On your mark (夜紅)
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逆行した先は

初めて小説を投稿します、夜紅です!
囲碁はあまり打てません、対局シーンは雰囲気で感じてください。
気まぐれ更新


5月5日。今年、進藤ヒカルは30歳を迎えていた。

20歳で最年少の本因坊のタイトルホルダーとなり、その座を守り続けて10年。ヒカルもアキラも三冠である。現在、ヒカルが本因坊、天元、棋聖、アキラが名人、王座、10段のタイトルを所持している。この二人がタイトルを取り合う未来はそう遠くないだろうと言われている。

 

毎年、本因坊になってからこの日の夜はアキラと打っている。使っている碁盤は祖父の蔵に置いてある碁盤だ。蔵の入り口を開けると埃っぽい匂いがする。踏みしめると、ギシッという音がした。

窓の月明りに照らされてその碁盤は姿を現す。

「…塔矢、今日お前に全部話すよ」

 

――お前には、いつか話すかもしれない

思い出されるのは、あの日のヒカルの一言。

 

「本因坊を防衛して10年経ったし、そろそろ話そうかと思って」

「それからずいぶん経つが、何故だ?」

「今日があいつの命日みたいなもんだからさ。聞いてくれるか?」

命日みたいなもの、という単語が引っかかったが、それも今日分かるのだろう。ずっと気になっていたヒカルの秘密。

「もちろんだ。早く聞かせろ」

ヒカルは今にも怒鳴りだしそうなアキラを制する。

「まあそう焦るなよ。お前にしか言わないからな」

焦るなよ、という言葉は震えていて、まるで自分に言い聞かせているようだった。

「今から話すことは現実的じゃない。お前が信じないというなら、それでいい。でも、本当の話だ」

 

ヒカルが話し始めた内容は、アキラにとって衝撃的だった。確かに現実的ではない。でも、今まで感じていた違和感と辻褄が合うのだ。

 

「嘘をつくような真似をして、悪かった。今更謝っても過去は消せない。でも、もし許してもらえるなら、これからもお前とこの道を歩きたいと思っている」

アキラの目を見つめるヒカルの目は不安に揺れている。真実を話すことが、どれだけ勇気のいることだったのだろう。そんなヒカルを、優しく見つめてアキラは言った。

「…言っただろう。ボクはあの日の言葉を取り消すつもりはない。君の打つ碁が、君のすべてだ」

アキラはいつだって嘘をつかない。その嘘のない真っ直ぐさは、優しくヒカルの胸に突き刺さる。

「塔矢。ありがとな。やっぱりお前に話してよかったよ」

笑ったヒカルの頬を、静かに涙が流れる。

「…ボクも、打ち明けてくれて嬉しかった。進藤、今年も打とうか」

「ああ」

アキラがニギり、先番はヒカルになった。

初手はいつもの場所、右上スミ小目を打つはずだった。しかし視界が暗転し――。その手は空を切った。

 

 

目を開けると、自分の部屋だった。今は住んでいない、実家のほうである。あの後、寝てしまったのだろうか。だとしたら、アキラがここまで運んでくれたのだろうか。いずれにしも、対局中に寝てしまった自分に対し、目を吊り上げるアキラが容易に想像できる。とりあえず、身支度を整えようとベッドを降りた。

「あれ?」

目線が低すぎる。それに、声が高い。手を見てみると子どものぷくぷくした手。頭が真っ白になった。

「嘘だ」

姿見に映った自分は、随分と幼かった。頬を抓ってみると、確かに痛みがあった。

「夢じゃない」

 

タイムスリップ、パラレルワールドといった単語が、頭の中にあふれる。6割の混乱と、佐為に会えるかもしれないという4割の期待に、心拍数があがる。とりあえず、今の状況を把握しなければならない。ヒカルは美津子のいるリビングへ向かった。

 

「母さん、おはよう」

「あらヒカル、早いのね。緊張してたの?」

何に緊張するのかは謎だったが、適当に誤魔化す。

「まあね」

記憶よりも随分と若い美津子が朝食の支度をしていた。いきなり今日の日付を聞くのはまずいだろうと、カレンダーに向かう。

「え!?」

前日までに×印がつけてあるカレンダーには、今日の日付に小学校の入学式と書いてあった。

 



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佐為の碁盤

秀英のエピソード追加しました
至らない点が沢山で申し訳ないです



進藤ヒカル30歳。小学一年生。

(ステータスだけ見ると犯罪者っぽい)

そんなことを考えている場合ではないのだが、状況についていけない。しかし、身支度を済ませなければと、洗面所へ向かった。

 

真新しいランドセルを背負い校門をくぐる。今では覚えていない顔もあった。

「新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます」

ありきたりの挨拶。はっきりいって退屈である。その間、ヒカルは今後について考えていた。まずは、佐為に会う。プロにはならない。プロにならない代わりに、ネット碁でsaiとして打ち続ける。外で打つのは、三谷の賭け碁をやめさせるのと、秀英をスランプから抜け出させるときだけにしよう。

 

それはヒカルが22歳の年。八月の日のことだった。来日した秀英とともに秀英の叔父が経営している碁会所に来ていた。北斗杯で再会して以来、二人はプライベートで時々打つ仲になっていた。碁盤を挟んで座る。

「お前と初めて会った日も夏の暑い日だったな」

ヒカルが窓の外を眺めながら言った

「うん。この時期になると、進藤を思い出す」

「オレ?なんで?」

確かに自分の失言がもとで騒ぎを起こしてしまったが、それ以外特に思い当たる節はなかった。

 

「実は、進藤と初めて打った時期はスランプだった。囲碁をやめようと思っていた」

「ええ、お前が?」

ヒカルには信じられなかった。

「うん。それで、息抜きに誘われてここに来ていた。そんな時、進藤と打った。あの時負けた悔しさで、ボクはスランプから抜け出すことができた。そのことは、その、感謝しているよ」

人との巡りあわせというのは、ヒカルにとって不思議だと思うことが度々あった。佐為をはじめ、誰かと出会えたことはきっと偶然じゃない。

 

「俺もさ、囲碁をやめようと思っていた時があった」

「進藤が!?」

「ハハッ」

さっきの自分を見ているようで、ヒカルは思わず笑ってしまった。

「プロ入りした頃だったよ。オレの場合は自責の念、かな。誰よりも囲碁が好きな奴に、満足に打たせてやれなかったんだ」

秀英には何の事だかさっぱりだ。しかし、ヒカルの泣きだしそうな目が、相当辛い出来事があったことを物語っている。ぼんやりとした表現の中に、どれだけの思いが詰められているのだろう。

「でも、そんなオレを引っ張り上げてくれる人がいた。そこはお前と変わんねえよ」

 

いろいろ考えていることはあるものの、まずは佐為に会いたい。せっかく逆行してきたのだ。

(今のオレなら、少しは佐為を楽しませることができるかもしれない)

強くなった自分と打ってほしい。何度も思い描いていた“もしも”が叶うかもしれないのだ。

 

入学式後、最初のホームルームが終わるなり急いで校門を出る。佐為に会いたい。それだけがヒカルを突き動かしていた。

「母さん、じーちゃんち行ってくる!」

「え、ちょっとヒカル!」

全力で走った。子どもの体力では少々辛かったが、無事に平八の家にたどり着く。

 

「じーちゃん!蔵開けて!」

「急にどうしたんだ、ヒカル」

家に来るなり、いきなり蔵を開けろと言い出す孫。そんなヒカルに不思議そうな顔を向けながらも、蔵を開ける。

「あんまり動かすんじゃないぞ!危ないからな」

「分かってる!」

そんな平八の忠告もそこそこに、蔵の中を物色する。確か、大きい箱の中にあったはずだと漁る。

「あった」

さすがに今は持ち上げられなかったが、手で埃をはらう。

「どうして…」

血のシミは、そこにはなかった。ペタンと力をなくして床に座り込む。この世界に佐為はいないのはショックだ。それに対する絶望感はある。でも。

(佐為がいなくても、佐為の碁を残したい)

何をするにしても、碁盤がなければ始まらない。

 

平八は孫が碁を覚えたことを素直に喜んでくれた。入学祝に碁盤が欲しいと言うと、当然ながら脚付きではなく折り畳みの碁盤がプレゼントされた。しかし、碁盤があるだけマシだ。

「オレ、囲碁覚えるからさ、次勝てたら脚付きが欲しいな」

「なにい?ワシは強いぞ!まあでも、お前と打つのは楽しみだな」

平八はそう言ってくしゃりとヒカルの頭を撫でた。その感覚はなんだかひどく懐しく、泣きそうになった。

 

一か月後、ヒカルが再び平八のもとを訪れる。それ以来少しずつ、でも確実にズレが見られるようになる。

 



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最初の一局

若干ヒカあか匂わせてます
未来ねつ造


それからヒカルは、およそ小学生には似つかわしくない生活を送る。部屋にゲームや漫画はない。あるのは折り畳みの碁盤と碁石。急に外で遊ばなくなった息子に心配したが、夢中になれるものが見つかったらしいことに喜びもあった。そのせいか囲碁教室に通いたいという息子に反対はしなかった。

 

学校でのヒカルは、成績優秀なムードメーカーだけでなく、体を動かすことが好きだったので運動神経も抜群だ。モテないわけがなかった。

 

入学して一か月がたった。今日は平八と打とうと考えていた。

「あかり、帰るぞ」

「うん!」

あかりもやっぱり幼くて。つい自分の子どものように世話を焼いてしまう。

(やっぱりあかりは可愛いよなあ)

可愛いのは当たり前だ。あかりは未来の妻である。このころの自分は見向きもしなかったのはなぜだろうか。

 

