リヒテンラーデの孫 (kuraisu)
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帝国暦四八九年
プロローグ・帝国宰相府にて


前置きしておきますが、我がパソコンのデータの海に沈んでいた未完成のプロットを話題にしたところ、「とりあえず書いてみろ」と助言されたので、見切り発車です。
なのでもしかしたら導入部だけで続き書かないかもです。


帝国歴四八九年一月末。

 

 帝国軍最高司令官にして帝国宰相であるラインハルト・フォン・ローエングラム公爵は不公正で不公平なゴールデンバウム王朝の悪癖を排除し、公平かつ公正で民衆のためになる改革を実行していた。彼が帝国の全権を掌握してからまだ三ヶ月ほどしかたっていないが、その改革は多くが成功し、民衆の人気も上昇する一方だった。

 

 そんな彼の仕事場である宰相府の執務室の扉を開けて入ってきた帝国宰相首席秘書官であるヒルダことヒルデガルド・フォン・マリーンドルフは、ラインハルトと敵対していた門閥貴族の出身者であったが、昨年の内乱、通称“リップシュタット戦役”の際に門閥貴族連合ではなくラインハルトの側につき、秘書官としてとりたてられた才女である。彼女の決断によって多くの門閥貴族が滅びていく中でマリーンドルフ伯爵家はそれと反比例するかのように飛翔しているのであった。

 

「お邪魔でしたでしょうか?」

「いや、かまわん。ちょうどひと段落ついたところだ。用件を伺おう。伯爵令嬢(フロイライン)

「憲兵総監のケスラー大将が、至急閣下との面会を望んで宰相府に訪れております」

「ケスラーが? ここに来ているのか?」

 

 ヒルダが頷いたのを見て、ラインハルトは純粋に驚いた。ケスラーとは今日会う予定はなかったし、会ってほしいとの前連絡もなかった。にもかかわらず宰相府に来ているとはよほどの問題でも発生したのだろうか。そう考えたラインハルトはヒルダに通すよう命じた。

 

 かつてウルリッヒ・ケスラーは前途有望な艦隊士官であったが、憲兵隊出向時に息子三人が全員徴兵されて戦死した老婦人が初代皇帝ルドルフと当時の皇帝フリードリヒ四世の肖像画を足蹴にしたのを隣人が密告したという不敬事件を担当した時に、ケスラーは密告者を不敬罪の共犯とみなして逮捕してしまう一方で、老婦人は拘禁と尋問をされただけですませたことが上層部に問題視され、辺境の任地に飛ばされて不遇を託っていた。

 

 しかし艦隊司令官としての評価の高さや上記の不敬罪事件のことを知っていたこともあり、ラインハルトが元帥府を開いた際に自分の部下として中央に呼び戻され、昨年のリップシュタット戦役において活躍した。内乱終結後に帝都防衛司令官の任についていたが、前任の憲兵総監オッペンハイマー大将が贈賄罪の現行犯で監獄行きになったので今年の始まりと共に憲兵総監を兼任することになり、腐敗している憲兵隊の綱紀粛正を行なっている最中である。

 

「ご多忙のところ失礼します」

 

 歴戦の武人らしい精悍な肉体の持ち主であるケスラーであるが、まだ三〇代なかばであるにもかかわらず両耳の頭髪の周りと眉に白いものが混ざっており、実際の年齢よりはるかに老けた印象を他者に与えるものの、声は印象程老けてはいなく、はきはきとしていて明瞭である。

 

「連絡も入れずに来るとは卿らしくないな。そんなことも忘れるほど重大な問題が発生したのか」

「発生したと申してよいのか、リヒテンラーデ公の孫がまだ生きて逃亡していることが発覚しました」

「……たしか昨年の一一月に前任のオッペンハイマーから銃撃戦の末、死んだと報告されたのだが」

 

 リップシュタット戦役終結直後、前帝国宰相クラウス・フォン・リヒテンラーデ公爵は貴族連合軍盟主の腹心アンスバッハを利用して帝国軍最高司令官暗殺をはかった主犯として逮捕された。それはラインハルト派のかなり強引な奇襲であり、リヒテンラーデとアンスバッハを結ぶ証拠などなにひとつとして存在しないでっちあげであったのだが、リヒテンラーデ公がラインハルトを失脚させようと別の策謀を巡らしていたのは本当だったのでまるっきり無罪というわけでもなかった。

 

 アンスバッハにより親友のジークフリード・キルヒアイスを喪い、その喪失を埋めるために冷酷な覇者となる覚悟を新たにしたラインハルトがリヒテンラーデ一族に下した処分はとても厳しいものであった。女子供は辺境に流刑し、一〇歳以上の男子はすべて処刑するというものであった。リヒテンラーデ公の孫は二三歳であったので処刑の対象となり、それを知っていたため拘束しようとする憲兵隊に死に物狂いで抗い、銃撃を受けて死亡した。そうラインハルトはオッペンハイマーから報告を受けていたのであった。

 

「申し上げにくいのですが、そのオッペンハイマーが偽装報告を行なっていたようなのです。閣下の暗殺を企んだリヒテンラーデ公の直系子孫であり内務次官でもあった者の身柄を拘束できなかったどころか、行方も判然としないとあっては自身の進退問題になりかねないと保身に走ったようです」

 

 少なくない憲兵の証言も得ておりますので間違いありません。そう言い切るケスラーにラインハルトは形の良い眉間を歪めた。

 

「贈賄罪だけでなく偽装報告もか。憲兵総監がこれでは憲兵隊が腐敗するのも当然か」

 

 かなり不快な調子でラインハルトはそう零した。

 

「オッペンハイマーの罪状に虚偽報告が追加した旨を司法省に伝えておけ」

「判明直後に正式な文書で送りました」

 

 贈賄などしなければ監獄に入れらることもなく、リヒテンラーデの孫を取り逃がしたことも素直に報告しておけば憲兵総監の地位を追われることはあっても憲兵隊の重役ポストに降格ですませただろうに、オッペンハイマーは本当に余計なことしかしないなとラインハルトは心中で愚痴った。これでオッペンハイマーが監獄で暮らす期間が延長されたことだけは間違いない。

 

「それでリヒテンラーデ公の孫、たしかゲオルグだったか? そいつがいまどこにいるのか、まったく目星がついていないのか」

「はい。オッペンハイマーは報告を偽装してはいましたが捜査自体は続けていたようで、これがゲオルグに対する現在の捜査記録になります」

 

 ケスラーから手渡された捜査資料に目を通した。長い金髪で整った顔立ちの青年の写真が貼られ、現在の捜査記録が簡潔に纏められてある。

 

 記録に乗ってあるゲオルグの経歴にラインハルトはかるく感心した。いままでリヒテンラーデの孫に関心を抱いたことがなかったので気がつかなかったのだが、考えてみると二三歳の若さで内務次官というのは二〇歳で宇宙艦隊司令長官の地位にあったラインハルトほどでないにせよ、かなり速い出世スピードである。官僚になった当時から国務尚書であった祖父の威光を考慮するとしても、本人の能力無くしてはこのスピードでの出世は不可能であろう。

 

 ゲオルグ・フォン・リヒテンラーデは帝国歴四六五年に生まれ、幼少の頃から英才教育を受けて育ち、一七歳の時に内務省に入省して警察総局に配属されてから凄まじい勢いで頭角を現し、民事事件部通商課長、同部の部長、刑事犯罪部長を歴任し、二〇歳で警察総局のナンバー・スリーの役職である官房長にまで出世している。

 

 そしてナンバー・ツーの役職である次長のベテラン警官ハルテンベルク伯と局長の椅子を競って熾烈に争っていたが、そのライバルが妹に階段から落とされて転落死してしまい、警察総局内のハルテンベルク派警官を左遷して自派色に染め上げ、二一歳という若さで警察総局局長となり、警視総監と呼ばれる身分になった。

 

 翌年にエルウィン・ヨーゼフ二世が皇帝に即位し、祖父が帝国宰相になったのにあわせて内務次官を兼任するようになり、リヒテンラーデ家次期当主の指名を受けた。祖父が失脚するようなことがなければ数年の経験を積んで三〇手前で内務尚書として閣僚入りし、やがては祖父の後継者として国務尚書か帝国宰相として閣僚を率いる立場になっていたかもしれない。少なくともリヒテンラーデ派の者たちからはそれが確実視されていた。それほど官僚貴族には評価される能力の持ち主であったのだ。

 

 ラインハルト軍が真夜中のオーディンに押し寄せ、リヒテンラーデ派を一網打尽にした昨年の九月二六日になぜ軍の追求の手を振り切ったのかについても記録されていた。その時間でもゲオルグは内務省で仕事をしており、艦隊が降下してくるのを見て危険を察知。部下にリヒテンラーデ派や自分の側近に身を隠すよう伝えるように命令すると警視総監の制服を脱ぎ捨てて姿をくらましたというのだ。

 

 なぜそんな時間でも仕事していたのかというと内乱中のゲオルグの行動に問題があった。戦時体制が敷かれた帝都オーディンで憲兵隊が治安維持を行なっているのに対抗して、“戦時下における犯罪を抑制するため”と称して警察にパトロールの大幅強化を指示。そして警官たちが帝都のそこら中で憲兵と衝突したのでその対処をしなくてはならなかったからである。

 

 なぜゲオルグが憲兵隊に対抗意識を燃やしたのかは、彼だけの問題というより組織の体質的な問題であった。憲兵隊と警察は職分が重複しているせいで対立しやすく、また明らかに警察の管轄権にある事件の調査でも現役軍人や退役士官が関わっているとしゃしゃり出てくるため、警察の大多数は憲兵隊を、ひいては軍務省を嫌っているのである。

 

 しかしながらゲオルグの憲兵嫌いは警察の中でもかなり強かったらしく、軍務省に挑発を繰り返す憲兵どもを黙らせろと通告したり、内務次官の権限で社会秩序維持局にも出動要請を出したり、オッペンハイマーに憲兵総監を辞任するよう要求したりしており、現時点でラインハルト派との対立を生じさせたくないリヒテンラーデ公になだめられても、

 

「公共の治安を守護するのは我ら警察総局の使命。軍内警察たる憲兵隊の越権をゆるす理由はどこにもありません」

 

 その一点張りでゲオルグは聞く耳を持たなかった。リヒテンラーデ公は帝都のそこら中で憲兵と警官が衝突をおこしてるせいでむしろ治安が悪化しているのではないかと思ったのだが、孫のまったく悪びれない態度を見て口には出さなかった。こうしてゲオルグは帝都の治安に軽い混乱を巻き起こし、本来発生すらしなかったであろう大量の対立問題を処理する必要性に迫られ、ほとんど寝る間もなく内務省で働くこととなった。そしてそれが皮肉にも彼の生命を救う一因となったのであった。

 

 記録にはゲオルグが引き起こした憲兵隊と警察の対立による影響について述べられた帝都地元新聞数ヶ月分の抄録も記載されていており、ラインハルトは内乱中に帝都で警察と憲兵の衝突があったとは承知していたが、取るに足らない瑣事と思い込んでいたので具体的にどの程度の規模で衝突していたのか調べようとしなかったので、死者こそでていないが警官と憲兵が重軽傷者あわせてが推定二千人前後いたというのを初めて知った。

 

「ケスラー。憲兵隊はここまで警察と仲が悪いのか」

 

 対立が起こると知って警察を出動させたゲオルグの行為は愚かしくて馬鹿馬鹿しいことと思うが、それはそれとして警察と憲兵隊の対立がそこまで深刻であるというなら、帝国宰相として放置しておくべきではない。

 

「憲兵隊だけの問題ではありません。軍務省は軍の武力行使と牽制によって権限を拡大してきた歴史があります。それゆえに他の省庁とは対立を生む要因が多いのです」

 

 銀河帝国の始祖大帝ルドルフが築き上げた国家体制における三本の柱は、軍隊と貴族と官僚である。ルドルフの存命時はこれらの勢力は対立しつつも有機的に連携しあう三位一体をなし、体制転覆をはかる不逞な共和主義者や反乱分子どもにきわめて効率的で有効的な弾圧を実施することができた。

 

 こうした三位一体体制はルドルフ没後もしばらくは続いたのだが、時間の経過とともに組織の腐敗がはじまると最強の暴力機関である軍隊と独自の領地と自治権を有し私軍を編成している貴族が、官僚の権威を蔑ろにするようになり、軍隊と貴族の権限が拡大していくようになり、官僚が両者を憎むというのが常態化した。

 

 貴族の権限拡大についてはリップシュタット戦役で連合軍に属した多数の門閥貴族の破滅とラインハルトが帝国宰相になってから実施した貴族特権を廃止と民衆の権利向上のための改革によって貴族階級そのものが滅びの道についているが、軍隊についてはラインハルトの支持基盤であることもあって、軍部内の腐敗の一掃と制度の改善は行われても権限縮小はまだあまり実施されてはいなかった。

 

 ケスラーが言うには暗殺未遂の主犯とされ、処刑されたリヒテンラーデ公を支持していたのが官僚たちであったこともあり、今や独裁者として君臨している金髪の若者の出身部署である軍部の巨大な権限に対し、官僚たちは不満を感じつつも沈黙しているので対立は沈静化しているというが、それはそれで問題である。

 

 なにか対策をする必要があると感じたラインハルトだったが、まだ権力基盤が充実していない現時点で軍部の大権に制限をつけるわけにはいかなかった。その手の改革を実施するのはまだ先の話になるであろう。

 

「わかった。それで卿もこの資料にある通り、ゲオルグがどこかの警察地方支部に匿われていると思うか」

 

 オッペンハイマーはリヒテンラーデ公の孫が死んだと偽装報告したが、それをラインハルトに知られてはいけないと感じていたので、可能な限り現実を偽装報告に近づけるべくゲオルグの捜査には精力的に取り組んでいた。

 

 ゲオルグは同僚の仲間が地方に飛ばされる際、平民や下級貴族のような暮らしであれば一年は何の問題もなく暮らせるだけの金を渡していたということに着目し、そうした者達によって匿われていると推測。捜査の手を伸ばしていたが足跡をつかめるに至っていないと記録されていた。

 

「その可能性もありますが、唯一捕まったゲオルグの側近ドロホフ警視監が自分の足で現地捜査を行うこともたびたびあったという証言から考えますと、まだオーディン近辺の隠れ家に身を隠しているという可能性もあるかと」

 

「唯一捕まっただと。では他の側近はゲオルグと共に逃亡しているのか?」

 

 ラインハルトの問いにケスラーはゲオルグの側近の資料を鞄から取り出して説明を始めた。

 

「ゲオルグの側近と周囲から認識されていたのは次長のドロホフ警視監、官房長のヴェッセル警視監。刑事犯罪部長ダンネマン警視長。特殊対策部シュヴァルツァー警視長。参事官シュテンネス警視正です。最側近と目されているドロホフ警視監は――」

 

 次長のドロホフ警視監は名門貴族の出であり、出世への執着と容疑者に対してしばしば暴力をともなう高圧的な尋問を行って悦に入るサディストの側面があり、それゆえ同僚から忌避されていたが、三〇年近く仕事をしている優秀な警察官僚であり、ハルテンベルク派との派閥抗争の際にリヒテンラーデの名を出して優位につこうと考え、民事事件部長だった頃のゲオルグに接近した。

 

 つまりはゲオルグの家の力を利用するために近づいたのだが、ゲオルグの個人的な魅力に魅せられたのか彼に忠誠を誓い、忠義の士に変貌。主君のために少なからぬ貢献を行い、主君のゲオルグもまたその忠節に報いて最側近の地位とナンバー・ツーの警察総局次長のポストを与えていた。

 

 ラインハルト軍がオーディンに襲来した日の夜は既に自宅で就寝しており、妻と共に軍に拘束された。ドロホフは憲兵隊の取り調べで主君の人柄についてはよく喋ったが、ゲオルグの潜伏先については「心当たりがないし、知っていても言うとでも?」としか皮肉めいた供述しかしなかった。最側近であるから知らなければおかしいと考えるオッペンハイマーの命令で妻と共に拷問にかけられた。拷問開始から二週間後になにも語ることなくドロホフは死亡した。

 

「……妻はどうした」

「ドロホフ夫人は体中に消えない傷跡ができましたが、釈放されております」

「夫人に対して生活に困らぬだけの年金を支給すること。そして憲兵隊の横暴に対する謝罪をしておくように」

 

 高圧的な尋問を行って悦に入るサディストというドロホフの人柄に嫌悪感を感じたラインハルトだったが、その末路には同情を禁じえず、主君のために拷問をうけて死ぬまで決して自白しなかった姿勢には賞賛の感情すら抱いた。なによりドロホフの妻には何の関係もない話であるはずであり、ドロホフ夫人の為にも憲兵隊の愚を戒める為にも夫人に対してそれなりの対応が必要であった。

 

「わかりました。次にヴェッセル警視監についてですが、彼もドロホフと同じく名門貴族の出です」

 

 ヴェッセルは名門貴族の出でありながら出世欲がほとんどなく、犯罪を憎む強い思いから門閥貴族だろうが退役高級軍人だろうが罪を犯せば追及する姿勢もあって上から煙たがられたせいで、家柄にも本人の能力にも見合わない地位にあった。

 

 だがその捜査能力の高さがゲオルグに見いだされ、ゲオルグ派に組み込まれて出世コースに乗る。誰であろうが容赦ない犯罪追及をゲオルグは若干疎ましく思っていたようだが、ヴェッセルの誠実な人柄が信頼できたことと彼が自分を見出してくれたことに恩を感じていたのでゲオルグに宥められると不満を漏らしながら追及の手を緩めることもあって、警察ナンバー・スリーの官房長となった。

 

 ラインハルト軍がオーディンに襲来した日の動向は謎に包まれている。というのもその日の朝から仕事場に姿がみえず、当日の警官たちの間でも彼を探す動きがあったからであり、なぜヴェッセルがオーディンから姿を消していたのか理由すら不明である。

 

「私もなぜヴェッセル警視監が姿を消したのかわかりません。なんらかの伝手で我々がリヒテンラーデ派を粛清しようとしていた情報を掴んでいたとしたら、なぜゲオルグにそれを伝えなかったのかわかりません。なにか別件によるものとみた方が自然です」

 

 ケスラーの見解にラインハルトは頷いた。そうでなければどのような解釈をしても不自然さが残る。

 

「ダンネマン警視長は一般的な貴族階級出身の人物で、能力も人柄も特記すべきところはありませんが、父が軍の将校であったので軍部とのパイプ役として重用されていたようです」

 

 九月二六日は午後八時頃に直属の部下を含む警官たちが街角で憲兵隊と衝突しているという情報が入り、現場で憲兵士官と言い争いをしている時に軍艦が次々降下してくるののを確認して、憲兵士官とこんなことしてる場合じゃないと合意し、その場の警官と共に内務省警察総局に向かった。

 

 道中でダンネマンは内務省からきた警官と出会い、ゲオルグの「身を隠せ」という命令を知った。ダンネマンはその命令に従って民間人から車を接収すると、とりあえず部下五名と共に郊外に住む妹の友人宅に向かい、そこで一〇月九日まで潜伏し、次に山間にある無人の山小屋へと移動した。

 

 二一日に一緒に山小屋で潜伏してた警官の一人が脱走。自分たちがここに潜伏しているという情報が漏れたと感じた彼らは一か八かの脱出作戦を策定。その作戦内容というのが新しく車を接収し、それで宇宙港に直行、適当な宇宙船を強奪し、帝国軍の軍艦に脅されても逃亡を続行するというもので、作戦というには無謀すぎたが。

 

 脱出作戦という名づけた無謀な暴挙を、彼らは二三日明朝に決行。午前四時三九分に郊外を走っていた車を警察権限を盾に接収したが、車の持ち主は十数日間山に籠っていたせいで制服が薄汚れている警官たちに不信感を感じ、近場の憲兵に通報した。

 

 これに憲兵隊本部は素早く反応して宇宙港を中心に警戒網を敷き、午前五時四九分にダンネマンらは宇宙港からニ〇kmの地点で一〇〇名を超す憲兵によって包囲された。憲兵の指揮官は投降を呼びかけたが、ダンネマンは拒否して光線銃を抜き、憲兵隊と銃撃戦に突入。

 

 むろん、ダンネマン含め警官五名と一〇〇名を超す憲兵の銃撃戦であったから、銃撃戦は二分もしないうちに終わった。ダンネマンは光線銃で胴体を貫かれて意識を失い、憲兵隊によって近場の病院に運び込まれて治療を受けていたが午前六時一七分に死亡が確認された。

 

 ちなみにだが、オッペンハイマーはこれによってゲオルグの潜伏先を探る有力な情報源を失って絶望し、ダンネマンをゲオルグと言い換えてラインハルトに報告したのである。

 

「シュヴァルツァー警視長はゲオルグの側近の中では唯一の平民です」

「平民? 本当か」

「はい。こちらの資料をご覧ください」

 

 手渡された資料をラインハルトは確認した。エドゥアルト・ヘルマン・シュヴァルツァー。たしかに貴族の称号である“フォン”が名前にない。経歴によると軍に徴兵され兵役を満了した後、軍での経験を生かして特殊対策専門の警察官となった。特殊対策専門とは、軍が出動するまでもない暴動鎮圧を主任務とし、文官の警護などを行ったりする武装警官のことである。

 

 あちこちの地方支部を転々とした後、五〇代前半で中央の警察総局に入り、その能力をドロホフに評価された。そして平民出身者に対してある種の偏見を持っていて重用するのを渋るゲオルグをドロホフが説き伏せて特殊対策部の長を任されるようになり、平民で初めて中央の部長職を勤めるようになった。

 

 警視長。軍人でいうなら将官クラスである。旧体制下にあってそれほど出世した平民は数えるほどしかいない。部隊指揮能力も単独での白兵戦能力も高く評価されており、事務仕事も無難以上にこなす。性格については鈍感であることが特筆されており、これは貴族の上官に対して追従したり媚を売ったりせず平然としているということがたびたびあった故であると記されている。

 

 ラインハルトは治安組織の、それも民衆の暴動を鎮圧するという任務に属する部署であるという理由で人材調査を怠っていたことを自覚した。開明派のカール・ブラッケやオイゲン・リヒターほどではないにしてもとても優秀な文官だ。もしそんな人材がいると知っていれば間違いなく勧誘して部下にしたのにと少し悔しく思ったのである。

 

 シュヴァルツァーが助かったのは貴族ではなく平民であり、警察以外ではあまり目立つ存在ではなかったので、軍が作成した拘束すべきリストに名前がのらなかったからである。ラインハルト軍が帝都に到着してから二日後の二八日に憲兵隊の捜査でシュヴァルツァーがゲオルグの側近であったことが判明し、オッペンハイマーの指示で彼の自宅を憲兵隊が改めたがすでに自宅はもぬけの殻であった。

 

 憲兵隊の捜査によると姿をくらましたのはゲオルグからの「身を隠せ」という命令を受け取ったからと推測されており、その後は帝都の暗黒街で何度か目撃情報があがっているが、憲兵隊が捜査によるとシュヴァルツァーが潜伏していた痕跡は見つけられなかったとある。

 

「最後の一人、シュテンネス警視正は同僚の密告を武器としてゲオルグに取り入ったようです。そのため多くの警官から嫌われております」

「ろくでもないやつだな」

 

 若い帝国宰相は眉間を歪めて嫌悪感もあらわに吐き捨てた。ラインハルトは密告というのを裏切りと同じくらい嫌っていた。主君の潔癖さにケスラーはかるく苦笑しながら続ける。

 

 シュテンネス本人も直属の部下以外からは嫌われていることを自覚していたようで、二六日の真夜中も直属の部下とともに酒場で飲んでいた時に艦隊が降下してくるのを目撃すると恐怖感から部下とともに民間船を強奪するとそのままフェザーンに直行して亡命した。これは一二月にフェザーン駐在の弁務官事務所からの報告によって明らかになったことである。

 

 ゲオルグ、シュヴァルツァー、ヴェッセルの亡命情報が入手できない以上、シュテンネスの独断によるものとオッペンハイマーは推測しており、これに関してはケスラーも同意見である。なぜならその報告にはリヒテンラーデ家という後ろ盾を失った失意からフェザーンで派手に豪遊して破産し、日雇いの肉体労働をしているというのも一緒に記されていたからである。

 

 なお、シュテンネスの妻と二人の子が帝都に置き去りにされている。彼は家庭では良い父親であったようで家族から慕われている。そのせいでシュテンネスの密告によって左遷されたりした警官たちの復讐の標的にされており、さすがに不憫に思ったオッペンハイマーの配慮によって憲兵の警備がつけられている。もしかしたらシュテンネスから家族に連絡があって、そこからゲオルグにつながる情報が得られるかもしれないという打算もあったかもしれないが。

 

「行方がつかめていないのはゲオルグ・フォン・リヒテンラーデ警視総監と側近のヴェッセル警視監、シュヴァルツァー警視長の三名が行動をともにしている可能性は否定できません。そこで閣下、警察総局の活動を憲兵隊が監視することを内務尚書に説得していただきたいのですが」

「なぜだ?」

「現在警察総局は元ハルテンベルク派の者たちによって上層部が塗り替えられておりますが、中堅や末端はそうではありません。元警視総監への評判が警官の間では決して悪いものではなかったことを考慮しますと、彼らが閣下や帝国政府に対しなんらかの策謀を企んでいる場合、古巣の警察総局の職員を利用する可能性があるかと」

「……なるほど」

 

 ケスラーの懸念はもっともなものだった。しかしだからといって軍の大きすぎる権限を縮小していく必要があるとラインハルトが認識した直後である。内務省の部局に首を突っ込む軍務省の憲兵隊という構図を認めるのは、さすがに躊躇した。

 

伯爵令嬢(フロイライン)マリーンドルフはどう思うか」

「少し問題があるとは思いますが、ゲオルグ氏が帝国政府に対する策謀を企んでいると仮定し、まだ軍部を除く閣下の権力基盤が充実していないことを考慮しますとやむをえない措置であると考えます」

 

 最悪の場合、もし警察の暗躍によって官僚と軍の対立し激化し、なおかつ同じだけの正しさを持つ主張を軍部と官僚が掲げている場合、ラインハルトは苦しい立場に立たされる。

 

 軍に味方すれば理屈はどうあれ民衆の目には武力で他者の意見を押しつぶしたように見えるだろう。そして官僚の側に立てば潔癖なイメージが守られる代償として軍の地位が低下し、いまのようにラインハルトが独裁権を強力に行使できなくなってしまうだろう。

 

 なので数年の期限付きで認めてはどうかというヒルダの主張はラインハルトの考えとほぼ同じだった。ラインハルトは自分の後ろめたさを誤魔化すためだけに質問したことを自己嫌悪し、少しだけ拗ねた声でケスラーに内務尚書を説得することを確約した。

 

 この時、宰相府の三人の誰もが、権力を失って逃亡の身にあるリヒテンラーデ公の孫が、ラインハルトを一族の仇と見なして悪あがきを企んでいるかもしれないとは思っていたが、まさか銀河の歴史に少なからぬ影響をおよぼすことになろうとは、考えもしなかった。




ハルテンベルク伯やホフマン警視とかでてくるので警察ってあるはずなのに、原作で治安維持してるの憲兵隊しか見当たらない。そんなことからオリ主のゲオルグを元警官にしてみました。

ゲオルグsideの話は、5日に投稿します。


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プロローグ・潜むものたち①

長くなりすぎたので分割。


 帝国宰相府で話題になっていたリヒテンラーデ公の孫は、帝都オーディンから民間の宇宙船で三日ほどの距離にあるグミュント星系の第4惑星オデッサで平然と都市部で暮らしていた。最近帝都オーディンが物騒なので不安になり、この星の会社に就職が決定したのを期に引っ越してきたのだという話をご近所に挨拶してまわり、そのいかにもありえそうな話に近所の人たちもそれを疑うことなく信じていた。

 

 昨年の九月二六日、ゲオルグは内務省を飛び出し、あわただしく帝国軍艦隊が降下してきて混乱しているオーディンの街並みで状況が理解できずに困惑していた名も知らない下っ端警官の巡査長をみつけると、警視総監であることを証明する手帳を見せ、自分を巡査長の自宅に匿うよう命令した。

 

 警視総監という雲上人からの命令に巡査長は仰天し、混乱を断ち切るようにゲオルグを自宅に案内し、自宅にいた妻に事情を説明するとゲオルグにひとつの部屋を用意した。貴族が暮らすにはあまりに質素で埃っぽい部屋であったが、ゲオルグはなにひとつ文句を言わずに礼を言い、巡査長とその妻を恐縮させた。

 

 一〇月に入ると帝国宰相クラウス・フォン・リヒテンラーデが帝国軍総司令官暗殺未遂を犯し、これは帝国軍総司令官を任命した皇帝陛下の意向に背く行為であり大逆罪にあたると国営放送で報道された。帝国宰相を兼任することになったラインハルト・フォン・ローエングラムの慈悲により女性と九歳以下の男子は辺境への流刑で許すこともあわせて報道されたが、当時二三歳のゲオルグには何の慰めにもならない。

 

 ともかく祖父が死に、他の親戚や同僚もその生命に関してはともかく、政治的には確実に抹殺されたに違いなかった。オーディンにこもっていても状況が好転することはないと悟るに十分すぎた。だが幸いというべきか彼はもし自分たちの一族が権力の座から追われる事態を想定し、その時どう行動するかを以前から考えていたので我が身を嘆くことはあっても途方にくれることはなかった。

 

 ゲオルグは自分の靴を脱いで中から貴金属をひとつとりだした。彼の靴は二重底になっており、中には緊急用の資金として高価な貴金属が満載されていたのである。ゲオルグはそれを巡査長に渡し、ハサミと黒色の染髪料と質素な服装一式を持ってくるように求めた。巡査長は平民では手に取ることすら許されない代物が自分のものとなった衝撃を受け、ゲオルグに感謝して望みのものを市場で購入してきた。

 

 巡査長の自宅でゲオルグは自分の長い金髪を大胆に切り、髪の毛を黒色に染め上げた。そして質素な服装に着替えて鏡を見、かなり雰囲気が変わった自分の姿に思わずいたずらっ子のような笑みを浮かべ、隣にいた巡査長に「とても警視総監閣下にみえないです」と弱々しく呟かれた。それは当然であった。ある時からゲオルグは自分の若さでも問題ないくらい警察の重役としての威厳をだそうと心がけ、仕事場では常に寡黙で鋭い眼光を飛ばす堅物のような演技をしていたからである。

 

 こうして警察総局局長として威厳ある演技をやめてしまったゲオルグは、自分の髪の毛と服装を処分するように告げ、宿泊料と称して貴金属を数個を渡した。信じられなくて目を白黒させている巡査長を尻目に彼の家を後にした。いささか大盤振る舞いすぎたかと思ったが、もし彼らが帝国政府に密告すると自分がこのような変装をしているとバレるので、換金すれば平民が一〇年は遊んで暮らせるようなだけ渡して恩を売っておいた方が良いと考えたのである。

 

 ゲオルグのあずかり知らぬ事だが、この巡査長はこれから数日後に警官を辞職すると妻と一緒にフェザーンに亡命してしまった。金がある者にとってフェザーンは楽園であるという風評を巡査長が信じており、大量の金を得た以上そこに行く以外の選択肢を巡査長の頭脳にはなかったのである。結果論ではあるが、ゲオルグの判断は、短髪黒髪で平民に変装をしているという情報を遮断するには最善手であったといえよう。

 

 お気楽な調子でステップしながら、ゲオルグは宝石商に足を運び、貴金属数点を売り払いたいと申し出た。宝石商は平民がこんな高価な貴金属を所持していることを訝しんだが、得意気に先の内乱で殺した貴族の死体から拝借したと自慢すると宝石商は納得したように換金してくれた。相場より三割ほど低い値段であることにゲオルグは気づいていたが、騒ぎ立てるわけにもいかなかったので黙って現金を受け取った。

 

 そして商店街で旅行鞄、巡航船のダイヤ表、服装を適当に数点、行き先である惑星オデッサの地図と観光ガイドなどを購入し、いかにもこれから旅行しに行くといった格好となった。そして意気揚々とオーディンの宇宙港の民間入り口から入り、受付に惑星オデッサへの便に乗りたいと告げたのである。

 

「身分証明書を提示してください」

 

 銀河帝国では惑星間を移動するのに身分証明書が必須である。これは銀河帝国が貴族領主の自治権を重んじており、そのせいでそれぞれの惑星の貧富差が激しい。なので臣民の自由移動を認めるとそのまま不法移住する者が大量発生しかねず、それが帝国政府や貴族の領地の運営上好ましくないとされたためである。のちにラインハルトの改革によって廃止される制度であるが、この時点においてはまだ存在した制度であった。

 

 ゲオルグは懐から乱暴に身分証明書を取り出して職員に見せた。その身分証明書に書かれた名前は“ゲオルグ・ディレル・カッセル”であり、偽名であった。常ならその証明書が贋作ではないか機械に通して事務的な確認だけで通すのだが、憲兵隊は標的に旧体制の高い地位の者が多いことから、標的が偽名が書かれた“真物(ほんもの)”の身分証明書を所有している可能性を疑い、住民データに存在するか否かを確認する作業を職員に追加させていた。

 

 この壁を乗り越えられずに捕まった者はすでに多数いたのだが、ゲオルグは問題なく通過できた。なぜならその名前はこの宇宙のどこにも存在しない人間の名前であったが、帝国政府の帝国内務省で帝都の住民を記録する機械のデータ上には間違いなく帝都出身の平民として確実に存在する名前であったからである。

 

 数年前に警察が捕まえた口のうまい詐欺師の男を免罪と引き換えに、内務省で帝都の住民記録の管理を行う部局の幹部の男に犯罪を犯させるよう命じた。その詐欺師は言葉巧みに幹部を誘惑し、自身と肉体関係を結ばせた。ルドルフ大帝の時代から銀河帝国において同性愛は大罪である。その大罪の現場写真で幹部を脅し、“ゲオルグ・ディレル・カッセル”の住民記録を作らせたのである。

 

 こうしてゲオルグは形式の上ではまったく違う人間となり、帝国内でもかなり自由に行動できる環境を整えることに成功していた。勤め先であり、自分が策謀を巡らす場でもある会社への通勤中、ゲオルグはふと事実上帝国に君臨し、支配している金髪少年貴族のことを考えた。

 

 ゲオルグがラインハルトという存在に関心を持ったのは四八五年の末頃だ。それ以前から姉が当時の皇帝フリードリヒ四世の寵姫であるからたいした家柄でもないのに軍で出世している生意気で不遜な“金髪の孺子”がいるという話は貴族が集まるパーティーで何度か耳にはしてはいたが、たいして興味を引く話ではなかったので雑談のひとつとして消化されるだけだった。

 

 ところが祖父から警察を使って彼の性格や思想を調べてくれと頼まれたのである。なぜかと尋ねるとラインハルトが断絶していたローエングラム伯爵家の家名を継ぐかもしれず、そうなった場合に新しい宮廷勢力が誕生することになることを危惧しているのだと答えられた。

 

 その頃はちょうど警察総局局長の座を争うライバルだったハルテンベルク伯が妹のエリザベートに殺された頃だった。エリザベートが兄を殺した理由は彼氏の敵討ちらしい。らしい、というのは彼女の前彼氏であるカール・マチアス・フォン・フォルゲンは叛乱軍との戦いで戦死しており、夫のヘルマン・フォン・リューネブルクも同じである。なぜ兄に原因を求めるのかまったくわからない。

 

 とにかくそんな謎の犯行動機だったので、ゲオルグがエリザベートを洗脳してライバルのハルテンベルク伯を謀殺したのだとあちこちで噂され、口にはできない苛立ち募らせた。本当に自分がやったのならこんな不自然な結末になってるわけがないだろうという自信があったからだ。なので祖父の頼みを聞くことはよい気分転換の方法であると考え、ほんの数ヵ月だけだが、ラインハルトの人となりを調べることにしたのだ。

 

 だが、警察とは犬猿の仲である軍人の捜査である。警察総局の権限では難しいと判断し、社会秩序維持局のラング局長に協力を要請した。社会秩序維持局とは政治犯・思想犯・国事犯の検挙を行い、言論・教育・芸術を監視・弾圧する秘密警察であり、軍や政府で超がつくほどの大物でなければその活動の全貌を知ることができなかった。ゲオルグも中央における組織図は把握していたが、地方支部でどのような運営がされているかは知らなかった。

 

 ラング局長は国務尚書の孫に恩を売る良い機会と思い、胸を叩いて快く承諾した。ラングはラインハルト・フォン・ミューゼル(ローエングラム家を継ぐ前の性)に思想犯の疑いがあるとし、軍務省に資料の供出を要請したのである。すると軍務省は素早く対応し、数日中にラインハルトについて詳細な記録を提供した。

 

 軍務省が社会秩序維持局の要請に素直に従ったことだけで、ゲオルグはラインハルトが軍上層部からあまり好意的に見られていないと推察するには十分だった。普通なら軍は身内のことは身内で対処すると言って外部の介入を嫌うのである。にもかかわらず、表面的な抗議すらせずにあっさりと情報を提供したということは、そっちで処分するなら勝手に処分してくれということであろう。

 

 これなら社会秩序維持局に借りを作らなくても簡単に軍のラインハルトの記録を入手できたかもしれないと思ったが、ラングの協力に対して感謝の姿勢を示すことを忘れなかった。愚痴をこぼして社会秩序維持局との関係をいたずらに悪化させたら面倒なことになるという懸念があったからだ。

 

 そうして得た軍の資料からラインハルトを“自分の才覚に絶対の自信を持ち、上官に嫌われても追従することを嫌い、自らが優位に立つことを好む。そしてタチの悪いことにその資質は極めて高く、彼に心酔している軍人も少なからず存在し、かなりの危険人物である”と分析した。貴族の多くの者が偏見や嫉妬からラインハルトの実力を認めなかったことを考えるとゲオルグの評価眼は正確さにおいてずばぬけていた。

 

 しかしその評価眼は決して万能ではなかった。政府高官とはほぼ無接触で、姉と関係があるシャフハウゼン子爵家とヴェストパーレ男爵家以外の貴族領主とも深い関係にないことから軍事以外における能力と影響力を疑問視し、“リスクはあるが門閥貴族に対する強力な同盟者となりうり、宮廷内を掌握しているならば門閥貴族打倒後に政治工作によってラインハルトの基盤を崩すことも可能であろう”とも分析していたからである。

 

 自分の孫の報告をリヒテンラーデ公がどれほど重視したかは不明だが、フリードリヒ四世が崩御し、その孫である五歳の幼児エルウィン・ヨーゼフ二世を皇帝として推戴することを決意した時、ラインハルトを同盟者に選ぶ判断要素のひとつになったのは疑いない。

 

 そして四八七年の末、エルウィン・ヨーゼフ二世の即位式に内務省の重鎮の一人として出席した時、文官代表の帝国宰相である祖父と並んで皇帝に忠誠を誓う武官代表の宇宙艦隊司令長官ラインハルト・フォン・ローエングラム元帥という若すぎる美貌の英雄を、ゲオルグは初めてじかに見て深い感慨を覚えたのだった。

 

 その感慨というのが、姉と同じく綺麗な顔で陛下を誑かして出世したという噂が立つのも理解できるほどの秀麗さであったという外見上の特徴に対するものであり、“皇帝より皇帝らしい”と評されるほどの威厳があった前任の司令長官ミュッケンベルガー元帥とは違い、容姿の華やかさという点で皇帝らしいなという感想を抱いただけであったのだが……

 

「まさか本当に“皇帝らしい”存在になってしまうとは……」

 

 思わずそんなつぶやきが小さく漏れた。内乱終結後の政争で祖父と共にどんどんラインハルトから権力を奪っていく予定であったのに、現実はどうだ? ラインハルトはまだ帝冠を被ってないことと玉座に座っていないことを除けば、まったくもって“皇帝らしい”。対して対等の同盟者であった自分たちの一族は内乱の余韻もおさまらぬうちに奇襲を仕掛けられ、大逆罪が適用されてしまった。

 

 まだラインハルトがリヒテンラーデ派粛清による政治的混乱を早期に収拾できなければ、早期に自分の権力と地位を回復する算段がゲオルグにはあった。

 

 ラインハルトに反感を持つ官僚たちを糾合し、対抗すればよいのである。ラインハルトが軍の武力を背景に官僚を無理やり従わせにかかれば、その事実を過大に誇張して民衆を扇動し、組織化して対抗すればよい。軍が民衆を弾圧すればラインハルトを自分たちの希望として心酔していた平民軍人の中に裏切られたという思いを抱く者がでてくるであろうから、それと協力して対抗すればよい。

 

 もしラインハルトが官僚たちとの妥協をはかるなら、リヒテンラーデ公の大逆が事実無根であったことを公表すること、帝国宰相の地位をリヒテンラーデ公の孫である自分に譲り渡すことを、あらゆる手を使って認めさせる。そうすればラインハルトに対し、帝国宰相の職責にあったものを誤断によって処刑したという大きな政治的弱点を背負わせることができた。

 

 しかし混乱は早々に収拾され、一〇月なかばから凄まじい勢いで改革政策が実施されはじめた。実施されている改革政策の内容と傾向から開明派とよばれていた官僚グループがラインハルトに与していることをゲオルグは見抜き、おのれの迂闊さを呪った。これで早期に権力の座に返り咲くことは不可能であることが判明したからである。

 

 いったいいつの間にやつらが手を結んだのだ!? いや、いつであるかは容易に推測できる。手を組んだ時期はほぼ間違いなくエルウィン・ヨーゼフ二世即位から貴族連合軍討伐にラインハルトが出征するまで間だ。もしそれ以前ならば祖父が警戒せぬはずがないし、出征後に手を組んだとしたら手回しが早すぎる。あの金髪は最初から自分たちを一挙に葬り去る算段だったに違いない。内乱が完全に終息してエルウィン・ヨーゼフ二世の天下が確立されるまでは行動に移すまいと考えた祖父や自分が甘すぎたのだ。

 

 もしそのことが事前に推測できていれば、帝都の往来を我が物顔で監視するうっとおしい憲兵どもには構わずに開明派の官僚を捜査し、ラインハルトと手を組んでいる証拠を掴んだものを。いや、推測できなかったとしても憲兵が警察に歯向かうようなマネをしなければ、開明派の官僚の動きに違和感を感じたかもしれない。すべては憲兵のせいだ。

 

 そしてラインハルトが一時期憲兵隊に出向していた記録があったことを思い出し、自分が立場を回復した暁には、絶対に憲兵どもを皆殺しにしてやると心中で誓い、憲兵隊への憎悪を募らせた。実際にそれだけの権力を得た時にその誓いを実行に移すかはゲオルグ自身にもわからなかったが、とにかく彼は幾度となく仕事の邪魔をしてくれた憲兵という存在が大嫌いなのであった。

 

 いささか以上に思考がズレ始めたことゲオルグが自覚した時、ちょうど勤め先の流通会社についた。昨年の一一月初頭に新設された警備部門の責任者。それが今の彼の肩書であった。

 

「おはようございます!」

 

 会社の入り口に立っていた警備員二名がゲオルグに敬礼する。彼らは社会秩序維持局の元末端局員であり、同局がラインハルトの改革によって廃止されて職を失っていた時にこの会社の求人広告を見て応募し、就職したのであった。

 

 ゲオルグは二人の敬礼に応えて答礼すると、二人は少しだけ感激したようであった。この会社においてゲオルグは内乱と改革で没落したある貴族の私設軍に所属していた元高級軍人であり、警備のスペシャリストというふうに認識されている。二人は元とはいえ高級軍人が自分たちのような末端の敬礼に対応してくれたのが嬉しかったのである。

 

 会社のロビーに入るとゲオルグは受付に直行し、魅力的な笑顔を浮かべた。受付嬢はかるく赤面した。

 

「おはよう。社長はいるかい?」

「すでに出勤しております。最上階の社長室においでのはずです」

「そうか。ありがとう」

 

 そう言って礼を述べて階段の方に黒髪の若者は足を進める。この会社にはエレベーターもあったが、ゲオルグは階段の方が運動になると言ってエレベーターを使用することがなく、それがなんとも元軍人らしいというのが社内での評判であった。

 

 階段を乗り切り、ゲオルグは社長室の扉をノックし、「失礼します」と入室した。社長室には縮こまって震えている小男の社長が椅子に座り、そのボディーガードである屈強な男が、社長の斜め後ろに立って控えていた。男の瞳は暗闇に沈んでいるかのように真っ暗であったが、奥底に揺るぎない光が灯っていることを感じさ、奇妙な印象を他者の注目を引いた。

 

「おはようございます。閣下」

「ああ。おはようオットー少佐。問題はなかったかね?」

「はっ。何の問題もございません」

「結構」

 

 社長付き警備員クリス・オットーは帝国軍元少佐である。優秀な軍人であり、部下からの人望も十分以上にあったこの男が、会社の一警備員に成り下がったのは彼自身のせいではなく、複雑な事情と数奇な運命によるものであった。

 

 オットーはその数奇な運命ゆえにラインハルトを強く憎んでおり、ゲオルグはその憎しみを知って絶対に裏切らないと確信し、自分がリヒテンラーデ一族の者であると教えるほど元少佐を信頼していた。もっともあくまで忠誠心だけのことであって、能力面となると軍事関係以外あまり信頼していなかったが。

 

「さてグリュックス社長。仕事の話をしたいのですが」

「仕事? 冗談をよせ。我が社の弱みに付け込んで私に命令をするだけだろう」

「これは心外。私はこの会社に少なからぬ貢献をしていると思うのですが」

「自分たちの隠れ蓑として我が社を利用しているだけではないか!」

「たしかにそれは事実です。ですが警備部門を設立して調子に乗った百名以上の愚か者どもから会社の資産を守ったこと、改革政策の傾向を先読みして高値がつくものをリストアップして会社に利益を齎したことも事実でしょう」

 

 グリュックスは言葉に詰まった。ゲオルグの言い分が間違っていないと知っているからであった。

 

 ラインハルトの改革によって民衆の生活水準が劇的に向上していたが、それに比例するように犯罪率も爆発的に急上昇していた。自分たちの権利が急激かつ飛躍的に拡大されて“自分たちはあらゆる権力から自由になった”と思い込んだ愚か者たちが少なからず現れ、軽犯罪を凄まじい勢い繰り返し、罪を犯すことにためらいがなくなってくると強姦や殺人といった所業に手を染めた。

 

 むろん、帝国政府もそんな事態を放置していたわけではない。警察や憲兵隊の見回りが強化され、犯罪者の摘発に八面六臂の大活躍をしていた。おかげで平時であるにもかかわらず、憲兵が街中を巡回しているのが常態化しつつあり、名前は言わないが、ある逃亡中の元警察高官にとっては嫌いな憲兵がよく視界に入ってしまってストレスを溜め込む暮らしを余儀なくされる被害を被っていた。

 

 しかし治安活動の充実をもってしても前体制と比べて民間人による犯罪率が上昇したことは疑いない事実であり、経営に余裕のある会社は次々に自分たちの利益や資産を守るべく警備部門を新設した。それは帝国全体の会社に蔓延した空気のようなものであったかもしれない。警備を担える能力がある人材が多数職を求めていたのも、その空気を助長するのに一役買っただろう。元社会秩序維持局員と元貴族私設軍軍人の多くが職を失っていたからだ。

 

 なのでゲオルグがグリュックスを脅して新設させた警部部門も、他の会社でも新設されたそれと周囲から判断され、たいして注目を集めていなかった。せいぜい憲兵隊が警部部門を担う人材のほとんどが、言うなればラインハルトによって職を失った者たちの溜まり場と化していることから、全体に漫然とした警戒を抱いてるくらいである。

 

 そして会社の利益に貢献しているのも事実だ。祖父クラウス・フォン・リヒテンラーデは、開明派官僚の二大巨頭の一人オイゲン・リヒターとたまに協力し合う関係だったため、リヒターがどういった政策思想の持ち主であるかゲオルグは間接的に知っており、どういう段階でどのような政策が実施されるのか推測が容易で、その政策によってどういった商品が必要とされるようになり不要となるか、それを推測するのも簡単な事だった。

 

 保守的思考のリヒテンラーデ公と改革的思考のリヒターが協力しあうというのを奇妙に思うかもしれないが、ある意味においては必然だった。リヒテンラーデ公は帝国存続と自己の権力を守る為であり、リヒターは民衆の権利向上の為であって、両者の目的は違ったが改革を必要としている点で利害が一致した。それに加えて、これ以上貴族や軍に権限を奪われてたまるものか、という純粋な官僚なら誰もが抱く感情を共有してたのも、彼らに対して共同戦線を組む理由になり得たのであった。

 

「私は可能な限り、誠実なつきあいをしたいと思っているのですよ」

「誠実だと。これがかね」

 

 喘ぐような声でそう問いかけてくる小男に、ゲオルグは無邪気な天使や悪魔を連想させる笑みを浮かべて笑った。まったく“グリュク(幸運)”という意味を持つ名前を持っており、その名の通り幸運に恵まれていながら、それを自覚していないとは!

 

 第三者から見ればグリュックスが本当に幸運に恵まれているか否かは議論の余地があったが、すくなくともゲオルグの主観的には間違いなく幸運に恵まれているようにしか見えなかった。もし彼が幸運に恵まれていないのであれば、目の前の社長は数年前に処刑されていなければおかしいからだ。

 

「もしこれが誠実ではないというのであれば、私はどうすればよかったのでしょうか? あのまま軍の連中に身柄を拘束され、この会社が行った恐るべき犯罪行為の全貌を当局に洗いざらい告げていればよかったのですかね? そして私と社長、そしてあの院長先生と一緒に断頭台の露と消えることが望みだったと?」

 

 そう言って両手で首を絞めるジェスチャーをするゲオルグに対し、軍に拘束されなにも語らぬまま処刑されれれば一番ありがたかったのだとグリュックスは思ったが、そんなことを口に出す勇気は持ち合わせていなかった。仮にも誠実さに関する話をしているため、余計に。

 

「なにを恥じる必要があるのかわかりませんね。あなたは経営難に苦しむこの会社を救いたかった。社員たちを路頭に迷わせるようなことをさせたくなかった。それだけではありませんか。そのためにあなたは努力を惜しまなかったからこそ、なにも失わずに今があるのではないか。たとえそのために二〇〇人近い数の人間を地獄に陥れたとしても、いったい何の問題があるというのです? あなたは二〇〇人の人間を未来を奪う代わりに、その数万倍の社員とその家族の生活を救ってみせたのだ。切り捨てた者に対する同情からくる罪悪感など偽善に過ぎない。だからあなたは守りぬいたものがあることを誇るべきだろうに」

 

 若すぎる元警視総監は罪を犯した咎人を慰め諭すような聖職者のような口調で囁いた。諭す方向が普通の聖職者と真逆であり、咎人に犯してしまった罪を肯定させようとするろくでもない性質のものであったが。

 

 そしてそれはグリュックスの複雑な心情の一面そのものだった。そういう理屈で自己の罪悪を免罪し、正当化しようとする感情があるのだった。しかし一方で、その理屈を信じようにも信じきれない中途半端な良心も、たしかに存在するのであった。その良心が自分に都合のいい理屈を受け入れまいと、そう語りかける者への反感を生じさせた。

 

「……かもしれんが、そうして救ったものも、きみの登場によって失われるかもしれぬ」

「ああ。あるほど。その点があなたの心配なのですね」

 

 得心がいったと何度も何度も頷いてみせるゲオルグに、グリュックスはうすら寒いものを感じた。

 

「無用の心配です。われわれはあらゆる意味において、運命共同体なのですから」

 

 そう、真顔で宣言した。今まで次々に表情を変えて掴みどころがなかっただけに、不可視の衝撃がグリュックスを襲った。なにか自分はとんでもないものを相手にしているような感覚に陥ったのである。この異様な雰囲気から逃れたい心境になり、なにかこの雰囲気を打ち消すなにかが欲しくなり、せわしなく視線を泳がせる。

 

「それで仕事の話なのですが――」

 

そう口に出した途端、部屋にノック音が響いた。完全に雰囲気に飲まれていたグリュックスは助かったというふうにため息をつき、ゲオルグの様子を伺ったが彼は平然としており、別段気に留めてはいないようだった。彼はいつものように明るい声で「誰です?」と社長室の扉の向こう側にいる人物に問いかけた。

 

「警備員のコルプです。警備主任はおられますか。フェルディナントと名乗る怪しい身なりの男が来て、ディレルがいるはずだと言っているのですが、お会いになりますか」

「……了解した。社長、急用ができました。仕事の話はまた次回に」

 

一瞬だけ鋭い目をしたが、すぐに瞳を柔らかくするとそう言って社長室の外へと出ると、ゲオルグはコルプに尋ねた。

 

「フェルディナントは、なんて言っていた?」

「は?」

「すまない。言葉足らずだったね。私のことをセカンド・ネームで呼ぶのは元同僚の人間だけだから、自分と警備チームを組んでいた時のナンバーを一緒に告げてはいないかと思ったんだよ」

「はあ……」

 

先方はフェルディナントと名前を名乗っているのに、どうして警備チーム時代のナンバーを気にするのだろうか。そうコルプは疑問に思ったが、上司の問いに素直に答えた。

 

「たしか2505って言ってました」

「ありがと。じゃあ、フェルディナントを第八応接間に案内してくれ。旧友同士で話し合いたいのでね」

 

敬礼して去っていくコルプの後ろ姿を確認すると、ゲオルグは第八応接間に向かってゆっくりと歩き始めた。“フェルディナント”という偽名でここまでやってきた忠誠心でも能力でも信頼できる警察時代の側近にどのような仕事を任せるか、考えながら。




オリ主はトリューニヒトとは違ったベクトルで生存能力が高いです。


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プロローグ・潜むものたち②

 第八応接間に入ってきた“フェルディナント”の姿を確認した時、「怪しい姿の男」というコルプ警備員の評価が、訪ねてきた男に配慮して選択しての評価であるということをゲオルグは悟った。ボロボロで薄汚れた服装を身に纏っており、栄養不足なのか肌の色が青白い。見ているだけで独特な異臭を感じてしまうほどの、絵に描いたような初老の浮浪者そのものの姿だったからだ。

 

「えーっと、その、よく無事、だったな?」

 

 言葉がとぎれとぎれの上に疑問形なのは、ゲオルグの記憶にある人物の雰囲気とかなり異なっていたたからである。むろん、官憲の追跡を避け、素性を隠しながら行動しなければならないのだから、彼が咎められるべき理由はどこにもない。しかし数か月前までの血色よく健康的な肉体美を誇っていた人物の姿との落差が激しいだけに、ひょっとして別人ではないかという疑いを消せなかったのである。

 

「……念のため確認しますが、リヒテンラーデ警視総監閣下ですね?」

 

 その声音は聞きなれたものであり、想定していた人物本人であるとゲオルグはこの時点でようやく確信した。

 

「いかにも。今はゆえあって偽名を名乗っているが、私はゲオルグ・フォン・リヒテンラーデだとも。それ以外の何かに見えるのかね?」

 

 自分も同じく相手の正体に自信を持てていなかったことを棚にあげて、この発言である。

 

「私は閣下の素の態度を知っているからそれほど違和感を感じませんよ。ですが警察高官としての威厳がほとんど感じられませんぞ。これでは元同僚ですら別人と認識してしまっても不思議はないでしょう」

「当然だろう。威厳を出そうと無理してないんだから。しかし、なんだ。ずいぶんと顔色が悪くなったな」

「ここに辿りつくまで、安心して眠れない夜を過ごしてきたので……」

「今日からは安心してぐっすりと眠れるぞシュヴァルツァー。私がこの会社内の安全であることを、自信をもって保証しよう」

「……ありがとうございます。閣下」

 

 “フェルディナント”ことエドゥアルト・ヘルマン・シュヴァルツァーは数ヵ月ぶりに心の底から安心した。ゲオルグがこのような状況において気休めでそんなことを言うような人物ではないと知っており、その人物から保証された安全を信じることに疑う必要はどこにもなかったのだ。

 

「それでどのようなルートでここまでやってきた? おまえの才覚を疑うわけではないが、こんな状況だ。官憲の注目を引くような点がないか、確認しなければならん。だから昨年九月二六日にローエングラム率いる連中が帝都を制圧してから今までの行動を、可能な限り仔細に説明してほしい」

 

 もし官憲の注目を引いていると判断できるような要素があった場合、ついさっきこの会社が安全であるという保証を撤回しなければならなくなるかもしれん。そう締めくくられ、シュヴァルツァーは少し焦ったように説明をはじめた。

 

 シュヴァルツァーは二六日の夜、自宅で寝ていたが、下っ端警官の激しいノック音によって目を覚ました。寝ぼけていたが警官が警視総監から「身を隠せ」と自分に命令していると言われて眠気が吹っ飛び、帝国軍艦隊が次々と降下してきて帝都が大混乱に陥っていることを把握すると、自宅から持ち運びできる高価なものと現金をかき集め、持っている服装の中で一番地味な服に着替えると混乱する群衆の中に紛れ込んだ。

 

 そして向かったのは帝都のある一角にある、風俗や賭博や麻薬の店が立ち並び、いつもいかがわしい熱気に包まれている暗黒街である。こういったものは人類社会を衰弱させる邪悪な要素であるとルドルフに見做され、ゴールデンバウム王朝開闢から現在に至るまで、国法によって重罰にあたる犯罪行為と定められていた。

 

 もし大帝ルドルフが定めた国法を帝国政府を運営する後継者達が絶対視していたのであれば、帝都に暗黒街が形成されることはなかったろう。だがルドルフ没後も、その手の快楽を求める者があまりにも多すぎるため、ほとんどの皇帝は目立たず隠れてやる限り許容する傾向にあった。

 

 先代皇帝のフリードリヒ四世の時代にいたっては、皇帝自身が皇太子時代に暗黒街の酒場や高級娼館に総額五四万帝国マルクの借金までこさえてしまうほど頻繁に利用していた経験からか、国法に違反している暗黒街の存在に非常に寛大だった。そんな皇帝の時代が三〇年以上も続いたこともあって、暗黒街は順調に発展していき、ゴールデンバウム朝が始まって以来、空前絶後な規模に発展・拡大していた。フリードリヒ四世以外の歴代皇帝であれば、御膝元の帝都にこれほど大規模な暗黒街が存在するなど許容できなかったに違いない。

 

 優秀な兄弟が後継者争いで自滅し、棚ぼたで皇帝になっただけの凡人。誰からもそう認識されたフリードリヒ四世ではあるが、第四代の“灰色の皇帝”並に退屈な治世と後世の歴史家から評されただけあって、グレーゾーンに生きている者達にとっては、とてもありがたい皇帝だったようである。フリードリヒ四世崩御の際に心の底から悲しんだ暗黒街の住人は、けっして少なくなかったというのだから。

 

 シュヴァルツァーはその暗黒街の住人であり、過去に個人的な関係があって、信頼できるストリップ・ダンサーの女の家に匿ってもらった。そして憲兵の関心が暗黒街から薄れるまで女の家から一歩も出ずに息を潜めて過ごした。

 

 一一月末に潜伏していた女の家を出、警察時代に「九割九分九厘の確立でクロ。ただし証拠がつかめない」と上司のヴェッセルが忌々しそうに言っていた非合法な運び屋との接触をはかった。その運び屋の行きつけだった酒場『ビュルガー』に長時間居座り、その人物が来店するのを根気強く待ったのである。

 

 その運び屋は髭面の高級将校で、オーディンにおける軍需物資の運搬を行う現場責任者であった。彼は他の腐敗した同僚が軍需物資を横流して私服を肥やしているのを知っていたが、自分が行う気になれなかった。別にそれを悪いことだと思っていたわけではなく、各所の報告記録を比較すれば軍需物資を横流していることが判明するのが自明だったし、今はよいが有能で勤勉な奴が軍務省監察局の局長にでもなられたら即座に軍法会議かけられ処罰されるだろうと思わずにはいられないほど臆病だったからである。

 

 しかし一方で同僚が軍需物資を横流しをして私服を肥やしているのを羨ましくも思っており、正規の軍の給料だけでは一家が安心して暮らすのは厳しかったので、彼はどうすれば軍務をこなしながら安全な方法で利益をあげることができるのか頭を悩ませた。そしてある日の朝、安全ではないにしても極めてわかりにくい方法で収入を増やす方法を思いついたのである。

 

 その方法とは、各地の軍需物資移送の現場責任者たちと協力関係を組み、法的に危険なもの――麻薬とか犯罪者とか――を運搬し、現地で処理してしまうというものであった。実際に軍需物資に手を出しているわけではなく、軍需物資でないものを違法運搬していたと馬鹿正直に報告するわけもないので、記録上では何の問題も発生しないのであった。

 

 生来の臆病さが良い方向に働いたのか、髭面の将校が築き上げた秘密の違法運搬システムの完成度は高く、特に隠匿性に極めて優れていた。ラインハルトが台頭し、軍内部から腐敗が追放され、軍需物資を横流していた者達が相応の処罰を受けていく中、髭面の将校率いる運び屋たちはその罪悪が見抜かれなかったために処罰を免れたばかりか、清廉・誠実に軍務を遂行していたとして昇進や表彰の対象になってしまったほどであった。しかも彼らは今も変わらず麻薬や犯罪者を運搬して私服を肥やしているというと、どれほど凄いか少しは理解できるかもしれない。

 

 『ビュルガー』の酒場でシュヴァルツァーからオデッサまで自分を運んでくれないかと依頼し、髭面の高級将校はその依頼を引き受けた。オデッサはオーディンからそう遠く離れた惑星ではないのに運搬料金として一〇万帝国マルクという大金をシュヴァルツァーは支払うことになったが。

 

 髭面の将校が築き上げた違法運搬システムは軍需物資の運搬に付属する形で機能するものであるため、惑星オデッサに直行するということはできない。それに軍需物資の運搬ダイヤに従う形になるので移動に時間がかかる。いくつかの軍事基地に立ち寄り、かなり大回りなルートでなければオデッサに辿りつけないのであった。なのでオーディンからオデッサに辿りつくまで一か月もかかってしまったのである。

 

 体がやつれたのは第三者が見ても違和感を抱かないようにという理由で、違法運搬するのがたとえ人間であっても、あまり大きくないコンテナの中に入れられ、コンテナの中で運び屋の合図があるまで息を潜めていなければならないのだ。コンテナの中にあるのは光源の懐中電灯と運搬中に餓死しないために必要な最低限の水と食料のみである。そんな環境で一月近く過ごせばやつれるのも当然であった。

 

「苦労をかけたな……。よく来てくれた」

「ありがたきお言葉」

 

 上司のねぎらいの言葉に、シュヴァルツァーは頭を下げて感謝する。

 

「それにしても、よくご無事で。昨年のローエングラム公の権力掌握の際、リヒテンラーデ一族に対する追跡は特に激しいものであったと噂されていたのでよもやと心配しておりましたが、こんな立派な会社で平然と暮らしておいでとは」

「……まあ、いざという時の備えを怠ったことはなかったからな」

 

 そう前置きするとゲオルグも自分の逃亡方法を説明しはじめた。シュヴァルツァーは自分の上司が命が危うくなった際の計画に対する準備の徹底ぶりを、この時初めて知った。

 

「前もって住民データを公式に偽造しておくって用意周到しすぎはしませんか……?」

「私としてはまだ不満なんだがな。できることならゲオルグ・フォン・リヒテンラーデという人物も死んだように偽装しておきたかったのだが」

 

 ゲオルグは無念そうに呟いたが、前任の憲兵総監オッペンハイマーが保身に走ったせいで、ほんの数時間前まで憲兵隊以外の公式記録上では死んだことにされていたことを考えると、ちょっとした運命の皮肉である。むろん、この第八応接間にいる二人にはそれを知るよしもないのだが……。

 

「しかしおまえが来てくれてほんとうに助かった。この会社を安心して任せられる者が、ようやく来てくれたのだからな。最悪、ここの社員を一年くらいかけて新たな側近に育て上げなくてはならないかと考えていたから、とてもありがたく感じる」

「……ということは、他の方々はまだ来ていないのですか」 

 

 平民出身であり、五人の側近の中で一番の新参者であることもあり、側近の中でシュヴァルツァーの立場は一番低いものだった。警察の階級的には自分より下であるはずのシュテンネスの方が立場が上だったのである。最下位の側近に留守中を任せるということは、他の側近がまだ合流していないと考えるのはごく当然の推測であった。

 

「……私の情報網によるとドロホフは憲兵に捕まり、ヴェッセルは行方不明。ダンネマンは逃亡中に憲兵に銃殺された。シュテンネスは私を見捨ててフェザーンに亡命してしまった」

「それは……大丈夫なのですか」

 

 五人の側近は、ゲオルグからいざという時にこの会社に身を隠すという情報を聞かされた者達である。そのうちの一人であるドロホフが憲兵隊の手中にあるのだから、シュヴァルツァーとしては危惧するところである。それにドロホフほどではないが、行方不明のヴェッセルとフェザーンに逃げたシュテンネスの存在も不安であった。

 

 ゲオルグは椅子に深くもたれて、視線を天上に向け、自分の考えを語り始めた。

 

「ドロホフは口を決して割るまい。あいつの忠誠心は他の側近とは比べてものにならぬほど次元が違うからな。どのような脅迫をされたところで、私の情報など一切漏らさぬだろうよ。ヴェッセルの情報がつかめないのは人知れず死んだか、おまえと同じように逃亡中かのどちらかだろう。現におまえがここに来るまで、シュヴァルツァーという男の情報も私はつかめなかったのだからな」

「なるほど……。それでフェザーンに亡命したシュテンネス警視正は放置するのですか」

「そんなわけないだろう。シュテンネスが小心者であることは最初から知っていたが、私の認識をはるかに上回る小心者ぶりを発揮した以上、私に関する情報と引き換えに強力な保護者を求める可能性が否定しきれんからな。もし自治領主府なり弁務官事務所なりと接触をはかるようなら、適切に処分するようすでに手の者に命令している」

 

 平然とそう言うゲオルグであったが、それはこのように身を隠す今であってもフェザーンという遠方の惑星に命令に従う配下がいるという事実の証明であり、シュヴァルツァーは驚愕を隠せなかった。

 

「それで閣下は、これからどうなさるおつもりで?」

 

 その問いにすぐには答えず、ゲオルグは立ち上がると部屋の隅から新聞を数紙取り出して、机に置いた。どの新聞の内容も程度の差があれど、総じてラインハルトに好意的であり、発禁処分を食らっていた平等思想が前面にでている新聞でさえ、金髪の若者を現人神かなにかのように賞賛していた。

 

「どうやらローエングラム公は、国家権力による言論統制を緩め、言論の自由を復活させようとしているらしい。私としては、これを最大限利用させてもらおうと考えている」

 

 ゲオルグは多くの貴族が使った“金髪の孺子”という蔑称を使うことを好まなかった。別にラインハルトに好意的だったわけではないし、公人としての節度から蔑称を好まなかったというわけでもない。たんに自分より二歳年下に過ぎないラインハルトを“こぞう”と呼ぶのは、どうにも違和感が大きかったし、なにより今は黒に染めているがゲオルグ本人も地毛が金髪であったので、身体的特徴的に自分にもあてはまってしまう蔑称だったからである。

 

 そのことはシュヴァルツァーも十分に承知していたのでその点について疑問など抱かなかったが、ゲオルグの言論の自由を利用するという方針には大きな疑問を抱いた。

 

「利用ですか? 私には言論統制が緩まったところで何の意味があるのか、その、わかりません」

「……そうか、言論が権力によって統制されていない環境というのが、そもそも想像できんのか。よい。なら自由による腐敗によって崩壊の道をひた走った銀河連邦時代の歴史を交えながら、簡単に説明してやろう」

 

 なぜ自分の方針を理解できないのかしばし悩み、よく考えたら大学卒業者でも貴族でもない平民の成り上がりであるシュヴァルツァーが、言論というものにいかなる力が発生するものなのか、わかるはずもないと察した。帝国学芸省が発行する歴史書において、言論の自由があった銀河連邦時代の歴史は極めてあいまいにしか表記されていないからだ。

 

 人類発祥の地である地球との決別と群雄割拠の時代を経て、全宇宙を支配した最初の政府。しかしながら共和思想という誤った思想によって崩壊の道をひた走っていたところをルドルフ・フォン・ゴールデンバウムの登場によって、共和思想をはじめとする国家を腐敗させる邪悪な要素を駆逐し、銀河帝国を成立させた。そんなふうにしか平民は知ることができなかった。帝国にとって都合がよろしくない歴史を知ることができるのも、旧体制下においては貴族の特権であったからだ。

 

 ゲオルグは語る。銀河連邦開闢期から中期にかけて連邦の民主共和政制度は多少の問題はあれど、おおむね正常に機能した。帝国政府は専制政治の絶対的正当化のために、連邦末期の混乱ぶりだけを声高に主張してその事実を執拗に隠そうと努力したが、国家の繁栄と豊かな生活を政府が保証する限りにおいては民主共和政制度は正常に機能するものなのだ。

 

 そして連邦末期、いわゆる中世的停滞によって経済が発展しなくなり、国民の生活をより豊かにしていくのが現実的に不可能となった。当時の政治家たちは、これまでのようにはいかないと民衆に対する説明責任を十分以上に果たした。しかし国民は決してそれを理解しようとしなかった。

 

 自分たちが頑張ればもっと豊かになれる。そして銀河連邦が繁栄する。それは連邦成立以来、言論の自由によって無責任に何度も唱えられ、国民に刷り込まされた常識であり、一種の宗教と化していた。その宗教の忠実な信徒たちは教義通りにいかない現実に怒りを爆発させた。自分たちが頑張ってる以上、生活が豊かになっていかないのも国家が衰退するのも公的権力の腐敗によるものと決めつけ、政府を非難するようになったのである。

 

 そして非難は凄まじい勢いでエスカレートしていき、過激な者達はきわめて主観的な判断で“腐敗”を実力で断罪しはじめた。政治家の方も真面目に働いていても民衆に非難の的にされる現状に呆れてきたのか、民衆が信じている“不況は政治家の腐敗が原因であってほしい”という幻想に引き寄せられるがごとくに現実でも腐敗しはじめた。ある意味、民衆の望むところが実現するという民主共和政の建前が、部分的には間違いなく真実であることを知らしめるよい例である。

 

「即位後の大帝は自らの権力が民衆から与えられたものであるということがお気に召さなかったのか、後年“大神オーディンに選ばれた人類の救世主として皇帝に即位した”と主張するようになり、それが帝国の公式見解となってしまったが、連邦軍退役少将であり、有力政治家に過ぎなかった大帝を“神聖にして不可侵なる銀河帝国皇帝”になれたも、実は民衆多数の言葉の力なのだ。わかるか? 銀河連邦の腐敗と銀河帝国の誕生は統制されない言論の力によるものなのだ。言論は極めれば独善的に暴走するし、暴走すれば政府がいくら正論や権力を振りかざそうが、武力でもって物理的に沈黙させる以外の方法で黙らせる術はない。そして武力で弾圧する場合、かつての大帝のように絶対的な軍事的武力を有していなければ、熱狂した追従者どもが次々に蜂起するのを抑えることはできない」

 

 ゲオルグなりの歴史解釈を交えた言論の力の説明をシュヴァルツァーは理解したが、それでもまだ疑問があった。 

 

「なるほど言論の力は理解できました。しかしそれでもなお疑問です。現在、帝国内で反ローエングラム感情を醸成するのは非常に困難ではありませんか。それにそういう感情のうねりを民衆に植え付けれたとしても、ローエングラム公は閣下の仰るかつての大帝のように圧倒的な軍事的武力を有しておりますが」

「反ローエングラム感情を植え付ける必要などないよ。だって、既にあるものなんだから」

 

 生徒の思い込みを窘める教師のような口調で、ゲオルグはそう言った。ゲオルグとシュヴァルツァーの間には年の離れた親子ほどの年齢差があるので、第三者がこの光景を見ていたら教師役と生徒役が逆だろうと思うだろうが、これが彼らにとっては自然な形であった。

 

「三七四〇家――。先の内乱で“賊軍”に参加した貴族の数だ。十分ではないか」

 

 リップシュタット盟約に参加した貴族の数を言い出され、シュヴァルツァーはわけがわからなかった。たしかに彼らならばローエングラム公に対する反感を既に持っているだろう。なにせそれ以前からラインハルトを不逞な成り上がり者と蔑んでいたのだから。

 

 しかし彼らには大きな問題がある。まだ人類が地球上でしか暮らしていなかった時代、二つ超大国による全面核戦争によって人類滅亡の危機に立たされた“一三日戦争”以来、タブーとなっていた有人惑星に対する核兵器による攻撃を実施したという大きな問題が。しかも攻撃対象が敵軍ではなく叛乱を起こした領民に対して行われたものであることもあって、リップシュタット盟約に参加していた貴族というだけで平民は怒りにかられるだろう。

 

「……門閥貴族ども、いえ“賊軍”に参加した罪で、最低でも爵位と財産を没収されているので元貴族というべきでしょうか。しかし彼らがいくらローエングラム公を非難しても、民衆がそれを信じるとは思えませんぞ」

「たしかに。だが貴族は一人で貴族としての体面を保てるわけではない。さぞ口惜しい連中がいるだろうから、そいつらを煽ればいい」 

 

 そこまで言われてシュヴァルツァーはゲオルグが何を意図してそう発言しているかを理解した。たしかに三七四〇家もあるのだ。よしんばそれが全部期待外れであったとしても、それとは別口でラインハルトに対抗して粛清された貴族家もある。どこか都合のいいとこが必ずあるだろう……。

 

「それに二つ目の疑問だが、別に帝国全土に反ローエングラム感情を巻き起こす必要はない。ごく局所的でよいのだ。一惑星規模でもいっこうにかまわんよ。この場合、ローエングラム公が民衆の味方であることを軍の高級将校すら強く望んでいるということ事態が、われわれにとって心強い味方となるからな」

 

 ラインハルトがなぜあれほど部下や民衆から熱狂的に支持されているかというと、内乱においてただ貴族の盟主に過ぎなかったブラウンシュヴァイク公のヴェスターラントにおける蛮行を民衆に見せつけ、それを打倒したラインハルト・フォン・ローエングラムは民衆の守護者であるというイメージを作り出すことに成功しているからだ。

 

 いまのところ自分のイメージをラインハルトは貫き、旧体制における民衆にとっての悪弊を次々に改善していっている。そしてラインハルトの邪魔をしようとするのならば、正面切って敵対するより、そのイメージをぶち壊しにするために手を尽くした方が良い。

 

 自分を非難しているとはいえ、民衆の暴動を武力でもって鎮圧したりすれば、ラインハルトは政治的に厳しい立場におかれる。なにせ旧体制における悪弊の象徴として打倒したブラウンシュヴァイク公との差がわからない所業に手を染めたわけで、そんな矛盾を犯した民衆の守護者をなお、部下や民衆が熱狂的に支持し続けることができるか、実に興味深い命題であろう。

 

「むろん、それだけでローエングラム公を打倒できるとは思えんが、少なくともやつらの陣営を分裂させる要素になることはまず間違いないだろう。そうなれば、ローエングラム公かそれに対抗する勢力に協力し、見返りとして、私が再び権力の座に就くことは不可能ではないだろう」

「は!?」

「……そんなに驚くようなことか。私含めリヒテンラーデ一族はローエングラム公によって処刑宣告された一族だぞ。この状況を覆すにはローエングラム公を失脚させるか、あるいはローエングラム公の口から寛恕の言葉を引き出さねばならんのだぞ?」

 

 そして前者の手段をとる場合、自前の秘密組織の力だけでは勝算がなさすぎる。後者の手段をとろうにも、ローエングラム公に対して取引材料にできそうなものが今のところない。だからまずはそれができるような環境づくりが先決である……そう考えていたのだが、なにか驚かれるようなところがあっただろうかとゲオルグは首を傾げた。

 

「い、いえ。てっきり閣下はローエングラム公を一族の仇と見做していると思っていたのですが、違うので?」

「たしかに一族の仇として恨んでいるし、一泡吹かせてやりたいとも思っているが、それに囚われて選択の余地を減らすようなことはしたくないな」

 

 てっきり一族の仇討ちを目的に、このような秘密組織を築き上げているのだと思い込んでいたシュヴァルツァーはやや呆然とした。だが、もし仇討ちを目的としていないというなら、別の疑問が湧き出してくる。

 

「もしローエングラム公の体制自体にそれほど不満を持っていないなら、そのような作戦を実施する必要があるので? せっかく公式記録上別人になっているわけですから、普通に最初からやり直した方が確実でしょう。閣下の力量なら十分に今の体制でも出世できるでしょうに」

「そうかもしれんが、それでもリヒテンラーデ一族に死刑の判決がでている現実は変わらん。つまりローエングラム公の天下が続く限り、私が尚書まで出世したとしても、素性が白日の下に晒されれば即座に断頭台送りだ。そんな可能性に怯えながら生きていかねばならんのだぞ? それに個人的に公式の場で“リヒテンラーデ”と名乗れないというのは、嫌だ」

「で、では、フェザーンや叛乱軍の領域――いえ、自由惑星同盟とかいう向こう側の銀河にある世界にて再起をはかるというのは」

「たしかにそれなら素性がバレるのを恐れる必要はないし、リヒテンラーデの家名を隠すことなく名乗れるな。だが、その場合、せっかく築き上げたこの秘密組織を捨てるようなものではないか。もったいない」

「もったいない?」

「そう。もったいない」

 

 子どもの駄々のような言葉に、シュヴァルツァーはぽかんと口をあけた。

 

「……それに現実的な問題もある。あの狡猾なフェザーンの自治領主府は、私のフェザーンへの忠誠心を試すとかなんとか理屈をつけてろくでもない謀略の道具に使いそうな危惧がぬぐえん。自由惑星同盟なら帝国と同じくらい広大だから、謀略の道具とされないよう目立たない地方政界から少しずつ勢力を築いていくという手が使えるだろうが……、私は同盟が支配する宇宙空間に対してあまりに無知すぎるし、同盟の民主共和政を好ましく思えたことがほとんどないから、私の手法が同盟で通じるか非常に疑問だ」

 

 側近の反応をどう思ったのか、少しだけ顔をしかめてゲオルグは現実的な問題点をあげた。それはシュヴァルツァーにも理解できる理屈であったが、どっちの方が目の前の人物にとって重要なのだろうかという別の疑問を抱いたが、口には出さなかった。

 

 気まずい沈黙が室内を包んだ。一分ほど経過した後、ゲオルグが軽く咳払いした。

 

「他になにか疑問はあるか?」

「この会社で閣下の正体を知っている者は何人いるのですか」

「私のことを完璧に知ってるのは社長とその監視を任せてるクリス・オットーだけだ。幹部クラスと使えそうな警部部門の幾人かは私が元警察高官で、私が会社の弱みを握っていることを知ってはいても、素性までは知らん」

「聞いたことがない名前ですが、オットーとは何者です?」

「ああ。なかなか奇妙な経歴を持ってる軍の元少佐でな。ローエングラム公がまだミューゼル少将だった時から、彼の指揮下の艦隊に所属する軍艦で艦艇士官をしていたそうだ。オットーから得たラインハルト艦隊の気風は、とても良い情報となったよ」

「……それって危険ではありませんか」

 

 ラインハルト艦隊に所属していた軍人。それに上司の素性が知られているのは常識的に考えてかなりまずいであろう。そうシュヴァルツァーは思ったのだが、とうの上司は「無用の心配だ」と信頼できる側近の懸念を笑い飛ばす。

 

「そうだ。面白いからオットー元少佐を信頼できる理由を明かす前に、彼の客観的な経歴を語っておこうか。四七五年に士官学校を卒業してから約十年間、出身身分や士官学校の席次のせいで出世ができず不遇をかこっていた。四八五年なかば頃にラインハルト指揮下の艦隊に配属され、その能力を適正に評価され、四八七年の辺境を占領した叛乱軍撃退作戦終了時で少佐にまで出世している。同年一一月に正規軍を脱走。ある貴族の私設軍に所属し、内乱には門閥貴族側の賊軍として参加。内乱終結後も軍に戻らず、この会社に新設された警備部門に志願。どうだ、奇妙な経歴だろ?」

 

 たしか随分と奇妙な経歴だ。ラインハルトの下で出世していながら、なぜ内乱の時に門閥貴族側で参加しているのか。門閥貴族の領地の出身者で、家族が人質にでもとられたのだろうかとシュヴァルツァーは予想した。

 

「なにか予想したみたいだが、たぶん外れていると思うぞ。なぜオットーがそのような経歴を歩むことになったかというとだな――」

 

 具体的なストーリーを交えた解説に、シュヴァルツァーは最初は警戒心も露わに聞いていたが、四八七年の話題に入ったあたりでオットーの境遇に同情しはじめ、内乱時の話はあまりにも救いがなさ過ぎて思わず手で目を覆ってしまった。

 

「なんといいますか、悲劇的ですな」

「たしかにな。運命の女神に派手に嫌われるようなことでもしたのかと問いただしたくなるくらい、ついてない。だが、それだけにオットーのローエングラム公への憎悪は疑いない。これからおまえと協力することもあるだろうから、そのあたりの事情には触れないでやってくれ」

「了解しました」

 

 シュヴァルツァーは深く頷いた。言われなくても地雷が埋まっているとわかり切っている場所に足を踏み出すような愚挙を犯すつもりはない。

 

「さて疑問にはだいたい答えたな。これからの予定を話しておくとしよう。おまえは私の元同僚という形で警備部門の幹部として入社してもらう。既にフェルディナントと社員に対して名乗っているから、書類上はフェルディナント・シュヴァルツァーとしよう。そして会社を支配する術を覚えてもらう。おまえなら二週間から三週間もあれば十分に身に着けるだろう。それが完璧になったと判断でき次第、この会社をおまえに任せ、私は出張という形で会社を留守にし、いくつか目をつけている相手と接触し、世論操作工作を行う」

「閣下自ら赴かれるのですか。危険ではないでしょうか」

「危険だが、ちゃんとした身分証明書を持ってる私の方が、おまえより捕まる可能性は低いだろう」

 

 公式記録上、もはや完全に別人と化している人物の言葉だけあって、説得力が凄まじかった。

 

「そうだ。それで思い出したんだが、この社内からあまり出るなよ?」

「……? なぜです」

「ここの警察支部は、辺境に飛ばすにはちょっと身分が高くて、面倒事が発生しそうだった警察官僚の左遷先にしてたから、おまえの顔を覚えているやつが絶対にいるからだ」

 

 これもゲオルグによる仕込みのひとつである。まさか敵対していた警察高官を左遷させた支部の管轄下に潜伏しているわけがあるまいという追っ手側の心理を裏を掻くために、グミュント星系警察支部を左遷先のひとつとしていた。なのでゲオルグと局長の椅子を争ったハルテンベルク伯に忠誠を誓っていた者達も多数ここに飛ばされている。

 

「この会社に生活スペースを用意させるから、今日からここで暮らせ。あー、それと……」

 

 流石に面と向かって言いにくいことであったので、思わず言葉をとぎらせた。シュヴァルツァーの怪訝な視線を感じながら、ゲオルグは視線をさ迷わせたあと、決心して一気に言い切った。

 

「一階にシャワー室があるから、シャワーを浴びてこい。臭すぎる」

 

 上司の心無い言葉に、シュヴァルツァーは憮然とした顔をした。




とりあえず、これでプロローグは終了です。

最初の話の前書きにも書きましたが、プロット未完成で見切り発車してしまったので、次の更新だいぶ遅くなると思います。

一応、活動報告の方に意見書いてくれると嬉しいです。


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帝国のジャーナリズム

まだプロットが原作5巻くらいまでしか決まってないけど、とりあえずモチベ上げのために話の作成と平行作業で進めることにした。
意見についてはまだまだ受け付けますのでよろしかったら、活動報告覗いてください。


 ゲオルグがシュヴァルツァーの会社支配術に及第点を与え、グリュックスの会社の管理を任せてオデッサから旅立ったのは二月末のことであるが、その頃から実施していたのは草の根運動くらいで、大規模な謀略の糸を張り巡らすことをしなかった。その前に自分の秘密組織の強化の必要性を感じていたからである。

 

 彼の秘密組織は、本拠地となっている会社を除いて警察時代に秘密裏に築き上げた独自の情報網が元になっているのだが、リヒテンラーデ一族粛正とそれに伴う余波で、実に九割以上が役立たずとなっており、はっきり言うと半壊どころの騒ぎではなかった。

 

 情報網がほぼ壊滅してることについて、ゲオルグはそれほど落ち込んでいなかった。不測の事態にあって指導者の力量なしで、組織自体に生命力を求めるには組織の基盤がしっかり固めておく必要があり、そのための時間がわずか数年というのは短すぎたと思っていたからで、むしろ一割弱とはいえ生き残っている部分があることに幸運を感じているほどであった。

 

 そんなことになっていた秘密組織の強化――九割以上がつぶれていることを考慮すると、再建という方が適切かもしれないが――に全力を傾けた。幸いにして新しい情報源及び工作員についてはある程度当てがあったし、諸惑星を巡っている間に改革政策で失業した使える顔見知りと出会うこともあったので、秘密組織の再建は順調に進んだ。

 

 そして組織の再建が一段落つき、ゲオルグが本格的に謀略の糸を伸ばそうとし始めた頃には四月もなかばに突入してしまっていた。

 

「そうだ。その通り。今後重要になって来る物資は間違いなくそれだ。可能な限り仕入れておけ。ヒルデスハイムのエネルギー会社? あそこはもう後がないからな。ひたすら高圧的に接するだけで有利な契約が結べるさ」

 

 ある星系の豊かな惑星ブルヴィッツにある宇宙港の公衆恒星間通信電話で、ゲオルグはシュヴァルツァーに指示を出していた。各地の宇宙港に降り立つ度こうして電話を入れており、本拠地の会社の方針や問題が発生していないかを注意深く確認し、シュヴァルツァーの手に余るようなことがあれば、このように指示を出していた。

 

「……例の人物から返事はきてないか? まだ……か。うん? いや、まだ脅迫を実行に移すのは早計だ。大方、新体制の為の仕事で忙しいのであろう。いま少し彼に時間を与えておいてやるべきだ」

 

 秘密組織は多重階層型の組織であり、上位の者は自分より下の者のことをよく知っているが、よほど上位の者でない限り、自分より上にいる者は連絡の取り方くらいしか知らないという構造をしている。こうした組織構造のおかげで九割以上が役目を放棄した今でも、その首領がゲオルグ・フォン・リヒテンラーデであることを体制側が掴むことは事実上不可能であった。

 

 ただその構造の弊害で、大きな命令は惑星オデッサのある場所からしか飛ばせないことになっている。だからゲオルグは秘密組織の人員に対してさえ、かなり上位の者として偽ることを余儀なくされていた。おまけに自身がオデッサにいない以上、中継役が必要不可欠であり、こうして連絡を取り合う必要があった。

 

「なに? なるほど。悪戯かなにかと判断されている可能性もあるな。よし許可する。なんなら私の名前をだしてもかまわんが、くれぐれも彼以外の手にそれが渡らないように注意するのだぞ。われわれにとってはどうってことないが、彼にとってはまわりに知られたら大問題だからな」

 

 シュヴァルツァーの懸念に一理あると感じたゲオルグはその行動を認め、いくらか実務的な話をした後、受話器を置いた。今のゲオルグの装いはワイシャツからジャケット、ネクタイまでダーググレーで統一したスーツ姿という、どこか陰を感じさせる服装であり、中性的な顔だちもあって、ある種の異様な雰囲気を醸し出しており、少し周囲の注目を集めていた。

 

 素性が官憲に知られれば、ゲオルグは絶体絶命の窮地に立たされるはずであったが、そんなことを気にしてないのではないかというほど緊張しておらず、自然体であった。時には道を尋ねるために、自ら官憲に近づくことすらよくあるという無警戒ぶりである。

 

 ゲオルグとしては完璧に変装をしているし、ゲオルグ・ディレル・カッセルというどこにも問題がない身分証明証も持っている以上、下手に隠れようとすれば逆に怪しまれることになるだけだろうと思っての大胆さなのだが、だからといって、ここまで割り切れるのは普通の人間には不可能ではないにしても凡人には困難なことであろう。

 

 なので官憲を含めた周囲の人間はゲオルグを裕福な富裕層の人間だと思うことはあっても、彼が名門貴族の出であるとは夢にも思わないのである。それどころかゲオルグがリヒテンラーデの孫で、旧体制では警視総監と内務次官を兼任していた高官であるという正体を告げられても、信じずにできの悪い冗談扱いするに違いなかった。官憲たちが持っているリヒテンラーデの孫の情報とゲオルグが重なる要素など、年齢くらいしか見いだせないのであったのだから。

 

 宇宙港からしばらく歩いたところにあるホテルに入った。部屋はすでに会社名義で予約していたので、社員証を見せてチェックインをすませた。部屋に上がり、時計を見て予定までまだ時間があることを確認し、シャワーで汗を流し、鏡を見ながら髪の毛を染めなおし、顎髭と口髭をつけてゲオルグ・ディレル・カッセルとは違う姿に変わった。鏡を見ておかしいところがないか確認したのち、時計のタイマーを合わせて、宇宙港で購入した地方紙新聞「バオンス」を読み始めた。

 

 一面は帝国の現皇帝エルウィン・ヨーゼフ二世に関する記事であった。要約すると、皇帝陛下にあらせられては、あまり表に出てくることが少ないことに疑問を呈すものであったが、ゴールデンバウム王朝を信じる者ではない限り、七歳の子どもにいったいなにを望んでいるのだと思う読者が大半であろう。

 

 もとよりエルウィン・ヨーゼフ二世は、当時の国務尚書リヒテンラーデ侯が権力を守るために手を組んだローエングラム元帥が保持する武力でブラウンシュヴァイク公やリッテンハイム侯といった大貴族どもを牽制し、地位相続は直系男子相続優先という伝統と前例を建前に、官僚組織をフル活用した力業で即位させた傀儡に過ぎない。それは即位した当時から帝国全土で周知の事実であるはずだった。

 

 紙面を捲って他の記事も流し読みする。「忠節団」「戦友会」「アウズ」なる組織の発表や動向、この星系を治めていたブルヴィッツ伯爵家に変わって、オーディンから新たに派遣されてきた総督とそれに仕える官吏たちへの微妙な評価に、景気停滞を取り扱った記事、横暴な官吏への控えめな批判記事、そして帝国宰相として進歩的な改革を主導するラインハルト・フォン・ローエングラム公爵に対する中身のない絶賛記事が続く。

 

 中身のない絶賛記事は、少し前まで国営新聞社発行の新聞に書かれていた先帝フリードリヒ四世への絶賛記事にどことなく似ていた。もしかすると国営新聞社が用いた手法を流用しているのかもしれない。フリードリヒ四世は国政にほとんど関与しなかったので、皇帝崇拝のプロパガンダを使命としている国営新聞社は、その使命を果たすべく、どうでもいいようなことをいかにも凄いことであるかのように見せかける記者の文章構成力の育成に苦慮し、その対策として即位から数年後にその手法をまとめた教本(マニュアル)を生み出した。それが宮廷内ではまことしやかに噂されていたのである……。

 

 このバオンス新聞社が、その教本(マニュアル)を入手して利用しているかどうかはともかく、これはあるひとつの事実を浮き彫りにしている。フリードリヒ四世は趣味である薔薇の世話と漁色を除けば、本当に特筆すべきものがないので空虚な賛辞で絶賛するしかないのは仕方のない部分がある。しかしラインハルトは実に話題性に富んでいる人物である。つまりこの絶賛記事はバオンス新聞社が意図的にやっているのでなければ、この空虚さの説明がつかない。

 

 ゲオルグはなにを意図してのことであるか理解し、前情報通りであることを確認して笑みをこぼした。もとよりここに自分の望む土壌が存在するという情報を確信していたが、それを証明する現物を目にし、次の交渉における自分の成功が確定したのだ。

 

 政治に関係ないスポーツ面や娯楽面も読んで時間をつぶしているうちに、時計のアラームが鳴った。ゲオルグは春に着るには少々厚いコートを羽織り、山高帽子をかぶってホテルを出た。そしてタクシーを拾って運転手にこの惑星では有名なオペラ・ハウスの名を告げた。

 

 タクシーで直接オペラ・ハウスに乗りつけると運転手に代金を払い、オペラ・ハウスの中へと入った。開祖ルドルフの時代からあるオーディンのオペラ・ハウスほどではないが、高級感あふれるが下品ではない内装に軽く感心した後、紳士的な態度で受付の男にボックス席を予約していたと告げ、持っている身分証明書の名前とも違う偽名を告げた。

 

「しばしお待ちください」

 

 そう言って備え付けらえている電子機械を操作して予約があるか確認する。画面上に浮かび上がってきた情報に目を通し、受付の男は軽く目を見張った。

 

「警部補であられるのですか。その、ずいぶんとお若いですね」

 

 疑わしそうにゲオルグの姿を見ながらそう呟く。受付の男には、どれだけ年齢を高く見積もっても三〇歳くらいにしか思えない人物が、警部補というのはどうにも信じがたい。貴族であるならば理解できるが、ゲオルグが告げた名前には貴族であることを示す“VON”の三文字がなかった。

 

「ええ。一般大学を卒業した後、帝国文官試験に合格して警察官として採用されましてね」

 

 苦笑しながら平然と嘘を吐くゲオルグ。受付には目の前の無精ひげを生やした知性をあまり感じさせない容姿をした男が、難関の文官試験に合格しているなど信じがたいことであったが、そうであるなら理解できた。文官試験に合格して警察に採用されたなら、警部補からスタートである。士官学校卒業生が自動的に少尉に任官されるのと同じだ。

 

 特に疑うべき要素もないのでゲオルグの嘘の経歴を信じることにした受付の男は、電子機器の画面に映っている情報を見て次の疑問を口に出した。

 

「予約では二人となっておりますが、お相手は?」

「ああ。彼なら仕事の都合で三〇分ほど遅れてくることになっておりまして」

「わかりました。お相手の方がおいでになられれば、ボックス席に案内させていただきます。オペラ観賞ははじめてですか? もしよろしければ説明役をお付けいたしますが」

「いいです。実は私、かなりのオペラ好きでしてね。ここで観賞するのは初めてですが、他の劇場で何度もオペラ観賞をしているのですよ」

「ほほう。それはそれは……」

 

 これは受付の男も簡単に信じることができた。ゲオルグの両目に期待と歓喜の感情を見出したからであった。実際、ゲオルグはオペラに限らず芸術観賞が好きであった。他にも読書や舞踏や狩猟も好きであり、この点は実に貴族らしい趣味の持ち主と言えた。

 

 受付にボックス席のナンバーを告げられ、その部屋に入った。ボックス席には会場側の壁が一面くりぬきになっており、そこに向いた椅子が二席ある。その椅子のひとつにゲオルグは腰を下ろし、劇がはじまると海上を見下ろし始めた。

 

 今回の演劇は西暦時代からある物語、“ニーベルングの指環”の第一部“ラインの黄金”である。醜く浅ましいアルベリヒが美しい妖精たちに求愛するが、相手にされずに嘲弄される。しかし妖精がその時うっかり、指輪にすれば無限の力を得て世界を自分のものにすることができるラインの黄金の存在を漏らしてしまう。その黄金は愛を拒め、情欲を押し殺すことのみが手に入れることができるという。しかし妖精たちに欲情していたアルべリヒはそれが隠されているというライン川の底から、その黄金を見つけだして妖精たちから盗み出してしまうのだ。

 

 それ以降、ラインの黄金で作られた指輪はこれから起こる騒動の末、アルべリヒの手元から奪われてしまうのだが、世界を支配する力を失って以降も身に着けた政治力を駆使して地下世界の王者たり続けるのが、なんとも面白い。しかも指輪を奪われる寸前に、第二の自分が現れないように指輪にろくでもない呪いをかける徹底ぶりである。この抜け目のなさは現実の政治家にも通じるところがあるとゲオルグは思う。

 

 ちょうどアルべリヒと狡猾な火の神ローゲが、指輪を巡って意地の張り合いと騙しあいを繰り広げているあたりで待ち人がやってきた。きれいに七三分けされているくすんだ栗色の髪と活力に満ち溢れた瞳が特徴的な、四〇歳前後の重役ビジネスマンのような印象を与える姿の男を見て、ゲオルグは頷くと手で席を勧めた。

 

 その男は勧められた椅子に腰を下ろし、訝しげな声で問う。

 

「ずいぶんとお若いですね。ブラント警部の友人というから、もっと高齢の方かと」

「それは嘘だからですよ。シラーさん」

「……なに?」

 

 いきなりとんでもないことを言われ、疑惑の目を向けるシラー。

 

「でもブラント警部があなたに言った通り、私は特ダネを掴んでいます。じつのところ、これを発表したいんだけど、メディア会社に伝手がなくてね。ちょっと仕事で縁があったブラント警部の力を借りたんですよ」

 

 その言葉に全面的ではないが、ある程度は得心がいった。シラーはベテランのジャーナリストであり、この星系規模に放送権を持つ地方立体TV放送会社の放送部長を務めている。また記者としての能力にも優れ、いくつかの雑誌で不定期に記事を寄稿していたりもする。そんな彼にとってブラント警部は素晴らしい情報源であった。ブラントはこのあたりを管轄する警察支部に所属する一線級の警部であり、発生した事件や事故の裏事情をよく教えてくれ、それをネタにシラーが自分の記事や番組を作るといったことで稼いできたのだ。

 

 だから目の前の警部補が面白いネタを持っていると言うのなら、ブラント警部が自分に会わせようとするのはなにもおかしくはない。ただブラントとは長い付き合いである。なぜ友人などと嘘を自分につく必要性があったのだという疑問をシラーは消せなかった。

 

「それでこれがその特ダネなんですが、どうです?」

 

 ゲオルグはスーツケースから、ひとつのファイルを取り出して差し出した。そのファイルを取り、中には数十枚の資料が挟まれている。一枚目の資料を見るとシラーは視線を凍結させた。あまりにも衝撃が深すぎて脳が認識を拒否しているようであった。衝撃が立ち直ると食い入るように資料を読み始める。演劇中なこともあってボックス席は暗かったが、シラーはまったく気にならないほど集中していた。

 

 すべてを読み終え、シラーは深く息を吐き出した。そして疲れたような声を発した。

 

「これをいったいどこで?」

「私が所属する支部が管轄する惑星にて、ある重犯罪が発生しましてね。私が率いた警官隊によって犯人を逮捕したのだが、彼の自宅にあった私物の中にあったのだ。犯人の自供によると彼は元軍務省の官僚で、先の内乱のゴタゴタ中に軍務省の記録の一部を抜き取っていたらしい。むろん、所持していた本物の方は軍務省に送り返してしまいましたが、ネタになると思って私がこっそり複写したのです。どうです?」

「たしかに、特ダネではあるが……」

 

 嘘八百な入手経緯を述べているゲオルグが差し出したのは、軍人ラインハルトに対する評価記録だった。ほとんどが上官によって評価されてたもので、生意気、反抗的、協調性に難あり、自分が恵まれてることに自覚がない、寵姫の弟であることを良いことに傲慢な態度をとる、などといった非好意的評価が乱舞している。特に性格面で非好意的ではない評価の資料は全体の二パーセントあるかないかくらいである。

 

 現帝国宰相にして帝国軍総司令官、時の人であるラインハルト・フォン・ローエングラム元帥の軍事記録。たしかに、たしかに特ダネである。特ダネではあるのだが……。そうシラーは頭の中で繰り返し唱えた。

 

「私としてはこれをネタにぜひあなたがたの会社で放送してほしいのですが」

「正気か貴様!?」

 

 ゲオルグの言葉に、シラーは反射的に叫んだ。

 

「正気ですとも。でなければこんな資料をあなたに見せる理由がありません」

「権力者を貶す報道をしろと? ジャーナリズムの世界を何も知らないのだな」

 

 あきれかえったような態度で馬鹿にするシラー。権力者を非難することができるのは、その人物が権力を失った時のみ。これは帝国のジャーナリストにとって不変の真理である。同盟やフェザーンの批判精神旺盛なジャーナリストには理解しがたいことかもしれないが、言論の自由がない帝国では、権力者や体制の批判をしたりするだけで比喩ではなく治安当局によって首が飛ばされるかもしれないのだ。いわんや帝国宰相への中傷報道を行うなど、帝国のジャーナリストにとっては“()()()()()”と同義語だ。

 

 しかもこれは体質の問題と化してしまっており、ラインハルトが言論の自由に肯定的でも、すぐ改善されるたぐいのものではなかった。五世紀に渡る言論の不自由によって、記録が残ってしまう発表は須らく体制に追従するものでなくてはならないという法則が、ジャーナリストの精神に築かれてしまっているのだ。ゴールデンバウム王朝中興の祖であり、開明的な名君であった“晴眼帝”マクシミリアン・ヨーゼフ二世の時代でも、即位から五年ほどしてようやく権力者に対する“苦言”――批判というには迂遠すぎる言い回しだったので苦言――を用いた報道がおこなわれるようになった程度に過ぎない。それほど帝国のジャーナリズムの体質問題は根深いのだ。

 

「むろんジャーナリズムの世界は、私も少なからず存じておりますとも。だからこそ不思議でたまらない」

「なにが?」

「あなたが所属する放送会社が、ローエングラム公に対してきわめて形式的な賛美報道をするばかりで、彼の業績をほとんど取り上げないことがですよ。いやあなたの会社に限らず、この星系にあるほとんどのメディアが取り上げていないようですが。すいぶんと奇妙なことですねぇ」

「……」

 

 形式的すぎる賛美放送。それは本当に賛美できる要素が皆無である場合に用いられるが、じつはもうひとつ別の時に使うことがあった。賛美対象のやってることを認めたくないという時である。むろん帝国政府から圧力がかかれば、すみやかに改善(改悪?)しなければ処罰の対象になりかねないことであったのだが、その程度のささやかすぎる報道の自由が、帝国のジャーナリズムの限界であった。

 

「あとこれは確定情報ではないのですが、噂によるとあなたとも関係が深いこの星の有力者が、ブルヴィッツ侯爵の忘れ形見を養っておられるとか」

 

 その指摘に、シラーは目を閉ざし、椅子にもたれかかった。そしてなにかがきしむ音がゲオルグの耳をとらえた。音の発生源はシラーが座っている椅子の肘掛けだった。強い力で握りしめ、きしんでいるのだ。シラーは先ほどとはうって変わった、恐ろしいほど粘着質な怨念を感じる調子で口を開いた。

 

「この星の民が、ローエングラム公を、“金髪の孺子”を心から賞賛するなどありえぬことだ。慈悲深い領主であった侯爵様を殺し、われわれがその領民であることを誇りとしていた栄光ある家門を辱め、傲慢にもわれわれから搾取している。そんなクソガキを称賛するわけがないだろう」

 

 ブルヴィッツ侯爵家は四世紀近い歴史を持つ貴族家であるが。それほど優れた方法で領地を統治していたわけではなかった。しかし先祖代々受け継いできた所有物を大切に守っていこうという精神の持ち主が一族にとても多く、その大切にする所有物の範囲には領民も含まれていたために、領民から過剰な搾取を行うこともなく、理不尽な弾圧を行ったりもしなかった。それどころかやむにやまれぬ事情で貧困に陥ってる領民がいれば、ブルヴィッツ家の財産を使って救済したりすることがままあるという、ゴールデンバウム王朝末期としては、かなり良識的な貴族家だった。

 

 もっとも、これは視野をブルヴィッツ侯爵家が代々納めてきた領地のみに限った場合の話であって、視野を広げるとまた別の見解がある。なぜなら彼らは先祖から受け継いできたものを大切にする精神はあっても、それ以外を大切にする心が欠けていて、領地から一歩出ると他の大貴族と大して変わらない傲慢さを発揮していたからである。たとえば政略結婚や他の貴族との政治抗争によって得た財産などは凄まじい勢いで収奪したし、新しく獲得した領地に住む領民を酷使することはためらわなかった。なので大きい視点で見れば、腐敗した大貴族の誹りをまぬがれないだろう。

 

 だがブルヴィッツ家の領地でずっと暮らしてきた者達からすれば、そんなこと知ったことではない。自分たちを庇護してくれた偉大な領主は自領の自治権を守るため、リップシュタット盟約に参加していた。その咎で領主は処刑され、プルヴィッツ家の財産はすべて没収された。おまけに()()()()()とやらのせいで、いままで領主の温情によって税率がかなり低かった惑星ブルヴィッツの景気は、税率の急上昇によってとても悪くなった。ブルヴィッツ家の莫大な財産を背景に実施されていた貧困の者に対する援助も、そんなに多額の援助を貧困な全帝国臣民に行っていたら、早晩国庫が枯渇するとかいう理屈で縮小された。自分たちの生活は明らかに悪くなっているのに、ラインハルトを帝国の救世主のように思うことなど、プルヴィッツの領民たちにはできるわけがなかった。

 

 これまでとはまったく異なる新しい秩序や価値観を劇的に創造しようとする者たちは、その劇的な変化の対価を莫大な流血行為で贖わなければならなくなることがほとんどだ。それは歴史が証明している。古代地球におけるイギリスの清教徒革命、アメリカの独立革命、フランスの市民革命、ロシアの共産主義革命、ドイツの国家社会主義革命、チャイナの文化大革命。脱地球的世界の構築しようと試みたラグラン・グループの独立革命や銀河連邦の腐敗した民主制を打倒したルドルフ・フォン・ゴールデンバウム率いる国家革新同盟の革命。規模の差はあれど、これらの革命が、旧い価値感を持っている相手というだけで彼らを憎悪して攻撃的姿勢を取り、彼らからも憎悪されたことか。

 

 そしてラインハルトと開明派官僚グループによる劇的な改革も、その前例に沿うものであるということをゲオルグは見抜いていた。だからそうした憎悪を持っている者達を謀略の道具として利用できると考え、そういった環境が整っている場所を脳裏にリストアップしている。当然、若すぎる帝国宰相殿とその臣下たちも警戒していることだろうが、開明的姿勢を大きく示すことによって人気集めに励んでいる連中が、民衆を徹底的に監視したりして民衆の反感を買うようなことをできるわけがなく、監視は旧体制時よりはるかに大雑把なものであるのはほぼ確実である。そうである以上、公式な平民身分を持つゲオルグは、いくらでも自由に動ける自信があった。

 

 もっともそれがいつまで続くかはわからなかった。というのもゲオルグは、ラインハルト・フォン・ローエングラムという若者の覇者を、ルドルフ・フォン・ゴールデンバウムの衣鉢を継ぐ人物と考えていたから、いつまでも開明的な政策を実施し続けるとは、まったく考えていなかったのである。だからこそ栄養源を失って枯れた黄金樹を蹴り倒し、ローエングラム王朝を築き上げて十年前後すれば、大量の流血によって国家の基盤を固めようとするにちがいないと推測していた。この推測をラインハルトやその幕僚たちが知れば、全員が目の色を変えて激怒するであろう。しかし客観的に見た場合、ゲオルグの推測が正しいかどうかは未来を知って初めて答えを出せる類のものであったので、一概に間違っているとも断言はできないのだが。

 

「ならばよいではないか。お渡しした資料をもとに、新無憂宮(ノイエ・サンスーシ)にて政務に励んでおられれる、親愛なる宰相閣下の特集を組んで放送すればいい。なにをためらうのか」

「だがそれでは、我が社が権力で潰されて終わるだけではないか」

「たしかにその可能性は否定できません。ならば事前に入念な準備を整えておけばよいのです」

「……詳しく聞こう」

 

 四〇分ほどかけて、ゲオルグはいくつかの対抗策を提案した。策というものは実施するのは大変だが、大まかな立案だけであれば頭脳運動を行うだけでたいしたコストがかからないし、自分は提案するだけで実施者になるつもりは皆無なので、官憲の目など気にして秘匿性を考える必要もない。よってやたらと大胆な対抗策を提案することができた。

 

 示された有効的な提案の数々をシラーは深く理解すると同時に、ある確信を抱かせた。目の前の男は警部補なんてちゃっちな存在では断じてない。もっととんでもない大物であると。ベテランのジャーナリストとして研ぎ澄まされたある種の感性が、目の前の人物が考え出した策であると察知したのである。

 

「あなたは何者だ? なにをしようとしている?」

「なにをわけのわからないことを仰るか。私はたいした人間ではない。ただ古き良き時代が汚されてしまうのを許容できない者達の一人に過ぎぬ」

 

 そう言ってゲオルグが微笑んだちょうどその時、劇場では内乱に陥った愚かな巨人たちの光景が演出されていた。“ラインの黄金”に対する誘惑が巨人たちは、同族同士で相争い、やがて絶滅してしまうのである。それで舞台の幕が降り、ゲオルグは一礼するとボックス席から姿を消した。シラーはこの場で交わした会話を思い返し、現実感のなさにいまさらながら体が震え、しばらく椅子に座り続けた。




プルヴィッツは地球時代の某島国の紳士的手法で獲得した新領地や富を収奪し、他の貴族家(現地の有力者)を介して新領地の民を奴隷のごとく酷使して利益を生み出し、先祖代々受け継いできた領地に住む領民に対して低税率高福祉を実施してたと考えると、理解しやすいかと。

あと、たぶん次話は原作キャラを出せると思います。


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廃墟と残骸の怨念

 ゲオルグがプルヴィッツから旅立った頃、銀河帝国の首都星オーディンから約八〇〇光年離れた辺境星域に存在する、太陽系第三惑星地球でひとつの動きがあった。人類発祥の地にしてかつての超大国であったが、現在ではほとんどの人の記憶から忘れ去られてしまっている惑星である。宗主国時代の横暴さによってラグラン・グループ率いる植民星連合軍によって完膚なきまでに破壊され、ラグラン・グループの最後の生き残りであったタウンゼントの死によって脱地球的新秩序が崩壊し、九〇年に渡る戦乱と混沌の時代の末、悪役としての存在感すら失ってしまったのである。どれほどかというと銀河連邦時代初期の頃に自治権を認める議決が議会でされたという程度の記録しか残っておらず、銀河帝国の創始者ルドルフにいたっては地球という辺境の惑星が、まだ人類社会を構成する一要素として存在していることを理解していたか不明といったありさま。それほどまで人類の歴史における存在感を失ってしまっていた。

 

 しかしながら地球教団とよばれる宗教団体がこの母なる惑星を信仰対象として扱い、地球教の信者たちの精神世界では“聖地”としていまだ光り輝く惑星として他を圧倒する存在感を放っていた。その地球教の総本山は母なる星のヒマラヤ山脈のカンチェンジュンガ山の地下に置かれ、そこに強大な神殿が築かれているが、妙に武骨なつくりをしているのだなと初めて巡礼に来た地球教徒には不思議がられたりもする。

 

 それもそのはずである。元々は地球統一政府が、シリウス戦役の際に植民星出身者からなる軍事組織BBFとの戦いを指揮する為の軍事施設――もっとも当時の地球統一政府の高官は腐敗しきっており、施設のすぐ外で凄惨な戦闘が繰り広げられていても、女や酒にうつつを抜かしてろくな指揮をとることがなかったので、高官専用の避難施設といったほうが正確であるかもしれないが――である核シェルターであり、地球教団はそれを神殿として改装し、利用しているのに過ぎないのである。

 

 そんな暗い神殿の一室で黒い僧服を身に纏った地球教の最高権力者である総大主教(グランド・ビショップ)が、弱々しく跪く一人の信徒の肩に手を置き、地球教の聖句を唱えていた。信徒は教団内において高い地位にあるわけではなく、一介の信徒に過ぎないのだが、普通の信徒が総大主教にこのような待遇をされるのは極めて異例であった。一般の信徒にとって、総大主教は一生の中で一度御尊顔を拝せることができるか否か、それほどまでに遠い存在なのである。そんな遠い存在である総大主教直々に身を清められるという栄誉に、信徒は感涙していた。

 

「敬虔なる信徒イザーク。汝の知るところを私に教えよ。さすれば母なる地球の加護が与えられるであろう」

「おお、総大主教猊下……」

 

 このような待遇をされる理由は、この信徒の信仰心や教団における貢献ではなく、世俗面における地位にあった。信徒の名はイザーク・フォン・ヴェッセルといい、かつて警察総局で官房長を務めた警視監であり、ゲオルグ・フォン・リヒテンラーデの五人の側近の中の一人であった。

 

 ある有力な門閥貴族家の次男坊として生まれたヴェッセルは、幼いころから懲悪勧善的な詩劇に嵌っていた影響で自身の正義感を育て、法を乱す悪人どもを退治したいという強い思いから自ら望んで警察官となった。彼は職務に精励し、犯罪の容疑者を幾人か検挙する功績もたてたが、ゴールデンバウム王朝末期の時代というのは、権力者が法律を捻じ曲げて自分たちの思惑を押し通すのが常態化していた時代であって、まともな警察であれば重宝されてしかるべきヴェッセルの情熱は、警察上層部に疎ましがられた。

 

 ある日、ヴェッセルは殺人の現行犯である青年を逮捕した。その青年は有力な門閥貴族の一員であり、殺したのも帝都オーディンの景観を損なう小汚い平民だから見逃せと主張したのだが、ヴェッセルは法律を破った罪悪感というものをまったく感じない犯罪者に嫌悪感を抱き、力ずくで黙らせて独房に放り込んだ。それに慌てたのはヴェッセルの直属の上司である。貧困層の平民を一人殺したという()()()()()()()()で力のある門閥貴族と敵対するなどバカげているにもほどがあると思ったのだ。彼は当時の警視総監に事情を報告し、司法省の有力者に軽い刑罰ですませるよう根回ししてほしいと頼み、自身は犯人の親である門閥貴族の当主の怒りをなんとかなだめて妥協を引きずり出した。

 

 その結果、犯人が最初から殺すつもりで殺人を犯したという証拠が大量にあったにも関わらず、警察の捜査資料はかなりいい加減なものに改竄され、法廷においては警視総監に説得された裁判官たちによって“被害者の方に自殺願望と体制への反抗心があり、刃物が持っていた被告に自ら突っ込んできて、貴族の権威に泥を塗ろうとした姑息な策謀”とみなされ、殺人犯は刃物をむき出しで持ち歩いていた不用心ぶりのみを咎められたのみで、その罰として一週間の服役刑に処されただけだった。

 

 これだけでも充分に悲劇なのだが、もっと後味の悪い後日譚がある。服役を終えた殺人犯は自分が仮にも犯罪者として扱われたことを理不尽に思い、父親の権力を使って被害者の遺族に対する八つ当たりに走ったのだ。法廷における「被害者には貴族への反抗心があった」という判決文を利用し、遺族も体制への反抗心を持つ思想犯であるとして告発した。社会秩序維持局はその告発に従い、被害者の遺族を政治犯収容所に送り込んでしまったのだ。

 

 ヴェッセル本人もただではすまなかった。また面倒事を起こされてはたまらないという警察上層部の判断により、捜査記録の管理をするだけの閑職に左遷させられ、社交界で肩身が狭くなった実家からは勘当されてしまった。だがこれでもヴェッセル自身もそれなりに有力な門閥貴族の一員であることを考慮した、かなり温情に満ちた処置であったといえた。もし彼が平民や普通の貴族の出であったなら辺境の支部に左遷されていただろうし、ひどい場合は被害者の遺族と同じようになんらかの罪を着せられて収容所送りになっていたであろうから。

 

 しかしこの一件は、ヴェッセルの矜持を強く傷つけた。自分は正しいことをやったはずなのにこの結果はなんなのだと激しく憤った。それでも閑職の仕事にも文句を言うことなく精励していたが、自分のやっていることに何か意味があるのだろうかという悩みが心の中でどんどんと大きくなってくるのは、どうしようもなかった。もしこの状況が続いていれば、ヴェッセルも圧倒的多数の門閥貴族同様に法というものをあまり重視しないようになったか、あるいは体制への反感のあまり反体制派に身を投じることになったかもしれない。

 

 だがその悩みはある日に出会ったある人物との会話によって解消されてしまったので、そうはならなかった。その日はとても良い天気だったので、帝都の公園まで足を運び、ベンチに腰を下ろして深いため息を吐き、今後の身の振り方について深い思考に耽っていた。

 

「なにかお悩みですかな」

 

 そんな時だった。奇妙な老人が話しかけてきたのは。ヴェッセルが胡乱気な目で老人を見つめかえした。清貧というより、みすぼらしいという印象を与える老人を物珍しく思った後、名を尋ねた。

 

「これは失礼しました。地球教団オーディン支部長のゴドウィン大主教と申します。わたくしでよければ、相談にのりますぞ。信徒ではないとはいえ、人は皆、母なる地球の子ですからな。その子らが迷っているなら助けてあげるのが我らの使命です」

 

 ヴェッセルはあまり聞きなれない身分を聞いて、記憶の海から地球教のワードを探しだすのに苦労した。たしか最近一部で流行っている新興宗教で、人類発祥のなんとかという惑星を信仰する団体であったはずだと思い出した。帝国では北欧神話をベースとした宗教が国教とされていたが、他の宗教の信者も多少は存在した。というのも五世紀前にルドルフが自論を認め、専制体制を支持する宗教に対しては寛大な姿勢を示したからである。むろん認めなかったら弾圧の対象になったし、ルドルフ没後の他宗教への態度は時の政権によって扱いが変わった。

 

 たとえば“痴愚帝”ジギスムント二世の治世下においては宗教団体が帝室に対して莫大な献金をしなければ信仰が認められなかったし、“流血帝”アウグスト二世の治世下では「大神オーディンを信じないなんてきっと叛逆者だ」という中世の異端審問官さながらの屁理屈で虐殺対象とされたし、“敗軍帝”フリードリヒ三世の時代では宗教叛乱がしばしば起きたので他宗教を全面禁止にされた時代もあった。一方で“晴眼帝”マクシミリアン・ヨーゼフ二世の改革によって「社会的混乱を招かざる限りにおいて、臣民の信仰の自由は保証される」と国法に明記され、コルネリアス二世の治世下では皇帝が妙に神秘主義に耽っていたこともあって、さまざまな宗教の聖職者と謁見していたという。

 

 そして当時の皇帝フリードリヒ四世の治世下ではどうだったのかというと、マクシミリアン・ヨーゼフ二世の方針を概ね受け継いでいた。それは皇帝自らが望んでそうしたというわけではなく、ブラウンシュヴァイク公やリッテンハイム侯といった外戚貴族の専横が強まる状況下において、宗教なんて()()()()を信じてる連中に関わってる暇がないという、即位当時から皇帝の側近の尚書であったリヒテンラーデ侯の判断によるものが大きかったのだが……。

 

 ヴェッセル自身は大した信仰心の持ち主ではなかった。帝国の文化の一部としてオーディン信仰を持っていたが、捨てなければならなくなった場合、特にためらうことなく捨てれるていどの信仰心しか持ち合わせていない。だから聖職者にしても素直な人間を騙す詐欺師の双生児的な存在という偏見を持っていたのだが、だれかと悩みを相談したい気持ちの方がはるかに大きかったので打ち明けて相談した。

 

「大切なのは結果ではなく、そう在り続けることなのではありませんか」

 

 ゴドウィンが何を言っているのか、ヴェッセルには理解しかねた。ゴドウィンはヴェッセルから視線を外し、どこか遠い場所を見通すように空に視線を向けた。

 

「オスヴァルト・フォン・ミュンツァーという人物が、なにゆえ“弾劾者”の異名で呼ばれたのか。その由来をご存知ですかな」

 

 ためらうことなく頷いた。マクシミリアン・ヨーゼフ二世の治世下において司法尚書を務め、乱れきっていた綱紀を粛正した傑物であり、ヴェッセルが尊敬する偉人の一人だ。知らぬはずがない。

 

 帝国歴三三一年に起きたタゴン星域の会戦で時の皇帝フリードリヒ三世の三男ヘルベルト大公率いる遠征軍が大敗した。その大敗の原因は敵軍を辺境の反乱分子と見做して舐めきっていた高級将校らとヘルベルト大公の気まぐれすぎる指揮にあったのだが、ゴールデンバウム王家の一員であるヘルベルト大公に敗戦の責任を問うわけにはいかず、参謀のゴットフリート・フォン・インゴルシュタット中将にすべての責任があるとして非公開の軍法会議にかけらることとなった。

 

 その時にインゴルシュタット中将の弁護人を担当したのが、帝都防衛司令部参事官の職にあったミュンツァー中将である。軍上層部としては彼ら二人が一〇年以上犬猿の仲にあることを承知しており、インゴルシュタットに対する憎悪からミュンツァーが弁護人としての義務を放棄することを期待しての弁護人指名であった。だがミュンツァーはその期待を裏切って、道理にあわぬとインゴルシュタットを全力で擁護し、彼に敗戦の全責任を押し付けようとする検察官たちと熾烈に言論を戦わせたのである。

 

 そして“一介の参謀”というフレーズが印象的なミュンツァーの最終弁論は、おこなわれたのが非公開の軍法会議であったにもかかわらず外部に流出し、誰もが彼を“弾劾者”ミュンツァーと呼ぶようになったのである。叛逆者ではなく弾劾者と呼ばれたのは、ミュンツァーの弁論における圧倒的正しさと法を絶対視する姿勢が、多くの者の共感を呼んだからに違いないであろう。

 

 そうしたミュンツァーの逸話をそらんじてみせたヴェッセルに、ゴドウィンは穏やかに頷いた。

 

「たしかにそれは正しい、良き行いと言えたでしょう。ですがそれに結果がついてきたわけではありません」

 

 その通りであった。結局、インゴルシュタット中将はタゴン星域会戦の大敗の全責任を負わされ、あらゆる名誉と地位を剥奪され、銃殺刑に処されたのだ。自分たちの期待を裏切ったミュンツァーも帝国上層部は赦さなかった。辺境の警備管区司令官に左遷させ、さらに予備役に編入させたのである。これは事実上の流刑であった。

 

「ですがその在り方は辺境の地でも腐ることなく、当時のままで在り続けた。だからこそ、マクシミリアン・ヨーゼフ二世陛下は辺境にいたミュンツァーを中央に呼び戻し、司法尚書に任じて帝国の立て直しに携わることができたのではないですか。望む結果を得られずともそう在り続けることこそ、最も尊く価値あることなのではないでしょうか」

 

 そうなのだろうか。たとえどれだけの障害が立ちふさがろうとも、おのれの正義を疑わず貫き通す信念の強さこそが、なによりも重要な事であるのだろうか。ヴェッセルにはわからなかったが、ゴドウィンの論理を多少は理解できた。ミュンツァーが辺境に左遷されても信念を貫き続け、だからこそマクシミリアン・ヨーゼフ二世の目にとまり、司法尚書となって国家再建に取り組めたのであるから。

 

 司法尚書となったミュンツァーは社会のあらゆる場所に蔓延っていた腐敗を一掃して綱紀を粛正し、帝国の繁栄を取り戻するために必要な改革に携わることができた。そしてその功績に比べるとささやかではあるが、異名の由来になったミュンツァーの弁護の正当性も公式に認められた。軍組織自体が腐敗の極に達していたので、罪は組織構造自体にあったとされ、ゴットフリート・フォン・インゴルシュタット中将の名誉が回復されたのである。もっとも、インゴルシュタットの係累はほとんどが連座で処刑されており、死者に対する弔いにしかならないであっただろうが。

 

「どんな逆境に陥ろうとも、決して諦めない者を母なる地球は決してお見捨てにはならないのです」

 

 そう確信している声でゴドウィンはそう断言した。それは宗教的信仰に基づいた確信にすぎず、現実的な根拠はなにひとつとして存在しなかったのだが、結果がともなわない徒労感に苛まれていたヴェッセルにとって大主教の言い切りは、とても頼もしく思えたのであった。

 

 そうしてゴドウィンと親交を持ったヴェッセルは、たびたび相談にのってもらうようになり、やがて地球教に入信した。たとえ今がどれだけ辛くとも、おのれの道を信じて貫けば、必ず報われるに違いない。そう信じて局内にある膨大な捜査資料の管理を能率的におこない、同僚からはこんな仕事にあれほど熱意を出すなんて狂ってると評されるほど熱心に職務に励んだ。

 

 地球教の信仰心の賜物か、それとも運命を司る何者かの気まぐれか、ヴェッセルの地球教入信から四年後に転機がおとずれた。刑事犯罪部長のオフィスに行くよう上官に命じられたのである。ヴェッセルがオフィスを訪れるとそこには当時の部長であったゲオルグ・フォン・リヒテンラーデ警視長と人事部長であるドロホフ警視監がいたので、思わず逃げ出したい気持ちになったのは無理からぬことであろう。リヒテンラーデ警視長だけでも充分なのに、ドロホフ警視監は警察総局を二分する派閥の盟主であると一般警官たちには認識されており、閑職で燻ってるヴェッセルからすると雲の上の人であった。

 

「おまえがヴェッセルだな? シュテンネスの奴から評判は聞いている」

 

 ドロホフの口から監察部課長のシュテンネス警視の名が出て、ヴェッセルは顔を蒼白にした。シュテンネスは讒言を武器として一巡査から出世してきた卑劣な成り上がりとして総局内では有名な存在であったので、自分を貶めるような噂を目の前の人たちが信じ、なんらかの処罰を自分に与えようとしているのではないかと思ったのである。

 

 おお、母なる地球よ。なぜですか。これほどまで努力し、入信してからは信仰を絶やしたことがなかったのに、なぜこのような仕打ちを受けねばならないのですか……。そのように運命を呪い始めたヴェッセルだったが、ゲオルグからの言葉で、早とちりであったことを悟った。

 

「三日前、この帝都オーディンで殺人事件が発生した。殺人犯は簡単に捕まえられたのだが、犯人の自供で別の疑惑が浮上した。内容を聞いている限り、どうも犯人はある企業に依頼されて対立した企業の優秀なビジネスマンを暗殺したらしいのだ。その会社の名前まではわからなかったが、殺人教唆をおこなう経営陣を擁する企業が帝都に存在するなど刑事犯罪部長として捨て置けぬ。綿密な捜査でいくつかに候補を絞ることができたのだが、ここである障害が発生した」

 

 刑事犯罪部長は忌々しそうに形の良い眉をしかめた。

 

「どの企業も経営陣に退役将校が参加している。しかも憲兵隊と深い関係にある者が多数だ」

 

 嫌悪感も露わにそう言って視線を投げてくるゲオルグに、ヴェッセルはこくりと頷いた。退役将校というだけで軍務省の妨害を警戒しなくてはならないのに、警察とは犬猿の中にある憲兵隊と深い関係にあるとくれば、捜査はかなり難しいものとならざるをえない。

 

「そこで本題に入るのだが、シュテンネスによるとリッテンハイム一門に連なる貴族の子弟との問題で刑事犯罪部から異動させられるまで、きみは優秀で不屈の精神を持つ警官として有名だったそうだね。なんでも相手がだれであろうとも容赦がなかったとか。そこを見込んできみに頼みがあるのだ」

「はい!」

 

 ヴェッセルは力強く断言した。彼はにわかに期待を抱いたのだ。これはまさか刑事犯罪部に戻ってこの捜査に協力しろということであろうかと。

 

「この疑惑に対する捜査本部を刑事犯罪部内に設置するので、そこの本部長をしてほしいのだ。引き受けてくれるだろうか?」

 

 ヴェッセルの予測は間違ってはいなかったが、ゲオルグの提案はヴェッセルの期待のはるか上をいっていた。捜査員の一人として協力しろと命じられるかもと期待はしたが、まさか捜査の全指揮を与えられるとは予想していなかった。

 

「は? ……え、あ。はい?」

「いやなのかね?」

「あ、いえ! そのようなことはありません!」

「そうか。あまりにも反応が悪かったから、いやなのかと思ったよ」

 

 予想外すぎる提案にしばし狼狽していたヴェッセルを、ゲオルグは人の悪い笑みを浮かべながら、あきらかにからかって遊んでいた。

 

「しかし自分は一介の警部です。捜査本部を任されるような階級では……」

「心配はいらん。既に俺が準備を整えてある。近日中に警視に昇進と刑事犯罪部に異動する辞令がおまえのとこに届く。規則上は何の問題もない」

 

 ドロホフによって語られたことは、すでに準備が整えられており、本部長を断ることは事実上不可能ということであった。もっともヴェッセルはこの提案を断るという選択肢が脳内に欠片もなかったので何の問題もなかった。この二日後にヴェッセルは警視に昇進し、殺人教唆疑惑捜査本部長となった。

 

 そしてこの殺人教唆疑惑が事実であったことをヴェッセルらが突き止めるまで、二か月ほどしかかからなかった。これはヴェッセルの優秀な捜査能力と指揮能力を証明するものであったが、副本部長としてヴェッセルを補佐したフランツ・フォン・ダンネマン警部のコネも大きなものだった。ダンネマンの父は戦艦の艦長を務める帝国軍大佐であり、憲兵隊の動きに軍内部から監視して情報を提供してくれたのである。さらにゲオルグ派――ヴェッセルは捜査途中でようやく気づいたのだが、かつてドロホフ派と呼ばれた派閥は、この時期には完全にゲオルグを盟主とする派閥に変貌してしまっていた――の全面的支援を受けられたことも疑惑の早期解明につながった。

 

 捜査によって殺人教唆グループが目障りな官吏の暗殺をも指示していた事実が判明したこともあって、大規模な褒賞人事が行われた。ヴェッセルは警視正に昇進した。つい最近までまわりからずっと退役までずっと警部だろうと陰口を叩かれていたのに、わずか数ヵ月で二階級も昇進してしまったのだ。副本部長だったダンネマンも警視に昇進して刑事犯罪部副部長代理の役職に就いた。ゲオルグも人材の適切な配置が評価されて警視監に昇進し、警視総監の補佐を行う官房長に就任した。官房長は次長に次ぐ警察総局ナンバー・スリーの役職であり、ドロホフが人事部長のままであることから、警察総局の次世代の主導権を握るべく争っている二大派閥はハルテンベルク派とドロホフ派ではなく、ハルテンベルク派とゲオルグ派となったことがだれの目にも明らかとなった。

 

 警視監に昇進したゲオルグが最初にとりかかった事業は、捜査中に散々妨害を行ってくれた憲兵隊への抗議であった。立場も権威もあり合理的にも貴族の感性的にも正しいゲオルグの抗議の声を軍務省は無視することができず、殺人教唆グループを庇った憲兵は全て不名誉除隊処分を受け、当時の憲兵総監を含む高級将校の管理責任も追及されて辞任に追い込まれた。この結果にゲオルグは歓喜し、これを祝って末端の警官まで屋敷に集めて宴会を催すほどであった。

 

 その後、ヴェッセルは数々の事件の捜査を行って結果を出し、ゲオルグ派の者達の信頼される存在へとなっていった。いつしかゲオルグの側近の一人としての立場を確立したが、ヴェッセルには不満なことがあった。ゲオルグは大貴族が犯している犯罪を追及していることに及び腰であったことである。むろん、取り立ててくれた恩があるので声に出して不満をぶちまけたりはしなかったが……。

 

 だがそうも言ってられなくなった。ある日、自分が左遷される原因になった例の貴族の殺人犯が、また殺人を犯して逮捕されたのである。ヴェッセルは過去の事例もあわせて馬鹿に重罰が加えられることを期待した。しかし事情を聞いたゲオルグはリッテンハイム侯爵の屋敷に赴くと言って内務省を後にした。ヴェッセルは左遷された時の状況が重なる部分が多いことに、暗い気分となった。

 

 ゲオルグとリッテンハイム侯の間でどのような密談が交わされたのかはわからない。ただ門閥貴族からの抗議が一切なかったので、殺人犯の罪状が法廷でちゃんと認められた。ここまではヴェッセルにとっては喜ばしいことであった。しかしながら殺人犯に下された刑は懲役三年という軽すぎるものであったことに不満と憤りを隠せず、ヴェッセルはゲオルグに直訴した。

 

「おまえの言うことはよくわかる。だがな、たかが内務省内の一部局の幹部に過ぎぬ私に、横暴な門閥貴族が幅を利かせている状況をどうにかできる力があるとでも思うのか」

「閣下ご自身だけでは無理かもしれません。ですがリヒテンラーデ家の影響力を使えば……」

「無理だな。いまの私ではリヒテンラーデ家を自分の意思で動かすことはできぬ。次期当主候補の一人に過ぎんからな。仮にリヒテンラーデ家が一丸になれたとしても、リヒテンラーデはブラウンシュヴァイクやリッテンハイムのように強大な私設軍を有してはいないから、勝算はかぎりなく薄い。だから祖父上も手をこまねいておられるのだ」

 

 ゲオルグの理路整然とした言い分に、ヴェッセルは返答に窮した。上官に対して破滅してもいいから門閥貴族を黙らせてくれとは言えない。だが、それでも理屈は理解できても感情は違った。

 

「では、閣下は現状を容認するというのですか。門閥貴族の横暴を認めると!」

「……試みに問うが、私は何歳かな」

 

 あまりにも脈略がない問いにヴェッセルは困惑した。この話題と上官の年齢に、いったい何の関係性があるというのだろうか。

 

「二〇歳ではありませんでしたか」

「そうだ二〇歳だ。まだまだ私の前途は豊かなのだ。今はハルテンベルク伯と次期警視総監の椅子をめぐって争っているが、警視総監の椅子に座ってそれで満足するつもりはない。さらに上を目指すつもりだ。そして貴族が法を逸脱するのが常態化してる状況をどうにかできるほどの力を持っていないが、一〇年後、二〇年後もその力がないままとは限るまい。……私の言いたいことがわかるな?」

 

 警察総局のような内務省の一部局の幹部ではなく帝国政府の主導的地位を得た時、自重という言葉を知らない大貴族どもに鉄槌を下してやる――そう暗に示唆するゲオルグの言葉を、ヴェッセルは信じた。そして祖国をよりよくするためにこれまでより一層強くゲオルグに忠誠を誓ったのだ。

 

 それから三年後の帝国歴四八八年に、ヴェッセルの願いは現実のものとなったように思われた。クラウス・フォン・リヒテンラーデ公爵とラインハルト・フォン・ローエングラム侯爵の皇帝派枢軸とオットー・フォン・ブラウンシュヴァイク公爵とウィルヘルム・フォン・リッテンハイムの貴族派連合に分かれて大規模な内戦に突入したのだ。この内戦で勝利した後、リヒテンラーデ派による政治改革が行われるのだと期待を胸に確信したのだ。

 

 だがその期待に満ちた確信は無残に裏切られた。貴族派との内乱に敗れたわけではない。内乱終結後、リヒテンラーデ派と同盟を組んでいたローエングラム派の軍隊が突如リヒテンラーデ派を粛清したのである。その日、ヴェッセルはゴドウィンから大事な話があると言われたので地球教オーディン支部にいたので助かったが、同じ志を抱いていた者達が多数公職から追放され、リヒテンラーデ公の係累――主君であるゲオルグはリヒテンラーデ公の孫なので当然含まれている――は女子供は辺境に流刑、まともな思考ができる一〇歳以上の男は全員死刑という処分が発表された。

 

 ヴェッセルは激しくローエングラム公を憎んだが、ローエングラム体制が確立されるやいなや、ヴェッセルが望んでやまなかった綱紀粛正が実施されているのを知ると凄まじい失調感に襲われてふさぎ込んだ。ゴドウィン大主教はなんとか元気づけようとしたがどうにもならなかった。年が明けた二月、地球教団本部から“イザーク・フォン・ヴェッセルを地球に導くように”という指令がオーディン支部に届いたので、ゴドウィンは各惑星支部を経由してひそかにヴェッセルを地球に送るルートを策定。信頼できる信徒を選んでヴェッセルを地球に送るよう命じた。

 

 そして今現在、ヴェッセルは地球教団の本部で総大主教と謁見する栄誉をあずかっているというわけであった。

 

「言えません……。閣下に言われてるからです……。信頼を裏切るわけには……」

「わしはなにも信頼を裏切れというておるのではない。母なる地球への信仰を持つ者は皆兄弟だ。だからわしはそなたが抱えている重荷を共有したいと思うておるだけじゃ」

「うぅぅ……」

 

 ヴェッセルは泣きじゃくった。神聖なる総大主教の深く巨大な慈悲に感激するばかりであった。そして数分の苦悩の末、絞り出すような声で告げた。

 

「オデッサ……」

「なに?」

「グミュント星系のオデッサ……。いざという時、そこにあるズーレンタール社の本社に身を隠すと閣下は仰っておりました……。側近として信じる者のみに教える情報であると……」

「…………そうか。絶望していたそなたが、だれにもいえぬ秘密を抱える辛さ。わしにもよくわかる」

「おお、猊下。総大主教猊下……」

「心が休まったじゃろう。今日はもう寝なさい。そして今後のことを共に考えようではないか」

 

 皺だらけの老人が優しい声でそう言って背中を叩くと、ヴェッセルは礼もそこそこに、フラフラの状態で暗がりに消えていった。残った総大主教はしばし思考すると一人の男の名を叫んだ。

 

「ド・ヴィリエ。ド・ヴィリエ大主教はおるか」

「はっ。ここに」

 

 暗がりから新しく出てきた人影はかなり若かった。まだ三〇代なかば程度であろう。聖職者というにはあまりに神聖さというものに欠ける雰囲気を持った男であり、事実彼は信仰心をあまり持ってはいなかった。

 

「さきほど男の情報。使えるとは思わぬか」

「ルビンスキーめが考案した策の一部として利用できるかと思われます。デグスビイを通してその情報をフェザーンに伝えるべきでありましょう」

 

 地球教はたんなる宗教団体ではなかった。西暦二七〇四年に滅び去った地球統一政府の残党の成れの果てであり、地球との決別を意味する宇宙歴が銀河連邦で施行されてから八〇〇年近くが経過しても、なお地球の復権を諦めない者達の組織なのである。彼らはその目的を達成するために数々の策謀を実施してきた。わけても同盟と帝国の間に浮遊する中立地帯フェザーンを産み落としたことは大きな成果である。

 

 当初の地球教の計画は帝国と同盟の共倒れを狙っての暗躍であり、両勢力の対立を煽り、和解の空気を叩き潰すのに多大な労力を払ってきた。しかし二年前のアムリッツァ会戦における同盟軍の壊滅的打撃。そして昨年両国で発生した内乱によって同盟は軍事力の多くを失い、帝国はローエングラム公に反対する勢力を一掃し、背後から撃たれる心配を消滅させて内政に力を注いでいる。これによって帝国は同盟との力関係で大きな差をつけている。共倒れ計画は帝国と同盟が対等な力関係で争い続け衰退していくことを前提とした計画であったため、事実上破たんしてしまった。

 

 それに変わる方針としてフェザーン自治領主ルビンスキーから提案されたのが、フェザーンは帝国に助力して同盟を併呑させ、しかる後に帝国の中枢を取り除き、地球が人類社会の太陽として復活させるという計画である。総大主教は地球との縁を捨てようかと考えてるルビンスキーの真意を薄々見抜いていたが、それをも利用できると踏み、この方針に切り替えた。

 

 新しい計画の第一段階として、同盟を帝国に滅ぼさせなければならない。これ自体はそれほど難しいことではない。いま同盟と帝国が正面から激突すれば、現在の実力差からして同盟はほぼ確実に滅ぶからだ。懸念すべき要素が一つだけ存在した。ローエングラム体制が同盟が敵視し続けてきたゴールデンバウム的な帝国の要素を劇的に改めつつあるということで、それを縁として帝国と同盟の間で和解が成立する可能性が否定できないということであった。

 

 そんなことは許されない。帝国と同盟は不倶戴天の敵同士であってもらわなくては困るのだ。そのための策謀がフェザーン自治領主府が中心となっておこなわれつつある。そのための材料にリヒテンラーデの生き残りもなってもらうとしよう。そう総大主教は考えた。

 

「ところで猊下。さきほどの信徒をどうなさいますか」

 

 始末しますかと言外に尋ねてくるド・ヴィリエに総大主教は首を振った。

 

「ただ面倒を見るだけでよい。あれはまだ使い道があろう」

「よろしいのですか。総大主教猊下に会いまみえるまで他の大主教がどれだけ語りかけてもなにひとつ反応を示さなかった男であります。われらが利用するには地球に対する信仰心に欠けているのではないかと思いますが」

 

 そなたが言うのかと総大主教は心中で皮肉な感想を呟いた。ド・ヴィリエに地球に対する信仰心など持ち合わせていないことなど総大主教は見抜いていたから、ド・ヴィリエの論理を用いるならばまず最初にこの若い大主教を背教者として始末しなくてはなるまい。ド・ヴィリエは見抜かれていないと思うからそう言うのであろうが、いささか滑稽であった。

 

「わしに真実を語ったということ自体が信仰心の証明よ。あの者が述べたことが嘘偽りであるなら別じゃがな。ド・ヴィリエの心配は度がすぎるというものじゃ」

「これはできすぎた真似を。失礼しました」

 

 ド・ヴィリエは恐縮した様子で頭を下げた。そう、別に良いのだ。たかが道具に地球に対する信仰心がなかろうとも。母なる地球が再び人類社会の中心とすることがなによりも重要なのだ。そのためとあればなんでも利用すべきである。そう思えばこそ総大主教は、ド・ヴィリエなどという信仰心の欠片もない俗物を自身の側近として取り立て、辣腕をふるわせているのだ。

 

 総大主教の思考法は、他の狂信者たちの自己陶酔と独善に満ちた思考法とは明らかに一線を画していた。彼が固執するのは地球が人類社会の頂点に再び君臨することのみであって、それが達成されるならば人類社会の大多数が地球教以外の教義を信奉しようともかまわなかった。そうした現実的思考こそが彼を総大主教の地位に就かせた最大の武器であり、他の狂信者よりタチの悪い狂信であったことだろう。




地球教陣営でデグスビイ主教以外の原作名ありキャラ全員登場!
いやあ、数ある銀英伝二次でもこんな序盤にこいつらでてくるのってなかなかないんじゃないでしょうか?


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黄金樹のはらわた①

平均評価ついた! 皆さんありがとう!!


 五月末、ゲオルグは一人の供と共に定期宇宙船の乗客となっていた。目的地はガス状惑星ゾーストの人工衛星、クロイツナハ(ドライ)という歓楽地である。百数十年前に時の皇帝の命令によって、民衆の不満をやわらげるために建造されたいくつかの娯楽施設完備の人工惑星のひとつであり、帝都オーディンからもほど近いことから中央の高官が休暇を満喫するために遊びに来ることがよくある場所でもあるので、ゲオルグにとってはかなり危険な場所といえた。

 

 それだけにゲオルグはすこし緊張していた。指名手配犯の分際で特に隠れることなく行動してきた彼であったが、さすがに中央の高官がよく利用する人工惑星に赴くとなると不安を完全に押し殺せるものではなかった。持参していた娯楽小説も読み切ったゲオルグは、気を紛らわせるものを求めて機内に備え付けられているTVの電源を付け、ヘッドホンをつけた。

 

 帝国国営放送では、カール・グスタフ・ケンプ上級大将の軍葬番組が放送されていた。解説によると元々はワルキューレのパイロットであり、戦果の多さとその花崗岩の風格のある容貌から“鋼鉄の撃墜王”の異名を持っていた。佐官時代から提督になることを考えはじめ、大佐に昇進すると戦艦の艦長となって第六次イゼルローン要塞攻防戦での武勲を皮切りに多くの功績を立て、頭角を現す。少将の頃にローエングラム元帥府に登用されて中将に昇進し、一個艦隊を率いる身になり、アムリッツァ星域会戦と門閥貴族連合軍との内戦でも少なからぬ功績を立て、大将に昇進して叛乱勢力との係争宙域であるイゼルローン方面の警備責任者となる。

 

 四八九年に長距離宙域移動ができるように改造されたガイエスブルク要塞と一万六〇〇〇隻の艦艇、二〇〇万の将兵が与えられ、イゼルローン要塞攻略を命じられる。そうして四月に発生した第八次イゼルローン要塞攻防戦は約一か月にわたって繰り広げられ、叛乱軍に善戦したものの力及ばず、ガイエスブルク要塞と約一万五〇〇〇隻の艦艇を失い、約一八〇万の将兵が戦死もしくは行方不明という大敗となり、ケンプもその戦死した中の一人であった。

 

 それでもローエングラム公はケンプを上級大将に特進させ、彼の名誉を守る決断を下した。これまでのケンプの貢献を鑑みてのことであるが、明確な方針を前もって伝えなかった自分にも非があるので、ケンプのみを責めることはできないというのが帝国軍総司令官の見解であるらしい。ゲオルグとしてはここまで大敗の記録をおおやけにするならケンプの無能さを声高に批判すべきではないのかと思った。少なくとも旧体制のままの帝国であったなら、そのように処す。あるいは大敗記録を公表せず、ケンプの勇敢さを讃える方向に持っていっただろう。それを思うと、この後処理の仕方はなんとも中途半端であるように思えるのだった。

 

 帝国軍首脳代表としてウォルフガング・ミッターマイヤー上級大将、元部下代表としてイザーク・フェルディナント・フォン・トゥルナイゼン中将が弔辞を読み上げた。その両者の名前にゲオルグは覚えがあった。

 

 ミッターマイヤーは三〇代で将官になった優秀な平民階級出身の軍人として一部では有名であったし、クロプシュトック侯爵の叛乱討伐の際に軍規違反を犯したブラウンシュヴァイク公とリッテンハイム侯に血縁がある貴族の大尉をその場で銃殺し、軍内の和を乱した咎で収監されていたがラインハルトが弁護で助命された一件でも有名になった。それ以来、ミッターマイヤーは親友であるオスカー・フォン・ロイエンタールと共にラインハルトの側近であると認識されるようになっていた。とても優秀な軍人であり、出世に武勲や実績より身分や政治的事情が重視されていた旧体制下で、権力者の庇護をうけることなく三〇手前で少将になりおおせていたこと自体が証明している。

 

 ちなみにトゥルナイゼンの方は貴族のサロンでたまに話題になっていた。生意気な“金髪の孺子”の対抗馬という形でである。トゥルナイゼンは門閥貴族出身者で、ラインハルトとは幼年軍学校の同期であり、ラインハルトに次ぐ成績で卒業した人物であった。その後は士官学校に進んだが勉強に飽きてきて中退し、ラインハルトほどではないが戦場で少なからぬ功績を立て、おそろしい勢いで軍の階級を駆け上がっていたので、その経歴から二人はライバルであると何の根拠もなく多くの貴族が信じ、トゥルナイゼンを持ち上げていたものである。しかしトゥルナイゼンはリップシュタット盟約に参加せず、ラインハルトの下で戦い続けていたことを考えると、ライバルではなく崇拝者であったようだと多くの貴族が気づき、苦虫を噛み潰したことであろう。

 

みなさんに(アハトゥング・マイネ・)お知らせします(ダーメン・ウント・ヘルレン)

 

 まもなく目的地に到着することを告げるアナウンスが、スピーカーから聞こえてきた音声でゲオルグの思考は中断された。スピーカーの音声で隣の座席に座っていた若い青年が目を覚まし、両腕を伸ばした。精悍な顔立ちに理知的で優し気な光を宿したエメラルドの瞳と個性的な容姿をしているが、注意してみなければ白髪と絶対に見間違うと言い切れるほど白い銀髪が、なにより特徴的であった。

 

「居眠りとはいい度胸をしている」

「や。これは失礼」

 

 悪びれもなくそう言うと青年は大あくびした。彼はアルトゥール・ハイデリヒといい、ゲオルグが各地を散策中に発掘した優秀な人材の中でも特に見どころがあったので護衛兼相談相手として二週間ほど前から自分に同行させていたのだが、いささか以上に神経が図太すぎるので、ゲオルグをややうんざりさせていた。

 

「なにかおかしいと思わないのか」

「え。なにがです」

「……私の隣で爆睡してもまずいと感じないと?」

「はい。少なくともこういう状況では、まずくはないかと」

 

 そう言って再び大あくびするハイデリヒ。似たようなやりとりをもう何度繰り返したことだろうと元警視総監は諦感を抱きながら心中で呟いた。彼は部下の面倒を見ることによって人望を獲得してきた人間であり、多少態度に問題があっても大目にみる度量があったのだが、ハイデリヒを同行相手に選んでしまったことを少し後悔し始めていた。

 

 優秀かどうかといえば間違いなく優秀だし、もともとある程度知っていた人物ということもあって、クリス・オットーに続く新しい重要な部下になりうるというのがハイデリヒに対するゲオルグの評価であったのだが、いかんせんスイッチが入っている時と入っていない時でこれほど差があるとは予想外すぎた。仕事以外ではあまり深い関係になりたくないと思うレベルの図太さ、もしくは無神経ぶりである。

 

 ともかく仕事の話をしている時以外、つねにこの態度なのだから、他人の目を欺くにはよい要素ではあるだろう。仮にも大貴族の子弟である自分が、平民の元下級官僚風情にコケにされてるような対応をする奴を供にしているとは、誰も考えまい。ゲオルグはそう前向きに考えることにした。

 

 停止した定期宇宙船からクロイツナハⅢの宇宙港に降りると入所管理所に足を進める。クロイツナハⅢに限らず、こうした娯楽のための人工衛星にはすべて入所管理所が存在した。なぜかというとこうした娯楽用の人工衛星では国法に違反している娯楽施設――ルドルフ大帝が人類を弱める要素として見做した売春宿やカジノ、退廃的な文化に染まっている店――が公然と運営されている。そういう店に勤務する者はなかば犯罪者であると定義され、人工衛星から無断で出ることは許されなかった。なので外から来た者と中に元からいる者とを管理所で区別する必要性が生じるのである。

 

 そんな面倒な手間をかけるくらいなら、国法に背反する娯楽施設を運営しないか、国法を改正すればよいではないか……。そういう意見もないわけではなかったが、同盟との接触初期、帝国人が同盟への亡命する理由に「帝国では許されない娯楽を求めて」というのが少なからず存在したので、そういう場を帝国が公式提供することが同盟への人口流出を留める上で必要だった。でなくば帝国は大量の人材を失い、その巨体を支えきれずに崩壊しかねないおそれがあったのだ。かといって国法を改正するのも容易ではない。帝国は優秀な遺伝子の持ち主たちによる統治を旨としているのだが、()()()()()()()()()()()()()であるはずのルドルフ大帝が定めたもうた国法を間違いとして改正するとなると統治体制の根本を否定したと拡大解釈されかねないからである。この二つの問題の間で時の権力者たちが苦悩した結果、このような中途半端な法秩序で運営される娯楽用人工衛星が少なからず誕生したのである。

 

 入所管理所でゲオルグは仮の身分である“ゲオルグ・ディレル・カッセル”の偽名だけど正式な身分証明書を見せて通過し、ハイデリヒは新体制に危険視されるほど旧体制で高官であったわけでもなかったので、普通に自分の身分証明書をみせて通過した。二人とも遊び人のような服装をしていたので、その他大勢と同じく休暇を利用して遊び来たんだなと彼らの入所を担当した管理官は特に不審を抱かなかったのである。

 

 こうしてクロイツナハⅢに入ったゲオルグたちはホテルにチェックインをすますと、迷うことなくカジノへと直行した。ある人物と落ち合う予定は午後八時頃であったが、現在はまだ正午を少しすぎた程度だったからである。せっかく歓楽地にきたのに、目的だけ果たして帰ると入所管理の役人に妙な勘繰りをされるかも知れないと危惧したから、実際に歓楽街を楽しんでおいた方が不信感を持たれずにすむだろうと早めにきて遊ぶことにしたのだ。カジノで六時間ほどゲームを楽しんだ後、ゲオルグたちの所持金は一割ほど増加していた。

 

 カジノの戦利金で惑星ゾーストを一望できる高級レストラン「ラインゴルト」で優雅に夕食を済ませたゲオルグとハイデリヒは、待ち合わせ場所である重要人物と接触した。いきなり話し始めようとしたその男をハイデリヒが黙らせると、三人でカラオケボックスに入った。個室にわかれていて、あちこちで客が歌を熱唱しているから内部での話を盗聴される心配が少ないというハイデリヒの判断によって密談場所に設定されていたのだ。

 

 安っぽいソファーに腰を下ろしたゲオルグは、残りの二人が立ったままだったのを見て、手で二人に座るよう促した。全員がソファーに座ると対面に座る重要な人物に、嫌味のない笑みを浮かべながら話しかけた。

 

「では改めてご挨拶申し上げよう。オスマイヤー殿」

 

 オスマイヤーは旧体制下において辺境の開拓と治安業務に携わっていた優秀な官僚で、自分の才能が認められないのを嘆いていたのだが、辺境地域での体制構築手腕を評価され、ラインハルトによって新体制では内務尚書へ大抜擢されていた。

 

 国内治安を担当する内務省は旧体制下においては軍務省や国務省に匹敵する巨大な権勢を誇り、“武力を持たぬ敵”を打倒する任務を帯びていたのである。ゲオルグが局長を務めていた警察総局も、内務省に属する部局であった。“武力を持たぬ敵”の一種である犯罪者を取り扱っていたからである。

 

 旧体制下において内務省の腐敗は著しく、“武力を持たぬ敵”を拡大解釈し、無実の人間に不当な罰を与えることや大貴族との取引によって有罪の人間を免罪するようなことは日常茶判事であった。こういった悪弊の一掃し、内務省を再編することがオスマイヤーが内務尚書への抜擢と引き換えにラインハルトに与えられた仕事だったのである。

 

 この困難な仕事を、オスマイヤーは寝る間も惜しんで取り組んだ。激務に次ぐ激務の末、内務尚書就任からわずか半年程度で腐敗を駆逐し、清廉な内務省に再編し直すという結果を出したのである。この功績に対してラインハルトはオスマイヤーに短期間の有給休暇を与え、オスマイヤーはそれを利用して家族と共にこのクロイツナハⅢに旅行しにきた。ここまでが表向きの事情である。

 

「卿らはゲオルグ・フォン・リヒテンラーデの使者と考えてよいのだろうか」

 

 オスマイヤーはゲオルグの容姿を立体映像で知っていたが、長い金髪の美形で威厳をもって職務にあたっていた警視総監の姿と目の前のいかにも軽薄そうな雰囲気が漂う黒髪のイケメン青年と姿を重ねることはできなかったので、自然そのような問いになった。

 

「その通りです。私はリヒテンラーデ元警視総監閣下の信頼篤き側近でして。どうかディレルとお呼びください。そこの白髪青年は私の信頼する側近のようなものです。まあ、いまは気にしなくてもよいです」

 

 ゲオルグはオスマイヤーの勘違いを訂正せず、自分は側近であることに過ぎないと装った。そうした方が安全であると考えていたからである。実際、オスマイヤーは目の前の人物がリヒテンラーデの孫その人であると知れば、おのれの立場を守るために力ずくでゲオルグを拘束しようとしたであろう。

 

「単刀直入に言いますが、われわれはあなたの協力を欲しております」

「ひとつ断言しておくが……」

 

 オスマイヤーは胸を逸らして落ち着いてゆっくりと言葉を紡いで落ち着いているように見せかけたが、ゲオルグから見れば虚勢を張っていると一目で見破れるものであった。

 

「おまえたちが何を企んでいるにせよ、私を陰謀の道具として利用できると思っているのなら、大間違いだ。私は、帝国の秩序を乱すような企てに加担する気はない」

 

 ならそもそも休暇を利用して家族旅行という名目で、ここに来る必要がないだろう。自分のところに送られてきた手紙をそのままラインハルトところへ持っていき、それを見せればよいのだ。仮にそうされていた場合、ゲオルグはかなり危険な状態に追い込まれていたし、もしかしたらゲオルグの暗躍はここで終止符をうたれることになったかもしれない。

 

 しかしそうはなっていない。さらにオスマイヤーにここに来たということは、自分個人の幸せを守りたいということを雄弁に物語っているではないか。つまり全面的な協力は無理でも、消極的な協力をさせる程度は交渉次第でいくらでも引き出せるということだ。

 

「見事なご覚悟ですな、内務尚書閣下。しかしそこまで身に構える必要はありませんぞ。ただあなたが知っておられる新体制の内幕の情勢とわれわれに対する捜査がどのあたりまで進んでいるのか。そのあたりの情報を教えていただくだけでかまいません。あなたご自身になにかをしてもらおうとは、リヒテンラーデ閣下も考えておられぬでしょうし」

「そんなことを、私がすると思っているのか!」

「すくなくとも数年前にはされていたことではないですか。社会秩序維持局に対して」

「……」

 

 オスマイヤーは悔しそうな顔で黙り込んだ。彼にはIMであった過去があるのだった。IMとは、社会秩序維持局の非公式協力者のことで、彼らは自分が知っているあらゆる情報を社会秩序維持局に密告し、当局の民衆監視体制の構築と不穏分子の摘発・弾圧に情報面から貢献していた者達のことである。ある資料によるとラインハルトによって社会秩序維持局が廃止された時、一億人ほどのIMが帝国に存在したと推定されている。

 

 単純な計算だと帝国の総人口が二五〇億なので、帝国人の二五〇分の一が社会秩序維持局に情報を提供するIMということになる。これでも充分に恐ろしい数値ではあるのだが、貴族領に対する情報収集を行っていた国務省秘密情報局と管轄が被るため、貴族領民をIMにするのに社会秩序維持局があまり積極的でなかったことを考慮し、範囲を帝国政府が管理する領域に限定すると一〇〇人に一人がIMという、もっと恐ろしい数値が導き出されるのである。

 

 帝国人がIMになった事情は人それぞれである。政治的信条から自ら局員に頼み込んでそうなった者もいれば、数年の税金免除や職場での出世などの優遇措置を求めてなった者もいるし、局員から脅されてなった者もいる。オスマイヤーがIMになったのは一番最後の例であった。

 

 辺境で内政官として開拓事業と治安業務を統括していた頃、自分の邸宅に社会秩序維持局所属の保安曹長であるという男が現れて「あなたの奥さんが不逞な共和主義者どもと関係を持っている可能性がある」と言われたのだ。旧体制下にあった当時では、共和主義者と疑わしい者達と関係を持っているということ自体が、家族ごと牢獄に放り込まれても文句言えない重罪である。自分たち家族がまとめて政治犯収容所で衰弱死していく未来を幻視し、オスマイヤーは絶望した。

 

 その絶望するオスマイヤーに対し、保安曹長は優しく囁きかけた。「ですがまだ証拠が掴めていないのです。あなたが捜査に協力してくれるなら、あなたたちだけは逮捕しないと約束します。たとえ奥さんが共和主義思想に共感を示し、彼らに協力をしていたとしても……です」と言って悪魔染みた提案を行い、オスマイヤーは承服した。だめなことだとわかってはいるが、このままでは劣悪な環境の政治犯収容所に連行されてしまうのだ。それ以外の選択肢があるだろうか?

 

 こうしてIMとなったオスマイヤーは、保安曹長が望む情報を提供し続けた。職場の同僚や親しい友人、愛する家族をスパイすることに強い罪悪感を覚えたが、家族を守るためだとして罪悪感を押し殺した。そんな生活を続けること約一年。保安曹長からもう情報を提供しなくていいとだけ告げられ、家族が逮捕されることなく、オスマイヤーのIM活動は終了した。社会秩序維持局にとってよほど有用な情報源でない限り、IMは一年か二年で役目が終わるのが通例だったのだが、それを知らないオスマイヤーとしては、薄気味悪い幕引きであった。

 

 オスマイヤーは社会秩序維持局に関する忌まわしい記憶に蓋をし、官僚としての仕事に精励して気を紛らわせようとした。その甲斐あってか、ラインハルト派がリヒテンラーデ派を粛清し、空席なった内務尚書という地位をラインハルトから与えられたのである。オスマイヤーは当然喜んだが、同時に逃れられない恐怖を抱えることとなってしまった。

 

 切っ掛けはラインハルトが社会秩序維持局を廃止したことである。これによって敗者を批判することに定評がある帝国の各メディアは、社会秩序維持局の非道を声高に訴えだしたのである。しかも一部のメディアはどこからかIMリストの一部を入手し、それを公開してしまったのだ。親しい友人や家族が、悪名高い社会秩序維持局のスパイであったと知り、各所で信頼関係が崩壊する事態が続発した。

 

 その光景を見て元IMであるオスマイヤーは、明日は我が身という言葉が何度も心中を去来していたところに、消印がついてない自分宛ての手紙が届き、それを読んでオスマイヤーは愕然とした。内容は社会秩序維持局に対するあなたの協力を知っているということ。秘密裏に話し合いたいことがあるからいつ会えるのかある住所に手紙を送るようにという指示。そして最後に逃亡中のゲオルグ・フォン・リヒテンラーデの名前が書かれていた。

 

「どうやってそのことを知った」

「私が知っていた」

 

 答えたのは、ハイデリヒだった。

 

「支部長の副官をしていた頃に、IMとしてのあなたの報告をまとめた資料を拝見した」

「副官?」

「彼は社会秩序維持局に所属していた元保安中尉なのですよ」

 

 ゲオルグの答えに、苦い表情を浮かべながらオスマイヤーは低く唸った。ということは、この男はかつて自分がいた辺境の支部に所属していたということだろうか。そんな小物なら特に重い罰を受けることもないだろうに、なんだって反体制派の陣営に参加しているんだ。そう思ってハイデリヒを憎んだが、これはゲオルグとハイデリヒによる嘘であった。

 

 たしかにハイデリヒはある支部長の副官をしていた保安中尉であったが、その支部はオスマイヤーがいた辺境ではなく、帝都オーディンに近い惑星にあった支部に所属していた。なので当然、オスマイヤーの報告書類などハイデリヒは見たこともない。

 

 ではなぜオスマイヤーがIMであったことをゲオルグが知っているのかというと、理由がふたつあった。

 

 ひとつはゲオルグが実施していたある方針によるものである。警視総監になったゲオルグは警察総局と社会秩序維持局の連携を強化し、将来的には両局を合併して新部署を設立するという構想を内務省会議で提案した。扱う犯罪者は違えど同じ警察組織として合併した方が、より効率的な国内治安維持システムを構築できると考えていたからということもあったが、両局とも職分が重複する関係で軍務省の憲兵隊とは険悪な仲なので、憲兵隊に強い嫌悪感を持つゲオルグが、同盟相手として社会秩序維持局を選んだという側面は否定できぬであろう。

 

 当時の内務尚書はブラウンシュヴァイク一門に連なるフレーゲル家の人間だったので、両局の合併は自分ら門閥貴族に対して危険な存在となりうると考え、強硬に反対した。しかし社会秩序維持局の局長ハイドリッヒ・ラングはゲオルグの構想を歓迎し、内務尚書の妨害を押しのけて両局の有機的連携が行われるようになった。そうして簡単に閲覧できるようになった膨大なIMリストをゲオルグが流し見していた時に、オスマイヤーの名前を見つけたのである。

 

 ゲオルグは若くして高級官僚になっただけあって尋常ではない記憶力を有していたが、本来であれば一度見たリストの名前が載ってただけの人物のことを気にとめることはなかっただろう。しかしながら気にとまってしまったのである。それにはもうひとつの理由が密接にかかわっていた。

 

 ゲオルグは帝国の将来を危惧していた。警官として現場で指揮をとることも多々あったため、ゲオルグは民衆の現状への不満の深刻さをよく理解していたのである。それだけに改革の必要性を強く感じていたのだ。そして若さゆえか、彼が構想していた改革は祖父が必要性を感じていたものよりも遥かに過激なものであった。

 

 リヒテンラーデ公は政府の統制をほとんど受けていない大貴族の排除をすることで、帝国政府の権力を強化することで政治体制を安定させ、民衆に対しては思想犯の恩赦や税率の引き下げなどで不満を解消させ、基本的にはフリードリヒ四世の治世とさほど変わらぬ体制を継続していくつもりであった。しかしゲオルグはその程度では問題の先送りにしかならないと考え、もっと抜本的な改革を実施せねばなるまいと感じていた。その改革構想はルドルフが銀河連邦の終身執政官だった頃の政策を参考にして構築したものであって、今現在ラインハルトや開明派が実施している改革とは性質が大きく異なったが。

 

 その改革は祖父が自然死してリヒテンラーデ家の当主となった後、皇帝エルウィン・ヨーゼフ二世の支持を受けて実施する予定であった。何度説得しても皇帝が自分の改革案を支持してくれない可能性も考慮にはいれており、その場合は帝位を簒奪してでも改革を実施するつもりだったというのだから、ゲオルグが帝国の未来をどれほど憂慮していたか理解できよう。

 

 そして改革を実施した時、その象徴として宣伝的な意味も込めて大出世させるべき候補の中に、オスマイヤーがいたのである。警視総監時代、支部からの報告でオスマイヤーの有能ぶりをゲオルグは間接的に知っていたのであった。その弱みをゲオルグは握ったのである。まさにこれによってゲオルグは改革時にオスマイヤーを内務省の重役にまで一気に出世させる決心をした。オスマイヤーがどんな性格かは知らないが、弱みを握っている相手の方が制御しやすいと判断したのである。

 

 そんなわけでラインハルトがオスマイヤーを内務尚書に抜擢したと知って、ゲオルグがオスマイヤーを利用することを考えたのはある意味当然の帰結であった。オスマイヤーの恐怖を煽って利用しやすくすために、ゲオルグの頭脳に記憶されているオーディン在住の元IMの名前をリストに書き起こし、途中で何人も人を挟んであちこちのメディア会社に匿名でプレゼントすることまでしたのだ。そしてその甲斐はあったようである。

 

「……本当に政権内部の情報を教えるだけでよいのだな」

 

 数分に渡る長考の末、オスマイヤーはそう確認してきた。

 

「それとリヒテンラーデ閣下に対する追跡がどのていどまで進んでいるのか、教えてほしいですね」

「……逃亡中の元警視総監一派に対する追跡は憲兵隊の管轄になっているから、詳しくは知らぬ。だが、どうも手がかりらしい手がかりさえ掴めていないようだ」

「ほう。それが本当なのであれば私たちにとってはありがたいことこの上ないのだが、手がかりらしい手がかりがつかめていないとは解せませんな。リヒテンラーデ閣下に合流できた側近はほとんどいないのだが、その行方もわからないのですか」

「さっきも言ったが詳しいことはわからん。私が知っていることと言えば、シュテンネスという男がフェザーンに亡命したこと。それとダンネマンは憲兵との争いで銃殺され、ドロホフは獄中で死んだと聞いている。残りのシュヴァルツァーとヴェッセルの行方については憲兵隊はなにか掴んでいるのかも知れないが、私は知らん」

 

 その時、ハイデリヒはゲオルグの瞳の光が鋭くなったのに気づいた。

 

「ドロホフが死んだ? たしかか、それは」

「あ、ああ。なんとか元警視総監の行方の情報を聞き出そうと、オッペンハイマー伯がひどい拷問を行ったせいだと憲兵総監のケスラー大将から聞かされた」

「そう……。なのか……」

 

 ゲオルグは俯いて衝撃をうけた顔を隠した。ドロホフは一番の腹心であった。彼の協力がなかったら内務省に入省してからわずか四年で警視総監にまで成り上がることは不可能であったろう。だからそのドロホフが死んでいるというということに少なからぬ衝撃を受けた。心のどこかでドロホフに対する根拠のない信頼から、牢獄に閉じ込められていても、死ぬことはないだろうと楽観的に考えていた自分に軽く自己嫌悪した。

 

 そしてドロホフの忠誠心に感謝した。ドロホフにはいざという時のためにゲオルグが用意していた計画のほとんどを教えてある。なのに自分に対する調査が進んでいないということは、ドロホフはなにひとつ喋らずに拷問を耐えて死んだのだ。権力を取り戻した暁には、その献身に対して報いねばなるまい。たとえ自己満足に過ぎぬものであるとしても、だ。

 

「憲兵のクズどもめが……」

 

 思わずそんな小さなつぶやきがゲオルグの口からこぼれた。もとより憲兵隊に対する強すぎる嫌悪感を持っていたゲオルグだが、この一件によってさらに憲兵嫌いが悪化したのは間違いないであろう。感情の奔流を必死に押し殺しているゲオルグを怪訝に見るオスマイヤーだったが、この状況が続けばゲオルグの正体がバレるのではないかと危惧したハイデリヒが強引に口を挟んだ。

 

「ケスラー? 憲兵隊にそんな幹部がいるなんて聞いたことがないが、どんなやつだ」

 

 ハイデリヒの疑問に答えるべく、オスマイヤーは視線を俯くゲオルグからハイデリヒの顔に移した。

 

「純粋な憲兵ではなくて、元々は艦隊司令官だったそうなのだが、その人柄と法務士官であった頃の実績を信頼されて、ローエングラム公が憲兵総監に任じたのだ」

「……前任のオッペンハイマーはどうなった。かなり遠縁だがリッテンハイムの係累だから粛清でもされたのか」

「粛清はされなかったのだが、一月初頭にローエングラム公に対してご機嫌取りの賄賂を贈ろうとしたのだ。それが公の勘気に触れて贈賄罪の現行犯で牢獄送りとなった」

「ローエングラム公は極端すぎるな。旧体制下にあって賄賂はよくあることだったのだから、叱責程度ですませてやればよいものを」

 

 ハイデリヒは肩を竦めながらそう評した。旧体制下において賄賂とは官僚にとって、物事をうまく運ぶための潤滑油のようなものであったのだ。ラインハルトはそうした悪弊を取り除こうとしてそうしたのであろうが、それでは高級官僚としてのノウハウを持っている連中を一掃することになりはしないのかと思った。それは誤解であり、そのあたりのことはラインハルトも弁えている。賄賂を贈ろうとしたことより、遠回しに拒絶したのにそれに気づかないオッペンハイマーの浅ましさが高官に相応しくないという感情の方が、ラインハルトの中では大きかったのだから。

 

「極端。極端か。大帝の真の後継者たらんと欲するなら、それは最低条件であろうな」

「ディレル様、大丈夫ですか」

「ああ、心配かけたな、保安中尉。一番の側近が執拗に痛めつけられて殺されたとリヒテンラーデ閣下にどう報告したものかと頭を悩ませてしまってな」

 

 ゲオルグはそう言って自分の挙動を取り繕った。大ボスの側近が無残に殺されているなどという報告をせねばならない部下というゲオルグの表向きの立場を、オスマイヤーは信じていたので特に疑いはしなかった。

 

「さてオスマイヤー殿。今度は政権の内幕に関する情報を教えてもらえるかな」

 

 ドロホフを失った衝撃は、すでにゲオルグから消え失せていた。

 




社会秩序維持局ってどんな感じだろうなと妄想してたら、シュタージ化してしまいました。
いやシュタージの場合、国民の10人に1人が秘密警察関係者という恐ろしい数字があるから、シュタージよりマシなのかも。


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黄金樹のはらわた②

 ゲオルグは言葉巧みに現帝国政権の内幕を聞き出していた。軍部の権力拡大が官僚たちの不満を招いているという事実である。ゲオルグの古巣の内務省警察総局が軍務省憲兵隊の監視下におかれていることを筆頭に、旧門閥貴族の色が濃い部署はすべて軍部の干渉を受けているというのである。特にゲオルグの祖父クラウス・フォン・リヒテンラーデが尚書職を経験したことがある内務省・財務省・宮内省・国務省に対する軍の干渉が不満の原因となっているようだ。

 

 銀河帝国には国務・軍務・財務・内務・司法・学芸・宮内・典礼の八個の省が存在する。軍部そのものである軍務省を除けば、諸侯との折衝や地方総督府の運営などを担当する国務省、予算編成や民衆からの徴税を担当する財務省、国内治安を担当する内務省、皇帝の庶務を担当する宮内省の四つの省は帝国を政治的に運営する上で極めて重要な部署である。この四つの省さえ支配してしまえば、権力に屈することが常態化してる司法省、帝国政府の公式見解と矛盾するようなことは決して発表しない学芸省、ほとんどの決定権が他の省庁に奪われている典礼省は、極論すれば無視してでも帝国全体を問題なく運営できる。

 

 だからそれらの省を古巣の軍部の干渉下に置くのは、ラインハルトが帝国に君臨する上で決して間違っていない判断だ。しかし自分たちの管轄に武官が干渉してくるのは、文官達にとっては面白いはずがなかろう。既にリヒテンラーデ一派の影響を払拭できたと判断された部署への監視は減らされていってはいるようだが、この不満を利用することはできないだろうか。そう頭の中で考え始めていたゲオルグに対し、オスマイヤーは軍からの干渉の一例を出した。

 

「最近になって、秘密警察の再設置を義眼の上級大将が提案するようになった」

「義眼の上級大将といえば、総参謀長のオーベルシュタイン上級大将のことか」

 

 パウル・フォン・オーベルシュタイン。両目が義眼で血色の悪い肌をした不気味な軍人。優秀な軍官僚で裏仕事に長けているというのが、ゲオルグの評価である。大佐の時にイゼルローン要塞駐留艦隊司令部の幕僚を務めていたが、第七次イゼルローン要塞攻防戦において上官のゼークト大将の旗艦に同乗していたが、ゼークトの玉砕命令に従わずに一人脱出用シャトルに乗って逃亡した。本来であれば命令違反と敵前逃亡、ついでに司令部唯一の生き残りでもあったから裁けなくなった上官の代わりに要塞失陥の全責任も取らされて処刑されていたであろうが、ラインハルトの思惑によって軍法会議を免れた。

 

 その後はラインハルトの側近になり、若すぎる覇者の為にさまざまな貢献をしたようだ。四八七年に大挙して帝国領に侵攻してきた同盟軍との戦争や四八八年の門閥貴族連合軍との内乱において、悪辣な謀略を実施したようである。表沙汰にできるようなことではないのでゲオルグも全貌は知らないが、同盟軍を飢餓状態に陥らせるような状況を作り出したり、門閥貴族連合軍の内部分裂を促進するようなことをしていたようである。その貢献によってオーベルシュタインは上級大将の地位とローエングラム元帥府事務局長と宇宙艦隊総参謀長と統帥本部総長代理の三つの重職を兼任することになり、新体制においては巨大な権力を手中に収めている。二年前までイゼルローン要塞駐留艦隊司令部の幕僚の一人にすぎなかった大佐とは思えないほどの出世ぶりである。

 

「噂に伝え聞く彼の人物像と秘密警察という組織の親和性は実に高いが、なぜこのタイミングで秘密警察を再設置する必要があるのだ? 開明政策で人気取りに励んでいる現状での再設置は少しばかり問題があるように思うのだが」

「その通りだが、オーベルシュタイン上級大将は近頃一部の元貴族領でメディア会社がローエングラム公に対する批判を行いだしたことに、なにか謀略めいたものを感じているらしい。裏に門閥貴族残党による組織が暗躍している可能性をあげて、それに対処するために秘密警察の必要性を主張しているのだ」

「それは……。いささか猜疑心が強すぎるのではありませんか」

 

 ゲオルグは平静をたもってそう言ったが、内心は疑念を抱くのが早すぎると冷や汗を流していた。たしかに元貴族領のメディア会社に所属するジャーナリストたちと秘密裏に接触し、彼らの反ローエングラム感情を煽ってそういった報道を行うよう仕向けていたが、こうも早く疑念を抱くか。伊達に裏仕事に関わっているわけではないようだ。

 

「私もそう思う。ローエングラム公も同じように思ったらしい。無力な元貴族が不平を鳴らしているだけだと仰られていたが、義眼の上級大将はそれでもなお必要性を訴えているのだ。指名手配されている大貴族の残党がいる可能性もあるのだと言ってな。……そういえば、ゲオルグ・フォン・リヒテンラーデの名も何度かあげていたな」

「……迷惑極まるな」

 

 腹立たしそうにそう呟き、ゲオルグはアップルジュースが入ったコップをあおった。ハイデリヒにドリンクバーで大量にジュースを汲んでくるよう命じていたので、ボックスの机の上は飲み干して空になったコップとまだドリンクが入ったコップによって占領されていたのである。

 

 幾人かの候補中の一人であるとはいえ、自分も疑われているとは実によろしくない。もう何十人かメディア会社の重職にいる者と接触しようと考えていたが、オーベルシュタインの光コンピューターの情報処理装置に捕捉されかねないから、しばらくは控えるべきかもしれない。しかし随分と嗅覚の鋭いことだ。

 

 ふとゲオルグはオーベルシュタインという男に関する噂を思い出した。オーベルシュタインが義眼なのは幼いころに事故にあって両目を失ったからとされているが、本当は遺伝的な理由で生まれた時から盲目であったのだが、当時のオーベルシュタイン家当主が権力と財力で誤魔化したのだという噂である。根拠のない誹謗中傷の類であることが多い宮廷での噂のひとつであったから、いままで別段気に留めていなかったのだが、案外本当のことであったのかもしれない。

 

 噂が真実であったと仮定すると、オーベルシュタインが自分のことを疑うのは、むしろ当然だろうとゲオルグは奇妙な納得ができるのだ。当主の決定とはいえ、ルドルフ大帝が定めた生きるに値しない命が、一族の末席に名を連ねて生きていることを許容できない者たちが相当数いたであろうことは想像に難くない。そういった障害を踏み潰して今まで生きてきたのだとすれば、自分の経歴から同類の臭いを嗅ぎとったと考えられるからだ。

 

 名門貴族リヒテンラーデ家当主クラウスの長男エリックの子として生まれたゲオルグであるが、その立場は決して安定したものではなかった。だいたいの原因は父親エリックのせいである。元より見るべき才能がなかったが、祖父の威光で財務官僚になったものの、所属する部署の仕事を五週間にわたって停滞させるという事態を発生させた。息子の無能さにクラウスは愛想を尽かし、形式的な事務仕事しかやっていないと噂される典礼省の中でも必要性が疑われるほどの部署に転属させた。事実上の厄介払いである。

 

 いかに長男であるとはいえ、クラウスはリヒテンラーデ家をエリックのような無能者に託してよいだろうかと長い間苦悩した。やがて面倒な前例ができるが、宮内官僚として経験を積んでいた次男のハロルドを次期当主にしようと決断し、彼にその為の教育を行うようになった。そんな時に誕生したのがゲオルグである。

 

 ルドルフが唱えた父の素質は子にも大きく受け継がれるという遺伝理論が信奉される帝国であったから、無能なエリックの子として生まれたゲオルグに期待するものはほとんどいなかった。しかしこのゲオルグが幼少期から類まれな聡明さを示したのである。おまけにスポンジが水を吸収するようにどんどん知識を身につけていくゲオルグの姿を見て、クラウスはゲオルグも次期当主候補の一人として考えるようになり、しばらく経過を見守るべくハロルドへの次期当主指名するのを延期した。

 

 当然のことながら納得いかないのがハロルドである。自分は次期当主として鍛えられていたのに指名を延期とはどういうことか。自分は帝国有数の名門貴族家の次期当主になれたはずなのだ。なのに今になって無能な兄の子が次期当主になる可能性がでてきて、自分が風下に立たされるかもしれないのである。そんなこと許せるはずがなかった。

 

 かくしてゲオルグは一〇歳にもなっていない年頃から、叔父に殺意を抱かれることになった。父のエリックは巻き添えで殺されたらたまったものじゃないと見て見ぬふりを決め込み、祖父クラウスは次期当主には謀略の才能も必要だろうと考え、表沙汰になったり他の大貴族が介入してこない限りは傍観を決め込んだ。だからゲオルグは自らの器量と才覚だけで味方を集め、おのれの命を狙う叔父の一派に対抗しなくてはならなかったのである。

 

 このリヒテンラーデ家次期当主の座を巡る暗い暗闘は十年近く続いた。その過程でゲオルグは自分を愛してくれた母を失い、若すぎる自分に忠誠を誓ってくれた部下も少なからず失った。ゲオルグ自身も刺客に何度も命を狙われ、一度は食事に毒を盛られていることを見抜けずに生死の狭間をさ迷ったことさえあった。ゲオルグのどこか異様な精神性は、このような環境によって育まれたものであった。

 

 この陰惨な対立は四八六年九月に決着を見た。宮内尚書にまで出世していたハロルドが車での移動中にエンジントラブルによる爆発で事故死したのである。しかしゲオルグとハロルドの対立関係を知っていれば、これは暗闘の結果であると容易に予想できるだろう。実際、手に入れたばかりの警視総監としての権限を利用したゲオルグによる謀殺が真相であった。

 

 そのような苦労を経て、ゲオルグはエルウィン・ヨーゼフ二世の即位と同時に内務次官となり、クラウスによって正式にリヒテンラーデ家次期当主として指名されてようやく確固とした立場を築きあげたのだが、それからわずか一年後にラインハルト派によってリヒテンラーデ派が粛清され、今度は帝国という国家そのものに命を狙われる立場に置かれていることを考えると、ある意味とても悲惨な人生を歩んでいると評する者もいるのかもしれなかった。

 

「……しかし秘密警察の再設置か。そうなると元社会秩序維持局の局員を再登用することになるのかな。保安中尉、もしかしたら再就職できるかもしれんぞ」

「さあ、どうでしょうね。秘密警察を再設置するとしても社会秩序維持局の悪名まで継承させる気がオーベルシュタインにはないでしょう。再登用される元社会秩序維持局局員は下級幹部と末端のみで、ほとんどが新人ということになるのではないでしょうか。そうなったら支部長副官をしていた自分がまた秘密警察に所属できるとは思えません」

「うむ。もっともな理屈だ。だがそれにはひとつ問題があるぞ。そんな下級幹部と新人だらけの秘密警察を設置したところで、社会秩序維持局ほどの捜査能力を期待できるはずもない。そんな中途半端なものにするくらいなら、いらないとオーベルシュタインなら言うのではないかな」

 

 そう言って、ゲオルグは視線をオスマイヤーに戻した。

 

「いかにオーベルシュタインの提言であるとはいえ、国内治安に関わる仕事ではあるから、社会秩序維持局がそうであったように、あなたの内務省の下に新しい秘密警察が再設置されると思うのだが、内務尚書閣下はそのあたりの構想についてはなにか御存知か」

 

 わざわざ内務省の下に設置されるだろうと前置きしたあたりが、ゲオルグの狡猾さである。今までの話からオスマイヤーの性格をある程度理解し、そしてオーベルシュタインにたいして好ましからざる感情を抱いていることを察し、内務省の人事に軍人が口挟んできている不快な状況を改めて強調したのである。

 

 効果は覿面であった。内務尚書としてのプライドを刺激されたオスマイヤーは、オーベルシュタインに対する不快感も手伝って、目の前のいる人物にそれを漏らすのがよくないことを承知しているのに話してしまったのである。

 

「オーベルシュタイン上級大将は旧社会秩序維持局の指導層にいた者の中で私行上の問題がなく、能力もあって、新体制に忠誠を誓った者に指導権を託し、秘密警察を再建させようと考えているらしい。私はとんでもないことだと思うのだが、大半の軍幹部や開明派官僚も秘密警察の再建には否定的なのだ。それにローエングラム公もその必要性を認めていないのだから、それ以前の問題だな。なのにあの男は今の秩序に荒波を立てようとしているのだ」

「秘密警察に限らず、武人は官僚が力を持つのを好まないものだからな。しかしなぜ開明派官僚は否定的なのだ」

「開明政策の後退につながるからだ。部下の民政局局長のカール・ブラッケなどは強硬に反対している。それどころか軍務省によって軟禁されている社会秩序維持局の幹部連中を、纏めて処刑してしまえとな」

「ずいぶんと過激な主張だな」

 

 ゲオルグは苦笑した。カール・ブラッケはオイゲン・リヒターと並んで開明派と呼ばれた官僚グループの主導者と目されていた人物だ。ただリヒターと違って頑固な教条主義者であったので、リヒテンラーデ派官僚グループと協力することはほとんどなかったから、ゲオルグはブラッケのことをあまり詳しくは知らない。

 

「しかしローエングラム公は社会秩序維持局の幹部連中をどうするつもりなのだ?」

「詳しくは知らないが、民衆弾圧を目的としていたとはいえ、公的な機関であったのだから、職務に忠実に励んでいただけの者達を処断するのをローエングラム公は望んでおらぬようなのだ。だから職務に関係ない範囲で民衆を虐げた者のみが処断を受けることになるのではないかと思っている。私もそれに賛成だ」

「……なるほど」

 

 意味深に頷き思考に入ったゲオルグに、オスマイヤーはちょっと喋りすぎたかと口をつぐみ、机の上に大量にあるジュースが入ったコップのひとつを手に取って喉を潤して緊張をほぐした。

 

「秘密警察の再設置の可能性についてはよくわかった。ところでこれは個人的な疑問なのだが、あなたはどう思っているのだ?」

「?」

 

 オスマイヤーはあまりにも大雑把な質問に首を傾げた。

 

「失礼だが、なにに対してだ?」

「しれたこと。現体制が推し進めている開明政策のことだ」

「……良いことだと思っているが」

 

 いったいなにを意図しての問いなのか、オスマイヤーは理解できず、少し考えた末に正直に答えた。今の施政は旧体制と比較するまでもなく素晴らしいものだ。官憲の高圧的な姿勢は改められ、民衆の生活水準は飛躍的に上昇している。それに個人的なことになるが、たいして身分が高くない自分の能力が正しく評価され、辺境の政務官から内務尚書に大抜擢されるようなことも旧体制ではありえなかったろう。

 

 そう思えばこその答えだったのだが、ゲオルグはこれみよがしに息を吐きだした。それは無知な愚か者を馬鹿にするようなしぐさであり、オスマイヤーは不快感にかられたが、それも一瞬のことだった。

 

「自らの首を絞めるようなことが良いことですと? どうやら私は閣下を見誤っていたようですな。あなたはおのれが破滅してでも民を慈しむほど犠牲精神に溢れておられるとは」

「どういう意味だ!」

 

 オスマイヤーは拳を机にたたきつけて叫んだ。それは自分のプライドが傷つけられたゆえの怒りによるものであったが、だがその怒りの中に不安や恐怖という不純物が紛れ込んでいることをゲオルグは見抜き、微笑んで見せた。

 

「言葉通りの意味ですよ。ローエングラム公がこの帝国の伝統を変えようとしていることは御存知でしょう。それも穏健に階段を一段ずつ上がるという形ではなく、数段飛ばしで劇的に行おうとしていることも……ね」

「おまえはローエングラム公が改革に失敗するとでも言いたいのか!」

「いえいえ、そういう意味ではありません。現宰相閣下は改革を成功に導けるだけの剛腕を有しておいでだ」

 

 あっさりと肯定されて、オスマイヤーはやや拍子抜けした。ローエングラム公の改革が成功するというなら、いったいどこに問題があるというのか。ゲオルグはことさらゆっくりとジュースを飲み、オスマイヤーが自分でも説明できない不安を募らせていくのを観察した。

 

「私が問題としているのは劇的な改革であるということなのですよ」

 

 いつ頃、どのような形で行うかまではわからないが、そう遠くないうちにローエングラム公ラインハルトは皇帝エルウィン・ヨーゼフ二世から志尊の冠を奪い、ローエングラム王朝が誕生させるだろう。ローエングラム王朝は支配の正当化のためにも、民衆を虐げることが常態化していたゴールデンバウム王朝とは違うことを帝国二五〇億の人民に知らしめる必要に迫られる。

 

 皇帝ラインハルトは万難を排し、それを成し遂げるだろう。だがラインハルトがいかに並外れた剛腕の持ち主であるとはいえ、劇的にそれを成し遂げると世代間の価値観の乖離という現象が発生するのは避けられない。ゴールデンバウム王朝の恐怖と弾圧によって民衆を支配した世界を、ローエングラム王朝の自由で権利に溢れている世界で育った新世代は知識として知ることはできても、肌で理解することは決して不可能だ。あまりに現実味というものに欠け、その時代の生活を想像することすらできないかもしれない。

 

 そうした若者たちは大人たちの正義感や勇気の欠如に怒り、その責任を追及しだすのはごく自然ななりゆきとはいえないだろうか? なにせゴールデンバウム王朝においては「悪いことだがどうしようもない」と、みんなが見て見ぬふりをして諦めていたことであっても、開明的で公正なローエングラム王朝では「どうしようもなくても悪いことはするな」と若者に教えるであろうから。

 

 段階的に改革を実施していくのであれば、こうはならないだろう。徐々に良くなっていくのであれば、下の世代にも親の世代がどのようなものであったかまだ想像できるだろう。しかし劇的な改革である以上、程度の差はあれど世代間の価値観の乖離は、必ずや劇的な形で発生するのである。

 

「私は少しばかり歴史を学びました。その知識から言わせてもらいます。はるか昔のことですが、恐怖政治によって民衆を支配した帝国が滅び、残された民衆が自らの手で新しい国家を築き、帝国時代は邪悪だったと新政府が叫び続けること約二〇年。新国家の空気の中で育った純粋な若者どもが帝国時代の過去を糾弾し、なぜ邪悪な帝国に協力したのだと当時の国民の責任を追及しだした例があるのだ。帝国の恐怖政治がどれほど恐ろしいものであったのか、抗えないものであったのか理解せずにな。その時の若者たちが掲げたスローガンが、たしか“三〇歳以上は信用するな”だったかな。その若者たちの純粋な正義の情熱たるや凄まじいもので、特にその個人が犯罪行為を行ったわけではないが、帝国で民衆の虐殺を実施した部署の末端に所属していたからという理由で、その人物も犯罪組織に所属した罪があると批判対象にし、そのはてに処刑してしまったとか」

 

 なんのこともないようにゲオルグは語り続けた。オスマイヤーの顔からはすっかり血の気が失せていた。

 

「あなたはかつて社会秩序維持局のIMだった。にもかかわらず、開明政策が続々と実施され、帝国が劇的に変容していくのを良しとしている。これは人並み外れた勇気と犠牲精神がなければ不可能なことです。だから見誤っていたと言ったのですよ」

「……………当然だろう」

 

 だれがどう見ても本心から言っていないとまるわかりな態度で、オスマイヤーは言った。彼は開明政策が国をよくすると思い込んでいたのだが、成功した場合に訪れるかもしれない自分の苦境を想像できてしまったのである。もし若い世代が一丸となって旧体制の悪事を調べだした時、自分の過去が暴かれないことなどありえようか?

 

 むろん、オスマイヤーは望んで社会秩序維持局に協力したわけではない。だがそのような時代が訪れた時、自分にはどうしようもなかったということを若い世代は理解してくれるだろうか。ゲオルグが語り続ける具体的で悲惨なエピソードをBGMに、オスマイヤーは不安を募らせた。

 

「今日は実に有意義な会談でしたな」

 

 話が一段落すると、ゲオルグはそう言ってソファーから立ち上がり、帰り支度を始めた。

 

「私がIMであったことを秘密にしておいてくれるのだろうな」

「ええ。大神オーディンと我が主君ゲオルグ・フォン・リヒテンラーデの名に誓いましょう。もっとも、われわれがあなたの過去をおおやけにするとあなたも私たちの情報を話すでしょうから、誓わなくてもリスクが大きすぎてできないでしょうが」

「なに?」

「最初にも言いましたが、私はリヒテンラーデ閣下の信厚き身なのですよ」

 

 そう言ってゲオルグは魅力的な笑みを浮かべて手を差し出した。

 

「閣下とは今後も友好的でありたいのですが、立場が立場なので表立ってそうあれぬことが残念でしかたありません」

「……ふん」

 

 差し出された手をしばらく見つめていたオスマイヤーだったが、不機嫌そうに鼻息を吹いた後、渋々握り返した。今までの会話からして、ディレルという青年はかなり大きな判断もゲオルグから許されている(本人だから当然である)であろうことが予想できたので、無視して相手の機嫌を損ねるわけにはいかず、かといって喜んで握り返すのも自分が彼らに好意的であると認識されかねない。なので不機嫌さを出しながら握手をすることで自分の立ち位置を示して見せたのである。

 

 ゲオルグは個室を出ると受付で代金を支払った。そして別れ際にオスマイヤーに「一緒にきている家族には酒の飲みすぎで気分が悪いと言っておいた方がよいですな」と助言し、タクシーを拾ってハイデリヒと一緒にホテルに戻った。

 

「あれでよかったのですか」

 

 ゲオルグが借りている部屋の中で、ハイデリヒは問う。いろいろな理由があって、二人は別々に部屋を借りていたのである。その理由のひとつが、私事の時のハイデリヒと同じ部屋で泊まるのは勘弁、というゲオルグの個人的なものであることは語るまでもない。

 

「なにがだ」

「内務尚書のあの狼狽ぶりだと、もう少し圧力を加えるだけで政府中枢の情報入手手段にすることだってできたでしょう。なのになぜあっさりと引き下がったのですか」

 

 内務尚書という駒を手に入れれば、それは強力な武器となりうるではないか。それはラインハルトに対して対立と和解のどちらを選ぶことになったとしても、おおいに有用であろう。なのになぜもっとはっきりと取り込もうとしなかったのか。そんなハイデリヒの考えをゲオルグは完璧に理解しているし、それを考えないではなかったのだから。

 

 しかしこの場合、内務尚書という武器が()()()()ことに問題があると思い、その考えを破棄したのである。内務尚書となることを目指していたゲオルグは、内務尚書の一挙一動に多くの者が関心を持っているということを弁えていた。だからこそ頻繁に接触するような関係になるのは考えものだったのだ。途中で何人も挟んでの文通という形をとるとしても、それが継続的に続けば不信に思う者が絶対にいる。オスマイヤーを取り込んだ結果、帝国政府に自分の所在が知られるようなことになったら本末転倒もいいところだ。

 

 ラインハルト率いる軍人一派は、統治上重要である各省が反逆してくる可能性を考えていないような、お気楽な連中ではないのだ。ラインハルト派が各省を監視していることから明らかである。オーベルシュタインという、優れた嗅覚を持っている猟犬も相手にはいることだし、少なくとも今の段階では慎重を期してオスマイヤーと頻繁に接触するのは避けるべきである。これがゲオルグの出した結論であった。

 

「ではオスマイヤーと接触したのは、現時点での帝国政府中枢の情勢を知るためだけであったと?」

「そのためだけではない」

 

 ゲオルグがオスマイヤーに語った世代間の価値観の乖離の話は、まったくの嘘というわけではないが、いささか過剰な装飾をつけたものである。それでオスマイヤーに不安を抱かせることも目的のひとつであった。そうすることでオスマイヤーは改革に消極的になるだろう。これで新体制の改革姿勢が豹変するようなことはならないだろうが、内務尚書の非協力的態度によって改革がスローダウンすることにはなるだろう。

 

 それで不満を抱いたラインハルトの命令によって、オスマイヤーが内務尚書から解任されたり降格するようなことになれば、ゲオルグにとってはじつに理想的な展開となる。

 

「オスマイヤーは内務省の再編でその並外れた有能ぶりを既に周囲に示しているのだからな。そんな男が改革に消極的になったというだけで処罰の対象となれば、ローエングラム公が手を組んでいる開明派の、政敵の権利でも守ろうとする愚かな信念を持っているあの連中も、公に疑念を抱いて非協力的になるだろうし、なにより内務官僚が不安を覚えるだろうよ」

「……そういえば、閣下とそれなりに関わりがあった者でも、現体制でも何人かが官僚としての地位を保っていましたな」

 

 現時点ではラインハルトの公正さを信じて職務に忠実たることで地位を保とうとしている彼らであるが、その公正さに疑問符がつけば地位を保つ別の手段を求め始めるのは自明の理。そうなればゲオルグはその者達と通じ、官界に間接的な影響力を手にすることができる。それによって官僚とラインハルトの対立を激化させ、その混乱の中で復権の足掛かりを掴もうとしているとハイデリヒは洞察し、ゲオルグは満足気に頷いた。

 

 しかしそこまで理想的になる可能性は低い。せいぜい内務尚書とラインハルトとの関係に微妙な不和が生まれる程度だろうが、それが長期化すればそれも政治的な混乱を産み落とす一要素にはなるだろう。ずいぶんと気長なことであるとゲオルグも思うが、数年で復権を達成できると思えるほど現状を楽観していなかったので、やっておいて損はないと考えていたのだ。

 

「それにな。帝国政府の動向を掴むための方法は他にあるのだ。まだ不完全だが」

 

 ゲオルグは秘密組織の再建と平行して、構成員を公的組織に多数潜り込ませる作戦を実施していた。中央省庁の下部組織や、地方の総督府・病院・裁判所・軍隊・警察などにである。新体制は旧体制との違いを示すため、実力主義を標榜し、多少経歴が怪しくても能力があるなら気にしない風潮があることを察したからである。

 

 もちろんそれなりの責任が伴う立場になれば、詳しく経歴を精査される危険性があるので、潜り込ませた構成員の組織内での地位は低いので、帝国政府中枢がなにを考えているのか、その全体像をつかむことなど不可能である。だが、彼らが掴んだ情報を集めて精査すれば、帝国政府中枢がどのような思惑を抱いているのか推測を立てることが可能になるのだ。まだ潜り込ませている数が少ないので、集まる情報も少なく、推測するのは困難なのだが、地道に数を増やすことによって問題は改善されるはずであった。

 

 だがゲオルグはある不安を抱いた。待て。旧貴族領の地方メディアが反ラインハルトの扇動をしていることに、オーベルシュタインが疑念を抱いている、という事実を軽視してもよいものであろうか? まだ中枢の多くの者がその疑念を共有していないとはいえ、長い時間をかけて彼らを説き伏せ、政府全体による綿密な調査の末に自分のところまでたどり着くかもしれぬ。そんなへまをした覚えはないが、オーベルシュタインの嗅覚の鋭さが、自分の注意深さを凌駕していない保証はどこにもないのだ。

 

 考えすぎだと思わないではないが、それでもゲオルグはもし自分の事を特定された時の対策の必要性を感じた。オーベルシュタインだけではなく、体制側のだれかにゲオルグ・フォン・リヒテンラーデであると知られただけで、自分の人生はあっけなく終焉を迎えるのである。それを思えば警戒しすぎであるということもあるまい。そう思ってゲオルグはメモ用紙に走り書きし、ハイデリヒに手渡した。

 

「きみにはこの住所にいる、この人物と会ってほしいのだ」

「……だれです?」

「私の知り合いだ。この人物と協力し、きみにある任務を果たしてほしいのだ」

 

 翌日、ハイデリヒは任務遂行のためにクロイツナハⅢを後にし、ゲオルグはもう一日だけ歓楽地を満喫して二日後に惑星オデッサへの定期便にのり、仮の自宅へと帰った。




ゲオルグが見つかれば死ぬ立場なのに、平然としてられるのは昔の経験のせいです。
誰かに命を狙われる環境というのが当たり前すぎて、その辺の感覚麻痺してるんです。


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亡命政府構想①

 数ヵ月ぶりに表向き勤めている会社に出勤したゲオルグは、社内に設けられた警備主任執務室にてシュヴァルツァーから現在の状況報告を受けていた。いかに重役であるとはいえ、警備員に過ぎない者達が、流通会社の運営方針を議論するなど、どう考えてもおかしいのだが、このズーレンタール社の弱みを握って会社を実質的にゲオルグは支配していたのだ。

 

 しかしそのことに多くの社員は気づいてない。会社の様相が変貌していることに気づいているのは上層部のみであって、ゲオルグは彼らを脅して口止めしているのである。グリュックス社長はもちろん、こうした自社の状況に思うところがあるのだが、決して行動に移すことはできなかった。もし叛逆など志した場合、間違いなく自分も処刑台に送られる。これはグリュックスに限らず、この会社の幹部の総意であり、彼らは保身のため、ゲオルグという絶対君主の臣下たることを選んだのである。

 

 会社の経営報告が終わった後、秘密組織の話題へと移った。

 

「公的機関への構成員の浸透は順調です。特にシンドリア星系、アルデバラン星系、ヴァン星系、スルト星系の各機関への浸透は目標値を達成できており、領主府や総督府の思惑を読むのも容易いかと」

「よくやった。だがいくら地方政府の動きが読めたところで、中央の動きが読めない状況に変わりはなし、か。肝心のヴァルハラ星系の状況はどうなっているのだ」

「ヴァルハラ星系の公的機関への浸透は、目標数値の一二・一パーセントにとどまっています。しかも中央省庁は軍の監視が厳しいので、どうしても病院や交通機関への浸透の割合が大きくなり、中央省庁の末端に潜り込めたのは全体の七・四パーセントに過ぎません。しかもその内、七八・九パーセントまでが典礼省所属というおまけ付きでして」

「ふむ。やはり帝都オーディンへの浸透は、そう簡単にはいかぬか」

「ですが、一つ朗報があります。私がオデッサに来る時に利用した、軍内部の秘密輸送組織と協力関係の構築に成功しました。むろん、彼らには彼らの思惑があるでしょうから、単純に味方と考えるわけにはいきませんが、軍の輸送物資についての情報を掴むことができるのは大きいでしょう」

「その組織のボスは、かなりの軍高官ではなかったか。危うくはないか」

「今になっても摘発されず、平然と犯罪行為を繰り返している彼の用心深さから大丈夫だと判断しました」

「……よかろう。おまえの判断を信じることにしよう。それでこのグミュント星系の状況は」

「六八・三パーセントまで完了しております。しかし警察支部にあまり食い込めていないのが今後の課題です」

 

 ゲオルグはしばし椅子にもたれかかり、思考に耽った後、新しく質問をした。

 

「反ローエングラム感情についての各地の報告はどうか」

「閣下の働きにより、プルヴィッツ、ランズベルク、ノイケルン、ノイエリューゲンでは地方メディアが盛んに煽っていることもあって、民衆の反ローエングラム感情が表面化しております。それと隣接する元貴族領の惑星でも徐々にその空気に染まりはじめているようですが、現状ではローエングラム公への反感をおおやけの場で表明する以上のものにはなりえないかと。またこうした状況を受けて、現存している貴族領主の一部が呼応する形で反ローエングラム宣伝を盛んに自領内で行いはじめ、民衆も同調しているようです。特にアイゼンベルク、ライヘンバッハのものは先に挙げた先に述べた四つの惑星に匹敵するものがあるかと」

「……アイゼンベルク、ライヘンバッハについては少し心配だな。まだまだ反ローエングラム感情という油を増やすべき時なのに、やつらが暴発し、油に引火するようなことになれば、こちらの計画が狂いかねん」

「さすがにそれはないのでは? 警備隊程度の武力で現体制に叛逆するなど勝算が――」

「おまえは! 数年前のクロプシュトック侯が、勝算があってあんな無謀な叛逆を企てたと思うのかな」

 

 ゲオルグの口調は、最初以外はとても穏やかなものであったが、シュヴァルツァーは背筋に寒いものを感じた。帝国歴四八六年、ルドルフ大帝以来の名門であるクロプシュトック侯爵家当主ウィルヘルムが、帝室に対して叛乱を起こした。理由はクロプシュトック侯が約三〇年前の帝位継承争いの時に、当時の皇帝オトフリート五世の嫡男である勤勉で教養に富んだ有能だったリヒャルトでも、無能で遊蕩に耽っていた次男フリードリヒでもなく、行動力に恵まれて明朗快活だった三男クレメンツを次期皇帝として支持したのだ。

 

 次男フリードリヒは最初から帝位に就くことに興味がなかったので、次期皇帝の座を争ってリヒャルト派とクレメンツ派が争うことになった。この帝位争いにクレメンツは勝利できなかった。それでも宿敵だったリヒャルトが帝位についていれば、クロプシュトック侯は不満を抱きつつも納得したかもしれない。しかし帝位争いの結果はリヒャルト派とクレメンツ派が相討つ形で自滅し、漁夫の利を得る形でフリードリヒが勝利してしまったのである。

 

 次期皇帝として決まり、フリードリヒ皇太子となっても、フリードリヒは皇族としての自覚を持つことはなく、ひたすら遊蕩に耽り続けた。やがてオトフリート五世が崩御し、皇帝フリードリヒ四世となりおおせても同じであった。これでリヒャルトやクレメンツを次期皇帝にと望んでいた者達が我慢ならぬのは無理からぬことだろう。

 

 フリードリヒが無能者であることはだれの目にも明らかすぎたので、リヒャルト派・クレメンツ派を問わずフリードリヒの無能さを嘲笑った。なのにその無能が神聖にして不可侵なる銀河帝国皇帝になっているのである。両派に属していた貴族の無念のほどは察して然るべきであろう。実際、フリードリヒ四世が即位した後、帝国内は両派の残党による叛乱祭り状態であったほどだ。

 

 しかしクロプシュトック侯はクレメンツ派の重鎮として君臨していただけあって、冷静な思考を兼ね備えていたので、当初はかつての同志らと組んでフリードリヒ四世に挑むことを潔しとしなかった。それに一応、あの無能者だってルドルフ大帝の子孫であることに違いはないという認識があり、大帝に敬意を持つ大貴族として、他に皇帝に相応しい者がいないのに、そのような不敬を犯してもよいものかという感情的な理由もあった。

 

 だが約三〇年にわたって自分の領地から、ひたすら悪化し続けていく帝国全体の国情、そしてそうなっても相変わらず淫蕩に耽っているフリードリヒ四世を見続けるにつけ、クロプシュトック侯の大帝の血統に対する敬意より、フリードリヒ四世とその側近の無能者どもに対する憎悪が勝り、無謀な叛逆を行ったのだ。

 

 ラインハルトは帝国の国情を劇的に改善しているのは間違いないが、ルドルフ大帝の血が流れていないどころか、平民にも劣る生活を余儀なくされていた寒門貴族の出である。しかも、貴族領主にとっては鬱陶しいことこの上ない税金を課してきた暴君であり、いつまで彼らが短絡的行動にでないと言い切れるか、あやしいものであった。

 

「失礼しました。暴動まで発展させず抑えるよう、現地の者たちに指示を出しておきます」

「それでよい。あとフェザーンはどうなっている? シュテンネスの監視報告は滞っていないだろうな」

「はい。前と変わらず、その日稼いだ金を散財していく姿をクラウゼが確認していると。それと亡命貴族の社交界で奇妙な動きがあるという情報が」

「奇妙?」

「は。なぜか自治領主府の人間が、頻繁に参加しているらしいのです」

「たしかにそれは妙だな。フェザーン駐在帝国弁務官事務所はどう思っているのだ」

「前高等弁務官のレムシャイド伯が、自治領主府に招かれたという噂もありますので、フェザーンの情報収集活動とみているようです」

 

 本当にそれだけだろうか。いまフェザーンに亡命している貴族たちが、ラインハルトのことをそれほど知っているとは思いにくいが。ラインハルトは一代の成り上がり者であって、貴族同士のつながりというものから縁遠い存在であったから、彼らから情報を収集したところで大した益になるとも思えないが……。

 

 フェザーンがなにを考えているのか、ゲオルグは想像してみたが、途中で思考を打ち切った。いまの自分は帝国を舞台に、復権を目指しているのである。フェザーンがなにを企んでいようが、はるか遠い場所のことであり、自分に関わってこない以上、好きにさせておけばよい。 

 

「今後の課題も多いが、ひとまずは順調といったところか」

 

 ゲオルグはそう総括した。現在の状況に大きな不満はなかった。彼が考えている復権計画は長い時間を必要とするものであったから、拙速より巧遅を重視していたからである。

 

 ゲオルグが構想している復権計画を実現させるために、三つの任務を自らに課していた。

 

 まず一つ目の任務は、官憲の目を誤魔化しながら帝国内の情報を収集し、それを利用して工作するための耳となり手足となる秘密組織の構築することである。これは警察時代の経験や、リヒテンラーデ家の隠し資産という財源もあって、簡単に構築できた。あとは必要に応じて組織の秘密性を維持しつつ、拡充していくだけである。

 

 第二の任務として、第一の任務の方が優先されるが、それと並行して反ローエングラム的感情を各地で煽ること。これも順調に成功しているといってよい。だが、ひとつ留意せねばならいのが、その感情が高まりすぎて暴発するようなことは防がねばならないということである。なぜかというと、次の任務の実施にさしつかえがでるからだ。

 

 その第三の任務とは、反ローエングラム感情が高まった者達を、自分たちの息がかかっている者達によって組織化させることであった。それも反体制組織としてではなく、合法的かつ平和的な組織としてである。テロ活動によって帝国軍を一時的に混乱させることはできても、職業軍人の集まりである帝国軍を単独で打倒することは不可能であり、ラインハルトの帝国軍を打倒できるよう軍事組織など、銀河の向こう側の自由惑星同盟にしかない以上、暴力的反抗は下策である。ゲオルグは専制体制下における高級官僚としての復権を目的としているので、帝国軍が派手に混乱した結果、自由惑星同盟によって銀河を民主主義的に統一されたら、それはそれで困るのだ。

 

 よって、ここでも言論の自由を利用する。銀河帝国は専制体制を敷いていることに変わりはないのに、ラインハルトは、民主主義国家顔負けの権利や自由を人民に保障しているのである。これによって民衆のラインハルト人気が増大していることは疑いないが、つけ入るべき隙を生んでいる。つまり独裁体制が敷かれているのに、いわゆる“野党”のような組織を作り上げることが可能であるということで、きわめてゴールデンバウム的な色が強い勢力を生み出せるのだ。

 

 もちろんその勢力にラインハルトが政治権力を与えるとは思わないが、無視できるほど小さい勢力ではなければ、かなり鬱陶しい存在となることは間違いない。かといって武力でもって叩き潰す訳にもいかない。いかにゴールデンバウム的であるとはいえ、武力を持たず、法を逸脱してもいないまっとうな組織である。弾圧してしまえば、内部分裂が必至である。オットーからの情報によって、ラインハルト支持者の多くが“帝国人民の味方”であるという幻想を信じ、自分たちが優遇されればそれでよいという考えの者が、きわめて少ないということを、ゲオルグは熟知していた。

 

 だが、この第三の任務は多くの難題が積み重なっている。なにせリップシュタット戦役で没落した元貴族や、貴族連合軍に参加しなかった貴族が、さまざまな思惑で高まった反ローエングラム感情を利用しているからであり、合法的かつ平和的な組織としてまとめるのは、きわめて困難な事業であった。これが大きな課題となっているが、秘密組織の人員を使い、この難しい調整をするしかない。

 

 とはいえ、事前に想定していたことであり、計画は概ね順調であるといってよかった。ラインハルトが彼らを弾圧する挙にでれば、それが原因で発生するであろう内部対立を利用して復権するまでであるし、反ローエングラムの少ない声を煩わしく思いつつも許容する方向に行くなら、彼らを説得して見せると言って自分を売り込めばよい。自分ならどっちの展開になってもやり遂げられる自信が、ゲオルグにはあった。

 

「おまえの本領は暴徒鎮圧であるというのに、苦労をかけたな」

「いえ。そんなことは」

「そのお礼と言ってはなんだがな……」

 

 そう言ってゲオルグは執務机の引き出しから、ひとつの箱を取り出した。

 

「なんですかこれは」

「なにって……お土産。クロイツナハ(ドライ)の」

 

 シュヴァルツァーは引き攣った笑みを浮かべた。

 

「……お土産?」

「うん。古代フランス風菓子セットだ。帰ってからご近所さんに配って回ったんだが、なかなか好評だったぞ」

「ご近所さん?」

「平民というのは旅行先で土産を買って、帰ったらそれを配るものなのだろう?」

 

 そう言って、違うのかと首を傾げるゲオルグに、どう反応したらよいのかわからなかった。まさかそれほどまで民間に溶け込んでいるとは、シュヴァルツァーの予想を超えていた。

 

「その通りですが……」

 

 名門貴族の一員としてゲオルグ・フォン・リヒテンラーデのことを知っているだけに、ギャップというものがひどい。戦慄を覚えるほどに。

 

「いえ、なんでもありません。ありがたくいただきます」

「……?」

 

 シュヴァルツァーは菓子セットを受け取ったので、なにか釈然としないものを感じつつも、ゲオルグはなにも追求することなく、次の話題へと話をうつした。なにか要望や意見があるなら聞かねばならないし、ハイデリヒに託した任務など、ゲオルグが現地で決断した方針などについても話さねばならず、相談するべきことはたくさんあった。

 

 だいたい話し合うべきことを話し合った後、警備主任としての表向きの仕事を行い、夜の九時にゲオルグは退社した。しかし自宅を視認して立ち止まった。自宅の前に見慣れぬ女がいる。少し物陰に隠れて様子を伺って見たが、ずっと家に立ち止まっているということはなかったが、一定間隔で家の中を伺っているようだった。面倒なことになりそうだと思いつつ、携帯TV電話で会社のシュヴァルツァーに新しく指示を出し、家へと向かった

 

「失礼」

 

 自宅の敷地に入ったあたりで、女が声をかけてきた。ゲオルグは怪訝な顔で女を見る。

 

「……なにか」

「ズーレンタール社のゲオルグさんですね?」

「そうだけど……あなたは?」

「失礼しました。わたしはシルビア・ベリーニと申します。ムルズク・サービス社の営業課の社員でして」

 

 そう言ってベリーニは名刺を差し出した。その名刺には確かに女が言った通りの情報が書かれていた。

 

「我が社はぜひ貴社との――」

「そういう話なら、営業部の人に言ってくれないかな? 私は警備主任なので、会社経営の決定権を持っているわけではない」

 

 いかにもめんどくさそうにあしらった。

 

「たしかに決定権はお持ちではないではないかもしれませんけど……影響力はお持ちでしょう」

「しがない警備屋に?」

「それ以前にあなたは高貴な生まれのお方です。下々の者たちはあなたの意思を考慮せずにはいられないのではないかと」

「高貴? 私は平民の生まれだが? それに昨今、身分というものは急速に意味を失っている」

「そうかもしれませんけど、元帝国宰相の直系となると、やはり違うのではありませんか」

 

 瞬間、ゲオルグはこの女が全部知っていると悟り、どういう立場の人間であるのか必死で考えつつ、口は勝手に動く。幼い頃からの経験で、別のことに意識を向けていても、違和感のない会話ができる能力を身につけていたのである。

 

「それはまた奇怪な。私の先祖がそのような高い地位についていたとは知らないが、何代、何十代前カッセル家当主の話だい? それとも何百代前、まだ地球の地表に数多の国家が群雄割拠していた時代のことなのかな?」

「ほんの半年前までのことですわ。それにカッセルという家名でもありません」

 

 ベリーニは微笑みながら、そう言い返した。

 

「積もる話もありますし、ご自宅にあがらせてもらえますか」

「どうぞ」

 

 ゲオルグは逆らわなかった。このような態度をとるということは、少なくとも現体制に親和的な勢力の人間である可能性は限りなく低い。ならば家の中で話をする方が安全だと判断したのである。それにたぶん、この女も暗部に属する人間であるのだろうと推測してのことでもあった。自宅の扉を開け、廊下を横切り、書斎へと入った。

 

 書斎は中産階級の平民の家にあるものとして一般的なものであったが、指名手配中である家主の書斎と考えると生活感に溢れており、ベリーニが一瞬だけ表情に驚きの色を浮かべたのを、ゲオルグは見抜いた。しかしそれを表情には出さず、平然とした調子で手でアームチェアに座るようすすめた。ベリーニはそれを受けて優雅にアームチェアに腰を降ろし、ゲオルグもその対面にあるアームチェアに座った。

 

「さて、ムルズク・サービス社の営業者が、私になんのようかな」

「表向きの要件と裏の要件がございますが、どちらからがようでしょうか」

「表向きはわかる。貴社との関係を持つよう、グリュックス社長に働きかけてほしい。まあ、そんなところだろう」

「ご明察です」

「いらぬ世辞だ。それで裏の要件は?」

「あら、まだ働きかけてくださるのか答えをもらっていないのですけど」

「本題を聞いてから、判断させてもらおう」

 

 まったく動じず、ゲオルグは裏の要件の説明を要求した。ベリーニは露骨に肩をすくめると、呆れたような顔を一瞬だけ浮かべた。

 

「リヒテンラーデ閣下は、今もなお、エルウィン・ヨーゼフ二世陛下に忠誠を誓っておいでですか」

 

 ゲオルグは頷いた。実際のところ、幼すぎる皇帝にどのような感情も抱いていなかったが、昨年の即位の際に皇帝に文官の一人として忠誠を誓った身であるし、自分に害がそれほど及ばぬならば、帝国の藩屏として守護することにためらいなどなかったから、忠誠を誓ってるか否かと聞かれれば、頷くしかなかった。

 

「つまり相応の地位を与えられれば、陛下のために働くつもりがあると」

「貴族として恥ずかしくない程度には、な。しかしローエングラム公が権力の座にあり続ける以上、非現実的な空想話に過ぎぬ。それともなにか、あなたがローエングラム公に私の復権を認めさせるとでもいうのかな」

 

 冗談交じりにそう言ったが、帰ってきた返答はゲオルグの予想を超えていた。

 

「いえ、正統なる銀河帝国の亡命政府を設置し、ローエングラム公の陣営と戦う一員になっていただきたいのです」

「……なに?」

 

 亡命政府、というのは耳慣れない言葉であったが、読書家であるゲオルグはそう呼ばれる組織の存在が過去の歴史に存在したことを知っていた。クーデターや他国による占領などでその国の政治から排除された者たちが、外国に脱出してその地で組織する政府組織のことだ。基本的に他国の支援無くして設置することはほぼ不可能であり、現在の銀河情勢において銀河帝国の亡命政府などというものを設置できる勢力があるとすれば、ひとつだけである。

 

「あー、つまり、叛乱軍の領域内で、全宇宙を支配する銀河帝国の正統な政府を設立する、と?」

 

 冗談にしても笑えないぞと思いつつ、ゲオルグは自分の解釈を述べた。ベリーニがこともなげに頷くので、ゲオルグは表情が崩れるのを必死に堪え、内心では途方に暮れた。論理的に矛盾が多すぎるではないか。銀河帝国と叛乱軍、もとい自由惑星同盟は、ともに銀河連邦の後継国家を、人類社会を統治する唯一の正統政権を自称しているのだ。

 

 なのに同盟が帝国の亡命政府を認める、つまり他国の存在を双方が公的に認めるなど、どう考えてもおかしいだろう。ゲオルグの個人的な感覚としては、銀河連邦が銀河帝国にとって代わられてから、約二世紀後に帝国の元奴隷の民によって成立した同盟が銀河連邦の後継を自称するのはおかしいと思っていたから、同盟の方はまだ建前より実質を重んじるようになったと納得できなくはないが……。

 

 そしてそこまで考えて、ゲオルグはベリーニがどこの勢力に与しているのか、おおよその見当がつき、なんとも苦い思いを感じた。

 

「解せんな」

「? なにがです」

「フェザーンはどうしてこのような好意をわれわれに施してくださるのだ? ローエングラム公の陣営と結びついた方がよほどよいであろうに」

「……どうして私がフェザーンの工作員だとわかったのです?」

 

 ゲオルグはこれ見よがしにため息を吐いた。

 

「こんな提案をしてくるのは、同盟かフェザーンの工作員のどちらかだろう。そしてフェザーンの工作員は弁務官事務所や領事館事務所の役人や企業の一員という表向きの顔を持ってることが多いそうだから、たぶんフェザーンだろうとカマをかけてみただけだ」

 

 簡単に引っかかってくれたなと嘲笑い、ベリーニは顔を硬くしたが、ほんとうはゲオルグはフェザーンの工作員だろうと思っていた。フェザーンは帝国の自治惑星――という名目だが、帝国に対して貢納義務を負っていること以外は特に制約がない広範な自治権を獲得しており、帝国の国是上、国家として認められていない同盟と平然と外交関係を樹立していることからもわかるように、事実上の独立国家である。

 

 そのフェザーンは帝国と同盟の境界線上にある、フェザーン回廊に位置し、両国が戦争状態にあることによって両国間の交易を独占し、莫大な利益をあげている。古来から言うところの、戦争の当事者は悲惨だが、第三者であれば戦争は莫大な利益に繋がるという思想に忠実な商人たちの交易国家である。

 

 そんなろくでもない思想に忠実な守銭奴どもにとって、帝国と同盟の間に平和が訪れ、直接貿易が行われるようなことは、自国の立場を失いかねないことであり、いわば永遠の悪夢であった。それを防ぐためにフェザーンは成立初期から実に様々な裏工作でその可能性の芽を摘んできた。これもまたその一環ということだろう。同盟が帝国に戦争をする理由は“祖国と民主主義防衛の為”というのがあるが、“いまだゴールデンバウムの圧政に苦しむ民衆の解放”というのも大儀のひとつとされており、それを劇的に実施しているラインハルトと同盟の間で誼が通じることになりはしないか。それを危惧して。

 

 そこでラインハルトに激しく憎まれており、先のリップシュタット戦役時におけるブラウンシュヴァイク公の暴挙のせいで、帝国人民多数からも憎まれることになった旧体制下の我らが貴族勢力の出番というわけだ。貴族勢力と同盟が手を結ぶと、同盟との間に平和を築こうという意思がラインハルトにあっても、帝国の空気がそれを認めないだろう。旧体制のように言論統制をしていれば、そんな民意など踏みにじればそれで大丈夫なのだが、いまのところ、新体制は言論の自由を保障することにしてるようだから、そういうわけにもいくまい……。

 

「若くして内務次官になられただけありますわ。ご慧眼であらせますこと」

 

 ベリーニは色っぽく微笑んで持ち上げてみるが、ゲオルグは表情はまったく変わらず、憮然顔のままであった。若さに似合わず、色の方面にあまり興味がないのか、はたまた時と場合の分別がちゃんとできているらしい。

 

 ベリーニはすこし苛立ちを感じ始めていた。立場的には自分の方が圧倒的に有利なはずである。なにせ相手は指名手配犯だ。なのに話の主導権が握られっぱなしである。ゲオルグの経歴を知ってはいたが、能力を過小評価していたことを認めざるを得なかった。

 

「しかし閣下のご懸念も当然ですわ。上は真剣に迷っているようですよ」

「亡命政府を支援するか、私の所在をローエングラム公に売って新体制と誼を結ぶか、か?」

「ええ。はっきりとではございませんが、そういう雰囲気が自治領主府に流れておりまして……」

「なるほど……。それは困ったな……」

 

 少しばかりゲオルグの言葉の歯切れが悪くなった。

 

「私個人としては、ゴールデンバウムに悪い感情を抱いてはいないので、そのようなことは避けたいのですが、乗り気ではないとなると、上も非情な判断を下す可能性は否定できません」

「……ところでその亡命政府は、誰が指導しているのだ。ゲルラッハか?」

 

 ゲオルグは祖父の側近で、帝国副宰相の地位にあった男の名をあげた。

 

「いえ、レムシャイド伯が亡命政府の首班となっております」

「……失礼、私の記憶に間違いがないのであれば、彼はフェザーン駐在の高等弁務官だったと思うのだが」

「ええ。その通りです」

「亡命政府が正統なものであると証明する上で、せめて元閣僚級の人間が率いるべきではないのか。そんな正統性にも実行力にも欠けそうな組織に協力したくはないのだが」

 

 レムシャイド伯と直に面識はなかったが、優秀な外交官として評価されていた人間である。フェザーンの黒狐”こと自治領主ルビンスキーにやや押され気味ではあったが、高等弁務官としての職責を全うできるほどの外交能力を有していた。なのになぜこのような浅はかな計画の主導者になっているのだろうか。

 

 コルネリアス一世の大親征や二年前の同盟による帝国領侵攻の前例から考えると、回廊を超えて大規模侵攻し、一挙に銀河の反対側に城下の盟を誓わせるというのは、さまざまな悪条件からして、あまりに実現性が乏しいのではないかと思うゲオルグである。よしんば成功したとしても、ローエングラム政権打倒は同盟の軍事力が主となって達成されるのだから、亡命政府が帝国を実質的に統治するに際して同盟の要望に可能な限り答えなくてはならなくなるし、最悪の場合は帝国の看板をつけただけの同盟領になりかねない。

 

 おまけに亡命政府を率いるのは正統性が疑われる元高等弁務官であり、高等弁務官は国家戦略上の要職ではあっても、中枢にいた人間ではないのだ。たかが高等弁務官が敵国の助力を得て設置した亡命政府というのは、たとえ旧体制に心を寄せている者であっても二の足を踏むくらい、求心力というものに欠けているだろうに。その程度の計算もできないほどレムシャイド伯とは無能なのだったのであろうか。ゲオルグの疑問は膨れ上がったが、それに対する一定の答えはベリーニによって与えられた。

 

「無用な心配ですわ。亡命政府を指導するのはレムシャイド伯ですが、率いるのは別の御方です」

「……? どういう意味か」

「エルウィン・ヨーゼフ二世陛下です」

 

 言葉の意味が理解できず、ゲオルグは内心の困惑を素直に表情に出してしまった。魑魅魍魎の巣窟を生き抜いてきたこの男が、ここまで精神的に無防備な状態になるのも珍しいことであったろう。

 

「ローエングラム公によって新無憂宮(ノイエ・サンスーシ)に軟禁されている皇帝陛下を救出するための作戦が、亡命政府とフェザーンの共同作業によって実施中なのです」

「……だれが」

 

 想像を絶する展開の連続に、ゲオルグはほうけた声でそう問うたが、どういう情報を求めてそんな問いをしたのかゲオルグ自身わからなかった。ベリーニはだれが皇帝を救出するのかという意味で解釈したようで、その疑問に答えた。

 

「貴族連合軍に所属していたランズベルク伯とシューマッハ大佐の両名が、皇帝救出を担当しております」

「……」

 

 シューマッハとかいう人物は知らないが、ランズベルク伯のことならゲオルグもよく知っていた。ブラウンシュヴァイク派に属する貴族家の当主だが、どうもそのことに対する自覚が薄い人物で、自らの芸術的才能を発揮することに生きがいを感じ、学芸省主催の詩の朗読会に参加し、自作の詩の朗読で入賞してた男だが、いわゆる貴族的な能力――派閥闘争・領地運営などの才能には恵まれていなかった。

 

 ただ嫌味がないというか、天然というか、とにかく他人から嫌われないという、ある意味、最強の人柄の持ち主であり、交友関係がとんでもなく広かった。リヒテンラーデ派はもとより、ブラウンシュヴァイク派とは犬猿の仲であるはずのリッテンハイム派の貴族とも、平然と個人的な友好関係を構築していたほどで、本当かどうかは知らないが、芸術家提督と呼ばれるラインハルト派軍人のメックリンガーとも交友があるという噂があったほどである。

 

 そんな奴がなんで亡命政府の皇帝救出役とかいう、似合わないことをやっているのだろうか。ローエングラム公に投降し、反省の念を語れば赦されただろうに。いや、妙に潔癖なところがあったから、貴族連合軍に参加していながらローエングラム公に降ることを潔しとはしなかったのかもしれぬ。いやそれでも、フェザーンや同盟に亡命してしまえば、文化人として普通に生きていけるのではないか。

 

 ゲオルグのランズベルク伯に対する推測は、じつはあまり間違ってはいない。リップシュタット戦役後、ローエングラム公に降伏することを潔しとはせず、ランズベルク伯はフェザーンに亡命し、自らの文才で生きていこうと志したのである。そして自らの経験を本にしようと『リップシュタット戦役史』の構想を抱き、冒頭部を書き上げた時点で出版社に持ち込んだが、残念ながら出版に至らなかったのである。

 

 作品が面白くなかったというわけではない。ランズベルク伯の私的見解というか、貴族連合軍を過度に持ち上げる描写がかなり目立ったせいである。ブラウンシュヴァイク公を“帝国の伝統を守るべく立ち上がったが、力及ばずにローエングラム公に敗れた義憤の人”と描写しているのは、その最たるものであって、自領民を熱核兵器で虐殺した暴君という認識が全人類に定着している状況で、商業的にも政治的にも出版会社の評判的にも、危なすぎる内容であったからである。

 

 それに憤慨し、ランズベルク伯は心機一転した。自分は歴史の記録者ではなく、創造者なのだと定義したのである。そんな時にフェザーンの工作員から亡命政府構想を聞かされ、勢いに任せて参加することになったわけなのだが、ゲオルグはそんなことを知らないし、知っていてもなぜ文化面ではなく政治面での創造者たろうとしたとツッコミをいれたくなったことであろう。

 

いろいろとわけのわからない展開に衝撃を受けていたゲオルグだったが、それでも冷静な思考を取り戻し、脳裏では迅速なリスク計算を行っていた。少なくとも、亡命政府構想に唯々諾々と参加するなどというのは、愚かしいことであることはわかりきっているのだから。亡命政府に関する質問で時間を稼ぎ、横目で緊急操作パネルにある表示が出ていることを確認すると、ごくさりげない調子で切り出した。

 

「……それで亡命政府の交渉人はどこにおるのだ?」

「はい?」

「当然であろう。私を誘うならぜひ当事者と話し合いたいのだが?」

 

 さきほどまで聡明な調子で、こちらの話の全貌を察してきていたのに、急に的外れなことを問われたので、ベリーニはやや戸惑った。

 

「それは――」

 

 私たちに一任されていて――と続けようとした直後、唐突に勢いよくゲオルグが立ち上がり、驚いて一瞬膠着したベリーニの腹に強烈な蹴りをいれた。ベリーニは衝撃で肺の中の空気を全て吐き出し、呼吸を整えて顔を上げた時、黒光りするブラスターの照準が頭部に合わせられていた。

 

「さあ、早速、フェザーンと対等な交渉を始めたいのだが?」

 

 ブラスターを構えながら、ゲオルグはにっこりと魅力的な笑みを浮かべた。それは強力な毒気が含まれたものであった。




ゲオルグの困惑を現実にたとえて解説。

北朝鮮の将軍さまが、自分で物事を考えられない幼児になったので、その補佐をする人たちによって国家運営が行われることになりましたが、補佐同士で権力争いが発生しました。
権力争いに負けた側に属してた外国駐在大使が亡命し、他国の工作で亡命政府首班になります。
その亡命政府は韓国に設置する予定で、政治的正統性のために幼い将軍さまの誘拐を企みます。
将軍さまを誘拐する現地実行者は、豊かな文才を持つことで有名な脱北者の詩人です。

ゲオルグ「わけがわからないよ」


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亡命政府構想②

「美女に暴力をふるい、銃を突きつけて対等な交渉なんて、よく言えるわね」

 

 苦痛に呻きながら、ベリーニは言い返した。腹部の激痛はすさまじいもので、女性として大切な機能に深刻な障害がのこるのではないかというほどに強力な蹴りをゲオルグはかましたのだ。

 

「言えるとも。だってそうだろう? こちらは自分の情報が体制側に漏れれば、危機に陥る身の上だ。それを考えれば、これくらいやって初めてフェザーンと対等であろう? あなた個人に焦点を置くと、まったく対等ではないかもしれんが。しかし――」

 

 ゲオルグはシニカルに冷笑した。

 

「あなたが美人であることは間違いないが、わざわざそれを主張する意味がどこにあるのだ。もしかしてあなたが私に対する使者に選ばれたのは、美人局的な意味でもあったのかな。だとしたらフェザーンも存外、人を見る目がないことよ」

 

 ゲオルグは一二歳の時に気に入っていた美しいメイドが叔父に買収され、殺されかけたことがあるのである。だから美人だからといって、油断したりなんかしない。男だろうが女だろうが外見の美醜など、記号に過ぎないと思っている。

 

 外見だけなく内面にしても、彼にとっては同じことである。重要なのは自分にとってその人材が有益か否か、自分が扱いこなせるか否かであって、その条件さえ達成しているなら、どれだけ性格が卑劣で醜悪であろうが、あるいは自分に対して悪感情抱いていようが、ゲオルグはその人物を信用して使うことにためらいなどしない。

 

「こんなことをして、ただですむと思っているの? すぐ私の仲間が……」

「どうするというのだ? ローエングラム公に私を売るのか。何の意味もないからといって、フェザーンのことをなにひとつ自白しないほどお人よしではない。洗いざらい白状するぞ。亡命政府構想とか、皇帝陛下救出作戦……いや、はっきりと誘拐と言ったほうがよいかな」

 

 大変だなと笑うゲオルグだが、目が全く笑っていない。視線はこちらを警戒しているので、ベリーニは下手な動きをするわけにはいかなかった。

 

「あなたこそ私をどうするつもり? 邪魔だからといって殺すつもりかしら」

 

 自分を殺すことなんてできるわけがない。そう確信した上での言葉だった。ここは中流階級の人間の一軒家が立ち並ぶ住宅街である。いくら自宅の中であるとはいえ、自分を殺せば死体処理に困るはずだし、周りの目にもつくだろう。そんなことは、指名手配中のゲオルグにできるはずがない。そうタカをくくっていたのであるが、

 

「それも選択肢のひとつだな。感心にもここには、あなた一人でこられたようだし」

 

 その予想に反し、ゲオルグはこともなげに言い切って見せた。

 

「ッ! なにを……」

 

 自分を殺すと何の動揺も見せなかったことに加え、自分が一人でこの住宅街にきたことが見抜かれているのをベリーニは驚き、すぐにとりつくろったが、ゲオルグには無意味すぎた。

 

「誤魔化さなくてもいい。既に調べはついてるんだ」

「私と会ってから、ずっと一緒にいるのに?」

「ずいぶんと疑い深いな。いや、そうでなくては、ここに一人で来ることが上に認められるような優秀な工作員にはなれんか」

 

 称賛するようなことを言いながら、嘲笑の色が露骨に声音にのっていた。

 

「じつは、私の家の前をウロチョロしてるのを、気づいていたんだよ。まさかフェザーンの工作員とは、思ってはいなかったがな」

 

 ブラスターと視線をベリーニに釘付けにしたまま、ゲオルグは距離をとった。そして緊急操作パネルに近づき、火災時消火用の散水機のスイッチを押した。だが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、実際に放水は開始されなかったが、放水が開始されなくても外の散水機の「放水中」というランプがつく仕様になっていたので、外への合図になるのだった。

 

 その直後、ガチャリという音と共に、物々しい大男が三人、書斎までやってきた。全員、鍛え上げられた肉体の持ち主で、片手にブラスターを持っていた。彼らはゲオルグがシュヴァルツァーに命じて呼び寄せた事情をある程度理解している警備員たちで、散水機を使えない状態にして中に知らせたのも、彼らであった。

 

「オットー少佐」

 

 彼らがベリーニにブラスターを向けていることを確認すると、ブラスターをおさめてリーダー格の男にゲオルグは向き直った。

 

「問題なかったのだな?」

「ああ。この区画を探ってみたが、別に怪しい奴はいなかった」

 

 ゲオルグはひとつ頷くと、ベリーニ向き直った。その表情には優越感がにじみ出ていた。

 

「さて、ご覧の通りだ、フロイライン。あなたの死体ひとつくらい、痕跡も残さず処理できる」

 

 具体的には五体をバラバラにした上で、宇宙船から灼熱の恒星にめがけて放出させる。こうすれば死体など塵ひとつ残らないし、万一、第三者に発見されたところで、宇宙海賊の仕業かなんかだと発見者は思い込むに違いない。それなりの規模を持つ宇宙海賊やマフィアの類がよくやる手法である。

 

「そんなことができるのかしら。いまのあなたに」

「できないと信じて、隠してあるブラスターで一発逆転を狙い勝負するか。ただ、また新しい身分証明書を手に入れるために、あれこれと工作しきゃいけなくならから、個人的には勘弁してほしいのだがね」

 

 自分の偽装身分がフェザーンに掴まれており、ベリーニからの報告が滞れば始末されたとみて、フェザーンはローエングラム公に自分の情報を売るに違いなかったが、ベリーニが始末されたとフェザーン首脳部が判断するまでに、どれだけ早くても一日弱はかかるだろう。それだけの時間があれば、ズーレンタール社の重要記録を抹消できる。自分の家に関しては着替えや高級品だけ取って、放置すればよい。

 

 ただもう“ゲオルグ・ディレル・カッセル”の偽名は使えなくなるから、しばらくは諸惑星を流浪するほかない。新しい正式な身分を手に入れる方法はいくつか考えてはいるから問題はないが、秘密組織の方に多大な打撃を被ることはさけられない。秘密組織がその複雑な構造によって官憲の目を逃れている反面、その欠点として簡単に秘密組織の司令部を変更する便利な性質のものではないのだ。新しい司令部を築き、秘密組織の命令系統を再建にまた時間を割かれることになってしまう。だからゲオルグは可能であれば、そんな手段をとりたくはなかった。

 

「われわれとフェザーンの利益は決定的に対立しているというわけではあるまい。交渉の余地があるように思われるのだが、あなたの考えもそうではないか」

「……」

 

 ベリーニはなにも喋らなかったが、その沈黙が交渉に応じると雄弁に語っていた。

 

「では、私から提案させてもらうが、われわれには帝国の広範囲で活動している秘密組織を保持している。その組織の力を使って帝国内部から、亡命政府を支援することができる。具体的には、帝国領土を奪還しにやってくるであろう同盟軍と亡命政府軍の道案内を行うことができるし、二年前のような焦土作戦が行われないよう工作することだってできる。これは亡命政府においては、実に有益なことだと思うのだが、どうだろうか」

「……まさか、各地の支社の警備部門を視察という理由で、出張中だったのは」

「その通り。組織の拡大拡充のため、そして構成員にある任務を託すためだ。どうも、あなたたちフェザーンは私を民間に溶け込むような不遇な人生を送っている、と解釈していたようだが、舐めてくれるものだな」

 

 やや不機嫌さをにじませて、ゲオルグは凄む。ベリーニは自分が、リヒテンラーデ公の孫が側近のシュヴァルツァーと共にズーレンタール社の警備員として民間人に溶け込み、荒波たたぬよう平凡に暮らしているという情報を信用しきってしまい、現地確認をおなざりな形ですませてしまった迂闊さを呪い、自治領主府情報局中枢の無能に呪詛の声を内心であげた。

 

「それで、その見返りにあなたはなにを望むのかしら」

「そうだな……。ローエングラム体制打倒後に発足する新体制において、内務尚書の椅子を貰おうか。それと宮内尚書にも、こちらの活動の主要人物にする。当然、これらの省庁の人事権はわれわれが行使させてもらう。財務省、国務省の局長級のポストの任命権も二、三貰おうか」

 

 ゲオルグはちらりとオットーの姿を見て、そういや元貴族連合軍や追放された軍人も組織に加えていたなと思い、少し付け加えた。

 

「それと同盟軍の進行に呼応して、国内でテロ――レジスタンス活動を行う。その活動で功績をあげた者を、新帝国軍の要職につけること。これくらいかな」

「ずいぶんと過大な要求ですわね」

「過大? 敵地にとどまり、現地で反ローエングラム活動を行うのだ。これくらいの要求が認められないのでは、こちらの一方的な損というものだ」

「……」

 

 保身と打算、そして自治領主府への弁明になるか否か、ベリーニは必死で頭脳を回転させていたが、それでも平然とした表情をとりつくろうとしたが、さすがに無理があったようで、表情が平然としているにもかかわらず、冷や汗の筋が何本か走っているのを、ゲオルグは確認できた。

 

「まあ、あなたにも色々事情がおありでしょう。レムシャイド伯が私の提案に頷くかどうかもわかりませんし、一度おかえりになられたら、よろしいかと。しかしこのオデッサからは出ないでくださいね。そんなことをすれば、謎の第三者が警察にろくでもない密告をしかねませんよ」

 

 露骨な脅し付きであったが、ひとまず窮地を逃れられると知ってベリーニは内心随喜したが、それでもその感情を表には一切ださず、エリートビジネスウーマンらしい礼節をとった。男尊女卑な文化が根付いている帝国で育ったゲオルグにはどうにも違和感を感じるのだが、同盟やフェザーンでは働く人間など山ほどいるので、わりと普通なことなのかもしれない。

 

 社交辞令もそこそこに、次はズーレンタール社に商談という表向きの理由を受付に言って訪れること。そこでもっと具体的な交渉をしようとゲオルグは告げ、ベリーニはそれを了承する形となった。これからはそこで商談という名の陰謀交渉が行われることとなるだろう。

 

「いよいよ表立って動けるということですかな」

「いささか以上に、早すぎるし、性急にすぎると思うのだがな」

「なぜです? フェザーンと同盟が力を貸してくれるなら、あの生意気な金髪の孺子と互角以上に戦えると思うのですが」

「きみはそれでよいかもしれんが、私が困る」

 

 ラインハルトへの殺意一筋なオットーのやる気満々な態度に、ゲオルグはため息をついた。正直に言って、気になるところが多すぎる。まず第一に、いったいどのようなルートでフェザーンは自分がここに潜伏しているという情報を掴んだのであろうか。最初は、秘密組織の行動から細い糸を手繰り、自分のところまでたどり着いたのだろうかと推測したが、ベリーニは自分が民間人に溶け込んでいると思い込んでいたようである。

 

 わざわざ現地工作員に自分が秘密組織のことを隠す必要性などないだろうから、フェザーンの自治領主府も自分がどれほどの規模の組織を有しているのか知らなかったと考えて、まずまちがいないであろう。しかしそうなると、どうやってフェザーンは自分がこのオデッサにいると知りえたのだろうか。

 

 普通に考えたら、フェザーンに亡命した側近のシュテンネスが、自治領主府の人間と接触し、自分の情報を売った。あるいは自治領主府の人間が、シュテンネスを脅して情報を得たというのが、一番ありえそうな可能性に思えた。なぜならシュテンネスにもいざという時は、惑星オデッサのズーレンタールに身を隠すことを教えていたのだから。しかしそれにゲオルグは違和感を感じたというか、納得できなかった。

 

(シュテンネスがフェザーンに情報を売るのを見逃したというのはまだしも、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()だと?)

 

 フェザーン駐在帝国弁務官事務所に潜り込ませている仲間からの情報では、シュテンネスは亡命してからずっと日暮らしをしているはずであり、今日もシュヴァルツァーからそのことを確認したばかりである。本当にシュテンネスが自分の情報をフェザーンに売ったのであれば、シュテンネスの生活環境が変化していないなど、ありえようか。

 

 シュテンネスは小心者ではあるが、側近として重用していただけあって、彼に対するゲオルグの評価は決して低くはない。交渉・捜査能力には見るべきものがあったし、特に彼の人物鑑定眼は、ゲオルグが自派閥に新たな人材を加える参考として、非常に有益であった。同僚からは讒言を武器に出世したといわれるシュテンネスであるが、その評価基準は人が悪すぎるという欠点を除けば、だいたい間違っていないからである。具体的には彼が言う欠点を一割程度にさっぴき、美点を百倍くらい拡大してやれば、おおよその人物像と能力が把握可能なくらい人をよく見ていた。

 

 だからこそ、ゲオルグは疑問に思うのである。シュテンネスの性格的に、自分の安全と引き換えでなければどんな情報も売らぬだろう。それだけの能力と狡猾さを有しているのだから。逆にフェザーンがシュテンネスから強引な手法で自分の情報を入手したと考えても、シュテンネスがそのままフェザーンでその日暮らしをしているというのは、どうにも不自然を感じる状況である。

 

 となると、可能性は二つ。ひとつめはフェザーンで情報を収集している奴がちゃんとした報告を行っていない可能性。これはこれで問題であるが、原因が明らかであるだけに、対策をたてやすい。だがもうひとつの可能性、すなわちフェザーンがシュテンネス以外から情報を得ていた場合だと対処が面倒だ。つまり、自分が諸惑星で工作していた時に、フェザーンの工作員が自分の変装を見破ったということである。

 

 自分の外見や雰囲気は警視総監時代とは、かなり異なるものなっていると自信を持っていたが、どうも完璧なものではなかったようだ。少しばかり、平然として動き回りすぎたか。しかし妙に意識してしまうと逆に不自然さを醸し出すことになり、かえって怪しく思われるかもしれぬ。まあ、それほど変装看破の達人をフェザーンが擁しているとも考えにくいから、多少、自ら動くのを控えるようにする程度の対処しかしようがないか。そうゲオルグは常識的に判断した。

 

 しかしベリーニが、それなりの裁量権が与えられている工作員で助かった。もし上からの命令を杓子定規に実行することにのみ、生きがいを見出しているような精神的家畜だったら、最悪の手段をとらざるをえないところであった。それを考えると、不幸中の幸いというべきであろう。

 

「それにだ。同盟やフェザーンが、本気でわれわれと手を組むか怪しいものだ。特にフェザーンは、亡命政府を同盟が承認した瞬間、知らぬ存ぜぬを決め込んでローエングラム公に肩入れしだすやもしれぬ」

「なぜそう思う」

「そもそも前提からしておかしいからだ。フェザーンの外交戦略は帝国と同盟を争わせ続け、両勢力の間に存在する中立国として交易を独占することにある。それを踏まえ、さっき提案してきた亡命政府構想によって帝国領土を奪還した時、同盟と帝国の新政府がどのような関係になるか、考えてみよ」

「……なるほど」

 

 少し考え、オットーはそう呟いた。亡命政府は同盟の承認によって成立するのである。その亡命政府が帝国領土の支配圏を回復し、国を指導するちゃんとした政府となった時、帝国は同盟との融和をはからざるをえない。そうなれば必然的に、今まで互いの係争地であったイゼルローン回廊を通って、同盟と帝国の間で直接交易が行われる可能性も飛躍的に高まるわけで、平和的な両国の国境であるフェザーン回廊に位置し、中間交易によって莫大な利益をあげているフェザーンにとっては、百害あって一利もない話だ。

 

 ということは、当然、フェザーンが亡命政府構想を支援しているのはなにか裏があってのことに決まっている。亡命政府が帝国の支配圏を手中にした際、新帝国における経済的権益を独占されてもらうということを協力する理由にあげていたが、成立から約一世紀に渡って三国鼎立政策を追求し続けてきたフェザーンが、それを放棄してまで求めるようなものだろうか。

 

 オットーはそこまでで思考を打ち切ったが、ゲオルグの思考はもう少し先に進んでいた。フェザーンがフェザーンとして成立し、今日に至るまで独立を維持し続けてこられたのは、ひとえに帝国と同盟の戦争状態が延々と続いたことによる。コルネリアス一世の大親征によって発生した同盟軍と帝国軍の総力をあげての全面衝突は甚大な被害を両国にもたらし、コルネリアス一世はその混乱の収拾におわれ、ふたたび同盟との間で大規模な武力衝突がおこるのは、是が非でも避けたいことであった。しかしだからといって同盟との間に停戦条約を結ぶわけにもいかない。“銀河帝国の皇帝は全人類の上に君臨する支配者である”という帝国の建前もあるが、大親征を起こしたのは同盟が臣従を拒否したことに対して懲罰を下すという大義のためであって、それを決断した皇帝が同盟との停戦条約を提案するなど筋が通らないばかりか、皇帝の権威が木っ端微塵に粉砕されかねないからだ。

 

 そんな時に、ある商人集団が同盟と通じるもうひとつの回廊を見つけたという報告を聞いて、コルネリアス一世は恐怖した。イゼルローン方面には防衛のために充分な兵力を配置してあったが、帝国領に通じる道がもうひとつあるとなると、大親征で大打撃を受けた帝国軍には、それを塞ぐための兵力が足りないのである。その恐怖を、回廊を発見した商人集団の主レオポルド・ラープは巧みに利用した。

 

 地球などという辺境の惑星で生まれたとは思えないほど、巨額の富と商才を持つこの男は新たな市場として同盟に魅力を見出していたようで、帝国再建のための莫大な寄付をすると同時に皇帝に提案したのである。フェザーンを自分たちに商人に任せるつもりはございませんか。もし任せてくれるならば、叛徒どもが新しい回廊を通って、帝国領に侵入してこれないようしてごらんにいれましょう。

 

 コルネリアス一世はラープの大言壮語に胡散臭いものを感じたが、帝国再建のために莫大な寄付をしてくれた引け目があるし、多額の資金援助で買収された多くの大貴族がラープの案を支持したため、不快に思いながらもその案を認めた。買収された大貴族のことを情けなく思う気持ちもあったが、大貴族の資金難が自分の大親征によって引き起こされたものであると知っているだけに、大貴族達を責めることを皇帝はできなかったのである。

 

 かくしてフェザーン自治領が成立し、自治領主となったラープは同盟にフェザーンとの外交関係の樹立を打診し、同盟首脳部は即座に外交関係樹立を決定した。コルネリアス一世は同盟が侵攻してきたらと恐怖を抱いていたが、同盟領は両軍の全面衝突の戦場となっただけに戦渦による荒廃が凄まじく、同盟軍も巨大な損害がでていて、とても帝国領に逆侵攻できる状態ではなく、むしろ帝国軍がふたたび大挙して同盟領に侵攻してきたら、同盟の命数は尽きるという一種の諦観さえ漂っている状況だったので、防衛ポイントを減らせるフェザーンの提案は福音に思えたのである。それにフェザーンの政治体制が民主的ではなくても、商人達の合議による共和制的体制を採用していたのも、国内の原理主義者の反対を黙らせるよい材料になった。

 

 こうして帝国・同盟の双方と外交関係を成立せしめ、両国からその存在を公認されたフェザーンであったが、両国から好意の目線で見られていたかというと、必ずしもそうではなかった。それどころか帝国と同盟が互いに対して抱いている嫌悪より、さらに強い嫌悪をフェザーンに向けていたとさえ表現することができるかもしれない。自分たちは血を流して平和を築こうと必死で戦っているのに、どうしてフェザーンだけが平和を謳歌し、戦場で流れた自分たちの血を啜って肥え太っているのか。そういう感情が両国にあり、一時的に戦争状態を棚上げし、フェザーンを潰すべし! そういった意見を持つ集団が帝国にも同盟にも存在し、無視するには少し大きすぎる勢力を築いているほどである。

 

 だから同盟と帝国の間に平和が到来した場合、この両国はフェザーンを共通の敵として強い敵意を向けるであろう。そうすれば、両国の平和体制の維持に便利であるし、内政面に問題が生じた時にフェザーンに圧力をかけて民衆の不満をそらすことだってできる。それをフェザーンの首脳部も弁えているはずである。

 

 弁えているからこそ、約半世紀前、同盟との間に対等な関係を構築せしめ、銀河に平和を齎そうとした第二七代皇帝マンフレート二世を暗殺したのだ。内務省や憲兵隊の捜査は、ルドルフ大帝以来の帝国の伝統を捻じ曲げようとしたマンフレート二世に非好意的な感情を持っていた有力者が大多数だったこともあり徹底せず、暗殺事件の全貌は謎に包まれているが、実際はフェザーンが背後にいたにちがいない。すくなくとも、ゲオルグはそう信じていた。

 

 だからフェザーンにとって、同盟と帝国の戦争が終結することは悪夢なのだ。滅亡までいくかどうかはわからないが、すくなくとも両国のサンドバッグになることは間違いない。だからもし自分がフェザーンの自治領主であり、亡命政府を支援するなら、亡命政府が同盟に承認された時点で亡命政府を見捨て、なに食わぬ顔で三国鼎立政策を堅持する。これでフェザーンの優位は守られるのだから。

 

 しかしそんな小難しい政治的なことを、懇切丁寧に説明してやる必要を感じなかったので、フェザーンを信じるに値しないということさえわかっていれば充分であろうと、ゲオルグは本題を切り出した。

 

「そのおかげと言っていいのかどうかわからぬが、きみの出番が早まるだろう」

「……しばらくは地盤固めに努めるんじゃなかったのか」

「それはそうだが、もはや状況が変わった。不本意だがやるしかない」

 

 今上(きんじょう)の皇帝陛下が同盟に亡命あそばされ、亡命政府を設立し、ローエングラム体制に挑戦する。実質を伴っているかは別として、そういう形が表層に現れた時、旧体制の方が良かったと思っているものたちは必ず行動を起こす。ゴールデンバウムの皇帝を推戴する亡命政府を支持するか、自由惑星同盟を僭称する叛徒の傀儡になったゴールデンバウム王朝を見限って新体制に迎合するか、どのような形にしても旧体制にシンパシーを持つ貴族領や元貴族領は選択を迫られることとなるだろう。

 

 旧体制派と秘密裏に接触し、連合を組み、新体制に圧力をかけることによって復権の道を探る。拙速さより巧遅を優先する長期的な計画を練っていたゲオルグにとっては迷惑でしかない。協力するにせよしないにせよ、当初の計画は大幅な修正を余儀なくされるわけだ。フェザーンとの完全な対立など望んでいないが、亡命政府への協力は後々になって言い逃れできる程度にできないならば、フェザーンへの非協力も選択肢に含むべきだ。現時点でローエングラム体制と和解するという手を完全に潰すのは、もっと望んでいない。

 

 ともかく近いうちに同盟に亡命政府が設置されることを前提にした、新しい復権計画を組み立ててねばならない。それも早急にだ。それ以外にもシュヴァルツァーと話しあわねばならぬことが多すぎる。今すぐにでも会社に戻って話しあうべきだ。多少ご近所さんに不信感を持たれるかもしれないが、部下が問題を起こしたせいだと苦笑しながら語れば、簡単に誤魔化せるだろうからすぐに会社に戻っても不自然さはごまかせる。いや、それよりも先にやるべきことがあるか。

 

 そこまで考えたゲオルグは、肺の中の空気をすべて入れ替えるくらい深く深呼吸し、自宅のTV電話の受話器を取った。スクリーンはオフモードにし、記憶にある番号を打ち込む。

 

「こちらハイエク探偵事務所」

 

 若い女性の声だった。たぶん秘書だろう。

 

「夜分遅くに失礼。ハイエクさんはまだおられるだろうか」

「おられますが、お名前とご用件は?」

「悪いが彼と直接話したいんだ。いいから変わってくれ」

 

 有無を言わせぬゲオルグのもの言いに、受話器からかすかに秘書が息をのむ声がした直後、畏まった様子で「わかりました」と返した。やがてどこか気取った男の声が受話器から聞こえてきた。

 

「はい。ハイエクです」

「ハイエクだな」

「そうですが、どちらさまで?」

「大神オーディンより偉大な神の名は?」

「……グリームニル(オーディンの別名)」

 

 秘密組織の構成員であることを確かめる合言葉を交わしあい、ハイエクは状況を理解した。組織が人伝手ではなく、傍受される危険がある通信を使うということは、よっぽど急ぎの用件があるのだということだ。

 

「今年中にオデッサに来た者のリストを作成してもらいたい。いつまでにできる?」

「三日もあれば」

「よろしい。なら、三日後にきみの上にいる人間にリストを取りに行かせる。リストを確認した点できみの口座に礼金の五万帝国マルクを振り込もう」

「ごっ……っ?!」

「……少なかったか?」

「い、いえ、そんなことは決して」

「そうか。念のために言っておくが、半端な仕事だと承知しないぞ」

 

 そう言い切るとゲオルグは受話器を置いて、オットーに向き直った。

 

「私はこれから会社に戻る。おまえたちもいつもの警備に戻れ」



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亡命政府構想③

 ゲオルグ一派とフェザーンとの間で合意が成立したのは、六月末のことであった。ゲオルグは亡命政府構想に賛成し、協力を惜しまないが、現地の抵抗勢力を糾合し、帝国軍の後方でレジスタンス活動を展開するために、帝国領内にとどまるということをフェザーンに認めさせることに、ゲオルグは成功したのであった。

 

 フェザーンとしてはローエングラム体制が覇権を確立するにあたって、強引に踏み潰したリヒテンラーデ一族の元高官を亡命政府の高職につけさせ、フェザーンとしては、ローエングラム公が野心のためだけではなくおのれの権力を守護する上でも同盟に大規模侵攻せざるをえないようにしたかったのだが、機密として情報統制を行なっていたにもかかわらず、亡命政府首班を務めるレムシャイド伯がどうやってか秘密交渉のことを知り、フェザーンに対してゲオルグの主張を認めるよう要請したのである。

 

 計画を進める上で、レムシャイド伯に不信感を持たれたら重大な問題になりかねない。そう考えたフェザーンの自治領主アドリアン・ルビンスキーは内心の不満を隠しつつ、にこやかな笑みを浮かべて伯爵の意に受け入れたが、現地のベリーニをゲオルグに対する監視役として残すことでなんとかゲオルグをコントロールしようと試みていた。

 

 おかげでゲオルグはベリーニに付きまとわれることになった。しかもフェザーンの圧力で寝泊まりする場所がゲオルグの家に決められたため、近所の人たちに「あなたにも春がきたのね」と微笑みながら言われて、ゲオルグは憮然とした表情を浮かべる。そういった光景がよく見られるような弊害が発生していた。

 

 そして八月二〇日、ゲオルグはシュヴァルツァーやベリーニと共に会社の社寮(といってもゲオルグが社長を脅してつくらせたもので、シュヴァルツァーの居住空間しかないのだが)でティーブレイクしながらくつろいでいた。しかし内心では少しばかり気分が高揚していた「本日午後に重大発表を行う。全宇宙の市民は視聴するように」という前触れが、同盟政府から全宇宙に向けて発せられていたからである。

 

「これより、自由惑星同盟最高評議会より重大発表があります。 全市民の皆さんが視聴されるよう特別の指示が出ておりますので、皆さんのご協力をお願い致します……」

 

 立体TVに巨大なハイネセン像が映る。旧体制下では、貴族階級ではない者が()()()()()()()()()()()()()()()()()()を視聴すると社会秩序維持局が出動し、視聴した者を全員を裁判にかけることすらなく思想犯認定し、最低でも数年間は政治犯収容所に収容するというのが常識であったのだが、ラインハルトの改革によって社会秩序維持局が廃止され、同盟の放送を視聴しても罪には問わないという法律も改正されたため、ゲオルグもこうして遠慮なく同盟の放送を視聴することができていた。

 

 ちなみにハイネセン像とは同盟の国父アーレ・ハイネセンを偉業を讃えるために作られた石像である。ハイネセンは極寒のアルタイル星系第七惑星で奴隷として生まれた人間で、帝国暦164年に新天地を求めて同志たちとともに帝国支配地域から脱出し、同盟成立の切欠を作った人物である。同盟人にとっては敬愛の対象であり、その石像は同盟の自由の象徴とされている。ゲオルグのような治安担当の人間としては同盟のプロパガンダポスターでとてもなじみがある。帝国軍人を巨大な悪魔のように描き、自由の象徴たるハイネセン像を壊そうという構図は、ある種おきまりパターンである。

 

 ハイネセンがどのようにしてアルタイル星系を脱出したのかは謎に包まれている。同盟の歴史書が語るところによれば、そこら中にある天然のドライアイスをくりぬいて加工し、居住区と機関部を設置した急造の宇宙船を作って脱出したということになっているそうだが、ドライアイスを加工したくだりについてはまだしも、肝心の居住区と機関部をどこから持ってきたのかは永遠の謎である。同盟がその真相を記した文書を国家機密として秘匿して保有でもしており、それが公開されでもしない限りにおいては、だが。

 

 画面が変わり、同盟の国家元首、最高評議会議長のヨブ・トリューニヒトの整った顔が画面に映った。演劇の主演男優をつとめていても不思議がない容姿をしているトリューニヒトは、政治家や官僚志望の人材を育成する国立中央自治大学を首席で卒業した秀才であり、軍事を担当する省庁で出世街道を歩み、今年七歳のエルウィン・ヨーゼフ二世陛下には及ぶべくもないが、政治家としてはまだまだ若手の四三歳でありながら同盟の元首となった傑物である。

 

「同盟の全市民諸君、私、自由惑星同盟最高評議会議長ヨブ・トリューニヒトは、全人類の歴史に巨大な転機が訪れたことをここに宣言します。この宣言を行う立場にあることを、私は深く喜びとし、かつ誇りとするものであります」

 

 トリューニヒトの発言に嘘偽りはないように、ゲオルグは思えた。トリューニヒトは喜びを隠せていないような声音に、表情であった。もちろん若くして国家元首まで登りつめたような男であるから、“演技”でやっている可能性は否定できなかったが。しかし一呼吸置くと、その表情は引き締まり、打って変わって真剣な調子で演説を再開した。

 

「先日、ひとりの亡命者が身の安全をもとめて、わが自由の国の客人となりました。わが国は、かつて亡命者のうけいれを拒否したことはありません。多くの人々が専制主義の冷酷な手からのがれ、自由の天地をもとめてやってきました。しかし、それにしても、この名は特別なひびきを持ちます。すなわち、エルウィン・ヨーゼフ・フォン・ゴールデンバウム」

 

 一瞬TVの映像が切り替わり、幼い皇帝の姿が確認できた。ゲオルグが皇帝の姿を最後に見てから一年近くが経過しているが、その頃に比べてさほど成長しているようには見えず、どこか不機嫌そうという印象も、また同じだった。

 

「……同盟の市民諸君」

 

 その声を合図にトリューニヒトの演説が再開された。

 

「帝国のラインハルト・フォン・ローエングラムは、巨大な武力によって反対者を一掃し、いまや独裁者として権力をほしいままにしています。わずか七歳の皇帝を虐待し、みずからの欲望のおもむくままに法律を変え、部下を要職につけて、国家を私物化しつつあります」

 

 ラインハルト批判の滑稽さに、ゲオルグは思わず失笑した。ゴールデンバウム王朝はルドルフ大帝の即位以来、約五〇〇年間宇宙に君臨してきたが、その歴史の中で国家が皇帝の私物ではないとされた時が、いったいいつあるというのだ? 絶対の君主が国家に属する万物を私物化し、自分好みの色で国家と人民を染め上げる。皇帝の私物となることを拒絶しようものならば権力と暴力によって叛乱分子として粉砕する。それこそが専制国家が専制国家たるゆえんである。

 

 実質はともかくとして、形式的にはそうであったのだ。国家の私物化を批判しておきながら、五〇〇年間にわたる国家の私物化に実績があるゴールデンバウム王朝と手を結ぶとは矛盾もはなはだしいではないか。同盟・フェザーン・亡命政府の三者の間で、いったいどのような取引があったのかにわかに興味が湧くゲオルグであった。

 

「しかもそれは、帝国内部だけの問題ではありません。彼の邪悪な野心は我が国にたいしてもむけられています。全宇宙を専制的に支配し、人類が守り続けてきた自由と民主主義の灯を消してしまおうというのです。彼のごとき人物と共存することは不可能です! われわれはここで過去のいきさつを捨て、ローエングラムにおわれた不幸な人々と手をたずさえて、すべての人類に迫る巨大な脅威からわれわれ自身をまもらねばならないのです。この脅威を排除して、はじめて人類は恒久平和を現実のものとすることができるでしょう!」

 

 激しい身振りでそう訴える同盟の元首の姿を見て、たいした役者だとゲオルグは評価した。つまり、今までのゴールデンバウムの皇帝よりはるかに凶暴で、邪悪な野心を持ったろくでもないローエングラム公が帝国を支配しているから、同盟は自分たちの身を守るためにローエングラム公に比べてはるかにマシな帝国の旧体制と手を組んで共同戦線を張る。そういった理屈で正当化したわけだ。

 

 たしかにローエングラム公の権勢は凄まじいものがある。帝国の歴史を掘り返しても、あの黄金の青年宰相に匹敵する権力を握り、実質的にもそれを行使していた人物は、開祖ルドルフ・フォン・ゴールデンバウムただひとりしか該当するものはいないであろう。それを思えば、同盟の危惧もわからぬではないが。

 

「それでは亡命政権の代表者の方をご紹介しましょう」

 

 トリューニヒトがそう述べて壇上からおり、変わって銀髪の人物が現れ、TVから盛大な拍手の音声が聞こえてきた。事前に知っている情報から推測するに、画面に映っている貴族は、前体制下でフェザーン駐在高等弁務官を務めていた切れ者であるはずなのだが、それほど鋭い感性を持っている印象をその姿から感じなかったのは、はたしてそれは先入観によるものだけであったろうか?

 

 ゲオルグはちらりと対面のソファーに座って放送を見ているシュヴァルツァーの顔を確認したが、シュヴァルツァーも同じように思っているのか、あきれたというかばかにしているというか。ともかくも苦虫を数百匹まとめて噛み潰したかのような表情を浮かべていた。

 

「銀河帝国正統政府首相ヨッフェン・フォン・レムシャイドです。このたび、自由惑星同盟政府の人道的配慮により、祖国に正義を回復するための機会と根拠地をあたえていただき、感謝にたえません。つぎにあげる同志たちを代表して、お礼を申し上げます」

 

 続いて銀河帝国正統政府などという、ごたいそうな名称がつけられた亡命政府の内閣を構成する閣僚の名を発表していく。国務尚書はレムシャイド伯爵が兼任し、軍務尚書はメルカッツ上級大将、内務尚書はラートブルフ男爵、財務尚書はツェッツラー子爵、司法尚書はヘルダー子爵、宮内尚書はホージンガー男爵、内閣書記官長はカルナップ男爵が務める……。その陣容を見て、ゲオルグはある感慨を抱かざるをえない。

 

(……ほとんど知らんな)

 

 正統政府の閣僚の中で、ゲオルグの記憶にある者はメルカッツとラートブルフ男爵のみである。メルカッツはまだいい。既に初老の域に入っているが歴戦の提督で、先のリップシュタット戦役では貴族連合軍の総司令官を務めた人物である。なるほど、考えてみれば、ローエングラム体制打倒と旧体制復活を旗印にする正統政府の軍務尚書にこれ以上ふさわしい人物もいないだろう。だが、ラープドルフ男爵が内務尚書というのは、理解できない。ゲオルグの知る限り、ラープドルフ男爵は内務省の一係長に過ぎず、しかもこれと言ってみるべきところがない、平凡すぎる人材に過ぎなかったはずであり、とても内務尚書が務められる器ではない。

 

 ゲオルグは他の中央省庁の人材も、部長級以上であればほぼ全員知っていたから、他の正統政府閣僚もラープドルフ男爵と同じく、それほど偉くない地位についていて、大きな仕事にはかかわってこなかった者達であろう。ということは、つまり、この正統政府とやらは、レムシャイド伯とメルカッツしか能力のある人材がいないということではないか。

 

 想像以上に正統政府が実態をともなっていないと思い知らされたゲオルグは、オットーに任せてある作戦がうまくいくかどうか不安になってきた。悩みに悩んだ末、正統政権を火付け役とし、旧貴族領で漫然と燻っている反ローエングラム感情を煽って暴発させてローエングラム体制を混乱させ、そこに活路を見出すというきわめて不本意な投機的手段を選択したゲオルグにとって正統政府に心を寄せる旧体制派が少なくなるであろう要素が増えることは、まったくもって喜ばしくない。

 

 そして今度はトリューニヒトとレムシャイド伯による共同記者会見で、同盟と正統政府の今後の展望について集まったジャーナリストから取材を受けている。その受け答えから得られた情報を、ゲオルグなりにまとめると以下のようなものになる。

 

 自由惑星同盟政府は皇帝エルウィン・ヨーゼフ二世の帝国内における権威の正当性を承認し、レムシャイド伯による亡命政府を唯一の帝国統治組織として認める。正統政府がローエングラム公の独裁体制を打倒し、正統政府が祖国に復帰したあかつきには、自由惑星同盟と両国の主権を認めて尊重しあい、両国のあいだに対等な外交関係を成立せしめ、相互不可侵条約および通商条約を締結し、帝国内部においては憲法の制定と議会の開設によって政治的社会的民主化を促進する。そのために自由惑星同盟は正統政府が所有すべき諸権利を回復するに際し、最大限の協力を約束する……。

 

 報道が終わると、要するに同盟の属国になれということかとゲオルグはため息を吐いた。人類社会唯一の政権の否定・憲法の制定・議会の開設・社会的政治的民主化……、どれをとってもルドルフ大帝が定めたもう帝国の支配原則に背くものである。同盟と協力関係を構築する以上、同盟と帝国が対等な外交関係構築することは譲歩せざるをえなかったにせよ、残りはもう少しどうにかなかならなかったのか。これでは国内の火付け役に使えるのかどうかすら怪しいではないか。

 

 しかも対等な外交関係を構築せしめなどと言っていたが、その“対等”の定義は同盟の民主的価値観とやらによって設定されているのだろうし、帝国がいままで民主主義者に対して行ってきた激しい弾圧に対することについて一切触れられていなかったことを考えると、それの賠償という名目で帝国の諸権利を抵当替わりにほとんど同盟に持っていかれる可能性も否定できない。そのあたり、レムシャイド伯はどう考えているのだろうか。

 

「……レムシャイド伯は老衰でもされたのですかね」

「たしかに、とても高等弁務官を務めていた人とは思えぬ。これではまだ残っている貴族勢力の反感を買い、彼らをローエングラム公の陣営においやってしまうようなものではないか。まだ老衰するような年齢でもあるまいに、そんなことすらわからぬようになったのか」

 

 シュヴァルツァーのつぶやきに、ゲオルグは激しく同意した。レムシャイド伯が老衰したとシュヴァルツァーはいうが、ゲオルグとしては正気を疑いたい気分であったのだ。

 

「でも同盟の軍事力がなければ、とても祖国を取り戻すことはできませんわ。それを思えば、やむを得ないこととはいえないかしら」

「それなら“銀河帝国正統政府”などと名乗る必要はあるまい? 帝国民主改革臨時政府とでも名乗っておけばよかったのだ」

 

 帝国内では先の内乱とローエングラム公の台頭による改革で、時代の変革期にきていることを程度の差はあれ、薄々認め始めている。それは残存する貴族勢力も同じであり、だから自己の利益のためとあらば、ラインハルトへの反発もあって民主化という新しい波に乗るという選択をする可能性もおおいにあった。なのに帝国の伝統を踏み潰そうとしているのに銀河帝国正統政府を名乗るなど、感情的な反発を買うだけではないか。そのようにゲオルグは思うのだ。

 

 とにかくこれでゲオルグは正統政府に協力する気がさらになくなった。貴族としてそれなりの自負がある彼は、最初から同盟に頼りきりで実現性の乏しいこの計画に乗り気ではなかったが、民主化というろくでもないおまけまでついてくるのだ。これで正統政府に協力してやろうなどと思える貴族など皆無であろう。もちろん、国家にかけらも愛着を持たず、権力にのみに執着していた者はその限りではないであろうが……。

 

「それであなたは正統政府のために動くつもりはないわけ」

「まさか」

 

 協力するわけないだろうと言いたかったが、フェザーンの手前、素直にそう言うわけにもいかなかった。ゲオルグとしては正統政府のためという建前でフェザーンを騙くらかし、自分のために行動を起こさなくてならないのだった。

 

「だがすでに手はずは整えてある。あとはゆるりと果報を待つのみではないか」

 

 ゲオルグは余裕たっぷりにそう言ったが、シュヴァルツァーが疑念を呈した。

 

「しかし正統政府があのザマでは、例の計画に支障がでませんか」

「確実にでるだろう。だが、ここから動けぬわれわれにいまさらどうしようもない。現地の者達の臨機応変な判断に期待するよりほかあるまい」

 

 フェザーンとの接触があってから約一月半程度しかなかったが、その短い間に急造だがなんとか銀河帝国正統政府設立宣言を起爆剤として演劇を開始する舞台装置を拵えることに成功したのだ。あとは演劇に強制参加させられる役者とオットーをはじめとする秘密組織工作員の活躍次第であり、その結果で次の選択はおのずと変わってこよう。

 

 いや、今回の正統政府に協力に装っての作戦に、ゲオルグはあまり期待していないから、どのような結果になっても火消しさえちゃんとしてれば問題ない。重要なのは、ただでさえ厳しい状況をさらに厳しくしてくれた元凶、フェザーンへの対処方法だ。その対策を編み出すための時間稼ぎとしての価値の方が、ゲオルグにとっては大きかった。

 

 この惑星オデッサはそれなりに都会ではあるが、帝都オーディンとは格段の差があるし、帝都との距離も微妙に長いこともあって、経済的利益が薄いとみていたのか、フェザーン企業がそれほど進出しておらず、同じ理由でフェザーンの領事館もないので大規模な根拠地はこの惑星上には存在しない。それに探偵ハイエクに調べさせた資料によって、この惑星の住民を装っているフェザーンの工作員かもしれない連中の目星はある程度つけることにも成功していた。

 

 それに秘密組織の司令部の移設もバレないように進行中で、こちらが把握しているベリーニを含むフェザーンの工作員を一挙に始末してしまえば、フェザーンにまったく気取られることなく、実害少なく新たな隠れ家へ移動できる計画も実行中であったから、いつ決断するのがもっとも成功率が高いか、ゲオルグは頭を悩ませているのだった。

 

 頭を悩ませていることといえば、もうひとつある。フェザーンの真意である。ゲオルグはレムシャイド伯が幼帝を伴って同盟領に入った瞬間、フェザーンの亡命政府に対する手厚い支援は打ち切られるものと推測していたが、七月半ばのクラウゼからの報告ではフェザーン自治領主府はレムシャイド伯に対して莫大な資金援助を行なっているという。これはどういうことか。まさかフェザーンの「正統政府にローエングラム体制を打倒させ、帝国の経済面をにぎる」という主張が、本音そのものということだろうか。いや、フェザーンの首脳部が全員阿呆になったりでもしないかぎり、そんなばからしい話があるものか。

 

 だがここまで正統政府への支援が継続されているとなると、フェザーンはローエングラム公に対し、どのように釈明するつもりであろうか。フェザーンのような星系をひとつしか保持できないような小国が独立を保ち続けてこられたのは、同盟と帝国の対立状態が延々と続いてきたこともあるが、中立国という建前を貫き通してきたフェザーン自治領主府の絶妙なバランス感覚による。だが明らかに帝国の敵である正統政府を手厚く支援し続けるとすれば、帝国軍がフェザーン回廊を軍事的に制圧する目もでてくるはずではないか。それを自治領主のルビンスキーは理解しているのだろうか?

