いちご100% IF (ぶどう)
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第一話

 

 ふとした拍子に昔のことを思い返してみると、いつだって学生時代の記憶が蘇る。

 

 仲の良い友達がいて、入部した部活動に精を出していて、今になって思い返してみると毎日がとても充実し輝いていた。それでも当時の自分はそんな風には考えていなかったと思う。

 

 代わり映えしない日々。学校なんてさっさと卒業して、早く大人になりたいとぼやいていた。大人になって自分で金を稼いでは、誰にも文句を言わせること無く好き勝手に生きたいと。

 

 中学生の頃は早く高校生になりたい。高校生の頃は早く大学生になって酒でも飲みたい。大学生の頃はどうだろう。高校生の頃に戻りたいだなんて言っていたような気もするし、キャンパスライフを楽しんでいたような気もする。なんてことない、どこにでもいる典型的な学生の考えだろう。

 

 彼女だって何人かいた。付き合った理由も別れた理由も様々ではあったが、現在まで続いている人はいない。仲の良かった友人との付き合いも、学生時代と比べると格段に減っていった。

 

 社会人となって数年が経てば色んなことに慣れ始めていた。学生時代に思っていたように夜遅くまで遊び回ることもなければ、平日の夜に酒を飲むことも少ない。ただ惰性のままに毎日を過ごす。次に付き合う人が同年代であれば、そのまま結婚するかもしれないなどと考えたりもした。

 

 もう自分の人生のピークは過ぎ去ったものだと考えていた。悔いが残るような人生ではないが、満足できるような人生でもなかった。我ながらなんともつまらない年の重ね方をしたものだ。

 

 通勤のために利用する最寄り駅で学生の姿を見かける。駅を利用するのだから高校生なんだろうがとても幼く見える。人目も憚らず友人同士で騒いでいた。元気で活力があって輝いている。

 

「…………オレも昔はあんなだったのかな」

 

 そんな様子を感慨深く見ていると、なんだか急に自分が年老いた気分になって困る。

 

 

 

 

 

 その日の晩のことだった。

 

 今朝に学生時代を思い返していたこともあってのことか。本棚にあった漫画に目が止まる。タイトルは『いちご100%』丁度オレが中学生ぐらいの頃に流行った学園物のラブコメ漫画。

 

 セクシーな描写も多く、当時はドキドキしながら読んでいたことを思い出す。中学生の頃はコミックを買いたかったが表紙が美少女だったせいで恥ずかしくて買えなかった。大学生の頃に古本屋で目に止まり全巻衝動買いしたが、結局まともに読んだのは本を買ったその日だけだったか。

 

「懐かしいな。こんなシーンもあったなあ。しかし真中はモテるな。ほうほうほう…………」

 

 懐かしく童心に返った様な気持になっては、独り言を呟きながら楽しく読み進める。

 

 序盤はまだ楽しく読めていた。中盤になると甘酸っぱい青春ラブストーリーに、なんとも物悲しくなってきて本を投げ出そうとしたが、中途半端が嫌だったので気合いで読み進めていく。

 

 そして終盤。大どんでん返しからのハッピーエンド。主人公と相思相愛であった内気な本命ヒロインが告白の機を逃し続けた挙句、活発な対抗ヒロインに敗れてしまうというオチ。結末だけで判断するとハッピーエンドなのかと疑問符がつきそうだが、最後まで上手く纏まっていたと思う。

 

「ああ、もう一度学生生活をやり直してみたい。あの頃は目に映るもの全てが新鮮だった」

 

 叶わぬ夢だとわかっていながらも呟く。そして今読み終わった漫画のことに思いを馳せる。

 

 原作主人公の真中は第一話で内気なヒロインに告白するつもりであったが、間違えて活発な方のヒロインに告白してしまう。そんなこんなで三角関係になり、それが次第に三角関係ならぬ四角関係にまで発展していき、主人公を巡る恋の争いとやらが続いて行くのが物語の本筋だ。

 

 魅力的なヒロイン達。最初は優柔不断ではあるが徐々に成長していく主人公。週刊誌で追っかけていた頃は内気な方のヒロインを応援していたが、今読み返すと活発な方のヒロインも捨て難い。終盤で水を開けられたセクシー枠のヒロインだって展開次第じゃ勝ち得たはずである。

 

 それもこれも第一話。あの告白を間違えていなかったらどうなっていたかの話である。真っ直ぐ内気なヒロインと結ばれて終わるのか。それとも仲が拗れてしまい原作通りの展開となるのか。

 

「目の前で好きな男が違う女に告白するんだもんな。そりゃ踏み出せないのも無理ないか……」

 

 内気なヒロインは主人公と相思相愛という盤石さ故に色々とすれ違いイベントがあった。

 

 要するに不憫である。不憫且つ内気ヒロインの持つ大和撫子ばりの奥ゆかしさが災いする負のスパイラル。それでも最後はメインヒロインが勝つだろうと思っていたら敗れるのだから驚きだ。

 

 漫画を読むことなんて久しぶりだった。だが読んで見ると面白いものだ。ベッドに転がり瞳を閉じた後も脳裏には漫画の名場面が浮かぶ。空想に次ぐ妄想。『もし自分があの世界に居たらどんな行動を取るだろう』だ、なんてトンチンカンなことを眠りにつくまで考えたりもした。

 

 やがてオレは静かに眠りに落ち、そして夢を見た。夢というのは眠る直前に考えていたことが反映されることが多いらしい。だからかオレは漫画の世界の夢を見た。それは夢ということを忘れてしまうぐらい鮮明で現実感のある夢。

 

 その夢の中には漫画の主人公である真中がいてヒロインの東城や西野もいた。東城がまだ眼鏡姿であることや北大路が出ていないことから、原作初期の中学生編であると勝手に判断する。

 

 オレは夢の中で大いに楽しんだ。ハーレム系主人公の真中にヘッドロックを仕掛けたり、学校のマドンナ西野に気さくに声をかけたり、眼鏡東城の巨乳を近距離で視姦したりと夢を楽しんだ。

 

 せっかくの機会だからヒロイン二人の尻でも撫でてやろうかとも思ったが、妙に現実感のある夢であったので躊躇った。西野の尻でも触った時には、周囲の連中にタコ殴りにされるのは目に見える。夢でも痛いのはごめんだ。グッと自制心をもって我慢したのは、本当に僥倖だったと思う。

 

「しかし楽しかった。学校っていいもんだな真中。やっぱ青春って素晴らしいわ…………」

「なんだよ内海。そういやお前一日中テンション高かったよな。そんなキャラだったっけ?」

「ああ、内海ってオレのことなんだな。キャラについては知るか。そんなもん知るわけないし」

「お、おう。なんか調子狂うな?」

 

 夢が夢のまま終わっていれば、目が覚めて三日も経てばもう忘れていたことだろう。

 

 夢の中でも夜になれば眠りにつき、そして明くる日の朝を迎える。最初に違和感を覚えたのは天井の模様が違っていたこと。まさか、と飛び起きて部屋を見渡せば昨晩と同じ光景が広がる。

 

 白い壁には少しくたびれた制服と、その横にはサッカー選手のユニフォームが並んで掛けられていた。ユニフォームはセリエAの世界的に有名な選手のレプリカであったが、そんなことを今は注視している場合じゃない。スーツではなく制服が掛けられていることが問題だ。

 

「…………夢が続いているのか?」

 

 寝巻きのジャージ姿のまま一人呟く。寝起きであることを差し引いても頭は鈍く回っていない。

 

 何分そのままボケっと突っ立っていたことだろう。長く突っ立っていたオレは呼び鈴の音で意識を起こすと、インターホンに出ることもなくそのまま走って、勢い良くドアの戸を開いた。

 

「────うわ! ビックリさせんなよ!」

「やっぱり真中か。マジでどうなってんだ?」

「どういうことだよ? ってか今日はテンション低いんだな。オレも昨日お前が謎に仕掛けてきたヘッドロックのせいで朝から首が痛くてさ。悪いと思ってんならジュースでも奢ってくれよな」

 

 ドアを開けるとそこには昨日と同じく真中が立っていた。オレは全く状況が掴めなかった。

 

「内海お前ジャージじゃねえか。早く制服に着替えないと遅刻するぞ! マジで急げって!」

「お、おう。そう…………だな?」

 

 夢が二日目に突入することなんてあるのか。

 

 オレは訳も分からないまま制服に着替えると、朝飯も食わずにカバンを持って家を出た。頭が混乱していて空腹は感じなかったが、登校中の真中との会話も碌に頭に入ってこなかった。

 

 小走りで10分も経てば学校に着く。校門を潜った所で立ち止まり、ネクタイの紐を結び直して気持ちを整える。オレが立ち止まったことで真中がなんか叫んでいたが、遅刻しようが別にどうってことはない。目を閉じて心を落ちつかせ、この状況を冷静に分析してみる。────だが。

 

「…………わからん!」

「わからんじゃねえよ! 遅刻するぞ内海!」

「わかったわかった! ああ、もうどうなってんだ畜生。こっちは見積書の期限迫ってんだぞ!」

 

 こうして状況もわからぬまま、オレは二度目の学生生活を始めることとなってしまった。

 

 



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第二話

 

 遥か昔の偉人が残した説話に胡蝶の夢というのがある。夢の世界で蝶となった男の物語だ。

 

 男は夢の世界で蝶となっては、人間であることを忘れ喜々として優雅に舞っていた。やがて目覚めた男は自分は夢を見ていたのか。はたまた今の自分は蝶が見ている夢なのかと考える話。

 

 まあ、考えるまでもなく男が蝶になる夢を見ていただけのことだが、その男の心境が今のオレにはなんとなくわかる。蝶となったわけではないが、ある意味それと同じぐらいの不思議体験だ。

 

 まさか夢が二日目に突入するとは。最初からやけに現実感のある夢だとは思っていた。腹も減っては眠気も襲ってきたし、夢特有のぼんやりとした感覚もなかった。たまたま偶然、永い夢を見ているだけ。楽しい夢の中とあって深く考えない様にしていたが、一体どういうことだろうか。

 

「いや、二日ぐらいあるのかな。法螺かもしれんが夢の中で一週間過ごしたって話も…………」

 

 首を傾げては思い悩む。でもまあ、次の瞬間にはもう夢から目覚めてるかもしれない状況だ。

 

 長々と熟考を重ねた挙句、結局ただの夢でしたなんてオチは悲しい。それだと損をした気分になってしまうだろう。今日一日は様子見してもいいか。どうせ焦ったってどうしようもない。

 

「どうした内海。朝から元気ねえじゃん」

「おお、真中か。そうだよな。真中がいるんだもんな。オレなんで真中と喋ってんだろう?」

「おいおい、どういう意味だよ!」

 

 昼休みになってようやく一つの結論を出した所で、真中が席へとやって来て声をかけてきた。

 

 この内海という男は真中と仲が良いらしい。二日前に原作は全巻読み返したが、内海なんて男が居たような覚えはない。それとも読み飛ばしただけでモブAぐらいのポジションでいたのかな。

 

 真中の中学時代の友人ポジションといえば強面の小宮山とイケメンの大草がいる。だが昨日今日と二人の姿は見えない。別に脇役なんで大して興味はないが、真中に尋ねても『そんなヤツいたっけ?』なんて真顔で返される有様。なんでだよと思いはしたが、居ないなら居ないで構わない。

 

「それより内海。例のアレを持ってきたぞ」

「なんだよアレって。アレじゃわかんねえよ」

「なに照れてんだよ。ほら周りにバレたらマズいからさ。こっそりカバンに入れとくぞ…………」

 

 こそこそと真中は囁くと自分の背に手を回して一冊の本を取り出した。

 

 そして周囲の様子を注意深く窺ってはその本をスッとオレのカバンへと投げいれる。仕事を終えたかのように一息つく真中。本が気になったオレはすぐカバンに手を入れては取り出してみる。

 

「お、グラビア雑誌か。良い趣味してんな」

「ば、馬鹿! ここで広げちゃヤバいって!」

 

 立ち上がった真中がデカい声を出すもんだから、教室中の視線がオレと真中に注がれる。

 

 オレは周囲をチラッと見ると、そのまま静かに本へと視線を戻した。一つ大きくアクビでもしながらパラパラとページをめくっていく。心なしか性欲が増えているような気がした。

 

──お、おい。内海の読んでるアレって。

──ああ。隠すどころか堂々と読んでやがるぜ。

──やっぱり男子ってスケベ―!

──ねー。でも内海くんぜんぜん物怖じしてないよね。ひょっとすると普通の本なんじゃない?

 

 なんだか外野がやかましい。別にエロ本を読んでるってわけでもないってのに大袈裟だ。

 

 グラビア雑誌のモデルも元の世界じゃ見たことがない女ばかりだった。知っているグラドルが載っていたらそれはそれで妙な感じもしそうだが、多分ここも原作漫画の基準なんだろう。

 

 しばらく周囲の喧騒を耳にしながら雑誌を読み進めていると、ふとした瞬間に喧騒の質が変わったことに気付く。先生でも来たのかなと顔を起こして見れば、クラスメイト達の視線が教室の前扉へ向けられていた。つられてオレも視線を送れば、そこには学校のアイドル西野がいた。

 

 本名は西野つかさ。道を歩けば誰もが振り返る程の美少女だ。珠のように綺麗な肌。ショートヘアの髪は金色に染まり、ぱっちり開いた瞳は宝石のように澄んだ輝きを放っている。西野の容姿を褒めるとキリがない。枚挙に暇がないとでも言っておけば、多分それで多くの人は頷くだろう。

 

「コラコラコラ! キミたちのことだね。教室で堂々とエッチな雑誌を見ている二人組は」

 

 西野が教室へとやって来れば男子だろうが女子だろうが視線は西野に集まった。

 

 スター性とでも表現するべきだろうか。真中は西野を見ると瞬時に顔を赤く染めては息を呑む。気持ちはわからなくもない。オレも中学時代にこんな子がいたら間違いなく一目惚れしている。

 

「デマじゃないか。これはエロ本じゃないし」

「ホント? それじゃあ見せてみて…………っ! やっぱりエッチな雑誌じゃないの! ばか!」

「見解の違いだ。R指定でもない。これは女子がボディービルダーの雑誌を見るようなもんだな」

「そんな女子いないわよ! それに学校に私物の持ち込みは禁止されてるの。知ってた?」

 

 風紀委員みたいなことを言い出す西野。中学時代に風紀委員なんてあったっけな。

 

「若さを抑えきれなくてつい。ごめんなさい」

「え、いや、今の流れで謝られても困っちゃうじゃない。なんだかやらしい響きにも聞こえるし」

「ってかオレの私物じゃないぞ。なあ、真中?」

 

 少し悪ノリをして西野に雑誌を見せてやると、初々しい反応が返ってきた。

 

 その流れで真中にパスを送ってみるも、こちらは反応が鈍い。真中はボーっと顔を赤くしたまま西野に見惚れていた。原作ヒロインの一角だもんな。やっぱりインパクトが強いんだろう。

 

「これはキミのなの?」

「え? あ、ああ。どうだっけな。はははっ」

 

 西野に声をかけられた真中はいくらか挙動不審に答える。ある意味これも初々しい反応だ。

 

 オレも昔は可愛い子と話す時なんて無駄にカッコつけたりしたっけ。他にも必要以上に声を張ったり、早口になったり、普通にしているつもりでも目を合わせられなかったりしたもんだ。

 

「ならやっぱりキミのかな?」

「オレのでも別にいいぞ。その代わり持って帰るけど。まあ、どの道オレが持って帰るのかな」

「ふーん。そうなんだ。やっぱり男子ってエッチだね。っていうか、キミってなんだか…………」

 

 そう言うと西野は一歩前へ出てはしゃがみ、椅子に座るオレの顔をその大きな瞳で覗き込む。

 

 じゃがんだ拍子に西野の短い髪が僅かに靡けば、甘い香りが風に乗って運ばれ鼻腔をくすぐる。美少女はアップで見ても美少女だと思った。

 

「昨日が初めてかな。話しかけてくれた時も思ったけど、キミってちょっと変わってるよね」

「そうか?」

「うん。あたしと話す男子ってさ。顔を赤くしたり目が合わなかったりすることが多いんだ」

「まあ、そうだろうな。だって西野可愛いし」

 

 オレの言葉に西野は驚いた表情を浮かべては、ほんの少しだけ頬を赤く染める。

 

 こんな台詞なんて散々聞き飽きるぐらい言われてるはずなのに、どうしたのだろう。西野は自分の唇に指をあてると考える仕草をする。そして少し意地悪に微笑んではその口を開く。

 

「意表をつくアプローチは中々良かったかな。でも言葉足らずだから70点ってところだね」

「なんの話だ? ちなみに合格点は?」

「ふふっ。そんなの決まってるじゃん。あたしを口説き落とすんだったら100点取ってよね!」

 

 今度は咲いた花のような華やかな笑顔を浮かべるとポンっと立ち上がる。

 

「それじゃあ昼休みも終わるから、あたしは自分の教室に戻るね。エッチなのもほどほどに!」

「ん? ああ、よくわからんが気をつけてな」

 

 西野はウインクすると満足そうに去って行った。よくわからんが、やっぱり華やかだ。

 

 外野も西野が去って行けばもうオレが読んでるグラビア雑誌の関心も無くなったようだ。みんなそそくさと午後の授業の準備を始めたので、オレも雑誌をカバンにしまって背筋を大きく伸ばす。

 

 一先ずは余計なことは忘れて今日を楽しもう。そんなことを考えていると、まだ真中が席に戻らずに突っ立っていることに気づく。こいつはいつまで西野の残像に見惚れているのやら。

 

「おう、真中。そろそろ席に戻れよ」

「しかしスゲー良いモノ見ちゃったな…………」

「真中? どうでもいいけどヤバい顔してるぞ」

「なにスカしてんだよ内海。お前だって見たんだろ? ったく、隠さなくてもわかってるぞ!」

 

 一体なんの話をしてるんだ、と尋ねるとニヤけた真中はオレに耳打ちをしてきた。

 

「お、おう。そりゃよかったな…………」

「本当だよな! それじゃ午後も頑張ろうぜ!」

 

 どうやら西野がしゃがんだ拍子に、スカートの隙間からパンツが覗き見えていたらしい。

 

 いちごパンツだったな、と真中は聞いてもいないのに詳しく教えてくれた。原作のタイトルにも入っているフレーズを、こんな嬉しくない形で耳にするとは思わなかった。

 

 オレは下がったテンションのまま午後の授業を受けながら、ぼんやり窓の外を眺める。そして思い出す。真中は屋上で見たいちごパンツの美少女を西野と勘違いし、誤って告白したはずだと。

 

 あの美少女は西野ではなく、もう一人のヒロインである東城だ。原作の開始を告げるそのイベントが何月何日に起こるのかは知らないが、もし真中が間違いに気づいていたら、歯車は変わるのだろうかとぼんやり空想に耽ってみる。

 



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第三話

 

 人間は他の生物よりも環境に対する適応能力が高いという話を聞いたことがある。

 

 遺伝子がどうとか小難しい話は知らないが、それは事実だと思う。言い換えるなら慣れるということだろう。過酷な環境だろうが緩い環境だろうが、年月が経てば自然と慣れてしまうものだ。

 

 オレがこの世界に迷い込んで早一週間。未だに夢から覚めることはない。それでも一週間が経ってしまえば吹っ切れる。オレはもう一度、学生生活をやり直したいと思っていたじゃないかと。

 