「あれ?ヒカルおうちに帰らないの?」

自分の家を通り過ぎていくヒカルに、あかりが尋ねた。

「今からじーちゃんち!あかりも来るか?」

「行く!」

 

「おやヒカル、何の用じゃ?それにあかりちゃんまで」

「じいちゃん、打とうぜ」

「早速覚えたのか?よし、待ってろ」

平八が準備した碁盤の前にヒカルが座る。“前”も最初の一局は平八だった。あかりはそれを不思議そうに眺めていた。

「ヒカル、これは何?」

「囲碁っていうんだ」

「いご?」

「うん。退屈かもしれないけど…もしやってみたいと思ったら教えるぜ」

あかりは“前”もヒカルの影響で囲碁を始めた。今回、それが早まってもおかしくないと軽い気持ちだった。

 

「ヒカル、置石好きなだけ置いていいぞ」

「いらないよ!」

「む。なら、先手で打て」

このやり取りも懐かしい。プロになったヒカルに対しても変わらなかった。佐為と打つときに石を置きたがらなかった自分そっくりである。

「お願いします」

「お願いします」

 

ヒカルは本気では打たなかった。プロでもわかりにくいレベルの指導碁。結果はヒカルの半目勝ち。平八は驚きを隠せなかった。

「ヒカル、誰かに教えてもらったのか?」

「囲碁教室に行ったんだ」

不自然にならないよう、囲碁教室に通った。

「ヒカルは、いごが強いの?」

「少しだけだぞ」

あかりは対局中のヒカルに惹かれた。何をしているのか最初から最後までさっぱりだったが、楽しそうなヒカルが印象的だった。

「私もやってみたい!ヒカル、教えて」

「うん、いいよ」

 

そんな約束をしていたところ、平八はある決断をした。

「…脚付きの碁盤、買ってやる」

「え?」

孫の才能を伸ばしてやりたいと思った。

 

数日後、碁盤が届き、あかりに基本から少しずつ教え始めるようになった。

「ここに打たれたらどこに打てばいい?」

「えっと…こうかな?」

「正解」

佐為までとはいかないものの、随分と指導もうまくなったものだとヒカルは自画自賛していた。ヒカルのつきっきりの指導もあり、小学三年生にあがるころには“前”のあかりよりも随分と棋力があがっていた。ヒカル自身も囲碁雑誌を読み漁り、棋譜を並べ、自分の勉強を怠らなかった。覚えてる限りの佐為の棋譜を書き出し、ファイルにまとめた。

 

小学四年生の春、ヒカルにとって予想外のことが起きる。

「ヒカル、私プロになりたい」

 



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あかりの夢

「…あかり、もう一回」

聞き間違いかと、もう一度訊ねる。

「囲碁のプロになりたい」

どうやらヒカルの聞き間違いではないようだ。“前”はプロになりたいなんて言い出すことはなかった。どういう風の吹き回しだろうか。

 

「お前、まだ小学生だぞ。決めるのは早すぎるんじゃないか」

確かにあかりは強くなった。まだプロには届かないが、院生としてはやっていけるだろう。筋も悪くない。院生に入れば、もっと伸びていくだろう。しかしまだ小学4年生になったばかりである。

「プロになって、もっと強くなりたい」

「なんでだよ!」

つい怒鳴りかける口を押さえる。ヒカルは“前”と違う展開に焦っていた。

 

そんなヒカルに、あかりは下を向いて言った。

「あのね、今はまだ全然かなわないけど…ヒカルと互先で打つのが夢なんだ。自分の力がついていくごとに分かるの。ヒカルの強さが」

強い相手の力量を知るには、自分も強くならなければおし計れない。あかりも感じることができるようになったのだ。

そんなあかりの姿が、囲碁を始めたころの自分に重なる。強さを貪欲に求めていた、あの頃の自分に。

 

ヒカルは決めた。

「分かった、お前がプロになれるようにしよう。でも、中学生になるまではじっくり考えよう。それでもあかりがプロになりたい気持ちが変わらないなら、応援する」

中学生で自分がプロ試験を受けた時の枠にあかりが入れば、あまりズレないと考えた。

「うん!」

 

次の日から本格的にあかりを鍛えるようになった。今日も放課後に打つ約束だ。

「ヒカル!」

「あかり。どうした?」

「一緒に帰ろ!」

「おう」

あかりと教室を出ようとした時だった。

「お前ら付き合ってんのかよ!」

(ああ、小学生特有の煽りか)

面倒だと頭を抱えた。

 

あかりの顔を見ると、羞恥で顔は真っ赤、涙目。この状況で放っておけば泣いてしまうだろう。

大人気ないことを考えつつ、挑戦的な笑みを浮かべてヒカルは言った。

「羨ましい?」

「!?」

教室が凍り付いた。大抵の子どもはからかわれると怒るか拗ねるかなのだ。

「べ、別にそんなんじゃねえよ!」

相手は虚を突かれたようにぼうっとしていたが、やっと返事を返した。

「あっそ。んじゃ、あかり、帰るぞ」

「う、うん」

ヒカルに腕を引かれ、今度は違う感情で真っ赤になるあかり。二人が出て行ったあと、女子の黄色い悲鳴が上がった。

 

あかりの気持を聞いてから、強くするために動き出した。小学生には時間がたっぷりある。碁会所巡りでいろんな大人との対局になれさせた。それから、多面打ちでの持碁を課題にしたり、ヒカルの作った詰碁を解かせたり。どれもヒカルを強くしたものだ。選んだ碁会所は、“前”のヒカルの馴染みの場所を選んだ。碁会所に付き添うことはしたが、決して自分は打たなかった。あかりも、それが普通だと思っていた。

 

小学六年生の冬。あかりの棋力はプロに入れるレベルになった。この時期には、あのイベントが待っている。

そう、アキラとの初対局である。



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アキラとの対局

投稿して一晩で多くの方に読んでいただき、お気に入りまでしてくださる方がいらっしゃるとは思いませんでした!ありがとうございます(´∀`)


ヒカルはアキラと初めて対局した正確な日を覚えていない。まだプロ入りはしていないし、名人の経営している碁会所にいるだろう。

「あかり、今日は同年代で1番強いやつと対局できるかもしれないぞ」

「1番強いのはヒカルじゃないの?」

それを言われると困ってしまう。恐らく、国内ではどのプロ棋士よりも強いだろう。

「お、オレはいいんだよ!それより、そいつは本当に強いから覚悟してかかれよ!」

 

“こっち”では初めて囲碁サロンの入り口をくぐる。ヒカルにとっては6年ぶりぐらいだ。店の奥に見慣れたオカッパ頭を見つけ、安心する。

「いらっしゃい」

かわいいカップルね、と市川が迎えてくれた。

(市川さんわっか!!)

出会った頃の市川はまだお姉さんといった感じである。

「初めて?」

「ここに来るのは初めて!打つのはこいつだけ」

初めても何も、“あっち”のヒカルはすっかり常連である。

 

「棋力はどのくらい?」

「えーと…」

あかりが困ったようにヒカルを見た。ヒカルはわざと大きい声で言った。

「あ、子どもいるじゃん!あいつと打てる?」

あかりとの対局は、きっとアキラにとってもいい刺激になるだろう。

 

「えーと、あの子は…」

市川が説明に困っていると、話を聞いていたアキラがこちらに向かって来た。

「対局相手を探しているの?」

(うおお、アキラちっちぇー!女の子みたい)

この頃のアキラは随分と可愛らしい。段々目つきが悪くなっていくとは考えたくないおっさんである。

 

「オレじゃなくて、こいつな」

なんて考えていることは顔には一切出さず、あかりを紹介する。

「いいよ、ボク打つよ。奥へ行こうか。ボクは塔矢アキラ」

「私は藤崎あかり!小学6年生」

「あっ、ボクも6年だよ」

仕方ないとはいえ、あかりとアキラが話しているのは、ヒカルにとっては少々面白くない。

 

アキラとあかりが碁盤を挟んで座る。

「それじゃあ、はじめようか。置石はとりあえず4つか5つにする?」

アキラは指導碁気分なのだろう。当然といえば当然だ。この頃のアキラに同年代で渡り合えるものがいないのだから。

 

「あかり、互先でやってみろ。まだお前にはきついかもしれないけど、いい勉強になると思うぜ」

「ちょっとヒカル」

焦るあかりをよそに、アキラに同意を求める。

「塔矢、本気で頼む」

「う、うん」

 

そして対局がはじまる。

「それじゃあ、先番どうぞ。お願いします」

「お願いします」

アキラが先番を譲り、あかりが黒石を持った。本気でやれば相手の心を折ってしまうかもしれない。そんなアキラの心配はすぐに不要となった。



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避けられないこと

(石の筋はしっかりしている)

中盤に差し掛かり、アキラは素直にそう思った。攻守のバランスがとれた綺麗な碁。きっと基本から丁寧に教えてもらったのだろう。そして、時折ハッとさせる一手を打つ。なんだろう。

(打っていて楽しい!)