 

「われわれは事前の予定通りにことをすすめるとして、だ。フェザーンとしては今後どうするつもりなのだ?」

「どういう意味かしら」

「しれたこと。同盟と正統政府に与するからには、フェザーンは帝国のローエングラム体制から見ても明らかな敵になろう。フェザーンが政治的中立を破棄するなると、ローエングラム公はフェザーンへの侵攻を企むやもしれぬ。その可能性を危惧しているのだよ。……対等の協力者としてね」

「心配いりませんわ。自治領主府が帝国に対しても友好を示し、中立的立場を装っておりますから。もちろん、それはあくまで面従腹背で、われらフェザーンの好意は正統政府にありますわ」

「フェザーンの誠意を疑ったりはしておらぬ。しかしあまりにも正統政府に手厚い支援をしすぎではあるまいか。ローエングラム公は無能とは程遠い人間だ。フェザーンの面従腹背を見抜かれてはいまいか」

「そのあたりはわれらフェザーンの自治領主府をご信頼くださいますよう……」

 

 しらじらしい言葉を交わしつつ、ベリーニと腹の探り合いをするゲオルグ。シュヴァルツァーは腹の探り合いは不得手であったので、二人の話し合いに参加せず沈黙をつらぬいていた。

 

 数十分後、立体TVから緊急ブザーが鳴り響き、美男美女の美しさとは真逆の方向の属性しか持たない会話に終止符が打たれ、視線が立体TVに凍結された。このブザーがなると強制的に国営放送のチャンネルになるように帝国製の立体TVはプログラミングされており、帝国政府が重大発表を行う時、臣民はそれを視聴することを強制されるのであった。

 

 立体TVに帝国の事実上の独裁者、ラインハルトの姿が映った。あいかわらず人間かどうか疑いたくなるほど容姿端麗さだなとゲオルグは思った。むろん、この若すぎる帝国宰相兼帝国軍総司令官の本質は容姿ではないことをゲオルグはちゃんと認識しており、その認識通りラインハルトの演説は、じつに攻撃的な内容であった。

 

「テロリストどもによって、皇帝エルウィン・ヨーゼフ陛下が拉致されたことを正式に認める。先刻、陛下の御所在と陛下を誘拐し奉った不埒な犯人どもの正体があきらかとなった。その犯人は、旧体制下にあってフェザーン駐在の高等弁務官として私腹を肥やし続けたヨッフェン・フォン・レムシャイドを首謀者とする、旧門閥貴族の一党である」

 

 旧体制下の貴族階級は公私混同が激しかった。より正確には公私の区別という概念が存在しないのである。生まれながらにして権力を持っている彼らは、私的な場の発言であっても公的な影響を及ぼすものであり、その逆もしかりであったのである。公私の境目が非常にあやふやである以上、帝国政府は“必要悪”として貴族的な価値観で公人としての節度を守っている限りは不問に処すのが常であった。

 

 レムシャイド伯も国から与えられた予算で本国の有力者に金品を送ってパイプを作ったり、浮いた金を自分の懐にしまいこんだりしていたので、たしかに私腹を肥やしていたといえなくもないのだが、彼の主観では公人の節度を守っていたレムシャイド伯には心外きわまりない言葉であり、ここから数百光年離れた自由惑星同盟の首都にある建物の一室で、正統政府首班は怒りに震えていたのであった。それを確認できたのは正統政府の閣僚しかいなかったが……。

 

「私はここに宣言する。不法かつ卑劣な手段によって幼年の皇帝を誘拐し、歴史を逆流させ、ひとたび確立された人民の権利を強奪しようとはかる門閥貴族の残党どもは、その悪業にふさわしいむくいをうけることとなろう。彼らと野合し、宇宙の平和と秩序に不逞な挑戦をたくらむ自由惑星同盟の野心家たちも、同様の運命をまぬがれることはない。誤った選択は、正しい懲罰によってこそ矯正されるべきである。罪人に必要なものは交渉でも説得でもない。彼らにはそれを理解する能力も意思もないのだ。ただ力のみが、彼らの蒙を啓かせるだろう。今後、どれほど多量の血が失われることになろうとも、責任は、あげて愚劣な誘拐犯と共犯者にあることを明記せよ!」

「むざむざ主君を(かどわ)かされた自分の失点を棚上げして、よくぬかしおるわ」

 

 ラインハルトの正統政府と自由惑星同盟に対する懲罰を専攻する演説が終了して立体TVのモニターが真っ黒になった時、思わず口からこぼれたゲオルグの感想がそれであった。エルウィン・ヨーゼフは銀河帝国の皇帝であり、ラインハルトは帝国宰相といえども皇帝の臣下の一人にすぎない。もちろん皇帝は傀儡であって、その主従関係が形式的なものにすぎないことをゲオルグも承知しているが、形式的とはいえ主従関係にはちがいないのである。くわえてゲオルグは帝国の藩屏たる貴族階級に育ったので、ゴールデンバウムの血統に一応の敬意を持っていた。なのでラインハルトの臣下として主君を守れなかった責任に触れず、自分に非はまったくないという態度で誘拐犯を声高に弾劾するやり口を、厚顔無恥と感じたのである。

 

 しかしながら、権力者なんて存在は厚顔無恥だ。でなくば権力者になれないし、なれたとしても生き残れない。そういった認識を持っているゲオルグはラインハルトに対する感情的反感を沈め、今後のラインハルトの動きを推測してみた。まず間違いなく、同盟に対して大規模な出兵を行う。わざわざ交渉と説得の必要性を拒否し、力によって矯正すると宣言したほどだ。やらねば帝国宰相としての沽券にかかわる。となると、いったいどこまでを目標として行うのか、そのあたりを見定めなければなるまい。

 

 ラインハルトは軍事的な天才である。したがってあまりに無謀な遠征――二年前の同盟軍の遠征作戦のような――をする可能性はきわめて低い。となると、帝国と同盟の勢力境界線上に要地、イゼルローン要塞の攻略方法を編み出せていると考えるべきだろう。そして要塞を奪取した後、同盟に対して不平等な講和条約を提示し、現政権首脳と正統政府構成員の引渡しを要求する。同盟軍は二年前の遠征の大失敗で戦力を著しく損耗しているそうだから受け入れる可能性が高いし、拒否されてもイゼルローン要塞が手中にあれば帝国の優位は揺るがないのだから、地道に同盟領を少しづつ制圧していく。そんなところだろうか。

 

「しかし、ずいぶんと早い反応でしたな」

 

 シュヴァルツァーが独創性がないが普遍的な感想を述べる。

 

「ランズベルク伯爵がエルウィン・ヨーゼフ陛下を救出したのは七月上旬のこと。どう反応するべきか、あらかじめ考えていたのでしょう」

「そうか。二ヶ月弱の時間があったのだから、対処法を考えていて当然か」

 

 ベリーニとシュヴァルツァーのやりとりに、ゲオルグはある違和感を感じた。それがなんなのか、かすかに眉を歪めて思考に沈んだ。なんだ? なにを見逃している? あるいは勘違いをしている? 違和感が急速に膨れ上がり、違和感の根元に、六月に初めてベリーニと会話した時の記憶が掘りかえされた。そうだ、あの時、自分は同盟と帝国の旧体制派が手を結ぶという衝撃的な計画を聞かされ、とっさには信じられなかったのではなかったか。

 

 それを思えば、ラインハルトがたかが数十分で自由惑星同盟にたいして懲罰を決意したというのは、いくらなんでも早すぎる。門閥貴族の残党が皇帝陛下を誘拐し奉り、君主という存在を否定する共和主義国家たる自由惑星同盟と協力関係を構築するなど、まともな想像力の持ち主には不可能であろうし、仮にそんな想像ができた者がいたところで、自分の正気を疑われるかもしれないと口には出さぬであろう。だから皇帝の誘拐犯たちに、自由惑星同盟なる要素がでてくることは本来ありえざることなのだ。

 

 ……となるとラインハルトは最初からレムシャイド伯が同盟やフェザーンと協力関係にあることを知っていたということだろうか。で、あるならば、正統政府内にラインハルト派のスパイがいる? だが、それなら皇帝誘拐から始まる今回の一件にフェザーンが関わっていることは百も承知のはずだ。にもかかわらず、フェザーンに対して外交的になんらか行動を帝国がおこした形跡は皆無で、先ほどの懲罰の対象にもあげられず、普段と変わらずに帝国とフェザーンの関係が継続しているとはどういうことか。

 

「どうかしましたか?」

「……先ほどのローエングラム公の演説を聞く限り、近いうちに帝国軍が同盟領に大挙して侵攻するのは必定だ。それなら帝国軍が本土をからにした後にレジスタンス行動をおこさせた方が効果的かもしれぬと、少し考えていた」

 

 ベリーニに対してあたりどころのない返答をしながらゲオルグは内心で確信した。いくらか無謀でも隙を見てフェザーンの術中から逃れるべきだ。おそらくだが、フェザーンの黒狐はラインハルトと手を組んでいる。だから帝国とフェザーンとの間で平和的な関係が続きつつ、ラインハルトは迅速に行動できているのだと。




次回は「久々にワロタ」で有名なあの人が登場予定です。


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内国安全保障局

 ハイドリッヒ・ラングという人間は、万物の創造主が人間が他者に抱く印象というものが、いかに役立たずな代物であることを証明するために創造したのではないのか、と疑いたくなるような様々な要素によって構成されている。とにかく、いろんな点での印象がまったく合致しないのである。

 

 まずは容姿である。まだ三〇代後半という若さなのに、頭髪の八割方が毛根まで死滅し、両耳の附近でわずかな残党が、まだ頭髪が絶滅したのではないとかすかに主張している。瞳は大きくてよく動き、唇は分厚いが口そのものは小さい。背は低いのだが、体は横に大きくてまん丸とした感じである。頭部も丸くて大きいので、どこか雪だるまを連想させる。しかし肌の色は白ではなく光沢豊かなピンクなので、健康的な赤ん坊が、そのままの体格で大きくなったという印象を多くの人間が抱くのである。

 

 しかしその印象は、彼が声を発した瞬間に木っ端微塵に粉砕されるのが常であった。こんな容姿なら、明るいソプラノではないかと想像するのだが、ラングの声音は古代宗教の聖歌隊が代わりに声を出していると言われてもまったく不思議ではないと思えるほどの、荘重を極めたバスなのである。実際、初対面の人間がラングの声を聴いた時、さっき喋ったのはだれだと現実逃避に走った者が少なからずいるほどで、赤ん坊のような容姿からはほとんど連想できないものであった。

 

 ここまで嚙み合わない身体的特徴を兼ね備えた人物が、難関帝立大学法務学部を優秀な成績で卒業し、帝国文官試験に合格して内務省に入省したエリートキャリアの持ち主で、民衆弾圧機関として悪名高い社会秩序維持局に配属されて優秀な能力を発揮して少なからぬ功績をたて、平民階級の出身でありながら三〇代前半の頃には既にその頂点の地位についていたという陰惨だが華々しい経歴を、よほど特異な想像力の持ち主でなければ外見から予想することは不可能であろう。

 

 ラインハルトが全権を握り、秘密警察という存在そのものが改革の精神にそぐわないものであるとされ、社会秩序維持局は廃止され、長官のラングも憲兵によって官舎の一室に軟禁されていた。軟禁中、ラングはラインハルトが全権を握る以前から、彼なりにラインハルトに対しては好意的に接していたつもりだったので、かるい失望を味わっていた。

 

 しかしそれでも自分の能力に自信を持っていたし、国家を運営していく以上、自分のような人材は絶対に必要だとも思っていたので、いつか必ず暗い海の底のような軟禁部屋から解放され、ふたたび秘密警察の指導者――もしかしたら政治的な理由で、幹部か顧問あたりに降格されるかもとは思ったが――として手腕を振るえる日が、またくるのだと確信していたので、いまは忍耐の時であるとおとなしく時期を待つことにしたのである。

 

 そんな彼の忍耐は、彼が想定していたよりはやくに報われた。不機嫌そうな憲兵たちがラングをオーベルシュタイン上級大将のオフィスへと連行したのである。旧貴族領を中心に地域メディアが反ラインハルト的扇動放送をしだしたことになにか謀略めいたものを感じていたオーベルシュタインは秘密警察の再設置を訴えていたのだが、開明派は改革の後退であると反対し、とうのラインハルトは没落貴族や不平貴族の負け惜しみに本気になる必要があるのかと興味がなかった。

 

 しかし銀河帝国正統政府を僭称する門閥貴族残党勢力によって皇帝エルウィン・ヨーゼフ二世の誘拐されたことによって、このような事態の再発を防ぐには秘密警察が有効的であるというオーベルシュタインの主張に多くの官僚の支持が集まるようになり、皇帝誘拐に激怒した一部の旧貴族領の民衆による暴動が発生してたこともあって、形勢の不利を悟った開明派は社会秩序維持局時代と比べての大幅な権限と規模の縮小を条件に、しぶしぶ秘密警察の復活を認めた。

 

 そして旧社会秩序維持局の指導者で、職権濫用で私腹を肥やした形跡が皆無で、私行上の弱点もなく、おまけにラインハルトに対しても相応の敬意も持っていた旧社会秩序維持局局長のラングを新体制の秘密警察長官の候補にあがったのである。オーベルシュタインはラングが新体制における秘密警察長官として使えるかどうか。使えた場合、どの程度まで権限を認めてやるべきか判断するべくこうして実際にオフィスで会話してその見識と能力、そして性格を品評することにしたのである。

 

 結果から言うと、ラングに対するオーベルシュタインの評価は悪くはなかった。追従やおべっかが多いのが欠点ではあるが、過去の社会秩序維持局において許されていた捜査方法や尋問方法の多くが新体制の秘密警察では認められなくなっているであろうことをほぼ完璧に洞察し、現状認識と自分に求められている役目を認識していることを示してみせたからであった。

 

「政治の実相が、少数による多数の支配である以上、私のような者の存在は不可欠であろうと考えます」

 

 長々とした政治理論を披歴した後、ラングは最後にそう言って締めくくった。

 

「秘密警察が、か?」

「治安維持のシステムを管理する者が、です」

 

 ラングは微妙な表現の修正を行った。彼の個人的な感覚からすると“秘密警察”という単語はどうも露悪的なものであるように思えるのである。彼はあくまで社会秩序のために職務に精励していたのであって、ゴールデンバウム王朝に対する忠誠心とか政治的信条から職務に精励したわけではないと思っていたからである。だからこそラインハルトが全権を掌握して新しい秩序を、それも旧体制と比べて明らかに良い秩序を建設しようとしているのであれば、そちらに協力するのが道理ではないか。そうラングは自然と思ったのである。

 

「秘密警察というものは、なるほど権力者にとっては便利なものなのかもしれんが、ただ存在するというだけで憎悪の対象になる。社会秩序維持局は先日解体されたが、その責任者であった卿を処罰するようもとめる者も多いのだ。開明派のカール・ブラッケのようにな」

 

 義眼の上級大将はラングの修正を無視して話を続けた。

 

「ブラッケ氏には氏のお考えがありましょうが、私はただ朝廷にたいして忠実たろうとしたのみで、私欲のために権限を行使したわけではありません」

 

 ラングは自分の修正が無視されたことになんの感慨も抱かず、話を合わせた。オーベルシュタインが自分の生殺与奪権を握っている存在であるという恐怖もあったが、それ以上にこんな風な扱いをされるのは旧体制下で慣れてしまっていた。

 

 それに開明派の官僚グループが自分を嫌っているのは、当然すぎることであったので特に驚く必要もなかった。開明派が提案する改革案は、解釈次第でゴールデンバウム王朝の伝統に背くほど過激なものがしばしばあったので、潜在的思想犯グループとしてラングは社会秩序維持局内に開明派を専門に監視する部署を設置して監視を徹底していたので、彼らから嫌われているのは当然であった。

 

「忠誠心を処罰の対象となさるとしたら、ローエングラム公ご自身にとっても、けっしてよい結果はもたらされますまい」

「ローエングラム公ご自身も、あまり卿らのごとき存在を好んではおられぬようだが……」

 

 万人から好まれるような仕事の専門家ではないという自覚はラングにもある。自分の仕事を例えるならば下水処理みたいなもので、だれもが必要性を認めながらも、そこで働きたいとは決して思わない類の仕事であることを、ラングは知悉していた。

 

 とはいえ、自分の職務内容に嫌悪を持たれるのは仕方ないとしても、こういった職務の必要性を認めてもらわなければならないし、矛盾するようだが自分という個人に対しては信頼してもらわなければならないとも思っていたので、必要性を訴えねばならなかった。

 

「ローエングラム公は生粋の武人。堂々たる戦いによって、宇宙を征服なさろうとの気概をお持ちなのは当然。しかしながら、ときとして一片の流言は、一万隻の艦隊に勝ります。ローエングラム公ならびに総参謀長閣下のご賢察とご寛容を期待するものであります」

「私などはともかく、ローエングラム公のご寛容にたいして、卿はなにをもってお応えするつもりだ? そこが肝要なところだぞ」

「それはむろん、絶対の忠誠と、すべての能力をあげて、公の覇道に微力ながら協力させていただきます」

「その言はよし。だが、その前にひとつ、卿に確認しておかねばならぬことがある」

 

 オーベルシュタインの無機質なコンピューター義眼が、より無機質になったようにラングは錯覚した。そしてオーベルシュタインが一枚の書類を引き出しから取り出し、その書類を確認してラングは頭から血が引いていく音が聞こえた気がした。

 

「三年前、卿がローエングラム公に思想犯の疑いがあるとして軍務省に資料の供出を要請した書類だ。これは卿がローエングラム公に対して好ましからざる感情を抱いていた、動かぬ証拠にはならぬか。そんな卿がローエングラム公に絶対の忠誠心を捧げると言っても、私には信じがたいのだが」

 

 やはりその件を追及してくるか。前もって覚悟していたこととはいえ、実際に追及されると凄まじい重圧を感じずにはいられないが、ラングはその動揺を決して表にはださずに堪え、弁明をはじめた。

 

「そのような疑いを持たれるのは心外でありますが、持たれて当然の疑惑だとも思っております。それについての弁明をさせていただけますか」

「よい。話せ」

「その当時、ローエングラム公がローエングラム伯爵家を――失礼。ややこしくなるので、当時の名前で説明します。ミューゼル閣下がルドルフ大帝以来の名門、ローエングラム伯爵家を継ぐことになるという情報が、既に宮廷内では流れておりました。それでミューゼル閣下に思想犯の疑いあるので調べろという要請がたくさん届くようになったのです。厳重に隠していましたが、ほとんどが嫉妬に駆られた大貴族たちが裏にいることは、わかっていました」

「その大貴族たちというのは?」

「ブラウンシュヴァイク公、リッテンハイム侯をはじめとした貴族派連合に参加していた者達、それに……フリードリヒ四世陛下の側室であられたベーネミュンデ侯爵夫人などです」

 

 全員ラインハルトの政敵だった者達の名前である。

 

「それで、その要請を受けて卿はローエングラム公に思想犯の疑いをかけ、捜査を行ったと?」

「いえ。それだけで捜査を行う気にはなれませんでした。なにせ公はまだ爵位を持たぬ身であったとはいえ、すでに中将の地位にある高級軍人であられましたし、フリードリヒ四世陛下の愛妾、グリューネワルト伯爵夫人の弟でありました。明確な疑惑というより、そうであってほしいという疑惑に基づいて捜査を実施するのは、危険すぎると思ったのです」

「では、なぜ捜査を実施することになったのだ?」

「それが、警察総局のゲオルグ殿に、ミューゼル中将が刑事犯の疑いが浮上したので、捜査に協力してほしいと頼まれたのです」

 

 ゲオルグの名が出てきて、オーベルシュタインの表情が少しだけ固くなった。リヒテンラーデ一族に連なる者でありながら、一〇歳以上の男子で今も生存している唯一の人間であり、行方をくらました後はたいした情報を掴めていなかったので、オーベルシュタインは漫然とした警戒心を抱いているのであった。

 

 もっとも表情を硬くしたのは一瞬であり、ラングはオーベルシュタインの表情の変化に気づかなかった。

 

「総参謀長閣下も御存知のことと思いますが、軍人が刑事事件を犯したという証拠を警察が揃えていたとしても、憲兵隊がそれを簡単には認めないものです。むろん、その点においては社会秩序維持局も内務省の部局なので同じような確執があるのですが、警察と比べて社会秩序維持局の権限は大きく、軍上層部とは比較的マシな関係を築けていたので、私の名前で軍務省にラインハルト・フォン・ミューゼルの記録の供出を要請してくれないかと。ミューゼル閣下に対する調査要請が多数届いていたことや、私とゲオルグ殿との信頼関係もあって捜査の開始を決断しました」

「卿は、ゲオルグ・フォン・リヒテンラーデと親しかったのか?」

「親しかったというより、信頼できる良き協力者であったというべきでしょう。ゲオルグ殿のライバルであったハルテンベルク伯の派閥は、軍と警察の協力関係構築を考え、私ども社会秩序維持局を敵視しておりました。一方、ゲオルグ殿は社会秩序維持局との関係強化を考える派閥の主でしたので、社会秩序維持局の未来を考えるとゲオルグ殿に協力すべきだと判断しました」

「なるほど……。ハルテンベルク伯は、ライバルであったゲオルグ・フォン・リヒテンラーデの謀略によって、妹に殺されたのだという噂があったが、それに卿が関わっているということはないだろうな」

「め、滅相もございません!」

 

 まったく身に覚えがないことを言われ、ラングはほとんど悲鳴のように叫んだ。

 

「ハルテンベルク伯爵の死が謀殺であるということ自体、根も葉もない噂でしょう。当時はゲオルグ殿も、ひどく困惑しておいででしたからな」

 

 叫んだ直後、いくぶん冷静さを取り戻したラングは、補足する様にそう付け加えた。

 

「話をそらしてすまなかった。それで捜査はどうなったのだ」

 

 ラングが説明を始めた。刑事犯の容疑者としての疑いはたんに人違いであったらしい。当時のゲオルグ曰く、金髪で美貌の高級軍人が犯人という証言が多数あったから、ラインハルトのことだと思っていたが、事件当時には、まったく違う場所にいたというアリバイが軍務省から提供された資料によって証明され、また一から捜査のやり直しだとぼやいていたとありのままに説明した。

 

 そして思想犯という疑いも事実無根のものであると簡単に証明された。たしかに出世意識の強さと上官や同僚の反感を恐れない剛直さが確認されたが、それは武人としてのものであって、政治的な行動をなにひとつしていないからであった。それに特権を行使することもほとんどなく、気になったことといえばジークフリード・キルヒアイスなる軍人が常にラインハルトと同じ配属になっていることくらいである。

 

「個人的にはミューゼル閣下があまり帝国の貴族社会に馴染んでいないことにも疑念を抱きましたが、もとよりゲオルグ殿の頼みを聞いて恩を売り、上からの圧力をかわすための方便として実施しただけの形式的な捜査でありましたので徹底的に調べあげる気にもなれず、表面的な捜査だけでシロと判断しました」

 

 付け加えるようにラングはそう言った。ラインハルトの野心をまったく見抜けなかったとあっては自分の能力に疑問符をつけられるのではないかと恐れたため、本気になって捜査をしていれば見抜けたんだと含みを持たせたのだ。続けていれば本当に見抜けたのかラングは断言できなかったが、可能性は少なくなかったろうとは思っていたので、まるっきり嘘というわけでもない。

 

「……事情は理解した。私が卿を秘密警察の長に任じるようローエングラム公に推薦しておこう」

「感謝を」

「だが、ひとたび解体した社会秩序維持局を復活させるわけにもいかん。開明政策の後退として非難されることにもなろうしな。名称も、なにかほかのものを考えねばなるまい」

 

 やはりそうかとラングは厳かな低音で提案した。

 

「それならすでに考えております。内国安全保障局――どうでしょう、この名は」

 

 とくに感興を呼びさまされたふうもなく、義眼の総参謀長は頷いた。

 

「古い酒を新しい革袋に、だな」

「酒のほうもなるべく新しくしたいと存じます」

「よかろう。せいぜいはげむことだ」

 

 この翌日、ハイドリッヒ・ラングは内務省に新設された内国安全保障局の局長に任命される。旧体制時代の要職についていた身でありながら、新体制においても要職の地位を得た稀有な例のひとつであった。

 

 秘密警察の長官に返り咲いたラングが最初に取り掛かったことは、人材の収集と組織の再建であった。末端局員は社会秩序維持局に所属していた局員を再登用すればよいが、中堅以上の人選は非常に苦労した。というのも社会秩序維持局は活動内容が秘匿されていたこともあって腐敗が凄まじく、しかもその腐敗度合いは高位の役職になるほど凄まじかったので、潔癖さで人気を博している新体制下で使うわけにはいかないということをラングもわかっていたので再登用などできなかったのである。

 

 だから数少ない腐敗しておらず、それでいて優秀だった社会秩序維持局の元高級局員は、なんとしても内国安全保障局に招きたいところであったのだが、そういった元高級局員は社会秩序維持局が廃止されると他の部署に移籍したか、民間企業の高職に再就職してしまっていたので、彼らを取り戻すのは容易なことではなかった。

 

 だがラングの努力の結果、腐敗していなくて優秀な元高職の人材を数人取り込むことに成功した。そのうちの一人、フェザーン駐在の弁務官事務所に所属していた元局員が現在の上司からその移動命令の辞令を拝領したのは、ラングが局長になってから三日後のことであった。

 

「てっきり自分は正式に国務省に移動することになるとばかり思っていたのですが……」

「私もそうなると思っておったのだがね」

 

 辞令を受け取ったクラウゼの独白に、上司の高等弁務官が優秀な人材を奪われた悔しさを滲ませて同意した。

 

 フリッツ・クラウゼは元社会秩序維持局調査部フェザーン課の課長であった保安准将で、フェザーン駐在弁務官事務所内にある専用オフィスでフェザーンや同盟に対して諜報・工作活動の中継指揮をとっていた人物であった。

 

 後世の人たちから見ると、なぜ内務省の人間が他国に対して諜報・工作活動をしていることを奇妙に感じられるかもしれないが、当時の銀河帝国の感覚ではそれほど奇異なことではなかった。内務省は国内治安を担当する省庁であり、銀河帝国は人類社会すべてが版図であると規定している以上、当然同盟も帝国の領土であって、同盟の国民は全員思想犯・反逆者であり、思想犯を取り締まる社会秩序維持局が彼らに対して執行権を持つのは当然であるとされていたからである。

 

 むろん、これは時の社会秩序維持局局長と内務尚書が内務省の勢力拡大を目論んで唱えた屁理屈であって、当時の閣議に参加していた尚書たちは内務省の主張をばかばかしく思っていたのだが、その屁理屈がゴールデンバウム朝銀河帝国の建前に則った主張であったので、否定しきることもできずに承認されてしまったのである。

 

 同盟に対して他にも諜報・工作活動をしている部署は存在し、軍務省諜報局、国務省秘密情報局、宮内省官房情報調査室、各有力貴族の情報機関等々、それぞれの勢力が建前を前面に押し出して同盟に対する情報収集行為を正当化させ、各部署同士で衝突を起こしている。

 

 しかも同盟と違ってそれぞれの部署が話し合う場も公的には設けられていないので、現地の判断で他部署との対立や協力が発生し、帝国の諜報・工作活動の全貌を知るのは神聖にして不可侵なる皇帝陛下ですら不可能と皮肉な連中には揶揄されるほどカオスなことになっており、弁務官事務所ひとつとっても、同盟側は序列が定められているのに対し、帝国側は国務省から派遣された高等弁務官、軍務省から派遣された首席駐在武官、内務省から派遣されたフェザーン課長の序列がハッキリしていないので、それぞれが独自の判断で勝手に動いていたほどであった。

 

「しかし、帝都オーディンに戻らずにしばらく現地にて待機せよというのは、どういうことなのでしょう?」

「……まだ社会秩序維持局の工作員のことをちゃんと把握していないから、卿にもう少し補佐してほしいということではないかな」

 

 ラインハルト軍によるリヒテンラーデ派粛清が明らかになった際、高等弁務官のレムシャイド伯以下多くのリヒテンラーデ派の弁務官事務者の役人が職務放棄してフェザーンに亡命したが、クラウゼは弁務官事務所にとどまって弁務官事務所の残存所員を統率し、弁務官事務所の全連絡網を使って、

 

「我が忠誠の対象はブランシュバイクでもリヒテンラーデでも、ましてやローエングラムでもない。我が皇帝と(マイン・カイザー・ウント・)我が故郷(マイン・ハイマート)こそ忠誠の対象である。志を同じくするものよ。いつも通りに職務を続行する旨、報告せよ。賛同できぬものは止めぬから去るがいい。社会秩序維持局調査部フェザーン課長、フリッツ・クラウゼ保安准将」

 

 各地の工作員にこのような通達を出して現状把握に努め、残存所員の総意によって高等弁務官と首席武官の職務も代行し、弁務官事務所の機能の低下を最小限におさえた。ラインハルト派による粛清が弁務官事務所にまで伸びてきた時、六割方リヒテンラーデ派に属しているとみられていたクラウゼも拘束されたが、私行上に問題がなかったことと混乱する弁務官事務所を纏めあげた功績もあって一切のお咎めがなかった。

 

 しかしクラウゼが所属した社会秩序維持局が廃止されたので、国務省に出向という形がとられ、高等弁務官補佐というのがクラウゼに与えられた職責であった。対外諜報・工作は政治的なものは国務省秘密情報局、軍事的なものは軍務省諜報局に統一することが帝国政府が決定していたこともあって、社会秩序維持局調査部フェザーン課に所属していた工作員たちは、クラウゼと新しく赴任してきた高等弁務官の采配によって順次国務省秘密情報局に秩序だった所属替えが実施され、社会秩序維持局の局員でありながら彼らは失職をまぬがれたのであった。

 

「とりあえず私の補佐の任を解く命令はまだ届いていないのだ。職務を継続するということでよいのではないかな」

「わかりました」

 

 そう返答して職務に戻ったクラウゼは内心でこれからどうするべきか悩んだ。クラウゼは秘密組織の一員であり、弁務官事務所内の情報を組織に提供し、フェザーン内の組織のネットワークを統括する立場にあったのである。対外情報機関は国務省と軍務省のみにするとこの前決定されたばかりなので、内務省内国安全保障局の活動は国内のみに限定されることは間違いなく、自分が帝都に戻った後、だれに自分の後任を任せるべきか考えなくてはならなかったのである。

 

 いやそれより先に上に報告すべきか。そうクラウゼは判断した。だがそれでも後任の推薦くらいはしておくべきであろうか。組織内において自分は中堅以上の立場にいるだろうと予想しているクラウゼである。予想している、というのは秘密組織の全体図を把握していないからであるが、自分がいつも報告をしている相手は大幹部、もしくはさらに上、組織の頂点に位置している人物ではないかと推測していたからであった。

 

 職務を終え、クラウゼは夜の街へと繰り出した。ラインハルトが全権を掌握して以来、劇的に改革によって国内の状況が改善しつつある現状においてもそうなのかは不明だが、旧体制時代、帝国の公務員にとってフェザーン駐在事務所勤務というのは一種の憧れであった。表向きの仕事であるフェザーンとの交渉とか、裏の仕事である同盟に対する諜報活動の指揮に気をやまねばならないが、豊かな環境が保障されたからである。

 

 なぜかというと、人類社会に存在する唯一の国家であると自称する銀河帝国の歴代統治者たちは、叛乱勢力の弁務官事務所より貧相な弁務官事務所を同じ地平に存在させることが許せなかったらしく、潤沢な資金を弁務官事務所に投下していた。おかげで末端でも中堅官僚クラスの給料が支給されたし、外に対する顔ということもあって、汚職が皆無とはいかないが本国とはくらべものにならないほど少なかったし、規則の九割はちゃんと遵守されていたので、身分を問わず働きが正当に評価される場でもあったからである。

 

 そしてなにより、フェザーンで暮らせるという事実! 内政・外交にかんする帝国からの完璧な自治権を勝ち取ったフェザーンには大量の娯楽施設が存在し、帝国の娯楽施設と比べて非常に質が高いのである。新任の弁務官事務所員は、フェザーンの豊かさに驚き、財布が空っぽになるまで時間を忘れて遊びまくり、翌日酔いが冷めた時に本国との差を思い、憮然とした顔をするというのがよくあるパターンだと古参所員や元所員が自虐ネタとして多用するほどであった。さらに親族が政治犯収容所に送り込まれたり、帝国の情報機関から命を狙われるリスクを容認できるなら、フェザーンや同盟に亡命することだって、できてしまうのである。弁務官事務所勤務が憧れの対象となるのも当然というものであった。

 

 そんなフェザーンで暮らせるというだけで、一種の特権ではあった。だから弁務官事務所に勤務している者は職務を終えると、決まったように夜のフェザーンの街に突撃する特権を行使するのは実に自然なことで、クラウゼが職務を終えてフェザーンの街並みに消えていくのも、ごく自然なことであるように思われた。旧体制時代は各情報機関が互いに妙なことをしていないか監視する、相互監視体制が敷かれていたものであったが、ローエングラム公が権力を握り、情報機関の統一と再編によって監視の目が粗くなったので、クラウゼとしてはかなり動きやすい環境になっていた。

 

 酒場でウォッカを数杯飲み、次に寄った売春宿で女を一人抱いた後、施設内の便所で携帯TV電話を取り出し、自分が生れ育った孤児院の責任者の電話番号をダイヤルした。

 

「院長先生、俺です。クラウゼです」

「クラウゼか。どうしたんだい?」

「聞いてください。今度新設される内国安全保障局に配置換えになったんですよ。しばらくはフェザーンで今まで通り仕事をしなきゃいけないみたいなんですけど、そう遠くないうちに内務省勤務に変わるみたいで、その報告を、と」

「栄転だねぇ。育ての親として嬉しいかぎりだよ。社会秩序維持局が廃止されたってニュースを聞いたときは、もうダメかと思ってもんだからね」

「俺もそう思ってた」

 

 クラウゼは苦笑した。

 

「しかし帝都勤務となると、もうフェザーンのものは簡単には手に入らなくなるね」

「それがフェザーンに良い友人ができたんだ。ベルンハルトっていうだけど、そいつに頼んでみたらたぶん送ってくれると思うよ」

「友人に恵まれてなによりだよ」

 

 日常会話にみせかけているが、これは秘密組織内のやりとりであった。クラウゼが自分が近くフェザーンを離れなければならなくなることと、秘密組織内における自分の後任としてベルンハルトなる人物を推薦しているのである。

 

「友人といえば、彼はどうしてるんだい? またおじさんが気にしてるんだけど」

「まったく変化なし。あいかわらず宵越しの銭は持たない生活してる」

「……彼にも困ったもんだよ」

 

 六月頃からよくされるこの問いかけを、クラウゼは疑問に思っていた。どうして元警察幹部のシュテンネスの動向に、ここまで神経を尖らせているのだろうか。

 

「ああそうだ。いちおう伝えておこう。じつは近々孤児院を別の場所に移す予定なんだ」

「そりゃまたなんで?」

「かなり良い立地の場所が見つかったんだよ。子どもたちの暮らしのことも考えると、広々とした空間の方がよいかと思ってね」

「ふーん。じゃあ、いまオデッサにある孤児院はどうなるんだ?」

「不動産屋に売りとばす。買い手がつくかはわからないがね」

「……生れ育った場所がなくなるのか、なんか悲しいな」

「それが人生ってもんさね」

 

 ずいぶん変なこと言うなとクラウゼは思った。

 

「引越しが済んだら、こっちからまた電話かけるよ」

「了解」

「あー。それとね。孤児院の経営が厳しいんだ。また寄付をお願いね」

「じゃあ、なんで移設なんて考えやがった!?」

「……うん、まあ、大目にみてくれよ。頼んだよ」

 

 クラウゼはため息を吐いて、疲れた声で聞いた。

 

「いくらぐらいなら嬉しいんだ?」

「そうさね。五万もあれば」

「けっこうな大金なんだが」

「官僚様なんだろう。それくらい頼むよ」

「はぁ、わかった。今度手紙と一緒に送るわ」

 

 クラウゼは通話を切ると、なにごともなかったかのように歓楽街を楽しみ、遊び疲れて泥のように眠り、翌日も同じように高等弁務官補佐としての仕事に従事した後、フェザーンの銀行に足を向けて個人的な貯金を引き出した後、リヒテンラーデ家の隠し口座から五〇〇万帝国マルクを分散して育ての親の隠し口座に送金した。 




クラウゼはゲオルグと会ったことはありますが、彼が秘密組織のボスとは知りません


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数百年に一度の大喜劇

知らないうちにお気に入り数200件なってた。
(今まで自分が書いてた作品と比べて)早すぎる。
皆さん。本当にありがとうございます。
░▒▓█▇▅▂∩(・ω・)∩▂▅▇█▓▒▒


 ブルヴィッツ侯爵家の略奪による恩恵を受けていたため、旧時代への郷愁が強かった惑星ブルヴィッツでは、皇帝エルウィン・ヨーゼフ二世が拉致された帝国政府の発表と、悪びれもせず権力を握り続ける傲慢な金髪の孺子への反感がたかまり、元領民の怒りの声が暴動へと発展したのである。同じ状況に陥った旧貴族領の惑星は少なからず存在した。

 

 貴族とは自分たちの為に仕事をしている、尊敬し敬愛すべき統治者であり、皇帝はその貴族の最上位に君臨する偉大な人物というのが、自領の民の生活を重んじる貴族の統治の下で生活してきた素朴な領民たちの認識であったので、自分たちの生活を苦しくするばかりか、貴族として皇帝を支えるということすらできていないラインハルトへの怒りが爆発したのであった。

 

 暴動には貴族家の旧臣が多数参加し、場所によっては現地の統治機構そのものが暴動に加担した。暴徒たちによって帝国政府のコントロールを受け付けなくなった惑星が、銀河帝国正統政府の支持を表明し、あるいは叛徒に媚びた正統政府も帝国を統治する資格なしとして帝国政府からの独立を宣言し、帝国政府の敵対姿勢を鮮明にして叛乱へ発展していったのだが、ブルヴィッツの方向性は簡単に定まらなかった。

 

 その最大の原因はブルヴィッツ侯爵の忘れ形見である、グスタフ・フォン・ブルヴィッツが帝国政府との敵対に否定的であったことにある。領民たちの怒りは痛いほど理解できたが、貴族連合軍の敗北と父の無念の戦死によってローエングラム体制の強大さと強固さをよく理解していたし、グスタフも歴史上大多数のブルヴィッツの一族の者達と同じく自領の民にたいして慈愛の心を持っていて、公的には貴族の地位を失っていたが貴族領主の一族としての矜持も失っていなかった。だから領民に大量の犠牲者が出ることが疑いなく、しかも勝算もほぼないとあっては、領民への愛と貴族の矜持からして賛成できるわけがなかったのである。

 

 グスタフは体制側の治安部隊と惑星上の要所を占拠した暴徒たちの間に立ち、交渉の仲介役を務めることでこれ以上の流血を避けようと努力した。治安部隊は平和的手段で暴動を終息させることができるなら文句はなかったし、暴徒側も尊敬するブルヴィッツ家の忘れ形見が仲介役とあっては無視することもできず、険悪な空気ではあったが交渉によって解決しようという気持ちも互いの間にうまれつつあった。

 

 しかし九月二〇日のニュースによって状況は一変した。帝国国営放送がエルウィン・ヨーゼフ二世の廃立とカザリン・ケートヘン一世の即位を発表したのである。その発表を聞いて帝国中のほとんど人間が、カザリン・ケートヘンってだれ? というつぶやきを内心でもらしたにちがいない。それほどまでに無名の人物が皇帝になったのである。

 

 国営放送の発表によると先々帝オトフリート五世の第三皇女の孫、ペクニッツ公爵(今回の即位によって子爵から格上げされたそうで、この人も無名の人物であった)の娘にあたる人物で、現在は生後八ヵ月とのことである。神聖にして不可侵なる銀河帝皇帝の冠を被り、無邪気に微笑む赤子の姿の映像は、エルウィン・ヨーゼフ二世以上に傀儡に過ぎない存在であることを雄弁に物語っていた。

 

 ここにいたり、グスタフは流血を避けるための今までの努力の成果を捨てる決意をした。これほどまでにゴールデンバウム朝銀河帝国の歴史と伝統と権威を侮辱されて、行動を起こさぬというなら、それは帝国貴族ではない……。グスタフは領民たちとともに戦うべきだと判断した。そしておそらくは、領民と共に死ぬ覚悟も、この時にしたのであろう。

 

 そう決断すると領民のためを思い、今までひた隠しにしてきた父を殺されたことと貴族の地位を奪われたことに対するラインハルトへの恨みの感情も爆発し、それがおそろしい原動力となって熱狂的に行動を開始した。グスタフは暴動側に合流すると口汚くラインハルトを非難し、暴徒たちをまとめあげて暴動側の主導権を握ると、自ら治安部隊を撃滅する先陣をきるほどの行動力を発揮し、ブルヴィッツの支配権を力ずくで獲得して叛乱を宣言した。そしてありとあらゆる伝手を使い、同じような反ローエングラムを掲げて帝国政府のコントロールを拒否した惑星との協力関係構築に精をだしたのである。

 

ラインハルトは叛乱を起こした旧貴族領や残存貴族領の動きを無視はしなかったが、かといって重視もしなかったので一挙に軍事力を投じて叛乱を鎮圧することもしなかった。これら一連の動きは、レムシャイド伯らの銀河帝国正統政府とそれを保護する自由惑星同盟の存在によって発生したものであり、正統政府と同盟という幹を潰せば、自然と枝葉も枯れると考えていたからである。メックリンガーとケスラーの両提督にこれらの叛乱がこれ以上拡大しないように、敵対を宣言した惑星の交通を封鎖するよう命じただけであった。

 

 だから叛乱によって帝国のコントロールから外れているブルヴィッツをはじめとする惑星側も、惑星周辺の部隊の動きからそのことを感じ取っており、すくなくともしばらくは軍事的な攻撃を受ける可能性は低いとみていた。また帝国軍に比して自分たちの軍事力は数においても質においても厳しいものである以上、同盟軍と帝国軍の全面衝突がもっと加熱するまで、こちらから動くのも下策と多くは冷静に認識できていた。門閥貴族連合軍という理想的な反面教師がいたので、叛乱した諸惑星は過剰な戦意と短気が悲惨な結果を招くことをわきまえていたのである。

 

 なので叛乱側にとって軍事的課題の優先順位は低かった。最優先の課題は少なくない星間交易路が帝国当局によって封鎖された状況で、どうやって支配領域を安定させるための、食糧をはじめとした物資を確保するかということであった。早急に対策を打たなくては、帝国軍の包囲網の徹底により、日に日に深刻さを増していくのである。

 

 その重要な対策の立案はブルヴィッツの軍事部門に任せられていた。航路の問題は平時であれば軍事関係の者が担う必要などなかったであろうが、民間の宇宙船までかき集めて築きあげられた急造の軍隊であり、惑星ブルヴィッツが保有する宇宙船の一括管理も軍事部門の役目となっており、官舎の一室で軍事部門の最高責任者であるアルトマン中佐は疲れ切った声で部下に告げた。

 

「いましがたライヘンバッハへの航路も封鎖されたという連絡が入った。このままでは二年前の叛乱軍と同じようにわれわれは飢えに苦しむことになる」

「……となると、力ずくで航路を確保するしかありませんか」

「不可能だ。航路の封鎖部隊を一時的に排除することくらいはできるだろうが、確保し続けるには数が足らなさすぎる」

「他の周辺の惑星部隊と協力すればなんとかなるのでは」

「無理だな。ロイエンタール上級大将率いる三個艦隊がイゼルローン要塞攻略に出払っているとはいえ、国内にはまだ正規艦隊が十個以上もある。この状況で帝国軍との全面戦争は避けたいし、他の惑星も同じだろう」

「ならば航路を封鎖している帝国軍部隊をごまかす方法を考えるしかないですな」

「ということは、私の出番、となりますか」

 

 闇色の瞳に不気味な光を宿した、どこか不吉そうな男が発言すると、列席者の全員の視線が男に集中した。その視線がとても非好意的なものであったのは、男がブルヴィッツになんのゆかりもない、よそ者であり新参者であることに起因した。

 

 フェザーンとの接触があってしばらくした後、オットーはゲオルグからある任務を与えられ、六月の暮れ頃から惑星ブルヴィッツで元ブルヴィッツ侯爵家の私設軍に所属していた者たちによって構成される私兵集団“アウズ”に入団し、旧ロッドバルト伯爵家の私設軍に所属していた元少佐という経歴もあって、中堅幹部の地位をたやすく手に入れることができた。

 

 そしてブルヴィッツで暴動が発生すると私兵集団の規模拡大と軍隊化に貢献し、グスタフが叛逆を決意したあとは秘密組織の連絡網を駆使し、他の暴動を起こした惑星との協力体制構築に積極的に寄与し、ブルヴィッツ侯爵家の忘れ形見、グスタフの信頼を得、軍事部門の意思決定を行う部署の末席に名を連ねるほどにまでなっていた。

 

 しかし、それでも、よそ者が軍事武門の最高幹部に名を連ねているというのは、地元に密着している他の者達は悪感情を抱かずにはいられないのであった。

 

「……そうだな。オットー少佐には帝国軍の中に味方がいるのだったな。卿の力を頼らせてもらうことになるか」

 

 オットーを認めるかのような言葉なのだが、アルトマン中佐の声も、どこか棘があった。アルトマンは貧しい靴屋の出身でありながら、中佐の階級を得れたのは、ひとえにブルヴィッツ侯爵家の領民は領主を支える存在なのだから優秀な方が良いという方針によるものだった。中学校で最優秀の成績をおさめたアルトマンに侯爵家は目をつけ、金銭面の支援を惜しまなかったのである。おかげでアルトマンは都会の高校に進学できたし、高校の成績もよかったので士官学校に入学することもできた。そして軍隊に入った後も侯爵家が後ろ盾になってくれたので戦果を上官や貴族に奪われることもなく、一五年の正規軍生活で少佐にまで出世し、正規軍を退いてブルヴィッツ家の私設軍に転属するときに中佐に昇進できたのであった。こうした経緯からアルトマンは侯爵家に絶対の忠誠心を抱いていた。

 

 一年前、貴族派連合と皇帝派枢軸の二勢力に別れての大規模内戦のとき、ブルヴィッツ侯爵家が連合側に属したのでアルトマンも連合側について枢軸軍と対峙したが、初戦のアルテナ星域会戦でミッターマイヤー艦隊に大敗し、ブルヴィッツ軍も半壊。その後、ガイエスブルク要塞に撤退したものの、八月一五日の戦いで枢軸軍の半包囲の挟撃作戦によって、大恩あるブルヴィッツ侯爵と多くの戦友を失い、ガイエスブルクへと帰還する路も奪われ、アルトマンは無念の降伏を余儀なくされたのである。

 

 枢軸軍は捕虜を過酷に扱わなかったが、アルトマンとしてはそれがむしろ不満になった。偉大な領主を殺した連中の軍隊なのだから、もっと悪辣な連中であってほしかったのである。その年の暮れごろには釈放され、複雑な感情のまま故郷へと帰ったが、待っていたのは不景気によって見違えるほど明るさがなくなった街々だった。それはブルヴィッツが他の惑星から収奪していた不正な富がなくなっただけであったのだが、アルトマンには連合側に属したことによる制裁と新体制の制裁と受け取った。そしてかつての栄光を取り戻すことが、生き残った自分のすべきことだと決意したのである。

 

 つまりアルトマンの原動力は、ブルヴィッツ侯爵家への忠誠心と故郷への想いなのである。それは程度の差こそあれ、他の軍事部門の最高幹部と共通するものだった。クリス・オットーただひとりをのぞいては。むろん、彼の能力や人脈の有用性をアルトマンは理解しているし、彼の不幸な経歴も同情に値するのだが、それでも侯爵家への敬意と故郷への想いを共有していない相手には、どこか壁のようなものを感じざるをえないのであった。

 

「……わかりました。しかし今までと比べて得られる物資の量が激減することは疑いありません」

 

 オットーもそれを理解していたが、特に気にしていなかった。昔なら気にしただろうが、今はそんなこと気にしてるほど心の余裕がなかったのだ。たいして重要な事とも思えない瑣事に、いちいち気に病んでなどいられなかった。

 

 確実に確保できる物資の具体的な数字をオットーはあげ、それをどの部門にどのように配分するか議論しあい、合意がなったところで会議は解散となった。オットーは官舎を出て待たせてあった地上車に飛び乗り、放送局に行くよう運転手に命じた。それは軍事部門の一員としてではなく、秘密組織の一員としてゲオルグから与えられた役目を果たすためであった。

 

 それにしてもゲオルグ、ゲオルグ・フォン・リヒテンラーデか。移動中、オットーは椅子の背もたれに身をあずけながら、秘密組織を指導する人物の姿を脳裏に浮かべた。あの男は金髪の孺子と戦える状況をつくってやると条件を出し、自分はそれを受け入れて命令に従っているのだが……これまでの動きを見るに、本人が金髪の孺子ととの完全対決を望んでいるのか怪しいものである。ゲオルグは自分をいつでも切り捨てられる便利な道具と認識しているのだろう。金髪の孺子を地獄にたたきおとせるなら、別に捨て駒にされることはどうでもいい。しかしあくまで金髪の孺子を殺せるなら、だ。捨て駒にされた挙句、自分の人生を破滅させたあの野郎が我が世の春を謳歌し続けるというのであれば、死んでも死にきれん。だからゲオルグの命令に従うだけではなく、自分も独自になんらかの行動をおこすべきだろうか。

 

 そんなことを考えるいっぽうで、ゲオルグはそれすら想定しているのではないかという思いもある。ゲオルグとのつきあいは一年以下であるが、それでも充分にゲオルグの用心深さと危機察知能力、そしてそれを十全に生かす柔軟な思考を見せつけられた。それを思えば、自分の独断に動いた場合の計画も、あの若いが優秀な貴族様の頭のなかにあるのではないかと想像してしまうのである。自分一人の力で金髪の孺子を暗殺できると思えるほど自惚れていないオットーにとって、秘密組織の組織力は非常に魅力的なもので、ゲオルグの真意がどこにあるか謎であっても、ラインハルトを殺す気が皆無と断定できない以上、ゲオルグの不興を買って秘密組織の力を利用できなくなるのは避けるべきという決断は容易にはできないことであった。

 

 放送局に到着すると、受付である人物を呼び出した。受付の人物はオットーを控え室に案内した。控え室にある立体TVで見ながら数分待つと、お目当の人物も部屋の中に入ってきた。

 

「なんのごようでしょうか」

「……軍事部門に所属しているクリス・オットーだ。時間がないからさっそく本題に入らせてもらうが、かまわないなシラー報道官?」

 

 オットーは一五分かけてある計画の説明をし、その計画の邪悪さにシラーは動揺した。

 

「そ、そんなことは……!」

「協力できないか? だが、このまま状況が推移すれば、われわれは金髪の孺子に一矢報いることすらできずにすり潰される。むろん、状況が好転するように全力をあげるが、どうにもならなかったときのために、用意はしておくべきだろう」

「……」

「それともなにか。ここまでやっておきながら、金髪の孺子にとってくだらぬ些末事にすぎぬことと思われてしまってもよいというのか。ブルヴィッツは、なにひとつなしえぬまま、歴史の舞台から消え去ってしまってよいというのか。それをゆるせるというのか」

「それは……」

 

 かなり抵抗を感じる話であったが、否定できないことでもあった。たしかにここまでやっておいて、あの金髪の孺子を傷つけることすらできないのは、ゆるせないことであった。であるならば……。

 

 その時、立体TVのチャンネルが強制的に国営放送のチャンネルに変更され、帝国軍の厳しい顔をした報道官が声明を発表した。帝国軍総司令官ラインハルト・フォン・ローエングラム元帥はイゼルローン回廊侵攻部隊司令官のオスカー・フォン・ロイエンタール上級大将の苦戦に遺憾の意を表明。驕り高ぶる皇帝誘拐犯の門閥貴族残党の共犯者どもに正義の鉄槌をくわえるべく、ロイエンタール上級大将の増派軍要請を受け入れ、新たにウォルフガング・ミッターマイヤー上級大将率いる三個艦隊を援軍として派遣する。それでもなお兵力が不足しているというのであればローエングラム元帥自らも出陣する覚悟を固められたという報道であった。

 

「できればこのまま苦戦してもらいたいものだ。そうすれば、このようなことを実施せずにすむ」

「……たしかにな」

 

 シラーの発言がもっともだったのでオットーはうなずいたが、ある疑問が湧いた。イゼルローン要塞が難攻不落であるゆえんは、要塞本体の強固さと主砲の強力さもさることながら、要塞が航行不能宙域(サルガッソ・スペース)に囲まれた狭い回廊内に存在することが大きな理由のひとつである。その狭い回廊内で六個艦隊以上の大軍を効率的に運用するのは、想像を絶する困難がつきまとうだろう。金髪の孺子は、そのあたりをどう考えているのだろうか。

 

 オットーの疑問に答えてくれる相手はいなかったが、数日後、ブルヴィッツから遠く離れた惑星オデッサに潜伏しているゲオルグの手元に偶然にもその答えが転がってきたのであった。

 

「なに、間違いないのか?」

 

 ズーレンタール社の一室で、ゲオルグは受話器を強く握りしめながら、通話相手に念押しの確認をした。

 

「ああ、間違いない。自分もなんども確認したが、最低でも一個艦隊はあったと航路警備部隊の奴は言っている。イゼルローン回廊に向かってるはずの帝国軍の艦隊がリンダウを通るのも妙だと思い、一応報告をと」

「……了解した。対策を考える。よい新年を」

「あんたにもよい新年を」

 

 受話器を置き、ゲオルグは自分のノートパソコンを開いて電源を入れ、クラウゼから報告をまとめた資料を確認した。自分の記憶力の正確さを疑ったことなどないが、万一の記憶違いの可能性を思い、確認せずにはいられなかったのである。

 

「食い入るように画面を見て、どうしたの?」

「組織からいくつかの叛乱惑星への航路が完全に封鎖されて孤立状態に陥っており、物資の供与がより困難になり、指示を乞うと」

 

 ベリーニに声をかけられ、なにげない仕草でノートパソコンを閉じ、さっきの報告となにひとつ関係ないことを言った。叛乱惑星への物資供給が困難になっているのは、なにもいまにはじまったことではなかった。そのことをベリーニは充分に承知しているので、疑問を重ねた。

 

「前からいくつも封鎖されてなかったかしら」

「たしかに。だが、それでも帝国軍内部の細胞を利用し、最低限の供給はできていた。だが、さすがにこれ以上ごまかし通すのは難しいようだ」

 

 一度、言葉を切り、いま思いついたという態度でゲオルグはひとつ提案をした。

 

「ああ、そうだ。この解決のため、フェザーンの援護を自治領主閣下に要請してくれないだろうか。フェザーンの工作員が協力してくれるなら、秘密裏の供給網をもっと作りやすくなるのだが」

「フェザーンは非武装の平和の国。表立って帝国の現体制に敵対するような愚策。できるわけがないわ」

「それは承知している。だが、あまりにもローエングラム公と仲良くしているフェザーンの姿を見ていると、いらぬ疑いを抱いてしまうものがいるのだ。工作員のささやかな助力程度なら、フェザーンの黒狐とおそれられるルビンスキー閣下の手腕なら、ごまかせるのではないかな」

「すでにいくつかの情報提供と少なからぬ資金援助をしているはずよ」

「政略上、フェザーンがローエングラム公と妥協せねばならぬは理解できる。だが、もう少し支援を強力にしてほしいのだ。自治領主閣下の手腕をみせてほしいとゲオルグ・フォン・リヒテンラーデが言っていると連絡しておいてくれないか」

 

 社長にも相談せねばならないかとつぶやき、自然な仕草でゲオルグはノートパソコンを脇に挟んで部屋を退室し、社長室には向かわずに警備主任室へと足を運んだ。執務机に座り、会社の警備員配置の改善を考えていたシュヴァルツァーは、主君の姿を確認して立ち上がって背を正した。

 

「いや、座ったままでいい。警備主任の仕事、ほとんどおまえがやってるようなものだからな」

 

 ゲオルグは手振りでシュヴァルツァーに座るよう促し、自分は来客用の椅子を持ってきてシュヴァルツァーの対面に座った。

 

 実際、ズーレンタール社の警備主任はゲオルグということになっているが、シュヴァルツァーがこの会社に住み着くようになってから警備主任としての仕事はほぼ完全に優秀な側近に任せきっていた。ゲオルグが裏のことで忙しいので、表向きの仕事をちゃんとやっている余裕がないからである。ろくでもない警備主任がいたものだとゲオルグは苦笑した。

 

「確認だが、完全に信頼できる警備員はこの会社にいくらほどだ?」

「……オットーの一派が離脱したので、三六名です」

「それだけいれば充分か。四日後の二六日にこの惑星上のフェザーン工作員を一掃する。具体的な計画の立案を頼みたい。ただ秘密組織の活用はできるだけ情報収集のみにとどめ、なるべく警備員に私服でやらせるんだ。いいな」

「……よろしいので? フェザーンと完全に敵対することになりますし、この惑星にもいられなくなりますが」

「かまわぬ。フェザーンは遠からず、こっちにかまっているような余裕はなくなる」

「なぜ?」

「帝国軍の艦隊が惑星リンダウ近辺の宙域を通過したと報告があった」

「リンダウ……?」

 

 聞き覚えのない惑星名にシュヴァルツァーは首を傾げた。その反応はゲオルグの予想していたもので、懐から小型の機械を取り出して机の上に置いて起動した。この小型の機械が市販されている帝国領土の大雑把な位置関係が記録されたものであるとシュヴァルツァーは知っており、無数の星々のホログラムが浮かび上がっても驚かなかったが、ゲオルグが惑星リンダウを指ししめた時、表情は困惑から驚愕に変わった。

 

 帝国軍が通過した場所は、帝都オーディンとイゼルローン要塞の最短航路から、かなり離れた場所にある。というよりむしろ、反対方向のフェザーン回廊に近い位置であった。イゼルローン要塞に向かっているのなら、明らかに遠回りをしていることになり、目的地が別の場所であると考える方が合理的である。そのように思考を進めば、答えはひとつしかなく、その答えに衝撃を受けたシュヴァルツァーの声は震えていた。

 

「帝国軍は、フェザーン占領を企んでいる……」

「そうとしか考えられまい」

 

 増派軍を指揮しているミッターマイヤー上級大将が帝国領内で迷子になるような愚将であると仮定すれば、別の可能性も考えられるのだろうが、ミッターマイヤーは平民出でありながら、貴族に媚びることなく武勲によってその地位を得た軍人であり、一年前の内乱におけるアルテナ星域会戦で名将とはいえぬまでも、優秀な軍人ではあったシュターデン提督率いる艦隊を、ほぼ一方的に撃滅した手腕の持ち主ということを考慮するとありえない仮定でしかない。

 

 出身身分などというものは、個人能力面においてはなんの意味ももたないと信じるゲオルグである。遺伝子や血統を重視する帝国のイデオロギー的には異端な思考であるといえたが、そんなものを本気で信じきっていた者が旧体制下の宮廷にあってさえ、どれほどいたというのか。もしそれが本当なら、爵位すらない下級貴族であったオフレッサーや平民出身であるラングが、擲弾兵総監や社会秩序維持局長官になっているわけがなかろう。

 

 なによりゲオルグは、自らの境遇によるものがあった。帝国政府は事実上運営していた祖父や官僚として地道に出世していた叔父はともかくとして、父のエリックは身体的にも精神的にも健康であったが、簡単で退屈な典礼省仕事すらろくにできない無能者だった。その無能者の種から産まれたのがゲオルグなのである。自身が無能者ではないと自負する以上、そんなイデオロギーを信じられるわけがなかった。

 

 なのでゲオルグはあまり偏見にとらわれることなく、下級貴族出身で平民にすら劣る暮らしをしていたというラインハルトの能力をそれなりに公正に評価していたし、ラインハルトの下に集った“身分いやしき者ども”の能力も客観的に見てもまともに評価していた。帝国のイデオロギーを盲信する貴族であれば、遺伝子的に考えてあんな連中に能力があるわけがなく、ただ幸運に恵まれただけと決めつけるのだろうが、幸運だけでここまでやれるような連中には対抗できる気がしないので能力の問題にしときたいという、現実主義的なのか現実逃避なのか判別しがたい心理的な一面も存在したのだが、情けなさすぎるのでゲオルグはそれをだれにも言わなかった。

 

「閣下が予想されていたように、フェザーンとローエングラム公が手を組んだということですか」

「いやどうもそうではないようなのだ。フェザーン本星の自治領主府は平時と同じ状態のままにあるらしい。今も変わらずにな。さすがに帝国軍を招き入れるとあっては、市民の暴動など抑え込む事前準備が必要だろう。その程度のこともできぬのなら、ローエングラム公がルビンスキーと手を組む必要がないからな」

 

 ゲオルグはノートパソコンにまとめてあるクラウゼの報告を見せた。フェザーンは平時体制のままであり、帝国弁務官事務所にしても特段変わった様子もなく同じような職務を行なっている旨、記されてあった。自治領主府が弁務官事務所を通さずに帝国政府と直接交渉しており、なおかつ自治領主府の民衆管理準備の偽装が巧妙で、クラウゼの目には見抜けなかったという可能性もなくはなかったが、まったく兆候がないとなると帝国軍による突然の奇襲というほうが現実味がある。

 

 この奇襲のため、帝国は軍の行動の偽装及び秘匿を徹底したのであろう。なにせ秘密組織が帝国軍がフェザーン方面に向かっているという情報は本当に偶然の産物だった。情報の秘匿が徹底していたが故に、不規則に航路を巡回している航路警備隊がミッターマイヤー艦隊と接触し、その航路警備隊の一員が秘密組織の構成員だったので、上官から箝口令が敷かれたにもかかわらず、帝国軍の艦隊と接触したことを秘密組織に報告したのである。

 

「だが、まったくフェザーンを味方につけずにこんなことができるとも思えぬ。おそらく帝国駐在弁務官事務所やいくつかの領事館を取り込んでいよう。本国の自治領主府の目と耳をごまかしているのだ」

「……たしかいま帝国駐在高等弁務官を務めているのは黒狐の側近中の側近であったはずですが」

 

 信じがたい、と言外に匂わすシュヴァルツァーの疑問に、ゲオルグは首を振った。たしかに帝国駐在高等弁務官ニコラス・ボルテックという男は、ルビンスキーが自治領主に就任する以前からの側近で、自治領主の補佐官として辣腕を振るった人物である。そんな人物が裏切るとは考えにくいという部下の言葉に、まったく理解できないわけではない。

 

 だがボルテックという男は出世意欲が強く、ライバルを蹴落とす事に熱心なことから次期自治領主の座を狙う野心家であるという情報を、社会秩序維持局の調査部が確度が高いものとして扱っていた覚えがゲオルグにはあった。それを真実と仮定し、現状から推測すると、まるっきりありえない話ではあるとは言えない。ボルテックが帝国駐在高等弁務官になったのは、時期から考えてエルウィン・ヨーゼフ二世の誘拐の監督をするためであろう。そしてその時に見過ごせない失態をおかしたとすれば、どうであろうか。

 

 エルウィン・ヨーゼフ二世の誘拐からはじまる銀河帝国正統政府を自由惑星同盟内に設置し、帝国と同盟の戦争状態を継続させる。その後、帝国と手を組んで宇宙を支配するつもりなのか、フェザーンのみが平和を謳歌するこれまでの状況を継続させるつもりなのかは判別しがたいが、その規模と影響力の大きさから考えて、フェザーンにとっては国運をかけた国家プロジェクトであるはずである。その初歩段階で不手際を起こしたとあっては、これまでどれほどフェザーンに対する貢献したとしても、ボルテックの立場が急激に悪化することはさけられない。

 

 となれば、いっそのこと、ルビンスキーを裏切ってローエングラム公と手を組み、自治領主府の目と耳をごまかすその見返りとして帝国内において相応の地位と権力を要求し、それをもって自分の政治的立場を守る。そうボルテックが考えたとしても不思議ではあるまい。不忠な売国奴以外の何者でもない行為ではあるが、ボルテックに限らず、フェザーン人が忠誠心とか愛国心とかいう概念を重んじているともおもえないので、心理的ハードルは低かろう。なにせ、冗談混じりとはいえ「国でも親でも売りはらえ――ただしできるだけ高く」と公言してる連中が大量にいる国だ。われらが帝国は語るに及ばず、言論の自由を標榜している同盟でもそんなことを言えば、たとえ冗談でも周りから嫌厭されることを思えば、実にありえそうな話ではないか。

 

 ゲオルグの説明に、シュヴァルツァーは納得したとは言い難いものの、現実的にそれが進行している可能性が低くないということは理解できたようで、ベリーニの目を盗んで二六日までに計画を練りましょうと請け負った。警備主任室から退室し、グリュックス社長の部屋に向かいながら、ゲオルグはおもわず皮肉気な笑みを浮かべた。どうも今までの常識が役立たずになる時代が到来しようとしているらしい。それも帝国だけではなく、人類社会全域で。はてさて、後世の人々はこの時代をどのように評するのであろうか。

 

 普段ゲオルグは自分が死んだ後に生を受けた人間が、自分たちの時代をどのように見るのかということを想像したりしないのだが、ルドルフ大帝の御代に匹敵する人類社会の巨大な変革期が到来しつつあるということを思うと、心の中で言葉にしがたい感情が高揚し、柄にもないことを考えずにはいられなかった。

 

「大神オーディンよ、照覧あれ。数百年に一度あるかないかの大喜劇が幕をあげますぞ」 

 

 鼻歌混じりに、ゲオルグはつぶやいた。こういう時代こそ、陰謀というものは陰謀のまま終わらぬ価値を持つのだ。




正直、ブルヴィッツの話とゲオルグが帝国軍が奇襲でフェザーン占領企んでる話を分けるつもりだったのだけど、文字数が少なすぎたので統合。
しかしそのせいで一話にいろいろ詰め込みすぎた感が否めない。


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フェザーン占領

 帝国歴四八九年一二月二四日。それはのちに帝国軍の歴史の栄光の一ページとして記されることになる日付である。すでにロイエンタール上級大将率いる三個艦隊がイゼルローン回廊で同盟軍と交戦していたが、ラインハルト壮大な戦略、ラグナロック作戦が誰から見てもあきらかな形を持って発動したのは、ミッターマイヤー艦隊がフェザーンに到来したこの瞬間であった。フェザーン自治領が成立して以来、自治領主府はなみなみならぬ努力を傾け、あらゆる政略と謀略によって、非武装中立国家としての性質を一世紀近くにわたって守り抜いてきたのだが、そのしたたかさと狡猾さを押しのけて、初めて帝国軍のフェザーン侵入と占領を達成した日であるのだから。

 

 むろん、それは後世の視点によるものであって、当時はそんな帝国軍の栄光とやらをのんきに考えられる暇などどちらの側にもなかった。フェザーンは突然の事態に冷静に対処できずにあらゆる場所で混乱が発生していたし、占領する側の帝国軍の側からしても民間人への被害を避けつつフェザーンの主要機関や同盟の弁務官事務所の制圧を実施に忙殺されねばならなかったので、今までにない任務に携わる高揚感を感じつつも、終わった後の栄光を考えている余裕などなかった。フェザーン駐在高等弁務官補佐であるフリッツ・クラウゼにしても同様である。

 

「帝国軍艦隊襲来! 帝国軍の侵略です! 帝国軍の侵略です!」 

 

 あらゆるフェザーン・メディアが繰り返しその情報を流しているのを見て、クラウゼは驚愕した。秘密組織からの情報で帝国軍のフェザーン占領があることを事前に知っていたのだが、おそらく二七日以降であると教えられていたのである。だからまだ日にちがあると踏んでいたのに、それより数日早く帝国軍が殺到してきたのだから。しかしすぐに帝国軍の別働隊を率いているミッターマイヤー上級大将は“疾風”と称されるほど高速の艦隊運動を得意とする提督であることを思い出し、隠密行動なのに高速移動なんかやるなよと内心で罵倒した。

 

 ともかく早く行動に移さなくてはならないとクラウゼは慌ただしく服装を整えようとした途端、裸の美女に抱きつかれた。弁務官事務所での仕事を終え、クラウゼは女を買ってさっきまでホテルで楽しんでいたのである。女は顔を青くして、震えるような声で問いかけてきた。

 

「ね、ねぇ、帝国軍が侵略してきたってどういうこと? あなたたちはなにを考えてるの……?」

「俺が知るか!」

 

 女としては、クラウゼが帝国の高等弁務官補佐の職にある人間であることを知っていたので、当然、クラウゼも帝国の意図を承知しているものと考えての問いであったのだが、冷静に考えれば今回の一件について事前に帝国軍から弁務官事務所に連絡があったのなら、そもそもクラウゼがフェザーンの女を買って遊んでるわけがないということまでは思考がまわらなかったようである。

 

 くわえてクラウゼはこの混乱中になさなくてはならないことがあったので、自分の行動の邪魔をする女に激しい怒りを抱き、怒鳴りつけて暴力を振るって意識を奪った。気を失ったことを確認すると、さっきまで情事にふけっていた女のことを意識の外に放り出し、携帯TV電話を取り出して番号をダイヤルしたが……。

 

「くそっ! 回線がパンクしてやがる!!」

 

 思わず携帯TV電話を床に叩きつけた。頭の冷静な部分が、こんな騒ぎになれば電話回線がパンクするのも当然だろうと自分の行為を嘲笑い、苛立ちを噛み締めて服をきて、外に飛び出した。こうなったら自分の足で仲間を集め、秘密組織より与えられた任務を遂行するほかない。事前に集合場所は伝えてあるが、早すぎる帝国軍到来に対応できているかどうか……。

 

 集合場所に向かって走りながら、クラウゼは密かに安堵した。帝国の弁務官事務所の外交官であることを示すバッジをはずしていたが、着替えがなかったのでスーツがないことを除けば外交官の服装のままであったから、それと知っている者が見れば帝国の外交官であることは一目瞭然で、帝国軍の侵攻に怯えるフェザーン人たちの怒りのぶつけどころになるのではないかと心配したのだ。しかしフェザーン人は平和馴れしすぎていたようで、逃げ惑う民衆に他人の服装を確認してる精神的余裕などだれにもなかったのであった。

 

 集合場所は繁華街の路地裏にあって、いつも客がほとんどいない酒場だった。クラウゼがその酒場に到着し、集まっている人数を確認したが三人しかいなかった。本来であれば、ここに二〇人近い秘密組織の構成員が集まっていなくてはならなかった。

 

「三人だけか!?」

「いえ、ベルンハルト殿もおられたのですが、待ってられないと二人連れて先に出て行ってしまいました」

「勝手なことを!!」

 

 クラウゼはそう叫んだが、秘密組織から与えられた任務を思えばベルンハルトの行動もあながち間違っているとは言い難いと思い直した。

 

「全員、ブラスターは持っているな」

 

 全員が頷いたのを確認すると、あとから来るかもしれない構成員に対する書き置きを作成し、仲間の一人から若干薄汚れた上着を借りて羽織ると急いで駆け出した。なんとしても帝国軍が都市部までやって来る前にかたをつけねばならないのである。

 

 秘密組織から与えられた任務は、元警察総局参事官クルト・フォン・シュテンネスの抹殺である。曰く、組織の裏切り者であり、フェザーンに亡命したのも組織の手から逃れるためで、今まで監視を命じていたとのことであった。帝国軍の捕虜になっては組織を窮地に追い込む情報を漏らすかもしれないので、フェザーンの統治機構が大混乱するであろう帝国軍に侵攻の際に抹殺せよ。それが秘密組織の意向であった。

 

 そのシュテンネスが住んでいた集合住宅にクラウゼがついた時はすでにもぬけのカラになっていて、ベルンハルトについていった構成員が一人いるだけであった。ベルンハルトたちはシュテンネスと同じ集合住宅にいた者たちを尋問し、彼がどこに行ったのかという情報を集め、三つの候補地を絞り、連絡役である自分を残してベルンハルトともう一人は候補地のひとつに向かったと残った一人から説明された。

 

「そうか。ではおまえはベルンハルトを追え。シュテンネスが警察時代の仲間と行動を共にしている可能性がある。二人ではきついかもしれん」

「了解しました」

「カニンガム、グレムト。おまえらはシュテンネスと繋がりがあったザウルとかいう独立商人のとこに」

「了解」

「残りは裏街だ、俺についてこい!」

 

 クラウゼの素早い指示で行動は再開された。クラウゼたちの担当はある裏街である。シュテンネスがよく出入りしていた裏街の店のリストを片っ端からあたっているが、かなり数が多く、捜索は難航した。帝国軍は公的機関の占領を優先するであろうから、こんなとこまで兵士がやってくるまでにまだ時間があるだろうが、それがどの程度か推し量る術はなく、焦燥にかられる捜索であった。

 

 やがて目的地にシュテンネスが潜伏していないことを確認しおえたベルンハルトのグループも「裏街は広いから捜索がまだ終わっていないだろう」と考えて合流し、数分たつと秘密組織の焦燥感はますます膨れあがった。ザウルのとこにシュテンネスが潜んでいるのか、それともベルンハルトらの捜索が甘すぎたのか……クラウゼが自分たちの責任ではないと脳内で現実逃避しはじめた時、仲間の大声が響いた。

 

「いた! いたぞ!! シュテンネスだ!!」

 

 その声は待ちわびたものであった。即座に声のしたところに急行すると、そこには肩を撃たれて血を流す仲間が呻き声をあげていた。

 

「シュテンネスはどこだ!?」

 

 血を流す仲間へのクラウゼの問いは非情なものであったかもしれないが、いまは一刻を争うのである。

 

「向こうの通りに。赤い流行りの服を着ていて、青い帽子で顔を隠してる……」

「わかった! おまえはこのままここにいろ。そして帝国軍の兵士に撃たれたとごまかして治療を受けるんだ。いいな!」

「了解……」

 

 仲間頷くのを見て、クラウゼは自分と同じく声を聞いて集まってきていた三人とともにシュテンネスのあとを追った。幸いと言うべきか、シュテンネスは水たまりにでも足を突っ込んだのか、靴がかなり濡れているようで、足跡をくっきりと視認できるほど残していたので姿が見えずとも、足跡を追うことで追跡ができた。

 

 その足跡を追跡し続けた末、ある道筋で四人の人影を確認できた。年若い少年と黒人の大男、そして青い帽子に赤い服をきた中年と思しき人影が二つ。どっちがシュテンネスかとブラスターの照準にクラウゼらが迷っていると、黒人の大男がすごいスピードでこちらに突貫してきた。

 

「っ! ガキと黒人は無視していい! あの二人を殺せ!!」

 

 黒い巨体が迫って来る恐怖心を抑えきれず、クラウゼは絶叫に等しい声で命令した。その命令にしたがって残りの三人がブラスターの引き金を引いたが、少年が対象の二人を押し倒して光線から守った。そして突撃していた黒人の大男が仲間の一人の顎に強力なパンチをお見舞いした。仲間の体が宙に浮いて、建物の壁に激突し、その衝撃で白目をむいて気絶した。

 

 その光景に仲間の一人がなにやら迷信じみた恐怖を抱いた。彼が育った帝国はルドルフの白人種至上主義の価値観に染まっており、有色人種は劣った存在であるされており、白人の正反対の肌の色をしている黒人などはその最たるものであるかのように定義されていた。そんな黒人がこんな怪力を有しているのだから、いわゆる悪魔なのではないかという恐怖を感じ、命令を無視して黒人にブラスターを向け、引き金をひいた。

 

 とっさに黒人は避けたが、完全に避けきることはできなかった。腕がブラスターの光線で貫かれた。とどめを刺せなかった。そう思い、その男は再びブラスターを黒人に向けた。

 

「馬鹿野郎! 右だ!」

 

 クラウゼの大声を聞いて、とっさに右をむいた男の視界に映ったのは、双眸に憤怒の炎を煌めかせた少年の姿であり、腹部に強い衝撃を感じた瞬間、男は口から胃の内容物を吐き出して意識を手放した。

 

(万事休すか……)

 

 クラウゼは現状を認識し、そう心中でつぶいた。三人いた仲間のうち、一人は黒人に、一人は少年によって意識を奪われ、残りの一人は意識が残っているものの、手負いの黒人の一撃を食らって痛みに呻いている。遭遇してからここまで追い詰められるまで一分かかっただろうか。まさかシュテンネスが、これほど手練れの護衛をつけていようとは。絶望という暗くて重い感情が心中に広がっていく。

 

「そこまでだ!!」

 

 唐突に怒声が響き、何事かとまだ完全に意識を保っていた三人が声の方向を向いた。声の主はベルンハルトであった。どうやらさっきの乱闘中に反対側からこの道にきたようだ。残りの二人が、中年二人にブラスターを突きつけ人質としている。それを認識した少年が苦い表情を浮かべた。こちらに突撃して来なかったら守れたのにと悔やんでいるのだとクラウゼはなんとなくわかった。

 

 クラウゼは予想外の大逆転を認識すると少年と黒人の方にブラスター向けつつ、人質になっている中年の片方に近づいた。事態をややこしくしてくれた影武者がどのようなツラをしているのか見てやりたくなったのである。ブラスターを持ってない方の手で帽子をはずすと、明らかになった恐怖と絶望に歪んだ平凡な顔に、クラウゼは見覚えがあった。

 

「ヘンスロー弁務官?」

「そうだ、私は弁務官なのだぞ。きみたちがなにをしているのか、わかっているのか」

 

 だれの目にもあきらかな虚勢を張るヘンスローを、クラウゼは冷ややかな目で見た。

 

「弁務官? もしかしておまえの上司か」

「いんや。こいつは同盟のほうだ」

 

 ベルンハルトの問いに、クラウゼは答えた。かつて社会秩序維持局調査部フェザーン課長として内務省の対同盟・フェザーンの情報収集の現地責任者であり、いまは高等弁務官補佐の役職にあるクラウゼは職務上、対立している同盟の弁務官事務所のトップの顔と名前と経歴を知っていた。近年、同盟の高等弁務官職につく者の能力の質は、政権が変わるたびに選挙活動の論功褒賞によって与えられているせいで下落し続けており、ヘンスローもその例外ではなかったので、クラウゼはよく帝国軍の捕虜にならならずに逃げられたなとすこし驚いていた。

 

 クラウゼとベルンハルトのやりとりを聞いたヘンスローは、彼らが帝国の弁務官事務所の役人で、自分を捕まえにきたのだと思い込み、泡を吹いて倒れかけ、ブラスターを向けていた仲間が慌ててその体を支えた。意識はかなり朦朧としているようである。

 

「これがヘンスロー弁務官とすると、そっちの少年はユリアン・ミンツ少尉か」

「……どうしてぼくの名前を知っている?」

「雑誌におまえの特集があったぞ。“稀代の同盟の名将の養子がフェザーンの駐在武官に”ってタイトルで」

 

 予想外の切り返しに栗色の髪の少年――駐在武官ユリアン・ミンツ少尉は赤面した。まさか一般雑誌でそんな特集が組まれていたなど想像の埒外であった。そんな特集がされたのは、間違いなく自分の養父であり尊敬するヤン・ウェンリーが有名だからで、気恥ずかしさと同時にフェザーンでも人気なのか提督は、という感慨が浮かびあがってきたのである。

 

 クラウゼの言葉は嘘ではなかったが、ユリアンの名前と顔を知ったのは、雑誌を読んでいたからではなかった。帝国の弁務官事務所の一員として、同盟側の弁務官事務所に所属している者達の情報を集めるのも仕事の一環だったので、ユリアン・ミンツに限らずほとんどの事務所の人間がデータベース化されている。だからさっき派手に暴れていた黒人も落ち着いて特徴をよく見れば駐在武官補のルイ・マシュンゴ准尉であることがわかった。

 

「しかし解せねぇな。同盟の弁務官事務所の連中がシュテンネスとなんの関係があるんだ?」

 

 クラウゼが気になるのはそこである。シュテンネスと同盟の弁務官に、いったいどのような関係があるというのだろうか。同盟への亡命を申請していたとかだろうかと推測していると、その推測を根本から覆す返答をユリアンがした。

 

「……すいません。シュテンネスってだれですか」

「は?」

 

 あまりにも突拍な返答に、クラウゼは目を点にした。

 

「こいつだよ。こいつがシュテンネス」

 

 ヘンスローではない方の中年の帽子をはずし、呆れた声でベルンハルトはブツブツと何事かを呟いて現実逃避しているシュテンネスを指さした。するとユリアンとマシュンゴが顔を見合わせ、何とも言えない顔をするのでベルンハルトたちは困惑した。

 

 ユリアンはすべて正直に説明した方がよいと判断した。帝国軍に見つからぬよう、自分の素性を隠して潜伏せねばならない身の上であったが、クラウゼたちに正体が見抜かれているので隠す意味がないし、それに彼らはどうも帝国軍とは別の目的で動いているようだと推測できたからであった。

 

 帝国軍の侵攻を知ったユリアンたちは同盟の弁務官事務所の重要データをすべて消去し、ヘンスロー弁務官をともなってしばらく潜伏する為の隠れ家を探すべく裏街へと足を運んだ。その裏街でシュテンネスが「助けてくれ」と走り寄ってきたのである。その時のユリアンたちの心情は、またか、というものであった。マシュンゴの巨体はかなり頼もしいものに見えるらしく、逃げ惑うフェザーン人から「金はいくらでも払うから護衛になってくれ」と何度か懇願されていたのである。

 

 さっきと同じようにやんわりと拒絶しようとユリアンが話しかけた直後、追手の四人がやってきた。全員手にブラスターをこちらに向けていたので、マシュンゴが敵かもしれないと判断して急ぎ足で接近。そしてクラウゼが「中年二人を狙え」と叫んだので、ヘンスロー弁務官の命を狙っていると判断し、攻撃を加えたのである。

 

 要約するとそのような説明をユリアンがした後、あとはあなたたちが知る通りですと付けくわえた。クラウゼたちは運命の悪意というものは、こういうものなのだろうかと思わざるをえなかった。だれとはなしに全員が顔を見合わせ、さきほどユリアンとマシュンゴが浮かべていたようななんとも言えない表情を浮かべる。

 

 つまり、たまたまシュテンネスと一緒にいた連中の状況と自分たちの状況が、まったく噛みあっていないのに入ってくる情報だけ噛みあってしまった結果、二人が意識を失い、一人が激痛に呻いているというわけである。

 

 ユリアンたちにしても、マシュンゴの腕が撃たれるという損害を被っている。医療環境が整っている場所で医者に見せれば数日中に完治する程度の傷であるが、これから帝国軍に拘束されないため、目立たないように潜伏しなければならないことを考えると非常に厄介な事態といえた。どちらも損しかしていない。

 

「……ひとつ提案がある。ヘンスロー弁務官を返すが、俺たちがここでなにをしていたか、帝国軍に捕まってもなにも言わないでもらえるだろうか」

「その人を、シュテンネスさんをどうするつもりだ」

「こいつは俺たちの組織の裏切り者だ。裏切り者をどう遇するかなんて闇の世界では決まっているだろう?」

 

 裏切り者。クラウゼの一言が、シュテンネスを現実逃避から覚醒させた。

 

「なぜだ!」

 

 さっきまで死んだように黙り込んでいたシュテンネスが叫び、全員が驚いてシュテンネスの姿を見た。

 

「なぜですかリヒテンラーデ閣下! 私は、私はあなたに忠実に尽くしてきた! あなたのために働き、あなたに多くを捧げてきた! なのに、なのに! どうしてこんなことをなさるのですか!!」

「なにを言うか、この裏切り者が!」

 

 シュテンネスの言葉の意味をクラウゼは理解できなかったが、自分が忠義者であると主張していることは理解できたので、罵声を浴びせた。

 

「たしかに……たしかに私は逃げました! ですがわたしは国家を敵にまわせるほど、勇気がなかった! ただそれだけなのです!! あなたへの忠義は、揺らいでなどいないッ!!」

「耳障りだ。もういいから撃て」

 

 大声に辟易したベルンハルトが命じた。耳障りだというのもあったが、このまま大声で叫ばれ続けると帝国軍の連中がやってきかねないという現実的な心配もあった。仲間がブラスターの引き金を引き、細い光線がシュテンネスの胴体を貫いた。

 

 激痛を感じながらシュテンネスは倒れ、傷口を中心にして赤い湖を地面に形成していく。急速に力が抜けていく感覚を味わいながらも、口から血を吐き出しながら、弱々しい声で、言葉を続ける。

 

「な……ぜです。なぜ、わかってくれ……ないのか」

 

 自分を信頼してくれた主君の情報を決してよそに売ったりなどしなかった。主君の行動の邪魔にならないよう、日の目の当たらない生活を送るようにした。すべては主君への忠誠心を失っていなかったからである。なのに、主君はそれをわかってくれないというのか。

 

 悲憤に暮れるシュテンネスの頭にクラウゼがブラスターの照準をあわせて引き金を引いた。光線が脳髄を貫通して即死した。任務を完遂したわけであるのだが、その達成感というものを秘密組織の面々はあまり感じられなかった。

 

 シュテンネスの死体の頭部から赤い円が広がっていくのを確認すると、クラウゼはまだ自由の身にある二人の同盟軍人に向きなおった。慈悲を乞うでもなく、ただ自分の忠誠を叫びながら、味方と思しき者たちに殺された男にたいしてわずかな哀れみを覚えつつ、ユリアンはどうしたら切り抜けられるかと額に冷や汗を流しながら、必死で頭脳を回転させていた。

 

「さて、順序が変わってしまったが……ここで見たことを帝国に黙っていてくれると約束してくれるかな。もしできないというのなら、ここで殺さねばならなくなるわけだが」

 

 頷くしか助かる道はないと悟り、ユリアンは頷いた。それを確認するとクラウゼはマシュンゴに視線をうつし、彼も頷いたのを確認すると部下に命じてヘンスロー弁務官を解放させ、ユリアンたちに託した。完全に腰が抜けている不甲斐ないヘンスロー弁務官に対して苦々しいものをユリアンは感じたが、職務上の上司を見捨てるわけにもいかないので、手負いのマシュンゴと協力して抱えあげた。

 

 三人の姿が消えた後、クラウゼたちは帝国軍に発見されてもいいように、気を失ったり動けないほど重傷の仲間から武器を回収し、位置を移動させたりして一方的な被害者であるかのように偽装した。偽装を済ませた後、ベルンハルトがある疑問をクラウゼに投げかけた。

 

「ミンツ少尉とやらと交わした約束に意味があるのか」

「約束自体に意味はない」

 

 あっさりとクラウゼは答えた。

 

「ただシュテンネスだけでなく、同盟の高等弁務官や駐在武官の死体と一緒にあったとなると、帝国軍は不信感を感じてどういう状況だったのかと徹底的に捜査するだろう。そうなるといささか厄介なことになる。しかしシュテンネスの死体だけなら、占領時の混乱によって死んだだけと認定されるだけだろう」

「なるほど。そういうことか」

「それに、だ。さっきの弁務官どもが帝国軍に捕まって洗いざらい証言し、捜査が実施されたところで問題はない。シュテンネスの命を狙ってた集団がいるということが帝国軍が知ったところで、どうやって襲撃犯を探すというのだ」

 

 クラウゼとベルンハルトは表向きにも友人付き合いをしているが、他の者たちは秘密組織の構成員としてたまに接触しているだけで、深い関係などではないし、互いの表向きの立場もよく知らないから捜査は困難を極める。

 

 それに帝国軍の侵攻で多くのフェザーン人は恐怖心から自宅に籠るか、辺境にむかって逃走していたので、目撃者も極めて少ない。そしてその少ない目撃者は、裏街で怪しい物品を売買してる闇商人だから、帝国軍当局に進んで証言するとも思えない。

 

 その上、現場も偽装してあるのだ。捜査が実施されたところで空回りに終わる可能性は極めて高いのだから、必要以上に思い煩う必要もなかろう。

 

「とりあえず俺は弁務官事務所に戻る。帝国軍が襲来してからもう三時間近く経過してるから、その言い訳を考えながらになるが」

「それは大変だな」

 

 クラウゼはぼろい上着をベルンハルトに託すと、急いで弁務官事務所へと向かった。すでにフェザーンの主要な道路は完全に帝国軍によって占領されていたので、へんに隠れたりせず表通りを進んだ。途中、何度か帝国兵に誰何の声をかけられたりしたが、弁務官事務所所属であることを示す証明書を見せると通してくれた。

 

 弁務官事務所は数百人の装甲擲弾兵によって包囲されていた。いや、装甲擲弾兵の一人に聞くと正確には警護しているらしい。高等弁務官が暴徒によって襲われる危険があるという理由で、やってきたミッターマイヤー艦隊に警備の要請をしたらしい。妙な威圧感に感じながら、弁務官事務所に入り、高等弁務官室の扉を叩いた。

 

「失礼します」

「おお、クラウゼ君。無事だったか。何度電話してもでないので心配したぞ」

 

 高等弁務官が安堵の表情を浮かべて近寄ってきた。部屋の中には高等弁務官のほかに、首席駐在武官と外の装甲擲弾兵部隊の指揮官と思しき男がいた。

 

「しかしその恰好はどうしたことかね」

「……大変申しあげにくいのですが、買った女と寝ている間に、いつの間にか本当に寝てしまったようで、起きたのがさっきです」

 

 恥ずかしくてたまらないという態度でクラウゼがでっちあげた作り話を告げると、三人とも爆笑した。

 

「もったいないな!」

 

 ある程度笑った後、高等弁務官はそう言って、さらに笑いを誘った。

 

「しかし帝国軍がフェザーンを占領することになろうとは。首席武官は御存知だったのですか」

 

 何気ない感じでクラウゼは首席駐在武官に問いかけたが、答えたのは擲弾兵の指揮官だった。

 

「知らなかったはずでしょう。なにせミッターマイヤー艦隊と一緒に来た私たちでさえ、今日まで知らなかったのですから」

「そうやってわれらが帝国軍は狡猾なフェザーンを打破したわけです!」

「考えたのはローエングラム元帥閣下であって、卿ではないぞ首席武官」

 

 そういって笑いあう三人。史上空前の帝国軍の快挙に、事務所全体の空気が高揚しているみたいだが、クラウゼはふと疑問を口にした。

 

「ところでミッターマイヤー閣下にご挨拶はしたのですか」

「なに?」

「いえ、帝国でフェザーンのことを一番よく知っているのは弁務官事務所のわれわれです。フェザーンの占領統治の力になれると愚考するのですが」

 

 高等弁務官は目を見張った。帝国軍が襲来するとフェザーン人が暴徒化して事務所にやってくるのではと恐怖し、占領が一段落すると帝国軍のフェザーン占領に浮かれていたので、現実的思考というものを今の今まで高等弁務官はしていなかったのであった。

 

「そ、それもそうだ。急いで艦隊司令部に連絡をいれよう。クラウゼ君、きみもいそいで正装に着替えて」

 

 気分の高揚が冷めて、自分の職務を思い出した高等弁務官が慌てて命令した。それによって慌ただしく準備を整え、二〇分後に艦隊司令部から「早く来るように」というありがたい返信がきたので、急いで艦隊司令部へと向かった。

 

 艦隊司令部で見たウォルフガング・ミッターマイヤー上級大将はクラウゼが想像していた姿よりずっと小柄な体形で童顔だったのが意外だった。「警護部隊まで出したのに出迎えが遅すぎるぞ卿ら」と苦笑しながらおっしゃり、高等弁務官の顔を冷や汗だらけになってるのを見て笑っていたので、けっこう鬱憤がたまっていたのかもしれない。

 

 高等弁務官と首席駐在武官はミッターマイヤー上級大将と共にフェザーンの占領統治にかかわるため、約一年ぶりにクラウゼが弁務官事務所の臨時の主となった。もっとも、フェザーンの占領統治を帝国軍がしている今、フェザーン駐在帝国弁務官事務所の存在意義が怪しいものになっているから、このような対処ができているのだろう。

 

 帝国軍によるフェザーン占領から二日後。ミッターマイヤーの副官だというクーリヒ少佐が弁務官事務所を訪ねてきた。逃亡中の指名手配犯クルト・フォン・シュテンネスの死体が発見され、その捜査のためにシュテンネスに関する資料を提供してほしいとのことだった。

 

 クラウゼは二つ返事で請け負った。弁務官事務所が保管しているシュテンネスの情報など、すべて本国に報告したものばかりである。躊躇うべき理由などどこにもない。また、二四日の夜に何をしていたかも問われたが、高等弁務官に対してしたのと同じ作り話をすると、クーリヒ少佐は途中で話を切り上げて相手の女の連絡先だけ聞き取って去っていった。

 

 相手の女は話をあわせるように脅した上で買収済みなので不安はない。こうしてシュテンネス抹殺の一件は少なくともいましばらく帝国では完全に闇に葬られ、帝国歴四八九年は終わりを迎えようとしていた。




ヘンスローェ……。
なんと見せ場作ろうとしたけど原作での人望や能力のなさから、こんな扱いしかできなかったんだ。


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帝国暦四九〇年
登場人物紹介


帝国歴四八九年も終了したので、ちょうどよいタイミングかと思い、登場人物紹介を挟もうかと思います。
名前に☆がついてるのはオリキャラです。


++秘密組織

もともとはゲオルグが警察時代に利用していた個人的な情報網を基礎に改変したもの。

大量の組織が複雑に結合しているような組織構造で、中には自覚すらない構成員もいる。

こうした構造により、組織の一部が官憲によって潰されたとしても上層部の安全が保たれている。

 

+ゲオルグ・フォン・リヒテンラーデ☆

本作の主人公にして、社会秩序維持局を除いた全帝国の警察組織の頂点に君臨した元警視総監にして、前帝国宰相クラウス・フォン・リヒテンラーデの嫡孫。警察としての仕事中、さんざん憲兵に邪魔されたことから、大の憲兵嫌い。

全体的に貴族らしい価値観の持ち主ではあるが、なにかが激しくズレている。

ラインハルト派によるリヒテンラーデ派粛清で、帝国政府から指名手配犯として追われている身だが、幼少から自分の命を叔父に狙われる環境で育ったので、追っ手の恐怖に怯えることはない(もしくは幼少期からの経験のせいでその辺の感情が麻痺してる)。

変装・演技・弁舌スキルも高く、民間に溶け込むことに苦を感じていない。

趣味は芸術鑑賞・読書・獣狩り等々、実に貴族らしい趣味の持ち主である。

 

+エドゥアルト・ヘルマン・シュヴァルツァー☆

警察総局特殊対策部長を務めた元警視長。ゲオルグの側近の中で逃亡後、唯一合流できた。

どちらかというと現場の人なので、今の陰謀の糸を張り巡らしたり、デスクワークに忙殺される環境に不満がある。平民階級の生まれではあるが、ゲオルグに対する忠誠心は高い。

 

+グリュックス☆

ズーレンタール社の社長。ゲオルグに弱みを握られ、秘密組織に会社を乗っ取られている。

なお、会社の幹部クラスはともかく、一般社員は上層部の異常を認識していない。

 

+クリス・オットー☆

元帝国軍少佐。かつてラインハルトの率いる艦隊に所属していたが、数奇な運命により貴族連合軍に属し、ラインハルトを激しく憎悪している。

ラインハルトを殺せるなら他のことはどうでもいいと思っており、秘密組織に所属しているが、ゲオルグを信頼しきっているわけではない。

 

+アルトゥール・ハイデリヒ☆

元社会秩序維持局保安中尉。仕事時とそうでない時の差が激しく、オフ時は職務上の上司でも遠慮はない。

 

+院長☆

秘密組織の一員。孤児院の院長であり、クラウゼの推測では秘密組織の大物。

 

+フリッツ・クラウゼ☆

社会秩序維持局調査部フェザーン課長を務めた元保安准将。孤児院育ちで院長を慕っている。

内国安全保障局に移籍したので、秘密組織における役割が変わりつつある。

 

+ベルンハルト☆

秘密組織におけるクラウゼの部下。クラウゼが自分の後任に推している。

 

 

 

 

++ローエングラム体制

銀河帝国の現体制のこと。国家元首は一応、カザリン・ケートヘンだが、実権は全てラインハルトが握っている。旧体制と比べてはるかに公正な体制とされているが、敵対者には容赦がない。

 

+カザリン・ケートヘン

銀河帝国第三八代皇帝。まだ生まれてから一年もたってない乳児。

ラインハルトとオーベルシュタインによってエルウィン・ヨーゼフ二世に変わる傀儡として即位した。

 

+ラインハルト・フォン・ローエングラム

原作主人公の片割れ。帝国宰相兼帝国軍総司令官として全権力を掌握している。

ケスラーの報告でゲオルグが生き延びて潜伏していることは知っているが、なにかできると思っていない。

 

+ヒルデガルド・フォン・マリーンドルフ

通称ヒルダ。帝国宰相首席秘書官としてラインハルトの側に仕える英明な女性。

女性らしさがほとんどない人物であり、その点を父親から心配されている。

 

+パウル・フォン・オーベルシュタイン

ラインハルトの側近の一人で、陰謀や政略面における参謀役。

ゲオルグのことに漫然とした警戒心を抱いているが、優先事項が多すぎて後回しになっている。

 

+オスカー・フォン・ロイエンタール

ラインハルトの側近の一人で、軍事・政治にも長けた優秀な才人。猟色家。

まだほとんど登場していないが、リヒテンラーデ一族の処刑を指揮したなにげに因縁のある人物。

 

+ウォルフガング・ミッターマイヤー

ロイエンタールの親友で彼に匹敵する名将。

疾風ウォルフの異名を持ち、迅速な用兵術に定評がある。

 

+ウルリッヒ・ケスラー

帝都防衛司令官兼憲兵総監。憲兵の綱紀粛正と効率化を行なっている。

前任者がゲオルグの死を偽装していた旨、ラインハルトに報告している。

 

+オスマイヤー

内務尚書。小心者で社会秩序維持局に協力してた過去がある。

ゲオルグにその弱みで脅され、現体制の内幕を教えてしまった。

 

+ハイドリッヒ・ラング

元社会秩序維持局長官で、現内国安全保障局長官。

旧体制下の官界において警察総局のゲオルグとは同盟関係にあった。

 

 

 

 

 

++惑星ブルヴィッツ

かつてブルヴィッツ侯爵家が治めた惑星。侯爵家は領民にたいしてはあらん限りの慈悲を施した。

いっぽうで屋敷がある惑星以外ではほかの門閥貴族と変わりない態度をとってたので、ブルヴィッツの民以外からは好かれていない。ブルヴィッツ以外にも叛乱を起こした惑星は十数個ある。

 

+グスタフ・フォン・ブルヴィッツ☆

貴族連合軍に所属し、戦死したブルヴィッツ侯爵の息子。

領民への博愛の精神とそれ以外の平民に対する冷酷さを併せ持つ、ある意味ではまっとうな貴族。

 

+アルトマン中佐☆

元ブルヴィッツ侯爵家の私設軍に所属していた軍人で、反乱を起こしたブルヴィッツの軍事部門の責任者。ブルヴィッツ家への強い忠誠心と郷土愛を持ち、それを共有できないオットーを信じきることができずにいる。

 

+シラー☆

ベテランのジャーナリスト。領主への敬愛とラインハルトに対する憎悪から偏向報道をするようになる。またオットーからあるろくでもない計画を持ちかけられている。

 

 

 

 

 

++フェザーン自治領

銀河帝国と自由惑星同盟の間に存在する中立の交易国家。

昨年のはじめに帝国軍によって軍事的に占領される。

 

+アドリアン・ルビンスキー

第五代フェザーン自治領主。フェザーンの黒狐。

かなりの陰謀家で多くの有力者から警戒されている。

 

+ニコラス・ボルテック

自治領主補佐官・帝国駐在高等弁務官を歴任した官僚。

ルビンスキーの側近だったが裏切り、帝国のフェザーン代理総督に就任。

 

+シルビア・ベリーニ☆

フェザーンの工作員。とても優秀な工作員なのだが、ゲオルグの用意周到さに翻弄される。

彼女の忠誠の対象であるフェザーンは帝国に占領され、彼女への秘密組織の対応も自然と変化すると思われる。

 

 

 

 

 

++銀河帝国正統政府

フェザーンの支援と同盟の保護によって成立した帝国の亡命政府。

あまりの無茶苦茶さにゲオルグを精神的に無防備にするという快挙を成し遂げた。

 

+エルウィン・ヨーゼフ二世

銀河帝国第三七代皇帝。今年七歳。ランズベルク伯によって救出・誘拐された。

暴君気質旺盛な元気いっぱいな子ども。

 

+ヨッフェン・フォン・レムシャイド

正統政府の首相兼国務尚書。元フェザーン駐在高等弁務官。

彼の主観的には帝国貴族として恥じない道を進んでいたのだろが、客観的に見ると……。

 

+ラートブルフ

正統政府の内務尚書。メルカッツとレムシャイドを除く閣僚の中で唯一、ゲオルグの記憶にあった人間。しかしそれは内務省の係長だったからで、閣僚の器ではないと認識されている。

 

+ウィリバルト・ヨアヒム・フォン・メルカッツ

正統政府の軍務尚書。元貴族連合軍総司令官。

その経歴から、ゲオルグはラインハルトに対抗するなら一番なまっとうな人選と評価した。

 

+アルフレット・フォン・ランズベルク

正統政府の軍務次官。文芸の才能が豊かな筋金入りのロマンチスト。

エルウィン・ヨーゼフ二世の救出作戦の実行者。軍事能力は教養以上のものがあるとは思えない。

 

 

 

 

 

++自由惑星同盟

銀河帝国と戦争状態にある民主主義国家で、銀河を二分する大国。

民主主義体制の腐敗が著しいが、それでもゴールデンバウム王朝と比べればマシだったのだろうと信じたい。

 

+ヨブ・トリューニヒト

最高評議会議長。俳優みたいな目立つ男で、並外れた扇動演説家。

自らの政治的立場を守るために手段を選ばず、政敵の排除を「合法的」にやる政治的怪物。

 

+ヤン・ウェンリー

原作主人公の片割れ。イゼルローン要塞司令官兼イゼルローン駐留艦隊司令官及び同盟軍最高幕僚会議議員。本作ではまったくといっていいほど存在感がないが、主人公のゲオルグが民主国家がどうなろうが興味がない上、そっちに関心払ってる余裕もないのでしかたない。

 

+ユリアン・ミンツ

ヤンの養子で同盟軍少尉。弁韓事務所駐在武官。

クラウゼらによるシュテンネス殺害の場に居合せた。

 

+ルイ・マシュンゴ

同盟軍准尉。弁務官事務所駐在武官補。

ヤンがユリアンの護衛兼補佐役として選んだ黒人軍人。

 

+ヘンスロー

同盟のフェザーン駐在高等弁務官。

選挙活動における論功行賞で弁務官になっただけで、適性はあまり高くない。

 

 

 

 

 

+地球教

原作における一番タチ悪い宗教組織。しかし言い方ひとつでイメージを変えれる。

例えば群雄割拠していた地球の諸勢力を打倒し、地球統一を成し遂げた勢力と書くとかなりかっこよく思える。

 

+総大主教

地球教のトップ。ちなみに作者が最初原作で「グランド・ヴィショップ」って名前だと勘違いしてたのは秘密。原作だと序盤から大物感バリバリ漂わせておきながら、おそろしくあっけなく死んでやがった。

 

+ド・ヴィリエ

地球教大主教。総書記代理の職にある。

肩書きからしておそらく地球教の事務を統括している。

 

+ゴドウィン

地球教オーディン支部長。ヴェッセルを地球教の道に引き込んだ原因。

本部からの命令に従い、自失状態にあったヴェッセルを地球へ送る。

 

+イザーク・フォン・ヴェッセル☆

ゲオルグの側近の一人で、官房長を務めた元警視監。正義感が強いが、現実の理不尽さに苦悩した挙句、地球教の信者となった。

ラインハルトによるリヒテンラーデ派粛清と改革による感情の混乱によって自失状態に陥り、現在は総大主教の厚意によって教団の客人として遇されている。

 

 

 

 

 

 

++故人

+クラウス・フォン・リヒテンラーデ

ゲオルグの祖父。帝国宰相。ラインハルト一派に拘束され、四八八年に自裁。

 

+エリック・フォン・リヒテンラーデ☆

ゲオルグの父。無能な典礼省の官僚。ロイエンタールの指揮で四八八年に銃殺刑に処される。

 

+ハロルド・フォン・リヒテンラーデ☆

ゲオルグの叔父。幾度となく甥の命を狙ったが、四八六年九月にゲオルグの陰謀で爆殺される。

 

+ドロホフ☆

ゲオルグが一番信頼した側近。四八八年に憲兵隊の拷問によって死亡。

 

+フランツ・フォン・ダンネマン☆

ゲオルグの側近の一人。四八八年一〇月二三日午前六時一七分に憲兵隊との銃撃戦の影響で死亡。

 

+エーリッヒ・フォン・ハルテンベルク

警察時代のゲオルグのライバル。四八五年に妹に惨殺される。

 

+クルト・フォン・シュテンネス☆

ゲオルグの側近の一人。国外逃亡後、四八九年一二月二四日の夜にクラウゼに銃殺される。

 

+ルパート・ケッセルリンク

自治領主補佐官。役職的に登場させらなかったので本作には名前すらでない。

四八九年一二月二四日の夜にルビンスキーの部下に銃殺される。




こうしてみると、オリキャラ多すぎだろ。自分の作品。


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今後の展望

 アルデバラン星系は約五世紀に渡るゴールデンバウム朝銀河帝国の歴史の中で、首都である惑星オーディンを擁するヴァルハラ星系と同じように、アルデバラン星系は皇帝の直轄領とされてきた。というのも、この星系の第二惑星テオリアはルドルフ・フォン・ゴールデンバウムが皇帝に即位してオーディンに遷都するまで、銀河連邦の首都として全人類社会の中心であったからであり、民主国家の政治家であった頃のルドルフの政治的闘争の主要舞台であったという権威的・歴史的価値があったからである。

 

 ルドルフ本人は遷都した後の旧都テオリアにあまり関心を払わず、なかば放置されていたのだが、ルドルフの没後、ルドルフの長女カタリナの子、ジギスムント一世が帝位に就くと、若い皇帝は自分が正統な統治者であるという権威を強化するためか、潜伏している共和主義者どもを牽制するためか、はたまた純粋に祖父の偉業を尊敬していたのか、テオリアを祖父の闘争の栄光がある場所として持ち上げた。

 

 またルドルフと共に連邦の民主共和体制打倒に貢献した銀河帝国の建国者たちが、老臣として大きな権力を握っていた時代でもあったので、帝国を統治する上で彼らの好意を得る必要があったのもテオリアを持ち上げた理由のひとつだろう。事実、連邦時代のルドルフの闘争を題材にした映画や演劇がジギスムント一世の指示によって多数制作され、それを見た老臣たちはかつての栄光を思い起こし、感涙して自分たちの帝国への貢献をしっかりと認識している若い皇帝に忠誠をあらたに誓ったほどだった。

 

 ジギスムント一世の影響により、有力貴族や政府高官がテオリアに足を運ぶのは一種の慣例となっていた。歴代皇帝も例外ではない。歴代皇帝の中で一生に一度も惑星テオリアの土を踏みしめたことがない皇帝といえば、史上最悪の暴君であった“流血帝”アウグスト二世とアウグスト二世の暴虐から国家を再建して過労死した“止血帝”エーリッヒ二世。皇帝に即位する前は私邸で、即位した後は後宮で性欲を満たすことにのみ熱心だった“強精帝”オトフリート四世。そして後継者候補ではなかったが傀儡として即位させられた子供たち、エルウィン・ヨーゼフ二世とカザリン・ケートヘン一世の計五名のみである。

 

 そういった経緯からテオリアは、首都機能を失って重要度が下がったとはいえ、都会といってよいほど発展を続けていた惑星であった。その惑星の地表にゲオルグは立っていた。ゲオルグは髪の毛を染めるのをやめて金髪に戻し、若干安物の服装で統一したラフな恰好をし、その上から鮮やかな色彩のアロハシャツを羽織っており、どこか軽薄な遊び人という雰囲気を漂わせる変装をしていた。

 

 ゲオルグがテオリアにやってきたのは、四九〇年を迎えてからである。フェザーンが帝国軍によって電撃占領されたのを確認し、ルビンスキーに都合よく利用されないため、秘密組織の司令部と潜伏先をテオリアへと移したのである。新たな拠点としてゲオルグがテオリアを選んだ理由はいくつかあった。

 

 第一に、惑星テオリアを擁する恒星系、アルデバラン星系のあらゆる公的機関に秘密組織が充分以上に浸透していたから、利用しやすかったことがあげられる。その一例としてゲオルグの偽装身分の獲得がある。軍務省からスルト星系の総督府に届けられた大量戦死者通知の中から、ゲオルグと年齢の近い戦死者通知を浸透している秘密組織の構成員が住民記録に登録せず、かわりに「アルデバラン星系テオリアへ移住」と書き込んだ。そしてアルデバラン星系総督府に浸透している別の秘密組織の構成員が、移住してきた人物としてその戦死者の住民番号と名前と生年月日と前住所を、他の部分にはゲオルグの情報を住民記録に登録したのである。

 

 当然、軍務省の記録とスルト星系の記録、アルデバラン星系の記録に食い違いが生じているわけだが、ゲオルグが軍に兵士として志願でもしないかぎり、軍務省が戦死者の記録を必要とすることなどないし、住民管理にあたってアルデバラン星系総督府の役人が前に住んでいた星系総督府の住民記録があるかないか確認することもあるだろうが、官僚的対応がゲオルグのおおきな味方となるのであった。電話で「こういう名前の住民の記録はありますか。生年月日はいついつで、前住所はこれで、住民番号はこういう番号です」と質問すると、スルト星系総督府の役人は住民記録を参照し、言われたことがそのまま書かれていることを確認し、「はい。あります」と答え、アルデバラン星系総督府の役人が「わかりました」と言って電話を切り、何の問題もなく確認がされる。住民記録に貼られている顔写真がまったくべつの人間のものになっているなど、凡庸な役人にとって常識外のことなのである。

 

 第二に、人口が多かったからである。テオリアの人口は実に一億を数え、帝国有数の都市惑星である。木は森に隠せという格言の通り、この人口の多さは、それだけでもよい煙幕となることが期待できたので、偽装身分で暮らすにはもってこいの場所であると判断できたからである。膨大な人口を抱えるだけあって私用宇宙船の出入りも多く、公的機関に浸透している秘密組織の力も借りれば、それに紛れ込んでの惑星の出入りも容易であるという推測ができたというのもある。

 

 第三に、自己の安全をゲオルグが欲したという点があげられる。惑星オデッサに潜伏していた折、フェザーンの工作員が私宅に訪れてくるまでまったく察知できなかったことがあった。その時はフェザーンの事前情報に穴があったことをゲオルグが見抜いて切り抜けらたのだが、それでもフェザーンの黒狐の思惑に載せられる形になってしまい、秘密組織の情報収集力と対処能力の弱さを感じずにはいられなかった。なので公的機関も状況によっては味方にすることができるテオリアは魅力的であった。

 

 主に上記三つの理由により、ゲオルグは新拠点をテオリアに定めたのである。ちなみに旧拠点のオデッサにあった私邸は近所付き合いがあった知人の友人に安値で売り渡し、ズーレンタール社は秘密組織の者たちを引き揚げさせて放置しようかとも考えたが、フェザーンが帝国に占領されたいまとなっては、フェザーンと共同戦線を張ることになるかもしれない可能性を考慮し、フェザーンへの伝手として残すべく信頼できるシュヴァルツァーにズーレンタール社を任せた。社長のグリュックスが「見捨てるのか!」とか色々喚いていたが、ゲオルグが適当にあしらって承知させた。

 

 テオリアに到着してから数日後、秘密組織での仕事がひと段落すると、ゲオルグは有名なテオリアの革命記念博物館へと足を運んだ。革命記念博物館は、もともと博物館ではなく、連邦時代にルドルフが率いた政党である国家革新同盟の党本部であった。帝国歴九年にルドルフが帝国議会を永久解散し、貴族制度を施行して政党政治を終焉させたために国家革新同盟の党施設も不要になったので、ルドルフの腹心であり帝国の初代内務尚書を務めたエルンスト・ファルストロングの提案によって、その施設を利用して自分たちの栄光の記録を公開する博物館へと改装されたのであった。

 

 党首であったルドルフの執務室も、そのままの状態で保存されていて、その執務室に向けてゲオルグは複雑な感情を交えた視線を、もう何百年も役目を果たしていない執務机と椅子にそそいでいた。

 

「意味もなくこんなところにくるなんて、あなたもやっぱり帝国貴族ということかしら」

 

 長い金髪の美女が不思議そうな声で問いかけてきて、ゲオルグは眉をひそめた。

 

「貴様、自分の立場というものがわかっているのか」

「ええ、わかっておりますわ」

「その上でそんな態度がとれるとは、とても女にしておくのはもったいないな」

 

 ベリーニはフェザーンの元工作員である。もともと帝国軍のフェザーン占領に前後してオデッサに入り込んだフェザーンの工作員は一掃する予定であったのだが、想像以上に帝国軍の進駐がはやすぎたのでゲオルグたちの行動が遅れ、その間にベリーニはオデッサ内のフェザーン工作員グループを糾合し、ゲオルグの前に立って安全と引き換えに自分たちを売り物にしたのであった。

 

 ゲオルグはたいそう驚いたが、ベリーニが主張するところによると表向きな立場を持たない裏方のフェザーン工作員は工作員としての自負と職業意識が強い。なのでフェザーンや自治領主へ忠誠心というものは薄く、傭兵のような感覚で雇い主に仕えているのがほとんどで、いわばフェザーンという国に対してではなく自治領主府が支給する給料に忠誠を誓うものである。よって帝国軍にフェザーンが占領された以上、自治領主府が自分たちに給料を払ってくれるとも思えないので、新しく秘密組織に雇ってほしいとのことであった。

 

 事情は理解したものの、ついさっきまで排除しようとしていた連中であり自分たちを監視していた者達をゲオルグはすぐに活用する気にはなれなかった。優秀なフェザーンの工作員を配下に加えることができるのはありがたいが、彼らが本当にフェザーンに対する忠誠心を捨てているのか否か容易に判断できようはずもない。もし本心でフェザーンに対する忠誠心が残っており、ルビンスキーが彼らと接触しようものならば……。

 

 その不安からゲオルグはフェザーンの工作員集団を解体し、ひとりひとりを秘密組織の影響力が強い場所へと移動させ、現地の責任者には不審な動きがあれば殺せと命じておいた。そしてベリーニのみをテオリアへ同行させた。一番近くにいたベリーニが秘密組織のことをよく知っているし、目の届くところにおいていつでも排除できるようにという心算によるものであった。

 

「前にもここに来たことはあるが、やはりここに来ると寒々しい思いを感じる」

「寒々しい?」

「うむ。寒々しい」

 

 国家革新同盟の私兵集団が他政党の私兵集団と暴力的な街頭闘争に興じている展示写真を、ゲオルグは目を細めながら、眩しいものをみるかのように見ている。銀河連邦末期、ほぼ全ての政党が私兵集団を擁し、自分たちの政党の主張を言論ではなく暴力によって主張した。そして街頭闘争に巻き込まれる形で何の関係もない市民が犠牲になることは日常茶飯事であるという悲惨な時代であった。

 

 そんな腐敗した国家体制を打倒し、秩序ある規律正しい理想の新国家を建設する。そんな使命感に燃え、活力に満ち溢れ、疲れ知らずの多才な超人どもがこの場所に集まり、理想の新国家のあるべき姿を構想し、鋼鉄の巨人ルドルフの指導に従ってそれを達成した。他の勢力を鎧袖一触できるほど自分たちの勢力が絶対的強者となることによって。

 

「なのにだ。その後継者たちはルドルフ大帝の理想を散々踏みにじってきたのだと、見せつけられてる気分になるわけだよ」

「……どういうこと? たしかにローエングラム公の手によってルドルフの遺産を壊しつつあるわけだけど、あなたたちが壊してきたわけではないでしょう」

「いいや、壊してきたとも。もしも墓場からルドルフ大帝が今の世に甦るようなことがあれば、ローエングラム公の行いを是と評されたかもしれぬ。そう思えてしまうほど、われわれゴールデンバウム王朝の王侯貴族は大帝の理想を踏みにじってきた」

 

 ルドルフが望んだのは秩序ある社会と人類の永遠の繁栄であった。ルドルフが権力を握って腐敗を一掃する過程において数十億から数百億の膨大な人命が失われたが、それでもルドルフの豪腕でもって停滞していた人類の歴史を活性化させ、強引にでも人類文明を発展の方向に導いたことは疑いない。ルドルフは破壊者にして創造者であったのだ。

 

 その後の後継者たちもしばらくはルドルフが築いた秩序を守り、人類社会を発展させることには熱心であった。程度の差はあれど国家を発展させねばならないという貴族精神が王侯貴族の精神世界に実質的に根付いていたからであったが、“痴愚帝”ジギスムント二世の御代あたりから、その精神は大きな変質が起きてしまった。貴族がどれだけ臣民に対して非道な行為を実施しようとも、他の王侯貴族を納得させられるだけの“理由”が今までは必要だった。しかし、その頂点に君臨する皇帝が私欲のみで行動してその不文律を明快に破っているのである。

 

 いままでも似たような例はあったが、その時は有力貴族や皇帝がそういった腐敗貴族を断罪していた。しかし今回私欲で特権を振るっているのは神聖にして不可侵なる皇帝陛下自身である。有力貴族たちの中にジギスムント二世を諌めようとする者が皆無ではなかったのだが、自分たちの特権は皇帝の権威を源泉であるということを十二分に承知しているだけに大多数が及び腰であったせいもあってたいした効果があがらず、ジギスムント二世は際限なく暴走を続け、銀河帝国の国家の屋台骨がへし折れようとしていた。

 

 皇帝を諌められるのは皇族しかいない。そう思ったまっとうな貴族たちはジギスムント二世の息子である皇太子オトフリートに期待を寄せた。あのひどい浪費家の父に持ちながら、皇太子オトフリートはかなりまともな性格をしており、父の暴走を苦々しく思っていたが、それでも親子の情を捨てきれずにまっとうな貴族たちの皇帝を止めて欲しいという要望をなかば黙殺していたが、父が金欲しさに豪商三百人を無実の罪で一族郎党皆殺しにして財産を没収した一件でついにオトフリートは激怒し、父を皇帝から廃立して軟禁し、自らがオトフリート二世として皇帝に即位して国家の再建に取り組んだ。

 

 しかしオトフリートが親子の情に囚われていたせいで、あるいは貴族たちが皇族を擁立しなければ動かないという惰弱さを発揮したせいで、ジギスムント二世の時代は一五年間も続いてしまい、帝国を物質的な面でも精神的な面でも疲弊させてしまった。物質的な面においてはオトフリート二世とその次の皇帝であるアウグスト一世の善政によって九割方改善されたが、精神的なものは致命的な打撃を受けていた。

 

 銀河帝国の王侯貴族は特権を有しながらもそれを私的に濫用することを厭う風潮があった。むろん、この私的というのはルドルフの思想的価値観に基づく解釈であって、共和主義者たちの辞典にある私的という単語の意味とはかなりの差があったのだが、それでもそういう風潮があった。しかしジギスムント二世が、特権階級の頂点に位置する皇帝が、率先して私的に特権を濫用して一五年も君臨し続けたことで、貴族たちは自分たちの特権はより強い立場の者から糾弾されないかぎり、どれだけ筋の通らなくても無制限に行使できるものであったことにいまさらながら気づいたのであった。

 

 ある意味、ルドルフ以来六代に渡って専制君主が、あるいは君主を傀儡にしていた有力貴族が、巨大な帝国を統治者として最低限の筋を通していたゆえの効果であった。しかしその効果は幻想に過ぎず、どのような罪を犯そうとも、自分より強い者がいなければ、あるいは取り込んでしまえば、罰など受けずに済むのだというということを貴族たちは知り、ジギスムント二世の御代で多くの貴族が罪の旨味を覚えてしまったのであった。

 

 そうして特権階級が特権を私的に濫用するのはごく当然なことになった。その結果がアルタイル星系の約四〇万人もの奴隷逃亡を軽視し、帝国に敵対する国家を、自由惑星同盟を築く時間をやつらに与えてしまった。だが、それでもまだ帝国と接触した直後ならば圧倒できるほどの国力差があったはずだ。だというのに、帝国の腐敗がおぞましいほどひどくなっていたせいで、帝国軍は数的絶対優位があったにもかかわらず少数の同盟軍に包囲殲滅されるという醜態まで演じる始末! その結果が、一世紀半も続く戦争だ!

 

「マクシミリアン・ヨーゼフ晴眼帝の改革でかなり改善されたが、それでも貴族たちの根底を戻すことは、もうどうしようもなかったのだろうな。なにせ、自分たちへの罰の鉄槌は道理ではなく強者の理屈によってのみ行われるのだから、賢君が在位しているうちは特権乱用を自重できる節度と多少の保身能力さえ持ってれば、なんの問題もないと歴史が証明してしまっているわけであるし」

 

 ゲオルグは暗いため息をついた。

 

「だれもルドルフ大帝を超克しようとはしなかったのが問題なのだろうな。五百年もの長きに渡り、良い意味で大帝の築いた道から逸れようとするものがいなかった。時が流れれば状況が変わり、大帝の時代の最善手がこの時代においても最善手であるとは限らぬ。にもかかわらず、だれもがルドルフ大帝を神聖視するあまり、大帝が定めたことを絶対的なものとした。手段に固執してその理念を忘却しては本末転倒。当たり前のことであるのに、多くの者が気づかなかった」

 

 ゲオルグの嘆きに満ちた見解を、ベリーニは冷ややかに聞いていた。彼の分析はそれなりに的を射たものであるのかもしれないが、やはり帝国貴族の価値観を引きずっているのか、ルドルフに対してあまりに好意的にすぎる評価である。そもそもルドルフを神聖視するあまり、ルドルフのとった手段を絶対的なものとしたというが、そもそもルドルフが神聖視されるようになったのは、彼が皇帝になったあと自己神聖化に邁進したせいではないか。自分のやりかたを批判する者を許さず一人残らず処刑し、時には累積まで根絶やしにするほど自分を否定することを許さなかったからではなかったか。

 

 むろん、そんなことを言って不興を買ったらたまったものではないので口にはださないが、ベリーニはフェザーン人であり、帝国の文化を知識として知っており、それに順応した振る舞いで工作員としての職務を遂行してきたが、それでも内心では帝国の古代風の中世的文化を侮蔑していた。だから、つい、魔がさした。

 

「劣悪遺伝子排除法を筆頭に、五百年前に行われたすべての行為が最善手であったとは思えないのだけど」

「……劣悪な輩を根絶やしにしたかったのであろうが、隔世遺伝や突然変異という概念がある以上、親の資質を子が完全に受け継ぐことはまずありえない。それはあくまで傾向に過ぎぬ。でなくばジギスムント二世やアウグスト二世のような愚物が大帝の末裔に存在していてはおかしいではないか。だが、そういうのを無視してしまいたいほど連邦末期にそのような輩が溢れていたのであろうな。大帝は、いささか今を重視なさりすぎた」

 

 ずいぶんな詭弁だとベリーニは感じたが、どうもゲオルグはルドルフを帝国のプロパガンダが語るような完全無欠の超人であるとは思っていないらしいが、それでも凡俗とは隔絶した優秀な存在であったという絶対的な認識をしているということは理解できた。だから彼はルドルフの行為を批判的に論ずることはあっても、けっして否定はしないのだろう。

 

「しかもフリードリヒ四世陛下におかれては――いささか、喋り過ぎたな」

 

 ゲオルグはそこまで言って言葉を切った。さすがにその続きを他人に軽々と話すのは憚られることであった。いや、その前も軽々とは話してはいけないことであったのだが。どうもかつての栄光を見ていると今の現状と比べてしまい、なんともいえない寒々しさから口が軽くなってしまう性分らしいとゲオルグは自省した。

 

 しかし銀河帝国のことを置くとしても、自分個人の没落ぶりも凄まじい。内務次官兼警察総局局長、リヒテンラーデ家次期当主。建設的な努力と陰惨な暗闘の末に手にいれた地位であったのに、いまや指名手配犯である。そういえば警視総監に昇進したとき、フリードリヒ四世より賜った名誉の長剣は、いまどうなっているのだろうか。ローエングラム体制の傾向から考えて、どこぞの好事家に売り飛ばされてそうだなと想像し、自分がだれかに愚痴を言いたい心境になってても別に不思議ではないかと思いなおした。

 

 それにしても、この革命記念館に来たのは二度目だがずいぶんと警備の数が少なくなったものだ。かつては帝室の歴史的に考えて重要な場所であるということで宮内省の管理下に置かれていたが、ローエングラム公による政治改革で不要とみなされて売りに出され、中央の権力争いに無関心で領地運営に精をだしていたがゆえに生き残った堅実思考の貴族が運営権を帝国政府から買い取ったのだが、やはり国家の支援があった頃と比べて運営予算が減り過ぎていることが妙実に現れており、警備以外にも昔と比べてどこかみすぼらしい印象を受けた。

 

 ゴールデンバウム王朝が倒れようとしている。いやもう事実上は倒れているのか。五世紀にわたる歴史を誇る銀河帝国の歴史の中には、重臣が皇帝を傀儡にして実権を握った前例がいくつかあるが、内心はどうあれ傀儡の操縦者は表面的には皇帝と帝室への敬意を示したものであるが、今現在その立場あるラインハルトにそのような部分が欠片も見られない以上、ゲオルグにはすでにそれは自明のものとしてわかっていた。しかしこうして目に見える形の物証のようなものを見せられると寂寥感を感じるのであった。

 

 帝国の藩屏たる貴族階級の一員としては正しい反応であったかもしれない。だがゲオルグもラインハルトほど積極的ではなかったとはいえ、エルウィン・ヨーゼフ二世の意向如何によっては簒奪も考えていた人間であったので、その寂寥感はきわめて一時的なものにすぎず、革命記念館を出たら数分もせぬうちに払拭できてしまったのであった。

 

 後世のある歴史家はゲオルグのこうした気質を評し、ラインハルト・フォン・ローエングラムという天才が歴史上に登場せずとも、このような人間が帝国の将来の中核を担う逸材として政官界で重視されていた時点で、ゴールデンバウム王朝の命運はどのみち長くなかったのかもしれないと語る。しかしながら、ゲオルグにはゴールデンバウム王朝の制度的欠陥をラインハルトほど問題視していなかったから、仮に簒奪は行われたとしても史実の新王朝ほど開明的なものにはならなかったであろう。

 

 革命記念館で先祖の偉業の記録を見物したあと、ゲオルグたちはアルデバラン星系総督府へと向かった。総督府に勤務する下級役人というのが、ゲオルグの表向きの身分であった。総督府の人事部の役人が六割方秘密組織の構成員なのを利用して、正式な手続きで採用されており、役人であることを示す証明書もゲオルグは保持している。そしてゲオルグが配属された部署は、全員が秘密組織の構成員であって、アルデバラン星系に巨大な影響力を秘密裏に行使する組織の重要な部署でもあった。

 

 オフィスに入って来たゲオルグの姿を見て、秘密組織におけるアルデバラン星系の責任者であるブレーメ課長が紙切れを抱えて走って来た。ブレーメは秘密組織の総司令部の一員であるゲオルグに直に仕えていることを名誉と思っていた。そしていまからする報告は、秘密組織の未来を大きく動かすものであると予想して気分が高揚し、ややうわずった声で報告した。

 

「ハイデリヒよりこれが」

 

 ブレーメから差し出された一枚の紙きれを受け取って内容を確認すると、ゲオルグは肉食獣を思わせる笑みを浮かべた。

 

「やはり思った通りだ」

「なにがかしら」

「見ろ。フェザーンに入った帝国中央の官僚リストだ」

 

 ゲオルグから手渡された紙きれは、遠征に同行している官僚達のリストであった。かなり多くの官僚が同行しているようでとりわけ財政・行政の専門家の数が多かった。よく名前を聞いた大物官僚も少なからず名前が載っている。

 

 ゲオルグは帝国軍がフェザーンの奇襲占領を目論んでいると推論したとき、ある可能性に気づいて帝都から官僚たちに関する情報を収集するよう秘密組織に命じていた。そしてその結果がいま届いたというわけであった。

 

「ローエングラム公は門閥貴族と自由惑星同盟にたいして“懲罰”を加えるなどと演説しておったが、懲罰程度で終わらせる気は毛頭ないようだ。どうも本気で同盟を占領して支配するつもりらしいな」

 

 自由惑星同盟との接触以来、帝国は「叛乱軍の邪悪な思想によって洗脳された人民を救出し、不法占領されている自国領土を奪回する」という大義を掲げ、同盟の征服を目的とした戦争状態にあるが、その目的を本気で果たそうとしたことは帝国の歴史上、第二〇代皇帝フリードリヒ三世の時代に皇帝の三男ヘルベルト大公が指揮を執った大遠征と第二四代皇帝コルネリアス一世の時代に行われた大親征の二回だけである。

 

 というのも、苦労に比して割にあわなさすぎたからである。同盟は民主共和政国家であり、当然、国民は全員共和主義者である。そして帝国の価値観において共和主義者とはイコール“思想犯”であり、体制に対する脅威以外のなにものでもなかったからであった。

 

 “敗軍帝”フリードリヒ三世の頃は同盟市民の約半分、主に知識層や軍人を中心に殺戮して同盟市民に恐怖心を植え付けて帝国への反抗心を砕き、残った半分のうち一五歳以上の者は奴隷階級に落とし、残った子どもたちに対して徹底的な思想教育を施せば、億単位の奴隷と数百万の臣民を獲得することが可能であり、腐敗した帝国の無慈悲で未来のことを考えていない圧政により、平民の数が激減したことで発生していた労働力不足問題をある程度解決させることができるという臣民化計画を帝国政府の文官が立案したこともあって、この時点では帝国にとって同盟の征服はそれなりにうまみのある話であった。

 

 だが、フリードリヒ三世の通称が“敗軍帝”であることからもわかる通り、ヘルベルト大公率いる遠征軍はリン・パオ総司令官とユーフス・トパロウル参謀長の名将コンビに率いられた同盟軍によってダゴン星域で大敗し、帝国の圧政に恐怖していた者達が大挙して同盟に逃げ込んでしまい、帝国は数的有利を保つこと自体には成功したもの、圧倒的というほどではなくなってしまい、この時点で当初想定していた“叛徒どもの臣民化計画”は実行不可能なものになってしまった。

 

 それでもフリードリヒ三世の三代後の皇帝、“征服帝”コルネリアス一世が人類社会統一の野望を燃やした。先帝にして従兄であり、腐敗しきっていた帝国の改革に成功した“晴眼帝”マクシミリアン・ヨーゼフ二世の開明的思考を受け継いでいたコルネリアス一世は、当初は共和主義者の国である同盟に対してそれほど激しい敵意を持っておらず、帝国が全銀河の支配者であるという思想と矛盾しない形で外交関係を構築させようと、同盟政府に対して一定の自治を認める代わりに臣従を求める使者を送った。

 

 だが、数十年前のタゴン星域の大勝に驕っていた同盟は、帝国など恐るるに足らずという世論が支配的であり、その民意によって市民に選ばれた同盟の代表者たちは当然のごとく皇帝の使者に対して冷笑を浴びせながら過大な要求をした。自由惑星同盟を独立国家として認めること、自由惑星同盟が銀河連邦の正統な後継国家であることを認めること、ルドルフによる銀河連邦簒奪を帝国政府が認めて謝罪すること、数百年に渡って帝国政府が行ってきた人権侵害を謝罪し反省すること、貴族階級を廃止すること、銀河帝国の帝政の否定と徹底的な民主化を実施すること……。その他諸々の条件を帝国が受け入れるのであれば、帝国の存在を認めて外交関係を結んでやってもよいと同盟政府は回答した。

 

 これらの過大な要求は当然のごとくコルネリアス一世を激怒させたが、それでも自分が寛容な君主であることを同盟にアピールしようと三度にわたって使者を派遣したが、これは逆効果であった。「余裕がないからここまで下手にでれる」と解釈した同盟はより厳しい要求を帝国につきつけ、第二四代皇帝の矜持を徹底的に傷つけたのである。

 

 こうなったら自ら遠征軍を率いて力ずくで併合してやると皇帝は激しい怒りとともに決心した。当時の帝国の有力者も先帝やコルネリアス一世が選んだ人材だけあって押し並べて理性的な人間であったが、交渉という概念自体理解できているのかどうか怪しい同盟に対しては軍事侵攻しかとるべき道なしと多くの者が判断し、帝国は同盟征服のための挙国一致体制が築きあげられた。

 

 こうしてかつてヘルベルト大公が率いた遠征軍とは比べるのがバカバカしいほど指揮系統が統一され、有能な将帥を多数擁する強力な遠征軍が組織され、総司令官であるコルネリアス一世の壮大な戦略構想による指揮の下、驕れる同盟軍に対して連戦連勝し、同盟首都ハイネセンの目前にまで迫った。しかし、なんとそのタイミングで、本国で宮廷クーデターが発生してしまったのである。

 

 コルネリアス一世率いる遠征軍は同盟征服に王手をかけてる状態であったが、本国でクーデターが発生している状況を放置するわけにもいかず、悔しさに歯噛みしながら本国へ撤退した。撤退中に少なからぬ犠牲を出したこともあってコルネリアス一世のクーデター派に対する怒りは凄まじく、クーデターを起こした愚か者たちとその一族をまとめて絞首刑にして晒しものにすることによって、鬱憤をいくらか晴らしたのであった。

 

 それ以降、コルネリアス一世ほど柔軟な思考ができる有能で征服欲の強い皇帝がゴールデンバウム王朝から生まれなかったため、同盟を征服して一五〇億もの思想犯を抱え込むなんてまっぴらごめんという意見がだれも明言はしないものの帝国では支配的になった。なので帝国における戦争方針は基本は防衛であり、攻勢は国内の政治闘争と戦術的要因によって実施されるものでしかなくなってしまった。

 

 そんな惰性的姿勢で帝国は戦争に取り組んでいたので、いっそ同盟との戦争状態を終結させてはどうかという意見が帝国政府から幾度か出たのだが、そのたびに銀河帝国は人類社会を統治する唯一の国家と主張する原理主義者と戦争が終わって自分たちの立場が弱くなることを恐れる軍人たちの猛反対によって潰されてきたのであった。

 

 だからそれを前提に考えていたので、ラインハルトの正統政府と同盟に対する懲罰とやらもイゼルローン回廊周辺で局地的戦闘を起こすだけだろうとゲオルグは推測していたのだが、よくよく考えてみればいままでの行動から推測するにラインハルトはコルネリアス一世と同じくらい、あるいはそれ以上に柔軟な思考力をもった有能な人物であることは証明済みだし、権威を恐れぬ気質からして征服心が強くてもおかしくない人物である。フェザーンの奇襲占領の一件でそれに気づいたゲオルグはすぐさま秘密組織に帝国政府の官僚の情報を集めるよう命じた。

 

 そして情報収集の結果、ゲオルグの予想は的中した。占領後、旧同盟領を統治するべく、多数の官僚が遠征軍に同行している。つまり文官も武官も大半が本国を留守にしているというわけで、帝国領の管理は平時と比べてかなり杜撰なものになっていることは疑いない。自分にとってはなんともありがたい状態であると言ってよい。正直、成功するかどうか怪しかったブルヴィッツの謀略も、意外と効果をあげることができるかもしれない。

 

「それで……上層部はなんと?」

 

 ゲオルグの問いは奇妙なものであった。ゲオルグが秘密組織のトップなのだから、上層部とはゲオルグの支配下にあるのである。しかしながら、ゲオルグは機密保持の観点から、自分が秘密組織のトップであることを教えておらず、ただ上層部の一員とだけ告げていた。

 

「上層部は、あなたの指揮に従えと」

「そうか」

 

 ブレーメの返答はわかっていたことである。なんとなれば、ゲオルグが上層部にそう命令していたので。

 

 ゲオルグは熟考した。三年前にアムリッツァで大被害を被ったとはいえ、同盟軍はいまだ強力な軍隊である。フェザーン回廊が帝国軍の支配下におかれているという戦略的劣勢な状態にあっても、同盟軍はそう簡単には屈しないだろう。不敗の名将と称されるヤン大将を筆頭に、ビュコック大将、パエッタ中将といった帝国軍になんども煮え湯を飲ませた同盟軍の宿将も健在なのだから、帝国軍の侵攻に対して激しく抵抗するはずだ。

 

 だが、激しく抵抗するといっても、覆しがたい戦略的劣勢状態だから、帝国が同盟領征服を諦めてそれなりの譲歩案を示せば、同盟はすぐさま飛びつきかねない。となるとラインハルトがいつまで征服にこだわっていられるのかが重要なところか。ラインハルトが軍事独裁体制を帝国に敷いてから、まだ一年と少ししかたっていない上、小規模とはいえ旧貴族領や貴族領の叛乱といった不安要素もあるし、遠征軍の補給の問題もあるので、長期間にわたって本国を留守にしているわけにもいかないだろう。

 

 となると一年が限界か? いや、同盟領を完全征服ないしは同盟と一時的休戦を成立させえたとしても、すぐに戻ってこれるわけではない。これほど大規模な作戦行動となると事後処理は重要なものだけでも膨大なものになるのはわかりきっているし、今後の国家戦略にも大きく関わってくる要素であるから、ラインハルトが全体的な方向性を見定めるまで自身で事後処理の指揮をとりたいところであろう。となると、六ヶ月から八ヶ月の間、帝国の重要人物の大半が同盟領にいると考えるべきか。そうなると……。

 

「四月中にマハトエアグライフング計画を実施する! それまでに計画をより完璧なものとするよう努力せよ!」




本作では帝国の領土は星系単位で総督府が置かれて統治されていることになってます。
例外として貴族領は領主の方針によるので、どのような統治機構が存在するのか千差万別。

あとフリードリヒ四世より賜った名誉の長剣ってのは、警察版元帥杖的なものです。


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疑念

 ラインハルトがフェザーンに降り立ったのは昨年一二月三〇日のことであるが、彼は真っ先に帝国宰相の権限としてある布告を出した。

 

「フェザーンの自治領主アドリアン・ルビンスキーは、銀河帝国の自治領を治める身でありながらレムシャイド伯率いる門閥貴族残党勢力を支援していた。これはいうまでもなくフェザーンが標榜する中立勢力としての義務を果たしていないということであり、帝国に対する背信を意味する。このような行為を私は帝国宰相として見過ごしておくことはできず、私は皇帝カザリン・ケートヘン陛下の代理人たる権限を行使してルビンスキーを自治領主から解任し、フェザーンの自治領としての権利を剥奪するものである」

 

 フェザーンは成立してから約一世紀もの間、実質的に銀河帝国の支配が及んでいない独立国であったが、形式的には銀河帝国内に存在する自治領とされていた。それをラインハルトは利用し、フェザーンの自治権の剥奪という形をとってあくまで形式でしかなかったフェザーンを正式に帝国の領土としたのであった。

 

 このことは独立不覊の精神が強いフェザーン人の反感を買ったが、完全に出し抜かれた上で帝国軍に武力占領されている以上、負け惜しみにしかならない。それにフェザーンの有力者は自己の立場を保全するためにボルテックを通じて帝国に迎合するものが大半で、自治領主であったルビンスキーは帝国の虜囚にならず逃亡に成功したものの地下に潜ってしまったため、フェザーン人をまとめあげる人物を欠いていたので、帝国が脅威に思えるほどの抵抗運動は発生しなかった。

 

 フェザーンの地位は自治領ではなく帝国政府直轄領ということになったので、自治領主府を廃止して新たな統治機構を作り上げる必要性に迫られた。といっても、フェザーンを橋頭堡としてこのまま同盟領に侵攻することを企んでいる帝国軍がフェザーンの混乱が長続きすることを望まなかったから、ほとんど自治領主府の看板を総督府に変えただけで、重要な役職にボルテックをはじめとする帝国に忠誠を誓ったフェザーン人を中心に民政を敷かせることになった。

 

 しかしラインハルトは政治的にも経済的にも価値が高いフェザーンを重要視しており、将来的には帝国が完全に支配したいと考えていた。また短期的に見ても総督府がフェザーン民衆に漂っている占領者への反感に迎合し、帝国軍が同盟領に進出してる時に大規模暴動などおこされたらたまったものではなく、総督府の動向を監視して牽制するための帝国の組織が必要であった。

 

 そこで目をつけられたのが、帝国のフェザーン駐在弁務官事務所であった。これはかねてからの計画であったのだが、ラグナロック作戦の秘匿性を重視した結果、フェザーン駐在弁務官事務所の所員は事前に帝国軍の奇襲占領を知っていなかったので、それに伴う占領者としてのフェザーン政府の監視計画などだれも練っておらず、中央の計画と現地のズレを修正するべく、弁務官事務所は夜もぶっ通しで組織改造の議論が行われることになった。

 

 フェザーンと同盟に対する外交と工作の拠点としての組織から、フェザーン総督府への監視へと目的とした組織に改造し終えたのは、一月なかばのことである。弁務官補佐のクラウゼは連日の激務に疲れきっていたが、それを顔に出すことなく帝国軍大本営が設置されたフェザーンの一流ホテルのフロントで受付に自分の立場を述べた後、本国に戻りたいので帝国宰相の許可書が欲しい。

 

 受付は少々お待ちくださいと言ってクラウゼを待合室に通された。そして約二〇分後、軍服を着た二〇代前後の中性的で線の細い容姿の将校が入ってきたので、クラウゼは首を傾げた。こんなことは文官の仕事だと思っていたのである。とはいえここはいま前線一歩手前といっても過言ではないからおかしくはないかと思いながら服の徽章を確認すると、中佐のものだったのでさらに驚いた。

 

「初めまして。ずいぶんとお若い中佐どのですな」

「いいえ、今回の遠征に同行するに際して中佐待遇が与えられただけで、私は帝国宰相秘書官のマリーンドルフです」

「これは失礼した。しかし、それにしては、ずいぶんと軍服が似合っておいでですな」

 

 中佐待遇の文官ヒルダことヒルデガルド・フォン・マリーンドルフは、どういう意図を持ってそんなことを言っているのかはかりかねた。微妙な反応をするヒルダを見て、クラウゼはまずかったかと思い、慌てて付け加えた。

 

「いえ、ただ、そう思っただけで他意はありません。ですが、しかし、帝国宰相秘書官どのが来られるとは思いませんでした。てっきり、小役人が書類を持ってくるだけだと思っておりましたので」

「たしかにそれだけだとそれでよかったのですが、ひとつ提案がありまして」

「提案?」

 

 雲上人からの提案という状況に、なにか嫌な予感を感じたクラウゼはやや身構えた。

 

「国務省に移動して、このまま弁務官事務所で働くつもりはありませんか」

「……失礼。私は昨年九月に宙ぶらんな状態から、正式に内務省内国安全保障局所属であるという辞令が届いているのですが、それをあなたが勝手に変えてしまってよいのですか」

「宰相閣下の許可はあります。これはオーベルシュタイン総参謀長閣下の希望によるものでもあります」

 

 オーベルシュタインの名が出てきて、クラウゼは鼻白んだ。この半月ほど総督府監視体制構築のための会議で幾度となく義眼の総参謀長と顔をあわせていたのである。機械的な正確さで素早い処理ができる軍官僚であり、政治的見識も高い有能な軍人であるのだが、冷徹な発言を躊躇なく言い、批難を受けても鉄面皮を保ったまま理路整然と反論する姿勢のせいで他人から好まれるような人物ではなく、クラウゼもオーベルシュタインに良い感情を抱いていなかった。

 

 だがいまいっぽうの当事者、オーベルシュタインは感情的にどうだったのかは不明だが、クラウゼの有用性を見出した。数年に渡り社会秩序維持局のフェザーン課長の地位についていただけあって、諜報・政治能力はきわめて高く、現職の高等弁務官を超えるものがあった。弁務官事務所の役割が外交の場から総督府監視にかえた今こそ、クラウゼはフェザーン統治に有用な人材であるように思えたのである。

 

 オーベルシュタインはクラウゼを弁務官事務所のトップにしようとしたのだが、ひとつ問題があった。九月初頭に内国安全保障局長のラングの人材確保によってクラウゼは書類上帝都の内務省勤務になっていたのである。ラグナロック作戦の秘匿に神経質なほど気を使っていた軍官僚たちが、弁務官事務所の高官を帰国させたらルビンスキーの疑念を持つかもしれないと危惧していたためにしばし現地に留められていたのだ。弁務官の任免は国務省の管轄であると帝国の法律によって定義されていたから、内務省のクラウゼを弁務官にすることはできなかった。

 

 だがオーベルシュタインはラインハルトにクラウゼを国務省に移動させた上、フェザーン駐在弁務官を務めさせるべきであると主張した。ラインハルトは法律に則って定められた人事を強権によって変更することに乗り気ではなかったが、オーベルシュタインから渡されたクラウゼの書類を見るとたしかに素晴らしい適性があるのがわかるので、本人が承諾するなら認めるという運びになったのであった。

 

「ということは、断る権利が私にはあるということですか」

「はい」

「では、断らせていただきたい」

 

 ヒルダは意外だったのか、少し言葉につまった。

 

「……理由を聞かせてもらっても?」

「ラング局長には恩義があるのでね。そちらを優先したいのだ」

 

 恩義があるというのは嘘ではない。クラウゼが平民でありながら保安准将の地位にあったのは、ラングがクラウゼを高く評価してくれたからであった。しかし断る本当の理由はその恩義とは関係なく、秘密組織の事情によるものが大きい。

 

 かねてより帝国の中心部である帝都への浸透が遅々として進んでいないことが課題になっていた秘密組織にとって、クラウゼが内務省内国安全保障局勤務になるという報告はまさに福音であった。クラウゼの能力と実績からして、内国安全保障局内で高い地位を与えられることはほぼ間違いない。ようやく帝都に強力な橋頭堡が築けたというわけだ。

 

 その事情を完璧にではないが、ある程度察しているクラウゼからすると、自由意志で帝都行きをやめるなんてできるわけがなかった。そんなことをすれば秘密組織の上層部が激怒するであろうし、自分の立場もかなり危ういものとなる。この豊かなフェザーンで暮らし続けたいという思いがないではないが、組織内の地位を失ってまで固執するものでもない。

 

 それから二、三の事務的な話をした後、クラウゼは正式な書類をもらい、ホテルから地上車で官舎へ向かう途中、車の後部座席のなかでポツリと呟いた。

 

「マリーンドルフ家の当主は誠実なだけと噂されていたが、御曹司のほうはそうでもないようだな」

 

 クラウゼはラインハルトが元帥位に就く前からフェザーン課長として本国を離れていたので、本国の激変ぶりをいまいち理解できておらず、いままで男尊女卑的だった帝国の思想やヒルダが軍服姿で女っ気のない振る舞いをしていたことなどによる先入観と偏見から、ヒルダが()()()であることに最後まで気づけなかった。この勘違いに気づくのは本国に戻ってからであり、クラウゼはよくボロを出さずに済んだなと安堵しながら、本当に時代が変わったんだなとしみじみと実感することになるのである。

 

 その翌日、クラウゼがフェザーンを発った日の深夜、帝国大本営が設置されたホテルの一室は、オーベルシュタイン総参謀長の私室ということにされていた。しかし私的な趣味などない義眼の総参謀長にとって、私室とは寝るためのベッドのスペースさえあればよいと思っているため、私室のほとんどが仕事の場と化していた。そして私室で行う仕事とは、あまり表沙汰にできない、それでいてオーベルシュタインの本領であるたぐいのことである。

 

 先日、ヒルダからクラウゼがフェザーン駐在弁務官たることを拒否し、帝都オーディンへ向かうこと決意したと聞かされたオーベルシュタインは、ある疑念を抱かざるをえなかった。TV電話で軍務省へとつなぎ、帝都に残してきた優秀な部下との連絡をとった。

 

「フェルナー、ひとつ仕事を頼みたい」

 

 通信画面に出た男は、自信に満ち溢れている少壮の軍人であった。男の名をアントン・フェルナーといい、もともとは二年前の内乱で貴族派連合の盟主であるオットー・フォン・ブラウンシュヴァイク公爵の幕僚の一人で、主君にラインハルトの暗殺を提案したが政治的理由から却下されたが無断でラインハルトの暗殺計画を実行したが、それを読んでいたラインハルトによって返り討ちにされ、逃亡中に貴族派の未来に見切りをつけて自分から暗殺しようとしたラインハルトに自分を売り込み、ラインハルトの陣営に加わったという異色の経歴の持ち主である。

 

 フェルナーがオーベルシュタインの部下になったのは、もともとブラウンシュヴァイク公爵家の裏方を担当していたのでそちらの適性が高かったからというのもあるが、ここまでふてぶてしい自信家なら超然とした態度で他人を委縮させるオーベルシュタインの下でも充分に働けるだろうというラインハルトの判断によるものだった。

 

「なんでしょうか」

「近いうちにフリッツ・クラウゼという男が内務省内国安全保障局に着任する。秘密裏にその者の行動を監視するのだ」

「……さしつかえなければ監視の理由を聞かせてもらっても?」

「クラウゼはリヒテンラーデ公の孫と繋がっている疑いがある」

「どうしてそんな疑いがでたのか教えてもらえますか」

 

 ラインハルトの期待通り、フェルナーは自分の気になっていることを質問することができた。軍官僚の多くが正確無比な正論を駆使して反論を叩き潰すオーベルシュタインにたいしてどこか畏敬の感情を抱いており、義眼の上級大将の命令に疑問を返すことはほとんどしない。だというのにフェルナーは平然として疑問や意見を述べることができるのだった。

 

 オーベルシュタインはフェルナーの疑問に答えた。クラウゼがゲオルグと繋がっている証拠は現状なにひとつとして存在しないが、ゲオルグの行方を捜索する上で重要な参考人となりうると考えていたクルト・フォン・シュテンネス元警視正が帝国軍のフェザーン進駐の混乱の中でなにものかに射殺されていること、そして帝国軍のフェザーン占領から約三時間、クラウゼの所在があきらかになっていなかったということであった。

 

 クラウゼの自供によると弁務官事務所での勤務を終えると、いつも通り歓楽街に出向いて散財し、そのあと商売女と一緒にホテルに泊まり、知らぬうちに寝てしまっていたとのことである。ミッターマイヤー艦隊に同行していた憲兵隊の調査でその女の証言をとれたため、それを真実として扱っているが、オーベルシュタインはそこに疑念を抱いたのである。

 

 内務省に保管されていた議事録から、ゲオルグが警察総局と社会秩序維持局を統合して、より強力な治安維持組織を編成するという構想を幾度となく提案していたことがあきらかになっている。当時のフレーゲル内務尚書は断固反対したが、社会秩序維持局長のラングが好意的だったので両局の連携は強化されていった。そしてゲオルグが出席した両局の合同会議にクラウゼは一度ならず参加しているのである。会議後、クラウゼを優秀だと持ちあげるような発言をゲオルグはラングにしていたようで、ただの褒め言葉ならよいが、なんらかの個人的つながりがあるのではないかという可能性も否定はしきれない。

 

 さらにフェザーンの銀行での一件がオーベルシュタインの警戒心を高めていた。自分が没落する可能性を考えていたある意味、先を見る目があった貴族達はフェザーンの銀行に隠し口座を設け、民衆から搾取した資金の一部を貯蓄していたのである。帝国は今後のことも考慮してフェザーンの資産を不当に接収することをしていなかったが。内乱後に処罰を恐れて国を捨てた貴族の隠し預金などに帝国が容赦などするわけがなく、本国にあった貴族財産と同じように接収対象となった。

 

 その数多くあった帝国貴族の隠し口座の中にリヒテンラーデ家の隠し口座も存在したのだが、帝国がその存在を突き止めたときには既にリヒテンラーデ家の預金はほぼ空っぽだったのである。隠し口座が存在するのに預金がほぼないということに不審を感じた捜査官が銀行側の記録を精査したところ、昨年の間に数回に分けて帝国内の複数の銀行に億単位の帝国マルクが送金されていることがあきらかになった。

 

 リヒテンラーデ一族のうち、ゲオルグをのぞく一〇歳以上の男性は皆処刑され、生き残った者達もゲオルグただ一人をのぞいて辺境惑星に流刑されている。そしてゲオルグがフェザーンに亡命した形跡が皆無であり、リヒテンラーデ家の隠し預金が帝国領内の銀行に送金されていることを考えると、これがゲオルグの逃走資金になっていたのではないかと推測し、そして送金手続きをしたゲオルグに忠実な人間がフェザーンにいたということだ。

 

 オーベルシュタインはそれがクラウゼだったのではないかと推測していた。ゲオルグの側近だったシュテンネスがそうだったのではないかと考えないではなかったが、帝国駐在弁務官事務所に動向を監視を受けていた者がそんなことができるとは思えないので除外した。そして帝国軍の侵攻の混乱に乗じて、クラウゼが独断でゲオルグのことをよく知るシュテンネスを始末したのではないか。

 

 物的証拠はなにひとつないが、オーベルシュタインはそのような可能性があることを考えざるをえなかった。そこでラインハルトにクラウゼのフェザーン駐在弁務官に任命することを提案してみたのだ。表向きクラウゼにその種の任務に対する適性があるのでと主張したが、万一クラウゼがゲオルグとつながっており、なおかつクラウゼが帝国に対してなんらかの抵抗を試みていると仮定した場合、帝国政府の中枢に食い込ませるのは少々危険だと思ったからであった。

 

 とはいえ、憶測といわれても反論できないような推論でしかないため、オーベルシュタインはクラウゼに対する疑惑をラインハルトに伝えていなかった。これでクラウゼが弁務官就任の人事を受け入れたら、あるいはオーベルシュタインも考えすぎだったかと疑いを捨てたかもしれないが、帝国宰相の要請を拒否して帝都に行くことをクラウゼが固持したことで、むしろ疑いを強める結果となった。

 

「だから秘密裏に監視しろというわけですか。ケスラー上級大将と協議しておきます」

「――いや待て。しばらくはケスラーにも秘密にしておいてもらおう」

 

 フェルナーは驚いた。どうしてそのような条件をだすのか、理解できなかったからである。

 

「なぜでしょう。まさか、ケスラー閣下が元警視総監と通じているとでも?」

 

 そう口には出すが、フェルナーはありえないと思っている。ケスラーは秩序の番人ともいえるほど誠実な人物であり、ラインハルトの信任も厚い。そのような人物が裏で指名手配犯と通じているなどありえないであろう。

 

「ケスラー自身のことは問題にならぬ。この場合、ゲオルグが警視総監であったことに問題があるのだ」

「といいますと」

「ゲオルグは無能者ではない。いかに有力貴族の生まれとはいえ、それだけで警察の頂点を極めることなど不可能だ」

 

 ゲオルグは叔父ハロルドとの暗闘と並行しつつ、警察官としても類い稀な捜査力や指揮力を発揮して多くの犯罪者を逮捕することに貢献した。さらに多くの功績をたてるために警察組織の改革にも力を尽くし、腐敗しきっていた警察組織を、ともかくも多少の不正が横行しつつも上の方針に従い能率的に動く警察組織へと変貌させた。

 

 さらにゲオルグは数え切れないほど憲兵隊といろいろな場面で主張が対立し、かなりの確率で警察の主張を憲兵隊やその上部組織である軍務省に認めさせて勝利している。このことからゲオルグは憲兵の思考回路を深く理解しており、その動きが手に取るにようにわかっているのではないか。

 

 社会秩序維持局との深い関係があったことから推測するに、ゲオルグは治安組織に所属する人間がそのような思考回路で標的を追跡するのか充分すぎるほどに理解しているとみてよいだろう。だからこそ、ケスラーによって綱紀が粛正された憲兵隊の捜査が開始されてからすでに一年以上経過しているにもかかわらず、ゲオルグのしっぽすらつかめていないのだ。

 

「わかりました。憲兵隊ではなく調査局の人員を使いましょう」

 

 情報収集のみを専門とする軍務省の部局の名をフェルナーはあげた。実際に行動することも目的としている警察や憲兵隊に比べて、情報収集だけに専念する調査局の局員ならば、ゲオルグの警戒を回避できるかもしれないと踏んだのである。

 

「くれぐれもクラウゼに気どられぬようにな」

 

 フェルナーは深く頷くと敬礼して通信を切った。オーベルシュタインはしばし真っ黒になったモニターを見つめていたが、ベッドに腰を下ろして両目を閉じた。ゲオルグに対する過大評価がすぎるのではないか、という思いが彼の中にもあったのである。ゲオルグにいったいなにができるというのだ? 彼が有能であることはわかっているが、それは門閥や警察といった組織を支配していればこそのものである。彼個人でなにかできるわけではなく、他の勢力に与してローエングラム公への挑戦を企んでいたとしても、帝国の脅威になりえるほどの組織が新参者をいきなり重用するとも考えがたい。ならこれは無用な心配、杞憂ではないのか。

 

 理性ではそう思っているのだが、暗い陰謀の世界を生き残ってきた者のみが持つことができる、ある種の嗅覚がゲオルグは危険な存在であると訴えるのである。オーベルシュタインは理性的な人間であったが、だからといって自分の嗅覚を否定しきることができなかったのである。

 

 パウル・フォン・オーベルシュタインは先天的障害のため両眼に障害があった。当時のオーベルシュタイン家当主のはからいで“幼児の頃の事故により視力を失ったため、義眼なのである。”と偽装されたものの、まわりからの偏見と差別に苦しみ、障害者を劣悪として排除する法律である劣悪遺伝子排除法を、そんなろくでもない法律を制定したルドルフを、ゴールデンバウム王朝を憎み、ルドルフ的価値観から脱却した新王朝の設立を望んできた。

 

 そしてラインハルトという稀代の天才を見つけ、彼を新皇帝として仰ぎ、ゴールデンバウム王朝打倒と念願が成就しようとしているのである。そのために、あらゆる不安要素を排除しておかねばならなかった。ゴールデンバウム王朝の本当の意味で最後の帝国宰相の孫というカードは、旧貴族階級団結の核となりかねないのである。生死の確認をせねばならないし、生きているのなら処刑するか帝国の監視下に置くかしなければ、このラグナロック作戦後に成立するであろうローエングラム王朝にとって後顧の憂いになるやもしれないと思うと、可能性が低くても対策がとれるならとっておくべきだろう。

 

 オーベルシュタインはそう判断すると、義眼をはずしてベッドに横になった。明日はいよいよフェザーンをたって、ラインハルトとともに同盟領の征服に赴くのである。激務で眠れない日が連続するであろうことが容易に予測できるため、今日はぐっすりと寝ておかねばならないのであった。




ラグナロックでフェルナーの姿が見えないので、本作では帝都でお留守番してたという設定です。

クラウゼがヒルダの性別わからなかったことについて
(YJでフジリュー版の少年にしか見えない男装ヒルダを確認)
作者「……」
(OVA版で軍服姿のヒルダを確認)
作者「……事前知識なかったら、先入観諸々が手伝って意外とわからねぇんじゃね?」


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幸運・不運・非常識・予測不能

すまぬ。ラング閣下。あなたの容姿設定、おもしろすぎるのが悪いのです。


 ハイドリッヒ・ラングの赤子をそのまま大きくしたような珍妙な容姿と大地が唸るような低い声は、生まれ持ったものであって別に努力して得たものではなかったが、ラングが秘密政治警察で出世するためには、非常に有用な武器であった。具体的には容疑者への尋問と部下の人心掌握に役に立った。

 

 社会秩序維持局に逮捕された容疑者のほとんどは当然ラングと初対面であるわけで、まったく尋問官らしからぬ容姿の小男が尋問官であることに困惑し、そして容姿に見合わぬ低い声で恐喝まがいの尋問をしてくるものだから、そのおそろしいギャップに激しい精神的打撃を受けずにはいられず、ひたすらラングが話の主導権を握ることができたからである。

 

 そして部下の人心掌握についても、似たような要素によって引き起こされるものであった。初めてあった部下はたいていの場合、ラングの容姿と声のギャップに無反応ではいられず、とても失礼な表情を浮かべてしまったりするのである。そしてその衝動がおさまって上下関係に厳しい銀河帝国の常識にまで思考がまわり、自分がどれだけやばいことをしたのかと青い顔をするのだ。

 

 ラングはまったく不快感も怒りの感情もみせず、それどころか微笑みを浮かべながらよくあることだから気にしなくてよいと肩を叩きながら声をかけると、部下は「この人はなんて寛大なかたなんだ」と幻想を抱いてくれるのである。そしてラングは基本的に穏やかな性格の持ち主なので、その幻想は完璧ではないにしてもだいたいあっているため、人心掌握を容易にしてくれる武器のひとつとなっているのであった。

 

 そんなラングがあらゆる伝手を使って確保した社会秩序維持局調査部フェザーン課長という要職を務めたフリッツ・クラウゼ元保安准将が、ようやく内国安全保障局長のオフィスに訪れたのは二月九日のことである。内国安全保障局の辞令が届いたのが昨年九月初頭のことであるから、じつに五ヶ月もラグナロック作戦秘匿のために足止めをくらっていたのであった。

 

 クラウゼもまた、ラングの初対面時に無礼を働いた一人である。オペラ歌手並みの低い声をラングの声であるということを脳が受け入れられずに思考が停止し、ラングが訝しげに思ってクラウゼの顔を覗き込みだしたところでようやく受け入れることに成功し、あまりのシュールさに思わず吹き出したのである。そして吹き出された唾液はラングの顔面中に降り注いだ。

 

 顔中についた唾液をラングが黙ってハンカチで拭いている間、クラウゼは生きた心地がしなかった。当時のラングはまだ社会秩序維持局の長官ではなかったけれども、有力者といってよい地位にあって、クラウゼの新たなる上官であったのだ。こんなことになってただですむと思えるほど、楽観主義者ではなかったので、よくて辺境の支部に更迭、下手したら思想犯扱いで収容所送りもありえると、クラウゼは顔を蒼白にしたものであった。

 

 だがラングはこういうのには慣れているがここまでのことは初めてだと苦笑しただけで、何事もなかったように仕事の話にはいったのであった。こうしてラングはクラウゼにたいする精神的優位を獲得したのであった。

 

「市中は凄い活気ですね。まだ朝というのにそこら中でビールで乾杯してますよ」

 

 帝都は静謐なものだという認識があるクラウゼは驚きを混ぜた口調だったが、それにたいしてラングはすましたものだった。

 

「昨日、大本営発表があったからな」

 

 ラングのいう大本営発表とは、“ローエングラム公率いる帝国軍本隊はランテマリオ星域にて同盟軍三個艦隊と接敵、交戦を開始せり”というものであった。こんな発表は同盟やフェザーンではありふれたものであっただろうが、旧体制下においては情報統制が徹底されており、終わってから結果のみを報道するという形式がほとんであったのである。しかも戦意高揚のために不都合な事実は捏造されたり、まったく触れられなかったりするのである。一例を出すと四八七年五月一四日にヤン・ウェンリー少将率いる半個艦隊によって“イゼルローン回廊は叛乱軍兵士の死屍をもって舗装されたり”と帝国政府が豪語していた要塞があっさりと陥落したことについては、リヒテンラーデ・ラインハルト枢軸陣営が帝国政府の全権を掌握するまで公式にはまったく言及されなかったほどだ。むろん、外敵に国境地帯が奪われるなど隠しきれるようなものではなかったから、公式発表される前から噂という形で民衆は知っていたが。

 

 そんな報道に慣らされていた帝国の民衆にとって、リアルタイムに近い戦況報道というのは、目新しい娯楽になりえたのであった。ミッターマイヤー上級大将による唐突なフェザーン占領やそれからたいした間もなく苦戦してたはずのロイエンタール上級大将がイゼルローン要塞奪還したことなどもそれが実現してから数時間のうちに報道され、それに感情的高揚を味わっていた民衆は口々にこれからどのように同盟を攻略するのか軍事知識の乏しいくせに立派に議論しあい、それを酒の肴にしているというわけであった。

 

 そして別の側面もあった。今回の帝国軍の遠征の目的は、旧体制を復活させようと目論んでいる帝国正統政府という組織を討伐することであり、それに共感した多くの若者たちが志願して軍服を着て出征したため、その両親や恋人は心配で夜も眠れぬ日々を送っている。だが、順調な帝国軍の快進撃に不安が多少薄まって、息子や恋人が華やかな武勲を飾って帰還するに違いないと前向きな思考ができるようになり、その想像を他の市民に語っているのである。

 

「それで、おまえには内国安全保障局次長を任せたいと思うのだが」

 

 なにげない世間話を続けていると、ラングが唐突にさりげなくそう切り出した。

 

「ええ。……はい?」

 

 あまりにもさりげなかったのでクラウゼは一度頷き、そしてなにかおかしい点があったように思えて首を傾げた。そして次長に、秘密政治警察のナンバー・ツーになれという言葉がなんども脳内で反響し、わなわなと震えだした。

 

「閣下、私は保安准将ですよ。次長職は保安大将以上の職責であると定められていたはずですが」

「そうだったな」

 

 ラングは深く頷き、だが、と続けた。

 

「だが、それは社会秩序維持局での話だ。ローエングラム公爵閣下が開明政策を志向しておられることもあって、組織の規模が全体的に縮小されてしまってな。その影響で最高位の階級が保安中将になってしまった。局長の職責も中将になってしまったから、私も保安上級大将から保安中将に降格してしまった。いや内国安全保障局は形式的には廃止された社会秩序維持局とはまったくの別組織ということになっているから、保安中将に任命されたというほうが正しいのかもしれんが」

 

 それに続いてラングから具体的な数字を告げられて、なんということだとクラウゼは嘆息した。社会秩序維持局は帝政を支える剣と盾として、帝国軍に次ぐ規模の機構を持つ巨大組織であったというのに、随分とささやかな組織になってしまったものである。これでは次長になったからといって秘密組織が期待しているだけの貢献をできるかどうか、あやしいものであった。

 

「そうそう、保安准将という階級も廃止されてるから、おまえは今日から繰り上げで保安少将ということになっている」

「はい?!」

 

 ずいぶんと唐突な昇進に驚愕するクラウゼ。いや社会秩序維持局の保安准将から、内国安全保障局の保安少将になったわけだから、昇進という言葉は適当ではないのかもしれないが。

 

「ただ階級があがっても給料は下がるぞ。昇進というわけではないし、社会秩序維持局の頃と比べて割り当てられる予算が激減したからな」

 

 やはり昇進ではないようであるとクラウゼは納得した。もし昇進すると給料がさがるという奇怪な制度が内国安全保障局に導入されたというのなら、即座に辞表を目の前の禿げ頭に叩きつけてやる。

 

「階級の話はひとまず置くとして、なぜ私を次長に? 私より適任のものが多くおりましょう」

 

 内国安全保障局の階級秩序が、社会秩序維持局時代と比べて微妙な変化が生じていることを脳裏に止めつつ、クラウゼは自分を次長に任じる意図を確認した。社会秩序維持局時代のクラウゼの立場は対外工作・諜報活動の現地責任者という要職にあったとはいえ、数多くいた課長の一人にすぎない。客観的な評価では局全体の運営を行えるだけの能力があるかというと、怪しいところであろう。

 

 もちろん、やってやれないことはないだろうという自負がクラウゼにはあったが、内国安全保障局員として働く上でも、秘密組織の一員として内国安全保障局を利用する上でも、ラングの意図を確かめておいたほうがよいはずであった。

 

「ローエングラム公は権力者の暴力と権力による恐怖によって統治されてきた今までの帝国を全面的に改めつつある。具体的には権力者の意向よりも法律を重んじるように志向している。そのような新体制下では、おまえのような人材を重用すべきだと判断したのだ」

 

 法律が非常に恣意的に運用されていた旧体制下の社会秩序維持局は、法律を逸脱しようとも成果さえあげれば何の問題も発生しないという風潮があった。たとえば、無実の人間を大量に拘束し、死んでしまうほど過酷な尋問・拷問をくわえても、結果として思想犯や政治犯を捕まえることができれば、局員は免罪されたのであった。

 

 当然、法治主義を志向する新体制でそのような人材を秘密政治警察の要職につかせるわけにはいかない。しかし社会秩序維持局での出世は結果主義だったので、手段を選ばずに結果を出せる者ほど高職にいたものだから、使える優秀な人材はとても少ない。しかし調査部フェザーン課だけは別だった。 

 

 フェザーン課の役目はフェザーン及び、その先にある同盟に対する諜報・工作活動である。当たり前のことだが、帝国領内と違って社会秩序維持局の権威と恐怖を誇示して仕事に当たれば現地の治安組織によって拘束されるだけなので、現地の治安組織及び法律に通じ、その裏をかいて行動することが要求される。つまり手段を選ばなくては仕事ができない環境で成果をあげていた者たちなのである。

 

 なので内国安全保障局に登用されたのは、旧社会秩序維持局の中でも調査部、特にフェザーン課に所属していた経歴のもっているものが高い地位を与えられて厚遇される傾向にあった。その傾向を考えれば、最後のフェザーン課長であったクラウゼが内国安全保障局次長に任命されるのはある意味、必然であったといえよう。

 

 自分が次長に任命されたことに納得できたクラウゼはもうひとつ別の質問をした。

 

「保安准将の階級がなくなったということは、軍隊の階級と分離されたということになりますが、よいのですか」

 

 クラウゼの疑問を正確に把握するには、銀河帝国における社会秩序維持局の歴史について知らなくてはならないだろう。社会秩序維持局は警察総局内に存在した公安部を母体として設立された部局であるため、設立初期の社会秩序維持局は警察の階級とほぼ同じの階級制度で運用されていたのである。

 

 しかしながらある問題が発生した。社会秩序維持局が取り扱うのは思想犯・政治犯の類である。そしてそういう不穏分子は帝政に反対して暴動を起こす過激地下組織の一員であることがたいていで、武力による治安維持を目的とする軍部と共同作戦を多々あり、その時、軍人と局員の間で階級によるいざこざが発生したのである。なにせ使用されている階級がまったく異なるため、どっちがより偉いのかという対立が発生し、どちらが指揮権を握るべきかで喧々諤々の論争が巻き起こったのであった。

 

 このいざこざの原因を根本的に解決すべく初代内務尚書兼社会秩序維持局長官エルンスト・フォン・ファルストロングと初代軍務尚書ドルフス・フォン・ロズベルクが解決方法について再三議論を重ねたがどちらも組織のプライドをかけていたために容易に結論がでず、悪しき共和主義を根絶するべきときになにをしょうもないことで議論しているのだと激怒した初代皇帝ルドルフ・フォン・ゴールデンバウムが社会秩序維持局の階級を軍隊式のものに改めるよう命令を下した。

 

 こうして社会秩序維持局は軍隊の階級構造が統一され、階級社会に慣れている両組織の連携がスムーズに行われるようになった。もちろん、社会秩序維持局と軍部の文官と武人の観点の差による対立は残ったが、そのあたりのことは現場レベルの話し合いで解決されることであった。すくなくともルドルフの時代では。

 

 そのような歴史を社会秩序維持局は持っているため、軍隊とまた別の階級構造を用いるようになれば、内国安全保障局は軍隊と連携面で同じ問題が発生するのではないか。それがクラウゼの懸念なのである。

 

「当然の心配ではあるが、同時に無用の心配だな。軍事独裁的な現体制において内国安全保障局が軍より上の立場に立てる可能性は当面ない。自由惑星同盟を僭称する叛徒の陰謀や辺境部の散発的な叛乱もあっていまだ体制が完全に安定しているとはいえない状況下で無用な対立構造を作ることは、だれも望まぬことだからな」

 

 それに旧体制の重臣として追放されてもおかしくない立場にあった自分が局長の座にあるのは、ローエングラム公とオーベルシュタイン総参謀長の寛容ゆえのことである。そのことをラングは自覚していたから、二人と対立することは保身の観点からしてもなんとしても避けるべきであった。

 

 だが、クラウゼはラングの言い方から、裏を感じ取っていた。

 

「なるほど。では、将来はどうなのですか」

「……われわれ内国安全保障局の活躍次第だな」

 

 微妙に誤魔化す表現ではあるが、ラングの真意はあきらかであった。実績を積んで立場を強化し、発言権を確保していくことの表明にほかならない。そうでなくては困るとクラウゼは思った。秘密組織が自分に望んでいる役目を果たすためにはラングが今の立場に満足し、地位を守ることのみに固執されたらやりづらいのである。

 

 二、三の事務的な話し合いを終えると、クラウゼは官舎に戻って携帯TV電話でテオリアの孤児院へと繋いだ。秘密組織に内国安全保障局のナンバー・ツーに収まったことと、今後の動向を話しあうためである。

 

 数時間後、そのテオリアの孤児院の一室で秘密組織のボスが憮然顔をしていた。この孤児院こそが秘密組織の頂点に立つ司令部であり、ゲオルグたちがいる部屋は孤児院をテオリアに移転する際に増築された居住性の高い秘密の空間であった。

 

 この孤児院の院長は当然として、ハイデリヒ、ベリーニの他、普段各惑星の司令部に命令を飛ばしている幹部たちがある出来事に関することで話しあうために集まっていたが、彼らの指導者であるゲオルグの不機嫌そうな顔を見て、全員が身を固くして緊張しきっていた。

 

「帝国軍本隊がランテマリオ星域でまで進出しておるのに迎え撃つ同盟軍が三個艦隊のみとはどういうことか。本隊の数がどの程度か公式発表はされておらぬが、いままでにわかっている情報から推測するに、同盟軍の二倍以上の帝国軍と最低でも対峙しているというのに」

 

 ゲオルグたちはどれほど時間的猶予があるのか推測する為、帝国軍の公式発表をもとに現在の戦況を分析していた。彼らの手元には帝国軍将帥がフェザーンの航路局から接収した同盟領内の精密な星図などなかったが、読書家であったゲオルグの脳内にはかつて読んだコルネリアス一世の大親征の記録がハッキリと記憶されていたので、同盟領の大雑把な地理は把握している。そしてランテマリオ星域は同盟にとって、ギリギリ辺境といった場所に存在する星域であったはずである。

 

 先月のロイエンタール上級大将のイゼローン要塞陥の奪還といい、あまりにも帝国軍の侵攻が順調すぎるようにゲオルグは思えた。不逞な共和主義者どもが一方的にやられているのは帝国貴族として喜ばしいことではあるが、ここまで帝国軍が圧倒しているとなると同盟軍の不甲斐なさに文句のひとつでも言ってやりたい気分になる。

 

「いったいどういうことなのか、現状を説明できるものはおらぬか。私はあまり軍事には精通しておらぬから断言はできぬのだが、同盟の全兵力はこれだけしかないように思える。このままでは来月には帝国軍が完全勝利宣言をしてしまうかもしれぬぞ」

 

 このように自分の短所を述べた上で助言を求めるゲオルグは身分制度が徹底されていた帝国社会においては、助言者の心理的プレッシャーを緩和する効果があったのだが、今回はそのようにはならなかった。全員の視線が一人の男に集中したからである。その男は先の内乱において貴族連合軍の元参謀であって、内乱終結後に軍から追放されて路頭に迷っていたところ、軍事に疎いゲオルグにその才能を見出され、その方面の助言役として秘密組織の中枢に置かれた男であった。男は緊張によって流れ出る汗を気にもとめず、不興を買わないかと不安に思いながらも自分の見解を述べる。

 

「イゼルローン要塞の奪還については、それほど帝国軍の攻略が早かったとは思えません」

「なぜだ?」

「帝国軍がフェザーン回廊を占領下においている以上、イゼルローン要塞に籠ってロイエンタール上級大将の別働隊の回廊通過を阻み続けても、帝国軍本隊に本国が攻め落とされては元も子もないわけでありまして、要塞を防衛していたヤン・ウェンリーとしては、いっそ要塞を放棄して帝国軍本隊を後背から殴りかかったほうが良いと考え、自ら放棄したのではないかと推測する次第であります」

「しかし、それではローエングラム公の本隊とロイエンタール上級大将の別働隊に挟撃されるだけではないのか」

「帝国軍がフェザーンの航路局から同盟領土の情報を接収したとはいえ、反対側の回廊にいる別働隊とその情報を共有できているとは思えません。今の時点ならある程度の兵力を割いてロイエンタールの部隊にぶつけて足止めすれば、距離を離せると思ったのでは。そして撤退しながら帝国軍の補給拠点になりそうな場所を焦土化していけば、ヤン艦隊がランテマリオに到着するまでに別働隊と数日分の距離は稼げるかと」

「ふむ。なるほどな……」

 

 元参謀の男はそう言ってゲオルグを納得させたが、本人は半信半疑であった。ゲオルグと同じく、難攻不落のイゼルローン要塞を自ら放棄するということ自体、プロの軍人でも考えがたいことなのである。ただ今現在起こっている結果と同盟が誇る不敗の名将という要素から、すべて合理的判断に基づくものであると仮定して推測すると、そのようにしか考えられないというだけであった。

 

 そしてもしそんな考えが浮かんだとしても、もし自分がイゼルローン要塞の防衛司令官だったらと思うと、軍人としての名誉や保身の誘惑を拒絶する剛毅な意志、ロイエンタールの追撃を振り切ってラインハルト軍に一撃を加える能力と自信がないので、そんなとんでもない決断をできそうもないと言い切れるだけに、ヤンという男の規格外な底知れなさに元参謀は恐怖した。

 

「ランテマリオの三個艦隊以外に同盟が出し惜しんでいる兵力があると思うか。仮にあったとして、どのような意図によるものだと思うか」

「同盟にとって今回の侵攻はコルネリアス一世の大親征以来の危機であり、そうとうに民心が動揺していると推測でき、それらが暴発しないよう一個艦隊程度を首都近辺に残している可能性。そしてロイエンタール上級大将の行動に対応するために数個艦隊を呼び兵力にしている可能性。出し惜しんでいる戦力があると仮定した場合、このふたつの可能性が考えられますが、帝国軍との戦力差を考えるとそれらのリスクを覚悟して前線投入すべきだと自分なら思いますので、可能性はごく低いかと」

「……となると、なんだ。同盟の全戦力はこれ以上あると仮定しても正規艦隊五、六個分程度しかないと?」

「はい。おそらく三年前のアムリッツァでの損害が大きすぎたせいではないかと……」

「それを言うなら帝国とて二年前の貴族派と皇帝派の内乱でそうとうに軍事力を消耗したはずであろう! 昨年もイゼルローン要塞の戦闘でケンプ大将以下多数の兵を失っている! なのに、なぜ! これほどまで圧倒的な戦力差がでているのだ?!」

 

 あまりに理解できないことなので、ゲオルグは苛立ちのあまり叫んだ。常識が役立たずになる時代が宇宙規模で到来しつつあると思っていたが、ここまで常識が通じないとなるとさすがに困るのであった。ろくに今後の予定が立てられなくなるからであり、それは復権を目的とする以上、死活問題だからである。

 

 ゲオルグの怒りに元参謀は怯んだが、爛々とする激しい怒りの炎を双眸に煌かせていたが、それでも先を促す無言の圧力があったので、必死で頭を高速回転させて考えを纏める。

 

「お言葉ながら、二年前の内乱のとき、同盟でもクーデターが発生していたではありませんか。それで同盟も帝国同様に兵力を消耗していたのでは」

「それは知っておる。しかし、その内乱による同盟の損害は帝国のそれに比べ、はるかに少ないはずではなかったか。貴族連合軍に所属した艦艇の内、約半分が消滅しておるのだぞ」

「それはたしかですが、もとより帝国のほうが兵力のみならば、常に同盟を圧倒できるだけの数があったのです。ただ国内における対立ゆえにすべての軍事力を同盟にぶつけるということができなかっただけのこと。しかし現在、ローエングラム公はほぼ完全な独裁権を手中に収め、大多数からの民衆の支持もえております。だからケスラー・メックリンガー両大将の艦隊をのぞいて、ほぼ全力を同盟に向けることができているのです。フェザーンの航路局のデータを接収できていることも考慮すると帝国が優勢に進むというのは事前の推測通りだったといえましょう。ただ、同盟軍がこれほど衰弱していたということを除けばですが」

「むぅ……」

 

 元参謀の見解は、同盟は旧体制下の帝国と違って、国内の有力者が固有の軍事力を保持して互いに牽制しあうといったことをする必要がないほど、国内が纏まっているという身もふたもない現実を示唆するものであったのであり、不快な事実ではあるのだが、ゲオルグは不快だからといって事実を受け入れられないような無能ではなかったので、不機嫌そうに短く唸りながらも元参謀の見解に頷いた。

 

 だがそれでも、同盟軍の弱体化ぶりに文句のひとつでも言ってやりたい気持ちになるのであった。同盟が激しく抵抗してくれないと秘密組織の計画も狂うのである。ぶつけようのない憤りを胸に封じ、ゲオルグは必死で建設的な思考を復活させる。

 

「……仮に、ランテマリオの三個艦隊と移動中のヤン艦隊のみが同盟の全航宙戦力であると仮定した場合、卿は同盟の動きをどう見る?」

「そうですねぇ。すでにランテマリオ会戦は戦端を開いてから一八時間以上経過しており、帝国軍と同盟軍の戦力差からして同盟軍が正面からまっとうな戦いをしているならすでに瓦解しているはず。そうなっていないということは、同盟軍が帝国軍に打撃を与えるより自軍の損害を抑える戦術を駆使していると考えるべきであり、単純に解釈すれば同盟軍の目的は時間稼ぎでありましょう」

「時間稼ぎか。その意図は」

「可能性はふたつです。ひとつは徹底抗戦を行う準備のため。ランテマリオ会戦で同盟側の主要戦力はほぼなくなってしまうわけですから、同盟側の軍事施設やそれに近いものを帝国軍に利用されぬよう徹底的に破壊します。また国民に武器を与えてレジスタンス化させ、そして帝国に降伏することや交渉することを主張するものはその場で処刑してよいという空気を醸成します。そして気弱なレジスタンスを警察や軍で統制・督戦すれば、帝国軍を物心双方から疲弊させ、国土が完全征服されることを防ぐというものです。これを用いれば帝国軍は数カ月は泥沼から抜け出せなくなりましょう」

 

 焦土戦と民兵によるゲリラ戦の合わせ技という人道性もへったくれもない戦略であるが、きわめて効果的であることが歴史で証明されている。焦土戦だけでも、三年前に同盟軍が大挙して帝国領に殺到したとき、当時の迎撃司令官であったラインハルトがどれほど有効的な戦略であるかを実証している。

 

 むろん、国民の自国政府への恨みも大いに育む副作用があるので気軽に使えるような戦略ではないが、国家防衛のためにしかたなく実施したことであり、すべての責任は侵略してくる敵国にあると責任転嫁に成功した時、国民はおそろしいほどの熱意を持って救いようがない凄惨な戦いに積極的に参加し、圧倒的に優勢な敵国の軍人を戦意をへし折って撤退やむなきまでに追い込んだりするのである。

 

 ……もっとも、それで勝利をもぎとったとして、ボロボロの国民たちには、焦土と化した国土をどう再建するのかという、これまで以上の難問が発生するわけであるのだが。

 

「もうひとつの可能性は?」

「ヤン提督を首都に戻し、同盟全軍の指揮をとらせるためです」

 

 元参謀の言葉に、ゲオルグは怪訝な顔をして首を傾げた。

 

「ヤン・ウェンリーが不世出の名将であることは認める。何度かローエングラム公に煮え湯を飲ませておるそうだからな。しかし如何な名将とはいえ、艦隊が湧き出る魔法の壺を持っているわけでもないのだから、この戦力差を覆して勝利できるともおもえぬのだが」

「あくまで勝利を目指すならば、そうでしょう」

「それはどういう意味……ああ、なるほど。そういうことか」

 

 ゲオルグは得心して何度か頷いた。ヤン・ウェンリーという男は、自軍の損害を抑え、敵の隙をつくことに長けた奇術師であると聞き及んでいる。ひたすら遅延作戦を展開し、帝国軍の気力を萎えさせ、同盟の完全征服を諦めさせようとするならば、なるほど当然の人事というべきであろう。

 

 帝国は同盟に何年も大軍を派遣させていられるほど、国内が磐石というわけでもないのだ。ラインハルトの容赦なき改革に対する反動で小規模な叛乱が発生しているし、体制内部にも軍事偏重に反感を抱いている文官も少なからず存在する。すぐに体制を揺るがすような問題ではないが、何年も放置していられるほど軽い問題でもない。帝国が何年も大軍を同盟領に派遣している余裕などないのである。

 

 だからこそ、帝国軍はフェザーン占領から始まる電撃戦を企図したのだろうが、それで同盟軍を打倒しきれぬとなれば、同盟に対する絶対的優位を確保するだけでよしとして、イゼルローン・フェザーン両回廊の同盟側出口の星域周辺を確保して撤退という判断をラインハルトがする可能性は決して低くはないし、同盟側の察しがよければ、そのようなラインハルトの心の動きを見抜いて、そこから休戦・講和に持ちこめる可能性も皆無とはいえない。

 

 なるほど。同盟に残されている選択肢の中で、徹底抗戦と並んで国を守護するための、現実的な方策であるといえるだろう。

 

「しかし、どちらにせよ、帝国軍が連戦連勝の勢いを維持して同盟の術策をものともせずに無条件降伏に追いやってしまう可能性も高し、か。ハイデリヒ」

「はっ。なんでしょうか」

「四月の予定であったが、正直そこまで待っていては国内からいなくなってくれた面倒な奴らが戻ってきかねん。最悪、二月中にマハトエアグライフングの発動もありうると今度ブレーメも交えて話し合う必要がある」

「わかりました。しかし、準備が十分でないまま計画を実施しては、帝国政府に私たちの存在が露見してしまうのでは」

「そうだな、だが、オットーらがブルヴィッツで進めている作戦がそろそろ最終段階に入る。同盟軍があてにできぬ以上、私としては帝国中央の意思がそちらに集中しだしたあたりで発動したいが、これはブレーメらと相談して決めたほうがよかろう」

「そのブルヴィッツの作戦については私も聞いているけど、あなたが想定しているようにうまくいくのかしら」

 

 ベリーニが口を挟む。

 

「軍隊はいささか特殊な性質をおびているとはいえ、立派な官僚機構だ。その悪癖からは自由になれぬよ」

「でもローエングラム公の改革で、無能な官僚は追放されて、事なかれの官僚主義は劇的に改善されてたはずよ。あなたの思っているようにうまくいくかしら」

「……たしか、よしかれあしかれ組織というものは、上の影響が下に向かってでるものであるというのがフェザーンでは一般的な組織論だったな。そしてローエングラム公は清廉で有能な人物。だから組織の腐敗もただされている。そう言いたいのだな」

 

 小さく苦笑するゲオルグ。その苦笑にはあきらかに嘲りの成分があった。

 

「……その組織論が間違っているって言いたいのかしら」

「いや、概ねにおいてその組織論は正しかろうよ。だが、上の清廉さをかつて腐敗していた下の者達はどれほど理解しているのやら」

 

 警官になって間もない頃、余計なことを独断でやる同僚や部下たちにゲオルグは頭を悩まされたものである。人間というやつは、集団心理と前例主義が働く場においては実に多くの者が厚顔無恥な生き物になれるようで、明文化されている規則に反して私腹を肥やしていても、大多数の同僚が同じことをしていて、何十年も黙認されていると自分たちがしている違反行為が正当なものであると錯覚しだすものらしく、ゲオルグが部下の実質を欠く仕事の無責任さを批判してもまったく反省しないばかりか、逆に説き諭すように自分の“規則違反行為の正しさ”を力説してくるのであった。

 

 ゲオルグは別に規則の信奉者ではなかったし、むしろ叔父の謀略から生命を守るために警官になる前から法律違反を少なからず犯してきていたので、汚職によって私腹を肥やす行為自体に文句を言う気はない。しかしながら、形式的な仕事しかせずに職務をおなざりにし、私服を肥やすのに熱中してるせいで組織そのものが機能しなくなっているなど断じて許容できなかった。よほど悪質なものでもない限り、寄生虫でも宿主が死に至るまで栄養を吸い取ったりなどしない。宿主が死ねば、寄生虫自身も死んでしまうからだ。そんな寄生虫ですら守れる節度を守れないような輩は駆除するかまっとうな寄生虫にしてやるのが、帝政を支える帝国貴族たるものの責務である。

 

 だが、正攻法ではどうにもならない。なのでゲオルグは貴族的な手法で硬直化の極みにあった自分の部署を改善した。影響力のある上官の買収、自分の言う通りに働けばコネで出世させてやると約束する、私腹を肥やすことしか頭にない奴は帝国有数の名門貴族家たるリヒテンラーデの威光を利用した巧みな話術で上層部を説得して逮捕・裁判・処刑のフルコースを味あわせて見せしめにする。こういった活動によってゲオルグの部署は汚職だらけでろくに機能していない状態から、汚職はあれどゲオルグの指示によって仕事が非常に能率的に行われる状態へと変化した。

 

 能率的に仕事が行われる部署になったからといって、部署の全員が勤労意欲に目覚めたわけではない。仕事もちゃんとやっておいたほうが、自分にとって利益になると合理的に判断しただけのことである。仮に部署のトップが仕事に不真面目なやつにかわったら、部下たちは何のためらいもなく仕事は形式的にしかしなくなり、部署はふたたび硬直化したであろうことは疑いない。ラインハルトの改革によって旧体制下の悪癖が劇的に改められつつあるが、はたして同じようなことになっていないだろうか? いや、劇的な速度での改善であることを考慮すれば、考えるまでもないほど答えは明瞭すぎて、疑問系をとるのもばかばかしいとゲオルグは思えた。

 

「……そういえば、クラウゼのことで報告があるんだけど」

 

 ゲオルグとベリーニの官僚機構の性質について意見を交わしあっているのを聞いて思い出した孤児院の院長がクラウゼの内国安全保障局次長になったことを報告した。これは秘密組織にとってかなり重要なことであったが、帝国の同盟領侵攻がかなり早い段階に終結しそうであるという今後の方針を大きく揺らがしかねない大事なだけに、すっかり失念していたのである。

 

 クラウゼが内国安全保障局次長に任じられたことは、中央政府への足掛かりがほしいと切望していたゲオルグにとっては願ってもない幸運であったが、帝国の同盟遠征が早期終結しかねない情勢にある今、秘密組織はマハトエアグライフング計画に全力を傾注する方針に決まったので、さしあたりクラウゼに任せられる任務もなければ、中央政府への謀略を考えている時間的・精神的余裕も秘密組織のだれにもなかったので、とりあえず次長の仕事に慣れるように命じるだけであった。

 

 結果論ではあるが、この判断によってゲオルグの関係者であるという疑いをオーベルシュタインに持たれているクラウゼは監視中になんら怪しい行動をみせず、そのせいで監視を任されていたフェルナーはこの任務の優先度を徐々に下げていき、約一年後にクラウゼが怪しい動きができるだけ監視の隙をつくってしまうことになってしまうわけで、ゲオルグはオーベルシュタインの警戒を欺くことに成功するという幸運に恵まれたといえるのだが、意図していないことだし、そもそもクラウゼがそんな状況におかれていることすら認識していなかったので、ゲオルグがその幸運を実感することはなかった。




ゲオルグは運が良いのか悪いのか。


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三月兎亭の一時

 ランテマリオ星域会戦は帝国軍の勝利に終わったが、完全な勝利とはならなかった。帝国軍七個艦隊が粘り強く抗戦する同盟軍三個艦隊に決定的一撃を加えるという最終局面で、帝国軍の後方に同盟軍の新規兵力が現れたのである。しかもフェザーン方面から。

 

 同盟軍の戦力は予想以上に豊富で、一軍が正面から帝国軍と戦い、べつの一軍が戦場を遠く迂回して帝国軍の退路を遮断して帝国軍を挟撃する。そんな作戦を実行する余裕があったのか。同盟軍が弱体化していることを知ってはいるが、現在の同盟の具体的な兵力がどのていどの存在するか予測は立てていたが、あくまで予測にすぎなかったので帝国軍の諸将はそんな疑念を抱き、鳥肌を立てた。

 

 しかもフェザーン方面に現れたというのが、いかにもまずかった。帝国領を離れ、敵地に深く侵攻すること二八〇〇光年という彼らである。そんな地点でフェザーンへの、帝国への帰路が遮断されたとあっては、勝利と征服の昂揚感によって覆い隠されてはいる兵士たちの望郷の火がつき、敵の領内で孤立するという恐怖に突き動かされて暴発し、軍隊を軍隊としてそのまま維持できなくなってしまう可能性がでてくるからである。

 

 総司令官ローエングラム公ラインハルトの、何の心配もないと具体的な理屈を交えた内容の覇気に満ちた叱咤によって、とりあえず指揮系統の維持には成功したものの、ひとまずは軍を引いて混乱を収拾し、退路の再確保することを優先したため、ランテマリオ星域で約一日間勇戦した同盟軍三個艦隊が全滅することはなんとかまぬがれた。

 

 帝国軍の退路を遮断したのは、ヤン・ウェンリー大将率いる部隊であったのだが、帝国軍の諸将が想像していたような豊かな戦力を擁してなどおらず、指揮下にある一個艦隊を薄く広く展開して大軍に見せかけただけのペテン的詐術による見せかけにすぎなかったので、帝国軍がいったん軍を引いて混乱を収拾している間に帝国軍七個艦隊を迂回して首都に撤退した。一個艦隊で帝国軍七個艦隊を相手どることなどできないし、もたもたしているとイゼルローン方面からロイエンタール軍もやってきて、一個艦隊で敵十個艦隊を相手どらねばならないという絶望的状態に陥りかねないかねないからである。

 

 首都に戻ったヤンは、自国の政治家たちにたいして好ましい感情を抱いておらず、一年前に非公式の査問会とやらにかけられるという嫌がらせを受けたこともあって、イゼルローン要塞を独断で放棄したことに対する非難してくるのではないかといささか危惧していた。しかし予想に反して要塞放棄の件にはまったく触れられず、それどころか同盟軍主力を全滅の危機から救ったとして逆に元帥に昇進させる旨を通達されたのである。しかも今まで冷遇されていたヤンの信頼する部下達も一階級昇進というおまけつきで。

 

 自分たちを目の上のたんこぶのように扱ってきた政治家たちのいままでの反応と明らかに違う対応に、どうも国家存亡の瀬戸際にあって自暴自棄になって人事権を乱用しているらしいという感想を抱いたものである。しかし、これはヤンの偏見であった。同盟政府の性質が著しく変質していたからである。

 

 ヤンを敵視していた同盟の国家元首ヨブ・トリューニヒト最高評議会議長が今年が始まってから数日後に職務放棄して雲隠れしてしまい、かわって国防委員長のウォルター・アイランズが同盟政府を運営するようになっていた。しかしアイランズとてトリューニヒト派の一人にすぎず、しかも仲間の政治家からもたいした評価をされていない同盟の政治腐敗の象徴のひとつにすぎなかった。

 

 同盟はルドルフが国家元首と首相の兼任によって銀河連邦を滅ぼした前例に学び、最高評議会を構成する評議会議長と各委員会委員長の兼任を法律によって固く禁じている。なのでトリューニヒトは自分の飼い犬であるアイランズを国防委員長に据えたのである。そんな経緯で閣僚になったものだから、国防委員会の部下たちにすら “トリューニヒト委員長、アイランズ委員長代理”と陰口をたたかれ、トリューニヒト派と癒着している軍需企業からリベートを受け取ることしか能がない奴というろくでもない評価をされており、しかも本人もそれを受け入れてる有様であった。

 

 だが祖国が存亡の危機に陥り、飼い主のトリューニヒトが職務放棄して逃げ出したとき、アイランズの中でなにかが覚醒した。愛する祖国のために献身すべき時であると決意し、愛国心の命ずるままにすべての能力をあげて対応に取り組んだ。まわりの人間から「どこにそんな行動力があったんだ」と驚愕されるほど精力的に活動し、政府の空中分解を食い止め、政府と軍の強固な協力関係を構築し、国民の安全を確保するために全力を尽くしたのである。

 

 そのように覚醒したアイランズとヤンは会見したのだが、きわめて理知的で誠意ある対応に戸惑いを隠せなかった。アイランズといえばトリューニヒトに媚を売る小物程度の認識しかしてなかったからである。そして自分達は同盟への愛国心を共有しているのだから協力してほしいと願い出てきたのである。愛国心を持ち出すのはヤンがもっとも嫌う論法であったのだが、それを理由に政府と軍の関係をこじれさせるわけにもいかないし、第一やるべきことをちゃんとやっている(やるようになった)アイランズに文句を言うべき理由もないので、愛国心云々のところはすべて形式的な対応ですませた。

 

 ともかくもそのような政府の変化もあって、ヤンは政府に束縛されることなくつかの間の自由を謳歌することができた。帝国軍が本土に侵攻してきているときに羽を伸ばしている暇があるのかという声もあるだろうが、いまは帝国軍を迎撃するための物資を補充しているから、首から下は役立たずと幕僚から揶揄されるヤンがいま仕事をする必要性はさしあたりなかった。

 

 なのでフェザーンから帰ってきた養子のユリアンとともに高級レストラン『三月兎亭(マーチ・ラビット)』に夕食にでかけた。ユリアンも少尉から中尉に昇進していた。ヘンスロー弁務官を救出したことと、帝国軍の駆逐艦を強奪した功績が評価されてのことである。独立商人の宇宙船で惑星フェザーンから脱出したのだが、帝国軍に不審の念を抱かれて臨検を受けたのである。そこでユリアンは一計を案じ、養父のイゼルローン要塞攻略作戦の手法を参考にした詐欺的な作戦で、帝国軍の駆逐艦を奪って堂々と同盟領に逃げてきたのであった。

 

「それでフェザーンの旅でなにか収穫はあったかい?」

 

 公式にはユリアン・ミンツ少尉は国防委員会の人事命令でフェザーン駐在武官として弁務官事務所に所属して仕事をしていたので、べつにフェザーンに旅行しに行ったわけではないのだが、行く前に養父の指揮下から離れることにかんして一悶着あり、そのせいでユリアンとしても仕事で行ってきたという認識を持ちにくかったので、そのことに疑問は抱かなかった。

 

「はい。二人ほど興味深い人物と出会いました。ひとりは直接的にですが、もうひとりは間接的にでして、この人は、いまハイネセンにいるそうです。提督の旧い知りあいだそうです」

「ほう、だれだい」

「ボリス・コーネフってひとです」

「ボリス・コーネフ……?」

 

 三二年間の人生の記憶を手当たり次第に掘り返してみるが、ヤンはまったく思いだせなかった。しかも、そんな名前の知りあいっていたっけなと真顔でつぶやくものだから、ユリアンはひょっとして自分は狡猾なフェザーン人に嘘をつかれただけなのかとすこし心配になった。

 

「幼い頃、フェザーンで数ヶ月ほど提督と一緒に遊びまわってたと聞いたんですけど……」

「……ああ、あのボリスか。やっとわかった」

「提督、老化の第一現象は、固有名詞を思いだせないところからはじめるんですってね」

「老化だって? 私はまだ三一歳だ」

 

 三〇歳の誕生日の時といい、どうして提督はこうも年齢を低く主張したがるのだろうか。ヤンが年齢をひとつごまかしていることにユリアンは気づいていたが、いまだ一八歳の自分には三二歳の養父が持つ年齢をごまかしたい心情がさっぱりわからないので、そのことには触れずにスルーした。

 

「それでなんだってあの悪たれのボリス・キッドとおまえの間に縁ができたんだ」

「悪たれのボリス・キッドってずいぶんな言いようですね」

「実際、ボリスの悪名はすごかったんだぞ。私もずいぶんと迷惑をこうむったものだからな」

「そうなんですか? ……ボリス少年の悪戯の数々は、優秀な参謀役あってこそ、って聞いているんですが」

「話がそれすぎたな。いったいボリスとどういう風に関わったんだ?」

 

 ヤンのごまかしようは、およそさりげなさというものから程遠いものだったので、そういう態度を取ること自体が二人が同じ側に立っていたなによりの証に思えたので、ユリアンは深追いせずにごまかされたふうに話を続けた。

 

「さっき話した僕がフェザーンを脱出するときにお世話になった独立商人マリネスクさんの上司です」

「マリネスク氏が船長じゃなかったのか」

「正確には船長代理ですね」

「じゃあ、なんでボリスのやつは船にいなかったんだ。あいつの性格からして、自分の船を留守にするなんて考えにくいが」

「それが、自治領主府にヘッドハンティングされて、フェザーンのハイネセン駐在弁務官事務所の書記官になってるそうですよ」

「あの悪たれのボリス・キッドが役人にねぇ……。宮仕えとはまたずいぶんと似合わないことをやっているな。再会したらそれをネタに思いっきり笑ってやろう」

 

 金がなかったがために歴史を学ぶ大学に進学することができず、無料で歴史を学ぼうと同盟軍士官学校戦史研究科に入学し、軍の出世コースから完全にはずれている閑職である戦史編纂室研究員になることを目的としていた問題児が、在学中に戦史研究科が廃止されたためにエリート揃いの戦略研究科に転科し、卒業後は前線で功績を立てすぎてしまって、いまや同盟軍最高の名将に望まずしてなっているという、昔の自分が聞いたら大爆笑しそうな地位についているヤンが他人が柄にあわない職についていることを笑うなど盛大なブーメランにしかならないだろう。このときヤンはうかつにもそのことに気がつかなかった。

 

「その楽しみはボリスと再会したときにとっておくとして、だ。ふたりめはだれだ?」

「フェザーンから脱出するときに一緒になったんです。といっても途中で病死、というより、自殺してしまいましたが」

「何者だい?」

「地球教のデグスビイ主教です。でも、自分はもう聖職者ではなく背教者だと言っていました」

「そんなふうに自分を卑下する理由があるのかな」

「それはわかりません。ですが、デグスビイ主教はなぜかフェザーンの内幕のことをよく知っていて、それを教えてくれました」

 

 そう前置きしてフェザーンの自治領主アドリアン・ルビンスキーとその補佐官であったルパート・ケッセルリンクの因縁と暗闘について語った。ケッセルリンクはルビンスキーがまだ若い官吏の頃に出会って捨てた恋人との間にできた息子であり、父親を打倒してその地位を奪って復讐を果たすことを目的に行動していたという。

 

 そのためにあれこれと策謀を巡らせていたようだが、帝国軍のフェザーン侵攻における混乱をケッセルリンクは好機ととらえ、父親の暗殺をはかったが父親は息子の野望と動向を事前に察知していたので返り討ちにあい、生き残ったルビンスキーは再起のときをはかるために地下に潜伏していったという。

 

「なるほど。舞台裏でそんな殺しあいが展開されていたとはな」

 

 権力者の親と捨てた子どもによる殺しあいとは、ずいぶんとまた悲劇的な結末である。しかしそれにしても、デグスビイはどうしてフェザーンの支配層の内情にそこまで通じていたのだろうか。地球教は同盟の政官界、とくにトリューニヒト派閥とも浅からぬ関係があるようだし、フェザーンでもそうなのだろうか。もしそうだとすると、残る最後の陣営、帝国はどうなのだろう?

 

 地球教なんてただのカルト集団だと思っていたヤンであったが、どうもそれだけではない側面を有しているように思えてならない。二年前、地球教のデモ行進に偶然立ち会ったのだが、「地球を我が手に」と言いながらデモ行進している信徒たちの姿を見て、本気でできると思っているのか、時代錯誤も甚だしいという感想しかわかなかったものだが……。

 

 地球教はこのような教義を唱えて信徒を戦争に協力させていた。曰く、人類の故郷である地球は銀河帝国の支配下にあるので、どれだけ行きたくても地球を参拝することができない。銀河帝国を打倒し、われが母なる星を取り戻そう。その暁には、その聖なる星の地表に全人類の魂をみちびく大聖堂を建てようではないか。バカバカしい誇大妄想にしか思えないのだが、地球教の上層部は本気でそれを実現させようとしているのか。いや、フェザーンとの関係も考慮すると、魂とやらだけではなく、現世に存在する人類社会そのものをもみちびくつもりなのであろうか。

 

「そうです。デグスビイは死ぬ前に言い残しました。すべての事象の水源は地球と地球教にある。過去と現在の裏面を知りたければ地球をさぐれ、と」

「地球にすべてがねぇ……」

 

 ティーカップを撫で回しながら、ヤンはなかの紅茶のゆらめきをみつめていた。

 

「彼はこうも言いました。人類は地球にたいする恩義と負債を忘れてはならないのだ、と」

 

 苦しみ喘ぎながらもそうはっきりと言い残したデグスビイの姿を思いだし、これこそを彼は全宇宙に告げたかったのではないだろうかとユリアンは思った。西暦がまだ使われていた頃の時代の話など学校の授業では簡単に概略を教えられるだけだから、地球がどのように滅亡していったのかははっきりと知らない。ラグラン・グループ率いるシリウスとの戦争に負けて滅んだ。そのていどのことしか知らないだけに、デグスビイがなにを思ってそのようなことを言うのかわからなかった。

 

 いっぽう、ユリアンの養父は現在進行形のアマチュア歴史家志望なだけあって、デグスビイの言葉をある程度理解し、それを正論だと認めた。だが、ヤンのそれは人類を一人の人間として例えた場合、ゆりかご的な意味を持った惑星としての恩義である。その恩義にたいして人類は地球の地表を焼き尽くすことによって報いたのだから、たしかに負債でいっぱいといえなくもない。だが、人類はもう大きくなりすぎた。大人になった人間がもうゆりかごに戻れないように、人類社会もまた地球に戻れはしないのだ。

 

「そういえば、舞台裏というと僕もその時に妙なことに巻き込まれました」

「妙なこと?」

「はい。フェザーンの裏社会での闘争かと最初は思っていたのですが、どうもいまいち納得できなくて……」

 

 そう言ってユリアンはフェザーン占領の裏側で起きていたことに巻き込まれ、シュテンネスという人物が殺された経緯を事細かに説明した。といっても、ユリアンはシュテンネスを殺した者たちの所属はおろか、名前すらわからなかったので説明するのがとても困難だったが、今際の際にシュテンネスにシュテンネスがリヒテンラーデへの忠誠を叫び、追っ手から裏切り者と罵られたと聞いて、すこし興味を抱いた。

 

「リヒテンラーデ公は自決したはずなのに、変ですよね」

「不思議ではないさ。主君が死んでも臣下が忠誠を誓い続けるなんて、物語だとよくある話じゃないか」

「でもシュテンネスによると彼を殺すように命じたのはリヒテンラーデ閣下だと……」

「なるほど。となると、リヒテンラーデ公の血縁のだれかがローエングラム公の粛清をまぬがれるためにフェザーンに亡命して、そこで裏社会で一勢力を築きあげていたとかかな。せめてシュテンネスって人がどういう人物だったのかわかれば、もう少し推測のしようがあるんだが」

 

 ヤンがうなり始めたので、ユリアンはそのときのことを必死に思い出そうとして、そして信憑性が低いがあることを思いだした。

 

「そういえば、追っ手が帝国の弁務官事務所の役人達かもしれないみたいなんです」

「? どうしてだい」

「ヘンスロー弁務官が言っていたんです」

 

 ある追っ手が「弁務官」と呼び、別の追っ手が「おまえの上司か」と問い、「いやこいつは同盟の」と答えるというやりとりがあったとヘンスローは証言した。だからヘンスローは帝国の弁務官事務所の役人が自分を捕まえにきたと思い込んで卒倒したらしい。もっとも、ヘンスローが落ち着いた後、相手が帝国の人間なら自分たちを捕まえないのはおかしいと判断し、ユリアンやマシュンゴも同意したので、ヘンスローは自分の聞き間違いかなにかと判断していたので、同盟政府にはだれも報告していないが。

 

 しかしヤンはそうは思わなかったようだ。顎に手を添えてすこし思考にふけった挙句、意外な援軍がいるかもしれないなとつぶやき、ユリアンを驚かせた。どういう意味なのか問うと、同盟軍史上最年少の元帥は答えた。

 

「彼らが全員弁務官事務所の役人だった場合、帝国の官界にリヒテンラーデ一族の影響力がまだ残っているというわけさ。それも鞍替えすることなく、ローエングラム公にたいして公然としない敵意を燃やしている集団という意味でね」

「まさか。もしそんな勢力が帝国の官界にあるのなら、あれほどドラスティックな改革が実施できるとは思えませんが」

「そう、それだ。だから私もローエングラム公が帝国の官僚組織も掌握したと思っていたんだ。かりにローエングラム公に反感を持っている文官がいたとしても、とても集団として一致団結してまとまってはいないだろうと。でも、そんな集団が秘密裏に仮に存在した場合、その指導者はローエングラム公の改革に協力させつつ、裏で牙を研ぐという狡猾な判断ができる者だろうな」

「で、でもリヒテンラーデ一族はほとんど処刑され、リヒテンラーデ派の官僚も粛清されたってニュースでやってましたけど」

「リヒテンラーデ一族の処刑はともかく、官界のリヒテンラーデ派を完全に粛清なんてしたら、帝国の政治がうまくまわらなくなってないとおかしいと思うよ」

 

 情報統制によって帝国の内幕が深いヴェールで覆われて隠せていた旧体制時代の帝国といえども、帝国政府の公式発表や亡命者が伝えてくる情報、そして同盟のスパイたちの活動によりある程度の情勢は同盟からもわかるものであった。かつて帝国はブラウンシュヴァイク公とリッテンハイム侯の門閥貴族勢力同士の争いが激しかったこともあって、中央政府にのみに限定すれば、皇帝の意を受けて動いていた保守的で前例主義的なリヒテンラーデ派が最大派閥であったという。

 

 しかもエルウィン・ヨーゼフ二世の即位によって、門閥貴族系の官僚は中央政府から締め出され、残ったのはリヒテンラーデ派と開明派のようなごく少数の、リヒテンラーデ派と比べるのも馬鹿らしいほど圧倒的な数の差がある小派閥がいくつかあるのみとなった。これでリヒテンラーデ派まで完全に粛清してしまっては官僚の不足で帝国政府が機能不全に陥ってしまう。

 

 なのでおそらくローエングラム公はリヒテンラーデ派の上層部のみを処刑ないしは幽閉・更迭し、中堅や末端は懐柔策をとったのだろう。それを前提に考えれば、いまだリヒテンラーデ一族にたいして表に出せぬ忠誠心を抱いている官僚集団がいたとてしても、不思議ではない。すると、シュテンネスはなんらかの理由でその官僚集団から逃げ出した元官僚というところだろうか。なぜその情報と引き換えに帝国政府に保護を求めなかったのか、フェザーンにいたことなどについては、少し解せないが。

 

「コルネリアス一世の大親征のときのように、そいつらが宮廷クーデターでも起こしてくれたら、楽ができてありがたいんだが」

 

 ヤンのそのつぶやきは半分あたりで半分はずれていた。ゲオルグはいくつかの騒動を起こして自分の不安定な地盤を固めようと企んでいたが、それは長期的にはともかく、短期的に帝国そのものを揺るがすことにはかならずしも直結するものではなかったし、むしろ同盟軍が奮戦してローエングラム公を戦死させてくれれば、自分の復権の可能性があがると同盟軍の働きにすこし期待しているくらいであった。

 

「フェザーンといい、地球教といい、リヒテンラーデの残党といい、どこもかしこも陰謀を巡らせているというわけか」

 

 正統的な歴史学の探求者になりそこねて軍人となったヤンとしては、少々不快な気分にならざるをえない。一部の少数者が陰謀や策謀だけで歴史の流れを決めているのだなどという“陰謀史観”など排したいと思う。しかしながら、現実的な世界において、それが正しいと信じ陰謀にふけってる人間があきらかに存在しているようであり、暗い気持ちになるのであった。

 

 しかしこれはあきらかにヤンの偏見ないしは過大評価というものであろう。フェザーンのルビンスキーにしろ、地球教の総大主教にしろ、秘密組織のゲオルグにしろ、べつに陰謀があらゆる場所に届く魔法といわんばかりの万能さを発揮している“陰謀史観”の信奉者ではない。彼らにとっては陰謀はリスクをともなうひとつの現実的な手段であるにすぎないし、どれだけ卓越した才能があったとしても不可能を可能にすることなんてできないとわきまえていた。すくなくともこの時点においては。

 

 フェザーンと帝国官界の裏事情については、このさい無視してもいいだろう。もしかしたらローエングラム公の遠征を妨害する一要素になるかもしれないから、わざわざこちらからその可能性を下げにいく必要はまったくない。だが、同盟の政界にも浸透している地球教を放置しておくわけにはいくまい。そうヤンは結論づけ、脳裏でその任務にうってつけの人物の姿が浮かんだ。

 

「よし、バグダッシュに調査させよう。あの男は戦闘よりこの種のことが得意なはずだからな」

「バグダッシュ中佐ですか……」

 

 ユリアンの声には控えめに翻意を促す要素があった。バグダッシュはヤンの幕僚のひとりなのだが、幕僚になった経緯からユリアンは彼のことを嫌っていた。というのもバグダッシュはもともと二年前にクーデター側の工作員としてヤンの暗殺を企んで接近してきた人物だからである。その企みは看破されてあっさりと捕まったのだが、悪びれもせずにヤンに恭順した。だからユリアンはバグダッシュを好ましく思っていない。

 

 いや、はっきりいってかなり嫌っている。特にまだクーデターを鎮圧していないときにヤンがバグダッシュを信用してブラスターを貸したとき、冗談とはいえヤンにブラスターを向けたことが許せない。ヤンが許可さえしてくれれば、その場でバグダッシュを射殺していたにちがいなかった。

 

「ほかに人がいない」

 

 そう言われてはユリアンは引き下がるしかない。事実、情報収集や裏仕事を専門としている軍人はイゼルローンだとバグダッシュしかいない。

 

「それにな、あいつは二年もたいした仕事もせずにいるんだ。そんな素晴らしい環境にいつまでもおいておいてやるほど、私は寛大じゃない」

 

 仕事嫌いな私だってこんなに働いているんだからね。そう不満もあらわにこぼすヤンに、ユリアンは苦笑した。じつに提督らしい愚痴であり、わずかな期間とはいえフェザーンに赴任していたものだから、とても懐かしく思えたのである。

 

 でもその不満はバグダッシュにとっては心外だろう。彼は自分の能力に自信を持っている人物で、二年間も別に情報部出身の人間でなくてもできそうな仕事ばかりさせられて、無為徒食の身に甘んじることに不満を感じていたからだ。ひさしぶりに与えられた意義のある任務にバグダッシュは喜ぶだろうが、銀河にまたたく宗教団体の裏側の調査はそうとうな難事であるにちがいなく、バグダッシュは結果をあげられるだろうかとユリアンは意地の悪い興味を抱いた。

 

 地球教の裏側のことをある程度判明させることができればヤンの役に立つだろうし、もしなんの結果もあげられなければバグダッシュの徒労を思って多少は胸がすく。そんなことを思っている自分に気がついて、ユリアンはフェザーンの狡猾な空気に多少そまってしまったのかなと憮然とした思いを抱いた。




ヘンスロー、地味に活躍(ただし本人に自覚はなし)


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ブルヴィッツの虐殺①

今回のエピソードは警告タグにある残酷な描写が比較的多く含まれております。



 後世、“ブルヴィッツの虐殺”と通称される戦闘は、最初から民衆の虐殺を目的として実施されたというわけではない。叛乱が発生した惑星ブルヴィッツを包囲していた帝国軍部隊が独断で大気圏内に降下して惑星ブルヴィッツになだれ込み、市街戦が展開され、その地上戦で無辜の民衆を巻き込むことになったということであるのだが、民間人の犠牲者がどれほどなのかは、はっきりとしない。

 

 そもそもブルヴィッツの叛乱は、旧体制の時代への郷愁が強い民衆が皇帝誘拐という大失態をおかしたにもかかわらず、帝国宰相として君臨しつづけるラインハルト・フォン・ローエングラムの傲慢さへの怒りによって発生した民衆蜂起であり、旧領主の忘れ形見であるグスタフ・フォン・ブルヴィッツが加わって惑星規模の叛乱へと発展したものなのだ。そうした経緯もあって、すくなからぬ民衆がやってくるであろう帝国軍に死に物狂いで抵抗するために軍服も着ずに武装しており、民兵とそうではないものを区別するのが非常に困難だったからである。

 

 ブルヴィッツに限らず、貴族領や旧貴族領で発生した叛乱も似たような状況だったので、叛乱惑星全体に対する戦略方針を任されていた統帥本部次長エルネスト・メックリンガー大将は、叛乱惑星の航路を遮断し、物資を欠乏させて降伏を促す方針をとり、惑星に降下しての地上戦を行うことは固く禁じる訓示を全部隊に通達していた。

 

 これによって二月末から惑星ブルヴィッツは完全に物資をすり潰すだけの状態になっていた。ラグナロック作戦の発動によってじつに十個艦隊以上の戦力が同盟領に向かってから、周辺の叛乱惑星と連絡をとりあって一時的に航路の確保などもしていたが、帝国軍の慎重な作戦によってブルヴィッツ軍の艦艇の過半を失い、残った艦艇だけではとても戦いにはならないほどの差をつけられてしまっていた。

 

 この状況にブルヴィッツの軍事部門の責任者、アルトマン中佐は激しく苦悩していた。状況を打開する方策がなにひとつ思い浮かばないからであった。あるとすればこの惑星上での地上戦である。そのためには帝国軍が降下してきてもらわねばならず、放送局に帝国軍を挑発する放送をさせ続けているが、いっこうに帝国軍が動く気配がなく、その腰抜けぶりに激しい怒りを抱いた。

 

 中佐は古い型の軍人であり、補給路を遮断して物資を欠乏させ、飢え死にするのを持つという帝国軍の基本方針がとても卑怯なものに思えるのであった。正面から堂々とぶつかり、もって敵軍を撃破してこそ、軍の名誉と威信が保たれるのではないかという思考の持ち主だから、当然である。

 

 なにより中佐を苦悩させるのは、崇敬したブルヴィッツ侯爵の忘れ形見であるグスタフが三月に入ってからハンガーストライキに突入しているという事実であった。グスタフは補給路を遮断され、その奪回も困難であり、あとは物資をヘリ潰すだけだという文官の噂話を聞いて、私の分はいらないから一人でも多くの民に食わせてあげてほしいとおおせあられたのである。

 

 そのことを人づてで知ったアルトマン中佐は信頼できる部下に仕事を一時的に任せ、旧総督府を訪れ、言葉を尽くしてグスタフに翻意をうながした。グスタフさまが亡くなられたら、われわれは団結の核を失い鎮圧され、“金髪の孺子”はなんら痛痒を感じずに暴虐な傲慢さを貫き通すでしょう。ですからどうか、ちゃんと食べてください。しかしそう懇願された相手の反応は、冷めきっていた。

 

「つまり、わたしが死ねば、卿らも諦めて“金髪の孺子”の軍門に降ることができるんだね」

 

 中佐のみならず、文官たちにまで衝撃が走って呆然とした。その様子をグスタフは悲痛な表情で見つめ、水で喉を潤すと続けた。たとえ勝てずとも、やってくる敵にたいして全力で抵抗し、領民達とともに華々しく玉砕する覚悟はできていた。しかしこうもなにもできないまま、生殺しのような状況におかれては見苦しいにもほどがあり、たえがたいものがあったのである。

 

「私は、中途半端な男だ。これ以上、意地を張っても、ただ多くの民が飢えに苦しませ、栄光とは無縁の、見苦しい餓死にいたるだけだというのに、帝国貴族としての矜持が“金髪の孺子”に膝を屈することを認めぬ。もしかしたら情勢が劇的に変化するのではないかというはかない希望を捨てきれぬゆえ、銃で潔く自決する覚悟もできぬのだ。決断できぬ私の未熟さを赦してくれとはいわぬ。ただ、卿らが私を見捨てて去っていたとしても、けっして恨みはせぬとだけははっきりと明言しておく。すべては私のいたらなさゆえのことだからね」

 

 この惑星の民が敬愛してやまないブルヴィッツ一族、その最後の一人の痛ましく慈悲深いお言葉に、部屋にいた全員が涙を流した。なににたいする涙であるのか、だれも説明できなかったが、心の底からこみあげてくるなにかを消化するには泣くしかなかったのである。

 

 アルトマン中佐はなんとしてもグスタフを死なせたくなかった。けっして恨みはせぬとおおせであるが、そもそもこの叛乱はまず自分たちが口火を切り、あまり乗り気ではなかったグスタフを説得して指導者にあおいだものである。それが指導者の餓死などという結末に終わっては、いくらグスタフが自分たちを赦すとおおせでも自分が自分を赦すことはないのだ。その結末を拒否するにはグスタフは現状を打破する方策をなんとしても見つけださなければならないのだ。

 

 そんな精神状態のアルトマン中佐に、軍事部門最高幹部の一人であるクリス・オットーがある作戦を提案したのは三月四日のことである。その作戦はとても卑怯であるとアルトマン中佐は思えたが、ほかにグスタフを救う方策がない上に、帝国軍も卑劣にも地上戦を回避してるからお互いさまであると開き直って認可した。

 

 作戦が認可されたオットーは、部下を集めて、刑務所へと向かい、そこにいる囚人を二十数人を拘束して連れだした。囚人たちは元総督府上層部の文官達で、中央政府から総督と一緒に派遣されてきた文官たちで、叛乱が起こってからは“金髪の孺子の走狗”として糾弾の対象にされていたものたちである。物資が少なくなっていることに加え、惑星全体の嫌われ者でもあったので、満足に食事を与えられておらず、全員ミイラの一歩手前といっていいほど衰弱していた。

 

 そう言った者達を輸送車一台に押し込み、放送局へと輸送した。放送局について囚人たちを降ろすと、三人が栄養不足による衰弱もあって輸送中の衝撃で骨が折れたりしたようで、痛みを訴えながら蹲っていた。兵士たちはそういった囚人を力ずくで引きずりおろした。他の文官たちはこれまでに何度もあったことなので、これからおこる悲惨な事態が予想できてしまい、折れた箇所の激痛をかみ殺して引きずられながらやめてくれと叫ぶ囚人から目を逸らした。

 

 すこし開けた場所まで引きずり、てきとうに傷ついた囚人を放り投げて、士官の一人が「無駄飯食らいの金髪の手先!」と叫んだ。すると通行人たちが目の色を変えて集まってきて、傷ついた囚人たちに容赦なく殴る蹴るの暴行をくわえたのである。叛乱が発生してから、ラインハルトに対するブルヴィッツの民の敵意は高まるいっぽうで、その敵意が膨れあがりすぎて矛先を選ばないものにならないよう、そうした感情のぶつけどころとして、こうして中央から派遣されてきた者を吊し上げ、民衆に私刑(リンチ)させていた。すでに何十人もこうして無残に殺されていた。

 

 傷ついた囚人たちの体が栄養不足で脆弱になっていたこともあって、ものの数分で三人とも絶命したのは、ある意味では幸運であったかもしれない。最初の頃は両手両足の骨が折れるまで暴行を加えられても絶命せずに一時間にわたってこの人生最後の地獄が継続したのだから。民衆は死んだ者達になお暴行を加えていたが、兵士たちは暴行が加えられ始めたところでもう興味を失ったようで、まだ歩くことができる囚人の輸送に戻った。

 

 何人かの囚人が足が地面に縫い付けらたように動かず、「さっさと歩け! それともあっちのお仲間になりたいか!!」と兵士に怒鳴られて、ようやく重すぎる足を動かしはじめた。なんとしても生き残りたい。それはまだ生き残っている囚人たちの総意であり、それ以上に大切なものがあった高潔な者達はとうの昔に彼らに反抗し、民衆による凄惨な私刑(リンチ)を受けて死んでいた。

 

 オットーは囚人を一列に並べさせると、放送局のシラーを呼び寄せた。シラーは一通り囚人たちを一瞥すると、眉をゆがめてオットーに聞いた。

 

「これで全部?」

「ああ」

「……もう少しましなのはいないのか」

「いない。この中でなら、どれを選ぶ?」

 

 シラーは一人の囚人を指さした。指をさされた囚人はビクッと震えたが、オットーは横目で一度見ただけでそれでぼそぼそと小さな声で二人の間で会話していた。そしてオットーが「それでいこう。だが、翌日正午だ」と強く言って、側に控えていた大尉に後を任せて去っていった。

 

 シラーはやや不満げな顔をしていたが、囚人たちの方を向いて、とんでもないことを言った。

 

「食事を用意させるから、そっちの部屋で待っておいてくれ」

 

 囚人たちは驚愕しながらもひとまずその指示に従って、言われた部屋に入って椅子に座った。丼の様に大きくて底の深い椀が渡された。椀の中にはたっぷりとスープと具が注がれている。具は、人参、玉ねぎ、それに肉だ。

 

 いままでの数か月間、数日に一回の割合でジャガイモを数個しか食わせてもらえなかったので、囚人たちにとっては喜ぶべき状況であるといえただろう。しかしいままでがいままでなだけに毒でも入っているのではないかという嫌な予感を感じずにはいられなかった。

 

 数分の静寂状態のあと、囚人の一人がちゃんとした飯が食えるなら死んでもいいと決心し、スープを口に掻きこんだ。「うまい!」と叫びながらうれし涙を流しているのを見て、ほかの囚人たちも続いて食事をとった。そして同じようにその日の夜もまっとうな食事がとらせてもらえたばかりか、寝る時はちゃんとしてベットで寝させてもらえ、暴行や暴言を加えられることもなかった。

 

 翌日の朝、昼もちゃんとした食事を与えられていくらか前向きな考えをできるようになった囚人たちは、昨日の宣言通りに正午にふたたび放送局にやってきたオットーと対面した。囚人たちはまたあの刑務所に戻らされるのかと不安になって震えあがった。囚人たちの多少血色がよくなっている姿を見て、オットーは深く頷いた。

 

「おまえの言った通りだったな」

「はい。これで少しは絵になるでしょう」

「準備はすんでるだろうな」

「万全です」

「よろしい」

 

 オットーが顎をしゃくると昨日シラーに指をさされていた囚人が兵士に両脇を掴まれて連れだされた。他の囚人たちがなにごとかと顔を見合わせていると答えが与えられた。外から「食料を盗み食いした金髪の手先!」という大声が響いてきたからであり、囚人たちは顔からごっそりと血の気が引いた。この惑星の物資が不足しだしてきていることを彼らも感覚的に察している。そんなときにあんな名目で吊し上げられたら、いままでのとは比べものにならない暴力の嵐にあうにちがいない。

 

 そして自分たちもそうなりかねないということを自覚し、囚人たちはいっそう青い顔をした。そんな彼らにオットーが嗜虐心いっぱいの笑みを浮かべて語りかけてきた。

 

「安心しろ。おまえらは吊し上げられるようなことはない。吊し上げられるようなことは、な」

 

 それはとてもしらじらしく思えたし、ほかの兵士たちがこらえきれないとばかりに大声で笑いだしているのだから、まったく信用できない言葉だった。もはや、これまでと一人の青年の囚人が走って逃げ出そうとしたが、閃光のような速さでオットーはブラスターを腰のホルスターから引き抜いて、彼の右肩を狙って銃撃した。

 

 右肩を光条で貫かれた青年は激痛と衝撃で床に倒れこんだ。オットーはその青年に歩み寄って青年の両方の膝を撃ち抜いた――最初の頃の吊し上げの対象は反抗心が大きい上に健康体だったので、このように両膝を撃ち抜いてから民衆の前に放り出すのが常だったから、また吊し上げだと全員がそう思った。

 

 しかしその予想ははずれた。

 

「言っただろう。おまえらは吊し上げられるようなことはないと。このまま出血死するまで放置しておけ。いいな」

 

 オットーは冷ややかにそう命令した。死ぬまでの長い時間、傷口の痛みに苦しみながら、死への恐怖に怯え続けなければならないというのは、吊し上げとはことなる残虐な殺しかたといえただろう。

 

「屋上まで移動させろ!!」

 

 オットーの命令に従い、兵士たちは怒鳴り散らしながら屋上へ向かうよう催促する。囚人たちは絶望に沈んだ表情で兵士たちに連行されていった。

 

 屋上は撮影セットが準備されていた。囚人達は屋上の端に座らさせられた。そこに光が集中する様にライトが設置されていて、兵士たちのビーム・ライフルの銃口が囚人達に向けられている。もし余計な真似をすれば、即座に射殺されるであろう。

 

 メインカメラの正面に、少尉の階級章をつけているいかつい軍人が躍り出た。ゲル少尉はドラマの俳優になりたいと夢見ていたが、演技力のなさゆえに挫折した経験がある人物である。だからこのような特殊な状況下とはいえ、立体TV番組、それも生放送の主役になれるとあって、気分がとても高揚していた。

 

 シラーが合図をだすと、少尉は昨日上官のオットーから渡された台本の内容を思い出しながら、演説を開始した。

 

「神聖にして不可侵なる皇帝陛下とゴールデンバウム王朝に忠誠を誓った身でありながら、むざむざ主君を誘拐された責任もとらないどころか、幼すぎる乳児に冠をかぶせて自己の権力の保持をはかった恥知らずの金髪の孺子を称賛し続ける愚か者ども!! 金髪の孺子の命令に従い続ける者にたいして、われわれが金髪の反逆者一党をどのように遇するか。先ほどの映像で充分以上に理解しただろう!!」

 

 先ほど吊しあげられた囚人が民衆によって殴り殺される光景も撮影して放送しており、それに続く形からの映像であるので、どのように遇しているか非常にわかりやすい解説である。いままで捕虜を虐殺していることは、叛乱側の当局の判断で完全に秘匿していただけに、帝国軍側の視聴者にあたえた衝撃は大きかった。

 

「われわれブルヴィッツの民は、侯爵様のご子息であらせられるグスタフさまの指導の下、ゴールデンバウム王朝と反ローエングラムの旗を掲げ、一致団結している! 孺子に媚びへつらう輩の、民は叛乱を望んでいないという文句が、いかに事実無根のことであるかが理解できただろう! われわれはローエングラム公の専横を排除するまで、この惑星が焦土と化そうとも、この星の民三〇〇万は勝利のときまで! あるいは滅亡の瞬間まで戦い続ける覚悟がある!! すべてに犠牲にしてでも暴虐な圧政者を打倒する熱意に溢れているのだ!!」

 

 そう主張する少尉の双眸はきらめいていた。幼き頃に抱いた立体TVの番組で主役を張るという夢物語が実現したという感動もさることながら、言ってることが自分の本意そのものでもあったからである。

 

「ゴールデンバウム王朝によって与えられれた数々の恩寵を忘れ、恩を仇で返そうとする蒙昧な卑劣者諸君! 諸君らにすこしでも勇気があるのなら、この地上に降りてくるがいい。この星の民、すべてが相手をしてやろう! それとも、その勇気すらない臆病者の集まりであるのか? それなら追いはせぬから早々に去るがよい」

 

 しばし視線だけで人を殺せそうな殺意を瞳に浮かばせながら、メインカメラを睨みつけていたが、ひとつため息を吐くと、少尉の表情からヒステリックな色が抜けた。そして深く深呼吸をして興奮を沈め、かなり落ち着いた口調で「しかし――」と説き諭すように続けた。

 

「諸君らの立場もわれわれは考えないではない。諸君らは逃げた後、金髪の孺子に処断されるのが恐ろしいのだろう。なにせ、あれだけの権勢を誇っていたブラウンシュヴァイク公、リッテンハイム侯、リヒテンラーデ公といった大貴族たちをほんの短期間で皆殺しにしてしまったのだからな。金髪の孺子にたいする恐怖をわれわれも理解するところ。その恐怖に屈さず、正道を歩けるものは非常に少ないのだから、それ自体が悪いわけではないとグスタフさまは仰せになられ、そのお言葉に従って、われわれはひとつの譲歩を提案しよう」

 

 惑星から出られないようになっているブルヴィッツ側の窮状を思えば、厚顔無恥でなければこのような発言はできなかったろう。しかし少尉はそんなことをしている自覚はなかった。地上戦を行えば自分たちは絶対に勝てるのだという根拠のない自信があったから、堂々とそんな主張ができたのである。

 

「初期から諸君らは、われわれが捕虜とした金髪の孺子が送り込んできた恥を知らぬ下僕の人間たちを釈放する様に要求してやまない。おそらく諸君らは、われわれから逃げたあと、わが身に降りかかる悲惨な現実を思い、撤退できずにいるのであろう。すでに総督をはじめとする反抗的な捕虜は、怒りに燃える民衆の中に投げ込み、然るべき末路を迎えているが、まだここにいる二四名は無事である。諸君らが軍需物資を放棄したうえで、この星系から撤退すれば、それに敬意を表してここにいる捕虜を全員解放しよう。しかしわれわれは決して無制限に寛大ではない。ちゃんとした回答がなされるまで、一時間に一人づつ捕虜を殺してゆくことを明言しておく。誠意ある回答を期待するやせつである」

 

 紳士ぶっているが、人質を見せびらかしての脅迫以外のなにものでもなかった。この脅迫を受けて惑星ブルヴィッツを包囲していた帝国軍艦隊の司令官カムラー中将は驚愕し、事の次第をそのまま全叛乱惑星の大方針を決定しているメックリンガー上級大将に報告した。

 

 数百光年はなれた地点で統帥本部次長メックリンガーは苦悩した。最初からこのような手段に訴えてきた叛乱惑星がないわけではなかったが、そういう惑星には特殊部隊を送り込んで人質救出作戦を実施させていた。しかし、ブルヴィッツにそんな特殊部隊を派遣していなかった。しかも時間がたつごとに捕虜を殺すと明言しているから、いまから特殊部隊を派遣しても絶対に間に合わない。捕虜を見捨てるか、捕虜を救うために一時撤退するか、人質救出の訓練を受けていない現地部隊に失敗を前提で救出作戦を実施するよう指令すべきか。

 

 あくまで結果論に過ぎないが、メックリンガーの苦悩は無意味であった。現場レベルにおいて問題が発生したのである。脅迫の放送を視聴した分艦隊参謀のクム中佐、クレメント少佐が司令官室にこもってカムラー中将に、現場の独断で地上戦に突入することを主張してやまなかったからである。特にクレメントは強硬であった。

 

「閣下! いますぐ、いますぐ艦隊を地上に降下させ、あの恥知らずどもを一掃すべきです!」

「卿らの言いたいことはよくわかる。いま上の意向を確認しているところだ。しばし待ってほしい」

「待っている時間があるのですか! このままでは人質が皆殺されてしまいます!」

「下手に動けば、逆に人質の生命を危険にさらしかねない。自重するのだ」

「それでも助けようとしたということが周りには残る! 何もせず見殺しにするよりかは遥かにマシだ!」

 

 こんな調子で主張し続けるので、同じ強硬派であるクムもすこしいい加減にしろよと思って閉口してしまうほど、クレメントは異常な熱心さで艦隊降下しての地上戦を主張した。中佐が口を閉ざしてから三十分も少佐が単騎で司令官と情熱的な論戦を続け、カムラーの忍耐が限界を迎えた。

 

「くどい! 貴官の職務精神を疑いたくはないが、個人的な私怨から攻撃を提案しているのではないのか!」

「ッ……!」

 

 カムラーの一喝に、反論できなかった。強硬論を唱えるのは私怨ゆえのことであり、図星だったからである。クレメントはブルヴィッツ侯爵家にたいして深い恨みを抱いていた。

 

 クレメントはブルヴィッツ侯爵家が貴族同士の争いによって獲得した惑星の生まれだった。その惑星は軍事的に利用できる天然ハイドロメタルの豊富な鉱脈を有しており、クレメントはブルヴィッツ侯爵家の私設軍によって強制的に工夫としてその鉱脈で奴隷のようにこき使われた。

 

 その労働の過酷さは筆舌に尽くしがたいものであった。どれほどのものかというと帝国軍務省によって兵士として徴集された時、この地獄のような環境から抜け出せると随喜したといえば、どれくらい過酷であったのかなんとなくは理解できるだろうか。

 

 二等兵として帝国軍に入隊してからの生活も大変ではあったが、どうということはなかった。なるほど、たしかに死の危険は常にあるし、上官が理不尽な命令をしてくるから悲惨な環境ではあるのだろう。しかし兵士として軍が保障している生活は、以前の生活と比較するまでもなくはるかによかった。戦場に出てないときは温かい飯を用意してくれるし、給料もちゃんと支給されるので休暇のときに遊ぶこともできたから、クレメントにとっては夢のような職場だった。

 

 兵役期間を終えた時、民間人の生活にもどるか軍隊にとどまるかの選択肢をクレメントは与えられた。しかしクレメントは皇帝陛下と銀河帝国を守る軍隊に所属していなければ、ブルヴィッツ家が所有する惑星の領民であるという理由で、永遠に工夫としていつ死ぬかもわからない地獄のような労働を死ぬまでし続けなければならないのである。人らしい生活を望むのならば、最初から軍隊にとどまるしか選択はなかった。

 

 こうして職業軍人となったクレメントだが、下士官としての生活に慣れてくるとあるささやかな野望を抱くようになった。もっと出世し、高い給金をもらうようになり、もっと贅沢したいというものである。しかし平民が出世する方法は帝国軍ではふたつしかなかった。即ち、前線にでて上官や貴族に手柄が横取りできないほど派手な武勲を立てるか、貴族や高級将校に媚びへつらって出世させてもらうかである。過去の経験から貴族に媚びへつらうのが嫌だったのでクレメントは前者を選んだ。

 

 それから三〇年の歳月をかけて、クレメントは大尉にまで昇進した。そして二年前の内乱では迷うことなく実力主義的なローエングラム公の陣営に身を投じ、少なからぬ武勲を立て、少佐に昇進したのであった。ここまで武勲と昇進が直結するという事実に、クレメントの出世意欲はますます高まり、ケンプ提督によるイゼルローン要塞攻略作戦の情報を耳ざとく手に入れた彼は、なにかと運動をしてケンプ提督の麾下に潜り込んだ。

 

 だがその遠征は大敗に終わった。クレメントはなんとか生き残ったものの昇進することはなく、辺境の分艦隊に配属させられてしまった。もう昇進できないかもしれないと暗い気持ちになっていたときに、惑星ブルヴィッツで叛乱の反乱鎮圧の命令が下り、直接報復をくれてやる機会が巡ってきたのである。もし運命をあやつる存在がいるのなら、クレメントは泣いて感謝したいほどだった。そしてやる気満々で対ブルヴィッツ対策に精を出してきたので、私怨が混じっていないかどうかと問われると自信がないのであった。

 

 だが言い返せずとも、承服しがたいと眼光を光らせていては、またさっきのように猛主張してくるかわかったものではない。カムラーはひとまず落ち着くまで退室するよう命じた。クレメントは反抗しかけたが、それより先にクムに宥められ、しぶしぶといった体で退室した。それでも少し不安だったのでそばにひかえていた副官のウェーバー中尉にクレメントを見張るように命じた。ウェーバーも独断専行を消極的だが支持しているが、それでも司令官命令に忠実であるところを示している。なんとかクレメントを抑えてくれるだろう。

 

「クレメント少佐の態度は少々礼を失していますが、それでもその言には一定の理があると小官には思えます。このまま傍観を続け、人質に犠牲がでてしまえば、なぜ軍は動かなかったのかと上から叱責されかねません。ましてや帝国人民の味方であるとアピールしてやまないのだから、軍のイメージを守るためだけにこの司令部をスケープ・ゴートとして処断してしまうのではないかと憂慮するのですが」

「クム中佐、ローエングラム元帥はそのような卑劣な真似を赦すお方ではない。口を慎め」

「失礼しました。ですが、傍観はよろしくないと存じます。上の方針はべつとして、司令官個人としてはどう思っているのか、そのあたりの見解を聞きたいのです」

「私個人の見解が問題になるとは思えない。答える必要を認めない」

 

 クム中佐はクレメントと違って落ち着いて論理的に議論をしようとしてくるので、熱狂に突き動かされているクレメントに比べれば話し合うだけの価値をカムラーは認められた。もし説得できることができれば、かなり楽になるからである。

 

 だが、その議論がはじまってから数分もせぬうちにふたたびクレメントが司令官室に現れた。彼の表情は尋常ではない感情を表現していて、止められなかったのかとカムラーは一緒に入ってきた副官を見て、仰天した。ウェーバーもなにかを決意したような表情をしていたからである。しかも他の幕僚もぞろぞろと入室してきて、司令官室は人でいっぱいになった。

 

 なにごとかと困惑するカムラーに、クレメントは必死になにかをこらえるような声で、ある報告をした。

 

「中将閣下、人質の一人が犠牲になりました」

「なに?! 宣告されていた時刻まで、あと二〇分はあったはずだ!!」

「間違いありません! あの放送に映っていた少尉が、ブラスターで人質の一人の額を撃ち抜いてしまいました!」

 

 生放送の主役を張っているゲル少尉は、人質を殺す予定の時間まで、ラインハルトやそれに属する連中を中傷し、帝国軍を挑発する発言をしていたのだが、さすがに何十分も喋っていると疲れがでてきて喋らなくなり、人質の列にブラスターを向けて、あえてはずして乱射し、怖がる人質の反応を愉しんでいたのだが、そのうちそれにも飽きてきたので時間より少し早いがと思いながら、人質の一人を射殺してしまったのである。

 

 その映像を見せられた幕僚たちは、もう時間がないと判断し、司令官の意を仰ごうとしてここに集結しているというわけであった。

 

「閣下、こうなっては一刻の猶予もなりません。ご決断を」

「私も中佐殿と同意見です。もはやいつ何時人質が犠牲になるか」

「降下して地上戦! これあるのみです!!」

 

 クム、ウェーバー、クレメントの決断を促す声にカムラーは反射的に叫んだ。

 

「だから上の命令を待て! 統帥本部の方針は絶対だ!」

 

 その叫びに二人の士官が司令官を殺すのを決意した。ひとりは感情的に、ひとりは理性的に。

 

「貴様、それでも帝国軍人か!!」

 

 そう叫んでクレメント少佐は銃を抜いたが、すぐそばにいたクムや他の幕僚が気づき、引き金を引く前に何人かがとびかかって羽交い絞めにして暴挙を阻止した。ブラスターを向けられた瞬間怯えたが、幕僚たちに拘束されている少佐の姿を見て安堵し、油断したカムラー中将の頭部を、ウェーバー中尉のブラスターの条光が貫いた。絶命し、倒れ込む中将の姿を、他の幕僚たちは理解できずに呆然と見守った。

 

「時間がなかったので……しかたなく……」

 

 悲痛な声をふりしぼって、ウェーバーはそう言ったが、副官が直属の上官を殺すという事態をしばし受け入れられなかった。真っ先に立ち直ったのは、クムである。

 

「こんなことをして、ただですむと……!」

「私はどうなってもかまいません! 早くしないと手遅れになります!!」

 

 ウェーバーの言葉で、早くしないと人質が殺されてしまうという状況を思い出した幕僚たちは、ますますどうしてよいかわからなかった。だれもなにもいえずに数分の静寂状態が続いた後、クレメントがポツリとつぶやいた。

 

「司令官命令」

 

 全員の視線が、ひとりの少佐に集中した。

 

「閣下の命令として、地上戦に突入しよう。このまま混乱を続けていても、敵に利するだけ、だ」

「そうか、それなら、司令官閣下は戦死なされたということにしてしまえば、われわれの責任が問われることも……」

 

 クレメントの考えにだれかがそんな補足をしたことで、全幕僚の意思は統一された。責任回避に保身と人質救出という大義。この二つの要素は幕僚たちの思考を抗いがたいほど蠱惑的に誘惑し、それが唯一の術であると確信させたのである。すぐさま、いざという時のために幕僚たちが起案していたブルヴィッツにおける地上作戦が死体の中将から奪った司令官権限によって承認され、正式な命令となった。しかもこの命令にはある訓示を付属させられいた。

 

「皇帝陛下の恩顧を仇で返し、帝国宰相兼総軍司令官閣下の指導に歯向かうものを、われらが軍と臣民は決して容赦しないということ。そのことを将兵たちは完全に理解すべきである。人道を理解せぬ傲慢な逆賊どもには、慈悲なき破滅的懲罰のみがふさわしい。全武装を放棄し、白旗を掲げて降伏してくるもの以外、すべて敵として処置するのである」

 

 カムラー中将は、猛将と評される提督だったから、これくらい過激な訓示をしても部下たちは疑問には思わないだろう。そう考えてクレメント少佐は司令官訓示を勝手に作成したのである。司令官が暗殺され、幕僚たちが自己保身に走っている異様な状況を、個人的な復讐を果たす好機である。憎悪に燃え滾る少佐はそう見做し、状況を好きなだけ利用してやるつもりだった。

 

 こうしてブルヴィッツ地上戦、後に“ブルヴィッツの虐殺”と広く認知されることになる凄惨な戦いの幕があがる下地が整えられた。




いままで明るい面ばかり目立ってたブルヴィッツ家。
しかしちょっと遠い視点からみるとゴールデンバウム王朝末期の傲慢な貴族家とあまり変わらないことがわかる。

因みにこのエピソードの続きは翌日の14時に更新予定である。


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ブルヴィッツの虐殺②

第二世界大戦の記録とか見てると軍隊同士の激突に民間人を盛大に巻き込み、敵国領土で民衆の自主的な叛乱が続発する事態が発生して初めて、本当の戦争の地獄の蓋が開くのではないかと思う。


 いままでひたすら自重を求める命令が繰り返し下されていたにもかかわらず、百八十度異なる「惑星ブルヴィッツの大気圏内に降下し、地上戦に突入せよ」という司令官命令に疑念を抱いた指揮官は少なくなかったが、その命令が偽命令ではないのかと疑ったものは皆無であった。旧体制時代から辺境叛乱の鎮圧に投入されてきた辺境部隊の感覚としては、いままでの傍観命令のほうがおかしいことであったから、ようやくちゃんとした命令がきたと考えたものが多数であった。

 

 帝国軍はまず大気圏に突入した艦艇によって露払いの無差別爆撃をくわえた。ブルヴィッツ側もこの爆撃があることを想定していたので、各地に地下壕を掘っていたので帝国軍の爆撃はあまり効果があがらなかったが、それでも頑丈ではなかった地下壕を破棄して数万の人間を生き埋めにしたり焼き殺したりすることと引き換えに、降下の安全を確保し、降下地点に総司令部を設置して地上戦に突入した。

 

 いっぽうの帝国軍の降下を受けてブルヴィッツ軍は士気が否応なく上昇していた。いままでなにもできずにひたすら物資を消耗させ、当てどころのない怒りを抱きながら絶望感に身を任せるだけであったが、こんなにもわかりやすい“侵略軍”が目前に現れたのだ。今までの飢えと絶望感のぶつけどころがやってきたわけで、異様な興奮状態にあった。

 

 帝国軍のカムラー中将麾下の兵力は二五〇万。うち純粋な陸戦の専門家は一〇万で、内訳は装甲敵弾兵二個師団、軽装陸戦兵八個師団である。後方要員を除く兵士も駆り出され、地上戦に投入された兵力は約二〇〇万。いっぽうのブルヴィッツ軍は純粋な軍人が一五万ほどしかおらず、民間人とほとんど見分けがつかない武装しかしていない民兵で数を増やしていたが、それを含めても一二〇万程度であり、練度の上でも数の上でも圧倒的な劣勢な状況にあったが、おどろくべきことに圧倒的に優勢なはずの帝国軍と拮抗状態に陥ったのである。

 

 理由はいくつかある。ブルヴィッツ軍の異様に高い士気もさることながら、帝国軍によって惑星内に閉じ込められてから地上戦による決戦を研究し、末端にいたるまでブルヴィッツの地の利を理解していたこと。そして帝国軍側の指揮系統に著しい混乱がみられたことがあげられる。

 

「こちら第七七六軽装陸戦師団長、ホーネッカー准将。総司令部応答を願います!」

 

 混戦の様相を呈している戦場。敵はおろか味方の動きすら万全につかめなくなり、准将は総司令部の指示を乞おうと連絡を試みた。しかし、いっこうに応答がないのでとても苛立っていた。

 

「くそっ、総司令部のやつらはなにをしているんだ!!」

 

 思わず頭部を守るヘルメットを地面に叩きつけて准将は怒った。このままでは大規模な同士討ちすら発生しかねないという状況で、自分の通信に応じないなどなにを考えているのだ。司令官のカムラー中将は決して愚鈍な将校ではなかったはずだというのに。

 

 とりあえず近場の師団司令部と連絡をとりつつ、現状維持に努めた。下手に師団の位置を移動させると本当に師団規模の同志討ちが発生しかねない。通信士官にひたすら総司令部と連絡を繰り返えさせていたが、いっこうに連絡がなかった。

 

 ふと敵部隊が総司令部を直撃したのではないかという疑念を准将は抱いた。総司令部はすでに存在しないからこそ、連絡がとれないのではないのかと。しかしさすがにそれはないだろう。もし総司令部が落とされたというなら、味方の半数がやられているということになるし、後方から敵兵が現れなければ、おかしいではないか。

 

 准将は嫌な予想は、ある意味において正解だった。すでにカムラー中将はこの世にいなくなっていたのだから。そして現実もそこにあわせるべく、幕僚たちが責任回避のためにある事実をでっちあげるのに忙しかった。そしてその作業の一環として、クム参謀が師団司令部を訪れたのである。

 

「総司令部参謀、クム中佐であります! 第七七六軽装陸戦師団長、ホーネッカー准将でありますか!」

「そうだ。それでカムラー中将はなにをしておられるのだ。さきほどから通信が繋がらないのだが」

「それが……連中、弾道ミサイルなんて骨董品を所有していたらしく、それで総司令部が吹き飛ばされてしまいました。中将の安否は不明です」

「な、なんだと……」

 

 准将は顔を青くした。司令官が生死不明になったこともあるが、弾道ミサイルなどというものを敵側が所有している恐ろしさである。人類が宇宙に進出して以来、大気圏内でしか使えない弾道ミサイルなど過去の遺物となっていたが、一惑星内のみに限定すれば遠方の敵を一方的に攻撃できる、非常に有用な兵器だとして一部の貴族領主が叛乱対策用として保有していたのである。事前情報ではブルヴィッツはそのような兵器を保有していなかったはずだが、隠れて保有していたとなるとこちらの戦略が根本から覆されかねない。

 

 実際のところ、幕僚たちが結託して証拠隠滅のために自分たちの総司令部内にゼッフル粒子を充満させ、カムラー中将の死体ごと吹き飛ばしただけで、弾道ミサイルによる攻撃なんて受けていないのだが、公式記録上はそうせねばならなかった。

 

「現在、代理として参謀長閣下が総指揮をとられております。新しい司令部の場所は――」

 

 幕僚たちは自分たちの司令官が戦死しててもおかしくない状況を作り上げることには成功したが、それは帝国軍の指揮系統が混乱する副作用をともなうものであった。だからこうして幕僚たちが走りまわって、各師団に弾道ミサイルで総司令部が吹っ飛ばされたという嘘の報告を行い、指揮系統を再編する必要にかられているのであった。

 

 幕僚たちが上官殺しを糊塗し、保身をはかるために発生した指揮系統の混乱。そのために増大した帝国軍の損害を思えば、彼らの罪はあきらかである。保身の感情が強すぎて決して表には出さないが、少なからぬ幕僚が自己欺瞞の罪悪感を覚えていたのだが、クム中佐はそうした感情とは無縁であった。それどころか、司令官を失いながらも指揮系統を立て直し、叛乱を粉砕して戦闘が終結させれば、褒賞がもらえるかもと夢想しているお気楽さであった。

 

(同盟領になだれ込んで壮大な戦場を楽しんでる連中がたくさんいるんだ。俺だって、ささやかな戦場を望んでなにが悪い)

 

 ルムリッヒ・クムは、士官学校を卒業してから常に前線部隊に所属することを望み、彼はその時々の上官に献身的に仕え、帝国軍の勝利に少なからぬ貢献をしてきた。また自分の失敗を他人に転嫁する能力も高く、書類上における欠点は皆無である。三〇なかばで中佐の階級をえたのも、その貢献と狡猾さによるところが大きかった。

 

 しかし彼の順風満帆な勤務スタイルは、ラインハルト・フォン・ローエングラム元帥が宇宙艦隊司令長官に就任すると、うまいこと機能しなくなった。優秀であることにはちがいないが、責任転嫁や部下に対するいじめ行為が問題視されて辺境に左遷されたのである。クムは前線勤務を心底から楽しめる感性の持ち主で、辺境で安穏な軍人人生を終える気はなく、戦場を求めて貴族連合軍に参加した。

 

 だが貴族連合軍は大貴族たちの政治的対立が深刻で、軍事的合理性がほとんど尊重されていない現実に絶望し、早々に貴族連合軍を見切りをつけ、ラインハルト陣営に鞍替えしようと考えはじめた。そしてここでも彼の狡猾さが存分に発揮されたのである。大貴族同士の対立を、ラインハルト陣営が利用しない筈がない。そう考えて味方の将兵にそうした疑念の目で監視し続け、そのようなスパイを見つけ出すことに成功したのである。

 

 スパイを脅す形で潜入している責任者であるヤーコプ・ハウプトマン少佐と接触。彼と直接交渉し、貴族連合の不和を煽る活動に協力することと引き換えに、身の安全を保障させた。こうして素行と経歴に数々の問題があったにもかかわらず、新体制下でも軍人として生き残ることに成功したのである。

 

 だがそれでも辺境勤務から抜け出すことができなかったのが不満であったが、新体制の方針から考えると自分にさまざまな問題があることに自覚があったので、クムは自重することができた。誠心誠意軍務に取り組むことで、改心したことをアピールし、前線勤務への転属願いを人事部に定期的に提出し続ける。そうすることによって焦がれてやまない前線に戻ろうとしたのである。

 

 だが、ここで武勲を立てた上で昇進はいいから前線に戻してほしいと懇願すれば、懐かしい前線に戻れるかもしれない。いや、きっと戻れるはずだ! そんな未来の展望を胸の中で描きつつ、いまのこの戦場をもクムは心底楽しんでいた。

 

 しかしだれもがクムのような異常者になれるわけではない。多くの者は恐怖をかみ殺し、なけなしの勇気を振り絞って戦っているのである。だが、この戦いに勝つための努力をしていない者達が存在した。その男は軍人としてブルヴィッツ軍に所属しているにもかかわらず、十数人の部下と共にある地下壕に潜んでくつろいでいた。この戦闘を発生させたことにより、彼らの目的の半分をすでに達成していたのである。そしてもう半分の目的を達成するために、もういっぽうの陣営にいる仲間を待っているのである。

 

 地下壕の入り口から複数の足音が響いてきたとき、全員がブラスターを引き抜いて身構えた。待ち人でなければ、侵入者たちと戦闘に突入しなければならないからである。足音がかなり大きくなってきた時、地下壕でくつろいでいた側の中心人物が叫んだ。

 

「大神オーディンより偉大な神の名は?」

「グリームニル」

 

 その返答で、地下壕内に充満していた緊張感が霧散した。入ってきたのは帝国軍の少尉で、満面の笑みを浮かべていた。それに対して中心人物の男、クリス・オットーも笑みを浮かべ、握手を交わした。なにも言わなくても、やるべきことを互いは理解していた。

 

 少尉は大量の帝国正規軍の兵卒用軍服を用意していた。地下壕にいた者達はすぐさまその軍服に着替えた。彼らは少尉の部下の兵士たちであるという偽りの身分を得て、ある目的を果たし、戦闘が終結したあと、安全にこの惑星から脱出しようとしているのだった。

 

 軍服を着替え終わり、オットーは部下たちを見渡した。そして恐怖のみならず、罪悪感と後ろめたさから震えている男の姿を発見し、声をかけた。

 

「まだ迷っているのか」

「わかっている。だがしかし、他の者達が命を散らしてブルヴィッツ家のために戦っているのに、私は……」

「いままで散々言ったはずだ。もうブルヴィッツは終わりだ。どうあがこうが滅びる以外の未来はない。ならば、なすべきことはただひとつ。ブルヴィッツがいかに無慈悲に滅ぼされたのかを世に知らしめ、増長きわまる金髪の孺子の鼻っ柱をへし折ること。それこそが真の忠義というものだ。そうではないか」

「あ、ああ……」

「ならば迷うな。それでは良い絵もとれまい。シラー報道官」

 

 それでもまだ苦悩は捨てきれていなかったようだが、それでもやるべきことはやる覚悟はできたようで兵士たちに守られながら歩き出した。地下壕を出て、地上の思うがままに破壊された建物と、道のあちこちに肉塊が散乱し、赤い水たまりが地面に多数できているのを確認し、オットーは呟いた。

 

「故郷もこんなふうに滅んだのだろうか」

 

 秘密組織がブルヴィッツの地にて張り巡らした陰謀の糸はようやく実を結ぼうとしていた。そしてそれは、当初の想定していたものより、はるかにおおきな効果を持って形になろうとしていた。それは秘密組織の努力によるものではなくて、意図していなかった要素によるものだったが、すべてを俯瞰できる視点に立てば必然的な帰結であった。

 

 その要素であり、煮えたぎる憎悪の所有者、クレメント少佐はオットーらが地下壕から出て移動しはじめたとき、参謀の身でありながら大隊を率いていた。参謀は司令官を補佐する存在であって、部隊を指揮するような役職ではなかったから、これはあきらかな越権行為であった。事実、彼はここのその上司である連隊長を脅す形で、先に戦死していた大隊長の部隊の指揮権を強奪したのである。もしこのことが明らかになれば、それだけで軍法会議は避けられないであろう。

 

 クレメントも当初はクムと同じように指揮系統再編のために各師団司令部を往来していたのだが、そのうちに憎きブルヴィッツの民に直接過去の報復をくわえられないことが我慢できなくなってきたのである。クレメントの家族は全員、やつらの過酷な強制労働によってすでにヴァルハラに旅立っており、自分とて軍隊に徴兵されなければ同じ運命を辿っていた。この手で恨みを晴らさずにいられようか。それは正当な権利であるはずであった。

 

「大隊長代理! 白旗です、降伏者です!」

「なにぃ?」

 

 苛立ちも露わに部下の士官が指さした方向を偵察用の双眼鏡で確認した。たしかに白旗を掲げ、両手をあげた者達が三〇人ばかり、こちらにゆっくりと歩いてきている。その光景を見て、クレメントは嗜虐的な笑みを浮かべた。なんというザマか。いままで自分たちを奴隷のようにこき使い、搾取したもので豊かに暮らしていた者とはとても思えない。まさに立場の逆転というべきで、かつてされた理不尽な行為にたいする復讐の権利を行使すべきときが到来したと確信できた。

 

「きさま、あれが白旗に見えるのか?」

「……私には、そう見えますが」

「まぬけが。あの旗は白色ではない。灰色だから、白旗とはいわぬ。――殺せ」

 

 士官は驚愕した。これだけ激しい戦闘がおこっているのである。どんなに真っ白な旗でも埃で汚れてしまうのは当然ではないか。士官は良心から上官に翻意を願ったが、クレメントは一喝した。

 

「きさまは司令官訓示を読まなかったのか! “全武装を放棄し、白旗を掲げて降伏してくるもの以外、すべて敵として処置すべし”! きさまの言うとおり、あの旗が白旗であったとしても、連中が武器を持っていないとなぜ言い切れる! 武器を持っているか疑わしき者も、敵として容赦なく殺すべきだ!」

「し、しかし――」

「黙れ! きさま、司令官命令に背く気か!」

 

 苦悩した末、その士官はクレメントの命令を部下に通達した。抗命は軍人として許されざる行為であり、義務感から士官は自分の良心に蓋をしたのである。その結果、三〇人の無抵抗な投降者たちは兵士たちの銃撃によって歓迎され、糸の切れたあやつれた人形のようにバタバタと倒れた。それがとても滑稽に感じて、クレメントは哄笑した。

 

 いまさら降伏して身の安全をはかるなんて、許せるわけがなかった。ブルヴィッツの連中はその傲慢さを、その命をもって贖うべきであった。奴らがもう少し自分たちを支配している領主の本質に目を向けていれば、このような破局を迎えずにすんだのだ。ローエングラム公の台頭によって不幸になったと叫び叛乱を起こしたのだから、これくらいの報いは当然である。いくら無知だったとはいえ許されることではないのだ。やつらの無知ゆえに苦しみ死んでいった者達からすれば、そんなどうでもいいことが免罪の理由になると思っているのか。

 

 あきらかにクレメントは復讐の快感に酔いしれていた。彼はブルヴィッツの民を一人残らず皆殺しにしてやりたかった。しかしそれは残念ながら、現実的に不可能だとどこかまだ冷静な部分が主張していたが、ならばせめて半分は殺さなくては気がすまなかった。やつらはそれだけのことをしてきたのだ。そのような強い感情によってクレメントは狂ったように虐殺命令をだし続け、ときには直接一歳にもなっていないような幼児を踏みつぶして殺しさえしたのである。

 

 だがそのような命令を下していた指揮官はクレメントのみではなかった。実に多くの部隊の指揮官がそうした似たような命令をしていた。それはさながらクレメントの強烈な憎悪が感染力の強い病原菌のように周囲に伝播し、それに伝染でもしたかのようであったが、決してそうではなく、各指揮官なりの計算の結果にすぎなかった。

 

 というのもブルヴィッツ側の戦力の大半が民兵であり、しかも偏向的なプロパガンダによって煽りに煽られ、醜悪なほど増大した反ローエングラム感情によって、わが身を顧みない攻撃を加えてくる民兵が多数存在したせいである。ときとして自爆攻撃さえ加えてくる過激な民兵の攻撃は、指揮官たちの猜疑心を煽り、結果としてクレメントと同じような内容の命令を連発することとなったのである。

 

 そして命令を実施する側の兵士たちはいうと、なんのためらいもみせずに命令を実行していたのである。「上の清廉さをかつて腐敗していた下の者達はどれほど理解しているのやら」というゲオルグの言葉が正しかったことを、兵士たちは行動によって証明して見せた。辺境の兵士たちにとって、“帝国人民の味方”などと持ち上げられている常勝の英雄は立体TVの向こう側の存在でしかなかった。彼らにとって雲の上の地位にいる人間が変わったことになんの関心もなかった。暮らしやすい世の中になったことを喜びはしたが、それで自分たちの仕事のやり方が変わるなどと思いもしなかった。前と変わらずに命令を実施するのに全力を尽くすのみである。

 

 だから旧体制時代、幾度となく貴族の叛乱を鎮圧したときと同じことをやるのだと思っていたから、兵士たちは容赦がなかった。戦意をなくした敵や無抵抗の民衆を虐殺し、女性に暴行を加え、家屋から金品財宝を略奪しつくして焼き払うといった蛮行は彼らにとっては自然な事だった。人としての羞恥心は、上官からの正式な命令によって活動停止させていた。兵士は上官の命令に絶対服従と軍規に明記されている。自分たちの悪行はそれを命じた上官に帰すべきで、道具にすぎない自分たちが、いったいなんの責任を負う必要があるというのだ。

 

 さらにいえば、あのように過激な司令官訓示がだされるということは、いままでの前例から判断して、略奪・虐殺を黙認するという意味としか受け取れなかったのである。それだけに兵士たちの暴虐はとどまるところを知らなかった。人間の獣性と欲望を存分に開放した兵士たちは、帝国軍の軍服を着ていない人間を片端から銃殺し、家屋に金目のものがあればなんでも奪い取った。高価な指輪をつけている人間がいれば、手首ごと切断するなど序の口である。幼子を親の前で串刺しにし、逃げ惑う女を拘束して陵辱し、火炎放射器で建物ごと大量の人間を焼き殺した。

 

 じつをいうと辺境部隊のこういった面があると承知していたからこそ、統帥本部次長メックリンガー大将は地上戦を行うことを固く禁じていたのである。だから艦隊に残されていた通信将校が念のためにと思い、事の次第を統帥本部に報告していたとき、メックリンガーは事態の深刻さを瞬時に理解した。

 

 なんとしてもカムラーに犠牲を可能な限り抑え、宇宙空間に撤退するよう伝えろと艦隊に残っていた通信将校に厳命したのだが、ひとたび実際に現地で地上戦に突入しており、最高司令官も前線にいるとなると制止のしようがなかった。しかも総司令部が爆発四散し、指揮系統が混乱の極みにあったので、統帥本部の厳命は総司令部にいる総司令官代理の参謀長のもとになかなか届かず、惨状は拡大しつづけた。

 

 この惑星が人間の暗黒面を象徴する地獄と化していくのに、罪悪感が抑えきれないほど増大していく将校がいた。司令官のカムラー中将を射殺し、この戦闘が行われる切っ掛けをつくったウェーバー中尉であった。彼もまた他の幕僚同様に指揮系統の再編のために駆けまわっていたのだが、その最中に幾度と見た自軍兵士の蛮行と敵軍民兵の狂気じみた攻撃は、彼の良心に深刻な傷を負わせた。

 

 ウェーバーがカムラーを殺したのは、家で帰りを待つ妻と子を守るためであった。最愛の家族が現地の憲兵隊によって監視されており、ブルヴィッツで地上戦が行わるように誘導しなければ、二人の命はないとある人物から脅されたからである。しかし、このような地獄を生み出す片棒を担いで家族に顔向けできると思えるほど中尉は厚顔無恥な人間ではなかった。

 

 本当なら次の師団司令部にカムラー中将が戦死したことと新しい総司令部の位置を伝えに行かねばならかったが、唐突にそれがとても馬鹿らしく思えてきてウェーバーは地面に腰をおろした。そして悔恨の涙を流し、愚かすぎる自分をひとしきり大声で嘲笑いながら、ブラスターを口に咥えて引き金を引いた。即死であった。

 

 このように惑星各地でさまざまな悲喜劇が展開されていたが、それでも地上戦自体は山場を越えて終局に向かい始めた。戦闘開始から六時間後、帝国軍の指揮系統の混乱がおさまり、もとより練度と兵力で劣っているブルヴィッツ軍を帝国軍が圧倒しはじめた。ブルヴィッツ軍の抵抗は凄まじかったが、民兵は戦意のみ過剰で、戦理を弁えておらず、冷静な軍人の命令をしばしば無視して暴発したから、帝国軍の統制が回復し、統一した行動がとれるようになりさえすれば、常に優勢に立てて当然なのであった。

 

 指揮系統を立て直したところで統帥本部からの厳命も総司令部に伝達されたのだが、ようやく反攻に転じたこの状況で撤退なんかすれば、軍の秩序が崩壊するということで無視された。クム中佐はせめて民間人の殺戮をやめる命令をだすべきではないかと再三提案したが、戦場の混乱で統帥本部の命令が最後まで通達されなかったのだと体裁を取り繕う姿勢をとるべきだという多数派意見に抗えず、帝国軍の暴虐は継続された。

 

「素晴らしい光景だ! いいぞ、皆殺しにしろ!!」

 

 クレメントは幸福の絶頂にいた。いままで同盟軍を相手に幾度となく殺し合いを演じてきたが、それは安定した生活を確保するための手段、仕事であると割り切っていて、それに喜びを覚えたことなどただの一度もない。だがいまは心の底から湧き上がってくる至福の感情を抑えられなかった。クズどものもの言わぬ死体がゴミのように転がっている光景が、これほど感動的に胸を打つのだと彼は初めて知った。まさに今の彼は復讐鬼だった。

 

 そんな最高の喜びの中で、ひとつだけ不快な要素があった。クズどもが「ブルヴィッツ万歳! グスタフさま万歳!!」とやかましいことである。なにより、ありもしない幻想とはいえ、希望を瞳に宿しながら死んでいくのが時間が経過するにつれて無視できないほどそれが腹立たしくなってきた。そしてふと思ったのである。こいつらの目の前で諸悪の根源である一族の無残な死体を晒してやれば、彼らの目も絶望に染まるのであろうかと。

 

 それは非常に興味深い命題であった。いままでひたすら殺戮のみ命じてきたが、指揮官クラスの敵は捕らえて拷問にかけて情報を聞き出すように指示した。いままでわれわれを散々苦しめてきた一族の人間だ。さぞ、邪悪な存在なのであろうと思い、心が一色に染まるほど強烈な殺意を覚えた。

 

 その強烈な殺意を向けられた邪悪な存在であるグスタフ・フォン・ブルヴィッツは、旧総督府の一室で堂々と執務室の椅子に腰をおろしていた。傍らには数人の文官が控えていた。最後まで供をするという忠義者たちである。残りの文官は、既に逃げ出していた。幾人かの半端な律義者が別れの挨拶をしにきたが、ほとんどはなにも告げずに去っていた。

 

 グスタフの心情は、外の惨状とかけ離れたほど穏やかであった。すでに諦めてしまっていたというべきかもしれない。もとより勝算は薄いと思っていた。帝室の権威を蔑ろにした金髪の孺子を帝国貴族として許せず、怒れる領民と運命をともにすること自ら選んだのだ。だから、すべては承知していたことだ。叛乱の旗手となると決めたあの時より、領民とともに死ぬ覚悟はできていた。ここで敵兵の手にかかって最期を迎える。それこそが、栄光ある帝国貴族の最期の煌き。滅びの美学であるように思えた。

 

 背もたれに体重を預けて目を閉じ、歴史はこの叛乱をどのように記すのであろうかと自分がいない未来を思った。領民たちの切なる願いを自分が見捨てられなかったゆえに起きた叛乱であるとは、たぶん記されないだろう。なにせ、これからは金髪の孺子の時代であり、敵役である自分は徹底的に貶められるはずなのだから。それなら既得権益を取り戻そうとした元貴族の策謀によるものと記されるだろうか。それとも民衆全体が自分たちの一族に洗脳されていたことにでもされるのか。いや、そもそも大したことではないと歴史書に記されることすらなく、この叛乱は忘れ去れる類の些末事なのかもしれない。

 

 四世紀の歴史を誇るブルヴィッツ家が、こうもあっさり潰えてしまう。その現実に、歴史の無常さというものを、グスタフは感じずにはいられなかった。自分たちの一族の歴史もまた、ゴールデンバウム王朝の終焉と時を置かずして終焉を迎えるというわけか。しかしそう考えると、もしかしたら、後世の人たちは自分たちのことを忠臣と評するのかもしれないなと思い、少しだけ苦笑した。

 

 急に階下が騒がしくなった。ついに敵兵がここまできたかと控えている文官たちが顔を見合わせ、ついで自分たちの主君の顔をうかがった。グスタフは何の感情も見せていなかった。扉がノックされたので、敵兵ではないことに文官達が安堵し、そしてすぐにどうせ敵兵がくるのだから安堵しても意味がないだろうと、みんな揃って笑い出した。

 

 入ってきたのはアルトマン中佐だった。中佐は悲痛さと無念さと絶望と怒りの感情で彩られた表情をしていた。そして主君にたいして、敬礼すると現状を報告した。

 

「もう最終防衛線まで、敵部隊が殺到してきました。もう数刻とせぬうちにその防衛線も突破され、この官邸にまでやってくるでしょう……」

「そうか」

 

 その言葉を言わなければならないのがどれだけ苦しいことなのか、声音だけで理解できた。そしてグスタフは今一度、アルトマン中佐の姿をよく確認した。複雑な感情を堪えている表情であったが、体全体から隠しようもない疲労感が漂っていた。

 

「中佐」

「はっ」

「卿の忠節は私にとってどんな財宝よりも価値あるものだった。よく私に仕えてくれた」

「!!!」

 

 あまりにも優しすぎるお言葉に、中佐の複雑な激情が(せき)を切って表に噴出した。子どものように泣き叫び、床に崩れ落ちた。自分に、感謝の言葉などかけてほしくなかった。無能にもまだ勝機はあるのだと主張し続け、今日の事態を招いた責任を叱責してほしかった。でなければ、でなければ! 本当に()()()()()()()()()()()()ではないか!!

 

 アルトマン中佐の軍事部門は決して無為無策であったわけではなくそれなりの戦略構想を持って、帝国軍との対決していたのである。帝国軍に無視しえぬ打撃を与え、それを橋頭保として帝国政府との交渉に臨み、ブルヴィッツ侯爵家を再興させ、その地位を復活させるという構想だった。なのに、その第一段階である帝国軍への打撃を達成できなかった軍事部門の責任者が、自分なのだ。責められて当然だというのに……。

 

 栄光あるブルヴィッツの一族が断絶してしまうのは、間違いなく自分のせいである。そのような責任をアルトマン中佐は感じていた。なのに、その栄光ある一族の終幕を飾ることになる主君は、穏やかに微笑み、自分を労ってくれたのだ。

 

「私は、この敗戦の責任を取り、自決します。先にヴァルハラにてお待ちしております」

 

 数分泣き続けた後、アルトマン中佐は涙声でそう宣言した。

 

「……それは、あまり感心しないな」

 

 しかしそのようなことを言うので、中佐は戸惑った。

 

「私の価値観を押し付けようとは思わないが、自殺というのは、いままで私を守ってきてくれた者たちに対する裏切りではないのかと思うのだ。私の命は私一人のものではない。私に忠誠を誓い、命を捧げた者達の重みを背負っている。だから、自分の手で自分の命に幕を下ろす気にはなれない。最後まで動揺することなくここにあって、敵兵に抵抗し、殺されるつもりだ」

 

 そう言うとグスタフは目を瞑った。先に逝った臣下たちのことを慮る言葉に、中佐の瞳からふたたび涙が溢れてきた。いや、中佐だけではなく、残っている文官達も顔に二筋の水の流れていた。さっきと違って静かに全員が泣いていた。

 

 ふたたび階下が騒がしくなってきた。ようやく意識を現実に戻した。今度こそ敵兵がここまでやってきたのだ。

 

「中佐、これは命令ではないが、最後まで私を守ってくれぬか」

「……ええ、ええ! 力不足ながら、喜んで!」

 

 断るという選択肢は、アルトマン中佐の脳裏に浮かびさえしなかった。この最高の主君を、最後の時までお守りできるなど、臣下にとって最高の栄誉である。いつにもまして誠意ある敬礼を行った。グスタフはありがとうという小さく呟き、席から立ちあがった。

 

 そのとき、中佐はグスタフが貴族としての礼服を身に纏っていることに気づき、腰にブラスターではなく、軍用サーベルをさげていることに驚いた。思わず理由を尋ねると、軍人としてではなく貴族として死にたいと思ってねと答え、その誇り高さに中佐は頭がさがるばかりであった。

 

 やがて敵兵が執務室もやっていた文官達が入り口に向かってブラスターを乱射して、即席に肉壁を築きあげた。そして肉壁を越えてこようとする者たちを次々に光条で貫き、数分間執務室を守り抜いたがそこまでだった。執務室の壁が爆破され、衝撃で中にいた全員が倒れ込んだのである。

 

 壊れた壁から入ってきたのはクレメント少佐以下、八名の軍人であった。クレメントは邪悪な一族の生き残りの姿を探し求め、時代錯誤の恰好をした貴族を発見して目が点になった。まさか敵の親玉は、サーベルなんかでビームライフル銃を持った兵士たちに対抗できるとおもえるほどの阿呆だったのか?

 

 あまりのおかしさに笑いながら、クレメントはその倒れている愚か者を銃撃した。すこしだけ痙攣するとそれはまったく動かなくなった。復讐達成の感動に少佐は狂ったように大声で哄笑し、部下たちをドン引きさせた。その意識の空白を吐いて反対方向からの条光がクレメントの左肩を貫いた。アルトマン中佐の銃撃であった。

 

 爆発の余波で壁に強く後頭部を打ちつけたため、アルトマン中佐の意識は非常に朦朧としていた。それでも主君を守るという約束を守るために敵の指揮官と思わしき敵の少佐を銃撃したのである。それに残りの七人の軍人は即座に反応し、アルトマン中佐の胴体を七本の光条で貫いたが、奇跡的にすべて急所を逸れたせいで即死しなかった。

 

「やってくれたな。旧時代の汚物が」

 

 激怒したクレメントは悪態をつき、自分に傷を負わせたクズも地獄に叩き落してやろうとブラスターを向けたが、そのアルトマンはすでに重傷で口から絶えず血を吐き出していた。もう数分とせぬうちに意識を失い、死ぬのが確実な致命傷であり、とどめを刺すより、このまま放置したほうがよいとクレメントは判断した。

 

「きさまらがなにをしたところですべては無駄よ。すでに、きさまらの時代は終わったのだ。これよりローエングラム元帥が全人類社会の権力を掌握なさり、新たな時代を築くのだ。その過程で旧時代の汚物はすべて一掃される。生まれながらにして特権を持っていた輩はその家門ごと、歴史の掃き溜めに捨てられることになるだろう。いまは政府の中枢で権力の座にあるマリーンドルフ伯爵家も、やがてリヒテンラーデ公爵家に対して行われたように、利用価値がなくなれば一夜にして一族郎党根絶やしにされるのだ。きさまら貴族やその追従者が守ろうとするものなどなにひとつとして残さない。あらゆる手段を尽くして、黄金の獅子の御旗の下、われわれが破壊しつくす。なにひとつの例外も存在しない。だから、きさまが払った膨大な犠牲は、元帥閣下の歩む道の舗装する材料の一部としての価値しかない。そのことをせめてもの慰めに死んでいくといい」

 

 とても優し気な声音で、流血のせいもあって燃えあがってやまない反貴族感情によって解釈した現在の状況を、クレメント少佐は残酷にも懇切丁寧に説明してみせた。アルトマン中佐の瞳の光が徐々に絶望の色に濁っていき、やがてその光さえ消えて絶命した。それがとてもおかしく感じ、少佐は狂ったように笑い叫んだ。

 

 次の瞬間、クレメントは胸部から激痛を感じた。気になって胸の辺りを右手で触ってみると水気を感じ、右手を確認すると真っ赤に染まっていた。自分たちの臨時の上官の目に余る非情さに兵士たちが反感を抱いていたこともあっただろう。兵士たちは本当にグスタフが死んでいるのか確認しなかった。しかもグスタフの近くに、爆破の衝撃で死んだ文官のブラスターが転がっていたので、グスタフはそれを掴んで、なにかアルトマン中佐に語りかけている軍人に狙いを定め、引き金を引いたのである。

 

 クレメントは頭だけふりかえり、部下たちによって射殺されている貴族の姿を確認して状況を理解したが、そこまでだった。急激な眠気が襲ってきて、そのまま倒れ込んでしまい、二度と目が覚めることはなかったからである。ただ今際の際に、諸悪の根源が死んでいる光景を確認できたため狂気じみた笑みを浮かべ、クレメントの死体は恐ろしいほど醜悪な形相をしていたという。

 

 このグスタフの死亡が確認された直後、ブルヴィッツ軍の戦意は急速に萎え始めた。これを好機と見た総司令部がようやく統帥本部の厳命を戦闘開始から九時間後に実施。際限ない無軌道な殺戮に歯止めがかかりはじめた。散発的な局地戦が数度繰り返されたあと、熱狂的に蛮行を働いていた兵士たちのほとんどが理性を取り戻し、惑星ブルヴィッツを規則に従って管理できるようになったとみて、総司令部は勝利宣言をだした。

 

 かくしてブルヴィッツの地上戦は、わずか一一時間の戦闘によって、帝国軍の将兵が約三〇万。ブルヴィッツ側は軍人が約一二万、民兵及び民間人が一五〇万。両軍合計で二〇〇万近い戦死者とほぼ同じ数の負傷者を出して終結した。昨年の貴族連合と同じように、いままで他惑星に行ってきた暴虐を叩き返されたといえたかもしれない。だが、ただこの惑星で生きていた者達にとっては、理不尽としか感じられないであろう……。




自分なりに、それぞれの正義と常識のぶつかりあいを全力で描いてみた。
だれの行動が一番正しいのか、逆に間違っているのか、私にもわかりません。


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故事に倣う

作者「なんか急にお気に入り数や総合評価otとかが倍になってるんだけど。
   週間UAだって今まで2000超えたらいいほうだったのに6000超えてるだと。バグかな?」
友人「おまえの作品、日間ランキング載ってたぞ。30位か35位くらいで」
作者「……は? こんな駄作が? 感想、一話投稿して1件くるかこないかなのに?」


 惑星ブルヴィッツを軍事的に制圧したという報告が、統帥本部に送られてきたのは、その翌日の六時であった。司令官のカムラー中将自ら前線指揮をとったために、司令官を含む多くの士官が戦死したために少なからぬ混乱が発生し、そのために報告が遅れたというのが司令官代理として現地部隊の指揮をとっている参謀長の説明である。報告によると敵の抵抗が激しく自軍に約三〇万人の戦死者が発生したことと、敵軍の八割以上を壊滅せしめたこと。そして遺憾ながら民間人を多数巻き込んでしまったが、そのほとんどは民兵であって、純粋な非戦闘員の犠牲はおおよそ二〇〜二五万程度であると推測されるということ。投降した兵士は武装解除の上で解放し、士官級のみを拘束しているとのことなどが記されていた。

 

 この報告はあきらかに民間人の犠牲者を過小報告していた。戦う術を持たない民間人の犠牲者は最低でも五〇万はある。しかもその七割くらいは戦闘に巻き込まれて死んだというよりは、流血に酔いしれ、サディスティックな熱狂に突き動かされた帝国軍兵士達によって、残虐に殺戮されたのであったということまで、現地司令部は掴んでいたが、またもや保身の精神からこのような偽装報告を行ったのである。唯一、参謀のクム中佐がありのままを報告すべきだと主張していたが、それも中佐が新体制の気風を敏感に察しており、下手に嘘の報告なんてしたら逆に極刑に処されるのではないかという懸念によるものであって、結局保身しか頭になかった。現地司令部の高級将校たちは、司令官を暗殺した上で勝手に地上戦を行ったことを隠したいあまり、全員保身のことしか考えられなくなっていたのである。

 

 統帥本部次長メックリンガー大将は、現地部隊の報告を完全に信じはしなかった。門閥勢力を一掃して新体制に移行してから、辺境部隊は問題行動が多いが軍規から過度に背いてもいなかったので、軍にとどまっていた兵士たちが、多数左遷されているし、元から辺境にいた兵士たちの方は、中央の軍改革が忙しかったせいで旧体制時代そのままの状態である。艦隊同士の激突である宇宙空間での戦いならまだしも、民間人も居住している惑星での地上戦なぞしたら、高級士官が末端の暴走を抑えきれず、夥しい数の戦争犯罪が行われるのは必定である。旧体制時代での似たような前例からすると、民間人の犠牲者数がその程度ですんでいるとは考えにくく、低く見積もってこれなのだろうと、メックリンガーは失われた数多の命を思って嘆息した。

 

 メックリンガーは少しだけ悩んだ末、この一件を主君に報告することにした。現地司令部からの報告に加えて、自分の見解を書き込み、このような事態を生じさせた責任を詫びるとともに、許されるなら現地に直接赴いて現状を把握した上で、ありのままの事実を帝国人民に公表し、戦争犯罪者に公開処刑を執り行って人民の軍への信頼を守るべきだ、という今後の対処案を述べたものであった。

 

 その報告がフェザーンを経由して前線で指揮をとっているラインハルトのところに届いたのは、三月九日のことである。ゾンバルト少将の補給艦隊が壊滅し、シュタインメッツ、レンネンカンプ、ワーレンの勇将たちの艦隊に無視できぬ損害を受け、しかもそれをなしたのがヤン元帥率いるたった一個艦隊のみという醜態を帝国軍がさらしていたおり、ここ数日ラインハルトは自分の機嫌が悪化する要素に不自由していなかったので、その不快な報告には怒りを隠せなかった。これから宿敵のヤンと決戦を望もうと戦略を練っていたときであるだけになおさらであった。

 

 この件の処理方法に関して側近の二人の意見を聞いた。総参謀長オーベルシュタイン上級大将は一惑星規模のことなので、虐殺を指揮した指揮官全員、上官の命令を超えて残虐行為を働いた兵士にも極刑を加えれば、人民を納得させることが可能で、おおきな問題に発展することはないと主張した。また統帥本部に所属する高官全員にも、なんらかの処分を加え、それをもって下の暴走は上の責任につながるのだということを軍内外に知らしめるべきである。

 

 いっぽう首席秘書官のヒルダことヒルデガルド・フォン・マリーンドルフはメックリンガーの対処案に賛成であった。オーベルシュタインの主張する方法でこの一件を処理しては、後世の為政者が自分たちにとって都合の悪いことは実行者を皆殺しにすればそれでよいと解釈する前例となりかねない。それを防ぐべく、そのような悲劇に至る過程をあきらかにすることこそ、肝要である。ただし上層部の潔白を証明するため統帥本部の高官たちにも処分を加えるべきという点においては賛成である。今後一年の棒給を返上させ、民間人犠牲者やその遺族の救済資金にあてるのが妥当であろう。

 

 首席副官のアルツール・フォン・シュトライト少将は、二、三の懸念を述べた上でヒルダの意見に同意した。そしてラインハルトもヒルダの意見を是としたので、オーベルシュタインは平然と自分の主張をとりさげた。彼としては、多少人民の不信を被ろうとも、またこのような事態が発生しないように厳しい処置を行って見せしめとし、旧体制時代の気風が残っている他の辺境部隊が暴走するのを牽制すべきだと考えて主張したのだが、ラインハルトが決断をくだし、そちらにも同程度の理がある以上、強硬に反対してまで主張する価値がないと判断したのである。

 

 主君の意向を確認したメックリンガーは、同僚のウルリッヒ・ケスラー大将に帝都の守りを任せると、千隻程度の小艦隊を率いて現場を調査し、適正な処罰を加えるべくオーディンを発った。しかしこれらの措置は、結果として遅すぎたのであった。三月一二日、立体TV放送が何者かにジャックされ、“帝国軍によるブルヴィッツの虐殺”と題した番組が放送されたのである。

 

 それはドキュメンタリー風の番組であったが、帝国軍による虐殺行為のみをクローズアップして詳しく解説し、ブルヴィッツ側の非に一切触れていないものだったが、それは衝撃的な内容といえた。皇帝とローエングラム公の名の下に殺戮を使嗾するカムラー中将の訓示の解説からはじまって、現地指揮官が下した虐殺命令の内容とそれに相当する映像の表示というのが何回も繰り返されたのち、結論として帝国軍によって一〇〇万人以上の民間人が大量虐殺されたというテロップが出て終了するものだったのである。

 

 番組の長さ自体は数十分程度であったが、これが帝国社会に与えた衝撃は大きかった。叛乱を起こしている惑星はこの放送によって態度を硬化させた。映像の中に白旗を掲げて降伏してきた者達に容赦なく銃撃の雨を浴びせている描写があり、どっちにしろ死ぬのであれば、最後まで戦ってやると降伏など論外であるという論調が主流になった。それ以外でも、帝国人民のラインハルト人気に多少の悪影響がでた。この放送が流れた直後、ケスラーが独断で「ブルヴィッツにおいて現地指揮官の暴走によって、少なからぬ民間人が犠牲になったという情報が入っている。もしこれが真実ならローエングラム公は決してこのような非道をお許しにはならない。現在この一件を調査中であり、必ずや原因を突き止めて真実を明らかにする」と公表したため、すぐさま民衆の動揺は沈静化にむかったが、「ローエングラム公も大貴族どもと同じように自分の反対者を抹殺するつもりなのでは?」と一部の者達に深刻な疑念を抱かせた。

 

 その翌日、ジャックを逆探知して場所を突き止めた内国安全保障局が犯人を収容した。正確には犯人の遺体を、である。死亡推定時刻から、犯人が死んだのはジャック放送直後の自殺であると推定された。遺書には「故郷を灰燼に帰した帝国軍の罪悪を世に知らしめるため、生き恥を晒した。もはや目的は達成された。大恩ある侯爵家と運命を共にするのみ」と記されているため、どうやらブルヴィッツの叛乱側に属していた人間であるらしいことがあきらかになった。

 

 そしてそれがわかったとき、クリス・オットーがテオリアの土を踏み、ゲオルグたちと合流した日でもあった。

 

「任務ご苦労」

 

 任務を無事完遂させ、孤児院にやってきた部下に対する慰労の言葉にしては、短く端的で、しかも感情がほとんどこもっていなさ過ぎたが、オットーは別に不快には思わなかった。

 

「まさかあれほどの惨劇になるとは思わなかったぞ」

「それは私もだ。帝国軍が民間人の生命を度外視して地上戦に突入させるよう誘導するだけのはずであったのに、まさか積極的に殺戮に狂奔するとはな。あの司令官訓示といい、想像以上にウェーバー中尉は働いてくれたものだ」

 

 ウェーバー中尉の家族が、秘密組織の影響下にあったスルト星系の惑星に在住していたので、もっともらしい理屈をつけて現地の憲兵隊を動員してウェーバーの妻と子を監視下におき、ウェーバーを脅迫して帝国側の部隊を秘密裏に誘導することを計画したのは、ゲオルグであった。そしてその実行にあたったのは組織の末端であるのだが、ここまでウェーバーを積極的に協力させるとは、脅しを行なった構成員はいったいどのような言葉で脅迫したのだろうか。

 

 実際のところ、ウェーバーではなく、幕僚だったクレメント少佐が個人的な復讐心の命ずるがままに行動した結果、あのように過激な司令官訓示がだされて兵士たちの暴走を招くことになったのだが、分艦隊司令部がどのような経緯でそこまで行ったかまでは秘密組織は掴んでいなかった。というか、もし秘密組織の構成員が幕僚にいたならわざわざリスクを冒してまでウェーバーを脅迫する必要がなかった。

 

「ところでちゃんと口は封じてきたのだろうな」

「シラー以下、計画の全貌を知っていた者は始末してきた。ここに戻ってきた者達を除いて、な」

「ならば、よし」

 

 聞くべきことを確認し、ゲオルグはひとつ頷いた。

 

「それにしても、今回の作戦は大成功というべきなのに、あまり嬉しそうでありませんな」

「別に喜ぶべき理由がない。おまえも困難な任務を達成したというに、あまり嬉しそうではないではないか」

「……たしかに。自分の望みはただひとつ。そのこと、忘れてないでしょうな」

 

 ゲオルグの切り返しに、オットーは苦笑した。ついで敵意もあらわに自らの上司を睨みつける。

 

「そう心配するな。おまえの願いを忘れてはおらぬ」

「……本当だろうな」

「無論。だがあの者は今、艦隊を率いて前線におる。近頃、ヤンとかいうえらく小賢しい提督に翻弄されておるようだし、もしやすれば我らが手を下すまでもなく、あの元帥閣下は戦死するかもしれぬが、それはよいのか」

 

 オットーは即座に頷いた。たしかに叶うのならば、この手で殺してやりたいとは思っているが、自分の大切なものをことごとく破壊してくださった“帝国人民の味方”と持て囃されている金髪の孺子が、この世に生きているということ自体が腹立たしいのだ。どのような形でもいいから、一分一秒でも早く地獄へと堕ちていただきたいというのが真情である。

 

 ゲオルグはというと、ラインハルトが前線に立っていることを愚かしいと思ってやまない。いまの新体制はラインハルトを軸としたガラス製のコマが高速回転することよって安定しているようなものだ。しかもそのコマは軍の豪腕によって形になっているというのに、帝国軍自体が一丸とは言い難い――いや、少々語弊がある。いまの帝国軍は間違いなく一丸だが、それはラインハルトという絶対者があってこそ。統一された思想や目標を帝国軍の将帥たちが共有しているわけではないのだ。つまりラインハルトが死ぬということは、新体制というガラス製の綺麗なコマの軸が折れるという意味で、勢いよく地面に叩きつけられて砕け散る。

 

 そうした分析ができたから、ゲオルグはラインハルトを一度ならず暗殺することを考えた。強力に統一された体制下で暗躍するより、いくつかに勢力が分裂して相争う状況下で暗躍したほうが、自分を売り込んで権力の座に返り咲く可能性も高まるからである。しかし主に二つの理由で早期実行はありえないと考えた。

 

 ひとつはラインハルトのフットワークが軽すぎることで、その行動を事前に予測することが非常に困難であるということ。帝国で権力者の行動予定は事前に緻密に決められているのが常である。上下関係が厳しい帝国では、下の者達に事前に歓迎の用意をさせねばらなぬからだ。なのにラインハルトの場合、予定はかなり大雑把なものに過ぎない。しかも随員も十数名しか認めないほどで、しかもしばしば単独行をなすのでラインハルトの行動を読むことが難しい。さすがに民衆に向けて演説したりする式典のときは予定がちゃんと決まってるので行動を予測できるが、当然、そのときの警備はとても厳重である。

 

 もうひとつはリスクを考えてのことである。数百年前に脱地球的な世界を構築しようと試みたシリウスの独裁者ウインスロー・ケネス・タウンゼントが何者かによって暗殺されたときのように、下手人が表に出なければいいが、もし治安当局の手に捕まり、背後関係を聞き出され自分のところまで手が伸びてきたら自分の復権の目は永遠になくなってしまう。たとえ暗殺に成功し、ラインハルトを亡き者にできていたとしても、タウンゼントが自分の前任者たるパルムグレンを持ち上げて自己の立場の正当化をはかったように、後に宇宙を割拠することになろう勢力も同じ形をとる可能性が高い。……となると、そのラインハルト暗殺の首謀者であると自分が周知されていては、その諸勢力から敵視されることはさけられないわけで、いまとさして変わらないことになってしまう。

 

 というわけで。少なくとも今のところはラインハルトを暗殺する気はなかった。しかしラインハルトが自分がまったく関与していないところで殺されてほしいとは消極的に望んでいて、それだけにラインハルトが前線でその身を死地に晒すという愚かしいことをしているのは、ゲオルグにとっては喜ばしいことであった。ミュッケンベルガー退役元帥の、あの孺子も武人である、という評価は正しかったというわけだ。

 

「明後日、このテオリアを掌握する作戦が始動する予定だ。その時、おまえには私の護衛についてもらう。かまわないな」

「ああ」

「作戦の詳細は院長から聞け。以上だ」

 

 オットーは軽く敬礼すると部屋を出て行った。ゲオルグはソファーから立ち上がり、軽く首を回した後、オットーが出て行った扉の反対側にある扉を睨みつけた。

 

「盗み聞きとは、感心せんぞ小娘」

 

 そう声をかけられて観念したのか、不機嫌そうな顔でベリーニが入室してきた。

 

「……あなたより十歳ほど年長なんだけど?」

「多くの女は、実年齢より若く見られると喜ぶものなのだろう? 遠慮せずに喜べ」

 

 たしかにそれはそうかもしれないが、今年二五歳の若者に「小娘」呼ばわりされ喜ぶような女なんていないだろう。それをゲオルグは承知した上で言っているのだから、悪意に満ち溢れた皮肉でしかなかった。

 

「それでなにようだ。あなたの仕事柄、盗み聞きをかねてから趣味としていることを追求しようとは思わぬが、私とオットーの会話が終わってもその場からはなれぬほどうかつではあるまい。なにか聞きたいことがあるのではないか」

 

 完全に見抜かれている悔しさを、ベリーニは奥歯を強く噛んで押し殺し、平然とした調子で質問した。

 

「オットーを放置しておいてよいの? あれは間違いなくローエングラム公の命を狙っている。あなたの目的とは利害が一致するとは思えないのだけど」

 

 ゲオルグが必ずしもラインハルトとの対決を望んでいないことを、これまでの行動から察していた。ならば、ひたすらあの若い覇者の命を奪うことを望むオットーとは利害が一致しないだろう。

 

 だがゲオルグはその質問をくだらないとでも言いたげに肩を竦めただけだった。

 

「いざという時に使える鉄砲弾とはなにかと有用だ。しかも鉄砲弾自体が標的の肉を貫くことにのみ執心しているようなものは特に。危険物故、慎重に扱わねばならぬのは確かだが、手入れをちゃんとしていれば問題にはならぬ。不要になれば捨てればよいだけであるしな」

 

 オットーを使い捨ての駒としか見ていないことを雄弁に物語っていた。なにかに執着している人間というのは、なにに執着しているのかを把握していればとても操りやすいし、行動も読みやすいのである。もちろん、知能で上をいっていればその限りではないだろうが、軍事的にはともかく政治的・謀略的才能でオットーに劣っているとは思えないので、ゲオルグにとっては都合の良い駒であり、だからこそ無理して秘密組織に引き込んだのだ。

 

 自分たち一族に下された汚名を拭い、新体制に参画して再び権力を握るというのがゲオルグの基本方針ではある。しかしいっぽうで、絶対の権力者が自ら裁定したことを覆すのは、ラインハルトの権威低下を招くことでもあるので、かなり難しいのではないかという思いもある。だからオスマイヤーに不安を植えつけたりしていることを筆頭に、政府内に浸透した秘密組織構成員を活用し、新体制内部にラインハルトとの対立軸を生み出そうと工作しているのだ。

 

 ラインハルトの絶大な人気を考えれば気の長いことだが、最悪十年単位で暗躍することすら視野に入れているので、それくらい時間がたてばそういう芽も出てくるだろう。自分はまだまだ若いのだから、待つという選択肢がとれるのだ。そしてラインハルトの対立軸が誕生したとき、その者に取り入って復権するというのも手のひとつである。そのときオットーの存在は大きな意味を持つであろう。ゲオルグはラインハルトに対して和戦両様の構えなのである。

 

「なるほどね。ところで、どうして自分の謀略が成功したのに、うれしくないの? 正直いって、ここまで凄惨な虐殺を帝国軍にさせるよう誘導してのけるなんて予想だにしてなかったわ。大成功だと思うのだけど」

 

 これはベリーニの偽らざる本音である。ブルヴィッツの側はともかくとして、鎮圧側の帝国軍に潜り込んでいた彼の手のものは非常に少なかった。にもかかわらず、このような悲劇を演出してのけたのだから、陰謀家としては胸を張って誇れることだと思う。なのにその陰謀家があまり喜んでいないのだから不思議に思っていたのだ。だからこの機に思い切って直接聞いてみることにした。

 

 だがゲオルグが顔をしかめて考え込んだので、なにか地雷を踏んでしまったのかとベリーニは焦った。彼がなにか考え込んでいる十秒程度の沈黙が非常に長く感じられた。

 

「なぜ、このような謀略が成功した程度で喜ばなくてはならぬ?」

「……どういう意味かしら」

 

 あらゆる意味で想定外の返答に、ベリーニは思わず問い返した。

 

「当初は正統政府を擁した同盟軍が帝国にたいして侵攻してきたときに、後方攪乱を目的とするレジスタンス活動を展開するべく帝国軍にマイナスイメージを与えるために行った謀略だ。だが、現実はどうだ? 正統政府はハリボテでしかなく、それを傀儡としていたフェザーンは真っ先に帝国軍に占領され、しかも同盟は風前の灯火だ。同盟という皿の上にある正統政府も、数ヵ月もせぬうちに完全消滅するだろう。こんな状況で一惑星の地表で虐殺を起こさせたこと自体には、たいした意味がない。現体制にたいするささやかな嫌がらせにしかならん。これでどうやって喜べという?」

 

 その言葉にベリーニは疑問を抱いた。そのささやかな嫌がらせのために、一〇〇万を超える人命が失わせたのかという人道的見地に立つ疑問ではない。もとよりフェザーンの工作員であり、フェザーンの繁栄のために同盟と帝国の戦争が永続するよう工作に従事してきた身だからだ。だから疑問を抱いたのはべつのところにある。

 

「たいした意味がないのなら、どうして実行させたの? 中止させればそれでよかったじゃない」

「嫌がらせにはなると言っただろう。虐殺を起こさせたことで叛乱惑星はより意固持となり、本国に残っている帝国軍部隊はそちらの処理に一層に慎重になる。いわば、陽動としての価値ありと踏んで実行させたのだ」

「なら喜ぶべきでしょう。次の作戦の成功確率があがったのだから」

 

 疲れ切ったように額に手をあて、ゲオルグは肺の中の空気をすべて吐き出すような深いため息をした。

 

「陰謀の成功不成功に一喜一憂などできる感性が理解できぬ。それとも自分からそういう世界に踏み込めば、そんなものを楽しむ余裕があるのか」

「あなたは、自分の謀略の才能を誇ったりはしないの?」

「するものか。私にとって陰謀を巡らせるということは、自分の手足を動かすこととほぼ同義だ。それによって自分をとりまく環境が向上するというのであればともかく、それ自体に喜びを感じる要素などあるまい」

 

 ゲオルグはなにもない虚空へと視線を向けた。なにかに思いを馳せているようであった。そして「ああ」となにかを思い出したように声をあげた。

 

「いや、ひとつ、あったな。陰謀自体に喜びを覚えることが。うっとおしい憲兵を筆頭に邪魔者を破滅に追いやろうと考えていたときはとても楽しかったし、そのような陰謀が成功して本当に邪魔者が無様に死んだり、強制収容所送りになったりして破滅していくのをこの目で確認するとき、私は背筋がぞくぞくするような暗い歓喜で体中が痺れたものだ。あの勝利の快感、圧倒的な衝動は、なにかにたとえられようもない」

「……控えめに言っても、健全な喜びではないわね」

 

 ゾッとするようなおそろしい笑みを浮かべながら、滔々とそう言い切るゲオルグに、ベリーニは圧倒された。幼い頃から謀略人生を歩んできた彼の経歴を知らなかったわけではない。だが、所詮帝国有数の名門貴族に生まれ、物質的には恵まれた環境で育ってきたのだから、結局のところおぼっちゃんであるという偏見があった。並外れた洞察力と才覚とどこか歪んだところを見せつけられても、その偏見はなかなか抜けなかった。ごく稀に恵まれすぎたものが、ある一方面の分野においてのみ異常な才能をみせる。そうした種類の人間だと思っていた。

 

 だがそうではないのだとこの瞬間に確信した。ゲオルグという男の内面は、理解不能だ。狂気と理性。けっして相容れないはずの、対極に位置するふたつの要素が矛盾なく調和している。いや、調和という表現は正しくない。どちらかというと、理性が狂気を喰らい尽くしたというべきか。それもなにかが間違っているような気がするが、おそらくそれが一番近い……ベリーニはそのように分析した。そのような内面を持ちながら、外面が多少顔が整っていることをのぞけば、その辺にいそうな凡庸な雰囲気の人間にみえるというのは、一種の詐欺ではないだろうか。

 

「健全? 知己でもない人を殺したり、地獄に追いおとす企てを実行することに自体に楽しみを見出せるようような輩のほうこそ、健全ではなかろうよ」

 

 当てこするような発言をし、美女を顔をしかめているのを確認すると、ゲオルグは軽く微笑んで、

 

「ところで、仕事のほうに抜かりはないのだろうな」

「え、ええ。例の共和主義者たちと連絡はとれてるわ。でも、いつ暴発してもおかしくない雰囲気よ」

「それはそうだろう。銀河の向こう側に存在する、自由の国! 理想の共和政国家! それがあろうことか、あっさりと踏み潰され、暗黒の専制政治が人類社会全体を支配するという悪夢が一歩手前まできているのだからな。過激な共和主義者どもとしては、さぞ心休まらぬことであろう」

 

 だから思いっきり利用してやるとゲオルグは心中でごちた。革命とやらに殉じ、死んでいけるならやつらも本望であろう。

 

「とはいえ、あまりに早く暴発してはこちらの段取りが狂う。なんとしても、二日待たせろ」

 

 そうゲオルグは言って、部屋からでていけと手振りでしめした。そして部屋で一人になると棚からコニャックの瓶をとりだした。オデッサからテオリアに移住してからも、彼はこの地の住民と交流関係を築くことに余念がなかった。そしてこのコニャックはそれによって生じた戦利品であった。

 

 いまのゲオルグの表向きの立場は、総督府の末端小役人であるが、昨日、その表向きの立場でも休暇が与えられたのである。ローエングラム公の改革の一環で、役人でも一定期間に一回は休暇をとるように定められていたからである。よほどのことがない限り職場に出ないという行為は職を失うのみならず、他の官僚の罠にはめられて生命すら危うくなる帝国の中央官庁で働いていたゲオルグにとっては感覚的には少々理解しがたい制度である。

 

 ともかくも休暇を得たが、秘密組織の運営は順調である以上、わざわざ孤児院に出向いてあれこれと指示を飛ばす必要を感じられなかったので、民間に溶け込むために一日を使うことにしたのだ。そして酒場に突入して、酒を飲みながら、不特定多数の民衆と雑談に興じていたのだ。

 

 そして酒に酔った勢いで酒場でトランプゲームで賭け事に興じ始めた。これもまた旧体制時代では好ましくない娯楽として、処罰の対象にされていた(といっても、違反する者が多すぎたのでほとんど意味がなかった)のだが、新体制では賭け事は健全な娯楽であるとして推奨されないも政府によって公認されるようになり、酒場で酔っ払い達による賭け事が巻き起こるのはよくあることになっていた。

 

 その賭け事でゲオルグはかなり勝ちまくった。負け込んだ客が逆ギレして襲いかかってきたが、なんなくそれを返り討ちにして、客の身ぐるみを剥がし、見物客達から大量の拍手を浴びせられ、しかも店主が「店を盛り上げる良い見世物だったよ」といって四八五年もののコニャックを一瓶くれたのである。

 

「約五〇〇年前、この惑星は偉大な革命の闘争の舞台であった。むろん、その時ほど堂々と、また盛大なものにはならぬが、それでも、我が家の開祖がルドルフ大帝に付き従い、通った道と似た道を私が歩むと思うと……込み上げるものがあるな」

 

 コニャックをグラスに注ぎながら、そう呟く。彼はけっして迷信ぶかくはなかったが、縁起を担ぐこと自体を厭うような性格の所有者ではなかったので、情緒的な思考もできるのであった。はるか大昔の栄光の日を脳裏に描きながら、ゲオルグは一気にコニャックを喉にながしこんだ。尊敬する人物の故事を倣うとは気分を高揚させる要素を持つ。次の作戦が成功すれば、飛躍的に行動の自由度が高まることを思いながら……




本作の方向性的なことを語った活動報告を書いてみました。
気になる人は、「うちの孫の作風について(以下略)」をご覧ください。


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マハトエアグライフング①

旧アニメといいフジリュー版といい、カストロプ領はなぜ古代ギリシャ風なのだろう。
共和主義発祥の地と似たような文化に染まってるといて、それだけで犯罪者扱いになったりしないのか。


 一〇〇〇個以上の恒星系を支配している銀河帝国の領土は大きく分けて皇帝領、貴族領、自治領の三種類に分別される。このうち、皇帝領は星系単位で総督府という地方政府が設置し、各総督府は帝国政府の指導方針に従って領土の統治運営が行われている。なお、首都星オーディンを含むヴァルハラ星系だけは例外として帝国政府が直接統治している。

 

 貴族領は、爵位もちの貴族が持つ所領である。貴族領をどのように運営しているかはその領地の領主の統治方針によるところが大きく、よほどのことがないかぎり帝国政府でさえその内政に関して口出しできない惑星であったのだが、先の内乱によって貴族連合に属した貴族の領地が皇帝領に吸収され、相対的に帝国政府の力が強まり、残された数少ない貴族領は免税をはじめとする貴族階級の特権がなくなったこともあって、運営が困難な状況が多く確認されており、領民の皇帝領編入の声を抑えられずに領地返上を選択した貴族も少なくない。特にブルヴィッツの虐殺の映像が流れてからは、自己保身のために領地返上するものと、意固地になって意地でも領地を守護しようとするもの二極化が発生している。

 

 最後の自治領は、その名称から真っ先にフェザーンのことを連想するだろうが、これは極めて特異な自治領であって、帝国の普遍的な意味での自治領ではない。自治領という制度自体は銀河連邦時代からあった制度ではあるが、銀河帝国になってからは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()として実態が変貌している。資源をほぼ食いつぶしたとか、大規模な事故が発生したせいで再開発が困難になった惑星。それなのに現地住民がその惑星を離れたがらないというときに「じゃあ好きにしろ」ということで自治権を与えて放置するのである。この特権によって自治領の民は臣民としての義務から解放されるわけであるが、あらゆる国家の庇護を受けることもできなくなるので、たいていの自治領は衰退し、滅亡していく運命にある。海賊行為や犯罪組織の拠点となることもあるのだが、その場合は事情が判明し次第、帝国軍が出動して物理的に焼き尽くすので旧体制下では大した問題にはならなかった。

 

 アルデバラン星系はこのうち、皇帝領に属する星系で、なかば禿げた頭部にデカい鼻と大きい眼鏡が特徴的な、いかにも小物官僚といったさえない容姿の男が総督を務めている。エルンスト・フライハルト・マティアス・アーブラハム・ジルバーバウアーというなんとも長ったらしく仰々しい名前を持つ総督は、その名前の長さから「名家の生まれかなにかか」とよく聞かれるが、彼の身分は平民であり、しかも決して裕福な家の生まれではない。

 

 しかしながら兵役で軍隊生活を送っていたときに、自己主張が少なく黙々と命令を完璧以上にこなすジルバーバウアーを上官のとある貴族が高く評価し、兵役満了で除隊してからもその貴族がなにかと世話を焼いてくれたおかげで故郷の小さな役所の役人となり、そこから上司の命令を最大限尊重しつつ、現場との軋轢を最小限に抑えるという才能を開花させ、二〇年の官僚生活でアルデバラン系総督府の商務局長官にまで成り上がっていた。

 

 貴族派連合と皇帝派枢軸の間で発生した内乱では、上司の総督がリッテンハイムの一門に属する貴族家出身であったため、それに従う形で貴族派連合に属し、戦時体制下でもアルデバラン星系の経済が破綻しないように調整する仕事に従事した。しかしリッテンハイム侯爵がガルミッシュ要塞で謎の爆死を遂げ、リッテンハイム派貴族はブラウンシュヴァイク公の陣営に鞍替えするか、ローエングラム侯の陣営に下るかの二択を迫られ、ジルバーバウアーの上司であった前総督の貴族は後者を選択した。

 

 だが、その貴族は家柄だけで総督になった無能であり、しかも職権濫用と地位を利用しての問題行為があまりにも多く、覆しようがない証拠が山のように積みあがった時点で憲兵隊が前総督とその仲間を公開銃殺刑に処した。ジルバーバウアーも数件の問題行為に協力していたが、憲兵隊の捜査に協力的であったことと良心的な官僚として民衆からの人気もあったので処罰をまぬがれ、内乱が終結し軍政も終結すると、軍政時に示した協力的態度と有能さからジルバーバウアーに総督の椅子が与えられたのである。

 

 総督としてのジルバーバウアーは可もなく不可もなしというレベルで特筆すべきところはほぼないが、アルデバラン総督府に着任したときから下の声をよく聞くタイプの官僚であったので、歴代総督の中でも民衆からの人望があるという点は、特筆すべきであろう。

 

 三月一四日の夜、ジルバーバウアーはその日の業務の締めに入っていたとき、予定にない人物の訪問を受けた。アルデバラン系憲兵司令官ツァイサー中将である。ツァイサーは貴族階級の出身であったが貴族連合軍に参加しておらず、ケスラー大将による憲兵改革についてこれた生粋の憲兵という珍しい人材であったが、現総督はある理由からこの憲兵司令官を好ましく思っていなかった。

 

「総督閣下。この惑星に旧体制の残党が忍び込んでいる可能性があるため、報告に参りました」

 

 総督職を十全にこなせていることからわかるように、ジルバーバウアーの頭の回転は決して鈍くはなかったが、このとき憲兵司令官の報告を理解するのに十数秒かかった。

 

「旧体制の残党だと? 例の叛徒どもと合流した正統政府やらいう門閥貴族一党の手先か」

「例の門閥貴族一党と関係があるかは不明ですが、新体制が敷かれてから地下に潜っている人物です」

 

 ツァイサーは脇に抱えていた鞄から資料を乱暴に取り出し、総督の執務机で書類を整えてからさしだした。政治にまったく興味がなかったために領地運営を代官に任せきりだったからローエングラム公が君臨すると何の抵抗もなく領地返上をした。ただひたすら遊蕩に耽ることに喜びを感じることができず、芸術的感性も皆無であったために仕事一辺倒になったという貴族の変わり種であったから領地や特権に執着しなかったのである。それでも長年にわたって根付いた貴族意識というか常識というものから完全に抜け出せなかったようで、平民の上司や同僚に対して規則の上ではギリギリ無礼じゃない一線を追求することが最近の憲兵司令官の趣味であり、平民と一緒に仕事をするストレスの発散法となっている。

 

 もちろん、それがツァイサーのストレス発散法にはなってもまわりはそうではないので、ジルバーバウアーは幾度か憲兵総監部宛に司令官を変えるよう要請を出しているのだが、憲兵総監部はなんの反応も返してこない。なぜかというと、総監のケスラーも改革初期にそれを問題視していたのだが、憲兵としての仕事に非の打ちどころがなさすぎるほど完璧すぎたから、規則に違反してるわけでもないので処罰するほうが問題だとツァイサーに注意を喚起する文書を送るだけですました。当然、平民の憲兵総監からそんな注意文書が送られてきてもツァイサーは気にとめるわけがないのでなんの効果もないのだが。

 

 そんな憲兵司令官の態度にジルバーバウアーはいらだちを感じながらも、資料を受け取り、目を走らせた。住人から報告により、新体制に敵対的な行為をとって指名手配されているテオ・ラーセンが都市部のホテルに宿泊しているという情報を入手。即座に当ホテルに憲兵部隊を派遣したが、ラーセンの姿はどこにもなかった。しかしホテル員や宿泊客の証言から、ラーセンが宿泊していたのはほぼ間違いなく、いまもこのテオリアのどこかに潜伏していると考えられる。

 

 次の資料はテオ・ラーセン個人に関するものであった。元社会秩序維持局保安少佐、アイゼンヘルツ星系支部特殊犯罪・叛逆対策課長。年齢は三七歳。エーリューズニル矯正区出身。両親の公式記録はなし。“矯正”完了後、社会秩序維持局に配属。思想犯・政治犯狩りにおいて辣腕を示し、特殊犯罪・叛逆対策の適性を見込まれてアイゼンヘルツ支部に異動。そして見込まれた通り、その部署で目覚ましい功績を立てて保安少佐にまで昇進。リヒテンラーデ公の粛清が公式発表される直前に任務放棄。以後、新体制に敵対的な活動を行っている。

 

 あらゆる意味でブラックすぎる経歴に、ジルバーバウアーは頭を抱えたくなった。なにも知らない市井の人間ならば意味不明な経歴にみえるだろうが、ある程度事情に通じている者が見れば厄介な危険人物であることがあきらかなのだ。

 

 特殊犯罪・叛逆対策というのは、要するに亡命者狩りのことである。帝国歴三三一年に起きたタゴン会戦での大敗以来、自由惑星同盟への人材の流出は、帝国を存続を揺るがす重大な問題として政府に認識されていた。フェザーンが成立したとき、時の皇帝であるコルネリアス一世は、帝政に不満を抱く一部の帝国人がフェザーンに、さらには同盟へと亡命していくことを危惧し、帝政の不満を和らげるために娯楽設備の拡充を重視するいっぽうで、社会秩序維持局に特殊犯罪・叛逆対策を行うことを命じたのである。

 

 なぜ特殊犯罪・叛逆対策などという名称なのかというと、銀河帝国は銀河連邦の後継国家であり、全宇宙を統治する“唯一の”正統政権であると主張していることに由来する。帝国の建前では、フェザーンは国内の自治領で、自由惑星同盟は辺境の叛乱勢力なのである。だからフェザーンに無許可で行くことは国内法に背く犯罪行為であり、自由惑星同盟を僭称する叛乱勢力の領域に逃亡することは、帝国を全宇宙で唯一の国家であることを認めない叛乱勢力の主張に同意しているということに他ならず、国家への叛逆行為であると帝国政府に認識されるのであった。

 

 そんな部署で目覚ましい功績を立てていたということは、つまるところ銀河帝国の圧政から逃れようとした数え切れない人間を捕まえ、犯罪者や反逆者の烙印を押し、死んでもおかしくないほど過酷で劣悪な環境の政治犯収容所や矯正区に送り込むという、ロクでもない任務に従事していたという意味なのである。

 

 そしてエーリューズニル矯正区出身という情報にジルバーバウアーはかすかな憐憫と底知れない恐怖を抱いた。矯正区というのは、“思想・道徳の矯正”を目的とした施設であり、収容された悪質な思想犯を正しい思想を持った臣民へと更生させるための施設なのだが、ルドルフ大帝の時代ならばいざしらず、長い歴史の中で絶望的飢餓や政治的大混乱、常軌を逸した暴君の台頭などにより、総人口が激減したこともあって数百年前から予算や人員不足のせいでほとんどの矯正区がまともに運営されておらず、広大な領域に戦争での捕虜や国内の反体制組織の構成員が野ざらしにされているだけというのが実情であった。

 

 実情なのだが、北欧神話における死者の国を支配する女神の館の名を冠する矯正区は数少ない例外である。しかし徹底された情報統制によってどのような運営がされているのかどころか、どのあたりに存在するのかすら謎に包まれており、帝国の上層部でも一握りの存在しか知らないと噂される。確かなことはこの矯正区で矯正――いや、洗脳された思想犯は皇帝と帝国の権威を絶対視する狂信的な帝政の守護者となり、帝政を揺るがすものには容赦しない非人間的な存在になるという事実であり、そんなエーリューズニル矯正区出身の狂信者たちが標的とするのは、主に帝国の権力構造の中層圏にいる者達であるので、中堅権力者から恐怖される存在であった。

 

 新体制に移行してから、すべての矯正区は閉鎖されたという。しかしエーリューズニル矯正区に関する情報はいまだ公表されずにいるので、さまざまな憶測を生んでいる。その憶測はけっこうな種類があって真実が判然としないが、想像を絶するような非人道的運営がされていたのでとても公表できるようなものではないという噂と体制に忠実な人間に洗脳できるから新体制においても有益だということで秘密裏に運営が継続されているのではないかという噂が政界の中層部では支持されていた。新体制の開明的な方針から推測して、ジルバーバウアーは流行している噂の前者を信じていた。

 

「小官としては、この男がなんらかのテロを起こすつもりではないかと懸念しています」

「なぜだね」

「このテオリアの歴史的要因によるものです。ここが混乱すれば、旧体制を懐かしむ不平分子が共鳴して騒動を起こすかもしれませんので」

 

 ツァイサーの推測は、大いに可能性のあることであった。ここは腐敗して脆弱化した銀河連邦の体制を打倒し、力強さに溢れた銀河帝国を創造するため、まだ帝冠を被っていなかった銀河帝国の始祖である鋼鉄の巨人が革命闘争を指揮した栄光ある地。銀河帝国に生まれた者ならば、だれもが革命闘争の良い部分だけ抽出された輝かしき栄光の歴史を学んでいる。その栄光の歴史を信奉する者ならば、テオリアを聖地のように思っていることだろう。そのテオリアで古き栄光を連想させる事態が発生すれば、ルドルフの血統を盲信する者達のヒロイズムが刺激され、帝国各地で暴動やテロを起こしても不思議ではない。五〇〇年近くにわたって人類社会の上に君臨し、臣民意識を刷り込むことに熱をあげてきたゴールデンバウム王朝の権威は伊達ではないのだ。

 

「それは、ローエングラム体制を揺るがしかねない危険だ。ケスラー憲兵大将にも報告しているのか」

「……いえ。小官の一存から報告しておりません」

「なぜだ?」

「小官の長年の経験からして、報告すべきではないと判断したからです。心配しないでください」

 

 その理屈には多少の違和感を感じたが、長く憲兵として経験を積んでいるツァイサーが胸を張ってそう言うので、ジルバーバウアーは頷いた。嫌な奴ではあるが、優秀な憲兵として能力は信頼していたからである。

 

「ただ小官が懸念するのは、総督閣下の命が狙われているのではないかということです。信頼できる憲兵一個小隊を警備にあてたいのですが、よろしいでしょうか」

「あ、ああ。かまわん。警察と協力して総督府と主要公共施設の警備強化も頼む」

 

 やや惚けた声で、ジルバーバウアーはその要求を認め、追加で命令した。テロの対象となるとしたら総督とはいえ一個人にすぎない自分より、公共施設を破壊して混乱を招くという可能性のほうが充分にありうることであると考えられたからであった。この日、ジルバーバウアーは一個小隊の憲兵隊に護衛されながら官舎へと帰宅した。

 

 そして官舎で家族が狙われるという可能性に思い至ったジルバーバウアーは護衛の半数に自宅の警備を命じた。いささか数に不安があったが、それは明日に改めて憲兵司令官に兵士を出すように要請すればいいだろうと楽観的に考えながら、家族団欒の時を過ごしていた。

 

 しかしそろそろ寝ようかと考えた直後、総督府の下っ端役人が訪ねてきた。へルドルフ警察支部長が至急の用件で面会を要請しているのだという。ジルバーバウアーは眠気を押し殺して警察支部に向かうと告げた。護衛の指揮をとるグレル憲兵少尉は嫌な顔をしたが了承し、反発する部下を抑えて警察支部へと移動した。

 

 しかし警察支部に着くと憲兵と警察官の間でいざこざが発生した。警察官たちが支部長が面会したいのは総督閣下だけだと護衛の憲兵たちを通させまいとしたのである。なんとか互いを諌め、顔を真っ赤にしている憲兵たちに外で待っているように指示すると、まわりに気づかれない程度に軽くため息をついた。

 

 憲兵隊と警察が犬猿の仲であることは今に始まった事ではないが、最近は特にひどい。帝国宰相兼帝国軍総司令官ローエングラム公の信任厚いウルリッヒ・ケスラーが憲兵総監になって以来、憲兵隊は改革の大鉈が振るわれ、腐敗排除と能率化がなされ、帝国臣民と新体制上層部の信頼を獲得したが、警察はゲオルグ派との権力闘争に破れ、中央は地方に飛ばされていた元ハルテンベルク派の人間たち中心の人事に刷新されて改革を実施している。しかし元ハルテンベルク派の幹部たちはケスラーの手法を真似することを嫌い、独自の手法で改革を推し進めているために憲兵隊ほど効果があがっていない。さらに前警視総監ゲオルグ・フォン・リヒテンラーデが地下に潜って反体制活動をしているという噂もあって、警察は新体制上層部の不信を買っている。

 

 その結果、自分たちの存在意義が憲兵隊に奪われていると感じた警察官の多くが憲兵隊にかなり敵対的になっているのである。開き直っているともいえる警察の態度を開明派の文官たちはこれを不快に思い、ケスラーと同じ手法で警察の改革を実施するように求めたのだが、急激な改革派から緩やかな改革派へと身を転じたオスマイヤー内務尚書が軍隊一強体制がこれ以上強化されることは好ましくないと主張し、内務省高官をまとめあげて強硬に反発。新体制の改革に多大な貢献をなした内務尚書が警察を擁護するのでは、開明派も押し切ることができなかった。そのせいで内務省高官・警察と開明派官僚・憲兵隊の間で対立が生じているのである。

 

 帝国官界の中枢部にまで事態が発展している以上、下の者達は上層部に靡きたがる組織人として当然な思惑もあって、互いに掲げている主張から一歩も譲らず、現場レベルにおいて非常に面倒な状況が頻発するようになってすでに半年近くである。だから今回も同じようなことなのだろうとジルバーバウアーは思ったのである。

 

「なに! 憲兵隊に共和主義者どもが紛れ込んでおり、大規模なテロを計画しているだと?!」

 

 だからいきなりへルドルフ警視長から憲兵隊に共和主義者が潜り込んでいて、なんらかの策謀を巡らせているなどと言われたので総督は大いに驚き、そしてそれを疑った。

 

「それは、たしかなのか? 憲兵隊を憎悪する警察の一部による流言ではないのか」

「たしかに私を含め多くのものは憲兵連中を好ましく思ってはおりませんが、今回は事実です」

 

 先ほどある憲兵が警察を訪れ、憲兵隊内に共和主義に強調する不穏な動きがあることを直接伝えに来たのである。全体像が判然としないが、憲兵隊が総督の護衛に人員を出していると情報をすでに得ていたへルドルフはこれを深刻なものと考え、ジルバーバウアーとの至急の面会を望んだのである。

 

「なるほど。それでその話にあがった憲兵はいまどこに?」

「憲兵隊の不穏分子に感づかれては一大事と思い、秘密裏に地下牢でもてなしております。取り調べなさいますか」

「いや、いい」

 

 密告人がいるというのなら、事実なのだろう。

 

「しかし、共和主義者どもはここで騒動を起こそうなどと考えたのか。叛徒討伐の妨害がしたいのならば後方か首都で騒ぎを起こせばよかろうに」

「やはり歴史的な背景によるものでしょう。共和主義者どもにとって、ここは栄光ある旧連邦の首都らしいですからな」

「腐敗し自滅した連邦は共和主義にとっては黒歴史だろう。そんな国の都に憧れを抱くという共和主義者どもの思考は理解不能だ」

 

 銀河連邦は腐敗し衰退していき、民衆は共和主義に絶望し、超新星のように光り輝くルドルフ・フォン・ゴールデンバウムにすべてを委ねた。数世紀にわたる言論統制によって“選挙”という概念すら多くの帝国臣民が忘れてしまった今でも、ルドルフとその血族が君臨する支配体制を正当化するために帝国当局によって広く喧伝され、一般的に認知されている。

 

 だからそんな国家を憧憬する共和主義者というのは、どうも理解し難いものであった。外圧によって滅ぼされたというならまだしも、完全に内部が原因で自己破綻した国家のどこに魅力を感じるというのだろう。

 

「しかしよかったです。ツァイサーも共和主義者どもと結託しているのではないかと疑っていたものですから、この翌朝になっても総督閣下と連絡がとれなければ、非常事態として特殊対策専門の武装警官を動員して閣下の身を確保するつもりでした。早急にツァイサーとも面会して憲兵隊のどのあたりまで共和主義に汚染されているのか確認しなくては――」

「いや、待て。この星でなにやら画策しているのは共和主義者どもなのだな? エーリューズニル矯正区出身者ではなくて」

 

 いきなり突拍子も無いことを聞かれてへルドルフは困惑した。

 

「……エーリューズニル矯正区出身者が共和主義者と握手を交わしているとは考えにくいですな」

「ツァイサーが憲兵の護衛を私につけたのは、そのような者達がテオリアに潜伏しているから、身の安全のためにというものであった。だがそのような反応をするということは、ツァイサーからなにも聞いていないのだな」

「はい。ツァイサーと最後に会ったのは、公共施設の治安管轄権争いで議論した四日前以降、会っておりません。しかしことが政治犯・思想犯といった叛逆者ならば、管轄は社会秩序――いや、内国安全保障局と看板をつけかえていましたな。とにかくそちらがなにか掴んでいるかもしれませんが」

「私がツァイサーに命じたのだ。警察と協力し、警備体制を強化せよと。つまりツァイサーは総督の命令を無視しているということだ!」

 

 だから自分の命令を無視しており、なおかつそれを正当化する理由も見当たらないから、ツァイサーは共和主義に汚染されているのではないかと疑念を抱き、その観点からみると疑わしいところが多々あった。中央の憲兵総監部に増援を要請しなかったこと、警察に警備強化の相談をしていないこと、自分が警察支部に行くといったときに言葉を荒げて止めようとした護衛の憲兵がいたこと、すべて怪しく思えるというものだ。

 

 しかしツァイサーは貴族であり、その感覚が抜けきっていないので平民である自分や他の同僚にも敬意を払うようなやつではない。そんな奴が共和主義者と手を組むだろうか? 嫌な奴ではあるが、職務には忠実であったはずだし、職務に背反するようなことをしてまで……。

 

 ジルバーバウアーは優秀な能吏であったが、基本として上から降りてくる命令と現場の整合性を付ける能力に長けた型の人間であって、ゼロから考えると思考するということに慣れていなかった。彼は平民であり、旧体制下では常に上役の貴族がいるのだから、命令を柔軟に処理する才能の必要性を感じても、それ以外は常識的な対応に終始すればよかったので、非常時に自分自身で判断を下す必要がなかったためである。

 

「外にいる護衛隊長のグレル少尉を呼べ。直接話を聞く」

「き、危険です! ツァイサーの動向がはっきりしない以上――」

「怪しい行動をとるようなら殺せ! 私が責任を取る!」

 

 閉塞した推測を打開すべく、ジルバーバウアーはツァイサーが自分につけた護衛から事情を聞こうとしたのである。そいつが妙な行動をとるのであれば、ツァイサーは黒に違いない。

 

 二人の屈強な警察官になかば連行される形で警察支部長室に入ってきたグレル憲兵少尉に、ジルバーバウアーは睨みつけた。

 

「この惑星の憲兵隊に不穏な動きがあるという報告があったが、なにか心当たりはあるか」

 

 その問いに、グレルは目を見開き、深刻そうな顔を一瞬浮かべた直後、言いづらそうに口をひらいた。

 

「心当たりはありますが、話すことはできません」

「では、口止めされているのだな。ツァイサーかね?」

「……」

 

 沈黙が雄弁にそれが正しいことを物語っていた。ジルバーバウアーはわなわなと震えだし、叫んだ。

 

「私の官舎に特殊対策の武装警官隊を差し向け、私の妻と子の安全を確保してこの支部まで連れてこい! また、憲兵司令部にも警官隊を送り込んでツァイサーを逮捕・拘禁しろ! 他の憲兵どもが邪魔をするようなら射殺してかまわん!」

 

 怪しい要素が満載なのでジルバーバウアーは憲兵を敵と仮定して行動することに決めた。だから憲兵に囲まれている自分の家族の身を案じての命令である。

 

「それから……へルドルフ! 帝都の警察総局に至急連絡をとれ! 憲兵が敵に回った場合、この惑星の警察だけでは対処しきれない!」

 

 テオリアの警察官は内乱前まで二〇万近い人員が配置されていたのだが、門閥貴族勢力の没落及び割り当てられる予算の縮小などが原因で一二万前後にまで落ち込んでいる。いっぽう、憲兵隊はケスラー総監の責任の下に行われた大改革が滞りなく完了したこともあって、一五万程度の数まで回復していた。とても対処しきれる数ではない。

 

 へルドルフはすぐに部屋に備え付けられている通信機で、オーディンに連絡をとろうとしたが、すぐに青い顔をして受話器を置き、ジルバーバウアーに向き直った。

 

「帝都と連絡がとれません……」

「恒星間通信が遮断されたのか?!」

 

 驚愕を隠さずにジルバーバウアーは叫んだ。

 

「おそらくはそうでしょう! 非常事態です。閣下はわれわれ警察がお守りしますゆえ、どうかこの支部から離れぬよう」

 

 そういって支部長は部屋を飛び出した。恒星間通信ができないということは恒星間通信所が何者かに占拠されたか、強力な通信妨害がされているということである。後者のような手がとれるのは軍隊くらいだ。だからおそらくは前者であろうとへルドルフは考え、惑星内の警察署と連絡をとって恒星間通信所を奪還しようと考えた。

 

 支部内の通信室で仮眠していた警察官を叩き起こし、各署と連絡をとろうとした。しかし真夜中である。すでに各地の警察署に残っている高級警察官は帰宅して就寝しており、連絡をとるのも一苦労である。へルドルフ以下、多くの警察官が連絡をとるのに四苦八苦しているうちに日付が変わり、一五日がおとずれた。

 

 直後、巨大な爆発音が外から響いてきた。なにごとかとへルドルフは支部の窓から外を伺うと、遠方が不気味な赤色であたりを照らしていた。その光景から爆弾テロだと、へルドルフは瞬時に判断した。



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マハトエアグライフング②

友よ、謳おう、自由の魂を
友よ、示そう、自由の魂を
――自由惑星同盟の国歌より引用。


 惑星テオリアの都市部から東に三〇キロメートルほど離れた山間に数千人の人間たちが潜んでいた。彼らは現状に不満を持つものであり、力によって状況の打破を望む者達であった。

 

「ザシャ、街から火の手があがったよ!」

「マジか!!」

 

 部下からの報告で、彼らのまとめ役であるザシャ・バルクは大樹の枝から飛び降りた。先ほどまでそこで横になって休んでいたのである。双眼鏡を受け取り、都市部の摩天楼――テオリアは大帝が存命のころと可能な限り変わらぬ町並みを維持するよう政府が努力してきたので、帝国で武骨だからという理由で忌避される高層ビルが林立している街なのである――の方角を見る。燃え上がる炎が夜空を赤く染めているのを確認すると、ザシャは笑みを浮かべた。

 

「ここにいたるまで半信半疑だったが、あの守銭奴どもも国をなくせばロハで働くようだ」

 

 ザシャの身分は平民であったが、彼の生まれた家はある辺境星域の経済を支配する有数の豪商のひとつであって、貴族階級とも良好で深い関係を築いていた上流階級であったために、帝国の体制への不満など感じたこともない人間だった。父親は息子にも商売の道に歩んでもらおうと思っていたのだが、ザシャには商才というものがまるでなかったようで、どれだけ商売のノウハウを教えてもまったく身につけなかったのである。

 

 ザシャは商売なんかより体を動かすことが好きで、喧嘩やスポーツに熱中した。しかも危険を好む傾向があって、一度、友達の制止を振り切って地上車の無免許運転を敢行し、警察に逮捕されたこともあった。警察への多額の賄賂によって息子の経歴に傷がつくことを回避したものの、この一件で父親はもうこの生意気なやんちゃ坊主にバルク家の事業を引き継がせる気はなくなってしまい、その肉体的頑強さとその精神的資質を存分にいかすことのできるであろう帝国士官学校に入学させた。

 

 その士官学校でザシャはつねに成績上位に食い込む優等生集団の一員となったが問題のある生徒だった。警察に逮捕されてから多少はマシになっていたがやんちゃぶりは健在であり、問題のある生活態度が教官たちを悩ませたが、彼の白兵戦能力と狙撃能力の高さ、そしてさまざまないたずらを実施していた頃の経験と才能を応用した戦略・戦術の評価もずば抜けて高く、生徒に厳しい戦術教官のシュターデンからも平均以上の評価を獲得したほどだった。

 

 ザシャは士官学校を次席で卒業した。多少くせはあったが、士官学校での成績の高さからいろんな部隊から引っ張りだこになった。地方領主の叛乱鎮圧任務や宇宙海賊の掃討による功績、実家による金銭面の支援もあって、ザシャは順調に出世し二〇代なかばで、要職であるフェザーン駐在武官を拝命した。

 

 豊かなフェザーンに勤務できるのは、有能で帝国への忠誠に厚いエリートのみと限られている。当然、ザシャはフェザーンに並々ならぬ期待をしていたのだが、想像以上であった。なにより帝国では法律によって禁じられている娯楽を提供する施設が平然と、しかも大量に存在することが信じられなかった。

 

 銀河帝国の開祖ルドルフは“不健全さ”を忌み嫌い、社会からあらゆる不健全と思われる要素を一掃しようと試みた。悪名高い劣悪遺伝子排除法も、そういう視点で見ればそのひとつにすぎない。だから帝国においてあらゆる不健全な要素は絶滅したか、あるいは地下に潜るか特権の傘の下に入ることでわずかに生き残っているだけである。

 

 ザシャにとってそういった帝国の在り方は疑問を抱く類のものではなかった。なぜならそれが()()だったからで、隠れてこそこそやる必要はあるのかと思うことはあっても、それが直接体制への疑問に直結することはなかった。

 

 だが、こうも公然とそういったものが並んでいるのを見ると、さすがに疑問を抱かざるを得なかった。どうして帝国の自治領に過ぎぬフェザーンが帝国の法をかけらも重んじていないのはいったいなぜなのかと。

 

 そんな疑問を抱きつつもザシャは駐在武官としての職務を真面目にこなしつつ、フェザーン勤務の者に与えられるフェザーンで遊ぶというささやかな特権を行使していた。そしてある日、ある酒場にて、ある同盟人と偶然接触したのである。

 

 弁務官事務所の規則には「政府の許可なく叛徒と接触し、会話を交わした者は極刑に処せられる」と定められている。ダゴンの敗戦以来、帝国は人材が同盟に流出してしまうのを阻止することは重要な国家戦略の方針である。弁務官事務所の各部署が互いを牽制しあうような構造になっているのも、それぞれの部署が他の部署を監視し、重要な情報を持ってフェザーンや同盟に亡命してしまうのを阻止するためということで放置されていた一面もあるのであった。

 

 だから本来であれば、早急に席を立って逃げるべきであったのだが、ザシャは席を立たず、それどころかその役人を酒に誘ったのである。いくら接触が禁止されているとはいえ、フェザーンは中立地帯であり、同盟人とまったく接触しないというのは不可能であり、多少の会話は黙認されている前例があった。だから酒を飲んでる間に話す程度であれば大丈夫だろうと判断したのである。

 

 さすがに帝国側の役人と名乗るのはまずいと思ったので、投資に失敗してフェザーンに亡命した元平民の帝国人であると身元を偽った。するとその同盟人は深く同情した。帝国の支配から逃げだすのは非常に困難な道のりであると知っていたからである。特に生活苦とかなら、なおさらだ。

 

 旧体制時代、帝国では恒星間の移動ですらちゃんとした身分証明書が必要であり、しかもフェザーン方面に向かって長距離移動をしていると官憲に注目されることになるからだ。だから帝国人が亡命しようと思えば、一番堅実な方法は都市惑星に赴き、フェザーンの商人に金を払って宇宙船に乗せてもらうという手である。

 

 しかし世の中、善良な人間ばかりではないのだ。生きるために必死な帝国人の窮乏を利用しようとするフェザーン商人が少なからず存在する。金を受け取っておきながら見捨てて、官憲に亡命しようとしている奴がいると密告して亡命希望者を引きわたして報酬をもらうなんて序の口である。ひどい場合には亡命希望者がフェザーンに向かっていると無邪気に信じているとある貴族領につれていかれるなんてこともある。たいていの場合、その貴族領を治める領主がえげつない性癖の持ち主であることが多く、外聞を憚って領民を拉致ってそれをするのもどうかという点から、帝国から逃げようとした恥知らずをフェザーン商人から買い取って、そのはけ口にするのだ。そしてよほどのことがないかぎり、そのまま人知れず死んでしまうという陰惨な事例が貴族領主が叛乱を起こした時などに帝国政府の手で判明することがあるが、明らかにならずに消えた事例も数多くあるであろうことを思うと、悲惨の一言である。

 

 ちゃんとフェザーンに向かってくれる商人と関係を築くことに成功してもまだ問題がある。帝国ではフェザーンへ行くには帝国当局の正式な許可が必要であり、その許可を得ていない者がいないかとフェザーンとの境界にほど近い帝国領の惑星では、憲兵隊や社会秩序維持局が警戒の目を光らせている。警察もスコア稼ぎのために浮浪者として警察署に連行されることもある。帝国軍の警備隊も賄賂目当てにフェザーン商船を臨検してくることがある。このときに見つかれば、終わりである。帝国とフェザーンとの密約により、フェザーン人が亡命希望者の逃亡を幇助しても帝国側は逮捕できないことになっているが、亡命希望者はそうではない。あくまでも助けようとすればフェザーン人も逮捕してよいことになっているので、亡命希望者は見捨てられるのである。

 

 フェザーンに着いたらもう安心――なんてことはない。フェザーンについても悲劇の可能性はある。フェザーンは事実上の独立国であるが、形式的には帝国の自治領である。よって帝国から亡命者は大金を払ってフェザーンの公民権を買わないと他領からの旅行者として扱われ、なにをするにも制限がつく。そしてフェザーンは同盟と帝国の双方と完全な敵対を避ける中立方針をとっている。なので帝国の機嫌をとるときに、不法長期滞在者一掃の名目で“旅行者”を摘発し、帝国に強制送還するなんてこともやったりした前例があるのであった。

 

 そんな過酷な関門が数多あることを、その同盟人は知っていたからこそ、その境遇に同情を禁じ得なかったのである。同盟人は親身になってザシャの話し相手をしてくれた。それはザシャにとっても願ったりかなったりであった。ザシャは自由惑星同盟という国家に、純粋な興味を抱き始めていたのである。帝国における著作物において、自由惑星同盟を僭称する叛徒の扱いといえば都合のいい悪役である。まれにブルース・アッシュビーなどの名将が魅力的な人物として描かれることもあるが、悪役扱いなことに変わりはない。

 

 銀河帝国において、共和主義は銀河連邦末期の混沌を招いた根本的な原因である思想として負の面ばかり強調されるから、そんな思想の持ち主がまっとうな人間だと困るというわけだ。だから帝国の支配から逃れることを考えるような帝国人でも同盟の実情を知らないので、直接同盟に亡命しようとする者は比較的少ない。もし多くの者が同盟の帝国と比べてあきらかにマシなことを知っているなら、徴兵された兵士が脱走して同盟に亡命するという事態が頻発したことであろう。たいていの亡命者はフェザーンにしばらく滞在し、同盟が恐ろしい国ではないと知って、初めて同盟への亡命を申請するのである。

 

 もちろん、フェザーン勤務になる前にそのあたりのこと――上官曰く、高度に政治的な事情――を解説されており、共和主義者が全員悪どい人間ではないということをある程度は理解していた。していたが、フェザーンの同盟を描いた映画とかを見るに、どうもフェザーンと同じような街並みをしている同盟の方が帝国より豊かそうである、とザシャは思い始めたのであった。帝国では復古主義が台頭していて、武骨で近代的な高層建築とかは忌避される傾向があった。

 

 共和主義というのが理解できないとザシャは言うと、その同盟人が読書本にしていた『自由惑星同盟の歴史』という本をもらった。所持してるだけで思想犯・叛逆者として社会秩序維持局に拘束されても文句言えない書物である。それを読んで同盟の負の歴史もしっかりと触れられていることに、ザシャは凄まじい衝撃を受けた。帝国ならば自国の負の歴史など大衆に向けて公表されることなど絶無だからである。

 

 ここにきてザシャは帝国の体制に深刻な疑問を抱いた。危険だと思いながらも知りたいという欲求に抗うことができず、規則で禁じられている同盟出版の本を同僚に隠れて買って読み、共和主義の正しい知識をどん欲に吸収し、帝国では他国では認められているさまざまなことが禁止され、人民の権利がほぼないという事実に、専制的要素を排されなければならないと思い始めたのだ。

 

 フェザーン勤務から本国勤務に転任するとザシャは軍の機密記録を収拾することに精を出し、これ以上やったら憲兵隊から疑わしいものとして疑いの目で見られ始めた直後に帝国軍から脱走し。四八二年に共和主義を掲げて帝国内で活動している反体制地下組織に接触した。提供した機密情報や本人が帝国軍士官学校で軍事教育を受け、実務経験が豊富だったこともあって、ザシャは組織の共和主義者たちから歓迎され、実働(テロ活動を担当する)部門の一員となった。

 

 ザシャが立案した作戦によって幾多の作戦を成功させ、組織を成長させ、帝国の治安当局と民衆に対する存在感を大きくすることに貢献し、四八五年に実働部門の最高責任者となり、組織全体の副指導者として組織内部における彼個人の存在感も大きく拡大していた。帝国全体に影響を与える勢力としてはまだまだ小さかったが、やがてそこまで成長するであろう将来性を見込めるほど、ザシャは未来に希望を抱いていた。

 

 だが四八七年に状況は一変した。イゼルローン要塞攻略の余勢をかって実施された同盟軍による帝国領遠征である。反体制組織はその噂を掴んだとき、専制体制を打倒する好機ととらえ、同盟軍を援護すべく後方撹乱を行うことを決定した。だが、ラインハルト率いる六個艦隊は同盟軍を迎撃せずに引き摺り込むという戦法を取ったため時期が来るまで暇を持て余しており、後方で蠢動していたザシャたちのテロ活動はすぐに鎮圧され、多くの仲間を失う大打撃を被ることとなった。

 

 しかも同盟軍が占領した辺境星域の住民に叛乱を起こされたときにそれを武力鎮圧し、戦役終了後帝国政府がそれを声高に非難したために、ザシャたちが社会秩序維持局の監視の目を欺きながら、苦労して啓蒙した共和主義思想への幻滅が民衆の間で広がった。四八八年末にラインハルトが帝国軍最高司令官と帝国宰相を兼任し、独裁体制を構築するとさらなる苦境に陥った。急進的共和主義者とテロの実行者を除く思想犯や政治犯を釈放し、公正かつ公平な統治方針を打ち出したからである。

 

 ザシャたちにとって痛恨ごとであったが、地下組織の構成員や支持者の大多数は共和主義を信奉していなかったのだ。圧政に抵抗するためだけでなんら思想を持たずに参加していた者たちが支配的だったのだ。構成員の脱走が相次ぎ、協力してくれた支持者たち――構成員を匿い、武器を運び、連絡役となり、情報提供者となってくれていた――も次々に離反した。資金提供をしてくれていたスポンサーも言いにくそうに弁解しながら資金提供をやめるようになった。

 

 おまけに離反者の中に組織の隠れ家を密告した卑劣な裏切り者がいたようで、各地に築いた地下基地が憲兵隊に襲撃され、組織の指導者以下多数の構成員が逮捕され、組織は壊滅の危機に瀕した。副指導者のザシャは、あらん限りの憎悪を込めて金髪の孺子を心中で罵ったものである。ローエングラム公がいままでと比べて遥かにマシな統治者であることは認めよう。だが、彼の子孫はどうなのだ。ゴールデンバウム王朝の歴史の中でローエングラム公のように公正な統治を行なった皇帝はわずかだがいる。だが、帝冠を被る皇帝が変われば、簡単に公正ではない統治に戻ってしまったではないか。いかに善政を敷こうとも専制体制の存続をはかるならば極悪人に違いない。銀河の向こう側にある共和国みたいな、元首が変わったところで国情が大変化することなどない安定した統治体制こそ、正義であるはずだった。

 

 だが、多くの者はザシャほど強烈な信念を持っていなかったようで、反体制活動をやめてローエングラム体制に順応していった。結局、ザシャの手元に残されたのは、四八七年初頭に比べて数百分の一以下にまで減った構成員と支持者だけであったが、それだけに共和主義の信念が固すぎる過激派ばかりで、命をかけて帝国に共和体制を敷く覚悟をだれもが持っていたのだった。

 

 しかし日に日に追い詰められていくのに希望がまったく見えない現状にさすがのザシャも未来を絶望視しはじめていたが、四九〇年に転機が訪れた。フェザーンの工作員を名乗る女、シルビア・ベリーニが接触してきたのである。ベリーニは祖国を占領した帝国軍を撤退に追い込むべく、帝国内の大規模な都市惑星で騒乱を起こしたいのだという。至極もっともな言い分であるが、ザシャはその言葉を簡単には信じなかった。

 

 フェザーン駐在武官として、幾度となく自治政府の外交官や工作員と接触した経験もあって、ザシャはフェザーン人の厚顔無恥さや虚言癖をきわめて高く評価していたからである。だからこそ、ザシャは自分たちの窮状を悟られぬように高圧的な態度をとり、いくつかの要求を行った。まずその騒乱を起こす惑星へ自分たちを秘密裏に移動させること、また騒乱を起こすときにフェザーンも実行面において一番槍を務めることなどである。ベリーニはそれを快諾し、彼女たちの采配により、二ヶ月かけて徐々に自分たちをテオリアへと秘密裏に移動した。

 

 それでもなお、ザシャはベリーニたちを信用できず、ひたすら準備が整うまで待つようにばかりのたまうのでしびれを切らして単独で騒動を起こそうかと考え始めていたのだが……現在、テオリアの都市部が炎上している。つまり、フェザーン人どもも本気というわけだと、ようやくザシャは確信した。

 

「同志諸君、待ち望んだ時が来た!」

 

 ザシャは自分についてくる共和主義過激派数千人に向き直り、語りかけた。 

 

「ローエングラム公が台頭し、民の暮らしは劇的に改善されつつある。なのになにゆえ、われらはいまだに共和主義の旗を掲げ、革命に己が命を捧げようとしているのか。今一度、思い起こそうではないか。迷いなど抱くことなく己が信念を貫きとおすため、現状を再確認しようではないか」

 

 その言葉に多くの者が戸惑った。彼らとしては、これから襲撃を行うという号令を待ち望んでいたからである。そんなわかりきっていることをこの段階で再確認する必要がどこにあるというのか。

 

「諸君らが反体制活動をするようになった瞬間から、共和主義者であったとは俺は思わない。俺自身、すこしばかり共和主義の思想を齧ってこそいたが、最初から共和主義のために命を賭す革命家になろうという気概があったわけではなかった。ただフェザーン勤務である不満を覚えたのがきっかけだ。たとえば同盟やフェザーンでは為政者の悪口を言うのは、何の問題ないことである。なのになぜ帝国では犯罪とされているのか。同盟やフェザーンでは個人が斬新な視点の作品をつくり、民衆の娯楽となっている。なのになぜ帝国では体制に批判的な視点な作品は存在しないのか。同盟やフェザーンでは風俗店が公然と運営されている。なのになぜ帝国では隠れて運営されているのか。まあ、そういう素朴な類の不満を社会にぶつけたかっただけで、体制そのものを転換させようとか、そういうごたいそうな志を持っていたわけじゃあない」

 

 それは全員が共感できることだった。いまでこそ全員が筋金入りの過激な共和主義者だが、そういう生活上の不満がきっかけだった。なかにはまったく身に覚えがないのに共和主義者扱いされて政治犯収容所に入れられて、恨みから地下組織に参加したものもいる。

 

「だがある日、いつものように同志たちと将来の展望を語り合っているときに、唐突に思い出したのだ。昔の俺が未来を思い描いたとしても、せいぜいが自分は二〇年後、結婚して子どもができてたりするのかなと夢想する程度で、そのとき自分が暮らしている国がどうなっていてほしいかなど考えもしなかったということを。国のことなんて臣民の俺が考えるようなことではなく、高貴な方々が考えることだから自分には関係ないと無意識に思い込んでいたということを。そのことを自覚したときに感じた、身を焼くような激しい怒りを今も鮮明に思い出すことができる。そして間違いなくその瞬間、俺は本当の意味で共和主義者となったのだ」

 

 ザシャは目を細めて群衆から視線を逸らし、その感慨深い過去のときを脳裏に浮かべる。他の者達も同じだった。自分が共和主義者だと心の底から実感したときのことを、人生が続く限り永遠に忘れることもなく色褪せることもないと確信できる原点に思いを馳せる。それはだれにも侵されることのない心の内面に存在する神聖な領域の中心に輝いている記憶なのだ。

 

「――俺が地下組織に入った当初に抱いていた不満はローエングラム公の改革でほとんど解消された。言論の自由や思想の自由が保障され、皇帝以外の為政者を批難しても逮捕されることはなくなったし、体制に迎合しない作品も多数発表されるようになった。風俗店も法律を守っているなら公然と運営しても問題ないようになった。理屈で考えれば完璧と言ってもいい。だが、それでもなお、俺の心は邪悪な専制体制を打倒せよと叫び続ける。いったいなぜだ?」

 

 白々しいにもほどがある問いだと全員が思った。なぜ心がそう叫び続けるのかだと? ()()()()()()()()! 苛立ちに似た感情を抱きつつもその答えを口にしはしない。もし本当に自覚なく問うているというのならば、彼らは自分たちの指導者たる資格なしとして目の前の男を殺しにかかっただろう。

 

 そして当然、ザシャは自分の心を分析できないような愚か者ではなかった。同志たちの心情を察して覇気に満ちた微笑みを浮かべながら、傲然と宣言した。

 

()()()()()()()()()()()()()! 冷たく寒くて厳しい環境の牧場が、温暖で暮らしやすい牧場に変わっただけ! われわれが強者という牧場主の家畜であるという立ち位置に変わりがないからだ! 力ある者がすべてを支配し君臨するという強者の論理が、いまでも存続しているからだ! 今はよい、今はよいかもしれん! だが、強者が気まぐれを起こせば容易く自分の生命が刈り取られる場所がわれらの居場所とされるのだ! そんな場所を受け入れることができるのは、人間ではないと心が叫んでいるのだ! そうだろう!?」

 

 賛同の声が巻き起こった。「そうだ!」とこの場にいるすべての共和主義者たちが熱狂的に連呼する。これを否定することができるものは、全員新体制に迎合し、地下組織から去っていってしまったから、だれも違和感を感じるものはいない。

 

「われら帝国の民は、だれもが絶対的な強者に自分たちの運命を握られ続けてきた! もうたくさんだ! われわれは、もう二度と自分の運命を他人に委ねたりなどしない! たとえそれがどれだけの苦難を伴うことなのだとしても、自分の歩く道は、他ならぬ自分が決める! もうわれらは眠れる蒙昧な臣民ではないから! おのれの足だけで、立って歩くと! 他のだれでもない自分の魂にそう誓った、ひとりの“人間”なのだから!!」

 

 ザシャの宣言にだれもが顔を紅潮させた。「そうだ人間だ!」「人間なんだ!」という同意の声が吹き上がる。そしてだれかが両手を掲げ、ある言葉を叫んだ。

 

「眠れる臣民(たみ)は惨めなるかな! 人間(ひと)として目覚めよッ!」

 

 それは憲兵隊に逮捕されてこの場にいない指導者が考案した、彼らのスローガンである。彼らの理念を端的に示したフレーズであり、共和主義の理念を知らない者でも感覚的に理解することが可能で、特に若者の心に訴えかけることができるという優れたスローガンだった。かつてザシャが帝国の体制転換を現実的に考えることができたほど組織が成長したのは、指導者がこういった宣伝的才能があり、仲間を増やす手法に長けていたからというのが大きな理由のひとつであった。

 

 感情の興奮がピークに達した九割近くがそのスローガンを連呼するいっぽう、ザシャを筆頭に残りの者達はそのスローガンを考案した指導者がこの場にいないことを悲しんで沈黙した。なぜここに彼がいないのか。そう心の中でつぶやくが、嘆いても指導者が監獄の中から脱出してきて戻ってこれるわけでもない。周りの熱狂もある程度落ち着いてくるとザシャは自分にそう言い聞かせ、指導者の代理としての責務を果たそうと顔を引き締め、声を張り上げた。

 

「同志諸君! 全銀河の共和主義者にとって、いまは絶望的な危機にある! 銀河の向こう側にある共和主義の根拠地は、黄金の専制者によって征服されんとしている! 国内の同志たちも専制者の恵みの雨のせいで民衆の支持が得られない苦しい状況だ。だがそれでもなお、われらは屈しはしない! この惑星には、遠い昔にルドルフによって蹂躙されるまで、オリオン腕すべてを照らす共和主義の灯火が輝いていた。われらの手で、失われた光を取りもどし、銀河中の共和主義者に示そうではないか! 立ち上がるべきときは、今であると!!」

 

 場の空気が引き締まり、緊張感がはりつめる。そう、この国が銀河帝国ではなく、銀河連邦とよばれていた時代に当然のようにあったもの。くだらないことなのかもしれないが、人間として尊いことであったと彼らが固く信じるもの。それを取り戻すことこそが、彼らの悲願である。この共和主義の聖地にて自分たちが立ち上がれば、必ずや帝国中の共和主義者たちも専制体制を打倒すべく、立ち上がってくれるに違いない。

 

「目標は、エルンスト・フライハルト・マティアス・アーブラハム・ジルバーバウアー総督以下ぁ! アルデバラン系総督府の主要官僚二八名の抹殺トォ! 放送局を占拠してその事実を帝国中に公表しぃ! 共和主義は不滅であることを世にしらしむること! 行動開始ィイ!!」

 

 ザシャ・バルクの怒声と共に、数千の共和主義者たちが武器を掲げ、見えざる熱気の嵐となりて、西に向かって我先にとだれもが駆け出した。麓に用意してある数十台の輸送型地上車に分乗し、テオリアの都市部を一時的に制圧し、専制主義への高らかな反逆を奏でるべく。




注意:なんかカッコいいこと言ってますが、帝国人一般視点だと民間人巻き込むテロリストです。
予定より話が進まない。プロットだとザシャさんは、こんなに喋る予定じゃなかったのに。

あと帝国の亡命者の話については冷戦中の社会主義国から資本主義国に逃亡した記録とかを参考にしました。
……ここの部分ね。これでも一度酷すぎると思って、悲惨さを抑えた描写に書き直したんだよ?


