私が見つけた本もヘークローさんなら読めますか?」

「ん? ああ、この間の幽霊騒動の時に何か拾ったのかな。じゃあ後で訳してみるか」

「いいんですか? おねがいします!」

 

 ヘークローとカナタがそんな話をしているうちに他の隊員たちもやって来る。

 

「おはよう。ん? ヘークロー早いな」

「二人ともおはよう」

「おはようございます。ほらノエル、そこの椅子に座って」

「……うん」

 

 上から順にリオ、フィリシア、クレハ、クレハに連れられたノエルだ。

 

「みなさん、おはようございます!」

「おはよう、諸君」

 

 キッチンから顔だけ出して挨拶をするカナタ。

 カナタが作った朝食を次々にテーブルに並べながら挨拶をするヘークロー。

 

「ヘークローさん、最近早起きで偉いわねー」

「俺は子供か……。ここ最近、寝ていると不思議な旋律が俺の眠気をスッパリ消し去ってくれるから気持ちよく起きられるんだ」

「うう……」

 

 ヘークローが早起きできる理由について心当たりがあるカナタは思わずテーブルに両手をついて落ち込んでしまう。

 

「それじゃあ、カナちゃんのラッパでヘークローさんが起きなくなったら一つ壁を越えたことになるわね」

「はい! ヘークローさんが起きないように頑張ります!」

「うーん、それって良いことなのかしら。いや、良いことよね? でも起床ラッパとしてそれはどうなの? うーん……」

 

 フィリシアとカナタのそんな会話に違和感を感じるクレハであった。

 

「それじゃあ、いただきましょうか」

 

 フィリシアの言葉を皮切りに、カナタお手製の朝ご飯をみんなは食べ始める。

 

 

 

 ☆

 

 

 

「ごちそうさまでした」

 

 ダイニングルームに六人分の声が響く。

 

「どうぞ、お茶です」

「ありがとう、フィリシアちゃん」

 

 食後はフィリシアが淹れたお茶を楽しむ。

 それが第1121小隊の朝のきまりだ。

 

「あれ? フィリシアちゃん、紅茶は?」

「ごめんなさい、茶葉を切らしてしまって。だから今日は代わりに緑茶なの。今日の午後には補給を受け取りに行くんですけど……ヘークローさん、大丈夫?」

「だ、大丈夫だとも! ああ……大丈夫……俺は大丈夫だから大丈夫なんだ……」

「あの、ヘークローさん。全然大丈夫そうに見えないんですけど?」

 

 いつもと中身が違うティーカップを持ったヘークロの手は僅かに震えている。その様子を不審に思ったクレハはヘークローに尋ねる。

 

「な、なんだいクレハちゃん。俺がおかしいとでも言うのかい? フィリシアちゃん、紅茶をくれ」

「だから、茶葉を切らしてるんですって」

「そ、そうだったな。ははは……」

 

 いつもと様子が異なるヘークローにカナタ、クレハ、リオの四人は不審に思う。フィリシアは一人呆れた様子でヘークローのことを見ていた。

 

 なお、名前が上がらなかったノエルは食事が終わると人知れず静かに落ちていた。

 

 

 

 それはちょっとした事件が起こる日の朝のこと。

 

 

 



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第十一話 紅茶ガ無イ日・薬ガ無イ日(後編)

 

 第1121小隊の朝は早い。

 

 ラッパ手が起床ラッパを鳴らすのが五時三十分(ヘークローはいつも起きない)。

 朝食は六時(ヘークローはいつも食べない)。

 朝食の後、隊旗と国旗の前で朝礼(ヘークローはいつも出ない)、砦の掃除(ヘークローはいつも参加しない)、畑の水やり(ヘークローはいつもやらない)が行われる。

 一連の朝の仕事が終われば隊員は各々の仕事を行うことになる。しかし、今は小隊に二人の新人隊員がいるため、午前中は彼女たちに対する授業を行っている。

 例えば今日なら、

 

 一時限目、ノエル先生のライフル取り扱い初級編

 二時限目、フィリシア先生の戦車のお話とヘークロー先生の戦車戦における基本戦術講座(ただし、ヘークロー先生の講座は不定期開催)

 三時限目、リオ先生の経済のお話

 

 といった具合になっている。

 

 一コマ約一時間ほどで、これらの授業が終わると十二時から昼ご飯となる。食事は持ち回りの当番制であり、今日はカナタの日だ。

 カナタが選んだ今日の昼食のメニューはシチュー。

 リオは出来上がったシチューと付け合わせのパンを持って隊長室で執務をしているフィリシアに届けに行く。

 一方、カナタ、クレハ、ノエルの年少組は良い天気なので中庭で昼食にすることにしたようだ。

 

「ヘークローさん、今日は具合悪そうだったね」

「あー、あ? うーん……そういえばそうね。朝も挙動不審だったというか」

 

 スプーンですくったシチューを口に含もうとするのを中断し、カナタの呟きに反応するクレハ。

 

「さっきお昼ご飯を持って行った時も、少し様子が変だったの」

 

 

 

 カナタは思い出す。

 

 それは出来上がった昼食をヘークローが居る司令室に届けに行った時のことだ。

 

 

 

 ……

 

 

 

「失礼します。ヘークローさん、お昼ごはんですよー」

 

 ノックを三回して入室するカナタが持っているトレーには出来上がったばかりでホカホカのシチューと街のパン屋で買ったパンが乗っている。

 

「! ああ……カナタちゃんか……。つ、机の上に置いといてくれ」

 

 叩かれたドアに期待の表情が浮かんだヘークローであるが、入ってきた人物がカナタだということに気がついたためか表情は元に戻る。

 そのことにカナタは気が付いていない。

 

「わかりました」

 

 ヘークローに言われた通り食事のトレーを執務机に置いたカナタはもう用事は済んだため部屋から出ればいいのだが、カナタが入室した時以外彼女に顔すら向けずひたすら何かを探し続けるヘークローが気になった。

 顎に手を当て、何かを考えながら部屋をうろうろしたと思ったらクローゼットを開け中を物色、サイドチェストの引き出しを上から順番に開けては中を確認し、執務机の引き出しを見てはため息をつく。

 

 カナタがこの部屋に入ってからヘークローはこの動作をすでに二回は繰り返している。

 

「あの、何かお探しですか? 良ければ手伝いますけど」

「いや、大丈夫だ。個人的なモノだからね。君の手を煩わせることもない。早くみんなと一緒に昼食を食べると良い」

「そうですか?」

 

 ヘークローの不審な行動を見るに見かねてそう尋ねたカナタであったが、ヘークローに断られてしまう。

 お腹が減っていることも事実であったため、カナタはこの部屋から出てクレハ、ノエルと共に昼食を取ることにした。

 

 カナタが司令室を出てドアを閉めようとしたその時、ヘークローの呟きが聞こえてきた。

 

「はぁ……参ったなぁ……アレがないと」

 

 ドアを完全に締め切ってしまったため、聞こえたのはそこまでだった。

 

 

 

 ……

 

 

 

「って、ことがあったんだよ」

「ふーん、よっぽど大事なものを探してたのね」

 

 ヘークローの異変を話のタネにして三人はお昼を楽しんでいた。

 

「でもヘークローさん、何をそんなに一生懸命探してたのかしら」

「大事な書類とか?」

「あの人、仕事では致命的なミスとか大事な時にさぼったりとかはしないから違うと思う。まあ、さぼれる時は全力でさぼってるけど……」

 

 クレハのそんな疑問に一つの可能性を提示したカナタであったが、クレハはその可能性は無いと判断する。

 

「じゃあじゃあ、恥ずかしい写真とか?」

「写真かー。無いとは言い切れないけど、あんまり想像できないわね」

 

 やはりピンとこないクレハだった。

 カナタとクレハで色々意見を出してみるが、これだというものは出てこない。そこで、クレハはこの中でヘークローと一番付き合いが長いノエルに聞いてみることにする。

 

「ノエルは何か思い当たるものはない?」

「たぶん、葉っぱ」

「「葉っぱ?」」

 

 ノエルからもたらされた思わぬ言葉にカナタとクレハはすっとんきょうな声を出してしまう。

 

「そう、葉っぱ。葉っぱはヘークローくんの精神安定剤」

「え゛……それって、ヤバイやつなんじゃ……」

「大丈夫、合法なやつだから」

 

 クレハの頭の中に自身の上司が麻薬の常習者なのではないかという疑念がわく。

 ノエルは合法だから大丈夫と言っていたが、この国にはまだ禁止されてないだけで使うとヤバイ物もたくさんある。ヘークローが探していたものはそれだったのではないかと。

 

「そ、そういえば、ヘークローさんが不審な行動を取ってたってカナタも言ってたし……午前の講義でも手が震えてチョークで書いた文字がガタガタだったし……ひえー!」

 

 深く考えることが怖くなったクレハはばたりと倒れる。

 どうやら考えることをやめてひと眠りすることにしたようだ。

 

「もしかして、それって紅……」

「……むにゃ……」

 

 ヘークローが探していたという葉っぱの正体に気がついたカナタはノエルに確かめようとしたが、すでにノエルは夢の世界に旅立った後だった。

 

「ま、いっか」

 

 話すことに夢中になってまだ残っているシチューを空にする作業に戻る事にする。しかし、彼女もまた暖かな陽気に誘われて、残った食事を食べるのもそこそこに夢の世界に旅立つのであった。

 

 

 

 ☆

 

 

 

 所は変わってここは司令室。

 

 執務机の上には中身が無くなって久しい食器が置かれていた。

 食べ終わったら食器はすぐに水につけておかなければ汚れがとれにくくなるため、放って置くとフィリシアに小言をいただいてしまうのだが、現在の彼はそこまで頭が回っていない。

 

 そんな部屋の主、ヘークローは椅子に座って一人考える。

 

(まさか、予備も含めて茶葉が無くなるとは)

 

 彼は小隊の装備や生活必需品等の備蓄の管理は決して怠らない。

 そのため、(彼にとって)必需品である紅茶の茶葉も当然予備を用意しているのだが、最近の忙しさもあって補充することを忘れていた。

 また、紅茶は彼だけの必需品であり、小隊にとっての必需品と言うわけではないため彼の中で紅茶の優先順位が他の物品に比べて下だったことも原因である。

 とは言え、普段の彼なら予備に手をつけた時点で予備の補充を行うものだ。

 

 では、何故そんなことが起こったのか?

 最近のヘークローはカナタの起床ラッパによって必要な睡眠時間が確保出来ず、寝不足であった。

 カナタにその事を正直に言うことはなかったが、睡眠不足は確実にヘークローの判断力を奪っていた。

 

(昔はもっと無理がきいたんだが……なまったな。 まあいい。取り合えず、街まで買いに行くか?)

 

 ヘークローは自分の手に目を向ける。

 最後に紅茶を摂取してからかなりの時間が経ったヘークローの手は震えていた。それは彼の足にも同じことが言えた。

 

(いや駄目だ。今の俺が店までたどり着けるとは思えない)

 

 行き付けの茶屋までの考え得る全ての経路を何度シミュレーションしても、イメージの中のヘークローは砦から三キロの地点で行動不能に陥ってしまう。

 なお、ヘークローの頭に私用で軍の車両を使うという考えはない。

 変なところで生真面目なヘークローであった。

 

(補給の受領に行ったフィリシアちゃん達が帰ってくるのを大人しく待つしかないか……)

 

 カナタが部屋にやって来てからかれこれ三時間ほど同じ思考を繰り返していた。

 いくら考えようが変えようもない事実なのだが、そこをぐだぐだと考えてしまうのがヘークローの悪い癖だ。

 

 だがそんな時、ヘークローは天啓を得る。

 

(そうだ! 何も店まで行かなくても砦から近い知り合いに茶葉を分けてもらえば良いじゃないか)

 

 その人の家は砦から約一キロ程の所にすんでおり、往復しても三キロを越えない。イメージの中の彼は無事に砦に帰還できていた。

 また、幸いなことにその知り合いも紅茶を常飲していることをヘークローは知っている。

 

(イケる。イケるぞ!)

