武田義信の野望 (薔薇の踊り子)
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第一話 太郎誕生

小説投稿は始めてです。よろしくお願いします!



天正7(1579)年9月、遠江国二俣城

 

「信康さま、切腹の沙汰が参りました。ご覚悟を・・」

 

松平信康は思案していた。

 

(ついにこの時が来たか。聞いたところによると母上はすでに亡くなられたという。かくなる上は武家として恥ずかしくない最期を遂げることとしようか)

 

覚悟はしていた。思えば事の始まりはこの年の8月に父家康が信康の居城岡崎城を訪れこう述べたときだった。

 

「信康、近頃は顔色が優れぬようだな?」

「はっ、父上にまでご心配をおかけしてしまって申し訳ございませぬ」

「無理はするなよ?それにしても本当に顔色が優れないように見える。どうだ、ここらで静養してもよいのではないか?そなたは本当にここまでよくやってくれたのだからな。」

 

信康は父徳川家康の嫡男として永禄2(1559)年に生まれた。母は今川義元の養女の築山殿だ。

9歳の時に父家康と織田信長との清州同盟における婚姻で、信長の娘徳姫と結婚。同年元服し信長の「信」の字を諱としてもらい信康と名乗った。

14歳で初陣を果たし、その後長篠の戦いでも活躍、以後武田との主な戦いには相次いで参戦しそのたび武功を立てていた。

このままいけば間違いなく徳川家の跡取りとして問題なくいくであろうと思われていた。

 

「父上、もしかするとわたくしめになにか落ち度でも?」

「そんなことはない。単純に父親としての親心よ、そなたは本当によくやってくれている、なればこそ無理をしていないか本当に心配なのだ。」

 

この時、家康の表情に寂しさに似た何かを信康は感じ取った。

 

「それにこれは上総介さまのご意向なのだ。」

「上総介さまの?」

 

上総介、すなわち織田信長のことだ。信康にとっては舅に当たる。

 

「そなたの妻、徳とゆっくり休んでやってほしいとのことだ。そなたは近頃戦続きで家庭の時間も取れてはいまい?そこをゆっくり取れという上総介さまの計らいよ」

「そうでございますか、それは格別のお計らいでございますな」

「上総介さまといえども娘はかわいいのであろうな、この父からもぜひお願いをしたい、休んでくれ。」

 

家康は深々と頭を下げた。父親だけではなく舅の信長まで関わっているとなると受けないわけにはいかない。

 

「畏まりました。しばし静養することにしましょう。」

「よくぞいうた!大浜城に移るとよい。あそこはいいところぞ。」

 

今考えると準備が良すぎた。その後はあれやこれやと理由をつけられ遠江の堀江城、ついにはこの二俣城にうつされてきた。

 

そして父家康との岡崎城での会話から一か月たった今日、いよいよ切腹の沙汰が下された。

 

(聞けばそれがしと母上が武田に内通したとのこと、もちろんそんなことは一切ないがそれを述べたところで聞いてくださる舅殿ではござらん。そもそも武田と内通しているのであればあれほど武田との戦で武功を立てていたのはなんだったというのだ!)

 

信康は涙を流していた。

 

(無念・・・無念だ・・!このようなことで終わってしまうのか・・・)

 

「信康さま、恥ずかしくない最期を遂げてくだされ」

 

見れば切腹の用意がされていた。なるほど最初からこのつもりだったのか。

 

「それがしが介錯いたします」

 

事ここに至って信康は覚悟した。

 

「かくなる上は武士らしい最期を見せてくれようぞ・・・ぐっ!」

 

(父上・・母上・・・舅殿・・・!これは何かの間違いですぞ・・!)

 

「お見事!では!」

介錯の家臣の刀の振る音が聞こえ記憶は途絶えた。

 

 

 ̄ ̄ ̄ ̄

 

「晴信さま!お生まれになりましたぞ!元気な男の子でございます!」

 

ん…?

 

「おお、でかしたぞ三条!」

「あうあう…!?おぎゃああああああ」

 

そこで信康は気がついた。しゃべることができない!

 

「おうおうこのように元気に鳴いて… 名は慣習に従い太郎と名付けようぞ!」

「これで我が武田家も安泰ですな!」

 

そしてそんな信康を置いて盛り上がる大人たち。

自分の姿を見て驚いた。どう考えても赤ん坊そのままなのである。

だがしかし、どうしたことだろう、自分には先ほど自害をした記憶がはっきりとある。

 

「晴信さま…恐れながら申し上げますが、三条さまと太郎さまはご出産でかなりお疲れのご様子…しばし御自粛を…」

「おお、そうであったな、それでは私は父上へ報告に参ってくる、三条、誠に大義であった!」

「おぎゃああああ!!!おぎゃあ!!! 」

 

なんだこれはあああ!!!???

信康はこうして何もわからないまま、わけのわからない世界へ来てしまった。

 

 

 ̄ ̄ ̄ ̄

 

月日は流れ、天文19(1550)年ー

 

「父上、太郎も元服の儀を迎えました。」

 

平伏して言葉を述べる。

 

「うむ、これからは守役の兵部に頼りすぎることなく一層武田家の為に尽くせよ。」

「かしこまって候」

 

最初は戸惑いが隠しきれずに混乱していたが、信康は元服するまでに自分のおかれた状況を整理することに成功していた。

 

・自分は武田晴信(のち信玄)の長男である武田義信として生まれてきてしまったこと

・前の人生の記憶が確かにあること

 

そして同時に軽く絶望していた。

確か、武田義信って信玄と対立して自害させられたんじゃなかったっけ…?

信康の父家康は極度の武田信玄信者だった。ことあるごとに信玄の話をしていたので信康も武田の知識には多少明るい。

 

(これでは前の時と同じではないか、なんとかして生き抜かねば・・・)

 

信康はこの日から生き残るために生きようと決めた。

 

 

 ̄ ̄ ̄ ̄

 

晴信は目の前に平伏する息子の姿を見ていた。

 

「父上、太郎も元服の儀を迎えました。」

「うむ、これからは守役の兵部に頼りすぎることなく一層武田家の為に尽くせよ。」

 

こやつに武田家の後継者としての資質はあるのか。

 

晴信は値踏みをするように太郎を見た。晴信にとって、後継者問題に対する思いは常人とは一線を画するものであったからだ。

過去、晴信の父、信虎は何かと聡く口煩い晴信を幼少期から疎んじ、思慮深い弟の信繁の方を好み、何かとつけては弟信繁を厚遇した。

しかし、そんな中でもお家騒動とならなかったのは弟信繁が一貫として兄晴信が後継者となるべき、という立場を崩さなかったからである。

しかしながらそんな晴信にも危機が訪れた。信虎が晴信を廃嫡するという噂が流れたのだ。廃嫡されてしまえば晴信は幽閉されて自害させられるか、よくて出家させられてしまい寺に預けられてしまうのが関の山であり、どのみち武田家の後継者としての道はなくなってしまう。

さらに信虎は隣国の信濃国の諏訪氏や村上氏と同盟を組み、度重なる信濃への出兵を強行した結果、領国の甲斐国の民も土地も疲弊し限界を迎えつつあった。

こうした中で、晴信は重臣の甘利虎泰、板垣信方、飯富虎昌、さらには弟信繁らの協力を得てクーデターを起こす。

信虎が隣国駿河国へ向かった際に、甲斐国との国境に兵を置き封鎖してしまい、信虎を駿河へ追放してしまったのだ。太郎が2歳の時の話である。

こうして晴信は武田家の家督を継いだ。それだけに後継者問題に対する神経の尖らせようは半端ではない。

 

うつけでは、ないようだな。

 

晴信は守役の兵部こと飯富虎昌や母親である三条の方からの報告、さらには自分の目で見た素直な感想としてこう思っていた。

 

「太郎さまは大変利発な方で…この虎昌めにも手に余るほどでございまする」

「何を読み聞かしても太郎はこれはなあに?これは何て言うの?って質問攻めされて私も困っていますのよ」

 

実際、太郎はいろいろなことに興味を示し、そして自分が納得するまで質問攻めをしていた。実際には太郎は自分がおかれている状況を知るために必死だっただけなのではあるが。

 

「かしこまって候」

 

ふたたび晴信は太郎を見る。

 

「うむ…お前の名前なんだがな、将軍足利義輝さまから諱を頂いてな、義信という名前を頂けるように今交渉しているところだ。名前に負けないように励めよ。」

「は、ははっー!ありがたき幸せ!」

 

これは事実であった。太郎には武田家の中では始めて足利将軍家からの偏諱を受けられるように交渉していたのであった。

晴信は目をしばらくつむった。

 

「西曲輪に新しくお前の館を設けよう。そこで今度から暮らすといい。もちろん、守役の虎昌も一緒につける。…今日は以上、下がっていいぞ。」

 

ものすごい厚遇である。

 

「ははっー!」

 

わしは父上のようにはならん。

晴信は目の前にいる太郎を見ながらそう決意していた。

 

 

 ̄ ̄ ̄ ̄

 

「いやあ、めでたいことでございます!御館さまも太郎さまのことは大層気にかけてくださっていることがわかりまして、この虎昌も嬉しいかぎりでございます!」

 

この興奮して話す人物は、太郎(以下紛らわしいので太郎で統一します)の守役の飯富虎昌という人物である。

通称兵部と呼ばれるこの人物は、正式な名前を飯富兵部少輔虎昌といい、先祖をたどれば主家である武田家と同じ甲斐源氏であるとも言われる名家・飯富家の出身で、その武勇をもって信虎政権を支えていた。

しかし、信虎追放のクーデター時には晴信に味方し、それ以降は板垣信方、甘利虎泰といった重臣たちと共に若き晴信を支えていた。が、2年前に発生した、村上氏との上田原における合戦で板垣と甘利の双方が戦死してしまったため、現在武田軍団の中核を担っている。

その武勇は凄まじく、家臣団を赤一色で統一したことから呼ばれた井伊直政らで有名な赤備えを考案した人物ともいわれており、「甲山の猛虎」というあだ名をもつ武人である。

 

だが、この飯富虎昌、太郎の前ではー

 

「太郎さま、館を移されると決まったのであれば、何か足りないものはないでしょうか?この虎昌、なんだって用意してみせましょう!」

 

ただの親バカであった。

 

(それがしの守役の平岩親吉はこんなではなかったぞ?甲斐はゆるみきっているのか?とても父家康があれほど尊敬していた武田家の、それも筆頭家老とは思えぬ・・・)

 

「虎昌、今日はもうよい。今それがしは父上と話してきたところで疲れているんだ。」

 

正直、晴信との会談は神経を使う。恥ずかしいことにまだ太郎は晴信と公式の場以外で話したことは余りなかった。

 

「そうはいいましてもな、太郎さま。再来年には今川義元殿の姫君・於津禰さまを正室としてお迎えすることが決まっております以上、何もない館にお迎えするわけには参りますまい。」

 

え?