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マハトエアグライフング③

 アルデバラン星系の恒星間通信を管理する施設は、血の海になっていた。職員たちの死体の積み上げられた山から流れ出たものである。床に倒れていて移動するのに邪魔だったから、襲撃者たちがいくつかの場所にまとめて積み上げたのだ。施設内にある機械という機械はすべて破壊されていた。すべて斧で物理的に粉砕したのである。

 

 修理が不可能なほど徹底的に破壊しつくされていて、アルデバラン星系がほかの恒星系と通信を交わすには、新しく装置を製造をして設置しなおすほかに方法がなく、最低でも朝日がこの惑星を照らすまで、アルデバラン星系は情報的に孤立することとなるのだ。

 

「どういうことか、説明してもらおうか」

 

 何処か品がある黒色の軽装をした、灰色に近い銀髪と冷たい氷を思わせる碧眼が特徴的な青年、テオ・ラーセンはブラスターを目の前のフードと仮面と頭部を隠している人物に向けた。ラーセンの仲間たちも怒りに満ちた目でブラスターを向けられている相手とその背後の数人を睨みつける。

 

「どういう意味でしょうか。保安少佐殿」

「言葉通りの意味だハイデリヒ保安中尉。ルドルフ大帝の像を爆破したのは貴様らだな?」

 

 つい先ほど、町の各所に配置されていたルドルフ大帝の像が、いきなり爆発してあたりに引火したのである。黄金樹に忠誠を誓うラーセンからすると許し難い暴挙であり、こちらの手で陽動をするからと請け負っていたハイデリヒたちのグループの仕業に違いないと判断していた。

 

「やったのは東からやってくる共和主義者の仕業ということになるでしょう」

「やってくる……か。貴様らは、共和主義者とも手を組んでいたのか。思想犯として処断されても、文句は言えぬぞ」

「手を組んだ? ご冗談を。私たちはただ都合がいい場所にいた愚か者たちを利用しただけだ。それに思想犯? 陽動のためにはこれが最善だと確信しているが」

 

 じつのところ、ハイデリヒも市街各所のルドルフ大帝像を爆破するというのは、少なからぬ心理的抵抗があったのだが、大帝像をぶっ壊した方が共和主義者の犯行だと思わせることができるという意見をゲオルグが押し通したことでルドルフ大帝像以下、革命闘争の名場面を石像化したものを、八割がた爆破することになった。秘密組織の構成員が総督府の役人として石像の手入れをするときにすこしずつ仕込ませての犯行であった。

 

 まことに奇妙なことだが、ゲオルグはルドルフを崇拝しているのに、石像に対する敬意をあまり持ちあわせていなかった。普通の貴族ならルドルフ大帝の像を壊せといわれても、恐れ多いと言って拒否するだろう。なかには己の命に変えても守ろうとするものもいるかもしれない。それくらいルドルフの姿を模った石像は、貴族たちにとって侵しがたいものなのである。

 

 だがゲオルグは違った。確かに偉大なる大帝の姿を模ったものであるし、通りかかるときは軽く目礼のひとつでもしようかという気分にはなれるが……所詮、石くれであることに変わりはない。だからそれを壊すことによって利益を得られるなら、遠慮なんかせずにぶっ壊すべきだろうと自然に思えるのだった。それどころか、自分の姿を模ってるだけのたかが石くれに敗北する人類の姿なんて見せたら、ルドルフ大帝は絶対に失望するだろうと考えるほどだった。

 

「陽動だと」

「そうです。共和主義者どもが総督府の相手をしてくれる。その間に自分たちがゆるりとことをなせばいい」

「…………わかった。そうしよう。それでその共和主義者どもはどれくらいの数がいるのだ」

 

 しばらく憤怒を隠さずに睨みつけていたラーセンだったが、急にそのような感情がごっそり抜け落ち、ブラスターを腰のホルスターにおさめ、なにごともなかったかのように平然と実務的な話をふってきた。いきなり態度を変えた上官に、ラーセンの部下たちは肩をすくめ、完全ではないが向けられていた怒りが弱まる。あいかわらず気味が悪いとハイデリヒは心中で呟く。

 

 エーリューズニル矯正区出身者の多くがついさっきまで感情的な対応をしていたのに、唐突に別人のように理知的な対応をしてくる。まるでバグが発生したので電源を落として再起動する機械のように。だから、一部ではエーリューズニル矯正区出身者はサイボーグと皮肉を交えた蔑称で呼ばれることさえあるのだ。

 

 噂によるとこれは、合理的な思考能力と帝室への揺るがぬ忠誠を両立させるための思想教育の副産物であるという。帝政を誹謗する言葉は何ひとつとして認めず拒絶する頑なな思考回路が存在するいっぽう、それにとらわらず柔軟で現実的な意味における利益を追求する思考回路が別に存在する。いわば、自覚的な二重人格というやつで、より状況に適している方の思考が表に出てくるという。本当かどうか知らないが、本当だとすると矯正区でいったいどんな教育を受けたらそんな精神性を作りあげることができるのか、ハイデリヒにはわからない。

 

 だがその副産物として、いくつにも思考と感情が分裂しているのだから、分裂している現在とは対極の思考と感情を有している部分に切り替わり唐突にまったく別人のような対応ができるのは、むしろ当然であるというのだ。エーリューズニル矯正区出身者に対してそのような噂がまことしやかに囁かれているのである。

 

「たしか四千から五千と聞いている」

「少なすぎないか。憲兵や警官がこの惑星には万単位でいるんだぞ。その数で陽動が務められるのか」

 

 その疑問にハイデリヒは苦笑した。たしかにそう思うのが自然だろう。十数万の足止めをたかが五千でどうにかしろなんて、ふざけているのか思うのが当然である。しかし、それは憲兵や警官が味方を信頼し、正しい認識の下で行動できるという前提での話だ。

 

「心配無用だ。連中は疑心暗鬼と存在しない敵への対処で忙しいからな。数時間は自由に行動できるさ」

 

 ハイデリヒが自信満々にそう断言した。たしかにテオリアの治安組織はそのような状況になりつつあったのである。憲兵司令官ツァイサー中将は暴動が発生したという情報を入手すると、即座に全憲兵部隊にどのような事態が発生しても軽挙妄動する者は厳罰に処すと厳命した。テオリア各地の憲兵としては、テロを放置せよとも解釈できる内容に不満と不信を感じたものである。

 

 その命令を出したツァイサーは憲兵司令部から総督府へと移動していた。総督以下、要人の警護する必要があると感じたからである。この緊急事態を知れば、寝てても出勤してくるだろうと考えたのだが、肝心のジルバーバウアー総督の姿が見えないのであった。

 

「総督閣下はいずこか」

 

 総督の官舎の警備に当たっていた憲兵の一人に、ツァイサーはそう問いかけた。爆弾テロが発生した直後、官舎の警備にあたっていた憲兵たちは、ここは危険ではないのかというジルバーバウアー夫人の不安に同意し、恐怖で震える総督の家族を護衛しながら総督府へと移動してきたのであった。

 

「総督閣下は警察支部長が至急話し合いたいことがあるということを聞いて、昨日の一〇:三〇にグレル少尉以下八名を連れて警察支部へ行かれました!」

「警察支部だな。よくわかった。リヴォフ中佐!」

「はっ!」

「二個小隊を与える。総督閣下を護衛し、こちらまでお連れするのだ」

「了解しました!」

 

 急いで準備を整えて総督府から出て行ったリヴォフを見送りながら、ツァイサーは焦っていた。このまま総督が警察の警護下に置かれるのはまずい。憲兵隊の管理下にあるならなんとか対処できるかもしれないが、警察だと最悪の場合、自分は確実に破滅してしまう。

 

 ツァイサーは自分が運営に責任を持っているこの惑星の憲兵隊に好ましくない思想的傾向があることを気に病んでいた。それは憲兵の間で共和主義の思想本が流行っているからである。共和主義の思想は治安を乱す危険な要素であるとしか解釈できない憲兵中将としては、政治犯として容赦なく逮捕したいところなのであるが、ラインハルトの改革によって政治犯扱いされる基準が大幅にさがったのでそれは不可能だった。

 

 憲兵隊は専制体制を守護する忠実な番犬であるべきだ。そんな信念をツァイサーは抱いている。なのに、憲兵の間に専制を否定する共和主義思想が蔓延しているなんて断じて許容できることではない。言論と思想の自由が保障されているから、政治犯・思想犯として直接逮捕することができないならばと、合法的に許される範囲のあらゆる手段を用い、なんとか彼が愛する憲兵隊から共和主義思想を去勢しようとしたのだが、その思想は根強く張り付いていて、消し去ることは困難だった。

 

 だから自分の部下の大部分の憲兵を信じられない精神状態にツァイサーは陥っていた。だから信頼できる古参憲兵将校を中心に、思想的な過ちが見られない憲兵を集めた部隊以外、この騒動で動かす気は彼にはなかった。もしこの騒ぎに乗じて共和主義にかぶれた憲兵がなにかしでかせば、自分の生命が危ない。

 

 すでに領地も特権も返上し、そのことを後悔してもいないが、ツァイサーは今もれっきとした貴族であり、爵位を持っている。ローエングラム体制が成立し、多くの貴族が粛清されているのに自分が憲兵隊の高級将校として生き残れたのは、先の内乱で貴族連合に加担していなかったからであり、自分自身に政治色が皆無な仕事人間で、実力主義を標榜する体制から有能とみなされたからだと思っている。自分の指揮下にある大多数の憲兵が程度の差はあれ共和主義に共感しはじめ、それを改善しようとする思想改革にはことごとく失敗しているという事実は、自分が無能だと中枢に認識されるかもしれず、そうなれば他の貴族同様自分も粛清されることになるのではないかと恐れているのであった。

 

 だから総督の身柄は絶対に確保しなければならない。後々問題になるかもしれないが、なんとかして総督に警察を主体として今回のテロを鎮圧させるように命令を出させるのだ。そうすれば、憲兵隊の思想的問題はまだ隠すことが可能なはずだ。秘密裏に憲兵隊の問題を処理しなくては、自分の身には破滅しか待っていない……。

 

 いや破滅だけですめばいい。いまは自由惑星同盟を僭称する叛徒どもと、共和主義と専制主義の決して相容れぬイデオロギーが全力でぶつかりあう最終戦争中なのだ。そんな時に共和主義がはびこる温床を放置していたとあっては、真っ当な殺し方で殺されるかどうかすら……。

 

 真っ黒な自分の未来の予想図に寒気を感じ、ツァイサーは体を震わせた。そしてそれに追い打ちをかけるように、悪い報告を持ってリヴォフとは違う憲兵将校がやってきた。

 

「東方面の各駐屯地からの報告によると、東方面から大量の不審な地上車がこちらに向かっているとのこと。またある駐屯地の憲兵が独断でその地上車を止めて臨検したところ、中にいたテロリスト四八名と銃撃戦となったとのこと。その過程で三二名をその場で射殺。残った一六名は尋問中に死亡したそうですが、その供述によるとテロリストどもは共和主義過激派のようです」

「……な、なんだと?! 間違いないのか!!」

 

 ツァイサーは我慢しようとしたが、我慢できずに叫んだ。共和主義過激派のテロだと? 最悪だ。

 

「はい。彼らが言っていた“眠れる臣民(たみ)は惨めなるかな! 人間(ひと)として目覚めよッ!”というのは大規模な共和主義系の反体制組織のスローガンです。ローエングラム体制の成立と同時に空中分解し、残っているのは過激派のみという情報がデータベースに」

「な、なんてことだ……」

 

 今度は諦観を込めた絶望的な声でつぶやく。一分ほど沈黙したあと、随分と不明瞭な報告であることに気づき、報告に来た憲兵を怒鳴りつけた。

 

「大量、などと大雑把な報告をしおって! はっきりとその不審な地上車は何台くらいあるのか報告しろ!」

「そ、それが、各駐屯地の報告が食い違っておりまして……。十台程度という報告もあれば、千台以上見たという報告も。私見ですが全体から推察すると三百台前後ではないかと」

「な、なに……」

 

 一台に五〇人前後の共和主義者が乗っているとして、それが三百台前後? つまり、約一万五〇〇〇もの共和主義系テロリストがこのテオリアに潜伏していたというのか。それだけの数となると体制側に協力者がいなければ、潜伏し続けることはまず不可能であろう。そしてその場合、協力者として一番疑わしいのは、間違いなく危険思想に汚染されつつある我が憲兵隊だ。

 

 本格的に自分の生命の危機だと、ツァイサーは理解した。どうする? いったい、どうすればいい? 任務放棄して逃亡するか? いや、それはだめだ。国家の目を欺いての逃亡生活なんて現実的に困難だし、憲兵としての意地もある。任務放棄なんて、いままで憲兵として仕事をしてきたという矜持がゆるさない。なにか、ないのか。起死回生の策は!!

 

 激しく苦悩するツァイサーだが、苦悩する時間的余裕すらないのだ。結局、総督府の要人とその家族をもっと目立たない場所に移動させることを命じただけだった。テオリアには警察と憲兵をあわせて三〇万弱の治安戦力があるが、都市部に一極集中しているわけではないので、すぐに使えるのは五万程度だ。しかも憲兵隊の大半は信用ならないので、実質的に使えるとなると三万弱だろう。これでは総督府を守りきれない可能性があると判断したのである。

 

 そして総督の身柄を確保しなければならないという思いをより強くした。総督を手中に治め、この事件の処理がついたあとにやってくるであろう帝都のお偉方に対し、憲兵隊の思想的問題を隠すように口裏をあわせてくれるように頼むのだ。いや、状況が状況だ。この際、脅してでもいうことを聞かせるべきだ。総督は気の弱い官僚、彼の妻でも人質にとっているといえば、簡単に脅しに屈するにちがいない……。

 

 それから、共和主義者どもに協力した憲兵隊内の思想犯どもも、帝都のお偉方が来る前に見つけ出し、一人残らず抹殺する。帝政と秩序を守護する使命を帯びた憲兵でありながら、危険思想にかぶれた愚か者どもをそんな楽に殺してしまうのは忸怩たるものがあるが、表沙汰にしてしまうと憲兵隊全体への信頼問題に発展しかねない。それはなんとしても避けなくてはならないのだ。

 

 そうした打算もあって、総督府に残っている信用できる憲兵をかき集め、ツァイサーは自身も警察支部に赴くことを決意した。警察のいけすかないへルドルフが功績を横取りされることを警戒して憲兵を追い払っているかもしれず、それにリヴォフ中佐は対抗できないだろうと考えたからであった。ならば司令官である自分みずから出向き、警察の功績を奪う気はないと説得するしかあるまい。

 

 ツァイサーがそのような決心をしたとき、ゲオルグはオットーやベリーニ、そしてブレーメ以下総督府貿易課の課員ら六名とともに、ある仮宿に居た。大量の無線機とアンテナが設置されていて、これで先ほどからザシャ・バルクらの活動に関する通信報告を改竄し、警察と憲兵を混乱に陥れているのであった。ここ以外にも、テオリアのあちこちにこうした無線を傍受し、改竄する設備を秘密裏に設置していたのである。共和主義過激派の数がとんでもないことになってるのもそのせいであった。

 

 だがもし改竄を見抜かれたらという心配があり、ゲオルグはそれにたちの悪い対処をしていた。秘密組織の構成員である憲兵に無茶苦茶な報告をさせているので、改竄に気づいたとしても、普通の報告も一部がおかしいのである。巧みな改竄と無茶苦茶な報告により、共和主義過激派の規模を推測するのは困難であろう。

 

「こんなものか。そろそろ移動するぞ」

 

 そう言ってゲオルグは立ち上がり、一拍おいて他の者達も立ち上がった。ブレーメら貿易課の者達以外は、恒星間通信施設を襲撃したハイデリヒ同様の体を覆い隠すような黒いコートを着ていて、フードを深くかぶると背格好以外は判別が難しくなってしまう。このように自ら行動するときは、さすがのゲオルグでも自分の身を隠す努力というものをするようであった。

 

 証拠隠滅のため、仮宿に時限爆弾をセットし、ゲオルグたちは外に用意してあった地上車に乗った。運転席は貿易課員で、助手席に座るのがブレーメ、二列ある後部座席の一列目は残りの貿易課員が埋め、ゲオルグ、オットー、ベリーニは一番後ろの座席である。全員が乗ったのを確認すると運転手がゆっくりとアクセルを踏んだ。

 

 車道に他の地上車が見当たらないのは、単に真夜中であるというだけが理由ではない。テロリストたちが団体でこちらに向かってきており、治安部隊との銃撃戦が発生することを想定し、ツァイサー憲兵中将が民間人を巻き込まないために、決して外にでたりしないようにと星系立体TV放送局に命じてそういった内容の緊急放送をさせているからであった。だから騒ぎに目を覚ました住民は自宅に身を潜めていることであろう。

 

 とはいえ、あくまで一般人が出歩いていないというだけで、一般人でない者たちはせわしなく動いている。警察支部に近づいてきたところで、警備にあたっていた警官が車を止めるよう発光棒でしめした。運転手はその誘導にしたがって、車を止める。助手席からブレーメが外に出て、警備にあたっている警察官のリーダー格である巡査部長に話しかけた。

 

「私は総督府商務局貿易課長のハインツ・ブレーメだ。先ほど起きて立体TVの電源をつけたら、なにやら騒ぎが起きているそうなので、警察支部に行って君たちの上司から事情を説明してもらおうと思うのだが、通してもらえないだろうか」

 

 丁寧な態度に、巡査部長は多少警戒を解き、身分証明書を出すようにお願いした。ブレーメは財布の中から身分証明書を取り出して、差し出した。自己紹介通りのことが書いてあり、顔写真とも一致することを確認すると巡査部長は悩んだ。怪しい者の通行はすべて止めよと命じられているが、ブレーメはちゃんとした証明書を持っている。通しても問題ないだろうと三〇秒ほどの思考して結論を出し、ブレーメたちの車を通した。

 

「さすがは警察だ。どこぞの憲兵どもと違ってまともに仕事をしている」

「……憲兵をまともに働けない状況に追い込んだ人が言うことですか」

 

 ゲオルグが大真面目にそんなことを言うので、オットーはあきれたものである。声に出して言ったのはオットーだけだが、全員が同意見であることを表情が物語っていた。

 

「なにを言う。別に法律的には何の問題もないはずだぞ」

「そうでしょうけどねぇ。不文律ってものが普通あるでしょう。ハイデリヒが酷すぎるってボヤいてたわよ」

「悪辣? 私はただ、新鮮な話題を憲兵どもに提供してやっただけだぞ? 言論の自由万歳、思想の自由万歳。憲兵隊内部に共和主義者なんていないのに、いると思い込んでるツァイサーが愚かなだけにすぎぬ」

 

 とは言いつつも、ゲオルグも内心ではオットーやベリーニの言葉が正しいことを認めていた。すくなくともいまのところ、ローエングラム体制は個人の自由を強く擁護している。だからゲオルグはズーレンタール社に潜んでいたときから、それを利用する悪辣な術をたくさん考えており、これはその一種であったからだ。

 

 ゴールデンバウム体制において共和主義は徹底的に弾圧され、その思想は抹殺されてしかるべきものであった。好奇心ゆえに知りたいのか、革命を起こすための知識が欲しいから知りたいのか、当人にしかわからない。ゆえにルドルフ大帝は共和主義の思想本を焚書し、その思想を理解しようとすることを国法によって禁じた。

 

 特権を有する貴族階級、もしくは政治犯や共和主義弾圧の実行面を担う社会秩序維持局や憲兵隊などの一員であれば、政治や仕事をする上で必要性があるので不文律によって例外扱いされているが、それでも共和主義のことを深く知ろうとのめりこめば、まわりの疑心を招き、思想犯として告発されかねない。命あっての物種と積極的に共和主義の精神を理解しようと調べる者は皆無ではないにしても、圧倒的少数派であった。

 

 だが、ローエングラム体制では共和主義がどのような理念であるのかどれだけ知ろうとしても思想犯として裁かれることはない。そしてツァイサーは有能で仕事熱心なベテラン憲兵である。ゲオルグはこの二つの要素は、ある意味では喜劇的な認識のすれ違いを起こせると確信し、以下のような計画を立てた。

 

 まず憲兵隊に潜り込んでいる秘密組織の構成員に今まで焚書指定されていた共和主義の思想本を配布。同僚や部下にたいして、その話題を振ることを促した。古参のベテランや潔癖症な者を中心にそれなりの数の憲兵が共和主義の話題をすることを本能的に拒絶したが、少なくない数の憲兵、特に若い者たちが興味を持って、共和主義に関する話題に積極的に参加した。

 

 彼らは自由惑星同盟を僭称する叛徒とやらが、共和主義なる理念を掲げて銀河帝国の支配を否定しているということを知ってはいたが、肝心の共和主義にかんしては極めて断片的な知識しかないのである。ゴールデンバウム王朝は共和主義は人類社会を堕落させる危険思想として喧伝していたが、そんな思想の勢力が帝国と一世紀半も戦えるはずもないので、罰せられることをおそれ、口にはださねど、大部分が嘘であろうと思っている者が多かった。真実を知りたくても、国家がそれを認めなかった。

 

 しかしいまはローエングラム公によって言論の自由が保障された時代である。自分たちの祖先らも軍に徴兵され、そしてそのうちの何割かが戦場に倒れて帰ってこなかった。そうして帝国が戦ってきた叛徒は、いったいどのような主義主張をして銀河帝国に戦いを挑んでいたのだろう? 今現在、ローエングラム公が大軍を率いて叛乱軍と激突していることもあり、にわかに興味を持ち、すっかり最近の流行りの話題となってしまったのであった。

 

 全員が全員、そんな柔軟な思考ができれば何の問題も起こらないであろうが、そんなわけがなかった。古参の憲兵たちの感覚からすると多くの憲兵が、全員犯罪者として政治犯収容所送りになってもおかしくない話題を平然としているという、異常事態でしかない。法的には犯罪者ではないことを理解できたとしても、ゴールデンバウム体制下で職務に従い、長年に渡って政治犯・思想犯を逮捕・拘禁してきた古参憲兵には、違和感を禁じ得ない光景なのだ。

 

 特にツァイサーのように長く憲兵として働き、多くの実績を残しており、なおかつ人間としてまっとうな論理観を持っていた場合、共和主義の話題が受け入れらない深刻で切実な理由がある。彼らは帝国の法秩序と権力者の命じるところ、数え切れない共和主義者を逮捕し、拷問にかけて自白を吐き出させ、政治犯として収容所送りにしてきたのである。いや、明確な共和主義者でなくとも、その疑いがあるというだけで同じように扱ったことが何度もある。なんとなれば、共和主義とは絶対悪であり、秩序を破壊する危険思想である。その邪悪を人類社会から根絶することは旧体制においては疑う必要すらない絶対的正義であったから。

 

 なのに、今になって、そうではないなどと言われても、受け入れらることではない。共和主義は絶対悪でなくてはならないのだ。そうでなければ、自分たちがいままでやってきたことは、いったいどうなるのだ。自分たちは「皇帝陛下の御為」に、「帝政を守護する為」に、「安定した秩序の為」に、「無辜の民が安心して平和に暮らせるよう」に、共和主義を弾圧してきたのである。ナノニ、ソウデハナイノダトシタラ……。

 

 そうした古参憲兵たちの心情を、ゲオルグは正確に洞察している。だからこそ、彼らは共和主義を絶対悪と頑迷なまでに信じ続け、否、信じ続けようとする。そうしなければ、良心が耐えられない。もし認めてしまえば、心の内奥に封印されている巨大な罪悪感が目を覚まし、押しつぶされてしまう。ゆえに、共和主義の話題なんてしている憲兵に疑心を抱き、信頼することなどできはしない。それを恥と思い、隠そうとするであろう。

 

 ツァイサーは、まさに思惑通りに踊ってくれた。ゲオルグは、自分が敷いた道を歩んでいる相手にはすこしだけ憐れんだ。旧体制が続いていれば、ツァイサーは自分がやっていることの大いなる矛盾に気づかずにすんだであろう。旧体制が続いていれば、汚職もしない模範的な憲兵として称賛され続けたであろう。しかし時代は変わってしまった。憲兵としての矜持と強い順法精神の持ち主だったから、幸か不幸か新体制でも生き残ることができた。だが、開明的な新体制はツァイサーにとっては、罪悪感と息苦しさしか感じられない体制なのだろう。

 

 とはいえ、ツァイサーは憲兵であることもあって、向けられた同情はほんのわずかである。どれだけ息苦しかろうが、罪悪感に苦しもうが、新体制に受け入れられているのだからよいではないか。こっちは新体制が全力をあげて拒絶し、抹殺しようとしてくるんだぞとゲオルグは強く思い、死んでしまえと思った。死んでしまったほうが、彼にとっても救いであろう。

 

「着きましたよ」

 

 到着を告げる声に、ゲオルグは思考の海から戻ってきた。そこは警察支部から約五〇〇メートルの地点で、普通の街道である。ゲオルグとベリーニ、オットーの三人はここで車を降りた。

 

「さて、軍人としての腕前を見せてもらおうか。少佐」

「……任せておけ」

 

 オットーは背中に下げていたビーム・ライフルを手に取り、不敵に微笑んだ。まだ混沌の夜は始まったばかりである。




ツァイサーの心情をソ連秘密警察に例えて解説。

NKVD将校「同志諸君! ついにファシスト・ドイツと最終決戦のときが来た! 革命的精神を忘れずに戦い抜こう。同志、読書とは感心だね。カール・マルクスの『資本論』かな。それとも『共産党宣言』かな」
NKVD職員「アドルフ・ヒトラー著の『我が闘争』であります!」
NKVD将校「反動的ファシストの本を読むとは! 貴様、それでも党の剣にして盾か!? 正体は敵国のスパイだな!! 反革命分子が!! 粛清してやる!!」
NKVD職員「しかし同志スターリンが他の思想を知ることも大事だと布告を出され、反革命罪に問わないからよく議論しろと。今、ほぼすべての党員が資本主義やファシズムについて自分の意見を述べてますよ」
NKVD将校「……え?」

NKVD将校「人類の未来のため、革命を完遂するため、反革命分子を殺してきた。ある工場長を殺した。彼の工場で起きた事故は意図的なものだとされたからだ。外国語を流暢に喋る非党員を殺した。外国のスパイかもしれないとされたからだ。外国人に道を教えた国民を殺した。そのうち国家機密も教えるかもしれないとされたからだ。すべては党中央からの命令だった。たくさん反革命分子を殺してきた。たくさん、たくさん、たくさん……泣き叫ぶ子どもだって殺してきた。なのに、今になって党中央は殺してきた者達の思想を推奨するするのですか……? なら自分がやってきたことはなんだったのです? すべては地上に労働者の楽園を築くためだと信じていたのに……」


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マハトエアグライフング④

「いまでもあの日のことを鮮明に覚えています。危険だから外出禁止と壊れたように繰り返す立体TV。外から聞こえてくる怒鳴り声と悲鳴。そして断続的な爆発音。まだ九歳だった私にも、外では恐ろしいことが起こっているとわかりました。不安と恐怖で震えがとまりませんでした。だから父が外の様子を見てくると言ったとき、父がどこか遠い場所にいなくなってしまうと思い、泣き叫んで止めました。でも父はやわらかに微笑み、私を抱きしめ、ちょっと家の周りを散歩するだけさ。戦場帰りの父さんを信じなさいと優しく耳元で囁き、外の様子を見に行ってしまいました。

……でも、やっぱり、どれだけ待っても父は家に帰ってきませんでした」

――混狂の夜(カオスズラーズライ・ナハト)事件当時、テオリアに住んでいた少女の証言。

 

 

 

 警官隊と過激な共和主義者の群れは市街の各場所で銃撃戦を展開していた。いっぽうはテロリストから街と住民を守るため、もういっぽうは共和主義の灯火が消えていないことを銀河に示すため。どちらも引くことができない激闘であった。

 

畜生(シャイセ)! 押されている! なんとしても押し戻すのだ!」

 

 この防衛線部隊の指揮をとっている警部補がそう言って押されている部下たちを叱咤激励していたが、敵の勢いはすさまじいもので、とても止められるものではなかった。蜂起した共和主義系テロリストたちはここで結果を残さねばあとがないと確信しており、それだけに戦闘意欲が旺盛だった。

 

 また兵力的な差もあった。なにがあっても駐屯地から動くなという憲兵司令官の命令があるので、憲兵たちはいまだ各駐屯地で新しい命令はまだかと苛立ちを感じながら待機している。なのでテロリスト相手に市街戦を演じているのは、警察と命令無視した極少数の憲兵のみであった。

 

「憲兵のやつらは、いったいどこでなにを遊んでいるんだ?! いつも偉ぶってるくせに、いざという時に役に立たないクソどもが!」

 

 物陰に隠れながらテロリストと銃撃の応酬をしているライス巡査が、怒りも露わに叫ぶ。今現在戦っている警官たちは、ツァイサー以下古参憲兵の心理状態や、それに基づく憲兵への待機命令など知らないし、推測のしようもない。なので普段の憲兵と警察の対立意識もあって、そういった罵声が口から零れたのである。

 

「嫌々徴兵されて治安を守ってる連中だからな。街を守ろうって気概がねぇのさ」

 

 上官の巡査長が冷ややかにそう言った。これは一面の事実ではある。憲兵隊は帝国軍の一部門であり、多くの兵卒や一部の下士官は強制的に軍務省によって徴兵された兵士である。いっぽう警察は志願制であるから、嫌々警察官になったというのは、特殊な事情でもない限り、存在しない。ゆえに警察の方が憲兵より街の治安に責任感を持っているのだという自負が警察にはあり、こういった精神的な要素も憲兵隊と警察が対立する要因のひとつであった。

 

 バリケード代わりに乗り捨てられた地上車の影に隠れつつ、じりじりと後退しながらも防衛を続けていると、巡査長の耳がある奇妙な音声をとらえた。そしてそれがなんなのか頭脳が理解した時、それが信じられず、巡査長の口から小さなつぶやきがこぼれた。

 

「正気か?! 連中、戦闘中に歌ってやがる……」

 

 その愕然とした呻きを聞いて、すぐ近くにいたライス巡査は耳を澄ませた。たしかに怒号と悲鳴に紛れて雄々しい歌声が大気を震わせていた。

 

「天上の救世者を求めず、神も皇帝も求めない。

我らは自由を手に入れる。己の力で鉄鎖を断ち切るのだ。

起て! 呪われしものたちよ! 飢えたるものたちよ!

圧政者が奪いしものを取り戻し、すべてを享有するのだ。

皆が共に立ち上がれば、勝利は我らのもの!」

 

 多くの帝国人が知らない歌であり、フェザーン人や同盟人でも歴史によほどの興味がないと知っていないだろうが、それははるか昔、人類がまだ小さなひとつの惑星のみを生存圏としていた時代に誕生し、地上のあらゆる場所で熱唱された革命歌である。偉大な誰かに率いられるのではなく、自らの力で自由を手に入れるのだという趣旨の歌詞が、現在テオリアを襲撃している共和主義地下組織の構成員たちのロマンチシズムを大いに刺激し、いつしか士気向上のためによく口ずさむ歌となっていた。

 

 ライス巡査はその歌詞の意味をほとんど理解できなかったが、虐げられた者達が結集して圧政者を打倒を目指す意味の歌なのだと解釈した。しかしそれならそれで理解に苦しむことである。虐げられた者達とはとどのつまり、貧しい下級貴族家として一般的な平民以下の暮らししかできなかったと伝え聞くローエングラム公とその旗を仰いでいる、大貴族の支配下で虐げられていた自分たちのことに他ならない。なのになぜ、そんな歌を歌う連中が自分たちと敵対するのか。

 

 しかしその疑問を考える時間は、ライス巡査に与えられなかった。少しづつしか前進できていない状況にしびれをきらした数人のテロリストがハンド・キャノンを持ち出してきて、警察の防衛線の一部を文字通り吹き飛ばしたからである。爆風で態勢をくずしてうつむけに倒れたライス巡査の胴体を、遠方からの光線が貫いた。

 

「おおし! なんとか突破したぞ! 俺たちが総督府に一番乗りするんだ!」

 

 ライス巡査の死体を踏みつけながら、指揮官の青年は叫んだが、まわりの反応は冷静だった。

 

「いや、でもジャンさん。ほかの部隊の突破を支援するために、警官隊に後方から殴りかかったほうがいいんじゃないですか」

「うーん。たしかにそうだが、俺たちにとって時間は敵だろ? ならさっさと総督府に乗り込んだほうが……」

「本当にジャンはせっかちなんだから! 総督府の防備はもっと硬いはずよ。みんなと協力したほうが確実だわ」

「あー、うん。イルゼの言う通りだ。すまん」

「本当にジャンさんは嫁さんに弱いですねぇ」

「うっせぇ! あとで絶対にしばくぞホルガー!!」

「そうよホルガー、私たちまだ結婚してないのよ」

「……いや、それはちょっとずれてないかイルゼよ」

 

 この部隊の指揮官はジャンと呼ばれている青年なのだが、何も知らない一般人がこの光景を見たら、とてもそうとは思えないほど部下から舐めた口をきかれていると判断し、なさけない指揮官であると評価するであろう。しかしこんな珍妙なことになっているのはジャン個人の資質の問題ではなく、むしろ組織の気風によるものであった。

 

 きっかけは彼らの地下組織が拡大していく過程において、構成員間の不公平意識が強まってきたことにある。銀河帝国は身分社会であり、それぞれの身分や境遇で受けられる教育が異なっている。高等教育を受けていない者が、受けた者より優秀であることは稀であるため、必然的に幹部クラスは元貴族や上流階級の平民が多数派となり、それによって生じた不満は身分差別に発展しかねない。その状態で革命に成功しても帝政時代となにも変わらないことになるのではないか、上層部はそれを危惧し始めた。

 

 そのときの指導者であり、現在は憲兵隊に逮捕されて政治犯収容所にいる男は、ものすごい突飛な解決法を編み出した。すなわち「敬語を禁止し、タメ口を推奨する」である。たがいに遠慮しない口調で話し合うことによって、構成員の身分意識の軽減を狙ったのである。また彼らが目指す民主共和政体には指揮系統的な意味での上下関係はあっても、身分による上下はないということを示す点でも好都合というのが指導者の見解だった。幹部たちはそんなことでどうにかなる問題なのかと疑問に思ったが、とりあえず試してみようという指導者の言葉を否定する理由もなかったので、その案は消極的にだが幹部会で可決された。

 

 この珍妙な解決法は、過程において様々な問題が噴出したものの、最終的にはなぜか大成功した。地下組織の構成員たちはすべての人間は平等であるという認識を共有し、立場の上下に関係なくタメ口を使うようになったのである。この成功に上層部は大満足し、さらにこれを加速させるため、貴族家出身者は家名で元の身分がわかってしまうので「ファースト・ネームで呼び合うこと」やタメ口に卿なんて二人称はどう考えてもおかしいので「仲間内の丁寧な二人称は同志」ということも規則として設けられた。こうして同盟人の目から見ても異様に見える、そんな独特な組織文化を構築したのである。

 

「いくぞ同志諸君!」

「この流れからかっこつけるのは、かなり無理があると思う」

「私もそう思うわ」

「おまえらひでぇよ!」

 

 余談だが、こうした共和主義の理念を上層部が独自解釈したゆえに誕生した地下組織の文化は、やっぱり共和主義者って帝国政府の言う通り野蛮な連中なのだなという保守層の帝国人の認識をより強くさせるという副作用があったりしたのだが、もともと彼らは帝政を絶対視する保守層の支持や協力なんて期待していなかったので、大した問題にはならなかったようである。

 

 このように自由を欲する者達が派手に暴れて官憲の注目を集めているいっぽう、それに隠れて目立たずに動いている者達がいた。前者と後者の目的はある意味では似通っていた。ローエングラム体制を容認できないということと、歴史の流れを逆流させようと目論んでいるという点において彼らの目的は共通していたからである。しかし前者は時計の針を五〇〇年前まで戻そうとしているのに対し、後者はほんの数年前に戻そうとしている点において致命的に異なった。

 

 テオ・ラーセンたちの旧体制の残党は救急車に乗って堂々と移動していた。これは病院に潜り込んでいた秘密組織の構成員が騒ぎに乗じて盗み出したものである。その盗人たちは、ラーセンたちと落ち合った後、救急車を譲り渡し、両手両足を手錠で拘束されて道端に転がされている。表向きは救急車に乗って移動していたところをラーセンたちに襲われ、救急車を奪われたということになっているのであった。

 

 彼らの襲撃目標は、共和主義者たちのような総督府の高官ではない。そこを襲撃する理由も政治的なものではなかった。彼らのような旧体制の残党をまとめあげて組織化した当初から運営者の頭を悩ませていた問題を解決するためであった。すなわち襲撃目標は銀行・宝石店など金目のものがある場所であり、襲撃理由は組織を運営する上で致命的な問題であった資金不足の解決であった。

 

 テオリアは一億の人口を誇る大都市惑星である。当然、銀行の金庫に眠っている現金の額は膨大なものだろうし、上流階級向けの宝石店にも一級品が揃っているだろう。犯罪だという点を気にしないのであれば、こういった場所を襲撃し、金品を強奪することは、なるほど効率的な資金調達方法と言えるだろう。

 

 真夜中なので締め切ってあるテオリアの中央銀行に数台の救急車で乗りつけたラーセンたちは、扉を斧で粉砕してこじ開け、土足で銀行のロビーを踏み込んだ。早朝から職務があるために銀行で寝泊まりしていた者達は、外から聞こえてくる爆発音や悲鳴ですでに目を覚ましていて、やってきた襲撃者たちに怯えて身を隠したが、襲撃者たちが銀行内を捜索してほとんどの人間はロビーに集められた。

 

「やむを得ぬことであったとはいえ、突然銀行を襲撃をしたことについて詫びよう。われわれは銀河帝国とゴールデンバウム王朝の将来を憂う愛国者である。諸君らに対し、可能な限り、紳士的に対応したいと思っている」

 

 ロビーに集められた三十余名の職員たちの不安をやわらげるような口調でいけしゃあしゃあとそんなことを言ってのけたラーセンの右手には、ブラスターがしっかりと握られていた。

 

「諸君らも知ってのことと思うが、近頃、ラインハルト・フォン・ローエングラムとかいう君側の奸がいまだ幼少の身であらせられる皇帝陛下を惑わし、国政を壟断し、悪政を敷いている。われらはこれを除くために行動している者達なのだ。万難を排してこれを成し遂げるつもりだが、しかし活動資金が足らぬのだ。よって諸君らから帝国への忠誠として、資金援助をしてもらいたい」

 

 これに反発した若い職員が感情的に反発した。

 

「ローエングラム公が悪政を敷いているというが、昔と比べて遥かに公正な善政を敷いている。なにをもって悪政を敷いていると言い切れるのか」

 

 挑発的な反論だったので、他の職員たちは旧体制残党の怒りを買ってしまうのではないかと思い、惨劇の未来を予想して不安を抱いたが、その予想を完全に裏切り、ラーセンは穏やかな声のまま平然と反論をしてきた。

 

「どこからどう見ても悪政だろう。むしろ、どこが昔と比べて善政であるのか逆に聞きたいのだが」

 

 若い職員は戸惑った。そんな言葉がかえってくるとはまったく想像していなかったのである。

 

「……え、えーと。公正な法律が制定されて、俺たち平民を弾圧してた秘密警察とかがなくなったじゃないか」

「公正な法律? 帝国を支える貴族階級を根絶させるなど、国家を崩壊へと導く愚策にしか思えないが。それに秘密警察というのは、社会秩序維持局のことか? あれは秩序を破壊しようと企んでいる危険分子の排除が仕事だ。後ろ暗いことをしていない者を逮捕したりすることはないぞ」

 

 ラーセンは心底不思議そうに首を傾げる。その素っ頓狂な態度が若い職員の怒りを掻き立てた。

 

「ふ、ふざけるな! 帝国を支える貴族階級? ただ俺たち平民を虐げてただけじゃないか! 社会秩序維持局だってそうだ。俺の父親はな、ちょっと貴族の悪口言っただけで拷問にかけられたんだぞ!」

「なにを言っている? 貴族が平民を虐げるわけがないだろう。選ばれた優秀な遺伝子を持つ貴族の支配下にある平民は皆、幸せに暮らしていた。その恩を忘れて貴族を罵倒したというなら、貴様の父は殺されて当然ではないか。なのにその程度ですませてくれたのだから、むしろ貴様は貴族の慈悲深さに感謝してしかるべきだろうに」

「な、なに……?」

 

 あまりに無茶苦茶な主張に、若い職員は本気で言っているのかと言い返しかけたが、灰銀髪の男は至極当然のことを言っているという態度だったので、信じられなかった。それでも若い職員は、震える声で、ラインハルトの独裁体制が民衆に支持される大きなきっかけになった、大貴族の暴虐の象徴的な事件を口に出した。

 

「ヴェ、ヴェスターラント二〇〇万の住民を虐殺したブラウンシュヴァイク公の所業を知ったうえで、そんなことが言えるのか……?」

「ヴェスターラントの住民は暴動を起こし、あろうことか領主のシャイド男爵を弑逆したのだろう? つまりは秩序の破壊を目論む危険分子どもだ。それも、やらかした所業からして数ある危険分子の中でも最悪の類、とびぬけて悪性が強く感染力も強いタイプの癌細胞のような連中ではないか。健全な他組織に影響を及ぼす前に排除せねばならぬ。だから早急に手を打ったブラウンシュヴァイク公の行動は人類社会を病理から救う上で賞賛されてしかるべき英断ではないか。そんなブラウンシュヴァイク公の一族すらも粛清したからこそ、私はいまの体制が悪政を敷いていると断言できるのだ。貴様、少々、金髪の孺子を讃えるプロパガンダに洗脳されすぎではないのか」

「……あ、……ああ」

 

 若い職員は何度か口を開いてなにか言いかけたが、結局、それ以上言い返せなかった。相手の主張に反論できないからではなく、あまりの価値観の違いに恐怖を覚えたためであった。狂信的にそのようなことを主張するのなら、まだ理解できた。あるいはひたすら高圧的でこちらの言葉など聞かずに一方的に主張してくるのであれば、まだ理解できた。しかしラーセンは違う。

 

 ラーセンの態度も高圧的なものも狂信的なところも感じ取れず、それどころか理知的な姿勢をとって、こちらの言葉にも耳を傾けている。傾けているのに、価値観が違いすぎて自分が言ってることを理解しないのだ。彼は当たり前のように異常な主張を正しいと信じていて、それを理解できない自分の方を洗脳されているのではないかと本気で心配してくるのである。

 

 目の前の人間は本当に自分と同じ人間なのか。子供向けの娯楽作品にでてくるような醜悪なエイリアンが人に化けているのであると言われたら、無条件で信じることができそうな異常さだ。若い職員は言葉の無力さを感じ、閉口してしまったのだ。なにかおぞましいものを踏みつけてしまったような気分であった。

 

 黙り込んだ若い職員を見て、ラーセンは彼が納得したのだと思い込み、他の職員たちにも視線をやって、全員が青い顔をしているので、やっぱり銀行なんて場所で仕事をしていると顔が血色が悪くなるのかと、かなりズレたことを心中で呟いた。じつは職員だけではなく、ハイデリヒや他の多くの部下たちもドン引きして顔を青くしていたのだが、ラーセンはそれに気づかなかった。もっとも、気づいたとしても、自分が原因とは露ほども考えなかったであろうが。

 

「さて、われらが祖国をどれだけ憂いてるのか、理解してくれたと思う。それで銀行の金庫をあけてもらえないのだろうか」

 

 職員の中で一番年上であろう初老の男性に、ラーセンは語りかけた。

 

「断る! お前のような異常者――」

 

 それ以上の言葉は続かなかった。喋っている途中でラーセンがその初老の男性を射殺したからである。周りから悲鳴をあげ、幾人かは発して逃げようとしたが、他の者達に取り押さえられてロビーへと引きずり戻された。ラーセンは次の対象を定め、同じ質問をした。

 

「金庫をあけてもらえないのだろうか」

「ま、待ってくれ、殺さな――」

「うるさい。帝国人なら、“はい(ヤー)”か“いいえ(ナイン)”で答えろ」

 

 ラーセンはそう吐き捨てて同じように射殺した。他の職員たちは震えあがった。はいかいいえで答えろというが、いいえと答えたらどうなるか、最初に問いかけた人物がどうなったかが雄弁に物語っている。つまり、はいと言って協力しないと死という結末しか待っていない。

 

「金庫をあけてもらえないのだろうか」

 

 三人目に問いかけられた赤毛の職員は激しく苦悩した。命惜しさに協力すべきか、職務精神を優先させて殺されるべきか。個人的な心情としては後者を選びたいが、自分のあとにまた同じ問いを投げられるであろう職員がまだまだいる。自分が死んだあと、多くの同僚が殺され、恐怖心故に彼らの要求を受け入れたら、自分は無駄死にである。それだけは絶対に避けたい。

 

「……早く答えてくれないか。こっちも時間があるんだ」

「ヤ、はい(ヤー)!」

 

 無口で黙り込んでいる赤毛の職員だけに関わって時間を無駄にしたくなかったラーセンがブラスターを持った右手を動かしはじめたので、赤毛の職員は反射的にそう叫んでしまった。ラーセンは満面の笑みを浮かべながら赤毛の職員を抱擁した。

 

「そうか。金庫をあけてくれるか。きみこそ、帝国臣民の鑑だ」

 

 背中をたたかれ、耳元でそんなことを言われながら、赤毛の職員はどうしたらいいと必死で頭を回転させていた。金庫を開けて強盗の手伝いをするなんて屈辱だ。それにここの金庫の金がまるごと強奪されたら、大金失った穴を埋めるべく銀行は経営を継続させるために人件費の削減をするだろう。となれば、それに協力した自分は真っ先に解雇されかねない。それならいっそ殺された方がよかったのではと思い始めた時、赤毛の職員の頭脳にある天啓が舞い降りた。

 

「さあ、金庫へと案内してくれないか」

「その前に、ひとつお聞きしてもよろしいでしょうか」

「……なんだね」

 

 ラーセンの声から温かみが消え、赤毛の職員を睨みつける。まさか、帝国人でありながら、虚言を弄したというのかと視線が語っていた。

 

「資金援助ですが、いったいどの程度の資金を援助すればよろしいのでしょうか」

「……とりあえず、ここの銀行にある現金を全部持っていくつもりだが」

「まことに申し訳ありませんが、そうしてしまったら、あなたがたの悲願に大きな影響がでてしまいます」

「なんだと?」

 

 驚愕に見開いた目で、ラーセンは赤毛の職員を見た。

 

「ここは帝国有数の大銀行です。当然、貴族の方々も多く利用されています。もしすべての現金を持ち出されてしまうと当銀行は倒産し、当銀行を利用しておられる貴族の方々も大きな損失を被ることになってしまいます。なので、私は帝国の臣民として、また誇りある銀行員として、全額を資金援助することはどうしても認めることはどうしてもできないのです。どうかご了承ください……」

 

 ラーセンは小刻みに震えた。怒りのためではなく、感動ゆえであった。自らの盲を指摘してくれたことに深く感謝したい気分であった。金髪の孺子が独裁体制を敷いてから、ろくでもないプロパガンダに洗脳されてしまい、まともな帝国人がいなくなってしまったと思ってばかりいたが、黄金樹を仰ぐ立派でまともな帝国人がここにいたのだ!

 

 自らの感動に突き動かされるまま、頷こうとする直前、ラーセンの体は固まった。ついで能面のような顔になって冷たい目であたりを睨み付けた。あまりの急変に赤毛の職員は自分の演技がばれたかと不安になったが、必死の努力で表情筋を理性の支配下におき、ラーセンの反応を待った。

 

「八〇億」

「は?」

「八〇億帝国マルク。最低でもそれだけ持っていく」

 

 厳しい金額であったが、有無を言わせぬ口調に、赤毛の職員はこれ以上言ったら自分は殺されると直感的にわかり、おとなしくラーセンたちを金庫へと案内した。他の職員たちをハイデリヒは監視しつつ、同じ理由でロビーに残されていたラーセンの部下の一人に話しかけた。

 

「おまえらの上司。おっかねぇな」

「ええ、とても優秀なんですけどね。能力はともかく人間としては尊敬できませんよ」

 

 そりゃそうだろうとハイデリヒは内心でおおいに同意した。完全にいかれていることを素面で言えるラーセンが部下から慕われていたりするなんてありえないだろう。いや、ラーセンに限らず、エーリューズニル矯正区出身者は多かれ少なかれそういうものだが、いままで会ってきたサイボーグの中でも、ラーセンは特にひどい。

 

 エーリューズニル矯正区出身者の主な就職先に社会秩序維持局が含まれていたので、元社会秩序維持局保安中尉のハイデリヒはそういう境遇の者と知って何度か会っている。そのハイデリヒをして、ラーセンは群を抜いておかしいという思いを抱かざるを得ない存在だったのである。

 

 やがて金庫から運び出した札束を救急車の荷台(治療のために必要な機材などは、乗組員と一緒に捨ててきたため、完全に空っぽである)に詰め込み、ラーセンたちは再び暗闇の街中に消えていく。彼らがテオリアの都市部から消え去るまでに、あと数件の宝石店が彼らの手によって襲撃され、そこにいる者達が邪魔であれば殺し、大量の金銀財宝を奪っていくのである。そのことを思うと、彼らが救急車に乗って移動しているのはたちの悪い冗談のようであったが、それは全貌を知っているがゆえに言えることにすぎなかった。

 

 混沌と狂乱の夜は、まだまだ終わらない。




革命といえばやっぱり革命歌だろと思い、インターナショナル歌わせてみました。
いろんな翻訳を参考に、私個人が適当に解釈したものなので、元と違ってるかもしれませんが、そのあたりは長い歴史の中で変質したとでも思って見逃してください。
ちなみにほかの候補もいくつかあったのですが、フランス国歌「ラ・マルセイエーズ」は流血表現が激しいので除外し、ナチス党歌「旗を高く掲げよ」も妙な誤解招きそうなのでやめました。
なんでナチスの歌が入ってるかというと、あれ事前知識なかったら無茶苦茶自由を求めてる歌に聞こえるんですよね。特に2番。

あと念のため明言しときますが、ラーセンは生物学的な意味では間違いなく人間です。
エイリアンでもなければサイボーグでもないです。人間です。


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マハトエアグライフング⑤

 都市部で共和主義過激派が暴れまわり、その騒ぎに紛れてテオ・ラーセンら旧体制残党が強盗を働き、さらにその陰でゲオルグら秘密組織が暗躍する。おまけにこの騒ぎに感化されたのか、ただの小悪党たちも犯罪行為を働き始めており、まさにテオリアは混沌とした情勢に陥っていたが、治安に責任を持つべき体制側の動きははなはだ悪かった。

 

 テオリアの最高責任者であるジルバーバウアー総督は警察支部にあって、支部長のへルドルフ警視長と対策を協議し、できるだけの手をうとうとしていたのだが、憲兵隊と共和主義者が手を組んでいるかもしれないという疑念を拭い去ることができず、対策は迷走してしていた。そんなところに、憲兵司令官ツァイサー中将の命令を受けたリヴォフ憲兵中佐が数十の憲兵を引き連れて警察支部へとやって来た。

 

「ジルバーバウアー総督閣下を他の要人とご家族をかくまっている総督府まで護衛するようにというのが司令官閣下からの命令である。どうか警察諸君の協力をお願いしたい」

 

 この発言に、ジルバーバウアーは恐怖した。憲兵隊が敵に回っていると思い込んでいる彼には、家族と要人を人質にとったから大人しく従えという脅しとしか受け取れなかったのである。この状況に陥ったことにジルバーバウアーは、自分の家族を救えなかった警察の不手際を責め、へルドルフに責任をとってなんとしても状況を打開しろと罵声混じりに命令した。

 

 へルドルフは自分に全責任を押し付けるようなジルバーバウアーの言動を不快に思ったが、実際問題として自分がどうにかするしかなかった。集まって来た憲兵に倍する数を引き連れ、警察支部の前に陣取るリヴォフ中佐の前に出て宣言した。

 

「貴官の要請を受け入れるわけにはいかぬ。総督閣下は憲兵司令官ツァイサー憲兵中将を逮捕・拘禁するよう命令されている。したがって、憲兵司令官の命令を理由として総督閣下の身柄をそちらに預けるわけにはいかぬ。貴官らが帝国と皇帝陛下への忠誠を示したいと考えるならば、貴官らの司令官を拘束してここにつれてきたまえ」

 

 傲然とそう言い放ったへルドルフにリヴォフは鼻白んだが、すぐに言い返した。

 

「われらが司令官を拘束するだと。理由を聞かせてもらえるだろうか」

「ツァイサー憲兵中将は以前に総督閣下の命令を無視された。さらに共和主義者どもが暴動を起こしているというのに具体的な対策をとらず、街を共和主義者が暴れるに任せている。これは職務怠慢として拘束する理由としては充分にすぎる」

「以前に総督命令に背いたというのは詳細がわからぬのでとやかくは言いません。しかし具体的な対策をとらなかったとはいったいどういうことか。総督閣下のご家族をはじめ、総督府の要人を安全な場所にかくまったのは、ほかならぬ司令官閣下の功績です。共和主義者たちの目的が総督府要人と推測される以上、そちらに防衛線を敷くは道理かと考えますが。警視長殿が憲兵司令官の対処に不満を抱かれるのはかまいませんが、それを問題視するのであればこの騒動を解決してからにしてほしいものです。われわれ憲兵としても、総督府の警護に戦力を割かなかった警察の対応に不満を抱いておりますので」

 

 警視長は軍隊の階級で例えると下級将官に匹敵する階級であるのだが、リヴォフは臆することなく堂々と上官を弁護し、辛辣にへルドルフを非難した。それでもへルドルフは、少なくとも表面上は動揺したそぶりを見せなかった。

 

「ほう、では、なにゆえ多くの憲兵は駐屯地で待機しておるのだ。おかげで私の部下たちが苦戦を強いられている。これこそ、ツァイサーが裏切っているなによりの証拠にはならぬか」

「偏見も甚だしい! 憲兵を駐屯地にとどめているのは、一部末端憲兵に不穏な動きがあり、それを考慮して閣下が慎重策をとっているだけのこと! そういうへルドルフ警視長殿こそ、総督閣下を拘束し、憲兵憎さゆえに虚偽命令をしているのではないのか!」

「それこそ偏見というものだ!」

「では、総督閣下を出せ! 私が直接、司令官閣下の身の潔白を証明するべく、ご説明申し上げる!」

「そんなことできる立場だと思っておるのか!」

「やかましい! 警官風情が黙ってろ! 総督閣下をあくまで警察支部内に閉じ込め、われわれから申し開きの機会を与えようとしないなら、こちらにも考えがあるぞ!」

 

 売り言葉に買い言葉でリヴォフは激怒し、礼儀をわきまえぬ挑発をした。もとより警察と憲兵隊の関係は険悪なのである。互いに同じような任務に従事し、仕事と予算を奪い合う犬猿の仲。そこにラインハルトの改革による影響や憲兵隊の最高責任者の新体制内の地位の高さによる憲兵の優越感と警察の不公平感の問題もあわさって、銀河帝国の歴史上で一、二を争えるほど現在の警察と憲兵隊の関係は最悪なのである。

 

 考えがあるぞと叫んだ直後、あくまで脅しの意味を込めてリヴォフが腰にさげてあるブラスターに手をかけた。その瞬間、場が一気に殺気立った。きっかけさえあれば、警官も憲兵も手に持っている銃器を構え、銃撃戦が展開されかねない空気である。ここに至って、へルドルフは自分は手段を間違えたことを悟った。傲然として高圧的態度をとるべきではなかった。もっとなだめるような態度で憲兵達の反感を慎重に避けるべきであったのだと。

 

 こうなっては総督直々に憲兵を説き伏せてもらうのが一番だとへルドルフは思ったが、同時に無理な相談であった。憲兵が信頼できないというのもあるが、ジルバーバウアーが敵かもしれない銃器を手に持っている憲兵達の前に姿を表す度胸なんて、絶対にないと断言できるからだ。ジルバーバウアーは官僚としては優秀なのかもしれないが、臆病な小心者なのだ。銃殺されることを恐れて警察支部に居座るに違いなかったし、そんな危険なことを提案する自分を罵倒するだけだと確信できるので、不毛でしかない。

 

 さて、その方法が使えないとなると、どうやってこの一触即発の緊迫状態を打開すべきか。そう考えながら睨みあいを続けて数分後、へルドルフは胸部に激痛を感じ、口から血を吐き出した。いずこからか飛んで来た光線が、警視長の右胸を貫いて肺を傷つけたのである。地面に倒れこむへルドルフの姿を見つめながら、状況を理解できずにリヴォフは唖然とした顔をしていたが、数人の警官は憲兵による銃撃と咄嗟に判断し、憲兵からの「攻撃」に対する警官の「反撃」でリヴォフの左肩と右脚を光線が貫いた。

 

「う、撃て、撃ち返せ! 応戦しろ! やはり総督閣下は警官どもに拘束されていたのだ! 総督を救出しろ!」

 

 激痛に喘ぎながらリヴォフ中佐が叫ぶ声が聞こえてきて、へルドルフは激痛に呻きながら「やめろ」と叫んだ。自分が撃たれた時にリヴォフが唖然とした顔をしていたということは、自分への銃撃は意図しないものであったということだ。つまり、警察か憲兵のどちらかに敵の工作員が潜んでいたということで、ここで警察と憲兵が撃ち合っても敵に利するばかりだと激痛の中で考えたのである。しかし、その声はまわりに届かなかった。へルドルフの口から出たのは、言葉にならぬ血反吐のみであったから。

 

 目と鼻の先で、憲兵と警察の銃撃戦が始まり、ジルバーバウアーはますます精神的余裕がなくなっていた。ツァイサーの憲兵隊の恥知らずな反逆者どもめ、それを抑えられないへルドルフの警察の無能者どもめが! 内心でひたすら二人の治安責任者をあらんかぎりの憎悪を込めて罵った。口に出さないのは、せめてもの公人との節度によるものであったが、もし眼前にひたすら罵ることができると思える対象が現れたら、ジルバーバウアーは現実に起こっていることを無視してでも、その人物を罵り続けるだろうことに熱中しかねない精神状態であった。

 

 ジルバーバウアーの異様な苛立ちっぷりは、まわりにもなんとなく察せられることであったので、みんな爆発物に近づきたくないと総督を遠巻きに見つめるだけであった。

 

「どうすればいいのだ。総督に今後の展望はあるのか」

 

 なにやらよからぬ事態が発生しているらしいと街の状況から判断し、保護を求めて警察にやってきた総督府の係長の一人が天を仰いでつぶやく。

 

「ないのだろう。総督でなくとも責任をなすりつける対象が欲しくなるのも当然の状況だからな。正直、事態は絶望的だ。街中には一万から二万の共和主義者が暴れまわっているのに、それに対処すべき警察と憲兵が内乱状態。平時であれば星系に駐屯している警備艦隊も、いまは数千光年彼方の叛徒どもの領域にあるし、星系外に援軍を頼もうにも恒星間通信は遮断されてる。手の打ちようがないよなあ?」

 

 警部の階級章をつけた警察官が悪意もあらわにグレル憲兵少尉に問いかける。ジルバーバウアーの護衛についており、ツァイサーの動向を確かめるための尋問相手として支部内に入れられたため、この警察支部内にいる唯一の憲兵となっている。外で警察と憲兵の間で銃撃戦が発生しているのもあって、気晴らしの悪罵の対象に適当だろう。警部がそんな非建設的な理由でそんなことを言ったとわかるだけに、まだ若手の憲兵士官であるグレルは屈辱に身を震わせたが、反論できる立場ではなかった。

 

「よさぬか警部。グレル憲兵少尉の身の潔白は、へルドルフ支部長とジルバーバウアー総督が認めるところ。支部の外だけではなく、内部でも銃撃戦を起こしたいのか、卿は!」

「いえ、決してそういうわけでは……。申し訳なかった少尉。少し気が立っていた」

 

 ブレーメ貿易課長に一喝されて、自分の浅ましさを恥じ入った警部は、グレルに謝罪した。

 

「とはいえ、思考の袋小路状態から脱出したわけではないか。共和主義者どもとそれに共鳴したツァイサー中将に従う憲兵達が街の中枢を占拠すれば、終わりだ。共和主義者は権力者を憎むことにかけて異常なやつら、総督のみならず、課長である私の身も危ういやもしれぬ」

「わざわざ絶望的なことを改めて言葉にする必要があるんですかねぇ!」

「なにも喋らずに時を浪費するよりかはマシだ! なにか逆転の策を見つけたいなら、思いついたことを片端から言葉にしろ。われわれが共和主義者どもの思うがままにされたいなら、黙って耳を防いでいてもかまわんが」

 

 そこで貿易課員のひとりが口を開いた。

 

「そういえば、憲兵の多くは共和主義者と行動をともにしていないんですかね」

「なに?」

 

 全員の視線がその貿易課員に集中する。

 

「いやだって、そうじゃないですか。憲兵は一〇万以上もこの惑星にいるんでしょう? それが全員共和主義者に加担しているなら、とうの昔にテオリアは共和主義者の手に落ちてないとおかしいじゃないですか」

「それはそうだ。共和主義者なんてキチガイどもに協力しようとする憲兵なんて、圧倒的少数派だろう」

 

 平然と警部はそんな一般論を述べた。憲兵司令官であるツァイサーが共和主義者と協力しているのは状況証拠的にほぼ間違いないと認識しているが、それとその一般論は矛盾しないことであった。

 

「なら各駐屯地にいる憲兵達を説得できないんですか。彼らが味方になってくれたら……」

「難しいだろうな。卿、徴兵の経験は?」

「……幸運にも対象になったことがなくて」

「なんだと、羨ましいことだな。軍隊生活をした経験がないのなら、わからんかもしれんが、軍隊だと上の命令とはとても重いものなのだ。嫌な上官のものでもな。まして、仕事人間だったツァイサーは憲兵の間では人望があるやつなのだ。やつが裏切っていると言っても、憲兵達は簡単に信じまい。現に星域電波で憲兵の駐屯地に状況を説明した通信文を送っているが、それを信じて立ち上がる憲兵はごくごく少数だ。たぶん、共和主義者たちの策謀かなんかだと思い込んでいるのだろう」

「……なるほど」

 

 警部の分かりやすい説明に、貿易課員は頷いたが、不思議そうな顔でグレルをチラリと見た。それが気になってグレルは問いただそうとしたが、それより先にある下っ端警官が喚いた。

 

「そんな立派な憲兵様がなんだっていまさらテロリズムに走ってるんですかねぇ! やっぱりあれか、所詮ツァイサーもローエングラム公が帝国に君臨することを認められないってわけか! だからって公爵憎しで共和主義者と結託したら本末転倒だろうが! そんなこともわからんのか!」

 

 いや、そんな馬鹿だったら中将なんて地位につけるはずもないと思うがとグレルは思った。お飾りならともかく星系全域に責任を持つ憲兵司令官の職はわりと激務である。そんな仕事を過不足なくこなしているからこそ、ツァイサーは人望があるのであって、新体制下でも司令官職を守ることができたのだ。

 

 しかしどうにもちぐはぐだなとグレルは思った。憲兵隊内で共和主義の話が盛り上がっているという事実から本気で憲兵の過半が共和主義者になっていてもおかしくないと認識していたのだ。しかしその認識はツァイサーが憲兵隊内部に共和主義思想が蔓延っていると宣言していた刷り込みに近いものであって、本気で話題にしていたのは少数派であったのだろうか。そう思えば、たしかに、興味半分で話してるだけの憲兵も多かった気がする……。

 

 となるとツァイサー中将は、なんらかの理由で共和主義に与し、そして憲兵のほぼすべてが共和主義思想に染まっているように偽装したということか? なぜ? それはむろん、身内に敵がいるかもしれないという疑心を抱かせ、憲兵隊の動きを封殺するため……。

 

 なれば、駐屯地にて待機状態にある憲兵も同じような状況にある可能性が高い! 士官学校を卒業して数年しかたっていないグレルはツァイサーのことをそこまで尊敬していなかったし、非常に慕っていた年の離れた兄を同盟との戦争で失っていたので反共和主義者であり、憲兵隊で流行していた共和主義の話に参加するのを本能的に拒否していた。

 

 だからこそツァイサーは悪しき共和主義に感染する可能性は極めて低いと判断し、信頼できる駒としてグレルに総督の護衛を任せたのである。だが結果論に過ぎないが、ツァイサーはグレルが自分を尊敬していないという側面にいますこし注目すべきであった。それがツァイサーを破滅へと追い込む最後の要素になったのだから。

 

 グレルはひたすら唸り続けているジルバーバウアーに近寄った。まわりの者達は感情的爆発に巻き込まれたらたまらないと距離をとった。

 

「総督閣下、私は祖国と皇帝陛下に忠誠を誓った軍人であり、上官より皇帝陛下の代理人たるあなたの命令に服する覚悟があります」

 

 その言葉に、ジルバーバウアーは激しく苛立った。いまさらわかりきっていることを再度宣言してなにがしたいのか。先刻へルドルフと尋問したときに、彼の立場を認めたではないか。なのにそれでも不安だとほざくのか、たかが下級士官風情が! アルデバラン星系総督、何のコネもない平民が決してつけるような地位ではない、それが時の回りで唐突に与えられてしまったのだ。その重圧と苦悩というものをまるでわかっていない!

 

 まして、自分が全面的に責任を持たなくてはならない旧首都圏で共和主義者どもが暴れているのだぞ! ジルバーバウアーは自分の世界に逃避して、ひたすらまわりの責任を追及するという、現状の打開に一ミリも貢献できない思考にふけっていたことを棚に上げ、保身に走っているようにみえるグレルの頬を容赦なく殴った。口の中が少し切れたので錆びた血の味を感じるが、グレルは伏して言葉を続ける。

 

「大多数の憲兵も私も同じ心情であると思います。ですから、総督閣下が直接彼らを説得されれば、この惑星の憲兵は皆立ち上がるはずです」

「なに……」

 

 ふざけるな! その一言を喉まで出しかけ、理性ゆえに飲み込むのにジルバーバウアーは多大な労力を必要とした。

 

「なるほど。たしかにそうかもしれん。それで、説得しに行った駐屯地にいる憲兵どもにツァイサーの息がかかっていないと言い切れるのか?」

「そ、それは……」

「なら、行かぬ! こちらに殺意を持っているかもしれない憲兵の前に出るなど論外だ!」

 

 怒鳴り散らすジルバーバウアーだが、これはいくらか酌量の余地がある。彼の官僚としてのスタイルは職務義務の命じるところはやるが、それ以上のことなんて絶対に勝手にやらず、どうしても自分の手にあまる案件が生じれば、上の意向を確かめて行うというスタイルであった。そして総督というのは星系で一番偉い立場である。このままではいけないと思っていても、上の意向を確かめるには恒星間通信が必須で、現在それはラーセンたちの手で破壊されている。なのでいまのジルバーバウアーには柔軟性というものが徹底的に欠けていた。

 

 そしてなにより、ジルバーバウアーは自分の生命がなにより大切だった。だからこそ兵役で軍隊に徴兵されたときは、上に必死で媚を売り、上の意向を実現させる有能さを示した。そのかいあって貴族士官に気に入られ、最終的には軍官僚の使いっ走りという立ち位置を確保し、戦場から遠ざかったのも、すべてはそれゆえである。ジルバーバウアーは出世欲は人並み程度にあったが、それでも命の危険が伴うなら出世するのは絶対に嫌だった。だからこそ、いつも上の命令に従順であった。もし上の立場のものが失脚した時、自分の行為はすべて上の命令によるものと自己弁護し、生き残るための処世術であった。

 

 それによって生じる理不尽や不条理に不満や怒りを感じたことがないわけではないが、すべては生命あってこそであると納得ずくで生きてきた。そうして耐え続けてきた成果もあって、こんな情けない自分にも幸いにして人生を共に歩む伴侶を手に入れ、順風満帆な人生を歩んできたのだ。だからこそ、なんとしてもジルバーバウアーは生き残りたかった。だから死の危険が伴うようなことなど、絶対にやりたくなかった。

 

「では、憲兵たちの前にでなければ、よいのですか?」

 

 ポツリと呟くように、ブレーメは言った。周りが驚愕の目でブレーメを見る。

 

「放送局から放送すればいいのです。なにをおいても共和主義者たちの暴動を鎮圧を優先すること、憲兵司令官に叛逆の嫌疑があるのでツァイサー中将を逮捕・拘禁すること、全憲兵にむけてこの二点を命じればよいのです」

「だ、だが、放送局はツァイサーの息がかかった憲兵どもがウジャウジャしていることだろう。大丈夫なのか」

 

 ある警官が懸念を述べた。いま流れている緊急放送は、そんなもの流すように要請した覚えがここにいる全員にないので、ほぼ間違いなく憲兵隊の要請によるものであろうというのが共通認識である。ツァイサーは無能な軍人ではないのだから、全員に声を届けることができる放送局の重要さを理解していないはずがなく、当然、厳重な警備が敷かれているであろう。共和主義者たちの鎮圧に多くの人員を割いているいま、放送局を憲兵から奪い返せるか怪しいものであった。

 

「しかし、それさえできてしまえば、この都市部にいる憲兵二万が味方につきます。それだけの数があれば、遠方にいる警察や憲兵たちがこの都市部にやってくるまで共和主義者たちを足止めすることができるでしょう」

 

 ブレーメの理路整然とした主張は、警察支部長室にいる者達を納得させるだけの説得力があった。たしかに難しいが、それさえ達成すればこの難局を打破できるかもしれない。一人を除いて全員がそう思った。

 

「勝手なことを無責任に言いおってからに! 商務局の一課長が吠えるな!」

「無責任とは聞き捨てなりません。私は総督府の一員として、責任を持って提案しているのです!」

「んだとぉ……」

 

 責任を持って提案する? たわけが! 提案という形をとる以上、責任は常に承認した側に生じるのだ。この場合は総督である自分に。ふざけるな! そうジルバーバウアーは思う。極論すると彼はたしかに平時では優秀な能吏であり、有事の際でも歯車のひとつとしては優秀であれただろう。だが、緊急時の操縦手には致命的に向いていなかったのであった。

 

「では、きみは責任をとれるのだろうな? ()()()()()()()()()()()()、きみの手で処理するのだな!」

「……わかりました! では、私が総督の代わりに各所に命令してもかまわないのですね!?」

 

 ブレーメの強烈な言い返しに、ジルバーバウアーは力なく頷き、内心で安堵を覚えた。“命令”。なんて素晴らしい響きだろうか。ジルバーバウアーはこのときに、自分が苦悩していたのは、だれかからの命令されることを求めてだったのだと気づき、ブレーメの方針を全面的に採用した。

 

 こうして警察支部で大きな動きがあったとき、ゲオルグたちはその支部の位置から三五〇メートルほどにある高層ビルの中間の一室にいた。へルドルフ警視長がいきなり銃撃されて倒れたのは、クリス・オットーがここから狙撃用のビーム・ライフルで狙撃したからであった。

 

「へルドルフには悪いことをしたなぁ」

 

 ゲオルグは無念そうに呟いた。警察時代、へルドルフとはちょっとした面識があったのである。状況的に憲兵の側を狙撃するわけにもいかなかったので、渋々、オットーにへルドルフを狙撃するよう命令したのであった。

 

「命令した本人がそんなこと言っても、偽善にしか聞こえないのだけど」

「私を偽善というのは、つまり卿は真に善なる者と自認しているのか。けっこうなことだ」

 

 約半世紀前に帝国軍の尊厳を散々に痛めつけたブルース・アッシュッビーの死を知って堂々と弔電を送ったことで「敵将の死を悼むなど、偽善ではないか」と将兵から批判されたときに言い返した帝国軍の名将の言葉をゲオルグは引用してみせたが、この場合、偽善というにはとても悪の色彩が強すぎるので、その帝国軍の名将に対して失礼な引用である。

 

 ゲオルグはしばらくビルの窓から警察支部前の広間を見下ろし、警官たちが憲兵がぶつかりあう光景を見て悦に入っていた。憲兵たちが劣勢に陥っているという事実はそれだけで痛快であったが、支部長が目の前で銃撃されたというのにしっかりと数の利をいかした戦法を駆使している警官たちに賞賛の感情を抱いていたのである。ベリーニなどは、この戦闘のキッカケをつくっておきながら何様のつもりであろうかと共犯者の身でありながら思ったが口には出さなかった。

 

 ゲオルグは窓から身を翻した。戦闘見物をまだまだ続けたい気分ではあったが、あまりここにとどまり続けるわけにもいかないのだ。もし警官なり憲兵なりが自分達がやったことを把握してしまえば、計画が瓦解する。ここから速やかに逃走しなければならないのだ。あくまで警察と憲兵が互いに敵だと思い込んでいてもらわなくてはならない。少なくともここ数時間の間は。

 

「事態を知ったツァイサーらがこっちに来る前に、私とベリーニは他の役人たちを集め、騒動が落ち着くまで適当な場所に身を隠す。オットー、おまえは人目につかないよう気をつけて孤児院に隠れていろ」

 

 ゲオルグとベリーニは総督府の末端役人としての記録上は完璧な偽装身分があるが、つい先日までブルヴィッツにおける工作活動に従事していたオットーにはまだそれがない。よってまだ秘密基地の司令部である孤児院の隠し部屋で生活しているので、そちらに向かうのだ。

 

「護衛はもうよろしいのですか」

「ああ、私もベリーニもそれなりに体術の心得はある。これ以上、裏で動いて火種を爆発させてまわる必要もないからな」

 

 共和主義者どもはもう充分に働いてくれた。だが、やつらの成果を喧伝するのに付き合ってやる必要はない。ゲオルグがザシャたち共和主義者に期待したのは強烈な体制への敵意と、それを形にだせるだけの精神的熱量をともなった暴力的なエネルギーがテオリアを牛耳る上で使えると判断したからにすぎない。しかるに、こちらの目的が達成されれば、すぐに鎮火しなければならない存在に早変わりする。放置しておけば自分たちにも被害がでるからだ。

 

 ゆえに、タイミングの見極めが肝要だ。早すぎれば目的を達せられず、遅すぎればこのテオリアに自分たちの安住の地はなくなる。時間的にそろそろ頃合いではないかとゲオルグは思うが、共和主義者どもはこちらの期待に沿う働きをしてくれているだろうか。ここまで治安戦力を混乱状態に追い込んでいるのだから、やってくれていると思いたいが……。



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マハトエアグライフング⑥

 ツァイサーの指示で総督府の要人たちとその家族は、安全のために“思想的に健全”であると古参憲兵たちによって認定された家庭に退避させていたが、要人たちにとっては心休まらぬ潜伏であった。このテオリアの治安戦力は、テロリストの暴動を赦してしまうほど脆弱であるという事実を証明していたからである。

 

 また、ゲオルグら秘密組織の工作活動によって、共和主義者たちの数が過大に推測されていたこともあり、テオリアが共和主義者たちの掌中に落ちる可能性はそれなりに現実味のあることとして考えられた。そして共和主義者たちの狙いが自分達総督府高官の命であることに疑問をさしはさむ余地はなく、共和主義者たちが都市部を掌握するのと自分たちが命を失うことは、この場合、ほぼ同義である。

 

 ただそれでも高官たちは仮に都市部が共和主義者たちに掌握されても、生き残れる可能性がある道がひとつだけあった。下士官憲兵の家族が危険を承知で自分たちを匿い、共和主義者たちに対して知らん顔を決め込んでくれればよいのである。彼らがそういう道を選んでくれる可能性を少しでも高めるべく、高官一家は匿ってくれる家族から好意を勝ち取るのに熱心にならざるをえなかった。

 

 中には露骨にこの一件が終わった後の優遇を約束したり、過剰に媚を売ったりして、その卑屈さのせいで逆に憲兵一家の侮蔑を買うということもあったのだが、それも高官たちには生命がかかっているが故のことと思うと、いささかあわれではあった。

 

 総督府で人事局長の職にあったヴァイゼッカーは、そのような卑屈な真似をせずに自然体で自分を匿ってくれているリード憲兵軍曹の一家と接していた。人事を司る立場であり、しかも独り身であるという事実から、多くの人は厳格で冷徹で機械的な人間をイメージするかもしれない。しかしヴァイゼッカーは非常に人間味があり、子どものようにころころと表情を変える感情豊かな人間であったので、リード夫妻を驚かせた。

 

「なんというか、人間味がありすぎて人事局長って感じがしません」

 

 ある程度打ち解けてきたときに、思い切ってリード憲兵軍曹は思い切ってそんなことを言ってみた。リード夫人はこの失礼な発言で気のいいお偉い官僚様が機嫌を悪くするのではないか危惧したが、ヴァイゼッカーは特に気にした様子はなかった。

 

「どうしてそう思うんだい?」

「いやだって人事の人って言ったら、上の命令で評価の悪い役人を閑職に飛ばしたり、最悪、クビにしたりする部署じゃないですか。なんかイメージにあわないというかなんというか」

「ちょっとあなた! 失礼でしょう!」

 

 あまりにあけすけな夫の物言いに、妻は声をあげて静止したが、夫はまったく気にしなかった。

 

「大丈夫だって。ヴァイゼッカーさんはいい人だ。こんなこと気にしたりはしないに決まってるさ」

「信用してくれて、どうもありがとう」

 

 ヴァイゼッカーは穏やかに微笑んでそう言った。本当によくできた人だなぁとリード憲兵軍曹は感心するばかりだった。

 

「私の父も人事職だったんだ。私と違って、官僚ではなく会社の人事課長だったけどね」

 

 かすかに言いよどんだが、ヴァイゼッカーは続けた。

 

「父はある日、疲れたと言って突然会社を辞めてしまって、私に何も説明することなく、そのまま帰らぬ人になってしまった。あとで聞いた話だが、父は会社の命令で多くの社員に解雇通知を告げる立場にあったようでね。元社員からは恨まれ、社員からは恐怖されながら侮蔑されていたりして、かなりストレスを抱えていたらしい。父は優しい人だったからとても苦痛だったのだろうと思う」

 

 しみじみと語るヴァイゼッカーに、リード夫妻はなんとも言えない顔をする。彼の父親を可哀想だと思う反面、自分たちが人事職にいる者に管理される側であり、そういう恨み言を言う立場であるだけに全面的な共感することはできなかったのである。

 

「だから私は、そんなことにならないよう、まわりとの信頼関係を構築しながら人事の仕事をして、父の無念を晴らしてやろうと思っていてね。もちろん、人事なんだからやむにやまれぬ事情で役人を解雇処分したりしなきゃいけないときもあるのだけど、そういうときはちゃんとフォローして、その人に向いている再就職先も一緒に探してあげるような、そういう人事になろうと心掛けている」

「自分達みたいな下っ端にはありがたい話ですが、再就職の世話って……大変じゃないですか?」

「そりゃもちろん大変さ。おかげで、年中オーバーワーク状態で、休んでる時間はほとんどないんだが、私はやりがいを感じているから苦ではないよ」

 

 にっこりと優しく微笑むヴァイゼッカーに、本当に良い人だなとリード憲兵軍曹は改めて思った。軍の人事局にいる機械人間どもが全員ヴァイゼッカーのような人たちなら、人事職から辞令を受け取る度に戦々恐々とせずにすむのに。

 

 それからもしばらく雑談に興じていたが、入り口からノック音が響いた。リード軍曹は憲兵の伝令かなにかかと思ったが、念のためヴァイゼッカーに妻のクローゼットの中に隠れるよう指示して、玄関の扉を開けた。

 

 扉を開けた瞬間、数丁のビーム・ライフルが突きつけられた。訪問者は憲兵ではなく、共和主義者のテロリストの一団であったのである。

 

「こんばんわ。リード家で間違いないな?」

 

 一団のリーダー格のみすぼらしい身なりをした鉤鼻の男が代表して問いかけた。

 

「あ、ああ。そうだ」

「ここに総督府の人事局長がいるはずだ。どこにいる?」

 

 どうしてバレている! リード憲兵軍曹は内心の驚愕を噛み殺し、いつもとかわらぬ口調になるよう意識的につとめつつ、しらをきろうとした。

 

「そんな人はここにはいない」

「いいや。いるはずだ。出した方が身のためだぞ」

「いない者をだせるはずがない」

「……そうか。よくわかった」

 

 鉤鼻の男がそう言った瞬間、ビーム・ライフルから光線が飛び、リード憲兵軍曹の体を幾本もの光線が貫いた。夫の倒れる姿に、リード夫人は悲鳴をあげたが、次の瞬間には彼女も同じように大量の光線に貫かれて夫の後を追うことになった。

 

 二つの血だらけでの死体が横たわる部屋にテロリストたちは押し入り、そこら中めがけてやたらめったに銃を乱射した。どこに人事局長がいるのかわからなかったが、入手した情報によると、この家にいることは間違いないのだ。だから目につくものを片っ端から銃撃していくのである。

 

 一分間ほどの銃を乱射した後、クローゼットから赤色の液体が流れ出てきていることを鉤鼻の男が気づいた。穴だらけのクローゼットを力ずくで開けると、中から壮年の男の死体が転がり落ちてきた。鉤鼻の男は手のひらの上で操作し、浮かび上がった人間の頭部のホログラムと死体の顔を見比べ、ヴァイゼッカー人事局長に間違いないことを確認した。

 

 鉤鼻の男の手振りで全てを察したテロリストの一人が斧を携えて近づいた。装甲擲弾兵が白兵戦に用いている珪素クリスタル製のトマホークと同じものである。そのテロリストはヴァイゼッカーの死体の首の部分にめがけて何度も斧を振り下ろした。古来より、人が間違いなく死んでいると証明するにはその人物の頭部と胴体を切り離すのが一番なのである。ゴールデンバウム王朝でギロチンという処刑スタイルが復活したのは、なにも特権階級に蔓延していた懐古趣味によるものばかりではないのである。

 

「終わったぞ!」

「んじゃ、その首を袋に詰めろ。ザシャさんと合流するぞ」

「りょーかい!」

 

 そんな軽い掛け合いが終わるとテロリストたちは足早にリード宅を後にした。リード家の内部にあった家具はあらかた破壊し尽くされており、その中に血だらけの死体がふたつと首なし死体がひとつ転がっていた。ほんの一〇分前まで、ここには家族団欒の光景があったのだとこの光景から推測できるものは、はたしているのであろうか?

 

 共和主義系テロリストが次々に総督府高官が潜伏している憲兵一家を襲撃していたが、それらは完全に達成されなかった。潜伏しているはずのいくつかの家屋が無人状態だったからであり、情報が間違っていたか、なんらかの不穏を感じて場所を移動したものと思われた。特に総督であるジルバーバウアーの首をとれなかったことを彼らは地団駄を踏んで悔しがったが、ザシャは時間的余裕を考慮して総督の捜索を断念した。ともかくも標的の約半数の首を入手できたので、とりあえずはそれでよしとしたのである。彼らはこれから残存兵力を集め、放送局を占拠し、銀河に自分たちの戦功を誇らなくてはならなかったのだ。

 

 そこから数百メートル離れた地点では、憲兵司令官ツァイサー中将が顔を真っ赤にして、信じて送り出した憲兵たちを睨みつけていた。総督を警護し、総督府まで連れてくるよう命じたはずなのに、自分が警察支部へ赴くとなぜか警察と銃撃戦を展開していたのだから、ツァイサーが激怒するのも当然であった。共和主義者どもとならまだわかるが、なぜ味方であるはずの警察と敵対しているのだ! 必死の思いで反撃する憲兵たちを宥め、警察の追撃を振り切ったあと、その激情でツァイサーは胸がいっぱいだった。

 

 それでもこの不愉快な状況を理解しないことにはどうにもならんとツァイサーはなんとか激情を押さえ込んで部下から話を聞いた。総督と面会させないので、警察と憲兵の間で言い争いから発展して殺気をぶつけあう睨みあいとなって少ししたあと、突然へルドルフ警視長が倒れ、警官隊がこちらに銃撃してきたという。そして指揮官のリヴォフ憲兵中佐が激痛に喘ぎながら反撃を命令したというのである。

 

 いささか血の気が多かったリヴォフ中佐に任せたのは間違った判断だったかもしれぬとツァイサーは悔やんだが、その状況では誰に任せたところで末端が勝手に反撃するだろう。それにいまさら無意味な仮定であると開き直った。というより、すでに起きてしまったことを悔やむより、これからどう動くべきか考えなくてはならないのである。

 

 まずは警察にどうにかして事情を説明すべきだとツァイサーは判断した。へルドルフが倒れたのが、第三者による策謀によるものであれば、現在の状況から推測するに、それは共和主義者の手による可能性が高い。この惑星内の治安部隊を互いに衝突させるぶん、共和主義者にかかる圧力が減るのだから。その可能性を説き、警察との戦闘状態を収拾せねばならない。とはいえ、元より嫌悪をぶつけ合う対立相手の警察が簡単にこちらの言い分を聞いてくれるとは思えない。まして、今回の場合は人死まで出ているのだ。だが、それでもやらねばなるまい。

 

 そう決意したツァイサーは警察に過度の警戒を招かないよう、単身で警察支部に赴いて警官たちを説得してくると信頼できるまわりの部下たちに告げた。危険だと引き止めるものが多かったが、現状が手詰まり状態である以上、それ以外に活路はないというツァイサーの言葉を誰も否定できず、しばし沈黙に包まれた。異論はないとツァイサーが警察支部へと足を進めようとした、まさにその瞬間、街頭に設置されている巨大モニターTVの外出禁止を繰り返す緊急放送が唐突に途切れた。

 

 さすがに不審に思ってツァイサーは立ち止まり、巨大モニターTVを見る。まわりの憲兵も同じであった。画面に浮かび上がってきたのは、禿げあがった頭部とでかい鼻、そして分厚い眼鏡をかけているのが特徴的な中年男の顔で、アルデバラン総督エルンスト・フライハルト・マティアス・アーブラハム・ジルバーバウアーその人であった。

 

 ジルバーバウアーを警護しながら警察支部から移動した警官たちは、放送局には多くの共和主義者ないしは、それと協力関係にあるツァイサー派の憲兵との激戦を予想していたのだが、拍子抜けすることに放送局には武器を持った人間が一人もおらず、放送員はツァイサーから外出禁止の放送を流すよう要請されただけであったので思いの外、スムーズに放送局を掌握したのであった。彼らはまったく想定していなかったが、ザシャたちの共和主義グループからすれば前もって放送局を確保するほど人員に余裕がなかったし、ツァイサーも主観的には憲兵司令官として最善を尽くしているつもりだったので、放送局なんて眼中になかったのであった。

 

「夜分遅くに失礼する。現在、不逞な共和主義者どもが秩序の破壊を目論み、市外各所にて無辜の臣民を巻き添えにするテロを起こしている。このような暴挙を、皇帝陛下は決してお許しにはならぬし、その代理人たる総督の私も同じである。この惑星の地表から不逞な共和主義者どもを一掃し、夜が明けるまでに秩序を回復することを私はテオリアの民に約束する。総督として命じる。惑星内の全警察・全憲兵は市街で暴れまわるテロリストを一人残らず拘束せよ。それが難しい場合はその場で射殺してよい」

「んな……!」

 

 ツァイサーは口を開けて驚愕した。なんて命令を出すのか。憲兵隊に共和主義が蔓延していることを総督閣下はご存知ではないのか。そんな命令を出しては、憲兵隊内に潜んでいる共和主義者たちが暴れてしまう。そうなれば、憲兵隊への民衆の信頼は地に堕ちてしまうだろう。顔を土気色にして不安がったが、もっと身近な危機がツァイサーの足元に忍び寄りつつあった。

 

「また管区憲兵司令官セバスティアン・フォン・ツァイサー中将に不審の動きあり。警備強化の総督命令を無視したばかりか、ツァイサーの命を受けた憲兵部隊が警察支部を襲撃し、少なからぬ殉職者を出す事態となってしまった。その動きからツァイサー中将が、共和主義に傾倒ないしは共和主義者どもと協力関係にあるという疑惑が浮上した。よって総督権限により、一四日一六時以降のツァイサー憲兵中将の命令をすべて撤回する。惑星内の全憲兵部隊はすぐに都市部に急行し、警察支部の指揮下に入ることを命じる。そしてツァイサー憲兵司令官を政治犯・服務義務違反などの容疑により、拘束するよう全警察・全憲兵に命じる。拘束が難しいようであれば、その場で射殺してもよい。共和主義なる危険思想に汚染されたテロリストどもと同じように処置するべし!」

 

 その放送を聴き終えたツァイサーは信じられずしばし呆然とし、ついで激しく憤った。自分が共和主義に傾倒? 共和主義者と協力関係? 共和主義者と同じように処置すべし? ふざけるな! 自分がどれほど共和主義などという絶対悪を憎み、共和主義者を抹殺してきたか、総督は知らないとでも言うのであろうか?! もし共和主義に転向しなければ殺すと脅されたとしても、迷うことなく殺されることを選ぶほど共和主義を憎んでいるというのに!!

 

 その憤りは当然のものであったが、激しすぎた故に現在がどういう状況にあるのかツァイサーの思考は遅れた。彼が率いているのは共和主義なる危険思想に汚染されている心配がない立派な憲兵である。すなわち、上の命令には忠実で、共和主義を人類社会を破壊する病理、絶対悪と信じて疑わない憲兵たちである。そんな彼らがこの状況でどのような行動をとるのか、うかつにもツァイサーは思考がまわらなかった。

 

 ツァイサーが身を焼き尽くすような怒りを感じながらも、まわりに意識を向けられるまでに理性が回復してくると、まわりの憲兵たちが自分に銃を突きつけていることに気づいた。幾人かは自分に銃を向けている者達に銃を向けて牽制しているが、そちらは圧倒的に少数派である。

 

「……なんのまねだ?」

 

 自分で出した声にまったくといっていいほど感情がこもっていないに、ツァイサーは驚いたが、そもそも自分が抱いている今の感情をなんと表現すればよいのか彼自身わからなかったので、恐ろしく平坦な口調になってしまったのは当然であったのかもしれない。

 

「なんのまねだと? それはこちらのセリフだ! どういうことなんだ!? あんたが共和主義者って!!」

 

 ツァイサーに銃を突きつけている憲兵将校の一人が代表して叫んだ。いつも政治犯・思想犯摘発の第一線にあって、手慣れた調子で政治犯に効率的な拷問を行って自白を引き出し、数え切れぬ地下組織を壊滅させる辣腕をふるっていた、自分とほぼ同い年のヴィースラー憲兵大尉であるとツァイサーの記憶が告げていた。

 

「先ほどの放送でそのようなことを言われていたが、総督閣下はなにか誤解しておられる。私が共和主義者なわけないではないか。もう何十年もやつらを相手に帝国の秩序を守ってきたのだぞ。そのことは卿らも皆、知っていよう」

 

 特に臆した様子を見せずにツァイサーは銃を突きつける憲兵たちにそう言った。ツァイサーが憲兵中将の地位にある理由は貴族階級出身だからという事情もあったが、それでも憲兵としての優秀な仕事ぶりが軍務省に評価されてのことであるというのはここにいる憲兵たちは全員知っている。

 

 しかしそのことを承知の上で彼らはツァイサーを疑っているのである。先ほどまで共和主義者の脅威に思い、ツァイサーの命令に従っていた。しかし冷静に今現在の自分たちの状況を振り返ってみるとやったことと言えば総督命令の無視と警察との銃撃戦のみであり、共和主義者どもに利することしかしていない。つまり、ツァイサーが共和主義者どもと結託していたと言われたら、それなりに辻褄があってしまうのである。

 

 ヴィースラー大尉は震える声で、しかし強固な意志をこもらせた声で問いかけた。

 

「共和主義者じゃないとしてもだ中将閣下。あんたは爵付きの貴族さまだ。ローエングラム公の改革によって領地返上の憂き目にあったらしいじゃないですか。つまり、現状に不満を感じていてもおかしくない立場ということではないか」

「馬鹿なことを。私は領地運営に興味がなかったから、領地を失ったことに文句などひとつもない。それに仮にそのことでローエングラム公をお恨みもうしあげていたとしても、貴族を否定する共和主義者どもと手を組んでは本末転倒であろうが」

「わかるものか! 共和主義を標榜して自由惑星同盟を僭称して銀河帝国に仇なす万古の逆賊どもが、門閥貴族残党勢力の銀河帝国正統政府と手を組むようなわけのわからぬご時世だ! ローエングラム公憎しのあまり、それに倣ったのではないのか!?」

「あのような愚か者どもと私を同類扱いするか!」

 

 ツァイサーは怒りもあらわに叫んだが、いまいち説得力に欠けているのは否めない。正統政府の首相を務めているヨッフェン・フォン・レムシャイド伯爵とて、ほんの数年前までは優秀な国務省の官僚として、フェザーン駐在高等弁務官として、たしかな実績と名声を持っていた人物ではないか。ツァイサーもレムシャイド伯と同じように、おかしくなっていないなどとどうして信じられる?

 

 後世のある歴史家に曰く「ラインハルト・フォン・ローエングラムの時代とは、腐敗し停滞していた人類社会をひとりの天才が豪腕によって前進させた玉座の革命家の時代」である。いささかラインハルトを持ち上げすぎであるが、この評は正しい。彼の時代に実施された改革の多くが人類社会を良い方向に推し進め、国家の繁栄と人民の幸福を追求するものであったことは疑いない。だが、それは同時に「これまではそうだった」という経験則が信頼できない時代であったということでもあるのだ。

 

 ゴールデンバウム体制は少数の特権階級が大多数の平民や農奴から搾取することによって成り立つ不公正な社会体制であったから、ローエングラム体制が開明的な方針を打ち出し、急進的な改革を立て続けに実施しても、大多数の平民は自分たち未来の可能性が飛躍的に広がったことに歓喜したし、実力主義も標榜していたので、貴族階級でも優秀で柔軟な思考を持ち、なおかつゴールデンバウム王朝の権威を気にしないものであれば高い地位を手にいれることも不可能ではなかった。現時点においてはヒルデガルド・フォン・マリーンドルフや、開明派のオイゲン・リヒターやカール・ブラッケが代表例としてあげることができる。

 

 だがいくら不公正な社会体制ではあったとはいえ、ゴールデンバウム体制は搾取する側と搾取される側とに完璧に二分できるような体制ではなかったのだ。その中間層とでもいうべき平民たちがいたのである。軍隊や官僚組織で相応の地位を築き、あるいは有力貴族に奉仕することによって、一般臣民以上の生活を保障されていた階層の者達が。ある意味において、その階層の者たちは貴族階級と並んでゴールデンバウム体制を五〇〇年間に渡って支えてきた要素である、と言えなくもないのである。そしてツァイサーが信頼した憲兵たちはその階層出身の者達が多数をしめる。

 

 ローエングラム体制はゴールデンバウム体制時代に明文化されていた法律に背反していない限り、彼らに対しても寛大な姿勢をとった。ひとつにはローエングラム元帥府に所属していた将星のほとんどがその階層出身であったからだが、ある意味貴族以上に、彼らは簡単には変われない存在であった。彼らは出身によらず、実力でその地位を獲得したのだ。それだけに経験によって築いたはっきりとした価値観を有しているし、払ってきた努力によって育んだ矜持や信念もそなえている。そしてなにより、そのために長年に渡り自らの血と涙を流し、敵の血と涙を流させてきた者達なのだから。ツァイサーら古参憲兵たちにしても同様である。

 

 その彼らからすると、今の時代は本当にわけのわからない時代でしかない。なにせ世の中の善悪正邪の定義が凄まじい勢いで書き換えられているようなものだからである。もしや悪人がそこら中に溢れる世の中でも帝国政府が築こうとしているのではないかと勘ぐり、燃え盛る正義感の命ずるところ、上層部を諌めるために反抗――大多数の平民からすれば暴挙でしかないが――する動きもあったのだが、やった者は降格処分されたし、法を逸脱してやらかした者は物理的に首を飛ばされたりしたので、早々に沈静化した。めぐるましく変わっていく帝国の現状に不満はあったが、彼らはゴールデンバウム体制で権力者の道具たる立場にあったから上の命令に従うは当然のことであったし、強者に従うはルドルフ大帝の御代より続く帝国の伝統であって反抗など論外という風潮もあったからである。だからツァイサーたちは合法的に認められる範囲内で、自分たちの価値観を貫く方向に舵をきっていたのである。

 

「……とにかくも、私を拘束するよう総督命令が出ている以上、卿らはそれに従うべきであろう。正直、言いたいことが山ほどあるが、言い争っていられる状況でもあるまいし、な」

 

 殺伐とした空気の中、ツァイサーは疲れ切った態度でそう言った。事実、これ以上事態を拗らせたら、共和主義者たちが勝利の凱歌を歌うという醜悪な結末しか待っていない。それだけはなんとしても避けねばならぬ。たとえ軍法会議にかけられたとしても、自分は恥じるべきことはなにひとつしていなのだから、堂々と自論を主張し、裁判官を説得して無罪判決を勝ち取ればいい。そう考えた。

 

 ツァイサーが両手を差し出し、自分に手錠をかけるよう促したので、他の憲兵たちはツァイサーを疑い銃を向けていた者も、逆にツァイサーを信じて彼を庇っていた者達も、互いに警戒をとかずにゆっくりと銃をおろした。そして憲兵将校の一人が手錠を取り出し、ツァイサーを拘束した。

 

 そしてジルバーバウアー総督がいるであろう惑星放送局に向かって憲兵たちが移動している最中、憲兵一等兵が上官に命じられてある報告をするために走ってきた。その憲兵兵長の表情がみごとに青ざめていたので、だれもが凶報であることを察したが、全速力で走ってきたことに加え、緊張していることもあって、憲兵兵長の言葉は非常に聞き取りずらいものであったので、皆を苛立たせた。

 

 ヴィースラー大尉がその一等兵を落ち着かせ、落ち着いて報告するように言い聞かせた。そして一等兵の息も絶え絶えで、か細い声を聞き取り、その意味を理解するとヴィースラー大尉の表情は一変し、その一秒後には腰のブラスターを引き抜いて、ツァイサーを銃撃していた。

 

「大尉! 貴様、何のつもりだ?!」

 

 腹部を撃ち抜かれたツァイサー中将の体を支えつつ、ツァイサーを信じていた憲兵の一人である少佐がヴィースラー大尉の行動の意図を問うた。

 

「われわれが総督府高官を匿わせた一家はすべて襲われた」

「……なに?」

「しかも共和主義者どもはほぼ同時に襲撃をかけたとのこと。つまり共和主義者どもは事前にそれを知っていたとしか考えられません」

「……内通者がいたと?」

「その通り。そしてその内通者はおそらく……」

 

 どこに匿わせたか、指示を出していたのはツァイサーである。そしてその全容を知っているのはツァイサーが特に信頼できると認めた数人のみである。つまり、その中に内通者がいるかもしれないが、命令した者がその情報を共和主義者にリークしていたというほうが、先ほどの放送の件もあって合理的ではないのか。多くの憲兵はそう思った。憲兵少佐もそうだったようで、ツァイサーの体を支えるのをやめて距離をとった。

 

 いっぽう、完全に見捨てられた形となったツァイサーは地面に転がり、腹部の激痛に苦しめられていたが、あまり問題がなかった。いったいなぜ、自分が共和主義者などと罵倒され、手錠をかけられ、挙句、このような目にあう屈辱を負わされているのか。その理不尽と不条理に対する怒りで頭がどうにかなりそうで、肉体から感じられる痛みなどほぼ感じていなかったからである。

 

 いや、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。憤怒と憎悪と屈辱と侮蔑の感情によって支配された偏見に満ちた思考によって導き出された結論をツァイサーは強く信じた。そもそも共和主義とかいう人類に最悪しかもたらさぬ危険思想を広めることを赦したのはだれか。危険思想を根絶するために必要不可欠な措置を禁じたのはいったいだれか。すべては専制国家の重責にありながら、専制政治体制を揺るがそうとする愚か者に責任がある!

 

「金髪の……こぞうめぇ……!」

 

 血の泡を吐きながら零れた恨み言は、若い華麗な独裁者に対する蔑称で平凡なものであったが、発言者にそう言わせた激情は決して平凡なものではなかった。彼は良き軍人であり、良き憲兵であった。遵法精神に富み、帝政と秩序とを守ることに人生の価値を見出す秩序の番人であった。だからどれだけ不満があろうとも、秩序を優先し、権力者に対する不満を口に出したことなどこれまで一度としてなかった。その彼が不満を口に出したのだから、どれだけの不満と怒りを溜め込んでいたのか、察せられるというものであろう。

 

 だが、それはまわりの憲兵たちには伝わらず、別の解釈で受け取った。旧体制の感覚から抜け出せていない彼らにとって、現在の権力者批判は赦されざることである。まして帝国宰相兼帝国軍最高司令官に対する批判なぞ言語道断であった。そんな犯罪行為ができるのは、叛逆者か思想犯に違いなかった。

 

 もはや生かしておく理由を見つけることは不可能だ。そういう古参憲兵の空気を敏感に感じ取ったヴィースラー大尉は六回ブラスターの引金を引き、憲兵中将の頭部と胴体に数本の小さな穴を貫通させた。そして何度か銃でつついて死んでいることを確認し、他の憲兵たちと顔を見合わせると足早にその場を去った。自分が悪い訳ではない筈だが、なぜか気まずさを感じずにはいられなかったのである。

 

 こうして旧体制時代、規則を遵守し、上からも下からも高く評価されていたツァイサー中将は死んだ。彼が愛した憲兵隊に、彼が絶対悪として憎んだ共和主義者であると誤解され、処刑されたのである。理不尽な新時代とそれを齎した独裁者に暗黒色の激情を抱きながら……。



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マハトエアグライフング⑦

おお、吾ら自由の民
吾ら永遠に征服されず……
――自由惑星同盟の国歌より引用。


 ツァイサーの死から時間を少しだけ遡り、ラーセンたちは都市部から数百キロ離れた森林地帯で銀行や宝石店から強奪した戦果を確認していた。途中で移動に利用した数台の救急車を乗り捨て、輸送用の地上車の荷台の中で、である。

 

「ざっと一五〇億、か。ブラウンシュヴァイク公爵家ほどじゃないが、かつての大貴族領の年間予算に匹敵。たいしたものだ」

 

 全体的に少しやせ気味で少し焼けた肌を持つ、すらりとした長身の男の声には感心の色がなく、興味がなさそうだった。事実、その男の緋色の瞳は他人に不快感しか与えない黒い情念を宿しており、まったく別のことを考えているように思え、それがラーセンの反感を買った。

 

「サダト准尉、なにか不満がおありのようですな」

「不満? 不満などないさ。たださぞ楽しんできたのだろうと思うと、少し妬ましいだけさ。他意はない」

「楽しむだと。われらに課された神聖なる義務をなんだと思っておるのだ!」

「神聖なる義務ねぇ。それを弁えているから、作戦に協力しているのだろうが」

 

 たしかに合流地点で輸送用地上車を用意して待っていたのはサダトであるし、惑星テオリアから大金を抱えて脱出する作戦を考えたのもサダトであり、収奪に関わっていないとはいえ、その功績は大きい。しかしその皮肉気な発言は、狂信的な帝政の守護者であるラーセンを怒らせ、口汚く罵ったが、サダトは適当に対応するだけで、火に油を注ぐばかりであった。

 

 狂人と狂人がくだらない議論をしている、と、ハイデリヒは遠巻きに二人の言い争いを聞いている者達の中で思った。エーリューズニル矯正区出身者のラーセンは言うに及ばず、サルバドール・サダトも一般的な感覚から見れば、狂ってるとしか言えない人間である。血に飢えた虐殺者で、ローエングラム体制が確立してからはその悪業が公表されて指名手配中であり、ラナビア警備司令部の逃亡者の中では二番目に高い懸賞金をかけられたことで、“ラナビアの絞刑吏”という綽名と共に有名になった。

 

 いや、サダトに限らず、ラナビア関連の話は吐き気を催すような狂気しか感じられない話しか聞かない。前体制の暗部をさらけ出し、現在の権力体制の正当化するため、帝国政府当局によって多少は誇張されているのだろうと思うが、生き残った大量の証言者がいるからまるっきり嘘ではないだろう。そうしていくらか差し引いて考えてもラナビアの実態は狂っているとしか思えない。社会秩序維持局という帝国の暗部を担当する一員だった自分でさえこれなのだ。一般人はどう思っていることやら。

 

「そもそも俺の忠誠は殿下が認めてくださっている。おまえがとやかく言うことか」

「……ひとつ言わせてもらうが、神聖にして不可侵なる皇帝陛下はただひとり、エルウィン・ヨーゼフ二世陛下のみだ。たとえ殿下が認めようとも、卿が皇帝陛下への忠節に欠けるようであるならば――」

「だが、悲しむべきことに皇帝陛下はレムシャイド伯のような愚者に惑わされ、叛徒どもの遠い惑星に囚われている。そして非常に遺憾ながら、我らは哀れなほど無力。だからおまえは、殿下を我らの首班として認めたのではないのか。そして陛下に万一のことあれば、殿下が至尊の座に就かれることも。それともなにか? おまえが数千光年離れた惑星におられる皇帝陛下の御意思を忖度できるとでもいうのか。思い上がりもはなはだしい」

「……快楽主義者め」

 

 いつの間にやら話題が帝位の正統論争へと移行し、サダトの理路整然とした言葉にラーセンは頷いたが、あまりにも全然興味がなくて面倒くさいという内心が見え透いていたので、小さく負け惜しみの罵倒したが、サダトはまったく気にした様子がなかった。

 

 両者が狂人であることに疑いの余地など微塵もないが、ハイデリヒの見るところ、その狂気の質に微妙な差異がある。ラーセンは人間的でありながら内面がおかしいタイプの狂気であり、サダトは精神面が不安定な異常者といったタイプの狂気である。そのような狂気の所有者が、高い知性と能力の持ち主であるというのは、いったい何の冗談であろうか。

 

 いや、冗談ではなく現実の話だから笑い話にもならないのだが、と、考えているとサダトがニヤリとした笑みを浮かべてこちらに問いかけてきた。

 

「それはそれとして、ハイデリヒ保安中尉。今回の作戦における成果のうち、七割がこちらのものとなるってことでいいんだよな?」

「ああ。それで間違いない」

「ところでおまえたちが、こちらに合流する気はないのか。同じくゴールデンバウム王朝に忠節を尽くす同志ではないか。王家の血を継ぐ殿下の下で団結したほうが、何かと良いかと思うのだが?」

 

 これにはラーセンも興味を持ってこちらを見つめてくるので、ハイデリヒは心中で毒づいた。サダトの唇が弧を描いているところからみて、こちらが困ってるのをみて楽しもうという魂胆だ。本音を言ってもいいのだが、サイボーグの前でゴールデンバウム王朝を見捨てているかのような発言をすれば最悪殺されかねないので、適当に取り繕わなくてはならない。

 

「ご意見はごもっともながら、私らが組織のボスがよくないと判断している以上、私個人が意見を述べるべきではないでしょう」

「では、おまえだけでもこちら側に来ないか」

「残念ながら忠誠を誓った主君に尽くすことこそ、帝国人としての本懐では」

「そこまで言わせるとは、はたしてどのような男がおまえの上にいるのであろうな。いったいだれに忠誠を尽くしているのか。おまえらの組織は秘密が多すぎてな……」

 

 緋色の瞳には嗜虐の色しか映っておらず、あきらかにハイデリヒを困らせることが目的で秘密組織やそのボスのことをネタにしているだけであった。そのことはラーセンの不興をも買った。

 

「やめぬか。ハイデリヒ保安中尉とその組織を信頼するのは殿下の判断だ。不要な詮索をするではない」

「……へいへい」

 

 判断したのは殿下ではなくてその側近だろうにという呟きを口には出さずに飲み込み、サダトはつまらなさそうに会話を切り上げた。あまりやりすぎて本当にラーセンが暴発すれば、さすがに面倒と考えたのである。サダトにとっては暇つぶしの遊びでしかないので本気になるべき理由もない。しかしそれで遊ばれていたハイデリヒからすると内心で一息吐きたい気分であった。

 

 その瞬間、立体TVで放送があった。ジルバーバウアーによる共和主義者鎮圧命令とツァイサー中将の拘束命令である。ラーセンは自分の腕時計で時間を確認し、感心したように言った。

 

「計画にあった時刻より三〇分ほど遅いことを除けばほぼ予定通り。卿らの組織の計画は本当に完璧だな」

 

 その発言に、ハイデリヒは頷くしかなかった。いくら公的機関に秘密組織の人員を浸透させ、その情報分析の下に今回の計画を立てていたとはいえ、ここまで完璧に計画を遂行してのけるゲオルグの計画構想力、人材の分析と任務の割り振りは見事というほかなかった。

 

 秘密組織のマハトエアグライフング計画が完璧な成功をハイデリヒが実感してから一時間とたたず、体制側の優勢が絶対的なものとなった。放送を聞いて各駐屯地でひたすら待機命令をだされていた憲兵たちが一斉に立ち上がり、各所で共和主義を掲げるテロリストたちの屍の山を築きあげたのである。

 

 だが、体制側がほんの少し出遅れれば苦境を打破することは困難を極めたであったろう。ジルバーバウアーが放送を行った直後から、放送局を占拠せんと共和主義者たちは猛攻をくわえてきたからである。周辺から続々とやってくる警官や憲兵の増援を前にザシャは撤退の判断を下したが、ジルバーバウアーらがほんの一瞬出遅れていれば、先に共和主義者たちが放送局を占拠していたということで、ツァイサーの待機命令を律義に憲兵たちは守り続けていただろうから。

 

 当面の危機を脱したということでジルバーバウアーらは安堵した。唯一、ツァイサー憲兵司令官が死んでいるという情報に不満を抱いたが、ヴィースラー憲兵大尉の報告によると総督の放送のある前に共和主義者どもと遭遇戦が発生し、ツァイサーは名誉の戦死を遂げていたという。共和主義者どもに裏切られたのか、なんらかの意図があって奇妙な行動をしていただけだったのか、それはこの騒動を終わらせてから判断すればよいとひとまず棚上げした。

 

 しかし劣勢に陥ってる側は、そんな悠長に考えてはいられなかった。ジルバーバウアーの放送によって憲兵隊と警察の対立を煽って治安戦力の過半を無力化するフェザーン勢力の工作(を装ったゲオルグたち秘密組織の活動)が打ち破られてしまった。すでに同志の半数が捕らえられるか殺されている。まだ続々と敵が殺到してくるであろうことが予測できるだけに撤退すら絶望的である。

 

 だが――と、ザシャは思った。ここで撤退できたとして、何の意味があるというのだ。そもそも同盟軍の帝国領遠征とラインハルトという独裁者が誕生して急速に下火となった共和主義運動を再燃させるため、フェザーンの口車に乗ってテオリアで賭けに出ようとしたのではないか。ここで撤退し、致命的にまで傷ついた共和主義地下組織を率い、帝国の共和主義革命を成し遂げられる可能性など、はたして存在するのであろうか。

 

「ザシャさん!」

 

 ザシャの脳裏に「玉砕」の文字がちらつき始めたとき、実働部門の幹部の一人であるハラルドが声をあげた。ハラルドは兵役を拒否したことで帝国治安当局から敵として狙われることになり、逃亡中の成り行きで共和主義地下組織に保護され、共和主義者となった人間であったが、爆弾を日用品に偽装する能力が高く、部下の統率もうまかったので、テロ活動においてザシャは彼を腹心としていた。

 

「このままだとジリ貧だ。私たちが囮になるから、あんただけでも生き延びろ」

 

 ハラルドがなにを言ったか瞬時に理解できず――いや、理解したくなかったのか――ザシャは首を傾げ、意味を理解すると心の底から湧き上がってくる怒りを胸に感じながら、あくまで理性的な受け応えをしようとそれを必死に抑えつけた。

 

「なにを戯けたことを。最後の時まで俺は革命家だ。降伏し専制者に膝を屈するなどありえんし、自由を束縛する牢獄の中で一生を終える気も処刑される気もない」

「は? 最後の時だと。あんたはここが私たちの共和主義運動の最後だというのか」

「……屈辱だが認めるよりほかにあるまい。もはや再起の可能性はない。われわれの運動はここで終わる。希望があるとすればホルストとそのシンパどもだが……いまさらそっちに合流したところで厄介者扱いされるがオチだろうさ」

「馬鹿野郎!」

 

 突然のハラルドからの罵倒に、ザシャは驚いて思わず後ずさった。

 

「あんたを馬鹿にするような時が来るなんて思いもしなかった! いいか、私たち共和主義者は帝国から常に弾圧されてきたんだ。人類を堕落せしめ、秩序を破壊し、混沌しか齎さない危険思想。ゆえに正義と秩序の名の下に弾圧されてきた。それは今だって変わらない。ローエングラム公の開明政策? 笑わせる。共和主義者が収容所から釈放されたといっても、本当の共和主義者、真の自由を求める革命家たちを解放しない時点で、やつらの真意は明瞭だ。開明政策とやらは単に人気とりのためなんだってな。その証拠に社会秩序維持局という秘密警察を廃止しておきながら、一年と少ししたら平然と内国安全保障局という名前で秘密警察を復活させやがった」

 

 それは武力闘争路線を堅持している共和主義革命家の中では共通認識である。ラインハルト・フォン・ローエングラムという若き権力者の優秀さと施政の妥当さを認めてなお、そこに欠点を見出さずにはいられない。人類社会は専制主義ではなく共和主義的に統治されることが正しいと確信しているからこそ、共和主義に対する不当な圧力に過敏に反応してしまうのだ。

 

 このような過剰反応も共和主義地下組織から人心が離れていった要因のひとつであった。特にローエングラム公の台頭後、共和主義に対する信念に欠ける構成員が離反してからは、それが顕著に表れるようになっていき、組織の指導者はそれも改善しようと必死だったのが、結果を出す前に憲兵隊に逮捕されてしまったのである。

 

「だからこそ必要なんだ。専制者に屈服も敗北もしない、共和主義を掲げる闘志が!」

「……なに?」

「伝説や権威に頼るとなるとこの組織の成り立ちを考えるとアレなのだが、一度は国家を変革することを現実的に夢見れる大組織だった長が、官憲に捕まることも殺されることもなく、帝国にたいして闘争を続けているという伝説が残れば、これから先、共和主義の理念に燃える新たな革命家を誕生させる可能性を少しでもあげる要素にはなるでしょう。指導者が逮捕されているいま、その役目を担えるのは副指導者であるザシャさんだけなんです。だから生きてください。私たちの死を無駄にしないために。お願いです同志……」

 

 縋るようなハラルドの目を否定したくて、ザシャはまわりの同志たちを見渡したが逆効果だった。だれもがハラルドと同じ色を帯びた目で見つめかえしてきたからである。ザシャは感情をこらえきれずに体を震わした。

 

 皆、卑怯だ! どうして一緒に戦わせて、死なせてくれない? 何の成果も残せずに多くの同志を死なせたのに、一人生き恥を晒し続け、生き続けろというのか。だが、皆が望むのであれば指導者はその望みに沿わねばらならない。それが彼らが信じる共和主義というものであった。

 

「わかった。だが俺も帝国治安当局にそれなりに名が売れてる人間だ。単身で官憲の捜索を潜り抜けるのはかなり難しい。そのあたりどう考えているんだ。同志を見捨てて一身上の安泰をはかった愚者と曲解されるおそれがある。そうなってはマイナス効果でしかないぞ」

 

 それでも一人の人間として反対意見は言わねばならない。実際、そんな目にあったら死んでも死に切れぬ。

 

「そんなときは爆弾を抱えて爆発とか、死体が残らないように死んでください」

「さらっと酷いことを言うな?!」

 

 素っ頓狂な声でそう言った後、ザシャは思わず笑いだした。要するに、忘れようがないほど劇的な死にかたをしろということかと理解したのである。ザシャの笑いにつられて他の同志も笑みを浮かべて笑った。蝋燭の火は、消える間際こそ一番よく輝くという。絶望的な状況にあって消えかけていた彼らの革命の志が、死ぬべき意味を見つけて再び激しく燃え上がっていた。

 

「ミハエル!」

「はい」

「護衛として俺についてこい」

 

 ミハエルと呼ばれた青年は一瞬後ろめたさを感じて戸惑ったが、すぐに意を決してザシャに駆け寄った。

 

「さらばだ同志諸君! そして……すまぬ」

 

 それだけ言ってザシャとミハエルは近場の建物の中へ消えていった。それを確認したハラルドは目を瞑って意を決し、自分たちが優勢だったときに警察部隊を撃破するときに巻き添えにした地上車の上に飛び乗って、眼下の同志たちに語りかけた。

 

「共和主義革命の先鋒を担う、同志諸君!」

 

 ハラルドはそこで一息吐き、叫んだ。

 

「専制者の飼い犬どもを撃滅し、また自由の凱歌を高らかに歌おうぞ!」

 

 共和主義者たちは各々の武器を掲げ、歓声を爆発させた。頭では敗北するとわかりきっていても、心では常に勝利を目指して戦うものである。愚劣な精神主義の極致であると言えなくもないが、多くの精神主義者と違って彼らは自覚した上でやっているのである。

 

「総員突撃! 敵包囲網の一角を突破するぞ!」

 

 この時、ハラルドが率いた三〇〇名余りの突撃隊は治安戦力の包囲網に穴を穿つべく雄々しく突進し、一人残らず玉砕したが、死兵と化した溢れんばかりの闘志は実態をともなったものであり、彼らはこの局地戦で一〇倍以上の規模の治安部隊に対峙し、死者一〇四九名、重傷者五八七名という驚異的な戦果を残した。単純計算で一人あたり五人強の敵を撃破したということで、警官や憲兵を震えあがらせた。

 

 他の共和主義者たちもハラルドたち同様、決死の覚悟で暴れまわり、その鎮圧のために治安側は常に倍近い犠牲者を出しつつも、午前五時二五分の時点で表立って暴れていた共和主義者の掃討を完了した。ジルバーバウアーの放送から二時間強が経過していたが、それでジルバーバウアーたちが安心することはなかった。

 

 共和主義地下組織に関するデータ、特に幹部級以上の者のデータは情報機関や治安当局によってかなり正確なものを掴んでおり、捕虜にしたものたちの証言によって、共和主義地下組織に残存していた幹部が全員、今回のテロに参加していたことがかなり早期に判明していた。そして死んだ人間の顔を確認していくと全幹部の死体が確認できた。事実上組織を運営していた副指導者のザシャ・バルクを除いて。

 

 ザシャ・バルクの死体が確認できないことに治安部隊が気づいたのは、五時四〇分頃であったという。今回の騒乱において治安部隊が見苦しいまでの醜態を演じた上、テロリストの首魁だけ取り逃がしたとあっては帝国の権威に傷がつきすぎる。特に憲兵隊は、管区司令官が不審な行動をしていた負い目があったこともあり、首魁の捜索に強烈な熱意を持って取り組んだ。

 

 ザシャとミハエルはある集合マンションの空室に忍び込んでいたが、治安部隊が捜索に熱心な様子を見て自分が隠れきれないし、逃げきれないことをさとった。そこでザシャは別れのときに同志たちと誓ったことを果たすべく、逃亡ではないもうひとつの方法をとることを決断し、それにミハエルも同意した。そして早急にそのための準備を始めた。

 

 そして準備が整える最中に、憲兵の一個小隊がそのマンションに乗り込んできたので、ミハエルが時間稼ぎのためにも囮となって捜索を妨害するために応戦。二分ほどの戦闘の末、ミハエルは右脚を光線で貫かれ、三階から外に転がり落ちて気絶しているところを憲兵隊によって確保されて一分もせぬうちに、マンションの一部が消し飛ぶほどの大爆発が発生した。ゼッフル粒子発生装置を使い、ザシャは自分の体を爆発四散させて自殺したのである。この爆発を最後に混狂の夜(カオスズラーズライ・ナハト)は明けた。午前六時一六分のことであった。

 

 その後の憲兵隊の尋問でミハエルはザシャの爆発自殺までの経緯を虚偽を含めて詳細に語り、「あの大爆発によって発生した火災に紛れ、ザシャは逃げおおせたのだ。ザシャは死んでいない。共和主義革命の炎は消え去っていないのだ」と証言した後、隙をみて自分の舌を噛み切り、自らの血で溺死してザシャの跡を追った。当初ジルバーバウアーらはその証言を信じたが、数日後の科学的調査によって爆発したマンションの残留物からザシャ・バルクが死亡した可能性が高いことが判明したので、ザシャの生死に関連するミハエルの証言を信じる者はごく少数しかいなくなった。

 

 今回の騒乱において、共和主義地下組織の構成員のうち、三四一六名が死亡、四九二名が逮捕(逮捕後、三〇二名が絶食などの方法で死を選んだ)、一〇〇名前後が逃亡もしくは生死不明。治安部隊のうち、警官の死者が二万五三三一名、憲兵の死者は一万〇二〇六名、負傷者は軽傷者も含めると五万前後。また旧体制残党が宝石店強奪の際に店員の反撃を受けて二名と騒ぎに乗じて悪事を働いた小悪党が九名が死亡している。そして民間人の犠牲者は、共和主義勢力がある程度は民間人を巻き込まぬように配慮していたこともあって、これほどの規模の騒乱であったにも関わらず、約三〇〇〇名前後の犠牲者で済んだ。

 

 この騒乱について、ラインハルト・フォン・ローエングラムの時代の帝国研究を専門としている歴史家のJ・J・ピサドールは以下のように分析している。

 

 三月一五日未明から明け方にかけて、テオリアで発生した混狂の夜(カオスズラーズライ・ナハト)は規模で言えば一惑星内の騒乱に過ぎず、また、この時代における民主主義陣営最大の用兵家と専制主義陣営最大の用兵家、ヤン・ウェンリーとラインハルト・フォン・ローエングラムが正面から激突していたラグナロック戦役の裏側で発生していた事件なこともあって、当時の一般人にとってはさほど関心を持つことはなく、この事件に真摯に対応したのは治安当局と強盗の被害にあった銀行や宝石店にどの程度の保障を行うべきか頭を悩ませていた一部の財務官僚程度であったろう。

 

 だが、長い時間の流れの中でこのテオリアにおける騒乱は、ゴールデンバウム体制と急激な改革がもたらした光と闇が非常にわかりやすく現れた事件として徐々に注目されはじめたのだ。そしてそれぞれの人間の行動を分析していくと、そのすれ違いや的外れぶりが、歴史の観察者としての立場では面白く感じるという点も、この事件の物語に人気がでてきた理由のひとつといえよう。

 

 この事件をそうさせた第一の要素として、旧時代の感覚から抜け出せないツァイサー中将を筆頭とした憲兵隊上層部である。ゴールデンバウム体制において誠実に職務に尽くし、共和主義を含む思想犯を弾圧してきた彼らは、言論や思想の自由を受け入れられなかった。しかも共和主義を雑談のネタにすることと共和主義者であることには大きな差があることすら、われわれの時代の感覚からすれば信じ難いことに理解していなかったのである。しかも憲兵たちが共和主義の話題をしているから、おそらく共和主義者という前提のもと行動した結果、総督や警察支部長から共和主義者と結託しているのではないかと疑われるのは、もはや喜劇じみている。だがその喜劇が喜劇で終わらず、ツァイサーは自分が信じた憲兵たちによって処刑されてしまうというところに、ゴールデンバウム体制の罪悪とそれに染まりきっていたために抜け出せない常識人の無念を見いだすことができる。ちなみにツァイサーの死は当初、憲兵隊の名誉のためにヴィースラー大尉によって共和主義者と戦って死亡と虚偽報告され、その死の本当の経緯が判明するのに数年の時間を必要とした。

 

 第二の要素はザシャ・バルクが率いた共和主義過激派のテロリストたちである。その成立過程は、ある没落貴族が復讐のために設置した地下組織を徐々に共和主義者たちが乗っ取り、自らの革命組織としたという一風変わった歴史を持っており、その組織史を研究している者たちもいるがここでは割愛し、要点のみを述べる。第三代指導者ペーター・ゲッベルスの指導の下、ゴールデンバウム体制を打倒しうる組織へと成長しつつあったが、四八七年の同盟軍の帝国領遠征の失敗によって組織は大きな打撃を受けた。さらに畳み掛けるように翌四八八年末に旧弊を一掃し、公正・公平・実力主義を標榜するローエングラム公の独裁体制が成立し、自由で平等な新時代を築くという組織の目的に魅力が失われたことで離反者が多数発生し、次の四八九年の初頭には密告を受けた憲兵隊の襲撃によって指導者のペーター・ゲッベルスを失ったことにより、過激派以外のすべての構成員の離脱を招くという完全に末期的な状態にあった。三月一五日の暴動でほとんどがその理念に従い死んでいったが、支配されることを拒絶し、自由を求めて戦い続ける不屈の精神は、一部の人間に彼らが民間人を巻き込むテロリストであることを忘れさせ、賞賛してしまうほど美しいものを感じ取ることができる。そしてまた、体制を打倒する立場を奪われた者たちの末路というふうに受け取ることも可能であり、そうした悲劇の英雄的側面から、彼らを主役とした作品が発表され、マイナーだが確かな人気を獲得している。

 

 第三の要素として、やや第一の要素と被るが、エルンスト・フライハルト・マティアス・アーブラハム・ジルバーバウアーの頑迷なまでの無能さを発揮し、責任をとることを極端に厭う姿勢である。万事において前例主義で命令がなければ動かず、責任回避に終始するのは悪しき官僚主義の典型と言えなくもないが、ジルバーバウアーの場合、ゴールデンバウム体制における身分秩序の裏返しであるだけに一般的な同情の対象となりえた。その同情はどんな無茶な命令でも一定の成果をあげる非常に有能な官僚であった事実によって支えられている。事実、この騒動における対処の拙さが中央から追及され、総督付下級秘書官に降格されるが、そこから再び有能さを発揮して副総督にまで出世し、三年間無難に務め、定年退職しているのである。これほどまでの極端さが現れたのは平民が自分の責任において事業を推し進めるのが、どれだけ危険であったかということを示唆しているのだ。ローエングラム体制下において野心的な技術官僚が多く抜擢されたのは、一般官僚のほとんどが優秀であっても極度に受け身の体勢で創造的な仕事を任せられないから、という一面もあったのである。

 

 第四の要素は警察と憲兵隊の険悪な対立意識である。もとよりこの両組織の仲は良好とは言えないが、この時期における険悪さは上層部の陣容によるところが大きい。憲兵隊のトップである憲兵総監はラインハルト・フォン・ローエングラムの側近の一人であるウルリッヒ・ケスラーであった。いっぽう、警察のトップである警視総監はゲオルグ派との抗争に敗れて中央から追放されていた元ハルデンベルグ派の貴族警官であった。しかもその派閥の盟主であり妹に殺害された故エーリッヒ・フォン・ハルテンベルク伯爵の義弟であり、第六次イゼルローン要塞攻防戦で戦死した故ヘルマン・フォン・リューネブルクとラインハルトの険悪な対立が過去があり、そのせいで旧ハルテンベルク派を用いているのはラインハルトの本意ではないという噂が組織内で広まっていて、そういったことから憲兵隊は警察に対する優越意識を持ち、警察の職権が縮小されて憲兵隊が浸食していることに問題視せず、その憲兵隊の傲慢さを警察が侮蔑するという構図になっていたのである。騒動の際に両組織間で銃撃戦が発生したのは、直接的には誤解によるものであったが、いきなり銃撃戦に突入したのは上層部の勢力図と関係によるところが少なからず影響しているのは明らかであり、権力者の影響の大きさというものを考えさせるのである。

 

 そして第五の要素は旧体制の残党である。四八八年にローエングラム・リヒテンラーデ枢軸に対抗すべく、当時帝国で一、二を争う権勢家、ブラウンシュヴァイク公爵とリッテンハイム侯爵が手を組んで誕生した貴族連合の残党を中核として成立したこの要素に主眼を置いた場合、これは序章の終焉ととらえることができ、彼らを分析する上で欠かすことができない事件であるといえる。彼らは総じてゴールデンバウム体制下における暗部の象徴であり、それゆえにラインハルトの手による新時代を否定した。彼らにとって自己存在意義とゴールデンバウム王朝は不可分のものであり、その血生臭く哀れな人生に興味を持つ研究家は決して少なくなかったのである。

 

 これら五つの要素は、各個に独立したものでありながら、それぞれが相互に作用しあい、誤解と誤断を招き、混沌と狂乱の夜を演出した。この事件が混狂の夜(カオスズラーズライ・ナハト)と通称されたゆえんがそこにあった。しかしその定説は、新帝国歴三〇年に一般公開された帝国の機密文書によって、大きく覆されることとなったのである。この事件は混沌と狂乱の産物ではなく、ゲオルグ・フォン・リヒテンラーデと彼が率いた秘密組織の緻密な計算によって演出された計画的なものであったというのである。

 

 すでに混狂の夜(カオスズラーズライ・ナハト)事件という名称が定着していたのでそれが廃れることはなかったが、秘密組織の計画名からとってマハトエアグライフング(乗っ取り)事件とも称されるようになった。状況を見事なまでに操りつつ、彼らは陰に隠れて行動した。その結果、共和主義者たちのテロ行為によって空いた統治機構の穴を埋める際に、浸透していた秘密組織の構成員もその対象となったため、テオリアにおける秘密組織の影響力は飛躍的に強化され、後にゲオルグの秘密組織が銀河に謀略の糸を張り巡らすにあたってじつに有益なことであった。そういったこともあって、このテオリアの騒動もこの時代を象徴するひとつの事件として認識されるようになったのである。

 

 このことが明らかになると、私欲ゆえに市民を巻き込む騒動を誘発した秘密組織の構成員は批難の対象となったが、それに対してハインツ・ブレーメが晩年のインタビューでこのように語っている。

 

「私はゴールデンバウム王朝の支配下で育った。身分の上下が決まりきっていて、人の命が恐ろしく軽かった時代に多感な少年・青年時代を過ごしたのだ。全員が全員そうだったというわけではないが、貴族に生意気な口を少ししただけで政治犯として逮捕されるような時代だった。現に、私は同僚の一人が貴族によって理不尽に処刑されるのをこの目で見たことがある。平民が政治に口出ししたり、野心を抱くことは罪だった。貴族や体制の道具としてのみ、それが赦された。少なくとも、私のような凡人にとっては。

 だが私が三八歳のとき、ラインハルト・フォン・ローエングラムが帝国軍総司令官兼帝国宰相として、帝国の独裁者となった。そのときの私は別段、それを歓喜をもって迎えたわけではなかったが、彼の名の下に実施されていく改革の嵐で身分秩序と常識が崩壊していくのを肌で感じ、私の中でなにかが変わった。今まで体制によって抑圧されてきた野心や自負が、今度は体制によって肯定されたように思えた。私は成り上がれるところまで成り上がってやりたくなった。かのエルネスト・メックリンガーが自著で語ったように“野心の時代”が到来したのだ。

 ゲオルグ殿が私に接触してきたのは、ちょうど私が自分のささやかな野心に従い行動しようと決意して間もない頃だった。彼は言った。自分に協力すれば私の立身栄達を支援してくれると。無論、その協力で少なからぬ人命が犠牲にする手伝いであることを理解していたが、それにあまり罪悪感を感じなかった。繰り返すようだが人の命が恐ろしく軽い時代に育った。平民はもとより、貴族でさえ、政争に敗れて一族郎党処刑されるなんてことは珍しいことではなかったから、人命を重んじる意識なんて育ちようがなかった。あの頃の私にとって重んじるべき人命は、自分と自分と親しい者たちだけだった。それ以外にまで気を使っていては、まっとうな人生など歩めない世界だったから。

 それでも自覚した上で自主的に他人の破滅に協力するのは初めてだったので、微かな罪悪感を感じはしたが、私はラインハルト・フォン・ローエングラムとて何千万もの人間の犠牲の上に今の栄光を築いたのだから、自分だってやってもいいじゃないか――今ではそれは正当化の理由にならないと思わないでもないが――と自分を完全に正当化できたのである。

 どちらにせよ、今の時代の若者たちにはわからぬことだ。そしてそれがわからず、私を非難してくる若者が多いことを苦々しく思うが、それ自体が人の自由が抑圧されない素晴らしい時代になった証明だとも思い、喜びを感じる。二度とあのような時代、黄金樹の停滞の時代とそれを完全に破壊した動乱の時代とが再来しないことを、一人の人間として、私は強く願う」




最後の歴史家の記述、くどいかなぁと思ったんだけど、これ以上簡潔にできなかった。
文才が欲しい……

とにかくこれでマハトエアグライフングは終了です。
5話くらいで終わらせるつもりだったんだがなあ……。


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バーラトの和約

活動報告にまたキャラ解説書いたので、よかったら見てください。


 混狂の夜(カオスズラーズライ・ナハト)事件が終わった後もしばらくは混乱が続いた。大規模なテロ事件だったのでケスラーの意を受けた中央の憲兵たちが乗り込んできて現地の警察及び憲兵隊の捜査を再確認を行ったり、共和主義者の残党狩りが行われたりしたのである。特に五〇〇〇もの共和主義者の潜入を可能にした協力者を探し出すのは、帝国の治安上急務であった。

 

 真っ先に疑いをかけられたのは、事件当時に怪しい動きや命令を出していたセバスティアン・フォン・ツァイサー中将他、憲兵隊上層部である。当のツァイサーは共和主義者に殺害されたというが、口封じの可能性が高いと中央の憲兵は判断した。しかし現地憲兵将校の証言や残されている文書を精査しても、五〇〇〇人もの人間を匿っていたような証拠はなにひとつ見つからず、普段の行動にも怪しいところは一切なかったので、なぜ事件に対する対処がああも雑だったのかという疑問だけが膨れ上がる結果に終わった。

 

 次に生きたまま捕まえることに成功し、なおかつ死を望んでいる節もない数少ない共和主義者の「フェザーンの工作員が手配してくれた」という証言に基づく線で捜査を行った。フェザーンが帝国に占領されているため、帝国領内に残されたフェザーンの工作員が愛国心から反帝国的活動を行ったとしても不思議ではない。テオリアに支店があるいくつかのフェザーン企業を捜査したところ、反帝国的な活動を行っていた記録が見つかった。しかしそれは何千人もの人間を匿うという類のものではなかったし、フェザーン占領に反発した者達が勝手に動いて実施したものであり統一性を欠いていた。しかしそれ以外に怪しい線はなかったので、フェザーン残党の謀略による可能性が高いが怪しい点が多々あるので疑問が残るという中途半端な捜査結果に終わった。

 

 そうした捜査結果が出た頃、総督付下級秘書官に降格されたジルバーバウアー総督に変わって、ヤツェク・グラズノフが総督として着任した。元々はフェザーンの官吏であり、帝都駐在高等弁務官事務所で一等書記官を務めていた。高等弁務官のニコラス・ボルテックがルビンスキーを裏切り、祖国をラインハルトに売り渡した成り行きで、ボルテックに属したフェザーン官吏は大半が自己の安寧のために、帝国の官僚へと受動的な転身を遂げていたのである。とはいえ、グラズノフはボルテックの売国事業に積極的に協力した共犯者であるので、能動的な転身であったが。

 

 グラズノフとしては売国事業が完遂された暁には、帝国軍に警護されて厚顔にもフェザーンに凱旋し、開設される新たなフェザーン政府で相応の地位が与えられることを期待したのだが、ボルテックはグラズノフが金髪の孺子に懐柔され、自分の代わりに代理総督に就けられることを警戒。完全に帝国の風下に立たない為にと理屈をつけて帝都に残したのである。グラズノフは不満を抱いたが、理解できる内容ではあったので、協力による見返りを条件に帝都に中堅官僚として留まったのである。

 

 だがグラズノフとボルテックがフェザーン支配の目的で固く結ばれていたので、フェザーンの完全な併呑を目標としている帝国の中枢にとってグラズノフが中央政府で働いているのは非常に厄介なことであった。速やかに排除したいところではあるが、ラグナロック作戦を成功させる上で大きな役割を果たした功労者でもあるため、そうもいかない。そこで組織を運営する能力が高いことなど理由に、偶然にも空席となったアルデバラン星系の総督に任じたのである。人口一億を超える星系の頂点であり、形式的には間違いなく出世であったから、文句など言えまいというわけであった。そういった事情を見抜けないグラズノフではなかったが、受け入れるしか道はなかった。

 

 それがアルデバラン星系総督府の長となった理由であったが、グラズノフは精力的に政務をこなし、テオリアの再建に尽力した。中央の情報がつかめないならこのテオリアで自分の人気を高め、味方を増やそうという打算があったのもあるが、与えられた仕事はちゃんとやるというフェザーン官僚としてのプライドによるものもあった。

 

 テオリアの再建は急速に進んだ。それはグラズノフの指導力の賜物であったが、別の要因もあった。秘密裏にテオリアの統治機構をほぼ掌握しているゲオルグが、その掌握をより完璧なものとするとべく、秘密組織のネットワークを活用し、構成員たちに復興事業で目覚ましい活躍をさせ、それを理由にして出世させていたからである。

 

 特に商務局長官が共和主義者によって暗殺されたため、その代理に任命されたハインツ・ブレーメの活躍は特筆すべきで、その立場についてから民間企業との強固な協力関係を構築し、復興事業を超スピードで実施させ、しかも実施されてから大きな問題は発生していないという完璧ぶりである。商務局長官代理の肩書から代理の文字がとれるのも時間の問題であろう。

 

 そんな復興の最中にあるテオリアに、エドゥアルト・ヘルマン・シュヴァルツァーが複雑な経路をたどってやってきたのは混狂の夜(カオスズラーズライ・ナハト)事件が終結してから約三か月後、六月二日のことである。シュヴァルツァーはゲオルグの警察時代からの側近で、惑星オデッサに潜伏してズーレンタールという流通会社を運営していたが、テオリアにおける秘密組織の力が強まった今、オデッサにシュヴァルツァーを置いておく価値はないとゲオルグが判断したのであった。

 

 総督府の客間の一室、そこはテオリアの影の総督となったゲオルグ・フォン・リヒテンラーデが総督のグラズノフに無断で作り上げた自分の執務室であった。そこら中に機密文書のコピー書類が山積みにされている。総督府の情報は、完全に筒抜け状態であった。

 

「久方ぶりだなシュヴァルツァー、どうだこの歴史ある古都の情景は?」

「そこら中に双頭の鷲(ツァイトウィング・イーグル)黄金獅子(ゴールデン・ルーヴェ)の旗が掲げられていて、驚きました」

 

 双頭の鷲(ツァイトウィング・イーグル)はゴールデンバウム家の家紋で、黒地に銀色でゴールデンバウム家の家紋を描かれている旗は銀河帝国の国旗として扱われている。しかしローエングラム体制に移行してからは街中で大量に国旗が掲げられるのは権威主義的だからと帝国政府が自粛するようになったので、そのような光景は今では珍しくなっていた。

 

 いっぽう、黄金獅子(ゴールデン・ルーヴェ)はローエングラム家の家紋であり、真紅地に黄金の獅子を配した旗はローエングラム元帥府の旗である。ラインハルトが帝都に凱旋し、正式に皇帝に即位することになれば、銀河帝国の国旗もこれに変更されるであろう。

 

「こんなことになるとは、ちょっと予想していなかったんだが……な」

 

 この二種類の旗がテオリアに大量に掲げられることになったのは、住民の自発的行動によるものであった。混狂の夜事件で共和主義者たちが盛大に暴れまわったので、少なくない住民が恐怖心から旧体制下で叫ばれていた「共和主義は絶対悪」という昔はどうでもいいからと聞き流していたプロパガンダの内容を思い出し、共和主義を根絶しようと試みたルドルフ大帝はなんと立派な指導者だったんだと、ルドルフ崇拝ブームが住民の間で広まったのである。

 

 そして帝国軍が同盟政府を降伏に追い込んだというニュースを入手すると、「不逞な共和主義者の本拠を潰したラインハルトは第二のルドルフだ!」ということで、ルドルフと並んで崇拝されることになったのである。ゴールデンバウム王朝の伝統とラインハルトの改革方針を把握していれば、その両者は政治的に相容れるものではないとわかるはずなのだが、政治に関する知識が乏しい平民は政治を自分に関係する部分だけしか見ない傾向があり、理由がどうあれ自分たちにとっての脅威を粉砕してくれるのなら良い政治指導者であると思うものなのだ。

 

 革命記念博物館への入場者数も激増しているという情報もあり、ルドルフを尊敬するゲオルグとしては嬉しい反面、嘆息せざるを得ない。現在進行形で旧貴族領の一部が叛乱を起こしており、ブルヴィッツの一件もあって中央政府はそちらの対処に集中している。だから中央政府が事態を把握した頃には終結していたテオリアの騒動の調査に大規模な人員を割くゆとりはないと推測し、事実それは的中した。だがもし過度にルドルフ崇拝が横行していると見なされ、注目されるようになったらたまったものではない。

 

 いまのところ言論・思想の自由を尊重して中央政府は静観しているようだが、中央政府の面々は不愉快な気分にあるだろう。民衆のルドルフ崇拝を自然な形で消滅させていかなくては、ゲオルグが掌握したテオリアの隠然とした権力を失うことにつながりかねなかった。そのためにゲオルグはやや皮肉なことではあったが、ブームの熱を冷やすべく工作をしている。しかし暴れまわる共和主義者たちの恐怖が染みついているのか、あまり効果がなく、ルドルフ崇拝ブームは、若い謀略家の頭痛の種となってしまった。

 

 一過性のブームだろうから時間によって沈静化するのを待つより他にないと思考を打ち切り、ゲオルグは執務机のひきだしからひとつの書類を取り出し、それを出した。シュヴァルツァーの顔写真が貼られた身分証明書。ただし、生年月日と名前が違った。偽造身分である。

 

「また戦死者の記録を書き換えたのですか?」

「いいや、今回はそんなことをしていない。この惑星ではつい最近、一夜にして大量の死者が出たのでな。この惑星の住民データの大規模整理をすることになったから、それに紛れて存在しない住民データを作成させてもらった。言ってみれば、一番最初の私の偽造身分と同じようなタイプのものだな」

 

 ちなみに戦死者のデータを使うよりこっちの方が足がつかないので、ゲオルグが借りていた戦死者の住民記録は、秘密組織の力を使ってスルト星系総督府のデータを抹消し、新たに似たような住民データをアルデバラン星系総督府で生成したので、旧い方は捨てた。戦死者の住民データはいずれスルト星系総督府の不手際ということで、一人の人間の戦死通告が遅れたという形で処理されることであろう。

 

「それでだ。おまえも今日からこっちで働いてもらう」

「それはかまいませんが……ズーレンタールのほうはよいので? 体制側にわれわれが生きて活動していることがバレてしまいますが」

「かまわん。どのみち同盟が敗北した時点であそこはわれらにとってアキレス腱でしかない。銀河帝国正統政府の閣僚の内、自決したレムシャイド伯と戦死したメルカッツ上級大将以外の閣僚は帝国に虜囚となったというではないか。やつらを尋問すれば、私がオデッサのズーレンタールでカッセルとして陰謀の糸を伸ばしていたことがローエングラム公も知るところとなろう。それに今なら同盟が降伏したから引き払ったように見えなくもないから、銀河帝国正統政府が終焉すると同時に諦めたと思ってくれるかもしれん」

 

 まあ、オーベルシュタインやケスラーのような連中がそうとらえてくれるとは微塵も思えないが、とゲオルグは心中で呟く。

 

「しかしズーレンタールの上層部はわれわれのことをある程度知っております。特に社長は――」

「案ずるな、手は打ってある。今頃、警察か憲兵がグリュックスの死体と対面しているだろうよ」

「……殺しては足がついてしまうのでは」

「やったのは秘密組織とすら関係がない第三者だ。どれだけ調べても私があの会社の弱みを握り、会社を支配していた以上の情報は手に入らんよ。決してな」

「お見事です」

 

 本当に怖い人だ、とシュヴァルツァーは思わざるを得ない。

 

「それで、これからはどうなさるつもりで」

「バーラトの和約の記事は読んだか?」

 

 シュヴァルツァーは頷いた。一世紀半に渡る人類社会を二分した戦争は、一月前にあっけなく終結した。五月五日深夜に同盟政府が降伏したのである。そして五月二五日にはバーラトの和約と通称される正式な停戦条約が結ばれた。形式的には対等な停戦条約であるとされたが、それは帝国側の政治的な理由によるものであって、実質的には降伏文書に同盟政府がサインしたものであることは、その条文からして明らかである。

 

一、自由惑星同盟の名称と主権の存続については、銀河帝国の同意によってこれを保障する。

 

二、同盟はガンダルヴァ星系および両回廊の出口周辺に位置するふたつの星系を帝国に割譲する。

 

三、同盟は帝国の軍艦および民間船が同盟領内を自由に航行することを認める。

 

四、同盟は帝国にたいし年間一兆五〇〇〇億帝国マルクの安全保障税を支払うものとする。

 

五、同盟は主権の象徴としての軍備を保有するが、戦艦および宇宙母艦については、保有の権利を放棄する。また、同盟は軍事施設を建設・回収するにあたっては、事前に帝国政府と協議するものとする。

 

六、同盟は国内法を制定し、帝国との友好および協調を阻害することを目的とした活動を禁止するものとする。

 

七、帝国は同盟首都ハイネセンに高等弁務官府を設置し、これを警備する軍隊を駐留せしめる権利を有する。高等弁務官は帝国主権者(皇帝)の代理として同盟政府と折衝・協議し、さらに同盟政府の諸会議を傍聴する資格を与えられる……。

 

 その後も長々と条文が続くが、要約すると同盟は帝国の事実上の属国――控えめに言っても保護国――となるという内容であった。しかも条約締結時に同盟側が署名を行ったのは国家元首であるヨブ・トリューニヒトであるのに、帝国側の署名を行ったのは帝国宰相の全権代理として総参謀長のパウル・フォン・オーベルシュタイン上級大将である。帝国宰相であるラインハルトが条約が締結されたハイネセンにいるにもかかわらず。これは明らかに同盟を貶しているようなものではないかとゲオルグは判断していた。

 

 実際はラインハルトに調印式に自分が出ないことで同盟を嘲弄しようという意図があったわけではない。同盟政府が降伏した五月五日の深夜、ラインハルトはヤン・ウェンリー率いる同盟軍とバーミリオン星域で正面から激突しており、しかもあと一歩でヤンに負けるという危機的状況だった。にもかかわらず、保身を図ったトリューニヒトが地球教徒と共謀して逆クーデターで同盟政府を掌握。降伏しなければ無差別攻撃を加えるという帝国軍の脅迫に「真に遺憾だが無差別攻撃を避けるには受け入れるしかない」という大義名分を引っ提げて無条件降伏を宣言。ヤンはその宣言に従ったので、敗北したのにラインハルトは勝利を譲られたような不快な感情を抱き、その原因であるトリューニヒトなんかと会いたくなかっただけである。だが、そんな経緯は公表されていなかったので、多くの者がゲオルグと同じように解釈したのも確かであった。

 

「帝国と同盟、双方に平和と繁栄を齎すための条約と銘打っているが、同盟を完全併呑するための下準備としか思えぬぞ」

「併呑せず、このままの関係を永続化させる可能性もあるのでは?」

「それならば、こんな中途半端な内容にするものか。もっと過酷な内容にして同盟を縛りあげる。あるい逆に五~七条に関する部分だけ残して、他の条項は平等な内容にしなくては多くの同盟人の反感を買うことになる。むろん、その場合でも戦勝国という立場を利用して、不平等な解釈をできる余地を条文に仕込む程度の保険は必要であろうが……。ともかく、これでは帝国の掌の上で同盟が暴れる余地だけが残されている中途半端なものだ。そんな和約が永続的なものとなるとは私は思わぬ」

「そうですか。ですが、和約の内容とわれわれの方針にどう関係が?」

「同盟領を将来的に併合して統治することを考えた場合、帝都オーディンを人類社会の中心地とするには旧同盟領と距離が離れすぎているとは思わぬか」

「……つまり、近い将来、遷都すると?」

 

 我が意得たりとゲオルグは微笑んだ。

 

「然り。そして私はその遷都先はフェザーンだと推測する。だからこの総督府の権力も用いて、フェザーンへの秘密組織の浸透をはかる。それがアルデバラン星系への秘密組織の影響力をさらに強化していくことと並んで、当面の方針となる」

「ま、待ってください!」

 

 あまりにも途方もない推測にシュヴァルツァーは叫んだ。

 

「フェザーンは占領地です。そこを人類社会の中心地とするのは、無謀なのでは」

「フェザーンが人類社会の中心地とするのが無謀だと? 百年ほど前からフェザーンは人類社会の交易と経済の中心となっているではないか。そこに遷都とし、そこに政治も連結させてしまえば、オリオン腕とサジタリウス腕をつなぐ回廊が大量に見つかりでもしない限り、帝都はあらゆる意味で強力な力を持ち、他を圧することができる。そう考えれば合理的とすら言えぬか」

「……言われてみれば」

 

 しばらく考え込んだ後、そういう可能性もあるのかとシュヴァルツァーは思った。

 

「だが、おまえの意見ももっともだ。フェザーン人は帝国に占領されたことに反感を持っている者も多いと聞くし、自治領主アドリアン・ルビンスキーも地下に潜って反撃の機を探っているという。そんな場所に遷都するなぞ、愚者の戯言に思えるのも道理よ」

 

 シュヴァルツァーの意見も妥当と認めた上で、「しかし――」とゲオルグは続けた。

 

「バーラトの和約で内政に時間を割くゆとりが帝国政府にはできた。私がローエングラム公ならば、五年か一〇年かけてフェザーン人どもの反感を消滅させることに全力を注ぐ。それが成功したらフェザーンに遷都し、畳みかけるように残っている同盟領を完全併呑する。いや、バーラト和約の第六条の成果で同盟が親帝国感情を醸成することに成功しているならば、条約によって分断された人類社会の統一という形をとったほうがよいか。フェザーンに遷都してしまえば、同盟市民の感情に訴えることもできるだろうし……」

「どういうことですか?」

 

 ゲオルグはその質問に答えようとして口を開いたが、適当な言葉が見つからずに何も言わず口を閉ざし、どう説明したものかと悩んだ。

 

「そうだな。おまえはフェザーンをどういう惑星だと思っている?」

「……実力主義の商人たちの国で、交易で栄えた惑星。それと少し前までは戦争に巻き込まれない安全な中立地帯だと思っていました」

 

 質問の意図を理解しかねたが、シュヴァルツァーはフェザーンに対する自分の認識をありのままに答えた。それにゲオルグは大きく頷く。

 

「たしかにそれが一般的な認識だ。だが、同盟市民の一部、特に帝国から亡命者で構成されるコミュニティでは、フェザーンをまったく違う認識で見ているのだ」

「違う認識?」

「――人類の分断を象徴する惑星」

 

 三七三年にフェザーン自治領が成立して以来、四八八年に帝国軍がフェザーンを占領するまでの一一五年間、フェザーン回廊周辺の勢力図は、同盟と帝国が戦争中であるにもかかわらず、完全に固定化されていた。それはつまり、惑星フェザーンを挟んで回廊の出入り口近辺に同盟・帝国双方の境界警備部隊が駐留し、砲火を交えぬ対立を続けているような環境であったということである。

 

 フェザーン本星にしても、同様である。フェザーンには帝国と同盟の高等弁務官府が設置されていたが、どちらも対抗意識をむき出しにして睨みあいをしているような関係で、フェザーンの仲介なしで同盟と帝国間で直接交渉が行われることは皆無ではないにしても、極めてまれなことであった。

 

 そして同盟に亡命した帝国人にとっては同盟の軍隊に所属して故国の人たちとの殺し合いに参加する以外の方法で、自分たちの故郷に一番近づける場所なのだ。同盟での生活に慣れてきた帝国からの亡命者で、資金に余裕ができるとフェザーンに行くという者は過半を超えるほどであるという。彼らはフェザーンから帝国方面の星空を眺め、故国に残してきた家族、そして帰れない故郷に思いを馳せる。そうした背景から、いつしか亡命者社会ではフェザーンを“人類の分断を象徴する惑星”と認識するようになったのである。

 

 ちなみに現地のフェザーン人は、自分たちの住んでいるところが人類の分断を象徴する惑星という認識を持っている者はほとんどいない。フェザーンは帝国と同盟の双方と外交関係があるので、フェザーン人なら同盟領でも帝国領でも自由に往来できるからである。だからフェザーンが分断された惑星であるなどかけらも思っていない。

 

 帝国人はというと、それ以前の問題である。帝国政府は国内の人材流出を阻止せんとする対策の一環で、フェザーンに旅行する際は帰国するまで高額な一時金を当局に預けることが義務付けられており、一時金を預けられるほど資金に余裕がある貴族や富裕層でなくてはフェザーンに合法的に旅行することはできず、そんな共通認識は生まれようがない。それでも権力闘争などの過程でやむにやまれず同盟に亡命させた一族のことを思い、一部の貴族がフェザーンに訪れて同盟側の星々に思いを馳せているのがごくたまに確認されていたそうだが。

 

「そういったことを前面に押し出して同盟市民の情緒的感情を刺激し、帝国と同盟は手を取り合って人類の統一政体を樹立しようではないかと呼びかければ、同調してくれる同盟市民は少なからず出てくるだろうよ」

 

 その主張にシュヴァルツァーは納得できた。人類が絶滅の危機に瀕した一三日戦争以来、人類社会は単一の中央政府が存在して然るべき、という理想が人類全体の普遍的な支持をされ続けている。現に史上初の人類統一政体である地球統一政府が滅んでから群雄割拠の時代が到来した後も、その理想だけは人類全体に継承され、結果として銀河連邦の誕生につながったほどだ。

 

 銀河帝国が自国を「人類社会における唯一の政体」と頑なに主張し、自由惑星同盟を辺境の叛乱勢力であると考え、国として認めなかったのもこの理想が帝国でも継承されていたからという側面もあるのである。いっぽう、帝国と対峙していた同盟側は帝国を国家として認めてはいたが、「銀河帝国はルドルフ・フォン・ゴールデンバウムが銀河連邦の民主体制を簒奪して成立させた不法国家であるから、連邦の伝統を継承をしている自由惑星同盟だけが合法的な国家である」と定義していた。今回の和約の条項で同盟はその主張を撤回することとなったのだが、当時の人類がどれだけ人類統一政体思想を信奉していたかわかるだろう。

 

(だが、相手は夢物語を実現化させてしまった奴だ。私の推測を遥かに超えてくるやもしれぬ)

 

 ラインハルトの独裁体制下における開明政策と旧弊の一掃については、まだ理解できる範囲だ。ゲオルグとて旧体制時代に帝国の未来を憂い、制度改革の必要性を認識していた者の一人なのだ。もっともゴールデンバウム王朝が君臨し続けることを前提にしていたので、ここまで開明的な改革をするつもりなど微塵もなかったが、それでも警察時代の自分にラインハルトがやっているような改革が可能かを問うたら、間違いなく「可能」と答えることはできた自信がある。

 

 改革開始から一年後に改革を継続しながらフェザーンを占領し、そこから半年で同盟を降伏に追い込むことが可能かと問われたら、たとえアムリッツァの敗戦で同盟軍の戦力の大半を喪失しているという詳細な情報を入手していたとしても、「できるわけがないだろう」と答えたであろう。なぜかというと同盟征服以前に、フェザーン占領というのが無理難題だからである。

 

 昔、社交界で反フェザーン思想の貴族官僚と雑談に興じ、あのいけ好かない守銭奴どもの巣窟を粉砕することが話題になった。そのときにゲオルグはフェザーンを占領することをすこし考えてみた。たいした武力を有していないフェザーンを滅ぼすこと自体は容易い。しかしその後の後始末、占領支配し統治するとなると話は別だ。問題点が多すぎて、フェザーンを帝国が統治するなんて、悪夢でしかない。

 

 フェザーンは銀河で一番栄えている惑星であり、人類の交易と経済の中心である。だが、そうである理由はなにか? 帝国と同盟の間に位置し、両国間の交易を独占している中立地帯だからだ。百年以上にわたって抗戦している帝国の正式な領土となったフェザーンになっても同盟が平和な交易を続けるなんてありえない。よって、フェザーンは人類社会の交易の中心としての価値はその時点でなくなってしまう。そんな惑星を支配する価値などない。

 

 反フェザーンの貴族官僚は反論した。フェザーンには叛徒どもの領域にある星間航路の情報や戦略資源配置の分布図があると言うではないか。それによって叛徒どもに対して情報面で優位に立ち、叛徒どもをことごとく征伐してしまえば、すべては解決するではないか、と。

 

 ゲオルグは冷静に言い返した。帝国軍がなにゆえフェザーン回廊の入口に境界警備部隊を配置しているか考えてもみよ、と。帝国の人材流出を阻止するためだけではなく、万一同盟軍がフェザーンに侵攻したとき、帝国の境界警備部隊もフェザーン圏内に突入し、フェザーンの要人を保護し、機密情報を入手するためである。いくら狡猾なフェザーン人でも、自分たちの商売の根拠を奪われれば、帝国に協力するしかなくなるであろう。そうなればいくら帝国が詳細な情報を入手したとしてもその差は数年で埋まりかねない。そして同盟も境界警備部隊を配置している以上、同じように考えているに違いなかった。

 

 それをなんとかできたとしても叛徒征伐を行っている間、二〇億ものフェザーン人をどうするつもりかと逆に問いかけてやった。フェザーンは大気は酸素と窒素を含むが、人類が入植するまで二酸化炭素を含んでいなかったため、植物が育ちにくい砂漠の惑星である。当然、フェザーンの食糧自給率は非常に低く、両国からの輸入に強く依存しているのが実情である。帝国がフェザーンを占領すれば、当然、帝国に完全に依存することになる。しかも同盟側との取引をすべて強制中断させられて商売に大打撃を受けているフェザーン人たちが、二〇億人分の食糧を買い取り続けるなんて不可能だから帝国が無償で援助するということになろう。そうしなければ二〇億の飢えたフェザーン人は反帝国感情を爆発させて暴動を起こすだろうし、同盟はそれを利用してフェザーン人を取り込んで、フェザーンを帝国の占領から解放しようとする。そんなことになれば、最悪、全宇宙が自由惑星同盟の名の下に統一されるなんてことにも繋がりかねない。

 

 すこし考えただけでこんなにも対処困難な深刻な問題が出てくるのだぞ。ゲオルグの理路整然とした主張に、反フェザーンの貴族官僚は全身に反感を滲ませながらも、反論しなかった。ゲオルグの主張の正しさを認めたわけであるが、帝国が一世紀半かけても同盟を滅ぼせないのはフェザーンのせいであると信じている貴族官僚としては心情的に認められなかった。その心情はゲオルグもある程度は理解できないでもなかったので「もしフェザーンを武力で滅ぼしたいのなら叛徒の側に手を出させるような謀略でも実施するしかありませんな」と言って話を打ち切った。そんな壮大な謀略を実施しようとすれば、そのために人生のほぼすべてを捧げねばならなくなるだろうし、それだけの時間をかけて条件を整えたとしても成功の確率はかなり低いだろう。採算が合わないにもほどがあるから別のことに力を注いだ方が建設的だとまで言ってしまっては、相手の機嫌を致命的に損ねてしまうだろうから。

 

 なのにラインハルトはその無理難題をあっさりと実現させてしまったのである。無論、アムリッツァでの大敗によって同盟軍が質的にも量的にも大幅に弱体化していたことやフェザーンの謀略を逆用したであろうこと、なにより帝国がラインハルト派の独裁体制によって泥沼の派閥闘争から解放されていたことなど、いささか特殊な状況下であったがゆえのことであることはゲオルグも承知している。しかしそれでフェザーンの首脳の知能が低下していたわけでもあるまい。なのにあっさりと帝国軍に占領されたのだから、フェザーンの情報収集力を持ってしてもラグナロック作戦を察知できないほど完璧に秘匿されていたということである。それほどまで秘密裏に準備されていたラグナロック作戦が大成功したということは、フェザーンに悟られないようにフェザーン占領後の諸問題に対する対処の準備も万全に整えていたことにほかならず、それ自体がラインハルトの強力な指導力と政戦両略に長けた化物じみた計画構想力を証明している。

 

 だからラインハルトの行動に対する自分の推測を完全に信頼を置けず、ゲオルグが不安を抱くのも無理からぬことであったろう。しかしバーラトの和約の内容からして帝国が同盟の政治に干渉し続けるだろうし、同盟が帝国に反抗姿勢をとれば軍事的な制裁を加えることも必然であるように思われた。だから遷都しなかったとしても、フェザーンを帝国が重視するのは必然である。だから自分の方針が最善かどうかはわからないが、間違っていないとは自信を持って言えた。唯一懸念すべき点があるとすれば、なにかにつけて劇的なスピードで行動し、しかも大枠において成功させているローエングラム体制の気風から、急いでフェザーンへの浸透を実施したほうがよいということくらいだが……。

 

「シュヴァルツァー」

「はっ」

「ドロホフとダンネマンは憲兵に殺され、シュテンネスは私を見捨てて逃げた故粛清した。ヴェッセルはどこにいるのかはおろか、生死すら判然とせぬ」

 

 そしてやや気まず気に目を逸らし、ゲオルグは恥ずかしそうに言った。

 

「警視総監だった頃の私の側近で残っているのはおまえだけだ。信じさせてもらっても、かまわぬな?」

「なにをいまさら。閣下には恩義があります。死ぬまでお供させてもらいます」

 

 シュヴァルツァーの心強い断言に、ゲオルグはやや自嘲しながら皮肉気に微笑んだ。

 

「私のような危険な若造にそこまで言い切るなんて、物好きよな。頼りにしているぞ御爺様」

「御爺様って、私はまだ五〇代ですぞ閣下!」

「では、おじさまか?」

「これまで通り、呼び捨てでいいです! 呼び捨てで!」

「……冗談にそこまで反応せずともよかろうに」

 

 かなり本気でそう言っていることを察したゲオルグは、憮然とそう呟いた。




原作で川沿い以外はほとんど砂漠とかかれているフェザーンに二〇億人も人口がいるってハイネセン以上に消費型の惑星になってるだろうとしか思えないし、それがフェザーンの身を守る自覚的な国家方針のひとつであるとしか作者には思えなかった。

要するに、こういうことだ

フェザーン「軍事力がないから簡単に占領されてしまうような場所にあるのだが、一次産業が脆弱すぎるので食糧その他は輸入で賄ってる。つまり占領したらフェザーン二〇億の民に食糧と仕事を与えないと、かれらが不満を持ってパルチザン化するぞ! 建国初期から独立不羈の精神を持つように国民に仕向けてきたから、それができてもパルチザン化する奴はいるだろうがなあ!!」
同盟「自国民を脅しに使うとか汚い!」
帝国「同盟と手を組めばフェザーンは勝手に自滅するけど、論外だしなあ」

地球教団「もしどっちかがフェザーン侵攻したらしたで、敵国の詳細な情報を売ることで人類統一した側の勢力に浸透できるから、われわれとしてはフェザーン占領をやってくれてもかまわんのだがな。それで犠牲になるのは地球教の信者でもないし」
マレンコフ「フェザーンに暮らす人間の命をなんだと思ってるんだ。地球の干渉から独立してやる!」
ルビンスキー「と、まあ、そんな感じで地球への翻意を抱いた先代領主マレンコフは消されたのだ」

ラープ「なんでこんな歪な構造の国家にしたかって? 地球教団の指示さ。惑星内をあまり開拓せずに、帝国と同盟を経済と外交と謀略諸々で翻弄し、食糧を安定的に入手する状態を作れという。簡単に言うけどそれを実際にやる側の身にもなってほしい」


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暗闇の惑星

 年老いた古い惑星。すべてを焼き尽くさんとするシリウス率いるBFFの猛攻とその後の無秩序状態の中で延々と続いた統一政府誕生前さながらの群雄割拠の戦争を経て、この惑星はひどく荒れ果てた。中には人が住むことができなくなるほど汚染された地域すら存在する。最盛期、この荒廃した惑星には九〇億もの人々が住み、繁栄を謳歌していたとこの光景を見ただれが信じられよう?

 

 その惑星の名は太陽系第三惑星地球と言い、三〇世代前までは人類社会の中心として栄えていた。しかしそれも長い混乱の中で地球は荒廃し、人類社会に対する影響力は完全に失われたとされており、宇宙に旅立った多くの人々にとっては学校で歴史の授業を受ける時に微かに思い出す程度の存在にすぎない。

 

 だが、それは真実とは異なる。彼らはいまなお人類社会に一定の影響力を持っている。我らを忘れた者どもに報いを、我らが故郷を焼き尽くした者どもに復讐を! 幾百年、宇宙に進出した人類には届くことなく、地球の大気内で虚しく反響し続けた憎悪と怨念の声は、いつしか確かな実態を持つようになっていたのである。人知れずに。

 

「総大主教猊下……」

 

 そんな地球の政治的・宗教的中心地である地下神殿の奥で、ド・ヴィリエ大主教が地球の統治機構の頂点に立つ老人にうやうやしく呼びかけたが、相手は反応を示さなかった。

 

「ラインハルト・フォン・ローエングラムが自由惑星同盟を征服いたしましたのは間違いないようです」

 

 そこで初めて総大主教は反応を示した。同盟が帝国に降伏したという情報を入手してから、ド・ヴィリエにその情報を収集するように命じていたのである。ラインハルトが同盟を征服することは地球教とて望んでいたことであるが、フェザーンが一方的に利用される形になったのは予想外だったし、望んでいないことであった。今後の方針を決定する上でも詳細な情報が必要であった。

 

「それでその後はどうなっておる」

「どうやら帝国は同盟を完全に滅ぼすのは時期尚早と考え、回廊周辺の領土を割譲させて形だけの停戦条約を結び、レンネンカンプなる者に同盟駐在高等弁務官の職を与え、同盟政府を介しての統治をしくとしたようにございます」

「……レンネンカンプか、たしか新参者の帝国軍幹部であったな」

「はっ。四八八年の内乱において、貴族連合側に属した提督にございます」

 

 ローエングラム元帥府に属する提督の内、ヘルムート・レンネンカンプとエルンスト・フォン・アイゼナッハは元々貴族連合軍に所属していた。レンネンカンプは仲が良かった上官が貴族連合側に属したので付いていったのであり、アイゼナッハは本人も一応は貴族で、親戚の多くが当時の常識的にまっとうな判断をくだして貴族連合に参加してたから見捨てられず参加したのであって、互いにまわりに流される形で連合側に属したのである。

 

 それゆえ、リヒテンラーデ・ローエングラム枢軸の専横を打破して伝統ある帝国の秩序を回復するという貴族連合の大義にたいして共感していなかった。それでいてとても両者とも有能だったので、ラインハルトの貪欲な人材収集癖によって見いだされ、元帥府に名を連ねることになったのである。

 

「そのような者に同盟を任せるとは……愚かなことよ」

「レンネンカンプめはかつてローエングラムが、まだ帝国騎士ミューゼルであった頃に上官をしていたことがあると聞きます。それでいて元帥府に迎え入れたのですから信頼しておるのでは?」

 

 ラインハルトがローエングラム伯爵家の名跡を継ぐことが決まり、帝国社会全体にとって無視しえぬ巨大な存在となるまで、ラインハルトに対する評価は決して好ましいものではなかった。ラインハルトが軍事的才能と莫大な戦功を考慮するにしても、戦場から帰還するたびに昇進しているというのはどう考えてもおかしく、その嫉妬がラインハルトに対する感情的な反感となってその才能を隠す煙幕となり、ラインハルトの出世は能力によるものではなく皇帝の寵姫の弟ゆえの依怙贔屓であると見なし、悪意を向ける軍人が多数派であったのである。

 

 そんな時代にラインハルトの上官になったにも関わらず、レンネンカンプは後の覇者を他の将校と同じように扱った。ラインハルトを排除しようとする勢力の手先が帝都からやってきたときでも、宮廷のいざこざを持ちこまれてはたまったものではないと思いつつも、一緒になって部下のラインハルトを排除しようなどとは一度も考えすらせず、正攻法で宮廷の手先の行動を制限しようとするほどであった。そのあたりの経緯まで知っていたわけではないが、そうしたド・ヴィリエの所見に総大主教は冷笑するのみであった。

 

「主従間の信頼があったとしてもじゃ。新参ゆえの引け目というのは、巨大な功績によって克服しようとするもの。ラインハルト・フォン・ローエングラムとて、歩くトラブルなどとまわりから揶揄されるほど不文律を破りながら莫大な功績を立て、それによって多くの信奉者を生み出してきたのではないか。臣下が主君に倣おうとするのは当然なことじゃて。そうは思わんか、のう?」

「しかも立場が立場ですからな」

 

 ド・ヴィリエは意地悪く笑いながら追従した。新参ということもあるが、今回の同盟領侵攻に際してレンネンカンプは何度か失態を犯しているという情報を帝国軍内の信徒から入手している。同盟駐在高等弁務官の職をラインハルトが与えたのも、レンネンカンプに名誉挽回の機会を与えるためなのであろうが、与えられた本人はいろいろと焦っているのではあるまいか。

 

「レンネンカンプのことはひとまずおこう、肝心のローエングラムはどうしたのだ」

「併合した征服地にもとどまらず、シュタインメッツなる者に大軍を与えて残し、自分は帝国本土に帰還した由にございます。その際、例のトリューニヒトなる者をともないましたとか」

「あの者もけっこう役にたったようじゃな」

 

 自由惑星同盟の元国家元首であるヨブ・トリューニヒトと地球教の関係はいささか複雑である。フェザーン自治領の首脳部みたいに地球教と主従の関係にあったわけではない。ただトリューニヒトが政治家として成功を重ねていく過程で、地球教団に利用価値を見出し、なにかと地球教に便宜をはかってその力を選挙や政策遂行に利用したのである。完全にそれだけであって、トリューニヒトに忠誠心とか信仰心とかいうものがあるわけではなかった。

 

 ただトリューニヒトの権力闘争における政治手腕は凄まじいものがあって、そんな彼の好意を得ることは、同盟建国の父ハイネセンが唱えたという「自由・自主・自律・自尊」の価値観に染まっている影響で厭宗教的気風が蔓延している同盟で、帝国ほどの信徒を獲得することができず、その影響力を拡大できずにいた地球教にとってはなにかと好都合な存在であった。このように完全に利害で結ばれている仲であって、そこに精神的な紐帯はないし、未来図を共有しているわけでもない。互いが完全に同意できる事柄があるとすれば、可能な限り相手を利用してやるという思惑だけであったろう。

 

「それでそのまま帝国でも、あの者を籠の中の腐った林檎として使うのか」

 

 トリューニヒトはおぞましい俗物で国家を際限なく腐敗させておきながら、民衆にそうとは悟らせない政治手腕に長けていた。それどころか表面的・形式的には何の問題もないように見せつけ、自身を国家を強力に導くことができる素晴らしい政治家であると民衆に評価させ、熱狂させるほどであった。少数の貴族でなく、大多数の民衆の人気を根本的な基盤としているラインハルトにとってトリューニヒトは非常に面倒な相手であろう。総大主教はそう思ったが、ド・ヴィリエの答えは違った。

 

「いえ、帝国におきましてはハインリッヒ・フォン・キュンメルなる者を一年以上前から用意しております。いますこしの御猶予をいただきたく存じます」

「たしか重い病人と聞いたが、役にたつことはたしかであろうな」

「あと半年死なずにおれば、私どもの目的は達せられましょう。医師も派遣してございますし、もともとローエングラムの器量と健康に嫉妬しておりますれば、あやつるのは困難ではございません」

「ではよい、そなたに任せる。フェザーンのほうはどうなっておるか」

「はい、フェザーンにかんしましては、いささか不確定の要素が多すぎます」

 

 いままで自信満々に報告していた大主教の声が、やや小さくなった。それを見て総大主教はもしやと思い、かねてより懸念していることを口にした。

 

「ルビンスキーとの連絡はとれているのであろうな」

「いちおうは。ですが、あの男、どうにも心の底がしれませぬ……」

 

 ド・ヴィリエの声には疑念という胸中の感情がそのまま表れていた。もとよりド・ヴィリエはルビンスキーをライバル視していた。地球教の数世紀にわたる長期的な計画は最終段階にあり、地球を中心とした祭政一致体制が全人類社会に敷かれた際、その計画において多大な貢献をしたフェザーンの自治領主は厚く報われることが簡単に予測できるからであり、地球教内部においては総大主教に次ぐ立場を確立しつつあるド・ヴィリエにとっては将来の政敵となりかねない。警戒するのは当然と言えた。

 

 しかし今回はその程度ですむようなことではなかった。フェザーンにはその特性からして地球教から広範な行動の自由が与えられているが、皇帝を亡命させる計画の実施からフェザーンを占領されるまでのルビンスキーの行動を分析し、地球教のコントロール下から完全に離れているのではないかと疑わざるを得なかったのだ。なまじド・ヴィリエは狂信者たちの巣窟にあって、唯一自己の器量と才覚のみを信仰の対象にしている現実主義者であったので、自分がルビンスキーの立場ならばこれを機会に地球教と縁を切って行動するだろうと思えるだけに、ド・ヴィリエの疑念は深かった。

 

「たんに服従の精神が疑われるだけにとどまりません。おそろしく不逞な野心をいだいておるやに思われます。ご用心のほどを……」

「そんなことは承知のうえじゃ」

 

 不逞な野心の持ち主というのは、別の不逞な野心の持ち主を敏感に察知できるものなのやもしれぬな。ド・ヴィリエの不信心ぶりを理解していて、ルビンスキーの真意も薄々察していた総大主教であったが、それを見抜けたのはどちらかといえば一世紀近い人生経験によるものであって、ド・ヴィリエの年齢だった頃には見抜けたかどうかわからない。しかし不逞な野心家が同僚を不逞な野心家として告発するというのは、総大主教からするとどうにも滑稽な喜劇じみているように感じられる。

 

「われらの掌のうえで踊るかぎり、どんなかたちで舞おうと意に介するにおよばぬ。それより、あの不肖者のデグスビイについては、その後、なにかわかったかな」

 

 総大主教としてはフェザーンの支配権を失ったルビンスキーの野心より、ルビンスキーの監視役として派遣していたデグスビイのことのほうが懸念すべきことであった。

 

「デグスビイが死にましたのは確実でございますが、問題は、死ぬ前に秘密を洩らしたや否やでございます」

 

 地球教が人類社会に対して少なからぬ影響力を持っているのは、その秘密性に由来する。幾百年に渡る地道な活動の結果であるが、影響力があるだけなのだ。軍事力なんて持ってないし、フェザーンのような特殊な立地条件でもないので、帝国軍の怒りを買えば卵の殻を砕くように容易く教団本部は壊される。だからこそ教団首脳部は勢力を伸ばすに際して帝国当局の注目を集めないように細心の注意を払ってきた。その注意深さたるや、社会秩序維持局にすら無害なものだと誤認させるほどである。

 

 その地球教の秘密の多くを知っているデグスビイが行方不明になったとあっては、地球教としても平静ではいられない。ルビンスキーも地球の真の姿を知ってはいるが、その詳細までは知らないことを考えると彼らからすればそちらの方が懸念事項となるのは当然であった。ド・ヴィリエは優れた手腕を発揮して各惑星の支部から送られてきた情報を分析し、デグスビイの具体的な末路を把握することに成功していた。

 

「そなたがそのようにもうすということは、秘密が洩れた可能性があるということか」

「それがそうというわけでもございません。ルビンスキーと対立していた補佐官のケッセルリンクめに誘惑され、背教の罪を犯したのち、帝国軍のフェザーン占領の混乱に紛れ、独立商人の手引きで同盟方面に脱出し、その旅中で衰弱死したとのこと。その脱出に利用した独立商人の船には他の者たちも同乗していたそうでございます。背教の罪を犯した絶望から、死の間際に同乗者に秘密を洩らした可能性は皆無ではないとは言い切れません」

「フェザーンから同盟方面に脱出したということは、同乗者は敵国の同盟人か、もしくは反帝国意識の強いフェザーン人か」

「状況から推察するに、おそらくは……」

 

 総大主教は少し考え込んだ。仮にデグスビイが一切合切真相を周りに打ち明けていたとしても、常識的な人間は「世迷い言」と断ずるであろう。平凡な宗教団体に見えるように細心の注意を払ってきたのだから。仮に本気で信じたものがいたとしても、その者に社会的影響力がなければどうということはない。しかもバーラトの和約で同盟政府は形骸化しているから、帝国政府に対する大きな影響力でなくてはだめだ。ならば、問題あるまい。

 

「ならばかまわぬから捨ておけばよい。もう数ヶ月もせぬうちに新皇帝は死に、数年の混乱をへて地球教の教えの下に人類社会は統一される。帝国に対して影響力を持たぬものがどのように蠢めこうともどうしようもあるまい」

「では、そのように」

 

 総大主教は視線を逸らし、神殿に飾り付けられた聖具を見つめた。太陽を模った形をしたその聖具は非常に仰々しく、信仰心強き者は神々しさを感じ取れると言うが、いささかの信仰心もないド・ヴィリエには太陽の光を表す線が奇妙に長く捻じ曲がっているように見え、神聖さより恐怖に近い感情を見る者は呼び起こされるのではあるまいかと思っている聖具であった。

 

「まもなくだ……」

 

 ド・ヴィリエは珍しく純粋に驚いた。いつも感情を感じ取れないほど声に潤いがない総大主教の声に、はじめて陶酔の感情がのっているように感じたからであった。

 

「まもなく八〇〇年の長きに渡り、不当に貶められてきた地球の地位を回復することができる。聖女エルデナの無念を晴らすことができるのだ」

「――さようにございますな」

 

 かつての世界宗教のように、地球教にもかつてはさまざまな宗派があった。「あった」と過去形なのは、エルデナという歴史上の人物を聖人扱いするか否かを巡った神学論争という名目の権力闘争の結果、エルデナ派以外の宗派は約四〇〇年前に、すべて粛清されたからである。いまではエルデナ派の教義が地球教で唯一認められる教義であって、地球の正当な権利を回復しようと銀河規模の陰謀を数世紀にわたってを巡らせているのも、エルデナ派の教義が地球の復権を求めていると解釈できるからであり、いうなればひとつの宗派が教団内で支配的な地位を手に入れたがために壮大な謀略を巡らせることが可能となったのだ。

 

 ド・ヴィリエは遥かな過去の人物であるエルデナを別に聖人などとは思っていなかった。というか、むしろ、計算高い狡猾な人物であったという印象である。ただ運悪く保身に失敗し、結果的にその行為が後世の地球人から献身的で尊いものにみえたというだけの話であろう。とはいえ、それを素直に口に出すほどド・ヴィリエは愚かではない。

 

 愚かではないからこそ、ド・ヴィリエとしては総大主教ほど現状を楽観視はできない。大昔、偉大な地球教の先達たちが考え付いた壮大な計画の通りならば、今頃は帝国と同盟は戦争によって限界まで疲弊しており、フェザーンが人類社会を経済的に支配しており、少なからぬ人々が地球回帰の精神運動を起こしているはずであった。だが、現状はそこまでいってはいない。

 

 原因はハッキリとしている。ラインハルト・フォン・ローエングラムとかいう、人類数千年の歴史の中でも燦然と輝くであろう強烈な個性の持ち主が現れたせいだ。とりわけ、ラインハルトが元帥になってからの行動は、地球教の数百年に渡って描いてきた青写真をまったく違うものに変えてしまうには充分すぎた。ラインハルト派が自分と敵対する帝国内派閥を全滅させて独裁体制を敷き、抜本的な改革を行って帝国を再生させてからは当初の計画を放棄し、ルビンスキーが提案した帝国に人類社会を統一させてからしかる後に帝国そのものを乗っ取るという計画に移行したが、不意打ちでフェザーンが帝国に占領され、計画の要であるルビンスキーが権力の座を追われた以上、それも実現不可能である。

 

 だからフェザーンが占領されてから地球教首脳部では喧々諤々の議論を交わされたものである。そうして第三の計画が立案され、現在実施中なのであるが……その計画の実現性をド・ヴィリエは疑っている。群雄割拠の状態から地球教が母なる星の支配者となった経緯。それを宇宙的規模で再現しようという試みであるから、可能性が皆無であるとは言うまい。だが、当時の地球の状況に現在の宇宙を似せるためには、なんとしても排除しなくてはならない人間が存在するのだ。そしてド・ヴィリエが冷静に分析するところ、その人物を排除できる可能性は決して低くはないと判断していたが、同時に暗殺が地球教の手によるものであると露見しない可能性は非常に低いとみていた。そして露見してしまえば、第三の計画が成功する可能性は小さくなるし、排除そのものに失敗した場合は実に八〇〇年ぶりに地球の地表が業火によって焼き尽くされることとなろう。

 

 地球と命運を共にするつもりなどド・ヴィリエにはかけらもない。彼は人を支配し世界を動かすことに快感に憑りつかれたきわめて俗的な野心家である。地球教の大主教なんて地位についているのは、たんに彼が生まれた地球では祭政一致体制が敷かれていて、地球教にあらゆる権力が集中していたから、己が欲望を満足させるためには仕方なかったというきわめて消極的な理由である。でなくば現実主義的な彼が宗教組織に所属することなど、絶対にしなかっただろう。

 

 とはいえ、計画が失敗した時のリスクを知っているド・ヴィリエとしては、その対策をもとっておかなくてはならない。珍しく宗教的使命感に陶酔している誇大妄想の老人と適当に話をあわせつつ、現実的な計画の実務話もそこそこに、ド・ヴィリエは総大主教との謁見を終えた。

 

 一般信徒が入ることを許されない教団本部の区画の中には豪華な客間が数十室存在する。この客間は、地球教が取り込むことに成功した門閥貴族、もしくは稀にやってくるフェザーン政府の密使を宿泊させるために利用されていたが、ド・ヴィリエが会いに行こうとしているのはそのうちのどれでもなかった。というより、地球教が取り込んだ門閥貴族は幸か不幸か内乱で全滅していたし、フェザーンも帝国に占領されたので例外以外の宿泊客など存在しようもなかったとも言える。

 

 その客間にいた宿泊客は、生気というものが薄く、表情も虚ろであり、ド・ヴィリエが入ってきたことにも気づかなかったようで、高級そうなソファーに腰かけたまま宙に視線を泳がせていた。机の上には地球教の聖典が一冊ぽつんと置かれているだけで、それ以外の私物らしきものは一切なかった。

 

「ヴェッセル」

「…………これは、大主教猊下。座ったままで申し訳ありませんでした」

 

 名を呼ばれてようやく部屋に自分しかいなかったことが気づいたみたいにヴェッセルはゆっくりと立ち上がって、膝を折って高位聖職者への敬意を示そうとしたので、ド・ヴィリエは手をあげて止めた。

 

 彼、イザーク・フォン・ヴェッセルは元帝国内務省警察総局の官房長であり、警視総監であったゲオルグ・フォン・リヒテンラーデの側近の一人であった。そして敬虔な地球教の信徒でもあったのだが、あまりに残酷な現実に直面し続けた結果、精神を病んでいた。具体的には実際的なことのみに集中することで、それ以外のことは考えることを放棄しているのであった。

 

「ひとつ、そなたに頼んでおくことがあってな」

「なんでしょうか」

「この本部の警備体制についてだ」

 

 地球教団内において、ヴェッセルの立場は非常に複雑である。彼は聖職者ではなかったが、元警察高官としての経験を買われ、警備体制の一端を総大主教から任されていたのである。祭政一致体制にある地球において統治に携われるのは聖職者のみと不文律によって定められていたので、それに不満を抱く高位聖職者も多いのだが、ヴェッセルの世捨て人的な態度と発作的に聖具の前で猛烈に懺悔するほどの信仰心と確かな警備運営能力、なにより総大主教の庇護もあって表立って口には出せなかった。

 

「なにか問題があったでしょうか」

 

 そう言いつつもヴェッセルの視線はド・ヴィリエに向いていない。ここではないどこか遠くへを見ているようであった。

 

「警備体制そのものに問題はない。ただ近々、ここの人員ではとても守り切らないような事態が発生する危険性がでてきた。それゆえ、いざというときのための非常時の脱出経路について協議しておきたい」

 

 ヴェッセルの反応は劇的であった。ぎょろりと目をむき、興奮した様子で瞳をあちこちへと動かしながら、右手で自ら頬を殴りつけると、縋るように机の上に置いてある聖書を見て、徐々に落ち着きを取り戻していった。

 

 地球に訪れた当初からヴェッセルは既に現実逃避気味であったが、地球教の暗部を知っていく過程でさらに症状がひどくなった。地球教の暗部を理解しており、それに加担しているという自覚もあるようなのだが、地球教は素晴らしい宗教であると自分を誤魔化して現実逃避し、自分は間違っていないと言い聞かせているのである。

 

「――母なる星を見捨てる可能性があるというでのすか。大主教猊下」

 

 ゆえに口に出た疑問は、なぜそんな事態が発生する危険性が生じるのか、というものではなかった。世間一般的な合理的疑問など、地球教が積み重ねてきた邪悪な所業を知ってから数日にわたって苦悩した後、抱くことすらヴェッセルは忌避するようになっていた。その結果、宗教的観念のみ依存することとなったヴェッセルにはこの神聖なる地球を見捨てるのかという疑問しか口には出さない。

 

「口を慎めイザーク。人類はすべて母なる地球の子。見捨てるなどまっとうな人間ならありえぬこと。ましてや私は大主教なのだぞ。地球に対する恩義を忘れた忘恩の輩のごとき所業を、私がすると思うのか」

「……失礼しました。猊下」

 

 高圧的な断言に、ヴェッセルは申し訳なさそうに謝った。ド・ヴィリエはその態度を内心忌々しく思ったのだが、表情を制御することに慣れている大主教はその感情を表には出さず、穏やかに語りかけた。

 

「脱出経路について協議するのは、異教徒どもが大挙してこの聖なる惑星に襲撃してきた際、総大主教猊下をむざむざやつらの手にかけさせるわけにはいかぬ。そのために私の手の者を数人そちらに配置しておきたいのだが……」

 

 内心情けないと思っているのだが、ド・ヴィリエとしてはヴェッセルしか攻略すべき相手がいなかった。非常時の脱出経路上に配置されているそれ以外の警備責任者は筋金入りの狂信者で、地球を捨てるくらいなら地球と共に死ぬことを望んでいる。そんなやつらにいざという時に地球を逃げる話などできるわけがない。

 

 だが、ヴェッセルは違った。彼は狂信者ではなく、宗教を理由に現実逃避しているだけであったのだから。




レンネンカンプ、アイゼナッハが元貴族連合側ってのはオリ設定。
あとエルデナ云々は、地球教がどういう経緯で謀略一筋になったのか妄想してたらできた。


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権力者の命は狙われるもの

 ユルゲン・オファー・フォン・ペクニッツは絵に描いたような道楽者の貴族である。第三五代皇帝オトフリート五世の第三皇女の子という、傍流ながらゴールデンバウム王家の血を継ぐ人間であったため、子爵の爵位とほどほどに贅沢できる年金が与えられ、それに胡坐をかいて過ごし、美しい象牙細工のコレクションにのみ人生のすべてを傾け、権力闘争などとは無縁の生活を送ってきた。

 

 だから帝国が貴族連合陣営と皇帝枢軸陣営の真っ二つに分かれて対立するような状態になっても、貴族連合の中心的立場にあったブラウンシュヴァイク公もリッテンハイム候もペクニッツ子爵を自己の陣営に引き入れようとはしなかった。大多数の平民と比べてはるかに恵まれた立場から出発しているにせよ、両者は熾烈な権力闘争の果てに帝国で一、二を争う権勢を誇るようになったのである。ゆえ、自分の趣味にさえ没頭できるならどうなろうがかまわないという無能な敗北主義者をあえて味方に引き入れる必要性を感じなかったのである。

 

 そのため、ペクニッツは帝国が激動のさなかにあっても、なんの行動も起こさなかった。皇帝枢軸陣営は貴族特権の縮小と貴族から税金を取ることを標榜しているというが、そうなったところで困るようなことはペクニッツにとってなにひとつなかった。貴族特権が縮小されてもペクニッツはもとより特権を積極的に行使する人柄ではなかったし、多額の貴族年金を毎年受け取っているので少々の税金を納めるようになったところで何の問題があろうか、という考えだったのである。

 

 だが、それは間違いだった。帝国を二分した内乱が皇帝枢軸陣営の勝利に終わった直後、その中の過激派とでもいうべき軍部を支持基盤とするローエングラム派が貴族・官僚が支持基盤のリヒテンラーデ派を粛清・追放し、貴族に対して過酷な政策が実施されることとなったからである。いきなり貴族特権はほぼ全廃され、貴族年金も大激減、さらに税金も平民と同等な分を治めなくてはならなくなったのである。当然、貴族たちには反発が起こったがまとめ役となるべき大貴族は内乱で軒並み没落していたのでそれは統一されたものにはならず、帝国政府の激しい弾圧の前に沈黙せざるを得なくなった。

 

 それでもペクニッツは現状を楽観視していた。紛いなりにも自分はゴールデンバウム王家の血が流れている人間だ。帝国政府は体面的な問題もあって、自分が困っていたら助けてくれるであろうという根拠のない自信があって、象牙細工の収集をやめず、ツケでそれらを購入するようになった。そして七万五〇〇〇帝国マルクも未払いのまま放置し続けられて我慢の限界に達した商人から民事訴訟で訴えられた時、ペクニッツが望んでいたような帝国政府の救いの手は当然伸ばされることなく、若い子爵を激しく狼狽させた。

 

 狼狽している内に警察の調査が完了し、「あの子爵は裁判で確実にブタ箱行きだ。申し訳ありませんが、全額取り戻すのは難しいかもしれません」と、申し訳なさそうな顔で商人に話す平民警官の言葉を聞いて、ようやく昔とはなにもかも変わってしまったことを若い子爵は理解した。昔であればそんなことを言ったら即座に社会秩序維持局員がやってきて、発言者をどこかに連れ去ってしまうはずであったから。

 

 自分や妻、生まれたばかりの娘の将来を憂い、絶望的な思いに打ちひしがれていたところへ、軍務省の憲兵たちがやってきた。ペクニッツは怯えながら何用かと問うたが、憲兵たちはなにも答えず、高圧的な態度で家の外へと追い出し、スモークガラスの地上車に家族全員が乗るように命じられた。移動中、ペクニッツは勇気を振り絞って「どこへ行くのか」「目的はなにか」と問うたが、憲兵たちはずっと無言であった。

 

 その後、到着した建物(ペクニッツは政治に興味がなかったので軍務省であることに中々気づかなかった)の中でパウル・フォン・オーベルシュタインとかいう、見る者に恐怖を与えるような義眼の総参謀長と会談した。そして自分の娘、カザリン・ケートヘンを次期皇帝にすることが告げられ、それと引き換えに今抱えている借金をすべて帝国政府が肩代わりすると言った。ペクニッツは現皇帝エルウィン・ヨーゼフは六歳であるというのに自分の娘を次期皇帝にするとはどういうことだ?と疑問に思ったが、相手に不快感を与えたらマズいと本能的に思い、頷くしかなかった。

 

 そしてエルウィン・ヨーゼフ二世が自由惑星同盟に亡命し、ヨッフェン・フォン・レムシャイド伯爵を中核とする銀河帝国正統政府が樹立された。そこからラインハルト・フォン・ローエングラムの宣戦布告、エルウィン・ヨーゼフ二世の廃位とカザリン・ケートヘンの即位と自身の公爵へ昇格、電撃的なフェザーン占領という一連の流れを見ると、いくら政治に疎すぎるペクニッツでも、自分達一家が壮大な謀略の道具として使われていることを自覚し、いままで彼の楽天的人生では経験したことがない恐怖を味わうこととなった。

 

 そんな不安しかない生活を送っていたペクニッツ公爵の下に、帝国宰相府に出頭する命令書が届いたのは六月二〇日のことである。極度の不安と不審に苛まれつつも家族のためを思って、感情的に動きにくくなっている体を理性と家族愛で動かし、宰相府の門をくぐった。そこで会ったのは、またしてもオーベルシュタインである。先日、軍務尚書に就任した不気味な男は、一枚の紙片をさしだした。女帝の全権代理として娘の退位を承認するという内容の女帝退位宣言書であった。

 

 この宣言書にサインするように促されたとき、一瞬だけ躊躇した。なにか猛烈に嫌な予感をおぼえたのである。だがそれでもペクニッツは署名した。次にさしだされたのは、帝位をラインハルト・フォン・ローエングラムに譲るという宣言書である。その内容を確認したとき、ペクニッツは比喩ではなく固まった。自分たちはいささかローエングラム公にとって都合が悪いことを知ってはいないだろうか。エルウィン・ヨーゼフ二世が亡命する前から、彼らが次期皇帝として自分の娘を指名したということを。その口封じのためにこの署名をした直後、自分達一家が口封じのために処刑されるのでは、と不安に思ったのである。

 

 そのことをオーベルシュタインが洞察していたかどうかは不明だが、三枚目の紙片をさしだすタイミングはまさに絶妙だった。それにはすでにラインハルトの署名がされていて、ペクニッツ家の爵位と財産と安全を保障し、今後、女帝が死去するまで毎年一五〇万帝国マルクの年金を支給する旨が明記されていたからである。ペクニッツは精神的な要因で大量の汗を流しながら二枚の文書に署名した。

 

 こうしてゴールデンバウム王朝を滅ぼすという、オーベルシュタインの悲願のひとつがこのとき完全に達成されたわけであるのだが、すくなくとも表面上はいつもの鉄面皮を維持し、いつも通り黙々と職務を遂行するべく、宰相室へと入り、主君への挨拶もそこそこに用件を切り出した。

 

「ペクニッツ公爵の署名を得ました。ご確認ください」

 

 さしだされた三枚の文書を、まもなく皇帝に即位する若い帝国宰相は、つまらなさそうな目で確認すると唇の端をかすかにゆがめた。

 

「これでルドルフの皇帝即位から四九〇年間続いたゴールデンバウム王朝は名実ともに終わったわけか。存外、あっけないものだな」

「閣下が宰相の地位を得てから、事実上滅んでいるようなものでしたので。実質に形式が追いついただけのことにすぎませぬ」

「たしかにな」

 

 皇帝フリードリヒ四世の崩御後、その帝位を継承したのは皇孫のエルウィン・ヨーゼフ二世であるが、それは帝国宰相であったリヒテンラーデ侯クラウスが都合の良い操り人形として、有力貴族を出し抜く政治的工作の結果としてであって、エルウィン・ヨーゼフ自身に際立った才能があるわけではなく、リヒテンラーデ侯とラインハルトの操り人形としてであった。ゆえに「銀河帝国の伝統ある秩序の回復」を主張する貴族連合を打倒し、奇襲でリヒテンラーデ派を壊滅に追い込み、ラインハルトが皇帝をあやつる糸のすべてを掌握した時点で、ゴールデンバウム王朝は実質的には滅んでいたのである。それから今日まで形式的にゴールデンバウム王朝が存続したのは、政治的な都合によるものでしかなかった。

 

「しかし私が皇帝になるのに二日も待たねばならんのか。エルウィン・ヨーゼフを廃位したときは、その日のうちにカザリン・ケートヘンを女帝にすることができたというのに」

「あれは今上の皇帝が国を捨て同盟に亡命という前例なき事態でしたのでこちらの都合で処理することができました。ですが譲位となるとゴールデンバウム王朝にも前例がございます。無論、ルドルフの血族に限ってのことではありましたが、前例がある以上、無闇にそれを無視することは後々面倒なことになるやもしれません」

 

 ラインハルトは面倒なことだという顔をしながらも頷いた。政治は過程や制度ではなく、結果だ。そう信じるラインハルトであるが、かといって破ることに大したメリットがないのに形式を無視するというのは考えものであった。

 

 じつのところ、ローエングラム派にもゴールデンバウム王朝のことを否定的に評価することはともかく、全否定の対象とすることに拒否感をおぼえる者が多数存在するのである。ラインハルトに忠誠を誓っている者のすべてが旧王朝で冷遇され不満を抱いていたとは限らず、おのれの立身栄達への近道としてローエングラム派に属した者たちがおり、彼らは旧王朝にそれほど否定的ではないからである。ゆえにリヒテンラーデ派を粛清した直後にエルウィン・ヨーゼフ二世を玉座から引きずりおろし、自らがそれにとって代わるということをラインハルトはしなかったのだ。ローエングラム派の足並みが乱れることになりかなねないから。

 

 ゆえに形式的にはローエングラム王朝は、ゴールデンバウム王朝から皇帝位を譲られることによって始まった合法的な王朝という形でスタートさせなくてはならない。ラインハルトにとってはやや不快なことではあるが、状況次第では帝位継承権者であるブラウンシュヴァイク公の娘エリザベートやリッテンハイム候の娘サビーネと形式的に結婚することも策として考え、そうする覚悟もあったことを思えば、許容できる範囲の不快である。

 

「ゴールデンバウム王朝はこれにて倒れましたが、それで安心するのは早計かと。なお王朝復興を試みる輩が出てくるでしょう。注意しておくにこしたことはないかと思われますが」

 

 軍務尚書の見解に、若い覇者は驚いたように目を丸め、ついで好奇の感情が浮かぶ笑みを浮かべた。

 

「ほう、いまだにゴールデンバウム王朝再興の芽があるとでも卿は言うのか?」

 

 帝国宰相になってから聖域なき改革によって帝国からルドルフの不要な遺産を一掃し、貴族支配を復活させるために暗躍していたレムシャイド伯率いる一党は滅ぼした。いまなお、ランズベルク伯が皇帝エルウィン・ヨーゼフ二世を匿って逃亡を続けているが、武力どころか組織も資金もない状態の者達がラインハルトの障害になるとは思えない。

 

 他にもカザリン・ケートヘンを傀儡として玉座につけたことに反発し、残存貴族領や旧貴族領の一部が叛乱を起こしていたが、これは難しい問題であった。叛乱惑星は正統政府を打倒すれば自然消滅するとラインハルトは当初考えていたのだが、ゲオルグの謀略とそれによって整えられた状況を個人的な復讐のために利用したクレメント少佐の暴走によって発生したブルヴィッツの虐殺の影響のために、正統政府が打倒された後も意固地になって降伏せずに叛乱を続行したのである。

 

 ゆえにラインハルトは叛乱のすべてを力で抑えつけるという手法をとるのは、政治的に好ましくないと判断した。個人的な心情としては理不尽な旧体制派など一掃してやりたいのだが、彼らが降伏しない理由のひとつがこちらの失態にある以上、不寛容な態度をとり続けては数日後に成立するローエングラム王朝が、将来的にゴールデンバウム王朝のように虐殺を是とする体制に変容する際、その前例として利用されかねない。

 

 しかし叛乱惑星が総じてゴールデンバウム王朝の旗を掲げている以上、一方的に妥協しても同じことになってしまうので、自分の非を認めつつも叛乱側が自発的にローエングラム王朝の統治を認めさせるという結果を出さなくてはならないのであった。

 

 そこでラインハルトは、オーベルシュタインの案を採用した。叛乱を起こしていたアイゼンベルク伯爵家に密使を派遣し、交渉によって解決をはかろうとしたのである。交渉相手にアイゼンベルク伯爵家を選んだのは、蜂起後、帝国軍の包囲下にあっても、武力衝突を極力避けており、向こう側も交渉によって幕を引こうとしていることが伺えたからである。

 

 領地や爵位の安堵は認めないが、自治区という形に編成し直し、今の貴族領主をその自治領主に任命すること。そしてアイゼンベルク伯爵家に対する八年間の免税。この二つを引き換えに、いきなり武力蜂起したことを自己批判し、それ以外はなにも間違ったことはしていないという主張の下、言論によってローエングラム王朝と対決する方針を示すという提案を行った。

 

 当代のアイゼンベルク伯爵は先祖代々治めてきた領地に愛着とその領主であることに誇りがあって、叛乱を起こしたのも忠誠心や義憤からというより、自領の統治者として君臨し続けるためには、ゴールデンバウム王朝のような封建的体制であったほうがいいという観点によるものだったので、名より実を取ろうとその提案を受け入れた。自治領なのだから、どのような制度を敷くかは自分の采配次第であり、看板が変わるだけで実質貴族領だった頃と変わらない統治ができるからであった。また、ラインハルト側の狙いも読めていたので足元を見て条件を吊り上げ、免税期間を三五年間に変更させるという抜け目なさも発揮した。

 

 さらにアイゼンベルク伯爵は新王朝への心証を多少なりともよくしようと考えたらしく、他の叛乱惑星に共に言論で戦おうと呼びかけ、われらの交渉で帝国政府から反乱側全員に一臣民としての権利を認め、今反乱をやめれば罪には問わぬと確約させていると演説。つい先日まで「我らの誇りが認められないなら玉砕するまで戦う」と主張していたにも関わらず、その変節ぶりにライヘンバッハをはじめとする貴族領主は激怒したが、ゴールデンバウム王朝に対する愛着から暴走した旧貴族領の大半が降伏を選択した。現実的に言って勝ち目がないことを悟っていたからである。

 

 だが、叛乱を起こした貴族領はそうはいかない。彼らはゴールデンバウム王朝への忠誠心も多少はあったが、領主として旧時代と変わらぬ特権を守るために叛乱を決断したのである。ゆえに降伏なんて論外であるから反発し、ラインハルトも貴族を叩き潰すのは望むところである。アイゼンベルク伯爵家に対して慈悲を施し、まわりにも合理的に呼びかけている以上、容赦する必要なし。なお叛乱を継続した諸惑星にはラグナロック作戦で失態を犯し、辺境に左遷されたトゥルナイゼンをはじめとする提督たちが汚名返上のために暴れまわり、既にほぼ鎮圧されている。

 

 ゴールデンバウム王朝の再興の芽など皆無。自分が支配者として突然堕落でもしない限りは、実現不可能な夢物語に過ぎぬとラインハルトが断ずるのも当然な状況と言えた。

 

「たしかにそんな夢物語が実現するとは申しません。しかし大局を見て動かないような者であっても無能ではあるとは限らず、そういった者達の行動は新王朝にとって脅威になりえます。二年前のアンスバッハ准将による暗殺未遂で、小官はそれを学びました」

 

 ラインハルトは蒼氷色(アイスブルー)の瞳を、さながら絶対零度の冷たさを連想させるほど冷たくして目の前の軍務尚書を睨みつけた。オーベルシュタインが言っているのは、リップシュタット戦役の戦勝式における捕虜の高級士官の引見時、ブラウンシュヴァイク公の腹心であるアンスバッハが、持参したおのれの主君の死体にハンド・キャノンを仕込み、それを用いて主君の仇をとろうとラインハルトに砲口を向けたのである。

 

 あのとき、ラインハルトは助かった。親友であり、いちばんの腹心であったジークフリード・キルヒアイスがアンスバッハにおどりかかり、ハンド・キャノンの砲口をそらしてくれたからだ。だが、それでもアンスバッハは主君の仇をとることを諦めず、指輪に擬したレーザー銃でキルヒアイスに致命傷を与え、ほどなくして死亡してしまったのである。

 

 これは本来であれば回避し得た悲劇であった。他の提督が非武装になる式典の時でもラインハルトはキルヒアイスに武器を所持する権利を特別に与えていたからである。しかしラインハルトの権力体制をより完璧なものにしようとナンバー・ツー不要論を唱えるオーベルシュタインは、キルヒアイスがラインハルトに与えている大きすぎる影響力を問題視し、キルヒアイスを特別視することをやめるよう主張していたのである。

 

 いつもならばそれを考慮に値せぬと退けてきたのだが、リップシュタット戦役中、ブラウンシュヴァイク公爵の命令で実施されたヴェスターラントの虐殺を、ラインハルトは事前に察知しつつ政治的な理由で見逃したことをめぐってキルヒアイスとの関係に大きな亀裂を生じさせていた。それを好機とみたオーベルシュタインが再度キルヒアイスを特別視するのをやめるよう提案。ラインハルトは個人的感情もあってその提案を承認してしまったのである。

 

 その結果としてアンスバッハの暗殺未遂はキルヒアイスのブラスターから放たれる光線ではなく、彼の命によって防がれることになってしまったのだ。ラインハルトは個人的な感情で認めてしまった自分の責任であるとし、この件でだれかにあたるということはしなかった。だが、さすがに提案者が平然とそのことに触れてきたら、大量に文句を言ってやりたい気持ちに襲われるのである。しかし、他人が言いにくいことを平然と言うからこそ、オーベルシュタインを自分の側近として重用しているのだからこれで正しいのだ。そうラインハルトは思って自制したが、それでも完全にとどめることはできなかったのである。

 

「……なるほど。私を殺すことによって新王朝そのものを滅ぼそうとするかもしれぬと言いたいのだな」

「御意」

「卿がわざわざそんなことを口にすると言うことは、そうした能力を持つ者に心当たりがあるのだな。まさかへぼ詩人とは言うまいな」

 

 皮肉げな口調であった。へぼ詩人とは銀河帝国正統政府の軍務省次官を務め、現在エルウィン・ヨーゼフと共に逃亡していると見られているランズベルク伯アルフレットのことである。ランズベルク伯は芸術方面においては学芸省主催の芸術コンクールで何度か入賞したりするなどそれなりの才覚があったのだが、ラインハルトのほうに芸術的感性が欠けていたため、いつも貴族相手に上手くない詩を歌ってる凡人としか認識していなかった。

 

「閣下の命を狙う動機があり、それを成し遂げうる能力や基盤の持ち主のリストがこちらになります」

 

 さしだされた紙片にはそうした人物の名前の列があり、名前の横には簡単な経歴が記されていた。十数名程度の名前が書かれていたが、ラインハルトが興味を引いたのはそのうちの三名であった。そしてその三名の中には当然というべきか、ゲオルグ・フォン・リヒテンラーデの名前があった。

 

 帝国軍の同盟領侵攻と同時に銀河帝国正統政府の主要閣僚のほとんどが逃亡して組織は形骸化していたが、そこで作成されていた書類の類はほとんど破棄されずに残っていたので、同盟の首都星ハイネセンを一時的に占領した帝国軍の手によってすべて押収された。その中にゲオルグが帝国領内に相応の規模の秘密組織を築き、正統政府のためにゲリラ作戦を展開していることが記されていたのである。

 

 捕らえた正統政府の閣僚の証言、正統政府成立に深く関与したフェザーン自治領主府の記録とも合致していることから、その情報はほぼ間違いのない真実である。つまり、カザリン・ケートヘンの即位とほぼ同時に帝国内で発生した小規模の叛乱のいくつかはゲオルグの工作によるものである可能性が高い。憲兵隊は事実を把握した直後に調査を開始し、フェザーンの機密記録からゲオルグがオデッサのある流通会社 “ズーレンタール”に潜伏していたことを掴んだ。

 

 だが、ゲオルグが身を隠すほうが早かった。帝国軍がフェザーンを占領してから間もなくわずかな人員を残して行方をくらましており、そのわずかな人員も同盟政府が降伏した前後に姿をくらましていた。しかも、口封じのためにズーレンタール社のグリュックス社長以下、事情を知りすぎていた会社の最高幹部一四名中六名を暗殺している徹底ぶりである。

 

 憲兵隊はその暗殺事件も調査し、四名の暗殺犯を逮捕することに成功したが、そこまでだった。彼らはゴールデンバウム体制時代、貴族が邪魔な人間を排除したいときに雇うフリーランスの暗殺者として活動していたが、ラインハルトが独裁者となり綱紀を粛正され、官憲がまともに仕事をするようになった結果、権力者が大金を払って暗殺者を雇うということが少なくなり路頭に迷っていたところ、名も知らぬ男から多額の報酬をチラつかせながら暗殺の依頼をされ、請け負ったにすぎなかったからである。

 

 ゲオルグたちの秘密組織は暗殺者にちゃんと報酬を払ったが、自分たちの素性に関しては徹底的に秘匿した。暗殺犯たちも元々貴族間抗争に関わる暗殺を専門にしていただけに「なぜ相手を暗殺する必要があるのか」と問うて地雷を踏んでしまうような危険を侵すような精神など持ち合わせていなかったので、そこで憲兵隊の捜査の糸が途切れてしまっていたのである。

 

 しかしながら、ラインハルトはゲオルグがいまなお自分に挑むつもりがあるのか疑問を抱いていた。というのもフェザーン側の機密資料を見る機会があったのだが、どうもフェザーン側がなかば脅す形でゲオルグを協力させていたように受け取られるのである。もっとも、このまま潜伏して犯罪行為が繰り返されては帝国の権威が傷つくので放っておいてよいものではないが、他の二名に比べるとラインハルトの関心はやや低かった。

 

「テオ・ラーセン。反体制活動中でテオリアで大量の金品を強奪し、相応の資金を有している。エーリューズニル矯正区の生き残り、か」

 

 口調には微かな苦みがあった。ラインハルトは帝国宰相となったとき、 新無憂宮(ノイエ・サンスーシ)の大部分を閉鎖し、それにともなって宮殿に務めていた多くの侍従や女官も年老いた者を除いてすべて解雇した。若い人間なら体力も適応力もあるだろうし、労働力としての需要があるだろう。しかし宮廷内で何十年もすごした老人たちがいまさら外の世界で暮らしてはいけまい――そうした考えによるものであり、文官たちにも同じような処置を行うように指示している。ルドルフの生み出したものを激しく憎悪する非情な野心家のラインハルトにもこのような優しい一面がある。もっとも、口には出さないので、ほとんどの者は先入観にとらわれ、その真意を理解していなかったが。

 

 そんなラインハルトの優しい――独裁者としては甘い一面から洗脳教育施設として噂に聞いていたエーリューズニル矯正区の出身者に対して複雑な感情を抱いていたが、独裁者となった帝国の全権を掌握し、エーリューズニル矯正区の実態を知って顔から血の気が失せて蒼白になった。彼らは間違いなくゴールデンバウム王朝の犠牲者である。しかし過酷な扱いを受けて育った彼らには狂信的な帝室への忠誠心を持ち合わせていて、犠牲者であると同時に民衆弾圧に強力に加担した加害者でもあるのだ。ラインハルトが望む帝国を創造するためには旧弊である彼らを野放しにしていくことはできなかった。

 

 結果ラインハルトはエーリューズニル矯正区出身者の内、比較的罪の軽い四〇九名に終身刑、罪の重い一二七名に死刑を宣告した。それでも自分の決断で死ぬことになる者たちの最後を見届けようとラインハルトはその一二七名の処刑に立ち会った。ある者は皇帝への忠誠を叫んで処刑の撤回を叫び、ある者はラインハルトを簒奪者とみなして非難したが、これは覚悟していた。しかし、ある者たちが「エルウィン・ヨーゼフ陛下が我らの死を望んでいる」と語って処刑台に喜んで登り、陶酔の表情を浮かべて死んでいくのは想像すらしていなかった。ラインハルトは思わず吐き気を覚えた。処刑の実施を任されていたたケスラーを始めとする憲兵、法的手続きのために同席した司法省の役人たちも同様であった。あまりに異様な光景であり、ゴールデンバウム体制のもっとも邪悪な一面の象徴をその目で目撃したのだから。

 

(キルヒアイスならどうしただろう……)

 

 エーリューズニル矯正区の一件に関して自分の決断に完全な自信を持てていないラインハルトは、そのようなことを思う。キルヒアイスなら自分が彼らを処刑することを認めただろうか? しかし実際問題として彼らを処罰しないことには、彼らによって虐げられた被害者たちがラインハルトを支持することはありえない。だから苦悩しつつも最後には処刑に賛同したのではないか、と思うのだが、あまりにも特殊な事例なのでキルヒアイスが最終的にそう決断するに違いないのだ、と断言はできないのであった。

 

 ともあれ、憲兵の手から逃れたラーセンは決してラインハルトを許さないだろう。心の底まで植えつけられているゴールデンバウム王家への忠誠心もあるだろうし、なにより彼の“家族”をラインハルトは抹殺しているのだ。たとえなにがあろうとこの命を奪い、帝室への忠誠を示し、家族の仇をうてるのであれば、現代と後世からどれほどの非難を受けようとも一向に意に介さないであろうから。

 

「わかった。特にゲオルグ・フォン・リヒテンラーデとテオ・ラーセン、そしてこの人物の三人には注意しておく必要があるだろう。だが私としては、ここに書かれている者たちより、同盟の過激派どもが祖国の存続のために私の暗殺を企む可能性のほうが高いと思うが」

「御意。同盟にそのような動きがないか、探っておくこととしましょう」

 

 このように、同盟が起死回生のために、あるいは旧帝国残党が復讐のために、ラインハルトを暗殺しようと企む可能性は帝国上層部が危惧するところではあったが、ラインハルトが護衛を嫌い、身軽さを好む傾向は崩御するときまで変わることはなかった。芸術提督メックリンガーが語るところによると、ラインハルトは自己の運命を達観、もしくは諦観しているのである。それゆえというべきか、遠くない未来にラインハルトは暗殺の危機に襲われるわけだが、その主犯は意外なことに同盟の過激派でもオーベルシュタインのリストに載っていた者たちでもなかった。




最近忙しい上に、若干スランプ気味。気分転換になんか別の短編書くかも。


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新帝国暦一年
平穏とは無縁


 自由惑星同盟を降伏せしめ、民衆の絶大な支持に支えられたラインハルト・フォン・ローエングラムが、女帝カザリン・ケートヘン一世から帝位を譲られ(その手続きをしたのは女帝の父であり全権代理であるペクニッツ公爵であるが)、皇帝に即位したのは帝国歴四九〇年六月二二日である。

 

 こうして三八代四九〇年に渡ったゴールデンバウム王朝は廃止され、銀河帝国第二王朝であるローエングラム王朝が開闢した。そして旧王朝とは異なる新しい秩序の形成を目指す新王朝の姿勢を示す意味もあって、初代皇帝ルドルフの即位から始まる帝国暦が廃されて、この年から新たに新帝国暦一年とされたのである。

 

 そんな新帝国(ノイエ・ライヒ)であるが、開闢からわずか一四日でいきなり終焉の危機に直面した。暗殺未遂事件が七月六日に発生し、もし成功していれば皇帝ラインハルトは後継者を残さずにヴァルハラへと旅立ち、成立したばかりの新帝国は求心力を失ってその秩序を維持できなくなることは明らかだったからである。

 

 またそうではなくても皇帝暗殺の企みが成功一歩手前まで進んでしまった、という事実だけでも問題であった。国内にいまだ残っている旧王朝残党、占領統治下にあるフェザーンや回廊附近の割譲地の住民、完全併呑を阻止せんと足掻く自由惑星同盟政府。そういった燻り続けている火種が、今回の暗殺未遂を知って新帝国は脆弱であると「誤解」し、いっせいに活性化しかねないからである。そうなると成立間もない新帝国の権威が大きく傷つき、国家基盤を揺るぎかねない。

 

 ゆえにラインハルトにとっては非常に不本意な事ではあったが、オーベルシュタインやケスラー、メックリンガーの提案を飲み、そういった不満分子への善後策が確立されるまで、一時的に情報統制を実施することになった。といっても旧王朝のように完全に事実を抹殺するようなものではなかったが、暗殺が実施されたという事実は地球教の一件にカタがつくまで、しばらく国家機密のヴェールに隠されることとなった。

 

 そんな情報統制下において、ゲオルグが帝国政府内部の秘密組織構成員からその報告を受けたのは翌一五日のことで、ゲオルグはラインハルトの命を狙う勢力があることを想定してただけに暗殺が試みられたこと自体にはさほど驚きはしなかったが、その下手人とその裏にいる存在を知って困惑せざるを得なかった。

 

「キュンメル男爵? 地球教? ……なにがどうなっておるのだ」

 

 その二つのワードはゲオルグが知っているものではあったが、それだけにわけがわからなかった。いったいいかなる要素があれば病弱貴族と一般宗教が皇帝暗殺などいうだいそれたことを企むことになるのか。ゲオルグは周囲の反応を伺ってみたがベリーニやシュヴァルツァー、報告をしている院長すらも同じように困惑しているように見えた。

 

 事件の詳細は次の通りである。病弱で余命いくばくもないキュンメル男爵が、死ぬ前に皇帝陛下を我が邸に招きたいと新王朝の重臣である親戚を通じて願い、ラインハルトはキュンメル邸への行幸を決めた。重臣の頼みであったからというのもあるが、ゴールデンバウム王朝において皇帝の行幸の順番と回数は、皇帝の信任に比例するという慣習があって、フリードリヒ四世の時代では外戚であるブラウンシュヴァイク公とリッテンハイム侯の間で祝日の際にどちらの邸に招いたとか、招いた回数とかを自慢しあい、権勢の強化に利用した。ラインハルトはそうした馬鹿馬鹿しい慣習に非好意的であったから、功臣どころか一面識すらないキュンメル男爵の邸に一番最初に行幸することに躊躇いがなかったし、病弱のせいで邸からほとんど出たことがないという男爵に対する憐れみもあったからである。

 

 余談だが、フリードリヒ四世の治世で国務尚書を務め、帝国の政治を実質的に仕切っていたリヒテンラーデ候の邸に皇帝が行幸したのは意外と少ない。リヒテンラーデ候が尚書だったこともあって、皇帝とは日常的に新無憂宮(ノイエ・サンスーシ)で直接会話を交わせる立場だったし、自分の野心を万事前例主義的官僚の仮面で巧みに隠していたこともあって、下手に皇帝の行幸を望んでいる姿を見せては門閥貴族の敵視を買うことになると懸念したからであった。

 

 だが、邸の主人であるハインリッヒ・フォン・キュンメルは皇帝に対して害意を持つ地球教によって洗脳されており、邸の地下室に危険極まりないゼッフル粒子を充満させ、皇帝暗殺を目論んだ。幸いにして帝国に亡命していた元自由惑星同盟最高評議会議長ヨブ・トリューニヒトの情報提供によって憲兵隊が速やかに動き、皇帝を脅迫していたキュンメル男爵もいくつかの偶然と幸運によって身柄を確保し、皇帝ラインハルトの命は救われた。

 

「初歩的なことだけど……キュンメル男爵って、だれ?」

 

 ベリーニの疑問はごく自然なことであった。実際、旧王朝時代では存在感など皆無であった。それは彼の親戚が栄達した今でも変わらないだろう。ゲオルグにしても、社交界で一度か二度話題にしたくらいの記憶しかなかった。

 

「国務尚書のマリーンドルフ伯爵の甥だよ。産まれながら重い病気を患っているようで、一日のほとんどをベッドで過ごしているとか。たしか病名が……先天性代謝異常、だったか?」

「……そのような人物がなぜ皇帝ラインハルトの暗殺を? いや、キュンメル男爵はあくまで手先に過ぎず、暗殺の青写真を描いたのは地球教らしいけど」

「わからぬ。地球教に皇帝を暗殺する動機があるとは思えぬし。正直、事実無根のでっちあげという方がまだ納得できるのだが……。ことさら地球教を弾圧せねばならぬ理由があるとは思えぬし、ラインハルトの今までのやり方と異なりすぎている。オーベルシュタインにしても、な」

 

 現国務尚書フランツ・フォン・マリーンドルフ伯爵は、旧王朝においては非主流派の地味な領主貴族に過ぎなかったが、領地運営のために必要な他貴族との対話の場として社交界を活用しており、関係者からは善良で誠実な人間であると評価はされていた。それだけなら多少評判が良いだけのありふれた貴族で済んだだろうが、彼の娘が女らしい趣味や興味を一切持たず、政治や軍事の研究にのめり込み、少年のように体を動かすのが好きで活発に野山を駆け回るというおてんば娘であったから、「なぜあの温厚で良識的な伯爵の娘がこんなにも常識外れなのか」とか、「産まれる時に女の性格か男の体を母親の腹のなかに忘れてきたのだろう」と評され、マリーンドルフ伯爵に対してやや嘲り混じりの同情を寄せる貴族が多かったのである。

 

 そんな常識にとらわれない娘を持ったために、一部の貴族の間では話のネタとしてマリーンドルフ伯爵は有名だった。だが、なんといってもラインハルトが帝国の覇権を握る前に有名になった一番の事柄といえば、帝国歴四八七年に縁戚関係のあるカストロプ公爵家の自称新当主マクシミリアンが帝国に対して反旗を翻したときの一件であろう。マクシミリアンの父オイゲンは門閥貴族でも不快に感じるほど職権を濫用して私腹を肥やすことに熱心で、平民と比較して著しく網の目が粗い貴族に対する帝国の法律に抵触する行為を行い、幾度となく疑獄事件を経験しているが悪い意味での政治力を発揮して常に無罪放免を勝ち取っているという、ある意味での政治的怪物であった。そのオイゲンが“事故死”したので、帝国政府はカストロプ家の不法資産を国庫に返還するように求めたが、マクシミリアンは拒否して対立を深めるうちに、叛乱へと発展したのだ。

 

 マリーンドルフ伯爵は親戚の暴挙を止めるため、単身で説得に赴いたが受け入れられず、逆にマクシミリアンの一党によって囚われることとなった。叛乱を鎮圧したラインハルトの腹心であるジークフリード・キルヒアイスによって解放されたものの、帝国の刑法は連座制であって、反逆に対する刑罰を厳正に適用すればマリーンドルフ伯爵家もマクシミリアンの反逆の罪を償わなければならなかった。しかし何千という貴族家が助命嘆願を行い、反逆の罪はカストロプ家だけに償わさせることになった。こんなことになったのは、伯爵と関係があった貴族が「見捨てられない」と行動を起こし、それを知ったブラウンシュヴァイク公やリッテンハイム侯といった大貴族が「結果的に下賎な金髪の孺子の手下に手柄を奪われることになったが、貴族だってちゃんと動いていたのだぞ」と貴族的義務感とラインハルトへの反発から同調したせいである。

 

 そのため、一時、マリーンドルフ伯爵はよく社交界で話題にされる人物となっていた。そうしたときに伯爵の甥の男爵が重病という話題もゲオルグは何度か聞いたことがあって、マリーンドルフ伯爵に関する付属情報として覚えていたのである。だが、それくらいのことしかキュンメル男爵について知っておらず、彼が貴族とは名ばかりの帝国騎士(ライヒスリッター)の人間が全人類の支配者たる皇帝になり上がるような激動の時代にいるというのに、自分は病弱ゆえに邸に縛り付けられて歴史の流れから疎外されているがゆえの抱え込んでいた絶望と狂気の深さなど、ゲオルグには理解できるものではなかった。

 

 ましてや、人類発祥の惑星でありながら、数百年に渡り無視され続け、その結果誕生してしまったおぞましい地球教の妄念など完全に想像の埒外にあるものであるから地球教がラインハルトを暗殺せねばならぬ理由など洞察できる類のものではなかった。だからまだラインハルトたちによる自作自演のでっちあげだというほうがまだありうることであるように思えたのだが、状況から判断するにゲオルグはその可能性もありえないと思うのであった。

 

 でっちあげなのだとしたら、情報統制を実施する必要がないし、わざわざ地球教という何の関係もなさそうな組織を主犯とする必要がないからだ。自由惑星同盟の完全併呑を目論むなら、キュンメルを利用したのは同盟の諜報部門とかにすべきである。体制内部にいる邪魔な連中の一掃を企図するのであれば、マリーンドルフ伯爵が甥を利用したとかにすればよいのだ。そうすれば敵の第五列に対抗するという大義で大粛清を実施できよう。しかし今まで影も形もなかった地球教を主犯ということは、本当のことなのだろう。だが、そうなると地球教の動機がわからないというところに話が戻ってしまうのだが……。

 

「はて、地球教徒に殺意を抱かれるようなことをあの新皇帝はしていたかな。少なくとも、地球教を弾圧したり、教義に反するような政策を推し進めていた記憶はないが……」

 

 警察総局官房長であったイザーク・フォン・ヴェッセルは地球教の熱心な信者であり、彼に幾度か地球教に勧誘されたことがあったので、ゲオルグは地球教の宗教概念についてそれなりに通じていた。しかしそれと背反するようなことを今の帝国がやっているとは到底思えなかった。

 

 だが、知っていると言っても渡された地球教の聖典を暇つぶし感覚で読んだ程度で、ゲオルグ自身が熱心な信奉者というわけではない。ヴェッセルに直接聞けば、また別の見解があるのかもしれないが、どこにいるのかどころか生死さえ不明の人物に問えるわけがなかった。

 

「宗教の信者なんて、現実逃避の誇大妄想患者でしょ。自分たちの御神体に敬意を払わなかったとか、そんなくだらない理由とかじゃないかしら」

 

 冗談めかしてベリーニはそう言った。一三日戦争とその後の大混乱によって人類社会から宗教の影響力が衰退してひさしいが、この時代でもっとも宗教を重視していないのはベリーニらフェザーン人たちであったろう。帝国・同盟両大国に挟まれた交易国家であったフェザーンでは現実主義・利益主義が尊ばれ、宗教蔑視の気風が強かったゆえの意見であった。

 

「地球教徒がそんな頭のイカれた連中ばかりなら、旧王朝の時点で皇帝暗殺を実行しておるわ」

 

 シュヴァルツァーが苦笑気味にそう言って否定した。

 

「それにな。地球教に限らず宗教の信者なんて警察や軍にはたくさんいるのだぞ。それでもやれ教義がどうの、やれ戒律がどうのなどと《駄々をこねる》奴はいなかった。帝国に忠誠と献身を誓うのであれば、どんな宗教を信仰を持っていようがかまわないというのがゴールデンバウム王朝の宗教に対する方針であったからな」

 

 ルドルフ大帝は古代ゲルマン民族の神話である北欧神話をお抱えの学者を交えて個人的に解釈した宗教を国教として定めたが、積極的に宗教弾圧を実施しようとはしなかった。むろん、劣悪遺伝子排除法に代表されるような“弱者淘汰”政策を実施していく過程でそれに反対する宗教を弾圧したりはしたが、それでも誕生したばかりの専制体制を支持する宗教は認めていたのである。

 

 だが、それはルドルフの寛大さによるものではなく、妥協による産物というべきであった。ルドルフは連邦末期の混乱によって台頭した神秘主義によって新興宗教が量産され、人類が統一性を欠く雑多な宗教観に染まってしまったことに一因があると見なしており、将来的には北欧神話のみが公認され、他の宗教の信仰者は改宗しなければ抹殺してやろうと目論んでいたからである。

 

 しかしその目論見はとある理由からルドルフ自身が断念した。というのも軍人に、特に艦艇勤務の軍人になんらかの宗教を信じている者が多かったのである。ルドルフは英雄的な海賊討伐で積み重ねた莫大な武勲によって、軍人層から熱烈に支持されていたが、宗教弾圧を実施すればもっとも熱烈に自分を支持している軍人の多くに不満を蓄積させるような愚行であり、百害あって一利なしだと判断したからである。

 

 だがルドルフは完全に諦めはしなかった。学芸省に命じて若者に北欧神話を信仰を推奨する教育を実施するよう命令し、徐々に信者を獲得して他の宗教の緩やかな根絶をはかった。そして帝国歴三〇年代後半になってくるとルドルフも寄る年波には勝てなかったのか、たびたび北欧神話以外の宗教行事を妨害する直接的な命令もだすようになり、いくつかの宗教叛乱を発生させる原因をつくったりもした。

 

 こうした経緯から銀河帝国では北欧神話以外の宗教の扱いは時の皇帝次第で安定せず、多くの帝国人が弾圧を恐れて北欧神話を信仰するようになっていたが、為政者から見て鬱陶しい程度の数がいるくらいにはそれ以外の宗教の信者も根強く残り、マクシミリアン・ヨーゼフ晴眼帝によって「社会的混乱を招かざる限りにおいて、臣民の信仰の自由は保証される」と国法で定義されるにいたり、帝国当局による宗教弾圧に一定の歯止めがかかるようになったのである。

 

「それはそうだけど……それ以外になにか他の動機が思いつくかしら?」

「思いつかんな。しかしあなたの言う可能性も極めて低い。末端の愚か者だけが画策したというのならまだしも、地球教のオーディン支部は全部承知の上であったそうだからな。責任階級があなたの言うような現実逃避の徒ばかり、というのは考えがたいからな」

 

ベリーニが言うように、宗教の信者がすべて現実逃避の誇大妄想患者であるとはゲオルグは思わないが、そういう傾向が少なからずあるのは確かであろう。壮大かつ遠大な宗教的世界観を信奉することによって、俗事の不幸を些末事と断じ、我欲を抑えて信徒同士の互助関係を構築する。宗教とはそういうものだ。

 

しかし地球教の信徒が全員誇大妄想患者という可能性はありえない。宗教組織として成立させている以上、破綻せぬよう組織運営をしていたはずなのである。だから末端の信徒ならいざ知らず、聖職者として主教とか司祭とかいう地位に相応の現実感覚を有している者をつけるようにしていなくては、地球教が組織という形式を保って今日(こんにち)まで存続しているはずがなかった。

 

(……だがそうなると?)

 

 気持ち悪い不快感を押し殺すことはできなかった。ゲオルグは有能な政治官僚であり、謀略家である。それゆえにある程度自身の洞察力に自信を持っている。にもかかわらず、地球教という宗教勢力が、帝国の情勢を左右するような行動するなど想定していなかったため、動機の憶測すらできないということに不満を禁じえなかったのだ。

 

「となると、クラウゼから新しい情報を送られてくるのを待つしかないのかね」

「それしかなかろうな」

 

 肩をすくめ、ゲオルグは院長の言に不本意ながら同意した。今回の一件を考察するには、情報が不足しすぎている。いったん思考を棚上げするしかなかった。

 

「しかしクラウゼにこちらからなにか指示を出す必要はない。いつも通りの方法で情報を受け取るのだ」

 

 現状、帝国政府中枢に潜り込んでいる数少ない秘密組織構成員であるクラウゼは貴重な情報源であり、彼に公的権力を使わせてなにかさせ、オーベルシュタインを筆頭とする裏方から疑われるようになる事態は避けたいことであった。もっとも、既にオーベルシュタインに警戒されているのではあるが……。

 

「それとベリーニ、オットーに尾行を何人かつけろ」

「どうしてかしら」

「……あいつはラインハルトを死に追いやることに執心しすぎている。積極的にラインハルトを暗殺を実行している勢力が登場してくれば、己が望みを叶えんがため、あいつはその勢力に走りかねないからな」

 

 いったいいかなる理由によるものか不明であるが、もしラインハルトを抹殺するというのが地球教の統一された意思であると仮定した場合、今後ラインハルトの命を狙う策謀は過激化の一途を辿るであろう。そこまで状況が拗れてしまった場合、オットーを手元に置き続けるのは危険であるように思われた。

 

 ラインハルトの命を直接的に狙うのはゲオルグの本意ではない。すくなくとも、今のところは。そうである以上、状況次第によってはオットーをこちらから旧王朝の復活という実現困難な事この上ない目標を掲げているあの連中に押し付けてやるべきかもしれない。そのあたりは連絡役になってるハイデリヒと相談して決めるとしよう。

 

 しかし新王朝がはじまってまだ一月とたっていないのにこんな事態が起こるとは……。今回はラインハルトのせいではないとしても、すこしくらい休んで足を止めるということを覚えたらどうだとゲオルグは自分より二歳年下の美貌の若者に言ってやりたかった。

 

 ラインハルトの政治・軍事に対する姿勢は、能動・受動の別を問わず、良くも悪くも安定や平穏という言葉とは無縁なのかもしれない。




ヒルダのこと散々言われてますけど、実際、あの王朝の気風だとヒルダに対する評価ってそんなものだったんじゃないかなと思う。ヴェスパトーレ夫人と違って、女性らしいことに興味なさすぎだし。


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それぞれの事情

 憲兵隊や内国安全保障局の徹底的な調査によって、皇帝(カイザー)ラインハルトの暗殺はオーディン支部によって実行されたものの、その計画は地球教団の本部によって企画され、オーディンの支部は目的も知らずに本部からの命令を受けてキュンメル男爵を利用した陰謀に信仰心から加担したにすぎないという事実が明らかになった。

 

 七月一〇日、キュンメル事件の黒幕である地球教に対する調査結果をふまえ、地球教への対処を検討する御前会議が召集された。会議の出席者は当然のことながら皇帝であるラインハルト、武官からは軍務尚書オーベルシュタイン元帥、統帥本部総長ロイエンタール元帥、宇宙艦隊司令長官ミッターマイヤー元帥の三名と八名の上級大将、そして皇帝高級副官のシュトライトおよびリュッケ。文官からは内閣書記官長マインホフ、内務尚書オスマイヤー、内国安全保障局長ラングの三名である。なお、国務尚書マリーンドルフ伯爵とその娘である皇帝筆頭秘書官ヒルダが出席していないのは、親族のキュンメル男爵が皇帝弑逆未遂を起こしたため、自主謹慎しているため、御前会議の出席者は合計一七名である。

 

 いささか以上に武官の比率が高かったが、これは初期のローエングラム王朝が軍国主義の色彩が強かったことに加え、帝国の勝利という形で宇宙の安定を築きつつあるラインハルトの暗殺を目論んだ地球教に対して武官も文官も怒りを露わにしており、地球教への派兵は既定路線であるという認識をだれに言われるでもなく共有していたからであった。

 

 その御前会議は、出席者の一人であるハイドリッヒ・ラングにとっては不満がのこる結論を出して終了した。ラングは内国安全保障局本部の高級幹部職員を招集し、局内会議を開いた。御前会議の結論を踏まえ、自局の方針について議論せねばならなかったのである。

 

皇帝(カイザー)は地球教に関する調査はもう十分であると仰せになれ、ワーレン上級大将に地球への即時派兵をお命じになられた」

 

 会議早々ラングが告げた言葉に、出席者の多くが無念のうなり声をあげた。彼らは地球教に対する調査が不十分であると結論され、いますこし調査のための時間的猶予が与えられることを望んでいたのである。

 

「弱りましたな。地球への派兵が決まってしまったとは――い、いえ! 派兵そのものは歓迎しているのですが!」

 

 普段まわりから口が軽いと言われている出席者の一人カウフマンがため息交じりに呟きはじめ、全員から不快気な視線をむけられたので、自分の発言が誤解を招きかねないものであると気づき、慌てて弁明した。

 

 そして悪化した会議の空気といたたまれない自分の気持ちを誤魔化す意味もあって、カウフマンは直接ラングに問いかけた。

 

「それで陛下にご再考願うことはできないのでしょうか。派兵が決まったとはいえ、そのための準備の時間があります。その時間を利用して重臣たちを説得し、団体で奏上すればあるいは――」

「無理だ。軍人たちは皆、即時派兵に全面的に賛成している。こちらの味方だったのは内務尚書閣下くらいのものだ。もっとも、消極的に庇ってくれただけであるが……」

「……警察総局長の出席を認めてもらえなかったのは、やはり痛かったですね」

「いや、御前会議の流れから言って、警察総局長が出席を認めてもらえたとしても皇帝(カイザー)の結論は変わることはなかっただろう。せめて軍務尚書閣下がこちらの味方に付いてくれたなら、あるいは、と、思わないではないが……」

 

 御前会議が始まる前に、オーベルシュタインにそれとなく味方になってくれるようお願いし、何の反応も見せずに無視されたので、形成的な不利から自分たちの要望を通すことは難しいのではないかと会議以前からラングは思っていた。それでも一縷の望みをかけて調査の万全を期しての時間的猶予を欲したのだが、やはり受け入れられることはなかった。

 

 さすがにラインハルト直々に地球教徒は自らの信じる神の権威しか認めないどころか、その権威を暴力によって他者に強制することをためらわない。帝国のあらたな秩序と共存することができぬというなら、やつらの信仰に殉じさせてやるのが最大の慈悲とまで言われては、新参の臣下の身でそれ以上言葉を重ねることなどできない。まして内国安全保障局の今までの調査記録と合致してるのだから。

 

「ですが、このままでは内国安全保障局(われわれ)の立場が――」

「そんなことはわかっている!!」

 

 机をたたいてラングは一喝した。旧王朝時代、憲兵隊と社会秩序維持局の間には醜悪な対立があった。どちらも広範な範囲に職権を行使できる治安組織であり、それだけに両組織は職権を濫用しての腐敗が凄まじく、両者の間で縄張り意識のようなものを持って、利権の奪い合いに興じているありさまであった。ラインハルトの治世になって社会秩序維持局は廃止され、憲兵隊からは腐敗を追放されたものの、オーベルシュタインの提案によって社会秩序維持局を事実上継承する形で発足した内国安全保障局と憲兵隊の間でふたたび不毛な対立意識が芽生えてきたのである。

 

 とはいえ、かつてのような腐敗ゆえの利権闘争といった面はほとんどないため、帝国全体としてはささやかなほころびであったが、憲兵隊はともかく、内国安全保障局のほうは非常に切実な理由でこの対立を結果的に激化せざるをえなかったのである。

 

「テロリストへの対策として設置された当局が、憲兵隊なんぞに後れをとってしまったのだからな」

 

 つまりはそういうことであった。内国安全保障局は、エルウィン・ヨーゼフ二世が拉致されたことを受け、それを未然に防ぐことを目的として設置されたのである。なのに皇帝暗殺未遂という大事件の黒幕である地球教に対してまったくのノーマークであり、社会秩序維持局時代の記録を含めても、得ている地球教の情報はとても少ないのである。つまるところ、存在意義が疑われているのであった。

 

 加えて、キュンメル事件の処理を憲兵隊に完全に取られる形になってしまったことも、内国安全保障局の面目を潰すものであった。皇帝暗殺未遂の報を受け、帝国の公人たちは総じて激怒し、地球教を激しく憎悪したが、あえていうなら武官より文官の怒りのほうが強いものがあった。自由惑星同盟とフェザーンを屈服させ、武力優勢の時代は終焉し、文官の時代が到来しつつあるというのに、ここで皇帝がテロリズムに倒されたら、帝国はかつてのシリウスのごとくに分裂し、自分たちが手にしたはずの権力は夢想のものとなり、ふたたび混沌と無秩序ゆえに武力がものをいう時代に逆行してしまうではないか! ということである。

 

 そうした文官の怒りと憎悪は、むろん内国安全保障局でも例外ではなかった。特に局長のラングのそれは他者と比べても凄まじいものがあった。彼は自分が生きてこの地位にいるのは、ひとえにラインハルトの寛容とオーベルシュタインが自分の技術を必要としてくれているからであると自覚していたからである。それだけに内国安全保障局の士気はとても高く、一般警察の協力もとりつけて熱烈かつ精力的に事件の真相と地球教に関する記録を調査した。

 

 この調査におけるラングの的確な指揮ぶりは称賛されてしかるべきものであったろう。しかしいかに内国安全保障局の調査が意欲的かつ能率的に行われたといっても、皇帝暗殺の企てがあると通報したヨブ・トリューニヒトのおかげで、素早く行動を開始した憲兵隊がキュンメル男爵邸と地球教オーディン支部にいた地球教徒を捕殺しており、多くの当事者の証言などをもとに作成された調査記録と比べると、どうしても見劣りする報告しかできなかったのである。

 

 この二つの事実をもって、内国安全保障局は開明派を中心に強く糾弾されており、それに反論できない事実が内国安全保障局を苛立たせ、憲兵隊に怒りの矛先を向けることになっていた。現行の帝国法によれば、憲兵隊は軍関連の事件の調査を主任務とし、内国安全保障局は政治的犯罪に対する対処を主任務とするとされている。だから皇帝陛下をお救いし、地球教の支部を襲撃することはよいとしても、そこから先は手に入れた資料や逮捕した地球教徒を内国安全保障局に引き渡して引っ込むのが筋ではないか。増長もはなはだしい!

 

 こうした憲兵隊への憎悪の裏側には内国安全保障局の未来に対する不安があった。

 

 局長のラングが旧王朝時代から清廉潔癖で優秀な能吏であり、そのこと自体は帝国の絶対者である皇帝ラインハルトにとって評価する点ではあったが、それ以前の問題として秘密警察そのものを好ましく思っておらず、昔から知っているケスラー上級大将の憲兵隊に対する信頼が強いようである。それを考慮すると、自身の身が危険にさらされた時、憲兵隊と比べてあまり貢献できなかった内国安全保障局を不要であると皇帝が断じることはないだろうか、という不安である。

 

 その不安が現実のものとなることは職員たちにとって絶望であった。局長のラングがそうであったように、多くの職員は旧王朝時代、民衆弾圧機関として恐怖の象徴であった社会秩序維持局の元職員であって、それが原因で拘束されていたり、路頭に迷っていた者が少なからず存在する。内国安全保障局が廃止されるというのは、ふたたびそういう状況におちいりかねないということであった。

 

 皇帝の意思を抜くとしても、内国安全保障局は旧王朝の悪弊を受け継いでいると開明派や一部の民衆からよく批判されているのである。帝国内部の勢力図的にも、内国安全保障局の立場は厳しい。局長であるラングが、皇帝に次ぐ有力者集団の一員であるオーベルシュタインの腹心と目されてはいるが、それ以外のほとんどの有力者からはラインハルトと同じ理由で嫌われている。内務省内では内国安全保障局を擁護する勢力がそれなりにあるが、民政と国力増強重視する新王朝の方針から、内務省の民政局と工部局が省に格上げされ、相対的に内務省の影響力が低下しているため、いささか心もとない。しかもトップであるオスマイヤーは憲兵隊と内国安全保障局の対立について中立姿勢をとっているのだ。不安を感じるなというほうが無理であろう。

 

 それらの苦境をはねかえして内国安全保障局を存続させ続けるためには、それを黙らせる成果を出し続ける必要があって、その成果を奪い合う相手である憲兵隊に敵意を向けるのは必然といえた。

 

 局内会議は盛り上がったが、現状打つ手がないため、調査時における身内の批判大会となった。それがひと段落すると今度は憲兵隊へ悪態とこっちに通報してこなかったトリューニヒトをなじることで盛りあがった。きわめて非建設的なことであるが、不満を口に出さずにはいられない精神状態だったのである。

 

「――まとめるとこの一件が決着するまで局内に地球教専門の部局を設置して独自に調査を継続。なんらかの新事実が判明したら内務尚書および軍務尚書に報告し、当局の手柄とすることということでよいかな」

 

 不満が出尽くしてきたあたりを見計らい、副局長のクラウゼが子どものような悪口の言いあいの中でかすかにあった建設的意見を自分の中でまとめあげて提案した。その提案にほとんどが頷いたが、またしてもカウフマンが空気を読まずに意見を述べた。

 

「いっそ、これをきっかけに宗教を専門とする部局を設置したほうがよくないですか」

「いやそれは流石に――」

「待て」

 

 一考に値する意見であったので、クラウゼの言葉をさえぎってラングはしばし考えた。社会秩序維持局時代は帝国の体制を揺るがす要素になりかねないものはなんでもかんでも監視してきた。しかし内国安全保障局になってからは、開明的な新しい体制に配慮し、監視対象を共和主義者・貴族・官僚の三種に絞ってきた。これに加え、あらたに宗教の監視を追加してしまったら、また開明派あたりから改革の流れに逆行すると糾弾されるであろう。

 

 しかし、宗教は政治信条に少なからぬ影響を与えるのは疑いない事実であろう。実際、帝国の長い歴史の中には、宗教を旗印とした叛乱が何件もあるのである。そんなことがあっても社会秩序維持局時代は思想犯として処理し、宗教を特別視することはなかった。だが、思えば民主主義とやらも地球時代では、平等と博愛を理想とする宗教が支配的な地域であまりにも信じる理想とかけ離れた現実の聖職者や王侯との格差のギャップに憤った者たちが革命を起こしたのがきっかけという話を聞いた覚えがある。

 

 本当かどうか確かめたことがないのでわからないが、本当だとすると秩序維持の観点から言って、宗教を専門とする部局を設置することは、はかりしれない価値がある。また、普通の刑事犯罪であってもなんらかの宗教信者が関わっているなら、その宗教に関する詳細な情報があればその思考を推測することに役に立とう。……いや、そういう次元の話になると学芸省の管轄になってくるなとラングは内心苦笑した。

 

「……貴重な意見だ。軍務尚書閣下と相談してみるとしよう。だがまずは地球教担当部局として設置する。そして許可がおり次第、その部局の管轄を宗教全般に変更するという形をとる」

 

 相談相手として名前があがるのが直接の上司であるはずのオスマイヤー内務尚書ではなくまったく違う省の主であること、そしてそのことにだれも疑問を抱かず納得しているところに帝国内部の歪みがあらわれていた。

 

 こうして内国安全保障局の今後の方針が決定された。もっとも、これまで彼らが対処すべき“国内の敵”で最大のものは旧王朝下にあって権勢を握っていた元貴族階級が率いる反ローエングラム系組織であると思われていただけに、地球教などというどっからでてきたのかよくわからない代物への対処に、そのマニュアルが流用できるのかいささか疑問であり、新設された地球教担当部局を任された者達は教徒たちが共有する独特な世界観とそれに基づく思考回路を分析するところからはじめることとなったのだが……。

 

 それと同じ頃、惑星オーディンから数百光年離れた惑星ラナビアに潜伏している旧王朝残党にも帝都からの情報源からワーレン艦隊の地球への派兵の情報を入手し、組織を事実上運営しているアドルフ・フォン・ジーベックは頭を悩ませていた。

 

 彼の生家であるジーベック侯爵家はそれなりの権勢を持っている門閥貴族の名家であったのだが、侯爵の愛妾である帝国騎士の女との間に産まれた庶子であり八男であった上、兄たちが全員平均以上の知性と健康な体の所有者であったので、侯爵本家を相続できる可能性は皆無であり、御情けの男爵号すらもらえるか怪しい立場であった。

 

 なのでジーベック家の八男坊は自分の才覚を信じて自立していかなければならなかった。幸いにして軍幼年学校に入れてもらい、優秀な成績で卒業できたので職業軍人として生きていこうと志し、士官学校に進学したが、ここでの成績は可もなく不可もなくといった程度であった。

 

 卒業して少尉に任官してから正規艦隊に所属し、同盟軍との戦闘に幾度となく参加した。パッとした武勲はなかったものの、勤務態度はそれなりに優秀で、実家の威光もあって順調に出世し、少佐の頃にリッテンハイム派閥に所属する貴族将校と意見が対立し、論争で共闘した縁でフレーゲル男爵と仲良くなり、ブラウンシュヴァイク公の腹心であったアンスバッハにその能力を買われたこともあって、ブラウンシュヴァイク公爵家の私設軍に移籍。領内での宇宙海賊討伐や叛乱鎮圧任務に従事するようになった。

 

 四八八年のリップシュタット戦役では、当然のようにブラウンシュヴァイク陣営の一員として貴族連合側で参戦したが、これといって大きな活躍はしていない。だが、状況を大きく動かした作戦の実行者として悪い意味で有名になった。叛乱を起こしたヴェスターラントに対する熱核攻撃の指揮をとったのである。ゴールデンバウム王朝末期の帝国では、叛乱を起こした村や街ごと消すといった鎮圧方法が私的な略奪ができるという理由でよく採用されていたので、ジーベックは経験から少しばかり規模が大きかっただけであると思っているので、散々非難されている今でもあまり罪悪感を感じていない。

 

 だから虐殺の実行者として指名手配されているのだが、そのようなことをしていなくても、ジーベックは指名手配されることになったであろう。なぜなら彼のブラウンシュヴァイク公への忠誠心とアンスバッハへの敬意は強く、その二人を踏みにじったラインハルトに対して反感しかなく、罪がなくても帝国に対する反抗運動に参加したであろうから。

 

 そのジーベックは頼りになる幹部であり、信用はできても信頼はまったくできず、常に不快感を感じざるをえない男の突き上げをどうにかしなくてはならなかった。

 

「帝都が混乱しているこの期にことを起こすべきではないのか!?」

「レーデル少佐、少し落ち着きたまえ。ワーレン艦隊が帝都から離れたとはいえ、いまだに多くの部隊が帝都に残っている。いまはまだ雌伏の時であり、帝都で実施する作戦をより完璧なものとするべく準備に勤しむべき時なのだ」

 

 ギラギラする光を瞳に宿した男の名はゲルトルート・フォン・レーデルといい、元帝国軍の少佐である。強烈な貴族主義者であり、大尉時代に貴族が優遇され平民が冷遇されていたゴールデンバウム王朝の軍隊で、貴族将校たちから「平民将兵に対する過度の差別意識」が原因で左遷された帝国騎士という、ある意味で伝説的な記録の持ち主であるという噂が貴族のサロンで囁かれていた人物である。今まで接してきたジーベックの個人的見解を述べるなら、いままでの素行からしておそらく事実であろう。

 

 とにかくそうして左遷された先のポストが、ラナビア矯正区――現在彼らが潜伏している惑星――の警備司令だった。矯正区警備は収容されている思想犯の管理と脱走者の銃殺しかやることがなく、武勲の立てようがないので士官や下士官にとっては昇進がほぼ不可能になる任地であったが、レーデルは強い出世欲の持ち主でもあり、彼の頭の中の辞典には「出世を諦める」という字句は存在しなかった。どうすればこんな閑職でも出世できるだろうかと悩み続けた結果、とんでもない結論をだした。ただ思想犯を閉じ込めておくなんてもったいなさすぎるから、出世のために利用すべきだということである。

 

 銀河帝国において、矯正区という施設が誕生したのは市民権がない農奴階級が誕生したのと前後している。というのも矯正区とは、不逞な思想犯に帝室や貴族への奉仕精神を植え付けて安価な労働力として権力者に出荷することを目的としていたからである。長い歴史の中でそういった面は人口減少にともなう慢性的な人材不足とともに顧みられなくなっていき、末期にはほとんどの矯正区で収容者の生活に干渉することはなく、思想犯や反抗的な農奴を不毛の地にただ閉じ込め、緩やかに死へと誘う場所と化してしまっていた。

 

 レーデルの考えはある意味、その矯正区本来の性質を取り戻そうと言えるものであったかもしれない。ただし、かつては帝国政府主導で行われていたが、レーデルの個人的な計画によるものであり、その事業は農奴として出所されるものではなく、矯正区内で労働を強制しようというものであったから、警備司令の職権を超えた行為を行っているため、厳密には規則違反であった。

 

 だが、矯正区に関する諸規則はまったく守られていないのが常態化していたため、だれも咎めなかった。帝政そのものを否定せんとする思想犯の一族がどうなろうとも、帝国の権力者や大貴族たちはだれも気にしなかったのである。例外として戦争で得た同盟人の捕虜を収容している矯正区は外交的な意味で気にかけるものがいたが、戦争初期に同盟人の収容者が帝国の思想犯を扇動して暴動を起こす事態が頻発したことから、同盟人を収容する矯正区と帝国内の思想犯を収容する矯正区をわけるようになっていたので、後者の矯正区は警備司令部が全権を握っているも同然であり、ラナビアはその矯正区だったので何の問題もなかった。

 

 さっそくレーデルは司令部内をまとめあげ、収容者を効率的に労働に動員し、成果をあげる方法を模索した。幸い、ラナビアはリッテンハイム侯の領地の近くであったため、リッテンハイム侯爵家と交渉し、私設軍向けに安価な軍需品を供給する計画があるので手を貸してほしいと交渉し、成功した。

 

 こうしてラナビア矯正区にはリッテンハイム侯領に存在する軍需企業が工場を建設し、レーデルたち警備員はあらゆる手を使って収容者たちを労働に従事させた。その労働は過酷で、その対価として与えられるのは三食の食事だけ、しかもその献立はいつも固くなったパンが数枚とわずかな野菜だけという貧しい食事で、体調を崩して働けなくなる者が続出した。

 

 だが、そのことをレーデルたちは改善しようとはしなかった。むしろ働けなくなった者達を見せしめに公開処刑して他の者達を恐怖で縛り、限界まで酷使しようと努力した。この時代でも帝国内に百数十の矯正区が運営されていて、そこに収容されている思想犯の合計は億単位で存在し、替えは大量にあるから使いつぶしても大した問題ではなかったし、もともと人件費をかけないことで生産される軍需品を安く売ることを目的としていたので、労働環境の改善に金をかける気など毛頭なく、収容者をグループ分けして格差をつけて扱い、対立感情を醸成することで反抗を阻止することにした。

 

 リッテンハイム候は大量の軍需品を安く手に入れることができたことを喜び、その見返りとしてレーデルに男爵位の授与と警備司令部の将校を昇進させるよう軍務省に要請し、受理されてレーデルは矯正区警備に左遷された身でありながら男爵位を得て昇進を果たした数少ない将校の一人となった。

 

 そしてリップシュタット戦役においてもレーデルは軍需品を提供することでリッテンハイム陣営を応援していたのだが、キフォイザー星域会戦での大敗とガルミッシュ要塞でのリッテンハイム侯爵の爆死の報を知ると自分の後ろ盾を失ったことを悟り、警備司令部の者達と共に逮捕されて処刑されることをまぬがれるために姿をくらました。

 

 ラインハルト率いる帝国の正規軍がラナビア矯正区に降り立ったときには、警備司令部の軍人は一人も残っておらず、残っていたのは惑星から飛び立つ術を持たない、虐待と飢えで死にかけた収容者たちと死んでしまった死体の山のみであった。帝国軍は彼らを解放して保護し、司令部の書類や工場で使用されていた機械類を接収すると引き上げ、後のこまごまとした事後処理を済ませた後、ラナビア矯正区を完全に閉鎖した。その放棄されて無人となった惑星をジーベックたちは潜伏先として選んだのである。

 

(……恨むぞシュトライト)

 

 ジーベックは内心で恨み言を呟いた。レーデルのような我意が強くて小才に長じているような奴を不逞な金髪の簒奪者を打倒のための重要な同志とせねばならぬことは、個人的感情としては非常に不本意なことであるのだが、彼はとある事情のせいでこんな一癖も二癖もある人材を使わなければならないのである。

 

 その事情というのが、かつての同僚でブラウンシュヴァイク公の忠臣であったはずのアルツール・フォン・シュトライトがラインハルトに膝を屈し、彼の首席副官に任命されて厚遇されたという事実と政治宣伝の影響のおかげでジーベックがひそかに声をかけていたり、味方に取り込もうと目をつけていた者達の多くが「あのシュトライトが赦されたのだから」と我が身可愛さに生意気な金髪の孺子の軍門に下ってしまい、使えそうなのがレーデルのような面倒な人物しか残っていなかった、というものである。

 

「ではいつ行動するのだ!」

「前にも言ったが、帝国が自由惑星同盟などと僭称する叛乱勢力の領域を完全併呑する為に兵をあげたときに、だ」

「それは前にも聞いたが、これ以上下賤な輩に我ら貴族が虐げられている状況を看過し続けねばならんのか。ここでモグラのように巣穴に閉じこもっているなどまるで臆病者の――」

「――聞き捨てならんな。卿は今なんと言った? この計画はわれわれが立案し、殿下の承認を得たものだ。つまり、われらが忠誠を誓った殿下を臆病者と卿は誹謗するというのか。臣下としての身分を弁えろッ!」 

 

 ジーベックの叱責に、レーデルはたじろいだ。

 

「す、すまぬ、言葉を間違えた。だ、だが、その方針を殿下が認められてからそれなりの時間がたち、地球教という不確定要素もでてきた。にわかに状況が動き出した今、今後何年も潜伏を続けなくてはならぬのは耐え難いことで、殿下が心変わりしていないかと……」

「すべてを知った上で殿下は耐え難きを耐えておられる。なのに臣下の身でありながらそれについていけぬとでも言うつもりか」

「……」

 

 レーデルは黙り込んだが、全身から納得していてないと露骨な反感の意志を示し、ジーベックは彼に希望を提示する必要性を感じた。

 

「だが、もしかすると今後何年も潜伏し続けるまでもなく、そういった状況になるかもしれぬな」

「なに? そのような兆候があるのか」

「ないこともない。我らが同志の近衛士官からの報告によると、メルカッツのやつが同盟領で生きているやも知れぬという噂があるらしい。もし事実だとすれば状況からして同盟が帝国の大罪人を庇っていることは明らかで、いっきに情勢が動くかもしれんな」

「……メルカッツが、か」

 

 ウィリバルト・ヨアヒム・フォン・メルカッツ。職人気質の老練な帝国軍人で、リップシュタット戦役においては貴族連合軍の最高司令官を務めた。敗戦後、同盟に亡命してヤン艦隊の客員提督として遇され、フェザーンと同盟の援助で銀河帝国正統政府が発足するとその軍務尚書を務め、帝国軍が同盟領に大挙して侵攻してきたときには、わずかな正統政府軍を率いてヤン艦隊とともにバーミリオン会戦でラインハルトと戦い、戦死したというのが現在の公式記録である。

 

 ジーベックはメルカッツを憎んでいた。もともとブラウンシュヴァイク公が連合軍の最高司令官となるはずだったがリッテンハイム候との対立による妥協の産物で最高司令官になったからというのもあるが、貴族連合軍が無残に敗北した原因のひとつに、メルカッツの無能さがあると考えていたからである。いや、軍人として純軍事的には文句なしに優秀なのだろうが、あまりにも前提条件を把握する能力に欠けていたか、根本的なことがわかっていなかったとしかジーベックには思えなかった。

 

 軍隊を有機的に連携させて運用するためには、統一された司令部、統一された戦略構想、統一された管理と補給のシステムが必要不可欠であろう。貴族連合が成立してから、諸侯の私設軍を統合し、統一された指揮系統を築こうと試みたのだが、貴族の対立構造を完全に抹消することがかなわない以上、形式的にはともかく、実質的な意味で統一された軍隊を構築することなど不可能であった。

 

 実際、数年前のクロプシュトック侯爵の叛乱の際、ブラウンシュヴァイク公が自派の貴族の私設軍をまとめあげて編成した連合軍を叛乱鎮圧に動員したとき、味方を撃つという愚行まではいかなくても、「隣の部隊は今政争で争ってるから突出させろ」とか「あの家とは百年に渡る因縁がある! 援軍要請を無視しろ!」などといった阿保らしいことを連合軍の貴族達が行い、自軍の被害を拡大させてしまったものである。

 

 その反省を活かし、ブラウンシュヴァイク公は今度は最初から軍を分裂させる戦略を立案した。大貴族を中心として派閥ごとに十の部隊に分け、本拠地であるガイエスブルク要塞とオーディンから本拠地の要塞に至る九つの軍事拠点に部隊を配置する。ラインハルト軍が九つの軍事拠点を攻略している間に少なからぬ人命を失い、疲弊したところをガイエスブルクから一挙に出撃してラインハルト軍を粉砕する、というものである。そして当然、ガイエスブルク要塞に駐屯するのはブラウンシュヴァイク公とその一派の貴族が率いる部隊である。

 

 だが、メルカッツはその戦略に反対し、連合軍の全部隊をガイエスブルクに集中させるべきと主張した。ラインハルト軍をガイエスブルクまでひきずりこみ、遠征で疲弊しているところに決戦をしかけるというのは、用兵学的には正しいだろう。だが、貴族の力関係というものを少しは考慮できないものか。いや、そのあとのシュターデンの案はさらに論外な代物だから、あれでも考慮したつもりだったのかもしれないが。

 

 やはりというべきか、メルカッツが艦隊を率いてシャンタウ星域の奪回のためにガイエスブルクを発った時、懸念していた問題は表面化した。もとより帝位継承をめぐって犬猿の仲だったブラウンシュヴァイク派とリッテンハイム派がなにかにつけ、対立するようになったのだ。もとよりこんな統一性のかけらもない軍隊を軍隊として機能させることに無理があるとわかっているブラウンシュヴァイク公はアンスバッハやジーベックに命じて、リッテンハイム侯が自派の部隊を率いてガイエスブルクから流血をともなわずに出ていけるよう、いろいろと工作したものである。

 

 なのにだ。メルカッツは最高司令官である自分の了解を得ずに実施したことに不快感を示し、そのあてつけであるかのようにシャンタウ星域における戦勝の宴への出席を拒否した。ブラウンシュヴァイク公が大手をあげてメルカッツを歓迎していることによって、血の気の多い若手貴族がメルカッツの指揮に従うよう促そうという配慮によるものであったのに、出席を拒否されては逆に公爵の面子を潰したと若手貴族がメルカッツに反感を募らせる結果に終わった。

 

 やがてブラウンシュヴァイク公自身もなにかにつけ不快感を示すメルカッツを疎むようになり、このままでは勝てる戦も勝てなくなると考え、軍の指揮権を事実上強奪しようと目論んだが……その時点でもういろいろと手遅れになっていたのだろう。メルカッツは役に立たぬということを名実ともにまわりに見せつけるべく、その意見を無視する行動をとっているところをラインハルト軍につかれ、連合軍は壊滅状態に陥ったからである。

 

 宇宙艦隊司令長官を務めたミュッケンベルガー退役元帥あたりなら、貴族間の事情を考慮しつつ有効的な軍事作戦を展開してラインハルト軍に勝てぬまでも、いい勝負ができたに違いないとジーベックは思うのだが、貴族連合が成立する前にブラウンシュヴァイク公とリッテンハイム候がそれとなくミュッケンベルガーに誘いをかけたところ、

 

「ほう、御二方は限界を感じて軍から引退した辺境伯爵家の老人をまた戦場に立たせようと考えておられるのか。むろん、陛下に危機あるというのであれば老骨に鞭打って戦働きをしてかまわんが、私が生涯の忠誠を誓ったフリードリヒ四世陛下はこの世にもうおられぬ。ゆえに私は平穏な引退生活を手に入れるためだけにリヒテンラーデやローエングラムの側についても、別にかまわんのだがな」

 

 と言い返されたので諦めるしかなかった。あんまり言い募ればミュッケンベルガーは本当に枢軸側に与するだろう。ミュッケンベルガーは立派な武人として多くの帝国軍人から畏敬されており、彼が枢軸側について味方するように呼びかければ、少なからぬ者達が枢軸に寝返るだろうし、そうなった場合、最悪兵力差がひっくり返りかねなかったからである。

 

 とはいえ、過ぎた話を思い出しても仕方がないと思い、ジーベックは現実に意識を戻した。

 

「ともかく、今は動くべき時ではない。機が訪れるまで待つのだ」

「ああ、わかった」

 

 レーデルがしぶしぶであるにしても納得した様子を見せて退室したので、ジーベックはホッとため息を吐いた。だが、自分がレーデルを落ち着かせるために言ったこの根拠がまったくない推測が現実のものとなるとは、このときはまったく予想していなかった。




Q.原作にこんな虐殺者どもの勢力は影も形もなかったぞ!
A.ラーセンが銀行から大金強奪した影響。要はゲオルグの作戦によるバタフライエフェクト。


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陰謀の地下茎

 地球教団内において総書記代理の地位にあるド・ヴィリエ大主教は大きな権力を掌握している。それは単に帝国・同盟を問わず多くの信者を抱える巨大宗教組織の事務部門の頂点であるという表向きの意味のみにとどまらず、人類社会の中心をふたたび地球へと戻すという地球教の裏の目的を達成するための謀略を立案する、有能な参謀という意味においても、である。

 

 むろん、裏の意味における地位はその性質上公然とできぬものではあったが、それも含めると地球教団内においては上から五本の指に入る権力者であると言えよう。しかし昨今、彼の地位は動揺していた。

 

「やはり惑星オーディンの支部は壊滅か」

「残念ながらさようにございます、ド・ヴィリエ大主教猊下。キュンメル男爵は死に、ゴドウィン大主教以下支部員ことごとく殉教したそうにございます」

 

 自分の執務室で上司の倍以上の人生を歩んできた部下の主教がそう報告し、上司は部下に聞こえないていどに軽く呻いた。

 

 皇帝ラインハルトの暗殺計画においてキュンメル男爵を利用する方法を提案したのは、ド・ヴィリエである。しかしその暗殺に失敗し、オーディンの地球教支部と連絡が一切とれなくなってしまった。しかも帝国の情報統制もあってその後の状況がなかなかつかめず、その失態の責任をとれと他の幹部から追及されているのである。

 

 もともとド・ヴィリエは古参の聖職者からは嫌われている。三〇歳前後の総書記代理の地位につき、地球教団最高幹部の一員に名を連ねることができたのは、俗人としての怜悧さを総大主教(グランド・ビショップ)が高く評価し、自らの腹心としているからであって、教理や信仰心を重視する保守派からは不遜な成り上がり者であると認識されていた。そういう意味では本人の性向はまったく違えど、かつてのラインハルトと似通った境遇であるともいえるかもしれない。

 

 ド・ヴィリエは自分の執務机に両手を置き、力なく失望の声を漏らした。

 

「キュンメル男爵か、役に立たん奴めが。なんのために生きてなんのために死んだのやら……」

 

 それは死者に対する罵倒の言葉であったが、彼の胸の内には失望以外の感情がかすかに紛れ込んでおり、それがいわゆる“同情”とよばれるものであることに気づき、ド・ヴィリエはいままで道具にしてきた者にそんな感情を抱いたことがなかったからかすかに驚き、そしてすぐ納得して憮然とした。

 

 人は生まれた時代や場所に関係なく、自分の胸に宿った欲望――しゃれた言い方をするのであれば、夢や希望――の(ほのお)に身を焦がす。中央の権力とは無縁であり、帝国の記録上は完全な辺境である惑星地球に生まれたド・ヴィリエが宿した欲望は権力欲であったが、その地球を統治していたのは裏面はともかく表向きは権力支配を否定し、博愛を謳う宗教組織であった。そこに所属しておのれの欲望を満たすために行動しつつも、この荒廃した世界の外側にある純粋な統治機構がある世界を羨み、そしてそこには決して所属できない世界の住民であることから、羨望はいつしか敵意に変わった。そしてそれはキュンメル男爵も同じであったろう。

 

 男爵の場合、荒廃していたのは自分が所属する世界ではなく自身の肉体であったが、それが原因で魅力を感じる世界の一員になれないという点では同じだ。いや、同じどころかそれ以上である。自分も確かに世界の一員であるはずなのに、ただ肉体が不自由であるというだけで一員として活躍することはできず、自分のすぐ傍で起きてることをただ傍観し続けるしかないのだ。そんなキュンメル男爵が抱え込んでいた輝かしい世界への羨望と憎悪はいかほどのものか。

 

 だからこそ、地球教の誘導と助力があったとしても、羨望と憎悪を支えにした愚かな行為であったとしても、キュンメル男爵がおのれの意思ではじめて起こした皇帝暗殺という大事業が失敗し、何事も成しえぬまま死んでいったことにド・ヴィリエはかすかな同情を覚えたのだ。男爵の無念の末路が、おのれの未来の可能性のひとつであることには違いないであろうから……。

 

「失敗したのはキュンメル男爵の罪としても、いささか性急にことをはこびすぎたのではありますまいか……」

 

 老いた主教の言葉には上層部批判と解釈されない内容だったので、若すぎる大主教は毒々しい眼光で老いた主教に無言の警告を与えた。ただでさえ自分の地位が危うくなってるのに、直属の部下がそんな迂闊な発言をしたことが知れれば、老人の幹部どもがなにを言い出すかしれたものではない。

 

「帝国軍の侵攻は、目前にせまっている。悔いたところではじまらぬ。皇帝暗殺の件は目前の害をのぞいてからだ」

「まことに……われらの聖地を異教徒の邪悪な手から守らねばなりません」

 

 部下の宗教的で迂遠な言い回しに、ド・ヴィリエは厳格な表情を崩すことなく、内心で狂信者めが、と幾度もこぼした愚痴を呟いた。地球のことを聖地というのはまだしも、“異教徒”だの“邪悪”だのといった主観的なもの言いは、共通認識を築くのを阻害するだけである。地球教にとって邪悪な敵であればこそ、対策を立てるためにも客観的事実のみで語るべきだというのに。

 

 自分が地球教団にて不動の権力と地位を確保した暁には、実務面における宗教的弊害を除くための作業をしなくてはならなくなるだろう。頂点をきわめる前にそう動こうとは全く思えないのは、この狂信者の巣窟において慣習を改めようと動くのは、身の破滅を招くだけなのだとわかりきっているからなのだ。

 

「心配するな。総大主教猊下はすでに手をおうちだ。皇帝の身辺にさえちかづきうるわれらだ。一提督のちかづきえないはずがないではないか」

 

 万事手をうっているという事実に、老いた主教は高位聖職者たちの深慮遠謀ぶりに感嘆した。

 

「……だが、念には念をいれておくべきか。信徒イザークをつれてこい」

「なにゆえですか」

「万一の事態が生じたときのために奴の話を聞いておきたい。元高級警官だから、帝国の軍事知識についても多少は詳しかろうから、参考にしたいのでな」

 

 主教は納得したような表情を浮かべると一礼して執務室を去った。一人になったド・ヴィリエは執務椅子に腰かけ、今後について思案をめぐらした。

 

 総大主教を筆頭に多くの教団幹部は遠征艦隊の司令官を暗殺し、それによって生じる混乱を乗じて艦隊内部に潜り込んでいる信徒たちが扇動して兵士たちの不安を煽れば、地球への武力制裁を一時的に延期させることができると考えている。それによって生み出した時間を利用し、再度の皇帝暗殺を実行する腹積もりなのだ。

 

 しかしそれは甘い考えに過ぎるとド・ヴィリエは思っている。今までの暗躍と違い、今回の皇帝暗殺については、これ以上ない形で地球教が裏にいることが判明しているのだ。明確に自分達の存在が露見してしまっており、その根拠地もわかっているのだ。これまでのように自分達の秘密を追及しようとしてきたものを暗殺し、そうした流れをうやむやにするなんてことはできない。

 

 なにしろ地球教は皇帝暗殺未遂の首謀者である。つまりは帝国の威信をこれ以上なく踏みにじっているわけだから、巨大星間国家の威信にかけても司令官一人が死んだ程度で武力制裁を中断するなどありえず、混乱によって遠征艦隊の動きを一時的にとどめられたとしても、すぐに遠征艦隊の副司令官か参謀長あたりを司令官代理として立てて遠征を再開するだろうし、とても一日以上の時間が稼げるとは思えなかった。

 

 準備段階の時点で口にはださねど計画の実現性を疑っていたド・ヴィリエは、皇帝暗殺が失敗した場合は他の最高幹部とは別の道をとることを考えていた。そして暗殺の失敗と地球教団の裏面が帝国政府に露見するという最悪の結果に終わった以上、むしろこの状況を最大限利用すべきであろう。

 

 生まれ育った故郷に攻撃が加えられることについて別に思うところはない。あえてあげるなら本部を失って動揺する各惑星の地球教の支部や秘密基地への影響に不安がある程度。ならば自分の地位が危うくなってきたことであるし、身の安全を図る意味でも迫ってくる艦隊の動向に関する情報は完全に握りつぶし、頭の固い老人たちには帝国軍によって死という別次元の世界へと旅立ってもらうとしよう。

 

 もちろんそうなれば地球から脱出した後、おのれの野望の為に本部を失い壊滅状態にある地球教を立て直し、他の聖職者たちと主導権争いをする必要が出てくるが、その点においてド・ヴィリエはたいして心配していない。自分の才覚なら、半年もあれば充分に組織として再編することができるだろう……。

 

 本部を失った後の地球教再編計画を脳内で練り上げているところで執務室の入口に一人の男がやってきていることを知らせるブザーがなり、ド・ヴィリエはモニターで来訪者の姿を確認するとボタンを押した。

 

 入ってきた男の姿は、ひどく不健康そうだった。肉体的には健康なのかもしれないが、彼個人のバイオリズムが低調すぎ、いわゆる活力というものが欠けているようであり、どこか非人間的であった。

 

「大主教猊下。異教徒たちがこの地に襲来してくるので、私と相談したいことがあるとのことですが」

「そうだ。ワーレンという提督が艦隊を率いて、この聖地を焼き尽くさんとしておるのだ」

「……ワーレン。帝国の優秀な将官でしたな」

 

 その帝国軍人のことをヴェッセルは少し知っていた。まだ警官として働いていた頃、彼の軍人がローエングラム元帥府に所属したときに上官だったゲオルグが話題にだしたからである。もっとも話題にした理由がワーレンの才能や人格への批評ではなく、単に雑談に類するものであった。というのも彼の名前に関する話題であったからである。

 

 ゲオルグは言ったものである。息子にこんなファースト・ネームをつけるとは、よほど名付け親が常識に欠ける人物であったのだろう、と。アウグスト・ザムエル・ワーレンというのが、ワーレン提督のフルネームなのだが、銀河帝国において“アウグスト”というのは縁起が悪い忌名なのである。

 

 というのも帝国人がアウグストという名前を聞いて真っ先に思いつくのはゴールデンバウム王朝第一四代皇帝アウグスト二世であり、“流血帝”の異名を持つ史上最悪の暴君なのである。皇帝になる前から大酒と荒淫と美食を友とする人生を満喫していたので通風を患っており、その痛みを忘れるために麻薬のアヘンを常用しているというとんでもない皇太子だったのである。しかも肉体のほとんど脂肪なので自分の足で歩けず、車椅子ロボットがなければ移動できないというふざけた人物で、開祖ルドルフ大帝が肉体的頑強さを統治者の条件としてあげていたことを思えば、伝統を継承し次代に伝えていく皇太子の地位にありながら、伝統をないがしろにしている愚か者だった。

 

 当然、そうした皇太子アウグストの有様に多くの者はこんなやつに帝位を与えていいのか、という意見は少なからずあり、父帝リヒャルト三世もアウグストを廃太子して他の三人の子のだれかを後継者として任命すべきではないかと何度か考えたのだが、長子が家督を継ぐのは当然という帝国社会の伝統と皇帝はお飾りであったほうがいいと考える大貴族の思惑もあり、なんら手をうたないまま崩御してしまった。

 

 こうしてアウグスト二世として皇帝に即位した彼が最初にとりかかった事業は、後宮に暮らしていた父リヒャルト三世の寵姫数百名を惨殺することであった。「母后イレーネから夫を奪った」というのが、その理由であったが、母后イレーネはなにひとつ関与していなかったし、かつて皇帝の寵愛を奪い合い憎みあった相手であるとはいえ「人間だった」としか言いようがない壊れ方をしている死体をアウグスト二世に見せられて気を失っている。

 

 父の寵姫を抹殺してから、アウグスト二世は人間を文字通りバラバラにしてしまうことに無上の快楽を覚えたようで統治手法にもそれを応用した。自分の方針に反対する者達を自分の直感だけを理由として“叛逆者”の罪を着せ、片端から残虐な方法で殺していったのである。皇帝即位から一週間で閣僚が全滅したといえばその異常さが察せられよう。その一週間の間にアウグスト二世の弟三名をも惨殺処刑されたので、母后イレーネは自分が腹を痛めて産んだ長男によって次男以降の子どもたちを惨殺されたことで、勇気を振り絞ってもはや恐怖でしかない息子の皇帝に直訴したのだが、やはり叛逆者の烙印を押されて死を宣告された。だが、イレーネは他の“叛逆者”と異なり、惨殺されることはなく自決を強要されるという形がとられたのは、もしかすると流血帝に残っていた最後の人間性の発露であったのかもしれない。

 

 主観的判断による選別で無能者や不快人物を全員ヴァルハラに旅立たせたことによって、宮廷を掌握したアウグスト二世は母を失った反動もあってか、その残虐性を国家規模で発揮するようになった。いかに神聖不可侵の皇帝であるといえども、ここまで無茶苦茶なことをすると大貴族から掣肘されて力ずくで止められるものなのだが、最悪なことに不満分子を団結させないための才能をアウグスト二世はそれなりに有しており、凄まじいまでの行動の速さと敵を判別する直感と幸運にも恵まれていたことによって彼はこんな無茶苦茶な統治手法で六年も皇帝の地位を守護してみせたのだ。

 

 彼は人民を殺戮するにあたって身分の貴賤など微塵も気にすることはなかったので、後世の歴史家から「ある意味においてゴールデンバウム王朝で最も公平な政治を敷いた皇帝」と皮肉られているが、そんな風に皮肉らなくては直視できないほど彼の時代は悲惨であった。

 

 なにせルドルフ大帝のように独善的であるにせよ使命感ゆえにというのですらなく、彼の個人的な快楽のためだけに二〇〇〇万から六〇〇万の人命が失われたというのだから。犠牲者の最大推測と最小推測に大きな差があるのは、アウグスト二世の時代の統治機構が度重なる官僚の処刑で半麻痺状態にあったことに加え、あまりに犠牲者の数を正確に公表したら、帝国大衆の憎悪はアウグスト二世個人にとどまらず、ゴールデンバウム王朝そのものに向けられかねないと危惧したアウグスト二世の従弟のエーリッヒ・フォン・リンダーホーフ侯爵が、謀反を起こして残虐な暴君の軍勢を破って皇帝に即位した後、臣下達にアウグスト二世の所業の証拠をある程度処分するよう通達したから、正確な数字が把握できないからである。

 

 とはいえ、アウグスト二世の所業だけであればその名が忌名にならない可能性はまだあった。“二世”とあるように、彼の暴君はアウグストという名前で銀河帝国の帝位に就いた二人目の皇帝なのである。“一世”が国家に果たした貢献()()を思えば、二世が暴君であったジギスムントのように忌名にならない可能性はあったのだが……後世の歴史家の言葉を借りると「私人として酷すぎるがゆえに忌避を買った」のであったのだ。

 

 アウグスト一世はゴールデンバウム王朝第九代皇帝で、先々代皇帝である祖父のジギスムント二世が酷すぎる浪費と権利の売り付けで傾いた国政を立て直すために全力を尽くして過労死した先代皇帝であり父であるオトフリート二世の政策を継承し、教条主義に陥ることもなく柔軟な対応で国家の完全再生を成し遂げた。その非の打ち所がない統治は賞賛されるものであり、保守的であったので派手さには欠けるが賢明な名君であったといってもよい。

 

 だが、私人として彼が巻き起こす数々のトラブルに巻き込まれている者達はとてもそんなふうに賞賛できなかった。というのもアウグスト一世が長髪美女を偏愛していたのである。その拘りはかなり異常なもので、後宮の寵姫たちが髪を切ったり美女じゃなくなったりしたら、すぐに寵愛するのをやめて後宮から放り出すものだから、宮内省は寵姫の頭髪管理やら長髪美女の捜索に忙殺された。

 

 その上、「ベットに長髪美女一〇〇〇人の髪の毛を敷き詰めて寝たい」などという要望をだすのである。これについて当時の宮内尚書の日記に「陛下はなにをお考えか。そんなものを作るとなると、後宮の住人となりうる長髪美女がこの国から一〇〇〇人も失われることになるのだが……」と困惑まじりの記録が残されているが、宮内省はしっかりと仕事を果たして皇帝の要望を実現させ、アウグスト一世はそのベッドに転げまわり、陶酔していたというのである。

 

 この皇帝の異常な性癖は、後宮における女の争いにも大きな影響を及ぼした。もともとゴールデンバウム王朝の後宮において女たちが皇帝の寵愛を争うのは伝統的なことではあるが、アウグスト一世の後宮の場合、長髪ではなくなれば寵愛がなくなることがわかりきっているので、だれもが他の女の髪を消し去ろうと暴力的な手段をとるのである。その傾向は寵姫同士の対立で相手の髪の毛に火をつけて焼死させたという事件すら発生するほどであり、後宮に働く侍女たちが巻き込まれるのではないかと恐怖させたほどである。

 

 女同士の争いのせいで長髪を失った寵姫はすべてを諦めて後宮を辞すしかなかった。というのも最初期に他の女の策略で髪が短くなってしまった寵姫が長髪のかつらをつけることで誤魔化そうとしたのだが、それを看破したアウグスト一世は激怒し、宮殿の窓から真冬のプールに叩き落して凍死させたという事件があったからである。かくのごとく皇帝は長髪を偏愛していた。

 

 その偏愛の究極として現れた事件はなんといっても、皇帝が胃痛で倒れた一件であろう。別に長髪に関係がないと何の知識もない者であれば言うであろうが、事件の詳細を知ればそんなことは二度と言えまい。お気に入りの寵姫が病死したとき、アウグスト一世は大変悲しみ、泣きながら寵姫の長髪を食べたのである。髪の毛は胃液で溶けるようなものではないので大変危険な行為であり、異常性癖の皇帝は早々に報いを受けた。髪の毛が運悪く胃壁に刺さり、激痛に苦しんだのである。幸い、皇帝の悲鳴で顔を蒼白にした侍医たちが即座に迅速な治療を行ったので、大事にはならなかったが。

 

 ただそういった変態的一面を国政の場に持ち出すことは決してなかったので、公人としての完璧な為政者としての姿と私人としてのとどまるところを知らない変態ぶりでまわりに多大な迷惑をかける姿を持つ二面性からアウグスト一世は“国政の名君、後宮の凡君”と評されている。もっとも、かなりベクトルがおかしい暴走をしている彼の所業を“凡君”と評してよいのかはいささか議論の余地があるかもしれないが、とにかくそういう異名が定着しているのは間違いなかった。

 

 これがアウグストの名を持った二人の銀河帝国皇帝の振る舞いである。帝国社会で忌名扱いされるというのも頷けるものであろう。いったいだれが人類史上最悪の暴君や度を越した変態有能君主と同じ名前をつけたがるというのか。仮にいるとすれば、よほどその子どもに対して――より正確にはその子どもが誕生する経緯に対して――含むところが大であったということで、複雑な家庭環境で育ったのだろうとゲオルグはワーレンの境遇を勝手に推測していた。

 

 余談ではあるが、ゲオルグが推測したような複雑な家庭環境で育ったという歴史的事実は確認されていない。後世になっても、なぜアウグストと命名されたのか経緯について本人が公表することがなかったから真相は不明のままである。もちろんアウグストという不吉な名前によってワーレンが苦労したというエピソードはいくつかあるようであるが……。

 

「そうだ。その帝国軍の襲撃を回避するための試みが今行われている。しかし何事もこちらの思惑通りに進むとは限らぬゆえ、総大主教猊下らをお救いするため、地球からの脱出計画と帝国軍の襲撃を遅延させる作戦を練っておく必要がある。そこで警察高官としてのおまえの知恵と能力を借りたい」

 

 そのような事態が生じた場合、ド・ヴィリエは総大主教を始めとする教団幹部を見殺しにするつもりで、本当は自分と自分の子飼いを安全に脱出させるためのものである、ということはまったく口にはださなかった。

 

「以前の話ではあくまで地球の辺境施設に総大主教猊下をお匿いするという話だったはずですが」

 

 かすかに糾弾するような口調になったヴェッセルに、狡知で怜悧な大主教は平然として返答した。

 

「その通りだが、状況が変わった。一個艦隊もの大勢力がこちらにやってくるのだ。聖地におとどめしていたのでは、帝国軍の人海戦術の捜索から総大主教猊下を匿い続けることは難しい。だから一時的に聖地をお離れになってもらう必要があるのだ」

「……総大主教猊下がご承知なさるでしょうか」

「私が説得する。総大主教猊下にあらせられてはご不快に思われるだろうが、私が誠意を尽くして必要性を訴えれば必ず最後にはやむをえずと認めてくださるさ」

 

 当然、ド・ヴィリエに総大主教に対する誠意などかけらもなく、それどころかそんな計画があること自体が総大主教の耳に届かぬよう、おのれの立場を守るためだけに教団内部における情報統制を秘密裏に行うつもりであった。

 

 いっぽう、信仰に全てを捧げ、かつて理想に燃えた無謀な警官や警察最高幹部の一人としての一面をほとんど感じられない、抜け殻のような状態になってるヴェッセルにはこれ以上何かを言い募ろうという活力がなく、唯々諾々とド・ヴィリエの脱出計画の細部をつめるために知識を提供していく。

 

 二人の密談が纏まるとヴェッセルは執務室から出て、ひとしきり呪詛の言葉を唱えると、我に返って足早に懺悔室へと向かった。そして何百何千と狂ったように聖句を唱え続ける。すべてを忘れるために。地球教とは自分の心を救済してくれた、素晴らしい恩人なのである。疑うなど許されないことだし、あるはずがないものを見たと錯覚し、教団を疑ってしまうなどなんという大罪であろうか。

 

 ヴェッセルは地球教を信じようとし、現実逃避を続けてきた結果、主観的に見て地球教の都合が悪い部分をすべて認識せず忘れてしまおうと意識的に努力するまでになっていた。それはもはや自己洗脳というべきものであり、これには他の聖職者たちも地球の出身ではないにしては、聖地の洗礼を受けたわけでもないのに驚くほど強固な信仰心であると一定の評価が与えられていた。

 

 懺悔をし終えたヴェッセルは自室に戻ろうと通路を歩いてるところで巡礼服を着た信徒と対面し、怪訝な顔をした。この先に一般の巡礼者が行けるような場所はないはずであるが……。

 

「そこのきみ」

「……なんでしょうか」

「こんなところでなにをしている? この先は一般信徒立ち入り禁止区域だぞ」

「それが、その、道に迷ってしまって」

 

 振り向いた顔を見て、ヴェッセルは少し驚いた。亜麻色の髪の持つ若い青年で、童顔だったからまだ少年と形容することもできる容姿の持ち主であり、こちらを警戒しているように感じられたからである。

 

「ご両親と一緒にきたのか」

「え」

「……? ご両親は地球教徒ではないのか」

 

 予想外の言葉にどう返答したものかと青年がバツの悪そうな顔をしたので、ヴェッセルは訝し気に目を細めた。

 

 いままでの経験から言って、家族ぐるみで地球教を信仰していて、家の決まりに反発している青少年が、それを行動で表現するために地球教の軽い禁忌を破ろうとして一般信徒立ち入り禁止区域に侵入しようとすることがままある。ヴェッセルは彼もそうではないかと推測したのだが、どうやら違うらしい。

 

「……珍しいな。きみぐらいの年頃の子で、この聖地まで巡礼しにくるほど敬虔な子は先祖の代から地球教徒ってことがほとんどなのだが。ご両親はきみがこの聖地に来ていることを知っているのか?」

 

 探りを入れられているのだろうか。そう亜麻髪の少年――ユリアン・ミンツは強く警戒した。彼は同盟の英雄であるヤン・ウェンリー退役元帥の養子であり、彼自身も同盟軍の退役中尉である。彼が地球へ訪れた理由は地球教を深く信仰していたためではなく、人類社会に対して暗然とした影響を持つ地球教の秘密を探るためであった。

 

 ユリアンは帝国軍によるフェザーン占領作戦時、同盟弁務官事務所の駐在武官として勤務しており、惑星フェザーンから脱出する際、幾重にも積み重なった偶然の結果、地球教が派遣した自治領主への監視役であり、背教の罪を犯して自罰的な衰弱死を望んでいる節があったデグスビイ主教と同じ宇宙船に乗ることになった。

 

 デグスビイ主教の言葉から地球教の裏面の一部を聞かされたユリアンは、義父であるヤンが以前に地球教に対してなんらかの警戒感を口にしていたことを思い出し、地球教の裏面に関心を持った。そして同盟の敗北とバーラトの和約に伴う同盟軍の軍縮で公的な身分がなくなって身軽になり、また、ヤン夫妻の新婚生活を邪魔しても悪いだろうと思ったこともあって、ヤンの旧友のフェザーン商人の助けを借りて地球教本部へと潜入し、色々と探っているのだった。

 

「両親はいません。母さんは物心つく前に亡くなって、父もずっと前に戦争で……」

 

 初めてなので道に迷ったという建前であれば、一般信徒立ち入り禁止区域であるさらに地下部分、奥の院への入口付近の情報を探ってもさほど怪しまれずにすむだろうと考えていたのだが、自分の年齢のせいで疑惑を持たれるとは考えていなかった。だから自分の本当の家族関係を話して時間を稼ぎつつ、どうやって誤魔化そうかと頭脳を素早く回転させる。

 

 だが、その思考は無意味であった。なんとなれば、家族関係の話を聞いた時点でヴェッセルが早合点の勘違いをして、痛ましい目をしながら同情に溢れた声でこう言い放った。

 

「孤児院の子か。知らぬこととはいえ、喋りにくいことを聞いてすまなかった」

 

 地球教は教義にある慈悲の精神に則り、いくつかの孤児院を運営している。べつに地球教に限らず、宗教というものが基本的に他者に対する慈悲を謳うものである以上、その現実化の一手段として多くの宗教組織にみられる一面であると言える。

 

 それ以外にも孤児院を運営することは宗教組織にとっては現実的なメリットもある。時間も金もかかるが、幼いころから神を崇めるのがごく自然な生活を送らせれば、宗教への強い信仰心というものを自然な形で身につけさせることができ、長い目でみれば信徒の数を増やし、取り込むことにも繋がるというメリットである。

 

 また地球教団限定のメリットも存在する。地球の復権を目指し、人類社会全体に陰謀を張り巡らせる地球教の暗部の視点から見た場合、地球の栄光を復活させるという目的を達成するためには、命令墨守の捨て駒だけではいくらあっても不足なのだ。現地レベルにおける管理能力や指揮能力、そしてなにより治安当局に目をつけられないある種の器用さを有した中堅の人材が地球教が危険視されることなく暗躍し続けるために必要不可欠である。そういった中堅の人材の補充方法のひとつが、孤児院の子の中でも信仰心が強くて能力のある者をヘッドハンティングするという方法なのである。

 

 そういう背景を思えば、両親がいないという発言でヴェッセルがユリアンのことを中堅候補の孤児院出身者であると誤解したのも無理からぬことであったろう。しかしユリアンはそういった背景を知らないのでなぜそんなふうに誤解されたのかまったくわからず、表情にださないよう努力しなくてはならなかった。

 

「え、あ、はい。そうです」

「やはりそうか……。そういえば、道に迷ったんだったね」

「ええ、まるで迷路みたいな構造なので自分がどこにいるのかわからなくなってしまって」

「わかるわかる。私も最初ここに来たときはそうだった。宿泊する部屋の番号は何番だ? 迷子にならないよう案内してあげよう」

「ありがとうございます」

「……気にするな。私たちは母なる地球から生まれた兄弟ではないか」

 

 ヴェッセルはユリアンの感謝の言葉に一瞬だけ驚いた後、柔和な笑みを浮かべて地球教の信者らしいことを言ってのけた。




今回、ほとんど原作と同じ流れだけど独自解釈多いです。
……しかしワーレンって本当になんでアウグストなんて嫌すぎる名前付けられたんだろう?


