幸せな過程 (幻想の投影物)
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真実への到達

性格改変があるのはご了承ください。
なるべく、全員がかっこいい作品を目指していきたいと思います。


 人間とは終わりを以って完結する生物である。

 何かしらの終わりによって充足を感じ、その過程で経験した苦しみや疲労の全ては終わりの時に幸せや達成感と言った高揚の感情と共に完結する。それは死に向かう一方的な「命」を持つ生物として、その中でも知能を持った全生物の中でも最も顕著に表れる特徴ともとることが出来る。

 その中には過程を無くして結果のみを追い求める人物もいる。そう言った人物は己から行動をしようとせず、ただ夢物語を頭に思い浮かべて満足する愚かな人間ばかりだと、そう言う見方も出来るだろう。

 しかし、もし行動を良しとして過程をいらない物として斬り捨てる人物がいたとしたらどうだろう? 頂点として「絶頂」の時を追い求め続け、それへ至るために「過程を吹き飛ばす」。何とも矛盾した例と言うのは理解しているが、それを成し遂げてしまった人間と言うのもやはり存在するのだ。

 

 その名はディアボロ。悪魔の名を冠するギャングの絶頂(ボス)…だった。

 

 そんな彼も、ずっと後回しにしていた過程のツケが回されてきたのだろうか。はたまたそのツケが乗算と円環を繰り返して無限を手にしてしまったというのか、ともかく、このディアボロと言う男は己が絶頂を追い求めるために斬り捨ててきた全ての物に報いを受けるが如く、正しく「死に続ける」こととなった。

 

 だが、決してディアボロという男に真実と言う「到達点(ゼロ)」が訪れる事は無い。

 0.00000000……000001()と言った様に、決して彼が到達する事は許されていなかった。彼が死に続ける「過程」の中で、いっそ殺してくれと懇願する事もあった。正しくそれは直後にかなえられ、彼は死の直前で万全の状態に戻されて再び死を経験する。しかし、絶対に彼の死亡と言う「ゼロ」に到達する事は無い。

 死なせてくれと、懇願する事が多かった。だが鎮魂歌(レクイエム)は死者へと送る魂を癒す歌。生きる彼への懇願は決して受け入れず、死の安らぎを与えようと延々と彼に死んだ生を与えようと運命の歯車を回し続ける。

 いっそ狂いたいと、正常な思考を保たされる彼は思った。先ほどの「人は完結を追い求める生き物」という定義にあてはめるとするなら、彼は本当の終局。死と言う己の終焉によって死に続けるという過程を無かったことにしたかったのだ。だが、それは彼の人生を否定するある黄金の精神を持った若者の巻き起こした風によって、彼自身を再び否定されることとなる。

 

 ディアボロは死の淵へと近づきつつも、次の瞬間には再び生の謳歌を味わされる。そんな中で、彼は一種の悟りとしての答えを導き出した。

 

 ―――これは罪だ。これは罰だ。ならば己は、この罰と己の人生を「認める」べきなのではないだろうか?

 

 思えば、この「王なる深紅」を共にしてからの日々、己の中で過ごしていた「ドッピオ」という半身を偽りの仮面として遣い続け、パッショーネという巨大なギャングのボスと君臨し続ける中で身分を隠し続け、己と言う存在が決して誰にも「認識されない」ようにするため、己の手で己の歴史を消し去ってきた。

 しかし、今こうして永遠と言う牢獄に囚われた今、それがどれだけ哀しい事だったかが分かる。命とは巡るための物であり、人ならざる者の手によって白紙へ戻されるまでは決して己を消してはいけない。己の歩いた轍を辿る者がおり、己の過去を振り返る事で自ずと絶頂の時へ歩むことが出来るための布石ともなるのだから。

 

 現に、数多の自分の命が失われる感覚を経験した中で、その死に際の瞬間は決して色あせることなく頭にこびりついている。その中で己は死を嘆くばかりだったが、死に際に直面したシチュエーションはどうだっただろう?

 

 自動車に轢かれた。

 ―――エピタフで飲酒の運転手が追突する「未来」が見えていたが、それを己が防ぐ形となっていたのではなかったか。

 

 肝臓を抜かれた。

 ―――名も知らぬ誰かのドナーとして役に立てた。あの時の医者は健康な臓器だと褒めていたが、その声は誰かの命を助けられると、喜色に染まってはいなかったか。

 

 飛び降り自殺現場の真下で潰された。

 ―――飛び降りた人間は奇跡的に助かり、近くの野次馬が呼んだ救急車でその人の命は助けられると、意識が落ちる直前に聞きとれた。

 

 まだまだ多くの例があるが、自分はその中で何を思った?

 最初は、自分の境遇に嘆いていた。

 途中から、少し周りに目を向けるようになった。

 今に至るくらいには、助けられたのか? と疑問に思うようになった。

 現在は、良かった。この四文字が頭に浮かんでくる。

 

「……ぐ、今度は…?」

 

 そして、また俺はどこかに放り出される。

 そこは戦場だった。誰もが命を失う戦場。

 己が力――傍に立つ者(スタンド)は、時の力を封じられても未来は見える。

 

「…エピタフ」

 

 だから、鎮魂歌がこの身に祝福と制約を与える前に「悲劇の未来」を探さなければならない。己がそこに割り込む事で、助かる命が在るのなら、救える意志が在るのなら。罪に濡れた己の身を差し出すだけでいいのなら、俺は「俺」を保つために喜んでこの身を差し出そう。

 決して、終焉(ゼロ)が訪れることがないというのなら。俺に出来ることがそれだけならば、俺は流される形になろうと、それでも俺自身の意志で…!

 

 そして見えた。これより十二メートル、三時の方向。銃弾を受けて倒れる兵士。倒れた時の指が引き金を引いてしまい、巻き散らかされた弾丸が仲間の小隊を襲う光景。その直前、自分が割り込むことで死ぬ未来が。

 エピタフの予言は覆らない。だが、その未来は最終的に己を必ず導いてくれる。

 

 嗚呼、この身は既に死に続ける。ならば―――自らの意志で死に飛び込むのみ。

 

「キング――――」

 

 故に呼ぶ。己が傍に在るべき姿見(ヴィジョン)を。

 この身と共に運命へ抗うため、手を貸し立ち向かう者(スタンド)を!

 

「クリムゾン!!」

 

 思い出せ、パッショーネを作り上げた理念は何だった? 絶頂に至る事か? 違う。裏社会を浄化し、己が頂点へ君臨する事で裏社会を表で生きられぬようになった者の受け皿とするための物だったろう?

 褒められた仕事ではない事は知っている。そして、そのためには何人もの部下を騙し、殺してきた事を覚えている。だが、いつしかその理念を忘れて麻薬を広めさせることになってしまったのは―――何故だったか。

 分からない。覚えていない。それでもこうなってしまった今だからこそ言える。

 

 かつての情熱をこの胸に。

 

 届かせろ、紅の王よ。たった一つ、この身を決死として挑むだけでエピタフの予知を曲げられる。自分で見た未来だからこそ、この手で、その能力で「吹き飛ばす」事が出来たではないか。

 ならば、今は行動範囲の括りを吹き飛ばしてしまえ。そして、その兵士を救え――!

 

「な、貴様何者――!?」

「キング・クリムゾン!」

 

 その男の目の前にスタンドを割り込ませ、直後に飛んできた銃弾の壁とする。

 

 此処で一つ、語らせてもらうとするならば―――なるほど、確かにスタンドは物理的なものに干渉できないし干渉される事は無い。だが、思い出してほしい。グイード・ミスタのスタンドがただの銃弾を蹴り飛ばせるように、その全ては使用者の「強固な意志」にて決定されるということを!

 

 ディアボロのスタンドはただただ己の本体の意志に従い、常人には見えぬ肉の盾となってその場に降り立った。それは、限界を超えた射程距離の外。恐らくはこれ一回限りの奇跡なのだろうが、ディアボロにとってはそれで十分。

 

 キング・クリムゾンがその胸に銃弾を受け、ディアボロの胸にも風穴が開く。

 

「…アンタ、俺をかばって?」

「………」

 

 気管と声帯をやられたらしい。声は出ないが、兵士の訳が分からない、と言った風な顔に対してディアボロは口の端を歪ませる事でその場に崩れ落ちた。心臓の辺りも見事にやられているらしく、彼はただ訪れる次の終わりに対して久しく使われていない表情筋に命令を出し、にこやかな笑みを浮かべた。

 先ほどの兵士が小隊の連中に自分を助けてもらうように頼んでいるようだが、絶対に不可能だろう。重要な器官をサッカーのゴールネットかと言うほどに穴をあけられているのだ。ここで助かるならば、それはこのレクイエムの終焉に他ならない。

 

 己は許されてはならないのだ。だから、これで良い。

 

 ディアボロは、知らずに内心で大笑いを繰り広げていた。

 こうまで己が変質するとは、という過去の自分とこれで良いではないか、という今の自分。まるで失った半身ドッピオの代わりにディアボロそのものが二面化したのではないかと思われるほど、まったく違う自分が顔を覗かせて心で笑っている。

 

 そう言えば。ふと、彼は思った。

 今まで己は真実に到達する事が出来なかった。全てをありのままに受け入れ、この体は全く動かすことが出来なかった筈。例えるならば、リフティングの際にボールを蹴る位置に足を動かそうと思ったのに、実際はさほど足が上がっておらずにボールを取り落としてしまうと言ったようなものだ。

 だが、己はあの時、確かに自分の意志でスタンドを操り、この体を動かし、声を発する事が出来ていた。それはつまり―――レクイエムの影響が無くなっているのではないか?

 

 そこまで考えて、彼の意志は暗き闇の中へと落ちた。

 

 

 さて、確かに彼は真実や終焉といったゼロに辿り着く事は無い。

 しかし、しかしである。

 もし彼の傍に、「ゼロ」となる人物がいるとしたら――?

 

 

 これは、そんな御伽噺。

 

 

 

 

 遥か、地球とはまったく違う惑星、時間軸、世界に位置する大地が在った。

 始祖ブリミル。魔法をこの世にもたらし、魔法を使える者達やそうでない物にも唯一神として信仰される実在したものを祭り上げ、六千年もの間決して変わることのない魔法至上主義の歴史を紡いできたこの地には、「奇妙なこと」が起きていた。

 

「我が使い魔を、召喚せよ!」

 

 風が吹き荒れ、大地を揺るがす衝撃が作り出される。

 この魔法至上主義の中、魔法を扱い経済の為にその能力を惜しみなく使い、戦争の度に人を容易く殺せるその御業を以って絶対の権力を誇った「貴族」と呼ばれる者たちがいる。そして、魔法を使える者をメイジとも言うが、これは貴族の前提条件に過ぎない。

 

 貴族として生まれたからには魔法を扱えて当たり前。

 

 しかし、その中でただ一人「ゼロ」と呼ばれる二つ名を持った少女がいた。

 彼女は魔法の全てを爆発と言う「結果」に集結させ、望んだ魔法を欠片たりとも扱う事が出来ない。その事は周囲との大きな隔たりを生み、時には身分が低い筈の「平民」と呼ばれる魔法を使えない人間達にさえ陰ながら笑いものにされていた。

 その言葉が、彼女の耳に入っている事すら気付かず。

 

「ハァッ、ハァッ…! み、ミスタ・コルベール…!」

「……分かりました。ミス・ヴァリエール、貴方も限界でしょう。後一度だけ、“サモン・サーヴァント”を許可します」

「あ、ありがとうございます!」

 

 嬉しそうな笑みを見せた少女は、温和に見える壮年の教師に向かって礼を言う。しかしその内心ではこれが本当の最期であると、「覚悟」を決めて呪文(スペル)を唱えて行く。

 

「我が名はルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール」

 

 己が名をその場に誇示。

 そして誇りとするヴァリエールの人間だという事を胸の内に、これが最後だと何度も心で言い聞かせながら一言一句間違えないように精神力を滾らせていく。身の内で高められた魔力は彼女の杖へと巡り、循環する魔素の流れが彼女の意志に応えるがため、魔法としての形を作り出して行く。

 

「五つの力を司るペンタゴン」

 

 思えば、周りには囃し立てるクラスメイトも、家の恋愛問題としても宿敵のツェルプストーも、ずっと自分を見守っててくれるコルベール先生以外には誰一人として存在しない。

 一回目はいつもみたいに馬鹿にされた。

 五回目からはバテ始めた自分に心底失望した声が聞こえた。

 十回目ともなれば誰もが爆音や爆破熱に訴えを口々に、学院へと戻って行った。

 

 そして、最早数える事すら忘れた今。最期と告げられた私は生涯忘れられぬ程の集中をしているのだろう。こうして馬鹿な事を考える半面、意識の別側ではただ召喚のことしか考えていない思考も存在する。二つに分けられた思考を同時に認識するなど、どれだけの執念があればこうなるのやら。

 自嘲を零し、残った自信だけを胸に呪文を紡いでいく。

 

「我の運命に従いし、“使い魔”を召喚せよ!」

 

 杖を振り下ろし―――爆発が巻き起こった。

 最後の一手。最後に至るためのゼロカウント。そう言った要因が組み合わさった結果なのか? それは誰にも分からない。そして彼女の様子を見ていた教師、コルベールは再び爆発が巻き起こり、サモン・サーヴァントの使い魔が潜り抜けるための銀色の鏡が現れなかった事でかぶりを振って目を伏せた。

 

(駄目だったのか、嗚呼、ブリミルよ。なぜ彼女にだけこのような試練を与えたのか。私は貴方を恨みましょうぞ。もはや死に絶え、この世界にはおらぬ人の子よ―――)

 

 コルベールは教皇が聞けば怒り狂いそうな反逆の徒として扱われる言葉を吐き、忌々しげに天を仰いだ。しかし、様子が変だ。先ほどまでのミス・ヴァリエールならば何かのリアクションを起こしてもおかしくは無い筈。

 爆風と煙で姿の見えない彼女がまったく行動を起こさないことを不審に思いつつ、彼は声をかけようとして、

 

「ミスタ・コルベール……見て下さい」

 

 信じられない、との感情が込められた言葉を耳にした。

 彼女の指をさす方を見てみれば、そこには確かに彼女の呼び声に応えたのであろう「生物」がいた。しかし、それはただの使い魔では無い。

 

「……人間? それに、この髪の色は」

「私の親族ではない、とも言い切れませんが……この格好、やはり平民なのでしょうか」

「分かりません。ですが、貴方が召喚した使い魔である事は“真実”です。ようやく辿り着きましたね、ミス・ヴァリエール」

 

 そう。例え召喚したのがこのヴァリエールに連なる桃色の頭髪を持った人間だったとして、それが使い魔であるという事には変わりがない。知らず、コルベールの瞳からは一筋の涙が流れていた。

 その直後、異変が起きるとも知らずに。

 

 ―――到達シテシマッタカ。ナラバ、モウワタシカラ出来ルコトハ無イ。

 

 どこからか響く無機質な、それでいて何かの感情を感じさせる声。それは、召喚主のルイズと名乗った少女と、教師コルベールの二人の耳に聞こえてきた。いや、正確にいえば感じていたと言った方が正しいか。

 その声がしたのは目の前の男なのかとルイズは目を向けるが、以前として彼は倒れたままだった。気絶しているようで、卵を産む最中のウミガメよりもじっと身動き一つしていないように見える。

 一体何だったのだろうかと首をかしげるが、幻聴ならばその方がいいと、関わらない方向に二人の意見は一致していた。

 

「ミス、私がレビテーションで彼を君の部屋まで運びましょう。目を覚ましたら、存分に語り合って事情を聞いておいてください。コントラクト・サーヴァントの報告などもそれからで構いませんぞ」

「お心遣いに感謝します、ミスタ・コルベール」

「誰が何と言おうと、彼はミス・ヴァリエールが召喚した使い魔です。友好な関係を築ける事を祈らせていただきます」

 

 その言葉にはうるっと目頭が熱くなったが、何とかしてこらえた。

 しかし、まったくもって、まったくもって不可思議で奇妙なことが起こっているのだという事も何故か実感できる。ルイズはこの尊い桃の髪色を持った人物を不審そうに見つめながら、そう思うのであった。

 

 

 

 ルイズは溜息をついた。

 一応、髪色から判断して高貴な身分である事を疑いつつ、一つしかないベッドを占有させる。それは良いが、もし平民でしか無かったら蹴っ飛ばしてやる。そんな事も思う。

 そして何より、召喚したはいいがまだ使い魔契約をしていないことが悔やまれる。この男はマントをつけていないから平民だ、とも言い切れない「凄味」を眠っている今でも発しており、何か自分の意志を寄せ付けないかの如き意志をも感じられる。眠っているのに意志を感じるとは、ど~にも妙な話であるとは自覚しているが。

 

「早く、起きなさいよッ……」

 

 あーもう、という呟きと共に拳が振り下ろされ、ベッドを殴打する筈のそれは寝ている男の鳩尾に綺麗に吸い込まれていく。あ、と気付いた時には自分の華奢な手は男の肉体に接触しており、想像以上に鍛えられている固い感触は手酷い反動を手に返してきた。

 

「痛たた……」

「…ぐ、ぅ」

 

 掌がしっぺでも受けたような痛みに悶えていると、先ほどの衝撃がきっかけとなったのか、桃色の紙に緑の苔が付いたような奇妙の見た目の男が目を覚ましていたのだ。ルイズは焦る気持ちと、その正体を確かめんとする好奇心に突き動かされて行動を取ろうとして―――

 

「ハァッ!」

「え」

 

 突如として飛び起き、部屋の隅で臨戦態勢を整えた人物に対処しきれなかった。

 呆然としたせいか、杖を取り落としてしまうという失態さえ犯し、この明らかに「ヤル気」に満ち溢れた人間への対抗策(と言っても失敗魔法の爆発のみ)を取る事すら困難となってしまったのだ。

 ルイズはそこで、彼の体が恐ろしく鍛えられている事を思い出す。杖を持っていない自分が動くより、あちらの方が早いのではないか。そんな考えが冷や汗をかかせ、鼓動の速度を速める。今なら吊り橋効果も簡単じゃないのか、という冗談めいた思いが頭をよぎった瞬間、目の前の男は、どこか呆気にとられたかのような表情をしていることに気付いた。

 

「……お前は」

「あ、アンタ何するのよ! これからの御主人に向かってその態度は!」

 

 反射的に言ってから、ルイズはしまった、と内心で焦りを生じさせた。

 先ほど「危険」という判断を下したにもかかわらず、杖を拾う事も無く身分を確かめるような会話も無く、見ず知らずの戦える人間に向かって挑発に等しい言葉を投げかけてしまったのだ。

 すわ、一大事か。ルイズは聡明ながらも性格に難在り。一番自覚している失態を教訓に、生き残れたらこれから気をつけようと、思ったところで、相手が戦意を発する事も無くなった事に気付く。戦闘に当たってはズブの素人のルイズなのだが、生憎と「ゼロ」の二つ名を賜り続けたおかげで敵意や悪意と言ったものには敏感になっていたようだ。

 しかし、次にディアボロが発した言葉によって再び場の空気は一変する。

 

「……殺さないのか」

「は、へ…? こ、殺すってそんな。確かにサモン・サーヴァントの使い魔は一度術者か対象が死なないと次は使えないけど……」

「サモン・サーヴァント? それが、お前のスタンド名なのか?」

「スタンド? そっちじゃ魔法をそう呼んでいるの?」

 

 そして新たな沈黙が訪れる。

 数十秒に渡る視線の交わし合いと、ギャング組織のボスとなれる知識量を持ったディアボロと、座学はトップを占める最高峰の知識を持ち合せるルイズの思考に整理がついた時、ようやく両者の見解に相違があると気付く事になった。

 まずはディアボロが動き、敵意が無い事を表す為に無防備に両掌を見せた状態でルイズの近くに歩み寄り、その地面に腰を下ろした。椅子に座っていたルイズは、自然と彼を見下ろす形になるが、こうした相手に対して当たり前の様に視線を譲る行動は、そう言った身分の相手と長い間付き合ってきた証拠ではないのだろうかと新たに思う。

 

「まずは私から言わせてもらうわね。私はルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。誇り高きトリステイン王国の貴族、ヴァリエール公爵家の三女よ」

 

 自己紹介から始めようと、ルイズが率先して言葉を発する。ディアボロもその意思をくみ取り、相手が言ったことが狂言や妄想の類では無い事を立ち振る舞いや言葉の調子から読み取って此方も対等な関係として自己の紹介をした。

 

「オレは…ディアボロ。かつてイタリアのとある組織を率いていた身の上だ」

 

 ルイズはディアボロから漂う雰囲気が只者ではない事を、その一言で納得した。

 一方、そうして本名を語る彼は、最早自分の秘匿を投げ捨てたものだった。

 あの永遠の鎮魂歌を持つスタンド「ゴールド・エクスペリエンス・レクイエム」を発現させた少年、ジョルノ・ジョバーナに敗れ去り、真実への到達を良しとされなくなった彼にとって、自分の身ほど無価値で殺され続ける物は無い。故に、後悔も無い。誰に己が知られようとも結局己の事はあの「反逆者」以外は世界の誰も知らず、何処で名乗ったとしても結局は殺され続けて最初からいないものとして扱われるのだろうから。

 

「えっと、状況説明から始めた方がいいのかしら」

「是非そうしてくれ」

 

 ディアボロの簡潔な物言いに、ルイズも本当に未知の領域に踏み言った人物の様だと評価を下すと、昼ごろの使い魔召喚の儀式が自分の進級を決める最重要課題である事。そして召喚されたのが普通の幻獣では無くディアボロだった事。使い魔と召喚されたディアボロには悪いが、これからの一生を自分の為に費やしてもらう事になるのだとも。

 そうした説明が終わった後、ルイズはディアボロの発言にまたもや驚かされることになった。

 

「昼から、だと? 今は太陽が沈みかけているようだが…本当に、その間この身には何事も無かったのか」

「え、ええ。強いて言うならコルベール先生が“レビテーション”の魔法でアンタをここまで浮かして連れてきた位よ。先生もメイジとしての腕は達者だから、途中で取り落としたり、どこかにぶつけるような事もしなかったわ」

「……そうか。オレは、死ぬような事態には巻き込まれなかったか。……すまない、ああ、ヴァリエール、だったか」

「…せめてミス、とか敬って欲しいのだけど」

「そうか。ならばミス・ヴァリエール。少し考える時間をくれ。整理をつけたい」

「それもそうね。落ちついたら、ちゃんと説明してくれるかしら」

「ああ」

 

 短く答えた後、ディアボロは思考の海へと没頭する。

 この目の前の少女が言うには、ファンタジーにでも存在する魔法とやらが当たり前のように発展していて、この古めかしい石造りの部屋を見る限りは科学分野の代わりに魔法が広められているとも考えられるだろう。

 スタンドなどと言う超常現象が存在し、事実、そのスタンドで魔法よりも惨たらしい目に会ってきたのだ。空間を越え、時間を越え、命を越え、最終的には自分の身は世界をも超えてしまったのだと考えれば納得は行く。

 中でも特筆してここが異世界だと思えたのは、夕焼けから薄らと見えてきた赤と青の双月だ。赤い色の月を見た時はそう言う日が特別な魔法召喚の「条件」とでも思っていたが、良く見るとその隣にはどうやっているのか、青々と輝く二つ目の月が空に浮かんでいる。地球では有り得ない天体そのものの違いで観察してみると、北斗七星さえ見当たらないのだ。

 

「…成程、な」

「納得できた?」

「ああ。突拍子もない事になるのだろうがな。とりあえずは、礼を言わねばなるまい」

「お礼? アンタ、何処かのボスだったんでしょう。私が召喚したことが益になるとは思えないけど」

「いや、君のおかげで地獄から抜け出すことが出来たのだ。永遠の死と痛みを伴う無限の空間から」

「永遠って…」

「運命や定められた未来と言った“引力”を信じる気は無かったが、どうやらオレを召喚したミス・ヴァリエールには全てを話しておいた方がよさそうだ」

 

 言って、ディアボロは真剣な瞳でルイズと目を合わせた。

 これがただの平民に当たる、何の力も権力もない人物だったとしたらルイズは癇癪を起こし、貴族社会として当然の「貴族と平民が対等に語るのはありえない」とでも言っていただろう。だが、自己紹介の際にディアボロも相当な権力を持っていた事を認識しており、かつ彼の発する異様なまでの「凄味」はディアボロを巨大な人物として見せるには十分であった。

 あれほどの地獄を繰り返しつつ、その中で一度は手にした強大な精神を見失う事は無かった男、ディアボロ。地獄の中で「死なない現在」という光を見つけた彼は、かつてイタリアでの矢を巡る決戦の時に匹敵する程の意志を取り戻していた。

 

「まず、ここはオレの世界では無い。いや、惑星が違うだけで人間が生きることに十分な条件を持った宇宙のどこかに在る星なのかもしれんがな」

「惑星? それに世界が違うってどう言う事よ」

「第一に、あの月をどう見る?」

「どう見るって……」

 

 ディアボロに言われ、空に浮かぶ月を凝視するルイズ。しかしそこには、依然として浮かび続ける双月が大地を見下ろしているのみである。

 

「いつも通りだけど。これがどうしたのよ」

「そこに認識の違いが在るのだ。このオレがいた世界では月と呼ばれるものはたったの一つしかなかった。色も白かそれに近い黄色、場合によって赤く見えているだけで一つと言う事実は決して変わらん」

「……それって」

 

 ありふれた日常と常識の中で、決定的に違う点をディアボロは力説する。決して狂った人物では有り得ない程冷静で、淡々と己の知っている「真実」を嘘をつかれた仲間に優しく説く様な物言いがルイズの反論を許さない。

 

「そしてこちらの世界では魔法と言うのは御伽噺や架空の物語でしか存在しなかった。それ以外はこの世に存在する法則を解き明かし、人の手でそれを補えるように発明を続けて生まれた“科学”が此方で言う魔法の代わり、になるのだろう」

「つまり、其方には平民しかいないってこと?」

「平民の定義が、魔法が使えない人物を指すのならな」

「中々、面白いわね。有り得ないって叫びたいけど、アンタの口調だと想像は出来なくても確かに“在る”んだって信じれそうだわ」

 

 自分でも驚くほど、すんなりとルイズはディアボロの言葉を呑み込んでいた。それが召喚した物が語っていたからか、彼自身が発している圧倒的なまでの自信に満ち溢れているかは分からなかったが。

 そしてルイズは決して愚者では無い。ただ、これはディアボロが身の上を語る前置きに過ぎないのだとも理解しており、それを聞く為の問いを、彼女は用意する。

 

「それで、アンタは私に喚ばれるまでどうなって(・・・・・)いたのかしら」

「……先ほどの言葉の通り、オレは決して死にきれない死を何度も“体験”させられていた。自分の体は思うように動かせず、思考だけが先回りして決して真実に到達する事の無い地獄にな。この体が死ぬ感覚に襲われれば、苦痛と死に行く喪失感が最後まで浸食する前に僅かな生と言う希望に踊らされる。そんな、“法則を無視した”体験をさせられていた」

 

 想像以上の答えにルイズは絶句したが、最後の言葉は誘導するための言葉だと気付き、この空気にはこれ以上触れたくは無いと思ってすぐに飛びついた。

 

「法則を無視、それはつまり、そっちが言う“カガク”を越えた何かってこと?」

「そうだ。選ばれた人間の精神力と生命エネルギーが実体(ヴィジョン)となって現れ、常に傍に立ち、時にはその自身の力として立ち向かう者―――スタンド、と呼ばれる力が在った。そして、そのスタンドを扱う人間をスタンド使いと呼んでいた」

 

 本来ならば表に出すことは決してない、超常現象を可能とする不可思議な存在。ただの一点に特化されたスタンドは全て戦闘の為に傍らに立ち、御伽噺ですら思いつかない不可解な現象ばかりを引き起こす。

 そう、決して人に話すことはできない裏の話でも最重要機密(トップシークレット)のそれを、ディアボロはただ己を召喚し、死亡体験の輪廻から解き放った少女へと、その恩に報いる一環として話したのだ。

 

「そして、とあるスタンド能力で今言った地獄に囚われていたオレを、ミスが呼びだし真実を手にすることを許してくれた。罪に濡れたこの身ではあるが、今はただこの恩に報いたいと思っている」

「…随分と長い前置きだったわね。それじゃ確認よ」

 

 ルイズは決してうろたえない(・・・・・・)

 この使い魔候補の壮絶な半生を聞いて、ゼロと蔑まされた自分と重ねてしまったことは認めよう。その質は違えど多大な重さの不幸を背負った者同士、親近感が湧いてしまったことも認めよう。

 だが、己がうろたえる事だけは許可しない! 私はルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。誇り高きトリステインの貴族が一人にして、この男が頭を垂れるに相応しき主である! この強大な力を持つスタンドを語る男を、ディアボロと名乗る強き意志を持つ人間を跪かせることで決して弱みを見せてはいけないのだ!

 

 何故こうまでして異世界の人間、此方で言えば何の権力も無い平民と等しき人物に対して「敬意を払う」ような真似をするのかは分からない。だが、自分の中に在る何かが、決してこの場で気圧されてはならないと叫んでいる!

 己に従い、己が正しいと信じてこの男を導く先に連れて行く。ルイズは確信したのだ。

 

「この私に仕え、生涯を使い魔として異世界で過ごすことに異論はある?」

「無い。我が身を救った恩師の傍に立ちつづけよう」

「屈する事は無いと誓える? 胸を張って、私の使い魔だと叫ぶことに抵抗は?」

「誓おう。一度は君臨した者として、上に立つお前に言葉も送ろう」

「言って、名前を」

「オレは、ディアボロ」

 

 それは王と騎士の誓いの如く。現代の地球では廃れ、何処の国でも古臭いと笑って吐き捨てるような、気にも留めない抜け落ちた髪の毛のような儀式。

 ただ、この場においては、もっとも輝ける瞬間だった。

 

「ディアボロ。我が名はルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール」

 

 誇り高き名前を、もう一度彼の為に唱えた。

 

「五つの力を司るペンタゴン。この者に祝福を与え―――」

 

 彼の為に。このゼロの身を敬い、ただの一度も成功したこの無い力によって呼び出すことが出来た、彼への最大の感謝を込めて祝福を与えたいと思った。

 ルイズは決して貴族の名を語る、腐り堕ちた力だけを奢る人物では無いのだ。

 ならば、己に全てを捧げると誓ってくれたこの男に、私も対等に応えるのみ。

 

「我の使い魔となせ」

 

 彼に近づき、顔を上げさせる。瞳の奥に眠る、邪悪とも正義ともつかぬ強大な意志の奔流を全身で受け止めつつ、ディアボロの唇に己が祝福を与えるのだった。

 

「……」

「使い魔のルーンが刻まれているわ。少しだけ、辛抱して」

 

 唇を放し、数秒もしないうちに訪れた左手の甲の焼けつく様な痛みに、ディアボロは耐えきれない物でもないと表情は平静に保ったまま、ただ主となりうる人物を前にして痛みを抑え込んだ。

 優しく、確かな命令を下す口調となったルイズは刻まれたルーンを見て、人生二度目の成功に涙を流しそうになったが、それは今では無いのだと熱くなった目頭を意志の力で抑え込んだ。

 無事にディアボロの左手にルーンが刻まれた後、ルイズはここまで持たせた神経が一気に切れたように、酷い脱力感に襲われる。突如としてフラフラとした頼りない足取りになった彼女を見かねたディアボロはルイズの肩を持つと、ベッドに寝かせるように体勢を整えさせた。

 

「さっそく使い魔として動いてくれて何よりだわ……」

「今は眠れ。オレはどこにもいかない。俺は、お前が呼んだからこそ此処にいる」

「分かってるってば。でも、やっぱり眠いわ…」

 

 こらえきれない眠気に従い、おやすみ、とルイズは死神もいない夢の世界に、幸せの絶頂のままに旅立った。見届けたディアボロは、もしトリッシュと平穏に暮らしていれば、こんな光景が毎日見られたのだろうかと想像して―――取りやめた。

 

「…………」

 

 永遠を抜けだした時、気絶している筈の自分は確かに「最早力が及ぶ事は無い」という忘れたくとも忘れられない「ゴールド・エクスペリエンス・レクイエム」の声を聞き届けた。それはつまり、この少女こそが己が到達するべき「真実」であるという事を示唆してしたのではないだろうか。

 

 今の彼は知る由も無いが、彼女がゼロという蔑みを言われている事を聞いた時、この想像を確信へと変えたのだという。だが、やはりこの時は―――ただ、ルイズと言う少女に感謝の念を捧げるのだった。

 




もはや性格が違う、という点については少しずつ、日常パートで元に戻っていくディアボロをお楽しみください。というか、何故かあの世界のギャング連中は敵味方問わずに義理堅いイメージがあるのは私達だけなのでしょうか。

6/13 編集 俺→オレ


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墓碑銘

 墓碑に刻まれるのはその下に眠る人間の過去である。

 ならば生きた墓碑を持つ存在がそこに在れば、そこに刻まれるのは―――未来か。

 

 

 

 スタンド使いは総じて生命力が高い。

 そもそもスタンドは「矢」に選ばれて得る、特定の場所で生還した者がスタンドを扱える、聖人が遺体ながらに認めたものが力を発現させる。こうした様々なスタンドの取得方法の中で総じて言えるのは、スタンド使いに選ばれるとき、必ずその人物は死の危機に脅かされているということだ。逆にスタンドを手にするに相応しく無ければ、トマトペースト状の液体となって死亡する。

 死線を乗り越えた人間は特殊な力に目覚めると言う話もあるが、生命力が高くなっているのは真実だと考えられるだろう。事実、舌や腕などにに大穴があいたはずのホル・ホースという男や我らが(ジャン)(ピエール)・ポルナレフはいつの間にか怪我を治していた。このディアボロを打倒したジョルノを含め、寝る様子も見せずに旅を続ける「ジョジョ」の一行など、常人よりも少ない睡眠量で済ませても平気な顔をしている人物はスタンド使いに山というほど存在しているのがこの現状だ。

 

 ハルケギニアに召還されたディアボロという男もまた、その例に漏れずスタンド使い。新たな、いや初めての主となったルイズ・フランソワーズの眠りに落ちる姿を見届けた彼は、外敵や予想外の事態に備えて部屋の内側、ドアの近くでずっと見張りを続けていた。

 だがまあ、彼の目的はそれだけではない。ディアボロという男は何かしらの行動をするとき、それはたった一つの意味で動くことは少ない。それには目的以外のもう一つの意味が存在するというものなのだから。

 

「朝、か。さすがに太陽は一つのようだな」

 

 眩しげな光で目を傷めないよう、手をかざしながらそう告げる。

 このディアボロ。鎮魂歌の輪廻に囚われていた頃には終ぞ朝焼けなどというものを見たことがなかった。いや、見る機会はいくらでもあったのだが、こうして落ち着いた状態で穏やかな朝を迎えることがなかったのである。

 恐らく、いや絶対にパッショーネのボスだった頃にはそんなことは冬場の弱った蚊ほども気にも留めなかっただろう。しかし今の彼はこうした穏やかな時間というものがひどく新鮮に感じてしまっている。そのために朝焼けを見るのにどうして非難すべき点があろうか。いや、無いのだ。

 

 そうして太陽の光を眩しげに見つめてどれほどの時が経ったのだろう。彼は不意に、そんなまだ赤さを残している太陽に向かってスタンドを繰り出していた。

 キング・クリムゾン。イギリスのプログレッシヴ・ロック・グループと同じ名を冠した彼のスタンドは直訳して紅の王。帝王としてパッショーネの頂点に君臨したディアボロに相応しい強力な性能と、彼の輝かしい道を示唆するかのような能力と、スタンドにしては珍しい二つめの力を持っている。

 一つが確定した未来を見通す力。自分の不幸な姿が見えた時は覚悟しなければならない欠点はあるが、それは彼の歩む道を作るきっかけともなる。しかし、その彼の御自慢の能力―――「時を吹き飛ばす力」は、一時的なものなのだろうが、失われていた。

 

「キング・クリムゾン」

 

 口にし、力の発動を促すが、窓の外に見える風はそよいだ事を自覚し、木から落ちる木の葉は自分の意志で着地を認識している(・・・・・・)

 そして、自分はいつものスローな世界に入る事は出来なかった。

 あるべき筈の過程を吹き飛ばす力。それは、彼の力が及ぶ範囲全ての者たちの時間を吹き飛ばす。こう言っては分かりにくいかもしれないが、客観的な視点の例としてあげるなら「食べようとしていたケーキが能力発動後、いつの間にか自分の口の中に入っていた」という認識をすることになる。

 その「吹き飛ばされた時間」をディアボロは自由に動く事ができ、吹き飛ばせる時間は限界で数十秒にも及ぶ。無論、持続力がE(最低値)のキング・クリムゾンが数十秒の時間を一気に吹き飛ばすような真似をすればスタンドパワーはしばらく使えなくなるだろうが。

 

「エピタフの力はまだ使えるようだが…これは、本体たるオレの精神が様変わりしたことによる効果か? 何にせよ、懐かしき修行とやらを始める必要がある、か」

 

 彼自身、もしや(・・・)とは思っていた。

 帝王として君臨し続け、帝王に相応しい力とまで言われていたキング・クリムゾンの能力。しかし、それは帝王であることを止め、ルイズという主人に従属した現状では帝王という肩書も過去のもの。更には持っていた筈の野心もさっぱりと消え失せている。その代わりに大きな敬意と深い安心が彼の胸にあるのだが。

 スタンド能力は、本体が望む力や本体の在るべき姿に合わせた力が多く、新しくスタンド使いとなった者はその力を認識するのはそう難しい事では無い。とはいえ、この弱体化にも等しい現象を「体験」するのはディアボロとて初めての事だ。

 せめて数秒でも飛ばせる力が残っていたならば。夢っ! 思わずにはいられない! とも言いたいだろうが、ディアボロと言う男は無い物ねだりをするような性格ではない。目の前に手に入れられる力が在るなら、喜んでその手に収めようとはするが。

 

「む、もう日もそれなりの高さだな……」

 

 思考も進んでいたのか、彼が窓の外を見上げると既に日が高めの場所まで傾いていた。他の部屋からも起床するような生活音が聞こえてきたので、スタンドを引っ込めたディアボロは己を救ってくれた真実―――主が寝息を立てているベッドまで近づいて、彼女の体を揺さぶった。

 

「起きろ、もう他の奴らも起き始めている」

「う、ううん……? ちい姉様…じゃなくてディアボロ?」

 

 安心しそうな雰囲気に思わず似ても似つかぬ優しい姉の姿を重ねてしまったルイズだったが、すぐに目の前にいるのが例のディアボロだという事を思い出す。

 

「覚えていたようでなによりだ」

 

 肩をすくめて見せると、彼女ものっそりと起き上がった。

 寝ている分には眠れる森の美女も棺桶を譲る程の美少女っぷりだったが、朝に弱そうな寝言を言った時点で初恋の魅了も冷めてしまいそうなものである。だが、ディアボロが彼女にそう言った恋慕の情を抱く事はないだろう。

 

「あ、あー……そうそう、そうだったわね。あ、それから私の事は名前で呼んでくれる? あなた相手に敬称使わせると、何か違和感があって」

「分かった。外で待っているとしよう」

 

 ひとり納得したように頷いたルイズはディアボロにしっしっと払うような動作をする。マントもそのままに着込んで寝てしまったものだから、裾はよれよれ服はしわしわ。彼女が着替えをするため、年頃の男に退室を促した事を彼は明白に読み取った。

 ドアを閉めて寄りかかる。スタンド使いは精神力も何もかも常人とは比べ物にならない程タフであるが、列車の車輪に巻き込まれれば死ぬし、麻薬中毒者の振りまわす小ぶりなナイフで貫かれても死ぬ。結局は人間の範疇から抜け出せないという事は身を以って知っていたディアボロは、存外に寝ていないことが足に来ているな、と自分の状況を冷静に判断していた。

 

「あら? ヴァリエールの御家族かしら。使い魔も召喚出来なかったゼロを連れ戻しに来たってわけ?」

 

 すると、突如として甘ったるい雰囲気を撒き散らした女性が目の前の扉から出てくる。

 

「……」

「よく見ると中々良い男。はぁいミスタ、お出迎えご苦労様ですわね」

 

 あからさまに男を誘惑する娼婦の様な雰囲気に、ディアボロはぶれることなく悠然と立ち尽くす。ルイズの部屋の前に来たということは彼女の知り合いだと見当はつくが、前口上の彼女を下に見る発言からして余り良い仲では無いのだろうな、と見当をつける。しかしそれにしては彼女がルイズと呼ぶ時はそれほどに蔑みの感情が含まれていないような。

 ディアボロが考察を始めた所で、彼の隣に在った部屋が開き、同じピンクブロンドの髪をした恩人が顔を出していた。

 

「幻獣用の藁を片付けてたら遅く…って、キュルケ」

「おはようルイズ。遂にお迎えが来るなんて、やっぱり公爵家は情報網が広いわねー。お見送りは必要かしら」

「ディアボロは家族じゃないわよ! 私の使い魔になってくれたんだから!」

「使い魔? あら、ゼロの貴方が成功したって言うの!」

「したわ!」

「証拠はあるのー?」

 

 ニヤニヤとするキュルケの前に、無骨な手が一本差し出された。キュルケという女性に差し出されたのはいつものように恋心を募らせる熱に浮かされた男の物では無く、ただ在るがままを表すかのような力強いもの。

 

「…契約した時に刻まれた。これは証拠にならないのか?」

「喋れたのね、というか…本当に契約のルーンじゃないの。ルイズ、貴女人間を召喚したってわけ。やっぱり面白い子」

「でも成功は成功よ」

 

 フン、と鼻を鳴らす様に言うルイズは自信満々である。

 

「そう? でも、使い魔って言うと幻獣の方がずっといいわよねぇ。ほらフレイム、挨拶しなさい」

 

 その自信を覆さんと言ったキュルケの背後から、熱気を放つ火蜥蜴が現れる。普通の体勢で人の腰ほどもある巨大なそれは、尻尾に燃え盛る命の炎を灯していた。ディアボロは内心でぎょっとしたが、これもスタンドでは無くこの世界特有の文化の一種だったか、と納得して興味深げにその「フレイム」を眺める。

 しばし見つめていた所、フレイムはディアボロに野生の感として「何か」を感じ取ったのだろう。彼の中に在るモノを恐れ、数歩引きさがってキュルケの部屋のドアに後ろ脚を当ててしまった音を立てた。

 

「あらフレイム? どうしたのよ」

「それが貴女の本性かしら。メイジを見る時は使い魔を見よと言うけれど、意外と小心者だったようね。それにしても、サラマンダーに“炎”なんて安直な名前つけちゃって」

「名前さえつけてあげられない人には言われたくないけどね。そっちは人間だもの」

「勝手に言ってなさいよ。ディアボロ、食堂はこっちよ」

 

 不機嫌さを隠そうともせずにディアボロを案内し、彼もまた彼女の後ろについて行く。普通の男なら真っ先に自分の体に劣情を抱く筈が、珍しい奴もいたものだとキュルケはディアボロに関心を持ったが、召喚できてよかったじゃない、と本心を心の中でのみ開帳する。

 

「フレイムー。あの子ちょっとだけど…雰囲気変わった?」

 

 聞かれても、先日パートナーになったばかりのサラマンダーには分からない。

 フレイムはきゅるる、と高い鳴き声を鳴らして返すことしかできないのだった。

 

 

 

「分かっていたけど、火のトライアングルはやっぱり羨ましいわね。あの炎の大きさもサラマンダーとしてはかなり価値が高いだろうし……」

 

 ぶつぶつと小言を呟く彼女の傍で、サラマンダーの判別方法もジャポーネの錦鯉の様な物かと納得していると、当然だが様々な人間がすれ違う姿を見る。しかしその大半がルイズの存在を知って、それでいて侮辱しているのだろうか。キュルケの様に自分が彼女の使い魔である事を示すため、左手を体の前方に置きながら歩いていると、自分の事を使い魔だと分かったのか、マントを羽織った者たちは皆驚愕して此方に指をさし始める。

 どうせよく無いものだろうから彼は聞きとろうとも思わなかったが、その中にはあのルイズが、とでも言いたげな感情を表に出した間抜け面を此方に晒している者が一番多かった。

 気まずい雰囲気は他者との関わりをほとんど持たなかったディアボロであっても居心地の悪いもの。せめて彼女だけでも現実に引き戻そうと目的地を訪ねた。

 

「………食堂はどのあたりだ?」

「こっちの魔法で言う属性で分けた塔のうち、真ん中の本塔の中よ。なに、お腹すいたの?」

「生憎とお前に救われるまでは碌なものを口にできなかったのでな。もっとも多かったのは様々な毒物だった」

「…何度聞いても、絶対に体験(・・)したくない話ね」

「ある意味で黄金の体験(・・・・・)とも言えるだろう。安直ではあるが」

 

 上手いことを言っているのになぜ安直なのだろう? ルイズは彼の死体験を「ゴールド・エクスペリエンス」というスタンドによって起こされたものとは知らないからこそ首をかしげる。一方のディアボロといえば、あの惨劇をジョークとしていえる程度には立ち直れているか、と己に評価を下していた。

 

「見えてきたわ。騒がしいのは嫌い?」

「さほどでもないな」

「それはよかったわ。それじゃ―――ちょっとは覚悟して」

 

 ルイズが入った瞬間、とまではいかないが、彼女が食堂にいることが気が付いたルイズと同色のローブを纏った者たちが横にいるディアボロの姿を見て驚きに目を剥いた。その証拠となるルーンにはやはり相応の視線が注がれており、廊下で交わされたような会話があちらこちらから巻き起こっている。

 

 これほどまでとは。ディアボロは少なからずルイズという少女がどれほど「落ちこぼれ」としてのレッテルを張られているかを体感する。まして、大事な進級の儀式があった翌日だ。この限られた学園という空間内の噂が駆け回る速さは奥様ネットワークよりも早かったのだろう。

 

「ここが私の席。あ、そっちは別のやつのだから座らないようにね。ちょっと、そこのメイド!」

「は、はい。何用でしょうか貴族様」

「彼のために食事を作ってやってほしいの。ディアボロ、希望でもある?」

「久方ぶりの食事だ。腹を満たせるならそれでいいとも」

「だって。とにかくお願いね」

「わかりました。それでは…ディアボロ、さまでしたね。厨房までついてきてください」

 

 東洋人に良くみられる綺麗な黒髪をしたメイドの少女に連れられ、ディアボロは厨房まで案内されることになった。そこにはいかにも、といった風のコックが厨房を取り仕切っているようだ。

 

「マルトーさん、賄いか何か作れるものはありますか?」

「おおシエスタか。そこの兄さんは?」

「貴族様が連れられてきたんです。それで貴族じゃないから食事が欲しいと」

「かぁ~! これだから貴族ってのは不躾だなぁ、おい! アンタも苦労してんだろ? ちょっと待ってな、すぐに美味いもん食わせてやるからよ」

 

 僅かな時間を待っている間に、彼に興味を持ったのか黒髪のメイドが話しかけてきた。

 

「マルトーさんも苦労してまして…その、貴族様と仲が良かったように見えましたがこのことは言わないでおいてくれませんか?」

「……実はこの地に来たのが初めてでな。貴族制度が徹底した社会だということは理解できたのだが、そんなに貴族というのは酷いものなのか?」

「異国からの客人でしたか。えっと、確かに私たち平民は貴族に使われるがままに過ごしてきましたけど、いい人もたくさんおられますよ。例えば、ほら、そこの席で食事を摂っているミスタ・コルベールなど。ですけど、やっぱり…」

「そうか」

 

 過剰な反応もなしに、ディアボロはこの土地に浸透する現状の一端を垣間見た。ルイズも貴族が平民を使って当然の一人だということは、会話の節から少しくみ取れるところもある。初めて言葉を交わしたときの高圧的な言葉は命令しなれている人物の癖が読み取れたからでもある。

 しかし、ディアボロがそう長い間考えることはできなかった。

 

「お待ちどうさん。しっかり食って頑張れや兄ちゃん。あのヴァリエールに召還されたんだってなぁ、そっちの生活もあるのにかわいそうによ。噂が食堂中で広がってやがるぜ」

「いや、彼女が召還してくれたからこそオレはこうして生きている。恩も敬意もなくすことは忘れるつもりはない」

「ほう! こりゃたまげた。その恩を利用されないよう、貴族には気ぃつけろよ」

 

 心底貴族に対して嫌味ったらしく言い放ったマルトーは厨房の奥に消えていった。だが、彼も全ての貴族が嫌いというわけでもなさそうだ。もし心の底から本当に嫌いだったとしたら、今頃この厨房で包丁やお玉を手に料理をふるまってはいないだろう。

 

「………ふ」

 

 完食したディアボロは、本当にいつぶりになるのだろう。まともな食事を舌で味わい、腹を満たして満足そうに笑みを浮かべた。空腹は最高のスパイスになるともいうが、それを実践する日がこようとは彼とて思わなかったに違いない。

 

「お皿はこっちで洗っておきます。頑張ってくださいねディアボロさん」

「あの料理長に礼を言っておいてくれ。…その、なんだったか」

「…? ああ、私はシエスタと言います」

「そうか。シエスタ、また会った時には頼む」

 

 笑顔の彼女にも例を告げ、席を立ったディアボロは本当に平穏な時間だと、ボスとして君臨していた時代にも味わえなかったほのぼのとした日常に思わずほほが緩みそうになる。だが、彼は裏の人間として過ごしてきた、世間一般でいう危険人物には相違ない。

 日常に浸かりきってはいけない。主人のために己の研磨を止めてもいけない。それでいて両立を図ってただ拾ってもらった命を十全に全うする。それらすべてをやらなくてはいけないのがつらいところだが、そうした目標として彼がこの地で過ごしていくことを決めたのは、ここで接してくれた給仕の皆が見ず知らずの自分に関わってくれたことだった。

 他者との繋がりを無くす事を第一に考えていた彼がこのような決意をすることになるとは、なんと言う皮肉であろう。

 

「食べ終わった?」

「まあな」

「そう、嬉しそうで何よりだわ」

「なに?」

 

 言われて、ディアボロは初めて己の口の端が満足気につり上がっていることに気付いた。なるほど、先ほどシエスタが笑っていたのはこの顔のせいだったのか。

 

「それじゃ―――」

「ミス・ヴァリエール! 探しましたぞ!」

「って、コルベール先生?」

「ルーンを見るに、彼が使い魔なのですな?」

「は、はい! 彼とは同意の上でコントラクト・サーヴァントをこなしました」

「つまりは成功であると! いや本当に良かった。ミセス・シュヴルーズには話しを通してありますので、最初の授業の間は彼をお借りしますがよろしいですかな?」

「…どうするんだ、ルイズ」

 

 ディアボロは問いかけるが、約束もあって彼女の答えは決まっていた。

 

「行ってきなさい。授業は私だけでも構わないもの」

「……これで私が教師などと、耳が痛い」

「あら、どうなされたのですかミスタ」

「…すまないね。ミス・ヴァリエール。君も大丈夫かな」

「ああ…問題は無い」

 

 平静を装っているように見えるルイズであるが、使い魔のお披露目の意味を含めた一回目の授業に使い魔を連れていかないとなると、彼女がまた辛い思いをするのは明白だった。それでもルイズは、コルベールという教師の為にディアボロの時間を割く事にした。向こうに一人で行ってもシュヴルーズが使い魔の事を言えば信憑性は高まるという打算もあったが、それ以上にコルベールが最後まで付き合ってくれていた事に「恩」を感じていたからだった。

 

「授業が終わった頃には私達の調べ物も終わるでしょうから、頑張ってください。ミス」

「ええ。ディアボロ、ミスタ・コルベールに粗相のないようにしなさいよ」

「分かっているさ」

 

 ディアボロの答えに満足したのか、ルイズは嘘か本当か平静を装ったまま食堂の入口を抜けて行った。それを見送る中、コルベールが彼に向かって一礼をする。

 

「いやはや、人間だというのに彼女の声に応えて下さり真にありがとうございます。私はジャン・コルベール。二つ名は“炎蛇”で、この学院で教師を務めております。私の事はコルベールと呼んで下されば」

「いや、救って貰ったのは俺の方だ。ディアボロと言う。好きに呼んでくれ」

「ではディアボロくんと。それにしても救われたとは――いや、深くは聞きますまい」

 

 自然な動作で握手に及び、二人もまた食堂を抜けて歩き始めた。

 

「ふむ、その左手のルーンを見せてもらって構いませんかな」

「やはりこれは使い魔の証か。文字のようにもみえるが」

「ええ、様々なものもありますが、特に彼女の為には深く調べておいた方がいいかと思いまして。……ほぉ、遠目で見たがやはり珍しい形だ。スケッチさせて貰っても?」

「好きにしろ」

 

 左手を心臓より上の高さに上げながら、コルベールの指示で角を曲がって廊下を突き進む。授業も近いのか生徒の姿はほとんど見えなくなり、この二人だけが世界に取り残されているような錯覚にも陥りそうだ。

 

「何故、そうまでルイズを気に掛ける? 奴はオレを呼んだ、そして人間が呼ばれるのは異例の事だと何となくだが理解した。しかし、お前がルイズの為に教師の時間を割いてまでサポートしようとする理由が分からん」

「……私も教師として、こう言ってはいけないのでしょうが、彼女は学院きっての劣等生でしてな」

「劣等生だと? 此方の人間は知らないであろうオレがいた場所の知識を披露した際に難なく取り込み、納得して受け入れる程の器量を持つルイズが? だとすると、この学院はよほどの最高階級しかいないことか。嘲笑も教育の一つに含めたとするなら、な」

「耳が痛い話ですな。これも私達教師の宿命ともいえるのですが。…ですが、彼女の劣等生という称号はただのソレでは無いのです。彼女は座学でトップの一角を占め、貴族としても申し分のない感受性の高さ。更には努力を惜しまぬ最高の生徒と言えるのですが……」

 

 普通の生徒として求められる事以外。ディアボロは一つの答えに辿り着いた。

 

「魔法、か?」

「はい。実技はいつも失敗ばかり。いや、失敗しかできないのです」

 

 悔しそうに、その原因を突き止められない自分を恥じるように、下唇を噛んでコルベールは目を伏せた。持っているスケッチ用のペンが軋みを上げているのを見て、ディアボロは落ちつけと諭す。

 

「あ、ああ申し訳ない。…その失敗の中で、ディアボロくんが召喚された。使い魔召喚の儀式も立派な魔法の一つです。唯一と言っても過言ではないこの成功に対し、これまで何もできなかった分を少しでも返そうと意気込むのは人として当たり前ではないですかな」

「……そうか。そうだな」

「さて、スケッチも終わりました。図書館もすぐそこですぞ」

 

 よく言われるが、話こんでいると時間が経つのが早い。いつの間にか図書館に辿り着いたコルベールは受付で教師用の閲覧スペースへ申請を届けると、ディアボロを連れて「フェニアのライブラリー」へと足を運んだ。

 教師以外の人間が入館することに図書の係りは渋ったが、コルベールの剣幕を前に根負けしてディアボロの事を渋々承認する。これで準備は出来ましたな、とコルベールは愉快そうに笑っていた。

 

「オレは文字を読めんが、大丈夫なのか」

「一般的な使い魔の書物は其方にあります。文字は君の手に在るルーンと同じものを探すだけで構いませんよ。私はあちらにいますので何か見つかったら呼んでください」

「ああ。これも奴の為になるのなら」

 

 そう言って本棚の森の奥地に冒険しに行ったコルベールを見送って、何かに気が付いたかのようにディアボロは肩の力を抜いた。リラックスしたのはあんまりにも片肘を張り過ぎて、いつの間にかいつもの自分らしく無かったことが原因。

 自然体に戻った彼はコルベールに指定された場所の本棚に辿り着くと、二冊の本を手に取って開いた。

 

 ―――キング・クリムゾンッ!

 

 そして現れるのは彼の半身。悠然とした姿のそれは、変わらぬ姿形でそこに在りながら、やはりどこか足りない(・・・・)という雰囲気を醸し出している。この半身を見た時の物足りなさが無くなった暁には、能力も元に戻っていればいいのだが。ディアボロは今はその考えを伏せて、机の上にもう一冊の本を置いた。

 

 そして彼はスタンドにも本を読ませながら、一気に二冊のペースでルーンの挿絵が入ったページを飛ばし飛ばしに探していく。単純な作業と言う事もあって、頭の片隅で最後に本を読んだのはジョルノ達が来るどれくらい前だったかな、と言う具合に己の過去を振り返ったりもしてみる。

 そんな中だった。頭の中に浮かび上がる、エピタフが作り出す予知の光景である。

 

 ――慌ただしいコルベールの姿が見える。そして威厳ある髭をこしらえた老人に必死の形相で話し、その手には一冊の古めかしい表紙の本が。

 

「…あれか」

 

 読んでいた本を閉じると、スタンドの驚異的な動体視力で近くの本棚全てをチェックする。自分の任された範囲にその本が無いことを確認すると、スタンドを引っ込め、彼はコルベールの元へと歩みを進めた。

 コルベールの明かりを反射する見事な頭頂部を見つけたディアボロは、魔法使いとしてごく当たり前の「宙に浮いている光景」に少しばかり唖然としたが、すぐさま自分の探すものを頭に思い浮かべて周囲を見渡し始める。

 

「ディアボロくん? どうされましたかな」

「いや、少し占いをしてみた結果…ああ、コルベール。丁度触れている背表紙の横…そう、それだ。多分それが目当ての本になるだろう」

「…? まぁ、君がそう言うのでしたら」

 

 そして取った本のタイトルは「始祖ブリミルの使い魔たち」。

 最初は古書の中でも伝説や伝承の類でしかない題名に首をかしげたが、とにかく調べてみない事には変わりがないだろうと文献を読み進めていく。レビテーションという浮遊魔法の下で沈黙を保っているディアボロに少し気を掛けながらページを捲って行くと、不意にその手はピタリと在る一節で止められることになった。

 

「こ、これは…! まさかそんな!? 学園長に報告せねば!」

 

 レビテーションを解き、地面に降り立ったコルベールは脇目も振らずに駆けだしていた。一冊の本を後生大事に抱え、必死な形相で学園長室へと向かっていく。ディアボロはそんな彼の様子を見て、己のスタンドを傍にぽつりとつぶやいた。

 

「エピタフの未来に狂いは無し」

 

 未だ帝王として在り続けるには十分な力だ。そう笑うと、スタンドの目の奥には光が灯る。ほんの一瞬の輝きだったが、それはドス黒い光ではない(・・・・)。そう、まるで田に顔を覗かせる稲穂の様な黄金の―――

 




ボスのカッコよさを再現するのって難しいですね。なんか、喋り方と性格のかぶっただけの別人臭がします…


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到達点を掴む者たち

 ルイズ・フランソワーズ。

 正式な名を略称させて貰うが、彼女は今窮地に立たされていた。

 

 バイツァ・ダストを使った訳ではないが、時は少しばかり遡ることになる。

 彼女はディアボロをコルベールに託したその後、自分でも他の人を思いやることが出来るようになったんだ、少しは成長したのかも。そんな事を思いながら意気揚々と教室に入って行ったのだが、やはりというべきか、教室から投げかけられたのは驚愕の一瞬後、侮蔑の込められたモノだった。

 一年間の授業を共にした生徒たちの名前や顔ぶれはそれなりに覚えている。中でも、風の属性を持つ最弱のドットクラス、ギアッチョを彷彿とさせる前髪を持った少年「マリコルヌ・ド・グランドプレ」には酷い罵倒を浴びせかけられたのだ。

 

ゼロ(・・)のルイズ! 使い魔も召喚できていない落ちこぼれが進級するとは、ヴァリエールの権力は羨ましいものだね! 僕達弱小貴族も権力で黙らせることが出来るんだから」

 

 その直後に担当教員であるミセス・シュヴルーズに二つ名たる「赤土」で口を防がれ、コルベールから伝えられた通りに使い魔のディアボロが今はコルベールの元にいると言われていたが、ルイズへの罵倒は鳴りやまず、彼女の心は自分で抑えきれない程に膨れ上がっていた。故に風上なんて仰々しい二つ名のまったく似合わない脂肪の乗った体系に厭味も込めて「風邪っぴき」と罵ったのだが、やはり生徒同士の争いはご法度。シュヴルーズの一喝で場は収められた。

 

 しかし、ここからなのである。問題と言うのは。

 学科の成績が優秀。更には人並み以上の体力と負けん気があるルイズは、その努力が認められてゼロ、ゼロと罵られる中でその正体を知らない教師達にはちょっとした支持を得ていた。シュヴルーズもその中の一人で、彼女が魔法を使えるようになってほしいという願いを持った純粋な「教師」だった。

 実績を積ませることでルイズに経験を積んで欲しかったのだが―――ここで場面は現在に移行する。

 

「…………」

 

 目の前には、ただの石ころ。学院のそこらに転がっている様な、間違っても高貴な貴族が受ける授業の合間に転がり込んできてはならないもの。しかし、彼女にとっては最大の試練として、岩よりも高く聳え立っていた。

 

「どうしたのです? 錬金(・・)と唱えるだけなのですよ」

 

 シュヴルーズの期待に満ちた視線は嬉しいものだが、こうした場合によってはいつもの視線よりもずっと手酷い攻撃となって突き刺さる。

 大丈夫だ、やればできる。私は練習してきた。でも、その練習は―――?