同年代の子どもと打って楽しいと思ったのは初めてだった。あかりがこれからもっと強くなったら。アキラはそれを考えるだけでわくわくした。

 

(これで小学生って反則だろ)

一方、ヒカルは“初めて”出会った頃のアキラの碁を見て驚いていた。“今”のヒカルだから知ることのできる、幼いアキラの強さ。確かにプロ入りは確実だろう。佐為が2度目の対局で焦っていた理由が分かった。しかし、覇気が足りていないような気がする。ヒカルの頭に浮かぶのは、“今”のアキラの対局相手を殺さんばかりの視線だった。

 

(強い)

先ほどの穏やかな雰囲気とは正反対の、怖いぐらい真剣な目。ヒカルとはまた別の強さを感じる。決してリードを許してくれない。アキラは攻撃の手を緩める気配はない。

(でも、あきらめない。最後まで食らいつく)

 

「…ありません」

「ありがとうございました」

ヨセに入ったが、最後まで読むと、あかりが6目半足りない。あかり本人もそれが分かっているため、投了し、終局を迎える。

 

「あーあ、負けちゃった」

あかりは緊張の糸が切れ、椅子の背もたれに寄りかかった。

「あかり、ここに打つのは甘い。俺ならこうやって打つ。そうなると塔矢は中央を守りに行かなきゃ行けなくなるし、だいぶん苦しくなるだろ」

「気づかなかったなあ」

対局が終わるなり、ヒカルが検討を進めていく。

「塔矢は、そうだなあ…この黒のカカリにこうハサんでから進めていくと、もともと狙っていた上辺と一緒に左辺も狙いやすくなる」

「本当だ!」

検討の中にはアキラにも気づけなかった部分が多く、ヒカルのヨミの深さに驚いた。

 

ここでアキラに一つの疑問が生まれる。

「キミは打たないの?」

それを聞かれるとヒカルは説明に困ってしまう。

「お、オレはいいんだよ」

ヒカルは焦った。自分が外で打たない理由に、うまい理由を考えていなかった。saiとしてネット碁をするため、なんて言えない。

「そういえば、藤崎さんは随分綺麗な碁を打つけど、誰に教えてもらったの?」

「ヒカルだよ!」

この流れはマズい。

今すぐあかりの口を塞ぎたい衝動に駆られる。

 

アキラがヒカルに興味を持たないわけがなかった。

「もしよかったら、キミも一局打たないか?」

「私も、ヒカルの本気が見たい!」

思えば、あかりはいつも教えてもらう立場だったため、ヒカルが外で打たないことに何の疑問も持たなかった。それが普通だと思っていたからだ。でも、アキラの誘いであかりも知りたくなった。ヒカルの、底知れない強さを。

 

小学生二人のキラキラした目が、三十路のおっさんには眩しすぎる。

(この時期に塔矢と打つのは避けられないことなのかもしれないな)

何故かそんな気がした。

「分かった」

 

 



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遥かな高みからの一手

「あかり、場所交代」

「う、うん」

あかりの座っていた椅子に座り、アキラと碁盤を挟む。

「棋力はどれくらい?」

誤魔化しはアキラには通用しない。少し考えてヒカルは言った。

「お前がプロになれるなら、オレはタイトルとれるぐらい」

アキラはヒュッと息をのんだ。

「…本気?」

「本気だ」

真っ直ぐアキラを見つめて言うヒカルの目は決して冗談を言っているように見えなかった。

 

その後、沈黙が続いた。ほんの1分程だろうが、少しの間がやけに長く感じられた。

「…互先でいい?」

やっとアキラは声を出した。さっきよりも鋭い目。

(ああ、これがオレの知っている塔矢だ)

ヒカルはこの目をよく知っている。

「うん。オレがニギるよ」

先番はヒカルになった。

「そういえば、まだ名前を聞いていなかったね。キミは知っているみたいだけど、ボクは塔矢アキラ」

「オレは進藤ヒカル」

簡単に自己紹介をし、対局にうつる。

「お願いします」

「お願いします」

 

ヒカルは初めの一手目から考えていた。本気でやるか、それとも佐為が打った棋譜を再現するか。これからヒカルはネット碁でsaiとして打っていく。その為に、都合がいいのは後者である。ヒカルは佐為の棋譜を再現することを決めた。

 

石を持った瞬間、ヒカルの雰囲気がガラリと変わった。肌に突き刺さるようなピリピリした空気に息が詰まるような錯覚を覚える。背中がゾクリとした。

(まるで、お父さんと打っているようだ)

向かい合っている対局者は小学生のはずなのに。

 

(まず藤崎さんに碁を教えたのは間違いない。進藤だ)

パチ、パチという音と共に対局が進む。その中で気になる点が出てくる。

(どうも定石の型が古い)

今ではあまり打たれなくなった秀策のコスミもそのひとつである。

(ボクの打ち込みにも動じない。動じないどころか、かろやかにかわしていく!?)

局面をずっとリードしているのはヒカル。そしてヒカルの次の一手でアキラは驚愕した。

(これは、最善の一手ではない。最強の一手でもない)

それは自分の力量を計る一手。

 

「あかり、帰るぞ」

「え、でも塔矢くん…」

「いいから」

今の塔矢には聞こえないだろう。初めて挫折を味わったのだから、当然といえば当然の反応だ。それでもいい。ヒカルはこれから塔矢に会うつもりはない。そう思っていた。

 

「あら、終わったの?」

「うん」

市川が懐かしいチラシを取り出す。

「来週こんなのがあるんだけど、よかったら見に行ってみたら?」

「んー、考えておくよ。それじゃあ、今日はありがとう」

「ありがとうございました」

あかりも小さくお辞儀をして囲碁サロンを出た。

 

「えっ、アキラ君が負けた!?」

「2目半差で?」

「そんなバカな!」

二人が出て行った後の囲碁サロンは大騒ぎになっていた。

(2目半差とか、そんなレベルじゃない。それに、彼は外で一度も対局したことがないと言っていた)

何者なんだ、彼は――!?

 

それからアキラは囲碁サロンでヒカルを、あかりを待ち続けた。連絡先を聞いておけばよかったと後悔した。市川に言われ、子ども囲碁大会への会場へも足を運んだ。しかし、それ以来二人の手掛かりはつかめなかった。

このまま止まっていても仕方ないと、中学に入学する春、アキラはある決心を固める。



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息子の決意と父の願い

「お父さん、ボクは今年プロになります」

中学校の入学式の前日の夜、アキラは行洋に宣言した。

「…例のあの子たちのことはもういいのかね」

「彼らと再戦したい気持ちは山ほどあります。しかしただ待つだけではなく、プロになって力をつけて待とうと思います」

 

アキラは冷静になった後で、ヒカルと打ったものが指導碁だと気づいた。今の自分では確実に歯が立たない。

「彼となら、神の一手を見つけられる、そんな気がするんです」

「アキラがそこまでいう実力者なら、遅かれ早かれ我々プロの前に出てくるだろう。それまでに、精進しなさい」

「はい、お父さん」

 

アキラはそれだけ言うと部屋を出て行った。すでにプロと同等の実力を持つ息子に初めて挫折を経験させた少年。互先でいい勝負をした少女。その上、少年の始めた検討は高段者にも引けをとらなかったという。進藤ヒカルと藤崎あかり。叶うなら是非手合わせ願いたい。

「できればライバル、さらに高いところまで望むと友達になって欲しいものだ」

アキラには今まで、友達らしい友達がいなかった。そうさせてしまったのは、親である自分かもしれないと思ったこともあった。

棋士としての願いと、父としての願い。それらは静かな夜に溶けていった。

 

少し時間を遡り、三月のはじめ。ヒカルは三谷が“以前”いた碁会所に来ていた。三谷の賭け碁をやめさせるためである。こちらも正確な日付は覚えていない。碁会所の扉を開ける。

「ああ、君か」

「マスター、ここにオレと同級生ぐらいの三谷って子来てない?」

「三谷?知らないなあ」

このころはまだ三谷はここに来ていないようだった。

あらかじめ用意していた、名前と連絡先を書いたメモを渡した。

「その子が来たらここに連絡ちょうだい!その…相手はオレのこと知らないから、内緒で」

変なことを言っているのは重々承知しているが、こればっかりは仕方ない。

「分かったよ」

幸いなことに、マスターは約束してくれた。

 

それから連絡がきたのは三月下旬の春休みに入ったころ。連絡を受けたヒカルは、すぐに家を出た。

「こんにちは」

「いらっしゃい。あの子だよ」

マスターの視線の先には、三谷がいた。今は打っている最中のようだ。“前”の三谷に悪いことをしたと、ヒカルの中にずっと引っかかっていた。“今”の三谷とはうまくやりたい。

「マスター、これ席料ね」

「はいよ」

席料を払い、三谷のもとへ行く。

 

(よかった、まだ賭け碁はやってなさそうだ)

ヒカルはほっと胸を撫でおろした。

「ありません」

「ありがとうございました」

「いやー、三谷くん、強いねえ」

相手の男性が投了し、結果は三谷の中押し勝ち。すかさずヒカルが割って入る。

「次、オレと打たないか?」

「いいけど、誰?」

自分と同じ年ぐらいの子どもが来るのが珍しいのだろう。不思議そうな顔でヒカルを見る。

 

空気を読んだ男性が三谷の前の席を立った。

「オレは進藤ヒカル。小学6年生」

「三谷祐輝。6年」

自己紹介をし、三谷の前の席に座る。

「あのさ、賭け碁しないか?」

「はあ?」

小学生がいきなりの賭け碁。当然の反応である。しかしヒカルにはある考えがあった。

 



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賭け碁

「負けたほうは、勝ったほうの言うことをなんでも聞く。ただし、お金を要求するのはダメ。いいだろ?」

「なんだそれ、別にいいけどさ」

「コミは5目半。オレとお前、同級生だし互先でいいよね?ニギるよ」

ヒカルがニギり、先番は三谷になった。

「それじゃあ、お願いします」

「お願いします」

 

(ああ、この感じ懐かしいな)

三谷の打ち筋は我流の強さだ。棋力も高いし、筋も悪くない。打っていて楽しい。これだけの力がありながら、何故ズルをするようになってしまったのだろう。

 

(意外と静かに打つんだな)

第一印象は見た目はやんちゃで、とても囲碁を打ちそうにない。外でサッカーやドッヂボールをやっているのが似合う。しかしそんなことはすぐに考えていられなくなった。

(なんだコイツ、強い!)