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趣味の読書

これ以外に相応しい副題が思いつかなかった……
もしかしたら副題あとで変えるかも。


 ハインツ・ブレーメは身分の上では平民に過ぎず、学費不足で大学にも通えなかった彼は、ほんの数年前まで辺境の地方政府で無能な貴族官僚にこき使われるだけのしがない役人として一生を終えるものだとばかり思っていた。ゴールデンバウム王朝の世において自分のような無学な平民が成り上がれる要素など存在せず、このまま燻り続けて引退が数年後に迫ったあたりに部長になれるかどうかが限界であると思っていたのだ。それが帝国におけるノンキャリアで上層部へのコネもない平民文官にとっての常識であった。

 

 しかし時代は彼に味方した。ラインハルト・フォン・ローエングラムが貴族連合を打倒して独裁者となり、無能な貴族官僚たちの権威が失墜したことだ。そして人事を司っている者も人材を見る目がある者が多数派となり、ブレーメはその能力を認められて、アルデバラン星系総督府に栄転した。

 

 地位こそ課長のままで変わらなかったが、人口が百万程度の星系総督府の課長と一億の人口を抱える旧都テオリアを含むアルデバラン星系総督府の課長では、まったく意味合いが違う。影響力や仕事量が桁違いであり、もちろん給与も比べるのが馬鹿馬鹿しくなるほどである。おのれの能力を好きなだけ発揮でき、かつ莫大な報酬を受け取ることができる職場につけることに喜んだ。いや、今の帝国に吹いている成り上がりへの追い風を考慮すれば、最終的には総督や中央省庁の高官も夢ではない!

 

 ブレーメが自分の部署を掌握して仕事に邁進しながら大きな野望を抱き始めていた時に接触してきたのが、ゲオルグの秘密組織である。多少の胡散臭さを感じたものの、彼らが提供してくれる様々な情報や機会は非常に有益なものだったので、そちらに協力する価値があると判断し、自分の職権を利用して協力することを選択したのだ。

 

 おかげでどうだ。カビの生えてる古臭い頭を有したお偉方はことごとくヴァルハラへと去り、自分は課長から大出世。今やアルデバラン星系の総督府商務局長、帝国有数の経済規模を誇る星系全体の貿易と商業を管理する部門の長官なのだ。彼の権限は、かつて自分をこき使っていた貴族官僚の権限がかわいく思えるほど巨大なものとなった。まだ前途が豊かな少壮の身であるにかかわらずに。だから秘密組織の一員たることを選んで正解だったと確信していた。

 

 現在ゲオルグからブレーメに与えられている任務は商務局の権限を利用した秘密組織の活動資金の調達である。むろん、総督府の公金を横領するなんてあからさまなことはしない。現在テオリアの経済はマハトエアグライフング計画――通称、混狂の夜(カオスズラーズライ・ナハト)事件からの復興を果たすための公共事業特需で湧いており、その事業に秘密組織の息がかかっている企業を参加させるという方法で資金稼ぎを行っていた。

 

 それはいわゆる利益誘導というやつなのだが、秘密組織という表に出ない要素で繋がった中であり、しかも秘密組織内部では徹底的な情報統制が敷かれていることもあって、企業側は総督府内部に潜入している秘密組織の仲間がだれなのかまったく知らないし、そもそも潜り込んでいる構成員が存在することすら気づいていない企業さえ存在した。さらに賢明な――あるいは狡猾な――ことに、どうすれば復興事業の際に自然な形で秘密組織の影響下にある企業に利益をあげさせることができるかマハトエアグライフング計画を実行する前から考えつくされており、復興による利益拡大を見越して混狂の夜(カオスズラーズライ・ナハト)の時にいくつかの施設や企業を爆破すらしているのだった。

 

 その破壊行為の時点から計算しつくされた復興事業によって秘密組織がどれほどの資金を掌中におさめたのかは不明である。見つかれば暗躍の明確な証拠となってしまう帳簿記録を秘密組織が作成することがなかったので推測するしかないが、彼らの影響下にある企業があげた利益の〇・一パーセントを吸い上げただけであっても、復興特需のアルデバラン星系の経済規模からして一〇億帝国マルクは下ることはあるまい。

 

 秘密組織が浸透した企業が復興事業で莫大な利益をあげて躍進したため、秘密組織はアルデバラン星系の政治のみならず、財界においても公然としない強力な影響力を持つにいたったわけではあるが、それでも完全に計画通りに進んでいるわけではない。というのもザシャ・バルク率いる共和主義地下組織の使命感溢れる行動は完全に制御するには強すぎる熱量を有していて、秘密組織にとっては有用な人物や施設を破壊していったためである。

 

 とはいえ、それはあらかじめ想定していたことであり、大枠では秘密組織が描いた計画通りに進んでいる。小さな誤差は事後でいくらでも修正でき、その役目もはたしているのがブレーメなのである。そしてその報告とある案件についての意見を聞くために影の総督の執務室をノックし、入れという声で入室した。

 

 部屋にいたのは秘密組織を率いているゲオルグ、そしてシュヴァルツァーとベリーニとハイデリヒの計四名であった。ハイデリヒは旧王朝復活を掲げている反ローエングラム勢力との交渉役を務めており、テオリアにいることは稀なのでブレーメは驚いたが、それ以上に驚いたことがあった。

 

「……なにをしているんですか」

 

 ゲオルグは『分断の楽園』と表紙に書かれている本から視線をあげた。

 

「なにって、読書だとも」

 

 ゲオルグの趣味は実に貴族的なもので詩劇の類を非常に好んでいる。テオリアに秘密組織の総司令部を置いてからは、オペラハウスや演劇場を秘密組織の構成員たちと一緒にボックス席で鑑賞しながら今後の計画を話しあったりしているのは、演劇中のボックス席の言葉が外に漏れにくい密室性があるからという現実的な理由もあったが、単純にゲオルグの趣味のためという側面が大いにあったことも確かである。

 

 そしてマハトエアグライフング計画の成功によって潤沢な資金の確保とテオリア内における巨大な影響力を確保し、フェザーンの銀行の隠し口座に秘匿していたリヒテンラーデ家の秘密資金を食いつぶし続けていたような状態の台所事情を脱したこともあって比較的余裕ができたため、ゲオルグはこの余裕のある時期に最近流行りの小説を仕事を交えずに純粋に楽しもうと考え、それを大量に購入して読書に耽っているというわけであった。

 

「市井の演劇を楽しんでいた時から薄々思っていたが、近頃は大衆向けの書物の質が良くなったものだ。いや、貴族階級が力を失ったものだから、貴族の知的特権の一部が一般化されたというべきか?」

「……同盟流やフェザーン流のやり方を見習い始めただけでしょう。娯楽に限った話じゃないけど」

 

 銀河帝国は先の遠征でフェザーンの自治権を剥奪し、イゼルローン・フェザーン両回廊の出入口にあたる星系をいくつか軍政下において自領土に組み込んだ。旧王朝時代に帝国が同盟領を占領したときの事例とは異なり、占領下の民衆を思想犯であるとして市民権を奪い、農奴階級に貶めて強制移住や強制労働を課すといったようなことをせず、帝国本土の民衆と同等の権利を新王朝は認めた。

 

 その結果、どういう事態が生じたかというと、帝国の臣民と比べものにならないほど権力への批判精神が旺盛なフェザーンや同盟産の様々な著作物が流入してきて、それが飛ぶように売れた。旧王朝だと国家権力によって検閲され、体制批判の内容を含むと見なされた創作物は排除されたものだが、新王朝は開明的方針を打ち出しているため検閲の基準が大幅に緩められたために普通に通過できた。そしてけだし凡俗な人間というものはフィクション・ノンフィクションの区別なく、反権威的な内容――ゲオルグの表現を使うのであれば、常識にとらわれないあるいは少々犯罪染みている内容――に滑稽さやある種の痛快さといったおもしろみを覚えるものだ。

 

 読者の興味のある話題を帝国の常識など知ったことかとばかりに利益をあげるために扱う同盟系・フェザーン系企業に多くの読者を奪われた帝国系の新聞社や出版社はこれ以上の読者離れを防ぐべく、今までの体制批判はタブーであるという常識をかなぐり捨ててローエングラム王朝が保障している言論・表現の自由を躊躇いなく行使しはじめた。むこうがやっているのだから、こっちもやらなきゃ勝負にならないというわけだ。

 

 その結果、帝国系のものでも刺激的で面白い内容の著作物が増えている。こうした活気ある競争というものになれていないためか、完全に明後日の方向に向いている作品もあり、ゲオルグとしてはそれもおもしろがっていた。

 

「機密指定されていた資料が公開されたもんだから、劇作家や歴史家としてはやりがいを感じてるんでしょうね。学芸省直々に『ゴールデンバウム王朝全史』なんてものが発表されてるようなご時世だし」

「……現皇帝はゴールデンバウム王朝の悪弊との決別を標榜している。ゆえにゴールデンバウム王朝にとって都合が悪い歴史を公開しても今の支配体制が揺らぐわけでもないからな」

 

 純粋に対外的な方針や構想――他国に手の内を明かしては意味がなくなったり有効性に疑問符がついてしまう軍事や外交の戦略方針――を別とすれば、機密資料は国家の悪業の証拠であることがほとんどである。どんな政治体制を敷いている国家であろうが、自国の善行は体制に対する支持を獲得するために盛んに宣伝し、自国の悪業は人心が体制から離れるのを防ぐために秘匿するというのが腐敗した国家の常だからである。

 

 そして旧政権に否定的な新政権が樹立された場合、旧政権下で行われていた悪業の数々を民衆に広く公開して弾劾することは、新政権の正義を喧伝する上で使い古された常套手段である。今回のことについて特別視する要素があるとするなら、ゴールデンバウム王朝の歴代皇帝とは異なり、皇帝(カイザー)ラインハルトは権威や伝統を継ぐ形で君臨しているわけではなく、ローエングラム王朝の初代皇帝であるために旧王朝の悪業をどれだけ弾劾しても、今の権威にたいした傷がつくわけでもないので、容赦する必要性がなかったから秘匿された機密資料を公開することにためらいがほとんどみられないということだ。

 

 ただそれでもゴールデンバウム王朝の過去の悪業が記された機密資料がすべて公開されたわけではなかった。清廉な体制に変わったとはいえ、ローエングラム王朝の政治体制が絶対君主制のままであることに変わりはないので、絶対君主制そのものが全否定されかねないほどの悪業――エーリューズニル矯正区の詳細など――の機密指定解除には慎重を期する必要があった。もし帝国が民主的かどうかはさておくとして、共和制国家に変貌していた場合、それらの悪業も新しい政治体制の正義を知らしめるために公表され、民衆への宣伝活動に活用されたことであろう。

 

 しかしこれは君主制と共和制の部分を入れ替えても同じことである。銀河帝国の創始者であるルドルフ・フォン・ゴールデンバウムは臣下たちと一緒になって腐敗しきっていた銀河連邦末期の政権を批判するだけではなく民主共和政体そのものにたいする問題点を声高に批判し、それとはまったく正反対である優秀な絶対君主が国家の進むべき道を指し示す独裁政治こそが理想の政治体制であると謳い、民衆多数の熱狂的支持を集めたのだから。

 

(これは同盟を併合したときもされることであろう。暗部を糾弾するために同盟の機密資料全公開。歴史物にも興味があるので是非期待したいところではあるが……いや、待てよ?)

 

 ゲオルグはふと思った。同盟の建国神話長征一万光年(ロンゲスト・マーチ)に関する話の詳細は謎に包まれている。それを率いた国父として同盟市民に崇められているというアーレ・ハイネセンがどのような人物だったのかすらよくわかっていないのだ。農奴階級出身の共和主義者であり理想的な指導者であったと同盟政府公認の歴史書は語るが、その性格や人柄にまったくと言っていいほどふれられないのでなにか隠しているのではないかとゲオルグは疑っている。

 

 もし機密資料に長征一万光年(ロンゲスト・マーチ)の指導者層は元貴族階級とか国父アーレ・ハイネセンがゴールデンバウム王家の血を引いていたとかファシストだったとかとんでもないことが書かれていた場合、公開すると同盟市民に与える衝撃と影響を推測するのが困難という理由で帝国が同盟を併呑しても、同盟の機密資料を公開しないとかいうことはありえるかもしれない。

 

 ……現実にはゲオルグが想定しているような同盟の国家としての根幹が揺らぎかねないほど衝撃的な歴史的真実が秘匿されているということはなかったのだが、それは後世の視点だから言えることであり、そのような推測も現実的な状況証拠に立脚した具体性を持った推測と言えなくもなかった。

 

「本ですか……雑誌や新聞しか読みませんからね……」

「ではなにか面白そうなものを貸してやろう。大量に買ってきたからな」

 

 ゲオルグは本屋の書籍を大量かつ無節操に購入してきたようで、本を積み重ねた塔がいくつか壁際にたっていた。ブレーメがチラリと確認したところ、ジャンルもバラバラである。『叛乱軍の巨魁アッシュビー』という第二次ティアマト会戦を描いたらしい小説のすぐ横に『銀河魔法大戦』という、どう考えてもファンタジーとしか思えないタイトルの本があった。

 

 本の塔を眺めやって、おもしろい本を見つけたのかゲオルグは一冊の本を取り出して、微笑を浮かべながらブレーメに差し出した。本の表紙には『野イバラ』というタイトルが書かれており、どう言う内容の物語なのか想像できなかった。作者のフロリアンという名前にも覚えがない。

 

「これはどう言った内容の本で?」

「恋愛小説だ」

「恋愛小説……?」

 

 いったいなんでそんな小説をすすめるのかとブレーメが理解に苦しみながらまわりを見渡すと奇妙なことに気づいた。ハイデリヒが口元を手で押さえて笑うのを必死に堪えている。ベリーニは興味深げにこっちを見ながら口元に苦笑じみた笑みを浮かべ、シュヴァルツァーはなにか迷惑そうな顔をしている。嫌な予感をブレーメは感じ始めた。

 

「いったいどんな恋愛の話なんですか」

「カストラートのフロリアンを主人公にした恋愛物語だとも」

 

 ブレーメは顔を青くした。カストラートとは、ボーイ・ソプラノを保存するために男性器が去勢された男性歌手たちのことだと知っていたからである。帝国の健全な人種を残すというイデオロギー的観点から少年期から歌手としての才能を認められないと去勢されることはなく、そのためにはよほど金を積まなければ彼らの歌声を聞けないので聞いたことはなかったが、噂によると本物の少年のボーイ・ソプラノと比較すると野性的で官能的で、異性より同性を蠱惑する声であるという。

 

「……カストラート? もしかしてその恋愛相手って」

「むろん、第五代皇帝陛下だとも」

 

 ブレーメは嫌悪感も露わに本を思いきり床に叩きつけた。銀河帝国初代皇帝ルドルフは同性愛者は社会に著しい悪影響を与えるとして法律で禁じ、法に背いた犯罪者たちを大量殺戮した。しかし第五代皇帝として帝位に就いたカスパーはある歴史家の言葉を借りるのであれば皮肉以外の何物でもないのだが、生まれながらにして筋金入りの同性愛者であったのであり、最終的にカスパーは皇帝即位から一年で権力闘争や政務が煩わしくなってしまい、フロリアン少年と共に玉座を捨てて愛の逃避行を敢行。以後完全に行方不明となっている。

 

 同性愛を人類を堕落させる極悪な犯罪行為であると規定するゴールデンバウム王朝にとって、このような皇帝が存在したことは汚点でしかないのだが、為政者としてはたいした問題があるわけでもなく、先帝の政治的無関心を利用して国政を壟断していた佞臣のエックハルトを処断したことを考えるとむしろプラスの評価がつくため、ローエングラム王朝時代に『ゴールデンバウム王朝全史』が発表されるまでその汚点は国家機密として秘匿されてきた。

 

 とはいえ、こんなおのれの愛を貫くためにとんでもないことをしでかした皇帝のプライバシーは噂という形で宮廷はおろか市井にまで流布していたので本当に帝国政府が公的には認めていないというだけであった。いわゆる公然の秘密である。

 

 同性愛は枢軸陣営改革派のローエングラム派が同陣営保守派のリヒテンラーデ派を粛清し、帝国軍最高司令官のラインハルトが帝国宰相を兼務して独裁体制を敷いて開明政策を実施していく過程で合法化されたものの、今まで犯罪であると常識化されていた愛の形に対する偏見と忌避感はそう簡単に消えるものではない。ブレーメもその圧倒的多数派の一人である。

 

「うむ。買ったかいがあった」

 

 ゲオルグは満足気にそう独語した。実は言うと『野イバラ』は警察時代にすでに読んだことがあったのだが、ゲオルグには年上の部下をからかってその反応を楽しむという悪ガキのような悪癖があって、『野イバラ』を購入したのは大人をからかうための小道具としてである。

 

 しかし購入してからゲオルグはだれにちょっかいを出すかで悩んだものである。自分の立場を公然としないものであるから、自分の立場をちゃんと把握している秘密組織の幹部しか候補にはできない。シュヴァルツァーは警察時代に同じネタでからかったことがあるから無理だし、ベリーニはフェザーン人だから同性愛に対する忌避感をさほど持っていない。ハイデリヒは元保安中尉で仕事柄そういった連中を取り扱うことがあったのである程度耐性があるし、院長にしてもしかりである。

 

 よって純粋な帝国人で官僚として真面目に働いてきたブレーメしか対象がなかった。だからたいした反応を示してくれなかったらどうしようと不安になっていたが、上司にすすめられた本をその場で叩きつけたことのまずさに気づいてブレーメがどうしたものかと慌てているところを見れたので大満足であった。

 

 慌てるブレーメを言葉巧みになだめ、たんなるお遊びだと言って安心させた。そして床の小説を拾ってパラパラとページを捲った。

 

「しかしなんというか、逃避行後のこともかなり詳細に書いてあるのだが……フロリアンが自分で書いたって宮廷の噂は本当なのだろうか? 昔にラングから聞いたが、この本が最初に世に出たのは第五代皇帝陛下が失踪してから三〇年後くらいだそうだから、時期的にはあうのだが……」

「……自分としてはそのことより、いったいどこに逃げたのかが気になります。当時はフェザーンはおろか同盟すらないでしょう」

 

 ハイデリヒがそういう見解を持つのも当然である。フェザーン自治領が成立したのは三七三年のことであり、自由惑星同盟が建国されたのは帝国暦二一八年のことであり、銀河帝国が同盟の存在を知って戦争状態に突入したのは三三一年のことなのだ。そしてカスパーが玉座を捨てて失踪したのは一二四年なのだ。

 

 今上の皇帝が失踪という未曽有の事態に、当時の帝国政府はお逃げあそばした皇帝陛下を玉座に戻すべく帝国中で捜索活動を実施したという。というのも、先帝オトフリート一世の子はカスパーしかいなかったので、それ以外の帝位継承権所有者ではすべての有力者を納得させることは困難であり、にわかに宮廷が帝位を巡って荒れだしてきたという事情があった。だが、四か月にわたっての捜索でカスパーとフロリアン少年の足跡を掴むことすらできず、その間にカスパーの従兄にあたるフランツ・オットーが宮廷闘争に勝利し、父親のユリウスを傀儡として玉座につけたのであった。

 

「カスパーは生まれてくる場所を間違いすぎていたのよ。皇帝という地位にありながら、まったく気取られずに愛人と一緒に雲隠れに成功するって、ありえないわ」

 

 スパイとして活動していたベリーニから言わせれば、国家をあげて捜索になんの証拠も掴ませずに逃げ切るとか夢物語の領域である。しかも当時は人類社会と銀河帝国はイコールである時代であるから、逃亡後も国内に潜伏しつつ人生を謳歌したことになるのだ。もしスパイのような職についていれば、さぞ活躍したことだろうと思うのであった。

 

 しかしこのベリーニの評をもしカスパーが聞けば理不尽だと反論したかもしれない。彼は望んでゴールデンバウム王家に生まれたわけではないのだ。もし彼が自分の意思で生まれる時代や国が選べるのであるとしたら、同性愛が世間一般的にも公認されていた過去の銀河連邦か未来の自由惑星同盟を選んだであろうから。

 

「それで、なにか問題でも発生したのか」

 

 この一言でようやく本題に入れるとブレーメは安堵した。現在の利益誘導の成果を報告した後、ある案件についての意見を聞く。

 

「昨日のレサヴィク星域の一件を受け、今後の帝国軍の軍事行動ないしは同盟軍への軍需品の大量輸出があるのではないかとにわかに軍需産業が活気づきだしているようですが、なにか手をうつべきでしょうか」

 

 レサヴィク星域とは同盟領内にある星域である。バーラトの和約の条件にしたがって同盟軍が所有の権利を放棄した戦艦・宇宙母艦の破壊・解体の作業をその星域で実施していたのだが、その作業中に約五〇〇隻程度の所属不明の艦隊が現れ、作業を妨害。彼らは“帝国の専制に抵抗する義勇兵集団”と自称し、解体されるはずだった五〇〇隻以上の同盟軍の破棄艦を強奪した。そればかりか、彼らの民主主義再建のために協力してほしいという呼びかけに同盟軍将兵四〇〇〇人以上がこたえて義勇兵集団に参加して姿を消したという。

 

 程度の差はあれど同盟と帝国の間に結ばれたバーラトの和約に不満を持っている同盟人の数は多く、「バーラトの和約は当時の最高評議会議長が逆クーデターを起こして勝手に結んだものであり、無効である」としていくつかの抵抗組織が誕生していることは周知の事実であったが、それらはすべて小規模なもので、軍縮で弱体化した同盟軍でも充分対応可能なものばかりであるという認識であった。しかしこれほどだいそれたことをしでかした抵抗組織は初めてのことで、同盟政府の対応如何によっては大規模な軍事作戦が展開されるのではないかと帝国の軍需産業は推測しているのであった。

 

「放置しておけ。どうせ一時的なものだろう」

「そうでしょうか。攻撃的な抵抗勢力が最低でも一〇〇〇隻以上の軍艦を保有しているなど……同盟政府にとっては悪夢なのでは」

 

 シュヴァルツァーの意見はごく常識的なものであった。

 

「……その義勇兵集団とやらが本当に同盟政府に対する抵抗勢力なのだとしたら、な」

「どういう意味でしょう?」

 

 謎めいた言葉で返されてシュヴァルツァーは困惑した。同盟軍の軍艦と将兵を奪って同盟政府のメンツを潰した義勇兵集団が、同盟政府に対する抵抗勢力でないのだとしたら、いったいなんだというんだろうか?

 

 その疑問に答えたのはゲオルグではなく、ベリーニ女史であった。

 

「なるほど、同盟政府の自作自演ではないかと思っているわけね」

「そのとおりだ」

 

 純粋な政治権力者にとって、軍事費に金をかけることほど不本意なことはないとゲオルグは考える。基本的に軍隊というのは多額の予算を必要とするくせに、その見返りとなるほどのものを生み出すことはなく、膨大な物資を食い散らすだけの金食い虫だからであるが、それ以上に軍隊というのは存在自体が権力者にとって脅威だからだ。軍隊がその気になれば軍事力という純粋な暴力で持って政治権力を簒奪することができてしまうからだ。

 

 しかしだからといって、軍隊という組織そのものを廃止させれば安心できるというものでもない。統治とは極論してしまえば支配する民衆に対して恐怖を与え、支配者の定めた秩序や法律に従わせることである。その恐怖の役割を果たすのが軍隊なのだ。もちろん恐怖がいきすぎれば叛乱が続発するので絶妙な加減が必須だが、こうした恐怖となりうる軍事的要素なくして国家が存立するなどありえない。だからこそ軍事費に予算を割きたくないのに割かなければ統治にさしさわりがでるというパラドックスに政治家はいつの世も苦しめられる。

 

 もちろんこの理論には軍隊組織を持たずして事実上の国家として成立していたフェザーン自治領という近年の例外があるわけだが……あれは条件が特殊すぎる。フェザーンは純軍事的にみれば二大国の中間にある小国でしかなく、また両大国の中継交易で両大国に匹敵する富を得ている国である。もしフェザーン内で大規模な内乱でも発生しようものならば中継交易場としての利点がなくなった両大国が敵国への攻撃の拠点とすべく触手を伸ばしてくるにちがいない。ゆえに経済的に発展し続けることがフェザーンの国防につながるのである――これをフェザーン大衆の共通認識として維持させつづけたあたりに歴代フェザーン政権の有能さと狡猾さが現れている。つまり両大国の軍事的恐怖を統治に利用していたわけなのだ。

 

 こういった統治上の理由に加え、国外からの軍事的脅威に対抗するのも軍隊の役目である。軍隊がなければ、他国からの侵略には膝を屈するしかない。バーラトの和約が結ばれて両国間に平和がおとずれたものの、皇帝ラインハルトの好戦的傾向と強力な帝国軍のことを思えば、同盟政府としてはどうにかして質の高い軍隊を維持しようと努力するであろう。軍事力とは一朝一夕でどうにかなるものではないのだから。実際、歴史を見れば他国から大規模な軍縮を押し付けれたときに、軍隊ではないが軍隊的性格を持つ組織が大量に誕生しても無視を決め込んだり、軍事力の保有自体を禁じられても「これが軍事力がどうかは国民の皆さんが見て判断してください」という無茶振りで正当化した事例もあるのだ。それを思えば抵抗組織に見せかけておきながら、実はその抵抗勢力が同盟政府や同盟軍の首脳部と太いパイプで結ばれていても不思議でもなんでもない。というか自分が同盟政府の首脳の立場ならば九割程度の確率でやってるとゲオルグは思う。

 

 もっともこれは現在の同盟政府や同盟軍の狡猾さに対する過大評価ないしは、彼らの無能や清廉さに対する過小評価であり、さらにいえば民主主義そのものに大した価値を認めていないがゆえのズレた推測であった。この推測に比べると真実は非常に散文的なのだが、そのことをゲオルグが知るまでまだしばらくの時間を必要とした。

 

「早い話、私としては一万光年近く離れた星域の連中のことより、帝国中枢の動向のほうが気になるのさ。典礼省が廃止されたせいで、中央官庁に潜り込めてる構成員の数が減ったわけでもあるしな」

 

 正直なところ、いまだに同盟で頑張っている共和主義者たちのことより、なかば敵地であるはずなのに帝国首都で縦横無尽に動き回っている奴らの元国家元首の方が警戒に値すると思っているゲオルグであった。



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巡礼者の日々

評価数50越えるとは……


 地球教本部に巡礼者として潜入してからユリアンは信徒の義務である朝の礼拝をすませてから、“自発的奉仕”と称される取り組みに参加していた。簡単に言えば志願制の労働であり、広間を清掃したり、食糧倉庫を整理したり、技術者であれば施設内の機械を修理したりする。地球教によれば「共同作業を通じて兄弟同胞であると信徒間の連帯意識を育み、互いに慈しみあう関係をより強くするための取り組み」であるというが、むろん表向きのポーズであり、本音はせっかく信仰心が強い巡礼者を本部に引き入れたのだから、宗教的理由をこじつけて無償の労働力として利用しようところであろう。

 

 ユリアンがこの労働に参加したのは、予想以上に巡礼者に目を光らせている地球教団の監視員たちの数が多かったので、彼らの監視を欺くためには信用を買うにはこれに参加したほうが良いと思ったためであり、労働中に最下層までは無理だが一般信徒立ち入り禁止の場所に立ち入ることもあったので、地球本部の全体的な図面を把握・推測するのに有用だと思ったためである。

 

 しかし収穫はなかった。自分への監視が他の巡礼者とくらべてあまくなるような気配は微塵もなかったし、彼が探している地球教団の資料室やデータバンクらしき施設を目にできてもいない。だからわかったことといえば、おそらくそういう部屋は警備がより厳しくなっているもっと下層のほうにあるのだろうということだけである。

 

「ポプラン中佐やコーネフさんがやってられないと言ってましたよ」

 

 偶然ユリアンと一緒に施設の拡張工事の労働に割り当てられたマシュンゴにそう言われた。どういう理屈によるものか、教団本部に巡礼におとずれた信徒は外界での関わりにとらわれるべきではないとされており、教団によって無作為に宿泊する部屋が割り振られるのだ。この教団本部に潜入したのはユリアンと自分に付き合ってくれているルイ・マシュンゴとオリビエ・ポプラン、養父ヤンの旧友であり地球への案内人になってくれたフェザーンの独立商人ボリス・コーネフとその船員であるナポレオン・アントワーヌ・ド・オットテールの五名であるが、同室になったのはマシュンゴとオットテールだけであり、互いの連絡にすら苦労するありさまだった。

 

 あまり頻繁に接触していては地球教の疑念を買うかもしれない危険があったため、このように意図せず接触した時に互いの知っている情報を交換し合うのが、だれが言い出すのでもなく暗黙の了解となっていた。

 

「そうおっしゃるでしょうね」

 

 ユリアンは苦笑した。地球教の裏側を探るべくやってきたのだが、じつのところ、自分もしばしばこんなことをやっている意味があるのかと思い、バカバカしさを感じずにはいられないのだ。目的意識がないのに信徒として振舞うことを余儀なくされている二人の苦痛は尋常なものではないだろう。

 

 そんな時、聖職者から指示されたとおりにシャベルを振るって横穴を掘り進めていた中年信者が疲れたのか作業を一時中断し、ぐるりとまわりを見渡すと二人が小声で情報を交換しているのが目に入り、親切そうな声でマシュンゴに尋ねた。

 

「あんたはこの子の父親かね」

 

 予想外なことを聞かれて両方とも驚いた。マシュンゴは鍛え上げられたたくましく巨大な肉体に黒い髪に黒い肌を持つ黒人であり、ユリアンは亜麻髪に白い肌を持つ小柄な白人である。人種が違うこともあって、外見的には似通っている部分はなにひとつないと言って良い。

 

「違います」

「そうなんけ。なら親戚かい?」

 

 マシュンゴは軽く横に首を振った。

 

「いえ、巡礼中の彼の保護者のようなものです。でもどうして私を彼の父親だとお思いに?」

「ずいぶんと親しげに話ししてるもんだから年齢差からそう思ってしまってな。自分は帝国人だから馴染みがないんだけんど、フェザーンや同盟だと違う人種間で友人関係になるどころか、子どもを養子にとって親子になってることも珍しくないんだろ? 特に同盟だとトラ……なんだったけ? トラトラ法だったけな? とにかくそんな名前の法律の影響もあってそういう親子も多いと、地元の司祭様から聞いたことがあるもんでな」

 

 田舎口調で中年の信者はそう説明した。トラトラ法というのはトラバース法の間違いである。正式名称は軍事子女福祉戦時特例法といい、戦争で身寄りを失った戦災遺児を軍人家庭に預け養育する法律で一五歳までは国から養育費がでるが、それは貸与という形であり大人になってからの返済義務が生じる。しかし例外があって軍関連の仕事につけば返済義務が免除される。つまり戦争中に慢性的に発生する孤児の救済と軍の人的資源確保を目的として作られた法律である。トラバース法と通称されるのは、その法案の発案者がトラバースという名前の代議員であったからだ。

 

 ユリアンは物心つく前に母を亡くしており、父を帝国との戦争で失ってからは、疎遠だった母方の祖母の家で育てられたが、その祖母も寿命で亡くなって天涯孤独の身となり、トラバース法の適用対象となってヤン・ウェンリー大佐の養子になったのである。大佐だった頃のヤンは結婚していなかったので、トラバース法における養育者の資格である軍人家庭を持っていなかったのだが、ユリアンの父親の元上官であり士官学校の先輩でヤンが世話になったキャゼルヌが気を使って、なかば強引な法解釈で処理して押し通したのだそうである。ヤンは東洋系の特徴をもっている人物だから、ユリアンが人種的に異なる親子関係を有しているという点で中年信徒の推測はある意味ではあたっていた。

 

「フェザーンではこういうのは普通なんですが、帝国だとやっぱりこういうのに対する偏見が厳しいんですか」

 

 ユリアンたちはフェザーンからの巡礼者であると身元を偽っているのでそんな前置きをした後、素朴な疑問を呈した。

 

「そうだったんやけど最近はかなりマシになったな。何年か前に帝国宰相になった若い奴がおったろう。いや今はもう皇帝になんじゃっけ? 政治のことはよくわからんけぇ。とにかくそいつが農奴解放とかいうのをやってから、この聖地以外でも白人じゃないやつをよう見かけるようになったからなあ。もちろん偏見てのはそう簡単に消えるもんじゃねぇから色々問題がおこっとるらしいが、司祭様は人間はみんな地球という同じ母を持つ兄弟なんだからこれは正しいことやと言うておった。昔から今の帝国は平然とした理不尽が横行してて間違ってるって言うておった立派な方じゃったからのう。ああ、もちろん、おおっぴらに言ったら社会秩序維持局のろくでなしどもに難癖つけられてひでぇめにあわされるから、敬虔な信徒しかいないときしかそういう説教はせぇへんかったけど。近頃は自由化とやらでそれも民衆に対して説けるようになったちゅうて司祭様も喜んどったわ」

 

 不揃いな歯を口から覗かせてニッと笑顔を浮かべているのを見て、ユリアンは脱力感を感じずにはいられない。素朴な信徒からこういう話を聞くたびに、地球教も他の宗教と変わるところはなく、人類社会に陰謀の糸を張り巡らせる裏面など存在しないのではないかと思ってしまうのだ。しかしデグスビイ主教と話した経験と異常なまでに厳しい巡礼者に対する監視体制が敷かれている事実が、絶対になにか裏面があるはずであるとユリアンの感性に訴えかけているのだ。それが人類社会全体に影響を与えうるようなものであるかどうかまではわからないが。

 

「僕らは地球に巡礼しにくるのは初めてなんですが、何度も巡礼しているともっと下の院や別の院に行けたりするんでしょうか?」

 

 世間話を繰り返す最中にごく自然に下層部や別の施設が存在しないか探りの言葉をユリアンは入れた。マシュンゴがいざというときのためにほんの少しだけ警戒するのを感じたが、素朴で純粋な信徒はまったく気づかなかった。腕を組んで彼のあまり整理されていない乱雑な記憶の抽斗(ひきだし)をひっくり返して、いままで巡礼したときの記憶を拾い集める。

 

「……ここより下の院にはおらも行ったことねぇだな。ただオセアニアには行ったことあるでよ」

「オセアニア?」

 

 マシュンゴは首を傾げたが、ユリアンはその単語に聞き覚えがある気がした。

 

「こっから南の方にある諸島群の総称じゃけぇ。二年前に巡礼に来た時に、遺跡観光ツアーちゅうのをここでやってたんで、一五〇〇帝国マルク払って行ったんやわ。教団が設立されるはるか昔からあったっていう遺跡にいくつも見物して、あらためて地球の歴史深い神聖さに圧倒されて感動にうち震えたもんや」

 

 その遺跡が地球統一政府時代のものであるとしても八世紀近く昔のものであるはずである。人類が進出して三世紀程度しかたっていない同盟領内では絶対にお目にかかれない古い遺跡だ。そういう遺跡がまだ地球に残っていると聞けば、それ目当てでヤン提督が地球にやってこようとするかもしれない。いや、探索者より研究者気質の人だから資料だけ取り寄せて自分で足を運ぶのは面倒だからヤダとか言いそうだなとユリアンは想像して苦笑した。

 

「その観光ツアーに僕も行ってみたいです。次はいつなんですか」

「さあ、不定期にやっとるそうやからおらにはわからんねぇ。どうしても参加したいならここの司祭様か主教様に聞いた方がええで」

 

 その信徒はそう言ってから背筋を伸ばし、一休みも終わったと言って再び熱心にシャベルをふるいはじめた。それを見てマシュンゴもシャベルをとって労働に戻り、ユリアンは掻き出された土砂を袋につめて地上に運び出す作業に戻った。

 

 “自発的奉仕”が終わったらシャワー室で汗を流す。その次に夕食、というわけにはいかない。夕食前に礼拝堂に信徒が集まって高位聖職者による説法を聞く祭儀(ミサ)がとりおこなわれるのだ。いつも祭儀(ミサ)は『平和への希望』と呼ばれる讃美歌を全員で合唱することから始まるのだが、それは美しくも悲しげなメロディーの賛美歌であった。

 

「太陽なき夜には月が、月なき夜には無数の星々が、空より平和の光でこの地を照らす。

ああ洋々たる銀河の流れよ。その源流にて輝く、われらが母なる星よ。

希望が尽きることはない。平和への祈りが絶えることはない。人類の歩みが止まることはない。

久遠(くおん)の昔より忘れられることなく続いてきた人類の悲願は必ずや成就するだろう。

母なる地球の輝きとともに、自由なる民として、平和の中で永遠に暮らすことを!」

 

 バーラトの和約が結ばれるまで同盟において地球教は「地球を我が手に」というスローガンを掲げ、帝国との戦争を聖地である地球を奪還するための聖戦であると位置づけ、主戦派を強力に支援していた。そういった事実をユリアンは知っているため、信じがたいにもほどがあるのだが地球教の教義の中核に反戦平和思想があるのだ。

 

 約九世紀前、シリウスの独裁者タウンゼントが何者かによって暗殺された後、シリウスの権力体制が崩壊したことによってふたたび人類社会全体が動乱の時代を迎え、地球を占領統治していたシリウスの軍隊であるBFFの占領部隊も銀河規模の動乱に参加するために有名無実化した政府から与えられた任務を放り投げて去っていき、地球人たちに残されたのは荒れ果てた人類発祥の惑星のみであったという。彼らは自分たちの無力さやぶつけどころがない憎悪を同じ地球人にぶつけることで消化しようとした。地球統一政府誕生以前のようにいくつもの国家が一惑星上に群雄割拠し、数百年にもわたって血みどろの争いを繰り広げた。

 

 そんな時に生まれたのがジャムシードという人物である。彼は戦災孤児で暴力がものを言う貧民街で育った。そのために幼少期の頃から戦争というものを激しく憎んでいたという。彼は一二歳の頃には他を冠絶する才覚と格調高い弁舌を発揮して自国の反戦団体の重要人物となり、一九歳のときにそのトップになった。そして平和を実現するためには一国規模の反戦活動では焼け石に水であり、地球上の全国家の反戦団体が統一戦線を張る必要があると訴え、一〇年近い歳月をかけて各国の反戦団体と秘密裏に協力関係を構築・合併して全地球反戦連合を結成。同連合の主席に三一歳だったジャムシードが就任した。この時に主席の指示によって『平和への希望』が連合を象徴する反戦歌として作詞作曲された。全地球反戦連合による統一された反戦運動によって各国の継戦派の権力者を次々に失脚させていき、二年後には悲願であった地球の平和を達成した。

 

 群雄割拠期の地球における反戦運動は、同じ地球の民ではないかという謳い文句が多用されていたこともあり、反戦活動家は程度の差はあれどほとんどが地球崇拝者であったという。地球の平和を達成したジャムシードも御多分にもれず地球崇拝者であり、彼は各地の反戦運動の雑多な地球崇拝を体系づけて宗教化し、全地球反戦連合を地球教団という宗教組織に改組し、自らは初代総大主教の座についた。そのときでさえまだ四七歳という若さであったという。

 

 以上が、地球教団が発行している公式歴史書に書かれている地球教誕生の経緯である。自らの行動によって戦争を終結させ、地球に平和を齎したジャムシードは、地球人たちから神のごとくに崇敬され、地球教におけて別格の聖者として扱われ、絶世の英雄にして最初の母なる地球の意思の体現者、光輝き幸福に満ちた未来を謳う浄罪の天主として聖典に記されるのも、その偉業を思えばわからないことではない。

 

 むろん、宗教組織の開祖には現実離れした逸話が後付けされることが多いため鵜呑みにするのは禁物であるとユリアンは思う。しかしジャムシードに関する記述が概ねにおいて真実であるとしたら、自らの行動によって戦争を終結させ、地球に平和を齎したジャムシードは、当時の地球人たちにとって偉大な存在に映ったことであろう。最近、帝国や同盟で地球教の信者が急増していたのも、戦争に疲れた民衆が戦争を終わらせたジャムシードの逸話が銀河規模で再現されることを望んでいたからかもしれない。

 

 しかしもしそうなのだとしたら、ジャムシードの遺産である地球教団が長い時を経て戦争を激化するための扇動の道具として使われていたことに、そしてデグスビイの遺言を信じるのなら、地球教徒たちがなんらかの目的で人類社会を暗躍して歴史の歩みを停滞させようとしているを、もし死後の世界というものがあるならば、そこにいるであろうジャムシードは今の地球教のあり方をみてどう思うのだろうか。それとも死んだ後のことなんか知ったことかと割り切るのだろうか。

 

 そこまで考えてユリアンは苦笑した。ヤン提督でもあるまいし、などと思ったのである。彼の養父であるヤンが、帝国で奴隷として生まれながら、自由と民主主義を求めて長征一万光年を成し遂げた国父アーレ・ハイネセンは、その結果として誕生した口先だけで民主主義を唱えながら、実態は政治に無関心な民衆と権力欲にとりつかれた政治屋が支配的になってしまった自由惑星同盟の衆愚政治を見たらどう思うだろうと独り言のように呟いていたのである。

 

「――主席の威光で平和はおとずれた。これ以上、あなたは何を望むというのか。敵意も露わに問う同志ルフェスに対して主席はこう答えられた。二度とこの地上で兄弟同士の流血が繰り返されるようなことがあってはならぬ。この平和を永遠のものとするためにも、平和を尊び戦争を忌む、健やかな精神を未来を背負う若者たちに根付かせ続けねばならない。そのためにやるべきことをやらなくては、これまで血を流し倒れていった兄弟たちすべてへの裏切りとなろう。その答えにいまの主席は権力欲に憑りつかれているなどという巷の噂を信じてしまったことを恥じて涙を流し、おのれの過ちを述べて信徒ルフェスは罰を求めたが、慈悲ぶかく親愛なる主席は汝がそのような誤った考えを持ったのは他人の声に耳を貸す生来の真面目さ素直さゆえのことであり、それは創造主が汝に与えた宿痾(しゅくあ)である。その誤解を誤解と認識せず盲目的に暴走して平和を乱したというのならともかく、我に直接問うて自ら過ちを正した汝を罰しては母なる地球の御意思に背くと同じ事と諭して赦したもうた」

 

 地球教の聖典にある平和達成後、全地球反戦連合が宗教組織化していく過程で発生した主席ジャムシードと初期からジャムシードの反戦運動を献身的に支えてきたルフェスとの諍いのエピソードを、礼拝堂の演説台に立った年老いた大主教が感情たっぷりに読み上げ、佳境の部分では感極まって涙声になるほどであった。それに影響されたのか、聴衆の信徒たちもしずかにすすり泣くのだが、ユリアンとしてはそのあたりのことがよくわからない。

 

 というのもユリアンとしては、およそ泣くような要素が見当たらない記述が読み上げられている時でも信徒たちは泣くからである。まさか、聖職者自ら朗読しているから、というわけでもあるまいと思いたいが……。ユリアン個人の感覚でいうなら、これに比べると末期の同盟の式典でヨブ・トリューニヒトを筆頭とした演説家に扇動されて、聴衆が内面の感情的エネルギーを爆発させ、一丸となって同じスローガンをヒステリックに連呼している光景の方がまだ理解できる光景に思えるのだった。

 

 幾人か変わって長々と続いた説法をユリアンはまわりから不敬虔と指さされないように、説法を拝聴して感心している風を装うのに苦労した。自分でこれなのだから、他の皆はボロをだしていないだろうかと毎回不安になるのだが、みんな巧みに誤魔化しているようである。コーネフとオットテールは仕事柄愛想よく空気を読むことに慣れているし、マシュンゴはどこか達観した感が悟りの境地に達していると受け取られているらしい。そしてポプランは「年寄りの説教を聞いてるふりしてやり過ごす、ガキの時分に多用した技をまたやることになるとは」と前に会ったときにこぼしていた。

 

 三〇分ほどの説法が終わると祭儀(ミサ)は解散であり、夕食をとって就寝。そして朝にまた礼拝をして昼食を挟むだけで夕方まで労働、夜に祭儀(ミサ)して就寝、を、延々と繰り返す。これがユリアンたちが地球教本部に潜入してからずっと続いている一日のあり方であり、宗教的信仰心というものとはほぼ無縁であるユリアンたちにとっては馬鹿馬鹿しく思えてくるのも当然といえよう。

 

 その日、ユリアンはすぐに礼拝堂から出ることはなく、疲れた様子でため息をつき、ぼーっと太陽を模したと思わしき歪な聖像を眺めていた。他にも少なくない数の信徒が一緒に聖地巡礼に来た知り合いと会話しようと足を止めている。ユリアンが礼拝堂にとどまったのも何の収穫もないので皆と今後の予定について話あいたいと思ったからである。もっとも聖職者が多くいる礼拝堂で多くを話すことなどできないが、それでも簡単な意思確認くらいはできるのだ。

 

「おや、きみはいつかの」

 

 しかし声をかけてきたのは、彼の仲間ではなかった。

 

「あ、この前ここで迷子になった時にお世話になりました」

「いや、かまわないさ。前にも言ったが、この入り組んでる本部で迷うのは珍しいことではないのでな」

 

 ここに来てから迷子なんか何人も出て案内もしてるから、もう慣れたと笑う彼の声はかすかに擦れていた。目元が潤んでいることを考えると彼すらも先の説法に感動していたのだろうか。以前あった時に彼が穏やかな性格の持ち主であろうことが察せられているだけに、まるで自分と地球教徒との価値観の差異の大きさを見せつけられているかのように思え、ユリアンは口には出さねど少々不気味に思った。

 

 しばらく彼と雑談している内に、ユリアンはあることに気づいて質問した。

 

「そういえばまだお名前を聞いていませんでした」

「そうだったか。私はイザーク・フォン・ヴェッセルという。そういえば私もきみの名を聞いてないな」

 

 ユリアンはあらかじめ考えていた偽名を告げた。“ユリアン・ミンツ”という名は帝国軍占領下のフェザーンから脱する際に、なりゆきで帝国の巡航艦を強奪して帰還したことでちょっとした英雄扱いされたこともあって、多少名が知れてしまっているのだ。一応、フェザーンからの巡礼者ということになっているので、ユリアンという名前は使えないのである。

 

「それにしても“フォン”という名前がついているということは、あなたは貴族なのですか」

「……」

 

 ヴェッセルは虚をつかれたように驚いた後、感慨深げに頷いた。

 

「ああ、一応、名門貴族なんだ。いや、そうだったというべきかな? ローエングラムめに粛清された時に貴族籍抹消されてたはずだから」

「ということは数年前の内戦の時、あの貴族連合の一員だったんですか」

 

 ユリアンの声には若干の嫌悪がある。門閥貴族連合軍の蛮行は貴族特権を否定する大義名分にしたいローエングラム侯と貴族特権濫用を戒めるために利用したいリヒテンラーデ公の皇帝枢軸陣営が盛大に宣伝工作を実施したこともあって、同盟側にも伝わってきているのだ。特にリッテンハイム軍による退路上の味方の後方部隊への攻撃、ブラウンシュヴァイク公による叛乱が起きた自領惑星への熱核兵器使用などは象徴的なものである。

 

「いや、私はリヒテンラーデ派の警察官僚だった。自分で言うのもなんだが、けっこうな高官だったものだから、内戦終結後にローエングラム一派に家ごと処分されてな」

「そ、それはお気の毒に」

「気にせんでいい。家といっても、私はある一件のせいで実家からは勘当されて絶縁状態でな。ほとんどただの警官として生きてきたのだ。それに内戦時に親族全員連合側に属してしまっていたものだから、下手したら内戦が始まる前に自派から粛清されかねんかった。私を重用してくれていた人がリヒテンラーデ公にとりなししてくれたおかげで、一命を繋ぎ、ヴェッセル家の当主ということにはなったものの、家の領地などの財産は全部連合側に属した親族が実質的に全部握ってたからな。家自体は失ったところで惜しむものではないし、未練もない」

 

 とはいえ、書類上はヴェッセル家の当主であり、内戦が終結すれば、ヴェッセル家の財産のいくらかを国庫に返上することにはなるが、残りの莫大な財産は相続される予定であったから、常人ならそう簡単に割り切れる話ではない。しかし、名門貴族の出でありながら、家から勘当されてたせいで警察官僚としての俸給だけで暮らしてきたし、彼は贅沢することにさほど魅力を感じる感覚の持ち主でもなかったので、彼の主観的には大した問題ではなかった。

 

 しかしユリアンとしては赤面するような思いである。名門貴族の出というだけで、もしかしたらろくでもない人間なのではないかという疑念を、苦労を重ねてきたのに報われてない悲惨な人物に向けてしまったのだ。真面目で素直な彼は養父のヤンからいつも先入観にとらわれないように気をつけなさいと教えられていたのに、という恥ずかしさを感じずにはいられないのだった。

 

 しかし、その経歴を知るとユリアンの頭脳にある素朴な疑問が浮かんだ。

 

「でもあなたって司祭なんですよね? 数年前まで警察官として働いていたなら、異例の抜擢だと思うんですが……」

 

 地球教の聖職者は黒布の僧服を着るだけではなく、聖職者としての位階を示す豪華な首飾りをつけている。そしてヴェッセルは司祭の地位を示す首飾りをつけていた。地球教の聖職者の修行がどのようなものなのか想像すらできないが、それでも一、二年でなれるようなものではないだろう。

 

「……ああ、私は正式に司祭というわけではないんだ。ただ教団の客人として招かれている身なので、司祭相当の地位を保障されているというだけで。私は外様の人間なのだ」

 

 すこし言いにくそうにそう語るヴェッセルの姿に、ユリアンは鋭く反応した。もしかしてこれは、教団の暗部を調べるきっかけになるのではないだろうか。帝国の元警察高官をただの宗教団体が手厚く客人として遇するというのは普通では考えにくく、ともすれば地球教の裏面に直結しているのであるまいか。むろん、たんにヴェッセルの人の良さから地球教の団体によく献金してたとか、そんな単純な理由によるものである可能性もなくはないが、これまでなんら収穫を得ていないという事実がユリアンをはやらせた。

 

「話が長くなりそうですし、もしよかったら一緒に夕食を食べませんか」

 

 ヴェッセルは腕を組んでしばらく唸り考えた後、私も一信徒のようなものだからかまうまいと言ってユリアンの誘いに乗った。地球教本部の話題に関してはユリアンがすでに知っていることしかヴェッセルは言わないので落胆したが、代わりにヴェッセルが警察時代の話題をけっこう話したので望んでいたものとは違うけれどもユリアンにとっては非常に興味深い話をすることができた。そして夕食を食べ終わると、また明日いいですかと誘い、ヴェッセルは快く了承した。

 

 しかし、ヴェッセルは夕食を終えて、与えられている自室に帰ると何の感情の色もない無表情で、洗面台の鏡に向かい合い、ポツリとつぶやいた。

 

「私は、なにをしている……?」

 

 ヴェッセルは洗面所の抽斗(ひきだし)から、ある白い粉を取り出した。これはある薬の中和剤であり、ヴェッセルはそれを水道水に溶かして一緒に飲み込んだ。




地球そのものの在り方や、地球教の教義ついては原作でほっとんど触れられてない(あるいは自分が忘れてるので)ほぼ創作。
その結果、地球教が反戦平和思想の宗教になったぜ!(なお、実践面において倒錯的になる模様)


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洗礼

地球教勝利END、平均評価つくほど反響あって驚いた。
気分転換としてかなり大雑把に書いたつもりやったんやが……


 七月一四日に地球教の地下本部に潜入してからユリアンは教団側の信頼を得て情報を探ろうと努力していたのだが、その努力はほとんど実を結んでいなかった。地球教の聖職者たちは告解でもしない限り、一般信徒たちと最低限の交流しかしようとはしないからである。唯一の例外として教団上層部から客人として遇されているイザーク・フォン・ヴェッセルと交流を持つことには成功したが、地球教関連の話題になると彼が警備班に所属していることを除けば、もっぱら宗教観念的な話しかしようとしなかった。どうもヴェッセルは地球教本部の運営などの実際的な話をすることを忌避しているようで、ユリアンがさりげなくそちらの方に会話を誘導しようとするとヴェッセルは言を左右し、彼の昔話などを混ぜ込んで話の流れをぶち壊してしまうのである。

 

 ユリアンとしても秘密裏に探っている身であるからあまり強くそのごまかしを追及していくことはできず、自分が知りたいことを知っているであろう人物から聞き出せないもどかしさを味わっていた。ヴェッセルの語る旧王朝下における警察事情や貴族事情の話題はそれなりに興味深く、有益であったと思うが、ここに来た目的が地球教の裏側を探ることなので、本来の目的とはなんら関連性がない。こんな遠い惑星にまでやって来て、地球教の巡礼者に対する過度の監視体制を敷いているので個人的には怪しさを感じるが、確証はなにひとつ掴めずに終わるというのは避けたいところである。地球教に裏側がどういった性質のものなのか、その方向性が伺える情報くらいはなんとしても掴みたかった。

 

 二六日、その日の自発的奉仕という名の労働をユリアンは手間取らせてしまい、食堂に顔を出すことができたのは祭儀(ミサ)も終わって食事時をかなり過ぎた時間であったので、かなり空いていた。食堂を一望すると一緒に潜入した仲間であるポプラン中佐の姿を見つけたユリアンはその対面に座って小声で話しかけた。

 

「どうです、お気にいった美女はいましたか」

「だめだめ、半世紀前は女でした、という骨董品ばかりさ」

 

 地球教本部に巡礼にきている女性全員を敵に回しかねないほど失礼な言葉を平然と吐いた。彼は公式記録上は既に死んでいる存在である。ヤン元帥が数年後に意味を持ってくるであろう戦力を残す“シャーウッドの森”と呼ばれる秘密作戦に参加を希望し、ポリスーン星域にあるなかば破壊されて放置されたままの同盟軍基地に潜伏していたのだが、戦闘面だけではなく異性に対する撃墜王でもある中佐は、要塞の住人の九割以上が男性であることにややうんざりしてきて、ユリアンの旅に途中参加してきたのである。

 

 彼の目線で男の価値がわかっている熟成したいい女に限定されているようである。ポプランの感覚からするとここにいる女たちは容姿的にはともかく、内面的にあわなかった。ポプランのユーモアを軽薄で下品であると評してくるか、そんなこと言い出す不信心さを叱ってくるか、さもなくばここではないどこか遠い世界に意識を旅たたせているか、あるいは素朴すぎてそういう気になれない、期待はずれの女ばっかりだったのである。

 

 そのいつもと変わらない発言にユリアンは苦笑した。彼の記憶が間違っていないのであれば、ボリスーン星域の放棄された基地から出るときにポプラン中佐は言ったものである。生物学上の女であれば文句は言わないという心境になっていると。だが、そういう心境になっていたことは今や綺麗さっぱり忘れているようであった。

 

「それより、資料室なりデータバンクなりは見つかったか」

「だめですね。もっと下層にあると思います。ちかいうちにきっと見つけますよ」

「意気はかうが、あせるなよ」

 

 そうして情報交換をしはじめてから一分くらいたっただろうか。突然、食堂で食事をとっていた信徒の一人がひび割れたガラスのような雄叫びをあげた。その信徒は血走った目でテーブルをひっくり返し、なにか恐ろしいものに怯えるような様子で、近くの信徒に暴力をふるいはじめた。

 

 その騒ぎを聞きつけ、警備班の下級聖職者が六人ほど食堂に駆け込んできた。彼らは手に高電圧銃を携えていて、あきらかに正気を失い狂乱状態にある信徒に向けて引き金を引いた。信徒は大きく短い悲鳴を上げた後、床にたおれて動かなくなった。

 

「畜生、そうだったのか、おれとしたことが、いままで気づかなかったとは……」

 

 状況を的確に把握した伊達男が、らしくなく青い顔に変えてうめいた。そしてユリアンの手首をつかみ、足早に食堂から出た。騒ぎを聞きつけた野次馬たちが食堂に近づいてきていたので、その流れに真っ向から逆らっていることになり、大変目立つ行動である。

 

「どうしたんですか。あまり目立つ行動をとっては――」

「すぐトイレに行って、さっき食べた料理を吐きだせ」

 

 いつもの陽気な雰囲気がかけらもないきつい声に、ユリアンは事態の深刻さを悟った。

 

「毒でも入っていたんですか」

「毒の従兄弟ぶんさ。さっき食堂で男が暴れただろう、あれはサイオキシン麻薬にたいする身体の拒絶反応だ」

 

 予想を遥かに超える返答に、ユリアンは戦慄を禁じ得なかった。サイオキシン麻薬は銀河連邦末期に人類が生み出した最悪の遺産のひとつである。化学合成によって人工的に作られる極めて悪質な合成麻薬で、それを摂取することによって得ることができる強烈な快楽から中毒になりやすいことに加え、催奇性と催幻覚性が強いために銀河全体の社会問題にまで発展している代物である。

 

 その危険性を物語る中毒患者のエピソードは星の数ほどあるが、それ以上にサイオキシン麻薬がどれだけ社会の脅威であると認識されているかというと、昔にあるフェザーン・マフィアがサイオキシン麻薬を帝国・同盟問わず売買していたことがあり、これに激怒した帝国と同盟の刑事警察が両国が恒常的戦争状態にあるにも関わらず秘密裏に手を結んでその摘発に乗り出したという噂が巷に流布しているほどである。もっともあくまで噂であるので、それが本当にあったことなのかどうなのかは不明である。帝国も同盟も表向きの立場上、そうした記録は抹消すべきであると判断したのか、ローエングラム王朝による旧時代の機密資料公開の流れの中でも、その噂を裏付けるような公式資料は発見されることはなかったが。

 

「地球教徒の奴隷的な従順さの一因は、このせいだったんですね」

「大昔の革命家が、宗教は精神的麻薬だと言ったそうだが、これを見たらなんというのやら」

 

 二人の言葉は全体を評したものであったが、彼らが冷静に情報分析した結果によるものというより、自分たちがその渦中にいることを認識したくないという心理的作用から出た言葉であった。しかしその言葉がまちがっているということはなく、また彼らの頭脳はその不愉快な真実を現実的なものとして受け入れてはいた。

 

 サイオキシン麻薬のもっとも悪辣な点は、個人差はあるが限界量を超えるまで継続的に摂取し続けていれば苦しまないことであり、許容量の範囲内であれば摂取をやめても禁断症状も発生しないことである。しかして、体内に入り込んだサイオキシン麻薬を浄化するのに長い時間がかかってしまうことなのだ。つまり、微量でも相手に継続的に摂取させ続ければ、当人がまったく自覚のない状態で末期のサイオキシン中毒者にさせられていることがあるということだ。

 

 銀河連邦末期、この特性を利用して怪しげな一部の新興宗教や腐敗しきった公人たちが信徒や部下にサイオキシンを混入した食事をとらせ続け、徐々に従順な奴隷に変えさせる手段が多用されていたという。地球教はある意味、その時の方法を研究し、再活用していると評することができるだろう。もっとも、銀河連邦の場合、サイオキシンに限らず社会全体が麻薬に汚染されているような状態にあったというから、その問題性は地球教の比ではなく、それだけにその悪夢じみた社会的構造を剛毅な意思と苛烈な手段で根絶せしめたルドルフ・フォン・ゴールデンバウムの民衆人気の一因になったのだ。

 

 ユリアンは思考がそれていることに気づいた。教団本部に潜入してからもう一二日も経過している。その間、そんな曰くつきのサイオキシンが混入した食事を食べ続けていたことになる。まだ苦しくはなっていないから限界値を超えていることはないだろうが、許容量はひょっとしたら超えているかもしれない。そう思うと背筋が寒気でゾワリとした。

 

「今日と明日は食事を抜け。もっとも、万が一にも禁断症状がでたら食欲なんてなくなるだろうがな」

「ほかの三人にも知らせないと……」

 

 喉の奥に指を突っ込んで胃の中身をトイレに吐きだした後、洗面所でユリアンとポプランは情報交換を行った。地球教の不審と猜疑を買うことは間違いないが、やるしかなかった。そうしなければサイオキシンが混入された食事を摂取し続け、中毒患者となり、地球教の操り人形となる未来しか待っていないのだから。

 

「それにしても、中佐は、いろいろご存知なんですね」

「おれもな、女だけで苦労したわけじゃないからな。青春の苦悩ってやつの、おれは歩く博物館なんだぜ」

 

 そういってニヒルに笑うポプラン中佐を見て、ユリアンは若い頃に反骨性と反社会性を履き違えて、麻薬の類に手を出す過ちを犯したことでもあったのかという疑念を抱いたが、口には出さなかった。仮にそうだったとしても、今は克服できていることは疑いなかったし、そこまでつっこんでするような話でもないように思えたからである。

 

 その日の夜、ユリアンは空腹感と未来の禁断症状に恐怖したが、特に何も起こらず無事に眠ることができた。大変だったのは翌日である。もちろん朝食を抜いたのだが、完全に行動を一変させることはためらわれたので“自発的奉仕”には参加した。しかし空腹の状態で労働に精を出すことなどできようはずもない。おまけに昼ごろからは体調不良も出てきて、散々だった。

 

 そして夜の祭儀(ミサ)で高位聖職者の「平和は尊い」・「隣人を慈しむ」・「人民に尽くすことが聖職者の使命」といった趣旨の説法を聞かされて感情的にも苦しめられた。地球教が巡礼に訪れた信徒をサイオキシン中毒者にしようとしていることを思えば、その欺瞞性に怒りを禁じ得ない。どの口でそんな恥知らずなことが言えるのか。あまりにも醜悪すぎる。

 

 祭儀(ミサ)が終わり、早々に礼拝堂から出て、割り振られた自分の部屋に戻ろうとしたのだが、背後から呼び止められた。その声は最近よく聞くようになったもので、ユリアンは思わず立ち止まって振り返り、そしてしまったと感じたが、いまさら無視してしまうと不自然すぎるので、返事をした。

 

「どうしたんですかヴェッセルさん」

「どうしたはこっちのセリフだ。ずいぶんと顔色が悪いが、大丈夫か」

 

 心底心配そうな顔でこちらを覗き込んでくるヴェッセルに、ユリアンは警戒した。こんな大規模なことをやっている以上、少なくとも教団本部の関係者は全員()()と見て間違いない。おそらく、教団がこちらに探りを入れるために、自分と交流があったヴェッセルを接触させようと考えたのだ。

 

「いえ、ちょっと調子が悪いだけで、寝ればなおると思いま――」

 

 そう言った直後、ユリアンの腹の虫が大きな鳴き声をあげ、なんともいえない空気を作り出した。

 

「……寝るのも大事だと思うが、飯も食べておいた方がいいと思うぞ。よかったら、これから一緒に食堂に行くかい?」

「いえ、食欲がないんですよ。しんどくて」

「腹が空腹を訴えているんだぞ。スープだけでも飲んで寝たらどうだ?」

 

 ひどく困惑しているような様子でヴェッセルが言ってくるので、逆にユリアンも困惑した。彼は純粋にこちらを心配しているように感じられたからである。教団の関係者である以上、教団の所業をしらないということはありえないだろう。いや、でも、たしか彼は自分と一緒に食堂で一般信徒向けの食事を一緒に食べていた。もしや、知らないのか? それとも知らないふうを装っているだけなのか?

 

 ヴェッセルの立ち位置は明らかに怪しいが、行動とそれがまったく結びついていない。ユリアンが持っている情報とその分析力では、ヴェッセルがどのような立ち位置にいるのか判断しかねた。だからユリアンは食欲が湧かないと一点張りで、ヴェッセルの「なんでもいいから食べとけ。なんならお粥でもつくってやろうか」というなにか食べろという提案を断り続けた。

 

「まさか、洗礼に……?」

 

 提案を断られ続け、ヴェッセルがぼそりとなにか呟き、ユリアンがなにを言ったか問い返そうとする前に、次の言葉を発した。

 

「……そうか。それならしかたない。そういう時もあるだろう。しかし、見ていて危なっかしいから、私が部屋まで一緒についていってやる」

 

 そう言われるとユリアンとしては断れず、部屋までヴェッセルに手を引いてもらうことになった。道中は他愛のない会話を交わし、部屋の近くまで来ると、ヴェッセルは少しだけ声音を硬くして忠告した。

 

「これは余計なお節介かもしれないが、一晩寝ても体調が優れないようなら、地球から出て、外の医者に見てもらえ。この本部にも一応、医務室はあるが、そこに勤めているのはとんでもないヤブ医者ばかりだ。……主教さまがたはそんなことないとおっしゃるが、とても信じられないほど人格に問題があるから、俺はあいつらを好かん」

 

 その忠告に即座に反応するには、ユリアンの頭脳に栄養がいっていなさすぎた。

 

「……それはどういう?」

「さあ、きみのベッドがある部屋だ。ぐっすり寝て、元気になれよ」

 

 そう言い残すとヴェッセルは足早に去っていった。なにかから見たくないものから逃げるように。ユリアンはなぜか追いかけるような気にはなれず、自分のベッドに潜り込んで、眠ろうとしたがだめだった。苦しくてとても眠れたものではなく、他の信徒もベッドに来る頃には禁断症状の発作も起こってのたうち回り、まわりから咎められたり、医務室に行くよう勧められるほどだった。しかしヴェッセルの忠告を聞くまでもなく、ここの医者には信用を置けない。そしてそれ以上思考する余裕がない苦しさだった。

 

 まるで体中の神経が激痛を訴えているかのような感覚。サイオキシン麻薬の禁断症状のおそろしさは噂で聞いていたが、想像をはるかに超える苦しさ。ポプラン、コーネフ、マシュンゴ、オットテールは大丈夫だろうか。この苦しみを耐えることができているだろうか……。そんな弱気なことを思ってしまうほどのものだった。

 

「どうしたのかね、きみ」

 

 優しさをよそおった声がかけられ、ユリアンはベッドから体を起こした。医務班所属の下級聖職者たちがベッドの中にいる自分を立って見下ろしている。同部屋の信徒たちの反応を見るに、どうやら自分はかなり長い時間、のたうちまわっていたらしい。あまりにもしんどすぎて時間の感覚が狂っていたようである。

 

「ほかの信徒たちから、きみがたいそう苦しんでいるという報告があってね。おなじ信仰をもち、心をわかちあうわれわれだ。なんの遠慮がいろう。医務室へおいで」

 

 ユリアンは同部屋の信徒から医務室へ行くよう言われた時と同じように拒否しようとしたが、これ以上断ったら今度はサイオキシン中毒者とすべく、

力ずくで拘束され、サイオキシンを注入されてしまうことになりかねいと思い、素直に頷いてみせた。体調不良の原因である人間たちが眼前に現れたためか、そちらに意識が向いて体調がある程度回復したような錯覚すら感じられ、荒事になってもなんとか対応できそうであると思えたのも、そうした判断ができた理由のひとつである。

 

 しかし医務室に連れて行かれる途中に、ある人物に止められることになった。

 

「待て。その子をどこに連れて行こうというのだ?」

 

 声の主はヴェッセルであり、突然の呼び止めに医務班の聖職者たちは戸惑った。

 

「ひどく苦しんでいる信徒がいたので、医務室で体調をみてもらおうと思いまして……」

「……」

 

 ヴェッセルはじっとユリアンを見つめ、彼以外の全員を困惑させた。ユリアンとしても、ヴェッセルがなにを考えているのか皆目見当がつかない。

 

「仮病だ」

 

 唐突にそんなことを言い出した。

 

「け、仮病ですと?!」

「ああ、私と彼とはよく雑談をする仲でね。今日の夕食時、負けた方は一日仮病のフリをするというくだらん賭けをしたのだ。ほんの戯れのつもりであったが、本当にやるとは思わなかった。迷惑をかけてすまない」

 

 まったく心当たりがない嘘八百である。そもそもユリアンは今日夕食など食べていない。そしてそれは、警備班からの報告で医務班の面々も知っているし、ユリアンが苦しんでいるのはどういうわけかサイオキシン入りの料理を食べなくなったせいで発生した禁断症状によるものだと理解している。だからリーダー格の人物がなにか抗弁しようとすると、ヴェッセルは一喝した。

 

「下級聖職者風情が何の了見で私の見解に疑義を唱える? 私は恐れおおくも総大主教猊下に立場を保証されていることを忘れないでほしいな」

 

 総大主教の権威を利用した言葉に下級聖職者たちは萎縮したが、同時に反感を募らせた。そもそもヴェッセルは地球教の聖職者ではなく、総大主教個人が客人として遇することを約束しているだけの存在にすぎない。それなのに、自分たちより上である司祭の待遇で優遇されていることが腹立たしいのであった。

 

「そうは仰いますが……私には彼の苦しみが仮病によるものとはどうにも思いませぬ。一度だけでも医務室の医者にみてもらったほうが……」

「ほう、なるほど。たかが仮病にたいそうなことだな。なら今日一日は私の個室で面倒をみよう。それでどうだね?」

「……」

 

 ささやかな反抗もあっけなく挫かれて、下級聖職者たちは憤懣やるかたない思いになったものの、おとなしく命令に従った。ヴェッセルを、というより、彼の裏にいる総大主教を恐れての決断である。彼に頭をさげるのも、総大主教に対して頭をさげるのだと思えば、いくらか心情的にマシになる。

 

 こうしてユリアンの身柄はヴェッセルに引き渡されたわけだが、ユリアンはいったい自分がどういう状況にいるのか分析するのに必死だった。あきらかに険悪な様子であったから、地球教内部に対立があるのだろうか。それにヴェッセルは自分のことを総大主教の客人と称していた。もしかしたら自分が想像していたより、地球教内の彼の立場は強いのかもしれない。ユリアンはどういう事態になってもすぐに動けるように身構えながら、ヴェッセルについていった。

 

 つれていかれた部屋は驚くほど殺風景で、生活感がなかった。ヴェッセルは洗面台の抽斗から白い粉を取り出し、それをコップに入れ、水道水で溶かしたものをユリアンに差しだした。ユリアンはそれがサイオキシンを溶かしたものであると思って首を振って拒絶すると、それを察したヴェッセル驚くべきことに勢いよくコップを呷り、半分ほど飲み干した。

 

「ただの中和剤だ。毒も麻薬も入っていない。信じてくれ……」

 

 ヴェッセルの声はほとんど哀願に近いものであり、彼は嘘を言っていないとユリアンに思わせるものがあった。決意して飲み干した。すぐに効果がでるはずはないのだが、ユリアンは体調が落ち着いたような気がして、目を閉じて深く深呼吸した。

 

 そして目を開けると、ヴェッセルは震える手でブラスターをユリアンに向けていた。

 

「なんのまねです?」

「さあ……なにやってるんだろうな? まあ、きみが好きなように解釈すればいい」

 

 ヴェッセルは頬が引き攣った笑みを浮かべて、そう言い捨てた。口調にはどこか投げやりなところがあって、自嘲の色がとても濃かった。

 

「さて、一応、聞いておこうか。きみ、フェザーンの信徒じゃないだろう。それにたぶん、地球教の信徒ですらない。たぶん、同盟の人間と見たが、あってるかな」

「……どうしてわかった?」

 

 同盟人だと確信している顔をしていたので、ユリアンは素性を偽る必要性を感じなかった。

 

「帝国の貴族政治や官僚機構のあり方に関心持ちすぎ。商人の国らしく、フェザーンの一般向けの政治教育は、概ね、世の流れに乗って実利を上げることに主目的が置かれている。だから一般人だと豪商ないしは歴史家か制度設計の専門家志望でもない限り、既にローエングラムの世になって意味を失いつつあるゴールデンバウム王朝時代の官僚機構の話など儲けにならない笑劇の類として浪費されるがオチだ。なのにきみは随分と興味深そうに私の話に聞いていた。だから最初はどっかの諜報員なのかと思ったが、それにしては狡猾さや熱心さというものに欠けすぎている。だから知識のある物好きが興味本位でと考え、いくつかのひっかけをしたら、同盟人には通じるがフェザーン人には通じない(ことわざ)に、きみは実に自然に反応してくれたからな」

 

 ゴールデンバウム王朝時代の警察総局は一般警察を統括する部局であって、政治犯やスパイの類を取り締まるのは社会秩序維持局であり、管轄が別であった。しかしながらゲオルグは社会秩序維持局との関係を重視し、将来的には両局の一体化を目指していたこともあって、ゲオルグ派の警官たちはスパイを見抜く手法に長けているのだ。

 

 ヴェッセルもゲオルグの信頼厚き側近であったから、相手のペースに合わせつつ自然な形で探りを入れることなど容易いことだった。しかしユリアンとしては、自分の迂闊さに歯噛みしたい気分だった。

 

「なにが目的なんだ」

「なに?」

「僕の正体に気づいていたなら、どうして教団にそれを報告しなかったんだ? それどころか僕を助けさえしている」

「……」

 

 その問いにしばらくヴェッセルは沈黙した。そんなことを問われるとは考えていなかったようですらあり、ユリアンは内心で疑問に思った。

 

「……まあ、親しく話した仲だからな。洗礼を受けて地球教の操り人形になるのを見過ごすというのも寝覚めが悪い」

「僕だけが助かるつもりはない。一緒にここにきた仲間がいるんだ。彼らと一緒じゃないと――」

「黙れ」

 

 絶対零度の冷たい声でヴェッセルはそう吐き捨て、迷いなくブラスターをユリアンの頭部に突きつけた。

 

「これ以上、文句を言うようならこの場で撃ち殺してやる。この地下神殿から出て、南に五〇キロほど行ったところにダージリンという街がある。そこのシオン主教に事情を話せば、地球から出られるようにとりはからってくれるだろう。道中、かなり険しい道のりだが、きみなら死ぬ気で頑張ればきっと大丈夫だろう」

 

 そう脅すように言ってヴェッセルが一瞬脱力した瞬間、ユリアンは行動に出た。ヴェッセルはユリアンの鍛えあげられた肉体を見て警戒を解いてはいなかったが、それでも白兵戦技の達人シェーンコップによって鍛えられ、合格点をもらえるほどの身体能力の持ち主であるとまでは見抜いておらず、完全に不意をつかれて右肩部分を殴られた衝撃でブラスターを落とし、体勢が崩れたところにタックルをくらって地面に叩きつけられた。

 

 ヴェッセルはわけもわからず痛む体を起こし、さっきまで自分が握っていたブラスターをこちらに向けられているのを目視して、ようやく自分に何が起こったのか理解し、ひどく情けない笑みを浮かべた。

 

「……撃つがいい」

「なに?」

「殺せというのだ。ようやく死ぬべき時が来たらしい。だから殺すがいい」

 

 あまりに捨て鉢な態度に、ユリアンは困惑した。彼も地球教の暗黒面に関わり、素朴な巡礼者を洗脳するのに関与していたと思わしき男であるというのに、どうにも憐れみを覚えずにはいられない雰囲気を持っている。

 

「そんなことより、先にあなたに聞きたいことがある」

「なんだ?」

「地球教の秘密を知りたい。具体的には、まず、地球教の財政基盤だ」

「信徒たちからの寄付や奉仕労働による収入が主、と、言ったところで納得しそうにないな」

 

 ユリアンのきつい顔を見て、ヴェッセルは途中から観念したように付け加えてそう言った。

 

「地球教はなにか壮大な陰謀の糸を銀河に伸ばしていることを示唆する遺言をある主教が残しました。それが本当だとすると、どうしてもその程度の資金源でどうにかなるとは思えない」

「そんなことまで知っていたのか……だが、ご期待に応えられそうにないな。地球統一政府が植民星から収奪し、隠蔽していた資金を利用したという噂を聞いたことはあるが、何百年も裏工作を続けていたのでは早々に資金が枯渇するだろうしな」

「陰謀を巡らせていることは、本当なんですね」

「でなければ、洗礼と称してサイオキシンで巡礼者を洗脳しようとしたり、同盟や帝国の内部事情を事細かに調べたりはしないだろうな」

 

 自嘲するように、ヴェッセルはそう証言し、ユリアンは地球教の悪意を再確認して怒りを禁じ得なかった。

 

「地球教の目的はなんだ。自分たちの先祖が持っていた特権を取り戻すことなのか」

「さあ、最終的になにを目指しているのかまでは外様の自分は知らぬ。だが、その根底にあるものはなんとなくわかる」

「根底? どういう意味です」

「地球は銀河全体で見れば孤立し閉鎖された社会だということだ」

 

 もっとも、言葉だけで理解できるようなことでもなかろうが。そうヴェッセルは続けた。実際、自分も地球で暮らして数ヶ月たつまで全く理解できていないことだったのだ。ほんの十数日間もいたとはいえ、この地下神殿にだけいたような人間が地球の実態を理解できるとは思えなかった。そう、なにもかもが違う。断絶している。もはやここは帝国とも同盟とも、そしてむろん、フェザーンとも違う文化を有する、違う世界なのだ。

 

 そこまで考えてヴェッセルは自己嫌悪した。ばかばかしい。自分が他人に偉そうなことを言えるような人間か。自分は敗残者なのだ。誰かに負けたというわけではなく、自分の人生にたいする敗者なのである。未来ある若者に、偉そうなことを言える資格など、なにひとつとしてない。

 

「その辺の感覚の違いを知りたいのなら、普通の地球人と会ってみるといい。さて、もう地球教の裏側について知っているようなことはほとんど話してしまった。あとはその銃の引き金を引いて、私を殺すといい」

 

 ユリアンはすこしだけ逡巡した後、口を開いた。

 

「……最後にひとつ聞きたいことがある」

「なんだ?」

「あなたは総大主教の客人として厚遇されていたように思える。なのにどうして僕を助けようとした?」

 

 その問いに対し、ヴェッセルは忌々しそうな目でユリアンを睨みつけた。



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地下神殿崩落

「なんという忌々しい目だ。自分の価値観が正しいと信じている……いや、自分が信じる価値観は間違ってはいないと言い切れる幸運に恵まれた奴しかできぬ目だ。なんとも腹立たしい」

 

 ユリアンを睨みつけながらヴェッセルは恨み言をこぼしたが、それはユリアンに向けて言っている言葉ではなかった。その不毛さに気づいたように脱力した。それが若さというものではないか。

 

「……まあいい。なぜきみを助けようとしたか、か。そうだな、あえて言うのであれば、きみにかつての自分が重なった。だから思わず助けたくなった」

「あなたと僕が似ていると……?」

「自分の一方的な認識では、な」

 

 ユリアンが少しだけ不快気にそう言ったので、ヴェッセルはそう付け加え、天井を仰ぎみて、ここではないどこか遠い時空へ思いを馳せた。

 

「普通は聖職者に対してするものだから筋違いかもしれんが、きみに告解してかまわんか? 地球教の聖職者に対して何回もやったんだが、近頃はどうにも意味のないものに思えるから……」

 

 ユリアンはなにも言い返さなかったが、ひとつ理解した。ヴェッセルの行動には一貫性がまるでない。そしてその原因は、おそらくは精神的に衰弱しきっているからなのだと。

 

 なにも言い返してこないのを肯定と受け取ったヴェッセルは、滔々と身の上話をはじめた。

 

「私はそれなりに有力だった門閥貴族家の次男坊でね。かなり贅沢な生活を送っていた。実際、幼い頃になにか深刻な不満を抱いていたような記憶がない。そんな温室育ちだったからかなあ、現実感覚ってものも学ばず、懲悪勧善な絵物語の展開を愚直に信じ、犯罪者を取り締まる正義の警察官になってやろうとして、そうなったんだが、警察もきっちり腐敗しまくっていてね」

 

 それでも正論と命令を駆使してヴェッセルは必死に正義を執行しようと努力した。ひどく硬直化していた組織機構を刷新し、自部署の汚職体質を改善させ、検挙率は飛躍的に向上した。しかしそれはあくまで力が及ぶ範囲内でのこと。まわりからは表向きは褒められたが、疎まれて足を引っ張られてきた。それでも、その悔しさをバネにしてヴェッセルは全力で職務に励んだ。

 

 だが、それの熱意が報われることはなかった。それどころか、殺人の現行犯を逮捕した際、被害者が貧民街の平民で加害者が大貴族の御曹司であったがために、ヴェッセルは警察として完璧に正しい態度をとったにもかかわらず、警察からは()()()()()()()()の責任を追求されて閑職にとばされ、両親からは社交界での肩身が狭くなったと罵倒され、勘当されたような扱いを受けた。

 

 自分は何一つ間違ったことをしていないのに! 世の不条理を、正義と法律を踏みにじって恥じない腐敗した俗物どもが権力を握って好き勝手振る舞うことを激しく呪った。そしてなにより、おのれの無力さに絶望した。このような不正行為が公然とまかり通り、守護対象であるはずの帝国臣民を犠牲にし続ける、帝国の上流階級を憎んだ。

 

「そんなときだ。地球教と出会ったのは、聖職者たちは良き相談相手になって、心の支えになってくれた。だから私は閑職でも道を踏み外すことなく、信仰心を支えに真面目に働き続けることができた。それから数年後、私は忠誠を尽くすべき主君と出会ったのだ……」

 

 ヴェッセルがそう言って、ユリアンに向き直った。

 

「よく尊敬した上司としてきみに話していた人物だ。すこしばかり有名な人だから、名前を隠してきたが、その人の名をゲオルグ・フォン・リヒテンラーデという」

「リヒテンラーデ、ということは」

「ああ、長年帝国を支えてきたクラウス・フォン・リヒテンラーデ公爵直系の孫にあたるお方だ。公爵がオトフリート三世以来守られてきた慣習を破って、半世紀ぶりに臣下の身でありながら帝国宰相に就任した一件については同盟でもよく報道されていたそうだから、知っているだろう」

 

 ユリアンは頷いた。フリードリヒ四世の側近中の側近ともいうべき人物であり、皇帝崩御に際し、軍部に強固な基盤を築いていたラインハルト・フォン・ローエングラムが門閥貴族と対抗するため、官界と宮廷に大きな勢力を築いていた手を組んだ相手として。

 

 そしてリップシュタット戦役で門閥貴族連合を下した後、リヒテンラーデ公爵の一族が辿った末路についても、同盟では大きく報じられた。リヒテンラーデ家は一族郎党処刑されたと。

 

「ゲオルグ閣下は私の能力を高く評価し、第一線級の人材としてよく使ってくださった。あの人は組織改革も熱心で、組織の綱紀粛正に余念がなかった。なにより、たいへんな名家出身の方であるのに、下々の人たちのことをよく見ておられた。学歴のない平民出身者でも優秀であるなら、まわりを説き伏せて警部補や警部の地位に昇進させるほどだった」

 

 そう滔々と語った後、やや言いにくそうに、先ほどと比べてやや声を潜めた。

 

「だがそれでも、閣下は有力門閥貴族家の次期当主候補の一人であったから、派閥争いに否応なしに参加せねばらぬ身の上であり、謀略という決して褒められることではないことにも手を染め、正しくないこともされておられた。それでも昔に比べれば警察の在り方は見違えるほどよくなっているように思えたし、閣下自身も決して本意でやっていることではないと感じられたから、私は彼を信じられた。そして、彼が権力の頂に立つための力となろうと固く誓っていた……」

 

 ヴェッセルの声は途中から擦れてきて、ユリアンが怪訝に思って彼の顔を伺って沈黙した。彼の頬は涙でぬれていたのだ。

 

「だからゲオルグ閣下が公爵から正式に次期当主と認められ、警視総監でありながら内務次官を兼任されるようになり、今まで好き勝手振る舞ってきた不平貴族どもが連合を組んで帝権に牙をむいてリップシュタット戦役が始まった時、私は確信したのだ! この内乱が終わればリヒテンラーデの名の下、帝国の腐敗が一掃され、綱紀ある改革がなされるのだと! なのに、どうだ。あの憎たらしい“金髪の孺子”が、恥知らずにもつい先日まで協力関係にあったリヒテンラーデ家を粛清しやがった!」

 

 怒り狂う元警察官房長だったが、そこでぶつんとなにかが切れたように怒りがやみ、憂鬱に呟くように話し続ける。

 

「……それでもまだ、ローエングラム公が腐敗した門閥貴族どもとさして変わらん存在だったなら、まだ救いはあった。でも、あいつの統治下で行われた政策は、自分が求め続けてきた改革そのもの……いや、それ以上のものだ。なら私は、なんのために頑張ってきたのだ? なんのために閣下は地位を追われねばならなかったのだ? 自分が求め続けてきた政治改革の邪魔をするためか。私は、俺は、閣下の命であいつが思想犯かどうか調べるのに協力したことがあるのだぞ……」

 

 偉大なる何かに深く懺悔するように語るヴェッセルを見て、ユリアンは自分の未熟さから、どうしようもない偏見にとらわれていたことを悟った。自分が生き残るために味方の補給艦に向けて発砲したリッテンハイム候や、自分の領内で叛乱が発生したという理由で熱核攻撃を行ったブラウンシュヴァイク公のイメージが強すぎたため、昔はともかくローエングラム王朝に同調できなかった貴族階級の者達は、程度の差はあっても、基本的にどうしようもない人たちだったのではないかと思い込んでいたのだ。

 

 なまじ旧王朝の門閥貴族残党が、権力ほしさゆえにフェザーンの工作にまんまと嵌り、銀河帝国正統政府などという誇大夢想染みた亡命政府を同盟内に設置して帝国の全面侵攻の大義名分になってしまったばかりか、ヤン艦隊の客員提督(ゲスト・アドミラル)として力を貸してくれていたメルカッツ提督を無断で強引に軍務尚書などという地位につけたことのせいで、そういった偏見は強くなることはあっても、薄められるようなことは今までなかったのである。

 

 そこでユリアンはふと思い出した。リヒテンラーデといえば……!

 

「ひとつ聞きたいことがある。シュテンネスという名前に聞き覚えはあるか」

「……シュテンネス警視正のことか。なぜきみがその名を知っている?」

「僕はフェザーンに行った際、シュテンネスと呼ばれていた男に会ったことがある。彼はリヒテンラーデへの忠誠を叫びながら、追手から裏切り者と罵倒されて殺された」

「シュテンネスが、か。彼は小心なところがあったからな……」

 

 ヴェッセルにとって、ゲオルグは崇敬に値する主君であったが、それでも明らかな欠点をいくつかあげることができる。そのひとつが信頼した部下に対し、いささか過大な期待をしてしまう点である。実際、シュテンネスを信頼できるとして、ゲオルグがいざという時の対処を教えると言った時、ドロホフと一緒になって閣下が失脚するような事態になっても閣下に忠誠を尽くせる度胸の持ち主かと反対したものである。

 

 結局、ゲオルグは二人の反対を考慮した上でも教えたわけであるが、現実的な結果としてシュテンネスは立場を失ってなおゲオルグについていくということをしなかった。その意味ではドロホフやヴェッセルの懸念は的を射ていたわけであるが、同時に忠誠心から決して不利益になるようなこともしなかったので、ゲオルグがシュテンネスを信頼したのも完全に間違いとは言い切れない。

 

「ということは……。そうなるとあなたの主君はまだ生きているということになるが、彼について行こうという気はないのか」

 

 その口ぶりから、フェザーンで暗躍していた秘密組織の元締めがおそらくはゲオルグなのだろう。そしてヴェッセルの全身から漂う悲惨さに対する同情心から、ユリアンはなにかの希望になるだろうかとそんな問いを投げたが、その答えは自嘲の色が濃い諦観の声であった。

 

「無理だ。たいした理由もなく、絶望からここで腐っていた私を、閣下が赦すとは思えん。あの人は優しいお方だが、信頼した人間が自分の下から消えていくことが赦せない人であったから……」

 

 内務次官を兼任していた頃のゲオルグが心から信頼していた側近はドロホフ、ヴェッセル、ダンネマン、シュテンネス、シュヴァルツァーの五人である。だが、それ以外にもゲオルグの側近と見做されていた人物が過去にはいた。そうした者達は、殉職か権力闘争の渦中で死んだか。――さもなくば、ゲオルグを裏切ったかである。

 

 ゲオルグは家庭の事情で幼少期から叔父のハロルドとの間で陰惨な暗闘を繰り広げてきた経験からか、人間不信気味である。しかしその一方、信頼することができた部下には優しいところをみせることが多くなる。だが、特に信頼していた相手が裏切った時、彼は信じられないような残忍性を発揮することがあった。

 

 実際、ハロルドの側に寝返った側近を排除する方法はいくらでもあったにもかかわらず、ゲオルグはあえてその相手をろくでもない方法で死に追い込む策謀を立てた。その時、ヴェッセルはやりすぎだと一度翻意を願ったのだが、「卿は優しいな」と(ほが)らかに微笑んだだけで、まったく迷うそぶりもみせずにその策謀を実行に移した。

 

 結果として、帝都の暗黒街に身元不明の死体がひとつ転がることになったのだが、その報告に対してゲオルグはそっけなく「そうか」と興味なさげにつぶやいただけだった。さすがに我慢できず、ヴェッセルはゲオルグに詰め寄った。裏切り者を憎む心情は理解できるが、そこまでやる必要がどこにあったというのか。

 

 最初は傲然とゲオルグは反論していたが、徐々にその虚勢は崩れていき、ヴェッセルはゲオルグ・フォン・リヒテンラーデという人間を構成する重要な一要素と直面した。彼は夜の暗がりに怯える(わらべ)のように脈略のないこと言い出し、最終的にヴェッセルに懇願する様に言ったのである。一人にしないでほしい、頼らせてほしい、と。

 

 そのとき、ヴェッセルはゲオルグという人間を根本から勘違いしていたことに気づいた。彼はゲオルグのことを有能で強い指導力を持った貴族であると考えていた。しかしそれはそのように演じてみせているだけで、本質ではないのだ。幼少期からだれもかもが疑わしい環境で育ったゆえにだれかを信じることに飢えていて、それだけに大きく信頼できるようになった相手が、自分の影響下から離れていってしまうことはとても耐えられないことであり、赦すことができないことなのだ。

 

 それを自覚したとき、ヴェッセルはゲオルグが自分よりずっと年下の人間であるということをはじめてすんなりと受け入れることができた。そして人生の先輩として、この哀れな子を支えてやらねばならないのだと思うようになり、なおいっそう彼に対して深い忠誠心を抱くようになったものだが、いまや自分がそうした存在になり果てたのだなと自嘲した。

 

「それに、閣下に赦され、うまいことローエングラム公を倒して帝国の中枢に返り咲くことができたとしても、今のローエングラム公ほどうまく国家統治ができるとはとても思えん……」

 

 これこそが腐敗した門閥貴族どもとさして変わらん存在だったなら、まだ救いはあったという言葉の本意であった。もしラインハルトが無能であれば、ヴェッセルは迷うことなくゲオルグの下に馳せ参じ、不遜な若者相手に戦えばよかったのだから。

 

 だが、現実に起きていることなのかと時折疑わしく思えるような速さで政治改革・腐敗一掃・綱紀粛正を強力に推し進めているラインハルトに、ゲオルグが匹敵ないしは勝るような存在であるとは、どうにも思えないのであった。ラインハルトに匹敵するような人材など、何千年に渡る人類の歴史を紐解いても、開祖ルドルフ大帝くらいではあるまいかとヴェッセルは思うのだ。

 

 ゆえにヴェッセルにとって、ラインハルトの麾下に下ることは忠誠を誓った大恩ある主君を裏切ることであり、大恩ある主君に忠誠を誓うことは、ラインハルトが実現した自分が夢見てきた社会を否定することなのである。どちらも選ぶことなどできず、その間で苦しみ続け、ヴェッセルはいつかのように信仰に救いを求めた。

 

「救いを求めて地球教の聖地に身を寄せてみれば、どうだ。巡礼者をサイオキシン麻薬中毒者に仕立てあげ、なにやらよからぬ陰謀の糸を銀河に伸ばしているというおぞましい一面を見せつけられた。まったく、俺が信じてきたものとは、いったいなんだったのやら。だが、もう、どうでもいい。今まで必死で地球教は善良な宗教であると自分を誤魔化し続けてきたが、いい加減、疲れた。自分は“弾劾者”ミュンツァーみたいな正義の人になる? はっ! 俺の人生はただの道化だろうがよ……。なにひとつ、建設的なことができていないじゃないか……」

 

 だれよりも自分を傷つける言葉をヴェッセルは吐き続け、ユリアンは痛ましさを感じずにはいられなかった。無論、嘘を吐いているように見えないからと言って彼が間違った認識をしているだけだという可能性もない訳ではないだろうが、話を聞いている限り、彼のことをとても悪人とは思えないのだった。

 

「どうした? はやく撃て。ここにいるのは、地球教の悪業に加担した罪人なのだぞ。なにをためらう必要がある」

 

 ヴェッセルは死に場所を欲しているのだ、と、ユリアンは察した。しかし、しばし逡巡したのち、ユリアンはブラスターを下ろした。自分の中にある彼を殺したく無いという感情に加え、彼の頭脳に打算的な思考が走ったためであった。

 

「必要性がない。僕が得することがひとつもありませんから」

「いやあ、どうかな。ここで殺しておかねば、地球教にきみのことを密告するかもしれんぞ」

「あなたを殺したところで同じだ。この地下施設のあちこちに監視カメラがあった。あなたと一緒にこの部屋に入ったのも、モニタールームで見られているだろう。そして僕がひとりだけ部屋を出たとこを見られたら、すぐに不審がられる」

「……」

 

 ヴェッセルはなにも言い返さなかったが、表情だけでも充分にユリアンの言葉が正しいことを証明するかのように歪みきっていた。

 

「あなたが見抜いたように僕は同盟人、ユリアン・ミンツという同盟軍人だ。それで宇宙を暗躍している地球教の秘密が知りたい。だから殺すことよりあなたを利用したいと思っている。協力してくれないだろうか」

 

 くわしく身の上を説明すると面倒なことになりかねないし、もしかしたら敬愛しているヤン提督に迷惑がかかるかもしれないと遠慮した結果、ユリアンは同盟軍人であると説明した。突拍子もない提案にヴェッセルは戸惑ったが、すぐにそれを、すくなくとも表面上は沈静化させ、憮然顔で反問した。

 

「……利用するだと? 地球教本部の醜悪さに関して唾棄すべき点が多々あるから協力すること自体は別にかまわんが、どう利用するというのだ? さっきも言ったが、私は外様の身で、地球教の秘密を預かる身ではない。警備の一部を担当してはいるが、いつも警備配置に決定に際して、大主教の承認が必要な立場だ。はっきり言って、役のたちようがないと思うが」

「少なくとも、僕よりは地球教の深部に詳しいだろう。道案内役を頼みたい。資料室のような場所に心当たりはないだろうか」

「……ある、な。だが、警備がそうとうに厳しいぞ。いったいどうやってかいくぐる気だ?」

 

 そう、そこが問題である。どのように警備を撹乱させるべきかユリアンが無言で考え始めて数分後、ある後世の歴史家の表現を借りれば「これがフィクションの類であれば、御都合主義的に過ぎると批判の対象にされるレベルの幸運」に恵まれたのである。すなわち、具体的な方法を考えはじめて、すぐにユリアンのあずかり知らぬところで、勝手に警備が撹乱状態に陥ったのである。

 

 はじまりは爆発音が響いたことであった。その音を聞いて、部屋の中にいた二人は驚愕して顔を見合わせた。次いで外が騒がしくなってきて、ヴェッセルが様子を見てくるのでじっとしていろと告げ、部屋から出て、一〇分前後するとげんなりした顔で、ユリアンに告げた。

 

「あー、なんだ。どういうわけか帝国軍がこの地球本部に攻撃してきたそうだ。さっきの爆発音は、メイン・ゲート以外の出入口が帝国の軍艦のミサイルで潰された音らしい」

「どうしてですか?!」

 

 まさかの帝国軍の介入にユリアンは驚きの声をあげたが、すぐに巡礼者をサイオキシンで洗脳していたことが帝国当局にバレでもしたのだろうと推測したが、ヴェッセルの返答はそれとは微妙に異なった。

 

「わからん。だが、ド・ヴィリエ大主教猊下からどういうわけか帝国軍が来襲してくる可能性については聞かされていたから、なにか謀略面で帝国の逆鱗を踏むようなことをしたのかもしれんな。……ところで、現在、地球教の警備体制は間違いなく混乱の極みにあると思うのだが、行くか?」

 

 ユリアンは頷いた。帝国軍が地球教を混乱させているのを利用することに、ためらいなどなかった。別に敵国の目的など知ったことでは無いと言うわけではないが、そもそも今のユリアンはただの民間人に過ぎず、帝国軍に敵対も協力もしてやらねばならない義理はなかったし、そのために地球にやってきた目的に手が届きそうな好機を逃す必要はまったくないのである。

 

 その意思を確認するヴェッセルは少し待てと呟き、机の抽斗(ひきだし)から予備のブラスターを取り出して、懐から取り出したエネルギー・カプセルを手慣れた調子で装填した。また箪笥(タンス)から地球教司祭の僧服と首飾りを取り出し、ユリアンに変装するように指示した。

 

 二人は部屋を出ると、慌ただしく信徒たちが動き回っている廊下を同じように走り始め、資料室へと向かいはじめた。すれちがった小火器やナイフで武装した地球教徒たちは「邪悪な異教徒の襲撃だ!」「地球の神聖を汚すものを殺せ!」とヒステリックに叫び続けており、あのような武器で帝国軍と戦うつもりなのだろうかとユリアンは内心引いていたが、ヴェッセルのほうは我関せずと平然としたものであった。

 

資料室付近には、この状況になっても警備を続けている武装教徒が五、六人ほどいて、さすがにここは強引に突破するしかないかとユリアンは僧服の下にあるブラスターに手を伸ばしたが、ヴェッセルはそれを手で制すると、威厳たっぷりに主教であることを示す首飾りをしている聖職者に話しかけた。

 

「想像以上に帝国軍の攻勢が激しい。きみたちも防備にまわれ」

 

 傲慢な命令口調に反感を抱いた、その主教は敵意も露わにヴェッセルを睨みつけた。

 

「残念ながらその要請には応えられん。総大主教猊下直々にこの資料庫を死守するよう仰せつかっているのでな。貴様こそ、さっさと邪悪なる異教の帝国軍を撃退すべく地上に向かったらどうだ。それともよそ者同士、殺し合うのは気が引けるか?」

「私が外様であることは認める。しかし帝国軍はS-二九ブロックまで進出してきているのだ。ド・ヴィリエ大主教猊下はここにまでやってくるのも時間の問題と考えられ、私に神聖なる地球の記録を異教徒どもに奪われることなきよう、私にすべての記録を処分するよう命じた。きみは大主教猊下の意向に逆らうのか」

「落ち目の俗物大主教の命令など無視しろ! われわれは総大主教猊下の命令を優先する!」

「ふむ、そうか。では、万一、この資料室が帝国軍の手にわたり、その記録が利用された場合、地獄で責任をとってくれるのだろうな?」

「そ、それは」

 

 いかにも上位者として正統な権利を行使しているだけだといった態度で話し続けるヴェッセルに、主教の敵意は徐々に萎えていき、冷静な思考がまわりはじめた。S-二九ブロックにまで帝国軍が侵入してきている? たとえ間に数百数千の信徒がおり、肉壁となって時間を稼いだとしても、ここにやってくるまで数刻とかからぬだろう。ならば、ド・ヴィリエ大主教の命令もそれほど間違っているとはいえない……。

 

 数分後、俗物大主教と余所者への反感より現在進行している事態にたいして恐怖を感じはじめ、主教は折れた。彼はヴェッセルがでまかせで言った命令を信じ、警備の兵を伴って防戦に向かう決意をしたのである。おかげでユリアンとヴェッセルは無人となった資料室に公然と入ることができたのだった。

 

「すごいですね」

 

 ユリアンが呆れているのか感心しているのか判断に困る微妙な声でそう述べると、

 

「なに、上に立って、下に命令する立場だったからな」

 

 くわえて、彼は脱出計画についてある程度聞いていたので、総大主教もド・ヴィリエ大主教もすでにこの本部からは脱出しているだろうから、いくら名前を借りた命令を出したところで嘘がバレるはずもあるまいという推測もあったので、自信満々に言えたことも相手を折れた理由のひとつになるであろうか。

 

 資料室には驚くべき事に同盟の最新型にやや劣る程度の近代的な大規模コンピュータが設置されていて、地球教の内部記録が保存されているようであった。幸いなことに、光ディスクに対応している挿入口があったのでそこに持参していた空の光ディスクを挿入した。モニターに浮かび上がっている文字は慣れない帝国語表記だったので少々大変だったが、なんとかコンピュータを操作して光ディスクへのデータのコピーを開始した。

 

 コピーの開始から完了まで一〇分程度の時間しかたっていなかったが、こういう非常事態においてただ待っているだけの時間の流れというものは、非常にゆっくり感じられてしまうものである。ユリアンは冷静にモニターを見守っていたが、主観的な心情としては、一時間近くかかったようにすら感じられたので、ようやく終わったというのが偽らざる感情であった。

 

「終わりました」

「よし、じゃあ、地上に戻るぞ」

「ちょっと待ってください。データが帝国軍の手に渡らないよう、消去しておきます」

「あくまで建前のつもりだったんだが……まあ、同盟軍人のきみも俺もローエングラムめに協力してやる義理もないし、かまわんが」

 

 やはり、この人は皇帝ラインハルトに対して、非常に複雑な感情を抱いているらしいとユリアンは再確認して、コンピュータの初期化を開始させるとヴェッセルに向き直り、今後の計画を述べた。やはり、最初のフェザーン人であるという偽装身分をそのまま利用して帝国軍に保護されるのが一番だと言った。自分と一緒にきた仲間たちもそれが一番生存の目が高いことはわかっているだろう。

 

 そして宇宙船に乗り合わせた乗員一人としてヴェッセルも帝国軍に受け入れさせてしまおうという、地球教の客として遇されていた相手を地球教を征伐しにきた帝国軍に保護させるかなりずうずうしい提案をして、ヴェッセルを驚かせた。最初は断っていたが、地球教について詳しい内実を知っているに違いなかったし、光ディスクだけではわからないこともヴェッセルならわかるような内容のものもあるかもしれず、地球教の暗部を白日の下に晒すことにつながるだろうと告げると、しぶしぶ同意した。

 

 司祭である首飾りと僧服を脱ぎ捨て、地上を目指して走っている最中、巨大な爆発音が響き渡り、ついで地下神殿が崩れはじめた。このままでは生き埋めになると状況で両者は理解し、足をはやめたが途中で崩れ落ちた瓦礫で通路のほとんどが埋まっている場所があった。ロッククライミングの要領でなんとかユリアンは天井付近のかすかな隙間を抜けることができたが、その直後、再度崩落がはじまってしまい、ヴェッセルとは分断されてしまうことになった。

 

「俺のことは気にするな! さっさといけ!」

 

 ヴェッセルの叫び声が瓦礫の向こう側から聞こえた。どのみち、この状況で瓦礫を掘り返してヴェッセルを助ける余裕はなかったので、ユリアンは罪悪感を感じつつも、彼を見捨てて走り続け、メイン・ゲートを出て地上へと生還した。

 

 崩落しかけている地球教本部から出てきたユリアンを、入口を固めていた帝国軍兵士達は警戒した。彼らは地球教の狂信者たちによる死をまったくおそれていないばかりか、自ら死ぬこと前提で毒ガスを撒き散らしたり、地下神殿の一区画を閉鎖して水没させるなどという、なんとも凄まじい戦法を駆使してきたこともあって多大な出血を強いられており、ユリアンも狂信者の一員として疑わざるをえなかったのである。

 

 しかし狂信に身を任せて自暴自棄に突撃してくるでもなく、自分に銃が向けられていることに気づいて素直に両手をあげたのが正解だった。もし、下手に抵抗の気配をみせていたら地球教徒と勘違いされて射殺されていたかもしれなかった。理性的な態度ですくなくとも狂信者ではないと判断した士官がユリアンの顔をみて、地球教本部の内部構造に関する情報を提供し、道案内をしてくれたフェザーン商人の一団が探していた仲間の情報と外見的特徴と一致することに気づき、名前を尋ねたらその人物と同じ名前が帰ってきたので、通信兵を呼び寄せて、受話器に向かって報告した。

 

「リンザー中佐でありますか? こちら、第九小隊長ベルトマン少尉であります。保護したフェザーン商人の生き残りを発見した。本人に目立った外傷はありません」

 

 予想通りポプラン中佐たちは帝国軍に協力して自分を探してくれていたらしい。昨日の夜から地球教の薬物洗脳の事実を知ってから気が休まることがなかったが、異常な状況から抜け出せたことを実感し、ユリアンはようやく安心することができた。ある意味では、戦場で命をかけて戦うより精神が削られる思いがしていたのである。




原作と違って昨日の夜にポプランと会ったきり仲間とは一度も会えなかったから、ユリアンの心細さはすごかったに違いない。


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女聖職者

今回、かなり賛否両論な話かもしれない。


 ユリアンが帝国軍によって保護され、一緒に来た仲間たちと再会した。ポプランから「どんだけ探してもいないもんだから、流石に焦ったぞ」と肩を組まれ、コーネフは喜びつつも「おまえさんが死んでたら、面倒なヤンとの腐れ縁も終わったんだがなぁ」とひどい皮肉を投げかけてきた。いつもと変わらない皆だ、とユリアンは微笑み、ここにいない人物に気づいた。

 

「オットテールさんは?」

 

 オットテールの名前を出した瞬間、不気味な沈黙が漂い、彼の上司であるコーネフが歪んだ表情を浮かべたので、ユリアンは一瞬最悪の可能性を考えたのだが、それよりはましな現状をマシュンゴから説明された。

 

「実はですね。オットテールさんはかなりの健啖家で、毎日配給されてた食事の量で満足していなかったようで、しかも話し上手でしょう? 食堂の職員らをなんとか説得して、他の信徒と比べていつもおおめにもらっていたようなのです」

 

 そして地球教は巡礼者向けの食事にサイオキシン麻薬を混ぜ込んで洗脳に利用していた。当然、それだけ大量のサイオキシンを摂取していたというわけで、事情を聞いていた帝国軍が念のためにと彼らを健康診断した。他の者達はたいしたことなかったのだが、オットテールだけは“サイオキシン麻薬中毒の可能性極めて高し”という結果が出てしまい、事実、禁断症状も断続的に続いていたので医務室に入れられているのだという。

 

 軍医の診断によると初期的なものだから治療は比較的容易で、適切な環境の下で中和剤を定期的に投与していれば治療は確実にできるらしいが、少なくとも一週間は禁断症状に苦しみ続けることになるだろうとのことである。その説明が終わった直後、コーネフは「あの怪しい連中のとこで、よく食い意地をはれたもんだ」と忌々しげに吐き捨てた。

 

 ユリアンが合流を果たしてから四時間後、艦隊司令官のワーレン上級大将が面会を求めているという帝国軍士官から聞かれた。ユリアンはちらりとコーネフを伺ったが、好きにしろと手振りで示したので、帝国側の要請を快諾した。

 

 ちなみに仲間の代表者としてワーレンと正面から対峙することになったのは、一番年少のユリアンである。なぜかというとユリアン自身が望んだからでもあるが、あろうことか大人たちが全員代表者になることを拒否したのである。ポプランは野郎相手に楽しく談笑する趣味はないとのたまい、マシュンゴは階級が一番下だからと遠慮し、コーネフはお偉いさんと話すなんて面倒くさいと嫌がったのが、その理由である。

 

 もちろん、帝国軍も納得するような言い訳は用意してくれた。(帝国軍に対してはフェザーン人風の偽名を使っているが)ユリアンの父がそろそろ自立させるべきだと自分の息子に独り立ちさせた。しかし一方で息子可愛さが抜けていないので、ユリアンの父と親しかったコーネフらもお目付役的な意味もあってユリアンの部下となったというものである。なんか微妙に現実とリンクしている作り話である。

 

「リンザー中佐の報告によれば、地球教の本拠を攻略するのに少なからず協力してくてたそうだな」

 

 そう言って話を切り出したワーレンの顔色は少し悪かった。事前に帝国軍兵士から聞いた話では、地球教の刺客に暗殺されかかって重傷を負っているためらしい。しかしそれをまったく感じさせないほど表情は穏やかで、言動にもおちつきがあった。

 

「はい、私自身はもっと内奥のほうにとらわれていたので協力しておりませんが、仲間達からは、なかばは自分たちの意趣がえしとして、喜んで協力したと聞いております」

「なにか礼をもって功にむくいたいが、なにか望みはあるか」

「私ども一同が、つつがなくフェザーンにもどれますなら、このうえ、なんの望みもございません」

 

 そこでポプランが微妙な危機感から、ユリアンに小さく耳打ちした。

 

「フェザーン人らしく欲をかいてみせたほうがいいぞ」

 

 ポプランのずうずうしい助言に、一瞬ギョッとしたが、それを見てなにか察した様子のワーレンが柔らかく言った。

 

「どうした? きみたち仲間のことなら今回の礼としてこちらが医療費を負担するし、それに商売上で損害を被ったなら、補償してやってもよい。遠慮せずに申し出ることだ」

 

 どうやら若くて純粋な若い商人長に、経験豊富で狡猾な年長の部下が金銭的な助言をしたと勘違いしたらしい。ユリアンはワーレンの理性的で温和な態度は尊敬にあたいすると思っており、自分の正体を偽っていることに多少の心苦しさを感じていたのだが、怪しまれないためにはどうやら好意からきた勘違いをも利用しなくてはならないらしい。

 

「ありがとうございます。損害額は計算してみませんとしかとはわかりません。後日改めて提出させていただきたいと思いますが」

「さもあろう。あとで計算した明細を後で提出するといい」

「……加えてあつかましいのですが、この艦隊と一緒に私どももオーディンまで同行を御赦しいただけませんでしょうか。私はあいにくとまだ帝都を見たことがありませんので、この際、帝都見物ができればと思います。幸い、帰りは急ぎの荷物もありませんし」

 

 これはとっさに思いついたことで、先にみんなと話しあって決めた事柄ではなかったから、ポプランやコーネフをおどろかせた。

 

「そんなことなどたやすいことだ。部下に手配させよう。帝都に戻るまでに一週間以上はゆうにかかるから、医務室にいる君の部下も一緒に帝都見物ができるだろう」

「かさねがさね、ありがとうございます。つきましては、帝都見物でどこかオススメの場所などありますか」

「ふむ、そうだな……」

 

 会談の内容がきわめて呑気で穏やかなものになったが、わずか数分後に艦隊情報主任参謀のクライバー准将が血相を変えて部屋に駆け込んできて、漂っていた和やかな空気をぶち壊し、続けざまにされた報告が全員を一気に緊張させた。

 

「失礼します! 機体に帝国公用語で“撃つなかれ”と大きく書かれた地球教所属のヘリが艦隊を駐留させているナム・ツォ湖のほとりに降下したと報告が!」

「なに、生き残りか!?」

 

 先ほどとは一八〇度異なる表情に変わったワーレンが内心の驚愕をしずめつつ、そう問うた。

 

「いえ、現地部隊からの報告によると、どうやら本部が崩壊したことを知ってやってきたダージリンという地方都市の者であるようです。ヘリに乗っていたナムゲル司祭という人物がこの艦隊で一番偉い人物と会いたいと言っておるようですが、いかがしますか」

「地方都市か。しかし、話せるような人物なのか」

 

 ずいぶんとひどい言葉だが、ワーレンからすれば当然の懸念である。帝国軍下士官の地位にあった地球教の刺客に毒ナイフで刺されて左腕をうばわれていたし、地球教本部を制圧するときでも狂信的な地球教徒たちが支配的で、帝国軍が捕虜とすることに成功したのは数百人程度のなんの地位もない巡礼者のみである。それほどまでに今までワーレンがかかわってきた地球教徒は狂信的な者たちが多かったから、それを不安に思うのは当然とさえいえた。

 

「現地の者たちの報告を信じるのであれば、信仰心はかなり強いですが、すくなくとも帝国軍兵士と理性的に話しあえる人物であることは間違いないようです」

「……そうか、なら会おう。ここまで連れてくるように現地部隊に伝えろ」

 

 一瞬迷ったが、皇帝から直接地球教本拠の制圧ならびに教団組織の長および幹部たちの捕縛を命じられた身である。地球教の聖職者である以上、下級であるにせよ、幹部であることに違いはない。命令を墨守して下級幹部といえど捕縛するかどうかは別として、地球教本部の情報も多少なりとも有している可能性を考慮すれば、直接確かめるにしかず。

 

 そう決断を下した後、ワーレンはフェザーン商人たちとまだ会談中であったことを思い出して、ユリアンたちに丁寧にこちらから会談を望んでおきながら、数分で打ち切って申し訳ないと詫びた。ユリアンも気にしないでくださいと微笑んでみんなと一緒に与えられている部屋に戻った。

 

 しかし、ワーレン艦隊の旗艦にやってきた地球教司祭は、あくまで自分は使者兼案内役に過ぎず、もっと情報を持っている者は街にいると訴えた。ワーレンはその要請を受諾したが司祭との話し合いである問題が浮上し、副官であるハウフ少佐が心底申し訳なさそうな顔でユリアンたちに尋ねてきたのである。

 

「きみたちの中で同盟語に堪能なものはいるか」

 

 いきなりの質問に、ユリアンは多少警戒しつつも答えた。

 

「同盟人相手とも商いをしていたので、一応は。しかし、なぜそのようなことを?」

「……やってきたナムゲルという司祭から、地球人の大多数は帝国語を理解しないし、話せないと言われてな」

 

 その言葉にユリアンはおどろくと同時に奇妙な納得をおぼえた。地球教本部であまりにも普通に帝国語が通じたから気づかなかったが、よく考えてみれば分裂して二、三世紀しかたっていない同盟と帝国の間にも言語に差ができているのである。その三倍近い年月、人類社会から孤立し続けてきた地球では帝国語ではない言語が一般的なのは、むしろ自然なことではないだろうか。

 

「同盟語に近い言葉を喋っているらしいのだが、士官学校で習った同盟公用語とは違いすぎてとても理解できなくてな。司祭以上の地位にあれば帝国公用語は普通に喋れるそうなんだが、聖職者連中の言葉だけ信じて判断するわけにもいかん。だが、それ以外の者達とは聖職者の通訳を介さないとコミュニケーションをとる方法がないというのが問題になった。それでできればきみたちに通訳をしてもらいたいとワーレン閣下は判断されたのだが、よいだろうか。むろん、相手は地球教徒たちで、きみたちはその被害者だから、それを理由に断りたいというなら、無理強いはしない」

「いえ、かまいません。通訳を引き受けます」

 

 そう即答されたことにハウフ少佐はおどろいたが、通訳を引き受けてくれたことに感謝を述べた。ユリアンが即決したのは、帝国軍にたいして好意的に振る舞った方が良いだろうという打算もあったが、ヴェッセルの言葉が思い出されたのである。

 

 彼はこう言った。地球教の根底にあるものを知りたければ、普通の地球人たちと会ってみよ。そうすれば、孤立し閉鎖された社会を感覚として知ることができるだろうと。帝国軍の通訳として同行するのは、普通の地球人たちと接触する好機であると思えたのである。

 

 通訳ができるかどうか確かめに、やってきたナムゲル司祭とユリアンたちは面会した。ナムゲルはやや赤茶色に焼けた肌と坊主頭が特徴的な中年の人物であり、地球教の聖職者という先入観から多少警戒していたのだが、むしろ彼の方がこちらに怯えているようで、固い声でなんとか警戒をほぐそうと帝国語で毒にも薬にもならない話をまくしたててきた。

 

 ある程度ユリアンたちの人となりを把握してナムゲルが落ち着くと、帝国軍士官の指示に従って地球語を使い始めた。一時間ほど地球語を聞いて帝国語で確認するという作業を繰り返してわかったことは、地球語は同盟公用語と比べると非常に難解で古臭い言い回しが多用されている上、田舎っぽいというよりは泥臭い感じがする雑味が強い発音であり、ゆっくり話してくれなくては聞きとりにくかった。しかし、それでもなんとか喋ってることは理解できるという具合ではあった。

 

 ナムゲルは街の住民たちにいらぬ不安をあたえぬよう、ワーレンの他、自分が乗ってきたヘリに乗れる人員だけ連れていくことを理想としていたが、流石にそんな要求は地球教の狂信者どもに散々手こずらされた帝国軍が飲めるわけがなかった。

 

 しかしナムゲルはあまり大人数で来られたら、住民たちが暴発しかねないと必死で訴え、艦隊司令部は熟考の末、旗艦だけでダージリンに乗りつけることにした。それは艦隊司令官ワーレンの剛毅さの賜物といえたが、軍艦を簡単にどうこうできるような兵器が地球側にあるとは考えにくく、ダージリンという街とナム・ツォ湖は約五〇キロ程度しか離れておらず、連絡を入れて数分で援軍にかけつけることが可能であるという参謀たちの計算結果がでたという保険もあったからである。

 

 だが油断は禁物だとワーレンは思っていた。刺客に対する警戒もあるが、ダージリンはヒマラヤ山脈低部のシワリク丘陵に位置している街で、人口は二〇万人ほどの小都市である。地球教本部があるカンチェンジュンガ山を一望することができ、当然、この街の住民たちはワーレン艦隊が地球教本部を制圧していく過程を眺めていたわけで一時期大パニック状態に陥ったが、都市長のフランシス・シオン主教が中心となって住民たちを宥め、幹部たちの意見をまとめた結果、自分が派遣されてきたというナムゲルの話を聞く限りでは、シオンという人物はそうとうにできる人物なのであろう。こちらが圧倒的強者であるという強みはあるが、それに慢心して下手な言質を与えてはならないと自戒したのだ。

 

 到着したダージリンの光景は見た限りでは帝国辺境部のさびれた田舎というイメージそのままの街並みであるが、青地に円形の地球地図が白色で描いている宗教旗が翻っていることが、ここが地球教の勢力圏下であることを雄弁に物語っていた。だから当然、信仰心旺盛な者が襲いかかってくるのではと兵士らは警戒したのだが、住民の多くは物陰から怯えるようにこちらを伺ってくるだけであり、恐怖はあっても激しい敵意が渦巻いているという感じはしない。

 

 警備を担当していると思わしき帝国の騎兵将校が着るような様式をした藍色が基調の制服を身に包み、白文字で“HEJV”と筆記体で書かれた黒色の腕章をつけている者たちはそれほどでもなかったが、こちらを見てくる瞳の色はやはり敵意より恐怖が強いように思われ、それはラグナロック作戦時に占領下のフェザーン人や同盟人がしていたものとほぼ同じものであったので、すくなくともここの地球教徒たちには状況判断ができる程度の理性があるらしいと帝国兵たちは多少安堵した。

 

 この街で一番大きな建築物である石造の神殿を警備していた青年たちは見慣れない漆黒の服を着た帝国軍人たちに敵意と警戒心をあらわにしていたが、ナムゲルが説明すると、ともかくもそうした感情を表面から押し殺した。そして警備の代表格の人物が早口で反論し、ナムゲルは難しそうな顔をしてワーレンに言った。

 

「この神殿に大人数を入れるのは警備上問題があるから、入るのは二〇人以下にとどめてほしいと言っている。そっちの立場もわかるから銃火器を装備しているのはかまわないし、他の兵士たちが神殿前にたむろしていることもかまわないから、と……」

 

 この要請にハウフ少佐は激昂したが、ワーレンは自らの副官の怒りを制した。ハウフとしては、また司令官暗殺を目論んでいるのかと勘ぐっているのだろうが、仮にそんな意図があったところで護衛が一〇人以上いるならば神殿から脱出するくらいどうにかできるだろう。それに地球教本部を制圧して数時間しかたっていないというのに、それほど混乱に陥っていた様子が見受けられないところを見ると、ここの住民がシオン主教ないしはここの統治者層を信頼しているのだろう。であれば、下手に高圧的にあたるのは悪手であると考えたのである。

 

 結局、神殿に入るのはワーレンを筆頭に、副官のハウフ少佐や参謀長のライブル中将ら司令部幕僚計六名と通訳ユリアン・ミンツ、残りの一三人は全員護衛ということで決まった。ワーレンとしては、民間人のユリアンを連れていくことをためらったのだが、ユリアンがべつにかまわないと強く断言し、幕僚たちも念のために通訳は必要だろうという助言もあり、連れていくことにしたのだった。

 

 案内された神殿内の会議場は、奥の方に黒い僧服を身にまとった四人の聖職者がフードを被っていて、その背後に拳銃を腰に下げている一〇人ほどの護衛――彼らも藍色の制服を着て、黒色の腕章をつけていた――が油断なく入室してきたワーレンらを注視していた。ナムゲルが先に出て、聖職者の一人になにごとか報告すると、その人物がワーレンのほうに歩み寄った。

 

 おどろいたことにその人物は若い女性で、目鼻立ちがくっきりしていて、顔にそばかすが浮かんでいる美女であった。女でこちら油断させようという腹かとワーレンは警戒したが、次の言葉でそれは吹っ飛んだ。

 

「ようこそ、銀河帝国軍の方々。わたくしはヌーヴォ・ダージリンの都市長であるフランシス・シオンと申します。不肖の身ですが主教の地位をたまわっております」

 

 完璧な帝国公用語でそう自己紹介して握手を求めてきたシオンに、ワーレンはらしくもなく唖然とした。いや、ワーレンだけでなく帝国側の全員が唖然としたのである。シオンという人物がダージリンの都市長であるという話はナムゲルから説明されていたのだが、まさかこんな若い女性だとは思わなかったからである。

 

「……失礼した。私は艦隊司令官のアウグスト・ザムエル・ワーレンと申します。皇帝陛下より、上級大将の地位をたまわっております。しかし都市長がこんな若い女性であるとは思いませんでした。たしかに男性とも年配の方であるとも聞いていなかったのですが、お恥ずかしい」

「まあ、ナムゲル司祭はなんと説明したので?」

「フランシス・シオンという主教が都市長をしているというだけで、年齢はおろか性別すら聞いておらず……住民からの信頼厚い温厚な人であると説明はされていたのですが、女性であるとはまったく思わず、」

「なるほど」

 

 シオンは納得したように何度か頷き、

 

「ですが、上級大将閣下がそうお考えになられるのも当然のことであるとわたくしは思います。と言いますのも、わたくしが三六歳の若さで主教の地位をたまわりましたのは、ひとえにこのダージリンが地球教本部の目と鼻の先にある街であったからです。ですから単純にこの街で人気があったわたくしを本部は都市長に任じたのですよ。すべてが自分の実力によるもの、とは言い切れませんから」

 

 そういって優雅にシオンは微笑んでみせたが、頬に冷や汗がつたっていくのをワーレンは感じた。外見からみればシオンは二〇代なかばから後半といったところで、今年三二歳の自分より年上とはまったく思えなかった。女性の年齢を間違えることは大変失礼なことというのは地球ではどうか知らないが、帝国では一般常識であったから、ワーレンは若いという曖昧な表現を使ったことに内心ホッとした気分になったのである。

 

 直接交渉し合う者たちが自己紹介していく、地球側の出席者は多少拙い人物はいてもそれなりに帝国公用語を解しており、帝国側が地球語に堪能であるはずもないので、自然の流れで帝国公用語で話し合う空気がうまれていた。それが終わると。互いの護衛を背後に控えさせて、交渉の席についた。まず最初に発言したのは、シオンである。

 

「まず最初に確認しておきたいのですが、あなたがたがこの地球へやってきた目的はなんでしょうか。また、目的がなんであれ、地球は銀河連邦時代に自治権を与えられており、連邦が帝国に移行した後も、特に自治権を剥奪された記録はなかったはず。にもかかわらず、帝国軍が大挙して現れ、あまつさえ地球の中心を灰燼に帰しめるとはいかなる了見でしょう。あきらかな自治権の侵害であるように思われるのですが」

 

 これに対し、ワーレンははっきりと反論した。

 

「たしかにシオン主教のおっしゃる通り、地球の自治権にかんしての認識に間違いはない。だが、それとこれとは別件だ。先日、地球教徒の一団が皇帝ラインハルト・フォン・ローエングラム陛下の弑逆をはかった。その実行を担当していたオーディン支部の聖職者たちをとらえて取り調べた結果、皇帝弑逆の計画は本部で立案されたものであることが明らかとなり、教祖の弁明を聞くべく、やってきたのだ。しかし、本部の地球教徒たちは感情的に牙を向いてきたばかりか、最終的に本部ごと自爆する道を選んだのだが……」

 

 これに地球側の出席者が地球語で隣の人物と小声で話し合った。完全に聞き取れたわけではないが、どうやら本部が壊滅していることを彼らは推測はしていても、完全には把握していなかったのだとユリアンは理解した。やがてシオンが片手をあげて他の者たちを黙らせると、形の良い眉をひそめた。

 

「本部壊滅の件にかんしても言いたいことがいくつかありますが、それは後にまわしましょう。地球教徒の一団が皇帝弑逆をはかったなど信じられません。それも本部の指示によるものですって? ……いったいなんの意味があってそんなことをするというのです」

 

 シオンの疑問はキュンメル事件の捜査にかかわった帝国当局の疑問そのものであった。捜査結果は地球教が黒幕であることを雄弁に物語っていたが、その動機についてはオーディン支部員たちは信仰心から本部の命令に従ったということしかわからず、また皇帝ラインハルトが地球と因縁のあるような経歴もなかったから、地球教が何が目的で皇帝の暗殺を狙ったのかは不明のままなのである。

 

 だが、証拠ならはっきりとある。ワーレンは部下にもたせていたキュンメル事件の捜査資料をシオンたちに手渡した。ダージリンの聖職者たちはその資料を読みながら、やはりというか地球語で意見交換を行う。クライバー准将が肘で隣に座っているユリアンを小突いて、もしこの事件をすでに知っているような言葉を聞いたら知らせてくれと言われたが、そのような言葉をユリアンは一度もとらえることなく、約三〇分後にシオンが代表して困惑しきった表情で、口をひらいた。

 

「ワーレン上級大将閣下、この事件を捜査したのは信頼できる人物なのでしょうか」

「ああ」

「……では、とても言いづらいのですけど、その捜査が杜撰と言いますか……間違った結果を導きだしているのでは?」

「何を言う!」

 

 シオンの一言に帝国軍将兵は殺気だち、ライブル中将にいたってはそう怒号すると同時に拳を机に叩きつけた。

 

「その捜査資料を見て、どこに疑問点があるというのだ? 証拠がないからと信じられぬとほざくつもりなのであれば、すぐに帝都に連絡して証拠品の数々を貴様らに見せつけてやることができる。明白な真実をくだらん言い訳でごまかすつもりか」

「またかい。これだから外の連中は」

 

 疲れ切ったような声でそう呟きを耳に捉え、艦隊参謀長はいつもの理性的な態度を投げ捨てて、感情的にその声の主人を睨みつけた。それはかなり年配の大司祭であった。

 

「ご老人、どういう意味だ?」

 

 そう詰問するライブルの声には年長者への敬意というものがまったくなかった。

 

「儂は四〇年ほど前、布教活動を指揮するために外の星々にいたことがある。じゃが、外の連中が儂らに向ける視線は偏見で凝り固まっておっての、憲兵やら警察やらが難癖つけて儂らを迫害してきても、あの胡散臭い連中がどうなろうが知ったこっちゃないと知らんふりを決め込む奴が大多数じゃ。そしてその延長線上といえばよいのか。儂の友人の一人が一部の不良軍人とつるんで物資を横領していたと言いがかりをつけられて処刑されてもうた」

 

 先ほどまでなかば死んだ目をしていた年配の大司祭の瞳の奥にどす黒い炎がかすかに灯っていた。

 

「むろん、抗議しにいったとも。そしたらあの帝国憲兵はなんと言ったと思う? “いいことを教えてやろう。物資を横領したのは本当は俺さ。だが、宇宙の真理は弱肉強食、適者生存、優勝劣敗だ。無価値な弱者を価値ある強者が利用してなにが悪い。それが明白な真実だ“と嘲笑しながら言いおったんじゃよ。他の兵士どももみんな笑っておったわ。儂は怒りのままにそのことを大通りで叫んだが、帝国人どもはだれも信じなかった。それどころか、警察に侮辱罪で逮捕されて拷問されて、自分が被害妄想に陥っていたと自白するはめになった……これだから、信心も道徳もない帝国の野蛮人どもは……」

「ロクゴウ大司祭、落ち着きなさい。ここは恨み言を言う場ではないのですよ」

 

 そう言って大司祭はなだめ、黙り込んだのを確認するとシオンは続けるように言った。

 

「べつに一から百までこの捜査資料が捏造による産物であるとまでは言おうとは思いません。ただ、わたくしたちには経験してきた歴史があるのです。北欧神話を国教と定める帝国が都合よく他の宗教を利用してきたという歴史を知っているのです。そうしたわたくしたちの常識からすると、とてもこの捜査結果は信じられません」

 

 ロクゴウの個人的経験談とシオンの理性的な弁論で、帝国軍将兵が漂わせていた敵意はやや萎えた。

 

「例えばですが、資料にはキュンメル男爵という人物を地球教が利用して皇帝弑逆を目論んだとありますが、主従が逆なのではないですか。帝国内部の権力闘争があり、敗北した側がスケープゴートとして地球教に罪を押し付けられたのではないのですか。それにオーディン支部の聖職者たちが尋問の結果、地球教本部の指示によって実行したという証言があったとありますが、この証言はどのような尋問方法でとったのですか。先ほどのロクゴウ大司祭のように拷問、ないしは自白剤の投与によって無理やり証言させられた。あるいは、苦痛から逃れたいがためだけに心にもないことを言ってしまっただけではないのですか。そうした懸念が払拭されない限り、わたくしたちはこの捜査資料を信じることはとてもできません」

 

 シオンは毅然とそう主張した。その内容はそれなりに筋が通ったものだったので、帝国側は対応したものかと頭を悩ませた。すくなくとも捕まえた地球教徒たちに対して強力な自白剤を投与して尋問したことは、帝国軍高級将校にとっては周知の事実であり、尋問の過程の記録を帝都から取り寄せても、彼女たちの帝国への不信を解くことは困難をきわめる。

 

 ワーレンは地球への派兵を議論する御前会議でラングが地球教のことについてもう少し詳しく調べるべきだと主張していたことがあながち間違いではなかったのかもしれないと思わずにはいられなかった。遠征では地球教にたいする情報不足からくる問題に何度も遭遇している。少なくとも、地球教本部を制圧した後、事実を地球一〇〇〇万の民に公表して軍政下におくという計画は、シオンたちの帝国に対する不信感がこんなに強いことを考慮すると実現困難であろう。もし普通の地球人がそれほどでなければ大丈夫かもしれないが、彼らがシオンらダージリン首脳部を強く信頼しているとなると、望み薄である……。

 

「……われわれとしては、憲兵隊の捜査を信じているし、また、その捜査結果を前提に行動するより他にない。だが、地球人たちがその捜査に強い不信感を抱いているということについては、心にとめておこう」

「ご理解いただけて結構です」

 

 今回の地球教本部の制圧が皇帝の勅命によって行われたことである以上、艦隊司令官といえど一臣下に過ぎないワーレンとしてはそれが最大限の譲歩である。そうした事情をダージリンの聖職者たちが知っていたわけではないが、交渉の中心となっていたシオンは妥協点としては充分だろうと判断し、ワーレンの言葉を受け入れた。

 

 そしてワーレンはというと、地球の今後の統治に関して実際的な議論をシオンたちと続けながら、今回の顛末に帝都にどう報告したらよいのだろうかと頭を悩ませるばかりであった。




シオンさんは弁護士として優秀なスキルをもっているようです。
……というより、原作であの後の地球を帝国はどう処理したんでしょうか?


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ある意味での平和

地球語を「さ行」がすべて「ス」に変換されることで表現しました。
読みにくいでしょうが、そういうもんだと思ってください。今話限りでもう出ないでしょうし。


 ワーレンとシオン主教が神殿で議論を交わしている時、ポプランとコーネフが二人でダージリンの街を歩き回るようになったのは、別に当人らが望んだというわけではなく、そうするしかなかったというだけの理由であった。

 

 というのも、最初は帝国軍人たちが会談に参加しなかったフェザーン人三名を通訳として、直接ダージリンの住民から情報を収集しようとしたのだが、だれもかれも帝国軍人が近寄ると蜘蛛の子を散らすように逃げ、住宅を訪問すると恐怖で縮こまって震えるばかりで話にならない。住民が錯乱して軍人に襲い掛かるということさえあった。会話できた者もいたが、ひたすら帝国軍の機嫌を損ねないよう言葉を選んであたりどころないことしか言わないか、村八分をくらっているはぐれ者で街社会に無知すぎる者のみで、ダージリン全体の実態を知る手がかりにならなかった。

 

 これはいったいぜんたいどういうことか。ワーレンから民間人から情報収集を任されていたカムフーバー少将は、警備を担当している地球の代表者カロンに、マシュンゴの通訳を介して問い詰めると、カロンは義務を果たすべく、覚悟を決めて答えた。

 

「そりゃあ、あんたたちが怖いからでスよ。だれだっていきなり天空から現れて、本部を消ス飛ばスた武装スた連中は怖い。実際、自分だって警備の責任がなかったら逃げている自信がありまス」

 

 カロンがした長々とした説明を翻訳すると、なんの脈略もなく突然現れた軍隊が、皇帝の居城である新無憂宮(ノイエ・サンスーシ)を破壊していくところを遠目だが直接目撃したオーディン市民が、降下してきた謎の軍隊にたいしてどうされるんだという心境といったところなのである。普通の人間としてはそんな得体の知れない軍勢なんて非現実的なまでの恐怖の対象でしかなかったのだ。

 

 そのことを理解したカムフーバーはなにも言い返せなかった。自分だって、そんなあからさまに危険な連中とはかかわりたくはない。いや、この場合、地球教本部にいた者達のほうが危険な連中であったことは疑いないのだが、少なくともカロンや彼の部下の地球人の反応を見た限りでは、地球教本部に対して特に悪感情も不満も抱いている様子が欠片も感じられないどころか、本部をつぶした帝国軍に強い警戒の念をむけてくるほどなので、地球人からは見た帝国軍に対する認識はそういうものになるのだろう。

 

 カロンは武装を外して軍服を脱ぎ、帝国語で喋るのをやめてコーネフたちみたいに普通の言葉で話せば同じ人間であることをアピールすればいけるのではないだろうかなどとと提案したが、帝国軍士官は標準的な同盟公用語しか理解できないし、武装解除して地球教の警備のみを頼るほどカロンたちを信じているわけでもなかったので、現実的に不可能だった。

 

 だがそういったなりゆきの中で、あることに気づいたポプランが自分たちフェザーン人単独で地球人たちを接触する許可をもとめたのである。カムフーバーは保護している民間人にそこまでさせるわけにはいかないと渋ったが、らしくもない粘り強さを発揮してポプランは発揮して、誓約書を書くことと引き換えにそれを認めたのであった。

 

「自分からこんな面倒なことを買って出るなんて、なんのつもりだ?」

 

 帝国軍の一団とそれなりの距離がでたところで、コーネフが疑念もあらわにそう問いかけた。ちなみにマシュンゴも許可を与えられていたのだが、ユリアンが心配という理由で神殿前で待つことを選んだので、同行はしていない。

 

「いやな、ここにいる地球人たちは本部にいた連中とちがって普通の人間らしいってことは、良い女もいるかもしれんと思ってな」

「……ジョークみたいな思考してるな、おまえ」

 

 やや引きながらのコーネフの発言に、ポプランはやや驚いた。まるで先に戦死した戦友イワン・コーネフを彷彿させる毒舌である。そういえば、目の前のボリス・コーネフとは従兄弟関係であったはずだから、この毒舌は血筋のなせる技なのであろうか。

 

「にしても藍色の制服を着ているのは、ここの警察か軍隊に所属している連中なのかと思ってたが、どうも違うみたいだな」

 

 数人に固まって遠くからこちらを見てくる地球人たちを一瞥して、ポプランはそう評した。警備として神殿近くに侍り、帝国軍と対応していたのは二〇代~三〇代半ばの屈強な男性ばかりであったが、この場だとひ弱そうな男や女も藍色の服を着ているし、あきらかに一〇代と思しき少年たちさえも服を着ている。というより、今まで見たダージリンの住民の七、八割が藍色の服をきていた。

 

「女も野郎と同じ格好をしてるなんて、わけわからん」

 

 それは非常に重要なポイントであり、特筆すべきところだとポプランは思う。探せば、それなりの個性のある服装をしている者もいるのに、何を好きこのんで他人と同じ服装をしているのか。

 

 そうこう考えている内に街の端近くまできてしまい、二人は足を止めた。帝国軍の集団からかなり距離があるこの地点で立ち止まっていれば好意的か非好意的はべつとして、なんらかの接触をはかってくる地球人がでてくるかもしれないと踏んだのである。

 

「それをわけるのは、接触してくるやつが男か女かの違いになるとおれは思うわけだ」

「なんでだ?」

「男ならおれみたいな伊達男は殴りたくてしかたないだろうし、女なら仲良くなりたくなるのが人情ってやつさ。いや、最初は非好意的だった女がおれの博愛精神に感動して好意的になるってのも、可能性としてはあるか」

「地球教の総大主教に美人の娘がいて敵方の勇者と恋におちるだのとうそぶいていたことといい、本当におまえは立体TVドラマの脚本家になれそうだな」

 

 コーネフのあてこすりに、ポプランはやや顔を歪めた。

 

「あれはあまりにもアホらしい予想だった。ちょっと反省している」

「ほう、おまえさんにしては随分と殊勝な態度だな」

「いやなに。あんな人体の構成要素に陰気しかないような爺の嫁になってやろう。なんて奇特な考えを持っている女なんか人類の歴史をひっくりかえしても絶対存在しないからな」

 

 ひどく総大主教を貶めるような発言したためというわけでもあるまいが、おそるおそるといった感じでポプランたちの様子をうかがっていた集団の中から、一人の少年が物陰に隠れながら接近して、ポプランに殴りかかった。しかし歴戦の撃墜王は軽く身をひねっただけでその拳をかわして、反対がわの腕を掴んだ。

 

「人を殴るなら、もっと腰を入れた方がいいぞ」

「ええい、離ス! この野蛮なシリウス人が!」

 

 まったく見当違いの罵倒を浴びせられた気がして、ポプランは思わず「は?」と口から漏らした。その瞬間、わずかに力が緩んだのをみて、少年は力まかせに強引に拘束から自分の腕を解放させ、ポプランとコーネフを睨みつけた。

 

「パーソンズ!」

 

 鋭い叫びが聞こえ、ポプランは声の方向を見ると藍色の服をきた一団があせった顔でこちらに走ってきていた。その一団の中に女性の姿もいくつかあったが、それにポプランが喜んだかどうかは残念ながら不明である。

 

「なにをやっているんだお前は!」

 

 一番年長らしい青年がパーソンズ少年の頭に一発拳骨をくらわすと、ポプランに向き直って厳粛な表情を浮かべると頭をさげた。

 

「私の部下が失礼スた。でスが部下の責任は上司がとるものと考えまスれば、責任は自分、オグム・ヨンウのものであることは明白であるがゆえ、彼を赦スていただきたく」

「た、班長!」

 

 ヨンウの発言に、周りの者たちは慌てた。特に原因となったパーソンズ少年は青い顔をしている。どうやらヨンウの命が危ないと行き過ぎた想像をしているようだったが、そんな気はポプランにはまったくなかったし、部下を助けるために自らの命を投げ出そうとするヨンウの姿勢には好感しかいだけなかった。

 

「悪ガキにからまれるのは慣れてるからかまわんさ。いちいちだれだれの責任なんていいだすつもりはない」

「ほ、本当でスか」

 

 ヨンウがそう言って、二人を訝しむ視線をなげつけてきたので、ポプランとコーネフは力強く頷いた。すると全員がホッとしたため息をついたので、どうやらヨンウは彼らからとても慕われているようであった。

 

「あ、そうだ。詫びがわりにひとつ教えてくれないか。おまえらが着ているのはなんの制服なんだ? 警察かと思ったが、それにしちゃあ、まだシリの赤いやつらもずいぶん着ているし」

「ああ、これは青年団の制服でスよ」

「青年団?」

「正式名称は聖地球青年奉仕団(Holy Earth Jeunes Volontaires)という長ったらしいものでス」

 

 簡単にいえば地球教団傘下の青少年組織である。一応、自由意志による参加が原則とされているが、青年団は一種の教育機関としての側面を有しており、さらにこの組織以外に公的な教育機関が存在しないため、参加しない人物は他の惑星で例えれば小中学校に入学すらしていない人物であるというふうに認識されることになるので、社会的空気に押される形で事実上ほぼ全員の地球人が一度は入団したことがある組織である。

 

 一〇歳から入団を受け付けており、入団するとまずは学習組に配属され、同年代の少年少女と集団生活を営みながら年長の団員や聖職者からさまざまな教えを受け、地球の社会人となるべく成長していくわけである。青年団が主体となって子どもたちの面倒をみてくれるため、家族にとっては子どもの面倒を見る負担が軽減されるし、地球教にとっても若者達に信仰心を植え付ける都合の良い組織として重用されていた。

 

 また地球教にとって都合の良い点のひとつに、労働力の管理という面がある。入団から五年たって学習組を卒業すると、青年団指導部が判断でいくつかの奉仕組として振り分けられる。その奉仕組の種類は多岐にわたり、警備、建設、農業、祭祀……とにかく人手が必要な類の仕事するための労働力として活用されるのである。

 

 この職業組の期間はきわめて長く、個人差はあるが一般的に三〇代なかばあたりまで労働力として青年団指導部に管理されることになる。その期間を終えると青年団指導部に入るなり、青年団から卒業して聖職者の道を歩むなり、逆に青年団を労働力として活用する事業者になったりするなどさまざまな道を選ぶことができるようになる。

 

 ヨンウの説明から青年団の構造をそのように理解したコーネフは、よくできているシステムだと称賛した。奇抜性や発展性にかけ、いささか非効率なように思えるが、人員の欠員補充が簡単にできるため、組織の存続という一点だけでみれば、なかなかの完成度であるといえよう。

 

「しかしどうやって所属の区別をつけているんだ」

 

 すると胸につけているバッジで区別をつけていると返答がきた。指導部の判断によっては、別の奉仕組に変更させられることもあるため、付け替えられるバッジで区別をつけているのだという。また胸につけているバッジで、学習組で優秀な成績を示していたことやどういう奉仕組に所属していた経験があるか。また、いまどういう階級(隊長とか班長とか)を保持しているのかまでバッジでわかるようになっているのだという。

 

 しかし班長という階級名といい、こういった服装の規則といい、自己完結の色が強い組織体系といい、ポプランはある組織との類似性を思い浮かべずにはいられない。

 

「軍隊かよ」

 

 思わずこぼれた言葉に対する反応は激烈だった。

 

「軍隊なんかと一緒にスるな!! シリウス人!」

 

 パーソンズ少年は顔を真っ赤にして怒鳴った。そして他の地球人達も無言とはいえ、パーソンズの発言に内心同意しているような表情をしていたのでポプランはどう反応するのがただしいのかとっさにはわからず呆然としたが、そこはフェザーン商人として海千山千の客を相手にしてきたコーネフが愛想よくフォローした。

 

「いや、すいませんね。私どもはフェザーンという遠い惑星から来た者ですから、地球の常識に疎くて気づかず相方が失礼な発言をしてしまったようで、もうしわけない。しかしどうして私たちのことをシリウス人と? 私どもはフェザーンで生まれた正真正銘のフェザーン人なのですが」

「……いやこちらこスもうスわけありまスんね。パーソンズのやつは不真面目で、歴史の授業スかろくに聞いてなかったもんだから、現代知識に疎くてね」

 

 不真面目で歴史の授業しかろくに聞いてなかったという言葉に、どこぞの魔術師のことをポプランはとっさに思い浮かべた。

 

「だって外の宇宙のやつらはシリウスなんでスょ?」

「パーソンズ、この地球のまわりにある国は、銀河帝国っていう国で、シリウスじゃないわ。シリウスはとっくの昔に滅んでるのよ」

「そうはいうけどイヴォンヌ姉。僕には帝国とシリウスになんの差があるのかわからないよ。地球人だからって理由で大量殺戮スたシリウスと劣悪分子だからって虐殺スてまわる帝国のどこが違うの? どっちも人命軽視のろくでなスどもじゃん。面倒だからどっちもシリウスで問題ないよ」

「問題スかないわよ、バカ」

「どこが? 僕はイヴォンヌ姉が、ふたつを区別スる理由がわからないよ」

 

 小首を傾げるパーソンズの言葉に、イヴォンヌは何を言っても認識を変えないんだろうなと肩をすくめた。しかし、さっきの言葉の意味は彼女も理解している。彼女はきめ細やかな黒い肌が魅力的な女性であり、ゴールデンバウム王朝下の帝国では緩やかに絶滅すべき対象として問答無用で農奴階級にさせられるであろう人種の人間である。地球人を憎悪したシリウスも、劣悪分子を憎悪する帝国も、地球生まれの黒人であるイヴォンヌにはたいして変わりがないではないかという意味なのだ。

 

「……まあ、たスかにスうかもね。外は全部私たちを拒絶スる世界スかないもの」

「ちょっとまってくれ。帝国はそうかもしれないが、フェザーンや同盟は、きみみたいな魅力的な女性を拒絶したりしないぞ」

 

 コーネフはぎょっとしてポプランを視線で非難した。もしこれでフェザーンに行きたいとかいいだしたらどう責任とるつもりなんだ。もうフェザーン自治領は帝国領土に編入されてしまったんだぞと視線が物語っていた。

 

「フェザーンという国は知らないけど、同盟のことは教えてもらったことがあるわ。でも、正直、スこに行きたいとは思わないわね」

「なんで?」

「だって帝国の特権階級を抹殺スろと叫んで帝国と一世紀以上も戦争スている国のことでスょ? 人類は皆スからべく地球の子なのに、兄弟殺スを公然と謳っている時点でねぇ。スれに軍隊っていう大量殺戮を目的とスた組織が存在スている時点で、敬愛なる聖ジャムシード様の偉業以来、母なる地球の加護の下、平和に暮らスている私たちからスたら帝国と五十歩百歩よ。ハッキリ言って異常だわ」

 

 あまりにも予想外な見解に、ポプランとコーネフはそろって顎をはずしかけるほど口を大きくあけた。冗談を言っているのかと疑いたい気分だったが、イヴォンヌはごく当たり前なことを言っただけといった態度であり、驚きを禁じ得ない。

 

「私もスう思いまス。外の宇宙では一世紀半近く、一度の停戦すらスることなく、慢性的に戦争をスていると聞きまス。もちろん、地球でもシリウス戦役終結から聖ジャムシードが誕生スるまでの数百年間、地球はいくつもの国家にわかれて群雄割拠ス、互いの領土と資源を巡って戦争の絶えない日々が続いていたスうですが、それでも束の間の平和、言い方は悪いでスが次の戦争のために力を蓄えるための停戦といったものはあったことを思えば、外の宇宙で起きている戦争は異常とスか言いようがありません。私たちの理解を絶する狂気的な世界が広がっているとスか思えまスん」

 

 そう言って補足するヨンウのセリフを、あきれるべきなのか感心するべきなのか、非地球人である二人にはわからなかった。地球教の語る歴史が概ね真実であるのだと仮定すれば、民衆はなんの政治的権利も与えられることなく、かなり貧しい生活を送っていたにしても、教祖ジャムシードが全地球反戦連合を率いて目的を達成してから数世紀に渡って戦乱とは無縁の生活を送って来たともいえなくもないのである。そうした彼らの視点に立てば、飽きることなく戦争に狂奔していた帝国も同盟も理解不能な戦争狂に映るのかもしれない。

 

 だが、地球教の悪業を知っているポプランたちからすれば、皮肉が強すぎる冗談としか受け取れない。なのにそれを地球人達は真剣な顔で大真面目に主張しているのである。無知は罪なり、とは、こういう時に使うべき諺なのだろうか。

 

「あー、知らないのか? 帝国と同盟の間で和平が結ばれて、戦争は終結したんだぜ。だから、フェザーン人のおれだって安全にここまで来れたわけで……」

 

 言葉に迷った挙句、ユーモアのかけらもないことをポプランは言った。

 

「おお! スれはよかった。 われらが母なる地球に平和を祈り続けた甲斐があったというものでス」

 

 どういう思考回路をしていれば、そういう結論にたどりつくんだ? そうポプランはツッコミたくてたまらなかったが、ここで地球教に対する信仰をバカにするような発言をすれば、確実これ以上の情報収集はできなくなるので堪えるしかなかった。コーネフも同様である。こんな誇大妄想患者が一〇〇〇万人もいる地球を統治しなきゃならないなんて帝国も大変だなと、皮肉屋の彼にしては珍しく帝国の要人たちに心からの同情を禁じ得なかった。

 

 感動に浸っている彼らの中で唯一、パーソンズ少年だけがつまらなさそうな顔をして舌打ちをした。どうやらこの団体の中で彼だけが重度の誇大妄想患者でないようで、こういった馬鹿馬鹿しい理屈に反感を抱いているようである。上品にいえば、地球に対する信仰心に欠けている人物であるらしかった。

 

「フェザーン人だって? シリウス人じゃないっていうなら、あんたはらはなんのために地球にやってきて、帝国軍なんていう殺人者の集団と行動を一緒にスてるんだ」

 

 どうやらパーソンズ少年の頭の中では、シリウス人と軍人と殺人狂という言葉は、同義語であると考えているようである。コーネフはややうんざりしながらも、説明した。

 

「仕事だよ。巡礼者を地球に運ぶ仕事をしてただけなのに、地球教本部の連中になぜかいきなり監禁されてな。そこを帝国軍に救われた。それだけの話だ」

 

 あまりにも投げやりな発言に、信仰心の強い地球人たちの反感を買うのではないかとポプランは内心危惧したが、意外にも穏やかな反応が返ってきた。

 

「ほう、スのようなことが」

 

 特に関心がなさそうにヨンウはそういったので、ポプランは思わず問いかけた。

 

「やっぱり本部って嫌な連中ばっかで、評判悪いの?」

「嫌というわけではないでスが、苦手でス。なにかにつけ高圧的で、頑なスぎると言いまスょうか。本部から来た人のほとんどが内面が伺えない態度の人たちばかりで……。真面目に仕事をスているのは分かるから決スて悪い人たちではないのスょうが、どうも親スくなりにくいというか、スんな評判でス。だから、なにか勘違いをスて、あなたたちを監禁なんてことをスていたとスても、まあ、ありえることなのかなと」

「シオンせんせいほどズゃなくても、もう少ス私たちとかかわってくれたらいいんだけどねぇ」

 

 これはのちの帝国軍の調査でわかったのだが、ダージリンに限らず、地球全体で地球教本部の評判は決して良いものではなかった。というのも、地球教本部が地球を統治しているということはわかっているが、どのような形式で統治しているのかということを住民たちはちゃんと理解しておらず、ほとんど地元だけで社会が完結していると思い込んでいる節すら存在したからである。

 

 彼らが地球教本部の存在を感じる時といえば、配給時や年に一度の物資の徴収の時くらいなもので、教団本部のことはよくわからない連中というふうにしか思っていなかったのである。実際には地方自治体と化している支部と交渉したり命令したりしてそれなりに地域社会に介入しているのだが、そんな情報が民衆に漏れることはほとんどなかったので、政治的知識に疎い民衆には実感がなかった。

 

 つまり、地球教本部に何の感情も抱きようがないというのが本音なのである。ただ基本的に貧しい地球では、地域社会で自給自足していくには厳しいので本部からの配給物資はありがたいものであったし、ごく稀に地域の要望を実現する為に協力してくれることもあったので、よくわからない連中だけどとにかく偉いんだから敬意をしめしておくのが無難である、というのが地球の民衆の最大公約数的見解であった。

 

「シオンせんせいってのは、ここの都市長だっていうシオン主教のことか?」

「ええスうよ。彼女は仕事はほとんど部下たちがやってくれるから、冠婚葬祭の時か大きな揉め事が起こった時に仲介役を務める時以外は時間に有り余っている毎日だと言って、私たちによく声をかけていつも面白い話を聞かスてくだスるの」

「彼女? ってことは女性の主教さまなわけ?」

「ええ、知らなかったの?」

「ああ、知らなかった」

 

 イヴォンヌの言い切りにポプランはおどろいてそう言った。地球教本部で二週間近く過ごしたが、その間に女性の聖職者を見た覚えがなかったので、てっきり地球教は男性しか聖職につけない宗教なのだと思っていたのだ。

 

「念のために言っとくけど、いくら美女だからといって主教だからな。結婚スたいとか変な夢見るなよ」

 

 ポプランのプレイボーイぶりを知っていたわけではないが、その表情に不穏なものを感じたパーソンズ少年がそう言って釘をさした。なかなか勘の鋭い少年である。

 

 むろん結婚する気は毛頭ないポプランは大きく頷いた。ただ住民からこれだけ慕われている女性であり、おまけに美女であるというから、機会があれば主教様にも自己流の博愛精神のなんたるかをご教授したくなっただけで、邪な感情はまったくないのだから。

 

「かなり話がそれたが、今は帝国も差別の誤りを認めたし、戦争も終結して外の宇宙も平和になってる。それでも外の宇宙に出ていこうって気にはならないのか?」

 

 他人が聞けばその考えそのものが邪なものだと弾劾されそうなことを先ほどまで考えていたとは思えないほど真剣な表情で、ポプランは問うた。すると全員が黙り込み、重苦しい沈黙が数分間流れた。やがて、パーソンズ少年が口を開いた。

 

「この街は自分たちが作った街なんだ。たとえここが他の星と比べて貧スいとスても、この街が一番だ」

「どういう意味だ?」

「われわれが開拓スたんですよ」

 

 パーソンズ少年の言葉足らずの説明を、ヨンウが引き継いだ。

 

「聖ジャムシードが平和を齎スた時、シリウス戦役やその後の戦乱によって、地球上には廃墟の闇スかなかったといいまス。そんな廃墟の闇を切り裂き、平和の光に祝福スれた営みができるところまで開拓スなおスた誇りが私たちにはあるのでス。私たちが耕スている茶畑もどんどん広くなっていってまス。たとえ物質的に貧スかったとしても、われわれは先祖が開拓スたこの大地に感謝スながら、その事業を引き継いでよりよき世界を築こうと努力ス続けているという精神的な幸福がありまス。自分の力が間違いなくこの街の役に立っているという幸福が。でスが、おスらく、外の星々には物質的に豊かではあっても、スういった幸福感を感ズることはできズ、精神的には荒廃スきっているのでスょう。でなければ、一世紀以上も破壊スか齎スない戦争を続けられるはズもありまスん。……お二人の言葉信ズるなら、最近ようやく戦争が終わったスうですが、スれでもこの地球に勝る幸福が他の星々で感ズられるとは、とても。スれに信心を忘れることなく建設的に働き続ければ、いつか地球は本当の意味で豊かになれると信ズています」

 

 ある意味、地球人たちの意見は間違ってはいないのかもしれないとコーネフは思った。偏見交じりであるにしても、一世紀半に渡って馬鹿らしい戦争を続けているという評価は、当事者ではなかったフェザーン人だってしていたことである。そして彼らの主観的には、ここで生活していることが幸福であるというのも間違いではないだろう。それが正しいものかどうか、他人からどのように見えるかは別として。

 

 しかし、どちらにしても、こいつらは気に入らないとコーネフは鼻を鳴らした。ポプランの方はそうでもなかったが、巨大な見えない壁の存在を感じずにはいられなかった。彼ら個人はべつに悪人というわけではなく、相性がいい人間だっているかもしれない。ただ、信じている世界観が違いすぎる。




本作の地球は祭政一致体制で地球教本部が全権を握っているのですが、地方自治においては支部は傘下の青年団指導部に面倒であれこれ命令するせいで民衆から嫌われやすい行政面丸投げすることによって、時間を捻出して民衆の味方アピールに全力をそそいでいるでのほとんどの地域では支部の人気が高い。
いっぽう本部は地球統治に(巡礼者にたかるほうが利益があるので)さほど熱心ではなく、支部からの要請も(工作費偏重による慢性的予算不足のせいで)通ることが少なく、万事規則に従ってるからやってるだけの配給と徴税くらいしか民衆と直接かかわらないので、大多数の民衆からは「なんだかなー」と思われてる。


本作における地球教の統治(図解)
本部→(命令・要請)→支部→(揉め事の仲介&冠婚葬祭)→民衆
             →(行政面丸投げ)→青年団指導部→(労働力管理・教育)→団員


さて、今年もあと二四時間です。みなさん、良いお年を。



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ある種の正気、ある種の狂気

あけおめ! ことよろ!
だけど新年一発目から、ちょっと不快な話かもしれない。


 ワーレンたちとの会談を終え、それと並行して実行していたことが成功したとの報告を聞いて、シオン主教は自室でだらしなくソファに寝転がってくつろいでいた。会談による成果はそれなりに満足できるものであったので、張り詰めていた気を抜くことができたのである。むろん、皇帝弑逆をはかった地球教徒にたいして帝国当局がどれほど敵意を燃やしているかについて帝国側から説明されているので完全に安心できたわけではないが、ワーレン以下艦隊司令部の重要人物たちに帝国軍が地球を統治するのがどれほど困難かは理解させた自信はあるので、当面は大丈夫だろう。

 

 民衆の慰撫や他都市との連絡や交渉、なにより帝国軍が地球教本部に代わって地球の支配者となるエスコート役を務めて自分の価値を帝国軍に認めさせ、帝国軍支配体制下における立場を確保してこの街を守る方策。他にも考えなければならない課題は重要なものだけでも山ほどある。だが、それでも今は休みたかった。事前に多少の情報はあったとはいえ、ほとんど徒手空拳で交渉をおこなったのだ。かなり神経を使って疲れている。最低でも一時間、いや三〇分くらいはゆっくりしたい。

 

 しかしそのささやかな望みは叶えられることはなかった。寝っ転がって数分もせぬうちに修道女が入室してきたからである。ノックもせず入室してきたのでシオンはかすかに眉根をよせたものの、その修道女とは気心知れた仲だったし、表情が険しかったので特に何も言わず、報告を待った。

 

「あの、シオンさま。先ほど交渉で通訳をしていた少年が、あなたに会いたいと」

「通訳のかたが?」

 

 シオンは小首をかたげた。てっきり帝国軍の高級将校がまたなにか言ってきたのかと予想していたのだが、たまたま偶然出会ったというフェザーン商人の少年が自分にいったい何の用なのだろう。いや、いまは帝国軍とそれなりの関係を構築することこそ急務であるというのに、ある意味部外者の少年の要望をなぜここまで持って来たのか。

 

「はい、地球教本部でヴェッセルという信徒に助けてもらったことがあり、その人からシオン主教のことも聞いたので、よかったらあって話がしたい、と」

「……。わかりました。彼をここまで連れて来てください」

 

 ヴェッセルの名を聞いてシオンは状況を察し、ため息をついてそう指示した。アジア地域管区の管理は地球教本部が直接行なっており、ダージリンはアジア管区に所属している関係上、シオンは年に数回、都市運営の報告や陳情を行うために本部に赴くことがあり、その時に客人として遇されていたヴェッセルと会ったことがあり、告解をされたことがあった。

 

 聖職者として、彼の苦悩を説くべく真摯に対応したつもりだが、結果だけ言えば彼の苦悩を解き、救うことはできなかった。その原因について、彼女は彼が地球人ではなく、遠い惑星からの客人であるというから、自分たちとは異なる価値観を有しているがゆえの苦悩だったからだと思わざるをえない。それは翻せば、自分がまだまだ聖職者として未熟ということで、もっと精進しなくてはならないのだろう。

 

 だが、ヴェッセルの苦悩は地球教の決して褒められるべきではない所業と関連していることであった。だからヴェッセルの知り合いだとかいう、フェザーン人の少年を放置しておくわけにはいかない。今の帝国軍は悪くはない対応しているからまだ大丈夫だろうが、彼の口からヴェッセルが知っていることを帝国軍に語られると面倒なことになる。

 

 自分が破滅する程度なら、まだいい。だが、最悪の場合、地球そのものが破滅するような展開につながりかねない……。かといって帝国軍の庇護下にあるフェザーン人の少年を殺すわけにもいかないし、感情的にも殺人なんか一人の人間としてやりたくない。どういう意図あってのことかさっぱりわからないが、むこうからこのような要求をしてくるということは、少なくとも、話し合うつもりはあるということだろう……。そこに賭けるしかない。

 

 色々考えながら、またしても神経を使う交渉の延長戦が発生して、うんざりしている気分をすこしでもリラックスさせるべく、地元産の紅茶を淹れはじめた。彼女はこの紅茶の香りと味がとても好んでいたのである。紅茶ができた直前にフェザーン人の少年――と身分を偽っているユリアン・ミンツが修道女に案内されてやってきた。

 

「よく来てくれましたね、先にソファに座っていてください。紅茶を淹れてますので」

 

 流暢で丁寧な帝国公用語であったが、この時に彼女と話した中で一番凄みのある声音だったのが出会い頭のこの言葉で、彼女が休憩時間を邪魔されたことにすごく不快感を感じていることを充分に感じることができたとユリアンはのちに回顧録に記している。

 

 実際のところ、彼女が本当にそういう心境であったかどうかはわからないのだが、すくなくともユリアンの分の紅茶も淹れていたので、とりあえず客人として歓迎するつもりであったことは間違いない。机の上におかれたほのかに湯気がたっている二つのコップのひとつをユリアンは手に取り、はっとした。

 

「ずいぶんと香りの強い紅茶ですね」

 

 紅茶狂だったミンツ家の影響で、紅茶にかんする知識が豊富なユリアンをして、そう思うほど強い香りだった。その反応にシオンは柔和に微笑んだ。

 

「ダージリン・ティーというこの街の数少ない特産品です。香りも楽むことができる自慢の一品です」

「たしかに良い香りがしますね」

 

 その評価に、シオンは笑みを深めた。この街の生産物を外の宇宙出身の人が褒めてくれたということが、純粋に嬉しかったのである。その邪気がまったくない反応にユリアンは少々毒気が抜かれた感じがした。

 

「そうでしょう。ですが、香りだけではなく味の方もおいしいですよ。なにせ、かつて有名だったという紅茶のシャンパンを再現すべく、いろいろと茶畑を運営している人たちといろいろ試行錯誤しましたから」

「再現?」

 

 再現という言葉にユリアンは怪訝な顔をした。そこでシオンは説明不足だったと頭を振った。

 

「失礼しました。この街の歴史と少し関わることなのですが、ご説明しましょうか」

 

 一瞬迷ったものの、ユリアンは頷いた。この街の歴史に少し興味が湧いたからである。

 

「この街は、シリウス戦役前まで紅茶の産地として有名だったダージリンという街を再現すべく、二〇〇年ほど前に地球教本部の意向で開拓されはじめた街なのです。その際、かつて有名だった紅茶の再現が大きな目標として掲げられました。地球の大地は過去の悲しい出来事のせいで痩せ細っている土地が多く、ここもその例外ではなかったそうですが、そのために他の惑星から何百兆トンという肥沃な土を購入して、地球の土壌と混ぜ合わせるなんてこともしたそうです。最初は香りがしないとか、飲むことすらできないようなひどい味になったりとか、散々な結果になっていたそうですが、住民たちは諦めることなく、長い年月をかけて試行錯誤をし続けた結果、ここまで素晴らしいものをつくれるようになった。だからダージリンの住民にとってこの紅茶は自慢なのです」

「そうなんですか」

 

 興奮気味にそう語るシオンの姿は、聖職者というには少々落ち着きがないように思えた。

 

「……ですが、わたくしたちのだれも大昔のダージリン・ティーを飲んだことがないのですから、よく考えてみればこれをダージリン・ティーと呼ぶより、街の名前同様ヌーヴォ(新しい)・ダージリン・ティーと呼ぶほうが正しいのかもしれませんね。同じ味と香りなのかまったくわかりませんし、ダージリンという街の名前自体、大昔の超大国で紅茶におそろしいほど執着していた大英帝国がこの地を植民地としてから、現地人を奴隷のように扱って作らせていたものらしいですから、相互理解と純粋な努力の末に誕生した今のダージリン・ティーと同じものとして扱われることに多少の抵抗が……。いえ、あくまでわたくし個人の意見です。大英帝国が滅んで生産が強要されなくなっても、儲かるからとつくられつづけていたわけですから、大昔のダージリン・ティー自体に問題があった、というわけでもありませんから」

「は、はあ」

 

 熱が入りすぎていたことに途中からたんに自分のこだわりに突入していたことに気づき、優雅にくだんの紅茶を飲むべくコップを口に運んで気恥ずかしさを隠したが、手遅れである。

 

 しかし、それはそれとして、振舞われているダージリン・ティーだかヌーヴォ・ダージリン・ティーだかいう紅茶がとてもおいしいものであることはユリアンも認めざるをえない。ヤン提督にも飲ませてあげたいと思うほどであった。

 

 だがユリアンは茶葉をわけてもらえないかと言いたい気持ちをぐっとこらえた。そんなことのためにここにやってきたわけではないし、彼女に聞かねばならないことがあるのだった。

 

「紅茶の話はここまでにしましょう。僕はあなたに聞きたいことがあって、こうして面会をお願いしました。あなたはヴェッセルさんをご存知ですよね」

「ええ、本部で何度か会って話をしました。外の宇宙から来た敬虔な信徒でした」

 

 女主教がやや表情を硬くしたのを、若い少年は見逃さなかった。それでユリアンは彼女が知っていると確信し、怒りを感じずにはいられなかった。彼女はワーレンとの会談の席で、地球教本部の悪業はまったく知らないし、信じられない。そしてもしそれが本当であるというなら嫌悪を隠せないとはっきり宣言していたのである。

 

「あの人は、地球教が巡礼者を麻薬中毒者に仕立て上げて洗脳していることや、歴史を逆行させようと謀略の糸を張り巡らせていることに苦しんでいた。あなたはそれを知っていたのか」

「……知っています。彼がそのことで苦悩していたのも知ってはいます」

「地球教の悪業を知りながら、それを止めようとは思わなかったのか!」

 

 そうユリアンは語気を強くして弾劾した。地球教の行いに対する怒りの他に、ヴェッセルに対する哀れみも混じったものであった。『自由、自主、自立、自尊』。国父アーレ・ハイネセンが唱えたとされており、自由惑星同盟の標語になっている民主主義の原則を思えば、宗教に頼るのはどうかという感情もなくはないが、ヴェッセルはそもそも民主主義者ではないし、その悲惨な境遇を思えば宗教にすがりたくなる気持ちも理解できなくはない。

 

 だから地球教が本当に人の心を救うことを目的としたまっとうな宗教であったなら、ヴェッセルがあそこまで自分を見失うことはなかったのではないかという怒りがあったのだ。しかし、シオンはためらいがちに、予想だにしなかった言葉を返した。

 

「……信徒イザークにも言ったのですけど、なぜ止めなければならないのです?」

「え」

 

 あまりにもあまりな言葉に、ユリアンは思わず間抜けな声をだした。

 

「逆に教えてください。彼はいったいそのことに対してどう苦悩していたのですか。彼が帝国人だから、同じ帝国人が犠牲になることに苦悩しているのかと思ったのですが、彼はそうした行為自体を問題視していたようで……。ですが、それはごく普通、ごく自然なことなのでは? なぜそれ自体が原因で苦悩するのです? 彼が地球人だったというならまだわからなくもないのですけれど……。わたくしにはさっぱりわかりません」

 

 心底わからないといった調子にユリアンは絶句した。シオンにふざけた調子はまったく感じられず、なぜそれが問題なのか本気で知りたがってるとわかるだけに絶句するしかなかった。

 

「地球教の教義は他人を害することを禁じていたはずだ……」

 

 ようやく絞り出した言葉がそんなことであったあたりに、ユリアンの動揺ぶりがあらわれていた。

 

「そうですね。だから地球人がそうした行為を忌むのはわかります。わたくしにしても、本部がやっていることには邪悪に思えますし、嫌悪さえしています。ですが、人民を支配し統治する以上、そうした一面はどうしても出てしまうものではありませんか。だから必要悪としてわたくしたちは黙認するのが常です。ですが、そういったことに苦悩する人がいないわけではないので、そうしたものたちの言葉を聞くことはたまにあります。ですが、彼はそうした行いを公然と支持されている外の宇宙の人。なぜそれを問題視するのかがわからないのです」

「……なんだって?」

 

 ごく当然といった様子でおそろしい偏見を述べるシオンに、ユリアンは激怒した。

 

「外の宇宙の人は、地球教がやっているみたいに民間人を麻薬漬けにして洗脳するような、おぞましいことは絶対にしない!」

「たしかに細部は違うかもしれません。ですが自分たちとは違う集団を食い物にするという本質は同じでしょう」

 

 しかしユリアンの言葉をシオンはそういってさらりと受け流した。

 

「逆に聞きましょう。なぜ一世紀半に渡って戦争に狂奔しているあなたがたがそんなことを気にするのです? それどころか熱烈にそれを推進し、大量殺戮者を英雄として憧憬し賛美するのでしょう? 地球の場合、地球教本部がこういう人物の優れた指揮で何百万もの外の宇宙の人間を破滅させたから崇め奉れなんて言われたら、確実に民衆が激怒して大暴動が起こりますよ」

 

 聖ジャムシードのどんな理由があれども殺人を肯定し賛美する事なかれ、という教えにも明確に反してますしねと肩を竦めるシオン。これは地球人たちにとって言葉にするまでもない常識である。ゆえに地球人たちは公然と戦争の英雄なる殺人犯を称賛している外の宇宙の人たちが、とても理解できない存在である。

 

 国のため、あるいは自分の属する集団のため、殺人を犯すというところまでは理解できる。しかし人殺しは人殺しであり、嫌悪して然るべき行為であって、当然のはずだ。そうでなければ人間ではない。しかるに嫌悪感を抱かぬどころか、大量殺戮者を称賛するとはどういうわけだ。およそまともな精神の持ち主にできることではなかろう。

 

 しかして地球人たちは外の宇宙の住人たちを理性と良識に欠けた戦争狂である合理的に断じ、そんな人間にあるまじき連中がどうなろうが知ったことではないという結論を出す。外の宇宙がどうなろうとも、地球の繁栄こそが大事である。だから地球教本部が外の宇宙で大規模な謀略を繰り広げていることを知っても、多くの地球人は見て見ぬフリをするのだ。地球教本部が地球の繁栄を多少は支えているのは事実だから、彼らがやるべきだというならやらせとけばいい。別にそれで自分たちの生活が悪くなるわけでも、迷惑をかけられるわけでもないのだから。

 

 そういう意味では今回の帝国軍艦隊が地球に襲来し、地球教本部を土砂の中に沈めたことは、そういった地球人たちの“自分たちは関係ない”という固定観念に風穴を開けたといえる。地球教本部の悪業が白日の下にさらされ、何も知らない地球人たちは最初は帝国軍当局を疑っていたが数年の時をかけて徐々に当局を信じて地球教本部の悪業を心から批判するようになり、事実を知って知らぬフリをしていた地球人たちは地球教本部の謀略能力の低下を心の底から罵倒しながら、表向きは地球教本部の悪業を罵倒することになるわけである。

 

 あまりの価値観の断絶にユリアンはどう反論すればいいのかわからなかった。もし戦争賛美者や軍国主義者であるならば、こそこそして陰謀を巡らすより、正々堂々とした戦争の方がはるかに正義に恥じない行為であり、戦場で散ったならばそれは名誉の死である。陰謀で名誉の欠片もなく人を殺すのと一緒にするなと自信満々に主張するかもしれないが、そうではないユリアンにはそんな論法は使えないし、使ってはいけないと信じているのだった。

 

「……たしかに、一世紀半も戦争をしてきた外の宇宙の人たちはおかしいのかもしれない。だけど、帝国や同盟は戦争をしているという事実そのものを隠したりはしない。それに帝国ではどうかしらないけれど、同盟ではいつも戦争をやめようと主張している人たちがたくさんいた! でもあなたたちは地球教本部がなにをやっているのか知ろうともしないし、知っていても声をあげない! それでもあなたたちは自分たちのほうは人殺しを嫌悪しているからというだけで、地球教本部の悪業を見て見ぬフリをしているという自分たちのほうが道徳的だというんですか!」

 

 拙いながらも筋の通った主張であり、ユリアンが弁論方面にも才能があることを示していたかもしれないが、シオン主教はその主張を聞いて、ひどく戸惑っていた。それは理論の矛盾が指摘されたからというより、指摘があまりにもおかしくて唖然としていると言った感じの戸惑いで、ユリアンを不安がらせた。

 

「ごめんなさい。地球教の公報や伝聞でしか同盟のことを知らないから、わたくしの認識が間違っているのかもしれないから自信をもっては言えないのだけど、あなたが言っている戦争をやめようと主張している人たちというのは、いわゆる反戦派と呼ばれる人たちのことよね?」

「え、ええ」

「それで彼らの主張は基本として、若者を戦場に送り出して死なせるような社会は間違っているから、帝国との講和や戦争犯罪撲滅を主張し、過激なものでは徴兵制の完全廃止はおろか軍隊の段階的消滅という主張すらある。そういうものよね?」

「……はい」

 

 反戦派に対する認識が概ね間違っていないとわかっていくにつれ、ユリアンはどんどん不安になっていった。いったい、彼女は自分の主張をどうとらえたというのだろう?

 

「ではなぜ反戦派をひきあいに出して、わたくしたちを非難するのですか。反戦派こそはわたくしたち地球人に一番近い精神を持っているのだと思っていたのですが」

 

 予想外の言葉にユリアンは頭がハンマーで殴られたような衝撃をうけた。なぜと言い返す前に、シオンは理由を語り始めていく。

 

「極々一部の方々を除き、ほとんどの反戦派の方々が忌み嫌うものは戦争そのものではなく、戦争で死んでいく、あるいは死ぬことになるもしれない同盟人の犠牲でしょう。でなければ帝国軍に大敗して多くの犠牲を出した同盟軍の提督のことを道義的に恥じるべきとか、同盟軍の犠牲少なく帝国軍の大軍を打ち破った提督のことを人命の大切さを良く理解しているとか、そんな的外れな表現を平然とできるわけがないでしょう」

 

 戦争という概念を極論してしまえば、公然と人殺しが推奨されるばかりか大量殺戮を実施すれば英雄とすら呼ばれる異常な時間と場所のことである。その前提に立てば、味方の犠牲少なく敵を抹殺した英雄を道徳的に賞賛するというのは欺瞞に満ち溢れている。大量殺人を実行した英雄様とやらがなぜ道徳的に良い行いをしているといえるのかさっぱりわからない。英雄様をも殺人者と糾弾してこそ、真に道徳的なのだ。

 

 いやそれどころか、本当に大敗した敗将が圧勝した名将より道徳的に劣弱なのかどうかすら怪しいものだ。もしその二人を分けた差が、敵軍を一方的に虐殺することを気にしたか気にしなかったのかの差であるというなら、かえって敗将のほうが道徳的に優れていたとさえ言えるのではあるまいか。むろん、それならそれで敗将には一軍の長として無責任なことこの上ないという別の問題が発生するわけであるが。

 

 もし同盟軍の徴兵制が廃止され、戦争に行きたいやつだけが志願して戦場に行くようなことになったら、同盟本土が戦争に巻き込まれない限り、反戦派の多くは活動に意味を見出せなくなるだろう。もしくは、ありえない仮定に過ぎないが、仮に同盟軍首脳部が全員、常勝不敗の名将で味方の犠牲者を一兵もださず、帝国軍に毎回毎回大勝するようなことなった日には、反戦派の九割以上がそのまま主戦派に鞍替えする珍事すら発生するのではないだろうか。

 

「いったい、わたくしたち地球教徒となにが違うというのでしょう。わたくしたちだって、本部の行いを黙認していたのは自分たちの生活にプラスもマイナスもまったくなかったからであって、もし強制的に謀略のための人材として徴集されることなれば、先ほども言いましたように民衆の大暴動が発生するでしょう。すくなくともわたくしは激怒しますし、まちがいなく激怒するだろう知人の名前をかるく一〇〇人はあげることができます。なのに、どうして反戦派をひきあいにわたくしたちが道徳的に劣っていると批判できるのですか」

「……」

 

 今度こそ、反論できない。すくなくない反戦派の活動家たちが、養父ヤンを高く評価し、持ち上げていたことを知っているから。理性的にそのことがわかってしまったユリアンは暗澹たる気分になってふと思った。ヴェッセルがああまで自分を見失ったのは、地球教の暗部を知ってしまったことの他に、地球人たちの狂っている、いや、ある意味では純粋すぎる合理的価値観と衝突し、己の正義感をまったく信じられなくなってしまったからではあるまいか。

 

「その疑問に、僕では答えることができません。ただ、あなたがた地球教徒の主張は間違っています」

 

 だが、それでも彼女の主張を認めるわけにはいかない。子どもっぽいと罵倒されようとも、ただ嫌悪していればそれで良いという主張には断固として間違っていると言わなければならない。地球教のあの行いが、暗黙理のうちに認められるような社会は、絶対に間違っているのだ。

 

「そうかもしれません。わたくしたちも母なる地球が己が子に与えたものすべてを完全に理解しているわけではありません。ですからわたくしには自分が正しいとは、とても言い切れないのですよ。恥ずかしながら」

 

 穏やかな口調で自分の主張がなかば肯定されたことに、ユリアンは唖然とした。反発されることを覚悟で言ったのに、それもひとつの意見として理性的には彼女は受け入れる度量をしめしてみせたのである。

 

「ですが、どこが間違っているのか自分で考えてもわからないことには、他人から指摘してもらわなければ改めようもないのです。いつかそれを説明できるようになった時、また地球にいらしてください。一人の聖職者として、信徒イザークの苦悩をとく助けとなるどころか、より深い苦悩を背負わせる結果になってしまったことをわたくしは悔やんでいるのです。ですから、いつかそれを教えていただきたい」

 

 そう言って悲しげに微笑むシオン主教の言葉に嘘偽りはないように思えた。彼女自身は悪い人ではないのだろう。そうであるからこそ、間違った価値観を否定できないことに自分は悔しさを感じるし、ヴェッセルは絶望したのだろう。地球教の暗部を嫌悪しながらも黙認する彼女らの思考をくずせないおのれの無力さを感じずにはいられないのだ。

 

 それは去り際にシオン主教が自慢の紅茶を気に入ってくれてありがとうと言って、ダージリン・ティーの茶葉をくれたこともあってより強くなった。彼女が地球教の最終目的はともかくとして、サイオキシン麻薬で巡礼者を洗脳していたことや銀河に謀略の糸を伸ばしていた悪業を知っていたことをワーレンに言うべきかどうか悩んでいたが、黙っておこう。それは彼女だけが、ということでもないようだし、理性的な話しあいで言い負かされたからといって相手に対してそんなことをしたら、なんとなく卑怯だと思えたのである。

 

 いっぽう、神殿に残ったシオンは今一度思考を巡らせた。公的権力が戦争を表立って行い民衆がそれに熱狂するより、水面下で謀略を巡らせて民衆はそれを黙認しているほうが、より悪質であるとどうして彼らは断ずるのであろうか。そしてどうしてそちらの側を信じるものが多いのであろうか。地球には一〇〇〇万の人間しかおらず、四〇〇億の人間がそれを間違っているというのだから、やはり地球が間違っているというのだろうか。

 

 いや、正しいか間違っているかどうかが、統計上の数字で判断されていいはずがない。仮に二たす二は五だと主張する人間が圧倒的多数であったとしても、二たす二は四が正しいのだ。多数派であることや少数派であることにいったい何の意味があるというのだろう。むろん、ことは数学の話ではないから、これほど単純なことでは決してない。しかしシオンとしては争いが肯定され英雄が賛美される世界より、建前の上であるにしても争いが否定され英雄は殺人者として罵倒される世界の方が正しいと思える。そしてそれを否定する言葉は何度か聞いたことがあるが、そうした主張には疑問が多すぎて心から納得できたことはいまだかつてない。

 

 そうである以上、自分は正しいはずである。少なくとも間違ってはいないはずだ。ああ、母なる地球は人の子をなんと複雑につくったのであろう。しかし、そのことに感謝こそすれ、恨むことはない。それがゆえに世界には謎が満ち溢れており、教理を極めんとする探求は彼女の心を捉えてやまない。ああ、世界はなんと複雑怪奇なことか! そしてその世界に人の子として生まれた幸運になんと感謝すべきか!

 

 もし絶対なる悪が人間にあるとすれば、それは考えることを放棄することに他ならない。そう信じるがゆえに彼女は聖職者たるを望んだのであり、暇を見つければ民衆に教義や歴史の話をするのだ。彼らもまた人間であり、複雑な思考をすることは人間にのみ許された喜びであるはずなのだから……。




シオンさんは良いか悪いかで言ったら間違いなく一人の人間としては良い人です。
ただ信じてる価値観がおかしいことと、なまじ優秀な頭脳の持ち主であり、知識欲旺盛なせいでその価値観を補強しまくっているので、その価値観は間違っていると言われてもどこが間違っているんだと純粋に気になって尋ね、そしてその疑問をとくほど説得力のある批判を聞くことがありませんでした。

ちなみに彼女の価値観を要約すると「政治とか戦争とか謀略とか知るか! 自分たちに関係ない場所で勝手にやらしとけ! 自分は地元の安全と民衆の悩み相談くらいしか興味はないんだ!」となります。
この作品の地球教の場合、謀略で得た金をそのまま工作費にぶち込んでるので、基本的に地球は自給自足(&たまに謀略で得た端金がプラス)でまわしてたので、どんだけ地球教本部が謀略やってても地球の暮らしは基本的に牛歩の歩みでしかよくならないし、地球人たちは地元の暮らしさえ安泰なら本部がなにやってようがどうでもいいと本気で思ってます。
一部の戦争狂死すべしな過激な人や支配する愉悦を味わいてぇな人は、地元から推薦されるか報告を聞いた本部からスカウトがくるので、自然と住み分けができてしまうといいますか……。

あ、これで地球の話はひとまず区切りです。いやあ、長かった。しかし新帝国歴一年はまだまだあるよw


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激動の足音

久しぶりのゲオルグのターン。


 ワーレンが地球教征伐と地球統治に関する通信で帝都に報告したのは七月三〇日のことであるが、同時期にハイネセンからもたらされた衝撃的な報告によって、帝国政府では皇帝暗殺未遂の主犯である地球教の教主ないしは幹部を捕らえることに失敗したのは遺憾だが、教団本部の殲滅には成功しているからまあよいだろうと若干軽視された感があったのは否めない。

 

 ハイネセンからの報告と軍上層部会議の結論を鑑み、皇帝ラインハルトが大本営を帝都オーディンからフェザーンへと移すことを臣下に向けて布告したのは八月八日のことである。その布告には注釈としてこの移転は一時的なものではないとされていたことから、同盟の完全征服とその後の帝国統治を見越しての遷都の布石であることは明白であった。その布告はアルデバラン星系総督府に所属しているゲオルグら秘密組織にもすぐに知るところとなった。

 

 バーラトの和約の内容を知った時点でゲオルグは帝国のフェザーンへの遷都を予期し、秘密組織のフェザーンへの浸透をすすめていたこともあって、不満がないではないが現地責任者ベルンハルトの下で最低限の秘密情報網を構築済みである。もともとフェザーン人には占領者である帝国に対して好ましからざる感情を抱いている者達が一定数居たので取り込みやすかったことや、交易の要所であるがために人の流入が激しいので構成員を自然な形で溶け込ませやすかったこともあったから、人員の確保が比較的容易だったこともあり、浸透は順調にすすんでいた。

 

 まったくもってラインハルト政権の行動の速さを不安視し、フェザーンへの浸透を急がせたゲオルグの判断の正しさが証明されたわけであるが、それでも流石に占領から一年弱で帝国首脳がフェザーンに移動するなど完全に想定していなかった。おかげで準備不足も甚だしいと秘密組織は愚痴を言いたい気分であったが、その布告内容を知ってから数分後にゲオルグの手元に届いたある報告書がいささか頭を悩ますものであった。

 

「これは同盟は滅びましたね。下手したら年内にも滅ぶのでは?」

 

 ベリーニがあきれ顔でそう呟いた。その報告書は内国安全保障局次長フリッツ・クラウゼがしたためたもので、局長ラングから聞き出した同盟首都ハイネセンにおける騒乱とその対策会議の詳細が記されていた。

 

 秘密組織はまったく把握していないのだが、実はクラウゼは軍務尚書オーベルシュタイン元帥に警戒されており、部下のフェルナー准将に命じて監視させていたのだが、一年近く特に問題がなかったことに加えてその間に大事件が何度もあったこともあって監視要員が減少し続けた結果として監視があまくなっていたことや、クラウゼ自身の用心深さもあって、その監視の目を欺いてこのような報告を行うことができたのである。

 

 その報告によると、同盟首都ハイネセンに駐在していた帝国高等弁務官ヘルムート・レンネンカンプ上級大将は、同盟軍のヤン・ウェンリー元元帥と戦って二度も手痛い敗北を喫したことからヤンに私怨を抱いており、また公的な懸念としても、若い同盟軍最大の名将がラグナロック戦役で同盟政府が降伏すると軍から退役し、元副官の美女と結婚して平凡な新婚生活を送っているということに疑念を禁じえず、裏で帝国を打倒するための謀略を巡らせているのではないかと警戒し、監視を強めていた。

 

 その懸念はレサヴィク星域において廃棄予定の同盟艦五〇〇隻以上も帝国の専制に反対する義勇兵集団によって強奪されたこと、その謎の武装集団を率いていたのは同盟に亡命していたメルカッツであり、彼の庇護者であったヤンが今回の黒幕なのであるという同盟市民の噂、そしてヤンが過激派を結集して反帝国闘争を企んでいるという旨の同盟の権力者集団による根拠のない密告等々によって肥大化し、ついには首席補佐官フンメルが立案した同盟政府にヤンをバーラトの和約第六条によって制定された反和平活動防止法違反で逮捕するように勧告した。

 

 同盟の元首である最高評議会議長ジョアン・レベロはその勧告に対して弁務官府に何の返答もしなかった。だが、レンネンカンプの意向は即ち皇帝の意向であると考えてしまい、ヤンの命を守ってバーラトの和約違反という帝国軍再侵攻の大義名分を与えるか、ヤンの命を帝国に売り渡して同盟という国家を守るかの二択をつきつけられたものと認識したのである。

 

 実際のところ、これはレンネンカンプの独断によるものであったから、帝国政府に直接問いただせばどうにかなる可能性はあった。だが就任から二か月程度しかたってない高等弁務官と皇帝の意思がそれほど乖離しているとは想定できなかったのである。さらにいえば、レベロ自身も和約成立後にいろんな要請をすべて辞退して年金生活にしゃれこんでるヤンを信じきれなかったこともある。残念ながら、常識的に考えて若い救国の英雄が望んでやまないことが安楽な年金生活であると信じられるようなことではないのである。

 

 とはいえ、国民的人気の高いヤンを勧告通りに逮捕してしまえば、ヤンの元部下や同盟の民衆が激怒し、同盟は内乱状態に突入し、そこを帝国につけいられる危険がある。しかし勧告を無視し続ければバーラトの和約違反と帝国から糾弾され、今度こそ同盟は帝国によって完全併呑されることになるかもしれない危険がある。どちらの選択肢を選ぼうとも同盟滅亡の未来に繋がっているようにしかレベロには思えなかったのだ。

 

 愛国者であるレベロにとってそれは断じて許容できることではない。なんとしても民主国家を守らなければならないと幾人かの識者の意見を聞き、清廉なレベロ個人にとってはまったくもって不本意だが、同盟政府は陰謀を持って事態を処理することにしたのだ。即ち、同盟政府の手でヤンを秘密裏に逮捕して抹殺する。そして表的には同盟の過激分子がヤンを担ぎあげることを計画したが、民主主義者であるヤンはそれを拒否した。その態度に過激派は激怒したヤンを殺し、駆け付けた政府軍は過激派を排除してヤンを国家の殉教者として仕立てあげる。

 

 こうすることによって国民感情を過度に刺激することなくヤンを排除することができ、またヤンはもう死んでしまったのでとお茶を濁して帝国のつけいる隙を与えずにすむ。まったくもって自由惑星同盟を存続させる点だけで考えれば、至極妥当な謀略といえた。

 

 だが、ヤンが逮捕されたことをささいな情勢の変化で察したヤンの旧部下たちが武装蜂起。レベロを人質にとって同盟に対する脅しとして用い、監獄からヤンを救出。さらに余勢をかって、高等弁務官府に襲撃をかけ、レンネンカンプをも人質にとり、これを帝国と同盟に対する脅しとして用いることで自己の安全を確保。不要になったレベロをハイネセンから脱出するための手段の準備と引き換えに釈放し、ヤン一党は悠々とハイネセンから脱出したというわけである。

 

 以上がレンネンカンプの部下であったラッツェル大佐が、旧知であった帝都のナイトハルト・ミュラー上級大将に報告した結果、判明した経緯である。軍上層部は被害者であるヤンには酌量の余地があるとし、レンネンカンプの心の狭さを嘆き、事態の悪化を招いた同盟の密告者を処断すべきであると主張。いっぽう、オーベルシュタインはレンネンカンプを擁護し、皇帝の代理人であるレンネンカンプを拉致し逃亡したヤンの責任をこそ追及すべきと主張している。

 

 いずれにせよ、同盟の治安維持能力に深刻な欠如があることは明らかであるから、いつでも軍を動かせるよう準備しておくにこしたことはない、というのが会議の結論であるとクラウゼの報告書には記されている。こうした事前知識を持って、大本営移転の布告を見れば、遷都の前準備というよりは同盟完全征服のために大本営を移転するという趣の方が強いかもしれない。もっとも、大本営移転が一時的ではないと但し書きしてることに加え、フェザーンで権力を拡大していた工部省の尚書もともなっていることを考慮すると、同盟を併呑すればそのまま遷都を宣言する可能性が高いのだが……。

 

「弱りましたね。同盟が消滅してしまえば、もう外に帝国が警戒するほど対外勢力は存在しません。外の脅威がなくなれば、内憂への対処により大きな力がかかることはあきらか。われわれにとっては好ましからざる事態です」

 

 シュヴァルツァーの懸念を、ゲオルグは肯定する。

 

「そうだな。小粒なのも含めれば、急激な改革で割食らったために新王朝に反発的な感情を抱いておる帝国人が少数ながらおるし、占領されたフェザーンや風下におかれている同盟は言わずもがな。そういったものどもに対処しなければならない必要性は帝国政府も理解していよう。旧貴族や残存貴族の叛乱、旧王朝勢力や共和主義過激派の暴動、地球教による皇帝暗殺未遂事件など、軽視してはならぬ事態がそれなりに発生しておるわけであるしな」

 

 地球教による皇帝暗殺未遂事件はともかくとして、前者二つについてはゲオルグ率いる秘密組織もかなり関わっていたのだが、まるで他人事のような口調である。

 

「しかし、ヤン・ウェンリーねぇ……」

 

 あくまで推測であり、裏付けはとれていないとしているが、レンネンカンプの偏見によるヤンへの懸念は、おおむねにおいてあたっているのではないかというのがラングとクラウゼが話しあった結論であるという。またラングによれば、軍上層部もそう推測、ないしは期待している空気があったとのこと。

 

 仮にそれが真実であった場合、ヤンという人物に対して根本から勘違いしていたと思わざるをえない。ゲオルグはヤンのことを指揮官として赫々たる武勲の持ち主であること、バーミリオン会戦でラインハルトをあと一歩で殺せる状況でも政府の停戦命令に従ったこと、なにより名声の持ち主である割にはメディアで彼自身の発言がとりあげられることがほぼないことなどを考慮して、恐ろしい才能の持ち主だが与えられた任務を完璧に達成することしか興味がない、従順で完璧主義的な軍人であると見ていたのである。

 

 実際にヤンの上官だった軍人や同盟の政治家たちがゲオルグの評価を聞けば、あいつのどこが従順で完璧主義的な軍人かと怒りも露わに絶叫すること間違いないのだが、軍人としてはちょっとひどすぎるヤンの勤務態度は同盟軍の体面上よろしくないという理由で公表されるようなことは絶無だったし、表向きにはその武勲と大枠での行動しかゲオルグは知らない。

 

 いや、正確にはある程度は噂という形で知ってはいるのだが、不真面目な怠け者という実像は同盟最高の英雄という有名過ぎる虚像とどうにも合致せず、ヤンに反感を持っている者達がしたネガティブキャンペーンによるものと見做していたのである。実際、ヤンを貶める目的でそんな噂を流した者は多数いるので、その噂の内容が誇張ではあっても概ねにおいて正しいということを除けば、間違っているとは言えなかった。それに、そもそもにおいて、そのような人物が他を圧倒する軍才を有し、それを発揮させ続けることができたなどということ自体、ありえないほど奇跡的な確率なのだ。

 

 そうしたことからゲオルグはレンネンカンプがそうだったように、ヤンの個人的性格について大いなる誤解を孕まずを得ず、誤った情報を前提にしている以上、その思想や行動を理解することは不可能だった。普通に考えれば、ヤンの行動は矛盾だらけなのである。

 

 彼の今までの行動経緯からして独裁者になることに興味がないのは明らかである。だが自分が自由に使える戦力を秘密裏に確保していたことを考えると、自由惑星同盟という国家や民主主義の理念を重視しているということだろうか? しかしそれならバーミリオン会戦でラインハルトを殺しておけばよかったのである。もちろん、そうしたものより自己の生命を重視していたのであれば、主君を喪って怒り狂う帝国軍に殺される可能性を考慮し、命あっての物種と保身のために政府の命令という建前で自己の生命を守護したという推測もできなくはない。だがそうなるとその後、退役しているのが腑に落ちない。

 

 ラグナロック戦役時の同盟軍の最高職責、統合作戦本部長の地位にあったドーソン元帥を除き、帝国が直接処断した同盟軍人は存在しない。バーラトの和約に同盟軍の縮小について定められていたが、そのあたりの人選については同盟政府の責任で行われることになっていたし、ヤンの圧倒的実績からして自ら望めば同盟軍中枢にのこれたはずなのだ。もちろん、同盟軍は帝国の監視下におかれれることになっていたから、帝国の監視をかわすためにあえて退役したという可能性もなくはないが……。ヤン自身優秀極まる軍人なのだから、軍にとどまって勤勉に通常業務をこなしていたほうがかえって自然で、レンネンカンプから過剰な警戒を抱かれることもなかったのではあるまいか?

 

 まさかそんなことすらわからなかったなどということはあるまいし……。などと真剣な推測をするゲオルグには想像すらできない。まさか同盟軍最高の英雄が望まずして軍人となったのであり、さっさと退役して平凡な一般市民となって歴史家になるという本道に戻るのだという願望を抱き続け、軍人人生に未練がまったくなかったなどということは。ましてや、退役したのはどうせ隠している戦力を表立って使うのは数年後になるだろうから、その間は煩わしい軍務から解放されて新婚生活を送るんだという理由であるなど、ゲオルグには仮に知っていても理解不能な思考であったことであろう。

 

 ゲオルグはヤンのことについて、ひとまず思考を棚上げにした。ヤン一党の兵力はどれだけ過大に見積もっても半個艦隊程度であろう。正直、その程度の小兵力で大規模なことをしでかせるとは思えない。かつてその程度の兵力で難攻不落のイゼルローン要塞を攻略してみせたという前例はあるが、今の帝国にはフェザーン回廊があるのだから、仮に回廊のひとつが潰されたところで戦略的意義は薄い。この際、無視してかまうまい。それよりも重視すべきは、シュヴァルツァーの懸念である。

 

 自分の復権のためには、新帝国に都合の良い展開が続くのは非常に困るのである。可能であれば、帝国が警戒する巨大な対外勢力は存在し続けてほしい。だが、両国の戦力差からいって、帝国が同盟の完全併呑を決断すれば一瞬で同盟など飲まれる。もし同盟が存続する目があるとすれば、帝国の中枢でなにかしら大きな問題が発生した場合のみであろう。しかし今後のことを考えると秘密組織を使ってそこまで冒険的なことはしたくない。であれば、とるべき手はひとつ。

 

「同盟首都における一件と帝国軍上層部会議の詳細、ハイデリヒに送り付けよう」

「貴族連合の残党を利用するわけですか」

 

 シュヴァルツァーの確認に、ゲオルグは頷いた。ハイデリヒのおかげで協力関係にある旧王朝残党がなにか大規模なことを帝都で実行しようと考えているという情報を掴んでいる。どういう内容のものなのか判然としないが、故ブラウンシュヴァイク公の家臣ジーベックが計画の首謀者である以上、相当に派手なものであることだけは間違いあるまい。

 

 ラインハルトが遷都を前提にした布告をしたせいで焦っている可能性が高いが、大本営移転は同盟の完全征服のための準備の色彩が強いことを示す情報を提供してやれば、同盟に帝国軍が侵攻しだした瞬間が、最大にして最後の好機であると彼らは認識するはずだ。

 

 とはいえ、ジーベックの優秀さはゲオルグも知るところ。警察時代、ブラウンシュヴァイク公を支えていた奴と幾度か知略を競ったことがあるのだ。その経験からして、クラウゼの報告を丸々提供してやれば、まったく違う方向に路線変更する可能性もなきにしもあらず。だからどのように情報を提供するかはハイデリヒに一任してしまおう。彼にはその程度の能力があるはずだ。

 

 そして万事うまくいってジーベックたちがたくらみを実行し、成功するしないは別として帝都を大混乱におとしいれてくれれば、かつてコルネリアス一世が大親征で同盟首都ハイネセンを目前にして宮廷クーデターのために退却せざるをえなかったように、ラインハルトも退却せざるを得ない状況に追い込まれるだろう。

 

 かなり希望的観測だが、現状、これしか打つ手はない。連中の武運を期待するとしよう。別に同盟が完全征服されても、秘密組織の活動がさらにやりにくくなるだけで、活動できなくなるわけでもあるまいし。

 

「それ以上、同盟の延命に役立つようなことを私がしてやらねならぬ義理もない。それに、私としては、帝国上層部における対立構造を掴めたことの方が重要だ」

「というと?」

「ロイエンタールとオーベルシュタインの間にある対立の話だ」

「ああ、ラングのことね」

 

 ベリーニの声が硬かったのは当然理由がある。内国安全保障局長ハイドリッヒ・ラングは、旧王朝下においては社会秩序維持局長であり、極めて優秀な秘密警察官僚として帝国で活動するスパイにとっては恐怖の対象であった人物なのだ。ベリーニ自身、何度か社会秩序維持局によって危ないところまで追い込まれた苦い経験があった。

 

 そのラングが軍務尚書オーベルシュタイン元帥の後ろ盾を得て、統帥作戦本部長ロイエンタール元帥を追い落とそうと躍起になっているのだという。一応、ロイエンタールの野心と不敵さを危険視する公人としての態度を装ってこそいるが、したたかにプライドを傷つけられた屈辱を晴らそうとする個人的な怒りが見え隠れしているとクラウゼは報告書に記している。

 

 いったいどういう考えがあったのかオーベルシュタインは上級大将以上の者しか出席を許されなかったハイネセンの一件についての対処を議論する軍上層部会議に内務官僚のラングをオブザーバーとして独断で出席させた。そして諸将を相手取ってレンネンカンプを擁護するオーベルシュタインを援護しようと、宇宙艦隊司令長官ミッターマイヤー元帥のレンネンカンプ批判の言葉尻をとらえて以下のような発言をしたのである。

 

「レンネンカンプ上級大将を任用なさったのは、畏れ多くも皇帝陛下であらせられます。司令長官閣下、レンネンカンプ閣下を批判なさることは、神聖不可侵なる皇帝陛下の声望に傷をつけることになりますぞ。そのあたりをどうかご考慮いただきたいものですな」

 

 このような論法は清廉で自らの能力に頼るところが大きいラインハルト麾下の諸将が激しく嫌うものであった。特に長年の親友を敬愛する主君の名を用いて攻撃してきた卑劣漢に対してロイエンタールの怒りは凄まじいもので、罵倒の奔流がラングに襲いかかった。

 

「だまれ! 下種! きさまは司令長官の正論を封じるに、みずからの見識ではなく、皇帝陛下の御名をもってしようというのか。虎の威を借りるやせ狐めが! そもそも貴様は、内務省の一局長にすぎぬ身でありながら、なんのゆえをもって、上級大将以上の者しか出席を許されぬこの会議にでかい面をならべているのだ。あまつさえ、元帥同士の討論に割り込むとは、増長もきわまる。いますぐでていけ! それとも自分の足ででていくのは嫌か!!」

 

 報告書のその部分を読み、俺だって保安上級大将だ! とラングは顔を赤くして言い返したくなったのではなかろうか。そして内国安全保障局が設置された際に、階級制度も改められたせいで保安中将になってしまっていることに思い至って、青い顔をしたのではあるまいか。しかし、実になんとまあ、ラングらしい論法だ。そしてロイエンタールの虎の威を借りる()()狐という比喩もなかなかに巧みだ。よく本質をとらえている。ゲオルグは優雅にそう評価した。

 

 ラングは非常に優秀な秘密警察官であったが、より強い者の陰に隠れたがるところがあった。特に上位者に対してなにかしらの意見表明をする際は、それよりさらに強い者の権威を利用するのである。それは平民の立場が弱かった旧王朝の体制に順応していたがために、おのれの身を守る処世術なのであろう。そして旧王朝下の秘密警察長官としての実績がありながら新王朝においては新参者という弱い立場であるとラングは自覚していたであろうから、その処世術は現在でも有効に機能すると思っていたのだろう。

 

 なのにロイエンタールのこの罵倒である。たしかに卑屈で建設性に欠ける発言であるが、下種とまで罵倒されねばならぬ発言でもあるまいに。だがそれはそれとして、ラングがロイエンタールを憎悪したのは当然として、それを飼い主のオーベルシュタインが抑えないというのは妙である。

 

 ラングは飼い犬としてきわめてすぐれた能力を持っており、自分より強い存在の機嫌を損ねないように配慮して動く謙虚さないしは器用さをもちあわせている。だからこそ自分が内務省で影響力を拡大していくに際し、彼を同盟者に選んだのだ。つまり今の飼い主であるオーベルシュタインがその方針を咎めれば、ラングは自分の立場の悪さを自覚し、おのれの感情を沈めるほうに努力を傾けるようになるはずだ。すくなくとも、社会秩序維持局時代のラングは間違いなくそういう人物であった。

 

 なのにそうなっていないということは、オーベルシュタインはロイエンタールを隙あれば抹殺しようと目論んでいるということになるのであろうか。だとすれば、そこに秘密組織が付け入る隙があるのではないだろうか。幸い、オーベルシュタインの性格や思想はそれなりに研究してきたし、いまいっぽうのロイエンタールとは数度の面識がある。ある程度の為人はつかめているから、やってやれぬことはないだろう。

 

 オーベルシュタインがロイエンタールを排除したい理由については、なんとなくわかる。あの金銀妖瞳(ヘテロクロミア)の元帥は、礼儀正しい危険人物なのだ。機会主義者、という表現が正しいのかどうかわからないが、あの男がどのような状況にあっても、だれかのために献身し続けることができる人間だとはゲオルグはどうにも思えない。あの男は自分より上の存在がいることを認めることはできても、それと対等以上の存在になれるのであれば躊躇うような人間であるとは思えない。もっともなにか根拠があっての疑惑ではなく、いうなれば貴族社会を生き抜いてきた人間特有の直感に過ぎぬのだが、経験上それがまるっきりハズれたことはほとんどなかった。

 

「ロイエンタールですか。ダンネマンのことを思い出すな」

 

 シュヴァルツァーのため息を吐くような発言に、ゲオルグは苦笑で返した。話が理解できず、ベリーニとブレーメが困惑しているのに気づき、ゲオルグは説明をはじめた。

 

「いやなに。私の側近だったフランツ・フォン・ダンネマン警視長は、かのロイエンタール元帥閣下とちょっとした因縁があってな。……そのときは、まだ中尉だったが」

 

 フランツには妹がいて、彼女は絶世というほどではなかったけど充分な美貌の持ち主で有名だった。そのダンネマン令嬢は結婚適齢期に三人の将来有望な士官から求婚されていた。父親は娘の意思を尊重するつもりで、フランツは求婚者全員が良い人物に思えたから口出しせず、結果的にダンネマン令嬢の完全な自由意思で結婚相手を選べることになった。しかし三人の求婚者は全員良い人であるけども一長一短であるように彼女には思え、一生をともに歩むつもりで相手を決めることがなかなかできなかった。

 

 そんなダンネマン令嬢の前に現れたのが、金銀妖瞳(ヘテロクロミア)のロイエンタール中尉である。彼のミステリアスな魅力と深い知性にダンネマン令嬢はたちまち夢中になり、彼と結婚するつもりで一夜を共にしたのだが、ロイエンタールのほうはそんな気は一切なかったので、その一夜限りであっさりと捨てられてしまったのである。

 

 このことにかんして父親はなんて馬鹿なことやったんだと達観気味であったが、休暇で自宅に戻った際にそのことを知ったフランツは激怒した。純粋に妹の純情を弄んだことに対する怒りもあったが、始祖ルドルフ大帝が遺伝子理論を唱えていた影響もあって、結婚前に傷物になった女性への社会的ダメージはけっこう大きいのである。特に優秀な遺伝子を持っているとされている貴族階級の場合は。だから結婚する気がないなら手を出すなよとフランツは怒り狂ったわけである。

 

 実際には隠れて慎ましくやってるとまわりは知らんふりをしてやるべきだという、だれも公然と口にしない貴族的マナーがあるわけだが、ダンネマン令嬢は純粋すぎる娘であったこともあって人目をはばからずにそのことを嘆き、大事になりすぎてそういうわけにもいかなくなっていた。ゆえにフランツは妹に手を出した不埒者に目にものをみせてくれてやろうとしたのだが、すでにロイエンタールは彼の行動に怒りを覚えた求婚者三名と私的決闘に及んだことに対する謹慎期間も終え、遠い戦場にいたのでどうすることもできず、フランツは歯噛みするしかなかった。

 

 そしてその数年後、ゲオルグの側近になって出世街道を順調に歩んでいたフランツは、妹を傷物にした不埒な漁色家とばったりレストランで出会ったのである。彼が妹にした仕打ちを忘れていなかったことに加え、佐官の階級章をつけていることを確認したフランツは、この下種野郎はなんで順風満帆に出世してやがるんだという新たな怒りの炎を燃やし、すぐさま部下に命じてロイエンタールの跡をつけさせて居場所をつきとめると、適当な理由をこじつけてロイエンタールを逮捕して監獄にぶち込んでしまったのである。

 

 警察と年中対立している憲兵隊の苦情をフランツがすべて揉み消しに走っていたことから、かなり迂遠な方法でロイエンタールの部下が事情を知らせてきたことでゲオルグは数日後にようやく事態を把握し、こんなアホらしいことで派閥を危機に陥らせてたまるかとすぐさまフランツを叱責し、ロイエンタールを釈放させた。そして憲兵隊にこれ以上介入されたくなかったので当事者間で話をつけ、事件は解決したという既成事実をつくってしまおうとゲオルグが直接ロイエンタールの下に赴き、謝罪した。これがゲオルグが初めてロイエンタールと会った切っ掛けである。

 

「まあ、そんなことがあったわけでな。ダンネマンはロイエンタールが出世する度にぐちぐちと煩くてな。ローエングラム元帥府に所属して上級大将になった時は、栄光ある帝国軍上級大将が漁色に熱心な色情狂なんて世も末だと卒倒しかけおったほどだ」

「今は元帥に昇進して統帥本部長を務めているとヴァルハラで知ったら、どんな反応をするのでしょうかねぇ」

「……憤死するのではないか? いや、もうすでに死んでおるから、魂がヴァルハラより高次元の世界へと旅立つのではないか?」

 

 なんとも不謹慎な主君の推測に、シュヴァルツァーはあいまいな表情を浮かべてなにも言わなかった。そしてゲオルグはというとダンネマン家は今どうなっているのだろうかと考えた。ダンネマン警視長の死体を確認したのは父親だという情報だから、すくなくともリヒテンラーデ家のように一族郎党撫で斬りなどということにはなっていないようだが。

 

「同盟の混乱、帝国中枢の対立、そしてフェザーンへの遷都。バーラトの和約で数年は平和が続くと見ていたけど見事にはずれたものね」

「ああ、その通りだな。まったくもって、あのお若い皇帝と臣下どもは立ち止まるということを知らぬ」

 

 ベリーニの諦観が混じった言葉に、ゲオルグは頷く。本人らが望んでやっているかどうかは知らぬが、なにかにつけて急進的で、迅速に状況を変化させていく。まったくもって、自分らのように状況を利用しなくてはどうにもならない弱者としてはたまったものではない。

 

「しかしこうなると、ぜひとも我らが総督閣下にご協力願いたいものだな。情報源として有益であるし、場合によっては代理総督閣下と共同戦線を張る際に利用できるかもしれぬし」

 

 ゲオルグがちらりとブレーメに視線を向けると、上昇志向旺盛な青年はその発言の意図を察して口元にニヤリとした笑みを浮かべた。たしかにこのような状況下であれば、彼は取り込んでおきたいカードである……。




そろそろまた派手なことが発生しそうです


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地下協商

 ハイネセンにおける謎の争乱、ヤン一党の逃亡、帝国軍主力と大本営のフェザーンへの移動、自由惑星同盟を構成するエル・ファシルの独立宣言……。バーラトの和約が発行してからまだ数ヵ月しか経過していないというのに、ふたたび戦乱の機運が高まり続けている情勢であった。

 

 帝国側も同盟側もバーラトの和約が結ばれた時点では、恒久的なものではないにせよしばらく平和が続くことを望んだし、戦争再開なんてだれも望んでいなかった。この事態を招来せしめた罪を問われる者がいるとすれば、レンネンカンプ高等弁務官とレベロ最高評議会議長であるが、両者も戦争を再開したかったわけではない。どちらも主観的には現状において自らの祖国にとって最善と信じる道を全力で走破したのみであって、それが戦争につながるとはまったく考えていなかった。特に帝国と戦争になれば負けることがわかりきっているレベロはそれを避けようと懸命に努力していたことは間違いない。まったく報われないズレた努力をしていると辛辣な言い方もできたが。

 

 では、両者が尋常ではない判断を下す原因となったヤン・ウェンリーはどうであろうか。たしかに後ろ暗いことがないわけではなかったが、すくなくとも数年は平和で安楽な年金頼りの新婚生活を満喫する気満々であったので、彼が戦争再開の原因の一端を担っていることは間違いないとしても、戦争再開を望んでいたとまで見なすのは少々酷というものであろう。

 

 あえて、あえていうのならば、あまりにも多くの人間が平和に対して無知であったというのが、戦争再開の原因であるともいえるかもしれない。帝国は敵、同盟は敵。そうした認識から脱することができた者が少なすぎたのかもしれない。もし帝国領内であれば物証もなく行動にでるマズさをレンネンカンプはもっと重視したかもしれないし、レベロもレンネンカンプが同盟人であったならば部下の暴走を上司であるラインハルトに教えて止めさせるという考えを思いつくことができたかもしれない。

 

 敵国なんだから脅しなくしてこちらの言い分を聞いてくれるわけがないし、祖国に益があるなら敵国の都合など無視して当然である。そうした一世紀半にわたる戦争の常識に同盟人も帝国人も染まりすぎていた。とりわけ高官ほどその傾向が顕著であった。それこそがバーラトの和約による平和が数ヵ月程度で終わろうとしている原因といえるのかもしれない。ただ仮にこの仮説が正しかった場合、こうなるのは必然であったという救いようのない話になってしまうのであるが。

 

 人類史上稀に見るほど有能で清廉な人材がそろっていると歴史家に評されることが多いローエングラム王朝であるが、開闢直後からキュンメル事件をはじめとするとんでもない事態が立て続けに発生しているのはいったいなぜであろうか。新帝国暦一年は半年弱の期間しか存在しない筈であるのに、大きな事件だけで年表を真っ黒にすることも不可能ではないほどである。

 

 無限に広がる大宇宙に数多存在する惑星。その中のひとつの地表上にある場末の歓楽街はそのようなことはまったく気にしていなかった。そこは今日もいつもどおりに賑わっていた。彼らにとって、世の移り変わりなど知ったことではない。ただたんに商いに熱中している者達と今の快楽を楽しんでいる者達が大勢を占めているのだから、世の中のきな臭い情勢とは無縁であった。

 

 しかしその中にあっても少数派というものは存在するわけで、人が多いが総じて政治に関心の薄いこの歓楽街を密談の場として利用しようとする者達がいるのも自然と言えたかもしれない。とりわけ、表の世界で生きる者達のほとんどが知ることはない人類社会の闇で暗躍している者達にとっては、この歓楽街はそういう意味で非常に魅力的に映ったことであろう。

 

 それゆえに彼もまたこの歓楽街にやってきた。服の仕立ての良さに金の匂いを感じた者達が声をかけてくるが、彼は平然と無視する。たしかに高級将校として高い給料をもらっていたから金は大量に持っているが、こんな場末で使おうという気はまったくない。使うならもっと楽しめる場所で使う。

 

 だがどれだけ無視しても、上客を呼び込もうとする商売人たちの声はとても大きく、わずらわしさを感じずにはいられない。だから思わず足早に移動するになったのは、自然なことであったろう。目的地の宿泊施設に入ると、受付にいる憮然顔の職員が声をかけてきた。

 

「どちらさまで?」

「三六号室で予約していたものだ。先に友人がチェックインをすませているはずだが」

「かしこまりました。少々お待ちを……」

 

 受付に置いてある台帳を捲り、内容を確かめた職員は一瞬だけ目を見開き、すぐに憮然顔に戻して問いかけてきた。

 

「確認ですが、三六号室なのですね。六三号室ではなく」

「ああ、すまなかった。記憶違いだ。一九八号室だった」

「……了解しました。どうぞ」

 

 そういって受付の職員は三六番の鍵を取り出した。男はなにも言わずにその鍵を受け取ると三六号室へと去っていった。その姿が受付から見えなくなった後、職員は安堵からため息をついた。あの部屋を利用するものは、おっかない世界の住人であることを、職員は知っていたのである。

 

 男が三六号室に入ると、先客がいた。その先客は禿げあがった頭をしていたが、意外と若く、毛根が死滅しているのではなく頭髪を剃っているのだということが理解できた。

 

「事前のやり取りで知ってはいたが、よく生きていたもんだな、ド・ヴィリエ大主教。地球教本部は地の底に沈み、多くの信徒ごと生き埋めになったと最初は聞いていたんだが」

「……そもそも貴様の飼い主が余計なことをしなければあのようなことにはならなかったのだがな。しかし、あの状況から生き残る程度、われらには造作もないことだ」

 

 ド・ヴィリエは事もなげにそう言ってのけたが、それに対する男の反応はさほど感銘を受けた様子ではなかった。

 

「どうせワーレン艦隊に密航して地球から脱出してきただけだろう。佐官クラス数人を抱き込んでいれば、不可能ではない」

 

 その分析はとても正しかった。たしかにド・ヴィリエたちはワーレン艦隊に潜り込み、悠々と地球から離れることに成功したのである。だが、男はひとつだけ、どうやったのかわからないことがあった。

 

「だが、どうやってそれに近づけた。まわりの帝国兵にバレないように地球教徒の士官がいる艦艇に近づけなければ、それは不可能なことだぞ」

「なに、聖女エルデナの加護によるものだとも」

「ハッ、くだらんジョークだ。大昔の財務次官の加護とか意味がわからん」

 

 地球教がシリウス戦役当時の財務次官レイチェル・エルデナを聖女として崇めていることを男は知っていた。なんでもシリウスとの戦争を憂い、それを終わらせようと努力したが、当時の政府高官の無理解とシリウス軍の残虐さのせいで、達成すること叶わなかった無念の平和主義者として。

 

 だが、それは真実とはいささか異なる。エルデナが平和主義者などではなかったことを地球教団の高級幹部たちは知っている。彼女はたんに最強のはずの地球軍が第二次ヴェガ星域で寄せ集めのはずのシリウスの軍事組織BFFに大敗した時点で、地球政府が戦争に圧勝することはできないと確信し、それを前提に戦後の地球のために植民惑星から収奪してきた富を復興費用として利用すべく、シリウス政府に収奪されないようになにかと理由をつけて地球各地の地下シェルターに隠す計画を主導していただけである。

 

 彼女は戦況をよく理解していたといえたのだろうが、地球がどれだけ植民惑星から憎まれていたのか理解していなかったし、そして多くの地球人が胸に抱いていた誇り高さ、あるいは愚かさを過小評価しすぎていた。どれだけBFFに敗北し、地球の支配圏が縮小し続けても、地球統一政府は降伏することを断じて認めなかった。そしてそうした政府の強硬姿勢を地球の大衆は歓声をあげて熱狂的に支持し続けた。

 

 なぜならば、地球の民衆は心から信じていたのである。地球にこそ正義があるのだと。だってシリウスを中心とする植民惑星連合は、地球統一政府からの独立を叫ぶのである。つまりは地球と同等の権利を持つ対等な主権国家であると叫ぶのである。同等の権利? 対等な主権国家? それが常識であったために、一三日戦争が勃発し、人類は絶滅の危機に瀕したことを、おまえたちは忘れたのか!!

 

 民衆がそのように思っていたのは地球統一政府が多用したある大義が原因である。もともとはシリウス戦役以前から地球が各植民惑星でしばしば発生していた独立運動に対する弾圧の正当化、身もふたもない言い方をすると言い訳であった。五世紀以上にわたって平和な時代が続いたのは、地球統一政府の誕生によって人類を統治する単一の権力体制が構築されたためである。つまり、地球からの独立を訴える植民惑星の主張は、意図がなんであれ結果として一三日戦争の再来に繋がるのである。人類の未来を憂うのであれば、地球の為に戦え! 

 

 単一の権力体制だけが五世紀の平和を構築しえた要素であるというのは、あきらかに間違った極論であったが、幼き頃から一三日戦争の跡地で育ち、五世紀の平和に安住してきた地球側の民衆はそれを信じた。そして、そうした観点からいえば地球が植民惑星の独立を認めるようなことは絶対にあってはならないのである。なんとなれば、それは究極的に人類の滅亡を招来するのだから。

 

 むろん、エルデナもそうした世論があることを理解していたが、地球軍が敗北し続ければいずれ民衆も悟るだろうと考えていたのだ。だが、どれだけ負けても熱狂は終わらない。それどころか人類滅亡を回避するために戦い続けようという声は益々ヒステリックになっていき、政治家がシリウスとの講和を示唆するだけで民衆が激怒し“愛国者”たちが民衆の声にこたえる形で単一の権力体制の崩壊を画策した“人類の敵”を血祭りにあげられるのが当然といった空気が地球全体を覆うようになったのである。

 

 地球軍がほぼ崩壊し、BFFが太陽圏にまで進出してくる段階になってようやく熱狂はやや冷め、まともな講和を地球政府内部で提案できるような空気にはなったが、それでも植民惑星の独立は断じて認めぬという空気は依然と強く、当然それを考慮した講和案を作成せざるをえなかった。そしてそのような講和案を地球支配からの解放を望むシリウス側が受け入れるなどありえない。

 

 当然の予定調和として、地球はBFFの猛攻を受けた。BFFによる民間人を巻き添えにした徹底攻撃は三日間にも及んだ。エルデナは母星が、自分の人生の思い出が刻みつけられた場所が、焦土と化していくのを見るのに耐えられず、鳴りやむ気配がない爆撃音を聞きながら、ある地下シェルターで絶望をいだきながら自害した。

 

 そして数百年後、ある地球教徒達がその地下シェルターを再発見した。そのシェルター内部には「殺戮の悪夢を終えた後、私たちが生きた地球が、人類に誇れるような平和で豊かな惑星になっていますように」という内容の彼女の遺書が、巨万の富とともに彼女がシリウス戦役を生き残った地球人の末裔に残した遺産が存在した。

 

 彼女の遺産を目にした地球教徒たちに襲った衝撃は凄まじいものだった。たしかに地球は平和な惑星にはなった。だが、その平和は人類社会から取り残されているがゆえの平和なのだ。とても人類に誇れるような平和で豊かな惑星などではない。はたして自分たちは先祖に恥じない生き方をしているのか? このまま母なる星が惨めな辺境惑星として人類史に忘れ去られてしまっていいのか? 否! 断じて否! この聖地に、かつてのような栄光を、取り戻すのだ。先祖の無念に誓って……!

 

 こうした声が地球教徒たちで囁かれるようになった。それがエルデナが聖女として扱われるようになった始まりであり、地球教が人類社会に謀略の糸を伸ばし始めた起源なのだ。はたしてそれが、地球教の開祖ジャムシードが望んでいたことなのかという声もあるにはあったが、宗教論争の果てに聖女エルデナを崇拝する宗派のみが地球教の正統な教義と認定されるに至り、そのような声は粛清されて教団内から消え去った。

 

「聖女の如き人物の助けで、帝国軍と自然な形で接触できたのだよ」

 

 だがド・ヴィリエは宗教的な信仰心は薄く、やや皮肉的な物言いで真実を口にしていた。彼は地球教本部から伸びている地下通路を使って、ダージリンに避難し、そこの都市長フランシス・シオン主教に匿われていた。もちろん、ただではなく、地球教本部を襲ったワーレン艦隊に対する基礎的な情報と引き換えに。

 

 シオン主教は潔癖な人物でド・ヴィリエら本部の陰謀組を嫌っていたが、有益かどうかで判断して動く人物だったのでド・ヴィリエが有益な情報を提供してくれるのであれば、多少の手助け程度はしてやろうと思っていた。ド・ヴィリエから情報を聞き出すだけ聞き出して帝国軍に売り飛ばすことも考えないではなかったが、誠実さに欠ける対応は信仰心が強い彼女が忌むものであった。

 

 これは実にシオンがエルデナと同様、諸惑星に迷惑をかけることをそれほど問題視していなかったが故の対応である。でなくば、とてもじゃないが皇帝暗殺に大きく加担していたド・ヴィリエを助けようとは思わなかったろう。彼女らは地球以外の問題にたいした興味がないという点において、同じ立ち位置にいる。

 

 それを知っていたからこそ、万が一のためにと年齢が低すぎる彼女を早期に青年団から卒業させ、聖職者になってからはこっそりと出世を支援して、ダージリンの都市長の地位にまで成り上がらせておいたのだから、聖女エルデナの加護なぞではなく、自分の計画通りなんだがとド・ヴィリエは心中で呟いた。

 

 ともかくもシオン主教がワーレンたちと会談中に、神殿の地下で帝国軍人の軍服に着替え、地球教徒の軍人グループとダージリンの街中で接触。大胆不敵にもワーレン艦隊の旗艦に密航させてもらったのである。もっとも、まわりのまともな軍人に見つかったら一巻の終わりであるから、ほとんど狭いスペースに押し込まれて居住性は最悪であったし、かなり心臓に悪い場面もあったので、あまり思い出したくないことであった。

 

「ふん。まあ、大主教猊下の苦労話は俺にはどうでもいいことだ。それで、いったい何の用で呼び出したんだ?」

「帝国でクーデターが起こるという情報がある」

「……なんだと?」

 

 さきほどまでの余裕のある態度を投げ捨て、男はド・ヴィリエが嘘を言っているのではないかと睨みつけた。しかし冗談の類ではなさそうで、真剣な顔をしていた。

 

「にわかには信じられんな。第一、皇帝ラインハルトの人気は絶大だ。クーデターを起こしたい奴はいるかもしれんが、皇帝が急死でもしない限り、だれが首謀者になろうが最終的に失敗することが目に見えてる。それなのにやろうとするのは、そうとうな馬鹿だ。最悪、計画段階で潰されて終わりだろう」

「そうならないどころか、成功する可能性すらあると言ったら?」

「……まさか、クーデター初動で皇帝を暗殺でもするのか」

 

 現在の銀河帝国はラインハルト・フォン・ローエングラムという巨大な恒星が、それ単体でも恒星となりうるほどの輝きを有しているはずの逸材を惑星にすることでまとまっている。ゆえにクーデターなど成功するはずもない。だが逆に言えば、ラインハルトの存在さえなければ、帝国は団結は失い、クーデターが成功する可能性もあるともいえるのだ。

 

「いや、皇帝ラインハルトを暗殺することがないとはいわぬが、今入手出来ている情報からはそのような作戦を有しているかはわからぬ」

「……わからんな。そうでないというなら、いったいなんで成功の可能性があると踏んだ」

「ヴァルプルギス作戦を利用する」

「ヴァルプルギス作戦? なんだそれは」

 

 その詳細をド・ヴィリエから説明されるにつれ、男の瞳にも理解の色が強くなっていく。

 

「なるほどな。帝国の歴史を思えば、そういう作戦はあっても別に不思議はない。新王朝になっても破棄されていないのが驚きといえば驚きだが、軍国主義の色が濃いのだから、まあ、不自然ってほどでもない。そして作戦が軍務省の名の下で発動されたなら、違和感もさほど感じない。……皇帝の御為に、という名目でローエングラム王朝の土台に罅をいれることも不可能ではない、か」

 

 帝国の組織構造と秩序維持の観点からいってそういった作戦が存在することは大いにありうる話だと内心で呟いたところで、男は根本的なことを思い出して疑問に思った。

 

「待て。帝国軍務省はフェザーンに移転された。となるとヴァルプルギス作戦の発動権限はいったいどこにあることになるんだ」

「首都防衛司令官だ」

「首都防衛司令官というとウルリッヒ・ケスラー上級大将だ。まさかケスラーがクーデターの首謀者というのか」

「いや違う。作戦を発動するのは近衛参謀長のカリウス・フォン・ノイラート大佐。現行の軍規則に従うなら、首都防衛司令部が機能不全に陥れば、ヴァルプルギス作戦の発動権限は近衛司令部に移る。やつらはそれを利用するつもりなのだ」

「……つまり、初動で暗殺される予定なのは皇帝ではなくケスラーか」

「さよう」

「たいして名も売れていない大佐風情が随分ととんでもないことを企めたものだ。いや知られていないからこそ自由に動けたのか。名前の響きからして目的は貴族階級の復権といったところかな」

 

 思わぬ伏兵が潜んでいたものだと男は純粋におどろき、そして問いかけた。

 

「しかしどうやってこの情報を地球教は掴んだのだ。近衛司令部に情報提供者でもいるのか」

「近衛司令部にはおらんが、ゴールデンバウム王朝復興を目指す反体制組織に情報提供者がいる」

 

 ド・ヴィリエの答えに、男の目の色が変わった。

 

「ってことは、貴族連合残党と近衛司令部が合作したクーデター計画なのかこれは」

「そうだ。その意味ではアドルフ・フォン・ジーベックも首謀者の一人として名をあげることができるかもしれぬな」

「ようやく全体像がわかってきた。なるほど、たしかにクーデターの勝算はそれなりにある。さすがはブラウンシュヴァイク公の臣下として、アントン・フェルナーとともに謀略面を仕切っていた切れ者といったところか。そうなるとクーデターの最終的目的は貴族階級の復権などというものではなく……」

「ゴールデンバウム王朝の復興」

 

 想像以上にずいぶんと壮大な話になってきた。ラインハルトが全権を握り人員配置がなされたとはいえ、いまだに帝国政府には旧リヒテンラーデ派の官僚が多数派なのだ。開明派をはじめとする上層部を粛清してしまえば、強者の命令には絶対服従な彼らはゴールデンバウム王朝に従うことを選ぶものが相当数いるだろう。

 

 そして帝国軍が同盟に侵攻している時に帝国政府の乗っ取りに成功してしまえば、ラインハルトと戦うことを選ぶ惑星もでてこよう。貴族統治による富の偏在のおこぼれに預かって繁栄していたような惑星の住民はラインハルトの治世に不満を抱いていることも多い。一気に一大勢力を築きあげることも不可能ではない。

 

 もちろん、そんなことが起きればラインハルトは同盟征服を断念し、取って返した軍隊によってゴールデンバウム王朝は再度滅ぼされることになるだろうが、同盟支配圏で同盟軍の追撃を受けながらゴールデンバウム王朝勢力に支配された帝国本土に戻るというのは、兵士たちにとってそうとうな不安を呼ぶだろう。なんなら、クーデター成功直後に、同盟との友好を宣言してしまえば、同盟領内で奮戦している兵士たちを襲う不安は尋常なものではないだろう。

 

 もしそんなことになれば、自由惑星同盟・フェザーン・ゴールデンバウム朝銀河帝国というこれまでの三すくみ状態に変わって、自由惑星同盟・ローエングラム朝銀河帝国・新ゴールデンバウム朝銀河帝国という新たなる三すくみ状態が誕生するなんてことにもなりかねないと男はクーデターが成功した未来図を推測した。

 

 そんな未来はなんとしても否定しなくてはならない。帝国内部において自分たちは別に開明派というわけではないが、かといってゴールデンバウム王朝の支持者というわけでも、命令と規則と慣習を絶対視する官僚主義者でもない。ならばクーデター勢力が自分たちを容赦するとも思えなかった。

 

「そのようなことになれば、おまえたちにとっても困るだろう。だから情報面でわれらは共和派を支援しよう。ルビンスキーも資金面で支援をおしまぬと申しておる」

「それはそれは……。ありがたい限りで。われわれも帝国において巨大な権力を握った暁には、地球教に着せられたテロリスト集団などという汚名を晴らすつもりです。そう先生が申しておりました」

「なにを。われわれは互いの目的のために、協力しあわねばならぬ身ではないか。いちいち世辞は無用だ」

「はあ、さようで」

 

 それ以上、言葉をかさねる必要を感じなかったので男はそこで引き下がった。白々しい言葉を言っている自覚があったのである。公的な場でならそれも一種の形式美かと思えなくもないが、こんな密談の場でそんなことを言いあっても、虚しいし恥ずかしいだけであった。

 

 情報交換を終えた男は考えた。クーデターを止めるだけなら、ケスラーに近衛参謀長を調べるように勧告してやればいい。だが、それだけだと実入りが少ない。であれば、クーデターをあえて起こさせ、それによって利益を得た方が良いだろう。いつかのように。となると問題はクーデター中どのように立ちまわるべきか。それが問題となってくるだろう。そのあたりについて男は帝都にいる主と相談する必要があった。




さて、第二次ラグナロックにあわせて水面下も盛り上がってまいりました。


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復讐鬼として散った軍人の戦友たち

フジリュー版だと原作でちょいしか描写されてなかったブラ公とリッテンの娘に濃いキャラ付けされて驚いた。特にサビーネに女騎士属性付与とか、おいおい……。

追記:グローテヴォールが原作にいると指摘されたので、ややこしいからエーベルハルトに名前を変えました。


 白亜の帝都に雪が積もるようになりつつあった新帝国暦一二月二日。半月ほど前に帝国はバーラトの和約違反を理由に同盟に宣戦布告、帝国軍は総力をあげて同盟完全征服に乗り出したが、帝国軍人のノルン・フォン・エーベルハルトはその遠征軍に参加できる部署に配置されていなかった。おまけにその日は休暇だったので、前線の兵士たちに申し訳ないなと内心呟き、やることがなかったのでかつて世話になった旧上官の墓参りにいくことにした。

 

 地上車の後部座席に乗り込み、休暇なので電話で呼び寄せた侍従のノイマンに目的地を告げる。侍従と従卒は異なり、軍幼年学校の生徒が実技研修のために高級将校の世話をするというものではなく、家庭的な理由で仕えているのが侍従である。エーベルハルトの実家は小なりとはいえ立派な貴族家だったので、ノイマンは息子の遊び相手として先代当主が、軍務省がいつも扱いに悩んでいる戦災孤児の中から息子と同年代の平民の中でも底辺の子を引き取って専属の侍従としたのである。

 

 それは良くも悪くも実に貴族的な思考による産物で、息子に平民とはいえ生きているんだぞということを教えるためであった。それだけならまだ良いかもしれないが、もし息子が侍従を乱暴に扱い、最悪死んでしまったとしても元からのたれ死んでもおかしくない身の上だったから公になってもあまり問題にならないし、その場合は平民との適切な付き合い方について教えるきっかけになるから、それで良しとする非人道的なものであった。

 

 エーベルハルトが士官学校に入るころ、父親がノイマンを侍従にした理由を教えられたが、そのことをずっとノイマンに秘密にしている。というよりは、べつに話すことでもあるまいという意識なのであった。こんな話、貴族社会を見渡せばゴロゴロと転がっている話なのだから。

 

 そのような帝国の闇を孕んでいる関係ではあったが、ローエングラム体制に移行してからいろいろ事情があって帝国政府に領地を返上し、名ばかり爵位の身になったので、無用になった家臣団に暇をだしたあともノイマンは個人的にエーベルハルトに仕え続けているので、ノイマンの幼馴染に対する忠誠心は強いものであるようだった。ただ名ばかり貴族であることを思えば、侍従というより、世話人とか同居人という表現のほうが正しいかもしれない。

 

 エーベルハルトの元上官の墓は、オーディンの軍人墓地には埋葬されていない。軍当局から戦死はおろか職務死扱いされなかったので、軍人墓地に埋葬することができなかったのである。そのことにエーベルハルトをはじめとする多くの人間が憤りを感じて団結して反発したが軍当局の判定を覆すこと叶わず、それならと変わりゆく帝都を一望できる小高い山に、一般人として墓がつくられたのである。……普通の墓にしては、かなり豪華であったけど。

 

 帝都の中心部から地上車で二時間ほどの小高い山の中腹にその旧上官の墓はあった。帝都を一望できる立地、立派な墓石、そして多くの献花がなされていることが、故人がどれほど慕われていたかを端的にしめしている。車を降りると、先客の存在にエーベルハルトは気づいた。

 

 先客たちもエーベルハルトらの存在に気づいて、慌てた。なぜかというと、旧上官だからという理由で、エーベルハルトは軍服姿で墓参りしにきていたからである。つまり身に着けている階級章や参謀飾緒のせいで雲上人の高級軍人であることがあきらかなのである。一人の男が急いで駆けつけてきて、背筋を正して敬礼した。

 

「ハイデン退役伍長であります! 戦友たちと一緒にクレメント元上官の墓参りにきました!」

 

 そう、ここはブルヴィッツの虐殺に大きくかかわってたクレメント元少佐の墓である。軍当局はこの不名誉な軍人から階級とあまたの武勲でえた大量の勲章のすべてを剥奪した。なので公的にはただ一般人の墓とされているので軍の階級などは墓石に刻まれてはいない。

 

 ハイデンに続いて五人の元軍人が敬礼とともに自己紹介していく。他の者達は元兵卒と名乗ったので、全員ハイデン退役伍長の部下であるのだろうとエーベルハルトは想定しつつ、答礼して名乗った。

 

「帝都防衛第一旅団司令部幕僚のノルン・フォン・エーベルハルトだ。こっちは私の侍従をしているノイマン退役中尉。故クレメント殿には少尉任官間もないころに世話になった」

 

 名前に貴族であることを示す“VON”の響きがあることにハイデンらは複雑そうな表情を浮かべ、エーベルハルトは無理もないと苦笑した。いろいろと苦悩して折りあいはつけたが、やはり貴族としてはクレメントがやったことにたいしてはまだ思うところが多くあるのである。

 

「なに、気にするな。それで卿らはなぜこの時期にクレメント殿の墓参りを?」

「……冬の季節になるとカプチェランカを思い出すので」

「カプチェランカ?」

「はい。叛乱軍――いえ、同盟と帝国の係争地になっていた辺境の惑星です。御存知でしょうか」

 

 しばらく顎に手をあてながら考えてが、なにも思い浮かばかったので首を横に振った。

 

「そうですか……。正確な位置は覚えていませんが、イゼルローン要塞の同盟側にすすんだところにある、六〇〇日以上も冬の季節が続く極寒の惑星です。一七年前、当時准尉だったクレメントさんの指揮下で同盟軍と戦いました」

「ほう、ならば、ある意味では私は卿らの後輩になるな。私が少尉に任官したのは九年前で、当時中尉だったクレメント殿の指揮下で戦ったのだから」

「そ、それは、たしかに、ある意味ではそうなりますかな……」

 

 そういうのを先輩後輩で区別してしまってよいのだろうかという思いから、ハイデンの返答の端切れは非常に悪かった。その引き攣った表情を見て、場を和ます軽いジョークのつもりで言ったのに逆効果だったかと、エーベルハルトはあせった。

 

「ま、まあ、同じ上官を仰いだ戦友同士ではないか。あまり畏まったりせんでよい」

 

 気まずくなった空気の中、エーベルハルトはそう無理やり言ってのけ、故人の墓の前に跪いて献花した。ノイマンは士官学校卒業後、主君とは別の部署に配属されたのでクレメントの部下になったことはなかったが、主君の恩人である故人に感謝の念を心中で呟きながら献花した。

 

 頭をあげて故人の名前しか刻まれていない墓石をエーベルハルトは再確認し、故人との記憶を想起した。武門の家柄の子として武勲に飢え、小隊長として逸った行動をとっていた。それで幾人かの兵を失ったが、当時の傲慢な自分はそれを顧みずに戦死した兵士を無能めがと大声で罵ったものである。するとその話を人伝てで知ったらしいクレメント中尉は、若い貴族少尉を呼びつけて教師のような口調でこのように叱ったものである。

 

「おまえは徴兵にひっかかって、数ヵ月の戦闘訓練を施されて戦地に引っ張り出されただけの民間人どもにいったい何を期待しているんだ。自分の長い軍歴から言わせてもらうが、ごく稀にとんでもなく勇敢で優秀な兵士や信じられないほどド阿呆な兵士がいることもあるが、大多数の普通の兵士というのは基本無能で、なにかと理屈をつけて小器用に死地をまぬがれ、何事もなく兵役を終えて故郷に生きて帰る事ばかり考えてる臆病者どものことだ。とりわけ俺ら士官と比べたらな。あいつらは無能だから兵士なんだ。なのに兵が無能だからといって、なにを憤っている?」

 

 あまりにも兵士を馬鹿にした発言ではないかとエーベルハルトは思ったが、まわりの兵下士官は無言だったがクレメントの主張に反発するどころか、強く支持していることが気配でありありと感じられ、戦場を舐めていたことを大いに思い知らされたものである。

 

 他にもクレメントから教わったことは多くある。そのおかげで自分は順調に功績をあげて出世できたのではないかと思えるほどに。それくらいエーベルハルトはクレメントのことを評価していた。

 

「色々厳しいことも言われました。でもあなたは同時に優しかった。『怯懦な兵士しかいなくても指揮統率できるのが指揮官だ。なのに指揮統率できないなんて泣き言をほざくのは、自分は無能な指揮官ですと声高に喧伝している等しい。職業軍人として、最も恥ずべきことだ。いっぱしの士官なら飴と鞭を柔軟に使い分け、あらゆる手を尽くして兵を思うように動かしてみせろ。できないようなら相談くらいにはのってやる』と。そしてあなたはよく相談にのってくれた。士官学校卒業後の最初の上官があなたでよかったと私は今でも思っています」

 

 思わず声に出てしまった。エーベルハルトは軽く首回して立ち上がると、ハイデン退役伍長がなにか言いたげな顔をしていた。

 

「どうした」

「あのう、クレメントさんは本当にそんな風に言ってたんですか」

「そうだ、私が嘘を言っているとでも言うのか」

 

 剣呑な目つきになったエーベルハルトに対し、ハイデンは必死になって右手を振って否定し、語りだした。

 

「いえ、違います。ただ私たちには着任早々クレメントさんが『いいか。おまえら兵卒どもは上官を選ぶことができん! だからおまえらは軍法会議にかけられるような所業を除き、あらゆる手段でもって生き残る能力を身につけなくてはならない。上官なんぞ信じず、自分の能力を頼れるようになれ。そのためにビシバシ指導していくぞ!』と言われたのが強烈に記憶に残っていまして……」

「……」

 

 エーベルハルトは真顔でハイデンに視線を集中させてかたまった。再度発生した何とも言えない沈黙が一分ほど経過して、ノイマンは呟いた。

 

「ということは、エーベルハルトさまが兵を指揮するのに苦悩したのはクレメント元少佐のせいということなんですか」

「……そういうことになるな。正直に言うと、心当たりがありすぎる」

 

 クレメントの下にいたときは兵下士官はどいつもこいつも狡猾で、簡単には命令に従わない曲者ぞろいだったから、部下をまとめるのに非常に苦労した。だから、士官になってもクレメントは兵士たちにそのような指導をしていたのだろう。そして中尉に昇進して所属が変わったとき、指揮下にいた兵士たちはかつての職場ほど問題児ばかりではなかったから、拍子抜けしたものだ。流石にハイデンが言うように軍務の際にクレメントがそのような訓示を公にしていた覚えはないが、今思えば、兵士にそのようなことを教える機会はおおくあったように思える。

 

 クレメントはよく部下たちとの親睦を深めると称し、部下を大量に引き連れて酒場に突撃することを楽しみとしていた。別に兵士に強制していたというわけではなく、ポケットマネーで全員にビールジョッキ一杯をいつも驕ってくれたので、兵士たちはむしろクレメントが酒場に行くぞと言うと、ただ酒にありつくために自分から付いて行くという形だった。

 

 その際、クレメントはいつのまにやら自分たちの前から消え去って、急にひょっこり元の席に戻ってくるということが多々あった。当時は特に気にしていなかったが、その時に兵下士官と交友してそういう方向の知恵を授けていたのかもしれない。下士官の頃と違って、士官となると兵士を直接指導する機会が少なくなることに加え、職場でそのようなことを教訓するのは流石に体面上憚られたのだろう。

 

 エーベルハルトはなにか釈然としない気持ちに襲われたが、首を振って霧散させた。あの人の下で学んだことは間違いなく自分の力になったのだから、墓の下で眠っている故人に愚痴を言うべきではないだろう。

 

「ま、まあ、よいさ。おかげで私も兵の慈しみ方を知れたんだから。もしクレメント殿がそういう人でなかったら、いまだに自分は兵を道具かなにかのように扱っていたかもしれん」

 

 そんな将校を腐る程みてきたエーベルハルトがそうフォローすると、ハイデン退役伍長はあっけにとられた後、同意するように頷いた。

 

「クレメントさんは……貴族士官であっても部下には公正に扱っていたのですね。私たちにとって貴族士官は理不尽の権化でしたから。いや、別に貴族に限らず、私の上官になったことのあるほとんどの士官はそうでした」

「ああ、だから、最初にブルヴィッツの虐殺の際のクレメント殿の言動を知った時はとても信じられなかった。だが……色々揉めた末の情報公開で知ったブルヴィッツ家の植民星人の境遇を知って、納得せざるをえなかった」

 

 ハッキリ言って、ブルヴィッツ家が行っていた所有する植民星の搾取体制は、領主貴族の末席に名を連ねていたエーベルハルトの視点から見てもえげつないと思えるものであった。旧王朝時代、市民権を持っていなかった農奴でさえもう少しまともな扱いをされているのでは思えるほど、植民星の住民は人間扱いなどまったくされることなく悲惨な環境で馬車馬のようにこき使われ、役に立たなくなるとボロクズのように使い捨てられていたのである。だが、当初帝国当局はこの情報を公開するのをためらった。

 

 直接現地に赴いていた統帥本部次長メックリンガー上級大将の調査により、虐殺の直接的要因は辺境部隊の体質、参謀長の無責任さと戦闘の渦中で戦死したウェーバー中尉とクレメント少佐の暴走によるところが大きいという事実を帝国当局はつかんでいた。そして傍証を固めるために末端の部局が両名の経歴を調べていく上で、クレメントがブルヴィッツ侯爵家の植民星出身であるという事実をつかんでしまったのだ。

 

 もしこの事実を公表してしまえばかなり面倒な事態が発生するのではあるまいかという危惧から、当局の責任者はいったん秘匿して出世欲が動機だったと発表した。だが、クレメントは叩き上げで清廉で有能な軍人であって、彼に好印象を抱いていた元同僚や元部下の数は、三〇年を超える長い軍歴もあって一個旅団を編成できるほどいたし、中にはラインハルト体制の実力主義的な気風にのって将官にまで出世していた元部下すら数名存在したのである。

 

 そしてクレメントがブルヴィッツの虐殺に大きな責任があるという帝国当局の発表に対して、彼らは声を揃えて主張した。良き戦友たる彼は民間人虐殺に狂奔できるほど道徳的に劣弱ではなかった。そしてベテランの彼が血に酔ったとか欲に目が眩んだとかでそんな愚かなことをするはずがない。だからクレメントの潔白を証明するためにもっと徹底的な捜査をしろと当局を弾劾した。

 

 これに対し、実際に現地で捜査を行って自信を持っていたメックリンガーは特に熱心に活動を行っていた将官を呼び出して叱責した。帝国軍の中でも抜きんでた名将の一人に数えられる人物からの怒りにその将官は怯んだが、それでも毅然と言い返した。

 

「統帥本部次長閣下はそうは言われるが、小官にはとても信じられません。彼は良き戦友であり、良き軍人でありました。……こういっては例にあげたら失礼かもしれませんが、かつて彼とともに戦った者達にとっては、我が軍の双璧が出世欲ゆえに民間人を虐殺したなどといわれたようなものです。とても信じるに値しないし、何者かに嵌められたのだとしか思えません。ゆえに彼の名誉のためにも小官らは活動せざるをえないのです」

 

 そこまで信頼されるほどの人物であるということを知って、メックリンガーも疑念を抱かざるを得なかった。たしかに旧カムラー艦隊でクレメント少佐がどういう人物であったかも聞き取りしていた。だがクレメントは元々所属していたケンプ艦隊が第八次イゼルローン要塞攻防戦で壊滅したため、人事部が他の部隊の空き枠を埋める形で赴任してきた士官に過ぎなかった。だが、クレメント一人の経歴や人柄を知るためだけに時間をかけられるほど統帥本部次長職は暇な役職ではなかったので、事件のおおまかな推移と原因の所在があきらかになった時点で、担当当局に残りの捜査を任せたのである。

 

 念のためと思い、メックリンガーは忙しい業務の合間を縫って、再調査を行ったところ末端の判断でクレメントの動機を偽っていた事実があきらかになり、紳士で知られているメックリンガーは静かな怒りを当局責任者に叩きつけて叱責して降格処分するとともに、クレメントの境遇を公表させた。

 

「道理で酒の席で故郷や家族の話題になったとき、あの人はいつも不機嫌な顔をして露骨に話題をそらしていたわけだ。クレメント殿にとっては語るのが辛すぎる話題であったろうからな」

「……私もそのことを知ったとき、そうだったのかとあっさりと受け入れてしまいました。だって、上から無茶な命令がされたときクレメントさんはいつも『どうしようもないから諦めるしかない』と力なく呟くんです。だから……、そういうことだったのかと思えてしまったんです」

「ああ、たしかに。言われてみればそうだな。そう考えると、どんな状況でも達観して落ち着いてたのも、理不尽に扱われることを受け入れて絶望していた裏返しなのかもしれぬ。反発するだけ無駄だから、今ある状況でどうにかするしかない、と、そう思っていただけなのやもしれぬ……」

 

 だからこそ、そのような理不尽や不条理が否定される時代がやってきて、いままでどうにもならないと諦め続けてきた理不尽の象徴を焼きつくせる状況と立場が与えられた時、おのれの中で殺し続けてきた憎悪と憤怒と嘆きをおさえることができなかったのだろう。そのような状況において、ただの人間がいったいどのような理屈をもってすれば、その激情を抑えることがかなうというのだ? 

