運命の番は惹かれあうのか? (鼎立)
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#1

はじめまして、どうしても妄想を隠せておけなくなったので投稿します。

・シェリランでオメガバース設定
・原作改変というか、キャラだけを借りたような話になっています
・シェリルさんとランカちゃんで子供が作れるとか素敵すぎて泣ける。
・アルトは出てきますが、くっつきません。三角の頂点にさえなりません。


*以下の単語を受け付けない方は読まなようにお願いします
・百合
・オメガバース
・でもエロはありません
・シェリラン


簡易設定
・シェリル(α):銀河の歌姫。αということ以外あまり変わってません
・アルト(Ω):歌舞伎役者、天才女形。シェリルの幼馴染。パイロットシーンはありません
・ランカ(Ω):シェリルに憧れている少女。

この設定は随時更新予定です。
変更点や、新しい設定が出てきたら追加します。

では、地雷設定の多い小説ですが、よろしくお願いします。

江川なつる


 

 

 

乾いたクラクション。

目に毒ばかりで味気ないイルミネーション。

人はこんなにいるというのに、どこか寒々しい空気が覆っている。

はぁと知らず漏れたため息は苛立ちでしかない。

くしゃくしゃに髪をかき上げれば、少しだけ気が晴れた気がした。

 

 

 

#1

 

 

 

「シェリール、俺と遊ぼうぜ!」

 

――今日の俺だったら銀河の果てまで飛ばしてやるよ。

下品な笑いを顔に張り付かせた、軽薄をそのまま体現したような男がそう言ってシェリルと呼ばれた少女の肩をつかんだ。

シェリルは冗談じゃないとナイフのような笑顔を飛ばし返すと、安易に触れてきた男の手を切り離す。

時期は冬の一番賑やかな季節であり、ありとあらゆる恋人同士が浮かれる日。

仕事以外の予定が何もなかった彼女は、それでもこの男と予定を埋める気にはなれなかった。

 

「おあいにく様、アタシは忙しいの」

 

たとえ暇であったとしても、アンタとは遊ばない。

にっこりとした表情の下に見える意思は明確で、男はつまらなそうに肩をすくめる。

 

「さすがα様はお相手に困らないってか?」

 

α

聞きなれた、もっとも嫌悪する言葉。

他人はαというだけで、夢のような人生を送れると考えている。

シェリルの努力も、才能もすべては無視されてしまう。

その上、このようなセクシャルに関わる敏感な問題さえ軽視される。

まったくもって、シェリルはαに生まれたことを喜んでいなかった。

 

「そうね、生まれてから選ぶ側だったのは否定しないわ」

 

仕事も、容姿もシェリルがシェリルたる全ては彼女が自分自身で手に入れてきた。

少なくともそういう自負がある。αという生まれを除いては。

なりたい自分がいるというのに成れないというのが彼女には許せなかった。

だから、いつだって選んできた。

 

「一回でいいから言ってみたいセリフだな」

 

ヒューと軽やかな口笛を立てて、男は雑踏に消えていった。

仕事のため同じ時間を過ごさなければならなかったとはいえ、疲労は中々のものだ。

下手に口を滑らせれば、どのような話になって返ってくるかわからない。

歌を作り、歌を歌うことで生きているシェリルには煩わしいだけの仕事だった。

とりあえず終わりには違いないと仕事が終わった旨を会社へと連絡し、その場を離れる。

気分転換をせずにはいられなかった。

 

 

町中の雑踏から離れ、閑静な住宅街が広がる地区へ足を進める。

人が少ないからか肌寒くはあるが、こちらの方が落ち着いた。

見慣れた住宅をいくつも飛ばしていれば、一際大きな日本家屋が現れる。

数少ない友人の自宅にシェリルは躊躇なく踏み込んだ。

 

「お前なぁ、今日来るっているのは流石にどうなんだ?」

「うるさいわね、アルト。そういう自分はどうなのよ」

 

長い廊下に、障子。それを開ければ畳。

見慣れた部屋に、見慣れた姿が立っていた。

やれやれと呆れた様子を隠す様子もなく、長い黒髪を一つに結んだ美しい男が言う。

歌舞伎の家に生まれ、さらにはそのセカンドバースにより人生を決められた男。

ある意味、シェリルと反対の人生を歩く人物だった。

 

勝手知ったる、とシェリルは衣装合わせや準備に余念がないアルトを尻目に座布団の上に座る。

目の前にはお客さん用に出されたお茶がほのかな湯気を立てていた。

何度来ても落ち着く雰囲気にシェリルは少し心の鍵を緩める。

 

「仕事だよ、仕事。裏も表も忙しい」

 

表の仕事として、アルトは歌舞伎の女形をしている。

名門に生まれた久方ぶりのΩは”天啓”とさえ称された。

セカンドバースは職業的に偏ることがある。

芸能界に入る人間の大半はαであり、職業によるセカンドバースの偏りの代表例と言える。

 

アルトは生まれた瞬間に職業を決められ、Ωと分かった瞬間に夢は潰され、ここに幽閉に近い生活をしている。

それでいて女形としての才能は天下一品であり、演じている瞬間が一番幸せだという。

シェリルにしてみれば、複雑怪奇極まりない人間だ。

 

「今日だってこれから客が来るってーのに」

「もう、うるさい。あんまり言うならアタシが買うわよ!」

 

梨園に生まれたΩは、そのまま家に飼われる。

一番優秀な役者の血を受け取るためだ。

ましてや、ヒート中以外は優秀な女形とくれば、家が手放すわけもない。

一泊で大金が動く。そしてαであれば、性別も関係しない。

 

αとは支配者の性である。

誰かを支配したくて、したくて、誰よりも孤独になってしまう。

そういう悲しい生まれ。

 

「げ、やめろよ。女のαひとり発情させられないなんて屈辱でしかない」

 

秀麗な顔に、苦いものを飲み込んだような縦じわが寄る。

その恰好は緩やかな和服であり、脱がせやすさを考えたような形だった。

体から発せられる色気はまさに薫り立つようでシェリル以外であれば生唾を飲み込んだであろう。

 

Ωとは繁殖の性である。

発情期を持っているのはΩだけであるし、αはそれに引きずられるだけに過ぎない。

そして才能が有れば、発情を利用してαさえ落とせる。

 

「しょうがないじゃない。そういう体質なんだもの」

「体質……体質ねぇ」

 

小さいころ、それこそ自分がαだとも、この世にセカンドバースがあるということも知らなかった時代。

シェリルはとても大人しい子供だった。

ちょっとしたことで、すぐに泣いたし、泣かされることが多かった。

そして、事あるごとに「寂しい、悲しい」と口にしていた。

それは今も続いている。

――寂しくて、物足りなくて、ずっと誰かを探している。

だからヒートなんて起こらないのだ。

 

「αのくせに、Ωのヒートに引っかからないなんて、どうなってるんだ?」

 

ぽりぽりと頭を掻きながら、アルトは首をかしげる。

職業柄、シェリルという存在の珍しさを誰よりも実感していた。

 

「知らないわよ。甘い匂いがするとか、引き寄せられるとかならあるんだけどねぇ」

 

くんくんと鼻を動かす。

とはいえ、Ωのフェロモンは実際に匂いとして出ているわけではないので振りに過ぎない。

今だって、アルトの体から甘い匂いがしているのはわかる。

普通のαであれば襲いたくて仕方なくなるが、シェリルが感じているのは”いい匂い”程度の感情である。

女αの発情時の特徴、男としての性器を発現させることもなかった。

 

「アタシだってね、アンタが相手なら大丈夫かなって、そう思っていた時期もあるのよ?」

 

シェリルは深々と肩を落とす。

目の前にある美しい顔を見つめる。

この顔に恋をしていた。そう思えた時期が確かにあった。

 

――もしかしたら。

 

もしかしたら、まだαとして目覚めていないだけなのかもしれない。

好きなΩのヒートに出会えれば、この体質も治るかもしれない。

そんな淡い希望を抱けたのも、15までだった。

その年に、アルトはファーストヒートを迎え、その影響力は女形の才能と同じように天下一品だとわかった。

一番身近にいたシェリルをのぞいて、番のいないαは男女関係なく軒並み発情した。

 

「ふーん……やっぱり、あれなんじゃないのか?」

 

アルトが己のうなじを擦って、その手のひらに息をかける。

こうするとうなじから分泌されるフェロモンが空中にばらまかれ、αは発情しやすくなる。

アルトはこれからの仕事のために用意を着々と進めていた。

シェリルは冷たい幼馴染の態度に頬をわずかに膨らませた。

 

「もう、結局仕事人間なんだから」

「運命の番」

 

え、とシェリルは言葉を詰まらせた。

アルトは我関することなく、部屋を清め、フェロモンをまき散らす。

これでまだ発情しているわけではないというのだから、この男のΩとしての才能はすごいのだろう。

αを惑わせ、己に落とす。

 

「……アンタもあの話、信じている口なのね」

 

運命の番。都市伝説のようなものだ。

少なくとも、番どころかヒート状態にさえなったことのないシェリルにとっては。

 

元々、番というのはαとΩがヒート中に、お互いのうなじを噛みあうことで発生する共存関係である。

感情に関係なく、噛めば完了する。

とはいえ、お互いに好きでなければ噛みたいという衝動に襲われることはない。

それを越えて噛む場合は、一種の契約のようなものである。

 

番になるメリットは幸福感の一点に収束される。

ヒート中、番と交わることは何よりの幸せをもたらす。

またΩのフェロモンが番だけに効くようになり、むやみに襲われなくなるということも挙げられる。

 

逆にデメリットとしては、ヒート時に番がいないと何もできなくなる。

基本的に死別以外で解消は難しく、また死別してしまうとそのまま番も亡くなってしまう時が多い。

 

「セカンドバースに逆らえた人間は一人もいない。それに比べたら、そっちの方が信ぴょう性があるってだけだ」

 

一人もな、と念を押され、シェリルは反論の言葉を飲み込んだ。

自分の特異さに色々と調べた経験から、無駄足になることをわかっていたからだ。

 

「運命なんて信じないわ」

 

道は自分で切り開く。

どんなに困難で、高い壁に見えたとしても、シェリルはそうやって生きてきた。

それがよりによって一番本能的な部分で、壊されようとしている。

 

「それなら、アタシはその初めての人になってみせる」

 

恋も愛も信じているし、歌っている。

だが番という本能をシェリルは受け付けなかった。

本能が選ぶ、という表現が好きになれない。

自分の好きなものくらい、自分で選択したい。

 

「お前は本当に昔から変わってないな」

 

シェリルの宣言にアルトは苦笑いをこぼす。

――運命の番。

出会った瞬間に番になるとわかる相手が世界にいる。それを運命の番と呼ぶ。

運命の番を見つけたものは、ほかの番候補に見向きもしなくなる。

もちろん、Ωのヒートに引き寄せられたりすることもない。

シェリルの状態としては、これが一番近いのではないだろうかと思っていた。

けれども、その場合、シェリルはもう運命の番に出会っていることになってしまう。

 

「当然。アタシはシェリルよ!」

 

掲げられた宣言が眩しくて、アルトは目を細める。

そして、そのまま彼女にとって非常なことを告げた。

 

「わかった、わかった。じゃ、本格的に客が来るみたいだから、またな」

「はぁ?! ちょ、待ちなさい、アタシを……」

 

両脇を抱えられるように、といえば言い過ぎだが、誘導される形でアルトの部屋からシェリルが追い出される。

長い廊下の先に待っていたのは、アルトから連絡を受けて迎えに来ていた女性の姿だった。

 

「げ、グレイス」

「げ、とは酷い挨拶ね。わざわざ迎えに来てあげたマネージャーに向かって」

 

にっこり笑う顔に怒りを感じて、シェリルは知らず一歩後ろに引いていた。

この専属マネージャーはとても優秀であり、またシェリルの好きなように活動をさせてくれているので多大なる恩を感じている。

それでもαの彼女はΩのアルトの元へ通うことをあまりよく思っていない。

商品に傷がつくことを恐れているのだ。

 

「アナタにはもう少し、セカンドバースの常識を教える必要がありそうね」

「え、いいわ。大丈夫、アタシ自分で散々調べたし!」

「詳しい話は車の中で聞くわ」

 

自動で開く扉がまるで地獄への入り口のように、シェリルには感じられた。

 

 

 

#1 end

 

 



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#2

 

 

 

ずっと、歌が好きだった。

歌っている間はすべてを忘れられて楽しかった。

その楽しみさえ、奪われるのだとしたら。

私は自分の生きる意味を失ってしまう。

 

 

 

#2

 

 

 

セカンドバース。

第二の性と言われる、それらα、β、Ωがいつの時代から区分されていたかはとても曖昧である。

人が記録を取り始めた頃には存在していたと言われている。

そして、人間以外には現れない。そう言われていた。

様々な種族との交配が始まるまでは。

 

「~♪」

 

声が通る。今日は調子がいい。

上る朝日を見ながら、ランカは誰にも見つからないように歌っていた。

一面が緑の丘から、見えるのは果てしない青と蒼。

特に朝日が昇る瞬間にそこで歌うことを好んでいた。

 

種族間セカンドバース研究所。

人と混血することによってセカンドバースに様々な特徴が出てしまった人たちの研究所である。

ランカ自身、いつからこの場所にいたのかは覚えていない。

気づいたらここにいて、毎日を過ごしていた。

検査が多い以外は特に同年代の子たちと同じように過ごしていた。

 