 

 そうと決まれば後は即行動。

 ヘークローは勢い良く椅子から立ち上がり一歩を踏み出す。

 

「あっ」

 

 だが、待ってほしい。

 ヘークローはかれこれ三時間ほど身動きもせず椅子に座っていたのだ。

 そんな人物が勢い良く立ち上がり歩こうとしたらどうなるか?

 しかも、紅茶(燃料)切れの今の彼の状態は良いとは言えず、そんな彼が歩こうとしたら?

 

「ぬお!」

 

 当然、転ける。

 

 ただでさえ力が入らない足、長時間の着席による痺れ、それに加えて素早く立ち上がったことによる立ち眩みがヘークローを同時に襲う。

 

(くっ、まさか前提条件が間違っていたとは……)

 

 ヘークローの想定では今の状態でも最低三キロは歩くことが出来るはずであった。しかし、実際は歩き出すことが出来なかったのだ。歩き始めを考慮に入れていなかったヘークローのミスである。

 これも睡眠不足による思考力低下のためだろうか。

 

 しかも、完全に倒れてしまったヘークローは起き上がることが出来ない。

 

「終わった……」

 

 ヘークローはそう呟きゆっくりと目を閉じた。

 

 

 そんな残念な空間に乱入してくる人物が居た。

 

「ヘークロー、大変なんだ! カナタが熱を……って、どうした!?」

「……リオちゃん、か……」

 

 リオは倒れているヘークローに気がつくとすぐさま傍に駆け寄ってヘークローの体を抱き起こす。

 

「おい! しっかりしろ! ヘークローまで……こんな……なんで……」

 

 今時告げ砦にはリオ、カナタ、ヘークローしか居ない。

 そんなときにカナタとヘークローが倒れてしまったという事実にリオは狼狽していた。

 

「……こ……紅……」

「なんだ、何か言いたいのか?」

 

 ヘークローが残りの力を振り絞って出したかすかな声。それを少しでも聞き逃すまいとリオはヘークローの口元に耳を近付ける。

 

「紅茶……買って来、て……もぅマジ無理……」

「中毒者か己は!」

「ゴフッ」

 

 思っていた以上にしょうもないヘークローの呟きにリオは抱いていた彼の頭から手を放して立ち上がる。すると、当然床から少し高いところにあったヘークローの頭は重力に従って床に落ちるわけで。

 それは地味に痛いわけで。

 

 司令室にゴッという鈍い音を響かせながらヘークローは床にうち捨てられる。

 

「カナタが大変な時に、まぎらわしいことするな! 解熱剤も無いし……こうなったらもう……くそっ!」

「解熱剤がない?」

 

 リオはこの状況を打開する手段をとることに決めたのか、司令室から飛び出していく。

 

「リオちゃん、解熱剤ならここに……行ってしまった……」

 

 ヘークローとしても尋常ではない様子のリオを落ち着かせるためにすぐに追いかけたいところだが、如何せん足が動かない。

 大声を出して呼び止めようとしてもそこまでの大声を出せないうえに、もう声が届くところにリオは居ない。

 

 その後、帰ってきたフィリシアが一番に紅茶を淹れて司令室にやってくるまでヘークローはこのままであった。

 

 

 

 ☆

 

 

 

 

「はあ!? 予備の解熱剤が司令室にあっただと!」

「ああ。医療品、水、保存食は非常時のために確保してるんだ。ここは補給が不安定だからな」

 

 驚愕の事実を知って興奮しっぱなしのリオに対して、ヘークローは本日何杯目かもわからない紅茶を飲みながら冷静に答える。

 

 司令室を飛び出したリオは薬を分けてもらうために嫌いで仕方のない教会へ赴いてた。

 そこで医療の心得を持つシスターユミナの助けを借りてカナタの治療を行ったのだ。

 

 国の端に位置するセーズの街には鉄道も敷かれていない。そんな辺境の地に数少ない本職の医者は居るはずもなかった。

 この街で病気やけがをした場合、基本的に自分で治すしかない。それが無理な場合には教会など、多少の医療の知識を持つ人物を頼ることになる。そして、それでもどうしようもない場合はセーズの街の近くの大きな街まで行って医者に掛かるしかない。

 

「あれ? 俺言わなかったっけ」

「聞いたことないぞ」

「言わなかったっけフィリシアちゃん?」

「私はヘークロさんがちゃんとみんなに伝えていたものかと」

「うーん、言ってなかったか……それは申し訳ないことをしたな」

 

 ヘークローは素直に謝る。

 そして、紅茶を一口飲む。

 

「ふう……まあ、大事にならなくてよかった」

 

 ユミナによってカナタの状態も落ち着き、今はゆっくり眠っている。

 色々あったが、終わりよければすべてよしだ。

 

「あなたもね、ヘークローさん」

「ああ、全くだ……本当に……」

 

 ちなみに、クレハの『ヘークロー麻薬常習者疑惑』は無事晴れた。

 

 

 

 ヘークローの手の震えはもう、収まっていた。



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第十二話 小暑・男ノ嗜ミ

 

 我らが第1121小隊の本拠地、第1121号要塞に向かうための道を一台のバイクが駆け抜ける。

 サイドカー付きのオートバイを操っている人物の名はクラウス。五十一歳。

 部隊間の伝令を主に担当する古参の連絡将校だ。ちなみに、カナタを鉄道が止まる街からセーズの街に連れてきたのも彼である。

 バイクを駐車スペースに止めた後、収納スペースに入れていた荷物を手に取り、砦の中へと向かう。

 

「おーい、誰かいるかー?」

「おやっさーん、ダイニングに居るッスよー」

 

 聞こえてきたのはこの砦の司令官の声。

 クラウスは声が聞こえた方へ向かう。

 

「ヘイクロウだけか。娘たちはどうした」

「みんなはタケミカヅチで訓練中」

 

 彼がダイニングルームで見たのはアイスティーを飲みながら涼んでいるヘークローだった。

 

「おいおい、彼女たちはこの暑い中訓練に励んでるってーのに、お前はそれでいいのか?」

「司令官ってのは後方に引きこもって前線に命令を出し、責任を負うのが仕事だから良いんッス」

 

 そう言ってヘークローは井戸水によって冷やされたアイスティーをコップに注ぎ、ゴクゴクと喉を鳴らしながら飲む。

 そして、「ぷはー!」なんて言っている。

 

 

 

 カナタが何かコツをつかんだのか、はたまた何らかの心境の変化があったのか、いつからか彼女が吹く起床ラッパによってヘークローは目を覚まさなくなっていた。

 彼女が砦にやって来てから三カ月が経った頃。

 何をとち狂ったのか太陽が本気を出して地上を照らし始める季節。

 

 夏だ。

 

 ヘルベチア共和国の夏は高温多湿で実際の気温よりも体感温度は高く、非常に過ごしづらい。そんな季節に春、秋、冬と着ていた軍服を着続けることはただの拷問でしかないため、夏服へと衣替えをする。

 ただし、外回りの任務の時は別だ。

 怪我を負う可能性がある任務を行う際は夏だろうが肌の露出面積が少ない冬服を着る。それは怪我を防ぐためであり、決して上司による嫌がらせなどではない。

 

 それは置いておいて、この国の夏は暑い。

 そんな季節に狭い戦車の中に居ればどうなるか想像に難くないだろう。

 

 そんな状況に居る彼女たちが今のヘークローの姿を見たら助走をつけて殴りにかかるのは確定的だ。

 

「おっとそうだ、司令部からの伝令だ。受け取りのサインをくれ」

「ほいほい」

 

 クラウスは茶封筒と一枚の紙をヘークローに渡す。

 渡された受領書には受け取りを示すために「堂々平九郎」名が記入される。

 

「こっちは私信だ」

 

 そう言ってクラウスが差し出したものは手紙の束。隊員たちに宛てられた個人的な手紙だ。

 

「ん。そんじゃま、暑い戦場で戦っている彼女たちを呼びに行くとするかな」

「まあ待て」

 

 訓練中の少女達に来訪者と私信が来ていることを伝えるために立ち上がろうとしたヘークローにクラウスは待ったをかける。

 

「伝令を伝えるのが連絡将校の仕事だ。俺が行く。お前は彼女たちのために冷たい飲み物でも用意しておいてやれ」

「……そうッスね。部下を労わるのも上司の仕事ってな」

 

 クラウスとヘークローは互いに見つめあい、ニヤリと笑う。

 クラウスはタケミカヅチが置いてある格納庫へ、ヘークローは自分が飲んでいるアイスティーと同じものを用意することにした。

 

 

 

 ☆

 

 

 

 

「あっつ~い」

「暑いって言うから暑く感じるのよ!」

「…………暑い」

「もう! ノエルまで! そんなこと言うから私も暑くなってきたじゃない……」

 

 先に訓練から戻ってきたのはカナタ、クレハ、ノエルの三人だった。

 

「お疲れ、諸君。冷えた飲み物で飲むと良い」

「わー! ありがとうございます!」

 

 甘すぎないくらいのアイスティーをコップに注ぎ、三人に渡す。

 

「う~ん、冷たくてとってもおいしい」

「そいつはよかった」

 

 サウナ状態のタケミカヅチに押し込められていた三人はすごい勢いでコップの中身を飲みほしていく。

 冷たいものを一気に疲れた体に取り込むのは健康にあまり良くないのだが、気持ちがいいのだから仕方がない。

 

「お、良い物を飲んでるな。私たちにもくれ」

「わかってるって」

 

 少し遅れてやって来たリオとフィリシアの分もヘークローはアイスティーをコップに注ぐ。

 その時、横に置いてあった私信が目に入りその存在を思い出す。

 

「あ、カナタちゃん」

「んぐっ!? はい!」

 

 ヘークローに突然呼ばれたカナタ。

 飲み物をゴクゴクと勢いよく飲んでいたために少しむせながらも返事をした。

 

「君宛だ」

「ありがとうございます!」

 

 彼女はポケットから印鑑を取り出し、受領書に捺印する。

 

「おかあちゃんからだ!」

 

 どうやらその手紙は母親からだったようだ。

 それが大層嬉しかったのか、カナタはその場でくるっとバレリーナのように一回転している。

 

「それと、これは……ノエルちゃんにだ」

 

 ノエルもまたヘークローから手紙を受け取る。

 

「ノエルちゃんは誰からのお手紙?」

「例の教授さんよね?」

 

 カナタの疑問にはフィリシアが答えた。

 

「教授さん?」

「苗字が『キョウ』、名前が『ジュサン』。セプト州に多く見られる姓名」

「わー! ジュサンさんかー。あんな遠くにお友達がいるなんてすごいよ!」

「……ごめん……冗談」

 

 いつも物静かなノエルではあるが、心を許した人物には突発的に冗談を言ったりなどと結構愉快な子である。

 ヘークローが知らない間にカナタとノエルも随分仲が良くなっていたようだ。隊員たちの仲が良いことは彼にとっても喜ばしいことであった。

 だが、彼女たちの仲が良くなったことを除いても、教授からの手紙はノエルのテンションを上げているらしい。

 

 カナタとノエルの二人が形は違えど楽しげな雰囲気を発している中、クレハだけはつまらなさそうにしている。

 そんな彼女を見かねてか、リオはクレハの頭に手をポンと置く。

 

「クラウスに土産を持って行ってくれ」

「はい!」

 

 クラウスへの土産が置いてある部屋の鍵をリオから受け取ったクレハは喜んで駆け出した。

 クレハはクラウスのことを尊敬している。そんな相手にお土産を渡す大役を任されたクレハにさっきまでのつまらなさそうな様子は見られない。

 