 

 そのように思うのはなにもエーベルハルトをはじめとする旧部下たちだけではなかった。その悲惨な境遇が公表された後、多くの戦友から慕われていたこともあって、ブルヴィッツの虐殺に大きく加担していたクレメント少佐にたいして、帝国民衆の同情が集まったのである。そして彼らは同情心から、クレメントの名誉剥奪処分を取り消し、戦死扱いするよう軍当局に嘆願した。

 

 旧王朝時代ならいざしらず、開明的な新王朝の軍としてはそのような嘆願を受け入れるようなことは断じてできない。だが、そのある意味では冷酷にも思える判断は、旧王朝の貴族支配に憎悪を燃やしていた者達の少なからぬ反発を招いた。特に過激な反貴族主義者たちは「クレメント少佐のような行いこそ、正義というのではないか。なぜ貴族支配で恩恵を受けていた平民とは名ばかりの準貴族どもを民間人と認識せねばならないのか」と怒り、一部が旧王朝下で恵まれていた層を対象に無差別テロを起こすほどだった。帝国にとっては幸いなことに、そこまで突き抜けてるのは絶対的少数派で民衆の心からの共感と支持をえられるようなものでもなかったので、民間からの情報提供で内国安全保障局や憲兵隊が素早く動いてほとんどが未然に防がれたのだが……。

 

「クレメント殿は、さぞ無念であったろうな……」

「は? あ、いえ、なぜです? 軍人として問題を起こしたのは無念かもしれませんが、人間としてはある意味で痛快な復讐を成し遂げていったので、無念ではないでしょう」

「人間として、か。卿はそう思うのだな。だが、一人の人間としても無念だったろうよ。酒場で人生の目標はなんだという話題になったことがあってな。クレメント殿はなんと言ったと思う? あえていうなら人らしい人生をまっとうすることと言ったのだ。ブルヴィッツの虐殺は復讐鬼としては至福のものであったかもしれぬが、人としてはどうだったのか……」

 

 故人に問いかけるように、エーベルハルトは視線を墓石に向けた。それにつられてハイデン退役伍長らも視線を墓石に向ける。たしかにそういう視点で考えれば、人としてはあまりに凄惨すぎる最期であったかもしれない。

 

「エーベルハルト家は小なりとはいえ、立派な領主貴族だ。領地はたいした特産品もない貧しい星で、戦場で武勲をあげ、その褒賞をも領地運営のために使わざるをえない武門の家柄ではあったが、それでも一族は領民のために全力を尽くしてきた自負がある、いや、あった。だが、ブラウンシュヴァイク公率いる門閥貴族連合が斃れ、皇帝ラインハルト――あの時はまだ公爵だったか――が帝国の全権を握った時、領民たちは新たな時代の風に迎合することを望み、領地を帝国政府に返上するよう声をあげたのだ。我が一族は領地のためにつくしてきたのだが、領民たちにとってははなはだ不足であったのやもしれぬ」

 

 エーベルハルトの声には、認めたくないことを必死に飲み込むような陰りがあった。そんな主君の姿を見て侍従のノイマンが複雑そうな表情を浮かべる。

 

「だからそういう意味で、私はブルヴィッツ家同様、領民に不満を溜め込ませていた無能な貴族の一員だ。だからこそ、思う。クレメント殿はいったいどういう目で私を見ていたのだろう。あなたが憎んでやまない貴族のはずであろうが」

「……そのように思えるだけで充分にあなたは立派な領主だったのだろうと思います。もしあなたが無能であったというのであれば、自省すらせずに叛逆した傲慢なブルヴィッツ家などは無能という言葉すら高評価になってしまうほどの愚かさではありませんか。おとなしく滅んだままでいれば、クレメントさんも怒り狂うこともなかったでしょう」

「……」

 

 ブルヴィッツ家が愚か、か。たしかにそうかもしれぬが、ハイデン退役伍長は自分が言っていることの意味をわかっているのだろうか。それは見る面を変えれば、ブルヴィッツ家はそれだけ領民に慕われていたということなのだ。もしエーベルハルト家がおなじように叛逆を企んだとて、領民はついてこまい。つまりは、彼らの方が貴族として立派だったということ。

 

 クレメントに対する思いと矛盾極まりないが、貴族として物事を考えてしまうエーベルハルトにとってはそういう風に認識してしまうのである。それは今の変わりゆく時代に適応するには、捨てねばならない思考法なのだろう。だが、幼き頃より育み信じてきた価値観とは強固なもので、そこまでわかってなお、釈然としない思いが胸中でわだかまりをつくるのだった。

 

「たしかに、そうかもしれんな」

 

 しかしそんなことは平民の出であるハイデン退役伍長にはわからないだろう。この場で自分の何とも言えない思いをわかってくれそうなのはノイマンくらいだ。ゆえにエーベルハルトは長年の貴族社会で鍛えた表情筋を自分の意思で動かす技術を活用して、相手に不快感を与えぬように表情と声音を取り繕ってそうのべた。

 

 その甲斐あってハイデン退役伍長らは気分を害することなく、先に逝ったクレメントの武勇譚やその下に居た頃の自分の話題でもりあがった。エーベルハルトのことを気に入ったハイデンは今日の夜一緒に酒でも飲みにいかないかと誘ったが、先方の反応はよくなかった。

 

「お誘いはうれしいが、遠慮させてもらおう」

「なんでです? 今日は休暇なんでしょう。クレメントさんと一緒に酒を飲んでたんですから、貴族だから士官だから、下々と一緒に酒は飲めないとかいうわけでもないでしょう?」

「まったくその通りなんだが、明日、首都防衛軍をあげての大規模演習があってな。今夜酒を飲んで明日に響いたらまずいのでね」

「演習? どんな?」

 

 ハイデン退役伍長自身には特に他意はなく、純粋な好奇心からそう問うた。彼はすでに退役していたが、オーディンに在住する帝国臣民であったので、首都防衛軍をあげての大規模演習と聞くとすこし興味がわいたのである。エーベルハルトは少し悩んだ末、その疑問に答えた。

 

「別に軍機でもないからかまわんか。自由化の弊害による不穏分子の跋扈や半年ほど前に旧都テオリアで起きた混狂の夜(カオスズラーズライ・ナハト)のこともあって、内務省を中心とした官僚勢力が、軍の対テロ能力に疑義をていしてきてな。そういう声を受け、もし帝都にそのような勢力が侵入したという想定で、首都防衛軍はどのように行動をとるべきかという軍事演習が行われる運びになってな」

「それが明日に? 知らなかった……」

「知らなかった? 数ヵ月前に正式決定されてから、帝都中の国家施設に演習告知の張り紙がはられているはずだが」

「……最近、役所に顔をだしていなかったもので」

 

 ハイデン元伍長は恥ずかしそうに頭を掻いた。他の元兵卒らも同様に恥ずかしそうな顔である。軍を退役してから町工場で肉体労働に精をだしていた彼らにとって、堅苦しい空気がある役所とは縁遠くなっていたのだ。

 

「……まあ、そういうわけで酒はだめだが、夕食は一緒にとってもかまわんぞ」

 

 そうした事情を察した訳でもなかったが、エーベルハルトはそう言ってハイデンらの誘いを受けて場を和ませた。




自分が書いといてなんだが、クレメントは本当にどうしてああなったのやら。


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ヴァルプルギス作戦発動

 後に“帝都最終事変”や“一二月三日事件”、“青き血の逆流”、“最後の近衛叛乱”などと称されるようになる事件は、非常に複雑な背景を有していたが、その事件全体の元凶的役割を演じたのは、一介の近衛大尉である。もし彼が皇帝ラインハルトのことを憎むことがなければ、そもそもこの事件は発生しなかったのではないかとまで言われている。

 

 その近衛大尉の名はヴェルンヘーア・レオ・フォン・モルトといい、前近衛司令官モルト中将の息子である。親しい人物からはセカンド・ネームでレオと呼ばれている彼は貴族や軍人としての多くの美徳と才能に恵まれており、軍幼年学校でも士官学校でも模範生となるほど優秀な生活態度と成績を残して卒業し、順風満帆な人生を送っていた。

 

 そんな人生に翳りがさしたのは、ほんの数年前のこと。彼の父モルト中将は尊皇家で、幼く勘気が強いエルウィン・ヨーゼフ二世の君主としての適性に不安を感じないではなかったが、エルウィン・ヨーゼフ二世が他の帝位継承権者の中でも一番正統性のある血統の持ち主であるのは疑いなかったし、臣下一同が輔弼して支えていけば、成長するにしたがって先帝フリードリヒ四世のような温容な君主になってくださるだろうと期待できたこともあって、幼帝に忠誠を宣誓した。

 

 そのため、内乱時は皇帝枢軸陣営にモルト家は属したが、リヒテンラーデ派でもラインハルト派でもない無派閥派だった。古風な男であったモルト中将は、前司令長官ミュッケンベルガー退役元帥と同じく古風で武人的な人物であって、武人が政治に過度にかかわるべきではないと考えていたのである。それがゆえに、内乱終結後のリヒテンラーデ派粛清に苦々しい思いを感じたものの黙認し、軍人として誠実なことと優秀な能力が評価されてラインハルトの独裁体制下でも生き残り、近衛司令官に任命された。

 

 近衛司令官といえば皇帝の居城親無憂宮(ノイエ・サンスーシ)警備を行い、さまざまな政治的決定がおこなわれる宮廷、帝国の権力の中枢を守護する要職であるとされていたが、ラインハルトが帝国宰相に就任すると宮廷の役目は儀礼的なものに限られるようになり、政務は宰相府、軍務は帝国軍最高司令部で行われるようになったため、近衛はお飾り皇帝の生活の場を守護する意味しか持たなくなったので、無駄な要員として削減の対象にされるようになっていたため、ラインハルト独裁体制下では閑職扱いされていた。

 

 それでもモルト中将は職務に精励して真面目に働いていたのだが、賊による皇帝誘拐を防げなかった失態で宮廷警備の責任者としてラインハルトから暗に自裁をうながされ、自決してしまったのである。そして息子のレオも父と似て古風な思考の持ち主であったので、父の罪に連座する形で自分も死のうと考えたのだが、同僚に止められた上にラインハルトからモルト中将の死で罪は充分償われたと慰められたこともあり、思いとどまった。だがさすがにそれで吹っ切れるものでもなかったので、レオは皇帝誘拐事件以前に少佐への昇進が内示されていたが、父の失態による負い目から少佐昇進を辞退した。

 

 ……要するにラインハルトは後日の火種を自分でつくったばかりでなく、派手に燃え上がる前に火種が自らの意思で消えようとしていたのを阻止したというわけである。無論意図してのことではなかったし、レオも皇帝誘拐の真相を見抜いていたわけではなかったからラインハルトの慰めを素直に受け入れて死ぬのを思いとどまったに過ぎなかったので、この時点においては火種は火種といえたかは疑問であるが。

 

 レオが明確な火種と化したのは、貴族意識を捨てていなかったことによる。モルト家はれっきとした貴族家であり、同じ貴族の一員として同胞たちを救うべく、没落した貴族や軍人を支援する“髑髏団(トーテンコップ・ブント)”に多大な資金援助を行うなど密接な関係を持っていた。髑髏団は形式上は元官僚のワイツという男が運営する民間団体ということになっていたが、その活動内容からして潜在的不穏分子として内国安全保障局の監視下におかれていた。

 

 髑髏団という不気味な名称は、古代ゲルマンの神話から引用したものであった。ともにヴァルハラまで。リーダへの忠誠とともにそう誓い合った愛国の戦士たちが掲げていたとされているのが髑髏の紋章(トーテンコップ)だったのである。そして名は体を表すというべきか、ラナビアに潜伏しているジーベックらの旧王朝残党勢力の帝都における工作実行機関というのが髑髏団の裏の顔だった。彼らは監視要員の内国安全保障局員の半分ほどが懐柔工作によって取り込みに成功していたので、監視の目はザル同然だった。

 

 旧王朝残党勢力を率いるジーベックにとって、現役大尉で近衛師団第七中隊の指揮官というレオの役職は非常に魅力的な存在であり、ラーセンを派遣して彼を取り込みをはかった。古臭い武人的なレオに金銭や色による誘惑では逆効果であることを元保安少佐であるラーセンは充分に承知していたので、説得には帝都の一部で噂されていた説を活用した。それは皇帝誘拐はラインハルトによる自作自演で、厭戦争感が蔓延していた帝国民衆の支持を維持したまま同盟に大侵攻をかけるための陰謀であり、モルト中将は利用されたのであるというものである

 

 レオはそのような陰謀説を根も葉もない噂にすぎないと切って捨ててきたのだが、ラーセンの巧みな話術によってかすかに疑念をいだかざるをえなかった。べつにラーセンの言葉を信じるわけではないが、念のため、あちこち探ってみよう、という気になったのである。

 

 武人肌なレオにとって秘密裏の情報収集は苦手ではあったが、貴族として生き残るための教養として最低限の世間話を装っての情報収集技術を身に着けていた。そのスキルを用いて士官学校時代の同期であり現在は憲兵本部に勤務して将来を嘱望されている軍人から衝撃的事実を聞き出したのである。帝国暦四八九年六月なかばに貴族連合に与していた門閥貴族であり、後に銀河帝国正統政府の軍務次官となったランズベルク伯の密入国が確認された。皇帝誘拐事件は七月一〇日に起きたことであるから、おそらく皇帝誘拐はランズベルク伯の指揮の下で行われたのだろうという推測を力説したのである。

 

 だがそれよりレオにとって重要なことは、憲兵総監のケスラーにそのことを報告したという事実である。ケスラーは首都防衛司令官を兼任しており、かつて独立した軍として扱われていた近衛部隊は規模が大幅に縮小されてからは首都防衛軍の下におかれていたのでレオの父モルト中将の上官ということになる。にもかかわらず、ランズベルク伯が密入国しているなどという情報は近衛には一切入っていない。貴族連合に与した経歴のために国から指名手配されている門閥貴族が帝都に潜入するなど、なにごとか企んでのことであるのは明瞭であり、当然、皇帝誘拐もたくらみの可能性のひとつとして充分に推測できるはずであった。

 

 もしそのような怪しい情報を父が入手していれば、念のために人員を増加するなどして宮廷警備の強化をはかったのは間違いないだろう。ケスラーの怠慢は責められてしかるべきと思ってレオはハッと思った。ケスラーは父にランズベルク伯の帝都潜入を伝えなかったのではなく、伝えられなかったのではあるまいか。帝国の全権を掌握している最高権力者たるラインハルトの命令で。

 

 学友の証言だけで推測に推測をかさねてのことであったから物的証拠はなにもなかったが、レオにとっては皇帝誘拐事件の真相がそうだったと信じるには充分すぎた。そして取るに足らない辺境星域(一度宇宙海賊討伐に参加したことを除けばずっと帝都勤務だったこともあり、同盟は辺境の叛乱勢力という帝国当局の文句をレオは七割方信じていた)が欲しいためだけに、立派な軍人であった父を死に追いやったのだとラインハルトを憎悪したのである。しかもその推測は間違っていなかったから、その憎悪は感情面でも理屈の上でも至極まっとうなものであった。

 

 ラインハルト憎しの感情でレオはゴールデンバウム王朝復興を目的とした反体制過激派のエージェントとなった。そして実質的に組織を運営しているジーベックの命令にしたがって、近衛士官として帝都で手に入る生の情報を提供する傍ら、近衛における同志の確保が命じられた。

 

 レオは真っ先に指揮下の近衛第七中隊に属する士官四名、下士官一一名を味方につけた。うち、士官二名は特権を有していた元貴族であったから否やはなかった。残りの者達は平民であったが、父親から「貴族は自分の力になってくれる者は全力で擁護すべきである」という教えを受けていたレオは、資金難で苦しい思いをしている兵士に資金援助してあげたり、身分ゆえに苦しい思いをすることが多い平民の部下の後ろ盾になってやったりしていたので、部下の信望があつかった。モルト家は実力ある名家であったので、モルト家がバックにいるとなると、あまり理不尽なことを他の貴族もしなくなるのである。そのような恩恵を受けていた部下たちはレオに恩義を感じていたし、レオをそのように育てたモルト中将に対してもそうだったので、恩義をかえすために協力しようという気になったのであった。

 

 次にレオは上官である近衛司令官のヴァイトリング中将を味方につけようと考えた。ヴァイトリング家とモルト家は非常に親しい関係で、家族ぐるみの付き合いがあった。また父モルト中将の親友でもあったから、説得の余地もあるだろうと思ったのである。だが、レオが憲兵本部勤務の同期から聞いた話を交えてラインハルトへの不満を口にしたところ「滅多なことを言うものではない。そんなことは忘れてしまえ」とあまり良い反応をもらえなかったので、具体的な話をする前に取り込むのを断念した。

 

 代わりにレオが取り込んだのは、近衛参謀長のノイラート大佐である。ノイラートとは軍幼年学校時代からの付き合いで、三期上のノイラートは後輩のレオをとても可愛がっていたのである。そしてノイラートは父を謀略の犠牲にされて憤る可愛い後輩の不満に共感をしめす態度をとり、そこから続いた旧王朝残党勢力と協力してのラインハルト体制の打倒に協力することも確約した。

 

 しかしノイラートとしては、別にレオほどラインハルトがモルト中将を謀略の犠牲になったこと自体は別にそれほど問題視してはいなかった。たしかにモルト中将は尊敬に値する上官ではあったが、貴族社会において謀略でだれかが死ぬなど日常茶飯事であり、怒りを覚えるが我慢しうる類のものであったのである。だが、それでもレオの親の敵討ちに協力する決断を下したのは、この計画の絵図を描いているのが旧王朝残党勢力であるということと昨今の帝国の貴族にとってこのましくない情勢にあった。

 

 貴族にとってこのましくない情勢、というのは、なにも貴族特権が廃止されて平民たちと平等な扱いをされていることではなかった。もちろんそれに対する不満がないわけではなかったが、もとよりノイラートはブラウンシュヴァイク公爵を盟主とする貴族連合が敗滅したことで、貴族の時代の終わりを受け入れており、自己の生命と最低限のささやかな立場を守るべく時代の流れに順応することを自ら決めていたからである。だがノイラートは、昨今、その前提条件が揺らぎつつあるようにおもえるのだった。

 

 きっかけはブルヴィッツの虐殺である。その虐殺において主導的役割をはたしたクレメント少佐の経歴が軍当局によって公開されてから、民衆の反応が同情心に富んだものになっていることにくわえ、旧被差別階級によって結成された報復的な過激派組織が台頭してきた。むろん、憲兵隊や内国安全保障の手によって他のテロ組織同様摘発対象にされているが、ノイラートのみるところ、彼らにたいする当局の対処が甘いのではないかと思えるのである。

 

 もちろんそんなことはないのだが、特権を取り上げられたことに憤って行動している旧特権階級の過激派組織とくらべると、報復的な感情で動いている旧被差別階級による過激派組織は民衆の同情を買っているということが大きい。ゴールデンバウム王朝下で苦しんできた者たちが治安当局の捜査活動に非協力的になる例が多々あるので、結果として旧被差別階級のテロリスト摘発捜査が難航しやすいという実際的な問題であって意図的なものではなかったが、ノイラートはこれを民衆人気の獲得に熱心な皇帝ラインハルトの政治的な意向によるものではないかと疑っていたのである。

 

 もしその傾向が長じていけば、いずれローエングラム王朝は民衆の声に迎合し、旧ゴールデンバウム王朝時代における特権階級の大粛清を実施しだすのではないか。そうなってくると貴族的特権をほぼ捨ててまで守ったささやかな地位さえ剥奪されることになるだろうし、自分の生命さえ大丈夫かわかったものではなかった。ノイラート家はエーリッヒ・フォン・リンダーホーフ侯爵が“流血帝”アウグスト二世を撃つべく挙兵した際、当時平民の大佐だったノイラート家の先祖が辺境警備部隊をまとめて侯爵の下に馳せ参じ、暴君を撃ち滅ぼして侯爵がエーリッヒ二世として即位した時に皇帝から褒美として爵位と領地を賜ったことからはじまる伝統的な貴族家である。そしてローエングラム王朝の成立にまったく貢献していない以上、政府がそういう方向に舵をきれば、真っ先に粛清されかねなかった。

 

 だからノイラートが旧王朝残党勢力に与したのは、いささか被害妄想じみていても主観的には自己防衛が理由であった。要するに徐々にきつく真綿で首が絞められて窒息死に至るくらいなら、一か八かの賭けにでてみるかということである。そして同じような被害妄想じみた思いを抱いている貴族士官が近衛部隊に相当数所属していたので、ノイラートは憲兵などに悟られぬ慎重さを発揮しながら活動し、近衛部隊の三割の士官を秘密裏に説得して味方につけることに成功した。かくして、近衛部隊が蜂起する下準備がなされたのである。

 

 ラインハルトが大本営をフェザーンに移し終えた頃からラナビアに潜伏していたジーベックをはじめとする幹部らも続々と帝国当局の警備の目をかいくぐって帝都に潜入し、一〇月なかば頃からは髑髏団の施設でノイラートやレオを筆頭に味方についた近衛士官たちと幾度と会談を持ちクーデターの詳細な打ち合わせを行い、ヴァルプルギス作戦を利用する案でクーデターを実行することが決定され、その準備が急速にすすめられた。

 

 しかしヴァルプルギス作戦を利用するにあたり、解決せねばならない問題が二点あった。ひとつはヴァルプルギス作戦の発動権をゆうしているのが首都防衛司令官であり、その権限を奪うには首都防衛司令部を機能不全に陥らせなくてはならないこと。そして首都防衛司令部を沈黙せしめたとしても、発動権を有することになる近衛司令官のヴァイトリング中将の取り込みには失敗しているということであった。そして問題のうち前者はジーベックの、後者はノイラートの責任の下解決する段取りとなり、クーデター決行日はジーベックの要望で一二月三日に定められた。

 

 そしてクーデター決行日の九時二〇分頃、レオは近衛第七中隊を新無憂宮(ノイエ・サンスーシ)南苑に数多ある四阿(あずまや)のひとつに召集した。何も知らない部下の兵士たちにたいして、レオはこの時初めてクーデター計画について説明したのである。しかしそれは、多少偽りが混じったものであった。

 

「これは叛逆にあらず。皇帝(カイザー)ラインハルト陛下の忠臣として、われらが忠誠を誓った絶対尊厳を冒涜し、国権を壟断せんともくろむ君側の奸を討つのである。君側の奸とはすなわち、ささいな失点をあげつらい、大局的に決して損なってはならぬ陛下の権威を攻撃する発言を繰り返す軍務尚書オーベルシュタイン元帥の一派とカール・ブラッケを筆頭とした官僚勢力である。これを打倒し、ローエングラム王朝の世を絶対のものとするべく、われらは起つのだ」

 

 やはりクーデターを実施するにあたって、ラインハルトの圧倒的なまでの民衆人気を彼らは無視することができないのであった。なので“皇帝ラインハルト陛下の御為に君側の奸を討つ”という理屈がクーデターに加担することになった軍人たちに説明された。クーデターの首謀者らとしては、ラインハルトの威光を都合よく利用してやる算段だったのである。

 

 多くの軍人たちは意外にもこの理屈をあっさりと信じ込んだ。軍人、特に中堅以下の軍人の間にはローエングラム王朝を成立させたのは帝国軍の力であるという自負があったので、軍務尚書オーベルシュタインはともかくとして、旧王朝打倒にさほど貢献していない開明派官僚どもがでかい口を叩いていることにたいする不満が存在したのである。いわんや皇帝批判をためらわない民政尚書のブラッケなぞには殺意に近い感情を有しているものが多かったのである。

 

 そうした背景もあって近衛第七中隊は指揮官への信頼もあって、近衛司令部を制圧するという重大な役割をになうこととなった。ノイラート参謀長のはからいで、近衛部隊の主要人物は全員司令部に集められていたので、近衛司令部を制圧すれば近衛部隊を掌握したも同然なのだ。司令官のヴァイトリング中将は、司令部を制圧せんと武装した近衛兵たちに銃をつきつけられても、動揺したところをみせなかった。

 

 しかし中隊の指揮をとっている人物が、自分の部下であり親友の忘れ形見である人物の姿を視界にとらえると、さすがに無反応というわけにはいかなかった。おろかしい愚行を止められなかったことを心中で亡き友に詫びながら、ヴァイトリング中将は口を開いた。

 

「モルト大尉。私怨によって帝国と陛下に弓引くつもりか。よしんば卿の推測が事実であったとしても、すでに大勢は決しておるのだ。やっても無益なことにしかならぬから忘れてしまえ、と、そういったはずだが」

「お言葉ですが司令官閣下。私はなにも私怨のみで行動を起こしたわけではありません」

「その通りです閣下」

 

 ノイラートが平然とした様子でレオの横に並んだ。

 

「……大佐、なんのまねだね?」

「本気で問うておいでですか閣下。帝国をおおいつつある不吉な影を思えば、われらは団結して起つべきではありませんか」

「……まるで内戦時の賊軍どものような言い草だな。卿はあやつらを変わりゆく時代に対応できなかった愚か者どもと嘲弄してはおらなんだったか」

「はい、そのとおりです。ですが、それはあくまで安全が保障された上でのこと。平民どもが復讐心から貴族狙いの襲撃が横行し、民間ではそれを称賛する言論や報道が繰り返されているような現状を思えば、金髪の孺子の空手形を信じることはとてもできません。われらは未来のために最善と信じた道を歩むと決めたのみです」

 

 ラインハルトのことをかつて多用されていた“金髪の孺子”という蔑称で表現した。もはやノイラートが旗幟鮮明にレオに同調しているのは確実である。その事実はこの反逆計画にノイラートが初期段階から関わっていたという事実を、ヴァイトリングが察するには充分であった。

 

 ノイラートは勢いよくふりかえり、銃を突きつけられて黙り込んでいる近衛士官たちをじろりと眺め、深く深呼吸すると、彼らに向かって大声で呼びかけた。

 

「卿ら、刻下の祖国を直視してみよ。民衆におもねることしか能のない惰弱な官僚どもの一派、開明派なる連中の暴走はとどまるところを知らぬ。自由化などと称して無制限に民の権利を向上させ、流言飛語が飛び交うばかりかテロが頻発する事態を招いた。それ以外にも考えうる限りのあらゆる方法でもって秩序と権威を際限なく破壊し続けている。よりにもよって、それが民衆のためなどという美辞麗句をならびたてて、である! このことから奴らの最終的にして究極的な目的は明白だ。民衆を際限なくあまやかせて増長させ、ルドルフ大帝が断固たる決意によってとりおこなわれた非常の措置によって、帝国の開闢と共に根絶せしめた銀河連邦時代の混沌と退廃とを、今一度この世に再現させようとしているのだ。その時代の政治屋どもがそうしたように、混沌の中でやつらが甘い汁を啜るために……! 故に、われわれは有志らと共に決起する。だが決して謀反ではない。すべては祖国のために、ゴールデンバウム王朝の権威を譲り受けたラインハルト陛下の御為に、われらは命を懸ける覚悟である。そして願わくば、帝国の中枢を守護し続けてきた栄誉ある近衛の総意も同じである、と、私は信じている」

 

 内容はレオが部下がしたものとだいたい同じ内容であったが、その呼びかけを聞いた近衛士官たちは一人、また一人と賛意を示し、ついには雪崩うって協力する声をあげた。そのうち、半数くらいはもともと取り込みに成功していたサクラであったが、その場の空気で事前に何も知らなかった者達も少なくなかった。それはノイラートが語った嘘の動機にそれなりにリアリティがあったからである。

 

 貴族将校らにとっては貴族が没落してから実施されてきた開明政策は不満しかないものであったし、平民将校らにとっても旧帝国時代の学芸省が発行していた公式教科書で学んだ知識から、ルドルフの思想に感化されていた者達が多数存在し、民衆の権利向上に比例して政府の権力が弱体化するのはよろしくないことではないのかという漫然な不安があった。くわえて近衛部隊にしか通じぬ理屈がある。

 

 というのも帝国開闢以来の歴史と伝統を持つ近衛部隊を、開明派は「不要」とか「無駄」とか言って廃止させようと強力に運動しており、そのせいで近衛部隊の規模や権限は大縮小し、割り当てられていた予算が大きく減らされたことに近衛士官らは不満を溜め込んでいたのである。実際のところ、近衛部隊が旧時代とくらべて冷遇されるようになったのは皇帝ラインハルト及び軍首脳部が近衛部隊に儀仗兵としては価値があるかもしれないとは認識したものの、警備兵として役に立つとは思えなかったので、警備関連の業務を大幅に憲兵隊と新設の親衛隊に引き継がせたのが直接的な原因なのだが、そんなことを知らない近衛士官たちとしては「どうせなら完全に廃止しろ」などと常日頃から主張する開明派が主犯のようにみえたのである。よって開明派への怒りが、彼らの目を曇らせたのも、近衛部隊が決起につながったといえなくもないだろう。

 

 むろん、クーデター側に参加しなかった近衛士官らも十数名存在した。うち三名は積極的に声をあげて反対し、力ずくでもこの暴挙を止めようと試みたが、レオが指揮する完全武装の第七中隊の兵士らに羽交い絞めにされて物理的に黙り込まされた。

 

 近衛士官の大半がクーデター側にまわって、声をそろえて自身の、“近衛司令官の勇気ある決断”を求めてくるようになった状況の悪さを痛感して初老の近衛司令官は無力さとを感じてがっくりと肩をおとしてしまったが、それでもヴァイトリングは駄目元で最後の説得をこころみた。

 

「卿らの気持ちは痛いほどわかる。だがこれは叛逆だ。帝国の平穏を破る行為なのだぞ。いまやめるなら上層部にはなんとか言い繕ってやるから、やめたまえ。これは命令だぞ」

 

 だが、すでに覚悟を決めきっている彼らはそれを承知でことを起こしているのであるから、今更すぎる言葉であった。ヴァイトリング中将の折れない姿勢を見て、レオは辛そうな表情を浮かべた。彼としては父の親友である彼も味方になって欲しかったのである。ことを起こした上で協力を頼めばあるいは、と思っていたのだが、どうもそれは叶わない妄想にすぎなかったことを悟ったのである。

 

「その命令には従えません。私どももこの期に及んで協力しろなどとは言いますまい。ただ抵抗しないでほしい。あなたを殺したくはない」

「レオ……いや、何を言ってももう届くまいか。好きにするがいい」

 

 今にも消えそうな小さな声で近衛司令官は親友の子にそうかえした。その声がかすかにクーデターが成功するよう祈っているようにレオが感じとれたのは、はたして妄想の産物であっただろうか。ただたしかなことはこの事件が終わった後、ジャーナリストたちにいくら問われてもヴァイトリング中将は親友の子の話題を生涯にわたって拒絶するようになったということだけである。

 

「ロシュマン伍長、司令官閣下らを軟禁しておけ。決して粗相がないようにな」

 

 レオの命令を受け、ロシュマンの分隊がヴァイトリング中将以下十九名の協力を拒否した近衛士官たちを司令部内の一室に軟禁した。そしてノイラートがおおまかなクーデター計画を近衛士官たちに説明し、近衛司令部内で協力拒否した者達が指揮していた部隊をだれに代行させるべきかの議論をしている最中、首都防衛軍所属のある兵士が駆け込んできた。首都防衛司令部が何者かによって爆破され、首都防衛司令官のケスラー上級大将以下、多数の死傷者・重傷者が発生したとのことである。

 

 ノイラートはケスラーが死んだのかどうか報告を持ってきた兵士に確認したのだが、その兵士は半パニック状態で「わかりません! とにかく病院に運び込まれて指揮がとれるような状態ではありません!」と述べ、首都防衛司令部に代わって軍の指揮をとってほしいと告げた。

 

 すぐに対策を協議すると言ってその兵士を追い返すと、司令部内の近衛士官らはだれが意図するでもなく全員が目をあわせた。今ならまだ、引き返せると全員の目が語っていた。ここで協力してくれているジーベックの一派の排除を命令すれば、司令官を拘束して指揮権を奪った罪で軍法会議はまぬがれないにせよ、命の危険は回避できると。

 

 だが、それ以上に全員の瞳に決意の炎があり、無言で一斉に頷いたのを見て、ノイラートは行動を開始した。事前にとりよせていた作戦計画書を取り出し、近衛司令官ヴァイトリング中将の字をまねて署名し、その下に自分の名前を署名をし、司令官と参謀長の印を押して承認して近くにいた近衛士官の一人に手渡した。ついで、司令官室の電話の受話器をとった。首都防衛軍事務部に繋がるまで、自分の心臓がうるさくてしかたなかった。

 

「近衛参謀長のノイラート大佐だ。多忙の司令官のヴァイトリング中将を代行して通達する。首都防衛司令部が何者かによって爆破され、ケスラー上級大将以下多くの者が行動不能の状態にあり、規則に則り近衛司令部が代行で命令を下す。首都防衛司令部爆破は同盟への侵攻に反対の論陣を張っていた開明派を中心とする一部官僚勢力の策謀であり、彼らは現帝国が軍国主義であるとして政府転覆を目論んでいる。ヴァルプルギス作戦を発動せよ」

 

 努めて平静な口調でノイラートはそう言い切り、受話器を置いた。この瞬間、帝都オーディンを舞台とした銀河帝国史上最後の大騒乱の幕があがったのである。




たぶん、今回の騒動には原作キャラが少なからず巻き込まれる予定。


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黄金樹に栄光を

 いったいいつになったら演習が始まるんだ。帝都第一旅団所属第二区警備連隊長マテウス・ブロンナーはいらだちをせわしなく足踏みすることで誤魔化していた。演習開始の予定時刻を過ぎているのにいまだに音沙汰なし。たしかに首都防衛軍の会議が終わり次第と但し書きされていたのはわかっているが、待機命令が下って連隊を所定の位置に整列させてからもう二時間経過している。いったいどれだけ待たせるつもりなのか。

 

 最近、ブロンナーはいつも機嫌が悪かった。彼の両腕は温かみのない義手であり、両目は無機質な義眼であった。ブロンナーの前の所属はレンネンカンプ艦隊であり、今年三月にはじまった同盟征服を目的としたラグナロック作戦に参加しており、ライガール・トリプラ両星域会戦において乗艦が大破した時に両腕が鉄の破片で切断され、高出力ビームを直視してしまって両目を失明してしまったからである。

 

 それからは本国に移送されて治療とリハビリに集中し、軍務復帰できる頃には帝国軍本隊は同盟再侵攻のためにフェザーンに戦力の移動を完了させていたので、帝都勤務の連隊長ポストがあたえられたのである。それがブロンナーには不満なのだった。その所属では、今度こそ同盟を完全征服するはずの第二次ラグナロック作戦に参加できないからであり、事実そうなった。

 

 ブロンナーが不満なのはなにも軍人としての栄誉をえるため、武勲をたてたいという栄達心や虚栄心のみが原因ではなかった。彼はまわりから筋金入りの君主主義者ないしは反共和主義者であるとみられており、本人も同盟への敵意を隠そうともしなかった。それは彼の経歴によるところが大きい。

 

 彼は平民階級出身者であったが、それなりに歴史がある裕福な軍人家庭の出身で、五人兄妹の三番目として生まれた。物心ついたころには父親は同盟との戦争で戦死しており、末の妹を除いた兄弟は全員士官学校を出て職業軍人になったが、最初は次男、次に四男、最後に長男がヴァルハラにいる父親の下へと向かった。すべて同盟軍との戦闘で戦死したのである。

 

 しかしブロンナーは運良く重傷を一度も負うことなく三〇歳の誕生日を迎え、兄弟が先々に死んでいくから自分もそうなるのではないかという不安から遠慮し続けたのをやめ、二〇歳なかばから懇意にしていた酒場の受付嬢に勇気をだして求婚し、翌年には結婚して子も生まれ、母と妹と妻と子の五人で一緒の家に暮らすようになった。ある意味では、それがブロンナーの人生の絶頂期であった。

 

 結婚してから三年後、遠征から戻ると自分の家が跡形もなくなっていたのである。帝政打倒を掲げて活動する共和主義地下組織が起こした暴動に自宅が巻き込まれたのである。警察官に連れられて家族全員の死体――まだ幼かった子もふくめて、無残な傷跡の残る遺体ばかりであった――を確認させられた時、ブロンナーの中で共和主義に対する揺るがぬ基本的認識が築かれた。

 

 邪悪なる共和主義を世界から根絶せねばならないと決意をかたくし、その総本山たる自由惑星同盟を滅亡させるべく、ブロンナーは軍内部において同盟に対する大規模侵攻という強硬論をとなえてやまないようになった。それは建前の上ではともかく本音としては同盟を征服して百億を超える共和主義者――思想犯を国内に抱え込むことを望まない貴族たちにとってはおもしろくないものであったので、圧力をかけられた軍上層部の判断で同盟との勢力境界付近の哨戒部隊に左遷させられ、大規模会戦に参加できなくなったが。

 

 とまあ、そのような経歴の持ち主なので、悪の共和国を殲滅する正義の大事業に参加できないことが心の底から不満でたまらないのであった。それが態度に出続けているので連隊員のほとんどから「新しい上官はおっそろしいなぁ」と思っており、怖さを軽減するためかブロンナーが義眼だからという共通点で“小軍務尚書”などというニックネームをつけられていた。しかし、最近ではあきらかに怖さの方向性が異なるという理由で、義眼要素を無視した新たなニックネームが連隊員の間で定着しつつあった。それは“黒色槍騎兵(シュワルツ・ランツェンレイター)連隊長”というものである。

 

 首都防衛軍の伝令兵がエアバイクに乗ってやってきた。ブロンナーは近寄ってきた伝令兵の敬礼に答礼すると、ひったくるように伝令兵がさしだした封筒を受け取り、乱暴に封をあけて中の命令書を確認した。副官は上官が命令書をよみすすめるうちにみるみると表情がかたまっていくのを確認し、疑問をいだいて緊張せざるをえなかった。それに気づいたブロンナーは命令書を押し付けるように副官に手渡した。

 

「……こ、これは」

 

 副官はあまりにも信じがたい命令に驚き、上官の顔を伺った。その態度を見てブロンナーは、自分が唐突に帝国語をありえないような誤読してしまう病に感染したわけではないらしいと客観的な分析ができ、事態の深刻さを思い、気を引き締めた。

 

連隊(レギメント)傾注(アハトゥング)!」

 

 整列した連隊員二七九八名がいっせいに踵を鳴らして姿勢をただす。

 

「首都防衛司令部が爆破され、司令部要員が重傷を負って機能停止状態にある。指揮権を引き継いだ近衛司令部は状況証拠から今回の遠征に反対する官僚勢力のクーデターと断定。ヴァルプルギス作戦に従い、われわれに官庁街の閉鎖を命じた。わが連隊の担当は内務省及び民政省である」

 

 連隊員は沈黙し、隣り合った者同士で視線を交わしあった。演習内容は武装憲兵隊を反体制テロ組織と想定しての、対テロ作戦であったはずではないか? 動揺が広がっていく連隊員を見て、ブロンナーは厳として叫んだ。

 

「これは演習にあらず! 現実だ。現実におこったことだ。官僚どもの反戦クーデターだ! 首都防衛司令部が爆破され、指揮は近衛司令部が代行し、ヴァルプルギス作戦が発令された! われわれはクーデターを阻止するために官庁街を制圧する! 我が連隊の担当は内務省及び民政省の制圧である! 繰り返すが、これは演習にあらず!」

 

 驚愕しつつもブロンナーの命令を士官たちは理解したが、兵や下士官は微妙に異なった。ヴァルプルギス作戦という存在自体、彼らは知らなかったのである。それもそのはずであり、首都防衛軍に属する士官以外には機密扱いで知ることができなかった作戦計画だからである。

 

 ゴールデンバウム王朝の体制を支えた三本の柱は官僚機構と軍隊、そして貴族階級である。しかし時の風化作用の中でその三本の柱に歪みが生じ、政略結婚を繰り返して巨大化しすぎた門閥貴族勢力、そして建国以来軍事を重視してきたせいで影響力が際限なく拡大し続けた軍隊によって、官僚機構の職権は両者に食い荒らされるようになった。そのような流れの中で、対政府用オプションとして統帥本部で策定されたのがヴァルプルギス作戦である。

 

 その作戦内容は帝国政府や貴族勢力の政治的都合で軍事に過度の負担がかけられた場合、首都防衛軍を出動させて惑星オーディンのあらゆる通信回線を遮断して影響が拡大するのを防ぎ、五時間以内に帝都全域軍事的に制圧して軍政下に置き、軍事独裁政権を樹立することを目的とした軍のクーデター計画であった。

 

 それは当時の軍部の官僚勢力に対する脅迫材料であり、クーデターを目的とした作戦計画が軍にあることをチラつかせて政府に圧力をかけ、さらに軍の影響力を広めるという目的もあったが、同時に軍を軽視した行動をとれば強硬手段辞さぬという門閥貴族への牽制でもあった。帝国において門閥貴族であることと軍人・官僚という立場は重複するものではあれど、完全に一致するものではない。門閥貴族はとかく自分達の一門の繁栄を追求するが、軍人・官僚は帝国全体を考慮して動かなくてはならないのである。少なくとも建前の上ではそのはずであり、その建前を完全に無視して動くことは国家に対する求心力の低下し、その延長線上に国家の崩壊がある。

 

 ゆえに帝国にあっては絶対の権威者である皇帝陛下を味方につけるなり、皇帝に支配者の資格なしと大衆に信じさせるなりする手順を踏まなくては、国家の形を維持し続けることができない。そして国家の形が保てなくなれば帝国の最高権力を握れたとしても、帝国が複数の独立国家に分裂してしまえば、そんな権力は無意味なのだ。

 

 そういう観点からみれば軍部と政府は貴族(地方勢力)が独立心を持たぬよう牽制しつつ国家の形を守るために協力しあわなければならない関係のはずなのだが、そんなものは同盟との戦争開始以前から帝国内の叛乱鎮圧に軍の力を多用しすぎていたせいで形骸化してひさしかった。同盟の批判精神・愛国精神旺盛なある歴史書の記述を借りれば、「軍隊と貴族と官僚の緊密な連携ができる三位一体の体制は、子々孫々と続く優秀な遺伝子の保有者によって受け継がれるので永続的なものであるという幻想を前提に、ルドルフが帝国を軍国主義的・封建的国家としてデザインした時点で銀河連邦より優れたものとして帝国の体制を設計したにもかかわらず連邦以上の制度的欠陥を有する国家になるのは避けられなかった」のである。だから官僚としてはそういった対立の構図を読み取り、パワーバランスを考慮しつつ慣例や前例を駆使することによって影響力を行使するのが常であったのだ。

 

 しかしラインハルトが帝国の全権を掌握すると貴族階級は力を失い、軍内部において官僚が利用できるような対立要素はなかったので、好む好まざるを問わず官僚は軍部に頭を垂れざるをえなくなった。当然、軍部の権力拡大で自分達の領分に軍人が大きく干渉してくるのに官僚たちは不満を抱いたし、ラインハルト陣営の軍人たちとしてはそれを警戒せざるをえなかった。そこで万一、官僚が団結してサボタージュでもおこして帝国の中央政府が機能不全にでも陥ろうものなら、誕生して間もないローエングラム王朝の基盤に大きな傷がつきかねない。

 

 新帝国成立間もない頃の帝国軍三長官会議の席上で軍務尚書オーベルシュタイン元帥がその必要性を説いた。その背景にはオーベルシュタインの猜疑心の強さもさることながら、ローエングラム王朝が成立すると省庁に対する過度の監視を段階的に解除していく方針に決まった、と、ケスラー憲兵総監から報告されていたこともあったろう。宇宙艦隊司令長官のミッターマイヤー元帥は必要性に疑義をとなえたが、統帥本部総長ロイエンタール元帥は必要性は理解できるとしたが、積極的に賛成はしなかった。

 

 オーベルシュタインの提案を皇帝ラインハルトは即座に返答はせずに保留したが、数日後には条件付きで許可した。現在官界を支配しているのは開明派であるが、彼らはおのれの信じる理念を何より優先する傾向があり、特にブラッケなどの教条主義的な人物は頑なである。無論、それ自体は責められるべきではないが、戦争行為自体に否定的な開明派の存在は、将来同盟の完全なる征服に乗り出す好機がおとずれた時さえ、戦争を阻止しようとなんらかの行動を起こすこともありうるのではないか。よって人類社会の統一が為されれば破棄することを条件として、作戦立案を許可したのである。

 

 皇帝の意向があきらかになり、そういった政治要素の強い作戦計画の策定を行うのは統帥本部の役目であり、ことの重要さから統帥本部総長ロイエンタール元帥、同次長のメックリンガー上級大将自ら作戦の立案にあたった。その際、以前からあったヴァルプルギス作戦を元にして改定する形がとられたので、作戦名もそのまま継承された。

 

 このことが旧王朝残党勢力にとってまさに福音だった。ノイラート大佐からモルト大尉に、モルト大尉からラーセンに。そのルートでヴァルプルギス作戦の詳細を知った事実上の指導者のジーベックは快哉を叫んだものである。想像以上に完璧な作戦内容であり、この作戦を実行していると軍に誤認させた上で帝都を支配することができると確信したのである。すべてが終わった後、「ローエングラム王朝打倒の大義」を超光速通信で帝都から全宇宙に宣言してしまえば、既に大逆的行動に加担した軍を味方に取り込むことすら可能であろうと判断したのである。

 

 しかし近衛部隊のみで自分と思い描く展開を起こすには味方の数が不十分に過ぎた。そのため、ジーベックら六〇〇名ほどの残党勢力はラナビアからひそかに帝都への潜入をはたしており、旧貴族邸に潜んでいた。この邸はある企業が大金はたいて国から買い取ったということになっているが、それはダミーに過ぎなかったのである。彼らは全員帝国軍の軍服を着ていた。ヴァルプルギス作戦は帝都すべての通信回線が遮断される手はずになっているので、軍装と形式が整えられている身分証明書のみで正規の軍人と誤認させることができるだろうと考えられたのである。

 

「どうやら作戦が始まったようですな」

 

 旧貴族邸をおとずれて早速緊張感にかけるようにそう報告したのは表向きは髑髏団(トーテンコップ・ブント)の運営責任者であり、帝都における工作活動の責任者であったワイツであった。ゴールデンバウム王朝時代における彼の身分は帝国騎士(ライヒスリッター)で、しかも三代前までしか歴史がない寒門出である上に際立った才能もないない凡庸な男であったが、どういうわけか帝国の官界を支配していたクラウス・フォン・リヒテンラーデに気に入られ、その補佐官として重用された人物だった。

 

 しかしラインハルトが帝国の全権を掌握するとリヒテンラーデ公爵の側近だったワイツもリヒテンラーデ派の主要人物であるとして官界から追放された。ワイツは同じ寒門出の帝国騎士であったラインハルトに一方的過ぎるシンパシーを感じており、(賄賂を贈られたからでもあるが)あれこれと便宜をはかってやったりしていたのである。なのに、この仕打ちはどういうことだと憤ったのである。ワイツ自身、自分が成り上がる過程で恩人を蹴落として成り上がるようなことはよくしていたのだが、そんな都合の悪いことは完全に無視していた。

 

 余談だが、ゲオルグはこのような人物を何十年と官界に君臨してきた切れ者だった祖父が重用したのは、彼の凡庸だが常識的で直截的で後先考えていない意見を平然と述べることができた点にあったと推測している。くわえて、ワイツには妙な長所があって、多少の無礼には目を瞑っておいてやろうと上位者に思わせる何かがあった。そのことをゲオルグは「ワイツのユーモアは独特で、会話をしているとなぜだか温泉に浸かっているような気分になる」と語っており、一種の清涼剤的な魅力がワイツにあったのかもしれない。

 

 だが、さすがにだれにとってもという境地ではなかったようで、ジーベックはワイツの人を食ったような態度に好感をいだけずにいた。彼はすくなくとも主君や上官にたいしては誠忠の人だったので、自分の利益にのみ関心が強く、問題なく使えるよう資金洗浄に苦労して調達した髑髏団の運営資金を横領しているワイツを内心で軽蔑していた。しかしそれを表に出すわけにはいかなかった。ただでさえ、レーデルのような外道を重用しなかればならないような情勢なのだ。帝都で自由に行動でき、経歴上多少反動的な組織を運営していても治安組織から過度に警戒を持たれないワイツは貴重な駒というべきであった。

 

「モルト大尉がやってくれたわけだな」

 

 ジーベックは近衛部隊と髑髏団の連絡役を担ってくれた真面目で誠実な近衛士官の姿を思い浮かべた。彼と直接対面したのは、ジーベックが追われる身であることもあって、事前に二度しか会っていないが彼に好感をいだいていた。もしもゴールデンバウム王朝復興が成ったならば、彼を相応に重用してやらねばなるまいと思っていた。そこには彼自身がラインハルトを憎むに足る素地があったとはいえ、ラーセンを通じていらぬ情報を吹き込まねば憎悪という形であらわれることがなかったろう。知らずにおれば新帝国でもそれなりの立場に出世していくこともできただろうという罪悪感があるのかもしれなかった。

 

「しかし危険ですな」

「なにがだ」

「ヴァルプルギスが発動しているということは首都防衛司令部を沈黙させることに成功したということでありましょうが、肝心のケスラー司令官が死んだのか判然としません。もし奴が生きておれば、いささか面倒なことになりませんか」

「いささかどころではないわ、たわけが! 近衛司令部の命令に首都防衛軍が服しているのは司令部不在であればこそ! ケスラーが指揮をとれるような状態であれば、首都防衛軍は正規の命令系統に戻ってわれわれの計画はご破算だ!」

「……はっ、もうしわけありません」

 

 恐縮した様子でワイツは呻いた。ジーベックからこれほどの怒気を浴びせられるとは想像していなかったのである。

 

「まあまあ、そう癇癪を起さなくてもよいではないですかジーベック中佐。すでに織り込み済みのことなのですから、仮にしくじっていたところで大した問題ではないでしょう」

 

 幹部の一人がワイツに助け船を出すようなことを言ったが、ニヤニヤとした不敵な笑みを浮かべている上に嘲弄するような声音だったので、ラーセンの反発を買った。

 

「サダト准尉! ゴールデンバウム王朝のために、皇帝僭称者による人類の暗黒時代を終わらせ、光り輝く黄金樹の下にこそ繁栄する人類の未来のために、身を捧げて義挙を遂行した勇気ある人物に対する侮辱ではないのか」

「そうか、そう解釈されるのか。ククッ、そいつは失敬」

「こ、この元思想犯がぁ!」

 

 あくまで他人を舐めた態度をとるサダトに、ラーセンが殺意もあわらに睨みつけた。ケスラー上級大将以下首都防衛司令部要人暗殺のために、旧王党派残党は会議の警備を任されていた兵士をあらゆる手段を使って取り込み、時限式の高性能プラスチック爆弾を抱えたまま対象に近づいて自爆させる方法をとったのである。

 

 だが、それでもラーセンの殺意はお門違いであった。別にその兵士はゴールデンバウム王朝に対するシンパシーがあったわけではなく、髑髏団という帝都における活動の拠点を得てから長い時間をかけて洗脳した結果である。そのことをラーセンは知っているはずなのだが、万事において狂信的な彼はどうやら異なる解釈をしているようであった。

 

 こんなどうでもいいことで対立するなとサダトの元上司であるレーデル少佐が双方を叱咤して場を治めた。サダトはいかにもどうでもよさそうに切り上げたが、ラーセンの方は忌々しそうに睨み続けたのでサイボーグ風情が命令に背くかと苛立ったレーデルに殴りつけられて、ようやく睨むのをやめた。心底、渋々といった感じであったが。

 

 あまりにもまとまりのない光景を見て、ジーベックは途方に暮れたくなった。いくらゴールデンバウム王朝に対する風当たりが強く、人材を選別する余裕がなかったとはいえ、このバラバラ感は酷い。別に組織内で致命的なほど主張が異なる派閥があるわけでもなく、純粋な幹部同士の純粋な性格的相性の悪さによる軋轢なのだから、ある意味では内戦時の貴族連合より酷い惨状であるのかもしれなかった。

 

 伊達や酔狂で反体制運動やってるんじゃないんだ。好きあう関係になれとは言わぬが、もうちょい自分の感情を抑えてくれ。これから大規模な作戦を始めるのにこの団結感のなさは深刻だ。サダト准尉あたりをあの誠実なモルト大尉とトレードできたらいいのに。それならば今少しまともな組織になるだろう……。ジーベックはそんな泣き言を言いたい気分になった。自分を除くと幹部の中だと純然たる私欲で大量殺戮してた矯正区司令のレーデルが一番まともな感性をしているとは、どういうわけだろうか。

 

 この作戦が終わったら、最低でも絶対にラーセン保安少佐とサダト准尉を中枢から排除してやる。成功するにせよ失敗するにせよ、もうちょい自分好みの人事が行えるような状況になるのは間違いないのだ。もともと連中は組織の中枢にいるべきでもない人間だし、よりふさわしい仕事を与えてやろう……。

 

 一癖も二癖もある面倒な幹部の調整や説得にストレスに悩まされ続けるのもこの作戦が終わるまでだ。そう思うとジーベックは胸中に穏やかな気持ちがひろがり、多少は前向きな気分になることができた。信頼できる部下から書類を受け取った。それは正式な帝国軍近衛司令部の命令書であった。

 

 ヴァルプルギス作戦発動中は通信が軍当局の強力な妨害電波で使えなくなるので、通信ではなく紙面で命令が通達される。なので作戦中ジーベックたちがまわりから不自然を持たれずに動くために近衛参謀長のノイラートが隙を見て近衛司令部の承認印が押されただけの大量の空文命令書を作成してくれたのである。命令内容は当然、ジーベックとレーデルの手によって万事都合よく書かれたものであった。

 

「予定とは異なる命令内容が書かれている者はいないな?」

 

 ジーベックの問いかけに幹部たちは渡された命令内容を確認すると、強く頷いた。

 

「では、われわれも行動を開始するとしよう。諸君らが全員己の任務を完遂した時、卑劣な簒奪者は地獄に落ちるであろう。われらが帝国(ライヒ)を取り戻し、おそれおおくもルドルフ大帝より五〇〇年に渡って綿々と受け継がれてきた伝統ある秩序を回復せしめ、そしてわれらが忠誠を誓う殿下に志尊の冠を捧げよう。大神オーディンの照覧あれ! 帝国ばんざい(ジーク・ライヒ)! 黄金樹に栄光を(グラツェンデ・ゴールデンバウム)!!」

「ジーク・ライヒ! グラツェンデ・ゴールデンバウム!!」

 

 六〇〇人の実働部隊が、ジーベックに続いて唱和した。この唱和がラインハルト統治下における旧特権階級勢力の最後の大規模反動の完全なる始動を告げた。

 




帝国首脳部がマヌケ化してると友人からツッコミが入った。
……納得して頂けるかわからないが、次話でフォロー入れたいのでどうかご勘弁を。


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官庁街制圧

 民政省にブロンナー大佐率いる連隊所属の部隊が、文官たちを捕縛するべくやってきたのは九時四〇分頃であったとされる。彼らはビーム・ライフルをかまえて省内に突入し、突然の不穏なものものしい雰囲気に圧倒されてかたまった職員たちに銃をつきつけ、抵抗すれば殺すと脅して省前の広場に連行していった。職員たちは状況が理解できずに説明を求めたが、軍人たちは硬い表情を崩さずになにも答えなかった。不安を紛らわすために他の職員と意見を交わそうとするものもいたが、それを脱走ないしは抵抗の相談をしているとみなした下士官が怒鳴り声をあげ、場合によっては暴力をふるって中断させたため、不安は募り続けた。

 

 多くの職員は恐怖から沈黙して軍人たちの指示に従ったが、開明派の中でも強硬的なカール・ブラッケ民政尚書を中心とした勇気ある一団は、銃による脅しにも恐れずに不当な扱いに抗議し、末端では話にならないから上官を出せと食ってかかり、軍人たちの指示に従おうとしなかった。ブラッケのグループを取り込んでいる軍人たちはどうしたものかと顔を見合わせた。あまりにも抵抗するようなら多少は殺してもかまわんと命令されてはいたが、尚書を殺すのが“多少”の範疇におさまるとも思えなかったからである。

 

 どうしていいかわからなかった彼らは上官に報告し、その上官もまたどうしていいかわからなかったのでさらにその上官に報告するということを繰り返し、連隊司令部にまで報告があがった。義眼の連隊長は銃床で殴りつけて強引に引きずればいいだろうにと現場の軍人たちにあきれつつも、事態を処理するために民政省に居座っている生意気な開明派官僚どものところへ足を運んだ。

 

 民政省の執務室で軍人相手に口論しているブラッケたちの前に出ると、ブロンナーは機械的な冷淡さで一言告げた。

 

「近衛司令部の命令により、卿らを国家叛逆罪の容疑で拘束する。おとなしくしたがってもらいたい」

 

 その高圧的な態度にブラッケは強烈に反発した。元々ブラッケは権威や権力への反発を隠さない反骨精神旺盛な人物であり、不条理に対しては大きな声をあげる人物であった。新王朝においては新設された民政省の長として厚遇されたものの、旧王朝時代は社会秩序維持局から潜在的危険分子として警戒されていた気質はまったく変わっておらず、皇帝の意思に反対する意見を堂々と主張する硬骨漢であった。

 

「叛逆! 私がいつ国家への叛逆行為を行ったというのだ!? 明確な証拠を出してみるがいい。出せないというのなら、それは国家の威厳に泥を塗るに等しい行為だ。それを踏まえて国家への叛逆を行っているのがどちらなのか少しは考えてみたまえ! それになぜ近衛司令部の命令で首都防衛軍が動いているのか。このことをケスラー上級大将は承知しているのかね!」

 

 その真っ当な主張に対するブロンナーの返答は鉄拳だった。ブラッケの体が一瞬空中に浮くほどすさまじい勢いでブロンナーはブラッケを遠慮なく殴り飛ばしたのである。あまりにも唐突であったので、官僚のみならず軍人たちもおどろいていた。

 

「聞いてなかったのか? 近衛司令部の命令により、卿らを国家叛逆罪の容疑で拘束する。反抗するようなら容赦なく銃殺する」

 

 そういってブロンナーは腰に下げていたブラスターを引き抜き、天井に向けて数回引き金を引いて威嚇した。主観的には充分に理性的に動いているつもりであった。なぜなら叶うのであれば開明派官僚など一人残さず殺してしまってもかまうまいというのが彼の個人的な考えで、最初に警告、警告に背いても一度は殴る程度ですませてやっているのだから充分に有情的措置だろうと思っていたのである。

 

 ブロンナーにとって自由惑星同盟ひいては共和主義思想は根絶すべき絶対悪である。ラインハルトの陣営に属することを決めたのも、無能な軍の旧首脳部よりは同盟軍粉砕の力になってくれるだろうと判断したからであった。門閥貴族の専横とそれに苦しむ民衆という不公正な社会のあり方は、ブロンナーにとってはどうでもいい些事であったのである。そういった価値観に立脚していたので、いわゆる開明派なる連中を評価すべき点など宇宙のどこを探してもなかったのである。

 

 それどころか呵責なき共和主義思想弾圧こそ彼の望むところであったから、旧王朝時代に数え切れぬ共和主義者を地獄に叩き落とした実績がある社会秩序維持局を廃止したばかりか、矯正区に隔離されて無害化されていた共和主義者の多くを釈放し、言論の自由とかいう名目で民衆を洗脳する権利を与え、一部の者には官職さえ与えてしまったことから、開明派を祖国を共和主義に染める可能性を高める危険分子であるとすらみなしていた。たとえ開明派が意図していなかったのだとしても結果が同じである以上、筋金入りの反共和主義者からしたら赦せることではなかった。

 

 こんな害悪しかもたらさない連中をなぜ皇帝ラインハルトが重用しているのかはブロンナーにとって、いささか理解しかねることであった。共和主義者を容認し、皇帝を声高に批判することをためらわない連中など百害あって一利なしであろうとすら思っていた。ただ帝国軍をあらゆる点において強化し、自由惑星同盟を滅ぼして共和主義思想を歴史上の存在としてしまうためには民衆の支持と多大なる負担が必要だとは理解できたので、共和主義思想を人類社会から完璧に根絶するための条件を整えるべく、戦略的譲歩をとっているだろうと推測していたのである。

 

 なので近衛司令部の命令はブロンナーにとってそれほどおかしい命令ではなかった。もし本当に開明派がクーデターを起こしたのだというのなら同盟を滅ぼすべく出征した遠征軍に悪影響がでかねないから問答無用で速攻に排除すべきであるし、開明派のクーデターがでっちあげの事実無根であっても共和主義なる害悪思想を根絶する大事業が前進することに疑問の余地がなかったからである。くわえていえば、開明派を時を見て粛清するつもりだと信じているブロンナーからすると、近衛司令部の命令がラインハルトの意向の可能性もありうることだとすら大真面目に考えてさえいるのだった。

 

 ゆえにブロンナーの行動にためらいはなく、これ以上なにか言うようなら見せしめとしてブラッケ以下数名をこの場で射殺するつもりだった。この強硬な姿勢は話が通じる余地がないと開明派に思い知らせるには充分で、なんの武器も持たない以上、死にたくないなら不肖不肖であっても文官たちは従うよりほかになかった。

 

 このようにかなり強引な手法で民政省の職員たちを用意していた軍用輸送車の荷台に詰め込んでいき、一時間ほどで民政省内にいた幹部級職員全員を荷台に乗せ終え、マールブルク政治犯収容所への移送を命令した直後、ブロンナーは副官のリルムから好ましくない報告を受けた。

 

「オスマイヤー内務尚書が見つからない?」

「内務省制圧にあたっていた第三〇八大隊の報告によると、オスマイヤー以下十数名の高官の行方がつかめないとのこと。どうやら内国安全保障局が動いていた模様で……」

「内国安全保障局は開明派と反目しあっていたはずだ。開明派の反戦クーデターに加担したとも思えない。身の潔白を訴えれば開明派を一掃した後釈放されるだろうに、なぜそんなことを」

「どうやら内国安全保障局はわれわれ軍の動きしかつかめていなかったらしく、われわれをクーデター派だと判断して行動したようで」

「余計なことを。中途半端な仕事をしやがって」

 

 ブロンナーはそう吐き捨てた。近衛司令部の策謀によって首都防衛軍はクーデター鎮圧のために出動していると思い込んでおり、内国安全保障局は情報不足から余計なことをしてこちらの算段を狂わせているという風にしか受け取れなかったのである。すべての真相を知っていれば、いささか滑稽なことであった。

 

「いかがなさいますか、大佐」

「……報告してハイパー旅団長、いや、帝都防衛第一旅団司令部の指示を仰ごう」

 

 途中で旅団長が首都防衛司令部の会議に出席していたために爆殺されていたことを思いだし、ブロンナーは言葉を直した。副旅団長の、とは言わなかったのは、副旅団長のトレスコウ准将の能力をブロンナーが疑問視していたためであったが、そのことを指摘する者はその場にはいなかった。

 

 そう決断すると矢継ぎ早に指示を出し、現場部隊の指揮を次席指揮官に委ねると、ブロンナーは副官をともなって宰相府に向かった。官庁街の制圧が首都防衛軍の任であり、第一旅団本隊は国務省の制圧にとりかかっており、宰相府を制圧した後、ここに司令部を設置していた。副旅団長トレスコウは個人的好奇心から宰相の椅子に座ってみたいと思い、宰相執務室に旅団司令部を設置しようとしたが、幕僚たちから「不敬だ」といわれたので仕方なく一番広い会議室に司令部を設置することで妥協していた。

 

 そんなことがあったとは露知らないブロンナーは内務省内で政務を行っているはずの内務尚書オスマイヤーの行方が掴めないことを報告した。トレスコウはかすかに唸った後、軽く咳払いした。

 

「内務尚書が出張していた、というわけではないのだな?」

「われわれが動く数刻前までは省内にいたそうなので、その可能性はないでしょう。内務省を制圧した大隊からの報告を信ずるならば、内国安全保障局に動きがあったと」

「わかった。上にも報告しておこう。卿は民政・内務両省の業務掌握につとめよ」

「……はっ」

 

 それでよいのかとブロンナーは内心不満をいだいた。もしオスマイヤーが開明派・クーデター派と通じていれば、国内組織をまとめあげて組織だった反抗をしてくるかもしれず、そうなってはこの騒動が長期化し、同盟制圧の途にある遠征軍に多大な悪影響を及ぼそう。しかし抗弁はしなかった。省庁の業務掌握も重要な任務であることを理解していたのである。

 

 しかし宰相府から出た直後にやや焦り気味の声がブロンナーを呼び止めた。ブロンナーは声の主を確認して怪訝な顔をした。それは帝都第一旅団司令部の幕僚であるエーベルハルトだったのである。かつて戦場を共にした縁で二人は良好な関係を築いていたが、エーベルハルトは階級が上のブロンナーにいつも礼儀正しく接していたので、余裕がない態度に疑問を感じたのである。

 

「どうしたんだ。なにか緊急事か」

「いえ、個人的な懸念なのですが、開明派がクーデターを起こしたというのは本当なのでしょうか」

「なに?」

 

 ブロンナーの反発に満ちた疑問の声に、エーベルハルトはええと頷いた。

 

「開明派は充分な権勢がありました。なのにこのような自殺的行為にうってでるほど、開明派の思考能力が欠如しているとは思えないのです。あまりに成算がないではありませんか」

「しかし常日頃から増大していく軍事費に批判的であったし、この戦争も放っておけば同盟が自滅するし、弱体化した同盟軍に対してあんな大規模な遠征軍は過剰に過ぎると反対していたではないか。軍部の意向で陛下が即時遠征を決断したことに不満を抱いて、今回の暴挙に至ったのではないか」

「たしかにその可能性もありますが、元からあまり好かれていない開明派が帝都掌握の後、陛下はもとより遠征軍の兵士らを敵地に置き去り見殺しにした汚名を背負い、どのように帝国を支配してゆくつもりだったというのでしょう。このような手法で帝国上層部を掌握したとて、遠征から戻った兵や死んだ兵の遺族が開明派を憎むことは幼子でも推測できること。あまりに先の展望を欠く行動ではありませんか」

「……たしかにそうだが、それを承知の上でも軍の支持が強い陛下を抑えるには軍が本国を留守にした隙をつく他にないと判断したのだと俺は思う。だが、卿は違う認識をしているようだな」

 

 やや敵意ある目で睨まれてエーベルハルトは説得の困難さを悟った。エーベルハルトは近衛司令部命令に不審を感じ、ヴァルプルギス作戦発動命令の通達の一時保留と近衛司令官ヴァイトリング中将に状況を確認することを副旅団長のトレスコウに進言したのである。だが、トレスコウはその進言を無視してシステマチックに指揮下の部隊に命令を通達し、忙しくなるから近衛司令官への確認なんて無駄なことしてる余裕はないと切って捨てられたのである。

 

 エーベルハルトは貴族階級出身者であったから、貴族としてはルドルフから続いてきた帝国の伝統を積極的に破壊している開明派をあまり好ましく思っていない。だが、いっぽうでラインハルトが皇帝に即位した際に忠誠を宣誓した身である。ゴールデンバウム王朝を打倒した金髪の若者に対して思うところが多々あるが、忠誠を誓ったのは強制されたわけではなく自分で決めたことであったから、たいした理由もなく忠誠宣誓に背くことはエーベルハルトの貴族的美徳に反することであった。開明派排除がなんらかのクーデター勢力の策謀であり、自分達が知らずしてその尖兵とされるなど、貴族としての矜持が黙っていない。そんな懸念がある以上、確認作業は絶対必要のはずであった。

 

 また一個人としては敬愛した元上官クレメントが貴族に虐げられた憎悪から暴走して虐殺者の汚名を負って死んだことから、あのような悲惨極まる人生を歩む人間を二度と生み出さない世の中にしなくてはならないと強く思っていて、自分の貴族的感覚は大衆には共感されない感傷に過ぎないとしていた。だからなのか貴族将校であるにもかかわらず、過激なブラッケなどはともかくとして他の開明派連中はその程度の不満で皇帝に反旗を翻そうとするほど馬鹿ではないだろうと認識していた。彼らがかつてのクレメントのような境遇の者達の救済に熱心なのは知っている。開明派は嫌いだが、だからといって彼らが排除されてそっちの救済活動まで悪影響がでるのは望ましくないという考えがあった。

 

「はい。私は同盟の起死回生の謀略ではないかと」

 

 黒幕がだれか、というところまでは推測していなかったエーベルハルトは、ブロンナーの共和主義嫌いを知っていたので、彼が好みそうな黒幕をでっちあげた。その効果があったのか、ブロンナーの表情や声音から険しさがやや薄れた。

 

「ほう、なぜそう思う?」

「ひとつには開明派の二大巨頭の一人、財務尚書のオイゲン・リヒターが地方問題の件で地方に出張中だということ。もちろん、穏健的なリヒターと強硬的なブラッケの路線違いで仲たがいして単独で実行した可能性や帝都以外に根拠地があってそこを統括する人材が必要だったという可能性もありますが、帝都を掌握しないことには帝国全体をスムーズに掌握することはできません。本国の掌握に失敗した状態で、陛下が怒れる遠征軍を率いて本国に戻ってくればクーデターは失敗確定。クーデター側はゆえになんとしても帝都を掌握しなければならないはずなのです」

「そうだが、軍の中枢は今フェザーンに移っている。そちらの掌握に乗り出しているという可能性はないか」

「あの軍務尚書を欺いてフェザーンを掌握できるような謀略能力が、リヒター風情にあるとは思えません」

「……たしかに、そうだな」

 

 軍務尚書オーベルシュタインは公正な軍官僚であると同時に冷徹極まる謀略家である。後者の面における活動成果はその性質上公表されないことが多いというのに、あまりにも不名誉な裏ごとでの実績が多すぎたためか、ラインハルトが帝国の実権を握った二年前からすでに噂という形ではあるが、血も涙もない有能な謀略家としての悪名が全人類社会に轟いていた。

 

「そしてもうひとつ。大佐の意見とは異なりますが、この状況でクーデターが起きたこと自体怪しい。コルネリアス二世の大親征の時と同じようなタイミングでのクーデターなど、同盟にとってあまりにも都合が良すぎます。もしこのクーデターも同じ結末になるようであれば、王朝問わず銀河帝国皇帝による親征は失敗に終わる運命であると全宇宙から嘲弄されることになるのではないか。私はそれを危惧するのです」

「卿の懸念はもっともだ。しかし、ならばこそ軍が強引に秩序を再編してしまえばそれで済む話ではないか。なによりも重要なのはこの帝都がクーデター派に抑えられぬことだ。それ以外はどうとでもなる」

「たしかにその通りでしょう。ですが、いったいどちらがクーデター派なのでしょうか」

「……なんだと?」

 

 質問の意図を理解しかね、首を傾げたブロンナーにエーベルハルトは熱弁した。

 

「声を大にしては言えませんが、私は近衛司令部に同盟の工作員がいるのではないかと疑っております」

「何を馬鹿な。近衛司令官のヴァイトリング中将は能力はともかくとして、帝国への忠誠心の面では信頼できる人物だろう」

「ですが、私は気になる点があるのです。首都防衛司令部が爆破されたのでヴァルプルギス作戦を発動するというのはわかるのですが、なぜ下手人が開明派の手の者であるとわかったのかと。その点を私は上官のトレスコウ准将閣下に主張したのですが、無用の懸念と切って捨てられまして。それでも私は無用の懸念であるとは到底思えず、できれば大佐殿に近衛司令部に問題が生じていないか確認してもらいたく。幕僚の私には動かせる士官がいませんので」

「……卿の考えはわかった。配慮して行動しよう」

 

 エーベルハルトは進言が受け入れられてホッとした。ブロンナーが自分の考えに同意し、彼が近衛司令部の状況を確認してくれるものと思ったのである。エーベルハルトは敬礼して宰相府へと戻っていった。

 

「どうなさいます、このまま近衛司令部に向かいますか?」

 

 副官のリルムの問いに、ブロンナーは首を横に振った。

 

「あいつの主張は筋が通っているが、いささかこじつけじみて思える。民政・内務両省の業務掌握に専念して様子を見よう」

 

 元部下のエーベルハルトの懸念を聞いて多少の疑心が生じたのはたしかだが、ブロンナーとしては開明派のほうがよほど疑わしく思えたので、近衛司令官のヴァイトリング中将に対する人格面での信頼もあったことあり、ひとまずは様子見に徹することに決めた。リルムもどちらも同じ程度は疑わしく思えたので、上官の決断に意を唱えようとはせずに従った。

 

 第一防衛旅団内でそのような動きがあった頃、ブロンナーの部隊の捜索から逃げおおせた内務尚書オスマイヤーがどこにいたかというと、堂々と車で帝都内を移動して内国安全保障局が用意していた隠れ家に身を潜めていた。途中、ヴァルプルギス作戦の内容に従って軍隊の検問があったが、内国安全保障局が用意した軍属であることを示す偽造ではない嘘の身分証明書のおかげで検問を騙していた。

 

 隠れ家の部屋の一室でオスマイヤーは、対面に座る一人の男を睨みつけていた。男は非常に居心地が悪そうな顔をしてオスマイヤーの視線を受け止めていた。

 

「それでこれはいったいぜんたいどういうことなのかね。聞きたいことがたくさんあるのだが」

 

 オスマイヤーは殺気に近い何かを感じさせる態度であった。内務尚書として執務机で書類を決裁している時に内国安全保障局のカウフマンがやってきて「閣下、クーデターです。逃げますよ」と言われただけで強引に連れ出され、さっきまで検問にバレないようにという理由で座席下の非常に狭いスペースに押し込められて、苦しくてもがいていたら「静かにしてください。死にたいんですか」と座席上から言われてしまい、しずかに小さくなっているより他なかったのである。聞きたいことが山ほどあるのも当然であった。

 

「クーデターです。カウフマンから聞いてはいないのですか」

 

 内国安全保障局次長のフリッツ・クラウゼ保安少将が、疑念交じりにそう問い返した。上から移動命令がでたわけでもないのに局長のハイドリッヒ・ラング保安中将が軍務尚書オーベルシュタイン元帥とのコネを活用して新帝都となるであろうフェザーンで地歩を固めるべく出ていってしまったので、次長のクラウゼが留守を任される形で内国安全保障局を運営していた。

 

「クーデターというのは聞いた。だが、どこのだれが何を目的として起こしたのかは一切聞いていない。内国安全保障局の局員はいったいどういう神経をしているのだね」

「時間がないから最低限の説明だけして連れてこいと言いましたが、まさかそこまでとは……。部下にかわって謝罪させていただきます。あとでカウフマンにきつく言っておきますので」

 

 クラウゼが申し訳なさそうに頭をさげた。

 

「まあそれはよい。軍隊が検問をしていることから考えて、クーデターというのは間違いないようだしな。それで首謀者はだれだね」

「近衛司令部の一部反動分子、そしておそらくは故ブラウンシュヴァイク公の元家臣ジーベック元中佐の二名かと。目的はフリードリヒ四世の孫娘であるエリザベートを帝位に就けてのゴールデンバウム王朝復興であると思われます。連中は何らかの方法で首都防衛司令部会議中に爆発テロをしかけ、首都防衛軍の指揮権を近衛司令部が掌握。現在は厳戒令を出してすべての通信回線封鎖ないしは妨害し、首都防衛司令部を爆破したのは開明派であるとでっちあげて各政府機関の制圧をすすめているようです」

「そ、そんな大規模なものだというのか?! いや、待て、首都防衛司令部会議中に爆発テロだと? 司令官のケスラー上級大将はなにをやっておるのだ?!」

「なにぶん情報が錯綜しており、所在はおろか生死すらつかめておりません。憲兵本部も動揺しており、末端がバラバラに動き回っているようでして。ワンマン運営が祟りましたな。いや、だからこそ旧王朝系勢力はケスラー上級大将を狙ったというべきでしょう」

 

 旧王朝時代、社会秩序維持局に匹敵するほど腐敗をきわめた民衆弾圧機関として悪名高かった憲兵隊を、ウルリッヒ・ケスラーは憲兵総監の任についてから短期間のうちに組織改革を成功させ、憲兵に治安維持能力を叩き込んだことからわかるように、非凡な指揮官であり組織者であることは万人の認めるところである。

 

 だが、あえて欠点を述べるとすれば、ケスラーはあまりにも優秀すぎたのである。そのため憲兵将校の多くが憲兵総監への尊敬と同時に強い依存心をいだいてしまっており、自分の責任の下で大きな決断をすることに躊躇いがうまれるようになっていた。旧時代からの生え抜きであり、同じ感覚で職務にあたっている守旧派の憲兵将校はそうでもなかったが、こちらはお仲間である組織改革に反発してケスラーの弱みを握ろうとした跳ね上がり者がケスラーに逆に弱みを握られて憲兵隊から追放されたり閑職に飛ばされたりしていたので、恐怖心から大きな決断をするのを躊躇うようになっていたので、結果は同じだった。

 

 こうした憲兵隊の傾向をケスラーはむろん憂慮していたが、こういった人材の問題は長い時間がどうしても必要だった。下手に憲兵隊高級幹部に自分の意思が介在せぬ形での広範な裁量権を与えてしまえば、ふたたび憲兵隊が国家の腐敗の温床になるという逆コースを歩む危険性があり、人材が育つまではやむなき仕儀であるとしていたのである。

 

「……しかし内国安全保障局はずいぶんと素早く動けたものだな」

「数日前に帝都でクーデターが起きると内国安全保障局に匿名の密告があり、念のために監視体制を強化していたために近衛司令部が反動分子に掌握され、偽命令を発している情報をつかむことができたのです。軍の動きが早すぎたので内務省内の要職者数名しか救出できませんでしたが……」

 

 クラウゼの説明に嘘はなかったが、オスマイヤーには語らなかったことがある。旧王朝残党系勢力によるクーデターの可能性を事前につかんでいて、それを利用して自己の立場を強化せよという秘密組織からの命令がくだっており、その任務を遂行するべく内国安全保障局に匿名の密告をいれたのがクラウゼ自身であることである。

 

 つまり最初からある程度目星がついていて、クーデターの動きを探ったのであるから、怪しい集団に目をつけることは内国安全保障局にとっては容易いことであったが、そのことを知らないオスマイヤーとしては文句のひとつも言ってやりたい気持ちである。

 

「監視体制を強化してもなお、クーデターを事前に阻止することができなかったのか。首謀者を推定できるところまで進んでいたのならば、どうにかなったろうに」

「そう言われては我が局の不手際を恥じるのみでございます。ですが閣下、われわれには物証も信頼に値する証言者もなく、匿名の密告や疑わしい行動をしているだけではおいそれと行動する権限がありません。ゴールデンバウム王朝の社会秩序維持局であれば、それだけで容疑者を予防拘禁してクーデターを阻止することもできたかもしれませんが、その点は向こうも理解していたようで怪しまれるのはともかく、物証の類を残さないことに細心の注意を払っていたようで……」

「ではなにか?! われわれが進めてきた改革のために、クーデターを阻止できなかったと言いたいのか!」

「極論を申し上げれば、そのとおりで。もちろん、内国安全保障局が新時代の環境に順応しきれなかったことについて次長として責任を痛感せずにはいられませんが」

 

 クラウゼはぬけぬけとそう言ってのけた。かつて容疑者の権利を微塵も考慮しなかった社会秩序維持局であればクーデターを阻止できたのは間違いなかったという確信故であったが、クラウゼとしては内国安全保障局の独力で大規模クーデターを阻止し、その功績をもって内国安全保障局に熱心な圧力をかけてくる憲兵隊や開明派への対抗材料としたかったのである。

 

 しかし実際には具体的な証拠を掴む前にクーデターが起こされてしまった。そしてこのままクーデターが成功するようなことがあれば、内国安全保障局は本当に存立の危機に立たされる。それはクラウゼにとっても、秘密組織にとっても、それは致命的な傷になるだろう。だからこれ以上規模が拡大する前になんとしてもクーデターを鎮圧しなくてはならない。そして可能であればクーデター事前阻止に失敗した汚名を挽回してあまりあるだけの活躍をしたいところであった。

 

「われわれがいままでに掴んだ情報から判断するに、混乱に乗じてこそこそと蠢動している者達がいるとはいえ、結局のところクーデターの主力は首都防衛軍であります。つまり首都防衛軍をわれわれが掌握するか、その指揮権を握っている近衛司令部を制圧するか、どちらかを成し遂げれば事態を収拾することが可能であると私は判断します。ゆえに正規の指揮権を持っているケスラー上級大将の身柄を確保できれば一番なのですが……」

「そのケスラー上級大将が生死不明か。国務尚書閣下は? クーデターが旧王朝の勢力だというなら、彼らからも一定の好感を持たれているマリーンドルフ伯ならば……」

「残念ながら、既にクーデター派の手中に落ちたらしいとの情報が」

「なんだと……。となると……」

 

 オスマイヤーは頭を悩ませた。現在、帝国本土内にいて近衛司令部の上に立って命令を下せる人物は、首都防衛司令官兼憲兵総監のケスラー上級大将と、統帥本部次長メックリンガー上級大将の二名のみである。前者は生死不明の状態にあり、後者は軍管区再編のために出張中で帝都を留守にしている。そしてそれ以外に近衛司令部に命令を下すことができる皇帝ラインハルトを含めた将星らは、少なくともフェザーンから同盟の方向にかけての宙域にいるのだから長期的にはともかく、通信が寸断されている現時点においては頼れる対象にはならなかった。

 

 となると危険を承知で人員を集め、クーデターの頭脳部である近衛司令部の制圧を試みるべきだろうか。クラウゼが万一のことを考えて用意していた武器が使えるとはいえ、あまりに大人数を集めれば気取られてしまうであろうし、警備兵も相応にいるだろう近衛司令部に戦闘を本職にしていない少人数で強襲するのはあまりに勝算が薄い。

 

 どうしたものかと考え続けていると、ひとつの天啓がオスマイヤーに舞い降りた。そうだ。一人だけ頼れるかもしれない存在がいる!

 

「療養中のワーレン上級大将に御出馬願おう!」

「なんですと!? ワーレン上級大将がこの帝都内におられるのですか!」

 

 オスマイヤーの発言に、クラウゼはおどろいた。たしかに歴戦の勇将たるワーレンならば、首都防衛軍の兵士たちを説き伏せ、近衛司令部を直撃することができるかもしれない。しかし、ワーレンは地球教本部制圧の際に重傷を負い、辺境で療養中であるとクラウゼは聞いていたので、帝都にいるとは思っていなかった。

 

 それに対してオスマイヤーは端的に説明した。辺境で療養中であると公表されていたのは、それはもしかしたら一部の地球教徒がワーレンの生命を狙うかもしれないと懸念して帝都のどこで療養しているのかを憲兵隊の機密にしたためであった。しかし国内治安の責任者であるオスマイヤーには念のために伝えていたのである。

 

 そしてワーレンの療養施設がジークリンデ皇后恩賜病院であることを聞いた直後、クラウゼの顔は一瞬青ざめ、ついで興奮したように叫んだ。

 

「マズい! 急がなくては!!」

「……なぜだね?」

「わかりませんか!? もしその機密情報をクーデター派が掴んでいたとしたら、自分達の障害になりうると見なして刺客をさしむけているはず! そうなっては手遅れです!!」

 

 クラウゼの大声での訴えを聞いて、オスマイヤーの顔もきれいに青ざめた。




ゲオルグはクーデターを起こすには良いタイミングだぞと旧王朝残党勢力に助言しときながら、身内にはそれを利用して実績たてて影響力拡大しろと指示してたようです。


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差別は形を変えて

「レガリア」っていう同盟側昔話の新作執筆したので、もしよかったら読んでみてください


 御年四五歳の家政婦グンテルは、よく気の利く女中であると雇用主のペクニッツ一家には評されていたが、彼女は元々ペクニッツ公爵家の家政婦ではなかった。旧帝国時代はとある門閥貴族家に仕えていたスパイであり、敵対する貴族家に潜り込んで情報収集を行い、本当の主に報告する仕事をしていた。

 

 スパイなんて仕事をしてはいるのは、別に彼女自身が望んだわけではなかった。彼女は自主独立の意欲が強かったが、帝国は男尊女卑の気風が強く、旧帝国時代だと貴族ではなくあまり学もない女性のグンテルが一人で生きていけるような仕事など選択肢が限られていて、たまたま彼女が就職先を探している時期に、住んでいた惑星で条件に合致する仕事の求人がそれしかなかったというだけのことである。

 

 それでも努力と経験によって彼女は家政婦としてもスパイとしても申し分のない能力を身に着けるようになっていたし、自分の仕事にもそれなりに満足するようになっていた。しかしリップシュタット戦役で雇用主の貴族家が滅亡し、新しい雇用先を探そうにも政治の主導権が官僚と軍人に移った今、家政婦としての能力はともかく、貴族相手専門スパイとしての能力を活かせるような職場がなく、しばらく途方に暮れることとなった。

 

 しかし内国安全保障局を新設するにあたって人材探しに奔走していたハイドリッヒ・ラングの目にとまり、グンテルは保安大尉の階級を与えられ、ペクニッツ公爵家付き家政婦の地位を与えられた。これはラングが軍務尚書オーベルシュタインに提案し、許可を得てのことである。

 

 オーベルシュタインとしてはゴールデンバウムの系譜であり、最後の女帝カザリン・ケートヘンの生家であるペクニッツ公爵家は常に最低限の監視をしておくべきと考えなのだが、四六時中憲兵に護衛という名の監視をされる恐怖に苛まれている当主ユルゲン・オファーの健康が精神医学的な意味で危ぶまれてきて、一部から非人道的な扱いなのではないかという声があがっており、それをどうにかしたいと思っていた。他方、ラングは内国安全保障局の有用性をアピールし、職分が重複する憲兵隊に対しても立場を確保したかった。その両者の思惑が合致した故のことである。

 

 しかしそこまでの経緯をグンテルは知らなかったものだから、退位した元女帝とその一族の世話及び監視の任につけと命じられて緊張したものである。旧王朝最後の女帝などあきらかにローエングラム王朝にとっては目の上のたんこぶのような存在であり、場合によっては暗殺の指令が自分に下る可能性もあると考えたからである。旧帝国時代であれば権勢家の貴族がスパイの家政婦を殺して晒し者にしたりするようなことは稀にだがあったことだし、一度ではあるが、自分自身が暗殺の片棒を担いだことさえあった。そういった経験から、これは命がけの任務ではないかと思ってしまったのである。

 

 しかし実際にペクニッツ公爵邸で家政婦で働き出して見ると、当主のユルゲン・オファーは芸術品収集趣味のために、月に平均五万帝国マルク相当を浪費するほど金銭感覚が破綻していることを除けば凡庸な人間で、妻は夫の趣味に不満をこぼしながらもそれを許容する。いわゆる典型的なダメ貴族だ。ただ自分の立場の微妙さは理解できているのか、たまに訪問してくる新王朝時代まで生き残った貴族にも、やけにきょどった口調で小心ぶりを発揮しながらも無難な対応に終始していつも追い返していた。

 

 このような人畜無害な存在をわざわざ監視すべき理由がどこにあるというのだろうか? あえて、自分なりに理屈をつけるとすれば、まだ赤子の先代女帝カザリン・ケートヘンが才気ある人物に成長した際、それを自然な形で監視できる立場を確保できることくらいだろうが、両親がこれでは子がそんな才気ある人物になるとは思えない。一応、定期的に内国安全保障局本部に報告はあげているが、浮世離れした貴族夫婦漫才と赤子の成長物語以上でも以下でもない内容の代物を、本部のお偉いさん方がちゃんと確認しているとは思えなかった。

 

 ペクニッツ公爵夫妻の信頼を得て、仕事内容のほとんどがカザリン・ケートヘンの世話に占められるようになってきて、いっそ裏工作員としての誇りを捨て、本格的に家政婦か乳母を本業とすべきではないかとグンテルが考えはじめ、数ヵ月した頃にクーデターが発生し、その工作員がペクニッツ公爵邸にもやってきたのである。邸のインターホンが鳴ったのは、グンテルの記憶によればたしか九時半から一〇時の間の出来事だったはずである。

 

 訪問者は帝国軍の軍服を身に纏った一〇名前後の集団であり、グンテルが玄関先で対応した。唯一士官服を着ていた銀髪の人物が代表して一歩前に出た。その人物は軍人らしくない紳士的な雰囲気を放っており、柔和な笑みを浮かべる好青年であった。

 

「失礼します。近衛司令部の命令で参りました。ペクニッツ公爵夫妻は御在宅でしょうか」

「奥様ならお出かけ中です。公爵様ならおられますが、いったい何用でしょうか?」

「実は至急公爵閣下の身の安全を確保し、宰相府へとお連れせよとの命令がくだりまして。公爵閣下に直接事情を説明したいのです。よろしいでしょうか」

 

 グンテルはかすかな違和感を感じた。もしペクニッツ公爵に対してなにかするというのなら、なにかしら事前連絡があるものではないか? 実際、公爵に女帝退位宣言書に署名させるために軍務省に呼び出した時は、内国安全保障局本部から事前に一報あったというのに……。

 

 しかしすぐにグンテルは内心でため息を吐いた。こんな神輿になるかどうかすら怪しい人物を、今の帝国の権力者たちのだれかが利用価値で見出すなどありえないだろう。彼らはゴールデンバウム王朝の権威など必要としていないのだから。自分のところに事前連絡がないのは、たんに自分のことが忘れられていて、内国安全保障局の頭越しでなんかあったからだろう。自分の存在価値を低く見るようになっていたグンテルはそう判断し、軍服を着た一行を邸にいれた。

 

 グンテルはペクニッツ公爵がこの時間帯にいるであろう広い書斎に一行を案内した。ペクニッツ公爵が椅子に座りながら芸術本を読んでる姿を確認した士官服の青年がやけに平坦な声でグンテルに問うた。

 

「……あの人が公爵かい?」

「? え、ええ。あの方がユルゲン・オファー・フォン・ペクニッツ公爵で――!?」

 

 士官服の青年の姿が描き消え、ついで甲高い悲鳴が邸内に響き渡った。士官服の青年がペクニッツ公爵にとびかかり、椅子から蹴り落としたのである。グンテルは予想だにしていなかった事態に固まり、次に気が付いた時には帝国兵に後ろ手をつかまれて拘束された。

 

 士官服の青年が片手をあげ、そのサインを見て兵士たちは邸内を制圧するべく散った。ペクニッツ公爵は悲鳴に呻きながらも、状況からして目の前の士官が自分に暴力を振るったということを理解して非難の声をあげた。

 

「ラ、ラインハルト陛下に、安全を保障されたこの私に、こ、こんなことをして、きさま、ただで済むと――」

「陛下、陛下だと?! それは今はヴァルハラにおられる三六人の皇帝と今上(きんじょう)のエルウィン・ヨーゼフ陛下にたいしてのみ使用されるべき敬称だ! 断じて“金髪の孺子”にたいして使っていい敬称ではない! そんなこともわからんのか、犬畜生にも劣る愚物めがぁ!」

 

 士官服の青年は“ラインハルト陛下”という単語に鋭く反応し、怒り狂って絶叫した。その意味が理解できずにペクニッツ公爵は一瞬きょとんとしたが、今や不敬罪に値する“金髪の孺子”という文句を使ったことに気づき、青年の立ち位置をおおよそ把握して顔を真っ青にした。

 

 ペクニッツ公爵が怯えて身を小さくしたことに士官服の青年は満足したのか、激情をおさめ、落ち着き払った調子で要求した。

 

「まあいい、国璽はどこにおさめてある?」

「こ、国璽? そ、それは今はフェザーンの大本営か、ラインハルトへい――殿がお持ちであるかだと思うが」

「金髪の孺子の似非王朝の猫模様の紛い物判子のことなどどうでもいい。この宇宙にあって国璽とされるに値するものはゴールデンバウム王家のもののみだ。孺子めが王朝を愚弄する数々の下劣な犯罪的行為のひとつに国璽を貴様に譲り渡したのは調べがついている。いったいどこに隠してある?」

 

 真顔でそう問うてくる士官服の青年に、ペクニッツ公爵は深く困惑した。帝位から退いても、自分の娘はゴールデンバウム性を名乗り続けることを軍務省から要請された関係で、ゴールデンバウム家の家紋印鑑でもあった前王朝の玉璽をゴールデンバウム大公家当主カザリン・ケートヘンに譲り渡され、その父親にして保護者であるペクニッツ公爵が現在預かっている。

 

 だが、ローエングラム王朝が開闢したのにあわせて有翼獅子(グリフォン)をあしらったローエングラム家の家紋の印章が国璽となった今となっては、双頭の鷲(ツァイトウィング・イーグル)が刻まれているかつて国璽だった印章など、一大公家の承認印以上の価値はありはしないのだ。

 

 困惑による沈黙を、士官服の青年は国璽を護ろうと黙秘していると受け取ったようで、ペクニッツ公爵の鼻を殴りつけた。そしてふたたび痛みに呻くペクニッツ公爵を見下しながら、平坦な口調で告げた。

 

「貴様が国璽を渡す気がないというのなら、仕方ない。われらが母なる女神ヘルの館で学んだ尋問術を楽しんでいただこうか。あいにく、道具の持ち合わせがないが、素手でもやってやれないことではない」

「――女神ヘルだと? ま、まさかおまえはエーリューズニルの……」

 

 芸術関係の知識に造詣の深いペクニッツ公爵は、北欧神話の神々に対する知識も持ち合わせていた。そして、死の女神の邸の名を冠する矯正区の噂についても、サロンで聞いたことがあった。その反応に士官服の青年は純粋に驚きの表情を浮かべた。

 

「ほう、我が家のことを御存知でありましたか。ま、それはどうでもよろしい。社会秩序維持局の保安少佐テオ・ラーセンです。エルウィン・ヨーゼフ陛下の行方が知れぬ以上、代わって玉座に就いているべき御方に仕えております。では――」

「は、話す! なんでも話す! 娘の――いや、ゴールデンバウム王朝の玉璽だな!? すぐに手渡す! 手渡すから、待て!!」

 

 恐怖のあまりペクニッツ公爵は顔色が青くなるのを通り越して緑色に変色した。社会秩序維持局のエーリューズニル矯正区出身者。噂によれば、連中は人間の意識を奪うことなくこの世のありとあらゆる苦痛を味あわせ、口を割らせる技術に長けているという。ペクニッツ公爵の抱いた恐怖は迷信染みたものであったが、ラーセンに限って言えばそんなに間違ってはいなかった。

 

 ペクニッツ公爵は這う這うの体で、邸の貴重品室に向かい、漆喰の物置の抽斗(ひきだし)から美しい紋様がまわりに彫られている小さな箱を取り出した。ラーセンはそれを受け取り、蓋を開け、中の黄金張りの玉璽を確認した。念入りにそれが本物であるかどうか確認し、間違いないと確信した。

 

 すると唐突にラーセンは恐れ多い感情に襲われた。これは本来、下賤な自分風情が手に取っていいようなものではない。もっとふさわしき高貴な御方の手によってこそ管理されるべきものである。しかし、彼が現在忠を誓っている人物にここまでご足労いただくわけにはいかないし、ジーベックも作戦全体の指揮を執る必要があって、それどころではなかった。だから現実的に自分しかその役目を負う人物がいないわけだが、そんなことは本来あってはならぬことだから、この玉璽をしかるべき人物に手渡した後、このようなことは忘却してしまうべきだ。

 

 そこまでラーセンは考えた後、部屋の端に飾ってあった大量の象牙細工の中の先端の鋭い作品に手で触れた。象牙の形を保ったまま職人の手で複雑な装飾が施されたそれは貴族たちがいかに民衆から搾り取ったもので、装飾華美なものを手に入れ愛好してきたのかという一種の例証であった。

 

「み、見事な品でしょう。よろしかったら差し上げますが」

 

 ペクニッツ公爵は卑屈にそういった。強者にたいして配慮を求めるのに贈り物をするのは、旧王朝では常であった。しかしこのような状況においてそのような発想をするというのは、ペクニッツ公爵の感覚が世間とズレている以前に、非常時にどうすればいいのかわかっていないとしかいいようがなかった。

 

 ラーセンはペクニッツ公爵の媚びに、しばらく何の反応も返さずに沈黙していたが、その象牙細工を手に取ると先ほどより険のない声で言った。

 

「そうだな。ではこれを戴こう」

「そ、そうですか! では――がばぁッ!」

「空前絶後の偉大なる大英雄ルドルフ大帝の血統を一番濃く受け継いだ者のみが名乗ることを赦される“人類の支配者にして全宇宙の統治者”の称号を、どこの馬の骨ともしれぬ金髪の孺子に投げ渡した大罪人を処すのにちょうど良い処刑道具だ」

 

 ペクニッツ公爵はなにごとか言い返そうとしたが、胸を象牙細工で貫かれ、微細な装飾を深紅の色に染めながら倒れた。それでも即死はしなかったので、ラーセンは喉を踏み潰して絶命させた。

 

 処刑を終えたラーセンは、部下たちが邸の中にいた人間を集めている部屋へと向かった。邸には二〇人程度しかいなかったようで、武装している工作員一人につき二人を見張ればいい計算だった。しかしラーセンは赤子の鳴き声が部屋の外から聞こえてきて、顔をしかめた。

 

「まだほかの部屋にだれかいるのか」

「だれかというか、カザリン・ケートヘンです。赤子なので別室のゆりかごに放置してきましたが」

「……だれかお付きになられている人がいるのか?」

 

 ラーセンの問いに部下は怪訝な顔をした。

 

「いえ、だれもおりませんが」

「それはいかん。彼女の傍付きの人間はだれだ?」

 

 ラーセンがジロリを使用人たちを見回すと、グンテルが恐る恐る手をあげた。

 

「きみか。カザリン・ケートヘン殿下は傍流とはいえ、帝室の血が流れる高貴な御方だ。もし万一のことがあったら責任がとれん。世話をしてきなさい」

 

 かすかに軍服に付着している返り血から、ペクニッツ公爵が目の前の男に殺された事実をグンテルは洞察できていただけに、その娘の身の安全を気に病んでいるという状況がまったく理解できなかった。しかし、ここで逆らうのは愚の骨頂であるとは理解できたので、一礼してそそくさとその場を去った。

 

 部下の一人が疑問を禁じえず、ラーセンに確認した。

 

「よろしいのですか?」

「べつに一人くらいかまうまい。無論、他は予定通りだ」

「了解しました」

 

 その掛け合いが終わった直後、ラーセンは首をしゃくった。直後、使用人がいっせいにブラスターで射殺された。生き残っていた半数は状況を理解して悲鳴をあげたがすぐに二射目があって、部屋は静謐な空気で満たされた。

 

「行くぞ」

 

 国璽を奪い、口封じもカザリン・ケートヘンのお付きの使用人を除いて完璧だ。もはや、ペクニッツ公爵邸でやるべきことがない。次の作戦行動に移るべく、ラーセンたちの部隊はペクニッツ公爵邸を後にした。

 

 一方その頃親無憂宮(ノイエ・サンスーシ)では、国務尚書フランツ・フォン・マリーンドルフ伯爵は自分が生命の危機にあることを悟っていた。一時間ほど前まで国務省で政務をとっていたのだが、首都防衛軍の一部隊に国務省を制圧され、有無を言わさず拘束されたのである。

 

 本来であればマリーンドルフ伯も他の官僚と同様、マールブルク政治犯収容所に移送されるはずだったのだが、移送前に国務省にやってきた近衛部隊に身柄を引き渡され、親無憂宮(ノイエ・サンスーシ)に特別に移送されることとなったのである。これはクーデター首謀者の一人であるレオの強い意向が反映されてのことであった。

 

 レオはゴールデンバウム王朝を復興させるなら、国務尚書マリーンドルフ伯を排除するより、取り込むべきだと主張したのである。マリーンドルフ伯爵家がリップシュタット戦役においてラインハルトを援助し、ローエングラム王朝において確固たる地位を築いているのは確かだが、没落貴族に対する態度から推察するにそれは伯爵自身の本心とは言い切れないのではないか。彼に対して好感情をいだいている貴族が相当数いる以上、説得して味方につけるべきだと。

 

 近衛参謀長のノイラート大佐はレオほど楽観的な推測をすることはしなかったが、かといってマリーンドルフ伯のことを温厚であることだけが取り柄の男であるとしか評価していなかったので、自分たちの手で秩序が再編されればマリーンドルフ伯がラインハルトに忠義立てをし続けて悪戯に混乱を長引かせることはしないだろうと考えた。であるならば、自分たちが権力を掌握するまでどこぞに軟禁しておいたほうが、後々役に立つだろうと判断し、レオの意見を採用したのである。

 

 かくしてかつて高位貴族たちが非公式だが決定力がある密談の場としてよく利用した“柘榴石(ざくろいし)の間”でラインハルトの台頭で帝国官界の第一席次となった現国務尚書とラインハルトの台頭によって父を失った若き近衛士官との会談が用意された。レオは過度にマリーンドルフ伯爵を威圧することがないよう、自分以外は部屋の外で待機させたので一対一の体面であった。

 

「第七近衛中隊長のヴェルンヘーア・レオ・フォン・モルト大尉であります。非常時とはいえ、このような無礼を行ったことをお詫び申し上げます。マリーンドルフ伯爵閣下」

 

 心底申し訳なさそうにそう言って頭を下げてきたレオに、てっきりなにかしらの要求をされるものだろうと思っていたマリーンドルフ伯はおどろいた。

 

「非常時と大尉は言ったが、いったいなにが起こっているのだね? 国務省にやってきた軍人たちは開明派が皇帝(カイザー)ラインハルト陛下にたいしてクーデターを起こしたので、念のために高位官僚をすべて拘束すると言っていたが、そのようなことがあったとはとても信じられない」

「はい、それは方便です。われわれ近衛が中心となり、国を憂いている者達が集ってクーデターを起こしました」

 

 真っすぐな瞳でレオはそう言い切った。

 

「なぜそのような暴挙を――」

「失礼ながら暴挙とはローエングラムのなさりようです。帝国を二分内戦において敵方だった貴族達を粛清したのはルドルフ大帝が解き明かした宇宙の摂理である弱肉強食の掟に従ってのことであるからまだ良しであるとしても、それ以外の貴族へのなさりようはとても公正明大なものであるとは思えません」

「貴族特権の多くを廃止し、貴族階級からも税を徴収するようになったことを言っているのか」

「それだけなら、本当にそれだけならば、よほど無能な貴族でもない限り生きてゆけます! ですが、貴族に対して有形無形の圧力が加えられていることは閣下もご存じでしょう!」

 

 レオの発言にマリーンドルフ伯は苦い顔をした。心当たりがない訳ではなかったからである。リップシュタット戦役時の門閥貴族連合の醜態ぶりから、とかくゴールデンバウム王朝末期の貴族は無能であると認識されがちであるが、決してそうではない。少なくとも、権勢があった門閥貴族は概ね優秀である。生まれが恵まれているといえども、方向性はともかくとして一定以上の能力を持たなくては魑魅魍魎の巣窟である宮廷を生き抜き、権力を掌中に収め続けることなど土台不可能なことであるからだ。

 

 にもかかわらず、多くの貴族が特権を失ってからは職を見つけることができず路頭に迷っているという状況があるのはなぜか。その一因は帝国のジャーナリズムの体質的影響のせいである。フェザーンと同盟領の一部を併合し、新しい風を取り込んで多少改善されつつあるが、“記録が残ってしまう報道は須らく体制に追従するものではなくてはならない”という体質のせいである。

 

 リップシュタット戦役において、門閥貴族連合盟主ブラウンシュヴァイク公が自領内のヴェスターラントで熱核兵器を用いて民間人を大量殺戮をおこなったことは、戦乱中にローエングラム陣営の政治宣伝で帝国中に知れ渡ったことであるが、戦後の帝国のジャーナリストたちはそれに追従し、いかに貴族たちが無能かつ邪悪で腐敗していたかという報道キャンペーンを大々的に実施したのである。

 

 その結果、どういう事態が生じたかというと「貴族は無能で邪悪」という偏見が帝国一般民衆の間に根付いてしまい、多少優秀であっても貴族出身者だというだけで雇用を躊躇う企業が続出したのである。帝国政府は当初こそ言論・報道の自由を保障するという姿勢から放置していたのだが、毒舌家で性格が悪いという理由で開明派貴族であるブラッケ民政尚書すら批判する様になってくると流石に座視はできずに事態の沈静化に乗り出し、反貴族的報道ブームは終わりを告げたが、伝統ある貴族に対して根付いた偏見はそう簡単にはどうにもならない。

 

 もちろんそんな偏見にとらわれなかった企業人もいなかったわけではないが、貴族に虐げられたために貴族を激しく憎んでいる報復的過激派組織に「悪しき貴族を庇った」という難癖じみた名目の無差別テロの対象になりかねないとなると旧王朝時代に高い地位にいた貴族など雇用したくないのが人情である。さらに最近では、ブルヴィッツの虐殺者であるクレメントの経歴が公表されてからというもの、社会的道徳のために口には出さないが、同情心から報復的過激派組織のことを見て見ぬふりをして、憲兵隊や内国安全保障局の調査に非協力的な態度をとる民衆が多いので、なおさら企業は貴族を雇用したがらなかった。

 

 そうなると身分証明書も見せずに働けるような仕事といえば単純な肉体労働くらいしか残っていないのだが、軍人とかプロスポーツ選手にでも職にしていない限り、貴族が身につける能力というのは支配者・管理者・経営者としての能力であって、単純極まる肉体労働では幼い頃から肉体労働をしてきた平民や元農奴たちのパワーについていけるはずがなく、早々に役立たずの烙印が押されてしまう。結果として貴族たちは就職難に苦しみ、路頭に迷うこととなっているのであった。

 

 別に貴族が苦しんでいること自体は良いとしても、出身故の偏見による差別がまかり通っている現状は現皇帝ラインハルトにとって好ましくないことではある。彼は実力主義と平等主義という理想を掲げて立ち上がり、それは表面上だけのことではなかったから、複雑な心境ながら現状を許容せざるところであった。そうした主君の意向をマリーンドルフ伯はよく理解していた。

 

「卿の言わんとすることはわからないでもない。だが、それは市井に蔓延っている悪しき偏見に囚われた差別感情によるものであって、陛下も憂慮していることなのだ。この偏見を解くために、当局はなにかと苦労している。にもかかわらず、このような行為に及んだとなれば民衆の貴族に対する偏見を解くどころか、かえって偏見が強まって貴族たちを苦しめることになるのではないか。そうは思わなかったのかね」

「……たしかに私も最初はそのように考えておりました。しかし、しかし! その偏見とやらが意図的につくりあげれたものであり、それをつくりあげたのが他ならぬラインハルト陛下だとすればどうでしょうか!? このままずっと貴族の立場が悪くなり続けるばかりなのではないでしょうか!!」

「卿はなにを言って……?」

 

 マリーンドルフ伯の疑問に、レオは自分の父モルト中将を犠牲にしてのエルウィン・ヨーゼフ二世誘拐事件の陰謀説を語ってきかせ、続けざまに叫んだ。

 

「皇帝誘拐という大事、本来であれば部署ごと罰されてもおかしくないところが我が父に自決を促されるだけですんだのはなぜですか! ゴールデンバウム王朝において私の一族が名門貴族家だったからでしょう! だから、父のみが処されたに違いない! このような判断をするようなローエングラム王朝に従い続け、本当に現状が変わるのですか! 多くの貴族が職を得られず生活苦に追い込まれ、ひどい家では若い娘が身を売らねばどうにもならぬところまで追い込まれている悲惨な状態が変わると言うのですか! 私たちにはとても信じられない! 陛下は専制君主として振る舞っておられるが、その本質は古代の憎悪に凝り固まった革命指導者と一緒です。あれはかつてゴールデンバウム王朝を支えた血統を、遺伝子レベルで根絶させようとしているんです。ですから、いずれは閣下も――」

「ありえないことだ。今の貴族の生活苦が帝国政府の意図的なものでは絶対ない。陛下がゴールデンバウム王朝とそれを支えた貴族を憎んでおられぬとは言わぬが、かといって一度支配下に入った貴族の殺戮に興じられるような御方ではないのだから」

「――ですが、貴族というだけで陛下は我が父を死に追いやりました」

 

 マリーンドルフ伯は肌寒さを感じた。レオの視線に凍える冷たさを感じたのである。

 

「陛下の陰謀で卿の父が死んだというのは本当なのか。仮に本当だったとして、その理由は貴族だったからというものなのか」

「間違いありません。何度も確かめました。あきらかに父より大きな失態を犯した人物に大した罰もくだっておりません。そしてその人物は貴族ではありませんでした」

 

 その人物というのはウルリッヒ・ケスラーのことである。帝都にフェザーンの工作員が入り込んでいる情報を掴んでラインハルトに報告している事実をレオは士官学校の学友から知っている。もしラインハルトが貴族や平民という身分にこだわりがなかったのだとしたら、口封じの意味もかねて父と一緒にケスラーも死を賜っていなければおかしいはずである。

 

 もっとも、真相は自分から実行する陰謀で悪戯に身内の犠牲者がでることをラインハルトが好まなかったので、現場責任者一人の死のみで終わらせたかったというだけの話なのだが、憎悪と怒りの感情に突き動かされているレオはそんなムシの良い解釈などできるはずがなく、それに現在の帝国に蔓延る偏見に囚われている者からすれば“()()()()()()()”という理由の方がシンプルではるかに説得力があり、信憑性があるのであった。

 

「それに陛下が意図していたにせよしなかったにせよ、そんなことは問題ではありません。結果として彼の為した改革とやらのためにおおくの貴族が差別され、餓死寸前の状態に追い込まれつつあるのは否定しようのない事実です。そしてその苦しみに喘いでいる貴族のほとんどがブラウンシュヴァイク公のような己が領民を熱核兵器で虐殺した愚者ではなく、ただの平凡な人間なのです! 以前の伯爵閣下となにひとつとして変わらぬ人たちなのです! そのことを心苦しく思っていたのは閣下とて同じでしょう? それなら、どうか、われわれに力添えを――」

「貴族たちが苦しんでいるのはわかっている。だが、そのために私の愛する娘を見捨てろと?」

「……遠征に同行している御息女のことについては、大神オーディンの采配に委ねるほかありますまい。ですが、このクーデターが成功し、御息女の身柄を確保しましたら、五〇〇年の歴史を誇る近衛の栄誉に賭けて、彼女の安全をわれわれが保障すると誓います。ですから、どうか、お願いします!」

 

 己の頭を下げてまで懇願するレオの態度に、マリーンドルフ伯は胸に痛みを感じずにはいられなかった。開明的方針をとったローエングラム王朝の初代国務尚書を務めていたため、当時と後世から誤解をされることになったが、マリーンドルフ伯自身が特別な政治思想の所有者というわけではない。貴族社会でも善良で温和であり誠実な性格であると認識されていたことを除けば、ゴールデンバウム王朝末期の凡庸で平凡な領主貴族とほとんど変わらない価値観の持ち主なのである。

 

 二年前、リップシュタット戦役が起ころうかとした時、マリーンドルフ伯は中立を望んだが、もしどちらかに与せなばならないほど状況が切迫したのならば、帝国貴族としてブラウンシュヴァイク公を盟主とする貴族連合に参加するつもりだったのである。だからマリーンドルフ伯も他の貴族達と同じ運命を辿った可能性がおおいにあったのだから、苦しむ貴族たちに同情するのはむしろ当然であった。

 

 なぜマリーンドルフ伯がそのような運命を回避できたかというと、跡取り息子を立派な貴族家当主にしなくてはと使命感を燃やした彼の両親が押し付け気味な厳しい貴族教育を幼少期に経験した反動で「とても辛かったから、自分の子どもには好きな道を歩ませてやろう」という思いを抱き続けてきたこと。そして自分の娘が類稀なる政治的才能を持って生まれたという幸運に恵まれたこと。この二つの差でしかない。少なくとも、マリーンドルフ伯本人はそう認識していた。

 

「……モルト大尉の言いたいことはよくわかる。だが、私はもう若くはないのだからマリーンドルフ家の運命を含めて娘に決断を委ねると決めている。そしてローエングラム家の門地を受け継いだ若い覇者に協力すべきと娘は決断した。私はそれを尊重したい。たとえ、それでマリーンドルフ家がどうなろうともね」

 

 もう一点、付け加えるとしたら、自分の価値観が古臭くなって現代についていけてないと理解しており、それがゆえに若い者の判断を尊ぼうと思考することができたという点であろうか。もっとも、そうした考えはリップシュタット戦役での一連の出来事を通じて思いはじめたことであり、ラインハルトが帝国の全権を掌握してようやく完全に受け入れたことではあったが。

 

 娘への愛情にあふれた親の言葉で拒絶されては、子どもなんていない独身者であるレオとしては言い返しようがない。もちろん、身内可愛さに保身をはかるのかと糾弾することはできるだろうが、固い覚悟を決めてるように言い切られては逆効果でしかないだろう。不満は残るが、ここまで愛情があるなら、娘の身柄を陣営が確保さえできれば味方になってくれる可能性が高いとわかっただけ収穫ではあるだろう。

 

「伯爵閣下のお気持ちはよくわかりました。ですが、協力して頂けぬなら閣下を自由にするわけにはいきません。もうしわけありませんが、自邸にて軟禁させていただきます。ご容赦ください」




マリーンドルフ伯って自分の考えを押し付けるようなとこがないからわかりにくいけど、基本的な価値観はほとんど一般的な貴族と変わらないじゃないんじゃないだろうか。娘の自由意思尊重してるけど、あまりにも普通の貴族令嬢じゃないことに不安を感じてたみたいですし。


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厚顔なる強さ

 ヨブ・トリューニヒトは今でこそ帝都在住の一臣民であるが、元々は同盟人であって、同盟政界において主戦派政治家の若きホープとして台頭し、三〇なかばで同盟政府の最高職責である最高評議会議長の座を射止めた人物である。彼は権勢欲の権化であり、在任中に行ったことは国内においては社会統制を強めてマスコミ・警察を完全支配下に置き、裏では私兵を使って政権に批判的人物を排除して全体主義的な社会を構築し、国民に対しては愛国心と忠誠心を強要して献身を要請した。

 

 これはトリューニヒト政権が誕生する前にアムリッツァの大敗で同盟軍は壊滅的打撃を被って人的資源を含むあらゆるモノ不足が深刻化した影響で、社会のあらゆる面でシステムの崩壊の兆しが見え隠れするようになったため、国家の空中分解を阻止するためには必要な措置だったという一面があるが、それ以上にトリューニヒトとその一派の大部分は非常時のために集約された権力を自分達の権勢を守るために悪用する為という面が強すぎた。

 

 そのような体たらくであったにもかかわらず、対外的には専制主義に対する民主主義の絶対的優位を唱え、好戦的な言動で帝国に対して挑発的な発言を繰り返した。このような態度は無謀としかいいようがなかったので一部のジャーナリズムから批判を受けもしたが、それに対してトリューニヒトはいつも「同盟には難攻不落のイゼルローン要塞があり、そこには不敗の名将であるヤン提督がいる」と語るだけであった。しかしトリューニヒト派はヤンを潜在的政敵であると見なして執拗な嫌がらせを行っており、ヤンを中心とするイゼルローン要塞駐留部隊の軍幹部たちもトリューニヒト政権に対して敵対的まではいかなくても蛇蝎の如くに嫌っていたので両者の関係は最悪といってよく、信頼関係は皆無だった。

 

 そんな状況であるにもかかわらず、トリューニヒト政権は支持率アップのためにさらに冒険的な手法にうってでた。銀河帝国皇帝エルウィン・ヨーゼフ二世を亡命者として迎え入れ、彼に忠誠を誓うレムシャイド伯率いる亡命政府を銀河帝国の正統政府であると認め、帝国の事実上の支配者であるラインハルト・フォン・ローエングラムを「権力をほしいままにしている独裁者であり、国家を私物化させている」と批判し、銀河帝国正統政府がその領土を回復するために同盟は協力を惜しまないと宣言したのである。

 

 この宣言は、帝国人民多数の憤激を買った。当時の帝国は内戦が終結し、ローエングラム独裁体制による急激な改革の成功で平民でも豊かな暮らしができるような世の中になってから、戦争に疲れて平和を求める声が大きかったのだが、昔の時代に戻してやると宣言するレムシャイド伯とそれに協力してやるという同盟を放置していてはマズいと認識するようになったのである。

 

 その結果、『一〇〇万隻・一億人体制』と怒号される帝国の大遠征軍が編成されたのだが、そうなってもあきれたことにトリューニヒト政権は楽観的だった。イゼルローン回廊の特性上、一度に矢面に立てる艦艇は限られているし、密集して突撃してきたら要塞主砲のトール・ハンマーの餌食になるだけである。それに要塞には不敗の名将もいるんだから不測の事態にも今までと同じように対応できるだろう、と、そんな具合だったのである。

 

 だがその楽観は帝国軍によってフェザーンを占領されると粉砕された。これに対するトリューニヒトの(自己保身のための)行動は素早かった。早急に情報統制を敷いて混乱を抑えようとし、情報を統制しきれないと悟ると「責任の重さを痛感する」という国民宛のメッセージを報道官を通じて出した上で地球教の手引きで雲隠れしたのである。そしてトリューニヒトに代わって政府を主導するすようになったアイランズ国防委員長と軍部が協力体制を築いて帝国軍に対抗するのを注意深く観察し、彼にとって最高のタイミングで同盟政府に何食わぬ顔で戻り、帝国の降伏勧告を最高評議会議長権限を行使して独断で受諾したのである。一部の軍人が実力によって恥知らずな暴挙を阻止せんとしたが、トリューニヒトの影響下になおいた軍人や武装した地球教徒を活用してかれらを“軍人の政府に対するクーデター未遂犯”として拘束して反論を封殺した。

 

 そして降伏後は何食わぬ顔でラインハルトに「帝国への移住と家族の保護」を求めた。かつて帝国に対して挑発行動を繰り返し、ラインハルトのことを国家を私物化する独裁者となじった同盟政治家の保身ぶりに帝国上層部全員が顔をしかめたが、降伏勧告時に責任者の罪には問わないと言っていたので拒否することもできず、ラインハルト率いる軍勢はこの不快な人物をともなって帝国に帰還する羽目になった。

 

 こうして帝国人となったトリューニヒトだが、それでも彼の権勢欲は微塵も衰えることなく、政界復帰のための点数稼ぎに熱心で、そのためにかつての協力者である地球教の陰謀を憲兵隊に暴露したりして功績を立てたが、それに対して帝国高官たちのほとんどが軽蔑の感情を隠さなかった。

 

 そのような人物であったから、ド・ヴィリエからのラインで貴族連合残党と近衛部隊の合作によるクーデター計画の情報を掴んだ時、当然のようにそれを利用して自己の立場を強化することを即決した。ギリギリで助けた方が効果があると思い、かねてよりトリューニヒトが官職を得るために接近していた財務官僚のホルスト・フォン・ターナーを協力者として抱き込み、クーデター騒動を利用して成り上がる計画を立てた。ちなみに家族は数日前にクロイツナハ(ドライ)に旅行に行かせて安全を確保している。

 

 そしてターナーは信頼できる自派閥内の信頼できる人物にトリューニヒトの計画を打ち明けて実行員を募り、本日首都防衛司令部が爆破されたという情報を掴んだ時点で職場を放棄、軽火器しかなかったが、かつて共に活動していた同胞の力を借りて首都防衛司令部に急行。会議中に尿意を催したので爆発時にトイレにいたので、幸運にも無傷だったラフト憲兵少将に事情を説明し、生きてはいるが爆発の衝撃で気を失っていたケスラー憲兵総監の身柄を引き取り、トリューニヒトの邸宅に匿った。

 

 その後はトリューニヒトが用意した民間の協力者等々を活用して情報収集に努め、ケスラーの容体を確認させるために秘密裏に医者を連れてこさせたりしていた。ケスラーが気を取り戻したのは午前一二時頃で、現在の状況をまったく理解できなかったが、会議中になにか強い衝撃を受けた記憶があったので、なにか尋常ならざる事態が発生しているとは理解していた。ケスラーが目を覚ましたことを部下の報告から聞くと、ターナーは急いでケスラーの下に馳せ参じた。

 

「お目覚めになりましたか」

「ああ、私は爆発テロで気を失っていたそうだな。それで卿は?」

「財務省理財局財政企画課副課長のホルスト・フォン・ターナーであります」

 

 その名を聞いてケスラーは警戒を強めた。ターナーは憲兵隊や内国安全保障局が念のために警戒している人物の一人だったのである。彼は旧王朝下で一大勢力を誇った共和主義地下組織の幹部であった元テロリストであった経歴があった。ローエングラム公による独裁体制が敷かれ改革路線が敷かれると、ターナーの一派は指導者の逮捕後に副指導者ザシャ・バルクを中心とする過激派と対立し、喧嘩別れして治安当局に自首した穏健派である。

 

 その後は数ヵ月ほど政治犯収容所に服役したが、共和主義者だが急進的傾向なしと憲兵から判断されて釈放。釈放後の共和主義地下組織穏健派構成員はそれぞれの途に進んだが、ターナーをはじめとする幹部級の多くが帝国への仕官を求め、共和主義地下組織の財政を一手に仕切っていた能力が開明派から評価されて財務官僚となった。穏健とはいえ専制主義の帝国に真っ向から反対する共和主義系テロリストだった過去の経歴が経歴な上、ターナーと共に釈放されても彼らは共和主義地下組織における疑似兄弟的紐帯を維持し、帝国体制内に新たに共和派という勢力が誕生したために、治安当局から目をつけられていた存在だった。

 

 もしやかれらが共和主義革命を期して行動を起こし、自分は人質にされたのではないかとやや疑心暗鬼気味な思考をケスラーはしたが、その考えはすぐに訂正された。ターナーの説明が理路整然としていたためというのもあるが、ラフト少将が気をきかしてケスラーも顔をよく知っている自分の部下をターナーに同行させていた配慮によるものでもあった。

 

「それで私は生死不明ということになっているのだな」

「はい。ケスラー閣下の姿が見つからないという形で現場のラフト少将が主張しております。閣下が気を取り戻すまで時間を稼がねばならず、そうなると生死いずれでもノイラート大佐やジーベック中佐の行動が極端かつ性急なものになるのではないかと私とラフト少将が警戒したためであります。それで近衛司令部が躊躇うことを期待したのですが、そうはならず、首都防衛軍は現在、近衛司令部の命で動いております」

「なるほど。……しかし首謀者まで掴んでいるとは、トリューニヒトはクーデターの情報をどうやって掴んだのだ」

 

 ケスラーの声には反感がありありと感じられた。帝国高官の例にもれず、トリューニヒトのことをケスラーは嫌っている。にもかかわらず、それほど厚顔無恥な人物がどのような手段で憲兵隊もつかめなかった情報を仕入れてくるのか。

 

「……彼の言葉を信じるのであれば、一部の憲兵くずれどもの間で噂になっていたようで、そこから彼個人が探りを入れいったところ、明確な像を結んだのが今日の朝であると。あまりにできすぎた話で少々疑わしく思ったのですが、現実として起こったわけで」

 

 憲兵くずれとはケスラーが実施した憲兵隊の綱紀粛正と改革で、職を失った元憲兵士官たちのことである。たいていは汚職をしていたり、民間人に対して恐喝まがいに接していた者達であるのだが、彼らのおおくが憲兵時代の知識と経験を活用して合法か非合法か判別が難しいグレーゾーンの悪徳事業を展開し、オーディンの裏社会に一大勢力を築くようになっていた。

 

 トリューニヒトが憲兵くずれの事業者の一部と関係を持つようになったことをケスラーは知っていたのでそこは不自然ではないのだが……。憲兵くずれの問題は憲兵隊の評判にそのままかかわってくることであるので、その動向については注視していたはずである。にもかかわらず、トリューニヒトがクーデターの情報を掴めて、憲兵隊がつかめなかったというのは解せない話であった。

 

「それでトリューニヒトはいまどこに?」

「こちらに協力してくれている憲兵くずれを纏めております。さすがに、彼らと閣下を直接会わせるのは問題があるだろう、とのことで」

 

 それは嘘ではなかったが、真実でもなかった。たしかにケスラーの手による憲兵隊の綱紀粛正と改革についてこれなかった憲兵くずれの能力・適性不足の自業自得であるにせよ、旧王朝のままの憲兵隊のままであれば彼らが憲兵隊が解雇されることはなかったであろう。そのため自分達がクビになった原因は改革を主導したケスラーにあると逆恨みに近い感情を憲兵くずれのおおくが有していたため、直接会わせないほうがいいだろうとトリューニヒトが配慮してのことであるのは本当である。

 

 だが、鉄火場で命を張って功績をあげるなどという泥臭い行為はトリューニヒトの人生哲学に反しており、彼は自分にとって都合がいい立ち位置を確保するための作業を行ったのみであり、それが済んだ後は現在は事前に確保してあった安全地に潜んでクーデターの終結を息を潜めて待っているだけで、自分が憲兵くずれの統括指揮を行うような危険な真似をする気は毛頭なかった。

 

 代わりに憲兵くずれの協力者を統括しているのは、かつてトリューニヒトの警護室長であったベイ元同盟軍少将である。彼はとある理由から公的な立場を失ってもトリューニヒトに従っており、帝国において穏当ではない勢力――フェザーン自治領主府残党や地球教団残党――との連絡役を務め、トリューニヒトの意向通りに暗躍していた。

 

「実際に帝都各地を制圧しているのが首都防衛軍である以上、私が出て正規の指揮権を回復すれば大本の問題は解決する。その後、近衛司令部を制圧し、憲兵隊を中心とした治安部隊で貴族連合残党勢力を討つ。これを基本方針としたい」

「お待ちください。閣下の仰る通りでありますが、クーデター勢力がどれほど首都防衛軍に入り込んでいるか判然としない以上、やみくもに打って出るのは危険です。これはラフト少将も同意見でありました。どうか、閣下ご自身が身を晒すのは、いましばしご自重を」

「では、卿はどうするのが良いと思うか」

「人伝てではありますが、トリューニヒトのおかげで憲兵本部との連絡伝達手段の構築しております。ここは閣下が憲兵本部への命令書を作成し、憲兵総監として近衛司令部こそが叛逆者であり、近衛司令部の命令はすべて無効であるという命令を発するようにしてはいかがでしょうか。それから動けば、比較的安全性を確保できるかと思います」

「……やむをえないか」

 

 いささか迂遠な策だとケスラーは思ったが、ターナーの主張にも一理ある。帝国軍首脳のおおくが帝都におらず、官僚はすべて拘束されているとなると、もし首都防衛軍の指揮権を奪還する前に自分がクーデター側の凶弾に倒れるようなことあれば、事態を収拾できる人間がいなくなる。性にはあわないが、万が一のことを考えると念のために安全策をとっておくべきか。このような事態を防げなかったことにケスラーは慚愧の念を覚えながら、ターナーの案をとった。

 

 一方、ターナーとしては安堵の気持ちである。もしここでケスラーに強行突破的な意見を押し通されたら、共和派としては気を失っていたケスラーの安全を確保した功くらいしかない。もちろん、それだけでも出世の役には立つだろうが、帝国の政体がどうあるべきかを長期的に定めるべき時に影響力を確保しておくためにも、この期に一気に共和派を躍進させたいのである。

 

 ターナーは今も共和主義の理想を捨てておらず、体制に順応して官僚たることを望んだのも共和主義革命を諦めたわけではなく、冷徹な現状認識による方針転換にすぎなかった。開明的な新帝国(ノイエ・ライヒ)ならば体制側に潜り込めば暴力によらぬ共和主義革命が可能ではないかと考えたためである。だが、ターナーはできれば共和主義地下組織全体で帝国の軍門に下り、開明派と歩調をあわせつつ体制内部からの革命を推進する道を望んでいた。だがこれにあくまで武力闘争路線を堅持した副指導者のザシャと激しく対立したため、実現しなかった。

 

 連邦末期、ルドルフが大統領と首相を兼任して終身執政官になりおおせたのは、ルドルフに対する民衆の支持、国家革新同盟の人材の豊富さもさることながら、ルドルフを国家再生のために利用できると踏んだ一部の共和政治家たちによる後押しがあった。だが、彼らはどうなった? ルドルフが皇帝に即位すると怖気づき、甲斐性なしは媚を売って貴族の末端に名を連ねるようになり、あくまで共和主義の理念に殉じたハッサン・エル・サイドなどは政治犯収容所に入れられ、虐待の末に惨い死を強要されたではないか。その新方針を採用すれば、俺たちが愚かなハッサンと同じ末路を迎えることになるのではないか、というのがザシャの主張であった。

 

 これに対してターナーは現実論を説いた。既に同盟軍の帝国領侵攻に呼応しての蜂起は失敗して組織は大打撃を受け、占領地における同盟軍の蛮行とラインハルト独裁体制による開明的改革によって、かつて自分達に協力してくれた者達の支持が急速に離れつつある。これでもなお武力闘争による共和主義革命を目指すというのは、とてもではないが現実的ではない。それにこれまでわれわれを纏めていた指導者ペーターも憲兵の手にかかったのだから、この際、展望の暗い武力闘争はすっぱりと諦め、思想・言論の自由を認めた現体制に順応して言論闘争にうってでるべきだ。それによって民衆の支持を拡大するのが最善ではないか。

 

 そうしたターナーら穏健派の見解を、ザシャら過激派は「専制国家が思想・言論の自由を保障し続けるという前提に、そもそも根拠がない」と一蹴した。過激派は帝国の開明政策を、民衆に権力基盤を置いているラインハルトの人気稼ぎであると認識しており、将来的にはルドルフのようにあらゆる手段を用いて言論を制限していくだろうと推測していたのである。開明政策を謳いながら秘密警察機関を再設置したことをはじめとする後ろ暗い措置も、過激派は過敏反応して、将来の弾圧の布石であると見なしていた。なので体制内での言論活動による支持拡大は、帝国政府にとって危険な水準になる数歩手前で潰されることになるに決まっているのだから、穏健派の主張は現実性に欠ける。

 

 組織全体で喧々諤々の論争が巻き起こったが、憲兵隊の摘発も激しくなってくる中、これ以上組織内の対立を深めてはそれこそ破滅だと考え、ザシャは指導者特権を行使して過激派の武力闘争路線堅持の方針を決定した。穏健派は幹部会を開いて指導者特権による方針の撤回を議決しようとしたが、憲兵隊に追い詰められているような状況で幹部を招集している余裕はなかった。なので穏健派の雄であるターナーは直接ザシャに抗議したのだが、それが決別となった。その時のことは今でも思い出せる。

 

「いい加減にしろホルスト! この危機的状況で、なお駄々をこねるのか!!」

「それはこっちのセリフだ! この危機的状況からどうやってラインハルト独裁体制を倒し、共和主義革命を成し遂げるつもりなのだ?!」

「“眠れる臣民(たみ)は惨めなるかな! 人間(ひと)として目覚めよッ!” この組織のスローガンを忘れたか?! おまえは人間として持っていて当然の自由の魂を捨て、また惰眠を貪る臣民になれと俺や同志たちに強要するつもりか? おまえは言論による闘争への転換だというが、専制者の気まぐれに頼ってそんな愚かしいことができるものか!」

「なるほど、たしかにそうかもな。だが、このまま武力闘争を続け、どうなるというんだ。奇跡でも起こらぬ限り、われわれに死しか待っていない! どちらにせよ、奇跡に頼らねばならぬというのなら、臣民に戻ってでも、気まぐれであっても、現実に実現している専制者の慈悲による言論の自由を利用するほうに賭けたいだけだ! それがどうしてわからないのだ同志は!」

 

 互いに息があがるほどの口論の末、ついにザシャが折れた。しかしその折れ方はターナーが期待したものと違った。

 

「同志、いや、もうおまえら穏健派のことを同志とは呼ばん。穏健派の連中と一緒に組織から出ていくがいい。俺たちは共和主義革命を成し遂げる。さもなくば最後まで自由なる人間として生き、そして死ぬ。おまえたちはおまえたちのやりたいようにするがいい」

「ま、待てザシャ! 無謀と知ってなお、死に突き進む理由がどこにある。おまえの弁舌は言論闘争においても活躍できるはずだ。冷静になって考えなおせ」

「俺の弁舌なんて指導者ほどじゃねぇよ。それに言論闘争なんて主張したんだから、おまえが中心になってやればいいじゃねぇか」

「だ、だが同志――」

「もう同志って呼ぶんじゃねぇ。少なくとも、俺とおまえは違う志を持っているのがわかった。俺はもう二度と臣民には戻らないと誓ったが、おまえは革命のために必要とあらばそうでもないらしい。重視してるのが違いすぎて、とてもじゃないが同志とは呼べないからな」

「……だが、同じ共和主義者ではないか。共和主義者であるならば、それは同志だというのが、私たちがかつて幹部会で決めたことではないか。共和主義の価値観さえ共通しているのであれば、ささいな違いはとるにたらんことだと指導者ペーターも言っていたではないか」

「なら共和主義者ではなかったんだ。どっちがそうなのか、俺自身も分からんが。我に一人の戦友ありて(イッヒ・ハッテ・アイネン・カメラーデン)。おまえの描いている絵図が現実になるよう、大神オーディンに祈っておこう」

「……さらば戦友よ(アディ・カメラーデン)。また、同志と呼び合える未来があればよいのだがな」

「ああ、そうだな……」

 

 こうして穏健派と過激派が分離した。その約半年後に過激派は混狂の夜(カオスズラーズライ・ナハト)事件を起こしたが、帝国の治安部隊の手で壊滅した。彼ら戦友たちの無念を思うと、自分達がなんとしても帝国に共和主義体制を根付かせなくてはならぬという思いをターナーは強くする。

 

 ローエングラム王朝は今のところ、皇帝ラインハルトによる軍国主義的な独裁体制だが、それはラインハルトのような超人だからこそできているというのが本人含めての帝国高官全員の認識であるように思え、これを永続的なものとしようとする動きは少なくとも帝国政府内においては感じられず、最終的にどういう政治体制に落ち着くかいまだ判然としない。ラインハルトがまだ二〇代前半の皇帝であるから、今後三〇年、四〇年とこのまま独裁を続けていくにしても、帝国内外の情勢が沈静化してくれば、新帝国をどのような形式で統治していくかについて議論がされることになるだろう。その時、共和派が議論に大きな影響力を発揮できるような勢力に成長させていなければならないのだ。

 

 しかし帝国における共和派の立場は当然だが、よくはなかった。帝国政府内においては自分のような副課長が共和派の中では一番高い地位であって、それ以外は中堅以下の地位にとどまっている。また共和主義周知のための言論活動の方については、民衆がラインハルトの統治に満足しているためか、政治思想というものにあまり興味を持ってくれず、ペーターやザシャのような雄弁家を失った影響を痛感せずにはいられない現状である。だからこそ、手段など選んではいられない。先に逝った同志戦友らのためにも、共和主義革命を成し遂げるはターナーが自らに課した使命である。

 

 そのためとあらば、二世紀半に渡って絶対君主制に抵抗して燦然と輝いていた自由惑星同盟を帝国に売り渡したトリューニヒトのごとき輩と手を結ぶことも、不快だが、笑って耐えてみせよう。すべては散っていった同志戦友らも夢見た理想の社会を実現するために。そして幼き日、貴族であるがゆえに囚われた劣等感から自分自身を解放せんがために。抑圧の世界を滅ぼし、新たなる世界を築くのだ。

 

「では、これを憲兵本部にとどけてくれ」

「了解しました」

「それとラフトにジークリンデ皇后恩賜病院に急行するよう伝えてくれ」

「……? なぜでしょうか」

「念のためだ。そういえばラフトはなんのことかわかるだろう」

 

 ケスラーはターナーら共和派を完全に信じていなかった。あまりにも多くの情報を掴みすぎており、このクーデターの情報を正確に知っていながら、それを利用するために黙っていたのではないかという疑いである。もしかしたら情報を提供したトリューニヒトのほうに問題があるのであって、共和派はシロであるのかもしれないが、不信感をぬぐえぬ以上、ワーレンが入院しているという機密を話すのはためらわれた。このクーデター騒動を解決すればトリューニヒトと共和派の行動について裏がないか探らねばならぬだろう。これほどの大失態であるから、この一件後も、自分が憲兵総監の地位をたもてているか少し不安があるが……。




時として穏健派のほうが面倒な劇物を孕んでいることがある
トリューニヒト「私の輝かしきサクセスストーリーはまだまだこれからだ!」


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皇后恩賜病院銃撃戦

 近く帝国軍が再び同盟領に大遠征を行う予定であるという情報を旧貴族連合残党勢力に提供したのは秘密組織であるが、作戦発動前に派遣していたハイデリヒ保安中尉を帰還させ、かわりにオットー元少佐を交代要員としていた。

 

 これはハイデリヒの疲労が看過しえないようになってきたためであるとゲオルグはジーベックとオットーに説明したが、その実、秘密組織指導者のゲオルグは連合残党の蜂起を失敗させることによって帝国の影響力を拡大させる方針をとることに決めていたため、ハイデリヒをそのための生贄とするには惜しいので手元に戻し、同盟が完全に滅んだ後の展開を考えるとラインハルトに強烈なまでの殺意を抱くオットーは面倒なので代わりに派遣して在庫処分してしまおうという判断によるものであった。

 

 しかしオットーのほうも自分の立場に対する嗅覚が鋭かったものだから、バーラトの和約が結ばれた頃よりゲオルグが自分のことを邪魔者扱いしているという印象を薄々感じ取っていた。もとよりラインハルトに対する鉄砲弾としてゲオルグが自分を取り込んだことは承知済みだし、急激な情勢変化の末、ローエングラム王朝が全宇宙を統治する未来がなかば確定化してしまった以上、ローエングラム体制への融和へと考えを変えつつあるのだろうと察していた。

 

 だが、それでも連合残党に情報提供をしたわけだから、少なくとも現時点ではラインハルト排除を諦めきってはいないのだろうと考えていた。オットーは職業軍人であったから、作戦に協力する以上は成功を期待してのことであるというのが常識的判断であって、失敗を前提に作戦を展開させるなどという思考は持てなかったのである。ゆえにオットーはゲオルグの悪辣な真意までは見抜けず、貴族連合側に派遣されるのはラインハルトへの復讐を果たす上で良い傾向であるととらえ、むしろその決定を歓迎していた。

 

 そんなオットーに貴族連合残党より与えられた任務は二つである。ひとつは軍士官の姿で首都防衛司令部近辺に潜伏し、自爆テロで司令官のケスラーが死んだか確認し、万一生存しているようであれば一命にかえて暗殺することであった。これはターナーやラフト少将の情報操作によってケスラーは生死不明の重傷であると判断、そのことを携帯電話でワイツに報告して判断を仰ぎ、問題なしとされたので、もうひとつの任務を果たすべく行動を開始した。

 

 帝国軍人に変装した二〇〇人前後の工作員を率いてオットーはジークリンデ皇后恩賜病院に急行した。この病院はゴールデンバウム王朝の中興の祖として名高いマクシミリアン・ヨーゼフ二世の皇后ジークリンデが、民間衛生改善政策のために多大な支援して設立されたという歴史を持つ伝統ある病院である。しかしオットーはそんな歴史に微塵も関心がなかったので、病院前に立っている銃を携帯した皇妃像には目もくれずに病院内に入り込んだ。

 

 いきなりやってきた軍人たちに病院の関係者たちが驚愕したが、オットーは受付で機密を預かる高級職員を呼び出し、紳士的態度で嘘偽りの説明をした。「軍の一部に不穏な動きがあり、自分達は上からの命令でここに入院しているワーレン上級大将を護るために来た。我が部隊の大半は病院を警備し、私以下十数名が病室で警備する」というのが、その内容だった。丁寧な口調であったこともあって高級職員はその説明をすっかり信じ、ワーレンの病室の位置を告げ、兵士らが病院を包囲するのを黙認した。

 

 病院の職員に案内されて廊下を歩いている途中、オットーは胸に湧き上がる憎悪を抑えるのに苦労した。ワーレンにも彼は因縁があった。リップシュタット戦役において、オットーに良くしてくれた恩人のロッドハイム伯爵は、ワーレン提督麾下の艦隊との戦闘によって戦死していたからである。無論、それは戦争の常であるし、ラインハルトのような卑劣な行為で故郷を滅ぼしたわけでもないのだから、普段はそれほど意識しているわけではない。しかしそれでも戦場で恩人を殺した敵をまったく恨まないといえるほどオットーは割り切れる人間ではなかったし、ワーレンを殺せと命じられれば個人的な恨みも一緒に晴らしてやろうと憎悪の炎が胸の中で燃えあがるのはいかんともしがたかった。

 

 そんな個人的憎悪もあって、三階の離れにあったワーレンの病室に辿りつくとろくにまわりを確認せずにオットーは即座にブラスターを抜いて医療ベットのふくらみを銃撃した。突然の暴挙に案内役の職員が驚きの悲鳴をあげたが、オットーはまったく変化がない布団に違和感を感じ、かすかになった物音を聴覚がとらえると、歴戦の軍人らしくほとんど無意識に案内役の職員を物音が聞こえた方角へ押し出した。その職員は光条に貫かれて即死した。その光景を視認するとオットーは素早く物陰に隠れた。

 

「気づいてやがったか!!」

 

 物陰に隠れながら光の発生源を辿るとそこには左腕がなく患者服を着ているワーレンと他四名の軍人がブラスターをこちらに向けていた。オットーは知らなかったが、その軍人たちの正体は上官の見舞いにきていたワーレンの副官ハウフ少佐とその部下たちである。

 

 見舞いを終えてハウフは帰ろうとした時に病院の窓から兵士たちが慌ただしく動いていることに疑問を抱き、念のため携帯通信機で連絡をとろうとしたが、通信が強力な妨害電波のために繋がらなかったので、なにか異変が起きていることを察知したのである。ハウフはワーレンの病室に戻って状況を報告すると、ワーレンは病院側に事態を知らせるべきだと判断した。しかしそうする前にオットーが大量の部下を引き連れてやってきたので、自分の生命を狙っている可能性を考慮して、医療ベットにあまりの布団を丸めたダミーを突っ込んだ。もしそれに向けて発砲したら間違いなく自分たちの敵であるのは疑いないから反撃しよう、というわけであった。

 

 病室はそれなりに広く遮蔽物となりうるものが少ないので、数の優位を持ってもなかなか接近できなかった。病室の反対側にも出入口と思しき扉があるのが見えたので、一緒に来ている工作員の半分に反対側に回り込むように命じたが、五分ほどで「そんな出入口は見当たらなかった」と戻ってきた。それも当然でその扉の向こうにあるのはバスルームで、出入口などではなかったからである。

 

 しかし病院の設計図を把握しているわけでもないオットーはそれを高級士官の治療室にのみある秘密の脱出路であると勘違いした。病院から抜け出してしまわないように周囲に事前配置した工作員を連れてきて数の圧力でワーレンをおいつめるという決断はできなかった。自ら包囲を解くようなマネをすれば、その隙をついてワーレンが秘密の脱出路を使って病院から逃げ出してしまうのではないかと危惧したのである。よって相手の様子を伺いながらチマチマと銃撃戦を行うしかなく、オットーは苛立ちを感じずにはいられない。

 

 一方のワーレンは苛立ちどころの話ではなかった。現状況がまったくつかめていないのである。一部の者達が自分を暗殺せんとしているのか、それとも大規模なクーデターなのだろうか。いずれにせよ、帝都警備の責任者であるケスラーが後手に回るほど周到な首謀者がいることは疑いない。一瞬、そのケスラーこそが首謀者であるという考えが浮かんだが、彼の誠実な人柄をワーレンは良く知っていたのでそれはありえないことのように思われる。では、いったいだれが首謀者なのか。

 

 それにオットーは自分達の兵の数が少ないことに苛立っていたが、ワーレンからすればそれでも四倍以上の武装した兵士を相手に突破できると思いあがれるほど自惚れ屋ではなかったから、このままではどれだけ抵抗しても殺されるのは時間の問題であることを理解していた。療養中の上級大将の胸の内は疑念と焦燥でいっぱいであった。

 

 ワーレンたちは徐々に追い詰められていったが、兵士の一人が射殺され、ハウフが右肩を負傷したところで、病室での戦闘は中断を余儀なくされた。慌てた様子で一人の工作員がやってきて鼻息荒く乱入してきたからである。自分を呼ぶ声が聞こえ、オットーは銃撃戦を継続しながら叫んだ。

 

「なんだ!? 小さくて聞こえん!」

「は? で、ですが……」

「かまわんから大声で報告しろ!!」

「はっ! 警官どもがこの病院に襲撃してきました。いかがしましょう!?」

「なんだと?! 数は?」

「およそ二〇〇から三〇〇!」

 

 こちらと同数かそれ以上ではないか! オットーは迷った。このまま銃撃戦を継続すれば外の敵がやってくる前にワーレンを殺すことができるだろう。だが、その間に警官隊に包囲されて逃げられなくなってしまうかもしれない。ワーレン暗殺の任務を優先すべきか、任務を放棄してでも自己保身を優先すべきか。

 

 しかしオットーはすぐに結論を出した。たしかに恩人であるロッドハイム伯爵の仇ではあるが、まっとうな戦いの結果である。自分の生命をなげうってでも殺したいというほど憎いというわけでもない。それに自分はあの豪華な厚化粧で本性を覆い隠している独善的な金髪皇帝様を地獄に叩き落してやりたいだけなのだから、その臣下を殺す任務を過剰なリスクを抱えてまで遂行しなくてはならない義理はどこにもないのだ。

 

「撤退! 撤収だ! 外の者達には適当に警官どもを牽制しつつ各自帝都より脱出すよう伝えろ!!」

 

 そう命令されて報告しに来た兵士は駆け足で去っていったが、命令した本人であるオットーらはそう簡単に病室から抜け出せなかった。状況が好転したことを察したワーレンたちが防衛のための攻撃から援軍が来るまで足止めのための攻撃に変えてきたからである。どうせ大した報告ではないだろうと高をくくり、大声で報告しろなどと言ってしまった自分の浅慮をオットーは悔やんだ。

 

「卿らは何者だ? 金髪の孺子一党に対する義憤に燃えた者達であろうが。帝室より賜った数々の恩顧に報いるためにも、命を賭して逆賊ワーレンめを殺せ!」

 

 部下を焚き付けるために心にもないことをオットーは命令したが、いまだゴールデンバウム王朝に対する忠誠心から動いている者達に与えた影響は劇的であった。彼らは己が生命を顧みず、ワーレンを殺すべく突貫していったのである。

 

 その隙にオットーは病室から出た直後、首筋に激痛が走った。ブラスターの条光が首筋を掠めたのである。既にワーレンを救出に来たのであろう警官部隊の一部が、病室前の廊下までやってきていたのだ。ただまだ距離があったので、条光が掠めただけで死なずにすんだのである。

 

 すぐさま廊下の脇に身を隠し、オットーは応戦した。しかし警官の数は三人ほどだが、奥で条光が飛び交っているのが視界に入るところを見ると、近くではまだ銃撃戦が続いているのだろう。

 

「クソッ、死んでたまるか。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 俺はあの偉そうに玉座にふんぞり返っている金髪の孺子を殺さねばらないのだ。あの華麗な虚飾を剥いでやらねばならないのだ。奴の為に見捨てられた故郷のため、奴の為に失ってしまった家族のため、奴に復讐しなくてはならないのだ! そのためにこそ手段を選ばず生き残り、生き恥を晒し続けているんだ! であればこそ、こんな場所で死ぬわけにはいかない!! 死んでいった者達のためにも、思い知らせてやらねばならないのだッ!!

 

 オットーは廊下に設置されていた蓄圧式消火器を手に取って敵側の宙に放り投げ、ブラスターで消火器を的確に撃ち抜いた。圧力保存されていた中の消火剤が一気に無秩序に放出されて、煙幕の役割を果たす。視界を奪った隙にオットーは窓を割って外へと飛びおりようしたが、背後から銃撃を受け、飛び降りるというより落下という表現が正しい落ち方をした。

 

 落下の衝撃で全身から鈍痛を、光条が貫いた右胸からは激痛が走った。しかしそれでもオットーは何事もなかったかのように立ち上がった。常人であれば意識を手放しかねない重傷といえたが、心の底から湧き上がってくる漆黒の情念が、体中の痛覚が訴える激痛を無視させた。事件がひと段落するまでは逃走する自分の追跡は後回しにされるだろうと冷静に計算し、オットーは生き延びるべく帝国軍に扮した工作員部隊が警官部隊等と激突している最中に現場から走り去っていった。

 

「特殊対策部第二戦警中隊所属のヘス巡査長であります。ワーレン上級大将閣下、閣下はご無事でしたか」

「ああ、私は大丈夫だ」

 

 三階廊下を制圧し終えた警官部隊の指揮官の巡査長が自分の安否を問う声に、ワーレンは答え、重傷を負った自身の副官の手当を求めた。巡査長はハウフの受けた銃創を見て眉をひそめた。ここが病院であるからすぐに治療されて死ぬことはないだろうが、この位置を貫かれたのでは後遺症が残るかもしれないと直感で感じたのである。

 

「卿らはいったいだれの指示で動いているのだ? 私は先ほどまで素直に療養していたものだから、状況がさっぱりなのだ。説明してほしい」

「……そういった点につきましては、私より中隊長のジュトレッケンバッハ警部補にお聞きした方がよろしいかと」

 

 受け取り方によってはひどく無責任に聞こえるヘスの返答であったが、「賊を討伐する」という名目で中隊が動いていることしか知らず、現在の情勢というのをほとんど理解していなかった。ただ上官の命令を受けてその通りに行動すればそれでいい。そういう思考なのである。

 

 これはヘス巡査長に限ったことではなかった。帝国警察は諸事情によりあまり改革がすすんでおらず、首都直下の部隊であってさえ、旧王朝時代の末端には絶対服従を求める組織的悪弊がいまだ健在であった。ゆえにヘスとしては、なんでそんなややこしいことを下っ端の自分に聞くんだという不満を感じたほどである。

 

 ヘス巡査長の態度から、あまり詳しいことをこの巡査長は知らないのだろうとワーレンも理解できたので、上官のジュトレッケンバッハ警部補のところに案内するよう命じた。ヘス巡査長はその命令にはかけらの反発も見せず、部下たちに周囲の警戒するよう告げ、自らは案内役をした。

 

 病院前で現場指揮をとっていたジュトレッケンバッハ警部補は救出対象である片腕の上級大将が部下のヘス巡査長に連れられてやってきたという報告を受けるとホッと胸を撫でおろし、ついで心の内で歓喜の雄叫びをあげた。救出対象が帝国軍の宿将であり、クーデター勢力を掃討する重要な存在であったこともあるが、個人的な事情もあった。

 

 別に彼個人がそうありたいと望んでいたわけではないが、元特殊対策部長シュヴァルツァー元警視長に手腕を高く評価されていたためにジュトレッケンバッハはローエングラム独裁体制成立後に台頭した元ハルテンベルク派の警察上層部から“ゲオルグ派”であると認識されてしまい、帝都郊外の戦警部隊長として冷遇され、出世への道はほぼ閉ざされているような状態であったのだ。

 

 ゆえにかような非常時であっても、今回の功績は彼個人の未来を暗く覆う暗雲を吹き飛ばす役割をはたしてくれるに違いない。ましてや自分を冷遇していた連中は首都防衛軍によって拘束されているというではないか。この一件が終われば元ハルテンブルク派の鼻を明かすことができるぞとジュトレッケンバッハが喜ぶのも無理からぬことであろう。すぐさまワーレンと面会した。

 

「御無事で何よりです、ワーレン閣下」

「ああ、それで卿らはいったいだれの下で動いているのだ? それに私がこの病院で療養しているのは機密の筈だが」

「現在、クーデター勢力によって警察総局が制圧されているため、本官の独断で内国安全保障局の指揮下に入っております」

「内国安全保障局か……」

「左様です。そしてワーレン閣下がここで療養していることについては内国安全保障局がオスマイヤー内務尚書閣下より情報を提供されたので、内国安全保障局より救出するよう命令を受けました」

「つまり卿らの代表者はオスマイヤー閣下ということか」

「その解釈で問題ないであります」

 

 ワーレンは地球教本部制圧後の統治に関する問題点に関する議題で、出征前と出征後に直接顔をあわせて地球統治について討議していたので、オスマイヤーが信頼できる人物であるとわかっていたので、ワーレンは万一を思って解かずにいた警戒をやや緩めた。

 

「わかった。それで敵はだれで、現在の情勢はどうなっている? 話を聞く限りクーデターということらしいが、ケスラーのやつは……首都防衛司令官のケスラー上級大将はなにをしているのだ。内国安全保障局が味方についているのであれば、ある程度現状を理解していると思うのだが」

「なにぶん情報が錯綜しておりますので確証があるわけではありませんが、内国安全保障局の調べによると近衛部隊と貴族連合残党勢力による合作クーデターとのことです。ケスラー上級大将については首都防衛司令部が爆破されたとかで生死に関する情報が飛び交っており、生死すらつかめておりません。そのため、近衛司令部は首都防衛司令部の機能不全を理由として特例規則を適用し、首都防衛軍の指揮権を掌握。憲兵本部はまとめ役を欠いて右往左往するばかりというありさまでして、帝都内の軍人の大半が合法的な治安活動命令という近衛司令部の名目を信じてクーデター側に与しているという状況にあると聞いております」

 

 むぅ、とワーレンは思わず呻いた。これは想像以上に厳しい状況にあるといってよい。特に首都防衛司令部が壊滅状態に陥り、首都防衛軍がクーデター側に掌握されているのが最悪だ。これに対抗できるような地上兵力は憲兵隊しかいないが、話を聞く限り、その憲兵がまとめ役を欠いたことで右往左往しているのではまとまった兵力として活用できるか怪しいものであった。

 

 ワーレンはどのように行動すべきかとっさに判断がつかなかったが、とりあえず指導部と合流して情報共有をはかるべきではないかというジュトレッケンバッハの助言を聞き入れ、警護兼案内役の警官隊をつけられてオスマイヤーたちが潜伏している隠れ家へと向かった。

 

「ワーレン提督、君は無事だったか」

 

 隠れ家でオスマイヤーは明るい表情でワーレンを迎え入れ、現在の情勢を説明した。隠れ家に他に十人前後の内務官僚の他は、ほとんど内国安全保障局の職員であって、かすかに警官や軍人が混ざっていた。どうやら内国安全保障局は軍部の制圧から逃れることに成功したらしい。

 

 なぜ内国安全保障局は無事だったのか詳しい経緯をワーレンが聞き出すと、謎の密告があったために内国安全保障局が反動クーデターの可能性を察知して警戒を強めていたので、クーデター初動の段階で組織保全と重要人物の確保に動いた結果であるそうだ。とはいえ、時間があまりなかったので、救出できたのは内務省の高官十名程度に過ぎず、その手際の悪さに文句のひとつでも言ってやりたい気分に襲われたが……。

 

「初動の段階で気づけすらしなかったら私は賊どもの手にかかっていたのだ。内国安全保障局の対応に感謝する」

「あ、ありがとうございます」

 

 内国安全保障局次長クラウゼ保安少将は慇懃に礼をした。オスマイヤーみたいに不満のひとつでもぶつけられることを覚悟していたので、その自制心に感心したのである。

 

「それでは対抗策について話あっていくとしましょう」

 

 カウフマンがそう言って部屋の中心部にある机に案内した。机の上には帝都の地図があり、内国安全保障局の局員たちが収集した情報から分析した部隊の位置が示されており、ピンによって張り付けられているメモ用紙に詳細な部隊情報――その舞台に情報提供者が何人いるかなど――が記されていた。

 

「ケスラーがいないとなると、帝都内はクーデター派の天下になっているはずだ。いったい、どのようにして対抗していくつもりか」

「そのことだが、君の権威でどうにかならないだろうか」

 

 ワーレンはオスマイヤーが言っていることを咄嗟に理解できずに眉を潜めた。それを察して、捕捉する形でクラウゼが説明をした。

 

「皇帝陛下の信任厚い歴戦の宿将、上級大将としての権威です。我が局員たちが収集した情報によると、ほとんどの将兵は近衛司令部の戒厳令がこの体制を守護するものであり、ひいては皇帝(カイザー)ラインハルト陛下の御為であると信じて行動しております。そこに陛下がまだミューゼルの性を名乗っていた頃からの付き合いである閣下が説得にあたれば、寝返るとまではいかないかもしれませぬが、近衛司令部の命令に不信感を抱く者達が多数出てくるでしょう。とりわけ、爆破テロで司令部を失った混乱故に近衛司令部の命令に服している首都防衛軍の将兵を説得できる余地は充分にあると考えます」

「なるほど。クーデター派も陛下の御威光を利用している以上、奴ら自身のみでは将兵の共感を得られるだけの正統性を構築しえないことを示唆している。つまりそこに付け入る隙があると卿は言いたいのだな?」

「はい。そしてそれで取り込めた部隊を用いて近衛司令部を制圧し、首都防衛軍を本道に立ち返らせることができれば、だいたいの問題は解決するかと」

「いや、それはやめたほうがよいな」

「なぜでしょうか?」

 

 ワーレンはすこし歩きながら地図を眺めながら考えを整理すると、口を開いた。

 

「近衛司令部がクーデターの指導部と化しているというのなら、近衛部隊全体が敵だ。そうでなくても心からクーデターに与している者達が圧倒的多数派を占めている間違いない。そうでなくては近衛将校から情報が洩れ、嘘偽りの大義で誤魔化しとおすことなど到底かなわない。となると近衛を制圧できるだけの部隊を説得するにはけっこうな手間だ。それに憲兵隊の目すら欺いてこれほどのことをクーデター派が、私が各部隊を説得していくのに気づかず、黙って見過ごすような無能者どもばかりとも考えにくい。そうなると一挙にクーデター派の思惑を根底から覆すような策をとるべきだ」

「で、では提督は寡兵であれど現有戦力で近衛司令部を直撃すべしというのかね!? たしかに近衛司令部で騒動が起きれば、騒ぎを聞きつけて多くの部隊がやってくるだろうし、それでクーデター派の虚偽を破砕することができるかもしれないが……」

「リスクの高さを懸念してオスマイヤー閣下は言いよどまれるのでしょうが、それは無用の心配です。私が言いたいのは将兵への説得を一挙にできないかということ。そのために重要な施設を確保したいということです。そこに配置されているクーデター派の兵力がここに記されている兵数だというのであれば、近衛司令部を直撃するよりかはごく小兵力ですむ――」

「失礼します!!」

「――どうした?」

 

 いきなり入室してきた兵士に話を遮られたワーレンは一瞬だけ不快な表情を浮かべたが、面と向かいあっていたオスマイヤー、クラウゼの二人以外には気づかせないうちに表情を取り繕って穏やかな声で問いかけた。

 

「ラフト少将がジークリンデ皇后恩賜病院にやってきました。ワーレン閣下にお会いしたいとのことですが、いかがしましょう」

「ラフトがか!?」

 

 思いがけぬ人物の名にワーレンは表情に喜色を滲ませ、オスマイヤーとクラウゼは降ってわいた朗報に顔を見合わせた。その反応を怪訝に感じたカウフマンが不思議そうに首を傾げて自らの上司に小声で問うた。

 

「すいません閣下。ラフト少将とは?」

「おまえ、なんで覚えてないんだよ……」

 

 ジト目で睨みつけてくるクラウゼからあきれた口調でそう言われて、カウフマンがなにかを必死で思い出そうとする仕草をした。しかし数秒して心当たりがありませんとのたまったので、クラウゼは心の底からため息をついた。

 

 他の幹部たちの間でも話題になっていることなのだが、なぜカウフマンは内国安全保障局幹部としての地位を得ているのか疑問だ。命令されたことを手早く処理する手腕はたしかにあるのだが、いろいろと抜けている彼の性格はあまりにも秘密警察官に向いていないように思われるのである。ラング局長が高く評価して抜擢した人物なのだから無能ではないはずであるが……。

 

「キュンメル事件のときに地球教のオーディン支部を制圧した武装憲兵部隊の指揮官だ。本当に覚えてないのか」

「あ、そういえばそういう人物がいましたね。たしか資料で名前を拝見した記憶があるような、ないような」

 

 内国安全保障局の一幹部の適性について、ナンバー・ツーである次長は深刻な疑義を抱かざるをえなかった。秘密警察官二名が妙なことでもめている間に、オスマイヤーが報告に来た兵士にラフトをここに連れてくるように命じた。オスマイヤーの記憶が正しければ、ラフトは今日の首都防衛司令部の会議に出席していたはずであり、ケスラーの安否を確認することができると期待したからである。

 

 その期待は正しく、隠れ家にやってきたラフトはケスラーが生存しており、現在は財務官僚のターナーを中心とする一派と民間人有志――ターナーは元共和主義活動家であるので内国安全保障局の面々が少なからぬ不快感をしめしたが、民間人有志の代表格がヨブ・トリューニヒトであるということについては程度の差はあれど全員が露骨な嫌悪感をしめした――によって匿われていること。そしてターナーの意向でケスラーの身の安全を重視して隠密裏の首都防衛軍の切り崩し工作を行なっていることを説明した。

 

「首都防衛司令官のケスラー閣下が生存しており、なおかつ万一のことを考えて共和派の連中がケスラー閣下の行動を束縛しての安全策に固執しているとなると、ワーレン閣下の仰るとおりの方策をとったほうがよいでしょうな」

 

 クラウゼが覚悟を決めた様子で問いかけ、ワーレンは重々しく頷いた。

 

「ああ、惑星全域に強力な妨害電波をとばせるような施設など、旧軍務省報道部の施設しかありえない。ここさえ奪還してしまえば、ケスラーの演説を帝都中の立体TVで放送できる。それで首都防衛軍は自分たちがクーデター派の偽命令に踊らされていることを自ら悟るだろう。そうなれば、このクーデターは終わりだ」



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政治犯収容所

新アニメ見てると同盟側の話も書きたくなってきた。また短編作ろかな……


「陛下! 収容施設を新しく建設できる空き地を確保しました。こちらの書類をご覧ください」

「首都星から近くて気候状況も良好な未開発惑星だと? 既に万を超える収容施設を建設したというのに、よくこんな良条件の惑星がまだ存在したものだ」

「それはある問題があったためです。大気がないので惑星上で息をすることができません」

素晴らしいぞ(ヴンダバーツ)! ここに囚人を放り込めば死体処理の手間を省いても伝染病の心配がないわけだなファルストロング! すぐに建設をはじめたまえ!」

了解(ヤヴォール)! 我が皇帝陛下(マイン・カイザー)!」

 

 以上の銀河帝国初代皇帝ルドルフ・フォン・ゴールデンバウムと初代内務尚書兼社会秩序維持局長官エルンスト・フォン・ファルストロングのやりとりは、自由惑星同盟で創作された反帝国のプロパガンダの一作品であり、あからさまに露悪的で誇張され滑稽化されたものではあったが、ルドルフが皇帝に即位して専制を強めていく過程で、いわゆる国家内部に巣くう“武力を持たぬ敵”を隔離ないしは処分するための収容施設が帝国各地に建設され、その劣悪な環境と杜撰な死体処理のせいで伝染病が蔓延し、殺すつもりじゃなかった囚人も大量に死んでいったというのは事実である。

 

 “武力を持たぬ敵”を収容する施設が多数建設されていった原因は、むろん初代皇帝ルドルフの統治手法にある。帝国開闢期においてはまだ連邦時代の民主主義的要素が色濃く残されていて、ルドルフを代表者とした議会における圧倒的多数派が民意に背中をおされて暴走しているといった面があった。銀河連邦末期の腐敗ぶりは民衆が絶望するに充分過ぎた。そこら中で犯罪組織や自警団、政党の私兵団が街頭闘争を繰り広げ、たまたまその場にいただけでの何の関係もない人間が街頭闘争に巻き込まれて死んでゆく混沌の時代であったのだから。

 

 そしてルドルフ率いる国家革新同盟は過激な手法によってその時代を終わらせた人物なのだ。帝国暦二年にルドルフは議会に政治犯罪を規定する法案を提出した。同盟では“最後までルドルフに抵抗した共和主義闘志”として高く評価され、帝国では“最後まで大帝の偉業を妨害し続けてまで既得権益に固執した私欲まみれの下衆”と蔑まれる共和派議員ハッサン・エル・サイドは「政治犯の規定が不明瞭であり、また連邦憲法の政治的自由の規定に背反しており、法的に問題がある」と反対の意思を示したが「法的な問題は皆無であることを最高司法権を持つ皇帝たる余が保証する。故にこれ以上の議論は不要だ」とルドルフに一蹴されて審議にかけられ、九割を超える賛成票で可決された。当時の国家革新同盟の議席は議会全体の七割強であったから別に法案を可決するにあたって他の政党の議員からの賛成票など不要であったのだが、規律ある秩序を欲する世論に他の政党の議員も迎合したのである。

 

 このような法案が成立したことで、政治犯収容所が帝国に設置されることになった。なぜ刑事犯とは異なる収容施設を設置することになったかと言うと、政治犯への対処を担当する内務省警察総局公安部が「刑事犯と一緒の場所に政治犯を収容すると周囲を洗脳しだす」という見解をしたためである。だが、少なくともこの段階においては、政治犯収容所は決して劣悪な環境であるとは言えなかった。というのも、あくまで政治犯を再教育して社会復帰させることが目的とされていて、徹底的な自己批判を行えば収容所から釈放されることが多かった。

 

 しかし帝国暦九年に劣悪遺伝子排除法が発布され、帝国議会の永久解散と同時に警察総局公安部と国家革新同盟規律調査部の人員を中心に社会秩序維持局が設置されると事情が変わってきた。この頃からルドルフの政策が民衆多数の望みから乖離していき、帝国統治の在り方は、“圧倒的多数派の暴走”から“貴族階級を中心とした少数による多数の支配”に変貌していくのである。当然、そうなると民衆に対して絶対的恐怖を与えて抵抗の意欲を奪い、従順な存在にさせる必要が生じるようになるわけで、そのために社会秩序維持局には公安部時代にはなかった主観的判断で政治犯認定を下せる特権が与えられた。そして“疑わしきは罰せよ”の精神で職員が動いたために政治犯の数が爆発的に増加し、比例してそのための収容所が大量に設置されるようになった。

 

 さらに翌年の帝国暦一〇年にルドルフは皇帝特権によって政治犯に加えて新たに思想犯という新たな“武力を持たぬ敵”の種類が設定する“国体護持に関する法令”をだした。内容としては『政治犯は政府の方針に反対しただけなので更生できる可能性があるが、国体そのものを破壊せんとする思想犯は更生の可能性が極めて低いので生命の危機が伴う収容惑星矯正区を設置し、そこで徹底的な再教育が必要である』というものである。

 

 政治犯と思想犯はよく混同されているが、例えば反軍思想など民衆を惑わすような政治的主張をしているだけなら政治犯であるが、ゴールデンバウム王朝による絶対君主制そのものを否定する主張をしたなら思想犯である。つまり、思想犯たる民主主義者は地獄の矯正区に叩き落し、更正可能なはずの政治犯の母数を減らして政治犯に対しては比較的寛大な措置をとって、民主主義を奉じている者には容赦しない姿勢を鮮明にして国民が自ら保身をはかって臣民化するよう仕向けるための法令であったといえる。

 

 その後もゴールデンバウム王朝は五〇〇年にわたって明文化された法律違反したわけでもないのに、政治犯・思想犯の烙印が押されて政治犯収容所や矯正区に収容される犠牲者を生み出し続けてきた。これはゴールデンバウム王朝中興の祖にして最も開明的な君主であった歴史家から評されるマクシミリアン・ヨーゼフ二世の時代とて例外ではない。それほどまでに帝政を支える重要な要素であるとされてきたのである。

 

 ラインハルトが独裁体制を敷くと政治犯・思想犯の大多数が釈放され、すべての矯正区とほとんどの政治犯収容所が閉鎖されたが、それでも完全に消し去ることはできなかった。いくらローエングラム王朝が民衆の強い支持を受けて開明的な統治をしているとはいえ、暴力革命を扇動する活動家やら政治的テロの実行者に行動の自由を赦してやるわけにはいかなかったのである。

 

 というわけで、いくつかの政治犯収容所は憲兵隊に移管された上でローエングラム王朝でも存続した。帝都中枢から車で一時間ほどの地点に存在するマールブルク政治犯収容所もそのひとつである。首都星にあることから、ここに収容される政治犯は基本的に帝国の上流階級であり、帝国中枢の政争次第では釈放される可能性が充分にある政治犯が収容されていた。ローエングラム王朝開闢期の改革で主導権を握っている開明派貴族のほとんどが、一度は政治犯としてここに収容されたことがあるといえば、なんとなく理解できるだろうか。

 

 そういった政治犯しか収容されることがなかったために、マールブルク政治犯収容所の環境は一般刑務所と比べても環境はかなり良いといってよく、特に高位貴族用の独房にいたっては後宮豪邸の一室かと疑いたくなるような調度品と設備が整っているのである。爵位や貴族籍を持つ者が、旧王朝下ではどれほど優遇措置がとられていたのかの例証のひとつであるといえよう。

 

 とはいえ、新王朝になっても首都星に凶悪な人物を入れておくのは如何なものかという問題があって、収容されているのは過激思想を唱える思想家がほとんどで、実際に反帝国組織に所属してテロ活動をしていた者は収容されることがなかったから囚人の数はわずか三十数名であり、囚人の行動も敷地内では自由であったし、前もって申し出れば憲兵の監視付ではあるが外出も認められていた。

 

 そのような収容所であるため、ここに勤務している憲兵たちはいささか緊張感と勤労意欲に欠けていた。そのため、続々と拘束された中央省庁のお偉方が移送されてきても平和ボケしていた憲兵たちはどうすればいいのかさっぱりわからず、所長のバルトハイム憲兵中尉の判断でとりあえず送られてきた人物をそのまま牢屋に収容することにした。あきらかにここの憲兵で管理しきれるような数ではなかったので、そのうち自分より上の将校が命令書を携えてやってくるだろうから、その人物に責任を丸投げしようという心境だったのである。

 

 しばらくして近衛司令部の命令書を携えた長身の将校が約五十名の部下を引き連れてやってきた。その将校を前にしてバルトハイムはこんな季節なのにずいぶんと肌の焼けた人だなと妙な違和感を感じたが、むこうが少佐の階級章をつけていたので先に敬礼をして名乗った。

 

「マールブルク所長のバルトハイム憲兵中尉であります」

「憲兵本部政治作戦二課のアインザッツ少佐だ。近衛司令部の特命により、叛逆者の処刑に来た」

 

 アインザッツ少佐――正体は貴族連合軍残党勢力の幹部の一人で、“ラナビアの絞刑吏”の異名を持つ指名手配犯サルバドール・サダト元准尉――は双眸に鋭い光を滲ませ、威圧感を出しながらそう宣言した。憲兵本部政治作戦課とはその名の通り政治的要素が濃い作戦を担当する部局であり、今回の一件に携わるのが自然だとジーベックが判断したため、サダトはそこに所属していると偽っていた。

 

 いきなり裏事専門の部署に所属している人物がやってきたこと、そして持ち込まれた案件のとんでもなさに対する衝撃で、バルトハイムは先ほど感じた違和感が一気に吹き飛んで、慌てて問い直した。

 

「ちょ、ちょっと待ってください、裁判もなしに処刑ですか? まだなんら証拠がないでしょう?」

「でも近衛司令部からの命令だからなぁ……。ほら、これ」

 

 サダトは近衛司令部の判が押されてある命令書をさしだした。その命令書は叛逆者たちを処刑せよという趣旨の内容が書かれており、処刑すべき叛逆者たちのリスト――という名目で、クーデターが成功して権力を掌握した際に邪魔になるであろう文官たちを貴族連合軍残党が選別して作成された粛清リストが付属していた。

 

 バルトハイムは念には念をいれて五回ほど最初から最後まで命令書の内容を読み間違えていないか確認したが、命令文そのものが偽造ものであることまで想像力が働かなかったようで、懇願する様にサダトを仰ぎ見た。

 

「しかし、本当にこの命令を実施してよいものでしょうか。旧帝国とは違う法治主義を標榜してきた新帝国(ノイエ・ライヒ)ではありませんか。なのに裁判もなしにこのようなこと……。今回の処置が陛下の御心にそうものであるのかと小官は疑問を禁じえません」

「中尉、これは国家の問題であって、法的解釈や規則の問題ではない。証拠があろうがあるまいが、叛乱の現行犯を粛清するのは国家にある当然の権利だ。そしてその権利は、皇帝陛下の信任したもう近衛司令部の者達が行使することを決定したのだ」

「で、ですが……」

「それにだ。陛下の御心にそうかどうか気に病んでいるようだが、陛下とてまだ帝国軍総司令官でしかなかった頃、自身に対する暗殺未遂に対し、その首謀者であるリヒテンラーデ公とその一族を裁判なしでこのマールブルクで処刑するよう命じたではないか。それと同じことをするのが大した問題とは思えんが」

 

 リップシュタット戦役終結直後の式典にて、ブラウンシュヴァイク公の知恵袋と称されていたアンスバッハ准将が主君の仇と称して帝国軍総司令官だったラインハルトの暗殺をはかった。暗殺そのものは失敗に終わったものの、ローエングラム元帥を守るために上級大将一名が身代わりなって死亡した。ローエングラム派はこの惨劇をむしろ奇貨として利用し、暗殺劇はリヒテンラーデ公の策謀によるものだったとして、リヒテンラーデ派の粛清を行い、ローエングラム派による帝国の独裁権を確保したのである。

 

 リヒテンラーデ公やその一族の身柄を確保したのは当時はまだ一艦隊司令官にすぎなかったロイエンタールであり、リヒテンラーデ公の一族をとりあえず最寄りのマールブルク政治犯収容所に収容したのである。その後、ラインハルトが「一〇歳以上の男子は処刑、それ以外は辺境に流刑」する決断したので、ロイエンタールの指揮の下、このマールブルクでリヒテンラーデ公の一族は処刑されていったのであった。

 

「なによりわれわれが帝国軍人である以上、命令には絶対服従というものだ。違うかッ!」

 

 少佐にここまで強く言い切られては、バルトハイムとしては沈黙するしかない。これ以上抗弁しても上官の不興を被るだけであろうし、サダトの言う通り、命令への絶対服従は帝国軍人の精神であり、その一糸乱れぬ忠誠と規律こそがルドルフの時代から今なお続いている帝国軍の誉れであった。すくなくとも、帝国軍の建前としては。

 

「それでリストにある叛逆者を処刑場に集めろ。全員銃殺刑に処す」

「はっ、ですが、送られてきた文官をとりあえず牢にいれるくらいしかしておりませんので、この叛逆者リストに名がある人物が収容されているのか把握できておりません」

「雑な仕事をしやがって。それでも貴官は政治犯収容所の所長か?」

「はっ、申し訳ありません」

 

 続々と送られてくる官僚を逃がさないようにするだけでも手一杯だったんだとバルトハイムは言いたかったが、言えるわけがなかった。場違いではないかと思えるほどのほほんとした空気がほんの数時間前まで政治犯収容所全域を覆っていたにもかかわらず、このような事態に完璧に対応できるほど自分はできた憲兵将校ではないなどといえば、後々無能を糾弾されて降格処分ものである。

 

 一方サダトとしてはマールブルク政治犯収容所の杜撰な運営に憤りを禁じ得ない。彼はかつて勤務していたラナビア矯正区においては完璧な管理体制が敷かれており、どこにだれがいるかわからないなどありえない話であった。労働不可能者や反抗的な思想犯を殺戮してまわるのがサダトの仕事であったが、数だけではなくだれを殺したかもちゃんと矯正区司令部に報告しなければならなかったのである。だから、あまりにも政治犯収容所の対応が雑であると感じたのである。

 

 早急にだれを収容しているか囚人名簿を作成すべきというサダトの言にバルトハイムは同意して新たな命令をくだした。憲兵たちが政治犯収容所内の各牢に白紙とペンを持っておとずれ、「この紙に所属と氏名を書け」と囚人たちに命じた。これをだれかを探しての行為であると察し、咄嗟に嘘の所属と偽名を書いて難を逃れようとした者たちが相当数いる。有名どころではマインホフ内閣書記官長、ベルンハイム宮内尚書、ブルックドルフ司法尚書、ゼーフェルト学芸尚書、エルスハイマー民政次官である。うち、ベルンハイムとゼーフェルトは囚人全員が書きあがった後、憲兵が一人一人確認していく時に同室の囚人が反応してしまい、憲兵から暴行を受けるはめになった。

 

 だが、不幸中の幸いというべきかベルンハイムは貴族連合残党からは取るに足らぬ小者と認識されており、粛清リストに名前がなかったので命脈を保った。しかしゼーフェルトは『ゴールデンバウム王朝全史』をはじめとする、神聖にして不可侵なるゴールデンバウム王朝歴代皇帝を批判する著作をたくさん発表するという“不敬”を犯したと憎悪されていたために、権力奪取に際してはたいした障害になるとは思われていなかったにもかかわらず粛清リスト入りしていたため、暴行後にきた新たな命令で処刑場に連行されることとなった。似たような理由で学芸省の高官数名も尚書と最後の時をともにすることとなる。

 

 カール・ブラッケ民政尚書は皇帝批判等を躊躇わずに行うせいでマスメディアで顔が知られすぎていたため、憲兵から名前を聞くまでもないと思われており、ブラッケ自身もそれを弁えていたのか彼個人の反骨性の現れか堂々と“民政尚書カール・ブラッケ 開明政策推進者”と書いた。そしてその後の処刑場への連行命令でも「自分の足で歩ける」と言い張って、憲兵に両腕を掴まれて連行されるという他の者達のような醜態はみせなかった。

 

 そして処刑場に名前を偽り切ったもの以外で粛清リストに名が載っていた者達が処刑場近くに集められた。最初のほうに処刑場に連行されたブラッケは後からやってきた傷だらけのゼーフェルトの姿を確認して驚き、ついで納得して怒りを覚えた。ブラッケはラインハルトがいつルドルフみたいな抑圧的な専制者になるか知れたものではないと疑っており、今回の事態はその懸念が現実化したためではないかと思いはじめていたのだが、それが否定されたからである。

 

 改革者なのか疑わしく思ってはいても、ラインハルトのゴールデンバウム王朝に対する憎悪は絶対的であるとは理解していた。ラインハルトとは職務上の付き合いしかしておらず、あまり私的にかかわることをブラッケは忌避していたが、それでも彼の言葉の節々からブラッケはそれを感じ取っていたのである。そしてゼーフェルトはゴールデンバウム王朝に対してはともかく、今のラインハルトやローエングラム王朝にたいして批判的なことをしていない。つまり反動的な何者かが、卑怯にもラインハルトの看板を利用して暗躍しているためであると悟ったのである。

 

 反動的であるというだけで原理主義的かつ強硬的な開明派の領袖であるブラッケとしては赦しがたいのだが、卑怯にも自分の名で戦わず、敵対者の名を利用して他者の忠誠心を利用して行動する何者かの卑劣さにはおぞましい嫌悪感をいだかずにはいられなかった。そしてそのことを声をあげて主張した。

 

「これは皇帝(カイザー)の意に非ず! 軍人どもはわれわれがクーデターを起こしたと主張するが、それならなぜここに学芸尚書をはじめとする学芸省の者達がいるのか。学芸省は教育・学術・文化の庇護を主目的とする省であって、政治の分野に直接関与する省ではない! ひどい言い方をすれば、彼らがサボタージュしたところで遠征に悪影響を及ぼすることなどない! にもかかわらず、彼らがここにいるのは何故か。それは今回の一件が旧王朝の悪弊をなおも隠蔽しようともくろむ卑劣な反動主義者による陰謀であるからだ! なぜならゼーフェルト尚書は旧王朝を批判する著作を幾度も発表したからであり、われわれ開明派はそもそもクーデターなど起こしてはいないのだからな!!」

 

 この主張に叛逆者を逃がさないように包囲している憲兵たちが動揺した。あくまで帝国とラインハルトへの忠誠心から帝国軍は行動しているのであり、このような理の通った主張をされると不安を感じずにはいられないのである。このまま喋らせてはまずいと感じたサダトと一緒に来た将校の服をきた工作員がブラッケの口を封じるように命じたが、現場を纏めている憲兵下士官がこのまま言わせっぱなしのまま口を封じたら逆に向こうの言い分を信じかねないので、論戦で論破すべきであると主張した。

 

 工作員は実力行使も考えたが、そうするとこの政治犯収容所でデカい顔をし続けるのも問題がでてくるだろうし、最悪粛清すべき官僚どもを取り逃がす可能性がある。せっかくここに集めたのだから、なんとしても処刑したい。そういう考えでブラッケを論破しようと試みたが、旧王朝から改革を訴えてきた筋金入りの政治家相手に理屈だった論戦で勝利しようなどと無謀もいいところで、逆に論破されまくってしまい、かえって憲兵たちの不信を誘うことになった。

 

 将校に扮した工作員がこれ以上はまずいと思いが強くなってきたところで、騒ぎを聞きつけたサダトが処刑場にやってきた。ブラッケは階級章からサダトが責任者である睨んでくってかかったが、それに対するサダトの返答は言葉ではなく、無言で腹部に撃ち込まれた鉄拳であった。

 

「な、なにをするのですか?!」

 

 突然の暴行に周りで悲鳴もあげ、特に近くにいた憲兵の一人が反感も露わにそう叫ぶと、サダトが殺意をこめて睨み返した。

 

「少佐に向かって兵卒風情が意見するとは耳を疑うが、俺は神経過敏か?」

 

 サダトの放つ不気味な威圧感に圧倒され、睨みつけられた憲兵は数歩下がった。これに抗うようなことをしてはいけないと身の危険を感じたのである。

 

「……いきなり殴りかかってくるとは、もしや、おまえが首謀者の一人か」

「叛逆者どもの首魁が、なにを偉そうにほざく?」

 

 嫌悪と軽蔑を持ってサダトは、地面に蹲りながらもそう主張するブラッケを見下した。べつにサダトはゴールデンバウム王朝にたいする忠誠心があるわけではなかったが、開明派のようななんらかの理想に殉じてる奴は吐き気がするほど嫌いなのである。

 

「なにやら狡猾に自らの罪を否認しようとしていたようだが、他の連中ならいざ知らず、貴様ら開明派がそのようなことをしても見苦しいだけだ。貴様らは常日頃から偉大なる皇帝ラインハルト陛下を批判する愚か者どもだ。いままで陛下が御恩情で見逃してされていたのに増長しやがって。報いを受けろ」

「ゴールデンバウム王朝の頃と、なにひとつとして変わらんな。権威を笠に着て暴力を振るい、真実を覆い隠そうとする。それを壊し、新しき世界を築こうとしているのが皇帝ラインハルトだというのに、それに対する忠誠を理由に彼が否定した行いをするとは、彼に対する二重の侮辱であろう」

「ふん、いまさら神妙に皇帝陛下を持ち上げても遅いわ」

 

 サダトの主張は一部の帝国民衆が開明派に対して抱いている偏見をそのままにしたものであり、この場にいる者のほとんどが軍人であることも相まって、自然に受け入れられるものであった。しかしこれ以上騒がれても面倒だとサダトは思って殺すかと考えたが、尚書ともあろうものを形式に則った処刑という形で殺さないとまた憲兵がうるさくなるかと懸念したために、部下の工作員にブラッケの両手を後ろで縛りさるぐつわをはめて喋れないようにすることで妥協した。

 

 その処理を終えた頃に囚人リストと叛逆者(粛清)リストと合致する全員を牢から出し終えたことを確認してバルトハイムが処刑場へやってきた。バルトハイムは警備の憲兵たちが不安そうな顔を浮かべていたので、気になって事情を聞き、ブラッケによるゼーフェルト以下学芸省の人員も処刑しようとするのは反動主義者が裏で陰謀を巡らしているという証拠と叫んでいたことを知った。

 

 さすがにこれは不審に思ってバルトハイムがサダトに確認した。そんな面倒なこと言ってたのかあの野郎と忌々しい顔をしてサダトは嘘八百を語った。

 

「連中の計画では学芸省の者達はこれが終わった後、この叛逆行為を正当化するための宣伝を主導する役割を果たす予定だったらしい。証拠はないが、近衛司令部の尋問で学芸省の役人の証言が得られているそうだ」

「そうなのですか。では、なぜその役人をこちらにまで連れてこないのでしょうか。であればこんなことにならずにすんだのに」

「さあ、国家機密に抵触するようなことまで証言してしまったから、どう扱ったものか迷ったんじゃねぇの? そんなに気になるんなら近衛司令部に確認の使いでも走らせるか?」

「いえ、アインザッツ少佐のお言葉だけで充分です」

 

 サダトがあまりにも臆せずに自然にそう言ったばかりか、近衛司令部に確認するかとまで言ってきたので、バルトハイムは充分な確証があるのだと誤認した。それから数時間とせぬうちにバルトハイムはこの判断を激しく悔やむことになるのだが、それでも当時と後世の者達から軽率と誹られることになる。

 

「それにしてもマリーンドルフ伯もいなかったのか。奴も開明派と一緒になっていたというし、取り逃がしたとは痛恨だな」

「他の者達はともかく、マリーンドルフ伯にかんしては移送前に近衛司令部の指示で新無憂宮(ノイエ・サンスーシ)のほうに連行したそうです」

「そうなのか。なにかマリーンドルフ伯が生きていてもらわねば困るような事態でも生じたのかねぇ」

 

 貴族連合残党が作成した粛清リストには国務尚書マリーンドルフ伯の名前もあった。これは近衛司令部側がマリーンドルフ伯を説得して取り込もうと目論んでいたことを、貴族連合残党が知らなかったためである。

 

(政治犯収容所が杜撰な仕事をしていたせいで、予定よりえらく時間が遅れてる……。それに大物含めてリストの六割近い人間を取り逃がしたか。まあ、あと一〇人か二〇人くらいは嘘を申告してまだここに収容されてるって可能性もあるが、こんなにグダグダじゃあ、よしんばこの状況を乗り切ったとしても、最終的な成功の目なんてほぼゼロだな)

 

 ラインハルトの権勢を思えば、貴族連合残党がゴールデンバウム王朝復興という大業をはたすには事前準備の徹底は当然として、ギャンブルで勝利し続けるような幸運が必要不可欠であろう。こんなところでつまずくような運の悪さでは、お先が真っ暗であるとしかサダトには思えなかった。

 

 しかし貴族連合残党の将来などサダトにはどうでもいいことである。サダトにとって重要なことは、彼の個人的な欲求を追求することであり、可能な限り多くの人間を破滅させていくことである。それで心の飢えが癒されることはないが、鬱憤晴らしにはなるのだから。

 

 というわけでサダトはきわめて事務的な姿勢を装って、処刑の実行をバルトハイムに命じた。まず最初に、尚書二名の処刑が執り行われた。憲兵たちは二人一組で処刑場の壁の前の棒に二人を括り付けた。その時に、ブラッケのさるぐつわもはずした。

 

「言い残すことがあれば聞こう」

 

 バルトハイムの問いに先に反応したのはゼーフェルトであった。

 

「私は無実であり、陛下に反逆するなどありえぬことです。そのことを国民に伝えてほしい。そして私の家内と息子に愛していると伝えてほしい。それだけです」

「……善処しよう。撃てッ!」

 

 その号令で八人からなる銃殺隊がビーム・ライフルを構え、ゼーフェルトを銃殺した。数秒間、物言わぬ骸となったゼーフェルトの体をバルトハイムは見つめていたが、切り替えて隣のブラッケを見た。

 

「そっちはなにか言い残すことはあるか」

「……絶対服従の精神かなんだか知らんが、命令でも少しは自分で物事を考えろ軍人(バカ)どもが」

 

 もう死ぬというのに、ブラッケの声は動揺の色がかけらもなく、むしろこちらを哀れんでるような声であってバルトハイムを驚かせたが、すぐに職務を思い出して号令をかけた。

 

「撃てッ!」

 

 こうしてこの場で、帝国は二人の尚書と開明派を中心とする高級官僚六九名がマールブルクにて処刑された。このことが銀河帝国の未来に暗い影をおとすこととなる……。



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支配者の論理

 民政省尚書室のオフィスで、第二区警備連隊の高級将校たちが激論を戦わせ、官僚たちによって積み上げられた書類の山と格闘していた。いかに帝都がヴァルプルギス作戦発動による戒厳体制におかれているとはいえ、行政運営を全停止させては経済を筆頭に国家に多大な悪影響を及ぼす。ゆえに問題なしとみなした部署から順次行政を再開させていかなくてはならない。中堅以下の官僚たちはゴールデンバウム王朝時代に数百年に断続的に発生していた粛清の恐怖によって命令墨守の気質によく調教されていたから、銃で脅せば歯車として有効に使うことができた。しかしあくまで歯車に過ぎないので、クーデター勢力(と彼らが思い込んでいる開明派)の計画に利用されている事業を行なっているかどうかの判断は省を制圧した首都防衛軍将校の判断の下でおこなわれていた。

 

 すでに帝都の治安維持に関してはすべて軍が代行しているに等しい状況下であるから、連隊長のブロンナーは国内治安を担当する内務省の処理を後回しにして、人民生活の向上を目的としてローエングラム王朝になって新設された民政省の掌握と業務再開に集中することにした。だが、軍隊組織で育った多くの将校たちは民政関係の知識には非常に疎く、それらの業務が問題ないものであるのか、開明派の暗躍に利するものであるのかの判断に際して官僚たちからの助言を聞いて判断していかなくてはならず、彼らはこれで大丈夫なのかという不安にとらわれていた。

 

 くわえて、民政省の機構の巨大さはブロンナーの想像をはるかに超えていた。民政省はラインハルトの意向によって改革の主導的役割をはたすための部署として設置しただけあって、解放農奴支援局、思想犯社会復帰局、資産継続審査局、人種差別問題担当局、障害者擁護局、民間経済規律局、労働環境向上局、人道的犯罪捜査局、旧特権階級指導局、国家賠償局、その他多くの軍人にとって馴染みのない名前がついた部局が民政省の管理下におかれている。慣れない事柄の仕事にくわえ、膨大な数の部署が存在しているわけなので、民政省の業務の把握及び再開は遅々として進んでいなかった。

 

 これでは時間がかかりすぎるとたまりかねたブロンナーは上官のトレスコウ准将宛に民政関連の知識が豊富な人材を派遣してくれるよう要請したが、一時間経っても返事すらきていなかった。民政省自体が設立されたばかりの組織なので、その業務に詳しい人材など簡単に見つからない。そしてトレスコウはブロンナーの要請がそれほど深刻なものとも思わなかったのでかるく幕僚に心当たりがないか聞いただけで熱心に探そうとせず、他の仕事を優先することにしたのでどうしようもなかった。そしてトレスコウをマニュアル人間と見なすブロンナーはあまり自分の要請が受諾されることを期待していなかった。

 

 なので副官のリルムが旅団司令部から命令書を持参した時、ブロンナーは副旅団長が珍しく仕事をしたのだろうかと驚いた。しかし上から新たな逮捕命令であると説明され、ブロンナーは苛立った。

 

「逃亡した連中を拘束するのはレーマー少佐に一任している。ここには省掌握にかんする命令や報告しか持ってくるなと言っただろうが」

「はい。ですが、どうにも奇妙な逮捕命令でして、一応先に少佐殿に伝えましたが、やはり連隊長に仰ぐべき案件ではないかと少佐殿と小官が判断した次第であります」

「奇妙な命令? 読みあげろ」

 

 上官にそう言われて、副官は命令書の内容を告げた。

 

「開明派の影響下に汚染された憲兵本部は現在の近衛大隊の制圧下にあり。憲兵本部は開明派の爆発テロで死亡した憲兵総監の名を用いた命令書を各所に送っていたことからクーデターに加担したことは確実である。それらの偽命令は当然すべて無効であるので、注意すべし。また辺境で療養中であるワーレン上級大将を装った開明派の手の者が扇動活動をしているとの報告あり。見つけ次第逮捕して近衛司令部に連行、困難であればその場で処理して報告をあげるべし……」

「……それは、いったいどこからの命令なのだ」

「近衛司令部の判が押してありますので、ヴァイトリング中将かと」

 

 連隊の幕僚たちは命令の内容に奇妙さを感じたものの、クエスチョンマークが乱舞するばかりで明確な像を結ばない。開明派が憲兵本部を動かしたり、偽ワーレンを用意していたというのが本当かという疑問でしかないのだ。別に第二区警備連隊に限らず、この命令を知った将校は“これはちょっとおかしい”と思ったが、最上位司令部からの命令とあれば、そんなあやふやな疑問で抗命などできる勇気や馬鹿さを持った帝国軍将校は稀である。

 

 無論、近衛司令官を拘束して事実上司令部を運営しているクーデター一派にとってはそこまで織り込み済みのことではあった。いささか問題のある命令であるが、乱発しない限りは疑念を抱いても行動には移すまいという打算である。しかしブロンナーはそうではなかった。思い出されるのは第二防衛旅団司令部幕僚のエーベルハルトから言われた陰謀説である。

 

「どうします。兵に命令を通達しますか」

「……いや、それには及ばん。車を用意しろ」

「はっ」

「というわけで、ちょっとこの不審な命令について近衛司令部の説明を聞いてこようと思う」

「そんな! われわれに仕事を押し付けるおつもりですか!!」

 

 疑念を抱いてはいても連隊長ほどではない幕僚たちに、上官は慣れない仕事から逃げ出す口実にしたいだけではないのかと疑われてしまった。ブロンナーはそういうことを考えて近衛司令部行きを判断したわけではなかったが、民政省のよくわからない業務を掌握する作業にうんざりしきっているのは事実であったので、そう言われると書類の山という難敵に対して敵前逃亡したい感情も膨れあがり、ブロンナーはなおさら近衛司令部に行きたくなった。

 

 もしブロンナーの両目が健全であったなら、どれだけ表情を取り繕っても敵前逃亡の光が瞳に宿っていたかもしれない。しかしブロンナーは戦傷によって失明しており、感情を一切映さない機械的な義眼が眼窩に埋め込まれていたので、幕僚たちはブロンナーにさも心外であると無機質な義眼で睨まれているように感じてしまい、自ら黙り込んだ。

 

 民政省を出て副官が用意していた地上車の後部座席に座ると、運転席にいる副官が兵力を連れて行くべきではないかと問うてきた。副官リルムもエーベルハルトの疑念を聞いていたから近衛司令部に強い不信感を感じていたので、最悪近衛部隊と一戦辞さずと考えていたのだ。しかしブロンナーは副官の意見に同調しなかった。

 

「いらん。もし下手に兵力を連れて行けば、近衛司令部が潔白であっても我が連隊もクーデターに与したとみて攻撃してきかねん」

「では、潔白ではなかった場合、どうなさるのです。護衛としてレーマー少佐の部隊から最低でも一個小隊割いた方がよいかと」

「そんな中途半端な兵力を連れて行ったとして、近衛司令部がクーデターの首脳だった場合、いたずらに敵の疑心を煽るだけだ。そして近衛部隊がこちらの排除を決意すれば兵力差からして分隊程度ではたやすく溶ける。ならいっそ近衛司令部を疑っていないことを装って探りをいれたほうがまだリスクが低い」

「そうでしょうか」

「そうだ。だから連れていくのは副官の卿一人で充分だ」

 

 敵を信じているフリをして乗り切ると断言されて副官は唖然としたが、上官のほうは平然とした様子であった。そしていつも平時と変わらぬ口調で車を出せと言われて、副官は我にかえってハンドルを掴み、ゆっくりと足でアクセルを踏んだ。

 

 一方その頃、旧軍務省の一帯では帝国軍同士の睨みあいが発生していた。そのうちいっぽうを率いるワーレンは旧軍務省を占領している部隊と接敵すれば戦闘辞さずと覚悟を決めていたのだが、可能性のひとつとして想定はしていたが想像以上に困難な事態に直面し、どうしたものかと頭を悩ませているのであった。

 

その光景を軍務省の窓辺から見下ろしている貴族連合残党の幹部ゲルトルート・フォン・レーデル元帝国軍少佐は忌々しそうに鼻を鳴らした。部下からの報告でやってきた治安戦力を含めた混合部隊を率いているのがワーレンであることがわかっている。つまり、オットーが暗殺に失敗したというわけだ。

 

「二〇〇もの兵を与えられて病床の人間一人殺せぬとはなんたる無能か」

 

 この場にいないオットーへの侮蔑の言葉が口からこぼれた。前任のハイデリヒもそうだが、このような状況にあっても秘密主義に固執し、われわれと共同戦線を構築することを拒絶するほど時勢を読めない組織など信頼できないのだ。たとえ殿下の補佐役であるジーベックが問題ないと言っても、役に立たない平民しか寄越さぬ協力組織など不要であろう。

 

 やはりゴールデンバウム王朝復興という崇高な使命を成し遂げるためには、ルドルフ大帝によって選ばれた優秀な者達の遺伝子を継承する、自分達貴族階級が下々の者たちを指導して達成するべきなのだ。秘密組織の実態がどうなっているのかは知らないが、他組織への代表者に下賤な平民を送り込んでいる時点で程度が知れよう。

 

「それでこの状況をどう打開するおつもりなのです」

 

 すこしばかり険がある声で問われて、レーデルは視線を室内に戻した。声の主はどこか健康が悪そうな雰囲気を醸し出す細身の青年軍人で、レルヒェンフェルト近衛中尉である。レルヒェンフェルト家は貴族社会主流の末席にかろうじて名を連ねている程度の家柄ではあったが、ルドルフ大帝の御代より続いてきた歴史ある武門の家柄であって、一族のほぼ全員が軍人である。そして彼は輝かしい武勲に彩られた一族の歴史を誇りとしていた。

 

 そうした家柄の出身者であったためか、レルヒェンフェルトはたいした武勲がないばかりか、ろくでもない悪名だけが貴族社会で噂されていたレーデルのことを好ましく思っていなかった。ましてや、旧軍務省の占拠状態を確かなものとするために策を実施したレーデルが、噂に違わぬ卑劣な手法をとりながら何食わぬ顔をしているので、彼に対する嫌悪を隠す必要をレルヒェンフェルトは認められなかった。

 

「打開する必要などないさ。われわれの役目はこの旧軍務省を固守し、通信を妨害しつづけることが目的だ。外の連中を追い払うのは周りに任せておけばいい」

「……では、同志らが帝都の全権を掌握するまで、このようなことを続けると卿は言うのか」

「しかり。中佐の分析によると――俺もわけがわからんが――貴族に課せられていた責務というものを小馬鹿にし、愚かしい理想に夢想する金髪の孺子一党に対しては“人間の盾”という策が有効的らしいからな」

 

 ワーレンが手をこまねいているのは、レーデルたちが旧軍務省を制圧すると省内にいた職員や周辺にいた民間人を拘束して数百人の人質にとって牽制しているからであった。そのために、ワーレンたちは歯噛みしながら対応に苦慮しているというわけである。

 

 貴族連合残党は結成時から、いつか打倒すべき対象としてラインハルトの構築している新秩序を研究してきた。その結果、常勝の英雄である主君に対する実戦派軍人の絶対的忠誠、自由と生命とを保障する急進的改革に対する大衆人気のふたつがローエングラム体制を支える強力な二つの柱であり、専制というよりは軍事独裁の彩色が極めて強い秩序であると結論づけた。

 

 そしてこのふたつの柱は本質的に反発しあう要素が多く、両立させるのは容易なことではない。そこにこそ、つけ入るべき隙があると貴族連合残党における事実上の指導者ジーベック中佐は判断した。そして民衆の自由と生命とを、ローエングラム体制が保障することになっている以上、“人間の盾”は時間稼ぎをする際に非常に有効な術策であるとした。

 

 だがそうしたジーベックの解説はレーデルにとっては理解に苦しむものであった。というのも、叛乱分子が人質をとっていても、あまり頓着せず殲滅するのは帝国軍における治安戦の伝統であり常識であったからである。皇祖ルドルフの唱えた理論によれば、どの程度の人質がとられていようが、そのためだけに現場の帝国軍将兵を危険に晒し、彼らが守らんとする国家の威厳と名誉を傷つけるような理不尽がまかり通ってたまるか、というのである。

 

 治安を維持する上で人質をとられて躊躇するような惰弱さを発揮すれば、叛乱分子に“民間人を人質とすれば身を守る盾となり要求を通らせる矛になるのだ”という間違った幻想を抱かせ、仮に現在の人質を救出できたとしても、将来的により多くの人間を危険にさらすことになりかねない。ゆえに惰弱な銀河連邦ならいざしらず、剛健なる銀河帝国の世においては、軍は一切動揺せずに断固たる姿勢をとって、人質などとっても無意味であることを全宇宙に知らしめるためにも容赦なく叛乱分子を粉砕すべきである。そのほうが未来における犠牲者に減らすことに繋がるというのが、その理由であった。

 

 人道的には最悪の非情な理論であるが、連邦末期に生を受け、秩序を乱す凶賊匪賊が跋扈する世界を生き、それらと戦い続けてきたルドルフにとっては明解極まる人類社会の真理であり、彼が創始したゴールデンバウム王朝の世においては全肯定されてきた理論であった。だから歴代の銀河帝国の世においては人質の民間人を巻き添えで殺してしまっても、その遺族に対して「運が悪かったですね」という趣旨の通知が当局から届くだけで済まされてしまうのが常であった。

 

 そしてその理論の信奉者であるレーデルにとって民間人を人質にするというのは愚策にしか思えない。たとえば高位の王侯貴族や重要な顕職に就いている者を人質とするのなら、まだ話はわかる。そういった国家の上層部に位置する者達であれば、多少の損害を被ってでも人質を救出しよう。だが、国家にとってたいして重要でもない数百人程度の人質で攻撃を躊躇するなどありえようか。少なくとも自分が逆の立場であるなら容赦なく人質ごと殲滅するのだがとワーレンが部下を引き連れてやってくるまで半信半疑だったのである。

 

 だが、意外にもただの人質がちゃんと役に立ったので、レーデルとしては新鮮な驚きと金髪の孺子一党への軽蔑を覚えたものである。このような愚策に翻弄されるとはなんという精神的惰弱ぶりであろうか。金髪の孺子も現実というものを知らぬ。ジーベック中佐が「あいつらは貴族特権廃止とか、農奴解放とかいろいろ綺麗事をほざいているが、要約すれば銀河帝国の臣民すべてを今までの貴族のように庇護するという意味だ」というのは正しかった。なんという土台無理なことに挑戦しようとしているのだろうか。それをやったために、犯罪が繰り返された銀河連邦の混乱であるということを連中は学校の授業で教わらなかったのだろうか。歴史から学ばない下賤な奴らはこれだから哀れである。

 

「だからこのような人質をとるような卑劣なことを続けるというのか」

「卑劣か。まあ、たしかに卑劣なことだが効果的だし、他になにか有効な対案がないなら俺としてはこの策を貫徹するのみだ」

「……罪なき無辜の民を人質にとるのは業腹だが、しかたがないか」

 

 対案があるわけでもなかったので、不満をあらわにしながらもレルヒェンフェルトは諦めた。それに人質になっている無辜の民のことを思っての発言ではなく、“人間の盾”という卑劣な方策自体が貴族として好ましくないことであるから不愉快なのでやめたいだけであって、人道面や道徳面での配慮からでた発言ではなかったので、それが尊重されないとあれば軍人としての合理的意識に従うことを選んだのである。

 

 だが、レルヒェンフェルトの貴族意識からでた発言が、近衛中尉とは異なる場所にあるレーデルの貴族意識を刺激したらしい。レーデルはやや苛立ちを滲ませて口を開いた。

 

()()()()()()()とは耳を疑う発言だな、中尉」

「は? なにがです」

「言葉通りの意味だ。人質になっている連中に罪がないとは笑わせる」

 

 腹立たしそうにレーデルは自己の信じる理論を披瀝した。

 

「帝国の国家体制を揺るがすような所業は大罪であり、ここで働いていた以上、人質になっている連中は金髪の孺子の手先となった叛逆者にして思想犯どもだ。処刑されても文句は言えぬし、宮廷の意向により御恩情を賜ったとしても、市民権を剥奪され堕落した思想と道徳の再教育のために矯正区送りは絶対に免れ得ぬ。であればどのように扱ったところで問題はなかろう」

「無辜の民衆はろくに考えず己が欲望に忠実なもの、ラインハルト・フォン・ローエングラムの華麗さに目をくらむのもある程度は容赦してやるべきだ。平民が無知であればこそ、選ばれた貴族が無辜の民を導くのではないのか」

 

 レルヒェンフェルトの言葉はゴールデンバウム王朝下における貴族の一般的認識であった。ゴールデンバウム王朝の公式史観では、銀河連邦末期の混乱は優生学思想にもとづく人類が種として弱体化していたことに加え、共和主義思想に汚染された政治家の政治的無知無能さに原因があったとしている。それは偉大なるルドルフが“統治者となるべき優秀な遺伝子の所有者を特定し、集中的な教育・訓練を幼少期から施すことで国家を背負っている責任感を持つ有能な統治者を育成する”という大義名分を掲げて貴族階級を創設したことに由来していた。

 

 それにレルヒェンフェルト自身が爵位はあっても下級貴族といっていい武門の家柄出身者であったこともあってか、ラインハルトのカリスマに若干魅せられており、ローエングラム体制が推し進める開明改革のために友人知己が酷い生活苦に陥らなければ、ノイラートの誘いに乗ってクーデターに参加することもなかったろうと思っている。貴族である自分でこれなのだから平民なら猶のことだろう。ゆえに今回に限ってはラインハルト側に与した平民に対しても寛大な姿勢をとるべきであろう。

 

「卿の見解どおりであるにしても、連中が咎人(とがびと)であることに違いはない。ならそれを盾として活用し、己が罪業を贖わせる機会を与えてやるのに、いったいなんのためらいが必要か」

 

 リッテンハイム侯爵の私設軍向けの軍需品を生産するためにラナビア矯正区で思想犯に過酷すぎる強制労働を強い、その功績をもって男爵位と領地を手に入れた“死の惑星領主(トッド・プラニィツベゼッツァ)”らしく、レーデルは犯罪者の生命を危険に晒すことを問題とすら考えていなかった。

 

 ゴールデンバウム王朝の身分秩序を信奉するレーデルからすると、現状を平然と受け入れている帝都民衆にも大きく問題がある。簒奪者であることを差し引くとしても、支配される立場の平民が熱狂的に皇帝を支持しているなど大罪にもほどがある。民意にとらわれないことが最大の長所である専制政治においては、専制君主が民衆に熱狂的に支持されるというのは嫌が応にもその最大の長所を殺すことにつながる。なぜなら民衆の期待に沿わぬ行動を起こすと民衆が身勝手にも裏切られたと暴動を起こすからだ。

 

 はるか古代の専制君主が大胆な国政改革を実施した際、民衆が改革を批判した場合は当然として、改革を支持することを表明した民衆すらも弾圧したという逸話がしめすように、方向性がどのようなものであろうとも専制国家においては下賎な平民風情が政治にかかわろうとすべきではない。それは選ばれた貴族階級の仕事である。平民どもは皇帝や貴族に敬意を示して特権階級に奉仕する義務を果たした上で、政治にかかわらず慎ましく平穏な生活を過ごしておればよかったのに、それを彼らは拒否したのだ。

 

 だからゴールデンバウム王朝復興のために貴族が行動するにさいして、民間人を巻き添えで死なせてしまって何の問題があろうかと本気で思っていた。仮にそれで死んだとて、五〇〇年前、ルドルフ大帝をはじめとする責任階級にろくに行使しなかった政治的権利を預け、五〇〇年間貴族が宮廷で演じてきた宮廷闘争とは無縁に平穏を謳歌するという特権を子々孫々にいたるまで享受してきたくせに、いまさら「自分たちは貴族に支配されてた」「無能な貴族をゆるすな!」と主張しだした自業自得でしかない。平民どもは思いあがった行為に対する代償を支払うべきだ――レーデルはそう確信している。

 

 自由惑星同盟のような民主主義的価値観、あるいはフェザーンのような商売主義的価値観で育った者達からしたら論外な理屈であるだろう。しかし良きことにせよ悪しきことにせよ、先祖の行動によって定着した地位身分が子孫に継承されるのが至極当然である専制主義的価値観だと容易には否定できないほど筋が通った理屈でもあった。

 

「これ以上、卿の信じる論理に反論しようという気はないが……効果的であるにしても、われら貴族が下賎な平民を盾にして籠城を決め込むというのは、滑稽すぎて後世の笑いものになるのではないか」

 

 納得がいかないとそうぼやくレルヒェンフェルトに、レーデルは内心で深く同意した。金髪の孺子一党が、秩序を維持する役目を担う統治者としての責務に忠実であったのなら、このような滑稽なことにならなかった。無論、それは叛逆側にとっては秩序より人命を優先する馬鹿げた方針を嘲弄すべきであったが、そのためにこういった政治的事件の場では何の価値もないはずの平民に盾としての価値が発生しているというのは、なにか冗談の類のようにレーデルは思えてならなかった。



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近衛司令部の動揺

新アニメのトリューニヒトは平凡な容姿なのに、9話の閣議シーンで終始「貼り付けた笑み」を浮かべていて非常に不気味ですw


 近衛司令部は熱狂の中にあった。ヴァルプルギス作戦は概ね計画通りに進行できたが、それでも主要官庁を制圧した後に発生した膨大な業務掌握の作業は彼らが想定していたよりはるかに困難で制圧部隊からさまざまな請願と案件が届いていた。ワーレン上級大将が療養中の身を押して軍と警察の混合部隊をひきいてこれまたこちらの弱点である旧軍務省を解放せんとしていることへの対処方法についても激論が戦わされていた。

 

 特に首都防衛司令部でケスラーの生死不明を報告していたラフト憲兵少将が部隊を率いてワーレンと合流しているという情報は、ヴァルプルギス作戦を活用する上での肝心要である首都防衛司令官兼憲兵総監ケスラー上級大将の死が達成されていないのではないかという不安を感じさせるに十分すぎた。ノイラート近衛大佐は自分自身も不安を覚えていることをとりつくろうと、近衛将校らを一喝した。

 

 たとえケスラーが生きているとしても、すぐに姿を現して事態の収拾に乗り出してくるというこちらにとって最悪の行動をとらないということは、同志の自爆テロがケスラーに死を与えるまではいかなくても、彼が自由に動けないくらいには自爆テロは成果をあげているとみてまず間違いないのだ。ということは、ひとまずは首都防衛軍を動かす上ですぐに発生する問題はいまのところない。つまり、彼が回復する前に帝都を完全掌握し、ゴールデンバウム王朝の復活を宣言して首都防衛軍をなかば強引に自分たちの共犯に仕立て上げてしまえば、ケスラーの選択肢は限られてくる。対処はそれからでも遅くはない。

 

 しかしそれでも不安を完全に払拭するまではいかず、ケスラーのもうひとつの司令部である憲兵本部に一個近衛大隊を派遣して制圧した。そしてその大隊長が「ケスラーからの命令で憲兵本部が近衛司令部が反逆者である」という内容の命令書を配布しようとしていたという情報を持ち帰ってきたので、“重傷をおったがケスラーがまだ生きている"というのは近衛司令部内の共通認識となった。

 

 そうした共通認識に縛られて、今度は旧軍務省を貴族連合残党と共同で守護しているレルヒェンフェルト近衛中尉のところへの派遣する援軍をどうすればよいかと近衛司令部は頭を悩ませた。首都防衛軍は軍規上の制約から近衛司令部の命令を正しいものと信じて行動しているだけであって、彼らの一部を援軍として向かわせたら、ワーレンに説得されて寝返りかえってレルヒェンフェルトを追い詰めることになりかねない。かといって士官たちを抱き込んでいるから信頼できる近衛部隊はケスラーが首都防衛軍の一部を説き伏せて姿を現した時に即座に対応できるよう、信頼できる戦力は可能なかぎり確保しておきたい。

 

 しかしだからといって援軍をおくらないという選択肢はない。帝都を掌握せぬうちに旧軍務省が解放されて通信妨害が解除されたらクーデターに成功の目はなくなってしまう。通信妨害はケスラーの死とならんでクーデター成功のための絶対条件だ。であれば、いったいどのていどの規模を兵力を援軍として送ればワーレンを撃退できるのか。地上勤務でも優秀な戦績を残しているワーレン相手では、生半可な兵力を送ったところで各個撃破の餌食になるだけである。しかし過剰な兵力を送ってケスラーへの対処兵力を減らしすぎるのも考えものである……。

 

 深刻でありながら早急に結論をださなくてはならない問題であったが、その討議は司令部に駆け込んできた士官の報告で一時中断を余儀なくされた。

 

「予備軍総監閣下が来られました!」

 

 報告の意味を理解しかねて、近衛将校らは一様に不思議そうな表情を浮かべた。正直なところ、今の予備軍総監がだれであるか、だれもが咄嗟に思い出すことができなかったのである。しかし堂々と単身で司令部に入ってきた老人が最高階級を示す肩章をつけた軍服を身に纏っている姿を視認すると、近衛将校全員が条件反射的に姿勢を正して敬礼した。

 

「クラーゼン元帥閣下!」

 

 ノイラートが叫んだ名は、既に過去の人と化したと思い込んでいた人物の名であった。別にそれはローエングラム王朝の時代になったから、というわけではない。フリードリヒ四世が崩御する前から、既にクラーゼンは過去の存在と化していた存在のはずだった。

 

 かつては前線において少なからぬ武勲をたて、後方の事務仕事もテキパキとこなし、宇宙艦隊副司令長官の地位にもついて数個艦隊の統率指揮もした経験もある優秀な軍人であったというが、それは一〇年以上前の話であって、ノイラートが士官学校を卒業して少尉に任官してしばらくした頃には、元帥号と引き換えに軍での出世競争に敗北し、閑職の幕僚総監が彼の為の指定席と化していたのだから。

 

 幕僚総監部は統帥本部の部署のひとつで、幕僚の育成・評価・管理を担当している。ゴールデンバウム王朝時代の帝国軍においては司令官が幕僚を自由に任免することができず、各司令部幕僚の任免権は軍務省人事局にあり、幕僚総監部の評価を参考に人事局が各司令部の幕僚を任命するという形式をとっていた。これだけだと閑職とはとても思えない、軍隊の知能ともいうべき幕僚を牛耳る重要な部署のトップであると受け取れるかもしれない。

 

 しかしながら、帝国軍の歴史上、宇宙艦隊司令長官の地位にある者のほとんどが帝国元帥であり、そして帝国元帥には元帥府を開設して有能な将校を囲い込み、自由に幕僚を任免する特権があるのだ。要するに主流の提督や幕僚は全員元帥府に所属してしまう為、実際のところ、幕僚総監部は元帥府に所属できない無能者や非主流派の幕僚が余計な策謀を企てぬよう管理するのが主な仕事であり、幕僚総監はたいした実権のない名誉職と解釈されるほど伝統的な閑職となってしまっていたわけあるが、これがかえってクラーゼンを救うことになった。

 

 式典での席次だけが高いなかば名誉職の幕僚総監の地位に一〇年以上も甘んじていたために、フリードリヒ四世崩御に伴う貴族連合派と皇帝枢軸派の対立の中で両派から毒にも薬にもならぬと無視されてしまい、またクラーゼン自身も幕僚総監としての職務以外何もしなかったので、フリードリヒ四世崩御時の五元帥の内、一人は勝利者として帝国の支配者となり、一人は保身を図って退役、二人は貴族連合派に属したために粛清されたというのに、クラーゼンだけが内戦前となんら地位が変わることなく現役元帥のまま生き残ってしまったのである。無能な門閥貴族を憎悪していたラインハルトであるが、敵対的行動をなにひとつとしてやっていなかったクラーゼンを粛清するのは正統性に欠けると思ってしまったのである。

 

 しかしながらラインハルトが帝国軍最高司令官として実施した軍制改革で、元帥府に所属していない幕僚を一元的に管理する幕僚総監部が軍の不効率化を招いている部署であると考えて廃止してしまったため、クラーゼンに新しい役職を用意してやらなくてはならず、無能な元帥がトップでもこれといって問題が少ない民間に戻っている予備役将兵の管理・訓練を行う予備軍の総監職の地位にクラーゼンをつけた。そんなわけで予備軍総監職も閑職といって差し支えがない重要な仕事がない役職である。

 

 そんな人物であったので、近衛将校たちはなかば存在を忘れていた元帥が、わざわざ近衛司令部にやってきた意図を理解しかねた。クラーゼンは司令部内の近衛将校の敬礼を一瞥すると返礼した。

 

「楽にしてかまわん。それで叛乱が起こっていると聞いたが、司令官のヴァイトリング中将はどこだ?」

「ヴァイトリング中将閣下でしたら、現在問題が発生した内務省の方に出向いております」

「……なるほど。では、現在帝都はいったいどういう状況にあるか説明せよ」

「クーデターを起こした開明派勢力を拘束し、現在は戒厳体制を敷いており――」

「馬鹿者! 儂が真の叛逆者を見抜けぬと思うか。何の実もない嘘偽りを申すなッ!」

 

 内心で“お飾りの置物元帥”と見下していたノイラートにとって、自分の発言を遮っての叱責とその内容の鋭さに一瞬自失してしまうほどひどく動揺した。他の者達も大同小異であったが、目の前の元帥が自分達の翻意を見抜いていると悟ると彼らの瞳の光が剣呑なものへと変わっていった。司令部内の冷たい不気味な沈黙の中、一切の感情をうつさぬ真顔でレオが口を開いた。

 

「予備軍総監閣下は現状をよく理解しておられるようですが……どこからの情報で?」

「元部下が情報を持ってきてくれおった。つまり卿らは機密保持を怠っておったというわけだ」

 

 クラーゼンの言っていることは嘘ではない。というのも、トリューニヒトがケスラー救出程度では自身の猟官運動を達成させるのは困難ではないかと思ったので、退役させられた元憲兵グループを通じてクーデターの詳細情報をクラーゼンに流したのである。ちなみにクラーゼンを選んだ理由は、たんに現在の帝都で一番階級が高い軍人だったからという実にシンプルな理由である。

 

「栄えある近衛がクーデターを起こすなど、今は“暗赤色の六年間”ではないのだぞ」

 

 暗赤色の六年間とは、ゴールデンバウム朝がもっとも深く腐敗と退嬰と陰謀に沈み、自重によって崩壊しようとしていた最悪の時代のことである。当時、近衛師団も組織ぐるみで陰謀に加担する信頼ならぬ存在であり、北苑竜騎兵旅団と西苑歩兵旅団が宮廷内に設置されて、近衛部隊の役割を分担させて互いに監視させねばならないほどの状態であったという。

 

 近衛をあてこする発言に、レオはほぼ無意識に腰に下げている軍用サーベル――近衛将校は儀礼的要素が濃いために帯剣装備が義務付けられている。他にも近衛将校は馬術や軍楽など実戦に不要な技術の習得などが義務付けられていた――の柄に手をあてた。それはクラーゼンの何気ない態度から、ほぼ直感的に彼が敵側に属していると察したからかもしれなかった。

 

 殺伐とした空気が司令部内を包んだが、クラーゼンは一切態度を変えなかった。それが鈍感さゆえのものであるのか度胸ゆえのものであるのか判断しかね、レオはむしゃくしゃとした苛立ちを隠せなかった。

 

「……それがどうしたので? 近衛の誉れは皇帝陛下の大御心に忠実たること。金髪の孺子にではありません」

「今の皇帝陛下はその金髪の孺子だ愚か者がッ!」

「―――ッ!!?」

「モルト大尉! 卿は控えていろッ!」

 

 その罵倒にレオは我を忘れて激昂し、殺意もあらわに軍用サーベルはなかばまで引き抜いたが、見とがめたノイラートが鋭い怒声をあげて制した。上官であり士官学校で良くしてくれた先輩からの叱責の声に冷静さを取り戻したレオは激情を押し殺すと、ゆっくりと軍用サーベルを鞘に戻し、部屋の隅に控えた。

 

「失礼しました。大尉は、その、父親の件がありまして……気が立ったのでありましょう」

「……なるほど、大尉の父はヴァイトリング中将の前任であったか」

 

 モルトという家名から大尉の父親が誰であるのかを察し、微かに同情する視線を向けたが、クラーゼンはすぐにノイラートに向き直った。哀れまれたとレオは受け取り、屈辱を感じて苛立ったが、必死でその感情が表に出ぬように押し殺した。

 

「それで元帥閣下は……われわれを止めに来たというわけですか」

「当然だ。卿らの行いは卑劣であるし、なにより勝算があるとは思えんからな」

 

 クラーゼンは挑みかかるようにそう凄んだが、その言葉を投げつけられたノイラートは表面上はなんら変化をみせなかった。

 

「……卑劣、ですか。なるほどたしかにその指摘は正しいかもしれません。ですが、しょせんはそれだけのこと。貴族から特権を奪うだけであるならばまだしも、貴族への報復的テロリストの跋扈を赦し、貴族にたいして攻撃的世論を醸成し、貴族から職を奪って飢餓地獄におとし、貴族を絶滅させんと企図する現王朝の卑劣さと大して変わるところがありません。ゆえにわれわれの行動に何も恥じ入るべき点はないと考えます」

「なにを馬鹿なことを! 貴族に対して民草に根付いた偏見が、意図されてのことと思うてか?!」

「金髪の孺子が意図した意図していないは最早問題ではないのです! 何の咎もない貴族が報復的テロの犠牲となり、それを一部の民衆が賞賛している。にもかかわらず現王朝は“言論の自由”なるものを尊重し、言論統制を敷こうともせずそうした犯罪的言論の拡大を許容する。これでどうして金髪の孺子を信じることができましょうか。そうした言論の拡大を放っておけばいずれ手遅れになる。われわれ貴族が自己の生命を守るためには、現王朝を取り除くより他にはないのです!」

 

 独裁体制下において、為政者や政府にとって好ましくない言論は統制されるのは歴史の常である。すくなくとも、ゴールデンバウム王朝の時代においてはそうだった。新聞や立体TVなどの報道機関から流れる情報は現体制の望む内容でなければならない筈であるし、それに反する言論は治安機関によって統制されてなければおかしいのである。

 

 そうした価値観に立脚して今の帝国社会を分析してしまうと、新聞や立体TVで反貴族の主張をするばかりか、報復的テロを“赦されないことだが感情的には理解できる”などと報じているのは帝国政府に貴族階級への確固たる敵意があるのだとごく自然に邪推してしまうのである。言論の自由という概念自体に対する理解が乏しい帝国人が多いため、ローエングラム王朝の世においてもなんとか職を得ている貴族達もそうした報道によって常にいらぬ不安を感じてきたのであった。

 

「……それに元帥閣下、クラーゼン家も長い歴史と伝統を持つ名門貴族家でしょう。現王朝が世論に迎合して積極的に貴族狩りを始めた時、居場所がなくなるという点において、われわれと同じ立ち位置におられるはず。でしたらいっそ、われわれの側につくことを考えてはくださいませんか」

 

 意外な申し出にクラーゼンは目を丸くした。

 

「この状況で儂を取り込もうとは何を考えておる?」

「いえ、先ほど閣下は私たちを止めに来たのは、なによりも勝算があるように思えないからとおっしゃられた。それはつまり、勝算があるとみればこちら側についてくれるという意味かと考えた次第です」

 

 老元帥は表面上になんら感情をみせなかったが、沈黙をたもったまま話を聞く姿勢をとったので、これは脈があるかと近衛司令部の将校らは内心感じた。ノイラートは滔々と帝都制圧後にどう動くつもりなのかを説明した。

 

 帝都制圧後、第三六代皇帝フリードリヒ四世の孫であり、亡きブラウンシュヴァイク公の遺児である、エリザベート皇女殿下を帝都に迎え入れ、女帝エリザベートの即位とゴールデンバウム王朝の復活を全宇宙に向けて宣言する。既に辺境警備部隊の指揮官を取り込んでいるので、これに呼応してゴールデンバウム王朝復活を支持する手はずは整っている。また、そうでなくてもその状況を見てこちらにつくことを選択してくれる者も少なからず出るだろうし、最低限の戦力確保は可能とみている。

 

 またゴールデンバウム王朝の復活宣言をすると同時に、自由惑星同盟と協力関係を構築する。これに関しては銀河帝国正統政府の後継政権であることを自称し、正統政府首相ヨッフェン・フォン・レムシャイド伯爵と同盟政府最高評議会議長ヨブ・トリューニヒトが署名した所謂“ハイネセン平和協力協定”の精神を継承することもあわせて発表してしまえばよいのだとノイラートは考えている。これは帝国が同盟との間に対等な外交関係を成立させ、相互不可侵条約及び通商条約を締結し、帝国内部においては憲法の制定と議会の開設して民主化を行うことを定めたものである。

 

 もとよりノイラート達がクーデターを起こした理由は謂れのない差別に苦しむ貴族階級の救済であって、ゴールデンバウム王朝の復活はあくまで手段に過ぎないという認識である。で、ある以上、かつてのゴールデンバウム王朝における伝統的社会体制まで復活させてやらねばならない義理はどこにもないのである。なにより帝国本土を掌握できても、ラインハルトが健全な状態のままの遠征軍を率いて戻ってくればそれで終わってしまうため、遠征軍に多大な損害を与えるためにも同盟の好意的協力をなんとしても引き出したいという切実な理由がある。

 

 同盟と手を組むためとはいえ、帝国の民主化を容認することはできないという強い反発がゴールデンバウム王朝の復興こそが目的である貴族連合残党側からでているが、ノイラートはなんとしてもこの方針を押し通すつもりである。もしこのクーデターが成功し、ゴールデンバウム王朝が復活すれば、ジーベックの貴族連合残党派と自分達近衛派が国を動かしていく中心となるだろう。女帝は当然ずっと自分に従ってきている残党派に信頼を寄せるだろうが、数の上では自分たちの近衛派のほうが圧倒的におおいのだ。ジーベックも優秀な男である以上、誕生間もない新政権を混乱させては成功の目がないことを承知しているだろうから、専制国家といえども数の論理が通用するはずであった。

 

 それに残党派を説得できる材料も十二分にある。あの協定を結んだ時と違い、現在の帝国と同盟の力関係は大きく変わっていることだし、復活したゴールデンバウム王朝は()()()()()()()()()()のであって、()()()()()()()()()()()()。それなら大昔の民主集中原則なり一党独裁論なりを持ちだして特権階級の存在を民主主義の名において肯定することも可能であるし、憲法に超越する権威として皇帝という地位を維持することも不可能ではない。貴族特権も名と形を変えることにはなろうが復活させることだって、理屈の上では可能だろう。

 

「これに加え、われわれが帝国正統政府の後継者たることを自称するため、カザリン・ケートヘンは簒奪者ラインハルトが権力を握るために強引に帝位に就けたゴールデンバウム王朝の偽帝であるという立場をとります。そうである以上、当然のことながら、カザリン・ケートヘンの名の下に行われたフェザーンの自治権剥奪も無効であるから、復活したゴールデンバウム王朝はフェザーンの自治権をこれまで通り尊重するので、フェザーン人民に対し、不当な統治者を追放して自治権を取り戻せと扇動放送を行います。フェザーンにはあの切れ者のオーベルシュタインがおりますが、帝国がフェザーンを併呑してほんの一年程度しかたっていないのだから、フェザーンの反帝国感情を慰撫している時間的余裕はあまりなかったわけですし、一度火がついてしまえば大変なことになるでしょう。前方には同盟軍、根拠地ではフェザーンの暴動、そして本国ではゴールデンバウム王朝が復活したとなれば、遠征軍は補給を絶たれた上に孤立して動揺し、少なからぬ損害は避けられない。そうなれば、いかに戦争の天才を相手にするといえども、勝算は充分にあると考える次第でありますが……」

 

 つまりゴールデンバウム王朝を復興させんと目論むクーデター派は、この特殊な情勢を最大限活用し、自分達をジョーカーとして、全宇宙の勢力を反ローエングラムに統一させ、銀河情勢に劇的な変化を起こそうというたいそれたことを考えているのだった。もちろんメックリンガー統帥本部次長などを中心に、帝国に居残っているラインハルトに忠誠を誓う勢力が対抗してくるだろうが、これに対しては今のところ、実力で地道に対処していくより他なしという大雑把なことになっているのだが、ノイラートはそのことについては言わなかった。

 

 クラーゼンはクーデター派の戦略構想を聞いてなお、何の反応も見せなかった。これはもう一押し必要かと思い、ノイラートは新体制における要職を約束してみようと思った。いままで大して重要視したこともなかったが、仮にも元帥であるし、皮算用だが取り込んでおけば今後の貴族連合残党派との政争において、なにかと役に立つかと思ったのである。

 

「もちろん容易に実現できる戦略構想ではないと私も思います。協力してくれる人材も、まだ少ないわけですから。軍務尚書をだれにするか、ということすらまだ決まっていないのですよ。そういう点から考えるならば、たしかに元帥閣下が勝算が薄い、と見たのも間違いとは言い切れないのが悔しいところです」

「ひとつ問いたい。現在、同盟領に遠征に赴いている数千万の将兵及びその家族たちへの対応はどう考えておるのだ。彼らの存在は決して無視できぬ不安要素となるだろう」

 

 はじめて前向きな反応をお飾りと見られてきた元帥は示し、疑問を投げた。

 

「逆に利用できると考えます。全宇宙に向けて“故郷に帰りたいなら帝国と協力関係にある同盟に降伏せよ”と放送すればいい。同盟に多大な借りをつくってしまうことになりますが、金髪の孺子率いる遠征軍が規律と秩序をたもったまま本国に戻ってきてしまうとわれわれの負けは確定するので、その可能性を確実に回避できるとなれば、やむを得ぬ仕儀であると考えます」

「……」

 

 クラーゼンはちょっと考えるようなまなざしを上に向けたが、すぐに意を決したように告げた。

 

「儂は常に正しい側に身を置くと決めている。そして帝都に黄金獅子(ゴールデン・ルーヴェ)の旗が翻っている内は、正しい側はローエングラム王朝の側だ。そうである以上、儂としては卿らに愚かなことはやめて早々に撤兵せよという他にないな。日没までには必ず兵を退くのだ。良いな」

 

 貴族らしい示唆に富んだ言葉にノイラートが重々しく頷くと、クラーゼンは身を翻して司令部から去っていった。するとおとなしく隅に控えていたレオが全身から怒気を漲らせたノイラートに食って掛かった。

 

「あんな階級だけ無駄に高い案山子(かかし)を味方につける必要があるのか」

「紛いなりにも元帥なんだ。軍の階級で物事の是非を考える軍人というのは少なからずいるものだから、味方につけられるならつけておくにこしたことはないだろう」

「だが、軍務尚書の地位まで約束してまで味方にする必要があるのか?!」

 

 そう叫んでレオは司令部内の将校を見渡した。将校らはすこしの間をおいて自分の意見を述べ始めた。

 

「そうはいってもだな。半ば名誉職の幕僚総監や予備軍総監より良い地位で、なおかつ現役元帥が就いていてもおかしくないところとなると三長官職くらいしかなかろう。まあ、量産帝の御代のように現役元帥が何十人といるようなのであれば、辺境軍管区の司令官にできるかもしれんが」

「実戦指揮を執る司令長官職は論外だが、後方勤務の軍務尚書や統帥本部総長なら問題ないだろう。軍務尚書であれば次官に、統帥本部総長であれば次長に、全権を集中させてしまえばトップが無能であっても問題ないだろう。実際、そういう前例も幾度かあったはずであるし」

「参謀長の仰る通り、知名度が低いとはいえ、元帥がこちらの味方についているという印象は大きい。取り込んでおいて益にならないことはあっても損になるということは、まずないとみて良いと思う」

「もとより出世競争に敗れてよりは身の程を弁えて十数年間も幕僚総監の地位に安住していた男だ。軍務尚書になったからといって、強権を振るった運営をするとも思えぬ。それに既にしてけっこうな御歳なのだから、あまりに無能だったり、邪魔なことを仕出かすようなのであれば、年齢を理由にして早々に予備役編入してしまえばよい」

 

 総じて薬になることはあっても毒になることはないという肯定的な意見ばかりであった。しかしそれでもレオは納得できていないようで憤懣やるかたないようであり、可愛い後輩を見かねてノイラートは少し気分転換をさせてやらねばなるまいと気をきかした命令をだした。

 

「どうやら戦意がありあまってるようだから、旧軍務省への援軍はおまえのとこの第七中隊に任せよう」

 

 参謀長の発言に、だれにどの程度の兵力を率いて援軍に行かせるか少し前に激しく議論していた将校たちは目を剥いたが、予期せぬクラーゼンの訪問で議論に使える時間を浪費してしまったし、そう悪い判断でもないように思えたので、独断で決められたことに不快感を抱いても、反論しようとするものはいなかった。

 

 レオは素早く自分の中隊に出動を命令して、旧軍務省に籠城しているレルヒェンフェルト近衛中尉を救援すべく行動を開始したが、宮殿の敷地内から出て行こうとした時に、玄関先で警備の近衛兵らと揉めに揉めている将校たちが目についた。無視しようと思ったが、乱闘沙汰の様相を呈していたので、そちらを先に対処しに行くことにした。

 

「いったい何の騒ぎかッ」

 

 レオが一喝すると近衛兵たちはいっせいに姿勢を正した。結果の出ない押問答から解放された二人の将校の内、片方は安堵の表情を浮かべたが、もう片方の第二区警備連隊長のブロンナー大佐は押問答をしていた熱気の冷めぬまま矛先を場を支配する近衛大尉へと向けた。

 

「近衛司令官に確認したいことがある。なので至急ヴァイトリング中将と面会したいので取り次いでくれ」

「近衛司令部への報告は混乱を避けるために首都防衛軍司令部直轄旅団司令部に限定されていたはず。そして卿は旅団司令部の参謀紀章をつけておらぬ以上、お取り次ぎするわけにはいきません」

「それは承知している。だが、旅団司令部に民政省の業務掌握が難航しているから、業務内容に詳しい人材を派遣してほしいと数時間前から要請しているのになんら返答が来ぬ。近衛司令部まで要請が届いているとはとても思わぬから、司令官に直接会って要請したいのだ」

 

 これにはレオも無視するわけにはいかなかった。民政省の業務掌握がうまくいっていないようなのであれば、クーデターを成功するために適切な便宜をはからなくてはならなかった。しかしレオには取り次いでいる時間がなかった。

 

「そこの少尉!」

「はっ」

「大佐殿の要望を近衛司令部に取り次いでやってくれ」

 

 近衛少尉にそれだけ告げてレオは中隊を率いて旧軍務省へむかった。残されたブロンナーは自分の所属と要望を丁寧に近衛少尉に語って司令官のヴァイトリング中将と面会したいのだと告げたのだが、面会できたのは近衛参謀長のノイラート大佐のみであった。

 

 司令官と直接面会できないことについて参謀長は、常なら管轄が別である首都防衛軍も指揮しなくてはならない多忙な状況であるからと説明したが、それでも直接返事だけ貰うだけなら構わないだろうとブロンナーは頑なだった。しかし拘禁中のヴァイトリング中将に会わせ、これが近衛司令部によるクーデターであるとあきらかにしてしまうわけにもいかなかったのでノイラートは司令官も慣れない仕事をしているのでストレスを溜めているのだから、今やっている仕事に集中させてやってくれとごまかした。

 

 最終的にノイラートは民政部門に詳しい人材を三〇分以内に絶対派遣すると確約することでブロンナーを折れさせた。近衛参謀長と第二区警備連隊長の面会はほんの一〇分ほどであったが、自分が隠してくれる物事が相手に看破されないよう互いに必死であったために、体感的にはとても長い時間であったように思え、なんとか隠し通すことに成功したと二人の大佐は別れてからしばらくしてホッとため息をこぼした。

 

 しかし片方は隠し通すことに失敗しており、相手側に看破されてしまっていたのである。




なお、仮にノイラートの構想通りに成功してしまった場合、同盟と帝国との協力協定に調印したミスター・トリューニヒト氏は建前の上では大貢献者になってしまうので、内実を考慮しなければ傷ひとつない完璧な経歴書を掲げて政界に復帰できてしまう模様。


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醜悪なる防衛

今話はかなり残酷というか、酷い描写があります。ご注意ください。


 ワーレン上級大将をはじめとする包囲部隊の頭脳たちは、青空の下に置かれた武骨な簡易卓を囲んで旧軍務省をどのようにして攻略するか頭を悩ましていた。いや、旧軍務省の制圧自体は容易である。クーデター派が首都防衛軍を信頼しておらず、肝心要の部分に関しては近衛部隊と貴族連合残党組織の人員を活用しているのは内国安全保障局からの情報と自分を暗殺しに来たのが残党組織の工作員であったこと、いくらかの首都防衛軍部隊を比較的簡単に切り崩せたなどの事実からあきらかであるようにワーレンには思えたし、くわえて首都防衛軍を利用し続ける上でケスラーの死がクーデター派にとってはどうしても必要であることからそちらに人員を大きく割かなくてはならいことから推測するに、旧軍務省にたてこもっているクーデター派が今自分が率いている軍人と治安員の混成部隊の数を上回っているとは考えにくかった。

 

 くわえて旧軍務省に幾度となく出入りした経験があるし、内部の構図は十二分以上に把握している。普通に考えれば旧軍務省程度十数分程度で奪回できるだろう。だが、クーデター派が捕らえている数百名の人質を巻き添えにしてしまうことは確実である。しかもクーデター派は旧軍務省に勤務していた者達だけでは人質役には不十分であると考えたのか、たまたま近くにいたただの民間人も数十人ほど拘束して人質とする卑劣さを発揮していたのだ。これがワーレンたちに激しく苦悩させることになったのである。

 

 極端なことをいってしまえば、人質が旧軍務省で職務を行っていた者達だけであるのなら、“軍務に就く以上、死ぬ可能性もあることも承知していただろう”と人質を無視して制圧しにいくという策もとれたのだ。無論、新王朝は言論の自由を擁護しているので批判は免れないだろうから、容易にとるべき策ではない。しかしそれでも軍務に就く際に死を覚悟する誓約書に署名しているはずなのだから帝国の法的には何ら問題はないのだ。

 

 だが、民間人を人質にとっているとなるとそうした策を正当化するのは非常に問題がある。しかしかといって一人、二人ならまだしも、何百人もの人質を全員、クーデター派の脅威から守りつつ救出する妙案など容易に思いつけるものではなかった。

 

 かといってクーデター派に自ら人質を解放させるのは不可能だ。こちらがクーデター派を満足させるような譲歩などできるわけがないし、内部の離反を狙って人質をとるなど卑劣な行為であるとメガホンで糾弾させてみても、むこうはなんら動揺しているようにみえず、挙句の果てに「至尊の座を汚して伝統を破壊する薄汚い孺子の行為こそ卑劣というべきである」と言い返してくる始末である。そうである以上、可能性は皆無であるように思われた。

 

「ワーレン閣下、もはやこれ以上ためらっている時間はないかと思われます。ここは不本意でも強硬策を採らざるを得ないのでは」

 

 クラウゼはなにかふっきれたような調子で、ワーレンに提言した。その発言に簡易卓を囲んでいた主要人物たちの間に緊張が走った。

 

「なにを言っているのかわかって言っているのだろうな」

 

 そう言い返したのはハウフ少佐である。少佐は病院でのオットーらとの銃撃戦で右肩を撃ち抜かれており、ワーレンから休むように促されたのだが、「閣下は緊急時だからと左腕がないのに軍務に励んでいるというのに、副官が右肩を負傷している程度で休めるわけがないでしょう」と応急処置だけして、上官の補佐にあたっていた。

 

「もちろん、わかっている。だが、もはや最善の結果をどうしても得られそうにない以上、それを前提にしなくてはならんだろう」

「本官も保安少将閣下の意見に同意します」

「ッ!」

 

 警官たちを統率しているジュトレッケンバッハ警部補も同意したのを見て、ハウフ少佐は怒りの感情を瞳の奥に走らせた。それにたいしてクラウゼをはじめとする内務省系の者達は怪訝な表情を浮かべた。

 

「いったいどうしたんですか。そりゃあ、不本意なのはわかりますけど、仕方ないじゃあないですか」

「そんなことはわかっている!」

「?」

 

 空気を読まず、いっそお気楽な口調でそう言ってきたカウフマンにハウフ少佐はそう言い返した。それに対してクラウゼは心底不思議そうに首を傾げるばかりだった。

 

 別にハウフ少佐も彼らの言を否定したいわけではない。もはや多少の人質を犠牲にすることを許容せざるを得ないのはわかっている。これ以上手をこまねいていては状況の悪化がより深まり、最悪ローエングラム王朝の土台を揺るがしかねない事態に発展しかねない。

 

 もしそうなれば、中央集権国家として統一され、黄金獅子(ゴールデン・ルーヴェ)の旗の下に築かれた公正・公平な秩序は大いに揺らぎ、再びオリオン腕に大きな戦乱を呼ぶこととなろう。それを思えば、人質の安全確保は遺憾ながらも最優先目標にすべきではない。

 

 だが、それでもそれは苦悩の果てに下すべき究極の選択であらねばならないはずだった。にもかかわらず、クラウゼら治安屋の言い口はあまりに軽すぎて反感を覚えたのである。あまりに人命を軽視する姿勢が透けて見えすぎており、これではゴールデンバウム王朝の世となにも変わらぬではないか。

 

 それも当然といえば当然で、警察の意識改革は憲兵隊への対立意識と内務尚書オスマイヤーの擁護によって停滞気味であったし、内国安全保障局にいたっては民衆弾圧で悪名高い社会秩序維持局の人員が多数流入していたので、清廉な人材であっても国内の叛逆者を弾圧するにあたっては人道面などまったく考慮していない仕事に従事していた感覚が抜けきっていない者が多数派であるのだから。

 

「そういう言葉は、本当のことであっても言うべきことではないぞ」

「え? あ、はい。申し訳ありません」

 

 しかしながらそうした感覚の持ち主であっても、ローエングラム王朝の世における時代的要求を考えると、公言して良い類のものでもないことくらいは公職にあるだけあって察している者が多く、露骨な発言を弁える程度の保身術くらいは弁えているため、クラウゼは部下のカウフマンの発言を窘めた。極少数派であるカウフマンにはあまりそれがわかっておらず、釈然としない風であったが一応の形式的謝罪を行った。

 

「……強硬策を採るとしても、可能な限り人質を救出しなければなりますまい。その方法について考えるべきだ」

 

 職業柄、警察や内国安全保障局の体質をよく理解しているラフト憲兵少将は、いまだに体中から反感を滲ませているハウフ少佐を無視して議論を進めようとした。そうした意図をクラウゼも察して建設的な意見を述べようとした。

 

「そうですな。旧軍務省で働いていた者達の数から考えると、わかりやすく見せしめにロビーに整列させている十数名が奴らの人質のすべてというわけでもないだろう。旧軍務省内にも何十人か人質を確保しているものと考えられる」

「旧軍務省内の構造について本官をはじめ、警察の者達はあまり詳しくはない。同じ内務省の内国安全保障局の者達についても同様のことと思う。それでラフト閣下に聞きたいのだが、もし卿がクーデター派の指揮官だとしたら、どのあたりに人質を閉じ込めておくのが妥当だと考える?」

「純粋に相手に渡さないことにのみ重点を置くならば旧軍務省の最下層に軟禁するが、クーデター派の場合は状況において人質をわれわれに対して見せしめなければならないわけだから、私なら人質を移動させやすさを考慮して地上部分か地下一階に集めておくのが合理的だと考えるだろう」

 

 旧軍務省に限ったことではないが、帝都オーディンにおいて高層建築物は存在しない。臣民が高い位置から皇帝陛下の居城である新無憂宮(ノイエ・サンスーシ)を見下ろすなど許しがたい不敬であるとゴールデンバウム王朝の法によって定められていたからであり、帝国官庁の大部分は地下にあるのだ。地上部分にあるのは、その施設の長とその補佐役が職務を遂行する部屋や地上部分になくてはならない理由がある部屋のみであるのが一般的である。

 

 そういったことは帝国人にとっては当然のことであり違和感を感じることではないのだが、フェザーン勤務やハイネセン勤務になった帝国軍人が、普通に自治領主府や最高評議会ビルを見下ろせる高さの高層建築物が存在するのを見て、ちょっとしたカルチャーショックを受ける事例がある。昨年ラグナロック作戦に参加した時にフェザーンに降り立ったワーレンもそのことにちょっした衝撃を受けた一人である。だが当然、こんな事態にあってそんな呑気なことを考えてなどいない。

 

「地下一階であろうとも地下部分に人質を置いているというのも考えにくいな」

「なぜでしょうか。地下であれば窓などありませんので、人質の逃走を防ぐ上で良いかと思われますが」

「そうだが、それは相手を部外者であると想定すればの話だ。われわれが旧軍務省の構造を熟知していることをクーデター派も承知していることだろう。つまりわれわれが速やかに地下に通じる階段を抑えてしまえば、地上部と地下部が寸断されてしまうことくらい理解しているはずだ。やつらが決死の覚悟で背水の陣を敷いているというならともかく、逃走も視野にいれているなら地上部に必要なものを集めておきたいはずだ」

「これまでの行動からクーデター派が人質を可能なかぎり武器として利用しようとしていることは疑いありません。連中が旧軍務省を首都防衛軍でなく近衛と貴族連合残党を用いて制圧したことに加え、ワーレン上級大将のご指摘も含めて推測しますと……」

 

 クラウゼは一度言葉を切って、周りを見渡し、おそらく自分と同じ結論に達していることを悟った。

 

「地上部の放送関係の部屋かその近く、でしょうな」

 

 全員が頷き、それを前提に作戦を練っていった。実際、ワーレンたちの推測通り、クーデター派旧軍務省の放送部施設の一室に二百人前後の人質を閉じ込めていた。突入と同時に速やかに放送部施設を奪回すれば、最低限の犠牲で人質を確保することも可能であると判断したのも当然であろう。

 

 しかしワーレンたちは誰一人知らなかった。旧軍務省のクーデター派の指揮官が、かつてラナビア矯正区で暴虐の限りを尽くした貴族将校であることを。もしそうであると知っていたならば、彼の凶悪性を考慮して今少し慎重な方策を考えたかもしれない。

 

 外の包囲部隊の様子がにわかに騒がしくなってきたことから、周囲を警戒していたレルヒェンフェルト近衛中尉はついに人質を無視して突撃してくるであろうことを看破し、危機感をもってそのことをゲルトルート・フォン・レーデル少佐に報告した。だが、レーデルは冷たく冷笑すると発言した。

 

「いまさら遅すぎるわ。既に処置は済んでいる。盾だけではなく矛としても利用してやろう」

 

 その言葉に非常に不穏なものをレルヒェンフェルトは覚えた。

 

「いったいなにをなさるつもりですか」

「いやなに。外の馬鹿どもの増上慢を木っ端微塵に粉砕してやろうかと思ってな」

 

 それからレーデルはなにをしようとしているのか説明をはじめると、聞いていくうちにレルヒェンフェルトは胸の内に怒りと羞恥の感情が沸き起こり、顔を真っ赤にして怒鳴った。

 

「正気なのかッ!?」

 

 中尉が少佐にする発言としては不適当なことこの上なかった。

 

「高潔さの欠片もない卑劣にして醜悪な手法だ。帝国貴族の矜持をどこに置き忘れたか。いや、もとより卿は矯正区で思想犯を酷使してリッテンハイム候に媚を売り、爵位を得ただけの成り上がり者であったな。卿にとっては貴族の矜持も名誉も持ち合わせていないのも当然か」

「綺麗事をほざくな。名誉だと? 貴族にとって権力を握っていないことほど屈辱的で矜持を傷つけられることはない。卑劣、醜悪、おおいにけっこう。権力を掌中に収められない不名誉に比べれば、なにほどのことがあろうか。第一、死ぬのは帝室の恩顧を忘れて金髪の孺子に(おもね)った賤民どもだ。そんなやつらがいくら死んだところでいったい何を思い煩う必要があるというのだ」

 

 辛辣な罵倒に対し、レーデルは呆れた口調で言い返し、レルヒェンフェルトを絶句させた。たしかにゴールデンバウム王朝の貴族が平民の生命を軽視するのは珍しくないことであるが、いくらなんでもこれは限度が超えているように思われたのである。

 

 そうしたレーデルの思想は、彼の出身に起因しているところが大きい。彼の生家であるレーデル家は今でこそ一山いくらの帝国騎士家に過ぎないが、ほんの数十年前に帝位継承に関わるごたごたで地位を失うまでは爵付きの名門貴族家として相応の権勢を誇っていたのである。そして先代の当主は爵位を失っても大貴族家として誇りを持ち続け、息子のゲルトルートにそれを叩き込んだ。

 

 そのため、レーデルは何の関係もない人間を自分の目的のために巻き込むことに躊躇いがない。ルドルフ大帝に曰く、弱肉強食、適者生存、優勝劣敗は宇宙の摂理であり、人類社会もまたその摂理によって支配される。したがって、特権階級である貴族というのは、人類の強者であり、あらゆる環境への適応者であり、叡智に優れたる者なのだ。

 

 そしてそうした存在であらんとレーデルはしているのである。ゴールデンバウム王朝末期の大貴族は、想像力の欠如や平民への軽視からしばしば惨い所業を成してきたが、それは己の所業の邪悪さに無自覚であるがゆえという一面があった。しかしレーデルにはそんなことはなく、自覚した上でどれほど醜悪で残虐な行為を行っても、目的が手段を正当化すると信じてやまないのである。手段を選ばなかったからこそ、自分の能力が上に評価され、男爵位を賜ってレーデル家はふたたび貴族としての立場を確保できたのだ。そのことが彼の信念を強固なものとしていた。

 

 レーデルの立案による悍ましい作戦は、すぐさま実行に移された。突如、クーデター派が三〇人ほどの人質を解放し、旧軍務省の表玄関から走って出てきたのである。突入部隊の指揮をワーレンから任されていたラフトは、どういう事態が発生したのかわからなかったが、ひとまずは逃げ出してきた人質を確保しようと命じてから違和感に気づいた。

 

(……濡れている?)

 

 全力でこちらに走ってくる人質たちは、奇妙なことに着ている服が完全に変色するほどずぶ濡れであった。それも一人二人ではなく、全員がそうなのである。まるで大雨が降っている時に傘もささずに出歩いたかのようにびしょ濡れだ。さすがに不審に感じ、なにかの罠かと人質たちの顔を伺ったが、彼らの一様に恐怖の表情を浮かべており、少なくともこちらが騙そうとしているようには感じられない……。

 

 そこまでラフトが思考を進めた時、一人の人質の全身が突然燃え上がった

 

「は……?」

 

 あまりにもわけのわからない光景にラフトだけではなく、帝国軍兵士たちが茫然自失した。火だるまになっている人質が、全身から伝わってくる高音から逃れようとのたうち回っているうちに、他の人質に触れ、その人間も瞬時に火だるまと化した。まだ燃え移っていない者は自分がああなる前に帝国軍に助けてもらおうと、最寄りの兵士にすがりついた。

 

「た、助けてください! このままだと死ぬ! 死んでしまう!!」

「落ち着け! なぜいきなりあの者たちは燃えだしたのだ? 説明を――」

 

 しかし兵士は言葉を遮らざるを得なかった。旧軍務省の方向から青白い条光が煌めいたかと思うと、すがりついていた人質が瞬時爆発してに燃えあがり、兵士もその巻き添えくらって火だるまと化してしまったからである。

 

「な、なんだ!? いったいどうなっているというんだ!!?」

 

 ラフト少将は自分の心の底から湧き上がってくる恐怖を抑えるように、大声で叫んだ。彼は純粋な憲兵ではなく、ケスラーの憲兵隊改革による人事刷新で実戦指揮官から憲兵隊に移籍した経歴の持ち主で、幾度となく白兵戦を経験して死線をくぐり抜けてきた猛者であったが、今感じているものは戦場に立った時に感じる恐怖とは質がことなり過ぎた。なにか悍ましいことが起きていると軍人ではなく、ただの人間としての直感が告げていた。

 

 旧軍務省正面口付近に配置されていた武装憲兵部隊は恐慌状態に陥った。彼らはケスラーによる憲兵隊改革に伴って憲兵に移籍した者たちであり、かつて幾度も死線を超えてきた猛者たちであったが、突如として人質が炎上し、火だるまとなって暴れまわって燃えた水沫を撒き散らし、それでさらに犠牲が増えるような異常な状況にあっては、兵士たちの動揺を抑えることができなかったのである。

 

「なにをやっているのだ、ラフト少将は」

 

 しかしその異様な状況は、少し離れた場所から眺めているワーレンたちの目には、クーデターは火を用いた攻撃をしてきて武装憲兵隊の統率が乱れているようにしかみえず、ワーレンは歯噛みしながら拳を簡易机に叩きつけた。たしかに火計を用いていてくるとは想定していなかったが、だからといって動揺しすぎである。もっと冷静に対処しないかと検討違いの怒りをたぎらせた。

 

 だがその勘違いはすぐに訂正された。部隊全体の統率を保つことには失敗したが、ラフトが素早く直属の小部隊をまとめあげて状況を分析し、その結果を報告すべく伝令を走らせたからである。伝令は異様な興奮を抑えて可能な限り冷静に報告しようと努めて平静な声を出そうとしたが、震え声にしか聞こえなかった。だが、報告自体は明瞭であり、ワーレンたちを驚かせた。

 

「……クーデター派がポリマーリンゲル液を人質の全身に塗りつけて解放し、ビーム・ライフルで狙撃して火だるまにして攻撃してきているだと?」

 

 何かの間違いであってくれとワーレンが繰り返し確認したが、伝令は深々と頷いて間違いではないと答えた。簡易机を囲むほぼ全員が信じられずに唖然とした表情を浮かべた。

 

「失礼、ポリマーリンゲル液とは、なんです?」

 

 そもそもポリマーリンゲル液のことを知らなかった警察高官が問いかけると、いつもとなにも変わらない飄々とした調子でカウフマンが解説した。ポリマーリンゲル液は軍事利用されている引火性が極めて強い特殊な液体である。どれくらい引火性が高いかというとブラスターの光条によって発生する一瞬の超高温に反応して燃えあがるほどである。しかも燃料としての効率が抜群に良い。

 

 そのくせ、どういうわけか発火性と揮発性が皆無であるため、爆発する可能性もほぼない。おまけに煙がたちにくい性質も有しているため、ポリマーリンゲル液を燃料とした火なら、敵中で火をつけても比較的敵軍に発見される可能性が低いという理由で野戦部隊に簡易発火装置の燃料として供給される引火性液体なのである。

 

 ただあまりにも高性能であるがゆえの危険性もあり、あまりにも燃料としてのスペックが高すぎるため、燃えあがるための酸素が尽きるか水で洗い流すかしなければまず消えることがない。そのため、一度ポリマーリンゲル液が体に付着して燃えあがろうものなら、地獄を見ることになる。しかも液体としての性質は燃えている時も健在なので、暴れればポリマーリンゲル液が燃えている状態で水沫として飛んでくるのだ。

 

 ……そうした危険性が、地上戦においては火計の際に用いられる時には利点になりうるので、そのあたりはゼッフル粒子同様に使用者の注意力に完全に任せる形式になっているだが。

 

「それでクーデター派はそれを人質の体中に染み込ませているわけで、要は人間爆弾として利用しているって意味だな」

「……もういい。カウフマン。ちょっと黙っていろ」

 

 たまりかねたようにクラウゼがカウフマンを黙らせた。彼もかつては社会秩序維持局の職員として陰惨な事業に従事した身の上だったが、それでも人間を物理的に爆弾として利用するという非人道の極みのような発想をするような輩と比べれば、はるかに健全な精神を持っていると思っており、嫌悪感を禁じ得なかった。

 

「ワーレン閣下、この情報を旧軍務省の裏手を包囲しているジュトレッケンバッハ警部補にも伝えましょう。すでにラフト憲兵少将が伝令を出して伝えているかもしれませんが、万全を期してこちらからも一報いれておいたほうがよいかと」

 

 ワーレンは即答しなかった。自分がやろうと考えていることが、胸のうちに沸き起こる感情に起因する衝動的なものなのか、理性的な思考の産物であるのか判断するのにいっぱいで返答する余裕がなかった。だが、それも数秒で終わり、ワーレンは決断した。

 

「……わかった。伝令を出せ。それと全部隊に通達しろ。もはや人質にかまうことなく、旧軍務省制圧を最優先にせよと」

「閣下?! それでは人質を無視なさるので……」

「無視するわけではない。だが、このまま手をこまねいていたら、人質はやつらの道具として消耗され全滅してしまう。ならば、旧軍務省に居座る外道どもの排除に専念した方が、まだしも何人か救える可能性がある」

 

 それに爆弾のように使われて死んでいくことに比べれば、戦闘の巻き添えになって死んだという方がまだ救いというものがあるだろう。そこまでは副官には言わなかったが、地球へ赴いた時の地球教徒達の巻き添え自殺じみた抵抗と比べても、クーデター派の他者に死を押し付けるような作戦はそれよりはるかに醜悪なようにワーレンには思えたのだ。

 

「ハウフ少佐、一個小隊預けるから、大量の水を持ってこい。一人でも多く救わねばならないからな」

 

 ワーレンが全面攻勢を決意した時、レーデルは有頂天になっていた。ポリマーリンゲル液を用いた人質爆弾作戦による攻撃で、ラフト少将の憲兵部隊の混乱は想像をはるかに超えていたためである。ここで出撃して憲兵部隊に打撃を与えればそうとうな時間を稼ぐことができるだろう。そう考え、レーデルのほうも打って出てきたのである。

 

 ただ不満なのが近衛部隊の精神的惰弱ぶりである。レルヒェンフェルトがいうには人質爆弾作戦を目撃した近衛兵も少なからぬ不快に思っており、ひどい者は嘔吐すらするほどであり、こんな高潔さのかけらもない戦い方を近衛部隊は参加したくはないのだという。完全に旧軍務省をからにするわけにもいかないから認めたが、なんと線の細いことだろう。所詮温室育ちの名ばかり貴族ということであろうか。

 

 火だるまになった人間が転げ回って陰惨な悲鳴をあげているのに注意しながら、元ラナビア矯正区警備隊に所属していた元帝国軍人を中心とする貴族連合残党工作員部隊が、憲兵部隊に襲いかかった。憲兵部隊はすでに混乱の極みにあったので、組織的な抵抗ができずに短時間で多大な被害を発生させた。

 

 だが、覚悟を決めたワーレン率いる本隊も人質の安全を顧みずに攻撃を開始し始めるとクーデター派の優勢は崩れたが、それでもレーデルの巧みな指揮により部隊崩壊を防いだ。矯正区警備隊のモラルの劣悪ぶりは疑いないが、ラナビアにおいて自分たちに数十倍する囚人たちに強制労働を強いるために、レーデルが鉄の規律を敷いていたので、部隊としての能力は決して劣悪ではなかったのである。だが、時間の経過に伴い、ある程度憲兵部隊が人間爆弾による恐怖から冷めてくると戦闘継続も厳しくなってきた。

 

「ちっ、さすがに限度があるか。まあ、他にも人質の利用法はあるし、一旦旧軍務省に戻るべきか」

 

 ラナビア矯正区において囚人たちを恐怖で縛るために、反抗者や逃亡者は見せしめに公開処刑にしていた。最初の頃は絞首と銃殺のみであったが、ラナビアで囚人処刑の全権を任されていたサルバドール・サダト准尉が「より効果的な恐怖を演出するため」という名目でさまざまな処刑方法を考案して実施するようになったのである。ポリマーリンゲル液をぶっかけて発火させるという発想も、元はサダトが囚人を焼死刑にしようとして実施したものである。拘束しないと周辺を巻き込む恐れがあるとサダトはあまり評価していなかったが、戦闘における利用法では使えるとレーデルが今回応用したのだ。そして他にも応用できるような処刑方法をレーデルはまだいくつか覚えていた。

 

 もし旧軍務省にこもって籠城を続けることになれば、レーデルの手によって人間らしからぬ扱いと死が人質に強制されることは疑いなかったが、幸いにしてそうはならなかった。ちょうど救援にやってきたヴェルンヘーア・レオ・フォン・モルト近衛大尉率いる一個中隊がワーレンたちに背後から殴りかかったからである。それである程度互角になったので、レーデルはこの好機を逃さずに多少無理をしてでも不安要素であるワーレンをここで殺してしまおうと決意したのである。




ラナビア矯正区でよくあった光景
レーデル「やっぱり効果的に強制労働させるためには抵抗者は殺戮しまくるべきか」
サダト「可能な限り残虐に殺しましょう」
警備員「またサダトさんがまたアイデアが浮かんだって。酒持って見物しに行こうぜ」
警備員「こんななにもない惑星だと処刑は数少ない娯楽だからな……」


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旧軍務省奪還

「そうか、旧軍務省でついに戦闘が始まったか」

 

 部下からの報告を聞いて、アドルフ・フォン・ジーベック中佐は暗澹たる表情を浮かべた。惑星全域で通信妨害を行える旧軍務省を抑えることは計画の要であったのでそこを制圧するレーデルには多くの人員を与えていたし、モルト近衛大尉を通じて交渉し、近衛部隊からも兵力派遣する様にさせていた。

 

 しかしジーベックはレーデルの軍事的才能をあまり評価していなかった。たぶん、レーデルもそれを自覚していたから人質を盾とする非情の策を用いて睨みあいに持ち込んだのであろうが、ワーレンが人質を無視して攻撃を開始した以上、あまり旧軍務省を確保し続けられるとも思えなかった。

 

 やはりワーレンを早々に排除できなかったのが痛い。ジークリンデ皇后恩賜病院で療養しているという情報を掴んですぐに脅威と見做して首都防衛司令部の爆発を確認したばかりのオットーに暗殺するように命じたのだが、どういうわけか警察が妨害してきてうまくいかなかったと聞いている。

 

「私ができる限りの兵を率いて救援に行きましょうか」

「いや、無用だ。たかだが数十の人員を投入しただけでは意味がなかろうよ」

 

 ペクニッツ邸から国璽を奪って戻ってきていたラーセンの勇ましい意見をジーベックは首を振って拒否した。今回の計画において旧軍務省の確保は要であったので、レーデルに帝都に潜入した貴族連合残党組織の半分近い兵力を与えていたし、残りのほとんどの兵力もワーレン暗殺の重要性を考え、オットーに預けていた。なので現在手元にある戦える人材は三〇前後しかない。これではどう運用したところで焼け石に水であろう。

 

 相応の兵力を預けたオットーかサダトが戻ってきていれば、彼らに旧軍務省にいるレーデルを救援しに行くように命じることもできるのだが、どちらも戻ってきていない。状況的にオットーは警察の妨害で死んだか捕まったのであろうが、サダトもマールブルク政治犯収容所から戻ってきていないとなると、何らかの問題があって五〇〇年続いてきた銀河帝国の伝統を破壊した愚か者どもを殺すことも失敗しているのだろうか。なんとマズい状況か。

 

 これではサイボーグ(ラーセン)だけが任務を果たして戻ってきても何の意味もない! やはり玉璽の確保など後回しにするべきだったのだろうか。しかしクーデター成功後、数の上には圧倒的に差をつけられているノイラートの近衛派と主導権争いを強いられるであろうことを考えると、貴族連合残党の立場を守るためにもせめて皇帝と玉璽の双方を抑え、正統的権威を確保する必要があったのだ。捕らぬ狸の皮算用ではあるが、ジーベックとしては真剣にならざるをえない。

 

 苦悩するジーベックを見て、不安に駆られたワイツが思わずあることを提案した。

 

「その、この際、臥薪嘗胆で殿下のおられるラナビアに戻るというのはいかがか」

「まだ予断を許さぬ状況であるのに、敗北主義的な言質を弄する臆病者が!」

「ヒェッ!」

 

 それを聞きとがめたラーセンの怒りの叱責に、短い悲鳴をあげてワイツは怯えて縮こまった。

 

「いや待てラーセン。ワイツのいうこともあながち間違いではない。大勢は我らの利にあらざる以上、撤退時のことも不快だが考えておかねばなるまい」

「中佐は仰られるが、旧軍務省でワーレンを始末さえしてしまえば形成は逆転する。われわれにとって不利な情勢というほどでもないと思うが。近衛部隊が援軍を送れば帝都から金髪の孺子に加担する上級大将はいなくなる」

「そうだが、近衛司令部と連絡をとる術がない。だからわれわれとしては近衛部隊が援軍を旧軍務省に派遣してくれることを祈るしかないのだ」

 

 近衛司令部側が開明派がクーデターを起こしたという建前でもって行動を起こし、貴族連合残党側がその手が届かない場所をどうにかするという役割分担であったこともあるが、士官クラスはともかく下士官兵になってくると近衛部隊を完全に叛乱に同意させているとは言い難く、ノイラートは事が成るまで貴族連合残党との協力関係をおおやけにするつもりはないという意向であり、同士討ちなんてことになったら元も子もないとジーベックもノイラートの意見に賛同していた。

 

 そのため、近衛司令部と直接連絡を取り合うことができず、このクーデターは最初から連携面において大きな問題を孕んでいたといわざるをえない。しかもクーデター後の主導権争いを見越し、どちらも独断でマリーンドルフ伯を取り込もうとしたり、ペクニッツ公爵邸を襲撃して玉璽を強奪したりしている有様なのである。なので近衛司令部がおそらくはケスラーがまだ生きているだろうと想定して動いていることもジーベックたちは知らず、貴族連合残党はケスラーが既に死んでいると思い込んでいた。なので旧軍務省が制圧されたらクーデターの成功が極めて困難になるとは考えても、それですべてが終わるとも思わなかった。

 

 このようにクーデター勢力の内部対立は二年前の内乱期における貴族連合のブラウンシュヴァイク派とリッテンハイム派の対立ほど険悪なものでは決してなかったが、互いに信頼しあっている関係とはとてもではないが言えなかった。もしも本当の意味でジーベックの貴族連合残党とノイラートの近衛部隊が本当の意味で一致団結していたのならば、このクーデターはもう少し違った展開をみせていたことだろう。

 

「ワイツ、髑髏団の資料の処分と引っ越しの準備をやっておけ。万一、旧軍務省が奪回されればワーレンはそのまま帝都中に向けて近衛司令部が叛逆者であると糾弾する放送をするだろう。そうなると首都防衛軍も不信感を持ちだして近衛司令部の命令を疑うようになるだろう。そうなれば成功の可能性は激減する。そうなる前に撤退の準備は整えておかねばならぬ」

 

 一方その頃、旧軍務省においてレルヒェンフェルトも、援軍にやってきたレオが率いる近衛第七中隊が期せずしてワーレンの混合部隊の後背につき、レーデルの部隊と挟撃するような形になったのを確認していた。

 

「中尉、最低限の兵力を残し、我が中隊も攻撃すべきではないでしょうか」

 

 部下の進言にレルヒェンフェルトは同意した。平然と人質を爆弾として利用するレーデルの下劣さには吐き気を催すほど嫌だが、すでにレーデルの部隊はワーレンたちの猛攻を受けてかなり厳しい状況になっているし、不利な味方を故意に見捨てるというのもレルヒェンフェルトの潔癖な貴族精神に反するものであった。

 

「それもそうだな。しかしあの下種野郎の性根を叩きなおすのには時間がかかりそうだから、間に合わなかったとかで死んでいてくれたらありがたいのだけど」

 

 レルヒェンフェルトの率直すぎる願望に、近衛兵たちは苦笑して同意を示した。レーデルのとる作戦は有効的なものであるのかもしれないが、まったく敬意を抱けそうにない外道ぶりなのだ。直接銃殺してやろうまでは言わないが、敵に殺されてくれるのであれば諸手をあげて万々歳であるというのが中隊の総意であった。

 

 一方、挟撃を食らう形になったワーレンであるが、率いているのが一部の首都防衛軍、憲兵隊、警察、内国安全保障局等々、本来所属が異なっている者達の寄り合い所帯に近い混合部隊だったこともあって、うまく統率ができずに苦戦を強いられていた。

 

 加えて言えば内務省系の警察や内国安全保障局といった治安組織は、犯罪捜査や治安維持を目的として存在しているのであって、軍隊のように訓練された武装集団と戦うことを目的とした組織ではないのだから、本格的な戦闘に不慣れな者が多く、負担も凄かった。

 

 それも当然といえば当然である。警察がテロ組織と戦闘を繰り広げることがあっても、警察は常に支配体制のバックアップを受けられるのに対し、テロ組織にそんなものはないのだから、最初から警察が圧倒的に優位な状況にあるといってよいのである。にもかかわらず、警察の処理能力を超えるほどの武装集団となると、もはやそれはテロ組織ではなく強固な地盤を築いている叛乱軍であり、警察ではなく軍隊が対処すべき案件であるのだから。

 

 そのあたりのことはクーデター派も勿論わかっているので、治安組織に狙いを定め集中的に攻撃を加える。ジュトレッケンバッハ警部補率いる戦警部隊はもともと軍隊的色彩が比較的濃い部隊であったこともあり善戦したが、内国安全保障局のフリッツ・クラウゼ保安少将はそうではなかったので脆かった。

 

 近衛部隊のレオは瞬時にそれを洞察し、また考えた。いかに歴戦の勇将であるワーレンに率いられているとはいえ、所詮は烏合の衆である。敵の重要人物を討てば敵の士気を砕き、彼らを烏合の衆に戻すこともできよう。

 

 そうした狙いからレオは一気にクラウゼ部隊を打ち崩そうと試み、自部隊の秩序を乱さぬように巧みに兵力を抽出して、クラウゼ部隊への攻撃要員として投入し、一気に指揮官を打ち取らんと猛攻をかけた。

 

 自分の部隊が次々に崩されていくことに焦ったクラウゼは隣のラフト少将の憲兵部隊に助けを乞おうとしたが、これが悪手だった。そもそも憲兵部隊はレーデルの醜悪な奇策によって大損害を受けていたこともあり、なんとか防戦できているといったところだったのでクラウゼ部隊の穴を埋める余裕などとてもなく、憲兵部隊も巻き添えをくらう形となった。

 

 しかもクラウゼがのこのことこれからどうするべきかと相談しに来たものだから、ラフトはブチ切れたくなったが、現状を打破するのにまったく寄与しないという理性が怒気を抑え、努めて冷静に対処した。敵味方で兵力差があまりないこと、一兵士としては内国安全保障局の者たちもそれなりに使えること、以上二点から相手も指揮統率ができなくなるように乱戦に持ち込んだのである。

 

 そのことを戦況からワーレンも察したようであり、一部の兵を割いて乱戦状態が拡大しないように手を打った。しかしラフトたちの部隊の混乱ぶりを収集できるほど余裕がなかったので、乱戦状態ですごい勢いで犠牲が出ている場のことはひとまず放置するより他になかった。

 

「目の前の敵に対処するだけでいいってのは気楽だ」

 

 まったく状況は改善していないのだが、慣れない実戦指揮をさせられていたクラウゼとしては肩の荷が降りたような感覚である。すでに一〇年以上前のことであるが、クラウゼも多くの平民階級出身者と同じように軍隊に徴兵され、大学卒業から三年ほど係争地に駐留している野戦部隊に所属して同盟軍と激戦を幾度か繰り広げた経験もあるのだ。戦術的思考をしなくていいなら、兵士としてそれなりに活躍できるのである。

 

 しかしそれでもこの場にいる内国安全保障局員の中では一番偉いのはクラウゼであったので、下士官のようにその場その場で命令を出す必要があった。そのため、大物を討ち取って敵の士気を崩してしまうことを狙っていたレオの目に止まった。立ち振る舞いから、敵側の重要人物であるにちがいないと判断し、近場の近衛兵と一緒になって突貫することを決めた。損害度外視で接近する愚策といえなくもなかったが、近衛第七中隊の兵士たちは自分たちの指揮官に心酔していたこともあって、なんら反論もせずに従った。

 

 先頭の兵士が盾で防御しているだけの無謀な突貫をしてきたレオの集団に、クラウゼらは容赦無く光の雨で歓迎した。何人も兵がブラスターの光条で身体を貫かれ、絶命して地に伏したが、その犠牲を対価にしてレオは助走をつけて跳躍して接近し、内国安全保障局員がたむろしている場所に舞い降りたのである。近場にいた四人の局員がすぐにブラスターを向けたが、同士討ちを恐れて躊躇い、その隙にレオは腰の軍用サーベルを引き抜いた勢いを殺さずに二人を横薙ぎに斬り捨て、予想外の攻撃方法に呆けていた反対側にいた二人をブラスターで銃撃した。

 

「貴様、モルト大尉だな?」

 

 自分を守っていた部下たちが、一瞬で地に伏したのにクラウゼは鼻白みながらそう問いかけた。まだ地面で痛みにもがいているから死んだわけではないのだろうが、戦闘不能に追い込まれたのは疑いない。そしてそれをやった人物は髑髏団に対する捜査資料で何度か見た顔であったので、特に何を狙ったわけでもない行動だったので答えを期待したわけではなかった。しかし意外なことに相手は反応を返してきたのである。

 

「たしかに私は近衛第七中隊のヴェルンヘーア・レオ・フォン・モルト大尉だ。それで、そういう卿は何者だ? こちらが名乗ったのだ。そちらが名乗らぬのは非礼であろう」

 

 貴族同士の名誉ある決闘劇じゃあるまいに、と、クラウゼは思ったが、

 

「内国安全保障局次長のフリッツ・クラウゼ保安少将だ」

 

 つい、気圧されて無意識にそう名乗り返してしまう、妙な威圧感を伴っていた。

 

「これはしたり。内国安全保障局のお偉方など、安全圏で他人の粗探ししかできぬ臆病な輩とばかり思うていたが、こうして戦場に立てる度胸のあるやつもおるのだな。おまけに次長か。うむ、他の者どもより討ち取り甲斐があるというものよ」

 

 たしかにラング局長には無理だろうなと内心で呟きつつ、どうやったら生き残れるだろうかと懸命に頭脳を回転させた。先ほどの身のこなしから推測するに、白兵戦能力はレオのほうが上だ。討ち取り甲斐なんて感じず、さっさと他の奴を狙いに行ってくれたらいいのに。

 

 接近戦はどう考えても不利だ。そう考えたクラウゼは、ちらりとあたりを一瞥して状況を掴むと、姿勢をかがめて走り出し、まだ味方がいる方向へと向かって走り出した。

 

「逃げるかッ!」

 

 若き近衛将校は一瞬あっけにとられたが、すぐに状況を理解してそう叫び、ブラスターを構えて引き金を引いた。そのままでは銃撃をくらったであろうが、クラウゼは走りながら既に死んだ者が持ち込んでいたのであろう、複合鏡面処理がほどこされている小型の盾を後ろに向かって蹴り飛ばしたのが幸運にもブラスターの光条を遮って明後日の方向に反射させた。

 

「貸せ!」

 

 クラウゼは近場にいた憲兵からビーム・ライフルをひったくり、そのまま流れるように伏射の態勢をとった。それを見て取ったレオは、すぐさまバリケードがわりに広場中に停車されている軍用車の影に隠れて相手が油断をするのを伺ったが、これがいけなかった。クラウゼの危険を感じ取って、まわりの兵たちが集まってきて、とてもレオ一人では対処できる数ではなくなってしまったのである

 

 しかしそれでも陣形や数の上ではクーデター派が圧倒的に優位であったので、このまま状況が推移していけば、多大な犠牲を出すことになろうとも旧軍務省を防衛できることは疑いなかった。しばらくして味方の数が揃った時に、再度突撃を敢行すればクラウゼの首をあげることもできるだろう。しかし、そうはならなかった。

 

 突如、大規模な兵力が広場に乱入してきたからである。それはマテウス・ブロンナー大佐が率いる第二区警備連隊であった。近衛参謀長と会談し、その時の態度から近衛司令部が嘘をついていると確信したブロンナーは近衛司令部の命令を無視して制圧していた民政省と内務省を放棄し、旧軍務省の通信妨害を排除すべく、麾下連隊を率いてやってきたのである。

 

「大佐、既に戦闘が起こっているようですがどちらを敵とみなすべきでしょうか」

「……わからんが、近衛部隊の仰々しい軍服を着ている奴はすべて敵として対応しろ。それ以外も敵はいるかもしれんが……そのあたりは現場指揮官の判断に任せる」

 

 ひどく無責任な命令といえなくもなかったが、貴族連合残党の存在など知りもしないブロンナーは、このクーデターはエーベルハルトが言っていた同盟の教唆を受けた者達による犯行であると考え、近衛司令部の虚実さえ暴けばすべての問題は解決すると思い込んでいたので、とりあえず近衛兵を排除すれば大枠の問題は解決するであろうと判断したのである。

 

 いくらワーレンが率いる部隊を自分たちが包囲しているとはいえ、新手の三〇〇〇の敵兵にさらに包囲されているのでは、ワーレンを打ち取れたとしても、旧軍務省を守り切ることは叶うまい。そして旧軍務省を確保しておかねば通信妨害を解かれ、首都防衛司令官の生存を首都防衛軍が知れば彼らは正規の命令系統に従うことを選択するだろう。そして近衛部隊にしても、兵下士官まで取り込んでいるわけではないから彼らの内からも離反者がでるだろう。

 

 旧軍務省を確保しておかなければクーデター成功の確率は激減するのだから、ノイラートが援軍を派遣してくれることを期待して防戦に徹するべきか。はたまた旧軍務省を放棄し、かすかな可能性にすべてをかけるべく自部隊の戦力保全を優先すべきか。部隊をまとめつつ、レオは苦悩した。

 

 その悩みは旧軍務省を防衛していた筈のレルヒェンフェルトが十数名の部下のみを引き連れてきて事情を話したことにより、取りうる選択肢はひとつしかなくなったのである。

 

「いったいどうしてここに。卿は旧軍務省を確保していた筈では」

「……敵の援軍が来てからしばらくして、もう守り切れる可能性はないから逃げると、レーデルの糞野郎が言い残して我先に逃げ出したのです。我が中隊だけで敵に抗しえることはできませんし、無駄死にするのも御免ですので私たちもここからの脱出を」

「なんて恥知らずな奴だ!!」

 

 レーデルとレルヒェンフェルトは旧軍務省の確保し、通信妨害を継続させる重要な役割を任されているのである。であるから、己が命に犠牲にしてでも旧軍務省の防衛を優先せねばならならないと念押しされているはずであった。にもかかわらず、相方の了承も得ずに勝手に独断で戦場離脱とは何事であるか! 

 

 つまり現在、旧軍務省を守るクーデター派の戦力が空になっていることを意味しており、これ以上ここで戦闘を繰り広げることに意味はないということではないかとレオは悟った。実際、すでにジュトレッケンバッハ警部補の戦警部隊が旧軍務省内に突入し、残敵掃討と人質の安全確保に邁進していて、旧軍務省陥落は時間の問題となっていた。

 

 レーデルの卑劣さを痛烈に罵りながら、レオも撤退を決断した。こんなふざけた状況で無駄死にしてたまるかと強く感じたのである。レルヒェンフェルトと一緒になって包囲網の一角を突き崩して現場から離脱した。

 

 こうしてクーデター派の指揮官にあたる人物たちは次々と離脱していったので、旧軍務省前における戦闘の大勢は決した。ほとんど一方的な戦闘になったことをだれもが実感し始めた頃、ワーレンの居場所を特定したブロンナーが情報交換を行うべく駆け足でその場に向かった。

 

 ワーレンが義手すらつけずに戦闘指揮をとっていたとは知らなかったので対面時にブロンナーは面食らったが、すぐに敬礼して、官姓名を述べた。

 

「第二区警備連隊長マテウス・ブロンナー大佐であります。クーデター派を打倒するため、閣下をお助けしたくまいりました」

「ふむ、それで卿は何故こちら側につこうと考えたのだ? 近衛司令部の命令通り、私が偽物であるかも知れぬし、そうでなくても私が開明派とともにクーデターを起こしたという可能性もあっただろうに」

「それも考えましたが、近衛司令部命令には不審な点が多々あり、またある第一旅団幕僚の助言もあって、自ら直接近衛司令部に赴いて小官と面識があるヴァイトリング近衛司令官と面会を求めたのですが叶わず、代わりに面会した近衛参謀長の発言に矛盾点があったこともあり、近衛司令部が何らかの勢力によって乗っ取られていると推察した次第であります」

「……卿の推察通りだ。内国安全保障局の報告によれば、近衛司令部の一部反動分子と貴族連合の残党組織が協力してことを起こしているらしい。とはいえ、通信妨害を解除して首都防衛軍の将兵に正しい側がどちらかを教えてやれば、もはやクーデターの鎮圧は容易だろう」

 

 そうしたワーレンの発言に、ブロンナーは全面的に同意せず、懸念をいだいた。

 

「そのとおりでしょうが、しかし、首都防衛司令官のケスラー上級大将の生死が不明である以上、ワーレン閣下が呼びかけても応じない者達もいるのではないでしょうか。近衛司令部が閣下の偽物がでていると吹聴してまわっていることでもありますし、小官としては懸念を感じざるを得ません」

 

 これにワーレンはぽかんとした顔をしたので、ブロンナーは自分がなにか変なことを言っただろうかと首を傾げた。そして近場にいた副官ハウフ少佐以下数名かが苦笑しだしたので、癪にさわったブロンナーが敵意を持ってハウフを睨みつけ、あわててワーレンがとりなした。

 

「おまえたちやめんか! 大佐も落ち着くんだ。われわれの間では既に当然のことになっていたから、すこし滑稽に思ってしまっただけなのだ。ケスラーは生きている。通信妨害を止めれば、すぐに正式な命令権でオーディン中の全将兵に正式な命令を下すことができるのだ」

 

 フロイデンの一角を警備している親衛隊だけは別になるがな、と、注釈をつけたワーレンの言葉に、今度はブロンナーが唖然となったが、クーデター派が情勢を挽回させるような方法は既に潰されているのだと悟った。

 

 その頃、必死で帝都の路地裏を走っている一団があった。レルヒェンフェルトの代わりに前線に出たために人質を利用できなくなり、ブロンナーが援軍に来たために圧倒的な兵力差ができたので早々に逃げ出したレーデルとその側近たちである。

 

 彼らは近衛兵用のものではなく普通の帝国軍の軍服を着ていたので、重傷を負って喋れなくなっていた見知らぬ軍人をかかえ、さも味方であるかのように包囲網に近づき、「彼を治療するため」と称して攻撃性をまったくみせずに堂々と包囲網を突破し、緊急設置されていた治療所に連れて行ってそのまま戦場を離脱したのである。

 

 そして最低限の小型拳銃を除き、すべての武器を放棄し、軍服も脱ぎ捨てて、騒ぎに混乱して逃げ惑っている一般人を装ってこそこそと逃亡を続けているのであった。

 

「このままでは絶対に済まさん。平民風情でありながら選ばれた者の一人であるこの俺に歯向かった金髪の子分のワーレンに、貴族の風上にもおけぬ臆病者のレルヒェンフェルトめ! 俺を陥れてくれた報い、必ずや受けさせてやるぞッ!!」

 

 旧軍務省からかなりの距離をとり、追手の姿が見あたらない安心感もあって、見当違いの呪詛をこぼした。別にワーレンもレルヒェンフェルトも彼を陥れようとなどしておらず、むしろ逆であるはずであったが、レーデルの主観的には正統な怒りであるらしかった。

 

 それはかつての門閥貴族の特権意識そのものであった。だが、彼はそんな地位の出ではなかった。かつてはそうだったのだが、彼がこの世に生を受けた時にはすでにレーデル家は、貴族とは名ばかり帝国騎士家に過ぎなくなっていた。生活の水準もラインハルトやファーレンハイトの幼少期と大して変わらなかっただろうし、貴族特権などないに等しかったのに。

 

 いや、だからこそ、彼はそうなったのかもしれなかった。両親から “名門貴族として恥じぬ教育”を受けながら、現実とのギャップが酷過ぎたのである。だからこそ、そのギャップを埋めようと常に必死でありそれ以外のことに頓着せず、無軌道なことをしでかすことに躊躇がないのもそのためなのかもしれなかった。

 

「がぁっ!」

「しょ、少佐?!」

 

 突如左脚の付け根あたりから激痛が走り、レーデルは短い悲鳴をあげて派手に転んだ。まわりの側近たちはそれが狙撃であることを察してあたりを警戒し、背後に一人の男が佇んでいるのを認め、誰何の声をあげた。するとその男はなんともいえない微笑みをたたえて答えた。

 

「誰って……内国安全保障局のカウフマンとでもいえばいいのか」

「クソッ、追手か……、殺せ! 殺してしまえッ!」

 

 カウフマンの名乗りを聞いて、レーデルは脚の痛みをこらえながらそう命令し、側近たちはそれに従ってブラスターを向けたが、カウフマンが優しくたしなめるように言った。

 

「次長にはそこで倒れてる奴を捕まえるようにしか言われてないんだ。他はどうでもいいから、君たちはさっさと逃げたらどうだい? ろくに走れない傷を負っているやつなんて、荷物にしかならないだろう」

 

 そう言われて側近の男たちは戸惑った。たしかにその通りであるように思えたのである。引き金を引かない側近たちに不安を募らせ、レーデルはうずくまったまま側近の怯懦を叱咤したが、これが悪手だった。それで側近の一人の心の天秤が完全に傾いて走り去り、他の者たちも雪崩現象のように次々と逃げ出したのである。

 

 レーデルは目の前で起こったことが信じられなかった。ラナビア矯正区時代、彼らには甘い蜜をたくさん吸わせてきたので信頼していたのだ。にもかかわらず、自分を見捨てるとはなんと恩知らずな者たちであろうか! 堪え難い怒りに身を焼かれつつ、それでもなお活路を見出そうと諦めずに頭脳を回転させた。これまで何度も窮地に陥ったことがあったが、そのつど鋭い思考力を働かせて生き残ってきた自負が諦めること拒絶していた。

 

「内国安全保障局の人間だと言ったな。ということは、社会秩序維持局でも職員だったんだろ?」

「まあ、そうですね」

 

 まるで雑談の問いかけにうんと答えるような気楽さでカウフマンは肯定した。

 

「ならこんなことが無意味だってわかるだろう? どうして俺だけを狙って捕まえにきたのか、その理由は知らない。だが、想像はつく。大方、金髪の孺子の方針で、俺がラナビアでやっていたことが問題になったんだろう。だが、社会秩序維持局の人間だったなら、わかるだろう。それがとてもナンセンスなことだって。思想犯というやつは危険思想という病毒を撒き散らして秩序を崩壊させる邪悪な存在だ。思想犯を一般社会から隔離して矯正し、その思想根絶をはかるのは正義ではないか。にもかかわらず、金髪の孺子の一党は賢明な人間なら気にしないであろう、幾多の矯正区警備司令部が犯していた規則違反を問題視している。まったくもってナンセンスだ。いや、規則違反というのは建前で、共和主義者どもみたいな人権とやらのためなのかもしれんが、どちらにせよナンセンスなのは変わらん。思想犯なんて早々に改悛しないのであれば、その害悪を撒き散らさぬうちにしかるべき処置をするべきだろうに。そして俺はそれだけだとちょっともったいないと思い、家畜として思想犯どもの労働力を活用し、軍需品の生産という建設的事業に参加して過労死するという、本来なら無意味な死を迎えるだけのクズどもの身に余る栄誉を与えただけに過ぎん。社会秩序維持局の職員だったなら、この理屈が理解できるだろう?」

 

 長々としたレーデルの弁明に、カウフマンは深く感心したように何度も頷いた。

 

「なるほどなるほど。そのとおりなのかもしれませんね。ところで、少佐――」

 

 レーデルの目の前に座り込み、ブラスターを彼の脳天に突きつけた。

 

「そもそもの前提として、筋金入りの社会秩序維持局員が()()の事情なんてものを気にするとでも? そんなに遠慮しなくても内国安全保障局でたっぷり歓迎してあげますよ」

 

 そういってカウフマンはにっこりと優しく微笑みかけた。それで完全に活路がないと悟り、レーデルは心の底から恐怖と絶望にとって絶叫し、股間部に生暖かい水気を感じながら失神した。




ようやく帝都編に終わりが見えてきた……


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それぞれの身の振り方

 ケスラーはもう何時間もトリューニヒトの邸宅に足止めされていることに、いい加減しびれをきらしはじめていた。慎重姿勢とはいっても、これほどの時間が経過してもなお事態が好転していないというのであれば、危険を承知で行動をしていくべきではないのか。

 

 ターナーら共和派の者達が口をそろえて主張する安全策も一理ないではないが、これほどの長時間にわたると言語化された退嬰、怠惰の正当化に過ぎないように思われた。ワーレンが民間人を人質に取られたこともあって、旧軍務省を奪還できずにいるという情報をも入ってきていることだし、今は安全より危険を承知で動くべきだ。

 

 そういう決意もあってケスラーは眼光鋭く共和派の者達を睨み付けた。首都の治安を預かる秩序の番人の威圧感に恐怖を覚えて怯む者も多くいたが、彼らのまとめ役は違った。基本的に裏方の仕事をしていたとはいえ、一時は帝国政府に危機感をいだかせたテロリスト集団である共和主義地下組織の最高幹部を務め、教条主義的な活動家であったザシャ・バルクと幾度となく激論を戦わせた強者であるターナーは、ケスラーに害意をもって睨まれたくらいで怯むような(やわ)い根性の持ち主などではなかったのである。

 

 ケスラーは自身も直接行動を起こすべきと積極論を唱え、ターナーは通信妨害が解除するまでは安全を期してここで指揮を執るべきと慎重論で反論する。それが二時間もの間、互いに一歩も譲らずに激論を戦わせ続けているので、憲兵たちも共和派の者達もおのれの胃から幻痛を感じるほどの緊張状態だったという。

 

 だからある共和派の文官が現実逃避の意味もあって、必要以上に視線を釘付けにしていたある機械の画面に大きな反応が出た時、喜びよりも安堵の気持ちが広がったという。

 

「ホルスト、通信妨害が解除された反応がでたぞ!!」

 

 公式の場ではさすがに言葉遣いに気を付けてはいるが、共和主義地下組織で活動家をしていた者同士の間では、いまなお上下関係に遠慮せずタメ口で話す気風が存続していた。

 

「なに、本当か?!」

「間違いありません!」

 

 確信に満ちた返事にターナーは肩の力を抜いた。これで自分が主張していた方法で事態の収拾を図るめどがついたのである。穏やかな表情を浮かべてケスラーに向き直った。

 

「もはや閣下が主張しておられたように危険を承知で打って出る必要はなくなりました。今すぐに帝都全域に向けて報道を行っていただき、首都防衛軍の指揮権を奪回。しかる後に近衛部隊を中心とするクーデター勢力を掃討して頂きたく存じます」

「……わかった。たしかに卿の主張通りに動くより他にあるまいな」

 

 釈然とはしないが、通信妨害が解除されて情勢が変化した現在の時点においては、ターナーの主張が最善の手法であることはあきらかとなったのである。ならば帝都守護の責任を負う者として選択肢はひとつしかなかった。個人的な反発や嫌悪から、自分の意見に固執するような愚を犯してはならないのである。

 

 共和派の者たちとてケスラーを足止めすることにだけ執心していたわけではなく、トリューニヒトの邸宅で帝都全域をカバーできるような放送装置を準備していた。電波ジャックしてのゲリラ放送は共和主義地下組織の十八番である。旧王朝時代、社会秩序維持局の監視網をくぐり抜けるべく、彼らは放送装置を所持することを避け、使い捨て前提で一般家庭にあっても不思議ではない電気家具をバラして強力な電波を出せる放送装置を作り出し、それで共和主義思想や貴族政治の腐敗を民間に向け宣伝する手法を愛用していたのである。

 

 このゲリラ放送は新たな協力者や支持者を獲得するのに大きな意義があった一方、現状維持を望んでいたり、保守的な思想を持っている帝国臣民は“危険放送”と称して忌み嫌っていた。というのも、このゲリラ放送が立体TVやラジオで流れると、決まって一個連隊を超える規模の社会秩序維持局の職員がやってきて、放送を見て危険思想にかぶれた者がいないか徹底的に住民を調べあげ、思想的傾向に問題があると見なされれば簡単に政治犯・思想犯の烙印が押され、収容所に送り込まれてしまうからである。

 

 今回もその頃の経験をいかして今日の文官たちは放送設備を拵えたのである。トリューニヒトの邸宅には電気家具がたくさんあったので、それをバラして新しい報道装置を製作するなど彼らにとっては時間はかかるが何度もやった手慣れたことであった。またベイを通じて憲兵くずれを中心とした一団に大通りで兵士は首都防衛司令官は健在で放送をしているからTVを見るようにと叫ばせたのである。

 

 首都防衛軍の将兵に動揺が走り、だれもが放送を視聴しようとしたが、ここでひとつの喜劇が発生した。同盟やフェザーンと違って、帝国は大都市であっても街頭に巨大モニターTVを設置されていることは少ない。どういうわけかゴールデンバウム王朝開闢期から貴族階級は巨大な街頭モニターTVは忌避感を持たれてきたからである。初代皇帝ルドルフが美しい街の景観を損ねるから嫌ったからとか、初代社会秩序維持局長官ファルストロングが配線を乗っ取られるだけで不特定多数の大衆に向けて危険思想で洗脳することができると警戒したからとか、いろいろな説があるが、なぜそうなったのかははっきりとしていない。

 

 そういった事情から、TVがある民間人の邸宅に軍人たちが大挙して侵入する結果を招いた。二年前の内戦の頃を思い出す厳戒体制に、不安を感じて家に閉じこもっていた邸宅になかば強引にやってきたのである。まったく事情がわからない民間人はおどろき、恐怖からパニックを起こしたのである。この時、帝都に在住していた作家D・マックスは、その時の光景を著作で次のように記している。

 

「突然、完全武装の兵隊たちが自宅に土足で上がり込んできたので、いったいなにごとかと戦慄した。兵隊たちはいささか興奮しているのが見て取ることができ、そのことから家内はどういう理由かはわからないが自分達の家族を殺しに来たのだと思い込んで、子供たちだけは見逃してほしいと軍人の一人に縋りついて懇願した。

 兵隊たちは顔を見合わせて立ち往生していた。それが緊迫している場ではあまりにも奇妙なふるまいであるように思え、そしてよくよく兵隊たちの表情を観察すると、あろうことか、彼らのほうがどう反応したものか困っているように見えたのである。

 家内もなにかおかしいと気づき、喚くのをやめて困惑の表情を浮かべて場が静まり返ったのを見計らい、どこか刃物のような鋭さを見る者に感じさせる、中尉の階級章をつけた士官が“すまないが、TVを見せてほしい”とお願いしてきた。なにやら騒ぎが起きてからずっとTVは見れなくなっていたので、そのことを私は教えたのだが、その中尉は“見れないということはないはずだ”と決めつけ、さっさとTVへ案内するように命令してきたのだ。

 何を言っても相手に不快感しか与えないだろうし、そんなに役立たずのTVを見たいなら見せてやろうという反発心もわきあがってきたので、私は兵隊たちをリビングに案内し、TVの電源をつけた。すると驚いたことに、ちゃんとTVの画面にどこか誠実さと清潔さを人の形にしたような、高級軍人の映像が映ったのである。

 “ケスラー閣下だ”“本当にご無事であらせられたか”“今までいったいどうしておられたのだ”、そのようなことを兵隊たちが口々に言っていた。それでTVでケスラー上級大将が近衛司令部が勝手に偽命令をだして諸君らを騙し、クーデターを起こしている(この時に初めて、私はこの騒ぎはクーデターによるものであると知った)。帝都の全将兵は近衛司令部の命令はすべて無効のものととらえ、首都防衛司令官である私の指揮下に戻れといった趣旨のことを言っていた。

 するとTVを見ていた中尉は顔を真っ赤にして“近衛の阿呆どもめ、よくも俺たちを謀ってくれたな!”と叫び、兵たちもその怒りに同調し、用は済んだとばかりにさっさと私の家から出ていったのである。私たち夫婦は状況が中途半端にしかわからず、いったいなんなのだと途方に暮れつつも、互いの無事を喜びあった」

 

 実際のところは指揮官の人格による差があって、すべての兵隊たちがマックス家を訪問した時のように、なかば民間人を高圧的態度をとってTVを視聴しようとしたわけではなかったが、そういう事態が発生し、民間人と軍人の間で多少のトラブルが発生したのは疑いない事実である。

 

 ケスラーの健在を知らせる演説放送は、情勢を一気に体制派へと傾けさせた。クーデター派に対して中途半端な態度をとっていたクラーゼン元帥も、総監オフィスでそれを視聴して、クーデターに成功の目は絶対にないことを悟り、態度を明確化しようとした。

 

「補佐官!」

「はっ」

「帝都にてゴールデンバウム系反動勢力の武装蜂起。地方においても共鳴している勢力いる可能性高し。その対処のために各星系総督に予備役動員を許可する旨、予備軍総監の名で通達するのだ」

「了解しました」

 

 そう命令しおえた後、クラーゼンは内心で少しだけがっかりした。もしもノイラート大佐たちが帝都の掌握に成功し、ゴールデンバウム王朝の復活を高らかに宣言されるような展開になれば、閑職ではない名実ともに軍の高官となるべくクーデター派に加担し、そのための予備役動員を行う覚悟も決めていたのである。

 

 だが、そうなる可能性がまったくなくなった以上、自分の保身のためにも早々にクーデター派には消えてもらわなくてはなるまい。近衛司令部で、解釈次第では自分もクーデター側に加わると受け取れなくもない発言をしたとはいえ、自分の言動をまったく穿って見ずに顔面通りに解釈すれば、単身で近衛司令部の説得に趣き、失敗したというだけである。いくらでも弁明のしようはある。閑職が指定席であったとはいえ、伊達に十数年も帝国元帥をやってはいないのだ。

 

 クラーゼンはゴールデンバウム王朝時代に出世競争に敗北し、幕僚総監という閑職が指定席にされていたが、それでも元帥にまでなれたことにある程度満足していた。仮にも帝国元帥である以上、年額二五〇万帝国マルクの終身年金や大逆罪以外は刑法によって罰せられないなどといった数々の特権を有していたからである。だから、危険を犯してまで無理に栄達をはかろうという気概は十数年前に消え失せていた。

 

 だから元帥になってからは、主体的には決して行動せず受動的に動き保身をはかることを自身の行動規範としてきた。だからこそ、貴族連合などという泥舟に乗らずにすんだし、生意気な金髪の孺子が皇帝として君臨するような世の中になっても、自分は領地も爵位も喪失せずに現役元帥としての立場を守ることに成功しているのだ。無論、開明政策の推進とやらのせいで、帝国元帥や貴族として行使できる特権は大幅に制限されることにはなったものの、名門貴族として恥ずかしくないだけの財力や地位を守れていることだし、貴族連合に協力してきた不平貴族どもは悲惨な末路を辿っていることも考慮すれば、不満はあるが、充分に許容範囲内とするべきであろう。

 

 クラーゼンはケスラーと合流し、帝都の予備役軍人を招集するか否かを協議するなどして、自分が体制側であることを鮮明にする実証作りをせねばなるまいと行動を開始した。こうした老獪さ、要領の良さこそが、お飾りでありながらも元帥としての地位を保ち続けてきた秘訣であるのかもしれなかった。

 

 かくしてクラーゼンが完全に叩き潰すことを決めた近衛司令部内は重苦しい沈黙に包まれていた。司令部内のだれもが、まるで石の彫像にでもなったかのように動かない。彼らが呆然と眺めているモニターには、同志が生命と引き換えの自爆テロで暗殺したはずの首都防衛司令官が、生気ある毅然とした顔色で帝都の全軍に自分の指揮下に戻ることを訴えていた。

 

「……やはり、生き延びていたか」

 

 ノイラートの声には苦い悔恨の色があった。ケスラーの死が確実な情報ではなかったのだから、もっと慎重に首都防衛司令部周辺を近衛部隊に探らせておくべきであった。それなら、ケスラーの行方がわからなくなる前に捕らえることができ、旧軍務省の防衛にもっと大量の近衛部隊を割くことができ、ワーレンによる旧軍務省奪還も阻止することができたのであるまいか。クーデターが失敗したのは、自分の判断ミスによるものではないのかという自責の念を抱いたのである。

 

 あるいはそれ以前の計画段階で、ジーベックが提案していた皇帝の姉であるグリューネワルト大公妃を人質としてしまう方針を承服しておくべきであったのかもしれない。当時の自分は、なんの職責にもつかずにフロイデンの山荘に隠棲している貴婦人を人質とするなど貴族として恥ずべきことのように思えたし、そうした感情だけではなく現実的な問題としても、大公妃を人質とすることに事情を知らぬ将兵が納得してくれるか未知数だし、フロイデン周辺の警備を担当している皇帝直属の精鋭を相手にするのは難しいと判断して断固反対した。だが、大公妃が皇帝の弱みであるのは確かなのだから、羞恥心をこらえ、危険を承知でその方針で行くべきではなかったか。

 

「われわれが嘘偽りを述べていたとあきらかになった以上、もうどうにもなるまい。終わりだな……」

「いや、もう首都防衛軍は従わないでしょうが、まだ近衛部隊はわれわれの掌中にある。一戦交えて勝利し、情勢を転回させることも決して不可能ではないはずだ」

 

 司令部にいた近衛少佐の一人が闘志もあらわにそう叫んだ。それは理性的な計算をしての発言というより、このままおめおめと引き下がれるか、という、感情の発露であるように思われた。

 

「少佐、気持ちはわかるがもうどうにもならんよ。兵力差からいって近衛部隊が首都防衛軍と一戦交えて勝利できる可能性はとても低い。ましてや近衛兵たちも放送を見て真実を知り、とても動揺していて私たちの指示に従ってくれるか怪しいものだ。こんな状態で一戦交えたところで敗北は必至。徒らに犠牲を増やすだけであろう」

 

 この時点で近衛参謀長はクーデターの成功の可能性はもうないと割り切っていた。もともとケスラーの死を前提にしてしか作戦を立てていないのだから、彼が生きて表に出てきた時点でもう失敗は確定したのである。それならば、これ以上、貴族に対する心象が悪くならない形で事態を収拾するために、割り切れずいる部下たちを説得し、これ以上の犠牲をださないことが自分の責任であると考えたのである。

 

「それにな。先の内戦において、一回目のガイエスブルクの戦いで貴族連合軍は帝国軍の半包囲追撃で大打撃を受け、すでに敗色はあきらかとなっていたそうじゃないか。にもかかわらず、盟主のブラウンシュヴァイク公は敗北を認めず、叛乱惑星に熱核攻撃までして足掻き続け、結果として貴族階級に対する世間の悪評を招くだけにおわったじゃないか。世間の偏見を是正すべく行動したわれらがそれと同じ道を歩んでどうするのだ。貴族として、近衛将校として、最後は潔くあろうじゃないか」

 

 いっそ晴れやかとも表現できそうな微笑みとともに優しげな声で主張している上官の姿を見て、少佐はあることを連想した。

 

「大佐は、これからどうなさるのです。自決なされるのですか」

「そうしたい者はそうするがいい。私個人としても、貴族として名誉ある自決をしたいところではあるが。ローエングラム王朝の側からすれば、今回の一件はとんでもない不祥事だ。生きた責任者を軍法会議にかけ、処刑せぬことにはおさまるものでもなかろう。……私はこのクーデターの首謀者の一人だ。われわれの都合で巻き込んでしまっただけの者たちの責任を少しでも軽くしてやるためにも、しばらく生き恥をさらすつもりさ」

 

 近衛司令部内の将校たちは衝撃を受けた。軍法会議にかけられ、処刑されることまで覚悟しているとは。貴族としても高級将校としても、堪え難い屈辱的なことであろうに。それなのに、それを清々しい表情で言ってのけるほど、ノイラート大佐は敗北を受け入れているのだ。ならば、もうこれ以上何を言っても翻意するようなことはありえないだろう。

 

 それを悟って、幾人かの近衛将校が司令部から退室した。参謀長と違い、軍法会議で見世物にされることを拒絶し、名誉ある自裁をしようと決断したものが去って行ったのである。ノイラートはそれを止めようともせず、残っている通信将校に声をかけた。

 

「無線で近衛司令部命令を通達してくれないか。オープン・チャンネルでいいから」

「いったいなんと命令されるのです?」

「……抵抗する気はないということと、感謝を告げておくべきだと思ってな」

 

 たしかにそれはやっておいたほうがいいだろう。通信将校はその説明に納得して無線の命令装置を取り出し、ノイラートの口述に従って命令文作成し、それを通達した。その内容は以下のようなものであった。

 

「現在、憲兵隊総監兼首都防衛司令官ウルリッヒ・ケスラー上級大将の演説放送の内容は概ねにおいて事実である。われわれ近衛司令部は貴族たちの窮状を憂い、それを救おうとするクーデターに加担していた。諸君らを謀り、一方的にクーデターに利用したことを謝罪するとともに、いままで協力してくれたことに感謝する。もはやこれ以上、われわれに抵抗する気はない。今回のすべての責任はクーデターの首脳部であったわれわれにこそあり、諸君らはただ利用されただけである。なんら主体的に行動していない諸君らに責任は一切ない。ゆえに後ろめたさなど感じることなく、胸を張って正しい軍旗の下に帰還するようにせよ。

 

近衛司令部参謀長 カリウス・フォン・ノイラート大佐」

 

 その命令を通達したことを確認するとノイラートは気が抜けたのか、崩れ落ちるように司令官の執務机の椅子に座りこんだ。視線は中空を漂っていて、意識ここにあらずといった様子であった。それを見て司令部内の全員が、思い思いに体を休めだした。中には床に寝っ転がっていた近衛将校もいたという。

 

 だれも言葉を発せず、まるで真空状態になったのではないかと錯覚するほど静まり返っていた。しかしその沈黙した空気の中で、ふとあることを思いだした将校の一人が、ノイラートに問いかけた。

 

「あの、ヴァイトリング近衛司令官閣下以下、蜂起に反対したので、軟禁している近衛将校たちを解放しておきますか」

 

 ノイラートは呆気にとられたように二、三度瞬きした。そして、なにか迷っているような表情を浮かべたのである。

 

「……いや、それには及ぶまい。いまこの段階で解放して、彼らもクーデターに参加していたと勘違いされるようなことがあっては、たまったものではなかろうし。ましてヴァイトリング中将はレオ――モルト大尉と親しい関係であったから、そういう下種の勘繰りをしてくる奴も絶対いよう。彼らに謂れなき難癖をつけられないためにも、解放はすぐここにもやってくるであろうケスラー上級大将の憲兵隊に任せよう」

 

 そういう懸念がまったくないというわけではなかったが、ヴァイトリング中将にどんな顔をして会えばいいのかわからなかったので、このまま会わずにわかれようというノイラートの臆病心がそれを言わせた一面が間違いなくあった。

 

 それでもそう時を置かずに面会することになりそうな気がしないでもないが、少なくとも今では中将も感情の整理がつかぬだろうし、自分にしたってそうであるのだから、この場においては忘れたように放置が最善である。近衛参謀長はそう自分を説得して正当化した。

 

 だが、それは本当に無意味なものでしかなかった。自分の指揮下に入るようにという内容の近衛司令部命令から、既に近衛司令部は降伏しているも同じと判断したケスラーが十数分で数百程度の憲兵を引き連れやってきて近衛司令部の将校たちを拘束。そしてすぐに解放されたヴァイトリング中将と顔をあわせることになり、罪悪感と徒労感でノイラートは肩をがっくりと落とすことになるのだった。

 

 このようにして近衛司令部はあっさりと抵抗を諦めたのだが、貴族連合残党のジーベックは投降など考えておらず、不屈の意思をもって再度の機会を掴むべく首都星からの脱出を考えていた。

 

「な、なぜぇ……」

 

 そんなジーベックは、理不尽に抗議するように贅肉のついた中年が、自分を銃撃した銀髪の青年の胸倉をつかみながら力尽きて倒れるのを冷ややかに観察していた。

 

「なぜって、苦心して調達した資金を散々横領しておきながら本気で言っているかこいつは?」

「本気で自覚がないのでしょう。自己の安寧と利益のみに恋々としている臆病な敗北主義者ですから」

 

 ラーセンがワイツの頭を踏みつけながら同意した。ゴールデンバウム王朝への洗脳的盲従精神旺盛なラーセンにとって、奉仕精神というものがまるでない俗物のワイツは処分対象以外の何物にも見えておらず、ジーベックから許可が出ないから殺さなかっただけだったので、抹殺できて清々しい気分だった。

 

 ワイツを処分した理由は単純明快で不要になったからである。帝都掌握に失敗した以上、帝都における工作組織のダミーである髑髏団自体存続できなくなるのは明白であり、その長であるワイツも新王朝から追われる身になる。一緒に帝都から脱出したところで組織の和を乱しながら資金横領に励むことは目に見えているし、置いていったら置いていったで身の安全をはかるためになにもかも憲兵隊に自白して組織の害になるである心配があった。だからそういう心配がない確実な手段をとったというわけである。

 

「構成員の多くを失い、残ったのは三〇名余りに過ぎないか……。こんなザマではラナビアで良き結果を期待しておられる殿下になんと申し開きすればよいのか……」

「それを悩む以前にどのようにして宇宙港まで行かれるつもりです。街道のあちこちに金髪の孺子の狗どもが徘徊していて、奴らの目をあざむくのは困難では」

 

 宇宙港まで行けば脱出は可能であると確信しているようであった。ジーベックも同じであるらしく、彼らの宇宙船の偽装能力への絶対の自信は、彼らの中では共通認識であるらしかった。

 

「失敗した時のことも事前に考えている。この邸に隠し通路があってな、帝都中に迷路のように張り巡らされている地下水路に繋がっている。そこから宇宙港まで行けるルートは既に調査済みだ。いくらか下水道を泳ぐことになるが、この際、仕方がない」

 

 ラーセンが目つきが剣呑なものに変わった。別にそれは断じて下水道で水泳に興じなければならない不快さからくるものではなかった。

 

「最初から逃走を計画していたと……? それは敗北主義的ではないか」

「用意周到と言ってほしい。万一の事態にあっても、黄金樹のために奉仕し続けるために生き残る算段はやっておくべきだろう」

「それもそうですね。しかし、下水道ですか。汚水が肌に染みついて悪臭を放つようと思うのですが、それへの対処法も考えてあるのですか」

 

 即座に物騒な雰囲気は霧散し、真面目な表情を浮かべて現実的な懸念を述べてくる。もし一身上の安泰をはかっての言い訳だと受け取られれば、目の前の元保安少佐はワイツに対してやったようなことを自分にもしてくることになるだろうとジーベックは確信していた。

 

 こんな怪物じみた精神の持ち主の相手をするのは非常に疲れる。しかし、その精神的な疲労感に耐えて彼を近くに置いておかなくてはならない必要性は今回の作戦の失敗で大幅に下がったことであるし、今後は多少マシになるだろうと思うと気が楽になるものだとジーベックは内心でごちた。

 

「ああ、そのあたりのこともちゃんと考えてある。心配する必要は何もないさ」

 

 ジーベックは内心の不満をかけらも感じさせない爽やかな笑みを浮かべ、そう自信満々に言い切った。

 

「とにかく急がなくてはならんな。あの宇宙船のことを知っているのは幹部だけだし、そう簡単に口を割るとも思えない奴ばかりだからしばらくは大丈夫だろうが、何十時間と熾烈な拷問を受け続ければ口を割ってしまう奴もいるかもしれん。それでなくても、われわれの潜伏地がラナビアであることは多くの者が知っているんだ。もし討伐隊がわれわれより先につくようなことになったら……」

「殿下が危ないか……。たしかに急がなくてはいけませんな」

 

 ラーセンは深く頷いて同意をしめした。その双眸は、偉大な血族の娘を守らなくてはならないという熱意で煌いていた。



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全面楚歌

FGO第二部二章クリア。
北欧神話の終末戦争ってのは、虹の砲兵と炎の巨人が一目惚れした一人の女を巡って痴話喧嘩する話だったんだな
ルドルフ「絶対違う」


 憲兵隊によって解放されたヴァイトリングであるが、すぐに自由の身になれたわけではなかった。近衛司令部はすべてヴァイトリング中将の認可を受けて命令をだしていると偽っていたので、参謀長のノイラート大佐ともども、取り調べの対象となったのである。

 

 幸い、ヴァイトリングがずっと拘束されていた証拠や証言は山ほどあったし、一緒に取り調べられたノイラートもずっと気まずい表情を浮かべながら、自分がクーデターに賛同しなかった司令官を拘束し、代行して司令部を統括していたと主張し、間接的にヴァイトリングに責任はないと弁護したこともあって早々に拘束を解かれた。

 

 その後、ヴァイトリングは自分たちを取り調べていた憲兵将校に嘆願し、近衛司令部で情報の整理と帝都騒乱の事態収拾の指揮をとっていたケスラーと面会した。ヴァイトリングは姿勢をただし、勢いよく頭を下げた。

 

「今回の不祥事、すべて近衛司令官でありながら、部下の不穏な動きを掣肘できなんだ私の無能さによって引き起こされたものです。責任はあげて、私と一部の近衛士官らにあり、罰せられるのもそうであるべきであって、事情をまったく知らぬ下士官兵らにはどうか寛大な処置を賜りたく……」

「卿の主張は一理あるかもしれんが、今はそれどころではない。早急に非常事態を終結させ、元の平時体制に戻すことのほうが先決だ。処罰がどうの、という話であればすべて終わった後から考えればいい」

 

 取りつく島もない返答であったが、まったくもって正論であったので、ヴァイトリングは話題を変更する必要を感じた。

 

「まだ抵抗している者達がいるのでしょうか」

「私の放送と、例の近衛司令部命令のおかげで投降してきている者が多くいるが、いまだに抵抗しようとしている者が少数ながらいると報告がある。それに貴族連合の残党はもともと犯罪者であるため、死に物狂いの抵抗を繰り広げているという」

「……なるほど。まだ抵抗している近衛がいるようなのであれば、上官である私が直接出向いて説得いたしましょう。もっとも、私の言葉がまだ届くのかどうか、わかりませんが」

 

 近衛司令官はやや自嘲気味にそう提案した。自分の知らぬところでクーデター計画を立案し、それを自分の許可を得ず実行してしまった者達である。クーデターに成功の目がなくなったからといって、自分の言葉に耳を傾けてくれるかという思いがあったのである。

 

 ケスラーにしても同じ思いだったのであまり意味があるとは思えず、却下した。それより拘束したクーデター派の近衛将校の事情聴取をさせたほうが有意義だろう。無論、近衛将校同士で隠し事をするのではないかという懸念もあるので、監視役の憲兵将校を付けた上で事情聴取をさせるべきだろう。

 

 表情筋を一切動かさずに脳裏でそろばんを引き、それを命じた直後、とある人物が近衛司令部に颯爽と現れ、視界に入ったケスラーに声をかけた。

 

「御無事のようでなによりですな、閣下。いやはや、賊が閣下のお命を狙っているという噂を聞き、すぐにターナー君と連絡を取り終えた直後に、首都防衛司令部が爆破されたと聞きヒヤリとしましたよ」

 

 どこか他人を不愉快にさせる甲高い声の人物は、場違いなほど綺麗で埃ひとつついていないスーツを完璧に着こなしており、胡散臭い微笑みを浮かべていた。

 

 ヴァイトリングは思わず顔をしかめ、無表情を維持しているケスラーに尋ねかけた。

 

「閣下、彼はいったい……?」

「……私の身の安全を確保するのに協力してくれた民間人だ。それで卿はいったい何の用でここに。卿の功に対する褒賞だのといった話であれば、すべて終わってからにしてもらえないだろうか」

 

 ケスラーの態度は無関心を装っていたが、あきらかに相手を拒絶する意志を全身から発しているようにヴァイトリングには思われた。

 

「なんと危険を伝えて自宅を避難地を提供しただけでございますのに、聡明なる首都防衛司令官に褒賞を授与されるほどの貢献であると評価して頂けるとは、このヨブ・トリューニヒトもまだまだ捨てたものではございませんな」

「御託を述べるだけなのであれば、お帰り願いたいのだが……?」

 

 鉄の意志で無表情を装っていたが、ケスラーの眉間に太い青筋が一本走っているのをヴァイトリングは確認することができた。トリューニヒトなる人物が、この気まずさを感じていないように朗らかに微笑み続けられる神経が理解できなかった。

 

「いえいえ、とんでもございません。ある重大情報を入手し、善良な一臣民として、私個人の陛下への忠誠心からこれを然るべき相手に伝えるべきであると考えまして、こうして閣下にご報告に参った次第であります」

「それで、その重大情報というのは?」

「マールブルク政治犯収容所に移送された閣僚の内、開明派と見做された者達が賊によって多数殺害されてしまったとのこと」

 

 さして重要なことでもないような明瞭さと朗らかさでトリューニヒトはそう報告し、ケスラーとヴァイトリングは息をのんだ。

 

「なん……だと……。たしかなことなのか、それは」

「はい、具体的な人数はまだつかめておりませんが、証言によると少なくとも数十名単位で犠牲となったようで、開明派の筆頭であるブラッケ氏は既にヴァルハラの門をくぐっているのは間違いないと」

「ブラッケ氏が……。その証言というのはだれがしたのか」

「閣下の放送を視聴し、錯乱して逃亡したマールブルクの憲兵たちでございます。彼らを閣下の目となり耳となっていた元憲兵たちが数名拘束し、そこからそうした事態が発生したと掴んだのです」

 

 ついに鉄面皮が崩れてケスラーは信じられないという表情を浮かべた。ヴァイトリングは部下たちが暴走し、閣僚までも殺していたと知って、自分は自裁する程度では許されない大罪を犯したのだという暗い感慨を抱いた。

 

「つきましては閣下、その穴を少しでも埋めるべく私を文官として陛下に推薦していただけないかと。ご存じのことと思いますが、私は自由惑星同盟で政治家をしていた経験がございまして、民政に対して一日の長があります。たとえ民政尚書となっても、故ブラッケ氏の遺志を継ぎ、彼に負けぬ働きをするとお約束しますよ」

「――ッ!! ……何度も言っているが、そういう話であれば後にしてくれ。まずはこの事態を収拾することが先決なのだ。それ以外の話をするつもりはない!!」

 

 いけしゃあしゃあと綺麗事を語って自分を売り込んでくるトリューニヒトの厚顔さに、ケスラーは激情に駆られかけたが寸のところでなんとか自制することに成功し、型通りの言葉を述べて追い払った。しかし彼があげた功績が莫大である以上、彼の仕官願を無視して陛下に紹介しないわけにもいかなくなると思うと今から憂鬱である。

 

 もちろん、陛下は名君であらせられるから、仕官を受け入れるとしてもさしたる実権もない名誉職か閑職しか与えぬであろうが、あのような人物を紛いなりにも体制内に取り込む手助けをしてやらなくてはならないとは……。

 

 トリューニヒトを追い払った直後、入れ替わりで帝都防衛第一旅団幕僚のエーベルハルトがやってきた。彼はケスラーに敬礼すると、はきはきとした声で報告をした。

 

「ミュンヘン・ホテルにたてこもっている近衛兵約一個中隊相当は、われわれの説得に耳を貸す様子がなく、交渉役を送り込もうとしても威嚇射撃で追い返す始末。説得して投降させよというのが首都防衛司令官の方針でありますが、トレスコウ副旅団長は説得の余地なしと見做し、武力鎮圧を望んでおります。許可をいただけますでしょうか」

「近衛兵だと? いったいどこの中隊だ」

 

 ケスラーの放送やノイラートの近衛司令部命令があってなお、まだ中隊という纏まった形で、体制側に帰順することを拒否し、抵抗を続けている近衛兵たちがいるとは信じがたく、ヴァイトリングは思わず問いかけた。

 

 中将の階級章を見てエーベルハルトは軍人として反射的にその疑問に対する返答をしたが、内心でなぜ今回の一件の黒幕と目されている近衛司令官が拘束されておらず、そんな質問をしているのかと首を傾げた。

 

「近衛第七中隊を中心とした部隊であると思われます!」

「第七中隊だと……ということは、その指揮官はあやつか……。なるほど、たしかにあやつなら……」

「その中隊長は卿にとって親しい人物なのか?」

 

 悲痛な反応を示したヴァイトリングをケスラーは不思議に思ってそう問いかけた。いくらローエングラム王朝の世で規模を縮小されたとはいえ、近衛部隊に存在する中隊長は何十人と存在している。その全員と心を通わせるほど親しくするのはとても非現実的である以上、そんな反応をできるような相手といえば私的にも親しい相手であるはずと推測したのである。

 

「え、ええ、それはかまいませんが……」

 

 ヴァイトリングは言いよどみ、まわりが邪魔だとジェスチャーした。ケスラーはそれに答え、ヴァイトリングと二人きりで近場の個室に入った。もちろん、ヴァイトリングがトチ狂った行動をしても大丈夫なよう、腰のブラスターを何時でも抜けるよう意識した上で、説明を促した。

 

「第七中隊長の名はヴェルンヘーア・レオ・フォン・モルトといいます」

「モルト? モルトというとことは……」

「はい。前近衛司令官モルト中将の嫡子です。時の皇帝、エルウィン・ヨーゼフ二世を誘拐された責を取り、自裁しました」

 

 ヴァイトリングはケスラーから視線を逸らし、医学上の理由で恥ずかしいことを患者に言わなければならない若い医師のような態度になった。

 

「彼はそのことに納得がいっていないようなのです。なんでも、エルウィン・ヨーゼフ二世が誘拐されたのは実はレムシャイド伯の一党の手によるものではなく、当時既に帝国最大の権力者であった現皇帝陛下が、サジタリウス腕に領土的野心を抱き、その大義名分づくりのための自作自演であり、父はそれをもっともらしくみせるために死を強いられたのだと思い込んでいるのです。……憲兵隊が誘拐犯どもの密入国を察知していながら、その情報を近衛司令部に寄越さず、その責任もろくに追求されていないのが、その説を信じる根拠であると。それゆえ、ローエングラムの旗の下には戻るまいと意地になっておるのでしょう」

「……」

 

 ケスラーは何も言い返せなかった。自分もあの誘拐事件はラインハルトやオーベルシュタインが裏で糸を引いていたのではないかと推測しており、おそらくその推測はほぼ事実であるに違いないと思い、それを今おおやけにすればようやく築かれた秩序が壊れてしまうと思い、沈黙を保っているのである。いうなれば、自分も同罪である。だからこそ報復心に燃えている第七中隊長が投降しようとせず、徹底抗戦のかまえをとっているのも頷ける話だった。

 

 憲兵総監の沈黙は、雄弁にレオの信じている陰謀説が真実かどうかを証明しているようにヴァイトリングには思われた。あまりといえばあまりな真実を飲み込むのに苦労し、深く深呼吸をして気を落ち着かせた。

 

「モルト中将とは旧くからの親友でありました。その親友が忠誠を誓った祖国によって嵌られ、死を強要されたなどと思いたくありませんし、親友はどこまでも自らの失態故に自ら身命に決着をつける道を選んだのと私は思い続けることでしょう。ですが、彼に遺書で息子の面倒をみてやってほしいと頼まれた者として、誉れ高き近衛の軍服を身にまといながら帝国軍によって殺されるようなことになれば、亡き親友に申し訳がたちません。どうか、説得の機会をいただきたく」

 

 そういうことにしておいてやるから説得に行かせろという意味であった。あの一件については思うところがあるケスラーとしては武力鎮圧という策でモルト中将の子を殺してしまうのは気がすすまない。だが、首都防衛司令官としての職務からいえば交渉する姿勢すらみせずに威嚇射撃すらしている中隊をいつまでも放置していくわけにもいかなかったので、二時間という制限時間付きで説得に行くこと認めた。

 

 二人が部屋から出てきて、部下の不始末をつけたいというヴァイトリングの意思を尊重して彼に説得を任せてみるとケスラーから言われて、近衛部隊内部の事情がまったくつかめていないエーベルハルトは驚いて訝しげな目をしたが、首都防衛司令官としてその旨を書いた命令書まで近衛司令官に携えてさせているとなると、反問が赦されそうな雰囲気でもなかったので了承した。

 

 旅団司令部についても、近衛司令官はクーデターの首謀者の一人だったのでは? と疑惑の目で見られたが、首都防衛司令官直筆の命令書を携え、幕僚のエーベルハルトが直接ケスラーがそれをヴァイトリングに渡しているのを見ていたと証言している以上、上位司令部からの命令には絶対服従の精神を持つトレスコウ准将としては説得に行かせるのを認めるしかなかった。

 

 命を受け、ブロンナー大佐がメガホンで交渉役を行かせる旨をミュンヘン・ホテルに向けて叫んだ後、ヴァイトリングが堂々たる態度でホテルに歩み寄っていった。叛乱を起こしたとはいえ、自分たちの司令官に向けて発砲するのは気が引けたようで、近衛兵たちから威嚇射撃を一切受けることはなかった。