 うだうだと思い悩んだところで状況が改善することもなければ、解決の糸口を掴めるわけでもない。オレは別に何が何でも元の世界へ帰りたいというわけでもなかった。仕事だって代わりはいくらでもいるし、首になったとしても年だってまだ若い。探せば他に働き口は見つかるだろう。

 

 一週間も経てばそんな風に思うようになっていた。これを慣れと言っていいのか達観したと言うべきかは難しいが、それでいいじゃないか。どう考えてたってこっちの世界の方が楽しいし。

 

「しかし内海家って未来に生きてるよな」

 

 学校が終わり家に帰っては呟く。人様の家庭事情に口を挟むのも憚られるが内海家はおかしい。

 

 この体の主の本名は内海翔平。家族構成は両親を含め三人。他に兄弟、姉妹はいない。要するに一人っ子だが、両親は海外出張に出ているらしい。つまりオレは現在一人で暮らしている。

 

 部屋にあった携帯電話のメール履歴や真中との会話で発覚した事実だが、中々楽しい環境だと思う。ぶっちゃけ親なんていたら話を合わせるのもいちいち面倒くさいだろうから助かる。

 

 通帳の帳簿を見るに、毎月決められた日付に纏まった金が振り込まれているようだ。家賃、光熱費諸々は別口で引き落とされているとのこと。至れり尽くせりもここに極まれな状況だ。安い三流ドラマみたいな環境だが満足だ。両親には色々と申し訳ないが、オレが知ったことじゃないし。

 

 そんなこんなで身辺事情をある程度しっかり把握できた。心のもやもやも多少晴れたところで翌朝を迎えれば、家までやって来てくれた真中に向かい軽くジョークの一つでも飛ばしてみる。

 

「────ってなわけでさ。金に余裕ができれば、そのうち家にデリヘルでも呼ぼうと思う」

「デ、デリヘルって内海お前。オレ達まだ中学生だぞ!? そんな金どこにあるんだよ!!」

「日々の生活を切り詰めて捻出する!」

「お、おお。無駄に男らしいな。でもやっぱりさ。初めては好きな相手と結ばれたい……的な?」

 

 快晴の空の下。差し込む朝日を体中に浴びながら真中と猥談に華を咲かせ通学路を歩く。

 

「…………童貞臭い台詞だな。真中」

「はあ!? お前だってそうだろ内海!」

「ああ、はいはい悪かったよ。しかし彼女、彼女か。若い子と話が合う気がしないな…………」

「お前は何をジジ臭いこと言ってんだよ」

 

 元の世界じゃ二十代も半ばに差し掛かっていた。今は中三だから十四か十五歳だろう。

 

 年が離れ過ぎていて彼女を作れるような気がしなかった。せめて高校生ぐらいにならないと対象として考えるのは難しいだろう。それよりも今は学生生活を心行くまで満喫したいと思う。

 

 今日は何があるだろうと考えながら校門を潜る。毎日がとても楽しかった。惜しむべくはもう季節は秋も深く、部活動は引退している時期だ。高校生になれば何かに挑戦したいと決意する。

 

 

 

 

 

 その日もあっという間に授業が終わってしまうと名残惜しくも放課後が訪れる。

 

 気の良いクラスメイト達と談笑を交わし合っては別れ、さあ今からどうしようと考える。真中は謎に『最高の風景を探してくる』と意識高いことを言い出してどこかに行ってしまった。

 

 真中はカメラが好きだからその繋がりなのかな。着いて行こうかとも考えたが、四六時中べたべたしてるのも変な話だ。オレは一人で教室に残り、図書室で借りた本を読みながら時間を潰す。

 

 教室ではなく家で本を読んでもよかったが、放課後の教室は雰囲気が心地良かった。何も書かれていない黒板をボケっと眺めたり、黒板隅にチョークの粉の塊を見つけたり、前の席の机の中に置き勉しているのを発見したり。あり触れた光景がどこか懐かしく、心を温かい気持ちにさせた。

 

 楽しく本を読み進めていたが、やがて秋の日は西に傾き、空は深い茜色に染まる。そうなると教室の電気を消していたせいか徐々に本を読むのが困難になってしまう。教室の電気をつければすぐに解決する些細な話だが、読書を止めるには悪くない切っ掛けだと思っては本を閉じる。

 

 そして大きく一つ背伸びをして立ち上がろうとした際、不意に教室のドアが開いた。

 

「あれ? キミはどうして残ってるの?」

 

 木製の渇いた音と共にドアが開いたかと思えば、その先には西野の姿があった。

 

「なんとなくボーっと本を読んでただけ。西野は何しに来たんだ。クラス違うだろ?」

「そうなんだ。あたしはまだ帰れないから戸締りの確認でもしようと思って回ってたの」

「まだ帰れない? 友達でも待ってるのか?」

 

 そう尋ねると西野は少し困った表情を浮かべながらオレの教室の中へ入ってきた。

 

「少し前にね。あたしのこと可愛いって言ってくれた人には、わかるかもしれないんだけどさ」

「うん」

「あたしってモテるんだ。それは嬉しくもあるんだけどね。良い事ばっかりじゃないんだよ」

 

 そしてオレの前の席に腰掛けると、手に持つカバンをオレの机に乗せては不満気に眉を顰める。

 

 西野の話を聞くに、どうやら他校の男子生徒が西野をお目当てに校門の前まで来ているらしい。流石は学校のアイドルってとこか。そういや高校編ではファンクラブなんてのもあったっけ。

 

「可愛いって言ってくれたのに、ぜんぜんアプローチしてこない人に話しても仕方ないけどさ」

「うん」

「しつこい人って断ってもまた来るから困るんだ。だから校門の前にいる人達が諦めて帰るまで、図書室で勉強してたの。普段は友達と一緒に帰るんだけど今日は友達休みだったから…………」

 

 そう話す西野の瞳は愁いを帯びていた。モテる人にも苦労があるということだろうか。

 

「西野も大変なんだな」

「ホントだよ。ところでキミはなんの本を読んでたの? なんか難しそうな本だけど?」

「昨日、図書室で借りた本だ。論集って言うとお高く感じるが、要はことわざ集みたいなもん」

 

 社会の教師の趣味か。または地域の本好きが図書室に寄与してくれて並んでいたんだと思う。

 

 中学生が好んで読みそうな本ではなかった。その証拠にいつから置かれている本かは知らないが、貸し出されたのはオレが一番始めだった。そのオレも適当に手に取ったに過ぎない。

 

「へえ、ちょっと見せてみて…………って、難しい漢字ばっかりじゃない。こんなの面白いの?」

「面白いってかタメになるな」

「ふーん。そうなんだ。ことわざ集だったね。なら傷心のあたしにタメになる話を聞かせてよ」

「ああ、いいぞ。西野は【塞翁が馬】って話を知ってるか。オレも中々考えさせられたんだけど」

 

 塞翁が馬。有名な故事成語の一つだ。要約して説明するならこんな話である。

 

 要塞の近くに住む老人は息子と暮らしていた。ある時、老人が飼っていた馬が逃げ出してしまい、周囲の人々は不幸を慰めたが、老人はこの不幸は幸福に変わるかもしれないと言った。

 

 それからしばらく後のこと。逃げ出した馬が駿馬を引き連れて老人の下へ帰ってくる。周囲の人々は感心して老人を称えたが、老人はこの幸福は不幸に変わるかもしれないとまた言った。

 

 その言葉が正しかったのか。老人の家は良馬に恵まれ生活も潤ったがある日、老人の息子が乗馬中に事故に遭い足が不自由になってしまう。周囲の人々はこれに同情したが老人はこれが幸福を呼ぶかもしれないと平然と答える。

 

 その後、要塞を巡って戦争が起き、老人の住む村からも兵隊が駆り出され多くの死者を出す結果に終わったが、足が不自由な老人の息子はその戦争へ行かなくてすんだという話である。

 

「昔の偉人はホントに良い事いうよな」

「う、うーん。話が古臭くてピンとこないなあ」

「え、古臭い? ジェネレーションギャップってあるのかな。タメになると思ったが…………」

「ふふっ。なんかその言葉ってオジサンみたい。キミって他の男子よりずっと大人っぽいね」

 

 オジサンと言われると流石にしょ気る。

 

 オレの今の容姿は年相応だと思う。アバウトだが中学生から高校生ぐらいに見えるだろう。それでも言葉の端々にはオジサン臭さが混じっているのだろうか。真中にもジジ臭いって言われたな。

 

「いや、オレはぜんぜんヤングだから。肌もピッチピチで髭だってまだ生えてないし!」

「その言葉もオジサンっぽい!」

 

 なんとか反論しようとしてみるも、再びオジサンと言われしまい頭を抱えて消沈してしまう。

 

 まあ、別にいいけどさ。どうせみんな何れは爺さん婆さんになるんだし。そんな自己弁護の言葉を頭の中で反芻させながら西野を見る。もう西野はいくらか元気を取り戻したようだ。

 

 それなら無駄話をした甲斐もあっただろう。若者が元気を取り戻してくれるなら安いもんだ。そう半ば自虐的に思ったオレは最後に西野へ一声かけてから、そろそろ家に帰ることにした。

 

「追っかけくん達は煩わしいだろうけど、後々それが良い事を引き起こすかもしれない。目先の吉凶に囚われることなく、長い目で見た方が気持ちも楽だと思うぞ。ま、そんなとこかな」

 

 オレは在り来たりな故事成語を話してみたが、もっと良い例え話だってあったかもしれない。

 

 それでもそんなに悪くもなかったんだろう。西野はオレの言葉に小さく数回頷いてくれた。

 

「うん。あたしもそう思うな」

「だろ? 凄くタメになっただろ?」

「放課後、学校に残ったから良い事があったよ。キミと話せて楽しかった。本当にありがとう」

 

 得意気なオレの姿を見て西野は人懐っこい笑みを頬に浮かべては、楽しそうに口を開いた。

 

「いいってことよ。元気になってよかったな」

「うん。今更だけどあたしの名前は西野つかさ。お礼にキミの好きに呼んでくれていいよ」

「よろしく西野。オレは内海……翔平。好きに呼んでもいいけど、名前じゃ反応鈍いかもしれん」

「ぶー。内海くんって大人っぽいけど、女の子の扱いは下手だよね。なんていうかさ─────」

 

 いくらか西野と話し込んでいたせいか、外はもうすっかり日が落ち暗くなっていた。

 

 過激な追っかけの話を聞いた以上、こんな暗さを西野一人で帰らすのは不味いだろう。中学だし家は学校から近いはずだが、少なくとも家が見える場所までは送るのがマナーだと思う。

 

「そろそろ帰るか。暗いし家まで送っていくよ」

「内海くんはそもそも─────。って、送ってくれるの? 嬉しいけど……ホント急だね」

「ん? まあ、話の続きは帰りながらするか」

「そ、そうだね。それじゃ……帰ろうっか」

 

 なんだか途端に慎ましくなる西野。送ってもらうともなると遠慮深くもなるものか。

 

 その後は西野と一緒に帰宅路につく。校門を潜る際には少し気になったが、もう追っかけ連中も帰ったようだ。秋も深まれば夜の風も冷たく、それは冬が近づきつつあることを示唆していた。

 

 西野と他愛の無い話をしながら歩く。話をしながらオレは夕飯の献立を適当に考えたり、原作の始まりはいつなんだろうと真剣に考えたりしていた。原作の始まりを告げる真中の勘違い告白は止めるべきだろうか。それとも水の低きに就く如く、当然のこととして見届けるべきなんだろうか。

 

「…………ねえ。内海くんって携帯持ってる?」

「おう、持ってるぞ」

「中学生で持ってる人ってレアだよね。それで……さ。内緒だけどあたしも携帯持ってるんだ」

「ふーん。なら西野もレアなんだな」

 

 勘違いは止めるべきだと思う。それでも躊躇っているのは物語の結末を知っているから。

 

 幸いなことにまだ時間はある。勘違いを止められるかどうかは別としても、どうしたいかぐらいは当日までに決めておくべきだろう。その前に東城とも一度、話をしてみたいと思う。

 

 なんだか突然機嫌が悪くなった西野を家まで送った後で、土地勘の無い場所をさ迷い歩きながらオレはそんなことを考えた。秋という季節は短く、夜の間でさえも四季は移り変わっていく。

 

 



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第四話

 

 いちご100%の世界。サブヒロインもいるが、メインは東西南北の字を姓にもつ4人。

 

 東城綾。西野つかさ。南戸唯。北大路さつき。綺麗にみんな東西南北の字が入っている。原作主人公の真中淳平は真ん中。おそらく東西南北の真ん中に位置するという意味だろう。

 

 高校編では真中と同じ部活の友人枠で外村という男がいたはずだ。そしてオレの名前は内海。東西南北に続き内、中、外と並びが揃っている。偶然かもしれないが、偶然じゃないかもしれない。

 

 真中とも始めから交友があることだ。これが偶然じゃないなら、オレにも何か担うべき役目があるんじゃないかと想像してみる。それが面倒な役目なら御免蒙るが、簡単な役目だったら果たしてもいいかと思う。せっかく原作を知っているんだ。ただ傍観者を貫くというのも面白くない。

 

 この物語の鍵となるのは原作一話での告白の場面だろう。真中が放課後の屋上で出会ったいちごパンツの美少女こと東城を、学校のアイドルである西野と勘違いして告白してしまうシーン。

 

 日が傾き、相手の顔がはっきり見えなかった真中は美少女+いちごパンツというポイントから相手を西野と判断し、玉砕覚悟で懸垂しながら告白したところ西野の笑いを見事に誘い、晴れて告白に成功したという流れである。

 

 まあ、これには真中の中学時代の友人枠こと小宮山と大草の言葉が一枚噛んでいたが、この世界にはなぜか二人が居ない。サブキャラなんて居ないなら居ないで別に構わないと思っていたが、よく考えると小宮山と大草の二人は真中が告白を決意する上で重要なキャラだったかもしれない。

 

 なら居ない二人の代わりにオレが真中の背を押すべきなんだろうか。原作を正しく進める上では必要なことだろうが、勘違いしていることを知っていて唆すっていうのもおかしな話だが。

 

「あなたは犬を飼っていますか……か。Do you have some dogs? でいいんだよな。内海?」

 

 中3の秋ともなればテストが近くなくても高校受験に向けて日々勉強するものである。

 

「someじゃなくてanyだろ。うろ覚えだけど肯定形はsomeで疑問や否定形はanyのような」

「え、マジで? そうだったっけ?」

「確かそんなんだったはず。間違ってるかもしれないし、辞書引いて調べといた方がいいぞ」

 

 この日の放課後は教室に残って英語の勉強をしていた。真中の提案で急遽始めた勉強会。

 

 小テストの点数が悪かったとかで危機感を覚えた真中。点数は教えてくれなかったが、顔が引き攣っていたので相当酷かったようだ。そういや真中は高校もギリギリ補欠合格だったっけな。

 

 オレは勉学に励む真中を横目に見ながら本を読んでいた。理数系の教科はけっこう忘れていたが、それでも一から覚えるよりも覚え直す方がずっと楽である。中3程度の内容であれば授業をきちんと聞いていれば問題ない。小テストだって無難に解けていたし、おそらくは大丈夫だろう。

 

 そんなことを考えながら本を読み進めたり、グラウンドで下級生達が部活動に精を出しているのを眺めたりした。緩やかに時間が流れているのを感じながら過ごす放課後は趣がある。

 

「そういえば内海。あの噂ってマジなのか?」

「噂?」

「お前があのスゲー可愛い女…………そうだ西野と付き合ってるって噂。マジのマジなのか?」

 

 真中がノートに向かう手を止めると突然、突拍子もないことを言い出した。

 

「なんだそりゃ。デマに決まってんだろ」

「今日だってお前、西野と喋ってたじゃん。それに一緒に帰る姿を見たって目撃談も…………」

「確かに喋ってたし一緒にも帰ったけど、それで付き合ってるってなんだよ。お前は中学生か」

「中学生だよ! マジかー。お前に先を越されるなんて。ってか西野を落とすなんてスゲーな!」

 

 そういやオレ達はまだ中学生だったな。しかし真中の口からそんな言葉が飛び出すとは。

 

 喋ったり一緒に帰ったりするだけで噂が立つものなのか。ここ最近は妙に視線を集めてるような気はしていたが、西野と話しているからだと思っていた。まさかそんな噂が流れているとは。

 

 どうしたものだろうと考える。噂なんて放っておけばそのうち沈静化するとは思う。大方、噂好きの連中が適当に流したものに過ぎないだろうと。高校受験も徐々に近づきつつある今、一般生徒はそんなデマに踊らされる暇はないはずだ。しかし真中はどう思っているんだろうか────。

 

「真中。お前はそれ聞いてどう思った?」

「そりゃー羨ましいし妬ましいと思った!」

「お、おう。そんなそこらのモブキャラみたいな意見じゃなくて、もっとこうあるだろ?」

「別にねーけど? 西野はスゲー可愛いしオレも玉砕覚悟でって思わなくもないけどさ…………」

 

 ダチが良い感じの女子にアタックするのもな、と真中はあっさりと言ってのけた。

 

「え? あれ? それは違うだろ真中?」

「違うってなんだよ。あーオレも彼女欲しいな。そうすりゃ勉強だってもっとやる気出るのに」

 

 どうも話がおかしな方向に進んでいる気がする。どうして真中はそんな軽い感じなんだ。

 

 思わぬ真中の言葉に疑問符を浮かべていると教室のドアが開く。音に反応してオレと真中がドアの方へと振り向くと、そこには黒縁メガネに額を出したおさげ髪の東城の姿があった。

 

 

 

 

 

「あ、内海くんに真中くん。勉強の邪魔してごめんなさい。私その……忘れ物をしちゃって」

 

 教室へ入ってきた東城はオレ達と目が合うと気まずそうに視線を外してそう言った。

 

 忘れ物。まあそんなこともあるだろう。もう放課後の時間になって1時間近く経っているから、おそらく家に帰ってから忘れ物に気づいたんだと思う。取りに戻ってくるなんて偉いな。

 

「クラスメイト……だよな内海?」

「東城だよ。いつも物静かに本読んでる女子」

 

 いちごパンツの美少女こと東城綾は中学時代、あまり見栄えする容姿をしていなかった。

 

 主人公の真中も最初は名前さえ覚えていない影の薄さ。学校のアイドルで知名度抜群の西野と対比するための姿なんだろうが、文学少女というか昭和の女学生という言葉がしっくりくる。

 

 この東城がメガネを外し、髪を解いたら途端に絶世の美少女に早変わりするのだから面白い。奥ゆかしい性格でありながら巨乳であるという点もポイントが高い。DからEカップってとこか。

 

 オレは何度か東城と話してみようと試みるも、結局初日に気軽に声をかけた一回っきりに止まっていた。西野みたいに活発なタイプなら関係ないが、東城のような内気なタイプは急に話しかけるのが難しい。異性間ということもあり、用件がないのに話しかけていいものかと躊躇っていた。

 

「邪魔してごめんね。それじゃ私は…………」

「まあ、待ってくれよ東城。オレ達こうして勉強してたんだけど、馬鹿だから進まなくてさ」

 

 それがこうして偶然ながらも向こうからやってきてくれたのだから、逃す手はない。

 

「ほとんど話したことないのに不躾だとは思うけど、よかったら少し見てやってくれないか?」

「お、おい内海。いきなりどうしたんだよ」

「いや、東城は秀才って小耳に挟んでさ。真中は志望校に偏差値足りてないし、御教授願おう」

 

 本当に急な提案だが、こうでもしないと東城と絡める気がしなかった。

 