 

 首を振らずに負の考えだけを振り払う。今のこの場に必要なのは、何事にも挑戦するという勇気ッ! 失敗を恐れず、やり続ければ成功と言うのは必ずやってくる! ディアボロを召還した時のように、それが偶然だったとしても、成功と言う事実には変わりないのだから。

 謳い上げるようなルーンの詠唱が教室に満ちる。臨戦態勢を整えた学生たちは、この美しい詠唱を前に、派手な見た目の動物には毒があるのが当然であるのだと、そのような恐怖を覚えていた。

 

「――――ッ、錬金!」

 

 最後の一説が唱えられ、魔力が収束する。人の魔たる要素によって整えられた魔力は正しいプロセスを通って元素に干渉を始める。曰く、人の価値観に従って。曰く、メイジのランクに合わせた形を。

 しかしそれらは行使すべき精霊達が「違った」事によって変化を伴った。収束する魔力と共に、錬金で変えられる対象が捻じり曲がって行く。風船に限界以上の空気を詰めるように込められたそれらは、当然のように爆散した。

 

「ぅぁ…!」

 

 爆心地にいたルイズが吹き飛ばされ、爆風が人を傷つけずに物だけを破壊した。そして動物達はこうした災害が起これば逃げ出そうとする本能が体に命令を下すため、我先にと争う使い魔たちが暴れ出したことで教室はパニックに襲われる。

 止めて纏めるべき教師のシュヴルーズは、彼女の爆発と言うショッキングな初体験で耐性が付いていなかったのだろう。爆風に煽られてぐったりと気絶してしまっていた。

 

「痛つつ……」

 

 また失敗。ディアボロを召喚して浮かんでいた気持ちは、場違いな淡水魚が河口を抜けてしまった時のようにズブズブと沈んで行く。誰にも留められない、自然な出来事。ルイズは立ち直ろうと負の感情を表に出さず、表情を取り繕って辺りを見回した。

 そして告げてやるのだ。この才能に恵まれた者たちに道化を装った言葉を。

 

「ちょっと、失敗みたいね」

「ふざけるな! だからゼロにはやらせるなって言ったんだ!」

「使い魔が逃げ出しちゃったじゃない! どうしてくれるのよゼロのルイズ!」

 

 予知能力も必要ない。日常的に繰り返される罵倒がカラスのフンみたいに降ってくる。それをルイズは、真正面から受け止めて己を呪った。上手くいかない理由は何なのか、どうしてこうも魔法一つで(・・・・・)こいつ等は――――

 

「何事だ。む……ルイズ?」

「あ、ディアボロじゃない」

 

 限界まで沈んで、もう浮きあがれなくなる直前に彼の声を耳が拾った。彼の姿を目が映した。そして、彼は何もしていないというのに、こうして自分を引っ張り上げてくれることに心底感謝した。やはり組織のリーダーと言うのは下っ端や自分の様な無能を自然と引っ張る「引力」があるのだろう。まるで地面を擦った磁石のように。

 

「見た所煤焦げているが無事の様だな」

「まぁ、ね。…起きてください、ミセス・シュヴルーズ」

「う……み、ミス・ヴァリエール? ……この惨状は」

「私の…責任です。私の失敗が、こうさせました」

 

 認める。それは魔法を諦めたくないルイズにとって最も時間のかかった事だった。

 幼少のころから今に至るまで、ずっと失敗を続けている。シュヴルーズはルイズの様子を見て、予想以上の「失敗」を目の当たりにして、深刻な問題とは嘘では無かったのだな、と目を伏せた。

 しかしそれも一瞬の事。教師として厳しい瞳に戻った彼女は、彼女に手を引かれて立ち上がりながらも、彼女と目を合わせて言い放つのだ。

 

「貴族とは、自分の行動には責任を持たなければなりません」

「はい」

「よって、この教室を破壊した貴女には掃除を言いつけます。ミスタ・コルベールから特徴は聞いていましたが、あなたがミスの使い魔なのですね?」

「ディアボロだ。この通りルーンも持っている」

「ではミスタ・ディアボロ。主人の責任は使い魔にも等しく与えられます。彼女と教室を綺麗に片づけるように。私は生徒をまとめなくてはなりませんので」

「……了解しました。ミセス・シュヴルーズ」

「さぁ皆さん! 今日の授業は此処で終わらせていただきます! 各自の予定に合わせて行動を始めなさい!」

 

 シュヴルーズが他の生徒達を気に掛け始めてから、すぐさま教室は流れ出る生徒達が居なくなったことで静かになった。残された二人のうち、ルイズが煤けた衣服の一部を払って肩を落とすと、ディアボロに向かって言う。

 

「……手伝ってくれる?」

「分かっている」

「ありがと。じゃ、そっち持って」

「いや…下がっていろ」

 

 大きな教卓を動かそうとしたルイズが合図を出したが、ディアボロは一人でやろうと言うのか、一歩踏み出してルイズの手を煩わせるまでも無いと笑った。

 

「キング・クリムゾン」

 

 そして言い放つのだ。己の半身の名を。

 悠然と佇む強者のオーラを吹きだすスタンドを目にして(・・・・)、ルイズは赤と金の亜人に圧倒された。スタンドとは恐るべき精神の具現にして、引き出された精神力が形を取ったもの。普段なら目にできる筈も無いそれが実体をもつというのは、有り得ないからこそ可能にした時はエジソンの発明と同じく称えられる。

 キング・クリムゾン。帝王を自称するディアボロに相応しい、ボスとして君臨するにも全く遺憾のない強大な力だ。

 

「このような些細事で使うのも気が引けるのだが、今はお前の使い魔だ。主人の為に尽力するのが在り方であるというのなら、そう在り続けよう。オレを卸すと誓ったのなら、命じてくれ。オレはどんなことであっても実現する。できない事は、可能にする(・・・・・)までだ」

「……まったく、カッコつけちゃって。いい? あなたは平民(・・)なんだから、貴族である(・・・・・)私が命令する事を臆すると思ってるの?」

「さぁな」

「そ、じゃあ重いモノは任せたわ」

「了解した」

 

 貴族である? この自分が? 叩きつけたくなるほど矛盾しているが、なるほど、自分が貴族であるというのなら、彼を召喚し、使い魔とした責任を負って見せようじゃないか。

 ミセス・シュヴルーズ。貴女は正しい教師です。だから私は責任を隠さないし、こんなことになった原因を使い魔と分かち合いましょう。使い魔は主人と一心同体であると、始祖ブリミルが広めた魔法で言われているのなら、私はそれに従いましょう。

 

「ねぇディアボロ。実は私、魔法が使えないの」

「…薄々感付いていた。だが言う必要も無いと思っていた」

「流石、人を見る目があるのね。…そして優しいわ」

「このディアボロが優しいだと? 冗談にもならん」

 

 キング・クリムゾンが教卓を持ち上げ、場所も知らないのだろうに元の位置へと寸分違わず設置する。他にも転がった椅子や机を整頓させながら、ディアボロは皮肉気に笑っていた。

 

「そしてアンタを召喚した。救われた、なんて言ってるけど…例え命が救われても、今みたいに雑用に使ったりするときもあるわ。組織のボスとしては耐えがたい苦痛でしょうね」

「そうだな。何故このオレがこんな事をしなくてはならんのかと思っている」

「そう、だから―――」

「勘違いしているようだがな、ルイズ」

「え?」

 

 振り返ると、いつの間にか此方を見ていたディアボロと目が合った。

 吸い込まれるような力強い視線が体を射抜き、箒を持った手が固まる。許されているのは呼吸と声だけのような錯覚に陥る中、彼は地獄の底から這い上がって来た囚人のように言うのだ。

 

「生の輝きは、自由とは、何物にも代えがたい絶頂なのだ。縛られ、恐怖し、絶望するしかできなかったあの中から抜け出させて貰った事に、オレは多大な恩と感謝をささげようとも思っている。しかしそれだけではないのだ、ルイズよ。従う理由は、それだけではないのだ」

「……だったら、何だって言うの? ゼロ、ゼロ。そう言われてきた私はあなたを召喚しても相応しくない。確かに私はあなたに誓いを立てさせたわ。でもそれは、あなたが今いつ無くなるとも知れない恩を感じているからに過ぎない。本当は、この掃除みたいに耐えがたいんじゃ」

「それだけではないと言っているだろうが! まだ分からんのかこの小娘がッ!」

「―――なっ! 言うに事欠いて小娘とは何よ!」

 

 手に持った箒を投げ、ディアボロに近づいたルイズは体格の差で彼の事を見上げつつも、隣に佇むスタンドに一切臆する事は無く暴言の取り消しを要求する。だが、彼女の態度がディアボロの口角を吊り上げることとなった。

 

「そう…それだ……この帝王だった者の気迫に向かって物怖じも無き精神力がお前にはある。そして何より、お前はこのディアボロを召喚した唯一無二の存在ッ! 召喚とは、生涯を共にする者との出会いだとお前は言ったな? ならばこれは必然。この今をお前の元で過ごすのは当たり前の事なのだ……そして、その時に成功していると浮かれていたのは―――どこの誰だった?」

「……私、よ」

「それでいい。浮かれていろ。そして成功を胸に、突き進め。全てはその進むために引き寄せられた結果。この世に訪れた結果(・・)だ! お前は既に結果を手にし、過去を克服した。お前が勝ち取った進級という言葉がそれを表して(・・・・・・)いるのだからな。オレ自身がその証明として此処にいるというのに、何か不服はあるのか?」

「……はっ、まったく。あるに決まってるじゃない」

「ほう?」

「アンタが、こんな所で主人と一緒に掃除なんてやらされてる事よ。もっと大きなことをやるべき人間が、こんな片隅で箒持ってていい訳が無いわ」

 

 求めていたのはこれなのだと、ディアボロは心の中で大いに笑った。

 それでこそ、このディアボロが付き従うに相応しい器なのだと。

 

「お前はそれでいい。努力を続け、過程を捨てるな。オレがお前の為の結果を献上してやろう」

「随分と生意気な口を叩くわね。でも、違うわよディアボロ。私とアンタ(・・・・・)で結果を得るの。功績でも名声でも何でもない、ただ私達が進むことが出来たという結果を……ね」

「いいな。それは良い。実に気に入ったぞ、ルイズ」

「いつまでも見下ろしてんじゃないわよ。必ず見返してやるわ」

 

 ふふ、はは、と笑みがこぼれる。

 掃除が終わる昼ごろにまで二人の楽しげな声は交わされた。それは近くを通りかかったメイドはまるで兄弟の様に息の合った片付ける姿を見て、顔を綻ばせる程であったのだとか。

 

 

 

「ふぅ……お腹減ったわね」

「また、あの食堂か?」

「そうよ。まぁアイツらの視線も今となっては気にも留めないかもしれないわね」

「それでいい。真の君臨者は視線一つで己を簡単に変えたりしない。どっしりと、最初からそこにあった岩のように構えておけ」

「岩、か。思い出すとさっきの錬金、やっぱり悔しかったなぁ」

 

 とはいえ、肩を落とす仕草をするルイズの心はそこまで沈んではいなかった。ディアボロとの語り合いは全く知らない視点から物事を捉えるようになることができ、彼の経験談は似たような孤独であり続ける者として共感する事もある。逆にこちらから話しを振ればディアボロも興味深そうに喰いつき、自然と話は弾む。彼が大きな反応も見せずに淡々と言ってくれるおかげで、話している最中に話題を淀ませる事も無い。

 この短い間で本当におんぶにだっこになっているんだなぁ、と実感したルイズは、いつの間にかアルヴィーズの食堂の前まで来ていることに気付いた。

 

「朝と同じでいいわね?」

「あちらも準備はしているだろうからな」

「あ、ディアボロさん!」

 

 ルイズと別れて昼食を取りに行こうとしたところ、向こう側から彼の姿を見かけた一人のメイドが近付いてきた。彼女はディアボロにとっても憶えのある顔、シエスタだ。

 

「あら早速手を出しちゃってるの?」

「え、ええ…!?」

「なんてね、冗談よ」

「冗談にもならん上に詰まらんぞ。こう見えても娘がいたと言っただろう。もうあちらはそうは思っていないだろうがな」

「ああ…そうだったわね」

 

 ニヤニヤと思っても無いことでからかってくるルイズだったが、此処まで来る間にディアボロから聞いた話の中で「トリッシュ」という娘が敵対した一人として立ちはだかったと聞いていた。親扱いされないことは悲しいのではないかと聞いたが、彼にしてみれば忌むべき「手がかり」として殺そうとしたのだから自業自得。寧ろ娘だとしても思い入れは無いと言ってルイズを驚かせたものだ。

 悪いこと言っちゃったかな、と思い悩むルイズをよそに、ディアボロはシエスタの方へと歩いて行く。

 

「今回も頼む」

「はい。あちらにディアボロさんのお料理がありますよ。マルトーさん張りきっちゃって、トマトとチーズのカプレーゼなんて豪華なの作ってました」

「なるほど、それは美味そうだ」

 

 給仕の役を他のメイドに任せたシエスタについて行くと、食堂の者たちが作ってくれた料理が置かれた小さなテーブルが待っていた。席に着いたディアボロが口に運びながら人間の三大欲求を噛み締めていると、戻る様子のないシエスタが此方を見ていることに気付く。一体どうしたのか、彼はそんな疑問を口に出した。

 

「私ですか。実はディアボロさんに頼みたい事がありまして」

「頼みだと? まぁ食を提供してくれる恩もあるからな。…それで、なんだ?」

「ちょっと貴族様からのオーダーがありまして、台車も他の事で使ってますし、とても女の私たちじゃ運べない様な注文だったんです。見た所鍛えていらっしゃるようですから、お願い出来たらなぁ、なんて」

「まぁいいだろう。その程度なら安いものだ。故郷で極東と言われた地では“働かざる者喰うべからず”とも言っていた」

「真理を突く様な言葉ですね。あれ、でもどこかで聞いた様な…?」

 

 カプレーゼのほかに出されたスープなどで腹を満たしたディアボロが立ちあがると、顔を綻ばせたシエスタは運んでほしいモノを恐る恐る彼に持たせてみた。すると心配など無用だったらしく、バランスを取って料理の大皿を持ちあげてしまった。

 

「やっぱり凄いですね。席はそう遠くないのであんまり無理もさせませんよ。えっと、あっちの…先ほどの貴族様の隣ですから」

「下手に違うよりはマシだ」

「それもそうですね。あ、頼みたい事はそれだけですから戻っても構いませんよ」

「分かった」

 

 そう言った彼がルイズの隣にまで行ってドスンと大皿を置くと、まだ食事途中のルイズが自分の事を見ている事に気付いた。

 

「お手伝い? 恩がどうだの言ってる貴方らしいわね」

「相手が下衆であればどんな恩でも反故にしてもいいとは思うが、善良な一般人からなら恩を返すのがギャングの方針だ。勝手に此方側に溺れる(・・・)分には自業自得だが」

「そう言う手合いは覚悟(・・)を持ってる奴でしょ。覚悟してきてないなら、淘汰されても仕方ないわ」

「誰もが強いままではいれんが、強くなろうとする気兼ねは必要だ。それを捨てた者には手を差し伸べる価値も無い」

「まっ! 私は貴族だから、怯えて潰されようとしている非の無い人がいたら助けるけどね。その時はしっかり協力してもらうわ」

 

 そんなのは当たり前だ、とディアボロは返事を返そうとしたのだが、突如として食堂に響き渡る怒号が二人の注意を引く事になった。

 

「私の事は遊びだったのね! ミス・モンモランシーの香水が何よりの証だわ! さよなら!」

「ま、待ってくれケティ!」

 

 左の赤くなった頬を抑えながらに金髪の少年が手を伸ばすが、ケティと呼ばれた少女は黄泉平坂を容易く攻略できそうな勢いで背を向けて走り去って行った。その直後、ロールの髪を持った少女が同じく少年に平手を浴びせ、更に近くにあったワインの中身を頭からぶっかける。

 

「…あれは?」

「ギーシュ・ド・グラモン。親と同じく好色だけど、顔はともかく三枚目にしかなり切れない薔薇を自称する奴よ。二つ名は違うけど」

「そうか…む、あれはシエスタ?」

「あ、さっきのメイドの子ね。もしかして……」

 

 見ていると、ギーシュというらしい少年がシエスタに近づいて薔薇の杖を抜いた。それを突き付けながらに激しく責任をなすりつけるような発言をしている。

 

「君がこの瓶を拾わなければ二人のレディの名誉に傷はつかなかった! この落とし前をどうつけてくれるつもりかね?」

「も、申し訳ありません貴族様!」

「謝れば何もかもが収まる訳ではないのだよ。君の身を以って、償いを受けると良い!」

 

 それを見ていたディアボロは駆けた。ルイズも制止を呼び掛けるようなことはせず、ただ彼の行動に対してその背中を見ることで納得する。先ほどのメイドには、食事をさせてもらっているという恩がある。だからこそ、アイツはそれに報いるために走ったのだと。

 こうまで主人の元を離れやすい使い魔にもほとほと呆れが出るが、それ以上に行動力に溢れた彼の行動が羨ましいものだとルイズは思った。

 

 視点は現場に移る。

 いざルーンの詠唱と共に振り下ろされようとしたギーシュの腕を、何者かが万力の様な力で掴み上げた。その痛みに顔を歪めたギーシュだったが、行動の阻害が完了した瞬間にその手は放される。

 一人のメイドの危機を食い止めた人物は、そのメイドに向かって手を指し伸ばしていた。

 

「掴まって立て」

「だ、駄目ですディアボロさん! 貴族に逆らったら…!」

「誰だね君は!? 僕のレディを愛でる手を乱暴に扱ったばかりか、貴族の決定を覆そうとするとは!」

 

 その声に反応したディアボロは、シエスタに向けていた顔をギーシュの方へと合わせた。彼女を見ていた時とは違う威圧感が噴き出し、背中で必死に貴族への反抗を止めようとする彼女をも黙らせる。

 だが、気が立っているギーシュやこの騒ぎで平民の「処刑」に盛り上がっていた者たちにはそれが伝わっていた無かったのだろう。マントもつけていない「平民」の乱入者に、何をしているんだと避難の視線を浴びせかけている。

 

「先ほどの会話は聞いていた……二股がばれて愛想を尽かされたようだが、それは直接彼女とは関係が無いように思うぞ」

「何だって…? それは違う。そこのメイドが瓶を拾わなければ―――」

「そんな事を言っているのではない。貴様程度の器では、二人もの女を相手にするには役不足だと言っているのだ。ハーレム、一夫多妻、大いに結構。だが、その囲った女を納得させるだけの器量を持たない者がそれを目指すのならば役者不足以外にどんな言葉がある……?」

「き、貴様! 僕を侮辱するか! どこの平民か…名前を言えッ!」

「…………」

「う……」

 

 突如として勢いを増した無言の圧力に、ギーシュは一歩右足を引いた。

 

「な、何だと? この僕が足を下げた(・・・・・)…? こんなことがあってはならない…ならない筈だ…!」

「ディアボロ……だ」

「…何? いま、何て言ったんだ!?」

「聞こえなかったのか。オレはルイズの使い魔、ディアボロ」

 

 その言葉に場が凍りつく。威圧に呑まれ、観衆すらそれに巻き込まれたのか?

 いや―――嘲笑だ。

 

「ハハハハハァッ! ゼロのルイズが平民を召喚したってのは本当かよ!」

「いいや違うぞ。どうせカエル一匹従わせられないんだから、実家から従者を呼んだに違いない! そうだ、これこそが真実だぜ!」

「信じらんないわね。ホント、主人が主人なら使い魔もただの無能じゃないの!」

「いや、まったくだね諸君! それで、ディアボロくん。君は僕に逆らうというのかな?」

 

 締めくくったギーシュが先ほどの押されていた雰囲気も忘れ、笑いを隠そうともせずに聞いてくる。それに対してディアボロはその通りだと眉ひとつ動かさずに言うと、さらに場は湧き起こることとなった。

 笑いは不出来な大合唱のように広まり、また一人と貴族に逆らう平民には罰を、という考えを伝染させる。その事を本能的に感じ取ったシエスタがディアボロに前言の撤回を持ちかけたが、彼は応じようともしない。

 

「このメイドには何の非も無い。だが、オレは貴様らを侮辱した。それで罪はオレに全て被せられた訳だ」

「ハハハッ! 確かにその通りの様だね。君はその罪を被ったまま、僕の手で処されてくれるというのかな? ならそうしてや―――」

「ふんっ」

 

 拳を握りこみながら引き、しなる弓の様な拳を叩きこむ。

 寸分違わず顔面に吸い込まれた拳は丁度ケティとモンモランシーが叩いた頬に打ちこまれ、ギーシュは衝撃で頬を歪ませながら二メートルほど地面に吹き飛ばされた。マントが緩衝材になったようだが、拳の痛みが消える訳ではない。手加減(・・・)して打ちこまれた箇所をさすりながら、ギーシュの目は怒りに燃え上がる!

 

「貴様……! け、決闘だッ! 貴様のような無礼者には根本的に痛みを教え込まなければならないようだからね!」

「こちらとしては今すぐに始めてもいい。だが、このメイドの安全は保障させろ」

「ふん、もうソイツには用は無いさ。だが神聖なアルヴィーズの食堂を下賤な平民の血で汚すわけにもいかない。ヴェストリ広場…そこで待っていてやる」

 

 マントを翻し、悠然と立ち去って行く姿は中々絵になっていたが、ディアボロの打ちこんだ拳の形に歪んだ頬が痛々しい。他の貴族が面白いことになって来たと浮足立つ中、ずっとディアボロの背に隠れていたシエスタはガタガタと震えていた。

 貴族は絶対。それがこの世界の平民が遺伝子の底から刻み込まれたルール。それに逆らえば自分達は火の近くにいる蛾のように儚いものなのだ。

 

 だからこそ、その貴族に喧嘩を売ったディアボロが信じられなかった。

 

「だ、駄目です。本当に駄目なんです……殺されちゃう、ディアボロさん……」

「あの程度の輩にこのディアボロがやられるだと? ルイズの冗談よりも笑えんな」

「まったくよ。アンタねぇ、何やらかしちゃってるのよ」

 

 新たに現れたルイズの姿に、シエスタはすぐさま立ち上がってディアボロの背に隠れる。ルイズも魔法が使えないと言われているが、貴族であることには間違いない。悪い意味でも、平民であるシエスタにはルイズは貴族として見えていたのだ。

 

「あの程度に後れを取ると思うか?」

「実力を知らないからこう言ってるの。…まぁアンタにはそれがあるから良いけど、それって本当に見えていないの?」

「契約の影響か知らんが、ルイズ。お前以外には見えていなかったようだ。そこのシエスタにもな」

「流石は私の使い魔って言うべきか、私の使い魔だからこそって言うべきか悩むわね」

「あ、あの…? お二人とも、何の話をしていらっしゃるのですか…?」

 

 首をかしげて彼の背に隠れるシエスタだったが、そのすぐ隣には彼の最強のスタンド「キング・クリムゾン」が控えている。だが、スタンド使いでもない彼女にはそれを感じる事も出来ず、先ほどの観衆達もこのスタンドが見えない(・・・・・・・・・)ようだった。

 これもルイズとの不思議な契約の影響かと疑ったディアボロは案外的を射た推論だったのだが、ここでその話は伏せておくとしよう。

 

「とりあえずヴェストリの広場だったかしら。案内するわ」

「まだ此処の地理に慣れていないのでな、ついて行こう」

「ま、待って下さい!」

「…………」

 

 今まで主従の蚊帳の外だったシエスタの引きとめる声に、ディアボロは振り向かずにその場で足を止めた。

 

「どうして…どうして私をかばおうとしてくれたんですか…? それであなたが死んでしまったら、私は…!」

「…………」

「嫌ですそんなの。だって、ディアボロさんは使い魔で、ここに呼ばれただけなんでしょう? こんな状況に放り込まれて、私なんかのために死んだりしたら―――あ、ち、違うんです。そんなつもりじゃ…」

 

 シエスタは説得しようとする言葉の中に「ディアボロが死んだら自分のが寝ざめが悪い」という利己的な理由が交じってしまっている事に気づき、必死に弁明しようとする。だが、彼女がディアボロを引きとめたいと思う理由は本物で、彼女もこんな所で死んでほしくないと思っている。

 だが当の彼はシエスタをただ見つめ始めていた。

 静かで、命の在り方を身を以って証明し続ける植物の様な不動の瞳。決して衰えることの無い何かの輝きを見たシエスタが知らずの内に体を振るわせるほどのもの。そんな光がディアボロに宿っていると知った彼女は、その場にへたり込んでしまった。

 

「……どうか、ご無事で…!」

「…心配いらないわよ。シエスタって言ったっけ?」

「は、はい」

「だって―――私のディアボロは、やると言ったらやる凄味がある。それを信じていれば、何の心配もいらないの。私がそうだったようにね……でしょ? ディアボロ」

「……そうだとも、我が愛しい主よ」

「こんなときだけお世辞言わないの。さ、行きましょ」

 

 それっきり何も言わなくなったディアボロを引き連れ、ルイズ達の姿は見えなくなった。食堂で一人取り残されたシエスタに同僚のメイドが駆け寄り、脱力したシエスタの肩を持って立ち上がらせた。

 

「大丈夫? シエスタ、どこか気分は悪くない?」

「ううん、大丈夫。……もう、大丈夫ですから」

「……見に、行ってみたいの?」

「……はい」

 

 その同僚の言葉に頷いたシエスタは、自分の起こしてしまったことの結末を見届けようと、ヴェストリの広場に足を向けた。フラフラと頼りない足取りだったが、同僚のメイドは彼女に手を振って声をかけた。

 

「マルトーさんには言っておくから!」

「…あ、ありがとう!」

 

 同様に見えなくなった彼女の言った方向を見て、同僚のメイドはやれやれと首を振った。

 

 かくして帝王の初陣の場は整えられた。

 異界の時が、この場の者たちに大いなる影響を与える日は―――近い。

 




次回、ようやく戦闘描写。
スタンド使いの戦闘は初めてですが、ここまで感想やアクセス数をみて驚いただけお返しできればと思っています。

偉大なる「ジョジョの奇妙な冒険」原作に敬意を払い、この作を書かせてていただきます。


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Stand up to

とりあえずこれだけ投下します。
次回は他の作を書くため遅れそうですが、オリジナルでバンバン書いていくつもりです。


「観衆の中とは粋な真似をする。このディアボロ、あまり人前で姿をさらすことは無かったのだがな」

「つまりはヴァリエールの偽のカモフラージュとして隠されていたってわけかな。そんな秘蔵の使用人も、ここで見納めになるとは悪い事をしちゃったかもしれないね」

 

 ギーシュが気障ったらしく言い放てば、確かにその通りだと周囲が湧きおこる。

 ヴェストリの広場は広場の名の通りに広く、魔法の打ち合いをしても十分な余地があった。ただ、決闘にうってつけの場所として伝えられている割に地面に草花が生い茂っているのは、そもそもが学生間の決闘が禁じられているからである。だがここで戦うのは使い魔と貴族。生徒と生徒では無い。つまりは何の問題も無いという事だ。

 

「さて諸君、これから決闘が始まるという訳なのだが異論は無いね!」

 

 ギーシュが本来なら訴えるべき頬の痛みも、手加減されていたからだろう。すっかり腫れも引いてしまって先ほどのディアボロが何をしたのかを忘れている。その状態で、彼はこの場を沸かそうとした演劇じみた言葉を吐きだした。

 そう、彼にとってこれは一つの劇なのだ。圧倒的な力を持つ彼が突き進む快進撃のお話。そしてギーシュは生意気な平民をたたきのめし、そんな平民を使い魔だと言い張ったヴァリエールは名前に泥を塗られて失墜に。彼の中では、この上なくチープで完璧なシナリオだった。

 それが実現するならば、と言っておくべきであろうが。

 

 少しずつ静かになって行ったギャラリーの垣根を分けた先、そんなディアボロを見ている二人組が遠巻きに眺めている。特徴的な燃えるような赤の髪を持ったキュルケと、彼女の隣で本を持って読んでいる青髪の小柄な少女。恐らくは青髪の方はキュルケに連れられてきたが、この決闘自体に興味は無いと言ったところか。しかし二人の少女もこの場ではあくまで傍観者だ。そう気にする必要もないだろう。

 

「ディアボロ…だったね。僕はメイジだ。だから魔法で戦わせて貰うとしよう」

 

 ギーシュが薔薇の杖を振り、一枚の花弁がディアボロと彼の間に漂う。

 魔力を込められたそれは、瞬く間に一体の人型へと昇華された。

 

「――ワルキューレ!」

 

 それはルイズが失敗していた錬金の魔法を発展させた「クリエイト・ゴーレム」という魔法。土のメイジならばどのランクであっても生成が可能だが、造られたゴーレムの質や大きさなどを鑑定するによって、土メイジの技量をランク以上に正確に見分けることが出来るとも言われている。

 ギーシュが作り出したのは腰の細い、一見アンバランスに見える女性型の青い兵士。戦乙女(ワルキューレ)の名を名乗るには装飾や見た目が貧相にも見えるが、問題なのはこれが我々を支える地面よりも遥かに固い「青銅」でできていることだ。青銅の塊で人を全力で殴ればどうなるか? その結果は聞くまでも無いだろう。

 それと同じだ。どんな属性であってもメイジであるからには魔法を使える。それ故に平民から恐れられる存在が貴族とも言える。定着したイメージの問題でしかないが、大半が恐ろしいという想像に当て嵌まってしまうのがこの世界の「常識」なのだ。

 

「……成程、パワーはありそうだな。構造面に問題は多そうだが」

「魔法の知識も無い平民(・・)の君に授業のおさらいをするとしよう。メイジの操るゴーレムは、多少の傷なら魔法で修復可能だ。……もっとも、君程度に傷をつけられるなら、の話だがね」

「そうか。ご教授感謝しよう……受講料はウォーミング・アップに付き合ってくれるだけでいいな?」

「その減らず口をどこまで叩けるかな…? 行けッ、ワルキューレ!」

 

 ギーシュの薔薇の杖が振り下ろされ、物言わぬ青銅人形がディアボロに襲いかかる。主人のルイズは何も言わない。キュルケはルイズの使い魔がどんなものかと期待に目を輝かせ、ギャラリーはディアボロの勝ち負けで賭けすら始める始末だ。

 だが、ディアボロの目に映っているのはそんな青銅人形などでは無い。彼のキング・クリムゾンが一能力「予知」によって映される未来の己の姿だけだ。その姿を見てディアボロは冷や汗が吹き出しそうになるが、エピタフの予知は絶対。「覚悟」を決めて逆に一歩を踏み出した(・・・・・・・・)

 そこで遅れてやってきたシエスタは、今にも振り下ろされんとするワルキューレの拳を見て絶望する。そして彼女の頭が思い描いてしまったのは、殴られた箇所から陥没し、血を噴き出すディアボロが倒れ伏す姿。そんなものは―――見たくもないのに。

 

「嫌ぁぁあああああああああっ!!」

 

 絶叫と共に、一つの人影が吹き飛ばされた(・・・・・・・)

 

 

 

 学園長室は緊迫感に包まれていた。

 コルベールが持ちこんだ資料。それに記されていたのは始祖に仕えていたとされる四人の使い魔の内、「ガンダールヴ」と呼ばれた使い魔のルーンがディアボロのものと一致しているという事実だったのだ。

 コルベールの取った正確なスケッチと、ディアボロのアドバイスで探し出した文献のルーン文字は何一つ食い違いも無く記されている。更には「神の左手」と呼ばれていたルーンが彼の左手に現れたという点まで伝承と一致してしまったのだ。

 始祖の再来―――そう思わずにはいられなかった。

 

「重大な事です。これは王宮に報告をしなくてはならないのでは…?」

「いや、その必要はないじゃろう」

 

 威厳に満ちた白ひげをたくわえた学園長、通称「オールド・オスマン」は笑いながらに遠見の鏡と言うマジックアイテムで向き合うディアボロの姿を映し出した。そこに映るのは一瞬の光景を切り取ったもの。いわば写真のような場面だ。

 そして、オスマンはそこに映るディアボロの顔を覗きこんだ。

 

「この男、目の中には漆黒の意志が垣間見えた。恐らくは人を殺すことに何のためらいも無いが、それでいて己は間違っていないと覚悟できている人間じゃ。ミスタ・コッパゲール君、君も君なのだから(・・・・・・・・)分かってはいたのじゃろう?」

「コルベールです……ですが、今の彼はそんな恐ろしい過去を持っていたとしても、同族の匂いと言うか、私と似たような雰囲気を感じたのでミス・ヴァリエールには黙っていたのですが…」

「しかし、それだからこそなのじゃよ。王宮の連中はゲルマニアとの政略結婚に大いに不満を持っておるばかりか、戦争をしかけたくてウズウズしておる阿呆な法院長もおる。そんな輩に伝説の再来だと、戦争を始めるきっかけ(・・・・)として十分な理由を持つガンダールヴが知られればどうなる? 答えは、この学院の生徒が戦争に駆り出される、じゃよ。重ねて言うようじゃが、君だからこそ、そのような事は望んでおらんだろう?」

 

 軽快に笑う老人は、とてもいつものエロジジイにも等しいセクシャルハラスメントを繰り返す色ボケには見えない。ズタボロに言ってしまえるものだが、そのような前科を持っているオスマンは此処まで言われてしかるべきなのである。

 ただ、コルベールはオスマンの生徒を思う気持ちには他の教師以上に共感していた。故に、このような穏健かつ未来を見通した真の姿に、憧れたのだ。

 

「……未来を見通す慧眼。おみそれしました、オールド・オスマン」

「いいや、これくらいは頭に血が上っていなければ君でも思いついたであろうに、クソハゲ君」

コルベール(・・・・・)だっつってるでしょうがッ! ……おほん。とにかく、私の研究者癖も自重した方がよさそうですな」

「おーおー、是非そうしてくれい。こちとらいちいち些細なことで春絵…業務の邪魔をされると困るんじゃ」

「……お言葉ですがオールド・オスマン。私の眼には机の上には何も乗っていないように見えますね」

「………さてさて、話しは一旦――」

「誤魔化さないで下さりますかなッ!?」

 

 とんだボケの応酬に入った所で、突如としてドアが蹴破られる勢いで開け放たれた。

 

「大変です、オールド・オスマン」

「ミス・ロングビル。騒々しいが何かあったのかね」

「ヴェストリの広場で決闘騒ぎが始まっています。止めに入った教師たちは悪乗りした生徒たちに止められて事態の収拾は図れないと報告を受けました」

「決闘…? まったく、暇を持て余した貴族ほどタチの悪いもんもそうなかろうて。ところで、決闘騒ぎの中心は誰じゃ?」

「一人はギーシュ・ド・グラモン。もう一人は…桃色の髪に緑の斑点模様がある男です。何者かも情報が入っていなくて」

「……あ、そういえば彼のことをすっかり忘れてここにきてしまいました」

「ミスタ・コルベール……君という奴は」

 

 深い息を吐いたオスマンに、緑髪の秘書ロングビルが言った。

 

「教師たちはみな一貫に“眠りの鐘”の使用許可を求めていますが、どうなされますか?」

「グラモンの方はたかが子供の癇癪といったところじゃろう。それにいちいち秘宝を取り出していては最近話題のフーケにも手に余る宝物を嗅ぎつけられる。放っておくがよい」

「わかりました。ではそのように」

 

 ロングビルが退室していくのを見届けると、オスマンはコルベールに鋭い視線を送った。

 

「はて、ここに連れてくると言っておらんかったかの? じゃが先ほどはすっかり忘れていたと聞こえたような……」

「その、申し訳ありません。どうにも興奮すると周りが見えなくなって」

「やれやれ。まぁ君の報告では信用はできる相手のようじゃ。ここで改めて見定めるのもよいかもしれん」

 

 オスマンが杖を振ると、壁の鏡が広場の様子を映し出した。これも「遠見の鏡」というマジックアイテムの一種で、まさにファンタジーがつまった外見と性能を兼ね備えているといえるだろう。先ほどとは違い、ライブ映像を映し出すそれに二人は集中する。

 そして広場の光景が鏡の中に浮き上がった瞬間、コルベールは我が目を疑った。

 

 

 

「ぐぅぅ……!?」

 

 シエスタの悲鳴をBGMに、ディアボロは青銅の拳を真正面から受け止めていた。だが人間程度がその勢いに耐えきれるはずもなく、足は浮き上がって打たれた腹から吹き飛ばされる。先ほどのお返しとでもいうのか、2・3メートルほどを地面と水平に飛んだディアボロは無様にも大地と熱い抱擁を交わすこととなってしまった。

 

「やはり口だけの平民だね。これじゃあ決闘じゃなくて処刑になってしまったかな?」

 

 薔薇の杖を口元に持っていき、優雅に笑ったギーシュの姿は余裕そのもの。一方、地面との摩擦面が赤くなっているようにも見えるディアボロは、立ちあがる最中に視界の端にへたり込んでいるシエスタの姿を見つけていた。

 その上で、彼は語る。

 

「………成程、パワーは人間並み(Cクラス)…いや、それ以上(Bクラス)といったところか」

「ワルキューレは曲がりなりにも青銅。つまりは金属だ。人を殴り殺すには十分な威力を持っているに決まっているだろう? やれやれ、相当に学がなかったみたいだね。いや、それだけ考える頭があれば、僕に逆らうなんてする筈もないか。

 さぁルイズ! 君は止めないのかい? このままでは君の苦労して隠してきた使い魔モドキがくたばってしまうかもしれないよ?」

 

 言葉を投げかけられたルイズはフンと鼻を鳴らすと、挑戦的な笑みを浮かべたままに言った。

 しかしそれはギーシュへの返答ではない。ディアボロへの命令(・・)だ。

 

「ディアボロ、覚えたのなら……やっていいわよ(・・・・・・・)

「いいだろう」

 

 このやり取りには周囲も首を傾げざるをえなかった。

 ギーシュの予想通りに「ヴァリエール家がルイズのために使い魔としてカモフラージュ用の使用人を送った」のだとすれば、確かに彼女の身の回りの世話はできるだろうがとても平民が貴族に勝てるとは思えない。平民の中では「メイジ殺し」と呼ばれる傭兵や戦闘者もいるが、それは武器を持って初めてなされる事。無手のディアボロがこれからどうするかなどは想像もつかなかった。

 そうして観衆の視線が中央に集中している間にギャラリーの合間をすり抜けたルイズは、先ほどの食堂で見かけたシエスタの姿を確認し、そちらに歩いて行った。ディアボロが殴られ、無様な姿をさらしたことで茫然自失としていた彼女の横に行くと、手を引いて立ち上がらせる。

 

「ほら、起きなさい」

「あ…ミス・ヴァリエール?」

「さっきも言ったように、ディアボロを信じなくてどうするのよ。確かに一発やられたけど、あいつそこまでダメージが入っているように見えてる?」

「……いいえ、おなかを抑えてもおかしくはないはずですが…あれ? 服も破けてない」

「私には見えてたけど、ああいう使い方もできるのね」

 

 先ほどの光景。ルイズだけにははっきりと見えていた。

 ディアボロのスタンドが彼の前に出て拳を受け止め、衝撃だけを拡散させて吹き飛ぶ。地面に体が擦った時はDIOと戦った時の承太郎のように「スタンドで自分を包み込む」ことによってダメージを軽減する。

 もちろんスタンドが殴られた分などの痛みはあるだろうが、スタンドの耐久力は人間のそれを遥かに超えている。キング・クリムゾンに限らない話であるのだが、近距離パワー型スタンドの拳は数多の建物を壊しているにもかかわらず、その手に一切の傷がないことからそれは明白な事実だ。

 つまり、ディアボロは依然として無傷。無傷なのであるッ!

 

「うん、ここなら全体を見回せるからちょうどいいわ。あなた、本当にいい位置(・・・・)に居てくれたわね」

「は、はぁ。恐縮です」

「とにかくゆっくり見てなさい。そして勇気を信じるの。勇敢な戦う姿には敬意を払う。私たちができるのはこの三つのUだけよ。あら、意外と上手い事言えたわ」

 

 視点を戻すと、ディアボロが立ち尽くしているだけなのに、あれだけ湧いていたギャラリーも、ギーシュも、誰一人として声を出すことはできていない。ディアボロがスタンドを出現させたその時から、すでにこの場は一人の帝王に支配されていたのだから。

 ディアボロの瞳の奥に眠っていた光は再び眩いほどに輝きだし、ライトの光点を絞るようにギーシュへと向けられている。彼の傍らにて浮いているキング・クリムゾンも、初めてルイズが見たときの威厳が損なわれていないどころか、むしろここにきて凄味が増しているようにも見えた。

 

「………!」

 

 ギーシュはそれに再び恐れを成す。

 そうだ、この感覚だ。なぜ忘れていたのか、いや何故忘れようとしていたのか! それはこの平民が放つ圧倒的な雰囲気に呑まれる事を、貴族としての自分が良しとしなかったからだ。その現実から目を背けるために、自分は―――?

 彼は肝の底から震えあがる。しかし、後には引けないのだ。それどころか、先ほどの先制攻撃であちらにも浅くは無いダメージがある筈。そう思った時、既にギーシュは人間に立ち向かう無謀なノミの如く、ワルキューレを向かわせていた。

 

「……はぁッ!!」

 

 拳を振りかぶった破れかぶれのワルキューレに対し、ディアボロは型に嵌った正拳突きを繰り出した。どこまでも真っ直ぐと放たれたそれは、彼の脳裏に予知された光景の通りにワルキューレの腹を凹ませて吹き飛ばす。ワルキューレが地面に着くころにはバラバラのゴミとなって辺りに散乱する。

 それは焼き直しの光景を更に焼き直したものであった。

 

「一つ、言っておこう。確かに貴様のワルキューレとやらは中々のものだった。このオレを吹き飛ばすほどの威力を出せるのだからな……しかし、それだけだ……」

「な、何だって!? 僕のワルキューレを愚弄するかッ!」

 

 帝王の隣には紅の王。

 王を従えた帝は一歩、憐れなる謀反者へと歩みを進めた。

 

「青銅は遥か昔より銅とスズを交ぜた錆にくい合金として使われ続け、歴史ある武器としても知られている……だが貴様のそれは人型であるにもかかわらず、上っ面だけを加工したに過ぎん。そうなれば、動作は酷く鈍重になり、骨と可動部を分けてもいないのに関節部を一体化させてしまっている事で、関節そのものが持つ強みが全く活かされていなかったぞ……」

「だ、黙れ黙れ黙れェッ! 魔法も使えない平民が、偉そうに指図するんじゃあないッ! 僕が上! お前が下だ!! ワルキューレェェッ!」

 

 ギーシュは薔薇を振る。

 土のドットメイジである彼が成せるのは、青銅人形を七体作り出して操る事だけ。ここまで魔法の源である精神力を使いきってしまえば、連戦を続けたスタンド使いと同じように魔法を繰り出すだけでも命の危機に陥り昏睡してしまうだろう。

 だが、そのギリギリならば何ら問題は無いのだ。流石のディアボロと言えど、七体からの同時攻撃は防ぎようがない筈。巧みにゴーレムを操る魔力の糸に命令を下しながら、ギーシュは一歩も動かず集中する。必ずやかの敵を殺さねばならぬと思ったのである。

 

「これは……過去だ。オレのではない…お前の、過去………」

 

 ワルキューレが方位陣形を取る。しかし、それらは全て無手。武器とはつまり平民の武器であり、貴族は魔法衛士隊のような接近戦を主とする者たちでさえ、杖と己の技量によって勝負する。ギーシュにとって剣を執るというのは恥なのだ。

 だから、己の体を、己の技を表現したこの拳で以って、直接手を下す…!

 

「人の成長は…そのような過去に打ち勝つ事で……過去を顧みる事で遂げられる。え? お前もそうだろう? ギーシュ・ド・グラモン」

 

 七体の拳が順に突き出される。ディアボロは後ろに目でも付いているかのようにそれを避けて行く。屈み、真上に来た青銅の腕を引き寄せ盾にする。二体の拳を受けて大破したそれを投げ捨て、他の二体を巻き込む投擲。残った四体に向き合い、彼はもう一つの拳(・・・・・・)を強く握りこんだ。

 

「そう……残ったこの四つほどだ。大体四歳ごろから、人はれっきとした記憶を持ち始める。少なくともオレはそうだった。つまりは叱られた過去……嬉しかった過去を持ち始めたのだ。覚えはあるだろう? そして、その時に望んだ物と言うのは何だったか………」

「う、うぅうう……ぁあ……!」

 

 杖を持つ手が震える。ディアボロの言葉だけで、ギーシュのバラバラに散らばった過去の欠片がすっかり元の形に嵌めこまれていく。過去とはどれだけ冷たい石の下に忘却されていても、何時の間にか路上に投げ出されるミミズのように這い出てくる。ディアボロの言葉は、それらが這い寄るきっかけに過ぎなかったが、思い出す為の原動力となった事は確かだった。

 ギーシュの瞳に、忘れられない記憶が、忘れてしまった過去が映し出されてきた。

 

「ぼ、僕は……父上の様な強さに憧れた…でも、ドットから抜け出せなかった僕は、せめて他の事で父上を目指して……そして、器に合わない真似を……」

「ぬぅぉぉぉぉッ!!」

 

 キング・クリムゾンの拳がディアボロのそれと重なる。

 ルイズと一瞬の交差で彼と視線を合わせると、彼女は一つだけ頷いた。

 足払いをかけ、転倒したワルキューレのひらひらとした腰布を引き裂いて己が拳に巻き付けた。スタンドの腕だけを出現させると、纏わせた裏拳を叩きこむ。硬質な感触が布を通じて全体に広がり、戦乙女の全身は罅だらけになって崩れ去る。残った足の部位を引っ掴んで他の一体にめり込ませると、真っ直ぐ横に突き出した右足で蹴りぬいた。

 ディアボロの右足は青銅乙女の腹を貫き、偶然にも魔力の核をも破壊する。

 

「残るは一体……そして、原初の一……おまえのランクはドット、と言うそうだな。この始まりの一を持つというのなら……来るがいい」

 

 そう言って、ディアボロはワルキューレが隣に立ったギーシュを見る。

 ギーシュの近くに控えたワルキューレは、自分で動かしたようにも思えたし、勝手に動いたようにも思えた。だが、ギーシュの魔法が術者と共にあろうとしたことには間違いは無い。魔法は僕と共にある。何時だって僕の隣で、確かにそこに在ったんだ。

 

「……ディアボロ、と言ったね。これまでの醜態は貴族にあるまじき焦り……醜い姿をさらしてしまった事を、ここで詫びさせてもらうとするよ」

「………」

 

 ギーシュはうつむいたまま、造花の薔薇の杖を握りしめる。例え造花といえど、薔薇を模しているのだから茎には棘があり、その棘が手を蹂躙して血を滲ませてきた。だが、これでいいのだ。

 思い出した。彼はその「過去」を。自分もルイズの様に、ただ憧れの父上に迫るために必死に魔法の練習をしていた。その途中では何度も何度も、自分が誇れる力を手にすることが出来なくて、膝を折っては土を握りしめていた。

 そんな時に出会ったのだったか、錬金の練習中に見た輝き(・・)は。

 美しく物静かで、土にまみれた中で人が生み出した原初の力。武器として振るうために思考錯誤を繰り返し、鈍い光沢と歴史の重みを背負った青銅の光。混ぜ合わせる事で生み出された金属は、自分が唯一手を出せた厳かな力だったではないか。

 

「僕は誇り高き軍人グラモン家が四男ギーシュ・ド・グラモン。二つ名は“青銅”のギーシュ。ここからは貴族の名にふさわしい戦い(・・)をさせてもらう」

 

 ワルキューレが構えをとり、ギーシュの命令を待つ。

 ディアボロは構えも無く悠然と、彼の瞳を見つめていた。

 位置は対角線上。間にワルキューレが挟まり、正にこのゴーレムを抜けられればギーシュは絶体絶命のピンチに陥ることになる。この相手の全てを見渡せる位置では、先手を取り動き始めた方が不利となるだろう。

 

「行け……ワルキューレ!」

 

 だが、あえてギーシュはワルキューレを向かわせた。愚直なまでに一直線に、まるでただ只管に鍛えていた幼い時代を象徴するかのような青銅のゴーレムは鋭く変形させたレイピアのような手刀で以ってディアボロに突撃を仕掛けるが、ディアボロは見えざる第二の自分、スタンドで僅かに軌道を反らして手首を固定。ギーシュが違和感に気付く前に、横っ腹を殴りつけて破壊すると、彼は目標へと突き進んだ。

 こうなってはギーシュに最早ゴーレムは作れない。メイジと言っても人の子である限り、人の拳を頭に受けただけで死ぬ可能性がある。ならば青銅のゴーレムをも打ち砕いたディアボロのスタンド付きの拳を受けたらどうなるか? ガラス細工よりも脆く、スプラッタよりもおぞましい結末になる事は目に見えていた。

 

「だけど…僕の過去を克服するという事とはつまり! これだぁぁぁぁッ!」

 

 薔薇の花弁を撒き散らし、ディアボロが向かってくる方向へと向かわせる。今更目潰しのつもりか? メイジと戦った経験が浅い彼は、スタンドよりは厄介なことにはならないだろう。そんな油断を持っていた事は否定しない。

 ギーシュはその一瞬の間にルーンを唱える。速さが売りの魔法衛士隊よりは劣るものの、ドットスペルの単純なスペルならばほんの一瞬でカタが付く。それだけあれば、十分だ。

 

「アース・ハンド!」

「なっ、何だと!?」

 

 花弁がいくつか集まり、空中から合計四つの土の手が射出された。ディアボロの四肢を固定するように掴まれた土の手は投擲物では無いので、ほんの一瞬でもスタンドパワーを軽減する事が出来る。その間にギーシュは走った。向かうべきは未来ッ!

 

(ああ、怖いさ。まさか平民でこんなオークよりも力強い奴がいるなんて思わなかった。……でも、僕は皆が見ている前で醜態をさらすことはできない。なぜなら、僕はグラモン家の人間であり、誇り高きトリステインの貴族なんだ。

 馬鹿らしいさ、逃げ出したい程怖いさ。でも、この彼は何の気まぐれか思いださせてくれたんだ……原初の力への願いを…困難に出会う恐怖を乗り越え、己が物とする誓いをッ! ならば、それに応えるのが貴族なんだ!)

 

 だから向かったのだ…ディアボロの方向(・・・・・・・・)へと。そして拳を握りこむ。ワルキューレの様に力強くも無い、だらけた貴族として過ごしてきた毎日は幼いころの筋肉をすっかり衰えさせた。だが、体のどこかがほんのちょっぴりでも、筋肉の使い方(・・・)を覚えていればそれで十分なのだ。

 

「おおォォォォォォォ!!」

「ヌゥァァァアアアアア!」

 

 土の手も弾き飛ばされた。こうなれば最早魔法を使う精神力は無く、自分の意識を保つので精いっぱいになってしまう。だがそれでいい、コレがいいのだ。すごく、良いッ! 彼の体に己が一矢を叩きこむ姿を見届ける事が出来るのだから。

 

 ディアボロは向かってくる拳ではなく、ただギーシュの目を見て懐かしい光景を脳裏に思い浮かべていた。何十、何百と言う死の連鎖へと至る前、ジョルノ・ジョバァーナを始めとするブチャラティやポルナレフが宿していた輝きにも似た光を。

 だがこれは「黄金の精神」ではない。どこまでも己の為に培った力を象徴するかのような力強い輝き。光はまだまだ未熟だが、いつしかそれは太陽を思わせるほどに成長するであろう「夢を宿した光」だ。完成された黄金では無い、そこに至る為の素質をこの小僧は持っている!

 ならば自分は立ち向かわなければならない。漆黒の殺意を思い起こせ、ディアボロ。己への到達を決して許さず、己が絶頂に坐したあの感覚だ。忘れようも無い、今の平穏に匹敵する心地のいい唯一だった居場所……紅の王宮を!

 

 スタンドが拳を纏う。隣に浮き上がり、まさしく共に立つ者としてこの夢の半ばに在るものと立ち会うのだ。エピタフが見せる未来は現れなかったが、これを我が墓碑に刻むまでも無い。帝王は依然として、この、ディアボロなのだッ!

 

「ラァッ!!」

「やぁぁッ!!」

 

 ギーシュの拳はディアボロの腹に、ディアボロの拳は―――ギーシュの眼前に。

 

「………は、ははは……僕の負け、かな」

「…………」

 

 ギーシュの手はスタンドを纏ったディアボロを殴ってボロボロだった。更に精神力も限界ぎりぎりまで使い切ったメイジの辿る道は皆同じである。

 次いで崩れ落ちるはギーシュの体躯。膝を降り、体の全てを己が属性でもある土の上に預けて、彼は気を失った。だがその顔は納得で満ち足りた表情。負けてなお、何かを掴んだ者の清々しい笑顔。ボロボロになった手を大事そうにもう一つの手で包みながら、浅い眠りへと意識を預けたのだ。

 

「る………ルイズの使い魔が勝ったぞぉぉおおおおおおおおおッ!?」

「おおおおおおおおおおおお!」

「何者なんだ……奴は何者なんだぁぁぁああ!?」

「……ああ、馬鹿な(カリエンテ)が見ていたのだったか」

 

 群がるように押し寄せようとしたギャラリーの姿が目に入り、ディアボロは終わったばかりの体を再び動かそうとしたのだが、そんな空気を読まない貴族たちでも止められてしまう一言と言うのは存在するらしい。

 

「沈まれぇぇぇぇい! 小童共、この様な場所で何をやっておるか……直接の関係者以外は各自持ち場に戻って授業を受けに行くのじゃ!」

 

 そこに現れたのは、威厳のあるひげを蓄えた老人――オールド・オスマン。

 最高責任者の感情が籠った喝を受けた生徒達は、各々の脳裏に自分の親から叱られた光景を思い出しながらすごすごと熱を冷まして戻って行った。その間にコルベールが関係者やギーシュの介抱をするための水のメイジを呼び寄せている。

 

「ディアボロ、と言ったかの。わしはここで学院長を務めておるオスマンと言う。先ほどのメイジ相手にも恐れぬ攻防、実に見事な立ち振る舞いじゃった。彼を召喚したミス・ヴァリエールも使い魔を信頼した物言いは君にも大きな影響を与えたようじゃな」

「は、はい。ですがオスマン老自らこのような場所にご足労いただくとは……」

 

 ルイズはその姿も限られた機会にしか見る事は無いので驚いているようだった。

 

「よいよい。さて、積もる話は後にして、まずはそこのメイドの子に言っておくべきことがある。学院長として、現二年生たちを平民の挿げ替えを当たり前と考える貴族に育ててしまった事を詫びたい。立場上頭を下げる事は出来ぬが、使用人たちの扱いに関しては良い方向で検討させておこう」

「ありがとうございます。オールド・オスマンの寛大な心に感謝を」

 

 深く頭を下げたシエスタは、次いでディアボロにもかばって貰ったことに感謝を告げて業務の為に走り去って行った。彼女の後を追う者はいないが、涙を流す彼女を追うような不躾な輩はこの集まりの中に居なかったからともいえよう。

 

「オールド・オスマン。ミス・モンモランシの御協力もあってミスタ・グラモンの応急措置は終わりました。右手以外に目立った外傷は無いようですし、一日安静にしていれば精神力も回復して目を覚ますでしょうな」

「おお、よくやったコルベール君。では、ミス・ヴァリエール。ミスタ・グラモンも後に同様に言いつけるつもりじゃが、明日より二日間を謹慎とする」

「な、何故ですかっ!?」

 

 ルイズが身を乗り出して抗議する。しかし彼女を見下ろすオスマンの目は教師然としたものだった。

 

「これが子供の決闘であれば、使い魔と貴族のものとしてわしもお咎めは考えておらんかった。じゃがディアボロ君は列記とした大人じゃ。大人と子供、そして両人が力を持つ同士であれば最悪の事態が起こっていた可能性もある。幸いにもディアボロ君があのグラモンの四男に成長のきっかけを与える良い大人(・・・・)だったのが、せめてもの情けじゃ。なに、謹慎と言ってもメイドはつけるから食べるものには困らんわい。ゆっくりと使い魔と語り合うとええじゃろ」

「……分かりました」

「納得したようで何よりじゃよ。納得(・・)は何よりも人の気持ちに優先されるからの」

 

 オスマン老はそれだけを伝えると、ギーシュをレビテーションで浮かせて連れて行った。その傍らには金髪の巻き毛の少女、モンモランシーがついている。どうやらあの戦いで魅力に気付き直したのか、よりは戻っていたようだ。

 だがルイズはそんな事は目に入っていなかった。あのオスマンでも見る事が出来なかったディアボロの隣に佇んでいた者、スタンドとは一体何だったのか。信頼して見守っていた事で何故か自分は心の内が高揚していたが、その安心感は何だったのか。

 

「どうした、ルイズ」

「あ、……ううん、何でも無いわ。部屋に行きましょ。また話したい事ができたの」

「そうか。どうせオレも二日は好きに動けん。知識の交換にはいい機会だ」

 

 尽きる事無く湧き上がってきた疑問が彼女を捕えきる前に、ディアボロが話しかけた事で彼女は思考の海から引きずり出された。本当にタイミングのいい使い魔なのね、と笑って、彼の隣に立って世間話や先ほどの戦いについて話し始める。

 スタンド・バイ・ミー。彼の隣は二つある。ならば、その片方に自分が居ても許されるだけの結果を手にしよう。ルイズは固く、此処に誓った。

 




ということで、あまり派手な戦闘にはなりませんでした。申し訳ありません。F・F並みに知的な戦いを書くといった誓いはどこにいったんだ……って位のギーシュ主人公っぷりでした。

果たして、ディアボロが真の帝王として時の力を取り戻すのはいつになるのか。
ここまでお疲れさまでした。

※2013/06/30 誤字、脱字の修正と一部文章の改定を行いました。


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白に塗り潰した黒

ようやく書き上げました。
ほとんど説明会かもしれませんが、大容量の二万字近くをどうぞ。




 謹慎を言い渡されてから一日目の朝となった。実は昨日の夜の間にルイズの采配でディアボロにも寝床を提供されたのだが、彼はいざという時にシーツを被っていては行動が遅れるとのことで、近くにあった椅子を寝床として使うと言って聞かなかった。

 恩と言われても、ルイズも受けても返せない程の「自信」をつけて貰った大恩がある。だから相応のもてなしによって貴族としても礼を告げたいと提案したのだが、頑なにディアボロはそれを断る、といった構図がしばらく続く事になる。結局は折れたルイズがふてくされて寝てしまったのだが、ディアボロはそんな彼女に受けても返せない程の、それこそ一生をかける価値のある恩と忠誠心を持っていた。

 今度、機会があれば命じられることこそが我が喜びになり得るのだと、そう言ってみたら彼女はどのような顔をするのだろうか。そんな楽しみも湧き上がってくる。恩と恩を押し付け合う奇妙な主従は、新たな朝を互いの顔を見る事で迎えていた。

 

「ルイズ、朝だ」

「ん……おはよ」

 

 そんな思惑があったとも知らず、謹慎一日目は召喚された日の翌日よりもずっと友好的な関係での挨拶を交わす関係になっていた。寝ぼけた目じりをこすりながら、彼女はコルベールが気を利かせて注文してくれたカーテンの向こう側で着替えを行う。ディアボロとて男だ。衣擦れの音を響かせる美少女の肢体に一切反応しない、と言うまでには枯れていないが、それ以上に彼女をそんな目で見る必要性も無い。

 悠然とティーを淹れて待っていたディアボロは、カーテンの向こうから出てきたルイズに湯気と香りの引き立つ紅茶を差し出した。

 

「ありがと。……あら、美味しいわね」

「その辺りも含めて、今日から情報交換の予定だったろう。この際だ、オレもおまえも、一切合財全てを曝け出そうじゃないか……この部屋…オレ達しかいないこの部屋でな」

「ちょっと…! そ、その言い方は誤解を招くわよ!?」

「む、思い返せばそうかも知れん。すまなかった」

「…と、とにかく飲んで落ちつきましょう。美味しいのは本当だし」

 

 ディアボロも彼女にならって、紅茶のカップに口をつける。自分でいれた紅茶はヴェネツィアにて隠れ住んでいた時と変わらぬ腕前。いや、むしろあの地獄を味わい続けていたというのに味が衰えない辺りは上出来と言えよう。

 これを読む人の中には、起床の際に異様に喉が渇いてしまう人もいるかもしれない。だが、その時は朝イチで何かを飲むと落ちつくことだろう。そのようにして朝の名残を消し去った二人はテーブルに向き合って座り、お互いの事について話し始めようとした時だった。

 

「すみません、ミス・ヴァリエール。謹慎期間のお世話をさせていただく事になるメイドです。ディアボロさんの分も含めて朝食をお持ちしましたので、入ってもよろしいでしょうか?」

 

 ノックの音と、聞き覚えのある少女の声がドアの向こう側から投げかけられた。

 

「ええっと…昨日のメイド? お腹もすいてるし、渡りに船だわ。入って来て」

「失礼します。よいしょ…と」

 

 大きめのトレイを抱えて部屋に入って来たのは、学院でも珍しい黒髪を持ったメイド、シエスタだった。彼女が持ってきた料理の数々は、ヨーロッパ風でバランスの取れた豪華な美食。実はルイズの分はついで、本命は貴族と闘ってくれたというディアボロの為にマルトーが腕を振るったご馳走だったのだが、その真実を知る者は生憎と居なかった。

 此処に在る事実は、ただ二人の前に美味しそうな食事があるという事だけである。

 

「ディアボロの分もあるし、いつもと毛色が違うのね。量も多すぎないから丁度いいわ」

「イタリアンも少しあるのか…いや、貴族制度と言い…似たような文化があってもおかしくは無いな」

「ふぅん? また気になる言葉が…っていうか、そこのメイド」

「は、はい…!?」

 

 貴族の言葉は絶対、かつ貴族の恐ろしさを目の当たりにしたのは昨日の今日だ。シエスタはビクビクと怯えた返事を返してしまう。挙動不審な様子にルイズも毒気を抜かれたのか、安心していいわよと笑みを浮かべて言った。

 

「あなた、この二日はつきっきりになるの?」

「はい。オールド・オスマンの命令ですし、いつでも貴族様の欲しいものに答えるようにと、それから、お食事の時間を要望に合わせるようにと仰せつかっております。逐一命令を聞く為、それからお召物の洗濯などですね」

「ふぅーん? どうしようかしら……」

「あ、あの…私がいる事で何か、ご都合の悪い事でもおありでしょうか…?」

「あなた自身は別にいいんだけどねぇ。どうする…? ディアボロ―――って、食べるの速いわよ」

「少し腹が空いていたのでな。懐かしい料理にも惹かれたまでだ」

「いや、堂々と言われても…それで、アンタはどうすんの?」

 

 こればっかりは判断を仰ごうにも、同じく当事者である彼に聞くしかない。いつの間にか先に料理を頬張っていたことに少し呆れたルイズだったが、空気を読んだのかディアボロは真剣な雰囲気に戻って言い放った。

 

「……このオレが言えた義理ではないのだろうが、理解者の一人はいた方がいい。彼女も交えて語り合うのも悪くは無いだろう。どうせ時間は十二分にあるのだ」

「あっそ。じゃあアンタ、一応他言無用のことになるから。後で話すことは絶っっっっ対に、他の人には言わないでよね」

「え、えぇぇぇぇ……!?」

 

 巻き込まれたシエスタとしてはたまったものではないのだろうが、ルイズはそんな彼女を無視して始祖への祈祷、直後にディアボロと同じく食事を始めてしまった。既に食を済ませているシエスタにとっては一応の猶予期間が生じたという事なのだろうが、それでもプレッシャーは測り知れない。どこぞのリーゼントなスタンド使いと違って、ただの一平民として過ごしていたシエスタはプレッシャーを跳ね返す様な真似はできないのである。

 

「始祖ブリミルよ、ささやかな糧を有難うございました」

「ボーノ。味付けは少し濃いが、ヴェネツィア程では無いな。舌を慣らすには丁度いい」

 

 一時を穏やかな時間が過ぎ、ルイズとディアボロは料理の数々を味わい尽くして食事を終えた。空になった皿を引き取ったシエスタは、後に待ち構える「話し合い」とやらに関して涙を流し、食器を食堂まで持ち帰って行くのだった。

 悲壮感に満ちた彼女の背中を見送るが、ルイズは仕方ないだろうなと此方で当たり前になった貴族制度の恐ろしさを改めて知る。もし、街の人間の全員からああいう風に恐れられていたとしたら。持ちえない魔法という夢に執着はあるが、それに見合わない肩書きがもたらす恐怖ほど虚ろなものも無いだろうなと、少し寒気が走った。

 話題を切り替えて、あの平民のことについてディアボロに聞くことにした。

 

「そう言えば、あの子の名前なんだったかしら」

「確かシエスタ、といっていた筈だ。先日は朝と昼に世話になっていた。少しばかり、彼女ともオレは縁があるのかもしれん」

「相手のこと知ってるとこんなところで会うなんて、みたいな事もあるものね。……そうそう、どうせあの子が戻ってくるまで暇になるわね、少し貴族の魔法についてレクチャーしておくわ。そっちには無いって言ってたし」

 

 ルイズの提案は、まだ此方の世界に「馴染んで」いないディアボロには嬉しい提案だった。この先も貴族だけではないだろうが、魔法を扱うメイジやその中でも外道な人間と出会わないという道理は無い。戦いにおいて敵を知る事は重要。まして、事前情報を知れるのは願っても無い事だった。

 

「ああ、まずは…昨日のギーシュだったな。奴はドットと言っていたが、どう言う意味を持つのだ?」

「ドットは基本的に四つあるメイジのランクの中で一番低いものよ。でも、昨日のゴーレムの拳を受けて分かったでしょうけど、それだけで簡単に人を殺せる威力を持つわ」

「確かにな。スタンドを纏わなくては胃が少しばかり破裂してもおかしくは無い」

 

 幻痛というわけでもないが、腹をさすってこたえるディアボロ。先日のギーシュが与えた唯一といっていいほどのダメージ箇所をさすって威力のほどを思い出す。

 

「そんな訳だけど、メイジのランクは成長と共に増えて行くの。もう一つの点が出来て“ライン”に、もう一つ足して“トライアングル”。そして極めた者は“スクウェア”と言って、属性が風なら一人で小規模の嵐を起こせたり出来るようにもなるわ」

「人間が、才能や努力次第で幾らでも自然並みの力を持つのか」

 