「そんで、これはリオちゃんのな」

「捨てておいてくれ」

「おいおい……」

 

 ヘークローがリオ宛ての私信を渡そうと思ったところ、ノータイムで捨ててくれと答えるリオ。彼女の事情は知っているが、流石に差出人を不憫に思うヘークローだった。

 

「あーあ、全く親父はノエルちゃんばっかり気にかけて俺には手紙の一つも無しかよ」

「え? それじゃあもしかして教授さんって……」

「そう、俺の親父」

「そうだったんですか!」

 

 思わぬところでヘークローとノエルに関係がある事に驚くカナタ。

 

「ヘークローくん、どんまい」

「けっ、おれもおやっさんに慰めてもーらお! フィリシアちゃん、これは君にだ。司令部から」

 

 そう言って茶封筒をフィリシアの前に置くと、ヘークローはクラウスが居るであろう彼の砦の駐車スペースまで走っていく。

 

「あ、こら! もう、本当にしょうがない人」

 

 司令部からの封筒は特にフィリシア宛てというわけではない。むしろ砦の責任者であるヘークローが受け取るべきものである。

 だが、そこはヘークロー。面倒事の香りを感じた彼はフィリシアに丸投げの構えだ。

 まあ、結局最後に処理をするのはヘークローであるが。

 

 フィリシアはヘークローが置いて行った茶封筒を開けて中の書類を確かめた。

 

「…………あら?」

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

 

「帝国との停戦協定はまだ難航してるんですか?」

 

 いつにもまして真剣な表情で尋ねるヘークローにクラウスもまた真剣に答える。

 

「ああ、国境の線引きってのは色んなしがらみがあるんだろうさ。急にどうしたんだ?」

「何か嫌な予感がしてならないんッスよ。上手く言葉にできないんだが……ゆっくり風呂につかってると突然襲ってくる謎の不安感のような」

「なんだそりゃ。そいつはお前が一人身の寂しい男だからじゃねーのか?」

 

 ついさっきまでシリアスな空気感を出していたのに、ヘークローが微妙にリアルな例えを出したところでそんな空気は消え去る。

 

「いや、あの……うん、それも無いとは言えないけどさ……。まあ、それならそれでもいいんだが、不思議と頭に引っかかる感じがするんですよね」

「そうか……お前がそこまで言うのなら少し気をつけてた方が良いのかもな」

 

 「こわいこわい」と、言いながらクラウスは自身の愛車の整備を再開した。

 

「あの!」

「ん?」

 

 そう言ったのはクラウスのお土産を取りに行ったクレハだった。

 ここに来るまで走ったからか、少し息が乱れている。

 

「どうした、クレハ」

 

 クラウスはバイクの整備を中断し、クレハに向き直る。

 

「ク、クラウス少佐殿、これ!」

「今年のか」

「はい!」

 

 クレハは今まで自分の背に隠すように持っていたものをクラウスに渡す。

 それはワイン。林檎酒(カルヴァドス)だ。

 

「あ、あ、あの、あの……い、いつもごくろうさまでありやます」

「気にするな、仕事だ」

 

 尊敬する人物との一対一の会話。クレハは緊張で上手く口が回らずカミカミである。

 自分でも恥ずかしかったのか、クレハの頬は赤く染まっている。いや、それともクラウスと話しているだけでそうなってしまったのだろうか?

 

 だが、忘れてはいけない。

 ここに居るのはクレハとクラウスだけではないのだ。

 

「つーっと」

「うひゃい!」

 

 ヘークローは緊張でガチガチになっているクレハの背中を人差し指で優しく撫でる。

 突然だったこともあり、クレハはちょっとした悲鳴を上げてしまう。

 

「うひゃい! だって。かわいいね~。昔はフィリシアちゃんもそんな感じでかわいかったんだけど、今となってはあんなにナマイキになっちゃって……」

「ヘークローさん! 脅かさないで下さいよ! ていうか、いつから居たんですか」

「え……俺、居たよ? 最初から、居たよ?」

 

 どうやらクレハの目にはクラウスしか見えていなかったようだ。どうも彼女は緊張すると目の前のことしか見えなくなる傾向にあるらしい。彼女が着任初日にヘークローの存在に気が付いていなかったのがいい例だろう。

 そして、部下に気付いてもらえてなかったヘークローは少しだけ落ち込んでいた。

 

「うう……クラウス少佐に恥ずかしいところ見られた……」

「ん? 何、気にするな」

 

 クラウスは受け取ったワインをバイクに装備しているケースにしまう。

 彼としても、クレハに対してもっと何か言ってあげたいところなのだが、口下手が災いして結局無愛想な返しになってしまう。

 まさか、「そんなクレハもかわいいよ」なんて言うことは彼には出来なかった。こんな時はヘークローの若さと軟派さが羨ましく思うクラウスであった。

 

 クラウスは気持ちを切り替えるために煙草に火をつける。

 深く吸いこみ、紫煙を吐き出すその姿はとても様になっていた。

 

「はぁー……」

 

 クレハは煙草を吸うクラウスの姿をじっと眺めている。

 

「なあ、クレハちゃん」

「な、なんですか!」

 

 クラウスの姿に見とれていたクレハはヘークローに声を掛けられ、慌てた様子をする。自分がクラウスに見とれていたことに気づかれたのだと思ったのだろう。

 

「俺も煙草吸ったらあんな感じにカッコよくなれっかな?」

「ヘークローさんが……煙草? んー」

 

 ヘークローに茶化されると身構えていたクレハだったが、聞かれたのは予想外の質問だった。

 クレハは煙草をふかすヘークロの姿を想像してみる。

 

「あんまり恰好良くないですね」

 

 クレハはそう断じた。

 

「だよな。うん、俺もそう思う。何が違うんだろう。髭か? 髭なのか? 俺も髭はやしてみようかな」

 

 ヘークローは自身の顎を撫でながらそう嘯く。

 どうやら、彼も煙草を吸うクラウスの姿に魅力を感じていたようだ。

 隣の芝はなんとやらとはこのことだろう。

 

「クラウス少佐」

 

 そんな時、フィリシアがやって来た。

 

「これを」

 

 クラウスはフィリシアから紙が挟まれたクリップボードを渡される。

 ヘークローもそれを覗き込むようにして紙に書かれている内容を読む。

 

「ほーう、了解だ。留守は任せろ」

「あれ? なんでこれ俺じゃなくておやっさんに渡すのさ。フィリシアちゃん、留守なら俺が居るだろ」

「それは後で分かりますよ」

 

 フィリシアの言葉を不可解に思うヘークロー。

 クレハもまた三人の会話の意味が分からず頭の上に疑問符が浮かんでいる。

 

「留守?」

 

 何も分かっていないクレハに対し、クラウスはこう伝える。

 

「健闘を祈る、二等兵」

「は、はい!」

 

 健闘を祈られたクレハは訳も分からず元気に返事をした。

 

「ヘークローさん、さっきの発言について後でお話があります」

「は、はい?」

 

 フィリシアから集合をかけられたヘークローはすっとぼけた様子で返事をした。

 ヘークローの額には暑さからくる汗以外の汗が浮かぶ。



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第十三話 小暑・罰ゲーム

 

 

 ある晴れた日の事。今日も太陽は絶好調のようで、暑い日差しがグサグサと人々の肌を突き刺している。

 三人の少女と一人の青年が大きなザックを背負って行軍していた。

 ちなみにザックとは登山用のリュックサックの総称のことだ。

 

「重い……重い重い!」

「クレハちゃん、やめようよ。言えば言うほど重くなるから」

 

 クレハは今の状況に不満を漏らす。

 厳しい日差し。

 無駄にデカくて重い荷物。

 不満をもらしたくなるのも仕方のないことだろう。

 

「ノエル、後どれくらい?」

「……」

「ノエルってば!」

 

 その上、目的地は地図とコンパスを使って探っている。

 そう、正確な場所を知っている人物はこの集団に誰もいないのだ。地図とコンパスを使った案内役のノエルは体力温存のために言葉を発しようとしない。

 それも合わさりクレハのイライラのボルテージは上がって行く。

 

「ヘークローさんは知らないんですか? 監視装置がどこにあるのか」

「点検作業は任せっきりだったからな。正確な位置は知らん」

「……」

「クレハちゃん、今「使えねー……」って思っただろ。そもそも司令官とは後方で指示を出すのが仕事であって、前線に出るのは場違いであってだな云々……」

 

 上司に大して直接的に伝えるようなことはしていないものの、彼女の表情を見るだけでヘークローに対して言いたいことは明白だった。そんな表情で文句を垂れる部下に対してヘークローは自身の役割を長々と説明する。

 しかし、結局の所彼が言っていることは監視装置の正確な場所を知らないことに対する言い訳でしかなかった。

 

「はぁ……」

 

 カナタは思い起こす。

 現状に至ったまでの事を。

 

 それは、真夏の行軍が開始される直前の事だ。

 

 

 

 ☆

 

 

 

 カナタ、ノエル、クレハの三人は遠足に行くと前日に伝えられていた。ただし、ただ歩くだけではつまらないからちょっとしたゲームをする、と。

 

「セーズの南側の州境。つまり、ノーマンズランドとの境界に旧時代の監視装置が設置されているのは知っているな。そのうち、三か所に定期チェックの時期が来ている」

「あなたたちには遠足のついでに、それを見て回ってもらいたいのよ」

 

 遠足とゲームの内容を説明するのはリオとフィリシア。

 

「それって……」

「めちゃくちゃ任務じゃないですか!」

 

 夏服に衣替えした時告げ砦の面々であったが、彼女たちは現在冬服を身につけている。それはこれから怪我を伴う仕事を行うという証左でもあった。

 遠足とは即ち行軍のことであり、ゲームとは即ち設備の点検のことである。とは言え、行軍というほどキッチリした規則もルートも無いので遠足というのはあながち間違いではないだろう。

 

「健闘を祈るってこのことだったのね……」

 

 クレハは前日にクラウスに言われた言葉を思い出す。

 普段なら敬愛してやまない上官であったが、この時ばかりは詳しく教えてくれなかったクラウスに苦言を呈したい思いである。

 

「ただ歩くだけでは無駄だ。そこでお前たちにはアレを背負ってもらう!」

「よっこらせと」

 

 リオが指差した方向には四つの大きなザックを地面に並べているヘークローが居た。

 どうやらそれらの荷物は彼がここまで運んで来たらしい。

 

 その荷物は少女達が持つにはかなり大きかった。

 食料、水、医療品、エトセトラエトセトラ……

 大量の荷物を詰め込んだザックはかなりの重量になっており、それを背負って立ちあがる事すらできない。カナタはびくとも動かず、クレハとノエルに関してはザックに潰される有様である。

 

 その後リオの指導のもと、なんとか立ち上がることに成功した少女達は重い足取りでゆっくりゆっくりと歩き始める。

 そんな彼女たちの足は震えていた。それはもう生まれたての小鹿という言葉を体現したかのように。

 

「ところでフィリシアちゃん、この水だけがやたら詰め込まれたリュックはどうするんだ?」

「それはヘークローさんの分ですよ」

「は?」

「だから、ヘークローさんはそれを持って三人の付き添いです」

 

 フィリシアの発言にヘークローは戸惑う。

 どうやらこのことを彼女から何も伝えられていなかったようだ。

 

「いや、おかしいだろ……なんで俺が」

「留守番はクラウス少佐に任せているので安心していってください」

「そのためのおやっさんか……それじゃあこの水はなんだ」

「カナちゃん達の予備の飲み水ですよ」

「必要分の飲み水は各自のザックに入ってるだろ」

「だから、それは予備ですから。予備はあればある程良いっていつも言ってるじゃないですか」

「それはそうだが」

「だ・か・ら、早く行きなさい」

「はい!」

 