 無理に頼みはしないが、オレの言葉を聞いた東城は戸惑っているご様子。嫌がっているというよりも教えられるか悩んでいるようだ。手応えが悪くないのであれば後もう一押しか────。

 

「このままだと真中は高校浪人濃厚なんだ。オレは不憫で不憫で、でも教えるのが苦手だから」

「え? オレってそんなにヤバいの?」

「東城にはなんの得もない話だが、これも人助けだと思って協力してくれないだろうか…………」 

「オレからも頼む東城! オレ達だけじゃ喋ってばっかでぜんぜん進まねえんだよ! 頼む!」

 

 真中が顔の前で手を合わせて拝む。

 

 喋ってばっかりなのは真中が話しかけてくることが原因だけど、危機感はあるようだった。

 

「え、ええっと…………私で教えられるかはわからないけど、そこまで聞いたら断れないかな?」

「マジか! サンキュー東城!」

 

 東城が戸惑いながらも承諾してくれると真中がすぐに喜びの声を上げた。

 

 オレはすぐに真中の前の席の椅子を引いては東城に座ってもらうように促す。『ありがとう』と東城は一言お礼を述べてから丁寧に椅子に腰かけると、真中の開いているノートを見る。

 

「今やっているのは英語かな?」

「おお、賢いとそんなこともわかるんだな!」

「うふふっ。ノートを見たらわかるよ。ええっと、ここは関係代名詞を使って、例文が…………」

 

 東城は一つ一つ丁寧に教え始めた。

 

 東城の教え方は教師に向いているんじゃないかと思うほどに巧く、何度も感心させられた。

 

 真中は時折、頭を抱えながらも真面目に勉学に取り組む。オレは東城が息を吸うたびに揺れる大きな乳を眺めながら、東城って案外、内気じゃないのかもしれないなんて思ったりする。

 

 内気だったら男臭い二人に頼まれたからって承諾したりしないだろう。いや、人の頼みを断れないタイプならそうでもないのかな。言いだしっぺではあるが、意外とあっさり東城が承諾してくれたことにオレは地味に驚いていた。

 

 本当は明るい性格で、真中が告白相手を間違えるなんて大ポカをかましたもんだから内気な性格になったとか。色々な想像が頭に浮かぶが真相はわからない。女心とは謎めいているものだ。

 

 本を読みながらそんなことを考えていると何度か東城と目が合う。目が合った東城は『あれ?』と首を捻るような仕草を見せる。どうしたのだろうと同じく首を捻るも、少し考えたらすぐにわかった。オレが勉強しないで本を読んでいるからである。あ、と思ったが今更もう遅いか。

 

 なんの意味もないが目が合うと意味深長に深く二度頷いておいた。オレの謎の行動に東城の混乱は増したようだが仕方ない。真中だってオレに教わるよりも東城に教わりたいことだろうと。

 

 

 

 

 

「ところでさ。東城はどこの高校受けんの?」

 

 勉強も一段落ついたのだろうか。手を止めて背伸びをした真中が東城に声をかけた。

 

「私の第一志望は桜海学園かな」

「桜海学園って確かスゲー頭良い女子校だったような。やっぱ東城って賢いんだな!」

「あ、あくまで第一志望なだけで受かるかわからないよ。真中くんと内海くんはどこなの?」

 

 桜海学園って原作で西野が入った女子校か。

 

 東城は真中と同じ泉坂高校へ入ったけど、原作前の第一志望は桜海学園だったんだな。こんな話を聞いていると、何気なく東城は好きな真中に着いて行ったことがわかったりして面白い。

 

「オレと内海は泉坂だぜ。なあ内海?」

「そうだな。その進路が断トツで魅力的だ」

「へ、へえ。真中くんって泉坂高校を志望してるんだ。───────うん。頑張ってね!」

 

 オレと真中の言葉を聞いた東城は少しの沈黙の後、今日一番に声を張っては声援を送る。

 

 その間の意味がオレにはわかった。まだ原作前だから恋愛的な思惑なんてなく、ただ単純に純粋に真中の学力が泉坂高校を受けるに足りていないからだろう。英語一教科だけでもお察しだ。

 

「東城も真中には、はっきり言ってやらないとダメだぞ。志望校のランクを2段階は下げろって」

「なんだと内海この野郎!」

「わ、私もそこまでは言わないよ。でも英語しか見てないけど、今のままだと少し厳しいかな?」

 

 ストレートに言うオレとは違い、東城の言葉は緩やかで婉曲的な表現であった。

 

 ぶっちゃけ真中の学力は泉坂高校を受けるには少し程度の厳しさじゃない。ここから主人公らしく炎の追い上げをみせ滑り込みで補欠合格を果たすのだが、今は厳しく言うぐらいでいい。

 

 お前は受かるぞ、と真中に言ってやってもいいが万が一、億に一つでも真中がオレのいい加減な言葉に慢心して試験に落ちでもしたら目も当てられない。オレがこの世界にいないサブキャラの小宮山枠で入学すれば、余分な枠が埋まることもないはずだ。黙っていれば問題ないと思う。

 

「そこまで言うなら二人は今日の英語の小テストならぬ中テストの結果はどうだったんだよ!」

「普通だった」

「私も普段通りだったかな?」

 

 普通にしていれば問題はないはずだ。ぜんぜん問題ない。問題ないはずなんだが────。

 

「じゃあテストの点数言おうぜ。オレ40点!」

「…………マジかよ真中。よく競おうと思ったな」

「し、試験は英語だけじゃないよ真中くん!」

「下手な慰めはやめてくれ! 二人はどうなんだよ。言っとくけど中途半端な点数じゃ…………」

 

 なんか真中を見ていると心配になってしまう。

 

 本当に大丈夫なんだよな。真中の得意科目なんて知らないが、英語が苦手科目の人は多い。仮に英語が40点台でも、他の教科が80点オーバーなら泉坂の合格ラインには乗ってるだろうか。

 

「オレは90点だったけど」

「私は96点。さっきは普段通りなんて言っちゃったけどホントは山が当たっただけで…………」

「マジで!? オレ本気でヤバいじゃん。ってか二人共どうなってんだよ。おかしいだろ!?」

 

 オレと東城が何点でも40点がヤバいことに変わりはないが、痛感してそうなので黙っておく。

 

 肩を落とす真中を見ていると、ひょっとするとオレの担うべき役目とは真中に勉強を教えることなんじゃないかという気がしてくる。まさかとは思うが可能性として無くも無いのか。

 

 人に教えたりするのは柄じゃない。そりゃいよいよとなれば教えるのも吝かではないが、柄じゃない上に向いていないと思う。適任者がいるのであれば適任者に任せる方がいいだろう。

 

「適任者。適任者か…………」

 

 真中を励ます東城を眺めながら小さく呟く。

 

 



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第五話

 

 中学生ぐらいの多感な時期は、感情の赴くがままに色々とやらかしてしまうものである。

 

 親に反抗したり悪ぶってみたくなる年頃だ。個人差こそあるだろうが、これは誰しもが通る道だろう。後々になって落ちつきさえすれば大抵の場合、笑って話せるようなことに過ぎない。

 

 気をつけるべきは中二病を患うこと。自分がカッコいいとか特別な存在であるとか。そんな風に思っても構わないし、人様に迷惑をかけないのなら気取った態度で振る舞っても別にいい。

 

 問題があるのはそれを記録として遺してしまうことだ。5年後だろうが10年後だろうが、ノートに書き記された自作のポエムなんて物を発見した日には発狂。または寝込んでしまうはずだ。黒歴史という人類が生み出した悪しき文化は、後世に伝えることなく断たねばならない。

 

 長々と熱弁をふるってはみたがオレに黒歴史なんて物は記憶にも記録にもない。忘れ去っているだけかもしれないが、それならそれでいい。恥ずかしい過去なんて思い出したくもないし。

 

 だがこんなことを突然言い始めたことには遺憾ながらも理由があった。

 

 それは何気ない日の何気ない昼休みのこと。昼食後の腹ごなしに一人で廊下を歩いていると一冊のポケットノートを拾う。落とし主の名前でも書いてないかとページを捲ったことが事の発端。

 

「…………ふむふむ。君が美しい花なら、僕は蜜を奪い去る蝶になりたい……か。下ネタかな?」

 

 そのノートにビッシリと書き連ねられていたのは千字を優に超えるロマンチックなポエム。

 

 内容の良し悪しは然して興味がなかった。問題はノートの持ち主にどう返すべきか。原作に登場しないクラスメイトの男子のノートであったが、拾ってしまうと対処に困ってしまう。

 

 普通のノートであれば普通に本人へ返せばいい。中を見ていないフリして返してもいいが、持ち主の名前は中を見ないと知ることはできなかった。表面か裏面にでも書いておけよと思う。

 

 つまり本人に返すということは中を見たということになる。こっそり机に返しておいてもいいが、多感な時期の青年が他人にポエムを見られたと知ればどう感じるだろうか。肝っ玉が大きければ動じないかもしれないが、そんなヤツが長々とポエムなんて書くのかと考えてしまう。

 

 いっそ知らん顔して拾った場所に戻しておいてもいい。本人が拾えば万事問題ない。だが性格の悪いヤツが拾ってしまうと事だろう。自業自得といえばそれまでの話だが少し可哀相だ。

 

「拾ったはいいが、どうするかな…………」

 

 ノートを制服のポケットに入れたオレは、持ち主へどのように返すべきかと頭を悩ませる。

 

 繊細な問題だった。どう転んでもマズイ結果に繋がりかねない八方塞がりの現状。教師に預けるのが正解のような気もするがどうだろう。名前が書いてなきゃ中を見るのが普通の流れだよな。

 

 楽しげな話し声の響く廊下に一人で突っ立って頭を悩ましていたが、こんな時は静かな場所で考える方がいいだろう。そう思ったオレは場所を変えようと歩き始める。その時だった────。

 

「おーい内海くん。そんなとこで何してるの?」

 

 背中から聞き慣れた声が耳に入ってくる。

 

 振り向くと西野がいた。最近よくある光景だが、今だけは都合が悪い。西野といると周囲の視線が集まってしまう。制服のポケットに入れたノートも角の部分まで収まりきっていなかった。

 

「お、おう。西野か。どうかしたのか?」

「どうもしてないよ。内海くんを見つけたから声をかけたんだけど? キミこそどうかしたの?」

 

 この場はサクッと話を流すに限る。万が一にも見つかってしまうと面倒事になりかねない。

 

「そうか。いい天気だな。それじゃまた…………」

「ちょっと待ってよ。どうして今日はそんなに淡白なの? 確かにいい天気だけどさー?」

「いや、なんでも。ホントになんでもないから。今は立ち止まらずに歩きたい気分なんだよ」

 

 そう言ってオレは颯爽と立ち去ろうとするも、なぜか西野は訝しんでいた。

 

「怪しいなー?」

「ぜ、ぜんぜん怪しくないぞ?」

「んー? 怪しい。なにか変な物でも隠し持ってるとか? キミには前科があるからねっ!」

 

 謎に鋭いことを言い出す西野。当てずっぽうかもしれないが今はマジで勘弁してくれ。

 

 西野がそんなことを言ってしまえば周囲のみんなもオレを見る。なにも悪い事していないのに一瞬で針の筵と化してしまう。有志の手によって身体検査でもされたら本気で不味い状況だ。

 

 この場を切り抜けるにはどうするべきか。一目散に走って抜け出してもいいが、周囲の誰かが走って追いかけてくるかもしれない。そうして掴まってしまえば言い逃れはできないだろう。

 

 ならばここは冷静に対応する方がいい。とにかく今はこの場から離れることを優先しよう。

 

「気になるなら西野もついてこいよ」

「時間はあるからいいけど、どこ行くの?」

「他に人がいない静かな場所。そこでゆっくり話でもしようか。とにかくオレについてこい」

 

 そう考えたオレは逆転の発想で、いっそのこと西野を連れ出せばいいと思い至った。

 

「べ、別にいいけど、話ってどういう…………」

「ああ、そういうのは後だ後。それじゃあ行くぞ」

 

 他に人がいない静かな場所でまず頭に浮かぶのは、極々ありきたりだが屋上だった。

 

 鍵は掛かっているのかな、と思いながら西野を連れて廊下を歩く。なんだか周囲が騒がしかったが西野がいるせいだろう。美少女というのは否が応にも人目を惹きつけてしまうものだ。

 

 

 

 

 

 幸運なことに屋上の扉に鍵は掛かっておらず、幸いなことに屋上には他に人の姿はなかった。

 

 秋深しといえど昼下がりの日差しは暖かく、ゆっくりするには良い気候であった。これが後一カ月もすれば寒さも増すのだろうか。寒いのは苦手じゃないが寒空の下へ進んで出ることはない。

 

 今年も残り少ない行楽日和を満喫しつつ大きく背伸びをする。オレがこんな仕草をすると西野はすぐ『おじさんみたい』なんてイチャモンをつけてくるが、今日は珍しく静かだった。調子でも悪いのかと西野の方を見ると、西野は前髪をいじったりして何やら落ちつかないご様子。

 

「それで内海くん。大事な話ってなにかな?」

 

 西野はしっかり人の目を見て話をするタイプのはずだが、なぜか珍しく目が合わなかった。

 

 珍しいといえるほど西野のことを知っているわけでもないが、どこか違和感がある。それに大事な話ってなんだろう。そんなこと言った覚えはないけど、無意識にでも言ったのかな。

 

「いや、特に大事な話はないかな」

「…………えっ?」

「あの場から抜け出す方便みたいなもんだ。衆目に晒されるのはピンチな状況だったからさ」

 

 上手くいったぜ、とオレは笑って話す。我ながら機転の利いた言動だったと思う。

 

 しかしどうやら西野は話があると思ってついてきたようだ。悪い事をしたと思ったオレは素直に謝るも、西野は両方の頬を大きく膨らましては、ツンツンと不機嫌な態度を崩そうとしない。

 

「わかったわかった。オレが悪かった」

「別に内海くんが悪いってわけでもないけどさ。あたしも変に深読みしちゃったしさぁ」

「海より深く反省してるから許してくれ」

「別に怒ってないけどさ。なーんか釈然としないかな。キミには振り回されてばっかりだし!」

 

 何度謝っても暖簾に腕押し。わざとらしいため息を吐かれ、そっぽを向かれる始末。

 

 西野はそこまで怒っているわけでもなさそうだけど、どこか不満気な様子。女心というのは本当に謎めいている。そりゃ女からしても、男心なんてものは理解に苦しむのかもしれないが。

 

 しかしいつまでも怒らせておいても仕方ないのでいい加減、機嫌を直してもらうことにした。こんな時は笑いを取るのが一番早い。キザなセリフの一つでも吐いてウケを狙ってみようと思う。

 

 そう考えたオレは頭に思い浮かんだ、映画で度々耳にするような言葉を気軽に口にした。

 

「膨れた顔ばかりするもんじゃないぞ」

「どうして? 別にあたしの勝手でしょ?」

「膨れているとせっかくの可愛い顔が台無しじゃないか。笑っていてこそ映えるってもんだろ?」

 

 そう言ってオレは笑ってみるも、西野の反応は残念ながら芳しいものではなかった。

 

 西野は小さくなにかを呟くと顔だけじゃなく体ごとオレに背を向ける。ドン滑りしたことに流石に若干のショックを覚えたオレはそれから数分、ボケっと空を眺めながら心の傷を癒す。

 

 それもこれも全部はノートを拾ったことが原因だろうと考える。今日はツイてない一日だ。朝の占いなんて見ていないが、おそらく今日の運勢は最下位でバッドアイテムはノートに違いない。

 

「で、さっき話してたピンチな状況って結局なんだったの? エッチな本でも持ってるの?」

 

 空を眺めながら今日の運勢を呪っていると西野に声をかけられた。

 

 視線を空から落としてみる。もう西野は怒ってはいなさそうだった。そしてノートのことを西野に話すべきかを考える。迷惑をかけたことだ。本人の名前を伏せれば話してもいいだろう。

 

 

 

 

 

「ふーん。ポエムノートかぁ」

「ああ、若気の至りってやつだろうな…………」

 

 要点だけ簡潔に話して聞かせる。難しい話でもない。ただ闇のノートを拾ったってことだ。

 

 どうするべきかとオレが尋ねると、持ち主に返せばいいと西野は答えた。その通りなんだけど、他に良い案はないものかと頭を悩ませる。思い浮かばなければ普通に返して終いになるだろう。

 

「そのノートの持ち主って友達なの?」

「普通のクラスメイトだな。話をした記憶もオレには数えるほどしかない」

「なら普通に返せばいいじゃん。中を見られたら恥ずかしいかもだけど、落とした人が悪いよね」

「その通りだけど身も蓋もない言葉だな…………」

 

 ドライな西野の言葉にガックリと肩を落とす。それでも西野の言う言葉が正しいだろう。

 

「なんか意外だね。キミならノートを拾ったその足で持ち主へ返しそうなイメージだけど」

「それが本来は正しいんだろうけどさ」

 

 ただ、とオレは続ける。そして古くは懐かしい学生時代の情景に想いを馳せる。

 

「ノートの持ち主とオレは接点らしい接点もないし、進路が違えば来年には疎遠になるはずだ」

「うんうん」

「でも疎遠になるから適当にしていいって話でもない。大人になって昔を振り返れば学生時代は凄く重要だと思うんだ。そして楽しい思い出と同じぐらい、辛く苦々しい記憶は忘れないものだ」

 

 だからできることなら丸く収まるように努力したい、とオレは願望を口にした。

 

 別にポエムが悪いなんて思わないが、当人がどう受け取るかなんてことはわからない。

 

 返したその場で感想を求めてくる図太い相手ならぜんぜんいいが、ショックで不登校になってしまう相手だっているかもしれない。心の機微なんてものは目には見えないものだと思う。

 

 空に浮かぶ雲を眺めながらどうしたものだろうと考える。名案が思い浮かばなかった。きっと今日中に何も思い浮かばなければもう、明日の放課後ぐらいにはシレっと持ち主の机にノートを返すことだろう。半端に妙なことをするよりかは、そっちの方がシンプルでいいかもしれない。

 

 そんなことを考えていると午後の授業を告げる前の予鈴が鳴り響く。そろそろ戻ろうかと西野に声をかけると、西野はジッとオレの目を見て、そしてニッコリと微笑んで口を開いた。

 

「うん。そういう考え方は好きかな。いつも振り回されてばっかりだけど協力してあげるね」

「お、なんか名案でもあるのか?」

「ふふん。キミは知らないかもしれないけど、あたしって顔が広いんだよね。だから…………」

 

 キミに貸しイチってことにしてあげる、と笑顔で西野は言った。

 

 

 

 

 

 その日の翌日からというもの。学校内に突如としてポエマーが大量に出没し始めた。

 

 その理由は簡単で西野が『ポエムって素敵だよね』みたいなことを友達と一緒に話していただけで、学内の男共は翌日からポエマーへと変貌を遂げた。どいつもこいつも本当に単純だな。

 

 流石は学校のアイドル西野ってところだろうか。間接的に不特定多数の黒歴史を量産させてしまったような気もするが、もうそんなことは知らん。それでも流行ったことは大いに助かった。

 

 謎のブームの最中。オレは人気の無い時間にノートを持ち主の机へと返しておいた。これが最善であったかはわからないが、赤信号もみんなで渡れば怖くもないという名言もあることだ。渡れば車に轢かれるかもしれないが、一人で渡るよりかは多少マシだろうと勝手なことを想像する。

 

「よしよし、全ては丸く収まったな!」

「収まってない! あたしが困ってるよ!」

 