 これには流石のディアボロも驚いた。

 暗殺チームのギアッチョならば街一つを覆い尽せる氷を作り出すことも可能だが、スタンドの中でも「冷却」という現象に通じた力を持つからこそ、自然そのものから力を借りてソレはようやく可能となる。だが、スクウェアともなればその規模をまさしく個人の力で運用が可能だというのだ。

 

「特にトライアングルとスクウェアはピンからキリの実力者が居るわ。魔法の系統を繋げる事が出来る数でこのランクは決まってくるのだけど、場合によってはスクウェアメイジにトライアングルが勝つ事だってあるの。相性次第で変わってくるものよ。戦闘面でだけ見た時の話だけどね」

「スタンドと似ているな。例え時を止めるような奴がいたとしても…トラップを張って本人の知覚外からの遠距離攻撃で倒せる事もある。フン、普通の人間が持たないような力には“完全”は存在しないという良い教訓か」

「時を止める…って。そんな馬鹿げた奴もいたの!?」

「いや…だが、オレは似たような力を持っていた。……今は何故か、使えんがな」

「ふぅん。でも、それでいいかもしれないわよ」

「何?」

 

 力である魔法を使えない、というのはルイズのコンプレックスだとディアボロもわかっていた。だからこそ、その力を求める節もあり、それも我が主となるならば求め続ける姿勢も尚良しと考えている。しかしルイズは、その大きすぎる力について否定的な意見を挙げたのだ。

 

「勘違いしないで。私だってあんたみたいにすごいパワーや魔法は使いたいと思っているわ。でも、未熟な輩が身の丈に合わない力を持ったとしても持て余すだけだし、たとえそんな凄い力があっても日常で使うことはできる? 魔法の本質は貴族がこの国を豊かにするために使うための力よ。民のために、土地のためにってね」

 

 ディアボロもその考えにはなるほど、と納得する。恐らく食事の前に言っていた始祖ブリミルとやらも、そのような力の使い方をしてきたからこそここまで魔法文明が発達しているのだろう。

 

「これも力を持たない私位しか持たないような古臭い考えだけど、魔法は元々そのためにあったんだって歴史でも証明されているわ。……ま、最近のやつは力がすべてだと思い込んでいるらしくて、実際に民のために使うメイジはそういった仕事についている人ぐらいしかいないんだけどね」

「耳の痛い話だな。困難に立ち向かうための力―――スタンド能力は日常に活かせる能力者は数少ない。そのほとんどが命がけの戦いに使う者ばかりだ」

「あら、ディアボロはそれでいいのよ。だって使い魔は主人を守るためにもいるんだし、メイジの一人や二人を簡単に下せる力がなくっちゃね」

「そうか……なるほど、確かに今のオレには、元の力の封印は丁度いい位なのかもしれん。いつか取り戻すのは確実だが」

 

 ディアボロが椅子に体重をかけ、ずいぶんとこの口も思いやりに富んだ言葉を吐くようになったものだと、前の自分を思い出して感慨にふける。そうした過去を懐かしむ行為そのものが自分が大きく変わっている証明でもあると、思わず右手を握りなおした。

 その時、ようやくシエスタが戻ってきたようだ。ディアボロのスタンド能力を発現させたおかげで発達した聴覚が彼女のぱたぱたと近づいてくる足音を聞き取っていた。

 

「失礼します……その、本当に私を交えてお話しするのですか…?」

「当然よ。貴族と使い魔と平民。面白いとは思わない?」

「は、はいぃ……」

 

 シエスタの受難は始まったばかりである。

 

 

 

 

「それじゃ始めましょうか。まずは私からでいい?」

「好きにしろ」

「き、聞かせて頂きます…」

 

 萎縮が一人、自然体が一人、そして話し手が一人。

 ルイズはこうして誰かに己の過去のことを話すのは初めてだった。まして、ディアボロだけでなくただのメイドであるシエスタという少女もこの場にいる。これから話すことに対して少しばかり反応は予測できていたが、それでも彼女は一度「話し合う」と言ったのだ。そう簡単に貴族が一度言葉にしたことを反故にするのは貴族ではない。

 信念と芯は固まった。後はゆっくりと息を吐き、ぽつりと言葉をこぼすだけである。

 

「……まず、私は魔法が使えないわ。幼少の時、初めて杖と契約して“ライト”の魔法を使おうとした途端、爆発が起きたの。幸いにも爆破範囲は杖の先っぽ程度だったから、誰にも怪我はさせなかったけど―――その時から私は、精神的にドンドンまいって行く毎日を過ごすようになったの」

 

 使用人たちにもその噂はあっと言う間に広まる。曰く、ルイズお嬢様は魔法を使えない貴族。もしかしたら旦那様と平民の混血かもしれない……。馬鹿にするにも程がある。しかし水を得た魚のように、それからの使用人の大半は自分たちが平民であることを棚に上げ、魔法が使えない貴族と言い続けてルイズの精神を徐々に削っていく日々が続いた。

 病弱な姉であるカトレアは「大丈夫よ、かわいいルイズ」。そういってルイズを落ち着かせた。ルイズとて、落ち着かせるだけで何もしない事にはもやもやした。かといってルイズがカトレアに何かを要求することもできない。他の家族からは何とか魔法が使えるようにと家庭教師やつきっきりでの指導が始まったりもしていた。

 だがその悉くが失敗。今ではこの学院に預けられ、魔法の勉強と成功を目的に一年間を過ごしてきたが、その中でも成功と言えるのは使い魔の召還と契約という二つのみ。学院の同級生は、その成功すらも「平民」であるディアボロが召還されたのだから失敗だと囃し立てた。言葉の持つ責任を何も知らないまま、傷をつけられ続けた日々を送っていたのだ。

 

「まぁ、ディアボロのおかげで余裕もできたし、ヴァリエール侯爵家の三女って箔を使えば貴族として生きていくにも問題はないって今は思っているわ。今の私は他人の意見でそう簡単に意思は変えないつもりだし、土地の経営とかで領主である貴族が魔法を使う場面なんてそうそう無いもの。だから、私はゼロのままでもいい。ゼロならここからいつでも始められるって思えるし、ね…。それから、ディアボロを召喚して契約したのは二連続で成功したんだって、自信もついた。足りない物は、これからこの手にしていくつもりよ」

 

 こんなところかしら。

 そう言って締めくくったルイズの目は、優しげな光に満ち溢れていた。

 魔法が使えないから、自分は絶対に使えるようにならなければいけない。そんな強迫観念から釈放され、薄暗い牢屋の中から出てきたのは星を見つめる者。たとえ夜であろうと、変わらぬ星の輝きをその瞳に焼きつけた一人の少女。

 

 ディアボロは満足そうに口の端を持ち上げていたが、対してシエスタはその境遇と決意に絶句していた。ディアボロという男のあり方は昨日の決闘で垣間見ることができていた。計り知れないほどに巨大な精神力と、何事にも屈さぬ心を持つ人間だと。

 だが、まさかその主さえこのように偉大な志を持つ人物であったとは思いもしなかった。シエスタがこれまで見てきた貴族の姿は、ルイズの言う理想像とはかすりもしない。いうなれば、これまでの輩は威張り散らし、暴力をふるうだけの天災。とても同じ貴族という人種であるとは思えなかったのである。

 

「ほら、呆けてないで次はアンタの番よ。別に壮絶な過去とかいらないから、見たまま感じたままのことを言ってちょうだい。私もコイツも、此処で話した事は誰にも言わないから」

「ですけど……その…」

「平民としての貴族の不満でも構わないわ。どうせこの時間は皆授業にいるから寮に残ってるのは私たち位だし、聞こえやしないから安心しなさい。私も貴族として、民の声を聞けるようにならないといけない。……その手助けだと思って、ね?」

「……分かりました。本当に…いいんですね……?」

 

 シエスタも腹をくくった。そして、自分の半生を口にする。

 

「…私は、タルブの出身です。両親も健在で、前までは変わった曾おじいちゃんが居ましたけど、それなりに幸せに暮らしてきました。ですが、そんな中で有名なワインを作っている醸造所にほとんどの収入が持って行かれて、めぼしい特産品もワインの材料になる良質なブドウ以外は無かったので、私達の生活も苦しくなってきたんです……」

 

 トリステイン王国の南にある都市、ラ・ロシェールの近くにある小さな村がタルブ村である。村はトリステインの貴族たちにも一定の人気があるワインの酒造によって村を成り立たせてきたが、ここ数年の間にそれが主流となってしまい、他の産業は余り目が行かなくなってしまった。

 そんな中で生活も少しずつ質素なものへと変化して行ったシエスタは、家族の為に何処かで働き口を探そうと決意してメイドという天職を見つけた。そうした初めての就職場所でもあり、今でも続けている貴族が通う魔法学院のメイドという立場は給料も良く、仕送りの後で両親たちから端っこが濡れた跡が見てとれる手紙が返されるくらいには充実していた。

 しかし、幸せと言うのは犠牲の上に成り立つものだと実感する時もあった。

 

「何人かの同僚のメイドは、貴族様の御怒りを買って大けがを負ってしまったり、酷い時にはもう働く事も出来ない体になったり、多分夜逃げしたんだと思いますが……いつの間にか姿が見えなくなることも少なくありませんでした。だから、私はこの仕事を続けられるのは本当に運が良かったんだと思っています。おじいちゃんが言っていましたけど……“虎穴に入らずんば虎児を得ず”を私は実践しているんだと思います。危険を冒さなければ…大きな成功は得られないって」

 

 しかし、シエスタは本当に運が良かった。古くからの料理長であるマルトーを筆頭として、古株に色々とコツを教えてもらいながら、ギーシュに難癖つけられるその時まで上手く立ち回ることが出来ていたのだから。

 

「そうして、私はディアボロさんに助けていただいたんです。命の恩人、とも思っていますが…貴族と立ち向かったその姿が、貴族を平然と両方共に無傷で下してしまったその姿が、私には恐ろしく見えていたんです。だからあのときは逃げてしまいました。………本当に申し訳ありません、そしてありがとうございました。この場を借りさせていただきますが、謝罪と感謝を、受け取って貰えないでしょうか」

 

 それがシエスタが見せた涙の理由。

 貴族をも圧倒する重圧感や、とても平民とは思えない程に鋭く尖った目つきは、一般の民草でしかないシエスタにとって恐れを抱かせるには十分だった。元々が一般観衆から恐れられるギャング、更にはギャング組織のボスとして君臨していたディアボロだ。シエスタがああなってしまうのも仕方のない事だったのだが、彼は視線を送るシエスタを見てハッと気がついた。

 

「…………」

 

 いい目をしている。

 この世界に来てからと言うもの、集まったギャラリーは数に入れないにしても、この自分と親しくなった間柄の者たちにはジョルノ達にも通じた希望の光を宿した人間が非常に多い。その中でも、何の力も持たない筈のシエスタは、最弱のドットと言われたギーシュとは、また一風違った視線をこちらによこしていたのだ。

 弱者故に感じた、強者への敬意。ただへりくだって腹の底ではクソ以下の考えを持っていたチームの幹部共とは全く違う。従う事でこそ己に価値を見出し、その従う姿勢に誇りと矜持を持ち合せている。

 シエスタの場合、家族の為にいい主を見つける慧眼を鍛えざるを得なかったのかもしれない。だが、理由はどうあれ彼女は「自分とよく似た目」をしていたのだ。

 

 同族意識…とでも言うべきであろうか。似たような言葉に同族嫌悪というものもあるが、不思議と湧いてくるのは嫌悪感ではなく誰かに仕えるものとしての風格。この謝罪も、ディアボロを上としてみなしたが故の心よりの言葉なのだろう。

 

「…実に不思議だと、オレは思う……」

「…? どうしたのよ、いきなり」

「この場に集まっているのは…誰もが“恩”を感じ、その近しい者へ少なからずの恩を返そうと、新たに決意を固めた奴らばかり……実に、奇妙な巡り合わせもあったものだ。そう…思ったのだ」

 

 シエスタはディアボロに命を救って貰った恩を感じ、ディアボロは地獄の中から光を得た事でルイズに恩を抱き、ルイズはディアボロが認めてくれたことの大恩を返そうと貴族らしく覚悟を固めた。誰もがこの短期間に確かな成長を遂げ、この部屋に集まっている。

 何とも「奇妙な」話だと、そう思うまでに時間はかからなかった。

 

「シエスタ…恩は確かに、この身に返された。……だが、恐れることは何の不思議も無かろう……オレは、確かにそう感じさせるだけの事をやって来たのだからな」

「そ、そうなのですか…?」

「…まぁ話は変わるけど、私から言わせてもらえるなら、シエスタの村の経済状況は領主が管理するべきものなのに、それを怠っているって言うのは理解できたわ。トリステインの“伝統と歴史を慮る”風習も及ばない領地の経営に、特産品のたった一つで村を任せるって……私もするべきことが見つかったわね。私個人から、お礼を言っておくわ…遠慮しないで、貴方は受け取りなさい」

「そん……いえ、確かに(・・・)お受け取りしました。ミス・ヴァリエール」

 

 深々とルイズにお辞儀をした彼女に、そう畏まらなくてもいいわ。と、ルイズが笑った。

 

「…さて、最後はアンタだけど、期待してもいいのよね?」

「陳腐な物語としては上出来(・・・)だとは、思っているがな」

「少し怖いけど、私も聞かせて頂きます」

 

 そうして、二人を見回したディアボロはゆっくりと深呼吸を繰り返した。

 頭の中からバラバラにした過去を引きずりだし、土にまみれた記憶を手探りで拾っていく。その様子は、これまで地面に目を向けなかったかディアボロの姿としては酷く滑稽なものだったであろう。それでも、彼は過去を掘り起こした。来歴を語る程度で怯えていては、オレは変われない。

 あの頃とは違うのだ。絶頂は今でも、この身と主の手元に在る。

 

「…オレは此処とは別の世界、地球と言う惑星のイタリアという国で生まれ育った……。生まれは既に服役していた母の腹から。父親は誰とも分からない。幼少のころは“臆病でどんくさいがさっぱりしている”と言われていたな」

「信じられないわね。今の貴方は恐ろしく我を通す(・・・・・・・・)って感じだけど」

「何にせよ、ここに今のオレが居ることには変わりあるまい」

 

 そう言って、彼はつづけた。

 ディアボロは意味をつきつめれば「悪魔」と言う意味を持つ名前である。そんな彼が何の因果か、服役の終わった母と共にイタリアの西に在るサルディニア島に訪れた際、神父に引き取られて19歳までを過ごすことになった。サルディニア島はそれから、ディアボロの故郷とも言えるようになる。

 

「…やっぱり、生まれからしてとんでもないけど……母親は同じ牢の犯罪者を父親に、アンタを孕んだの?」

「いや、女性のみの刑務所だ。男が訪れる機会がない…母も覚えがないと言っていた。故に、悪魔の子、とでも名付けたかったのだろうな。今となってはどうでも良い話だが」

「………」

「ほら、シエスタ? 呆けてないで聞きましょ」

「……まぁいいだろう、続けるぞ」

 

 そんな気味の悪い子として接する母の態度を見かねたのか、自分でも分からない。ただ、気付いた時には自分は母を生き埋めにしていて、その現場を引き取った神父が見つけてしまった。敬虔な教会の信徒としてあるまじき姿を見られたディアボロはやはり悪魔の所業を行う忌み子であると追われることになり、追い詰められたディアボロの精神は更なる変調をきたすようになっていった。

 

 それから夜になり、彼が再び自意識を取り戻した時に見たのは、自分が育ってきた村が炎上する光景だった。それに何の感情も抱かないままに村を離れ、彼は大火災の中で死んだ一人として扱われることになる。

 

「思い返せば、あの時から我が半身の兆候が見えていたのだろう……人間としてありたかった自分と、悪魔と言われ何処か認めていた自分。二つの意志(・・・・・)別れ始めていた(・・・・・・・)のだ……」

 

 行く当ても無くなり、とにかく命を繋ぐ必要があると判断した彼は南に下って、単身エジプトに辿り着いた。偶然にもちらりと見た街の壁には、制限も緩い労働者を求めるだけのバイトの張り紙があった。これに喰いついたディアボロだったが、この時から運命は始まっていたのだろう。

 担当した遺跡から偶然にも一人の時に見つけたのは、六本の古めかしくも何処か心惹かれる意匠が施された「矢と弓」だった。それを見た瞬間、惹かれた彼は指を小さく切って怪我をしてしまい、突如として襲ってきたしばしの苦しみの後に気付く。明らかな「パワー」が自分の中に渦巻いているのを感じたのだ。

 それからこの力を凡俗に与えてはならないと矢と弓を持ったまま行方を眩ませようとした矢先、怪しげな老婆とエジプトのある町で出会うことになる。

 

 ―――その力こそ、スタンドの源! おぬしが持つ矢と弓は、DIO様の為に必要なものじゃ! 金なんぞが欲しければやろう…さぁ、渡すのじゃ!

 

 人気も無い裏通り。あまり目立つ事も無く、彼らの交渉は成立した。エンヤと名乗った老婆は奪い取ることも考えているようだったが、自分が発現させた「力」には叶わないと知ったのか、交渉事を持ちかけて来たらしい。今となっては、どうでもいい事実だが。

 

「そうしてオレは…イタリアの“裏社会の浄化”を。オレの様な爪はじき者の受け皿としてギャング組織…“パッショーネ”を創立した。だが、オレは決して知られてはならないと感じた…。組織の力の源を知られないことこそ、根源たる“未知の恐怖”を人間から湧き起こさせ、裏の結束力を高めるに至ると信じていたからだ……」

 

 事実、彼の組織は瞬く間に巨大化しておった。その道程でディアボロは正体を知られてしまう時があったが、そうした人物の全ては残虐を以って排除し、ただ一人、己だけが裏を牛耳る帝王としての王座に座り続けることになる。

 彼にはその時、「ヴィネガー・ドッピオ」という人間でありたいと思った意識が表面化し、肉体さえも変える事の出来る「二重人格」となっていたので、最小限の人間以外には知られる事も無くなっていた。例え知った人間がいても、確実に第二人格であるドッピオに殺させていたので問題は無かった。

 時は流れ、多くの社会に受け入れられない輩を保護し、時を重ねてようやく組織基盤が完成する。しかし、彼が思った以上にボスという立場から見た景色は甘美だった。悪魔と罵られ、陰鬱な日々を過ごした幼少期とは比べ物にならない程の絶頂の感覚が体を駆け巡っていく。いや、そのような下地があったからこそ、この絶頂は遥かに美しいものだと感じたのだろう。

 故に絶頂は、決して脅かされてはならない。常に現状を維持し続けろと彼の暗い過去が囁きかけてきた。己の声に従ったディアボロはその過去すらバラバラに引き裂いて出生や自分の情報を消すと、「帝王」としてあり続けるために、おぞましい手段を用いた「粛清」を始めた。更なる恐怖によって反逆など起こさせないように。

 

「だが、ギャングとは決して一つの組織だけが突出するべきでは無かったのだ。麻薬チームが暴走を始め、抑圧を跳ね除けた暗殺チームはオレの正体を探り始めた……オレがそのちっぽけな部下の不満を見逃したからこそ、全ては破綻していったのだ……過程を軽視した結果は、決して成功には繋がらないのだと…………」

 

 そうして始まったのが、ジョルノ・ジョバァーナという輝きを先頭に据えた、正体不明であり続けるボスの座を挿げ替えることで、自分がボスとなって真なる裏社会の「浄化」を図ったブチャラティチームの行動だった。

 ディアボロとて表との境界線は弁えている。おおっぴらな事をして世界的な権力にパッショーネを摘発される可能性はあったが、それ以上にボスの座を明け渡すわけにはいかなかった。決して力を借りたくは無い「下衆共」である無差別殺人を楽しむような医者とその部下にまで出撃の命令を下したが、奴らですらジョルノの前では無様に散っていく。まさしくゴミの様に、ゴミ集積車へと詰め込まれて。

 そして……これはまた因果か、エジプトで己が現代初、その価値に気付いたのであろう「スタンドの矢」が目の前に立ちはだかることとなる。己の正体を追っていた人物が生きており、その「矢」を使って「何か分からない」現象を起こしながら最後の戦いが始まった。

 

 戦いは熾烈だった。最初に起こったのは、人格や意識が他人の体へと入り、勝手に動く自分の体を他人の目で見るという不可思議な現象。ここまでよくやってくれた二つ目の人格であるドッピオは、その時に死にかけていた相手の体に移ってしまったことで、肉体と共に死を迎えてしまう。ディアボロもその不可思議な現象をも利用し、娘の体の「第二人格」として矢を一時的に手にすることが出来たが、ディアボロはその戦いを制しきることが出来なかった。

 その失態の結果(・・)は―――言うまでも無く、この場にいるディアボロがその世界からさえもはじき出されるような大敗を喫した、と言う事だ。

 

「これがオレの生きてきた道。パッショーネのボスとして君臨するため、オレはどんなことでもこなせる様になる必要があった。正体不明のボスとして振舞う中で時間が余ったという理由もあったが……ともかく、おまえに淹れた紅茶の技術も身に付けたという事だ」

「………ゴメン、ちょっと待って。色々と想像を遥かに超えてたわ……シエスタは?」

「スタンド使いとかが…その、本当に私が聞いても良かったのかと……ですけど、ディアボロさんは本当に人を…お母さんを殺して…?」

「覚えは無いが、確かにそうしたという自覚はある。その頃から、オレは殺人に何のためらいも無くなっている。今は…ルイズ、おまえの命令さえあればどんなモノでも排除すると考えている」

「重いわね」

「そう、ですね」

 

 シエスタは思う。この壮絶な生き様は、確かにあの決闘の時に感じた重圧感を持つには十分だ。例え先ほどから話に出てくるスタンドとやらが無くても、ディアボロは頂点に立つ者として、頂きに坐す者として「絶頂」の日々を送り続けたのであろう。

 感じていたのは、人として全く正しい「恐怖」だったのだ。だが、やはりシエスタは「運がいい」。彼女はこの時点で、ディアボロから発せられる恐怖と言う物の正体を知った。恐怖を己が物とすることが出来ていたのだ。

 

 ルイズは、思う。

 ディアボロが話す過去は、恐らく彼の手が無意識に握られるほどに話したくない恐怖だったのだろう。確かに、自分も思い出したくも無い過去は持っているともいえるが、彼のソレはいささか異常過ぎる。

 だからこそ、なのだろう。そんな忌むべき過去とやらを打ち明けてくれたこの従者に対して、己の覚悟を再三に告げるのだ。

 

「……まぁ、まだ理解はできないけどアンタの生き様に対して“納得”はできたわ。時には人を罰する立場である貴族の私には人を殺すことは悪い事、なんて言う権利は無い。だけど、ディアボロは私の“通過点”なのは分かったわ」

 

 従者と同等の主はいない。必ず主と言う物は従者より優れており、その命を下すことによって従者に在るべき姿を取らせる存在。もし、主がその時点で間違っていたとしても、そうした「正しい姿」は道を違える前に主従同士で間違いを正すことが出来るだろう。

 

「オレが通過点……成程、奴に似ているおまえならば…このディアボロを越えるやもしれん。だが、オレを越えるという事は即ち帝王を越えるという事だ」

「お山の大将が帝王気取ってても仕方ないでしょうに。ま、何だかんだ言ってアンタも手貸してくれるんでしょ? だったら問題ないわよ」

「わ、わわ…ミス・ヴァリエール…?」

「ふふっ。どうしてそこでアンタが不安そうにするのよ」

 

 とんでもない啖呵を切り、更には越えるべき相手の手を借りると言い放ったルイズに昔の癇癪しか起こせなかった姿は無い。彼女の強迫観念に押し潰されていた本来の性格が押し出され、輝ける道を追いかけようとする彼女は…そう。

 とても爽やかだった(・・・・・・)……。

 

 ディアボロが似ていると言ったのは、やはり彼女とジョルノを重ねたからである。常人には無い、どん底から己の力と同士の手を借りて全員で昇り切るだけの「覚悟」が感じられる。瞳だけではなく、体全体から発せられる覇気は何処までも貪欲なもの。しかし、そこには人の薄汚い「欲望」は見えない。

 ルイズは、気高く飢えていた(・・・・・・・・)のだッ!

 その姿を、ディアボロが見逃すはずがない。まだ何の行動も起こしていないようにも見えるルイズだが、その内面は確実に成長しているのだ。己の決闘の時には全幅の信頼を、言葉を受け取った際には最上の感謝を。その姿は、真に貴き一族。優しさと、「黒」を正面から受け止める姿は例え汚泥にまみれたとして、泥の下から力強く天に向かって伸びる「ハスの花」そのもの。

 釈迦を飾り立てるのではなく、その釈迦と共に在るハスと同じなのだ。

 

「……やっぱり、私は…」

 

 シエスタは、二人の輝きに圧倒された。

 その行動が一般に悪と呼ばれる所業であっても、己が正しいと信じたことの為に突き進み、夜のような漆黒の輝きと共に絶頂を手にし続けていたディアボロ。彼の話を聞いた時は、こんな殺人者の近くにいるなんて、と嫌悪が生じた。

 例えどんなに蔑まれようと、健気に努力を惜しまぬ経験を積み続けた結果を得る事ができ、今も成長の留まる事が無い光の精神を備えたルイズ。彼女の言葉には、その全てを己に刻みつけるような重みがあって、とてもじゃないが矮小な自分には耐えきれないと思った。

 身がすくむ。動悸が激しくなり、自己嫌悪が生じる。貴族の誰をも怒らせることの無い、ただそこにいて当然だと思われる植物の様な生き様を刻んできたシエスタは、これまでをただの幸運の積み重ねで過ごしてきた。己が特別だ、とも思ったことは無い。ただ、何時途切れるとも知れない運が事を上手くまとめてくれただけなのだ。

 

 シエスタという少女は、ただ己の小さな心に後悔を抱く。こんなに壮大で、雄大で、寛容な二人の話は、やはり凡俗に過ぎない自分には効果が強過ぎる薬…毒でしかなかったのだと。

 

「さて…ここまで付き合ってくれたアンタにも感謝しないとね」

「感謝…ですか…?」

 

 しかし、そんな沈んだ気持ちもルイズの言葉で引っ張り上げられた。感謝。貴族から受け取ることになる感謝と言うのは、確かに凄いもの。先ほども何となく、覚悟を決めたように見せかけて受け取っていたが、今度ばかりはルイズの目の輝きが、お辞儀と言う手段で顔を反らすことを許さなかった。

 

「これで、私達は全部打ち明けた仲になった。でも、貴方は本当に自然体でお世辞も無く語ってくれたし、ディアボロの事を心の底から否定しなかったのよ。確かに、私もコイツの過去に関しては思う所があるけど…それでも、主っていう贔屓目も無しにこの場に留まってくれた。別のメイドに押し付ける事も出来たでしょうに……でも、シエスタは戻って来てくれたでしょ?」

「は、はい。ですがソレはご命令だったからで……」

「それは、嘘だな。……貴様の目が、それを物語っている」

 

 え、と小さく声を上げた。だが、どうしようもなくディアボロが指で示した自分の目が気になって、近くのドレッサーにあった鏡で確認する。そこには、納得できるだけの理由がしっかりと存在していた。

 

「寂しそう…ですね」

「それが事実だ。同じ職場で働く者がいたとしても、結局は一人の時は昨日の様な事が起こりかねん。その恐怖に日々怯え続けたお前は…打ち明ける相手もおらず……孤独だったのだ」

「……そうでした。私は、確かに心の底では誰にも打ち明けたりはしなかった。他のメイドの子が貴族様への文句を言っている時に、私は……たった一人で何処にあるとも知れない耳に怯え続けてたんですね………」

 

 明るい仮面の下に、シエスタの本心はあった。

 例え仮面をかぶろうとも、目だけは隠すことが出来ない。それと同じだ。

 

「教えてくださって、誠にありがとうございます。ディアボロさん」

「…やっぱ、観察眼はまだまだ勝てないわね」

「青二才どもめ、経験を積んでから物を言え。貴様らはまだ、等しくこのディアボロの前ではカスに過ぎん」

「ふ、ふふふふ……い、言ってくれるじゃない…やってやるんだから!」

 

 ルイズとシエスタと等しく見下ろしながら、ディアボロはそう語った。

 しかし、ルイズはその言葉に喜びを覚えずにはいられない。青二才と言う事は、まだ自分は未熟であるが成長が可能だという事を暗に語られているようなものだ。流石の彼女も、こんな罵倒を褒め言葉と受け取る日が来るとは思っていなかったのだが。

 だが、成長する枝が突如として先を別れさせて成長するように、ディアボロと出会ってから自分と言う巨大な一つの幹より現れた小さな枝がある。それにこそ、己の心血を注ぐ価値があるのだと、ルイズは信じて疑わない。

 

「…お二人は、本当に仲がよろしいのですね」

「…そう、かもしれん。いや、だがオレもルイズをドッピオと重ねているのかもしれないな。我が生涯に在るべき半身……オレは、心のどこかでそう思っている」

 

 女々しい事だと、そこは己を恥じた。

 「私のドッピオ」はもういないのである。だが、そこにルイズを据え置く事で、彼は何とか他人から注目される現状を凌いで来た。そんな心を見透かしたのか、ルイズは高らかに謳うように、その手を指し伸ばすのだ。

 

「ふーん? ま、それじゃあ私がその位置を成り代わってあげる。ドッピオって言うアンタのもう一つの人格が亡くなったのは……ご愁傷様としか言えないわ。でも、アンタは此処にいるのよ。死んでしまったソイツの分まで、私の使い魔として生きなさい」

「分かっている。分かっているとも……」

 

 目を伏すが、涙は出ない。それほど軽薄な心だったというのも否定しないが、ここで涙を流すことは侮辱に値するのだ。それは、最後まで「ボス」であるディアボロを慕ってくれていたドッピオの心の叫びを戦いのさなか、何処かで感じたからかもしれない。

 あの灯った火が消える感覚と共に、送られた言葉は……決して、無駄にできないのだ。

 私も電話したかったぞ…ドッピオよ。

 

「……私は、厨房の方の手伝いもありますので、しばし失礼させていただきます。またご用がありましたら、夕食を持ってきた際に遠慮なくお申し付けください」

「悪いわね。……そっか、もうそろそろ夕食の時間なのね。それじゃそっちの用事が片付き次第、こっちに持ってきてちょうだい」

「半生を三人が語っていたのだ。相応の時は経っていたか……まぁ、今は夕食を待つか」

「わかりました、失礼いたします」

 

 シエスタが退室して行った後、窓から見える夕焼けに入ろうとしている太陽を見て、ルイズは感慨にふけっていた。短い間に、随分と自分は沢山の「覚悟」を決めてきたものだと思う。それが、実践できるかはまだ分からないが、やはりそんな自信さえもが胸の内から湧き上がって来た。

 

「さてと……次は、スタンドのことについて少し詳しく話してもらえる?」

 

 だが、まずはまだ自分の知らない使い魔の様々なことについて知り、正しく見極めることが必要である。そのためのスタンド講座をディアボロに頼んだのだが、やはりというべきであろうか、彼はルイズの問いに快い返事を返してくれた。

 

「前にも言った様だが、スタンドは本体の精神と、生命エネルギーが実体を成した“像”の事を言う。扱うのは人間故にこのキング・クリムゾンのような人型もあるが、動物や、オレのペットだったカメにもスタンドがあるように、人型でなかったり、像を持たずともスタンドを視認し、なおかつ超常的な能力を扱える生物をスタンド使いと呼ぶ」

「能力は私達の魔法みたいに覚えて使って行くの?」

「いや、スタンドは個人の在り方を突出させたように、能力は極めて尖ったものが多い。使い方次第では万能とも呼べる奴もいるが、基本的には特定の条件下におく事で無敵を発揮し、特定の条件下においては最弱にもなりうる諸刃の剣となるだろう。もう一つの特徴として、スタンドそのものが傷ついた場合は本体も傷つき、本体が腕を失うなどの怪我を負えば、スタンドも該当する部位が無くなる」

「まさしくもう一人の自分……つまり、スタンドさえ見れば相手がどんな様子かってのも分かるのね」

 

 いい所に気付いた、とディアボロは続ける。

 

「釣竿や体内に寄生する程小さな奴らもいる。一見武器に見えない物を持っていたとしても、決闘の時のギャラリーやギーシュと言った普通の人間からは見えない場合はそれがスタンドだという事もあるだろう」

「私の場合は…見分けがつかないわね。あなたのが見えてるんだし。シエスタなら見えて無いみたいだけど……流石に闘うような事態が起こったら、あの子は巻き込めないし」

「そうだな、オレも余計な犠牲は好かん。だがこの世界にオレ以外のスタンド使いがいるとも考えられん……杞憂で済む話だろう」

「そうだったら、見えない味方っていう最強のアドバンテージをとれる訳ね。…そうだ、そのスタンドは“選ばれた人間が得る力”って言ってたけど、さっきの話に出てきた“矢”がそうなの?」

 

 此処に来てルイズの知力が発揮される。先日までの話と、先ほどの話に出てきた僅かなワードから結びつけて「スタンドの矢」はまさしくスタンド発現の為に必要なものではないかと予測を立てていたのだ。

 彼はその問いにそうだ、と答えながら文節の言葉をつけたした。

 

「だが、スタンド使いに選ばれるかどうかは正しく天に任せるしかない。スタンドの矢は……選ばれない人間には死体すら残らない“死”を与える。気易くスタンドを得ようとしたところで、半端な覚悟では自分のスタンドに喰い殺されるだろう。自分の本質を表に実体ある物として現出させるのだ。相応の扱う精神力と理性が無ければ、“本能”を抑え込むことなど出来ようも無い。……まぁ、一部は本能そのものに従っていた事で同調していたがな」

「死ぬ、ねぇ。やっぱり殺伐としてるわ……何で死ぬの?」

「知らん。我がパッショーネに新人が入団する際に、“ポルポ”という男にスタンドが身に付くか、はたまた“信頼”に足る人物かを見極めさせていたが……その大半はただの赤いどろりとした液体になっていたな。残った服が、ソイツのいた最後の証だ」

「……直接見たら、しばらくトマトとかは食べれないかもね」

 

 ポルポのスタンドが「魂」を引きずり出し、その魂に直接矢を指した者は原型のまま死んでいたが、抵抗して肉体を直接矢が貫いた際はやはりトマトペースト状の液体になっていた。だが、やはりディアボロは組織が完成しきる前に何百とその光景を見てきたが、志半ばで倒れるような輩には目もくれなかったのだろう。それだけは言える。

 

「お待たせしました。ミス・ヴァリエール、ディアボロさん。夕食をお持ちしました」

「あら、もうできたの? 入って、シエスタ」

「失礼します」

 

 朝の時のように彼女が部屋に入り、銀色の蓋で伏せられた料理をテーブルの上に置いて行く。全てを並べ終えた後、おすすめはこれですと言ってシエスタは蓋を開けた。

 

「マルトーシェフお勧めの一品。前菜は“モッツァレラチーズとトマトのカプレーゼ”です。マルトーさんが初めて母親に教えて貰った料理だそうで、自信たっぷりでした。とても美味しそうですよ」

「……なんていうか、タイムリーな話題だったわね」

「…そうかも知れん」

「……?」

 

 料理を前にニコニコと微笑むシエスタに対して、二人はチーズの間に挟まれているトマトに微妙な視線を向ける。そして、どうにもスタンドとそれを結びつけてしまいそうな錯覚にも陥ってしまうが……流石に、料理にスタンド能力が関わっている筈がないだろうと、ディアボロは長年の経験から結論を下した。

 ただ、彼がいる歴史の中で、杜王町という場所に料理人のスタンド使いやエステティシャンのスタンド使いなど、日常に溢れた一般人らしいスタンドを持つ者がいる事を、彼は知らない。

 

 いつもの御祈りを済ませて、二人は夕食を始めたのであった。

 

「あら美味しい。見た目は質素だけど、中々小洒落た味付けね」

「互いが引き出し合っているな……シエスタ、お前も席に座るがいい。流石にこの量は二人では足りんだろう」

「あー…やっぱりマルトーさんの見立ては正しかったんですか…」

「何の話よ?」

「その、“貴族に楯突いて守ってくれたんだ、飯くらい貴族の主人も黙らせて同行させてくれるとも! 我らが担い手によろしく頼むぜ”と……」

「豪気な性格だとは感じていたが……」

「すっかり私がディアボロの抑圧者扱いねぇ。…まぁ、コイツの意見には賛成だし、アンタも加わりなさい。傍で一人だけ立たせるのって何か慣れないわ」

「それでは、お言葉に甘えさせていただきます」

「固いのね…そうでもないと、聞いた限りじゃメイドはやってけないみたいだけど」

 

 シエスタも席に座ったのを見て、ルイズは少し猥談を挟みながら、ディアボロは寡黙に話に反応しながら和やかな時間が始まった。誰一人として血も繋がっていないが、半生を打ち明けた者同士で遠慮の壁も意味を成さない程度には無くなったのだろう。

 まるで家族の様な温かさに包まれながら、三人は幸せな時間を共有するのであった。

 

 

 

 

「謹慎処分一日目。いやはや…とんでもない話を聞いてしまったもんだわい」

 

 遠見の鏡で様子を見ながら、老人は膝に乗せた片耳が欠けた(・・・・・・)ネズミを撫でていた。気持ち良さそうにその大きな手に身をゆだねるネズミに優しい視線を送りながら、それを机の上に在る「書物」のページに目を通す。奇しくも、鏡に映るディアボロの左手に在るものと、ページに描かれたルーンの文字は一致していた。それは何度見ても変わることは無い。

 

「ガンダールヴと、スタンド……片や伝説に伝えられし万の武器を使いこなす与えられた力と、己の力をその身より引き出す虚像にして実像也。厄介じゃのう……裏組織のリーダーで、殺人も厭わぬ性格とは思っておったが……ミスタ・コルベールめ、まだまだ上っ面しか見えておらんかったか」

 

 ルイズの全ての命に従う。そう言った時の彼の瞳を覗きこんだとき、老人は目の前に巨大な闇が現れ、己が呑みこまれていく姿を幻視した。漆黒に染まった、最早何色にも変われぬ決意が彼の胸にはある。不幸中の幸いと言うべきか、ギーシュ・ド・グラモンの例もあって、それは主であるルイズが敵と定めた者にしか矛先は向けられないようだが…捨て置くには、子供達に悪影響を与える可能性もある。

 だからと言って、彼を排除する事も躊躇われた。ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。この少女の心の闇を取り払う事が出来たのは、自分自身の成功の証である彼だけであり、この一年間を覆すほどに彼女を急成長させてくれたのは他ならぬディアボロであったからだ。

 

「さて、情報の隠匿に流出を防ぐための書類づくり、更には公爵家への誤魔化しの文をしたためねばならんとは……のう、モートソグニルや。この枯れた老人にはいささか酷な仕事とは思わんかね」

「………ギ、チチチ」

「うむっ!? 笑いおったなこ奴! ええい、ミス・ヴァリエールの使い魔はあれほど利口だというのに、このネズミめ――――って、ありゃ。チョイと見せなさい」

 

 チョイチョイと手招きした老人――オールド・オスマンに使い魔のモートソグニルは腹の辺りを見せると、彼が渋い顔をしているのが分かった。この顔は、恐らくいつものアレだろう。モートソグニルはオスマンの顔を見て思っていた。

 

「ありゃ、やっぱり塗装(・・)が落ちとるわい。また白く塗りなおさねばならんか……やれやれ…面を立てる(・・・・・)ことも面倒(・・)じゃ。なんつって…………はぁ、アホなことやっとらんと…さて、染髪の魔法薬はどこへやったか……」

 

 モートソグニルの腹から覗いていた「こげ茶色」の体毛に、オスマンは首を振った。

 オスマンは貴族院の学院長である故、その実力も申し分ないと言われている。だが、彼とて立てる評判も気にしなければならない身であるが故に「ドブネズミ」が使い魔である事は隠さなければならなかった。

 伝統などを最重要視するトリステインの貴族として、王宮に睨まれないための措置であるが故に、モートソグニルは「ハツカネズミの様な白色」に染められていたのだ。

 唯一つ、黒真珠の様な目を残して、という欠陥は残っているが。

 

 誰も気づかなくとも、時は満ちた。

 この瞬間、運命は交差していたのだ。




ダブルミーニングのつもりです。どこがって話ですけど。

※)今回、運営からアンケートの実施が【規約違反】との事で一時凍結を頂いてしまいました。
  我ら一同心を入れ替え、今後このような事態に陥らないよう、細心の注意を払って書かせていただきます。


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穏やかな炎 激しい炎

Calm Fire & Hard Flame


 謹慎期間の解かれる朝が来た。

 あれから二日、話し合いによってある程度の知識交換をしたディアボロとルイズは、それぞれの文化の違いを吟味しながらも今後のディアボロがこの異界の地でどう適応して行くべきかについて討論したが、結局のところはルイズの傍で使い魔として過ごし、少しずつ世界に触れて行けばいいという事になる。

 余った時間はディアボロもこの世界の文字を解読に掛かっていたのだが、既存の地球にあるどの言語とも文字は似つかず、しいて表現するならアラビア語のように繋がった文字が英語に似た羅列と意味を持ち合わせていたという辺りであろうか。

 コルベールにシエスタ経由で図書館の本を借りていたディアボロは、元々勉強熱心だったルイズの指導の元、たったの一日かけただけで、日常で使う様な用語程度なら覚える事が出来ていた。しかし、やはり文章や文の構成となると一朝一夕で覚える事は、流石の彼と言えども難しい。ひな鳥にいきなり飛び方を教えるのではなく、まずは翼の動かし方から教えるような光景であったと、隣で見ていたシエスタは後に述べる。

 

≪うむ、良い時間を過ごせたようじゃの。では、謹慎期間はこれにて終了。ミス・ヴァリエールも授業に後れを取るとは思えぬが、コルベール君に二日分の範囲はまとめさせておいた。リストを受け取り、自主勉強をしておくとええじゃろ≫

「わたしにそのような措置を下さり感謝します、オールド・オスマン。……って伝えておいてちょうだい」

 

 そうした一日の日常を過ごした後、桃髪の二人はようやく広くも狭苦しい部屋からの外出を許されることになった。オスマンから学院伝達用の使い魔越しにメッセージを残して久しぶりの娑婆の空気を味わった。

 窓も大きく、開放的な空間では外の空気を取り入れる事も出来るが、やはり自由に歩き回れるのとそうでない場合とでは大違い。日光に照らされた草木の様に、中庭に移動したルイズは伸び伸びと深呼吸を行う。

 

「あ~ッ! やっと終わった。肩がこっちゃうわ、もう!」

「ふん」

「あら、ディアボロはそんなに解放感とか無いの?」

「あるが…そこまで大袈裟なものでは無いな」

「言うわねぇ、ホント……」

 

 元々隠れ住み、表通りに姿を現す際はドッピオに任せていたディアボロだ。ライオン像の中に隠していたデータディスクでブチャラティチームを呼びだした時のように、薄暗く、己の正体がばれにくい環境でのみ本質を見せていた彼にとってはむしろ、奇襲・策略・不意打ちを行える狭い部屋と言った空間は独壇場だ。

 「レクイエム」の影響で誰とも知らぬ相手に死にざまを見続けられていた時もあったが、それらをひっくるめても、こう言った広々とした空間の方が、まだまだ慣れにくいのである。

 

「そう言えば、聞いておきたい事がある」

「なに?」

「あの決闘の前、授業の際に使い魔を連れて行くと言っていたが…あれは常なのか?」

「言ったかもしれないけど、顔合わせとか紹介を兼ねた特別授業だからいつもじゃないわね。あ、でも前期の一ヶ月くらいは使い魔を慣らさせるために傍に置いておくのもいるわ。聞き分けのない幻獣やメイジに従わない使い魔が暴れたら大変だもの」

「つまり、オレは聞きわけがあるので傍に置かずともいいという事か」

「人間サマほど不安定なのも居ないと思うけどね。…ま、しばらくは言われた通り遅れた分に目を通しておかないとね。知ってる知識があっても、授業の進行度はその都度で違うんだから」

 

 勉強熱心と言うか、ルイズの努力は元々魔法の為に向けられていたものである。だが、ルイズも途中で何事かを放り投げる様な性分では無かったし、常日頃の慣習は日増しに自分の特徴ともなっていった。ルイズにとっても、文字の羅列と向き合う時間は嫌いではない。

 しかし、そうなれば暇になるのはディアボロだ。ルイズの傍で授業を聞いておいてもいいが、彼女から聞く限りでは二年生の授業範囲は魔法を使うメイジにとっての魔法実戦、活用方法を教授する講義・実習が主体になるらしく、ディアボロが知っておきたい「常識」を学ぶのは一年生の領分。貴族であるルイズと平民であるシエスタからの視点でこの世界の基本は分かっていたが、後はどうしようもない。

 

「…む、そうだな。厨房の奥にでも行くか」

「じゃあしばらくは自由行動になるわね……っと、そろそろ時間じゃない! ディアボロ、アンタは好きにしてていいから、またお昼に会いましょ」

「ああ」

 

 忙しそうに掛けて行く彼女は、他の魔法の「レビテーション」「フライ」などの空中移動に慣れた者たちとは違い、息も切れていない様子。何とも皮肉なことに、魔法に頼れず生きてきたルイズは、他の貴族よりずっと健康的な身体をしているようだ。

 ディアボロはそんなルイズの様子を一瞥すると、長い髪をなびかせながらアルヴィーズの食堂へ向かって行くのであった。

 

 

 

「本当にありがとうございます。この学院、どうしてかメイドばっかり多くて…こう言う男でのいる力仕事はからっきしだったんです」

「…あの老人の趣味がうかがい知れるな」

「え、何か言いましたか?」

 

 何でも無いと彼は返し、斧を握って勢いよくシエスタの方向に振り下ろした。

 そして、真っ二つにされた物が転がって切り株の上から転がり落ちて行く。こう言う単調な仕事も楽ではないのだが。内心でそう毒づいたディアボロであったが、ここなら食堂の裏手でほとんどの視線に晒される事も無く静かに過ごせる。

 シエスタの手によって乗せられた薪を確認すると、彼はもう一度斧を振り下ろした。

 

「わあ……! 本当にお上手!」

「はっ!」

 

 切り株の向こう側にいる彼女は、メイド服が汚れないように注意しながらも小さい椅子に座って薪を新しく補充すると、ディアボロの鮮やかな手並みを楽しみながら、目の前で気持ちいい位に両断されていく薪を見つめていた。

 

 ところで、ディアボロもなぜこのような人目につかない場所で仕事を請け負ったかと言うと、それは勿論、バレないこのチャンスを利用してシエスタを消す為……ではない。当然だ。

 本当の理由は、元来目立ちたくも無い性分であるのに、決闘騒ぎをしてしまった事で様々な生徒から送られる視線を気にし始めたからである。こういった一時的な騒ぎは直ぐに収まるとディアボロも知っていたので、シエスタからこうした余り人前に出ない仕事を選んでもらったのだ。マルトーからも男手が足りないという事から笑顔で快諾もされている。

 ともかくディアボロは召喚されたばかりで「恩」を大事にし過ぎ、ガラにもなく舞い上がってしまった失態を犯した実感もある。珍しくもあの彼がそのような回顧をしている間に、シエスタは必要とする分の薪は全て割って貰いましたと仕事の終了を告げた。考えに没頭し過ぎ、いつの間にやらそれなりの時間が経過していたようだ。

 

「後は薪を集めて縛っておくだけですね。他のメイドの子と私でやっておきますから、ディアボロさんは休んでいてください」

「ああ、分かった」

 

 シエスタが厨房の横に在る休憩室を指さして駆けて行くと、見送った彼も斧を所定の位置に戻して左手の甲を見つめた。そこに刻まれている見慣れないルーンを眺めながら、さながら初めて見る生き物を見つめる少年のような困惑を内心に押しとどめ、今は誰も使っていない場所の椅子にゆっくりと腰掛けた。

 

 ほぅと息をつき、ディアボロは三度左手のルーンを見つめ、思考する。

 彼が手に斧を持ったとき、コレは多少なりとも輝いていた。父なる太陽光には及ぶべくもなく小さな光だが、所有者たるディアボロにとってははっきりと見える程度には光る。そのことを意識したのは他でもない。あの立てかけてある斧を手に取った時に流れ込んできた知識によるものだ。

 その知識曰く、ディアボロの体格と斧のサイズや重さからどのように振り下ろせば薪がきれいに割れるか。加えて人知を超える身体能力を有せるようになる体でどのように扱えば戦うことができるのか。これまでディアボロがスタンドを扱い、戦うために鍛えてきた体そのものさえも基盤に含めた知識がディアボロの頭を支配し、それでいてただ放り投げるようにぞんざいな扱いで知識だけが放り投げられてくる。

 そこで、このディアボロは考える。こんな便利な知識(もの)はこの世界に来る前には持ち合わせていなかったし、この世界の住人が日常的に扱っているようなものでもない。となると、その知識が流れ込んでくる源流がこの体からあるはずだ、と。

 

 ディアボロの自己認識はとても精密だった。すぐさま体の異常と、シエスタの前で薪を割りつつ自己認識の網を広げていき、この左手のルーンからの強烈な同調感(・・・)に気付いたのだから。そこにあるのはただのルーン。だが、使い魔として刻まれるからには特別な補助能力もつくのだろうと、ルイズから教えてもらった使い魔の講座の中に含まれている。その成果は、言語形態すらまったく違うはずのこの世界で会話だけでも自分の言語(イタリア語)として作用していることからも一目瞭然。それ以前から話せていたのは、使い魔が潜るという「鏡」の存在によるものだろう。(召還直後、もしかしたらルイズ以外の言葉はわからなかったかもしれないという仮説も考えている)

 

 ただ、「光る」という意味での発動条件に関しては不明。今のところは斧を持ったときに光る程度であったし、それ以外の休憩室のコップや服の端を持ったとしても反応はしない。スタンドを出した時も、光ることは無かった。

 

「…せっかくの余暇だ。このディアボロの体に刻まれたからには、徹底的に利用するための解明も悪くはないな………」

 

 これさえあれば、スタンドを行動不能にされた場合や本体だけでの状況対処も可能。集団戦ですらスタンドと組み合わせて使えば突破は可能になるかもしれない。ディアボロがふと思いつくだけでもその可能性は七色に富んでいる。スタンド使いは如何に己のスタンドの幅を見極め、相性の悪い相手をも手玉にとれるかが重視されるシビアな世界。その中でもトップクラスの実力を有し、かつポルナレフが行った対処を一瞬で見抜くように、己が弱点や相手の対応策すら見極めているディアボロという人間はこの世界には強すぎる刺激であり「一味違う」存在。その娘でさえハチャメチャかつ短期間での急成長を見せていることを考えるなら、存在が公になった時には争いの火種として求められてもおかしくはないのである。

 とはいえ、はるか前に前述しているが、ディアボロも目立ちたがり屋というわけではない。むしろ隠遁とした生活や暮らしを主とし、今となってはルイズのために陰ながら動くこともいいのではないかと、ジョルノが聞けば無駄と言いそうなほどに、他人を気遣える位には心のゆとりができてしまっている。この左手のルーンの原因究明や立証も、ゆっくりと確実に、必要に駆られない以上は数少ない己の娯楽として進めていく予定だ。

 

「……ディアボロさん? お昼になりましたので昼食をお持ちしました」

 

 考えをまとめ終わったとほぼ同時に、シエスタが小さな声で彼を呼んだ。

 ディアボロは残念なことに、貴族に楯突ける平民として、そして貴族を圧倒する希望としてマルトーを筆頭とした厨房連中に人気がある。それは、一種の信仰すら出来上がりそうな勢いすら存在してしまっているのだが。そういったことから、無駄にちやほやされないように腹を割って話し合ったシエスタ以外には、必要な時以外他の厨房スタッフとは顔を合わせないようにしているのだ。

 

「無理を言わせたか?」

「いいえ、こういう時には結構運がいいですから。私としては苦にもなりませんよ」

「それなら、これからも頼らせてもらおう」

 

 頼る、という言葉に組織のボスだった頃を思い出す。あの時は信頼に足る人物をポルポに見極めさせていたが、実際のところはスタンドに目覚めて個性をより濃くした面々に裏切りや暗躍をされまくりの日々を送ってきたディアボロ。こうした過去もあってか、シエスタはルイズの次点で、ディアボロにとっては信頼に足る人物としてほんのちょっぴりは認められていた。そうはいっても、まだまだ……。もし彼女が死んだとしても、その程度では動揺もしないであろう。もはやディアボロは死んでも無事な身体では無い。本当に、元の人間へと解放されている。

 

 そんなわけで、シエスタと言う態のいい隠れみのを手に入れたディアボロは出された食事に手をつけた。見た目地味なパスタだったが、使われている食材は貴族に出す様なものの賄い食。マルトーの腕も相まってそれなりに舌の肥を取り戻したディアボロが唸るような出来だった。

 しかし、こうもイタリア風の食を食べているとどうにも恋しくなるのがある。

 

「ピッツァ・マルガリータが食いたくなるものだな……」

 

 シエスタに聞こえない程度に、咀嚼する口の中で声を反響させる。

 そう、思い浮かべるのはアツアツのピッツァだ。この世界にも在るかもしれないが、ネアポリスでドッピオの息抜き時に食べたピッツァは舌鼓を打つ程だ。話は変わるが、あれでもドッピオはまだ子供の域を出ない。ギャングの腹心としての面も強かったが、我の強い思春期の少年としての性格は抜けきらない。

 そんなドッピオが表に出ている時は、ボスとしての仕事もひと段落終えて、彼自身が眠りに着きたい時。勿論ドッピオにも「ボスへ」の命令の伝達など仕事があるが、任務完了のときと最低限の指令で終える事も珍しくは無い。それらから生まれた自由時間の中で、ドッピオも外食は普通に行う。

 故郷イタリアから生まれた文化は好きだ。例え苦い思いでしか無くとも、あのサルディニア島では幸せな事もあった。妻として唯一認めた女性と過ごしていた頃だ。トリッシュがしっかりとした記憶を持ち、この自分に迫る足掛かりになるまでの短い期間。確かに、「イイ」と言える記憶が存在している。たったそれだけで、故郷を思うには十分なのだ。

 

 食事を終え、メイドの皆が配膳に出払っている隙をついてシンクへ食器を入れる。その後しばらく裏口の壁に身を預けて待っていると、ルイズの所から別のメイドが歩み寄って来た。

 

「ボーノ。この後、何かするべき事はあるか?」

「えっと、無いかな。足りて無かったのは力仕事くらいだしね。あ、そう言えばミス・ヴァリエールが呼んでいたから、早く行った方がいいよ!」

 

 またね、と手を振るメイドを背にしてルイズの方へと歩き始めるディアボロ。彼女も気付いたのか、口の端についたパイのカスをなぞり取りながら彼の到着を待っていた。席の横に着いたと同時、残った小さな一欠けらを口の中に入れ、大好物である「クックベリーパイ」の甘味を堪能してから、彼女は祈りをささげた。

 

「―――糧をありがとうございました……。あ、来たわね。私も午後はアンタに合わせようかと思って待ち合わせてたの。何処か行きたい場所とかある?」

「この時間、コルベールはどこにいる? 少し教師の奴に聞きたい事がある」

「コルベール先生? いつもは変な自室に籠ってると思うけど……わたしじゃ分からない事なのかしら」

「このルーンの事だ。少し、面白い現象が起きたのでな」

「面白い事、ねぇ」

 

 斧を持った時、数メートル…いや、数メイルは簡単にジャンプできそうなほど体が軽くなり、斧の武器として(・・・・・)の扱い方が頭の中に知識、経験となって流れ込んできた事を伝えると、流石の博識なルイズもそのようなルーンの効果には覚えが無かったのだろう。首を捻り、ディアボロの原因究明の道のりに一枚かむ事を約束した。

 

「確か火の塔が自室兼研究室って一年の授業の時に言ってたっけ。火の塔はここからそう遠くは無いから、場所さえ覚えれば―――」

「ディアボロ君、やっと見つけたよ!」

「―――ギーシュ?」

「奴は……」

 

 胸元をはだけさせ、気障ったらしい雰囲気を放つ金髪の少年。その辺りはディアボロとの決闘前から変わっていなかったが、どことなく、言い表すのも難しいが…そう。身に纏う空気が、少しばかり前よりも固くなったようにも見える。

 食後で走ったせいか、少し腹の辺りを抑えながらもギーシュはディアボロの近くで息を切らさずに停止した。ディアボロが近くで見下ろすと、そのはだけた胸元から下には少しだけ浮き上がりそうになった腹筋が見える。しかし、その付き方は未熟なもので始めたばかりと言う感じがはっきりと感じられた。

 

「どうしたのよ、また難癖でもつけるつもり?」

 

 ルイズが額に皺を寄せて言い放てば、彼はぶんぶんと首を横に振った。

 

「とんでもないさ! むしろ、ずっとお礼を言いたかったんだ。“決闘”では何一つ及ばなかったけど、だからこそ彼と闘った事で如何に自分が未熟なのかを思い知った。それに、鍛え直すきっかけにもなったんだからね」

「アンタまさか、謹慎中は部屋にモンモランシー呼んで魔法の練習し続けてた?」

「おや、良く分かったね。部屋はあんまり大きく無いから簡単な練習や鍛練しかできなかったけど、モンモランシーの治癒魔法の腕も結構上がったんじゃないかな?」

「あっきれた…!」

 

 あっけらかんと言い放った彼の姿に、ルイズが単純なヤツ、と言った風に盛大に息を吐いた。それから、心外だなぁと文句を垂れたギーシュは改めてディアボロに向き直ると、突如として頭を下げる。

 彼は大きくはないが、芯の通った声色で言い放った。

 

「どうか、鍛え方を教えてください。あなたから感じる気配は、父上と同じく戦うもののそれ。さらに肉体は理想的な筋肉の付き方です。もしかすると、父上以上かもしれない……だから、強者と判断させてもらいました。僕が強くなるための一歩として、指南だけでもお願いしたいんです!」

「………」

 

 ディアボロとしては面倒極まりない提案だった。更に言えば、タイミングも悪い。ルイズと張り切ってルーンの事を調べようとしていたのに、出鼻を挫かれたのだから。

 しかし、一度相対した者としてどこまで這いあがれるかも見てみたい、という興味もある事は確かだ。精神的に一皮剥けたディアボロがこの世界に来てからと言うもの、新しい観点を手にした彼にとっては新鮮な出来事の連続。そのうちの一つとして、ギーシュもその中に含まれている。

 しかし、ここで少しばかり天秤は揺れる。己が興味を先にするか、はたまた他人の願いを聞き入れるか。以前なら前者を迷い無く取ったであろうディアボロの選択は――

 

「今は少しコルベールに聞きたい事がある。忘れんうちに聞いておかねば、見逃すには厄介な物なのだ。故に、断らせてもらおう」

 

 前者であった。やはりディアボロとしても、ルーンの事は早々に最低限の事は調べておくべきだと判断した。確かにルーンの解析には時間をかけるつもりだが、足掛かりも無ければそれだけ考える有用な時間が減る。それに、ディアボロの脳裏には予知(エピタフ)の時に垣間見た「始祖ブリミルと使い魔の伝説」の本の映像が頭にあるのだ。

 

「…そう、かい。残念だけど、僕の我儘だしね」

 

 頼めないとなれば、師と仰ぐための口調も元に戻しても構わないだろう。そう判断して、残念半分・納得半分を胸に抱いて、ギーシュはヴェストリの広場に足を向けた。とりあえずは自主的に組んだメニューをこなし、弟子入りの志願もまだまだチャンスはある、という思考に行きついたからであろう。

 

「それじゃ、またチャンスがあるなら申し込ませて貰うよ」

「ちょっと…主人のわたしは無視なワケ?」

「彼が君に卸され続けるようにも見えないけどね。ただ、少し羨ましいよ。ゼロのルイズ?」

「また言った! ちょっと、アンタねぇ!?」

 

 軽くからかうような口調で行ったギーシュは、微笑みながら廊下の向こう側へと消えて行った。嘲笑でない辺り、彼の様子を見たルイズも毒気が抜かれてしまう。何ともぶつけようのない怒りをこさえたルイズは、げんなりとした雰囲気で歩みを進めた。

 

「……とにかく、私もリスト貰わないといけないわ。コルベール先生のトコに行きましょ」

「騒がしい奴だな」

「どっちが?」

「両方だ」

 

 そうだろうなと肩を落とし、何とか見た目は立ち直ったルイズが先導する。先ほどのギーシュも含め、随分と気丈な事だと内心感心しながら、ディアボロもその後を付いて行くのであった。

 

 

 

 ジャン・コルベールの私室は、トリステインどころか、ハルケギニアでも珍しい鉄とオイルの匂いに溢れていた。その上、何かを焦がす様な匂いが鼻孔をくすぐり、ハルケギニアの住人が嗅ぎ慣れそうにもない現代地球の機械製造所にもよく似た雰囲気が作り出されている。

 その熱界で唯一の住人であるコルベールは、禿げ散らかりそうな頭をオイルに濡れた手で掻きながら、熱心に一つの「機械」の製造に取り組んでいた。時折火の魔法を使って要所をくっつけ、失敗作の教訓を生かして排熱孔の調節をも行う。そんな時、自室のドアがノックされて現実へと意識が返された。

 

「おや、どちらですかな」

「ルイズ・ド・ラ・ヴァリーエルです。ミスタ・コルベールに少々伺いたい事があって参りました。お時間よろしいでしょうか?」

「おや珍しい。とにかく、入って構いませんよ」

「失礼します」

 

 ドアを開けた瞬間、ルイズの顔がこの慣れないオイル臭さに歪んだ事を確認して苦笑する。作っていた最中の試作品、とびだすヘビくん(仮称)をテーブルに置くと、「固定化」の魔法を掛けて現状維持を保つ。

 此方でお話しましょう。そう言いながら臭さを追い出す為に窓を開けて椅子への着席を促すと、ドアの向こうからもう一人の桃色の髪を持つ人物が扉で屈みながらに現れた。何となくルイズが訪れた理由を感じ取っていたコルベールは、やっぱりかと。苦笑ながらにディアボロへ挨拶を送った。

 

「聞きたい事は分かっています。その、左手のルーンの事ですね?」

「はい。ディアボロが言うには、斧を持った時に体が羽よりも軽くなったと。先生が授業で彼をお連れした時、どうやらルーンの事で調べていたと聞きましたから」

「此方へ来た、と」

 

 使い魔の言葉を信じているいい主人だ。召喚した相手は人間であっても、このように立派な心を持つルイズにコルベールは内心で嬉しさが込み上げて来ている事を感じた。

 

「それをお話するにはオールド・オスマンの前の方が良かったのですが、貴方達が尋ねに来たからには教えましょう。ですが、他言無用を約束してくれますか? 少々、厄介なものでして」

「緘口令…分かりました。始祖に誓って、隠すと誓います」

「厄介事はご免こうむる。オレも言いふらしはせん」

「……なるほど、貴方達の言葉を信じましょう」

 

 目とたたずまいを見て判断したコルベールは、しばらくオスマンから借りている例の本(・・・)を本棚から取り出し、栞を挟んであるページを開いてルイズ達に見せた。そこに描かれていたルーンは、ディアボロの左手に在るものと全く同じ形をしている。

 

「これは…」

「ディアボロ君が見つけてくれていたんだ。ミス・ヴァリエール、彼は本当に優秀な使い魔ですね」

「あ、ありがとうございます!」

「それじゃあ、本題に入ろう。この本によるとディアボロ君のルーンは“ガンダールヴ”と読める。ブリミルが仕えさせた“始まりの三人”の中でも詠唱中の守りを敷いた神の盾、とも呼べる役割のようです」

「……え?」

 

 始祖ブリミル。誓ったばかりの始祖の名がこんな所で出てくるとは思わなかったルイズは、ディアボロの方をハッとして見た。しかし、彼は古代のルーンが浮き上がるとはな、という物珍しさ位しか思っていないでルイズほどの衝撃を受けていないようにも見える。

 少しばかり固まった彼女をさておき、ディアボロは話を切り出し続きを促した。

 

「名称は分かった。だが聞きたいのはこのルーンにどのような効果があるかなのだ。使い魔に刻まれるルーンは視界の共有など、何らかの力があると聞いた。その昔話に出てくるような代物であれば、まだ何かがある筈だろう?」

「ええ、実に聡明な考えを持っているようですね。……と言いましたが、少し残念な答えがあります。君の言う事はもっともながら、これにはハッキリとしたルーンの効力が記されている訳ではないのですよ。伝承なら、記されているんですがね」

「伝承?」

「謳い文句のようなものですな」

 

 それが手掛かりの可能性は無きしにも非ず。その視線の意味を理解したコルベールは、さらっとその一節を読み上げた。

 

「“神の左手ガンダールヴ。勇猛果敢な神の盾。左に握った大剣と、右に掴んだ長槍で、導きし我を守りきる”……このほかにも、あらゆる“武器”を使いこなし、千の軍勢を単騎で壊滅させる力を持つと語られています。ディアボロ君が斧を手にした際に感じたのは、この伝承が元になったものかもしれませんな」

「武器……か。確かに、あれなら武器として十分に殺しうる鋭利さを持った斧だ。とすると、このルーンは武器に反応して光るという事になるのか?」

「ルーンが光る? おお、それならいい識別になりますな」

「―――って、ちょ、ちょっと待って下さい! 伝説って、本当ですか!?」

 

 ようやく我に返ったルイズが話を遮ると、ディアボロと語り合っていたコルベールは心苦しそうに顔を神妙なものに変え、彼女へと伝えた。

 

「…オールド・オスマンも秘匿の限りを尽くすそうです。“ガンダールヴ”は神の再来…王宮に報告しようものなら、そういった看板として掲げられ瞬く間にゲルマニアかガリアとの戦争に発展するとのこと。ですので、他言無用と言ったのですよ。研究者として湧きあがる好奇心だけは、お恥ずかしい事に捨てきれないのですがね…ははは。

 その分、私達にできる事なら惜しまないとも考えています。私達は、誇り高きトリステイン王国の魔法学院の教師ですからね。知らない事や、分からない事があったら生徒に教えるのが、役目です」

「そうですか…貴重な話、ありがとうございました。ミスタ・コルベール」

「いやいや、そう畏まるものでもありませんぞ。……ああ、ミス・ヴァリエール」

「何でしょう?」

「思い出しましたが、これを持って行きなさい。二日分の授業で行われた範囲のリストです。貴女ならば、労も要せずに理解できるのでしょうけど」

 

 そう言えば、オスマン老からの伝言をあの衝撃的な話で忘れていた、とルイズはリストを受け取り、一礼する。

 

「しかし、流石は公爵家の淑女ですな。こうした礼儀を重んずる貴族にするにも、学院の新入生は魔法への夢が強すぎて……」

「わたしも魔法には人一倍の憧れがあったのですけど」

「―――こ、これは失礼! ですがミス、貴女は」

「分かっています。ディアボロが私の魔法の証明ですから。ね、ディアボロ」

「……ん? ああ、そうだな」

 

 二人が学院の事情を話し始めた辺りからルーンの事で考えを没頭させていたディアボロは、ルイズの声でやっと我に返った。流石と言おうか、思考中に主人の言葉を聞くくらいには集中を裂く事も出来るのが彼なのだろう。

 

「おや、日もそろそろ暮れてまいりましたな」

「この二日、メイドと使い魔と話しこんでいましたが、人と話すと時間は早いものですね」

「そうですな。さぁ二人とも、暗くならないうちにお戻りなさい。春と言えども冬の名残は夜を冷やします。風邪をひいてしまっては、解かれた謹慎もふくれっ面となるかもしれません」

「今日はありがとうございました。ほら、アンタも」

「…時間が空けば、また此方に寄らせて貰おう。ルーンだけではなく、興味深いものも見させてもらった」

 

 ディアボロの視線の先には、コルベールが着手していたとびだすヘビくん(仮称)が。そこで何か通じるものがあったのか、コルベールは頭と同じく輝かしい笑みを浮かべて二人を見送り、部屋のドアを閉じた。

 オイルの匂いが立ち込める部屋に得意の「ライト」の魔法で明かりを灯すと、窓を閉めて余計な風が入らないように密室を作る。ディアボロも興味を寄せたらしい開発途中の品を温かな目で見つめ、彼は思い立ったように立ち上がった。

 

「そうだ、宝物庫には奇妙な工芸品や破壊の杖があった筈。あれらに私の作る物と似たような物があれば…あるいは」

 

 防寒と貴族の証であるマントを着こみ、コルベールは学院長室の一階下に在る屈強な宝物庫を頭に思い浮かべて足を進めて行った。その先で彼はロングビルと出会い、教師では無く一人の「男」としての炎を燃え上がらせることになったのだが……コルベールは、喜ぶのをやめた。

 

 

 

「すっかり遅くなっちゃったわねー」

 

 自室に戻り、いつものように定位置でもあり寝床でもある椅子に座るディアボロに、ルイズはベッドの上から話しかけていた。

 

「まだ明るいし、コルベール先生のところはちょっと匂いがアレだったから…水浴びてくるわね。ディアボロ、留守番お願い」

「使い魔として、“主人を守る”任務の一つ目か」

「あ、そうかも。責任重大だからちゃんと成し遂げなさいよ?」

 

 ディアボロの見立てでは、このハルケギニアの世界観は中世ヨーロッパと似たような文化圏であると考えられていた。先ほどの水浴びもその一環。ディアボロのいた現代ではバスタブやシャワーを浴びるのが一般的で、特に暑い日などはオスティアの海で過ごすローマ市民が多い。その原型ともなる水浴びは、やはりディアボロの考えを裏付けるようなものだった。

 そんなときである。ルイズの出て行ったドアの隙間に、少し前に見たような赤色がちらりと体をのぞかせていた。

 

「…向かい部屋の使い魔だな。何の用だ……」

 

 少し覚めた視線をその使い魔――フレイムに向け、訝しげな表情を作る。ここまでの向かい部屋の主、略称キュルケ・フォン・ツェルプストーは召喚翌日のディアボロと顔を合わせただけで、これと言った接点もない。ルイズの交友関係としても候補は上げられたが、あれは悪友と言った雰囲気でちょっかいを掛けあうような、親しみもその程度といったものだ。

 ずっと此方を見つめてくる使い魔と、それに見下す視線を送るディアボロ。奇しくも使い魔同士のにらみ合いが数秒続いた所で、ディアボロの表情の変わらなさと内面の怒りを感じ取ったフレイムが根負け。きゅるるる……と情けない声を出しながら背を向け、また彼へと視線を移していた。

 

「きゅる」

「……来い、と?」

「きゅる!」

 

 喜ぶ様は手乗りサイズなら可愛らしいものだったろうが、前足を地に付けた状態で人の腰ほども高さのあるサラマンダーを見ても溜息しか生まれない。

 

「其方の主人がオレに用事があり……貴様は呼ぶためにルイズが居なくなるのを待った。それほどまでに其方は準備を整えていたと……。成程、其方の苦労は察する…個性的な主人を持つ者同士、種族は違えど労の一つは共感できよう……」

「きゅるる」

 

 全くその通り。じゃあ! とディアボロの顔を嬉しそうに見上げたフレイムは、早速案内しようとして―――

 

「だが断る。思い通りに事を進めることが出来ると思っている奴に、このオレが従うと思ったか…? 伝えておけ、オレはルイズに留守を任された。小さかろうと、記念すべき初の任務を失敗するつもりは見落としがちな壁の染みほども無い、とな」

「きゅ!?」

 

 その時、不思議な事が起こった!