「うわ、ランカが歌ってる」

「近づくな、Ωに汚されるぞ」

 

ただ一つ、困ったことははランカがΩであり、ファーストヒートも前だというのに、常人の3倍近いフェロモンを発していることだ。

耐性のないαだと、まず間違いなくランカに惹かれてしまう。

特に歌を歌った時にその傾向が強く、年を経るごとに人前で歌うことを禁止されていた。

したがって上記のような扱いをされることも決して少なくはない。

 

「はぁ」

 

ランカも15になった。

そろそろ自分にもヒートが来るということはわかっていた。

時期が近づくにつれ、フェロモンも多くなり、歌うこと自体の禁止も考えられている。

 

――なんで。

 

自分は自由に歌えないのだろう。

こんなに不便な場所に閉じ込められているのだろう。

誰か、王子様のように助け出しに来てくれないだろうか。

 

取り留めないことが頭をめぐり、いつも何も生み出さない。

αと会うことを極端に制限されているランカは自分の危険さを自覚していなかった。

そして、何より歌うことを制限されることが嫌で仕方なかった。

下手したら死ねと言われるよりも。

 

 

「実験ですか?」

 

モニター越しに告げられた言葉にランカはきょとんとした。

αの人間と会う時は基本的にこういった形がとられていた。

研究者は上級になる程、αが多く、ランカの影響を受けやすい。

 

『この薬を飲めば、フェロモン自体を抑える効果がでる』

 

物心ついた頃から変わらぬ、上司の顔を見つつ、ランカは目の前に持ち込まれたサンプルを眺める。

昔ながらの並んだカプセルたちが1シートあった。

飲み方は簡単で朝と夜に一錠ずつ飲めばいいらしい。

これを飲めばΩから出るフェロモンの量を減らすことができる。

 

「私ヒート前なんですけど、条件は大丈夫ですか?」

 

飲んでもいい。

こんな邪魔にしかならない、フェロモンを少なくしてくれるのであればとてもありがたい。

しかしフェロモンというものは通常ヒート時に最大量だされるものであり、ランカではそのサンプルは取れない。

実験データとしては不備を残したものになる。

目の前の上司がそれを見逃しているとは思わないが、一応ランカは聞いてみた。

 

『ランカの場合、通常時でさえヒート時のΩに近い量が出る時がある。それを抑えることができたら十分ヒート時のΩの抑制剤として価値がある』

 

抑制剤とは外の世界でΩが暮らす際に飲むもの。

研究所で教えてもらった知識としてはそんなものだ。

元々周囲にαがいない生活をしていたランカには縁のないものだった。

 

通常のΩは抑制剤を飲み発情期をないものとして普通の仕事をしているものが大半だ。

フェロモンの多さは個人差があるため、同じ抑制剤では効果が均一にならない。

その微調整はヒート時のサンプルを取って少しずつ埋めていくしかない。

突発的に起こってしまったヒートに対応するため、一級強い薬が必要とされることも多い。

 

ランカは目の前にある薬を見つめた。

今までも何度かこのパターンは経験している。

最初の頃は期待も大きかったが、そのたび毎に効かない薬に落胆したのも同じ数だけある。

 

「わかりました。今日からですか?」

『ああ。採血は昨日したばかりだな?』

「そうですよ」

 

――今度こそ、ここから出られるといいのに。

そんな微かな、しかし大望を持ちながらランカはカプセルを口に含んだ。

 

飲み始めてから一週間。

初めての採血の日がやってきた。

生活自体に大きな変化は感じられない。

検査結果を待つランカの前にその結果は考えてもいない姿で現れた。

 

「おめでとう、ランカ」

 

シュッと自動扉が開く音と共に、久方ぶりに見つめる上司の顔がそこにあった。

一瞬何が起こったのかわからなくて、ランカはぽかんと間抜けな表情をさらす。

同じ空間に、αがいる。

欲情していない、通常の姿のαが。

そんな体験をするのはもう何年ぶりだろう。

ランカ自身覚えていなかった。

 

「え? あれ……うそ……?」

 

――もしかして、あの薬効いたの?

信じたい。

信じられない。

でも信じたい。

ゼントラーディーの血を引くランカの髪が喜びに沸くように舞い上がった。

 

「私が君の目の前にいることがその証拠だ。君のフェロモンは通常より少し下まで抑えられている」

 

おめでとう、二回目に言われたその言葉にランカは初めて実感が湧いた。

嬉しくて、うれしくて、ウレシクテ――今すぐにでも歌いだしたかった。

外に出たら、何をしよう。

そう考えて暇をつぶしたことも数えきれないくらいだ。

何より、外に出られたら絶対にしたいことがランカにはあった。

 

「ライブも行っていいですか?」

「ん、ああ、彼女のか」

 

詰め寄らんばかりのランカの勢いに上司は少し身を引いた。

シェリル・ノーム。

この世界で一番有名な歌姫。

彼女の歌を聞かない日はないとまで言われる人物だ。

デビュー当初からランカは彼女の大ファンであり、ライブにも行きたいとずっとお願いしていた。

だが、ここで大問題が発生する。

人数が多いためαが多数いる可能性が高かった。

また、シェリル自体もαであり、ランカは参加することを止められていたのだ。

 

「まぁ、大丈夫だろう」

「ありがとうございます!」

 

シェリルのライブ。

字面だけで嬉しくてたまらない。

全ての曲をダウンロードしていたし、お気に入りの歌も何曲もある。

彼女の映っている写真や雑誌もほぼ集めた。

――初めて、生のシェリル・ノームを見れる

行けると決まったわけでもないライブに、もはや行ける気でうずうずしてしまう。

そんなランカの様子に上司は苦笑して一言付け加えた。

 

「ただ、チケットは自分で取れよ?」

「はい、ばっちりです、任せてください!!」

 

ランカの笑顔はこの時、フェロモン関係なしに人を落とせるほどのものだった。

 

 

研究所の前にランカと上司の姿があった。

ランカの背中には小さいながらリュックが背負ってあり、服装自体も動きやすいものであることから遠出することが伺える。

 

「本当に、行くのか?」

「はい」

 

虚仮の一念という言葉がある通り、ランカは検査結果が出た後すぐにシェリルのライブへと応募していた。

ただでさえ人気の高いアーティストのプラチナチケットである。

外に出ることになるのはもっと遅くなると研究所側は予想していたのだ。

 

「検査結果も問題なかったんですし、大丈夫ですよ」

「それは、そうなんだが」

 

あれから三か月、毎日ランカはサンプルの薬を飲み続けた。

その結果、フェロモンの量はファーストヒート前のΩと同じくらいまで低下していた。

αであっても、今のランカがΩだと判断するのは難しい。

 

「興奮するとフェロモン値があがりやすい。それだけは気を付けてくれ」

「はーい」

 

興奮ならもうしている。

チケットが実際手元に届いてから、ずっと胸が痛い。

ドキドキして、期待しすぎて、眠れない時さえあったのだ。

今のランカにその言葉は無意味だろう。

 

「いってきます!」

 

大きく手を振って、ランカは外の世界へと歩き出す。

その背中は大きく弾んでいた。

 

敷地を出る。

どんどん小さくなる研究所を一度振り返って、それから後ろを見ることはなかった。

人ごみに紛れ、列車に乗って、大蛇のように連なる列に並ぶ。

 

――すごい人。この人たち皆シェリルファンなんふぁ!

 

ランカはシェリルに憧れていた。

それは歌だけではない。

彼女が何物にも縛られないαであることもそれに入っていた。

ランカのセカンドバースであるΩと違い、αに制約はほとんどない。

 

――何をしても、何を表現しても、どこで歌っても、シェリルはみんなを惹きつけてしまう。

 

Ωとして生まれたランカとは違う。天性のカリスマだ。

多くの人はαとして生まれたのだから、それくらい当然だと批判する。

しかしランカにはシェリルの輝きがαという一点により生まれるものではないことをわかっていた。

彼女の歌にも、ダンスにも、演出にも、全て煌く努力が見える。

それを打ち消してしまうなんて、やはりセカンドバースなんていらないと眉を顰めることさえあった。

 

「っと、すまん。大丈夫か?」

 

思考の海に沈んでいたランカの体に押される。

大部入場ゲートが近くなったため、人ごみが密集してきているのだ。

 

「いえっ、むしろ私こそぼんやりしてて」

 

はっとして顔を上げたランカに衝撃が走る。

そこにいたのは驚くくらい美人な顔をした男の人だった。

帽子とサングラスをしているために、同じ目線の人にはわからないだろう。

だが彼より背が小さいランカからはまるで覗き込むようにして彼の顔が見えた。

 

「人混みがすごくてな。大丈夫だったなら、よかった」

 

にこりと微笑む顔はまるで精巧な人形のようだった。

――こんな綺麗な男の人もいるんだ。

その顔に見惚れているうちに、彼の姿は人の間に消えてしまっていた。

 

「すごいなぁ」

 

シェリルも凄ければ、シェリルのファンも凄い。

ライブが始まる前から感心してしまうランカだった。

後に、あの彼が歌舞伎の天才女形アルトだと気づくのは別の話である。

 

 

一方、人ごみをどうにか抜けたアルトは呼び出されたシェリルの楽屋へと裏口を歩いていた。

 

「シェリル―、お前なぁ、なんで一般のチケット送ってくるんだよ」

「あら、いつだったか、アナタもアタシに一般のチケット送ってきたじゃない」

 

大体、アナタ来るかもわからないしね、とシェリルはアルトに向かって肩をすくめる。

つまりは仕返しだ。しかも、非常に遠い昔の。

案外根に持つ性格らしい幼馴染に、アルトは深々と息を吐いた。

 

「いつもよりいい匂いだけど、まさかヒート中?」

 

それより、と話を変えたシェリルがアルトへと近づくとそう言い放った。

鼻をアルトの体へと近づけ匂いを嗅ぐ。

部外者が見たら恋人と見まごう距離だ。

 

「はぁ? そんなわけないだろ」

 

アルトはここまで大多数のβと、もしかしたらいたかもしれないαの人波をかき分けてきた。

もし、アルトがヒート中だったらαは確実に、βもひょっとしたら襲ってくる。

そんな危険な時期に被っていたとしたら、シェリルのライブは丁重にお断りさせてもらう。

 

「そう……変なの、いつもよりドキドキするわ」

 

少しだけ頬を赤らめて、シェリルは彼から距離を取った。

不意に手を出さないような距離を開くためにも見えたし、彼への興味がなくなったようにも見えた。

 

「ライブ前で興奮してるんじゃないのか?」

 

アルトもそう言い、この話題を終わらせる。

しかし、何人もの発情したαを見てきたアルトにはわかっていた。

シェリルの瞳が発情前のαと同じような蕩け方をしていることを。

 

 

 

#2 end

 

 



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#3

 

 

息が詰まる。

どうにもイイ言葉が出てこない。

バカな幼馴染は、間の悪いことに発情中。

何か気分を変えられるものを探していた。

運命の切れ端を掴むことになるなんて思わずに。

 

 

 

#3

 

 

 

イライラして、ムシャクシャして、落ち着いていられなかった。

あまりにも落ち着くなく歩き回るシェリルに、グレイスは呆れたように口角を上げた。

くいっと眼鏡を上げる仕草にさえ怒れる気がシェリルにはした。

 

「アナタ、生理じゃないんだから」

「生まれてこの方来たことないわよっ」

 

ぴしゃりとシェリルはグレイスの言葉を切る。

αの女性に月経、いわゆる生理と呼ばれる現象はほぼない。

理由は様々に研究されているが、子供を孕む可能性がほぼないため遺伝子的にそうなっているのだろうというのが通説だった。

 

力を入れていたライブも終わり、一端休養も含めた創作活動の時期にシェリルは入っていた。

いつもなら休養中の経験やら、ライブの時の感動やらで、ある程度作品ができてきてもおかしくない時期だ。

それなのに一曲も作れない。それどころか、言葉の一欠けら、メロディの一節さえ見えない。

スランプと評される期間に足を突っ込んでいた。

 

「だめ、なーんも、ないわ」

 

ペンを片手に紙に向かってみてもダメ。

気晴らしに散歩や、ショッピング、レッスンをしてもダメ。

気分が晴れない。イライラする。

原因はわからない。

だがいつからかはわかる。

あのライブが終わってしまった日からだった。

 

最初はただ大きな仕事が終わって寂しいだけなのかと思っていた。

燃え尽き症候群、なんて病気もあるのだし、それに近いのかなとシェリルは考えていた。

だからしばらく休んで、遊んで、働いて。

そうする内になくなる類の感情だと見誤っていたのだ。

 

――あのライブで何か失敗したかしら。

 

もんもんと考え、答えが出ず、先ほどグレイスに指摘された通りの状態になった。

 

「スランプなら、一度全然違うことをしてみたらどうかしら?」

「違うこと?」

 

訝し気にグレイスを見る。

苛立ちで乱れた髪が顔にかかる。

興味を引けたことに満足したのか、グレイスは綺麗な笑顔を作るとチラシを一枚差し出した。

 

 

「オーディション?」

 

シェリルは社長室でティーカップを片手に聞き返した。

出された紅茶は芳醇な香りで鼻腔をくすぐる。

この事務所からデビューしたシェリルだったが、オーディションをするというのは初めて聞いた話だった。

 

「そうデスネ、うちも大分大きくなりましたし、今年からやってみようという話になりましてデス」

 