 

 机や椅子を積み上げて作ったバリケードを超え、ホテルの玄関口でヴァイトリングの姿を認めたレオは一瞬だけ弱々しい表情を浮かべたが、すぐに我を取り戻したように表情を引き締め、レルヒェンフェルトとともに一歩前に出て、姿勢を正して敬礼した。

 

「お久しぶりです、中将閣下」

「久しぶりも何もあるか馬鹿者。もはや大勢は決しておる。卿らに勝利の目は皆無だ。みっともなくあがいて何になるか」

「なぜ勝利はないと決めつけるのです。近衛司令部が落ちたとはいえ、まだ我が中隊は健在ですし、敗北したわけではない」

 

 レオがあくまで抵抗すると語ると、ヴァイトリングは眼光を炯々とさせ、怒鳴りつけた。

 

「現実から目を逸らすでない! 敗北したわけではない? なるほど、そうかもしれぬな。だが、それは本当にまだ敗北しておらんというだけのことだ! 援軍はおろか補給の見込みもない一個中隊が籠城したところで首都防衛軍に勝てるはずもなし。レオ、おまえ一人の未練のために、これ以上、無謀な抵抗を貫徹して無関係な兵らを巻き込むでないッ!」

 

 しかしこれに反応したのはレオではなく、レオの部下である近衛第七中隊の隊員たちであった。ヴァイトリングのいうとおり、当初こそ真実を知らずに巻き込まれた彼らであるが、ケスラーの放送があった直後、兵たちから、よくも皇帝陛下の御為であるなどと偽ってくれたなと怒りを向けられることを覚悟の上で、レオは真実を部下たちに告げて詫びを入れていたのである。

 

 だが、それに対する反応は反発ではなく嘆きであった。どうして皇帝陛下の御為であると偽らなければ、自分たちがついてこないなどと思ったのか。彼らはゴールデンバウム王朝の頃、自分たちの中隊長がいかに部下の生活向上のためにさまざまな便宜をはかってくれていたことに深い恩義を覚えていたのである。平民が苦しい時代、貴族であった中隊長は自分たちを助けてくれたではないか。ならば今、貴族が苦しい時代であるというのであれば、自分たちは我らが中隊長のお力になることを躊躇うはずがないではないか。

 

 これほどまで自分は部下に慕われていたのかとレオは感涙し、この素晴らしい仲間たちと一緒に最後まで戦い抜こうという決意を新たにしたのである。そして神様みたいな中隊長のためとあれば、北欧神話にあるチュートンの戦士たちのようにヴァルハラまでお伴したいというのが第七中隊の兵士たちの総意でもあったのである。

 

「……中隊の意見はわかった。近衛中尉、卿もモルト大尉と同じなのか」

 

 兵卒たちも戦意にあふれている事実は予想していなかったので、第七中隊のことはひとまず置くことにして、外様であるレルヒェンフェルト近衛中尉の意向も確認しようと問いかけた。

 

「小官個人としては降伏した方がいいとは思いますが、仲間がまだやると言ってるのに彼らを見捨て、自分たちだけ降伏するつもりはありません」

 

 第七中隊ほど積極的ではないものの、レルヒェンフェルトにもまだ戦うつもりであるようだった。結局、レオを説得しないことにはどうにもならないのだろうということをヴァイトリングは理解し、言葉を尽くして降伏を促したがレオは頑なだった。

 

 勝算がないことくらいレオとて承知はしている。だが、クーデターまで起こしたにもかかわらず自ら降伏するのでは、あまりにも釈然としないというものだ。蜂起の際、私怨のみが動機ではないとは言ったが、私怨がないわけではないのだ。にもかかわらず、父を死に追いやった金髪の孺子の軍門に戻るなど承服できることではなかった。それくらいならいっそ、最後まで徹底抗戦し、もって金髪の孺子の権勢に打撃を与えて散った方が胸がすくだろう。クーデターが成功ならぬ時はたとえ一人だけになったとしてもそうすると最初から決めていた。だから折れるつもりは一切ない。唯一想定していなかったことといえば、事前に思っていた以上に自分の部下は誇らしい馬鹿どもばかりで、こんな自分の破滅的行動についてきてくれる意志をしめしてくれたことくらいである。

 

 そこまで覚悟を決めきっているレオは、いかに父の親友であったヴァイトリング中将の説得といえども、受けいれる気などさらさらなかったので、ただ時間だけが延々と過ぎていった。そのまま一時間を経過した頃、再度の来客があった。まだレオが抵抗を続けているという情報を何処からか入手したノイラート大佐が自分を拘束している憲兵隊に頼み込み、“責任を持って事態を収拾するため”という名目で銃火器を没収されたまま説得要員としてミュンヘン・ホテルに赴くことを許可されたのである。裏切った近衛司令官がいるのを見て大佐はやや鼻白んだが、すぐに調子を取り戻して士官学校時代の良き後輩に語りかけた。

 

「もういい加減にせんかレオ。これ以上抵抗を続けて何になるか。ただ末端の兵たちが死ぬだけだ。たとえ首都防衛軍の将兵を数千程度道連れにしたところで、金髪の孺子にとっては煩わしいと思うだけで、さほど痛痒を覚えるようなことでもない。われわれの蜂起が失敗した時点で、おまえの復讐も達成されることはないんだ。この際、潔く降伏するか、それができぬというなら自決すべきだろう」

 

 この論法には、ただ父に汚名を負わせ死なせたラインハルトに対する報復感情からくるレオの決意を揺らがせるものがあったが、それでも降伏も自決も彼にとっては受け入れがたい感情が強過ぎ、首を横に振って拒絶した。その様子を見て、ノイラートは覚悟を決めたように腰のサーベルを抜いた。これにはまわりも騒然となった。

 

「大佐、なにを!?」

「司令官閣下は黙っていていただきたい! レオ、今回のクーデターの旗頭は間違いなく自分だ。少なくとも、近衛将校たちにとってはな。クーデターが失敗に終わった以上、自分にはこれ以上事態を拡大させぬよう努力する責任がある。おまえも読んだだろうが、正しい軍旗の下に戻れという近衛師団命令を出したのもそのためだ。なのにそれでもおまえが降伏も自決もせずに意地を貫くというのなら、俺がおまえを殺してやる」

 

 サーベルをレオの首先に突きつけ、殺意をもって睨みつけた。周囲の近衛兵たちは自分たちの中隊長を守るべく、ビーム・ライフルをかまえたが、

 

「やめろ撃つなッ!」

 

 他ならぬ中隊長自らそう叫んだので、引き金をひくことはなく、異様な緊張感が場を支配した。

 

「……先輩になら、しかたないですな。斬りたいなら斬ってください」

「なんだと?」

「今回の一件には私が先輩を巻き込んだようなものですから、あなたならいいです」

「……」

 

 斬られるなら甘んじて受けようと穏やかに語る後輩に、ノイラートは気合を挫かれたのかサーベルを下ろした。その後、なにも言わずにレオを睨みつけていたが、周囲の者たちには、もう本当にこれ以上抵抗するのはやめろと懇願する色が瞳に宿っているように感じ取れたという。レオは一切の迷いない瞳で見返していた。

 

 この両者の睨み合いは、唐突に館内に鳴り響いた荘重な旋律によって中断させられた。原因はレルヒェンフェルトである。どうなったとしても、第七中隊と運命を共にしようと考えていたレルヒェンフェルトであったが、司令官やら参謀長やら、一介の中尉に過ぎない身としては雲上人である上官たちが説得しにきたものだから、決心がぐらついてきたのでレオの近くから離れたのである。

 

 それでも内心に漂っていたなんとも形容し難い心情を払拭するべく、なにか戦意が高揚する軍歌でもないかと放送室で音楽ディスクを物色していた。しかしストックされていた軍歌はあまりレルヒェンフェルトの感性にマッチするものではなかったので、この際、軍歌でもなくてもいいからなにかないかと探していたら、銀河帝国国歌を見つけたのである。

 

 ローエングラム王朝の世になってから国歌斉唱は控えられる傾向があった。皇帝ラインハルト以下、帝国首脳陣はもっと実質的な意味での国家改革や制度整備に忙しく、国歌の扱いに対してなんら指示をだしたことはない。だが「旧態依然とした慣習を廃して新帝国(ノイエ・ライヒ)になったのだから、それにふさわしい新しい国歌(ノイエ・ナツィオナルヒュムネ)を制定すべきではないか」という意見をだれも否定しなかったので、下の官僚たちが勝手に忖度(そんたく)して国家斉唱を行わないように配慮する事例が多発していたからである。

 

 なのでレルヒェンフェルトは丁度いいと思い、最近聞かなくなっていた銀河帝国国歌を厳かに一人で拝聴しようとしたのであるが、ディスクを再生する際に誤って館内放送のスイッチを押してしまっていたので、放送室のみならず館内全域にその厳粛なる旋律が流れ出したのである。

 

「遍く星辰(ほしぼし)よ、我らを祝福したまえ

我らは輝ける未来を告げる者、安寧の時代を告げる鐘を鳴らす者」

 

 あまり歴史的事情に詳しくなかった同盟やフェザーンの一部市民が首を傾げていたことであるが、銀河帝国国歌には皇帝や優良な血統を崇拝するような文句は存在しない。なぜかというと、もともとは連邦末期にルドルフが率いた国家革新同盟の党歌であり、皇帝や貴族階級が存在しなかった頃に作られた歌だからというのもあるが、同盟の歴史家たちは民衆の支持を得るために、彼らが欲してやまなかった安定と繁栄といった普遍的内容を中心に歌詞を設定したのであると指摘する。

 

 実際にそういう意図があって作られた歌詞なのかはゴールデンバウム王朝の機密資料が公開された今でもわからない。真相は歴史の闇の中である。しかし当時の国家革新同盟の党員たち、後の貴族たちがこの党歌を愛唱していたのは疑いなく、またルドルフ本人もこの歌を好んでいた。帝国議会を永久解散した直後、ルドルフが勅命によって国家革新同盟党歌を銀河帝国国歌として格上げしたということからも、それはうかがえる。

 

「たとえ祖国が今、虚実により支配されていようとも(かし)の如き忠誠は揺るがず

すべての背徳と口舌の徒を駆逐し、銀河に秩序を齎さん

人類の繁栄のため、恐れず進もう同胞たちよ」

 

 突然国歌が流れたので近衛兵たちは驚いたが、一人、また一人、と、次々に旋律にあわせて国歌を唱和しはじめた。よく国歌が流れる式典の警備に参加していた近衛兵たちにとって、この歌はなにか気を引き締めるものがあるように思われていたのである。

 

 ミュンヘン・ホテル全体で国歌が斉唱されていることに、包囲している帝都防衛第一旅団の若い兵士たちは困惑したが、その困惑が醒めぬうちに続けてとても不思議なことが起こったのである。なぜか味方の一部の兵士や士官も国歌を歌いはじめたのである。

 

真実と平和の神(フォルセティ)よ、我らを祝福したまえ

我らは良き時代を築く者、闇夜を照らす黄金の夜明けを目指す者」

 

 既にケスラーの放送やノイラートの近衛司令部命令(降伏宣言)によって、これがゴールデンバウム王朝復活を目的としたクーデターだと知っていた。そんな者達が追い詰められて銀河帝国国歌を斉唱しているという事実は、かつてゴールデンバウム王朝の軍旗が翻っているのを誇らかに仰いでいた老兵や一部士官がセンチメンタリズムな感情を刺激され、一緒になって歌いはじめたのである。

 

 旅団司令部内で状況を把握したトレスコウ准将は、これでは自分達もクーデターに加担したと勘違いされないかという保身の観点から歌うのやめさせようとしたが、敵味方全員が国歌を斉唱している事実に言い知れぬ感動を覚え、感涙に咽び泣いていた幕僚のエーベルハルトにぶん殴られて阻止された。

 

「たとえ祖国が今、分断の苦しみに喘いでいようとも(かし)の如き忠誠は揺るがず

すべての街頭に我らの旗が翻り、混迷に終止符が打たれん

人類の統一のため、恐れず進もう同胞たちよ」

 

 するとだれも止める者がいないのだから、若い兵士たちも士官たちが歌っているのだから、自分達もやっておいた方がいいのかなと思いはじめ、次々と一緒になって歌いはじめたのである。包囲部隊が自分たちと同じ歌を歌っていることに近衛兵たちは大いにおどろいたという。

 

「宇宙の真理によって結束し、かつてない繁栄と平和を齎す国家革新の道へ

身も心もすべて捧げ、祖国を永遠永久に守護し、溢れるほどの栄光で輝かせ続けよう

我らはたしかな未来をこの手に掴みとるのだ!」

 

 国歌が歌い終わると、包囲部隊からまるで雪崩のような激しさで降伏を呼びかける声が発生した。メガホンから聞こえるそれは、ほとんど涙声であった。中には近衛兵たちの銃口の前に身を晒し、懇願にも似た調子で投降を呼びかけた士官すらいたという。

 

 この時、第一旅団の士官たちが涙を流した理由について、事件後の取り調べがある。この現象を現出させるのに一役買った第一旅団幕僚のエーベルハルトは「彼らは過去の自分たちではないかと思うと居ても立っても居られなかった」と語り、メガホンで降伏を呼びかけた一人である第二区警備連隊長のブロンナーは「言葉にしがたい感情によるものだった。それに引き換え、頭にずっとあった言葉は単純だった。もうわかったから、もういいだろうという。それだけだった」と語っている。

 

 いままであった威圧的な降伏勧告ではなく、情感たっぷりな降伏勧告に近衛兵たちは大いに動揺した。今までずっと頑なだったレオにしても、である。

 

「ここまで同情してくれているというのに……」

 

 沈痛な呟きであった。一緒に国歌を歌い、泣くほど同情してくれるなら、何人かこちらと運命を共にしようとしてくれる者がいてもいいのではないか。なのにそんな者は一人もおらず、ただただ降伏を促すのみである。そこまでか。そこまで、金髪の孺子が築いた新帝国が良いというのか。没落した貴族達を苦しませ、自らの父に理不尽な死を強いた金髪の孺子を皇帝として仰ぎたいというのか。

 

 複雑な感情のうねりを処理できずに震えている後輩に、ノイラートは優しく声をかけた。

 

「俺も間違ってたよレオ。貴族連合残党と組めば、ゴールデンバウム王朝を復活させ、苦しんでいる貴族達を救うことも決して不可能ではないと思っていたが、どうも甘すぎる考えだったらしい。世の人々にとって、ゴールデンバウム王朝はとっくに過去の遺物になっていたようだ。……懐かしみこそすれ、そこに戻ろうとはしないのだろう」

 

 貴族の地位を誇りにしていた者にとっては、認めるのが非常に困難な現実であった。貴族達が支え続けてきた黄金樹は倒れてしまっているということはまだしも、人々は倒れている黄金樹を見物して物思いに耽ることはあっても、立て直そうという気にはならないのだという現実は。

 

 その言葉は、ここまで追い詰められてなおレオの戦意を支えていた()()()に大きな一撃を加えた。それでもなお消えはしなかったが、断腸の思いでそれを無視した。

 

「……先輩、私のファースト・ネームの由来を知っていますか?」

 

 ノイラートは意味がわからず怪訝な顔をしたが、由来を知っていたヴァイトリングが答えた。

 

「ヴェルンヘーアには大昔には“守護者たる軍人”という意味があったと亡き親友から聞いたことがある。だからこそ、祖国の守護者になってほしいという願いを込めて息子にそう名付けたのだとな」

「……それが恥ずかしいので、ヴェルンヘーアと呼ばれるのは苦手なんですよ」

「んじゃ何か。親しい奴にセカンド・ネームで呼ぶようにさせてたのって、たんにおまえが恥ずかしいからかよ」

「ええ、そうです」

 

 恥ずかしそうに頷いて肯定するレオに、ノイラートは呆れたような顔を浮かべた後、堪えきれずに笑いだした。なるほど、たいして親しくなければ家名で呼ぶし、親愛の証としてセカンド・ネームで呼んでほしいと頼むようにしていれば、恥ずかしいファースト・ネームでレオを呼ぶ奴はほとんどいなくなる。計算されつくした見事な作戦だと賞賛すべきであろう。

 

 先輩がそういって揶揄ってくるのを微笑みながら聞いている内に心は定まった。今まで恥ずかしくてたまらなかったファースト・ネームであるが、もう恥ずかしがるのはやめよう。“ヴェルンヘーア”の名に恥じないよう、自身の迷いを断ち切り、すべてに決着をつけるべきなのだ。

 

 レオは近衛第七中隊を整列させ、自分の我儘にここまで付きあってくれたことに感謝の言葉を述べ、武装解除した上で諸君らは包囲部隊に降伏するように命じた。最後まで抗戦する覚悟を決めていた近衛兵たちにとって降伏命令を聞いて戦わないのかと脱力感を感じたが、しばらくするとそれ以上の安堵感を齎した。生命すら惜しくないほど彼らは中隊長に心酔していたが、それでも戦えば死しか待っていないことはわかっていた。だから命を捨てる覚悟もしていたのである。それが無用のものとなり、家に帰って家族に会える可能性がでてきたというのは純粋に嬉しかったのである。

 

 中隊の将兵たちが武装解除をしていて騒がしくなった部屋の中で、レオはノイラートに問いかけた。

 

「先輩、ヴァルハラならまだ黄金樹は輝いているかな」

 

 意味の分からない質問だったのでノイラートはどう答えたものかと悩んだが、近場にいたヴァイトリングはその質問の意図するところを察して血相を変えた。

 

「待て、早まるなッ!」

「良き時代を思い出しましょう」

 

 父も自分も、国家に忠節を尽くしていれば相応の名誉が与えられていた懐かしき黄金樹の時代に……。ヴァイトリングの怒鳴り声を意に介さず、レオは腰のブラスターを引き抜き、そのまま右の頭蓋に銃口を接触させ、引き金を引いた。ブラスターは床に落ち、カツーンと反響する音をたて、身体もブラスターを追うように床にドサリと倒れ込んだ。当然、その身体は二度と動き出すことはなかった。




ある意味、今話のタイトルがネタバレだった。
銀河帝国国歌の歌詞を含めての諸設定は、原作にはまったくない設定なので、あしからず。


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取り逃がし

 ケスラーが近衛司令部を掌握してすぐ帝都の主要交通地点において検問を実施するよう、憲兵総監として全憲兵に命令し、首都防衛官として内務省に要請していた。自分の放送により既にクーデター勢力が瓦解しつつある状況になっている以上、関係者が逃亡をはかる可能性が高かったからである。

 

 この予想は的中しており、貴族連合残党に所属していた構成員が、中心街から離れて身を隠そうと試みたが、中心街外縁部に約一キロメートル間隔で何重にも設置されている検問のすべてを突破することができず、既に何人も各所で拘束されてしまっていた。

 

 一番中心街の外側に位置する検問所のひとつは、内国安全保障局が担当していた。といっても、それまでに何度も検問で確認されていることだし、民間人もうんざりしているだろうから、形式的な確認のみですませていた。

 

 そんな検問所の検問官の一人に任命されていた保安伍長は、絶えることなく続く車列に辟易しながら、確認作業に従事していた。そして次の地上車を止めた時も、手慣れた調子で車窓から車内を覗き込み、美しい化粧が施された運転席と助手席に座っている女装男性の二人組を確認して思わず怯んだ。

 

「こりゃえぐいな。おまえらいったいどこに行くんだ」

 

 嫌悪感と忌避感を隠そうともせず、震え声でそう問いかけた。ローエングラム王朝になって同性愛は合法化されたものの、今まで散々同性愛は社会に害毒を促す犯罪的行為と教えられてきた多くの帝国人から異端視され、拒絶されていたのである。

 

「どこだと思いますか?」

 

 運転席ににっこりと微笑みながら誘うような声でそう聞き返したきたので、保安伍長は胃酸が喉元まで逆流するほどの拒絶感に襲われた。これ以上、こんな輩に関わりたくないと体中の全細胞が訴えていた。

 

「さっさとソドムの底にでも消え失せろ」

 

 自分たちは犯罪者を追っているのであって、精神異常者の相手をするのが目的ではないのだ。そう言い訳して保安伍長はさっさと車を通してしまった。それに部下が疑問を投げた。

 

「なんで身分証すら確認しようとしなかったんですか」

 

 さっきまでは最低でも身分証を受け取り、検問機器を使ってデータベースにアクセスして確認するようにしていたのにと局員は思っての指摘だったのだが、保安伍長は何を言ってるんだこいつという顔をして、あきれたように言った。

 

「いいか、俺たちが探しているのは皇帝ラインハルト陛下に叛逆を企てた卑劣な反動テロリストどもであって、野郎同士で盛り上がるような変態どもじゃないんだぞ」

「そういうもんですかね」

「そういうもんだ」

 

 それっきりだれもさっき通した地上車について話題にならなかった。だれも思い出したくないことだったので、彼らの頭脳は早々に忘却すべき記憶として分類してしまったのであった。なにより捌かなくてはならない車列はまだ大量に検問所で自分の番を待っているのだから忙しかったのである。

 

 しかし彼らは間違えていた。その通りすぎた地上車の助手席に座っていた女装男性こそ、貴族連合残党組織の幹部の一人にして、アインザッツ憲兵少佐を名乗ってマールブルク政治犯収容所で開明派官僚を大量処刑したサルバドール・サダト元帝国軍准尉だったのである。

 

 サダトはマールブルク政治犯収容所で極めてシンプルな手順の銃殺刑を見物し終えた後、部下になにも告げずに一人でマールブルクを後にしていた。もとより貴族連合残党に未来はないと見限っており、一時の宿屋程度にしか考えておらず、最初からこのクーデターの騒ぎの中で行方をくらますつもりだったのである。

 

「しかし、同性愛者のフリをするだけで随分とガードが甘くなるものだな」

 

 実際、それは意外な事であった。運転席に座っている男と恋人関係を装って見せるだけで、憲兵も警察も吐き気を催したような顔をしてかなりおなざりな確認しかしてこない。中には同性愛者らしいと見なした瞬間、なにも言わずにサッサと行けとばかりに顎をしゃくった憲兵すらいたのである。

 

「同性愛が公的には認められるようになったとはいえ、五〇〇年に渡って植え付けられた根深い偏見による差別意識がなくなったわけではないのさ。だが、ローエングラム王朝の世になって劣悪遺伝子排除法をはじめ、同性愛を犯罪扱いする法律が廃止されてしまったから警察に通報しても同性愛者を取り締まってくれなくなってしまった。だから妥協して疎外するのが一般人の平均的感情のようだ」

「だからって検問もろくにせず通したりするものなのかね。同性愛者に化けて検問突破するなんて言われた時は、こんな血迷った作戦しかないとか、もうこりゃだめだと思ったものだが」

「理解しかねるが旧王朝の公式理論に則るなら、同性愛は悪質な伝染病らしいのでな……。感染したくないのだろう」

「マジかよ」

 

 帝国人の愚劣さを嘲笑う運転手に、サダトは心の底から同意せざるを得ない。ほとんど矯正区暮らしだったので、帝国の一般社会に疎く、同性愛がそこまで忌避されている概念であるとは知らなかったので新鮮な驚きであった。

 

 ノーマルな人間にとって同性愛というのは理解しがたいものであるから、受け入れがたい異物として腫物扱いされてる程度だろうと思っていたのだが、よりにもよって伝染病扱いとは! なるほど、一朝一夕で解決できない問題であるわけだ。帝国政府のお偉方も無知ゆえの民衆の迷信にさぞ頭を悩ましていることだろうと思うと、愉快であった。

 

「俺の故郷だと同性愛者をはじめLGBTは珍しいもの扱いではあったが、そんな露骨に異端視されるもんじゃなかったから、どうにも理解しがたいことだな。しかしだからといって、生理的嫌悪感より職務精神を優先させるような奴がいたらそれまでだろうに、なんでいない可能性に賭けれたんだ?」

「たしかにいないという確信があったわけではないが、官憲が同性愛者に関わりたがらない大きな理由がもうひとつあって、それも含めて考えれば、なにがなんでも職務精神を優先しようとする者は少ないと判断した」

「その理由ってなんだ? もったいぶらずに言え」

「新王朝が所謂劣悪者差別問題を解決するためにやたらと神経質になってるからだ。職務的理由から治安当局が同性愛者をはじめとする劣悪者を被疑者として拘束したとしても、被疑者が差別だと叫べば民政省の職員がすっ飛んできて、差別からの拘束ではないかと捜査してくるからな」

 

 ローエングラム王朝が成立してから、民政省はゴールデンバウム王朝が劣悪遺伝子排除法をはじめとする様々な“劣悪者淘汰政策”が民衆に残した膨大な差別的偏見や迷信といった社会問題を解決するために、八面六臂の大活躍をしている。それは別に批難されるどころか、むしろ賞賛されてしかるべき行為であろうが、それを理由に自分たちの仕事に介入してくる民政省の行動を、他の組織が好ましく感じるわけがなかった。

 

 そのため、煩わしい民政省の介入を受けたくないという感情から、警察や憲兵は旧被差別階級を拘束してしまうことに臆病になっており、軽犯罪程度であれば見逃す事例が多発していた。こうした傾向が内務省内で問題視され、内務尚書オスマイヤーが一度民政省に公式文書で改善を求めたのだが、民政尚書ブラッケは「これは警察組織、ひいては内務省みずからが意識改革を行えば済む問題であり、民政省に負うべき責任があるとは認められない。開明政策は新王朝の国是なれば、旧態依然とした慣習偏見に固執し、差別感情に共感する内務省の態度こそ問題視されるべきであろう」と聞く耳を持たなかった。

 

 この返答に内務省高官は激しく激怒したというが、社会正義が味方するのは間違いなく民政省であるとわかるだけに、渋々口を閉ざした。だが、だからといってブラッケが言うような偏見を払拭するような意識改革など容易に実行できるわけもなく、改善されることがないまま現在に至っている。今回のクーデターは、筋金入りのゴールデンバウム王朝シンパによるものとされている以上、彼らが敵視してやまなかった同性愛者にでも化ければ「まさか変装でもそんなことはしないだろう」という無意識も手伝って、誤魔化しとおせる可能性は高いと踏んだのである

 

「……そういえば、おまえらのところ的にはどうなんだ? やっぱ非生産的とか非自然的とか、そういうことで禁忌扱いだったりするのか」

「別に禁忌扱いされているわけではないが……あまり好ましく見られていないのはたしかだな」

 

 運転手の男は軽く舌打ちした。同性愛者を装えば検問を突破しやすくなると判断したのは彼であったが、こんな下世話な話をしていることが気持ち悪くなってきたので、話題を変えたくなったのである。

 

「それで、おまえが拾ってきたあの男はなんなのだ? あんな奴を拾ってこなければ検問を張られる前に動くこともできたし、それだったらこんな女装をして危険な真似をせずにすんだのだ。いったいなにを考えておるのだ」

「いやなに、おまえらの母なる惑星のために役に立つ人材だと思ってな。拾ってきてやったのよ」

「あの重傷者がか」

 

 信じかねるようにそう呟く運転手に、サダトは温容に頷いて後部座席に置いてある人一人分くらい入りそうな細長い箱を覗き見た。実際、中には一人の人間が横たわっている。まだ生きているかどうかはすこし怪しかったが。

 

 貴族連合残党を見限って帝都の街中を散策しているとき、ワーレン暗殺に失敗して重傷を負い街中を闊歩していたクリス・オットー元少佐と遭遇した。もう既に死んでいるのでないかと思えるほどボロボロな体でありながら、両眼に強烈などす黒い意志の輝きを宿しているのを見て、サダトは使えると判断した。

 

 それでオットーに応急措置を施したりするのにかなり時間を使ってしまい、騒ぎの最中に離脱するつもりが、クーデターがほぼ鎮圧され終わってから、逃げることになってしまったのである。そのことを詰られても、サダトは平然としたものだった。

 

「そうだと言っている。それとも俺の言葉が信じられないか。ククッ、あんたらにクーデターのことを事前に教えたというのに、まったく信じられていないとは、悲しいことだなぁ」

「口先だけの意味のない戯言だな。どうしておまえのようないい加減な奴を書記局は信用しているのか理解できん」

「道具としては優秀だからじゃねぇのか。しかし、そんなこと言って大丈夫なのか。上層部批判はご法度なんだろう?」

「なにを言う。部外者を疑うのは恥ずべきことではない」

「そうかい。まあ、期待に背かぬ働きをするとあんたの神に、いや神じゃないんだっけ? とにかくそれに誓いますよ。俺は他人の幸せをぶっ壊すのがライフワークだから、互いの利害が一致しているわけだしな」

 

 当面の間はな。その言葉を内心でサダトは続けた。元よりラナビアでレーデルに仕えたのも、貴族連合残党組織に所属していたのも、自分の身の安全を確保し、なおかつより多くの人間を不幸に陥れることがかなうと感じていたからである。これから所属しようとしている組織もその前提は変わらない。すべては個人的な娯楽のために、である。

 

「まあ、そんな些末事はどうでもいいとして、早いところあんたらの拠点に行かねぇとな。後ろに積み込まれてるあいつの意志力は尋常なものではないからそう簡単に死にはしないだろうが、早いところちゃんとした治療を受けさせるに越したことはない」

「……本当に意味があることなのだろうか」

「意味は絶対あるって。少なくとも、金髪の孺子にとっては死んでいた方がありがたい存在なのは間違いない」

「そうか、なら生かしておいた方が良いか」

 

 納得したわけではないが、一理ある言葉であった。彼の者は間違いなく我らが怨敵にして、我らが理想を阻まんとする障害なのである。それにもし問題があるようであれば、それは書記局が判断するべきであって、自分は不敬な越権行為を働いているだけなのかもしれぬ。そう運転手は考え、目立たない程度の速さで車を走らせ続けた。

 

 一方その頃、宮殿内に設置された臨時対策本部――今回のクーデターで、帝国政府中枢は閣僚を含めて大量の高官が殺害されるという大打撃を被ったため、混乱する帝国省庁の秩序を再編し、一元的に統括するためにマリーンドルフ伯爵が国務尚書としての権限を行使して設置されたものである。ただし伯爵は調整役に終始し、ほとんどのことは各省高官の協議によって決定されていた――の関心は地上より、宇宙と宇宙港に移りつつあった。

 

 それは宇宙に逃げ出されたら、追跡が困難になる可能性が高いという事情もあったが、もうひとつ理由があった。内国安全保障局のカウフマンが、捕縛していた貴族連合残党組織幹部ゲルトルート・フォン・レーデルから重要情報を聞き出していたからである。カウフマンは同僚たちから秘密警察官としての適性をとかく疑問視されていたが、尋問相手に情報を吐かせる手腕に関しては決して無能ではなかったのである。

 

「フェザーンの商船を利用して、貴族連合残党の幹部たちが首都星からの脱出をはかっていると?」

「はい。貴族連合残党組織の大幹部ジーベックは、あるフェザーンの独立商人たちと手を組み、彼らの交易に便乗する形で隠れて惑星移動をしているとレーデルが証言しております」

「……クラウゼ保安少将を疑うわけではないが、いささか信じかねるな。利益のために貴族連合残党組織を一部のフェザーン商人が支援していたというならわからんでもないが、この期に及んでなお運び屋をするなど奴らと運命をともにしようとしているようなものではないか。理に聡いフェザーン商人の中でも抜け目ないとされる独立商人たちがそんな割に合わない仕事をするだろうか。レーデルが嘘の証言をしているだけの可能性があるのではないかね」

 

 疑わしそうに腕を組みながらオスマイヤーは疑問を投げた。他の者たちも疑わしそうな表情を浮かべていた。

 

「その可能性が絶対にない、とは申せませんが、ほぼ間違いなく嘘ではなかろうと私は考えております」

「その根拠はなんだね」

「レーデルの証言によりますと、そのフェザーンの独立商人たちは亡命仲介を生業としていたそうです。ですが、ご存知の通りローエングラム王朝が成立したと同時に、同盟との対立関係も表面上は修復され、犯罪者でもなければ国境を越えることは以前と比べ物にならないほど容易になり、秘密裏に行う必要がなくなってしまいました。そのため、新たな顧客として貴族連合残党組織と提携することを選択したということです」

 

 オスマイヤーをはじめ、幾人かが顔を青くした。ゴールデンバウム王朝時代、国外への人材流出は、ある意味では同盟との戦争以上に、国家存続の上で懸念事項とされてきた。帝国政府が初めて亡命者を秘密裏に国外に輸送することを生業にしているフェザーン人たちがおり、自治領主府自らがかかわっていることを知った時、帝国政府首脳部は衝撃を受け、ひとまず帝国内のフェザーンの商人数千人を誘拐容疑で大量に拘束させ、帝国軍にフェザーン制圧を検討させるという強硬な姿勢をとり、対フェザーン関係が一触即発の状態までいったくらいだ。

 

 フェザーンと深い関係を有していた大貴族、フェザーンを制圧して同盟との第二戦線を設けて維持できるか非常に不安だという軍部、国庫が厳しい状況で例年の比ではない大規模軍事行動は控えてほしいという財務省などの反対。そしてそれを見透かしたフェザーン自治領主府が、帝国政府への貢納の大幅な増額、自治領内の不法滞在者を定期的に帝国に送還する事業を実施することなど帝国に大きく利がある条件を出し、その代わりに亡命仲介事業はお目こぼしいただくという内容の密約案を提示。帝国政府内で激論が戦わされ、結果的に密約案を受諾することを選択し、拘束していたフェザーン人を解放してひとまずの危機はさった。

 

 だが所詮密約は密約であり、帝国政府が公式にフェザーンの亡命仲介業を公認したわけではなかったから、それ相応の対処策を取ることも忘れなかった。社会秩序維持局に亡命者を摘発することを専門とする特殊犯罪・叛逆対策部門を立ち上げたことをはじめ、帝国政府は亡命者狩りに相当な力をいれてきた。加えて公的には「一部のフェザーン人は亡命仲介は善意の商売であると主張しているが、実態はというと帝国臣民を拉致・誘拐しているだけの悪質な犯罪にすぎない。この犯罪にかかわったフェザーン人の再入国禁止処分は当然として、極刑を課すこともある」と仲介業者を脅し、フェザーンとの関係が悪化することも恐れず、見せしめとして何度かは実際に処刑した。

 

 しかしそれでもなお、生命の危険を恐れることなく、帝国の官憲の目を巧妙に掻い潜り、亡命者を秘密裏に輸送し続けてきたのがフェザーンの亡命仲介業者たちなのである。そうした者たちの偽装を破るのは非常に難しいことであった。

 

「付け加えて私見を述べますが、もしレーデルの証言通りの背景を持つフェザーンの独立商人たちが運び屋を担っているのが事実である場合、数ある犯罪組織の中から絶対にわれわれと相容れない反動勢力と手を組んでいることから考えますと、彼らは故郷と仕事を帝国に奪われたと考え、強い反帝国感情を有しているものと推測されます。よって多少の利をちらつかせたところで、独立商人たちが匿っている貴族連合残党組織の幹部をこちらに引き渡す可能性は非常に低いと考えなくてはなりません」

 

 うんざりとしたうめき声が何重にも重なって響いた。本心から犯罪者に与している秘密の人物輸送の達人など、考えるだに悪夢である。

 

「……帝都のフェザーン人の経歴をすべて洗うことは可能か?」

 

 疎んじていたジュトレッケンバッハ警部補によって解放された元ハルテンベルク派の警視総監のつぶやきは思わず言葉がこぼれてしまったような口調であったが、オスマイヤーが首を振って否定した。

 

「不可能だ。フェザーンが成立してから、このオーディンは帝国有数の市場として目をつけられてきた惑星で、フェザーン人街が郊外に築かれているほどで、この惑星上に最低でも数百万単位のフェザーン人がいることだろう。純粋な独立商人に限定するとしても、数十万は確実だ。彼らのことを一人残らず洗いざらし調べ上げるには憲兵隊と内務省が一致団結して共同捜査をしたとしても、全て調べ終えるまでに長い時間がかかるだろう」

 

 亡命仲介業者は他の商人と区別がつかぬよう、表向きはよくいる交易商人を装っていることが多い。それらすべての船舶を調べ上げ、かつ持ち主の経歴に偽の情報がないと確認していくという作業は、時間がかかる。捜査対象が数十万、数百万という数になるなら、年単位の時間がかかりかねない。それはあまりに非現実的な捜査方法だった。

 

「私も内務尚書の意見に同意だ。フェザーン商人のみを深く掘り下げて捜査対象にするのでは、フェザーン人全体の反感を買う恐れがある」

「彼らの側からすれば、フェザーン人というだけで過度に疑われているように受け取られるでしょうからな。……大本営のみならず、首都機能をフェザーンへ移すことが陛下の御意向である以上、それははなはだまずいことになりましょう」

 

 マリーンドルフ伯爵の発言にエルスハイマー民政次官も同調した。明確な物証があるならそれを公表してしまえば、公然とフェザーン人限定で捜査を行う決断もできたろう。しかし、フェザーン商人を運び屋にしているというのは、あくまでレーデルの証言によるものでしかなく、証言の蓋然性が高いとはいえ確実なものとはとても言い切れない。偽証でなかったとしても、捜査を断行して失敗しても同じことである。その場合、フェザーン人の不公平感のみが残る結果をもたらしかねない。

 

 八月八日の布告で、皇帝ラインハルトがフェザーンに遷都する意思を公式にも明らかにしている以上、その流れに阻害するがごとき行動は臣下として慎まなくてはならない。過度に融和的である必要はないが、不特定多数のフェザーン人に対し強硬的措置をとるのは躊躇われることであった。だが、それでもなお、やるべきではないかという意見もあり、議論は活発化する。

 

「国務尚書閣下と民政次官閣下の主張もわかりますが、事が事です。貴族連合残党というテロリストどもに帝都を奪われかけるという醜態を晒したことで、新王朝の威信は大いに傷ついている。この上、此度の一件の首謀者どもを取り逃がしでもしたら、どうやって陛下と帝国の威信を保つことができましょうか。ここは断固とした態度をとって、武力によって政権を簒奪せんと目論み行動する輩は、たとえそれが何者であっても新王朝は容赦しないのだという姿勢を明らかにしてこそ、威信を回復する道なのではないでしょうか」

「クラウゼ保安少将、言いたいことはわかるが、強硬策をとるには、あまりに被疑者が多すぎるから拙いのだ。もっと情報を聞き出すことはできなかったのか。たとえば、運び屋になっているフェザーン人の名前とかだ」

「一応はあります内務尚書閣下。しかしかなり信憑性に疑問符が付きますことを先に断らせてもらいたい。船長は“ラムゼイ”と名乗っていた、ふくよかな男であると。乗っていた商船はどのようなものだったのかについてはよくある武装商船だったとか、オレンジ色の改造船であったと言っております。さらなる尋問によって情報の確度を高めることもできましょうが……これ以上尋問を続けるとレーデルの生命が危うくなるとのことでして……」

「生命が危うくなるだと。まさか拷問にかけたのか。レーデルは貴重な情報源だ。もう少し慎重に取り扱うべきだろう。場合によっては公開処刑にせねばならなくなる可能性もあるのだからな」

「それはそうですが、下賎な平民風情と話す舌など持ち合わせていないと強硬でしたので。多少揉んでやらないことにはなにひとつ情報を引き出せなかったはずです。それに憲兵総監閣下、まるでわれわれを批判しているかのように聞こえますが、私個人の見解としましては、キュンメル事件時に憲兵隊が地球教徒の屍の山を築いて得た情報より、質と量の双方で上回っている情報を聞き出すことができたと考えているのですが」

「なんだと……」

「内国安全保障局次長の個人的見解はともかくとして、しばらくはレーデルに尋問ができないとなると、しばらくはこの情報を基に捜査を進めるしかないか。ホシが宇宙に逃亡してしまわないよう、宇宙港を閉鎖させ続けることができればいいのだが」

「無茶を言わないでもらいたい。警視総監のいうように宇宙港の閉鎖を長期間にわたって継続してしまえば、星間交易が停滞してしまう。このオーディンは帝国内における星間交通の要所であるのだから、経済的損失がとんでもないことになってしまう。そのような方策は財務省として絶対に反対だ」

「貴族財産の接収と開明改革に伴う段階的な自由経済の実施による税収の増加で、国庫にはかなり余裕があったと記憶しているが」

「たしかに余裕はある。だが、公共事業の大規模推進に加え、度重なる出征によって莫大な出費が繰り返されているのだ。これではいくら余裕があっても安心できぬというもの。経済面から見れば、宇宙港の閉鎖は一刻も早く解除してもらいたいくらいだ。長引けば長引くほど経済的損失が増大するばかりか、被害を受けた商人たちへの補償でさらに出費が嵩むことになる」

「たしかに。宇宙港を閉鎖している部隊から早急に業務を再開してほしいという嘆願が山のようにきているという報告もきている。あまり長引けば彼らが暴徒となってわれわれに牙を剥く恐れもでてこよう。財務次官閣下のおっしゃられるとおり、宇宙港の閉鎖を継続というのは非現実的と言わざるを得ない」

「……たしかに閉鎖を長期的に継続するのは現実的ではないやもしれぬ。では、どの程度までであれば許容範囲内であると財務省は考えるか」

「正確な日数は断言できませんが、一週間前後が限度ですね。それ以上続けられれば帝国の経済全体への悪影響が甚大なものとなる」

「あまりに短すぎる。その程度であれば出航する船を徹底的に調べ上げることを前提として、閉鎖を解除した方がよいのではないか。その方が、国家経済に与える影響も少なくて済むだろうし、ローラー作戦で首都星内に隠れていないか探ることもできると思うのだが」

 

 不安が残るが、それが一番現実的な方策であると列席者は考え、出航時に念入りに船内と乗組員を調べ上げることを条件として宇宙港の業務を再開させ、一方で帝都内においてローラー作戦で容疑者を探ることとした。

 

 これにより多くの貴族連合残党組織に所属していた者達の身柄を拘束することに成功したものの、肝心の幹部たちは捕らえることができなかったのであった。

 

 



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征旅を依然と進む

 皇帝付次席副官テオドール・フォン・リュッケ少佐は、帝都でのクーデター未遂事件が発生し、開明派官僚の生命が多数奪われたという臨時対策本部からの第一報がフェザーンを経由してブリュンヒルトに届いた時、主君が蒼氷色(アイス・ブルー)の瞳の烈しく輝かせて怒気を発していた姿を記憶に残している。

 

「予はケスラーを過大評価でもしておったのか!? 憲兵総監と首都防衛司令官を兼任していながら、予の官僚たちを殺戮されるのを防ぐことができなかったとは、いったいなにをやっていたのだ!!」

 

 此度の遠征によって名実ともに帝国は全人類社会を支配下に置くことになろう。そうした意気込みでフェザーンを出立したというのに、興がそがれることはなはだしかった。しかし、一度その怒気を発した後、冷静さをいくらか取り戻して努めて落ち着いた口調で続けた。

 

「いや、ケスラーほどの男が欺かれるほど敵方が狡猾であったというわけか。詳細な報告資料は付属されておらぬのか。被害のほどによっては直接帝都に指示をださねばならん」

 

 ラインハルトは事態の処理法如何によっては前線将兵に与える動揺が大きいと判断し、大枠での方針は少数の直属高級幕僚と話し合って決定してしまうことを即決していた。一応、リュッケもその一員として名を連ねているのであるが、統帥本部総長オスカー・フォン・ロイエンタール元帥、皇帝付高級副官アルツール・フォン・シュトライト中将、皇帝主席秘書官ヒルデガルド・フォン・マーンドルフ伯爵令嬢といった壮々たる顔ぶれがあることを思うと、自分の役割はあまり重要ではない細々とした雑務だなと後ろ向きな感情を抱かずにはいられなかった。

 

 しかし詳細な報告資料の中にヴェルンヘーア・レオ・フォン・モルト近衛大尉の名前を発見した時、さすがに驚きの表情を浮かべずにはいられなかった。リュッケは彼の父であるモルト中将が責任を感じて自決したことに深く同情を感じていて、皇帝の命を受けてその事後処理を担当していた。その子息であるレオとも面識があったのである。彼は誠実で純粋な人柄で、また皇帝誘拐を阻止できなかった近衛司令官の息子として責任を感じ、連座で同じように自決しようとしていたほど忠誠心の篤い人物であったと記憶している。そんな青年将校が、クーデターに参加するどころか、主導的役割を果たしていたとはにわかには信じがたいことであった。

 

 報告書によると、父が自殺に追い込まれたのはローエングラム王朝の貴族差別によるものと信じてというのが、クーデターを主導した動機であるらしいが、モルト中将の自殺は自責の念による自発的なものであったことは疑いの余地がなかったことだし、ケスラーが軽い処罰ですまされたことも根拠としてあげていたそうだが、それは別にケスラーに限ったことではなく全体的にそうだったはずである。皇帝誘拐の一件に関する罪を重く見るつもりはないというラインハルト陛下の意向によるものだ。そしてそれはレオも認めていた筈である。どうにも解せなかった。

 

「旧態依然とした慣習を引きずっている貴族どもにとっては邪推したくなっても不思議ではないか。だが言われてみればたしかに、紛いなりにも皇帝を、国家元首を誘拐された失態に対して全体的に刑罰が甘すぎたのではありませんか」

 

 ロイエンタールはなんでもないことのようにそう問いかけているのを見て、ヒルダはかすかに緊張の表情を浮かべてしまった。彼女は皇帝誘拐の真相を把握していたからというのもあるが、ロイエンタールになにか不穏なものを直感的に感じ取っていたからである。幸いにしてその時ヒルダはロイエンタールの死角にいたので気づかれる前に表情を取り繕うことができた。

 

 問いかけられたラインハルトはというと内面において複雑な感情が渦巻いていたのかもしれないが、表面上はなんらそれを見せず、軽く苦笑して臣下の問いに答えたのである。

 

「以前にも言ったが、あのようなささやかな事件で重い処罰を課すのも馬鹿らしく思えたのでな。それに今だから白状するが、正直言って皇帝をどのように扱うべきかと持て余していたので、わかりやすく敵側の存在になってくれたことにありがたくすら思っていたからな。しかし――」

 

 ひとつ、深いため息を吐いた。

 

「血統だけの皇帝を絶対視する貴族どもにとっては、たしかに処罰が軽すぎるように思えたのも当然といえば当然やもしれぬな。だが、決起の段に及んでなお予の名を借りねばどうにもならぬ体たらくで、本気で予を倒せると思っていたというなら巫山戯(ふざけ)た話だ。キュンメル男爵のような病人でさえ、予を暗殺せんとするときに予の名を用いるような愚行はしなかったぞ」

 

 モルト中将を死に追いやったという負い目があるラインハルトは、彼の息子が自分にたいして復讐してくるのは当然の権利の行使であると思う。それを否定してはラインハルトは過去の自分を否定することになろう。後ろめたさから中将の自決の事後処理をリュッケに任せた時に遺族の名誉を守るよう特に言いつけ、遺族である近衛将校が責任を感じて自決しかねない精神状態になっていると聞けば直接説得したりもしたが、これははなはだしい偽善ではあるまいかと後味の悪さを感じていた。

 

 だが、復讐してくるのなら、真っすぐに自分に挑んでくるべきなのではないかと思うのであった。もちろん、かつての自分のように、今の権力体制そのものを憎悪する途を選び、力をつけるために敵の懐で雌伏の時を過ごさなくてはならないこともあるだろう。だが、いざ行動を起こす時でさえ、憎き敵の名を利用しなくてならないような状態でどうしてローエングラム王朝を、このラインハルトを倒すことが叶うというのだ? そんな自棄染みたことをするくらいなら、直接自分の暗殺を計画するべきだろうに。

 

 そんな理屈一辺倒の思考をラインハルトはしていたが、相手が相手であるだけに心の奥底で罪悪感が疼くのはどうしようもなかった。そうした感情がクーデターに加担した近衛将校たちの情報を見続けることから逃避したくなったのか、あるいは純粋に敵意を向けることができる相手であるからか、ラインハルトの関心は貴族連合残党に関する情報へと向いた。

 

 とりわけ、貴族連合残党幹部であるアドルフ・フォン・ジーベック元中佐とテオドール・ラーセン元保安少佐の名に注目した。彼らはラインハルトが帝位に就く数日前に、オーベルシュタインより自分を暗殺する動機と能力がある要注意人物のリストに名を連ねており、かつ、ラインハルトが特に興味をおぼえていた三人の内の二人の名であった。

 

「“真面目な人柄で、戦術家、謀略家として非凡な才能があるが、やや近視眼的なところがあり、自分が実施している作戦に集中しすぎて大局を誤る傾向がある。だれかに手綱を引かれているならよいが、自分から主体的に行動すると問題を起こすタイプの人物”というのがジーベックに対するフェルナーの評価らしいが、シュトライト、卿から見てもそういう人物であったか」

 

 臨時対策本部の報告はフェザーンを経由しており、先にその報告を見たオーベルシュタインが配慮でフェルナーによるジーベックの評価も報告をブリュンヒルトに送る時に一緒に付随させていたので、それを見たロイエンタールがシュトライトに問いかけた。かつてシュトライト、フェルナー、ジーベックはともにブラウンシュヴァイク公に仕えていた同僚であったから、それなりに人柄についても詳しいと考えての問いであった。

 

 いっぽう、問いを投げられたシュトライトとしては元同僚のジーベックがこのような暗躍をしていたとは驚くべきことであった。ラインハルトによってふたたび軍人として登用されたとき、元主君であるブラウンシュヴァイク公の一家がどのように処されたのか質問したのだが、ジーベックが公爵の遺言に従ってアマーリエ夫人と娘のエリザベートをともなって行方を眩ませていると聞いていたので、てっきり二人の安全を守るために地下社会で奮闘でもしているのだろうと思い込んでいたので、このような大それた暗躍をしていたとは寝耳に水だったのである。

 

「概ねその通りで、たしかに優秀ですが戦略的視点に疎い人物でした。おそらくヴェスターラントへの核攻撃の指揮をとったのも、ブラウンシュヴァイク公直々の命令だからというのもあるでしょうが、それが叛徒を撃滅するという点にしか目がいかず、それが大局的にどういう結果を生じるのか想像もしていなかったからだと思われます。付け加えるならば、主君であるブラウンシュヴァイク公への忠誠心もかなり強いものがあり、公爵のためとあれば労を惜しまぬ男でした」

「ほう、卿がそこまで言うとは、ジーベックとやらはよほどの忠誠心を有していたのだな。あのような暗君に忠節を尽くし続ける家臣がアンスバッハ以外にもいたとは意外だな」

「今でこそひどい評価がされていますが、ブラウンシュヴァイク公は暗君というわけではありませんでした。むろん、だからといって名君だったと思っているわけではありませんが……。私個人の見解を述べるのであれば、欠点が多々ある主君ではありましたが、それはわれわれ家臣で補える程度に過ぎないものに思っていました。少なくとも、公爵と対立していたリッテンハイム候よりは良き主君であったと私は今でも思っております」

 

 もちろん、自領土に核攻撃を命じてしまうほど逆境に弱い人物であると見抜けなかった私の評価ですので、私の人の見る目がなかっただけかもございませんが……。自信なさげにそう続けて元主君への低評価に反論するシュトライトに、ラインハルトとロイエンタールにとってはすこし意外で驚きを感じた。シュトライトは先の内戦直前、ブラウンシュヴァイク公が首都星を脱出する際、忘れられて放置されるというぞんざいな扱いを受けたのだから、元主君に強い不満を感じていることだろうと思っていたのである。

 

 少しばかり気まずい空気になったのを察し、ヒルダが二人の疑問を言語化して問いかけることとした。

 

「シュトライト中将がどうしてそう思うのか、教えていていただけますか」

「貴族社会の派閥争いや公爵家の権威に関わる事柄には神経質でしたが、それ以外のこととなると臣下に丸投げにすることを躊躇わず、そして多少の失敗は鷹揚に赦すような御方だったのです。酷い癇癪を起している時は別ですが、そうでなければ自分の意見に固執せず、われわれ家臣の説得に耳を傾けてくださいました。ゴールデンバウム王朝開闢以来、貴族階級には国家臣民を領導する使命があるとされてきたためか、たとえ専門外のことであっても重要だと思えば口出ししてくる有力貴族が多かったことを思えば、大変珍しいことであったと思います。そのあたりのことをリッテンハイム候の一派から“惰弱”とか“無責任”とか言われて罵倒されておりましたが、公爵は好きに言わせておけと一向に意に介するところをみせませんでした」

 

 そして対立していたリッテンハイム候のほうは対照的に自分の能力に絶対の自信を持っていて、どんなことであろうとも家臣には自分の構想通りに行動することを要求し、それに反する者には厳罰をくわえるタイプであった。内政や権力闘争に関する部分において侯爵はけっこう優秀だったので、(ゴールデンバウム王朝時代の感覚では)特に大きな問題を起こさずに派閥を率いることができたという。もっとも、慣れないことでも仕切ろうとして大失敗したというエピソ―ドも数多あり、リップシュタット戦役ではこの欠点がモロに出て、軍事的才能は壊滅的であるにもかかわらず指揮をとって惨敗したわけなのだが。

 

 シュトライトが本人から直接聞いた話だが、フェルナーは両陣営の職務環境を調べ上げて比較した上で、ブラウンシュヴァイク公のほうが自由度が高そうだという理由でブラウンシュヴァイク公爵家に仕える道を選んだという。そして公爵は部下の忠誠心を軽視していたが、部下の結果はそれなりに重視していたので、毎度大きな結果を出しているフェルナーを高く評価し、平民であることや若すぎる年齢といった点にあまり抵抗を感じずに家臣として厚遇した。こういった長点のことも考慮すると、それほど問題のある主君でもなかった、と、シュトライトは考えるのである。

 

 そうしたシュトライトの元主君の評価を聞いて、ラインハルトとロイエンタールは貴族の大半があまりにも酷すぎたから相対的にマシに思えたというだけのことではないのかという感慨を抱いたが、旧王朝時代の無能な貴族どもが標準的存在なわけだから、そういうふうに評価するのも道理ではあるのかという奇妙な納得もあった。

 

「フェルナーのようなふてぶてしい奴がどうしてブラウンシュヴァイク公の家臣をやっていて、しかも直接公爵に進言できるような立場になれたのか少し疑問に思っていたが、そういうわけか。では、ジーベックはフェルナーと違って取り立てられた事に恩義を感じて強い忠誠心を抱いていたということだろうか」

「それもあるでしょうが、上官のアンスバッハをよく慕っておりましたし、公爵の係累であるフレーゲル男爵やシャイド男爵とも親しくしていたことから考えますに、彼は一族一門自体に愛着を感じて帰属意識を持ち、それがブラウンシュヴァイク家当主への忠誠心として現れていたのではないかと」

「なるほど。あらゆる意味においてジーベックにとって予は憎い仇であるというわけだな」

 

 ブラウンシュヴァイク家一門というコミュニティに強い愛着をいだいていたというなら、そのすべての破壊者であるラインハルトは憎むべき対象以外の何物にもならないであろう。しかしそれは他の貴族連合に所属していた大貴族達も同じであるはずで、別に重視すべき事柄ではないが、彼のような能力の持ち主がそのような感情をいだいたまま自由の身にあるというのは大きな問題であった。

 

「報告書によると今回のクーデター計画の大部分はこのジーベックの手によるものらしい。近衛参謀長が責任逃れのために嘘をついている可能性もなくはないが、フェルナーとシュトライトの人物評を聞く限り概ね事実であろう。いくら近衛参謀長を取り込み、首都防衛司令部内に自爆も辞さぬ覚悟を持つ協力者を確保できていたとはいえ、このような絡め手でもって帝都防衛軍を逆用するなど凡人の考え及ぶところではない」

 

 皇帝として自分の名を利用してこのような不祥事を起こされた怒りがあり、個人としてその行為に不快感を覚えていたが、戦術家としてのラインハルトはジーベックの手腕を素直に感心していた。帝都オーディンの警備体制の構築にはラインハルトも関わっており、首都防衛司令部内に裏切り者がでることも想定していたのである。それなのに、こんな攻略法があったのかと驚きさえ感じているのだった。

 

 もちろん、帝都を掌握したところで、自分が率いる遠征軍が健在である以上、本国に戻ってきたらそれまでだ。それに対する対抗策がおなざりにすぎて戦略的観点が欠けているにもほどがあるという戦略家としての酷評もあるのだが、純粋な戦術としてはなかなかの完成度という他ない。旧王朝の価値観に染まりきっていなければ部下に欲しいくらいである。

 

 そしてアンスバッハ、シュトライト、フェルナーの他にもこんな優秀な人材を家臣として抱えておきながら、ろくに活用できずに内戦で惨敗したブラウンシュヴァイク公に対するラインハルトの侮蔑がより深まった。もし内戦直後に自分がブラウンシュヴァイク公と入れ替わって貴族連合盟主の立場につかされたとしても、これほど人材に恵まれていたならああも無様に惨敗することは決してあるまい。敵手に自分とキルヒアイスがいるわけだから、最終的には負けたに違いないとは思うが、それでももっとまともに戦うことができたはずである。

 

「ひとまずは、予が帝都に戻るまでは臨時対策本部を正当な統治機関であると追認する詔勅を出しておくとして、遠征を終えて帰還したらオーディンの警備体制の見直しをせねばなるまいな」

「お待ちください陛下。今回の事件で新帝国の中枢が負った傷はおおきく、この遠征にも少なからぬ影響が出るかと存じます。ここは遠征を中止して本国に戻り、支配体制を立て直すことをこそ優先なさるべきでしょう」

 

 ヒルダが焦ったようにそう提言する。すでに帝国の首都機能はフェザーンへと移りつつあるが、それでもオーディンはまだ帝国首都なのだ。そこでこのような大事件が起きたことが知れ渡れば、将兵たちがとても動揺することが容易に想定できる。閣僚までもが犠牲になっていることでもあるし、ここは撤退するのもやむなしとみるべきではないか。

 

伯爵令嬢(フロイライン)のいうことも理解できるが、この状況で遠征を中断したとしても相応の問題が発生することになる。ならば、ここは遠征を継続すべきと予は考える」

 

 自由惑星同盟政府が高等弁務官レンネンカンプの独走に唯々諾々と従い、ヤン・ウェンリー元帥の謀殺をはかり、それが失敗すると全責任をレンネンカンプに押し付けて知らん顔をしようとした無能と不実は、あきらかに今年初頭に結ばれたバーラトの和約の精神に違反している。これを実力を持って正すこと事が今回の遠征の目的なのである。

 

 宣戦布告の際、皇帝ラインハルトは自由惑星同盟政府の非を痛烈に批判した。「一時の利益のためには国家の功労者も売る。直後にはひるがえって、予の代理者をも売る。共和政体の矜持と存在意義はどこへいったか。もはや現時点においての不正義は、このような政体の存続を認めることにある」と。ここまで言って出兵しておきながら、遠征軍に大した損害も出ぬうちに引き下がるのでは皇帝の威信にかかわってくる。

 

 くわえて将兵たちも不満を募らせるに違いなかった。今回の遠征は、バーラトの和約締結によってゲーム・セットとなり、もはや活躍の機会はしばらくあるまいと無気力になっていた将兵たちにとって、降ってわいたボーナス・ゲームであり、武勲をたててやると勇んでいた者たちが数多いる。なのに後方の都合によりそれが撤回されたとあっては彼らの不満がどのような形で噴出することになるか。

 

 今回の遠征に際して遷都に先行して軍中枢をフェザーンへと移動させてしまっていたので、長期的にはともかく、一年未満に収まる中・短期的な軍事行動であれば、それほど支障がでることはない。くわえて、度重なる敗戦に傷跡とバーラトの和約第五条の規定で軍備が制限されていたことが尾を引いている同盟軍は、帝国軍が鎧袖一触にできるほど弱体化しているという事実が、皮肉にもなんでろくに戦闘もせずに引き揚げるんだという将兵の不満を確固たるものとするであろう。

 

 そうした懸念はヒルダもわかっている。わかった上で撤退したほうが良いと主張しているのだ。可能性は低いとは思うが、もしも同盟軍相手に手痛い損害を受けるようなことになれば、新王朝にとって取り返しのつかない事態を招く恐れがある。それを思えば、ここは万全を期して政府上層部の穴を埋めるべく行動するべきではないのだろうか。

 

 一方でロイエンタールはラインハルトの覇気に溢れた意見に共感していた。今回のクーデターで中央政府の統治能力が喪失するほどの被害がでていたとしても、地方自治体には被害があまり及んでいないわけであるし、そこから人材を抽出すればいくらでも取り返しは利くように思われるのだった。それに軍事力至上主義というわけではないが、本当にどうしようもない状態に陥ったとしたら、その時こそ軍を引き返させればいい。それなら将兵も不満をいだきこそすれ、納得する者が多数派となろう。

 

 だが、それはそれとして皇帝を支える重臣として、ロイエンタールは確認しておかなければならぬことがあった。

 

「陛下の意向が遠征継続であるというなら否やありませんが、いくつか確認したいことがございます」

「ほう、どのようなことだ。述べてみるがよい」

「はっ。まずは今回帝都で起きたクーデター未遂事件について、遠征軍内においてどのように説明をくわえるべきかということです。もし同盟軍がこのことを知っていれば、我が軍の動揺を誘うような広報を行うやもしれせん。最低でも、高級将校には伝えておくべきと愚考いたしますが」

「そのような策をとっても、帝都におけるクーデター未遂など隠しおおせるとも思えぬ。いずれ末端の兵士まで漏れ伝わろう。それなら多少の動揺を招こうとも最初から教えておいたほうが始末がよい。後で予自ら全軍に向けて公表するとしよう」

 

 情報秘匿して隠しおおせるようならそれでよいが、帝都におけるクーデター未遂事件、しかも多くの高官が犠牲になるような事件など、とても隠しおおせるようなものとも思えない。それくらいなら最初からすべて教え、疑心暗鬼を生ずる可能性を減らすほうが良いであろう。

 

 ラインハルト自ら公表するのは、皇帝である自分が「今回の遠征において大きな影響があることではない。全軍将兵は任務に集中せよ」と映像越しだが声をかけてやることで、ある程度は将兵たちを安心させる効果が見込めるという計算からきたものである。

 

 ロイエンタール、シュトライトもそうした考えを理解した上で賛意を示した。ヒルダも不本意だが遠征継続という前提に立つのであれば、それが一番であろうという考えであった。

 

「もう一点、臣が気になりますのは、帝都における今回の事態を防げなかった罪を陛下はだれに取らせるべきであると考えているのか。そしてまた、それを罪をいつ問うべきだと考えておられるのかということです」

 

 この場合、責任問題をどう処理するのかというのは非常に難しい問題である。クーデターに加担していた近衛士官たちを処罰するのは当然であるが、多数の官僚が殺されている以上、その事態を防げなかった治安の責任を相応の地位にある人物に取らせる必要があるだろう。候補に上がるのは国内治安に責任を持つ内務省高官や内部でのクーデター計画に気づかなかった軍の高官である。

 

 だが、報告を見る限り、内務省は酌量の余地があるように思えるのだった。内務省の者たちは初動で拘束されてしまったが、内務尚書オスマイヤーを中心に内国安全保障局や警察の残党が結集し、事態の収拾に少なからず貢献している。気に入らないが、内国安全保障局の連中もおおいに活躍したらしい。となると麾下にある近衛部隊の監督を怠った首都防衛司令部に治安責任をとらせるべきであろうか。しかしこれも問題がある。

 

 旧王朝時代、近衛部隊は宮廷警備を担う名誉ある部隊であるとして軍務省からの独立性が高かった部隊であった。ローエングラム独裁体制に移行してから、宮廷警備の重要性が激減したから部隊の縮小が行われた上、軍の指揮系統を統一する目的で形式的に首都防衛司令部の下に近衛司令部が組み込まれることになった。だが、宮廷警備を首都警備の範疇にいれてよいのかという問題があり、開明派の近衛消滅論が支配的になれば本当に消滅させてしまってもかまうまいと軍高官全員が近衛を軽視していたこともあり、首都防衛司令部と近衛司令部がどういう関係であるべきかについて公式に定義されておらず、独立性の高さはあまり改善されていなかった。

 

 なぜ独立性の高さが放置されていたのかというと、部隊の縮小に伴い実質的意義を喪失しつつあった近衛部隊になにができるのかと思われていたこともあるし、独裁体制構築後の近衛司令官であるモルトとヴァイトリングの両名ともに能力と忠誠心を軍務省人事局から特に評価されてその任についていており、それをラインハルトが直接会って確認するということをしていたので、いずれ改善する必要があるが、当面はそれで問題はないだろうと考えられていたからである。実際、ブルヴィッツの虐殺による貴族差別の激化とレオの積極的活動がなければ、ヴァイトリングは部下たちの不満を抑えれる程度の器があったはずなのである。

 

 そのため、これは首都防衛司令部の責任というよりは、軍の制度的な問題だったといえなくもない。そのため軍務尚書オーベルシュタインは責任を感じているのか、必要とあれば元帥号を返上し、適切な後任がいるのであれば軍務尚書を退くことも覚悟していると報告書に付け加えていた。今の時点でオーベルシュタインが軍務尚書を辞した場合、その後任になるのは自分かメックリンガーであろう。以前であればケスラーという可能性もあったが、渦中の人物であり責任追及されかねない立場なのでその芽はなくなっている。それはロイエンタールの不穏な心情を刺激するものがあったが、それ以上に若い主君がどのような決断を下すのかについて興味と期待があった。

 

「自爆テロを防げず、首都防衛司令部が無力化されてしまったことが事態の悪化を招いたことは明白であるから、首都防衛司令部の者たちに責任を取らせる。オーベルシュタインの言い分ももっともだが、それを言ってしまえば予を含めて責任を負うべき者が数が多すぎる。ただでさえ多くの官僚を失っておるのに、多数の軍高官を処断して体制の空洞化を招くわけにはいかぬから辞任するには及ばぬ。軍務省局長級以上全員に棒給を返上させるあたりでよかろう」

「ケスラーを退役させるのですか?」

 

 シュトライトの憂いに満ちた問いを、ラインハルトは否定した。

 

「いや、そのつもりはない。……予は今回の一件についてあくまで惑星規模の不祥事として処理したいと考えている。国規模の不祥事であるとしてしまうと責任をとらなくてはならない者の数が増えすぎ、統治体制に大量の穴が空くことになってしまうからな。首都防衛司令官から解任するのはやむを得ぬが、今後ともケスラーには憲兵隊を率いてもらうつもりだ」

「陛下のお考えは理解できますが、惑星規模の不祥事であるとして処理するとしても、少なからぬ者たちが地位を追われることになり、後任人事が決定するまで統治体制が揺らぐのは避けられませんわ。やはりここは遠征を中断し、本国に戻るべきではないかと。遠征を続けるとしても、陛下は帝都に戻るべきだと考えます」

「わかっている。だからすぐにそうするつもりもない」

「と、おっしゃいますと?」

 

 ラインハルトはちょっとしたいたずらに引っかかった子どものように、唇の端を不快げに歪めた。正直なところ、これは詭弁ではないのかと自分でも思うところがあったからであるが、現状、もっとも損害が少なく、かつ民衆が納得がいくであろう責任問題の処理方法がこれしかないように思えるのが、いささかおもしろくなかったのである。

 

「ロイエンタールがいつ罪を問うべきかと気にしていただろう。予は遠征を終え、帝都に帰還した時、この事態を防げなかった罪を問う。それまで処罰の執行はしばし猶予する。また、帰還するまでに注目に値する貢献を成した者に対しては罪と相殺することも考慮するとしよう」

 



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二重生活の一幕

ヴァルプルギス作戦編が長引いたせいで、かなり久しぶりの主人公登場です。


 フライングボールというスポーツは、現代の人類社会においてもっとも広く認知されているスポーツであるといえる。〇・一五Gという低重力のドーム内でおこなわれるため、かつての人類社会で人気があった三大球技(ベースボール、フットボール、バスケットボール)とは異なる三次元的な攻防戦が展開される目新しさが国民の心を掴み、また宇宙暦新時代を象徴する国民的スポーツであるとして銀河連邦政府がその普及を力強く推進したので、体制側からバックアップも充実していたからである。

 

 もっとも起源となる遊びは地球統一政府の時代からあったらしいが、ともかくもひとつの競技としてルールなどが体系づけられたのは連邦時代のことであり、プロスポーツとして認められたのも連邦時代である。銀河帝国は連邦のプロフライングボール界の伝統をそのまま引き継いだし、連邦時代を象徴するスポーツであるので銀河連邦の正統継承国家を自称する自由惑星同盟も、プロフライングボール界の育成に注力してきた。

 

 このため、帝国と同盟双方にとって非常に親しみがあり共通性が高いスポーツであるといえる。十数年前に第四代自治領主ワレンコフの発案によってフェザーンで“銀河時代に甦るオリンピック”というスローガンの下、フライングボール全人類統一大会が開催されたことすらあるくらいだ。

 

 そんなわけで当世の人間でフライングボールを知らないということはまずないと言ってよい。仮に知らない者がいるとしたら、それはよほどの田舎者か、あるいは農奴階級の者達であろう。少なくとも、帝国ではそうである。

 

 ゲオルグがプラクシス宙空競技場の観客席に座っているのも、全宇宙フライングボール親善大会決勝戦を観戦するためである。父エリックがフライングボールファンだったので、母が存命であった頃は家族と共によく観戦していたが、ゲオルグ自身はそれほど好きというわけではない。ただ一臣民として身分を偽装している都合上、どうしてもご近所付き合いというものが発生し、所属している地縁団体から決勝戦チケットが送られてきたら断りにくく、特に立て込んでいる事情もなかったので地元住民と一緒になって見物することにしたのである。

 

「ようこそ! プラクシス宙空競技場へ! この歴史ある旧都テオリアにて第三九七回全宇宙フライングボール親善大会決勝戦ダグルス対オーラカの試合が行われることとなり、このヤツェク・グラズノフ、アルデバラン星系総督として嬉しいかぎりであります。その心情を長々と述べたいところではございますが、ご来場の皆様も決勝戦と選手たちの活躍に期待し、私と同じく試合開始はまだかまだかと思っておられるであろうことでしょうし、総督としての挨拶はここまでとさせていただきます。選手諸君、素晴らしい試合を期待している!」

 

 総督の挨拶が終わると、宙空競技場の中心に設置されている巨大な透明のドーム内に、紹介アナウンスと共に続々とフライングボールの選手が登場し、その度に観客席から熱狂が巻き起こった。そのざわめきに紛れて隣の老人が声をかけてきた。

 

「グラズノフの奴、気になることがたくさんあって、ろくに演説文考えてこなかったんでしょうか」

「……シュヴァルツァー。おまえ、総督府の役人で私の上司という設定になってるのだから、そんなにへりくだる必要はないぞ」

「申し訳、いや、すまん」

 

 警察時代より信頼する側近の迂闊な言動を咎める。その様子を他の観客が気にかけた。ゲオルグは明るい笑みを浮かべて噓八百を並べ立てた。

 

「いやあね。うちの係長がどの選手が強いのかわからないから教えてくれって。それで教えてただけさ。といっても、私もあまりよく知らないわけだが!」

「なんということだ。プロフライングボールをよく知らないなんて。あんたたちは人生の半分を……いや、すべてを損しているようなものだぞ。俺が詳しく解説してやろうか」

「いらないよ。まったく知らないってわけじゃないし、基本的なことくらいわかっている。この試合で一番優秀なのはダグルスのフォルゲンだろう」

「うむ。たしかにあいつは生き残った数少ない超級貴族選手だからなぁ……。だが、フォルゲンといえどオーラカの黒い三連星のディフィンスを突破することは難しいはずだぞ」

「ハッ、フォルゲンからすればあんな連中は案山子みたいなものだろ」

「聞き捨てならないね。賭けるか」

「よし、じゃあフォルゲンが先制するのに三マルクだ」

「おいおい、いいのかよ。それじゃあフォルゲン以外が先制したり、オーラカが先に点数入れても賭けは俺の勝ちということになるんだが」

「お? じゃあ、なんだ。倍率でもつけてくれるのか。一〇倍くらい」

「ふざけるな。三〇マルクも奪われたら生活費が賄えなくなる。二倍で我慢しろ」

「わかった。じゃあそれでいこう」

「よっしゃ燃えてきた! おい、麦酒だ麦酒! 気合を入れてフォルゲン以外を応援しなきゃならん!!」

 

 労働者風の男と談笑しながら、売り子に紙コップにビールを注いでもらっている主君の姿に、シュヴァルツァーはなんとも複雑な視線を向けた。もう既にゲオルグが民間に溶け込んでいる光景は見慣れていたが、やっぱりなにか微妙な心境になってしまう。

 

 警察時代、大貴族が観戦するとき、フライングボールの会場の警備を任されたことが何度かあったが、ゲオルグは警備の配置を整え、非常時以外はもっとも見晴らしがいいVIP席にて大貴族達と一緒に砂糖菓子と紅茶でティーブレイクしながら優雅に試合を観戦していたものである。

 

 なのに、今ではほとんど目立たない一般席で、民間人と一緒に騒ぎながら安酒を飲んで観戦しているのである。やっぱりギャップというものが酷すぎる。そうした思いを取り繕いきれずに面にだしてしまう失態をしてしまったことがシュヴァルツァーには何度かあったが、まわりに不審に思われるとゲオルグが即座に「うちの係長は厳格な官僚だから、あまりこういう騒がしいのが好きじゃないんだよ」とさりげなくフォローする徹底ぶりである。

 

 そんなことを思っていたら、再び会場が爆発的な歓声があがった。実況者の解説を聞くと、どうやらフォルゲンがオーラカの防衛網を巧みにすり抜け、先制点を取得したらしい。ゲオルグと賭けをしていた労働者風の男が悔しそうな顔を浮かべながら財布を取り出し、帝国マルク札を六枚ゲオルグに手渡した。

 

「ちくしょう。貴族選手がいなくなったせいで、全体的にフライングボール選手の質が落ちたのが悪いんだ。でなきゃ、フォルゲンがあそこまで自由に動けなかっただろうし」

「そのあたりのことを推測できるようになってから賭けないと損する一方だよ?」

「わかってらあ!」

 

 労働者風の男がヤケクソ気味に酒の入った紙コップをあおって、中身を飲み干した。彼の言っていることは八つ当たりでしかなかったが、全体的に帝国のフライングボール選手の質が落ちたというのは疑いようのない事実であった。貴族が強いのは多少なりともプロフライングボールのファンであるなら常識である。

 

 というのも、純粋に環境の差である。義務教育にあたる基礎学校(グルントシューレ)に入学したときに、無重力体験の講義で各学校に設置されている〇・一五Gを体験し、そこから発展する形で授業でフライングボールをするようになる。そして部活動でフライングボール部を選び、そこから訓練を続けて才能を伸ばし、プロフライングボールの選手を目指すというのが、平民選手の平均的経歴である。

 

 対して貴族の場合、たいていの場合において私的利用できるフライングボールをプレイするための低重力ドームを持っており、物心ついた頃から遊び感覚で〇・一五Gを体験している。そしてそこからプロフライングボール選手になりたいという意志を持てば、専門のコーチをつけて徹底的に特訓。幼年学校に入るような頃には基礎レベルは完璧に出来上がっている状態で専門校のフライングボールチームに入り、プロ選手を目指す形が一般的だ。

 

 早い話が貴族と平民では訓練に使える時間で比較にならないほどの差が存在する。この差は並大抵の才能では容易に覆すことができない。ましてや貴族の方に才能があった場合、圧倒的な訓練時間もあわさって、他の追随を許さない超人的活躍をしたりするのだ。そうした選手を帝国のフライングボールファンは超級貴族選手と通称していた。

 

 別にフライングボールに限らず、帝国におけるプロスポーツ選手の身分差問題というのはそういうものであった。ただフライングボールは重力制御装置という非常に高価なものを使える環境がなければプレイすることができないので特に顕著なだけである。これは観客たちに超人的な活躍をする貴族選手を見させ、平民と貴族の隔絶した差を見せつけるという帝国政府の意向によるものもあったそうである。現在帝冠を抱いている偉大な若者とその側近たちはそうした帝国スポーツ界のありようを好ましく思っておらず、最近では訓練場所を無償で提供するなどかなりの改善がはかられているそうだが……。

 

 そうした超級貴族選手を輩出した貴族家もリップシュタット戦役において貴族連合側に与し、そうした超級選手も自領の私設軍の士官として従軍した。そしてラインハルトが率いる軍勢と戦って戦死したり、内戦末期に貴族の世の終わりを嘆いて自ら生命を絶ったりした。そうでなくても四肢を喪って引退を余儀なくされた者が多くいる。おかげで今なお現役である超級貴族選手は、フォルゲンをはじめとして本当に数えるほどしか残っていないのであった。

 

「おい、若造、おまえの言う通りだ。今のフライングボール選手の質はひどく悪化してしまっとる」

「本当に同じ人間かと思えるような攻防を繰り広げられていたのに、今じゃあ昔ほどダイナミックでハラハラする試合運びにならない。いや、今でも充分に楽しめると思いますが」

「はん、昔のがプロなら、今やってるこの試合なんぞアマチュア試合みたいなもんさ」

「ですけど、フェザーンや銀河の向こう側のプロチームも参加するようになれば、内戦前の水準に戻るかもしれませんよ」

「かああ! なに甘っちょろいこと言ってんだこの小役人! いいか、お前が生まれる前にも一度それがあった。フライングボール全人類統一大会ってやつだ。俺はな、溜め込んだ全貯蓄を切り崩してフェザーンへのチケットを買ってこの目で直接観戦したんだ。だが、やっぱ帝国のチームが一番強かった! 優勝したのだって、帝国だった! 所詮叛徒どものプロとやらは偽物の張りぼてでしかなかったってことさ。本物の、実質あるプロフライングボールチームより優れる点などなにひとつとしてない!」

「そうだぞ。今回の大会にも講和条約が結ばれたんだから、向こう側のプロチームが参加しないかという話があったのに、全チームが断ったというじゃないか。現実を見せつけられて、恥をかきたくないんだよ。サジタリウス腕の連中は」

「……ええ、そうかもしれませんね」

 

 同盟やフェザーンのチームが大会参加を断ったのは、同盟首都ハイネセンでの騒動に加え、帝国大本営がフェザーンへと移されるなど、にわかに緊迫してきた情勢を考慮した同盟とフェザーンのスポーツ界の賢明な判断によるものではなかっただろうかとゲオルグは思ったが、筋金入りのファン集団から集中砲火を浴びてまで主張することでもないと思い、胸の中にとどめた。

 

 試合は一進一退だった。一人の選手としてはフォルゲンが圧倒的であったが、あまりにも個人としての能力が突出しすぎているため、ダグルス全体としては連携面にいささか難が生じている。対するオーラカは連携面では盤石で、特に高速パス回しは目で追いかけるのも一苦労だ。

 

 なかなかに白熱している名試合であるといえ、ゲオルグも観戦にのめり込みつつあったが、隣に座っていたシュヴァルツァーが携帯電話をとり、数言なにか話した後、ゲオルグに「エル・ファシルで動きがあったようです」と耳打ちした。そう言われては試合観戦などしている場合ではない。二人は立ち上がった。

 

「どうしたんだい?」

「いやあ、自分と係長にお呼びかかりがきましてね。これから総督府に出仕しなくてはならならなくなりました」

「そりゃ残念だ。せっかく試合が盛り上がってきたというのに」

「公務員ですからね。昔からよく言うでしょう? すまじきものは宮仕え……」

「……昔はそれを聞くたびに腹立ってたんだが、最近は皇帝(カイザー)の意向で工場を定期的に休めるようになったから、たしかになぁ」

 

 労働者風の男に軽く別れを告げ、ゲオルグとシュヴァルツァーはプラクシス宙空競技場の観客席を出た。そして駐車場に止めてあった地上車に乗り込む。当然、シュヴァルツァーが運転手を務め、ゲオルグは後部座席に座ってくつろぎながら、思案をめぐらせていた。

 

 総督府につくと玄関口にハイデリヒ元保安中尉が出迎え、脇に抱えていた報告資料をゲオルグに手渡した。ゲオルグは資料を読みつつ、ハイデリヒとシュヴァルツァーを後ろにつけ、今では公的にも自分専用に与えられた私室に入った。資料を完全に読み終えるとハイデリヒに問いただした。

 

「逃亡中だったヤン一党がエル・ファシル独立革命政府に合流したというのは間違いないのか」

「はい。独立政府主席フランチェスク・ロムスキーが先ほど全宇宙に向けて公開演説を行い、その旨を述べました。ヤン元帥も少しだけですが言葉を述べていましたし、疑いないかと」

「ふむ……」

 

 ハイデリヒの資料によると、ヤン・ウェンリーが例のレサヴィク星域で同盟軍の廃棄艦を強奪した義勇兵集団の黒幕であり、それと合流してエル・ファシルに姿を現した。革命政府主席ロムスキーは以前からヤンの参加を求めていたこともあって盛大に歓迎した。

 

 そしてヤン一党はエル・ファシルの革命予備軍に所属することとなった。軍事面の人事も一部公表されている。司令官ヤン・ウェンリー元帥、参謀長ウィリバルト・ヨアヒム・フォン・メルカッツ上級大将、後方勤務部長アレックス・キャゼルヌ中将、擲弾兵総監ワルター・フォン・シェーンコップ中将。一見、要職の人物名だけ公表したという形に見えないこともないが、単に知名度があるから公表しただけではとゲオルグには思えた。

 

 どのような経緯であるのか判然としないが、とりあえず独立政府の公開演説の映像を見て見ることにした。それに加え、もらった時はあまり重要視はしていなかったが、ボルテックと連絡をとりあってグラズノフが入手した独立政府主要人物リストがあったはずだから、それを持ってくるように命じた。

 

 ロムスキーの演説は同盟再侵攻のとき、ラインハルトが和約破棄と宣戦布告を告げる演説で述べられた事前情報説明を概ね踏襲していた。帝国の駐在弁務官レンネンカンプと同盟のレベロ政権の合作陰謀によって、民主主義守護の為に最善の行動をしていたヤンの抹殺をはかった。この件について帝国も同盟も非難に値するだけのことをしており、このような不法を決して許さないという民衆の怒りが、エル・ファシルに自由惑星同盟からの独立革命という道を選ばせたのである。

 

「ヤン元帥がこの惑星に来られたことは、いうなれば、われわれエル・ファシルこそが民主共和政治の本道を行く、真に民主主義的な革命政権であると認めらたということであります。つまり、レベロ政権がわれわれの独立革命運動は独善的であり、民主政治を脅かす行為であるという非難は、まったくの事実無根のものであったという証であると言えましょう。かつて、このエル・ファシルからヤン提督の民主国家の英雄としての伝説が始まりました。そして今度は。このエル・ファシルから民主革命の英雄としてのヤン提督の新たな伝説が始まるのです。それでは、ご本人から挨拶してもらいたいと思います」

 

 そう言って、いかにも頼りなさそうな青年が――実績から考えると絶対そんなことはないのだが――ぎこちない笑みを浮かべて登壇した。マイクに向かって演説を始めた。

 

「ヤン・ウェンリーです。どうかよろしく」

 

 かつて自由惑星同盟軍最大の英雄であり、これからエル・ファシル独立革命最大の英雄となるであろう人物の演説は、これだけで終わった。あまりの短さにロムスキーが慌てたように再び登壇し、解説を付けくわえて場を取り繕おうとした。

 

「ヤン提督は長い逃避行のせいでお疲れであり、それでも私が民衆に声をかけてやってほしいと特に頼んだのである。彼が今回の民主革命への参加を並々ならぬ決意で決められたことであると私は確信している。なにより、民主国家の軍人にとって重要なのは言葉より自制と行動と実績なのですから。これより、彼の起こす奇跡に期待しようではありませんか」

 

 努めて落ち着いたようにロムスキーはそうヤンの事情を説明するが、雰囲気がぶち壊されたことはどうしようもなく、なにかすっきりしない感じで公開演説放送は終了していた。

 

「……前にも思ったが、ヤン・ウェンリーという男がさっぱりわからぬな」

 

 以前、同盟内に現れた義勇兵集団のニュースを聞いた時、その義勇兵集団とやらの黒幕は同盟政府か同盟軍の中枢であろうと推測していたのである。にもかかわらず、実際の黒幕はヤン・ウェンリーであり、しかも同盟政府と同盟軍に抹殺されかかったということは、その情報を上層部とまったくと言っていいほど共有していなかったらしい。正直に言って、あまりにも間尺に合ってないように思える。想定外もいいところだ。

 

 まったく政府や軍の後押しなしに非正規の軍事力を存続させ続けるなど補給や練度維持の観点だけで考えただけで無謀極まるように思える。加えてそうした課題を乗り切れたとしても、政府や軍とのパイプがろくにないのだから、バーラトの和約を破棄ないしは改定したときに、軍の中核となることも難しくなるし、よしんばなれたとしても、不協和音が凄いことになりそうだ。

 

 となると、同盟政府打倒を目的としての軍事力隠遁であったという可能性くらいしか考えられない。同盟政府の親帝国方針に民衆が不満を募らせるのを待ち、民衆多数がバーラトの和約破棄を叫んで蜂起した時に義勇兵集団を民衆の武力として登場させ、新同盟の正規軍中核となる。だが、これはリップシュタット戦役と同時期に起きた同盟でのクーデターによって成立した救国軍事会議政権と同じように内戦状態に陥る可能性だって十二分にあることを思うとあまりにもリスクが大きいように思える。

 

 では、元々は同盟と帝国の間に第三勢力を構築する計画であったと考えるべきか。エル・ファシル独立政府主要人物リストによると、政府主席ロムスキーはエル・ファシル脱出作戦において協力した過去があるらしい。エル・ファシルの独立宣言は、大局的に見て同盟を更なる混沌に陥れた暴挙であるというのが帝国政府側の分析がクラウゼのルートから届けられている。しかし最初からロムスキーとヤンが協力関係にあったとするならば、共犯者が同盟政府に排除されそうになったので焦り、予定を前倒しにして独立宣言を出したということになるとすればある程度の筋は通る。だが、同盟と帝国の間に第三勢力を生み出したところでいったい何の意味があるというのか。

 

 思いつくようなことと言えば、バーラトの和約はあくまで銀河帝国と自由惑星同盟の間で結ばれた条約であり、国内の分離独立を禁じる条項が存在しないことを盾に、おおっぴらに再軍備を行うということくらいだが、あまりにも屁理屈染みている。第一、それならエル・ファシルみたいに帝国領にほど近い星系ではなく、反対方向に根拠地を築くべきだし、仮にそうしたのであってもバーラトの和約第三条で帝国軍は同盟領を自由に往来することが認められているのだから、同盟領を通ってきた帝国軍に鎮圧されるだけであろう。あまりにも意味がない。

 

 では、いったいなにを目的としていたのか。ゲオルグの想像が及ぶところではなかった。義勇兵集団の頭領に旧帝国の宿将であるメルカッツを任じていたことから、おそらく自由惑星同盟としてのメンツをあまり気にしていない目的であったのだろうとは思うが……。 

 

「わからないことをいくら考えても仕方がない。過去のことよりこれからの展開について考えるべきか」

 

 小規模とはいえ、ひとつの勢力の軍事組織の頂点に台頭してきたヤン・ウェンリーという人物がどういう性格なのか、どのような行動方針を持っているのか、まったくといっていいほどわからないのはかなりの不安要素だが、今ある情報では答えが出ない以上棚上げするしかない。ヤンに対するゲオルグの確定的評価といえば、軍事的天才で演説嫌いということくらいだ。というより、あんな演説放送をするくらいなら、適当なスポークスマンでも雇って代弁させる形をとったほうがマシだったのではないだろうか。

 

「ハイデリヒ、ヤン一党とエル・ファシル独立政府の合流が今後の情勢にどのような影響をあたえると思う?」

「独立政府が正式にヤン一党を迎え入れ、帝国側が糾弾していた同盟政府の非を全肯定する声明を出した以上、同盟政府とヤン一党が遺恨より専制勢力からの民主主義の防衛を優先して共同戦線を組むという可能性は完全になくなりました。そうである以上、帝国軍の遠征継続方針は揺るがぬものとなったかと」

 

 ラインハルトが宣戦布告と同時に全宇宙に同盟首都の混乱の真相を公表してしまった時点で既に微かな可能性となっていたことではあるが、それでもすべては帝国のレンネンカンプの暴走が原因であり同盟政府は被害者であると発表し、ヤン一党が割り切ってしまうようなことがあれば、共同戦線が組めてしまう可能性はあったのである。

 

 しかしエル・ファシル独立政府が、帝国の侵攻に対してだけではなく同盟政府をも声高に批判してしまったので、手を組める余地がほとんどなくなってしまった。これは帝国軍にとっては共和主義勢力の分裂を見逃さずに各個撃破する好機であり、後方の本国における不祥事からくる不安の微粒子を、ある程度は吹き払う材料足りえるだろう。

 

「帝国官界に多大な被害がでたから、遠征を中断しての撤退もありうるかと思っていたのだが、遠征を継続する方針を貫くとは、な」

 

 かなり残念そうにため息を吐く金髪の主君に、初老の側近は疑問を覚えた。

 

「貴族連合残党が起こしたクーデターの過程で大量の開明派官僚を事前のわれわれの予想を超える規模で殺害してくれたおかげで、構成員を中央政府に潜り込ませやすくなった今の状況下においては、皇帝ラインハルトが遠征を継続するのはわれわれにとって好ましいことだと思うのですが違うのですか。いえ、長期的視点で考えれば以前申しあげたように、外の脅威がなくなれば内憂への対処により大きな力がかかることはあきらかなので、遠征の中断によって自由惑星同盟が存続してくれた方が良いのかもしれませんが……」

「いや、皇帝ラインハルトが本国に戻ってこないほうが中央政府への浸透を強める上ではありがたいというおまえの認識は間違っていない。皇帝がいる状況下で大規模にするとちょっと面倒なことになりそうだからな。だが、撤退してくれていたら皇帝ラインハルトの最大の支持基盤である軍部を切り崩すこともできたのではないかと思うと、少し未練がな」

「仮に撤退したとしても軍部の皇帝支持が揺らぐとも思えないのですが。いったい、なぜでしょうか」

「高級軍人どもが自分より年下である皇帝に忠誠を捧げているのは、常に彼が最終的には勝利してきたからであり、兵の犠牲を無駄にせぬ結果を残してきたからだ。少なくとも、帝国元帥に昇進して以来、皇帝ラインハルトが軍事行動を起こして戦略目標を達成できなかったことはいまだかつてない。そうした実績が、常勝の英雄として崇敬の念を抱かせておるのだ。そのような人物が自由惑星同盟を武力によって完全併合すると公言して間もないというのに、撤退を決めたりしたら帝国軍将兵たちはどう感じるであろうな」

「……常勝の英雄ではないと幻滅してしまう可能性がある、と、いうことでございますか」

「その通り。ましてや共和主義者どもが往時に比べはるかに弱体化している上に分裂騒動まで起こす醜態をさらしているとあっては、コルネリアス一世の頃の帝国軍と同じように軍人たちはなんで撤退したのかと不満を募らせよう」

 

 自由惑星同盟を完全に併合せんとし、自ら大軍を率いて同盟軍相手に連戦連勝し、同盟首都ハイネセンの目前まで迫ったコルネリアス一世は、本国で宮廷クーデターが起きたために遠征の続行を断念し、撤退することを決断した。しかし突然の撤退命令だったこともあり帝国軍の撤退はかなり無秩序なものであり、敗走を重ねながらも不屈の闘志で虎視眈々と反撃の機会を伺い続けてきた同盟軍の激しい追撃を受けて手痛い損害を受け、遠征で得た占領地のほとんどを手放さざるをえなくなった。

 

 この結果に遠征に参加した高級将官は激しい不満をいだかざるをえなかった。あと一歩、あと一歩で、不遜な叛徒どもに再起不能の大打撃をあたえ、銀河帝国が名実ともに人類社会すべてを支配することができたのだ。いくら本国首都でクーデターが起こされたとはいえ、撤退の決断は早計すぎた。おかげで遠征で得たものは占領中のわずかな略奪品くらいしかない。本国のクーデター勢力が意外に小規模で簡単に鎮圧できてしまったこともあり、叛徒に致命的打撃を与えた後に撤退した方がよかったのではないかという皇帝の“誤断”への怒りを募らせたのである。

 

 コルネリアス一世もそうした軍部の感情を理解しており、その反発を慰撫するのにかなりの神経を使っていた。というよりかは、“元帥濫発帝”などと通称されるほど元帥号を無節操に与えてきたせいで、中堅将校であっても元帥としてかなり広範な権限を行使できる者が多く、あまりに彼らを無視すれば元帥権限を悪用して叛乱を起こしかねない恐れがあったから、神経質にならざるを得なかったというほうがより正確であるかもしれない。

 

「コルネリアス一世の大親征とはいささか細部が異なるが、皇帝ラインハルトが遠征を中止しても似たような事態が発生しよう。閣僚すら犠牲になったのだから、軍上層部の大半は撤退にも理解を示すだろうが、ことに中堅以下となると自軍の精強さを過信している輩が多いという情報もあるから、つけいれる隙は十二分にできたはずだ」

「なるほど。となると、遠征を中断してもかなりのリスクを負うことになるわけですか……」

 

 自分より遥かに高い視座からの深い分析にシュヴァルツァーは内心圧倒されるような思いだった。

 

「とはいえ、だ。万一、共和主義者相手に手痛い損害を被ろうものならば、今この段階で撤退するよりもはるかに軍部は皇帝ラインハルトに不満を持つことになり、われわれがつけこむ隙も大きくなる。そのあたりのことがわからないほど愚かであるはずがないから、それを承知の上で遠征継続の決断をしたのだろう。そしてそれは皇帝自身が常勝の英雄としての強い自負心を持っている証明であるともいえるわけだから、おそらく同盟政府もエル・ファシルの独立政府も叩き潰すまで戻ってこようとはせぬであろう。つまりこれからも皇帝が何か月も本国を留守にすること疑いない。この空白期を利用して貴族官僚復権の政治的潮流でも帝国官界にできるよう工作し、私の復権への道筋を整えたいところだ」

 

 正直なところ、貴族連合残党がここまで派手に事を起こせるなどとは事前には思っておらず、中央政府に潜り込んでいるクラウゼたち秘密組織の構成員の出世の糧になってくれればいいな、というくらいにしか考えていなかったのだが、とんでもない過小評価であった。まさかここまで高級官僚の椅子を開けてくれるとは思っておらなんだ。幸運の神が微笑んだこの好機を逃すべき理由はない。まったくもって本当に貴族連合残党のヴァルプルギス作戦がもたらした状況は、ゲオルグにとって嬉しいことだらけであった。

 

 ただ唯一嬉しくない要素もあった。貴族連合残党に派遣していたクリス・オットー少佐の生死が不明であることだ。少佐は秘密組織の内実をある程度把握しており、敵対的組織に情報を提供すれば致命的な事態を招きかねない。帝国の官憲に捕まったとかならば心配することはほとんどない。あの憎悪に染まっている少佐はたとえ酷い拷問を受け自白剤を投与されたとしても、ラインハルトにとって有益な情報を吐こうとはしないだろう。だが、クラウゼの報告によるとオットーを捕まえたという情報は聞いていないという。どこかで人知れず死んでいるとかならよいのだが、そうでないならオットーが引き続き反ラインハルト勢力に与し、秘密組織の情報を教えることがラインハルトに復讐するのに有益であると判断して秘密組織の情報を提供するという最悪の可能性が現実味を帯びる。死活問題なので見つけ次第殺すように秘密組織全体に命令してあるが、一抹の不安は拭い去れない。

 

 前途は多難で、不安も尽きることはないが、それでもたしかな前進をゲオルグは感じていた。ゲオルグ・フォン・リヒテンラーデとして公の場に登場できる日は確実に近づいている。なればこそ、慢心せずに警戒をもってことにあたらなくてはならない。まだ自分は公的には処刑されねばならないはずの人間に過ぎぬのだから。




書き終えて思いましたが、今回の話は前半と後半の落差が……


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悲劇果てしなく、故に現在に至る

今回は革命的情熱に溢れまくっているエル・ファシルのお話


 革命予備軍司令官となった元同盟軍最高の名将はエル・ファシルに来てから、うんざりとする日々を過ごしていた。たしかにエル・ファシル独立政府にとっては当然の戦略なのはわかるが、自分の存在を過度に喧伝するのはやめてもらえないものだろうか。ロムスキー主席は決して悪い人間ではないのだが、とかく理想が先行しがちで現実を万事楽観的にとらえる傾向が強いので苦労させられている。レベロ議長と足して二で割れたら、ちょうどいい民主的指導者になりそうなのだが、と、非現実的な思いを感じずにはいられない。

 

 だが、それでもトリューニヒトやそれ以前のサンフォードなどに比べれば、はるかによい潔癖な民主的指導者である。自分の進言を煩わしいものであると無視するようなことはせず、こちらの言葉を聞く耳をもってくれていることだから、多少の欠点はあっても耐えられないほどではない。ただ、いくらなんでも革命家としての情熱が先行して後先考えてなさすぎなところは不満を持たざるをえない。そのせいでヤンはエル・ファシルに来てからずっと革命予備軍の先住民たちとの関係に頭を悩まされていた。

 

 以前から思っていたことではあるのだが、なぜエル・ファシルに続いて自由惑星同盟から独立しようとする星系が存在しなかったのだろうかということである。むろん、エル・ファシルが今の段階で独立したのは暴挙であると今でも思っているが、一五〇年近く続いていた対帝国戦争は同盟全体に深い傷跡を残し、人々の間に怨恨を植え付けている。救国軍事会議のクーデターが起きた時、それを支持した星系政府も少なくなかったことを思うと、少しだけ違和感を感じたものだ。同盟時代の主戦派星系の雄として、この近辺で名高かったヴァラーハなどは続いてもおかしくないはずだと。

 

 いろいろ込み合った事情があるのだが、一番の原因はやっぱりロムスキーであるとしか言いようがなかった。バーラトの和約六条に従い、帝国との友好を阻害する言動を禁じる反和平活動防止法がレベロ政権下で施行され、それに従い、中央政府はどんなに主戦派の気風が強かった星系であろうとも、反帝国的主張を抑えようとしなかった者を公職追放に処し、悪質な場合は拘禁も辞さないという強硬姿勢に訴えた。こうして最強硬派は政治の世界から追われた。

 

 だが、最強硬派を追放したからといって、主戦派系の勢いが完全に死んでしまうわけではない。代わりに建前を取り繕うことが得意な元主戦派が権力の座に就いた。同盟憲章に抵触するような行為を、建前と方便と民意を駆使して正当化していたような連中である。それだけに冷静に現実を分析する能力も備えており、同盟の軍事力が喪失した以上、帝国打倒など夢のまた夢であると悟っていた。そして為すべきことは“自由惑星同盟に加盟する一星系”として、将来的には“帝国領の一地方”としての枠内で高度な自主権を確保することこそ先決。それを実現したならば、後々の選択肢は和戦いずれであっても豊かなものとなるであろう。

 

 そうした考えの下、主戦派の看板だけを取り下げた帝国の不信感を隠せない政治家たちは様々な方策をとった。ヴァラーハを一例にあげると、帝国支配圏からほど近かったこの有人惑星は、帝国軍侵攻を想定して地域単位で民間防衛組織を構築し、いざという時は星系政府が指揮下で組織的な抵抗運動を展開できる制度が存在した。反和平活動防止法によりこういった組織が非合法化したので、星系政府は民間防衛組織を解体せざるをえなくなったが、それらの武装を破棄せずに民間に払い下げし、民間人が自主的に武装している環境をつくりあげた。

 

 当然ハイネセンのレベロ政権から問題行為として追及されたが、ヴァラーハ星系政府の要人は「当星系では武装することは一種の護身術であると認知されており、ハイネセンの住民が防犯グッズを持つのと似た感覚でだれもが所持している。同盟全体の情勢が不安定な昨今、宇宙海賊をはじめとした犯罪組織の活動の活発化が懸念され、民間に銃火器や装甲車、戦闘ヘリなどを提供することは民心の安定に寄与する有意義な事業であると星系政府は確信しており、また当星系民衆の支持も得ている」と平然として(うそぶ)いた。一方で似たような方策をとっている旧主戦派星系との交流を活発化させ、情報交換を密にしていることから、大規模な民衆の叛乱を起こせる下地を作っていることはあきらかだった。

 

 だが、本当に叛乱を起こしたら敗北することはわかりきっている。民間武装の目的はあくまで同盟中央政府、そしてその裏にいる帝国政府への脅しに過ぎないのだから、民衆の不満を宥めつつ中央政府の意向で聞けるところは聞き、いろいろ反発してくるが武力制裁をするには割があわない程度には従順という微妙なポジションをキープして星系政府がとれる選択肢を増やしていくというのが、ヴァラーハを筆頭とする旧主戦派星系政府の基本的政治戦略だった。そういう旧主戦派の観点からすると、時代の趨勢が読めずに勝算なき即時徹底抗戦を主張し、民衆を扇動する最強硬派は目の上のたん瘤でしかない。かといって、最強硬派を過度に弾圧するようなことはできない。最強硬派が少なからず民衆の心を掴んでいるので、やりすぎると民衆の不満の矛先が帝国ではなく星系政府に向く恐れがあるからだ。

 

 そんな風に悩んでいた旧主戦派の星系群にとってエル・ファシルの独立はまさに天祐だった。旧主戦派の星系政府たちはこぞってエル・ファシルの独立政府と接触し、今後の民主主義世界の展開において意義深い出来事であるとし、物資面での援助を行う一方、同盟政府が権力でおしつけた反和平活動防止法のせいで自由に活動できない者達が同盟領内にいるので引き取ってくれないかとエル・ファシル独立政府に願い出た。要は原理主義的活動がしたいならエル・ファシルでやれという体のいい厄介払いであり、援助物資は手切れ金というわけである。

 

 そんな裏があるとは露知らぬ独立政府主席ロムスキーにとっては、多大な物資を援助してくれた恩義があるし、優秀な政治家・官僚・軍人・技術者を多数取り込めるのはとても魅力的なことだった。なにより犯罪を犯したわけでもないのに、反帝国的思想性を理由として自由を奪われ、政治活動が制限されているなど民主主義の原則に反するではないかという、潔癖な民主主義革命家としての当然の感情から喜んで受け入れてしまった。

 

 おかげでウィンザーやトリューニヒトや救国軍事会議を支持していた経歴がある公職者の比率が極めて高くなっており、ヤンが司令官を務めることになった革命予備軍も例外ではなかった。不幸中の幸いとして、彼らが軍規違反を犯した経歴がないかについてはちゃんと独立政府で確認されており、階級秩序に従う軍人精神を持ち合わせている者が上層部を占めていたので、エル・ファシル革命運動のみで考えれば新参のヤン一党が革命予備軍の中核となることについて何の反発も起こらなかったのだが、革命予備軍の軍人たちは揃いも揃って、「不敗の魔術師」、「救国の大英雄」、「絶世の愛国者」、「同盟軍最高の叡智溢れる智将」、「真の民主主義擁護者」等々、聞いていて恥ずかしくなってくるヤンの虚像ばかり信奉していたものだから、ヤンとしては勘弁してくれというという状況であった。

 

 こんなやつらに対して演説をしなきゃいけないのかと気が何度も滅入ったのだが、アッテンボローやシェーンコップが「じゃあ、ヤン提督の代理として演説しましょうか」とものすごくよい笑みを浮かべながら立候補してきたので、こんな状況でこいつらに任せたらロムスキーひいては独立政府全体との関係が拗れてそのまま自分が政治的指導者に祭り上げられそうだという危機感から“二秒スピーチ”でヤンは妥協することにした。軍事委員を兼任しているロムスキーはトリューニヒト政権下の同盟国防委員会とは比べ物にならないほど話がわかる上司なのだが、軍事上の最高責任者というのはやっぱりなりたくなかった。長期計画が成功していれば、そんな面倒な役職は他人に任せることができたはずなのに、と、未練を感じているわけである。

 

 余談だが、長期計画の詳細について知っていた者はヤン一党の中でも極一部しかいないが、少なくとも五年以上の時間を見込んでの計画であると主要人物たちは理解していた。そしてヤン提督はまだ三〇代なんだから、五年や一〇年たったところで、ヤン・ウェンリーが民主主義再生の旗頭になって当然だろうとほぼ全員に思われていたので、仮に長期計画通りの展開になっても旗頭として担ぎあげられたのは疑いないのだが、迂闊にもヤンは生涯そのことに気づかなかったという。

 

 あまり愉快ではない毎日をエル・ファシルで過ごしていたヤンの下に、純粋に嬉しいことが一二月一一日に起こった。地球への旅に出ていた養子ユリアンの一行が帰還したのである。司令官執務室で少しだけまた大きくなった養子の姿を確認して元帥は懐かしさに目を細め、久方ぶりに嬉しさから笑みを浮かべた。

 

「お帰り」

 

 私的にはヤンの妻であり、公的には革命予備軍司令官付き副官という地位にあるフレデリカ・グリーンヒル・ヤン中尉も、夫にして上官に続いて嬉しさから笑みを浮かべた。

 

「元気そうね、ユリアン」

「はい、……帰ってきました」

 

 ユリアンも声を弾ませてそう言った。二人が結婚すると同時に旅にでてしまったので、ヤン家は新しい時代を迎え、もしかしたら古い自分の居場所がなくなっていないだろうかという微かな不安を旅中に感じていたので、変わらず自分の居場所があるという当たり前のことが確認できたのが嬉しかったのである。

 

 しばらく心地よい沈黙が流れていたが、ユリアンがふと思い出して慌てて言葉を発した。

 

「提督、それで地球教に関することなんですが――」

「ああ、別に気にしなくてもいいよ。帝国から流れて来たニュースで、帝国軍がテロ行為を行った地球教の本部を壊滅させたっていう情報を私も知っているからね。あんなところから生きて帰って来てくれただけでも嬉しいよ」

「あ、いえ、その直前に地球教のデータバンクから情報をこれにコピーできましたから、提督のお役に立ててもらえないかと」

「………………そうか」

 

 状況証拠から早合点して、ユリアンの旅の目的も満足に果たされなかったのだろうとヤンは気遣ったのだが、ユリアンがキョトンとした顔でポケットから地球教のコンピュータからデータを移植した光ディスクを取り出したものだから、若干のいたたまれなさを感じた。フレデリカがその反応を見ておかしそうに微笑んでいるものだから、羞恥心がとても刺激された。

 

「うん、ありがとう。時間ができた時に検証するとしよう。しかし壊滅直前まで地球教本部に居ただなんて……。皇帝暗殺なんてとんでもないことしでかすほど地球教が危険な集団だなんて思ってもいなかったものだから、そんな危険な連中の根拠地に旅に行かせたことを私は後悔していたんだが。いったいどうやって手に入れたんだ?」

「その、地球教内部の人に協力してもらえて。イザーク・フォン・ヴェッセルっていう、皇帝ラインハルトが帝国の権力を掌握する前、帝国警察の高官だった貴族の人なんですけど」

「帝国警察の元高官だって? 地球教の手はそんなところまで及んでいたのか……」

 

 地球教と浅からぬつながりが同盟主戦派やフェザーン上層部に存在したので、帝国にもそうした影響力を持っているのではないのかと推測していたが、やはりそうだったのかと感じたのである。しかしユリアンは慌てて首を横に振った。

 

「本人が言うには、警察時代は地球教の裏側のことを知らないただの信者だったらしくて。だからリヒテンラーデ派がローエングラム派との権力闘争で敗れた後、信仰による救いを求めて地球に来て裏面を知って、自分を見失っていたらしく……」

 

 それからしばらく、ユリアンはヴェッセルという人物について知りうる限りのことを話した。法を軽んじる旧帝国に秩序をもたらそうと志し、理不尽に苦しめられ、信仰を支えにして働き続け、ゲオルグ・フォン・リヒテンラーデという主君と出会い、リヒテンラーデ派が政治を牛耳って間もなくその座から追い落とされ、自分たちを破滅に追いやった憎い政敵が自分が望んでやまなかった改革を実行していき、絶望した可哀想な人の話を。

 

 それをヤンもフレデリカも黙って聞いていた。フレデリカは徹底的に運がないヴェッセルのことを純粋に同情しているようであったが、ヤンのほうは時折挟まれる旧帝国末期の裏事情やパワーバランスの話に、不謹慎だがアマチュア歴史家として興味も抱かずにはいられなかった。

 

「それでユリアン、あなたはそれでどう思ったの?」

 

 フレデリカの問いに、ユリアンは恥ずかしげに答えた。

 

「保守派貴族の陣営に属していて、皇帝ラインハルトの新体制に属そうとしなかった人たちは傲慢で無能だったのか、あるいは個人的な怨恨のためと思い込んでいたので……。あんなふうに、自分の理想を憎い政敵が実現していくのに絶望している人がいたなんて、思いませんでした」

「ましてや、忠誠を誓った主君は自分の権力を取り戻すために熱心に暗躍しているとあっては宗教に縋りたくもなるか。そして縋った地球教の裏側が悪質な反動の陰謀の糸を銀河中に巡らせているとは、なんともやりきれないことだね」

 

 門閥貴族連合と対立するとき、ラインハルトが手を組んだリヒテンラーデ派も保守主義であったが、それ以上に現実主義的な思想の官僚勢力で、開明的ではないにせよ、帝国の秩序と政治体制を安定化させるという観点から、門閥貴族の専横や統治機構の腐敗を問題視していた。だからリヒテンラーデ派に属してた者が綱紀粛正などの改革を望んでいたとしても、不思議なことではない。

 

 しかしユリアンがヴェッセルから聞いたというゲオルグの思想は、そうした範疇に収まるものではなさそうだった。彼は国家理念が形骸化し、おおくの民衆が未来に希望を持てておらず、しかも貴族階級がそれを気にしてない状態に深刻な懸念を持っていたという。そしてこれを改善するためには、前例に囚われない大胆かつ抜本的な改革が必要であり、恐れ多いことであるのでやりたくはないが、皇帝の理解を得られないようなのであれば、最悪、帝位を簒奪してでも改革を断行せねばならぬとまで決意していたらしい。そんなことを考えている時点で保守主義者ではない。

 

 だが、ゲオルグが抱いていたという改革思想はラインハルトが行った改革とはまったく違う。彼は腐敗の原因は貴族階級の危機感の欠如にあると考えていたらしく、それを改善するために階級の流動性を高めることを重要視していたようだ。貴族の子は貴族、平民の子は平民というのは当然のことだが、それが政争で敗北せぬ限りは永遠不滅のものと胡坐をかいてきたからこんなことになったのだ。優秀な平民が貴族にとって代われる可能性を広げ、自分の地位を奪われるかもしれないという危機感を貴族に持たせる。このような身分の流動性の高い社会体制を作れば、門閥貴族の専横や腐敗に一定の歯止めをかけることができ、なおかつ民衆に活力を与えることができると考えていたらしい。

 

 もし本当なのだとしたら、ゴールデンバウム王朝末期の腐敗した時代においてゲオルグとヴェッセルの目的には完全に一致していたことだろう。しかしヴェッセルによると貴族としての自負心も相応にあったというし、リヒテンラーデ一族全体に処刑宣告がなされていることを別としても、ゲオルグはラインハルトの改革に好印象を持っていないだろうと推測できる。だからこそ、ユリアンがフェザーンで巻き込まれたように、銀河の陰で謀略を巡らせているのだろう。最近、帝都で騒動があったと聞くが、もしかしたらそれにもかかわっていたりするのかもしれない。

 

 だけどただ公正な社会体制を望んでいたヴェッセルにとっては、ラインハルトの帝国も充分に素晴らしいものであり、それを壊そうとなどは思わない。だが、だからといって、その新帝国建設に協力するのは大恩ある主君の義理からできることではない。まったく、ひどい運命に翻弄されているものだとヤンもヴェッセルという人物に同情を禁じ得なかった。

 

「歴史を語る上で悪の色彩を帯びている勢力があったとしても、彼らは彼らなりの正義を掲げているものだし、よしんば悪であったとして、人間が個人個人の意思を持っていて、政治勢力もその集合体に過ぎない以上、善人が一人もいないなんてことはないだろうしね」

 

 そうでなければ同盟で絶対悪とされてきたルドルフとゴールデンバウム王朝を、その国に生まれたラインハルトが打倒してローエングラム王朝を創始できたはずがない。そのことを思っての発言だったが、彼の妻は別のことを連想した。

 

「そうよ、ユリアン。メルカッツ提督や今帝国軍で活躍しているファーレンハイト提督だって、その前は貴族連合の側に立っていたのよ。……それに私の父だって、道を誤ってクーデターの主犯になってしまったけど、決して悪い人ではなかったわ」

 

 ヤンとユリアンはバツの悪い表情を浮かべた。フレデリカの父、ドワイト・グリーンヒル大将は悪化するばかりの政治の腐敗と帝国領遠征による国防体制の崩壊を憂い、武力でトリューニヒト政権を打倒してこれらの問題に迅速に取り組むべきと主張する過激派の意見に賛同して二年前にクーデターを起こし救国軍事会議を組織し、その議長を務めた。そしてクーデターの失敗を悟ると“自殺”してしまったのだと彼の懐刀だったエベンス大佐に聞いている。

 

 ……フレデリカやユリアンには伝えていないが、グリーンヒル大将の遺体をヤンが確認したところ、額を撃ち抜かれていたので、本当の死因は自殺ではないのだろうと思っている。エベンス大佐の後ろめたさを感じた表情をも考慮すると、おそらくはグリーンヒル大将の降伏の意思に賛同しなかった同志のだれかに射殺されたというのが真相なのだろうと思っている。しかし所詮は証拠もない憶測を、クーデターの主犯になったというだけで十分傷ついていたフレデリカに教えるのは躊躇われたので、黙っている。

 

「人が良いせいで、かえってまわりに流され、歩む道を間違えてしまうこともあるのよ」

 

 腐敗したトリューニヒト政権に不満をいだいていたのは当時のヤン一党も共有できる感情であった。だからグリーンヒル大将がそうした気持ちもわかる。だが、だからといってそのために民主主義政権を打倒して軍事独裁政権を打ち立てていいわけがない。そう思ったからこそ、ヤンは救国軍事会議とも対決したのだが、感情面において完全に否定できるかといえば否であり、それが正義VS悪の戦いなんて創作上の物語ではありはしない、現実の正義VS正義の戦い故のやるせなさだ。

 

「まわりに流され、間違える。なら、あの人もそうだったんでしょうか」

「あの人?」

「地球でもう一人、善悪というものについて、考えさせられる人と出会いまして。ダージリンという都市の長をしていたフランシス・シオンっていう女性の方なんですけど」

 

 地球教本部の陰謀を嫌悪しつつも、地球の平和の維持こそが肝要なのであって、犠牲になるのが平和に暮らしている自分たちではなく、一〇〇年以上も戦争に狂奔し続ける狂人どもであるのならば止める必要がどこにもない。そう語った彼女の主張はユリアンにとっては衝撃的なものだった。彼女はただごく当然のことを言っているだけであるという雰囲気で、まったく悪意がない表情でそう言っていた。

 

 個人としては善良でさえ、あったのかもしれない。自分の考えを否定されても怒るようなことはまったくなかったから。しかし無知ゆえのものというには非常に博識であり、堂々と議論してあの狂った論理に合理的に正当化するシオンを否定できなかった自分の歯がゆさは忘れられない。

 

「外の宇宙は一世紀以上も戦争を続けている狂気の世界、か。うん、まあ、その点については反論できないな」

 

 ユリアンからの説明を受けている最中、シオンのとんでもない価値観に唖然とした表情を隠せずにいたが、情報を整理しているうちにヤンはいつも通りの超然とした、あるいは、ボケッとした顔に戻り、説明が終わるとあきれたようにそう呟いた。

 

「提督はシオン主教のことをどう思います」

「いつだったか、おまえにも言ったと思うんだが、戦っている相手国の民衆なんかどうなってもいい、という考え方だけはしないでくれという話をしたな」

「ええ、ハイネセンで仮にラインハルトを戦場で倒したら同盟は救われるだろうが、帝国がどうなるのだろうという話題をした時に」

「ある意味、彼女の思想はその究極系だよ。むろん、地球が外の宇宙と戦争をしていた事実なんてない。シリウス戦役の頃の認識を現在まで引きずっていたという可能性もあるけど、どちらかというと地球教の教義と思考誘導によるものだと思う。つまり戦争などという愚劣なことをやっている外の宇宙の連中は、平和を愛する自分たちとは違う戦争狂なのだから、放っておいても勝手に殺しあって死ぬような外の宇宙の人間がどうなろうが罪悪感を感じることではないという一種の選民思想だ。こういう思想に囚われているような人間というのは、善良な資質を持つ人間であっても被害にあうのが自分たち以外であった場合、悪意なく無関心に肯定できるようになってしまうものなんだ。これは同盟市民が憲章擁護局という過ちを犯したのとそう変わらない」

 

 ダゴン戦役における同盟軍の勝利。それは帝国に対抗しうる独立勢力が存在することをオリオン腕の人民に知らしめ、腐敗しきっていた帝国に愛想を尽かした者達が、安住の地を求めて帝国からの逃亡を開始した。同盟政府は続々と国境に流入してくる人民を“専制的な圧政の被害者であり同胞”であると定義し、当初は新たなる共和国市民として温かく迎え入れた。

 

 だが、一気に何億という帝国人民が国内に流入したことで問題が発生した。というのも、当時の帝国は歴史上もっとも暗闘が繰り広げられた“暗赤色の六年間”の真っただ中であり、その悪影響が市井にまで及んでおり、生活難から亡命してきたのが多数派であり、共和主義者は少数派であった。しかもルドルフが銀河連邦を簒奪してすでに三世紀近い年月が経過していたこともあって、共和主義者であっても民主主義にたいする理解があるとはいえない者が多かったのである。

 

 よって彼らにとっては当たり前の行動をしているだけであっても、旧来の同盟人にとっては赦しがたい行為であった。彼らをこのまま野放しにしていては、同盟の民主主義的な憲章秩序は崩壊してしまう。内なる脅威から民主主義を護るためになんらかの対策をとらなくてはならない。

 

 そうした考えの下、自由惑星同盟の歴史に暗い影を落とすことになった憲章擁護局が設置された。憲章擁護局の目的は、民主主義の理念を新市民に浸透させ、崩壊せしめんとする反共和主義的活動を取り締まるためであるとされた。この組織自体、同盟憲章が保障している思想の自由を侵害する組織であるという原理派からの批判を受けたものの、しばらくは必要性が認められ、新市民の問題行為の取り締まりと教育を担当した。

 

 だが、コルネリアスの大侵攻によって事情が変わった。おびただしい犠牲の末、侵略軍を撃退したものの、専制主義への恐怖心を同盟市民全体に植え付けた。そうした民衆の恐怖を、憲章擁護局三代目長官エドガー・ウェブはそれを最大限に利用した。いや、ウェブ自身、コルネリアスの大侵攻により子どもを失っており、専制主義への憎悪を胸に滾らせていたのかもしれない。

 

 憲章擁護局の局員は信頼できる人材でなければいけないと新たな採用基準をもうけた。局員の先祖が長征一万光年に参加しており、三親等以内に反共和主義・反国家的思想運動に参加した経歴の持ち主が一人もいないこと。そして同盟憲章と最高評議会議長、憲章擁護局長官に絶対の忠誠を宣誓することを条件とした。帝国系市民を潜在的な反体制分子であるとウェブが決めつけていたからである。そして個人の自由を侵害する国民監視体制を構築し、有力政治家の弱みも調べあげて批判も封殺した。それはまさに同盟版社会秩序維持局であり、その長官であるエドガー・ウェブは影の権力者として死ぬまで自由と民主主義の名の下に警察国家を築いた。

 

 ウェブの死んだ直後、最高評議会の主導による調査の結果、憲章違反行為の捜査資料が山のように発掘され、憲章擁護局は反民主主義的な組織であり、自由惑星同盟の歴史上の汚点であるとして解体された。しかし、この一件で帝国との接触後に流入した者たちより、自分たちのほうが民主主義的な人間だという優越意識を一部の同盟人に植え付けることになった。ユリアンが祖母から虐待されたのも、長征一万光年に参加した先祖を持つ名家であり、ユリアンの母方が帝国からの亡命者であるからという差別意識からきたものであるという。まったく、先祖がどうだろうが大きな問題ではないというのは近代民主主義の根幹のひとつだろうに、なんと滑稽なことだろうか。

 

「とはいえ、だ。そのシオン主教ほど無感覚に肯定しているというのは信じがたい。しかも、シオン主教ほどでなくても、地球人の平均的な感情も似たような感覚らしいというのは、ちょっと想像を超えているな」

「憲章擁護局の時代の同盟であっても、新市民差別がまかり通るのが善悪以前に常識と考えていたというふうな話は聞いたこともありませんしね」

 

 二人の反応に、ユリアンは少し顔を綻ばせた。たしかにそういう風に考えれば、地球の感覚が理解不能というほどのものでもないと思えたのだった。きっと地球の人たちも、今回の一件で地球教の暗部を知っていき、間違いであったと気づくことだろう。勿論、一部の人たちは自分の祖母のように、そうした価値観を持ち続けるかもしれないが。

 

「学校でも憲章擁護局時代のことは習いました。銀河連邦の頃がそうであったように、すべての人民は平等であり、帝国領の人民もルドルフとゴールデンバウムの一族によって権利を奪われた被害者であって、そして偶然われわれは国父アーレ・ハイネセンの指導下にあったから自由を回復しただけなのであり、それを特別視するなど間違っている。全銀河の人民は自由惑星同盟の旗の下、民主主義を享受する権利を持っているのだから、亡命者を銀河帝国の侵略軍と同類視して差別した憲章擁護局の卑劣な行為は赦されないものであるって」

「……それはそれで別の問題を孕んでいるな」

 

 しかしそうした学校教育で学んだことを思いだしながらユリアンがそのときの知識を語ると、ヤンは諦観交じりにそう肩を竦めて嘆息した。

 

「どういう意味ですか」

「いいかい。その理屈は憲章擁護局の罪悪を糾弾している一方で、帝国を敵視し差別することは否定していないんだ。それどころか、帝国をこそ憎むべきであると誘導しているようにすら解釈できる」

「そうとれなくもないですが、しかしある意味では当然のことではないでしょうか。どちらも人類社会を自分側の主義によって統一しようと戦争をしていたわけですし、帝国まで弁護するのは躊躇われただけなんじゃないでしょうか。イデオロギーでも根幹の部分から対立しているわけですし」

 

 かたや、神聖にして不可侵なる皇帝をただ一人の主権者として、全宇宙は皇帝の領地であり、その領地に暮らす人民は主体性のない付属物であって、皇帝に仕える臣民であると唱える絶対君主政の銀河帝国。かたや、全宇宙の人民が主権者であり、公正な選挙によって人民より選ばれた代表者たる政治家によって、国家は運営されるべきと唱える民主共和政の自由惑星同盟。

 

 両国の政治的世界観は決定的に相容れない。よって互いに人類社会唯一の正統政権を主張し、相手を国家として認めずに戦い続けてきたのが、ダゴン戦役以来の一世紀半にわたる同盟と帝国の歴史であった。しかしヤンはそこに問題を見出すのである。

 

「そいつは正論かもしれないが、イデオロギーが相反する国同士が戦争以外の形態では交流が成立しないというのは、歴史的に見れば異常なことさ。銀河連邦成立以前の群雄割拠時代なんかは、いくつもの国々が対立と講和を繰り返したわけだしね」

「でもあなた。その頃の国々は、たとえ軍事独裁を敷いていたとしても、建前では民主主義を唱えていたと聞いた覚えがありますわ。そうした共有の価値観が、後に銀河連邦へと発展していったことを考えますと、相反するイデオロギーをぶつけあっていた帝国と同盟の関係をそのまま当てはめられるものでしょうか」

「ああ、そういえば同盟ではそう教育していたんだったな。だけど歴史的に見れば、決してそうではないんだ。少なくとも、地球統一政府以前はそうじゃなかった。相手のイデオロギーを否定しつつも、互いに国交を結び、軍事力以外の方法で相手を打倒しようとする試みは普遍的なものだったんだ。とくに西暦二〇世紀後半の冷戦時代が、それを物語っている」

 

 西暦二〇世紀後半の人類社会とは、西側諸国であるアメリカ合衆国を盟主とする自由主義・資本主義陣営と東側諸国であるソビエト連邦を盟主とする共産主義・社会主義陣営の対立し、二つの陣営に分かたれた世界であった。両陣営は核兵器と弾道ミサイルの開発・配備によって、一方が核兵器を使用したら直ちにもう一方も即時に核兵器で報復できるという狂った状況、相互確証破壊といういびつな安全弁を作り上げ、両方の主義主張を押し付け合う代理戦争を世界中で繰り広げて陣取り合戦が行われた、所謂東西冷戦の時代である。

 

 両方の超大国、アメリカ合衆国とソビエト連邦は互いに互いを憎悪し、相手を絶対悪として滅ぼすことを目標としていた。しかし一方で両陣営が緊迫した鍔迫り合いを続けていく中で、超大国同士の指導層の間には複雑怪奇で矛盾した信頼関係が醸成され、互いが直接放火を交えることは絶対にないようにしようという暗黙理の了解が築かれていった。このため、冷戦中に超大国同士の全面戦争に突入するような危機が発生すると、双方は罵り合いながら裏で落とし所を建設的に探り合うという、後世の視点からみればなんとも滑稽なことが繰り広げられるようになった。

 

 ご存知の通り、この冷戦は資本主義・自由主義を掲げた西側諸国の勝利に終わった。一九八〇年代後半に東側諸国で政治の硬直化と長引く経済停滞を社会主義のイデオロギー故に解決できない政府への不満が累積し、それが民衆による資本主義革命運動という形で現れ、それに屈する形で次々と脱社会主義を宣言するようになってしまった。社会主義の盟主であったソビエト連邦は抜本的な改革によって社会主義体制の存続をはかったが、改革に反発する保守派の反動と民衆の資本主義への憧れを抑えきれず、一九九一年にいくつかの共和国に分裂して崩壊してしまったのである。

 

「私はあまり詳しくはありません。でも米ソの冷戦が“一三日戦争”の二大戦犯国を産み落とす遠因になったという風に聞いた覚えがあります。なのにそのほうがよいのでしょうか」

「それも否定できないことではある。かなり語弊があるが、冷戦時代は安定していたといえる。私に言わせれば二極化していただけなんじゃないのかと思うのだが、究極的な破滅は回避され続けてきたわけだからね。冷戦が終わり、大戦争の可能性は遥か彼方に遠のいたというのに、多くの人々がそれを再現せんとしたのさ。それが悲惨な結果に終わったものだから、今度は強力な統一政府が必要だという思想が常識となった……」

 

 類稀なる記憶力に恵まれた妻の指摘に、夫は苦笑しながらそう答えた。

 

 ソビエト連邦が崩壊したことに、アメリカ合衆国をはじめとする西側諸国は快哉を叫んだ。東西の陣営が直接砲火を交える全面戦争の到来は、地球すべてを焦土にしてしまい、人類の滅亡を招来すると信じられていた当時の人々にとって、ソビエト連邦崩壊は世界の終わりを招く大戦争の可能性が未来永劫にわたって消え失せたと錯覚したのである。とりわけ、西側諸国の盟主だったアメリカの民衆は、我らが祖国は世界唯一の超大国として君臨したのだと有頂天であった。

 

 しかし冷戦終結によって世界は平和の時代を謳歌するようになったのかというと決してそうではなく、それは超大国というたがが外れた、新たな動乱の時代の幕開けに過ぎなかった。冷戦時代に敵対陣営への備えを大義名分に両陣営内部において正当化されてきた雑多な民族や宗教を抑圧する正当性が喪失し、世界各地で民族・宗教紛争が頻発し、強者の奢りに対する弱者のテロリズムが横行するようになったのである。

 

 これに対して人類社会唯一の超大国となっていたアメリカは二〇〇一年に本土で大規模な同時多発テロが発生したことを切っ掛けに対テロ戦争を宣言し、世界中で反抗的な勢力の弾圧に狂奔したが、そうした行為自体が新たなテロリズムを生み出す温床となるために根絶することなど不可能であり、国力をすり減らし続けていくばかりの現状にしびれを切らして、とても世界すべての面倒など見ていられないと匙を投げて各地への干渉戦争を取りやめ、孤立主義を掲げて本国に閉じこもるようになってしまったのだ。

 

 それはある意味では冷戦が始まるより昔の群雄割拠の時代への回帰というべきであったが、超大国の庇護がなくなった国々、超大国の恩恵がなくなった国々で、「冷戦時代が懐かしや」という声があがるようになったのである。それは次から次へと新たな敵対勢力が現れ、底なし沼に沈み続けているような思いに囚われた一種の現実逃避論法であった。思い返せば東西冷戦時代の人類社会の政治観は単純明快だった。すべての勢力はどちらかの側に付くことを余儀なくされ、自分側の陣営の超大国を旗頭として仰ぎ見、敵側の陣営を超大国を絶対悪と憎めばよかった。なのに今はどうか。なにが敵で、なにが味方なのかすらハッキリとしない。こんなの、救いがないにもほどがある、と。

 

 そうした声は数年の時を経て、世界唯一の超大国アメリカへの反発と混ざり合いひとつの思想として体系づけられ、その思想に共感したヨーロッパ・アジアの六〇余の諸国が連合し、ソビエト連邦に変わってアメリカ合衆国と世界を二分する超大国、北方連合国家(ノーザン・コンドミニアム)(NC)が二〇二一年に成立する。NCはソビエト連邦のようにもう一方の超大国とは根本より異なるイデオロギーを掲げたりはしなかったが、徹底した反米主義を国家の柱として産声をあげたのである。

 

 この現象にアメリカ合衆国は手をこまねいていたわけではない。反米主義を柱とした国家連合構想が諸国の間で唱えられているという情報を察知してからあらゆる手段を尽くしてその実現を妨害しており、それでも誕生を阻止することが叶わないとなると、同じようにNC構想に強い警戒心を持っていた社会主義の生き残りである中華人民共和国と二〇一九年に広範な分野での同盟関係を結び、翌々年のNC誕生に対抗する形で中華人民共和国とアメリカ合衆国と国境を接する弱小国や南米諸国を吸収して三大陸(ユナイデット・ステーツ)合州国(・オブ・ユーラブリカ)(USE)の誕生を高らかに宣言したのである。事実かどうかは不明だが、あえて領土の比率が低いユーラシア大陸を国名として採用したのは、ユーラシア大陸の大半を占有しているNCへの反感によるものであったという。

 

 こうしてNCとUSEという人類社会を二分する超大国が成立し、かつてのソビエト連邦とアメリカ合衆国による冷戦の頃と同じ環境が再現されたように思われた。だが、この二つ超大国はかつての二つの超大国と決定的に異なる部分が存在した。ソビエトやアメリカは他国に自分の主義主張を押し付け、自らの陣営に与することを強要し、従わぬとあれば武力介入して傀儡政権を打ち立てるということをしばしばしたが、直接他国を自国領に組み込むということをあまりしなかった。一方、NCとUSEは他国を併合することに熱狂し、祖国消滅を良しとはしない弱小国はNCとUSEの対立の間隙をつき、両国の間に張りつめられた一本の細い糸の上でバランスをとるしか独立を守り抜く術がなかったのである。

 

 こうした二つの新超大国の節操のなさ、あるいは寛容のなさが、相互確証破壊という安全弁が機能せずに人類滅亡の危機を招来するボタンを押させたのであろうと後世の歴史家が主張しているように、NCとUSEの新冷戦体制は長続きすることはなかった。どのような経緯があったのか調べようがないので現在でもよくわからないのだが、二〇二九年に両国は全面戦争に突入し、一三日間にわたる熱核兵器の際限ない応酬によって人類の大部分を死滅させるという人類史上最大の愚行を犯したのである。

 

 わずかに生き残った人類は何千という群小勢力に分かたれて、偏見や独善的な正義を互いに振りかざし、核の冬の中で殺しあうという混沌の時代が訪れた。九〇年間も続いたあまりにも凄惨すぎる混迷の時代に対するトラウマから、単一の権力体制による統一政体が人類存続のために必要だという思想が広く支持されるようになり、二一二九年に地球統一政府が誕生した。そしてその統一政体思想は地球統一政府が崩壊しても生き続けて銀河連邦を誕生させたように、人類社会にはひとつの中央政府が存在するのが望ましいというのは、一三日戦争以来人類普遍の常識となっていったのである。

 

「だが、私はこう思うんだ。その人類統一政体思想のために排外性を強め、初接触からバーラトの和約に至るまで、一度も公式な停戦条約が結ばれることがなかった大きな原因になってしまっていたのではないか」

「……人類社会にはひとつの国家しか存在してはならない。並び立つ対等な政権を認めることは赦されないこと。それは人類を滅亡寸前にまで追いやった一三日戦争の再来を招く愚行でしかない。そうした統一政体思想こそが戦乱をやめられなかった原因だとお思いなの?」

「それがすべてとは言わないが、そうした意識のせいで講和の芽を少なからず潰してきたのは間違いないと思う。人類社会の統一による平和。なるほど、ロマンチックな平和の在り方であるが、実際のところ、その理想のためにダゴン戦役以来同盟と帝国はおびただしい犠牲者を積み重ねることをやめられなかったのではないか。私に言わせれば、一三日戦争の悲劇を根拠として、人類社会に国家がひとつしか存在してはならないと決めつけるのは論理が飛躍しすぎだと思うんだがね」

 

 人類社会が単一の国家によって統合されなくてはならないという観念論は直視しがたい人類滅亡の危機を招いた恐怖から来たものであり、当時でさえ「戦争がなくなれば内乱がおきるだけさ」と一部から皮肉られた逃避的思考の産物でしかなかったはずで、そうであらねばならない必要性は本来どこにもないのだ。唯一絶対の価値観しか認められない世界より、さまざまな価値観が乱立し対立している世界のほうがマシであるとヤンは思う。どのような色で人類社会を染めあげようとも、使える色が一色しかないのでは無彩も同然。無秩序な多彩は純一の無彩に勝る。

 

 全宇宙に皇帝ラインハルトとローエングラム王朝の宗主権を認め、それと引き換えに内政自主権を確保し、民主共和政体を存続させ、将来の復活のための準備をするというのが、現実性のある目標であるとヤンは考えているが、たとえ一星系しか支配していなくても、形式の上ではローエングラム王朝と対等な独立国という建前をつくれたら、なおよいと思う。必須条件ではないし、それが達成されたとしても実質はそれほど変わらないだろうが、二つの独立国家が平和的に共存してゆくという事実は、地球統一政府成立以来、人類を縛り続けてきた統一政体思想に風穴を空ける先槍となるだろうから……。




銀英伝の世界は現実の歴史の地続きであるという設定であるのだが、20世紀後半ないしは21世紀から絶対違う路線に進んでる(書かれたのが1980年代だからしかたないのだが)。というわけで、本作では21世紀アメリカが対テロ戦争で史実以上にハッスルし、終わりが見えないので「俺の国だけ平和ならOK!」と反動で極端な孤立主義に走った結果、世界各地で反米感情の嵐が吹き荒れたという設定です(今後の展開にあまり意味はないと思うが)

あとヴァラーハとか同盟主戦派星系の詳細に関しては、『レガリア』っていう短編でやったことあるので、興味あったら読んでくださいな。


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登場人物一覧(新帝国暦一年終了時点)

原作キャラは名前の横に●をつけている。


秘密組織

ゲオルグが警察時代に利用していた個人的な情報網を基礎に改変したもの。

大量の組織が複雑に結合しているような組織構造で、中には自覚すらない構成員もいる。

こうした構造により、組織の一部が官憲によって潰されたとしても上層部の安全が保たれている。

現在は復権のための前準備として、旧王朝時代の貴族官僚を中央に復帰させることを当面の目標としている。

 

+ゲオルグ・フォン・リヒテンラーデ

本作の主人公にして、社会秩序維持局を除いた全帝国の警察組織の頂点に君臨した元警視総監にして、前帝国宰相クラウス・フォン・リヒテンラーデの嫡孫。警察としての仕事中、さんざん憲兵に邪魔されたことから、大の憲兵嫌い。

全体的に貴族らしい価値観の持ち主ではあるが、なにかが激しくズレている。

ラインハルト派によるリヒテンラーデ派粛清で、帝国政府から指名手配犯として追われている身だが、幼少から自分の命を叔父に狙われる環境で育ったので、追っ手の恐怖に怯えることはない(もしくは幼少期からの経験のせいでその辺の感情が麻痺してる)。

かなり複雑怪奇な内面を有しており、重用した者が裏切ると怖ろしい残忍性を発揮する一方、信頼した部下にたいしてはやや過大評価してしまう傾向があり、時たま彼らに弱みとなる本音らしきことを吐くことさえある。

変装・演技・弁舌スキルも高く、民間に溶け込むことに苦を感じていない。

趣味は芸術鑑賞・読書・獣狩り等々、実に貴族らしい趣味の持ち主である。

現在は旧帝国首都アルデバラン星系テオリアに潜伏し、同地の公的機関をほぼ掌握している。

 

+エドゥアルト・ヘルマン・シュヴァルツァー

警察総局特殊対策部長を務めた元警視長。ゲオルグの側近の中で逃亡後、唯一合流できた。

どちらかというと現場の人なので、今の陰謀の糸を張り巡らしたり、デスクワークに忙殺される環境に不満がある。平民階級の生まれではあるが、ゲオルグに対する忠誠心は高い。

 

+アルトゥール・ハイデリヒ

元社会秩序維持局保安中尉。仕事時とそうでない時の差が激しく、オフ時は職務上の上司でも遠慮はない。貴族連合残党組織に出向していたが、ヴァルプルギス作戦実施の際に同組織を見限ったゲオルグのはからいにより、作戦実施前にテオリアに戻された。

 

+シルビア・ベリーニ

元フェザーンの工作員。亡命政府の一件でゲオルグを巻き込もうとして接触してきたが、情勢の変化に伴って自ら秘密組織に鞍替えした。組織内では非帝国的な視点から意見を述べることが多い。

 

+ハインツ・ブレーメ

アルデバラン星系総督府商務局長官。ラインハルトの権力掌握による成り上がりへの追い風に乗っかって出世し、更なる立身栄達のために秘密組織に参画した。

 

+院長

孤児院の院長。ゲオルグとは警察時代からの知り合いで、彼の情報網を預かっていた。

クラウゼとの連絡役を務めている。

 

+フリッツ・クラウゼ

内国安全保障局次長。秘密組織にとっては体制側に潜伏している重要人物である。

ヴァルプルギス作戦時に功績をたて、それを橋頭保にして内国安全保障局の影響力拡大に奔走する。

 

ローエングラム朝銀河帝国

ゴールデンバウム王朝最後の女帝カザリン・ケートヘンから帝位が臣下のラインハルトに譲位される形で成立した新帝国。良くも悪くもラインハルト個人のカリスマ性でまとまっているところがある。貴族連合残党によるヴァルプルギス作戦により、開明派の勢力が物理的に縮小したため、穴埋めをどうするかという問題をかかえている。

 

中心人物

+ラインハルト・フォン・ローエングラム●

原作主人公の片割れ。ローエングラム王朝初代皇帝として全権力を掌握している。

堂々とした戦いを好み、最近国内で頻発しているテロリズムに苛立っている。

ゲオルグのことも多少気にかけているが、オーベルシュタインほどではない。

 

+ジークフリート・キルヒアイス●

ラインハルトの亡き親友。ガイエスブルク要塞でおきたラインハルト暗殺未遂事件において彼を庇い、四八八年に死亡。死後、元帥号が追贈され、生前に遡って帝国軍三長官と大公号を与えられた。彼の墓はオーディンにあり、碑銘には「我が友(マイン・フロイント)」とだけ刻まれている。

 

+ヒルデガルド・フォン・マリーンドルフ●

通称ヒルダ。皇帝首席秘書官としてラインハルトの側に仕える英明な女性。

女性らしさがほとんどない人物であり、その点を父親から心配されている。

帝都のクーデター騒ぎにもかかわらず、遠征継続をはかる皇帝の決断に不安を覚えている。

 

+パウル・フォン・オーベルシュタイン●

軍務尚書。ラインハルトの側近の一人で、陰謀や政略面における参謀役。

ゲオルグのことに漫然とした警戒心を抱いているが、優先事項が多すぎて後回しになっている。

しかし彼のために、ゲオルグは計画を幾度か修正させられている。

 

+オスカー・フォン・ロイエンタール●

統帥本部総長。ラインハルトの側近の一人で、軍事・政治にも長けた優秀な才人。

まだほとんど登場していないが、ゲオルグの元側近の一人と諍いを起こした過去があったり、リヒテンラーデ一族の処刑の指揮をとっていたりとなにげに因縁があり、ゲオルグには機会主義者的な面があると思われている。

 

+ウォルフガング・ミッターマイヤー●

宇宙艦隊司令長官。ラインハルトの側近の一人で、ロイエンタールの親友で彼に匹敵する名将。

高速の艦隊運動から疾風ウォルフと呼ばれ、フェザーン進駐の時に予想より早すぎてクラウゼを慌てさせた。

ロイエンタールとあわせて“帝国軍の双璧”と評されている。

 

+ウルリッヒ・ケスラー●

帝都防衛司令官兼憲兵総監。憲兵の綱紀粛正と効率化を行なっている。

ヴァルプルギス作戦時に爆殺されかけたが奇跡的に生命をとりとめ、事態の収拾にあたった。

しかしあまりにもの不祥事であったため、その責任をとらせるために皇帝が帰還次第、最低でも帝都防衛司令官を解任させられることが確定している。

 

+アウグスト・ザムエル・ワーレン●

帝国軍の主要提督の一人であるが、本作では地球教本部→貴族連合残党というテロ組織と地上での戦いを強いられることになった。堂々と艦隊率いて戦いたいと内心で思っている模様。

 

+エルネスト・メックリンガー●

統帥本部次長。芸術提督の異名を持ち、新王朝の軍高官の中では珍しく芸術方面に造詣が深い。

皇帝の意を受け、旧王朝における軍事力の中央偏在を改めて軍管区制を導入する軍制改革を担当している。

 

+フランツ・フォン・マリーンドルフ●

国務尚書。マリーンドルフ伯爵家当主にしてヒルダの父。温厚な紳士として昔から知られる貴族である。

時代の変化を理解しているが、基本的な価値観は大多数の貴族と変わらない。

そのため没落貴族に同情してささやかな支援をしており、彼らからも慕われている。

 

+オスマイヤー●

内務尚書。小心者で社会秩序維持局に協力していた過去がある。

ゲオルグにその弱みで脅されている上、劇的な開明政策が自分の首を絞める可能性があることを知ってからは開明改革に懐疑的になって中立のスタンスをとる。ヴァルプルギス作戦ではクラウゼと一緒になってクーデター鎮圧に貢献した。

 

+ゼ―フェルト●

学芸尚書。『ゴールデンバウム王朝全史』などを執筆したことによって、貴族連合残党から憎悪され、ヴァルプルギス作戦時に拘束された時についでにマールブルク政治犯収容所で処刑される。

 

+ハイドリッヒ・ラング●

元社会秩序維持局長官で、現内国安全保障局長官。

旧体制下の官界において警察総局のゲオルグとは同盟関係にあった。

 

+カウフマン

ラングによって抜擢された内国安全保障局幹部。元社会秩序維持局職員。

空気の読めなさから他の職員に秘密警察官としての適性を疑問視されているが、尋問にかけては優秀。

 

開明派

開明政策を実施している官僚グループ。旧帝国時代は潜在的危険分子と見做されていたが、新帝国では体制の中枢に位置している。しかしヴァルプルギス作戦時に貴族連合残党によって少なくない構成員が粛清されてしまった。

 

+カール・ブラッケ●

民政尚書。開明派の二大巨頭の一人で、筋金入りの理想家にして頑固者。

ヴァルプルギス作戦時に貴族連合残党によってマールブルク政治犯収容所で処刑される。

 

+オイゲン・リヒター●

財務尚書。開明派の二大巨頭の一人で、現実に即した柔軟性を持っている。

ヴァルプルギス作戦時は出張していたため、事なきを得た。

 

+ユリウス・エルスハイマー●

民政次官。短い期間ではあるが、内務次官をしていたこともある。

ブラッケの死に伴い、民政尚書の仕事を代行することとなる。

 

共和派

旧帝国において共和主義革命を目指したテロ集団の内、新体制に順応した者達の派閥。

便宜上、元のテロ集団である共和主義地下組織のメンバーもここで述べる。

 

+ペーター・ゲッベルス

共和主義地下組織三代目指導者。いろいろとフリーダムな組織文化は彼が築き上げた。

ローエングラム体制成立後に政治犯収容所に収容され、獄中で食事を拒んで餓死した。

 

+ザシャ・バルク

共和主義地下組織副指導者。ペーターが逮捕された後、彼が組織を率いていた。

豪商出身という、恵まれた平民に過ぎず、それほど帝国の体制に不満をいだいていたわけではなかったが、フェザーンに駐在武官として勤務して帝国以外の世界を知り、徐々に共和主義に感化されていった。

ターナーと意見対立を起こし、過激派を率い混狂の夜(カオスズラーズライ・ナハト)事件を起こすも失敗。自爆して身命に決着をつける。

 

+ホルスト・フォン・ターナー

共和主義地下組織元幹部。新帝国に順応して内部からの共和主義浸透路線を掲げて過激派と対立し袂をわかってからは共和派の盟主となっている。ザシャら過激派の混狂の夜(カオスズラーズライ・ナハト)で散華したことを気にしており、彼らの無念を晴らすためにも共和主義体制を敷くためには手段を選ばぬ覚悟を決めている。

いろいろあって旧同盟元首トリューニヒトに価値を見出し、協力関係にある。

 

+ヨブ・トリューニヒト●

元自由惑星同盟最高評議会議長。祖国を帝国に売り渡して帝都で優雅に暮らしている。

帝都に移住してからは民間人となっているが、新王朝の繁栄に少なからず貢献する一方、厚顔にも猟官運動を展開しているが、上層部から嫌われ白眼視されているのでまだ無位無官の身。現在はヴァルプルギス作戦時の功績を橋頭保とし、ケスラーを通じて皇帝に自分を売り込もうとしている。

 

+ベイ●

元同盟軍少将。同盟時代からトリューニヒト派の一員であり、トリューニヒトが売国行為を行った後もなぜかトリューニヒトに付き従い、協力をしている。ヴァルプルギス作戦では憲兵くずれを統率していた。

 

 

それ以外

上記以外の帝国人で活躍していた者達。

 

+グスタフ・フォン・ブルヴィッツ

リップシュタット戦役で戦死したブルヴィッツ侯爵家最後の当主の忘れ形見。

時代の変化を悟り、内心を押し殺して元領民たちが暴発して無駄死にせぬように宥めていたのだが、カザリン・ケートヘンという誰の目にもわかる傀儡皇帝をラインハルトがたてたことで、ここまで帝室が侮辱されて黙っていられる奴は帝国貴族ではないと領民たちと運命をともにする決意して叛乱の指導者となる。

敗滅の際においても部下を思いやりのある言葉をかけ、滅びの美学に殉じた。

 

+クレメント

帝国軍少佐。世の理不尽を粉砕し続けているラインハルトを強く崇拝していた。植民星人としてブルヴィッツ家から惨い仕打ちを受けてきたことに対する復讐心から引き起こしたブルヴィッツの虐殺の中で銃殺される。死後は責任者として戦死扱いされず、階級剥奪処分を受けた。

しかし悲惨すぎる過去や理想的な軍人として戦友から慕われていた人柄から、民間の間ではかなり同情されている人物であり、帝都郊外に立派な墓を建てられている。また反貴族主義過激派からは英雄扱いされてすらいる。

 

+ルムリッヒ・クム

帝国軍中佐。クレメント共に民間の被害など気にせずに地上戦を行うことを主張した戦争狂。しかし、あまりにも軍が民間人虐殺に熱狂していることを憂い、地上戦突入後は良識的判断に終始していた。

 

+エルンスト・フライハルト・マティアス・アーブラハム・ジルバーバウアー

事なかれ主義の権化のような官僚。平民の身分であることを気にしすぎていたため、自分から決断することを極度に恐れているが、命令されて動く分にはかなりの有能である。

アルデバラン星系総督をしていたが、混狂の夜(カオスズラーズライ・ナハト)事件後に責任が追及され、総督付下級秘書官に降格される。

 

+ノルン・フォン・エーベルハルト

帝都第一防衛旅団司令部幕僚。小なりとは領主貴族家の出身だが、領地は既に返上済み。

少尉時代、クレメントの部下だったこともあって、彼を慕う気持ちが強い。いっぽうで、貴族意識からクレメントが憎んだブルヴィッツ家のことを羨む心もある。しかしそうした感慨は時代遅れの感傷に過ぎず、変わらなくてはならないのだという意識もある。

既にして名ばかり貴族と化しているが、従者ノイマンだけが変わらず彼に仕えている。

 

+モルト中将●

先代近衛司令官。エルウィン・ヨーゼフ二世誘拐の責任を感じて自決した。

本作では息子にヴェルンヘーア・レオ・フォン・モルトがいる。

 

+ヴァイトリング

近衛司令官。前司令官のモルト中将とは親友であり、彼の息子であるレオとも親しくしていた。そのため、彼の不穏な動きに気づき、止められなかったことに深い慚愧の念を覚えながら、ヴァルプルギス作戦後に責任をとって辞任した。

 

+マテウス・ブロンナー

帝国軍大佐。両目両腕を失っており、義眼と義手で補っている。

家族を同盟軍との戦闘や共和主義地下組織のテロ活動で全滅させられていることから、共和主義に対する憎悪が強く、共和主義者この宇宙から消し去ることを願っている。

開明派も共和主義を容認する害悪であると嫌悪しており、なぜ敬愛するラインハルトが彼らが権力を握っていることを認めているのを不思議がっている。

 

+クラーゼン●

原作だと存在感がほぼない帝国軍元帥。実は言うとプロットの段階ではミュッケンベルガーを出そうと思っていたのだが、退役したなら実家の領地に帰って帝都にいないのではと思い、急遽こいつがまだ現役で元帥をやっているということにした。

それで現役元帥で在り続けられた理由からキャラ像を作った結果、閑職でもさほどは不満はなく、保身と既得権保持を優先し、危険を侵さずに権益拡大できそうな状況になれば、曖昧な言動をして言い逃れできるように保険をはった上で動くという、なんとも老獪さに溢れるキャラになった。

 

+アンネローゼ・フォン・グリューネワルト●

ラインハルトの姉。旧姓はミューゼルであり、グリューネワルトは第三六代皇帝フリードリヒ四世の愛妾になってから伯爵号とともに与えられた。

ラインハルトにとっては姉を公権力で強引に奪われたことがゴールデンバウム王朝打倒を目的にした最大の動機であり、時の皇帝がロリコン趣味の猟色家でなかったならば、歴史の流れは大きく変わっていたことであろう。

現在はオーディンのフロイデン地方で隠居しており、弟が皇帝になってからは形式的な問題で伯爵夫人から大公妃に爵位が昇格した。

 

+ルドルフ・フォン・ゴールデンバウム●

腐敗しきっていた銀河連邦末期に、海賊討伐の英雄として名を馳せた後、政界に転じてからは民衆の圧倒的支持を背景に独裁的手法による国家改革に着手し、最終的に銀河帝国を創設した人類史上初の人類統一国家における専制君主。

原作ではローエングラム王朝成立してから帝国臣民はルドルフをどう思っていたのか描写がないのでよくわからないが、本作においてはローエングラム王朝時代であっても偉大な君主として帝国民からは素朴な崇敬が向けられている。

ゲオルグもルドルフを偉大な人物であると尊敬しているが、盲信しているというわけではなく、彼の唱えた遺伝子理論を信じていないし、必要とあれば彼の銅像を破壊することも躊躇わない。

 

 

地球教

人類発祥の地である地球を聖地と崇める宗教団体。表向きは慈愛に満ちた反戦平和的な教義を掲げているが、内実は狂気と倒錯によって支配されたおぞましい団体である。地球教本部が壊滅してからはいくつかのグループに分裂した。

 

+地球教総大主教●

先祖代々続いてきた成功するまでに十世代以上かかりそうな陰謀事業を引き継いでいる老人。他の地球教徒と比べて達観しているようなところがあり、地球教の浸透より地球が人類社会の支配権を握る事を優先していて、そのためド・ヴィリエのような俗物をも側近に据えている。

本作においても描写はないが、原作通り地球教本部の崩落に巻き込まれて生死不明である。

 

+ド・ヴィリエ●

地球教団総書記代理の地位にある人物であり、宗教的信仰心が皆無であるにもかかわらず、謀略方面の才能を総大主教に評価され、若くして大主教の地位を得て、最高幹部の一員に名を連ねていた。

地球教本部襲撃後は、最高幹部の唯一の生存者として地球教内部での地位を高め、テロ組織として地球教の再編に取り組んでいる。

 

+フランシス・シオン

ヌーヴォ・ダージリンの都市長。いまだ青年団にいてもおかしくない若さにもかかわらず、いざという時に自分を匿ってくれるだろうというド・ヴィリエの打算により主教の地位にある。

個人としては善良であるが、どこまでも地球以外の世界で巻き起こる出来事に無関心であり、地球教本部がサイオキシン麻薬を使って異星人を洗脳していたと聞いても「だからなに?」という感想しかない。

現在は地球教本部喪失の混乱を最小限に抑えるため、帝国軍の占領統治に協力しつつ、地球教の弾圧に帝国軍が走らないよう牽制している。

 

+イザーク・フォン・ヴェッセル

元帝国警察官房長であり、ゲオルグの側近だった人物。過去の挫折を救われた経験から、地球教の信徒となっており、ラインハルトが帝国を掌握したときにも救いを求めて地球教に身を寄せたが、醜悪な現実に絶望していた。

地球を訪れたユリアンとささやかな交流をして打ち解け、おのれの鬱屈をぶつけるような告解をした後、地球教本部の崩落に巻き込まれて生死不明となる。

運命の女神に嫌われているのか、悲運に見舞われ続ける作中屈指の苦労人である。

 

+聖ジャムシード

地球教の開祖。血で血を洗う凄惨な争いが繰り広げられていた時代に孤児として誕生し、戦争を憎悪して反戦運動を繰り広げ、戦乱に終止符を打った偉人。地球教の聖典によれば、地球教を誕生させたのも長い辛苦の末にようやく築き上げた平和を尊ぶ精神を、子々孫々に伝えるためのものに過ぎなかったらしい。

 

+レイチェル・エルデナ

地球統一政府末期の財務次官。無念の平和主義者と地球教徒からみられているが、ただ地球の敗北を予測して保身に走っていただけである。

一応の郷土愛があり、自分の死後の地球の繁栄を願って統一政府の遺産を残したが、四〇〇年ほど前に地球教徒達によって発掘され、皮肉にも地球教から聖女扱いされ、昔日の栄光を取り戻さんと星外に謀略の糸を張り巡らす切欠となった。

 

 

貴族連合残党組織

貴族連合の盟主であったブラウンシュヴァイク公の臣下であったジーベック中佐が、公爵の遺児であるエリザベートを象徴として推戴する形で誕生した組織。エリザベートを女帝として即位させる形でのゴールデンバウム王朝の復活を目的としている。

便宜上、ヴァルプルギス作戦で彼らに協力した近衛将校たちもここに記す。

 

+エリザベート・フォン・ブラウンシュヴァイク●

貴族連合の盟主ブラウンシュヴァイク公の遺児。貴族連合残党に所属する幹部たちにとっては忠誠の対象とされているが、ほとんどの人物からお飾りにすぎないと看破されている。

 

+アドルフ・フォン・ジーベック

元ブラウンシュヴァイク公の家臣で、貴族の血を引いているとはいえ、妾の子にもかかわらず自分を重用してくれた公爵に対して深い恩義を感じている。忠誠心も強く、その強さたるや、公爵の命令に従ってヴェスターラントに核攻撃に苦言を呈しこそすれ、唯々諾々と従うほどである。

貴族連合残党組織を構築するにあたり、元同僚たちがラインハルトに鞍替えして深く重用されたことによる人材流出で、ろくな人材がいなかったため幹部さえ満足のいく人選ができておらず、頭を悩ませている。

元同僚のフェルナーから「真面目な人柄で、戦術家、謀略家として非凡な才能があるが、やや近視眼的なところがあり、自分が実施している作戦に集中しすぎて大局を誤る傾向がある。だれかに手綱を引かれているならよいが、自分から主体的に行動すると問題を起こすタイプの人物」という中々にシビアな評価をされている。

ヴァルプルギス作戦後はラーセンとともに帝都を脱出し、根拠地ラナビアへ帰還しようとしている。

 

+ゲルトルート・フォン・レーデル

元帝国軍少佐にして、ラナビア矯正区警備司令。没落した名門貴族家出身というコンプレックスから平民への残虐性と出世意欲が異常に強い。かつて警備司令としての権限を悪用して収容者を酷使し、リッテンハイム侯爵に軍需品を格安で提供し、その功績で男爵位を得た経歴から“死の惑星領主”と綽名された。

ヴァルプルギス作戦時は旧軍務省を占拠し、通信妨害を行うという重役を任されていたが、その防衛のために人質を盾にしたり、人質を爆弾扱いして利用したりする外道戦法をまったくためらうことなく用いた。

旧軍務省を守り切れないと判断した時点で逃亡をはかったが、カウフマンに追跡されて捕まる。

その後は内国安全保障局で熱烈的な大歓迎を受けている。

 

+サルバドール・サダト

元帝国軍准尉。ラナビア矯正区警備部隊に所属していた頃、反抗的な収容者を処刑していく任務に従事していたため、“ラナビアの絞刑吏”と綽名された。

とにかく他人の幸せをぶち壊すのが大好きという超がつくレベルの危険人物であり、貴族連合残党の大義にまったくといっていいほど共感しておらず、内心では馬鹿にしている。

ヴァルプルギス作戦時には憲兵将校アインザッツ少佐を名乗り、マールブルク政治犯収容所で開明派官僚の処刑を担当。その後、逃亡中に拾ったオットーと共に謎の勢力に保護された。

 

+テオ・ラーセン

元社会秩序維持局保安少佐。ゴールデンバウム王朝に対する絶対の忠誠心を植え付けるエーリューズニル矯正区の出身者で、思想犯狩りや亡命者狩りで多大な功績をあげた人物。

前後矛盾など気にしない言動が多く、しかもそれに無自覚というなかなかに凄まじい思考をしているが、それでもひたすらゴールデンバウム王朝に反する者には死をという方針だけは一貫している。

ヴァルプルギス作戦後はジーベックと一緒に逃亡。

 

+クリス・オットー

元帝国軍少佐。もともとラインハルトの部下であり崇拝者であったらしいが、なんらかの理由で彼を激しく憎悪することになり、リップシュタット戦役の時には貴族連合側に属していた。しかし散々な結果に終わって途方にくれていたところを、ゲオルグに見いだされて秘密組織に所属することとなる。

だが、ゲオルグからは鉄砲玉扱いされており、ラインハルト暗殺が下策であると考えるようになってからは扱い道に困り、ハイデリヒと交代する形で貴族連合残党に捨て駒扱いで派遣された。

ヴァルプルギス作戦時にはワーレンの暗殺を担当したが失敗し、重傷を負いながらも逃亡していたところをサダトによって救出される。

 

+ワイツ●

クラウス・フォン・リヒテンラーデの補佐をしていた下級貴族。ラインハルトの改革によって地位を失い、貴族連合残党に身を寄せ、没落貴族の支援組織である髑髏団の運営責任者というカヴァーで帝都での工作活動を統括してるが、工作資金を着服して私腹を肥やしていた。

特権階級相手にしょうもないことを直言をしても、なぜか嫌われない独特なユーモアの持ち主であり、ゲオルグ曰く「会話をしているとなぜだか温泉に浸かっているような気分になる」とのこと。

ちゃんと活躍させるつもりで登場させたんだけど読み直したら、作者の力量不足によって、ひたすらジーベックやラーセンから怒鳴られ続け、何の見せ場もなく私腹を肥やした罪でラーセンに処刑されてしまっている。

 

+ヴェルンヘーア・レオ・フォン・モルト

近衛第七中隊長。ラーセンから父親の死がラインハルトの陰謀によるものであると教えられ、独自の調査でその裏付けもとれてしまったため、ラインハルトへの叛逆を決意する。部下からは非常に面倒見がいい上官として心酔されている。

近衛参謀長ノイラートを抱き込んだことを筆頭に、貴族連合が帝都で大事件を起こせる下地を作ることに多大な貢献をしており、またヴァルプルギス作戦時にもあちこちで行動をしており、後世においてこの事件を描かれるときは彼を中心人物に据えられることが多い。

レルヒェンフェルトと一緒になってミュンヘン・ホテルにたてこもり、最後まで抵抗するつもりだったが、自分達にあわせて帝国国歌を合唱し、それが終わると涙声になりながらひたすら投降を訴えてくる包囲部隊の声に虚しさを覚え、部隊に投降すると命じた直後、拳銃自殺した。

ちなみにヴェルンヘーアというのは現実のドイツだと「守り手たる軍隊」というのが由来らしいが、なんかしっくりこなかったので「守護者たる軍人」と意訳した。

 

+カリウス・フォン・ノイラート

近衛参謀長。レオから懇願される形でクーデターへの協力を確約したが、どちらかというと今の帝国における貴族排撃の風潮に危機感を覚えての自衛的動機だった。

ジーベックほどではないが、クーデター成功後の主導権争いを想定しており、マリーンドルフ伯爵やクラーゼン元帥を説得して取り込もうとしていた。

ケスラーの放送後、もはやクーデターに成功の目はないと現実的な判断を下し、事実上の降伏文書である近衛司令部命令を発し、これ以上傷を広げない形での事態の収拾をはかった。

 

+レルヒェンフェルト

近衛中尉。旧軍務省の防衛の任についていたが、同じ任務のために貴族連合残党から派遣されてきたレーデルの下劣さに非常に辟易していた。旧軍務省陥落後はレオと行動をともにし、無謀と思いつつも最後まで付きあってやるつもりだったが、思わぬ出来心から館内放送で国歌を流し、それがきっかけとなって意図せずしてレオの抵抗心を叩き折ってしまった。

 

 

自由惑星同盟

ジョアン・レベロ最高評議会議長が風前の灯火の国家を守ろうと必死に努力しているがどうにもならないほど破綻している民主主義国家。いや、レベロが就任する遥かに前の時点で既に詰んでいたというべきか。

既にエル・ファシルとか独立してるんだけど、同盟系勢力ということでひとまとめに扱う。

 

+ジョアン・レベロ●

同盟の現在の国家元首。たぶん、この作品では名前だけの登場で出番が終了するだろう。

 

+ヤン・ウェンリー●

原作主人公の片割れ。同盟軍退役元帥で、現在は善良な民間人()であるはずなのだが、レンネンカンプとレベロの疑心暗鬼と妄想によって、なぜか根拠もないのに真実を見抜かれて暗殺されそうになる。

現在はエル・ファシル独立政府に身を寄せて革命予備軍総司令官の職にあるが、自分の虚像ばかり見てくる人間が多くてうんざりしている。

 

+フレデリカ・グリーンヒル・ヤン●

驚異的な記憶力と情報・事務処理能力に長けた才色兼備のヤンの副官。

夫への恋愛感情はそうとうなもので、そもそも軍人になったのも彼に近づきたかったからという超がつくレベルの物好き。

 

+ユリアン・ミンツ●

ヤンの養子。フェザーンではシュテンネス、地球ではヴェッセルというように、どういうわけか、旅先でゲオルグの関係者とよく出会うので、ある意味同盟キャラでは一番スポットがあたっている。地球での体験はいろいろと衝撃だったようで、ヤンとそのことについて語りあった。

地球編では恐るべき主人公属性を発揮し、この作品の主人公だれやれったかなと作者は何度か疑問に思った。

 

+オリビエ・ポプラン●

ユリアンと一緒に地球への旅に同行した人物。拒絶反応を見て即座にサイオキシン麻薬によるものと見抜くあたり、もしかして知り合いに手を出してしまった人物でもいたのだろうか。

余談だが、地球教本部と異なり、ダージリンに住んでいる女性には彼の目から見ても魅力的に映ったのが少なからずいたようだが、地球教の教義による貞操観念の強さのせいで、だれもかれも「結婚を前提に」と前置きしてくるので断念し、地球での戦歴はゼロな模様。

おかげで宗教嫌いがさらに悪化したと本人は語る。

 

+ルイ・マシュンゴ●

ユリアンと一緒に地球への旅に同行した人物。ユリアンの父親だと素朴な地球教徒から勘違いされて驚いていた。

 

+フランチェシク・ロムスキー●

エル・ファシル革命独立政府主席。現実感覚より理想や羞恥心を優先する傾向があり、潔癖だが有能な指導者とは評し難い一面がある。本作では反和平活動防止法にひっかかっていた大量の強硬派を受け入れて、エル・ファシル全体を右傾化させた。

ところで原作における彼の肩書きは「主席」「政府首班」「議長」とコロコロ変わるのはなぜなのだろうか。頻繁に行政機構の改編とかしていたのだろうか? よくわからないのだが、とりあえず本作では独立政府主席として政務を仕切っているということにして、「主席」で一貫することにする。

 

+アーレ・ハイネセン●

自由惑星同盟の建国の父として崇められている人物。同じ銀河帝国の奴隷たちと一緒に自由の天地を求めて脱走した長征一万光年(ロンゲスト・マーチ)の指導者であるが、彼自身は途中で事故死しているので、同盟の建国そのもにはかかわっていない。同盟の首都名は彼の名に由来しており、巨大な彼の銅像が自由と民主主義の象徴として設置されている。

ルドルフに比べて彼がどのような性格の持ち主であったのか原作での描写がほぼ皆無であるため、二次作家にとってはいろいろと好き勝手に解釈できてしまう人物である。

 

+グエン・キム・ホア●

ハイネセンの親友であり、彼の死後は長征一万光年(ロンゲスト・マーチ)の指導者として、バーラト星系第四惑星を発見した。やがて人類社会を二分する一大勢力へと成長するささやかな共和国を建国した後、公職に就かず喪われた親友の名を冠したハイネセン記念財団の名誉会長の地位だけで老後を過ごした。

原作の記述によると初代元首に推されたものの謙虚に辞退したらしいが、それって人口たった一六万人での建国事業(しかも将来的に接触するであろう帝国の脅威に対抗できるまで成長する基盤を作らなくてはならないとかいう難事業(ムリゲー))を若者に押し付けただけなのでは……? いや、盲目の上、老境の人だから無理からぬことであるが。

 

+イオン・ファゼガス●

ドライアイスで宇宙船を作ればいいんだというハイネセンのアイデアの切欠を作った子ども。

年齢的に考えて、もしかたら彼が自由惑星同盟の初代国家元首だったのだろうか?

(他に原作で名ありのキャラがいないだけだが)

 

 

フェザーン自治領

帝国と同盟の間に存在した自治領。現在は帝国軍が進駐して自治権を剥奪されている。

同盟同様、ここもフェザーン自治領にルーツがある人物をまとめて扱う。

 

+アドリアン・ルビンスキー●

第五代フェザーン自治領主。彼の陰謀により、ゲオルグが当初想定していた長期戦略を初っ端から破綻してしまった。フェザーンが帝国軍によって占領されてからは地下に潜伏して情報収集と謀略に励んでいる。

 

+ニコラス・ボルテック●

元々はルビンスキーの片腕だったが、己の失敗で立場を失うことを恐れて元上司を帝国に売り飛ばし、その功績をもって帝国のフェザーン代理総督に就任する。

しかしフェザーンを新帝国の首都にしようとするラインハルトの構想もあって、代理総督府はフェザーンにおける統治権を喪失しつつある。

 

+ヤツェク・グラズノフ▲

元々は帝都駐在高等弁務官府の一等書記官だったが、時の上司ボルテックの売国事業に加担して帝国領フェザーンの高官となることを目論む。しかしボルテックから自分の地位を狙っているのではないかと警戒されて帝国本国に置いてけぼりにされる。

その後、ジルバーバウアーの失脚に伴い、明らかにボルテックと繋がっている彼を疎んじた帝国政府によってアルデバラン星系総督に就任させられる。その後、ゲオルグの秘密組織となんらかの関係を結んだようだが詳細不明。

 

+ボリス・コーネフ●

フェザーンの独立商人。ヤンの親友であった伝手で、ユリアンを地球まで送り届ける役を任されていた。どんなことであれ体制側に就くこと拒む自由人。

 

+ナポレオン・アントワーヌ・ド・オットテール●

コーネフの部下。原作だと地球教本部で情報室を守っていた狂信者によって殺害されるが、本作ではユリアンがヴェッセルと打ち解けていた影響で別ルートから地球教の情報を入手したため、生存。

 

+レオポルド・ラープ●

地球出身の商人であり、コルネリアスの大親征によって帝国と同盟が疲弊している状況を巧みに利用し、フェザーン自治領を成立させ、その初代自治領主となった男。

実は地球教の工作員であったが、そのことを本人がどう思っていたのかは謎であるが、たとえ地球教のバックアップがあったとはいえ、とても重要なポイントに自治領を築き、同盟と帝国の間に国交を結んだ手腕は凄まじい。

 

+ワレンコフ●

第四代フェザーン自治領主。帝国と同盟を相争わせるという地球教の方針に背き、独自路線を歩もうとしたため、地球教によって暗殺された。本作では帝国と同盟に対する宥和政策の一環として両国のチームが参加するフライングボール大会とか企画・実行していた。

 

 

リヒテンラーデ家

帝国にある貴族家のひとつ。本作では五〇〇年の歴史の中で徐々に力をつけてきたから名門になっているだけで、ルドルフ存命時は数ある中堅貴族家のひとつに過ぎなかったという設定であり、当然皇妃などを輩出したことはない。

ちなみにだが、ゲオルグが警察の幹部には逃亡先を教えていたのに、家の人間(執事とか)に教えている人物がいないのは、祖父や叔父の影響が色濃くて自分が一から関係を築いていった者達ほど信頼していないからである。

ゲオルグの幼少期話入れようと思っているのだが、完全にタイミングを逸してしまっているような気がする。

 

+クラウス・フォン・リヒテンラーデ●

ゲオルグの祖父。帝国宰相。ラインハルト一派に拘束され、四八八年に自裁。

彼が次男ハロルドと直系の孫であるゲオルグのどちらを次期当主にすべきか悩み、ハロルドへの次期当主指名を延期したのが一〇年以上にわたる暗闘のはじまりであった。

 

+エリック・フォン・リヒテンラーデ

ゲオルグの父。無能な典礼省の官僚。ロイエンタールの指揮で四八八年に銃殺刑に処される。

フライングボールのファンで、昔は家族と一緒に観戦しに行くこともあった。

あまりにも無能な父であったので、ゲオルグがルドルフ大帝が唱えた遺伝子理論を信じていないのは彼の存在に起因しているところが大きい。

 

+エリックの妻

ゲオルグの母。ハロルドの刺客から身を挺して息子を庇い、死亡。

余談だが、彼女の葬式にハロルドは何食わぬ顔で親族として参列していた。

 

+ハロルド・フォン・リヒテンラーデ

ゲオルグの叔父。次期当主の座を巡ってゲオルグと暗闘を繰り広げたが、四八六年九月に「事故死」。

もし自分の次期当主指名がクラウスによって撤回されなかったら、普通に甥のゲオルグを優秀な部下として使ってたかも。ある意味では兄が超がつくレベルの無能であったのに、その子が優秀すぎる素質を持って生まれるという、運命の気まぐれの犠牲者。

余談だが、彼の葬式にゲオルグは真顔で参列していた。

 




グエン・キム・ホアやイオン・ファゼガスについて本編で触れた記憶ないけど書いてしまったことだし、別にいいよね?


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新帝国暦二年
黄金樹の枝葉


 旧帝国歴四八八年九月初頭、貴族連合軍は最後の決戦に敗れ、敗残の兵たちが続々とガイエスブルグ要塞に帰投していた。逃亡か降伏か自殺か、それとも意地になって死ぬまで戦うのか。将兵たちが各々の決断の場であり、要塞内部は非常に混乱していた。そんな中、貴族連合に所属する一人の士官が数人の兵士を引き連れ、急いで牢に向かって走っていた。

 

 牢に辿りつくと看守たちはすでに全員逃亡していたので、数人の兵士たちと一緒になって鍵の保管場所を探し出し、士官は独房の扉を片っ端から開けていった。そして探していた尊敬する上官の姿を確認した。何日も閉じ込められているのに精悍さが消えてなかった。

 

「ジーベック中佐か。外が騒がしいが、いったいどうなっている」

「我が軍は全軍をあげて出撃し敵軍との正面決戦に挑んだのですが、武運拙く手痛い敗北を被りました。もはやガイエスブルク要塞の陥落は時間の問題です」

「なんだと。なぜガイエスブルク要塞の地の利を放棄するようなことをしたのだ」

「ヴェスターラントの暴徒どもを鎮圧して以来、離反者が立て続けに発生する事態に陥りまして……。それでもファーレンハイト提督は籠城を主張したのですが、これ以上籠城に固守しては軍組織そのものが瓦解しかねないという懸念とフレーゲル男爵らの強硬論もあって、ブラウンシュヴァイク公が御決断なされたのです」

 

 中佐は沈痛な表情を浮かべた。内心は後悔でいっぱいだった。

 

「いかにシャイド男爵を殺した憎むべき暴徒どもであるとはいえ、熱核攻撃で一掃するのはやりすぎました。准将の仰ったように首謀者を捕らえて吊るすのみにとどめるべきでした。どういう経路によるものか、ヴェスターラントへの熱核攻撃の映像記録が敵軍に流れ、それを離間策に利用されてしまったのです」

「そうか……。それで、ブラウンシュヴァイク公はいずこに?」

 

 アンスバッハの問いに、ジーベックは力なく首を横に振った。

 

「わかりません。公爵閣下の旗艦のベルリンが港にあったので、おそらくガイエスブルク要塞に帰還できているとは思いますが、酷い混乱状態でありまして、今どこにおられるのかまでは……」

「そうか、わかった。では一刻も早くブラウンシュヴァイク公をお探ししなくてはな」

 

 そう言いながらアンスバッハは没収されていた軍服を着なおして牢から出ようとしたので、ジーベックは慌てた。

 

「お待ちください! 既に敵軍が要塞内部まで侵入してきているという情報もあるのです。不用意に動くと捕縛されかねません」

「ならばなおのこと、家臣として公のお傍に行かなくては。どのような形であれども、最後までブラウンシュヴァイク公の為に忠誠を尽くすためにも」

「私も同じ気持ちですから、わかります。ですが、もしブラウンシュヴァイク公と合流するよりも先に敵軍と接触して拘束され、金髪の孺子の名の下に裁判にかけられるようなことがあってはいけません。ですからこれを……」

 

 そう言ってジーベックは小さなカプセルをポケットから取り出した。アンスバッハはそのカプセルを手に取って目を細めた。

 

「これは脳死を招く自決用のカプセルだな」

「はい、医務室からくすねてきました。私は既に奥歯に仕込んであります。金髪の孺子の軍勢に捕まった時は、これで生き恥を晒さずに死ぬつもりであります」

「そうだな、私も卿に倣おう」

 

アンスバッハも奥歯に自決用カプセルを仕込むとジーベックと一緒になって主君の捜索を始めた。見つかるかどうかかなり怪しかったが、ブラウンシュヴァイク公の側もアンスバッハを探して大声で呼びながら探していたので目立ったこともあり、意外と早く見つけ出すことができた。

 

「牢に姿が見えないのでな、もう逃げてしまったものと思っていた」

 

 開口一番そう言ってきた主君に、自分のせいで入れ違いになってしまっていたのかとジーベックは後ろめたさを感じて視線を逸らしたが、アンスバッハは主君の縋るような視線をしずかに受け止めていた。

 

「ご無念お察しします、閣下」

「うむ、まさかこうなるとは思わなかったが、こうなってはやむをえん。講和するしかあるまい」

「講和とおっしゃいましたか」

 

 敬愛する上官が唖然としたような声でそう確認した。ジーベックも同じ気持ちだった。貴族連合が組織としてなかば以上に瓦解している以上、講和など不可能ではあるまいか。そのように考え、もはや、ブラウンシュヴァイク公爵家もここまでであろうと考えていたのである。

 

「奴に有利な条件をだすのだ」

「どんな条件を?」

「孺子の覇権を認める。わしをはじめとする貴族たちが、奴を全面的に支持する。これは悪くない条件だろう」

「……公爵閣下」

「そ、そうだ、わしの娘を――エリザベートを、奴にくれてやろう。そうすれば、奴は先帝の義理の孫ということになる。皇統を継ぐべき正当な理由を持つことになるのだ。簒奪者の汚名を着るよりそのほうが奴にとってもよかろう」

 

 たしかにそれなら可能性はあるかとジーベックは思った。エリザベート殿下がラインハルトと結婚すれば、ブラウンシュヴァイク一門はローエングラム家とは一蓮托生の関係になる。今後、ラインハルトが帝位に就くためには、エルウィン・ヨーゼフ二世を擁して官界を支配しているリヒテンラーデ派と宮廷闘争が発生するのは確実であるから、官界に影響力が薄いローエングラム派にとって、ブラウンシュヴァイク派だった官僚経験者を取り込めることは魅力的であるはずである。そのあたりを売り込めば、たぶんに形式的なものになるのは免れないであろうが、相応の地位と財産を保障しての講和という可能性もあるのではないか。

 

 しかしそうしたブラウンシュヴァイク公とジーベックの考えは、彼らより遥かに広い視野を持っているアンスバッハからすると土台無理なものでしかなかった。深いため息を吐き、憐れみに満ちた声で主君に状況を解説しはじめた。

 

「無益です、閣下。ローエングラム候がそのような条件を容れるはずがございません。半年前ならいざしらず、現在では、あなたのご支持など、必要としません。彼は実力をもって地位を手にいれ、だれひとりとしてそれをはばむことはできないでしょう」

 

 ブラウンシュヴァイク公は身震いして顔を青くし、喚いた。

 

「わしはブラウンシュヴァイク公爵だ。帝国貴族中、比類ない名門の当主だ。それを金髪の孺子は殺すというのか」

「ああ、まだおわかりになりませんか、閣下。まさにそれだからこそ、ローエングラム候はあなたを生かしておくはずがないのです。ヴェスターラントの一件に代表されるように、民衆に対して惨い仕打ちを続けてきた門閥貴族を人道の敵として一掃する。これこそが彼の寄って立つところなのですから」

「人道の敵だと!?」

 

 あまりにも理不尽で屈辱的な言いがかりをつけられたような心境で、公爵は顔を真っ赤にするほどの怒りを滾らせ、口から激情を発した。最後の虚勢、というものであったのかもしれない。

 

「身の程を弁えずに叛乱などを起こし、我が甥を殺したヴェスターラントの連中こそ、人道上の敵ではないか。その叛乱者どもを誅殺したわしがなぜ人道上の罪を問われなばならぬ。野蛮に秩序を破壊し、領主を無法に弑逆する犯罪者どもを罰せぬような統治者など暗君でしかない! わしは貴族として、支配者として、当然の権利を行使しただけだ! いったい、それが何故人道上の罪になるというのだッ!!?」

「お怒りはごもっともですが、平民たちはそうは思いません。ローエングラム候も彼らに与するでしょう。いままでの銀河帝国であれば閣下の理屈が、貴族の論理が通るでしょうが、これからは違う論理が宇宙の半分を支配するようになります。それを民衆に知らしめるためにも、門閥貴族の象徴としてあなたを殺さなくてはならないのです。そうでなければ彼の掲げる大義名分がたちませんから」

 

 まだ反発があるようであったが、アンスバッハの理路整然とした説明は、公爵に一定の理解と絶望的諦観をいだかせた。長い長い主君のため息を、最後に集った家臣たちは黙って聞いていた。やがて何事か決意した表情で、ブラウンシュヴァイク公は宣言した。

 

「わかった。わしは死ぬ。だが、金髪の孺子が帝位を簒奪するのはたえられん。奴はわしとともに地獄に堕ちるべきなのだ。アンスバッハよ、なんとか、奴の簒奪を阻止してくれ。それを誓ってくれれば、わしは自分ひとりの生命などおしみはせん」

 

 自殺を前提とした主君の言葉にジーベックは動揺したが、アンスバッハはただ静かに思案する表情を浮かべ、主君と同じように決意の表情を浮かべた。

 

「わかりました。誓ってローエングラム候を殺害してごらんにいれます。何者が次の帝位に就くかはわかりませぬが、少なくともそれは彼ではありますまい」

「そうか……よし。ところでだな。その……なるべく苦しまずに死にたいのだ。なにかよい方法はないか」

「お気持ちはよくわかります。拳銃ですと撃ち損じた時に激痛がともないますから、毒になさるのがよろしいでしょう。中佐、まだカプセルはあるか」

「え? あ、はい」

 

 唐突に問いかけられてジーベックは慌ててポケットから予備の自決カプセルを取り出した。それを見て公爵は表情をひきつらせた。決意はしたものの、恐怖はふりきれてはいないらしい。

 

「な、なあ。ただそのカプセルを噛み砕いて終わりというのは、あまりに味気ないではないか。そうは思わぬか、なあ、中佐」

「……では、伝統的な貴族の自裁の方法をとりましょうか」

 

 ジーベックのいう伝統的な自裁の方法とは、毒入りワインを飲んで死ぬという方法である。ゴールデンバウム王朝において、処刑される貴族の名誉を保たねばならないとき、そうした処刑方法をとることが多かった。

 

「おお、そうだ。そうしよう。すぐに準備するのだ」

 

 ひとまず迫りくる死を回避しようと公爵は早口でそう言いきった。アンスバッハは主君の命令をもっともと思い、全員で要塞内部にある豪奢な公爵の私室へと移った。兵士たちが逃亡用の駄賃として金目の物を奪い取っていたようでかなり荒らされていたが、まだ棚には高級酒の瓶がいくらか残っていた。

 

 アンスバッハは棚からワインを取り出し、それが四一〇年物の逸品であることを確認するとそれをグラスに注ぎ、ついで毒入りのカプセルを砕いて中の顆粒をグラスに注いだ。

 

「急速に眠くなり、なんの苦しみもなくそのまま死ねます。どうぞ」

 

 さしだされたワイングラスを公爵は血の気のない表情で見つめ、全身を痙攣させた。両目は恐怖に濁り切っていて、とても正気であるようには見えなかった。

 

「い、いやだ、死にたくない! 領地も地位もいらぬから、なんとか生命だけでもまっとうさせる方法はないのか。なんでもいいから、なにか考えるのだ!!」

 

 准将はその醜態に少しだけ失望したようだったが、部下たちに公爵を取り押さえるように命じた。屈強な二人の兵士が公爵の両脇を固定して、もがけないようにした。

 

「なにをするか! 無礼な、離せ!」

「ブラウンシュヴァイク公爵家最後の当主として、どうか潔く自決なさいますよう……」

「よせよせよせ! わしの命令が聞こえぬのか! やめるのだ、やめぬかぁ!!」

 

 だれも公爵の必死の命乞いに耳を貸そうとしなかった。どう見ても死への恐怖で正気を失っているのはあきらかであるし、たとえここで自決しなかった場合、一番後悔するのは間違いなく公爵自身であるとわかるだけに、申し訳なさを感じつつも忠誠心から臣下として正気だった時の主君の決定のほうを優先した。

 

 やがてアンスバッハに毒入りワインを無理やり口に流し込まれ、帝国最大の門閥貴族だった男が地に倒れた。まだ即効性の睡眠薬がきいただけで、まだ生きてはいるのだろうが、決して目覚めることなく脳死を招来する薬が効果を発揮して死ぬことになる。現実的には既に死体と同義であった。

 

「すぐに公爵を医務室に運べ」

「しかし、もう亡くなっておりますが」

「だからこそだ。言われたとおりにしろ」

 

 准将の異様な命令に首を傾げつつも兵士たちはそれに従ってブラウンシュヴァイク公を担いで医務室へと向かった。そのときにはなにを考えているのかわからなかったが、この時点で既に准将はラインハルト・フォン・ローエングラムを暗殺する具体的な方法を考えついていたのだろうと今ではわかる。

 

 しかしそのときはまったくわかっていなかった。アンスバッハも秘密保持の観点からだれにも詳細を告げずに実行するつもりだった。だからジーベックは主君の死による異様な興奮を必死で抑えながら、上官に問いかけた。

 

「ローエングラム候の暗殺に助力が必要だろうか」

「無用だ。私ひとりで実行した方が警戒が薄いだろうし、勝算がある」

「では、私はどうするべきだろうか。主君に殉死すべきと准将が仰られるならば、従いますが……」

 

 そう言って指示を乞うた。そのさまは哀れっぽくすらあったかもしらない。アンスバッハは少しだけ思案した後、言った。

 

「いや自決するにはまだはやい。中佐はこのガイエスブルクを脱出してブラウンシュヴァイク領の首星に戻り、公爵が最期を悟って名誉ある自決なされたことをご家族に伝えて欲しい。そしてそのあとは奥方に仕えてもらいたい」

「……わかった。では、ご武運を」

「ああ、卿も達者でな」

 

 それを最後の挨拶に中佐は、ガイエスブルクから逃亡するための機会を息を潜めて待った。そして如何なる理由によるものかそのときはわからなかったが、アンスバッハ准将がラインハルト暗殺に失敗し、それを防いだ腹心の赤毛の上級大将を殺してしまったことで慌ただしく帝国軍がガイエスブルクを出立した隙をついて脱出し、ブラウンシュヴァイク領へ――。

 

「中佐、まもなくラナビアへの降下を開始します」

 

 そう呼びかけられ、ジーベックは微睡(まどろみ)から意識を覚醒させた。どうやら偽装商船の艦橋の椅子に座っている間に眠ってしまい、ガイエスブルク要塞陥落時の光景を夢をみていたようだ。帝都からここまで神経を張り詰め続けてきたので、疲れがたまっていたのかもしれない。

 

 モニターには綿飴みたいな外観をした惑星が映っている。貴族連合残党の隠れ家であるラナビアだ。ラナビアはほぼ一年中雲だらけの霧の惑星であり、恒星の光が直接大地を照らすことは滅多にない。そのため、宇宙から見ると海も大地も確認することができず、白色の巨大な綿飴が浮いているように見えるのであった。

 

「司令室との連絡はとれているのか」

「はい。ご存知の通り、あの基地では映像通信できる設備がないので……。一応、前もって決められている符丁は確認できますが……」

「つまり、帝国軍の偽装の可能性は否定できないと?」

「はい」

 

 ラーセンが不安気な表情でそう肯定したので、ジーベックは頭を抱えたい衝動にかられた。今日は一月二日で、帝都でクーデターに失敗してから既に一月近くが経過している。一般商船として、可能な限り目立たない一般ルートを通ってきたため、直行なら一週間前後で辿りつけるというのに、かなりの時間がかかってしまった。

 

 帝国軍が万全を期して辺境独立分艦隊を動員しているのであれば、艦隊速度をあわせる関係で移動速度が遅くなるため、ギリギリ時間切れかどうかといったところである。しかし脱落艦を気にせず全力で移動していたり、数十隻単位の規模しかない航路警備部隊をもってあてていたのであれば、どう楽観的に考えても帝国軍が先にラナビアについている計算になってしまう。

 

 深刻な懸念に艦橋が包まれ、だれが沈黙を最初に破るのかという一種の心理ゲームを幹部たちが展開して一分程度たった頃、計器が示した異常をオペレーターが声音を荒げて報告した。

 

「後方に大規模な重力震を確認!」

「なんだと! 帝国軍か?」

 

 オペレーターの叫びに、ジーベックは鋭い声で確認した。

 

「レーダーに感あり! 星系外縁に数、およそ二〇〇〇! 分艦隊かと思われます!」

 

 規模からいって辺境軍管区所属の独立分艦隊であることは明らかであった。しかもレーダーで捕捉できてしまったということは、当然、向こうもこちらを捕捉しているに違いなく、艦隊にこの偽装商船より遥かに早い高速艦が含まれているであろうことも考えると絶望的な状況といってよく、ジーベックは顔を青ざめた。

 

「星系外縁部からここまでだと三時間もせぬうちに帝国軍がやってくる、か」

「しかし、今、帝国軍がやってきたということは、まだラナビアは無事であるのでは」

「……」

 

 たわけ。あれが本隊で、偵察部隊が先行していて既にラナビアが制圧されている可能性とてあろうが。最悪、地上と地下から挟撃される危険性だってある。秘密警察のサイボーグはそんなこともわからないのか。ジーベックは内心で毒づいたが、口には出さなかった。今は悲観的な事柄より、楽観的なことを言って部下たちの動揺を慰めることを優先すべきであった。

 

「……ラナビアに降下してしまえば、霧の中に隠れて帝国軍の捜索を掻い潜って逃げきれる目は充分にある。降下をはじめよ!!」

 

 中佐の指示に従い、偽装商船は降下しはじめた。大気圏内に入っても、約一キロメートル先が確認困難なほど視界が悪いので、ほとんど計測機器の情報を頼りに移動をせねばならず、数ある有人惑星の中でもここほど大気圏内空中移動が困難な惑星も稀である。それでいて、適度な酸素が含まれていて、生命が生きていける環境があったから、ゴールデンバウム王朝によって矯正区が設置されたわけであるが。

 

 ラナビアに降り立つと帝国軍巡洋艦が一隻停泊していたので、思わず身構えたが、残していた五〇〇人の警備兵たちから、隙をついて帝国兵を拘束し乗っ取りを成功させていると説明された。正直、残していた兵力にはそれほど期待していたわけではなかったので、ジーベックもラーセンもこれには驚きを禁じ得なかった。

 

 その報告を聞いて、ジーベックは酷い罪悪感を感じていたが、それでも我慢して宮殿へと向かった。宮殿といっても、ただ大きいだけで、帝都にある新無憂宮(ノイエ・サンスーシ)や大貴族の邸のような芸術性や華美さとは無縁の武骨な建築物である。しかしラナビア矯正区警備司令ゲルトルート・フォン・レーデルの命令によって収容者たちを労働力として建造させられた邸宅であり、レーデルの貴族趣味によって週に一回の頻度で矯正区の有力者たちを招待して豪奢なパーティを開催していた事実によって、収容者たちからつけられた通称であった。

 

 レーデルが矯正区警備司令をしていた頃は、調度品の類を買い込んで宮殿内部はそれなりに品があったそうだが、そうしたものはリップシュタット戦役中に一度この惑星を占領した帝国軍部隊によって没収されてしまっており、悲しくなってくるほど殺風景になってしまっている。貴族連合残党の隠れ家になってからは新たに生活用品が運び込まれたが、レーデルやサダトが言うにはみすぼらしくなったのは変わらないらしい。

 

 だが、唯一、もしかするとレーデルの頃より高級感がでるようになった部屋が存在する。その部屋の前に立ち、レーデルはすこしだけ躊躇い、覚悟を決めて扉をノックした。

 

「だれじゃ」

「ジーベックであります」

「わかった。はいれ」

「失礼します」

 

 そう言って扉を開けるとそこには少々奇妙な空間が広がっていた。ブラウンシュヴァイク公爵家の居城から持ち運べるだけ運んできた調度品の数々はすべてこの部屋に置いてあり、謁見の間を思わせるように配置している。……私室として兼用しているため、本来玉座に置かれるべき場所に天蓋付き高級ベットが置かれていたり、端の方にティーセットが置かれていたりと非常に違和感を覚える配置だが、部屋の主によって可能な限り調和性を持たせるよう、随所に工夫が施されていて部屋としての統一感は損なわれていない。

 

 真っ赤な絨毯の上でジーベックは流れるような所作で片膝をつき、目上への敬意をしめした。部屋の主はベッドに腰を下ろし、それをつまらなさそうに見下ろした。

 

「一週間ほど前に(わらわ)を狙う帝国軍の先遣部隊がやってきたと報告を受けておる。捕らえた捕虜どもはクーデター勢力の根拠地を潰しに来たと証言していたわ。そしてそなたの沈痛な態度から考えるに、捕虜の証言は正しく、そなたは使命を果たせなかったということかしら」

「力及ばず、まことに面目なき仕儀にございます、殿下」

 

 殿下と呼ばれた妙齢の女性から居丈高な叱責を浴び、ジーベックは心底申し訳なさそうに頭をさらに深く下げた。彼女の名はエリザベート・フォン・ブラウンシュヴァイク。第三六代フリードリヒ四世の娘アマーリエとブラウンシュヴァイク公爵家最後の当主オットーとの間に生まれた子であり、かつてブラウンシュヴァイク家が一族一門をあげて彼女を第三七代銀河帝国皇帝にせんと擁立していた人物である。

 

 今年の誕生日を迎えて二〇歳になる予定の、まだ未成年であるエリザベートだが、皇帝家の血を継ぐ者として幼少期からおおくの大人たちに傅かれてきたためか、人の上に立つ者がとるべき態度が自然にできる。それでいて、貴婦人特有の艶やかな色気を放っており、なにやら下劣な妄想をする者が貴族連合残党にはいたのだが、黄金樹の血統を過剰に神聖視しているラーセンとレーデルの逆鱗に触れ、それを言葉にしてしまった者たちが皆殺しにされて以来、少なくとも口に出す者は皆無である。

 

「……本来なら処罰ものなのだけど、このような状況において有能なそなたを排除し、成り上がりのローエングラムめの一味を楽にさせてやるのも癪だから、今回の不手際については不問に処すわ。これは無事に戻ってきた全員に対しても同じよ」

「殿下の御恩情に感謝いたします。では殿下の一の臣下として、さっそく申し上げたき儀がございます」

「処罰を免れた途端に進言とは厚顔なことね。下らないことであれば、再考して刑罰を下すわよ」

 

 不快気な声は彼女が本気でそう考えていると思わせたが、ジーベックはなんら動揺することなく進言した。

 

「数刻もせぬうちに帝国軍の本隊がこのラナビアにやってくるでしょう。つきましては、今後のことについて御決断いただきたく」

「……ああ、そうなの。まあ、妾に敵対する兵士たちがこんなところにまでやってくるのだから、予想はしていましたけど」

 

 そう言って落胆の表情を浮かべたが、それほど衝撃を受けているようには感じられなかった。

 

「それで今後のことを決断してほしいと言うけど、いったいどのような選択肢があるというの?」

「もはや二つに一つでございます。殿下の御両親と同じ途をとるか、あくまで本邸でなされた決意を貫徹なされるかです。後者の場合、これまで以上に不本意な結末を迎える可能性が高まっておりますことを覚悟なされるべきかと」

「……そなたは妾に二言があると思うてか。いらぬ節介をやくでない。不快ぞ」

「はっ、申し訳ございません」

 

 今一度ジーベックが頭を下げ、脱出計画を実行するために部屋から出て行った。エリザベートはしらばらく扉をじっと冷たい目で見つめていた。それは不満であり、納得できないことであった。じつは、すでに帝国軍の先遣隊の撃退に成功したときに、警備兵たちから独断でラナビアから居を移すことを提案されていたのである。だが、エリザベートはジーベックが失敗したとはとても信じられず、信じて待つことを選択したのである。なのに、このザマとは。

 

「御父様に仕えていたあの者でも、ローエングラムめの臣下に勝てぬというの……?」

 

 フリードリヒ四世の娘である母親が帝位継承権を持っていないことからわかるように、エリザベートも本来ならば帝位継承権を持っていないはずだった。臣籍降嫁といって、ゴールデンバウム王朝では皇族の娘が臣下と結婚したら帝位継承権も喪失するのである。というのも、帝国は男性優位の社会であり、妻の地位が夫よりも高いと貴族社会的に非常に面倒な問題が発生するため、それが慣例となっていたのだ。とはいえ、例外が存在しないわけではない。

 

 第二代皇帝ジギスムント一世が初代皇帝ルドルフの娘カタリナの子であったように、皇統を継ぐべき人物が皇帝の子にいないような状況になってしまうと、臣籍降嫁した皇族の娘の子に継承権が発生することになっているのである。誕生したフリードリヒ四世の子は一三人いるのだが、非常に短命な者がおおく、成人したのは男と女が二人ずつの四人。そして片方の男は成人して数年もせぬうちに階段から足を滑らせて死亡し、唯一残った皇子だからということで皇太子として冊立されたルードヴィヒも一〇年以上前に病没してしまっている。

 

 ルードヴィヒには息子(後の傀儡皇帝エルウィン・ヨーゼフ二世)がいたので、彼を次期皇帝として盛り立てるという提案が一度宮廷からされたものの、母親の身分がとても低すぎたものだから、おおくの貴族が皇太子の御子であるのだから皇族として扱うのはともかく、次期皇帝としては遺伝子的に不適当であろうという意見によって流され、かくして臣籍に嫁いだ皇族の子ども達、皇帝の孫や甥姪にあたる者達が皇籍に戻り、新たな帝位継承権保有者として名を列ねることになった。

 

 それから奇妙な皇族の不審死が相次いだ。フリードリヒ四世には姉や妹が七人いて、それぞれ結婚して家庭を持って子宝にも恵まれていたのだが、その子どもたちも例外なく死んでしまった。公的には“事故死”や“病死”として発表され、詳しいことは知らないし、うっかり地雷を踏んでしまいそうで知ろうとも思わないが、周辺の大人たちの内緒話をこっそり盗み聞きしたりして、それが帝位継承問題に絡んだ暗殺劇であり、それに自分の父親が少なからずかかわっているのだろうということは、幼いながらに察していた。

 

 そしてその頃から公爵家に仕えていた一人であるアドルフ・フォン・ジーベックならば、ひそかに謀を巡らせ、一族を破滅させた自称皇帝をも倒せるのではないかと思ったのだが、どうも甘すぎる考えであったらしいとエリザベートは自戒した。

 

「御父様、御母様……。この程度のことで妾は挫けません。たとえ卑しい身分に堕ち、汚水を啜ることになろうとも、あの者の思い上がりに鉄槌をくわえるためならば、耐えてみせます。ですからどうか、ヴァルハラよりあなたたちの娘をお守りください」

 

 天を仰ぎながら、エリザベートは両手をあわせて亡き両親に祈りを捧げた。帝位継承問題に絡んだ暗殺が横行しているという先入観からきた被害妄想に過ぎないのかもしれないが、エリザベートは重大な事故につながりかねない、子どもの悪戯にしては巧妙で悪質な嫌がらせにあったことがある。そういうことがあった日は決まって恐怖で震えていた。そういうときは決まって父がやってきて「安心しろ、わしがおる」と力強い腕で自分を抱きしめ、その胸の温かさで自分の不安をやわらげてくれた……。

 

 もちろん、彼女も父親が現在世間で自領民を核兵器で虐殺した極悪貴族筆頭として罵られていることは知っている。だが、そんなことは彼女にとってはどうでもいいことだ。彼女にとって父親は偉大な英雄であり、母親はそれを献身的に陰から支える理想的な女性であって、共に親愛の対象でしかない。そしてその二人を死に追いやった現王朝の者たちこそ、彼女にとっては憎むべき邪悪なのだ。



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ラナビア矯正区

「人はどこまで道徳的に堕落することができるだろうか。そう問いかけられても、以前の私なら性根が腐ってなければ尊厳によって堕落に対抗することができると答えた。だが、それは間違いだった。その問いに対し、今の私は胸を張って自信満々にこう答えるのみだ。どんな人間であろうがどこまでも道徳的に堕落できる。底などないのだ。どこまでも、際限などなく、人間の尊厳など嗤って蹂躙できるようになる! 喩え、それが自分の尊厳を再起不能になるまで汚すとしても! 極限状態においては、そんな些末事は問題にすらならないものなのだ!!」

――矯正区に収容されたある哲学者の著作より

 

 

 

 統帥本部の命を受けてラナビアにやってきた帝国軍辺境独立分艦隊は、星系外縁部にワープ・アウトした時点でジーベックの推測通り、彼らが乗っていた偽装商船をレーダーで捕捉していた。偵察のために先行させていた高速艦に何度呼びかけてもなんら返答がなかったので、深入りした偵察部隊を逆にとらえるほどの戦力を貴族連合残党が有していると司令部の将校らは判断していた。

 

 そのため、二〇〇〇隻の内、貴族連合残党がラナビア内から脱出できないよう、一五〇〇隻の艦艇を軌道上に等間隔に配置し、残りの五〇〇隻で惑星上に降下した。偶然にも、この部隊を率いる司令官はラナビアのことをある程度知っており、霧中の中でも冷静に降下の指揮をとることができ、それを成功させた。

 

 貴族連合残党の残存兵力は多くても一万程度であろうと帝国軍は推測していたが、帝都でクーデターを起こした極悪犯を万が一にも逃がしてはならぬという決意から、純粋な陸戦兵力だけでも二五万もの兵員をかき集めていた。司令部はこれを一〇の部隊に分けて運用することにした。

 

「第一部隊は兵舎を、第二、第三部隊は囚人塔を、第四~第六部隊は工場区域を、第七部隊は宮殿を制圧せよ。第八部隊は地下施設に異常がないか確認。第九・第十部隊は矯正区施設の周囲に歩哨線を張れ。いつどこで貴族連合残党の攻撃があるかわからぬから、警戒を怠るなよ」

 

 一〇の部隊の指揮官が敬礼で応えて去っていくのを見つめながら、灰色の髪をした司令官は不愉快そうに顔を歪めた。

 

「畜生」

 

 愚痴らずにはいられなかった。この霧の惑星にやってきたのは初めてではない。先のリップシュタット戦役において、ラナビア矯正区を制圧したのは自分であり、この惑星上でどれほどおぞましいことが行われていたのかをよく知っていた。だから、新年早々、こんな忌まわしい惑星にまた来てしまったのかと思うとやってられない気分になるのである。

 

 その司令官であるイザーク・フェルナンド・フォン・トゥルナイゼンは、有能で若い将星が集う初期のローエングラム王朝の世であってもひときわ若く、二三歳という年齢で帝国軍の大将の地位を得ている。名門貴族出身故、旧王朝の世にあっても他と比べれば出世がしやすかったという事情があったのはたしかだが、他の門閥貴族将校と異なり、彼は地位相応の実績の持ち主であった。

 

 現皇帝とは幼年学校の同期生であり、首席のラインハルトに次ぐ優等生集団の一人であった。とはいえ、彼との間に必ずしも友好的関係があったということを証明するものではない。むしろ、下級貴族のラインハルトや平民のキルヒアイスが自分より高い成績を叩き出すという事実に名門貴族の矜持が刺激され、一方的な対抗意欲を燃やして嫌悪をいだいていた。もっとも、他の生徒と異なり、暴力や権威ではなく正々堂々と成績で自分が学年首席になってやると努力を重ねていただけなので、とうのラインハルトからは良くも悪くもあまり意識されていなかったのだが。

 

 結局、ラインハルトが幼年学校の五年間学年首席を独占し続け、四八二年に彼とともに卒業したトゥルナイゼンは内心で、一度も勝てなかったと苦い思いを噛み殺しながら士官学校へと進学した。そこでトゥルナイゼンは俊英として高く評価された。しかしトゥルナイゼンとしては釈然としなかった。ラインハルトやキルヒアイスがすぐに職業軍人にならず士官学校に進学してきていたならば、自分一人が俊英と称されることもあるまいという劣等感を抱き続けた。

 

 やがてその二人が戦場にて武勲をあげて出世街道を爆走していると士官学校で噂されるようになった。幼年学校から士官学校に進んだ同窓達は「金髪の孺子はたいした出世ぶりだ。姉に対する皇帝陛下の御寵愛のためだろう」と貴族主義的な偏見で断じて実力によるものと頑なに認めなかった。同窓たちほどラインハルトの実力を過小評価していないトゥルナイゼンにはそれだけのためとは思えなかった。自分も負けてたまるかと士官学校を中退して前線勤務を望んだ。

 

 ラインハルトには及ばないにせよ、トゥルナイゼンは傑出した軍事的才幹の持ち主であった。実戦指揮官としても作戦参謀としても帝国軍の勝利に大いに貢献している。若さに見合わない質と量の双方で充実している武勲、名門貴族という出自、そしてラインハルトのように上司から嫌われるほど生意気な性格でもなかったこともあり、並みの名門貴族出の士官学校首席でも不可能と思える出世スピードで軍の位階を駆けあがり、帝国歴四八七年に二〇歳で准将にまで成り上がっていた。五〇〇年に渡る帝国軍の歴史をひっくり返しても、成人時に将官の末席に名を連ねることができた先例はほとんどが皇族であることを考えると、十分に破格の出世というべきである。

 

 一方、ラインハルトはというと、その年のアスターテ会戦で帝国元帥へと昇進し、宇宙艦隊副司令長官という要職に就いていたので、覆しようがない才能の差のようなものを、この頃になるとトゥルナイゼンも受け入れ始めていた。それはトゥルナイゼンも参戦したアムリッツァ会戦でラインハルトが同盟軍の大軍に対し圧倒的な勝利をおさめたことで決定的なものとなった。あれほどまでに華麗な圧勝、自分にはどうしたってできるとは思えない。

 

 ラインハルトの天才性を素直に受け入れることができたトゥルナイゼンは、愚かしくもブラウンシュヴァイク公について帝国貴族としての義務を云々言っていた当主の父親を説得(アムリッツァ会戦における功績で少将に昇進し、家族の中で一番社会的地位が高くなっていたので、父親は息子の決断に何も反論できない力関係になってしまっていた)し、皇帝枢軸陣営に与した。

 

 そうして故カール・グスタフ・ケンプ提督麾下の将星の一人として、リップシュタット戦役で多大な武勲をあげ、それが評価されて中将に昇進し、ラインハルト直属艦隊の司令官の一人に抜擢され、先のラグナロック作戦に参加して戦後に大将へと昇進した。帝国軍の歴史上、ラインハルトを除けば史上最年少の大将に。

 

「ケンプ提督、か」

 

 准将・少将だった頃の上官のことをトゥルナイゼンは悔悟の感情と共に思い返した。いや、ケンプだけではない。戦死したアイヘンドルフ、パトリッケンといったケンプ艦隊時代の僚友たちにも申し訳ない感情を抱く。当時、トゥルナイゼンは彼らを嫌っていたわけではない。むしろ、彼らの勇気と能力に敬意をもっていた。しかし幼年学校時代からずっとラインハルトを意識してきたトゥルナイゼンとしては、ケンプ艦隊の僚友たちの堅実性や常道性は、創造性も柔軟性もない、ひどく退屈で平凡なつまらない戦い方であるように映った。

 

 だから自分がラインハルト直属艦隊に移動した後、ケンプ艦隊がイゼルローン攻略に失敗して壊滅的打撃を受け、彼らもまた戦死したと聞いて悲しみはしたが、心のどこかで特異性がない連中だったから当然だという感慨もあった。それどころか、イゼルローン攻略が決まる直前にケンプ艦隊から移動して助かったことから、自分がなにか人智を越えたなにかの加護を受けているのだと驕る始末だった。主君ほどではないにせよ、自分もまた偉大な軍事専門家として歴史に名を刻む存在なのだと勇み立った。

 

 だが……。その驕りは過ちだった。第一次ラグナロック作戦中にバーミリオン星域において発生したヤン艦隊との決戦で、自身の能力への過信から功に焦って先走り、結果として前線を混乱させ、敵に付け入る隙をあたえてしまった。自分を含め五人いた分艦隊司令官の内、自分はなんとか部隊を維持させたものの、アルトリンゲンとブラウヒッチは部隊を壊滅させ、グリューネマンは重傷を負い、カルナップにいたっては戦死してしまった。いや、ナイトハルト・ミュラーの艦隊が戦場に来るのが遅ければ、自分の失敗のためにラインハルトすら戦死させてしまっていたかもしれない。

 

 本国に帰還した後、大将に昇進したものの、第四軍管区司令官に任命されて軍中枢から追い出されてしまった。いまだに軍管区制が軍務省の書類上にしか存在しない有名無実のものであり、実態は辺境星区の警備部隊の統括者でしかなく、事実上の左遷であった。役職的に帝国軍全体の軍制改革が断行されれば、自動的に自分が正規艦隊の司令官になることが内定しているようなものだから、閑職といってよいのかは微妙なところだが、自己過信に陥らずにもっとケンプ提督らがもっていた堅実さを学んでいれば、軍中枢からはじき出されず、今現在の再度の同盟征服作戦にも参加できていたのではないかと、かつての自己の傲慢さを省みずにはいられなかった。

 

 もっとケンプ提督の堅実さを学んでおくべきであったのだ。同僚で在ったアイヘンドルフとパトリッケンが自分の戦術家として冒険的な姿勢を咎める指摘に対しても、自分は実績に驕り高ぶり、ろくに聞き入れなかったのは間違いだった。もっと謙虚に、他者との協調を軽視するようなところがなければ、バーミリオン会戦はまごうことなき帝国の勝利と後世から一致して評価されたのかもしれない。いまさら悔やんでもどうにもないことなのであるが、自身の軽挙を悔やまずにはいられない。

 

「閣下、第七部隊より報告です。対象を発見、降伏を促すも拒絶され、銃撃戦に突入しているとのこと」

「そいつらが偽装商船でここに降りた連中か……? 数はどの程度だ」

「およそ一五〇~二〇〇と推定されます。しかし、地形を巧妙に利用していて生け捕りは難しいというのが現場の判断です」

「その程度の数で熱烈に抵抗してくるだと? いったいなにを考えているのだ」

「わかりません。ただ、どうも連中、矯正区(ここ)の元コラボラらしいです」

「……なるほど囚人看守か。なら、降伏なぞ決してせぬか」

 

 それだけでトゥルナイゼンは察した。コラボラというのは、収容者でありながら矯正区警備部隊の任務に協力する者達の総称である。矯正区警備部隊は囚人のコロニーにあれこれと干渉することなどないが、収容者たちが一致団結して反旗を翻してくる可能性を防ぐために収容者の中に一定の協力者をつくって監視するのである。コラボラとなれば軍属扱いになって収容者に比べて良い待遇を受けられ、貢献次第では危険思想を克服したとして釈放されることがあるし、極稀にだが適正を認められて軍や社会秩序維持局に居場所を用意してくれるケースだってある。

 

 ラナビア矯正区もかつてはそうだったのだが、ゲルトルート・フォン・レーデルが矯正区警備司令となってラナビアを強制労働施設へと変容させ、労働者を監視させる人員が必要となり、コラボラを大幅に増やして彼らを監視役とした。仮に労働者たちに殺されたとしても、所詮どちらも思想犯なのだから、兵士が死んだ場合と違って“思想犯同士の内紛”と中央に報告するだけで済むという打算もあった。そしてサルバドール・サダトがコラボラ管理の責任者に抜擢されてからは、恐怖によって規律化され、何万という収容者を酷使し、叛逆者とその一味を抹殺する実行部隊を担い、数年間で何十万という人間を見せしめとして残酷に処刑した。このような経緯からコラボラたちは他の収容者からは囚人看守と恐れられた。

 

 ラナビア矯正区のコラボラの大多数は自分たちがいかに卑劣なことをしていたかについて自覚的であり、それだけに旧王朝下であっても明確な公式規定もなく、警備司令部の意向と恣意から矯正区で暴力的に暴れていた彼らは被害者たちからどれほど憎まれているかわかっていたし、自分を守る法の盾も存在しないと弁えていた。よって、降伏すれば裁判にかけれられて処刑されることは確定的であるという絶望感から、どれだけ降伏勧告をしても逃亡と抵抗を諦めようとしない。これが治安上問題になっていたため、一度内務省は際立って悪質なものをのぞき、コラボラに対する恩赦を検討したらしいが、民政省を中心とする開明派と被害者たちの反発により立ち消えになったとトゥルナイゼンは知り合いから聞かされたことがあった。

 

「……となると、全員を生きたまま捕らえるのは難しいか。しかしある程度は生かしたまま捕らえるよう努力しろ。貴族連合残党の幹部どもの居場所を聞き出さならんからな」

 

 軍中央より受けた命令は、貴族連合残党の本拠地であるラナビアの制圧。もし組織内の重要な地位を占めている人物がいれば拘束の上、帝都へ護送。いなかったならば貴族連合残党に関する情報を可能な限り収集することである。それならば、末端の構成員であっても情報源としての価値があり、可能な限り生きたまま捕らえなくてはならなかった。

 

 今度は工場区域を調べていた第六部隊から二隻の宇宙船を発見したとの報告を受けた。その内、一隻は偵察のために先行させた高速巡洋艦であり、乗組員が中に拘束され閉じ込められていたとのことである。生存者がいるなら詳しく話を聞こうと、トゥルナイゼンは現場を確認することにした。

 

 停泊している二隻のところまでトゥルナイゼンらは移動し、その艦船を調べた。一隻は報告通り、トゥルナイゼンが先行させた偵察の高速巡洋鑑である。もういっぽうの商船はよくはわからなかったが、艦の外装と艦名プレートに“ロシナンテ号”と記されていることを確認し、途中で乗り換えた可能性もあるが、クーデター騒ぎの一件から一週間以内に出港した商船で同じ艦船は存在するか、帝都オーディンに確認するように要請した。

 

 続いて偵察にでていた高速巡洋鑑の艦長レムラー大佐と面会した。彼はかつて中佐だった頃、イゼルローン要塞司令官シュトックハウゼン中将の下で指令室警備主任をしており、旧帝国暦四八七年の第七次イゼルローン要塞攻防戦の敗北によってヤン・ウェンリー少将率いる同盟軍の捕虜となった。翌四八八年に行われた大規模な捕虜交換によって帰国した。だが、希望に満ちて帰国の途についたわけではなかった。

 

 勝利しからずば壮絶なる勇士達の死があるのみ。それがルドルフ大帝以来の帝国軍の理念であって、当然として軍規に不名誉な降伏など規定されていない。同盟との戦争の長期化に従い、慢性的な人的資源不足に悩まされるようになった軍上層部が降伏を事実上黙認するようになって久しいが、それでも軍規は政治的事情によって圧力を加えられながらもある程度は尊重され、帝国軍は捕虜の存在を公的に認めることはない。したがって、帰還した捕虜が敵中にあった期間は、表向きに長期にわたる無給休暇として扱われ、たいていの場合、帰還捕虜は何事もなかったかのように軍務への復帰を強制される。

 

 しかしローエングラム元帥の意向によってルドルフ大帝以来の理念が改められ、その時の捕虜交換で帰国した者達には一階級特進と一時金、そして軍務に復帰するか民間に戻るかの選択肢が与えられたのである。予想外の帰還捕虜への厚遇にレムラー中佐、いや大佐は感激し、ローエングラム元帥に忠誠を誓って軍務に復帰する途を選んだ。

 

 だが、レムラーは第七次イゼルローン要塞攻防戦において同盟軍の偽装部隊に対して杜撰なチェックしかせず、彼らを指令室へと入れてしまったことから軍人としての能力を疑われ、辺境星区の部隊へと飛ばされてしまった。トゥルナイゼンもそうした大佐の経歴を承知していたが、普段の勤勉な勤務態度から相手があのヤン・ウェンリーだったことによる不運の産物だったのだろうと思い、彼に偵察を任せたのだが……。

 

「つまり、まったく人気がなかったので巡洋艦を着陸させてより偵察を敢行しようとしたところ、霧に紛れて接近してきた敵に気づかず、奇襲にあって捕虜となり、数日間拘束されていたと」

「はっ、そのとおりです。弁明のしようもありません」

「……」

 

 自分の失態を隠そうとせず、屈辱を押し殺した震える声音で正確に報告するレムラー。それ自体は任務失敗の責任を取る態度として間違っていないのだろうが、彼の能力を評価して偵察の任につかせたトゥルナイゼンとしては失望を禁じ得ない。してやられたのが敵が優秀だったからではなく、レムラーが無能にも地の理もないのに敵地へ深入りするという判断をしたためであるというのだから。

 

「まあいい。それで、敵に拘束された後、この中のだれかに見覚えはあるか」

 

 トゥルナイゼンは手のひらの内に収まる小さな機械を操作し、四種類の人間の立体画像を出力した。帝国軍の記録に残っていたアドルフ・フォン・ジーベック中佐とテオ・ラーセン保安中尉、サルバドール・サダト准尉のものと、貴族連合残党の旗頭と見られているブラウンシュヴァイク公の遺児エリザベート・フォン・ブラウンシュヴァイクの三名のものである。

 

「他の三人には会ってません。ですが、二、三時間ほど前にこの中佐から尋問を受けました」

 

 レムラーの答えにトゥルナイゼンは顔色を変えた。重要人物の一人がこの惑星上にいることが確定したといってもいいのだ。トゥルナイゼンは不始末をやらかした部下を凝視して、矢継ぎ早に質問をしはじめた。

 

「どんなことを聞かれ、卿はそれに対してなんと答えた。できるだけに仔細に、かつ正確にな」

 

 レムラーは素直に報告した。最初になんの目的があってこの惑星にきたのかと問われ、定期巡回であると偽った。しかし二年前からここを隠れ家にしていると嘲られ、本当の目的はなんだと繰り返し問われたが、黙秘した。しかしそれでもジーベックはなぜか自分たちの任務が偵察であると断定し、本隊の兵力はどの程度だと聞かれ、すぐさま分艦隊程度かと問われ、あまりにも正確だったので思わず動揺してしまい、やはりそうかとジーベックに確信を与えてしまった。

 

 続いて、分艦隊を動員したということは、ここに自分がいるとわかっているから帝国軍は追手を出したのかと質問されたが、レムラーはあなたが国事犯である以上その可能性は否定できないと空惚けた。すると自分一人にえらく豪勢なことでとジーベックは嘯き、分艦隊の司令官はだれかと問い続けられたが、頑として答えずにいると諦めたのか尋問を取りやめてレムラーを牢に戻した。

 

「以上です。全体的な印象としては知らないことを聞き出すというよりは、わかっていることの裏付けをとろうとしているように感じました」

「……尋問された時間はどの程度だった」

「体感ですが、およそ三〇分ほど」

「ふむ……」

 

 社会秩序維持局が幹部のレーデルを拷問して聞き出した情報を信じるのであれば、貴族連合残党を実質的に指導しているのはジーベックであるらしい。ということは他の三名もこの惑星上にいるのかもしれない。特に貴族連合残党が忠誠を誓う対象であるエリザベートが行動を共にしている可能性は極めて高い。

 

 この場合、ジーベックが実は内心でエリザベートに一ミクロンほどの忠誠心も抱いていないのだと仮定しても問題はない。いくら貴族連合残党を統括し指導する能力と器量がジーベックにあるとしても、ゴールデンバウム王朝の復興を目的としている以上、エリザベートを見捨てることはできないのだ。いかに帝国最大の門閥貴族だったブラウンシュヴァイク公爵の家臣であったとはいえ、ジーベック個人の旧帝国時代の立場はブラウンシュヴァイク家の私設軍に所属していた一介の帝国軍中佐に過ぎず、爵位となると最下級の帝国騎士(ライヒス・リッター)でしかなく、知名度もない。

 

 これではあまりに知名度と求心力に欠けており、ジーベック自身が貴族連合残党を代表しても組織の構成員たちからの支持を得られるか甚だ怪しいものとなる。よしんば組織をまとめあげて勢力を拡大させていったとしても、ゴールデンバウム王朝時代が忘れられない貴族とその追従者たちからすれば、元帝国騎士風情が王朝再興の旗手を掲げていることに好意的になりえようはずがない。そうした面倒な権威と血縁にまつわる諸問題を解決してジーベックが組織の主導権を握り続けるためには、黄金樹の血を引くエリザベートを名目上の最高指導者として高く仰ぎ、彼女の付属物としての立場を守らなくてならないと考えられる。

 

 そこから推理するに、ジーベックが既に貴族連合残党の根拠地がラナビアにあると帝国に漏れている可能性が高いことを承知の上でここにいる理由はエリザベートがこのラナビアにいたからというのが一番しっくりくる。自分たち本隊の存在を確認するための尋問をしたということは、おそらくはこの星系に入ってすぐにレーダーに反応し、惑星ラナビアへ降下していった偽装商戦にジーベックがいたのだろう。時間的にやや遅い気がするが、通常航路で目立たずに移動していたならばそれほど不自然というほどでもない。少なくとも、トゥルナイゼンにはそう思えた。

 

 貴族連合残党の活動にここで終止符を打つことも不可能ではない! トゥルナイゼンはそう確信し、全部隊に対して捜索を徹底せよと重ねて指示をだした。万に一つにも取り残しがあってはならぬという意識から出た命令であった。しかし囚人看守の一団の鎮圧にあたっていた第七部隊から急報が入り、トゥルナイゼンは顔色を変えて即座に宮殿へと向かった。

 

 すでに第七部隊が抵抗を続けていた囚人看守たちを排除し、宮殿は完全に帝国軍が制圧していた。廊下は戦闘の痕跡があちこちに残っており、抵抗していた大量の囚人看守といくつか帝国軍人の死体が転がっている。戦闘があったのだから当然のことだ。ゆえにトゥルナイゼンは物言わぬ死体には目もくれず、拘束に成功した囚人看守たちを集めている問題の部屋へ扉を開けて入った。

 

 予想通りの妙に肌にべとつく、むせ返るような部屋の空気に、不快感が刺激された。この空気がなんであるかトゥルナイゼンは知っている。初めて前線に出てからまだ一〇年もたっていない短い軍人人生であるが、そのぶん苛烈で濃密な戦場生活を送っており、武勲を求めて戦場を問わなかったので、艦隊戦だけでなく地上戦も幾度となく功績をあげ、トゥルナイゼンは若くして将官にまで出世したのだ。銃撃と砲撃の嵐に晒され、人間が大量の血を撒き散らして死ぬ。その際に発生した血煙と人間の焼けた臭いが大気と混じり合った不快でおぞましい空気。むせ返るほど大量の鉄臭い死臭。それを幾度となく嗅いだことがある。

 

 だが、目の前の光景は、それとは趣が異なる。人間の死体など、戦場では見慣れたものである。だが、それでもこれに比べればまだ人間としての尊厳を保てた死体ばかりだ。ここにある死体は激しく損傷している、いや、しすぎている。おそらく対象が死してなお、執拗なまでに攻撃を加えられたのであろう。この部屋にある死体のすべてがそうであり、もはや人間の死体というより()()()()()()()()()()()()と形容するほうが正確であろう。それほどまでに尊厳を蹂躙され、バラバラになっていた。

 

 一緒に来た兵士たちが思わず口に手をあてたり、かすかに悲鳴をあげたりしているが、それを咎める気にはなれなかった。それどころか、トゥルナイゼンは逆によくその程度で耐えれたものだと内心で感心していた。内戦時にこの惑星を制圧しに来たとき、戦場では見かけない皮と骨だけで肉がほとんどない大量の死体を見て、胃液を逆流させたものが多くいたのだ。それを思えば、動揺をその程度で押し殺せるのはたいしたものというべきだ。

 

 トゥルナイゼンは込み上げてくる不快感を努めて無視し、捕虜になった中で比較的話が通じるとみなされた者たち三名へ尋問を始めた。いつ暴れだすかわかったものではないので、捕虜の背後にはライフルの銃口がつきつけられている。それでも彼らは死の恐怖に怯えておらず、それどろかすべてをバカにしているような笑みを浮かべているのが不可解だった。

 

「この死体の山はいったいどうしたことだ。説明しろ」

「どうしたもこうしたもない。裏切り者を粛清しただけさ」

「裏切り者だと……?」

「そうさ。帝都を掌握したら呼び寄せるとかなんとか自信満々言っておきながら、派手に失敗しておめおめと逃げてきた敗残どもだ」

「おまけに勝ち目がないから降伏しようなんて腑抜けたことを抜かしやがるんだもんな」

「いつもゴールデンバウム王朝への忠誠が云々と偉そうなくせに、なんて根性なしなんだか。准尉は華々しく死んだらしいってのに」

 

 口々に上層部への愚痴を語る。彼らからすれば、ゴールデンバウム王朝には続いてもらわなければ困るのだった。ローエングラム王朝の世にあっても、れっきとした矯正区警備司令部の一員であるのなら、矯正区の外にも縁故があるから、まわりの協力を得て過去の経歴を隠蔽してなに食わぬ顔で社会復帰したり、それがダメでも逃亡生活を送るという選択肢も存在するだろう。

 

 しかしレーデル少佐の計画に組み込まれ、同じ政治犯を虐待して何千何万と残酷に処刑し、それに数十倍する数の人間を過労死に追い込んだ彼ら囚人看守たちからすれば、そうはいかない。先祖の思想傾向のために生まれながらに政治犯の烙印を押されて矯正区の外の世界を知らない者が囚人看守の大半を占めるし、そうでなくても矯正区暮らしが長すぎて外との繋がりが断ち切られてしまっており、頼れる相手もいない。そこにローエングラム王朝の開明政策の推進という非常に困難な要素が追加される。

 

 ローエングラム王朝は当時の法律でも問題があるのならば、すでに裁判所で判決がでているような案件であっても、公正さに欠けていた恐れがあるとして再審を許可している。そしてレーデル少佐の矯正区運営は純粋な軍規のみで判断するならば、誰の目にも明らかなほど違法なのである。そのような状況において、復讐に突き動かされる元被害者と使命感に燃える内務省人道的犯罪捜査局の追跡を振り切り、まったく無知な普通の帝国領で逃亡生活をまっとうしえるはずがなかった。

 

 そのため、彼らの生存のためにはゴールデンバウム王朝が必要だった。より正確にいえば、自分たちが監視役として活躍できる環境が必要だった。そしてそれをローエングラム王朝は絶対に用意してくれないし、むしろ一人たりとて逃すまいと追跡の手を伸ばしてくるのだから、それに対抗的な組織に身を置かなければ生きていけないのである。

 

「……なるほど。それでなんでこれほどまで傷つけたのだ?」

 

 その質問に三人の囚人看守は困惑して顔を見合わせた。その質問の答えは簡単である。だが、なんでそんな質問をしてくるのかが理解に苦しむことであったのだ。

 

「なんでって……。裏切り者や反逆者を血祭りにあげるのは当然のことだろう? でなきゃ軍人連中に同情をしているのかと俺たちが処刑されることになるじゃねぇか」

 

 馬鹿にしているのかと呆れたように一人がそう言い、残りの二人もまったくもって同意だというふうに頷くのを見て、トゥルナイゼンはだからここは苦手だと内心で嘆息した。

 





シュトックハウゼン「儂はどうなったかって? 同盟の捕虜収容所であのイゼルローン要塞を無血陥落させた愚将だとまわりから嘲笑されまくって自信喪失し、本国に戻ったあとにすぐ退役して田舎に引っ込んだよ。それでも例外はいけないと大将に昇進させて年金もくれるんだから、ローエングラムの軍は律儀だな」


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灯台下暗し

 一定の聞き取りと捜査を終えた後、トゥルナイゼンは軍医たちに死体の検死を命じた。ラナビア矯正区の宮殿内で発見された死体の数々の中に、ジーベックをはじめとした貴族連合残党指導層のものがないかと疑ったからであるが、これはうまくいかなかった。死体の損傷が激しすぎ、この場の設備では簡易な検死をしても身元の判断は困難であると主張されたからである。

 

 それならば遺体を艦隊に収容し、医療設備が整っている都市惑星に移動させて検死を行わせるべきだ。そうトゥルナイゼンは判断して十隻の艦艇に遺体を収容させて都市惑星に向かわせた。いっぽう、まだ生存して惑星内に潜伏している可能性を考えて一週間に渡り捜索を続行したが、なんら収穫をえられず、断念した。

 

 よって艦隊もラナビアを発つことに決まったのだが、残っている収容施設をどうするかが問題となった。内戦時に占領した時は、囚人の解放と生活援助を優先したケンプの方針によって軍需物資やその生産手段が接収されただけで施設そのものは放置されていた。ひとつには周辺星域を完全に掌中におさめることに成功していて、放置しても大きな問題になる可能性が低く、内戦が終わってから考えればよいと放置していたのである。

 

 しかし内戦が終わってすぐにキルヒアイス上級大将暗殺に起因するごたごたがあったせいで、そのまま放置してしまい、平時になって少数の定期的な警備部隊が航路を巡回するのみとなった。その隙をついて貴族連合残党の根拠地になってしまった以上、放置は論外である。艦隊で衛星軌道上から爆撃を加え、完璧に破壊するのが手っ取り早いのだが、それも考え物であった。

 

 昨年九月、民政省と文芸省が中心となり、ラナビアをはじめ、いくつかの矯正区はゴールデンバウム王朝時代の過ちを後世に伝える遺跡として保存し、近い将来に一般人でも訪問可能な史跡博物館にしようとする計画を内閣に提案し、それが閣議決定され、皇帝の許諾もえていることをトゥルナイゼンは官報によって知っていたからである。同盟への遠征決定にともなう多忙のために計画の実施が延期中であるとはいえ、主君が保存を承認した施設を破壊するのは躊躇われた。

 

 結局、数十万の留守番部隊を置いていくことにした。留守番部隊の軍人たちは「こんな陰惨な施設で、なんもないところに残らなくてはいけないのか」と不満たらたらであった。文句なら自分にではなく、こんな施設を大事に保存しようなんて考えた官僚どもに言ってもらいたいというのがトゥルナイゼンの偽らざる心情であったが、どうしようもない。せいぜい第四管区司令部に戻り次第、さっさとラナビア矯正区を管理下にいれろと民政省にクレームをいれてやるとしよう。

 

 そのように考え、一月九日明朝にトゥルナイゼンが率いる辺境独立分艦隊は霧の惑星ラナビアを発った。その際、オーディンから出発した記録があったため、ジーベックら貴族連合残党幹部が逃亡の際に用いたと思われう偽装商船“ロシナンテ号”も証拠品のひとつとして、一八人の帝国軍人を乗船させて同行させた。これは当然の判断ではあったが、間違っていた。あえて放置を選択するなり、もっと人員を割くなりしておけば違ったかもしれないが、結果論である。

 

 ロシナンテ号に搭乗していた帝国軍人に兵卒はおらず、士官と下士官が半分ずつという構成であった。全員、任務中であるという意識はあったが、軍艦のような実用的でどこか殺風景なものではなく、ふかふかのベットがある色彩豊かな個室があたえられ、座り心地のよいソファがあってゆったりとくつろげるラウンジまであるものだから、普段と比べてどこか気が抜けていたことは否めず、暇になったらラウンジで和気藹々と雑談してしまうこともしばしばであったという。

 

 出発から二日後、艦橋のスクリーンに動力源である核融合炉に異常が発生していることを示す表示がでた。この偽装商船の指揮を任されていたヘルシュトローム大佐は、ラウンジで休んでいた下士官たちに原因を調べて報告するように命じた。彼らは不安をこぼしながらも、慣れた調子で最下層にある核融合炉室に赴き、原因を探るべく手分けして点検することにした。

 

「……どういうことだ?」

 

 そのうちの一人が、融合炉を制御する機械のひとつを見て首を傾げた。彼は機械が停止していることを確認し、すぐさま操作モニターを確認して情報を確認しようとしたのだが、そのすぐ横にある外付けスイッチがオフになっていることに気づいたのである。これはどう考えてもおかしいことであった。機械が故障しているのならば話はわかる。しかしこの機械は故障したら機能を自動的に停止はしても電源は落ちず、備え付けのモニターにどういう異常が発生しているか報せるようにできている。なのにスイッチがオフになっているとは?

 

 ということは()()()()()()が原因ということであろうか? しかし発進時からスイッチがオフになっていたのだとしたら、そもそもこの宇宙船は大気圏から離脱できる推力を得られないはずであるし――。そう思考していた下士官は、突然後頭部に強い衝撃を受け、そのまま意識を奪われて倒れた。

 

 頭部からどくどくと血が流れ出ている下士官の姿を確認した男は、念のため、その頭部を叩き割る勢いで鉄パイプを振り下ろした。そして鉄パイプを放り捨てると、制御機械のスイッチをオンにして電源を入れ、モニターを素早く操作して正常な状態に戻して安堵した。経験上、この機械の制御を数時間程度受けなくなったところで核融合炉が暴走したりしないことは承知してはいるものの、やはり不安ではあったのである。

 

「さて、他の者たちは上手くやれたか?」

 

 すると次なる不安が男の胸中で膨らむ。騒ぎを決して周囲の帝国軍艦艇に気取られてはならない。気取られたが最後、自分たちは終わりだ。ゆえにロシナンテ号に乗船している帝国軍将兵は秘密裏に排除しなくてはならぬ。そのためには核融合炉の制御を失う危険性があるためにブラスターを使えないここが最大の正念場である。こればかりは同志の武運を大神オーディンに祈るしかなかった。

 

「中佐、対象の排除を完了しました。八名全員、仕損じたものはだれもいません」

 

 やってきた長い銀髪の青年の報告を聞いて、その男、ジーベックは大神オーディンに内心で感謝しようとして、やめた。まだ艦橋にいるであろう士官を始末しなくてはならない。彼らの排除に失敗してしまえば、乗り込んでいる帝国軍人を各個撃破するために核融合炉が暴走する可能性を承知で制御を狂わせた意味もなくなってしまう。まだ危うい吊り橋の上にいると自戒しているべきで、大神オーディンへの感謝は逃亡に成功してからでよい。

 

 慢心をジーベックが戒めたのは正解だったといえよう。ロシナンテ号の指揮を任されていたヘルシュトローム大佐は核融合炉の異常が解消されたというのに、報告にきていない下士官たちにかすかな疑念を持っていた。原因を特定したらすぐさま報告するように命じていたのに、先に問題が解決されているのだ。いささか気にしすぎかもしれないが、一番年少の少尉に確認にいくように命じたのである。

 

 少尉は大袈裟だと思ったが、上官の命令だからとしかたなく艦橋から核融合炉室へと向かった。だが、心の有り様とは行動する際、如実に表れるものであり、下士官の不真面目さになんか言ってやろうと怒りの文面を考えるのに脳細胞の大半を割き、ほとんど無警戒で移動していた。いっぽう、ジーベックたちは微かに響いてくる足音を敏感に聞き取り、通路のブロックごとにある、いざというときに隔壁をおろして空気の流出を防ぐ部分の出っ張りに身を隠し、息をひそめた。

 

 そして少尉がそのブロックを踏み越えた瞬間、ジーベックたちは一斉にブラスターの狙いを定めて引き金を引いた。哀れ、少尉はなにもわからぬまま背後から降り注ぐ光線に貫かれて絶命した。その光景を見て、ラーセンは安堵した。もしジーベックが向こうの足音に気づいて物陰に隠れるよう指示しなければ、目前で倒れている少尉は大声をあげて艦橋に異常を知られてしまったことであろう。

 

 だがそれもいつまでもつか。士官をこうして殺してしまったのだから、足音を殺してゆっくりと艦橋に向かい、不意打ちするというのは困難だ。これ以上時間をかけるのはよくない。もはや速攻による奇襲あるのみ。そう判断してジーベックたちは足音も隠さずに全力で艦橋に向かって走り出した。

 

 突然見覚えない者たちが艦橋に飛び込んできて、先ほどから言語化できないなにか不穏な気配を感じ取っていたヘルシュトローム大佐は即座に反応して軍人として最善の行動をとったが、帝国軍士官たちはあまりにも非現実的なことに思考停止状態に陥った。それをジーベックらはその隙を見逃さずブラスターを乱射して敵を薙ぎ倒していく。艦橋に遮蔽物など存在しないため、あっという間に帝国軍人たちを全滅させることに成功した。

 

 しかし早速ラーセンがあることに気づいて顔を青ざめさせた。ヘルシュトローム大佐が死の間際に近接の帝国軍巡洋艦に通信を繋いでいたことに気づいたのである。おそるおそるオペレーター用のヘッドホンを手に取り、耳にあてた。

 

「――願う。繰り返す、“バルカンⅦ”より“ロシナンテ”へ。いったいどうした。応答願う」

 

 困惑したような声が聞こえてきて、銀髪の元社会秩序維持局保安少佐の頭の中が凄まじい勢いで、現在の状況を推測した。おそらく、目の前に転がっている名も知らぬ大佐は通信を繋いだのはよいものの、肝心の報告をする前に銃撃されてしまったに違いない。であるならば、誤魔化しようはある。息を吸い込み、マイクに向かって叫んだ。

 

「“ロシナンテ”より“バルカンⅦ”へ! “ロシナンテ”より“バルカンⅦ”へ! 聞こえていたら応答願いします!」

「“バルカンⅦ”のファルマン少尉であります。今初めて声が聞こえましたが、どうかしましたか」

「今初めて……? やはり通信機の調子もおかしかったのですね」

 

 声は努めて平静を保つことに成功していたものの、自分の心臓の鼓動音が煩いと感じるほどラーセンは内心緊張していた。なにせ、ここで失敗すれば、なにもかもおしまいだ。自分だけではなく、ジーベック中佐やエリザベート殿下も、ひいてはゴールデンバウム王朝再興という崇高な理想までもが確実に。

 

 そんなことは断じて許されない。エーリューズニルにて大罪の贖いという黄金樹の慈悲を受けた者としてあってはならぬ。こちらもやや戸惑っている様子で、しかしそれでも職務を果たさんとするような調子で報告を続けた。

 

「じつは核融合炉に問題が発生した。あくまで一時的なもので、現状は問題を解決して正常に稼働しているが、大佐殿が万一を懸念して僚鑑に報告せよと」

「異常は解決されたのですね?」

「ああ、だが、原因不明の為、いささか不安があるとのことで、次の中継地で念のため点検の必要があるというのが大佐殿の判断でして。つきましては次の中継基地にして修理の要請を」

「……司令の了解を得ました。上位司令部に要請しておきましょう」

「それと通信機の調子も不安定なようですし、以後の連絡は発光信号でとりたいと思いますが、いかがなものでしょうか」

「“バルカンⅦ”了解。以後の連絡は発光信号で行う」

「“ロシナンテ”了解。感謝する。通信終了」

 

 通信を切り、ラーセンは腹の底からため息を吐いた。なんとかやりきれたという安心感からきたものであった。

 

「昔、政治犯狩りしてた頃の経験に助けられた」

 

 社会秩序維持局でラーセンは政治犯狩りを担当する部門に所属していた経験がある。悪逆な政治犯たちのグループの全貌を暴くために彼らと直接接触し、彼らの帝室に対する不敬かつ不穏極まる話にあわせ、彼らの信頼を得て情報を聞き出すなんて仕事も駆け出し時代はよくしていた。

 

「……ヴィルム、卿は急いで航路データを変更しろ。次のワープのタイミングで別地点にワープアウトして艦隊から自然に離脱する。卿の腕なら次元事故を装うことができるはずだ。ヴォルフは外の軍艦が発光信号で連絡してきたら、適当にあわせて誤魔化せ。他は残敵がいないか探索だ。二人一組で行動しろ。私は殿下にこの宇宙船を奪取したことを報告してくる」

 

 珍しくラーセンの行為に高い評価を下し、そのことに胸の中で釈然としない感情が沸き起こったジーベックは、感情を押し殺して事務的に命令をくだした。それにややうんざりとした空気が部下たちから発せられたが、それに文句はない。彼らがなにを不満に思っているかはわかっていたし、自分とてそうなのだから、無事に帝国軍艦隊から離脱すれば酒でも振る舞ってやらねばなるまい。

 

 ジーベックは何気ない通路の途中で、ある暗号を唱えた。その声を備え付けられているマイクが拾い、声紋反応チェックをされると、眼前の壁が床に沈んでいき、秘密の部屋へと続く通路が開けた。その光景を見て、改めてジーベックはフェザーン商人の商売精神に感心するのであった。

 

 もともとこのロシナンテ号は、ボーメルという名のフェザーンの独立商人が保有していた特殊な貨物船である。帝国とフェザーンの間で交易業を営んでいたボーメルにとって、最大の利益を齎す輸送品といえば、帝国からの亡命希望者である。それも貴族とか豪商とかの富裕層にいた者達をターゲットにし、亡命の意志が体制側にもれればただではすまない彼らの足元を見て莫大な亡命費を払わせ、大きな利益を得ていたらしい。

 

 それが事実かどうかは、この設備の充実ぶりからよく察せられる。知らなければただの壁としか思えない扉に加え、それを物理的な方法で破壊する以外の方法で中に入るには声紋認証をするしかなく、しかも外部からは赤外線をはじめとする検知器の反応を誤魔化せるように様々な対策が施されていて、秘密の部屋があると簡単にはわからない。これだけの設備を整えるには、大雑把に見積もっても数百万マルクはかかるであろう。それで大きな黒字がだせているというのだから。

 

 しかし帝国軍のフェザーン占領、そして同盟と帝国の間でバーラトの和約が結ばれたことにより、フェザーンの亡命仲介業は大きな打撃を受けた。そうした業界全体の事情に加え、ロシナンテ号の保有者であるボーメルは、この船で銀河帝国皇帝エルウィン・ヨーゼフ二世(自分の左手に噛みついたクソガキ)を帝国の検問を掻い潜ってフェザーンまで運んだ過去があったので、そのために帝国から敵視されはしないだろうかという不安からロシナンテ号を適正価格で第三者に売り渡してしまいたかった。実際のところ、その誘拐劇にはラインハルトが一枚かんでいて、下手に騒ぎ立てると帝国にとっても面倒になるためにわかっても逮捕したりしないのでいらぬ心配だったのだが、そんな裏事情など知らないボーメルとしては証拠品を抱えたままなど不安すぎた。

 

 ちょうどその時期に、貴族連合残党を組織し、ゲオルグが率いる秘密組織と共同して行ったテオリアでの作戦で莫大な活動資金を得て、安全に宇宙を航行できる亡命船を求めてフェザーンにやってきていたジーベックが、皇帝誘拐の為に一役買っていた宇宙船という確かな情報を裏社会に住処を移していた元フェザーン自治領主府の役人から入手してボーメルの下に赴いて大金を積んだ。こうして両者の利害が一致した結果ロシナンテ号は秘密裏に貴族連合残党が保有し、現在に至っているのである。

 

「ジーベックか?」

「はっ、ここに」

 

 主君の声を聞き、ジーベックはその場で膝をついて頭を下げた。

 

「そなたがこの部屋に戻ってきたということは、逃亡に成功したと考えてよいのかしら」

「まだ途上ではありますが、秘密裏に当船を奪取することができましたので、一息つける段階ではあるかと」

「! で、では、ようやくまともな食事にありつけるのか。そして妾はようやく部屋を持てるのか!?」

 

 あからさままでに声音を変えたエリザベートに、ジーベックは思わず苦笑した。彼女がそう思うのも無理からぬことで、帝国軍艦隊がラナビアにやってきた日から今日まで、帝国軍の捜索に捕まらないように主君エリザベート含めて二〇人がこの秘密部屋に隠れて寝食を共にしていたのである。特権階級のお姫様であるエリザベートからすればありえないような環境であり、覚悟していたとはいえかなりストレスの感じる環境ではあった。

 

 加えて、帝国軍が一週間もラナビアにとどまって捜索を続けるとは思いもしなかったので、三日分の水と食糧しか秘密部屋に運び込んでおらず、まともに食事をとることができなかった。かなり無茶に無茶を重ねて食事を切り詰めており、もうすこしトゥルナイゼンがラナビア捜索を延長していたら、餓死するか投降するかという究極の選択を選ばねばならないところであり、それだけに宇宙船が動き出したとき、全員が歓声を叫びたくなるのを必死に堪えなければならなかったほどである。

 

「まだ確認はしておりませんが、始末した軍人たち用の糧食が倉庫にあるでしょう。それをいただくとしましょう。武骨な軍人のための食事ですので、殿下の御口にあうかはわかりませぬが……」

「よい。我慢できぬことではないし、なにより空腹すぎて味の良し悪しなど気にしていられないわ」

 

 両眼に食欲の炎を燃やしている年若い娘の姿に、ちょっと厳しすぎたであろうかとジーベックは己の配慮不足を悔んだ。だが、それはひとまずおいて、主君に確認しなければならないことが彼にはあった。

 

「失礼ながら、ひとつ、お尋ねしたいことがあるのですが、よろしいでしょうか」

「うん? なにかしら。質問を赦すわ」

「ラナビア帰還時の問答を覚えていられますでしょうか」

「……妾の覚悟が揺らいでいないか、というあれか。それに対していらぬ節介をやくなと申し付けたはずよ。よもや、もう忘れたなどとは言わないでしょうね」

 

 エリザベートは全身から不快感と敵意を発した。何度危険性が高まっていると忠告されたところで復讐をやめる気はまったくないが、こう何度も確認されては苛立ちが募ってしかたがない。父の死を知り、自ら毒を呷った母の骸の前での誓いを自ら破るなどありえないとなぜわからないのか?

 

「いえ、そうではないのです。今後の方針について、少々話しあっておきたく」

「……今後の方針? そうねぇ、そなたたちの失態で多くの構成員を失った以上、しばらくは潜伏して力を蓄えるより他にないのではないの。違って?」

「おっしゃる通りにございます。しかし潜伏地を何処にするか。それを考えなくてはなりません」

「そなたがそう言うということは既に候補があるのね。旧ブラウンシュヴァイク領のどこかかしら。それとも、あの自称皇帝が捨てようとしている帝都オーディン? そなたの存念を聞かせてもらいましょう」

「…………フェザーンにございます」

 

 思いもよらない候補地に、エリザベートは目を見開き、顔を青ざめさせて震えはじめた。

 

「なにを言いだすの!! あの憎き自称皇帝が本拠地にしようとしていることをそなたは知らぬのかッ! わ、妾は嫌じゃぞ! そんなところに行けばリッテンハイム家のような最期を迎えかねない! 絶対に嫌じゃッ!」

 

 リップシュタット戦役時、リッテンハイム侯爵邸はラインハルト軍によって襲撃され、ウィルヘルム・フォン・リッテンハイム侯爵の妻クリスティーネとその娘サビーネは、拷問染みた責め苦を受けて無残に殺され辱められたという。そんな残虐な連中の中枢に攻め込むならともかく、潜伏するなど正気の沙汰ではないとエリザベートは強烈に拒否した。

 

 実際のところは、アルテナ星域会戦で生き残ったリッテンハイム軍の一部が、撤退の際に味方を攻撃したリッテンハイム侯爵の非道に怒り、惑星リッテンハイムに急行して侯爵の身内にその責任をとらせようと暴れまわったというのが真相である。だが、内戦中にそのことを知ったブラウンシュヴァイク公をはじめとする貴族連合の有力者たちが、このまま発表しては貴族連合の威信にかかわるため、戦意高揚のプロパガンダを兼ねてラインハルト軍のせいにして公表した。そのためそれを信じてリッテンハイム妻子が虐殺されたのはラインハルトの意向によるものと少なくない者達が考えており、皮肉なことにブラウンシュヴァイク公の娘エリザベートも父と有力貴族らの吐いた嘘を信じている一人であった。

 

 そしてジーベックも当事者の一人であり、当然それが嘘であると知っている立場だったから、いささか滑稽であると感じたのだが、それを言及したりしない。言ったところで父を慕うエリザベートは信じないだろうし、関係悪化を招くだけと理解しているからである。

 

「なればこそです。灯台下暗しという言葉が指し示すように、金髪の孺子の足元にこそ隠れる隙があるように思われます。かつて貴族連合と取引があり、フェザーンの自治権喪失で多大な損害を受けていて、なおかつ私が弱みを握っているフェザーンの商会がいくつかありますので、彼らを利用してフェザーンにて潜伏することは不可能ではありますまい」

「……ブラウンシュヴァイク家と取引していた商会を警戒しないほど、あの簒奪者の一党は無能なのかしら」

「警戒していないということはないとは思いますが、現実的な問題として母数が多すぎて困難でしょう。加えて申しあげるならば、フェザーンに遷都する以上は、フェザーンの商会に特定して大規模な捜索をおこなうといった差別的措置をとりにくくしているということでありますし、なんとかなると思われます」

「……そう」

 

 なんとかなるという言葉にそこはかとない不安を感じたものの、なんだかんだで父をよく補佐していたジーベックのことを信任しているエリザベートはそれ以上詳しく聞き出そうとはしなかった。

 

「それともうひとつ、もっと根本的なことを聞いておきたいわ」

「と、おっしゃいますと?」

「知れたことよ。潜伏先をフェザーンに移すというのはいいわ。でも、フェザーンでどうやってまたゴールデンバウム王朝再興の同志を募るつもりかしら。先にフェザーンに亡命していた貴族達を取り込むというのも考えられなくはないけれど、彼らに監視がついていないとは思えないわ。フェザーン人たちも貴族を守ろうとは思わないでしょうし」

 

 意外に鋭い指摘に、ジーベックは目を瞬かせた。別に主君に敬意を払っていないわけではないが、ブラウンシュヴァイク公の娘であるとはいえ、いまだ二〇歳にもならぬ小娘の能力などあってなきに等しいものと常識的に考えていたのである。

 

「なるほど。たしかにそうかもしれませぬ。ラーセンなどであれば気にかかる点になってくるかもしれません。ゴールデンバウム王朝再興の同志をフェザーンで秘密裏に集めるのは困難どころの話ではなく、無謀というべきでありましょう。しかし――」

 

 ここでひとまず息をきり、あたりに人の気配がないことを確認して、続けた。

 

()()()()()()()()()殿()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「…………それもそうね。では、妾も振る舞いを変えた方がよいかしら」

「そのままでけっこうにございます。でなくばラーセンが殿下に銃口を向けかねませんし。それにいささか不遜で不敬ながら、そのようなものに商品価値を感じるようなフェザーンの商人もおりますのでな」

「なるほどね。ということは、()()()()()()も考慮していて?」

「それは……。ことと次第によってはありうるかもしれませんが、そればかりは殿下の御意向次第かと」

「かまわないわ。それで仇が討てるというのなら、妾は喜んでそうしようではないか」

 

 そう言って強気に微笑む前主君の娘を見て、ジーベックは頼もしさを覚える反面、ヴァルハラで自分はブラウンシュヴァイク公にどんな目にあわされるか、わかったものじゃないなと自分の死後を思って微かに苦笑せざるをえなかった。

 

 数時間後、帝国軍艦隊はワープアウトした直後にロシナンテ号が落伍していることが判明。ただち元の地点へと戻って探索したが発見できず、ロシナンテ号がワープした次元の痕跡も異常な数値を叩きだしていたこと、そしてロシナンテ号から核融合炉に変調をきたしていたので点検したいという要請が存在したから、核融合炉の一時的異変がワープ装置になんらかの影響を与え、次元事故を起こしたものと推定された。

 

 第四軍管区司令官トゥルナイゼン大将としても、状況証拠的にそれが一番可能性が高いと感じ、“確証なきものであるが”と但し書きした上で一番高い可能性として接収したロシナンテ号が次元事故によって消滅したと中央に報告して調査を打ち切ってしまった。

 

 こうしてまんまと貴族連合残党の上層部は帝国軍の追跡から逃げおおせたのである。



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残照

大体の話の流れはできてるのに、いざ書こうとすると、しっくりくる文言がでてこない時ってありません?


 新帝国暦二年はローエングラム王朝が成立して初めて新年を迎えた年であるが、それだけに新年をどのように祝うかが大きな問題となっており、繊細な調整が求められた。後世からすればいささか滑稽に思えることではあるが、当時の為政者たちにとっては意外と無視できない国政の今後を左右する重要な要素であったからだ。

 

 それを理解するためにはまずゴールデンバウム王朝時代の新年祝いを知る必要があるだろう。年明けに備えて各有人星系の統治機構が街中を煌びやかに過剰演出気味に飾り付け、非凡な国家大改革の指導によって人類社会の混沌と腐敗を一掃して強固な社会秩序を築きあげ、人類史上にいまだ嘗てなかった繁栄と平和を人類社会に齎したルドルフ大帝、そしてその偉大な祖国を破壊せんとする反体制分子の脅威をことごとく粉砕して今日まで存続させた偉大なるゴールデンバウム一族の賢明なる領導を讃え、歴代皇帝の巨大肖像画を掲げて民衆が街中を練り歩くのである。

 

 しかしルドルフ大帝やジギスムント一世が統治していたような大昔、あるいはマクシミリアン・ヨーゼフ二世のような名君がいた時代ならいざしらず、フリードリヒ四世の停滞と閉塞の時代にあっては、多くの臣民にとって新年祝いは国家への忠誠心を周囲に誇示する場というより、ただ公然とお祭り騒ぎができる機会として臣民は認識していた。しかもその祭事における最大の関心事というと、参加することによって配給される酒やお菓子はなんだろうかという、およそ支配体制を賞賛することから程遠い次元の事柄であった。

 

 ラインハルトが帝国軍最高司令官と帝国宰相を兼任してローエングラム独裁体制が成立した際、開明派を中心にもはや個人崇拝でしかない政府主導の新年祝い行事廃止が主張されたのだが、意外に根強い民衆の支持があった――昔からの祭事だから廃止するのは抵抗があるし、なによりお祭り騒ぎがしたいというのが実態で、別に今のゴールデンバウム王朝を支持ではない――ため、看板だけはまだゴールデンバウム王朝だった旧帝国暦四八九年と四九〇年の新年祝いは大幅に規模を縮小したものの、概ね今まで通りの形式で新年祝いを行うことが許可された。しかし今度は民衆から「派手さが足りない」と不満が寄せられていた。

 

 こういう経緯を知ると、ローエングラム王朝にとってそれなりに重大な問題であることが理解できただろう。旧王朝からの中堅官僚たちは「ルドルフ大帝の代わりに現皇帝陛下の肖像画を民衆に掲げて讃えさせればよいのではないか」とごく平凡な案を出したが、開明派は強硬に反対し、当のラインハルトも「予の羞恥心を刺激して憤死でもさせたいのか」と憤激して拒絶したので不可能である。

 

 しかしかといって、新王朝が旧王朝の絢爛豪華な虚飾との決別を主張している以上、今まで通りに旧王朝時代の皇帝を賛美するのは論外である。各星系の歴史的人物に感謝を示すという案も出たが、ブルヴィッツの虐殺の一件の記憶が生々しい現在にそれをすれば、旧領主崇拝へと結びつきかねない危険性がある。結局、国務尚書マリーンドルフ伯の判断により、北欧神話の神々に新年を迎えられたことを感謝するという形式で新年祝いを許可。実在人物の肖像画使用禁止などの禁則事項を定めた上で、各星系の総督府に大きな裁量権を与えて臨機応変に対処させることとした。

 

 たまったものではないのが各星系の総督府である。とりわけ、権威への素朴な敬愛が色濃い星系の総督府は、「なぜ皇帝の肖像画が使用不可なのか」という住民感情に配慮しつつも中央の指示を守るという難しい調整を強いられた。特にゲオルグが潜伏しているアルデバラン星系も混狂の夜(カオスズラーズライ・ナハト)事件のせいもあって、ルドルフやラインハルトの評価が高まっていたので「なぜいけないのか」という反発が強く、折り合いをつけるのに総督府全体が総出で働かなくてはならないほどだった。

 

 末端役人なのに膨大な仕事が割り当てられたことにゲオルグは裏事情を知っているグラズノフ総督に文句を言いたい気分になったが、自分の手を借りたいまでに住民感情の処理に悩まされているのかと思うと多少の同情もあって、黙って表向きの仕事をこなしつつ、合間を縫って秘密組織の指揮をとった。とりわけ、将来の帝国首都フェザーンへの工作員浸透は、今後の計画もあって疎かにはできなかった。

 

 結果として、ひそかにルドルフやラインハルトを讃える歌を熱唱する民衆を総督府が黙認することによって、なんとか新年祝いを乗り切って祝賀ムードも冷めてきた一月一〇日。かねてより要望していた書類が調達できたとアルデバラン系地方新聞社“ノイエス・テオリア”の人事部第二課長である秘密組織構成員から報告がきて、ゲオルグはハイデリヒを連れて映画劇場で接触した。

 

 事前に別々で午後二時から『真クーシネンの物語』が上映される会場の最後列で一般席のチケットを購入しているため、普通の客に扮して自然に相手と接触することができた。上映が始まるとゲオルグは前もって決めていた合言葉を使って、隣席の頭部が禿げ上がっていて寂しいスーツ姿の中年が接触相手かどうか確認した。

 

「クラメルは元気ですかな?」

「エリザ・クラメルは容体が急変しました」

「……ノイエス・テオリアの人事部第二課長だな」

「はい、上層部の方。こちらが例の書類一式になります」

 

 新聞社の第二課長は持っていたブリーフケースからカーキ色の分厚い封筒を取り出した。それを受け取ってゲオルグは紐の封を外して中身の資料をなかばまで取り出し、大雑把に確認しながら質問をはじめる。

 

「念のための確認だ。ラルド・エステルグレーンで間違いないな」

「はい。サツ回りの取材を担当している記者のものです」

「サツ回り? こちらが要請していたのは政治担当だが」

「ええ。ですがちょうどいい人材を欠いておりまして……すべて偽造するのも技術的に難しく、そこで今年に政治部に転属という形式をとります。それであれば、さほど問題はないかと」

「なるほどな。だが、本人は納得しているのか」

「金を与えて地球支部で全面的に面倒をみます」

「地球支部?」

 

 意外な発言に、ゲオルグは首を傾げた。

 

「あんな辺境に貴社の支部があるとは知らなかったな」

「皇帝暗殺未遂事件を受けて、地球教関連の情報収集のために昨年暮れに新設されたばかりの支部ですからね」

「しかし軍の取り締まりに対して、地球教本部は自爆という途を選んだと聞いた。陰謀を巡らせていた頭脳部が既にないのだ。取材もなにもあったものではなかろう」

「ええ、ですが、地球教という宗教そのものに興味を持っている読者層が一定数おりましてね。そのレポートの連載記事が意外と好評なのですよ。読者の反応を分析していると、純粋な興味や知識欲というよりかは数百年前の亡霊というものに対するオカルト趣味や怖いもの見たさからきているようですが。売れる以上は情報収集して記事にするのがジャーナリズムというものです」

 

 そう言われてゲオルグは納得する。世間一般の情報感覚を養うために昔から新聞を購読しているが、地球教本部壊滅以来、おおきくそれを扱った報道がないために既に旬を過ぎたのだろうと早合点してしまっていた。しかし細々と地球教関連の記事がまだ続いていることを思うと、興味がある読者がいるのはたしかだろう。

 

 ついでに皇帝暗殺未遂を犯した地球教は、まごうとことなき現体制の敵である。そして旧王朝の検閲制度のために根付いた体制寄りの体質を引きずっている帝国系ジャーナリズムにとって、地球教はどのように報道しようがまったく心配がいらない題材といってよい。よく考えれば、いろいろと都合がいい取材対象であるといえた。

 

「それよりも秘密組織としては、昨今の帝都事情のほうが気になっているのでは。先の近衛叛乱でブラッケをはじめとする者達に天罰が下り、少なくない元貴族官僚が公職復帰したというではありませんか。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 第二課長の発言はおかしなものだが、主観的には正しかった。秘密組織はゲオルグが復権の為に警察時代の情報網を土台にして設立し、そこから秘密裏に拡大させてきた組織であるが、それを構成員全員が知っているわけではない。たんなる社交の場であるように見せかけている場合もあれば、法的にグレーな商取引の情報売買を装うこともある。その中で秘密組織内部である程度重要な役割を担っている者達は、秘密組織の目的は“ローエングラム王朝に疎まれている者達を救う”ことだと思い込んでいた。

 

 といっても、別に帝国政府の国事犯リストに名を連ねているような存在を匿ったりなどしない。リスクが大きすぎるからである。開明的な新王朝は旧王朝下の人道的犯罪を断罪するため、民政省内に人道的犯罪捜査局を設置してその調査を行なっている。法の不遡及を考慮し、容疑者の裁判において有罪無罪の大きな基準となるのが、当時の法律や規則に違反していなかったかどうかだ。だが、旧王朝にあっては法律規則より上位者の意向のほうが優先される傾向が強かったため、多くの者がこの基準に該当してしまうのだった。

 

 ゆえに匿うのはもっと小物、ありふれた存在であり、それでいて新王朝の方針的に問題があって民衆からも嫌悪を持たれるような者たち……いっぽうで、多くの民衆に近しく、秘密組織のことを知らない民衆でも影で匿うのに協力する可能性が高い者たち……具体的には元社会秩序維持局の協力者、矯正区勤務の経験がある元下士官兵、評判の悪い貴族の私設軍に所属していた者。そういった経歴の者たちである。

 

 昔から社会秩序維持局の評判は最悪だった。旧王朝下にあって最大最強の民衆抑圧であったから当然といえば当然である。そしてそうあれた最大の要因は組織の外に大量の協力者、即ちIMを確保し、その事実を以て民衆を疑心暗鬼に追い込んで相互監視状態に置き、隣人の不穏な言動を監視するのは身の安全の守る常識的行動と思わせ、密告への心理的抵抗が少ない社会的空気を構築して維持してきたからだ。

 

 だから民衆は社会秩序維持局を憎みきっているが、同時に社会秩序維持局とまったく関係がないと言い切れる者は少なく、密告の真実が明るみに出て友人知己との関係が崩壊するのを恐れて口を噤んでいる者は多い。ゲオルグが利用したオスマイヤーのように、心ならずとも協力しないことには生きがたい時代であったのだから。

 

 矯正区勤務者や貴族の私設軍に所属していた者たちも似たようなものだ。矯正区に配属されるのは、職業軍人にとっては左遷先であったが、徴兵された兵士たちにとってはそうではなかった。無力だけど反抗的な政治犯に暴力を振るったり射殺したりするだけの簡単な仕事だし、敵と殺し合う前線に出る事に比べれば生命を失う危険もなく遥かに安全で、しかも粗末だが官舎で暮らせて毎日食事にありつけるという快適なものだからだ。

 

 徴兵されて強制的に軍人にされた者たちからすれば、矯正区勤務ならば兵役満了時まで快適な軍人生活が約束されたも同然であったからだ。しかし矯正区それ自体が規則通りに運営されていないものが多すぎるため、やはり危うい立場といわざるをえない。

 

 そして最後の貴族家の私設軍も、その集合体である貴族連合軍が内戦でとんでもないことを多数やらかしたので世間からの評判は最悪だ。特にブラウンシュヴァイク公爵やリッテンハイム侯爵に連なる貴族家の私設軍に所属していた経歴のある軍人に対する民衆からの反感は凄まじいものがある。だが、旧王朝時代では貴族領に暮らす者たちにとっては、領主の私設軍に所属することは魅力的なことだったのだ。

 

 なぜなら私設軍の任務は主に領内での宇宙海賊討伐や叛乱鎮圧などで、正規軍に徴兵されて前線で戦うよりか戦死の可能性が低い。くわえて、任地が基本的に領内なのだから、故郷から離れることがほとんどなく、長期休暇などなくても比較的簡単に自宅に戻って家族と会うことができる。なにより貴族の私設軍に属することも兵役義務をこなしていると見なされ、正規軍に徴兵が免除されるのだ。

 

 そうした好条件から貴族の私設軍に志願する者は決して少なくなかった。そして貴族側もそうしたことがわかっていたからほとんどの私設軍は完全志願制だったし、忠誠心や出身を重視して選抜する形式をとっていた。それだけに世間から“自分の意思で悪辣な貴族の私設軍に所属したのだろうが”と解釈されることとなり、やはり嫌厭されるのだった。

 

 第二課長も新王朝から責任を追及されかねない危険な経歴を持っている。二〇年ほど前に徴兵され、地方領主の叛乱鎮圧に参加した。そして当時の帝国は他の貴族への見せしめと体制への反発のガス抜きのために、叛乱鎮圧時における略奪と虐殺を暗黙の裡に認めていた。だから当時兵士だった第二課長も、当然の権利を行使するように現地の住民を虐殺し、婦女子を辱め、財貨を強奪して懐を温めたのだ。

 

 今省みると、人間として赦されないことをしたという思いも第二課長にはある。だが、当時、叛乱鎮圧の際に蛮行を働くのは常識だったのだ。上官に命令されるまでもなく、皆当たり前のようにそれをしていた。軍規違反であろうとも、上位者が黙認するのなら、そちらが優先されるのが昔の帝国軍、いや、銀河帝国全体の常識だった。

 

 ゆえに第二課長が秘密組織に協力しているのは、自分も犯していた罪を背負う者を助けたいという同情心であり、それ以上にもし帝国政府が自分の過去を暴いて逮捕しようとしてきた時に秘密組織に助けてもらうための打算であった。そういう観点からすれば、旧貴族官僚の公職復帰は吉報と言えた。彼らは旧王朝の暗部を追及することには絶対に及び腰であろうから。

 

「たしかに。良き傾向であることは違いない」

 

 ゲオルグは如才ない笑みを浮かべてそう答えたが、内心は異なる。旧貴族官僚の公職復帰はゲオルグの復権工作のためにも有益なものではあった。だが、貴族連合残党と近衛部隊によるクーデター未遂事件は、ゲオルグの予想を超えて大きな損害を帝国政府に与えた。まさか閣僚二人を含む高級官僚を多数殺害するなどとは想定していなかったのだ。特に民政尚書カール・ブラッケが死んだのはありがたいが、同時にちょっと困る。

 

 自分の目的と旧王朝下ではありふれた悪事を働いた者達を匿うことは、多くの面で利害が一致していた。だからこそ、内部向けの看板として掲げたのだが……。開明政策の強力な旗振り役であったブラッケが死んだとなると、その一環である旧王朝下の人道的犯罪追及の取りやめられたりこそしないだろうが、その熱意は大幅に減殺されることは免れ得ないだろう。そうなると危機感が薄れ、あまり法に背く行為をしたがらない秘密組織構成員が増える恐れがあった。

 

 くわえてゲオルグを悩ませるのが、旧貴族官僚の公職復帰が国務尚書と軍務尚書の共同発案によるものという事実であった。いっぽうの提案者、国務尚書にかんしては無視してもいい。彼自身がれっきとした領主貴族であるし、その感性もどちらかというと旧王朝寄りであることは調べがついている。問題はもういっぽう、オーベルシュタイン軍務尚書が旧貴族官僚の公職復帰を認めた意図が奈辺にあるのかが読み切れないのだ。

 

 もちろん、失われた高級官僚の穴埋めという事情があるのだろうが、それだけでオーベルシュタインが旧貴族官僚の公職復帰を擁護するなどありえまい。おそらくは公職復帰と引き換えに国事犯捜索に協力させるつもりなのだろう。自分がラインハルトに忠実であることをアピールするためにも、恥知らずな旧貴族官僚は必死で協力することだろう。だが、まだなにかしらの思惑があるに違いなく、それだけにより多くの判断材料が欲しいのだが、その判断材料を収集する秘密組織に不安要因がでているのだ。本当に頭が痛い事態である。

 

「だが、だからこそ慢心してはならないというのが上層部の総意だ」

 

 だからゲオルグとしては、精々こう言って自分に忠誠心があるわけではない構成員の慢心を戒めることを怠れない。

 

「われわれとしては頼もしいことです。ですが、こんな映画劇場で接触するなどいささか不用心と言いますか、問題があるのでは?」

「そんなことはない」

 

 やや忠告染みた発言に、ハイデリヒが反応した。

 

「木は森に隠せという諺があるように、接点がないはずの人間同士がさりげなく接触するには人混みの中が一番なのです。ここは不特定多数の人間が利用する場であり、なおかつ、劇場であるからには声をひそめて会話をするのは当然。下手な密室なんかより、よほど密談をするのに向いている。ましてや近頃の映画ブームも考えると、現状最適であると確信しているのですが」

「なるほど、考え尽くされた上で映画劇場を密談場所に指定したのですな。差し出がましいことを申しました」

 

 軽く頭を下げて謝罪し、それからふと思いついたように第二課長は話題を転じた。

 

「しかしローエングラム王朝が成立して以来の映画ブーム、創作ブームはなんといいますか、どうにも粗雑乱造されているきらいがありますな。文化部の記者たちがどうコメントすればいいのかがわからないと嘆いてましたよ」

 

 改革の中で検閲制度が廃止され、大量の国家機密を解除したことは、帝国の創作家の意欲を大いに刺激したらしく、様々な娯楽分野で今までになかったような作品が多数発表されていた。しかしながら、どうにも目新しければなんでも流行っているようなところがあり、内容がほとんどないような作品であってもなぜか人気が出てしまうという事態に、おおくの評論家が困惑しているのであった。

 

 そうしたことを揶揄しての第二課長に、ゲオルグは軽く笑って論評した。

 

「そうは言うが、最近はかなり落ち着いてきただろう。この映画などは、後々まで観た人間の印象に残ると思うぞ」

「ハハ、なんといってもクーシネンの史実話ですからね。いや、本当はこういう人だったのですね」

 

 感慨深げにそう呟く第二課長に、ハイデリヒも同意する。

 

「そりゃ、その物語が今まで学校の教材になってたくらいですからね。帝室への忠誠と奉仕の精神を子どもたちに教え込むためにも、都合の悪いところは全部秘匿してたんでしょう」

 

 クーシネンという人物への印象は、受け取り手の思想や価値観によって大きく変わるだろう。ゴールデンバウム王朝の記録が語るところによれば「ルドルフ大帝の指導に常に忠実だった熱烈な国家革新運動の闘士にして政治的戦士」であり、自由惑星同盟の記録が語るところによれば「最初期にルドルフを支持して銀河連邦の有識者から憫笑された若い世代の代表的人物」であり、フェザーン自治領の記録が語るところによれば「数奇な運命とプロパガンダのために有名になっただけのありふれた凡人」である。

 

 銀河連邦末期に誕生した彼の人生は、本人がどうしようもならないところでつまずいていた。彼が生まれ育った地域は当時の連邦政府の腐敗と中世的停滞の中で半無秩序状態に陥っていて、彼の家族は非常に貧しい暮らしを強いられていた。にもかかわらず、父親は女癖が悪く毎日遊びほうけ、母親は病弱だったために彼が幼い頃に病没してしまった。

 

 徴兵の令状がとどいた時、一八歳の彼は無感動に兵役に応じた。別に国家に対する義務感からではなく、たんに近頃の連邦軍は兵役逃れに過敏になっていて、兵役に来ない市民のところに部隊を派遣して強引に取り込む(ついでに住居から金目のものを“手数料”と称して略奪する)ということが常識になっていたが故の諦観からであった。

 

 ゆえに連邦軍に何の期待も彼はしていなかった。だが、幸か不幸かクーシネンは“宇宙海賊のメインストリート”と称される危険地帯であるベテルギウス方面の治安部隊に配属され、連邦軍士官だったルドルフ・フォン・ゴールデンバウムの部下となり、偉大な英雄に魅せられていく。混沌と理不尽。それはクーシネンの故郷では常識であり、秩序や規律など非現実的な夢物語の中にだけにしか存在しない概念であるはずだった。だが、ルドルフの部隊にはそれが確固として存在した。それどころかルドルフが語る正義などという空虚なものを兵士たちは本当に信じていて、その瞳は明日への希望で輝いてさえいるように見えるのだった。それは未知のものであり、理解不能なものであった。

 

 いかな人物であればこのような絵空事を現実にできるのか。クーシネンはルドルフという存在に空恐ろしさを感じると同時に、いったいなぜこのようなことができるのかが疑問でならなかった。ルドルフが正義漢であることはわかる。しかしそれならなぜ孤立しないのか。クーシネンの故郷にあっては正義漢は他者から疎まれ排撃され野垂れ死ぬ愚か者と同義語であった。なのにいったいなぜ、ルドルフは自己の正義を他者にも信じせることができるのか。それが、知りたかった。ルドルフのほうも哀れな境遇で育ったクーシネンを立派な人間に育ててあげようと教師になったつもりで軍事に限らず、政治や経済の知識、人類の歴史や北欧神話といった物語、はては私的な事柄に及ぶまでさまざまなことを教えてあげた。

 

 ルドルフの対応は、意図せずしてクーシネンのずっと孤独だった心を奪っていた。親からの愛を受けられなかった彼は、ルドルフをいつしか本当の父のように慕い、熱烈に崇拝するようになった。そして兵役満了後もルドルフの官舎に住み込んで従僕のように仕えるようになり、やがてルドルフが自分だけの教師ではなく、全人類の教師になれば、すべての人間が自分のように正義の何たるかを知り、希望を胸に銀河の果てまで前進し続けることができるのにとまで思い悩むようにすらなった。

 

 ゆえにルドルフが政界に進出して国家革新同盟を設立すると、真っ先に入党して私兵の一員となって国家革新同盟に所属する政治家を他党の私兵から身を呈して守り、逆にルドルフを批判する政治集会を襲撃して多くの政敵を病院送りにした。ルドルフが国家元首と首相を兼任して独裁体制を構築すると、党内に新設された規律調査部の末席部員となって国家政策の遂行を妨害する腐敗官僚を多数粛清した。ルドルフが皇帝に即位して劣悪遺伝排除法を発布すると、内務省内に新設された社会秩序維持局の局員となって遺伝病患者の抹殺や共和主義者の弾圧に貢献した。そして帝国歴一一年にテロにあって殉職。四九歳の生涯を終えた。

 

 クーシネンは古くからのルドルフの信奉者であったにもかかわらず、あまり高い地位につけていなかった。殉職時の社会秩序維持局における最終階級は保安中佐、貴族の位階でいえば最下級の帝国騎士(ライヒス・リッター)にすぎなかった。育ての親であるルドルフの贔屓目で見ても、危険を顧みない向こう見ずな勇気と忠誠心はともかく、能力や才能、指導者としての才覚となると凡庸すぎるように映ったからだとされる。しかしだからこそ、クーシネンの人生は国威発揚に利用された。ルドルフ大帝の恩義に報いるべく、弱者なりに大帝の役に立とうとその人生のすべてを捧げた。非力である臣民全てが見習うべき模範的人物である、というわけだ。

 

 しかしローエングラム王朝によって機密指定が解除されたクーシネンにかんする資料は、それまでのクーシネン像と大きく異なる点があったのだ。ルドルフを崇拝していた向こう見ずな勇気の持ち主というのは変わらない。だが、ルドルフが独裁体制を構築してからは今までゴールデンバウム王朝が語ってきたように「一切の迷いなく大帝のために忠勤していた」わけではなかったし、そもそも死因が異なった。

 

 クーシネンはルドルフが独裁体制を構築すれば、遠からず平和と安定がやってくると愚直なまでに信じていたのである。だが、それを実現させてもルドルフに反対する反体制分子や劣悪分子が消え去る気配がいっこうになかった。延々と弾圧を続けていく中で彼の精神は徐々に疲弊していき、やがてすべてに疲れて拳銃自殺をしたのである。だが、ルドルフはクーシネンが自殺したことを認めようとはせず、何者かに暗殺されたに違いないのだと主張し、帝国の公式見解もそのようにさせたというのが真相であったのだ。

 

「彼の言う通りだ。死者というのは変幻自在。すべては生者の都合次第よ」

 

 ゲオルグは自嘲気味にそう言って締めくくった。



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流言飛語狂騒劇

今話書いてて、時系列的におかしなことになってることに気づいたのだが、いまさら修正できないので、強引解釈で乗り切る。


 昨年の一一月なかば頃より惑星フェザーンにおいて奇妙な噂が流布しはじめた。曰く、帝国軍統帥本部総長ロイエンタール元帥に叛意あり。最初のうちはだれもが荒唐無稽な事実無根の噂であり、近いうちに消えてなくなる与太話だと内心思いながら苦笑するのが常だった。しかしどういうわけかこの噂は消えず、人から人へと語られるうちに尾ひれがついていき、徐々に真剣な顔で語られるようになっていった。

 

 根も葉もない噂が異常な速度で拡大するというのは普通に考えれば奇妙なことである。そうであるからには大元となる実があっての噂ということなのか。そうでないとすれば、何者かが悪意を持ってロイエンタール元帥を陥れようとしているのではないのか。少なくない人間がそう思い始めるのは無理からぬことであった。

 

 いずれにせよ、この奇妙な噂について調査する必要があるだろう。内国安全保障局長官ハイドリッヒ・ラングはそう判断した。この男は本来であればフェザーンではなく帝都であるオーディンにいるべき人間であったが、今後の帝国統治におけるフェザーンの重要性を鑑み、現地の内国安全保障局支部を直接指導する」という名目で、昨年の大本営の移転にあわせてフェザーンに長期出張という形式で住み着いていた。

 

 もちろんそれは建前に過ぎず、オーディンがすでに過去の都となりつつある以上、新帝国にあっては新参者にすぎない自分が政治生命をまっとうするためには、早急に新たに人類社会の中心となるフェザーンに居場所を作っておかねばならぬという打算によるものであった。くわえて色々と立場が不安定なことを自覚しているため、自身の庇護者であるオーベルシュタインの傍から離れることにも心理的抵抗があったのである。

 

 やがて内国安全保障局がロイエンタール元帥の翻意を盛んに主張している人物を特定するのにそれほど時間はかからなかった。なぜかというと、当の本人が帝国の治安当局に見つかることを望んで自分の存在を隠そうとすらしておらず、あちこちで街頭演説のような形で聴衆を集めてロイエンタールの叛意を主張していたからである。

 

 内国安全保障局に扇動罪の現行犯で拘束された男の名はウィリアム・オーデッツといい、自由惑星同盟の特使である。元々は立体TV番組の人気キャスターで、国家にとって万事都合の良い解釈をもっともらしく言える弁舌能力を有していた。そのため、有力政治家のヨブ・トリューニヒトに見いだされて政界に進出し、国防委員会委員として主に軍の広報を担当していた。オーデッツは生まれも学歴もよくなかったが、己の弁舌だけで国防委員まで成り上がってきたという強い自負があり、それだけに言論の力で後世に名を残す偉業を成し遂げたいという野心を持っていた。その彼にとって、今回の帝国軍侵攻は絶好の機会であるように思われた。自分が帝国軍と交渉して同盟を滅亡から救ったならば、救国の英雄として自身の名声は不動のものとなるだろう。

 

 野心と救国からくる情熱につきうごかされたオーデッツは、レベロ議長に自分を特使に命じて帝国軍との撤兵交渉を任せてくれるように熱心に願い出た。レベロは非現実的だと思ったが、他の政治家は同盟存続の展望を夢想的にすら描けないどころか、少なくない公職員が職務放棄して逃亡しているような有様であったので、当人に熱意があることだしやらせるだけやらせてみようと特使に任じた。なにもしないよりかはやった方がマシだろうというのが本音で、まったくといっていいほど期待はしていなかったが。

 

 レベロの予想通り、オーデッツはなんら成果を残せなかった。帝国軍の最先鋒であるビッテンフェルト上級大将は交渉を求められても「本職に交渉の権限がない」と無視し、続く宇宙艦隊司令長官ミッターマイヤー元帥は面会にこそ応じてくれたものの、弁舌だけではどうにもならぬ現実を思い知らされる結果に終わってオーデッツの自負心は強く傷つけられた。それでもなんとか立ち直って、皇帝ラインハルトに直接交渉を申し込むことを決意したが、フェザーンに着いてみれば既に皇帝は出征してしまっていて、交渉のしようがなかった。

 

 いったいなんのために祖国存亡の瀬戸際にあって自分はフェザーンにまでやってきたのだ。オーデッツは己が人生を支えてきた最強の武器がまったく通用しないことからくる歯がゆさと悔しさ、なにより無力さに数日間にわたって苦しめられた。失意の時間を過ごしている内に、唐突にあることに気づいたのである。帝国軍を同盟領から撤兵させる方法は、撤兵交渉を成功させることだけが唯一の活路というわけではない。帝国軍首脳に撤兵しなくてはならないほどの危機感を持たせることができれば……たとえば内乱などの可能性を信じ込ませることができれば……あるいは。

 

 新たなる決意を胸にオーデッツは、ロイエンタール元帥がひそかに叛逆の機会を伺っている奸雄であるという壮大なストーリーをでっちあげた。オーデッツとしては、できればフェザーン防衛司令部長官オーベルシュタイン元帥や後方司令官メックリンガー上級大将、首都防衛司令官兼憲兵総監ケスラー上級大将など、帝国本国にあって大きな権限を有している人物をストーリーの主役にしたかったが、彼らを主人公にするともっともらしいストーリーを創作できなかったので断念した。

 

 いずれにせよ、そのストーリーの完成度は素晴らしかったといえるだろう。オーデッツが同盟政府の特使の地位にあるという情報を確認した内国安全保障局は、オーデッツは同盟政府が仕掛けた情報操作による後方攪乱作戦の要員であるという、かなり正解に近い推測ができていたのだが、オーデッツの語るあまりのストーリーの完成度に“本当のことを言っているのでは?”と少なからぬ局員が疑い始めてしまったのである。オーデッツの能弁の面目躍如というべきであった。

 

 ここに至り、真贋を判断するべく局長が直々に敵国の使者という胡散臭い立場にいる証言者を尋問することになったのである。

 

「最初に確認しますが、ウィリアム・オーデッツさんで間違いないですな。同盟において軍政を担当しておられる政治家だとか」

 

 健康的な乳児をまったく比率を変えずに巨大化させたような容姿をした童顔のおっさんが、重々しい声で尋問してくるというギャップに対して元立体TV番組の人気キャスターは内心驚愕した。すぐに動揺をかき消してにこやかな笑みを浮かべて肯定した。

 

「ええ、その通りです」

「なるほど。それでフェザーンへ来られた理由は、同盟政府の立場を陛下に弁明するためにこられたのですな」

「はい。そもそもにおいて、帝国はバーラトの和約で自由惑星同盟の主権と領域は承認していたはず。にもかかわらず、外交折衝もなくいきなり宣戦布告し、帝国軍は我らの領土を蹂躙している。これはあきらかに和約の条文と精神に反した行為であると言わざるを得ません。ゆえに帝国軍は即時撤兵すべきで――」

「特使殿にも同盟政府を代表して帝国に主張したいことがおありでしょう。しかしながら本職は帝国の国内の治安を担当する内務官僚であって、軍の意思決定を行う高級将校でなければ、渉外を担当する国務官僚でもなく、ましてや条文に違反していないかどうかを判別する司法官でもない。なので私にそのような熱弁をふるっても双方に益がないでしょう」

 

 ラングは苦笑しながらそう言ってオーデッツの言葉の奔流を遮った。

 

「われわれ内国安全保障局が特使殿を拘禁しているのは、あなたが同盟政府を代表しているからではなく、帝国の国内治安上聞き逃せないことをさかんに主張しているからです。あなたはロイエンタール元帥が皇帝陛下に対し奉り、不穏な動きをしているという、にわかには信じがたいことを主張しておられるとか」

「ええ! 間違いありません!! ロイエンタール元帥は謀反を企んでいるのですッ!!」

 

 椅子から勢いよく立ち上がってオーデッツはそう叫んだ。まわりにいる局員たちが容疑者の突然の挙動を制止せんとするのをラングが座ったまま手で制した。

 

「そのように熱くならず、冷静に話をしていただきたいものですな」

「……」

 

 まったく驚いていないような態度に、オーデッツはちょっと熱くやりすぎたかと思い、渋々といった感じで椅子に座りなおした。

 

「しかし仮にロイエンタール元帥が謀反を企てているとして、どうして同盟政府の特使であるあなたがそのようなことを告発なさるのか。黙っていれば将来帝国が内部分裂を起こすだけで、あなたがそのようなことを告発する義務も意義もないはず。はっきり申し上げてしまうと、同盟の命脈を長らえさせるため、事実無根のことを言いふらしているように思えてならない。実際、少なからぬ者がそう思っており、同盟政府の離間策の一種であると思っている」

「そのように思われてしまうのもしかたがないことでしょうな……」

 

 オーデッツは一本取られたような表情を意識的に浮かべた。そんなことは事前に想定済みであり、その疑念を脱臭する単純明快な説明らしき噓八百を語ればよい。むしろ質問されずに内向的な思考に耽られるほうが、オーデッツにとっては大いに困る。

 

「身内の恥を晒すようだが、今の貧弱な同盟軍はどうあがこうが帝国軍に勝てない。帝国軍の攻勢に対して半年持たせることができるかすら怪しいというのが、噓偽りのない実情なのだ。だから私がロイエンタール元帥の叛意を告発したのが、同盟政府の命脈を長らえさせるためのものであるというのは間違ってない。そういう心情があるのではないかと問われれば、私はそれを肯定せざるをえませんからな」

「ふむ。では、やはりロイエンタール元帥に叛意ありというのも同盟存続のための、作り話と断じざるをえんが……」

「それは早計というのものです。私がロイエンタール元帥の叛意を主張するのも根拠あってのこと。根拠がなければ帝国の重臣を誹謗するがごとき愚行はできますまい。被占領民であるフェザーン人の大多数に一定の信頼を置かれるほど、帝国憲兵隊の調査能力は優秀なようですからな。私の告発がまったくの嘘であるならば、早々に事実かどうか調べ上げられ、重臣を誣告した罪で処刑されるのが目に見えておりますからな」

 

 オーデッツは余裕を感じさせる態度でそう言ってのけた。自分の弁舌に高い自信を持っていたが、この男の演技力と度胸、もしくは恐怖に対する鈍感さはたいしたものというべきであったろう。偽証すれば死ぬ可能性を冷静に認識した上で、こうも堂々と噓八百を語るのは常人の為せる技ではない。

 

 いっぽうのラングはというと、昔の暗黒時代ならいざ知らず、今の時代ならその程度の罪だと罰せられこそすれ、処刑されるレベルにはなかなかいかないだろうと思い、目の前の男はいったいなにに酔っているのだろうかと内心疑念を感じた。しかしそれを表には出さずに話の続きを促す。

 

「……そこまで断言されるということは当然、それなりの根拠がおありなのでしょう。お聞かせ願いたい」

「いいでしょう。まず前提知識として知っておいてもらいたいことがある。先の帝国軍侵攻の際、ミッターマイヤー・ロイエンタール両提督の指揮する艦隊が惑星ハイネセンの上空に現れ、同盟政府が降伏勧告を受諾した時のことです。意味があるとも思えないが形式的には一応協力関係にあったわけだし、われわれが降伏を決定したのにそれを伝えないというのも不義理な話と思うから銀河帝国正統政府にそのことを伝えるように言われ、正統政府首相レムシャイド伯爵、そして皇帝エルウィン・ヨーゼフ二世と対面して同盟政府の降伏決定の意を伝えました。それから二〇分、いや、一〇分くらいだったでしょうか。帝国軍が降下してきて、正統政府のビルを包囲したのは。ですが、それなのに皇帝を帝国軍が捕縛できなかったのは奇妙なことと思ったものの、その時は深く考えませんでしたがね」

 

 同盟政府が降伏勧告を受諾してからそういう命令を受けたのは嘘ではないが、オーデッツが行くより先に帝国軍が正統政府のビルを包囲してしまっていたために伝えることはできていないし、本当に皇帝がいたのかは知らない。そんなことより重要なのは正統政府のビルを包囲した部隊の存在であり、だからこそ包囲寸前には皇帝がいたということを信じさせることである。

 

 その隠れた意図は十二分に伝わったというべきであろう。彼は会議の席でロイエンタールに公然と面罵されてからというもの、内国安全保障局長としての激務の中で時間をつくっては、あの金銀妖瞳(ヘテロクロミア)の元帥の行動記録資料を収集して弾劾できそうな行動をしていないのかと粗探しに熱中していたので、正統政府のビルを包囲した部隊はロイエンタールの直接指揮下にあったことを知っていた。オーデッツにとっては、自分の尋問官がラングであったことは幸運というべきであったろう。しかしラングは表面上、困惑した表情を浮かべた。

 

「奇妙といえば奇妙かもしれませんが、包囲されるまでに一〇分もあればそれまでに逃げ出した可能性も充分に考えられる。それほど不自然な話でもない」

「ええ、私もそう思っておりました。しかしこのフェザーンに来て、それと繋がることを知りましてね」

「ほほう、それはなんですかな」

「われわれは皇帝陛下との撤兵交渉にのぞむべく、遠路はるばるこのフェザーンへやってきたのですが、既にフェザーンに居らぬことを知って途方に暮れておりました。一応、軍務省に顔を出しまして抗議文を提出しましたが、現在にいたるまで何ら反応もなく、どうしようもないと途方に暮れ、特使団全体が自暴自棄に陥り、各々の方法で現実逃避に走りだしました。困ったことに、この惑星は歓楽街が多いので、快楽に逃げる方法に事欠かなかったので、おおいに無意味な散財をしましたとも。ですが数日後、団員の一人が絶望から逃げるために豪遊していた時に怪しい二人の密談を聞いたのです」

「怪しい二人ね。具体的な特徴は?」

「片方はどことなく高貴な雰囲気をまとった端正な顔立ちの女性で、もう片方はフードで顔を隠した黒人、ないしは焼けた肌の男です」

「それで密談とは」

「男が“あの金銀妖瞳(ヘテロクロミア)はいつになったら皇帝陛下を擁して起つのだ”と問い、女のほうが“今はまだ機ではない”と冷たく言い返す、そしたら男は“このまま機を待ち続けている間にわれら同志たちは金髪の孺子にすり潰されてしまうぞ!”と憤懣やるかたない態度だったそうです。私はこの話を聞いた時、どう考えてもおかしいと思い、それで同盟降伏時の一件を思い出してハッとしたのです。実はロイエンタール元帥は秘密裏にエルウィン・ヨーゼフ二世を匿っており、機をみてゴールデンバウム王朝復興の御旗を掲げて主君に叛逆するつもりなのだと。そしてこの情報を同盟政府が帝国に伝えたということになれば、その貢献によって今回の同盟の不義理を相殺する形で帝国軍を撤兵して頂けるのでは思い、その叛意を告発したのです」

「大胆な推測、いや、いっそ妄想というべきですかな。具体的な証拠がなにひとつとしてないではありませんか。だからこそ、人騒がせな噂を流すという卑劣な方法をとったのでは?」

 

 ラングの冷ややかな問いに、オーデッツはかすかに苦しい表情を浮かべたが、すぐに反論した。

 

「このような手法をとったのは私としても不本意でしたとも。ですが、馬鹿正直に軍務省のロビーでそのことを訴えたところ、冷笑されるだけでしたので。常ならばそれで諦めたかもしれませんが、今回はわれわれの祖国の存亡がかかっている以上、人騒がせな方法をとっても上層部に知ってもらわねばと覚悟したのです」

「……なるほど」

 

 ラングは硬い表情を浮かべ、硬い声でそう打ち切った。

 

「特使殿の証言はよくわかりました。とりあえずこの一件が終わるまで、証人として拘束させてもらいますぞ」

「それはけっこうです。それでロイエンタール元帥の叛意については理解していただけましたかな」

「お言葉ながら、国家の重臣への重大な疑惑ですぞ。ことは内密に調査をすすめる必要があり、いかに証人とはいえ、その方針を語るとでも?」

「……………………ごもっともです」

 

 オーデッツが尋問室から退室させられた後、傍聴していたフェザーン支部長メルゼ・フォン・シェレンベルクがラングに直言した。

 

「あまりにも漠然とした疑惑で、さらには確たるものが見当たらない証言です。あの男の言っていたことがすべて真実であると仮定したところで、祖国救済の情熱からきた視野狭窄による錯覚からきた疑惑でしかない可能性が高いように思われます」

 

 証言の信頼性に欠けているという支部長の意見に、ラングは頷きつつも反対の意見を述べた。

 

「だが、筋は通っているだろう」

「……内国安全保障局の現王朝における内国安全保障局の立場を考えますと、これほどまでに証拠不十分な状態で調査を継続するのはリスクが大きすぎるのではないでしょうか」

 

 上司が会議の席においてロイエンタールに侮辱され、そのことを引きずっていることを知っていたので、シェレンベルクはいつもの冷静な判断力が失われていないかと危惧していた。社会秩序維持局の頃ならばこれでも強行しようと思えばできたであろうが、いまはそうではないのだ。長官が私怨ゆえに暴走しようものなら、部下もまた現在の職を失いかねないので保身のために諫言しなくてはならなかった。

 

 もちろんそのあたりのことはラングも充分に承知している。もとよりそれを強く認識していたがためにあのオーベルシュタインの面接をパスして新王朝の秘密警察トップの地位を与えられたのだから。しかしロイエンタールへの報復のためにも、ラングはこの疑惑を屈辱を晴らすためにも有効活用したいところである。とはいえ、シェレンベルクの不安もわからないではない。ラング自身、オーデッツの証言はいろんな意味で都合が良すぎて胡散臭いと感じていたこともあり、強行する気はない。そこで老獪な方法をとることにした。

 

「わかっている。だが、この疑惑が本当だった場合のことを考えてみろ。地球教の皇帝暗殺の企てをまったく察知できなかった上、統帥本部総長の叛逆の企てすら見逃していたとあっては、内国安全保障局の立場がない。用心深くその可能性に備えておくべきだろう」

「……では、どうなさると?」

「司法省にありのままを報告する」

 

 そうしておけば、もし万一ロイエンタールの叛意が確かなものとなったところで、その責任は報告を軽視した司法省にあるのであって、内国安全保障局はちゃんと職務を遂行していたとして、立場を守ることがかなう。そして司法省から調査続行の必要性が認められれば、法的な手続きを踏んだうえで調査を継続でき、叛逆疑惑を固めることもできるだろう。ラングは憎悪と偏見から、あのロイエンタールの周辺を事細かに調べ上げれば、後ろ暗いことがないわけがないと決めつけていたのである。

 

「余計な注釈をつける必要はない。同盟政府特使がロイエンタール元帥の叛意について証言していて、まったくの虚偽と断定することは難しいくらいには筋が通っているので、司法省の許可を得た上でさらに踏み込んだ調査を行い、もって疑惑の真贋を確認する必要があるのではないかと当局は考えている。そういう趣旨の内容で良い」

「なるほど……それならやっておくべきですな。すぐに書類を作成します。それで軍務尚書にはどのように報告なさいますか」

 

 帝国の官僚組織図上では何ら関係がないことになっているのだが、内国安全保障局の事実上の上司がオーベルシュタイン軍務尚書であることは局内の共通認識である。だから当然の問いであったのだが、ラングは言葉を濁した。

 

「……この程度であれば日常業務範疇内であろう。司法省の調査続行の許可が下りた段階で報告すればそれでよい」

 

 旧王朝下の暗闘上等の権力闘争を巧妙な官界遊泳術で生き抜き、若くして社会秩序維持局という帝国有数の巨大組織の頂点に君臨してのけたラングである。その鋭い嗅覚は軍務尚書がロイエンタールを統帥本部総長という重職から失脚させたがっているということを敏感に嗅ぎつけていた。しかしながら確実性を重視する軍務尚書の人柄と新王朝全体の秩序意識から考えると、この行為を制止する可能性を否めない。

 

 だからここは軍務尚書に報告しない。司法省が調査の必要性を認めているという既成事実を先につくってしまえば、新王朝全体の秩序意識を考慮し、軍務尚書もあえて制止するということはしないだろう。もし司法省が調査の必要性を認めなかったならば……ここは潔く引き下がり、次のロイエンタールを攻撃できる機会を待つよりほかにはない。

 

 だが意外なことに――ラングにとっては幸運なことに、司法尚書ブルックドルフは内国安全保障局からの報告を見て、自身がフェザーンに乗り込んで直々に調査することを即断した。もともと私人としてロイエンタールの漁色家ぶりを好ましく思っていなかったのはたしかだが、ロイエンタールの弾劾に加担したのはそれと関係がなく、公人としての義務感からであった。

 

 軍人皇帝の下、軍部独裁の色彩が強い現在の状況にブルックドルフは危惧を抱いていたのである。いずれは官僚と軍部の均衡をとらなくてはならず、軍部に対する司法省の優位をたしかなものしておきたかった。そのためには軍部の最重鎮たるロイエンタール元帥を弾劾して軍人どもの増長をへし折ることは、非常に有意義な事であるように思われた。さらにいえば、現在まで宇宙の中心であったオーディンより、未来の宇宙の中心となるフェザーンに居場所を確保しておきたいという打算もあった。

 

 そうした思惑があって、ブルックドルフは喫緊の仕事を終わらせ、一二月二日にオーディンを起った。これはまさに幸運というべきで、もし翌日までずれ込んでいたならば貴族連合残党によるヴァルプルギス作戦によって、ブラッケやゼーフェルトと同じようにマールブルク政治犯収容所で死んでしまっていたかもしれない。

 

 そうした混乱もあったためにブルックドルフはオーディンに戻って混乱した法秩序を再編する必要があったこともあり、フェザーン入りは予定よりも大幅に遅れて今年の二月なかばとなった。来ると返事をしておきながらなかなか来ないことにやきもきしていたラングの協力と、オーベルシュタインに事の次第への了解を得て、早速ロイエンタールの身辺調査を開始した。そして、いささか拍子抜けするほど容易に、エルフリーデ・フォン・コールラウシュという女性の存在をつきとめてしまったのである。

 

 内国安全保障局が調査したところ、エルフリーデなる女性は帝国軍最高司令官暗殺謀議による大逆罪によって逮捕された元帝国宰相クラウス・フォン・リヒテンラーデ公爵の姪孫(てっそん)(姪の娘)にあたる。そしてリヒテンラーデ一族は一〇歳以上の男子は処刑され、それ以外は辺境に流刑というのがラインハルトの決定であったはず。そんな女をロイエンタールが匿っていたと知って、ラングは興奮を隠そうにも隠せなかった。内国安全保障局として堂々とロイエンタールを弾劾できる物証を掌中におさめたも同然だからだ。

 

「ロイエンタール元帥は、自邸に、故リヒテンラーデ公爵の一族を匿っている。あきらかに陛下の御意に背いておられる。大逆に類するといって過言ではありません」

「どうだろうか……」

 

 ラングはそう言ってまくしたてたが、ブルックドルフは複雑な表情を浮かべて、必ずしも同調しなかった。それがとてもじれったく思い、わけを尋ねたところ、

 

「別に庇い立てしようというわけではないが、ロイエンタール元帥ともあろうものが、叛意の証拠となりえる女性を自邸に匿うなど迂闊すぎやしないだろうか。万事、あっさり進み過ぎているような気がするのだ」

「……帝国元帥の権威を過信していたということもありえましょう。信じがたい気持ちも理解できなくはないですが、証拠がすべてかと」

 

 ブルックドルフは不愉快そうに顔をゆがめた。証拠捏造と法律の恣意的解釈は旧王朝下における社会秩序維持局の十八番(おはこ)であり、そのことを潔癖な法律家として嫌悪していた。そのことを知らないわけでもないだろうに、元社会秩序維持局長官が厚顔にもそのようなことを宣うのだから、どの口が言う、という感情もわいてくるというものだ。

 

 とはいえ、ラングの言う通り、法律家として信じるべきものは現実に起こる現象、法律と証拠のみである。となれば気になるのは、そのエルフリーデなる女性を本当にロイエンタール元帥が匿っていたのか否かという点である。それを確かめるために直接彼女から事情を聴収することにしたのだが、エルフリーデはどこか高慢な態度をとりながらも素直に聴収に応じた。すると彼女がロイエンタール元帥の確かな愛人であることが証明され、しかも身籠っている事実が判明したのだ。

 

「私が子を身籠っていることを告げると、あの人はそれを祝福してより高きを目指そうと言ってくれました」

「……たしかか、それは」

「ええ」

 

 あまりのことにブルックドルフはかすかに狼狽したが、ラングとしてはすぐさま歓喜の舞を踊りだしたい気分であったろう。大逆を犯して流刑になった娘を匿うばかりか、情を通じた上に子を成して簒奪を示唆する発言までしていたというのだ。もはや、弾劾しないほうがおかしいことである。

 

 個人的な報復感情を暴走させながら職務的には正しい行動をラングは開始した。まず最初に、ブルックドルフからロイエンタール弾劾の権利をもぎ取った。ロイエンタールはあきらかに皇帝の御意に背く言動をしているが、成文化されている帝国法に背いているというわけではないので、司法省が法によって断罪することはできず、すべては皇帝の意向次第である。そしてこのような仕事は内国安全保障局の管轄するところである。

 

「よって内国安全保障局が弾劾文を作成して大本営に報告いたしますので、司法尚書閣下におかれては協力者としてその弾劾文に副署して頂きたく存じます」

 

 表面だけは恭しい態度でそう要請され、内務省の一部局の報告書に司法尚書が副署するなど司法省の立場がないとブルックドルフは内心歯噛みしたが、理屈の上ではラングが正しかったのでその要請をいさぎよく受諾するしかなかった。




個人的にオーデッツは好きです。いやあいつ、末期同盟に大量に居た体制の太鼓持ちのくせに、無駄に度胸と行動力ありすぎでしょう。正直言って、トリューニヒト派政治家でハッキリと記憶にあるのネグロポンティとアイランズとこいつしかいない。


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自由惑星同盟滅亡前後譚

ネカフェで久しぶりに20世紀少年を読み直してみた。
……「ともだち」を地球教陣営に放り込んでみたくなった。


 宇宙暦(銀河連邦成立を一年とする暦。連邦の正統後継国を称する自由惑星同盟でも使用されている)八〇〇年、新帝国暦二年二月二日、自由惑星同盟軍統合作戦本部長ロックウェル大将の名において帝国軍大本営に対して無条件降伏を宣言した事実は、帝国軍の広報機関を通じて速やかに全人類社会に伝えられ、いまだ帝国軍の占領下になかった地域の同盟軍将兵及び同盟市民に深い衝撃をあたえた。

 

 帝国軍の謀略ではないかと疑った者も少なくなかったが、同盟軍の正式な通信経路で降伏が偽りではないということが全軍に伝えられていることが明らかとなると、ほとんどの軍人は抵抗の意欲を失ってそれぞれの身の処し方を考え、なお抵抗の意欲を失わなかったものは独立したエル・ファシルへの合流を目論んだ。各星系の地方政府の文官たちは役立たずの軍への愚痴もそこそこに、進駐してくるであろう帝国軍に対してどのように対応すれば、民間生活を維持できるかと頭を悩ませる。同盟の滅亡を所与の前提として、未来に向けて行動し始めたのである。

 

 しかし首都星ハイネセンにかんしては、いささか状況が異なった。というのも軍部が戒厳令の名の下に、最高評議会ビルや恒星間通信センターなどの政治・交通の要衝を占拠して徹底的な管理支配下におき、しかも矢鱈と軍人たちが高圧的に振る舞ったことで、まるで四年前の救国軍事会議のクーデターのようではないかと民衆の間に戒厳令への不満が吹き荒れたのである。

 

 それが暴動に発展することを恐れたロックウェル大将は「降伏に際しての不測の事態に対処するため、最高評議会の要請を受けての一時的措置である」と首都星の民衆に向けて説明した。だが、それから一時間もせぬうちに過激国粋主義団体“憂国騎士団”が「統合作戦本部の発表は虚偽欺瞞に満ち満ちている。ロックウェルとその飼い犬どもが命惜しさに帝国追従行動に走り、最高評議会を排除してかかる売国的行為に及んだのが真相である。信頼できる情報筋によれば、われらが国家元首ジョアン・レベロ氏はすでにこの恥を恥とも思わぬ卑劣な売国集団に暗殺されているという。国家存亡を占うこの重要な時期にあって、全人類が未来永劫許し得ぬ大罪を犯した者どもをどのように処すべきであろうか。誇りある真の国民であれば、言われるまでもなく自明であろう」という正面から相反する趣旨の本部声明を発表し、全団員と賛同者を動員して約二〇万人を結集させ、統合作戦本部政権への大衆闘争に乗り出した。

 

 これに対して統合作戦本部は「悪意ある捏造・歪曲・中傷の類。彼らこそ、自由惑星同盟の終焉を汚そうとしている」と述べただけで有効な反論ができなかった。実際、憂国騎士団の発表が真実をついていたからであり、ロックウェル大将は同盟領全体に真実が知られて収拾がつけられなくなる事態を恐れ、恒星間通信ができる施設の防御を固め、防衛部隊に死守命令を出した。それは憂国騎士団の発表こそが正しいと認めている行為であると、無言のうちに民衆に知らせるに等しい行為でもあった。

 

 かくして首都星に残っていた軍人たちは、軍を重視して進駐してくる侵略者たちのために国家元首を殺した者どもの命令に指揮系統通りに従って反帝国の声をあげる憂国騎士団の趣旨に賛同して挑戦してくる民間人を弾圧するか、あくまで国家を重視して卑劣な軍から脱走してロックウェルらに鉄槌を食らわせて帝国軍相手に民衆もろとも玉砕する道を開くか、究極の二択をつきつけられた。ここまで事態が逼迫してしまった以上、それ以外の中途半端な選択肢はありえない。現在の統合作戦本部政権を打倒して同盟を指導しようとするであろうのは、同盟領の寸土にいたるまで焦土と化しても最後の一人に至るまで悪逆なる侵略者と果敢に戦い、自由と民主主義の精神は何者にも征服されなかったという不朽の事実を歴史上に刻み込むべし、と、開戦以来主張してきた憂国騎士団とその類似勢力であるに違いないのだ。

 

 結局、圧倒的大多数の軍人たちは心底不満ながらロックウェルの命令に従った。玉砕を覚悟していた過激派軍人であってもここまで状況が混沌としていては軍が一致団結しての抵抗活動を統制するのは難しく、帝国軍の進撃の障害にすらなれないのではないかという危惧。すでにアレクサンドル・ビュコック元帥が残存の艦艇戦力を結集して帝国軍相手に散華していたから、それで最低限の同盟軍の名誉を守れたのではないかと思えたこと。さらに憂国騎士団が時々の政権に癒着して横暴を働いていたことから民衆から嫌われており、彼らが主体となって新政権を構築しても民意を得られないと考えられたことなどが理由として考えられる。なによりロックウェルが保身に走ったせいで徹底抗戦路線はできなくなったということにしてしまえば、軍人としての矜持をあまり傷つけずに命永らえることができるという無意識下における打算もあっただろう。

 

 同月九日、銀河帝国皇帝ラインハルト一世率いる帝国軍はなんの抵抗もなく、首都星ハイネセンを堂々と凱旋した。その際、市民による暗殺未遂が一件あったのみで、なんら抵抗を受けることはなかった。自己の生命すら捨て去る覚悟があった徹底抗戦勢力は、本来敵であるはずの同盟軍によって首都星ハイネセンから一掃されるか、地下に潜ること余儀なくされていたからである。まったく皮肉というしかなく、長征一万光年(ロンゲスト・マーチ)の末に民主共和政体を復活させた建国者たちが死後の世界でこのことを知れば、滅ぶにしても滅び方というものがあるだろうとさぞ嘆くに違いない。

 

 同盟の民衆にとってささやかな救いとなったのは、ロックウェル大将以下一一人の叛乱将校グループは帝国軍が進駐してきた初日に公開銃殺刑に処されたことである。当然、ロックウェルにとっては不本意で理不尽に思えたことであろうが、上司を暗殺した上に民衆を弾圧した卑劣な輩など他に遇する道など帝国軍は知らなかった。さらに同盟軍戦死者遺族及び傷病兵に対して帝国軍のそれに準じる形で遇することをはじめとして、所属に対していっそ無分別ともいうべき寛大さをラインハルトがしめしたため、侵略者への反発や祖国滅亡の悲嘆などが奥底にたゆたってはいたが同盟民衆は釈然としないながらも帝国軍の占領を渋々だが受け入れていった。

 

 二〇日にラインハルトは冬バラ園の勅令を公布した。それは同盟が完全に滅亡したこと確認し、人類社会を統治する政体は、唯一銀河帝国政府のみであるという内容のもので、事実上の勝利宣言であった。こうして宇宙暦五二七年、旧帝国暦二一八年に建国された自由惑星同盟は二七三年間の歴史に名実ともに幕を下ろしたのである。

 

 翌日、ラインハルトは接収して仮の大本営としたホテルに最高幕僚を参集した。それは先の親征の際、同盟征服に驀進する帝国軍の隙をつかれ、またもや奇策でもってヤン艦隊に奪取されたイゼルローン要塞を、自ら出陣して攻略する意志を諸将にしめすためであった。

 

 統帥本部総長ロイエンタール元帥は若い主君の衰えぬ覇気を好ましく感じたが、近衛部隊を中心とする反動クーデターのために帝国政府が混乱している今、皇帝親征を継続することは危険であるとして、イゼルローン要塞攻略は自分たちに任せて皇帝はフェザーンに戻り、国家体制の再整備を行うよう諫言した。ロイエンタールの親友であり、宇宙艦隊司令長官であるミッターマイヤー元帥もそれに和したが、若き偉大な征服者の意志は揺らがなかった。

 

「卿らの武勲を横取りする気はないが、予はヤン・ウェンリーと決着をつけたいのだ。あの男のほうでもそう思っているだろう」

 

 もしヤン・ウェンリーがこの発言を聞いていたら、別にこちらは常勝の英雄相手に決着をつけたいと思っているわけではないとでも言ったかもしれないが、そんなことは帝国の主要陣の関知するところではなかった。

 

「陛下、両元帥の仰るとおりです。どうぞひとまずフェザーンへお帰りください。陛下がいらっしゃればこそ、フェザーンは安定し、全宇宙の中心として礎を固めることができます」

 

 そう発言して両元帥の援護射撃したのは、皇帝筆頭秘書官ヒルダことヒルデガルド・フォン・マリーンドルフである。反動クーデターによって損害を被り不安定化していることもさることながら、フェザーンも帝国領に正式に編入してから一年近くしか経過しておらず、いまだ帝国に自治権を奪われたことに否定的なフェザーン人が少なくないことや前自治領主アドリアン・ルビンスキーなどの不穏分子が地下に潜伏しているなど、問題要素がある。

 

 もちろん、フェザーンを新たな帝国首都とする構想のために常に重視してきたし、軍中枢をフェザーンへ移してからは工部尚書兼帝国首都建設本部長官ブルーノ・フォン・シルヴァーベルヒを中心とする開発統治体制を敷き、軍務尚書パウル・フォン・オーベルシュタインが治安面を受け持っているが、皇帝の帝国領長期不在に付け込んで地下に潜伏している者たちが蠢動し、新帝国を揺らがす危険性は否定しきれない。

 

 もちろんラインハルトもそのことはわかっている。だが、それでもこの機に自分の手でヤンを倒し、全人類社会を征服してしまいたい誘惑にかられていた。くわえて、それを正当化しうる要素もいくらか見つけてしまっていたのである。

 

「慎重も度が過ぎれば優柔不断のそしりをまぬがれぬ。イゼルローンを失って予がそのまま帰路につけば、反帝国勢力は予がヤン・ウェンリーに不戦敗したと思い、彼を偶像視してその周囲に結集するだろう」

「陛下、お考えください。ヤン・ウェンリーが戦術レベルで万全を期すのであれば、イゼルローン要塞にこもって堅守するしかありません。それは回廊の両端をわが帝国軍の支配にゆだねることとなり、戦略レベルにおいてなんらの効果をもたらさぬこととなります」

「迂遠なことを言う。ヤン・ウェンリーはすでにエル・ファシルを占拠し、回廊の出口をおさえているではないか」

「さようでございます。ですけど、この場合、戦略レベルの条件をみたすことは、戦術レベルにおいて過度のささえ要求することとなります。ヤン・ウェンリーの戦力はもともとイゼルローン要塞のみを防衛するにも不足しがちなのです。その過小の戦力でもって、エル・ファシルまでも軍事的に確保し安定させるのは、困難の極といわねばなりません」

「なるほど軍事的には道理だ。だが、われわれとヤン・ウェンリーでは政治的な前提条件が異なる」

 

 ラインハルトは低く笑った。

 

「そもそもにおいて、エル・ファシルを軍事的に確保しておく必要は薄いと向こうは判断しておるかもしれぬ」

「なぜでしょうか」

「われわれが旧同盟領の恒久的支配を目的としているからだ。そうである以上、民間人を巻き込んだり、非戦闘員を狙って殺傷するがごとき行為は可能なかぎり避けねばならぬ。予の矜持が許さぬのもあるが、それが帝国に対する憎悪と敵対意識を育て、後々の統治に大きな支障をきたす禍根になることは明らかだからな。そして、エル・ファシル独立政府の指導者らはトリューニヒトのような下衆と違い、生命より矜持を選ぶような人物であるという情報部の分析がでている。となると、艦隊の砲口をつきつけたとしても折れはすまい。むしろ、そうした行為を卑劣と旧同盟民衆から捉えられ、強い反発を生むであろう」

「ですが、ヤン・ウェンリーがそういった民衆を盾にするがごとき戦法を是とするでしょうか。くわえて、いくらわれわれが被占領民に寛大であらなくてはならないとしても、政治的指導層に寛大である必要はありませんわ。処刑することはないにしても、無用な策動をせぬよう拘禁するのは妥当でしょう。それは民主主義的に理想の軍人であることにこだわっているヤン・ウェンリーにとって許容範囲内におさまるのでしょうか」

 

 ヒルダの疑念に、ラインハルトは愉快げに微笑んだ。

 

「たしかに。だが、エル・ファシル周辺の有人惑星は、ファイアザードの一件で明らかなように、ここ数十年にわたって主戦場となっていた区域であるだけに民間レベルで反帝国意識が強い。下手にそのような行為をすればエル・ファシルの民衆全体と敵対しなくてはならなくなるやもしれぬ。民衆を殺戮し恐怖による統治を是とするルドルフのような男ならいざしらず、予はそのような愚行をする気は無い」

 

 ラインハルトの言うファイアザードの一件とは、帝国軍が占領した惑星ファイアザードで一〇日に起こった反帝国暴動のことである。諸説あるが、切欠は非番だった帝国軍士官達が皇帝ラインハルトが同盟首都ハイネセンを凱旋したことを祝して酒盛りしていたことだった。ほどよく酔いがまわってきた彼らは声を揃えて“滅共の咆哮”という軍歌を高らかに歌い出した。旧帝国歴四二年の皇帝ルドルフ一世の死を契機として発生した共和主義者の大反乱が起こった時期に作詞作曲された帝国軍歌で、同盟におけるイメージは戦争映画やドラマで大虐殺を行った帝国軍人たちが歌っているという最悪なものである。

 

 そんな軍歌を誇らかに大声で唱和する侵略軍の一団に、周囲の同盟人たちが不快感と反発をいだくのは当然のことといえただろう。そして勇気ある、もしくは無謀な同盟人の一人が顔を真っ赤にして「ここで忌々しい虐殺の歌を歌うな!」と憤激した。同盟人にとっては常識的で、しかもささやかな要求であったが、要求された側にとっては違った。任務の遂行と関係ないところで被占領民の反感を募らせるような行為は厳に慎むべき――そう帝国全軍に訓示されており、帝国軍士官たちも常ならばマズい事をしたと思い、素直に謝罪して穏便に事をおさめることを選んだかも知れない。だが彼らは酒にしたたかに酔っていた。そしてそれ以上に祖国の偉大な勝利に酔いしれ高揚していた。

 

 その気分を敗戦国の邪悪な共和主義者風情が水をさしたのである! かつてゴールデンバウム王朝において、共和主義者というのは無条件に殺すべき不逞の輩で、悪魔でも鼻白むほどの悪辣さと非情さでもって社会を混乱に陥れ、卑劣なテロリズムで指導者階級を良民ごと殺戮して恥じない連中であると臣民に教育していて、彼らもその偏見に多少とらわれていた。無論、士官として今の時代まで生き残れているので、開明的な現体制の気風にあわせてそうした感情を内心にとどめられる理性も持ち合わせていたが、万能感にも似た気分の高揚から理性より感情を優先してしまい、些細なことで難癖をつけてきた共和主義者への怒りと敵意しか湧いてこず、批判してきた同盟人を罵倒しかえした。

 

 そのために破局は当然の帰結だった。あまりにも傲岸な帝国軍士官グループの態度に、遠巻きに見ていた同盟人たちも怒り、非難の声をあげはじめた。下賎な敗戦国民が図に乗るな!と帝国軍士官の一人が批判者に暴力を振るうと、民間人の一人が懐からブラスターを取り出してその士官を銃撃。仲間の血を見た帝国軍士官たちは、身の程をわきまえない共和主義者どもを徹底的に膺懲(ようちょう)してやろうといきりたって銃を抜き、多くの民間人が銃殺されたのである。

 

 銃撃戦が起きた段階で酒場から逃げ出した一団が、大声で他の者たちにそのことを触れて回った。多くの者たちは不安に思い、おとなたちはかつての帝国軍がこの惑星を占領した時の惨劇を連想した。占領者として帝国軍人たちが暴れまわり、怯えて暮らした時代の情景をありありと思い出した。今回の場合、帝国軍は紳士的な態度をとっていたので、虎の尾を踏むべからずと多くのファイアザード市民は考えていたが、帝国軍士官が死ぬような事件が起こってなお、それが維持されるとは考えられなかった。必ずや報復的な行為がなされるはずに違いない。そう考えた彼らは次々に武器を手にして自発的に蜂起した。

 

 もとより同盟領の中でも帝国への不信と嫌悪が強い方の土地柄である。そこに一度切欠となる火矢が放たれると、燎原の炎のごとく拡大し燃え上がったのである。最初は数十人程度の規模にすぎなかった暴徒の数が、見かけた帝国軍人を血祭りにあげていくうちに膨れ上がっていき、わずか三時間程度で約一五万にまで拡大した。彼らは口々に「エル・ファシルに続け!」「ヤン・ウェンリー元帥とともに帝国軍を追い出せ!」と連呼し、自由惑星同盟の国歌を口ずさんで行進した。これを受けて帝国軍の現地駐屯司令部が武力による民衆蜂起鎮圧を検討したのは職務上当然のことであったが、ファイアザード星系政府の面々が仲介に立ち、民衆暴動の沈静化に乗り出したため、民衆から憎悪されることを避けるために星系政府に協力して事態をおさめた。

 

 しかしファイアザード星系政府も決して帝国に好意的であろうとしたわけではない。むしろ彼らの感情は民衆側に寄っていた。ただ単に、星系政府の独立性を維持して民衆の安寧を守るために蜂起を選択するのは、現在の帝国軍の圧倒的優位を思うと最終手段にするべきであって、今はヴァラーハ等の旧主戦派星系と足並みを揃えて雌伏しておくべきと冷静に判断しただけにすぎない。このように民衆と帝国の間でバランスを取って立場を強化する狡猾で強かな政治家が複数いる。これは帝国にとって大いに憂慮すべきことであった。

 

「このままの状況を捨ておくのは危険だ。やつらの心の拠り所がエル・ファシル、いや、究極的にはヤン・ウェンリーが起こしてきた奇跡であり、またもやイゼルローン要塞を陥落させた事実であり、予を打倒しうる可能性を秘めているからだというのであれば、それが所詮は儚いものであると予がヤン・ウェンリーを倒し、イゼルローン要塞を再奪取して思い知らせてやらねばならぬ。それで連中の大半も諦めがつき、イゼルローン回廊からこちら側よりの宙域一帯を早期に安定化させることができよう」

「陛下の仰ることもごもっともながら、本国政府に不穏がある今、短期決戦を狙うのは不安がおおくはございませぬか」

 

 皇帝首席副官アルツール・フォン・シュトライトの懸念を、ラインハルトは鼻で笑った。

 

「帝国の存続だけを考えれば卿が正しいやもしれぬな。だが、先も言ったように予がこのまま帰路につけば、旧同盟領内の反帝国勢力は予が恐れて逃げ出したとみなすに相違ない。そしてそれは現地の民衆がより強固に反帝国意識を持ち、指導層と一蓮托生の関係になることを決意させかねん。早期にやつらの心の拠り所をへし折らねば、最悪の場合、イゼルローン方面は民衆の支持を得た反帝国のゲリラが跳梁跋扈することとなり、帝国の統治を行き渡らせるには多くの民間人を巻き込んで流血を招くこととなる。そうなってもゴールデンバウム王朝の皇帝どもならば気にせずに強行したであろうが、予はそのようなことを望まぬ」

 

 結局、この日の会議では結論が出なかった。今の本国の不安を考えて皇帝をフェザーンに戻すか、将来に禍根を残さぬために皇帝親征を継続するか。最高幕僚たちは容易に判断できなかったのである。もちろん、万全を期すのであればここで一旦親征を中断するのが正解なのであろうが、皇帝の指摘と親征継続への熱意を思うと、ここで中断したらしたで別の問題が生じうる懸念を最高幕僚たちはせざるをえなかったためでもある。

 

 最高幕僚だけでは結論が出なかったので、ラインハルトは大本営の全将官を集めて連日会議を開き、帝国軍将官たちの心を親征継続へと傾けていったのだが、唐突にイゼルローン方面への出兵の延期を告げた。二六日の深夜にフェザーンから内国安全保障局長ラングと司法尚書ブルックドルフの名でロイエンタールの叛意を告発する報告書が皇帝の手元に届けられ、ひとまずその審問を優先することになったためである。この現象を引き起こすために必死で活躍した自由惑星同盟国防委員会委員オーデッツの、自分の弁舌で帝国軍を止めるという目的がこの時達成されたわけであるが、肝心の守るべき祖国がすでに滅んでいたのは残念なことであったろう。

 

 ロイエンタールが流刑に処された一族の娘を匿っていた問題に対してどのような処罰をあたえるべきか翌朝から審問が開始された。が、弁明の場でロイエンタールから告発内容は事実であり、軽率さを恥じるが、それを叛意の証拠ととられては不本意であると堂々と言われてしまい、ラインハルトは内心どうしたものかと戸惑った。

 

 正直なところ、ここまで率直な事を言ってきた時点で叛意がないことは明らかだとラインハルトには思われた。長い付き合い故、完全に理解しているわけではないにしても、ロイエンタールが単純ならざる性格の所有者であることも承知している。だからもしロイエンタールが本気で反旗を翻すのであれば、こんな馬鹿正直に事実を認めることもあるまい、という奇妙な信頼をしていた。だから叛意についてこれ以上問答するつもりはない。だが、さすがに自分が直々に決定した相手を私邸にかくまっていて無罪放免というわけにはいかない。そんなことをしてしまえば、皇帝としての権威にかかわる。となると、どのような処分を下すかが問題となる。ロイエンタールは得難い人材なので悩ましいことであった。

 

 問題行為をした名将にたいし皇帝がどのような決断を下すであろうかと不気味な静寂が帝国軍全体に流れていた三月一日の午後一〇時。後の世にいうところの“ハイネセンの大火"が発生する。夜が明けて暁の光がハイネセンポリスを照らすまで続いたこの大火災の損害は、焼失面積が一八〇〇万平方メートル以上に及び多くの歴史的建造物が灰燼に帰した。このため、勝ち誇った帝国軍が旧弊を一掃しようとして放火したのだとハイネセン市民の間では噂された。旧同盟軍残党によるテロ行為をという噂もあったが、こちらはあまり支持をえなかった。大火の混乱に乗じての反帝国暴動がたいして起こらなかったからであるが、それは現場指揮に当たったミッターマイヤーを中心とする帝国軍諸将の沈着な指揮ぶりと、統帥本部総長としてロイエンタールが綿密に配慮して策定していた緊急事態処理の教本(マニュアル)があったため、帝国軍将兵が効率的に行動して動揺しなかったためである。

 

 とはいえ、それらはすべて混乱につけこんでの突発的暴動にすぎなかったと知って、ハイネセンの首都治安を任されていた憲兵副総監ブレンターノ大将は困惑した。もし大火がいずこかの反帝国勢力による計画的犯行であったのだとすれば、組織的蜂起があってしかるべきなのにそれがなかったからである。そして数時間後に火災原因を特定した憲兵隊からの報告を受けて、途方に暮れざるを得なかった。なんでも旧同盟軍から鉱山開発用に民間に払い下げられたゼッフル粒子発生装置によって下空間に可燃性の危険粒子が充満してそこに引火したというのが原因であり、おそらくは同盟政府崩壊の混乱の中でスイッチをオンのまま工事にあたっていた者たちが逃亡してしまったためであると推測されたからだ。

 

 とどのつまり失火であったのだが、帝国軍にとってはタイミングが最悪であった。被災規模もあって、第三者視点ではなにかしらの意図があってのことに違いないようにしか見えない状況であり、失火という真実を発表してもハイネセン市民は信じないだろうし、帝国軍が侵略者として破壊を行なった行為を隠蔽しているととられる可能性すら濃厚である。さらには帝国軍にあってさえ、旧同盟勢力による放火と信じている者が多いのだ。そうなると人心の安定のためには、放火犯を特定して吊るし上げるしかないのだ。存在しないにもかかわらず、万人が「やつらならやってもおかしくない」と納得がいく放火犯を。

 

 だれを犯人として捏造し検挙するか、憲兵隊は熟考した。今後の支配統治を考えると、帝国軍の過激分子を犯人とするのは難しい。となれば、旧同盟勢力の組織を犯人としてしまうのが帝国にとってはおさまりがよいのだが、弾圧することによってその組織が反帝国の象徴として祭り上げられてしまう可能性を下げる必要があった。やがていくつかの犯人候補の中から憂国騎士団残党を放火犯に仕立てあげることが決定された。トリューニヒト政権下にあって猖獗(しょうけつ)をほしいままにしていたために同盟民衆に嫌われていて、なおかつ直近で降伏に納得せず蜂起した前科がある。さらに調査の過程で皇帝暗殺未遂を起こした地球教団と資金や人員の面で深い関係があったことが判明したため、放火犯に仕立てあげる事を別としても純粋に帝国にとっては検挙すべき対象であるとみなされたのだ。

 

 憂国騎士団員およびその関係者、約二万四六〇〇名が検挙対象とされたが、これが簡単にはいかなかった。トリューニヒト政権崩壊後、利益ゆえに好戦的態度をとっていた輩が姿を消し、残っていたのは筋金入りの反帝国思想者や狂信的愛国者ばかりだったので、帝国軍の強制検挙に武力でもって反抗した。そのため、五二〇〇名が帝国軍によって抵抗中に殺害され、一〇〇〇名近くが隙を見て脱出し、検挙できた二万足らずの団員も重軽傷者ばかりという散々な有様だった。しかし結果として、その勇猛さが逆に「本当に憂国騎士団の仕業だったのでは」と少なくないハイネセン市民に半信半疑ながら思わせることに成功したのだから、人心の安定という当初の目的を考えると大成功というべきであるのかもしれなかった。

 

 このような事態があったため、ロイエンタールへの処分通達は一九日までずれ込んだ。緊急事態処理教本の策定とその浸透によって、先日の大火の混乱を最小限にとどめた功績があらたにできたことから、おそらく軽めの処分ですむだろうと大本営に集まった軍の最高幹部は予想していた。しかし、皇帝の発表によって、一瞬その予想が裏切られた思いがした。

 

「ロイエンタール元帥、卿の統帥本部総長の任を解く」

 

 帝国軍三長官からの解任。それは諸将にとってあまりにも重すぎる罰であるように思われたが、続けて発せられたラインハルトの宣言で、ふたたびそれは裏返された。

 

「かわって卿に命じる。わが帝国の新領土(ノイエ・ラント)の総督として惑星ハイネセンに駐在し、旧同盟領の政治及び軍事のことごとくを掌管せよ。新領土総督は皇帝たる予にたいして責任を負うものとし、統帥本部にかんしては予みずからこれを統轄する。以上の人事は、イゼルローン要塞に拠るヤン・ウェンリー一党を屈服させたのちに発効する」

 

 ロイエンタールはうやうやしく頭を垂れて隠れた秀麗な顔には血がのぼっていた。これは処分などではない。事実上の昇格だ。軍務尚書オーベルシュタインと形式的に並ぶ地位になったのである。いや、皇帝の代理人として宇宙の半分を統治し、数百万の実働兵力を指揮下に置いて自分の権限だけでそれを動かすことが叶うのだから、実質的には帝国のナンバー・ツーになることが内定したといっても過言ではない。愚かしい真似をした自分を信じ、このような立場をくれた若い主君に、恐縮するばかりだった。




+滅共の咆哮
帝国歴四二年に初代皇帝ルドルフが没し、歴史的に見て強力な独裁者の死は体制内部に動揺を齎すのが常であり帝国も例外ではないと分析した共和主義勢力が、連邦復活を求めて帝国各地で決起し、それに呼応した民衆もあわせて五億人にものぼる大規模な反乱へと発展した。
しかしながら結果として彼らの分析は誤っており、ルドルフが生前に自分の死後の後継体制の準備をしっかりと整えており、帝国は寸毫も動揺することなく、反乱勢力の粉砕に熱中して圧勝した。この時期に作られた帝国軍歌がこれである。
「ルドルフが遺した帝国の秩序を共和主義の叛乱から守る」といった趣旨の内容の歌であり、そのため自由惑星同盟との戦争がはじまってから再び帝国軍将兵の間で人気が出て、盛んに歌われるようになった。
ローエングラム独裁体制が確立すると、あまりにも敵意を煽るような歌であると問題視され、歌われることが禁止されたが、それでも一部の将兵がこっそりと愛唱していたという目撃談は数多く、ファイアザードの暴動も火種はその歌の是非を巡って帝国軍と同盟市民が言い争っていたのが様々な要因によってエスカレートしていったという説が有力である。
以下、歌詞全文。

全人類が敬愛する超新星の英雄は、未だかつてなかった光輝ある栄光の新時代を切り開いた
その神々しき偉大な輝きをもって、未来永劫続く鉄壁の秩序を築き固める空前絶後の偉業を成した
反動旧弊の共和主義の畜生どもが私利私欲の欲望を満たさんと、轟々たる濁流如くに狂奔する!
残忍な奴らは再び無明の暗黒時代を復活させようと画策し、われらが家族を凌辱せんと熱狂す!
兵士らは使命感を胸に双頭鷲の旗の下に結集し、黄金樹の秩序を守るために出征して咆哮せん!
滅共! 滅共! 滅共! 反動の共和主義者を一匹残らず地獄に叩き落とすまで滅共と咆哮す!!
かくして兵士らは故郷に凱旋し、勝利の栄光を噛み締め、すべての民に誇らしく宣言するのだ!
共和主義には破滅の運命のみがあり! 大帝の遺せし帝国の秩序は何ぴとにも侵す事叶わぬと!!