 有無を言わさぬフィリシアの雰囲気にヘークローは思わず大声で返事をする。

 その時、この場には少佐であり司令官であるヘークローが上官で少尉のフィリシアが部下という階級による上下関係は無かった。

 ただ、フィリシアが上でヘークローが下という自然の摂理ににも似た何かである。

 

 

 

 ☆

 

 

 

 そして話は最初につながる。

 

 一つ目の監視装置を案外楽に見つけることが出来たヘークロー達一向は第二第三の監視装置が存在するという山を登っていた。

 

「はあ……ふぅ……ヘークローさん、何か気が紛れるようなおもしろい話でもして下さいよ……」

 

 重い荷物に大分慣れてきたのか、少女達の足取りは歩き始めよりはスムーズになっている。しかし、疲労が溜まっている事に違いなく、彼女らの体力は確実に減らされていた。

 一歩一歩確実に前に進んでいることは頭では分かっているのだが、いくら歩けど変化の乏しい風景がさらに疲労を募らせる原因ともなっていた。

 そんな退屈な状況を打開すべく、クレハはヘークローに助けを求めた。

 

「おもしろい話? そんないきなり言われてもな……」

 

 ここまで特に文句も言わずに少女達について来たヘークローであるが、彼も同じように疲れが溜まってきているらしく、咄嗟に話のネタが思い浮かばない。

 「面白い話…… 俺が祭りで女の子を食いまくった(セーズの悪魔的な意味で)話か? いやいや、それともフィリシアちゃんの恥ずかしい話の方がおもしろいか?」と考えがまとまらずにぶつぶつ呟いている。

 

「んー、何かお題がないと話しづらいな。カナタちゃんは何が聞きたい?」

「え! 私ですか? えーと、えーと……」

「はい、時間切れ。ノエルちゃんは?」

「疲れが消える話」

「うん、残念ながら俺の話にヒーリング効果は無いから無理だ。で、クレハちゃんは何が聞きたい?」

 

 本命のクレハがお題を考える時間を取るためにヘークローは先に二人に意見を聞いた。カナタとノエルからは具体的な案は出てこなかったが、時間稼ぎという役目はしっかりと果たせたようで、クレハは聞きたい話題を決める。

 

「それじゃあ、ヘークローさんとイリア公女のこととかは駄目ですか?」

「あれ? もしかしてクレハちゃんまだ俺が殿下の副官やってたこと信じてない?」

「別に疑ってるわけじゃないですよ。ただ、どういう経緯で副官という立場になったのか気になったので」

「ああ、そういうことね。別に構わないよ」

 

 話を切り出したクレハはもちろんノエルもこの話に興味があるようで、しっかりと聞き耳を立てている。

 

 ヘークローは過去の記憶を思い起こす。いや、わざわざ思い起こすまでもない。

 イリア公女殿下の副官に選ばれたのはもう何年も前のことだ。

 しかし、あの人のことは一生忘れることはないだろう。

 ヘークローにとって彼女の存在はそれほど大きいものなのである。

 

 そしてなにより、彼女の副官に選ばれた経緯は彼にとって人生最大の失敗であり、人生最大の幸運なのだから。

 

 

「え!? ヘークローさんってそんなすごい人の副官だったんですか!」

 

 一人話題に乗り遅れている娘も居るが、特に気にすることなくヘークローは話し始めた。



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第十四話 小暑・昔語リ

キャラ崩壊注意


 あれはもう大分暑くなってきた頃。時々涼しい日もあるが、基本的に夏服でないと過ごしづらい季節だ。ああ、ちょうど今みたいな感じだったな。

 その時、陸軍士官学校の一号生だった俺は来年の卒業・任官を待つ身だった。

 

 そんなある日、学校の掲示板にある募集要項が掲示されていたんだ。

 それは近衛師団所属の第一公女の副官の募集だった。普通に考えれば第一公女の副官なんていう大事な役職はその時活躍しているイケイケの超有能軍人が選ばれるところなんだが、公女の強い希望で公女と同い年の士官学校生徒を副官にとなったらしい。

 

 第一公女の副官となればその栄誉は相当なものである。当然、その募集に対して大量の希望者が現れるのは想像に難くないだろう。

 

『藤堂も当然応募するよな?』

 

 こいつは俺の同期の中でも特に仲が良かった男だ。名前は……まあ、今は関係ないからいいか。

 そんな奴の質問に俺はこう答えた。

 

『俺か? いや、俺はしないよ』

 

 

 

 

 

「ええ!? そこはすっごい倍率の募集に応募したヘークローさんが見事採用される流れじゃないんですか!」

 

 予想外の発言だったからか、素っ頓狂な声を上げるクレハ。

 

「まあ、普通そう思うよな」

「ヘークローさんはなんで応募しなかったんですか?」

 

 第一公女の副官という士官学校の学生なら、いや、もし副官になる資格があるのならばほぼ全ての軍人が希望するであろう立場をヘークローは拒んだのだ。

 そのことを不思議に思ったカナタは彼に尋ねた。

 

「それはな、俺が死にたくないから軍人になったからさ」

「どういうことですか?」

 

 一般的に考えれば軍人という職業は死に限りなく近い職業である。そのため、カナタ、クレハ、ノエルの三人は死にたくないから軍人になったというヘークローの言葉に首を捻るばかりだった。

 

「俺が軍に入った頃はな、帝国との開戦止む無しって空気が蔓延してたんだ。もうすぐ帝国との戦争が始まる。そうなると年ごろの俺は徴兵される。徴兵された兵士は基本的に最前線でドンパチする一般兵だ。そんなことになるのは御免だと思った俺は徴兵される前に志願して出来るだけいい立場になろうとした。有難いことに、士官学校に入学できる程度の頭と訓練について行けるだけの体力はあったんでな」

「こういうのは失礼だと思うんで非常に言いづらいんですけど……結構不純な理由ですね」

 

 失礼かも~、言いづらい~、なんて言いながらも言いたいことをしっかり言うクレハであった。彼女とて、普通の上官に対してならこんなことは言わない。相手がヘークローだからである。

 これもヘークローとフィリシアによる教育の成果といったところであろうか。

 

「あ、それ言っちゃう? まあ、自覚してるけど。話を戻すぞ。第一公女は当時から国民に人気があってな、彼女の部隊となれば戦意発揚・士気向上のために戦場を転々とすることは目に見えてた。そんな人の副官に不純な動機で士官候補生になった俺が募集に応募しなかった理由はわかったな」

「それはわかりましたけど、それだとヘークローさんは公女殿下の副官にはなれないんじゃないですか?」

「全くもってその通りだな。当時の俺もそう思ってた」

 

 現にヘークローが第一公女の副官であったのは事実である。だが、当時のヘークローは副官になるチャンスを捨てた。これは一体どういうことであろうか?

 ヘークローは話の続きを始める。

 

 

 

 

 

 

 第一公女の副官の募集も締め切られ、二か月ほどの時が経った頃。

 その頃になれば同期の連中も「自分が選ばれたらどうしよう」なんていう取らぬ狸の皮算用も良い所の話はしなくなったし、俺自身その募集についてすっかり忘れてしまっていた。

 そんなある日、俺にこんな連絡事項が通達された。

 

 ”明後日一五〇〇、三〇三号室に出頭せよ”

 

 周りの同期に聞いても同じような連絡をされた奴は居なかったから、当時は結構不安になったもんだ。

 知らないうちに何かやらかしたかと記憶を思い返したが思い当たる節もなかったしな。成績もすごくいいわけでもなく、すごく悪いわけでもなく、言ってしまえば平均だった。

 そんな俺が個人呼び出しだ。指定の日時になって指定の部屋の前でドキドキしながらドアを叩いたっけな。

 

 そんで、思い切ってドアを開ける。

 そしたらな、居たんだよ。

 イリア公女殿下が。

 

 

 

 

 

 

「えー!?!? なんですかその超展開!」

 

 川の水の中に足を入れて涼んでいたクレハは驚きのあまり足を跳ね上げる。足を跳ね上げた拍子に巻き上げられた水が太陽の光を反射してキラキラと輝いている。

 遠足中のヘークローたちは疲労回復のため小川で休憩中だ。

 

「超展開と言われても、事実を並べたらこうなるんだから仕方ないよな」

「それで、続きは……ぶっ」

 

 続きの話を聞こうとしたクレハであったが、その顔に突然水がかけられた。

 

「あ! クレハちゃん、ごめーん!」

「油断大敵」

 

 どうやら犯人は川岸から少し離れたところで水を掛け合って遊んでいたカナタとノエルだったらしい。

 

「クレハちゃん」

「はい?」

 

 クレハに水がかけられたということは、その隣に座って話をしていたヘークローにも当然水はかかる。

 

「やられたら、やり返す。それが俺の座右の銘だ! うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお」

「わー」

「つめたーい!」

 

 ヘークローは全力で川の水をカナタとノエルにかけていく。

 

 手を水に入れて、振り抜く。

 手を水に入れて、振り抜く。

 手を水に入れて、振り抜く。

 

 ただそれだけの作業を全力全開でこなすヘークローによって飛ばされる水の量はカナタとノエルによるものを大きく上回っていた。

 一回り年下の少女たちに全力で水をかけるヘークローの姿ははた目から見ると正しく変態のそれであった、とはクレハの言である。

 

 

 休憩なのに休憩していないことに気が付いたヘークローは荷物番の役割を全うすることにした。

 クレハが裸足で軍靴を履いていることが判明したため、後で靴下を履かせようと心の中で決心したり、川遊びに意外と乗り気なノエルに心の中のでニヤニヤしたりと何だかんだヘークローも休憩を楽しんでいる。

 

「ん?」

 

 三人の少女たちが水辺で遊ぶ様子を心のフィルムに保存する作業をこなすついでに荷物番をしていると、ヘークローの耳は草むらが揺れる音を捉えた。

 

「食い物の匂いに誘われてイノシシでも出たか」

 

 そうつぶやくと、近くに落ちていた小石を拾って音の発生源へ向かって投擲する。

 飛んできた石に驚いたのか、草むらに隠れていた何かは反対方向へと走って逃げて行ってしまった。

 

「俺の前で装備品を盗み取ろうとはいい度胸だ、まったく」

 

 下手人を追い払うことが出来て満足したヘークローは再び休憩に入る。

 

「ヘークローさーん、そろそろお昼ごはんにしましょう!」

「ん、そうだな」

 

 ヘークローが守り抜いた弁当を食べながら、彼は昔語りの続きをする。

 

 

 

 

 

『はじめまして、藤堂平九郎くん。どうぞ、そこに座ってください』

 

 あの時イリア公女はこう言った気がするな。如何せん、あまりの衝撃のでかさに扉の前でしばらく硬直してたからよく覚えていない。

 

『今日私がここに来た目的は、あなたを副官としてスカウトするため』

『じ、自分はあの募集に応募していませんが……』

『ええ、知っています。あなたはあの募集に応じなかった、そしてあの募集に応募しなかったのはあなただけ。だからこそ、私はあなたを副官としてスカウトしたい』

 

 まさか【いいえ】の回答が【はい】を意味すると誰が予測できようか。この時ばかりは俺も皆に合わせて申し込んでおけば良かったと後悔したね。

 

『自分では公女殿下のお力になるのは難しいかと……』

『問題ありません。あなたの成績には目を通してあります。特に戦術に関しては目を見張るものがあります』

『? 自分の成績はそこまでのモノではないです。もっと成績がいい人物は沢山いますが?』

 

 俺の士官学校での成績は大体平均。

 イリア公女が何を思ってそんなことを言ったのか当時の俺はさっぱりわからなかった。

 そう思っていたら、公女殿下は数枚のプリントを俺に見せてきた。

 