 フレイムの体は突如として浮き上がる…いや、目に見えぬ何かに(・・・)持ちあげられた(・・・・・・・)のだ。腹にある不思議な指の感触は、確かに人のそれ。だが、目の前のディアボロは指一本動かす事も無ければ杖を持ってもいない―――

 

「少しばかり、忘れていろ」

 

 如何に破壊力の高いスタンドであろうと、それは使用者の精神によって大きく左右される。ディアボロのスタンドはフレイムの頭部を軽く小突き、気絶の作用で彼の中に存在した筈の気絶前後の記憶(とき)吹き飛ばした(・・・・・・)

 

「フン……なんともセコい能力の再現だ」

 

 まだ力の戻らない己へと吐き捨てるように言い、フレイムをキュルケの部屋の前まで投げ捨てる。生き物である限り怪我は免れないだろうが、一見鱗などが丈夫そうにも見えるので彼は気にせずドアを閉めた。鍵をかける事も忘れない。

 

≪ああもう! 私には既に決めた人がいるんだから、あんた達との関係は終わっているのっ。見た目だけの男は帰りなさいなっ!≫

 

 その直後、向こうの部屋に溢れていた男どもの対応として炎が弾けるような轟音で終わり、フレイムの状態を確認したキュルケがようやく使い魔の異変に気付く。キング・クリムゾンの使用を「感覚の共有」で見られていなかった事が、唯一の幸運だったのだが…やはりというべきか、部屋の向こう側から扉を開ける音が聞こえてきた。

 しかし、鍵をものともせずに一瞬の間をおいて、赤毛の少女の姿が彼の視界に移ることとなった。

 

「はぁーい、ミスタ・ディアボロ。ちょっとお時間取らせていただきますわね」

 

 此方の返事など初めから期待していないような物言いで、部屋に乗りこむ赤毛が一人。

 そして、ディアボロもここでようやく思い出す。メイジと言う人種は、誰でも鍵開け(アンロック)の魔法が使えたのだったな、と。

 




ディアボロは受難。しかも原作の時の占い師の言うとおりに人を殺していないから、まったく幸福になることもできていません。思えば、ディアボロの大転落は矢を手にするまではナランチャの死で賄えていましたが、それからは一人も殺せていないのでGERくらったんでしょうかね。
平和な世界ほど、ディアボロははじき出される運命なのか……果たして

少しディアボロが黙りすぎて、寡黙通り越して沈黙キャラになってしまいました。
しかも意外と独り言多いのがディアボロの特徴でもあるのに、ほとんど口にしない…いや、考察を台詞文だけだと小説では滑稽かな、と思ったからこうなっちゃったんですけども。

今回のジョジョ豆知識(?)

そう言えば、知ってる人の方が多いかもしれませんが、アブドゥルの「クロス・ファイヤー・ハリケーン」ってあるじゃないですか。あれって「Jumpin'Jack Flash」の歌詞の最初の方にありました。もしかしたらこれが由来? (作者達はまだ把握して無い)


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風が吹く

時間空いたので書けました。


 男が言うなら、それは艶めかしくも惚れっぽい。火傷しそうで手に入れられるからこそ、最後の一歩を踏み出しやすい。女で言うなら、それは羨ましくも妬ましい。自分には持ち得ぬ体は志望の的であるが、持ちえないからこそ気が立つのである。

 ならば―――彼女にとっては? それは着火剤。

 キャンプファイヤーなんかで処理する時、炭火の火は意外としつこく燃え続ける。今か今かと新たな燃料を待って、風が吹けばひと際大きな炎を。木の枝が落ちてくればその枝に合わせた大きな炎を。そして最後は、燃え尽きる。

 そんな娼婦で毒婦で、自覚の無い天然の精神。キュルケという「女」はそれほどまでに完成しつつも足りないでいた。切り裂かれた傷の様に、半ばから折れた鉄の剣の様に。彼女は多少の足りない部分を、持ち前の熱で溶かして男を丸ごと埋めてしまう。これは危険だと、ディアボロは彼女の在り方について危機感を持っていた。

 

 キュルケの視線は熱っぽい。はぁいと朗らかな挨拶をしながらも、ねっとり、溶けたマグマのように此方へとはいずり寄ってくる声色を醸し出す。ベビードールと言うべきか、己の胸を持ちあげる煽情的な下着を含め、それは男であるディアボロを落としにかかっている表れ。これに気付かない者は、よほどの馬鹿か作者の都合で鈍感と言う呪を請け負ったキャラクターだけであろう。

 故に、ディアボロはそのキュルケを浅ましいと一瞥し、何の感慨も抱かない無表情へと戻った。くだらない組織の反逆者を相手にした後と同じような、思い通りにならないむしゃくしゃとした感情が込み上げてくる。だが、今回ばかりは勝手が違う。相手のキュルケはむしろ好意から接しようとしているのだ。

 

「…あら、目も合わせてくれないの。そんなクールな殿方は―――ますます燃えた時の反応が楽しみですわ」

「…………」

 

 ディアボロは考える。だが、スタンドを使ったとしてこの手合いに使い魔と同様の効果は期待できない。

 彼のスタンドはパワーがとてつもなく強い。サラマンダーの場合、鱗の集まる外殻に覆われ、弱肉強食が当たり前の自然の中で頭部と言う物を守護する頭蓋骨は非常に硬い。だからこそ強力すぎる紅の王の手加減した指弾きはギリギリ傷つかなかったのだが、今回の相手は人間。更には主人たるルイズが敬遠する自称「ライバル」のツェルプストーだ。ここでひと悶着起こせば任務は失敗――いや、彼女を部屋に入れてしまった時点で意味を成さない、か。

 困ったものだと、心の中では天を仰ぎ、表面は平静を装って早く帰れと言わんばかりの呆れ半分、脅し半分の殺気を滲ませる。勘違いしてほしくないのだが、ディアボロは勿論、こうして学院と言う目立つ場所で殺すつもりなど禿げ男の頭に残った最後の毛一本たりともない。それは人情や手荒にしたくないというのではなく己が不敬を買う事で一度主と認めたルイズを共に侮辱する結果に繋がってしまうから。

 

 さて。一息つき、ディアボロは先ほどの威圧で更に興奮したように口角を釣り上げるキュルケを見た。いや、実質彼女は興奮している。隠しきれない息の荒さ、下着一枚に過ぎない格好の関節部から滲む汗。横目から見るだけでも、それだけははっきりと確認できる、いや、してしまう。

 

「……まずは服を着てこい。話はそれからだが……ああ、それと先の男どもの騒ぎ。あれらがまた来るようなら、今度こそ力づくで追い出させて貰う」

「ふふんっ。無粋な輩は居ても、見方が変わるだけで太陽の明るさは変わらないのよ。…とはいってもその太陽すら来るのは早いんだもの、少し御話しできれば本望。どうかしら?」

「それで構わん」

 

 結局、ディアボロは折れるという結論を下した。

 余計ないざこざを持ちこむよりかは、キュルケの言葉をとりあえずは信用し、ルイズが戻ってきた時は柔軟な対応で言い訳するしかあるまい。扉に指を示して彼女に退室を促し、ディアボロは自分用に備えて貰ったショー・ケースを開く。

 常温ながらも保管状態のいい酒はそれほど度数の高くない、ルイズ好みの酒。ついでに、酒に呑まれて醜態をさらすことを良しとしないディアボロのお気に入りの品々が揃っている。これらは全て、食堂の手伝いをした時にマルトーが厳選して送ってくれたものだ。こう言う時に限って、人の繋がりと言うのは役に立つ。ディアボロはそんな事を思いながら、一本のボトルに手を出した。

 

「……多少高いが、水で割るか」

 

 とあるリキュールを取り出し、冷水を同時に机へ置く。故郷イタリア発祥の酒と名称が違うだけで中身の同じ「ガリアン」は、この世界に来てからディアボロが初めて飲んだ酒でもあり、向こうと変わらぬバニラの香りは郷愁と絶望、そして世界そのものから弾かれた孤独を癒してくれた。

 しかし、彼は元の世界が一巡し、まったく別の世界へと道を進んでいる事を知らなかった。エンポリオと同じく、運よく助かった人間の一人だと気付く事もない。今となっては一巡してしまったトリッシュさえ、彼の事を知らないのだ。

 

「待たせちゃったかしら。―――あら、ガリアのじゃない」

「そう量も無いが、開けたからには飲んで行け」

「それじゃあ、お言葉に甘えて」

 

 学生服に貴族のマント。

 普段の格好に身を包んだキュルケは、ディアボロの促しで着席するのだった。

 

 

 

 暗い廊下の中を、さっぱりとした表情で歩く女子が一人。

 石で造られた地面を靴が叩き、硬質な音が静寂の中に響き渡る。お化けでも出ようものなら、そんな事を言えば竦み上がるガリアからの留学生がいるが、生憎とこの少女――ルイズは、お化け如きに怖がるような小さな胆力は持ち合わせてはいなかった。

 

「この調子で魔法が出来ればいいんだけどね」

 

 さっぱりとした精神状態、他にも気が昂ぶった時などで魔法の威力は左右される。呪文によってその差はあるものの、こうして落ちついた精神でなら魔法ぐらい成功してもいいだろうに。そんな事を思いながら、ルイズはふっと見えた庭の方へ基本的な呪文を唱えた。

 

「ライト」

 

 だが込めた精神力の量に応じたのか、小さく爆発。

 杖の先が光り、廊下を懐中電灯の様に照らしだせば成功。だがやはりこのコモン・スペルでも失敗するとなると、ルイズの気持ちは少しばかり沈んで行く。一体、自分は四系統のどれなのだろう。母様のような風のメイジ? それとも、だなんて。そんな予想はとっくの昔に何度もしている。

 今はディアボロを呼びだした。この成功と、せめてこの爆発の活用性を見出せば何かが掴めるかもしれない。使い魔にガンダールヴというまさかの伝説のルーンを刻んだ身としては、ルイズはこれ以上なく張り切っていた。でも、空回りする事はもう慣れっこ。

 早く部屋に戻ろう。それに、ガンダールヴというのなら…彼のスタンドを誤魔化す為に武器を買ってあげるのもいいだろう。今度の虚無の曜日の予定を立てながら、彼女は階段を上がろうとする。しかし、はたと庭で死屍累々の男どものピラミッドを見つける。

 

「まぁたツェルプストーの男ども? アイツもそうだけど、こうなるって分かってるのに言い寄る輩も減らないのねぇ」

 

 男どもを囲って何が楽しいのやら。ルイズは知識を持っているが、当然その中には「あちら」の事情的な知も持ち合せている。下手をすれば欲望のはけ口に襲われる危険性もあるというのに、ああも男を侍らせる気持ちが理解できない。まぁ、因縁のある家柄の敵だからどうなろうと知った事ではないが。

 

 そう言えば、と。ルイズはキュルケとの部屋が真正面に位置している事を思い出した。一部焦げた跡のある男もいたことから、お得意の火の魔法で追い払ったのだろう。だとしたら、自分の部屋にいたディアボロや部屋の扉は大丈夫なのだろうか。

 部屋の事を考えた瞬間に嫌な予感がして、ルイズはまた汗を書かない程度に小走りに部屋に向かった。すると、キュルケの部屋の明かりは消えて自分の部屋のドアから光が漏れているではないか。この先に待ち受けている光景に多少の予想を抱きながら、ルイズは敢えて何も気づいていない風を装って部屋の扉に手をかけた。

 

「ただいま、ディアボロ」

「戻って来たか。お前の分も今淹れる」

「あーらっ、いいんですのよミスタ。今はあたしとの語らいの時間、無粋な輩はそこのベッドにでも放り込んでおけばいいわ」

「……アンタねぇ?」

 

 案の定というべきか、ディアボロは大事になりそうな面倒事を回避して長続きする面倒事を引きいれていた。視線を移せば何時か一緒に飲もうとまだ一度も開けた事の無い酒の棚を開き、あまつさえはあのツェルプストーに振舞っているではないか。

 

「ほら、部屋主が帰って来たんだから戻んなさい!」

「やぁねえ。せっかく燃え上がりかけて来たっていうのにね。貴方も、あたしの微熱に手を触れようともしないじゃない。だからね、ルイズ。彼を私の微熱で燃え上がらせるまでこっちが手を出したくなっちゃったのよ。それに見てたでしょ? あのギーシュに本気を出させたうえで打ち勝ったあの雄姿! あたしの炎は今、彼の様に燃え上がっているの!」

「結局いつもの事じゃない! なに、あんたもギーシュ見たいに愛想尽かされるわよ!?」

「いいわよあんな塵芥。あたしの微熱で燃え尽きちゃうような男は男じゃないわ。燃え尽きて、残った金貨だけは貰って行くけどね」

 

 憐れ、ギムリにペリッソン。他、記すも面倒なキュルケに遊ばれた男達よ。君達はただの財布としかみられていなかったようだ! というテロップが流れそうなほどに、キュルケの物言いはハッキリとルイズの部屋に響き渡った。

 その言い方がまた、ルイズはともかく気に喰わない。また反論の一言を上げようとしたところで、ルイズは両肩をディアボロにがっしりと掴まれ、そのまま席に促された。

 

「止めておけ。この女もしばらく好きに話したら出て行くと言っている。とにかく寝る前に喉の一つでも潤しておくといい」

 

 そう言って、コトン。とノンアルコールの一品を彼女の前に置いた。

 シンプルなレモン水である。

 

「あ、ありがと…じゃなくてっ。なんでわたしだけジュースなわけ?」

「寝酒はアルコール依存症の一歩目を踏み出すことになる。ナイトキャップという習慣もあるが、結局は寝るために必要な酒が増えて行く。結局は適度な位が丁度いいが、お前に酒は勧められん」

「ふぅ~ん? 体調管理とかもやってくれるんだ」

「精々が個人的な範囲だがな。……それで、ツェルプストーと言ったか。美味い美味いとたらふく飲んだようだが……」

「…あー、えーっ……し、失礼させていただくわ!」

 

 勢いよく出て行った扉の向こう側からは、美容だのなんだの、乙女らしい悩みの声が絶えず聞こえてくるようになった。騒がしい声は隠し続けてきた一人の「少女」としての一面がむき出しにされたことの証明。ふんと鼻を鳴らして所詮は子供だ、と危機感を捨て去ったディアボロは、ルイズの目線に気付いた。

 

「やるわね」

「だが三時間も経てば酒の効果は薄まるだろう。その代わり、睡眠時間は随分と減るが」

「あ、そうだディアボロ。あんたっていつ寝てるの? 召喚してからずっと起きてる所しか見たことないけど……」

「必要な時に必要な分だけ寝ている。主に食堂の仕事の後位か」

「うわぁ…それって昼夜逆転したりしないの?」

「……さぁな。向こうにいた時はもう一人に体を明け渡している。実質、あの日から一度も眠った事は無いかも知れん」

 

 もっとも、そのもう一人(ドッピオ)も帰らぬ人となっている。

 ディアボロは双子月を見上げ、表と裏でも無い、隣り合って存在していた可愛い部下で在り、同時にいざという時は必ず功績を残してくれるもう一つの人格を思い出す。だが、その過去は幾重にも連なった彼自身の価値観が邪魔をし、振り返る事にすら嫌悪感が込み上げてくる。ならば何故、あの時過去を語ったのだろうか? それは、あのシエスタに言った言葉がそっくりそのまま返ってくる。

 寂しかったのだろう。人のために尽くすと、そのためならより見えない犠牲を厭わないと。そうして心を変えても、いや、変えたからこそ彼は自分を知らない他人を求めていた。そのための過去語りだったのだろう。客観的に、己の日々を眺めながらにそう思う。

 常に自分の中に他人(じぶん)がいた。だから自分は―――

 

「……そうね。難しい話とか、前までの反省とかはどうでも良いわ。あなたは今を生きてる。今、わたしの使い魔として召喚されて、承諾して、あなたの意志でわたしに下っているのよ」

「何度確認するつもりだ。自信がないのか?」

「確認だけど、確定事項。あんた、それ忘れないでよね」

「……分かっている」

 

 つくづく、救われる。

 彼女は一種の到達点。マイナスの過去を乗り越え、常に未来と言うプラスをその手にし続ける求道者。そこらにいるような、生半可な偽物では無いのだ。全てをゼロとし、再出発の礎となる憐れな生贄。ただ、隣に誰かがいなければ輝けない存在だったとしても。

 

「おやす…あ、そうだ」

「どうした?」

「明日の虚無の曜日ね、あんたのガンダールヴを誤魔化す為にも剣を買いに行くから。少し遠出になるから最低限の準備くらいしときなさいよ」

「買い物、か。分かった」

 

 ふむ、とディアボロは頷いた。この学院の外を知れるまたとない機会である。対人恐怖症と言う訳ではないが、未だに彼は必要最小限の接触にするなどの正体を隠す癖が抜けていない。むしろ、数十年続けた癖をこの僅かな転機で直せと言う方が無理である。

 だからこそ堂々と人前に出てみてはどうか。ルイズのそんな気遣いも含まれた提案に、彼は頷きを返したのだった。

 

 

 

「35…40……45、ごぉー……じゅうっ!」

 

 バタン、と人影は真っ直ぐに倒れた。

 いや、正確には力を抜いて地面に倒れ伏したというべきか。

 

 まだまだ基礎的な体力が成っていない。自分が如何に貴族としてもだらけて怠けた生活をし続けていたかを実感して、昔の初めて杖を握った時の事を思い出した。原初の思いを起草することで自分への喝も込めて薔薇の茨を握りしめるように気付けにすると、彼は普段の二枚目な雰囲気すら感じさせない、暑苦しいトレーニングを再開した。

 

「ふっ、はっ、……せぃっ! はぁ、はぁ、はぁ………」

 

 まだトレーニングを始めて一週間ほど。それでも筋肉がついてきている事は実感できているし、別に見せるために鍛える訳でも無いので父親へ送ったハトの文から細かい指示を受けながら、この男――ギーシュは汗を流していた。

 実家から送られた運動用の服装は、既に彼の汗でべとべと。事情を知っており、なおかつ自分が虐げかけたシエスタというメイドがこの服の洗濯や整頓をしてくれているというのだから、我ながら自分が情けない。しかしっ、それでもこのギーシュは負い目を隅に追いやり、ただただその恩に報いるために己を鍛え高め続けている。

 

「こ、れ、でぇぇぇぇえ……終わりっ!」

 

 最後の一回、腕立てをしっかりとした後にちゃんと杖が触れるか握力確認も含めて杖を振るう。息も絶え絶えでルーンは途切れていたが、研ぎ澄ませた精神は練習用の小石を見事な青銅へと変化させていた。

 

「ふぅっ…すぅー…はぁー…………錬金」

 

 更に錬金。青銅の塊は小石の形から更に変わっていき、小さなデフォルメされたグリフォンを作り出す。あえて丸みを重視したデフォルメを目指した彼だったが、その表面をなぞってみてまだまだ自分は未熟であると首を振った。

 彼の指に伝わった感触はザラザラとした引っ掛かるような痛み。つまり、丸みを帯びさせたように見える青銅のミニグリフォンは、造形の細かい場所(ディティール)を想像通りにできなかったという事だ。

 人を傷つける美しい鑑賞物など、バラなどの自然発生したもので十分だというのに。

 

「あ~……モンモランシー、今日は来てくれなかったな。ま、当然かな」

 

 晴れて友好な関係を取り戻したモンモランシーを思い、ディアボロと会った後の事を思い出す。あの後、ヴェストリの広場で一人鍛錬を行っていた時にふたまた事件の時に言い合いになった一人、「ケティ・ド・ラレッタ」という一年生の女子が激励しに来ていたのだ。

 ギーシュはもちろん、このまま誠実に、全ての女性の事をちゃんと考えられる上での「薔薇」を目指していたので、ケティの改めての訪問には温和な笑みを持って迎えていた。ケティもギーシュの寛容さに惚れ直し、火のラインメイジとして出来る事を聞いてきたのだ。

 その時、彼は「火はトレーニングの耐久実験が丁度いいかな。それ以外は…そうだ、脱水症とかが怖いからね、水を持って来てほしい」とケティに言い、花の様な笑みを浮かべた彼女の後姿を見ながら再び魔法のトレーニングを再開する。しかし、その時に今度はモンモランシーが訪れていたのだ。彼女もギーシュを決闘後に治した第一人者で、彼に惚れている一人。ちょうどケティの事を見なかったのが幸いして、治癒魔法で補助に回ろうと言いだした。

 

 しかし、ここが転機である。

 

『あれ、ミス・モンモランシ!?』

『あなたは…あの時の一年生じゃないっ!』

 

 鉢合わせ。ギーシュは二人が不穏な空気を出し始めたところで、これは流石に不味いと空気を読んだ。一触即発の危険な状況下で彼は「二人共を愛し、決して不幸にはさせない。それが僕の夢であり、目指すべき器なんだ」と、気障ったらしくも決闘の前には持たなかった真剣さで告げる。

 ギーシュの剣幕は本気で、軽薄な様子が見えない。雰囲気に呑まれかけたケティとモンモランシーはしばらく互いを見つめ合った。それでも答えは出なかったのか、顔を俯かせ、難しい表情でギーシュもそっちのけに反対方向に歩いて行ってしまう。

 それが、モンモランシーもケティも彼の部屋へサポートに来ない理由。ちなみに、尊敬すべき父親にこの二人の事を手紙で話したら「実力で勝ち取れ、それがグラモン家の男だ」と、全女性を敵にするような助言を頂いている。だがギーシュにとっては数少ない父親から頂いた格言であり助言だ。日夜、それを実現するための鍛錬には手を抜くつもりは無かった。

 

「……ふぅ」

 

 吐き出した息はすぐさま夜の冷たさに染まり、彼の汗に濡れた体へ風邪の一歩を歩ませる。ギーシュは下着以外を全て脱ぎ捨て、温度をあまり上げないために消していたロウソクの燭台に火を灯す。その光の下で全身の汗をタオルなどを使って拭き取りながら、右腕を上げてこぶを作って見せた。しかし、

 

「うーん……まだ生フルーツの入ったゼリーみたいだ」

 

 言い得て妙だが、外皮はまだ柔らかいのに筋肉だけが少し硬い。要するにまだまだである。足の方も昼の間にランニングをしているのだが、普段女子の為に様々な場所を歩いているだけあってギーシュのフットワークは中々軽い。そう思ってバランスよく腕も鍛えようとしているのだが、どうにも数日では変化は読み取りづらいようだ。それより、そんな短時間で筋肉がつくほど人間の体は便利な構造をしていない。

 

 ギーシュは月を見上げ、寝間着に着換え直すと「場違いな工芸品」として流れついていた「朝を告げる(めざまし)時計」をセットする。動力はねじまき式なので、結構な愛用品だ。

 

「明日は……どうしようかな……」

 

 ベッドに潜り込んだ彼は、明日を待って夢の世界に浸る。朝一でシャワーを浴びてこようと思いながら。

 

 

 

 虚無の曜日が訪れた。

 朝日に照らされながら、この後に控えている買い物に向けてディアボロは武器を持つならどれがいいのだろうかと思案を巡らせる。とはいえ、インファイトを主とした戦闘を行ってきたが故に、武器を振るうという行為に体は付いて行けるのだろうかと疑問もある。それらをガンダールヴというルーンが解決してくれるなら始祖万歳の恩の字、今だけは感謝してやろうと思ったのだが…そうもいかないのは薪割りの時の感覚で分かり切っていた。

 

「お疲れさん、これで4日は持つぜ」

「マルトーか」

 

 斧を横に立てかけ、休憩所で水を煽っているとコックコートに身を包んだガタイのいい男が立っていた。彼はディアボロの隣に座ると、「精が出るな」と笑って見せる。

 

「いよっ! 我らが担い手。心なしか気分がよさそうじゃねぇか」

「ルイズと武器の調達に行く予定だ。この学院以外の場所を見れることに浮かれているのかも知れんな」

「ん? お前さんトリステインの人間じゃないのか?」

「遥か彼方の世界より来た…と言ったらどうだ?」

「そりゃいいな! ここの貴族なんて制度も関係なかったら尚更だぜ。だからこそ、お前さんはあの気障ボウズに立ち向かってくれたのかもしれねぇがな…」

 

 片肘をつき、ニッとマルトーは笑う。彼の言葉にはシエスタを助けてくれたことに対しての感謝の意が込められている。この世界に来てからは、己の行動に対して感謝されるばかりだ、と。何もかもが変わっている境遇に対し、彼は感慨深さを感じていた。

 

「ああ…そう言えば貴様らの言う“我らが担い手”とはどういう意味だ? このオレに対して代弁者であるというようにも聞こえるが」

「おう、そのまんまの意味だ。お前さんは俺達使用人…いいや! 俺達平民の希望の星だ! 貴族に虐げられるばかりの毎日を塗り替えてくれるような、俺達の心強い盾さ!」

「フン、盾か。奇妙な偶然もあったものだ……」

 

 マルトーに聞こえないように呟き、ディアボロは立ち上がった。

 

「お、行っちまうのか」

「貴様も話している暇があれば貴族共の為に腕を振るうんだな」

「へっ! 一朝前に皮肉言いやがって。まぁオールド・オスマンがいる限りは俺もここで働き続けるさ。ああ、帰ってきたらシエスタに会ってやってくれ。何か言いたい事があったらしいからな」

「そうか……覚えておくとしよう」

 

 そう言って、今度こそディアボロはその場を去った。

 建物の外を通る道で主の元に向かった彼を、マルトーは無言で見送っていた。

 

「是非とも会ってやってくれや。今生の別れかもしれねぇからな……」

 

 何もできない己への憤怒と、悲しみを携えて。

 

 

 

 門の前に足を運べば、既にルイズがスタンバイを済ませていた。二頭の馬が嘶き、乗れと言わんばかりに挑戦的な声を上げている。乗馬は初めてらしいと見抜いた馬の野生のカンと言うべきであろうか。そんな生意気な馬に少しばかり殺気を込めた視線を叩きつけてやると、周りのを含め全ての馬が萎縮していた。

 

「あー、背筋ブルッて来たけど…今のアンタ?」

「オレに従わん奴は恐怖で黙らせればいい」

「さっすが、わたしの使い魔は格が違いますこと」

 

 呆れたように言いながら、手綱を彼に渡す。しっかりと跨った所を確認すると、ルイズの後に続いてディアボロの馬が走りだした。

 

「乗馬は初めて?」

「生憎な」

「あ、そ。でも今のところは上手い事乗れてるわよ」

「それは光栄だな」

 

 と言うのも、先ほどの恐怖を本能に植え付けられた馬が最小限の揺れになるよう心がけているに過ぎない。ディアボロはそれを理解していながら、つまらなそうに馬への視線を投げかけた。

 すると、更に揺れは最小限になる。これでは馬の方が参ってしまうと言わんばかりの気遣いだが、これで丁度いいとディアボロはわざとらしく言葉を零すのであった。

 

 それからほんのちょっぴりだけ揺られること三時間。田舎の風景や街道を通りながら、遂に大きな建物群の姿が見えてきた。ディアボロの目に映ったのは、如何にも城下町と言った風の光景。しかし、ヴェネツィアやネアポリスと言った都市を見て来た彼にとっても、いや、日本の小市民であってもその光景は意外と言わざるを得ないだろう。

 狭いのだ。いや、何がと問われればその「通り」だ。

 街の近くで馬を繋ぎ、ルイズが案内した町並みは中世ヨーロッパに在りそうな風景であったが、唯一つ大通りらしきところが5メートル以下の幅しかない事がどうにも気になる。所狭しと並ぶ建物の間、路地裏程度しか通行用の隙間は空いていなかった。

 そんな中、ディアボロの鍛え上げられた巨体は、良くも悪くも目立ってしまう。どうにかしろと目線で訴えかけた彼は、ひたすらにルイズの反応を待った。

 

「あ~、もうちょっと…ああ、ここだわ。この路地裏入って行けば武器やはあるから、もう少し辛抱なさい。もう…自慢の使い魔だって言うのにこう言う所が欠点よね」

「噂も知らん相手から好奇の視線で晒されてみるか?」

「お断りよ」

 

 目の前の看板に描かれた剣を借りたかのように、ディアボロの言葉をばっさりと切って捨てた彼女は武器屋の扉を開いた。中からは大通りから逸れて辛気臭い空気の漂う脇道に相応しい、陰気で暗い雰囲気が漂ってくる。

 組織の中でも嗅ぎ慣れた空気だ。そんな下衆や下っ端らしい空気を感じ取ったディアボロは、懐かしさ半分鬱陶しさ半分で武器屋の中を見回す。ランプで照らされた怪しげな雰囲気は、奥に潜む人の気配と似通っていた。

 

「おや、これはこれは貴族の方。ウチは武器しか売れねぇ真っ当な商売。取り締まられる当ても何もありゃしませんぜ」

「今回ばかりは客よ。それとも、自ら言い出すほど胡散臭い商売でもしてるのかしら?」

「とんでもない! しかし、武器を扱うのはそこの旦那で?」

「少しばかり豪快に扱おうと壊れん物を探している。そこの粗悪なロングソード辺りに近いもので構わん」

「最近は天下のトリステイン城下町のここで、盗賊も増えて来ております。そう言ったご用で旦那は剣を?」

「そんな所だ」

 

 ディアボロの眼光は鋭く、同時に手を揉む店主を蔑んでいるかのようでもあった。

 

「……へぇ、ちょっくら奥で探すんで…お待ち下せぇな」

 

 店主はそそくさと店の奥に消える。しかし、去り際の彼の目はカモを釣ろうというものでは無く真剣なものだった。馬鹿な貴族が来た、最初はそう思って吹っかけようと思ったがあの男は別だ。こんな武器商売なんてやっている限り、多少「癖の悪い客」などの扱いも心得ている。ましてや天下のブルドンネ街唯一の武器商人だ。剣を必要とする常連の職種としては傭兵などといった荒くれも相手にしてきている故、相手を選ぶ目はあるつもりだった。

 しかし、あの男は些細な我欲でも掻こうものなら殺される。そんな冷徹な瞳をしているではないか。こりゃたまらん、命ばかりはとられちゃならん。誰にも聞こえない軽口を叩いて平静を保たねばならぬ程、彼は内心の動悸を無理やりに抑えつける。

 

「両刃のロングソード位か……直剣か曲剣か、あの旦那に合った方はどっちか」

 

 一旦客に尽くすとなると、商売根性が染みついているが故か。彼の目は細められる。

 武器の奥にはカウンターの辺りに並んでいる物よりも高価な物が立ち並び、観賞用と実戦用で大きく二分されている。

 さて、ここは迷わず実戦用。店主が其方に足を向けて大きな刃の類を探そうとすると、突如として彼に声をかける物(・・・・・・)がいた。

 

『いつになく真剣じゃーねぇか。命の瀬戸際でも感じ取ったのかよ?』

「だーってろデル公。こちとら久しぶりのマジ客なんだ」

 

 剣を探しながら、店主はぶっきらぼうにソレの声にこたえる。下品にも高らかに笑い上げたソレはそりゃ丁度いい、と言って己の存在をアピールし始めた。

 

『ちょーどいいぜ、日頃から散々厄介払いってんなら俺を買わせろ』

「馬鹿言え、てめえみたいなナマクラ売ればこっちの首が飛ばぁ」

 

 店主が呆れたように振りかえり、その()に向かって言葉を投げる。()は面白可笑しくケタケタと笑うと、柄の上部に在る金具を口の様に動かした。

 

『見たとこ、探してんのは丈夫で大の大人が扱えるようなシロモンだろ? だったら何をやっても壊れなかった俺の出番じゃねぇかよ』

「そりゃあ……確かにてめぇは丈夫だが、みてくれは錆だらけ。しかも初めて御客人に買われたいなんて願い出ると来た。今までおれの商売の邪魔した回数、忘れたたぁ言わせねえぞ」

『ハッ、そんな厄介モン(・・)が居なくなるチャンスだってぇのに頭のかてー奴だ』

「ったく…そうまで言うなら一応並べといてやる。だが覚えとけ、売れ残ったら今度こそ火メイジの旦那に頼んで溶かしきって貰うからな」

『上等だ。こちとらこの世の中に飽き飽きしてたんだぜ? ようやくつまらねぇ剣生が終わるってんならそれも悪かねーや!』

「よく言うぜ、デル公が」

 

 面倒臭げにその喋る剣を引き抜くと、店主は見繕った他の刀剣と共にカウンターへ戻って行った。店主が出てきた事でカウンターに集まる二人に良く見えるよう、一つ一つを台に置きながらこれでどうだと4本の刀剣を並べる。

 

「従者の旦那、見繕い出来やしたぜ」

「どれ……」

 

 第一に剣を扱うディアボロの意見を聞こうと、店主は彼に閲覧を促す。

 立派な白銀が光り輝くランプの光を反射し、磨き上げられた刀剣の輝きを返す中、やはりデル公と呼ばれていたその剣の錆だけが悪目立ちしている。なるべく目に触れないようにと一番隅の方に置いておいたのだが、やはりディアボロの目にとまり、ふむ、と声を洩らさせるに至った。

 

「店主、これは?」

「それはインテリジェンスソードです。錆だらけですが…本人がどの刀剣よりも丈夫だと言って憚らないのでこうして並べさせていただきやした」

『かぁ~っ! 卑屈にごたごた並べてんじゃねーぜ。いようピンクのおっさん、丈夫な剣なら俺で決まりだ。こちとら意識があろーとなかろーと…折れちまってもいいくらいに扱って貰って構わねぇぜ? どうだ、買ってみる気が起きたかよ』

「あら、本当にインテリジェンスソードね」

「へぇ。口の減らないばかりが特徴でして…おい、デル公っ」

「いや……少し見せてもらう」

 

 ディアボロはそう言って、デル公と呼ばれた剣の柄を握りしめた。すると、ルーンが反応してこの1・5メイル(恐らくメートル法と同義)の剣の振り方が頭の中に入ってくる。しかしその中には剣で直に防御を行う方法や、地面に叩きつけるなど普通ならば有り得ない使い方まで流れ込んできたのだ。

 これは……掘り出し物かも知れん。ディアボロが内心で情報の整理をつけていると、剣の柄からカチカチと金具の擦れる音が鳴り響いてきた。

 

『おぉぅ…マジかよ。てめ、なんか憶えがあると思ったら“使い手”か』

「使い手…? ちょっとそこの剣、ディアボロは剣なんて」

『そーいう意味じゃねぇぜ貴族の嬢ちゃん。…はっ、此処まで来て当たりに持ってもらえるとはな。縁って奴も捨てたもんじゃねー』

「……成程。使う以前に聞きたい事が出来た。店主、これと小ぶりのナイフを」

 

 興味深い、と口にした彼に店主は剣の鞘と適当に見繕ったナイフを進呈した。

 

「ナイフの方はこちらからのサービスにしときやす。値段の方は厄介払いも含めて新金貨で百になりまさあ」

「意外と安いわね」

「これでいつも通りの商売できるようになりゃあ儲けもんでして。どうしても煩く感じれば、鞘に入れて口を閉じちまえば黙ります。毎度ありがとうございやした」

 

 ルイズは迷い無く新金貨を支払い、ディアボロはデル公と呼ばれた剣のはいった鞘を背中に背負う形で紐を肩に回す。ナイフは腰にこれまたサービスで頂いたホルスターに入れ、いい買い物が出来たと扉に手をかけた。

 

「デル公! …まぁ、長生きしろよ」

 

 鞘に入れられたままの剣は答えられず、扉の向こうに数年期の付き合いだった剣は担がれていくのだった。

 

 店を出て、ディアボロ達は再び悪臭のする避け道に戻って来た。処理しきれなかった糞や生ごみから漂う異臭の発生源には汚い虫が群がり、その羽音がまた頭の中に不快な音波を奔らせる。目立っても大通りに行くしかないか、そう考えて大通りに足を向けたルイズであったが、ふと天を仰いだ際に何処かで見覚えのある青色を屋根の上に見つけた。

 確かアレは。どうにも衝撃的な事だったというのは覚えているが、そこから貴族を手繰り寄せるとなると難しいものである。しかし、三秒もすればその特徴的な形をした青色はどこで見かけたのかを思い出した。

 

「あぁ、そうよ! あれって確かタバサって奴が呼びだした風竜の幼竜じゃない。何でこんな所に……」

「……成程、そこの二人出てこい」

 

 路地裏の一角をキッと睨みつけた彼の言葉に従い、ばつの悪そうな表情でマントを羽織った赤毛の女が姿を現した。隣には、本を手にした背丈の小さな眼鏡の少女が付き添っている。これはまた大所帯になったものだ。内心で舌を鳴らしたディアボロは、騒がしくなるであろう隣の主人の顔が赤くなっていく様を見ながら、そう悪態をついた。

 

「あ、あ~ら奇遇ねディアボロ……意味無い?」

「意味無いわよッ! 何かと思ったら他の人まで使ってつけて来て…! これだからツェルプストーの女は豪快を憚ってその実陰湿なのよッ!」

「誰が陰湿よ? ほら、彼も動じずに私を見てくれてるじゃない」

「あ・き・れ・て・ん・のッ!!」

 

 まだまだ口論が続きそうだと判断したディアボロであったが、ルイズもからかわれてばかりの性格から一皮むけている。一通り叫んですっきりしたのか、彼女はゆっくりと深呼吸をした後に苛立ちを隠そうともせずに言い放った。

 

「そこまでディアボロにご執心なら、この四人で食べる分くらい払って見せなさいよね。器量や懐が深くないとこいつは容赦なく斬り捨てるわよ」

「ふぅ~ん、単にあなたが公爵家のお金を使いたくないだけじゃないの?」

「その分くらいはあるわよ」

「それじゃあ、今日はどうせ買い物なんだし彼を連れ回しても構わないわよね? あ、ちゃーんと夕飯も外食の代金は支払うわ」

「……ふんっ、だ」

 

 なにやら、今日一日は連れ回されることが決定してしまったようだ。

 こんな扱いはあんまりだと嘆く事もせず、これから始まる珍妙な一日に嫌気がさしながらも、渋々とディアボロはルイズについて行くことにした。そんな彼を見つめる、青髪の少女の視線に鬱陶しさを感じながらも。

 

 

 

 馬車が揺れている。こんなに高級な揺れの少ないものに乗れるのはしがない平民としては初めてであったが、そんな事で気分が高揚する筈も無い。ため息はつけどもつけども、内憂を取り除いてくれる事は無かった。

 ちらりと窓の外を見つめると、ゆっくりとだが確実に自分の働いていた場所が遠ざかって行くのが見えた。真っ直ぐ天に向かって伸びるトリステイン最大の学び舎も、今となっては郷愁に浸れるだけの思い入れと家族同然の温かさを幾らでも思いだせる。

 

 ――そう、私は買われたんだ。

 

 己の現状を再確認し、悔しさにメイド服の端を握りしめながら、涙だけは流すまいと彼女―シエスタは暗い表情を固く引き締めた。

 

 どうしてこうなったんだろう、と言う疑問は今更だ。自分が少し他の人よりも胸が大きかったから、たまたまその貴族の趣味に合った容姿だったから。そんな原因はいくらでも考えられるが、重要なのはこれから待ち受ける未来。ただ性欲のはけ口として、自分を気にいった貴族の(めかけ)として生きて行くことしかできない。そんな、自分の無い、肉体だけを求められる生活が待っているのだろう。どうせなら、永遠に待って訪れないでほしいとも願う。だが、都合のいい事なんか起こりはしない。

 

「そろそろだ。モット伯のお屋敷では他のメイドに従え」

「…はい」

「チッ、なんでこんな上玉ばかり運ばされなけりゃならんのだ。まぁいい、今度ラ・ロシェールの風俗の女を食うために金でも溜めるか……」

 

 下衆な男の想像を聞きながら、ついにシエスタは立派な屋敷の所有地内に訪れてしまう。少し考え事をするだけで、時間と言うのは良くも悪くも直ぐに過ぎて行ってしまう。どうせなら永遠に最高の時間で在り続けて、他の時間なんて止まってしまえばいいのに。感情の高ぶりは抑えられないが、ここで逆らおうものならすぐさま死、あるのみ。

 誰かに弄ばれる人生も散々だが、ここで耐えなければ実家への仕送りが出来ない。自分よりも親しい他人の幸せを優先するからこそ、シエスタには自殺と言う選択肢そのものが無い。

 

「出ろ」

「…………」

 

 屋敷に案内され、玄関からあっという間に控室(・・)にまで連れられてきてしまった。中には自分と同じく胸の大きな女性が多数メイドとして使えているらしいが、その全てが虚ろな目をしている。仕事の手は決して悪くは無いが、何よりも彼女達は感情が死んでいるようだった。

 自分もああなってしまうのだろうか。それとも、彼女達は自分もこうなってしまえと新参を憎むのだろうか。人間の汚い所を人一倍知っている彼女は、控室で着せ替え人形の様に夜伽(・・)の衣服を着回されながら、どこか虚ろにそう思っていた。

 

「あと数時間後にモット伯が帰ってくるわ。あなたは初日でしょうけど、抵抗しない方が身のためよ。腕や足を失うなんてざらだから」

「…はい、ご忠告ありがとうございます」

「逃げようなんて考えないでよね。しわ寄せが来るのはこっちなのよ」

 

 逃げる? そんなこと、何度考えた事か。

 シエスタの内心を知ってか知らずか、鼻を鳴らしたメイドは扉の向こうに消えて行った。自分でも中々に可愛らしくコーディネートされたものだと感心するほどに綺麗なドレスと、トレードマークの様に外さないメイドカチューシャが慎ましやかなシエスタを着飾り、普段は見えないような魅力がふんだんに押し出されている。

 だが、これもこれから世話になってしまうのであろうモットという貴族を興奮させるための材料に過ぎないのだと思うと、一度浮き上がった気分もすぐさま沈んで行く。されど、これではいけないとシエスタは己の頬を叩いた。

 

「駄目。ここで沈んでいたら…ディアボロさんに顔向けできないわ。……でも、家族を養うためには一度退職した学院に戻るのも……。でも、でも……」

 

 悩みは尽きない。何かないか、良い選択はどれであるのか。

 シエスタは散々迷った末に、血がにじむほどに細い柱を握りしめていた事に気がついた。手から滲み、柱のささくれた箇所に刺さっていた事で垂れてくる赤い液体が見える。そして、その血を自分に継いでくれた人物を思いだした。

 

「おじいちゃん……確か、戦争でテンノウっていう人の為に戦いを尽くして、何よりも自分が勝ち残るために自分を信じたって言ってたよね。…私も、こんな私でも出来るかな? ううん、行動してもいいのかな?」

 

 誰もいない部屋で、部屋の中に備えつけられた泉に映る自分に向かって語りかけた。

 曾祖父の魂が自分に在ると信じて、老いてなお屈強な身体が自分の背中を包み込んでいるような錯覚がシエスタに訪れる。何もないのに、でも、温かい。

 この温もりは決して手放してはいけない。だとすると、自分が取る選択肢はたった一つ。迷う事などもうあり得ない。孤独を恐れ、繋がりを信じ、あの温かな学院に戻るために自分は―――

 

「逃げよう。私は、絶対に学院に帰る。そうしたら、多少無理をしてもミス・ヴァリエールの専属にでも何にでもなって…! 帰るのよッ!!」

 

 自分に状況を打破する力はなくても…この熱意だけは忘れてはならないッ!

 シエスタの黒真珠の瞳は輝きを宿す。人の温かさを思い出した彼女には、あの何処までも己に忠義を尽くした祖父の血が流れているのだ。いつだって、どんな辛い時でも祖父が居なくなってからは彼の魂は家族全員の傍に在るとッ! そう信じて来たから此処まで幸運と認識して無事な身体で過ごしてきたんだ。

 

「よし……」

 

 服装を軽装に変え、スカートはいつもの行動に邪魔にならない程度のメイド服に変える。上着はひらひらしていない物を選んで一番質素であろう服装に変わったシエスタは、心臓の激しい動悸を感じながらも脱出の為に扉に手をかけた。

 扉に耳を当て、廊下の気配を探る。所詮素人の行動だが、鎧が擦れるような僅かな音も、メイドが歩く様な足音も何も聞こえない。

 

「うん…ツイてる(・・・・)……!」

 

 一歩踏み出し、一気に扉の外へ躍り出た。

 誰もいない。しばらく警戒しながら進んでいると、不意に明かりが少し弱くなっているようにも思えた…いや、これは実際に暗くなってきている?

 

「あ、燃料がほとんどないんだわ……」

 

 壁の明かりは、燃えるべき燃料が、ロウソクがほとんどない。ジリジリとくすぶる様に揺れた炎は、そのよるべき体を燃やしつくしてブシュンと消え去った。

 真っ暗な廊下に、日の暮れ始めた暗闇が重なって暗黒が支配する。更にはこの場所は日の出側で照らされているらしく、日の入りとなった現在の時刻から見れば、絶対に光が此方へ漏れる事は無い。

 

 ごくりと唾を飲み込み、また一歩を踏み出した。なるべく足音をたてないように、なるべく誰にも見つからないように、そして―――気配を読むために、息をも殺す。

 所詮は素人の技術だと嗤われるかもしれないが、それでも自分は必死だ。この闇なら素性は割れにくい…他のメイドと似たような格好なので、兵士達も違和感は感じないかもしれない。特徴的な黒髪は、被りもので何とかごまかせている―――!

 自分には何一つの非は無い。己の全てを信じ切り、シエスタは意気込んだ。

 

「大丈夫、イケるわ……ッ!」

『そうだァァァ………おまえさんは、最っ高なんだぁ…!』

 

 その意気込みは、新たな可能性を生み出す。

 背中の温かさから、そんな声が聞こえてきた。

 




と言うわけで本当のタイトルは「幸運の風が吹く」でした。
結構くどいぐらいにシエスタの描写は「幸運」に傍点使ってたので判っていた人もいたんじゃないでしょうか。
しかしこのスタンド覚えている人いるんだろうか?


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星の血筋

29日の日刊1位記念で早めに書きました。
皆さま、本当にありがとうございました。

8/7 修正分補足解説
人間以外の台詞を全て『』へ変更。過去回想の時なども『』で通します。
現行の人間の台詞、及びに地の文の強調語句が「」になります。


「何? あのメイドが連れて行かれたじゃと?」

「はい。学院長は難色を示していたようなので、報告に参った次第です」

「……そうか。下がって良いぞ」

「それでは」

 

 一人になった部屋で、オスマンは唇をかみしめた。

 

「…スタンドのことが広まるわけにはいかぬ。あのメイドには不幸じゃが……早々に壊れて情報を漏らさぬことを誓うのみ、か。ワシも随分外道なものよな」

 

 自嘲するように吐き捨てた彼は、何事も無かったように業務へと戻っていくのだった。

 

 

 

 

『イイカッ! 今は細かく言う事はネェ………突ッ走レ(・・・・)!』

「!?」

 

 背中を振り返る。だが、そこには何もなかった。

 温かさはある。祖父が見守ってくれるような、家族が後押ししてくれているような。それとはまた別に、いや、同じかもしれない(・・・・・・・・)が……何か、決定的に自分の足を動かせるだけの圧倒的なパワーが働いている!

 目を固く閉じたような暗闇の中を、自分でも無謀とは思いながらに一気に走りぬけて行く。メイド服に似たスカートは輪郭が見えないからか、初めて穿き替えた時の違和感は感じず、着馴れたデザートを運ぶ時の様な爽快さがあった。足音も出ている。「ダッダッダッ!」と、人に見つかる事すら気にも留めないような足音が。

 最初の隠密を心がけた慎重さはどこに行った? いや、確かに小難しくあれこれ考えるよりもずっとわかり易い。しかしこれでは、屋敷の人間に見つかってしまうではないか。ロウソクの火が消えた廊下はもう続いてはいない。明るく照らされ、高級そうな赤い絨毯が既に足元から見えている。

 

 そして、また一つの廊下を駆け抜けた。

 

「……ん? 気のせいか」

 

 野太い男の声がシエスタの耳には聞こえていた。しかし男が見たのはちょっと目を離した隙に見えたスカートの裾のほんの一部。ロウソクの揺らめく火を通して見た風景だと言われれば、何の違和感も無い。そう、違和感なんて無かった(・・・・)

 この男は実に職務怠慢で、貴族が雇った者によくいる金食い虫の一人だ。監視の目がない事を入念に確認し、隙あらば怠けて給金をどのように使おうかと思い描く日々を送っている。そんな想像を続けていたから、シエスタが目の前を走りぬけて行った事に気がつかない。

 

 T字路まで残り数十メイル。使用人の使う裏口と言うのは、必ず屋敷のどこかに存在する。ソレを目指していたシエスタであったが、上階の一部で真っ直ぐしか走っていなかったため、どんなに広大であろうと屋敷の端っこへと到達してしまっていた。

 この速度のままでは窓にぶつかり、外へ放り投げられてしまうだろう。だから、疲れて来た事もあって速度を緩めるために力を抜こうとする。しかし、彼女は視界の端に、人間のそれに似通った「指」を見つけた。その指の持ち主は、またもや愉快そうな声で彼女に言う。

 

『シエスタ!! ナニ甘エテルンダ? 信じろよ、エェ? オマエさんにまで流れた爺さんの幸運(・・)って奴をよぉぉぉ~。蛇がいるぜッ! シエスタ』

「…………?」

()ダカラナッ!』

 

 何故だろう。この声を聞くと自信が湧いてくる。何の自信かって? そりゃあ自分が突っ走ることへの自信ってものですよ。

 誰にともなく自問自答を行った彼女は、既に慣れない疾走で情けない声を上げ始めている足を一喝する。収縮する筋肉へ、無理やり強制収容所の奴隷へ命令するように鞭を振り上げる。電気信号となって伝わった命令に筋肉は悲鳴を上げつつも、このままでは体諸共にずっと使われる事は無くなってしまうと恐れたか、彼女は多少前のめりになりつつも速度を上げた。

 残り1メイル。慌てて怪我しないように腕を前で交差させると、その行動が仇となったかシエスタの体はふわりと宙に浮かんだ。向かうは窓。ここは一階では無い。その事を嫌という程実感させられたシエスタは恐怖で身がすくんだが、既に賽は投げられた。

 彼女の体は、中空へと放り出される――――事は無かった。

 

「う、痛っ! ぐっ……ええ? …………あぅっ!?」

 

 窓は開いていた。陰湿な館の中へ正常な空気を取り入れるためか、はたまた腐りきったこの場所に綺麗なシエスタはいらないと放り出す為か。何にせよ、モットの館はシエスタへとサヨナラの手を振って別れを告げる。

 それと同時に、待ってましたと言わんばかりの木の枝や生い茂った葉っぱが彼女の体を包み込み、多少乱暴ながらも手厚い歓迎を施した。まるで大蛇が飲み下すようにシエスタを包み込むと、鬱蒼と絡まりついた蔦の間にするりと落とし、その蔦の上を滑り台の様に滑らせてから尻から落とす。

 作戦成功。タイミングが良すぎるほどに風が吹き、近くの草木をざわざわと揺らした。

 自然が作った腹の無い蛇は、悠然とシエスタを見下ろしている。

 

「……ありがとうございます」

 

 気にするな、とでも言うように風が木の葉を揺らす。

 それにしても、何と言う偶然なのだろう。シエスタは此処に来て運の全てを使いきってしまったのではないだろうかと、宝くじに当たった小心者の様な感想を抱いた。無論、シエスタは宝くじなど知らないが故にただの比喩表現だ。

 ともかく立ち上がった彼女は、服についた木の葉をパッパと手で払いのけ、被りものを深く目の辺りまで覆うと再び走り始めた。あの声は、今度は聞こえてこない。

 

「ともかく裏口に出たけど…どうしようかしら」

 

 彼女にとってこの辺りは全く土地勘がない。馬車の中で見た景色で、学院にある四大属性に倣った塔は東西南北を表しているので、学院から見てどの方向に来たのかは分かっているが、それだけだ。

 途中から馬車の外は見ていなかったし、考え事をしている間にそれなりの時間が経過している。よほど土地に関して詳しく無ければ、貴族であろうとこの場から正確に帰還するのは難しいだろう。決して、シエスタが悪い訳ではない。

 ともかく、屋敷の表口から広がる街道に沿って森の中を進んで行こう。あの突如として聞こえてきた「声」が言った「蛇」にもう一度頭を下げると、シエスタは屋敷をぐるりと回りこむように正門目指して囲いの中を進んで行った。

 屋敷と言う建物からは出れたものの、まだこのモット伯が住まいを置く広大な敷地から逃れられた訳ではない。籠から出た鳥が部屋の中から出れていないのと同じ事だ。遮蔽物に身を隠し、少なくとも軍事基地よりは少ない監視の目を縫って彼女は慎重に進んで行った。幸運ながらも、選んだ時に茶色の服を着ていた事すら、カモフラージュ率を高くしている要因になっている。

 

 彼女が進む先、ようやく正門の出入り口が見えてきた。だがやはり強固な鉄柵の門に守られ、此処は貴族の領域だと主張するかのような石垣のレリーフが目に入る。それと同時に、暇そうにしている大人の男性兵士が甲冑に太陽光を反射させていた。

 メイドや女性は一切見当たらないことから、絶対に屋敷から出すことを良しとしなかったのだろう。そう思うと、逃げる時に他の人に声をかけられなかった事で少し胸が痛む。お優しい性格をしているとよく言われる、実に彼女らしい反応だった。

 

『声は出すナヨォォォ…静かにだッ! オマエの爺さんミテェに今は息を潜めてロ……』

「!? あ―――」

『おいッ! 声出すんじゃあナイゼッ! 見つかるのはヨオオオー……もっと後ダッ!』

 

 そのなにか(・・・)に口を防がれ、シエスタは無理やりに息を殺された。だが、その声が居る場所は間違いなくシエスタの背中か肩の上。身を隠すのにギリギリな堀の一角で隠れていた彼女にとって、その存在は自分が見つかってしまう最悪の一因の筈だ。

 されど、兵士は其方を見ても異常なしと心の中で疲れを見せる。見えていないのだ……そう、このシエスタの上にいる存在は…見えていない(・・・・・・)

 

 一体これは何なの? 魔法や精霊が自分に憑いているの? 口を防がれながら、危ういところを助けて貰ったこの存在に疑問を持つ、その瞬間――少しだけ、この寸同大の人形の様な人型がぼやけたような気がした。

 人型は、慌てたように押さえていた口を離して後ろから囁く様に近づいた。

 

『オイオイ否定するんじゃあネェ……幸運はよぉぉ! シエスタ、オマエさんの味方だッ! つまりオレは味方だ。だが、疑っちまってるんダロ? 無理もネェゼ、確かに幻覚サンかもなぁぁ~~こう思われるのは仕方ネェゼ』

「………あ、あなたは」

『信ジキッチマイナァ! テメェの爺さんが此処で根を下ろせた幸運って奴になぁ……。今までだって、未知の場所で何とかなってきただろ? いいか、オマエは凄くツイてるんだ(・・・・・・)。何も怖い事ナンカ()ェ……導いてやる! 信ジロッ!!』

「あ………」

 

 するりと、その存在は消えた様に見えた。慌てて、しかし物音をたてないように背中を見ると、ズブズブと自分の中に沈んで行くソレの姿が見えた。グッドラックと突き立て破られた親指は信頼の証。輪切りの線がついた指が完全に見えなくなった頃には、シエスタは目をギンッと見開いていた。

 迷いの無い瞳はッ! 貴族に立ち向かったディアボロを思い浮かべた自信に満ちあふれた瞳! それゆえ彼女は、ぐっと握り拳を右手に作り出すのだ。

 

「そうよ…やれる(・・・)からには怖がる必要なんて無いんだわ。ええ、出来ない事なら怖いけど……出来る(・・・)んじゃあ仕方ありません(・・・・・・・)よね?」

 

 彼女は全てを悟りきった様に、夕暮れが作った石の陰からささっと移動して門兵の後ろに立った。館の方からは、突如として出てきた人物への視線が殺到している。今、全ての目がシエスタを見ているというのに、彼女は気軽に弟へ語りかけるかのように兵士の方を叩いた。

 

「ん? なんだオマエ」

「ねぇ兵士さん。ちょっとどいてくれませんか?」

 

 服の下に着たメイド服モドキのスカートを見せると、ちょっと「アレ」な場所への買い物を任されたメイドなんだろうな、と兵は思った。

 

「苦労してるんだな。…っと、この事は伯爵には言わないでくれよ」

「余計な波風立たせたくありませんから、言いませんよ。波風は立たせたくないので…」

「そこの兵士! 例の館の新入りメイドが逃げて―――ソイツだ!? その胸の大きさは間違いないッ! ひっ捕えろ……今すぐにだ!」

「っと、ごめんあそばせ」

 

 シエスタが深く言葉を残した直後、屋敷から出てきたモット伯爵が唾を吐きだしながらまくし立てた。隙をついて逃げ出そうとしたシエスタのひらひらとした服は、しかし兵士の手に捕まることなくするりと抜け出してしまう。いたずらに吹き込んだ風が、スカートをまくりあげたのだ。別の場所から捕まえようとしたが、麗しい女性のスカートの中身を見た男性兵士も、その光景に思わず足を止めてしまう。

 見事真正面から何もせずに抜け出したシエスタを、あの胸は中々手に入らないというのにッ! という醜い声の元が追い掛けようとしていた。

 

「ウォーター・ウィップッ!!」

 

 杖を振り上げたモットの声がシエスタの耳を打つ。これが普通の平民なら彼女ほどの動揺も無かっただろうが、「魔法学院」に勤めているシエスタならではの知識がここで働いた。

 モットの使った魔法「ウォーター・ウィップ」は杖に絡んだ水を起点として、大気の僅かな水分を伝って対象の四方八方から自由自在の水の鞭を操る系統魔法だ。「波濤のモット」という二つ名は、中年に至るまで鍛え上げられた水の魔法が波濤―巨大な波―となって相手に襲いかかる様から名付けられたもので、決して名前負けしていない。

 ただの平民であるシエスタにそれを避けることは不可能。そう、平民である限り…何か、特別な力(・・・・)無い限り(・・・・)! この魔法と言う力に抗う事は出来ないっ!