こっちは食らいつくので精一杯。一方のヒカルは盤面を見つめ、穏やかな笑みを浮かべている。びっくりするぐらいの優しい目。弱い者いじめではない。きっとこれは指導碁だ。

(棋力が底上げされていく感じがする)

今の自分の力を最大限に引っ張り出されていく感覚。

 

「…ありません」

「ありがとうございました」

三谷は茫然として盤面を眺めていた。同級生にここまで高い壁を感じることがあっただろうか。

「んじゃ、オレが勝ったし、言うこと聞いてもらおうかな」

ヒカルは何を言い出すつもりだろうか。

「これからお前は、ズルをしないで囲碁を楽しむこと」

三谷の全身を脱力感が襲う。

 

「ハハハ。なんだそれ。当たり前じゃん」

「あ、三谷やっと笑ったな。そうだな、当たり前だよな」

三谷がズルをしないのは“当たり前”だと言った。ヒカルはここにきてよかったと心から思った。これで、三谷がズルをしたという“過去”はなくなるだろう。

 

「あのさ、お前院生かプロだろ?」

圧倒的な強さ。丁寧な指導碁。三谷がそう思うのも無理なかった。

「いいや、オレはアマだよ」

「…お前の本当の棋力は?」

「秘密」

ヒカルはへへっと悪戯っぽく笑った。

 

「それよりさ、おまえこの辺の碁会所に来てるってことは葉瀬中だろ?よかったらたまに打たないか?」

ここに来た、もう一つの目的。

「いいけど、オレと打っても相手にならないだろ」

三谷の言うことはもっともである。仮にもヒカルは三冠の棋士なのだから。

「お前と打つの楽しいからいいんだよ」

もっと三谷の力を伸ばしてやりたい。ヒカルは素直にそう思った。

「お前、よくそんな恥ずかしいこと言えるな」

「何、三谷照れちゃったの?」

「照れてなんかない!」

案外三谷はからかい甲斐のある奴らしい。

「んじゃ、入学式でまた会おうな」

「おう」

三谷と別れ、ヒカルはすっきりした気持ちで帰路についた。

その頃、あかりには大きな問題が発生していた。

 

 

 



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葉瀬中入学式

お久しぶりです。
更新の間が空いて申し訳ないです_(._.)_私の都合上、更新ペースは不定期になると思われます。こんなに伸びると思っていなかったので喜び半分、更新するのが怖いのが半分といったところです。
今見返すと感想欄でご指摘いただいた通り変なところがいっぱいありますが、完結までいってしまってから、修正できるところはできるだけ修正していく方針で進めようと考えています。勉強になります。
10代のガキんちょが書いているので見るに堪えない箇所もあるかと思いますが、最後までお付き合いいただければ幸いです。
閲覧数、お気に入り数、評価の数、感想、すべて励みになっています。ありがとうございます、頑張れます
次回からネット碁の話です☺


次の日。

「あかり、どうした?」

あかりはいつものように指導碁を打ってもらっていたが、やはりヒカルの目は誤魔化せなかったらしい。

「実は昨日ね、親に囲碁の棋士になりたいって言ったの」

あかりの様子を見ている限り、いい返事が貰えなかったことは、鈍いヒカルでも分かった。

「反対されたのか」

「うん」

応援してくれると思っていただけに、反対されたのはあかりにとってショックだった。

 

棋士は特殊な職業。そして、一生勝負の世界だ。両親が首を縦に振らないのも頷ける。ヒカル自身、もし自分の子どもが棋士になりたいと言い出したらきっと止めるだろう。“こっち”のあかりはきちんと親に伝えたのに対し、自分はいつも事後報告しかしてこなかったため、この件については口出しする権利はない。ただ一つ助言をするなら。

「そうだな、期限を付けてみたらどうだ?」

「期限?」

「例えば、いきなりプロ試験じゃなくてまずは院生から。それから、院生でいられるのは18歳までだから高校卒業までにプロになれなかったら諦めて別の道を進む」

期限があると、少しは説得力が増すのではないかとヒカルは考えた。

「そうだね、ありがとうヒカル」

「今日はもうやめだ!中途半端な気持ちでやっても、いい碁は打てないだろ?」

今日の指導碁はお開きとなった。

 

家に帰って、夕飯を食べ終わったころのこと。

「お父さん、お母さん、私はやっぱり囲碁の棋士になりたい」

「前も言ったけど、お母さんもお父さんも反対よ」

震える手を誤魔化すようにぎゅっと握りしめた。俯きそうになる顔をあげて、真っ直ぐ二人の顔を見る。

「プロの世界はすごく厳しいと思う。それでも、私は棋士になりたい!高校卒業までにプロになれなかったら諦めるから。まずは、プロを育てるためのところがあるからそこに入りたいの」

あかりの両親は、しばらくお互い顔を見合わせて小さく頷くと、あかりのほうを向いた。

「あかりがそこまで考えているのなら、応援しよう」

父の言葉に、あかりの目が輝く。

「母さんたちも、できることは協力するわ」

「ありがとう!私、頑張るね」

その日、あかりは安心して眠ることができた。

 

朝、すっきりした顔で自分の部屋に現れたあかりを見て、ヒカルはほっと胸を撫でおろした。

「ちゃんと言えたみたいだな」

「うん!ヒカルのおかげだよ」

プロへの夢を応援してもらえる。それは、あかりがようやくスタートラインに立つことが許されたことを意味する。

「んじゃ、これからプロ試験の前に院生試験に向けてやることは分かってるな?」

「もちろん!お願いします」

この日からあかりへの本格的な指導が始まった。

 

 

3月末の進藤家。“前回”はなかった出来事が起きていた。

「ヒカル、何か欲しいものない?」

「え?」

突然のことにヒカルは驚いた。

「ほら、あなた何もねだってきた試しがないでしょう。成績もいいし、今度の入学祝いも兼ねてプレゼント」

ヒカルの部屋は、漫画もなければゲームもない。碁盤と碁石があれば十分だった。叶うなら、今欲しいものは一つだけ。

「パソコン」

「いいわよ。お父さんにも相談してみるわ」

決して安価な品物ではないため、駄目元で言ってみたが快諾してくれた。こうしてヒカル用のパソコンが進藤家に来ることになった。“前回”より随分と早くネット碁ができそうである。届くのは入学式の日らしい。そして、いよいよ当日を迎える。

 

4月、葉瀬中入学式。

通学路の桜吹雪と、ウグイスの声が春を告げてくれる。桜は満開の時はもちろん綺麗だが、その散る時が一番綺麗なのだと、そう教えてくれた彼はもういない。“過去”の思い出の中にいた人物が、“現在”はいなかったものとして新しく書き換えられていく。その事実は佐為がいないまま過ごしてきたヒカルを、ひどく切ない気持ちにさせた。

 

あかりはヒカルに声をかけようとしたものの、躊躇ってしまった。桜の木を見つめるヒカルが今にも泣きだしそうな顔をしていたからだ。

(このまま桜の花びらと溶けて消えてしまいそう)

ありもしない不安を抱いてしまうぐらい、今のヒカルはひどく儚げな雰囲気を纏っていた。

しばらく見入っていたが、我に返りようやく声をかける。

「ヒカル」

ぼんやりと桜の木を眺めていると、自分の名前を呼ぶ声が聞こえた。

「よお、あかり」

思ったより普通の返事が返ってきたことにあかりは少し安心した。

「この桜の木に、何か思い出があるの?」

「ちょっとね。あかり、帰ろうか」

そう言ってヒカルは歩き出した。

「う、うん」

自分の言葉をとられてしまい、少し驚いたものの慌ててそのあとを追いかけた。新しい生活が始まる。



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sai vs zelda

やっと更新できます!テストもレポートも投げ出したい
やっと和谷を出してあげられました☺



 

「ヒカル、おかえりなさい」

「ただいま」

「パソコンが届いたわよ。いろんな設定は業者の人にやってもらったから、すぐに使えるわ。ヒカルの部屋に…」

ついにパソコンが届いたらしい。

「ありがとう!」

美津子が言い終わるのを待てず、ヒカルは急いで自分の部屋に向かった。

 

パソコンを起動し、早速ワールド囲碁ネットのページを開いた。顔も知らない相手と打つのはかなり久しぶりである。この時をずっと待っていた。アカウントを作ってログインする。“向こう”で使っていたパソコンよりも随分古い型だが、それでも十分だった。ハンドルネームは“sai”。

(佐為の名前を背負う以上、敗北は許されない)

この時代であれば、ヒカルは世界でトップクラスの実力と言ってもいいだろう。頭の中には未来の棋譜も記憶されている。“向こう”のアキラとは共に切磋琢磨してきた。確実とは言えないが、簡単には負けない。だからといって弱い者いじめがしたいわけではない。相手の棋力に合わせて指導碁に切り替えるつもりだ。

 

「対戦を申し込んで、っと」

相手は誰でもよくて、とにかく誰かに知ってほしかった。記憶に残してほしかった。佐為が、佐為の碁が、確かに存在していたことを。そのために“こっち”に来てから、あかりと共に自分の碁を高めてきたのだ。持ち時間は30分、コミは5目半。相手が承諾したので対局を開始する。最初の相手は対局が少し進んだところで、打ち筋から初心者だということに気づいた。早速指導碁に切り替える。

 