 

「…ちょ、ちょっと待って、そんな話聞いてないよ?」

 

まったくの初耳だった。

 

「…はて、たしかにお館さまは太郎さまにお伝えしたとおっしゃっていましたが…それがしの聞き違いだったのでしょうか?」

 

(結婚、か)

 

太郎は考えた。

 

(おそらくは甲相駿三国同盟の一環だろう。結局それがしは徳を幸せにしてやることができなかった・・それがしと徳がうまくいってさえいれば前世での不幸もなかったのであろうな)

 

松平信康と母築山殿の自害については信長の娘・徳姫と信康が不仲であったことが原因とされている。素直に太郎は結婚について喜べなかった。

 

(しかも今川の娘、ときたか)

 

正直言って太郎は今川についていい印象を持っていない。自分が生まれたときには家康は今川の人質時代であったので幼少期は今川家で人質として過ごしていた。そしてなにより母築山殿だ。

築山殿は自身に対する愛情は本物でありそれについてだけは好ましく思っていたものの、桶狭間の後はなにかと家康に強く当たり、また時折ヒステリックに騒ぐこともあってかなり苦手であったのだ。

 

(おおかた武田との内通というのも母上が勝手に進められたものなのだろう、それにそれがしが巻き込まれたというだけのこと・・・あの母上なら勝頼に対して本当に手紙を送っていても不思議ではない)

 

とはいってもそれはもう前世の話である。太郎はできるだけ平静を装いながら述べた。

 

「謹んでお受けいたします、とお伝えしてくれ。」

 

 ̄ ̄ ̄ ̄

 

「太郎さまは自らの婚儀についてたいそうお喜びの様子で…」

 

虎昌から太郎の様子について報告を受けた晴信は笑みを浮かべていた。

ほう、政略結婚とわかっていながらこの結婚を喜ぶか。さて、あやつはこの結婚の重要度を知って喜んでいるのか、それともただ単に婚儀というものが目新しくて興味を持っているのか。

晴信は思いを巡らせる。

そう、この婚儀の背景には、太郎の思っていた通り甲相駿三国同盟というとてつもなく大きな政略が存在していた。

甲斐の武田、相模の北条、駿府の今川は今まではそれぞれ時に争い、時に協力する仲であった。

しかしながら、信濃に集中したい武田、関東の支配を固めたい北条、そろそろ上洛を考え始めた今川にとって、互いに争うことは余り好ましいことではなかった。

今川義元の娘を、武田晴信の長男・義信へ。

武田晴信の娘を、北条氏康の長男・氏政へ。

北条氏康の娘を、今川義元の長男・氏真へ。

それぞれを婚姻させることで強固な婚姻同盟を成立させることを目論んでいた。

 

「兵部、ご苦労だった。婚儀に向けての準備を滞りなく進めよ。無論、こちらから北条への嫁入り準備もしっかりな。」

「ははっ」

 

ここで壮年の男が晴信の前へ歩み寄る。

 

「お館さま、いよいよですな。」

 

男の名は真田弾正忠幸隆といって、信濃の豪族である。現在は武田氏に帰属していた。

 

「うむ、これで父上が成し遂げられなんだ、信濃の攻略に集中できるというもの。」

「これで信濃の連中にも一泡吹かせられますな!」

 

こう意気込むのは原美濃守虎胤。こちらは信虎時代からの武田の武将である。鬼美濃と呼ばれた武名高い武将であった。

 

「弾正よ、時に信濃の情勢はどうだ?」

「はっ、林城主の信濃守護・小笠原長時はすでに昨年の塩尻での敗戦以後、士気は低く・・・」

 

軍議が始まっていた。

 

 

 ̄ ̄ ̄ ̄

 

「あにうえ!しろーにもせいじ、というものをおしえてほしいのです!」

「いやー、四郎にはまだ早いんじゃないのかな・・・」

 

そのころ、太郎は―――

 

「しろーもたけだのいちぞくなのです!ちちうえたちやあにうえたちをはやくおたすけしたいのです!」

「はっは、兄上、頼もしい限りではないですか。教えてあげればいかがですか?」

「読み書きもままならんようではな・・・」

 

弟たちと遊んでいた。

 

晴信には今、4人の男子がいた。

まず長男・太郎。のちの武田義信。

次に次男・次郎。義信の3歳年下だが、生まれつきの盲目で、信濃の豪族・海野氏の養子になることが決まっていた。

三男・三郎は義信の5つ下で、こちらはすでに武田の一族である西保氏の名称を継いで西保三郎と称していた。

そして現在4歳の四男・四郎。のちの武田勝頼に当たる人物で、四郎だけは生母が違っていた。

 

「太郎、お前もまだそんな偉そうなことを言える歳ではないではないか、いじわる言わずに教えてやれ」

「お、叔父上!」

 

笑いながら太郎たちの部屋に入ってきたこの優しそうな人物は武田典厩信繁といって、晴信の弟、太郎からすれば叔父にあたる人物である。

祖父である信虎からは晴信よりも寵愛されており、実際に晴信ではなく武田家の家督をこの信繁に継がせようと信虎は考えていたらしい。

こういう時、大抵の家であれば兄を排除して自分が家督を継ごうとして、御家騒動となるケースが多い。実際、尾張の織田信長も弟と家督争いになった末、弟を誅殺している。

しかし、この信繁は違っていた。

晴信を排除するどころか、武田の家督は兄上以外にはありえぬ、と断固として晴信を支持することを決め、実際に信虎を追放する際にも晴信に協力しており、それ以後は晴信をよく支えている。

その人柄の良さと教養の高さから、「武田の副将」との異名をとっていた。

 

「どれ、私が直接教えてやろう。どうだ、太郎、次郎、三郎。お前らも聞いていくか?」

「は、はいっ!」

「光栄です!」

「やったー!」

 

(これは僥倖。武田についての知識はある程度あったが甲斐という国についての知識はあんまりないので正直助かるな)

 

「まず、正直言って我が甲斐の国力は低い、これはどうしようもない事実だ。まず海がないこと。これはわかるな、太郎?」

「はい。まず海がないことは海運による貿易が見込めないことや海産物の恵みにありつけないことがあげられます」

 

うむ、と信繁がうなずく。

 

「さらに加えて、甲斐は山に囲まれている土地、主要な貿易路があるでもなく、交通の要所ともなりえてないので交易による繁盛は難しいでしょう」

 

これは三河と遠江で過ごした経験からの素直な感想だ。

 

「その通りだ。海がないことによる欠点はあまりにも多い。さらに加えて我が甲斐では」

「・・・米が獲れにくい」

 

次郎が続ける。

 

「なぜ、わがかいのくにではおこめがとれにくいのでしょうか?」

 

四郎が質問をする。

 

「それ、三郎も気になってましたぞー!」

 

三郎も四郎に続く。

うむ、と信繁は前置きをしつつ述べ始めた。

 

「・・・まず、稲作をするために必要な条件としては、豊かな水源があること、耕作に適した平らな土地が多いこと、日照時間が長い土地であること、などがあるが、四郎、どうだ?これを聞いて我が甲斐に稲作が適していると思うか?」

 

「たしかにかいのくにはやまばかりでたいらなとちはないでしょうが、みずはほうふにあるとおもいます。だから、そんなにこまることではないとおもうのですが」

 

これがのちの武田勝頼だと考えるといろいろと思うところはあるが気にしないようにしよう、と太郎は考えた。

 

「三郎はどう考えるか?」

「四郎の言っていることに加えて、山がちなここでは日の当たる時間が少なく、やや厳しいとは思いますが、それでも国力を逼迫するほど米が獲れにくいとは考えにくいのですが」

「・・次郎、教えてやれ。」

「・・はっ。確かに二人の言う通り、水は豊富にあるし、少ないとは言っても平らな土地もある。日照時間もやや厳しいでしょうが深刻な米不足に陥るほどではない。ただ・・・水が豊富すぎるのです。」

「・・そう、次郎が言った通りだ。国を流れる富士川は頻繁に洪水を招いていることはみんなも知っているだろう?特に御勅使川との合流地点である竜王あたりはそれがひどい。洪水になれば、稲が水につかってしまい、駄目になってしまう。数少ない平野である竜王付近も、このように稲作をするのには難しい土地なんだ。」

 

甲斐の荒れようには実際驚いた。平地もかなり少なくそのわずかな平地も洪水続きでまともな稲作ができない。生まれながらにして肥沃な地の三河や遠江で育った太郎からすればかなり衝撃的な事実だった。

 

「太郎が言った通りで、信虎殿の時代まではこの問題をほかの豊かな国を侵略したり、ほかの国から貿易で賄うことでなんとかしていた。しかし、お館さまが考えていることは・・・違う。」

 

祖父のことを信虎殿、晴信のことをお館さまと呼ぶあたりこの信繁の人柄がうかがえる。

 

「おっと、この話はここまでだな、あとは自分たちで考えてみろ。」

 

信繁は笑いだし、弟たちが議論に興じる中で太郎は考えていた。

(まずここまででわかったことがあるが甲斐・信濃国ともに国力が貧しい。金はまだなんとかなるかもしれないが米がとれないということは単純に軍の動員にかかわる問題だ。この環境でよくあんなに強い兵が育つな・・いや、それがよかったのか?)

(三河兵も精強で知られていたが甲斐兵はそれとは違う強さをもっている。死に物狂いで戦うのが甲斐兵の強みでそれは自国が貧しいからではないのか?戦に勝ち豊かな国を侵略することでしか豊かさを得られないと考えているからこそ死に物狂いで戦うのでないか?であれば・・)

 

「叔父上、少々申し出てもよろしいでしょうか。」

「太郎、なんだ?」

「それがしは甲斐国はそこまで豊かにならなくてもよいと考えております。」

 

この発言に信繁は驚いていた。

 

「・・・詳しく聞かせろ。」

「はっ・・わが甲斐国の強さは兵の精強さ。その根底にあるのはわが国の貧しさ故と考えます。これを失うのはあまりにも惜しいのではないでしょうか。」

 

信繁は言葉を失った。なんという観点だろうか。

 

「・・続けまする。もちろん現状のような軍の動員に影響するほどの水害は防がなくてはなりませぬ。しかしながら必要以上の豊かさをこの国にもたらすのはそれすなわちわが国の強みを失うことになります。そしていくら治水を頑張ったところで肥沃な地を持つ駿河・越後・相模には勝てませぬ。」

 

太郎はあえて今川、長尾、北条といった近隣の大名の領国を挙げて述べた。

 

「・・・その発言、また詳しく聞かせてくれ。」

 

武田の未来は明るい、と信繁は感じていた。

 

 

―――――

 

「・・・という話を太郎たちとしておりました。あやつらは底知れぬ可能性を秘めておりまする」

 

晴信は自室で信繁から報告を受けていた。

 

「ご苦労、しかし、国を豊かにしすぎるな・・・か。その発想は思いつかなんだな。」

「兄上、なにとぞ太郎たちを大事にめされい。彼らは聡く、何より仲が良い。」

 

なるほど、太郎だけではなかったか・・・

晴信は満足そうな笑みを見せた。

 

「信繁よ、わしの息子たちに対する待遇に何か不満でも?」

 

「いや、そういうわけではござりませんが、もっと会話を、するべきかと。太郎たちと話していると、なによりこちらも得るものも多いですぞ。」

 

会話、か・・・

 

「考えておこう。」

「いいえ、考える、では困りまする。」

 

信繁は珍しく強気であった。

 

「兄上、無礼を承知で申し上げます、信虎殿のことは不運なことであった・・・」

 

その話題は。

この兄弟はできる限りその話題には触れないように今日まで過ごしてきていた。

 

「しかし、不運であったのは兄上とそれがしで終わりでいい。なにとぞ・・・なにとぞ太郎たちには幸せに・・平等に近くに接してほしいのです。この信繁、この首をかけてのお願いでございます。」

 

晴信は信繁を見た。

昔から不思議なやつであった。武田家の跡取りは兄上以外差し置いていない。私などはその器ではない、とよく言っていた。

父信虎が信繁に家督を進める度に固辞してきた。

戦国の世、本来なら憎しみ合い、殺し合っていてもおかしくない、肉親。

実際に自分は実の父である信虎を駿河に追放するという親不孝を起こした。

 

「次郎」

 

あえて晴信は信繁を幼名で呼んだ。

 

「ははっ」

「わしは・・・わしは考えることがある。兄弟親子が憎しみ、殺し合うこともある戦国の世、しかしながら、お前とはそうはならなんだ。」

「・・それも、兄上の人柄がなしたことでございます。」

「いいや、違う。次郎。それはお前の人柄がなしたことだ。わしは・・・次郎。考えることがある。もし、わしが次郎の立場だったらどうしていたか・・を、な?もしわしが次郎の立場だったら、わしは躊躇なく兄を殺し、家督を奪っていただろう。実際わしは父上から家督を奪った。」

「兄上ほどの人物なれば、それも致し方なしかと」

「しかしながらわしは、お前という優れた弟を得た。そして、どうやら息子たちも優秀らしい。わしはな・・・恵まれておるのだろう。だからこそ、わしは怖い。いつの日か、父上のように息子たちをも手にかける日が来るのではないかと。わしはお前とは違う。目的のためなら手段を選ばない男だ。そういう日が来ない・・とも言い切れない。実際、家の方針と家族との絆、どっちを優先するかを聞かれたらわしは間違いなく家の方針をとる。だからこそ・・・息子たちと会話するのを避けていたのだ。」

 

晴信はいつの間にか心情を吐露していた。

 

「教えてくれ、次郎・・・わしにも家族と話すことは許されるのであろうか?父親を追放した人間に家族を愛する権利などあるのであろうか・・・?」

 

信繁は、しばらくしてから口を開いた。

 

「・・・当然でごさいます。兄上は天下を目指せる器のお方。それがしなどでは到底勤まりますまい。そのために、私情を捨てることも当然求められることもあるでしょう。しかし、それと家族を愛することは違うでしょう。ですから、まずはもっと会話をしてやってください。この信繁、兄上のためならいつだってこの首を差し出す所存、どうか、この信繁めを少しでも思いやる気持ちがおありならもっと話をしてやってください。」

 

晴信は涙していた。

太郎を確かに厚遇はしていた。新しい館を与えたり、将軍の諱を与えたり、今川義元の娘を嫁に迎えたり。

しかし、どこか後ろめたい気持ちがあって息子たちと会話するのを避けていた。

 

「・・・ご安心めされよ。太郎たちはまだ幼い。今からでも遅くはないでしょう。もしそれでも話しにくい、と感じられるならばそれがしをお使いくだされ。それがしが兄上と太郎たちとの架け橋となりましょう。どうか、兄上とそれがしの不幸を終わりにすると約束してくだされ。」

「・・・あい、わかった。」

 

晴信は決意していた。



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第二話 武田義信誕生

だいぶ遅れてしまいました!