『これは過去にあなたが授業で提出した市街地における戦車戦の戦術のレポートの一つです。この授業での模擬戦であなたは相手の戦術を完封して勝利している。藤堂くんはこの戦術を立てたときどう感じました?』

『この時は確か……正直これは負けるかもな、と思ってました』

『そしてこれは別の回のレポート。これは歩兵と戦車の混合部隊の野戦における戦術ね。これはどうでしたか?』

『これはよく覚えています。自分としては最高の出来だと思ったのですが、待ち伏せを読まれて作戦が完全に裏目に出たため惨敗しました』

 

 俺は公女殿下の質問の意味が理解できなかった。だが、公女殿下は話を止めることはなかった。

 

『なるほどね。このほかにもあなたの戦績は快勝か惨敗の両極端。総合して成績は並。つまりあなたは……』

 

 イリア公女は一息おいてこう断言した。

 

『逆神の気がある』

 

 目の前が真っ白になった。

 作戦を立案する者としてそれは致命的だからね。

 

『だからこそ、私はあなたが欲しい。あなたのその能力、私がうまく手綱を握ってあげる。そして、あなたのその能力は私を勝利へと導く。私はそう確信している』

 

 その時だ。

 その一言だ。

 俺も確信した。

 

 この人についていけば俺は死なない、と。

 

 自分でも戦績にムラがあることは気が付いていた。だがこれはセンスが無いからだと考えていた。

 もし、それを克服することが出来れば。

 あるいは、全く的外れの作戦を逆に利用することが出来れば。

 

 作戦が嵌まれば戦闘に勝てる。

 戦闘に勝てれ当然負けることはない。

 負けなければ死ぬこともない。

 

 俺はこの人についていこう。

 その時決めたんだ。

 

 ちなみに、これは余談だが、

 

『ところで、どうして応募しなかった人物なんですか?』

『自分で言うのもアレですけど、この条件で応募しない者は相当のひねくれ者。そういう人物をそばに置いたほうが……面白いからね』

 

 だそうだ。

 

 

 

 

 

「イ、イリア公女殿下も中々変わった御人だったんですね……」

「ああ、傍に居た俺が一番知ってる。あの人は変わり者だ」

 

 クレハはヘークローの話を聞いてイリア公女のイメージにヒビが入り始めていることに気が付く。ビネンラントの英雄、戦車乗りの神様。そんな風に考えていたイリア公女が実はちょっと変わった人であるという驚きの事実。

 そして、この感覚は以前にもどこかで経験したなーなんて……

 

「これで、俺と殿下の出会い編はお終い。楽しんでもらえたかな?」

「はい! 気づけば最後の監視装置のところまで来ちゃいましたね」

「興味深かった」

「……もしかしたら聞かなかったほうが良かったのかもしれない」

 

 ヘークローの問いに三人の少女たちは各々の感想を述べた。

 

「皆、お疲れ様」

 

 最後の監視装置の場所にはフィリシアが居た。どうやら先回りをして四人が到着するのを待っていたらしい。

 

 この監視装置の先は人が住めぬ土地、ノーマンズランド。

 ここからの眺めは荒涼としていて、寂寥感が漂う寂しいものだ。しかし、その景色を見ているとなんとも言い知れぬ思いが湧き上がってくる。

 

 

 砦の新人乙女たちは歴代の乙女たちの名が刻まれた監視装置に思いをはせ、その歴代の乙女たちが見た景色を同じように胸に刻み込んでいた。

 

 

 

 

 

「……」

 

 砦の乙女だけの空間から少し離れた場所からその様子を見ていたヘークロー。

 そのことに若干の疎外感を感じながらも、とても暖かいものを見ているようであった。

 

「ヘークローさん」

「ん?」

 

 物思いにふけっていたヘークローにフィリシアが近づいてくる。

 そして、彼女の一言がヘークローを絶望へ叩き込む。

 

「私たち、これから温泉に行ってきますので、三人の荷物を砦までお願いしますね」

「ちょっ」

「後ろと前に背負って、両手で持てば行けますよね? お弁当がない分軽いはずですし。あ! 水はもう捨てても構いませんから。それではよろしくおねがいしますね。あと……覗いちゃダメですよ?」

 

 フィリシアは小悪魔フェイスでウインクを放った後、カナタ、クレハ、ノエル、リオを連れて温泉へと行ってしまう。

 

「……はぁ……帰りますか……」

 

 何だかんだとフィリシアの言いつけ通りに荷物を持って砦への帰路へ着くヘークローであった。

 

 忘れてはならない。

 

 ヘークローの参加はフィリシアによる個人的な罰ゲームだということを。




これまでの時系列で気になるところを修正しました。
題名修正しました(あれは初夏ではない)

話の流れに変わりはありません。


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第十五話 平九郎ノ休日(休日トハ言ッテイナイ) (前編)

『ヘークロー、相手はどう出てくると思う?』

『そうですね……敵が戦力を配置するとしたら、こことここ、それと……ここですかね』

 

 そこではイリア公女殿下と藤堂平九郎……つまり俺が一枚の地図を挟んで話し合っていた。俺は地図の三か所に赤ペンで丸を付けていく。そこは俺が戦力を配置していると予測した地点だ。

 

 そんな様子を俺が第三者の視点で横から眺めている。

 

(ああ、夢だなこりゃ)

 

 自分を三人称視点で見ているということ。

 今見ている場面は過去の一場面であるということ。

 そして、何よりイリア公女が生きているということ。

 それは決してあり得ないことであり、今この時点を夢と判断するには充分であった。

 

(この間昔話をしたからだろうな、こんな夢を見るのは)

 

『なるほど……敵はこの地点に戦力を集中させて待ち伏せをしてくる。隠れている場所が分かれば後は簡単な話ね』

 

 そう言ってイリア公女が指し示した地点は俺が最後に丸を付けた地点だ。

 

『じゃあそういうことで、攻撃開始は2時間後。部隊の配置は任せました』

『了解しました』

 

 俺はイリア公女殿下に敬礼してから部隊に決定事項を伝えに行く。

 

 

 

 

 その戦いは、敵からの大した反撃を受けることもなく勝利で終えた。

 

 

 

 ☆

 

 

 

「む……」

 

 ヘークローはぼんやりとした頭でなんとかベッドから這い出る。

 太陽がもうすぐ頂点に至ろうかという時間だ。

 

 ヘークローはいつも通りの時間にいつものように軍服へと着替えていく。もうこの頃には先ほどまで見ていた夢の記憶も薄れ始めていた。

 とても強烈な印象を受ける夢であろうといつの間にかその夢の内容を全く思い出せなくなっている。

 夢というのはそういうものだ。

 

 今日はどんな夢を見たんだったか、なんとなくそんな考え事をしながらヘークローはリビングスペースのドアを開ける。

 

「おはよう諸君……って、誰も居ないのか」

 

 訓練でもなければいつも誰か一人はいるはずのその場所に今日は珍しく誰も居なかった。

 時間的にはカナタや他の誰かが昼食の準備をしている頃である。そこでヘークローはあることを思い出した。

 

「そうか、カナタちゃんは今日休みか」

 

 第1121小隊のが誇る新人ちゃんである空深彼方二等兵は初の給料日を迎え、そのお金を握りしめて街へ繰り出しているのである。

 

「しかし、他のみんなはどこだ? タケミカヅチで訓練をしてるのかな。まいっか。散歩、もとい警邏のために街を巡回しますかね」

 

 お目付け役であるフィリシアの目が無いのを良いことにヘークローは仕事をサボることにしたようだ。

 

 ヘークローは知らない。

 今砦にいるのはヘークローだけであるということを。

 

 

 

 ☆

 

 

 

 リビングスペースに誰も居らず、またヘークローのための作り置きのご飯が無かったために、遅い朝飯を食べ損ねたヘークローはお腹を満たすためにセーズの街で評判高いカフェで食事をとることにしたようだ。

 

「BLTサンドと紅茶お待ちどう様。まったく、時告げ砦の一番偉い人がこんなところで油売ってていいのかい?」

「お、待ってました。んー、大丈夫っしょ。ウチには自慢の部下たちが俺より上手く砦の運営をしてくれるし、本当にヤバイ嫌な予感もしないから緊急事態なんて起きないさ」

「おいおい、そんなんで大丈夫かよ」

「心配しなさんな。俺の勘は基本当たらないが、本当にヤバイ時の嫌な予感を外したことはない」

「本当に大丈夫かそれ……まあ、ほどほどにな」

「はいよー」

 

 そう言ってカフェの店員は自身の仕事へと戻っていった。

 

「……うん、旨いねぇ」

 

 ベーコンのうま味、レタスの瑞々しさ、トマトの酸味。

 それらが放つ絶妙なコンビネーションをヘークローはとても好んでいた。

 片手で食事をとることが出来るという機能性も高く評価しているのは、彼が長い間最前線で休む暇すらない日々を過ごしていたからというのもあるのだろうか。

 

「ん?」

 

 ヘークローが紅茶を口に含みながら街行く人々の様子を眺めていると、見慣れない二人組が目に入ってきた。

 夏の暑さからかワイシャツを腕まくりして、下は黒のスーツ。頭にボーラーハットを載せているその様は田舎町であるセーズには似つかわしくないエリートサラリーマンか、はたまたその手の危ない人か。

 だが、ヘークローはその二人に見覚えがあった。

 

「ジャン、お前こんなところで何やってんだ」

「あん? てっ、ヘ藤堂さん!? お疲れ様です!」

「? お、お疲れ様です!」

 

 ヘークローにジャンと呼ばれたのはアッシュブラウンの髪をオールバックにした男だ。ジャンと呼ばれた男と一緒に居たもう一人の男は自身の上司が突然挨拶をしたことに驚きながらも自分も合わせてヘークローに挨拶をしていた。

 

(かしら)、このお方はどういった?」

「藤堂さんは親分のご友人だ。失礼の無いようにな」

「あー、別にそんなの良いから良いから」

 

 さて、ヘークローが声をかけた二人は一体何者なのか?その正体はヘルベチア共和国の首都を縄張りとするマフィアの構成員である。

 

 ヘークローがイリア公女の副官をやっていた時、彼は公女と戦場を転々としていたが、拠点は首都であった。そんな彼が首都のラーメン屋で偶然隣に居合わせたマフィアの親分と塩と豚骨のどちらがうまいかの論争となり、殴り合いの果てに友人の契りを交わしたのはどうでもいいことだ。

 

「で、あんた等こんな田舎町で何やってんの? なんかそっち系のやばい話でもあるのか?」

「あ、いえ、まあちょっとした仕事で。そんな危険な仕事ではない……と、思ってたんですがね……」

「何かあったのか」

「ええ、実は……」

 

 

 

 ☆

 

 

 

「はあ? 交渉決裂した取引相手に機関銃ブッ放すだぁ? 正気かそいつら」

「そうなんですよ。俺たちの今回の仕事はそいつらの取引に一枚噛むことだったんですがね。まさか、あんなヤバイ奴らだったとは……」

 

 ヘークローはジャンからこれまでの経緯を聞いていた。

 ジャンによると、このセーズの街で定期的に何らかの取引が行われているらしい。そして、今回その交渉は決裂。交渉相手を全員もれなく機関銃でコロコロしてしまったらしい。

 

「この街のそっち系の人たちとは知り合いだが、そんなとんでもないことをしでかすような人達では無いんだがな。新興の組織か? となると、ちょっと警戒しなきゃならんな。んで、そのヤベー奴らはどんな奴らなんだ?」

「それが聞いてくださいよ。全員年若い女で、中には十代前半位の子供も居たように見えましたね」

「……マジ?」

「マジです」

 

 ヘークローは考える。

 この街に害を及ぼすかもしれない存在が現れたことについて。

 セーズの街を根城とする既存のマフィアとはそれなりの付き合いがある。ちょっと公にできないような協力関係にもあったりするわけだが、それ故に色々と抑えてもらうこともできる。