 そう……特別な力がなければ何もできない(・・・・・・)筈だった(・・・・)

 

『おいシエスタさんよォ~~()へ行けッ!』

「へ?」

 

 足場も安定。どの幸運な指示が来たとしても乗り越えられる。そう思っていたシエスタすらも間の抜けた声を出してしまう程の指示。しかし背に腹は代えられない。初速が乗って来た今の勢いのまま、近くに在る木の枝に向かってジャンプする。さほど高くない位置にあった枝だったが、シエスタの踝の高さを擦りぬける横薙ぎの水鞭が通ったのを見て、こんな僅かな跳躍でも大丈夫なのか、と彼女は息を飲んだ。

 

「何故だ!? 奴はこっちを見ていない(・・・・・)! 魔法を見ていない筈なのに……どうやって避けて(・・・)いる!? ええい兵ども! 奴を捕まえろ、捕まえるんだッ!」

「ハッ!」

「了解しました」

 

 依然として魔法は出したまま、兵達がシエスタの事を捕まえるために走りだした。曲がりなりにも兵になった彼らはシエスタよりもずっと早い足と、ずっと走る事が出来る体力を持っている。モットは貴族だ。しかも色欲にまみれた中年となれば、体力も低下している。魔法を操り続けるにも、精神力のほかに魔法を制御するための神経…つまり、同じく体力を使う。

 片方からは一時的な脅威を乗り越えられれば逃げられる。片方からは永続的に小さな脅威を伸ばされる。となれば、どうすればいい? シエスタは後ろを見ず、真っ直ぐと前だけを見た。

 そこに光明はあったのだ。

 

「幻覚さん……」

『気付いたのかぁぁぁ~? YO、シエスタァッ…!』

「はい。このまま……走ります」

『YO・YO・YO!! イィィイイハァァアアアァッ! それでイイゼッ。なぁシエスタ、叫べヨ。幸運ヲ信ジテナァァァァ…!』

 

 体に纏わりつく様に喋るスタンド(・・・・)に後押しされ(とはいっても正体には至っていないが)、シエスタは気合を込めて走りぬけた。森の木々が茂る位置は低く、シエスタ程の少女ならば通り抜けられるが…屈強さが売りの兵達や、モットのような長身の男が抜けられる筈も無い。

 前かがみに走る彼女は最早息も絶え絶え、いつ転んでもおかしくない程に疲労しているのだが、それでも死に物狂いで足を止めない。

 

『オウッオウッオウッ! こりゃスゲェ…オマエさんにゃタケオのヤローも無かった最ッ高の運がツイてやがる。もしかしたら、今期最高の場面かもしれネェナァァァー……』

 

 何かが囁いているが、聞こえない。

 ザワザワと木々の間を駆け抜け、ヒューと抜けて行く肺の中の空気を戻すように息を吸う。乱れに乱れた息も体力も、その全てが切れてきた。後ろから追ってくる怒号が酷く頭に響いてくる。煩い、もう少しなんだから黙っていて。声には出さずとも、シエスタは恨みの力さえも込めるよう走り続けた。

 暗くなってきた夜の暗緑色が晴れ、ようやく彼女は――――

 

 

 

 

「すっかり遅くなっちゃったわね」

 

 ルイズが空を見上げて言うと、そうねぇとキュルケが頷いた。

 この街に留まってから、女の買い物と言うのに付き合わされたディアボロは酷く疲れていた。スタンドを使った時よりも精神が削られる様は、かつてヴェネツィアで聞いたホラー専門家として世界に名を馳せ始めたルーキー、マニッシュボーイの手に掛かったのではないかと思うほどだ。実際、会った事は無いが。

 あれだけ長く買い物をしておいて、実際のところはディアボロの右手に在る袋一つ分で収まっているというのだから目移りの激しさは目も当てられない程であっただろう。本を小脇に抱えている青髪の少女、タバサもこう言うのは余り経験した事がないのか、ぐったりとしているようだった。

 

『旦那もちびっこも随分と疲れてんなぁ』

「長らく続く無意味な時間は、中々に面倒だったぞ」

「同じく……」

「あー…ごめんなさいねぇタバサ。貴女が興味あるのって本とか薬ぐらいだものねぇ」

 

 馬小屋の近くに着き、一行は馬とタバサの風竜シルフィードで帰路につく。ただ、ディアボロの恐怖を覚え込んでいた馬が気を利かしてくれたおかげで、ディアボロは椅子に座っているかのように夜風で疲れを癒していた。

 

「やっぱり風竜……。うーん、どうにも羨ましいけど、私じゃ難しいわよね」

「得手不得手の類か?」

「違うわ、制御できるかってことよ」

「成程な」

 

 風竜も人間とは違い、知能を有しているとはいえ野生寄りの存在。凶悪な爆発を起こしてばかりの主人の近くは危険だと判断して中々近寄らないだろうし、いつ爆破されるかも分からない恐怖を本能が増幅し、パニックに陥る可能性もある。そう言う点ではルイズは冷静な自己分析を出来ていた。

 ただ、その問題も物言わぬ乗りモノなら問題は無かろう、とディアボロが言う。

 

「ああ、船のことね。まぁあれなら動かしてるのは人だし、風石が切れなければ安定して浮けるから、竜と違って墜落の危険も低い安全なものよ」

「船…が墜落?」

「ああ、えっと…ハルケギニアでは空飛ぶ船があるの。そっちではあまり見ないの?」

「いや、空を飛ぶ機械なら幾らでもある。だが空を船が飛ぶとはな。一度はお目にかかりたいものだ」

「ちょっとールイズー? 私の彼をあんまり誑かさないでよね」

「誰があんたのよっ! っととと…」

 

 乗り手の興奮が馬に伝わったのか、彼女の馬が大きく揺れた。振り落とされないようにしっかり首にしがみつき、恨めしそうに低空飛行をするシルフィードの上にいるキュルケへ視線を送った。

 そんな時、タバサがピクリと耳を動かした。

 

「……何か来る」

「え? 何かって何よ」

「タバサって風メイジだったわね。どこから?」

「あっち」

 

 彼女の杖が差した方向は、森の草木で覆われた道の脇。まだ聞こえてこないが、一旦足を停めた一行は何が出て来てもいい様に各々の武器を構える。

 

『おっと旦那、早速使って貰えるたぁな』

「試し切りだ」

 

 それなりに巨大な筈の剣―後に聞いたところによると銘はデルフリンガー―を片手で持ち、ディアボロはタバサの言った方へと戦闘態勢を取る。やがて、ガサガサと草木を踏みしめる音と一緒に誰かを追う怒号や、酷く息の乱れた誰かがすぐ近くにまでやって来ている事が分かった。

 いち早くこの事に気付いたのは、風の流れから状況をくみ取れるタバサとスタンドの聴力を利用したディアボロ。聞こえてくる言葉の節々から、少なくとも追っている方は碌な奴らじゃないと気付いた二人はそれぞれ近くにいる相手へ合図を送る。

 そして遂に、茂みの中から一人の少女が飛び出してきた。

 

「はぁっ、はっ、はっ、はっ…!」

「シエスタ!?」

「奴が森を抜けたぞ! 早く捕えろ…冬のナマズのように大人しくさせるんだ!」

 

 意外や意外。見知った顔が飛び出て来た事を確認したルイズはそのままの勢いで倒れこんでくるシエスタを流れ的に受け止めると、ディアボロの異様な雰囲気を感じ取って馬のいる場所まで下がった。次いで飛び出してきた二人の兵士と、遅れて中年の貴族が水の流れに乗りながら森の奥から姿を現す。月明かりがそれぞれの正体を晒し出し、モットはペンタクル印のあるマントをつけた彼女達を見てぎょっとした。

 

「これは……何が起こってるの」

「おや、私と同じ貴族でしたか…ちょうどよかった」

 

 疲労がたまっているのか、シエスタよりは軽く息を乱しながら、モットは額に流れる汗を上品に拭った。体裁を整えた所で、兵士二人に待機の命を下す。

 

「そちらの買い取ったメイドが逃げ出しましてね…どうにも、私が心から気に入った相手なのでどうしても捕まえておきたかったのですよ。ですが同じ貴族に出会えて本当に良かった。さ、彼女を此方に渡してください。このジュール・ド・モット、トリステインの貴族としてちゃんとお礼はします」

「モット伯…? それより、彼女…シエスタはわたし達が通うトリステイン魔法学院のメイドよ。買い取ったって、どう言う事?」

「おやお知り合いでしたか。いえ、貴女も貴族ならば分かるでしょうが……ええ、正式に頂いたのですよ。王宮の勅使としては、あちらも良い印象だと伝えておく事を約束に」

 

 あくまで丁寧さを崩さないモット伯の態度は、普通ならば相手を軟化させて「そう言う事なら」という風にシエスタを引き渡してしまう誘導術。だが、彼女の友人でもあり秘密を明かしあった仲としては、ディアボロの素性的にも、ルイズのプライド的にもはいそうですかと頷けるわけがない。

 シエスタをかばいたてるように一歩ばかり前に出て、ルイズはモットを睨みつけた。

 

「彼女には少しばかり事情があるの。多分学院側も難色を示していたでしょうけど……少し、私としては彼女を渡すわけにはいかないわ」

「おや、これはこれは…。確かに、まさか学院長が難しい顔をするとは思いませんでしたが、他の総務達に掛けあってみれば簡単に許しが出ました。つまりは正式な取引だったのですよ」

「……ああ、そう。これだけ言っても分からない訳? 伯爵」

「む? …何かな、小娘」

 

 ルイズの胸を見て馬鹿にしたように鼻で笑ったモットへ遂にルイズは沸き立った。

 その異様な雰囲気は、ディアボロと共にいる事で身についた新たなる自信。キュルケは見た事の無い異様な雰囲気に呑まれて、タバサは豹変した「元落ちこぼれ」のルイズに興味を持って口を慎む。ディアボロは、彼女の意志に任せておこうと抜いたデルフリンガーを鞘に戻し、柄に手をかけて待機していた。

 

「お言葉ですが、ミスタ・モット。そちらが王宮の勅使だとしてもその王宮にさえ響く様な悪名の数々は…トリステインの貴族として相応しくないと思われるわ」

「ほう…悪名か。と、言うと?」

「曰く、平民の間では妾に取られれば夜の玩具とされる脅威。曰く、王宮では下々の血へ手をかける節操のない輩。とてもじゃないけど、後継ぎの子の全てが麗しき初代トリステイン王の血を分けていないのではないか。なんて」

「……だが、所詮平民は平民。私はちゃんと孕んだ相手は処分している。私が真に愛し子を成すと誓うのは澄んだ血を引く女性のみ……そう、かの美女と称されるラ・ヴァリエールの二女のような…ね。いずれは私の嫁として迎え入れようと―――」

「……ああ、へえ? ちぃ姉様の…おふざけ遊ばせてんじゃないわよ、下郎!」

 

 ルイズは杖を振り、単純な錬金の呪文をモット伯の直前に在る地面に掛けた。

 爆風は狙い通りモットに襲いかかり、その様子を見た部下の兵士が剣を抜くが、ルイズの名乗り上げはそれよりも早かった。

 

「我が名はルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール! 誇り高きトリステインの公爵家三女。我が姉を癒す術を持たぬどころか、浅ましくも女を追いまわす術に長けたあなたは姉、カトレア様にお目に掛けるまでも無いわ! そして、平民を処理の道具としてしか扱わぬ非道な所業。…言質はとらせて貰ったわ。王宮への処分を大人しく待つ事ね!」

 

 杖を突き付けられたモットは皺を額に寄せる。

 所詮は名を語った学院の木端貴族。ここで始末しても夜盗に襲われたと言えば片がつく。そう思ったモットであったが、月明かりの照らすルイズの髪色を見て記憶の奥底が熱い熱を灯した。

 

「なにを馬鹿な事を……いや、まて。その桃色の髪はラ・ヴァリエールの高潔な証…! ええい、だが三女は魔法も使えぬ貴族の恥! そこの三人諸共ここで始末してしまえば、誰にも知られる事は無いッ! 衛兵、やれ!!」

 

 既に武器を構えていた兵士は、その言葉にジリジリと四人に近寄っていく。モットもウォーター・ウィップを出現させ、魔力を練り込んで周囲の水蒸気を己の力へ加算して行った。

 

「ふん。今更気がついたところで、おしゃべりな自分の口を恨むことね。……二人とも、協力してくれる?」

「あ……ええ。ちょっとびっくりしたけど、こう言う奴は流石に…ねぇ?」

「国際問題……ばれなきゃいい」

「そうね。意外と名言言うじゃない」

 

 ディアボロは聞かずとも、兵士達と同じように剣を抜いて対峙した。ルイズに視線を送り、もう一度彼女を高みの見物へと下がらせる。他の二人にもこれは啖呵を切ったルイズの代行者として…あわよくば、(ルーン)の実験をさせてくれと無言の圧力を発した。

 

「さっきも言ったが、試し切りには丁度よかろう」

「ええ。ただし殺さないでね。特に兵の人は」

「……面倒だが、命令ならば仕方あるまい」

 

 もっとも、ボスだった時代にはターゲットを部下に捉えさせ、自分が直々に制裁と言う名の虐殺を行っていたディアボロだ。ギーシュの時は青銅人形が相手だったが、今回の相手は鉄鎧と言っても中身入り。

 スタンドでは無く、デルフリンガーを抜いてディアボロは走った。

 

『いいねぇ、この気迫に溢れた感じっつぅのかぁ!? いいぜ相棒、俺を振るいな!!』

 

 血に飢えた妖刀の様に、ケタケタカタカタとデルフリンガーは笑う。剣が喋ったことにぎょっとした兵士達はその一瞬を突かれ、ただルイズの為に心を震わせていたディアボロの一撃を喰らって武器を失う。一瞬の交差の後、デルフリンガーが相手の獲物を完全に破壊したのだ。

 

『いってててぇッ! おい、いてぇぜ相棒ッ!』

「随分と格が上がったものだ」

『戦場においては剣は持ち主の相棒だぜ?』

「フン、それもそうか」

「や、やめろぉぉぉぉぉぉ!」

 

 丸腰の兵士達の叫びもむなしく、躊躇なく剣を振り切ったディアボロは続けざまにもう一人の兵士にも斬りかかった。接触の度に大きな金属音が響き、音響爆弾としての役割を果たした兜の中で兵士の意識は落ちて行った。

 事前に仲間を巻き込んでまで迫ろうとしていたモットの水の鞭は、余りにも早すぎるディアボロの行動に全く対応できず、弱い者いじめを繰り返したモットの動体視力は彼を追い切れる筈も無かった。よって、ほとんど停止していた隙だらけの相手に近づいたディアボロは、モットの背後で見下ろす様な瞳を向けた。

 ディアボロなりの、最後の配慮である。

 

「…………」

「な、わ…分かった。メイドは諦め、王宮にもお前達の事は言わない…いや、ミス・ヴァリエールに言わないでほしいとお願いしたい。私も確かに、節操がなかった。これからは心を入れ替えて――――」

「……ふん」

 

 その声で剣を下ろしたのだと思ったモットは、一気に後ろへ振り向いた。

 

「貴様らを本気で殺してやる!!」

「阿呆が」

「ガッ!?」

 

 確かにディアボロは剣を下ろしていた。だが、その鋭い手刀がモットの首筋を打ち、手加減も無く振り下ろされた一撃にモットは痛みを覚えながら泡を吐いてその場に崩れ落ちた。デルフリンガーの口金具を動かせるようにしたまま鞘へ納刀した彼は、つまらない遊戯だったと何処にでもいるような下衆に冷たい視線を突き刺した。

 

『かぁ~! これだぜコレッ。俺はこう言う感じで使われたかったんだよ!』

「丈夫さは問題ないようだな」

『オイ旦那、そりゃねぇよ……俺だって一応痛いとかあるんだっつの』

 

 こう文句を言うなら、何故あの時溶かしても良いなんて言ったのかは謎であるが、それでも満足したらしいデルフリンガーを完全に鞘におさめ、ディアボロはモットの襟を引きずってルイズ達の所へ歩いて行った。

 どしゃ、と投げ渡すなど乱暴な扱いをされるモット伯爵だったが、それでも目を覚まさないのはよほどディアボロの気絶させた手段が手荒だったからなのだろう。

 

「やっぱり最高よアナタ! ねえ、ダーリンって呼ばせて? いいえ呼ぶわね!」

「何言ってんのよアンタはッ! いい加減自制って言葉くらい覚え―――あ、無理よね。うん……それはともかく、お疲れ様。どうだった?」

「ウォーミングアップにはなっただろう。この便所のタンカスにも劣る奴はどうすればいい?」

「ええっと…あれタバサ。何してるの?」

「覚醒」

 

 そう言うと、タバサは倒れていた兵士をゆすって起こし上げた。最初は音響のせいでぼうっとしていた兵士たちだったが、次第にハッキリとして来た意識で気絶している自分達の主の姿を見やると、ぎょっと身をすくめていた。

 

「お、俺達はこれからどうなるんですか…?」

「別に? あんた達もコイツの片棒担ぐような奴なら一緒にしょっ引かれるでしょうけど、やましいことしたの?」

「い、いいえ。俺は単に門番やっているだけでした」

「俺もです……これから、使用人はどうなるんでしょう?」

「それにしては私達を殺そうとしたみたいだけど?」

「…天誅」

「ひ、ひぃぃいい!」

「ジョーダンよ、ジョーダン。それでルイズ、どうするの?」

 

 彼らも今後、自分達の生活が掛かっているからか、縋りつく様にルイズ達を見た。

 例え口封じだとしても、これほどの身分を持った相手を殺そうとした。貴族階級が二つも違い、更には王族に最も近い公爵家の者に手をかけようとした罪、そして後々に出てくるであろう数多の平民を道具として扱った証拠を上げられたモットは、間違いなく貴族をはく奪。そして死罪になるだろう。

 そうなれば、家族が居ないモット家は最小限の被害になるが、そこで働く使用人達は一気に職を失うこととなる。働いていたメイドも、心に大きな傷を作ったまま社会に放り出されることになるだろう。兵士が不安に想うのも、無理は無かった。

 

「学院で働くか…何処かの街で、雇ってもらうしかないわね。わたしはまだ学生の身だし、あんた達を全員迎え入れられるような領地も貰っていないの。わたし達を襲ったことに対しては…まぁ、悪いのはこいつだし見逃してあげる」

「そう、ですか」

 

 王宮の勅使という立場に加え、伯爵家と言うだけあってモットの元で働くのは非常に稼ぎが良かった。だが後ろ盾を失った今としては、健全に働いていた者たちは途方にくれるしかないだろう。その平民たちを助ける法律がないのが、このトリステイン。貴族の生活はきらびやかでも、平民はまったく重視されない現実である。

 二人の兵士に、とりあえずは屋敷に連れ帰って縛り上げておいて欲しいと言うと、兵士はシエスタを捕縛しようとしていたロープをモットに巻き付け、杖をルイズに折って貰った上で屋敷の方へと帰って行った。その様子を見届け、ルイズはすぐさまシエスタの元へ向かう。

 

「凄い汗…ちょっと、大丈夫?」

「あ……ルイズ様」

 

 碌に昼から食事もとっていない状態で走り続けたからか、汗がじっとりとシエスタの服に滲んでいる。最初正体がばれないようにと被りものをしていた事も、発汗させる原因だったのだろう。軽い脱水症状を起こしていた。

 

「こりゃちょっとヤバいわね。タバサ、お願いできる?」

「……コンデンセイション」

 

 ルイズが馬の鞍に付けていた水筒をタバサに向け、大気中から集まった水をためてシエスタに飲ませる。街の中ならともかく、木々が多いこの辺りなら水も清浄だろうと彼女の口へ水筒を運んだルイズは、シエスタへ確実に水を飲ませて行った。

 ある程度落ちついたと判断した頃、ようやく安堵の息を吐いた四人は眠ってしまったシエスタをディアボロの馬に同乗させ、再び帰路についていた。

 

「ねぇルイズ。貴女この子を随分気にかけてるみたいだけど」

「…友達、っていうか…秘密を共有した仲、かしら。どっちにしても大切な人よ」

「ふぅーん? ま、程々にしておかないとまた言われの無い噂流されるわよ」

「どうだって良いわ。本質を見極められない奴らに何言われても、正しい事が出来ればそれでいいの」

「あ、そ……」

 

 前なら慌てふためいていたであろう質問にも動じることなく、とんだ大捕り物だったわねとキュルケは一息ついた。結局自分が魔法を使って活躍する事は無かったが、殺さない相手に対して火の魔法は加減が利かない。だったら、今はまぁ大目に見てあげようと次の波乱に備えて楽しそうに考えを巡らせた。

 一方、寡黙な態度を崩さないタバサは先ほどのディアボロの動きに関して目を見張る。ギーシュとのお遊びとは比べ物にならない程、鋭い動きをしていた。そして剣を向けられ、戦いを強要されても動じない姿勢は、普通の平民が手にする感性では無い。どこか、秘密があるのだろうか。ルイズとシエスタ、そしてディアボロを見比べて予測を立てるが、タバサの納得いくような答えは出てこなかった。

 

 そして月夜が照らす道、彼らは学院へと到着する。

 

 

 

 キュルケとタバサを外に、これはトリステインの問題だからとルイズはディアボロ、シエスタを連れて学院長室に訪れていた。隣には秘書のミス・ロングビルが控えており、これから王宮へのモット伯についての処分についての文書を書きとめている。

 羽ペンの音が成る室内で、重々しく学院長オールド・オスマンが話し始めた。

 

「やれやれ、ようやっとあの若造も尻尾を出したか。後日、王宮が昨夜(ゆうべ)の水晶を使えばモット伯の凶行も終わりを告げるじゃろうな。偶然とはいえ、ご苦労。しかし……あまり利巧とは言えんよ。それは分かっておるじゃろう?」

「はい。ですがオールド・オスマン。彼はわたしの姉をも侮辱しました。未だ不明の病を抱える姉様を…!」

「最早モット伯には何も言えんわ。貴族の身内を遠方であれ侮辱し、更には公爵家へ喧嘩売るような発言かい。あの馬鹿め、尻尾出すときは全身見えとるではないか」

 

 まぁ、それでトリステインが綺麗になった。

 それで良しとするのだとオスマンは語る。

 

「ミス・ロングビル。出来たかの?」

「ええ。…オールド・オスマン、私も一応は女なのですから、夜分遅くに駆りだす様な真似は控えていただきたい」

「おお、そう言えば肌の具合が気になり始める年頃じゃぶぅぉ!?」

「あらあら、申し訳ありません。杖が滑って反回転しながら背中にささってしまわれましたわ」

「……あ、あの」

「ああミス・ヴァリエール。それから使い魔の貴方とメイドさんも、戻って構いませんよ」

「はぁ……」

 

 オスマンの醜態から目をそらそうとしながら、三人は外で待っていた二人と合流した。

 扉の向こうから聞こえてくる物音は幻聴だと思い込んで。

 

「どうだった?」

「証拠はそろってるから明日でまずは貴族剥奪らしいわ」

「まずは、ねぇ。あんなのが伯爵って、トリステイン大丈夫なの?」

「年々低下傾向よ。憂いばかりが未来ね、この国」

「ブリミルとやらに見捨てられたのではないか?」

「ディアボロさん。そ、そんな不敬な……」

 

 ディアボロとて聖書の神やらイエス・キリストを信仰していた身だ。とりあえずは住まわせてくれた神父の恩義として習っていたが、実際のところは宗教の穴ばかりが見えて信奉者と言うのはどうにも好きになれない。まぁ、この世界の者たちは唯一信仰なので仕方ないのかもしれないと割り切ってはいるが。

 少し気不味い空気の中、キュルケはあーあと自分の不完全燃焼を訴えた。

 

「とにかくまだ眠くないのよね。明日はまた休み入ってるし」

「ミス・ロングビルはともかくわたし達はまだまだイケるしね。…本塔の中庭あたりにでも行く? どうせ一日一緒に街歩いた仲だし、そこのタバサって奴の事も知っておきたいわ」

「だって。タバサは?」

「……別に構わない」

「寡黙ねぇ。何考えてるのか良く分かんないわ。あ、ディアボロは?」

「荷物がまだそこに在る。部屋で寝具を整えておいてやろう」

「分かったわ。じゃぁシエスタ、あんたは戻れたって言っても疲れてるでしょうし。今日は早く休みなさいよね」

「はい、ミス・ヴァリエール。ご厚意を受け取らせていただきます」

 

 本塔側の中庭へ行く生徒三人と、平民二人に別れた。

 シエスタと二人っきりになったディアボロは無言で荷物を掴むと、デルフリンガーを背負い直して部屋へ歩みを進める。それにならって彼女も使用人の部屋でゆっくり休もうと、足の疲労から感じる熱を重々しく感じながら彼の横を通り過ぎようとした時であった。

 ディアボロの腕から、金と赤に染められた異形の腕がシエスタの眼前に迫ったのだ。

 

「きゃっ…!」

 

 突然の脅威に彼女は短い悲鳴を上げる。しかし、殴りかかった手はまさしく直前で停止し、ディアボロの中へと戻っていった。

 

「やはりか。スタンド使いは惹かれ合う…変わらんらしいな」

 

 忌々しげに吐き捨てたディアボロは、夜の闇の中へと溶け込んで行く。

 去り際、シエスタは彼の声を聞きとっていた。

 

 ―――いずれ話してもらうぞ。

「……はい。でもやっぱり…スタンド、だったんですね」

 

 彼の過去を思い返し、シエスタは共有できる秘密に笑みを浮かべた。

 




書いててお見ましたが、シエスタの逃走中は微妙に戦闘しちゃいましたかね?
それにしてもポコロコのスタンドは描写が難しい。何が「幸運」でどう作用すれば「幸運に見える」のかが書きにくいです。どれだけ難しいか例えて言うなら、イカが工事現場で夜遅くまで作業チェックするぐらい。
あと、字数少なくなってすみません。

さぁ、いよいよフーケ編入っていきます。途中まで原作沿いですが、徐々にオリジナル加えていく予定です。それまでの僅かな変化をお楽しみください。

現在活動報告でアンケートを行っております。興味のある方は其方へどうぞ。


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8・23追記
文章を一部校正しました。
『内容』誤字修正+一部文章書き足し


「ふうん、ガリアの方から来たんだ」

「国外留学ってこともあって、年は貴方よりも一つ下になるらしいわ」

「そっちの親はどんな考えでこっちに送ったの?」

「……気まぐれ」

「気まぐれって…えぇー? そういうもので良いの?」

「あんまり詮索しないでもいいんじゃない? 問題起こしたってわけでもないのにねぇ」

「珍しいわね、他の奴なら根掘り葉掘り聞こうとするツェルプストーが止めるなんて。気にいってるの?」

 

 ルイズがそう尋ねれば、無駄に豊満な胸を張ってキュルケは哂った。

 

「自慢の親友よ。アンタとは違って風のトライアングルだから優秀だし」

「ああ、そう…そりゃ良かったわね……」

「……やっぱり、彼が来てからアナタ変わったわ。余裕って言うか、前までなら私と話すことすらしようとしなかったじゃない」

「無駄なエネルギー使うのに疲れただけよ。そう言う分では、このタバサって子の方が一番楽な生き方かもしれないわね」

「そうでもない」

「あら…それは悪かったわ」

 

 ルイズは、少しばかり感情の見えないタバサの声色に多少の黒色を感じ取る。感じ慣れた後ろめたい感情を察知するのはお手の物だが、こういうのは処世術にも使えるかしらと一考した。

 

「それはともかく、貴女魔法の練習はしてるの?」

「昨日もやってたわよ。あんたが放り投げた男ども照らして確認しようとライト使ったわ。相も変わらず杖の先で小規模な爆発が起きたけどっ」

「コモン・マジックでも失敗するのね。…ああ、錬金でもアレなら仕方ないかしら」

「そろそろ人をおちょくるのもいい加減にしときなさいよツェルプストー」

「そう言う反応を見るのが面白いんじゃない。分かってないわねぇ」

「キュルケ、悪趣味」

「ほら、親友にも馬鹿にされてるじゃないの。ちょっとは改めなさい」

「そう言われても簡単に――――」

 

 キュルケが言い切る前に、地面が揺れて轟音が鳴り響いた。

 本塔の中庭あたりで話していた三人は、その正体を確かめようとして巨大な土ゴーレムの姿を目撃する。ボロボロと土の欠片を撒き散らしながらも、地面から己の体を延々と作っては零していく様は言いようも無い気味の悪さが目立っていた。更に悪いことには、それは学院の宝物庫を殴りつけているではないか。

 

「ど、泥棒ぉ…!? 学院に直で侵入してくるなんて……」

「もしかして、街で噂になってた土くれのフーケじゃないの?」

「シルフィード。……二人とも、乗って」

 

 とにかくこの場所に留まっていれば、殴る度に雪崩れおちてくる土の破片に埋められてしまう。そう判断したタバサは口笛を吹いて己の使い魔である風竜を呼びだすと、二人まとめて背中に乗せた。子供とは言え三人分の重量はそれなりのものであるが、タバサの風竜はものともせずに離陸する。土の欠片が視界を遮る中、何とか上空に逃れた三人と一匹は闇夜に紛れた暗い色合いのゴーレムを観察していた。

 

「これ、大きいわね。少なくともトライアングルクラスのメイジよ」

「…本当に貴女冷静になったわね。それで、どうするの?」

「ディアボロから教えて貰ったけど、爆発って発掘作業の時なんかに通路を確保するために使うらしいわ。火薬を混ぜた物にカガクハンノーって物を起こさせるみたい」

「それがどうしたってのよ……」

「まあ早い話が――――こうして見るのよッ!!」

 

 ルイズは己の杖を取り出し、ゴーレムに向かって突き出すように杖を振るった。

 

錬金(・・)ッ!」

 

 一度作り出されたゴーレムは、同じ土メイジかつ実力が相手よりも上でなければ支配権を握る、もしくはゴーレム自体に変化系の魔法で崩すといったことは不可能である。そんな常識があるからこそ、ゼロでしかないルイズが錬金を掛けた瞬間、何をするのかと思ったキュルケは驚愕と疑問の声を上げようとした。だが、それは続く爆音によって掻き消されることになった。

 ゴーレムの殴ろうと上げられた腕の辺りが、爆音と共に破裂する。動きにそこまでの支障はなさそうに見えるが、ルイズは冷静に錬金の呪文を紡いで第二射を放つ。続けてもう片方の拳を狙った魔法は収束地点を違え、ルイズはアッと声を上げる。

 

「あ、間違えた!?」

「ちょっと!?」

 

 キュルケの罵倒もむなしく、学院の宝物庫の壁にぶち当たった爆発は、表面の瓦礫を吹き飛ばすほどの威力を見せつけた。その際に小さな罅が入ったのだが、ゴーレムはこれ幸いとその地点に向けて無事だった拳を殴りつける。それによって完全に壁を崩落させた事で目的は達せられたのか、ほんの数秒ばかりゴーレムは巨大な置き物となって動かなかった。

 

「宝、盗まれてる」

 

 ゴーレムの不気味な行動に目を取られてルイズ達は固まっていたが、タバサの一言でこの相手が「土くれのフーケ」ではないかと言う事を思い出し、そのフーケの職業が泥棒で合ったことに辿り着く。しかしその予想が立てられた瞬間にゴーレムは活動を再開し、学院をまたぐ巨大な壁をものともせずに乗り越えて消えて行った。

 トライアングルクラスだけでも手に負えないのに、巷を騒がせる程のあれだけのゴーレムを操る実力者だ。実戦経験などほとんどないキュルケやルイズ、そして実戦を知っているタバサはとにかく手出しはしない方が良いだろうとそのゴーレムを見逃す。突如としてぐしゃりと魔法の効力を失った土の塊を見届け、再び訪れた夜の沈黙に三人は口を開く事は出来なかった。

 

「してやられた」

「…そう、ね。あー……トリステインに貢献したと思ったその日には学院で厄介事の原因になるなんてね。失敗魔法使わなきゃ盗まれることも無かったかもしれないのに……」

「そうそうアナタのせいよー? 土のスクウェアが態々張ってくれた固定化の魔法駄目にしちゃうなんてね」

「駄目押し出来る場所見つけた途端にソレ!? あんたは意地汚いったら、もう!」

 

 ギャアギャアと生まれたての飛竜のように騒ぎ立てていた二人だったが、そのうち目の前で起こった現実に引き戻されてしまう。微妙な静けさの前に二人揃って深いため息を吐くと、学院長室へ向かう足を進めるのであった。

 

 

 

 翌朝、教師達の喧騒が学院の一角で巻き起こっていた。それはルイズの爆発以外の真実を報告した内容によるもので、オスマンが各教師達に招集を呼びかけていたからである。見事なまでに拳の形に崩壊した宝物庫の壁を取り囲みながら、教師は誰に責任を掛けるかと言う事で白熱した議論を交わしている。宝物庫の当直であったミセス・シュヴルーズが全責任を負うべきだと誰かが声を張り上げている一方で、そんな喧騒に参加しなかった三人の人間が食堂裏の休憩所で話しあっていた。

 

「いつもお疲れ様です、お二方。お茶を淹れておきましたよ」

「おお、復帰早々すまねえなあ。よう我らが代弁者、シエスタのために一肌脱いだって話じゃねぇか。毎度のことながらありがとうよ」

「斬ったのは剣程度に過ぎん。それよりもこのわたし(・・・)が貴様らの代表であるかのように扱うな。うっとおしいぞ」

「そりゃあ残念。……ん? ディアボロさんよ、オマエ自分の呼び方違ってなかったか?」

「む? …ああ、それもそうだな。貴様らにはあまり素を見せんようにと思ったまでだ。気に喰わずとも意見を聞き入れたりはせん」

『か~っ! 傍若無人だなぁ、旦那ァ。んでもって素直じゃねぇったらありゃしねぇ』

「あ、デルフリンガー様。他の方が驚かれるので声量は落として下さい…」

『おっとと、こりゃ失敬。いたずらに驚かせるより斬る方が剣らしいわな』

 

 カチカチと柄の上に在る金具を鳴らしていた喋る魔剣は、ディアボロが無言で押し込めることにより強制的に口を閉ざされた。マルトーはと言えば、デルフリンガーの事を知って以来、どこか近寄りがたい雰囲気のあるディアボロ相手に気楽に話せる仲介役という事で、何かと魔剣の同行を強要したのが一時間前の会話内容だ。

 そうした平和なモーニング・タイム。馬鹿らしいほどに火薬や赤血球の鉄錆びた匂いも無い世界に浸ること数十分後、学院の騒がしさを原因とした場所から訪れた使者が何かと物騒な剣幕でディアボロに近づいてきた。

 

「ディアボロ、いる? 盗賊退治の時間よ!」

「……シエスタ、茶は片付けておけ」

 

 ドスドスと圧倒的な存在感を放ちながら、謳い上げるように従者へ命を下すのだ。

 

 

 

「それで、今回はまたどんな厄介事を引っ張って来た?」

 

 嫌そうな声色ながらも、表情は一切変わらず淡々と出かける支度をするディアボロの言葉に、ルイズは苦虫を噛み潰して飲み込んだような表情を隠さずに言い放った。

 

「どんなも何も、盗賊退治よ盗賊退治! まったくもうっ、最近の貴族ときたら背中を見せてばかりで巨悪や壁ってヤツに立ち向かおうともしないなんて―――信じられないったら!」

「落ちつけ……激昂するんじゃあない。程度が知れるぞっ」

「ああ、もう。本当だわ、まったく」

「話にもならんな……」

 

 口ではそれらしい事を返しながらも、随分とディアボロの主―――ルイズ・フランソワーズはご立腹らしい。曖昧にも己の怒り具合を見せつけんとあーだのこーだの、この現在の貴族に対して不満の言葉を吐き散らかしている。

 まったくもって無駄なことだとは思いながらも、無駄無駄、と言いつつ相手を無効化する宿敵を思い浮かべてしまうのはディアボロが恐怖や畏怖を忘れない人間だからであろう。記憶の地面の底から這い出してきたミミズどもを蹴散らしながら――後でちぎった所から増える事を知っていて――ディアボロは考えを振り払っていた。

 さて、どうしたものかとデルフリンガーの鞘と、ある程度の水分を確保したディアボロは目を伏せる。いい加減ルイズに元に戻って貰わねば、これから行くであろう任務の内容を聞く事は出来ないからだ。正直馬鹿らしいとは思いつつも、完全に周りが見えていない彼女に向かってディアボロのスタンドが現れたと思ったその時には、既にデコピンは放たれていたッ!

 

「痛ッ!? ちょ、こ、これ…ビリって……ビリッときた……!」

「マヌケが。落ちついたか?」

「まぁ、お、落ちついたわよ…痛い……」

 

 背後にスタンドの腕を浮かばせながら聞き返す彼に怯えながらも、ルイズは何とか平静を取り戻した。直後に外へ行くためのミス・ロングビルが操る馬車に乗せられ、ディアボロはキュルケやタバサとの再会を果たす。

 

「おい、ますますもって分からんぞ。何がどうなっていると言うのだ」

「盗賊退治」

「タバサ、彼は説明されてないみたいだからそれだけじゃ分からないわよ。どうせアレだけ我を忘れてたヴァリエールの説明不足でしょうに」

「その通りだけどもっ! …ああ、もう。せっかく自制できるようになったと思ってきた所でこれよ。ホントにやんなっちゃうわ」

 

 項垂れたルイズは最早再起不能にも見える。全員が乗り込んだ後、馬車が発信する中でツンツンとタバサが杖の端でつついている情けない主の姿があったが、それを視界から追いやって、ようやくまともな説明をくれるであろうキュルケへとディアボロが向き直った。

 

「あはん」

「……」

「ちょ、ちょっと冗談ですわよ!? えー、コホン。……まぁ、早い話が昨日の夜に街を騒がす大泥棒“土くれのフーケ”が学院の宝物庫を襲撃してね、まんまとあたし達の眼前で持って行かれたのを朝方、教師達で取り返そうって話になっていたのよね」

「それはそれは、説明御苦労だミス・ツェルプストー。……結果(・・)こうなっている(・・・・・・・)時点で、話の行く末は理解できたがな」

 

 ふぅ、と息を吐きだすディアボロはどこか悟った様な印象を受けた。それもその筈、ギャングのボスとして君臨していた時、そんな不祥事が起きた際にクズどもがどう動くかなど目が乾くほどに見て来たからである。

 どの世界に行っても、人間は変わらない。シエスタやルイズを見て浮かび上がっていた気分は現実に浸食され、ディアボロは生きて行くことのむずかしさをまた一つ知ったのであった。

 

「トリステイン貴族にはさぞや耳の痛い話でしょうねー」

「……わたしだって信じられないわよ。トリステインが誇る大魔法学院の教師がまさか、生徒の目の前で責任のなすりつけ合いをするなんてね! いつも最強を謳っているミスタ・ギトーはどうしたっていうの? 風のスクウェアが聞いて呆れるわよっ!」

「……あの、ミス・ヴァリエール? わたくしもいることをお忘れなく…」

「あ、すみませんミス・ロングビル。貴女に言った訳では無いんです」

 

 馬の御者(ぎょしゃ)をしている女性はどこか気まずそうに言った所で、ディアボロは初めて手綱を握っている彼女の存在に気がついた。あまりに黙々と進んでいたので人形か何かだと思い込んでいたのである。

 

「…む? 誰だ」

「貴方が決闘騒ぎを起こしたミスタ・ディアボロ」

「そう言う貴様はロングビルと言ったか」

 

 しばし空白の時が訪れる。

 ロングビルは眼鏡をくっと押し上げながら、ふわりと笑みを見せた。

 

「どうしてここに、と仰りたいのでしょう? 生徒たちの安全のため、お目付役と言うのもありますが…わたくしは朝一に逃げるフーケを目撃していまして。そのことから勇気ある生徒達の案内役を仰せつかっております」

「案内役か。ちなみに聞いておくが、どれだけかかる場所だ?」

「それにはあたしがお答えしますわ、ミスタ。片道四時間ほどらしいですわね」

「あら、台詞を取られてしまいました」

「……四時間? ああ、そうか。もう一つ聞かせて貰いたいが、盗まれたのはどう言った代物だ」

 

 なんせ、取り返すとはいってもどのような物か分からなければ取り返しようも無い。そう言って肩を竦めて鼻で笑ったディアボロの隣で、ようやく負のループから抜け出せたルイズが復活する。せめて会話の輪には入ろうと、また出しゃばろうとしたキュルケを差し押さえて言葉を挟んだ。

 

「ああ、盗品の事? わたしもよくは知らないけど、“破壊の杖”っていう物らしいわ。ミス・ロンビル、あなた詳しくはご存じない?」

「私もそう詳しくはありませんが…(ワンド)と言うには大きく、筒の様な形で(ロッド)ほどの長さがあると聞き及んでいます。学院長が言うにはワイバーンすら一撃で葬る力を持っているとか……」

「あのワイバーンを!? トリステインはそんな恐ろしい物を持っていたって言うの?」

「ああ、いえ、勘違いなさっているようですが…オールド・オスマンにとって恩人の形見らしく、使うつもりは無かったとだけ言って昔語りは終わってしまいましたのでそれ以上は……」

 

 早口に言い切ったロングビルはそこで言葉を区切った。それ以上の話を知らなかった、と言うのもあるのだが、何よりディアボロから突き刺さる視線があったからだ。それは実にさりげなく、顔の横をかすめて飛んで行く小鳥の様な感覚。しかし込められた感情は用心深い鷹よりも鋭いもの。

 こうも訝しげな視線を向けられる理由はまだ出していない(・・・・・・・・)。だというのに、何故こうもこの使い魔は――?

 

「フン」

「………………ふぅ」

 

 誰にも聞こえないように小さく息を吐き、ロングビルは手綱を握り直した。

 ディアボロもそうだが、先ほどから会話に参加しようともしない青髪の少女を不気味に思いながら、思惑の交差した馬車は目的地へと向かって行くのであった。

 

 

 

 到着、それと同時に狭くなった道を徒歩で歩くフーケ討伐隊が練り歩く。薄暗さと時折響く野生動物の声が何とも人間の恐怖感と言う物を揺り起こすのだが、ある程度道中で鬱憤を吐き散らしたルイズと、その使い魔であるディアボロは自然体で歩を進めていた。

 

「お化けでも出そうな雰囲気ね。まぁ昼間だから出た所で日の光があるんだけど」

「……お化け」

「ちょっと止めなさいよルイズ。そう言う事は思っても口に出さない者でしょうに」

「―――見えてきました、あの小屋がフーケの今の根城だと言うことらしいです」

 

 会話のさなか、ロングビルの指が示す方向に一団の視線が集中する。しかし、ソレはどう見ても人が住んでいた形跡もクソも無い廃屋だ。今にも朽ち果てそうな場所に住むモノ好きなんているのだろうか? 流石の盗賊と言えど、家の崩落に巻き込まれればお得意の足が駄目になる可能性があるというのに。

 

「“破壊の杖”があるから、焼き払うのはもっての他よねぇ。しかも周りは森だし…あたしがついてきた意味あったのかしら?」

「そうでもない。森の木々は生きて水を吸い上げている上に、こうまで湿気が多くてはちょっとやそっとでは燃え広がる事は無いだろう。いざとなれば主犯もろとも盗品を焼き尽くせば無駄な労力も必要あるまい」

「あ、あの…オールド・オスマンの恩人の品と言う事でここは一つ……」

 

 焦ったように声を出したロングビルを一瞥すると、ディアボロはルイズに視線を回した。いの一番に引き受けた彼女に決定権を譲ると言う意味を込めたものである。受け取ったルイズは一つ頷くと、タバサに先行を譲る様に言った。

 

「私?」

「あんたちっこいし、キュルケみたいに無駄な脂肪も無いから小屋の床を踏みぬくなんてヘマも無いでしょうしね。いざとなったらお得意のトライアングルスペルで切り抜けてみなさい。わたしが持てない力ってのを見せて貰うわ」

「分かった」

「ちょ、ちょっとヴァリエール!? あんた何言って……」

「どうせこの子、実戦経験豊富って奴でしょ。じゃなきゃ幾ら才能あるからってわたしより一つ下でトライアングル。しかもシュヴァリエなんてヤツはいるわけないわよ。ま……そう言う事だから、お任せするわ」

 

 ルイズの指示は作戦でもあり、彼女に信用をおいたことの表れでもある。込められた意図に気付いたタバサは一つ頷くと、杖を握りしめて小屋の中へと入って行く。残り四名が待ちの体勢になったところで、ここは教師としての役目だと言ってロングビルが周囲の偵察に行ってしまった。

 三方向をキュルケ、ディアボロ、ルイズが見張って待つこと数分。タバサは自分が持っている杖よりもずっと大きな筒状の物を抱え、三人の元へ戻って来た。抱えたモノを見せつけるように抱き上げながら、小さな声で事実を言う。

 

「破壊の杖」

「…これが? 杖、に見えなくも無いけど…ここが持ち手かしら?」

「ほう……これが破壊の杖とはな。言い得て妙とは思わんでも無いが」

「ディアボロ、知ってるの?」

 

 その問いを返そうとした時、異変は起こった。

 昨夜三人娘が見た巨大なゴーレムが突如出現し、四人の上から拳の形をした影を落としたのだ。迫る影に気付いたルイズは一瞬でディアボロと視線を合わせて大きく叫ぶ。

 

「避けるわよっ!」

「きゃぁぁぁあ!?」

 

 悲鳴を上げるキュルケをディアボロが抱え、片手でデルフリンガーの柄に触った彼は一瞬でその場から飛び退いた。ルイズは再び錬金の呪文を唱えると、とっさの判断で爆風に身をまかせながらタバサを抱きかかえながらその場から離れる。その直後、爆発でいくらか軽量化した土の拳が地面と接触。決して小さくは無い揺れを残し、再び振り上げられることになった。

 

「やはりな、ようやく尻尾を出したか」

「な、何よ…? フーケはあたし達が来るのが分かっていたって言うの!?」

 

 キュルケの叫びに対する返答だと言わんばかりに、続けざまにもう一方のゴーレムの拳が振り下ろされる。ルイズ達の方向へキュルケを抱えて移動したディアボロは、デルフリンガーの刃を完全に引き抜いて片手に構えた。彼の巨体とデルフリンガーの刀身の長さは妙にバランスが取れており、その形が正しいと言わんばかりに彼の戦闘準備が整えられる。

 

「一旦退却」

 

 破壊の杖を抱えたタバサが口笛を吹くと、いつぞやの風竜・シルフィードが現れる。すぐさま竜の背に飛び乗った彼女に続き、キュルケが竜に乗った所でディアボロは声を発した。

 

「ルイズ、貴様もいけ」

「…せめて誘導ぐらいはするわ」

「貴様が潰されればこのオレが恩を返す相手が居なくなるだろう」

「ふん、それで(・・・)? あんたはわたしがやられると(・・・・・)思っているの(・・・・・・)?」

 

 自暴でも何でもない。勝算があると言わんばかりの態度にディアボロは妙な場所で気に喰わんやつだと視線を反らした。

 

「好きにしろッ。ただし死ぬことは許さんぞ……」

「…乗らないの!?」

「そう言う事よ。あんた達は上空から支援攻撃でもお願い」

「もう、知らないからっ!」

 

 場の空気を読んだタバサがシルフィードを飛翔させ、ゴーレムの射程圏外から逃れた。そんな風竜という大きな的になっているタバサ達を狙ったのか、一瞬遅れてゴーレムの拳が叩きこまれる。土煙に桃色の髪をなびかせながら、脅威に向かい合う主従は竦むことなく立ち向かっていた。

 

「首謀者は誰か分かる?」

「話の初めから目星はついていたが、昨日の貴族と同じだ。尻尾を出した所を握りつぶして叩く。ルイズ、ロングビルが出てきた場合警戒を怠るな」

「ああ、この騒ぎで出てこないんだもんね、っと―――!?」

「ふんっ」

 

 ルイズを抱え込むと、ディアボロは再び飛んだ。別の場所に彼女を下ろしたディアボロは、まったくもって遊戯にも及ばないこの茶番に対して辟易とした感情を併せ持つ。土埃ばかりが舞う場所など自分にとって相応しくない。それどころか、これは貴族であるルイズや帝王である自分に対しての不遜の極みであるとディアボロは負の感情を渦巻かせた。

 

『おっ、いいね相棒。昨日よりも心が震えてらぁ』

「心…?」

『おっといけねぇ、疑問何ざ振り払っちまいな。ドス黒い相棒の心は最高の力の塊なんだぜ? そのまま激情に任せて俺を振るってくれやっ!』

「なにかよくわからんが―――まぁいい。くらえッ!」

 

 イライラを発散するように、魔剣デルフリンガーが振るわれる。一見ただの鉄の直剣にしか見えないソレは、圧倒的なまでの威力を以ってゴーレムの下部に接触、後に切断という結果が残された。刃の長さが圧倒的に足りていないと言うのに、まさかの御業に対応できる手段などこの木偶が持ち合せている筈がない。重力に従って切断された箇所から倒木の様に倒れて行く所を、メイジ達の張り上げる声と共に狙い撃ちを受けることになっていた。

 

「錬金!」

「ファイアーボール!」

「ウィンディ・アイシクル」

 

 頭部や胸部に当たる箇所を魔法で吹き飛ばされたゴーレムは、まだ指の辺りをガクガクと動かしながらも地面の土を利用して再び立ち上がった。土くれとは、錬金の手間を省いた究極のスタミナを表す異名らしい。アレだけ体積を浪費させたにもかかわらず、土そのものを吸い上げて無限に再生するこの土人形は疲れと言う物を知らないらしい。初めて襲ってきた時と同じ姿を取り戻したゴーレムは拳を握りこむと、厄介だと判断したディアボロの方向に腕を薙ぎ払ってきた。

 しかしそれも避けられる。このゴーレム、巨大な見た目と図体の通りに動きが非常に遅いのだ。予備動作という名の隙も大きく、小さな人間を襲うには余りにも不向きだと言っても良いだろう。こう言う自分よりも大きな物を見せて人の恐怖心をあおったりするのならば適任だろうが、戦いに恐れを抱かない人間からしてみれば案山子にも劣る出来だと言わざるを得ない。

 ディアボロは再びの薙ぎ払いをジャンプして避け、近くにあった木の幹を蹴ってゴーレムへと接敵する。ディアボロを捕まえようとしたゴーレムの土腕を足場にし、頭に流れ込む最適な方法で振りぬいたデルフリンガーが接触する瞬間、ほんの一瞬だけキング・クリムゾンの拳が出現した。石畳の床すら崩落に追い込む最強の拳は、ゴーレムにとてつもない衝撃を与えて刃の一撃を通り易くする道を敷いた。既に崩壊は目前! ディアボロはデルフリンガーを一文字に構えた。

 

「ぬぅんっ!!」

「ファイアーボールッ!!」

 

 更に前進したディアボロがゴーレムの腹を突き破りながら、ただの一閃にしてその身を散らしたゴーレムはルイズによる追撃の爆発を受け、切り落とされた上半身を完全なる塵と化して地に降り注ぐ末路を辿る。再び起き上がる気配が見えないことから再起不能だと判断したディアボロは、デルフリンガーを半分だけ納刀してルイズと合流した。

 

「狙いはつく様になったわ。それより、使ったのね」

「コイツ一振りで切ったように見せかけるパフォーマンスだ。観客(カリエンテ)は決定済みだ」

「ちょっとちょっとぉ! 凄いじゃないあんた達っ!!」

 

 興奮した様な声が空から降って来て、タバサの風竜が地面に降り立った。

 背中から乗り出したキュルケはディアボロの大立ち回りを見た事で、元から高いテンションが振り切っているようだ。

 

「今のどうやったの? こう、剣でスパッて切り抜けてゴーレムを正面から抜き去って行く……すっごく格好よかったわよ!」

「ああハイハイ、ってあんたこう言うの好きだっけ?」

「好きも何も…強くて格好いい男はあたしのものよ! 決まってるじゃない!」

「いつもの病気」

「ああ、なるほどね」

 

 ほとんど難なく、と言っても良いほどにゴーレムの襲来を切り抜けた一行はどこか戦争に勝った後のムードを漂わせていた。しかし待てどもロングビルが現れる気配は無い。

 ゴーレムを破壊する際、再生を停めるには術者の精神力切れか魔法の核となる部分ごと原型すら無くすように消滅させる方法が一般的に知られている。前者の場合は術者は非常に危険な状態になる事が多く、戦争で命を落とす土のメイジはゴーレムや仲間を守るための壁を作るために精神力を使い果たした所を狙われるとも言われるほどだ。

 故に、土くれのフーケ候補であるロングビルが現れないのはルイズとディアボロにとっては確信に至るには十分な理由となった。しかし宝を置いて姿を現さないと言う事は何かがおかしい。ルイズが疑問を持ったその時、ディアボロは既に彼女に対して視線を向けていた。

 

「ああ、そう言う事」

 

 小さく呟いたルイズはタバサに近寄る。

 

「ねぇディアボロ、さっきは破壊の杖を知っている様な口ぶりだったけど…これって何か知ってるわけ? あなたの居たところにもこれと同じものがあったとか?」

「その通りだ。これはここで言う魔法のような破壊を生みだす物体で、杖ではなく銃の延長に当たる代物と言えるだろう」

「銃ぅ~? ワイバーンを一撃って言う凄い杖が、銃と同じですって!? あんなに意味の無い武器モドキがこれと一緒だなんて…オールド・オスマンはあたしたちをからかっていらっしゃったのかしら」

「同感。とてもそうは見えない」

 

 ここ、ハルケギニアでは銃という武器そのものが研究段階であり、完成品は貴族たちの笑い話として全土に広がっている程のものだ。曰く、銃弾は火メイジに近寄る前に溶かされ、風メイジによって吹き飛ばされる。銃そのものは土メイジに容易く錬金されてしまい、水メイジによって打てない状態に追い込まれる。

 そんな四大属性全てに劣るものだと、ディアボロが言ったのだからこう言う反応も仕方のないことである。だがルイズだけは、ディアボロの住んでいた世界との意見交換によって「ディアボロの言う銃」がどれだけ恐ろしいものか見当がついていた。

 

「貴様らは……そう、ルイズの爆発が…教室の一角を吹き飛ばしたのを貴様らは見た事があるな? あれの数十倍の威力を発揮するものがこれに詰まっている。吐き出されるのは弾ではなく火薬の塊の様なものだ」

「火薬を吐きだす…? でも、せいぜい十メイル程度しか飛ばないんでしょ?」

「それどころか百メイル以上は確実であろう」

「ひゃ、百メイル…!」

「それで、どう使うのよ?」

 

 意地悪気な笑みを浮かべたルイズの表情は、事前に知らされた物以外では「そんな嘘がまかり通るとでも?」と言った風に見える事だろう。しかしっ! ディアボロとの無言の打ち合せによって最も「聞かせておく」言葉をルイズは引きだしたのである。

 ディアボロは表情を変えずに、淡々と「説明」するように言い放った。

 

「このスコープを開き、十字の中心に破壊対象を据えて引き金を引くだけだ。ちょっとした手順は必要だが、それだけでこの世界で言う平民でも屋敷の一つは粉々に破壊可能だ」

「…意外」

「そんなに…?」

「ああ、そうだともルイズよ……。わたし(・・・)の言葉に嘘はあったか?」

「ええ……そう、無かったわね(・・・・・)

 

 まったくもって、嘘偽りなどどこにもない(・・・・・・)

 そう嘯いたルイズ達の下に、息を切らしたロングビルが姿を現した。今ここまで全力で走って来たと言わんばかりに汗をかき、膝に手をついて肩で息をする始末だ。自慢の美貌も汗で化粧が少しばかり崩れてしまっている。

 

「おや、どうしたのだミス・ロングビル」

「み、皆さんの居る方向からかなり離れていたようでして……すみません、あのゴーレムは何とか退治したみたいですが、教師のわたくしが傍に居られないだなんて……」

「気にする事はありません。わたしたちは現に、怪我一つ負っていないんです。それどころか、あの場の教師達と違ってここまで背中を向けない(・・・・・・・)貴女は、とても立派だと言えます」

「…それもそうね、ギトーなんかと比べるとミス・ロングビルはご立派ですわ」

 

 キュルケが同調するように頷くと、ロングビルは華の様な笑顔を咲かせた。

 

「ああ、そうだタバサ。ちゃんと破壊の杖をミス・ロングビルに渡しておきましょう」

「破壊の杖、取り戻した」

「…ええ、聞き及んでいた特徴と一致しております。フーケが捕まえられなかったのは残念ですが、良くやりましたね皆さん」

 

 タバサから大事そうに受け取った彼女は、片手を持ちやすい様トリガーの方に掛け、もう片方の腕で抱えるようにして確認していた。ロングビルの慰労の言葉に頷き、ルイズは帰還を促す旨を伝える。

 

「ありがとうございます、ミス・ロングビル。早く学院に戻って学院長に報告しましょう」

「ええ――――そうは、させないけどねぇ……!」

 

 なんだ、と皆がロングビルを見た瞬間、豹変する。

 学院の教師の中でも屈指の美貌と呼ばれていた顔は鋭い笑みにかき消され、妖しさを醸し出す妙齢の女性としてのミステリアスさがにじみ出るようになった。片手に在る杖はしっかりと彼女に握られ、高速かつ正確に唱えられたルーンが近場の精霊達に魔法行使を呼び掛ける―――!

 

「アース・ハンド」

「むぅぐ……」

「なっ―――」

 

 ギーシュでさえ、花弁から土の手を錬成する事が出来ていた。ともすれば、トライアングルクラスのメイジが同質の呪文を使えばどうなる? その答えが、アース・ハンドによって両手両足、そして呪文詠唱が必要な口を防がれた四人の姿である。

 身動きなど取れようも無い蓑虫の様に捕らわれ、抵抗する手段を完全に失っているのだろうと判断した下手人は、彼らの反抗的な表情からああ、と何でも無い様に言い放った。

 

「おや、ゴーレムの制御で魔力を使い果たしたんじゃないのかって顔してるねぇ…?」

「―――!」

「そうそう生き急がなくともいいじゃないか。まぁ、ペース配分ってヤツ? 天下の大泥棒が引き際を見誤るなんてありえないだろうに、ねぇ……? 引き際を知り、決して捕まらないから大泥棒は名が売れるんだよ」

「ご、おぉぉ―――ッ」

「おっと、させないさ。アンタは何よりも不安要素だったからね」

『旦那ァッ!』

 

 相手の杖がさっと振られる。ディアボロの手に握られていたデルフリンガーが新たなアースハンドに弾き飛ばされ、近場の地面に突き刺さる。手を伸ばせば届きそうな位置にあるが、まずその動きそのものをロングビル…いや、「土くれのフーケ」の魔法が彼らの体を拘束してしまっているのだ。剣を取り戻そうにも動かすことが不可能。絶体絶命のピンチ、と言う状況だ。

 フーケはニヤニヤとしながら、手に持っている「破壊の杖」を弄り始めた。

 

「確か、この十字の半透明な板を起こしてアンタらに照準、そして引き金を引くんだったねぇ。ワイバーンをも殺したってぇ箔が嘘じゃないか、アンタらを使って試させてもらうとするよ」

 

 哂うフーケに、慈悲と言うものは全く存在しない。彼女はこうして傷つく者がいると分かっているからこそ盗賊家業を続けており、それで死人が出ようともディアボロのように何とも心に痛みを感じる事も無い。どんな理由を抱えていようとも、世間一般で言う「悪」に属する人種であることは間違いない。

 彼女はその破壊の杖にどれだけの値段がつくか、皮算用を思い浮かべながらに引き金を―――引き絞った!

 

「……あ?」

 

 だが不発ッ! この隙を逃さずディアボロが動く!