マイペースで不定期更新になりますがよろしくお願いします!



天文19(1550)年、7月――

 

「騎馬隊、前進せよ」

 

晴信は信濃守護・小笠原長時を攻めていた。

昨年行われた塩尻峠の戦いで大敗を喫した長時にはもはや晴信に抵抗する力もあまり残されておらず―

 

「弱いな、小笠原は」

「…はっ、物見の報告によりますと、既に長時は林城を放棄して北進の村上義清の所へ逃れた模様。この戦、我らの勝利にございます」

 

武田家は労せずして林城を手に入れていた。

信濃守護の小笠原が降ったことで周囲の豪族たちも次々に武田に帰属し、こうして信濃で主だって武田に反抗するのは北信の村上義清を残すのみとなっていた。

 

「残すは義清か…2年前を思い出すのう兵部」

「…はっ。上田原でございまするか」

 

甲斐へ帰還し、自室で飯富虎昌と話す晴信。

 

「そう…上田原じゃ。」

 

晴信は遠くを見つめた。

上田原合戦。

2年前の天文17(1548)年に村上義清と晴信が行った戦いであり、晴信が初めて大敗を喫した戦いである。

武田軍の被害は凄まじく、晴信にとってはかけがえのないふたりを失った戦いでもあった。

板垣駿河守信方と甘利備前守虎泰。

どちらも信虎政権下からの重臣でありながら、信虎追放のクーデター時には晴信に協力、その後も家督相続して間もない晴信をよく支えた。

特に板垣は晴信の守役でもあった。

 

「駿河も備前も畳の上で死なせてやることが出来なんだ。これではむこうに行った後、またじいに叱られてしまうかもしれんな」

「…お館さま、駿河殿なら恐らくこうおっしゃいます、「戦国の世じゃ、何も言いますまい、それより天下を取ってまいれ!」と…」

 

そうかもしれぬな、と晴信はやや懐かしさを覚えた。

幼い頃の晴信はやんちゃが過ぎる子どもでよく守役の板垣には叱られていた。

それは元服し家督を取ってからも続いていた。何かある度に晴信さまは天下を狙える器、素行にももう少し気をつけていただきたい、と口を酸っぱくして言ってくる板垣に晴信は辟易していた。

と、同時に武田の跡取りとなって自分に対して意見を述べる人間が少なくなる中で、物怖じせずに諫めてくれる板垣のことを信頼していた。

 

「お館さま…今度は村上攻めとなりましょう、なれば義清を完膚なきまでに打ち破ってこそ駿河殿や備前殿への手向けとなるというもの」

 

虎昌の言葉に晴信はうなずく。

 

「晴信さま…」

 

晴信の脳裏には若き日の甘利の言葉が浮かんでた。

 

「国を統治するということはすなわちその国の民たちの生活を守るということ。ゆめゆめ、お忘れなきよう」

 

備前よ、わしはお前が望んでいた領主になれるだろうか?

晴信は思いを巡らせていた。

 

 

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 

「…太郎よ、まだ若いお前に聞くのも酷かもしれぬが、ぜひ今日は忌憚のない意見を聞かせてほしい」

 

どうしてこんなことになっているのか?

と、太郎は戸惑っていた。

虎昌は「これは素晴らしきこと!ぜひお館さまとお話を!」とか言ってめちゃめちゃはしゃいで止めるどころではなく、信繁は「うむうむ」と満足そうな顔してこれまた取り合ってはくれなかった。

 

「…信繁から聞いたところによればお前は国力を上げることについて疑念があるようだな、ぜひ聞かせてほしい」

 

太郎はこうして晴信と私的に二人で話すのは初めてであった。

 

「はっ…しかしそれがしの意見など戯言に過ぎぬゆえ」

「今の世、案外戯言と思われているようなことをやらねば変わらぬかもしれぬ。聞かせよ」

 

ふむ、と太郎は考えた。

(これまでは遠ざけられていたような気がしてなかなか晴信という人物の人となりがわからなかったがこれは良い機会だ、正直に意見を述べてみよう)

 

「それでは恐れながら。まず我が甲斐の国力は低くそれはどうしようもないことでございます。しかしなれば、その国力の低さこそわが国の強みにもなりえると考えた次第」

 

ほう、続けよ、と晴信は促す。

 

「甲斐の兵たちは精強で知られております。その強さは戦場でどん欲に死に物狂いで戦うところにあると考えております。これはわが国が貧しく、豊かな国を侵略することでしか貧しさを救えないと考えているのではないかと思った次第、それゆえ、ある程度は国を豊かにすることは必要でしょうが、必要以上に豊かにするとこの兵の精強さが失われてしまうと考えたのでございます」

 

しばしの沈黙。

 

「…それでは、いま武田が、わしが進めている信濃攻略、並びに治水事業は意味がないと?そういうことか?太郎よ」

 

タラリ、と嫌な汗が流れた。

 

「…いや、決してそのようなことは!し、失礼つかまった!」

 

太郎は慌てて平伏した。脳裏に静養を勧めてきた時の家康の顔が浮かんだ。

 

「はーはっは、太郎!お前はやはりまだまだのようだな!」

 

これに対して晴信は豪快に笑った。

 

「最初に述べたであろう、忌憚のない意見を聞かせてほしいと!この程度で父に対して臆するのではとても武田は任せられんな!」

 

ポカーンとしている太郎を差し置いて晴信は笑い続ける。

 

「太郎、よいか。前からお前に足らないものは何かと考えておった。その自信のなさじゃ、人の顔色を伺いながら過ごしているように思える」

 

(一度はいわれのない罪で自害させられた身だ。慎重になるのも仕方がないだろう)

 

「確かにお前の賢さや発想の凄さは認めよう、目を見張るものがある。しかしながらお前には野望、剛気というものが欠片も感じられない。どうだ?違うか太郎よ!」

 

太郎は言葉を返すことができないでいた。

 

「良いか、今日ノ本は戦乱の世にある、しかしながら戦乱はいつまでも続いて良いものではない。いつか戦乱を終わらせる人物が必要となろう。いいか、太郎、わしはな、」

 

晴信は少し呼吸をおいて話し続けた。

 

「ただ一介の戦国大名に終わる気はない。天下を、狙っておる」

 

その言葉に太郎は固唾を飲んだ。

 

「ち、父上、本気ですか」

「本気だ。だからわしは親不幸という誹りを受けようとも信虎殿を追放した」

 

さっきまで笑っていた人物とは同じ人物とは思えないほど晴信は真剣な表情をしていた。

 

「わしはこの甲斐の国に住む人々を昔から見てきた。民たちの暮らしは戦乱に振りまれいつまでも安定することを知らない。その理由はなんだ?戦乱の世が続いているからだ。だからわしは戦乱を終わらせたい」

「…」

 

太郎は言葉を発せずにいた。

 

「だからわしは自分の野望のためにはどんな手段だってとる。実の父親も追放した。旧来のしきたりに従うことなく有能なものは身分を問わず登用した。同盟だって利用するだけさせてもらう。一族だろうと容赦なく使わせてもらう、そのためであればいくらだって自らの悪名は受けて見せよう」

 

実際、武田家は信濃の諏訪家や村上家と信虎殿の時代に結んでいた同盟を破って信濃に侵攻していた。

その同盟破棄の結果、諏訪に嫁いでいた晴信の妹は自害してしまっている。

 

「ただ、天下を取るにはすべての素質が備わっていなければなるまい。わしはそういう意味で、わしの、すなわち武田の跡取りは天下を狙っていける者ではないといけないと考えておる」

 

晴信は太郎にさらに語り掛けた。

 

「確かに太郎、お前は優秀なのであろう。しかし、それだけでは天下は取れぬ。人の顔色を伺いながら自分の意見を引っ込めるようではいけないということだ。むしろ父を負かせるぐらいの気概が欲しい。わかるか、太郎よ」

 

(これが武田信玄という怪物か。父上が恐れて尊敬どころか崇拝していたのも少しわかる気がする。しかしこれは・・・)

 

太郎は必死に頭を絞っていた。なぜならここで晴信は自分を試しているということを理解していたからだ。ここでの回答の如何で晴信の自分に対する値打ちが決まる、と。

 

「…その気概とは父上が信虎殿を追放したように、わたくしめの野望のためには父上を追放することも厭わない覚悟で望めと、そういうことでしょうか…?」

「…」

 

太郎は賭けに出た。中途半端な言い訳や嘘は通用しないと考えたからだ。これは史実の義信が行おうとしたことでもある。

長い静寂が訪れた。

賭けに負けたかもしれぬ、と太郎が少し後悔し始めたとき、

 

「よう言うた!わしにその話題を投げ掛けるとは大したもんじゃな、お前は」

 

晴信は笑みを浮かべていた。

 

「ふむ、ちょっと早いかもしれぬが具足始を執り行うこととしよう、それにいつまでも太郎では格好がつかぬ。今後は義信と名乗るがよい」

「は、ははっ!」

 

(賭けに勝ったな、これで家中でも動きやすくなるだろう。しかし信玄はいい人物だなと考えていいのだろうか)

 

「だからの、太郎…いや義信よ。」

「な、なんでございましょうか?」

「先ほど述べたこと、皆の前で改めて聞かせてほしい。もう臆するなよ…?まあさっきの話だがお前ごときに追放されるような晴信ではないがな!」

 

(やはり油断ならない人物だ、この人は)

 

こうして晴信と太郎の会談は幕を閉じた。

 

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 

「あー、疲れた!いきなり部屋によばれたかと思ったらあんな話されて!もう無理だって!」

「お館さまとのお話は上手くいきましたかな…?」

 

太郎は自室で虎昌に愚痴っていた。虎昌がどういう人物かまだ測りかねているのでくだけた口調で真意を探ろうとしていたのである。

 

「天下がどうだとか、お前には野望が足らぬ、とか!色々言われても困るって~」

「なんと!そのようなお話をされたのですか!」

 

虎昌は大層驚いた様子であった。

 

「これは…いややはり太郎さまをお館さまは高く買っていらっしゃる証拠。ああ、この虎昌、太郎さまにお仕えすることが出来て何よりの幸せでございます! 」

 

(これは本当にこういう人物なのだろうか)

 

「あ、太郎っていうのはもう無しね、改名するんだってさ」

「…なんと!それではいよいよ義信さまと?」

「うん、なんか先例よりは早いらしいけど具足始めもするんだってさー」

 

虎昌の方を向かずに述べていた太郎であったが背後からすすり泣く声が聞こえてきた。

 

「なんと…お館さまはそこまで…」

「え、なに泣いてるの?」

「いえ…これは失礼いたした…年取ると妙に涙もろくなりもうして」

 

(案外悪い人物ではないのかもしれないな)

 

「そうと決まれば準備しませぬとな!ほれ、まずは…」

 