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陰謀家たちの思案

 ロイエンタールにかんする不穏な噂がフェザーンで広まっていることは秘密組織も情報収集活動によって把握していたが、だからといってアルデバラン星系総督府に潜伏している首脳部はそれに対してなにかしらのリアクションをとろうとしなかった。所詮噂にすぎず、なにかが起こるとしても帝国軍内部で完結する可能性が高く、フェザーンに駐屯している軍高官の構成員がいなかったので、手の出しようがないと判断されたためで、注視しつつも傍観の姿勢をとっていた。

 

 二月に入ってからは、噂がたって数ヶ月経過しても帝国内の勢力図に異変の兆しもなかったので、噂はただの噂のままに終わったと見なしていた。なのに、唐突にロイエンタールが内国安全保障局と司法省から弾劾され、それを受けて憲兵隊によって収監されたという報告書があがってきたことにゲオルグは驚愕した。そしてその報告書を詳しく読み込んでいるうちにさらに驚愕し、しばらく口をあけたまま固まり、ついで顔から表情が消えて黙りこんだ。

 

 それはいつも飄々とした彼らしくない姿であったので、報告書を提出したブレーメは背中に氷の棒でもつっこまれたかのように縮こまる。総督府においては商務局長官として辣腕を振るい、秘密組織においても大幹部として扱われるようになって、半年以上経過しており、それにふさわしい自負も抱きつつあるが、それでもその地位はすべてゲオルグあってのもの。彼の意向次第で今日の自分の地位はあっさりと失われるし、秘密組織の情報を守るために自分の生命すら奪われる危険性だってある。自分に原因がないとしても、秘密組織の首領に尋常ではない態度を示されると恐怖から萎縮するのは当然と言えた。それは同じように控えている他の幹部とて同様だ。

 

「……いったいどうなされたのですか。ロイエンタールが弾劾され収監されたというのは確かに驚くべきことではありますが、それほど動揺することですか、ましてやロイエンタールの野心が付け入るべき隙にならないかと、閣下は気にかけておられたはずでは」

 

 緊張感漂う沈黙を振り払ったのは、警察時代よりゲオルグに仕えるシュヴァルツァーであった。

 

「あ、ああ、それはそうなのだが……説明するのも面倒だ。ほれ」

 

 自身の功利的忠誠心の対象が、初老の腹心に報告書を押し付けるように手渡すのを見て、ブレーメは冷が汗が止まらなかった。フェザーンに浸透している秘密組織構成員からの情報をまとめ、自分が報告書を作成したから当然内容を把握している。しかしそれは秘密組織にとって有益な情報しかなかったはずで、だからこそ意気揚々として報告書を提出したのだ。だがこの反応からすると、自分には気づけなかったが、なにかしら致命的な情報があったのでは?

 

 そんなことに気づかず、能天気に報告してしまったのだとしたら、自分の情報分析能力に深刻な疑義をもたれる可能性がある。様子を伺っていたが、シュヴァルツァーも驚愕した表情を浮かべたので、ブレーメは暗澹としてた気持ちになった。

 

「エルフリーデ嬢が、ロイエンタールの愛人ですと……? なにかの間違いではないのか」

 

 後半が自分に向けての問いであったので、ブレーメは首を縦に振って肯定した。その点については現地の情報提供者が念入りに確認済みである。そして彼の主人であるゲオルグの父方の祖父とエルフリーデの母方の祖父が兄弟であり、その続柄が又従兄弟(またいとこ)であることもわかっている。だが、だからといって、いったい何の問題があるのであろうか。

 

 ゲオルグはリヒテンラーデの家名に執着する一方、その一門一族にかんしてはとても冷淡なところがある。一度、新参幹部が流刑地にいる一族の生活を支援する計画案をゲオルグに提示したことがあるのだが、使えるような奴がいないから心底どうでもいいと却下しているところを目撃しているだけに困惑せざるを得なかった。

 

 それが表情に出ていたのか、ゲオルグがそれに気づいて誤解を解きにきた。

 

「気にするな。私たちは一門のパーティでエルフリーデとそれなりに面識があるのでな。それだけに少し信じがたくてな」

「そうなのですか。あまりに動揺なされておられたので、深い関係であったのかと……」

「考えすぎだ」

 

 思わずゲオルグは苦笑した。ひょっとするとブレーメは、エルフリーデが自分の婚約者かなんかだと思ったのだろうか? 

 

「それで確認するが、エルフリーデがフェザーンのロイエンタール私邸に匿われていたというのは間違いないのだな」

「はっ、現地責任者のベルンハルトによるとエルフリーデ・フォン・コールラウシュと名乗る貴婦人を内国安全保障局が捕らえていることは間違いないようです」

「……偽物の可能性は」

「偽物の可能性ですか?」

 

 予想外の質問であったが、フェザーン方面より送られてきた少なくない情報を瞬時に脳裏から引きずり出して精査し、その結果を告げる。

 

「あくまで当人がそう名乗っているのみで、身分を証明するものを持ち合わせているわけではないのですから、たしかに偽物の可能性は否定しきれませんが……。わざわざリヒテンラーデの一門に連なる一族の娘の名を語る必要があるとは思えません。となると、やはり本人である可能性が濃厚かと」

「なるほど……。だが、だからこそ偽物である可能性? いや貴族名簿をひっくり返せば本物かどうかはたやすくわかるし、ロイエンタールを陥れるならもう少し……。となると問題は――」

 

 ほとんど聞こえないような声でブツブツと不気味に呟き続ける一回りほど年下の青年に、ブレーメは自分の回答が正解だったのかどうか不安になりながら黙り込む。シュヴァルツァーも顎に手をやってなにかしら考え込んでおり、他の幹部たちも疑問を口にしにくい。一分ほどたって、流石に限界だとハイデリヒは口を開いた。

 

「いったい二人はなにがそんなに気になっているんですか」

「……私の知る限り、エルフリーデは絵に描いたような深窓の貴族令嬢だった。なのにフェザーンにまで逃げ、いや、ロイエンタールの愛人になったのはオーディンであったというから、逃げたのはそちらか。いずれにせよ、温室育ちで純粋培養の貴族令嬢風情が、だれにも見咎められることなく単独で流刑地より世間の荒波を超えて帝国首都中枢部にまでたどり着き、帝国軍最高幹部の一人の愛人におさまる? 随分とおとぎ話じみたことだとは思わぬか」

「では、自力で流刑地から脱出したのではなく、何者かの助けがあってのこととお考えなので?」

「そう考えねば辻褄があわぬ」

 

 ゴールデンバウム王朝の始祖ルドルフは“人類社会の活力は健全な人間によって齎される”という信念を抱いており、劣悪遺伝子排除法を制定して“劣悪な遺伝子を持つ不健全な人間”を大量殺戮する一方、“優良な遺伝子の所有者”である貴族階級に“健全な人間”を増やして人類社会の活力を底上げを計るべしと国をあげて奨励した。その結果、貴族階級の身重の女性の割合が高くなり、母体の安全のために職務を停止することが続出した。それが常態化するにつれ、常に働ける男性とは違って女性は責任ある地位につくべきではないという価値観が帝国社会に徐々に広まっていった。

 

 特にその原因である貴族社会における男尊女卑の気風は強く、女性は家庭的存在であって社会的存在ではないという価値観が深く根付き、女性にはなによりも良き妻であり良き母であることが求められる。くわえて名門貴族であるならば、権威を演出するために日常的な些細なことでも人を使うのは常識的であるばかりでなく、神聖なる義務であるとさえ一般的に認識されていたのだ。名門貴族としての自覚と矜持がある女性ならば、そんな知識や技術を身につけようとはしない。

 

 もっとも、貴族的な意味での『家庭』の範囲は帝国の一般大衆や民主社会の住人の家庭と比較するととんでもなく広大なので、社会的地位がある男性と関係を結んで国政に隠然たる影響力を行使するような女傑もいたし、そうでなくても比較的女性にも門戸が開かれている芸術分野で確固たる地位を築こうとする自立心旺盛な女芸術家もいないわけではなかったが……それは絶対的少数派であり、ゲルオグの知る限りにおいてエルフリーデは多数派の淑女であって、貴族社会における希少種では断じてない。

 

「ではいったいだれが……。ロイエンタールがリヒテンラーデ一族の処分を担当したと聞きますから、実は流刑地に送らずそのまま私邸にかくまっていたということでしょうか」

「それはない」

 

 ハイデリヒの推論を、ブレーメが勢いよく否定した。

 

「リヒテンラーデ一族の命運にかんしては秘密組織ですでに調査済みだ。投資本部資料保管室に勤務している元IMからの情報によると、エルフリーデ嬢は辺境に流刑になったことを示す資料があったそうだ。そして昨年二月に消息不明になったという、それなりの確度がある情報も入手できている」

「つまり、エルフリーデ嬢を秘密裏に帝国首都に送り込んだ勢力がいるということになるわけだ。……遠征軍を動揺させることを目的とした貴族連合残党の仕込みでしょうか」

「ヴァルプルギス作戦を利用して首都星オーディンを掌握したのち、統帥本部総長がリヒテンラーデ一族の娘を愛人にしていることを公表し、遠征軍を動揺させることを目的としたものである、と、言いたいのかシュヴァルツァー? ……一理なくはないとは思うが、それなら事前にこちらと情報を共有しなかったのかが解せぬ。貴族連合残党のクーデターが成功していた場合、速やかに帝国全土の掌握に乗り出さなくてはならぬわけだし、そうなると必然、われわれを完全に味方につけたいと思うはずだ。にもかかわらず、我が一門に連なる娘を道具にした挙句、事後連絡ですませてしまおうと普通考えるだろうか。いらぬ対立の火種になることがあきらかではないか」

「では、閣下は何処の勢力が裏にあるとお考えで?」

「さて。いくつか想像はできるが、これといった確証はない。弾劾そのものは十中八九ラングを中心とする官僚勢力が主体的役割を果たしているのだろうが……」

 

 内国安全保障局次長クラウゼより、部局内にて強力な反ロイエンタール感情が醸成されつつあるという報告がなされている。もともとラングは腐敗が蔓延していた旧王朝の社会秩序維持局にあって、職務に忠実で部下への思いやりがある人柄から一部の局員の間で根強い人気があったし、オーベルシュタインによって内国安全保障局長に任命されてからは、元社会秩序維持局員の経歴のためにろくな仕事にありつけなかった者達を『専門家』として招いて高い地位につけたため、幹部からは恩人扱いされており、局内での人望はかなりある。そんな立派な人間を罵倒したやつを許さぬ、と、局内が反ロイエンタールでほぼ一致しており、内務省を中心に他の部局の官僚達も取り込んで、無視するには少々大きい勢力を成しつつある。

 

 そのため、彼らが流刑地よりエルフリーデを連れ出して、身分を隠させてロイエンタールに接触させ、それをもって陥れる陰謀という見方ができるし、それなりに蓋然性もある。だがそうだとはゲオルグには思えなかった。まだ帝国省庁の大半は帝都オーディンにあって、フェザーンにあるわけではない。一から百までラングを中心とする一派の陰謀であるとするならば、帝都にとどまっている者達がこの一件について知らぬというのはとても違和感を覚える部分だ。そこを含めて考えると、ラングと現地の内国安全保障局の独断によるものであって、流刑に処されていたエルフリーデを利用してロイエンタールを失脚させようと画策したものは別に存在するのではないか。

 

 ではそれはなにかとなると……候補が多すぎて絞りきれない。せいぜい、ラングが反ロイエンタール感情を同じくする者達の大半がオーディンに残っている状態で弾劾を選んでしまうほど魅惑的な条件が揃っていたというのなら、惑星フェザーンの地下に潜伏して自分と同じように謀略を巡らせているのであろう黒狐が何らかの形でかかわっているのではないかと疑う程度だ。

 

「――いささか脇道に逸れすぎておるか。情報不足である以上、エルフリーデの逃亡経緯にこれ以上の仮定を重ねて考察しても、妄想とさして変わらなくなるから一旦脇におこう。肝心なのはロイエンタールが弾劾され収監されたのは疑いようのない真実であるということであり、これによって生じる可能性を検討し、秘密組織がどう対応すべきか考えることの方が重要か」

 

 ようやく想定していた方向に話題が来て、ブレーメは一安心した。報告するに際して今後の帝国軍の動向や秘密組織のとるべき方策については、ある程度思案できている。だからこそ、有益な情報だと嬉々として報告書を提出したのだ。

 

「バーラトの和約の精神に背く策動を行い、それが失敗するとヤン元帥の一党に責任を押し付けた同盟政府の始終一貫しない姿勢をとり続けたことを弾劾し、このような政体を存続を認めるは正義に背くことであるから滅ぼす。これが今回の皇帝親征における帝国の大義名分であります。そこから考えますと、今回の目的は一応は達せられたものと判断して良いものでしょう。そこで軍最高幹部の一人の深刻な不祥事が発覚したとなりますと、ひとまずは統治と防衛のための兵力を残して大部分は本国へと帰還し、体勢を立て直すものかと考えられます」

「此度の大義名分にはローエングラム王朝の旗の下に宇宙の統一を成すというのもあったはずだ。極小の勢力とはいえエル・ファシルの存在を無視して親征を中断するものかな」

「閣下の通り、先日の冬バラ園の勅令の内容から推測するに皇帝ラインハルトにとってはこの余勢をかってエル・ファシル独立政府をも滅ぼし、名実ともに宇宙の統一を成し遂げるつもりがあったことはたしかでしょう。しかしながら、先のオーディンにおけるクーデターの影響で本国の統治機構がいささかの混乱をきたしていることですし、皇帝親征を継続するのは無謀とまでは言いませんが限りなくそれに近いレベルで困難なものとなるとこと疑いありません。いかに圧倒的なまでの戦力優位を誇っているとはいえ、現在の帝国にとって長期戦は最も忌避するもの。それが理解できないヤン一党でもないでしょう。ロイエンタールの叛逆疑惑のために帝国軍が拘束されているだけ、ヤン一党は長期戦に引きずり込むための作戦と準備ができる時間を与えてしまうわけですから、リスクがあまりにも大きすぎるように思われます」

「道理だ。では、秘密組織はどう行動するべきと思うか」

「エル・ファシルまで征服されてしまうことを前提に立てていた例の計画の実施を早めるべきです。くわえて、小なりとはいえ公然とした反帝国的な独立勢力の存在は活用すべきかと。可能であれば独立政府上層部とのコネクションを開拓し、帝国が対話を求めるのであればその仲介役として、帝国が征服を望むのであれば情報提供者として振る舞い、その貢献を持って閣下が帝国の権力体制に復帰する足がかりとすることができるかと」

「……なるほど。立ち振る舞い次第では不可能ではないやもな」

 

 指先で顎をつまんで五秒ほど考えた後、ゲオルグはそう小さく呟いた。とても小さな声ではあったが、自分ならブレーメのいう険しい陰謀悪路を走破こともできないということはないだろうという、自負からきた呟きであった。

 

「では、もし遠征がこのまま継続し、かつエル・ファシルをも征服してしまった場合はどう動くべきと考える?」

 

 だが、()()()()()()()()()()()()()()()()()とゲオルグはかなり深刻に疑っていた。それはラインハルトの能力を高く評価していたためというより、実力によって皇帝位についた男が成し遂げてきた数多の業績に対する迷信的恐怖からくるものであったかもしれない。特に軍事的功績にかけては、軍事の専門家が揃って仰天するようなことを達成し続けてきたのだから。

 

「後方に様々な不安を抱えている現状にあって、遠征継続を強行しても得られるものは少なく、リスクばかりが目につきます。その程度のことはラインハルトも承知していることでしょう。その可能性を検討する意義はあるのでしょうか」

「もっともだが、不安を禁じえぬでな。私は皇帝ラインハルトの軍事的才覚はコルネリアス征服帝を超越し、ルドルフ大帝に伍するものととらえている。それほどの男が多少の政治的不安を抱え、時間的余裕が限られているとはいえ、まだ十分に戦略的優位がある。そういう状況にあって、おのれの軍才に絶対の自信を持つ絶対者が敵を眼前にして撤退という途を選ぶのかどうか」

 

 ラインハルトとルドルフ。どちらがより軍人として優秀であったかというのは、後世の軍事研究家たちにとっても回答困難な命題である。というのも、ルドルフは連邦軍少将で退役して政界進出したため、辺境警備艦隊司令官で軍のキャリアがストップしていてラインハルトのように大軍を指揮したことがない。皇帝に即位すると同時に軍部から大元帥に推戴されて帝国全軍の頂点に君臨こそしたものの、その権能で成した業績の大半は軍組織の改革や軍事行政に関する事柄であって、前線指揮をとっていたわけではない。

 

 ゆえにラインハルトの方が軍人として優秀であると単純に結論できれば良いのだが、そうしてしまうにはルドルフの連邦軍時代の戦功がとんでもない。連邦時代のゴールデンバウム家は代々優秀な軍人を排出してきた家柄ではあったが、かといって軍閥のような影響力がある名家であったわけではなく、身内から将官がでればお祭り騒ぎになるような素朴な一族だった。ゆえに、嫌われつつも皇帝の外戚として一応の配慮を上層部から受けていたラインハルトと異なり、ルドルフは露骨極まる冷遇を受けていた。

 

 具体的には少数をもって多数にあたることを上層部より強制され、部隊に損害を被っても定期的な補充しか受けることを許されなかった。ルドルフが無茶だと多大な兵力を融通するよう要請しても、そんなものは無視された。損傷の激しい艦艇や廃棄寸前の老朽艦艇など用いなければならないような劣悪な環境であった。にもかかわらず、ルドルフは数的には勝る宇宙海賊相手に勝利し続けた。一度は上層部が()()()()作戦行動の詳細情報を外部に流出させてしまったために二〇倍近い宇宙海賊に包囲されたことすらあるが、それでもなお激戦の末勝利した。相手が統率訓練された正規軍ではなく玉石混合の無法者どもであるとはいえ、凡俗には覆しようのない兵力差の敵が相手だろうが神懸った軍事的手腕を駆使して勝利してきたのがルドルフという男なのだ。だからこそ、連邦末期に多くの民衆や兵士の心を奪うことができたのだ。

 

 そんな華麗な勝利の数々があったにもかかわらず、ルドルフはそれが不本意であったようなのである。晩年に執筆された回顧録によると「かなり無茶をして忠勇な兵を少なからず損なったという自覚があったし、本来であれば圧倒的な戦力的優越を築いてから戦端を開くべきなのだという思いもあり、くわえて大英雄たる自分が率いたから勝てただけで、他の指揮官ならたとえ優秀な人材であっても無為に多数の屍を宇宙に散らす結果に終わっていただろう。それくらい最悪な環境であり、いかに現政府が共和主義の猛毒に侵され無責任体質が蔓延っているかを証明していた」と記述している。実際、皇帝になったルドルフは「大軍を率い敵を打ち破ることこそ帝国軍の本道である」と軍部に執拗なまでに繰り返して指導しており、当時のことが一種のトラウマと化していたようでさえあり、やろうと思えばできるというだけで、ラインハルトをしばしば苦しめた自身の軍事冒険家としての一面からくる誘惑とは無縁だったらしいのである。

 

 ともかくそういう面で単純に比較しがたく、戦史研究家たちは各々「艦隊司令官としてはラインハルト、軍官僚としてはルドルフ」「正規戦ならラインハルト、不正規戦ならルドルフ」「五分と五分の条件でならラインハルトが勝利するだろう」「数倍の敵相手に連戦連勝している時点で一指揮官としてはルドルフの圧勝」「ルドルフが前線で大兵力を統率できるとは思えず、ラインハルトのほうが大軍の司令官としての才覚がある」などと評しているが、両者ともに戦史に冠絶する軍才の持ち主という点で一致している。

 

 ……もっとも、そのルドルフの純粋極まる戦略家としての才能が最大限に発揮されたのが、軍務省憲兵隊や内務省社会秩序維持局を駆使した反体制勢力の一斉的な大弾圧であり、それに対する民衆の反発から発生した叛乱の呵責なき鎮圧であるという歴史的事実が、ルドルフに対する評価を難しいものとし、ラインハルトと比べて軍事的才覚を直視しがたいものにさせる心理的作用を後世の研究家に与えていることは否めないが。

 

「少し考えすぎな気がしますが、かといって無視しがたい懸念ではありますね」

 

 毒にも薬にもならないが必要な発言に続けて、ハイデリヒは提案した。

 

「ではひとまず、精鋭をエル・ファシルに潜り込ませるよう命令だけ出しておくというのはいかがでしょう。帝国軍が遠征を継続するかどうか、そう遠くないうちに発表されるでしょうし、独立政府に接触をはかるかどうかはその時に判断しても遅くはないかと」

 

 ハイデリヒの折衷案をゲオルグは了承した。このような任務を任せられるのはベリーニと一緒に秘密組織に加わった元フェザーン工作員だけであり、この頃になると彼らへの嫌疑もある程度晴れていたため、身軽に扱える駒として秘密組織で重宝されていた。

 

 それから約三週間後の三月一九日にロイエンタールの新領土総督内定と親征継続が帝国大本営報道部から発表され、ゲオルグの予感が正しかったことが証明された。これをうけて秘密組織指導部では元フェザーン工作員の潜入命令を撤回させるか否かが議論されたが、より正確な情報を確保するため、親征が終わるまで念のために現地での情報収集を新たに命じることになった。しかし、それでも例の計画を早める必要性をゲオルグは感じていた。

 

 その頃、惑星フェザーンで同じようにロイエンタールの新領土総督内定の情報を得て、思考をめぐらしている陰謀家がいた。中心街から五〇〇キロほど離れたオカナガン山地の館に潜んでいるこの男は、帝国の公権力から追われている国事犯とは思えないほど物質的に恵まれた生活を送っていた。野心家である彼は自治領主になった直後から、万一を想定して秘密裏に設備が整った隠れ家をあちこちに建設していたのだ。そのような狡猾で用心深い一面で、男はゲオルグとよく似ているともいえた。

 

「皇帝ラインハルトとロイエンタールの亀裂は修復したみたいね。それも旧同盟領全体の総督に任じるなんて! あなたの工作は逆効果もいいところだったんじゃない?」

「たしかに修復したかにみえるな。だが、そのために皇帝がロイエンタールにあたえた地位と戦力は過大にすぎる。すくなくとも軍務尚書のオーベルシュタインなどはそう思うだろう。ドミニク、帝国中枢の亀裂は隠れただけで消えてはいない」

 

 対面のソファに腰を下ろす自分の情婦の揶揄を、アドリアン・ルビンスキーは悠然と受け止めてみせた。ロイエンタール弾劾に至るプロセスはいくつかの勢力の思惑の合作によるものであり、そのロードマップを敷いた脚本家がルビンスキーであった。フェザーンのあちこちに潜伏させているシンパより得た、内国安全保障局の焦燥とその長官のロイエンタールへの敵意、自由惑星同盟の使者であるオーデッツ、ロイエンタール邸にいるリヒテンラーデ一族の娘の情報を組み合わせ、オーデッツにロイエンタールの叛意を主張させ、それにラングが飛びつくよう、周囲の人間を操って促したのだ。

 

 そのためラングを中心とする官僚勢力以外の存在としてルビンスキーを疑ったゲオルグの推察は的を射ていたといえるのだが、一点だけ間違えていた。エルフリーデはなんらかの勢力の思惑によって、流刑地から抜け出してロイエンタールの愛人となったわけではなかった。ルビンスキーもあまりにもできすぎていたので、なんらかの紐がエルフリーデについていないかと疑って調査したが、結果としてエルフリーデ自らの意思と、いくつかの幸運と奇縁によるものに過ぎないと結論していた。これにルビンスキーは大叔父の才能でも遺伝したのかと感慨を漏らしたが、もしそれをゲオルグが知ったら憮然とすること請け合いである。

 

「金髪の孺子は今でも前進と上昇のみが自分の人生の構成要素だと思い込んでいるようだが、現状帝国は権勢拡大のいっぽうで内部の空洞化が進行しつつある。今回の一件はもとより、先の帝都動乱でもそれはあきらかだ。にもかかわらず外征を続けようとするのだから、金髪の孺子はそれに気づいていないか、気づいていても軽視している。深刻なほどにな。そのぶん、われわれとしては付け込みやすくてありがたいがね」

 

 現実的な問題として旧同盟領を完全に飲みこめるほど帝国の官僚組織は巨大ではない。それでもなお飲み込んで十全に統治しようとするならば帝国は同盟の政府組織をも飲み込んだり、在野の人材を登用する必要に迫られる。そのどちらであっても、ルビンスキーにとってはありがたいことであった。彼の脳内には利用できる同盟官僚の長大なリストがあるし、一般人を装って体制内部に取り込ませられる工作員のリストもある。質はともかく、数の面で謀略の駒に不自由はしていない。

 

 そしてその旧同盟領を統治する新領土総督にロイエンタールが就任するというのは歓迎すべきことではあった。ロイエンタールと同格の苛烈極まる正論家のオーベルシュタインや清廉潔癖なミッターマイヤーが総督に任命されていた場合を想定するとかなりつけこむ隙がありそうだ。経験上、野心がないくせに理性的といったタイプは謀略にはめにくい。その点、ロイエンタールは万人が認める野心家であり、旧同盟領全体に隠然とした影響力を行使してラインハルトの方に何かしら問題があるような空気をつくってしまえば、大枠でコントロールすることも不可能ではないと思われるのだった。

 

 ラインハルトを中心とする旧来からの帝国領とロイエンタールが管理する新領土が、戦火を交えるかどうかは別として対立してもらえれば、その間隙を利用してルビンスキーは自身の立場を強化し得る。安定より動乱の方が暗躍しやすいのは自明の理だ。

 

「帝都動乱ね……。そういえば、旧王朝の残党があれほどたいそれたことができる実行力も組織力もあるとは思えないって言ってたけど、なにか詳細はつかめたの?」

「確証はないが、エルフリーデ・フォン・コールラウシュの親戚が深く関わっているだろうな」

「親戚?」

「元内務省次官ゲオルグ・フォン・リヒテンラーデだ」

 

 その名前は把握していたが、意外に思ったのでドミニクは目を見開いた。ラインハルトが帝国の全権を掌握する直前に地下に潜り活動していると推測されるという人物ではあるが、あまり表立ったことはしていないために軽視していたからだ。いっぽう、いった本人は平然としてウイスキーグラスを口元にはこび、ゆっくりと喉を潤わせて続けた。

 

「帝国軍占領以来、このフェザーンの裏社会にはいくつもの新興勢力が勃興しているが、近頃その中のある勢力が他勢力を次々と飲み込んで急速に巨大化している。それ自体は別に不可思議な現象ではないが、連中の動きはあまりに早く、それを実現させている資金力の潤沢さがあまりにも不可解。そこで優秀なエージェントを数名潜り込ませて内部より調べさせたところ、連中は表向きは平和的な反帝国フェザーン・コミュニティであると標榜しているが、実は帝国に深く根をはっている巨大な秘密組織が実態であること。その中枢には旧王朝の内務官僚がかなり所属しているらしいことがつかめてきた。そして現在帝国に追われる国事犯リストの中で、なおかつこれほどの組織を運営しうる才覚を持つ者として、一番の候補にあがったのがゲオルグだ」

「なるほどね。でも、そんなにあっさりあなたの手の者に潜入を許して、それほどの情報をつかませるなんて、情報管理はどうなっているのかしら。あまりにも無謀ではない?」

「それがこの組織のいやらしいところだ」

 

 ルビンスキーは不敵に微笑んだ。

 

「この組織は反ローエングラム王朝の気風が強いが、いってしまえばそれだけだ。明確な犯罪組織ではなく、大部分は帝国の法的にグレーの領域で活動しているだけなのだ。おまけに民衆生活に密着しているから、証拠もなしに弾圧してしまえば民衆の反発を招く。独裁国家らしからぬ開明的姿勢を是とするローエングラム王朝にとって、怪しくても手が出しにくい立場を意識的に確保し続けているのだ」

 

 手の者からは帝国の潜入捜査員と思わしき人物と幾度か組織内で接触しているという報告も受けており、実際帝国側もどのように対処すれば良いか迷っているのだろう。帝国への不満が組織内で渦巻いているのははっきりしているが、言論・思想の自由を認めている以上、明確な敵対行動をとってくれないことには官憲は動けない。

 

「……なるほどね。それでそのゲオルグはどう動くと考えているの?」

「おそらく、このフェザーンに自ら乗り込んでくるだろう。組織中枢の動きがそれを示唆している」

 

 ドミニクは形の良い眉を歪めた。

 

「フェザーン内に秘密組織の構成員が多数いるとしても、あなたの説明通りならゲオルグの味方とは言い切れないわ。直接未来の帝都であるここに乗り込んでくるなんてリスクが大きすぎるんじゃないの? それともそれを理解していないのかしら?」

「おそらくそれを承知の上でもやってくるさ。このまま動乱が収束の傾向に走り続けるとするなら、今が勝負時であると考えてな」

 

 心底愉快そうにルビンスキーはウイスキーグラスに残っている液体を一気に流し込み、妖しい雰囲気を醸し出しながら続けた。

 

「万一、リスクを理解せずに来るというのなら一方的に俺の道具として利用させてもらうが……。いずれにせよ、対面する時が楽しみだな」




FGOの二部三章クリアしました。始皇帝の思想が自分が考えるルドルフ像にけっこう近い気がする。
ルドルフの理想は「全人民が同じスローガンを掲げて一糸乱れずに行進し、優秀な指導者の管理の下に自らの意思で全人民が勤勉に働く」っぽいので、民衆にまったく知恵がなく、ただ安寧を享受するのみというのは忌避するかもしれないけど。

……「もしもルドルフが不老不死だったら」っていう二次でもねぇかなあ


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枢機局会議

 ある有人惑星の地表にある平凡な家屋の一室に、黒い僧服を着た者たちが集っていた。彼らは内部においてそれぞれに責任ある地位についている者たちである。彼らは円卓に腰を下ろしており、残っているふたつの空席に座る予定の二人のことを考えていた。一人は彼らの頂点に君臨する聖なる意思の代弁者であり、もう一人は信仰心ではなく実績だけで成り上がってきた不快な人物であった。

 

 故に入室してきたのが、聖職者らしからぬ世俗さを感じさせる不逞な若者だけであることに、他の出席者が大きく失望のため息をつくのをこらえようとする良識を働かせようとはしなかった。まったく歓迎されていないことを自覚しつつもその男――地球教団総書記代理ド・ヴィリエ大主教は気がつかなかったように決定事項を通告した。

 

「総大主教猊下におかれては長き逃避行による疲労が祟り、いまだ体調回復しておらず、申し訳ないが老体ゆえ休養を優先したいと仰せである。よって猊下は議論に参加されない。よって書記局としては、その結論を報告して判断していただくという形式で枢機局会議を開催したい」

 

 これには反発の声が吹き荒れた。それはド・ヴィリエが報告を行うということを言外に告げているようであり、彼の報告の仕方次第で総大主教の認識を誤らせる恐れがあると感じたためである。これにはド・ヴィリエは心外であるとコメントし、総大主教への結論報告は枢機全員で行う予定であると続けて静めた。

 

「了解した。ではだれが枢機局会議の議長役を務めるのだ?」

 

 本部を失い混乱状態にあった地球教組織を再編し立て直した実績や総書記代理という高い地位にいることから考えれば、ド・ヴィリエが議長役を務めるべきなのかもしれないが、他のメンバーはド・ヴィリエより一回りも二回りも年上の者たちばかりであるために納得できないと感情が老聖職者たちから吹き荒れ、室内に漂っていた。ド・ヴィリエは愚かしいと内心侮蔑しつつも表面上は柔かな微笑みを浮かべて提案する。

 

「そうですな。総大主教猊下に提出した枢機局名簿は年齢順であったわけですし、最年長のパヴェン大主教ではいかがでしょう?」

 

 あの人が議長役をするのなら、まあ、よいだろう。出席者たちはそう言って了承したが、どこか釈然としていないようであった。

 

 それもそのはず。パヴェン大主教は今年で七九歳という高齢者で、いつ死んでもおかしくなさそうな猫背というには曲がりすぎの背中と皺だらけの肌が特徴的な老人である。皇帝暗殺未遂によって地下活動に転じる以前は、同盟領内において布教活動を担当する部局の幹部を務めていたが、いってしまえばそれだけの人物であり、地球教の暗部を知ってはいてもそれほど関心がないタイプの聖職者である。

 

 しかもその部局であっても、なにかしら突出した功績をあげたというわけではなく、大主教になれたのも数年前に四〇年間も聖職者として異教の惑星で一切の見返りを求めずに布教活動に取り組んできたことから、この老聖職者に報いてやるべきではないのかという他の聖職者の同情の声によって昇格したきらいがあり、この部屋にいる聖職者の中ではある種浮いた存在だった。

 

 だが、だからこそド・ヴィリエは地球から逃れて教団組織を再編するにあたり、パヴェンを高い地位につけることとしたのだ。それは彼が裏事の知識に疎く温厚さだけが取り柄の人物であるため、調整型議長として扱えば議論の流れをコントロールしやすかろうという思惑によるものであり、他の幹部には人望と年功を考慮してと正当化しやすいからであった。

 

「……特に反対がないようなので、皆様から全会一致で信任されたものと判断し、不肖ながら小生が総大主教猊下の代理として枢機局会議の開催を宣言しよう」

 

 総大主教に比べると重々しい神聖な荘厳さというよりは、蚊が鳴くほど小さく消えてしまいそうな声でパヴェンは宣言し、活発な議論がはじまった。

 

 枢機局とは、有力な聖職者たちによって構成される総大主教の諮問機関であり、聖ジャムシードの時代より教団組織の中核を成してきた。明文化された法律や戒律があるわけではないが、枢機局の決定はほとんどの場合において総大主教が追認して来たことから、実質的な地球教の最高意思決定機関と考えてよく、枢機局の一員たることは地球教中枢の最高幹部であるといってよい。

 

 つまりこれから行われるのは、最高幹部たちによる地球教の今後の大方針を決定するための議論だということになる。一人を除き、枢機局のメンバーには共通の認識があった。このままでは人類は破滅を迎えることになろうという危機感である。全人類に正しい教えと平和への道を教導する根拠地たる、地球教本部が帝国の好戦主義者によって消し飛ばされたこともさることながら、急速に進行する帝国の地球教狩りが彼らの危機感に拍車をかけていた。

 

 地球教なき世界など、地球教徒からすれば全人類にとって絶望の暗黒時代としか思えないのだ。何故、と、疑問に思うのであれば、ここ数世紀の人類の歴史を振り返ってみるがよい。地球教を信じない異教徒たちが、宗教的道徳精神を持ち合わせぬ外道どもが、いったいなにをやってきたか。ただひたすら戦争と虐殺に狂奔し、阿鼻叫喚の地獄絵図を繰り広げてきたではないか。そのくせ、ルドルフ・フォン・ゴールデンバウム、リン・パオ、ユーフス・トパロウル、コルネリアス一世、ブルース・アッシュッビー、ラインハルト・フォン・ローエングラム、ヤン・ウェンリー……その他、数多の人命を蹂躙した大量殺戮者達を英雄だなんだと大衆が肯定し崇拝してしまうほど、人類の道徳は堕落し退廃してしまっている。地球教がなくなれば、人類は狂気的な闘争心を抑える術を失い、幾度となくおぞましい規模の殺戮に興じた挙句、そう遠くない未来に人類は種として滅び去ってしまうことであろう。

 

 地球教の理念を内心侮蔑しているド・ヴィリエからすると、それを防ぐという大義名分に多くの人間を破滅させる陰謀に走るのは論理が破綻しているとしか思えないし、どうしてそれを高位聖職者たちが臆面もなく正当化できるのかは心底疑問である。

 

「去る二月、同盟は帝国によって完全に併呑された。地球教への敵意を持った帝国が人類社会の大半を支配することがいかに由々しき事態であるか、賢明なる各位には説明するまでもないだろう。だが、いっぽうのわれらは教団組織の再建に成功したとはいえ、帝国の弾圧で被った損害を回復しきれていない。控えめにいっても、危機的状況にあるといってよい。これをどう打開するべきか」

「皇帝ラインハルトを暗殺するしかないと私は考える。そして再び民主主義勢力と専制主義勢力を争わせ、共倒れを狙うのだ」

「現在の人類社会のパワーバランスは大きく帝国に傾いている。皇帝ラインハルトが倒れたところで大きな意味があるとも思えない」

「いや、それは早計だ。ローエングラム王朝は勃興したばかりの存在であり、その秩序は皇帝ラインハルトの剛腕によって支えられているに過ぎず、国家組織や制度によって安定しているとは言いがたいところがある」

「つまり皇帝ラインハルトが死ねば、最低でも帝国は内憂でおおきく疲弊すると言いたいのか」

「そうだ。かつてわれらが母なる惑星の上に大量の爆弾を投下し、しきりに無辜を殺傷すること熱狂して、シリウスの新秩序とやらを打ち立てたラグラン・グループとやらも、首魁パルムグレンが天罰で二年後に病死し、後継者の座を巡っての騒乱でフランクールとチャオが死に、勝利者として生き残ったタウンゼントもロケット弾を撃ち込まれて暗殺された。するとどうだ。シリウスの新秩序はあっさりと瓦解したではないか。それと同じことはローエングラム王朝にも言えるだろう」

「同意だ。母なる星に然るべき敬意と信心を抱けぬ無道徳な人間集団というやつは野蛮な猿の群れと同じで、ボスがいなければその座を奪い合って血みどろの抗争を繰り広げるもの。それは歴史が証明しているだろう」

「……一理あるが、もはや手遅れである」

 

 円卓に座る全員の視線が集中する。議論に割って入ってきたのはラヴァル大主教である。初老の聖職者であり、パヴェンほどでないにしても老化による衰えが容姿に目立つが、しかしその瞳から放たれる鋭い知性の輝きにはいささかの翳りもない。教団本部壊滅の折には、フェザーン占領の折に消息不明になったデグスビイ主教に代わって、混乱する現地支部を管理する役目を総大主教から与えられていたので、幸運にも帝国軍の襲撃から免れていた。

 

 そのため、教団本部壊滅前からの枢機局の一員であったわけで、教団内で特に古参から敬意を払われる存在であった。同じく枢機の生き残りであるド・ヴィリエが年少でどこか慇懃無礼な態度をとることから反発が先に来るのに対して、ラヴァルは好々爺めいた好人物であったことから、ド・ヴィリエに対する古参聖職者の反発がそのままラヴァルの人望につながっているようなのであった。

 

「皇帝ラインハルト暗殺を切欠とする勢力均衡戦略への回帰は以前にも枢機局で議論され、方針とされたことがある。昨年七月にキュンメル男爵の協力を得て皇帝暗殺の挙に及んだのもそのためである。しかし暗殺に失敗し、われわれの目的が明るみにでる結果に終わり、帝国内のわれわれの拠点は大打撃をうけた。必然的に帝国内におけるわれわれの影響力も著しく低下しており、これでは皇帝ラインハルトを暗殺しえたとしても、その後の帝国内の動乱をわれわれに都合よく利用するのはとても難しいのではないか。くわえて、当時であればバーラトの和約によって帝国の保護領のような状態に陥っていたとはいえ、民主主義勢力の牙城である自由惑星同盟は依然健在であった。皇帝暗殺を切欠に帝国に大規模な混乱が生ずれば、同盟が独立性を回復し帝国と実力伯仲の関係になる可能性は相応に高いと推測された。むろん、われわれ地球教はそうした同盟の動きを強力に支援し、また帝国においては内乱収拾に少なからず貢献し、双方の勢力に対する影響力を強化して、人類社会全体で地球教の立場を確固たるものとすることも不可能ではないともな」

 

 ラヴァルは一息つき、列席者を見回した。自分の言っていることが理解できているか、疑問を抱いていないか、表情から伺おうとしたようであった。そして全員納得していると判断し、続けた。

 

「しかし現在はどうか。既に自由惑星同盟は滅亡し、代わって民主主義勢力を代表するのはあの小さいエル・ファシルである。くわえて同盟領内の拠点も、帝国軍の地球教弾圧により無視できぬ損害を被っておる。これでは皇帝ラインハルトを暗殺しえたとしても、その後の混乱を利用して地球教の影響力拡大をはかることは困難であるし、エル・ファシルに旧同盟領全域を取り戻させるのも無理があろう。もはや、勢力均衡からの漁夫の利を狙う戦略は非現実的と言わざるをえまい」

 

 現実感覚に富んだ理路整然とした主張は、古くからの計画に固執する枢機たちの精神を打ちのめした。いまだ往時の隠然とした影響力を地球教は相応に行使できうると錯覚していたことに気づかされたからである。

 

「ラヴァル大主教はそうおっしゃられるが、それでも皇帝ラインハルトを暗殺するより他に活路はないと思われる。地球教弾圧という非人道的犯罪を大胆的に推進するローエングラム王朝ある限り、われわれの、ひいては人類には暗黒の世界しか待っていない。たとえ、制御できずとも、ローエングラム王朝を打倒し、安定した情勢を転換せしめ、死中に活をもとめなければ、どうにもならないのが昨今の情勢であろう」

其方(そなた)の意見には此方(こなた)も概ねにおいて同意である。だが、再度の皇帝暗殺を企図するにしても、しかるべき長期計画をたて、相応の環境を整えるといった手順を踏まなくてはならないだろう」

「と、いうと?」

「帝国の弾圧を逃れるため、旧同盟領に在住していた少なくない信徒がエル・ファシルに流入している。この数の力を利用すべきであると考える。具体的には信徒たちによって宗教政党をたちあげさせ、強力な政治運動を展開して議会に無視できぬ勢力を築き、皇帝ラインハルト暗殺はエル・ファシル政府上層部の確固たる意思であるという状況を構築するのだ。その意を受けて、われわれが皇帝暗殺を成功させたとすれば、地球教はエル・ファシルを救った英雄となり、その後の行動がしやすくなる」

「……そのように悠長なことをしている時間的余裕がわれわれに存在するでしょうか。既に帝国はエル・ファシル独立政府打倒のため、大軍を発したというではありませんか。議会の代議員を選出する選挙とやらは数年に一度しかおこなわなかったはずです。現状のまま何年も持ちこたえるのは不可能ではないにしても、かなり過酷であるかと思われるのですが」

「帝国軍の侵攻を退けられるかどうかは一度ラインハルトとの艦隊決戦で戦術的勝利をもぎったというヤン・ウェンリーの才覚に期待する他あるまい。宗教政党の設置については多少時系列が前後しても良い。要はエル・ファシル政府上層部に暗殺を決意させさえすればよいのだ。第一党の自由独立党はそういった手法を好まぬらしいが、第二党の救国戦線は過激な手段を辞さぬという情報もある。後者を勢いづかせればそういった決意をさせることも不可能ではないと考える」

 

 質問に素早く的確に答えるラヴァルは、細部まで考えつくしているのだなという印象を出席者に与えた。ラヴァルの語る新方針を枢機局の結論としてよいのではないかと少なくない者たちが思いはじめたところで、いままで議論を静観していた人物が声をあげた。ド・ヴィリエである。

 

「ラヴァル大主教のご意見はよく理解できました。ですが、その方法ではひとつ大きな問題があるように思われます」

「……どこがだ」

 

 ラヴァルの声に危険なものが混ざる。彼は昔からド・ヴィリエを敵視していた。彼は地球教の正義も理念も信じておらず、その存在は地球教を内部から崩壊させる劇薬なのではないか。それを証明するものはないが、ラヴァルはそのように第六感で感じ取っていた。教団本部壊滅と総大主教の体調不良のために、教団組織再建に一番貢献したド・ヴィリエの権限が組織の弱体化と反比例するように強化されており、その危惧は以前より増大していた。

 

「われら地球教徒の目的は母なる地球を中心として、祭政一致体制で人類を永遠なる平和へと教導することにあります。その最終目的から考えると、潔癖な民主主義革命家の多く存在するエル・ファシルを拠り所にして地球教再建をはかるのは危険であると考えます」

「危険だと? どのような危険か具体的に説明してもらいたい」

「民主主義という思想自体の問題であります。人民主権を標榜し、人民こそが社会の主導者であるとする。そのため、おぞましい民主主義の水で育った者は支配や管理されることを根源的に忌避することが多く、帝国に比べて同盟の信者獲得が思わしくなかったのも、まさにそのためなのです。さらにわれらが母なる地球の偉大なる歴史を振り返りますと、フランス革命、ロシア革命、その他民主主義を標榜した革命のために、無神論などという愚かしい思想が伝播し、各地で多くの宗教を排撃し、思い上がった愚劣な戦争主義者たちが世を指導して、夥しい流血を招くという事態を生じせしめました。こういった()()()()()を考えると、祭政一致という究極にして至高の最終目的を危うくするものであると考えます」

「なるほど。では、其方はどうするべきだと考えるのだ? そこまで言うからにはなにかしら腹案があるのであろう」

「民主主義体制擁護の象徴である、エル・ファシル革命予備軍司令官ヤン・ウェンリー元帥を暗殺するのです」

「馬鹿な!」

 

 驚愕と怒りのあまり、ラヴァルは椅子を蹴り立ち上がって二〇歳以上年下であるにもかかわらず自身と同格の聖職者を睨みつけた。

 

「気はたしかか! エル・ファシルは小なりとはいえ、現状唯一地球教を弾圧する帝国の影響力が及ばぬ領域であるのだぞ! その中心人物を暗殺するなぞ、たとえわれら地球教の手によるものだと隠しおおせたとしても、宇宙統一に邁進する帝国に利するのみ。帝国が宇宙を統一してしまえば、地球教は完全な人類社会の悪であるというレッテルを貼られ、破滅する未来しか残らなくなるだろう! それでどうやって、地球教が人類を正しい未来へ導くことができるというのだッ!!」

「ルビンスキーの提案を土台にやっていくしかないと考えます」

「なにッ!?」

 

 目の色を変えて声を荒げるラヴァルの気迫に、ド・ヴィリエはなんら感慨をいだいていないのか、自信たっぷりにゆっくりと説明を続ける。

 

「リップシュタット戦役に勝利してラインハルトが帝国の全権を掌握して急進的な改革を断行して、国力が飛躍的に強化されたことから従来の戦略を堅持することが困難なものになったとき、三〇〇〇年ほど前の地球に存在したローマ帝国とキリスト教の関係が良い参考になるのではないかと総大主教猊下に助言したそうです。 ローマ帝国はキリスト教を邪悪な存在として弾圧し続けていました。しかし、歴代の皇帝はしばしば暴君となり、その治世における絶望と反発から民衆はキリスト教の信者となる者が続出し、これにはローマ帝国も無視できずキリスト教を取り込みにかかり公認化され、それから数十年のうちに国教に制定され、以後のキリスト教は今日はローマ帝国が滅んだ後も大きな影響力を行使しえたとか。これはゴールデンバウム王朝下において信者獲得が容易であった事例と大きく共通していることではないかと。ローエングラム王朝もまたそうなるよう仕向けることこそ、われらが採るべき道ではないかと愚考する次第です」

「ほとんどルビンスキーの受け売りではないか。その主張をしていた黒狐とて、われらの制御下からはずれて独自行動をとっている。そのようなやつの意見を採用するなど、リスクが高すぎるとは思わんのか」

「ルビンスキーの怪しい行動については私も同意です。しかしながら、方策自体はまっとうだ。それにリスクがどうとかおっしゃられるが、古来からわれらの暗躍を支えてきた秘密性が失われつつある以上、リスクよりリターン重視で行動しなくてはジリ貧に陥ることは必定です。失礼ながら、その辺の理解がラヴァル大主教には欠けておられるのでは?」

「若造ごときが図にのるなよッ!」

 

 怒りのあまり顔を真っ赤にしてラヴァルは咆吼し、ド・ヴィリエも負けじと礼儀上は完璧ながら相手を小馬鹿にしていることが透けて見える態度で言い返し、もはや議論というより批判合戦になってきたので、議長代理のパヴェンが制止した。

 

「双方ともやめるのじゃ。ラヴァル大主教、怒りのままに罵倒するなど高位聖職者にあるまじき行いじゃ。ド・ヴィリエ大主教も年長者に対していささか敬意に欠けた言動が多々見受けられるゆえ注意せよ。小生らは皆、母なる惑星の子、兄弟なのじゃ。互いに愛と尊敬をもって接するべきであるし、仮にも枢機の地位にあるならば理性的に議論すべきじゃろうて」

 

 この制止には効果があったようで、二人とも互いに己の非を謝罪しあい、和解の握手を交わした。あくまで表向きは……仕方なく……一時的に……という、言語化されない前置きを円卓の全員が両者のぎこちなさから感じ取り、パヴェンもだめだこりゃと半分呆れて深いため息をついた。

 

 しかしそれで頭にのぼった血はいくらか冷めたようで、それぞれの主張の長所と短所をあきらかにしていき、どちらがより現実的な方策であるかという建設的な討議がはじまった。議論の中でさまざまな質問を投げつつ、枢機局の面々はどちらの案を支持するべきかと頭を悩ませる。もし人望と陰謀の才能が比例するという法則でもあるのであれば、なんら迷うことなくラヴァルを支持したであろうが、現実はそう単純明快な世界ではなく、いけ好かないド・ヴィリエの主張も十分な説得力を有している。ましてやことは地球教の存続にかかわる重要な問題であり、個人的な好悪の感情に縛られることなく慎重な判断が必要であるように思われた。

 

 数時間にわたって真剣な議論が続けられたが、それでもなおどちらの方針でいくか決定することができず、そろそろ体力的な限界を感じてきたパヴェンが「枢機各位が懸命に議を尽くしておるが、このふたつの方針のどちらかしかないという点では全会一致できるはずじゃ。ならばこれを枢機局の結論として報告し、総大主教猊下の御聖断を仰ぐべきじゃなかろうか」と提案し、ラヴァルは渋ったが、ド・ヴィリエが即座に賛成し、他の枢機も次々に賛成したので、形勢が悪いとみてラヴァルも賛成した。

 

 総大主教が体を休めている部屋へと彼らが移動し、天蓋つき寝台に横たわる総大主教にパヴェンが代表して絹の覆い越しに枢機局会議の結論を報告した。するとさらに両案の詳細情報をもとめられ、最初にラヴァルが、ついでド・ヴィリエが、それぞれ自案を解説した。総大主教はしばらく悩むように沈黙したのち、「ド・ヴィリエの方針を良しとする」と聖断をくだした。ラヴァルはショックを受けた様子ではあったが、聖職者として総大主教の聖慮に背くことなどできない以上、承服するしかなかった。

 

 いっぽう、ド・ヴィリエは総大主教の聖断を受けて他の枢機といくつかの実務的課題について討議し、それが終わると自分の執務室に戻り秘密の隠し戸からワインボトルとグラスを取り出して戒律で禁じられた飲酒を楽しみながら、枢機局会議などという演劇を演じなくてはならない自身の境遇を自嘲した。教団本部が壊滅してから、ここまで組織を再建したのは自分の力量によるものがほとんどであり、現在の実質的指導者は自分である、という自負が彼にはあった。それは傲慢によるものではなく、九割方事実であった。

 

 寝台に横たわっている総大主教は自身の術中にあるし、枢機局にいたってはもはやお飾りにすぎない。枢機局会議でなにかしらの議題を決議して命令を発することができたとしても、枢機局命令を教団組織の各部局に通達する役割を書記局が独占的に担うように教団組織を再編したのだ。ゆえに命令解釈権は総書記代理である自分にあり、命令の曲解も拡大解釈も有名無実化も思うがままだ。だから実質的な指導者は自分であるとド・ヴィリエが思うのも当然である。

 

 では、なぜこんな回りくどいことをしているかというと……。遺憾ながら自分には人望が欠けている、と、ド・ヴィリエは自己分析できたからである。総大主教の寵愛を受けてその腹心として若くして出世したことに対する古参聖職者の反感と嫉妬からくるものであろう。それは腹立たしいことであるが、だからといって粛清してしまっては教団組織の全体の勢力がさらに衰えることになる。そんなことになっては、銀河を舞台に陰謀を巡らすことなどおぼつかない。だから人望がある老害どもをお飾りの枢機局に放り込み、地球教徒の求心力を高めなければならなかった。

 

 そうである以上、ド・ヴィリエは枢機局の面々に自分たちがお飾りであることを気づかせないことに細心の注意を払っている。自分のことはよく使える陰謀家であり、出世とかの野心は薄いと思わせて警戒を解かせ、不快だが便利な道具にすぎないように思わせなくてはならないのだ。そのために大小様々な配慮をして自分が最高幹部の末席であるように表面上見せかけている。それこそ枢機局名簿の序列を年齢順にして自分の名前を一番下にするなどという子供騙しみたいなことまでやるほど気を使っている。だが、その馬鹿馬鹿しい茶番を長々と続けているとド・ヴィリエ本人がやってられない気持ちになるのだった。

 

 ましてやラヴァル以外、自分が大きな権勢を誇っていることに危機感を抱いている節がまったくないとあっては! そのラヴァルにしても書記局の権限が巨大すぎることを警戒しているだけであって、総大主教の異変にはまったく気づいている様子がない。やつも切れ者のはずであるが、信仰心ゆえに神聖不可侵を盲信して総大主教に疑問を抱けなくなっているとしか思えない。まったく狂信者っていうやつはこれだから!

 

 同じ地球の子たる兄弟たちの愚劣さを内心で散々罵倒すると、多少は気が晴れ、ド・ヴィリエは執務机においてある固定電話の受話器をとり、連絡先の電話番号をプッシュした。

 

「もしもし、ホイッチア精神病院ですか。そちらでお世話になっているアンデルセン・ショタコヴィッチの関係者ですが、主治医のオードリー先生はいらっしゃいますでしょうか。患者の経過を伺いたいのです」

 

 すぐにそちらにおつなぎしますと返事をして、コールセンターのオペレーターは目の前のあるパソコンにアンデルセン・ショタコヴィッチと検索してカルテを取り出し、その主治医がシャーロック・J・オードリーになっていることを確認した。ついでオードリーが今どこにいる予定になっているか予定録をデータの海から検索して呼び出し、この時間は自室で休んでいることになってたので、そこに電話回線をつないだ。

 

 就寝していたところを固定電話のけたたましい呼び出し音で起こされ、オードリーは不機嫌そうに受話器をとった。

 

「はい、オードリーです。どちら様ですか」

「書記局だ。形式は整った。予定通りの手筈で対象を確保せよ」

 

 有無を言わせぬ迫力を感じさせる声に、オードリーの眠気は吹っ飛び、使命感に打ち震える声で返答した。

 

「了解しました。お任せ下さい。猊下」

 




ぶっとんだ価値観からくる純粋な善意と正義で行動する本作の地球教。
唯一例外であるド・ヴィリエみたいにまっとうな価値観を持ちながら悪意でやらかすのとどちらがましであろうか。


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フェザーン事情

 四月一〇日。おそらくこんなものが自分の手元に送られてきた遠因は、遠征に先立って皇帝ラインハルトがブルーノ・フォン・シルヴァーベルヒ工部尚書にフェザーンの内政に関する広範な権限を与えことにあるのだろう。フェザーンにおける秘密組織の活動を統括するベルンハルトは自分宛の手紙を読みながら、漠然とそう思った。

 

 元々将来の遷都を見越して皇帝ラインハルトはシルヴァーベルヒを帝国首都建設長官に任じていた。新帝国歴一年八月にフェザーンへの大本営移転と近い将来の遷都がおおやけに発表されたからには、帝国首都建設本部にその使命を遂行させるために必要な措置ではあった。しかしこれのために、フェザーンは現在二重行政に陥っている。フェザーンの統治機構として、既に元帝国駐在弁務官ニコラス・ボルテックを長とするフェザーン代理総督府が存在したからである。

 

 旧帝国暦四八九年末の時点では、ボルテックに“銀河帝国の一部としてのフェザーン統治権”を与えることは、それほど問題のあることではなく、むしろ帝国の政略の上からいって望ましいとすら考えられていたのだ。当時既にラインハルトはフェザーンを帝国政府の直接統治下におく構想をいだいてはいたが、いきなり直接統治なんてすると独立不覊の精神旺盛なフェザーン市民の反感を買うことは必定であることも理解していた。だからこそ、ボルテックを代理総督としてフェザーンを任せ、しばらくは間接統治で様子を見ようとした。そしてもしボルテックに帝国支配に対する不平派をおさえる力量がないようなのであれば、彼はフェザーンの統治権を守るため独立派のみならず不平派の弾圧にも狂奔するしかない。するとフェザーン市民の憎悪と反感はボルテックのほうに集中せざるを得ないし、頃合いをみて暴政からの解放と称して帝国軍を大規模進駐させてボルテックを処罰すれば、フェザーン市民の大半が帝国による直接統治を歓迎することであろう。

 

 そうした思惑で帝国はボルテックにフェザーンを任せたわけなのだが、結果論からいえばこれが誤算だった。そのフェザーン市民に被占領者感情を薄れさせる、もしくはボルテック代理総督が無能ゆえに不平派の怒りを買う時間もないうちに、同盟駐在帝国弁務官レンネンカンプの独断暴発を切欠として同盟政府が極度の混乱状態に陥り、統治能力を霧散させてしまうなど予想外もいいところで、急変した銀河情勢から帝国は早急に自由惑星同盟を征服して併合してしまわなければならなくなったのだ。そしてその点から考えると、旧帝国領であるオリオン腕と同盟領であるサジタリウス腕のちょうど中間に位置するフェザーンの重要性は飛躍的に高まり、フェザーン市民の反帝国感情の成り行きをのんびりと見守っているわけにもいかなくなったのである。ゆえに時期尚早と理解しつつも、皇帝ラインハルトはこのタインミングで遷都を決断したわけであった。

 

 当然、ボルテックからすればおもしろくないどころの騒ぎではない。完全に帝国側のみの事情で、自分のフェザーン統治権が奪われそうになっているなど冗談ではなかった。ボルテックは帝国政府に代理総督府のフェザーン統治権を侵害しないよう主張した。その際、特に強調したのが、自分の代理総督の地位は皇帝ラインハルトから直接賜ったものだということであり、そして帝国支配に不満を抱く不平派を抑えているのは自分であること。ゆえに統治権侵害は、皇帝の威光を損ねるばかりではなく、フェザーン市民の被占領者感情、反帝国感情を増大せしめることになるだけで、百害あって一理なし。フェザーンの立地的条件から考えると妥当なので遷都方針そのものには反対はしないが、中央政府の統治権は宮廷及び官庁街に限定されるべきで、他はすべて変わらず代理総督府が管轄すべきなのである。

 

 ボルテックの主張は正論ではあったに違いないが、帝国政府からするとそんなことに斟酌(しんしゃく)している余裕はなかった。人類社会統一の機運が急速に高まっている時代的情勢が、フェザーンの帝国首都化を切実に要求しているのである。人類社会を統治する銀河の第二王朝として、十全に役目を果たすための強固な土台を築くという歴史的使命の前には、多少強引であってもやらねばならないのであった。皇帝からの勅任官であることを考慮し、ボルテックが解任されることはなかったし代理総督府もそのまま存続したが、軍務尚書オーベルシュタインが謀略をもって代理総督府への公然としない攻撃を開始し、代理総督府が混乱して業務が停滞している隙をついてシルヴァーベルヒがまんまとフェザーン中枢行政区画の実質的統治権を掌中におさめたのである。

 

 これについて工部省は代理総督府が職務過剰になって業務が滞りがちだったための処置であり、内閣の許諾も得ていると説明した。七割方のフェザーン市民はやや怪しく思いつつも工部省発表を受け入れたが、最初から帝国に反発しかない不平派は偏見を持って真実を言い当てていたし、政治的嗅覚の鋭いものたちも真相を推測できていたが、逆に言えばそれくらいではないと深刻な違和感や反発を抱けないほど華麗極まる陰謀劇であった。当事者であるニコラス・ボルテック代理総督としては、なんとか反撃して工部省から奪われた統治権を取り戻したいところであったが、工部省の権限の強大さとその長たるシルヴァーベルヒのつけ入る隙のなさのために手詰まりに陥っており、最近は味方集めに奔走しているという。

 

 そのための方策のひとつが、代理総督府主催のコルネリアス・ルッツ上級大将のフェザーン方面軍司令官就任ならびにアウグスト・ザムエル・ワーレン上級大将の出征を記念して、フェザーン各地の名士を招いて歓送迎会を執り行うということなのだろう。ベルンハルトが手に持っているのはその歓送迎会の招待状を執務机に置いて、嘆息した。

 

 おそらくはオーベルシュタインを嫌っている軍高官を味方につけて対抗しようとしいう思惑によるものなのであろうが、フェザーン遷都ひいては直接統治は皇帝ラインハルトの意向によるものである。たとえルッツとワーレン両提督と接触し、彼らの好意を勝ち取れたとしても、主君の意向に反する代理総督府の権利を回復するために協力するとは思えず、熱意が空回りしているように感じられた。

 

「やはりそう思うかね」

 

 そうした見解を語ってみせたところ、組合長はやはりそうかというふうな反応をした。ベルンハルトは上層部に秘密組織の構成員をフェザーンに増やす使命を帯びており、秘密組織の構成員を潜り込ませるにしても、現地で新たにスカウトするにしても、表立った地位が必要であった。そこで彼は一年ほど前から独立商人や中小の運送会社に仕事を斡旋し、その仲介料によって利益を得ているケルアン星間輸送組合のひとつであるケルアン組合の組合に就職し、運営委員会委員と情報分析室指導顧問の役職を兼任して組合内で確固たる地位を築いていた。

 

 両職とも高位の役職であり、経験と実績ある古参組合員でなければ普通はなれない地位なのであるが、ベルンハルトが星間輸送組合員になることを望んでいると知ると組合のほうからこの役職を提示した。というのも、ベルンハルトが非常に得難い人材であり、組合が直面している危機もあって、なんとしても掴み取らなくてはいけないと考えられたからだ。

 

 そもそもベルンハルトはフェザーンでかなりの知名度を持っていたフリーランスの帝国通ジャーナリストだったからである。彼が秘密組織の前身であるゲオルグの情報網の一端を担うようになったのも、彼が帝国に取材出張した時に情報源として魅力的だと思ったからであった。ゲオルグも保身があるためさほど重要な情報をあたえたりはしなかったが、得た情報同士を関連づけて真贋を見抜くベルンハルトの情報解析能力は非凡なものであり、それらを編集して読者にわかりすい文章を構築する才能に恵まれていた。そのため、ベルンハルトが新聞や雑誌に寄稿した記事は、切り込みが鋭く、説得力があり、かつわかりやすいと読者から評判だった。ベルンハルトに情報分析室指導顧問の地位を与え、組合長がこうして相談に来ているのもまさにその知名度と実績ゆえである。

 

「でも歓送迎会をひらいてフェザーン中の名士を集める、というのは良いことではあると思いすし、代理総督と直接意思疎通をはかれる場であるというだけで、かなりの価値があると思われます」

「言われてみればたしかに。ではボルテックの主目的はそちらか。両提督と誼を通じるのはあわよくば、というわけか」

「おそらく」

 

 組合長は何度か頷いた後、あたりを警戒する表情を浮かべ、小声で問いかけた。

 

「ボルテックのやつと接触しているところを内国安全保障局に一網打尽にされる、ということはあるまいな」

 

 現在、フェザーン市民は立場の違いで二分、いや、三分されている。親帝国派、不平派、独立派、この三派閥に。良心的報道姿勢で知られるあるメディア会社の調べによると、現在の勢力図は、親帝国派五五、不平派三九、独立派六、といったところであるらしい。

 

 親帝国派は帝国支配肯定派であり、激変する環境の中で活躍して成り上がろうとする者たちだ。不平派はフェザーンが帝国領になることはともかく、帝国人に直接支配されたくないといった代理総督府の主な支持層。独立派は帝国を追い出して自治領を復活させようとしていて、中には反帝国テロを行う過激派も内包している。帝国政府・代理総督府両者にとって独立派は弾圧対象であるのだが、一部の不平派が情緒的に独立派の活動を支援している例が少なくなく、そのため帝国政府は独立派検挙に応じて不平派も切り崩そうとしており、代理総督府は口封じのために独立派弾圧に躍起になっていて、両府に協力関係が生じることはまずない。

 

 なぜこんなことになったかというと、少し長くなるのだが、もともとは帝国軍のフェザーン占領によって、多くのフェザーン企業が大損害を被ったことにある。特に同盟側の会社を中心に大きな取引をしていた企業は破滅的損害を被っていた。もはや敵国である同盟領への民間の通行を禁止したため、対同盟貿易が完全に停止され、フェザーンのあちこちで納品できずに積み上がった大量の商品が眠る倉庫や部品が輸入できずに停止状態の工場などが現れて、企業は大赤字を余儀なくされたのである。バーラトの和約発効後、同盟側への通行が民間にも許可されたが、肝心の取引先の企業が戦争の混乱の中で社員が散り散りになって崩壊しているという嘆かわしい状況に陥っていたので、少なくないフェザーン企業が途方に暮れた。

 

 元凶である帝国政府はというと自国の軍事行動の間接的被害であるとしてフェザーン企業ごとに損害額に応じた戦災支援金を出したが、とても損害を補填できるような金額ではない微々たるものであった。とてもその経済的打撃から立ち直れず、同盟との関係が深かったフェザーン企業は立て続けに倒産していった。それとは対照的に戦争中も取引が行われたためにたいした損失を出さなかった帝国とのみ関係が深いフェザーン企業が躍進したわけであるが、これも昨今、揺らぎつつあるのだった。

 

 名実ともに人類社会の統治機構であることを望む帝国政府の立場からすると、フェザーン企業が宇宙全体の経済を牽引する存在であり続けられると困るのだ。過去の自由惑星同盟とゴールデンバウム王朝がそうだったように、フェザーンの経済力による介入で政治が振り回されたという、近代の悪例からローエングラム王朝は学んで対策を施さなくてはならない。別に帝国政府が人類社会全体の経済活動を統制しようというわけではないが、経済的主導権は帝国が握っておいたほうが健全な政治を行いやすかろう。

 

 そういった考えのもと帝国工部省は国営同業者組合に大規模な資本投下を行い、そのサービス向上に尽力した。結果、フェザーンの独立商人や中小企業はフェザーン古来の私営同業者組合より帝国の同業者組合で仕事を受注するようになっていった。ひとつには帝国軍の侵攻を読めなかった無能な私営同業者組合のために大損をこいて反感を持った者が多数いたこと、帝国の支配圏拡張に伴い国営同業者組合のほうが多種多様な仕事を仲介してくれるためでもあった。とりわけ豪商の横暴に泣いていた中小企業や既存秩序への反発心旺盛な若い世代が、帝国国営同業者組合の有能さもあいまって多大な利益をあげられたので続々と帝国の支持者へと変貌していき、工部省もそれを察して意図的な優遇政策をとってフェザーンの経済活動を吸収する形で帝国の経済界との一体化をはかっていた。

 

 いうまでもなく、この政策のいちばんの被害者はフェザーンの伝統ある私営同業者組合である。中小企業や独立商人の目には遥かに優秀な帝国国営同業者組合と無能ないくつかの私営同業者組合というふうに認識されてしまい、顧客を大量に奪われてしまったのである。ベルンハルトが就職したケルアン組合も似たようなもので、伝統と信頼ゆえに変わらず取引をしてくれる企業も少なくないとはいえ、このままでは組合存続の危機であるという程度には追い込まれていた。だからこそ知名度があるとはいえ、新参者に過ぎないベルンハルトがあっさり運営委員兼情報分析室顧問になれたわけである。

 

 こんな状況であるわけだから、ケルアン組合をはじめとした同業者組合は自分たちの顧客を奪う帝国の政策に反発し、とても複雑な心境ながら売国奴であるボルテックの代理総督府を会社と生活のために支持しており、生き残った豪商たちにしても新規勢力の参入で市場を荒らされるのは困るので同じく代理総督支持という状況にある。当然、帝国からすると、まったくもって好ましくない事態であるので、工部省を筆頭に帝国政府の省庁が、代理総督府の支持層を切り崩さんとさまざまな工作を展開している。その中で特に派手に活動しているのが内国安全保障局であり、彼らはフェザーン独立派と不平派企業にある程度関係がある証拠を発見すると、それを盾にして連座で捜査対象にして拘束したりするのである。それを組合長は警戒しているのだろう。

 

「……可能性がないとは言いませんが、建前がワーレン・ルッツ両上級大将への祝辞なわけですから、とても低いかと」

「そうか、なら、行くべきだな。行政の都合でこれ以上市場を荒らされてはたまらん」

 

 こうしてケルアン組合の重要人物たちは代理総督府主催の歓送迎会の誘いを受けることにした。

 

 歓送迎会は四月一二日の一九時三〇分から高級ホテルを丸ごと借りて開催された。主賓のうち一人、アウグスト・ザムエル・ワーレンの左腕の義手の調子が悪いため、調整のため遅れるということを聞いて、ボルテックが堅苦しい祝いの言葉はご両者が揃ってからにしようと述べ、少々しまらないが流れのままに立食会という感じになった。

 

 参加者の中にオーベルシュタイン軍務尚書や帝国化の時流にのって大儲けした成り上がり大富豪たちといった不平派にとっての敵も確認し、ベルンハルトはボルテックの厚顔さを過小評価していたのだと思い知らされた。なるほど、こういった政敵も公然と招いておけば、本当に両提督を祝うためにフェザーン中の名士を集めただけであって、不平派のみが結集してよからぬ反帝国的謀議にふけるつもりはないという証拠にしようとしているのだろう。

 

 オーベルシュタインがホテル内のロビーで幾人かの軍人で会話しているのを中庭からガラス越しに遠目で確認すると、今度はシルヴァーベルヒが中庭の真ん中を挟んで自分の反対方向で不平派の豪商数名と会話しているのをベルンハルトは確認し、彼らの近くのテーブルの食事をとりにいくようにみせかけた自然な仕草で接近し、会話を聞き取ろうと側耳をたてた。

 

「いやはや、工部尚書閣下の辣腕はたいしたものです。すでに帝国首都化として一部の工事もすでに実施されつつあるというではありませんか。なんとも素早いことです」

「これではこのフェザーンを新帝都に改造するのも一、二年ですませてしまうのでは? さすがに皇帝陛下がお住まいになられる広大な宮廷は、すでにあった都市を改造するのではなくゼロから建設していかなくてはならないわけですから一〇年、いや閣下なら五年で完成させてしまうかもしれませぬな」

「工部尚書閣下が皇帝の御意に迅速にこたえようとしているがゆえに行動力のある若者たちを重用しておられるのでしょうが、それでもちょっと行き過ぎですよ。もう少し、私たちのような歴史ある企業に仕事を任せてもらえないものですかな。……ぶっちゃけますと、最近本当に経営がきついんですよ」

 

 豪商たちの洗練された作法、失礼にならない程度の口調と音量で、いじましい苦情と不満を告げる豪商たち、それに対して、

 

「そうですか、いや、それならありがたい! あまりにも壮大な規模の帝国首都化計画なので、まだまだ人手が欲しくてたまらない状況なんですよ。皆様が私ども工部省の事業に参画してくれるなら、工部省としてはとても嬉しい。もちろん、心配しなくても報酬ははずみますよ? 陛下はたいへん太っ腹な方で、旧王朝時代だとちょっと考えられないほど潤沢な予算を私にあたえてくださりましたからな」

 

 と、シルヴァーベルヒが豪快に微笑みながら提案する。逆撃を受けて豪商たちがいやはや手厳しいですなと苦笑しながらかえしていた。どうやら帝国側もこの歓送迎会を不平派を取り込む説得の場として活用しようとしているようだ。事実、話を聞いた豪商の何人かが一瞬表情を取り繕えていなかった。

 

 もとより、自治領時代からのフェザーンの有力者たちにとっては財界における自分の立ち位置が揺らいできたことから団結しているだけであって、それが許されるなら利己的に自分だけ新体制へと抜け駆けすることもありうる。それはなにも不平派に限らず、親帝国派も同じだ。自分たちに利益がある仕事をやらせてくれる環境を整えてくれるから帝国を支持しているだけであって、帝国がそのための努力を怠るようなのであればあっさりと不平派や独立派に鞍替えすることだろう。同盟人や帝国人と違い、商業主義が色濃い国で育ったフェザーン人は基本的に自分が所属する地域や組織への愛着が薄く、よりやりがいのある仕事がしやすいほうへと流れやすい。

 

 そのあたりの国民性を利用して、売国奴の代理総督は支持を集めようと涙ぐましい努力しているのであろうが、ベルンハルトのみるところ、形勢を逆転するのは容易なことではないだろう。それこそ、帝国自身が大きくフェザーン人の反感を買う失態でもしない限りは……。そう思いつつ、シルヴァーベルヒがどのような文句で不平派豪商を惑わすのかと興味を抱き、それを肴にしてベルンハルトは手に持ったワイングラスを口元に運んだ。

 

「盗み聞きとは感心しませんな」

 

 唐突に声をかけられ、ベルンハルトは驚いてワインを気管に逆流させてしまってむせた。ゲホゲホと咳き込んで息をととのえ、声をかけてきた人物の方を向いた。自信に裏打ちされたようなふてぶてしい面構えをした白髪の青年軍人で、階級は准将。軍務勤務であることを示すワッペンもある。その情報だけで目の前の人物がだれであるか見当がついた。

 

「これはこれはフェルナー准将ですかな? 軍務尚書閣下の腹心ともあろうお方が私ごときに声をかけてくださるとは大変恐縮でありますが、もう少し話しかけるタイミングを考えてもらえませんかな」

「それは失礼。しかし自己紹介をするまでもなくベルンハルト殿は私がだれかわかりましたか」

「ご冗談を。軍務省官房長を務めるあなたの顔がわからないわけがないじゃないですか」

 

 アントン・フェルナー准将は軍務省官房長と調査局長を兼任しており、不平派の間では彼もまた調査局を使って明確な反帝国活動を行なっている独立派の情報を熱心に収集しており、上司のオーベルシュタインを通じて憲兵隊や内国安全保障局を動かしていると専らの噂だった。内国安全保障局ほど目立ってはいないが、彼もまた不平派のフェザーンの自立性強化の動きを警戒し、阻止しようとしている中心人物の一人であると目されている。

 

「私としては、准将閣下が私の名前を知っていたという方が驚きですがね」

「謙遜ですか。あなたの名前は旧王朝の頃の帝国上層部ではそれなりに有名でしたよ。いったいどのようにして情報統制の網の目を抜けて、スキャンダルを掴んで記事にしているのかとね。調査局の一員として情報収集任務にかかわることも多い私としても大いに気になります。その手法を教えてもらえませんか」

「構いませんが、聞いたところでたいして参考になるとは思いませんよ? “口軽ければ耳が遠くなる”という(ことわざ)がありますように、帝国の当局が情報源が特定できないように注意しながら記事にしていただけです。その信頼と実績だけで、常日頃は言論統制のために言いたいことも言えず、鬱憤を中に溜め込んでいた高官どもは口を軽くしてくれたのです。言葉にするのは簡単ですが、難しいどころではないですよ」

「あなたの注意力とコミュニケーション能力の賜物である、と。そのわりには、先ほどのように工部尚書の会話を盗み聞きしていたようですが」

「お恥ずかしいですが、帝国専門ジャーナリストの職業病みたいなものです。背景に紛れてお偉方の会話を盗み聞くという手法も使ってましたからね。ですが、これはちょっと危険がありすぎるので多用はしませんでしたよ。変装とかもしなくていけなくて一々手間ですし、多用しすぎて社会秩序維持局に目をつけられて行方不明になった知り合いの同業者を何人か見たので」

 

 帰らぬ人となった幾人かのジャーナリストの顔を脳裏に浮かべつつ、ベルンハルトは微笑みを浮かべた。

 

「なるほど。しかしそれほど取材力があって、力のある書き手のあるジャーナリストが落ち目のケルマン組合に就職したとは驚きだ。どうしてフリーランスをやめようと?」

「現皇帝陛下のおかげですよ。開明改革で実施された規制や統制の大幅緩和で、おおがかりな秘密のヴェールの内部にメスを入れて記事にする私のような人種には少々やりづらくなりまして。要は物書きだけで生活をやりくりするのが難しくなったのですよ」

「だからといって、ケルマン組合でなくてもいいでしょう。あなたならもっと良い職場に就職できたでしょうに」

「……」

 

 ベルンハルトは無言で目を細めた。突っ込んだ話をずけずけとしてくるので、疑念を抑えられなくなりつつあったのだ。フェルナーは話しかけてきた時と変わらない涼しげな顔のまま平然としているが油断はできない。ただの好奇心、興味から問いかけてきているというのなら、かまわない。だが、なにか疑念があって自分を探りにきているのだとしたら?

 

 探りにきているとして、いったいどういう疑惑で探りにきているのか。自分が秘密組織のフェザーン地域担当の責任者として、不平派拡大工作の指揮をとっていることについて? いや、それはない。そこまで掴んでいるのだとすれば、こんな悠長なおしゃべりではなく、権力行使に訴えて自分を拘束してなければおかしい。となると、秘密組織のことはバレていないはず。となると、自分が一個人として不平派の影響が色濃い裏社会に出入りし、そこで大きな影響力をしばしば行使していることか。それが一番可能性が高いだろう。おそらくなぜ裏社会でそんなに大きい影響力を持っているのか。それを探りにきているのだろう。

 

「いやなに。どうせなら自分が指導部に参画できるような立ち位置につける職場がよかっただけだ。国営組合だとそうはいかな――」

 

 ベルンハルトが言葉に注意しながら返答したが、それは途中で遮られた。ホテルが大爆発して、言葉を続けるどころではなくなったからである。ベルンハルトたちはホテルの中庭あたりに出ていたので無事だったが、ホテル内部には火の手があがり大変なことになっている。スプリンクラーが作動しているので消化はできるだろうが、ホテルの中で社交していた者たちの安否が気がかりな状況であった。

 

 フェルナーは話している場合ではないと口を開けて唖然と立ちすくんでいるベルンハルトを放置し、即座に現場の混乱を抑えようと行動を開始したが、爆発時にホテルの中にいた被害者からの証言でオーベルシュタイン元帥とルッツ提督が中にいて気を失って倒れていたと知らされると、さすがの彼も普段と変わらない自信家としての表情をたもてなくなり、現場の混乱をとどめられるか不安を感じずにはいられなかった。

 

 しかし幸いにも義手の不具合のために遅れていたワーレンが爆発から数分後に到着し、現場をなんとかまとめようと努力していたフェルナーから事情を聞きだすと、救急車や消防隊の出動を手配して、それが終わると混乱のただなかにある人々に安心感をあたえて落ち着かせることに専念した。会場付近で爆発が発生したことを察した瞬間にワーレンがどこでもいいから一個大隊引っ張ってこいと部下に連絡させており、彼らがくれば不安から恐慌状態に陥るまいと考えていたのである。

 

 幸いにも同時刻、ブロンナー大佐率いる新編部隊が近場で訓練中であったこともあって、ワーレンの予想よりも早く現場に駆けつけ、一人一人地道に対応していくという堅実な手法をとって、現場の沈静化に難なく成功した。

 

 このテロによる死傷者は四一名、いずれも帝国で高位の役職にあった者や経済界で主要な地位をしめていた者たちで、受けた損害ははかりしれないものがあった。不幸中の幸いとして、軍務尚書オーベルシュタイン元帥、フェザーン代理総督ボルテック、フェザーン方面軍司令官ルッツ上級大将は入院を余儀なくされたものの、生命に別状はなく経過も良好であり、工部尚書シルヴァーベルヒにいたっては軽傷のみですんだため、帝国の最上位層は全員テロによって歴史の舞台から退場することをまぬがれた。




ボルテック並びに代理総督府の心境を強引に第二次世界大戦後日本にたとえて説明

日本政府「米国の管理下だけど、なんとか自主権は確保できたぞ」
〜それから一年後〜
米国政府「共産圏を滅ぼして米国領に組み込むことにしたんだが、新大陸と旧大陸の中間点に位置して設備も整っている東京に遷都しようと思うんだ。だから関東圏の統治権寄越せ」
日本政府「ファ?!」


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怪奇な闘志

 フェザーンにおけるテロの仔細な報告がラインハルトのもとに齎されたのは、四月一九日のことである。オーディンで昨年一二月に旧王朝残党勢力によるクーデターがあったわけで、帝国首都と策源地で無視できぬ政治中枢を狙った攻撃をくわえられたことは、帝国軍上層部に大きな不安をいだかせたが、ラインハルトの征旅の決意は一切揺らがず、遅ばせながらワーレンに麾下艦隊を率いて馳せ参ずるように重ねて命じた。

 

 現地の軍高官たるオーベルシュタインかルッツのどちらかの生命を奪われていたというのなら、さすがにリスクが大きすぎると遠征継続を断念したかもしれないが、両者ともに入院こそ免れなかったようだが、経過は良好で近く退院できるという程度なのであれば、フェザーンの治安は彼らに任せていても大丈夫であろう。政財界の有力者に数十名の犠牲がでていることも心配といえば心配であるが、工部尚書シルヴァーベルヒは健在であり、当人から「私と技術官僚たちがいる限り、フェザーンの統治に憂慮する必要はない」と力強い通信を送ってきており、ラインハルトはその自信を信頼してよいはずである。

 

 大局になんら変化の兆しがないことにテロの首謀者が焦慮して再度の犯行を企図するのであれば、オーベルシュタインらも仕事がやりやすかろう。そんな思惑もラインハルトにはあった。そしていささか倒錯した感情ながら、このような時期に大それたことを計画して尻尾すら掴ませぬような者であれば、高まった警戒の中で再度大胆な犯行をやり遂げてみるがいい。それならテロリスト相手といえども、多少は叩き潰しがいがあるかもしれないという、覇者らしくもありどこか子どもっぽい期待すらしていたのである。そのような考えの下、銀河帝国皇帝率いる軍隊はイゼルローン回廊への侵入を果たしたのである。

 

 一方、エル・ファシル独立政府もそれに呼応して惑星エル・ファシル無防備宣言を出し、政府首脳部はイゼルローン要塞へと避難した。ともすれば民衆を見捨てて政府首脳が自分たちの身の安全を守るためだけに要塞と軍事力をイゼルローンへ集中させたとも解釈されかねない行為であり、ヤン・ウェンリー軍は民主主義的に問題があるのではと懸念をいだいたが、その点について政府主席ロムスキーから民選革命議会の全会一致による支持を得ていると説明された。ヤンはその説明に完全に納得したわけではなかったが、形式的にはそれほど問題があるわけではないと理解したし、政府首脳も要塞内部にいるのであれば膨大な帝国軍を狭い回廊内に誘引する要素を増やせるという効果を戦略家として考えざるをえなかった。

 

 皇帝ラインハルトとヤン・ウェンリー。両者が同時代において互角の宿敵同士であった。どれほど否定的に物事を解釈する者であっても、純軍事的な用兵家としては間違いなくそうであったといい、同時代においても後世においてもそれは変わらない。しかしながら最後の決戦となったこの回廊の戦いは、後世の戦史家から必ずしも高い評価を得ていない。

 

 なぜかというと、全体として帝国軍が兵力にものをいわせてヤン・ウェンリー軍を圧殺しようとし、戦術を軽視しているという面が拭いきれないからである。大軍に細やかな戦術など不要であるとしても、あまりにも拙い戦い方をして、多大な流血を招くという割に合わない消耗戦を敢行したというふうに評価されているのである。総指揮官たるラインハルトが戦闘中に高熱を発し、体調が思わしくなかったというのも、そういう拙い戦い方を選んだ理由ではあったかもしれない。だが、損害を無視した手段を選ばぬ物量作戦は、敵の心理を読んでその間隙をつくタイプの戦術家であるヤンにとっては一番対処に困る戦い方であったことは否定できず、帝国軍は戦術的にはともかく戦略的には至当の行動をしたとも評価できる。

 

 だが、それも五月一六日に終わりを告げた。帝国全軍に一時撤退の大本営から命令がくだったのである。兵士や下級士官は純粋に一息をつけることを喜んだが、二週間近い消耗戦を指揮し、ある程度戦況を把握している高級士官は喜ぶわけにはいかなかった。

 

「撤退!? 撤退だと!! 大本営は何を考えているんだ。ここで兵を引くなぞ、今までに散った者たちの死を無為なものとし、敵に休息と再編の機会を与えるだけではないか! 皇帝(カイザー)は戦いではなく流血をお好みであるかッ!!」

 

 その中の一人であるアルフレット・アロイス・ヴィンクラー少将は撤退命令が届いた時に不敬罪に問われかねないことを叫んだ。彼はカール・ロベルト・シュタインメッツ上級大将の麾下にあった分艦隊司令官として参戦していて、シュタインメッツが戦死してからはビッテンフェルト上級大将の指揮の下、今日に到るまでヤン・ウェンリー軍とずっと激戦の只中にあったのだ。

 

 将官として十分な才覚を有する彼は、皇帝と大本営が意図するところは兵力の圧倒的なまでの数的優越を活かし、休むことなく敵に攻撃をかけつづけて心身共に疲弊させる消耗戦であると認識していた。にもかかわらず、敵を消耗させて撃破する前に回廊の外に撤退? 帝国軍の戦死者はすでに二〇〇万を突破しており、正確な数字を把握してはいなかったが、いまさら引いて戦略を練りなおせるような段階でもあるまいとヴィンクラーは思っていた。さらにいえば、自分の上官であり、戦死により元帥に昇格したシュタインメッツの仇討ちをできる好機を逃すわけにはいかないという感情もあった。

 

「ですが、たしかに無視できぬ損害を生じているのはたしかですので、一旦体勢を立て直そうと考えているのでは。同じ休息の時でも、今まで休む暇がなかった敵軍と異なり、我が軍のほうが回復もはやいでしょう。一時の休息で気が緩んだところで再攻撃、というところなのでは」

 

 そう意見したのは、同盟領の再遠征に際して少将の幕僚となったルムリッヒ・クム少佐である。二年前は中佐で、司令官を暗殺して叛乱勢力ごとブルヴィッツの現地住民を虐殺した辺境独立分艦隊の作戦参謀を務めていた。そのため、統帥本部訓令違反、上官暗殺謀議、命令偽造による民間人虐殺、偽装報告等、全部で九件の容疑で軍法会議にかけられたが、一階級降格と三〇〇帝国マルクの罰金のみで赦されたという曰く付きの軍人である。

 

 軍法会議の被告席でクムは堂々と自説を主張した。

 

「私はクレメント少佐と共同して強硬論を唱えていたから、これは統帥本部の地上戦禁止の訓令に背いているという容疑であるが、上位者の命令を墨守するだけなのであれば作戦参謀など無用の長物である。当時、ブルヴィッツ軍が卑劣に民間人を人質にとっていたことを思い返してもらいたい。そういう事態にあっては地上戦を敢行し、生命の危機に瀕している人質を救出することのほうが、新時代の帝国軍にあっては統帥本部の訓令を墨守することより優越すると考えたのみである。軍規則上、司令官に作戦参謀が提案するのはなんら問題がないどころか、やらねばならない職務であるはずだ。

 次に上官暗殺謀議であるが、私はカムラー中将を暗殺しようとなどまったく考えていなかった。それはクレメント少佐が激発して銃を引き抜いて司令官にむけた時、一番に彼に飛びかかってそれを阻止したことや、副官のウェーバー中尉の暴挙に際して怒鳴りつけたことが証明していると思う。また司令官暗殺について個人的な存念を言わせてもらうなら、謀議などというものはなかったと思う。クレメント少佐にしてもウェーバー中尉にしても独断によるものであったはずだ。だが、司令官暗殺という非常事態で司令部が浮き足立っていたところ、クレメント少佐の司令官命令偽造で地上戦突入すべきという発言に、司令部全体が流されてしまったのは否定できない。ゆえに命令偽造による民間人虐殺の責任を私は少なからず負わなくてはならないのだろう。

 ただ民間人虐殺について語るのでならば、ブルヴィッツ軍は民兵を活用していたため、民間人と民兵の区別をつけがたく、指揮官が部隊保全のために民兵と間違えて民間人を巻き込んでしまったという面があり、虐殺される側にも非があったことは付け加えておきたい。

 また偽装報告の容疑に関しては、私は清廉潔白であると断言できる。私は幾度となく、参謀長並びに司令部幕僚に真実を報告するよう進言したが受け入れられなかったのだ。それを証明する証拠記録も大量にあるだろう。また、事実を隠蔽し続ける司令部多数派にいくら言っても無駄だと悟り、少数派幕僚と実戦部隊の協力の下にクーデターを起こして司令部要員を拘禁し、私の名において真実の報告をしたのも記録に残っているはずである。

 次に──」

 

 しかもクムたちが司令部を乗っ取った後、現地住民に頭を下げて軍の横暴を謝罪してまわり、民間人の慰撫に尽力した結果、彼らからの信頼を勝ち取って大量の助命嘆願が届けられたのである。もしも重い罰をクムに与えた場合、ブルヴィッツの帝国への不信と敵意がさらに高まるおそれがあり、彼の主張におかしいところもなかったので、司令官の死を偽装したという容疑のみ有罪となり、降格と罰金だけで済まされたのである。

 

 そういったエピソードをヴィンクラーは知っていたので、自分の幕僚として配属されたこの問題だらけの参謀を当初こそ好んでいなかったが、重度の前線症候群患者でありながら四〇代になるまで生き抜いてきたクム少佐の戦術眼はとても鋭く、今では深く信頼するようになっていた。

 

 クムの分析は至極もっともであると思えたので、ヴィンクラーは納得して上位司令部の命令に従って撤退命令を指揮下の部隊に通達した。だが、一八日に皇帝ラインハルトが停戦と交渉をヤン・ウェンリーに申し入れたという情報が軍内に流れると、にわかに将兵が殺気立った。今回の戦いで上官を失い、復讐の意志に燃えている旧ファーレンハイト、旧シュタインメッツの部下たちは感情を持て余しつつあった。

 

「いかに皇帝の御意とはいえ、万一停戦交渉がまとまったら、暴れ足りない者たちが暴動を起こしかねません。その危険性を説き、ヤン・ウェンリーとの会談をとりやめてもらうよう一致団結して進言すべきではないか」

 

 同僚である分艦隊幕僚の一人がそう言ったが、あまりにも眼光を烱々とさせていたので、“暴れ足りない者たち”の中に発言者も含まれているようにクムは感じられた。彼らの上官もそう思ったらしい。

 

「しかし大本営より、交渉がそのまま妥協を意味するとは限らないから再戦の準備を怠るなと通告がきている。それに先ほどの艦隊将官会議の席上でビッテンフェルト提督が、共和主義者どもとの交渉など決裂するに決まっている。だが、だとしても共和主義者との会談を陛下の所望されるのであれば、臣下としては諸事自重するしかあるまい、とまで言っている以上、言い募ったところで意味はないだろう」

「あのビッテンフェルト提督がですか……なら、しかたありませんな」

 

 不満を言い募っていた幕僚もそう言って引き下がった、ヴィンクラーは疲れたように指揮席に座りなおし、信頼するクム参謀を手招きした。

 

「この調子で和平などということになれば、一部の将兵が不服と叫び、皇帝陛下に対し奉り、恐れ多くも感情に溺れて弓を引きかねんぞ」

 

 ヴィンクラーの憂いに満ちたつぶやきにクム少佐は頷いて同意したが、上官と同じ気分にはなれなかった。むしろ帝国軍相撃もおもしろそうではないか。リップシュタット戦役でも経験したことではあるが、彼が所属した貴族連合軍でも経験したが、あまりにも上層部が酷すぎて早々に保身に専念しなくてはならなかったので、内戦をいまいち楽しめてなかったのだ。その無念を晴らす場として、どちらかというと暴動が起こってくれと思っていた。

 

 だが、帝国軍同士の戦闘が発生してそれに参加できるのは楽しみではあるが、自分たちがどちらの側につくことになるかという点をクムは考慮せざるをえなかった。万一、自分たちの側が皇帝に弓引く側となり、その後処分を受ける立場にたたされるなんてことになっては、たまったものではない。幸い自分たちの艦隊司令官たるビッテンフェルトは皇帝ラインハルトの熱烈な崇拝者であるから、内心はどうあれ勅命に従うだろう。

 

 上層部は心配ないとなると、戦死したシュタインメッツ提督の敵討ちを叫んでいるこの分艦隊だけどうにかすればよい。司令官のヴィンクラーは信頼してもよいと思うが、幕僚たちの意見に押し切られれば無謀なことをやらかさないとも限らない。そうであるならば、抑えるべきは復讐論を叫ぶ同僚参謀たちか。保安部の連中を取り込めれば、勅命を大義名分に幕僚を拘束することもできる。だが、それはあくまで最終手段だ。そのための準備と並行しつつ、復讐の感情を和らげる努力をする。これが最善だろう。際限がない闘争心と保身の感情をせめぎあわせながら、クム少佐は明晰な頭脳で冷徹な計算をしながら今後に想いを馳せた。

 

 その頃、ヤン・ウェンリーたちは皇帝ラインハルトからの会談申し入れを検討できるような状況ではなかった。なんとなれば、文字どおり不眠不休で戦闘を継続していたからであり、軍高官で元気だったのは要塞で留守番をしていたシェーンコップ中将くらいなものであったからで、皇帝の提案を検討できるような体力が幹部に残っていなかったので、ともかくも睡眠と休息を必要としたからである。

 

 そのため、皇帝の会談の提案に対する討議が軍上層部で開かれたのは二〇日の午後を回った頃であった。とはいえ、もとより皇帝を交渉のテーブルに引きずり込むことを目的としていたし、現実的に考えても自軍の損耗率が四〇%を超えている状態で帝国軍と再戦など自殺行為以外の何物でもなかったため、基本的に受諾する方向で議論がすすみ、提案受諾の意図はその日のうちに帝国軍に通達された。

 

 ここですんなりと会談という運びになればよかったのだが、いかに実用本位重視なローエングラム王朝といえども、対立勢力の首脳部との公式会談となると相応の格式で出迎える準備をしなくてはならず、またヤン・ウェンリーとしてもあくまでエル・ファシルの軍最高司令官に過ぎないため、政治的交渉となると決定権を持つのはロムスキー率いる独立政府首脳部であり、彼らとの意思疎通を図る必要があるので、会談日は六月初頭とのみ決められた。

 

 そのため、なんとなく、イゼルローンは休日のような様相となった。もちろん、交渉決裂となれば絶望的な状況で帝国と再戦するのであるから、軍高官は軍の再編成や要塞の防御力向上の作業で忙しくしていた。だが、そうでない士官や下士官兵らは先行きに大いなる不安と期待がある中での、唐突に訪れた平穏な時間をどのようにして過ごしたものかと戸惑っていた。

 

「……どうして提督は僕を連れていってくださらないんだろうか」

 

 革命予備軍後方勤務部長キャゼルヌ中将の手伝いをしながら、ユリアンはつい内心の思いを呟いた。現在、ヤンの妻であり副官でもあるフレデリカ・グリーンヒル・ヤン少佐はインフルエンザに感染していて同行できるような状態ではない。だから、代わりに自分が同行するのはごく当然の成り行きと無意識下で考えていたのである。だが、ヤンはキャゼルヌの激務を補佐してやってほしいと残留を命じたのであった。

 

 別に会談に同行するメンバーに嫉妬しているわけではない。ただ可能な限りヤン提督のお側にあって力になりたいという、子どもらしい感情を抑えるのに苦労しているだけである。キャゼルヌの仕事量の膨大さは承知しているから、それを助けてやってほしいというヤン提督のお考えも十分に理解できるものではあるが、それでも内心の複雑な思いはなかなか消えないのであった。

 

 広報勤務ぶんの仕事もひと段落ついて休憩の時間となり、ユリアンはヤンのとこへいこうとしたが、生憎独立政府の交渉団と会議中であるとのことだったので、植物園で一休みすることにした。植物園では将兵たちがあちこちで集まり、皇帝との交渉がどうなるかという話題で盛り上がっていた。彼らは交渉になんら影響を及ぼせる立場ではなかったが、その結果が自分たちの運命に直結しているとなると、たくましい想像の翼をひろげているようであった。

 

「皇帝を交渉の席に引きずり出した? それがなんだってんだ。帝国を宗主国と仰ぎ、その保護国となるだけではないのか。それでは自由惑星同盟となんら変わるところがなくなってしまうぞ」

「気持ちはわかるがな。正直いって現状で専制主義に対抗し続けるなど無謀だ。内政自治権を勝ち取ってひとまずは良しとして、臥薪嘗胆(がしんしょうたん)するしかないだろう」

「臥薪嘗胆ね。だがそれで未来をつかめるのか」

「未来だと?」

「エル・ファシル独立革命は、帝国の保護国に成り下がった同盟と決別し、民主的な自主独立を果たすためのもの。その根本が揺らげば、なんのために革命を起こしたのかがわからなくなるだろうが」

「……それは、そのとおりだが」

「ひとつ断言しておくがな。独立政府の連中が必要以上に妥協し、帝国の旗の下で暮らさなきゃならん羽目になったら、同志を結集して革命の裏切り者どもを血祭りにあげてくれるぞ。独立を蔑ろにするくらいなら、たとえ勝算のない戦いで帝国軍相手に玉砕することになろうとも、武力によって民主主義の精神を屈服させることは叶わなかったと後世に示した方がまだいくらかマシだ!」

 

 近くにいた二人の青年将校の口論が耳に入り、ユリアンは頭に血がのぼるのを感じた。妥協するより玉砕するほうがマシだって? 玉砕なんて所詮自己満足に過ぎないと苦労に苦労を重ねている養父のことを知っているだけに、許せない発言だった。

 

「それはどういう意味だ」

「ああ?」

「答えろ。民主主義の体制を後世に残すことより、何も残らない玉砕のほうがマシだとはどういう意味だ」

 

 年齢も階級も自分より下の士官から険しく睨み付けられながらそう追及され、玉砕を主張していた青年将校は一瞬あっけにとられたようであったが、すぐに反感が込み上げてきて言い返した。

 

「どういう意味かだと? 言葉通りの意味さ。ここにいるのは全員、神聖にして不可侵なる皇帝陛下の臣民になることを嫌がって集まった人たちなのだから、当然だろうが」

「なにが当然なんだ。ここにいるのは民主主義が過去の遺産と化していくのを拒絶して集まった人たちだ。玉砕なんて望んでいない」

「なんだと、この――」

「おい、もうよすんだディッケル少佐。相手はミンツ中尉だ。敬愛する元帥閣下の養子だぞ」

「なに?」

 

 ユリアンの素性に気づいたもう一人の青年将校が、ディッケル少佐に冷水を浴びせるつもりでそう言った。ヤン・ウェンリーの養子とことを構えるなんて冗談ではないという保身の感情からきた忠告の言葉であったが、その忠告は負の方向に作用してしまい、少佐の癪にさわった。

 

「こいつがヤン・ウェンリー元帥閣下の養子だからなんだってんだ。親は親! 子は子! 民主主義ならごく当然の常識だろうが」

 

 ディッケル少佐はそう喝破して忠告した青年将校を黙らせると、きつい目つきでユリアンに向き直る。

 

「おまえもおまえだミンツ中尉。ああ、そうさ。ここにいるのはバーラトの和約で自由惑星同盟が実質的に銀河帝国の支配下になったことを拒絶し、僅かなりとも同盟の遺産を後世に伝えようとする者たちの集まりだ。俺だって玉砕を望んでいるわけではないが、結局同盟と同じように帝国の保護国に独立政府が成り下がるくらいなら、そうしたほうがマシだと言っているだけだ。そのなにが批判に値するというのだ」

「内政自治権を獲得できれば、形式的に帝国の支配下になっても民主主義の実質は守られるだろう」

「自治権だと! 自治権さえあれば帝国支配の(くびき)から自由になれるとでも言いたいのか。フェザーンの自治権を剥奪し、弁務官とかいうのを置いて同盟の内政権を形骸化した前例持ちの帝国に対して、中尉はずいぶんと夢見がちなのだな。名実ともに独立した国家なくして民主主義の存続を守るなど無謀に過ぎる。そのあたり、自由独立党の連中は認識が甘過ぎるのだ。ロムスキー主席らが暴挙を起こさぬよう、救国戦線の先生たちが掣肘してくれることを祈るしかないが……」

 

 なるほど、彼らは救国戦線の支持者なのか……。ユリアンは暗澹たる気分になると同時に納得した。

 

 現在、エル・ファシル革命予備軍には三つの派閥が存在している。ひとつは説明するまでもなく、ユリアンを含む元同盟軍第一三艦隊をルーツとするヤン一党であり、理念以上にヤン個人を慕って民主革命に協力している。諍いや喧嘩はよくあるが、亀裂とか断絶とかは無縁の団結力を誇っていて、無条件の信頼に値する仲間たちである。

 

 ふたつめは民主主義の理念に拘りがあるタイプで、エル・ファシル独立革命に主導的役割を果たしたロムスキー政府主席率いる自由独立党の党員とその支持者たちで、エル・ファシル独立政府の主流派であるが軍内においては絶対的少数派だ。

 

 このふたつは問題ない。後者にはやや不安を感じないでもないが、自由独立党の掲げている理念は「同盟憲章秩序再建。民主主義体制存続」であり、ヤン提督の「皇帝に内政自治権を認めさせ、一星系内でもいいから民主主義体制を存続させ、将来の復活に期待する」というヤン提督の政治戦略とも一致するし、皇帝の専制権力と妥協することにやや思うところがあったらしいがロムスキー主席もその方針を肯定している。

 

 問題はみっつめの派閥。救国戦線とその支持者たち。ここの暴挙を警戒する必要がある。自由独立党と異なり、同盟時代からエル・ファシルに存在した地方政党ではなく、エル・ファシルの独立に軍事面から貢献した者たちをルーツとしている。独立後に彼らは独立政府のポストを要求したが、「文民統制は民主主義の原則であり、軍人は軍務にのみ精励すべきであって、政治参加を望むなら軍服を脱ぐべきでしょう」とロムスキーに紳士的に諭されて、彼らの代弁者たちが結党した政党である。

 

 救国戦線は「反専制主義。主権と独立。祖国救済。再革命」を党是としていることからわかるように、対帝国強硬派であり、“愛国的グループ”である。党首を務めているのが救国軍事会議に加担して収監された経歴の持ち主であることを筆頭に、旧同盟の主戦派政治勢力の者たちによって構成されていて、ヤン一党が合流するまでの革命予備軍の人員の大半がここの支持者であった。エル・ファシルの革命に参加しているのも、現状最強の反帝国勢力であるからだとか、同盟社会の残滓を感じられるとかの理由であって、民主主義の理念をそれほど重んじてはいない。

 

 当然、反骨者が多いヤン一党の者たちは救国戦線派に好ましい感情をいだいてはいないが、民主主義の原則からいって政治思想を理由として排撃することなどできるわけがないし(なにより革命家ロムスキーがそれを認めない)、少なくとも革命予備軍内の支持者たちは規律訓練された優秀な軍人で貴重であったし、ヤン元帥の統帥権を承認して指揮系統に従っているとなると、純軍事的に考えただけでも排除するのは下策である。だが、自称他称問わず愛国者によって辛酸を舐めてきたヤン一党としては、警戒せざるをえない勢力であった。

 

 ユリアンはふと思った。イゼルローン残留を命じられたのは、交渉中に救国戦線派が軽挙妄動しないかとヤン提督が漠然とした不安を感じているからではないだろうか。もしかしたらより直接的に要塞内部の治安に責任を持つキャゼルヌやシェーンコップにはより詳細な懸念を告げているのかもしれない。そして自分にそれを説明しないのは、軍司令官がそんなことを考えるのは少々越権行為であるという自覚があり、問題に発展しないよう知っている人間は最小限でいいと配慮しているからではないだろうか。

 

 そういうふうにユリアンは推測した。だが、その推測があたっていたかどうかは分からずじまいとなった。戦後まで生き延びて証言できた者が少ないというのもあるが、そんなことはどうでもいい()()()であると思えるほどの精神的衝撃がイゼルローン要塞を襲い、その直前の細やかな事情を忘却してしまう事例が多数発生したからである。

 




本人にとってはまったく嬉しくなかったろうけど、ヤンは愛国主戦派勢力からも人気あったと思う
少なくともアムリッツァ以降は憂国騎士団から襲われないし、本部からは「愛国の名将を讃える」というメッセージが届くし、救国軍事会議の面々もヤンに対して「彼なら同志になるだろうさ!」ムーブしてるし、敵対してもやけに敬意払ってるしで、「不敗の魔術師」という虚像ゆえのことだろうけど、色々とやばい。
そりゃあ、原作でトリューニヒトもレベロもヤンを警戒するわけですよ。彼が選挙に出馬決意しただけで自分の支持層を食い荒らされて、速攻で政権が吹っ飛ぶ可能性が極めて高いんですから。

さて、次話は別視点で原作のトラウマに挑んでみようと思う。


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すべては善きことのために

新年あけましておめでとうございます。
ただ新年一発目がこれって悲惨すぎるかなと思ったので事前注意をば。
覚悟して読んでください。


 彼は両親のことをあまり覚えていない。両親のことではっきりと覚えていることと言ったら、物心がついてしばらくした頃に帝国軍との戦闘で母親が戦死し、その葬式でいつも寡黙な父親が声を大にして泣いていたこと。母親の葬式から三年後に父親の戦死の報を聞いたこと。はっきりとしているのはこのふたつだけ。

 

 彼が生まれた家は自由惑星同盟の建国譚、長征一万光年に参加した名家であり、軍人として祖国と自由を守り、いつか帝国に置き去りにしてきた同胞たちを救うことを初代当主が一族が果たすべき使命として掲げ、それを忠実に守ってきた誇り高い軍人家庭だった。両親が存命の頃から軍務で忙しかったため、彼は実家筋の祖父に育てられた。祖父は同盟軍の退役将校で「歳のせいで体がちゃんと動かなくなったから退役させられた。できれば死ぬまで祖国のために戦いたかったのだがな」と嘆き、戦死した娘と娘婿のことを心の底から羨んでいるような筋金入りの愛国的軍人だった。

 

 そんな愛国的祖父によって育てられた彼は、初代当主が掲げた一族の使命のこともあり、当然のように士官学校に入った。彼は自分の家の使命を心の底から成し遂げたいと思っていたから、全力で訓練に取り組み、空いた時間も自主勉強に費やした。そのかいあって、彼は優れた成績を残して首席で士官学校を卒業した。

 

 士官学校を卒業してからも、彼は作戦参謀として効果的な作戦を大量に立案して大活躍した。やがて同盟の名将ロボスに目をかけられ、名将の信頼に応えるべく限界を超えて働きつづけ、多くの功績を残し、出世街道を爆走して二六歳にして准将という地位についた。あのヤン・ウェンリーでさえ、准将になったのは二八歳なので、それ以上のスピードである。

 

 しかし准将に昇進した頃から、栄光しかなかった彼の人生に暗雲がたちこめてきた。人間は限界を超えて働くことはできるかもしれないが、それは大きな負担になっているものだ。だから限界を超えて働き続けることなど不可能である。だが、彼には名家の一族としての使命があった。その使命を貫く覚悟があった。士官学校を首席で卒業したという自負もあった。だから休むことなく働き続けて脳細胞を酷使し、精神を病んで現実と妄想の境界が曖昧になりはじめた。

 

 そしてそれは宇宙暦七九六年に、同盟軍が帝国領遠征の出兵案を作成した時に、最悪の形で現出した。彼は完璧な作戦案を作成したつもりだったが、だれの目から見ても穴だらけの代物であったのだ。同僚や上官が疑問を呈したが、自信満々に「これで大丈夫です」と言い切った。それで納得したわけではなかったが、同僚は上官はそれだけ自信があるのだから、なにか効果的な秘策を考えているのだろうと思い、それ以上追及しなかった。今までの実績による信頼があったのだ。

 

 だが、そんな秘策などなかった。限界を超えて頭脳を酷使し続けた結果、彼の知的能力は急激に衰弱していたのである。しかも彼がそのことを自覚しておらず、どこにも問題がみつけらないから大丈夫だと本気で思い込んでいたのだ。当然、杜撰すぎる作戦はあらゆる箇所で破綻し、同盟軍は崩壊の危機に陥った。それでも彼は頑迷に撤退を認めなかった。それに激怒した第五艦隊司令官ビュコックに糾弾を受けたところで彼の記憶は終わっている。のちに軍医が診断してわかったことだが、彼は知的能力の衰弱の過程で、転換性ヒステリーというわがままな子どもみたいに狭量な性格になるという珍妙な精神病まで患っており、現実を見たくないという強い感情から一時的な失明状態に陥って気絶したのだ。

 

 かくして彼、アンドリュー・フォークは自由惑星同盟が滅亡する直接的な遠因を作ったとして、歴史上の悪名を被ることになった。しかしそれだけで終わらず、悪名が雪だるま式に膨れ上がるような状態に陥っていく。

 

 軍病院で目覚めると、軍医から自分が予備役に編入され、軍からは強制入院を命じられているということを知らされて、フォークは驚愕した。どうしてそんなことになったのか、まったくわからなかった。軍医から精神病を患っているからですと言われても、フォークは納得しない。病気? 病気なら自分の体はこんなに自由に動くわけがないだろう。でたらめを言うなと軍医を怒鳴りつけて暴れ出すほどだった。

 

 フォークがそうした異常な精神状態にあることを聞きつけた軍部独裁を目論む過激派が、統合作戦本部長を暗殺するための捨て駒として、彼を活用することを考えついた。過激派将校は病床の彼にこう囁いた。

 

「君が精神病を患っているなんて嘘っぱちだ。統合作戦本部長クブルスリー大将がロボス元帥と若くして出世している君を疎ましく思っていて、あらぬ言いがかりをつけて強引に予備役編入したのだ」

 

 フォークは驚愕した。ロボスに側近として取り立てる前にクブルスリーの下で参謀をしていた経験があり、そのクブルスリーの誠実な人柄を知っていたのでとても信じられなかった。すると過激派将校が直接確かめてみろと冷笑しながら言った。

 

 過激派将校の計らいで軍病院から抜け出したフォークは、統合作戦本部のビルオフィスに向かい、辛抱強く玄関口で待って、視察を終えて本部に戻ってきたクブルスリーの姿を確認すると礼儀も何もかも無視して現役復帰を願い出た。

 

「それなら医師の診断書と保証書をそえて、国防委員会の人事部に現役復帰願を提出するといい。正式にそれが認められれば、貴官の希望もかなうわけだ」

 

 クブルスリーとしては誠実に手順を説明したのだが、フォークには本音を言わずにはぐらかしているように聞こえた。過激派将校に言われたこともあり、ハッキリとした答えが欲しくてフォークは言い募った。

 

「それでは時間がかかりすぎます。私は明日にでも現役復帰して国家の役に立ちたいのです」

「正式な手続には時間がかかるものだよ。准将」

「ですからそこを閣下のお力で……」

 

 これでは規則破りをしてほしいと願い出ているわけで、昔の、飛びぬけて秀才だった頃のフォークであれば絶対にクブルスリーにはそんなお願いはしなかっただろう。しかし知的に衰弱し、精神病を患い、おまけに焦燥感と猜疑に身を焼かれている今のフォークには気づけなかった。だから温厚なクブルスリーの逆鱗に触れてしまったのである。

 

「フォーク予備役准将。きみはなにか勘違いをしているのではないのかね。私の権限は手順を守らせるためにあるのであって、破らせるためにあるのではない。どうもきみは自分を特別扱いする傾向にあるようだが、私のみたところ、病気が完治したとは言いかねるようだな。そんなことでは復帰しても協調を欠くだけで、きみにとっても周りにとっても、不幸なことになるだけだろう。悪いことは言わんから、出直しなさい」

 

 厳しさの中にも相手へ思いやりを感じさせる、誠実さと道理に富んだ忠告であったのだが、その部分はフォークにとっては大した問題ではなかった。クブルスリーが自分の現役復帰をまったく認めてくれないということが大問題だった。それでフォークは過激派将校の言葉が真実だと確信し、衝動的な憤怒に突き動かされてブラスターを取り出してクブルスリーを銃撃した。

 

 士官学校を首席で卒業した優秀な作戦参謀としてのフォークしか知らなかったクブルスリーにとっては完全に不意打ちであり、ろくな反応もできないうちに右脇腹を光線が貫通し、下手すれば命が危うい重傷を負ってクブルスリーは入院した。暗殺が成功しなかったことに過激派は悔しがったが、本部長を行動不能にするという最低限の目標を達成し、後のクーデターを起こす下地作りには成功したといえた。

 

 国運をかけた大規模な軍事行動を杜撰すぎる作戦で実施したという汚名のみならず、暗殺実行犯という刑法上の罪まで背負ったフォークは、より厳重な警備が敷かれたホイッチア精神病院に幽閉され、現実に置き去りにされてなにもわけがわからなくなってしまうほど症状が悪化して完全な廃人となった。だが、そのまま朽ち果ててしまえれば、まだしも幸せであったかもしれない。だが邪悪なる悪魔が「まだまだ足らぬ」とでも思ったのか、フォークはさらなる悪名を背負わされる羽目になった。過激将校の次は狂信者が彼に利用価値を見出し、精神病院を襲撃して彼の身柄を確保したのである。

 

「フォーク准将、きみこそは民主共和政の真の救い手になれるだろう。ヤン・ウェンリーは専制支配者ラインハルト・フォン・ローエングラムと妥協し、講和して、彼の覇権を容認し、その下で自己の特権と地位を確保しようとしている。ヤン・ウェンリーを殺せ。彼は民主政治の大義を売り渡そうとする醜悪な裏切り者だ。フォーク准将、いや、本来ならきみこそがいまごろは若き元帥となり、同盟全軍を指揮して、宇宙を二分する決戦にのぞんでいたはずなのだ。すべての準備はわれわれが整える。ヤン・ウェンリーを殺して民主共和政治を救い、かつきみの正当なる地位を回復したまえ」

 

 甘い甘い毒のような囁きは、もはやなにもわからぬ廃人と化していたフォークに狂おしいまでの情念を想起させた。戦死した両親の葬式の光景が脳裏に浮かぶ。死ぬまで祖国のために戦いたかったと嘆いていた育て親の祖父の嘆きが蘇る。

 

 アンドリュー・フォークよ。おまえはなにをしている? おまえの体はまだ動く。まだ祖国と自由の敵と戦えるだろう? 自分たちの一族が誇り、いつか帝国にもそれをもたらそうとした崇高な理念を、ヤン・ウェンリーが売り渡そうとしているのなら、この手で殺さずしてどうする? こんなところで休んでいる場合ではない。そうだ。少し自分は休みすぎた。まだ戦争は続いている。ならば、戦いに赴かなければ。先に死んで逝った英霊たちの想いに応えるために。初代家長が掲げた使命を果たすために。たとえ志なかばで死ぬこととなろうとも!!!

 

「敵艦発見、ヤン・ウェンリーの交渉団を乗せた敵軍巡洋鑑と認む!」

 

 地球教団から提供された武装商船の艦長席に座っていたフォークは、同じく地球教団が用意したオペレーターから報告を受けた。

 

「撃て!」

 

 武装商船が巡航艦レダⅡ号に向けて発砲したのは、記録によると五月三一日一時二二分のことである。レダⅡ号にたいした損傷はなく、即座に応戦しようとしたが、武装商船の背後からあらたに帝国軍駆逐艦二隻があらわれたので一瞬躊躇った。その間に駆逐艦二隻が武装商船に集中砲火を浴びせたので、レダⅡ号は反撃の機会を永遠に失った。

 

「何故ダァ!?」

 

 乗艦が爆発四散する寸前、フォークは絶叫した。自分の背後についていた駆逐艦二隻は地球教のものであり、自分の味方ではなかったのか?! 高熱で体が蒸発して霧散し、フォークがその疑問の回答を知ることはもはやない。

 

「予定通り、武装商船を爆破しました」

「うむ。では、レダⅡ号に通信を呼びかけろ」

 

 帝国軍駆逐艦の砲兵長からの報告を受け、駆逐艦長のマーロン中佐は通信士にそう命令した。やがて向こうが回線を開き、通信スクリーンに気の抜けた平凡そうな男の顔が映った。しかしかすかに見える軍服と紀章から、この男がヤン・ウェンリーであるという確信があり、胸中にどす黒い感情が沸き起こる。

 

 この男が殺した人間の数は、既に一千万を優に超えていよう。にもかかわらず、どうしてもこんなのほほんとした面を晒せているのだろうか。おそらくは他人の生命にたいした関心を抱いていないからに違いない。大量殺戮の罪悪に苦しんだことも、きっとないのだろう。自分は“職業軍人”という殻を被らないことにはごまかせないのだからそうに違いない。偏見からくる嫌悪感を表に出さないよう苦労しているのを悟られないよう、敬礼してあらかじめ考えていた言葉の挨拶をはじめた。

 

「こちら帝国軍駆逐艦。テロリストは()()しました。ご安心いただきたい。ついては、われわれが皇帝のもとへ閣下をご案内するにつき、ぜひ直接ごあいさつをさせていただきたいのですが」

「われわれの代表はロムスキー主席だ。主席のご判断にしたがう」

 

 中佐は内心の不安と猜疑が表情を出そうになるのを懸命にこらえた。ラインハルトがヤン・ウェンリーに対して会談を申し込んだというふうに認識していたので、ここでロムスキーを代表と偽るのは何か察して時間稼ぎしているのか、あるいは裏で何か企んでいるのではないかと感じたのである。

 

 しかしそれは過大評価による杞憂に過ぎなかった。元帥に代わって画面に登場した主席は、テロリストから自分たちを守ってくれた帝国軍の誠意に感謝を示し、直接挨拶したいというこちら側の申し出をこちらも感謝を直接言いたいのでと喜んで受け入れたのである。

 

 マーロン中佐はホッとした気分になって回線を切って、ゆっくりと息を吐いて内心の昂ぶりを落ち着かせると、艦内放送をはじめた。

 

「総員、傾注!」

 

 スピーカーから中佐の声が響くと同時に、艦内は厳粛な雰囲気に包まれた。兵卒はサイオキシン麻薬などを用いて洗脳した狂信者たちが多いが、士官・下士官となると偏狭な視野と思考法では演じることは難しいため、地球教が運営していた孤児院出身者が多くの割合を占める。

 

 マーロン中佐もそうであり、血のつながりはないにせよ、信仰を同じくする兄弟として、彼らに対してこれから行う義挙を前に最後の言葉を送っておきたいと考えたのである。

 

「私たちが帝国軍に潜入して、もう随分と長い時がたった。そしてその間、数え切れないほど罪深い戦争屋を見てきた。だが、今回我らが討つべき敵はその中でも極め付けの邪悪さの持ち主である。その明晰な知性を、人類平和のために使わず、ただただ同じ人類を殺戮するためだけに使い、そしてそれを軍国主義の幻想に浸って己を偽るのでもなく、罪悪感に苦しみ反戦活動に勤しむのでもなく、なにも感じていないように()()()()としているような真性の極悪人だ。その点において、かのブルース・アッシュビーやコルネリアスよりはるかに罪深い」

 

 民主主義なる思想を、銀河帝国の支配に反対する思想という程度にしか理解していない中佐にとってはそれが真理であった。エル・ファシルという極小の勢力に頼ってまで、戦争を継続するその姿は、母なる地球の歴史において聖エルデナの諫言に耳を貸さず、狂ったように戦争継続を断行した地球統一政府主流派の姿が重なるばかりである。

 

 地球教が秘密裏に運営する孤児院に戦災孤児として拾われ、地球教の理念に則した教育を受け、敬虔な信仰心を有する立派な信徒として成長したマーロンにとって、戦争に関連するすべては罪深いものであると認識している。これを根絶するためであればどのようなことであれ躊躇なく断固実行すべきという信念を持ち合わせている。ゆえに青年期に地球教の暗部から、宗教理念による人類社会の平和化という計画が存在することを知らされ、地球教のエージェントとなった。

 

 そのために必要とあれば、あえて罪深い軍人になろうとかまうまい。だれからも賞賛されずとも、未来に確かな平和をもたらすことに貢献できるのであれば、それは救世であり、意義深い死である。教祖ジャムシードが実現した地球の静謐の平和、もう二度と自分みたいな戦災孤児が誕生しない世界を築くための礎になれるのだ。なにを躊躇う理由があろうか。

 

 欲を言うのであれば、現在進行形で平和を愛する善良な地球教徒弾圧に狂奔している野蛮な皇帝ラインハルトのほうをこそ暗殺したいという気持ちはあるが……。自分はその役目を担う運命にないと諦めるしかない。全宇宙を動かす超越的意思の前には、個々人のくだらぬ願望など考慮に値しないであろう。

 

「慈悲深きわれらが主、聖ジャムシードよ。汝は兄弟が血を流し争う惨禍を嘆かれ、己が罪に永遠に苛まれること覚悟の上にて、母なる大地の上に久遠の平和のために生涯献身された。われらもまたそうありたいと願い、いまだ永遠の戦禍に苦しむ人類を憐れみ、これを救わんとするために罪業の炎で己が身を焼き尽くさんとするものなり。しかれども、願わくば浄罪の天主たる汝の御力によりて、魂だけでも救済されんことを」

 

 それは殉教の聖句であった。四〇〇年前に地球教内部における神学論争において、他の宗派との対立が先鋭化していった時代。エルデナ派の指導者たちはついに殺人という禁忌を犯して他の宗派を粛清してしまった。それでもエルデナ派の指導者たちは兄弟を殺してしまった罪悪感から自ら死を選んだ。その際、彼らが吟じたとされる辞世の句である。

 

「太陽なき夜には月が、月なき夜には無数の星々が、空より平和の光でこの地を照らす。

ああ洋々たる銀河の流れよ。その源流にて輝く、われらが母なる星よ」

 

 マーロンが地球教の理念を象徴する賛美歌を歌い始めると、全員がそれにあわせて唱和した。

 

「希望が尽きることはない。平和への祈りが絶えることはない。人類の歩みが止まることはない。

久遠(くおん)の昔より忘れられることなく続いてきた人類の悲願は必ずや成就するだろう。

母なる地球の輝きとともに、自由なる民として、平和の中で永遠に暮らすことを!」

 

 感情的な幻想のエネルギーが艦内に充満する。だれもが地球教徒として、必ずかの邪智暴虐の魔術師をこの宇宙から抹消せなばならぬという決意を更に強固なものとし、使命感に陶酔する。人類永遠の恒久平和を実現するために戦う、地球の聖なる戦士という自意識を肥大化させ、それに自己陶酔する。艦内の地球教徒たちがかつてない団結を感じながら、この使命を自己の生命を燃やし尽くしてでも完遂せんと意気込む。

 

 そうして地球教徒が操る二隻駆逐艦の内、一隻がレダⅡ号に一時五〇分に接舷した。同時にマーロン中佐は駆逐艦のセンサーを総動員してレダⅡ号の構造を調査した。概ね、艦種によって内部構造は似通うものであるが、強襲揚陸艦によって艦内に突入され白兵戦になった場合を想定し、すべて同型艦の通路を同じものにしているわけではない。といっても、外からのセンサーによる調査ではおおまかにしかわからず、レダⅡ号の艦橋には詳細な艦内地図があるであろうから、確実に対象を抹殺するためにはまずそこを制圧して艦内の構造を把握し、逃げ場をなくさなくてはならないと中佐たちは考えていた。

 

 五五分、センサーの調査結果による推測地図を片手に、マーロン中佐たちはレダ二号の艦橋を制圧するべく行動を開始した。そして、レダⅡ号との接弦口近くでうつ伏せに倒れているスーツ姿の死体を見かけ、なんとなく中佐はその体を蹴って仰向けにして顔を確認した。顎からブラスターの光線を受けたらしく血だらけでわかりにくかったが、それが独立政府主席ロムスキーのものであるとみて、内心で静かに祈りを捧げた。これは中佐の癖であり、生前どのような人間であったにせよ、死者の魂は救われるべきであるという考えによるものであった。

 

 艦橋を制圧するのは思いの外あっさりとできた。交渉団として人員選出されていたためか、レダⅡにはそれほど軍人を搭乗させていなかったらしい。あまりにも都合がいい幸運に、これは母なる地球の全知全能の意思も今回の義挙を祝福しているようにマーロン中佐たちは感じられた。その幸運に応えるべく、レダⅡの艦内地図を探し出し、部下たちにあらかじめ持たせていた無線機を介して情報を交換し、ヤンをどんどんと追い詰めて行った。もはや目的達成は時間の問題であるように思われた。

 

 その楽観が崩れたのは二時四分である。艦外スクリーンを注視していた同志の一人が叫んだのだ。

 

「未確認艦、急速接近!」

「艦種は?!」

 

 その報告にマーロン中佐は即座に反応した。まったく動揺しているように見えない中佐の姿に、報告をした部下は落ち着き取り戻す。

 

「わかりません。ですが、外装からヤン・ウェンリー軍所属のものと推測。目的も当然、司令官救出のためかと! 映像をメイン・スクリーンに転送します!」

 

 巨大なメイン・スクリーンに映ったのは、グリーンカラーの艦艇であった。その艦艇が周囲を警戒していた地球教徒たちが乗る駆逐艦を砲撃し、撃沈せしめる映像を確認し、マーロン中佐は腹の底から湧き上がってくる憤怒に震え、堪えきれずに咆哮する。

 

「おのれ、狂人どもめが! 何人殺せども飽き足らぬ極悪人どもがッ!」

 

 善悪の観念は所詮、主観的なものに過ぎない。そんなことは帝国軍人として、帝国の正義にあわせて他の軍人と接してきたマーロン中佐も理屈として理解はしている。だが、帝国にしろ同盟にしろ、彼らの主張する正義の中身とはなにか? すべてが戦乱に直結する事柄ばかりではないか。あまりに救いようがない。それがここ数百年の宇宙の歴史である。そんなものを正義と呼ぶのは馬鹿馬鹿しいことだとずっと軽蔑してきた。

 

 どんなに正しい義であろうとも、星の海を征くほど技術力を発展させても、物質的豊かさを誇れても、精神面が石器時代の野蛮さとなにひとつ変わっていないのではただ悲惨なだけ。こんな奴らがいるから地球と違って、宇宙ではいまだ戦争が絶えないのだ。もうまっぴらだ。こんな戦争狂どもとかかわるのは。すべての人類が地球を崇め、平和を愛する健やかな精神が根付く日まで、きっとこのまま延々と愚かしい殺戮劇を繰り返すのであろう。

 

 そんなことはダメだ。なんとしても戦争などという醜悪な劇に永遠の終止符を打たなくては。そのためにはヤンをなんとしても暗殺しなくてはならないだろう。だから敵の目的を果たさせるわけにはいかない。

 

 士官の一人が艦内放送で一気に部下に状況を説明し、敵艦艇からやってくるであろう部隊を撃退する要員をさくように提案したが、マーロン中佐はこれを退けた。そんな方法ではご丁寧にもヤンに希望があることを説明するのと同義であると考えたのである。よって地道に無線機を使って命令を部下に伝達するようにした。

 

 そして万一を考え、ヤンを暗殺するために少しでも多くのリソースを投入すべきだと自分も含めた艦橋制圧要員や通路確保の要員も、ヤン暗殺のために動かすべきだと判断した。本当にヤンの暗殺の情報が伝わっていたのだとしたら、一艦だけということはなく、最低でも一〇〇隻くらいは動員するだろう。だからあの艦はたまたま近くにいた哨戒艦かなにかで、それほど精強な軍人はいないだろうから、数で押すだけで簡単に返り討ちにできると推測したためであった。

 

 だが、その敵艦艇――巡洋艦ユリシーズ――には薔薇の騎士連隊(ローゼンリッター)を中心とする猛者たちによって構成され、ユリアン・ミンツとワルター・フォン・シェーンコップが率いていたのである。彼らは独自の情報源で、ヤン暗殺の陰謀があることを知って、救出に来たのである。一隻だけであった理由は、多数であれば帝国軍の過剰反応を招いてまとめて宇宙の塵にされかねないという危機感から六隻しか動員しておらず、その六隻も広大な宙域を捜索するにあたって一塊で行動していては効率が悪いので、それぞれに担当宙域を決めてバラバラに行動していたからであったからに過ぎない。

 

 その推測の間違いはすぐに証明され、侵入部隊の精強さを伝える報告が無線機から大量に届き、マーロン中佐は通路を移動しながら頭を抱えたくなった。艦内地図があまりにも大きかったので、艦橋に置いてきてしまったのである。変に拙速な対応をせず艦橋で冷静にしていれば、隔壁を操作して通路をややこしくすることができたし、あえて兵力の濃淡を意図的に生み出して、侵入部隊の進路をヤンとは反対方向へと誘導することもできたであろう。軽挙な判断が悔やまれる。

 

 こうなったら純粋な競争でしかない。自分たちが先にヤンを殺すか、向こうの救出部隊がヤンを逃がすか。そしてなんとしても前者の結果をつかみ取らなくてはならない。中佐はそう自分に言い聞かせて後悔を思考の端においやった。余計な雑念は、結果をもぎ取る上で邪魔にしかならない。

 

 艦内では凄惨な戦闘が繰り広げられた。それもそのはずである。ここ一世紀以上続いていた同盟と帝国との戦争においては、一種の紳士協定のようなものがあって、戦争の中でも敵方を尊重する面が多少であれども存在したのに対し、今回はその例にまったくといっていいほど当てはまらないのだから。互いに憎悪と怒りが先行し、敵は例外なく殺してしまえと両陣営が思っていた。さらに地球教側はことごとくが生還帰さずの死兵であったため、技量と統率で遥か上をいくシェーンコップ率いる部隊に執拗に食いつき、かろうじて拮抗してみせた。

 

 三時一九分、「ヤン・ウェンリーを殺した!」と興奮して叫ぶ兵卒がやってきた。マーロン中佐は容易には信じず、死体を確認したいと案内するように告げ、その場所に行って唖然とした。たしかに夥しい血が冷たい床を赤く染めていたが、肝心のヤンの死体が見つからない。おそらくはやってきたヤン・ウェンリー救出部隊が回収したのであろう。

 

 問題は回収されたのは死体かどうかという点である。現場には大量の死体があって、流れ出た血が混ざりあっているから、ヤンが致死量に至るほど血を流していたのかは判別できない。本当に死んでいることを確認したのかと問いかけると、「銃撃したら血を流して倒れたから死んだはずだ」と証言したので、中佐は怒りからその兵士の顔面を思いっきり殴った。それでは死んだのか、重傷なだけで生きているのか、判別できていないではないか!

 

 もしこれでヤンに生き残られでもしたら、犠牲になった信徒たちになんと釈明すればよいのか。機会がつかめなかったというのならまだしも、機会がありながら確認不足で生存させてしまったなどということになれば……。

 

「……全兵力を集中させ、敵の進入路へと向かわせろ。こうなったら虱潰しだ」

 

 敵の救出部隊が撤退する暇を与えずに攻撃をかけ続け、直接この目でヤンが生きているか死んでいるか確認するよりほかにない。敵部隊の精強さを伝える報告の数々を思うと、それを成すのは至難どころではないという現実的感覚があるが、それでも平和への信仰の力は敵を凌駕すると信じたかった。

 

 だが、信仰の力とやらは中佐が信じるほど万能ではなかった。シェーンコップの指揮は的確であり、地球教徒たちの攻勢を巧みに分断させ、撤退の為の時間を捻出し、三時三〇分にヤン・ウェンリー救出部隊は完全撤退した。地球教徒達としては去っていくユリシーズを追いかけて砲撃を加えたかったに違いないが、レダⅡ号と駆逐艦が接弦したままだったので追いかけることはできなかったのである。

 

 三時五〇分になるまで地球教徒達はレダⅡにヤン・ウェンリーの死体が放置されてはいないかと念のために捜索したが、ロムスキーをはじめとする独立政府文民の死体しか確認できず、もはやここにいる意味がないと撤収をマーロン中佐は判断した。帝国軍の完全包囲下にある中で可能なのかどうかわからないが、駆逐艦へと戻り、地球教の拠点のひとつを目指して、サジタリウス方面への逃亡を開始したのである。

 

 艦内の空気はとても気まずいものであった。自分たちは使命を果たせたのか、それとも失敗したのか、それがわからずに不安だけが広がっているような感じである。成功しているならば歓喜に、失敗しているなら悲憤に酔うことができたかもしれないが、結局どうなったのかがわからないという曖昧な事実が、地球教徒達の気を重くさせた。

 

 そんな暗い気分の無謀な逃亡劇は、開始から約二四時間後に終わりを告げた。ビューロー大将麾下の巡航艦グループに捕捉されたのである。彼らは友軍艦であると考え、停船して所属を告げるよう通信を送ってきたが、マーロン中佐が「砲撃で返答しろ。停船する必要はない」と命令した。

 

 逃亡しながら砲撃してきた駆逐艦に、帝国軍は容赦する必要を認めず、巡洋艦グループは照準をあわせての一斉砲撃で反撃した。駆逐艦のオペレーターが「直撃来ます!」と悲鳴のような報告危機、マーロン中佐は指揮椅子から飛び上がるように立ち上がって、両手をあげて叫んだ。

 

「平和万歳! 異教徒に死を!!」

 

 こうしてヤン・ウェンリー暗殺の実行犯たちは一人残らず殉教をとげた。




原作のフォークや地球教暗殺犯の舞台装置感をどうにかしようとしたら、こうなった。ちょっと美化しすぎな気がしますが、自分の想像力ではこれ以外で帝国軍士官に自己の生命を顧みない地球教徒がけっこういる理由づけが他にできなかった。

結局暗殺が成功したかどうか? 原作八巻五章を読めばわかる!(白目)


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恒星が失われた惑星群

展開の都合でもあるが、新年二発目も暗めの話


 ヤン・ウェンリー、地球教徒に暗殺される!

 

 六月四日に革命予備軍司令部がその事実を内部公表した。イゼルローン要塞内部にあっては、数日前から上層部の浮かない雰囲気やヤン提督救出作戦に参加した者たちによって、すでに信憑性の高い噂として広まって将兵たちは動揺状態にあったとはいえ、それもなにかの作戦で、ヤン提督が死んでいるはずがないと信じようとしていた者の数は決して少なくなく、その希望を打ち壊すような司令部発表に絶望し、もとから暗殺を信じていた者たちはどうにもならないと途方にくれ、悲観で埋め尽くされた。

 

 続けて後方部長キャゼルヌ中将の名において、革命予備軍司令官の地位はユリアン・ミンツ中尉に継承されることに決まったという発表がなされると動揺は一層肥大化し、絶望を伴った悲観論が加速した。これはいままでのイゼルローンのことを思うと大変似つかわしくない光景だった。ヤン提督の魔術がある限り、最終的勝利はわれらのものと信じ、どのような窮地にあっても度し難いほどの楽観論を語り合うのが常であったからだ。それは、とりもなさず、いかに彼らの中でヤンの存在が大きかったかという証明であったかもしれない。

 

 その翌日、艦隊参謀長ムライ中将が革命運動からの離脱を表明したという話が流れた。まったくもって当然だという感情を抱いたものはとても多かった。すべてはヤン提督ありき。どれほど敵軍が巨大かつ精強であれど、彼の下にあれば敗北はないと信じ、戦場にあって恐れることなく任務を果たして来た将兵たちにとって、一〇代の子どもがヤン提督の代わりを務められるとはまったく思えない。そしてそれは最高幹部でもそうであるらしいと安堵したのだ。最高幹部がそうなのだから、自分たちがそう思ったのだとしても何も悪くはないという自己正当化の論理も無意識のうちに働いたことであろう。

 

 こうした流れの中で、エル・ファシル独立政府はユリアン・ミンツ革命予備軍司令官代行を呼びつけ、政府を解散させる意向を告げた。

 

 もともと独立政府の文民たちにはある懸念が存在した。ヤン・ウェンリーの軍事的才覚は信頼に値するものであるし、これまでの行動から民主主義的な政府への忠誠心は揺るぎないものであると確信できる。しかしその部下たちはどうか。彼らは理念や正義などより、ヤン個人に忠誠と信頼を向けているのではないか。

 

 長年民主主義者と敵対してきた元帝国軍の宿将メルカッツでさえヤン一党は幹部として扱っているのだ。もし彼らがヤンのコントロールから離れれば、自分たちの忠誠の対象をこそエル・ファシル独立政府の最高指導者にしてしまうために、ロムスキー政権を打倒して自分たちの軍事政権を築こうと独断で動くのではないか。そして一度文民政府が打倒されてしまえば、たとえ不承不承であるにしてもヤンは政権の首班に立たざるを得なくなるだろう。

 

 そうした独立政府の要人たちの猜疑心を宥めたのは、ヤンが万事自重して部下を統制したこともあるが、なんといってもフランチェスク・ロムスキーの人柄と人望によるものなのである。

 

 同時代においては帝国側からはほとんど無視され、ヤン一党の面々からも人柄はともかく能力と現実把握能力に疑念を持たれており、歴史的評価もいまいちなロムスキーであり、事実いかなる解釈をもってしてもその評価を否定するのは難しい。だが、対外的はともかく内向的には優秀な指導者であった。

 

 救国戦線をはじめとする過激分子の手綱を引き、エル・ファシルの民衆と政府を団結させて独立革命の音頭をとれたのは、ヤンの虚像に対する無責任な期待という背景があったとはいえ、ロムスキーの指導力とカリスマ性によるものなのである。ともすれば、彼の紳士的人柄と情熱的行動力は、見るものを楽観主義に安住させてしまう効果があったのかもしれない。

 

 だが、そのロムスキーはヤン・ウェンリーと一緒に暗殺者の手にかかり死んだ。しかもシェーンコップ中将率いる救援部隊はヤン以下軍人の遺体を回収したのに、文民たちの遺体はすべて放置して帰ってきたというではないか。これは彼らが文民政府を軽んじているなによりの証左ではないのか?

 

 実際は自分たちの司令官の死という未曾有の事態に忘我し、ロムスキーらのことをつい失念してしまっただけなのだが、疑心暗鬼の独立政府の文民たち――特に自由独立党に属する者たち――はそのように解釈した。それに軍高官たちが独断でユリアン・ミンツ中尉なる人物を軍指導者に任命したという。形式的なものに過ぎなかったとはいえ、ヤン・ウェンリーをエル・ファシルの軍事指導者に任命したのは独立政府だというのに。

 

 しかも軍内部で新たな最高政治指導者候補まで話し合われているという噂まで流れている! これは軍事独裁化のなによりの兆候なのではないか? 艦隊参謀長のムライ中将が離脱を宣言したのも、軍内部で熾烈な権力闘争が展開されているためではないか? だとすればこの民主主義革命は、軍事独裁政権を支えて帝国の専制主義に対抗するという救いのない茶番劇に変質してしまうのでは? そんなことに付き合うくらいなら、帝国体制内で民主主義の草の根運動でもしたほうが、まだしも有意義というものだろう。

 

 そんなふうに考えだすと、そもそもヤン一党を頼りに民主主義を取り戻すための再革命という無謀なことをする気になってしまったこと自体、ロムスキーのペテンにかかってしまったが故の過ちであったというふうにさえ、思えてくるのであった。その夢想的理想を語ったロムスキー主席も、その夢想を軍事的に庇護しようとしたヤン提督も亡き今、なおロムスキーの政治的独走を支え続ける必要があるのか? そんな疑問が膨れ上がっている時に。ムライ中将が離脱するという話が流れ、自分たちもそうするべきと政府解散の決断をなしたのである。

 

 この時期、ヤン一党の側に独立政府文民の猜疑をあえて招くかのような行動をとりすぎであるというのは、後世、多くの歴史家の指摘するところである。無論、ヤン・ウェンリーが死んだという未曾有の衝撃のためであって、決して意図的なものではなかったのだが、独立政府への配慮を考えて行動できるほど精神的余裕がある軍高官がおらず、いたとしても非常に軽く考えてしまっていたのは疑うべくもない事実である。

 

 大量の離脱者を出すことになったが、なお民主主義のために戦う覚悟のあるものがはっきりとし、六日正午にはイゼルローン要塞は最低限の秩序を回復した。それで対外的対応が軍上層部で議論され、一九時に司令官代行ユリアン・ミンツの名においてヤン・ウェンリーの死とその詳細な経緯が全宇宙に公表された。

 

 この発表に帝国軍は虚をつかれ、大いに驚いた。自分たちをここまで手こずらせた偉大な敵将が第三者の手にかかって不名誉な死を強いられたというのもさることながら、暗殺の実行者たる地球教徒たちが帝国軍人に扮していたというのは見過ごせることではない。すでにイゼルローン回廊の両端は帝国軍によって封鎖されており、扮したというより地球教徒が帝国軍人としてこの場にいたというほうが話が通る。おそらくビューロー大将麾下の巡洋艦が撃沈した不審な駆逐艦を実行犯は利用していたに違いない。

 

 帝国軍上層部は即座にそう思ったが、そこまでだ。不審行動の原因を探るため、ヤン暗殺の話が表沙汰になる前から捜査は行われていたのである。だが、その駆逐艦が所属する艦隊の士官が調査の手が及ぶ前に全員自殺しているとあっては、それ以上調べようがない。ただワーレン暗殺未遂事件などがあったことを考えると、軍内に相当数の地球教徒が紛れ込んでいる可能性が否定できず、高級軍人らはぞっとした気分になって、炙り出しと粛軍の必要性を痛感した。

 

 それにしても、いかに宗教の皮を被ったテロリズムの徒であったとはいえ実行犯が現役の帝国軍人であり、帝国皇帝から会談を申し込まれてその移動中にヤン・ウェンリーが暗殺されたとあっては、きわめて不愉快なことであるが完全に帝国の失態であるし、形の上では帝国上層部による陰謀であると難癖をつけられても反論が容易ではない。あまりにも不名誉なことで、多少敵方に対し無礼であっても、移動中のヤンを護衛するために小艦隊でも先に派遣しておくべきだったかと後悔した帝国軍高官もいたほどだ。

 

 動揺と後悔が終わると、帝国軍の次の行動を如何にすべきかという話に移る。政戦両略の上からいうのであれば、帝国軍は攻勢あるのみである。現状況下で全軍こぞって回廊内に突入して攻勢をかければ、主将を失って動揺しきっているであろうイゼルローン要塞を血と炎の中に瓦解せしめることも容易い。それで反帝国的共和主義勢力の本流を叩き潰せ、旧同盟領内部で不穏な動きをしている者共を牽制することもできる。

 

 だが、さすがにそれはあまりにも非情過ぎて抵抗を覚える者が多かったし、なによりヤン・ウェンリーが存在しないヤン・ウェンリー軍に拘泥する必要にどこにあるのかという声が大きかった。最終的に“喪中の軍を討つはいさぎよくない”という皇帝の意向で、今回は無条件撤兵ということになり、その決定はイゼルローン側に通達され、またミュラー上級大将を中心とした若干名を弔問団として派遣することを打診した。

 

 このようにいささか締まりの悪い形でラインハルトとヤンの最終決戦であった“回廊の戦い”は終結した。この時の帝国軍将兵の心情は実に様々であった。ビッテンフェルト上級大将の「ヤン・ウェンリーめに最後まで勝ち逃げされた」やクム少佐の「不完全燃焼感がすごい」という悔しさをにじませる回顧があれば、「これは騎士道の精華であるのか。それとも陛下の覇気が衰えたのか」というロイエンタール・ミッターマイヤー両元帥の感情を考えさせる記録があり、「あと一撃で亡き上官の仇をとれるのに撤退しなくてはならんのか」とホフマイスター中将やマルクグラーフ少将が歯噛みして悔しがっていたという証言もある。そして多くの兵士の半数くらいは「故郷に凱旋できる!」と喜びをあらわにしていたという。

 

 一方、イゼルローン側は両極端化していた。ヤン・ウェンリーの死とともにすべてを諦め、帝国の旗の下で暮らすことを甘受しようとする一派と、なお民主主義の基本理念を重んじた社会モデルの存続を願い、ユリアン・ミンツを軍事指導者として仰いで革命運動を続けようとする一派に。そして前者の者たちは、後ろめたい気持ちを隠すためか純粋な善意の発露か判然としないが、後者の者たちの無謀を止めようと必死に声をかけているのだった。

 

 そしてその説得の中では、ユリアンがいちばんの批判対象となっているようであった。ヤン・ウェンリー健在時、ユリアンは決して大きな存在ではなかった。彼の養子であり、ヤン一党の幹部から多くの軍事的薫陶を受け、優秀な若手士官ではあったが、組織的序列でいえば司令部の末席にかろうじているだけの存在であった。なのに彼がヤンの後継者として選ばれたのは、たんに彼より階級が高く武勲も多い幹部たちが革命運動の前途が五里霧中にある中で、軍事的責任を押し付けあった結果だろう。ムライ中将があきれて離脱表明するのもむべなるかな。未練がましく革命運動を続けても、生命を粗末にするだけである。

 

 ユリアンに直接「調子にのるんじゃない」と声をかける者たちも少なくなかった。シェーンコップやアッテンボローがそうした跳ねっ返りを黙らせるよう努力していたが、目の届かない場所というものはあるもので、そうしたところ離脱する将兵たちが寄ってたかってユリアンの無謀を批難する。

 

「ヤン・ウェンリー元帥なき今、民主主義の理念のために生命を賭けるなど愚行でしかない。まして、おまえみたいな若造がどのようにして革命運動を率いていけるというんだ。敵の兵力は圧倒的なんだぞ。元帥の悲願を捨てるわけにはいかないと未練がましく意地になったところで、集団自殺以外何になるというんだ。まだ若いんだから、すべてを放棄して、また次の機会を待てばいいじゃないか」

 

 次の機会を待つ? それではアーレ・ハイネセン以来続いてきた民主主義の灯火は途絶えてしまうし、ヤンの死は無意味なものとなってしまう。陰謀やテロリズムなどでは歴史を逆行させることはできないとヤンが信じていた理念を否定してしまうことになるじゃないか。だから諦めるなどありえない。それに離脱していく者たちにどうこう言われたところで、余計な御世話としか思えなかった。とはいえ、彼らの声は理屈としては正しいのかもしれないという感情もどこかにあって、口に出して反論しようとは思えないユリアンだった。

 

 このようにユリアンが受け身であるのでこうした批難は延々と続き、批判者の側が疲れて諦めるか、第三者に見咎められて止められるかのどちらかの終わりしかなかった。そして今回は後者であったが、その第三者がユリアンにとって意外な人物であった。

 

「なにをしている!」

 

 その声に、ユリアンを詰っていた士官たちは何者かと振り向き、そこにいた人物がとても若い青年将校で面倒ごとにならずにすみそうと安堵したが、年齢に見合わず少佐の階級章をつけていたのを確認し、驚いて敬礼した。

 

 その少佐は新たなる自分たちの司令官の姿を視界におさめると、だいたいの状況を察したようで、険しい目つきで年配の士官たちを順番に睨みつけ、いちばん階級が高かった中佐に近寄り、感情がまったくのらない絶対零度の声で問いかけた。

 

「年齢と階級は?」

「は?」

「自分の年齢と階級を言えと言ってるんだ。さっさと言え!」

 

 異様な迫力と剣呑さを醸し出している少佐に圧倒され、中佐は喘ぐように質問に答えた。

 

「四二歳、中佐だ」

「そうかそうか。では、ミンツ中尉より年齢も階級も上だな。当然、中尉より軍事経験も豊富なのだろう。こんなヒヨッコの少年中尉が司令官なんて認めらない。だから俺がやる、と、おまえは言いたいわけだな?」

「い、いや……そういうわけでは……」

「そういうわけでは? では、なんだというんだ。ミンツ中尉の能力への不信任ではないのだとすれば、他に何が言いたいんだ」

「私は、ただ、ヤン元帥亡き今、無謀なことをするのになんの意味があるのかと問いかけているだけで……」

 

 言い訳がましく弁明する中佐に、青年将校の怒気が堰を切ったように体内から流れ出し、可視化されるほど発せられたように思われた。

 

「沈みかけの船から逃げ出す鼠風情が、偉そうにぐだぐだ言うんじゃない! 階級は下、年齢でいえば遥かに下! なのに司令官の重責を背負うと覚悟している者に対し、たとえ虚勢であろうとも俺が代わると言えないばかりか、ネズミのように逃げ出そうとしている自分を棚上げして批判したいというのか! ここにいる連中はどいつもこいつも見下げ果てた腰抜けの恥知らずどもばかりだな! ミンツ中尉を批判する前に、それを言えるだけの資格が自分にあるかどうか、少しは考えてみたらどうだ!!?」

 

 自分たちを全否定するような発言に、士官たちは屈辱と反感を双眸にたゆたわせ、生意気な青年将校を無言で睨みつけたが、根負けしたようにスゴスゴと引き下がった。青年将校の糾弾を受けて羞恥心が刺激されなかったわけではなかったので、これ以上何か反論しても自分が恥ずかしくなるだけだと悟ったようであった。

 

「あの、ありがとうございます。ディッケル少佐」

 

 ほんの数週間前に価値観の差異から、論戦をした青年将校クリストフ・ディッケルであった。非常に嫌われているという認識であったので、そんな人物が自分への誹謗をあんな大見得を切って庇ってくれるとは、目撃した当事者であるというのに少し信じがたいものである。

 

「別に礼を言われる筋合いなんかない。あいつらへの罵倒は、半分くらい自分への自戒として内心唱え続けていることだ。でなきゃ、俺も新司令官殿にやくたいもないことを言ってしまいそうな心境なんでな」

 

 吐き捨てるようにそう言われて、ユリアンは恥ずかしく感じた。ヤン一党の流れから来ている者たちの中でも、自分が司令官をやることについて思うところがある人物がおおくいるのが現状なのである。そんな中、エル・ファシルから合流した一派の人間が肯定的反応をしてくれたのが驚きで、少し嬉しくもあったのだが、とんだ思い上がりだったと思ったからだ。

 

 だが、その様子を見て自分もこの少年司令官に内心不満だらけだが頼らざるを得ない情けない分際で、ずいぶんとおとなげないことを言ってしまったとディッケルはバツの悪さを感じ、なにか話題の転換をする必要を感じた。

 

「そういえば、中尉は中尉のままなのか」

「……どういう意味です」

 

 とっさに質問の意図をつかみかねたユリアンに、もう少し噛み砕いてディッケルは質問した。

 

「いや、シェーンコップ、キャゼルヌ、アッテンボローといった将官方は残留されるのだろう? その上の地位につくわけだから、八階級特進でもして大将にでもなるのか?」

「い、いえ。中尉のままだと思いますけど……」

 

 まだ同盟軍の第一三艦隊であった頃から、ヤン一党にとって軍階級は参考要素程度にしか扱っておらず、実際の上下関係や指揮系統と必ずしも一致していなかった。同盟軍を範として設置されたエル・ファシル革命予備軍にもヤン一党の合流に伴いそうした風潮が現れている。その伝統はエル・ファシル独立政府が解体に伴って新しく構築される軍組織も継承されるであろうから、今回のもそれも伝統の枠内として処理されるのではないか。

 

 ……さすがに中尉が将官の上に君臨するという極端すぎる例は今までになかったし、そもそも論として第一三艦隊にそのような伝統が誕生したのはそうしなくてはならないほど人材不足を補うための応急策であり、それが常態化してしまったという嘆かわしいものなので、ここまで極端なのは今回が最初で最後であると信じたいとユリアンは思った。

 

「なるほど。まったく軍の階級秩序はどうなっているんだ。いや、メルカッツの爺のこともあるし、もとから階級の上下なんてあってないようなものだったか……?」

 

 ゴールデンバウム王朝の軍隊にあっては上級大将の地位にいたメルカッツであるが、帝国内の内戦の結果同盟に亡命してからは、第一三艦隊の客員提督(ゲスト・アドミラル)として同盟軍で中将待遇で扱われていた。恭順した亡命将校は亡命前と同階級か一階級下の階級として扱うというのが同盟軍の慣例であったが、同盟軍に上級大将の階級は存在せず、また当時元帥の地位にあった同盟軍人も存在しなかったので、二階級下の中将待遇ということになったのである。

 

 レムシャイド伯率いる正統政府から軍務尚書に任命された時に、組織としての実態がない正統政府軍の元帥の称号を授与されたが、それまで一貫して帝国軍上級大将の軍服を着たままであった。ヤン一党がエル・ファシルに合流すると、反帝国運動なのだからゴールデンバウム王朝の軍服を着続けるのを認めず、規定の同盟軍式の軍服を着せ、階級も中将にするべきだと救国戦線系の勢力が主張し、それを受けて軍事委員長たるロムスキーはメルカッツにその説得をしようとしたのだが、会話しているうちに紳士同士で波長があったのか老将に深く同情してしまい、逆に救国戦線を説得して革命予備軍に上級大将の地位を創設し、軍事委員会に要請して認められれば規定の軍服以外も着ることが許可される規則まで作ってしまったのである。

 

 ……余談ではあるが、このエピソードを知ったポプラン中佐は、この規則を恣意的解釈を行って一度“()()()()()()()()()()洒落た私服を軍服扱いにしてくれ”と軍事委員会に要請したのだが、「申し訳ないが、さっぱり意味がわかりません」と困惑気味のロムスキーのコメントとともに却下され、悔しがっていたとアッテンボローの回顧録に記されている。

 

「少佐はメルカッツ提督のことが嫌いなのですか」

 

 言葉のニュアンスからそう感じ取ったユリアンはそう問いかけた。地球で会ったヴェッセルやシオンのことを教訓として、所属や価値観の違いで偏見に一方的に見てしまうことを正せる機会があるなら正したいと思っていた。加えて言動から察するに、どうやらディッケルはイゼルローンに残留する決意のようだから、まだ諦めずに民主主義の旗を帝国から守護する同志ということになるのだろうし、たとえ相容れないとしてもその価値観は把握しておきたかった。

 

 ディッケルは驚いた表情を浮かべ、ついで不機嫌そうに顔を歪めたが、胸元についているメダルを一つ取り外してユリアンに渡してきた。それは勲章のようで表面には“Y・H・A”と文字が刻まれている。しかしユリアンはこんな勲章は同盟軍には存在しなかったと記憶している。

 

「……俺は帝国からの亡命者でな。もっとも、亡命したのが幼少の(みぎり)なんで、帝国本土のことなんぞろくに覚えていないが」

 

 そうしてゆっくりとディッケルは身の上話をはじめた。いささか唐突に思えたが、関連がある話なのだろうと思い、ユリアンは黙って耳を傾けた。

 

 身分は平民だったが、ディッケル家は一族の多くが地元で公務員職として働いていて、社会的に信頼もまずまずという、中流層の一員として代々無難な生活を送っていた。だが、クリストフ少年が六歳のときに学校図書室の司書をしていた叔父が女子学生を強姦した容疑で有罪判決を受けたために、それは終わりを告げた。

 

 叔父が本当にそんなことをしたのかどうかはわからない。だが、遺伝子を重視するゴールデンバウム王朝の世において、強姦の罪で刑務所に送られた親族が出たら一族の者もただでは済まない。なんら公的に処罰されたわけではないが、犯罪者の血が流れている一族だと地域社会から疎外され、劣悪遺伝子排除などと称して愚連隊や青年団の嫌がらせを日常的に受けるようになった。警察に訴えても「強姦魔の遺伝子を有しているのが悪い」と冷笑された。賄賂を贈ると対応はしてくれたが、全体的に中途半端なもので差別や迫害をやめさせることはせず、一時しのぎにしかなりえなかった。

 

 差別が始まって数か月後、ささいなミスを理由に解雇された父親は家族と同盟への亡命を決意した。このまま迫害され続けながら帝国内で生活してはいけないというのがその理由だった。断腸の思いで老後のため少しづつ増やしてきた貯蓄に手をつけ、警察や宇宙港職員に金を掴ませ、フェザーンの運び人を手配した。

 

 そして準備を万全に整えて帝国脱出を実行するという時に、フェザーンの運び屋を社会秩序維持局が拘束した。人類社会“唯一の”正統政権であると自負する銀河帝国にとって、叛徒どもの領域に逃げようとする臣民は、危険思想に汚染されてその真理を否定した卑劣な裏切り者であり、帝室と祖国に仇なす叛逆的行為を犯した重大犯罪者であると規定していた。この容疑で社会秩序維持局に拘束されれば、その場で処刑されたり、過酷な環境の矯正区で長い刑期を課されるのである。

 

 社会秩序維持局は父が利用するつもりだった運び屋が、そうした犯罪行為に幾度となく関わっているとみて拘束し、取り調べることにしたのだ。こうなってしまっては運び屋の口から一家の亡命意思が漏れるのも時間の問題と父は考え、適当な定期便のチケットを購入して違う惑星に移動した。恒星間移動をしてしまえば、担当する社会秩序維持局の支部の区域が変わり、まだ自分への容疑が確定していなければ支部同士で連絡をとらない可能性があることに賭けたのである。

 

 父の期待は的中して、移動先の惑星は平穏そのものであり、故郷では当たり前だった自分たちへの差別はまったくなかった。日々の迫害に疲弊しきっていた父はつい楽観してしまい、今日はぐっすり休んで、明日からまた亡命の算段を考えようとホテルに部屋をとって一家は就寝した。これが間違いだった。

 

 翌日の目覚めは最悪だった。現地の社会秩序維持局支部の職員の訪問によって目を覚ましたのである。扉を開けて職員から説明を受けた父は大声で妻の名を叫び、クリストフを連れて逃げるように命じ、自らは少しでも時間を稼ぐ足止めになろうと職員たちにくってかかった。母親に抱かれ、窓から飛び降りる寸前、ダァーンと銃声が室内に響いたのをクリストフは今でも忘れられない。

 

 母は無我夢中で走り続け、走り疲れてなにか立派な建物に隠れて休もうと飛びこみ、通路の端に座り込んでもうだめだと捕まって殺されると震えながら泣いていた。母はまったくわかっていなかったが、幸運にも、たまたまそこはフェザーン自治領の領事館だったので、外交関係を考慮して敷地内まで追うことをせず、社会秩序維持局の追っ手たちは上層部の判断を仰ぐべく、監視役を置いて撤退した。

 

 ひとまずの窮地は脱した母とクリストフだったが、根本的には何も解決していなかった。フェザーン領事館にとって両者は厄介者でしかなかった。優秀な人材であるとか、情報源になり得るような地位にいた者なのであれば、国益のために亡命を仲介することもあるが、そんなことはまったくない凡庸な帝国人一家の亡命の手助けなどするわけがなく、お荷物でしかなかった。せいぜい社会秩序維持局が身柄の引き渡しを求めてきた時に、高い値段で売りつけてやろうと隠すこともなく議論するほどだった。

 

 母は顔面を蒼白にして、慈悲を乞うた。せっかく助かったというのに、結局、社会秩序維持局に身柄を引き渡されようとしているのだ。金銭の類はすべてホテルの部屋に置いてきてしまっているから、金で解決を図ることもできない。何度も何度も頭を下げ、自分は構わないから、せめて息子だけでも亡命させてやってくれないかと頼み込んだ。そのかいあって、領事館はフェザーンまでの足を用意することを約束した。だが、それは決して情にほだされたからではなく、母の必死さに別の価値を見出しただけであった。

 

 領事館が手配した宇宙船の中で、母はたびたび船乗りたちに呼ばれて一緒に個室にこもり、ひどく疲れたような調子で戻ってくるということが続いた。クリストフはまだ少年であったが、いや、少年であったからこそというべきか、母が売られて船乗りどもの相手をさせられていると察せてしまった。それでも母は気づかせてはいけないと健気に優しい笑みを浮かべて自分を安心させようとするので、クリストフは内心の怒りを隠して気づかぬ風を装うことしかできなかった。これ以上、母に心配かけるようなことをしては、死んでしまいそうだと思ったのだ。

 

 フェザーンに着いたら、すぐに同盟の駐在弁務官事務所に駆け込んだ。母は一休みしたがったが、ここは母を商品にするような人非人の巣窟であると思ってクリストフが駄々をこねたので、即座に亡命ということになったのである。亡命申請をすると事務員は鉄面皮で手続きをして、簡単に同盟への亡命と市民権が認められた。

 

 だが、同盟に入国する際の健康診断で母が重い病気を患っていることが判明したので、病院に運び込まれた。万事、入国管理官が担当してくれたことであり、本来であれば感謝すべき相手であるのだが、クリストフは彼のことを思い出すとどうしようもない憎しみがこみ上げてくる。あろうことか、入国管理官は医師にたいしてこう言ってのけたからである。「帝国の売女の面倒を国民の税金で治療するのは業腹でしょうが、仕事だから頼みます」と。

 

 すでに母の症状は末期であったらしく、入院して程なく母は死去した。残されたクリストフ少年は両親の分も生きていこうと誓ったが、学校でほどなくイジメの対象になった。「帝国のスパイ」「女スパイの子」というレッテルがはられたためである。むろん子どもが遊び感覚でやっているだけであり、帝国のように社会的な迫害が加わるようなことはなかったが、かといってイジメを止めようとしてくれる大人は数えるほどしかおらず、ほとんどは放置し黙認していた。

 

 父は社会秩序維持局に殺され、母は亡命時の苦難で病死した。にもかかわらず、帝国出身であることを理由に自分は差別されなくてはならいのか! 差別対象にされたくない、他者から肯定される存在になりたいという思いが強まり、クリストフは優等生たらんと自分を厳しく律し、他人には優しくあろうとし、暇さえあれば勉学に勤しんだ。そうしているうちに、一部のねちっこい連中を除いて、差別は徐々に消えていった。

 

「帝国にも復讐してやると意気込んで軍人を志望し、士官学校ではひたすらに訓練と勉学に明け暮れた。そして首席で卒業し、トリューニヒト議長からその青少年栄誉賞を授与された。俺はとても嬉しかった。勲章が授与されたことがじゃない。今までどれだけ努力して結果を示しても、少なくない人間から歪んだ目で見られてきたのに、国家元首から若い共和国市民と認められ、民衆も多くの者たちが追認してくれた。それがたまらなく嬉しかったんだ」

 

 ユリアンはハッとした。トリューニヒトは最高評議会議長の就任式典において、一〇代の少年少女を招いて彼らを讃え、民衆人気向上に利用していたことを生前にヤンは批判的に論じていた。曰く、「あの四人のやったことと、トリューニヒト氏の政策や識見のあいだに、どういう関係があるんだ?」と。その四人のうちの一人が、目の前にいるディッケルなのだ。

 

「とまあ俺にはそういう過去がある。で、そんな過去のある人間が、自由の国に亡命しておきながら、クソッタレな帝国への郷愁を捨てられない死にぞこないの老害爺に好感を持てるとでも?」

 

 ディッケルは仮面のような微笑みを顔面に張り付けて穏やかな声音でそう言った。それが逆説的にどれほどメルカッツのことを嫌っているかを雄弁に物語っているように、ユリアンには思われた。

 

 事実として、ディッケルは死ねばいいのにと思うくらいにメルカッツを嫌っている。不愉快な現状を黙認してきたのは、メルカッツはヤン元帥の庇護下にあったのもあるが、圧倒的な巨大な帝国の脅威を前にして、紛いなりにも味方である存在を排撃しようとするのは利敵行為であると自重しているだけである。とはいえ、もし過激派がメルカッツ暗殺という挙に及んだ場合、その英雄的行為に拍手喝采し、実行者を称賛しない自信はまったくといってないが。

 

「……メルカッツ提督にはこれからも協力してもらうつもりです。残留するということは場合によってはメルカッツ提督の指示に従ってもらいます。その覚悟はおありですか」

「ああ、帝国に対抗していく上では好悪なんて気にしていられないだろうからな。そっちこそ、どうなんだ?」

「なにがです」

「今後の展望だよ。玉砕を厭わぬ覚悟があるとはいえ、それしか考えていないというのなら、なにもおまえみたいな少年中尉の下につく必要がない。さすがになにか考えているんだろうな?」

 

 虚言を弄せば赦さぬ。言外にそう感じさせるほどの真剣な瞳で、ディッケルはユリアンの真意を見抜こうとしているようであった。だからユリアンは挑発的な笑みを浮かべ、余裕を感じさせるような態度で返答する。

 

「安心してください。少なくとも、帝国軍相手に華々しく玉砕して、武力によって民主主義の精神を屈服させることは叶わなかったと後世に示す、なんて考えはまったくありませんから」

「……はん、以前の問答への当てつけか。ま、そんなことを言えるくらいなら大丈夫か。しっかりやれよ」

 

 皮肉で返してきたユリアンに毒気を抜かれ、それだけの胆力があるなら信頼しても良いだろうとディッケルは素直に思えた。このような悲観的状況において、滅びの美学ではなく希望を語れるのは得難い素質といえる。ヤンの名声ありきとはいえ、亡きロムスキー主席も似たような資質の持ち主であって、だからこそディッケルをはじめ救国戦線派の者達はロムスキーを革命の神輿として担いだのだ。ユリアンがヤン元帥の代わりにはなるとは思えないが、ロムスキーの代わりには充分なるだろう。

 

 一二日、イゼルローン要塞でヤン・ウェンリー元帥の葬儀が執り行われた。その際、弔問に訪れたミュラー上級大将との交渉によって、革命運動の離脱者を帝国が受け入れるという確約が得られ、離脱者は平和的にイゼルローンからいなくなった。だが、これで予期されていたある問題が表面化する。

 

 イゼルローンへの残留者は九四万四〇八七名、うち男性六一万二九〇六名、女性三三万一一八一名。女性の大半は男性の家族であって、単身者は少なく、人口構成の男女比不均衡は、今は大丈夫だとしても、長期的視野で考えればいずれ問題になるだろう。そしてそれ以上に問題なのが、七割近くが軍人ないしは軍属であり、致命的なまでに文民不足であることだ。

 

 純粋問題として勢力内における軍隊の割合が大きすぎる。これは革命勢力を運営していく上で大きな障害となること疑いないし、民主主義的観点からすれば、軍隊そのものが強い政治性を持たざるを得ない現実と文民統制の原則をどのように整合させるかも大きな課題となる。革命勢力の前途は多難であるが、ユリアンはこれを乗り切ってみせるつもりであった。

 




原作読み直したらクリストフ・ディッケルがトリューニヒトに青年栄誉賞を授与されたのは、士官学校首席「入学」の時と書かれて、愕然とした。……いまさら修正もできないので、本作では士官学校首席「卒業」時に授与されたという設定でどうかよろしくお願いします。

ん? 四八八年卒業の士官学校生が四九〇年の同盟降伏までに少佐になるとか出世はやすぎるって?
……そりゃあ、アムリッツァとか救国軍事会議とか色々あったせいで、異例の出世を成し遂げたんです。末期軍隊だと出世しやすいっていうでしょ?


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独立不羈の自由なる惑星

「勢いに乗る勇気、コミュニケーション能力、そして大金。この三つを持ち合わせていれば、大抵のことはなんとかなる」
――初代自治領主レオポルド・ラープが言ったとされる言葉  



 PHEZZAN――フェザーン。この惑星が人類社会において大きな意味を持つ存在になりえたのは、ほんの一世紀ほど前のことである。

 

 元来、フェザーンはたんなる不毛の土地でしかなかった。人類がこの惑星に降り立つまで、植物の類は一切存在せず、砂と岩だけの荒野がどこまでも広がっていた。だが、惑星が帝国と同盟の間をつなぐ回廊の中に存在するという特殊な地域に存在したこと、発見者が帝国の商人集団の首領であったレオポルド・ラープであったこと、そしてその発見された時期が偶然にもコルネリアスの大親征によって帝国も同盟も疲弊していた頃であったこと……なにかひとつでも歴史の歯車が異なっていたならば、今日(こんにち)のようにフェザーンが宇宙で一番繁栄している都市惑星に成長することはありえなかったであろう。

 

 帝国財界において少なからぬ影響力を持っていたラープは、かねてより強い政治的立場を欲していたという。帝国内で商売をやっていくにしても、貴族のしがらみに商人も巻き込まれ、やれば儲かるとわかりきっているような話でも背後にいる貴族達の縄張り意識のために飛びつけないし、飛びついても体良く利用されて捨てられるか、口封じされてしまうという境遇に不満をいだいており、高位貴族相手でも対等に商談できる地位を欲していたのである。

 

 そんな野心的な商人集団の首領はフェザーンという惑星を見出した時、即座に現在の情勢を利用して惑星を自分のものにすることを決意したのである。かねてより懇意にしていた貴族集団に豪快なまでに金を注ぎ込んで味方につけ、遠征失敗に伴う財政難への対処に苦慮していた時の皇帝コルネリアス一世にも多大な献金をして、フェザーンを自治領にさせるとともに、自身をその自治領主に任命させたのである。

 

 当時の帝国上層部の廷臣たちのラープへの主な評価は「何も生み出さない不毛な惑星を必死こいて欲しがる変なやつ」であった。自治領認定したからには広範な内政・外交の権利を領主が保有することを帝国政府は認めていたし、同盟との外交関係を結んで経済交流を推進する方針をラープは隠していなかったにもかかわらずである。それも当然といえば当然であった。なるほど、理屈の上からいえば不可能ではないだろう。だが、それは所詮理屈であり、地球とかいう田舎出身者が語る実現不可能な夢物語に過ぎないと廷臣たちは思っていたのだ。

 

 コルネリアスの大親征終結から一〇年近い年月が経過しているが、いまだその傷跡は両国の間に生々しく残っている。さらに情報部の調査によれば、帝国軍の占領統治を経験していた少年少女らが大人になって選挙を通じて政治参加するようになり、彼らの支持を得て対帝国強硬論を叫ぶ政治家たちが台頭してきていると聞く。そのような情勢下において、いくら自治を許されているとはいえ、フェザーンは形式的にはやや特殊な政策が行われる銀河帝国の地方行政単位に過ぎず、その位置付けはどこまでいっても銀河帝国の一部である。

 

 そんな怪しさしかないフェザーンと互いに尊重しあった外交関係を結ぼうとするほど同盟の政治家たちは無能ではないだろう。せいぜい同盟軍に潰されるまで国防を一部肩代わりしてくれるなら儲け物程度だと廷臣たちは考えていたのである。

 

 だが、ラープはそんな現実的推測を超越してみせたのである。自由惑星同盟は民主主義の国であり、民主主義の国に要求を飲ませるには、その国の世論を味方にしてしまうのが一番良いとラープは考えた。同盟はとかく基本的人権なるものを重視し、銀河帝国の階級社会を憎悪している。そうであるならば、それに対して挑戦的行為をとってやれば、民衆の好意を得ることができようし、彼らの声に押されれば同盟政府もフェザーン自治領と外交関係を結ぶことに前向きになろう。そういった宣伝効果が見込める、実益を兼ねた腹案があったのである。

 

 自治領主としてラープが最初に手掛けた仕事は“惑星開拓の労働力確保のため”という名目で大量の農奴購入を帝国と交渉することだった。十分すぎる支払い能力がラープにあることを確認すると、どっからそんな大金用意したと訝しみつつも、帝国は財政難を一時的に解決できるかもしれないぞと乗り気になった。売れる農奴の数が少なかったので、再教育が完了していない矯正区の思想犯も農奴扱いにして売りにだしてまで、ラープが欲する人数を揃えたほどである。

 

 ラープがいったい何人の農奴を購入したのかはわからない。帝国政府だけではなく、大貴族とも個別に農奴取引交渉を持ちかけていたため、総数が判然としないからである。フェザーン自治領主府側の記録では「二億から三億」という数字が多用されているが、真相はよくわからない。ともかくも大量の農奴たちを前にして、ラープは数時間に及ぶ大演説を行った。後世、独立不羈演説と名付けられる演説である。

 

「すべての者達にフェザーン自治領の公民たる権利を与える 諸君らはもはや農奴ではない!」

 

 冒頭でいきなりやった解放宣言に、集まった農奴たちはそろって目を見開き、自分たちの主人を仰ぎ見た。いや、主人ということになっていた自治領主の熱の入った演説に耳を傾け、農奴解放が嘘偽りではないのかという疑念が徐々に薄れていくような気分を味わったという。

 

「諸君らは何故農奴になってしまったのか。優秀ではない遺伝子を持って生を受けてしまった劣等種ゆえか? 叛逆者の血統の保有者であるからか? 否! 断じて否! それはおまえたちが誰もが無価値であったからだ! 己に価値があり、それを示し続けることを怠らなければ、どのような出身・境遇の者とて、生き残ることは最低限できるのだ! さらに才覚があったのならば、一山当てて大金持ちになり、惑星の領主になることだってできる! 地球などという忘れさられた辺境の惑星から成り上がったこの私がその実例であるようにっ!!!」

 

 元農奴たちは驚愕した。これは、やや迂遠的であるが、帝国の始祖、大帝ルドルフの定めたもう理念の否定であると思われたからである。

 

「さて、諸君らは本当にルドルフ大帝が仰せになられたような、主人に鞭うたれねば働かぬ劣悪者の類か? それともなにかの間違いで農奴にされてしまっただけで、その存在に自体に実は価値がある、独立不羈の精神を胸に秘めた者であるか? 後者であるならばこの自治領の繁栄のために私に誠心誠意協力せよ! 諸君らにとっての自由の城を築きあげよ! さすれば諸君らは未来永劫、子々孫々に至るまで独立不羈のフェザーン人として自由を謳歌できるのだ! 価値ある者であるならば、誰かに所有されることなどないし、鞭打たれる必要などどこにもないのだからな!!!」

 

 この演説に多くの元農奴、フェザーン市民は感化され、熱狂的に開拓事業に取り組んだ。とはいえ、草木の一本すら生えていなかったような不毛の惑星である。中間貿易が軌道に乗るまではフェザーンは非常に貧しい惑星であったので、開拓事業を終えるまでに少なくないフェザーン人がさまざまな要因で死亡したとされる。もっとも、ラープは最初から織り込み済みであったようで、まったく気にすることなく同盟との交渉に臨んだ。

 

 独立不羈演説の影響もあって、レオポルド・ラープは奴隷解放の英雄という世論が巻き起こっていたこともあって、外交・交易関係樹立の交渉はトントン拍子でまとまった。その後、大量の犠牲者の末に完成した都市惑星の中枢でラープは二〇年の歳月をかけて都市の発展と帝国と同盟との関係の安定化させることに腐心し、死ぬまでに帝国・同盟に次ぐ第三勢力としてのフェザーン自治領を完成させたのである。反面、無謀ではないが無茶な惑星開拓を強行させたために、フェザーン民衆が「役人は無能ばっかり」と公然と吐き捨てる社会の源泉を作り上げたわけでもあるのだが。

 

 だが、そのフェザーンも自治領ではなくなり、形式のみならず実質的な意味においても帝国領となり、さらには帝国首都へと変貌を遂げようとしている。そんなフェザーンの地表にゲオルグが降り立ったのは六月末のことである。数千光年離れたテオリアの宇宙港から出ている定期直行便を利用して、トランクケースを片手に単身でやってきたのである。フェザーンの地に降り立ったことに、ゲオルグはなんともいえない感慨と虚しさを感じずにはいられなかった。

 

 昔からゲオルグはフェザーンに訪れたいと思っていたのである。だが、それは自分が“帝国高官”になっていることを前提とした思いであった。国務尚書か帝国宰相として官界の頂点に立ち、もしくはなにかがあって銀河帝国皇帝になって、国内を留守にしても安心できる基盤を整えたなら、一度フェザーン自治領を公式親善訪問し、そしてフェザーン自治領主と直接対面して、自治領との間にある大量の問題について決定権を持つ首脳同士で直接討議したかった。そして会談が良首尾に終わったならば、同盟との戦争終結への道筋もつけることができるであろう。

 

 これはゲオルグの独創ではない。祖父クラウスからどのような形で戦争の幕を引くにしても、第三の位置にいて戦争を煽り続けるフェザーンを当事者として巻き込まないことには終わらないという認識を聞かされ、ゲオルグは若さからか、ならいっそ直接乗り込んで白黒はっきりさせるのが一番であろうから、首脳会談をすればよい、そんな冒険主義的な構想を抱いたのである。

 

 だというのに、現実にフェザーンに来れた時の自分は帝国の権力者としての立場を完全に失っており、国事犯として身の上を偽らねば堂々と街中を歩けぬ有様。しかもすでに自治領ではなくなっている上、同盟との戦争状態は終結しているどころか、同盟そのものが滅び去っているのである。ほんの数年でまったくなんという変わりようだ。短期間のうちに銀河情勢がここまで激変するなど、いったいだれに想像することができたであろうか。

 

 そんな思いを抱きながらゲオルグはタクシーを拾って予約を入れているホテルへと向かった。部屋はノイエス・テオリア社の名義で入れてあり、費用は会社の取材費からでることになっている。つまり第三者の目から見れば、地方新聞社に所属する出張ジャーナリストということになる。実在する人物の身分証明書も持っているし、人相もかなり似ているので、官憲に疑いをかけられることもあるまい。

 

 チェックインをすませるとゲオルグは財布以外のすべてを部屋において外へ出た。約束の時刻より少し早く着きそうであるが、時間の潰しようはいくらでもあるから先に行ってしまおうと考えたのである。市街バスに乗り込んだ。空いている席に座り、備えつけられえているTVをなんとなく眺めた。どうやらニュース番組のようだ。

 

「……この連続軍人殺害事件について、憲兵隊は無能にもまだ発表できるほど捜査が進んでいないと言っています。われわれフェザーン人に犠牲者がでないうちに解決してもらいたいものです。では、次のニュースです。イゼルローンの共和主義勢力に動きがありました」

 

 ものすごく気になる報道がされていたが、終わってしまったのでそれはまた後で調べ直そうと思い、共和主義者どもがなにをやっているかに関心を傾けた。

 

「先刻“イゼルローン軍政区協商審議会中央委員会”の名目で声明があり、同委員会は審議の末に革命継続宣言を採択したと発表されました。革命運動は政治指導者と軍事指導者を同時に喪い、エル・ファシル独立政府がその動揺と混乱の中で自然解散してしまい、これをもって世の中の人々は革命運動のみならず民主主義そのものが終焉したという風に見なしている。しかしアーレ・ハイネセンが証明したように、たとえどれだけ専制主義が興隆を誇っている時代であっても、人々が自由を求める限り民主主義の理念は決して消滅するものではない。ゆえに革命運動もまた苦境の中にあっても諦めることはなく、エル・ファシル独立政府に代わる新らしい政府を樹立し、自由と平等と人民主権を求める戦いを継続することをここに誓う――要約するとこのような内容の宣言です。

 この宣言に則り、同中央委員会は厳正なる議論の結果、新しい政府を樹立るための特別準備委員会を設立して指導者にフレデリカ・グリーンヒル・ヤンを選出したと続けて発表。その姓からわかるように、同盟軍の英雄であり革命予備軍司令官であったヤン・ウェンリー元帥の妻であります。同盟軍士官学校を次席で卒業しており、ヤンの魔術を傍らで支えた才媛ですが、政治経験は皆無です。よって彼女自身の政治能力ゆえではなく亡き夫の求心力を多少なりともいかすために指導者に選ばれたのであろうと推測でき、おそらくは樹立される新政府においても政治指導者に選ばれると考えられます。また軍事指導者の地位にはヤンの養子であるユリアン・ミンツがすでに就いているから、新政府とやらはヤン元帥の孤児と未亡人による連合政権によって運営される可能性が高いというのが専門家の評価です。すべてにおいて未知数であり、まったくもって今後の予想ができない展開としかいえませんね」

 

 皮肉って嘲笑するナレーターのコメントにゲオルグは内心同意する。正確には違うが、エル・ファシル独立政府自体が自由惑星同盟の残党みたいなものだった。それを持たせていたのはヤンの名声ゆえであり、その象徴を失ってさらに残党の残党を結成して正面から対抗を続けるなど正気の沙汰とは思えない。

 

 歴史に本流などというものがあるとすれば、現在、それは間違いなく皇帝ラインハルトとローエングラム王朝にある。その激流に抗おうともがいたところで、もがき疲れて結局流されるがオチであろうに。トリューニヒトやターナーのように帝国内部にて活動し、本流の指向性を変えようと工作する方が活路を見出せるのではないか。

 

「トレーズさん。イゼルローン軍政区協商審議会中央委員会というのは馴染みがない組織名ですが、どういったものなのでしょうか」

「一気に解説するのは難しいので、順を追って説明しましょう。イゼルローン軍政区というのは旧帝国暦四八七年に同盟軍がイゼルローン要塞を奪取した後、イゼルローン要塞を運営する行政単位として設置されました。軍事施設ですから軍が行政を担当していたので、軍政区、というわけです。バーラトの和約が結ばれるとともにイゼルローン要塞が名実ともに帝国に返還されて同盟政府の書類上でも廃止されましたが、今年初頭にヤン元帥がイゼルローン要塞を再奪取したことを受けて、エル・ファシル独立政府が再設置しました。

 協商審議会というのはイゼルローン軍政区の議会という風に認識すればよろしい。もともとは軍政の円滑化を目的とした住民代表者によって構成されれる諮問議会という位置付けでしたが、ヤン元帥の葬儀が終わった後、軍事後継者のユリアン・ミンツ中尉がイゼルローンの軍政終了宣言を出していたので、現在は実質的にも議会と同じであるとみてよいでしょう。中央委員会というのは同盟時代に前線からほど近い星系議会によくみられた機構で、有事の際に議会の役割の大部分を代行できる権限を持った非常時のための組織です」

「なるほど。その中央委員会が新政府の樹立を宣言したということは、エル・ファシルの星系議会が独立を宣言したのと似た構図ですね」

「というよりかは意図的に似せているのでしょうね。いくら天体規模とはいえ、軍事基地しか保有しない民主主義勢力など笑い話としか思えませんから、なおさら形式を重視しているのかもしれません。個人的にはそんなことより、故ヤン元帥の偉大さに養子と未亡人が押しつぶされないかどうか、実に心配なのですが」

「まあ、トレーズさんはお優しいですね」

「ほめ言葉として受け取りましょう。では、次のニュースを――」

 

 その後も会社の不祥事事件とか新領土での諸問題などの様々なニュースが続く。特にまもなくフェザーンへの遷都が正式に宣言されるであろうことについてはかなり長い時間を割いて報道していた。フェザーン人の実生活にかかわってくるだけあって、視聴者の関心がとても高いのであろう。

 

 それにしても……自治領時代から銀河帝国の皇帝や同盟の最高評議会に対して情け容赦ない論評やら批判やらを一切躊躇なく報道していたし、自治領主府の施政に対しても大変非好意的な目で評価を下していたフェザーン・メディアの反骨ぶりは警察時代から知っていたつもりだった。だが、それは体制批判しても安全が保障されている充実した社会で暮らしているためであり、帝国・同盟に対しては第三者的立ち位置にいるがゆえ、というふうに思っていたのである。

 

 しかしながら名実ともに帝国領となった現在もボルテックの代理総督府は当然として、シルヴァーベルヒの工部省どころか、帝国軍大本営を対象とした昔日と変わらぬ辛辣さに溢れた批判を加えている。秘密組織が集めた情報からそうなっていることは知ってはいたが、実際に目の当たりにするとなかなかに衝撃的な光景である。フェザーンの独立不羈の精神の強靭さのためか、それとも帝国当局がフェザーン人に舐められているからなのか。どう判断すべきなのだろうか。

 

 そんなことを考えているうちにバス停に到着してゲオルグは金を払って下車し、そこから三〇〇メートルほど歩いたところにあるカジノの店内に入った。まだ真昼間だというのに、店内にはそれなりに人だかりがあり、ギャンブラーたちがそれぞれの賭場で熱気を燃やして勝負をしている。その必死な勝負をゲオルグは見物しながら賭場をまわった。別に参加するつもりはない。ギャンブルなどというのは見て楽しむのが一番だ。名門貴族家に生まれて権力闘争の中で育ったゲオルグにとっては、息苦しい勝負のスリルなんてものをギャンブルをしてまで得ようとは思えないのだ。

 

 賭場を見て回っているうちに、チップと現金の交換所に出てしまい、ゲオルグはある標識を見て、おや、と思った。現金からチップへの交換はフェザーン・マルクでも大丈夫だが、チップから現金への交換は帝国(ライヒス)マルクのみ可能であると書かれていたのである。財務省が新帝国暦二〇年までに同盟ディナールとフェザーン・マルクを、帝国マルクに通過を完全統一するという目標を発表をしていたが、そのための措置がとられていると風に感じたのだ。しかし発表されてからそんなに日数がたっていないにもかかわらず、こんなカジノにまで措置が徹底しているとは行政の迅速さに舌を巻きたくなる。

 

 一時間ほど賭場を楽しげに見物しているうちに、約束の時刻になったことをカジノ内に設置されている大時計で確認し、ゲオルグはカジノと隣接しているホテルのほうに向かった。接近してくるゲオルグの姿に気づいて、ホテルマンが駆け寄ってきた。

 

「申し訳有りませんが、この先は宿泊客のみ入れるエリアです。チェックイン済みですかな?」

「いや、知り合いが宿泊しているんだが、呼び出してもらえないだろうか? 部屋番号は六〇五で、ノイエス・テオリアのラルドといえばわかってもらえると思う」

「……少々お待ちください」

 

 ゲオルグの注文を受け、ホテルマンはスタッフルームに入り、備えつけられている内線電話の受話器をとって、六〇五とボタンをプッシュした。通話が繋がり、「ノイエス・テオリアのラルドという人物に心当たりはありますか」と聞くと「友人だから部屋にあげてやってほしい」と返答があった。ホテルマンは了承の返事をして、ホテルの入口に戻ってゲオルグを六〇五号室へと案内した。

 

 部屋の前まで案内してくれたことにゲオルグは礼を言い、ホテルマンが去っていき姿が見えないことを確認した後、ドンドンと部屋の扉をノックした。扉が軽く開いた。チェーンロックがかかっていて無理やりには開けられそうにない。剣呑な光を目に宿した青年の顔が間から出てきて、問いかけた。

 

「大神オーディンより偉大な神の名は?」

「グリームニル」

 

 お決まりの合言葉の返しをゲオルグがすると、青年は扉を一度閉め、チェーンロックを外して客人を部屋に迎え入れた。

 

「本当にこんな場所で密談などして大丈夫なのだろうな? フェザーンにはあまり詳しくないから、密会場所はおまえに任せたのだが」

「このホテルは何度も利用していますから信頼できます。まったく問題ありません。フェザーンではプライバシー空間は神聖不可侵の概念でして、公共施設にある私的空間には徹底的に盗聴対策を施されるもの。このカジノホテルに限らず、サービス業なら施設にある客室や談話室にそのあたりの設備に万全を尽くします。そうしないと客から万金に化ける情報が流出すると警戒されて、客足が途絶えますから。素朴な帝国人が囁く“犯罪を企める場所がそこら中にある”というフェザーンへの評価は、誇張でも冗談でもなんでもなく、実に正当な評価です。なにせ警察に犯罪者捜索の協力を求められても、よっぽどのことではないと店の評判を気にして拒絶するのがフェザーン流ですから」

「なるほど。治安関係者からすれば悪夢でしかないな」

 

 プライバシーなど知ったことか。怪しければ徹底的に調べあげろがモットーだった帝国警察の長官だったゲオルグにはそうとしか思えない。もっとも、そういう寛容さこそがフェザーンの繁栄を支えてきたのであろうが、警察時代の部下どもはさぞ苦労していることであろう。

 

「ところでベルンハルト、おまえは私がどういう人間か、わかっているか?」

「ノイエス・テオリアのラルドさん……なんて答えはお望みではなさそうですな。秘密組織の指導者ゲオルグ・フォン・リヒテンラーデ殿」

「ほう、そこまで見抜いたか。うむ、おまえを秘密組織のフェザーン内ネットワーク統括者に推薦したクラウゼの目に狂いはなかったようだな。ここ最近、フェザーンにおける重要性から色々と情報をあたえすぎた故、秘密組織の指導者が私であると見抜かれているだろうと思っていた。しかしなぜ私がその指導者だと判断できた? かなりうまく変装しているつもりだったのだが、なにか見落としがあっただろうか」

「いえいえ、私としても秘密組織の最高幹部のだれかが来るとしか思っていませんでしたよ。しかしあなたと直接顔をあわせて、注意深く観察したら、顔の造形が非常に酷似しているように思えましてね? リヒテンラーデ家次期当主の顔を知っていて、なおかつ最初から疑って見ないと先入観も手伝ってとても一致しないですよ。私も半信半疑で、半分カマかけの断定でしたから」

「……なるほど。一本取られた。今後の教訓とさせてもらおう」

「整形手術でもされるので?」

「そういう意味ではない」

 

 整形手術で自分の顔面を改造するというのは論外だと秘密組織の首領は切って捨てた。あの手の手術は思わぬ副作用をともなう事態が発生する危険性が多少あるため、こうして自身を偽らなくてはならない時にその可能性を引き当てたら活動する上で致命的に過ぎる。

 

 だからもっと演技や変装に磨きをかけなくてはならないと認識しただけであったのだが、まさかそういう解釈をされるとは。

 

「まあよい。そこまで察することができる能力があるのなら、早速本題に入るとしよう。現在の秘密組織の方針は理解していよう?」

「ええ、おそらくですが、ボルテック派のフェザーン勢力と合同して、勢力を拡大していき、しかるのちに大勝負に出る方針ではないかと」

「その通りだ。それで肝心な話なのだが、おまえはボルテックの代理総督府をどのように評価しておるのか、参考のために聞かせてもらおう」

「とても(つたな)いとしか言いようがありませんね。軍務省を中心とした妨害工作もあって、実質的統治権を奪われ続けています。特にこの前のテロで入院している隙をつかれて、シルヴァーベルヒにかなり食い荒らされてしまっています。このままでは代理総督府が実権のない形式だけの組織に成り下がるのも時間の問題かと」

「なぜそこまで悪化したと考える? ボルテックの力不足ゆえか」

「身も蓋もない話ですが、おっしゃる通りで。もちろん、彼も優秀な政治官僚なのは疑いないのですが、シルヴァーベルヒのような異才の持ち主というわけではない。くわえてフェザーンを帝国に売り払って地位を得た売国奴という評価のために、主な支持層である不平派からあまり信頼されていないというのも問題です。そのためにボルテックは支持者との摩擦で時間をとられすぎているきらいがあります」

 

 まとめると代理総督府の問題点は大きく三つであるといえる。壱、帝国首脳部がフェザーン統治権奪取に積極的な事。弐、民政を担当しているシルヴァーベルヒがボルテックと比較して優秀すぎる事。参、売国奴という悪評からくるボルテックの求心力不足。

 

 壱にかんしては根本的解決不可能であろう。なにせ統治権奪取はフェザーンに遷都するためには必要不可欠であり、遷都は皇帝ラインハルトの意向である。ロイエンタールを新領土総督に任命し、旧同盟領の帝国領化政策が行われることを考えると、統治上の理由からいっても諦めることはない。せいぜい帝国政府内の秘密組織構成員を活用して、その動きを妨害するくらいしか対処法がない。

 

 弐と参に関してはシルヴァーベルヒに対抗できる逸材を代理総督にしてしまえば根本的解決が可能だが、そんな都合の良い人材に心当たりなどないし、仮にいたとして帝国政府がその人物がボルテックの後任になることを承認するはずもない。そもそもボルテックを代理総督をやってられるのは、長期的な銀河統一を睨んでいた頃の国家戦略の残滓に過ぎない。フェザーンの早期領土化及び首都化に舵をきった現在の帝国からすると、ボルテックが代理総督を辞めるならば、そのまま弱体化している「役目を終えた」という名目で代理総督府をも解体してしまいたいところであろう。

 

 となると、弐は壱と同じようにシルヴァーベルヒ及び工部省の行動を何らかの方法で妨害して対処するよりほかにない。参は不平派への求心力があって、それでいてボルテックに邪魔者扱いされないように振る舞えるという、面倒な条件をこなせる人材をボルテックの補佐役として付け、支持層である不平派との緩衝材にするべきであろう。このあたりについてグラズノフと充分に相談して実効性のある対応策を考えてある。時間によって解決をはかることは可能であるはずだ。

 

 だが、想像以上に代理総督府の立場は危ういようである。立て直しの準備が整う前に手遅れにならないかとても心配である……。対処法と一緒にその懸念を告げるとベルンハルトも同意し、ついで思い出したように先日のテロがあった歓送迎会で漫然と感じた不安を上司に告げた。

 

「おまえが軍務省から疑われているだと?」

「私の考えすぎかもしれませんが、フェルナー准将が私がケルマン組合に就職したことについて根掘り葉掘り聞いてきたので、なにか探りを入れに来ているように感じたのです。たんなる好奇心からの問いで杞憂の可能性もありますが、……念のため報告を」

「なるほどな……」

 

 アントン・フェルナーといえば軍務省官房長と調査局長を兼務していて、軍務尚書パウル・フォン・オーベルシュタインの腹心の一人と目されている人物。そんな奴に目をつけられているとなれば、ベルンハルトが秘密組織の構成員として活動するのは難しくなってくるだろう。

 

「わかった。しばらくおまえは秘密組織の一員であることは忘れ、よくいる不平分子の一人のように振る舞うよう心掛けよ。だが、連絡だけは怠るな。疑惑が晴れたか杞憂に過ぎなかったと私が判断したら、おまえにはまた構成員としてまた活動してもらうのでな。連絡役はそうだな、カニンガムにやらせる。あいつは裏社会の案内役をやっている人間だし、頻繁に接触しても不平派ならそれほど怪しまれまい」

 

 少し考えてからゲオルグはそう判断し、ベルンハルトも了承した。

 




「百鬼夜行さ。この国では、いつだってだれかがだれかを利用しようとしている」
――すでに死んだ最後の自治領主補佐官が漏らした愚痴  


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急進ゆえの首都問題

 内国安全保障局フェザーン支部――遷都が間近に迫っていることから、局員たちの間ではすでに新本部と呼称が定着し始めていた――では、支部長のシェレンベルクを差し置いて、大本営がフェザーンに移転されてより局長のハイドリッヒ・ラングが長期出張の名目で居座って支部の全指揮をとっている。

 

 旧王朝時代に社会秩序維持局長官を務めていたというラングの過去は、新王朝における彼の政治的立場を不安定なものにするには十分すぎるためであり、自分の立場を保障してくれているオーベルシュタイン軍務尚書のお膝下から離れることは危ういと感じたためというのもあるが、純粋に内国安全保障局の役割に特色をつけたいという考えもあった。

 

 他人からの評価は別として、自身の捜査能力と政界遊泳術にかんしてラングは相応の自負を持っている。内国安全保障局と競合部署であり、現在大きな権勢を握っている憲兵隊のケスラー総監より優れている、と、までは言い切れないが、少なくともそんなに劣っているはずがなく、個人の才幹のみで比較すればそう変わらないと思っている。にもかかわらず、ケスラーの方が優秀とみなされるのは、たんにケスラーのほうが皇帝に信任されており、憲兵隊の規模が内国安全保障局に比して大きいからにすぎないのだと思っている。

 

 そうした認識の上で、憲兵隊と正面から競い合っても組織力の点で内国安全保障局が劣るのは必然であるから、憲兵隊にはない強みを手にいれる必要がある。よって、帝国本土とはまったく文化と価値観を有するフェザーンでの捜査スタイルを内国安全保障局が確立させれば、少なくともフェザーンにおいては憲兵隊の風下にたたされ続けるということは回避できると考えたのだ。

 

 帝国本土と比べると権利意識が桁外れに強く、情報は秘匿するのが当然というフェザーンで秘密警察を機能させるのは並大抵のことではなかった。世間を騒がした泥棒などがTV局のインタビューを受け、警察がその泥棒の情報を提供せよとTV局に要請すると「ふざけんな! 金のタネになる情報を売り渡す馬鹿がこのフェザーンにいるわけねぇだろ!」という返答がくるのがフェザーンの常識なのだ。それでもラングはフェザーンの気風に適合した組織作りに情熱を注ぎ、まずまずの成功をおさめ、独立派系勢力からは恐れられる組織に変貌しつつあった。

 

 これで多くの要人が犠牲になった今年四月のテロ事件の犯人を内国安全保障局の手によって検挙することが叶えば、憲兵隊にはない圧倒的長所を局内外に喧伝することができ、それによって内国安全保障局は新王朝内における最低限の安定性を獲得することができる筈であった。最近、()()()()から有力な情報提供があって実行犯を特定し、フェザーン人も反論できないほどに証拠固めが終われば、いつでも検挙拘束可能だ。その未来は近い。それだけにここ最近のラングはいっそう職務に精励していた。

 

 仕事がひと段落つき、休憩をしているとシェレンベルク保安大佐が訪ねてきた。シェレンベルクはフェザーン支部長であったが、大本営機能のフェザーン移転以来、局長が実質的に支部員を直接指揮しているため、一歩引いて裏方の事務に徹してラングの仕事を献身的に支えていた。

 

「なに? ミッターマイヤー元帥から批判だと?」

 

 背筋が凍るような思いを抱きながら、いったいどうしたことかとラングが詳しい説明を求めた。シェレンベルクの説明によると、ヤン・ウェンリーの死を受けて帝都への帰還の途にある遠征軍から内国安全保障局に通信が入り、ロイエンタール元帥の子がどうなっているか尋ねられ、人員を四月のテロ事件の捜査のために集中させていたために、牢屋の管理がおざなりになっていて、その隙をつかれて拘束していたエルフリーデ・フォン・コールラウシュが赤子を抱いて逃げ出し、以後行方知れずになっていると返答すると、激昂されたのだという。

 

 それを聞いてラングは安堵した。フェザーンで治安活動を行うにあたり、彼なりに占領直後にミッターマイヤーがどのような施政をしていたのか調べたことがあるのだが、荒削りかつ強引な印象を受けるものの、その鋭い着眼点と実行の迅速さには眼を見張るものもがあり、帝国軍三長官のひとつを務めるだけあって、ミッターマイヤーは生粋の軍人で政治性はないという評価と裏腹に政治力もかなり持ち合わせていると認識していた。

 

 そんなミッターマイヤーから批判されたからには、内国安全保障局になにか無視できぬ問題があったかと不安を感じたのだが、そんなことならどうでもいいと安心したというわけである。ラングからいわせれば、ロイエンタールを失脚させる道具として役に立たないとわかった時点で、エルフリーデもその子どもにもなんら利用価値がない。逃げられたところでローエングラム王朝の世を揺るがすようになるとも考えにくく、むしろ逃げ出してくれたおかげで面倒な作業が省略されたというふうに受け止めていたのである。

 

 それにしてもロイエンタールめ! あの男は流刑に処された者と情を通じて匿い、その女との間に子を作り、本当かどうか知らぬが簒奪を示唆することまで言っていたのに、皇帝の信頼ゆえに失脚するどころか新領土総督として人類社会の半分を統治していく大権を与えられたというではないか! ラングはそれが妬ましくてしかたがない。それはラングの私怨もあるが、内国安全保障局が皇帝にほとんど評価されておらず、その信任が自分の側にあったらと考えられずにはいられないからだ。

 

 そしてふと思った。そういえば、あの男がかくまっていた女はリヒテンラーデの系譜に連なる者であった。リヒテンラーデといえば、政官界における対立で共同戦線を張っていたゲオルグはいまなにをしているのであろうか。彼の名も内国安全保障局が逮捕すべき国事犯リストに名があるが、優先順位からすればかなり下の方にあたる。というのも、彼が国事犯たる理由は祖父の大逆罪の連座にすぎないからであり、軍の拘束を逃れて姿をくらましてから完全に行方知れずになっているからである。

 

 自分の認識が間違っていないとすれば、あのゲオルグが国事犯に落ちぶれたことに納得せず、ローエングラム王朝に挑戦するつもりなのであれば、すでに大きな事件の一つや二つを起こしていることだろう。しかしそんなことはなく、彼がなにかやったという噂ひとつ聞かないとなると、知らないうちに人知らず死んでしまったか、もしくは権力回復より自分の生命の安全を優先して名と姿を変えてどこぞの辺境部に引っ込んで第二の人生を歩んでいるかのどちらかであろうか。

 

 それにしてもあの頃を思い出すと、かなり楽観的に自分の未来に夢を見ることできたのにとラングは苦笑せざるをえない。ゲオルグが叔父のハロルドとの家督争いに勝利し、若くして内務次官の地位についたことは、長く内閣の首班を勤めていたクラウス・フォン・リヒテンラーデが家督のみならず政官界における後継者であると正式に認めたのだと周囲は受け取っていた。そうなれば必然、自分もそれに引っ張られるように出世する。一〇年もあればゲオルグも内閣首班となって、自身が前例の少ない平民出身の内務尚書となることも不可能ではないという明るい未来も描くことができたのである。

 

 だが、用意されていたはずの出世への架け橋はラインハルトによるリヒテンラーデ派粛清とそれに続く開明改革推進によって木っ端微塵に粉砕されてしまった。もう少しで手を届く距離にあったはずの閣僚の椅子はいまや遥か彼方にあって目視することすら困難であり、自分の足場を固めることに精励しなくては生き残れるかどうかも怪しい有様。なんたる凋落ぶりか。色々な感情がこみあげてきて泣きたくなってくるが、ラングとしては秘密警察の専門家として新王朝内での立場を築いていくしかないのだった。

 

 リヒテンラーデの一門に連なる女を逃した失態については、当日にオーベルシュタイン元帥に報告して事態を了解してもらっている。ミッターマイヤーに今更蒸し返されても大した問題になるとも思えない。他になにかあるかと尋ねると、シェレンベルクが意外なことを報告した。

 

「オスマイヤー閣下が、近くフェザーンにやってくるとのことです」

「内務尚書閣下が? いったいなぜだ」

「フェザーンにおける警察権の所有について、遷都前に内務省高官の考えを統一しておきたいお考えです。そして工部尚書と代理総督とも会談を行って、それぞれが所有する権利の明文化しておきたいと」

 

 フェザーンにはもとより自治領時代からある警察組織が存在しており、現在は代理総督府の管轄下に置かれている。フェザーン人による民政を認めてきたいままではそれで問題がなかったが、遷都後はフェザーンが帝国首都となるわけであるから、オスマイヤーとしては当然、首都星の警察権は帝国警察が担当することにしたいところであろう。

 

 そうした帝国側の事情からすると自治領警察を帝国警察に統合したいところであるが、フェザーンの現実を考慮するとその実現は非常に困難である。不平派は代理総督府の権限が縮小されるのを好まないし、親帝国派の中にもフェザーンが早急かつ完全に帝国化することに躊躇いを覚えるものも少なからずいる。なにより自治領警察は代理総督府のフェザーン統治権を保証する最大の実力組織であるといっても過言ではなく、代理総督ボルテックはそのカードを絶対に手放そうとしないであろう。あまり無理強いすると、様々な問題はあれども一応は落ち着いているフェザーン情勢が急激に悪化しかねないおそれがある。

 

 だからフェザーンの二重行政状態を終わらせ、帝国政府による完全な直接統治に移行するまで長い時間がかかることは疑いない。国内治安を司る内務省からすれば悪夢もいいところだ。そのために、帝都の治安をどのように確立する方法について、繊細かつ慎重に決定しなくてはならない。オスマイヤーはそのための具体案を策定するために内務省高官による方針会議を開きたいのであろう。

 

「なるほど。ということは他の内務省高官もやってくるのか」

「はい。警察総局長をはじめ、治安専門家たちも多数同行する予定とのこと」

「総局長もか……。議題が議題だけに当然と言えば当然だが、警視総監は旧ハルテンブルク派の人間だ。会議が荒れそうだな……」

 

 ラングは苦々しげな表情を浮かべた。警視総監とは折り合いが悪く、内国安全保障局長官になってから衝突ばかりしているのだ。しかしその反応にシェレンベルクは驚いたように発言した。

 

「現在の警視総監はハインリッヒ・ネーヴェラですよ」

「なに、ネーヴェラ? 彼はリヒテンラーデ派とみなされて辺境に飛ばされたのではなかったか」

「はい、ですが、先の帝都事変で警察の対応の拙さが問題視され、有能な警察官僚として辺境から呼び戻されて今年の初めに警視総監になったのです。ご存知なかったのですか」

 

 ネーヴェラはフランツ・フォン・ダンネマンが重宝していた人物であり、ゲオルグが警視総監の地位にあった時は刑事犯罪部第四課長として辣腕を振るっていた人物である。熱烈な法治主義者で頑迷で融通が利かないが厳格かつ勤勉な警察官僚と評価されており、派閥色はあまりなかったが彼を抜擢したダンネマンがゲオルグの腹心であり、ゲオルグからも何度か表彰を受けていたために、ローエングラム体制後に警察組織を掌握した旧ハルテンブルク派警察官僚たちから疎まれて辺境にとばされていたのである。

 

 だが、旧王朝派によるクーデター時における当時の警察上層部の対応がお粗末過ぎたと糾弾され、旧ハルテンブルク派警察官僚の多くが失脚。旧リヒテンラーデ派ないしはゲオルグ派警察官僚が警察中央に復帰したのである。元警視総監ゲオルグ・フォン・リヒテンラーデが国事犯として扱われている中、彼が率いた派閥の人間を高い地位につけるのは問題ではないかと危険視する声はあったが、生きているのか死んでいるのかすらわからない人間のために有為の人材を遊ばせておくほど余裕がある状況かという声のほうがはるかに強かったので退けられた。

 

 そしてゲオルグ派警察官僚の中で階級も高く、辺境に飛ばされたあとも真面目に職務を遂行して成果もあげていたネーヴェラが内務省高官たちに支持されて警視総監に就任し、現在は警察の組織改革に辣腕を振るっているのであった。

 

「知らなかったな」

「……閣下はここ最近フェザーンとロイエンタールにのみ目を奪われているように感じられます。多忙なのは承知しておりますが、どうか御自愛なさって、いま少し他の星々の情勢にも関心を持つようにしてもらわなくては」

「う、うむ、そうだな。卿の言う通りだ。このヤマを終えれば褒賞がでることだろうし、休暇をもらって家族旅行にでも行くべきだろうか」

 

 支部長の諫言をラングはやや不快に思いながらも受け入れた。実際、フェザーンにやってきてからひたすら仕事をしている自覚があったのである。

 

 実際、ラングはフェザーンで多忙な毎日を送っている。帝国上層部――オーベルシュタイン軍務尚書個人に限定したほうがより正確かもしれない――がフェザーン統治において内国安全保障局に求めている役割は第一に独立派勢力の摘発、第二に代理総督府及び不平派勢力への圧力を加えることである。しかも決して高圧的にではなく、不平派が納得はできなくても仕方がないと思えるような理屈と証拠を用意していることを当然の前提として、である。

 

 不平派への圧力。これにかんしては内国安全保障局が一番活躍している自負がある。別にラングが望んだわけではない。内国安全保障局のフェザーン運営についてオーベルシュタインに説明しに行った時に、言外にそう示唆されたのである。いったいどういう思惑によるものか薄々わかっている。どちらに転んでもよいと思っているのだ。上手くいけばそれで良し、失敗して不平派の怒りを買おうものならば彼らへの誠意として自分を処断して事態の収拾をはかる。そんなところであろう。

 

 つまり前方にボルテックと権利意識が強すぎるフェザーン民衆、後方で目を光らせているオーベルシュタインという実にストレスの多い環境下で、ラングは膨大な仕事を処理しているのである。それに加えて、私怨からロイエンタールを失脚させるための材料集めも並行しているため、それをこなすのに集中しすぎて余裕がなくなっていると言われてもしかたがないであろう。

 

「……話が逸れたな。内務省をあげて新帝都における治安問題を議論するとなるとそのための資料が必要だ。支部長、用意しておいてくれ」

「わかりました。現在のフェザーンの治安における代理総督府、工部省、憲兵隊、内国安全保障局の相互関係をまとめた資料を作成しておきます。もとより問題になっていたことでありますので一両日中にはまとめられるかと」

「うむ、頼んだ。それとオーディンにいるクラウゼとカウフマンにフェザーンに来るよう命令を出せ。先に局内で具体的な解決案を練っておけば、この問題に関して内務省内における主導権をつかむことができるかもしれん」

「たしかに。手配しておきましょう」

 

 そう言ってシェレンベルクは執務室から出て行った。閉じた扉を見つめながらラングは、休暇をとれるのはまだまだ先の話になりそうだと深いため息をついた。

 

 そう。フェザーンはやがて人類社会を支配する巨大帝国の首都となると決まってこそいるが、帝国にとっては無視することのできない不安要素が、内国安全保障局が相手取るべき敵がわんさかといる。にもかかわらず、敵を潰すのがとても難しい場所なのだ。二〇億という人口それそのものが木を隠す森の役割をなし、個人の秘密を重んじる文化風俗は犯罪者の潜伏を容易なものとする。さらに代理総督府と権利面での対立もある。

 

 さだめしゴールデンバウム王朝時代の宮廷闘争から醜悪さと残酷さを薄め、プレイヤーの数を数万倍にしたかのようなカオス。それがフェザーンであり、その自由さと反骨精神こそが、人類社会最大の経済都市として発展しえた所以である。だが、治安屋の観点からみると、うんざりしたくなるような悪条件が積み重なっている環境であるといわざるをえないであろう。

 

 いくら大局的に考えれば様々な点から見て人類社会全体を統治する上で利便性に優れていたとはいえ、フェザーンだけを近視眼的に観測してならば帝国からすると統治しにくい惑星なのである。なのに同盟を征服した直後からフェザーンへの遷都構想を練り、時期尚早と理解しつつも遷都にうってつけのタイミングを見逃さずに同盟征服後の統治構想に組み込んだラインハルトの決断は多くの歴史家が驚嘆を禁じえないことなのである。

 

 だが、それだけにローエングラム王朝初代皇帝ラインハルトの時代において、帝都フェザーンは常に魑魅魍魎が蠢いていたと評されるのだ。しかもその魑魅魍魎は一塊になっておらず、それぞれルーツが異なり独立した意思を持って、複雑な利害関係を構築しているのだから、一気に一掃することなど土台無理であり、これを解決するには長い時間が必要であるのだった。

 

 そんなフェザーンの中心街の片隅に自治領時代からの帝国系移民として名と経歴を偽り情報蒐集を行なっている者がいる。彼は旧王朝系の反帝国組織に属していて、“死の女神の寵子”という二つ名が治安当局でつけられていた。名をテオドール・ラーセンといい、長い銀髪が特徴的な男であるが、主君エリザベートを連れてラナビアを脱出してから髪の毛を切り、黒色に染め、七三分けをして、メガネもかけて、知っている人間が注意深く見ないとわからないように変装している。

 

 現在、彼は主に情報収集を担当していた。フェザーンとの国境付近で亡命者狩りを社会秩序維持局で担当していたため、他の者たちよりフェザーンの気風を理解していると判断されたためである。実際、亡命を仲介しているフェザーン人の扱いについてはけっこう経験があるし、フェザーン人の気質についてはそれなりに理解しているつもりである。だから自分が情報収集に適任だと判断されたのも当然だとラーセンは思う。

 

 が、それでもラーセンは不満を感じずにはいられない。ジーベックの貴族連合残党の方針を明瞭に示さないからだ。口では王朝再興の機会を伺うためしばらく様子を見ると言っているが、それにしてもあまりに行動が少なすぎるように思われるのだ。機会を伺うにしても、その時のために力を蓄える方策を練る必要があろうに、ただ息を潜めているだけなのではないか。

 

(杞憂かもしれんが、その場合のことも考えておいた方が良いか)

 

 いくらルドルフ大帝の尊き血統がその身に流れているとはいえ、エリザベートは皇帝の地位についておられるというわけではない。皇帝以外の皇族も大切ではあるが、皇帝と王朝に比べれば取るに足りないもの、非常の手段として彼女らを排し、王朝復興のための別の道を探るのも可なり。とはいえ、担ぐべき神輿が見当たらぬ以上、いますこし様子見をするのが賢明かもしれない。一年か二年は注意深く観察し、貴族連合残党の真意を探るのが一番か。

 

 そんなことを考えながら、ラーセンは個人経営のこじんまりとした酒場に入った。すでに何人かの客が酒を飲んでいる。このような店でも防諜設備が整った密談用の個室がいくつか設けられているあたり、フェザーン人の自由への病的なまでのこだわりを感じ取ることができるかもしれない。ラーセンには唾棄すべきこととしか思えないが、フェザーンの価値観を理解してそのように振る舞うことに苦はない。

 

「お客さん、なんにします」

「赤ワインとチキンの盛り合わせで」

「了解。ワインだけ先に出しましょうか」

「いやチキンと一緒に出してくれ。ところでマスター、なにか面白い話はなかったか?」

 

 カウンターバーに座ってラーセンはゴツい顔をした店主にそう問いかけた。個人経営の店を回っては、雑談のように話題を催促する。これがフェザーンでは初歩的な情報収集の仕方であるらしく、店主の方も当然のように雑談に乗ってくる。

 

「面白い話と言われてもな。帝国軍の連中が我が物顔でフェザーンを闊歩するようになって以来、いろいろありすぎてなにを話せばいいかわからんわ。どういう話を聞きたいのか言ってくれるとありがたい」

「そうだなあ……。じゃあ、最近の驚いた話で」

「驚いたか。となると、あれだ。軍人狩りの話」

「軍人狩り? 話題になってからもう一、二ヶ月はたっているだろう。そんな驚くような話か?」

 

 呆れたようにそう言ったら、店主は不愉快に思ったようだが、すぐに得意気な顔になった。言いたくて仕方がないといったかんじである。

 

「それがな。この店先にあったんだよ! 殺された軍人の死体!!」

「……マジ?」

「ああ、マジさ。おかげで憲兵隊にあれこれと聞き込まれてたまったもんじゃない。おかげさまでうちの店先に死体があったと近辺に噂が広まって、客足が少し遠のいちまった。これ、立派な営業妨害だろと代理総督府に憲兵隊の横暴を訴えてるんだが、皇帝の乳母車にのって代理総督になったやつがどこまでやってくれるのか怪しいもんだから、なかば諦めてるんですけどね――」

 

 店主は長々と不満を言い始めた。よっぽど鬱憤が溜まっていたようで、ラーセンが戸惑っている表情を浮かべても、遠慮なしに喋り続けた。無論、器用に調理をしながらではあったが。

 

 軍人狩りとはここ最近立て続けに起きている帝国軍兵士連続殺害事件のことだ。犯行現場に被害者の血で“喪服軍隊を平和の海から追い出せ!”という文字を毎回残していることから、反帝国的テロ活動とみて憲兵隊が捜査にあたっているがいまだに有力な手がかりをつかめずにいる。色々と理由があるが、いちばんの原因はフェザーン市民が捜査に協力的ではないからだ。

 

 ある意味、フェザーン人の行政機構への冷たさは筋金入りである。先の四月の社交界で起きた民間人をも巻き込む無差別テロであるというならともかく、明らかに帝国軍狙いの犯罪にどうして善良な民間人が協力してやらなくてはならないのだ。協力して巻き込まれてはたまったものではないではないか。標的にされるのが独立意識に欠け、政府に寄生しないと生きていけないような無能者だけなら放置していてもかまうまい。むしろ笑い話のネタになるというわけである。一部の親帝国派も、憲兵隊の困惑ぶりに胸がすいたと祝杯をあげているなんて話すらある。

 

 一方で犯人が何者なのかというのも話題になっている。独立派のテロであるということは共通認識だが、それ以上先は様々な推測がある。裏にはルビンスキーがいて、なんらかの謀略を実行しているのだという説もあるが、ラーセンはまったく信じていない。末端の帝国兵を何十人か殺したところで帝国統治にそれほど問題が起きるとも思えない。精々、帝国兵がフェザーン勤務に多少の不気味さを覚えるのが限度であろう。あまりにも先を見た計画性に欠けており、とても組織的活動であるとは思いにくいし、仮に組織的活動だったとしても上層部が承知していない末端の先走りであろうと考えている。

 

 店主の雑談に適当に相槌を打ちつつ、出されたチキンを頬張り、ワインで喉を潤していると、隣の席に座っていた男がこちらに倒れかかってきた。顔を真っ赤にしていたので、かなり酔っぱらっていると判断して、ラーセンは何か愚痴のひとつでも言おうとしたのだが、あることに気づいて思いとどまった。

 

「すいませんね。どうもかなり飲んでしまったようでして……。マスター、勘定をお願いします」

 

 酔っ払いの男はそう言って店主に金を払い店を出ていった。ラーセンはさっきの男が倒れかかってきた時にポケットに突っ込んできた紙片を取り出し、そこに書かれている内容を確認して軽く目を細めたが、すぐに不機嫌そうな態度になった。

 

「なんかシラケちゃったんで、今日はもういいや。代金ここに置いときます」

 

 そう言って、ラーセンは三〇マルクほどカウンターに置いて、足早に店から出て先ほどの酔っ払いがどこにいるか探した。すぐに見つけ出すことができたが、顔から赤さがまったくなくなっていたので、やはり先ほどのは演技であったかと確信し、ラーセンは紙片をその男に向かって突き出した。

 

 その紙片には達筆な帝国語で、三七番目の第一人者について話したいことがある、と記されていた。



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狐と蛇の化かし合い

 皇帝ラインハルト率いる親征軍がフェザーンに帰還してお祭り騒ぎになっていた数日間も、ゲオルグは新聞記者の取材を装いながら忙しく活動していた。ベルンハルトにはある程度の裁量権をあたえていたから、彼しか知らぬことが多々あるのである。くわえて、帝国政府のお膝元であるからには、テオリアの頃のように秘密組織の活動を文書にして記録するなどという証拠にしかならない真似は極力避けていたため、ベルンハルトから直接聞いた情報と自分の足だけを頼りに秘密組織の指揮系統を掌握し、運営しなくてはならなかったのである。

 

 だが、その作業も親征軍が帰還した一週間後、つまり七月七日には概ね完了し、シュヴァルツァーとブレーメに任せたテオリアの本部と連携をとりつつ、どのような手段を使用していくべきか宿泊しているホテルの部屋で思案するようになっていた。いくつもの案がゲオルグの脳裏に浮かんでは消えていったが、結論が出る前に思案を打ち切った。フロントから想定していなかった連絡がきたからである。

 

「手紙? 私宛にですか?」

 

 室内電話の受話器を耳に当てながら、ゲオルグは訝しげな声でそう確認すると、フロントの職員からも当惑した返事がくる。

 

「ええ、そうです。ラルド・エステルグレーン様宛てのお手紙が郵便で届きまして……。現在、当ホテルに宿泊されているラルド・エステルグレーン様は一人しかいませんので、おそらくお客様宛の手紙ではないかと」

「だれからの手紙なのかわかります?」

「封筒には宛先しか書いておりませんので……中身の手紙に送り主の名前が書いてあるかもしれませんが……」

「……じゃあ、私宛の手紙なのかどうか、確認すべきですね。わかりました。受け取りに行く」

 

 この時一番ありえそうなこととして、ノイエス・テオリア社からの業務に関する書類ではないかと思った。ラルドという会社の社員と入れ替わる形でゲオルグはフェザーンに潜入したため、会社の大部分は自分がラルド・エステルグレーンに粉しているゲオルグ・フォン・リヒテンラーデであるとは知らず、社員のラルド・エステルグレーンがフェザーンに派遣されているというふうに認識しているはずであるから、宿泊先に業務命令の手紙を送ってきても不思議なことではない。

 

 次に考えたのが、秘密組織内に造反者でも現れたかという可能性であった。テオリアと違い、フェザーンでは無理を言ってベルンハルトに組織拡大を命じていたし、フェザーン人は狡猾なものであるという先入観もあって、自分が接触した構成員のだれかが個人的利益を得るためになにかしら脅しをかけてきたのか、と、考えたのである。

 

 一応、テオリアで秘密組織全般の運営を任せた者たちから緊急の指示を乞う手紙の可能性も考えないではなかったが、これはありえないだろうと思っていた。ブレーメにしてもシュヴァルツァーにしてもその才幹を信頼しているし、そんな事態が起こる可能性は低いだろう。万一、そうした事態が起きたとして、秘密組織の活動が露見する可能性は減らすにこしたことはないと彼らは充分に認識しているはずだし、郵便なんて信頼できない連絡手段を取らないだろう。

 

 しかし手紙の送り主はそのどれでもなかった。ゲオルグはフロントで手紙を受け取り、封を切って内容を確認して思わず固まってしまった。送り主がだれなのかはわかった。だが、この展開は予想していなかった。

 

「あの……お客様宛の手紙ではなかったですか?」

 

 気まずそうにそう確認してきたフロントの受付員の声で現実に引き戻された。紳士的な笑みを浮かべて間違いなくこの手紙は自分宛のものであるとゲオルグは言った。受付員は怪訝そうだったが、すぐに気の毒な表情を貼り付けてそれ以上追及しようとはしてこなかった。なにかショッキングな内容の手紙であると勘違いでもしたらしかった。

 

 それを確認すると、ゲオルグは受付員に礼を言って、自室に戻って、手紙を机の上に放り投げ、ソファに座り込み、しばらく途方にくれた。いずれにせよ、唐突にやってきた不可避の事態に対して急いでなにか対策を立てなくてはならないことは理解している。だが、それを理解した上で時間を無駄に浪費することによってえることのできる精神的な安らぎというものが権力者にはあるのだ。もちろんゲオルグは暗愚ではなかったから、それが赦される時間の量を見誤ったことは未だかつて一度もないが。

 

 二、三〇分してゲオルグはようやく建設的思考というものをしはじめた。正直、猛省したい気分である。テオリアに潜伏するようになってから、徹底的に自分の気配を殺すことに専念してきた。秘密組織の勢力拡大のために大事を起こす時は、その度に身代わりを用意し、決して表舞台に立たずに黒子に徹するよう、神経質なまでに気を使ってきた自負がある。

 

 特にジーベック中佐率いる貴族連合残党は想像以上に暴れてくれた。おかげで今やゲオルグ・フォン・リヒテンラーデという男に対する警戒や存在感は――ロイエンタール元帥の私邸にエルフリーデが匿われていた一件で少しばかり過去の人として現在はやや興味を持たれているようだが――は霧散霧消してしまっていることがクラウゼを筆頭にした帝国政府に潜り込んでいる構成員たちからの情報により把握している。

 

 無論、最上層部にいるオーベルシュタインやケスラーなどがどう思っているのかまではつかめていない。しかし大多数の治安関係者にとってゲオルグ・フォン・リヒテンラーデは過去の人間であり、見つけたら逮捕しなきゃいけないことになっている程度の小物。そんな人畜無害なやつよりルビンスキーなりジーベックなりを捕まえることの方がはるかに重要という認識になっている。これではどれほど上が注意を呼びかけたとて、末端は警戒心をいだきにくいであろう。そう驕って、慢心していたのだ。

 

「黒狐め、抜け目ない……」

 

 黒狐とは、第六代フェザーン自治領主にして、現在地下に潜伏しているアドリアン・ルビンスキーの異名である。その人物が机の上にある手紙の送り主であった。

 

 ゲオルグとて、ルビンスキーが、旧フェザーン自治領主府の残党が接触してくる可能性を想定していなかったわけではない。むしろ、彼らが権力者として返り咲くことを諦めていないのであれば、十中八九接触してくるであろうと考えていた。だが、それはあくまで秘密組織に対してであり、自分のところに直接接触してくるというのは想像していなかった。

 

 なぜ想像していなかったのか。ここルビンスキーは謀略家として高い評価を受けており、フェザーンは彼のホームグラウンドである。可能性のひとつとして、想定できなければおかしいではないか。なぜできなかったか。それはあまりにも帝国政府における自己の存在の希薄化に満足し、慢心して警戒を怠っていたからにちがいない。

 

 いや、自省するのはあとでよろしい。今問題とすべきはそこではない。手紙の内容は自分と取引がしたいと直接会談をのぞんでおり、場所と時間を指定してきている。このルビンスキーの手紙の意図をどう解釈すべきか。こちらを利用するつもりであっても、本当に会談する気があるならばよい。面と向かって会えるのであれば、自分を与しやすい相手であるとルビンスキーに思わせ、逆にやつを利用しようとしてやればよいだけの話。当代随一の謀略家相手にそれをするのは難しいであろうが、それでもまだ挽回の余地はある。

 

 危惧するのは挽回のしようがない可能性。それはルビンスキーがゲオルグを帝国当局に売りとばし、自分の国事犯指定解除を目論んでいるといる場合だ。帝国政府がルビンスキーを国事犯扱いする理由は、皇帝エルウィン・ヨーゼフ二世を誘拐したレムシャイド伯爵率いる旧体制残党勢力を支援するなど中立義務への背信行為をしていたため、ということになっている。

 

 これは建前に過ぎないことは銀河のだれもが知っている。初代自治領主ラープの時代よりフェザーン自治領は完全な内政自治権と独自外交権が認められている。帝国に対して負っている法的義務など毎年一定額の税金を納めることくらいで、そのささやかな帝国への義務を自治領主府が怠ったことは歴史上一度もありはしない。だから本来であれば帝国政府が自治領主を政治的な罪で糾弾するなど理屈の上からいえば土台無理な話なのだ。

 

 ルビンスキーが国事犯というのは、帝国軍のフェザーン進駐によって自治権の剥奪が既成事実化され、名実ともに帝国領内の扱いになったという前提あってのこと。いうなれば敵対した国家の指導者であり、地下に潜伏しているから危険視されているのと同じ理屈なのだ。官憲の手にかかって余罪でもなければ(あるいはでっちあげられなければ)不平派・反帝国派を糾合する旗頭にならないよう監視下には置かれるだろうが、それですまされるだろう。そんな扱いなのだ。

 

 だからそれだけに手土産次第では、その貢献をもってルビンスキーが相応の地位で帝国政府にむかえられるということはありえないことでもないだろう。その手土産に自分がされる。それがゲオルグにとっての最悪の展開である。もちろん、ゲオルグとて祖父の大逆罪の連座という微妙な理由での国事犯であり、ゲオルグだけでは話にならず、秘密組織をも含めても難しいだろう。だが、秘密組織がヤツェク・グラズノフと深い関係を築いていることまでルビンスキーが把握しているなら、危うい。

 

 現アルテバラン星系総督グラズノフは、フェザーン回廊を帝国軍が安全に通過するための謀略に積極的に参画したニコラス・ボルテックの共犯者である。そして現在の帝国政府にとって、ボルテックのフェザーン代理総督府の存在が目の上のたん瘤であることは今まで調べてきた情報からして明白。もしグラズノフが秘密組織と関係を持っていることを知られて帝国の裁きの場に立たされれば、盟友ボルテックの政治的信頼性も大きく損なわれることとなり、やや強引ながらそれを理由にして代理総督府を潰してしまうこともできるであろう。

 

 このメリットはルビンスキーという獅子身中の虫を体制内に抱え込むデメリットを上回ると帝国指導部は考えるかもしれない。いや、そう考えなかったとしても、ルビンスキーがそう想定しているのだとすれば、危険極まる。だとすればどう対応すべきか……。

 

「……阿呆が。辻褄があわぬわ」

 

 ゲオルグは自分に言い聞かせるように力強く呟く。内心の恐怖と猜疑から、あらぬ可能性を考えてしまっていると理性が囁いたのだ。だいたい、本当にルビンスキーがそう考えているのだとすれば、こんな手紙を自分に送りつける必要などどこにもない。自分の居所を掴んでいるのだから、気づかれるようなマネなどせずに帝国の当局に通報してしまえばそれでしまいだ。自分はろくな反応もできずにお縄につくことになっただろう。その程度のことがルビンスキーにわからないわけがない。

 

 つまりルビンスキーはボルテック派と自分とのつながりを知らない。よしんば知っていたとしても、それを手土産にして帝国へ仕官しようとはしていない。そう仮定したほうが現状に説明がつく。それを前提にして自分に会談を求ているということは、反帝国勢力同士で協力関係を築きたいというあたりだろうか。

 

 いずれにせよ、会談そのものが罠という可能性は低いように思われる。会談に応じ、フェザーン最後の自治領主の意図をつかむべきであろう。ゲオルグはそう決断し、留守中の秘密組織の運営者を数人に分けて定め、手紙で指定されている都市に向かった。

 

 翌日、中枢街から三〇〇キロほど離れた地点に存在する小都市イェッケニアに向かった。イェッケニアは惑星フェザーンには珍しい温泉郷で、多くの建築物が木造建築であり、帝国で生まれ育ったゲオルグがからするとどうにも違和感を感じる雰囲気を放つ都市である。もっとも、フェザーンは娯楽の多様性を求めるあまり、多文化主義を強力に推進してきたので、都市毎で異国情緒を感じさせるほどに雰囲気が異なるのだが。

 

 会談場所に指定された温泉宿を前にした時、ゲオルグはなんともいえない圧のようなものを宿から感じたが、イェッケニアではごく平凡な中流の宿であったので、それはルビンスキーが中にいるという先入観からくる過剰反応というものであったろう。

 

 温泉宿に入って受付に「狐に会いにきた」と告げると、受付の外向けの笑顔を浮かべていた営業員の顔から表情が刮ぎ落ち、能面になって感情の籠もらぬ平坦な声でついてこいと言って先導し、ひとつの部屋に案内した。ゲオルグは憮然とした表情で扉を開けると、陽気な声が響いた。

 

「よくぞおいでになられたゲオルグ・フォン・リヒテンラーデ殿。いや、ノイエス・テオリア社の特派員ラルド・エステルグレーンだろうか。どちらの名前で呼べばよろしいだろうか?」

 

 温泉から出たばかりのようで、バスローブ一枚だけを身にまとった最後の自治領主が木製のゆったりしたチェアに座り、精悍な笑みを浮かべて待ち構えていた。

 

「ご随意に。私はもはや公的になんらかの地位にあるわけではないのだから、今どう呼ばれようが問題にならぬだろう。いっそゲオルグやラルドと呼び捨てにしてもらってもいっこうにかまわぬよ。しかしそれを言えば、私は卿をなんと呼べば良いのだろうか? 自治領主閣下、というには少々問題があろう」

「こっちもそちらと似たようなものだから、気軽にファースト・ネームで“アドリアン”と呼んでくれてもいいぞ。()()()()()

「……」

 

 軽い牽制のつもりであったが、あっさりと順応してきて子どもを呼ぶような口調でファースト・ネームで呼びかけられ、ゲオルグは唇を思わずへの字に曲げた。実際にそう扱われてもおかしくないくらいの年齢差が二人の間には存在したが、そう扱って良いような相手でないことくらい理解しているだろうに。わかっていたことではあるが、やはり油断ならない相手だ。

 

「おや顔色が悪いですな。そういう時は酒でもお飲みになったらどうか。種類は少ないが、良質のものがここに置いてある。飲みたければ飲んでくれてかまいませんぞ」

「ほう……。いや、遠慮しておこう。中に毒でも入っていたら大変だ」

「これはお噂以上に警戒心が強いようですな。帝国ではどうか知りませぬが、フェザーンには会談時に相手に振る舞う酒に毒を盛るような野蛮でつまらぬ流儀はございませんぞ」

「わかっておる。こちらの気分の問題だ」

 

 アルコールまじりに政治談義に花を咲かせるは貴族の本懐というものであるかもしれないが、この黒狐に対してはそれが致命的な隙を生むことになるかもしれない。ゲオルグは近場の椅子に座り、おもむろに切り出した。

 

「昔日の自治領主も内務次官も、今日では互いに無位無官の身。ゆえにくだらぬ形式的な前置きは抜きにしてさっそく本題に入らせてもらおう。どうやって気づいた? 私がこのフェザーンに来てまだ数日しかたっておらぬというに」

「我がフェザーンの情報網を甘く見ないでいただきたい、といったところですかな」

「なるほど。自治領が崩壊しても、自治領主府が誇っていた情報網はいまだ健在というわけですか。それでいったい私になにを求めておいでかな。私としては卿と友好的関係を構築したいと願っているので、よほどのことでなければやってみせるつもりだが……」

 

 不本意そうにそう語るゲオルグに、ルビンスキーは目を細めた。

 

「取引がしたいと手紙に書いたはずですが、いきなりこちらの注文を聞きに来るとは。失礼ながらいささか弱気にすぎませぬかな」

「白々しいことを言ってくれるな。私の表の顔と所在を掴まれている時点で、卿に私の生命線を握られているも同然ではないか。それで取引などといわれても対等なものになりうるはずがない。それともなにかな? フェザーンには相手の弱点を掴みながらそこに配慮して交渉するような紳士精神でも存在するのかな」

「なるほど、若くして警察機構の頂点を務めていただけのことはある」

 

 捨て鉢にも思えるようなゲオルグの態度は、ルビンスキーの立場がすれば好ましいものであるはずだが、どうにも違和感を感じざるをえない。ゲオルグがただでしてやられるような人間ではないことは、銀河帝国正統政府を利用した計画に巻き込もうとした時に既に立証されている。こちらの思惑が外れてゲオルグは独自性を確保し、フェザーン占領時のドサクサを見逃さず、こちらがからみつけたはずの紐をすべてぶった切って行方を眩ませた男なのだから。

 

 そんなゲオルグが弱味を握られているとはいえ、こうも従順になるものであろうか? あまり無茶を言うようなのであれば自爆覚悟で帝国の治安当局に通報してやる。卿を巻き添えにすれば自分の罪を減じてもらえるかもしれぬからな。そんな牽制をしてくるのは当然であると予想していた。だが、そんな様子が一切ないところに訝しみを覚える。

 

 虎視眈々となにかを狙っているのではないか? そんな疑念を感じ、その態度が嘘偽りでないか見極めるためにも、今少し探りをいれていくべきだ。

 

「とはいえ、“短気は損気”という(ことわざ)がございますように、いきなり要求から始めるのもよろしくないでしょう。現状をどのように認識しているか、まずそのあたりから明らかにしていきませんかな」

「そうなのか。私は“時は金なり”というのがフェザーンの諺だと思っておったのだがな。機を見逃さずに迅速に行動する卿らフェザーンの暗躍に、生前の祖父上がどれほど頭を悩ませておったことか」

「ほめ言葉として受け取っておきましょう」

 

 恐縮したような演技をしながら皮肉を受け流した。

 

「帝国にとって最大の外敵であったというべきヤン・ウェンリーが地球教という不確定要素のために横死した。いまだイゼルローンに立てこもっている共和主義者どももおるが、帝国の支配を揺るがす外患(がいかん)とはなりえまい。皇帝が帰還した以上、いささか混乱しておった内政面の充実をはかって支配体制の盤石化をはかるだろう。あなたがこのフェザーンにやって来たからには、いまだに暗躍をやめるつもりはないとお察しするが、はたしてあなたはどのようにして権力の座に返り咲こうとお考えか」

「……貴族連合残党が帝都で馬鹿騒ぎしてくれたおかげといってはなんだが、旧王朝時代の貴族官僚の公職追放が解除され、翻って開明派の勢力が衰退している。そしてこのフェザーンにおいても帝国支配を歓迎する声ばかりというわけでなし。この二つの流れをなんとか結合させれば、帝国政府にとってはまっこと始末に困る内憂となろう。その調停者という役割でもって自身を帝国政府に売り込み、政界への復帰を試みる。やや迂遠な策であるが、これしかないと考え、そのように行動している。とはいえ、卿に私のことがバレた以上、大幅修正が必要なのかもしれぬがな」

 

 ゲオルグは包み隠さずに自身の展望を打ち明けた。たとえ隠していても自分の正体が通報される危険性を考えれば実行することなど到底できず、抜本的に計画を見つめなおさなくてはならないのが実情である。例外があるとすれば、ルビンスキー自身がこの計画に興味関心を示し、味方になってくれた場合のみ。で、あるならば、目の前の男に対して隠す必要がないと考えてのことである。

 

 帝国政府内に潜り込ませている秘密組織の構成員が、どの部署の、どういうポジションについていて、どの程度までなら怪しまれることなく動くことができるのか。その辺りさえ隠しおおせれば、最悪、テオリアに戻って大粛清を敢行して証拠を隠滅して再びどこぞの辺境に潜伏だ。そしてふたたび時期がくるまで地味で目立たない手法で影響力拡大なんてしなくてはならなくなるので、できれば勘弁してほしい展開であるのだが。

 

 そういったことに気づいているのかいないのか、ルビンスキーは微笑みながら頷いた。

 

「慧眼であられますな。しかしそれだけではいささか弱い。私はそこにもう一つ要素を加えたいところですな」

「もう一つ? となると同盟領、いや既に新領土か。そこで燻っている共和主義者どもか。フェザーンの立場から考えるのであれば、オリオン腕とサジタリウス腕はそれぞれ別勢力がしめていてもらわなくては安全保障上に支障があるものな」

 

 軽く探りをいれたつもりだったが、ルビンスキーは面白い冗談を聞いたと言うように口の端を歪める。

 

「ずいぶんと評価していただけているようで恐縮だが、自治領主としてはあり得べからざることなのだろうが、私はフェザーンの統治にそれほど愛着があるわけではないのだ。だからボルテックの一派と協商関係にあることについて、ゲオルグ殿にとやかく言うつもりはございませんのでご安心を」

「ほう、そこまで掴んでいるということは、私を治安当局に売り渡して地位を得るつもりはないわけか」

「当然でしょう。第一、そのような方法で帝国政府内に場所に作れたとして、さほど実権のある地位につける見込みがない。そして独立派は当然として、不平派が支持している代理総督府を潰した上で私が帝国に迎合するとなれば、彼らの怒りが私に集中する、いや、帝国政府がそうなるように誘導する。そんな不満のはけ口にされる面白味がない未来に興味はないのでね」

 

 そうルビンスキーは意味深に微笑みながら言ったが、その主張をそのまま信じることは困難であった。なにせ自分を売れば帝国は新首都における行政上の大きな問題を解決することができるのだ。ましてやフェザーンの統治そのものにさほど愛着がないというのであれば、地方星系総督くらいの地位は政府との交渉次第で手に入れることも可能なのではないか、と、ゲオルグは思うのである。

 

 そのことに気づいていないというわけではなかろう。では、自分を利用することでそれ以上の地位を手にいれる計算でもあるのか。ゲオルグは警戒しながら表面上は納得したようなふうを装い、質問をつづけた。

 

「なるほど、それで新領土の共和主義者どもでないとすれば、なにを利用するおつもりか」

「――共和主義者ではなく、新領土そのものを皇帝ラインハルトと敵対させるのです」

「……なに?」

 

 ルビンスキーの答えをゲオルグは咄嗟には理解しかねた。新領土にある不穏要素といえば、共和主義者以外にあるまいという認識から抜け出せなかったのである。しかし()()()()()()()という表現から、ルビンスキーの言わんとするところを察し、ゲオルグは困惑した。そしてその感情を自覚的に隠そうともしなかった。

 

「つまり卿は新領土総督のロイエンタール元帥を反逆させようとしているのか」

「さよう」

「……失礼だが、とても非現実的で、実現性がないのではないか? 多少だが、ロイエンタールという男を私は知っている。一度、部下がバカをやらかしたせいで関わり合いになったことがあるのでな。その時に受けた印象から言わせてもらうならば、とても計算高い振る舞いができる男だ。親征がひと段落し、秩序が安定へと向かいつつある現状で、あえて皇帝ラインハルトの天下に挑戦するような無謀なことをするとも思えぬが」

「そうでもないでしょう。あなたの親族をかくまっていた一件でロイエンタール元帥と皇帝ラインハルトの間に亀裂が生じていることを知っておられるはずだ」

「ああ、今年の頭に内国安全保障局が謀反の兆しありとロイエンタールを弾劾した一件のことか。だが、それはロイエンタールが非を認めたことで修復されたのではなかったか。でなくて閣僚に匹敵すると定義された新領土総督の地位など与えるはずもなし。そうではないか」

「なるほど、そういう考えもあるでしょう。しかし一度主君に叛逆を疑われた重臣が、それも有能で向上心も高い重臣が、今まで通りの忠誠を示し続けられますかな? もし皇帝からの信任が薄れているような感覚があり、そこに巨大な好機が到来しようもなら、叛逆の堕天使となる誘惑にたえられるような男なのですか」

「それはそうかもしれぬが……やれる自信があるというのか」

「なければこのようなことは言わないでしょうな」

 

 余裕を持ってそう答えるルビンスキー。ゲオルグは覚悟を決めるように一度瞼を閉じ、決意して真剣な表情を浮かべた。

 

「よかろう、信じてやろう。それでこれが取引というのであれば、ロイエンタールを叛逆させて何を得ようとして、最終的な目標がどこにあるのか、その目標のために私にいったいどういう役割を担ってほしいのか、そして目標が達成された暁には私の貢献にどのように報いるつもりなのか、ざっくばらんに話していただこう。内容次第では、心から協力してやってもよい」

「いいでしょう。お望み通りすべてをざっくばらんに話させてもらいましょう。良い商談になる事、間違いなしですぞ」

 

 ルビンスキーは言葉とは裏腹に隠しているに違いなかったが、推し進めている展望を数十分に渡って披瀝し、ゲオルグは六割方は真実だろうとみて大きくうなずき、協力を確約した。

 

「なるほど、たしかにそういうことであれば得心がいった。とはいえ、あの男、そこまで信頼できるのか。オーベルシュタインなりケスラーなりに察知されればおしまいであるぞ。卿の財力目当てに嘘八百並びたてているというわけではあるまいな」

「私も不安だったので、独自に探って確認している。その点、ぬかりはないと断言致しましょうぞ」

「断言ときたか。よかろう、全面的な協力を確約しよう」

 

 その発言を聞いてルビンスキーが満足そうに微笑むのを、ゲオルグは調子をあわせて気づかれないようにしながら注意深く観察した。この黒狐としては毒蛇は脅すだけでは扱いにくいと考え、脅しだけでなく利も示して取り込もうとしているのだろう。はたして取り込んだと誤認したか、はたまた半信半疑なのか、あるいはこちらの本意と見抜いているのか。その表情から伺わなくてはならない。

 

 魑魅魍魎の蠱毒の巣を生き抜いてきた嗅覚が、目の前の狡猾な狐の言う通りに進めばろくな結果にならないだろうと告げている。少なくとも、万事うまく運んだとしてもルビンスキーが示している地位をくれるのか怪しいものだ。隙があれば狐の喉首に噛み付く蛇の気概でなくては。ただそれをルビンスキーに悟らせるわけにはいかない。ほんの少し扱いの困る道具程度だと思われるように注意して行動しなくては。

 

 思考の海に沈んでいるとふと思い当たった事があり、ゲオルグはやや表情を変えてルビンスキーを見やった。

 

「そういえば、最近起きている帝国軍人を標的にした連続殺人事件の裏側には、独立派活動家とルビンスキーであると(ちまた)の噂になっておったが、なにか心当たりあるか」

「おや、まさか私が裏で糸を引いているとでも思っておられるのか」

「なにも卿の手によるものとは思っておるわけではない。心当たりがあるかどうか、という話であったのだが、まあよいわ」

 

 心当たりはあるが、それを説明する気は無い。ゲオルグはそのように受け取って話を切り上げた。

 




最近、純粋に忙しく、モチベ不足にも悩まされ、更新間隔が伸びていく……


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代表連絡部

ゴールデンバウム王朝の時代、銀河帝国は“全人類の支配者にして全宇宙の統治者、天界を統べる秩序と法則の保護者、神聖にして不可侵なる銀河帝国皇帝”の「私有物」であると定義された。そして初代皇帝ルドルフはそのように振る舞い、彼個人の価値観と基準によってそれぞれの惑星に信頼できる貴族を領主に封じ、その領主がルドルフの意向に背けば雷に例えられた怒号とともに不忠者として殺戮する生ける神として君臨し、彼の思うがままに帝国を統治した。

 

 だが、それを実践できた歴代皇帝の中ではルドルフただ一人にすぎない。少なくとも、後世の歴史家からはそう評価されている。第二代皇帝ジギスムント一世は極めて有能な専制君主ではあったが、貴族たちを従えるというよりは協調する形で帝国を統治し、次代のリヒャルト一世にしてもそうであった。そしてその間に貴族同士の政略結婚の繰り返しによって貴族間の横の関係が強化、複雑化して、俗に“門閥貴族”と称される巨大な権門が誕生し、台頭してきたため、下手な処断の仕方をすれば国家の屋台骨が揺らぎかねなくなったからである。

 

 こうしてそれぞれの貴族領は帝国政府から相応の独立性を有するようになり、皇帝や国務省の意向を貴族領統治に反映するための中継機関の役割を果たしていたはずの帝都の貴族街にある邸は、いつしか貴族と中央政府の関係をめぐる交渉の場になることになり、名門であればあるほどその当主は中央での政治闘争に本腰を入れてかかわるために帝都に常駐しているのが当たり前――生まれて一度も自分の領地内に入ったことがないという貴族家当主すら探せばある程度いる――という、おそらく初代皇帝ルドルフからすれば「これのどこが全宇宙の統治者だというのだ」とでも嘆くであろう状態で定着してしまったのである。

 

 ローエングラム王朝の初代皇帝たるラインハルトはこうした環境を放置し続けるつもりなど毛頭ない。地方自治まで否定するつもりはないが、なにごとにも限度というものがあるはずで、独自に軍を保持したり法を敷いたりするのでは国家の中の国家でしかなく、大変非合理的であると考え、中央集権化を推し進めた。具体的には多くの貴族から領地を奪い、他の皇帝領と同じように地方総督府を設置してその中核の人事権を握り、それとは別に指導役を派遣して、地方行政に介入しやすくしたのである。

 

 これはある意味、黎明期の銀河帝国、ルドルフ時代への回帰と考えることもできなくなかったが、創業期はともかくとして非凡極まりない人間が統治側にいることを前提にした体制作りなどやったからゴールデンバウム王朝は中央集権が有名無実化したというのがローエングラム王朝首脳部の認識であったので、ローエングラム王朝は中央集権を統治システムとして完成させることを志向していた。

 

 とはいえ、何事も程度というものがあり、あまりに行きすぎた中央集権体制は地方を軽視させ、極端な官僚主義の台頭によって現実から乖離した情報が集められ、書類の上で完璧な統治が実現しているのに現実は悲惨といった事態を招く。これを避けるためにも地方側の主義主張にも耳を傾けなければならない。そういった思惑の下、以前からあった中央と各星系総督府の交渉部署である代表連絡部の役割もまた強化されることとなった。

 

 その内の一つ、アルデバラン星系の代表連絡部が八月二〇日にオーディンからフェザーンに移転された。星系総督ヤツェク・グラズノフの信任が厚いヨシフ・ルズタークというフェザーン人が代表となり、その補佐官として混狂の夜(カオスズラーズライ・ナハト)事件に対する対処の悪さのために降格されたが経験豊富な前総督のエルンスト・フライハルト・マティアス・アーブラハム・ジルバーバウアーがつく。事務方のトップたる一等書記官にはシルビア・ベリーニという妙齢の女性がつき、ルズターク代表と同じくフェザーン人であった。

 

 そのアルデバラン星系総督府にゲオルグは開設初日から入り浸っていた。別に忍び込んだとかではなく、ノイエス・テオリア社の特派員ラルド・エステルグレーンとしての職務を果たすためである。別にノイエス・テオリア社に限ったことではないが、たいていの地方報道機関はその地の政府機関と提携していて、さまざまな情報の提供役を担うことになっており、そういうわけで政府機関の中に仕事場を設けているのである。

 

 無論、それは建前である。情報提供役としての役割がないわけではないが、ゴールデンバウム王朝時代に重要視されたのは、報道内容を体制側が自然な形で報道社に検閲を受けさせるためである。そしてローエングラム王朝の時代になって、露骨な検閲はなくなったものの、情報の入手がしやすいという報道者側のメリットもあって、そのなごりが継続しているというわけであった。

 

 その環境をうまく利用して、ゲオルグは自然な形で代表連絡部に活動拠点を置くことができたわけである。

 

「さて、おまえにとっては久しぶりの帰郷と思うんだが、感想はどうか」

 

 代表連絡部の一室にあるソファに腰掛けてゲオルグはそういった。机を挟んで対面に座っているのは一等書記官、元フェザーン情報局のスパイで、現在は秘密組織の一員として活動している人物は、少しあきれたような顔をした。

 

「わかっていたつもりだけど、あなたって最初から真面目に話をするってことができないのかしら」

「私は十分に真面目に話をしておるつもりだが? もし家族なりと会っておきたいというなら、そのあたりのことも考えなくてはならぬしな」

「お優しいことね」

 

 絶対に真面目じゃないとベリーニは確信して睨みつけたが、ゲオルグは何処吹く風とばかりに受け流し、穏やかに微笑みを浮かべるばかりである。埒があかないので、ベリーニはこちらから仕事の話を投げかけることにした。

 

「それにしても、この人選で本当によかったの? 私は元フェザーン自治領情報局の工作員よ。そんな女がアルデバラン星系総督府に突然高官として迎えられ、総督府から派遣される一等書記官という責任重大な地位を与えられて帝国中枢部に乗り込むなんて、怪しまれるんじゃなくて」

「……私がフェザーンに来る前に説明しなかったか? まあいい、たいした手間でもない。怪しまれるかだと? すでにして怪しまれてなくてはおかしい。なにせ今のアルデバラン星系総督はボルテックの相方のグラズノフだ。帝国当局としては、ボルテックと同じくフェザーン支配に対する不平派に位置する勢力として警戒するのは当然のことだし、旧情報局の資料をひっくりかえして調べているだろうから、おまえの前歴も理解して警戒する。当然のことだが、だからこそ、そこに隙ができる」

「隙?」

「不平派は独立派と異なり、フェザーンが帝国の一部となることを受け入れる立場だ。ただ帝国から直接統治させるのは嫌だから、かつてほどでないにせよ、フェザーン人がフェザーン統治に責任を持てる自治権を欲している。皮肉なことに冬バラの勅令で自由惑星同盟が名実ともに消滅してしまったせいで、帝国の大勢はもはや揺るがぬと見るものが多くなって、かつてとさして変わらぬ広範な自治権を求める主張が減り、“帝国領フェザーン”としてどの程度の自治権を承認させるかという方針がまとまりつつある。さて、そういう不平派の方々からすれば、どうするべきだと考えると思う?」

「そうね、だれも否定できないほど帝国への貢献を示し続けることかしら。それをあからさまに黙殺するようなことをすれば、フェザーン大衆の反発や不満は必至。そうなればフェザーンを人類社会全域の首都として機能させるという帝国の計画は実現不可能になってしまうから、妥協せざるをえないというわけ」

 

 仮にローエングラム王朝が今までの開明的方針をかなぐり捨てて、民衆弾圧による流血と恐怖でフェザーンの帝国支配を確立することも理屈の上では可能かもしれないが、おそらく宇宙一権利意識が強い二〇億の人口を擁するフェザーンでそれをしてしまえば、不信感と憎悪の嵐が惑星上で吹き荒れ、安定した治安を回復するのに何年かかるかわかったものではない。そんなことになれば、人類社会全域の首都として機能させるなど夢のまた夢になってしまう。

 

「その通りだ。そしてその“帝国への貢献”とは何を意味するか。決まっている。帝国のフェザーン統治を盤石ならしめること。具体的には親帝国派以上に独立派の取り締まりに協力し、帝国の仇なす叛逆者どもの首をあげること。その最たるものは地下に潜伏したルビンスキーだが、なにも叛逆者はルビンスキーだけではない」

「そしてそのうちの一人が貴方というわけ?」

「帝国側の視点から見ればそうだろうよ」

 

 つまらなさそうにゲオルグは肯定する。祖父の連座とはいえ帝国から死刑判決をされている国事犯なのに、それを平然と無視して秘密組織を指導して大小様々な反帝国テロリズムに関与しているのである。かつて警視総監を務めた識見から言わせてもらえば、悪質きわまる叛逆者でしかない。そのように彼は自己分析していた。

 

 つまり不平派にとってゲオルグ・フォン・リヒテンラーデという国事犯は、帝国に確かな貢献をしていることをアピールし、不平派の勢力拡大の足がかりとするべき奇貨なのだ。その両者が手を組んでいるなど、ありうべかざることなのである。

 

 しかしボルテックは明らかに同志であるはずのグラズノフを疎んじており、そしてグラズノフがそのことに気づかないほど低脳でもなかったので、幸運にも彼と手を組める余地ができたのである。当然、ゲオルグはその好機を見逃さずにグラズノフと接触して言葉巧みに協力関係を構築して、惑星テオリアにおける秘密組織の覇権を磐石なものとしたのだ。

 

「私の考えでは、治安当局から私が――つまりラルド・エステルグレーンという新聞記者がという意味だが――不平派の一員と見なされていれば安全圏に入ったも同然だ」

「どうして? 不平派にしても代理総督府同様に帝国からすれば邪魔な存在でしょう。機会があれば潰したいと思うのが普通じゃなくて」

「そう思ってはおるだろうが、現時点においては現実的に不可能だ。なぜならもっとわかりやすい明確な敵が帝国にはいくらでもいるのだ。そういった者達と対峙する点においては味方と言える不平派を敵に回している暇があるものか。それにいくら不平派とはいえ、反社会的行為を行なっているわけでもないフェザーン人を弾圧するとなると、親帝国派からも離反者がでかねぬ危険性もある。不平派の直接的排除に踏み切れるほど銀河情勢を安定させるには二〇年……いや、かのお若い皇帝陛下の迅速ぶりを考慮すると遅すぎやもしれぬな。まあ、それでもはやくて三年後であろうよ。その間にも政争がらみの嫌がらせのような圧力はかけるであろうが、少なくとも建前が立つ程度の探りしかいれることはできぬ。そしてその程度の探りなら、いくらでも誤魔化せるさ」

 

 ゴールデンバウム王朝時代、権力闘争で憲兵隊から担当者を切り捨てることが前提の自爆特攻のような強制不法捜査をされた経験もあるゲオルグである。それが当然であった頃の警察時代を思えば、今の治安機関の捜査は全体的にぬるすぎて容易く誤魔化せると断言できた。注意しなければならないとしたら、秘密裏にそういうことをやってくる人材、筆頭が軍務尚書オーベルシュタイン元帥のような人材も今の帝国に相当数いるということだが、「不平派への不当捜査」と第三者視点で思われることを考慮すれば二の足をふむだろうし、実際もしそのような兆候があれば逆にこちらがそれを調べ上げ、そういう方向の記事としてマスコミに流せば不平派の支持の拡大を狙えるとゲオルグは考えていた。

 

 一方、ベリーニはゲオルグのいう明確な敵について少し考えてみた。ほんの数年前までフェザーンを除けば銀河にある諸勢力の九割以上が同盟か帝国、共和主義か専制主義のどちらかに色分けすることができた。少なくとも掲げる旗印的な意味では。しかし現在は一強たるローエングラム王朝とそれに反抗する数多の勢力という形になっている。そのうち、自分が属する秘密組織と、有名どころの諸勢力を羅列すると……。

 

A.ゲオルグの秘密組織

B.ルビンスキーの旧フェザーン勢力≒フェザーンの独立派

C.得体の知れない地球教

D.イゼルローン共和政府を筆頭とする旧同盟の残党

E.ブラウンシュヴァイク公の遺児エリザベートを擁するゴールデンバウム王朝残党勢力

F.貴族への復讐心で凝り固まっている反貴族主義系勢力

 

 ……Fは考えすぎだわねとベリーニは思った。Fは指導部的なものが存在するように思えないし、度々テロを起こすとはいえ、今のローエングラム王朝の世を否定したいわけではない。ローエングラム王朝が実施した報道の自由による過熱報道のせいで、多少悪目立ちをしているだけで、そもそも大きな組織のようなものがあるわけでもない。何か具体的な計画の下に動いているわけでなく、それぞれの集団が個々に動いているのみ。脅威の度合いとしては小さなほうであろう。

 

 しかし、こう考えると、たしかにAからEは体制側からすれば大変に面倒な脅威だ。Aは帝国の旧領土を中心に根深いネットワークを構築し、数々の政治やテロに関与しながらも、表向きは常に別の何かに責任をなすりつけ、表舞台に出ることなく成長を続けている。ゲオルグの化け物じみた組織管理能力によるもので、若くして内務次官の地位にあったのも納得できる。Bもまもなく新帝都となるフェザーンの安定の上で大きな不安要素だ。それにルビンスキーを打倒できたとして、一〇〇年間ここに自主独立の自治領があったという事実が消え去るわけではないから、独立派のアイデンティティは消えない。Cは行動を読みにくいという点で危険だ。皇帝ラインハルト暗殺未遂を起こしたかと思えば、今度はその宿敵ヤン・ウェンリーを暗殺しに行ったりと行動原理が読みにくいことこの上ない。ゲオルグでさえ地球教が、より正確にいえば地球教の指導部が、なにを目的として行動しているのかわかりかねているようなのだ。

 

 Dのイゼルローン共和政府は他とは異なり小規模とはいえ実戦的軍隊を保有しているというか、実戦的軍隊が政府のフリをしているという実際的な脅威の他に、ヤン・ウェンリーという民主主義擁護者の権威を受け継ぐ旧自由惑星同盟諸勢力の精神的な支柱といえる。他とは異なり、拠点がはっきりとしていて、その上で小勢力なのだから、優先して対処すべきことではないが、ひとつ間違えれば旧自由惑星同盟領、現銀河帝国新領内にある火種が一気に燃え上がりかねない危険性があり、対処の仕方には要注意といえる。そしてEだが――以前協力関係にあったためにある程度実情を理解しているのだが、オーディンでのヴァルプルギス作戦の失敗のせいで大打撃を受けて壊滅一歩手前状態であるという情報があるいっぽうで、開明派の中心人物が物理的に排除したため、彼らにシンパシーを感じる旧王朝系官僚が復権しており、その一部がなにかしら関係を持っているという噂もあって、他に比べればマシだが、無視することはできない程度には危険といえるだろう。

 

 ……たしかにゲオルグの言うとおり、今の帝国がフェザーン内の不平派に手を回している余裕があるとは思いにくい。むしろこれだけ治安上の不安要素があって、三年後には不平派への対処に乗り出すかもというゲオルグの推測は現実味がないようにすら思える。だが、現在の帝国の主人のラインハルトという男は、ブラウンシュヴァイク公とミッターマイヤーの処断に関することで対立して政治の舞台に躍り出てから、ほんの数年でブラウンシュヴァイク派どころか他の門閥貴族勢力を軒並み破壊して新体制を敷いた今代の偉人である。だから三年という数字には理性とは異なるところで妙な現実味を彼女の胸に感じさせるのだった。

 

「それでこれから秘密組織としてはどう動くつもりなの? 不平派の支持拡大を狙い続けるだけでは、あなたが無罪放免の上で官職に就くことは不可能じゃないかと思うのだけど」

 

 そう言いつつも、ベリーニはある程度推測はついていた。ゲオルグの目的は権力の座に返り咲くことであり、そのためには不平派と同じように罪を帳消しにしてあまりある帝国への手土産が必要であろう。それを思うと、BからEのいずれかと手を組むフリをして相手を信用させ、機を見計らって帝国側と接触し、立場と引き換えに彼らを売り渡して地位を得るのが一番現実的だ。帝国の抱える事情からするとBが最有力、次点がCというであろうと踏んだ。

 

「ああ、それな。ルビンスキーめに正体を看破されてなかば脅される形での協力関係にあるゆえ、しばらくはルビンスキーと協調することになる」

 

 だが、ゲオルグがあっけらかんととんでもない返答をよこしたため、ベリーニの頭脳がその言葉の意味を理解するのにしばらく時間を要した。

 

「……ごめんなさい。もう一度言ってもらえる?」

「だからおまえの元雇用主に私の正体が、ラルド・エステルグレーンの正体がゲオルグ・フォン・リヒテンラーデだと見抜かれてしまったから協力するしかないというのが当面の方針だ」

 

 たいしたことでもないように平静にそう説明するゲオルグ。

 

「……それって致命的じゃないの? 亡命政府のときみたいにまた巻き込まれているわけでしょ?」

「たしかに。だが、致命的というほどではない。直接会ってルビンスキーの計画を説明され、協力を要請されたが、つけこめる隙はありそうだからな。説明すべてがブラフという可能性も状況的には低い。それより気がかりなのはどういう経路で私がフェザーンにいることをルビンスキーめが知ったかということだ」

 

 意味ありげな視線を向けられ、ベリーニは背筋に寒気が走った。自分がルビンスキーに情報を伝えたのではないかと疑われているのではと思ったのである。焦ったように口を開く。

 

「わ、私じゃないわよ! そもそもテオリアでここに来るための立場作りで忙しかったのはあなたも知っているでしょう?」

「そんなことはわかっている。第一、おまえが今のルビンスキーに私のことを教えてなんの利益があるというのだ。私が聞きたいのは、おまえがどこから情報が漏れたと思うか、考えを聞かせてほしいということだ」

 

 面白い冗談でも聞いたような愉快気な口調でそう言われ、羞恥で赤面しそうになったが冷静さをなんとか保ち、ベリーニは自分の考えをまとめて話した。

 

「やっぱりフェザーンで秘密組織の拡充を急ぎすぎたせいじゃない。あれのせいで構成員の素性を洗うのはかなりおざなりになっていたでしょう。ルビンスキーの息がかかっている者たちが相当数入り込んでいても不思議ではないわ」

「やはりそう考えるか。ベルンハルトからの報告でも体制側の人間と思しき者たちがいくらか入り込んでいる危険性があるとあった。そちらに神経を向けすぎた結果、ルビンスキーなどの非体制派の勢力を秘密組織内の上層に浸透しまったのやもしれぬ。これは大変由々しき問題だ」

 

 少なくとも現状において、ルビンスキーは心から信頼できる同盟相手ではないとゲオルグは考えている。そうである以上は取れる選択肢を可能な限り豊かにしておきたいところである。しかしフェザーンにおける自分の手駒にルビンスキーの息がかかっているのだとすれば、そこから情報の水漏れが発生し、秘密組織の動向が逐一ルビンスキーに把握されるということに他ならない。それはある意味、自分の表向きの身分がバレていること以上に問題である。

 

 早急にどこまでルビンスキーの手の者が秘密組織に入り込んでいるのか洗い出さなくてはならない。だが同時に、そうしようとしていることを気取られてはならない。手に負えぬと見なされ、秘密組織が黒狐の計画の中で捨て駒にされてはかなわない。慎重かつ、微妙な調整と偽装が欠かせない。そしてそれでも万全は期しがたいところであろう。なにせ海千山千の門閥貴族どもを欺き、数十年にわたって帝国の権力中枢部に居座り続けた祖父でさえ、あの男に何度も煮え湯を飲まされているのだ。だからせいぜい可愛い抵抗と思われる程度に振る舞わなくてはならない。

 

「由々しき問題ではあるが、気長にやるしか打開策がない。しばらくはルビンスキーの太鼓にあわせて踊ってやるさ」

「それで、具体的になにをすればいいのかしら」

「……ハイデリヒは予定通りの役職につけたのか?」

「ええ、アルデバラン星系総督府の巡検使になったわ。もともと社会秩序維持局支部長副官だった彼のキャリアから考えると、私ほど不自然な人事でもないから、グラズノフが簡単にやってくれたわ」

 

 巡検使とは、所属元の出先機関が腐敗していたり暴走していたりしないか確認するために不定期的に出先機関を巡回し、その実情を調べて上に報告するのが仕事の役職である。社会秩序維持局全盛期は通信も普通に傍聴されていた(前よりはマシにはなっているだろうが、今も隠れて少なからずやっているに違いないとゲオルグは思っている)ので、外に漏らしてはいけない情報を交換する明記されない役目も負っていた。

 

 ゲオルグはこれを利用し、ベリーニ→ハイデリヒ→テオリアの秘密組織指導部への連絡通路を確保したわけである。時間はかかるが、水漏れの可能性がほぼないため信頼度が段違いであり、しかも完全に職務をこなしているようにしか見えないわけだから、軍や秘密警察が無理やりこれを捜査するなんてことはしにくく、仮にしても口頭でしか連絡内容は伝えないから聞き出すのに手間取るし、ローエングラム王朝のイメージダウンにつながるという防衛機能付きだ。これからこの連絡網を少なからず活用することになるであろう。

 

「いつここに来る?」

「遷都宣言式には来るらしいから、数日後かしらね」

「よしわかった。じゃあ、ハイデリヒにシュヴァルツァーが中心となって期日までにこういう者たちを集めておくようブレーメに伝えろと言っておいてくれ」

 

 ゲオルグは懐から一枚の紙片を取り出してベリーニに見せた。そこに書かれている内容を読み取り、ベリーニは驚いた。

 

「こんなのを集めて何をしようというの? 半分くらい、あなたの敵のようなものでしょう?」

「さあ、私が考えたことではなく、ルビンスキーからの要請だからなんとも。まあ、だいたいの想像はつく。たぶん独立派に心を寄せる人間を増やすための試みだ。ついでに高等参事官殿への援護射撃のつもりというのもあるかもしれん。しかしあの男、どれだけ高い地位があっても、自分の意思で権力が振るえぬでは政治家として三流だと思うのだが、はたして打開策を考えているのであろうか」

 

 自分があの地位にいるのだと仮定するならば、展望が見えるとはまったく思えないのだが。ゲオルグはそう続けかけて、やめた。さまざまな問題があるとしても、あの男があのような状況から這い上がってきたのだ。まったく先を考えていないのだと決めつけるのは軽挙だと感じたのである。だが、それはあくまで感情の問題ではないかと彼の理性は囁いていたが、第六感とでもいうべきなにかがそれを拒絶していた。

 



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閣議①

 七月二九日、皇帝ラインハルトは正式にフェザーンへの遷都を宣言した。すでに軍中枢はフェザーンにあり、政府首脳も閣僚を筆頭にフェザーンへと徐々に移っていたので実態に形式が追いついたというべきであるかもしれないが、これをもってオーディンは数百年にわたる銀河帝国首都としての役割を完全に終えることとなった。

 

 しかし同時に、この段階のフェザーンがはたして銀河帝国の首都であるのか、と、首を傾げる者も少なくなかった。旧フェザーン自治領の官邸は重要部分を除いてほとんどそのままボルテックの代理総督府が受け継いでいる。そして工部尚書シルヴァーベルヒの手による首都建設計画はまだ始まったばかりで実際に建設されているものは少なく、九割以上の帝国政府の主要省庁は買い取った高級ホテル街を仮の本拠としているので、地方政府(代理総督府)のほうが中央政府より立派に見えるという、なんとも珍妙な感じがする構図になっているのである。

 

(いや、これでも前よりよくなったのだが……)

 

 宰相府と名付けられた元高級ホテルの廊下を歩きながら内務尚書であるオスマイヤーはそう思った。ほんの少し前まで帝国の主人たるラインハルトでさえホテル暮らしだったのである。別に皇帝への悪意ゆえというわけではなく、ただたんにラインハルトが新無憂宮(ノイエ・サンスーシ)のような豪奢な建造物の中で暮らすことに興味関心がなかったのである。くわえていえば、これまで遠征に明け暮れており、フェザーンの住まい環境などどうでもよく、とりあえず暮らせる設備があれば問題あるまいとすら思っていたのであった。