 

「オオオオオオオオ―――――ッ!」

 

 引き金が重く沈みきらず、弾が出ない事をいぶかしみ、調べようと視線を外した瞬間にディアボロからスタンド「キング・クリムゾン」が土の拘束を破壊しながら出現。スタンドの足を纏わせ、ルーンの効力を発揮した際にも匹敵する速度を以ってフーケへ突撃する! 次の瞬間、彼女の腹には容赦ない拳の一撃を沈め込まれていた。

 

「か、はぁっ……!」

 

 インパクトの瞬間、次いでその直後の余韻。全身を余すことなく駆け巡った痛みと言う電気信号にフーケの脳内がかき乱され、拳に詰め込まれた慣性の力が体を浮かせて吹き飛ばす。衝撃の全てを受けとったフーケは地面と平行になりながら殴った方向へ飛び、一本の木に背中をしたたかに打ちつける事で泡を吹いてその意識を落とした。

 同時に魔法の効力が無くなり、ただの土となったアース・ハンドの残骸をルイズ達が振り払う。白目をむいて気絶しているフーケにタバサが手慣れた様子で捕縛用の縄を結ぶと、気絶している盗賊を担ぎあげた。

 

「フーケ、いやロングビル……貴様の案内(・・)御苦労だった。任務はこれにて終了だな」

 

 

 

 フーケは警備の者に引き渡され、功績を残した一行は学院長室に呼び出されていた。貴族である三人が並び、その後方にディアボロがたたずんでいる。

 

「皆の者、よくやってくれた。フーケは牢に収まり、破壊の杖は依然変わりなく宝物庫に収まった。全て元の鞘と言う奴じゃな」

 

 顎髭を撫でながら、快活そうに学院長は笑った。

 

「あー…じゃが、ああまでせんでもよかったんでは無いかの? ちと乱暴すぎる傷跡が痛々しゅうて…美人が、の? その台無しと言うか……」

「どうせ死刑になる人間。いくら醜くなろうと知った事ではあるまい」

「過激じゃのう。なぁディアボロ君や、あんな美人が死ぬことに何の良心も疼かぬのか?」

「知らんな。人の上に立つ役目ならば、ハニートラップという言葉を聞いた事もあると思うのだが…ン? どうしたと言うのだ」

「う、うむむ……」

 

 あーだのこーだの、美人に関して議論をまくし立てるオスマンはディアボロの冷たい切り返しにバッサリと心を切り捨てられ、更にはその議論を発展させた本人として功績を立てた生徒達からも養豚場の豚を見る目で見られたオスマンは、場の空気は此処で一転だと言わんばかりのわざとらしい咳をした。

 ようやく本題に入れるのか、と辟易した空気を感じながらも無理やりにオスマンの明るい声色が学院長室に響き渡る。

 

「ミス・ヴァリエール、及びミス・ツェルプストー。以上の二人にはシュヴァリエの爵位申請を宮廷に出しておいた。追って沙汰を待つがよい。ミス・タバサに関してはシュヴァリエを既に冠しておるので、精霊勲章の授与を申請しておいた。君達はこれだけの功労を持つに相応しい行いをしたのじゃ、胸を張って誇りなさい」

「はい」

「…はい」

 

 勢いよく答えるルイズと、ほとんど自分の実績が無い事を自覚して一瞬遅れたキュルケの返答がオスマンの耳に届く。先ほどオスマンの馬鹿らしい話の相手をしていたディアボロと言えば、不遜な態度のまま胡散臭そうに学院最高責任者を睨みつけているばかりだ。今更取り繕った所で、と言いたげな雰囲気がにじみ出ている。

 

「あー、ディアボロ君はミス・ヴァリエールの使い魔なのでな。そもそも貴族に与えられる爵位や勲章は無い。悪く思わんでくれ、国の在り方をそうそう変えておっては、ハルケギニアに誇る魔法学院の名が廃るでの」

「元より他人から与えられる肩書に興味は無い。他人の価値観にしか目を向けず、己を頂点として考えない者には未来すら与えられん」

「おうおう、その通りじゃな。ミスタ・コルベール、おぬしも変な実験しておらんと、こう言う事を言えるようになってみせい」

「はい、精進させていただきます」

 

 コルベールの真摯な返答に、学院長は満足そうに手を打つ。

 さぁ、とルイズ達に向かって手を広げ、演説者の様に老人は振舞った。

 

「さぁさぁ今宵はフリッグの舞踏会! そしてフーケ退治を見事成し遂げた君たちが今回の主役となる。全生徒の模範となるよう、着飾り美しく振舞いたまえ!」

 

 言い切ったオスマン老に頭を下げ、三人は退室して行った。

 

「ああ、チョイとディアボロ君。待ちなさい」

 

 ディアボロも厨房に行って舞踏会の下準備の手伝いに行こうとしたところを、オスマンの手招きと悪戯心あふれる老獪な笑みによって引きとめられた。ルイズ達に先を行かせたディアボロは、開いていた扉を閉じてフン、と鼻を鳴らす。

 

「ミスタ・コルベール、君は彼を座らせたら下がりなさい。舞踏会の準備でもしておくとええじゃろ」

「分かりました。それでは、くれぐれも問題を起こさぬように」

「信用ないのう……」

 

 コルベールに導かれてオスマンと向き合う形で腰を下ろしたディアボロは、こうした「対等」という立場に立たされることとなった。コルベールの退出と共にオスマンは顔の前で手を組み、ディアボロと視線を合わせて椅子に腰かける。そうした静かな部屋の中に、老人の声が唐突に響いた。

 

「のぉ、わしは君の様な稀有な存在を知っておる。我が使い魔モートソグニルとて、君と同類なのじゃからな」

「ギチチッ」

 

 オスマンの机の上に、一匹の白いネズミが現れた。しかしそれを見た瞬間、ディアボロは忌々しげに表情を歪めた。

 

「…このオレが、そのドブネズミ(・・・・・)と同類だと(・・・・・)…? 寝言は寝てから言うんだな、耄碌ジジイ」

「ミス・ヴァリエールが居なくなった途端にそれか。やれやれ…こ奴のこれを見ても(・・・・・・)同じ事が言えるかの(・・・・・・・・・)?」

「ギ、ギギィ―――」

 

 モートソグニルが上を向いて嘶いた瞬間、その前方には機械仕掛けの一つ目の骸骨に四本の支える足が生えたような「(ヴィジョン)」が浮かび上がった…! 禍々しいオーラに満ちたそれは、ディアボロだからこそ、より鮮明に感じ取ることが出来てしまうっ!

 そう、ソレの名を忘れたことなど無い…彼の半身でもあるソレの名を、彼は驚愕に声を震わせながらに呟いた。

 

「スタンド……そのネズミが、学院長の使い魔とやらが……スタンド使い…!」

ラット(・・・)。この子を強調した能力故に、敢えてわしはそう呼ばせて貰っておる」

 

 骸骨は上歯の方向へぐるりと回転し、その砲身をディアボロの横に向けた。

 その弾丸はッ……何のためらいも無く発射されるッ!

 

「ぬぅぅぅぅ…!?」

「おやおや、この子はチーズの代わりにハエだの、牛だの……挙句の果てには人間だの…ともかく肉が好きでなぁ。君の隣で飛んでいた鬱陶しいハエを撃ち落としたようじゃな」

 

 その言葉に従って左の地面を見れば、ドロドロと溶けた肉塊からハエの足や複眼らしきものが見える。ほんのちょっとした原形をとどめていない程にドロドロになったそれは、ネズミが喰うのには丁度いいほつれ具合と言ったところか。

 

「無機物、生物問わずにドロドロに溶かしてしまう弾丸を、このモートソグニルは数百メイルは離れた地点から狙撃可能。しかもこの大きさじゃから見つけるのは着弾した方向から探し当てるしかない。げに恐ろしき能力……始祖ブリミルすら思いもよらん、戦いと己を前面に押し出した力…それが、このオスマンが使い魔モートソグニルの持つスタンド……ラット」

「…だからどうすると? このオレにスタンドの詳細を話したから…腹を割って全てを話せとでも言うつもりか」

「いやいや、わしはまったくそんなつもりは無い。ただ、そのスタンドについてはくれぐれも内密にして欲しいと言うだけじゃよ。君のスタンド―――キング・クリムゾンと言ったかな」

「ッ! クソジジイ……オレも勘が衰えていたようだな、だが、ここで禍根の芽を見つける事が出来るとは僥倖に他ならん…!」

「ま、待て待て待て! 脅すつもりは無いと言っておるじゃろっ! その金と赤の超人をはよう引っ込めてくれい」

 

 口封じを即座に考えたディアボロが立ちあがったが、スタンドが見えたうえでそう言い切ったオスマンの言葉に引っ掛かりを感じ、キング・クリムゾンの拳はオスマンの眼前で停止する。鼻先が微妙に当たってヒリヒリとした痛みに耐えながらも、オスマンは真っ直ぐにディアボロを見つめていた。

 

「……ふん、少し前なら貴様は殺していたが、ここで騒ぎを起こした所で今度は終わりのある死が来るのみか。此方のメリットが少なすぎる」

「やれやれ、理由はどうあれ助かったわい」

「緊張感に欠けるな、貴様」

「こうも胆力持っておらんと、王宮の馬鹿どもに喰いつぶされるでの」

「チ、ヂヂヂヂィッ」

「ネズミが。主人に種族すら偽られた身で、情に絆されたか?」

 

 へーこらと従うモートソグニルの欠けた耳を見ながら、ディアボロは椅子に座りなおした。空気が殺伐としたものから戻って行く事を感じながら、オスマンは神妙そうに指を組む。どうにも扱いにくい相手だが、ルイズに従うという事を決めたこの男に再び悪の芽が萌える事は無い。確信にも似た気持ちを隠し、疲れ果てた老人はゆっくりと頷く。

 

「この力…ハルケギニアには過ぎた玩具じゃ。このモートソグニルや、君の様な自制心のある者。そして近くに目覚めたあのメイドのような者ならば、信頼に足る。しかし決してこの力を言いふらすことはせんで欲しい」

「言われずとも。そこいらの凡人や覚悟の無い塵芥に教えた所で何になる? スタンドを万が一手にしたとして、破壊衝動を抑えられずに暴走するか己のスタンドに喰い殺されるのがオチだ。そしてそれを見た阿呆がまたタカってくる……カスにも劣る陳腐な劇をこうして始めろと?」

「何度も言うが、君はちょいと言い過ぎじゃね? まぁ、盗み聞きしておった事は今ここで謝らせてもらっとくがのう、どこぞの組織を率いたボスというなら任せておくとしよう。君なら間違い(・・・)は無さそうじゃ」

「ここまで阿呆のような話をし、最後がこれだと? まったくもって無駄な時間を強いられたものだ」

「とことんミス・ヴァリエールがおらんとスイッチ変わっとるんじゃなあ……まぁ、君も下がってよろしい。シエスタと言ったか、あの巨乳メイドと積もる話もあるじゃろうしな」

 

 最後に、どこまで知っているのか。そんな視線を浴びせられたままにバタン、と乱暴な手つきで閉められた扉を見て、オスマンは全身から汗を吹きだしながら椅子にもたれかかった。ギャングのボスと正面切って話すのは実に恐ろしい。メリットがどうと言って自分を殺すことは取りやめてくれたようだが、実際の所アレは、本気で殺すと言えば既に殺す行動を終えている人種だ。

 彼を抑えつけるのには、自分の全力とモートソグニルの協力があっての力が必要になる。だがそうまでしても生徒達が近くに居れば、あれは平然とそれらを盾に使いながらルイズの為になる行動が何かを探しつつ此方の命を奪いに来る。

 

「本気で戦いたくは無い男じゃ。ミス・ヴァリエールが完全に制御できておればよいが……高望みのし過ぎはガラではない、か」

 

 憂鬱そうに言いながら、オスマンは椅子にもたれかかって深い息を吐いた。

 部屋を照らす青赤の双月だけが、今の老人に許された休息である。

 




シエスタのスタンドについて明かそうと思っていたのに、いつの間にか変なところで展開が伸びてしまいました。
次回こそ、次回こそは……


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月下の子ら

すみません。長くなりました。


 ルイズはダンスの誘いを断りながら、テーブルの一角に座って黄昏ていた。片肘をついて悩ましげに吐息を零す。美しい人形の様な、誰も触れてはならないのだろうという近寄りがたさから、「あのルイズ」が着飾るだけでこうまで美しくなれる物なのかと、クラスメイトやルイズの事を散々に中傷してきた者たち、特に男衆は手を出しあぐねては立ち止まる。

 しかし彼らは所詮、ルイズの外見にしか興味を持てていない烏合の衆だ。貴族と言うにはまだほど遠く、絵画を集めるのにも魂を揺さぶられたからではなくただ高価で雰囲気があるからという理由でしか購入は考えない連中。そんな中から、掻き分けて一人の人間が近づいてきた。その名はギーシュ。打ち解けたらしいケティの手を引いていたが、少しばかり耳打ちして彼女の耳まで赤く染め上げると、一人になったギーシュは物おじせずにルイズへと近づいた。

 

「一曲、どうかな?」

「……はっ。それはもう、喜んで」

 

 差し出された手を取って、ルイズは吐き捨てるような返事を返す。

 鬱々とした気分を発散させるには丁度いい。演奏隊は主役が乗り気になった事を確認し、高らかに荘厳なパーティーに相応しい演奏を始めた。

 

 

 

 ところ変わって厨房。貴族のパーティー用に作れる分は作ったマルトー達料理人やメイド達は、多少の疲労を見せながらもいつも通りのパーティー準備に愚痴の一つ無く仕事をこなし、解散の準備へと移っていた。メイドも人数は多いので、準備組と片付け組で別れているのだ。

 その準備組の中に含まれていたシエスタと、学院長から離れて合流したディアボロがいる。彼はルイズの元にはいかず、この厨房の裏方で力仕事などを手伝ってそれがようやく終わったと言う訳だ。

 

 ディアボロは少しだけ染みた汗を拭っていると、横からシエスタがタオルを差し出す。それを受け取って顔を拭いた彼は、タオルを洗濯用のかごに突っ込みながら、後は任せたと立ち去ろうとした―――のだが、ふと思い出したようにシエスタに向き直った。彼女も何を言われるかは分かっていたのだろう。少し学院の中でも良く月が見える庭に彼を案内し、昼なら貴族たちが使っている椅子にディアボロを座らせた。

 

「分かっているようだな」

「はい。この子の…ことですよね」

 

 シエスタがそう言うと、にゅっと人間とは似ても似つかぬバケツ頭の人形の様な異形が彼女の体から浮き上がって来た。出現位置は最初半透明だったが、徐々に実体を持って行くソレはしがみつく様にシエスタの体に巻き付き、間延びした様なお気楽な言葉を発し始める。

 

『いよ~ぅ……オマエが呼ぶような事態はネェはずだゼぇぇぇ~…シエスタァ』

 

 そう、この不可思議な物体は摩訶不思議にも喋ることが可能であるのだ。

 

「それが貴様のスタンド……ふん、まさかこの世界でも発現しうる者がいるとはな」

「隠していた訳ではありません。ただ……その、あの追われていた時に…何か突然出て来てしまったんです」

『そりゃ酷ェゼ……なぁ、ヨウ? オレはテメェの幸運の塊だァ! このディアボロの旦那と違ってなぁ~~~? オマエの持つものは運しか(・・)ねェッ! 逆に言や、幸運(それ)がオマエの力の結晶ってことだぁ。覚えておいて損は無いと思うゼェ~』

「随分と口うるさいスタンドだ。独立型と言う事は……貴様、普段の自分とは違う自分が中に潜んでいる精神状態なのか? そう、言わばテンションのスイッチがある奴がこう言うスタンドを持つのが多い」

「やっぱり、スタンド何ですね。これは」

『ヘンッ、スタンドだか何だか知らねェがよォォォォ……シエスタ、右に一歩動いときな』

「む、エピタフ…!?」

 

 スタンドの言葉でまさか(・・・)と思ったディアボロがエピタフでシエスタの数秒先の未来を映し、それは確かに実現された。シエスタはギリギリのところで上から降って来た芋虫を避けたのだ。助言に従っていなければ、今頃首筋からメイド服の中にその芋虫が入り込んでいた事だろう。

 

「ま、また助けられちゃった……あれ、居なくなってる」

「……先の言動から、貴様のスタンドは事前に起きる不運を言葉に勧告し、その言葉通りに従えば幸運を齎すことができる類の様だ。……だが、ここまで能力に比重が置かれていれば…スタンドそのものは攻撃手段にはなりえん」

「ディアボロさんの話を聞く限り、スタンドって能力ばっかり聞かされてたんですけど…それそのもので戦うんですか?」

「多くのスタンドはスタンドそのものが攻撃性能を備えているが、貴様のそれはとてもではないが戦い向きではないらしい。少し、驚かされた」

「…はい。私は、戦う者ではありませんから」

 

 シエスタはメイド。従者。

 主人のフォローをする者であり、同時に、仕える者の穴を埋めるパテ。主人の手では届かない場所で手や足の代わりをする者であり、決して前線で戦うための道具でも、兵士でも何でもない。メイドは生活の従者であるのだ。

 

「それにしても意外です。ディアボロさんでも、驚いたりするんですね」

「……人をやめているわけではない。裏の情報筋からオレ(・・)のいた世界でも吸血鬼は実在したようだが―――()は人間の帝王。人の頂点に立つ者は須く人間でしか有り得ないのだからな」

「……ああ、やはり貴方は強いお方。ミス・ヴァリエールのような立派な貴族ですら従者にすることも憚られそうな…上に立つ者なのですね」

「ルイズだけは、特上だ。こればかりは…オレの決めた信念だからな、譲ることはできん。ヤツはオレの光なのだ。我が閉ざされた道を照らした、陽光の如き光……」

 

 黄金体験の鎮魂歌は、人の進むべき道の前後を繋ぎ合せてしまう。それが例え邪悪な精神だったとしても、ディアボロの様に真っ直ぐと道を見ていた人間は件のスタンド能力によって進むべき道を無理やりに突き落される。

 ソレはいかほどに苦痛に満ちた道程か。恐らく、いや絶対に我々の様な凡百の人間には理解できない痛みであろう。だがこの帝王は、無限の命を得たのだと別の見解を発見し、更には続く地獄の中で己が最小限出せるベットを支払うだけで己の目的を果たすまでに精神を回復、昇華させているのである。そうして生まれ変わった心で見た他人は、前よりもずっと輝いて見えた。その中でも一番強い光を放っていた星―――ルイズを、彼は守りたいと思ったのだ。

 ディアボロの片手を握りしめるような動作は、その手の中に失いたくない物を離すまいとするようにも見えた。シエスタは胸の内側が痛む錯覚を覚えながら、己の抱く感情とは程遠い筈の頬笑みを浮かべる。

 

「少し……羨ましいです。話し合った中で、私だけが置き去りの様な…私みたいな平民は、当たり前かもしれないんですけど。それでもやっぱり、って思っちゃいますね」

「フン、そうか」

 

 短いが、彼が返した事でシエスタは少しばかり心が落ち着いた。

 そうした余裕から来たのだろうか。いつもより前衛的な気分になった彼女は、ふと思いついた事を聞いてみた。

 

「そう言えば、ディアボロさんのスタンドは“キング・クリムゾン”って言うんですね。スタンドって名前をつける物なんですか?」

「…名は、スタンドだけではなくその物事をハッキリと表すことのできる人間が作り出した文化だ。この世界の魔法、我々のスタンド、個人や物の一つ一つにも名は付けられる。名無しの物体とて、名無しという呼び名があるようにな……。スタンドは、その名をつけられる事で己の可能性を固定する。名付けておいて損は無いと思うぞ。力の自覚にもなるだろう」

 

 ふと、ディアボロは自分が組織を完成させる前の様に、随分と他人と話をするようになったと自覚する。ただその相手は限られているので、ドッピオもしかり、妻だったドナテラ・ウナしかり。一度身内だと認識し、なおかつ仲間であり続けている人物には甘い面を持ち合せていたのかもしれない。

 己の来歴は、己の信頼する者にのみ知らせている。それが自分の中の何を刺激するのかは分からないが、別段悪い気分では無い。以前のように赤の他人であるジョルノ達に知れ渡った時の恐怖にも似た感情が込み上げてくる事は無い。むしろ不思議と温かな気持ちが芽生えている様な気もする。

 

「……ふん」

「どうしました?」

「いや、自分が自分で無くなって行くような…だが、不思議と不快には思わんのだ。自分でも何を言っているのだか分からんが」

「それって、成長しているってことじゃないでしょうか?」

「成長? 成長…か」

 

 ボスとして君臨したあの時、己は絶頂にいた。この絶頂を脅かす者は許さないと、様々な人間を恐怖のどん底に突き込んで殺していた。だが、あれは己の限界を知らずの内に定めていたからではないか? 例えるなら、無限に高さが伸び続ける山の五合目に居座り、それが時間と共に四合目、三合目と低くなっている事にも気付かず、下から上って来る者達を大風で突き落していた……。

 自分の限界を、自分を頂点だと決めつけることはつまり…上へ伸びる事を放棄していたと言う事なのだろうか。あの時、あの「矢」を巡る戦いのときはガラにもなく必死だった。力を手にしたジョルノには心底恐怖したと言っても良い。そこは、認めよう。しかしそれは、己の立つ位置よりも高い場所にソイツが昇れたからではないか? 己が決めつけた限界を超えた相手に、駄々をこねる子供の様な癇癪を起こしたに過ぎないとしたら―――何と言う、帝王の名が似合わない行為か。

 手段や方法などどうでもいい。だが、この手に在るべき結果を握れなかったからこそ。

 

「ルイズは…まだ、成長途中だ。だが、このディアボロこそまだまだ頂きの先へ…天上へ昇る事を諦めていたのかも知れん。……この様な小娘に気付かされるなど、落ちたものだ」

 

 誰にも聞こえないような小さな声で、だがあえて声に出して言った。

 その言葉は、己の口から発せられたものとは思えない程に心に染み込んで行く。

 

「あ、すっかり忘れてました! 私のスタンドの名前がどうとかって話してましたよね」

「む、あ…ああ……そうだったな」

 

 すっかり自分の世界に入りこんでいて、目の前の有力な支柱()の言葉を放り投げていた。そうだ、この女のスタンドは利用価値がある。先ほど気付いたばかりの自分の現界の上と、ルイズを高めるための最高の力が。

 

「さっきからディアボロさん、驚いてばっかり。……そうだ、ディアボロさんがこっちの世界でいちばん驚いたことってなんですか?」

「……月、だな。オレが居た世界は白く黄色い月がある。だがそれは一つだ。この世界の赤と青の双月は、オレの度肝を抜くには十分だったとも言える」

「黄色い月…いつか、ディアボロさんの世界の月も見てみたいですね」

 

 思ったよりもロマンチックな、シエスタの乙女回路を刺激するような答えだったからだろうか。シエスタもまた、浸る様にディアボロの話を聞いていた。

 そんな時、またシエスタの体から飛び出したスタンドが高笑いしながら勝手に出てきた。だが、スタンドの取った行動はいつもの幸運への助言では無い。それは―――

 

『懐かしいぜッ。よォ、タケオの野郎が飛んでいた空も、黄金に輝いてやがるでッケェ月があったからなぁ~~~。オマエさんの幸運は、タケオから世界を越えて貰ってよぉ…婆さんとオヤジを次いで溜めこまれた“血の強運”だッ! 大事にしろよ、テメェも、その血もなぁぁぁぁぁ……』

「え…?」

『ケケケッ、そう言うこった旦那ァ。オレっつぅメッセンジャーはタケオのものじゃネーからそろそろ消える。だが、旦那の世界のヤツしかオレ達(スタンド)は現れねェ……血の濃さじゃあ、シエスタが打ち止めで、最高だがなぁッ! ヒヒヒヒヒッ』

 

 口汚いバケツの様なスタンドは、今にもその形が崩れそうだ。映写機の光源の前で素早く手を左右させるように、ノイズの走ったテレビの映像の様に、シエスタのスタンドは少しずつその形を崩していく。

 それは、異邦人・佐々木武雄のシエスタの代にまで続いた望郷の執念。例え骨をこの異郷の地へうずめようとも、消える事は無かった遺してきた両親や故郷への妄執。彼女が故郷の人間と出会えたからこそ、「武雄のスタンド」はその姿を崩し始めていた。これからは「シエスタのスタンド」であり続けるための最後の仕上げと言わんばかりに。

 

「……そっか。あなた(スタンド)は、おじいちゃんが異界で生んだ新しい可能性。異なる月が産んだ光の子……うん―――“ムーン・チャイルド”」

 

 (ヴィジョン)は形を変えて行く。女性の様な丸みを帯びた小さな胸部、米粒にも似た形の頭。裸の人形が晒すカチカチの体には、申し訳程度の破れた太陽が描かれた布が巻きついた。それは、より女性的なフォルムへと変化するスタンド(・・・・)

 日の本で照らされた道を歩いた人間、佐々木武雄から受け継いだ血筋の強運(スタンド)。その血が示すのは、シエスタが自ら進む道を優しく照らす、太陽への道標。

 

「あなたは、月光の子(ムーン・チャイルド)

『アァ、ワタシはテメェだ(・・・・・・・・)!』

 

 抱きしめられたスタンドは頷き、彼女の体に入って行く。真の意味で一つとなった彼女自身の生命エネルギーはシエスタの為だけに存在し、常に彼女の傍に立つ。体の中へと消えゆく前に、彼女のムーン・チャイルドは己の足で立っていた。

 スタート地点は、月と帝王の見下ろす庭の中。

 

 

 

 長いようにも感じられた曲が終わり、ルイズは踊っていたギーシュの手をパッと離した。まるで騎士と姫のワルツと見紛うばかりの舞踊は曲の間だけの夢であったかのように、二人は現実の世界へと一気に引き戻される。

 

「やっぱり、彼が居ないと楽しくないのかい?」

「ほとんど彼が一人で解決した様なものよ。フーケの一件はね」

 

 自分やキュルケ達も攻撃を加えていたが、それはゴーレムであってフーケ自身の捕縛にはほとんど関与していない。ルイズ自身、この功績を例えて言うならば目標に熊をハンティングしようとしていた時に、ついでに出てきたイノシシを狩った様なものだと考えている。イノシシがゴーレムであり、主目標の討伐はできなかったという負い目だ。

 

「ふぅん。よくは知らないけど、君が主役として飾られるってことはそれ相応の働きをしたって学院長が認めたからじゃないかな? さて、僕はそろそろモンモランシーを探さないと…あ、やっぱり見つけてくれてた」

「あんた、わたしをモンモランシーを見つけるためのダシにしたの?」

「主役だろうと何だろうと、自分の目的のためなら自分以外は全て脇役さ」

「さっきの言ってることと随分矛盾してるわよ」

「そうかな? …そうかもね」

 

 あいも変わらず、キザな笑みと共に薔薇を掲げてギーシュは去った。普段はひと際目立って見える金髪ロールも、このパーティーでは普通に溶け込んでいるモンモランシーの手を引くと、雑多の人影に紛れて消える。一夜の夢をすぐさま記憶の隅に追いやったルイズは、めかし込んだ自分の姿を鏡に見て、深いため息ばかりをつく。

 

「あら、主役が張りきらないと駄目って学院長も言っていたのにねぇ。こう言う時だからこそはっちゃけたりしないの?」

「ツェルプストー…何か用?」

「あの窮地を一緒に戦ったんだから、もう前みたいな希薄な仲でも無いじゃない? これからはキュルケでいいわよ。その代わりあたしもルイズって呼ぶから」

「名前を許す理由も軽過ぎ。これだからゲルマニアは…ま、いいわ。そうそういがみ合ったって御家の恋愛因縁全部が晴れる訳でもないし。よろしく、キュルケ」

「はいよろしく」

 

 杖腕どうしで握手を交わす。互いに譲れぬ所はあったとしても、やはり心の底ではどこか相手を認めているのだろう。信頼の証として、杖腕を差し出しているのは二人とも無意識の内だった。

 

「そう言えば、タバサ見てない?」

「ああ、ガリアの……見てないわね。ダンスに参加するようにも見えないし、どこかテーブルの隅にでもいるんじゃないの」

「そう言えばあの子食べるの好きだったわね。ありがと、それじゃパーティーくらい楽しんでおきなさいよねー」

「大きなお世話よっ。ホント、変わらないわね」

「むしろアンタが変わり過ぎなのよ。でもまぁ、前みたいにすぐムキになる癖は残ってて良かったわ。じゃないとアンタらしくないものね」

 

 ひらひらと手を振って人ごみにまぎれて行く改めて友人となったキュルケは、自由を愛する小鳥にも似た雰囲気を発しているとルイズは感じた。がんじがらめの公爵家という括りと、優秀な魔法の才を持つ両親から受け継いだものを一切活かせていないと言う葛藤。それら全てに他人の眼ではなく、自分の価値観によって動く人物であるキュルケという女性は、少なからずルイズも憧れを持っていたのかもしれない。

 今までの「つっけんどん」な態度は、己の理性の奥底に隠されていた羨ましさからにじみ出た敵意。心の整理をしてみれば、過去の自分など幾らでも振り返れるような気がした。

 月を見上げて、手に持ったグラスを回す。中で揺れる透き通ったカクテルへ口をつけると、ゆっくりと中身を飲み下した。

 

 

 

 パーティーも終わって、随分と演技臭い行動を取れていたものだと少し悶絶。髪色のように頬を桃色に染めたルイズは、一杯のカクテルがもたらす眠気に身を預けながら普段着の寝間着へと着々と着替えて行った。

 

「ふぁ、眠いわ……それにしても、随分と恥ずかしいわね、わたし」

 

 先ほどまで言っていた事に溜息をつきながらテーブルの走り書きを見る。もう文字を覚えてしまったのだろうディアボロの、まるでお手本の様な習いたて感が強いハルケギニア語のメモが残されていた。内容は「今夜は遅くなる」といったもので、厨房の片付けにやはり多少の手伝いをしてから戻ってくるらしい。ルイズの起きている時間内には戻る事は無いだろう。

 

「おやすみなさい、ディアボロ」

 

 此処には居ない心の支え、最高の使い魔となってくれた人物の名を呼びながら、ルイズは夢の世界へと浸って行った。

 

 

 ヴァリエール家は公爵という、トリステイン王族に次ぐ最高の位を持つ貴族である。その大黒柱である公爵の手腕は見事な物で、その妻である公爵夫人もまた、豪華絢爛な暮らしをするに相応しい経歴と戦歴、魔法の才能――風のスクウェア――を持っている。

 これほどまでに恵まれた家は無いだろうと近隣の木端貴族が囃し立てる中で、ここ十六年前からの唯一の汚点が誕生した。言われずとも分かるように、その汚点の名はルイズ。ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。誇り高き公爵家の「出来そこないの三女」。

 彼女が魔法を使えないと発覚してからは、公爵家に対する遠回りな――不敬罪に罰されない程度の――厭味や陰口が貴族の会合で飛び交う事が多くなった。その点を何とか矯正しようと、はたまたその貴族をルイズ自身に見返させるためにルイズへの「教育」は日に日に熾烈さを増していくことになる。だがその愛の鞭は、幼くして打ちひしがれた彼女に届くことなく、愛の無い痛みだけがルイズの心を強かに打ちつけるようになった。

 

 ルイズが見ている夢は、そんな過去の一描写。

 幼い自分自身を見ながらに、弱い過去の自分をありありと見せつけられている。ただ不思議だったのは、自分の意識は夢の中で在るのに自由で、何とも客観的にその光景への感想を述べる事が出来た事だろうか。

 

(幼いわたし、弱いわたし。この頃と何も変わっていないのね)

 

 才能、性格、そして胸。

 少しいらつくほどに弱さが露呈している自分は、しかしあの母親を撒く程度には悪知恵や小手先の技術があるらしい。そんな幼い自分の視界は少しずつ雑草の生い茂る湖へと向かっているようだ。自分と同じく、出来た当初は家族全員の愛を受けて使われていたが、時と共に寂れていったあの湖へと。

 

(塞ぎ込んだときは、決まってこの夢を見るものね。一つのことに追いすがっていたわたしの…欠点。でも、いつもと違うのはどうしてかしら? まぁ、この後出てくるのは当然だけど―――)

 

 幼い自分は隠れるように、湖のほとりに泊めてあった小舟の中へと潜り込む。幾ばくかの時間が立った後に、やはりというべきか、決して変わらない「過去の夢」の虚像が現れる。そう背丈も高すぎない、凛々しい雰囲気を纏った貴族の男。憧れのワルド子爵が現れて、幼い自分を慰める。

 いつもは、その筈だった。

 

(え――――?)

 

 その影は、2メイル前後の高さだった。

 帽子を差し引いても、とてもではないが「憧れのワルド子爵」はそんなに大きくは無い。だというのに、その影は真っ直ぐとルイズの近くに走り寄ると、彼女が隠れている小舟の毛布を一気に引っぺがしたのだ。とてもではないが、あのワルド様とは程遠い乱雑さ。

 

 舞い上がった毛布と共に場面は瞬く間に、ルイズの見た事がない水の都と形容すべき美しい夜の街並みへと変化した。地球の人間で、ヨーロッパの者ならそこは「ヴェネツィア」と呼んだであろうその場所に、これまたルイズの見慣れない街灯の光で照らされた人物がハッキリと此方を見つめている。

 

「ちょ、ちょっとディアボロ(・・・・・)ッ。…何すんのよ!」

「据え置きのベンチという、わけの分からん場所で丸くなっていた輩がそれを言うのか? え? …ふん、まぁいい。このディアボロが直々に迎えに来てやっただけだ。これ以上の手間を取らせるな」

「迎えって…? ああ、そう言えばそうだったわね。さ、早く帰りましょう」

「調子のいい奴だ」

 

 これは自分が考えて言った言葉では無い。夢の流れに逆らえずに、夢の中のルイズが夢の中のディアボロに対して言った言葉だ。傍観者となっていた筈のルイズは夢のルイズと一体化して、ディアボロが先導する夜のヴェネツィアを歩いて行く。光も照らさない闇の中に二人が消えて行き、直後に顔を覗かせた太陽がルイズ達を照らし出した所で―――

 

「ルイズ」

「………ディアボロ?」

「珍しく寝覚めがいいようだな」

 

 現実の朝日が目に入った。

 

 

 

「わたしね、今日はちょっと変わった夢を見たわ」

「いちいち報告する程の事か? それこそ、己の日記に書きとめる程度のことだろう」

「ううん。あなただから言えるの」

「何が何だか分からんぞっ。ああ、今日は比較的早めに再度顔を合わせることになるだろう。めかし込む準備だけはしておけ」

「え?」

 

 ディアボロは手に持っていた伝書をちらつかせると、いつもの業務である厨房手伝いの為に壁の向こうへ歩いて行った。フリッグの舞踏会も終わって、ここ数日の間は大きな行事は無い筈である。だと言うのにディアボロの言葉と、彼がちらつかせた学院の印が押された伝書にルイズの意識は向けられていた。

 疑問を胸にしたまま、彼女は久しぶりになるだろうまともな授業の準備に入る。フーケの討伐といい、シエスタや伯爵家の失墜を巻き込んだ騒動といい、心の休まる平穏な日々と言うのは久しぶりな気がする。教室に入り、適当な位置に腰かけると隣には最早見慣れた長い赤毛が目に入った。

 

「キュルケ?」

「ハァーイ、ルイズ! さっそく名前呼んでくれたのは嬉しいけど、ちょっと隣の席もらうわよ。タバサはこっち座ってて」

「……一番前」

「勉強熱心だものね。でも、ちょっと付き合ってくれる?」

「わかった」

 

 キュルケが頼みこむと、入学以来の友人であるからだろう。タバサは強請るそぶりもせずに一度頷くと、眼前に授業の教材を広げ始めた。このクラスの貴族の中では、タバサはルイズの勤勉さにも追いつく様な模範生徒であると言えよう。いち早く、されど焦りを表には見せずに黙々と学んで行くには彼女なりの理由があるのだろうが、キュルケも、知り合ったばかりのルイズもそれにはあえて触れない。

 全ての事を無理やり話させるのでは賊と何ら変わりない野蛮な行為であるからだ。そんなもの、優雅で誇り高い貴族の在り方に反する。故に、腹に一物抱えていたとしてもだ。彼女達は後ろ暗い話題には表立って聞き出そうとしないのである。

 まぁ、それと知的好奇心とは別問題らしいが。

 

「それで何? ディアボロのこと聞きだそうってんじゃないでしょうね」

「彼の事はあたし自身で知って行くからもう聞く気は無いわよ。それより、あなたの失敗魔法…随分と刺激的じゃない? まさかトライアングルメイジのゴーレムすら吹き飛ばすなんて思わなかったわよ」

「学院の壁、壊せた事がまず異常。実力を隠してる?」

「二人とも買いかぶり過ぎだって。わたしが成功した魔法はディアボロの召喚と契約だけ。呪文の内容で爆発規模や細かい光の量、音の大きさは少しずつ違うみたいだけど…あれは失敗魔法以外の何物でもないわ」

 

 ルイズは練習の成果から、成功は無くとも爆発の性質が細かく変更をくわえられている事に気付いた。たとえば、今学期最初の授業での爆発。あれは「錬金」の魔法を使った爆発……つまりは「無生物」に対する魔法だったからか、人間そのものへの被害は爆風や爆音程度だった。ついで、「ファイヤーボール」の魔法は威力が高く、錬金による物体への干渉ほどでは無かったが、生体・無生物に凶悪なまでの威力を発揮する事が確認されている。それは、スクウェアクラスのメイジが掛けた「固定化」の魔法に綻びを与える程の威力であることは確認済みだ。

 そうした僅かな違いは、ルイズの知的好奇心を呼び醒ました。ディアボロが現在の弱体化したスタンドで何ができるか思考錯誤している事と同じように、ルイズは「自分の爆発がどのように使えるか」を模索していたのである。ただ、当然ながら彼女はコモンマジックから系統魔法まで下級呪文を試しながら成功するかも練習していたが、結果は全て違いのある爆発に終わっている。

 そう言った結果を話しておくのも、なにか魔法の成功につながるかもしれない。そう思ったルイズはいつの間にやら、目の前の二人へその爆発の結果などを伝え終わっていた。ハッと意識を取り戻した時には既に、二人が興味深そうに頷いている姿が目に入る。

 

「ふぅーん……確かに普通は失敗した時に爆発なんて起きないけど、そう言う属性や呪文の効力に応じた差異は生じてるのねぇ。これ、極めたらあなたの固有魔法として名を轟かせることができるかもしれないわよ?」

「難しい。ブリミルの系統魔法以外は異端審問に掛けられる対象になるから」

「あっ、そうだったわね…でも、この前みたいにこっそり(・・・・)やれば問題ないとは思わない?」

「あーもうっ! 二人とも、わたしをどう言う風に仕立て上げるつもりよ!?」

 

 周りに迷惑にならない程度にルイズが叫んだ瞬間、陰湿な気配と共に教室の扉が開かれた。廊下から入って来たのは、今回の授業を担当する教師――二つ名を疾風、『疾風』のギトーと呼ばれる風のスクウェアクラスのメイジだ。教師と言う点で貴族階級は分からないものの、「過去トリステイン最強」の肩書を持っていた人物が同じ風のスクウェアと言う事で、ほんの一部(・・・・・)の生徒からは人気がある実力者である。

 とはいえ、スクウェアとしての技量はピンからキリで数えても下の方。むしろトライアングル寄りで、風のスクウェアスペルである「偏在(ユビキタス)」は一体しか出せないのが、彼の限界を匂わせている。偏在に関しては、また何時か解説する時がくるだろう。

 

「……うむ、余計なおしゃべりも収まったか。では授業を始める」

 

 実力は決して下ではないが、誉れ高きスクウェアでも下のイメージが払拭できないがためか。どこか執念じみた陰鬱さが教室に渡る声と共に生徒達の耳へ届く。

 

「知っての通り、私の二つ名は“疾風”。疾風のギトーだ」

 

 この教師が担当するのはこの生徒達に対しては初めて。その意味合いも込めた紹介だったが、どこか傲慢さが拭いきれないのは彼の性格ゆえか。教師としてはあまり褒められたものではない彼は、ちらりと「火のトライアングルメイジ」という力を持つキュルケに目を向けると、高らかと言い放った。

 

「ミス・ツェルプストー。君の考える最強の系統とは…何かね?」

「“虚無”じゃございませんの?」

「伝説や恐れ多き始祖ブリミルを持ちだしているわけではない。四大系統から答えたまえ」

 

 キュルケはルイズ達と盛り上がっていた気持ちを引き下げられ、この「詰まらない男」に対して酷く冷めた様子で答えた。

 

「“火”に決まっておりますわ。ミスタ・ギトー」

「ほほう…その根拠は、どうなのかね?」

「火は日輪と破壊の象徴であり、全てを焼き尽くせる情熱もまた…火の意味を備えておりますもの。現に日照りの強い日なんかは全ての貴族がパタパタと倒れるか、己を煽いでおります」

 

 その地につく様な長い黒髪はよっぽど熱い日の邪魔になるだろう。言外に碌な手入れもしないチャームポイントもどきを携えた教師に毒づいたつもりだったが、ギトーはくつくつと笑っていた。

 別段、ギトーは本当に嫌な教師と言う訳でも無い。ちょっぴり他教師と同じように自分の属性を贔屓目で見て、スクウェアになれたのに自分の実力が伸び悩むことにコンプレックスを抱いている悩める人物であるのだ。その鬱々とした感情をこうして授業で吐き出すことは、褒められたことではないのかもしれないが。

 

「中々面白い冗談だ。だが、最強は風であると言うのが、私の持論なのだよ。どうかね? まずは授業の前に、その風の凄まじさを体感するオリエンテーションと洒落こむとしよう。そのためにも―――私に君の火の魔法とやらをぶつけてみたまえ」

「それでは、お言葉に甘えて……」

 

 キュルケは胸元に仕舞っていた杖を抜くと、ギトーと真正面から立つ位置に移動してルーンの詠唱に入った。杖の先に炎が集まって行き、あの詠唱の余裕がなかったフーケ戦でも見れなかった全力の火球が教室に熱をばら撒いている。タバサと共にいるルイズはタバサの魔法のおかげで何とか暑さを緩和していたが、アレに当たればただでは済まないだろう。

 それが放たれようとした瞬間、キュルケは別の炎の気配を感じてルーンの詠唱を取りやめた。ギトーが慌ただしく近づいてくる風の流れを感じ取った瞬間、教室の扉が再度開かれることとなった。

 

「あやや、ミスタ・ギトー! 失礼ですが本日の授業は此処を含めて全員終了となりますぞ! 姫殿下がゲルマニアからお戻りになったのですから!」

 

 緊張が高まった途端にこれである。何とも煮え切らない空気は熱と共に引いて行き、ルイズはようやくディアボロの言葉の意味を理解するのであった。

 

 

 

「ディアボロ、そうと知ってたんなら早く言ってくれればいいのにっ! ああ、おめかし大丈夫かしら? お久しぶりに姫殿下に合わせる顔がノーメイクだなんて…昨日のままずっといればよかったわ! そしたら、ディアボロにも晴れ姿見て貰えたのに……」

「ルイズよ……落ちつけ。今の貴様は見ていられんほどに道化だ」

「へうっ。そ、そう…?」

 

 他の貴族の中でも頭二つ分以上は跳び抜けて背が高いディアボロは、目立つ広告塔の様な気分で貴族生徒たちの中に紛れていた。

 正門をくぐりぬけ、「トリステイン王国王女、アンリエッタ姫殿下」を迎え入れるために、はたまたこの邂逅で美貌と言って憚らぬ姫殿下へのワンチャンスという儚い希望を持った男の貴族などでごった返した集団の中でもルイズ達の場所はディアボロのやらかした所業(決闘)のせいか、線が引かれたように間隔が空いている。

 そこにいる勇気ある貴族は、おなじみのキュルケとタバサ。当然のルイズと、まさかのギーシュの姿である。一歩引いた立場から、ギーシュを傷つけた相手として恨みがましい視線を向けるモンモランシーとケティ(和解したらしい)がいるが、当の睨みつけられるディアボロはどこ吹く風といった様子である。

 

「麗しのアンリエッタ姫。噂に違わぬ美貌か……楽しみだね」

「ギーシュ? 私達だけでなく姫様にまで手を伸ばそうって魂胆? 流石にそうなら今度こそ容赦しないわよ…!」

「ギーシュ様、お姉さまの言うとおりです。今回ばかりはわたくしも我慢なりませんわ」

「ふふふ、それは怖いね。それでディアボロさん、教えを乞いたいんだけど―――」

「前に断ると言った筈だ。あれは一時的な物では無いことぐらい分かっていた筈だろう」

 

 ギーシュの方を見向きもしないでディアボロが答えると、キザを売りにした少年は失意の息を深くはいた。いつか、彼へのチャンスが来る日を掴み取らなければならないと模索し始めた所で、平等に愛を告げた二人からのフォローが入る。曰く、ギーシュを傷つけた当人なのだから、寧ろ打倒してしまえと。

 弟子入りには反対なケティとモンモランシーだったが、ギーシュが強くたくましくなって行く姿は近くで見ていてとても誇らしかった。その男性が二股をかけ持っているとはいえ、愛を告げてくれたのは喜ばしい。だから彼なりの独立した道を進ませようとしたのだが、それはギーシュの熱に油を注ぐ真似になってしまったようだ。

 

「ミスタ・ディアボロ? あなたモテモテねぇ。ちょっと妬いちゃうわ」

「心にもない事を……貴様もいい加減うっとおしいぞっ」

「諦めたりはしませんわよ? あたしの微熱は貴方のために燃え続けていますもの。むしろあたしの炎は貴方の色なのよ」

「キュ~ル~ケ~? 姫殿下のパレード前でもディアボロにかまけるなんて随分な御身分ね。ギーシュ、アンタもよ。いつの間に二人を誑かしたのかは知らないけど、そこの二人を納得させることから始めなさいよ」

「僕は純粋に、いち早く指南として最高の師が欲しいだけなんだけどね」

「トリステインのお姫様なんて知らないわよ。それに、どうせ近々こっちの皇帝と婚姻を結ぶんだし、そうなったら嫌でも顔を合わせることになるわ」

「それは…そうだけどもっ! ああもう、こんな何事にもルーズなゲルマニアに政略結婚を強いられるなんて、姫殿下もお可哀そうに……何もしてあげられない我が身が恨めしいったら」

 

 自分を挟んで両サイドから行われる会話にそろそろディアボロも口を挟んでしまおうかと思ったその時、正門から主役の登場を告げる衛視の声が響き渡った。しかし出てきたのは姫とはとても言えない枯れきった老人の様な風貌をした男。その男に生徒の嘲りが籠った感情を向けた直後に、その男が手を引いてアンリエッタ姫を先導する。姫の御身が現れた瞬間、トリステイン魔法学院の正門には溢れんばかりの歓声が上がる。

 

「まるでイギリス皇太子の歓迎だな…いや、実質は似たようなものか」

「イギリス…? ああ、そっちの話」

「今となってはもう見れん。深く話すこともあるまい」

 

 会話をする間に、ルイズの目の前をアンリエッタが通り過ぎて行く。明らかにルイズに手を振ったであろう動作にディアボロは目ざとくあたりをつけ、ルイズとこの姫君は浅からぬ関係があるのだろうと感付いていた。

 

「へーぇ? ゼロと違って胸はあるみたいだけど、ねぇダーリン。あの王女の目は見た? 運命に流されるままの悲劇の乙女って憂いを押し出しちゃってるわ! トリステインは頭が固いだけじゃなくて、お姫様まで夢見がちなのね」

「キュルケ! わたしはともかく姫殿下を侮辱するのもいい加減にしなさいよ。あの方の気持ちを考えてもみてよ。わたしたちと違って、自由な恋愛すら選択肢には無いのよ……」

「だが、それが王族と言うものだろう。まして実権を与えられているのならば、周囲の期待すら凌駕する器を持たねば取り巻き共の操り人形だ。そうなれば、最早担ぎあげられた偶像としてしか意味を成さん」

「ディアボロ…確かに、そうだけど……」

 

 甘いばかりでいられないのは分かっている。ルイズは拳を握りしめながら、ディアボロの言葉の意味を胸の内側で反響させた。ある意味でアンリエッタに近い位置にいるのはルイズ自身。だが、自分すらまだ汚名を返上できていないのに、例え親友だとして他人を気遣う余裕はあるのか? 答えは「無い」の一択だ。

 こればかりはどう考えても仕方のないことだと打ちひしがれながらも、ルイズはぼうっとパレードを眺めるうちに見覚えのある顔を見つけた。今回の夢には姿すらディアボロに掻き消されて、出てこなかった理想の人物。

 

「ワルド…さま?」

 

 ぽつりとつぶやいた声は、ディアボロどころか自分の耳にすら入らなかった。

 

 

 

 時は進み同日の夜、ディアボロのキング・クリムゾンが顕現する。

 宵闇に輝く月の光を受けながら、かのスタンドは額に込められた墓標の力を映しだし、鏡に見える風景をディアボロにとっては未来の風景へと変えて映しだしていた。また厄介事が来るようだと、最近の面倒事に対する覚悟ばかりをさせるエピタフに毒づきながらもディアボロは扉の前に移動した。

 この部屋の持ち主のルイズと言えば、難しい表情で黙りこくってばかりである。ディアボロの行動に何ら違和感も持たないまま、上の空で彼の行動を見つめていた。

 

『よぉ旦那…誰かお客でも来やがんのか?』

「そんな所だ。変に喋る前に口を閉じておけ」

『へいへい。剣は辛いねぇ』

 

 つかの金具の動きでカシャンと鞘の中に一人で収まったデルフリンガー。器用なまねをするものだと感心しながら、ディアボロは今か今かと手を掛けようとしていた人物に代わり、ドアを引き部屋の光で相手を照らした。

 真っ黒な頭巾をかぶった不審者が夜明かりに照らされて、闇の中からディアボロの見下ろす先にその姿が浮き上がる。ノックをしようとしていた手をそそくさと引っ込めると、どこか慌てたように頭巾をかぶった頭ごと視線を動かしたその人物は、部屋の中にいる鮮やかなピンクブロンドの人物を発見して、安堵の息をついた。

 

「女王とやらだな。ここでは人目につく…さっさと中に入れ」

「貴方は……?」

「ヤツの使い魔と言うものをやっている……憐れな運命の奴隷だ」

 

 こう言う表現が好きなのだろう? と言外に含ませたもの言いを済ませると、ディアボロは鼻を鳴らしながらドアを閉めた。いつもの寝台兼自席である椅子に座り込み、キング・クリムゾンの腕がルイズの額にデコピンを放つ。そこでようやく我に返ったルイズが見たのは、杖を振って魔法を使う最中の女性だった。

 

「…ディテクト・マジック?」

「彼の様な感のいい者だけではありません。目や耳は至る所で光っているのですから」

 

 探索用の呪文にも何も引っ掛からなかった事を確認して、隣の大男にばれていた辺り今更だろうとは思いながらも、その頭巾をルイズの目の前で取り外した。紫がかり、短く切りそろえられた清楚な表情が露わになった途端に、ルイズは思わず息をのむ。

 

「姫殿下……」

「お久しぶりね。ルイズ・フランソワーズ」

 

 彼女の正体が知れた途端に、ルイズは膝をついて畏まった。目の前にいるのは幼馴染の愛しい親友。だが、その身分は昔の「お姫様」だけではなくなってしまっている。今やアンリエッタはトリステインの女王。国政的な権利を持つものとしては最高位の人物であるのだ。

 例え誰かに操られるしかないマリオネットを演じていたとしても。

 

「ああ、ああ、お顔を上げなさって! ここには何も口うるさく抑圧する輩はいないのです! わたくしとあなた、心の許せるおともだちだけ……」

「いいえ、時と身分がそうはさせないでしょう。お忍びだとしても、わたしと姫殿下は交わる事すら取り上げられる湖面の彼方に向き合っているのです」

「あなたまでそんな事を! ですが、やはり変わらないのですね。わたくしに引き取るようには強く言わない…ルイズの優しさは時が経とうとも決して変わる事は無かった。わたくしにとってはそれだけでも十分。此処に来るだけの価値はありましたわ。さぁ、表を上げて下さらない?」

「…失礼します」

 

 ルイズはその瞳を向ける。

 ただ、こればかりはルイズも懸念していた。

 

「まぁ……」

「……………」

 

 アンリエッタは、聡い人間だ。ルイズがあのころとは全く違ってしまっていると…そう、自分では触れられない位に高い位置へ行ってしまっているのだと知るには十分過ぎた。瞳の中に在る輝きが眼前の問題に淀んでいたとしても、眩く光を放つ事は抑えられない。

 アンリエッタには無い強い意志の光は、手を伸ばした女王の手を停めるには十分な力を発揮してしまっていた。

 

「ああ、羨ましいわ。あなたは遥か彼方へとボートを漕いで行ってしまったのね」

「罪深きとは知りながら、あなたの御手を引く事すら忘れておりました」

「自由の路を…いえ、あなたの選んだ道を歩く事が出来る。それはとても素晴らしいことだと思いますわ、わたしの小さなおともだち」

 

 どこか悲しそうに瞼を伏せ、伸ばしていた手を自らの胸元に引っ込める。

 太陽を求める吸血鬼の様な浅ましき行為だと知って、アンリエッタはいつまでも変わらない自分に歯がみした。同時に、ルイズに頼もうと思っていた行為が何とも卑劣なものだと知って、ルイズに芽生えた新芽を摘み取りかねない可能性が大いにある事が恐ろしくなった。

 

「わたくしは己を飼われた小鳥と、言うつもりでしたわ。あなたは大空を飛びまわる隼だとも」

「もったいないお言葉でございます」

「ですが、あなたは隼どころか……力強い羽を持った竜と成っていたのですね。悩めるルビーの瞳をはめ込みながら、己が進む道を確かに見据えようとする可能性の幼竜に」

「僭越ながら、わたしも言わせていただきますと姫さまは鷹でございますね」

「まぁ、わたくしが鷹?」

「その王族類稀に見る英知、少なからず貴族の会合にて聞き及んだことがあります。能ある鷹は爪を隠すとも言われております……何時かその爪を、己が栄光の為に見せる時が来るでしょう」

「でしたら、それほどに良い未来もありませんわね……」

 

 アンリエッタの憂いは、ますます深い闇を増す。

 求めるように月を見上げて、彼女は言った。

 

「ねぇルイズ…結婚するのよ。わたくし」

 

 未来は既に確定しているのだと、爪は見せずじまいに終わるのだと言外に彼女は言う。

 

「ゲルマニアの政略結婚、ですか。ゲルマニア出身の学友から、話は聞いたことがございます」

「話が早いのね、まるで宮仕えの噂話のよう」

「貴様の持ちこむ問題とは、ソレがらみか」

「あら……」

 

 此処で初めて、不遜にも足を組んで椅子に座っていたディアボロが口を開いた。目は瞼で固く閉じられており、アンリエッタのことなど文字通り眼中にないと言わんばかりの態度だ。だがこの女王、それを咎める事はしない。ディアボロの言っていた事は、何よりも正確無比に真実と後に言うべき結果を突いてきたのだから。

 

「ええ、ええ。その通りなの。凄まじい恋人を持ったものね」

「恋人なんて…そんな畏れ多くはありません。彼はわたしの使い魔です、姫殿下」

「使い魔…あらあらまぁまぁ!」

 

 面倒そうにディアボロの見せた左手のルーンを確認して、アンリエッタは心底驚いたと言った風なそぶりを見せる。

 

「さっさと本題を話してはどうだ。仰々しい演技をするのは舞台の上か、仲間に言葉の節からサインを送る位にしか使わんぞ」

「ディアボロ…分かってはいたけど、ちょっと位敬意ってもんを姫さまにも――」

「このオレが最上の敬意を払うのは貴様だけだ。それ以外は等しく変わらん」

 

 認めようとも、称えようとも、ディアボロにとってこの世界の住人は全てルイズ以下。必ず化けると分かる彼女以外は、シエスタという同郷の血を持つ人間であろうと例外なく下の存在と見ている。

 故に、この茶番にルイズが突き合わされている事が何とも我慢ならなかったのだ。自分でも可笑しいという具合には自覚しているが、同時にこの不快な舞台への幕引きをしたかったのも事実。一切の嘘偽りはこれ以上は許されないと言う意味を込めて、一度だけアンリエッタの目と視線を合わせた。

 

「っ、……そう、ですね。わたくしもいつまでもウジウジとしていられませんもの。あなた方には、正式に特殊任務を女王としてわたくし個人として言い渡したいと思います」

「特務、ですか」

 

 今一度用心深く部屋に探索魔法をかけたアンリエッタは、コホンと咳を払ってミッションブリーフィングを開始した。

 

「知っての通り、今やアルビオン貴族の王家への反乱は勢い留まるところを知りません。今や風前のともしびである発祥の地、アルビオン王家が落とされれば次は勢力が一番小さいこのトリステインに侵攻してくると、前回の会議で結果が出ました。トリステインは伝統としきたりを重んずる国…軍事的な力は、どの国よりも低いが故に攻めやすさでも重きを置かれてしまうのが現状です」

 

 例え始祖からの四つの血を分けていたとしても、トリステインが滅ぼされないと言う理由にはならない。アルビオン貴族たちが貴族としての名すら捨てているとするなら、清き王族の血を引く者達はただ強力なメイジを生みだす為の母体として扱われることも視野に入れなくてはならない。

 

「その最悪の事態を避けるため、次に狙われることになるであろうゲルマニアとの同盟を結ぶこととなりました。あちらも余計な被害は出さない一心でしょうが、それでも自国が不作法者によって荒らされることを嫌いますから、破談となる事はなりませんでした。…ただ、あちらの国の方が力は上。その条件として、わたくしはゲルマニア皇帝へ嫁ぐこととなったのです」

「合理的な判断だな。国力が上と言う事は、腐りかけているとも噂のこの国を一新する良い機会にもなる。その犠牲が王女を差し出すこととなれば、単純な民衆は王女の身に変えてもと一斉に立ち上がる事だろう」

「ええ。ゲルマニア皇帝との婚姻はわたくしも割り切っていますが、そうなってくれるのでしたらこの身を喜んで差し出すことも吝かではありません。王族は民衆の為に、民衆は王族の為に。この関係こそ、理想の形でとなるのでしょう」

「でも、それじゃあ姫さまの気持ちが……」

「力が無ければ、何もできないのですよ…優しいルイズ」

 

 ルイズが光を宿して空を飛ぶ幼竜だとするなら、今のアンリエッタは地に足を縫いつけて美味い実を生らすリンゴの木。搾取されることを嘆く事すら分からない、感情の見えない植物でしかない。自発的な力と言えば、何かを吸い取って実をつけるだけ。

 

「その双方少なからず利を得る筈の婚姻に、何も知らなかった過去のわたくしは暗雲を立ち込めさせてしまったのです。ゲルマニア皇帝の機嫌も吹いて飛ぶような……」

「それは、一体?」

「アルビオン王家―――ウェールズ皇太子へ宛てた一通の手紙が、それです。何よりも深い王族の印がついた物的証拠は、アルビオンの反乱軍の手に渡ればたちまちに公表され、わたくし達の同盟を容易く崩す材料となってしまうでしょう。その手紙を、ルイズ。あなたに回収してきて欲しいの」

「その反乱がおこる激戦区に一生徒を送り込む…か。物語の主人公にでも頼む様な話だが、決して“おともだち”に頼む内容でもあるまい」

「…はい。それは重々承知の上! しかしっ、あなたと成長したルイズを見て確信いたしました。これはわたくしからの勅命として下しましょう―――ルイズ、手紙を回収し、貴方も無事に帰ってくるのです」

 

 何を持って確信したか、それを言われるほどにルイズは鈍感では無い。あのアンリエッタからの信頼がこの身に向けられることで喜ぶ一方で、勅命であるとは言え、このような話に乗ってしまい否応にも「使い魔であるディアボロ」を巻き込むことへの葛藤が生じる。

 そして、これは秘されるべき特務と言った。つまり万が一にもこの任務のさなかで死亡した場合、己の安否はアンリエッタ以外、誰にも知られることは無いのだ。

 

「お言葉ですが、随分と分の悪い賭けに出ている事は自覚なさっておいでですか? 姫さま。わたしの任が至らなければ、とてもではありませんが国を崩壊させることに一役買うのが自分となる事も」

「わたくしからはグリフォン隊の優秀な護衛を一人付けるつもりです。王宮のいざこざをまとめ上げる手腕はあなたと会わなくなった八年の間に身に付けました。それを踏まえたうえで、汚い私欲に溢れた王宮の者たちではなく、わたくしが心より信頼するあなたへ縋る道を見出したのです」

「それほどまでに、王宮は腐敗しているのですか?」

「ええ。このゲルマニア同盟による事実上の吸収。それによって根本から改革を必要とするほどには」

 

 アンリエッタとて、全ての(まつりごと)から目を背けていた訳ではない。微力ながらも、ルイズに比べれば雲泥の差と笑われるであろう規模でありながらも、彼女なりに力をつけていたのだ。

 側近とも言えるマザリーニは一応は味方だが、マザリーニは生まれの立場上、アンリエッタの補助はできても望みへの力添えはできない。正に八方ふさがりの状態から、尻拭いをルイズ達に任せるのは何よりも心苦しく、同時にそれを当然だと斬って捨てる醜い心がある。二つの板挟みから出たこの結論が、アンリエッタにできる全てであるのだ。

 

「ディアボロ」

「…知らんぞ」

「十分よ。……アンリエッタ女王よりその勅命、拝命いたします。ラ・ヴァリエールが三女ルイズ・フランソワーズの名と杖に掛け、己の全力を以って特務を遂行する事を此処で誓います」

「ルイズ」

「頷いて下さい、姫殿下。あなたはわたしの前で一歩踏み出してくれたのですから――それに報いずして何がおともだちでありましょう?」

「……分かりました。わたくしのために行ってください」

 

 アンリエッタは罪の意識にさいなまれない。これは親友との誓いであり、決して卑しい事ではないのだと改めて認識する。国の命運を友の手に託して、初めて背負うことになった命の責任に押し潰されないよう、トリステインの王女は自分の手を握りしめた。

 

 二人の決意が固まった直後、扉の前に移動していたディアボロはドアを挟んで言葉を零す。ルイズ達には聞こえない程度に言い聞かせた言葉は、扉の向こう側にはしっかりと届いていた。

 

「だ、そうだ。貴様も命を掛ける覚悟はあるのか? まさか覗き見が趣味とは言うまい」

「まさか。それに名乗りを上げるチャンスと君に弟子入り出来る機会が減るなんて考えられないからね。あの二人が落ちついてから、改めて立候補させて貰うよ」

「賢明な判断だ」

 

 異邦の巨漢は嘲笑い、待ち受けるアルビオンへの道のりを試練と受け取った。

 




ジョジョASB発売+免許取得+更新停滞のお詫び=二万字オーバー。

実際のところは上手いこと話を切れる個所が見当たらないのでダラダラしただけですけども。
アルビオン編から原作を離れていくと思います。原作沿いがお望みの方は、このあたりから離脱した方がいいかもしれません。
お帰りはこちらの部屋(・・)へどうぞ → ジェイル・ハウス・ロック

追記:
これまでの話の中で、どうにも表現がおぼつかないところが多々ありました。
そう言った所を微修正して加筆修正しておきました。


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ペルソナ舞踏会

長らくお待たせしました。
例の如く長いので適度に目を休ませることを推奨します。


「それじゃあ、改めて立候補させていただきます。ギーシュ・ド・グラモン。誉れ高き軍人グラモン家が四男のギーシュと申します。以降お見知りおきを」

 

 ルイズに「水のルビー」と呼ばれる王家の秘宝と一通の封筒が渡されて少し。ギーシュはアンリエッタの目の前に跪いていた。その整った礼儀の形は、礼節を弁える貴族らしくも己を誇示する意思が滲み出た矛盾がある。それほどまでの意志の強さは、圧倒的な敗北を前にしたが故か。さて、語られることは彼の胸の内ばかり。

 

「まぁ、あのグラモン家の息子とは。しかし、どうしてここがお分かりに?」

「恥ずかしくも、麗しき姫殿下の姿がお見えになられたので後をつけた次第。この無礼は謝罪いたしますが、どうかかの任務に私めをお使いになられてほしいのです。この身は軍人の息子、元より死ぬ覚悟は定まっております故」

「是非もありません。かのグラモン元帥の強靭な意志を受け継いでおられるならば、断ろうはずもありませんわ。よって、不徳はわたくしの名の元に取り除きましょう」

「ありがたき幸せ」

「顔をお上げになって、わたくしたちは最早共犯者なのですから」

 

 その言葉を聞き、ルイズははたと聞き返した。

 

「共犯者、ですか?」

「ええ、これから向かう先は戦乱のアルビオン。その中に密偵を送りこむ他国の王女は、空き巣の如き卑しいものに違いありませんもの。ですから、貴方たちの罪はわたくしの罪ともなりましょう……」

「王家の為ならば罪ごときは些細事。あなたのおともだち、ルイズの名に懸けて」

「成功を確信して待ちますわ。それではお邪魔したわね、ルイズ」

「いいえ、わたしたちの事はお気になさらず。夜の道はお気をつけて」

 

 アンリエッタは黒いマントのフードを深くかぶり直すと、闇に紛れて扉の向こう側に消えて行った。足音がほとんど聞こえない辺りは、お忍びの御姫様を何度も演じているが故の慣れであろう。ここまでの習熟度を得るまで一体どれだけの「脱走」を繰り返したかは知らないが、ルイズから見ればお城の警備兵へ謝罪の念を送るばかりである。

 

「っし、参加成功。明日からよろしく頼みます、師匠(マスター)

「いい加減くどい奴だな、え?」

「ここで諦めるなんてありえないよ、程度は弁えるけどね」

 

 気障に笑顔を浮かべながら、これ以上女子寮に留まる事は流石に風評被害が危ないからとギーシュもルイズの部屋の窓から去って行った。彼は土のメイジだが、最低限レビテーションの呪文は扱える。それで浮かび上がりながら、壁を蹴って勢いよく消えて行く彼の姿はすぐさま見えなくなっていた。

 まったくもって、ディアボロを召喚してから騒がしく忙しい日々が舞いこんできたものだと、アンリエッタに渡された水のルビーを見て思う。明日の速い朝に備えるためにも必要なものを取りそろえた彼女は、多少蒸した夜を過ごすべく、ベッドのシーツにくるまったのであった。

 

 