前世で行った具足初めのことを思い出しテキパキと準備を進める太郎であった。

 

 

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

「本日からそちは武田太郎改め、武田義信と名乗るように!」

「ははっ!」

 

(何の因果かは知らぬが信の諱だけは上総介さまと同じであるのよな、生き残るために励もう)

 

天文19(1550)年8月。史実より2年早く具足始は行われ、同じ日にこちらは史実より3年早く後の世で呼ばれる、武田義信は誕生した。

 




次回から戦いの描写とか書いていけたらなぁって感じです


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第三話 軍議

この章から主人公の一人称は義信になります。
また紛らわしいですが、義信が地の文で父上といったときには家康、会話の中で父上といったときには晴信のことだと思っていただければ幸いです。


「勘助よ」

「ははっ」

「義信を慣例に従わず早めに改名させたが家臣団の反応はどうだ」

 

晴信は自室においてある隻眼の男と話をしていた。

 

「…正直に申しまして、賛否両論でございます」

「どっちの声が多い」

「いつの世も古き慣習にとらわれる者は多いです。それを簡単には変えることは難しく…」

 

隻眼の男の名前は山本勘助といって、新しく晴信が召し抱えた武将である。

 

「前置きはいい、どうなんだ」

 

勘助はやや躊躇いつつも述べた。

 

「…確かに義信さまの評判は良いです、しかしながら武に関してはまだ未知数。家臣の中には義信さまの軍略に対して不安の声も」

「初陣もまだというのに改名は早すぎるということか」

「…恐れながら」

 

晴信はしばし考えると、ゆっくりと述べた。

 

「…勘助、お前の意見を聞きたい」

「…はっ、なれば此度の村上との戦、義信さまの初陣となされてはいかがでしょうか。戦というものを知る良い機会になりましょう。さすれば不満を持つものはなくなるかと」

「…なるほどな。確かにあのまま書室でいつまでも書物を読まれていても困る。そろそろ戦場にも出てもらわねばな。わしの側につけておけば万が一ということもあるまい」

 

「…よき、お考えかと」

 

こうして、義信の初陣は決まった。

 

 

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 

「う、初陣でございますか!」

 

もうすぐ8月も初旬が過ぎようとしている頃、晴信から義信は初陣のことを聞いていた。

 

「ああ、北信濃の村上ともうすぐ戦になるだろう。お前ももうそろそろ戦を知っても良い歳になると思ってな」

 

(武田との戦いで初陣を飾ったそれがしが武田家において初陣を戦うとは皮肉なものよ)

 

「此度の戦は大きなものとなる。だがしかしこの戦が終われば信濃の支配に目処がつく。当分は大きな戦も無いだろう、初陣の機会としてはまたとないと思わないか?」

「は、は!有り難き幸せでございます!此度の初陣の儀、謹んでお受け致します」

 

義信はこの機会を、あの父上が尊敬してやまなかった武田家の戦い方を知れるいい機会だと考えていた。

 

「よし、それでは付いて参れ」

「はっ…いったいどこへ?」

「戦となるのだ、決まっておろう」

 

晴信は笑みを浮かべながら言った。

 

「軍議じゃ」

 

 

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 

義信が大広間に入ると主だった家臣たちが平伏して待っていた。

 

「面を上げよ」

 

晴信の声でみな顔をあげる。

 

「さて…此度の戦であるが、義信も参戦させることになった。初陣となる、ぜひみなには義信を助けて欲しい」

「おお!」

「いよいよ義信さまが!」

「大丈夫かのう…」

 

様々な反応が聞こえた。

 

「早速ではあるが軍議に入らせてもらう」

「「「「ははー!」」」」

 

こうして義信の武田家初軍議は始まった。

 

 

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 

「現在の情勢として義清めは北信濃の領主である高梨氏と―」

 

義信は軍議に参加しつつも周りの観察を続けていた。

 

「しばらくは本拠である葛尾城には戻らないはずであり―」

 

まずは席次。当主である晴信を中心として、隣に嫡男義信。

向かい側に信繁を中心として、晴信の弟たち。

晴信の影武者を務めたとされる信廉の姿もある。本当に似ている。

 

「ここを突けば信濃における武田の勢力は―」

 

続いて親族や家臣たち。ここまでで義信はまた気が付いたことをまとめていた。

 

(武田も松平も似たところがある。それは家臣たちが単純な従属勢力ではなく、それぞれが小さな国人としての大名であり、松平や武田はその国人の連合体の代表に過ぎないということ。武田で言えば大井・小山田・穴山といったのが該当し、松平で言えば酒井・井伊・本多といったところだろうか。これは前世と同じといえばやりやすそうだが扱いが難しくなるな。こういった場合は主家への従属意識が低く、あっさりと寝返ってしまいそうだからな。配慮しなければ・・・)

 

まさにその国人たちを纏めるのに奔走したのが松平で言えば松平清康、家康の祖父に当たる人物であり、武田で言えば信虎、義信の祖父に当たる人物であった。

 

「この砥石城を落とせばまさに葛尾城は―」

 

そしてまさに今、しゃべっている人物に義信は目を向けた。

 

(あの人物は知っている。真田弾正忠幸隆。信濃の豪族ながら信玄に従属しその采配を存分に振るって信玄を助けたという。その息子である昌幸の扱いに父上も苦慮しておられたな、なかなかの御仁とみていいだろう)

 

そして今、気になる単語が聞こえたことに義信は気が付いた。

 

(あれ?砥石城と聞こえたがこれはもしや…?)

 

義信は家康から聞いた話を思い出していた。

 

 

「いいか、信康よ。武田信玄という人物は大変戦に強い人物ではあるが、これまでに二度大きな敗北をしている。ひとつは上田原の戦いというものでな、これは北信濃の村上義清と争ってこれに敗北。板垣と甘利という武田の宿老を二人も失う大きな敗北であった。そしてもう一つは砥石崩れという戦いでな、これも相手は村上義清なんだが砥石城という城での攻城戦中、奇襲によって多くの将兵を失うことになったのだ。いいか、信玄ほどの人物といえども戦において連戦連勝ではない、なのでお前も慢心せずに―」

 

 

「うむ、村上との戦をいつまでも長引かせる訳にもいかん。早急にこの砥石城を抜き―」

 

(間違いない!この戦が砥石崩れだ!このまま何もしなければ武田は負ける。それがしの初陣が敗北なんていうのはまず許せぬし負けるために戦をするわけではない、勝ちに行くのだ!)

 

義信は歴史を変えるために動き出した。

 

 

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 

軍議はいつも通り進んでいた。

 

「では此度の陣立ですが―」

「ちょっと待ってくだされ」

 

誰もが予想しなかった人物の発言で場は静まり返った。

よ、義信さま?

飯富虎昌は冷や汗をかいていた。

 

「少々気になることがございまして」

 

義信はまだまだ初陣を迎えてもいない若輩者。軍議に参加しているとはいえそれは建前的なものであって、発言をするなんて到底考えられないことであった。

 

「義信さま、どうかお控えを」

「兵部、よい」

 

制しようとしたところお館さまに止められる。

 

「はっ」

 

やはり義信さまはご寵愛を受けている。

 

「義信、聞かせよ」

「はっ…それがし、此度の戦についてもう少し考える必要があるかと思います」

 

この発言に対して家臣たちからは動揺が見られた。

戦を知らぬくせにお館さまに気に入られようと必死なのよ、そんな声も聞こえてくる。

それに対してお館さまは、

 

「此度の我らの陣立てに不満があると申すか、義信よ」

「…恐れながら」

 

家臣団の動揺が大きくなる。

 

「此度の戦、義清の不在をついて砥石城を急襲し、義清の本拠である葛尾城攻略への足掛かりとする。そうですね弾正殿?」

 

義信さまはそう述べる。

 

「…はっ。現在義清は北信濃の高梨政頼と争っておりまして出陣中。さらに清野や寺尾といった豪族からも内通の約束を取り付けております。」

 

この真田幸隆という男は抜け目のない男で、義清の背後に位置する高梨氏の娘を自らの長男の信綱に娶らせ背後を突かせたのであった。さらにそれをちらつかせつつ清野や寺尾といった周辺豪族にまで内通を約束させていたのであった。

 

「それで義清が北信濃にかかりきりの今、堅牢で知られる砥石城を急襲してしまおうと考えているのですね?」

「…はっ、その通りでございます。」

 

ここまでは先程の軍議の内容と変わりない。

 

「それでは、もし砥石城を落とせぬまま、義清が高梨氏を和を結び救援に来たらどういたしまするか…?」

 

義信さまのこの発言で場は凍った。

 

「ありえぬ!義清は高梨にかかりきりのはず。万が一高梨と和が成ったとしても清野も寺尾もいる。その間に砥石城など踏みつぶしてくれるわ!」

 

義信さまに食って掛かったのは猛将と名高い原美濃守虎胤。鬼美濃の異名をとる武将だ。

 

「義信さまの心配もわかりますが、砥石城の城兵は多く見積もっても500ほど。たいしてわれらは10000。仮に義清が戻ってこようともその前にたやすく落とせましょう」

 

美濃守に同調したのは小山田出羽守信有。こちらは親族集の筆頭的存在である。

 

「・・なぜそう楽観視できるのだ?」

 

義信さまは静かに語りだす。

 

「相手はあの村上義清だぞ?2年前に上田原で辛酸を舐めさせられたこと、みな忘れてしまったのか?」

 

完璧に皆黙り込んでしまった。

 

「これでは駿河さまや備前さまも浮かばれぬ」

「待てぃ!さすがに義信さまといえどもいまの発言は聞き捨てなりませぬぞ!」

 

この言葉についに美濃守が激高する。

 

「駿河さまと備前さまの名を借りてわれらを愚弄することこそ駿河さまや備前さまに対して失礼ではないか!そもそも戦に参加したことがない義信さまに何がわかるというのか!」

「・・戦慣れしてないからこそ、わかることもあるというものです」

 

あの鬼美濃相手に一歩も引かないとは。

虎昌は感心していた。

とはいえ、さすがにこの状況は止めないとまずい。将の動揺は兵に伝わり、やがては士気にかかわる。そして、それは戦の行方を左右しかねない。

さすがに虎昌が口を出そうとしたその時―

 

「美濃、義信よ。」

 

ここでついにお館さまが口を開いた。

 

「・・・控えよ、われらは味方ぞ。争ってどうする」

「しかしー」

「なれば父上ー」

「控えよ!」

 

有無を言わさぬ強い口調でお館さまは2人を諫めた。

 

「どのみちこれでは軍議にならぬ。ちょうど長時間続けていたところだ、みなも疲れていよう。しばし休憩とする」

 

あ、これは。

虎昌は感づいた。

そして予想通り晴信が虎昌に近づいてくる。

 

「義信の方は任せておけ。兵部、そなたは美濃を頼む」

 

ああ、また面倒ごとを任されたな。

この後行われることを想像して甲斐一の猛将は頭を悩ませるのであった。

 

 

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 

「父上!納得がいきませぬ!そもそも剛毅を見せよ、忌憚のない意見を述べよと言ったのは父上自身ではないですか!それをどうして…!」

 

休憩と称して自室に入ると予想通り義信が食ってかかってきた。

さて、どうしてやろうか。

晴信は少し考えた。ここでの返答は今後の義信の性格に大きく影響を与える可能性があるからだ。

 

「父上!これではあんまりです!何か言ったらどうですか」

「義信―」

 

晴信は語り始めた。

 

「そなたは間違っておらぬ。発言の内容も正しい。よく剛毅を見せてくれたな」

「えっ…」

 

義信は言葉に詰まった。まさか褒められるとは思ってなかったからだ。

 

「な、ならなぜ―」

「しかし、」

 

晴信は義信の言葉を遮る。

 

「それだけではダメなのだ。なぜかわかるか義信?」

 

晴信はあえて義信に考えさせることにした。

 

「えっと…そ、それがしが冷静さを欠いていたからでしょうか」

「それもある。もちろん正しいことをきちんと言えることは良いことだ。普通の武将ならそれでよい、しかし、お前はゆくゆくは大将となるもの。これでわかるか、義信」

 

「…」

 