グレイスさんとも相談しまして、と社長とシェリルの専属マネージャーがアイコンタクトを交わす。

ふーんと気のない相槌を打った。

オーディションそのものに興味はない。

シェリルに言わせれば、出てくる人間は勝手に出てくる。

勝手に出てくるくらいの人間でないとこの世界ではやっていけない。

 

「それで、アタシに審査員でもしなさいと?」

 

確かに新しく出てくる芽を見るのは気分転換になりそうだ。

刺激的な子もいるかもれない。

それでも――シェリルにとっては暇つぶしでしかない。

 

「いえ、最初はその予定だったのデスが」

 

シェリルは眉を顰める。

社長はにこにことした表情を崩すことない。

 

「本当は何人かに絞って、本選で合格者を決める予定だったのよ」

 

手元の書類を束のまま振って、その量の多さを見せつける。

シェリルのネームバリューもあり、事務所の規模の割には多い。

これであればグレイスの言っていたように、書類選考後に本選もできるだろう。

だが、その予定は潰れたらしい。

 

「なに、どっかから横やりでも入ったの?」

「いえいえ、まさか。まぁ、この音源聞いてみてクダサイ」

 

シェリルの目の前に出されたプレーヤーとイヤホン。

それは自分が曲を作り、渡す時と同じ使い慣れたものだった。

白いイヤホンの末端を持ち、指先で弄ぶ。

 

「これで、つまらない曲だったら怒るわよ?」

 

にっこり笑って社長へ言い放つ。

ただでさえ苛立ちが止まらない状態なのだ。

もとから穏やかとは程遠い激しさがシェリルにはある。

 

「大丈夫デス」

 

自信を持って言い切られる。

へえ、とシェリルは面白そうに唇を半円にした。

耳へとイヤホンを差し込み、音量を確認してから再生を始める。

静かに目を閉じて音を待つ彼女の世界に染み渡るようにその声は歌い始めた。

 

――アイモね。

 

アイモは特殊な曲である。

どこの言語なのか、なんと言っているか、いまいち分からない。

それでもシェリルはこの愛の歌を好んでいたし、たまに歌ったりしていた。

自分とは違う声質が紡ぐ柔らかな音。

シェリルの荒ぶっていた心を優しく撫でつけられるような気分だった。

 

「この子、面白いわ」

 

耳からイヤホンを外し第一声。シェリルはそう言い放っていた。

その瞳は今までの憂鬱を忘れたかのよな輝きに満ちる。

耳に残る声は透き通っていて、シェリルとは異なる響きを持っていた。

この声と合わせられれば、とてつもないことが起こる気がした。

 

「これで決まりですね」

「ハイ。いやー、オーディションもやってみるべきデスネ」

 

シェリルの耳にシェリル自身はもちろん、グレイスも社長も自信を持っていた。

その彼女が面白いといった声と歌。

もう本選の必要はないと言ってよかった。

 

 

シェリルのライブが終わってから、生活を変えた一人にランカも含まれる。

大勢の中に入っていっても、特に問題が発生しなかったことを考慮し、試験的に外で暮らすことが許された。

ただ週に一回の検査は変わらず、結果もよろしくない値を出すようであれば、すぐに元の暮らしへと戻される。

色々制約は多かったが、それでもランカは嬉しかった。

 

初めての一人暮らし。

研究所が手を回してくれたのか、借りたアパートはβしかいない。

今までαやΩという希少種にばかり囲まれていたため、それが新鮮だった。

普通に学校へ通い、友人を作り、バイトをする。

憧れていた生活だ。

 

「送っちゃった」

 

勢いで送った書類と音源データ。

送信完了の文字が画面に映るのを見て、やってしまったと思う。

充実した毎日だった。研究所にいた頃とは比べ物にならないほど。

そんな中でも、ランカは歌うことに夢を抱かずにはいられなかった。

いつ、あの生活に戻ってしまうかわからない。

だから、できるうちにやりたいことは全てやってしまおうという火事場のバカ力に似た決心をランカはしてしまっていた。

 

「ランカさん? どうしたんですか」

 

バイト先のお店で一緒に働くことになったナナセがランカに尋ねる。

同い年という気安さもあり、まだ一か月働いていない時期にしては親しい部類に入っていた。

そしてランカの事情を知らないβの一人だった。

 

「ううー、これに出しちゃった」

 

ナナセに端末を押し付けるように渡すとランカはその場に座り込んだ。

もう仕事は終わっており、あとは着替えて帰るだけだ。

今さら、何度も取り直した曲やかちこちに緊張していた書類の写真を思い出して赤面する。

顔が熱い。

頬に手を当てれば驚くほどの熱を持っていた。

 

「ああ、シェリルさんとこの! すごいじゃないですか」

 

ランカのシェリル好きは職場の仲間の知るところである。

当然、ナナセもその熱意を知っていたし、今回のオーディションで悩んでいたこともわかっている。

 

小柄で、まるで子犬のような性格のランカはお客さんからもバイト仲間からも好かれている。

人からフェロモン無しに好かれる。

それ自体が初めての経験に近かく、最初は戸惑った。

ナンパのような軽口を飛ばされることも身構えて、だが慣れてくるとそれはただの挨拶に過ぎないとわかり、ランカ自身軽く返せるようになった。

 

「ランカさんは歌も上手ですし、きっと大丈夫ですよ」

「ありがとう」

 

座り込むランカに視線を合わせ、ナナセが励ましてくれる。

彼女にも何度かカラオケボックスでの練習に付き合ってもらっていた。

かわいいものに目のないナナセは的確にアドバイスをくれ、ランカは本当に助けられた。

 

――シェリルさん

 

初めてのライブ。生で目にした輝く姿。そして圧倒的な歌、歌、歌。

どれもがランカの中に刻まれて、惹きつけられる。

心の中で呼ぶときでさえ、敬称をつけるようになっていた。

 

もし、彼女のように歌えたら。

彼女の隣で歌えたら。

彼女と一緒に歌えたら。

きっと、素晴らしいことになる。

そんな強い予感がランカの中で溢れて、止まらなかった。

 

「シェリルさん」

 

画面を見つめて、そっと名前を呼ぶ。

満員に近い電車は混雑しており、なんとも言えないざわめきに満ちていた。

ナナセとは店の前で別れ、今は一人帰宅する身だ。

 

耳に差し込んだイヤホンからはあの日ライブで使われた曲が流れてくる。

瞳を閉じれば、それだけでランカはあのライブ会場に戻ることができた。

 

「~♪」

 

電車を降りてから家まで歩く。

恥ずかしいので声は出さないが、鼻歌は出るようになっていた。

歌うことさえ禁止された研究所とは違い、今は誰も見とがめることもない。

それが嬉しくて仕方ない。

 

イヤホンをして、鼻歌を歌う可愛らしい少女を一定の距離を取りながら見つめる姿があった。

瞳に込められる熱量は異常であり、まるで発情しているように見えた。

ずっとそういう視線と無頓着だったランカはまだ気づいていない。

人生の禍福は交互にやってくるのだということを。

 

 

 

#3 end

 

 



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#4

 

 

 

暗かった世界に光が生まれた。

その時、シェリルは歌を聞いた。

乾いていた世界に水が注がれた。

その時、シェリルは二度目の生を得た。

注がれた水を溢れさせる瞬間、シェリルは初めて運命を見た。

 

 

#4

 

 

仕事も終わり事務所の入っているビルへと戻る。

いつもならシェリル以外の音がしない建物に、シェリル以外の歌が聞こえる。

そして、それはずっと待っていた声だった。

 

「このアイモ」

「ああ、例の子が今日から来るみたいよ」

 

グレイスへと視線をやれば、それだけで察してくれる。

この事務所を引っ張るシェリルに遠慮してるのか、他の歌い手はこのビルで練習をしない。

気にせずに練習をしてくれと伝えてはあるが今のところシェリル以外の音は聞こえなかった。

無機質な空間に自分以外の声が聞こえるのが心地よくて頬が緩む。

 

「あら、とても気に入っているのね」

 

女王様とも揶揄されるシェリルの機嫌がここまでいいのは珍しい。

基本的に何かを渇望して、それをぶつけるようなスタイルが彼女の歌には多かった。

ずっと側でマネージングしていたグレイスにはよくわかった。

 

「声はね。まだ、どんな子かも知らないもの」

 

ふふっと楽しそうに笑い、鼻歌でハミングする。

シェリルのほとんどは歌でできていた。

新しい歌を運んできてくれる存在は手放しで歓迎するし、その人物がいい子だったら言うことはない。

生まれてから今まで、ここまでワクワクする歌を届けてくれる存在はいなかった。

 

”銀河の歌姫”という名前は何よりも孤独だ。

――この広い銀河に自分しか歌姫がいないなんて、なんてことだろう。

割と本気でそんなことを考えることもあった。

シェリルの周りにはたくさんの人がいる。

支えてくれる人も、ファンも、群れてくる狼だって。

だが、それらは全て対等には立ってくれなくて、自分と対になってくれるような存在をシェリルは探していた。

 

「とても、それだけには見えないけれど」

「わからないわ、とてもワクワクしてるってこと以外は」

 

グレイスが言い、シェリルは笑った。

自分でも分からない。それでも高ぶっているのはわかる。

否定も、肯定もせず、シェリルは出会いの瞬間を待つことにした。

 

 

「ランカです、よろしくお願いします!」

 

元気よく下げられた頭と共に緑の髪がぴょこんと跳ねる。

天真爛漫という言葉をそのまま表現したような少女が緊張した面持ちで頭を下げていた。

事務所で次の仕事の打ち合わせをしていたシェリルは歌が止まった時からそわそわしてしまっていた。

 

彼女が自分のファンだということは聞いていた。

その部分に興味はあまり湧かなかった。

シェリルのファンは――この言い方は酷いが、掃いて捨てるほどいる。

シェリル自身が今一番求めているのはその類のものではない。

 

「シェリル・ノームよ。よろしく、ランカちゃん」

 

今綺麗に笑えているか、シェリルには自信がなかった。

歌が止まって、足音が近づいて、そのたびに動悸が増した。

扉の前で何かを話している声が聞こえて、それから扉が開けられる。

バチンと音がしそうなほど、強く視線がぶつかった。

きっと間抜けな表情をしていただろう。

それほど、彼女以外の何も見えなくなった。

 

――見つけた。

 

最初にそう教えてきたのは、どの細胞だっただろうか。

一瞬にしてシェリルの全身がランカに集まり、それから同じサインを出した。

体の底から歓喜の渦が巻き起こり、全てを変えようとする。

それを押しとどめるのはシェリルをしても難しいことだった。

 

「は、はい!」

 

大げさなくらい、力強く頷いたランカに笑みがこぼれる。

彼女の瞳にあるのは純粋な喜びであり、シェリルと同じものは一欠けらも見当たらない。

――言ってたことと違うじゃない、アルト。

発情期も収まり、また仕事に忙しい男を引っ張り出してきて脳内で文句を言う。

 

運命の番は見た瞬間に、”お互いが”番になると理解する。

しかし目の前の少女にその様子は見られず、シェリルとしても聞きづらい。

ましてや自分だけ一目ぼれしたような状況になることなどプライドが許さなかった。

そういう複雑な感情を矜持のみで覆い隠し、シェリルは銀河の歌姫たらんと笑う。

 

「あなたの歌、とてもいいわ。だけど、アタシを追いかけるにはまだ足りない」

 

もっともっと貴女の歌を聞かせて。

もっともっと熱くさせて。

もっともっと。

 

溢れ出しそうな欲望を押しとどめ、煽るような言葉を口に出す。

シェリルが欲しいのは、ただの後輩ではないのだ。

歌うことに命を懸けていいと思っていて、実際に命を懸けれる人。

シェリルと同じくらい歌を愛している人だ。

 

――追いかけてこれるかしら?