 

 だが、臣下のだれかから皇帝があまりに質素な暮らしをしていては臣下臣民も皇帝に気を使って窮屈な思いをしてしまうと進言されたとかで、旧フェザーン自治領迎賓館へと住まいを移すことにしたという。だれだか知らないが、進言したものによく言ってくれたと言いたい。同盟人やフェザーン人どもはさして気にしないが、オリオン腕に暮らす帝国人たちはそういうことを気にするのだ。古い常識に縛られているといえばそうなのだが、自分だって多少そういう気持ちはあるのだから。

 

 そんなことを思いながら歩いていると廊下の角でブルックドルフ司法尚書とばったり遭遇した。挨拶もそこそこに同じ目的地に向かって歩きながら、ブルックドルフはちょうどいい機会だからと最近の事柄について内務尚書の意見を聞いて見ることにした。

 

「ところで、新内務次官のことについて卿はどう思っているのか」

「ああ、ラングのことか」

 

 オスマイヤーは表情を歪めた。先日、例のルッツ・ワーレン両名に対する歓送迎会を狙った爆破テロの実行犯を捕まえた功績で内国安全保障局長ハイドリッヒ・ラングは新たに内務次官をも兼任することになった。新王朝においてたしかな実績をのこして自信をつけたのか、ラングはオスマイヤーに内務尚書の椅子を狙って挑戦的態度をとるようになり、内務次官の権限を行使して内務省内での影響力強化に熱心になっている。都合の悪いことに例のオーディンでの近衛叛乱事件の後遺症として旧王朝時代の官僚が一部復権しており、彼らがラング派へと流れてもはや無視できない存在となっているのだった。

 

「そうだ。あの小男、見かけによらず油断ならぬ男だぞ。“証拠捏造の達人”などと巷では噂されておるが、どちらかといえば法律をこねくり回す達人だ。法に明文化されていない領域の行為を正当化する方便を構築する名人なのだ。だからこそ、先のロイエンタール元帥の謀反疑惑を公的な問題とすることができたのだ」

 

 嫌悪まじりにそう評するブルックドルフの姿勢は、多少自分がそれに利用された私怨が混ざっているように見受けられたが、それを差し引いても公正な法学博士として見識からすれば法解釈の達人というのは忌むべき存在というものであろう。法学者たちが苦労をかけて作りあげた法的な枠組みを、権力者側の屁理屈によってその精神を骨抜きにされるようなものなのだから。

 

 ブルックドルフに忠告されるまでもなくラングの危険性をオスマイヤーは理解していたが、理解しているからといって、どう対処すれば良いかわかるというわけではない。ラングだけならともかく、そうではないからであった。

 

「だからといってどうせよというのだ。形式上、ラングは内務省に所属する私の部下ということになってはいるが、実質的には軍務尚書の部下なのだ。そもそも内国安全保障局じたい、私が望んだわけではなく、軍務尚書が望んだから設置されたのだからな。こちらからラングを正当な理由なく排除しようとかかれば、自然、その庇護者たる軍務尚書とも対峙することを余儀なくされるだろう。彼を敵にまわして権力闘争を起こして勝てると思うかね」

「そこは私がなんとかしよう。軍務尚書は油断ならない人物ではあるが、同時に道理が通らないことをするような人でもない。ラングと異なり、法的に縛ることは可能ではないかな」

「……どうだかな。法を逸脱することが、かえって王朝のためになると判断すれば、それをやることを躊躇うような人かね? 彼が重視するのは王朝の安泰と繁栄であって、法や道理ではあるまい。ともかく、この件についてはしばらく様子を見るしかない」

 

 彼の考える王朝の安泰と繁栄である、とまではオスマイヤーは言わなかった。事実、彼の主張はたとえ気に入らないものであっても、基本として受け入れざるをえない理屈と正しさを有しているのが常なのだ。そして望む望まざるにかかわらず、それに勝る対案を用意できないので、自分たちは同意せざるをえなくなるのだ。いや、同意を確実に得られると計算した上でオーベルシュタインは不快な意見を初めて周囲にあきらかにしているだけであって、それ以前から独自行動して自分の思惑を優先させているきらいがあるのだが。

 

 ブルックドルフは不満げだった。たしかに軍務尚書の為人を思えば、内務尚書のいうとおり法をそれほど重視していないかもしれない。だが、法律がいかに文明的で安定した国家秩序を形成し、運営していく上で重要なのかわからないはずがなく、ラングが法律を骨抜きにしていく才能が、いかに危険か理解しないことはないだろう。説得できるかどうかはともかく、ラングを庇護することをやめさせることは可能ではないかと思えるのだった。

 

 とはいえ、内務尚書が静観の姿勢をとるというのであれば、これ以上言うべきではない。ブルックドルフはラングを問題視しているが、司法省が内務省の人事に干渉したと周囲に誤解されるようなことがあれば、それはそれで問題であり、個人的な懸念を述べて内務尚書の注意を喚起しておけばひとまずはそれでよいのである。話題を転じ、新帝都の在るべき形について議論しながら歩いていると、目的の部屋の前で待っていた人物が声をかけてきた。

 

「お待ちしておりました。他の皆様はすでに席についておられるので、二人もお早く席に」

「……まだ予定の時刻には余裕があるはずだが」

「久方ぶりの閣議ですので、各省言いたいことがたくさんたまっていて、気を急いているのではありませんかな」

 

 ラインハルトが大本営をフェザーンに移して以来、軍務・工部尚書がフェザーンに移り、閣僚が一堂に会して国政を議論する閣議は開催されておらず、正式に遷都宣言がなされた本日の閣議は、実に約一年ぶりの閣議となる。もちろん、その間も省と省の相互連携をはかる会議は幾度も開催されているが、やはりそれぞれの省の最高責任者が相手でなくば決定権がなくできないことも少なからずあり、ちょっとした行政上の障害となっていたのはたしかであった。

 

「なるほど。ということは書記官長、今回の閣議ではたくさんの議題が提出されたのか。どんなのがあるのかね?」

「ええ、まあ、色々と」

 

 曖昧に笑ってごまかす書記官長に促されて二人は閣議の場に入った。部屋の中央にある大きな円卓には九つの席がおかれていて、そのうち七つの席にはすでに閣僚が座っている。オスマイヤーとブルックドルフは空いている自分の席にそれぞれ座り、内閣書記官長であるマインホフは国務尚書の席の後方にある円卓とは別の長机にある椅子に座った。

 

 すべての席が埋まったのをもう一度確認して、一番上座に座っていた温和な雰囲気をした中年男性が立って発言した。

 

「お集まりの諸君、予定より早いが全員揃ったことだし、閣議をはじめたいと思う。が、その前に先のオーディンでの騒乱の中で亡くなった前民政尚書ブラッケ氏と前学芸尚書ゼーフェルト氏のために、皆で黙祷を捧げたい」

 

 国務尚書マリーンドルフ伯爵の提案に全閣僚が賛成し、全員起立して一分ほどの黙祷を捧げた。

 

「さて、初対面のものもいることだし、私から順番に簡単な自己紹介をしていくとしよう。私は国務尚書のマリーンドルフ伯だ。内閣首席ということになっているが、省庁間の調整も国務省の仕事であるため、諸君には気軽に声をかけてもらいたい」

 

 その言葉を閣僚たちはすんなり受け入れた。閣僚の大半がマリーンドルフ伯爵のことを官僚組織の頂点を担える才気溢れる男などとは思っておらず、伯爵が国務尚書の地位にいるのは皇帝の首席秘書官を勤めている娘のおかげだと考えていたからである。無論、だからといって伯爵自身が無能というわけではなく、誠実に調整役を担う能力があるからこそその地位にあるわけだが、それだけで国務尚書になれるわけがないというのが衆目の一致するところであった。

 

 マリーンドルフ伯爵の次は、内閣の中で唯一文官の服ではなく、帝国軍の軍服を着ている男が起立した。あいも変わらず、青白い不健康そうな顔をしている。

 

「軍務尚書のオーベルシュタイン元帥です」

 

 そういって軽く会釈するとオーベルシュタインは座り直した。名前と役職だけを言ったのみだが、彼の実績と世間に流布している噂の量と質を思えば、それだけで十分だという気がしてくるのが不思議であった。

 

「内務尚書のオスマイヤーだ。新領土を除く人類社会全域の一般治安の責任者だ」

 

 やや不機嫌そうにオスマイヤーはそう自己紹介したが、内容はいささか正確性を欠いている。新領土だけでなく、ユリアン・ミンツ率いる共和主義勢力の勢力圏であるイゼルローン方面にはその力を及ぼしようがないし、それ以外であっても様々な要因のために万全に力を及ぼせているかはおおいに疑問なところであった。あるいは、そういう不満表明も態度で示そうとしているのかもしれなかった。

 

「エルスハイマーです。先任のブラッケ氏が亡くなったため、次官より繰り上げで民政尚書に任命されました」

 

 続いて新しく閣僚となったユリウス・エルスハイマーが挨拶するが、彼のことはほとんどの者がよく知っていた。ラインハルトが帝国宰相の地位に就くと同時に抜擢された優秀な行政官僚の一人で、短期間のうちに内務省と民政省の次官として改革に大きく貢献した人物だからである。また私事ながら帝国軍の重鎮であるルッツ上級大将の妹と先日結婚したことでも話題を呼んでいた。

 

 恋愛結婚であり、祝福されてしかるべきであるはずなのだが、この点に政治的警戒を持つものも一定数いたりするのだ。オーベルシュタインもそのうちのひとりである。軍高官と政府高官が血縁的繋がりを背景に互いに公的な影響力を行使し合うようなことがあってはならないと考えている。幸い、両人ともそのことを弁えており、そのような態度をみせてはないが、まわりがそのように誘導し、そういうふうになってしまう可能性は否定できない。なにせ、中堅以下の官僚の中にはゴールデンバウム王朝期の感覚が少なからずいるし、上層部もゲルラッハをはじめ旧時代の者達が一部復権しているのだ。

 

 ローエングラム王朝がゴールデンバウム王朝と同じような血縁主義的な国家運営に陥るようなことなどあってはならない。そのような可能性の芽はたとえ小さなものであっても潰すよう警戒しておくべきであろうと考えている。その可能性といえば、次の尚書もある意味においてそうだとオーベルシュタインは次に立った肥満男性を見遣った。

 

「新しく学芸尚書に任命されたヘムプフです。微力ながら、皆様のお力になれればと思っています」

 

 丁寧に頭を下げたヘムプフはラインハルトの開明改革に共感して芸術界で権力者に阿るしか脳がなかった芸術屋たちの大粛清を断行し、芸術家たちの活動に枠をもうけようとするあらゆるしがらみを破壊してまわって、帝国の芸術家たちの創作の自由の範囲を限りなく広げた実績がある男であるが、いってしまえばそれだけで、学術分野にかんしてはあまり関心がないのか旧態依然とした見識のままで、しかも部下には諫言より服従を求めるタイプであるため、たいへん前例主義的である、と、学術分野にかかわる者達から評されていると聞く。

 

 彼より学芸尚書にふさわしい人材がいないわけではないのだが、そうした力量がある者がゼーフェルトの横死で学芸尚書の椅子に座る事に及び腰になってしまったようで、いわば消去法でヘムプフが学芸尚書になったわけであった。彼個人はそこまで警戒する必要はないだろうが、彼の学術分野にかんする見識が旧態依然としていることをいいことに、やりたい放題する者が出てくる懸念がある。その辺りが憂慮すべき点であった。

 

「恐れ多くも陛下より宮内尚書という過分な地位を賜っております、ベルンハイム男爵であります」

 

 青白い不健康そうな肌の色をしたベルンハイムは勢い余った感じでそう一気に言い切った。やや異様さを感じたエルスハイマーは小声でかつての自分の上司にそのことについて確認してみることにした。

 

「宮内尚書は体調でもお悪いのですか?」

「……なんでも政治的にはあまり重要ではなかった学芸尚書ゼーフェルト博士が反動派に殺されたことから、自分が標的にされてもおかしくないと不安になり、ここ最近よく眠れていないという噂だ」

 

 オスマイヤーの説明にエルスハイマーはあきれた。

 

「……閣僚である以上、帝国の敵から標的にされる可能性は当然あることは自明でしょうに」

「あくまで噂だ。もっとも、宮内尚書はお飾りだから、と、最近までそのことについて考えていなかったのは疑いない事実だが」

 

 宮内尚書がお飾りというのは、銀河帝国の政体から考えると、いささか奇妙な表現であったかもしれない。ゴールデンバウム王朝に限らず、歴史上の専制国家において宮内省といえば、皇帝とその一族の生活事務に責任を持つ役所であり、最高権力者の側仕えともいうべき役割を有していて、皇帝の意思を代弁する宮廷の管理機関である。いわば、専制国家の心臓部たる皇室の直属的存在であり、当然、その重要性たるや国務省・軍務省に匹敵する。

 

 五世紀にわたる歴史があったゴールデンバウム王朝では、宮内省の官僚として宮中の要職を多数兼務して、内閣はおろか皇帝をも超える権力を掌握して国政を壟断し、“準皇帝陛下”などという臣下にあるまじき異名をとったエックハルトという宮内官僚がいた前例さえ存在するのだ。それくらい宮内省とは本来重要であるべき省庁なのである。そのトップの地位がお飾りであるなど、立憲君主制ならともかく絶対君主制の国家ではありうべかざることであるはずであった。

 

 しかしローエングラム王朝においては――より正確にはその黎明期においては――例外的にそのありうべかざる状態が現実化していたのである。なぜなら今上の皇帝たるラインハルトは、平時は政治改革者として、戦時には軍司令官として、常に自ら指揮と采配を振るわなければ気がすまない性分であり、その双方において多大な成功をもたらす類稀なる才覚の所有者でもあったため、宮中にいることが皆無ではないにせよほぼなかったし、なにより宮中の人間より文武の専門家を頼ることを好んだ。その上、ラインハルトの親族となると彼の姉たるアンネローゼが一人いるだけで、そのアンネローゼもわずかな人員とともにオーディンの山荘で質素に隠棲してしまっているので、仕事がないわけではないのだが、他の省庁に比べると重要度が低い仕事ばかりという有様だったのである。

 

 ベルンハイム男爵が宮内尚書になれたのもそうした事情によるところが大きかった。男爵はゴールデンバウム王朝の時代から宮内省で中堅官僚をしていたが、飛び抜けて優秀だったわけでもなく、良くも悪くも地位相応の能力の持ち主に過ぎなかった。だが、ラインハルトのクーデターによってリヒテンラーデ公が失脚し、公の古巣であった宮内省では“人員の整理”が大規模に行われ、男爵より宮内省での地位があった七割近くがそれで追い出されてしまい、ラインハルトが皇帝に即位すると宮内省高官として「敵対的姿勢を取らず、かといって見え透いた媚びも売ってくることもせず、真面目に仕事に取り組んでいた」ことが評価されて尚書に抜擢されたのである。つまり、能力のほうは平凡な評価しかされていなかった。

 

 また明言されているわけではないが、おそらくは男爵がゴールデンバウム王朝時代の貴族社会の主流にギリギリはいれるような門閥貴族であったことも尚書に抜擢された理由であろうと一般的に考えられていた。つまり特別ラインハルトの味方をしたわけでもない旧時代の平凡な貴族であっても、真面目に働くならば寛大に取り立ててやることもやぶさかではないというローエングラム王朝の姿勢を示す宣伝材料であると解釈されていた。

 

「シルヴァーベルヒ工部尚書だ。首都建設本部長官などを兼任しているほか、遷都までフェザーンの民政責任者もやっていた」

 

 無精髭を生やした不敵な男がそう自己紹介すると、かすかにオスマイヤーは眉を動かした。なぜ遷都まで、と、過去形なのか。いまだフェザーンにおける少なくない民政に関する権限を内務省に引き渡さず、工部省が握り続けている。名目はフェザーンをローエングラム王朝の帝都として再開発するためにまだ必要とのことだが、実際は首都建設計画に出資する親帝国派豪商の利益を守るために必要なだけである。帝国の国内治安に責任を持つオスマイヤーからすると、そんな治安上の穴を作ろうとするおまえはいったいどこの官僚なのだと文句を言いたくなるのだった。

 

 もちろん、シルヴァーベルヒにも言い分がある。首都建設計画を順調に推し進めるためには、フェザーンの有力者たちとの好ましい関係を構築しないことには困難なのだ。ボルテックの代理総督府なぞにそのポジションを渡すわけにはいかない。そのためにも、親帝国派の有力者たちに不利益をもたらさない保障として自分がある程度内政権を有するのは当然の方策ではないか。それを非難してくるのは、自分の政治手腕が信用されていないように感じられるので大変不快であった。

 

「司法尚書のブルックドルフです。司法省としては今回の閣議では法秩序について議論したい」

 

 ブルックドルフはその両者の争いにかんしては比較的内務尚書よりである。あまりに行政において特別な地域があるようでは、法も煩雑にならざるをえず、運用するのが困難となる。フェザーン自治領時代から残っている法律と帝国の法律をどのように統合して整備していくかも司法省の大きな課題であり、可能な限り治安執行機関は効率的に組織化していてもらいたい。代理総督府・内務省・工部省のそれぞれが独自の法律をもって帝都の一般治安を担当するなど悪夢もいいところだ。

 

「財務尚書のリヒターだ。開明政策推進本部にも席をおいている」

 

 次に名乗り出たのはオイゲン・リヒターだ。故カール・ブラッケと共に開明派官僚グループの指導者としてゴールデンバウム王朝時代から官界でよく知られた人物であり、過日の近衛叛乱事件の際、貴族連合残党組織が作成した粛清リストに名があったものの、偶然出張でオーディンを留守にしていたため、盟友とは異なり命脈を保つことができた。

 

 もっともあの一件ではリヒターより危機的状況に陥ったものも少なからずいる。ここにいる中ではブルックドルフ、エルスハイマー、ベルンハイムは一時、クーデター勢力によって身柄を確保されていたが、咄嗟に別人を装うことによってクーデター派による粛清を免れたのである(ベルンハイムはバレて暴行を受けたが、クーデター派の粛清リスト入りしていなかったので生命だけは助かった)。そして次の人物も、そうして難を逃れた一人だ。円卓から少し離れた場所の机にいた男が起立する。

 

「皆様とはすでになんども話しているので今更自己紹介の必要があるのか疑問ですが……内閣書記官長のマインホフです」

 

 内閣書記官長とは、内閣事務全般を担当する内閣書記処の長であり、内閣首席たる帝国宰相もしくは国務尚書の業務を補佐・支援し、政府の重要省庁の連絡・調整を担当している。そうしたことから与えられている権限は広範囲に及び、官僚機構全体の舵取りを担うことも多い重要な役職である。閣議においては書記を務めることになるため、他の閣僚が座る円卓とは別に席が用意されているのだった。

 

 当然、その地位を得ているマインホフもたいへん優秀な男で、マリーンドルフ伯爵の後の国務尚書候補の一人と官界では目されている。伯爵と異なり、旧王朝時代からの官僚で実績も多く、官界からの支持も厚い関係上、「将来はわからないが、いまの内閣の中心にいるのは伯爵じゃなくて書記官長」などと嘯く口の悪い者もいるくらいだ。

 

「遷都が現実となったからには、長期にわたり多くの閣僚がフェザーンを離れるということは少なくなるでしょう。そこで内閣書記処としては、定例閣議を復活させたい、と、考えております。よろしいですか」

 

 マインホフの発言に全閣僚が肯首する。それは今回の閣議の事前連絡の際に前もって書記官長から言われていたことだし、別に反対すべき理由も彼らにはなかった。

 

「では、ただいまから正式に閣議をはじめるとしましょう」

 

 マリーンドルフ伯爵の自然な宣言により、フェザーンにおいてはじめて銀河帝国の閣議が開始された。

 



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閣議②

 最初に議題となったのは軍縮問題であった。これは多くの尚書が議題として提案したものである。長きにわたって政治・軍事の両面で帝国が対立関係にあった自由惑星同盟が滅び、外敵とよべる存在はイゼルローン要塞に籠る共和主義者たちのみになっている。そのイゼルローンにしても、推定される兵力は一〇〇万あるかどうかというところで、大きな脅威となりえそうもない。となると、いまだ領内において地球教を筆頭とした反帝国テロが少なからず発生しているとはいえ、概ね平和の時代に突入したといってよく、そんな時代に総兵力七〇〇〇万を超える軍隊などあっても経済的負担にしかならないであろう。

 

 またこれは各省の懸念が具現化した提案でもあった。文官たちにとって恐るべきことは、平時にあっても軍隊が今の規模で維持されることである。ゴールデンバウム王朝の創始者たるルドルフは、非常に独善的で強引な手法を用いたものであったとはいえ、国家を安定せしめてなお軍事力を削減しようとはしなかった。彼の政治哲学によれば、国家が強大な軍事力を放棄することは不穏分子に対する利敵行為であり、ひいては国家秩序の不安定化につながり、百害あって一利なしの愚策というのである。

 

 が、歴史的事実は、軍事力による国家秩序庇護というルドルフの哲学は少なくとも完全に正しいものではなかったと証明している。ルドルフ存命時はともかくとして、強大な軍事力を維持し続けることそのものが国家経済飛躍を阻む鉄枷となり、少なくない高級軍人は軍の強大な力を背景に国政に容喙(ようかい)し、軍が政府の制御を無視して暴走し、しばしば政治的混乱を起こしたりして、結果的に国家秩序を弱体化せしめるという本末転倒な事態に発展したことが五世紀近い歴史の中で何度もあったのである。

 

 経緯も過程も異なってはいてもローエングラム王朝もゴールデンバウム王朝と同様に、その黎明期においては軍事独裁の色が濃い政治体制であったといってよく、前例と同じ道を進む可能性は否定し難いものがあり、それゆえに帝国官僚たちはいささか時期尚早に思えても、その道を歩むことがないように軍縮を議題にあげたのである。強大な軍事力の維持は、そのまま文官主導の政治体制を構築する上で大きな障害になることはわかりきっているがゆえに。

 

「軍務省としても軍縮の必要性は認める。外征を目的とした軍隊から治安維持を目的とした軍隊への再編とそれに伴う軍縮は、帝国軍三長官会議でも今後の軍方針として一致した結論を出している。だが、まだ軍務省内においていくつか草案があるのみの段階というのが実情だ」

「おや、辣腕で知られる軍務尚書が前々からあがっている案件を片付けていないとは意外ですな」

「重大な案件なのでな。ひとつ処理を間違えれば王朝の安定を揺るがす」

「……はあ、そうなのですか」

 

 そこまで軍の兵士の数を減らすだけで大袈裟すぎないだろうかとヘムプフ学芸尚書は首を傾げたが、他の閣僚たちがそこについては同感であるような態度をとっている様子を見て、理屈は理解できないがそういうことであるらしいことは理解し、気の抜けた言葉を残して黙った。

  

 古来、力によって強大な領域を平定した征服者は、その実現のための手足となって貢献した軍隊を如何に遇するかという問題で悩まされるものである。軍隊に組織的な理由で救い難い面があるとすれば、軍隊としての成功と組織としての利益がほぼ一致しないことである。

 

 軍隊とは基本として、非生産的な組織である。自らは社会の生産に寄与しないという意味では政治家や官僚も似たようなものかもしれないが、彼らは平時にあっても国家を運営して社会を維持・繁栄させるという大切な役割があるのに対し、軍人は平時にあっては有事の際の備えとしてひたすら訓練を積み、周辺諸国の軍事行動の兆候に目を光らせるだけの存在になってしまうし、それだけのためにけっこうな大金が浪費される。

 

 即ち、軍隊と政府という分類がほぼ無意味になるほど一体化しているような、極端な軍事独裁体制でもない限りにおいて、軍の強権は戦争とかの非常時であればこそ、現実として現れるものなのである。平和の世においては問題にしかならないのだから。

 

 だから理屈だけで考えるのであれば、平和の時代になった時点で軍隊から非常時を理由に拡大されていた権限を大幅に縮小し、莫大な軍事予算を削減し、兵員の整理も行いたい。ましてや、イゼルローンという例外を除き、ほぼ全人類社会を統一している現在の銀河帝国からすれば、周辺諸国への警戒など必要性すら疑われる類のものであったから、文官たちの軍縮を望む声は、自然、強いものとならざるを得ない。

 

 しかし、祖国のために生命がけで戦場から戦場へと転戦を重ねた軍人たちの側からすれば我慢ならない話である。彼らは当然の権利として今までの貢献にふさわしい見返りを求めるし、平和の時代を築いた自分たちの軍の名誉と栄光を求める心もあることだろう。そうした心情を無視してそんな突然冷遇じみたこと断行したのでは「今まで戦場で生命がけで尽くした見返りがこれか!」と元軍人たちが怒り、平和の時代を壊し、戦乱の時代が再来するということになりかねないのだから。

 

 そうした事態を避けるため、軍縮は細心の注意をもって事前に綿密に計画した上で実行しなくてはならないというオーベルシュタインの言は至極真っ当なものであるといえた。事実、国内には無力だから泣き寝入りしているがために、そうした戦闘経験豊富な反帝国的人材を欲しがるであろう不穏分子が山ほどいるのだ。だが、それが永遠に軍縮を引き延ばしにするための建前ではないか、という疑いを他の閣僚たちから拭いされるものでもない。

 

「軍務尚書のおっしゃることもよくわかりますが、しかし同盟を併合したこのタイミングで軍縮に手をつけないのであれば、新王朝はそれを理由として軍縮をするつもりはないという間違ったイメージを発信することにはなりませんか。すでにいくつかのフェザーン・メディアがそうした報道を行いつつあります。われわれの方針を明らかにするためにも、宣伝効果のために小規模な兵員削減を早期に実行するということはできませんか」

 

 そう発言したエルスハイマーの顔を、オーベルシュタインは無機質な両眼で見返した。

 

「なるほど、それで、民政尚書はその小規模な軍縮はどの程度が適当であるとお考えか」

「……最低限の数字として、三〇万人ほど削減していただきたい」

 

 その数字に民政尚書の隣席に座っていたオスマイヤーが声をあげた。

 

「数十万人単位の削減では宣伝になるのかね? 最低でも一〇〇万人程度はないとこれから徐々に平時体制に移行するというメッセージ性を付与するのは難しいのではないかと思うのだが」

「……ですが、一度に一〇〇万の人間を民間に戻すとなると、民間復帰のためのケアを考えますと大変なことになりはしませんか。軍務省で具体的な軍縮計画が策定されていない以上は、民間復帰ための面倒を政府が主となってしなくてはならなくなるでしょう。ただでさえ、われわれの仕事量は増えているというのに」

「それは……そうだが……」

 

 エルスハイマーの発言はローエングラム王朝、いや、旧王朝のローエングラム独裁体制時代より続いているある問題点を浮き彫りにしたものであった。ラインハルトは多くの門閥貴族を粛清したが、それは同時に高官ポストが大量に空席になったことを意味している。その高官ポストにつける才幹が備わっている人材の数はポストの数に比べて少数で、結果的に多くの高官が前王朝の高官と比べて強い責任感と使命感以上に、行政上の必要性からやむなく大量の仕事を抱え込むことになってしまっているのだ。

 

 もちろん、皇帝ラインハルトはその問題を正しく認識している。なぜなら当人が、おそらく、というか、ほぼ間違いなくローエングラム王朝において質・量共に一番働いている行政上の最高責任者なのだから。しかしながら、仕事の多さは国家の創業時におけるやむなき現象であると考えていたようである。旧弊に縛られない開明的改革を志向している以上は、旧弊に染まりきってしまっている旧王朝の高位行政官など使いたくても使えないのである。五年、一〇年すれば、旧弊に縛られることがない新たな人材も育ってくるであろうから、それまで辛抱してもらいたいというところであったのだろう。

 

 つまり個人の能力に頼るところがあまりにも大きいわけで、そのような手法で大規模な改革を推し進めるのは非現実的にすら思えるのだが、ラインハルトが確かな人物選定眼と巧みな人事能力を備えていたこと、そしてゴールデンバウム王朝そのものが末期症状で政治が硬直化していたゆえに、柔軟な思考ができる優秀な人物が冷遇されていたために引き抜きやすかった幸運に恵まれたおかげで、安定して開明政策を推し進めながら国家運営ができたのである。それだけに貴族連合残党によるヴァルプルギス作戦で多数の政府高官が殺され、旧王朝時代の高官をいくらか復帰させないことには国家運営は難しくなった時、征旅の途上にあったブリュンヒルトの艦橋で若き黄金の覇者は無念さを禁じ得なかったものであった。

 

「たしかにそれは由々しき問題だ。これ以上、多忙になってはいくら優秀でも過労死するものがでかねないからな。そこで工部省として提案だ。その何割かを民間に戻す前にこちらに融通してもらえないか。こちらが面倒を見る」

「どういうことですか? 詳しく説明してもらいたい」

 

 どういう意図での提案か理解しかねたマリーンドルフ伯爵に促され、無精髭を軽く撫でてからシルヴァーベルヒは説明を始める。

 

「フェザーンを人類社会の中心にふさわしい帝国首都に改造する計画はまだ始まったばかりだ。首都建設長官としての立場から言わせてもらうならば、一人でも人員が欲しい。しかも元軍人ならなおさらだ。規律訓練が行き届いて体力もあるだろうから一月ほど教育すれば使い物になるだろう。兵下士官は工事現場で力仕事を任せられるし、士官たちの管理能力もあてにできる。また、首都建設を進める最中である程度の技術は身につくし、多くの民間企業と面識を持つ機会ができることもあるだろうから、民間復帰の面でも良い方策であると考える」

「それはそうかもしれませんが、どの程度の期間を首都建設計画のために活用するつもりで?」

「計画完了時までと言いたいが、あくまで民間復帰の一プロセスであり、段階的に、かつ継続的に今後も軍縮を実施していくことを考慮するなら、私見だが二、三年といったところではないか? もし実行するのであれば、民間復帰後のことも考え、君の民政省とも議論して計画を具体化していきたいところだが」

「たしかにそうだとは思いますが……」

 

 エルスハイマーはなにか思うところある様子だったが、対案が思い浮かばずに黙り込んだ。それをみて今度はオスマイヤーが発言する。

 

「内務省としては、憲兵隊や情報部で働いていた経歴のある軍人であれば、警察総局や内国安全保障局の要員として相当数採用できる余地があると思われる。もしそれでかまわないのであれば、そうした方向で省内で検討する用意がある」

 

 昨今の国内情勢からして、警察力の強化が重要になっているからな。そうオスマイヤーは言ったが、それとは別に省内部における問題が脳裏にあった。オスマイヤーにとって省内で恐るべきは尚書の椅子を狙っている内務次官と内国安全保障局長を兼任するハイドリッヒ・ラングである。なぜ恐ろしいかというと、彼は軍務尚書オーベルシュタインの側近として内務省の官僚秩序を乱しているからであるが、もうひとつ理由がある。

 

 それは内国安全保障局にほとんどオスマイヤーが知っている人材がいないことである。なぜならラングが内国安全保障局長に任命されてから自らの人望によって集めた人材が中枢をしめているからであり、大半が元社会秩序局員だからである。強いて言えば、次長のクラウゼと帝都の一件で縁ができて親しくはしているが、省内の主導権争いにおいてどちらかといえばラングの側に立っていることが多いので頼りにならない。

 

 なので軍縮の一環であるという大義名分を掲げて内国安全保障局にそうした人材をねじ込めば、ラングの牙城に風穴を開けることも可能なのではないか。また幸いといっていいのかどうかわからないが、先のヴァルプルギス事件での不祥事で憲兵隊の勢いにやや陰りがでたため、省内における反軍感情が弱まっており、比較的軍の人材を取り込みやすい情勢になってきているという事情もあった。

 

 内務尚書に続いて他の尚書も軍の人材確保に意欲的な方向で議論が盛り上がり始めたが、その論調に我慢ならない尚書が一人いた。だれあろう、財務尚書オイゲン・リヒター氏である。

 

「少しいいかな。私は、なにやら論点がいささかズレてきていると思うのだが」

「どこがです。論点は軍縮の際、除隊した軍人の扱いをどうするかについてで、なにもズレてはいないのでは」

 

 怪訝なベルンハイム男爵の問いに、リヒターは軽い怒気を発して応えた。

 

「軍人から公務員へ衣替えさせてどうするのだ?! 遺憾ながら新王朝開闢以来、国庫が安定する兆しが見えず、財務省としてはこのままではよいのかと頭を抱えたくなっているのが現状なのだ。だというのに軍人でなくなったとはいえ、国費で養うことが変わらないのでは話にならないではないか」

「それはおかしいですね。国庫はまだまだ豊かであると聞き及んでおりますが……」

「ああ、たしかに国庫はいまだ豊かだよ学芸尚書。貴族財産の接収と計画的な資本投下による経済再建、くわえて自由化政策による市場の活性化による好景気による税収の増加によって、国庫はフリードリヒ四世の御代の頃とは比べ物にならないほど豊かだとも」

「では安定しているのではありませんか」

「豊かであることと安定していることは同意義ではないだろう! いくら余裕があるからといって、度重なる出兵による臨時出費がどれだけの額になっているとお思いか?! それにこの好景気も大きく変わった情勢によって引き起こされたに過ぎず、それが当然になっても続く保証はどこにもないのだ! このペースで臨時出費が重なれば、いくら国庫が豊かであると言っても、早晩枯渇するのは目に見えているではないかッ!」

 

 リヒターは閣議の机を拳でドン!と叩いた。

 

「いや、それを抜きにしても、だ。いくら平和だからといっても軍隊が遊んでばかりいるわけではあるまい。軍備の更新や整備、訓練をかかすわけにはいかないだろう。それだけでもけっこうな予算がかかる。と、なるとだ。財務省としては、三〇年内に軍人の数を四〇〇〇万ほどまで減らしてもらいたい。これはあくまで最低限の数字であって、可能ならもっと減らしてもらいたい。また他の省の官僚たちも、元軍人を大量に雇い入れられては人件費からしてバカにならないから、通常予算の範囲内でやりくりできる程度で抑えてもらいたい」

「いくら軍縮といっても減らし過ぎではないか」

「そうだ、三〇〇〇万も減らせば、民衆も不安を感じて動揺するだろう」

 

 幾人かの閣僚がそう声をあげた。これらの発言は彼らからすれば常識的なものであったかもしれない。なにせ、この時代の人間は生まれる前より戦争が続いていた時代に生まれ、つい最近までもそうだったのである。彼らにとっての“常識”はすべて戦時下の中で培われたとはいえ、軍縮を望んでも程度というものがあった。国家財政を司る開明派の領袖リヒターは、それにとらわれることなく疲れ切った表情と声で反論した。

 

「……減らしすぎか。ひとつだけ言っておくが、最悪の場合、三〇年後に国庫が寂しくなってしまったがために、軍縮をしようにも元軍人に故郷までの片道切符と一時金だけ渡して、ろくに再就職支援もできずに放り出すことくらいしかできなくなる可能性があることを留意してほしい。国庫が豊かな今だからこそ、潤沢な予算を使って軍人を民間に戻すことができるのだ。そしてその段階でも軍縮をせずに規模を維持するというのならば、ローエングラム王朝も旧王朝と同じように毎年巨額の軍事費によって財政が苦しいという状況が常態化することになるだろう。それを踏まえた上で、より具体性のある対案があるというのなら、聞かせてもらおうじゃないか」

 

 対案を述べようとする者はだれもいなかった。視界の端でエルスハイマーが大きく頷いているのを確認して、リヒターはため息をつきたい気持ちを必死でこらえた。別にエルスハイマーに文句があるわけではない。物事の本質を掴み、多くの部下を取りまとめ、実際的な政策を遂行する能力は十分閣僚としてふさわしいものである。だが、リヒターとしては、亡き盟友を基準としてしまって、エルスハイマーの温厚さに思うところがあるのだった。

 

 彼の盟友、前民政尚書カール・ブラッケは強硬的で原理主義的な開明派官僚であった。己が正しいと信じた道を全力で突っ走る熱い男。旧王朝時代、自分がなんとか他派の官僚たちと折り合いをつけて、民衆のための政策を実現させようとしていたのに、あの男ときたらいつも一切自重せずに開明政策の必要性を説き、相手のメンツをぶっ壊し、頑固すぎるほど己の意見を全面的に押し通そうとしていたのだ。そのために社会秩序維持局などの治安機関に危険分子扱いされ、何度もマールブルク政治犯収容所にぶち込まれ、その煽りを受けてリヒターも大変なことになるというパターンができていたほどだ。

 

 どうしてあいつはもっと穏健な手法をとって、相手の意見と折り合いをつけつつ話をまとめて、現実的な方法で理想を実現させていくということができないのだろう。現実は実に様々な諸要素によって構成されており、すべてが自分の思い通りにいくはずもない。そんな当たり前のことをどうしてブラッケは自分が毎回言葉を尽くさないとわかってくれないのか。そうした不満をリヒターはずっと抱いてきた。

 

 だが、ブラッケが死んでその不満が見当違いだったと思い知らされたのだ。ブラッケとは真逆な方向に頑固なアンチ・ブラッケどもが世の中には想像以上に多かったという事実に気づかされたのである。ブラッケが一切の妥協なく教条主義的に開明派の理屈を語ればこそ、開明派の力を借りたいと考えていた他派の者たちは“ブラッケが相手では話がまとまることはない”と考え、“もう一人の開明派の領袖”との間になんとか落とし所をつけようと接触してくるのが常だった。だからリヒターは他派官僚との意見調整がスムーズに進めることができ、己の意見を曲げようとしないブラッケの説得に一番時間を使わされてきたのである。

 

 しかしそのブラッケはもうおらず、他派官僚たちが開明政策に否定的なブラッケになってしまったのではないかと思えてしまうほどリヒターは他派官僚との意見調整に苦慮することになっていた。ブラッケという強硬な開明政策の旗振り役がいなくなると、どうやら他の者たちはリヒターですら融通がきかない開明派の頑固者という映るようになってきたらしい。あくまでリヒターの所感ではあるが、近頃、開明政策の推進が思うようにいかなくなることが増えているのは、開明派官僚の数が減ったこと以上に、他派との摩擦が増えすぎたことであるように思えるのだった。

 

 はたしてかつての盟友、カール・ブラッケはそのことを意識して、あえて頑固な開明派、頑迷な原理主義者を演じていたのだろうか。いや、演じていたわけがないな、と、リヒターはかすかに苦笑する。意識してようがしてまいが、ブラッケのあの性格と政治姿勢は、絶対に素であったに違いなく、演技であるはずがないと彼にはわかっていたのである。

 

「財務尚書の意見はもっともであると私は考えるが、軍務尚書はどう思われるか?」

 

 リヒターの主張への反論がないことを確認したマリーンドルフ伯爵はそう言って、軍務尚書の見解を問いただす。

 

「先ほどの繰り返しになるが、軍縮は軍務省のみならず、統帥本部、宇宙艦隊司令部も同意している今後の帝国軍の方針である。その方針に従い、省内や統帥本部で検討が続けられているが、まだ確定された軍縮計画は存在していないので応じられない。しかしながら民政尚書が主張したような、これからの方針を内外に知らしめるための数十万単位の即時軍縮であれば、軍務省としても協力できるだろう。現時点ではそれ以上には応じることは不可能だ」

 

 その程度の数であれば、安全な人間を中心に除隊させ、疑わしい人物のみ監視させることで安全を確保できるだろう。オーベルシュタインはそのように考えていたのかもしれない。この時期、軍務省内で軍縮が大きな課題として扱われていたのは確かではあるが、それ以上に重要な問題として考えられていたのが“粛軍”である。

 

 軍縮と何が違うのかという疑問に思うかもしれないが、粛軍は軍内部における危険分子を特定して排除することであると考えるとわかりやすいかもしれない。現役帝国軍人だった地球教徒の一団がヤン・ウェンリーを暗殺した事件以来、帝国軍首脳部は軍内に地球教徒をはじめとした反帝国勢力の手先が紛れ込んでいる疑いを抱いていたのである。

 

 そうした疑いを前提に考えると、帝国軍の大規模軍縮はたとえ除隊後の再就職支援が盤石でも大きな懸念を孕まざるを得ない。たとえ除隊後の待遇がどのようなものであろうと一顧だにせず、少なからぬ数の退役軍人がひとつの思想の下に自発的に結集し、帝国軍で学んだ軍事知識を生かした“新たな軍隊”を構築して帝国に歯向かってくるのではないか。そこまでいかなくても強力なテロ集団になってしまうのではないか。そうした懸念を、である。

 

 それは後世の視点から見れば、いささか地球教に対する過大評価が過ぎるように思われるのだが、軍の統制に相応の自信を持っていた帝国軍首脳にとって、自分たちの知らぬ間に帝国軍部隊の一部が地球教に掌握され、その部隊によるヤン暗殺の策動の気配を事前に察知すらできなかったことは衝撃的であり、その衝撃を元に考えると充分に現実味がある話に思え、慎重な捜査で実態を把握をするまで可能な限りに軍に縛り付けておきたいというのが本音であったろう。

 

 しかしそうした懸念をオーベルシュタインは他の省庁とは共有しようとはしなかった。それは彼の秘密主義によるものもあったろうが、軍首脳の対象に気取られないよう粛軍を秘密裏に進めたいという考えからすると、軍首脳以外と疑いを共有するのは情報漏洩の可能性をも高めるので、危険であるという意識もあったかもしれない。

 

「軍務省による軍縮計画の完成がいつ頃になるか具体的に確約してもらえないだろうか。そうした保障がなければ、財務省としては本当に軍縮をするのかと不安を禁じ得ない」

「まだ草案段階であるため、無責任なことは言えぬ。だが、軍縮が軍全体の一致した方針であることは皇帝陛下も承知しておられる。それが保障にはならぬかな」

「…………なるほど」

 

 皇帝の権威を利用した発言に、リヒターは納得したわけではないにしろ、ひとまずは引き下がった。不安が完全に消え去ったわけではないが、ラインハルトの潔癖さからして、このまま軍縮の実施されるまでの時間がズルズルと長引き、取り返しのつかないところまでいく可能性はごく低いと考えた。そして、万一、その可能性が現実化したのならば、リヒターも己の信じる理念の為に現在の地位を捨てて独自に動かなくてはならぬだろう。ブラッケが最初から危惧していた可能性に備えなくてはならぬわけだ。

 

「では、軍縮について、当面の合意を見たとみてよろしいか」

 

 マリーンドルフ伯爵の問いかけに、閣僚全員が「異議なし」と唱え、ひとまず軍縮にかんする議題は決着をみた。書記官長のマインホフが書類に議論の概要を書き記し終え、それが終わると次の議題にかかわる資料を閣僚に配るように部下に指示した後、発言した。

 

「次の議題は、代理総督府から提案されたフェザーンの統治機構統合案についてです」

 



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閣議③

いろいろ別のことに時間使いすぎてたせいで、もう大晦日。10月頃には更新するつもりだったのに


「統合案? 書記官長、それって本当に代理総督府から出た提案なのか」

「ええ、そう伺っておりますが、そうですよね?」

「ああそうだ。ボルテック代理総督から直接私のところに持ってきた提案だ」

「へぇ……」

 

 マリーンドルフ伯爵の断言に、シルヴァーベルヒはかすかに目を細めた。ボルテックが自己の影響力を守るために、代理総督府の維持にどれほど固執していたか、正面からフェザーンの統治権を巡って対立していたシルヴァーベルヒはよく知っていたからである。だからボルテック自身がフェザーンの統治機構を統合することを提案するのは少々意外な展開ではあった。

 

 とはいえ驚くほどのことでもない。大方、ボルテックが遷都が実現化したことによって形勢の不利を渋々だが受け入れ、あえてフェザーン統治体系の再編に協力することによって、自己の立場と影響力を帝国内に残そうと動いたと考えれば、予想の範囲内の展開ともいえる。となれば、ボルテックの提案にはそれとなく彼にとって有利な内容を含めているに違いない。そう考えながらシルヴァーベルヒは渡された書類に目をおとした。

 

 代理総督府の提案は以下のようなものであった。フェザーンにおける惑星行政は、現状では工部省、内務省、代理総督府を中心に多くの部署によって権限が分断されており、大変非効率的なことになっている。特に治安を担当する警察機構が数多あることは問題で、指揮系統が統一されていないばかりか、縄張り意識から陰湿な対立関係が生じ、相互協力どころか情報共有すらままならない状況に陥っており、これは元自治領主ルビンスキーを筆頭にした独立派活動家やテロリストの類の地下潜伏を助けてやっているようなものであり、早期改善が求められる。

 

 しかしながら、フェザーンが名実ともに帝国領になってから一年と少ししか経過しておらず、いまだ帝国の直接支配に抵抗を覚えるフェザーン人が少なからず存在する。そうであるからには、中央政府の強い統制下で惑星行政府という形で統治機構を統合してしまうと、帝国支配を現在受け入れている者たちも反発から少なからず独立派へと転向してしまい、帝国のフェザーン支配それじたいが不安定化する危険性は高く、現状からいえばフェザーンの民意を無視することは良策とはいえない。

 

 よって、その民意を考慮した上で、代理総督府としてはフェザーン人自ら政治運営に関わらせる必要があると考える。しかしそれはなにもフェザーン民衆に政治参加させよという意味ではない。フェザーン人が政治に望むのは、フェザーンにとって今まで通りの経済活動を続けられる環境をつくり維持する役割であり、生まれた時からある自分たちの正統な権利もこれからも維持されるという確かな保証であって、それ以上のことを多くのフェザーンの大衆は自治領時代から欲していないからだ。そんな彼らが自分たちの統治者に望んでいる資質は、大きくふたつに分けることができる。ひとつは指導者はたしかな実績を残している人物であること、そしてフェザーンの常識を理解していることである。

 

 その二つの資質を考える時、やはり自治領時代の手法を模倣するのが一番効果的方策である。すなわち、長老会議を復活させ、彼らにフェザーンの代表者を選出・罷免する権限を与え、その代表者を惑星行政府の首長として、彼の下に惑星行政の権限を集中させるのだ。しかしながら長老会議の議員の選出方法については、一考を要する。自治領時代と同じように政財界の重鎮並びに要職経験者としてしまえば、帝国にとって望ましくない人材(元ルビンスキー派高官等)も要職経験者として議員にせざるを得ないし、それを回避するために政財界の重鎮のみとしてしまうと、今度は長老会議の議員の過半が政治的有力者であるところの帝国人ということになりかねず、かえって民衆の不信と敵意を買うであろう。不平派やそれに近しい思考のフェザーン人は、現在の帝国首脳部の指導者としての資質は認めても、所詮は帝国人でありフェザーンの常識を理解できているのかと疑念を抱いているのである。その疑念こそが、帝国による直接支配への反発につながっているのだから、彼らのそうした疑念を解消させるものでなくては長老会議を復活させたところで意味がないのだ。

 

 では、どうするべきであろうか。手っ取り早いのは長老会議の議員を“非帝国系の政財界の重鎮に限る”ということにすることだが、これでは逆差別につながりかねないし、帝国首都惑星として惑星フェザーンを運営していく上で問題だらけであろう。そこで提案するのだが長老会議の議員は、フェザーンの民意を尊重し考慮して帝国政府が指名するという形式をとってはどうだろうか。また議員の役割が民衆の不満を行政府に伝えるパイプ役であることを思えば、長老会議の指定数より多い候補を帝国政府が指名した上で、民衆にどの候補を長老会議の議員にすべきか投票させるという方策も、ひとつの案として考えられる。こうした形式であるならば、帝国人もフェザーンの常識を理解できていると知れ渡った将来、惑星行政の最高責任者を帝国人をつけることも自然な形でできるであろう。

 

 代理総督府からの提案書を読み終えた閣僚の多くが困惑した。それは実効性に問題があると考えられたからではなく、もっと根本的な部分で引っかかる部分があったのだ。たしかにこれは帝国のフェザーン支配効率化だけを考えるのであれば、有意義な提案であるのかもしれないが……。

 

「書記官長、工部尚書と同じ質問になってしまうが、本当にボルテック代理総督が直接あなたのところに持ってきた提案で間違いないのだな?」

「ええ、そうです」

「……そうか、宮内尚書、この提案をどう思う?」

 

 自分の意見を聞かれると思っていなかったベルンハイム男爵は動揺し、声音を震わせながらも正直な感想を述べた。

 

「そ、そうですね。なんといいますか、ずいぶんと、その、過激な提案であると、そう思います」

「過激? なるほど、卿のような男でさえ、そう感じるか」

 

 よく考えると学芸尚書ヘムプフの発言は失礼なものであったかもしれないが、ベルンハイムはそれに気づかなかった。そして他の閣僚たちも、だいたいにおいてヘムプフと同意見であったため、あえてそれを指摘しようとはしなかった。

 

 彼らがなぜ過激と思うのか? それはいくらなんでも提案内容に民主主義的要素が濃すぎると受け取ったからである。表向き、自治領時代の制度を復活させることを謳っているが、内実に目を向けると自治領時代より遥かに“民意”を重視したものへと変貌してしまっている。特にひとつの案として語られている、民衆にどの候補を長老会議のメンバーにすべきか投票により決してはどうかなど、民主国家の選挙とほぼ同意義ではないか。

 

 別に民主主義を全否定するほど、帝国の閣僚たちは狭量な思想の持ち主ではない。異なる政治思想によって誕生した制度であろうとも、それが優れたものであり、国家の安定と繁栄につながるのならば、それを導入することをためらうことはない。事実、ローエングラム王朝は旧銀河連邦はもとより、彼らが滅ぼした自由惑星同盟の制度の中で有益と判断されたものを改良した上でいくらか取り込んでいる。だが、それでも首都惑星の統治に民主主義思想の核心的制度――議会主義や選挙など――を導入するのはいくらなんでも過激に思われる。将来的にはともかく、この微妙な時期にそれをしてしまえば、フェザーンはもとより、もともと民主国家だった新領土の住民の鬱屈した感情と結びついて、どのような化学反応が起きるか未知数であり、危険すぎる。

 

「……共和派とボルテックが共同戦線を組んでいる証拠だろうね、これは」

 

 オイゲン・リヒターが困ったようにため息をつく。いまや開明派唯一の領袖となった彼にとって、これは嬉しくない展開であった。ブラッケを筆頭とした少なくない開明派官僚の死と復権した旧時代の高級官僚で構成される保守派官僚の台頭によって、勢力的には開明派はいささか苦しい立場に置かれている。もちろん、開明派が皇帝と深いつながりがあることは周知のことであるから、保守派も表立っては開明政策を表立って批判しようとはしない。だが、好ましく思ってないことは明らかで、あの手この手でもっともらしい理屈をつくってきては、改革を阻止しないまでもスローダウンさせようとしてくるのであった。

 

 だから苦肉の策として開明派は共和派と協調することが増えていた。後世、いくらかの人間から誤解されたことであるが、開明派は決して民主共和思想と歩む道を同じくしているわけではないのだ。彼らが民衆の権利を擁護し、その力を育てるのは、民衆の政治参加を促すためではなく、そっちのほうが国家繁栄につながると信じているからであり、あくまで専制主義の枠内における開明思想なのであって、皇帝の存在は当然許容されるべきだし、旧来の貴族制度についても多くの特権を抜本的に見直し、改革する必要があると訴えつつも、決して否定していたわけではない。

 

 というより、もしそんな帝国の国体そのものを全否定するような危険思想を公言するような思想を唱える派閥であったのであれば、いくら貴族に対して非常に甘いところがあったゴールデンバウム王朝といえども、国家の威信にかけて思想犯認定してこれを抹殺しようとしたはずである。ゆえに民衆個々人の意思表明によって自らの統治者を選任するとか、どのような少数意見であろうとも尊重して政治に可能な限り反映すべきであるとか、そういった要素は開明派に含まれているわけではないのだ。統治者は民衆人気より、実力の方が重視されるべきであるし、実力があるならより多くの人間の望みを叶えることができ、彼らを繁栄と幸福へと導ける。それが開明派の思想の根幹なのだ。

 

 それでも民衆の権利を強化するという点において、開明派と共和派の利害は一致しており、両者は協力関係を築こうと接近しつつあったのだ。これは双方に利益があることでもあった。開明派からすれば、保守派の動きを妨害する道具として共和派を活用でき、共和派からすれば、現時点における最有力官僚派閥である開明派とコネクションを開拓して政策立案に大きく参画することができるというわけだ。

 

 だが、共和派は開明派だけでは飽き足らず、ボルテックのフェザーン内部の不平派とも接近を試みていたようだ。いや、彼らからすれば、自らの理念に徹頭徹尾忠実なだけで、帝国首都をまず民主化することこそ、帝国全土を民主化する第一歩である、と、考えているのかもしれないが。

 

「こんなもの飲めるはずがないでしょう」

 

 シルヴァーベルヒは即座に切り捨てた。現在進行形で行われているフェザーンの帝国首都化は、工部省の強権があってこそ推し進めることができている。なのに民主的に選ばれた長老会議の監督を受けながらしかフェザーン統治ができなくなってくると、煩わしさが桁違いになってくる。なにせ、いまだに不平派は四割近い支持を得ているので、自然、それだけの数の不平派人士が長老会議のメンバーとなり、帝国政府の強権的運営に難癖をつけてくるに違いないのだから。

 

「工部尚書のおっしゃる通りですが、共和派はどういう意図をもってこれをボルテックに提案させるように仕向けたのでしょう?」

 

 エルスマイヤーは腕を組んで考え込んだ。ボルテックにしても無能な男ではない。こんな提案をしてもおよそ受け入れられないことくらい事前にわかったことだろう。そのあたりに釈然としないものを感じたのである。支持者の手前に否認されることを承知の上で提案したという可能性も考えないではなかったが、その場合、なんで共和派の思想を色濃く出すのかという話になってくる。

 

「ボルテックや共和派、というよりは、トリューニヒト高等参事官が中心になって作成した提案であるらしいと聞いている」

 

 その発言に閣僚たちは一斉に義眼の軍務尚書へと視線を向けた。

 

「……失礼ながら、軍務尚書閣下はどこでその情報を? 私はラングからなにも聞いていないのですが」

「私もラングからは聞いていない。報告をあげてきたのは憲兵隊だ。彼が帝国に生命と財産の安全を求めて亡命してきて以来、憲兵隊がその警護にあたっているのでな。なにせ経歴が経歴だ。彼を憎むものは多かろう」

 

 オーベルシュタインの声音はいつもどおり平坦なものであり、皮肉を言ってるようでもなかった。だが、そこになんからかの感情がまじっていやしないかとオスマイヤーは勘ぐった。しかし血の気が薄く人間味を感じさせない軍務尚書の鉄面皮はまったくいつも通りであることが確認できたこともあって、単に事実を羅列しただけであったかもしれないとも思い直した。

 

「またヨブ・トリューニヒトですか、彼の帝国への貢献ぶりは実に大したものですな。もともと経歴から考えて相応の才覚があるだろうとは思っておりましたが、これほどとは正直予想外なところがあります。皆様も同意見かと思いますが……」

 

 マインホフ内閣書記官長はトリューニヒトを評価するように言ったが、その口調と態度はおよそ好意的とはいえず、むしろ嫌悪と反感の色が強いものであった。そして他の閣僚たちも特にそれを咎めることもなく、むしろ同意するように深く頷いた。それは誠実な良識家である国務尚書とて例外ではなかった。

 

 これは当時の帝国上層部の気質からいえば奇妙なことではあった。彼らは出身や経歴によらず、帝国のために貢献を成した者、あるいは敵対していても有能な相手に対して、賞賛することを躊躇わぬ気風があった。しかしトリューニヒトは今までの経歴が経歴であるだけに、彼に嫌悪の感情を抱いていない帝国の要人は皆無、と、まではいかなくても、限りなくそれに近かった。

 

 というのも、トリューニヒトは元々同盟の政治家であったからだ。いや、それだけであったというのなら大した問題ではない。ローエングラム王朝成立以来、帝国にとって有為な同盟の人材を確保することは帝国の重要な国家方針のひとつであるといってよかったからだ。なぜならバーラトの和約で併合した旧同盟領を安定して統治するために現地の情勢に通じている人材が必要であったし、さらにいえば当時から同盟全域を将来的に完全併呑する予定であったから、尚のこと人材が必要であった。

 

 そして現在、帝国は当初の予定を大幅に前倒しにして同盟を併呑してしまったこともあり、同盟の優秀な人材を確保することはかなり切実な国家運営上の課題となっているといっていい。その意味からいえば、トリューニヒトは帝国の国家方針上からいえば非常に有益な人材であるはずであったのだが、軍務尚書の表現を借りれば“経歴が経歴”なのであった。

 

 トリューニヒトは旧同盟政界においては、一環して反帝国の主戦派の立場をとっており、主張の過激さと政治闘争の手腕、そして巧みな保身術を駆使して末期同盟で国家元首職である最高評議会議長として君臨した男なのである。しかもエルウィン・ヨーゼフ二世の亡命とレムシャイド伯が率いる銀河帝国正統政府の設置を認め、当時帝国宰相であったラインハルトに対して共存することなど不可能であり、ゴールデンバウム王家のほうがマシであると主張した人物なのである。

 

 しかもそんな人間でありながら、帝国軍の大侵攻という危機に際して職務放棄を決め込み、一身上の保身を図っていた。それでいて、同盟を即座に降伏に追い込む必要が生じたために、帝国軍が降伏すれば政治指導者の責任を追及することはなく、助命を約束すると宣言するといけしゃあしゃあと再び最高評議会議長として戦争指導会議に顔を出し、議長に与えられた権力と非常時の権利を巧みに使いこなして“早急かつ合法的に”全面降伏へと国家意思を導いたのである。そして降伏が実施されてから数日もせぬうちに“身の安全を求めて”帝国への亡命を打診し、帝国は助命するといった以上受け入れないわけにもいかず、トリューニヒトが帝国人となることを承認した。

 

 これだけならただ単に恥知らずな人間ですませることもできただろう。だが、亡命後もトリューニヒトは政治活動を諦める気はさらさらなかったらしく、強力に猟官運動を展開した。しかも、その過程において、常に帝国の利益となるように計算して。特にキュンメル事件、あるいは先の帝都叛乱事件などにおけるトリューニヒトの功績は否定しようにもできないほど大きいものであった。

 

 実力主義を標榜するローエングラム王朝である。これほど帝国への貢献を果たし、しかも本人の熱意は溢れんばかりという人間を冷遇するというのは政治的に不可能であった。特にこの場合、トリューニヒトが厚顔無恥な行動より、有能なのに同盟出身だから冷遇されていると受け取られかねない恐れがあり、トリューニヒトになんらかの地位を帝国は与える必要に迫られた。

 

 皇帝ラインハルトとしては、彼をどこぞの辺境開拓事務の責任者なり、あるいは辛辣な意趣返しとして新領土総督府の高官としてトリューニヒトに里帰りさせようとしたかもしれない。だが、憲兵総監ケスラーからの推薦状――推薦状というより、トリューニヒトは危険なので近場において監視すべきという忠告文という趣が濃かった――を読み、彼はトリューニヒトにフェザーン代理総督府高等参事官という地位をあたえた。

 

 ラインハルトの意図としては、ケスラーの進言にあったように首都圏であって監視がしやすいことに加え、形の上では帝国の味方ではあるが、国家戦略上排除したいボルテック代理総督との間に権力闘争を起こさせ、それによって不平派の勢力を削ぎ、フェザーンの帝国首都化を加速させたいという思惑あってのことだった。純粋な帝国人であればフェザーン人が反発するかもしれないが、同盟出身のトリューニヒトなら代理総督府に押し込んでも反発の宥めようはある……。

 

「なのにどういうわけか、トリューニヒトはボルテックの信頼を得てしまったのだよな……」

 

 シルヴァーベルヒが皮肉気に嘆息した。いったいどのような手管を用いたのか、トリューニヒトはよそ者であり、しかも皇帝の勅任を被った怪しい身の上でありながら、代理総督ボルテックの信頼を勝ち取り、彼の腹心的補佐役におさまってしまったのである。しかも明確な帝国の敵であるフェザーン独立派の摘発に積極的姿勢をとり、相応の成果を残してしまったのである。 

 

 さすがにこうなっては帝国首脳部もトリューニヒトに文句をつけるわけにはいかない。いくら不平派に打撃を与えることを目的としてトリューニヒトを送り込んだとはいえ、建前としては高等参事官として代理総督を補佐し、フェザーンの民政に貢献するというのがトリューニヒトの使命なのだ。できるわけがないという計算したからこその人事であったのだが、その計算が狂って建前を完遂されてしまった以上批判できる余地がなく、むしろ賞賛すべき功績になってしまった。皇帝ラインハルトは内心の嫌悪と不満を押し殺し、トリューニヒトの存在を許容するよりほかになくなってしまったのだ。

 

 この一件を機に、ラインハルトはトリューニヒトをただの厚顔無恥な政治屋とはとても認識できなくなり、ケスラーの警告を軽く考えた自分の不覚を恥じ、危険人物として意識して警戒している。そうした主君の認識は、当然のように内閣も共有するところとなっていたのであった。あの男、良くも悪くも尋常な人間ではない、と。

 

「……この提案、いっそう不気味に思えてきましたな」

 

 オスマイヤーが全閣僚の心情を代弁するかのごとくにそう呟いた。トリューニヒトにどのような思惑があろうとも、少なくとも現状受け入れることができる提案ではなかったため公式に代理総督府からの統治機構統合案は却下された。またこれに関連して、マインホフはトリューニヒトの警備要員を増やすことを発議したが、あまりあからさまにすると警戒されて尻尾を掴むことなどできないとオーベルシュタインの反論に退けられ、実現することはなかった。

 

 




トリューニヒトについては他二次でも色々考察されており、善人だったり小物だったり保身の怪物だったりと唸らされる解釈も多いですが、やっぱ妖怪的存在であってほしいと思う。


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園遊会

……最近更新ペースがどんどん落ちている気がする


 その日、ゲオルグは新聞記者ラルド・エステルグレーンの偽装を利用して宮内省主催の園遊会に参加していた。マスコミ関係の人間がこうした催しに参加するのはゴールデンバウム王朝の時代からよくあることであった。というのも、このような有力者が集まる場はマスコミにとってはネタの宝庫であるし、公開しては問題のある発言などがでると貴族たちが直接マスコミに口止めすることが可能であり、双方にとって実に都合が良かったからである。もっとも、現在は言論の自由を認めている関係上、口止めされる可能性は限りなく低くなっている。

 

 後世においてローエングラム王朝の世において、園遊会を筆頭に、旧王朝の虚栄の象徴であった舞踏会や狩猟会などはなくなったと一般的に思われがちであるが、こういった催しは程度さえ弁えているのであれば国家体制維持の観点から有益なのだ。いや、そもそも貴族制度そのものも、いくつかの前提条件を満たしているのであれば、専制主義の観点から考えるとそれほど悪い制度でもないのである。

 

 というのも貴族制度というのは、階級による連帯意識を育むものであるから、軍人や官僚が所属部署から見える景色しか見えない視野狭窄と所属部署の利益のみにこだわる傾向、いわゆるセクト主義とか部局割拠主義などと呼ばれる現象を抑え、各部署間の風通しをよくする効果が期待できるのである。なぜなら彼らは何者であるより先に貴族であるのだから、他の部署に所属する身内にさほど抵抗なく相談することができるのだから。

 

 加えて、貴族というのは生まれながらにして相応に出世することが約束されているため、出世のために無茶をする必要がなく、彼らの行動原理は自然と現在の地位と特権を守ること、ひいては現在の国家体制を維持することに繋がる。銀河帝国の開祖ルドルフはこの利点をよく理解しており、自らを支える重臣たちに軍人や官僚である前に貴族であれと説き、そして大いなる成功をおさめていたといえよう。でなくして、ルドルフ没後に発生した共和主義者の大反乱において、帝国宰相ノイエ・シュタウフェン公ヨアヒムの下に貴族階級が団結し、これをたやすく鎮圧することは不可能であったろう。

 

 だが、ゴールデンバウム王朝末期において、こうした機能は大きく失われてしまっていた。それはルドルフが作った貴族制度の完成度が素晴らしいものであったが故、もしくは大きな問題が生じていた時に限って名君や有能な忠臣がその問題点を改善して貴族制度を補強することに成功していたため、末期の大貴族たちが貴族制度が存続するための前提条件を忘れ去ってしまっていたからであろう。

 

 貴族制度というのは、皇帝や貴族と臣民との上下関係、“縦の関係”は揺るがぬほどに強固であらねばならないというのが絶対の前提条件なのである。これが達成できていないのであれば、いくら貴族同士の“横の関係”が強くても、部下たちが従わないのだから何の意味もない。この点に関し、貴族制度創始期のルドルフ大帝とその臣下たちは最高度に気を配っており、時に慈悲を施して忠誠心を育み、時に虐殺による恐怖を用いて人類に身分階級の絶対性を叩き込むのに多大な労力を払った。

 

 しかしゴールデンバウム王朝末期の大貴族の大半が、その前提条件を弁えておらず、少なくない平民が皇帝や貴族について密かに陰口を叩くのが常態化してしまっている危険な兆候を見逃していた。“縦の関係”というのは別に気に病まずとも維持されると盲信してしまっていたと言っても良い。その危険な兆候を問題視していた大貴族はリヒテンラーデ公爵など数少ない者たちだけであったことだろう。

 

 現在帝冠を被っている黄金の覇者は、当時からこの問題点を十二分に理解しており、末期貴族階級の弱点をえぐるように平民大衆の支持を獲得してゆき自己の立場を強化していったのである。それでも貴族たちが大同団結した場合の脅威については一応警戒していたが、長い歴史の中で貴族たちの血縁や利害が複雑に絡み合って妥協点を見いだすことが不可能なほどに当時の二大貴族であるブラウンシュヴァイク公とリッテンハイム侯は対立してしまっていて、リップシュタット戦役において危険意識から両者が手を組んで貴族連合が成立しても、ちょっとした裏工作でかりそめの団結を簡単に打ち崩すことができるお粗末ぶりを発揮していたため、貴族制度そのものが問題しかないシステムであるという印象を当時と後世に強く残すこととなった。

 

 だが、貴族制度が半ば機能不全を起こしていても、“横の関係”の強化という意義は末期でも一定以上は機能していたため、貴族たちが権力の座から追われた後、独裁的権力を獲得したラインハルトは多忙を極めることになった。帝国改革の青写真を思い描ける人材が少なすぎたのもあるが、ラインハルトの支持者の多くが平民や下級貴族であり、それぞれの部署の専門家であって、“縦の関係”に心配はなくても、“横の関係”は非常に怪しいものであったから、皇帝とその側近は各部署が視野狭窄に陥らぬよう頻繁に指示を出さなくてはならなかった。それこそ、ラインハルトが遠征中ですら国内政治に関して少なくない指示を飛ばさなくてはならないほどに。

 

 ゆえに初期のローエングラム王朝において貴族制度に変わる“横の関係”を構築することは必要不可欠なことであり、各部署の高官を集め、親睦を深めさせるべく、園遊会や舞踏会は少なからず開かれていた。もっとも、旧王朝時代に比べれば非常にささやかな規模のものではあったが。

 

「しかし名目だけでも皇帝主催ということにすべきではないのかな。おかげでまた宮内尚書が悪く言われることだろう」

 

 二十数人ほどの出席者に対して偽装である新聞記者としての取材と情報収集を兼ねた談笑を交えながら、クラウゼをはじめとする秘密組織のメンバーと接触して、後の騒乱に紛れてかつての盟友と再開する手はずを整えたゲオルグは、少し体を休めるために会場脇にあった長椅子に座り思わずそう呟いた。何故なのか知らないが、重大な式典を除いて、日常的なパーティのような催しをラインハルトが主催することはほぼない。大抵の場合、宮内尚書のベルンハイム男爵か国務尚書のマリーンドルフ伯爵が主催者ということになっているのである。

 

 やはりこのような行事は、旧王朝の悪弊であるという平民たちの感情論を鑑み、自身の平民の味方というイメージを守るためであろうか。実際のところはというと、ラインハルトにその手の知識があまりないため、こうしたパーティに関する細やかな知識を有している貴族閣僚に任せているのが実情なのであるが、ゲオルグはそこまでは察することができなかった。これは視点の問題であろう。民衆に紛れている都合上、彼の考える民衆の愚かさを感じる機会が多く、ゲオルグはついそれにあわせて考えてしまっているのだった。もし警視総監としての地位を保っていたのであれば、その実情を正確に察することができたかもしれない。

 

 ゲオルグが最近読んだ流行の大衆小説において、こんな描写があった。貴族たちによる社交パーティ! 男たちはピシャッとした礼服をカッコよく着こなし、女たちは絹のドレスを身にまとい、真珠の髪飾り、サファイアやエメラルドのブローチをつけ、美しく着飾る。そしてクリスタル・シャンデリアで照らされた大広間に彼らは集まり、貴族たちは自分の出で立ちを自慢し、そして様々な歓談をして、各所で人々に気品ある笑みがこぼれる。喉が渇いたら最高級のシャンパンが入ったグラスを傾け、小腹が空いたら一流のパティシエが作った菓子をついばむ。こうしたパーティは貴族たちにとっての日常にして娯楽。こうしたパーティの中で様々な喜劇が催され、ありふれた恋物語や愚かしい馬鹿話が数え切れぬほど生み出された。

 

 一方その頃、パーティ会場からそんなに離れていない市街地で、とある一家の夫婦が慟哭の涙を流していた。息子の名誉の戦死をこの地域の兵役担当役人から知らされたからだ。この夫婦には四人の息子がいたのだが、すでに三人とも徴兵されて戦場で死んでおり、今回戦死したと知らされたのは最後に残った末息子であった。父親は悲憤にかられて目の前の役人の襟元を掴み、殺意を隠そうともせず睨みつけた。自分の息子たちの徴兵を伝え、戦死を告げに来たのはすべて目の前の役人であったから、父親にはその役人が死神か悪魔のように思えたのだ。

 

 しかし当の兵役担当役人はというと、やるせない表情を浮かべ、激情を必死に押し殺したような平坦な声でこう言った。自分がどんな思いであなた方に息子の戦死を告げに来たと思っているのだ。できれば、最後の息子が死んだなんて軍からの情報、あなた方に伝えたくなかったのだ。それでも握りつぶさずに報告をしにきたのだ。そう言われて父親は怒りの向けどころを失い、無力感から人目も憚らずに泣き崩れ、常にない夫の姿に妻は気丈に慰めようとしたが、あまりの涙声で彼女の言葉は聞き取れそうにもなく。そんな老夫婦の様子を見て、役人は虚無感を抱きながら内心呟く。こんな夫婦の光景を見るの、これで何度目だ、と。

 

 そしてその瞬間すら、その場所から数千光年へだてた漆黒の宇宙において、悲劇は量産されていた。自由惑星同盟を僭称する叛乱軍との戦闘において、帝国軍の兵士たちは傷つき倒れ、死の恐怖におののき、そして何割かがヴァルハラへと旅たっていた。彼らも家庭にあっては善き父であり、兄であり、弟であり、善き恋人であったことだろう。しかしそのほとんどが平民であり、貴族は数える程しかいない。貴族たちは特権によって優先的に士官となれたので、兵士になる必要などなく、前線にいても比較的安全な場所にいた。自分たちは貴族だし、指揮官なのだから、平民兵士とは生命の価値が違うのだというのが、比較的安全な場所にいることを正当化させていた。

 

 ゆえに貴族の戦死率は平民に比べて低くなるのは当たり前だった。貴族たちにとって戦争とは、例えるならば、ダイスを五個ほど空中に放り投げ、すべての出目が赤い一の目だったら死んでしまうという、ちょっと危険なギャンブルにすぎなかった。いや、そんな貴族たちでさえ、まだマシな部類であった。本当の大貴族、門閥貴族の高級軍人は前線にすら出ず、絶対安全な後方でワイングラスを片手に戦争計画を立案し、敗北したら現場の無能さを罵り、勝利すれば自分の有能さを自画自賛し、現場の頑張りをほとんど無視した。

 

 そのような貴族軍人たちが、休暇を得て貴族たちのパーティに参加すると、たいてい自分の武勇譚を得意げに語り、こう主張する。不逞な共和主義者たちを倒すために、より一層戦争のために頑張らなくてはならない。もっと兵士たちの数が必要だ。そして兵士たちの頑張りが必要だ。皇帝陛下の御為に、我々はあらゆる努力を尽くす必要がある。そんな男たちの勇ましい主張に、女たちは感激し、貴族たちは一致して戦争を推進した。しかし努力といっても、貴族たちが払う戦争努力というのは、いつも些細なものだった。一番努力と献身を求められたのは常に平民たちであって、本当の戦場の凄惨さを知らない貴族たちは、一回開くだけで並みの惑星行政の予算一年分に匹敵する費用がかかるパーティを呆れることなく開き続ける。

 

 そんな現実離れした“城壁の奥の平和”を謳歌していたのが貴族社会であり、そんなぬるま湯で育った貴族たちが帝国を支配していたのがゴールデンバウム王朝という時代であり、ほんのつい最近まで続いていた滑稽で悲惨な歴史的事実である、などというのが主な内容であった。

 

 ……あえて、全否定はすまい。各所の描写に貴族に対する悪意と偏見があるにしても、大枠において間違ってはいないし、自分を含め多くの貴族が戦争をどこか他人事のように捉える傾向があったのも事実ではある。だが、そうした点を認めた上で、かすかな苛立ちと、その苛立ちをかき消してしまうほどの想像力の貧困さへの嘲笑が、ゲオルグの心中に込み上げてきたものだ。

 

 貴族たちが優先的に士官になれるのは、義務の範疇として士官教育を受られる環境にあるというだけのことであって、別に差別ではあるまい。とはいえ、あくまで知識として理解していても、実践で使えるかというのはまた別の話であるから、士官学校を出ていない貴族士官が無能である確率は高くはあった。自分だって、一応、貴族として軍将校の階級を持ってはいたが、本職の将校と同じくらい活躍できるなどと自惚れた認識はしてない。だが、それでもなんの士官教育も受けていない徴兵された平民に比べれば、まだ士官として役に立つことは確かだろうに。

 

 そしてなによりゲオルグを笑わせてくれたのが、貴族が“城壁の奥の平和”を謳歌していたなどという表現だ。つまり小説の表現を借りるのであれば、ゴールデンバウム王朝時代の平民たちにとっては、慕っていた叔父に謀殺されそうになり、母親が巻き込まれて犠牲となり、臆病な父親から恐怖ゆえに見捨てられ、一〇代にして次期当主の座を巡って謀略合戦を繰り広げる羽目になったとある有力貴族子弟の人生程度、“ぬるま湯”にすぎぬものであるらしい。平民たちは、なんという強靭な精神を持っていたのだろうか。もし本当にそうなのならば、弱肉強食の信念に燃えていたルドルフ大帝も臣民たちの精神的強者ぶりにヴァルハラで満面の笑みを浮かべておられるに違いないし、当時自分がそんな認識を持てていたならば、喜んでその辺の平民と入れ替わりたがったことだろう。

 

 とどのつまり、隣の芝生は青く見えるというだけのことだったのだろうな。それが小説読後の感想だった。ゲオルグは自分の人生が貴族の中では少し極端な例であるとは思っていたが、それでも似たような例は貴族社会にはゴロゴロと転がっていたに違いないと確信していた。あまり世間に流布しなかったのはそれが醜聞に属するものだから、どこの家も必死に隠そうとしたからにすぎないだろう。仮にそうではないのだとすれば、帝国の有力貴族というやつは、ずいぶんとまあ、不自然な“事故死”や“病死”で人生の幕を下ろす輩が多いことよ。

 

 ……もっとも、そこからさらに一歩進んで思考すれば、貴族が特権を守ることそのものが大変な環境になってしまったことこそが、ラインハルトという英雄の台頭してきたこと以上に、ゴールデンバウム王朝が滅んでしまった原因やもしれぬと思いもゲオルグはするのであるが。

 

 目的も果たしたことだし、そろそろお暇しようかと思って長椅子から腰をあげたところで、ある人物が目に入った。今をときめくフェザーン代理総督府高等参事官ヨブ・トリューニヒトである。彼はマスコミ関係のものたちにとっては非常においしい話題の宝庫であるためか、幾人もの記者に話しかけられている。一部の記者から殺気のようなものが滲み出ているように感じるが、決して気のせいではあるまい。

 

 ゲオルグはあの男についてあまりちゃんと分析ができていない。理性的に考えれば、自由惑星同盟の元首をしていた頃はともかくとして、現在は他人の都合のいいように操られているだけの道具であろう。しかし、それだけではすまない、なにかがあるようにゲオルグには感じられていた。なぜかというと、本当にただの道具なのであれば、切り捨てられていてもおかしくはないだろうと思える窮地に何度かこの男は立っているのに、未だに生き残っているからというものに過ぎないのであるのだが……。

 

 少し興味を持って、ゲオルグはトリューニヒトを囲む記者たちの輪に加わった。その時、ちょうどトリューニヒトに質問をしていたのは殺気を滲ませていた女性記者であった。彼女がつけている腕章には“自由の友新聞”と書かれている。たしか、旧同盟の大衆新聞のひとつだったはずだ。どうも、彼女は新領土からきた記者であるらしい。なんの話をしているのだろうかとゲオルグは耳をすませた。

 

「――というニュースがありましたが、そのことについてどう思われていますか?」

「悲しみは狂気を生む、というのが正直な心情ですね。ロムスキー氏とヤン元帥を失った後も、共和政府などというものをでっちあげて、反帝国運動を続けようなどとは。そんなことを続けても、無用な犠牲者を増やすだけで、人類社会に良い影響など与えることはないはずです。彼らなりに亡きロムスキー氏、そしてヤン元帥の遺志を継ごうと思っての行動なのかもしれませんが、二人を失った悲しみから逃避しようとするあまり、現実を直視できていないのではないか、と、思っておりますよ」

 

 その返答はかなり気に入らないものであったのか、女性記者は憎悪もあらわに睨みつけた。しかしトリューニヒトはにこやかな微笑みを浮かべたまま平然としていた。話の流れ的にどうやら先日成立したイゼルローン共和政府のことについて質問していたようだ。

 

「では、皇帝ラインハルトと共に天を戴くべきではないと民衆に主張したあなたが帝国の高官として活躍することこそが、かつての戦争で戦死していった同盟軍将兵たちに報いる道であるとおっしゃる……?」

「帝国のフェザーン占領から続く一連の戦いにおける敗戦の責任については、最高評議会議長を辞職する際に国民に明言した通り、この私にあります。だからこそ、その後に成立した人類統一社会のために微力を尽くすことこそが、その責任を償う道であると考えております。むしろ、他に償いの仕方などありますかね?」

「そうですね、私の素人考えによるものですが、民衆に土下座するなり、政治から完全に引退するなり、自身を恥じて自殺するなり、色々と方法があったと思われますが」

「おやおや、それでは帝国領遠征などという愚行を主導したサンフォード政権時代のレベロ氏、ホアン氏、そして私を除く最高評議会の評議員と同じではありませんか。あの時、私はあらゆる手を尽くしてあの暴挙を止めようとしたものですが、力及ばず遠征は実施されてしまい、結果として二〇〇〇万将兵の生命を無為に散らすこととなってしまいました。遠征失敗後、最高評議会は総辞職しましたが、それで敗北の責任は完全に償ったなどと主張しているコーネリア・ウィンザー女史のように無責任な人間になれと、あなたは私におっしゃるんですかね? だとすれば申し訳ないですが、私の考えはあなたの意見とはかなり異なるようです。私にはウィンザー女史の振る舞いが償いの道とは、とても思えませんでしてね。実際、同盟人の多くは彼女の態度に今も批判的ですし」

 

 役者が違いすぎるなとゲオルグは見物していて思った。女性記者の美麗な顔が怒りで紅潮し、額に青筋を浮かべ、今にも爆発しそうな状態だというのに、トリューニヒトのほうは、まさに余裕綽々といった様子であった。紛いなりにも一国の元首だった男なのだから、マスコミ対応などこなれているのだろう。

 

 いつ感情のままに罵声を飛ばしてもおかしくなさそうな女性記者の様子にまずいと思ったのか、他の記者たちが下がるように助言し、女性記者は我に返って引き下がった。代わって青年男性の記者が質問を行う。腕章にはフェザーンの新聞社名が記されていた。

 

「過日、地球が正式な自治領として成立し、地球教団の再編が行われたという話がありましたが、そのことについてどう思っています? たしか、参事官殿は同盟の政治家時代から地球教と少なからず関係があったと聞きますが」

 

 地球教の陰謀による皇帝弑逆未遂事件、通称キュンメル事件が起きて以来、帝国政府は当初地球教を完全に取り締まり、地球教の信仰をこの宇宙から消滅させてしまう気でいたのであるが、様々な問題に直面したことにより、方針を何度か変更することとなった。

 

 まず最初に地球教本部征伐の任を受けたワーレンからの報告により、地球の民一〇〇〇万人の多くが敬虔な信者であり、閉鎖的であるが概ね穏健な姿勢の者たちが多く、それでいて帝国への猜疑心が強いという情報である。これでは地球人たちが自ら信仰を捨てさせるのは容易なことではなかったし、もし地球教を消そうとしてしまえば一〇〇〇万もの人間を虐殺するより他になく、それはローエングラム王朝にとっては叶うならば採らざるべき悲惨な処置であった。

 

 帝国にとって不幸中の幸いであったのが、住民の多くが土着心が強く、地球どころか故郷から離れたがらないということであったろう。これを踏まえ、帝国政府は――言葉を飾らずに表現すれば――地球そのものを隔離施設にしてしまう計画を立てた。すなわち、地球教徒が地球内で活動することを無制限に認めるが、惑星を超えて移動しようとするならば帝国軍当局の許可が必要で、許可をえても護衛という名の監視をつけるというものである。

 

 そして地球以外に在住している信者に関しては、地球移住か信仰放棄かの二択を迫ることとした。半端な信仰心なのであれば捨てればよかろう。帝国首脳部は軽率にもそう考えたのである。いや軽率というのはいささか公平性を欠くかもしれない。遥か大昔の地球統一政府成立以来、人類は宗教というものをずっと軽視してきたのである。時折、神秘主義やカルトが流行れども、一過性のものであるものが大抵で、そうでないものであっても、権力機構が弾圧を行えば、多少の抵抗はあれども、あっさりと潰れてしまうという意識があったのだ。

 

 これはゴールデンバウム王朝時代の帝国政府が宗教弾圧で多大な成功をおさめた前例が多すぎたためであろう。かつての帝国は宗教に対しては消極的寛容の姿勢をとり、表向きには北欧神話をベースにした大神崇拝のみが肯定され、それ以外の宗教は別に信じてもいいが帝国にとって好ましくないことをしたら徹底的に潰すという姿勢を五世紀に渡って貫き、しかも成功していたのである。だからこそ、数百年に渡る歴史を持ち、時間をかけてじわじわと信徒の数を拡大させ続けてきた宗教の磁場のごとき魅力を、当時の多くの人類全体が理解できなかったのだ。

 

 その重大な過ちに帝国政府が気付かされたのは地球教残党によるヤン元帥暗殺事件である。この事件における直接の関係者は拘束される前に自害していたため、詳細な経緯を掴むことはできなかったが、帝国軍指導部は地球教の残党どもをあぶり出さねばならぬという意識を強く持ち、軍務尚書オーベルシュタイン元帥、憲兵総監ケスラー大将などが指揮をとり、帝国中で隠れた地球教信者の捜索と摘発を実施した。その際、“地球教の信者だった”ということそのものが、拘束の大義名分となった。

 

 そうして取り調べていくうちに、驚くべきことが明らかとなった。拘束した地球教徒のうち、少なくない数が自らの信仰を守るために、ヤン・ウェンリー暗殺を計画した地球教残党の主導する犯罪行為に少なからず加担していたと証言したのである。信仰を捨てたくないし、地球に移住するのも真っ平御免だ。信仰というのはどこでもできるものであって、そのために故郷を捨てるつもりはまったくない。となると、帝国中で信仰が認められるようになると嘯くテロ派の地球教聖職者に協力するのが一番信仰を守る上で良いと考えて。それが信者たちの理由であった。

 

 こうした事実が明らかになり、帝国政府は根本的な履き違えを悟った。おそらく地球教は人類が宇宙に生存圏を広げていった後に数多誕生し、さして人類の歴史に影響を与えることなく消えていった、近来的な意味での宗教とは根底から違うのだ。人類がまだ地球という揺りかごにとどまっていた頃、一三日戦争によって永遠に失われたはずの在り方。いにしえの宗教の在り方と同じであるのではないか。そして現在テロリズムに走っているのは、太古のキリスト教なる宗教が長い歴史の中で時折独善性を肥大化させ、その指導部が魔女狩りや十字軍という愚行に狂奔したことと類似しているのではないか……?

 

 そうした前提意識を持った帝国政府は、後世の歴史家からドラスティックすぎると評される方針の大転換を行った。地球駐屯の帝国軍当局のコントロールの下、地球教団の組織を再編する。そして地球そのものも隔離施設扱いから、自治領へと一気に格上げする。そして地球外にいる一般地球教徒を、帝国製地球教団を挟む形で、間接的に帝国の支配体制に組み込んでしまおうというのである。実に都合のいいことに、最初期から帝国軍による地球統治を時折反発しながらも手助けしているフランシス・シオンなる女性高位聖職者がおり、現地地球人からの人気もあるということなので、彼女をトップに据えてしまえば地球教徒に対する傀儡政権としてうまく機能することだろう。

 

 ゲオルグとしては、理屈はわかるが実行するまでが早すぎるだろうと思わずにはいられない。ローエングラム王朝という新たな人類社会を築いていく政治的組織に対し、同じ感想を一体自分は何度抱かなければならないのか。地球の自治領化の情報を掴んだ時、そう嘆息したくなったものである。

 

「地球教ね。たしかに。彼らの平和主義的宗教教義と好戦派的政治活動の乖離ぶりを理解できたことは一度もありませんでしたが、個人としては善良な者たちが多かったと思います。ですので、彼らが恐れ多くも皇帝ラインハルト陛下に対し奉り、不逞な暗殺を企てていると知った時、私は思わず仰天しましたよ。ですので、帝国公認の地球教団ができたというのは信徒たちにとっては喜ばしいことでしょう。ああしたろくでもない企てを主導したのは一部の聖職者の皮を被ったろくでもないテロリストどもに違いないのだから、かつてこの私を支持してくれた善良な信者たちが、そのような者たちに誑かされることもこれで減るだろうと思うと、私もつい嬉しくなってしまいますね。まっとうな聖職者であり、地球自治領主となられたシオンさんを、私は心から応援しておりますとも」

 

 中々に素晴らしい完成度だ。帝国の地球教に対する公式見解を、うまいこと自分の経歴に落とし込み、見事に主張しているとゲオルグは内心でトリューニヒトの受け答えを評価した。しかもハキハキとして自信満々な声で言っているため、胡散臭さがあまり感じられないのもたいしたものだ。

 

 この機会にゲオルグはテオリアの新聞記者エステルグレーンという身分を利用してトリューニヒトにある質問してみようと思った。なんとなくではあるが、今後の自分が権力の座に返り咲くために暗躍していく上で、この男は無視できぬ存在になりそうな予感がしたこともあり、本心からの言葉が返ってくるとは思えないが、表向きどのような返答をよこすのか興味が湧いたのである。

 

「じゃあ、今度は私が質問してもいいですかね、あなたはルビンスキーという男についてどう思っておいでです? 元国家指導者という共通項があることですし、興味が湧きまして」

「ルビンスキー氏ですか? そうですねぇ、地下に潜伏して自治領としてのフェザーンを復活させようと独立派のフェザーン人を指導しながら暗躍していると風の噂に聞きますが、事実であるなら、フェザーンの黒狐も衰えたというべきですな」

「意外なことを言いますね」

「経験として私はある程度知ってますからね。直接の面識はありませんが、親書などの外交文書や人を介して間接的にやりあっている。その経験から言わせてもらえば、たしかにあの男はフェザーンの黒狐という異名にふさわしい才幹の持ち主でしょう。時に融和的に、時に辛辣な態度で接してきては、フェザーンと自身の利益を獲得していく油断ならない男。にもかかわらずですよ、私がこのフェザーンに来て以来、帝国首都化の勢いに衰える気配はなく、翻って独立派の規模は反比例するように縮小している。あの頃のままのルビンスキー氏が独立派として暗躍しているというのなら、今みたいな状況になってないでしょう。だから衰えたと。いや、あるいはフェザーン占領時のゴタゴタの中で、既に人知れず亡くなっているなんてオチもあるかもしれませんな」

 

 トリューニヒトは肩を竦めてそう評した。既にルビンスキーが死んでいるかもという推測は、フェザーン人にとってはありえそうな話に思えたのか、納得げに頷いているフェザーン記者が何人かいた。ゲオルグは内心で、自分つい先日生きているルビンスキーとお会いしたけどねと釈然とせず呟いたが、表情はそれを誰にも悟らせぬよう他のフェザーン人に合わせて頷く。

 

「では次は私が――」

「ああ、すまないが、これ以上の取材はまた今度にしてもらえないかな。せっかくの園遊会だし、他の参加者の方々に挨拶しておきたいのだよ。でないとボルテック代理総督から、なんのために園遊会に参加したんだと突っ込まれてしまうのでね。なにせ、君たちが話上手すぎて、すっかり時間を使い込んでしまったのでね」

 

 ゲオルグの後に続いて質問しようとした記者に対し、冗談めかしてトリューニヒトは大仰にそう語って断りをいれる。記者たちは失笑しながら話上手なのはお前だろと内心ツッコミを入れながら取材を中断した。もちろん、ゲオルグも含めて、である。



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歪みなく、歪みあり

くっそ久しぶりの更新。スランプなんじゃあああ


 フェザーンの大衆は正確な情報というものには黄金の価値があると素朴に信じている。ゆえにこそ、彼らは言論・報道における広範な自由を求め、それを侵害する者たちに敵意を向ける。しかし一方で、それと相反する秘密という概念も同時に愛してもいた。

 

 秘密といっても、それは国家機密とかの類をさしてのことではない。多くのフェザーン人にとってそうした種類の秘密の必要性は認めても、あまり好ましく感じておらず、可能であれば積極的に情報公開していくべきとさえ認識されていた。フェザーンの大衆が愛する秘密とは、商取引情報や個人情報の秘密である。なぜかというと、単純な話である。

 

 伝説的なフェザーンの大商人バランタイン・カウフには次のようなエピソードがある。所謂「処刑台の階段十二段目から王座への跳躍」と言われているものだが、カウフは抱え込んでしまった多額の借金を返済するため、保険金目当ての自殺を目論んでおり、今生の別れとばかりに酒場で腐っている時に、同じ酒場にいた客同士の皇位継承に絡む帝国の叛乱に関する雑談を小耳にはさみ、かなり無茶な方法で資金を調達し、巨額の富を掌中に納めたというものだ。

 

 フェザーン人はカウフの度胸と手腕に裏表ない賞賛と憧憬の念を向けているが、このエピソードに関するとある点について、冷笑する。曰く、どこどこで叛乱が起きるなどという超重要情報をそんな場所で不用意に噂するとか、その客連中はいったいどういう神経をしているのだと。事実無根で確度の低い噂ならまだ理解できるが、純然たる事実であったのだから始末に終えない。

 

 だからこそ、フェザーン人はサービス業を行う業者には個人情報の秘匿の徹底を求めるし、取引相手に機密意識はあることを要求する。そしてそれを権力でぶち壊そうとする政府の役所には敵意を燃やす。これが一般的なフェザーン人の感覚というものであったから、かつてのフェザーン自治領主府の治安担当者からすれば頭の痛い問題であった。

 

 そしてその頭の痛い問題は、新しいフェザーンの統治者となった銀河帝国へとそのまま相続された。フェザーンを占領した当初こそ、恐怖と不安からあまりでかい口を叩くものはほぼいなかったが、フェザーンが正式に帝国領に組み込まれて一年半以上が経過し、その間ずっと穏健な統治がなされたこともあってフェザーン民衆の危険意識が鈍麻し、自治領時代の権力に対して反発的で反骨的なところがあった元来のフェザーン人の気質が回復されつつあり、市民の秘密を守らんとする意識は強まっていたのである。

 

 そうした商取引や個人の秘密を尊ぶフェザーンの気質を数多の反帝国勢力は利用し、首都星であるにもかかわらず、少なくない地下活動の拠点が構築されることになってしまっていた。なにせ、旧帝国領なんぞに活動拠点を作るより、ある意味では安全なのだから。

 

 首都にあるとあるアパートの地下の一室に、そうした拠点のひとつがあった。普通のアパートの一室とは思えないほど広々とした空間であったが、それはVIPルームだからとかいうことではなく、この拠点を用意した男の工夫の産物であった。彼は、何の関係もない一〇人ほどのフェザーン人を抱き込み、彼らの名義でアパートの地下部分の部屋を買い占めさせ、フロアの壁を大家に無断で撤去することによって大広間を創出したのである。地下であるため、音漏れも発生しにくいことから、彼はここを部下たちの訓練施設として活用していた。

 

 そうした巧妙な手口を駆使してこの大広間を作り出したアドルフ・フォン・ジーベックは、近頃不快な日々を過ごしていた。

 

「いつもむっつりした顔をしやがって。少しは元気そうな顔したらどうだ」

「誰のせいだと思っているのだ、この裏切り者どもが」

「おお、怖い怖い……」

 

 軽くではあるが殺気を込めてジーベックから睨まれた、荒れた浅黒い肌が特徴的な男は、いかにも作っているといわんばかりに恐怖に震える演技をし、そして道化染みた調子で隣に立つ相手へと視線を向けた。

 

「俺たちは同志なんだから、ちっとは温かい視線を向けてくれてもいいと思わないか」

「……本気で言っているのかサダト?」

「なんだよ、少なくとも共通の作戦のために協力しあう同志だろ?」

「……」

 

 不愉快そうな態度で沈黙返し、少なくともおまえと同じ志を抱いているつもりはないという意思を態度で示されて、やれやれと肩をすくめた。

 

「冷たいな、オットー。ヘマして死にかけていたお前を助けてやったのが誰なのか忘れたのか」

「援軍がやってきたせいだ。それがなければ時間がワーレンを殺せたはずだ。俺に落ち度はない」

「なるほど、すべては近衛士官どもの責任ってか?」

 

 そう言っておどけてみせるサダトに反応すら返すことがバカらしかったので、丁重に無視した。頭では恩があるのだから相手をしてやるべきではないかと思わないわけではない。ヴァルプルギス作戦を利用してワーレン上級大将の暗殺の実行指揮をとり、失敗して、重傷を負って倒れていた自分を助けてくれたのは、目の前にいるサルバドール・サダトなのだから。貴族連合残党組織に組みしていた頃から、サダトは独自に地球教とのコネクションを構築していたらしく、どういう心情によるものか知らないが、サダトは嫌がる地球教の運び屋を説得して一緒に惑星オーディンから脱出し、地球教のエージェントとなったのである。

 

 オットーが地球教の庇護の下で適切な治療を受けれたのも、サダトが救ってくれたからこそ。しかしながら、彼の無責任な恥知らずぶりのために、好感を持つことができずにいた。彼は先のオーディンでのクーデターが失敗に終わったと悟った瞬間、すべての部下を見捨てて一人で逃亡をはかったゆえに、生き残ることに成功していたからである。今更ラインハルトとその一派以外の人間の悪業を責めたりするつもりはないし、その余裕もないが、あまりにも悪びれないサダトの態度は純粋に気に入らなかった。

 

「ジーベック中佐、あなたが不快に思うのもわかるが、すべては金髪の孺子をヴァルハラに送るために必要なことだ。そしてそれはエリザベート殿下の望みにもかなうのではないか」

「だが、私は地球教どもなどと手を組みたくはなかった。連中、何を考えておるのかさっぱりわからぬ」

 

 ジーベックは疲れ果てたような声でそう呟き、オットーはそうだろうなぁと共感を覚えた。体調が回復してより、オットーはサダトと一緒に地球教徒たちに戦闘訓練を行う教官的立ち位置についており、ラーセンを取り込んでジーベックを半ば脅す形で取り込んでからは、ジーベックもその立場にある。地球教にとっては、今後もテロ活動を続けるに当たり、テロリストの育成に力を入れていかなくてはならず、そのために軍事のプロフェッショナルを取り込む必要があった。

 

 地球教書記局からの命令に従う地球教徒の現役軍人もそれなりにいるが、彼らは地球教の陰謀家たちにとっては虎の子の切り札というべき存在であり、軽々に使うことのできない駒なので、公的には一般人にすぎない地球教徒たちに対して軍事教練などすれば確実に帝国軍当局から目をつけられる。よって、いわばお尋ね者である彼らが教官として地球教徒たちを教育する立場につけられたのである。

 

 今でこそ地球教徒たちの思考回路に慣れてきたが、当初はオットーも価値観のギャップに戸惑ったものである。

 

「俺も地球教徒との付き合い方には結構戸惑いましたから。今でも偶に接するのが嫌になる」

「では、俺の方から掛け合ってやろうか。ラーセンとなら多分交代できるぞ」

「……勘弁してくれ。今更、あの男を崇めることなどできんさ。たとえフリだけであってもな」

 

 オットーはげんなりしてそう返した。かつてラインハルトを信奉した身ではあるが、いや、そうであるがゆえに、無理な相談だった。今となってはあの頃の自分でさえ、叶うならば殴り殺してしまいたい。それくらいには呪わしい過去である。

 

 そんな過去の自分の幻影どもの相手など、一時的にならばともかく、長期にわたり付き合うことなどできるとはとても思えない。ゴールデンバウム王朝に対する愛着が強いラーセンも当然そうだろうと思い、オットーは不安を感じていたのだが、それは杞憂だった。

 

 あのサイボーグ、その必要性があると思えば、ゴールデンバウム王朝を悪し様に罵り、今の簒奪者である皇帝を讃えることに抵抗が皆無であるようで、しかもその演技には嘘臭さがほとんどなく、筋金入りのラインハルト崇拝者の一人としか思えない完成度であった。そんなラーセンの態度を少しばかり見物した際、憎たらしさと腹立たしさがオットーの心中で湧き上がり、ついその顔面に鉄拳を叩き込んでしまうほどに、自然であった。

 

 ジーベックも同意見であるらしく、うんざりとした表情を浮かべていた。しかしサダトはというと、若干ではあるがラーセンに対して理解がある。帝国軍に招安されてからリップシュタット戦役の頃まで、サダトは軍人として様々な矯正区を転々しながら暴虐の限りを尽くしてきており、そうした経歴の中でエーリューズニル矯正区の収容者たる条件に合致する思想犯を見つけ出して移送する任務にも従事したことがある。つまりあの特殊な施設の実態に触れる機会があったのである。

 

 エーリューズニル矯正区は、一定年齢以下の生粋の思想犯しか収容の対象としていない。生粋の思想犯、という表現を聞くと、強固な政治的信念を持って帝国の政治体制を転換しようとする革命家の大物とか、そういった人種を思い浮かべるかもしれないが、そういう意味ではない。生まれながらにして思想犯の烙印を押されているという意味で、生粋の思想犯なのである。

 

 生まれながらの思想犯なんているのか、と、問われれば、存在した。遺伝子を絶対視したルドルフ大帝の理念によれば、優秀で忠実な人材の子孫は、優秀で忠実な人材に育つ傾向が強いと考えられ、子々孫々に渡って貴族の地位を相続する制度を生み出した。それと同じように、帝政に逆らった叛逆者達の子孫は、やはり叛逆の志を持っている可能性が高いと見なされ、先祖の思想犯罪者たる地位を相続させられる仕組みが作り上げられた。著名な歴史的人物をあげると、自由惑星同盟で国父として敬愛されていたアーレ・ハイネセンなども該当する。

 

 そのような生粋の思想犯の中でもまだ物心ついてさほど時間がなく、比較的健康状態が良好であると判断されたものがエーリューズニル矯正区に収容する意味のある存在だ。まだ()()()()()()()()()()()()()()()()()()というわけだ。エーリューズニルの運営者たちの主観からすれば。なんという独善。エーリューズニル矯正区の狂気的理念の最高傑作が、おそらくテオドール・ラーセンという男なのだろう。自分が知っている他のエーリューズニル矯正区出身者も、ラーセンと比べれば完璧ではなかった。それはサダトにとっては確信して言える真実であった。

 

 もっとも、そんなエーリューズニル矯正区の内実など、サダトとしてはあまり重要ではないことだ。精々、ある種の自分の同類として、多少親愛を感じる程度である。向こう側に素直に受け取られたことは、これまで一度としてないのだが。

 

「何をくだらぬことを言い合っておるのじゃ」

 

 しわがれた声が室内に響き、三人は会話をやめ、そちらに視線を向けた。不機嫌そうな老人の姿を視界におさめたサダトは、思わず唇の端を歪めて、仰々しく挨拶をした。

 

「これはラヴァル大主教猊下におかれましてはご機嫌麗しく……ないようですな」

 

 そう言われた聖衣を身にまとった老人は、眉間に皺を寄せて眼光鋭くサダトを睨みつけた。

 

「何故不機嫌であるか、其方はわかっておろうな」

「そうですねぇ、やはりあれですか。地球の不信心な連中が帝国の傘下に入ってしまったことですか」

「そんなことで此方が不機嫌になるとでも思うておるのか」

 

 心底いらだたしげにそう返されて、サダトはやや驚き、ジーベックとオットーは互いに顔を見合わせて不思議がった。狂信的な信念で帝国を憎悪している地球教大主教猊下のことだから、当然、帝国の傘下に降ったシオンなどの裏切り者どもに対して穏やかならぬ感情を抱いているに違いないし、そう思い込んでいたので三人には意外だったのである。

 

 その事実に関して、ラヴァルはそれほど不満はない。もちろん、多少不快感を覚えるが、それも致し方ないことであろうと自然に受け入れていたのである。およそ普通の人間の望むことといえば、母なる地球を崇めながら平和な日々を送ることだ。そのためであれば、戦争狂の連中に不肖不肖で頭を下げなくてはならないこともあるだろう。善良なる地球教徒たちになんら罪はない。ちょっと論理的に物事を考える頭があれば、子どもでもわかることだし、自分とて彼らの立場ならそうするかもしれないと自然に思えることだ。彼の機嫌が悪い理由は他にある。

 

 ひとつには、今の地球教団内部の事情により、数ヶ月前にフェザーン管区責任者という地位につかされたことであった。別にその地位に不満があるわけではない。あの静謐な平和に満ち満ちていた聖なる地球を、あろうことか罪深い軍事力によって穢した悪しき帝国の首都において、人類恒久平和のための活動を行うことに関して、彼は熱意を持って取り組んでいた。

 

 彼にとって不満なのは、その人事が行われた背景、地球教団内部における勢力図についてであった。ヤン・ウェンリー暗殺を成功させたのち、その暗殺計画を立案し、その成功のために精力的に取り組んでいたド・ヴィリエの権威と権勢が強まり、直接総大主教猊下よりお褒めの言葉も賜って正式に大主教の首位を占め、総大主教以外の何人にも掣肘できぬ権勢を振るうようになったことにある。

 

 その後、地球教の行動計画の大部分が名実ともにド・ヴィリエの指揮の下でおこなれるようになり、枢機局内では総大主教の後継者として地球教のナンバー・ツーに位置付けられたなどという不愉快な言説が流布するようになった。ラヴァルがフェザーン管区の責任者たることを命じられたのも、こうした流れの中でのことであって、表向きは一時的にせよフェザーンの責任者だった経験を買ってというが、実質的にはド・ヴィリエとの折り合いが悪かったが故、地球教の中枢より追い出されただけであろう。少なくとも、ラヴァルはそう思っていた。

 

 このような事情でこのフェザーンの大地に足をつける前からラヴァルの機嫌が悪くなりがちであり、そしてとある人物の行いのせいで、より一層不機嫌になりがちであった。その人物とは、眼前にいる不敵な元准尉である。

 

「また其方は帝国軍人を誘拐し、残虐に痛めつけて殺したようだな。なぜそのように無益なことをしたのだ」

 

 それに対してサダトは、大げさに「ああ、そのことですか!」と揶揄うような仕草をとり、よりラヴァルの怒りに油を注いだ。近頃フェザーン中で噂になっている軍人狩り。それはサダトの仕業であった。彼は訓練を施している地球教徒たちを率いて帝国軍兵士が一人でふらついているところを拉致・殺害するという凶行を何度となく繰り返していたのだ。

 

フェザーン独立派の活動によるものと思わせるようにサダトが巧妙な偽装を施しており、いまだ事件の真相は帝国軍当局ならびにフェザーン民衆の知らざるところであったが、自分たちの帝都での活動が表沙汰になりかない危険な行為であり、当然、ラヴァルとしては許し難いことであるのだが……

 

「これは妙なことを。地球教徒どもに戦闘訓練を施しいてほしいというのは、枢機局より私に下された神聖な任務ではありませんか。私はそれに忠実たらんとし、彼らに実戦訓練の機会をつくってやったのです。死んだのも地球教徒ではありませんし、なんの問題があるというのです? まさか訓練の犠牲になった帝国軍人どもを哀れんでおられるので?」

 

 肩をすくめてサダトは平然とこう宣うのである。

 

「軍人などどうせ生きておっても愚劣な破壊と殺戮を繰り返し、人類の平和を乱す活動しかせぬのだから、別に軍人を殺したこと自体を責めようとは思わぬ。なぜ何度となくそのような我々の存在が露見しかねないリスクを犯したのだ」

「なんでって、何度も経験を積ませておかないと本番の時に慣れないでしょう。なあ、オットー。お前だって、経験不足の部下なんぞ持たされても困るだろ?」

 

 いきなり話を向けられて、オットーは明らかに迷惑そうな顔をしたが、サダトの言うことも間違ってはいなかったので静かに頷いた。確かにそんな奴らを率いて目的の人物を、彼が殺したいと心の底から望んでいる相手を殺すことが叶うとは思えなかったのである。

 

 とはいえ、まったく反感を抱かないというわけでもない。実戦訓練であるといえば聞こえはいいが、内実はというと、サダトが自身のサディスティックな欲望を満足させたがったためであると察していたからである。

 

 それでもオットーは自身の目的を果たすためには些細なことであると無視を決め込むことができたが、ラヴァルはそういうわけでもなかったので、しばらくは二人の間で言い争いが続いた。

 

「いい加減にしろ、サダト! 猊下、今後はこのようなことがないよう自分が責任を持ってサダトを見張りますので、どうかご容赦いただきたく思います」

 

 耐えかねたジーベックがたまらず両者の間に入って仲裁をした。個人的には現状に色々と思うところはある。しかし……彼が忠節を捧げる対象である少女が今回の機会を逆用することを決めたのである。

 

 客観的にみれば、それほど勝算の高い賭けではないとジーベックは思うのだが、そのことを仔細に説明しても、彼女の決心は揺るがなかった。とあらば、主命である。全力を尽くして成果を出すべく粉骨砕身するのみ。だからここで溝ができていくのを長々と放置しておくわけにもいかなかった。

 

 ジーベックの穏やかで静かな、それでいて圧を感じさせる眼光をつきつかれても、ラヴァルは怯みはしなかったが、おとなしく引き下がることにした。サダトとの会話が打ち切られて、やや怒りの熱が冷めたのもあり、彼らは自分たちとは違う哀れな狂人なのであるという感情が湧き上がってきたからである。

 

 サダトにせよ、オットーにせよ、ジーベックにせよ……あるいは、別用でここにはいないラーセンにせよ、だ。彼らは環境の被害者なのである。狂気に満ちた世界に生まれ落ち、大量殺戮が賛美される戦争の中にて育ち、母なる地球への信仰という真理を知ることができず、人間性と良心というものを得ることができなかった、哀れで救いようがない者たち。

 

 ラヴァルが地球教徒以外へと向ける哀れみの心は、まったくの純情である。なぜなら考えてもみよ、もし彼らが地球に生まれ落ち、地球教の教理を学び、人としての正しさを身に付けることができていたならば、このような愚劣な愚かしいことなどできるわけがないに決まっているからである。

 

 そうであればこそ、ラヴァルは地球教の聖職者として謀略家となる道を選んだのであった。なぜかというと、彼は良心を傷めずにはいられなかったからである。だってそうであろう。聖ジャムシードの偉業によって地球は戦争という病毒から解放され、数百年に渡って平和を謳歌しているというのに、それ以外の星々はいまだに戦争という惨禍に悩まされているというのだ。

 

 この理不尽と不条理を終わらせ、すべての人類に母なる地球を崇めさせ、人類社会全体に永遠の平和をもたらす。その崇高な目的のためとあらば、たとえ神聖なる教えの一部に背き、その罪のために自らが地獄に堕ちることになろうとも、ラヴァルはかまわなかった。自分に限らず、およそ地球の聖職者たる者は、そうした自己犠牲の精神に基づき、行動する者であるべきなのだから。

 

 よって、平和のためにあらゆる手段を尽くすべきということは疑うべくもないことであった。目の前の連中の罪深さはそれとして、平和な世界を築く礎となってもらうべきであろう。それが彼らの罪に対する多少の贖罪になるかもしれないのだし。そう思い、ラヴァルは改めて地球教徒としての使命感を強くするのだった。

 

 ……第三者の視点でみれば、これはいかにも狂っている理屈であったが、地球という揺り籠の中で歪んだ平和主義と選民思想の中で育ち、外の宇宙の争いを他人事と断じることができかった心優しき地球の民としては、それほどおかしな論理ではない。実際、ラヴァルと同じ価値観を抱き謀略を巡らす地球教徒という存在は、地球教が宇宙に謀略の糸を張り巡らすようになった時から現在に到るまで、それこそ星の数ほどいたのである。

 

 ジーベックやオットーとは異なり、地球教との関係が昔からあったサダトはそうしたラヴァルの思考をある程度洞察することができ、「馬鹿馬鹿しい」と内心で独語した。まったくもって、どうしてそこまで自分たちの正義を疑わずにいられるのか心底疑問である。

 

 ゴールデンバウム王朝、あるいは今のローエングラム王朝とやらもそうだが、いったいどこまで人類というものに夢を見れば気がすむのか。人間というのものが、どれほど無価値で、どれほど下劣な欲望に突き動かされ、どれほど臆病心に揺り動かされ、どれほど醜悪にあらゆる大義を裏切る存在なのか知らないとでもいうのか。無論、そうでない人間もいることだろうが、そのような奇跡のような例外を、類稀なる希少種を基準に物事を考えるなという。

 

 その類い稀なる希少種とて、堕落すれば際限がない。五〇〇年前のルドルフとて、そうだったではないか。奴の信じた正義、いや、正義の出来損ないがために、それほどの悲劇を巻き起こしたか。そんな人類のすべてが知っている歴然たる前例を知りながら、何故自分たちの正義は他者のそれよりはるかに正しく、それを生涯貫けるなどと傲慢な信念を抱けるのか。

 

 人間など呆れてしまうほど過ち繰り返して、しかもそのことを恥じないものだ。そんな大前提を履き違えている時点で帝国の専制政治も、地球教の宗教政治の理想も土台うまくいくはずがなく、多大な流血と悲劇はどうしても付きまとうことになるだろう。

 

 ゆえ、人間なんてものは基本的にろくでもないという前提の上に成り立っている民主主義の方がまだしもマシではないかとサダトは思う。もっとも同盟が滅び、エル・ファシルをも民主主義勢力は失い、イゼルローン要塞に立てこもるだけの弱小勢力に落ちぶれていることを思うと、それもまた買いかぶりであったのかもしれないが。

 

(……未練、か?)

 

 ポツリと浮かんだ感傷にサダトは自嘲の笑みを浮かべた。いずれにせよ、もはやどうでもいいことだ。とうの昔に自分は死のうが生きようがどうでもいいと思っている。ならば、この身が果てるその日まで、自分は感情の命ずるままに、八つ当たりのために生きてやると決めているのだ。

 

 地球教の理想が実現しようがしまいがどっちでもかまわない。サダトにとっては、たとえ人類社会がどうなろうが、知ったことではないのだ。



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貴族の司令官、副司令官

 首都防衛軍司令部に変な情報が流れてきたのは、その年の八月二九日、雨足が強まっていた正午頃のことであった。

 

「副司令官閣下、内務尚書からお電話です」

「内務尚書から? こちらに回してくれ」

 

 部下から報告を受けた灰銀色の髪が特徴的な帝国軍将校は、訝しげな表情を一瞬浮かべたが、すぐにそれを消し去って、部下にそう告げ、自分のデスクの電話が鳴った瞬間に受話器をとった。

 

「はい、首都防衛軍副司令官のトゥルナイゼン大将です。オスマイヤー内務尚書閣下」

「副司令官? 司令官はどうしたのだ」

「司令官閣下は今不在だ。私が要件を伺おう」

 

 訝しげな声に対し、トゥルナイゼンは反問を許さぬといった高圧的な声音でそう告げた。

 

「貴族連合残党組織の事実上の指導者であるとされているアドルフ・フォン・ジーベックの姿を帝都にて発見したと内国安全保障局より報告がありましたので、情報の共有をと思いまして」

「なにっ!? それでいまどうしている!?」

「それが……尾行をまかれてしまったと……」

「なんだと! なんたる失態だ! 内国安全保障局は無能者の集まりなのか!?」

 

 傲然とトゥルナイゼンは内務省の失態を詰った。ことがこととはいえ、閣僚たる内務尚書に対して一介の大将がとるには無礼な態度と言えたが、そんなことをトゥルナイゼンは気にしなかったし、軍内においては問題視されることもない態度でもあった。

 

 黎明期のローエングラム王朝の特色は軍国主義であり、政府が軍の風下に立たされるのは当然のことであった。それでも、普段であれば大将が閣僚に対して偉そうに対応するのはよろしくないことであったのだが、例の帝都で暴れてくれた連中の首魁であり、あのヴェスターラントの虐殺の現場責任者として国をあげて追跡している者と接触しながら失敗して憤ったとなると、まず正当化されるであろう。

 

 トゥルナイゼンはそこまで考えた上で発言したわけではなかったが、自分がラナビアで取り逃がした相手であり、叶うなら自分でものにしたいとも考えていたから、内務省の失態には怒りを覚えずにはいられなかったのである。しかし、オスマイヤーの側にも自分たちの失態を自覚しつつも、主張しておきたいことはあった。

 

「いえ、そういうわけでは……なにしろ警察力が足りませぬし、例の警備管轄の問題もありまして……ジーベックに尾行がまかれた区域は工部省が管轄する新帝都開発区域でありまして、内務省が独自に大規模な人員を投入して工部省と諍いを持つのは避けるべきという現場、および内国安全保障局の判断を、私も内務尚書として追認した次第であります」

 

 むぅ、と、不快そうに唸ったものの、トゥルナイゼンはオスマイヤーの発言の正しさを認めた。内国安全保障局、ひいては内務省の警察力が不足しがちなのは事実であった。閣議の席で「軍縮するなら人員をいくらか内務省に回せ」とオスマイヤーが軍務省に要求したという話は、こちらにも流れている。

 

 それに、それぞれの区域で治安担当するのが、このフェザーンでは混沌としていることに頭を悩ませているのは、首都警備軍とて同じである。原則論でいえば、自分たち首都治安を任務とする軍部隊や内務省の警察機構等はこの首都星全域に権能を震えるのだが、この星は元々フェザーン自治領であったこともあり、帝国の支配を完全に受け入れているわけではない。そこで確証もないのに無茶な行動をすれば、不平派が勢力を拡大させる要因となりかねない。

 

 加えて再開発のためと言って新帝都再開発区域の行政権の一切を握りはじめた工部省も面倒な相手だ。自身の許可をえることなく、管轄区域内によそ者が土足で入り込んでくることを工部尚書のシルヴァーベルヒはとかく嫌う。それを思えば、帝国内部の対立を招く本末転倒な事態を避けるため、現場の秘密警察が見失った時点でそれを隠さずに報告したことも、それを追認したオスマイヤーの考えも、わからないではなかった。

 

「それで工部省とは情報を共有したのか」

「ええ、先に電話で直接工部省次官のグルッグ氏にしております」

 

 そう返答してからオスマイヤーは声をいちだんと、真剣そうな声を作って続けた。

 

「それで、たしか、陛下が新たに建設された戦没者墓地の完工式に出席なさるのは、本日の夕方であったと記憶しております。位置が位置だけに、我々内務省としては対応に困りますので、首都防衛軍の協力を仰げないものかと」

 

 オスマイヤーの言いたいことは実に単純なことである。皇帝としてのラインハルトの日々の政務の仕方というのは、よく言えば“高度の柔軟性を維持した臨機応変なスタイル”であり、悪く言えば“気まぐれな仕事中毒者”である。というのも、ラインハルトは皇帝でありながら束縛を嫌い、自身の予定表などというものをあまり重視しないのだ。

 

 無論、皇帝は遊んでいるわけではない。むしろその無茶苦茶さこそが皇帝ラインハルトが皇帝ラインハルトたる所以ともいえ、皇帝としての専制権力を電撃的に用い、早急に政策立案から実行まで推し進めるのである。帝国の急進的な改革は、実にこのような凡人には模倣不可能な尋常ではない方式で進められており、それの方が優先すべきと皇帝が判断すれば、予定などいつでも白紙撤回されるのであった。

 

 また最高権力者の癖におそろしくフットワークが軽いのも特徴であって、わずかな護衛を伴って各所を不規則的に“視察”することもよくあることである。それは単純に首都圏を散策して世論を知ろうとしてというものもあったが、旧時代の官僚が復帰して気が緩みがちな中央官衙を引き締める為の抜き打ち調査的な意味合いもあったので、官僚たちにとっては日頃の負担に加え、精神的負担も頻繁に受けることになっている。

 

 いや、これは別に官僚に限った話ではないらしく、親衛隊に所属している知り合いからトゥルナイゼンが聞いた話によると、親衛隊将校で精神的ストレスからくる胃痛を患ったことがない奴なんて両手の指で数えられるくらいしかいない、とのことである。部下としては大変疲れる主君なのである。

 

 このように、ラインハルトの行動というのはとにかく読みにくい。読みにくいが、それでも大方予定の通りに行動することが多いのが軍関連の行事であり、特に自身の旗の下で戦い戦死した将兵らに関わる行事であれば、ほぼ確実に予定通りの行動をする傾向がある。黎明期のローエングラム朝が、軍国主義の色彩の強い体制であったことを示すひとつの傍証ともいえるものであった。

 

 そして本日午後に予定されている戦没者墓地の完工式は、ジーベックが姿を消した首都再開発区域と同じ区域で行われる予定であり、オスマイヤーが不安がるのも無理からぬことである。とはいえ、トゥルナイゼンがすぐにできる答えなどひとつしかない。

 

「即答はしかねる。しかしすぐに対応を協議し、回答を出すと約束する」

 

 続けて、礼節を完璧に守った言葉を述べて受話器を慌ただしく戻すと、近くで控え会話を聞いていた参謀将校の一人に問いかけた。

 

「司令官閣下は?」

「お言葉ですが、副司令官だけでも話を進められるのでは」

 

 参謀将校は不思議そうな表情を作って、そう質問した。現在の首都防衛軍司令官はお飾りに近い存在であり、実務の大半をトゥルナイゼンが代行しているようなものであったから、彼は司令官を無視して話を進めても何も問題はないと考えたのである。

 

 そんな思考をある程度トレースできたトゥルナイゼンは、上官の人望の無さに内心苦笑したが、礼儀を守って表情には出さなかった。

 

「俺もそう思わなくもないが、手続きというものも意外と大事であると経験から学んだのだ。それで司令官閣下は今どこに?」

「昼食中のはずかと」

「では、食堂におられるのか」

「いえ、参謀の一人を伴って外食に行かれております。たしか、ラーメンを食いに行くと言ってましたね」

「……そ、そうか」

 

 トゥルナイゼンは呆気にとられたようにそう呟いた。気まずい空気が流れたが、咳払いして霧散させ、トゥルナイゼンは次の方針を示した。

 

「では司令官が戻られ次第、即座に会議を開けるよう、参謀たちを集めておいてくれ。司令官閣下が戻られるまで、自分が軍内の他部局と情報を共有しておく」

 

 そう言って参謀を下がらせた後、トゥルナイゼンは自分のデスクに座り直し、受話器をあげて最初に連絡を入れたのは軍務省の官房である。軍内においてジーベックが帝都内に潜伏している情報を、より広い視野で分析し対応を考えるとすれば、軍務省以外にありえない。次に連絡を入れたのは親衛隊本部である。門閥貴族連合の残党の視点で考えると、究極的に彼らが望むのは皇帝の死であろう。となれば、常に皇帝の警護として側仕えする親衛隊に情報を入れておくおべきである。その次の連絡先が憲兵隊本部であったのも、皇帝皇族以外の要人警護を担っているのが憲兵隊であるため、似たような理由である。

 

 憲兵隊への事情の説明を終えて受話器を置いた時、ちょうど司令官が戻られたと部下から報告を受け、トゥルナイゼンは席を立ち、昼食から戻った司令官を出迎えて即座に緊急会議を開くことを提案した。昼休憩終了後の唐突な成り行きに司令官はやや呆然としていたが、やがて状況を理解し、トゥルナイゼンだけ連れて司令室に戻った。

 

「それでこれはどういうことなのかね?」

「先ほど説明した通りです、クラーゼン閣下」

 

 慇懃に一回り以上年下の青年将校にそう返されて、今の帝国軍においては現在唯一の名門貴族階級出身の帝国元帥は腹立たしそうに呻いた。面倒なことをしてくれたと思ったのである。

 

「それで? 卿としてはどうしたいのだ」

「どうもこうもないでしょう。ジーベックが今日という日に帝都の、それも新帝都開発区域に姿を表しているとなれば、貴族連合残党組織が帝国の首脳部に対し、なにかの打撃を与えようと企んでいるのは明らかでしょう。特に陛下に万一のことがあっては一大事。こちらから積極的行動をとるべきかと具申します」

「何故そんなことをしなくてはならんのだ」

 

 クラーゼンはそう言いいながら、デスクの引き出しから葉巻を取り出し、カッターで吸い口を切って口にくわえ、金色の高級ライターで火をつけた。しばしクラーゼンは香りを楽しみ続け、室内に煙が充満した。

 

 非喫煙者であるトゥルナイゼンにとって、葉巻の煙は不快であったが、それをおくびにも出さず、どういう意味かという表情を貼りつけながら、どういう意味かと上官をずっと睨み続けていた。その態度に、クラーゼンは呆れたように肩をすくめた。

 

「積極的行動と卿は言うが、根本を履き違えておらぬかな大将」

「と、おっしゃいますと?」

「我々は首都防衛軍だ。軍務省から要請があったわけでも統帥本部から軍令が下されたわけでもない。わが軍が皇帝陛下から委ねられた任務は首都警備であろう。その主任務から逸脱し、なぜそこらをうろついている薄汚い犯罪者の摘発に集中せねばならんのだ。その手の仕事は内務省や憲兵隊に任せておけば良いではないか」

「しかし相手はあの貴族連合残党組織の指導者とされるジーベックですよ。不穏分子の排除に取り組むのは、首都防衛軍の管轄から外れているとも思えませんが……」

「首都防衛軍の警戒レベルをあげるのは良い。それに非常時に備え、参謀たちと事後案の再確認をするのも良い。だが、それだけで十分だ」

 

 クラーゼンはそう強く言ってから続けた。

 

「第一、もとよりこのフェザーンには不穏な連中がうようよとおるではないか。そこに明確な脅威として、旧勢力の小物が一人、たしかな存在としてこの帝都にいると確定したところで、さして変わらんであろうが」

「それは過小評価し過ぎではないでしょうか。今日の夕方に陛下が足を運ばれる予定の近辺でのことですよ」

「だとしてもだ。陛下が、おおっぴらに警備体制を強化することを望まれると思うか。武器弾薬のうごきであればともかく、旧体制残党の大物が『潜伏している』ことが内国安全保障局の報告でわかったというだけであろうが」

「それは……」

 

 考えにくい、とトゥルナイゼンはクラーゼンの言葉の正しさを認めずにはいられなかった。常より過剰な警備を嫌う皇帝である。内国安全保障局からの報告を根拠として、自身の警備を厚くするとは到底思えない。内国安全保障局が貴族連合残党組織の暗躍について、具体的情報を掴んで報告をしたというのならともかく、現状ではジーベックただ一人の影を確認したというだけに過ぎない。

 

 しかしほとんど直感であるが、このまま何も起こらないなどないだろうとトゥルナイゼンは心のどこかで既に確信してしまっていた。それが何故なのか言語化できぬもどかしさに、歯噛みした。

 

 そんな部下の様子をどう解釈したのか、クラーゼンはやや真剣な表情を作って語りかけた。

 

「それに昔と違って報道管制が敷きにくくなっておるし、フェザーン・マスコミもうるさい。過剰な措置をとって、マスコミどもが陛下がなにかの脅威に怯えているなどと誇張して騒ぎ立てられたら帝国の国益をも損ねかねん。だから潜伏している犯罪者どもの捜索など憲兵どもに任しておけば良い。なにかしらの事件が起きた場合、即座にそれを抑えられる即応体制さえ整えておけば良いのだ。それをしておけば、少なくとも首都防衛軍の責任が事後に追及されることはない」

「私はなにも自ら責任を負わされることを恐れているわけではありません」

「そのリスクを承知の上で、功にはやっておるのではあるまいな。我らが何故、今の要職についているのか、その意図を一度思い返してみたまえ」

 

 一〇年以上に渡って閑職で干され続けていたクラーゼンやかつての皇帝親征時に失態を犯した為に地方へと飛ばされていたトゥルナイゼンが、首都防衛軍の司令官や副司令官の地位にいるのは、多少政治的な思惑が絡んでいた。その切欠は約一年前に起きた旧帝都オーディンでの叛乱事件である。

 

 あれは貴族連合残党と近衛軍将校たちの合作によって起きた叛乱事件であったのだが、近衛軍将校たちが叛乱の挙に及んだのは、旧貴族階級が貴族というだけで差別され冷遇されているという認識にあって、民衆も少なからずそれが帝国の方針であると誤解していたことに一因があった。

 

 ローエングラム朝は地位身分にこだわらぬ実力主義を標榜している。旧帝都オーディンでの事件がきっかけとなり、反貴族気運がさらに上昇するのは問題であるという認識が強まり、その事件の処理において少なからず不手際を起こし、一階級降格され、首都防衛軍司令官を解任されたケスラーの後任には、名門貴族出身者をつけようという話になったのである。

 

 そこで人事局の目にとまったのが、先の事件の鎮圧において功績があったクラーゼンであり、皇帝ラインハルトとの幼年学校の同窓という若輩者でありながら武勲を重ねて帝国軍大将の地位にあったトゥルナイゼンであったというわけである。だからこそ、なによりも優先すべきは下手に動いて叱責を被るがごとき事態は避けるべきであるとクラーゼンは考えていた。

 

「ついでだ。これは同じ名門貴族出身繋がりからの親切心故の忠告だが、このような時は具体的には何もしないのが一番だぞ」

「それではあまりに消極的すぎませんか」

「消極的なことの何が悪い。ミュッケンベルガーも、シュタインホフも、エーレンベルクも、儂とは比べ物にならないほど積極的なやつらであったが、そやつらは今はどうしておるか。いや、グレゴールの奴は自分の意思で現役を退いたのだから、他の二人とは事情が違うか」

 

 クラーゼンの個人的見解としては、ジーベック、ひいては貴族連合残党が何かこの帝都で企んでいたところで、自分にとってはさして問題になることはないと踏んでいた。連中の最大の目標といえば、皇帝たるラインハルト・フォン・ローエングラムの生命であるのだろうが、皇帝がいかに過剰な警備の類を嫌うとしても、大型の行事を行う際は皇帝警護を専門とする親衛隊や、より大きな範囲で警備の任務にあたる憲兵隊が神経質なまでに気を使うはずで、その防壁を突破できるほどの実力を貴族連合残党が備えているとは思えなかった。

 

 もちろん、彼らの狙いが皇帝ではなく、それ以外の要人――たとえば、高級官僚の類が標的だった場合を想定すると、そこまで自信があるわけではないが、そんなことは自分の知ったことではない。そんな可能性まで気を揉むなど、それこそ貴族連合残党が親衛隊の警備を突破して皇帝を暗殺する可能性を考えるようなものである。第一、それに対処するのは首都防衛軍の仕事ではないし、ことが起こってから迅速に対処すれば、自身の点数でも稼ぐことにつながるのだから、別にかまわないのではないかとすらこの老獪な元帥は思っていたのだ。

 

 一方のトゥルナイゼンもクラーゼンの言葉に理を感じていた。なんだかんだで目の前の老元帥は、激動の帝国の情勢をくぐり抜け、たとえお飾りであろうが軍中央に居続け、ローエングラム朝の時代になっても平然と生き続けている、他の軍高官とは別の意味でとんでもない男なのだ。普段の仕事ではお飾りもいい存在であるが、保身に関することで目の前の男が見当違いの意見を述べているとも思えなかった。

 

「繰り返しになるが、我らに望まれているのは無難に日々の仕事をこなすことであって、リスクを恐れず成果を求めに行く姿勢ではないはずだ。少なくとも政治的な事情だけでいえばな。違うか大将」

「……閣下のおっしゃる通りです」

 

 いささか釈然とはしないが姿勢を正してトゥルナイゼンは上官の指示を受け入れ、積極的な措置はとらず、あくまで何事か起きた場合に対処療法的に素早く動けるように準備を整えるだけで良しとすべきと司令官室を出て、集めた参謀たちの会議に臨んだ。

 

 しかしトゥルナイゼンはどうしようもなく不安だった。別に憲兵隊や親衛隊を信頼していないわけではないし、軍務省もあげた報告を重要視してくれるだろうとは思うが、なにか嫌な予感が胸中で渦巻いて仕方ないのである。

 

 気分を変えようとして、彼はちらりと窓から外の景色を見た。相変わらずの雨である。夕方には晴れるとの予報であったが、とてもそうとは思えないほど激しく降っていた。

 

 




かなりの難産だった


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黄昏の衝撃-始まり

「……革命的専制者、あるいは専制的革命家ともいうべきラインハルト・フォン・ローエングラムは、ゴールデンバウム王朝の時代から続いてきた悪しき慣習や伝統をほとんど破壊したが、その彼の剛腕をもってしても、まったく変えることができなかった伝統がある。それは()()()()()()()()()()()()という伝統である」

 

 後世の歴史家がそう記述する黄昏の衝撃(アインシュラグ・デメルング)事件と呼ばれる一連の出来事は、雨上がりの夕陽がよく映える夕暮れ時の短い時間の内に起きた。

 

 皇帝ラインハルトはフェザーンに新設された戦没者墓地の完工式に出席するのが本日の最後の予定されている公務であり、軍務尚書パウル・フォン・オーベルシュタイン、大本営幕僚総監ヒルデガルド・フォン・マリーンドルフ、主席副官のシュトライト中将と次席副官リュッケ少佐、近侍のエミール・フォン・ゼッレ、そして二名の侍医を伴って仮の宮殿とも言うべきホテルの外へと出た。

 

 侍医を随従させているのは、昨今ラインハルトはしばしば発熱を起こすことが多い為であった。人類社会の中でも最高峰レベルの医療技術を持つ侍医たちなのだが、彼らの知識を総動員しても、しばしば起こる皇帝の体調不良と発熱の原因がわからないため、万一のために彼らは軍医として親衛隊の管理下に組み込まれ、軍服を着て交代制で皇帝と共に行動するのはいつものこととなっていた。

 

 皇帝の傍に侍れるのは名誉なことではあったが、彼らにとって皇帝と行動を共にするのは大きな精神的負担であった。それはむろん、もしもの皇帝の容体が急変した場合その生死に重大な責任を負うことになるかもしれないという不安からくるものもあったが、皇帝が何故健康状態を崩しがちであるのか、その原因を何人も説明し得ないことから、皇帝と接する高級軍人や官僚から冷たい目で、時に殺意を込めた視線で見られ、これが非常に大きな精神的負担となるからであった。

 

 もっともこれは本当に万が一のための措置であると、親衛隊長のキスリングは考えていた。たしかに時折体調を崩されるのは心配ではあったが、一度病床より離れると、皇帝は代わり映えのしない他を圧する勤勉さと指導力、輝きに満ちた覇気を周囲に見せつけるからであり、ある侍医が泣き言のように言っていた単に働きすぎで疲労から体調を崩しているだけではという意見も、実は的を射ているのではないか、などとキスリングも思わず得心してしまうからであった。

 

 そんな皇帝は会場に向かうために用意された車列を前にして、怪訝な顔をして口を開いた。

 

「いつもより車の台数が多いようだが」

「首都防衛軍司令部より不穏な情報があり、念のための警備強化であります」

「不穏な情報?」

 

 皇帝の問いかけに親衛隊隊長のギュンター・キスリング准将は背を正して答えた。

 

「例のヴァルプルギス事件の首謀者の一人にして、ヴェスターラントの虐殺の実施責任者であるアドルフ・フォン・ジーベック元中佐の姿を、この首都にて見かけたとのことでありまして」

「なに? それで首都防衛軍は取り逃がしたと言うのか」

「あ、いえ、トゥルナイゼン大将よりの報告によると、実際にジーベックを発見し、それでいて見失ったのは内国安全保障局とのことでありまして、首都防衛軍としては警備強化のみの対応にとどめるとのことであります」

「ジーベックというと、一年前のオーディンでの騒ぎの首謀者の一人だな」

 

 反動貴族たちと近衛師団の不平分子による合作により、当時帝都だったオーディンで起きたクーデター事件はラインハルトにとっては不快な記憶として残っている。なにせ自分が外征の途上にある中で後方の首都で、しかもあろうことか、自分への忠誠を大義名分にされた事件であるのだから、それは当然のことであった。

 

 またさらにやや複雑なことながら、謀略のためモルト中将を死に追いやった負い目を抱いていたラインハルトにとっては、その遺族であるヴェルンヘーア・レオ・フォン・モルトが、巷に流布していた真実を含む噂を信じ込み、自分への復讐を目的として起こした事件の主犯となっていたことも、態度には出さねど思うところがあったのである。

 

 それでふとラインハルトはモルト中将の息子の親友であり、事件後に主犯格の一人として拘束されて法の裁きを受けた男の存在に思考が及んだ。

 

「そういえばオーベルシュタイン、近衛参謀長だったノイラート以下近衛司令部の者達の処刑は既に執行したのだったか」

「はっ、先日既に執行済みであります。オーディンからの報告によると、最後まで自分たちの責任であり、他の将兵はすべて自分たちが騙して巻き込んだだけ故に彼らには寛大な処置を、と最後まで主張していたそうです」

「叛乱のやり方はともかく、責任の取り方はわかっていたようだな」

 

 もとより実際にジーベックらの貴族連合残党と共謀してクーデターを主導した近衛司令部の者たちを中心的に裁く予定ではあったが、ノイラートが公開裁判の席において潔く自分の責任を全面的に認め、自分たちを裁けと強く主張していたため、色々と帝国としては事後処理的に助かった面があった。

 

 憲兵隊の追求にもかかわらず、貴族連合残党の幹部陣の内、レーデル以外は死亡するか逃亡に成功してしまっているだけに、近衛司令部のノイラートたちには見せしめのためにも重い罰を与えねばならず、公開裁判がスムーズに進み、被告たちが自己弁護を駆使して責任論を拡大させず、マスコミも特に異論を挟まずにその判決を肯定的に報じてくれたのは、統治側としては大変ありがたいことであったのである。

 

「しかし、貴族連合残党の首魁とみられているものがこの近辺をうろついているというだけで、予の警備を強化するというのはいささか大袈裟すぎやしないかキスリング」

 

 冗談のような口調ではあったが、それが混じり気なしの本音であると知っている親衛隊隊長の准将は恐縮して身を正した。自らの主君が厳重な警備というものを嫌い、身辺の簡素さを好む性をこれまでの職務で十分以上に承知していることであった。なにせ隊員の多くが、肉体的疲労以上に精神的疲労から休暇を求めるのが、この時代における親衛隊という組織であったのだから当然である。

 

 だがラインハルトのそうした傾向を理解し、それに配慮して普段は皇帝の視線が届かぬ場所に親衛隊員を配置し、皇帝のすぐ近くに控えるのは必要最低限の要員――多い時であっても二〇名以上の親衛隊員が皇帝に随従しているということはまずない――しか配置させないものだが、今回はその配慮をやめることをキスリングは決意していた。

 

 キスリングは懇々と理を説いた。ラインハルトのように頻繁に民衆の前に姿を現す権力者は、常に高い暗殺のリスクに身をさらしていると言ってよい。特に暗殺者の側に、自らの身の破滅を織り込み済みの上で暗殺に及ぶ覚悟と意思があった場合、これを予防するのは容易なことではない。

 

 五世紀になんなんとするゴールデンバウム朝の前例を見れば、常に厳重な警備体制を敷かせていたにもかかわらず、頻繁に臣民に対して玉体を晒すことを好み、自爆をいとわぬ暗殺者の狂気を前にヴァルハラへの旅路を強制された皇帝とて存在するのだ。帝国の治安組織全体が地球教を強く警戒しているのは、この種の暗殺者の性質を有した人間を多数抱えているに違いないと想定されているからである。

 

 更にフェザーンにおける軍中枢の人間が現在少なくなってるのも、問題といえば問題であった。新領土総督としてサジタリウス腕統治の全責任を負っているロイエンタール元帥がいないのは当然として、ミッターマイヤー元帥、ミュラー上級大将、ビッテンフェルト上級大将、ワーレン上級大将、アイゼナッハ上級大将の軍最高幹部五名は、新帝都防衛の為の軍事拠点を建設する計画を具体化させるため、二週間の予定で視察に赴いているのであった。

 

 これによって帝国軍の能力が一時的にせよ低下しているのであった。ローエングラム朝黎明期の帝国の組織というのは、とかく国家の最上層付近にかかる負担と権限が大きく、彼らの不在はそのまま軍の能力低下に直結してしまうという問題が常につきまとうのであった。ヴァルプルギス事件時の行動から、貴族連合残党がそのことを理解していないとは考え難く、この空白を狙っているのではないかと警戒するのは当然のことである。

 

 キスリングの説明を受けて、ラインハルトは頷いたものの、まだ表情から不満が伺えたため、首席副官のシュトライトが口を開いた。

 

「陛下、お言葉ですが、私もジーベックをあまり軽く見ない方がよろしいかと存じます」

「……そういえば、シュトライト中将はジーベック元中佐と面識があるのでしたね」

「はい」

 

 ヒルダからの助け船をありがたく思いつつ中将は続けた。

 

「以前にも陛下には申し上げたことではありますが、ジーベックはブラウンシュヴァイク公爵への忠誠心が強い男でした。彼がもはや後先考えていないのであれば、その危険度はある意味において地球教徒どもとは比べものにならないものとなりえます」

「それは警備側が、予測すら困難になるからだな」

「左様です」

 

 皇帝の返しに首席副官は自分の発言の意図が正確に伝わったことを察し、軽く頭をさげた。たとえば、地球教がラインハルトの暗殺を企んでいると仮定して、実際に暗殺などを実行するであろう狂信者どもに具体的な展望がないとしても、彼らを道具にしている教団首脳部の方には皇帝を排除した後のことを含めて暗殺計画を立案していることだろう。彼らにとって、皇帝暗殺は目的を達成するための手段であって、目的そのものであるはずがないであろうから、そこから逆算すれば警戒すべきタイミングというのは、自ずと絞られてくるはずであった。

 

 が、そんな長期的な視野など持たず、ただただ主君ブラウンシュヴァイク公爵の仇であるラインハルトを破滅させること以外なにも考えていないようなことになっているのであれば、そうした予測すら立てるのが困難となる。さらに彼の破壊とか謀略とかのその場その場における実務的能力の高さについては、元同僚であるシュトライトやフェルナーも認めていたし、そうでない者も先のオーディンでの騒乱での手腕から警戒に値するものと認めていた。

 

「小官もシュトライト中将の見解に同意します。なにもジーベックをして第二のアンスバッハたらしめる可能性を高くしてやる義理はございますまい。警備を強化したキスリング准将の判断は正しかろうと存じます」

 

 その声はさりげなかったが、その声を聞いた発言主と皇帝以外の者たちは“なんということを言うのだ”と衝撃を受け、自然と発言主に向かって反感の籠った視線を集中させた。発言主である義眼の軍務尚書は、いつも通りの鉄面皮で佇んでいた。

 

 よりにもよってこの人がそれを言うか。リップシュタット戦役終結直後の式典の場で、ブラウンシュヴァイク公の遺臣アンスバッハが主君の仇を討つべく暗殺の挙に出、あわやそれが成功しかけたことに関して、オーベルシュタインは無関係ではなく、いくらか責任がある身の筈。そうであるにもかかわらず、よくも黙々と、あるいは平然とそれを語れるものだ。

 

 ヒルダは顔を動かさず、気取られないようにラインハルトの様子を伺った。ラインハルトと頻繁に接するようになったのは、リップシュタット戦役以後のことであり、キルヒアイスとの面識はないが、それでも死んだ彼がいかに大切な存在であったかは重々承知しており、ラインハルトの反応を気にせざるをえなかったのである。

 

 意外にも、というべきか、ラインハルトは少しだけあきれたような表情を浮かべており、胸のペンダントを右手で弄っていた。そして少しだけ不機嫌そうな声で告げた。

 

「軍務尚書の言う通りだ。キスリングの判断は妥当だ。予が彼の立場でもそうするだろうし、警備を強化したことを咎めたいわけではないのだ」

 

 ただ不愉快というだけだ、とは皇帝は口にしなかった。

 

「あまり皆を待たせるのも悪い。キスリング、式場までの警備を任せたぞ」

「……ははっ!」

 

 少しだけバツが悪そうにそう言い残して車に乗り込んだ主君を見て、少しだけ臣下たちは得心がいかなかったが、皇帝のいうことも尤もであったので彼らも車へと乗り込んだ。キスリングが皇帝の御料車の前の車に乗り、出発の指示を出すと車列は進み出した。

 

 皇帝一行を乗せた車列は中心街を抜けて、新帝都開発区域へと入った。まだ工事中の建築物が多いが、既に完成している建物もあり、車窓から建設中の建物群を眺めながらリュッケが感嘆のため息を漏らした。

 

「いずれ今のフェザーンの首都からこちらに帝国としての首都機能が移る予定であると伺っておりますが、この分だと思ったより早い話になりそうですね。もうここまで手をつけていたとは」

「シルヴァーベルヒ工部尚書が首都建設本部を率いて辣腕をふるっておいでですからね。工部尚書は長年自分が主導する形で、大都市をゼロから計画・建設してみたいという夢があったそうで、その意味でも張り切っているのでしょう」

「ああ、長年の夢が叶って疲れを忘れて働いているわけですか。しかし首都建設にのめり込んで工部省の仕事が滞ってないか、少し心配になりますな」

「そういうこともないらしいですわよ。むしろ工部省の仕事を中心的にやっていて、こちらはその余力でやっていると、以前グルッグ次官が申しておりましたわ」

「そうなのですか」

 

 リュッケはヒルダの説明にやや驚きの感情を込めながら何度か頷いていた。彼は次席副官としてラインハルトの側近の一人として数えられることもある人物であるが、それほど突出して有能なところはない人物であった。士官学校を優秀な成績で卒業した秀才ではあるが、卒業席次はそれほど高かったわけではなく、将来的に将官になれるかどうかというレベルの普通の秀才どまりであった。

 

 また皇帝ラインハルトの次席副官という立場ではあるが、実際にはラインハルトの副官というよりは、首席副官であるシュトライトの副官といったほうが適切な役割にあり、政治的、あるいは軍事的に重要な進言を直接皇帝にするということは一切なかったとは断言できないものの、皇帝が崩御するまでそうした行いが後世の記録資料に残らない振る舞いに終始していたのは間違いないようである。

 

「新しい皇宮になる、獅子の泉(ルーヴェンブルン)、でしたか。それもこちらにできるんですよね」

「まあ、そうなるな」

 

 従卒のエミールの純粋な言葉に、ラインハルトはやや困った顔をした。

 

「予としては一向にホテル暮らしでもかまわなかったのだがな」

「陛下、その点に関して先日グルッグ次官から考慮してほしいと言われたではありませんか」

「わかっている。だから旧フェザーンの迎賓館を仮皇宮を移したのではないか。シルヴァーベルヒから皇宮のことで反論されたのも記憶に新しい。別にことさら彼らの意見に反対したいというわけでもないのでな」

 

 皇帝の権威と権力を巨大な建造物で象徴させる、というのはラインハルトからしてみると旧王朝の不健全な悪癖を再現するようなものではないかという感覚があり、説明を受けて必要とは思っても微かに拒否感というものを覚えずにはいられない。そうした感情からここまで豪奢な宮殿など必要なのかと、少し前に工部尚書に素直に言ってみたところ、激しい反発を受けたのである

 

 曰く、都市計画において獅子の泉(ルーヴェンブルン)は新しく建設される新帝都の象徴にして中心となるようにと考え、そこを基準に芸術性も考慮した上で機能性も兼ね備えた完璧な都市デザインを考案し、こうして模型まで作ったのに、その中核とでもいうべき部分を変更せよと言われるのか。陛下の気質はご立派ではありますが、少しは芸術的文化的価値というものも考慮していただきたい、と、まくしたてられたのである。

 

 その時、ラインハルトはいつにない剣幕のシルヴァーベルヒにやや圧倒されたものである。幼年学校でもなぜか存在した芸術の講義のことを思いださずとも、芸術方面に関する見識など自分にはないと自己認識できているラインハルトであり、もともとなんらかの修正をさせたいからとかではなく、単に自分の気持ちを述べただけで、まさかそこまでの反応をされるとは予想だにしていなかったのである。

 

 若き秀麗な皇帝は小さくため息をついた。どうにも最近、言語化困難な徒労感に襲われている。イゼルローン要塞を中心とする小さな一帯を除く全人類社会の最高指導者として、多忙な日々を過ごしているからではないかと周囲からは言われるが、だとすればこの心の奥底が軋むような()()はなんであろうか。

 

 ふつふつと、まるで雪が降り積もるかのように、ゆっくりと確実にのしかかってくる無力感を、彼は持てあましていた。これは誰にも打ち明けたことはない。いや、そもそもどのように説明すれば、正しく伝えられるというのだろう。全宇宙でもっとも強大な存在であり、歴史に冠絶する征服者であり、あまたの改革を主導して少なくとも銀河の半分には文句なしの善政を敷いている、この世で最大の成功者とされる自分が、そんな感情を抱いているなど、だれに理解できるというのだろうか。

 

 亡き友ならわかってくれるだろうかと、胸元の銀色のペンダントに一瞬触れたが、すぐに手を離した。自問した直後に答えが出たからである。これは友ですら理解してくれないことであろう。おそらく彼が生きて自分の傍に居続けたのならば、こんな()()に苦しむことすらなかったのではないか。そう自然に思えてしまったのである。

 

 今度は苦笑交じりにもう一度ため息をつこうとした寸前、ある種の直観めいたものを感じて視線を車窓に向け、それで事態を把握したわけでもないにも関わらず危機を察知してラインハルトは「運転手! 車を止めろ! 全員外に出ろッ!」と叫んだ直後、皇帝御料車の二台前を通行していた車が突如爆発炎上した。

 

「総員! 襲撃だッ!! パターンDに従って周囲を警戒!!」

 

 通信機からキスリングの怒声が周囲に響き渡ったが、それから数分もせぬうちに地面から突如煙が発生して周囲を白く覆いつくし、親衛隊員たちの視界を遮った。なのでキスリングは「総員持ち場を離れるなッ! 陛下をお守りするのだッ!」と大声で叫び、親衛隊員たちはその命令の意図するところを正確に読み取ってそれぞれの車を中心に防衛陣を敷いた。

 

 それと前後して近場の工事中の幕の中に隠れていた物々しい装いをした人影の群れが、ぞろぞろと皇帝の車列が止まっている大通りにでてきた。

 

「さっきの声を聞いた限りではカイザー・ラインハルトはまだ生きているようだな。車列の順番的に皇帝の車を狙ったはずだが」

「オットー少佐、あのような僭称者を冗談でも皇帝などと呼ぶな。あんなものは金髪の孺子で十分だ」

 

 辛辣な言葉に対してオットーは肩を竦めただけだった。その態度にラーセンは少し苛立った様子であったがそれをすぐに搔き消して続けた。

 

「……まあいい。まだ生きているようなら、」

「言われるまでもない。故郷と家族の仇を討ってやる……!」

 

 オットーの肉体から粘着質な憎悪の毒炎が陽炎のごとく燃え上がるのを幻視したラーセンは自分も彼と一緒に殺しに行きたい気分に少しだけなったが、任務を優先してその欲望をおしとどめた。

 

「では陽動を任す。いや、お前らが金髪の孺子を討ち取ってくれた方が、こちらとしてはありがたいのだが」

 

 爆薬及び煙幕の設置など下準備を手配したのはルビンスキー率いる旧フェザーンの一党であり、ラーセンは彼らの要望を遂行しなければならなかった。別にそんな連中に配慮する必要などないと思わなくもないのだが、連中がエルウィン・ヨーゼフ二世を匿い、かつ、こちらのスポンサーとして協力してくれるからには、彼らの注文を聞いてやる必要があるのであった。

 

 オットーが部隊を率いて皇帝の車列に殴り込みをかけて、親衛隊との戦闘で発生する音を聴きながら、ラーセンは数名の部下と一緒に息を殺しながら周囲に視線を走らせ続けた。

 

 そして煙幕が薄くなり、ぼんやりとだが車列の人影が見え始めたところで、車列の前から三番目の車に少ないが人がいる目当てをつけ、注意深く接近し奇襲をかけた。

 

 皇帝の周囲に群がる敵への銃撃に集中していた不意をつかれた形の親衛隊員たちは簡単に制圧され、ラーセンたちは冷静に制圧した敵たちの階級章を確認して回った。

 

「保安少佐、こいつの階級が一番上です。息と脈も正常です」

「そいつをそこの車の後部座席に放り込めッ!!」

「はっ!」

 

 ラーセンはエンジンがかかったままの親衛隊の車の運転席に飛び乗り、全員の姿を確認すると思いっきりアクセルペダルを踏みこんだ。急発進した車が前方の車にあたらないように巧みなハンドル操作でUターンさせ、そのまま道路を逆走して現場から離れた。目的地まで一直線に道路を爆走した。

 

 しかしその道中で軍用車の車列と遭遇した時は、いくらなんでも早すぎるだろうと、流石に血の気が失せたものである。ラーセンは知る由もないが、それは司令部の方針により念のために警戒レベルをあげていたので、近辺で待機していた首都防衛軍の一部隊であり、親衛隊の襲撃の報と救援要請の無線を受けて、現場に急行している最中だったのである。

 

 が、ここで奇妙な幸運が働いた。ラーセンが運転してたのは、皇帝警護の任を受け持つ親衛隊用の車両であったこと、そして偶然ではあるが、官庁街の方に向けて車を走らせているように見えなくもなかったので、奇妙に思いつつも親衛隊員がなにか別任を受けて急いでいるのだろうと早合点し、無視してしまったのである。

 

 ほっと溜息をついたラーセンは、焦燥にかられながら車を運転して、フェザーンの地下水路につながる建物の前で停車した。そこで待っていた軽く日焼けした肌の男を口を開いた。

 

「目的のものは拉致ってきたんだろうな?」

「ああ、後ろに積んである」

「了解。しかし、これが無駄な苦労になるかもしれんと思うと気が滅入るな」

「減らず口を叩くな。それにここにくる途中、かなりの数の帝国軍とすれ違った。おそらくオットーとジーベックは失敗するから、無駄にはならん」

「なるほど、旗色が悪いか。ただまだ可能性が潰えたってわけじゃないだろう。同志の幸運を大神オーディンと地球教の神様にでも祈っておくとしよう。いや、ラヴァル大主教猊下によると、地球教は神じゃなくて、地球に祈るんだっけか?」

 

 変わらず減らず口を叩き続けながらラーセンの戦果を確認したサダトは、目を細めた。思ったより上等なの拉致ってきたな、こいつら。

 

「おい、さっさと運ぶの手伝ってくれ。あの様子だとすぐに鎮圧される。()()も用意してあるとはいえ、あまり悠長にしている時間はない」

「あいよ、じゃあ、さっさと地下水路からズラかるとしますかね……」

 

 サダトは肩をすくめて観念し、ラーセンの命令に従った。そして彼らは“荷物”を慎重に運びながら、文字どおり地下へと消えて言ったのである。

 

 




今年中にもう1話はあげたいなぁ(願望)


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黄昏の衝撃-ある異端者の一生

 “名君”の定義とは、具体的に何であろうか。政治的に優れた君主のことであり、国のため、民のために尽くし、多大な治績を残し、後世に多大な影響を、悪い意味ではなく、後世からも好ましく思われるような影響を残した指導者のことを意味するのではないか、と、思われるかもしれない。

 

 だが、銀河帝国においてはそれ以外の意味をも含有しうる。それは“ルドルフ・フォン・ゴールデンバウムを連想させるがごとき勝利者にして絶対者”という意味である。どういうことかというと、単純である。彼が銀河帝国を創始しえたのは、彼が政治的な敵対者に対して勝利に次ぐ勝利を繰り返し、己が理想と考える在り方を全人類社会に強制し、実際に染め上げてみせたからである。

 

 この事実が、遺伝子や血統を重視する帝国の思想や価値観よりも、重きが置かれてしまう節があったのだ。たとえば、晴眼帝マクシミリアン・ヨーゼフ二世はあまり“ルドルフ的ではない”統治の仕方を好み、劣悪遺伝子排除法の有名無実化や民間の福祉政策の強化を筆頭に、弱肉強食という帝国の根幹理念に背く弱者救済の統治方針を公然と推し進めたにもかかわらず、ゴールデンバウム朝の時代から晴眼帝は名君と賞賛されていた。

 

 それはゴールデンバウム朝の歴史の中でも最も腐敗していたと評された時代の負債と自由惑星同盟との初接触及びダゴン会戦の大敗からくる衝撃により自壊しつつあった帝国を立て直したから、という事実からきている。だが、それが公式に認められ続けたのは、マクシミリアン・ヨーゼフ二世はその在位期間中に、旧来の伝統を重んじる反対勢力を容赦無く叩き潰し、己が正義を強制して、勝利し続けてみせたから。そう、まるでルドルフ大帝が共和主義者に対してやったように。そう周囲に思われたからという理由も含まれていたりするのである。

 

 そういう意味では、ラインハルトすらも、その潮流を忠実に受け継いでいると言うことができるのであった。そもそも銀河帝国という土台がルドルフという男の作品であり、“最も優れたる優秀な強者が皇帝となり、全人類社会を専制的に統治する”という価値観も、その男の遺産であるに違いないのだから。

 

 これが帝国が抱えるどうしようもない欠陥である。かつての同盟の為政者たちの言葉を借りれば、人類すべての責任などたかが一人が背負えるようなものではなく、背負うべきでもない。そんなものに万民にとって輝かしい未来などあるわけがなく、帝国の罪悪など極論すればそれに尽きる、ということになろう。

 

 その主張が是であるか非であるかはさておき……かつて帝国軍人として黄金の獅子の御旗を誇らしく仰いだ()が獅子狩りを目論むテロリストに堕した理由は、そのあたりに遠因があるのかもしれない。

 

 彼、クリス・オットーは、帝国の辺境の生まれである。辺境といえば、惑星に一〇〇万程度の人口しか有さず、農耕や資源採掘を主な産業とする田舎を思う浮かべるかもしれないが、オットーの生まれた星は物流の中継地点として機能していた都市惑星の生まれであり、オットーの家は、少なくとも日々の暮らしに困らない程度の生活を送ることはできていた。

 

 しかしそれでも帝国全体で見れば辺境であり、刺激の少ない退屈な故郷であった。生来冒険心の強かった彼にとってこの星は狭すぎたのである。そして青年と呼べる年頃には故郷に窮屈さしか感じないようになっており、遥かな宇宙へと夢を抱くようになっていた。彼が職業軍人となろうと志したのは、自分の身分と実力で狙える範囲では、帝国軍の将校になるのがもっとも手っ取り早く、広大な宇宙へと飛び出す方法であると考えたからであった。

 

 そんな思惑から試験を受けて、見事士官候補生となったオットーであったが、帝国軍士官学校での成績はあまり良いものとは言えなかった。成績は落第スレスレの低空飛行を続けているにもかかわらず、休日になると自主鍛錬もせずに遊びまくるものだから、教官からの認識も悪くなりがちだった。結果、下から数えた方が早い席次で士官学校を卒業することとなった。

 

 オットーは、その卒業席次と身分ゆえに冷遇された。具体的には、少尉に任官した直後に閑職である辺境軍管区司令部の幕僚にさせられた。当時の軍管区司令部といえば、対海賊用の戦力と十隻前後からなるいくつかの航路警備隊と劣悪な人材と型落ちの装備を抱えた分艦隊が一個あるくらいが普通というのが標準であった。一応、軍管区内に存在する各貴族家の私設軍も、帝国軍の一部であるという建前の為に書類上は指揮下にあることになってはいたが、実質的な指揮権などあるわけがなく、将校の赴任先としては解雇一歩手前の左遷先と名高い職場である。

 

 刺激を好むオットーにとって、これは生き地獄に等しく、士官学校時代にもっと真面目に勉強しておくべきだったと後悔する始末だった。しかも普通なら士官学校を卒業すれば、一年後には自動的に少尉から中尉へと昇進するものなのだが、それすらなく、彼が中尉になれたのは、ある貴族叛乱の一件で順調に出世して正規艦隊所属の分艦隊幕僚となっていた士官学校時代の級友に偶然再会した際に、頼み込んでイゼルローン方面の任地に転属した時のことであり、士官学校卒業から三年後のことであった。

 

 以来、前線で彼は自由惑星同盟を僭称する叛乱勢力と戦い続けた。そうした経験の中で彼は覚醒した。士官学校での成績と態度がとかく悪かった彼だが、こと実戦となると最低限の知識を応用する能力について桁外れだったのか、あるいは、単に生来の才能であったのか、いつしか彼は中尉としては平均以上の働きと実績を残すようになっていた。だが、それでも出世はできなかった。

 

 なぜかというと、オットーがあげた功績は大概の場合において上官の功績であるとされてしまったからである。当時の帝国軍において、身分が低く、軍上層部や宮廷とのコネもない部下の功績を上官が自分のものとして上に報告するなどということはよくあることだったのである。オットーは士官学校卒業というキャリアはあったが、席次が低く同期生との繋がりも三年に渡る辺境勤務でかなり断絶してしまっており、功績を奪ったところで問題はないと考えた上官は多かったのである。

 

 こうしてオットーは何年も中尉のまま軍人を続けることになり、不満が溜まる一方だったが、どうしようもなかった。転機が起こったのは、帝国暦四八五年のこと。なんと正規艦隊勤務に命ぜられたのである。オットーは期待した。正規艦隊でも帝国軍の悪癖は健在であろうが、少なくとも前線基地や哨戒部隊よりかはマシな環境があるだろうし、ようやく出世できるかもしれないと思ったのは無理からぬことであった。

 

 だが、その期待は自分が所属する分艦隊の司令官の経歴を知ると急速にしぼんだ。同僚の間で広まっていた噂によると、なんでも分艦隊司令官は皇帝の寵姫の弟というだけで出世してきた、一八歳で少将とかいう冗談みたいな存在であるというのである。しかも遠目に見たその姿と所作は、どんな名家の男だよと思えるほど貴公子然とた美麗さだったので、オットーは怒りを感じずにはいられなかった。今までも帝国軍にまかり通る理不尽というものを散々経験してきたが、今度のは極めつけではなかろうか、と。

 

 あんな線の細い、ひ弱そうな男が、自分たちの分艦隊司令官となると、次の戦いで死ぬことになるのではなかろうか。一応、武勲によって出世してきたという噂も聞いたが、オットーには信じ難かった。どうせその武勲とやらも有能な部下から奪って、皇帝陛下とのコネで奪った相手を黙らせてきただけで、本人は特に活躍していないとかいうのがオチだろう。今までの自身の経験から、そのような認識を持ったのである。

 

 このような認識を持ったものだから、大規模の叛乱軍の攻勢に対して迎撃のためこちらも出撃するという連絡が来た時、オットーは即座に身辺の整理をし、家族に当てた遺書を残して出撃したものであった。分艦隊司令官閣下であらせられる金髪のボンクラ(と、オットーは決めつけていた)に期待するものはなにひとつとしてなかったから当然である。

 

 だが、その金髪のボンクラの指揮の下、第六次イゼルローン要塞攻防戦に参加してみると、その予想は見事に裏切られ、その桁外れの将才ぶりを経験することとなった。特に高々二〇〇〇隻程度の兵力で三万隻近い叛乱軍ほぼすべての注目を集めるデコイとして大活躍して、あまり大きな損害もなく生き残れたことは、現実感がなく、まさに開いた口がふさがらないといった心境であり、もう口が裂けても金髪のボンクラなどとは言えなかった。

 

 その後もその男の指揮下の艦隊に所属し続けることになったが、まるで夢物語に参加しているような心地になれた。第三次ティアマト会戦において、ほんのわずかな行動によって会戦に勝利しえたこと、第四次ティアマト会戦において両軍の合間を堂々と横断して敵軍の後輩に回り込み一方的に打撃を与えたこと、そしてアスターテ会戦でたった一個艦隊で敵三個艦隊に対して大勝利したこと……まさに伝説の目撃者にして参加者たる高揚を感じたものであった。

 

 加えてオットーにとって大変嬉しかったことに、その艦隊内においては功績を素直に評価される気風があり、鳴かず飛ばずが普通だったオットーも、四八六年に大尉に、四八七年には少佐と今までの停滞が嘘のように出世できた。こうした気風は司令官の意向によるものであることは明らかだった。この二つの要素のために、オットーは自分より二〇歳近く年下の少年――ラインハルト・フォン・ローエングラムを熱烈に崇拝するようになったのは、むしろ自然なことであったかもしれない。

 

 しかしその偉大な英雄に対する崇拝は長くは続かなかった。四八七年の暮れ頃、イゼルローン要塞を攻略した叛乱勢力こと自由惑星同盟がその勢いのままに大兵力を動員して大攻勢をかけ、帝国辺境部を占領していった。その中には、オットーの故郷もあったのである。彼は一日も早い奪還を願ったが、故郷が占領された情報を入手してから、一ヵ月もの間、帝国軍はまったく動かず、叛乱軍の占領地域が拡大していくのを黙って傍観していたのである。

 

 敵の兵力が分散し、疲弊したところを叩く為、というのがその理由であったが、オットーは不安であった。特に敵の疲弊を加速化させるために、事前に辺境星域から全ての公務員を退避させ、余剰物資のほとんどを回収して民衆のみを置き去りにする焦土作戦を実施するという情報は彼の不安を搔き立てた。今回は生存のために占領中に叛乱軍に協力しても、よほどのことじゃない限りは目を瞑るというのが上層部の方針と聞いていたが、イゼルローン要塞が建設される以前において、叛乱軍に占領された帝国辺境部を解放した際、憲兵隊や社会秩序維持局が出動し、敵側に協力したものを犯罪者として摘発していたことは一般常識として知っていたので、不安で仕方がなかった。

 

 結果から言えば、オットーのそうした不安は取り越し苦労だった。彼の故郷は敵の第七艦隊の占領下にあり、不信感に駆られて暴動を起こした帝国人に対し、第七艦隊は弾圧でもって答えた。オットーの故郷はその中でも特に悲惨な弾圧が行われた。その星の担当だった叛乱軍占領部隊は、一向に現れない帝国軍とひたすら物資を要求し、暴動すら起こした帝国住民への苛立ちから、暴動鎮圧という名目の下、徹底的な報復を実施したので、文字通り焦土と化して大量の死者を出し、オットーの家族など誰一人として生き残っていなかったからである。

 

 彼は当然怒り狂い、その怒りを故郷を蹂躙した叛乱軍へと存分に叩きつけた。白旗を掲げた戦闘不能鑑を無視して攻撃をかけることもしたほどである。そのために上官から叱責を受けたりもしたが、憎悪に染まりきった彼には他人事のように感じられた。叛乱軍を撃退してから数週間たち、叛乱軍への憎悪が多少弱まり冷静な思考をとりもどしてくると、ある違和感を覚えるようになった。

 

 今回の方針は皇帝フリードリヒ四世の裁断の下、帝国が一丸となって行ったことであり、ラインハルトたちは勅命により止むを得ずしたこという態度を貫いていた。それを信じていたので、オットーは皇帝の最側近にして宰相代理であるリヒテンラーデ侯爵とその一派に今回の責任はあると考えていたのである。だが、実際に焦土作戦を皇帝に進言したのは、ラインハルトである、との噂があったのである。

 

 ラインハルトを崇拝していたオットーは最初信じなかったが、その年の暮れにフリードリヒ四世が崩御し、その直孫である幼いエルウィン・ヨーゼフが皇帝に即位し、皇帝の補佐役として政治面には侯爵から公爵へと位階を進めたリヒテンラーデが宰相の座に、軍事面には伯爵から侯爵へと位階を進めたラインハルトが帝国軍総司令官の座につくというニュースを聞くと噂の真偽などどちらもでよいと思うようになった。首謀者かどうかは知らぬが、リヒテンラーデと手を組んでる以上、共犯者に近い関係であったのは疑いあるまいと憎むようになった。敵軍が帝国領内へと侵入してきたのは七月末であり、彼が反撃を躊躇したので、自分の故郷の者たちは皆殺しにされたのだと信じた。

 

 彼は仲が良かった軍人に相談を持ちかけた。場所は違えども同じくイゼルローン方面の辺境部の都市出身の軍人ということで、親しく語り合える戦友であった。そして当然というべきか、彼の故郷も一時的に叛乱軍の占領下におかれ、そのゴタゴタの中で家族を失っていた。彼も自分の憎悪に共感してくれるだろうと思っていたが、彼の反応は予想だにしないものであった。

 

「お前が言っていることが真実だとして、なにか問題があるのか? 家族が死んだのは悲しいが、それは叛乱軍のせいだ! あの常勝の英雄についていけば間違いはない! 第一、そんなこと気にしてたら軍人なんてやってられないだろ。おまえだってそんな些事にこだわるべきじゃないぞ」

 

 平然とそう語る戦友の姿に、オットーは愕然とした。これは帝国が抱える病理であり、ゴールデンバウム朝が五〇〇年に渡りに続いた要因の一つであり、帝国の創設者たるルドルフが強者による繁栄を熱望したがゆえに作りあげて残した悍ましくも偉大な思想的遺産である。思想の内容が、ではなく、その思想を人類に常識として刷り込ませることに成功してしまったという意味で。特に被害者の側であろうともその価値観から離れられないほどに啓蒙し、五世紀以上にわたってオリオン腕を支配する論理と化したことは、善悪はさておいて、空前絶後の偉業である。

 

 ゴールデンバウム朝はたとえ身分卑しき者であろうとも、特筆すべき才覚と長きに渡る貢献があれば、体制内に取り込もうとする奇妙な柔軟性があった。とりわけ帝国軍や社会秩序維持局においてはその傾向は強い。歴史を紐解けば、征服帝コルネリアス一世の時代に平民元帥などというものが誕生した例さえも存在する。にもかかわらず、そんな外部の人材を体制に取り入れても、帝国を動かす理念は変わらなかった。所謂ブルース・アッシュビー率いる七三〇年マフィアとの戦いにより帝国軍が大きな打撃を受けてからは、軍部においてこの傾向はより顕著なものとなったが、それでも変わらなかった。

 

 強者は、たとえ肉親であろうとも弱者を切り捨てることにさほどの痛痒を感じてはならぬ。それがルドルフの求めた強者の姿であり、弱肉強食の理である。その強者の論理を顔面通りに信じられる者か、そのように装える者しか、帝国の社会にあっては成り上がれなかった。そして弱者は、強者の理不尽を寄与の前提として適者生存の道をゆく。弱者が支配者に背く時があるとすれば、支配者が弱いと確信した時のみだ。むろん、それに縛られない者もいないわけではなかったが、いつの世も絶対的少数派であり、帝国社会においては常に異端視され、体制内において主流に干渉できるような勢力には育ったことは、少なくともこの数世紀の間にはない。

 

 オットーはそのことを理解できたかどうかはさだかではないが、その出来事で自分の感情が共感されにくいことを確信するには十分だった。ローエングラム元帥が管轄する艦隊に属する将校たちは、英雄の輝きに目を焼かれている。つい最近まで同類だった自分が偉そうに言えたことではないが。とはいえ、単身でラインハルトやリヒテンラーデを一矢報いようにも、一介の少佐に過ぎぬ身ではあまりに無謀であり、何の意味もない。今更生命惜しむ気はないが、無駄死には嫌である……。そう悩んでいた時に思い出したのが、辺境軍管区司令部勤務時代の上官ロッドハイムという貴族将校である。

 

 ロッドハイム伯爵は典型的な放蕩貴族の御曹司であり、職場に出勤してくることすら稀という論外な職務精神の持ち主の上官だったが、個人としては善良な性格の持ち主だったので不思議とよく話した。エルウィン・ヨーゼフ二世即位から、地方貴族派と皇帝派に別れて対立が根深くなっており、内戦も確実視されていたことから、彼との伝手を頼りに貴族派に属せば、少しはまともな復讐が可能なのではと考えたのである。

 

 その思いつきをオットーは早速実行した。堂々と帝都の貴族街にあるロッドハイム伯爵邸を訪問し、かつての部下であるので会わせてもらえないかと問い合わせた。ロッドハイム伯爵はオットーのことを覚えており、悪い印象を抱いてなかったこともあり、まあ会おうかという気分になった。予想外にすんなりと会えたことに内心驚きつつも、オットーは力添えしたい旨を申し出た。

 

 伯爵は怪訝な顔をした。オットーが偏見で眺めていたほどロッドハイム伯爵は無能ではなく、貴族社会を最低限渡り歩けるほど社交力は身につけている。その感覚からして、なんで今陣営替えなんかするのか気になるのは当然だった。それに対してオットーは本音をぶちまけた。もっとも、焦土作戦で故郷が壊滅した主な動機が恨みだったら共感されないだろうから表向きは幼い皇帝を担ぎ上げて傀儡にしようとしているローエングラムとリヒテンラーデに怒りを感じ、また私事だが、先の作戦で故郷が壊滅した恨みもあるという風に、あくまでオマケの理由として、ではあったが。

 

 オットーの説明には胡散臭いものを感じたが、その双眼に燃え上がっている毒々しい怒りの炎が演技で出せるものではないと感じ、ロッドハイムはオットーを自分の幕僚として迎え入れた、ロッドハイム伯爵家の私設軍にも、当然軍事の専門家はいるが、私設軍の性格上治安作戦重視であり、正規艦隊で叛乱軍相手の実戦を経験している将校を抱え込むことは、有益であるという打算もそこにはあった。

 

 こうしてロッドハイム伯爵家の私設軍に所属することになったオットーは、軍の訓練に力を傾けた。そんな中で、私設軍の軍人に対して世話役のまとめ役のような立場にあったロッドハイム伯爵の末娘エーリカと出会った。

 

 勝ち気で優しい性格のエーリカは、どことなく陰を感じるオットーを何かを気にかけた。オットーは彼女の態度に復讐心に凝り固まっていた心が暖かくほぐされ、薄れ消えていく心地よい感覚を味わい、いつしか彼女に淡い思いを抱くようになっていた。

 

 このことに対し、ロッドハイム伯爵は別に良いのではないかと思っていた。伯爵は意外にも多くの女性と関係を持って子を作っており、エーリカは妾腹の八女という身の上だったし、母親の身分の問題もあって政略結婚にも使いにくいという事情から、エーリカがまんざらじゃないようだし、自由にさせてやるかという態度だったのである。

 

 帝国暦四八八年の三月になるとラインハルト=リヒテンラーデ枢軸のクーデターが起こし、四月なかばに本格的な内乱が起こった。ロッドハイム伯爵の部隊は貴族連合中枢の判断によって、辺境星域の警備任務につくこととなり、六月頃、辺境星域の平定に乗り出していたキルヒアイス軍とロッドハイム軍は交戦し、戦史で名もつかない小規模な戦闘で敗北した。

 

 戦闘中、ロッドハイム軍の旗艦は至近距離からの直撃弾を受けた。オットーは軽症だったが、ロッドハイムは致命傷であった。直撃の際に吹き飛んだ鉄パイプが伯爵の腹部を貫通し、もう余命幾許ないことが感じられた。伯爵はオットーの姿を見つけると、口から血の泡を吐き出しながら言った。

 

「オットー……、娘を……、エーリカを頼む」

 

 ロッドハイム伯爵は傍らに立ったオットーにそう言い残すとこの世を去った。その遺言に従い、オットーは脱出用のシャトルで退艦し、民間人を装ってロッドハイムの領地を目指した。しかし内乱中なので移動もままならず、ロッドハイムの領地についたのは九月の末であり、そこで彼は二度目の絶望を見た。

 

 そこにはロッドハイムの屋敷は、とっくの昔に焼け落ちた廃墟と化していたのである。オットーは近場にいた住民を捕まえ、事情を聴いた。ロッドハイムの一族はやってきた帝国軍に対し、武器を持って抵抗したために、皆殺しにされたのだという。

 

 負けたんだからおとなしく従えばよかったのにとその住民は肩を竦めた。ロッドハイムの民にとって、領主一族は良くも悪くも、自分たちとは隔絶した上位者という風に認識しており、どうなろうが他人事、という意識があったための発言だったのだが、それがオットーの癪に障り、ほぼ反射的にその住民を殺してしまった。

 

 我に返って自分のやってしまった事の重大さに気づいたオットーは地下へと潜った。住民殺害の罪で捕縛されたくなかっためだが、既に彼は生ける屍のような有様だった。エーリカの為にすべてを捧げて生きてもよいと思い始めていたところに、二度目の()()の喪失を経験して、現実を直視できなかったのである。

 

 だから、その時、どうしてそこにいたのか、オットー自身ですら思い出せない。イゼルローン方面に辺境の田舎街にいたとき、偶然立体TVからの音声聞こえたのだ。ラインハルト・フォン・ローエングラムを“帝国人民の英雄”と賛美し、讃える放送を聞いたのだ。そして画面に映る万物の創造主が贔屓したとしか思えない美貌の若者の顔を見た時、生ける屍状態であった彼の瞳の奥に、どす黒くもか細い炎が灯った。

 

 次いでその映像を見ている民衆が自然と称賛の声をあげている光景を確認すると、オットーに宿った黒い炎は、瞬く間に全てを焼きつくのではないかというほど激しく燃え盛る劫火へと変じた。彼らとて、辛くひどい目にあったはずだ。にもかかわらず、帝国の臣民教育によって、強者への服従と後先なく“今現在”を最重視する価値観を疑えない彼らは、多くの恵みをくれる新たな帝国の指導者を心から賞賛していたのである。すべてが気に入らなかった。

 

 こいつが! このガキが!! 金髪の濡子が!! 俺から家族を、故郷を、俺の心を癒してくれた彼女を、全てを奪っていった!! そしてそんなことがあったことすら、その華麗な英雄ぶりで多くの者に忘却させている!! 許さん! 絶対に許さん!! 必ずや報いを下してくれる!!!

 

 その時、なんで自分の心臓がまだ鼓動を刻んでいたのか、オットーは理解したのだ。

 

 自身が復讐鬼と化した激情とともに意識を覚醒したオットーだが、その目覚めは非常に穏やかで自然であり、だからこそ周囲を警戒していた軍人たちは地面に倒れているオットーに意識があること気づかなかった。

 

 仰向けに倒れ、全身をぐったりと脱力させたまま、今がどういう状況かと考え、気を失う前の状況を思い出した。そうだ、自分は皇帝を暗殺しに来て、襲撃をかけ、返り討ちにあい、こうして地べたに転がっているのだ。

 

 意識を腹部に集中させると、そこに水気を感じた。どうやらここを撃たれて意識を失っていたらしい。不思議と痛みはなかった。ただこれが致命傷で、もう自分の生命が幾ばくも無いことを、知識ではなく本能で理解できた。

 

「――とのことです」

「それは良い。それよりも一度――」

 

 不意に耳が聞き覚えのある声をとらえた。己が生命に変えても殺してやると誓った怨敵の声である。近くにまだ金髪の孺子がいる! 

 

 手元にブラスターの感触はない。どうやら腹を撃たれて倒れた時にどこかに落としてしまったらしい。何か他に武器に使えそうなものはなかったかと考えると、ずしりと重い感触を胸のあたりから感じ、そういえば胸部の収納ポケットに手榴弾とサバイバルナイフを入れていたことを思い出した。

 

 はやる気持ちを抑え、死んだように息を殺して地面にオットーは地面に体を横たえ続けた。まだだ、まだ距離がある。大神オーディンの加護でもあるのか、どうやらこちらに向かって歩いてきているようだ。なんという僥倖であろうか。ヴァルハラの神々に感謝せずにはいられない。

 

 この体勢から皇帝の姿を確認し、安全ピンを抜いて手榴弾を投げつけるまで、一〇秒もかかるまい。たとえ動いた瞬間ブラスターで撃ち抜かれたとしても、投げる間絶えることはわけない。そう信じ、彼らは射程範囲まで近づいてきたと感じた時、オットーは跳ね上がるように立ち、周囲を見渡し、舌打ちした。

 

 自分のすぐ近くに帝国軍兵士が一人おり、こちらに気づいて取り押さえようとしてきたのである。オットーはナイフを取り出してその男に斬りかかるかまえをとり、軍人がそれを防ごうと身構えると、死角から蹴りを繰り出して軍人をどかした。投擲のルートさえ確保できれば、別に殺す必要はない。

 

 もう一度皇帝がいるはずの方向に向き直ると、黄金の覇者が直近まで迫っており、さすがに唖然とした。皇帝の一撃で腹部に強烈な一撃を受けた。その衝撃で手榴弾を落としてしまったことに気づき、手に持ったままのナイフで刺し殺すべく力強く一歩を踏み出した。

 

 が、奇跡はそこまでだった。目覚めた時からすでにオットーは重傷だったのだ。本来であれば、気を失ったまま目覚めることなく、そのまま死ぬはずであった。にもかかわらず、ここまで動けたことが奇跡としかいいようがないことであった。

 

 全身から急速に力が抜けていく。意識が朦朧となり消えていく。憎き相手が、否、彼が憎んだすべての象徴たる男にあと一歩なのに、死ぬなんて嫌だと心は叫んでいたが、もはやオットーの肉体がそれに耐えられない。意識を手放し、まるでもたれかかるようにオットーであった死体はラインハルトのほうへと倒れ込んだ。

 

 それでも手放していなかったナイフはラインハルトの頬にあたったが、力が伴ってない以上、皮膚を軽く切るだけの結果に終わった。ラインハルトはやや憮然とした様子で自分にもたれかかってきた死体を床にどかした。

 

「陛下! 我々の仕事を奪わないで頂きたい!!」

 

 追いかけてきた親衛隊長のキスリングはそう叫んだ。本音を言えば、護衛対象が自分から危険人物に向かって突っ込んで行くなと言いたかったのだが、己が主君がそうした物言いを好まないことを若き親衛隊長は承知していた。

 

「ああ、そうだな。すまなかった。卿の仕事を奪って悪かった」

 

 ラインハルト少しだけ恥ずかしそうに謝意を示すと、表情を正して命令を出し始めた。

 

「それでオーベルシュタイン、卿は急ぎ式典の会場に向かえ。途中でケスラーとすれ違うことがあれば、すぐに先ほどのことを伝えろ。それでケスラーならわかるはずだ。ここの後始末はシュトライトに任せる、リュッケは補佐をしてやれ。余らは官舎の方へと戻る。クラーゼンが首都防衛軍の警戒レベルをあげているのなら杞憂やもしれんが、気になるのでな」

「「はっ!」」

「陛下、私も軍務尚書と同行してもよろしいでしょうか」

「……よかろう。オーベルシュタイン、よいな」

 

 ヒルダの言葉に、ラインハルトは少しだけ考え込むような仕草をしたが、すぐに決断した。公務と私情を混同するとも思えぬが、諸将たちがオーベルシュタインに隔意を抱いているのはわかっていたので、ヒルダが間に入った方が妙な軋轢を生む可能性も少ないと思ったのである。

 

「キスリング、足を用意してくれ」

「はっ、しかし陛下の御料車は……」

「非常時だ。適当な車両で良い。すぐに準備してくれ」

「了解しました」

 

 去って行く親衛隊長の姿を見送った後、自分のそばに控え、少し怯えている従卒のエミールの存在に気づき、ラインハルトは軽く頭を撫でてやった。それだけでエミールの表情から怯えの色が消え去ったようであった。



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黄昏の衝撃-公爵家元家臣の忠誠

 

 皇帝暗殺を狙ったものと思われるテロが発生したという報告が届き、首都防衛軍司令部の幕僚たちの一部は信じられないと驚いた。手配中の国事犯であるジーベックの姿を見かけた情報が内務省より共有されてから、首都防衛軍は警戒レベルをあげていたが、幾人もの高級幕僚が思わぬ事態であると狼狽したのである。

 

 とりわけ、前司令官であるケスラーに見出されて首都防衛軍司令部入りを果たした者は、前任に代わってやってきた今の司令官と副司令官が、実力や実績よりも彼らの出自を考慮しての政治的な宣伝の意図があっての任用であると感じており、事実とさほど異なることでもなかったので二人の能力を過小評価しており、現在に至るまでその偏見を訂正できる機会も少なく、副司令官トゥルナイゼンの判断と指示を実績欲しさの勇み足からきた過剰判断であると見ていた者が少なくなかったのである。

 

 そんな浮き足立った幕僚たちの動揺を、トゥルナイゼンは苦々しく思った。しかし司令官のクラーゼンが威厳ある態度でそんな幕僚たちを叱り飛ばし、的確な指示を部下に与え始めたことには驚きよりも困惑を覚えた幕僚の方が多かったであろう。

 

 首都防衛司令官に着任してから実務のほとんどを副司令官に任せ、自身は必要最低限の仕事だけして平然とお飾りに徹していたのが幕僚たちの知る首都防衛軍司令官クラーゼンの姿であって、それは旧王朝時代から一〇年以上も惰性で高級軍人を続けている名門貴族の伴食元帥という風評そのままであったから、当然であったかもしれない。正直なところ、トゥルナイゼンも少し意外には思っていた

 

 そんな伴食元帥がこのような非常事態を冷静に受け入れ、状況を判断して指示を出しているという事実は、動揺していた一部の参謀たちに責任感と義務感を思い出させる作用があったらしく、彼らも冷静さを取り戻して事態に対処しはじめた。そして初報から一五分もせぬうちに首都防衛軍は皇帝ラインハルトの安否を確認し、通信連絡をとることができた。

 

 クラーゼンはすぐに陛下と戦没者式典会場にいるはずの帝国軍中枢部の面々の身の安全を確保するために首都防衛軍は動いている旨を報告したが、皇帝ラインハルトは自身の警護には親衛隊がおり、式典会場にはケスラーの憲兵隊があるゆえ無用であると述べた。

 

「それより官庁街の警備の方をこそ強化せよ」

 

 耳に押し当てた受話器から聞こえてきた皇帝の命令に、クラーゼンはやや釈然としない感情を覚えて眉を歪めた。

 

「恐れながら陛下、それは工部省を除く、帝国政府省庁のすべてという意味だと解釈してもよろしいでしょうか」

「違う。工部省を含めた全省庁だ。ついでに代理総督府のほうも守ってやれ。このように混乱している最中に首都治安管轄争いをしたがるような奴には、予の勅命を受けて首都防衛軍は原則論で対処していると言え。よいな?」

「……はっ」

 

 皇帝のお墨付きをうけて、クラーゼンは受話器を置いて息を吐いた。フェザーンの代理総督府に代表される不平派とそれを疎ましく感じている親帝国派、帝都開発を推し進めたい工部省と首都治安の管轄権を拡大したい内務省、その他大小様々な面倒臭い対立に自身が巻き込まれるなど自分は絶対に御免だ。

 

 勅命という大義名分を得て、そうした事後の政治的なあれこれに対処する責任を皇帝に押し付けることに成功したとクラーゼンは既に自身の政治的立場に関する安全をほぼ確信し、司令官らしい泰然自若とした調子で首都防衛軍は官庁街の警備にあたることを部下たちに告げた。

 

 なによりもまず皇帝の警護をこそ最優先で厚くすべきではないのかという一部参謀たちの意見もあったが、すぐに皇帝が官邸に戻られる予定であるとクラーゼンが言い聞かせて黙らせた。副司令官のトゥルナイゼンは思案顔で黙り込んでいたが、意見する参謀たちの声がおさまるとクラーゼンを見据えて言った。

 

「司令官閣下。陛下よりの勅命とあれば、小官としては首都防衛軍がより完璧に陛下のご期待にそうべく、司令部にての指揮は閣下にお任せし、小官は複数人の参謀を伴って現地指導を行いたい。御許可をいただけますでしょうか?」

 

 トゥルナイゼンの発言に、クラーゼンは頭を抱えたくなる衝動を必死に我慢しなければならなかった。

 

 分野を問わず高級将校が現場に出て指導をしたがるというのは、トゥルナイゼンに限らずローエングラム王朝黎明期における有能で若い高級軍人の特徴的通弊であった。現在の皇帝からしてその傾向が強いわけであるし、今の人類社会全体の過渡期ぶりを考慮すれば、そうする必要性もあることはクラーゼンも頭では多少理解していたが、この老軍人としては高級将校ならもう少し落ち着きを持てと反射的に言いたくなるのであった。

 

 クラーゼンはいくつか忠告と懸念を述べた上でそれでも現地指導がしたいと言うならば行かせてしまえば良いかと数秒の内に結論を出したが、それを口に出す前に若い参謀将校がトゥルナイゼンに対し反論した。

 

「お待ちください。副司令官自ら現場に出る必要があるのでしょうか」

「必要があると俺は判断したのだ。いくら勅命に基づく行動であるとはいえ、帝都の治安管轄の争いは熾烈であることを思えば、工部省や代理総督府の連中が激しく抵抗し、現場指揮官が怖気付くなどということもあるやもしれぬ。階級が全てとは言わんが、大将である俺が出張れば兵らが不安に迷うこともあるまい」

「なるほど。しかし、ですが……、その、クラーゼン閣下だと、首都防衛軍の指揮に小官には不安が……」

「……いくらなんでも卿は司令官が帝国元帥である事実を軽く見過ぎだろう」

 

 徐々に声が消えそうになっていく軍人らしくない若い参謀将校の喋り方とその意見の内容に、トゥルナイゼンは呆れはてたように肩をすくめた。まだそんな風にクラーゼンのことを認識してたのかと純粋な驚きさえあった。

 

 クラーゼンに対する低評価について、トゥルナイゼンは一定の理解を示せるが、それほどまでに酷い能力の持ち主を現役元帥のままにし、要職である首都防衛軍司令官に任命するほど帝国軍の人事は狂ってはいない。五世紀近く続いたゴールデンバウム王朝の歴史を全て見返せば、あるいは類似例を発見できるのかもしれないが、今の時代ではありえないことであるはずであった

 

「話を戻しますが、ご許可を頂けますでしょうか。司令官閣下」

「許可する。しかし我々は陛下の意を受けて動いているという事実で押し切るようにせよ。連中との交渉には変に応じようとはするな。そのあたりの政治的な事柄は軍務省や帝国政府の仕事だからな。この事態が収拾された後、改めてお偉方が決めれば良いことで、それは我ら首都防衛軍の仕事ではないし、今は迅速に部隊を展開させることが急務なのだ。それを忘れるな」

「承知しております。ケーニッヒ、エーベルハルト、トーンを連れて行っても?」

「わかった。三人ともトゥルナイゼンを補佐するように」

「「「はっ!!」」」

 

 三人の参謀を伴って司令室から外に出て行った副司令官の姿に、意見していた若い参謀将校は信じられない表情を浮かべたが、それも一瞬のうちにその表情をかき消し、誰にも悟られぬように能面のような表情を貼り付けて司令室での職務に戻った。

 

 一方その頃、フェザーンの地下水路の一画でアドルフ・フォン・ジーベックは途方に暮れていた。情けない話であるが、彼は絶賛迷子中の身であった。

 

「ちくしょう」

 

 ジーベックのその呟きは通路に反響した。確かにフェザーンの地下水路は複雑に入り組んだ構造をしている。それはフェザーンの開拓指導者であるレオポルド・ラープ以来、実に一〇〇年以上に渡ってフェザーンの歴代の自治領主たちによって地下水路の増改築が行われてきたためであった。人間が入植するまで、原生生物を含めてあらゆる生命が一切存在しない砂と岩だけの荒野が延々と続いていたこの惑星を開拓していくにあたり、自然と水源確保への関心をフェザーンの為政者たちに喚起させてきたのかもしれない。

 

 そしてその入り組んだ迷路のような地下水路は、帝国や同盟の工作員や様々な裏社会の者たちが便利に活用していると自治領時代からフェザーン人たちの間でまことしやかに噂や陰謀論として囁かれており、実際にそうした噂や陰謀論の数%ほどは事実無根とは言えないことであり、フェザーン自治領も完全に管理しきれているとは言えない魔境ではあった。

 

 とはいえ、いくら入り組んでいるとはいえ公共事業として地下水路の増改築は行われてきたわけであり、その複雑極まりない地下水路の地図は存在しており、ジーベックもフェザーンとの伝手でそれを入手しているし、本来であれば現在地がわからなくなって迷子になるほど彼は間抜けでもない。

 

 そもそも当初の予定ではジーベックたちは六名の集団で行動していて、市中の様子をさりげなく見て回っていたのだ。それは二つの目的を有していた。ひとつは皇帝襲撃のための最後の下見である。もし何事もなければジーベックらはオットーらと一緒に皇帝襲撃に参加していたことだろう。しかしもう一つの目的は陽動であった。隠密行動をとりつつも、治安組織に付けられている気配を感じれば、気がついていないふりをして彼らを襲撃予定地とは別方向へと誘導し、敵の集中を逸らすというものであった。

 

 気づいていないふりをしながらの逃走劇で一度追っ手を巻けたことに困惑したが、しばらくして別の追っ手がつき、彼らを誘導することには成功した。そして予定では皇帝襲撃の時刻に、連中もこちらへと攻撃をしかけてきて、ジーベックらは応戦した。だが、向こうの方が数が多かったので逃亡を選び、地下水路へと逃げ回った末に、こうして迷子になっているのであった。

 

 地下水路の地図はおおよそ頭に入っており、しばらく歩いているうちに現在地の候補が数カ所に絞れてきて、追っ手と接触せずに逃げるとなると一番安全なルートはとジーベックが考え始めていた時、背後に気配を感じてパッと振り返ってブラスターを構えた先には同じようにこちらに銃口を向けている人影があった。その顔を確認してジーベックは忌々しげに顔を歪めた。

 

「よくも私の前に恥ずかしげもなく姿を現せられるな、フェルナー大佐。いや、裏切りの褒賞として『閣下』と呼ばれる身になったのだったな。いや、あるいはそんな裏切り者など信頼できんと実は軍務省官房長の肩書きがお飾りだから暇なので、こんなところにまでしゃしゃり出てこられるのか?」

「裏切り? お飾り? なんのことだ」

 

 かつての同僚からいきなり心当たりのないことを言われて、フェルナーはブラスターをかまえたまま戸惑ったが、とぼけられたと感じて癪に障ったジーベックの声に硬さが宿った。

 

「とぼけるな。三年前、貴様がブラウンシュヴァイク公の制止を無視して独断専行し、金髪の孺子に反撃の正統性を与え、われわれは内戦が始まる前の段階で大きな打撃を被る羽目になる利敵行為を働いたではないか。しかも自分が調べたところによれば、内戦中からオーベルシュタインの犬としてよく働いていたそうではないか。すなわち、貴様は内戦が始まる前から主君を裏切り、あの金髪の孺子めと誼を通じていたのだろう。平民である貴様を側近として重用してくださったブラウンシュヴァイク公の大恩に対して仇で返す、この不忠の卑劣漢めが」

 

 フェルナーは奇妙な感心を覚えた。なるほど。今なおブラウンシュヴァイク公の側に立った物の見方をする者であれば、当時の自分の行動をそのような曲解もできるかもしれない、と。

 

「不忠者呼ばわりされるのはかまわんが、卑劣漢呼ばわりされる覚えはないな。たしかにグリューネワルト大公妃の邸に襲撃をかけたのは俺の独断専行だが、俺なりにブラウンシュヴァイク公の為を思ってのこと。もっとも、目的を果たせなかった上、公爵が俺の独断専行に大変ご立腹との情報も得たため、ローエングラムの軍門に降り、以降その為に働いているだけのこと。帝国ではよくあった話だろう?」

 

 たしかにフェルナーの言う通り、そうした事例はゴールデンバウム朝の世にあっては主君の不興を買った、もしくは主君への反発から家臣が別の貴族家に走るという事例はそれなりに存在したことではある。しかしジーベックにはそれが白々しい言い訳に聞こえた。

 

「しらばっくれるな。そんな奴をいきなり重用するほどあのオーベルシュタインめが無能なわけもないし、金髪の孺子がそれを黙認するほど愚かでもあるまい。事前に話を通してなければ、貴様のような裏切り者を軍務省の要職につけるなど、ありえぬ厚遇だ」

 

 しかも主君の裁可を得らなかったので独断で敵対者の暗殺を決行して失敗したので不興を買ったなどという、おおよそ他者から評価されるものではない理由での主君替えである。普通そんな無能者をいきなり厚遇するなどジーベックには到底信じられることではない。ましてや、裏切ってすぐにかつての主君にためらいなく敵対するような変節漢ならなおさらだ。

 

 しかし、最初からフェルナーが敵に内通していたというのなら、今のフェルナーの地位には自然と納得できる。まだ政治的な鍔迫り合いを続けていた状況下の帝都にて、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ことによって、当時のローエングラム侯とリヒテンラーデ公は帝都オーディンは力技で掌握する大義名分を得て、われわれは帝都を脱出するより他になくなった。

 

 そしてブラウンシュヴァイク公を盟主とする貴族連合軍は賊軍と公称されることになり、いきなり不利な立ち位置に置かれることになってしまった。このように考えると、フェルナーの独断専行は、金髪の孺子の利益にしかなっていないのである。最初から誼を通じており、あえて愚行を行い、その褒賞にて今の地位にいるのだと見るのが妥当であろう。少なくとも、ジーベックからしたら疑いの余地がなかった。

 

 フェルナーはそんな元同僚の態度を見て、肩をすくめた。そういう常識でしか考えられないから、リップシュタット戦役でブラウンシュヴァイク公は敗北したのだと内心で思いながら。

 

「やれやれだ。こちらはかつて同じ主君を仰いだ元同僚としての義理でこうして姿を晒してやったのに」

「義理だと? なんだ、私の身の安全でも保障してくれるとでも言うのか大佐殿? いや、准将閣下?」

 

 相手を小馬鹿にするような口調でジーベックは言ったが、フェルナーは気に障った様子もなく首を横に振った。

 

「無理だな。お前の身柄を確保すれば、確実に公開裁判の上で処刑だ。ブラウンシュヴァイク公の暴虐の象徴でもあるヴェスターラントの虐殺の現場指揮官であるお前の身の安全など保障できようはずもない」

「ハッ、暴虐か。たしかに熱核兵器で皆殺しにするのはやりすぎであったかもしれんが私は後悔していないぞ。領民が領主を弑すなどとんでもない大罪、贖わせるには関与した者どもを悉く絞首するなり銃殺するなりせなば、贖わせようもないし、示しもつかん。私は公爵の命に従い、良き友であったシャイド男爵の仇をとってやっただけのことだからな」

「だったら余計に救えんな」

 

 フェルナーの顔に微かな軽蔑が浮かんだのを察し、ジーベックは苛立った。このままブラスターの引き金を引いてしまおうとしたが、堪えた。まだ時間を稼げるなら稼いでおいた方が良い。もっとも、こんなやつを引き止めておいてどれほどの意味があるか怪しいものであるが……。

 

「なら何の義理で、貴様は私の前に姿を現したのだ」

「言っただろう。かつて同じ主君を仰いだ元同僚としての義理だ。おまえさんはもう無理だが、元主君の妻子なら別だ」

 

 その言葉に、ジーベックは目を丸くした。ついで軽くのけぞって笑い出した。あまりにも、あまりにも馬鹿にされていることに、笑わざるを得なかった。そして相手をゾッとさせるような視線でフェルナーを睨みつけた。

 

「冗談も大概にしろ。貴様、私たちが仕えた主君がどのような御方であったか忘れたのか。公爵閣下は死よりも不名誉をおそれた御方であり、それゆえに先の内戦にて武運拙く敗北した際、金髪の孺子の軍門に降ることを潔しとせず、見事な自決をされた御方だぞ。そして奥方も……私が公の死を伝えると、自らの毒の盃を飲み干して殉死なされた」

 

 その発言にフェルナーは軽く目を見開いた。ブラウンシュヴァイク公爵夫人アマーリエの生死は現在に至るまでつかめておらず、消息不明であった。ジーベックが嘘をつく理由もない以上、既にアマーリエ・フォン・ブラウンシュヴァイクは亡くなっているのだろう。

 

「そんな御二方の御息女であるエリザベート殿下はその命尽きるまで戦うことを選ばれている。貴様なんぞに身の安全の保障を提案されるなど侮辱でしかないわ。第一、もはや今更手遅れだ」

「手遅れだと? それはどういう――」

 

 その瞬間、地下水路内に大きな振動が起きた。遠くで何か大きな爆発があったような振動に一瞬気を取られ、その隙を見逃さずにジーベックはブラスターの引き金を引いた。とっさにフェルナーは転がるように位置を移動し、銃撃をかわした。

 

 ジーベックはそんな隙だらけのフェルナーに目もくれずにあらぬ方向にブラスターの銃口を向け、二度ほど引き金を引いた。いや、あらぬ方向でなかった。その位置にはフェルナーが伏せていたビーム・ライフルの照準をジーベックに向けていた兵士が一人いて、彼は振動に気をとられた隙をつかれ、体をブラスターの光条に貫かれて絶命した。

 

「もう二、三人連れてくるべきだったな、大佐」

 

 頑なに自分のことを大佐と呼んでくるジーベックに、ブラスターを向けながら立ち直ったフェルナーはしかめっ面を浮かべながら問うた。

 

「先ほどの振動はなんだ。お前たちはいったい何を企んでいる?」

 

 元同僚として、フェルナーはジーベックの能力や才覚をそれなりに把握している。長期的な視野では自分やシュトライト、アンスバッハには遠く及ばなかったジーベックであるが、軍人としての破壊や殺戮、工作などの実務的な技術力ではその三人が驚くようなところもある男である。

 

 先ほどの発言も含めて考えると、ジーベックがなにか後先を考えずにとんでもない作戦を実行していたのではとフェルナーは勘ぐったのである。そしてそれは当たらずも遠からずであった。とはいえ、それを素直に解説してやるほどジーベックもお人好しではない。

 

「そうだな、例えば堅牢な要塞を正面から攻略するの困難ならば、絡め手を使って内部から打ち崩す方法を使いたくもなるだろう。それに下賎な金髪の孺子のような輩は、公然と暗殺されるよりもその罪故に苦しみのたうちまわった方が似合いだ」

「どういう意味だ」

「いちいち説明してやる必要がない。これから死ぬ者にとってはな」

「撃ち合いで俺に勝てると?」

「さて、そっちに自信がないから手駒を伏せていたと思ったんだが? 先に地獄に堕ちて公爵閣下に造反した罪を謝しに行くがいい……!」

 

 次の瞬間、双方がほぼ同時にブラスターの引き金を引き、白く細い光が交差した。

 

「ぐっ……くそっ……」

 

 脇腹を貫かれて大量の血を流し、ジーベックは自分の肉体を支えきれずに地面に倒れ込み、心底理不尽だというようにフェルナーの方を仰ぎ見た。彼は右頬をブラスターの光条がかすめて血を流していたが、自分と違って生死に関わるような傷ではないことは明らか。ジーベックは憎たらしさのあまりにフェルナーの頭部を狙ってしまったことを後悔した。胴体を狙っていれば、とっさの回避行動をとられても、致命傷を与えることができたかもしれない。

 

 フェルナーは眉ひとつ表情を動かさず、警戒しながら倒れているジーベックを見下ろして銃口を向けた。現実を受け入れたジーベックはヤケクソ気味に唇の端を歪め、嘲るように叫んだ。

 

「フッ、野良犬風情にトドメをささられるようでは、この身が哀れすぎるわッ!」

 

 直後、ジーベックは右手で掴んでいたブラスターを咥えこんだ。

 

(申し訳有りません殿下、先に行きます……公爵閣下、アンスバッハ准将……お叱りは覚悟の上で、今よりそちらに参ります)

 

 そして、迷いなくブラスターの引き金を彼は引き、彼の魂は主君のいる地獄へと馳せ参じに向かったのである。

 




更新頻度が低下しすぎている……


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黄昏の衝撃-醜怪影嚮

 首都再開発区域に新設された戦没者墓地の完工式には、もとより憲兵総監ケスラー大将の指揮の下、それなりの警備体制が敷かれる予定であった。そこへ本日の正午頃に首都防衛軍副司令官トゥルナイゼン大将からブラックリスト入りしている貴族連合残党の大物が近辺で目撃された為、注意されたしとの連絡があったとき、ケスラーは暫し悩んだ。

 

 というのも、すでに予定されていた警備の規模でも彼個人としては少々大仰さを感じていたのである。加えて主君たるラインハルトが重厚な警備体制というものを好まないという事情もある。しかしジーベックがどれほどの危険人物であるかは憲兵隊の調査資料をまとめたデータベースにまとめられており、それを考慮して、憲兵達の武装レベルを一段あげ、兵員も僅かばかり増量させることにした。

 

 皇帝だけならまだしも、今回の完工式の式典には、その重要性から国務・軍務・工部の三人もの閣僚を筆頭に、政府と軍の要人も多数出席する。取り越し苦労やもしれぬが、十分以上の警戒をしても良いであろう。何事もなければ自分が主君の不快を招いたことを謝せばよいのだ。そして、叶うならば、その形で終わるのが一番である。

 

しかしそんな願いは叶わなかった。市内に爆発音が響き、その数分後には首都防衛軍司令官たるクラーゼン元帥から移動中の皇帝陛下を狙った暗殺未遂が発生したとの連絡も入った。こうなると、念のために用意していた重武装憲兵部隊が要人警護の上で大変有効活用できているのであった。

 

 一方、この戦没者墓地に埋葬された者の所属部隊の者達や戦友たちからなる三万人の非武装の兵士の群れの中に、ひっそりと肩を落としている兵が一人いた。彼は、ヴェスターラント出身の兵士であった。先のリップシュタット戦役の折、()()()()兵役について故郷を離れていたために、貴族連合軍の虐殺の被害者になることを免れた男であった。

 

 彼は旧帝国の辺境貴族領で暮らす臣民としては模範的かつ普遍的な価値観の所有者であった。極端にいってしまえば、生まれた星で暮らし、働き、骨を埋めることのみを考え、他の星々のことは知識として知ってはいても、さほど興味を持たない。兵役も帝国臣民たる義務であるので、仕方なくという以上でも以下でもない認識しか持たず、帝国軍人としての兵役を終えて早く故郷へ帰ることを望んでいた。

 

 このような価値観の所有者にとって、リップシュタット戦役での貴族連合軍によるヴェスターラントの虐殺は、文字どおり世界が終わったに等しかった。惑星上に点在していた街や村々すべてに、一三日戦争以来人類すべての禁忌であると認識されていた熱核兵器の地上投下が行われて、二〇〇万の居住民はすべて核の劫火で火葬に伏され、建築物は一つ残らず爆風の嵐で壊滅しており、有人惑星ですらなくなってしまったのだ。

 

 そのため、内戦の翌年から帝国政府が毎年発行している地図からはヴェスターラントの文字すら消えた。帝国五〇〇年の歴史を遡っても、惑星規模でここまで徹底的に破壊された有人惑星などは存在しない。再興の余地などとてもあるまいという判断によるものであった。あるいは、禁忌扱いされた核兵器の地上使用で滅んだなど不吉である、という迷信じみた恐怖から触れたくない感情も帝国の文官たちにはあったのかもしれない。

 

 故郷の星を再興することすらできない。彼という人間を構成していた要素のほぼすべてが奪われた後、思ったことは復讐をしなければということであった。まず最初にその復讐対象として最初に思い浮かんだのは貴族連合盟主のブラウンシュヴァイク公、貴族連合軍最高司令官メルカッツ、虐殺実行の責任者であったジーベックなどであったが、ブラウンシュヴァイクは既に敗死し、メルカッツは同盟に逃げ、ジーベックは何処にいるのかわからぬのであった。

 

 そんな折、リップシュタット戦役で当時のローエングラム公はヴェスターラントの虐殺を止めようと思えば止めれたのに、政略的事情から止めなかったのだという噂話を耳に挟んだ。それを聞いて彼は如何なる思考回路によるものか、もしくはこれ以上失うものがないゆえの破滅的思考がとにかく復讐の対象者を欲したのか、ブラウンシュヴァイク公とローエングラム公が共謀して故郷ヴェスターラントを滅ぼしたのだという認識を持つに至り、今やローエングラム公から銀河帝国皇帝になり仰せたラインハルトに復讐するのだと決意した。

 

 だから自分も参列する今回の戦没者墓地の完工式に皇帝ラインハルトが出席すると聞き、またとないチャンスであると考え、彼は金属探知機にひっからないよう毒を塗った竹のナイフやセラミックの青酸スプレーなどを用意し、皇帝暗殺の挙にでようとしていたのである。狂気の沙汰であって、仮に皇帝が予定通りに出席したとしても、親衛隊の警護を突破することをできるわけもなく、成功の確率などゼロに等しい杜撰な暗殺計画であった。

 

 それなのに、道中で貴族連合残党だかの襲撃を受けて、式典じたいがとりやめになるというのだから肩透かしを食らった気分なのであった。しかしその気分が過ぎ去るとシニカルな喜びが彼を満たした。このようなことに長けたものは、この世には幾人もいるし、今回は失敗のようだが、さて、次のおれやだれかの暗殺の手を皇帝は躱し続けることができるだろうか、できはしまいと思ったのである。

 

 そんなことを思っていただろうか、皇帝暗殺未遂が起きたという情報を得て他の将兵は憤激するなり困惑するなり感情をあらわにしていたのに、自分の近くでぶつぶつと小声でなにか呟いていた兵士の声が、彼の視界の中で浮いて見えたので気になり、耳を傾けた。

 

「慈……主、……シードよ。汝は……争う惨禍を嘆かれ、……母なる大地の上に……献身された。……願い、いま……戦禍に……憐れみ、……罪業の炎で己が身を焼き尽くさん……。しかれども、願わくば浄罪の天主たる汝の御力によりて、魂だけでも救済されんことを」

「ーーー!?」

 

 その言葉の意味するところを悟り、皇帝暗殺者志望の彼は瞬時に顔を青ざめさせ、逃げようとした。それは地球教の殉教の聖句であった。帝国中央政府の認可を受けた団体に属する地球教徒以外は、テロリストへの扱いに準じて処置すべしとして、その思想や価値観を研究した資料が帝国軍に配布されており、当然彼もそれを読んで知っていたのである。

 

 しかしその判断は遅かった。既にその地球教徒の兵士が懐に忍ばせていたプラスチック爆弾は信管をつきさしてより一定時間以上経過しており、すぐ近くにいたヴェスターラント出身の兵士は逃げようと思ってすぐに起爆してしまい、地球教徒兵士と同じく彼も爆発の衝撃で即死してしまった。

 

 突然の爆発、それも式典参加のためだけにいた一般兵の列で起きた爆発で周囲は驚き、兵らは混乱して各々無秩序に行動を始めた。フェザーン方面軍司令官ルッツ上級大将は、その状況を見て即座になんらかの陽動であると察し、大声で混乱する兵たちを諌めた。ケスラーも警備兵たちの様子を確認し、動揺が少ないことに安心しつつも周囲に警戒を走らせた。パニックに乗じて何者かが行動を起こすとすれば、今がその時のはずである。

 

 そうした彼らの考えは正しく、とある要人を襲撃しようとして不審な動きを見せた男を即座に憲兵たちは即座に電圧銃で抵抗力を奪い、手錠をかけて両脇を掴んで拘束したが、憲兵達は内心戸惑いを覚えざるをえなかった。まず、その男が、大尉の階級章を身につけた立派な帝国軍士官であったこと。そして所属章はルッツ艦隊所属であることを示すものであった。

 

 そして何より彼らを戸惑わせたのは、その大尉が襲撃しようとした相手が国務尚書フランツ・フォン・マリーンドルフ伯爵であったことであった。もちろん、内閣首席たる国務尚書を務める伯爵は帝国にとっては重要な人物である。しかしマリーンドルフ伯は才幹よりも、良識さや誠実さ故に抜擢された人物であって、黎明期の余人をもって代え難い人材を多く抱えて運営されていたローエングラム王朝の全体図からすると、酷い表現を使うならば“代替が容易”な人材であった。近くにいたシルヴァーベルヒ工部尚書を狙った方が帝国全体にあたえる政治的ダメージは大きかったであろうに。

 

「貴様も門閥貴族の残党の手の者かっ!?」

 

 問いを投げた憲兵将校の立場からすれば、現在入手している情報から推測して一番可能性の高い疑惑であったから、当然の詰問内容であった。しかし問われた方にとっては違った。国務尚書暗殺未遂犯の大尉は一瞬だけ困惑の表情を浮かべ、そして次の瞬間に一切の表情が消えた。そしてすでに電圧銃を撃たれて抵抗力を奪われていたはずであるのに、大尉の両脇を掴んで拘束していた憲兵たちが驚くほどの力で前進しようとした。あくまで電圧銃で筋肉が思うように働かないはずであるにしては、であるが。

 

 憲兵達の拘束を振り解けないことを悟った大尉は、今度は目の前の憲兵将校を目力だけで人を殺せるならば殺せそうなほどに眼光を炯々とさせ、壮絶ささえ見るものに与える迫力ある雰囲気をまとわせながら、叫んだ。

 

「ふざけるなこのクソ憲兵が!! 俺が門閥貴族の残党だと!?? 侮辱にもほどがあるぞ貴様ァ!!」

 

 心外であると怒り心頭な大尉の返答に、問いを投げた憲兵将校は唖然とした。たとえ否定されるにしても、まさかこれほど強烈な否定の言葉が飛び出してくるなど思っていなかったのである。

 

 ギロリ、と大尉は目玉だけを動かしてマリーンドルフ伯をにらんだ。殺意と憎悪に塗りつぶされているかのような大尉の瞳を確認して、マリーンドルフ伯は反射的に恐怖から身を竦めた。その様子を見て更に国務尚書への怒りを募らせ、顔は鮮やかな血の色に染まっているかのように見えた。

 

「そこな臆病者はローエングラム王朝を腐らせる癌だ。俺を拘束している暇があるなら、カイザー・ラインハルト陛下の御為にそいつをさっさと殺さぬか! 役立たずどもが!」

「貴様! 先ほどから何を言っている!?」

 

 まるで意味がわからない発言を繰り返す大尉に、ルッツ上級大将が苛立ちを感じさせながら口を挟むと、大尉はぐるりと首を回転させ、今度はルッツを糾弾した。

 

「ルッツ! コルネリアス・ルッツ!! あの人の部下であった身でありながら、なんという体たらくだ!! あんたがしっかりしていりゃあ、俺がこんなことをせずにすんだんだ!! 恥を知れ、恥を!!」

 

 本当にどういう意味だ。ルッツは決して部下を軽んじるような人物ではなかったが、大尉ともなると一個艦隊には数え切れないほど所属しており、とても全員の顔と名前を把握しきれているはずもなく、目の前の大尉のことをルッツは知らなかった。だから、このようなことを言われる覚えがまったくもってなかった。

 

「あんたたちの怠惰ぶりのおかげで、俺たちがこんなことをしなければならんのだ。マイン・カイザーの築く歴史に歴史ある帝国貴族家など不要! 歴史の表舞台から消し去るべきだ! 一人残らず正義の神(フォルセティ)の裁きを受けさせてやる!」

「そうか、卿は反貴族主義者なのだな?」

 

 やや沈痛さを滲ませながらルッツはそう呟いた。出自にこだわらない公平な実力主義を標榜し、相応の実質を備えているのが今の新帝国ではあるのだが、それでもゴールデンバウム王朝の被害者たちが叫ぶ旧来の貴族階級への憎悪と、それに対する世論の共感にはほとほと手を焼かされていた。

 

 そして同時に目の前の大尉がどうしてマリーンドルフ伯を暗殺しようとしたのかにも理解が及んだ。マリーンドルフ伯爵家は旧王朝時代は主流とは言えない地味な貴族家ではあったとはいえ、それでも帝都に大きな屋敷を構え、宮廷に出入りすることもできないわけではない程度には歴史と伝統ある家柄である。

 

 加えて現在のマリーンドルフ伯は、ラインハルトの改革によって落ちぶれてしまった貴族たちに少なからぬ同情を寄せており、彼らのことを思いやり、彼らの生活がたちいくよう、僅かばかりではあるが事情を斟酌してかつての資産の一部を取り戻してあげたり、私費を投じて生活の支援をしていた。それが反貴族主義者たちの目からは()()()()()()()()()に見えているらしいことは噂として知っていた。

 

 しかし、よもやその噂を信じ込み、現役の国務尚書を暗殺しようとするほどの過激派が生まれていようとは! しかも少なくない兵を爆殺するなどという陽動までして……ルッツはなんとも暗澹さに満ちた怒りと失意を感じざるをえなかった。だが、ルッツは予想だにしていなかった。この大尉が、まだ周囲の者を驚かせるにたる、その身に秘めたる激情を叫ぶなどとは。

 

「あの人は死んでしまった! だからこそ残された者達が陛下を、あの人の分までお支えしてさしあげねばならぬ。たとえ帝国人が総力をあげても到底あの人の分には足りぬというに、あんたは貴族に阿りなにをしていたのだ!」

「? 卿は何を言って――」

「ジークフリード・キルヒアイス!!」

 

  暗殺未遂犯の大尉の口から出た非命に倒れた若者の名前は、その場にいた者達を一瞬凍りつかせるものがあった。大尉は悲痛さを込めて続けた。

 

「ほんの数年前までのあんたの上官だ。内戦の時、快刀乱麻に傲慢な貴族ども叩き痛して辺境の民を救い、リッテンハイムの外道をもキフォイザー星域の会戦で討ち滅ぼして、“辺境聖域の王”と讃えられたあの人のことを、もう覚えていないのか。俺たち平民将校の前で、選民意識に凝り固まった大貴族どもの時代をこの内戦で終わらせると語りかけてくれた、あの人の言葉を! 声を! もう忘れてしまったというのか……」

 

 表面上は鉄面皮を貫いたものの、ルッツは内心気圧されていた。目の前の大尉が何者であるかわかったからである。当人がだれだかわかったわけではない。ただ目の前の大尉は、リップシュタット戦役の際に、自分と同じくキルヒアイスの別働隊に所属していた帝国軍将校であることを察し、あのキルヒアイスの言葉を曲解し、このようなことをしでかす者が現れるなど、救いがないことのように思われた。

 

 だがそれはルッツの視点での考えである。当然ルッツとは異なる考え方が、別の思考があり、救いがないのは今の帝国の世のことである。大尉はそのように、亡きキルヒアイスの遺志が踏みにじられているように感じており、だからこそ、こんな暴挙に及んだのである。

 

 大尉は肩で息をしながら次に何をいうべきか迷っているようであった。ルッツが無言で沈黙しているのを見てとり、ケスラーは大尉を拘束している憲兵たちに命令した。

 

「そこの大尉を憲兵本部に連れて行け。後程、私自ら尋問する。他の者は引き続き周囲の警戒と共犯者がいないか捜索にあたれ」

 

 大尉は唸ったが、言葉としては何も言わず、抵抗もせずに、幾人もの憲兵に周囲を囲われた上、両脇の憲兵に引きずられるようにして式典会場から移動させられた。いや、会場を出る直前に入れ違いになりかけたある二人のために、この劇は、しばしの延長戦がおこなわれることになる。

 

 その二人とは、軍務尚書パウル・フォン・オーベルシュタインと大本営幕僚総監のヒルデガルド・フォン・マリーンドリフの二人である。その二人を見咎めた時、大尉は目を見開き、急激な怒りでその目は血走った。大尉の認識では、オーベルシュタインはマリーンドルフ伯と並んで旧体制下での特権貴族階級の復興を目論む君側の奸であり、ヒルダは色香と小賢しい弁舌を弄して父親のために皇帝ラインハルトの判断を誤らせる女という、事実とはかなり異なる認識をしていたからである。

 

 大尉は拘束を力ずくで振りほどき、この二人に鉄拳を叩き込もうとしたが、憲兵の拘束を振りほどくことができなかった。しかしその様子が気になったのか、オーベルシュタインは足をとめ、一番階級が高い憲兵将校に問いかけた。

 

「その大尉はなにをしたのだ?」

「はっ、爆弾テロを起こし、国務尚書閣下を暗殺しようとしたのです」

「お父様を?!」

 

 ヒルダの驚きが、大尉にはひどく気に触ってしまうものであった。

 

「死んで当然だ。キルヒアイス提督の名誉を踏みにじるのがそんなに楽しいか?」

 

 その糾弾に怪訝な表情をヒルダは浮かべた。先ほどのルッツやケスラー同様、何を言っているのかを理解しかねたのである。

 

 大尉は憤怒と憎悪と妄執と偏見に濁りきった瞳をしながら、まるでなにかが零れ落ちて行くようなか細い声でつぶやき始めた。

 

「宇宙艦隊司令長官、統帥本部総長、軍務尚書、帝国元帥……だが、大公位、だあ!!?」

 

 ケッ、とは吐き捨てて、大尉はまたも激した。

 

「あの人は墓前にそんなものを捧げて欲しかったわけじゃねぇだろうが! ましてや大公殿下なんぞに、()()()()()()()()()()なぞ、それもローエングラム王朝の始まりと共になんて、どういう嫌がらせだ! 貴様が陛下を口先三寸で誑かし、こんな悍ましいことをさせたのだろうが! この女が、ふざけやがって、ふざけやがって!!」

「……それは陛下がご自身で判断なされたことよ」

 

 ヒルダはあきれたような声で言った。ラインハルトは旧来の貴族階級の位階制度を進んで廃止しようとしたことはないが、新しく貴族を任じるということを避けていた。にもかかわらず、あえてキルヒアイスに大公号の追贈を行ったのは、周囲の目にもわかるように皇帝がその死を重く見ている形として示す必要があると考えたからだ。

 

 実際、ラインハルト自身が言明していることだが、キルヒアイスがいなければ、帝国の全権を握るどころか、帝国軍の将官になる遥か前に、前途にあった障害や妨害の数々を乗り越えることができず、ラインハルトは破滅していたことだろう。それを思えば、キルヒアイスの献身に報いる意味でも間違った措置ではないはずである。

 

 だが、反貴族の思想に染まっている者からすれば、また別の思考法がある。

 

「ならば帝国元帥や軍三長官で十分だったろう! なぜ貴族の称号なんぞ! それは貴様らが貴族の復権を目論んでるからじゃないのか!?  キルヒアイス提督は貴族が威張りちらすことがない世界を望まれたのだ!」

 

 大尉は視線をヒルダに固定したまま、少しばかり感情を抑えるようにして、続けた。

 

「俺はただの軍人。政治のことなぞなにもわからぬ。だが、旧王朝の貴族どもがまた復権し始めているのがよいわけがない。陛下には陛下の事情があるのかもしれぬ。帝国の頂点に立つ御方として、守られねばならぬ法則というものがあられるのだろう。ならば、俺たちみたいな生命の軽い者が、その生命を賭して、陛下の御為、帝国を蝕む貴様らのような害虫ども駆除してさしあげねば……」

「ほう、たいした自己弁護だな」

 

 その無機質な声に、ヒルダは驚いたように隣を見た。義眼の軍務尚書がいつも通り感情のうかがい知れない鉄面皮をたもっていたが、ここで口を挟んでくるような人であっただろうか。

 

「卿は皇帝(カイザー)への忠誠や故キルヒアイス提督の遺志を口にしているが、およそ陛下の兵を幾人も害し、陛下の国務尚書を自己判断で処そうとする者を忠誠厚き者とも誠実な者とも言わぬ。昨年のオーディンで陛下への忠誠心を利用して叛乱事件を起こした貴族の残党どもとなんら変わらぬのが卿がしたことだ」

「なんだとッ?!」

 

 淡々とした口調で続けられた正論に、大尉は逆上してオーベルシュタインを漆黒色の殺意を込めて睨みつけた。大尉の顔色は怒りで真っ赤になるのを通り越してどす黒くすらなっており、見る者に恐怖感を与えずにはいられないほどであったが、オーベルシュタインは微動だにしなかった。

 

「そういう貴様はどうなんだ!? 爵付きの名門貴族家の当主様の分際で陛下の傍に侍り、必要だなんだと嘯いて秘密警察を復活させたと思えば、今度は人材不足を理由にお仲間の貴族どもを復権させようとする。あの手この手で時代を逆行させようとする狡猾な蛇のようなやつが貴様ではないか。そんなにゴールデンバウムの世が恋しいか。そんな奴に、俺の皇帝(カイザー)への忠誠を云々言われたくないわ! この生まれるべきでもなかったクズがッ!」

「卿の言う皇帝(カイザー)への忠誠は、ただの妄想だ」

 

  やはり聞く者に冷たささえ感じさせる冷静な声で、大尉の言葉の奔流を切って捨てたオーベルシュタインであったが、これ以上の会話の無意味さを悟ったのか、憲兵将校に向けて顎をしゃくった。意を察して憲兵将校が移送を再開するよう憲兵達に命じた。

 

 大尉はまだ憎悪の言葉を吐き足らぬと暴れたが、どうにもならずに両脇の憲兵にひきづられる。憤懣やるかたない大尉は、残されたすべての体力を使い切るくらいの気持ちで、やや見当はずれな呪いの言葉を叫んだ。

 

黄金獅子(ゴールデン・ルーヴェ)の御旗を汚す貴族どもが! 貴様らが大手を振って歩ける時代はゴールデンバウム王朝とともに終わったのだ! 待っていろ! 貴様のような輩、ローエングラム王朝が許容し続けるものか! 高位貴族は一人残らず破滅するべきだ! でなくて、あの軍旗の下で戦い、散っていった者達が納得するものか! 覚えていろ、貴様らは確実に破滅するのだ!  貴様らのような不要な存在がいつまでも息をしていられると思うなよ! 旧時代の汚物ども!!!」

「いい加減黙らんかッ!」

 

 忍耐の限界に達した憲兵達から数回鉄拳で殴られて、大尉は口を開けるような状態ではなくなったようで、その後は静かに大尉は移送されていった。

 

 残された沈痛な空気に、ヒルダは若干の気まずさを感じ、どうしたものかと思ったが、何事もなかったかのようにオーベルシュタインは言った。

 

「余計な時間を使った。急ぐとしよう」

「は、はい」

 

 驚くほど動揺していないオーベルシュタインに、ヒルダはやや気圧されながらも同意した。そして軍務尚書の揺るがぬ冷静沈着さに畏怖と警戒を抱いた。あれほどの狂気を前にしても、この男は揺らがぬのか、と。

 

 しかしそれは少々過大評価であったかもしれない。オーベルシュタインは誰にも聞こえないほどの音量で、先の大尉の口に出した言葉をつぶやいていた。

 

「貴様らのような不要な存在がいつまでも息をしていられると思うな、か」

 

 その言葉を咀嚼して、胸中で評価を下した。そこだけはあながち間違った発言ではないのかもしれない。少なくとも、自分に関しては……。オーベルシュタインはそこでくだらない思考を打ち切って、今の事態を乗り切ることへと思考を移した。もっとも、すでに首都防衛軍が動いており、このテロ事件の鎮圧そのものはさして問題にはならないであろう。すぐに少々思惑からズレてしまった現状に対する、事後処理のことを考えなくてはならなくなるであろうが。

 

 




今回のサブタイ「もしもジークフリード・キルヒアイスが生きていたら」にしようかとも思ったが、自重した。


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黄昏の衝撃-我に一人の戦友ありて

「ジークフリードなんて、俗な名だ。でもキルヒアイスって姓はいいな。とても詩的だ。だからぼくはきみのこと、姓で呼ぶことにする」

 

 後のラインハルト・フォン・ローエングラムが、まだミューゼルの姓を名乗っていた少年時代に、生涯の盟友にして親友となるジークフリード・キルヒアイスと初めて出会った際に言ったとされる言葉であるが、どうしてジークフリードのことを俗な名前というのかが後世では不思議に思われることがしばしばある。しかし、当時ではごく普通な感覚であった。

 

 帝国のどこでもいい。どんなに人口希薄なド辺境の有人惑星であっても、まともな帝国領の星であれば住民の名前を調べ上げれば少なからず“ジークフリード”とか“シグルズ”とかいう名前を持っている男が絶対に何人かは見つかるはずだ、という言説は当然のこととして受け入れられていた。それは誇張表現ではあるが、当時の帝国の戸籍記録を調べてみると、北欧神話に登場する竜殺しの英雄に由来する名前を持つ帝国人は本当に多かったようである。

 

 どうしてありふれた俗な命名としてゴールデンバウム王朝の世では広く普及したのか。初代近衛兵総監として“皇帝の盾”の異名をとったシグルズ・フォン・ケッテラーの名声が為という説も存在するが、彼に並ぶ名声を持った帝国黎明期の傑物などいくらでもいたので、やはりどうしてそんなありふれた名前になってしまったのかは、当時の記録をどれだけ調べてもよくわからないとしかいえない。

 

 そんな当時の帝国では最低でも数千万人は存在したありふれた名前を持つ男の一人、ジークフリード・ラーンの出自は、ありふれた名前にふさわしいというべきか、特筆すべきところが特にない平凡極まりない出自であった。強いて言えば、当時カストロプ公爵家の領地だった有人惑星で、愛情で堅く結ばれたおしどり夫婦の下に生まれ、平民としては物質的にも精神的にも恵まれた環境で育ったという程度であろう。

 

 彼の人生も、やはりというべきか、平凡なものだった。特別優秀でもなければその逆でもない態度で学校生活を送り、高校卒業後は地元の製パン工場で働く予定であった。しかしちょうどその頃に帝国軍務省から兵役通知の手紙が届いたのである。ラーンは正規軍に行くことを嫌がった。彼の両親も息子を領外に出すのを嫌がった。そこでラーンはカストロプ公爵家の私設軍に志願することにした。

 

 これはラーンの一家が故郷への愛着が強かったからとか、そのような事情からくるものではなく、もっと俗なものであった。理由は主に二つ。第一に、貴族家の私設軍に勤務することは、その貴族家がよほど複雑な事情を抱えてもいない限りは正規軍で兵役につくよりは安全であることが多く、また私設軍も広義では帝国軍の一部と見なされており、私設軍に勤務することも兵役義務を果たしていることにされるからである。第二の理由は、カストロプ領民だからこその事情であった。

 

 当時のカストロプ公爵家の当主オイゲンは比較的堅実な統治体制を築いて管理していたので、領民からは素朴に敬慕されていたが、貴族社会がおいては不法貯蓄が過ぎると悪評が高く、ある意味では同類の門閥貴族たちからも“公人としての法則を守る気がない”と問題視されており、帝国中央政府の司法省に至っては“状況証拠ではない明確な物証さえあれば即刻逮捕状を出してやる”と憎悪されている人物でもあったのである。にもかかわらずオイゲンが自由の身でいられたのは、帝国における貴族向けの法の網の目が荒いためというのも無論あったが、それ以上に当人の奇術師染みた手腕に寄るところが大きかった。

 

 領主憎ければ領民までも憎い、というほどでもないのだが、領主の悪評が領民の帝国内での活動にいくらかの悪影響を及ぼしているのは事実であった。とりわけカストロプ公オイゲンが財務尚書の座を退き、宮廷派閥の領袖としてはともかく、政府においては無位無官の身になってからはそうした傾向が帝国全体で強まっており、正規軍内においてもカストロプ領民出の兵士への私刑が横行しているという噂も流れていて、ラーンはそれを警戒したのである。

 

 通常、貴族の私設軍への入隊は忠誠心やらコネやらが重視されるものであるが、カストロプ公爵家私設軍についてはそれはあまり問題とはならなかった。というのも、公爵家当主の子息マクシミリアンが私設軍司令官の地位にあり、実戦的な軍隊の育成に並々ならぬ関心を持っていた。それは次期公爵家当主たる責任感や使命感からきたものというよりは、マクシミリアン個人の趣味嗜好からくるものが大きかったようであるが、ともかくもそのお陰でラーンはほとんど無条件で私設軍に属することができた。もっとも、過酷で実戦的な訓練の日々に逃げ出したくなるのを必死に我慢する兵営生活を送る羽目にもなったわけであるが。

 

 とはいえ、本来ならば数年の我慢ですむはずであったが、ラーンが私設軍に属して二年目、帝国暦四八七年の初頭に公爵家当主であったオイゲン・フォン・カストロプが宇宙船事故で死亡したことを切欠に彼の平凡だったはずの人生の歯車は大きく狂った。この事故を受けて財務省と司法省は活気づいた。もとよりオイゲンの政治的保身術を前に煮え湯を飲まされ続けてきた彼らである。死者に鞭を打つことに躊躇いはなく、オイゲンが行なった不法貯蓄に対する徹底的な調査を行い、帝国貴族基準の常識でも不法に収奪された国富としか言いようがないカストロプ家の財産を合法的に接収せんとしたのである。

 

 そのような意図で帝国政府から派遣された調査官をマクシミリアンは感情的に追い返してしまい、それが宮廷で問題視されていると知ると、粛清に対する恐怖の感情に支配されて後先考えないまま軍事的防衛策をとることを決意してしまった。これを受けて帝国政府は討伐軍を差し向ける決断を下すことに些かの躊躇いもなくなり、カストロプ家は帝国に仇なす逆賊であると発表した。世にいうカストロプ動乱のはじまりである。

 

 ラーンたち末端の私設軍兵士は、自分たちが帝国に仇なす逆賊となってしまっていることに動揺したが、それでも多くの者はマクシミリアンの叛逆に付き合うことを選んだ。公爵位を正式な形で相続できてすらいないマクシミリアンに思うところはあっても、公爵領そのものに対しては先代の恩顧もあって愛着を持っている者も多くいたし、ここまで明白に帝国に対して弓引いた貴族領に対し、帝国政府が如何に寛容ならざるかを十分に知っていたからである。

 

 このように最初から辛うじて戦闘可能な程度の士気はあるカストロプの私設軍であったが……意外にもあっさりと最初の討伐軍を撃退できてしまった。帝国の正規軍が舐めてかかっていたというのもあるが、マクシミリアンが特に必要性もなく実戦的な軍隊が欲しいと育成に傾注していたカストロプ公爵家私設軍の練度は正規軍のそれと比しても見劣りしない程度には鍛えられ、装備も充実しており、また司令官を務めるマクシミリアンの戦術家としての才能も並みの帝国軍将官に引けを取らないものが信じ難いことにあったのである。

 

 その次に派遣された第二次討伐軍も地の利を生かして犠牲少なく撃退することに成功してしまうと、カストロプ軍の者たちの多くは皆浮足立った。もしかすると、なんとでもなるのかもしれない。そんな楽観的雰囲気が下士官兵の間に広がったのである。そしてあろうことか、本来そうした感情を叱りとばすべき立場にあるはずのマクシミリアンが一番調子に乗っていた。

 

 彼には戦術指揮官としての才能はあっても、戦略的視野も政治的手腕も持ち合わせてはいなかったし、仮に持ち合わせていたならば、これ以上戦い続ければ帝国の損害が甚大になるであろうと脅しでもかけて交渉による事態の終息をはかったであろう。いや、そもそもマクシミリアンにそんな現実的な感覚があれば、この動乱が起きなかった可能性が高い。

 

 冷静な判断をと進言する賢明な家臣団の言うことに耳を貸さず、マクシミリアンは近隣の貴族領を制圧・併合して、フェザーン自治領のように高度な自治権を持つ半独立地方王国を創出しようなどという無謀な野望を抱き、自ら戦線を拡大して根拠地たるカストロプ本星を兵力を空にしてしまう愚を犯し、その状況を巧みに利用したジークフリード・キルヒアイス少将の率いる第三次討伐軍にカストロプ公爵家私設軍は惨敗することになった。

 

 一度大敗するとマクシミリアンの人望は失墜した。カストロプ公爵家家臣団にとって、これまで忠誠心の対象としてきたのは先代のオイゲンであって、その子たるマクシミリアンは軍隊好きの放蕩息子に過ぎなかった。これまではマクシミリアンを取り囲んでいた私設軍首脳部への恐怖と、とにもかくにも勝っていることから従っていた家臣団だが、敗けたとあっては従ってやる理由を見いだせず、少しでも自分たちへの処罰が軽くするためにマクシミリアンを弑逆して殺すことになんら躊躇いはなかった。

 

 兵士だったラーンは多くの同僚が戦死したものの、運よくカストロプ動乱を生き抜いていた。しかし自分の未来に対しては悲観的にしかなれなかった。帝国の権威に泥を塗る行為である地方貴族の叛乱を鎮圧するに際し、民衆のガス抜きと他の貴族への見せしめの意味も込めて虐殺・略奪をある程度は暗黙の裡に認めるものだ。マクシミリアンの首を対価にしてそうした悲劇を回避することができるのか? 仮に回避できたとして、自分たち私設軍に属した兵士もその恩恵に預かれるものだろうか?

 

 マクシミリアンの叛乱はなによりも私設軍が協力していたからこそ、やれてしまったことというのは動かしがたい事実である。無論、マクシミリアンに忠実だったのは私設軍のお偉方のことであって、ラーン達兵士はただ命令に従っただけであるが、その差を相手方が峻別してくれるというのは望み薄だった。事実、公爵家の家臣団たちは私設軍に属する者たちを分け隔てなく平等に拘束しており、犠牲の羊(スケープ・ゴート)として、やってくる占領軍へのマクシミリアンの首と同じ手土産にしてしまう気を隠そうともしていなかった。

 

 だが、結果からいうとラーンの心配はほとんど杞憂だった。カストロプ本星に降り立ったキルヒアイス提督は麾下の将兵たちには乱暴狼藉を固く禁じ、共にやってきていた内務省・財務省・司法省の文官たちと共に戦後処理にかかった。彼らはカストロプ家の不正貯蓄の接収と旧公爵領の統治を円滑ならしめるために、マクシミリアンの首をとったことを名目によほどのことがない限り寛大な措置をとった。カストロプ私設軍に対しては内務省と司法省の役人は断罪を叫んだが、キルヒアイスはローエングラム元帥府が引き取ることを申し出た。

 

 形式上、各貴族家の私設軍は帝国軍の各軍管区に属する警備隊である、という建前がある。貴族家が承知し、軍務省か元帥府での手続きができるのであれば、正規軍に吸収合併するのも不可能なことではない。今回のようなケースで私設軍を吸収するのも前例がまったくないというわけではなく、文官たちも承服したので、旧カストロプ私設軍はローエングラム元帥府のキルヒアイス艦隊に吸収合併される形で処理された。ラーンが心配していた方向性とは、かなり異なる意味で手土産にされてしまったわけである。

 

 そうしてキルヒアイス艦隊に兵士となったラーンだったが、そんな彼の乏しい軍事知識を前提に見ても、自分と同名の艦隊司令官の力量はとんでもないものであるような気がした。所属替えしてすぐに辺境の叛乱勢力の大侵攻を撃退するべく出撃するなど言われた時は、どんな激戦の渦中に放り込まれるのかと不安になったものだが、特に危うげなく勝利してしまった気がする。少なくとも、カストロプ動乱の時よりは死の恐怖を身近に感じることはなかった。

 

 翌年のリップシュタット戦役に関しても似たようなものであった。敵方である貴族連合の軍隊との戦闘よりも、占領した貴族領の統治で苦労したことのほうが多かった。むろん、ラーンは当時は一等兵の階級であって、彼がかかわったことなど使い走りの警察官の代行染みた些細なことであって、そんな大層なことはしていないのだが、彼が紛いなりにもカストロプ領以外でそんなことをしたのは初めての経験で、またその占領地の貴族領主は領民から必ずしも慕われていなかったのか、民衆は枢軸陣営の軍人や文官に好意的であり、ラーンとしては悪い気はしなかった。

 

 そしてこれらの経験は、たいした政治思想などというものを持ち合わせていなかったラーンに、ある感慨を抱かせた。よくよく考えてみると、自分の人生は、伝統的な大貴族どものせいで、ややこしいことになってしまったのではないか? そんな考えは、内戦終結前後にリヒテンラーデ公の謀略で雲上人の上官であったジークフリード・キルヒアイスが死に、それに次ぐリヒテンラーデ閥の粛清とローエングラム独裁体制の成立による大改革の恩恵を直に受けて確信に至り、彼は兵役満了後にちょっとした反貴族主義団体の集会など顔を出すようになったのは自然な成り行きであったろう。

 

 もっともこの頃のラーンの反貴族の思想は、大貴族が嫌いという以上のものでは決してなかった。しかし新帝国暦一年一二月三日に近衛参謀長カリウス・フォン・ノイラートを首班とするクーデター、ヴァルプルギス事件の報道を聞いて一変した。彼らの目的が、旧体制下における貴族階級の復権であったというのは、ラーンには言語道断なことのように思えた。

 

 ラーンは自ら望んで過激な反貴族主義団体を渡り歩くようになり、反貴族の姿勢を先鋭化させていった。先日のノイラートが公開裁判にかけられ、処刑された報道に触れても、彼が最後まで責任と罪はすべて自分たちにあり、他の貴族たちにあるわけではないと言っていたのも、貴族同士の庇い合いとしか思えなかった程度には。

 

 彼がフェザーンでの“義挙”に参加したのも、そうした流れからであった。彼は今回の行為の正統性を確信していた。ヴァルプルギス事件で貴族がやらかしたことで、旧体制下の貴族官僚が復権しつつあることは、皇帝ラインハルトにとって大変不愉快なことであろうし、亡き上官であるキルヒアイスの遺志に添うことでもある。そんな風に考えて仲間たちと行動を起こしたのであったが……。

 

「ブレフーン中尉、ご苦労だった。流石、長年フェザーンで警備をしてきた専門家だ。実に手際が良い」

「いえ、エーベルハルト大佐が事前に適切な警告を下さったからで、私のみの実力によるものではありません」

「それはトゥルナイゼン副司令官の判断によるものだ」

 

 混乱に乗じて宮内省を襲撃し、貴族官僚どもを抹殺する手筈であったのに、動きに出た瞬間待ち構えていた首都警備軍の一部隊に、ラーンたちはたいした拘束されてしまっていた。腕を後ろ手にまわされて手錠をかけられ、後ろから兵士たちに銃をつきけられていた。しかしラーンの闘志は挫けず、会話している中年の参謀将校と帝国軍ではまだ珍しい女性将校を憎々しげに睨みつけていた。

 

 エーベルハルトはラーンたち捕虜たちの方に向き直って胸を張り、いかにもな自信に溢れ、それでいてどこか優しげな口調で語り始めた。

 

「さて諸君。卿らに残された選択はふたつだ。ひとつはこのまま裁判にかけられること。とはいえ、大胆不敵にも帝国の中央官庁を襲撃せんとした凶悪な犯罪者どもだ。まずもって極刑は免れまい。しかし今すぐ己が所業の罪深さを悔い、われわれの仕事に協力するのであれば、多少の慈悲があろう。罪一等を減じられ、生命だけはまっとうすることも叶うやもしれぬ。素直にわれわれの質問に答えてくれることを期待したいのだが」

 

 このような切り口をしたのは、旧王朝時代の、既に特権階級としての実態を失いつつある者たちを執拗に鞭打って悦にいっている輩など、意志薄弱で世間の空気に流されやすく、そして自己の責任感というものが欠如しているという認識をエーベルハルトは持っていたからである。

 

 なので威圧しながらも懐柔的な態度をとってやれば、転んで情報を提供する奴がでてくるのではないか。もちろんこれほど大それたことをしでかした以上、死ぬ覚悟らしきものをしているのかもしれぬ。だが、全員というわけでもあるまいと考えたのである。しかしそれがラーンの神経に触れ、叫んだ。

 

「ふざけるな! 俺たちに罪などない。かつてこの帝国を腐らせ、今も恥知らずにも巣食っている寄生虫な貴族どもを駆除しようとしただけだ! 貴族どもが大きな顔をできなくなる世界、それは亡きキルヒアイス元帥の悲願でもあったはずだ。この宮内省には尚書のベルンハイム以下、生き汚い連中がたくさん居残っている! そもそも――」

 

 エーベルハルトは呆れたように肩をすくめた。すべて、何処かで聞いたようなありきたりな文句だ。帝国で新体制が発足した後に再開ないしは創刊された、扇情的で大衆迎合主義的な雑誌、とりわけ自分の頭で考えるということを知らん愚民向けと思しきものを紐解けば、いくらでもでてきそうな文句の塊であった。薄っぺらすぎて、まともに聞く価値がない。

 

 だから涼しげに悠然と聞き流して余裕のある姿を見せようとしたのだが、()()()()をラーンが口に出した瞬間、そんな思惑は頭から吹き飛んだ。

 

「いま、なんと言った?」

 

 その声は決して大きいものではなかったが、その声を聞いた途端、ラーンはまったく無意識のうちに言葉の奔流をせき止めた。目の前の参謀将校の冷たく鋭利な殺気にあてられ、剣の腹で己の首筋を優しく撫でられたような怖気を感じたのである。

 

「なんだ。先ほどまでの饒舌さはどうした。黙っていては何もわからんぞ」

 

 他者を威圧する気迫をまといながらツカツカとエーベルハルトは歩み寄り、そして無言でラーンの喉元に右手を突っ込み、そのまま掴み上げた。片腕で持ち上げられるかっこうになったラーンは呼吸ができずに激しくもがくが、まったく気にせずに、なんの感情も察することができない虚ろな瞳をしながら、平坦な声で、続けた。

 

「何故、あの人のことを貴様が語るのだ? 貴様はあの人と一緒に戦場を共にしたことがあるのか? あの人の戦友だったとでもいうのか?」

 

 知らず右腕に力が入り、ラーンは新鮮な空気を求めて鼻息がうるさいほどになっていた。周囲の兵たちと同じくエーベルハルトの放つ他を圧する雰囲気に飲まれていた警備部隊長のブレフーン中尉は、その光景の意味を頭で理解する同時に血相を変えて叫んだ。

 

「ノルン・フォン・エーベルハルト大佐! すでに捕虜にした相手に、憲兵でもないのに、強度の尋問を行うのはどうかと!?」

「……ちぃッ!!」

 

 その静止の言葉でエーベルハルトは強く舌打ちし、ゴミでも捨てるようにラーンを宙に放り投げた。地面に強打した痛みと酸素不足で意識は朦朧としていたが、それでも自分をこのような目にあわせた存在に対する恐怖から反射的に距離をとろうとしたが、体がついてこず、まるで死にかけの虫が足をばたつかせているような格好になった。

 

 そんな蛇に睨まれた蛙のような怯懦ぶりを見て、「こんな奴が……!」とエーベルハルトは激しく憤った。

 

「答えろ、この臆病な卑怯者め! 貴様があの人の――クレメント少佐の、何を知っていたというのだッ?!」

 

 迂闊といえば迂闊であったろう。エーベルハルトは一部の過激な反貴族主義者たちが、ブルヴィッツの虐殺を起こしたクレメント元少佐が英雄視されていることを、知識としては知ってはいた。だが、こんなことをしでかしたクズどもの口から、その名前が出てくることを事前に想像できていなかったのだ。

 

 故キルヒアイス元帥については、いいだろう。現に内戦で多くの貴族の首をあげた男である。皇帝ラインハルトにとって最大の同志にして盟友であった男が、この手の連中が持ち上げるのはわからぬことではなかった。いや、かつては領地を持つ貴族の末席に名を連ねていたエーベルハルトも心の奥底では穏やかならざる感情を持っているからこそ、わかる。だが、クレメントは違った。

 

 エーベルハルトにとって、クレメントは世間でどう言われようが、なによりも第一に尊敬した上官であった。士官学校を出たばかりで、傲慢で現実の戦場を知らない新米少尉だった自分に、厳しくも優しく教育してくれた恩師であった。帝国軍将校として自分がここまでこられたのは、彼の指導あったればこそと思っていた。そんな彼がブルヴィッツの虐殺者として謗られるのは、辛いことだが、事実であるから仕方がない。だが、このような輩から英雄視されてよい人物では、断じてないはずだ。

 

「なにを、知っていたか、だと……?」

 

 いまだに呼吸が整っておらず、全身は痛みを訴えており、さらにはまだ目の前の存在に対する恐怖に体が震えていたが、ラーンの眼光に粘着質な熱が宿る。彼は、自分の無知を指摘されるのが苦手だった。自分に知恵があれば、もっと良い人生を送ることができたのかもしれないという感情が胸中にあるからこそ、激しく劣等感を刺激され、反射的に言い返さずにはいられなかった。

 

「知っているとも! 民衆から搾取し、肥え太っていた何百万匹ものブルヴィッツの豚ども、そいつらの罪を贖わせた英雄さ! 貴族とそれに阿っていた連中を一掃したんだからな。もし今も生きておいでなら、他の貴族どもを殺しまわっていただろう。あんたも貴族なら、その対象になったかもな!!」

「こ、このクソガキがァアアッッ!!!」

 

 そう叫ぶや否や、エーベルハルトはブラウターを引き抜き、照準をラーンに向けた。今更情けない悲鳴をあげて怯えるクズや動揺する兵のざわめき、金切り声で自重を促すブレフーンの声が耳には届いていたが、脳はそれをどうでもよいことと即断した。目の前の不愉快極まる存在の生命を消しさることに、なんら支障となるような要素ではない。

 

 激情の命じるままブラスターの引き金をひく――刹那。エーベルハルトの視界に、ここにいるはずのない二人の人間の幻覚が見えた。一人はお腹を膨らませた女であった。エーベルハルトの妻である。そうだ、もう妊娠して一〇ヶ月。そろそろ産まれても不思議はないので入院生活を送っている。医者はお腹の子は女の子だろうと言っていた。そしてもう一人は今なお尊敬する元上官の姿だった。彼は悲しそうな顔をしていた。「おまえまで、こちらに来ることはないだろうに」とでも言いたげに。

 

 それは激しい怒りに対抗する理性が起こした現象だったのか。それとも激しく荒れ狂っていた心が不意に見せた幻影だったのか。いずれにせよ、それを見たエーベルハルトは引き金を引く寸前だったブラスターを「畜生ォ!」と叫びながら地面に叩きつけたのであった。

 

「クソッ! なんでだ!? があああああッ!!」

 

 とどまることのない感情の荒波を沈められず、強すぎる奇声をあげながら、地団駄というには激しすぎるほど勢いよく何度も地面に向けて足を蹴りつけた。やがて地面に叩きつけたままだった自分のブラスターを拾い上げ、肩で息をしながら、近くにいたブレフーンに涙声で語りかけた。

 

「すまない、見苦しいところを見せてしまった……。すぐ復帰できるとは思うが、いまは、自分を抑えられる自信がない……。三〇分、いや、二〇分ほど休ませてくれ。その間、中尉に全部任せる……」

「え、ええ……」

 

 気圧されたブレフーンの返事を聞き、エーベルハルトはその場から少し離れて、ぼんやりと空を仰ぎ見た。沈みゆく太陽が、空を茜色に美しく染め上げていた。それを見つめながら「どうして」と弱々しい呟きが、意図せずしてこぼれ落ちた。

 

 昔はもっと単純な生き方をしていた。小なりとはいえ領主貴族の一族に生まれ、少しでも領地の為になろうと軍に奉職し、やがて退役して父の跡を継ぎ、領主として貧しいながらも領地を健気に経営していく。幼き頃に思い描いた自分の人生の未来図はそんなものだったし、その絵図どおりの人生を、二〇代の後半頃までは歩んでいたのだ。

 

 しかしある時からなにかがおかしくなってしまった。原因はハッキリしているのだが、それを公然と口に出すのは憚れる立場であった。なぜなら守るべき生活がある。家庭がある。昔を懐かしんでも、歴史の歯車は常に回転し続け、戻れぬ時を刻むもの。ヴァルプルギス事件を起こした連中みたいに駄々をこねても、どうにもならない。そのことを弁え、エーベルハルトは明晰な頭脳を働かせ、ローエングラム王朝黎明期の激動の時代をこれまで生き抜いてきた。

 

 だが、心が、どうにもならない。いつだってそうだ。頭ではわかっていることなのに、心が、感情がままならない。最近は特にそうだ。傷つき磨耗し、砕け散ったはずの帝国貴族としての矜持の残滓を、まだぬぐいされていないからなのか。だから、こんなにも苦しまねばならぬというのだろうか。元上官が味わっていたであろう懊悩呻吟(おうのうしんぎん)に比すれば、精神的なそれにとどまっているだけマシだとは思うのだが、理性で感情を抑え続けるのは、耐え難いものを耐えているような、背中に見えない重石がのしかかっているような、そんな疲労感に苛まれている。

 

 もしも世界が思い通りになるのならば。そんな風に考えてしまうのは、己の弱さゆえか。自分に力があったならば、己の心に素直な人生を歩むことできて、こんな息苦しさなど感じずにすむのだろうか。それとも……。どことなく不気味に輝きながら沈みゆく地平線上の夕陽になにかの姿を重ねて睨みつけて、エーベルハルトは当てどころのない虚しさと怒りと嘆きから、両の腕を静かに震わせていた。

 

「ひどい騒ぎでしたね、ブレフーン二等士」

 

 一方その頃、参謀将校の異様な狂騒のせいでいまだにぎこちないところがあった警備部隊に指示を捕虜たちを宮内省の一室に閉じ込めるように兵たちに指示を出したブレフーンに、古くから付き合いのある下士官が声をかけてきた。それに対し、ブレフーンは眉根をひそめた。

 

「もう自治領警備隊はなくなったのよ。昔の組織の階級じゃなくて、中尉と呼びなさい」

 

 彼女たちは元々帝国軍人ではなく、フェザーン自治領時代に存在した警備隊に所属していたスタッフであった。旧帝国暦四八九年の暮れにフェザーンの自治権が停止され、帝国領に組み込まれた際、警備隊も解体されたのである。警備隊の隊員たちは、大きく分けて二つの道を選んだ者が多い。ボルテックの代理総督府の自治領警察に移籍するか、帝国軍に移籍するかである。ブレフーンが帝国軍ではまだ珍しい女性将校なのは、生え抜きの帝国軍人ではないからなのである。

 

 一応、自治領の軍隊として扱われていたのが警備隊なのだが、かつてのフェザーンは同盟と帝国を商売相手として、あるいは魅力ある大きな市場として見ていた一方で、どちらも破壊と殺戮で国を守っている低脳どもの国だと密かに見下しているのが普遍的な価値観であった。したがって警備隊の任務もどちらかといえば警察の補助的組織としての顔が強く、エーベルハルトのように幾多の戦場を巡ってきた本物の勇者の狂気じみた殺気をあてられて、先ほどは居竦まってしまったのであった。

 

「そうでした。中尉。しかし、ああいうのを見るとやりきれませんね」

「ええ、なにかしら遺恨がありそうなのは察せられたけど、テロリストとはいえ拘束した捕虜に手をあげ、その上、銃撃しかけるなんて……それもお偉いさんがねぇ」

 

 一世紀以上も飽きずに戦争をしていたような正規軍の職業軍人なんて、それくらいの野蛮さや殺伐さがあって当然なのかもしれないけれど。そこまでは口には出さないのが、ブレフーンなりの良識であった。なにせ、今や彼女もその帝国軍の一員として、禄を食む身なのだから。




かなり前の話になりますが「復讐鬼として散った軍人の戦友たち」の回を読み直すと、新しい発見があるかもしれません。


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黄昏の衝撃-復讐の味

 フェザーンのとある高層ビルの一室で、エリザベートは夕闇迫る空を眺め、過去を回想していた。はじまりの、あの日のことを。

 

 旧帝国暦四八八年一〇月上旬。残暑が完全に過ぎ去って過ごしやすくなり、邸の庭園の木々が紅葉で赤く染まり、大変見栄えが良くなったこともあり、その日、エリザベートは気晴らしに紅葉狩りと洒落込んでいた。

 

 その年の三月から始まった帝国の内戦は、どうにも自分たちにとって良くない結果に終わりつつあるらしいことは既に彼女は悟っていた。父が盟主をしていたリップシュタット貴族連合の本拠地であるガイエスブルク要塞を、ローエングラム侯の枢軸軍が先月陥落させたという情報を彼女は耳にしていた。

 

「名門たるブラウンシュヴァイク公爵家の者が動揺してなんとするのです! 夫の生死さえ定かでもないというのに! たとえ今がどれほどの苦境であっても、必ずや生き延びて再起を図る。あの人は、そういう人です!」

 

 夫に代わってブラウンシュヴァイク公爵家の家政を切り盛りしているエリザベートの母アマーリエはそう強く信じ、気丈な態度を家臣や侍女たちの前で崩さなかった。事実、ブラウンシュヴァイク公爵家当主オットーの消息に関する情報は非常に錯綜しており、真偽の判別が困難だった。

 

 曰く、陥落間近になったガイエスブルク要塞を放棄して別の場所に拠点を移した。曰く、枢軸軍の捕虜になった。曰く、ガイエスブルク要塞にあって最後まで抵抗を続けて戦死した。曰く――、ガイエスブルク要塞を陥落させてからというもの、枢軸軍は公的な報道活動を完全に沈黙させていたこともあって様々な憶測が立ったのである。

 

 アマーリエは一番最初の説を信じており、もしかしたらこのブラウンシュヴァイク領の領都星を連合の根拠地にするつもりなのかもしれないとその為の用意も進めていた。エリザベートにしても心配してはいたが、父が死んでいるなど到底考えられはしなかった。幾度となく内外の悪意から自分を守ってくれた優しい父が死ぬなんて想像できもしなかった。

 

 それでも女官が死人のように青白い顔をして邸に戻るよう自分を呼び来た時、瞬時にその可能性が思い浮かんだことを覚えている。そして理解させられた。想像もしなかったのではなく、想像してはいけないのだと無意識に思っていただけだということを。

 

「嘘じゃ! おぬしは嘘をついておる! あの人が、オットー・フォン・ブラウンシュヴァイクが死んだなど、ありえぬ!!」

「恐れながら事実でございます奥方! 私とアンスバッハ准将が光栄にも最期の時に立会いました。我が主君、ブラウンシュヴァイク公は自ら毒杯を呷り、名誉の自決を遂げられたのであります」

「ふざけないで! あの人が、この私を置いて、勝手に一人で逝くわけがないでしょう!」

 

 だから、ガイエスブルク要塞より帰還したジーベック中佐の報告を、母が狂乱しながら中佐の頬をなんども平手打ちして否定している光景を見た時、ああ、父はもういないのだと、エリザベートは特に抵抗なく受け入れてしまったのであった。

 

 しばらく二人の言い争いをぼんやりと無感動に眺めていた。エリザベートの心は、冷たく悲しい感情の海に溺れ、現実に対して何か反応するのが、非常に億劫になってしまったのだ。

 

 やがて二人の言い争いはすんだ。家令が立体TVを見るように言ってきて、帝国の国営放送でリップシュタット戦役の終結宣言と賊軍の頭目たるブラウンシュヴァイク公が死んだ旨が公表されてアマーリエも現実を受け入れるより他になくなったのである。

 

 ラインハルト・フォン・ローエングラム侯爵が帝国軍最高司令官の地位をそのままに、帝国宰相を兼務し、位階も公爵となるとの報道が流れた時に、ジーベックが苦い声でアンスバッハは誓約を果たせなかったのか、と、小さく呟いたのが、妙に耳に残った。

 

「では、本当に……あの人は、夫は、死んだというの……?」

「ええ、名門ブラウンシュヴァイク家の当主に相応しい、潔い最期でありました。臣下として、見届け人たることを光栄にも命じられましたゆえ」

「そう……」

 

 アマーリエは危うい足取りで窓辺の長椅子に近づき、崩れ落ちるように座った。そして魂が抜けたような声音で、しかしはっきりとした決意を感じさせる口調で言った。

 

「なら私もヴァルハラへ行くわ。あの人のいない世界に、生き続ける意味も価値もないでしょうし」

 

 首だけ回してアマーリエは自分の娘の方を見た。

 

「エリザベート、あなたも一緒に死んでくれる?」

 

 いつも通りの優しげな声音に似合わぬ母の言葉に、エリザベートは身をこわばらせた。死ぬ? 自分が死ぬ?? たしかにそうすべきなのかもしれない。そのように一度は思った。しかし心の奥底にあるどうしようもなく冷たく硬質な情念と衝突して、そんな考えは砕け散り霧散した。どうして自分が死なねばならない? 自分は死にたくない。

 

 エリザベートにとり、死ぬかもしれない恐怖というのは、常に身近なものであった。もちろん、戦場の兵士のように、露骨な殺意に晒されるような死の危険があったわけではない。むしろ、特権階級としてそうした危険からは保護されて育ったが故に、そして彼女自身の特殊な事情故に、自身の周囲には死の影が(おぼろ)に落ちている感覚に、エリザベートはよく悩まされていたのだ。

 

 それは被害妄想故の錯覚なのかもしれない。だが、時流から皇室の末席を汚す一人になってしまい、次期皇帝の有力候補の一人として扱われるようになり、ブラウンシュヴァイク派の貴族たちからは女帝として即位する未来を望まれる一方、リッテンハイムなどの異なる皇帝候補を擁する者たちからの敵意を察していた。

 

 しばしば発生していた皇族の不審死事件が、次は自分かもしれないという恐怖をエリザベートに抱かせた。そもそも自分が次期皇帝の有力候補になってしまったのは、それが為ではないか。そして何者かの作為か、それとも単なる偶然か、なにかひとつ間違っていれば自分は死んでいたのではないかと思うような出来事に何度か遭遇して、一層その恐怖は彼女の中で強くなっていた。

 

「嫌です。まだ死にたくありません」

 

 震える声でそう告げた娘に、母は気の毒そうな表情を浮かべ、聞き分けの悪い生徒を嗜める教師のような口調で言った。

 

「ではどうするというの。フェザーンか自由惑星同盟やらいう叛徒どもの領域にでも逃げるの? あんないかがわしいところに逃げ込むなんて、絶対に後悔するわ」

「そうではありません……!! この帝国から出るつもりなど、ないです」

「エリザベート……?」

 

 アマーリエは目を細めた。そして労しい声音で言い聞かせるように続けた。

 

「この帝国で生きていても、先なんてしれているわ。高々三〇〇万人程度のヴェスターラントの叛乱者どもを駆逐した程度のことを、連中はまるで鬼畜外道の所業であるかのごとく評しているのよ? 私たちに対して相当な敵意と悪意がなければありえないことでしょう。あの金髪の孺子めは、必ず敵対者である私たちを殺しつくすに決まっているわ」

 

 さも当然のことだというふうにそう言った後、こてんと首を傾げた。なにかを見落としているような気がして、よくよく考えるとある不愉快な可能性に思い至り、眉根を歪めて忌々しげに語った。

 

「あるいはあの金髪の孺子が帝国の実権を握るだけには飽き足らず、至尊の冠を頂こうとするのなら、あなたなら結婚相手として生かそうとするかもしれないわね。孺子はあなたと結婚しても不思議ではない年頃だし、そうすることによって正統にゴールデンバウム王朝の皇帝位を継ぐ大義名分ができるもの。でもね、エリザベート、それがあなたが生き残れる道だとしても、ブラウンシュヴァイク公爵の娘が、金髪の孺子を偉大なルドルフ大帝の玉座につけることに加担するような恥辱にまみれた道を行くことを、母は決して許しは――」

「そうなったら初夜の時に、臥所で相手の喉をかき切ってやるまでのことです!」

 

 エリザベートは叫んだ。

 

「御母様! 私は、妾は! 妾は御父様の仇を討ちたいのです! 御父様を死に追いやった者どもを破滅させてやりたいのです! 御母様とて、そうではないのですか?!」

 

 怒りと嘆きの涙で頬を濡らしながら、そう力強く宣言した娘の姿を見て、アマーリエはしばし言葉を失った。何か娘に言葉をかけようと二、三度口を開きかけたが、言葉にならぬうちに口を閉ざした。

 

 やがてアマーリエは肩を落とし、軽く首を振った。もはや何を言っても娘は聞く耳を持ってはくれないだろうと、なにかを振り切るように。

 

「中佐」

「はっ」

「私は死ぬけど……娘の事を頼んだわ」

「御母様ッ!」

 

 信じられないという表情をエリザベートはしたが、アマーリエは意に介さなかった。

 

「エリザベート、あなたの決意は立派よ。だけど現実的な見通しなどないでしょう? この状況からあの者に正義の鉄槌を下してやることに……。確証もないのに、惨めな逃避行を耐え忍ぶなんて、私には無理だわ。あなたがそれを覚悟の上やるというのなら、止めはしないから好きになさい。だけど、きっと後悔することになるわよ」

 

 アマーリエの双眸は寒々しいほど冷え切っていた。娘の復讐の意志に感情的には共感しないではなかったが、名門ブラウンシュヴァイク家の当主夫人として、夫を支えて家を守ってきたものとしての現実感覚が、到底不可能なものであると断じていた。

 

 それに対してエリザベートがなにも言い返せず、数分が過ぎたのを見て、黙って控えていたジーベック中佐が口を開いた。

 

「それでは奥方。自分が自決用のワインを用意して参ります」

「ええ、そうして頂戴……いえ、待って。中佐、貴方が撃ち殺しなさい」

 

 何気ない調子で言われた命令に、ジーベックはひどく動揺した。

 

「あの人みたいな勇気と度胸は私にはない。どうせ毒酒を飲み干せはしないでしょう。だから貴方が撃ち殺して。ついでに遺体も跡形もなく燃やして頂戴。死んだ後とはいえ、この身があの人以外に触れらるかと思うと怖気が走るから」

「お、奥方……どうか、ご容赦を……」

「なに? あなた公爵家に忠誠を誓った身で、公爵夫人の命が聞けないというの!?」

 

 公爵夫人の喝に気圧され、中佐は反射的にブラスターを引きぬいて銃口を向けた。中佐の表情は引きつっており、ブラスターを持つ手は小刻みに震えていた。しかし夫人は覚悟を決めて視線を逸らすことがなかったので、中佐も意を決して引き金を引いた。アマーリエの脳髄を光条が貫いた。即死である。

 

 母の死にエリザベートはヒッと悲鳴をあげた。ジーベックはしばし主君の妻の死体を呆然と眺めていた。しかし中佐はすぐに我にかえって、周囲の使用人たちに告げた。

 

「夫たるブラウンシュヴァイク公爵オットーに殉死するために、公爵夫人アマーリエは()()()()()()()()()()()()をなされた。これより夫人の遺言に従い、遺体を焼却する。メイドは夫人を毛布か何かで包んで庭園に運び出してくれ。あと男どもは私についてこい。そして殿下はどこか別室へ――」

「待ちなさい中佐」

 

 声をかけられて、ジーベック中佐は驚いた表情を浮かべた。声をかけられるとは思ってもいなかったらしい。

 

「母を、燃やすのでしょう? 私も、見届けます……」

「殿下……了解しました。では、殿下も庭園にてお待ちを」

 

 沈痛な顔もちででジーベック中佐はそう言った。

 

 庭園には次々と公爵邸から大量の資料や機械が続々と運び込まれていた。アマーリエの遺体と一緒に全部焼いてしまうのだとジーベックが強硬に主張したからである。邸内の者たちの中にはあまりにも不敬ではないと躊躇うものがいたが、ジーベックは譲らなかった。

 

「亡き奥方の願いを叶えるのだッ! たとえ骨だけであろうとも金髪の孺子どもの一党に渡してなるものか。骨をも拾えぬよう、様々なものと一緒にこの庭園のすべてを焼き尽くすのだ。そうしておけばいいカモフラージュにもなる!」

 

 このような主張のせいでアマーリエ・フォン・ブラウンシュヴァイクの遺体は、様々な雑多なものと一緒にポリマーリンゲル液をぶちまけられ、美しかった公爵邸の庭園を飲み込むように燃えあがることになってしまった。

 

 そんな光景の一部始終を見ていた娘のエリザベートの心境は、むろん単純なものになるわけがなかったのだが、煌々(こうこう)と燃ゆる大きな炎眺めていると、不謹慎ながら胸中に“美しい”という言葉が浮かんできた。

 

 紅葉の時期であったこともあり、燃えているところも燃えていないところもすべてが鮮やかな朱色に染まっている光景は、とても幻想的で美しく思えた。まるで、この綺麗な炎が、自分が属していた世界の枠を焼き尽くし、暗くて冷たい宇宙の深淵を誘おうとしているかのような。どこか浮ついた気持ちになりながら、エリザベートにはそんなふうなことを考えもした。

 

「殿下」

 

 声をかけられてエリザベートが振り返ると、そこには片膝をついたジーベック中佐がいた。いや、中佐だけではなく、数十人の大人たちが彼の後ろに一緒になって片膝をついていた。

 

「殿下の志に協力したいという家臣を集めました。なんなりとお命じください」

「……それ以外の者たちはどうしたの?」

「勝手ながら、私が暇を出しました」

「そう、ならこれまで公爵家に仕えてくれた例に適当に恩賞でも出しておいて。どうせこの邸のすべては持ち出せないでしょうし、放っておいても帝国政府に接収されるだけでしょうから」

 

 新たなる幼い主君の言葉に、ジーベック中佐は目を白黒させたが、頷いた。

 

「既にそのように手配しました。亡き公爵閣下も、金髪の孺子に与えてやるよりは、これまでの部下への恩賞として出すことを望まれると思いましたゆえ」

「そうなの? ありがと。でも中佐」

 

 少しだけ悪戯っぽく唇の端を歪ませて、彼女は告げた。

 

「次からは事前に妾に相談してね。昔と違って、今は貴方の主君なのですから」

「――ハハァ!」

 

 大変恐縮した様子でジーベック中佐は頭を下げた。

 

「ところで中佐、御母様が言っていたことではあるけど、妾が出て行けば、帝国宰相殿は妾を妻に迎えたがると思う?」

「……難しいでしょうな。アンスバッハ准将が申しておりましたが、あの者はこれまでの帝国の在り方そのものを変えようとしているのだと。となれば、殿下が出て行っても拘束されるだけにございましょう。もしかすれば、貴族たちを懐柔する証拠として、殿下の身を利用することを考えはするかもしれませぬが、その場合でも象徴的に側近の一人と殿下を結びつけるのみで、あの男自身が出てくる可能性は低いでしょう」

「そう、御父様が頼りにしていたアンスバッハ准将が……なら早急に復讐を研げるのは無理ね。しばらくは雌伏するより他にないでしょう」

「ご明察であります。では、その方向で策を練らせていただきます」

「ええ、頼りにしているわ」

 

 そう言って微笑み、決意とともに歩みだしたのを、はっきりと覚えている。

 

(そうして進んできて……今に至るわけか……)

 

 過去から現在へと意識を戻し、エリザベートは軽く肩を落とした。はたしてジーベックは自分の命令を生命をかけて成し遂げてくれたであろうか? あの者の生命を奪い取ってくれたであろうか? その疑問を答えを知ることはない。その前に自分は死ぬのだ。ローエングラム王朝なる欺瞞を滅ぼすために。

 

 ゾクリ、と。足元から凍りつくような感覚が這い上がってくるのを、死への恐怖を、エリザベートは噛み殺した。なにをいまさら。覚悟を決めていたことじゃない。御父様も、御母様も、誇り高く逝ったのだ。その二人の娘である自分が、それで意思を曲げるなど、笑い話にもなりはしない。

 

 だが、一方で自分のことながら疑問に思うこともあるのだ。自分がこの道を歩むと決めたのは、両親の仇討ちよりも、ただまだ死にたくなかったからだけではないのか? そんな卑小な想いが心の内にある。そしておそらくそれは、割合的にどの程度かはわからぬまでも、おそらくは真実である。

 

 ゆえにこそ、だからこそ、エリザベートはその感情を押し殺さねばならなかった。

 

「さて、ついにやってきたか。妾の死神どもが」

 

 窓から下を眺めると、なにやら物々しい集団がこの高層ビルに突入してくるのが見えた。おそらくあれらがジーベックが招いてくれた“客”であろう。

 

「あれらに殺され、後に帝国軍が来てくれればすべてはうまくゆく、か。ジーベックもなかなかなことを考えたもの。なら精々らしく振舞ってやらねばな……」

 

 少しばかりこの高層ビルの本来の持ち主であるフェザーンの豪商に対して悪い気持ちがしたが、あの商人、もとより様々な理由で帝国本土から逃れきた貴族令嬢を囲う趣味があり、自分とてその獣欲の対象になることでここに住まわせてもらっていたのだ。そんな面倒臭い女どもを囲う以上、リスクは覚悟の上でやってたことであろうから、気にしてやる必要もないだろうが。

 

 数分後、乱暴にエリザベートのいる部屋の扉がこじ開けられた。入ってきたのは見るからに力の強そうな大男で、工場労働者風の服装をしていた。しかし鋭い瞳と手に持ったブラスターは、彼がただの工場労働者ではないことを妙実に示していた。

 

「おまえがエリザベートか」

 

 銃口をつきつけ、感情の感じ取れない平坦な声音でそう誰何してきた大男に対し、エリザベートは体中の震えを気合いでねじ伏せ、胸を逸らした。

 

「いかにも。妾こそが第三六代銀河帝国皇帝フリードリヒ四世の娘アマリーリエとブラウンシュヴァイク公爵オットーの子、エリザベート・フォン・ゴールデンバウムである。そういうそなたは何者か? 皇族に対し、払うべき礼儀も知らぬのか?」

 

 大男の反応は鈍かった。そうかこいつがと、何度か咀嚼するように繰り返し口にした後、音程が狂った声で笑い出した。一番乗りが独占していいというのが、ここの襲撃者たちの間で取り決められた協定であったのだ。

 

「いや失礼した! 俺はこれからおまえを縊り殺す者だ! どうせすぐ死ぬんだから、それだけ知ってれば十分だよなぁ?!」

「なんと野蛮な。金髪の孺子の信奉者の程度というものが知れ――ッ!!」

 

 左脚のあたりから針が深く打ち込まれてこねくりまわされたような激痛を感じて、エリザベートは建ち続けていることができず、床に崩れ落ちた。ブラスターの光条で、撃ち抜かれたのである。苦しむ少女の姿を見て、大男は愉悦に満ちた笑みを浮かべた。

 

「皇帝ラインハルトの御代の為、腐れ貴族どもも滅ぼす為っていうのは、勿論あるんだけども、それ以上に俺の私怨なんだよなぁ」

「私、怨……だと。よもや、そなた、ヴェスターラントの……」

「いいや、ヴェスターラントは関係ねぇぞ?」

 

 次の瞬間、再びエリザベートの悲鳴が響いた。今度は右腕を撃ち抜かれたのであった。痛みにのたうち回り、意識が朦朧とする。だが、エリザベートは自分が意識を手放すことを許さなかった。自分としては父が命じたというヴェスターラントの虐殺の関係者くらいしか心当たりがない。

 

 何者かもわからぬものに殺されるなど、という気持ちで、力を振り絞ってかすれるような声で問うた。

 

「なら、なんの……」

「ん? ああ、別に気に病むことはないぞ。ただの逆恨みだってことくらいは理解してるからな」

 

 大男の口調は驚くべきことに親しげでさえあり、だからこそエリザベートは、死への恐怖とはまた異なったベクトルの、なにか悍ましいものと対峙している恐怖が膨れあがっていくのを感じた。

 

「俺さ。旧クロプシュトック領星出身の人間なんだ。クロプシュトック侯爵の反乱時は、俺は出稼ぎしてた星にいなかったんだけどさ」

 

 雑談をするように大男は続ける。

 

「それでさ、俺の両親や兄弟がブラウンシュヴァイク公爵率いる討伐軍に皆殺されちまってさ。いやあ、どう考えても大逆なんかしやがったご領主様が悪いのはわかるんだけどさ。なんかこうモヤモヤするものは引きずってたわけでさ。んで反貴族主義の団体に属してたら、後の世のために、没落したブラウンシュヴァイク公爵家の忘れ形見殺す計画があるって言うから、志願してこうしてお礼参りにきたってわけ」

 

 大男はそう言って床に倒れているエリザベートの胸ぐらを右手で掴み、軽々と持ち上げた。エリザベートは意識だけは屈してなるものか、憎々しげな瞳で大男を睨みつけた。

 

「この狂人め、が……」

「臣民教育とか言ってお姫様の言うところの狂人を育て続けてきて、その上に五〇〇年も胡座をかいてたのがゴールデンバウム王朝だよ。いや、俺もこんな時代になるまで自覚なんざなかったんだが」

 

 左手で大男はエリザベートの首をつかんだ。そしてそのまま驚くべき握力でエリザベートの首の骨をへし折ってしまい、手を離して遺体を床に落とした。

 

 大男は近くにあった椅子に座り、何気無しにエリザベートの死体を眺めていた。果てしようもない虚無と微かな憐みが込められた視線であった。

 

「これが復讐の味か」

 

 大男は視線を自分の左手に移した。ついさっき、人を殺した自分の左手を。

 

「思ってたより……虚しいな……なんの喜びもない」

 

 復讐達成に関する素直な感想を呟いた後、フッと嗤ってみせた。偶然にもちょうどその瞬間、帝都の夕日が完全に沈み、高層ビルにフェザーン自治領警察の面々が大挙して侵入してきた。

 

 自治領警察が動いたのは、次のような経緯だった。首都防衛軍副司令官のトゥルナイゼン大将が、勅命があるとはいえ、フェザーン人のボルテックは確実に駄々を捏ねるであろうと考えて、説得のために代理総督府に赴いたところ、意外にもボルテックはすんなりと首都防衛軍の活動を認めたばかりか、早期に悪質なテロを取り締まる為に協力したいなどと申し出てきたのである。

 

 皇帝暗殺未遂が起きた一報があった時点で高等参事官のトリューニヒトがこのような時に積極的な協力姿勢を示しておけば、今後の帝国内で代理総督府の権益を守り、フェザーン人の立場を向上させる上で有力な政治的に武器になるとの意見を聞いてた。それでもボルテックとしては嫌な気持ちもあったのだが、やってきたトゥルナイゼンが勅命を奉じていると聞いて、ここで協力しておけば皇帝に対する恩にもなると計算し、首都防衛軍への全面協力を即断したのであった。

 

 結果として、帝国フェザーン統治の不平派の牙城となっている代理総督府の自治領警察が貴族連合残党盟主であったエリザベートを襲撃したテロリストの逮捕・調査を行う運びとなり、ジーベックが思い描いていた“皇帝ラインハルトは自身の崇拝者に邪魔者の始末を命じ、その下手人を帝国軍が処理して秘密を守るようなやつ”という扇動を残った地球教徒たちにさせてローエングラム王朝の基盤に罅を入れるという今回の作戦の効果は、中途半端なものとなってしまうのであった。

 

 首都中を駆け回って調整と指示を行なっていたトゥルナイゼンは、首都全域に軍と警察を配置してひとまずは安心できる状況を構築し得たと判断して首都防衛司令官のクラーゼン元帥と認識をあわせるために通信連絡を取り、自分の判断が間違っていないと確信した後で、腹の底からほとんどの空気を吐き出した。安堵のため息であった。

 

「これほどのことになるとまで予感してたわけじゃなかったが……随分と濃密な黄昏だったな」

 

 まだこの状態を終わらせて平時に戻すという重大な作業が残っているにせよ、事件そのものはひと段落したことに疑いはなかった。

 



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遺老の心境

 夕方の皇帝暗殺未遂から始まった一連の帝都騒擾事件“黄昏の衝撃(アインシュラグ・デメルング)”の事後処理のために情報を収集し、仮皇宮で行われた臨時御前会議で当面の方針について結論が出た時には、既に夜遅い時間となっており、クラーゼンは自邸に帰宅するために部下が車を回してくるのをロビーで待っていた。

 

 ふとロビーにあるデジタル表示の大時計が視界に入った。液晶には「2/8/30 AM00:23」と表示されていた。どうやら知らぬ間に日付さえ変わってしまうほど会議は長引いていたようだ。老人にこんな夜更かしは酷であるとため息を吐き、ついで別のことが気になってぐるりと周りを見渡した。

 

「仮のものとはいえ、これが皇帝陛下のおわす宮殿とはな」

 

 頭では理解できていることなのだが、老元帥としては感覚的に違和感を覚えずにはいられない。皇帝の居城たるべき場所に、平然と機械設備が存在しているなどということは。

 

 ゴールデンバウム王朝の時代、生活空間に機械力ですむところに人間を使うことが、ルドルフ大帝の頃より続いていた地位の高さと権力の巨大を象徴する形式のひとつであり、伝統であった。最大にして究極のものは、無論皇帝の居城であった新無憂宮(ノイエ・サンスーシ)である。人類社会で最強の権力者が暮らすところであるのだから、至極当然のことであった。

 

 そうした価値観の世界で良くも悪くも権力者側の人間として長く生きてきたクラーゼンにとっては、やはりどうしても奥歯に魚の小骨でも挟まっているような気持ちになるのであった。あくまで仮の皇宮だからというのならまだわかるが、正式な皇宮となる予定の獅子の泉宮殿(ルーヴェンブルン)も旧王朝の旧弊に縛られずに機械設備を盛大に導入したものにすると新皇宮の設計・建築責任者のシルヴァーベルヒが豪語してるのを知っているので、そうなってもこの種の違和感は消えてくれないであろう。

 

 いや、それでも少しはマシにはなるかもしれない。この仮皇宮は、元々はフェザーン自治領の迎賓館であったものを帝国政府が接収したものだ。だから、クラーゼンの若い頃の記憶を少なからず刺激してくるのだ。

 

 まだ自分が上昇志向などというものを持ち合わせて、自己の能力への過信と未来への野心に満ちていた少壮の軍将校であった頃。フェザーン駐在弁務官事務所の駐在武官として、あるいは統帥本部所属の課員として、幾度となくこの迎賓館に足を運んだものだ。フェザーンの仲介の下に叛乱軍――いや、同盟軍との交渉をするために。

 

  かつて銀河帝国と自由惑星同盟が互いに人類社会唯一の正統国家であると主張し、相手の存在を国家として認めずに長きに渡って慢性的に戦い続けていたわけだが、それでも両者の間で直接的な対話や交渉が存在しなかったわけではなく、むしろ頻繁に行われていたことであった。

 

 形式的には帝国と同盟の双方の親である銀河連邦が用いていた宇宙海賊をはじめとした武装勢力との対話鎮定要領の流用で、一世紀以上前に当時の帝国軍の統帥本部総長と同盟軍の統合作戦本部長の名で両軍の間で最初の戦時協定が結ばれて以来、その戦時協定を根底として軍を窓口として外交交渉が幾度となく行われてきたし、時には限定的事柄ながら両者の間で秘密裏の協力関係が――特に後世有名なのは双方の間で勢力を強めていたサイオキシン・マフィア取締りのための協力であろう――構築されたこともあった。

 

 ちなみに最初の協定に署名したのが、軍務尚書ではなく統帥本部総長だったのは、軍務尚書だったら同盟側のカウンターパートが国防委員長とかいう文民政治家になってしまって、軍同士の話し合いであるという建前が崩壊するためである。

 

 そこまで無理して協力関係を結んだりするくらいならば「もう相手を国と認めろ」とか「戦争そのものをやめてしまえ」という意見も当然出て、幾度かはそのための交渉もなされたことはあったのだが、残念ながら双方が掲げる理念に深刻な矛盾をきたす問題を解決することができず、主流派や原理主義者の反対によって、その種の交渉に関わった者達の努力が実を結ぶことは一度もなかったのである……。

 

 ともかく、若い頃のクラーゼンはそうした同盟軍との交渉に少なからず参加していた経験があり、その際に交渉の場がフェザーンの迎賓館に設定されることはよくあることだったので、そんな場所が仮とはいえ皇宮になっているなどという奇妙な現実は、頭ではともかく、感情的に違和感なく受けいれることは困難なことではあった。

 

「クラーゼン元帥」

 

 古い過去の記憶の回想に耽っていると名を呼ばれて、クラーゼンは振り向いた。

 

「これは内務尚書閣下。いかがされた?」

「いえ、先の御前会議では内務省の顔を立てる発言をしていただいたことについて感謝を述べておきたいと思いまして」

「何をおっしゃるかと思えば。儂はただ思うところを素直に述べただけのこと」

 

 そう言ってクラーゼンはオスマイヤーに向けて微笑みを浮かべた。会議でクラーゼンは可及的速やかに帝都における軍の非常警戒体制を解除し、事後の調査等々は内務省が中心となって処理するべきではないかと発言したのである。

 

 なぜならば、完全武装した兵隊が街中を闊歩している事実は、まだ帝国に完全に順応していないフェザーン民衆の過剰な恐怖を抱かせ、今後の帝都の世論に好ましくない変化を及ぼす懸念があること。そして今回のテロの兆候を内務省は察知していたし、調査能力の面でもルッツとワーレンを狙った爆弾テロの実行犯を捕らえた実績もあること。この二点を理由として述べた。

 

 しかしながら、本音としては一刻も早く首都防衛軍が面倒事の矢面に立ちづける状況を終わらせたいというのが一番の理由であった。如何に皇帝陛下の勅命であるから「文句があるなら皇帝陛下に言ってほしい」と言い返せるとはいえ、長々とこの措置が続くようならば現場の首都防衛軍に、ひいては司令官である自分を敵視する者が増えるという事態に発展するのは避け難く、そんなことになる可能性は早めに潰しておきたかったのだ。

 

「打算なくそう思ってくださっているのならば、なおのこと礼を。正直なところ、内務省に対する周囲からの評価というのはよろしくありませんから」

「やはり他省と比べて守旧的に過ぎると言われておるからかな?」

「はい、巷で言われている通りです。特に近頃はラング次官が悪目立ちしていることがありまして如何とも。内務省内の保守派の意見をまとめてくれているわけですから、ありがたくもあるのですがね」

 

 オスマイヤーが自分にこんな話題を振ってきた意図が奈辺ににあるのか、周囲から伴食呼ばわりされている元帥はある思い当たることがあった。

 

「内務尚書閣下。申し訳ないが、これでも儂は武人でしてな。無骨者ゆえ、政府官僚の思惑や力関係などという話には疎い。いや、かつて副宰相を務めていたゲルラッハ子爵を筆頭に、名前に覚えがある貴族官僚がいくらか復権しておる程度のことなら存じておるが。あまり儂には関係ないこととしか思えませぬな」

「文官との棲み分けというものを尊重されておるわけですか」

「というより、率直に言えば面倒なのでな。軍内部であっても、よその部署の管轄に犯すのは快く思われないのが常だ。今回首都防衛軍が一時的に内務省の職権を犯すことになったのも、非常事態故であったのと勅命あってのこと。儂個人としては望んでやりたいことではなかった。先の会議で内務省を持ち上げる発言をしたことに、あえて理由をつけるなら、ある種の詫びですかなぁ」

「会議で陛下が仰った通り、元帥閣下は優れた識見をお持ちですな。これからも軍の長老として、ローエングラム朝のために共に献身できればと願わずにはおられませんな」

 

 軽く頭を下げるオスマイヤーに対し、クラーゼンは意識的に渋い表情作って、冗談じゃないよという口調で言った。

 

「あまり老人を虐めんでくれよ。まだ若い卿と違って、儂は無理できるような歳ではないのだ。今だとて、一刻も早く邸宅に戻って休みたいのだ。夜更かしなんぞ、するものではないわ」

 

 大袈裟に欠伸をして、眠たいことを強くアピールされたことに、オスマイヤーは苦笑して仕事の話を切り上げ、あたりどころのない世間話へと話題を転じた。オスマイヤーとしてはクラーゼンがラングたちと接近するために先の会議で内務省を持ち上げてたのではないかと疑ったのだ。

 

 国内治安に責任を持つ内務省の長として首都防衛軍司令官となったクラーゼンと仕事上の付き合いというものができていたが、副司令官のトゥルナイゼンに実務のほとんどを委ねてそれで良しとしいていたので、これまでオスマイヤーは目の前の覇気に欠ける高齢の元帥自身をさほど重要視していなかったのだ。

 

 はたしてクラーゼンは“政敵”となりうるような存在であるか否か……。軽く釘をさしての反応がこれであるならばさほど心配はいらぬかもしれないが、本心であるという保証もない。しばらくこの老人の言動にも注意を払わなくてはならないだろう。

 

「閣下、車の用意ができました」

 

 ロビーに戻ってきた大佐の階級章をつけた参謀の言葉にクラーゼンはひとつ頷いた。

 

「ではな内務尚書。さっきも言ったように儂はもう帰るから、首都警備の関する話ならトゥルナイゼンと話してくれ。あやつ、まだ司令部で仕事をすると言っておったからの」

 

 若さというものは羨ましいななどと言って去っていく老元帥を、何言ってんだこいつという感情が九割と羨ましさ一割の胸中で内務尚書は見送った。オスマイヤーはこれより内務省に戻って、まだ働かなくてはならぬ身の上であった。今回の一件に関連して急ぎ対応しなければならないことが山積しているのである。

 

 私邸に戻る途上、クラーゼンは車の後部座席の背もたれに深く身を預けながら、疲れた声でぼやいた。

 

「あの金髪の孺子め。楽をさせてくれそうにないな……」

 

 皇帝に対する不敬発言以外のなにものでもなかったが、車内には彼と運転席に座る参謀の二人しかおらず、この参謀はクラーゼンが予備軍総監だった頃から仕えていたこともあって、上官の気質をよく理解していたのでそこは気にならなかった。彼が気になったのは別のことである。

 

「何故です? 陛下より此度の対処についてもお褒めの言葉も頂けたのでしょう?」

「それだけなら良いのだがな。識見を評価され、今後も王朝のためにその力を役立てて欲しいと言われてはな」

 

 不愉快げに顔を顰める上官の姿をバックミラー越しに確認した参謀は不思議に思った。普通に考えるならば、それはむしろ喜ばしいことではないのかという疑問を抱かずにはいられなかったのである。

 

 そんな参謀の心境を察したのか、クラーゼンは軽くため息をついた。

 

「卿もまだまだ若いのう」

「……は? いえ、まあ、閣下に比べれば、はい」

「いいか。儂は帝国元帥であることに十分満足しておる。今更ハイリスクを背負ってまで今以上の役職が欲しいかと言われるとな」

「しかし閣下は、ヴァルプルギス事件の折、クーデター派にリスクを承知の上で役職を要求してませんでしたか」

「もしクーデターが成功していた場合、儂も敵視される恐れがあったからの。なにもしなくてもリスクを生じるなら、クーデター側にいい顔をしてやった方が良いと判断したまでのことだ」

 

 もしノイラートたちのクーデターが成功していた場合、クラーゼンはローエングラム新体制に順応して地位と権力を保っている名門貴族と見做されたことだろう。またマリーンドルフ伯と違って、オーベルシュタインなどに警戒されるのを厭って旧貴族に“思いやり”を施すことにも消極的であったから、何もしなければクーデター政権から敵視される可能性の方が高いと踏んだのだ。

 

 もっとも、実際はクーデターの推移がクラーゼンの予想以上にグダグダで、もしもの可能性に備えて変に日和見的態度をとる必要性すらなかったのかもしれないが。

 

 そして今回このタイミングで帝国軍全体の意思決定に関わるような役職に自分がつかされるとすると、ほぼ間違いなく昨日の事件の遠因でもある皇帝への忠誠というものを履き違えたアホどもの粛清で主体的役割を果たすことが望まれるであろうとクラーゼンは想像がついた。そうでなくても時節柄、軍縮の必要性が議論になっていたのである。

 

 つまり“旧王朝時代からのくたばりぞこないである高齢の軍高官が新王朝の恩恵を受けて出世してちょっと勘違いしてしまった若者どもを粛清する”構図だ。そんな役を演じるというのは、少なくない敵意を買うであろうし、大変なリスクである。

 

「少し誤ったか」

 

 会議での言動、いや、首都防衛軍司令官に就任してからの振る舞い方が少々迂闊であったかもしれないとクラーゼンは自省したい気分であった。

 

 旧王朝時代から置物元帥だの伴食元帥だの好き放題言われてきたが、そんな状態で一〇年以上も現役元帥のままであり続けるというのは結構大変なことなのだ。有能さを示し過ぎれば周囲の軍高官の警戒や関心を生んで軍中枢の派閥闘争に巻き込まれるし、かといって無能に過ぎればさっさと退役させるか予備役編入でもしてしまえという声に抗うことが難しくなる。

 

 オーベルシュタイン元帥が首都防衛軍司令官就任の話を持ってきた瞬間、クラーゼンは義眼の軍務尚書から示唆されるまでもなくどのような意図からきた人事であるかを理解したし、また副司令官にトゥルナイゼンをあてる予定だと聞かされて、こちらに関してはなんら示唆があったわけではないが、ある種のトゥルナイゼンに対する試験でもあるのだろうと察した。

 

 トゥルナイゼンは軍幼年学校の頃にラインハルトと同窓であり、名門貴族出身でありながらラインハルトの天才を認めていた彼は内戦時からラインハルトの側について戦って相応の地位を得ていたが、かつての遠征時に短慮からくる軽率な独断専行のために全体の作戦を乱して窮地を招く失態を犯し、辺境軍管区の司令官に左遷されたとクラーゼンは知っていたのである。

 

 だからクラーゼンは司令官というよりは監督のような心持ちで“トゥルナイゼン司令官”を観察し、必要とあれば上に立つ者としての在り方を指導を行うというスタンスをとった。クラーゼンの立場からしても、彼のような経歴の持ち主が軍中枢に復帰するのは自身の利益になると考えられたこともあり、かなり好意的に接してやっていたつもりである。

 

 そうした自身の打算と思惑をラインハルトは見抜き、能力を評価して他に使い道があるという考えに至ったのかもしれないと推測できるので、もっと慎重に動くべきであったかもしれぬという気持ちが湧いてくるのであった。

 

「しかし閣下ならその気になれば今の軍上層部でも張り合えると私は思うのですがね」

「買いかぶるな」

 

 クラーゼンは厳しい口調で参謀の意見を否定した。老元帥は自分の能力というものに見切りをつけていた。フリードリヒ四世より元帥杖を授かるところまでいったが、所詮、自分はそれと引き換えに軍内の主要派閥から疎まれ、一〇年以上も帝国元帥をやっていながら軍三長官の地位に一度もつけたことがない男である。巷で噂されているように旧王朝の頃から過去の人間であったという評も外れてはいないだろう。

 

 そのおかげと言ってはなんだが、エルウィン・ヨーゼフ二世即位から始まった枢軸派と連合派の対立にも自然と離を置くことができた。双方の陣営より一応元帥だからと取り込もうとモーションをかけてきた者が皆無だったわけではないが、積極性などまるでなかったので、適当に言を左右して中立を確保し、ある意味では安全なポジションで帝国内の動乱を観戦することができたといえる。そして退役したミュッケンベルガーが言っていたようにあの孺子バケモンだわ、という認識を抱いていた。

 

 そもそもあんなにも勢いよく内戦まで突入するということ自体、クラーゼンからしたら予想外すぎた。なるほど、枢軸派は中央官界はリヒテンラーデ公が、正規軍の艦隊はローエングラム侯が、それぞれ掌握していたかもしれない。だが、言い換えればそれだけだ。

 

 ローエングラム侯が軍部を完全掌握していたわけではなく、リヒテンラーデ公にしても政府はともかく宮廷内においては一派閥の長にすぎぬ。ブラウンシュバイク公とリッテンハイム侯が手を組んでいる以上、彼らの連合の宮廷派閥は本当の意味で比類なき規模と化しているわけで、宮廷闘争を挑んだ方が賢明だろうし、下手したらそれだけで片がつく。エルウィン・ヨーゼフ二世が他の有力皇帝候補を押し退けて政府が決定した経緯を筆頭に、攻め所は十分あるように思われた。

 

 だのに蓋を開けてみれば、凄まじい速さで内戦への道へと突き進み、最初の一発を放ったのが連合の盟主たるブラウンシュバイク公直属の部隊だったため、相手陣営を公然と“賊軍”認定できる大義名分と首都圏と皇帝の身柄を確保と帝国を二分する内戦の始まり方としては想像しうる限り最高のスタートを切っていた。

 

 あとで知ったことであるが、リヒテンラーデ公がこの機に数が増えすぎた帝国貴族の整理を考えていたので高圧的かつ妥協なき態度をとって連合側貴族の敵意を煽っていたこと、ローエングラム侯も宮廷闘争を続けられては面倒だと、自分に有利な戦争に引き摺り込むべく相当辛辣な裏工作に励んでいたゆえのことであったようだ。調べても一端しか知ることはできなかったが、クラーゼンは距離をとっておいてよかったと安堵したものである。

 

 そして内戦終結直後に今度は帝都で大鉈をふるい、政府内の動揺を最小限に抑えて独裁体制を構築したのが新王朝の今上の皇帝と軍と政府の枢要をしめている者たちなのだ。そんな連中相手に対抗して自分の意思を押し通していけるとはクラーゼンには到底思えなかった。

 

「対抗できるものが儂にあるとすれば、地位を守る才能くらいよ」

「地位を守る才能、ですか?」

 

 クラーゼンは口を端を歪めて深く頷き、車を運転している若い大佐に対して軽く講釈を垂れてやるかという気分になった。

 

「これはただ儂がそう思ってるだけだがな。自分の望む地位を手に入れる才能、自分の望む形で地位を使う才能、自分の望む地位を守り抜く才能。この三つは同じようでいて実は根本から違う才能なのではないかと思っておってな」

 

 自分の望む地位を手に入れる才能とは、出世能力。いや、出世に限らず、自分が欲しい地位や役職をその手につかむ能力だ。とにかく己がなりたい社会的存在になれる才能とでも言っていいかもしれない。

 

 自分の望む形で地位を使う才能とは、権力者としての能力。地位や役職に伴う権力を自分の欲望や理想のために十全に使いこなす能力だ。人を道具として使える才能とでも言うべきか。

 

 自分の望む地位を守り抜く才能とは、保身能力。言ってしまえば既に手に入れているものを守り抜く能力だ。この三つの中では一番見栄えの悪い能力であろう。

 

 長い人生の中での経験から感覚的にこれらはそれぞれ別の才能であるという認識をクラーゼンは持っていた。そして野心を持って上の席を目指して四苦八苦していた頃と比べて、軍のお飾りとなって一〇年以上、幾度となく軍上層部で面倒事に巻き込まれたものだがその度に巧みな遊泳術で特に危うげなく乗り切ってきたし、王朝の交代という未曾有の大事変にも上手く対応してのけ、今現在も現役の元帥であり続けているのだ。そのため、自分には地位を守る才能において突出したものがあったのやもしれんとクラーゼンは自負していた。

 

「……ただの世辞の類という可能性もある。そうであってくれれば嬉しいのだが」

 

 御前会議での皇帝の発言はリップサービスとも思えなくはないのだが、それにしては熱が籠もっていたように感じられた。用心をしておくに越したことはない。長年軍上層部に意地でも居座り続けた遺老としての嗅覚が、警戒すべしとしているのだ。

 

 ローエングラム王朝の世においても高級軍人としての命脈を保っているが、クラーゼン自身には新王朝が行った数々の改革に対する共感などない。むしろ不快感の方が強い。本質的にクラーゼンは旧王朝末期の軍高官の平均値的な思想と価値観を有しており、改革のせいで少なからぬ実害を被ったのだから当然である。現在の主君であり至尊の座に座っているラインハルト・フォン・ローエングラムに対しても陰では昔と変わらず“金髪の孺子”という蔑称を用いるくらいには嫌っていた。むろん、無用な敵意を買うだけなので発言する時と場は十分に選んでいるが。

 

 そんなクラーゼンが今まで生き残れたのは、ゴールデンバウム王朝の時代からある種の冷遇というか、敬して遠ざけられている立ち位置であったために独特な達観を持っていたからである。そして個人としては現役の帝国元帥であり続けること、貴族の当主としてはクラーゼン家が歴史ある名門貴族家として恥ずかしくないだけの地位を維持すること、この二点以外は究極的には妥協しても許容範囲だと素面で思っている感性ゆえであった。

 

 特に現役の帝国元帥であることは重要であった。現在でも大元帥たる皇帝や同階級のオーベルシュタイン、ロイエンタール、ミッターマイヤーの三者以外の高級軍人は内心はどうあれ自分に敬意を払わねばならぬのだ。これはクラーゼンの個人的な虚栄心を満足させるものであった。そうした感情面を抜いても、直に軍部の空気に触れることができるのは保身のための情報取集の観点で実益があった。

 

「予想があたっていれば、若い皇帝陛下のお手並拝見かのう」

 

 野心に乏しく寝ても起きても自己保身のことばかり考えていて、しかも少々の持ち出し程度は覚悟している大貴族というものは、改革志向者にとっては最高に面倒極まりない生き物である。

 

 ましてや自分だ。皇帝がそれを理解して使いこなせるのならばそれで良し。もし違うようなのであれば、非常にリスクが高いことをしなくてはならぬ羽目に陥る可能性が高いが、同時にあの華麗なる皇帝陛下の顔が醜く歪む光景を間近で見れるかもしれん。そんな想像をしてクラーゼンは微かに意地の悪い笑みを浮かべ、ついでそれをかき消すかのように大欠伸をした。

 

「……眠いの」

 

 こんな時間まで儂のような老人を働かせるなど帝国の敬老精神今何処、と、クラーゼンは胸の中で呟いた。

 



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