 ノートを持ち主の元へ返した二日後のこと。放課後西野に捉まっては盛大に愚痴られる。

 

 どうも西野はポエマーの餌食になっているようだった。流行らせたのも西野なんだから、仕方ないだろうと思う。今は流行りやすく冷めやすい年頃だ。明日には別のことが流行るかもしれない。

 

 そう言って適当にフォローしてみるも西野は納得していない様子。西野にとっては得のない出来事だったかもしれないが、時にはそんなこともあるだろうと諭す。良い事をしたじゃないかと。

 

「ホントにもう! 毎日よくわかんないポエムを聞かされるあたしの身にもなってよね!」

「オレに貸しイチなんだしいいだろ」

「絶対に、絶対に返してもらうからね! その時に忘れたなんて言ったら承知しないから!!」

「ああ、はいはい。覚えとく覚えとく」

 

 そう言ってオレはカバンの中から缶コーヒーを一本取り出しては蓋を開ける。

 

 今朝『ありがとう』と書かれた紙と共に一本の缶コーヒーが机の中に入っていた。学校の敷地内に自販機がないことでカフェイン中毒のオレは度々ボヤいていたが、それを聞いていたようだ。

 

 オレがノートを拾った現場を見ていたのか。それとも返す現場を見ていたのか。はたまたそれ以外に理由があるのかまではわからないが、ノート事件の結末が綺麗に纏まったことに満足する。

 

 



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第六話

 

 バタフライ効果という言葉がある。アメリカの気象学者エドワード・ローレンツの唱えた説だ。

 

 蝶が羽ばたく程度の小さな動作でも遠くの気象に影響を与えるのか、というテーマ。『ブラジルの蝶の羽ばたきはテキサスでトルネードを起こすのか』という講演のタイトルが由来と聞いた。

 

 ほんの些細な出来事が後々に大きな出来事を引き起こすことに繋がりかねないという考え方。言い方を変えれば、未来の形というのは小さな変化によって大きく変わり得るということだろう。

 

 このバタフライ効果という現象を題材とした映画にバタフライ・エフェクトという名作がある。これが実に素晴らしい映画なのだが、詳しく作品について話すのはまた別の機会にしようと思う。話したいのはバタフライ・エフェクトに登場する主人公が持っている能力についてだ。

 

 過去に遡る不思議な能力に目覚めた主人公は、自分にとって嫌な過去を良い過去へと改変することにするという話。誰だって都合の悪い過去なんて消し去ってしまいたいものだろうと思う。

 

 映画の肝は過去を良い結果に改変してもハッピーエンドとなるとは限らないというところだった。例えば溺れている友人を見殺しにした過去を、助ける過去へと改変したとする。誰がどう見てもハッピーエンドの結果であるが、助けられた友人は命が助かったことによって未来が生じる。

 

 自らの負い目から過去に遡って友人を助ける。それは素晴らしいことに違いないが、命が助かった友人の未来は誰にもわからない。その友人が史に名を刻む犯罪者として成長してしまったら、それは助けるべきではなかったのだろうか。だが助けた過去の段階ではわかりっこないことだ。

 

 まあ、これはあくまで例え話だ。映画バタフライ・エフェクトの主人公も過去に遡って自分の過ちやミスを修正していくが、未来が自分の思い描く通りにならず苦悩する場面が多かった。

 

 過去を変えることによって変化する未来を予知することは誰にもできない。ほんの僅かな微差で未来は大きく変わってしまう。バタフライ効果というのは中々考えさせられる言葉だと思う。

 

「改変することによって変化する未来…………か」

 

 真中と二人で帰宅路を歩きながら呟く。

 

 そして十字路に差し掛かった際、思わず足を止めてしまう。十字路を右に行けば家路が近い。左に行けば通る必要のない坂道に出くわすことになり、真っ直ぐ進めば駅へと繋がる道にでる。

 

「ん? どうしたんだよ内海。立ち止まって」

「いや、うん。なんだろうな。今日は……さ。無駄に左へ曲がって帰ってみないか」

「え? なんで意味なく遠回りするんだよ?」

「普段と違う道に進むことによって、ひょっとしたら素敵な出会いがあるかもしれないだろ?」

 

 今この時だって右に曲がって帰る道を選ぶとすれば、左に曲がる未来は潰えてしまう。

 

 右へ進めば犬に噛まれるかもしれないが、左へ進めば通り魔に刺されるかもしれない。真っ直ぐ進めば運命的な出会いだってあるかもしれないし、勿論そんなことはないのかもしれない。

 

「マジで!? 素敵な出会いがあるのか!?」

「無きにしも非ずってところかな…………」

「よし! そうと決まれば寄り道しようぜ! で、もし可愛い子がいたらどっちが声かける?」

「金髪巨乳の美女だったら任せてくれ。ドストライクだ。それ以外の場合は真中。宜しく頼むな」

 

 選ばなかった道に進む未来はわからない。人生の岐路は大なり小なり数多く存在するものだ。

 

 もう原作の始まりが迫りつつある。そろそろ行動の指針となるべき計画を立てる必要があった。オレはどう動くのか。どのヒロインに肩入れをするのか。あるいは肩入れはしないのか。

 

 素敵な出会いに遭遇する兆しの見えない坂道を歩きながら、いつまでもそんなことを考えた。

 

 

 

 

 

「真中くん。この元素記号は────で。覚える周期表は────を──────して」

「語呂合わせ……。語呂合わせだな…………」

 

 放課後の教室で東城に勉強を教えてもらう真中。オレは二人の向かいの机に座っていた。

 

 東城は先日に呼び止めてからというもの、ちょくちょく真中に勉強を教えている。惚れた腫れたというよりも、同じクラスメイトとして志望校へ合格する手助けをしてくれているようだ。

 

 これもバタフライ効果というやつなのかもしれない。オレがほんの些細な思いつきから忘れ物を取りに来た東城を呼び止めたことで、真中と東城は原作の開始前からこうして一緒に勉強をしている。これが後々重要な影響を与えるのかもしれないし、別にそんなことはないのかもしれない。

 

「Hは水素。Heはヘリウム。Liはリチウム。Beはベリリウム。水兵リーベは僕の船…………か」

 

 もしオレが東城に肩入れをするつもりであれば、今この状況は願ってもないことだろう。

 

 だが別のヒロインを応援するのであれば、決してプラスに働くようなことはないはずだ。真中の付き添いで教室に残ったはいいものの、特にすることもないので真面目に考えてみようと思う。

 

 オレが誰かに肩入れするなら、という仮定で考えてみる。東西南北のメイン四人の場合。

 

 原作的に最終勝者は西野こと西軍なので、オレが静観を貫けば西軍が順当に勝つ見込みが高い。従って西軍に肩入れがしたいのならば、何もしないことが一番のアシストとなるはずだ。

 

 次に東城こと東軍。主人公である真中と相思相愛の大本命でありながら敗れてしまった東軍。平成ラブコメ界の桶狭間と呼ぶべき衝撃であったが、それ故に勝ちの目を見出すことは容易い。

 

 早い話、真中がいちごパンツの美少女を間違えなければ、そもそも東西で争うことすらない。西軍の出番がないまま真中は東軍と懇意になり、北軍と南軍の襲来に備える形となるだろう。多分この流れだと他軍は付け入る隙を見つけられないまま、横綱相撲で東軍が押し切りそうだ。

 

 次に北大路こと北軍。原作を東西の二大ヒロインとみるか。東西北の三大ヒロインとみるかで印象は変わるが、正直なところ北軍は東西の二軍に比べると扱いが劣っているような気がする。

 

 高校編からヒロインレースに参戦して来る点や、ヒロインの中でもお色気枠というポジションであることも苦しい。漫画に深い見識があるわけでもないが、この手のキャラは勝ち辛い印象だ。それでも肩入れをするのは難しくもない。根本的な部分を封じれば北軍の勝利も大いにある。

 

 それは初っ端も初っ端の場面。真中が屋上でいちごパンツの美少女と出くわす原作1話の1ページのカラ―の場面。そこを無かったことにすればいい。事前に屋上の鍵でも閉めてやれば、最重要イベントをカットすることができる。裏技に近い方法だが、これはこれで面白い気もする。

 

 そうなると真中は東西と碌に交友関係も結べぬまま中学校を卒業。その後は進路もバラバラとなるだろう。必然的に真中と同じ泉坂高校に通うことになる北軍が最優位に立つはずだ。

 

 最後は南戸こと南軍。これはキツイ。前述したヒロインを上から順に横綱、横綱、大関とすれば南軍は小結ぐらいの力関係だろう。ロリ枠の妹キャラで可愛いが、ギリ三役といったところか。

 

 東西北の三人が転べば最有力なのかな。仮に三人が転んでも南軍だとサブヒロイン達とがっぷり四つの猛攻が繰り広げられそうだ。それはそれで面白く、肩入れする甲斐があるかもしれないが、どうだろう。南軍はヒロインというよりも、早い段階で妹ポジションに収まっていた気もする。

 

「誰か一人を贔屓してもいいが、みんな魅力的だから難しいな。それにだいたいの話…………」

 

 長々と考察してみたが、主要イベントをカットしたら絶対にフラグが折れるとも限らない。

 

 屋上で東城と出会わなかったとしても違う場所で出会うかもしれない。東西のフラグを圧し折った場合、勉強が疎かになった真中は受験に失敗して泉坂高校へ進学ができないかもしれない。

 

 主人公の真中が受験に失敗すればもうめちゃくちゃだ。オレが泉坂高校を目指す意味がなくなってしまう。謎の補正が入って受かるのかもしれないが、あまり楽観視し過ぎるのもどうだろう。

 

 それに相思相愛の真中と東城が中学編でくっ付いたとしても中学生の恋愛事情だ。ちょっとしたことから仲違いをしてしまい別れる可能性だってある。未来を予知することは誰にもできない。

 

 サブキャラが居なかったり、オレという原作に登場していないキャラがいる以上、原作を正しく進めようだなんてことは、そもそも無理のある話なんじゃないかと考える。それでも強引に進めようとした結果、原作が悪く改変されれば目も当てられない。ならばいっそのこと────。

 

「…………うん。そうだな。難しく考えることもない。そういうわけで真中。オレは決めたぞ!」

「え、一体なんの話だよ?」

 

 あれこれ小難しく考えても仕方ない。そう考えたオレはようやく一つの結論に思い至った。

 

 これまでは事ある毎に原作のことばかり考えていたが、そろそろ止めようと思う。原作に沿って進めなければならない義務があろうが、オレに担うべき役目があろうが知ったことじゃない。

 

「オレはオレが正しいと思う道を進むことに決めた。型に嵌って動いてもつまらんしな!」

「お、おう? 急になんの話??」

「まあ、そのせいで真中が不利益を被るハメになるかもしれんが、その時は一つ許してくれよ」

 

 長く思い悩んでいたことから解放されれば、いくらか気持ちが軽くなったような気がする。

 

 未来は誰にも予知できないもの。だからこそ面白いんじゃないかと考える。せっかくこの世界へやってきたのに、人の顔色ばかりを窺ってチマチマと動くようじゃ面白味がないじゃないかと。

 

「東城も頑張れよ!」

「う、うん。私も? 頑張るね?」

「おう、頑張れ。奥ゆかしく清廉で慎ましいのは美徳でも、攻める時は攻めないとな!」

 

 オレの言葉に疑問符を浮かべる東城。わけがわからんだろうが、今はこれでいいだろう。

 

「マジでなんの話だよ内海!」

「そのうちわかるはずだから聞くな!」

「あーもうワケわかんねえ。お前が急に変なこと言うから暗記してた元素記号が抜けたぞ!」

 

 答えを得れずがっくりと肩を落とす真中を見ながらオレは豪快に笑ってみせる。

 

 オレはこの世界を漫画の世界として上から見下ろすのではなく、同じ目線の高さで過ごしてみようと決意する。要するにいちご100%という原作のIFの物語を進んでみることにした。

 

 

 

 

 

 やがて短い秋が終わると冬が到来する。

 

 既に方針を固めていたオレは物語の始まりを今か今かと待ち侘びた。そして────。

 

「いちごパンツの美少女?」

「そうなんだよ。昨日さ、夕焼けを見に屋上へ行ったら空から降ってきたんだ!」

 

 朝の通学路を歩く最中、真中が物語の始まりを告げる言葉を楽しげに口にする。

 

 内心ニヤニヤしながらその言葉を聞いた。これからどうなるのかと想像するのが楽しかった。小宮山と大草がいない場合、真中はどうするのかな。オレは自ら話すことなく聞きに回る。

 

「スゲー綺麗だったな。夕日に照らされてスカートがこう、フッとめくれてさー!!」

「お、おう。そうだな」

「マジで感動的だった……。そんでノートを拾ったんだよな。東城の名前が書かれたノート」

「そうか。ならノートは返さないとな」

「そりゃー持ってても仕方ないし返すけどさ。どうして東城のノートがあったんだろう?」

 

 さあ、と短く答える。その秘密はオレが話すより自分で解いた方が面白いだろうと。

 

 そして学校へ着くと、真中と一緒に東城を探す。必死に探すまでもなく廊下で東城を見つければ真中が声をかける。オレは少し後ろに下がっては、二人のやり取りを一等席から見守った。

 

「え? 私の数学のノート拾ってくれたの?」

「うん。なんか知らんが拾ってさ。東城にはいつも世話になってるし早く返そうと思って」

「昨日からずっと探してたの。ありがとう真中くん。ああ、でも見つかってホント良かった」

「いいってことよ。ノートノートっと…………」

 

 自分のカバンを漁る真中。ほどなく探す手がピタッと止まり『あ、忘れた』と口にした。

 

 ノートの中を見られたくない東城は真中の言葉に顔を青くするも『今日は数学ないし明日返すよ』と真中はシレっと答える。オレはニヤニヤしながらそのやり取りを眺めていた。

 

「なんだか楽しそうだね。どうしたの?」

「ん? ああ、西野か。いや、なんでもない」

 

 にやついていると背中をポンと押され、何事かと振り向くとそこには西野が立っていた。

 

 廊下の窓から差し込む朝の日差しに、西野の金糸が光り輝いていた。長いまつ毛に澄みきった大きな瞳。美人は三日で飽きるという言葉があるが、西野を見てるとそれは嘘だとすぐわかる。

 

「しかし今日も西野は可愛いな」

「────ッ! キ、キミは機嫌の良い時はホントに口が達者だよね!」

「そりゃ機嫌が良ければ舌も回るさ。これから先のことを考えると楽しくて楽しくて仕方がない」

 

 謎に照れてる西野をからかいながら、これから先のことにオレは思いを馳せる。

 

 これはIFの物語。物語がどのような結末を迎えるのかは今はまだわかりっこない。主になる物語を楽しみつつオレもまた、二度目の学生生活を心行くまで謳歌していこうと思う。

 

 




 いちご100%の続編が12年ぶりにジャンプGIGAにて連載されるとのこと。
 EAST SIDE STORYという話ですので文字通り東城の物語となるのでしょうか。まだ詳しい詳細はわかりませんが、吉報が届き嬉しい限りです!


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第七話 気になる人【西野】

 

 最近、なんだか気になる人ができた。

 

 気になる人、なんて言葉にすると好きな人のことみたいだけど、好きかどうかはわからない。

 

 そもそも好きってなんだろう。家族として好きなこともあれば、友達として好きなこともある。その二つはなんとなくわかる。でも異性として好きってなると、なんだろうと不思議に思う。

 

 仲の良い友達に聞いてみたら『カッコいい人』とか『趣味の合う人』なんて答えが返ってきた。なるほどなるほど。確かにカッコいい人や趣味の合う人っていうのは魅力的に映る気がするな。

 

「…………ふむ。ふむふむふむ」

「なんだよ。オレの顔になんかついてるか?」

「うんうん。内海くんってさ。こうやって近くで見ると、けっこう整った顔立ちをしてるよね」

 

 もう何度目かわからないけど、あたしは放課後に彼を誘っては一緒に帰ろうと声をかけた。

 

 あたしが誘ったりしたら普通の男の子は舞い上がったりするものだけど、彼は『ああ』とか『おう』なんて返事するだけだから素っ気ない。最近じゃあたしの方が友達に茶化されたりする。

 

 彼以外の男の子を誘ったりはしないんだけど、それを彼はわかってるか気になったりする。恩着せがましく言うつもりなんてないけど、たまにはリアクションが欲しいと思うこともあるかな。

 

 そしてその帰り道。一人で腕を組んで歩く彼は紅葉を眺めながら、その短い秋を満喫していた。そのすぐ横を歩くあたしは一歩彼に近づくと、下から覗き込むようにその横顔をジッと眺めた。

 

 あたしより頭一つ背の高い彼。髪は黒く短くて、目つきが少しだけ鋭い。声色や雰囲気が落ちついていて、同年代の男の子より大人びた口調で話すものだから、最初はそこが気になったっけ。

 

 外見で人を選んだりはしないけど、彼は中々カッコいいと思う。ドラマや映画に出てくるイケメン俳優なんかとはタイプが違うけど、なんというか造形の良い顔立ちをしていた。遠くで見るよりも、こうして近くで見る方が映えるタイプ。うん、悪くない。やっぱりカッコいいと思うな。

 

「漫画顔だから…………いや、無頓着だから気付かなかったが、オレって意外とイケてんのか」

「なーんて冗談だよ! やっぱり普通かな!」

「なんだ冗談かよ。ま、男は外見より中身だな」

 

 でもなんとなく、彼がそれを自覚しようとすると咄嗟に否定的なことを言ってしまう。

 

 あたしだけが彼の魅力を知っていたいと思う。でもそれが叶わないことなのもわかっている。あたしとの噂が出回っても騒ぎになっていないのは、きっとみんなも同じ感想を持っているから。

 

「内海くんってさ。日曜はなんのテレビ見る?」

 

 ちょっと残念。でも仕方ないかな。ならば次は趣味の方はどうなんだろうと聞いて見る。

 

「日曜のテレビか。そうだな……。朝は寝て、昼は競馬と野球。夕方は本場所があれば相撲」

「えっ? 他にはないの??」

「夜になるとニュース番組と天気予報も見るな」

「そうじゃなくて。もっとこう、ドラマとかバライティ―番組とかいっぱいあるじゃない??」

 

 予想外の言葉にビックリして尋ねると、彼はバツが悪そうに頭を掻いては口を開いた。

 

「いや、そっち方面はあんまりでさ…………」

「なんでなんでなんで? 休み時間とかさ。みんな連ドラの話とかしまくってない??」

「しまくってようが見る習慣がないし。そういう西野は流行りの番組には目がないのか?」

 

 テレビを見ないならまだわかるけど、なんでそう偏った番組ばっかり見てるんだろう。

 

 休日のお父さんが見そうなラインナップがズラッと並んでいる。意地悪してわざと捻ったことを言っているのかとも思ったけど、どうもそうではなさそうだから、やっぱり彼は変わっている。

 

 テレビ番組の趣味は合いそうじゃなかった。なんだかショック。せめてあたしが見ている番組を一つでも言ってくれたらよかったんだけど。そりゃ天気予報ぐらいは見たりもするけど、それは趣味が合うとは違うような気がするし。

 

「別に、そうでもないかな」

「ふーん。なら西野の日曜一押し番組は?」

 

 新しい趣味を増やそうかな、と考えながらあたしは自分の好きな番組について話した。

 

「…………笑点」

「ん? もう一回言ってくれるか?」

「だから笑点だよ。日曜の17時半って言えば、お茶の間は笑点なんて一般常識じゃない?」

 