 

光るものは何があっても必ず光る。

だが輝き続けられるかは別の話である。

銀河の妖精として、頂上にいるシェリルの背中を見て、それでも追いかけてこられる。

そういう人間は非常に少ない。

 

「はい、必ず」

 

力強い瞳にぞくりとした。

体中が喜んで仕方ない。

今だったらいくらでもαとしての務めを果たせる気がした。

 

この日、シェリルは手に入るまいと諦めていた二つ。

ライバルと番。

その両方を一気に見つけることに成功した。

 

 

体の中で心臓だけが大きくなったようだ。

全身に鳥肌が立ち、熱が湧く。

自分自身の体を鎮めるかのように、シェリルは己の体に腕を回していた。

 

「どうしよう……どうしたらいいのよ!」

「お前なぁ、来てすぐに言うことがそれか?」

 

月の綺麗な晩だった。

動物はもちろん人も月に操られて発情するという。

操られるにはもってこいの月夜だ。

 

門を道場破りの勢いで突破して、シェリルは幼馴染の部屋の障子を遠慮なく開けた。

そこにいたのは、いつもながら涼しい顔をしたアルトであった。

居ても立っても居られなくて叫んだシェリルに呆れた顔をよこす。

 

「今度はどうした?」

 

シェリルの幼馴染を長年務めているアルトにとっては慣れた言動だった。

感情の起伏が激しい幼馴染は、アルトの家の扉をいつか壊すのではないかと思っている。

 

「癪だけど、すっごく、癪だけど」

「ああ?」

 

ぎらぎらと光る瞳でにらみつけられ、身に覚えのない苛立ちをぶつけられる。

普通であれば怒りそうなものだが、眉を顰めるだけで受け入れる形を取れるのがこの男のすごいところでもあった。

 

「あんたの言う通りだったみたいね、アルト」

 

ぎりとシェリルが歯を食いしばる音が聞こえてきそうだった。

今まで貯めていた鬱憤が全て出てきているような荒々しい表情だ。

まるで気が立っている獣のようで、アルトはどこか納得した。

 

「見つけたのか、運命の番」

「見つけたわよ! 見つかったわよ、でもね」

 

手のひらを強くテーブルへとたたきつける。

銀河の歌姫の柔らかな手には似合わない仕草だが、激情家のシェリルには似合う仕草でもあった。

 

じんじんする手のひらに少しだけ気分がまぎれる。

今のシェリルは自分の本能と戦っていた。

 

運命の番。

いるとも思わなかったものが、目の前に転がり落ちてきた。

幸いと言えるかはわからない。

その番のおかげで、今シェリルはこんなにも荒れているのだから。

 

「あっちは、ぜんっぜん、意識してないわ。どういうことよ?」

 

綺麗なピンクブロンドの髪の毛をくしゃくしゃにかき上げる。

好き――というのも生ぬるい。

αとしての本能にまみれた感情。これは”欲”だ。

好きなんて可愛らしい言葉では表わすことができない。

 

「……へぇ」

 

シェリルの言葉にアルトは少し表情を変化させる。

αとしての番を見つけたということは、相手はΩである。

その法則は何があっても乱れない。

だとしたら、アルトにとってシェリルの言うことは少々おかしかった。

 

「振られたのか? 銀河の妖精さん」

「失礼ね! このシェリルが振ることはあっても、振られることはないわっ」

 

シェリル・ノームという人物を形作るのは、歌と歌だけに命を懸けている生き方だ。

自分の歌を広めるための努力は惜しまない。

――歌を歌うことだけで生きている。

そう表現してもおかしくないほど、シェリルはそのことに情熱を注いでいた。

 

ランカが歌うことで存在を確認しているのだとしたら。

シェリルは歌うことで自分を表現していた。

そして、そのどちらも自分の命が「歌」だともはや一方的に決めてしまっていた。

とても似た者同士の番だった。

 

「……あんなに」

 

シェリルはアルトをにらみつけていた視線を逸らし、うつむいた。

夕日がすぐに色を変えるように、先ほどまで燃え盛っていた感情は沈んでしまったらしい。

 

αとしての本能。

シェリルはそれを理解しているつもりでいた。

周りの誰よりも、セカンドバースについて勉強した気でいた。

周りがαとして本能的に生活していく中で、いつも置いていかれそうだったからだ。

 

「あんなに、衝動的だなんて、思わなかったわ」

 

今思い出しても胸が痛い。

ドキドキしてきて、ムズムズしてきて、熱い。

発情じゃないことはわかっている。

わかっていたからこそ、怖かった。

 

「ああ、初めてだったな。α様」

 

「今なら俺のフェロモンも効くか?」と捻くれたことをきこうとして、アルトは言葉を噤んだ。

遠慮なく殴られそうな気がしたからだ。

ただでさえ商売道具を傷つけられてはたまらない。

 

アルトはがしがしと頭を掻き、それから座り込んでしまっている幼馴染の傍に立った。

この距離でもシェリルの様子が変わったようには思えない。

つまり、アルトのフェロモンは相変わらず効かないということだ。

 

――なんつー、強情。

 

口に出そうな言葉を押しとどめる。

これで銀河の妖精はプレイガールなんて噂が立った時もあるのだから、シェリルの世界の危うさと言ったらない。

 

「……歌えよ」

「え?」

「どうせ、お前のことだから、歌う以外の解決策がないに決まってる」

 

決めつけて、それからアルトは笑った。

呆気にとられたような表情だったシェリルの口角が上がる。

アルトが柄にもなく慰めてくれようとしてくれているのがわかったからだ。

さらに、そのせいで照れている。

それがシェリルには面白くて仕方なかった。

 

「アルトにしては、いいこと言うわね」

 

ゆっくりと立ち上がり、窓際へと近寄る。

そこから見える月を眺めつつ、シェリルは息を大きく吸い込んだ。

 

その歌詞はまるでこれからのシェリルの決意を表しているかのようだった。

 

 

 

#4 end

 

 



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#5


閲覧ありがとうございます。
まさかの感想を頂いている事実に感謝感激です。



 

 

 

歌も恋も仕事も。

全てはこの性に絡められて得られないと持っていた。

それでも、欲しかったものはあるし。

目の前にあるそれに手を伸ばすことを諦めるわけにもいかない。

 

 

 

#5

 

 

 

ランカは走っていた。

ゼントラーディの血は肉体を強固なものにする。

それでもこんなに無茶苦茶に全力で走るなど初めての経験であり限界が近い。

 

「何なのっ……もう!」

 

息が切れる。汗が滴る。

興奮状態になるなと研究所からはきつく言われていたが、そんな役に立たないアドバイスはいらない。

 

確かにランカは油断していた。

薬は問題なく効いていたし、何より事務所に行く以外でαという人種に会うことがない。

自分のΩ性のことなど検査の時以外もう関係ない気持ちだった。

 

後ろを振り向けば、近づいてはいないが遠くもならない距離に見知らぬ男が追いかけてきていた。

全速力でも振り切れないのは、αの身体能力の高さゆえか。

このままでは逃げ切る前に自分の体力が尽きてしまうとランカにはわかっていた。

 

「飲み忘れたわけじゃないよねっ?」

 

自問自答する。

飲んだ。間違いなく。

いくら効いている自覚のない薬であっても、研究所でずっと育ってきたランカは勝手に薬を止めることの意味を分かっていた。

発情期、フェロモンほどΩの自分にとって恐ろしいものはない。

 

逆だというαが多いことも知っている。

Ωのフェロモンで惑わされるのはαであり、そのせいで迷惑をこうむるのもαだと言うのだ。

それでも、ランカはこう思ってしまう。

 

――発情くらい。

 

なんだというのだ。

αが発情するということはΩがいるということだ。

つまり、αは問答無用にΩを襲って、その欲求を解消することができる。

襲われるΩの意思はない。

酷い話ではないか。

 

自分にできる全力で足を回す。

それでも段々削られていく体力と気力。

捕まっていいとは絶対に思わないが、逃げ切れるとも思えない。

闇雲に走っていたせいで、ランカは自分の場所さえわからなかった。

 

「マネージャーさんのいう事聞けばよかった……!」

 

オーディションに合格しても、ランカの日々に変化は少なかった。

毎日レッスンの時間が組み込まれただけの日常。

営業さえ、まともに行っていない。

たまにレッスンに顔を出してくれるシェリルとの会話だけが楽しみな日々だ。

それとてファンであった時のような楽しさの塊ではない。

少しだけ苦くて、自分が隣に行けないことが苦しい。

シェリルを見るたび、そういう感情にランカは襲われていた。

 

「なるべく、一人で行動しないでください。特に夜は」

 

マネージャーにそんなことを言われたのは、記憶に新しい。

シェリルのような売れっ子ならまだしも、ランカに専属のマネージャーはいない。

送り迎えをしてくれる車ももちろんない。

基本的に電車を乗り継ぐ生活をランカは変えていなかった。

知名度も、何もない自分がこういう目に合うことを考えていなかったのだ。

 

ちらりと後ろを振り返る。

発情しきった瞳が自分を食い入るように見ていた。

――食われる。

比喩でもなんでもなく。

きっと、ランカの存在自体が食われてしまう。

番にされてしまえば、どうしようもない。ランカの意思など消えてしまう。

あの男に捕まってしまえば、間違いなくそうなる未来が見えた。

 

「なんでっ!」

 

ずっと一人で歌っていた。

歌う事だけが、ランカの生きる意味だった。

このまま同じ部屋から出られず、一生を過ごしていくのかと思った時もある。

検査して、薬を投与され、また検査。

そういう未来しか見えなくて、死にたいと思ったことさえある。

そんなランカを支えていたのは歌であり、シェリルという歌姫の存在だった。

 

「……どうして」

 

変わらないと思っていた生活に変化が起きた。

死ぬまで出られないと思っていた部屋から出ることができた。

シェリルのライブに行けた。

シェリルと同じ事務所に入ることができた。

歌うことを続けられた。

 

――やっと手に入れた人生を、こんなことで、こんな男で終えるわけにはいかない。

 

悲鳴を上げる心臓と、感覚がなくなり始めている足にひらすら言い聞かせる。

捕まらない。

捕まりたくない。

あんな発情しきったαとやりたくない。

自分の番になるのは――。

 

理性を越えた本能が、何かの答えを出そうとしていたとき、ランカの足は限界を迎えた。

なんてことはない障害物に足をとられ、転ぶ。

痛みはなかった。

それよりも早く起き上がって逃げなければならない。

だが、一度止まった足はランカの言うことを聞いてくれなかった。

 

「っ」

 

荒い息遣いだけが聞こえた。

振り返ったランカともう数メートルの距離まで詰められていた。

逃げられない。どうしようもない。

これだけ走ったのに、人気は皆無だ。

むしろ、今の状態のランカが人の多い場所に行くのは難しいかもしれない。

絶体絶命の危機に、伸びてくる手に、ランカは抵抗しようと首筋を守った。

 

「ナニ、してくれてるのかしら?」

 

気持ち悪い手が自分に触れそうになった瞬間。

ランカは神様の声を聴いた。

 

プシューと一気に視界が白くなる。

嗅ぎなれた匂いに、ランカはそのスプレーが発情抑制剤だと知った。

悲しいことに、研究所でもよくお世話になっていた代物なので対処法はわかっている。

ランカが吸い込んでも問題はないが、目と口を押え、煙幕が晴れるのを待つのだ。

発情したαがこの煙を吸い込むと、発情が消される代わりにひどく体力を消耗して動けなくなる。

どうにか、助かったという安堵がランカの胸を〆た時、煙から白い手が伸びてきてランカを引っ張った。

 

「え」

 

まさか、と思った。

逃げなければと体が反応した。

すぐにこれはあの手ではないことに気づく。

 

「逃げるわよ」

 

耳を打ったのはランカが一番聞いてきた声。

この声を自分が間違えるはずがない。

シェリルの白くて華奢な手が、ランカの手首をつかんでいた。

その手のひらは熱く、力強い。

 

「はい!」

 

αに触れられたのは初めてだった。

研究所でも、今の生活になってからも、ランカに触る人はいない。

またランカ自身もαに触られることに苦手意識があった。

それは自分の幼いころの経験が原因である。

ただ不思議なことに、シェリルに触られるのは少しも嫌じゃなかった。

自分に触る手がひどく優しかったからかもしれない。

その手に導かれて、ランカはシェリルが乗ってきた車に避難した。

 

「早く出して」

「はいはい」

 

シェリルはランカを押し込めるようにして後部座席へと座らせた。

そのまま苛立ちを隠しもしないとげのある声が運転席へと飛ぶ。

ランカはさっきの男と隔離された安心感に大きく息を吸い込んだ。

さっきまでの発情した空気とは違う。

大好きなシェリルの香りがした。

 

「ランカちゃん、大丈夫?」

「あ、はい。まだ、ちょっと苦しいですけど……大丈夫です」

 

心臓はまだバクバクしている。

何度か大きく深呼吸をしても、効果はあまりない。

助かった安堵と同時に、恐怖が蘇ってくる。

かたかたと手が震えるのを止められない。

 

「無事でよかったわ。触られてない?」

「はい」

 

暗い車内でシェリルのピンクブロンドの髪は光っているかのようだった。

かすかに差し込む光にキラキラと色を変える。

こんな時でさえ、ランカはその横顔を眺めることを止められなかった。

真っすぐ前を向くシェリルの花の顔。

抜けるような白い肌に金糸が彩を加える。

美しかった。ため息をつくほどに。

 

「ありがとうございました、シェリルさん」

 

自分の体の震えを隠すように、肘と肘を抱える。

バレないように祈った。

自分の体のことも、事情のことも、何もかも。

ただ、それはあまりに希望的観測すぎるとランカにも分かっていた。

 

「あなたが無事なら、それでいいわ」

 

頑なに前を向いたままのシェリル。

それでもその唇から零れる言葉は優しい。

震える体を隠すように、シェリルのコートがランカの肩にかけられた。

シェリルの匂いがして、あったかくて、優しくて、涙がこぼれた。

 

「ありがとう、ございます」

 

何も聞かない優しさが。

ただ傍にいてくれることが。

どんなにランカにとって特別だったか、きっとシェリルは知らない。

そして、ランカも今のシェリルが何を考えているかわかりはしなかった。

 

 

 

#5 end

 

 



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#6

 

 

 

イライラした。

このくそったれな世界を壊したくなった。

そういう衝動は昔からあったけれど。

この時ほど、ひどい感情はシェリルにしても初めてだった。

 

 

#6

 

 

シェリルが異変に気付いたのは気晴らしに買い物に出ていたときだった。

ふと目について服を手に取って、ランカの事を頭に思い浮かべていた。

ランカはシェリルの期待通り、真摯に歌うことに向かい合っている。

レッスンにシェリルが顔を出すとまるで犬のように喜んで、それが可愛らしかった。

そんな彼女をシェリルはわかりやすく溺愛していた。

グレイスも呆れる溺愛っぷりだが、気にはならない。

こうやって買い物でさえランカの顔が浮かぶのは流石に重症だと自分でも思っていた。

 

――シェリルさん。

 

彼女の声が自分を呼ぶたび、胸の奥がじんとする。

今思い出すだけで、その現象は起きて、シェリルは一人頬を緩めた。

 

「あら?」

 

今日もこの後、事務所に顔を出してランカのレッスンを見る予定だった。

彼女の側にいると曲作りも捗る。

今まで部屋にこもってばかりだったシェリルの変わりように、会社のスタッフも驚いていた。

 

シェリルは漂ってきた匂いに嗅覚を集中させる。

甘い匂いだった。その匂いをシェリルは知っていた。

ランカと出会って初めて感じるようになった匂いだった。

 

「グレイス?甘い匂いがしない?」

「いいえ、特に何も変わっていないわよ」

 

確認の意味も含めて、シェリルはグレイスに尋ねる。

彼女はβだ。インプラントで身体能力が鍛えられているとはいえ、第二の性は越えられない。

βに感じ取れなくて、αに感じ取れるもの。

それはΩのフェロモン以外ありえない。

シェリルはランカ以外のフェロモンに気づいたことはなかった。

 

「いやな予感がするわ。しかも、とびきり」

 

シェリルは手に持っていた可愛らしいワンピースをラックに戻す。

知らず慌てていたようで、いつもに比べて大きめの音が出た。

足早に車に戻ろうとすればグレイスが後をついてくる。

 

「どうしたの?」

「嫌な予感がするから、私の言う方に車を走らせてくれる?」

 

説明するのも面倒くさくて、シェリルは自分の要望だけを伝えた。

普通なら怒りそうな要求だが、気まぐれな銀河の歌姫はこういうわがままをよくマネージャーに伝えていた。

またか、と小さくため息をついたグレイスは何も言わず運転席へ座った。

シェリルは小さく窓を開けた状態で指示を出す。

甘い匂いは消えることなく、はっきりとシェリルに届いていた。

 

――いくらなんでも、甘すぎじゃない?