 

 昨夜の蒸し暑さが一気に冷めて、数キロにも及ぶ靄が立ち込めていた。お忍びの特務、という点においては非常にありがたいものであるが、ここで一つ(きり)(もや)の違いについて簡単に言っておこう。霧は見渡せる範囲が1km未満の濃度が高いものであり、靄は10kmほどまでなら何とか見渡せると言った薄い状態を指す。

 現在はその靄の方である故、学院から覗かれる心配などが懸念されるであろうがこの際に肝心なのは「敵」に此方の正体が探られることだ。多数のベテランメイジ…つまりは教師が治めているこの魔法学院に悪意を持って近づこうものなら、仮にもスクウェアであるギトーが気付く可能性が高い。つまりは視力による認知の外ですら無ければ、この学院からの動きを観想する事は出来ない。

 

「フン。小難しい事を並べ立てても敵らしき影は微塵も無い、か」

「どうしたのよディアボロ。なんか見つけたの?」

「その逆だ。何も見つからん」

『こんな朝もやすら見通しちまうのか、旦那にゃぁ驚かされてばかりだァな!』

 

 そっけなく吐き捨てた言葉にデルフリンガーが反応する。この剣も幾度も戦場をくぐりぬけて来てなお、魔法の加護があるとしても折れることなく生き残って来た戦士の道具だ。そのため、遂に来てしまったいつであっても戦闘を想定とした場で戦いの初心者達の為に柄と鞘の間を開けておいたのだが、ディアボロも半ば予想通りに雑談すらペラペラと楽しんでしまう始末である。

 だが、働きに関しては信用してくれていいとは本人、いや本剣の言。ディアボロの観察眼は真偽が見抜けぬ節穴では無いゆえ、幾ら煩かろうとデルフリンガーにとっては幸いにも口が閉じられる事は無かった。

 そうしたやり取りをしていた二人に近づいてくる人影があった。二人の旅支度より多い荷物に包まれるようにも見えるその姿は、ギーシュという少年。自分の馬へ荷物を括りつけながら、遅れてすまないと彼は謝罪を述べた。

 

「なによその荷物。食糧はともかくとして……なに、ホントに?」

「これがないと朝起きれなくてね。あとはトレーニング用の諸々さ」

「…目覚まし時計か。恐ろしく古いが」

 

 ディアボロの呟きに、耳ざとくギーシュが目を瞬かせて聞き返した。

 

「へぇ、これってディアボロの故郷にあったのかな? 是非詳しく聞いておきたいね。と、その前にちょっと使い魔を連れて行きたいんだけど…いいかな?」

「使い魔…そう言えば見たこと無かったわね。メイジと使い魔は一心同体の通り連れて行っても問題ないと思うわ」

「それは良かった。おいで、ヴェルダンデ!」

 

 ギーシュが地面に向かって呼びかけると足元の土が盛り上がり、ぼこっと割れた土の中から巨大なモグラがはい出してきた。ジャイアントモール。名の通り巨大なモグラは、髭の伸びた真っ黒な鼻をヒクつかせながら主人であるギーシュに擦りよって甘えている。大きさはキュルケのサラマンダーより一回り小さいくらいだろうか。それでも、十分大きいことには変わりないのだが。

 

「お腹一杯ミミズを食べて来たのかい? そうか、それは良かった! これでこれからの長い旅路にも困る事は無いね」

「モグラって…わたしたち、天空に浮かぶアルビオンに行くのよ? いくらモグラが地中を進むスピードが速いって言ったって、流石に邪魔になると思うのだけど」

「……え?」

 

 モグラとギーシュ。二人揃ってショックを受ける様子は見事なシンクロ具合である。

 

「だがこの大きさなら脱出経路を掘らせるには丁度いいかもしれん。ある程度までなら連れて行けばいい。いざとなれば肉盾か、非常食にもなる」

「……えっと、モグラって食べれたかしら?」

「ルイィィィズッ! 論点はそこでは無いと思うなぁ!?」

 

 ディアボロは自分の発言でうろたえ始めた一行に頭を抱えそうになるが、また一人近づいてくる気配を感じ取ってすぐさま臨戦態勢を整えた。キング・クリムゾンの固まったような表情で立ち込める「もや」の先を見据えると、どこか高貴さを醸し出す装束を着こなした髭が特徴的な人物がこちらに優しげな視線を向けて歩いて来ていた。

 自分の事を見ていると分かったのか、こちらに駆け寄って来たその人物はディアボロの警戒もなんのその、帽子を脱いでお辞儀する。

 

「やぁ、君たちが姫殿下の依頼を請け負った勇者君たちかな? 魔法衛士隊が一つ、グリフォン隊隊長のジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルド。貴族階級は子爵さ。よろしく頼むよ」

「フン、味方か。ルイズの使い魔だ。腕のきく傭兵とでも扱って構わん。だが命を受けたからには相応の働きを期待させて貰おう」

「グリフォン隊……その隊長だなんて! 僕はこんな奇跡がまだ信じられないよ。ああっと、ギーシュ・ド・グラモン。よろしくお願いします、ワルド子爵」

「そう畏まらなくても構わないさ。僕も一人の衛兵に過ぎないからね、今回ばかりは貴族階級は飾りだと思ってくれたまえ」

 

 爽やかな笑顔を綻ばせた彼は、ギーシュとは違った大人らしい清純さが感じられる。グリフォン隊という一戦闘部隊を率いる者としてもその引き締まった肉体は相応の圧力や威厳と言ったオーラが滲み出ているようで、ギーシュはその圧迫感に生唾を呑み込んでいた。

 その紹介の前から少し時間が止まっていたルイズも、ようやくその口を開くに至った。

 

「……ワルド様?」

「久しぶりだなぁ、ルイズ。僕のルイズ! まさか、婚約者の護衛を任されるなんて本当に光栄の極みだよ!」

「ワルド様!」

 

 先ほどまでの荘厳な雰囲気とは一転し、まるで年に一度であった友好のある親戚へ対するようなそれになった彼は、身に付けている装飾品で傷をつけないように気をつけながらもルイズを自分の目線にまで彼女を抱きあげる。

 真っ直ぐに、子供のような無邪気な視線でルイズを見つめる彼からは親しさという安堵を感じさせる雰囲気があり、それに呑みこまれたルイズは恥ずかしげに首を振った。

 

「その、二人の前ですから…」

「おっと、二人きりじゃなかったんだったね。君達、すまないね。ついつい浮かれてしまったようだ」

「感動の再会を邪魔はできませんとも。ルイズ、君にはとてつもない婚約者がいたもんだ!」

「あ、え、ええと……とりあえず! 下ろしてくれませんかワルド様…」

 

 どうにもいたたまれないのはルイズの方である。カミングアウトの連続に、さらには16の良い歳であるにも関わらず幼子にするような扱いは流石に厳しい。その意図を汲んだらしいワルドはもう一度ルイズに謝ると、それじゃあ出発だ! と清々しい号令をかけた。

 

 

 

「あのフーケが脱走!? チェルノボーグの牢獄から一体どうやって……」

「どうやら外から手引きした奴がいたらしい。何と言っても、フーケはトライアングル以上の実力を持つ魔法使いでもあるからね、犯罪集団にとっては引く手数多だったんだろうさ」

 

 グリフォン隊の名に偽りなく、颯爽とグリフォンの背にまたがったワルドが時事をルイズに語って聞かせている。その両隣に並走してディアボロとギーシュが馬を駆り、安定したペースで走っている姿は中々絵になっている。

 そんな中、ひとつの無機物がカタカタと金具を揺らして騒がしく言い放った。

 

『ハッハァー! やい娘っこ、楽しそうじゃねーかよ』

「インテリジェンスソード! 君の使い魔は随分珍しいものを得物にしているんだね」

「そうね。ともかく頑丈だから、ディアボロが扱っても折れないのが一番だって彼が言ってたわ。それ以外にも剣そのものの経験が強いって」

「戦いに関しても、最高の使い魔を召喚できたみたいだねルイズ。そう、強い武器や鋼の体を持っていても、戦場ではそれを扱う経験が無ければただの木偶にしかならない。彼は随分と屈強なようだし、歴戦の傭兵を召喚したってところかな?」

 

 ちらりと問いかけるように視線を投げたワルドに、ディアボロはさぁなと短く返した。

 

『旦那、気難しいもんでね。まぁ気にしなさんなや若造』

「僕を若造とは、これまた驚かされる。どれほどの時を生きてきたんだい?」

『さぁな? そうだ、始祖の時代からってのはどうだ!』

「……ハッハッハ! それは凄い。だったら、魔法が掛かっている筈のインテリジェンスソードがそれだけボロボロなのも頷けるよ。…おっと、談笑に興じている間にもまた日が高い位置にあるな。少し急ぐが、ペースは平気かな?」

「次の(替え)も近いですし、これを乗り越えたらラ・ロシェールに急がせましょう。隊長のグリフォンは持ちますか?」

 

 挑発的に問いかけたギーシュに、ワルドは得意げに鼻を鳴らして応えた。

 

「ギーシュ君、心配は御無用だ! むしろ今は君達に合わせていたのでね。コイツ(グリフォン)も遠出の機会も最近は少なくて、まだまだ走り足りないようだ」

「ねぇワルド。あなた、ちょっとはしゃぎすぎて無い?」

 

 まるで少年のように振舞う彼に、過去の面影とそれでもなお衰えない彼の若々しさを正面から受け止める位置に居るルイズが訪ねれば、そうかもしれないとワルドは再び笑って見せる。

 

「なんせ軍規は厳しくてね、隊長ともなると心の安らぐ時は中々訪れない。とすると、ある程度の自由が許されるこの任務はうってつけなわけだよ、僕のルイズ」

「呆れた! 立派になってたからさっきはどもっちゃったけど、変わらないのね」

「男はいつまで経っても心は少年だよ。いつだって恋焦がれることに老いはないのさ」

「……もう、ホントに子供。なんだかわたしが年をとった気分だわ」

 

 ワルドの本質を垣間見たからだろうか、はたまたディアボロとの語らいの中で冷静さを身に付けたからだろうか。ルイズはこの婚約者の言葉に苦笑を禁じ得ず、彼の腕の中でグリフォンの温かさを感じて毒気を抜かれてしまった。

 その指に水のルビーの煌めきを感じながら、舞いあがっていた過去の自分が引っ込んでしまって、いまの自分に戻っていく事を感じるルイズなのであった。

 

 

 

 その日の夜も更けたころ。ペースは落としていたせいか深夜と言ってもいいほどの暗闇の中に一行の姿はあった。トリステインの貴族という意味でもひときわ目立つピンク色をした髪の持ち主である二人は闇にまぎれるよう帽子をかぶっているが、上を見上げていることもあってその特徴は端から見えてしまっている。

 それもその筈。港、と銘打たれたラ・ロシェールの入り口は幅の広い臨海が展開されているのではなく、ごつごつとした岩や小石が転がる自然の道であったからだ。ある程度の道らしき跡はあるのだが、それも小石が毎日位置を変えて転がっているのか探すにも一苦労。暗く道の明かりすら見当たらないこの場所は、どうにも酷いものであるとディアボロは眉間にしわを寄せている。

 

「……この感じは。みな気を引き締めろッ、伏兵がいるぞ!」

 

 風のメイジであるワルドの叫びが一行の耳に届く。同時に、ばれたとあっては意味も無いと言わんばかりに岩山の上から幾つもの燃え盛る松明が落とされた。火の手を広がらせてあぶるのではなく、人間以外の動物()を牽制するための手段。

 山賊などでは無い、知恵ある行動に何か気付いたディアボロが小さく目を見張ったが、生憎とそれに気付く者はいなかった。同時に、矢が風を切って飛んできたのだから尚更だ。

 

「ギーシュ、壁!」

「分かってる! 錬金ッ」

 

 馬から飛び降り、すぐさま胸元から造花の薔薇(メイジの杖)を取り出したギーシュが地面に向かって魔法を行使する。そして凄まじい錬度で現れた人の身の丈ほどある上側にカーブのついた即席の盾が一向に振りかかる矢の雨を受け止めた。青銅では無く、固いながらも湿気を帯びた土は衝撃を吸収して矢の兆弾による被害を防ぐ。兵法書と、父親から送られた戦いの心得を身に付けて来たギーシュの真価が此処に来て発揮されていた。

 

「おや、君は動かないのか?」

得物(リーチ)の差だ。適材な貴様ら魔法使いに任せておこう」

 

 デルフリンガーを鞘の中に収めると、彼に譲る様にディアボロが言う。

 

「我武者羅に突っ込むようなイノシシじゃなくて助かるよ。やはり君は要人警護には最適だ。特に今回の様な任務には……ね?」

「フン、どうだかな」

「では、お披露目しよう! 風のメイジの力を! ……と?」

 

 さっと杖を振り上げたワルド。既に風の様子で敵の位置は確認できており、あとは敵のいる位置に向かって風魔法(エア・ハンマー)を打ち込めば済む話だったのだが―――ちょっとばかり、異変が起きた。

 まず見えたのは火炎のごうごうと燃え盛る光。一瞬映った緑色の体が空を駆けていたかと思うと、力強い羽音と共に竜巻が岩山の上を陣取っていた人間達に降り注ぐ。これは一体どうしたことだ。危険も既にないと悟ったか、ギーシュやルイズが土の壁から顔を出して其方を覗いてみると同時に鎧を着た男たちが転がり落ちる音が聞こえてきた。強かに岩肌に体をぶつけ、最後はこの山の固い地面に叩きつけられたのだ。痛いどころで済む筈がなく、声という声もあげられずに呻いている様子が聴覚一つで聞き取れる。

 

「……これは、どうした事かな。たしかお忍びだったと聞き及んでいたのだが」

「俺に聞くな。おおかた、靄を見通す色狂いが燃え上がったのだろうよ」

 

 ディアボロの返しに、ルイズがあらと声を上げる。

 

「ディアボロ。随分トリステインに染まったみたいね」

「マルトーがポエムをしたためていてな。その発表に付き合わされて見ろ、誰でも少なからずは影響を受けかねん」

「それはまた…災難だったね」

「黙っていろ。小僧に同情される云われも無い」

 

 しまった、と思った時には時遅し。なにかと色々抱え過ぎて頭を抑えたディアボロ達の元に、例の羽音の持ち主が近付いてきた。周りの埃を舞い上げながら着陸した幼竜に乗っかっていたのは、最近ルイズと馬鹿をするようになったお決まりの二人である。

 

「ハァーイ、ルイズ! あんたまた面白そうなことやってるじゃない。タバサ叩き起こして後をつけてきちゃったわよ」

「……眠い」

 

 なんというか、どこまでもいつも通りの二人を見てルイズは深い息を吐くばかり。

 

「…ねぇワルド。あなた気付かなかったの?」

「流石に上空は探知範囲外さ。ましてや、地上へ既に探知を敷いていてはね」

「ギーシュ、ディアボロ」

「最後はグリフォンに追いつくのもやっとさ」

「…奴らから目的を聞きだそう。目ざとくお国事を聞きつけた輩なら背後(バック)を聞かねば後が厄介だ」

 

 不機嫌そうに目を反らしたディアボロが鎧の男たちを回収し、ギーシュもそれに同行してアース・ハンドの魔法でしっかりと逃げないように固定する。それから盛り上がって来た後方の黄色い会話を聞き流しながら、ディアボロは座らされた男の前に立つと威圧するように彼らを見下ろした。

 ギーシュは何も言われずともその後方に控え、わざとらしく杖をちらつかせる。牽制に加え、彼らの命はこの杖一つで決まるのだという脅しも含めた行為である。

 

「さて、場も整ったことだ……貴様ら、何のために襲った?」

「ハッ! 随分みなりのいい奴が近付いているって仲間が見つけたんだ。俺たちゃ明日も知れない傭兵でね、貴族様のおこぼれにあずかろうとしただけさ。…おおそうだ! なんなら、これでも貰ってくれや、ペッ!!」

 

 吐き出した唾がディアボロの足元に落ちる。へっへっへ、と下品に笑った傭兵にやれやれと首を振ったディアボロは首を横に振りながらその男に近づいたその時、鎧の上からアッパーの形で殴りつけた。鎧に生身の拳を当てたことに正気を疑うような視線が集まったのだが、

 

「ガッ!?」

 

 男は、たったそれだけを言って命尽きる(・・・・)。たった一発、たった一発の拳だ。胸倉をつかみ上げるように殴っただけでその男は絶命してしまったのだッ!

 最初は状況が理解できていない男たちだったが、仲間の動向が開き切った様子と、口から流れ出来た尋常ではない血液の量を見て悟る。喋らなければ殺される。だが、男たちの雇い主もまた…喋れば殺すと、そう言った。

 

「ふむ、口を割らんな……? ああ、少し教えてもらえば私はこれ以上手は出さん…。口止めでもされているのか? だがそれも監視がついていなければ逃げれば済むことだ……それが分からん程に腐った脳ミソを詰め込んでいる訳でもあるまい? 話した方が楽だと、この私は思うのだが、どうかな……ン?」

 

 子供をあやす時に言い聞かせるような、それでいて威圧と言外に一人ずつ死んでいくと言う恐怖を染み込ませて。ディアボロは優しげな声色で言い放った。そして、ディアボロの言葉に男たちの中には「喋っても逃げればいい」「利益は十分貰っている」という思考が思い浮かぶ。

 それからはあっという間だった。男たちの中でも誰かが身じろぎする度にギーシュが杖をちらつかせたことで、ジッパーの壊れたカバンよりも、底の抜けたバックよりも酷くベラベラと証言が集められる。曰く、仮面をかぶった男に襲撃を言い渡された。それ以外には何もないのだと。

 金払いがよく、襲撃の依頼も殺しきることは別に求められていない。メイジが居るとは知らなかったが、それでも以来の中でも破格の報酬だったことから死の危険も含めて二つ返事で受けたのだと、男たちは皆声を小さくその「依頼人」に聞かれないように真実を吐いた。

 

「ギーシュ、魔法はどの程度で解ける?」

「僕らが去ればすぐにでも。なんなら、ここで逃がしてしまおうか?」

「それでいい。…ああ、一人死んだ事は隠しておけ」

「言われずとも。風評被害は貴族の天敵さ」

 

 ギーシュがもう一度杖を振るうと、傭兵たちを縛り上げていた土の拘束が解かれる。悪魔よりも残酷な男からいち早く逃れようと、悲鳴を上げて彼らはその場を去って行った。その場に、一人の死体をを残したまま。

 ギーシュもそれには見かねたのか、頼んだ、と言えば地面にぼこっと穴があいて、その中に男の死体が隠される。ジャイアントモールのヴェルダンデがギーシュの命令を理解し、掘っていた地面の穴の中に適当に落としたのだった。

 

 それからすっかり騒がしくなった彼女たちの元に戻れば、男一人でどこか気まずさもあったのかワルドの助かった、という安堵の息を吐く様子が見える。それから様子を一変させたグリフォン隊の隊長は事の次第をディアボロ達に聞きだした。

 

「何やら仮面の男に依頼され、命を握られた状態だったようです。凄腕のメイジで、支払いも良かったことから組織の計画的犯行か、権力のある貴族が裏に居たかも知れません」

「ふむ……だがその傭兵は」

「叶わぬと知って逃げていった。今頃は下山の為に汗水と涙でも流している頃だ」

「ならば捨て置こう。気をつけるべき敵の存在があると知れただけでも収穫だからね。ともかく話をまとめていたのだが、女神の杵亭にて一拍の後、朝一番で出港する事に決まったよ」

 

 ワルドの様子がどこか疲れたように見えるのも仕方がない事だろう。そんな彼の横から、その豊満な胸を張ってフンスと威張るキュルケが顔を出していた。

 

「当然、あたし達も参加させていただきますわ。戦力はトライアングル、ドットのギーシュとは比較も出来ない自負はありましてよ」

「…という一点張りでね。ルイズ、ディアボロ君。君達に意見を聞きたいのだが」

「ゲルマニアに言いふらされてもたまんないわ。道連れでいいわ」

「死んだところで口煩い相手が減るに過ぎん」

「満場一致か。仕方ない、かな」

 

 当然ながら、あまり良いとは言えない展開に渋々ながらもワルドは従うしかなかった。特徴的な小麦色の肌はゲルマニア人の証であり、密告などの心配はなさそうだが彼女の拗ねて帰ってしまえばこの任務に出張った意味すら、トリステインの未来の全ても無くなってしまう。何より、「任務」を重んずるワルドにとって任務失敗の可能性は出来る限り抑えるべきであるのだ。

 四人から六人と言う大所帯に増えてしまった一行は、その貴族と言う立場から有り余る資金を女神の杵亭につぎ込み、明日への宿賃として支払うのであったとさ。

 

 

 

「なんとか今日中に着けて何よりだ。スヴェルの翌日までに一日、準備を整える時間が出来た。貴重な時間だからな、各自明日の過ごし方を部屋で決めて来てくれたまえ」

 

 そう言ってワルドが部屋の鍵を受け取って、鍵束から鍵を渡していく。

 

「スイートルームさ。僕とルイズ、ディアボロ君にギーシュが同質。君たちは予定外だから、同室にしておいたけど構わないね?」

「ええ。婚約者様だものね? それじゃあルイズ、大人の階段でも何でも昇っていらっしゃいな」

「昇らないわよ! その話題が下に行きつく癖どうにかならないの?」

「お父様やお母様ゆずりだもの。清き血をどうして蔑ろに出来るかしらね? さぁ、行きましょタバサ。今度食べ放題で奢ってあげるから」

「…ハシバミ草、2スタック」

 

 ちゃっちゃと部屋の中に消えて行く二人に手を伸ばせど、悪態も何も出て来ることなくルイズは項垂れるばかりであった。キュルケといると精神的な疲労が絶えないと言う事もあり、ルイズは一応は久しぶりに出会った昔馴染みとの語らいも精神安定には丁度いいかもしれないと思ってワルドと部屋の中に入って行こうとした。

 その前に、顔だけ出してディアボロに伝えておく。

 

「ああディアボロ。……今日と明日くらい、自由にしてもいいからね?」

 

 顔を赤くしてすぐさま引っ込んだ部屋からは、錠前の締まる音が聞こえてきた。

 

「……青春ですねぇ、師匠」

「慣れん事を言っただけに過ぎん。小娘が」

 

 ディアボロの頭にノイズが奔る。まだ妻に裏がばれていなかった頃。トリッシュと過ごした日々……ノイズがかった思い出が現れては、無理やりにルイズの面影と重ねようとしてくる思考。

 まるで浸食されているようだと、頭の中がかき乱されている彼はそのそぶりを表に出す事すらせず、鼻を鳴らすだけでその「洗脳」の力から己を取り戻した。

 

 ―――この思いは、ルーン。貴様如きに強制されたわけではないッ! このオレが、オレであり続けるからこそルイズへと誓った忠誠……思い出を引きずり出したところで無駄だぞ…。トリッシュは、もはやオレの娘ですら無い…ッ!

 

 ディアボロは断言し、抗った。

 自分の意志で光を見つけ、自ずから動く事でその形を成す。そこには偉大なる魔法だろーと、国に伝わる伝統だろーと何も関係がない。ルーンの鳴らす頭の中の警鐘は消えて行き、クリアになった思考の中でディアボロは再び己がこの世界で生きる意味を格付ける。

 頂点を、絶頂の先に進むことこそがシエスタに見出して貰った己が道。師事されたものであれど、それは己が進む事を強要されたのではなく選択した道でしかない。故に、それを進むことに何ら間違いなど無いのであると、固く誓う。

 その表情は表に出ていたのだろうか。ギーシュの、憧れに満ちた顔がディアボロの視界の端に映った。恐らくは表情では無く、目から己の心情の一端を垣間見たのであろう。その事に関して何も言わず、ディアボロは与えられた部屋の扉を開けるのであった。

 

 

 

 ワインの香ばしい匂いが鼻孔をくすぐる。天蓋付きのベッドは如何にもと言った雰囲気を醸し出し、その目前には二人の男女が控えている。高級そうな造りも座り心地も並みでは無い椅子にそれぞれが体を預けながら、髭を蓄えた美麗な青年と、まだ少女らしさが抜けていないが造られた人形よりもなお美しい顔立ちの少女が向き合っていた。

 カツン、と当てられたグラスの硬質な音が無音の部屋に響き、フクロウの寂しげな声が遠くから聞こえてくる。青い月夜を水面に映した紅いワインを煽って、二人は笑顔を見せ合っている。

 

「おや、あまり手が進まないようだね?」

「寝る前のワインは控えるようにしているの。ワルド、軍務は大変だって聞くけど、まさかヤケを起こしてたっぷり飲んだりしてないでしょうね?」

「残念ながら、少しはある。まぁ体験談から二日酔いが酷くて、それ以降はさっぱりだけども」

「やっぱりお茶目で子供らしい時もあるのね。ああ、それと個室で帽子はご法度よ」

「おっと失礼。君と共に居る時間があると知って舞いあがってしまったようだ」

 

 取り外したつばの広い帽子を外し、灰色の長髪を露わにさせる。どこか似通った髪形同士が向かい合って、どことなく面白さが込み上がって笑みを漏らした。

 

「姫様からの任務、何か受け取ったものはあるかい?」

「旅の安全に水のルビーと、それからお返しの文を一つ。姫殿下もお人が悪いったら、水のルビーは国宝なのに売ってしまって旅費にしても構わないって」

「なんとまぁ。流石は姫殿下。まだまだお姫様気分が抜けていらっしゃらない」

「あら…ソレ、正面から言ってみなさい、反逆罪よ?」

「オーク鬼の居ぬ間になんとやら、さ。流石に本音を晒したくもなる」

「それじゃあ、あなたも晴れて立派な共犯者なワケね。姫さまの仲間が増えて下さったなんて言ったら、あの方の顔がすぐに思い浮かぶわ」

 

 口を手元で隠してくすりと笑う。ルイズも中々に言うような性格になったのは、常にぶっきらぼうにも見える厳しいディアボロの隣でそれなりに過ごしてきたからだろう。ただ、彼と出会って、彼から与えられた言葉で自分の中にあった錠前の幾つかが粉々になったことは確かだ。

 ルイズが好きなクックベリーパイが焼けるよりも早く、彼女は満たされた。

 

「君は……変わったね。もう夢見るご令嬢では無いようだ」

「よく言われるの。でも、変わったことに後悔なんてしてない。人間は絶えず変わり続けるからこそ、歩き続けるんだって思えるようになったのよ。だってホラ、歩いて足を動かす度に少なくとも姿勢は変わるじゃない」

「ハッハッハ! そんな些細な事でも良いのかい? だったら、欲に目がくらんで奔走する子豚の様な貴族たちはその内ステーキとして皿の上に並べられるかもしれないなぁ」

 

 先ほどまでの厳粛な空気はどこに行ったのやら。ワルドがグラスを零さないようにしながらも、軽快な笑い声を部屋の中に響かせる。近くに居たらしいフクロウは、びっくりして何処かに飛び去ってしまった。

 そうしてこらえきれない笑いをひとしきりに吐き出した後、目の端を拭いながらワルドは笑って言い放った。

 

「だったら、君が始祖に近いメイジかもしれない事も言っておくべきかもしれないね」

「あら、こんな失敗続きの三女が? まぁ努力は続けてるけどね」

「君の使い魔、ルーンを拝見したところ“ガンダールヴ”のようじゃないか。しかも左手とはこれまた伝説通りだ!」

 

 その言葉を聞いた瞬間、ルイズは急速に内側の感情が冷めた。

 アンリエッタに話した事も無い。そしてワルドは言わずもがな。学院側としても王宮への報告は戦争の火種を作ると言ったことから、既に王宮がガンダールヴの事を把握している筈も無いはずなのに。

 表面上は何一つとして笑みから変わることなく、それでいて自然な価値で興味ありげな瞳を形作って見せる。あのモット伯爵と対峙した時と同じ、相手の口を滑らせるような演技をするために無邪気な仮面を被って見せた。

 

「知っているかな、始まりの使い魔の伝説は」

 

 それを知らず、くっくっと喉を震わせて細目で話す男はルイズの変化を見逃していた。

 

「聞いた事は。魔法が使えないだけあって本だけは沢山読んだのよ、わたし」

「じゃああのディアボロ。彼のルーンを読み解いた事は?」

「残念だけど、使い魔にできる事を試した位ね」

「力の片鱗くらいは…見た事があるんじゃないか?」

 

 悩んで、思いだす素振りをするルイズ。そして、彼女は敢えて是と答えた。

 

「そうか…やっぱり、君は偉大な魔法使いになれる可能性を秘めているんだよ、ルイズ。僕もスクウェアになった途端に世界が開けて感じて……そう、力がどう動くかなんてのも理解できるようになった。その僕が言うんだから、君は間違いなく未来を約束されているさ」

「ワルド、力説は良いけど少しばかり距離が近いわ。これじゃ婚約者じゃなくて…恋人の距離よ」

「それでいいんじゃないか! …ああ、僕と結婚して欲しいんだ。ルイズ」

 

 ワルドの瞳を覗きこみ、ルイズは燃え盛る炎を見た。

 気高く荒々しく、それでいて…何かに違和感を感じる炎。暴風に巻きあげられた様な不自然な燃え上がり方は、とてもではないが個人が宿した感情と言うよりも植えつけられた何かがある気がしてならない。

 前にディアボロとシエスタに行ったようにも、ルイズも幼少期の経験から心の変化には、特に負の方向へは聡い方だ。だからこそワルドについてはただの得体の知れない何かと断じるよりも、何か引っかかるものを覚える。

 同時に、こんな打算的に動けるようになってしまった自分がどこか変わり果ててしまったかもしれないと、あのディアボロの二つ身を見たその時より思い続けてきた感情を発露させた。

 

「……ねぇ、ワルド?」

「何かな」

「あんまりにもいきなりで、レディに対する迫り方じゃないと思うの。わたしもちょっと戸惑ってるし、何より一つ言わせて貰いたいのは……」

 

 言葉を区切って、ルイズは笑う。

 

「ありがとう。嬉しいわ」

「……敵わないね、本当に」

「そう、かしらね」

「君は遠くに行ってしまっているようだ。ボートに僕が居ない間に、その手で向こう岸を探して一人で渡れてしまったのか。僕が魔法の風ではしゃいでいる間に、どこまでも己の体を使ってたった一人で……いや」

 

 ワルドが立ちあがる。

 マントを脱ぎ捨て、身軽になった彼はベッドに倒れ込んで右腕を顔に乗せた。

 隠れてしまった顔から覗く口は、嬉しそうに吊り上がっている。

 

「そうか。そうだったのか……なるほどね、これは、僕も身の振り方を考えないと」

「別に御免なさいとは言ってないのに」

「違うさ。君以外の女性に目移りする予定なんて無いよ。ただ、僕はこれほどまでに子供であり続けるしか無いなんて……この世界は残酷だと思ったまでだよ、ルイズ」

「グリフォン隊の隊長が子供? じゃあ、隊員は幼児なのかしらね」

「いいや違うさ。僕の率いる部隊は―――」

 

「馬鹿ばっかり、さ」

 

 こればっかりは、ルイズも仮面の下から笑みを漏らしてしまった。

 

 

 

「89…90…91ィッ!」

「………」

 

 その別の部屋で、どこまでも正反対な二人が全く違う高さにその身を置く。

 片方は地面に、片方は椅子の上に。別段下の者を見下ろすことも無く、椅子に座る男はその目を閉じながらに部屋の中を見渡していた。何と不思議な事かと思うかもしれないが、別段不思議な事は何もない。

 椅子よりも高い位置に、赤と金の像が浮かび上がっているだけなのだから。

 

「100……っと。ノルマも上々、馬に乗ってきたにしては上出来かな?」

「…終わったのなら、寝ていろ。ひよっこめ」

「タマゴの殻くらいは取ったつもりなんだけどな」

 

 ギーシュが立ちあがり、その手をハンカチで拭きながらに苦笑する。

 キング・クリムゾンはディアボロの目が開かれると同時に消え去り、再びディアボロの中の力として眠りにつく。その第三の瞳が見通した先には、ディアボロに待ち受ける試練と言う名の運命が映し出されていたのだ。

 

まだ時間はある(・・・・・・・)……か」

「そうだね、まだ一日も……ああそうだ。ディアボロ、君に聞きたい事がある。あの傭兵を殺した時―――どうやったんだい?」

「…さて、な。殺気は交えていた。ショック死でもしたのではないかと思うが?」

 

 その真相は、やはりというかキング・クリムゾンの「手」によるものだ。

 時に、承太郎のスタンド「スタープラチナ」が承太郎の体を通り抜け、心臓を一時的に掴んで止めた事を覚えている者はいるだろうか? 何と言うほどでもない。ディアボロは、その前例を知らないままに今のキング・クリムゾンにできる限界を試みたに過ぎなかった。

 まずスタンドはスタンド、またはスタンド使いでなくては触れられないという大前提がある。それに関しては壁も幽霊のように通り抜ける事が出来、果てには大きさすら極小にして人体に潜り込まれることも可能であると言うのはほとんどのスタンド使いが知らない、スタンドの素のままの可能性だ。

 これに関してはディアボロも能力とパワー以外にあまり目を向けていなかったのだが、この世界に来てからはルイズは当たり前として、シエスタや他の人間からも多方面のアプローチを掛けられている。その経験から、スタンドの「時を吹き飛ばす」能力が使えない今、この最高クラスの性能を誇るキング・クリムゾンにできる事を模索していたのだ。

 それで、先ほどの物体の透過が出てくる。単純に、殴りつけた瞬間にスタンドの腕を現出させ、目にもとまらぬ正確さであの男の心臓を握りつぶし、そして手を引いたのが先ほどの真相。

 なんという試み。何と人道を踏み外した者の思考かッ! だがそれにディアボロは新たな可能性を感じ、絶頂よりも高みへと踏み出す足掛かりを得たと言っても過言ではなかった! そう……彼はまたしても、この世界にて己が道の一歩を踏み出したのだ。

 

「アレには身に覚え(・・・・)があってね……君に殴られた…そう。あの時さ」

「ほぅ、辿り着いた事は褒めてやろう。だが憶測に過ぎん事を語って、貴様は満足か?」

「それが君の魔法に等しい何かなのか、それとも学んだ技術によるものかは分からない。でもね、僕はこう思ったんだ」

 

 振り返って、ディアボロへその右拳を真っ直ぐに向ける。

 

「これからは君から目を離さないよ。その技……その経験。どれもが可能性を実感し始めた僕にとっては最高の素材(マテリアル)だ。錬金を得意とする土属性のメイジに恥じぬよう、技術の全ては見て盗ませて貰うとするよ」

「師事は諦めたか? いや……だが面白いぞキサマ。このオレ(・・)を前に、はたして再び啖呵を切れるかどうか……」

 

 その瞳がギーシュに向けられる。

 圧倒的な、地面がひっくり返って押し潰してくるような感覚。立っていられなくなる程の圧迫感。培ってきたモノ、その全てが今の結果を否定するようにそびえ立つような錯覚を覚えながらも、ギーシュは冷や汗を流すだけでその場にとどまった。

 

「…黄金を」

「………」

「僕はこの手で、黄金を目指す。僕の青銅で、黄金に勝る頂点を掴む。その頂に立ててもまだ、ディアボロ……君に見下ろされるままであるかもしれない。だけど誓うよ。君の隣に並び立てたら、今度は追い越す番だ」

「そこにあるしかない(ドット)の貴様に、何ができる?」

「全てさ。点さえあれば、何もかもが始まる。終わりは無く線が張り巡らされて、それは僕の命尽きようとも受け継がれる……その手にした黄金よりなお輝く、未来へ向かって…ね」

「その未来に、いるのか?」

「いるさ。それまでに培った全てがね」

 

 首を振ったディアボロは、額に皺を寄せた。

 

「フン」

 

 やはり、見間違いなどでは無い。

 このディアボロと対峙した者は皆、己が身を恥ずべき黒として己が黄金の精神を見出すのか? 否、否である。この身こそを頂きとしたからには、その道標として我が絶頂が使われてきたのだろう。ならば、この身は更なる頂きを目指そう。黒き殺意も衰えし今、我が身がどう染まるのかはエピタフですら見通せぬ未来……だが、その道は見えているのだから!

 

「さて、と。少し恥ずかしい事を言ったかもしれないね。僕はもう眠らせて貰うよ」

「…………」

 

 目を閉じ、その声には応じぬことにした。

 赤青の双月が照らす中に、思いは違えず姿を現したとするのならば? 答えはそう、待つのみである。そうであるのだと……今のディアボロには、そう思えたのだ。

 




一ヶ月以上も更新止めたのって凍結以外で初めてかもしれません。
ともかく、本当に申し訳ありませんでした。久々に書くので方向性だのキャラだのが上手く書けていないかもしれません。
例の如く本編が進むのは遅いかもしれませんが、なんとかオリジナル展開に持ってこれるよう頑張ります。


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四方の門を閉じる風

ひとつ 始まりを告げる
ふたつ 繋がりが見える
みっつ 手によく馴染む
よっつ 閉じて終息する

わたしたちの道は袋小路でしかなかったらしい ―――4000年前、貴族の手記より


「やあ、おはよう」

「何用だ?」

 

 目の前に気配。ディアボロは昨夜の「仮面の男」からの依頼で襲撃されていた事もあって、一晩眠らずただ目を閉じて眠る振りでこの一体からの襲撃に備えていた。しかしその心配もなく無事に一夜が明け、太陽が斜め上から照らし始めた頃であった。

 ワルドが部屋を訪ねてきたのだ。装備は昨夜見かけた頃から変わらず、腰に巻いたレイピアのような杖に、機動性と言うよりは見栄えに重点を置いたマント。帽子を一本の指でくいっと押し上げた彼は、余り誰も起きていないであろう時間帯ににこやかな笑みで答えた。

 

「ちょっと、きみに嫉妬しちゃってね」

「……」

「ああ待った、無言で部屋から追い出そうとしないでくれないか」

 

 無言でワルドの肩とドアの取っ手に両手を置いたディアボロに制止の声を掛ける。

 仕切り直すように正面からディアボロを見上げたワルドは、ニヒルな笑顔を作る。

 

「君とひとつ手合わせ願いたい。きみはルイズから全面の信頼と信用を受けているみたいでね…昨日の語り合い、彼女が恐ろしい程遠い位置に居るのを実感させられてしまったんだよ。それで、そうまでルイズの心を埋める君は“どんな人間”なのか……少し、見てみたいと思って…ね?」

「昨夜の襲撃が何を意味するか、分からん筈でもあるまい」

「時と場所は弁えろと言う事だろう? だが心配ご無用。僕は風のスクウェア、偏在の使い手。偏在する我が身は常に周囲を見張っているが故に、敵襲の気配は曇りの日に太陽の光を見つけるよりも容易いさ」

「キサマが何を考えているかは知らんが、随分と自信家で我が身を中心として星を回している事は理解できた。あの小僧に付き纏われるよりはマシだ、な」

「肯定と受け取らせて貰うが、構わないか?」

 

 鼻で笑ったディアボロは、冷たい視線をワルドに向ける。中に含まれた敵意に、交戦の意志がある事を射抜いたグリフォン隊の隊長はついてきて欲しいとアイサインを送る。穏やかな寝息を立てるギーシュを残して、二人の極めし者の足音は遠ざかって行くのであった。

 

 

 

「ワルド、朝早くに叩き起こしておいて立会人をしろなんてほざく口はこれかしら? ええ、こ・れ・か・し・らッ!?」

「いひゃい、いひゃいよるふぃず」

 

 女神の杵亭、中庭にて。

 かつては練兵場ともなったこの地に、たった三人だけではある物の、当時の様な活気が舞い戻って来ていた。とはいっても、其れは喧騒の酷さであって修練に来た兵士と言う訳ではないのが時代の経過を感じさせる。

 

「そう言う割には笑顔って、そう言う趣味でもあるまいし……もう、ディアボロと言いギーシュと言い、それに加えて男ってこんなのしか居ないのかしら? 女の私には到底理解できそうにないわね」

「いつの時代も男が女心を介さないのと同じさ。これは僕の持論だが、男の心は牙城でできていて、女の心は煌びやかなお城。造りも違えば内装も違うと言った具合なのかもしれないよ?」

「誤魔化してばっかり! ……はぁ、ごめんなさいねディアボロ。この婚約者、昨日からなーんか変にわたしに突っかかって来るのよ」

 

 ははは、と反省の色も見えない「元・憧れのワルド」にデコピンをかましたルイズは呆れたように、どう思う? といった視線をディアボロに送る。腕を組んでただ首を横に振る彼の反応を見て、ワルドも遂に真性の大馬鹿者認定されてしまったか、とこの少年よりも幼いままである婚約者を見てルイズは苦笑を漏らすことしかできなかった。

 

「とにかく、時間も有限だ。こんなことに付き合って貰っている君達にも悪いからね、早めに始めるとしようではないか」

「調子のいい奴だ。気にいったぞ、キサマ。その目に秘める闇すらもな」

「―――。はは、とんでもないね。きみは!」

 

 ディアボロの発言で帽子のつばを直しながら、言葉と共に先に動いたのはジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルド。腰に差されていた彼の杖はいつの間にか手に収まっており、そこから突き出す吹きすさぶ風の如き一突がディアボロの心臓めがけて繰り出される!

 だが悪魔の男がうろたえることなどない! 完全に鞘に収まりきったデルフリンガーを逆手で抜き放つと、幅の広い峰で横からレイピアの様な杖を振り払う。杖を戻そうとするよりも早く、ディアボロの反撃はワルドの杖に接触し、手放さないまでも強い痺れをワルドの手に残して行った。

 次いで、デルフリンガーが完全に刀身の全てを錆びながらも太陽光を反射させた。その光はワルドの目に当たる角度で在り、網膜にもしばらく残る白い染みを視界に彩られた彼は、これは不味いと退避を選ぶ。しかし行動の合間に詠唱を追えていた彼は、エア・ハンマーと言う置き土産を残して中距離まで後退した。

 デルフリンガーを順手で右手に持ちなおし、こともなげにエア・ハンマーの出現位置を悟ったディアボロは横に小さく飛び退く事で風槌を躱す。ジリ……と地面を踏みしめる音が、両者の靴から響き渡った。

 

「……何と言うか、驚いた。ディアボロ君、きみは……状況判断能力が我が隊の誰よりも…もしかしたら僕よりも跳び抜けて高いのかもしれない。まるで暗闇の洞窟で墜落する事無く飛び続けるコウモリのようにッ! 君は行動に移るまでのラグが感じられない! 流石はガンダールヴ、神の左手に選ばれる素質を持った男だ!!」

「ああ、ワルドはなんでか知ってるみたいよ」

「ほぅ……それはそれは、興味深い事を聞いた。しかしコウモリとは……キサマ、我が過去を知らずに言い当てるとは思わなかったぞ。いや、同じ闇を持つ者同士……初めてあった時から隠すことなど不要であったのかも知れん…………」

 

 ルイズの言葉から、ディアボロはワルドが注意人物であるのだと悟ったが、そんな事はどうでも良いと言わんばかりに戦いの続きを促した。デルフリンガーは喋らない。ただの剣と徹している事で、ただの剣だからこそこの場に満ちる闘気以外の無粋な感情に気付いていた。

 故に、だ。互いに腹の探り合いは戦いを交わすことを主として読み取ろうと両者が構えを崩す。片や荒ぶ風の如く、片や流麗な水の如く。どちらも動の構えにて衝突し、デルフリンガーからは高い金属音が鳴り響いた。ワルドの杖には、いつの間にか風でコーティングされた刃が渦巻いていたのである。

 一合、二合、返して振り返りながら三合。貴族であるワルドと、立場上覚えなければならなかったディアボロとが華麗な剣舞を抜き身の剣で交わせる。悪魔と騎士の不作法なダンスは10合にも達しようかと言うところで一旦の終わりを見せ始め、11回目の剣の交差にて変化が訪れる。下段から突き上げるようにして掬ってきたワルドの攻撃を、ディアボロは未来を読んだかのように屈んで避けたのである。そうして突き出した形で攻撃硬直を起こしたワルドに容赦のないディアボロの(けん)が伸びる! 否応にも避けようの無い一撃がワルドを空に浮かせるかと思いきや、ワルドは咄嗟に振った杖で魔力に暴走を起こして暴風を形作った!

 ほんの少し、たったそれだけの差でディアボロの拳が空を切り、ワルドは反撃も考えられずに咄嗟に距離をとる。下から殴りぬいた形で硬直していたディアボロは視線を相手に向け、ワルドもまた殴り飛ばされそうだった腹を左手で覆いながら深く息を吐きだし、ディアボロを視線で射止めた。

 

「……これは、驚いたぞ。きみは本当に実力者だ……これまで会って来たメイジ殺しなど話にすらならない! その瞳、込められた想い…迷いなんてどこにもない……そう、戦士の様な……己の障害全てが何であろうと! 己自身で打ち砕く強靭な意志…! 素晴らしい、素晴らし過ぎるよ……ディアボロ君」

「実を言えばな……オレとてあれを避けられるとは、そう…微塵も思わなかった。キサマの力量を舐め切っていた事は恥じようではないか。慣れぬ剣で挑むのは、相当に堪えたようだ……この手が、雷でも打たれたかのように痺れ切っている……すなわちそれは、お前の力量は想定以上…だが、予見通りだな……」

「どうやらここで痛み分けにしておいた方がよさそうだ。きみが相手だと、僕も全力で殺し合う死合に発展しかねないからね……」

 

 ワルドが杖を腰に仕舞うと、ディアボロも後ろ腰に斜めに括りつけてあるデルフリンガーの鞘に刀身を戻した。金具の部分を稼働できるように少しだけ刀身は残してあるが、これ以上の戦闘の意志は無い事を互いに示している。

 一触即発の空気も霧散した所で、戦いに見入っていたルイズがハッと我を取り戻した。

 

「では、今日はゆっくりと戦地に入る前の平穏を享受しよう。……ああそうだ」

『んお?』

 

 思い出したように、ワルドはディアボロのデルフリンガーに指を指す。

 

「きみは剣士というより拳で戦う方がメインの様だね。少々貴族の従者にしては良い顔はされないだろうが……その剣、最初に抜いた時のように逆手で持ってみたらどうかな? 君の拳が、剣を握った程度で壊れる位にヤワじゃ無ければ…あるいは」

「仮にも名に高い魔法衛士隊長の助言だ。受け取っておこう」

「きみたちは積もる話も(・・・・・)あるだろう(・・・・・)から、僕はこの辺りで単独行動をとるよ。町を回って必要な品を買い集めておかないとね。では、さらばだ」

 

 マントを翻して宿屋に戻って行った彼を見送って、周囲の気配探知をルイズからのアイコンタクトで受け取ったディアボロはキング・クリムゾンの凄まじい観察能力で周囲を見渡した。

 虫の子が這いずり回る気配程度しか無く、ワルドは本当に去って行ったのだと確認し終わったディアボロは、早速と言わんばかりに話の本題に入る。ワルドと話し、何を掴んだのかと。

 

「さっきも聞いたでしょうけど、あなたがガンダールヴだってのがバレてるわ。オールド・オスマンからは門外不出を言い渡されたにも関わらず、何時からガンダールヴと判明したかすら分からないのに…彼は知っていた。“始祖ブリミルの伝説”……あながち御伽噺だって馬鹿にはできないようになって来ているわ」

 

 誰もいない事を確認し、近くの樽に腰かけたルイズが手ぶりを交えて息を吐きだした。

 

「手の内は極力明かさず戦ったが…ヤツも奥の手はいくらでも隠しているな。使ったのは風の低級呪文(エア・ハンマー)一発。体捌きは途中から本気の一片を出したようだが、アレには強力な魔法というファクターが欠けていた……」

「むしろアレだけじゃグリフォン隊隊長になれないわよ。ワルドは風のスクウェアメイジ…偏在は今回索敵に使ってるらしいけど、それを戦闘に持って来られたら実質ワルドを数人相手にすることになるわ」

「一人で一個師団を気取るか……だが腑に落ちん事が一つある」

『そりゃ、何で最適な戦術に口を出したか…だよな?』

「その通りだ」

 

 デルフリンガーが言うとおり、ワルドは此方が「ワルドが敵だと気付いていた事に気付いていた」にも関わらず、自分が不利になるだけだろうにディアボロへ戦いの術を指南したのである。実際、自分の手が伸びたような正攻法な戦いをするよりも、振り抜いた際のトリッキーな攻撃に繋がる逆手持ちの方が扱いは難しかろうと剣よりも更に懐に潜り込むディアボロの戦闘スタイルには最適だ。カウンターを取ることも多く、ともなれば丈夫なデルフリンガーで攻撃を受け流すにも逆手持ちは効率が良いかもしれない。

 ひとつ考えるだけで、バリエーションが一気に増える。本当に、ワルドは何を思って自分達へ道を提示したのだろうか。

 

「……奴の目を見れば分かる。アレは、泥を啜った者の目だ…裏切りをものともせず、己の都合の為には如何なるものも斬り捨て躊躇わない目だ……だが、その中で未練がましく光にしがみついている男の顔でもあるな」

 

 ディアボロの言葉に、ルイズはそう言えばと昨夜の事を思い出す。

 

「そう言えば…昨日の夜、途中からわたしに随分執着するような事を言ってたの。多分、ワルドの目的の一つにわたしが含まれていると思うんだけど……駄目ね、こんな才能無しが狙われた所で、何をしたいのか想像もできないわ」

「まだ此方の世界観には慣れん。だが、オマエですら分からないとなれば――」

『小難しいもんだ。奴が動きゃそん時にやりゃあいいじゃねーか。単純明快!』

「ふふ。それもそうね」

 

 どうにもならんな、とディアボロがあたまを振る。

 ルイズは樽からぴょんと飛び下りると、彼女も自由時間を満喫すると言って宿の外を目指して歩いて行った。今回ばかりはついてこないでも大丈夫と言われたディアボロはデルフリンガーを担いで宿に戻り、まだ穏やかな寝息を立てるギーシュを冷たい視線で見下ろすのであったとか。

 

 

 昼もとっくに過ぎた頃。敵の気配すら感じられない中で、しかし多数の目線がこちらを突き刺している。珍しい桃色に緑の斑点がある髪を後ろで一つに縛ったディアボロは、昼になるまでに購入したみすぼらしくはない服に身を包んでいた。もちろんと言うべきかは判らないが、新調したのは上着だけで下には複雑な模様をかたどった紐の様なアレを内側に着込んでいる。

 そんな礼服モドキを着こなしたディアボロは決して凡夫では無い顔立ちと、そこに居るだけで発せられる男らしいオーラから周囲の目線を引きつけているようだった。ギャング時代には晒した事のない真の姿を見られるのは学院で慣れて来ていたが、ラ・ロシェールの街に住む商人たちなどの物珍しげな視線の中には値打するようなねっとりとした陰気も漂っているのは非常に苛立ってくる。

 貴族の住む時代と言う事はつまり、モット伯の時の様な奴隷制度が浸透している時代だ。鎧を着た傭兵ではなく、どこの馬の骨とも知らない輩がこうして一人で歩き回っているのなら、絶好のカモとみなされてもおかしくはないと言う事なのだろう。

 

「だが…ふん、ムカつく視線だ……。このオレを観察しているつもりか? あの傭兵共は」

『旦那ぁ、そうカッカするもんでもねーぜ。奴らの実力は旦那の足元にすら及ばねぇって。堂々と胸張って歩くのが、力を持つ奴の特権って奴だろ。それによお、だらけてたら迎撃すらできねぇや! へっ!』

「堂々と……か。この地で我が過去を暴くものもいない……オレは、そうだ。進むだけでよいのだな? ハッ、まったく恐ろしい娘だ。ルイズが何処にいるか分からんだけ。たったそれっぽっちでこうも取り乱しそうになるとはな……」

 

 予想以上に、自分の「光」と認識してしまっているだけに、影を伸ばす闇である己の存在意義に疑問を抱きそうになっていると言うディアボロ。隣に立ち続けると言う事はつまり、ディアボロ自身がルイズの永遠の壁となる。そしてルイズが乗り越える度に、ディアボロがより長く、より高く昇る影の標を見つける。

 この無限の連鎖が、いまこの時を過ごすディアボロの精神を押し固めていた。過去を掘り返される恐怖を乗り越える……そう、真の帝王としてほんのちょっぴりの恐れすら己のものとして認めるにはまだほど遠いにしても、ディアボロはルイズが傍にいる事で彼女を教え、彼女に教えられてきた。

 人間の中にある光を、何時か彼が手にする日は来るのだろうか? いや、もう手に入れているのに気が付いていないだけなのかもしれない。ジョルノ達が掴んだ黄金は、常にその手のうちから湧き出でていたのだから……。

 

「傭兵、全てか」

『やるか?』

「下手に動けばワルドも動く。この会話も、気付かれている前提だろうが…奴は何を企んでいる? 色恋沙汰では無い…奴はどこか、遠い場所を見つめていた……このオレが知る事の無かった、遥か遠くの何かを」

 

 それがどんな感情であるのか。人間の汚い部分ばかりを網羅したディアボロは、ワルドの抱く愛情へ縋る気持ちに気付く事は出来ない。

 だからこそ、何も知らないディアボロは思う。この身に与えられたチャンスでもある。ルイズの使い魔と言う立場…これは自分に与えられた試練の一つであるのだと。この身に起こる事全てを認識し、理解する事が第一歩となるのであろう、とも。

 街の地形把握を終えたディアボロは、ゆったりとした足取りで宿屋に向かう。帰り際、一度だけ力強く閉じられた瞳が映したのは……淡く力を放つルーンの光であった。

 

 

 

「戻ったぞ」

 

 宿屋に戻ると、一階の酒場でカクテルを揺らすルイズの姿があった。

 アルコールはさほど摂取していないようで、素面のままに彼女は言う。

 

「あらお帰り。気分転換はできた?」

「再確認……だな」

「…え?」

「それだけだ。夕飯は先に喰っているぞ」

「あ、ちょっと」

 

 引きとめるが、彼は酒屋の一角に移動して注文を出すと、どっかりと席に座りこんでしまった。何か彼なりのリフレッシュでもしてきたのだろうと、彼の腰に差された鞘へしっかりと収められたデルフリンガーの姿を確認したルイズは、隣に誰かが座って来た事に気がついた。

 

「やっ、ルイズ。まだ夜も来てないのにカクテルかな?」

「ギーシュ、どうしたのよ」

「気付いてるかな。彼、また纏ってる雰囲気が鋭くなってる…近々なにか起こるかもね」

「…あ、そうみたい。良く分かったわね」

 

 付き合いの長い自分でも、言われるまではその微妙な変化へすぐには気付けなかった。ちょっとした驚きと畏敬の念を込めてルイズが彼を誉めると、少し照れくさそうにギーシュは頬を掻く。

 

「まぁ、彼をずっと観察していれば雰囲気の違いなら分かるように…ね」

「……あ、あぁ…そう言う…?」

 

 理由が理由だけに、しつこいにもほどがあるんじゃないかと目元を引き攣らせたルイズは決して悪くはない。半ばストーカーまがいなギーシュの発言は、この時代に置いても理由を知らなければ変人扱いは免れない。まして、誇り高く清き付き合いを至上とするトリステイン貴族の一員でもあるという箔から、そう言った行為はあまり好まれてはいないのだ。常識の問題である。

 

「面白そうな話してるわねぇ。ちょっと混ぜなさいよ」

「わっとと」

 

 突然として、ルイズの隣席にキュルケが腰かけた。いったいどこから来たのかと問えば、二階で暇を持て余している所、何か面白そうなものはないかと一階で話し込んでいる二人を見つけただけらしい。

 

「いい加減に任務のこと教えてくれてもいいんじゃないの? アルビオンで何かするっていうのは分かったけど、具体性に欠けてちゃ女も作戦もすぐに廃れちゃうわよ」

「あんたは護衛かなんかだと思っていればいいのよ。こっちはお国事なんだし、いくら友達でも他国の生徒が政に介入する訳にはいかないじゃない」

「あら! 友達って言ってくれるのね、良い事聞いちゃったわ」

「…ゲルマニアの女性は君のように都合のいい部分しか抜き取らないのかい?」

「やぁねえ…あたしだけよっ。そんなの沢山いたらウザったいとは思わない? ねぇギーシュ、どうなのよ」

「……自覚しているだけマシと言うべきか、それとも呆れ果てるかほとほと反応に困るレディだね、ツェルプストー。……おや、あれはタバサじゃないか」

「え? あの子も降りて来たのかしら……って!」

「ふぅん。何気に初めてじゃない? タバサがディアボロに話しかけたのって」

 

 背丈を軽く超える杖を背負ったタバサが、トコトコとディアボロの元へ向かっている様子が見えて、ギーシュが行った傍から三人の視線はそちらに向けられた。距離は取ってあるし、杖も構えていないタバサには恐らく聞こえていない事をいいことに、三人は興味深げに彼女の行動を予測しては騒ぎ立てる。

 対して、無言でディアボロの元に辿り着いたタバサはハシバミ草の盛り合わせを注文すると、テーブルマナーに忠実な食事をするディアボロと対面に座る。その体格差はまるでどこかの御伽噺の登場人物を彷彿とさせた。

 

「……聞きたい事がある」

「ぶしつけだな」

「あなたはハルケギニアの常識からはかけ離れている…つまり砂漠を越えたどこかの国から来た異人」

「要領を得んな、それで何だというのだ」

 

 視線を一度も合わせず、食事の手を止めないディアボロの返しに苛立つ様子すら見せず、彼女は無感情に告げた。

 

「…精神を治す知識があれば、聞いてみたい」

わたし(・・・)は壊す専門なのだ……その後の奴らがどうなろうと知った事か」

「そう」

 

 たったそれだけだった。タバサは瞳の奥で輝いていた僅かな灯火を水で濡らすと、もとの深海よりも深い青色の瞳で仮面を被る。その一瞬、ちらりと其方を見たディアボロはつまらなそうな感情を見せたが、タバサはそれにすら反応する事は無かった。

 そしてタバサの注文したハシバミサラダが届くと、彼女は何かの想いをふっ切る様にむしゃむしゃと食べ始める。その小さな口に運ばれる速度は並みのものでは無く、ディアボロがまだ食事を続けているにもかかわらず、彼女はものの数分で席を立つとお代を払って酒場の一角に座りこんだ。

 

 その様子を見ていたルイズはまたやらかしたものね、と。ディアボロの行動が何を意味していたのかを瞬時に悟る。タバサはディアボロとの戦いから知らず知らずのうちに逃げ出し、背中を向けてしまった彼女にディアボロの興味は一気に薄れたのだろう。手を伸ばす気まぐれを逃すチャンスは、この場では潰えたといってもいい。

 趣味が悪いのは彼から聞いたギャングという荒くれ者の組織でボスをやっていたからなのだろうか。彼が此方に来てからまず最初に考えて、今ではそう考える事すら無駄な感想を抱いたルイズは溜息をついた。

 そんな中、突如ディアボロが投げて来た視線に頷いて、その足を二階に向ける。

 

「あら、何処行くの」

「お月見よ。ワルドも見かけないし、部屋に戻ってるかと思って」

「そう? じゃあさっさと婚約者と逢引きしてらっしゃいな。あなたの興味は、あの髭の素敵なお方には無い様だけどね」

「そう言う事になると途端に鋭くなるわね。恋のお悩み相談室でも開いたらどう?」

「いいかもね。最後に着きつける言葉は―――押し倒しちゃいなさい、なんて」

「あんたらしいわ。バッカみたい!」

 

 僅かに笑って、ルイズは二階へあがって行った。最後に階段の壁で見えなくなる前に見たディアボロは、此方のことなど気にも留めずに食事を追えて口周りを拭っている。妙にマナーの似合った姿は、普段の彼の様子からは想像もできない程に似合っていた。

 とん、とん、とん、木の階段を上がる度に、宿部屋の中以外に人の気配を感じない廊下は少し不気味に思えた。お化けでもでたら爆破してやろうかしら。そんな物騒な考えを抱きながら自分の貸し与えられた部屋に入ると、案の定。部屋の中で帽子をクルクルと回して遊んでいる婚約者の姿がある。両手を腰に当て、鼻から空気を押しだしたルイズは、此方に気付いてやぁ、と手を上げる婚約者が自分よりずっと年下に見えてしまった。

 

「ワルド、明日に必要なものは買い揃えたの?」

「ああ。そっちに纏めておいてあるさ。明日はディアボロ君に持たせて港まで行こう」

「適任だけど、荷物持ちって…わたしの使い魔と言うより、使用人みたいな扱いしたら怒るかもしれないわよ。彼」

「ははは、嘘だよ。馬はともかくグリフォンはアルビオンまで同行させるからね。グリフォンの鞍に括りつけて行くから安心して構わないとも」

 

 グリフォンは魔法衛士隊の「グリフォン隊」を象徴する騎乗魔物である。その証明としてついてきている時点でこの一行は只者ではないと自己主張するような物だが、ワルドが出てきた最初からこの任務のきな臭さにはディアボロの視線を通してルイズにも伝わっている。

 なんとも先が思いやられる任務だと、こんな命がいくつあっても足りそうにない命令を出したアンリエッタへ愚痴をこぼしたくもなるが、おともだちである彼女へ直々に「無事に生きて帰る」と約束したからには、必ずや任務を遂行して五体満足で戻っていかなければならない。

 

「任務をこなし、自分たちをも守る。これがわたしたちの辛い所よね」

「おや、突然どうしたのだ。泣きごとかい? 僕のルイズ」

「そんなんじゃないわ。ただね、ワルド。あなたが何を考えているのか……何も分からないのが不気味なだけよ」

 

 指を組んで、微笑を伴ったその言葉にワルドは目を少しだけ見開いた。こうまで直球に聞いてくるとは思えなかったのだろう。だが、すぐさまその驚愕を苦笑に変えた彼はあからさまな嘘を吐く。

 

「ただ任務の為に君たちを守り切って、ルイズには傷一つつけさせない…と言ったら?」

「だったらその考えは失敗ね。ほら、さっき階段の手すりで木のトゲがささっちゃってるもの。あぁ、結構痛いのよねこれって」

「ああ、これは大変だ! ルイズ、こっちに手を貸して」

 

 ほらほらと見せびらかした患部にワルドが少し慌てると、指を広げたルイズの手をとって指にささっているトゲを少しずつ引き抜いた。指の腹からぷっくらと膨らむ血の球を布で拭うと、清潔な包帯をリボンに見立てて結びつける。細く小さな包帯の指輪は、ワルドの見た目に似合わずこぎれいに整えられていた。

 

「ほら、これでよし」

「意外と器用ね。それとも、これもグリフォン隊の訓練の賜物かしら」

「曲がりなりにも軍人なんだから、応急措置のいろはは叩き込まれたよ。いつか時間がある時にでも、“ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルドのグリフォン隊成り上がり物語”でも語り聞かせてあげたいね」

「だったら、“ルイズが言われた悪口メモ”でも見せようかしら」

「そんなのあるのかい?」

 

 驚く彼に、ルイズは笑う。

 

「ないわ。口から出まかせって感じ」

 

 どっと疲れたように、ワルドは向かいの椅子に体を預けた。いつの間にか出した話題全てが上げ足を取られているのだから、彼の苦労も相当なものだろう。それがかつての可愛い可愛い小さなルイズでしかなかった彼女自身の口から吐き出されるのだから、やられた、という感覚は二倍になってワルドを襲う。

 月が太陽の光を打ち負かし始めている。赤と青の双子がせわしなく自己主張を続ける中で、ワルドはふっと笑ってルイズを見た。

 

「なぁルイズ」

「どうしたの?」

「結婚しよう」

 

 一瞬で、時が止まった。

 

「…ど、ど、どう言う意味…かしら…?」

「言った通りで、言葉のとおりさ。ああ、僕が相応しくないと言うのならもっと男を上げよう。この旅路の間で君をうならせるほどに―――」

「そう言う意味じゃないのよ! け、結婚だなんて……こんな時に」

「さっき君は聞いただろう? “一体何を考えているのか”って…ね。僕がこの任務に同行したうち、一つの目的に君を手に入れる事があった。人形じゃない、君の自主性をちゃんと理解した上での話さ」

 

 突然として言われたことにのぼせていたルイズだが、ワルドの言葉でまたクールダウンする。そうだ。この男の言った事は、つまりそう言う事だったのだから。

 

「ああ、そういう…。なるほどね」

「だがそれも優先度は低かった…しかし今となっては、第一に君の事を考えずにはいられない」

「あなた随分と厭味なのね。こんな無能の女に対して……有能この上ないあなたがわたしの許可を得ようって? それこそ、力づくで言う事を聞かせられるでしょうに、ねぇ? そうよ、わたしはか弱い婦女子でしか無い…あなたみたいな立派な男は、あの手この手で抑え込むことだってできるじゃないの」

「しかしそれは、今となっては誇りすらクソ喰らえの僕にとっても最低に属する行為さ」

「ホント…不気味よ、ワルド。一体何を抱えているの?」

 

 ワルドの目に影が差す。

 ニヤリと釣り上げられた口元は、ルイズに対しての感情表現なのか。それとも?