 テレビの趣味が合わないのはショックだけど、こういうところも気になるポイントなのかな。

 

 見方を変えれば趣味が合わないっていうのも違った趣味を楽しめるということだし。それに友達が趣味の合う人って言ってたからって絶対に正しいってわけでもないし。そもそも────。

 

「笑点か。激シブだけど良いセンスだな」

「────っ!? そ、そうでしょう!!」

「ああ、でも年寄りみたいな番組チョイスだ。ぜんぜん中学生っぽくないし。はっはっは!」

 

 自分を納得させる言葉を心の中で並べていたら、珍しく彼のフォローが入ってくる。

 

 あたしはそれに喜んでみるも間を置くことなく、彼が笑ってそんなことを言い出すものだから笑顔も凍りつく。確かに笑点は若者向けの番組じゃないかもしれないけど、お互い様じゃない。

 

「競馬に野球に相撲のキミが言うかな!」

「年寄りでもいいじゃん。オレもたまに笑点を見るぞ。西野は好きなメンバーとかいるのか?」

「好きなメンバーは…………桂歌丸だけど?」

 

 渋いな、と言って彼がまた大笑いした。

 

 からかわれているようで照れくさくなったけど、彼が笑っている姿を見るのはなんだか心地の良いものだった。笑った彼の目じりにはいつも太い皺が刻まれ、頬にはえくぼが浮かんでいる。

 

 大きく笑う彼に釣られては、あたしも両方の頬を緩ませる。今から桂歌丸の良さをじっくり話してあげようと思う。いつも振り回されてばっかりだけど、彼と一緒にいるのは凄く楽しかった。

 

 

 

 

 

 普段の彼は中学生とは思えないぐらい達観としていて、一人の時は静かに本を読んでいた。

 

 学校でも人によって扱いに差をつけるようなことはせず、誰にでも物腰柔らかく接していた。人当たりが良く、困っている人がいれば性別問わず声をかけているようで評判も良いみたい。

 

 廊下で社会の先生と歴史の話に華を咲かせている彼を見た時は同学年とは思えなかった。大人と大人が話しているようにしか見えなくて、時折り笑ったりもしていたけど、近くで話を聞いていても何が面白いのかさっぱりだった。話の内容だけでなく、敬語や姿勢も凄く様になっていた。

 

 それでも男の子同士で集まって話をしている時の彼はいつも年相応に楽しそうにしている。

 

「清純派AV女優とかいう矛盾の塊。でも正しく意味が伝わるから日本語って素晴らしいよな」

 

 年頃の男の子が好きそうな話を周囲に気を配ることもせず、堂々と話したりするのは困るけど。

 

 まあ、でも男の子なら仕方ないのかな。大きな声で話すような内容ではないけど指摘するのも恥ずかしいし、他の人に迷惑をかけないのなら大目に見てあげなくもない。それでも────。

 

「今晩のサッカー代表戦のトトカルチョでもするか。オレが胴元やるからみんな賭けろよ。オッズはシンプルに勝ち負け引き分けが各2倍。3点以上の差が付けば倍の4倍でどうだ?」

 

──面白そうじゃん。日本に賭けるぜ!

──オレもオレも。ホームなら流石に勝てる!

──3点差はキツいが4倍は魅力だな。だが両方に賭けると痛恨のドローが痛すぎるか。

──ドロー狙いとかいう消極的な賭け方をするのも微妙。でも互いに決定力無いしな…………。

 

 他の人に迷惑をかけなくても賭け事はダメでしょ。みんなもノリ気だけど中学生だよね。

 

 まったくもう、ホントに困った人だ。あたしは賭け事の話で盛り上がる集団に近づくと、その中心にいる彼へ『お金を賭けるなんてもっての他だよ』って指を指しては厳重に注意をする。

 

「なにも問題無いぞ。賭けてるのは金じゃなくてチョコレートだからセーフの理論です」

「内海くんってチョコレート好きなの?」

「…………意味が通じてないボケほど切ないものはないな。チョコレートも嫌いじゃないけどさ」

 

 アレっと首を傾げる。チョコレートをみんなで賭け合うほど好きなんじゃないのかな。

 

 こんな風に彼とは時々、話が噛み合わないこともあった。でも話すようになって日も浅いし、男の子と女の子の違いもあることだから、その辺りはまだ仕方ないことなんじゃないかと思う。

 

 これからゆっくり知っていければいいと思う。あたし達はまだまだ知り合ったばっかりで、時間だってたくさんあるんだから。なにも焦る必要なんてないと、この時はそんな風に思っていた。

 

 

 

 

 

「……ああ、眠い。マジで眠い…………」

 

 彼は基本的に凛然としていたけど、週明けの月曜日の朝だけはいつも眠そうにしていた。

 

 どうやら日曜日の夜遅くは海外のサッカーを観戦しているらしく、毎週月曜は寝不足とのこと。意外とテレビ好きなのかと思ったけど、テレビ好きというよりもスポーツ観戦が好きみたい。

 

 とある週明けの朝。珍しく校門の前で彼の姿を見かける。友達と並んで歩く彼は歩きながら船を漕いでいて、半分目も瞑っていた。あたしは朝の挨拶をしようと近づくと、彼に声をかけた。

 

「おはよっ! 内海くん!」

「ああ、おはよう。おはようございます…………」

「オ、オレは先に行ってるな内海。ゆっくり西野と歩いてこいよ! じゃあまたな!」

 

 あたしが彼に声をかけると、彼と一緒に登校してきた友達が気を利かせてくれた。

 

 確か友達の名前は真中くんだっけ。ちょっと悪い事をしたかな。また謝っておかないと。

 

「お友達に悪い事したかな?」

「真中のヤツも眠いんだろ。オレにはわかる。急いで教室へ行って、すぐに仮眠を取る気だな」

「ふふふっ。それはキミがしたいことでしょ」

「ああ、まあな。…………って西野じゃん。聞き覚えのある声だと思ったけど、西野だったのか」

 

 一瞬だけ大きく目を見開いた彼は、あたしを確認するとまたすぐに瞼を半分落とした。

 

 凄く眠そうだ。多分このまま教室に向かえば最後、授業中だってお構いなしにお腹が空く昼休みまで眠っちゃうんじゃないかと思う。月曜日の昼休みはおでこが赤くなってることも多いし。

 

 それはダメ。彼は成績も良いみたいだけど、それでも受験生が授業を聞き逃すなんてダメだと思う。そう思ったあたしは元気良く声をかけては、彼の眠気を遥か彼方へと吹き飛ばそうとする。

 

「今日も元気だして頑張ろうね!」

「うん」

「もっとお腹から声をだして! 背筋もピンと伸ばす! ネクタイも曲がってるよ!」

「うん」

「もう、第二ボタンが外れてるじゃない。そんなんじゃダメだよ。朝もビシッとしないと!」

「うん」

「動いて動いて! ほら、校門の前に立った立った! あたしがキチンと正してあげるからね!」

 

 うん、と彼が短く空返事を返す。

 

 彼は返事をするだけで動こうとしないので、あたしはその背中を押しては校門の前に立たせ、門を潜る前にその身だしなみを整えてあける。普段の彼とのギャップもあって、なんだか面白い。

 

 あたしは機嫌の良いままに彼の首元に手を伸ばしてはボタンを留め、ネクタイを真っ直ぐに整えてギュッと締める。ネクタイなんてほとんど触ったことがなかったけど家でも朝、お父さんが出勤する前にお母さんにこんな風にしてもらってたっけ。真似してみたけど良いかんじに出来た。

 

「よしっ!」

「男前にしてくれたか?」

「まーね! これで今日も一日………………あっ」

 

 ネクタイを締めた後で視線を上げると、思っていたよりも距離が近くて焦ってしまう。

 

 文字通り目と鼻の先に彼の顔があった。勢いで手を伸ばしてみたものの、今になって凄く恥ずかしい。校門を通り抜ける人達の視線を感じる。ああ、もうなんでこんなことをしたんだろう。

 

「しかしマジで眠いな。ふぁぁ…………」

 

 そんなあたしの混乱を知らない彼は、周囲の視線もお構いなしに大きくあくびをした。

 

 そのあくびの後で漏れる彼の息が鼻に当たる。歯磨き粉の匂いとコーヒーの香りがした。相も変わらず眠そうな彼を注意したいところだけど、あたしはそうすることができなかった。

 

 自分でも驚くほど胸がドキドキしているのを感じる。顔がなんだか凄く熱い。意識しちゃダメだと思っても意識してしまう。寝ぼけている彼が半歩でも前に足を出したら、と考えてしまう。

 

 そして反射的に彼の瞳と唇を見てしまう。それは流石にダメ。いや、ダメでもないのかな。やっぱりダメ。でも近づき過ぎたのはあたしのせいだし、事故なら仕方ないのかな。いや────。

 

「────事故なんて余計にダメでしょ!!」

「なんの話だ?」

「なんでもない。ホントになんでもないから!」

「お、おう。そうか。なんか知らんけど、身だしなみも整ったし行こうか。ありがとう西野」

 

 そう言って彼はあたしの肩にポンと手を置く。

 

 温かくて優しい手だった。スタスタと歩き始める彼の背を見る。広くて大きい背中だった。

 

 トクンと胸の高鳴りを感じる。本当にいつもいつも彼には振り回されてばっかりだ。凄く楽しくもあるけどいつかは、いつかは彼にもアッと一泡吹かせてみたい。それが当面の目標かな。

 

 前を歩く彼の後を小走りで追いかける。彼の背を追いかけていると自然と笑みが零れた。その理由はわからなかったけど、とっても良い気分。そして追いつくとあたしは高高と宣言してみる。

 

「内海くん。キミに一つ言っておくね」

「なんだよ?」

「これは宣言。あたしを本気にさせたら覚悟してね。その時は絶対に手に入れてみせるから」

 

 右手の人差し指を彼の胸に向けてバンバンと弾きながら、声量を落とすことなく言い切った。

 

 頭に疑問符を浮かべる彼はぜんぜんわかってなさそうだったので、あたしはほんの少しまぶたを引き下げては舌を出し、あざとく抗議の意を示してみる。やっていて少し恥ずかしい。

 

 本当になんだか気になる人。気になる人、なんて言葉にすると好きな人のことみたいだけど、好きかどうかはわからない。だってあたしはまだ、初恋の味を知らないのだから。

 

 




 いつも誤字報告ありがとうございます。これからもミスを減らせるように推敲・校正を怠ることなく頑張ります。次話から原作スタート。最初はおそらく真中視点となります。


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原作開始【中学生編】
第八話 いちご注意報【真中】


 

【立入禁止】のチェーンを越えて、残り18段の階段を昇った先にある重たいドアを開けたなら、そこにはこの町最高の風景が広がる────。

 

 

 

 

 

「…………足?」

 

 取っ手式の丸いドアノブを回し、夕日を見に屋上へとやってきたオレの目に飛び込んだ足。

 

 足、と声に出した時には頭上から人が降ってきた。足からふともも、そしてスカートが捲れパンツの順番に目に入る。突然のことに驚いたオレは尻餅をつきそうになるのをやっとこらえた。

 

 頭上から降ってきた人は着地に失敗したのか、オレの目の前でうつ伏せのまま倒れてしまう。ウチの学校の制服を着ていることから部外者ではなさそうだ。うつ伏せになっていて顔は見えないがセミロングの髪や体型、それにスカートを履いていることから倒れているのは女子だと思う。

 

 なんで突然降ってきて倒れてんだよ。ぜんぜん動かないけど、もしかしてどこかブツけてヤバいのかな。そんな考えも頭に浮かびはしたが、一番に目を奪われたのはスカートの中のモノ。

 

「い、いちごのパンツ…………?」

 

 頭上から降ってきた女子生徒が倒れた拍子に、乱れたスカートの間から覗けたパンツの柄。

 

 女の子のパンツが視界に入ってしまえば最後、健全な男子中学生ならそれを見ずにはいられない。うつ伏せに倒れていることもあってか、つい凝視してしまう。こんなチャンス滅多にない。

 

 だが幸せな時間はすぐに終わりを迎えてしまう。オレのパンツ発言を聞いてか女子生徒はピクりと反応を見せると、そのまま起き上がろうとする。これはまずい、とすぐに思った。この状況で起き上がられると流石に言い逃れができない。こうなりゃダッシュで逃げるっきゃ────。

 

「────────えっ?」

 

 起き上がって振り向いた女子生徒と目が合うと、オレは逃げ出すことを忘れ声を洩らした。

 

 女子生徒の長い前髪の隙間から澄んだ大きな瞳が覗く。ただ綺麗だった。例えようがなく美人だった。夕日を背に受ける女子生徒は、ほんの一瞬だけその姿を艶やかに映し出した。

 

 その一瞬でオレは心を奪われてしまった。一目惚れというのはきっとこういうことなんだと咄嗟に思った。そしてその姿に見惚れてしまった。このまま何もなければ何時までも、彼女の姿に見惚れ続けていたことだろう。

 

 それでも映画や小説のような出会いとはならなかった。見惚れた次はすぐ驚く番がやってくる。

 

「きゃ、きゃあぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

「わああっ!!」

 

 うつ伏せに倒れていた彼女は起き上がると、見惚れるオレを尻目に大きな叫び声を上げる。

 

 そして彼女は叫び声を上げ終わると、そのまま走って階段を下って行ってしまう。一人その場に残されたオレは呆気に取られ、その後に走り去っていった彼女のことを考えた。

 

「なんだよ。自分は上から降ってきたくせして驚くのはオレの方だっつの! それより…………」

 

 あんな美少女ウチの学校にいたっけな。

 

 顔は少ししか見えなかったけど綺麗だった。夕日に照らされてスカートが捲れて。まるで映画のワンシーンみたいだった。彼女が起き上がる瞬間をスローモーションにしたら良く映えるかも。

 

 しかし彼女は誰なんだろう。あんなに可愛いと絶対に目立つよな。ウチの学校じゃ西野が人気なのは最近になって知ったけど、ひょっとするとオレが知らないだけで彼女も有名人かもしれない。上履きの色は三年の物だったし、同学年なら何処かですれ違っていてもおかしくないけど。

 

「…………ぜんぜん見覚えない。そーいや、あの子はこの上にいたんだよな。何してたんだろ」

 

 頭上から人が降ってきたといってもまさか、空から降ってくるなんてことはない。

 

 彼女は正確にいうと屋上にある給水タンクの上から降ってきた。給水タンクの横には登れる手すりが付いていて、理由はわからないけど気分転換かなんかに登っていたんだろうと思う。

 

 大した高さでもない。下りる時に手すりを使わず、勢い良く飛び降りようとした拍子にドアを開けたオレと鉢合わせたってワケだろう。パンツが見れた分ラッキーだったが、それで満足していたらダメだ。ひょっとすると彼女の情報を得るための重要なヒントが残されているかも。

 

「3年4組東城綾……。って東城のノートか。なんで東城のノートがこんな場所にあるんだ?」

 

 そう考えて給水タンクの上に登ったオレは、そこでなぜか東城のノートを拾う。

 

 東城綾。同じクラスの女子生徒だ。いつも縁の黒い眼鏡をかけていて髪はおさげ。見た目のイメージそのまんまの文学少女。これまでは接点らしい接点がなかったが最近はそうでもない。

 

 なんでこんな場所に東城のノートがあるのかは疑問だったが、拾ったなら届けてやるべきだろう。東城にはこの最近、志望校に危ないオレの勉強を見てもらったりと世話になっている。

 

「ノートは明日にでも返すか。しかしスゲー綺麗だったな。なんて名前なんだろう…………」

 

 東城のノートは明日返せばいいか。しかしあの美少女はマジでどこの誰なんだろう。

 

 まさか自分がこんな鮮やかに心を奪われるなんて思ってもみなかったが悪い気はしない。今はただ彼女のことが知りたくて仕方ない。こんなにテンションが上がったのはいつ以来だろうか。

 

 今はもう中学3年の冬。卒業まで刻一刻と迫っていた。そんな中で自分の中学時代を振り返ってみても胸を張って誇れるものなど何もない。なんともパッとしない地味な3年間だった。

 

 部活は控え。勉強はあんまり。そして何よりも彼女がいない。友達はけっこう多いし楽しいっちゃ楽しいけど、やっぱ青春といえば恋愛要素は欠かせないポイントだ。なんなら彼女がいればそれだけで華のある3年間。バラ色の学生生活といっても過言じゃないとさえ思う。

 

「……もう受験も近いし半ば諦めていたが、最後の最後に大チャンスが巡ってきたってことか!」

 

 このタイミングで出会ったってことはアレだろう。これはもう運命ってヤツに違いない。

 

 いちごパンツの美少女。凄く綺麗でなんだかミステリアスな美少女。知っていることは同学年の美少女ってことだけだがそれで十分だ。美少女ってだけでメラメラとやる気が湧いてくる。

 

 いかにも理由が俗っぽいがいいじゃないか。一目惚れした名前も知らない美少女にアタックを仕掛ける。成功すれば万々歳。失敗しても、なんとかお近づきになれるように頑張ってみるか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いちごパンツの美少女?」

「そうなんだよ。昨日さ、夕日を見に屋上へ行ったら空から降ってきたんだ!」

 

 翌日の朝。通学路を歩きながら内海にいちごパンツの美少女との出会いを早速自慢した。

 

 普段は眠たそうにあくびをしながら歩いている内海ではあるが、美少女の話だからか目の色を変えて興味津津の様子。ま、せっかく話すんだからちょっと大袈裟に話すとしようかな。

 

 オレの一番の友達である内海。本名は内海翔平。知り合ったのは中学からで、小学校が一緒だった連中と比べれば付き合いは浅いが、クラスが三年間同じだったこともあり仲良くなった。

 

 そんな内海だが最近なんだが急に大人っぽくなった気がする。元々そんなに騒いだりするタイプじゃなかったせいかクラスのみんなは気付いていないが、オレはその変化を見落とさなかった。注意して見れば明らかに別人。人が変わったかの様な落ちついた振る舞い。要するに────。

 

「…………ふっ。この時期にキャラ変更とはな」

「キャラ変更? なんの話だ?」

「みんな受験勉強の追い込みかけてるってのに恐れ入るぜ。それに評判だって良いみたいじゃん」

 

 部活動も引退し、本来なら受験モードへと切り替えるはずの中学3年の2学期も半ば。

 

 まさかのキャラ変更に踏み切った内海。話し方も全身に纏う雰囲気も変わった。ついこの前まで読書=漫画だったはずなのに、今じゃ得体の知れない文字ばかりの本を普通に読んでいる。

 

「察するにダーティーな男を目指してるんだろ」

「いや、好き好んでそんなもん目指さんわ。それで評判良くなるってどんな環境だよ…………」

 

 その甲斐もあって近頃では、あの可愛い西野と噂になってるんだから大したもんだ。

 

 内海はとぼけてるが黒っぽい雰囲気だ。前にテレビで付き合いたてのカップルは周りに秘密にするケースが多いって言ってたし。なにもオレにまで秘密にしなくてもいいのにな。水くさいぜ。

 

「しかし空から降ってくるなんて凄いな」

「降ってくるってより舞い降りた……かな。そう、アレは空から舞い降りた……天使?」

「天使とは朝から絶好調だな。まあ、でもそうか。天使にあったら絶好調にもなるか……」

「まーな! だってもうすぐ中学卒業って時期になって運命の人に巡りあったんだぜ!!」

 

 冬なのに春が来たとばかりに得意気に話す。

 

 確かに西野も凄く可愛いけど、いちごパンツの彼女だって負けちゃいない。可愛いってこと以外はまだ何も知らないけど、可愛い子は性格も良いって聞くしな。きっと彼女もそうに違いない。