 

アルトから聞いていた話ではある。

自分が発情するフェロモンは甘く感じると。

また番になった二人の間ではフェロモンが届きやすい、効きやすいとも言われている。

ランカが現れて、シェリルはもう一度セカンドバースについて調べた。

今まで自分とは関係ないと思っていた、ヒートや番のところまで細かく確認した。

 

「番でもなければ、距離もあるって言うのにね……」

 

Ωのフェロモンは番がいないと無差別に効く。

周囲のαは自然とΩの周りに集められるのだ。

しかし、それにしたって屋内の限られた空間の話である。

こんな人の多い、屋外でもはっきりと届くフェロモンなんてどの論文にも載っていなかった。

 

わずかな隙間からでも、今のシェリルにとっては十分な情報だった。

運転しているグレイスに指示を出して町中を走る。

段々と人気のない路地裏の方へと走り出し、シェリルの表情は険しさを増す。

 

「ねぇ、グレイス。抑制剤って、あったかしら?」

 

段々濃くなる匂いに、ぐつぐつと沸騰しそうになる頭を押さえる。

――これはヒートじゃない。

なんでそう思うかシェリルにはわからなかったが、本能的に違うと思った。

 

――これは怒りだ。

 

自分のものが取られそうになるときの怒り。

攻撃性に溢れた衝動。

きっと、この匂いの先にいるのはランカで、その側には自分以外のαがいる。

そう考えただけで、嫉妬に狂いそうになる。

 

「どっち用もあるわよ」

「じゃ、一番強いのくれる?」

「……使うの?」

「私にじゃないわよ……たぶん」

 

ヒートになったことはない。どうなるかはわからない。

もし自分まで発情してしまったとしても、グレイスが上手いことまとめてくれる。

シェリルの目標は、ランカを確保することだけだった。

 

 

――神様に感謝したことなんてない。

この容姿になったことも、歌で生きていけるということも、奇跡的なことだとはわかっている。

それでもシェリルは自分の道を切り開いてきたのは自分だと言う自負があった。

シェリルにとって神は上から見つめているだけの存在だった。

 

そんな存在に今日、初めてラブコールをかけていいと思った。

ランカに自分以外のαが触れるのを防いでくれて。

彼女の危機に自分を間に合わせてくれて。

初めて「神様、ありがとうございます」と素直に言えそうな気がした。

 

「ランカちゃん……!」

 

甘い匂いが漂う路地裏。

車から急いで降りて、ランカの元へと走る。

シェリルの目にランカが襲われているところは見えていない。

見えていなくても、匂いだけで十分だった。

 

「これは……あの子、普通のΩじゃないわね」

 

シェリルと同じように、車から降りたグレイスが眉を顰める。

βであるグレイスにフェロモンは効かない。

しかし、インプラントによりフェロモンを簡易的に測ることができるグレイスにはその空間の異常さが分かった。

 

シェリルはグレイスから手渡されていた抑制剤を手にただ走った。

ヒールの地面をたたく音が甲高く響く。

どうしてやろうか、ぐつぐつとした何かがシェリルの中を掻きまわしている。

 

セカンドバースに関係なく、暴行は犯罪だ。

抑制剤を頭から浴びせて、動けなくなったところを警察に引き渡すのはたやすい。

しかし、ランカの立場がそれを危うくさせる。

新人の歌手で、Ω。

スキャンダルがつくには、まだ弱すぎた。

 

「どうでも、いいわ」

 

αとかΩとか。

新人アーティストとスキャンダルとか。

今のシェリルには、全てが二の次だった。

大事なのはランカが無事か。それだけだ。

 

路地裏を曲がる。

普段のシェリルだったら、絶対に入り込まない通り。

きっと、ランカだって普段であれば足を踏み入れないだろう場所だ。

そこにいる、と明確にシェリルにはわかった。

 

「ナニ、してくれてるのかしら?」

 

道に倒れているランカに覆いかぶさるように男がのろうとしていた。

Ωの反射なのか、ランカは自然と首筋を守っている。

その表情にあるのは、強い嫌悪だけだ。

 

ぶちんと、自分のどこかが切れる音がした。

触るなと叫ばなかったのは、一欠けらだけ残った「ランカの前で無様な恰好はできない」という矜持があったからだ。

でなければ、きっと、とんでもないことをシェリルはしていた。

 

男にぶつけるような勢いで抑制剤を叩きつける。

すぐさま白煙が立ち込め、シェリルは少し気分が下がる。

発情していない自分でさえこの嫌悪感だ。

無理やり抑制させられるこの男の負担は考えるまでもない。

 

「逃げるわよ」

 

男に触るのも嫌で、避けるようにしてランカの手を取った。

一瞬びくりと怯えた表情をしたランカだったが、シェリルだと分かれば表情を緩めた。

紅い瞳が安堵ににじむ。

緑の髪が柔らかく跳ねる。

その全てが、シェリルには輝いて見えた。

 

じん、と握った手のひらが熱くなる。

そこから一瞬にして体全体に熱が伝わった。

きっと今の自分の頬は赤い。鏡を見なくてもわかる。

 

――抑制剤があってよかった。

 

きっと、今の状態は発情に近い。

いや、もしかしたら発情しているのかもしれない。

それが抑制剤でうやむやになっているだけで、シェリルは今初めてのヒートを迎えている可能性があった。

強い本能が理性を覆い隠そうとする。

それでも手の中にある子を襲ってしまおうとは思えなかった。

 

――私はシェリルよ。

 

相手の感情を考えずに襲うなんて格好悪いことはできない。

何より運命の番を傷つけたくない。

辛くて仕方ないが、シェリルはランカを大切にしたかった。

 

グレイスの待つ車へと走り、ランカを押し込めるようにして後部座席に入れた。

肩越しに後ろを振り向けば、まだ白い煙があたりを覆っている。

彼の処理はグレイスに任せるのが一番だろう。

車の扉を閉める。

抑制剤の残り香が少しだけ苦かった。

 

「はやく、出して」

 

声が震えていない自信はなかった。

初めての濃いフェロモンに、かき消すような抑制剤。

この二つはシェリルにしても初めての体験だったし、体への負担は無視できない。

何より、隣にいるランカの存在がいつ発情状態へと自分を導くかシェリルにもわからなかった。

ただ、ひたすらに前を見つめる。横を向いてはならないとシェリルは自分に言い聞かせた。

路地裏を抜けて、会社に着くまでの我慢だ。

 

ランカの状態を確認するように、何個か言葉を交わす。

念のための確認だったが、触られていないことにシェリルは安堵した。

さっき見た限りでは大きな傷や、服装の乱れもない。

だがランカの体が小刻みに震えていることは隠しようがなかった。

 

「あなたが無事なら、それでいいわ」

 

隣を見ずにコートをかけることが難しいと、シェリルはこの時初めて知った。

 

 

 

#6 end

 

 




閲覧ありがとうございます!
感想までいただけて嬉しい限り……!
ノロノロですが、進んでいきますのでよろしくお願いします。


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#7

 

 

 

また捕らわれる。

眩しさも暗さも知らなかった空間。

全てが輝いていたころ、その中で一番輝いていたのは何か。

思い出せない。

 

 

 

#7

 

 

 

「ここですか?」

「ええ、アタシの幼馴染の家……あんまり使いたくはなかったけど」

 

車に揺られて着いたのは、とても大きなお屋敷だった。

フロンティアでよく目にする建物たちとは趣ががらりと違う。

二階建てだが家を囲む塀はどこまでも続いている。

ランカの視力をもってしてもその果ては見えなかった。

シェリルが先に車を降り、ランカはその後をついていく。

辺りは先ほどまでの喧騒とは打って変わった静謐さを保っていた。

 

(この地区って……)

 

周囲を確認するように見回すも、どこなのか見当もつかない。

一軒一軒の建物の規模が違うことだけわかり、自分には縁がない高級住宅街であった。

掲げられた表札には「早乙女」と達筆な字が書いてあった。

 

「アルト―!」

「ちょ、シェリルさん、今の時間にそんな声を出しちゃ……!」

 

見るからに立派な門を遠慮なくどんどんと叩き、幼馴染の名前を呼ぶシェリル。

ランカはこの地区の静謐さに似合わない大声にびくりと肩を震わせた。

トップスターとしていつも優雅な行動を見せている姿からは想像もつかない姿だ。

その分、相手の幼馴染との親密さを感じランカは胸の奥がチクリとした。

 

「大丈夫よ」

 

いつものことだもの、と言外に語る瞳。

深い青空を思わせる色は夜に見ればさらに神秘的な色を含む。

元々の身長差もあって見上げる形になるランカにはシェリルの瞳が淡く輝いているように見えた。

 

「なぁに、ランカちゃん。そんなに見つめられると流石のシェリルも照れるわよ?」

 

ふわりと微笑めば、大輪の花が咲いたかのように雰囲気が和らぐ。

これが銀河の妖精。ランカがずっと憧れた人。

初めてシェリルの声を聴いたのはいつの頃だったろうか。定かではない。

シェリルがデビューしたと同時にランカはその声に魅せられた。

歌が好きで、歌うことが好きで、特にシェリルの歌う歌は全てに惹かれた。

そんな人が自分と同じ場所に立って、会話している。

それだけでランカにとっては夢の中にいるような気持だった。

 

「      」

「シェリル、お前今が何時だか――」

 

ランカの口から何かが零れ落ちそうになった時、ちょうどよく大きな門が開かれた。

その中から出てきたのは天才女形の名をほしいままにしているアルトだった。

シェリルはランカの言葉を聞き逃したことに、むっとした表情でアルトを睨む。

 

「遅いわよ、アタシが訪ねきたんだからもっと早く開けなさい」

 

「もしくは、もっと遅く」と付け足しそうになった言葉をシェリルは飲み込む。

アルトを見つめるランカの瞳に気づいてしまったからだ。

初対面の相手を見る顔ではない。だが、特別な感情が湧いているものでもない。

それだけでほっとしてしまった自分をシェリルはひたすら隠した。

こんなにかっこ悪いところを見せれるわけがない。

 

「あれ、お前……」

「あの時は、ありがとうございました」

 

早乙女アルト――天才女形。

しかしランカにとっては「初めて行ったシェリルのライブで出会ったとても綺麗な男の人」という印象が強かった。

目を丸くするアルトに、にこりと微笑むランカ。

シェリルはその二人を面白くなさそうに見つめていた。

 

 

「ランカをこの家で預かる、だぁ?」

「そうよ。アタシだって気は進まないわよ」

 

ため息をこぼす。

元からアルトの側にランカを置くことにシェリルは反対していた。

まだ短い付き合いだが、ランカの性格は非常に女の子らしい。

アルトのような綺麗な男の側に置きたくない。

同じΩ同士だとわかっていても、シェリルはそう思う自分がいるのを止められなかった。

 

「この家なら、番になっているαしかいないし、万一があってもアルトが対処できるでしょ?」

「そりゃ、そうだけどよ……」

 

目の前で交わされる幼馴染二人の会話をランカは黙って聞いていた。

すらりとした身長に誰もが認める華の顔を持つΩの男性。

そのスペックだけでお似合いの二人だなとランカは思う。

シェリルは言うまでもなく、綺麗でスタイルも抜群だ。

アルトはそのシェリルを越える身長と、隣になって映える容姿をしていた。

ランカは知らず知らずの内、じっと観察するように二人を眺めてしまっていた。

自分のことを相談されているはずなのに、その内容より二人の関係が気になってしまう。

どうしようもなく黒い何かがランカの胸の内で燃えていた。

 