義信は答えられなかった。

 

「将を使う立場になる者は必ず戦に勝たねばならぬ、そのためには少しでも戦に対する不安要素を消さねばならぬのだ。徒に将の不安や対立を煽るようなやり方は賢いとは言えぬ。お前がまだ幼くてそのようなことを理解するのが難しいというのはわかるが、わしはお前に期待しているのだ。どうかその事をわかってほしい」

「それでは父上は家臣たちの意見が間違っていたとしても、輪を乱さぬようその間違った意見を通すとおっしゃるのですか・・?たとえそれが国を滅ぼすほどの愚策とわかっていても!」

「義信よ、だからお前はまだまだ若いのだ。無論、そのようなことはない、だがな、人はそれぞれみな、必ず何かの意図をもって発言をしたり考えを出している」

 

晴信は続ける。

 

「例えばな、よいか義信、今回話を進めていた真田弾正忠幸隆。あの男をお前はどう見る」

 

義信は思慮していた。

 

(父上であれば先ほどの軍議のような場面、何も言わずに聞いてくださっていた。しかしこの晴信という男は違う。ここは聞いたほうがよさそうか・・・)

 

実際、松平信康という人物は勇猛果敢ではあったが少し浅慮な部分があったようだ。それを示す逸話として鷹狩りの際に出会った僧侶を縄をつけて殺してしまったことがあるという。これは狩りの際に僧侶に出会うと獲物が少なくなるという因習を信じていたからだという。

 

「穏やかな人ではございますが目に見えない強かさをお持ちの御仁という印象でございます」

「なるほど、そうだな。あの男は確かに強かそうだ。それでは義信、なぜあの男が今回の軍議を取り仕切っていると思う」

「…」

「弾正は最近武田家に下った信濃の一豪族という立場に過ぎない、いわば新参者だ。だからな、手柄を上げようと様々な謀議を巡らせて今回の砥石城攻略に臨んでいる。そんな並々ならぬ心意気を持って立てた作戦に意見されたらどうだ、義信よ。しかもまだ戦もしたことがない子倅にだ、わしならいい気はしないな」

「しかし・・それでも正しいことは述べねばならないでしょう、弾正殿には申し訳ないですが」

「正しいとはなんだ、義信」

「えっ?」

 

義信は戸惑ってしまった。この人はいったい何を言っているのだろう。

 

「それはもちろん、戦に勝つことにございます」

「それではお前は戦に勝ち続けて民に負担を強いて、国が荒廃することも正しいというのか?そう、わしの父上のように!」

 

晴信の口調は激しさを増す。

 

「よいか、義信。小さい利益にとらわれて大きな利益を逃してはならぬ。仮に先ほどの場面でお前が意見して作戦を訂正して戦に勝ったとしよう。すると弾正の立場は無くなる。戦もしたことがない子倅の意見に負けた挙句その意見で成功してしまったのだからな。するとどうだ、武田は新参者には厳しいという噂が流れるかもしれぬ。義信、先ず隗より始めよという言葉を知っておるか?」

「・・恐れながら、その言葉は存じませぬ。」

「明の戦国時代に郭隗という人物がおった。燕という国の昭王という王からどうすれば賢者を招くことができるかと問われたときに郭隗が、「まず私のような凡人を優遇することから始めて下さい。そうすれば優秀な人材が集まってくるでしょう」と言ったという。昭王はその通りに実行して結果多くの人材が集まったという。」

「父上はそれと同じことをやりたいということでしょうか?」

「その通りだ。優秀な人材を集めるというところは魏の武帝(※作者注 曹操のこと)にも倣っている。まったく、明には学ぶところが多いな」

 

義信は信玄という人物の教養の高さにも驚かされていた。幼少期に勉強した時にも感じていたが置かれている書物の質が三河とは大違いだ。

 

「‥それでは弾正殿の作戦を採用して失敗してしまった場合はどうするのですか?」

「簡単なことだ。挽回の機会を与えればよい。まあそれでもダメなら責任を弾正に押し付けてしまえばいいことだ。そうすれば武田は新参者であっても有能な人材は登用するし、失敗しても挽回の機会が与えられるという認識が流れるかもしれぬ、いうなれば先ず弾正から始めよ、だな」

「‥父上のおっしゃることはわかりました。ただ、わたしにはどうしても解せないのです。自分がやりたいことと違うことを認めるのは」

「その心意気やよし。なにもすべて否定しろと言っているわけではない。ただ、先ほどの軍議での発言は一番ふさわしくないものであったということだ。徒に将たちの不安を煽り、新参者の機会をつぶす。此度の戦にも武田の今後にも悪影響を及ぼしかねない悪手だったのだ」

 

ここで晴信は間を置いた。

 

「わしが言いたいのはな、目先の利益にとらわれるな、ということなのだ。常に大局を見据えて一時的な不利益を被ってでも最終的な利益をとらえねばならぬ。大局観、とでも言うべきものが大将に求められるものなのだ。とはいえ、義信、お前はまだまだ若い」

「…父上も、それを言われるほどまだ老けてはいないではないですか」

 

時に武田晴信29歳、武田義信12歳である。

 

「…そうじゃな、だからわしの後ろで見ておれ。幸いわしらには時間はまだ残されている。わしの一生をかけてお前を教育してやるからな」

「…父上が早死にしなければよいのです。あるいは…父上こそ、私に追放されないように頑張ってくだされ」

 

義信はある程度信玄という人物を理解したような気がした。

 

「これは一本取られたな!」

 

ワハハ、と武田の親子は笑い合った。

 

「さて、軍議に戻るぞ。なに、わしの言う通りにしておれ――」

 

 

 ̄ ̄ ̄

 

お館さまと義信さまが戻ってこられた。

その光景を見て飯富虎昌は安心した。

なにせ自分と家格でいえば同等の美濃守を一時的とはいえなだめるのは骨の折れる作業であったからだ。

くわえて、美濃守は勇将で知られる者。気の強さは半端ないものであった。

 

「まず、」

 

お館さまが口を開く。

 

「美濃よ」

「はっ」

「義信がそちに申し上げたいことがあるそうだ」

 

家臣団に緊張が走る。

 

「なんでございましょうか」

 

そう申し上げた美濃守の前まで義信さまが進み出る。

と、その時。

義信さまがいきなり土下座をした。

 

「それがしの不徳の至すあまり、先ほどは失礼な発言をしてしまって大変申し訳ありませぬ。どうかこの通り許してはいただけませぬか」

 

この時代、立場が上の者が下の者に対して頭を下げるということは考えられないことであった。

家老とはいえ、美濃守は家臣である。それに対して義信は主君の子。どう考えても立場は美濃守よりは上であった。

 

「美濃、わしからもこの通りだ。頼む、許してやってはくれぬか」

 

なんと、お館さままでもが頭を下げるとは!

こうなると美濃守としても許さないわけにはいかない。いかに国人の連合体とはいえ、主君と主君の息子に頭を下げさせて許さなかったら今度は美濃守の器量の狭さが疑われてしまうからだ。

 

「なんとそのような!どうか義信さまもお館さまも頭を上げてくだされ!それがしも少々熱くなり申した、それがしこそお許しいただきたい!」

 

これで禍根は完全になくなる。さすがお館さまじゃな。常人にはできないことを簡単にやってのけてしまわれる。

 

「さて、休憩を終えたところで、弾正―」

「はっ」

「そなたの考えを聞かせてもらおうか」

 

軍議は再開した。

 

―――

 

「清野、寺尾といった豪族は少数ではありますが地理的に要所に位置しており―」

 

基本的には弾正殿の進行で軍議は進み―

 

「かりに義清が取って返してもこれらを突破するのには時間がかかるので―」

 

たまに勘助殿が意見を挟み―

 

「うむ、基本的にはそれでよいであろう。ただ、補給路の面で我らは不利であるということを―」

 

お館さまが意見を聞きつつ修正を入れ―

 

「それがしの意見など聞き捨て頂いても構いませぬが―」

 

義信さまもたまに発言をし―

 

「…よかろう。それでは此度の陣立は以上とする。さっそく信友、信繁、出羽は先遣として近いうちに発ってもらう」

「はっ!」

「われらも数日中には出陣となろう。各自補給・軍備の準備をゆめゆめ怠らぬようにな!」

「「「「ははっ!」」」」

 

無事に軍議は終了した。

 

そして数日後―

 

「出陣するぞ!」

「「「「「「おおーっ!」」」」」」

 

武田晴信を主将として、武田軍総勢10000は砥石城に向けて出陣した。

 

 




ちょっと曹操の話が出てきたのでついでに話しますが、いわゆる三国志は正史と演義というふたつがありますが家康をはじめとする一般的な戦国大名の間では演義が一般的でした。しかし信玄は珍しく正史を好んでいたとされています。風林火山の旗印を孫子から引用したところからも高い教養を持っていたのではないかと考えてこのようなキャラ付けになっております。


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第四話 砥石崩れ 前

長くなってしまったので分割することにしました!


晴信や幸隆の考えた作戦は完璧であった。

狙うは北信濃の要衝・砥石城。ここは村上義清の本拠地である葛尾城とは目と鼻の先にあり、ここを落城させることが出来れば北信濃における武田の勢力は揺るぎないものとなる。

それはつまり、武田による信濃統一を意味していた。甲斐一国の支配すら十分ではなかった信虎以前の武田家の勢力を考えればまさに夢のようであると言ってもいいだろう。

その砥石城に、晴信は武田軍7000を差し向けたのである。出陣時から3000減っているのは、信濃の各地の砦・城に木曾・上野などへの抑えの兵を置いたからである。

しかも、相手の主将である村上義清は幸隆の策略により、越後との国境上に割拠している高梨氏と争っており、出陣中。さらに砥石城には500の兵しかおらず、まさしく石橋を叩いて渡る、を地で行く戦法であった。

 

「義信、どうしたそんな難しい顔をして?」

 

義信は奇襲という結果でこの戦いが失敗に終わることがどのようにつながるか行軍中ずっと考えていた。その義信に話しかけてきたのは晴信の影武者を務める信廉であった。

晴信という人物は大変用心深い人物であるようで、行軍の際にもこのように信廉に影武者を務めさせていた。

そんなことは義信もわかっているので信廉と、晴信と話しているふりをして会話をする。

 

「・・・はっ。やはり此度の戦にまだ不安が拭えないのです」

「またか。なぜじゃ?此度の攻略目標である砥石城は確かに堅固で有名であるが、主将である義清は出陣中、さらに兵力差は10倍以上。将たちの士気を維持するのもやっとじゃろう」

 

信廉はあくまで徹底的に晴信を演じる。

 

「もちろん常識的に考えればそうなのですが、しかし、やはり上田原の事が頭をよぎってしまい・・・」

 

そう、2年前の上田原の合戦。

その時まだ義信は元服しておらず戦に参加してしなかったが、あの時の家中の動揺はすさまじいものであった。

 

「お館さまが敗れた!」

「駿河さまと備前さまがお亡くなりに」

「いや、お館さまも討たれたとの情報も」

「武田家はどうなってしまうのか・・・」

 

いろんな情報が錯綜し、状況は混乱していた。

 

「義信よ、過去から学ぶことは確かに多い、されどそれにとらわれてしまうのはまた別の事じゃ。今は目の前の戦に集中せよ、なに、大丈夫じゃ、お前は大将としてどっしりと構えておればよい」

「・・はっ」

 

(父上にも世良田元信という影武者が居たがここまでは徹底していなかったな、あの信廉という人物、立ち振る舞い話術全て完璧に演じている、武田の強さはこんなところにもあったか)

 

ここに至っても義信は観察を欠かさなかった。

行軍は奇襲もなく順調に進み、8月25日に至って、武田軍7000はようやく砥石城の城下へ迫りつつあった。

ここでも晴信は万全を期すために原美濃守虎胤、横田備中守高松といった重臣たちに城廻りを偵察させていた。

 

「なぜこのようなことをするのですか?歩哨が偵察を行えばいいではありませんか?」

 

その様子に義信は晴信―今度は本物、に質問をぶつけていた。

 

「もちろん事前に歩哨は派遣済みだ。安全は確認してある。ただ、実際に戦となった場合に指揮を執るのはあやつら武将だ。そのためには現地のことを良く知っておく必要があるだろう」