初心者相手の置石なしでの指導碁は、真剣な対局とはまた違う難しさがあるように思う。 “前回”のこの時期、佐為との棋力の差は天と地ほどあった。そのくせ、手加減されるのも、指導碁にされるのも嫌がっていた。始めたころの自分を思い出して、知らないうちにヒカルは笑みを浮かべていた。

(佐為、打ちにくかっただろうなあ)

佐為がいなくなってからというもの、今の自分との差はどれぐらいだろうかと幾度となく考えたが、その度に再戦を希う。しかし、それが叶うことがないのはとっくに分かっている。ヒカルにできるのは、こうして遠い過去と遠い未来を繋ぐこと。優しく手を引くように、次の一手を導く。あの頃の佐為が、自分にしてくれたように。

 

ネット碁をはじめて2週間ほど経つと、saiの噂は広まりつつあるようだった。対局を申し込まれる数、観戦者の数は日を追うごとに増えていく。対戦相手からのチャットは無視を決め込んでいる。

 

「なあ進藤、この後何か食べに行かないか?」

「いいぜ!オレも腹減ってるんだ」

入学式の翌日から放課後に毎日少なくとも一局、三谷と打っている。こうして、2人で遊びに行くことも珍しくない。友達と言えるような関係になっていた。囲碁部に入らないか、と勧誘があったが2人とも入部しなかった。プロではなく学生という立場上、囲碁をずっとやっていられるわけではないが、ヒカルは毎日が充実しているのを感じていた。

 

「ヒカル、最近楽しそうだね!何かいいことがあったの?」

つい頬が緩んで、あかりに気づかれてしまうぐらいである。

「まあな。そういえば、院生試験の申し込みは終わったのか?」

ヒカルはなんだか恥ずかしくなって話を逸らした。

「うん、7月に受けるの!」

あかりが院生になり、プロ試験に合格すればきっと2人でいられる時間は少なくなるのだろう。寂しい反面、あかりのこれからの活躍が楽しみである。

 

ヒカルはある日、見知った名前を見つけた。

「zelda…もしかして和谷?」

急いでzeldaに対戦を申し込んだ。

 

その頃、和谷はパソコンを前に固まっていた。

(強い!もしかして、師匠以上…?)

そこまで考えて和谷は頭を振った。これだけ強いのにプロの中で思い当たる人物は出てこない。強いのは分かったが、どのくらい強いのか分からないぐらい圧倒的な力の差。しかし苦しいだけの碁ではなく自分の力も底上げされるような感覚だった。余韻に浸っているとチャットが来た。ツヨイダロ、オレという文字。saiは相手からのチャットに返信しないという話は有名だ。一体何者だろうか。saiがいなくならないうちに返信する。その後、saiは画面上から姿を消した。

 

「ダレダ、オマエハ?オレハインセイダゾ…本当に和谷だ」

懐かしさで笑っているのに、なんだか泣いてしまいそうだった。院生のころからずっと、和谷はヒカルの友人だ。和谷の有難みに気づいたのは、一体いつだっただろうか。彼と出会って随分後のことだったような気がする。もう、“こっち”の和谷と親しくなるのは難しいだろう。ふと、“向こう”に戻りたいと思ってしまった。

 

それからも国を問わず対局を重ねた。中にはプロらしきユーザーもいた。勉強が疎かになってはパソコンを使わせてもらえなくなるかもしれないので、ネット碁は学校から帰って2時間までと決め、後は勉強に時間を使っている。優等生でいると、何かと都合がいいのだ。この時のヒカルは、あかりがsaiの存在によって厄介ごとに巻き込まれるとは思っていなかった。

 

あかりが院生試験に合格し、はじめて手合いに参加したときのこと。

「なあ伊角さん、新しく入ってきたやつの対局見たか?」

「あの子がどうかしたのか?」

「それがさ、打ち筋が似ているんだよ。saiに」

 



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想い

こんにちは!
感想、お気に入り、評価、励みになります(*- -)(*_ _)相変わらず書きたいところを書きたいだけ書いてる小説を読んで頂き、ありがとうございます。
そろそろアキラ出したいなあ



sai――今話題になっているネット上の棋士。

その素性は不明で、日本人ということしか分かっていない。日本のプロではないかという問い合わせは、棋院へ各国から問い合わせが来ているらしい。しかし、知りたいのは棋院側も同じである。ログインの時間帯は夕方から夜の2時間だけ。そんなsaiにプロも勝負を挑んだが、今まで一度も負けていない。反撃を許さず、こちらからは予想もつかない一手を打ってくる。誰かが言った。まるで現代に蘇った秀策のようだと。

 

「saiの棋譜を研究したんじゃないか?」

伊角の言う通り、確かにその説が有力に思える。

「そうだけど、それだけじゃない。そんな気がする」

「はは、和谷の勘は鋭いからなあ。ここでいくら予想立ててもどうしようもないし、本人に聞いてみようか」

 

「おーい、藤崎」

対局が終わったのを見計らって、和谷はあかりに声をかけた。軽く自己紹介をし、本題に移る。

「いきなりで悪い。その…藤崎はネット碁やってるか?」

「ネット碁?」

「saiっていう強いやつがいてさ、そいつの打ち方がお前の打ち方に似ていたんだ。だから、そいつの棋譜を研究しているからだと思ったんだけど…」

きょとんとしたあかりの顔を見ている限り、知らないようだった。ここで和谷の頭にもう一つの仮説が出てきた。あかりの師匠が、もしかしたらsaiかもしれない。

 

「そういえば、藤崎の師匠は?」

あかりが不思議そうな顔でこちらを見ている。和谷の初対面でいきなり踏み込みすぎかもしれないという考えは、頭の隅に追いやられてしまった。溢れる好奇心は止められない。

「同級生の幼馴染だよ」

返ってきた答えは納得いかないものだった。だが、チャットでの妙に子どもっぽい言動が引っかかる。

(saiは子ども!?そんなはずない)

あれほどの打ち手なのだから、当然大人なのだろうと思っていた。

(いや、でも)

仮にその幼馴染がsaiだったとして、saiは誰に碁を教えてもらったのだろうか。

「その幼馴染が誰に碁を教わったか、知っているか?」

 

言われてみれば、ヒカルの師匠の話は聞いたことがなかった。あかりの覚えているヒカルは。

「――最初から、強かった」

「え?」

声に出てしまっていたらしいが、和谷と伊角には聞こえていなかったらしい。

「ううん、ごめんね、分からない」

「そうか。いきなりいろいろ聞いて悪かった。何か困ったことがあったら、いつでも相談乗るから。またな」

そう言って2人は帰っていった。

 

あかりはその日、どうやって帰ってきたのか覚えていない。ずっとヒカルのことが頭の中をぐるぐる回る。あかりはこれまでずっと、ヒカルに指導してもらってきた。最初から強かったなんてことが、あるはずがない。あかりが碁をはじめたのは小学1年生になったばかりのころ。ヒカルはその前に、誰かに教えてもらっていなければおかしい。1人で強くなるには無理がある。ヒカルの祖父の顔が浮かんだが、祖父が教えた様子はなかった。囲碁教室に通いだしたのも、あかりがヒカルに囲碁を習い始めた後だった。

 

小学校入学を機に突然大人びた雰囲気になった幼馴染。最初から強かった囲碁。誰も知らないヒカルの師匠。saiという棋士。繋がりそうで繋がらない。和谷の言っていたように、saiと何か関係しているのだろうか。考えれば考えるほどヒカルが分からなくなっていった。思い返せば、ずっと一緒にいたにもかかわらず、ヒカルのことを何も知らない自分がいたことに、なんとも言えない気持ちになった。嘘をつかれたことはなかったのに、まるで嘘をつかれた気分だった。

 

「あかり、おはよう。初手合いはどうだった?」

「…っ」

いつものように指導碁をしてもらいにきたが、あかりは真っ直ぐヒカルの目を見ることができなかった。

「何かあったのか?」

「…ヒカルは」

少し間が空いたが、ヒカルは待っていてくれた。

「ヒカルは、saiを知っているの?」

 

ヒカルは、雷に打たれたような衝撃を感じた。

「さい?誰だ?」

そう返すので精一杯だった。ヒカルのその震えた声が、あかりに答えを教えてくれる。

「ネット碁で強い人なんだって。昨日、言われたの。私の打ち方がsaiに似ているって」

聞いてきたのはきっと和谷だ。以前の自分の状況が重なる。居心地悪い思いをさせてしまったかもしれない。焦る気持ちと、申し訳ない気持ちが混ざる。こんな日が来るかもしれないとは、薄々感じていたが、こんなに早いとは思っていなかった。もう、いっそすべて話してしまえたら、どんなに楽だろう。でも。

(あかりは、拒絶するかもしれない)

あかりが幼いころ一緒にいた“ヒカル”ではない。それを知ったとき、あかりは自分を受け入れてくれるだろうか。それが一番怖かった。

 

「あかり…」

「ねえヒカル、saiはヒカルの師匠なんでしょう?」

雷に打たれたような衝撃とは、こんな感じだろうか。いきなり核心をつくのだから、堪ったものではない。

「…完敗だよ、あかり。全部話す」

心のどこかでは、誰かに全部話してしまいたかったのかもしれない。そう思えたのは、“こっち”に来て一番に気づいてくれたのがあかりだったせいだろうか。ヒカルは腹を括った。

 

 



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進藤ヒカル

書きたかったシーンその1。ずっとこの二人にハグしてほしかったー☺
この話をまとめると二人がいちゃついてるだけです
ヒカルの碁書く人少ないから、もっと増えて欲しいな|д゚)
申し訳ありませんが、相変わらず一話の量少ないです
次回からプロ試験の話!