「あの、」

「なに、ランカちゃん?」

「私、ご迷惑なら施設に戻ります」

 

シェリルの目が大きく見開かれる。

ランカが施設を出てきた経緯は事務所に説明してある。

ランカ自身があの鳥かごのような環境を好いていないこともシェリルはわかっているに違いない。

だからこそ一番最初に出るはずの「施設に戻す」という考えが出てこないのだと、ランカは思ったのだ。

 

「ダメよ、あなたはアタシの……ライバルになるかもしれない存在なんだから」

 

シェリルはランカの発言に唇を固く結んだ。

「運命なんだから」などと言うことはできない。

シェリルにしても、ランカを施設に戻してしまう選択肢を考えたことはある。

それでもそれを提案しなかった――できなかったのは、ただ単にシェリルの我儘だった。

 

ランカを施設に戻してしまった場合、事務所を辞めることになる。

歌うことを何よりも楽しんでいるランカが歌えなくなるだろう。

シェリルはランカの歌への情熱に誰よりも共感できる。

だからこそ、安全だと分かっていても「死んでいる」状態へと彼女を閉じ込めたくなかったのだ。

そして、自由に会うこともできなくなる。αであるシェリルであれば尚更だった。

 

「でも、この状況じゃ歌も歌えませんし」

「――っ」

 

真っすぐな目線、色、輝き。

そこに込められたものにシェリルは見覚えがあった。

シェリル自身の中に大切に仕舞われている歌への執着。

歌が生命であり、祈りであり、魔法である。

そういう人生を選んでいる姿だ。

 

シェリルには痛いほどわかる。

歌われることを止められる辛さ。

歌わずに生きろというのは不可能なのだ。

少なくともシェリル達にとっては。

 

「歌は、死なない……止まない、なくならない」

 

どうにか言葉を紡いだ。

歌を歌えないことはシェリル達にとって死ぬことと近い。

誰よりもその感覚を分かち合えているからこそ、そう言うのが辛かった。

 

歌は死なない――歌はずっと体の中を流れている。

歌は止まない――歌はずっと作り出され続ける。

歌はなくならない――なくならないものは、いつか溢れる。

 

川と同じだ。

吐き出さず貯めておけば、いつか必ず溢れる。

シェリルにとって歌をつくる、歌うことは生きることそのものだった。

 

「必ず、歌えるようになる。あたしはあなたの歌が好きよ」

 

諦めないで、とシェリルはそっとランカの頬に触れた。

涙も零さない赤い瞳。

その下で確かにランカが泣いている気がシェリルにはしたのだ。

 

「シェリルさん」

 

感激に潤んだ瞳がシェリルを見上げる。

言葉にならない感情をどうやって伝えればいいのだろう。

感謝とも尊敬とも言えない、熱い気持ちがランカの胸を駆け巡る。

この想いを伝えるためには歌うしかない。

歌でしか伝えられない、歌うことで繋がることができる。

そういう側面がシェリルとランカの二人にはあった。

 

「……お前ら、ここがどこかわかってるか?」

 

二人だけの世界に声を落としたのはこの部屋の持ち主であるアルトだった。

アルトとしても、二人の雰囲気を壊すのは大変申し訳なく思っている。

しかし夜も近い時間に急な訪問を受け、そのまま蚊帳の外に出されたのでは割に合わない。

アルト自身もずっと幼馴染の色恋に巻き込まれていられるほど暇ではなかった。

つまり、アルトはこの時結構イライラしていた。

 

「ご、ごめんなさいっ。アルトくんの家なのに!」

 

シェリル以外の存在を思い出したのだろう。

ランカは感情のまま緑の髪の毛を逆立たてると、慌ててシェリルから視線をそらし、真っ赤な顔でアルトへと頭を下げた。

純粋に忘れていただけの少女を本気で怒るほどアルトは人でなしでない。

ランカの事情も幼馴染を通して知っていたのだから尚更だ。

 

「アルト……!」

 

ランカとは逆に、シェリルは謝りもせず邪魔された怒りそのままにアルトを睨みつけた。

ここが何処だろうと関係ない。

折角、ランカが自分を意識してくれそうだったのに、と唇を噛む。

とはいえ、冷静な理性の部分はアルトの言い分を認めており、何よりランカの前では格好つけたいシェリルがそれ以上アルトを睨むのは無理な話だった。

 

「ランカを預かるのは……まぁ、仕方ない。引き受ける」

 

がしがしと頭を掻きながら、言葉を続ける。

シェリルは一度言い出したら聞かない性格だし、同じΩであるアルトにはランカの状態が非常に危険なのがわかっていた。

ファーストヒート前なのに人を引きつけ襲われるほどのフェロモンを放ってしまうのは不幸としか言いようがない。

 

「でもっ」

「いいんだよ、ランカ。さっきのでわかったろ?」

 

納得がいかない表情で詰め寄るランカにアルトは小さく頭を振る。

自分たちにはどうにもならないのだ。

ランカはアルトの事情を気にして施設に帰ると言っている。

シェリルはランカを返したくなくてアルトの家にいろと言っている。

そのアルトはシェリルが言い出したら、もう止められないことを十分理解していた。

 

「”銀河の妖精さん”がランカを返したくないって言ってるんだから諦めるしかないんだぜ、俺らは」

 

未だ拗ねた表情を浮かべる「銀河の妖精」の幼馴染をアルトは親指で指差した。

ランカも釣られたように視線をシェリルへ向け、表情を崩す。

二人の視線を集めたシェリルは一人だけ”不満げ”に頷いていた。

 

「アルトもこう言っているし、いいじゃない。ランカちゃん」

「無駄に広い家だし、ここが一番安全なのも間違いないしな」

 

シェリルに詰め寄られ、アルトにも承諾される。

二人に押されるような形で、ランカはついに折れた。

 

「すみません。よろしくお願いします!」

 

ランカの頭を下げる姿を見て、シェリルはやっと嬉しそうに微笑んだのだった。

見えないと思って緩んだ頬はまさに恋する乙女そのもので。

幼馴染の普段とは違う様子に、アルトは一人苦笑するしかなかった。

 

 

 

#7 end




感想ありがとうございます。
相変わらず鈍い歩みですが、少しずつ進んでいきますのでよろしくお願いします。


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#8

感想ありがとうございます。
ゆっくり進んでいきます。
これからしばらく甘さで死にそうになるかもしれません。
……シェリランが幸せだったらいいのだ!


 

 

 

喉が渇く。

本能が求める何かが訴える。

手を伸ばせ、受け入れろ、渇きを満たせ。

その衝動を体の奥底に封じ込める。

そうしなければ自分の一番欲しいものは手に入らない。

ずっと、そうやって生きてきた。

 

 

 

#8

 

 

 

ランカは自分の安いアパートとは似ても似つかない立派な天井を見つめていた。

目覚めは良い方だったが、抑制剤を増量したせいか、この頃は体を重く感じることも多い。

ゆっくりと体を起こし布団を畳む。それから縁側へと出て全身に太陽の光を浴びた。

ランカの心とはまるで正反対の晴天がそこには広がっていた。

歌いたい、と叫ぶ心を押しとどめ目を閉じる。瞼に浮かぶのは昔から変わらない眩しい人だ。

シェリルの名前を呼びそうになって慌てて瞼を開ける。ドキンと心臓が一つ跳ねた。

 

アルトの家に居候させてもらうようになって3週間が過ぎた。

ランカが襲われたことは伏せられているものの、ほとぼりが冷めるまで休養期間ということになっている。

広い和室には布団以外にランカの私物がほんの少しだけ置かれていた。

それ以外にシェリルから毎回手渡されるお土産やプレゼントが私物とは別に陳列されていた。

休養中のランカと違いシェリルは「銀河の歌姫」として多くの仕事をこなしている。

たまにしか会うことはできないが、そのたびにランカのことを気遣って色々なものを持ってきてくれる。

満面の笑顔で機嫌よく持ってきてくれたり、照れくさそうに渡してくれたり、画面の向こうでは知ることのできなかった表情をランカはたくさん知ることができた。

そう思うだけで、どこか心がむず痒くなる。

ただ、本当にこんなことを思ってしまうのが申し訳ないとランカは思っているのだが――少しだけ、落ち着かなくなる。

それが何かランカにはまだわからなかった。わかりたくないと思ってしまっていた。

 

「おはよう、ランカ。調子はどうだ?」

「おはよう、アルトくん。うん、大分、いいみたい」

 

縁側にぼうっと立っていたランカに声がかけられる。

ランカに声をかける人など、この家では決まっていた。

ゆっくりと目を開けて声のした方へ顔を向ければ、相変わらず涼やかな顔が立っていた。

 

「フェロモンが落ち着けば、また歌えるようになるらしいからな。もう少しだ」

 

アルトの言葉にランカは苦笑した。

シェリルの幼馴染として紹介されたこの人は不器用だが優しい。

同じΩとして勉強になることも教えてくれる。

ランカとは違い、自分のセカンドバースをしっかりと受け入れ生活しているアルトは眩しかった。

 

「こんなに不安定なのは初めてだから……はやく、元の生活に戻りたいな」

 

あの事件後、ランカのフェロモンは不安定極まりない状態だった。

歌う歌わないに関わらず、多くなったり、少なくなったりと安定しない。

歌えば多くなることだけはっきりしていたので、しばらくは歌うことができない。

それが何よりの苦痛だった。

 

胸の奥にざわざわとした何かがここしばらくずっと蹲っている。

その不明の何かを解消するためにも、自分の気持ちを音にして歌うことが一番いいとランカは知っていた。

不快とまではいかない。

ただ、落ち着かない何かがランカの意識をはやし立てる。

 

「ランカも歌うことが大好きなんだな」

「歌ってる時が一番落ち着くし、楽しいから」

 

物心からいた施設での監獄のような環境も歌が歌えるなら我慢できた。

歌えなくても、シェリルの音楽を聴ければ苦しさを忘れられた。

歌と音楽はランカの人生で切り離せないものに違いなかった。

 

「そうか」

「でも、今はもう一つ楽しいことがあるの」

 

ずっとそうやって生きていくと思っていた。

歌を歌って、聞いて、Ωという性を抑制して、そうやって生きていくのだと。

だが本物の歌姫と出会って、一緒に働けるようになって、ランカは気づいてしまった。

歌を作る楽しさと歌を聴いてもらえる喜びを知ってしまった。

 

「シェリルさんみたいに、歌を作ったりしてみたいなって」

「あいつみたいに?」

「シェリルさんって凄いんだよ!」

 

ランカの赤い瞳がまるで宝石のように光を放つ。

常に感情豊かな少女ではあるが、シェリルのことになると特段様子が違う。

感情に合わせて上下する緑の髪はいっそ鮮やかにアルトの目には映った。

シェリルのことを話す時、ランカは一番輝いている。

初対面だったシェリルのライブの時からアルトはそれを感じていた。

 

(ただ、ランカがそれを自覚していないのが問題か)

 

シェリルが運命の番を見つけたと聞いた時、ランカのような反応をしていたのをアルトは見ていた。

その類似性からしてランカがシェリルを特別に好いていることはわかる。

だが、この幼いΩの女の子はまだその感情が憧れなのか、何なのかわかっていない。

否応なくヒート前からΩという性と向かい合わなければならなかったアルトとは全く違う。

セカンドバース関係なしに人を好きになれることは、この世の中では酷く貴重なことに思えた。

それが少しだけ羨ましい気もしたが、今はただ幼馴染が不憫でならなかった。

 

「お前ら、本当に似た者同士だな」

「ええっ? 私とシェリルさんは全然違うよ」

「いや、その”歌が全て”ってところがそっくりだ」

 

驚きに目を見開くランカの顔をアルトは苦笑しながら見つめた。

ランカがアルトの家に滞在するようになってからしばらく経つ。

その間、ランカとシェリルのやり取りをアルトは傍で見てきた。

互いが互いを大切にしすぎて、いっそもどかしい。

 

「私ね、シェリルさんの歌が大好きなの」

 

ランカは小さく微笑んだ。

シェリルの幼馴染であるアルトにこういうことを言うのは少し恥ずかしい。

だがシェリルが仕事でおらず、彼女の話をできる相手が限られたこの場では想いが零れてしまっても仕方ないだろう。

小さく息を吸って、吐いて、ランカは真っすぐ前を見つめた。

 

「力強くて、ドキドキして、聞いてるだけで元気になれる。だけど……」

 

シェリルの歌はいつ聞いても特別だった。

輝く才能が溢れていて、どんな時でもランカの一番明るい場所にあったのだ。

その理由を考えたことなどない。ただずっとシェリルの歌を聴いていて、ランカには伝わる感情があった。

 

「いつもどこか寂しくて、隣に誰かいて欲しいって探してて。私と似てるかも、なんて思っちゃったの」

 

ランカがシェリルの歌に惹かれた理由。

それは綺麗な歌声であったり、力強いメロディだったり、きらめく歌詞だったり、そういうものだ。

その中でも一等を上げるとすれば、力強く歌っているはずの彼女から垣間見える、何かを求める寂しさだった。

小さい頃はそこまで明確に感じ取っていたわけではない。

シェリルの歌っている姿を見ていると、どこかもの悲しさを感じ、それが苛立ちだったり、輝きだったりに変換されているのがシェリル・ノームという歌姫のように見えた。

それが何の因果か、ランカはシェリルと出会ってしまった。実際に言葉を交わし、姿を見た。

ランカから見たシェリルはやはり一番輝いていて、それでいて誰も隣に立てない存在だった。

幼馴染であるアルトであっても隣に立っているわけではない。

 