「文献などですでに十分調査はしていると思いますが」

「よいか義信、戦というものはなにが味方するかわからん。一時の天候の変化、風の変化、地形、その地域に住む人々の心―それらはやはり自らの目で見ておかないとならぬ。そのためにああやって兵を率いる武将たちに自ら偵察をさせているのだ」

「・・それだけではないですよね?」

「うむ、さらにだ、兵たちの立場になってみろ、これから戦というときに武将たちが体を張って偵察を務めている。どうだ・・?士気が高まるとは思わないか?つまり芝居という側面もあるのじゃ」

 

徹底的な現地調査。地の利がないからこそ地の利を作りに行く。

武田信玄という人物の強さはここにあるのかと義信は考えていた。

 

「明後日にはわしも自ら偵察を買って出る腹づもりじゃ。無論、わしの影武者である信廉がやるのじゃが、なに、危険はないであろう。さらにこのことによってさらに兵たちと将たちの士気は高まるじゃろう。仮に危険があったとしても影武者が1人死ぬだけじゃしな」

 

(自らの弟を死ぬだけと切り捨てるか。この非情さは父上にはなかったものだな、恐ろしくもあるが・・・)

 

「な、なるほど。すべてこれらの行動は戦の勝利のためなのですね」

「そうじゃ、なに、見ておれ―」

 

晴信はにっこりと微笑んだ。

 

 

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 

(完璧だ・・・やはりあの、武田晴信という人物についてきてよかった)

 

晴信の影武者である信廉が自ら前線へ偵察へ赴く姿を見て、真田弾正忠幸隆は満足していた。

 

「お館さまが自ら!」

「あのような危険なところへ」

「我等も負けてられませんな!」

 

その効果は絶大で、幸隆は自分の兵たちのみならず、武田軍全体の士気が上がっていることを実感していた。

 

(さらにそれがしの謀略であの砥石城はもはや袋の鼠・・・不安要素は消し去った)

 

幸隆は自信をもって戦に臨んでいた。しかし、それと同時にある気持ちに襲われていた。

 

(待てよ、不確定要素はまだないであろうか・・?義清は戻ってはこれまい、砥石城は少数、心配しすぎか・・・)

 

幸隆は謀将である。戦の直前まで考えを巡らせていた。

 

(いや、奢ってはならぬ。強いて言うなら・・・・落とせなかった時の事を考えねばならぬ)

 

武田家がこの戦に並々ならぬ決意を持って挑んでいるのと同じく、幸隆もこの戦に対して並々ならぬ決意を持って臨んでいた。

武田家中においてのそれがしの地位を確立させねばならぬ。

なにしろ、幸隆は最近武田家に服属した新参者である。それまでは武田と対立していた海野氏の一族であったこともあり、家中の風当たりは良いとは言えなかった。

 

(ここで功を立てねばならぬ・・・!)

 

後に攻め弾正、鬼弾正と渾名される名将もやはり人の子。功を焦る気持ちを隠し切れずに目をわずかに曇らせてしまった。

そしてそれが――思わぬ不確定要素が村上にあったことを見逃してしまったことが。

武田家にとっては不幸となるのであった。

 

 

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 

「晴信・・・ついに来おったか!」

 

眼下に広がる武田の大軍を前にして、砥石城の守将である楽厳寺雅方は息巻いていた。

少なく見積もっても7000という大軍。蟻の一匹も這い出る隙も無い包囲網。兵力差は10倍以上。

さらに主君である義清は不在。状況は絶望的であった。

それでも雅方をはじめとして、砥石城の守将たちの士気は高かった。

 

「それにしても大丈夫なのだな、頼綱殿」

 

雅方はそばに控える武将にそう問いかけた。

 

「大丈夫です、このような攻め方は兄上ならいかにもやりそうなこと。既に対策は練ってあります」

 

武将の名前は矢沢頼綱といって、真田幸隆の弟である。

長男の幸隆が真田家の家督を継いだので、頼綱は信濃の豪族矢沢家へ養子と出され、その家督を継いでいた。

武田に帰属した兄とは違い、頼綱は自らの一族である海野氏と親しかった村上家へ帰属し、この時武田にとっては不幸にも砥石城へ属されていた。

 

「殿へすでに連絡はされましたな、雅方殿?」

「もちろん、殿はすぐに取って返すとの返事を。それまで持ちこたえてくだされば我らの勝利と」

「ふふふ、しかし我等の策略を敵に悟られてはいけませぬ。なにより敵はあの兄上、しばらくはあの大軍相手に持ちこたえる必要があるでしょう」

 

そもそも殿は高梨との抗争で忙しいのでは?策略というのははて、と雅方は首を傾げた。

 

「高梨の娘が兄上の子に嫁いでいるのは知っておりますな?」

「はい、それによって此度は武田は高梨と結び、我等の背後を脅かすという策を」

「しかしですね雅方殿、実は高梨は我等と通じているのです・・・」

 

なんとそのような!と驚く雅方に頼綱は高梨からの内通の書状を見せてみた。

 

「それでは此度の戦はもしや、武田をおびき出すための・・・?」

「その通りでございます。さらにこの機に殿は武田につこうか村上につこうか迷っている豪族たちの趨勢を見極めようともしました。実際、寺尾・清野といったやつらが我等に反旗を翻しました。北信濃から親武田の豪族をあぶり出し、一掃しようというお考えかと」

「なんとそこまで殿は・・・!」

「よいですか、武田と我等では国力に差があります。事実、2年前に上田原で武田を破りましたがこうしてあやつらは戻ってきました。殿はここで完膚なきまでに武田を潰すおつもりです。そのためには、背後からの奇襲・殲滅が上策だと殿は考えています。よって、彼らに我らと高梨が通じていることを知られてはなりません。そのためにはこの小城にあやつらをしばらくひきつける必要があります。それも、北方の殿のことを考えられないようなくらい激しく、です」

「なるほど、さすがは殿ですな」

「そこでこの砥石城に雅方殿をあてがわれたのです、雅方殿は士気を上げることに定評のあるお方、まさしくうってつけでしょう」

 

褒められて人は悪い気はしない。雅方はすっかりいい気になっていた。

その褒められて舞い上がっている雅方の横で、頼綱は思案していた。

 

(と、同時にこの戦はそれがしを武田に高く売るためのもの・・・兄上に負けるなどという失敗は許されぬ。武田晴信という男は有能であれば家柄やそれまでの経歴は問わないと聞いている。実際、敵の一族であった兄上は仕えることを許されたのだ、砥石城での武功を述べて仕官を申し込めば斬られはしないだろう。また、武田晴信という人物を見極める戦いでもある。仮にこの戦で武田が滅びるようなことがあればそれはそれで。このまま村上に仕えればよい。つまりこの戦は勝ちさえすればどうなろうとそれがしに有利なのだ)

 

「この砥石城、殿が来るまで何日でも耐えきって見せましょうぞ!」

 

そんなことを背後の男が考えているとは露も知らず、雅方はすっかり勝った気でいる。

 

「よろしくお願いいたします」

「それにしても頼綱殿、なぜあのようなものを集めさせているのです?臭くてかなわん!」

 

ふたりの背後には人の糞尿が集められており、すさまじい匂いを放っていた。

 

「なに、あれもそれがしの策略です。まあ見ててくだされ」

 

(さあ兄上、負けないですよ・・・!)

 

頼綱は密かに笑っていた。

 

 

 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 

そして。

9月3日になって晴信は陣を城のすぐそばへと移した。

その陣から見える砥石城の威容に義信は圧倒されていた。

なんと急な山なんだろうか。

これでは数の利を活かして攻め込むことができない。斜面が急すぎて攻めることができる方面が限られるからだ。

当然軍議でもこのことが議論となった。

 

「さて弾正よ、そなたはこの城をどうやって攻めるというのか?」

 

晴信がそう問いかける。

 

「まず我等は完全に城を包囲しています。そもそも籠城というのは援軍の宛てがあるからの策、被害を抑えるのであればこのまま包囲し続けるという策もあるでしょう」

 

うむ、と晴信が頷く。

 

「しかしながら義清もこのままでいるとは思えません。いずれ踵を返し、我らの背後を脅かさんとするでしょう。が、こちについては未だ義清は行動を起こしてないと間者からの連絡が入っています。しかしながら、いつ動くやもしれません。よって、包囲によって時間を使うのもこれまた得策ではないと考えます」

「ではどうするのだ?徒に突撃をせよ、などと言うつもりではないだろうな?」

 

美濃守が食って掛かる。美濃守は勇将で知られるが、決して蛮勇な将ではない。無闇な突撃を命令されることを危惧したのであった。

 

「もちろんそのようなことはしません、とは申し上げられませんが、最終手段は力攻めになるやもしれませぬ」

 

力攻めというのは戦においてはもっとも愚策と思われがちだが、圧倒的数の有利な状況を作りさえすれば被害は甚大になるものの城を落とすことは出来る、というものでもあり、見方を変えれば必ず城を落とせる戦法ともいえる。

また、最初に力攻めをしてみて相手の出方を見る、また周辺の城への見せしめとして使われることもあった。

 

「大丈夫なのか、弾正殿よ。被害を大きくする覚悟はおありか」

 

次に問いを投げかけるのは横田備中守高松。こちらは信虎時代からの家老であり、この時点で64歳を迎えていた。

陽気な好々爺でよく義信を気遣ってくれた。このときは佐久方面を担当していた。

 

「ですから、それがしは策を用意いたしました」

あれをもってこい、と幸隆が命令するととあるものが皆の前に広げられた。

 

「これは縄はしごです。たしかにあの城は攻め口が狭く大軍を活かせぬ地形、ならば全方位から一斉に縄はしごで攻めかかり、敵に守備の的を絞らせぬ、というのがそれがしの策です。これならばこちらの兵力の優位を活かせます」

 

これは危うい策だな、と義信は感じた。

 

「なるほど、確かに敵の守備を散らすことは出来ましょう。ただ、登っている間兵たちは無防備。敵からの頭上の抵抗にどう対応するおつもりで?」

 

義信と同じ懸念を山本勘助がしていた。

 

「それについても策がございます。攻勢の開始時間に差異を付けるのです。ひとつを囮部隊として、一方では大々的にはしごの準備を行って敵に登るぞ、登るぞということを見せます。そして、他方では敵に悟られずに一気にはしごをかけます。敵は囮部隊の登城準備の対応に追われ、他方での十分な対応をできぬまま我らに登城を許してしまうでしょう。そうなればあとはしめたもの。あとは数の有利を活かして殲滅するだけです」

 

幸隆は自信満々に語った。さすがに考えているだけはあるな。

 

「そううまくゆくでしょうか?敵もなにか策を弄して来るに違いない」

 

虎昌が意見を述べる。甲冑と兜姿はさすが筆頭家老の風格だ。

 

「大丈夫です、敵の守将の楽厳寺雅方は武勇に優れたものではありますが、智謀についてはそれほどでもありません。城に閉じ込めた時点で我らの勝ちです。」

 

この時、武田軍の中に敵方に矢沢頼綱がいることを知るものはいなかった。

 

「・・・うむ、これといって問題はないように思える。が、義清の動向だけは常に気にしなければならない。常に間者を放ってあやつの動向を注視せよ。清野・寺尾といったところとも連携を密にせよ」

 

晴信がこう述べる。ということは武田軍の総意は先ほどの案になった、ということである。

 

「ははっ!」

 

しかしここで義信は必死に頭を働かせていた。晴信がこの砥石城の戦において城を落とせずに奇襲によって敗れたことは知ってはいたが、どのようにして負けたかまでは知らなかったからである。

 

(奇襲となると義清が戻ってくるということだがいったいどうやって・・?高梨との抗争を和睦して攻め寄せてくるか?いやそうなれば清野や寺尾といった豪族からの連絡で発覚するはず。内応が発生し混乱したところを・・?今のところ怪しい動きをしている家臣はいなかったように思えるが。うーむ・・わからぬな・・・)

 

そしてそのまま幸隆の意見が採用されて軍議は終了した。

義信はある人物に声をかけてみることにした。

 