いつかこんな日が来るかもしれない。頭のどこかではそう感じていたが、想像しているのと実際現実になるのとではまるで違う。自分の鼓動がやけに大きく感じられた。ヒカルは今、“こっち”に来る前にアキラへ話をしたときと同じくらい緊張している。ジュースと一緒に入れていたコップの氷が、カランと音を立てた。

 

「オレの言うこと、嘘みたいな話ばっかりだ。だから、信じるも信じないもあかりに任せる」

あかりはこちらを見てこくりと頷いた。それを確認して、ヒカルはどこから話をしようかと考える。

 

「小学生の頃のオレはもう、やんちゃなクソガキだった」

その言葉に、あかりは信じられないという顔をした。

「そんなことない!ヒカル、そこら辺の男の子よりずっと大人だったよ」

「その理由は後半に話すよ。後で質問はいくらでも受けつけるから、最後まで聞いてほしい。どこにでもいる小学生だったオレは、じいちゃんの蔵の中で古い碁盤を見つけた。碁盤には、神様が宿っていた」

 

神様との出会い。それはヒカルにとって人生のターニングポイントの1つだ。

藤原佐為という、平安時代の碁打ちの存在。本因坊秀策との繋がり。佐為が好きなだけ打てるように、saiとしてネット碁で無双していたこと。塔矢アキラとヒカルの関係。あかりは、ヒカルを馬鹿にするでもなく、ただじっと話を聞いていた。

 

「最後の記憶は、本因坊のタイトルを防衛し続けて10年目の日の夜。塔矢と、佐為が眠っていた碁盤で一手目を打とうとしたときに、視界が真っ暗になった。目が覚めたら、小学1年生の入学式だった」

佐為の話をした時点で何を言っているのか分からないうえに、ヒカルが未来から来たというありえない話。ヒカル本人にだって訳が分からないのだ。それを第3者に理解しろというのは無理な話である。

 

「ヒカルは、未来から来たの?」

「そうだ。“こっち”に来る前はちょうど30歳。今の精神年齢だと…考えたくないな」

あかりは特に驚いた様子はなかった。

「その様子だと、気付いてた?」

「なんとなく、ね」

 

あかりの頭の中に浮かぶのは、いつからか大人びたヒカル。同級生の男子からの冷やかしをサラリと躱し、困っているあかりを助けてくれた。思い出すと恥ずかしくなる場面も多く、顔が赤くなる。ふと、あかりは思った。

「そういえば、ヒカルは結婚したんでしょ?相手は、誰なの?」

聞いてしまって、少し後悔した。

「それは、内緒」

(ヒカルのこんな顔、知らない)

愛しくてたまらないと訴えてくる。こちらを優しく見つめる目は、言外にあかりだと言っていた。ヒカルと結婚。先ほどから既に赤く染まっていた顔が通り越して、熱が出てしまったみたいだ。そんなあかりを笑いながらしばらく眺めていたヒカルは、真剣な表情に戻って言った。

 

「…さっき説明したように、オレはあかりが幼いころ一緒にいた“進藤ヒカル”じゃない。それでも、あかりの隣にいることを許してくれるか?」

初めて見る、ヒカルの不安に揺れる目。まるで迷子の子どものよう。あかりは、そんなヒカルをぎゅっと抱きしめた。強張っていたヒカルの体の力が少しずつ抜けていくのを感じる。

ヒカルの目を見つめて、はっきり伝える。

「それでも、ヒカルはヒカルだよ!私がヒカルを否定する理由なんてどこにもない」

大きな目から、涙が溢れた。

「ちょっとヒカル、どこか痛いの?」

「…ううん、あかりが受け入れてくれたのが嬉しいんだ。拒絶されるのが怖くて、ずっと話せなかった」

初めて見るヒカルの涙。佐為がいなくなってしまった後、かなり自分のことを責めている様子だったからきっと沢山泣いたのだろう。“こっち”に来て初めて流した涙が、嬉し涙だといい。その原因が自分だと、もっと嬉しい。

(これからもヒカルの涙の原因が、嬉しいこと、楽しいことだといいな)

 

「もう、私がヒカルのこと嫌いになるわけないじゃない」

あかり。その名前の通り、いつだってヒカルの心にそっと灯りをつけてくれる。どこまでもあたたかく、優しい。碁を続けていく中で手に入れたもの。同じだけ失ったもの。それでも変わらないものがここにある。

 

「わっ」

気付けばあかりは、ヒカルの腕の中にいた。

「ありがとう」

囁くようにヒカルは言った。存在を確かめるように、ぎゅうぎゅう抱きしめてくる。それに応えるように、あかりもヒカルの背に腕を回した。

 

プロ試験まで、もう少し。



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奈瀬とあかり

更新遅くなりました(・_・;)
欲を言えば、ヒカあかにもっとくっついて欲しいけど怒られちゃうかな?

感想欄のヒカル源氏計画に笑いました( *´艸`)
更新、ゆっくりでもいいと言って頂けたので頑張ります!どうしても更新できなくなったら、プロットと最終話を投下します




今日はあかりにとって2度目の院生手合い。自分の秘密を打ち明けた後、この話は誰にも言わないで欲しいとヒカルに言われた。同時に、ヒカルがプロになりたがらない理由も知った。saiの存在を知ってほしかったから、ヒカルはネット碁をはじめた。プロになれば“sai”は“進藤ヒカル”になってしまう。

 

(saiのことをまた聞かれてしまうかもしれない)

話題を振られたとき、うまく誤魔化せるかも不安だ。緊張しつつ、入り口をくぐる。

「よお、藤崎」

「おはよう、和谷くん」

先ほどから警戒していた人物から一番に声をかけられるとは思っていなかったため、あかりは少し驚いてしまった。悲鳴をあげそうになったのは許してほしい。

「あかりちゃん、おはよー!」

和谷のとなりにいた女の子が挨拶をしてくれた。高校生ぐらいだろうか。太陽のような明るい笑顔に、こちらの表情も自然に緩むのが分かる。

「おはようございます」

「この間はゆっくり話せなかったから今日はいっぱい話したいな。私は奈瀬明日美!女子は少ないから嬉しいよ」

「よろしくお願いします!」

「こちらこそ、よろしく!あ、敬語じゃなくてもいいわよ」

堅苦しいのは嫌いだから、と言って奈瀬は優しく微笑んだ。

 

「はー、お腹空いた」

あかりは軽く伸びをした。午前中はこれで終了だ。満足できた碁もあるが、そうでない碁もある。帰ったらヒカルと検討だ。

「あかりちゃん、よかったら一緒にお昼食べに行かない?」

お昼はどうしようかと考えていると、奈瀬が声をかけてくれた。

「いいの?」

「もちろん!誰かと食べたほうがおいしいもの。あかりちゃんはハンバーガー好き?」

「うん!」

「よかった。それじゃあ、行こうか」

あかりは、もう一人姉が出来たような気がして嬉しくなった。

 

注文していたものが出来上がったので、2人で窓際の席に座った。

「そういえば、あかりちゃんはどうして碁を始めたの?ほら、同い年ぐらいで碁を打てる子って学校にあまり見かけないから」

いろいろな話をしているうちに、すっかり馴染んだ頃、碁を始めたきっかけの話になった。

「幼馴染が打っているのを見ていて、楽しそうだったから!後はその、対局している幼馴染がカッコよかったから」

最後の方は恥ずかしくて小声になってしまったが、奈瀬は聞き逃さなかったらしい。ニヤリと笑った。

「あかりちゃんはその子のこと、好きなんだ」

あかりの顔が真っ赤になる。奈瀬が追い打ちをかけるように尋ねる。

「それで、付き合ってるの?」

「ひ、ヒカルと付き合うなんてそんな!」

慌てて訂正しようとしても既に手遅れである。女子はどうしても恋バナが好きな生き物らしい。

 

その頃、ヒカルはいつも通りワールド囲碁ネットにログインしていた。待ち構えていたように来る対局の申し込みをすべて断る。

「ん?もしかして…」

画面をスクロールしていると、見覚えのある名前を見つけた。国は日本と表示されている。人違いでなければ緒方の可能性が高い。佐為との対局を強く望んでいたにも関わらず、打たせてやれたのはあの一回きりだ。この世界での面識はないので、sai過激派だった彼は、あの時のようにsaiと打たせろと詰め寄ることはないだろう。しばらく考えてヒカルは対局を申し込んだ。持ち時間はいつもより長い、2時間に設定して対局を申し込んだ。

 

緒方はじっとパソコンの画面を見つめていた。ネット碁にとにかく強いプレイヤーがいるという噂を聞いたためだ。プロ棋士がこぞって対局を申し込んだが、いまだに負けなしだという。棋譜を見てみるとかなりの打ち手であることがうかがえた。どこか秀策を感じさせるその棋風で、序盤は腰の据わった碁を。ところが対局が進むと予想外の一手を打ってくる。意味のないように思える一手も、必ず武器にしてくる。そのヨミの深さは底知れない。対局を重ねるごとにその強さは増しているように見える。それは、彼――もしかすると彼女かもしれない――がギリギリの勝負をしているのを見たことがないからだ。

 

これだけ強ければどこかのプロだろうと考えたが、どのプロ棋士の打ち方にも見覚えがない。チャットは返さない。名前だけが広まるばかりで、その正体は不明。日本人ということしか分かっていない。どこまで自分の碁が通用するのか分からないが、一度打ってみたいと思った。噂の人物の名前を探していると、対局の申し込みが来た。