(こりゃ、びっくりだな)

 

ランカの言葉を聞いて、アルトは肩をすくめるしかできなかった。

仕事柄よく手入れをしている髪の毛を指で触る。するりとした感触が逃げていった。

彼女はまだ気づいていないようだが、その理解は幼馴染のアルトからしてもほとんど”当たり”だった。

 

シェリルとアルトが知り合ったのはお互いが10になろうと言うときだっただろうか。

αとΩお違いはあれど同じ芸の世界に身を置く同士、存在は知っていた。

初めて会ったその日からシェリルはいつだってシェリルだった。

姿形が変わっても、大人っぽく成長しても、その中身は子供の頃から変わっていない。

――寂しがり屋で意地っ張りで、そのくせ誰かを探している。

アルトが何年もの月日をかけてたどり着いた幼馴染の性格にランカは歌だけで気づけたというのだ。

 

「ほんっとに、シェリルが好きなんだな」

「うん、大好き!」

 

ニッコリと笑う顔はまるで向日葵の花が咲いたようだ。

シェリルが見ていたら、また嫉妬されてしまう。

無邪気に笑顔を振りまくヒート前の少女にアルトは苦笑した。

シェリルは意地っ張りだ。自分だけランカに惚れたなど絶対に認めようとはしない。

しかし彼女に近しい人には甲斐甲斐しい様子からランカに惚れていることは丸わかりなのだ。

この二人の距離が縮まるのがいつになるのか、天才と言われたアルトにも皆目見当がつかなかった。

 

 

「ランカちゃん!」

「シェリルさん!」

 

聞こえてきた声にランカは光速で振り向いた。

3mもない、その距離にずっと頭を占めていた人がいる。

それだけで嬉しくて、ランカは胸を弾ませた。ドキドキが、頭と体を満たし、一杯にする。

シェリルを前にするとそわそわしてしまう。

憧れだったり、緊張だったり、好意だったり、色々なものが混ざったそれにランカは落ち着かなくなってしまうのだ。

 

(ああ、シェリルさんだ)

 

ふわりと漂うフレグランスは彼女がお気に入りのものだ。

鼻のいいランカはこの匂いを一際気に入っていた。

シェリルがこれをつけるときは大抵仕事が入っていないときだ。

ゆるりと頬が緩む。するとそれに気づいたシェリルがランカの頬を無造作に引っ張った。

強く、それでいて優しい指使い。

 

「なんて緩んだ顔してるのよ、そんなに嬉しい?」

「はい、うれしいですよ!」

 

即答したランカに、シェリルは面食らったように表情を固まらせた。

そんなに素直に認められるとは思っていなかったのだ。

自分とは正反対の性格を持つ運命の人に、シェリルはたまに太刀打ちできない。

 

「そ、そう、ありがとう」

 

目を泳がせながら言葉を紡ぐシェリルをランカはひたすらに見つめていた。

シェリルが触る場所がじんわりと暖かい。

伝わってくる温もりが心地よくて、幸せな気分になる。

ちょっとした指先の動きでさえ今のランカなら感じ取ることができるだろう。

 

「シェリルさんの手って魔法の手ですね」

「え?」

「歌詞も書けるし――こうやって触ってもらえるだけで嬉しくなっちゃいます」

 

ぼっと火がついたように赤くなるシェリルの顔をランカが愛おしいと思い始めるまで、あと少し。

運命の時は確かに近づいてきているのだ。

 

 

 

end

 



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#9


大変お待たせしました。
しばらく地下に潜っていた作者です。
冬が近づくと戻ってくる、冬眠と逆の習性を持っております。
なんだろう、冬活?
ということで、シェリランの甘さに溢れる9話です。

投稿のない期間も感想ありがとうございました。



 

キラキラ輝く星たちも。

止めどなく溢れる喝采も。

きっと、あなたに比べたら小さいもの。

私の中に一番強く輝いて、焼き付いて離れない存在。

それをきっと「運命」と人は呼ぶ。

 

#9

 

ふと目覚めたその瞬間ごとに人間は新しい世界へと生まれ変わっている。

そんなことを書いてあった本をランカは記憶の何処かにとどめていた。

聞こえる音も、降り注ぐ光も変わりはない。

それでもランカの世界は起きた瞬間に世変わっていた。

いつもの何倍も血の巡りが良くなったように思える身体を強く抱きしめる。

身体が餓えている。胸の鼓動がうるさいくらいに響いた。

何かを強く欲している。熱を持ち、上がる息をどうにか整えて、頭を振る。

 

「しぇり、る、さん」

 

――これは、ヒートだ。

本能が何よりも叫んでいる。ヒートになった人を見たことはあれど、自分がなるのは初めてで。

熱に浮かされ、自分を舐めるように見てきた視線を覚えている。

自分があの視線を誰かに与えるかと思うと背筋が凍るようだ。

その上で、自分が求めるのは、やはり変わらないたった一人。

浮かぶキラキラとした一人の姿にランカの心はじんわりと暖かくなる。

そのことが少しだけ誇らしいような悲しいような気持ちになって、ランカの意識は闇に途切れた。

 

――prrrrr

 

移動中の車内に鳴り響く電話。

そこに表示された名前を見た瞬間に、シェリルは耳に端末を寄せていた。

今日は仕事中であってもどこか落ち着かなかった。

アルトのところにランカを預ける切っ掛けになった事件のときのように。

シェリルはその感覚が嫌で、だけど、どこか待ち望んでいた自分も隠せず苛立っていた。

 

「はぁい、アルト。どうしたの?」

 

十中八九、ランカのことだろう。

脳裏をよぎる緑の髪と麗しい赤い瞳を思い出す。

アルトへの電話の声を明るくしたのは意地のようなものだった。

シェリルはセカンドバースと真っ向から対立している。

自分の人生を自分以外の何かに決められるのが、ずっと、生まれてから嫌だったからだ。

歌でもインタビューでも変わらず、そう発言してきた。

そんな自分が運命の番に会い、揺らいでいるのが許せなかった。

 

『ランカのファーストが来た』

「……そう」

 

予想通りの言葉にシェリルは声を少し低くした。

ついに来たかと、背もたれにもたれ掛かる。

優しい感触が背中越しに伝わる。

深呼吸しても早まりだした鼓動は落ち着きそうになかった。

 

『今、Ω以外は立入禁止にしてある』

「βも?」

『一応な』

「すぐ、行くわ」

 

目の前には車の天井が広がる。

なんてことない、いつもの色だった。

なんてことない日常の続きが、初めての経験で覆されそうとしている。

これから向かうアルトの家でシェリルは間違いなく何かを選び取る。

期待していた、恐れていた瞬間だった。シェリルは瞳を一度閉じ、自分を見つめ直す。

きっと、今から行く場所でシェリルはセカンドバースと真っ向から戦うことになる。

それはランカを「運命の番」と認識してから、いつか来るとわかっていた瞬間だった。

 

『……ランカ、ずっとお前の名前を呼んでるぞ』

 

耳の奥に残るランカの声。

自分を呼ぶ声。

そして、誰よりも響いた歌声。

 

「わかってるわよ、だって、あの子は――」

 

――アタシの運命なんだから。

 

そう答えて、すぐに通話を切る。

ふうと小さく息を吐いてから、窓の外を見つめた。

ランカのことを思えばもっと熱くなっても良いはずだが、心は不思議と凪いでいた。

ずっと待ち望んでいたのか、それとも来ないで欲しかったのか。

今でもシェリルにはわからない。

 

欲を言えば、お互いに運命の番だと納得してからファーストヒートを迎えたかった。

ランカが自分を好いてくれているのはわかる。この間なんて、思わず襲いそうになったほどだ。

しかし時間は待ってくれない。

両思いになる、というシェリルの願いは叶わぬまま、ランカを手に入れることになる。

それが怖かった。

 

「だから、セカンドバースなんて嫌いよ」

 

ぽつんとつぶやいたシェリルの言葉をグレイスだけが聞いていた。

想いを伝えあって、それから絆を結ぶ。

自然な流れがセカンドバースには全く適応されない。

強い本能がシェリルの大切にする感情を洗い流すようで嫌だった。

 

「グレイス、今から明日にかけての仕事はキャンセルしてちょうだい」

 

電話の内容を理解しているのに微動だにしないマネージャーに声をかける。

残る仕事はインタビューと撮影。

どうしても今日じゃないと駄目なものはなかったはずだ。

 

「この借りは高いわよ?」

「銀河の歌姫に運命の番ができるんだから、お釣りが来るでしょ」

「そう、そうね。そう思うことにするわ」

 

グレイスはうっすらと唇を引き上げた。

その朱さが今のシェリルには印象的だった。

いや、この夜の全てが印象的になるのだと思った。

 

 

通い慣れた正面の門へと車を横付けにする。

アルトの家はいつもとは違う物々しさに溢れていた。

閑静な住宅街にふさわしくない人数の警備員が配置されている。

シェリルは車から飛び降りるような勢いで扉を閉めると、玄関のすぐそばに立っていたアルトと合流する。

 

「どうなの?」

 

アルトと2人並んで長い板張りの廊下を歩きだす。

急ぐ歩調に合わせて、ピンクブロンドの髪の毛がふわふわと揺れた。

それがシェリルの本能を急かすように感じられた。心が追いつかなくても、身体は着々と準備を始めている。

燐光を放つような艶やかな髪をランカは好いていて、よく「触らせてください」と頼まれた。

 

「最初はまだ呼びかけると返事をしたんだが、今はもう無理だ」

「アタシ以外、触れてないでしょうね」

 

足を進めるほど甘い匂いが強くなる。

まるで虫が蜜に引き寄せられるように、シェリルの鼓動も高鳴った。

いつかの事件のときも嗅いだ匂い。それをさらに強くしたような劇薬だった。

玄関からランカの部屋に近づくほどに芳醇な甘い香りがシェリルの鼻をかすめていた。

まるで酒に酔うかのように、頭がクラクラしてきそうな刺激的な匂い。

以前にも嗅いだこの匂いをシェリルは決して忘れていない。

 

「βさえ怖くて近づけてないっつーの」

「それは上々だわ。あと一晩よろしくね」

 

もしランカの側に誰かいるとしたら、想像しただけで吐き気がした。

αとしての本能が、自分の番の側に誰かを近寄らせることを拒絶する。

シェリルから言い渡された言葉に、アルトは面倒くさそうに頭を掻く。

それからにっこりと笑うシェリルを見た。

 

「まぁ、大丈夫だとは思うが、優しくしてやれよ」

 

アルトが足を止める。

シェリルはそのまま進んだ。

離れる距離を紡ぐような優しい言葉に、シェリルは首だけ振り返る。

 

「大切にするわよ。アタシの運命なんだから」

 

アルトに言われるまでもない。おまけにウィンクを一つサービスして、あとは振り返らない。

シェリルは心を落ち着かせるために深呼吸して、それからそっと運命へ手を伸ばした。

ずっとずっと認めなかったものが、今、目の前にある。

そう考えるとなんだか不思議な気がしてならなかった。

 

「…っ…、しぇ、りる、さん」

 

月明かりが差し込むだけの暗い部屋。

そんな中でもランカの姿はすぐにシェリルの瞳へと飛び込んできた。

まるで彼女自身が光を発しているかのように、濡れた赤い宝石がシェリルを射つ。

 

「ランカちゃん、とっても扇情的な姿でお迎えありがとう」

 

いつもとは違う色っぽさがαとしての本能を掻き立てる。

シェリルと会うと大きく動いて嬉しそうにしていた緑の髪も今は頼りなさげに沈んでいる。

白い頬は赤く染まり、伝う汗がまるで甘露のようにシェリルには写った。

赤い瞳はいつもの溌剌とした光ではなく、蠱惑的な色をしている。

同じ宝石のような美しさなのに、今は何もかも飲み込んでしまいそうな紅だった。

 

(これは、すごいわね)

 

ランカと目があった瞬間に、シェリルはフェロモンに襲われた。

シェリルの自意識を全て持っていきそうなほどのαとしての欲。

目の前の存在を手に入れて、食べてしまいたいという本能が引きずり出される。

背筋を這い上がる快感を抑えることもできない。いや、抑えることさえしたくなかった。

 

「しぇりる、さん。私、からだ、あつい……です」

 

月明かりに浮かぶ運命にシェリルは一歩ずつ足を進めた。

ランカが言葉を発するたびに、甘い匂いが強くなっているように思えた。

耳に届く声が、シェリルの本能を掻き立てる。

――近づけ、襲え、食え。

――優しく、丁寧に、怖がらせずに。

相反する気持ちが天秤を不安定に揺らす。

それでも、目の前の彼女から逃げる気は少しもしなかった。

 

「そう、ね。アタシも、よ」

「しぇりるさんが、欲しくて、仕方ないん、です」

「……そう」

 

そっと震える手でランカの顔に触れる。溢れ出した熱が彼女の体温をかなり高いものにしていた。

今すぐにでも襲いたかった。番にするために、彼女の薄紅色に上気したうなじへ噛み付いてしまいた。

セカンドバース、さらにいえばαとしての抗いがたい欲求。

押しとどめたのは、ランカのヒートでありながら、シェリルだけを見つめる真摯な瞳だった。

 