 

 想像すれば想像するほどパーフェクトな彼女。これから先に訪れるだろうバラ色の毎日を妄想すると思わず顔がニヤけてくる。そんなオレの様子を見ていた内海はなんだろう。なにか懐かしいモノを見るような目をしながら小さく微笑むと、オレの肩を軽く叩いて口を開いた。

 

「そりゃよかったな。もっと聞かせろよ」

「ああ、いいぜ! っても他に話すことないんだよな。すぐ叫び声を上げられて逃げられたし」

「お、おお。それって大丈夫……なのか?」

「パンツを見たのは不可抗力だってのに。ああ、少しぐらい話をしとけばよかったかな…………」

 

 目を閉じれば彼女の姿が浮かび上がる。

 

 残念ながら出会いが短く、夕日を背に受けていたことから朧気だけど、再会すれば見間違えない自信はある。思わず息を呑むほど綺麗だった。あんな子が他に何人もいるとは思えない。

 

 オレは内海に彼女との出会いをもう一度頭から詳しく話した。一回目と違う部分は東城のノートを拾ったことを伝えた点。確かアレは数学のノートだったっけな。どうして東城のノートがあの場所にあったのかは割と疑問ではあるけど。

 

 内海に聞いても『さあ?』と短く返事されただけだ。まあ、わからないものは無理に考えても仕方ないか。とにかく今日は東城にノートを返してからいちごパンツの美少女を探し出す。不可抗力とはいえパンツを覗いたからには謝らないとな。まずは謝罪から入るべきだろう。叫ばれたし。

 

 いや、でも待てよ。ひょっとするとパンツを見られたから叫んだのではなく、オレと目があったから叫んだのかもしれない。彼女もオレに一目惚れして、その恥ずかしさのあまり思わず叫んでしまったなんて展開もあるんじゃないだろうか。

 

「…………ふふ。ぐふふふふふっ…………」

「なんか都合の良い解釈をしてそうな顔だな。まあ、きっと上手くいくさ。大丈夫大丈夫」

 

 その可能性だって決して0じゃない。そういう最高の展開も頭に入れておかないとな。

 

「なあ、内海」 

「どうしたんだ?」

「いちご柄のパンツってさ。いちごの香りがしたりするのかな……なんてな! はははっ!!」

「ま、まあ気持ちはわかる……いや、わからんけど、公の場ではあんま妙なこと口走るなよ……」

 

 若干引き気味の内海を尻目にオレは決意を固める。今日はなんだか良い一日になりそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 オレ達は学校へ着くと、まずはノートを返すためにクラスメイトの東城を探し始めた。

 

 すぐに廊下で東城を見つけ声をかける。東城は日直の当番かなんかで早く登校して来たのかな。その手には大量のプリント用紙が握られていた。

 

 荷物を持つ女子相手に長話をするのもなんだ。すぐに拾ったノートを東城へ返そうとカバンを開くも見当たらない。どうやらいちごパンツの美少女のことが気になり過ぎて、うっかり東城へ返す予定のノートを家に忘れてしまったみたいだ。朝にでも確認しておくべきだったな。

 

「あ、忘れた」

「え────っ!?」

「いーじゃん今日は数学ないし! 明日は必ず持ってくるからなっ? なっ!?」

 

 ノートを持ってくるのを忘れたことを告げると、なぜか東城は頻りに動揺し始め出した。

 

「ね、ねえ真中くん。中は見てないよね?」

「お、おう。見てないけど」

「お願い! 絶対絶対絶ッッッ対にノートの中は見ないでね! ねっ! 真中くん!!」

 

 物静かそうな東城が大きな声を出すもんだから、周囲にいたみんなが何事かと視線を向ける。

 

 その視線に東城はすぐ申し訳なさそうに身を竦める。一体なんだろう。東城のこの過剰なまでの反応は、まるでオレが母親にエロ本の隠し場所を指摘された時と似ているな。

 

 しかしノートか。中に見られたくないことでも書いているのかな。東城は人の悪口を言ったり書いたりしそうな感じはしないけど。それとも何かそれ以外の秘密でもあったりして。

 

 オレが訝しむような目を向けると東城はしどろもどろと困った様子を見せ始めた。ちょっと気にはなるけど無理に聞き出すのも可哀相かな。人には秘密の一つや二つぐらいあるものだろうし。

 

「わかった。見ないよ」

「ホント??」

「ホントホント。マジマジ。明日は絶対に持ってくるの忘れないから安心してくれよ!」

 

 オレがそう力強く宣言すると東城はホッと胸を撫で下ろしたようだ。

 

 明日は持って来るの忘れない様にしないと。しかしノートか。いちごパンツの彼女と仲良くなれたら文通から始めるって手もあるな。いや、文通は古いか。どことなく昭和の香りがするし。

 

 やっぱ今の流行りは携帯電話だよな。オレも携帯が欲しい。でも受験が終わるまでは絶対無理だよな。高校入試に合格して、その時に勢いで頼んでみるか。いや、ビデオカメラだって買って欲しいし流石に二つとなると厳しいかも。どうしたものか。なにか巧い手でもあればいいけど。

 

「ノート忘れたお詫びに荷物を代わりに運んでやるよ。持って行くの教室だろ?」

「ま、真中くんはそんなことしなくていいよ。それは当番の私の仕事だから…………」

「いいっていいって。ついでだから。おっ意外と重いな。ほら早くしないと鐘が鳴るぞ」

「う、うん。ありがとう……」

 

 東城からプリント用紙の束を受け取ると、自分達の教室へ向かい歩き始める。

 

 オレの様子を少し離れた場所から内海がニヤニヤしながら眺めていた。そしてその横にはいつの間にやら西野の姿がある。朝っぱらから仲良いよな。やっぱりあの二人は黒だと思う。

 

 そういえば何時か見えた西野のパンツもいちご柄だったような。まさか西野がいちごパンツの美少女の正体なのか。美少女であるという点といちご柄のパンツを履いていた実績があるという点は気になる。確かに気になるが────。

 

「…………ま、そんなワケないよな」

「真中くん。どうかしたの?」

 

 西野はかなり目立つ髪の色をしている。夕暮れ時であっても金髪なら違いに気づくはずだ。

 

 それに内海と西野は今なにやら楽しそうに談笑中。昨日の今日でパンツを見られて叫んだのなら西野も笑ってはいられないよな。オレのことも多分、内海の友達として覚えてるはずだし。

 

「いや、なんでもねーよ東城。こっちの話。さて、二ヤついてる内海は放って教室入ろうぜ」

 

 内海と西野の関係も気にはなるけど、今日のところは一先ず置いておこうと思う。

 

 今日はいちごパンツの美少女を探し出して話をする。手掛かりは特にないけど、同学年ならすぐに見つかるだろう。不安なんて欠片もなく、教室へ向かう足取りは弾むように軽快だった。

 

 




ぼちぼち更新再開致します。
次話も真中視点で原作の一話が終わるぐらいまで進められればと。


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第九話 いちご注意報②【真中】

 

「まさか、なんの手掛かりもないとは…………」

 

 今日は一日かけていちごパンツの美少女を探してみたけど、影も形も見当たらない。

 

 本人に直接出会うどころか目撃情報すらない。休み時間をフルに活用して学年の端から端のクラスを尋ねるも成果無し。あんなに綺麗だと目立つはずなのに誰も心当たりがないようだ。

 

 彼女の上履きの色は三年の物だったから同学年だと思っていたけど、下級生がたまたま三年の上履きを履いていたのかな。それとも彼女は他校の生徒で、昨日は何かの用事でウチの学校に来ていたとか。いや、でも学校が違えば制服だって違うよな。貸し出すってこともないだろうし。

 

 もし彼女が下級生だったとしても校門の前で張り込んでいたら見つけられただろうけど、この寒い時期に部活動が終わる時間まで張り込むってのもな。それにストーカーみたいで気も進まない。

 

「…………いや、やっぱ張り込むべきだったかな。他学年の教室になんて中々行けねーし」

 

 思わぬ空振りに終わって気が滅入る。今日は良い一日になると思っていたんだけどな。

 

 放課後になってはトボトボと家路を歩く。冷たい風が吹くたびに憂鬱な気分になる。期待が大きかった分、失望も大きい。誰も心当たりがないなんてことが本当にあり得るのだろうか。

 

「まあ、そう気を落とすなよ。今日はたまたま風邪かなんかで休みだったのかもしれないだろ」

 

 ションボリとするオレを気遣ってか。一緒に帰り道を歩く内海が慰めの言葉をかけてくれた。

 

「そうかなぁ。そうなのかなぁ…………」

「それに特徴だけで探そうだなんて探偵でもないと中々な。名前ぐらい知っとかないと」

「名前か……。名前を聞けるような状況じゃなかったなぁ。あっという間に行っちゃったし」

 

 本当に一瞬の出会いだった。

 

 あまりに出会った時間が短くて、本当に現実のものだったのかと考えてしまうぐらい。

 

 内海は特徴だけで探すのは難しいと言ったけど、街で人探しをするならともかく狭い学校内であれば十分だとオレは思う。あれだけの美少女なんて学年に居ても一人か二人だろう。

 

「……もうこうなってくるとアレだな。オレは幻でも見ていたのかもしれない」

「幻?」

「うん。みんなぜんぜん知らないって言うしさ。そっちのほうがなんか納得できる気がする」

 

 薄暗く暮れる冬の空を眺めながら、オレは半ば投げやり気味に言い放つ。

 

 幻というには現実感のある出会いだった。なんたって顔も見たし、叫び声ではあったけど声だって聞いた。なんなら彼女からは女の子特有の甘い匂いがしていたような気もする。

 

 それでも幻だなんて考えてしまうには手掛かりがなさ過ぎること。たまたま誰も心当たりがない可能性よりは、受験勉強で疲れたオレが現実逃避に見てしまった幻というほうがあり得そうだ。美少女の姿が見えるだけならまだしも、声も聞こえるなんてかなり末期症状かもしれないけど。

 

「朝のハイテンションが嘘みたいだな」

「しゃーねーよ。だってあんな美少女のことを誰も知らねーなんてどう考えてもおかしいし」

 

 ここで内海が「そうだな」とでも同調していれば、もう探すことを諦めていたかもしれない。

 

 受験シーズン真っ盛りの今。志望校の合格ラインに超ギリギリのオレが手掛かりのない幻の美少女探しにうつつを抜かすってのもな。この時間だって多くの受験生は勉強しているはずだ。

 

 それに探し出せたところで仲良くなれる保証があるわけでもない。そんな風に考え出すと朝のヤル気がどんどん削がれていった。瞬間的に激しく熱した分、冷めてしまうのもまた急速だ。次に発せられる内海の言葉次第では、オレはあっさり諦める可能性だってあった。だけど────。

 

「おいおい日和ったのかよ。真中らしくないな」

「そんなつもりはねーけどさ」

「誰も知らない幻の美少女? 大いにけっこうなことじゃないか。オレだったら燃えるね」

 

 内海はオレの背中を押してくれた。

 

「お前は運命の女に巡り合ったんだろ。だったら万難を排してでも見つけ出してみせろよ。辻褄を合わせて小さくまとまろうとするな。そんな年寄り染みた考えは、きっと後々に悔いを残すぜ」

 

 それも茶化す様な言葉じゃなく真面目で、なんだか深い言葉のようにオレには感じた。

 

 内海はそれに次いで「ま、頑張れよ」と言い残すと、オレの背中を強く叩いては進行方向を反転させた。そこでオレはかなり前に内海の家の前を通り過ぎていたことに気づく。

 

 振り返ることをせず背を向けて歩いて行く内海。オレは黙ってその背を見送りながら、もう一度気持ちに熱が入っていくのを感じる。確かにこんな簡単に諦めるなんてらしくなかったぜ。

 

 家に帰っては夕飯を食べ、風呂に入ってしまえば後はもう寝るまでやることは一つ。

 

 そう受験勉強だ。自分の部屋の学習机に教科書とノートを広げ、椅子に座っては準備を整える。準備万端。でもヤル気がまったく起きない。頭の後ろに手を組んで考えることは彼女のこと。

 

「内海のおかげで探す気はメラメラと湧いてきた。しかし手掛かりは欠片もねーよな」

 

 どうしたものかと悩むオレの目に入ってきたのは、今日返し忘れた東城の数学ノート。

 

 いちごパンツの彼女と出会った場所で拾ったノートだ。もしかするとこのノートを拾ったということは、なにか重要なことなのかもしれない。彼女に繋がる可能性だってあるかもしれない。

 

「でも見られたくないって言ってたよな。もし好きな人のことでも書いてたら悪いけど…………」

 

 絶対に見ないで欲しいと言われた手前、中を見るのは確かに気まずい。でもこのノートこそが唯一の手掛かりとなるかもしれない。だったらノートの中を見ないわけにはいかないよな。

 

「今度なんか奢るから許せ東城! 変なこと書いててもすぐに忘れるから!」

 

 ゴメンと顔の前で手を合わせてから、オレは勢い良く東城の数学ノートを開く。

 

 なにか手掛かりになることでもあれば、と思っては目で文字を追う。数学ノートなのに数字でも記号でもなく、オレはひたすら時間を忘れては規則正しく書き連ねられた文字を読み更けた。

 

「これは…………」

 

 東城が屋上に忘れていった数学ノート。その中には一つの物語が描かれていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌朝のオレの頭の中には、いちごパンツの彼女のことさえも一旦完全に抜け落ちていた。

 

 いつものように内海を呼びに家へ行くことも忘れ、東城のノートを手に持ち一人で教室へと向かう。そしてドアを開き、友達と話をしている東城を見つけるとオレの胸は高鳴った。

 

「あ、真中くん。今日は数学のノート…………」

 

 胸の高鳴りをそのままに話す途中の東城の手を握ると、そのまま何も言わず走った。

 

 どこへ向かうかということは決めていなかった。二人っきりで秘密の話をするなら人が少ない場所。そんな考えが過ぎれば向かう先は一つ。この時間ならまず人が居なさそうな屋上だ。

 

 廊下ですれ違うみんなが朝っぱらから息を切らして走るオレと東城を何事かと見ていたが、ぜんぜん気にならなかった。そして屋上に着くと、そこに他の人の姿がないことに安堵する。

 

「ねえ真中くん。なんで屋上に来たの?」

「東城!!」

 

 オレと東城の他には誰もいない屋上で、オレは感じたままの言葉を素直に口にした。

 

「驚いた! お前って凄いんだな!」

「……………………??」

 

 グッと高鳴るオレとは反対に、東城はなんのことかさっぱりわかっていない様子。

 

 真顔のまま首を僅かに傾げる東城。ああ、そりゃそうか。まずはノートを読んだことを伝えなきゃ話は始まらないよな。そう思ったオレはノートを東城へと差し出して口を開く。

 

「うん。だからこのノート読んだんだよ」

「え! やっやっやだ! だっだっだって見ないって約束したのに……!」

「オレ昨日、夢中で読んじゃったよ東城が書いた小説! ホント感動した。スゲー才能あるよ!」

 

 思わず東城の肩を掴んでは興奮気味に話す。東城にこんな才能があるなんて知らなかった。

 

「まだ続きあるんだろ? 決着ついてないもんな。なあ、あのあと小説の主人公と石の巨人は何処に向かうんだ? こっそり教えてくれよ。それともまだ話の続き考えてねーの?」

 

 ワクワクしているオレとは対照的に東城の顔色はなんだか優れていない様子。

 

 血の気が引いた青い顔というかなんというか。への字に曲がった眉がなんとも自信なさげに見える。どうしてだろう、と思っていると東城がオレの手を振り解いてはノートを掴んだ。

 

 そしてオレに背を向けたまま数歩ばかり後ろに下がると立ち止まる。東城は大事そうにノートを胸に抱えたまま黙っていた。左右に結んだ三つ編みの間からうなじのラインが見える。

 

「わ、笑わないの? 夢ばっかり見てって」

「え?」

「あ、ありがちな話なのよ。文章だって幼稚だし……。勉強の合間に思い付いたことを、ただ適当に書きなぐっただけ…………」

 

 俯いた東城は蚊の鳴くような小さな声で「誰にも見せるつもりはなかったの」と続けた。

 

「単なる自己満足よ。受験勉強からの逃避にすぎないわ。恥ずかしい。こんなの────」

「そんなこと言うなよ。夢を恥ずかしいだなんて否定するなんて、そんなの絶対間違ってるぜ」

 

 東城のノートに書かれていた小説は、オレの心を一瞬で奪い去った。

 

 ただの一行たりとも興味を失うことはなかった。オレは夜通し何度も何度も夢中になって読み進めた。文字を読んでいると自然に映像が頭の中に見えてくるような錯覚にも襲われた。

 

「東城は小説家になりたくねーのかよ。そんなに面白い話を思い付くのにもったいねーよ」

 

 そしてオレは頭に浮かび上がる映像を、レンズ越しに見る自分自身を想像した。

 

「夢って言ったら笑われるって。叶わなかったらかっこ悪いって。そう思って友達とかにも今まで言ったことぜんぜんなかったけど東城には言う。オレは将来、映画を作る人になりたいんだ」

 

 オレは東城の小説に自分の夢を重ね合わせた。そしてその興奮を余すことなく伝える。

 

 伝説の魔法使いが砂漠から巨人を誕生させるシーン。このシーンはそうだな。巨人の雄大さを伝えるために、最初はカメラを下から上に回して撮るのがいいんじゃないかと。

 

 そして最後は真上から全体を撮るのがいい。周りを飛んでいる翼竜の視点でかっこ良く。

 

 オレの言葉が東城にどれだけ伝わったのかはわからなかった。それでも東城は最後まで微笑んでオレの話を聞いてくれた。オレは言葉を通して広い空いっぱいに映像を映し上げる。きっと東城にも同じ映像が見えているはずだ。可能性に満ちた東城の小説にオレはワクワクが止まらない。

 

「な? 見えるだろ東城」

「うん。私にも見える気がするよ……」

 

 東城との話は楽しかった。楽しかったからこそオレには一つ残念に思うことがあった。

 

 オレも屋上には時々夕日を見に来ていたけど、東城は風の弱い昼休みを選んでは日向ぼっこをしながら小説を書いていたようだ。このすれ違いが惜しいと思う。なんたって────。

 

「でもホント残念だな。もっと前にノートを落としてくれたらよかったに」

「?? なんで?」

「だってさぁ。そしたらもっと早くに、こういう楽しい話を東城とできていたってことだろ?」

 

 そう言ったら東城の顔が赤くなった。別にオレ変なことは言ってないよな。

 

「ま、真中くんはいくつか作品作ってるの?」

「うんにゃ全然。っていうかビデオカメラすら持ってねー。高校合格したら買ってくれって親に交渉してるけど、どうなることやら…………」

 

 親がビデオカメラを買ってくれるかってこともあるけど、もう一つ心配事がある。

 

 ずばり受験に合格するかどうかだ。オレが泉坂高校なんてレベルの高い高校を選んだのには理由があった。なんも理由がなければ、そりゃ家から近くて受かりやすい高校を選ぶ。

 

「東城って桜海学園を受けるんだよな?」

「そうだよ。真中くんは泉坂高校だよね?」

「そーそー。泉坂高校を受けるのには実は理由があってな。泉坂って映像研究部があるんだよ」

 

 オレが無謀にも泉坂高校を受験する理由は映像研究部があるからだ。

 

 将来のことを考えるなら、やっぱり早いうちから学んでおきたい。それだけ決心しているならもっと勉強を頑張れって話だけど、それとこれとは話が別だ。勉強って中々やる気がなあ。