 しかし、何の繋がりもない反社会集団が何をやらかすのか分かったものではない。しかも、聞くところによると構成員はほとんど女らしい。

 

 女という生き物は怖い生き物だ。一度ヒステリーを起こしたらそれこそ何をするのかわからない。その片鱗はすでに現れている。

 

「わかった。その組織についての対応は俺たちが考えておこう」

「ありがとうございます、藤堂さん」

 

 こうして、ヘークローは基地に戻って新たな脅威に備えて対策を練ることにした。

 

 



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第十六話 平九郎ノ休日(休日トハ言ッテイナイ) (後編)

お久久久久久久久久久久久久久久久しぶりです


「いつからこの街に潜んでいたんだ……構成人数は……活動内容は……目的は……」

 

 砦に戻ったヘークローは街の地図を司令室の大机に広げて考えていた。部屋には彼以外の人間は誰も居ないが、自身の思ったことををあえて口に出すことによって考えをまとめるのが彼の作戦立案時の癖である。

 散歩中に出会った知り合いのマフィアから得られた情報を基にセーズに潜伏していると思われる女マフィアへの対抗措置を検討する。

 

「機関銃を所有するほどの組織ともなると規模はかなり大きいはず……となると、ボロイあばら家なんかを根城にしているゴロツキ紛いとは考えにくい……ミケーレさんみたいに表の顔を持つ組織か」

 

 ミケーレとは表向きは行商人をしているが、一方でセーズの街を拠点とするマフィアのメンバーである。ヘークローが言った知り合いのそっち系の人とはまさに彼のことである。彼との関係は時告げ砦の軍人であるならば知らない者はいない。いや、最近配属された者に若干一名知らされていない者がいたか。

 とにかく、時告げ砦の軍人とセーズの街のマフィアは持ちつ持たれずの関係をこれまで続けて来ていた。それは表ざたにできることから出来ないことまで……

 

「最近セーズに参入してきた大規模な組織……そういえば数カ月前にトレーズを本拠地とする商会が支店を開いていたな」

 

 ヘークローは思い出した。最近外国のスパイスを主力商品とする商会がセーズにも支店を構えていたことを。スパイスに紛れ込ませて違法な薬物を売りさばいている組織……なんていう想像がヘークローの脳裏に過る。

 

「! 女マフィアのバックは東トレーズ貿易会社! 奴らの支店に乗り込んで詳細を調べる必要がある!」

 

 そうに違いない! と意気込んで机を叩いて椅子から勢いよく立ち上がるヘークロー。しかし……

 

「……出来過ぎか……ということは違う……か」

 

 ヘークローは思いだす。自分の思惑は基本的に当たらないということ。むしろ思惑と真逆の結果になることも多々ある。こういう時にヘークローの考えを利用して結果を出していたのがイリア公女殿下というお方である。

 

「はぁ……俺だけじゃ何も、何も出来ないのか……情けない……」

 

 

 

 公女殿下……また前みたいに俺を導いてくださいよ……

 

 

 

 ふと考えてしまった弱音は口に出すことはなかったが、ヘークローにさっきまでの覇気は無くなっていた。

 

「クソッ……もう一度だ……」

 

 セーズの地図をにらみつけ、再び考えを巡らしていく。

 考えて、考えて、考えた。

 しかし、やはりどれもしっくり来過ぎており、その考えは間違いであると結論付ける。

 

 そんな時、ドアを叩く音が部屋に響いた。

 

「失礼します、報告に……って、あら? 珍しいですね、ヘークローさん。何かありましたか?」

「ん? フィリシアちゃんか。ちょっとな」

 

 普段ならこの時間は必要最低限の仕事だけこなして後は尉官であるフィリシアのサインでも問題のない書類を残して昼寝なり警邏と称して街をほっつき歩いているヘークローが大机に地図を広げて顔をしかめている。その異常事態にフィリシアも気を引き締める。

 

「この街に新興のマフィアが潜伏しているという情報が知り合いから入った」

「マフィア?」

 

 ヘークローの言葉にフィリシアは引っかかるものを感じた。

 

「ああ、それも話を聞く限りとびっきりにイカレた奴ららしい。取引相手を機関銃でミンチにしちまう女マフィアだそうだ」

「それって……」

 

 フィリシアの推測は確信へと変わり始めていた。

 

「それも実行犯はかなり若いらしい。そんな若造共に重火器を持たせるとなると、かなりヤバイ奴らだ」

 

 フィリシアは確信した。

 

「ハイデマン少尉、これよりセーズの街新興反社会勢力掃討作戦を発令する。何より情報が足りない。手伝え」

 

 普段の呼び方ではなく、ファミリーネームと階級での呼称。これはヘークローが軍人として本気になった時の表れである。その本気具合にさしものフィリシアも冷汗が背を伝る。

 

「あのー……ヘークローさん、少しお耳に入れておきたいことが……」

「なんだ」

 

 フィリシアは今日あった出来事を報告する。

 

 

 ☆

 

 

「つーことは、なんだ……そのヤベー奴らはフィリシアちゃん達の事か」

「そういうことになりますね」

「はぁぁぁぁぁぁぁぁ──────……そりゃバックに軍とかいう超巨大組織があれば機関銃くらいもってるわな……」

 

 フィリシアから事情を聴いたヘークローは肺の中の空気を全て出し切る勢いでため息をつく。肺の空気が抜けたと同時に彼の張りつめた気配は何時ものように緩んだものへと変わる。

 

「そんで、中央のマフィアに俺らの取引に噛みつかせないために一芝居うったと」

「ご心配かけて申し訳ありません……」

 

 今回ばかりはヘークローに話を通さなかったばかりに迷惑をかけてしまったフィリシアは真摯に謝罪をする。

 

「先に言ってくれれば俺からジャンたちに話を通しておいたのに。ああ、ジャンっていうのはその中央から来たっていうマフィアな。二人組で細い奴がいただろ、あいつな」

「え!? ヘークローさん中央のマフィアにも伝手があるんですか!?」

「まあな、昔色々会ってあいつらの親分とはラーメン友達だ」

「あなたの交友関係は一体どうなってるんですか……」

 

 フィリシアはヘークローの広すぎる人脈に驚きを通り越して呆れるしかなかった。

 

「まあそれは良いだろ。しかし、カルヴァドスか……軍法会議どころか国の法律にまで背くようなまねして欲しくないんだが」

「それでも、カルヴァドスの製造に反対はなされないんでしょ?」

「……」

 

 カルヴァドスはリンゴが主原料の蒸留酒であり、それを時告げ砦の乙女たちはかねてより造り続けて来た。カルヴァドスの製造の当初の目的はセーズのお荷物部隊とまで呼ばれ、十分な資金を割り振られなかった部隊員たちが資金獲得のために始めたものだ。

 だが、ヘークローが司令官となってからは無駄に手広い人脈から必要十分の資金を得ることが出来ているため、わざわざこんな危ない橋を渡る必要はない(ただし、物資に関しては物流の問題で未だに不安定)。普段は規律に緩いヘークローだが、本当に守らなければならない規律、規則、法律などはきっちりと遵守する彼がこんな国家反逆罪まで適用されかねない悪事に目を瞑っているのには理由があった。

 

「知らんな、俺は知らん。軍隊という組織は、末端になればなるほど軍の規律が行き届かなくなっていくもんだ。そして、俺らみたいな末端軍隊はそうやって回っている。嘆かわしいな、本当に」

「ふふ……」

 

 今となっては資金獲得の意味は薄くなったカルヴァドスの販売は地域住民との交流、地域密着型マフィアとの円滑な関係構築を主目的としていると言っても過言ではない。

 そして何より……

 

「この酒造りをやめたら、リオちゃんが悲しむだろうしな」

「知っていたんですか? リオのお母様の好物だったこと」

「ああ、イリア公女殿下に付き添ってリオちゃんの家に訪ねたことが何度か有って、その時にな」

「そして、そうやってリオに嫌われていったと?」

「……大好きな姉ちゃんの傍にいつも居る男なんて、それはもう目障りだっただろうさ」

 

 ヘークローは幼いリオの自分を刺し殺すかのような鋭い視線を思い出して思わず身震いした。

 

「思えばリオちゃんはあの頃から迫力満点だったなぁ。おお、怖い怖い」

「またそんなこと言って。リオに聞かれでもしたらまた追い掛け回されますよ?」

「……」

 

 ヘークローは口を閉じた。

 

「と、大分話が逸れちまったが、何事もなかったようで何よりだ。出来れば次何か問題が起こったら俺にも一報入れて欲しいな」

「そうですね、ヘークローさんが必ずこの部屋に居て頂ければ確実に報告が出来るんですけどね」

「あー……ははははははは」

 

 普段から砦を抜け出して部屋を開けることが多いヘークローは何も言い返すことが出来ず、ただ笑うしかなかった。

 

「それでは失礼します。これからヘークローさんはちゃんと部屋に常駐するように、出かける際は誰かに伝えてから出るようにしてくださいね」

「はい……すみません」

 

 それだけ言うとフィリシアは司令室を後にした。

 

「あれ? 最初はフィリシアちゃんの立場が弱い感じだったのにいつの間にか全部俺が悪いみたいになってたな。ちょっと納得いかないぞ」

 

 そうは思ったものの、やはり自分にも否があるので大きな声で言うことは出来ないヘークローは文句を胸の内に引っ込めた。

 

 

 

……

 

 

 

 

 今回は何事もなかったが、次はどうだ? その次も何事もなく笑い話に終わることが出来るか? 

 もし万が一、有事があったら俺の力で彼女たちを、街のみんなを守りきることが出来るのか? 

 

 ヘークローの胸の内にはそんな思いがモヤモヤとした不快感を漂わせながら渦巻いていた。

 

 

 




フィリシア達の芝居をガチモンのマフィアだと誤解したヘークロー君をどうやって動かせばいいか全く思い浮かばずここまで放置してしまいました(テヘペロ

追記
フィリシアがいつの間にかフィリスになってたのを修整
誰やねん…


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第十七話 フィーエスタ・デュ・ルミエール(前編)

 ◆

 

 ほんの数刻前まで、辺りにはヘルベチア共和国正式採用戦車アラクネーと敵国戦車トリフネの砲撃の音が鳴り響いていた。しかし、今では戦場は静まり返り、友軍の救助の声だけが聞こえてくる。

 

「敵機動部隊は撤退、また残存勢力の掃討も確認しました」

「そうですか、ご苦労様です」

「……いえ」

 

 俺の報告にイリア公女殿下の顔色は優れない。

 公女殿下は瓦礫の町並みの仲間入りを果たしたアラクネー達を見まわしながら、手に持つトランペットを強く握りしめている。

 

「後半日……いえ、一分一秒でも早く本隊を動かせば被害は抑えられたのですが。力不足で申し訳ありません」

「あなたの責任ではありません。それに、あなたの作戦がなければこの戦いは敗北し、さらに被害は増えていたでしょう」

「……」

 

 誘い込みと待ち伏せ。

 

 今回俺が採用した作戦を簡単に説明すればそういうことだ。

 戦力で劣るヘルベチア軍が敵国軍と正面からやりあっても勝ち目は薄い。だが、今回主戦場となった旧時代の都市跡は背の高いビル群が乱立し、待ち伏せをするには最高の立地であった。囮とバレない程度の数の友軍は後方へゆっくりと撤退しながら交戦することで調子づいた敵軍をビル群に潜ませた友軍の射程範囲に敵軍を誘い込む。敵軍の将は攻撃が得意な猛将で有名な大佐が率いていることは事前調査で判明していたため、勝算はあった。