「勘助殿」

「おお、これは義信さま・・・こんな醜いわたくしめに声をかけてくださるとは」

 

晴信の軍師・山本勘助である。

 

「いやそんな、外見で判断してたらこの世は生き残ってはいけないでしょうな」

「なんとそのような言葉を・・ありがたい限りでございます。して、それがしに用でございますか?」

 

この人物に聞くのが一番手っ取り早いだろう。

 

「先ほどの軍議、どうも腑に落ちないところがありましてな」

「はて、義信さま、それはどういうことでしょうか・・?」

「仮になんですが、勘助殿。貴殿が砥石城の守勢の軍師であった場合、どのような策を用いますか・・・?」

 

この言葉に勘助は隻眼の目を鋭く尖らせた。

 

「これはまた奇妙なことをおっしゃる・・・それを聞いてどうするおつもりで?」

「別に、どうするもないですが。興味本位、ですかね」

 

これは半分本当で半分嘘であった。そこに晴信がこの戦が負けるというヒントがあるかと思いついたのだ。

 

「なるほど、まあよろしいでしょう。さきほどそれがしも述べさせていただきましたが、弾正殿の作戦を用いた場合、やはり登城中が一番脆い。なのでそこを狙って攻撃することはまず間違いないでしょう。それも、敵兵がもう登りたくない、登ろうとする士気を完全に喪失させるほどの攻撃をするのがよいかと、さすれば敵は登るのをためらい、数の利を活かせなくなります」

 

なるほど、士気をくじくのか。例えばどういった方法で?、と義信は続きを促した。

 

「たとえば縄はしごであれば、縄に火をかけるといった方法はどうでしょうか。たちまちはしごに火は燃え移り、敵は火だるまになって落ちていきます。まさに地獄絵図、こうなれば登るのをためらう兵が出てきてもおかしくないはず。さらに、圧倒的多数の敵を打ち破る事ができればそれによって士気も上がるというもの。いいですか義信さま、数の利というものは一見とても有利ですが、敵に主導権を奪われてしまった場合士気を高めてしまうという危うさもあります。そうなれば籠城しやすくなるでしょう。つまり、初日の攻防こそ重要です。ここで主導権をどちらが握れるか、なので、初日で決定的な勝利を得て、主導権を握り、将兵の士気を高める。そして援軍の到着まで籠城して持ちこたえる、それがしの見立てはこんなところでしょうか」

 

なるほど、圧倒的劣勢な状態で優位に立てれば士気も上がるのもうなずける。

しかし、これらは義信にとってヒントにはなりえなかった。

 

(火をかけて敵兵を落とすなんて戦法・・・上総介さまの比叡山焼き討ちくらいしか知らないのだが・・・こうなったら何か起きたときにすぐに対応できるようにしておくことぐらいしかできないな、奇襲で来るということはわかっているので対応できるようにはしておこう)

 

「しかしながら此度は敵方にそれほど頭の回るものがいないとのこと。また、火を準備しているという兆候も情報もない、危惧されることはないと思いますよ」

 

この時、山本勘助ですら圧倒的有利な状況に多少の気のゆるみがあったのかもしれない。

結局、義信が開戦までに出来たことは、晴信にお願いして自分の意思ですぐに動かせる直参の兵を200ほどつけてもらっただけであった。

 

「義信さま、どうされたのですか?浮かない顔をしておられますが」

 

自陣に戻った義信に声をかけてきた小柄な武将がいた。

 

「ああ、源五郎か。なに・・ちょっと不安があるだけだ」

 

この男は飯富源五郎昌景といって、史実では後に山県昌景と呼ばれることになる男である。

虎昌と同じく甲斐の名門飯富家の出身で、虎昌の実の弟であり、後に武田四天王に数えられる名将である。

だが、この時は義信の守役を兄である虎昌が務めていたこともあって、俺のそばで実際に兵を動かす侍大将の役割をしていた。

 

「義信さまは初陣ですからね・・・無理もないですよ」

 

ただこの穏やかそうな源五郎ではあるが、そこはさすがあの虎昌の弟。武勇に自信があった義信ではあったがこの源五郎にはまったくかなわなかった。

おまけに頭脳も明晰とまさに非の打ちどころのない男であった。

 

(これがあの三方ヶ原で父上を追い詰め、あの長篠で散ったあの男か・・・)

 

義信は別の意味でこの源五郎に興味を持っていた。

 

「父上はそれがしにはやく戦を覚えてほしいということで初陣をこの戦にしてくださった」

「お館さまは義信さまにそれだけ期待されているのですよ」

「戦の準備だけ見てもそれがしは父上のようにはなれないとつくづく感じる」

「なにも、お館さまのようになる必要はないのでは?」

「え?」

 

義信は思わず聞き返してしまった。

 

「義信さまは義信さまのやり方を貫けばよいではありませんか。我らはそれを全力でお助けするのみです」

 

ふむ、そうだなと義信は軽く返したが、心の中でこう思っていた。

 

(自分のやり方で、か・・・)

 

そしてとあることを思いついた。

 

「源五郎、1つ相談なんだが実は戦がはじまってこうなったら・・・ゴニョゴニョ」

「え、どうしてそんなことを・・・ヒソヒソ」

「頼む、お前ならなんとかなるかもしれないんだ」

「はあ。意図はいまいちつかめないですが義信さまの頼みならそう致しますが・・・」

 

(あの山県昌景であればこれくらいのことはできるであろう。父上があれほど恐れた男・・・それがしは使いこなせることができるであろうか。)

 

やれることはやった。

そして―9月9日。

 

「総攻撃せよ!」

 

晴信の合図で。

武田軍7000は一斉に砥石城へと攻城を開始した。

 




この世界線では山県昌景は飯富昌景のままですかね

武田四天王は全員もちろん出す予定です


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第五話 砥石崩れ 中

だいぶ難産でした。リアルの方が忙しくなってしまい投稿が遅れて申し訳ありません。


先陣を切るのは横田備中守高松の部隊。佐久地方に詳しい備中に先陣を任せたのは当然の流れと言えよう。

その備中の部隊に対し、頭上から容赦ない矢の攻撃が浴びせられる。

 

「ひるんではならぬぞ!かかれっ!」

 

備中が檄を飛ばす。その激しい攻撃を浴びながらも、備中の部隊は攻城用のはしごの準備を始めた。

だが、これは囮部隊。

 

そう、今頃は―

 

 

 ̄ ̄ ̄ ̄

 

その、攻城戦が行われている場所から城を挟んでちょうど反対側の地点―

ここには夜陰に乗じて展開した原美濃守虎胤の部隊が展開していた。

警戒している様子はないな、かかれっ!

美濃守の合図で彼は飛び出す。

 

(一番乗りはもらったっ!)

 

彼は美濃守の部隊に属する一兵卒。我先にと駆けていく同僚たちと争いながらはしごを素早くかけ、登っていく。

敵の抵抗は散発的であった。

この時代、一番槍と一番乗りといったことを成し遂げた者には一兵卒であっても多大な褒賞と名誉が与えられた。

 

(奇襲で敵から襲われる心配もなし。こんなんおいしすぎるでしょ!)

 

彼ははしごを駆け上がっていく。後続はまだ中ほど。間に合う。あと少し。あとは到達したら大声で名乗り上げるだけ。

 

(これで貧乏生活からもおさらばだ、一番乗りもらったっ!)

 

彼は確信していた。

だが。しかし。

登り切った彼が見た光景とは。

明らかにさきほどまで飛んできていた矢の数よりはるかに多い、敵の軍勢。

 

(これは!?)

 

「しまっ―」

 

名乗る暇もなく、そこで彼の記憶は途切れた。

 

 

 ̄ ̄ ̄ ̄

 

軍が動揺している。

義信は軍全体の雰囲気を敏感に感じ取っていた。

 

「美濃殿の部隊、押し返されました!」

「穴山殿、奮戦するも後退!」

「敵の抵抗熾烈!」

「駒井殿、負傷!」

 

そして本陣には悲惨な戦況を伝えるような伝令が次々と走りこんでくる。

 

「申し訳ありません、お館さま。それがしの策は見破られたようです。まさか楽厳寺雅方がここまでやるとは・・!」

 

幸隆が青ざめた顔で申し出る。

 

「・・・否、そちの策は敗れておらず」

「しかし・・戦況はこの通りでございます」

 

ここで晴信が立ち上がって言い放った。

 

「ただまだ兵たちの士気は高い!全軍に伝令、攻勢を強めよ!」

「お館さま!我が策は敗れました、ご再考を!」

「軍は水のようなもの、敵は少数。敵に消耗を強いてひとたびでも突破出来ればなだれ込める。この士気ならそれが可能じゃ」

 

確かに、出鼻をくじかれたとはいえ、未だにこちらの士気は高い。

実際に少しずつではあるが崖にはしごがかけられていく様子がここからでも見て取れた。

ただ、義信は知っているのだ。

この攻城戦は失敗することを。

 

 

 ̄ ̄ ̄ ̄

 

「やったな頼綱殿、武田のやつら大慌てだぞ!」

 

楽厳寺雅方は勝利に湧いていた。

 

「いえ、あえて抵抗をあまりせずに油断させ、敵を引き付けてから攻撃する。せいぜい出鼻を挫いた程度でしょう。この程度では武田は退きません」

 

対して矢沢頼綱はあくまでも冷静であった。

村上軍はあらかじめ頼綱の指示により、城の全方向へ均等に配置されていた。

しかし、敵が登城を開始した時は散発的な抵抗をしているふりをして、敵の油断を誘ったのである。

 

「こちらは圧倒的不利。このままではやがて数の波に押しつぶされるでしょう」

「それでは頼綱殿、いよいよアレをやるのですな!」

「はい、それでは始めてください―」

 

(兄上、悪く思わないでいただきたい・・・!)

 

頼綱は近くにいるであろう兄を案じていた。

 

 

 ̄ ̄ ̄ ̄

 

異変が起きたのは急であった。

それまでの城側の抵抗は矢を中心としてせいぜい落石や熱湯であった。

 

「ひるむな!ひとたび登ってしまえばよいのだ!」

 

前線で飯富虎昌は必死で兵たちの士気を高めていた。

 

(これはまずいかもしれんな・・・・)

 

だが、城側の抵抗は思ったよりもかなり激しく、虎昌の軍もかなりの犠牲を払っていた。

それでも多大な犠牲を払いつつ、はしごの数は次々と増えていく。押し切れるか、虎昌がそう思った時だった。

 

「やれっー!」

 

敵方の合図とともに。

それは投下された。

 

「くせぇ!」

「なんだこれは?」

「お、おいこれって!」

「糞尿だ!」

「ひええ!」

「わ、わわわわっ!!」

 

一番高いところまではしごを登っていた兵がまず降り始めた。それを見て次に高いところにいた兵も降り始めた。こうなるとそのはしごの下にいる兵はたまったものではない。

 

「お、おい!逃げるな!止まれ!」

 

足軽大将がそう声をかけるがもう止まらない。

この時代の足軽たちは矢、石、槍といった武器によって仲間が倒れていく所は見慣れている。彼らだって覚悟を決めている。そんなことでは軍は止まらない。

だが。

殺傷力こそないものの自身の士気を下げていくものに足軽たちは耐性がなかった。

 

「お館さま・・・」

 

もはや軍としての規律を失っていく自分の部隊を見て虎昌は絶望していた。

 

 

 ̄ ̄ ̄ ̄

 

異変は全方面で起きていた。

 

「なに?糞尿だと?ええい、こんなもので!」

 

城の北側では美濃が。

 

「ここはいったん退くぞ!」

 

西では小山田が。

 

「くっ・・ばかな・・」

 

東では駒井が。

そして南では備中と虎昌率いる本隊が。

全方面で城方からの糞尿の攻撃により足を止めていた。

 

「申し上げます!城方からの熾烈な攻撃により全方面で敗退!ご決断を!」

 

その様子を義信は本陣から見ていた。

すでに自分がいるここにまで強烈な匂いが届いている。

 

(やられた!?勘助の言っていた火を糞尿に置き換えると・・・なるほど、敵方にかなり頭の回るものがいるようだな。さて、これをどうするのか・・・)

 

「ち、父上。どうなさるのですか?」

 