「sai?まさか、本物なのか」

こんなに早く叶うとは思わなかった。相手の気が変わらないうちに、緒方は対局を承諾した。

 



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sai vs 緒方

お久しぶりです!感想ありがとうございます(*_ _)返信はできませんが、更新する際は全部読ませていただいています。お気に入り増えてて、こんなに多くの人が見ているのだと思うと更新ボタン押す手が緊張で震えています。

遅くなったうえに内容短いです。
随分間が空いてしまいましたので、もう忘れられてるかもしれませんね(・_・;)春休みが終わってしまうと国家試験まで更新できないので、なんとか完結させたいところです。ゆっくり書く時間が欲しいなあ。

囲碁知識は皆無なので対局シーンはどうか目を瞑ってくださいね。

あかりちゃんは今日も可愛い



対局開始からしばらく時間が過ぎた。形勢はsaiに傾きつつある。

「まだだ」

緒方は勝負手を打った。上辺で稼いでおいて、右辺の黒一団はシノギ勝負にかけたのである。失敗してしまえば後がないのだが、この場合はリスクを取らないのが最大のリスクだと判断した。一手が重い。画面の向こうにも関わらず、相手を凌駕する雰囲気。ゴクリと唾を飲み込んだ。

(まるで、塔矢先生と打っているようだ)

これほどの打ち手が、どうして今まで表に出ていなかったのだろうか。どんな人物なのか。今までにどのくらい碁を打ってきたのか。知りたい疑問が次々とわいてくる。実際に対局していると、棋譜で見た以上の力を感じる。形勢はまだ悪くないのだが、勝てる気がしない。こちらは必死で食らいつこうとしているというのに、相手にはどこかまだ余裕があるのを感じる。本気を引き出せないのは悔しい。しかし、不思議と楽しい気持ちのほうが勝っている。もっと打ちたい。そう思わせてくれる相手に会ったのは久しぶりだった。盤面は段々と複雑な戦いになってくる。

 

「やっぱり緒方さんと打つのは楽しいなあ」

ヒカルは愉悦の色を目に浮かべて打っていた。

「でも、やっぱりまだ足りない」

緒方は今のままでも十分強い。しかしまだ伸び代がある。ヒカルは、ここから更に強くなった緒方を知っている。何が足りないのかはうまく言葉にできないものの、どこか物足りなく感じてしまう。

「今のままでも十分楽しいけど、また強くなった緒方さんと打ちたいな」

こちらに形勢が傾いてきているが、最後まで手を緩めるつもりは無い。ヒカルは終局への一手を放った。

 

「…さすがだ」

悪手だと思っていた一手がここで最善の一手になった。思わずため息が漏れる。一体どこまで先が見えているのだろうか。手品を見ているような感覚に陥る。一気に形勢はsaiが有利になった。脳内に、今後予想される流れをいくつも描くが、ここに打たれてしまえば勝つのは不可能だろう。

(叶うなら、もう一度)

そう願いながら、緒方は投了のボタンを押した。

 

三日後、緒方は研究会に来ていた。今日は緒方、行洋、アキラの3人である。

「先生、アキラくん、saiをご存知ですか?」

「sai?」

「ええ。ネット碁に強い打ち手がいると聞いて、興味本位で対局を申し込みました」

そう言って緒方は封筒を差し出す。

「これが、その棋譜です」

「――‼」

緒方はプロだ。そして、次期タイトルホルダー最有力候補と目されている若手棋士である。決して弱いわけではない。にもかかわらず、中押し負けをしていたのだ。

「saiとは?」

「正体不明の棋士です。ネット上では様々な噂が流れています。思い当たるプロ棋士はいませんので、プロでないのは確かです」

一瞬、行洋の頭に浮かんだのはいつかアキラと対局したという二人の子どもだった。しかし、子どもに打てる碁ではない、とすぐにその考えは消した。

 

はじめて見る人物の棋譜のはずなのに、アキラはどこかで見たことがあるような気がした。吸い込まれるようにその棋譜を見つめる。

(ボクは、saiを知っている―?)

「アキラ君?」

アキラは緒方に声をかけられて我に返った。

「どうかしたのかい?」

顔をあげると、不思議そうにこちらを見つめる緒方と目が合った。

「…いえ、なんでもありません」

やましいことは何もしていないが、なぜだか目を反らしてしまった。saiのことが、喉に刺さった魚の小骨のように引っかかる。saiと一局打てば、何か分かるだろうか。この違和感がなくなるだろうか。

「緒方さん、ネット碁について教えてください」

 

その日の夕方。風呂から上がったあかりは、自分の携帯に一通のメールが届いているのに気づいた。

「明日美さん?」

どうやら奈瀬からのようである。あの後すっかり仲良くなり、連絡先を交換したのだ。

「緒方先生がsaiに負けた…ってヒカルじゃない!」

緒方のことはもちろんあかりも知っている。最近注目されている棋士だ。今の自分にはとても太刀打ちできないだろう。ヒカルの本当の強さを知らないまま過ごしてきたが、今日それが分かるかもしれない。ヒカルはどんな碁を打ったのだろう。明日になるのが待っていられなくて、急いでドライヤーで髪を乾かした後、ヒカルの家へ向かった。

 

ヒカルの家のインターホンを鳴らす。

「あらあかりちゃん、どうしたの?」

出てきたのはヒカルの母、美津子だった。

「こんばんは!あの、ヒカルいますか?」

「ヒカルなら今、自分の部屋にいると思うわ。上がっていく?」

「はい!」

階段を上がり、ノックをした。ヒカルがドアを開ける。

「あれ、あかり?」

予想外の訪問者に、ヒカルは少々驚いたようだが構っていられない。

「ねえヒカル、緒方先生と打ったの?」

ヒカルの動きがピシッと固まるのが見えた。

「棋譜が見たいな」

キラキラした瞳で真っ直ぐ見つめられると、ヒカルは困ってしまう。あかりのこの目には、どうも弱いのだ。本人は無自覚なのだから恐ろしい。小さく息を吐き、返事をした。

「いいけど、どこでそんな情報仕入れたんだ?」

「明日美さんっていって…院生の人で、今日仲良くなったの」

懐かしい名前に、思わず反応しそうになるが、努めて平静を装う。おそらく和谷あたりが先に気づいたのだろう。小さく息をつき、碁盤を用意する。

「あかり、そっちに座ってくれ」

棋譜並べをしながら、また少し遠くなった“過去”に思いを馳せる。和谷をはじめとした院生仲間と会うことはないと考えると、少し寂しい。そんな気持ちがじわじわと湧いてきたが、そっと蓋をした。

 



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繋ぐ

今年初投稿です!
いつも読んで頂き、ありがとうございます。感想、評価、お気に入りもありがとうございます。これからもマイペースに更新します(´ω`*)
原作読んでみたい!
(プロ試験の仕組みが分からないなんて言えない)


静かな部屋に、ただ石を打つ音だけが響く。

「すごい…!」

あかりは開いた口が塞がらない。もちろん緒方だって強いが、ヒカルはそのさらに上を行く強さ。今の自分にはまるで考え付かないような一手が、布石が、どれも新鮮だった。ここまで打てるようになる過程が、一体どれだけ険しい道だったのだろう。それでも、ヒカルはさらに先を見つめ、研鑽している。

「…まだ、“あいつ”には全然及ばねえよ」

少し困ったように笑うヒカル。“あいつ”が誰を指しているのかは、もう分かっているけれど。あかりが物心つく頃から、ヒカルの中にはいつも佐為がいる。大好きなヒカルの師であり、ライバル。そんな立場にいる佐為が羨ましくて、眩しい。自分もヒカルの隣に立ちたい。それは幼いころからあかりが碁を続ける原動力になっている。

 

「ねえ、ヒカル」

今、ヒカルは二度目の人生を歩いている。それでも碁を続けるのはどうしてだろう。

「ヒカルは、どうして碁を続けるの?」

その質問にあまり間を開けず、迷いのない答えが返ってきた。

「遠い過去と、遠い未来を繋ぐために」

ヒカルの中で、それはずっと変わらないだろう。

「いつかまた、あいつと打ちたい。それまではオレの碁を、あいつの碁を高めて、また誰かに繋ぐんだ」

それはきっと、ヒカルが歩き続けるための願い。

(そっか、だからずっと前を向いていられるんだ)

胸が熱くなった。ヒカルの碁は、確かにあかりへ繋げられている。碁に限らず、自分も誰かへ何かを繋げられるだろうか。

 

「そういえば、もうすぐプロ試験だろ?せっかくだから、俺の記憶に残っている一番棋譜、見せようか」

「見たい!」

案の定、あかりは食いついた。そんなあかりが可愛くて緩みそうな口元を必死で抑え、真剣な顔を作る。

「ただ、今から見せる棋譜はここだけの話だぞ。この世界では存在しないし、これから先も絶対に出てこないから」

「わかった」

もう、“これから”生まれることはない棋譜だけど。だからこそあかりには見て欲しかった。

 

「ヒカル、これは誰の棋譜なの?」

「誰だと思う?」

あかりに“sai”の棋譜を見せるのは初めてだ。

「塔矢先生と…ヒカル?じゃないみたいだけど」

「半分正解。これは塔矢先生と佐為の棋譜」

佐為と聞いて、あかりは目を丸くした。

「佐為!?」

「な、凄いだろ?」

 

あかりは食い入るように、じっと碁盤を見つめていた。

「うん…もっと何か言いたいのに、凄いしか感想が出てこない」

「だろ?」

あかりは真剣な顔で盤面を見つめる。

(そっか、この人の碁が、私にも繋がってるんだ)

まだ神の一手――は分からないけど、神の一局はこの一局かもしれないと、本気で思った。

 