 

「東城もよかったら泉坂高校にって言いたいところだけど、それじゃランク下げちゃうか」

「そ、そんなことないよ。どの高校に進んだとしても、結局は本人の頑張り次第で…………」

「あーくそ。あの小説の続きもう読めないのかな。主人公の恋の行方だって気になるんだよな」

 

 小説の主人公を巡る恋の三角関係。

 

 主人公と同じ目的を持ちながらも織物工場で働く娘と、美しさでは誰もかなわない王国のお姫様。主人公がどっちを選ぶかっていうのは、割と気になる部分ではあったけど────。

 

「ま、オレ恋愛物の映画ほとんど観ないから想像つかねーや。ああ、恋愛で思い出した。東城ってけっこう頻繁に屋上に来るんだよな? ならついでにあのことも東城に相談しようかな」

「あのこと? 真中くん、何の話??」

「実は昨日…………じゃなかった。一昨日の放課後にこの場所でさ──────」

 

 ひょっとすると屋上に通っている東城なら、彼女のことを知っているかもしれない。

 

 そう思ったオレは一昨日の放課後にあった出来事を東城に話した。小説を読んだことでテンションが上がりに上がってたこともあり、彼女の魅力を盛りに盛って話した。

 

「宝石のような瞳! 珠のように美しくきめ細かな肌! まさに天使そのものだったな!」

「へ、へぇ……。そ、そうなんだ…………」

「超美人だった。こういうのって小説だとなんて表現するんだろ? 傾国の美女ってやつ?」

 

 話せば話すほど東城の顔は熟れたトマトのように真っ赤に染まっていった。

 

 頭から煙が出ているように見えるのは外の温度が低いせいか。オレは予鈴のチャイムが鳴り響く直前までいちごパンツの彼女の魅力を余すことなく、東城へと伝えきった。

 

「そうだったんだ……。あの時の人は真中くんだったんだ。私、眼鏡外してたから…………」

「え? なんだって?」

「なんでも。なんでもないよ。一度に色んなことがありすぎて顔から火が出ちゃいそう……」

 

 話し終えたオレに残ったのは高い満足感。

 

 東城が彼女と知り合いの場合も考えて、運命の人だとか一目惚れしたってことは言わなかった。でもそれ以外のことはメガ盛りに盛って話した。もうちょっと盛っても良かったかな。

 

「で、東城は心当たりない? どういうわけだか誰に聞いても手掛かりが得られなくてさ」

「わ、私? 私に聞かれてもホントに超困るっていうか、なんていうか…………」

 

 やっぱり東城も心当たりがないか。本当にいちごパンツの彼女は謎に包まれているな。

 

 だけど簡単には諦めないと決めたんだ。今日がダメでも明日。明日がダメでも明後日と根気強く探せばいつか辿り着けるかもしれないし。まあ、当面は気楽に探すことにしようと思う。

 

 やがて予鈴のチャイムが鳴った。本鈴のチャイムが鳴るまでの5分以内に教室へ戻らないといけない。屋上から教室までは歩いて5分ぐらいかな。小走りすればまず間に合うだろうけど。

 

「そろそろ戻ろうぜ東城」

「そうだね。最後に一つ聞いてもいい?」

「いいよ。走ればまだまだ余裕で間に合うし」

「私が聞くのも変だけど……ま、真中くんは屋上で出会った人と、もし再会したらどうするの?」

 

 モジモジとした東城に問い掛けに、オレは足を止めてちょっとばかり考えた。

 

 運命の人と感じたのも一目惚れしたのも事実。でもそれと同じぐらい、あの綺麗な姿をレンズに収めたいという気持ちも湧き上がった。邪な考えが無いかと聞かれると否定もできない。

 

 オレは彼女に一目惚れしたのか。それとも夕日に映える彼女の姿に一目惚れをしたのか。人としての彼女が好きなのか。映像に映る女優としての彼女が好きなのか。そんな小難しいことが頭を過ぎるも答えは至極簡単だった。

 

 きっと両方だろう。だから彼女と再会したらどうするかなんてことは、再会してみないとわからない。アタックを仕掛けるなだんて力強く息巻いていても、彼女を前にすると緊張してなにも話せないかもしれないし。ただそんな中でも一つだけ確かなことがあった。それは────。

 

「ぶっちゃけ再会するまでわかんねーけど、オレは絶対すっげーワクワクしてるだろうな!」

 

 その言葉に東城は顔を赤らめながらも小さく微笑むと、ジッと覗き込むようにオレを見た。

 

 なにかを伝えるような瞳。でも残念。オレはアイコンタクトを理解できるほど頭が良くはなかった。いや、アイコンタクトは経験なのかな。どっちにしてもわからないし聞く時間もない。

 

「オレが将来メガホンを握る時は、東城に脚本を書いてもらうとしようかな!」

「そ、そんなの私には絶対…………って! 真中くん時間時間! 始業時間に間に合わないよ!」

「あ、ホントだ。そんじゃ急ぐか!!」

 

 教室へと向かう足取りが弾む。それは昨日よりも一段軽快であった。

 

 結局この日もいちごパンツの美少女に関する情報は得られなかったけど、昨日とは違って気が滅入ることはない。確証はないけどそう遠くない未来、彼女に会えるような予感がした。

 

 



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第十話

 

 真中が西野に間違って告白しなかったら、というIFの展開を想像したことは何度かあった。

 

 朝っぱらから華麗なランナウェイを決め込み、屋上で夢について語り合った真中と東城。東城は自分の才能を褒めてくれ、そして夢を追いかける真中の直向きさに好意を寄せた。

 

 それでも永く想いを打ち明けられなかったのは、真中がいちごパンツの美少女を西野と勘違いして東城に「告白するならどんな方法がいいと思う?」と聞いてしまったせいだろう。

 

 好意を寄せた相手が他の人に告白する。ましてや告白が成功してしまうとあっては自分の気持ちを打ち明けるのは難しい。そうして真中を巡る三角関係が出来上がるというのが原作の展開。

 

 真中も真中で告白相手を間違えたとすぐに気付くも告白が成功したこと。その相手の西野が可愛いから結果オーライと受け入れた節がある。大筋だけ話すと真中がいい加減で悪い男のようだけど、学校のアイドルと付き合うことが叶ってしまえば、結果オーライと捉えるのも仕方ない。

 

 まあ、これは原作での展開。真中がいちごパンツの美少女を西野と勘違いしていないIFの展開となったこの世界では、屋上でのやり取りも原作とはまた違ったものになったはずだ。

 

 野次馬根性で屋上まで覗きに行こうかとも考えもしたけど、流石にちょっと自重した。良い雰囲気の場面で見つかるなんて大ポカは避けたいし。そんなわけで目で見に行かない代わりにオレは耳で聞くことにした。その日の長い昼の休み時間になると、昼飯も早々に真中へ声をかける。

 

「で、どうだったんだ?」

「ど、どうって別に大したことねーけど?」

「そんな冷たいことを言うのか。朝、お前に置いてかれてオレは遅刻しそうになったのに……」

 

 屋上へ覗きに行かないことを事前に決めていたオレは、あえて今日はギリギリに登校した。

 

「体調でも崩したのかって心配したのに…………」

「え? いや、まあ……それは悪かった。ってか内海。お前ってそんな優しかったっけ?」

「ああ、すぐそんな冷たいことを言う。別にいいさ。オレなんてどうせパッとしない脇役だし」

 

 今日は真中が呼びに来ないだろうと知ってはいたが、いつも通りの時間に家を出なかった。

 

 だから厳密には真中と東城のランナウェイシーンは見ていないが、それはクラスメイトに聞いた。屋上から駆け足で教室に戻ってくる二人とオレの登校時間は、ほぼ同時刻だったかな。

 

 真中を待っていて遅刻しそうになったアピールをすることで、屋上でのやり取りを聞き出そうとする。なんともセコい話だが、せっかくのイベントを秘密にされたらつまらない。流石にノートの内容とか夢のことなんかは話してくれないだろうけど、ちょっとしたことでも聞けたらいい。

 

 そんなオレの目論見が功を奏したか。それとも端から話してくれる気があったのか。真中は意外とあっさり話してくれた。待ってましたとばかりにオレは、すぐに傾聴の構えをとる。

 

「まあ、内海になら話してもいいけど、これはオレだけの話じゃないから詳しくは……」

「勿論、話せる箇所だけでいい」

「んじゃマズいとこは端折って話すな。とある事情から東城と話したくなったオレは────」

 

 真中の話は端折り過ぎていて、原作を知らないと到底理解できる内容ではなかった。

 

 でも原作を知っていれば脳内補完ができるので全容を理解するのは容易かった。大筋は原作通りの話。ひょっとしたら東城が正体を明かすんじゃ、なんて思いもしていたがなかったらしい。

 

 それは東城が内気であるということもあるが、真中が少々やらかしてしまった嫌いがある。本人の目の前で美人美人と大絶賛されたら「実は私が……」とは中々言い出せないだろう。

 

「うーん。三歩進んで二歩下がるか。真中らしいっちゃ真中らしいのかな」

「よくわかんねーけど前進してんじゃん!」

「ああ、そうだな。大きな一歩だと思う。以後は転ばないように気をつけりゃ問題なさそうだ」

 

 ともあれ真中は明確に東城ルートを進みそうだ。障害となりそうなことも見当たらない。

 

 鍵となるのは東城がいつ正体を真中に打ち明けるか。中学編で打ち明けたら二人は結ばれるだろう。高校編まで黙ったままだとしたら、今は他校の中学に通うヒロイン勢の参戦もあるかも。

 

 こればっかりは当人達の問題なので知らない。オレは恣意的に動かず、自然な成り行きを見届けると決めたのだから、ごちゃごちゃと口出しはしないつもりだ。まあ、成るように成るだろう。

 

「浮かれるのもいいけど真中。まずは勉強を頑張れよ。受験に失敗したら流石に笑えないぞ」

「おう! 今日も放課後に勉強会しようぜ!!」

 

 真中が西野に間違って告白しなかったら、というIFの展開を想像したことは何度かあった。

 

 元の世界で漫画として原作を読んでいた時も想像したし、この世界へやって来てから想像したこともあった。いちご100%という物語が始まる最初期の大きな分岐点となるIF。

 

 その想像を膨らませると大抵いつも東城が勝つだろうという結論に至った。順当に進めば最初から真中と相思相愛である東城が盤石だ。後々に波乱があれば他のヒロインにも可能性がでる。

 

 四大ヒロインの北大路に南戸。それと外村妹あたりは意外と大穴かもしれない。オレの予想が良い線いっているのかは、物語が進んでいけば自ずとわかるはずだ。真中を巡る関係が縺れるのであれば、それは高校編になってからだろう。

 

 つまりオレは真中が西野に間違って告白しなかったら、西野の出番はやってこないと考えていた。このまま西野は真中と付き合うことなく中学を卒業しては、名門女子校の桜海学園に進学する。主要キャラ達と進む学校が違い、真中との関係性も薄いのであれば出番は限りなく無い。

 

「…………ま、こればっかりは仕方ないよな」

 

 そのことを残念に思う気持ちは強いが、仕方がないこととして割り切る他にないだろう。

 

 何もかもを思い通りにコントロールすることなんて不可能だ。人と人の出会いの数だけ別れは必ずやって来る。違いがあるとすれば、出会いから別れまでの年月に個人差があるということ。

 

 なにも西野に限った話じゃない。多くのクラスメイトは卒業すれば疎遠になってしまうはずだ。それでも感傷的にならないのは、別れを補うほどの新しい出会いが広がっているからだろう。

 

 若さとは決して立ち止まらず、後ろを振り返らないもの。誰の言葉かは忘れたが、なんとも煌びやかで眩い言葉だ。そして思ってしまう。オレはこの見た目ほど若くはないだろうと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから一週間が経った。変わったことは勉強会の頻度が劇的に増えたこと。

 

 毎日のように放課後、教室に残ってはオレと真中と東城の三人で机を合わせて二時間ばかり行っている。真中が東城に問題の解き方や文章の効率的な読み取り方などを教えてもらっている。

 

 真中は東城から受けた教えをきちんと理解し、自宅に帰ってからも一人で勉強しては新しく引っ掛かった問題などを、また翌日の放課後に教えてもらうルーティーンが出来上がりつつある。

 

 至って健全な勉強会だ。まあ、それは普通に良い事なんだが、一つ気になることがある。どうしてオレはこの場にいるんだろう。ぶっちゃけた話、オレがこの場にいる必要はぜんぜんない。

 

 と言うのも真中に教えているのは東城で、オレはボケーッと本を読みながら二人の会話を耳で聞く作業しかしていない。それは二人掛かりで真中に教えるよりも、東城一人で教えた方が能率的じゃないかと見ていて感じたからだ。

 

 単純な頭の良し悪しではオレが一番良い。東城は才媛だが中学3年生の段階ではまだ負けない。だが人に教える能力では東城の方が遥かに優れている。優れている上に東城は多分、真中に教えることを想定して自宅でも勉強に励んでいるはずだ。そんな健気さが二人の会話から感じ取れた。

 

 オレは地蔵のように席に座っては本を読む。今は麻雀の何切る問題集を読み耽る有様だ。牌効率等の確率理論は嫌いじゃないが好きでもない。麻雀は結局ツモる気合いが大事だと思う。

 

 そんなこんなでオレは居合わせるに相応しくないが、だからといって帰るわけにもいかなかった。適当な用事を作っては二人に気を利かせようともしたが、その度に東城が「帰らないでほしい」と目で訴えかけてくる。真中の気持ちを知っているから二人っきりは恥ずかしいのかな。

 

「お、メールか……」

 

 二人っきりの方が小説の話とか出来ると思うのだけど、女心ってのは難しいものだ。

 

 あるいは二人っきりで下校するのが恥ずかしいのかな。その辺の機微はわからないが、どうせ帰っても暇だし居ても構わない。目の前で盛大にイチャイチャを始められたら考えるけど。

 

「お、またメールか。返信早……」

 

 教え上手な東城の手解きを受け、真中の学力は徐々にではあるが伸びてきている。

 

 そして学力の伸びと同じように真中と東城の仲も徐々に近づいているように感じる。どこかでこっそり逢い引きでもしてるのかな。オレも四六時中、真中と一緒にいるわけでもないし。

 

「内海。携帯が先生にバレたら没収されるぞ」

「ああ、気をつける。麻雀本に隠して巧みに操作すれば影になって大丈夫なはずだ」

「う、内海くん。麻雀本もバレたら没収されるんじゃない? 余計に危ない気がするけど……」

 

 下を向いてカチカチと携帯をイジるオレに真中と東城から忠告が入る。

 

 この時代の携帯は非常に操作し辛い。それもそのはず2017年には半ば化石認定されているガラケーが主流の時代だ。中々慣れない。無意識に操作しようとすると画面を触ってしまう。

 

 まあ、ちょっとレトロで面白いっちゃ面白い。携帯の本体にアンテナが付いているのを見た時は懐かしくて噴き出しそうにもなった。昔の携帯は通話中の声が聴き取り辛いなんてことがよくあって、その度にアンテナを立てては電波の良い方角を探したりしたものだ。

 

「で、内海。さっきから誰とメールしてんの?」

「西野」

「あーあー。絶対そうだと思ったよ。いいなぁ。携帯持ってれば場所なんて関係ないもんなぁ」

 

 携帯をまだ持っていない真中から、毎度毎度のことながら妬みの言葉が入る。

 

 オレはそれを華麗にスル―しながらガラケーと格闘。メールのやり取りも地味に懐かしい。スマホが普及すればラインが流行して、メールなんて迷惑メールや広告ぐらいしか来なくなるし。

 

「内海くんってマメなんだね。ちょっぴり意外」

「そうか?」

「うん。気を悪くしたら謝るけど、あんまり頻繁に携帯を触ってそうなタイプに見えなくて」

「西野がメール好きでな。放置したり返信するの忘れたら、翌日なんか理不尽に怒られてさ……」

 

 東城に返事をしながら、オレは西野とアドレスの交換をした時のことを思い返す。

 

 なんてことない放課後の帰り道にパパッと交換してからというもの、ずっとメールのやり取りをしている。話す内容なんてすぐに無くなりそうなものだけど、案外というか続くものだ。

 

 夜遅くになると西野が寝落ちして、朝になると昨晩の返事と共に「おはよう」とくる。これもなんだか一種のルーティーンになりつつあるが、確かに学生時代のメールのやり取りなんてこんな感じだった気がするな。これも懐かしい。

 

「高速で返信するのには理由があってな」

「理由?」

「そう、理由。メール好きな西野にも勉強する時間というものが存在するらしくてさ」

「西野さんも受験生だもんね」

「あんま勉強してなさそうだけどな。それで勉強する時間には携帯をイジらない代わりに、していない時間は早く返信しろってさ。オレ基準の早くは、西野基準では亀のように遅いらしいんだ」

 

 だからオレ基準の高速返信、と言うと東城が小さく笑った。

 

 しかし西野とはいつまでメールのやり取りをするんだろう。お互い高校に進学すれば自然消滅してしまうのかな。それともメール程度なら今後も継続的に続いていくのだろうか。

 

 少し考え込んでいると、東城がまだこっちを見ていることに気づく。話は一区切りついたが、もしかして続きが聞きたいのかな。場の空気が勉強からお喋りの流れに変わった気がする。

 

「でもアレかな。西野って案外、口煩くてさ」

「なになに? そういう話って凄く興味あるな」

「別に面白い話じゃないぞ。休みの日に昼まで寝るのはおかしいとか。カップ麺は一週間に一食にするべきとか。世話焼きなのかもしれんが、オレに餓死しろって言いたいのかと思うね」

 

 やっぱり東城は続きが聞きたかったようで、オレの話に喜々として相槌を打ってくれた。

 

 これといって人に話すような内容でもなかったが、二人の屋上での話を聞いていたこともあったので、あれこれ思い出しながら色々と話した。メールの話が尽きれば学校生活のことも話した。

 

 最近だと寝惚けていた時にネクタイを締めてもらい、それが意外と上手くて後で驚いたこと。星座も教えてないのにオレの星の巡りが悪いとか言われ、良くするためには金髪の女に優しくするべきというエセ占いをされたこと。

 

 その他諸々の他愛のない話をしていると、東城はなぜか瞳を輝かせて聞いてくれた。それとは対照的に真中は勉強道具が並ぶ机に頬杖をついたまま、いくらか呆れるような口調でこう言った。

 

「でも東城さー。これで内海と西野は付き合ってないらしいんだぜ。怪しいと思わねえ?」

「えっ? ええっ??」

「まーたその話か。真中もほんと好きだよな。そんなに疑うなら西野に直接聞けばいいじゃん」

 

 もう何度目かもわからない話題だ。東城が驚いているのも無理はないだろう。

 

「なんか話をする時の距離感とか近すぎるし」

「それはオレもちょっと思ったけど、男に慣れてる女子ってそんなもんよ」

「それに携帯の番号教えてもらった時に『家族以外には教えてない』って言われたんだろ?」

「確かに言われたけど、誰彼構わず教えると色々面倒なことになるんだろ。西野は人気あるし」

 

 これも何度目かもわからない舌戦だ。

 

 オレは恋愛事に関して決して鋭い方ではないが、だからといって極端に鈍い方でもない。

 

 確かに一見すると真中の言う通り、オレと西野は良い関係のように見えるかもしれない。そしてオレも相手が西野じゃなかったら、そんな風に考えていたかもしれないと思う。

 