 軍全体としての勝算は。

 そう、囮だ。どんな言葉で取り繕うと敵軍と正面きって戦った友軍部隊は囮なのだ。そんな彼らがどんな状況だったのか……想像に難くない。

 

「自分も友軍の捜索を手伝ってきます」

「ええ、わかったわ」

 

 これは俺の責任だ。

 俺の作戦で傷ついた者達、死んでいった者達、俺の作戦の犠牲者たちを探すのは……

 

「……ッ!」

 

 瓦礫の山に気を取られて地面に亀裂が走っていることに気が付かなかった。

 おそらく、今回の戦闘の影響で地面が脆くなっていたのだ。それに、旧時代の都市には地下にも商業施設や鉄道が敷かれていたために大きな空洞がある。その直上の地面は当然薄く、崩れやすくなっている。

 

「うおおッ」

 

 情けなく泣きわめくことこそしなかったが、思わず声をあげてしまう。

 そうして俺は旧時代の地下施設へと落ちていった。

 

 

 ◆

 

 

 

「……あまりうちの部下を悩ませてくれるな」

 

 ヘークローは暑い夏の空の下、誰も居ない空間に話しかける。

 それと同時にここから見える自分の部下、フィリシアの私室の窓を眺める。

 

「まだ未練でもあるのか? それとも心配か?」

 

 構わずヘークローは再び誰も居ない空間に語り掛ける。

 語り掛けながらも作業の手は止めない。

 

 今ヘークローは今日行われる街のお祭りであるフィーエスタ・デュ・ルミエールに使う灯篭を作成している。

 フィーエスタ・デュ・ルミエールはヘルベチア南部特有の行事であり、夏の一定期間死者の魂が現世に還ってきているという民間信仰に基づき、その魂を送り返す目印として川に灯籠を流す。ヘークローが作っているものはそれだ。

 ヘークローが砦の中で灯篭づくりを行わず、こんな暑い日に外でおこなっている理由は宗教嫌いのリオを気遣ってのこともあるが、これは戒めだ。自分勝手で自己満足な戒め。一人で作業するだけなら司令室でやればいいのだ。

 

「心配しなくとも、今の人間だってそんなに弱かーない。絶望と戦ってきたアンタ達と同じくらいには……な」

 

 組みあがった灯篭を横に置いたヘークローは視線を上げ、話し相手へと目を向ける。

 しかし、やはりそこには誰も居なかった。

 

 

 ◆

 

 

「いつつ……」

 

 随分高い所から落ちたようだが、普段の鍛錬の賜物か幸い骨折のような大きな怪我をすることは無かったみたいだ。

 

「ここは……」

 

 周囲を確認すると多くは瓦礫だが、中には食料の缶詰や弾薬などの物資が見られ、奥には線路が敷かれている。

 

「地下鉄というやつか。それにこの弾薬、こんな規格の物はヘルベチアには無い。ローマの物でも無い気がするな」

 

 考えをまとめるために目に見た周りの風景や、手で摘まんだ銃弾の情報などを整理していく。

 

「大断絶以前の物……だろうな」

 

 ひとまずそう結論づけ、次はこの場からの脱出方法へと考えを巡らせる。

 

「地下にある施設なのだから当然出入り口があるはずだが、おそらくこの様子では塞がっているだろう。そうなると、上から友軍に助けてもらうしかないか」

 

 上を眺めると先ほど自分が落ちて来た穴からは夜明けの明るい空が見える。

 戦闘が終わって外は比較的静かだ。ここで俺が大声で叫べば、それに気が付いた誰かがロープでも垂らしてくれるだろう。

 

「ん?」

 

 声をあげようと思ったその時、近くで話声が聞こえて来た。

 

「女の声? だが話し相手の声は聞こえない……錯乱しているのか? 敵だったら厄介だな」

 

 このまま大声をあげれば向こうもこちらに気が付く。もし相手が錯乱した敵軍の兵士だった場合はそのまま襲い掛かってくる可能性も考えられる。確認が必要だ。

 

 ホルスターから拳銃を引き抜き、足音を立てないようにゆっくりと声の発生源へと近づいていく。柱の陰に隠れてそっと顔を出して様子を確認する。

 そこにはヘルベチア陸軍の軍服を着た女性兵士が柱にもたれかかりながら誰かと話している様子が伺えた。

 

「……どうして、謝るんですか……」

 

「そんな……」

 

「勝手に決めないで!」

 

「いや……いやよ!」

 

「……それは……」

 

 一見独り言のように見える。だが、見方を変えてみれば……

 なるほど……な。

 俺は座り込む女性兵士に声をかけることにした。

 

「おい、大丈夫か?」

「! だ、誰!」

「落ち着け、味方だ。俺はヘルベチア陸軍近衛第一師団所属、藤堂中尉だ」

「近衛……第一師団……もしかして、イリア公女殿下の……」

「ああ、そうだ……その部隊章は、1147小隊の生き残りか」

「……ッ」

 

 俺は彼女の左腕に縫い付けられているワッペンのマークを見てそう判断した。1147小隊の戦車の破壊はすでに確認されており、死亡者四、行方不明一の報告も受けていた。

 

「わた、私は……私だけ……」

「……」

 

 彼女たちの部隊は戦闘区域の最前線、つまり、囮部隊の一つとして配置されていた。俺が配置した。

 彼女は悔いている。

 自分だけが生き残ったことを、自分以外を助けられなかったことを。

 俺は、彼女に「生きていてくれてよかった」と声を掛けたかったが、そんな資格は、ない。

 

「恨んでくれて構わない。この作戦を決めたのは俺たちだ」

「……」

「君の持つ拳銃で俺を撃っても構わない。その権利を君たちは持っている。だが、許されるならどうか少しだけ待って欲しい。この戦争を終わらせるには公女殿下が必要だ。殿下を守るために、もう少しだけ俺の命を俺にくれ」

 

 何時からだろうか。昔は死にたくないから生きていた。でも、殿下の部下になってから、俺は殿下のために働きたいと思った。殿下のために命を使いたいと思った。

 

 あの国民思いの女性のために。

 あの部隊思いの女性のために。

 あの、家族思いの優しい女性のために。

 

「なんで、なんで生きる理由があるのにそんなに簡単に命を捨てられるんですか?」

 

 女性兵士は聞いてくる。

 

「こんな絶望しかない世界で、どうして簡単に命を捨てられるほどの生きる意味を持てるんですか?」

 

 矛盾した二つの質問。

 だけど、本質的には同じだ。

 

「生きる理由はその意味を見つけたからだし、死んでも良いと思ってる理由もまた同じ。俺は殿下のために生きようと思ったし、殿下のためなら死ぬ覚悟もある。それだけさ」

「そう、ですか……」

「だからさ、そんなこと言うなよ。アンタも絶望しかないクソッタレな世界の中でも意味があったから戦い続けてたんだろ?」

 

 俺は女性兵士に向けていた目を隣の柱にもたれかかる名もなき兵士の亡骸へと向ける。この人が彼女の話し相手だったのだろう。

 

「中尉……?」

「涼子へ、和馬へ。すまない 父さんは負けた。おまえたちを守れなかった。この最後の時におまえたちと。居られないことがとても哀しく。つらい。もしこの世に神がいるのなら。おまえたちに安らかな。最期が訪れたことを願う。二九七三。何某浩市……か」

「読めるんですか?」

「まあ、ちょっとな」

 

 俺はその浩市という兵士であり夫であり、父であったその男へと祈りを捧げる。

 

「先達の役目は諦めを促すことじゃなく、応援することだぜ」

 

 祈りを終え、再び女性兵士へと向かい合う。

 

「だからさ、もう少しだけ頑張って欲しい。生きる意味が分からないなら探してほしい。どうしても見つからなければ俺を殺しに来い」

 

 俺は一発の銃弾を彼女へと投げ渡す。

 

「そいつで俺を殺すまで君は死ぬな。それに……」

 

 金管の美しい音色が聴こえて来た。

 きっと彼女だろう。

 

「俺たちは、まだ生きてるんだ。生きる意味が分からないなら、とりあえず生きる意味を探すのを生きる意味にしてみな。スゥゥゥゥ……おおおおおおおおおおおおい!!!! ここに生存者が居るぞおおおおおおおおおおおおお!!!!」

 

 金管の音色は途絶え、すると天井に穴があけられる。

 そこから一本のロープと共に女神が舞い降りた。

 

 

 ◆

 

 

 



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第十八話 フィーエスタ・デュ・ルミエール(後編)

「あれ? なんだ? 今年はみんな作ってるのか」

「あ、ヘークローさん」

 

 炎天下の作業によりかいた汗をタオルで拭きながら砦のリビングルームに入ってくるヘークローを見つけたカナタが声をかける。

 

「それにリオちゃんまで。どういう風の吹き回しだ?」

「別にいいだろ。私にも色々あるんだよ」

「? そうか」

 

 なによりヘークローが驚いたのはこういった宗教染みた催しに対してリオが参加していることであった。彼女が過去の経験からそういった事をよく思っていないことを知っていたヘークローは驚いたが、そう言った彼女の顔には特別負の感情のようなものは見られなかったため特に気にすることはしなかった。

 彼女が宗教に対して、少なくともこの街の教会に対して向ける感情は柔らかくなった原因についてひと悶着があったのだが、ヘークローは知らない。

 

「お、これは……」

 

 ヘークローはふいに顔を横に向けると、キャビネットに載せられたナスビとキュウリを見つける。

 しかし、そのナスビとキュウリはただそこに転がっているわけではなく、まるで何かの生き物を模したかのように割りばしによって4本の足が再現されている。

 

「へー、精霊牛(しょうろううし)精霊馬(しょうろううま)か」

「あ! もしかしてヘークローさんは知ってるんですか?」

 

 ヘークローの呟きにカナタが食いつく。

 

「ああ、そうか。そういえばカナタちゃんはそっちの出身だったな」

「ヘークローさん! ヘークローさんも死んだ人が帰ってくるなんて信じてないですよね!! それに、地上でうろうろしている幽霊って言うのは悪いものですよね!?」

 

 今から少し前に精霊牛と精霊馬の説明をカナタから受けていたクレハは一人でも多く自分の賛同者を得ようとヘークローに食って掛かるように質問を投げかける。

 しかし、忘れて居はいけない。ヘークローという男は意外と信心深いし、迷信も信じているし、なによりそれらの源流をなす文化というものが好きだということを。

 

「んー、まあそう言った考え方をする地域もあるが、個人的にはフィーエスタ・デュ・ルミエールの考え方は面白いと思うぞ」

「えええ~~~! そんなぁー……」

 

 クレハはヘークローの賛同を得られずにしょんぼりとしてしまう。心なしか彼女のツインテールもしんなりとしているように見える。

 

「あれ、でも精霊牛と精霊馬、どっちも一緒に置いておくのか?」

「え? どういうことですか?」

「精霊馬は故人のお迎え用、精霊牛は故人をあの世へ送り返すための乗り物だろ?」

「そうなんですか? 私知りませんでた」

 

 今までなんとなく行っていた行事の思わぬ事実にカナタは素直に感嘆の声をあげる。

 

「ご先祖様がいち早く家にたどり着いてほしいと願いを込めて、キュウリを馬に見立てて、我が家でゆっくりしていただいた後は、名残り惜しい気持ちを込めて、ゆっくり帰ってもらうためにナスを牛に見立てて作るんだ。そんで、さらに正確に言えばフィーエスタ・デュ・ルミエールの期間は大体4日程あって、初日にキュウリを、最終日にナスを飾っておくんだよ。ちなみに、帰りの足を牛にするのは沢山のお供え物をあっちに持って行くためっていう理由もあるな」

「へー、そうなんですね~。知らなかったなぁ。なんだか素敵です!」

 

 ヘークローは自分の好きな話をカナタに話し、カナタの反応も中々よかったために彼の気分は上がっていた。

 