Ωはαと反対の性だ。

奪うのがαだとしたら、誘うのがΩ。

その考えのせいで、Ωは襲われるものであるのに、差別されてきた。

ここで何も考えず、名前も呼ばれず、ただ欲しがられたら。

運命など何も気にせず、ただのαとしてΩを食っていてしまったかもしれない。

 

「シェリルさんを、私に、くれますかっ?」

 

そんなΩであるはずのランカの一言は魔法のようだった。

奪われるはずのΩが、αであるシェリルを「くれ」という。

そんな風に求められたことのないシェリルはその言葉を聞いた瞬間に、一瞬で落ちて、一瞬で舞い上がった。

今まではαの本能だけがΩのフェロモンによって高ぶっていた。

それなのに一瞬で本能が落ちつき、シェリル自身の気持ちを巻き込んでもっと高くへと飛び立った。

 

(ありがとう、ランカちゃん)

 

そっとぎゅっとランカを抱きしめる。顎の下に来た緑の髪がただひたすら愛しい。

セカンドバースを超えることはシェリル一人には難しかった。αとしての特徴を色濃く持つせいもある。

それをランカはたった一言で、本能を恋情へ、下手したらもっと大きなものへと変えてくれた。

シェリルはカメラの前では絶対にしない、くしゃくしゃの顔で笑った。

その瞳から涙が溢れていることにシェリル自身も気づいていない。

この世界で一番綺麗な涙を見れたのは、たった一人ランカだけだった。

 

「いいわよ、あげる。アタシの初めて、ランカちゃんにあげるわ」

「……うれしい、ですっ」

 

ふわりと微笑む姿に今までで一番大きく意識が揺さぶられる。

段階的に強くなるフェロモンに意識が飛びそうだった。

さっきまで怖かった。もう今のシェリルにとって、それは怖いことではない。

 

「あなたを番にする」

「え……」

 

不思議そうな瞳でシェリルを見上げるランカ。

その額に誓うように優しくキスをする。

ぎゅっと掴まれた腕の熱さが愛おしかった。

本能が求める関係なんてロクなことがないと思っていた。

全て自分で選んで、全て自分で掴み取りたかった。

それができないセカンドバースを嫌った。

 

「返事はしなくていいわ。だって、アタシはシェリルだもの」

 

今は感謝しても良い。

シェリルにこれ以上ないほど運命を信じさせてくれた。

ランカと引き合わせてくれた。それだけで十分だった。

 

「はい」

 

ランカの瞳から一筋の涙が溢れる。

それが番となれる幸福からなのかは、ランカしかわからないことだった。

 

end

 



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#10

 

朝が来た。

昨日までとはまるで違う朝。

部屋の中はまるで甘ったるい匂いがそこかしこに残っていて。

それでも少しも不快ではない。

なぜなら、ついにずっと探していたものを見つけたからだった。

 

 

#10

 

 

しっかりとランカが意識を取り戻したのは、熱に意識を奪われてから一日と少し経ってからだった。

大分聞き慣れてきた朝の喧騒がランカの耳を打った。

立派な日本庭園を持つアルトの家では、毎朝鳥たちがランカを起こしてから人が動き出す。

 

「ん……」

 

今日はいつもよりずっと日が高いのに、とても静かだった。

その違和感に、幸せにまどろんでいた意識が浮上する。

すごく柔らかくて、安心できる何かがランカをぎゅっと包み込んでくれたいる。

緩やかに頬を寄せつつ、伝わってくる体温を感じた。

 

「……ん?」

 

大きく息を吸い込めば大好きな匂いがランカの鼻腔いっぱいに広がる。

これは、間違えるわけもないシェリルの匂いだ。

朝から彼女のことを感じられるなんて幸せ、とランカは夢心地のまま瞳を開いて。

そのまま、一瞬、停止した。

 

「シェリル、さん」

 

かすれた声がこぼれ落ちた。

ランカの布団にかろうじて収まっているのは銀河の歌姫その人である。

まるで、子供のような幼い顔で、ランカを腕に包み込んでぐっすり眠っている。

美しい人は寝顔まで美しい。

ランカは画面越しでも見たことが事がないくらい近くにある彼女の顔をしばらく呆けたように見つめてしまった。

 

きめ細やかな肌に、すっと通った鼻筋。

今は隠されている瞼の向こう側にはまるで空のような深い青が隠されている。

それを祝福するようにピンクブロンドの髪が顔を囲み、ランカの緑の髪との色の違いをはっきりとさせた。

 

「なん……っ!」

 

見とれていたランカの脳裏に昨日の記憶がよみがえる。

ボヒュンと音がしそうな勢いで自分の顔に熱が上がっていくのをランカは感じた。

 

昨日、ランカはヒートを迎えた。

それからはずっと夢の中を歩いているような心地だったが、シェリルが現れてからのことは覚えている。

ヒート状態に入ったΩは記憶が薄いと言われる。だからこそ、襲った誘ったの争いになる。

しかし、ランカは思いの外はっきりとシェリルとのことを覚えていた。

それが運命の番だからなのかは神のみぞ知ることだった。

 

「シェリルさん」

 

まだ、声を出すには辛い。

意識をしてみれば全身のあちこちに感じたことがない倦怠感があった。

何よりランカは覚えている。

シェリルが自分のうなじを噛んだことを。

そして、それがセカンドバースとずっと戦っていたシェリルにとってどういう意味を持っているかを考えてしまった。

 

「ランカちゃんは、朝から忙しいのね」

 

腕の中に包み込まれるような距離は変わらない。

目の前で先程まで隠れていたサファイアの瞳が輝きだして、ランカは顔に熱がこもる。

昨日はこの青がひどく熱に浮かされて自分を見ていたのを知っている。

今優しく抱きとめてくれた腕が、どれだけ力強く動いたかも知っている。

その上で優しかったのだから、ランカとしてはたまらない。

――歌うことを最上としているランカでさえ、ずっと夜のまま留まってしまいたかった。

そう、思えてしまうくらいの幸福感が番になった後の交わりにはあった。

 

「お、おはよう……ござい、ます」

「ええ、おはよう。思ったより元気そうで安心したわ」

 

甘く響く声が麗しい。

自分の耳元で響く声に酔いしれてしまいそうだった。

昨夜の近さを覚えているのに、覚えているからこそ、ランカは目の前で輝く星にクラクラとした。

星の輝きは遠くで見ていればキラキラと煌くだけだが、身近で見ると当てられてしまう。

 

「シェリルさんが、優しいから」

「あら、過分な褒め言葉ね」

 

どうにか絞り出した一言は、そんな可愛くもなんともない言葉になってしまった。

セカンドバースの、更に言えば、αの発情の怖さをよく知るランカにとって、発情していても優しいということは凄いことだ。

本能の熱に浮かされた状態でも、シェリルはランカに優しかった。

それは痛みが少しもない身体が証明している。

 

少し顔を上げれば、昨日とはまた違う、変わらず麗しい顔がランカを見つめ続けている。

それだけでフラッシュバックのように様々なこと思い出してしまって。

嬉しさと恥ずかしさが交互に襲い、その終局点でランカはいらない事実にも気づいてしまった。

――セカンドバースと戦っていたシェリルはランカを番にしたことで、セカンドバースに負けてことになってしまうのではないか。

少なくとも、世間はそう思ってしまうのではないか。

銀河が注目する歌姫だ。あらゆる批判が集まることは目に見えていた。

 

「でも、良かったんですか?」

「……ん?」

 

大きく吸って、吐いて、どうにかランカは言葉を紡いだ。

ランカは自分自身の性を知っている。セカンドバースを理解している。

その中でも非常に強力なΩとして、長年扱われていたのだから。

 

「わたしが、番で」

 

言った瞬間に泣きそうになった。

シェリルの番になれたことは死ぬほど嬉しい。

何より、ファーストヒートを迎えた瞬間、頭の中は彼女のことしか思い描かなくなった。

全てがシェリルで、シェリルが全てだった。

彼女の艶やかな唇が首筋をなぞり、噛まれた瞬間にランカはなくしていたもの全てを手に入れたのだ。

 

「嫌だったの?」

「違いますっ、そんなことは絶対にないです」

 

ランカの言葉にシェリルは少しだけ目を細めた。

不機嫌さで隠そうとしても、その下に見えるのは、ランカがたまに感じていた孤独だ。

――寂しい人。いつだかアルトにもそう話したことがある。

シェリルはその内側に人知れない寂しさを持っている人間なのだ。

番を手に入れたことで、それが満たされたかは彼女にしかわからない。

ランカは少しでも寂しさを満たせる存在であればよかった。

 

「……でも」

 

シェリルのセカンドバースの受け止め方を知っている。

そんなシェリルが自ら番を作るなんて、ランカには信じられなかった。

自分の、人より強いフェロモンが彼女に無理を強いたのではないかと怖くなってしまう。

それはきっと何よりも罪深いことだ。

一度そう思ってしまうと、考えが止まらなくなり、思わず目を伏せる。

 

「ねぇ、ランカちゃん」

「はい」

 

そんなランカの耳に優しい声が降ってくる。

少しだけ色を濃くした緑の髪を柔らかな指先が通り抜け、その仕草一つでも愛されているのが伝わる。

心はこれ以上無いほど喜び、高ぶっているのに、シェリルを傷つけたかもしれないと思うだけで怖くなる。

シェリルの全てに憧れていた。

シェリルの生き方が好きだった。

セカンドバースと戦う背中を追いかけていた。

人生の目標にしていた人を、くだらぬ横道に連れ込んでしまったのかもしれない。

 

「シェリル・ノームは流されて番を作る人間?」

「そんなこと、ないです」

 

シェリルの言葉にランカは小さく、それでもしっかりとか否定した。

ランカの知るシェリル・ノームは、何よりも誰よりも自分で選ぶことを大切にしていた。

プロデュースも自分の納得いくまで拘る。

自分の歌が一番良く見える魅せ方を彼女はずっと追い求めていた。

それがランカの知る『シェリル』で、だからこそ、たまに見え隠れする寂しさが酷く気になったのだ。

 

「そうよね。アタシはシェリルよ……自分の運命は自分で切り開くもの」

 

「いつも、そう言ってきた」と呟くようにシェリルが口にする。

そこに含まれた感情に思わずランカは顔を上げた。

シミひとつない抜けるような美しい肩やデコルテに、輝くような金糸が舞う。

シェリルだった。ランカが研究所の中から、ずっと焦がれていた『シェリル・ノーム』がそこにはいた。

 

「アタシは、アタシが欲しいものを手に入れる」

 

真っ直ぐにランカを見下ろす視線は、まるで女神のようだった。

きっと神様から天啓を受けた人間はこうなるのだろう。

動けない。離せない。

こんなにも魅力的な人間がいるなんて信じられない。

それでもシェリルは人間で、だからこそランカは思わずその頬に手を伸ばしてしまう。

 

「そんなアタシでも、ランカちゃんだけは不安だった」

「え?」

 

そっとなぞった頬の下は濡れていなかった。

ランカにはまるでそこを透明な雫が通ったように見えた。

僅かに弱くなった声音に、顔を少しだけ近づける。

シェリルが困ったように笑った。そっと手が重ねられて、指先に彼女の唇が触れる。

 

「だって、アタシは見た瞬間、聞いた瞬間にわかったもの」

「そうなん、ですか?」

 

ランカとシェリルがきちんと対面したのは事務所が最初だ。

もちろん、それまでも画面越しであればランカ穴を開けられるほどシェリルの顔を見ている。

生で見たのはライブの時が初めてで、ライブも生のシェリルもドキドキした。

勢いで出たオーディションに受かって、事務所で会った時だって、いつでもランカはドキドキしていた。

シェリルと会うだけで幸せだったし、歌を一緒に歌えるかと思うとワクワクどころの話ではなかった。

つまり、ランカはシェリルと一緒であればいつでも驚くほど幸せだったのだ。

それが運命などと考える前に、本能が理解してしまっていた。

残念なことに、ランカ自身はそれを今でも理解してはいないが。

 

「ええ、悔しくて……でも、嬉しくて」

 

ぎゅっと繋がった手から体温が移り始める。

負けず嫌いのシェリルらしい言い方に、ランカは表情が緩むのを感じた。

自分が何を言っているか理解し始めたシェリルの頬が少しずつ赤く染まり、青い瞳が左右に泳ぎ出す。

それから観念したかのように、ランカにとって一番嬉しい言葉をくれた。

 

「あなたの歌は、誰よりも心地いい」

「それはわたしのセリフです!」

 

勢い余ってシェリルの胸に飛び込むような形になった。

シェリルの歌が誰よりも好きだった。

いつか隣で歌いたいと、思い始めたのは事務所で出会ってからだった。

それでもシェリルが特別なことに少しも変化はない。

 

「ね、アタシはきちんと選んだわ。あなたはアタシを選んでくれる?」

 

ぎゅっと包み込まれる腕の暖かさが幸せだった。

シェリルの腕の中から見上げた瞳は今まで見た中で一番彼女に近寄れた。

その瞳に弱さを見た。孤独を見た。

ランカはシェリルの歌の奥底に流れていた寂しさの塊を感じた。

 

「もちろん……わたしで良ければ」

「ランカちゃんが良いのよ。って、もう番にしちゃったから、離さないけどね」

 

ふんわりと微笑むシェリルを忘れることはない。

きっとこれから先も、ランカはずっとこの瞬間を覚えているだろう。

彼女の強さも優しさも。

彼女の弱さも寂しさも。

何もかも見せてくれたことが、ランカにとってこれ以上無いほど嬉しかったのだから。

 

end

 



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