晴信は軍配をしきりに手に打ち付けつつ思案している。

 

「全軍に伝えよ。初日の攻防は我等の負けじゃ、敵の追撃に注意しつつ後退せよ、とな!」

「はっ!」

 

伝令たちが一斉に本陣から出ていく。

 

負けた―。

そんな感覚が本陣の中で渦巻いている。

 

「お館さま・・・申し訳ございませぬ。それがしの策は通用しませんでした」

 

幸隆が平伏してそう述べる。

 

「かくなるうえはこの幸隆の首を刎ねてくだされ。申し訳がたちません!」

「弾正よ、落ち着け」

「しかし―」

「戦はこういうものよ。此度は我等より相手の方が上手だったということじゃ。いつもうまくゆくものとは限らぬ。大事なのはこれからの立ち回りよ」

「―はっ」

 

本陣は静寂に包まれていった。

 

――――――――

 

「やりましたな!頼綱殿!あやつら攻城をあきらめたようですぞ!」

 

そのころ、砥石城では楽厳寺雅方がはしゃいでした。

ええ、うまくいきもうした、と返しつつ矢沢頼綱は別の事を考えていた。

 

(やはり武田晴信という男は一筋縄ではいかんな。勢いに乗って城から撃って出たものもいたがすべて討ち取られてしまった。あの状況から冷静さを失わないとは・・・)

 

「雅方殿、此度の勝利は延命に過ぎませぬ」

「なんと、あれだけ勝っておいてまだそのようなことを申すか?」

 

初日に討ち取った武田の首は200あまり。この兵力差を鑑みても大勝利といってもよいだろう。

 

「あれを見られよ」

 

そういって頼綱は城外を指さす。そこには簡易な砦と塀を作る武田軍の姿が見えた。

 

「敵は長期戦の構えに入るようだ、我等はこれから補給に苦しむことになるだろう。幸いにも士気は高いが、援軍無き籠城は死を待つのみ」

「なんと!それではこの勝利は無駄だったと?」

「そうではない」

 

頼綱はニヤリと笑う。

 

「よいか雅方殿。敵はこの城を簡単に落とせなくなったのだ。北信濃の殿に目を向けている余裕もなかろう。あとは殿がうまくやってくれる。我らの仕事は敵の注意をこの城に向け続けさせることだ。夜襲でも仕掛け続けてやればたまらないでしょう」

「なるほどな!よし、それでは皆の者、夜襲の準備をするぞ!」

 

おおっー!!と鬨の声が山を揺るがすほどに響き渡った。

圧倒的有利な敵を打ち破ったこともあって士気は高い。

 

(これで第一段階は完了だな)

 

頼綱は頭の中でそろばんを弾いていた。

 

――――――

 

一方、夜になって武田方では軍議を開いていた。

 

「被害は」

 

父上が聞く。

 

「はっ、こちらの兵が200ほど討ち取られました。また、駒井殿と小山田殿が負傷。駒井殿は軽傷でしたが、小山田殿はかなり危険な状態にあります」

 

この戦いで敵の追撃をうけた一門衆の小山田出羽守はかなり危険な状態にあった。

 

「やられましたな」

 

山本勘助が口を開く。

 

「楽厳寺雅方とは考えにくい。思わぬ伏兵が相手にいるやもしれませぬな」

「うむ、城方へ重ねて間者を放つこととしよう。敵方の指揮官を探る必要がある」

「さて、どういたしまするか」

 

軍議は物々しい雰囲気で進んだ。

 

「こうなった以上は城攻めを強行するのであれば、かなりの犠牲が必要となってしまいましたな」

 

備中が口を開く。

 

「佐久衆を束ねるものとして進言いたします。此度の城攻めは延期なさるのがよろしいかと。いつ義清めに背後をとられるやもしれません。城攻めには不利な条件が揃っております」

 

これに対して美濃はあくまで城攻めの継続を出張する。

 

「とはいえ、現在のような有利な状況を再び作り出すのは難しいでしょう。ここでこの堅城を抑えておかないと信濃統一は遠のくばかり、ここは多少の損害を鑑みても城攻めがよろしいかと。長期的に見てもここを抑える重要度は高いでしょう」

 

たしかにどちらの意見ももっともである。

敵の士気は高いとはいえ、依然砥石城を完全包囲しており、今後これ以上の状況を作り出すのは相当困難であろう。

しかしながら、武田が負けたという噂が既に出回っており現在は従属している信濃の豪族が靡いてしまうことも考えられる。

そうなれば敵に囲まれてしまうことも十分に考えられる。そうなればせっかく手に入れた南信濃だけではなく甲斐が危ない。

 

「どちらの意見ももっともであるが、ここで撤退してしまっては武田は村上に二度屈したということになってしまう。備中の言う通り豪族たちが背くやもしれぬが、我等はそのために3000ほどの兵を諏訪へ置いてきたのじゃ」

「ならば力攻めでしょうか」

 

晴信に発言をうながす。

 

「うむ、義信よ、力攻めは下策と思うか?」

 

書物では力攻めは下策と学んだ。義信はそれを答えてみる。

 

「はい、それがしが学んだところでは力攻めを使うのは最後の手段だと、そう書かれておりました」

「うむ、ならば今はその最後の手段を使うときなのじゃ」

 

戦闘経過はまだ1日である。

 

「今日の戦は我等の負けじゃ、ならば明日の戦に勝つことを考えねばならぬ。勘助、」

「はっ」

「あの糞尿に対する対策を考えよ」

「かしこまって候」

「弾正、」

「はっ、ここに」

「義清の動向を注視させよ、ここで背後を突かれてはたまらぬ」

「承知仕った」

「誰ぞ、筆を持てぃ!諏訪の信繁に一筆書く!」

 

そこからの晴信の動きは素早かった。

各地に間者を放ち、伝令を飛ばし、そして自身は兵たちの動揺を抑えるために兵舎を回って見せた。

 

「こ、これはお館さま!このようなところへ!」

「そのままでよい、ゆっくり休んでくれ」

「し、しかし・・!」

「この晴信、ふがいない戦をしてしまって申し訳なかった」

 

兵たちの動揺は一気に鎮静した。

 

(勝つためならば道理を無視、常識を無視してでも何でもやる、か・・・これはしっかり学ぶべき価値がありそうだな)

 

義信もまた、頭の中でそろばんをはじいていた。

 

――――――

 

9月も下旬に入った。

しかし――武田軍7000はいまだに砥石城に籠るたった500の兵の前に苦戦していた。

或る時は猛攻を加え、或る時は夜襲を仕掛け、或る時は内通を促した。

しかし、そのどれらの攻撃も決定打とはなりえずに攻めあぐねていた。

こちらも敵が攻勢に出てきていないため被害は多くはないが、だんだんと兵たちの間には厭戦気分が漂いつつあった。

 

「義信さまの懸念が当たり申したな」

 

隣に座るのは隻眼の軍師、山本勘助。

 

「初日の戦いに負けたのがすべてでござった。ここからお館さまはどうなさるのか・・・いまはお館さまを諫められる立場の方がおらぬ。駿河殿と備前殿が健在であれば・・・」

「では勘助殿はこの戦は負けだと?」

「残念ながらそうでしょうな。既に信濃のあちこちで不審な動きが豪族たちに見られております。これ以上の対陣は・・どうもお館さまは焦っておられるように思います」

「しかしそれがしから見ると城方も限界が近いように思えますが?」

 

これは前世での経験もあるのだが、どうも敵の矢玉の数、鬨の声の声量、そして単純な抵抗の激しさ、これらが日に日におとなしくなっていた。

その全てから考えた結論が敵方の限界も近いというものである。

 

「ふつうに考えればそうでしょうな、ただ相手方には矢沢頼綱がおります。一筋縄ではいかないかと」

 

この時既に敵に矢沢頼綱がいることは間者の情報からもたらされていた。

この事実に対して矢沢頼綱の実兄である真田幸隆は内通を疑われ一時危機的な状況に立たされたがなんとか晴信がとりなして事なきを得ていた。

つまり、内憂外患とはまさにこのことで、既に武田軍は限界に近かった。

 

「なんとかしてお館さまに撤退を決意させなけ―」

「失礼します、敵方から降伏の申し出がございました、軍議を開くとお館さまが」

 

戦局は大きく動いた。

 

―――――

 

「これをどう見る」

 

晴信が投げ捨てた書状には次の事が書かれていた。

 

・砥石城は武田に降伏すること

・城兵の命を保証すること

・城の引き渡しまでの双方の交戦を禁止すること

・城の引き渡し日は10月1日とすること

・降伏を許さないというのなら城を枕にして果てる覚悟があること

 

「まずこの書状の真偽ですが、この花押は間違いなく頼綱のものです、これも雅方のものです。偽物という可能性は低いかと」

 

幸隆がまず真偽を確認する。

 

「受けるべきかと存じます。双方ともに限界が近い、これ以上無駄な血を流すこともないでしょう」

 

備中はあくまでも戦を避けるように述べた。今回の戦いに一番影響を受けるのは佐久地方を担当しているこの人物であるから当然であろう。

 

「ただ我らは既に多大な犠牲を払ってこの地にいる、向こうが降伏を申し入れてきた意味を考えねばならない。決断するのはまだ早いと存じます」

 

虎昌はあくまで慎重であった。

ふむ、と家臣達の意見を一通り聞いて晴信は義信に目線を向けた。

 

「義信はどう考えるか?」

 

(ここでそれがしに話を振るか、とりあえず奇襲のことを匂わせてみるか)

 

「・・・はっ、お味方はお世辞にも勝っているとは言いにくい状況。数日待つだけで城が手に入るならこれ以上の事はないでしょう。しかしながら虎昌が述べたようにここで相手方が降伏を申し入れてきた意味を考えねばならないと存じます。慎重になるべきかと。特に和議を結んで油断しているところに奇襲でもされたらたまりません。」

「うむ、皆の意見はわかった。ここはいったん慎重を期してまた後日に―」

「申し上げます」

「なんじゃ、軍議の途中であるぞ!」

 

晴信が伝令を叱りつけるがその伝令はしどろもどろになりながらも答えた。

 

「その・・城方から降伏の前金として金子が届いております」

「!?」

 

場は騒然となった。

 

――――――

 

「晴信のやつ、降伏を許すだろうか」

 

砥石城内のとある一室で楽厳寺雅方と矢沢頼綱は話していた。

 

「大丈夫です。晴信は面子を気にする御仁。金子を渡してまでも降伏を許さないとなれば武田の名が落ちる。それはもっとも晴信の嫌うところです」

 

頼綱は手元の書状を見ながらほくそ笑んだ。

 

そこには村上義清からの手紙で「これよりそちらに手勢を率いて戻る、よくぞ守ってくれた」という趣旨の手紙であった。

 

「いやあ、頼綱殿の策略には恐れ入った!しかも殿もすごいな、高梨と戦う振りをして注意を逸らさせてから反攻するとは」

 

実は高梨と村上は事前に繋がっており、戦のふりをしていただけであったのである。そして武田の注意が村上本隊から離れた今、無傷の村上軍本隊2000がひそかにこの砥石城に急行していた。

 

「しかしもう物資も無く、城もこのように無残な姿に、あと数日耐えればというところであの降伏申し入れ、頼綱殿はほんと恐ろしいお方てござるな」

「いえいえ、此度の作戦がうまくいきそうなのも全ては雅方殿が城兵を必死に鼓舞してくれたお陰」

「雅方殿がいなければとっくにこの城は落ちていたでしょう」

「いやいやそんな」

 

と、ここで伝令が走りこんでくる。

 

「申し上げます。武田方、降伏を認めるとのこと。ただその証として引き渡しまでに城の外塀を破却してほしいとの条件をつけてきました。」

「わかりました、その条件でよいでしょう、と伝えてきてください」

 

はっ、と伝令が去っていき再び二人となる。

 

「外塀を破却してしまえば我が城は丸裸同然!よいのですか?」

「大丈夫です、もう城は使いません。10月になるまで武田をここに釘付けに出来ればそれでー」

 

頼綱は黒い笑みを浮かべながら言った。

 

「―この戦、我らの勝ちです」




次回はいよいよ砥石崩れ完結です!


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