「この対局はここで塔矢先生が投了したんだけど、実は塔矢先生がここから逆転するための一手がある。どこに打てばいいと思う?」

「え、そうなの?うーん…分かんない」

きっとすぐに分かるものではない。

「じゃあさ、約束しよう。正解が分かったら教えてくれ。そしたら、そうだな…あかりの言うことをなんでも一つ叶えるよ」

 

その一手にあかりが気づく時、自分はまだこの世界に存在しているだろうか。こちらの世界が実は長い夢かもしれないと、時々不安になる。

“向こう”へ戻りたくないと言えば、嘘になるけれど。

「え、本当?約束だからね!」

できるなら、プロ棋士としてのあかりの行く先を、もう少しだけ見守っていたいと思った。約束をしたのは、“こっち”に存在する理由にしたかったのかもしれない。

 

今日はアキラのプロ試験予選の日。どんなに強くても、院生でないため外来扱いとなる。

「行ってきます」

「行ってらっしゃい」

母がいつも通りに送り出してくれた。

(ボクはキミたちに、追い付いて見せる)

プロになり様々な棋士と対局を重ねれば、経験と共にきっと力がついていくだろう。そうして自分が強くなった先に、あの二人がいるなら。

ライバルの存在は、ずっとアキラの手を引っ張ってきた。負ける気がしないというのは、きっとこんな気持ちだ。そして棋院の中へ、足を踏み入れた。

 



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再会

随分と間が空いてしまいました。もうこの小説は忘れられているかもしれませんが、再開します。更新は変わらず不定期です。皆様からのコメント、励みになります。これからも暇つぶし程度に読んで頂けると嬉しいです

4/18 ご指摘頂いた分を修正しました。ありがとうございます。




いよいよプロ試験の予選の日。今の実力であれば、十分に合格が期待できる。しかし普段と違う環境と緊張の中、いつも通りに打つのは難しい。それは自分も経験済みだ。

「時間に余裕持って出発したほうがいい。そろそろ行こう、駅まで送るから」

「…うん」

 

あかりの足取りは重い。ヒカルが手を引っ張るようにして駅まで来た。緊張しているのか、表情が硬く落ち着きがない。どうにか不安を取り除いてやりたくて、あかりの頭に手を伸ばして撫でた。俯いていた顔が上がり、ようやく目線が交わる。

「あかりなら、大丈夫だ。今まで頑張ってきただろ。全力で打つだけだ」

もっと何か言ってやりたいが、残念なことに昔から自分は口下手だ。

 

「ヒカル…」

不安そうな表情が、勝負師のそれになった。もう大丈夫だ。

「いってらっしゃい。気をつけて」

「行ってきます!」

ヒカルには見送ることしか出来ない。この先は、あかり自身が道を切り開くしかないのだ。

 

あかりの姿が見えなくなるまでホームに立っていたが、ふと思い出した。

「あれ?もしかして今日は塔矢も受験するのか?」

もしそうだとしたら非常に面倒なことになりそうだ。嫌な予感と頭痛を無視したい。深い溜息を吐き、頭を抱えて家に戻った。

 

会場に入って、あかりは大きく息を吸い込んだ。自分と同じように棋院へ向かう人々がいる。ここにいる誰もが、自分と同じように研鑽を積んできたのだろう。自分より年下の子から、ずっと年上の大人まで。その空気に押しつぶされそうになる。受付に行かなければならないのに、足が竦んで動かない。その時、知っている声があかりを呼んだ。

 

「おーい!藤崎!」

「あかりちゃん!」

振り向くと、院生仲間の姿が見えた。

「和谷くん、明日美さん、おはようございます」

「今日は頑張ろうな」

「うん!」

「受付は済ませた?まだなら一緒に行こう」

 

同時刻、アキラは混乱していた。予選の受付に並んでいたところ、見覚えのある姿を見つけたからだ。

(あの人は、まさか)

自分がずっと追い求めていたうちの1人かもしれない。周りにいるのは院生だろうか。ヒカルもここに来ているのだろうか。

(人違いかもしれない)

叫びたい気持ちをぐっとこらえて、深呼吸。それから、できるだけ穏やかに声をかける。

「あの、もしかして藤崎さん?」

「あなたは…塔矢くん?」

どうやら見間違いではなかったようだ。

 

「塔矢!?」

周りが騒がしくなるが、もうアキラの耳には聞こえない。

「久しぶりだね。進藤も来ているの?」

「ううん、ヒカルは来てないよ」

「そっか…」

ヒカルが来ていないことに落胆したが、今日はあかりがいる。再び対局出来る日を、心待ちにしていた。

「ずっと、ずっと君と打ちたかった。楽しみにしている」

それだけ一方的に伝えると、会場の中へ消えていった。

 

残されたのは呆けた顔のあかりたち。

「びっくりした…」

「知り合いだったのか?」

「小さい頃、一度だけ会ったことがあるの」

ヒカルと共に、塔矢名人の囲碁サロンへ行ったのだ。あの頃で既にプロ入りしても不思議でない強さだったのだ。今の彼は、どれだけ強くなったのだろう。想像すると背筋が寒くなったが、アキラとの対局はとても。

(楽しみ!)

予選が幕を開ける。



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プロ試験予選

頂いたコメントがあたたかすぎて泣いてしまいました。こんなに大勢の方から見られることを想定していなかったので嬉しい反面、更新が怖いです。でもヒカあかは大好きなので推していきます(大声)
コロナにはどうか、お気を付けて。私も職場で戦っています。


「それでは、抽選を始めます」

くじ引きの結果、あかりの初戦の相手は20代ぐらいの男性になった。対局時計をセットして、挨拶をする。

(私は今、ヒカルが歩いた道を辿って追いかけている)

ヒカルにいつか追いつきたい。だからここまで来た。折角掴んだチャンスを、無駄にしたくない。

(まずは初戦。落ち着いて打てば大丈夫)

目を閉じて深呼吸をする。大丈夫、焦るな。何度も自分に言い聞かせる。一手ずつ丁寧に打つ。これまでヒカルに教わってきたように。

「…ありません」

悔しそうに男性が投了し、あかりは中押し勝ちとなった。

 

その日の夕方、ヒカルの家のインターホンが鳴った。

「はーい」

扉を開けると立っていたのは、満面の笑みのあかり。心配は杞憂だったらしい。

「上がっていくか?」

きっと今日の検討もしたいだろう。そう思って声をかけた。

「うん!お邪魔します」

 

「ねぇヒカル!勝ったよ!中押し勝ちだった」

嬉々として話すあかりが大変可愛らしい。つられてヒカルの頬も緩む。

「さすがあかり!その調子で、明日も頑張れよ」

予選はこれで終わりではないのだ。5日間で3勝しなければ本戦には上がれない。

「うん!今日の棋譜を見て欲しいな。それから、一局ヒカルと打ちたい」

「もちろん」

 

好きなことをしていると、時間はあっという間に過ぎる。時計はもう20時を過ぎようとしていた。

「初日だし、疲れただろ。今日はもう帰って寝ろよ」

「うん、そうしようかな。あ!そういえば」

お茶を飲み、一息ついたところであかりが爆弾を落とした。

「塔矢くんと再会したよ」

嫌な予感は当たってしまったらしい。

 

「…あいつ何か言ってたか?」

「えーと、ずっと私と打つのを楽しみにしてたって。ヒカルは試験を受けないって知って残念そうだったよ」

「…気をつけろよ、あいつ結構しつこいからな。明日も明後日も、すぐ帰ってくるんだぞ」

あの頃は目の前のことに夢中で気にしていなかったが、冷静になって考えると一歩間違えばストーカーだと思う。

「よく分からないけど、気を付けるね」

何も起きなければいいが、きっとそうはいかないだろう。ヒカルは本日2度目の、深い溜息を吐いた。

 

同時刻の塔矢邸。行洋が新聞を読んでいると、アキラが落ち着きなく襖を開けた。

「お父さん、良い報告があります」

「どうしたんだ」

いつもは表情の変化に乏しい息子の目が、輝いている。何か嬉しいことがあったのだろうか。

「藤崎さんと再会しました。今年プロ試験を受けるようです」

初対面のあの日から手がかりが掴めず、やきもきする息子を見てきた。しかし、アキラがプロ試験を受けるという年に再会が叶った。なんという巡り合わせだろう。

 

「ただ、悪い報告もあります。進藤は…受けないようです」

「…彼は、受ける気がないのかね」

アキラは少し目を伏せた。

「分かりません。藤崎さんと対局後に話したかったのですが、すぐに帰ってしまったようで」

進藤ヒカルは、謎の多い人物だ。大会への出場記録なども一切ない。ネットで話題になっている“sai”に関係しているのではないか、という憶測が再び頭を過る。

「焦らなくても良い。目の前の碁を打ち続けることが大切だ」

「はい」

父の言う通り、今の自分に出来るのは1つ。そうして自分が強くなった先に、あの二人がいるなら。それは何と幸福だろうか。

 

あかりもアキラも、3連勝を収め予選を突破した。後日、和谷、奈瀬、本田、飯島、小宮も本戦出場が決まった。

「それじゃあ、行ってくるね」

「いってらっしゃい。気を付けて」

蝉時雨の中、今日もヒカルに見送られてあかりは会場へ向かった。たった3枠の中に入らなければ、プロにはなれない。

(頑張らなきゃ!)

初日だけくじを引くと、最終日までの対戦相手が決まる仕組みになっている。あかりは最終日の相手を見てひゅっと息をのんだ。

(塔矢くん!)

今日から長い長い本戦が始まる。

 



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