 だが相手は西野だ。原作でも初期の西野はその美貌と飾らない天真爛漫な振る舞いから、多くの男共を虜にしてきた。人を強く惹きつける魅力に満ちていることは傍にいると良くわかる。

 

 それでも西野のちょっとした振る舞いに心を奪われ「気があるんじゃないか」なんて考えるようじゃ話にならない。そんな風に思っている連中は、この学校にも巨万といることだろう。だから周囲には鈍いと思われるぐらいで相手をしておかないと、後々に恥をかくのは目に見えている。

 

「東城からも真中に言ってやってくれよ。恋愛脳もほどほどにしとかないとって…………ん?」

 

 中立な立場である東城に助け船を求めようとするも、なんだか少し様子がおかしい。

 

 驚いた様子だった東城はオレに話を振られると、困ったような顔で取って付けた感のある笑みを浮かべた。その東城の笑みはなぜか、真中に対して肯定の意思を表しているように感じた。

 

「…………んん? 東城さん?」

「ほら見ろよ内海。これで2対1だぜ。内海は鈍いんだよ。ぜんぜん女心をわかってねー」

 

 お前もわかんねーだろ、と真中につっこみを入れたい。真中の目も大概節穴じゃないかと。

 

 しかし東城まで真中の味方につくと流石に気になる。まあ、東城の笑みが「真中くん馬鹿だね」という意味である可能性もあるが、遺憾ながらオレも真中の言葉に同調しているように感じた。

 

「2対1だろうが100対1だろうが違うもんは違うぞ。多数決で決まることでもないし」

「付き合ってないにせよ脈はあるだろ」

「どこ情報だよ。そんな話は聞いたことないし。真中、オレを罠に嵌めようとしてないか?」

 

 やれやれとばかりに真中が首を振った。

 

「東城もそう思うのか?」

「私は西野さんと面識ないからはっきり言い切れないけど、流石にちょっと…………ね?」

「そんな婉曲的に言われてもな…………」

 

 真中じゃ話にならんとばかりに東城に尋ねるも、曖昧な返答しか返ってはこなかった。

 

 普段のオレならここで考えることを諦めていた。今は長々とお喋りする時間でもないし、どうせ話は平行線で終わるだろうと。極論だが西野の気持ちは西野本人にしかわかりっこない話だ。

 

 そんな風に思ってきっと考えることを諦めていたはずだ。だが今回は────。

 

「…………まあ、二人がそういうのなら、明日は普段より気を配って西野に接してみようかな?」

 

 真中と東城の話に乗っかってみることにした。

 

「おお! そうしろそうしろ!」

「うん! きっとそれがいいよ!」

「お、おう。なんか二人共ノリノリだし、良かったらアドバイザーでもやってくれるか?」

 

 高校でも関係が続く真中と東城とは違い、西野は中学を卒業したら縁が切れるかもしれない。

 

 それを仕方がないこととして割り切ろうとする気持ちと同じぐらい、物悲しい気持ちもあった。きっとそんな気持ちの現れから、オレは二人の言葉を聞き入れて行動に移したんだと思う。

 

 さて、明日はどうしようか。茜色の空に想いを馳せながら、オレは西野のことを考えた。

 

 



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第十一話

 

 古くは『唐人お吉』の例にもあるように、勘違いというのは碌な結果にならないことが多い。

 

 勘違いが単なる思い違いをしていたという話ならば笑って流せるが、勘違いが誤解を招いてしまうと面倒だ。往々にして恋愛事においての勘違いは誤解を招くことが多い気がする。

 

 典型的なのは思わせぶりな態度からの勘違い。後は痴情の縺れなども、そういった要素が含まれていることが多い。まあ、よく耳にする話だ。ドロドロの昼ドラでは定番の流れでもある。

 

 男女の交情というのは難しい。その難しさこそが醍醐味だという人もいるだろうが、オレはできることなら簡単であってほしいと思うタイプだ。好きなら好きとハッキリ言ってくれたほうが嬉しいし、その逆に嫌いなら嫌いとハッキリ言われたほうが切り替えるのが楽でいい。

 

「────と、まあ基本はそんな感じ」

「うん。なんていうか男の子らしい意見だね」

「まーな。だからもし仮に西野が脈ありなら、それっぽいサインを出してほしいと思うかな」

 

 勉強会での発言からの流れを汲んだ翌日。

 

 珍しく朝の早い時間から学校にやって来てはアドバイザーの東城と作戦会議をする。

 

 女子のことは女子に聞くのが手っ取り早いとばかりにアドバイスを求める。それは男なら見落としかねないポイントも、女子なら見逃さないだろうという根拠のない予想からだった。

 

「内海くんが思う脈ありサインって?」

「好きって言われたら流石に気づくわな」

「うん。そんな確定クラスじゃなくて、もっとこう、さり気ないサインってあるじゃない?」

 

 さり気ないサインと言われても難しい。さり気ないんだから中々気づかないんじゃないのか。

 

「なんだろう……。弁当を作ってきてくれて、白米の上にハート型のそぼろがあるとか?」

「うん……うん…………?」

「まあ、でもアレか。茶色のハートってなんか違うよな。ピンク色にするなら鮭の身かな?」

「色合いの話じゃ…………。ほ、他にはない?」

 

 なんだろうと頭を悩ませる。やっぱり行動で示してくれないとピンとこないように思う。

 

 オレの基準が元の世界の年齢であった20代の基準になっている。みんな好い年ということもあってか、知り合って少しでも興味を惹かれたらすぐ付き合うなんてことも珍しくなかった。

 

 それか『今は相手がいないから』とか『嫌いじゃないから』みたいな理由で付き合う人もけっこういた。それは年齢というか人によるのかもしれないが、基本的に学生時代と比べれば速い。何年も甘酸っぱく片想いなんてしていたら30代の足音が迫ってくるなんてことになるし。

 

「不意に頬にキスしてくるとか?」

「帰国子女じゃないんだから流石に……」

「なら下ネタが通じるとかはどうだ?」

「それは…………意外と否定できないかも」

 

 だからオレは中学生の脈あり基準なんて言われても的確なことがわからなかった。

 

 わからないと言うか忘れてしまっていると言うか。中学生の頃はどうだっただろうなんて思い返してみるも思い出せない。もう10年も昔の話になるんだから仕方ないっちゃ仕方ないが。

 

 変に勘違いをしてしまうのは避けたいところだが、今日は東城というアドバイザーがいるので頼ってみようと思う。事前にそれらしいサインや仕草を知っておけば、きっと役に立つだろう。

 

「お察しの通り色恋事云々に関してオレはボンクラだ。そんなわけで東城。アドバイスを頼む」

「うん。私もアドバイスをできるような経験なんてないけど、内海くん一人じゃダメそうだしね」

 

 そう言ってにっこり微笑む東城。柔らかい表情とは裏腹に言葉に少し棘があるような。

 

「ほとんど本や人伝から見聞きした知識の受け売りになると思うけど、一般的には────」

「ふむ。ふむふむふむ…………」

 

 東城の言葉に耳を傾ける。やっぱりというか女心ってのは男にはわからないものだ。

 

 視線が合うことや笑顔が多い。かと思えば目が合うと思わず逸らしてしまう。話をする距離が近かったりプライベートなことを聞いてくる場合なんかは相手に興味があるサイン。

 

 用事もないのに話しかけてきたり、意見や好みを相手に合わすといった同調行動をとること。行ってみたい場所の話なんかをされた場合は、そこへ誘って欲しいというサインの可能性が高い。後は相手と同じ持ち物を揃えたくなったりするのも、そういう気持ちの表れとのこと。

 

 それでいて性格の違いによってサインは変化し、必ずしも当てはまるとは限らないという難解さ。本当に女心ってのは複雑怪奇だ。これでは勘違いしてしまう野郎共が増えるのも無理はない。

 

「わかったような。わからんような……?」

「傍から見る分にはわかりやすいんだけどね」

「うーん。まあ、今日は東城のアドバイスを念頭に置いて西野と接してみるか。ありがとう」

 

 ともあれ情報も揃ったことなので、時間を見つけては西野に声をかけてみようと思う。

 

 授業の間の短い休み時間に他クラスまで行って話をするのは困難だ。長く時間が取れるのは昼休みか放課後。放課後は用事があるかもしれないし、定番ではあるけど昼休みが都合いいかな。

 

 そんなことを考えながら午前の授業を受ける。そういえば真中のヤツも『とっておきの秘策がある』とか昨日デカいことを言っていたけど期待していいのかな。若干不安ではあるけれど。

 

 いや、真中は締めるべき部分はビシッと締める頼りになる男だ。きっとオレなんかでは思いもつかない妙案を秘めていることだろう。雲を掴むような漠然とした難題であっても瞬く間に答えを導いてくれるに違いない。よし、期待しよう。

 

 そう思ってオレは真中の方を見ると、机の下でコソコソとなにかを読んでいることに気づく。エロ本でも読んでるのかなと考えていると真中の背後に音もなく先生が近づく。そして────。

 

「授業中に何やってんだ真中! 何だこの雑誌は『女にモテる50のコツ?』アホかお前!!」

「ち、違うんです先生! それは心理学の勉強にと思ってですね…………っ」

 

 先生に読んでいた雑誌を取り上げられ、その場でタイトルを読み上げられる真中。

 

 真中の苦しい言い訳むなしくクラス中が大爆笑に包まれる。先生に雑誌を取り上げられ、残りの授業中ずっと正座をさせられた真中を見ながら『やっぱりダメかもしれん』とオレは呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 昼休みになると足の痺れが抜けきらない真中を置いては西野のいる2組へと向かう。

 

 自分のクラスである4組から廊下に出るとひんやりとした空気が肌にぶつかった。空気の入れ替えのためか、開けっ放しにされている窓から入る外気は冬らしい冷たさを含んでいる。

 

 その冷たさに少し気が引き締まった。そして2組に着くと躊躇うことなく扉を開ける。締め切っていた教室の中へ入ると弁当の匂いとお菓子の匂いが混じったなんとも独特の香りがした。

 

「西野。ちょっと来てくれるか?」

 

 他クラスというのはアウェイなもので、中に入ると多方面から同時に視線を感じる。

 

 クラスが違うのでこればっかりは仕方ない。だがジロジロ見られるのは好きじゃないので最短で用件を済まそうとする。真中みたいに洒落たことはできないので普通に声をかけてみた。

 

 教室を見渡すと西野は友達とお喋りをしていた。出直そうかとも思ったが、お喋りをしていた友達が気前良く西野の背中をポンと押して送り出してくれた。『すまん』とオレはその子に軽く手をあげると『いいよ』とばかりにヒラヒラと手を振ってくれた。きっと良い子なんだろう。

 

「え、なになに? 何か私に用事??」

「用ってほど大したもんじゃないけどな」

「ていうか内海くん。2組に来るの、もしかして初めてじゃない? なんだか嬉しいなぁ」

「そうだったかな。まあ、ここで話すのもなんだし廊下に出て話そうか。ちょっと寒いけど」

 

 そう言ってオレは廊下を指差す。衆目の集まる場所でわざわざ話すようなことでもないし。

 

 そして西野を教室の外へと連れ出す。廊下は凍えるような寒さではないが今の季節、立ち話をするのに適した場所とは言い切れなかった。話をするにあたりオレは近くの窓を全て閉める。

 

 廊下はいくらかひんやりとしていたが西野は文句一つ言わずニコニコとしていた。思えば西野は普段から機嫌が良いのか笑顔なことが多い。東城の話していたサインの一つに当てはまる。

 

「それで話ってなーに?」

「いや、改まると話ってほどのことでもないかも。寒い中わざわざ連れ出して悪いな」

「ふふっ。いいのいいの。キミのことだから思わせぶりなオチの気もしてたしね。大正解っ」

 

 呼び出したのに話はない、と言ったにも関わらず西野は別段、気にしている様子はない。

 

 ほとんどノープランであったオレとしては非常に助かるがどうしてだろう。人が良いと言ってしまえばそれまでだが、なんだか西野はオレに対して妙に優しいというか寛大な気がする。

 

「特に話がないなら私の話を聞いてくれる?」

「いいぞ。願ってもないぐらい」

「内海くんって帰り道でよく缶コーヒー買って飲んでるでしょ? だから私も今朝キミの真似して買ってみたの。でもいざ飲んでみたら超苦くってね。でも残すのはもったいないし────」

 

 西野の話を聞きながらジッと観察してみる。

 

 距離は普段通り近いと思う。今日は意識して視線を合わせているが西野から逸らす様子はない。ジッと見つめるとジッと見つめ返してくる。その翡翠の瞳が宝石のように光輝いている。

 

 距離は近いが目は逸らさない。後はなんだったっけな。話しかけたのはオレからだし、コーヒーを飲んだって話も同調行動と受け取るには浅いか。朝イチのカフェイン摂取は基本中の基本だ。

 

 こうやって見聞きしていると、言行とは解釈の違いによって色々な受け取り方ができることに改めて気づく。都合良く解釈するなら全て当てはまるのかもしれないが、厳しい目で見てみると判断に迷うような部分が多い。

 

 だが確かに気を配って見てみると、少なくとも迷う程度には検討の余地があると思う。なら、どうしてオレは真中と東城に言われるまで気がつかなかったんだろう。鋭いとか鈍いとかいう以前に、なにか決定的に抜け落ちていたことがある気がする。それは一体なんだろうと考える。

 

「しかし難しいもんだ……」

「おーい。私の話聞いてる?」

「聞いてるよ。駅前のカラオケ店が学割効くって話だろ。んなもん100円かそこらの…………」

 

 半分うわの空で聞いていた西野の話に返事をしようとした瞬間、頭に閃光がはしった。

 

「…………ん? いや、待て。これは遠まわしに『カラオケに行こう』って誘われてるのか?」

「──────えっ!?」

「うん。よし、行こうか。それじゃあ何時が都合良い? 学校帰り? それとも休みの日?」

 

 危なくスル―してしまうところだったが、事前にアドバイスを受けていたオレに隙はない。

 

 どうよ、とばかりに西野に渾身のドヤ顔を向ける。西野はまさかのオレの的中に驚いたのか慌てふためいている。難聴系主人公じゃないんだから、誘いを聞き逃すわけないだろうに。

 

「え、ええ、ええぇぇぇぇぇぇ?」

「もしかして違ったか? てっきりカラオケに誘ってくれてるのかと思ったんだけど」

「いや、違わなくはない……ような…………じゃなくて! 普段のキミなら『学割なんて貧乏人じゃないんだから願い下げだ。むしろ値上げしないと行かない』って言うところだよね!?」

「え、普段のオレってそんな嫌味なヤツか?」

 

 金持ちキャラなんて出した覚えないけど。

 

 しかし的中したっぽいのに西野の反応は芳しくない。話の流れでこのまま日にちを決めるのかと思ったが、ここで謎のストップがかかる。廊下の温度が心なしか上がっているような気がする。

 

「どうしよう。ホント予想外…………」

「オレ的にカラオケのチョイスはアリかな」

「ここは普通に誘って────いや、でも少し遅れた感あるし。だったら──────ううん、そんな回りくどいことしたら逆効果かも。ならいっそ──────うん! 決めた決めた!!」

 

 まるでSNSに投稿する文面を熟考するかのように一人でぶつぶつと考え込む西野。

 

 誘ってはみたものの、あんまり気が進まないパターンだろうかと予想していると、考え込んだいた西野が元気の良い言葉と共に視線を起こし、オレをジッと見ては指差してこう言い放った。

 

「キミがどうしてもって言うんだったらね! 私が一緒に行ってあげても! いいよ!!」

 

 普段よりもいくつか高いトーン。声を張り上げたこともあり閑散とした冬の廊下によく響く。

 

 カラオケに誘われたと思って返事をしたつもりが、いつの間にやら立場が一転。なぜかオレが誘う側になっていた。高度なトリックに陥ったかのような、よくわからん錯覚に襲われる。

 

「ええっと、つまりどういうことだ?」

「ああ、もう違うの違うの。ホント違うの。時間を巻き戻してもう一回やり直したい…………」

 

 よくわからんオレは頭に疑問符を浮かべ、西野はその場にうずくまって絶賛取り乱していた。

 

 西野が声を張り上げたせいだろうか。閑散としていた廊下に人が増え始めた。遠巻きに見られているような視線も感じるが、傍から見るとこの状況はどう見えているのか割と気になる。

 

 よくわからん。よくわからん状況だが、おそらく西野は嫌がっていると訳では無さそうだ。そしてオレはカラオケに誘われて行きたいと思った。なら特別余計なことは考えなくてもいいだろう。率直な気持ちをそのまま伝えれば良い。

 

「楽しそうだしカラオケ行こうぜ。西野」

「…………本当にいいの? 私なんかホント、バカみたいなこと言っちゃったけど…………」

「どうしても、行きたい。だから一緒にカラオケ行こうぜ。受験勉強の息抜きにも丁度良いだろ」

 

 ニッと笑っては西野を誘ってみる。

 

 受験勉強の息抜き。ストレス解消。大いにけっこうだ。久々に大声出して歌ってもみたい。

 

 うつむいてトーンが落ちていた西野であったが、熱心に誘うとすぐに元気を取り戻した。西野は元気がある方がずっと輝いている。当たり前のことかもしれないが、そんな風に思った。

 

「…………うん。私も行きたい」

「なら決まりだな。何時が都合良いだろう? 喉のコンディションとも相談しないとな」

「ふふっ。そうだね。内海くんって時々子供っぽいトコもあるけどけど、やっぱり凄く大人なんだって思うな。きっと私はそんなキミに────」

 

 言葉の途中で西野はハッと目を見開いたかと思えば、自分の口を両手で抑えつける。

 

「どうしたんだ?」

「な、なんでもなんでも。なんでもないよ!」

「ならいいけど。しかし今のカラオケ機種はさっぱりわからん。西野はオススメとかある?」

「う、うん。ええっと私のオススメは────」

 

 そこからは昼休みが終わるギリギリまで西野とカラオケトークに花を咲かせた。

 

 カラオケトークに花を咲かせながら、花笑みを浮かべる西野を見る。間違いなく西野はオレが出会った異性の中で一番の美少女。誰にとっても高嶺の花。勿論それはオレにとっても同じだ。

 

 昨日、真中と東城と話をして、なんやかんやとアドバイスを受けたが、どうせ空振りに終わるだろうと内心では思っていた。二人に言われたからやってみるかという程度の話であった。良く言えば高嶺の花。悪く言えば無謀なことだと最初から決めつけていたのかもしれない。

 

 きっとオレが今まで欠片も気づかなかったのはそういうことだと思う。真中を中心とした原作のことばかりを考えていて、自分の回りで起こる出来事に対して碌に気を回してはいなかった。

 

「それじゃあ楽しみにしてるねっ!」

「おう。オレもけっこう楽しみにしてる」

 

 原作を俯瞰的に見ようとするあまり、自分の身近なことを見落とすなんて笑える話だ。

 

 しかし早い段階でそのことに気づけたことは朗報だ。これからは今まで以上に気をつけようと思う。にこやかに手を振って教室へ戻る西野を見ながらそんなことを考えた。だが────。

 

「結局、脈はどうだったのかは…………わからんか。まあ、一先ずはカラオケを楽しむとするか」

 

 真相は結局わからず仕舞いであったが、それでも不思議と気分は悪くなかった。

 

 頭の中で軽やかに流れる名曲を耳で反芻させながら、午後の時間がゆっくりと過ぎて行く。

 

 




いつも感想や誤字報告ありがとうございます。
次話は4人で集まる話の予定。主に西野と東城が中心となるかと思います。


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