 と、ここまでヘークローが部屋に入ってきたことでワイワイと賑やかに作業していた面々であるが、未だに一言も発さない人物がいた。

 普段ならばヘークローの発言に一番食いつきそうな人物が未だに静かなままであるのだ。

 

「……」

 

 そして、そのことはヘークローも気が付いていた。

 

「……ッ」

「フィリシアちゃん、そんな状態で刃物を使うと怪我するぞ」

 

 ヘークローはフィリシアが動かす手を掴んで灯篭作りを止めさせる。声をかけるより先に腕を掴んだのはこんな状態で声を掛けたらそれに驚いたらフィリシアが本当に怪我をしそうだと考えたためだ。

 

「……そうですね。最近夏バテ気味みたいでして……ちょっと休憩してきますね」

「おう、部屋で休んでおけ」

 

 そう言うと、フィリシアはゆっくりとイスから立ち上がり、この部屋から出ていった。

 普段のホワホワとしていていながら凛としている彼女の事を知っている他の隊員たちも彼女の様子がおかしいことに気が付いていたようだ。

 

「フィリシアさん……」

「なんか変ですよね、隊長ってば。ご飯を残したかと思えば、食費の予算を無視してスイカを買ってきたり」

 

 ヘークローは珍しく朝から起きるとすぐに外で灯篭作りをしていたため知らないが、フィリシアは今日の朝食をほとんど食べていない。また、灯篭の材料を買う際にはスイカを買ってきていたりしていた。

 

「やっぱり私、ちょっと……」

「よせ! 誰にも触れられたくない物はある!」

 

 様子がおかしいフィリシアの事が気になり、後をついて行こうとしたカナタのことをリオは止める。

 リオにはなんとなく予想が付いていた。

 フィリシアの様子がおかしい理由について。

 それは彼女たちの付き合いが新人隊員たちと比べて長いからにある。そして、リオよりも付き合いが長いわけではないが、少しだけ深い付き合いをした彼もまた当然フィリシアの事情について知っている。

 

「ヘークロー君?」

「わかっている。だが、誰しも一人になりたい時くらい……」

「ヘークロー君?」

「……わかったわかった」

 

 今までの流れで一言も言葉を発さなかったもう人物がもう一人いた。、ノエルである。

 部下のノエルに名前を呼ばれただけのヘークローではあるが、彼女が言わんとしていることは彼も理解している。

 フィリシアの気持ちを理解できるのは何も知らないカナタやクレハではなく、記録でしか知らないリオでもなく、実情を知っているが所詮同じ地域に居ただけのノエルですらなく、ヘークローただ一人であることを。

 

 部下のメンタルケアも上司の仕事か。

 

 そう思いながらヘークローはフィリシアの後を追いかけた。

 

 

 

 ☆

 

 

 

 ヘークローは「部屋で休め」と言ったし、フィリシアも「少し休む」といったことから彼女が私室に居ると予想し、ヘークローは彼女の部屋へと赴く……ことはなく、ヘークローは1121号要塞の戦車格納庫へと足を向けていた。

 ヘークローが格納庫に到着すると、そこには予想通りフィリシアが居た。彼女は修復中のタケミカヅチに手を当て、その装甲を撫でている。

 

「部屋で休むように言ったはずだが?」

「ヘークローさん」

 

 ヘークローの声に気が付いたフィリシアは振り返り、格納庫の入り口に立つヘークローを見る。

 

「ノエルちゃんにでも言われましたか?」

「鋭いな」

「あなたは、こういう時一人にした方が良いとか言いますものね?」

「……本当に鋭いな」

 

 ヘークローは自身の考えが部下にすっかりお見通しであることに若干の不安を感じる。

 背中に流れる汗は夏の暑さによるものなのかそれとも……。

 

「なんで今年は灯篭作りをしていたんだ? 去年は見ていただけじゃないか」

 

 ヘークローは去年の今頃の記憶を思い返しながら話す。

 去年は1121号要塞の面々は祭りに参加することはなく、見ているだけだった。一方で、今年は他の隊員も巻き込んで祭りの準備をしていたのだ。

 何気に細かい変化に敏感なヘークローでなくとも気が付くというものだ。

 

「まあ、去年は私以上にそれどころでなかった人が居たので」

「う、ううむ……」

 

 フィリシアの発言にヘークローは苦い物を噛み潰したような顔をする。彼にはフィリシアが言ったことに思い当たる節があった。

 

「今日……」

「うん?」

「あの人に問いかけられた気がしたんですよ」

 

 フィリシアは話始める。

 

「『生きる意味は見つけたか』って」

「……」

「最近はヘークローさんも元気になって、かわいい後輩たちも入ってきて、毎日がとても楽しいんです」

「良い事じゃないか」

 

 ヘークローはそう言うが、フィリシアの顔は優れない。

 

「でも、そうやって過ごしているうちに胸の内に浮かび上がってくるんです。私だけがこんなに良い思いをして良いのかって」

「……」

「そう思っていました」

「?」

 

 フィリシアは今までの暗い顔から、少しだけ笑みを浮かべた。

 

「それで良いんだって。今を生きている私は、それで良いんだって。そうやって私は生きる意味を探していこうって」

「……そうか」

 

 ヘークローは安堵する。

 自分が思っていた以上に自分の部下は立ち直ることが出来ていると。

 

「今年のフィーエスタ・デュ・ルミエールに参加しようと思ったのはこれが良い機会だと思ったからです。だから、これまでの私は今日でおしまいです」

「……ああ。あまり後輩たちに心配はさせないようにな」

 

 もしかしたら何も心配はいらなかったのかもしれない。

 そう思ってヘークローは格納庫から去ろうとするが、フィリシアは待ったをかけた。

 

「ヘークローさん」

「ん? なんだ」

「ヘークローさんは、()()()()()で生きる意味は見つけましたか?」

「……」

 

 それはかつてフィリシアから問いかけられたことのある質問だ。

 その時、ヘークローは何の迷いもなく答えることが出来ていた。

 しかし……それなのにフィリシアは再び同じ質問をヘークローにぶつけた。

 

「……」

 

 そして、ヘークローはその質問に答えることなくその場を去るのだった。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 俺と女性兵士、フィリシア・ハイデマン伍長は地下の空間から脱出を果たした。

 

「君の希望があればこのまま1182小隊に合流してもらう事もできるが……」

「……」

 

 ハイデマンに語り掛けるが、彼女からの反応はない。

 まあ、当然だろう。こんなことがあったのだ。

 こんな状況からすぐに戦いに飛び込める人間なんていうのはロクな奴ではない。

 

「今の君には休養が必要だ。その後はしばらく訓練校で勘を取り戻すのが良いだろう。もちろん、そのまま除隊を希望することもできる。少し考えておいてくれ」

「……」

 

 俺は彼女を要救護者が集まるテントに案内した後、次の行方不明者の捜索へと向かおうとした。

 だが、その前に彼女に一つ伝えておくことがある。

 

「ハイデマン伍長」

「……はい?」

「再訓練課程を終えた後、その気があるのなら俺の所へ来い。人事には話を通しておく。俺は、いつまでも待っている」

 

 それだけ言い残し、俺はテントを出る。

 

 

 彼女が一発の銃弾を強く握りしめていることには気が付いていた。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 今日の夜、セーズの街を流れる川は光であふれた。

 住人たちが流した灯篭の光によって川の形が浮き上がっているように見える。

 

 ノエルを除く1121号要塞の隊員たちは各自が作った灯篭を持ち、川に流そうとしていた。

 

「フィリシアさんは誰を送るんですか?」

「昔の同僚と、とある兵隊さんを一人。私に大事なことを気付かせてくれた恩人にね」

 

 カナタとフィリシアがそうして話している時に、一人だけ少し離れた場所に立っている少女が一人いる。

 それは、一人だけ灯篭の作成も行わず、この場でも灯篭を持って来ていないノエルであった。

 

「ヘークロー君」

「うん?」

 

 ノエルの傍にはヘークローが立っていた。

 

「フィリシアは……乗り越えたのかな……」

「さてな……彼女は隠し事がとても上手だからな」

 

 そのくせこっちの隠し事はきっちりと暴いてきやがる……

 そんなことをぼやきながらもヘークローは続ける。

 

「でも、一つの区切りを付けようと思ってるのは確かだ」

「……そう」

 

 朝から暗い表情をしていたノエルの頭にヘークローは自身の手を乗せる。

 

「一人で背負い込むな、前にもそう言ったはずだ」

「でも、これはボクの問題だから……」

 

 ノエルの声は未だに暗い。しかし、ヘークローの行動を拒否するような仕草は見せない。

 

「そうか……それなら、今はフィリシアちゃんの心の手助けをしてやってくれ」

 

 ヘークローはノエルの頭にやっていた手を背中に回し軽く押し出してやる。

 ノエルはその勢いを受けてフィリシアの下へと向かっていく。

 

「フィリシア……」

「もうみんな……なんてかわいいの……」

 

 カナタ、クレハ、そしてノエルを抱いたフィリシアの目元には涙が浮かんでいる。

 フィリシアにとっての生きる意味は、ここにあるのだ。

 

 

 そんな様子をヘークローは静かに眺めていた。

 

 

 

 ☆

 

 

 

 

 

 灯篭を流し終えた住民たちは死者の魂があの世へ帰るのと同じようにそれぞれ自分の家へと帰る。

 そんな中、ヘークローは他の隊員達を先に砦へと帰し、自分だけは河原に残っていた。

 

「……」

 

 先ほどまで見渡す限りに光があふれていた川は、全ての灯篭は下流へと流れて行ったために今は暗闇と川の水が流れる音だけがそこにある。

 

「……」

 

 ヘークローの手には未だに川に流されることが無かった灯篭が一つ。

 灯篭には『過去と、今。全ての英雄たち』と記入されている。

 

 ヘークローは割れ物を扱うようにそっと灯篭を川へと流す。

 その瞬間、彼の目には先ほどセーズの住民達が流した灯篭の数にも引けを取らない程の灯篭が川を流れて行く光景を幻視した。

 

 ヘークローは祈る。

 全ての灯篭が川を流れきるまで。

 ヘークローは祈る。

 全ての灯篭がヘークローの目から見えなくなるまで。

 

「ヘークローさん」

「……先に帰るように言ったはずだが?」

 

 河原にしゃがみ込み、祈り続けているヘークローに声をかけたのはフィリシアだった。

 

「私はこういう時、誰かと一緒に居た方が良いと考えているので」

「……そうかい」

 

 それは昼間の意趣返しだろうか。

 ヘークローとは違う考え方を示したフィリシアは彼の横で一緒に座り込んだ。

 

 二人の間にその後会話は無くなった。

 ヘークローはひたすらに祈り続け、フィリシアは何も言わずにただその場に居る。

 

 

 しばらくして、ヘークローの中の灯篭はすべて川の先へと流れたのか、祈りを止めて立ち上がる。

 

「帰るぞ。夏とはいえ、ここは水の傍だ。長居すると風邪をひく」

「そうですね」

 

 それに続くようにしてフィリシアも立ち上がり、二人して砦へと足を向ける。

 

「ヘークローさん」

「ん?」

 

 少し先を歩くヘークローをフィリシアは呼び止める。

 

「まだ、()()()()()で生きる意味は見つからないのかもしれません」

「……」

 

 ヘークローは何も返事を返さないが、構わずフィリシアは続ける。

 

「だけど、あなたが生きている意味があなたに無くとも私にはあることを忘れないでくださいね?」

 

 フィリシアは首にかけているペンダントを胸元から手繰り寄せると、ヘークローへと見せつける。

 

「……敵わないなぁ」

「ええ」

 

 そのペンダントは銃弾の形をしていた。

 

 

 






「弾をそんな風に加工してしまうともう使えないぞ?」
「ふふふ、そうですね」




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