 彼はこれ以上なにを言うでもなく、腰に差したレイピア意匠の杖を揺らした。

 

「……ム、これは」

「どうしたの?」

「どうやら敵のお出ましらしいね。先に下へ向かう……安全を確保するから、ついてきて欲しい」

「あ、ちょっと! ……はぁ、言う筈ないか」

 

 部屋の外へマントを翻しながら走り去ったワルドの背へ手を伸ばして、空を切るばかりのその手を見つめ直した。ディアボロのように年季と他人の血肉が刻まれたわけでも無ければ、シエスタのように労働へ従事した証拠の傷も何もない。まっさらで、まだ何も汚いものに触れたことすらない両手。

 まるで赤子の様な無垢な手を見て、ワルドの手袋の下に刻まれた武器を握る屈強な手を思い浮かべる。一体何をするために、彼はこの日まで鍛えて来たのであろうか、と。

 その全ては、先の会話で真にも何も知ることなく…淡々と事実のみを受け止める結果となった。数年来の付き合いだと言っても、相手の全てを理解することなど不可能。まして、数年ぶりになる人間と出会うとするのなら―――相手も自分も、知らない事は増えている。

 

「ままならないものね」

「本当に、この世の中はそうなのよねぇ……」

「ッ!?」

 

 ぽつりとつぶやいた言葉に、返す人間がいる。

 それは、ベランダの向こうから聞こえて来て―――

 

「……フーケ。脱出して、わたしたちにお礼参りに来たつもりかしら」

「まぁ近いんじゃないの? アタシとしては、憎たらしいアンタらを踏み潰せればなんの後腐れもなくなるってモンだけど…さッ!!」

「ゴーレム…ッ!」

 

 ベランダの向こう、ゴーレムにのったフーケが腕を振り下ろし、女神の杵亭はスイートルームとベランダに大きな被害を被ることになる。崩落する瓦礫の淵から逃げ出したルイズは、悲鳴を噛み殺しながらも何とか部屋の扉まで向かって退避する事が出来た。

 向き合って、避ける様な笑みを浮かべる女盗賊にキッと睨むような視線を向ける。

 

「おお怖い怖い。魔法も使えないくせに、とんだおてんば娘もいたもんだ」

「そのお転婆は魔法にも現れてるって思った方がいいと思うけど?」

「なんだって?」

「―――ファイアー・ボール」

 

 杖を向け、その着弾地点へハッキリと狙いをつけたルイズが唱えた呪文は既存のファイアー・ボールという魔法のように杖先から飛ぶことはない。しかし、突如として(・・・・・)魔力が収束した先にはファイアー・ボールを遥かに超える熱量の塊が現れるのだ。フーケが乗るゴーレムの肩は弾け飛び、その近くに乗っていたフーケの体は大きく空に浮かされた。

 

「うぅぅあああぁぁぁぁ!?」

「今のうちに…!」

 

 フーケは自分で操ったゴーレムに何とかキャッチして貰ったようだが、彼女が視線を戻した時には既に、ルイズは一階に向かって走り出していた。階段の下にある酒場からはとてつもない喧騒と、人のうめき声が混ざった大合唱が聞こえていて、時折炎が弾けるような音も響いてくる。

 とんだ大喧騒になっているものだ。そんな事を思いながら、飛んできた矢が足元に刺さって悲鳴を上げながらワルドの手招きする方向に足を向けた。

 

「ワルド、戦況は!?」

「ディアボロ君が頑張ってくれている…が、余裕も長くは持たないだろう。こうして立て篭もって嵐が過ぎるのを待ってもいいが、それでは明日の昼まで長引く可能性がある。魔法も無限に撃てるわけじゃないからね」

「となると、明日の出向には間に合わないかもしれないな……ヴァリエール、ワルド殿。ここは僕たちが抑えるから、船着き場に向かってくれ」

 

 ギーシュが造花の薔薇を構えて言えば、キュルケが真性の馬鹿を見るような眼で言う。

 

「…アンタ正気? ドットクラスのくせに、彼と戦ってから口だけ立派になった訳じゃ無いわよねぇ? ちっぽけな銅の人形遊びしかできないのに」

「銅じゃない。青銅だ! っと、それはともかくだ。僕は飛び入り参加、そしてキュルケやタバサくんは元々任務とは程遠い存在だ。ここは直接姫殿下から任務を受けた君たちが行ってくれたまえ」

 

 元々、家訓である「命を惜しむな、名を惜しめ」を念頭に置いて考えているギーシュである。ディアボロからまだ師事を受けられていないこともあり、ここで散るつもりは欠片たりとも持ち合わせてはいないが、王族の任務を失敗させる事だけは阻止しなければならない。

 何か言いたげな視線でギーシュを見ていたワルドだが、こういう人材を惜しむ表情から冷徹な目つきに戻った彼は、ひとつ頷いて了承の意を示す答えを返した。

 

「……わかった。ギーシュ君、君の思いは無駄にはしない。行くぞルイズ、裏口はまだ手薄だから突破は可能なはずだ」

「え、ええ。ディアボロ! ある程度終わったらこっちに追いつきなさい!」

 

 返事の代わりに、最前線に出ていたディアボロは屈強なラリアットで傭兵を五人纏めて吹き飛ばした。戦列を組んでいても、それ故にドミノ倒しのように体勢を崩される兵士たちは、この悪魔のごとき力で自分たちをなぎ倒す男に恐怖し始めていた。

 ディアボロはデルフリンガーを握り、その峰で確実に一人一人と意識を奪って行く。敵の集団に突っ込んでは乱闘を繰り広げる彼は、見えない角度からキング・クリムゾンの拳を他の兵士に当てることで死角の全てをカバーしていた。己の肉体による攻撃と、精神の塊であるスタンドとの背中合わせの共闘。それでいて、ディアボロ一人で戦う姿は熾烈でありながらも正に無双ッ!

 誰にも彼を止めることなど出来ないのだ。そう、共闘する仲間からの指示以外には。

 

「ダーリン! ちょっと退いて!」

 

 兵士の一人を踏み台にし、ディアボロはテーブルを盾にして籠城戦を行うキュルケ達の場所まで下がる。スタンドを纏わせた片手をブレーキにし、宿の床に深い五本の指跡を残しながら後退する彼は、敵に飛んで行く大鍋と、キュルケの放った火炎の塊が網膜に張り付いた。

 

「消し飛びなさいな!」

 

 キュルケの魔法は烈火よりなお激烈! 鍋の中に残っていた油は彼女の微熱を灼熱へと変化させ、その場にいる全ての傭兵へ等しく真っ赤なキスマークを施した。ごうごうと燃え広がる宿屋は既に壊滅は決定済みだが、この場に訪れた傭兵たちも同じく壊滅的なダメージを受けていた。

 炎上する人間の苦しむ声が聞こえ、気絶した仲間につまずいて仲間と自分に更なる炎を映してしまう者が続出する中、ディアボロは酷い臭さだと吐き捨て裏口に向かった。しかし、その時ディアボロを引きとめるようにして肩が掴まれる。

 こんな場所まで敵が来ている筈も無い。つまり仲間の一人がこうして自分を引きとめているのだと感じたディアボロは、苛立ちを隠そうともせずに振り向いて――

 

「待って! あたしもルイズの場所に連れて行って」

「……今回の件については部外者の貴様が、何を言う?」

「おかしいとしか思えないの。あなたが来てからルイズは変わった。でも、そう簡単に学院で歪められたルイズのしこり(・・・)はさっぱり綺麗に取り払われているとは思えないわ。貴方たちの前じゃ、きっとその皮を被り続けるに決まってる」

「……で? オマエが受け皿になろうとでも言うのか」

「受け皿じゃないわ。あの子が気兼ねなく攻撃できる相手よ」

「好きにしろ」

 

 それだけ言って、ディアボロはさっさと裏口に手を掛け、周囲に居た傭兵たちの腹へ鋭い拳を叩きこんで出て行ってしまった。どちらにせよ、今の掛け合いにほとんど意味も無い様に思えるだろう。だが、キュルケは敢えて声を出す事を選んだのだ。自分の意思で行くのだと、証明するために。

 

「…タバサ、付き合わせてごめんなさいね。でも流石にヴァリエールを両手に薔薇になんてさせておくわけにはいかないから」

「キュルケ、とっても不器用」

 

 タバサが言えば、キュルケは憎まれ口を閉じる他なかった。

 

「……今更あの子の前で本音なんて言えないわよ。彼が、ディアボロが来てから変わったルイズに憧れたなんて…下手に言いふらしてみなさい? 百合の花が咲いちゃうわ」

「まったく、君は化粧だのなんだのと……戦いに迷いを持ち込み過ぎだよ。戦う意志のない婦女子はさっさと逃げてくれたまえ。ここには戦士二人がいれば十分だからね」

「死なないでよね。ドットクラスの癖して粋がって、死んでたらモンモランシーとケティをどう取り押さえればいいか分からないんだから。タバサに頼ったって誰も馬鹿にしないわよ?」

「ふふん」

 

 返事の代わりに、ワルキューレを二体作り上げたギーシュが杖に意識を集中させて戦に躍り出る。風の魔法と最小限のコントロールで次々と敵を気絶させていく親友、タバサの雄姿を見送りながら、苦笑をひとつ。キュルケは振り払うように背を向け、裏口で倒れ込む兵士の背中を踏みつけて行くのであった。

 

「と、大口叩いたはいいけど……ミス・タバサ。敵はあと何人かな?」

「14人。それから……」

 

 宿屋の二階が丸ごと取り払われる。上から覗きこむのは、巨大な土くれゴーレムに乗ったトライアングルメイジの大怪盗。

 

「大物が一人」

「それはグッドテイスト。コーヒーが泥水にならなければいいんだがね」

 

 三点を包囲された二人は、魔法の力をみなぎらせた。

 

 

 

「どっちが桟橋だ」

「あっちの樹の上よ。アルビオン行きは更に上の枝を港として使っていますわ」

 

 土地勘のないディアボロが、背中に捕まっているキュルケの声を当てに進行方向を定める。後方の宿からは建物一つが丸ごと崩壊するけたたましさが耳を打つが、ひととび20メートル以上の脚力を以って走り去るディアボロ達の速度によって、すぐ夜の静寂と風を切る音ばかりが聞こえる世界に入り込んだ。

 そんなディアボロが走っている街の道には明かりと言う明かりもほんの少ししか無く、完全に夜は出港する事を考えていない作りの港へ向かう道に対し、なんと24時間営業心のない国営業なのかと舌打ちせずにはいられない。

 

「ねぇ、ルイズは…本当に強くなれてる?」

「知った事か。奴が啖呵を切った事は認めるが、行動へ移した姿は見た事すら無い」

「……あの子の心境次第なんでしょうね。本当に立派になれたら、ミスタの前で成長した姿を見せてくれるかもしれませんわよ?」

「姿とは、誇示するものではない……」

 

 ディアボロがこう言ったのは、決して表舞台に姿を見せずに独りよがりの帝王を演じていたから…などという理由では無い。ディアボロは知っている。誰にも知られず、縁の下の力持ちという言葉を体現する人間が居る事を。その行いは親しい人物や限られた者たちにしか知られておらず、時には誰にも知られていなくとも、その偉大な行いは必ず名も知らぬ誰かの為になっている事を。

 思い返すのは黄金体験の中での事。今となっては最小限の人間……あの賊を脅す時に一人だけ殺しすにとどめているが、あのレクイエムの迷宮の中での出来事を経験していなければ、洗いざらい聞きだした後は用済みとなった傭兵十数人全員を殺していた事だろう。だが、ディアボロがそうしなくなったのは何故か? 理由は簡単で、いまは姿も存在も無きジョルノが見せた黄金体験から、ディアボロは命を学んだからである。

 教師はおらず、その副産物的な能力だけが見せ続けた現実の幻。いまや世界を持超えるきっかけとなったジョルノは、その場におらずとも確実にディアボロの人格に影響を与えている。

 しかし典型的な貴族として教育を受けている真っ最中のキュルケは、その言葉の意味がまだよく分からなかった。貴族とは、己の行いを誇り民衆に見せつけることで名を残す存在。大なり小なり全ての貴族が自ずから名声を得ようとするのに、誇示せずしてどう姿を見せると言うのだろうか、と。そう思わずには居られなかった。

 

 そしてしばしの移動が続き、キュルケの指示でアルビオン行きの船がある桟橋へ向かう。木を内側から昇ると言う不可思議な体験を通じながらも、ディアボロの瞳は宵闇に輝くピンクブロンドの輝きを映した。

 

「あ、ディアボロ! ―――とキュルケ!?」

「相変わらずねぇ。ほら、愛しのミスタはあたしがとっちゃっ――」

「降りろ小娘」

「痛いッ!?」

 

 尻から落とされるキュルケ。ディアボロには女心を介す心意気すらないらしい。

 そうしていると、タラップからワルドが降りてきた。合流したディアボロと、まさか一緒にいるとは思わなかったキュルケに目を見開いていたが、すぐに平常心を取り戻して報告する。

 

「丁度良かった、いま船長との交渉が終わった所だよ。それでディアボロ君、彼女は…」

「野良猫に集るノミのようにくっついてきたに過ぎん」

「……そうかい。まぁ、君が選んだのなら僕は構わないとも」

 

 ワルドが帽子をつつき上げながら言えば、ディアボロはどうでも良いと言わんばかりに出航準備を終えかけている船に乗り込んだ。その際にはまったく自然な流れでルイズも同行し、後からは憎まれ口を叩き合いながらキュルケがルイズの後を追って行く。

 

(……これも、僕の試練(・・)なのだろうか)

 

 ワルドは思う。

 姫殿下の思惑とは違って、彼は自分の欲望とでも言うべき願いを掲げてこの旅に同行するようありとあらゆる手を回した。学院で行われたパレードの際にも、アンリエッタが悩んでいる事を諜報を通じて知りながら近づいた。その努力や策は功を成し、こうしてアルビオンの特務に参加する事になる。

 グリフォン隊隊長の肩書も、全てはこれから始まるのであろうハルケギニア全土を巻き込む大乱で自分の役に立てるために取った称号に過ぎない。ワルドの行動原理の全ては、二つの目的と一つの真実の為だけにあるのだ。

 

「ワルド!」

「…ルイズ?」

「早く乗りましょう。何がしたいのかは……ゆっくりと船で語らえるじゃない」

「……ふっ。ああ、そうだね」

 

 だから今は、この可愛い婚約者の誘いに乗ろう。

 自分の中にある真実を明かす為、どちらに転ぶかは―――己の意志次第なのだから。

 




今回はワルドが少しずつメインに。
キュルケはもう少しルイズへの憧憬の一部を描写しておきたかったです。まだ初期段階。

気付いたんですが、わたしたちの小説って(心の中の言葉)が少ないようです。というか今回かなりのレアケース?
ほとんど地の文にまとめたほうがやりやすいんですが、他の人はどうなのかしら。


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虚中の虹

キリよく区切ったらいつもより少し短くなりました
※11/19(火)後書きにて追記アリ


「いや、参った。どこから情報は漏れたんだろうね」

 

 ふぅ、とわざとらしく一息つきながらワルドは帽子を立て掛けて個室の壁に寄りかかった。下手に座るより、立ちながら一度身体を落ち着けたいと言う事なのだろう。参った参ったと言いながらに頭を掻いていると、帽子の静電気で絡まってしまったらしい髪の毛が何本か抜けて、少し目じりに涙が溜っている。

 一部隊の隊長であるにもかかわらず、どこか間の抜けたワルドの奇行に緊迫した空気を抜けていくのを感じる。ルイズは相も変わらずね、と出会ってから今に至るまでの彼の評価を不変の奇人と評した。

 

「ただ、休憩もしていられないのが僕の辛いところだ。そろそろ甲板に上がってくるよ」

「どうした」

「ここの交渉の時、夜明けにギリギリ飛び立つ予定だったのか風石が足りないというのが船長の言でね。僕の魔法で風石分の追い風を作ろうって提案さ。チップも多めに渡してあるし、アルビオン開戦の知らせを受けてから客足が減った船長はこの提案で快諾してくれたんだ」

 

 じゃ、そう言う事だから。と言って休憩室を出たワルドの姿を見送ると、どこか虚空を見上げていたディアボロも何かをはっきり見たかのようにして安堵の息を吐き、部屋を出て行った。その際にルイズと視線を合わせて何らかのやり取りを見せたあと、ディアボロの背中は締まる扉によって見えなくなる。

 休憩室に二人取り残されたキュルケとルイズ。最近少しずつ友好が増えてきたこの二人だったが、ディアボロ含めワルドも、ルイズが背伸びをするような相手が居なくなったことで彼女の張り詰めていた気もかなり抜け出てしまったようだ。

 

「…あら、いつものヴァリエールに戻ったじゃない。やっぱりあの二人の前だと、その貧相な身体を少しでも大きく見せようとしていた訳ね? 微笑ましいわ」

「キュルケうっさい。わたしだって本当は普段やっかみにしか使ってなかった頭を、ディアボロが来てからはフル回転させてて辛いのよ。少しでも早く、彼の前で彼を追い抜かないと……って」

 

 それでも、と。悩ましげにルイズは自分の両手を見た。

 それは宿屋での行動と同じ。人を手に掛ける事が必要だとは言わない。キュルケはあの時傭兵を焼き殺していたが、それは恐らくキュルケにはあの放漫な身体を目当てに近寄る馬鹿貴族以上の下衆が居たからであろう。最初はどんな事がきっかけとなったかはルイズには知る由もないが、キュルケは間違いなく人を殺すと決めたらやり遂げるだけの決意を持つ事ができる。

 

「何を悩んでいるのか知らないけど、剣で殺すのも魔法で殺すのも一緒よ。それにね、ルイズ? アナタはあたしが認めた個人的なライバルなんだから、もっと対照的になってほしいの」

「……対照的? それにライバルって…また大きく出たものね、わたしの過大評価とでも言うつもりかしら」

「違うわよ。…癪だけど、咄嗟の機転や知識面ではあたしがルイズに勝る事はない。地力の大きさはあれど、あなたの観察力や判断能力はいつも正しかったわ。感情を表に出している時はそうでもないけど、でも見ているあたしは少なくともそう思った」

「見てたって……あんた、まさか」

「最近、また練習始めてるわね。しかも今度はあたしが考えもつかなかった方向で」

「………ストーカー?」

「ち、違うわよ!? 家柄のライバルがどんな感じか、興味を持ったら予想以上に凄かっただけよ! 魔法の腕とかじゃなくて、その精神の在り方が」

 

 羨ましいわ、とストーカー呼ばわりから平常心を取り戻したキュルケは煽情的な頬笑みを浮かべた。悩ましげに吐き出される息は同性のルイズから見ても官能的で、自他共に絶賛するルックスがそれを引き立たせている。

 女性として既に完成にも近い成熟を誇っているキュルケは、しかしルイズの事を自分よりも上だと称賛したのである。

 

「…キュルケ、病気?」

「せっかく人が雰囲気出してるのに台無しじゃない。そう言う所は羨ましくないわ」

「羨むんだったら、その無駄な脂肪いくつかよこしなさいよ。こっちはいくら食べてもガリガリにしかならないってのに……」

「へ、食べて太らない? …そう言えばいつもクックベリーパイほうばってるのにダイエットしてるのは見たこと無い……ちょ、ちょっと詳しくその辺聞かせ――」

「はいはい。分かった、分かったわよ。こっちもちゃんと落ちついたから」

「―――あらそう?」

「ええ、おかげさまで」

 

 ふぅ、と吐き出した息は白く染まる事はない。風石の副次的効果で冷暖房の空調もしっかりと聞いた部屋は常温で、とても過ごしやすい。貴族専用の休憩席と言うこともあるのだが、今ここでその事実は必要ないだろう。

 ハッキリと向かい合ったルイズは、キュルケに尋ねた。

 

「…そう。そっちの言った通りに失敗魔法をどう活かすか、それを調べてるの」

「学院のスクウェアメイジが掛けた“固定化”を一撃だもの。でも、あなたが馬鹿にされた時に放った爆発で一人も死者は出ていないのよね。精々が気絶か吹き飛ばされた時の怪我程度だわ」

「当然だけど、わたしは四大属性どころかコモン・マジックですら爆発が起きてるわ。アンロックに関しては鍵ごと破壊するからある意味成功だけど…」

「それを成功と言ったらこの世の泥棒全員がメイジよ」

「そりゃそうよね。当たり前」

 

 ひらひらと手を振ったルイズは、近くにあった観葉植物の葉っぱを一枚ちぎった。

 

「ちょっと見てて。これが研究の成果」

「…危なくない?」

「コントロールはある程度」

 

 その言葉と共に、ルイズは「ウル・カーノ」と発火のルーンを唱える。

 テーブルに乗せられた観葉植物の葉っぱは小さな爆発に包まれ、小さい煙が晴れた頃には葉肉が焼け煤けた繊維のみが残っていた。

 

「あら、火属性の魔法成功ってこと?」

「ちょっと違うわ。次、見てて」

 

 もう一枚観葉植物の葉をちぎり、見比べるように繊維だけとなった葉の横に並べる。ルイズはタクト型の杖を指揮するように気楽に振り、次のルーンを口にした。

 

「ウインド」

「あら」

 

 ポンッ、と膨らんだ袋から空気が弾けるような音がした。爆発には違いないが、先ほどの爆発と比べて更に小規模なそれは、対象の葉っぱをテーブルの向こう側まで吹き飛ばすにとどまる。葉っぱ自体はなんの損傷も無く、本当に風で吹き飛んだだけのようだった。

 

「…属性の効果がそのまま、爆発の何かに関係してるのね?」

「有り体に言えばそう。土属性だと葉っぱじゃなくて石だけが罅割れるほどに傷ついたわ。水属性の魔法だと逆に生き物の水気を吹き飛ばす様な爆発が起きて、カサカサになった。ディアボロの居た場所の知識だと水属性の反応は無理やり水を分解して酸素と水素だけにしたファンタジーな水素爆発にも近いとか言われたけど……まあその辺は割愛するわね」

「聞いてるこっちもワケ分かんないから是非そうして」

「で、この反応を見る限り、わたしは一応四大属性に“反応”はしているみたいなの。だからと言って出来るのは爆発を介した現象だし、比較すると他のドット以下の更にそれより下になるわね。…でも、属性に反応する。つまりは爆発(これ)って、始祖ブリミル(・・・・・・)の作った魔法法則の一つ(・・・・・・・)である事が証明されているわね」

「先住魔法の類じゃなくてよかったじゃない。そうだとしたら異端審問ものよ」

「ええ、その辺りは本当に安心したわ。…でも、言いたいのはそんな事じゃ無いのは…分かってるわよね? いまここで気付いた自分自身ですら認めたくもないし、信じられないけど…無能だったわたしには到底あり得ない、なんて」

「…虚無、とでも言うつもり?」

 

 キュルケが眉を跳ねあげて言えば、ルイズはそれ以外にないわと答えた。

 その応答からしばらくの無言が続き、窓の外からは上空に居ることでハッキリと強くなった月光が部屋に注ぎこまれている。両者ともに向かい合う椅子の方へ体重を預けた途端、苦笑ともため息ともつかない声が口から漏れ出ていた。

 

「異端審問より遥かに面倒事じゃないの! 始祖の血を引いた王家の一角、公爵家のアナタならありえなくもない、なんて思うけど。流石にソレはこじつけかしら?」

「両親のランクで子供の才能が初期から現れる、なんてのは良くある事でしょ? 逆にわたしは気付きたくなくて、初めてその発想に思い至ったわよ。ああもう! キュルケ、あんたのせいで逃げ道無くなっちゃったじゃない」

「でもルーンも全然違うのに発動できるなんて、それこそ“神の如き所業”よね? 案外なんでもこなした伝説をなぞらえてみれば、ルイズ。そっちの爆発が起こす現象は不思議じゃなくなってきたわ。あーやだやだ。貴方たちを追いかけて来て、まさかの一大発見に立ちあうなんて聞いて無いわよ」

「こっちこそ厄介事は御免よ。せめて馬鹿にした奴らを見返す程度のささやかな才能が欲しかったのに……食事の度、本気でささやかな糧を祈ってたから始祖ブリミルがご褒美にくれたとかそんなアホな理由じゃないでしょうね? わたしの才能(これ)

「むしろそれならアナタの才も見事に隠れてラッキーね。実際そんなわけないけど」

「…これも試練なのかしらね。ええ、分かったわよブリミル! この馬鹿らしい運命を与えたもうたのは、このわたしに対する試練(・・)だと受け取ったわよ!! あぁもうっ!!」

 

 貴族の娘とは思えない程に取り乱したルイズ。その様子は先ほどまで目に知的な光を携えていたことすら霞んでしまいそうな、年相応の悩める思春期の女子そのものである。親から譲り受けた美しい桃色の髪を傷つけないようにしながら、頭を押さえてその場にうずくまるルイズだったが、彼女の様子を見ていたキュルケは何だか可愛いなどと思っていた。

 顔をふくれっ面にする可愛い可愛いお人形さんだ。だが、血が通った人間であるが故に、そんな人形として見るのは着せかえる時に留まりそうではあるが。

 

「ふしゃーっ!」

「どうどう」

「誰が馬よ」

「寧ろ子猫ね。ほらほら、ごろごろー」

「……いや、ノリでそのまま撫でないで欲しいんだけど。妙に落ちつくのがムカつくわ」

「そんな事より貴女の髪すべすべなのねぇ。お手入れしてる?」

「ヴァリエール傘下の水メイジ一家からの献上品。オリジナルオーダーね」

「こっちは水メイジもそう多くないし、いたとしても産業開発に回されてるからそういうのは輸入に頼るほかないのよねえ。今度分けてちょーだい」

「余裕があればね」

 

 はぁ、とキュルケの膝の上に乗せられたルイズはさらさらと髪を弄ばれながらも母性的なキュルケの膝からは動こうとはしなかった。最近癒しを求めていたと言うのは否定できないし、そもそもたった今弾きだした結論から「ワルドが最初だけ狙っていた」のはこの虚無と仮定した才能かもしれないと、答えが繋がったからである。

 となれば、こんな才能は祭り上げられるに相応しい。ワルドが王族にそのまま還元するかはどうかとして、自分は旗本に掲げられる未来が一つ確実なヴィジョンとして見据える事が出来たと言ってもいい。ディアボロと共に、精神と個人としての高みに登りたかっただけなのに、キュルケには言わなかったガンダールヴのルーン、それを根拠とした仮定的な虚無の才能。こんな人生を爆発(・・・・・)させるような出来事は寧ろ必要無かった、とルイズは二度目の溜息を吐いた。

 しばらく髪の毛を弄っていたキュルケもその内飽きたのか、また違った色気を出す褐色肌の手をルイズの頭に乗せ、ふと思いついたように口を開いた。

 

「そう言えば、ディアボロ…彼の事はどう思ってるの、ルイズ」

「ワルドじゃなくて?」

「何でもかんでも色恋に結びつける訳じゃないわ。あたしだって、一応は友達になった奴の色んな事を知りたいの。もう一人の方が聞けないし、聞かないから」

「ああ、あのタバサってトライアングルの……それにしても、ディアボロかぁ」

 

 自分と似たような桃色の髪、という事から話し始めたのかもしれないし、それとも彼自身が抱える何かに惹かれたからわたしは過去を乗り越えるためにも立派な自分を目指そうとしたのかもしれない。

 彼が来るまでないまぜになっていた感情は、何処を辿ってもやはりディアボロが居てくれたからこそ整理をつけられた事が多い。どんなときも味方と断言してくれた彼を思い出せば、焦燥感に駆られる心はクールダウンし、怒りを撒き散らそうとする無様な姿を晒そうとした時は、すぐさま自分自身を見直して怒りをそのまま表には出さないようにできる。

 どれもこれも、彼と言う一人の味方が出来たことによる余裕から来る安心感だ。そう、ディアボロという男は恐怖を撒き散らすと同時、その庇護下に居る者に対しては多大なる安心をくれる。まさしく人の上に立つに相応しい男であるのだ。

 

「…うん、色々考えてみたけど」

「けど?」

「大切な人。……まだ、色々分からなくてそうとしか言えない…かも」

「親愛とか、そう言うのは無いの?」

「どうなんだろう。まだ分からないけど、かけがえのないパートナーって広い意味で言った方がしっくり来るわね。何かに固定して当て嵌めるみたいな、そんな事はできそうにもないわ」

「あなたがそこまで言うなんて、随分と器が広いのね」

「その程度で収まるような評価かも、分からないわよ?」

 

 改めて考えてみても、底が見えない。

 彼の持つ異能…「スタンド」はまだまだ本調子でなくて、持っている特殊な能力の一つを発揮する事はできないと言っていた。そして自分自身の心変わりには随分と疑問を抱いていたようだし、帝王に拘る程に誰かの上に立っていようとする。でもそのおかげでわたしや、あのメイドのシエスタみたいな人間は救われたり、何か強い意志に目覚めたり。

 それでいて最初はただ遠いとしか感じられなかったディアボロが立っている場所は、より一層先の見えない、底の見えない恐るべき人物という感想しか抱けない。

 

「わたしはまだあんまり……彼の事は分からない」

「……そう」

「それでも言える事は一つあるわ」

 

 目を閉じて、キュルケの膝の上でルイズは言い残した。

 

「ディアボロは……わたしが目指す道。そして、乗り越えるべき……人よ」

「…羨ましいわね、ホント」

 

 夜も遅い。世紀の大脱出の為、労力も酷く使ってしまった。

 二人の少女はまどろみを覚え、夢の世界に落ちてゆく。

 

 

 

 

「…………」

 

 部屋の外で聞き耳を立てていた人物はゆっくりと扉を離れ、寝静まった二人を起こすまいと足音を立てずに遠ざかろうとした。しかし、廊下の角から突如として伸びてきた力強い腕によって、その行く先を阻まれる。

 

「ワルド、立ち聞きとは婦女子に対する礼儀がなっていないようだな。ン?」

「……君か。驚かせないでくれ」

 

 まさか、自分の隠密を破られるとは思っていなかったのだと、ワルドは突如として現れたディアボロに対して正直に話した。そんな返事が帰ってくるのは、流石のディアボロにしても予想外の出来事である。目を少し見開き、片眉をつり上げて疑問の表情を形作った。

 

「何故素直に言うのか、なんて言いたげだね」

「貴様の行動はスパイにしては酷くお粗末だ。そして任務を請け負った一部隊を率いる者としては語るも馬鹿馬鹿しい。なのに腑に落ちんのだ……貴様は何故、此方を裏切る心算でありつつ其れを隠そうとはしない?」

「……言った筈だよ。僕は、ルイズに惚れ直したと」

 

 何の迷いもなく言い切ったワルドに、今度こそディアボロは表情を歪めた。

 

「…この船が落ちても困る。配置に戻り、そこで続きを話すとしよう。ついてくるかい?」

「当然だ」

 

 ぶっきらぼうに答えた巨漢の言葉を受け、ワルドは無防備にも背中を見せながら甲板へ続く船内を歩いて行く。その後ろに追従したディアボロは近くに掛けてあった厚手のコートを上から羽織り、冷たい上空の空気への防寒装備をこしらえた。

 少しの間無言が続き、甲板へ出る階段をワルドが昇り始める。そこで初めてワルドの方から尋ねたいことがある、との言葉が発せられた。

 

「君が隠れていたにしても、そこに居たのは想像すら難しいと思うんだ。……ガンダールヴの力以外に、何か隠している事があるのかな?」

「さて、どうだろうな」

「君の装備、そして言葉から返答はイエスと受け取らせて貰うよ」

 

 彼が見たディアボロは、そう。デルフリンガーを帯刀していない状態だ。

 鞘に収めたデルフリンガーはルイズとキュルケの居る部屋に荷物と一緒くたにされており、現在の彼は厚手のコートと普通の服以外は武器らしい武器を何一つとして身に着けていない。拳で戦うインファイターという印象をディアボロに持っているワルドとしても、ガンダールヴのルーンが持つ効力のメリットを考えればナイフの一つでも持っているべきだと思っている。

 故に、ガンダールヴに匹敵する「切り札」があるのだと、ワルドは考えた。

 

「さて……まずは何から話そうかな」

 

 甲板に辿り着いたワルドは、操縦士や船員の耳に入らないよう「サイレント」の魔法を使って自分達の会話を聞こえなくした。最初はいきなり何をしたんだと疑った船員達も貴族らしい秘密の話の為だとすぐに思いいたって二人の周囲に近づかないよう作業を進めて行く。

 ようやく腰を落ち着け、一対一で話せる状況になった。

 そこでディアボロが、まず先手を切ることにしたらしい。

 

「其方の目的を話して貰おう。嘘の類はすぐさま見抜いてやる…とだけ言っておいてやる」

「嘘、か。まぁルイズにはともかく……君には先に話しておくよ。後で話しておくなり何でもすると良いさ」

 

 そうだね、と帽子の淵を握ったワルドが語る。

 

「この旅に同行できた理由は、まぁ事前に君たちの事を知っていたからだ。それで行動に映すまでは、グリフォン隊隊長という貴族の中でも軍の中でも特別な階級を数年前から何とかして掴み取った。そして立場を利用し、アンリエッタ王女に接触。こうして君たちの旅に僕が同行するようアピールしたと言う訳さ。なんとも賭けの強い命令だったが、何とかこなせてホッとしているよ」

わたし()が召喚されたその時から、すでに知っていたようだな」

「真っ先に命令は降りて来たよ。“時は来た”ってね……運命とか何とか言っていたけど、まあ任務内容以外の辺りは聞き流したから詳しくは説明できないね」

 

 ワルドの反応は、ますますディアボロの額に皺を寄せる結果となった。

 スパイだと公言した上で、敵の勢力の一人だと言い放った上で、自分達に何の遠慮もなく情報や個人の目的、そして陰謀の裏を話してきたのだ。こんな人間はディアボロの支配したパッショーネだけではなく、全てのマフィアやギャングを探したって何処にもいないだろう。まるで風のように、飄々とした人柄は地に足がつく事はないと公言しているかのようでもあった。

 

「どっちのスパイだか分からんな……話を続けろ」

「スパイか、似たようなものなのかな?」

「続けろ、と言っているのだ」

「…それでまぁ、僕に命じられた事は三つ。一つ目に“虚無”の才能を眠らせるルイズを手に入れる事。二つ目はアンリエッタ王女の手紙を回収する事。そして三つ目は―――ウェールズ皇太子の殺害だ。三つ目に関しては、“レコン・キスタ”の軍勢の被害を減らす為、士気を上げる最大の要因の排除。それから此方の持つ何かしらの秘術の為、死者のウェールズが必要だと言う事だね。…ああ、残念ながら僕は秘術(それ)を知らないから、無い情報は聞かせられないよ」

「どうせ滅ぶ定めを辿る国家の王に興味はない。だが…手紙の回収はトリステインとゲルマニア同盟を引き裂く手段と言うのは分かる。解せんのはルイズだ……返答によっては、そのレコン・キスタとやらを壊滅させる必要がある」

「…大きく出たね。流石にそんな事を言われたのは初めてだ…そんな事はどうでも良いか」

 

 ルイズ。そう、ルイズだ。

 この話の中心に置かれるほど、ルイズは重要視されている。その事がディアボロには気がかりで、一切接触のない筈のルイズに伝説とも語り継がれる第五の属性「虚無」という称号が与えられるのは……ディアボロにも予想はできていたが、あくまで憶測の域を出ないに過ぎなかった。

 それ以前に、ルイズはディアボロが認めた光。自分の上に押し上げるべき光であり、その光を受けて自分と言う影を大きく成長させる半身である。その自分の意志を通すべき人間であるルイズが、馬の骨やクソカスにも劣る未知の人物によって運命を左右されるなどあってはならぬ未来だ。そんなものはエピタフの予言にすら見えていないのだから。

 

「ルイズは、真に虚無の魔法を扱う才能がある。それはあの爆発が一つの証であり、始祖の血を分けた王家の血筋を引くことからも決定づけられていた。僕が初めてであった頃ではそんな事は知らなかったが、今はそれだけの価値が彼女に付けられた。……ああ、彼女に出会う前はそれでいいと思っていたさ」

「……情に絆されたか。だがやはり、未来が見えん筈だ。それだけの宿命を生まれながらに背負わされているのであれば、確定した未来などそう容易くは訪れん」

「……成程。未来予知か、君の力は」

「そう言う貴様は風の全てを(・・・)扱えるのだろう(・・・・・・・)? 此方の全貌は明かせてはいないようだが、貴様…読めているぞ。そして宣言しておこう。ここは射程圏内だ」

「………ふむ、冗談や狂言では無い様だ。素晴らしい力の持ち主だね、君は」

 

 称賛するようにワルドが拍手を送る。杖に手を掛けすらしていない彼は、よほどの自信があるのか、はたまたディアボロに関しては何もしてこないと言う事を読み取っているのか。共通して両者が感じている事は、手の内は明かせても互いに「底」が知れないと言う事のみ。

 唐突に、帽子を目深に被りなおしたワルドが口を開いた。

 

「……僕は、ルイズと出会って…彼女を侮っていた。これは彼女にも言ったことだが、何時までも目の前のオールを手に取らず、湖に浮かぶ小舟の中で怯えているだけだと思ったんだ。だからこそ僕がオールの取り方を教えて、常にその小舟の中で主導権を握ろうと思って近づいた」

「…何とも浅はかだな」

「ああそうさ。僕を笑ってくれて構わない…そして気付いたのさ。彼女に潜む強い光に。僕は幻影を見ていたんだ……既に小舟どころか、湖の向こう岸で地に足をつけていた彼女の強い意志に騙されてね。…それを壊しちゃいけないと思ったのは、過去の情からか、僕の中でまだ踏ん切りがつかない大切だった人(・・・・・・)が重なったのかは分からない。でも……何故か彼女に惚れていた。それだけは(・・・・・)確かなんだ(・・・・・)

 

 笑ってくれたまえよ、とワルドは自分をすら笑う。

 まるでピエロが自分の行動を抑えきれず、自らを笑ってしまうような大失敗に終わった劇の役者のよう。まったくもって自分自身を裏切っていたことに気付いた裏切り者のワルドは、ここにきて再び仕えていた主を見限っていた。

 

(だが、僕の中ではまだ……命令した男の言葉と、自分の意志。そして母の言葉が焼きついて離れない……風は偏在するが、僕は此処にしか居ない。皮肉なものだね、どうにも)

 

 深く被った帽子を再び上げると、ワルドの目には何の感情も見せていないディアボロの冷徹な表情が待ちかまえていた。オーク鬼すら泣いて逃げ出しそうな威圧感だね、と飄々(ひゅうひゅう)吹き荒ぶ風の様な感想を抱いたワルドは、己の軽さに再び苦笑を零す。

 

「迷いを帯びたな? だが、ぶれない意志は…三つの柱として建っている」

「……何かな。君は詩人だったのかい?」

「見えない怪物に喰われた狂詩人ほどではないが、貴様の数奇な未来は見える」

 

 ドドドドド……と地響きのような感覚がワルドの心を穿つ。

 感覚でもない。魂に直接揺さぶりを掛けるような違和感は、唐突にディアボロから発せられる強大な力の違和感ッ! 血潮に直接ビートを刻まれるようなこの感覚こそッ! そう、ディアボロの―――

 

「……この、感覚…! そうか、これが君の力―――」

「未来という運命の道標を見てやろう…貴様は既に、行動を始めている!」

 

 ディアボロの前方に、一体化するかのようにしてキング・クリムゾンが腕を広げている。その空を見上げた額の顔。二つ目の知覚が見つけ出す感覚こそ、時を越えた未来の姿ッ! 彼には見えていたのだ。これから起こる馬鹿馬鹿しい茶番(・・・・・・・・)の始まりが……。

 

「く、空賊だッ! ちくしょう…アルビオンが見えて来たって時に、霧に紛れて出てきたやがった! 俺たちの事は知られていたのか!?」

「き、貴族様~! どうにか助けて下さいよォ~~~いいでしょっ、ねっ?」

「サイレント解除…どけっ!」

 

 あたふたと慌て始める船員を押しのけ、ワルドは先ほどまでの沈んだ表情から戦う者の顔として一気に気持ちを切り替えた。広大な空中大陸、アルビオンを背に盛大な見せ方でやってきた空賊を前にして、魔法を使い過ぎたワルドは碌に対応できるかどうか、自分の残った精神力と交渉を始めている。

 ディアボロは一度だけ鼻を鳴らしてやると、其れに気付いたワルドへ何か言いたげな視線を送って、ルイズ達が現在眠っている休憩室へと歩を進めた。

 

「……参ったね。ここは僕が治めなくちゃならないのかい? 無茶を言うよ、使い魔君」

 

 初めてディアボロへとそんな口を利かせて、彼の吐き出した溜め息は風と共に消ゆ。

 

 

 

 

 ずずぅん…と小さく振動が船全体を襲った。

 あからさまな揺れに、ドリームワールドへ招待されていた休憩室の二人はぱっちりと目を覚まし、異常事態だと知らせているような騒がしい喧騒を廊下の向こう側から耳に入れる。バンッ、と開け放たれたドアからはまるで造った(・・・)かのような悪人面がぞろぞろと手下を引き連れ、小説にでも書いたかのような下卑た笑い声を発している。

 キュルケは何が起こったか分からない顔をしている辺り寝ぼけているのだろう。一気に頭を覚醒させたルイズは、いま此処に居る賊の中でもトップらしい男に長姉譲りのキツイ視線を浴びせてやった。

 

「おう、別嬪がいるじゃあねえか。むさくるしい男ばかりかと思ったが、こりゃ儲けもんだ!」

「…空賊、いえ杖を持っているからアルビオンの貴族派ね。こんな客船を襲って何の用?」

「肝の据わった嬢ちゃんだ。だが分かってんだろ? 貨物船なら貨物を奪い、客船だったら荷物を奪う。ついでに綺麗なお嬢さんもな。みーんな、振るってご応募してくれるったらありゃしねぇ!」

「韻は踏んでるけど、60点よ」

「ハッハッハ! 手厳しいな、ついでに採点審査の為に一緒に来てもらうぜ。おっと、抵抗はしない方がいいってもんだ」

 

 すでに杖は向けている。自分の爆発なら活路を無理やり出すことも出来るだろう。

 だが、やはり―――

 

「……うぇ、なによこの状況!?」

「やっと目が覚めたの?」

 

 この場には起き上がりで戦えないキュルケが居る。あの憎らしい程豊満な胸の谷間から杖を取り出す時間は無いだろう。それほどの間合いの短さだ。そしてディアボロがこの場に来ていないと言う事は、つまり。

 

「…とりあえずは従うわ。その前に仲間と合わせて」

「ちょっとルイズ!?」

「いいだろう。船の仕事も出来ねぇテメェらは船倉に一緒にしておくに限るってもんよ」

「抑えなさい、キュルケ。こんなの危機でも何でもないわ」

 

 一番初めだけだったが、ディアボロの威圧を受けた事があるルイズにとってはまだまだ危険な域では無い。そして自分のパートナーである彼が全く動いていなくて、一緒に居るかもしれないワルドの居る方向も争ったような音が聞こえないと言う事は、捕まっても何の問題もないと言う事だと理解していた。

 一応は根拠らしい根拠のあるルイズに何とか納得したのか、キュルケも其れに大人しく従ってルイズと共に投降する。ルイズの持っていたあからさまな杖は取り上げられたが、キュルケの胸の谷間に挟まっている杖は取り上げられない。ボディチェックもしないことから、空賊にしては何かがおかしいとキュルケも感じ始めている。

 そうして、ルイズは何も言わずに空賊らしき団体の案内を受けて向こうの船の船倉に放り込まれたのだった。

 

 

 

「…イタタ、見事に関節決められたよ。いくら何でも水夫5人掛かりは酷くないと思わないか?」

「此方は8人だがな」

 

 船倉の扉を開けると、そんな呑気な会話が聞こえてきた。一応は立派にも見える服を着ている事からディアボロも此処に放り込まれていたらしく、ルイズは何事もなく出会えたことにほっと息をつく。それと同時に、ルイズの後ろで開いていたドアが閉じられ、鍵のかかる音が聞こえてきた。

 

「ミス・ツェルプストー。ルイズ。無事だったのか」

「それらしい抵抗もしなかったわよ。それと……」

 

 外の監視に聞こえないよう、小声になって言う。

 

「キュルケの杖は取り上げられなかったわ。ボディチェックも無かった」

「それに空賊にしては歩き方が無理やり崩してる感じね。それと消しきれてない高級そうな香水の匂い。ラグドリアン印の香水とまでは行かないけど、白の国アルビオン製天然水を材料にした爽やかな感じのシリーズ物よ。あれって空賊じゃなくて、王家が御用達って噂もあるわ」

「……ミス・ツェルプストー。その諜報能力を買いたいんだが、グリフォン隊に来るかい?」

「男らしいのは好きだけど、男くさいのは趣味じゃないわ」

 

 そこで疲れたように座りこんで、四人は普通の声量で話し始めた。

 

「ディアボロ。どう?」

「問題はなかろう。我らが道の落とし穴にすらならん」

「心強いことだね。やれやれ、ディアボロ君がいるとここまで頼りになりそうだとは思わなかった」

「…………」

 

 視線でルイズが「スタンドの事を話したのか?」と聞いてきたが、彼は小さく首を振ることで否定する。何らかの力がある事は匂わせたが、未知という恐怖の一端を知らせただけでディアボロ自身力はほとんど見せてはいない。

 だが、と彼は沈黙の空気を無理やり飛ばすように言い放った。

 

「空賊の頭と思しき男だ……ワルド、貴様も気付いているのだろう」

「正統派過ぎるね、彼らは。足並み揃って、傭兵や賊と言うよりは軍隊だ。最初に武器を向けられた時、弓の構え方と大砲が同時に此方へ向けられる錬度は異常なほどに高かった。歴戦を逃げ抜く傭兵と言うよりはむしろ…ってヤツさ」

「それに、さっきのあたしが言った香水もあるわ。キナ臭いことやってるのね」

 

 キュルケの何気ない一言に、ワルドは風を感じて見張りの人間がびくっと肩を震わせた事に気付いた。やはり、と内心で裏付けを取った四人は更に会話を続ける。

 

「そう言えばディアボロ…何か見た(・・・・)?」

「少しばかり小奇麗な宝石だが、その“水のルビー”と似ていたな」

 

 敢えてその単語を大きく口に出す。

 

「そうだったそうだった。確か空賊の頭も同じような宝石のついた同じ意匠の指輪をはめていたんだったか。トリステインに名高きグリフォン隊の僕とした事が、とうとう年で耄碌でもし始めてしまったかな」

「あらいやだ。そんな立派なお髭を生やしてもまだまだお若いのは分かっておりますわ。ねぇ? ルイズの素敵な婚約者さん」

「褒められても機嫌のいい笑いしか出ないよ。振り向く事はないと思いたまえ」

「あら残念。代々ヴァリエールの恋人を掻っ攫うのがあたし達の家のならわしなのよ」

「そんな確執と因縁しか生まないモンはあんたの代で終わらせてくれると良いんだけど? これから姫殿下がそっちの国王と結婚なさると言うのに、両国の大家が剣呑じゃ他の貴族に示しがつかないったら」

 

 次第に騒がしいトークになって行く四人の会話内容は、酷くわざとらしく聞いている方が恥ずかしくなってしまいそうなものだった。そして壁の向こう側で聞き耳を立てていた者のバタバタという掛け足の音が聞こえて来て、一人の人物がドアの鍵をアンロックの魔法で開けて入ってくる。

 額に冷や汗が浮かんでいる男に向かって、ワルドは語りかけてやった。

 

「これはこれは、空賊の統領殿。何ようで参られたのか」

「……一つ聞いておきたいが、そっちは何のためにアルビオンに向かっていたんだ?」

 

 崩れているような、礼儀正しい様な言葉遣いである。

 ルイズは自信満々に、そして礼儀を示して言い放った。

 

「我らがアンリエッタ王女からの使いとしてやって参りました。密書の言伝と、そちらが持つ“手紙”の回収に。申し遅れましたが、わたしはトリステイン公爵家三女のルイズ・フランソワーズ・ルブラン・ド・ラ・ヴァリエールと申します」

「……参ったよ。まさか支援物資じゃなくて密命の徒が彼女から来るなんて。これは私の予想が甘かったようだ」

 

 空賊の統領らしき男はその場にいる仲間に指示を出す。すると、汚らしいボサボサの髪がそのままずり落ち清潔に整えられた毛髪が現れる。歪んだ表情は引き締められ、一階の軍人に劣らぬ戦人の顔つきになり、一変した部下達の様子がこの船を一気に豪華に引き立てているようにも思えた。

 

「だが今度は此方が驚かせる番だ」

 

 ニッと爽やかに笑みを浮かべた彼は右手をルイズに差し伸ばす。

 

「私はウェールズ・デューダー。アルビオン王国皇太子だ。ようこそ、親善大使の諸君。アルビオン空軍最後の旗艦、イーグル号は君たちを歓迎しよう。盛大にね」

 

 まさか時の最高権力者が船長を兼任しているとは。そんな驚きを隠しきれないまま、ルイズはウェールズ皇太子の右手を握り返したのであった。

 




ここまでがテンプレ。
大体ゼロ魔はここまで来て失踪者が多いので、この山を乗り切って頑張りオリジナル持っていきたいですね

11/19(火)追記
ゼロの使い魔、原作をようやく全巻まとめ買いが出来ました。今までは二次創作の知識と設定のみに頼っていたので、これからかなりの期間が原作を読みきるために更新停止となります。
改めてオリジナル展開のプロットを組み直しますので、今しばらくお待ちくだされば幸いです。活動報告にも同様の記載がありますのでご質問の類いはそちらにどうぞ。


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死人が掴んだもの

今回短めです
後書きに今後の予定を書いてありますので出来れば目を通してください。


 美しい虹だった。見ているだけで心が洗われるような非現実的な輝き。人為的に作り出されたが故に虚無感(・・・)は存在したものの、それは人の欠点と言うよりは真理を証明しているかのよう。見ていて心地の良い、忘れられないであろう天掛ける虹(・・・・・)

 指輪を交わしたルイズはその美しさに心奪われていた。今まで見たことのない美しさ。人が作り出した丁度品なんて恒久的な物は正しくものの数にも入らない。人間の生み出した物であるという、儚さ。一瞬で掛けた虹は崩れてしまい、その残光もまた人の心を酷く焚きつける。

 如何に罪深き煌めきであろうか、と。ウェールズ皇太子はルイズの心情を見透かしたかのように言った。

 

「一応はこれで証明になっただろうか。このウェールズ・デューダーは始祖の血を分けし王家の継承者。若く、誇り高きメイジの一人であると言う事を」

「とんでもございません。我が目を疑う事はあれど、ウェールズ皇太子を疑うようにはできておりませんので」

「中々に上手い事だ。詩を書かせれば争いも飛んで行きそうなほどにね」

 

 どうかな、と得意げに言った彼に対して、ルイズの心境は複雑なもの。なにせ、彼女自身が詩を作る才能など皆無であると幼少のころより自覚しており、咄嗟に出た言葉に自分ですら驚いていたのだから。

 

「王家の間に架かる虹。この儚くも触れられぬ関係はトリステインとアルビオンを表しているようだと、父上は仰っていたな」

 

 始めにルイズから渡されていた手紙を右手に、ウェールズは苦笑する。

 

 

 

 

 肌寒い雲の水滴が乗員を襲おうと待ちかまえていたが、船に積まれた風石がそれらを妨げる。石そのものが気ままに吹き荒れる風のように飛ぼうとした意志があるのか、はたまた空を駆けるために造られた船がそのような効果を作っているのか。造船技師しか知らない詩的な事実を秘めながら、ルイズ達を乗せたイーグル号は大陸の真下を目指していた。

 応接室に案内されたルイズたち一行は、そこで思い思いにくつろいでいるようだ。

 

「あの手紙読んでからだけど、王子様は随分と恋焦がれるような表情なのね」

「そうは見えないわ。皇太子さまは気丈に振舞っていらっしゃるようにも見えるけど」

「それはあなたと同じだからでしょ、ルイズ。どこまでも無理をしようとして、だけどバレる人にはバレている。あなたのディアボロもきっと気付いているわ。そんなものなの」

 

 まるで子供に教え聞かせるようなキュルケの言葉に、ルイズは反論のしようが無かった。ディアボロの観察力や感の鋭さはここ数カ月の間でハッキリと思い知っている。その注意力の深さに気付かされたことも少なく無ければ、彼には自分の心の中を覗かれているのではないかと言う想像さえしてしまう。そうだとしても、心を覗きこむディアボロのイメージに嫌悪感を抱かないのは、自分も相当な物らしいが。

 ルイズはディアボロに視線を投げた後、もう一つ気がかりな人物へと視線を向けた。

 それはワルド子爵。あの敵だと明言したような男は、しかしディアボロの隣で楽しげに談笑を繰り広げている。ディアボロは鬱陶しそうに言葉少なく、時に少しだけ感情を荒ぶらせた答えを返しているが、彼があれまでに喋るということはワルドにもディアボロの信用はほんの少しでも向いたと言う事。

 ワルドはルイズの視線に気付いたのか、帽子の唾を片手でつまむとウィンクしていた。

 

「憂鬱ねぇ」

「そう? これからドキドキの大冒険って感じだけど」

「お気楽な頭の中で羨ましいわ。わたしは、とてもじゃないけどそうは考えられない」

 

 普段から固く物事を考え過ぎている自覚はあるが、それとは別にディアボロが別の面をカバーしてくれているため、早々に直すつもりは無い。この視点から発見したことも少なくは無いし、助けられたこともある。だからといってルイズが悩みの種から解放されるわけではないと言うのがデメリットであるが……。

 本当に難しいものだと、目の前に広がった岩壁を見て思う。自分の頭はこの浮遊大陸のようにがちがちなのだろうか、と。

 

「ルイズ」

「……へっ?」

 

 たそがれていると、横にいたキュルケが居なくなってワルドが小さく片手を上げていた。

 

「どうしたんだい? 今回の任務で何か思う所でもあったとか」

「……それをあなたが言うのね。怪しいお髭の子爵さま」

「自分では中々この髭も似合っていると思ったんだけどね。…あぁそうだ、幼少にあった時と今の髭のある僕、君はどちらの方が似合っていると思う?」

 

 緊張をほぐすためか、何かは知らない。だがワルドの言葉は憔悴しそうなルイズにとって、特効薬のように疲れた心に染み込んでくる。彼女は優しい思い出の中に自分の精神を沈ませて、ありし日の若きジャン・ワルドの姿を思い浮かべた。

 

「いまの方が、あなたらしくていいと思うわ」

「…ん? それはどう言う意味かな。聞きようによっては…」

「皮肉よ皮肉。あなたが変わってしまったことの表れかしら」

「変わった、ね……確かにそうかもしれないね」

 

 ルイズの隣に並んだワルド。彼は肘を椅子の取っ手に置き、体重を其方に預けるような体勢で一息ついていた。同時に、窓の外を眺めていたディアボロも景色に飽きたのだろうか。ルイズの近くにある壁に寄り掛かって口を開いた。

 

「ほう、流石の貴様と言えども疲れているようだな」

「夜も長く、襲撃もあった。更にはマリー・ガラント号の航行に魔法を使い続ける始末だ。僕がこれ以上に優れた風のスクウェアだったとしても、疲弊は免れないだろうね」

「だったら、結婚を申し込むならもう少し考えた方がいいわ」

「それは何故だい? この前の長姉についてなら何とか対応は考えたのだけど」

「わたしのお母様も最強の風使いだったわ。名前、知らない訳では無いでしょ?」

「…? 君の母君はカリーヌ・デジレ・ド・マイヤール公爵夫人……カリーヌ…カリン……ああ、そういうことか。ルイズの母君はあの“烈風カリン”だったという訳だ! 君の異常なほどの成長っぷりに疑問はあったが、そうと分かれば納得だ」

 

 納得の言ったような表情をして、ワルドは苦笑と呆れの交じった様な表情をした。「烈風カリン」とは、30年前まで猛威と最強の名を欲しいがままにしていた伝説のマンティコア隊女隊長として知られている。二つ名である烈風は寧ろ二つ名の方が言葉足りずという馬鹿らしさであり、彼女一人で竜巻を何本も巻き起こしたとも伝えられていた。

 ワルドもトリステインの魔法衛士隊として就任したての頃は歴代の伝説的な隊長達のことを学ばされており、中でも隊のなかに留まらず王国全土へ噂と伝説が伝えられる彼女の事は強く印象に残っている。

 

「烈風カリン…聞かん名だな」

 

 ぼそりと二人には聞こえない程小さく呟いたディアボロだったが、どことなく心を開いてリラックスできているルイズの邪魔はできる筈もない。ワルドとルイズの楽しげな会話を聞きながら、ディアボロはただ過ぎて行く時間に身を任せ続ける。だが、やはり思ってしまうものだ。――嗚呼、こんな時にこそキング・クリムゾンが時を吹き飛ばしてしまえば楽だろう、と。

 能力の限界は十数秒だが、こればかりは覆しようのない現実。己の中に住む強靭な映し身へ意識を向けていると、ディアボロは僅かに船が揺れた事を感じた。

 

「…到着したようだな」

 

 彼の呟きにワルドは意識を向け、船を降りる準備を整え始めた。

 

 

 

 王宮に案内された一行はそれぞれの部屋をあてがわれた。マリー・ガラント号から押収した火の秘薬を持ってきたと伝えた時は城の中が騒然となり、死に急ぐ者たちの狂気的な様子が垣間見えたが、決してソレらに呑まれてはいけないのだろうとルイズは一人思う。

 戦う気兼ねは持ち合わせていない。ただ、試してはいなくとも人に向ければただでは済まない爆発の失敗魔法は硫黄(火の秘薬)が造り出した爆発よりもずっと恐ろしい被害を出すことだろう。全力をかければ、はたしてどのような地獄絵図となるだろうか? サディストでもないルイズはその未来に恐怖し、同時にこの力を振るわなければいけない時が来るのかもしれないと確信していた。

 なにより、自分の周りには戦いの術に長ける者たちが集い始めた。それはマンティコア隊最強と謳われた母親を持った運命なのかもしれないが、同時にガンダールヴなどと言う伝説の戦いを再現できるディアボロが使い魔として召喚された事を思えば自ずと理解できてしまう。そして内乱、戦争。それらが活発化し始めた現代、若き公爵家の者として自分は――?

 

「大使殿、お時間よろしいかな」

「殿下? ど、どうぞお入りください」

 

 突然のノックに面食らう。爽やかな微笑を携えた皇太子が部屋の扉を開け、左手には手紙の様なものを持っている。

 

「こちらからお伺いしようと思っていたのですが……」

「どうせ明日には物言わぬただの物と化す身。明日を生きる命を持つ君に御足労いただくのは失礼かと思ってね。無論、死のその時まで僕がこのアルビオン王家の誇りを失うつもりはないのだがね」

「誇り、誇りですか」

「何よりも優先されるものだよ。この身が王家の者として生を受けた以上、必ず果たさねばならない。始祖へ、そして次代を継いできた我らが祖先へ敬意を払わなければ……ここの負け戦は、完全に無意味なものへとなり下がる。そんなことより、これが姫からいただいた手紙だ」

「しかと、受け取らせていただきます」

 

 鍛えられた逞しい手から華奢な少女の手へと、ちっぽけな想いの込められた紙切れが手渡される。受け取った瞬間、何かと精神の在り方に関して考えていたからだろうか? 上から見下げているウェールズの僅かな憂いを帯びた瞳と目が合って、手の中に収められた1キロにも満たない紙の塊がいつしかディアボロと持った教卓より重いものを感じる。

 今にも泣きそうになった顔のルイズを見て、彼は頬笑みを深めて見せた。

 

「君の事は聞いていた。あの可愛い姫の“おともだち”だったようだね。一番新しい思い出では、美しいドレスを取り合って思わず引き裂いてしまったとか」

「お、お恥ずかしい真似を姫様にしてしまったようで……」

「いいんだ。ここの私はただのウェールズ。戦場に立たない限り、王卓につかない限り、僕は憐れな運命の奴隷なのさ。……そうだ、彼女の使いとして来た君から何か話を聞いてみたい。ここでは皇太子の名において、是非とも砕けた談笑に付き合ってもらおうじゃないか」

「……殿下」

 

 自分にしか知らないアンリエッタの姿を聞きたい。なるほど、彼が何を思っているのか。ルイズには嫌と言うほど理解できた。王族に生まれた者は厳正な政治を行い、民を豊かにするだけの仕組みとして動いているのではない。その中では常に葛藤があり、ただの人として、だからこそ同じ人へ幸福を分け与える働きをせねばならない人間なのだ。

 自分達だけの思い出。封印された、アンリエッタの秘めたる密会の中で、アンリエッタは生まれた恋を育むために良い所や美点ばかりを語り合ったのだろう。それを今わの際に追い込まれたウェールズが恋した相手の全てを知りたいと言っている。だったら、この非力な自分にできることなど決まっていた。

 

「……姫殿下は、それはそれはお転婆な姫として名を馳せておりました。トリステインの伝統を重んずるお国柄から、何とかして隠し通そうとしていたのか他国に広まる事は無かったのですが、わたしから見てもとても姫というには同じ童子にしか思えず―――」

 

 語り聞かせよう。

 彼はこの事を、おくびにも出さずに死んでいくのだろう。心の中では愛しい人を思いながら、死ぬ時は王党派の全てを奮い立たせる様な見事な口上を唱えながらに死んでいく。

 儚さは人間の生が成すべき姿。されど悲しみはどんな動物よりも深く無様な生物であるのだが人間。醜い姿すら知らなくては人間の本質たりえずとは、果たして誰が言った言葉か。

 不肖ルイズ・フランソワーズ、ウェールズ殿下にお聞かせしましょう。これがわたしの知りうる、「おともだちのアンリエッタ」の全てでございます。

 

 

 

「とんでもないわね、此処の人たち。誰か一人でも捕まえて持って帰っちゃおうかしら」

「そうしたところで貴様が今感じている魅力とやらは無くなるだろう。美しく光り輝いた浜辺の貝殻は、手に取った瞬間に油ぎった貝の死体へと成り下がる」

「……的確な表現がお上手ね。流石はあのルイズが心から求めるお方、と言ったところかしら? ミスタ・ディアボロ」

 

 煽情的に、しだれかかろうとするキュルケを片手で跳ねのける。その流れを見守っていたワルドはくすりと笑っていた。

 

「な~によルイズの婚約者さん? 見世物じゃないのだけれど」

「いや失敬。もはや包囲されているこの城は敵陣のど真ん中だというのに、そんな事すら知った上で振舞える剛毅な君がおかしくてね。僕達軍人にはとてもできない生き方だと思ってしまったまでだ」

 

 くつくつと込み上げる笑みを噛み殺せないのか、未だ口の辺りを手で押さえるワルドは見ていてとても腹立だしい。むっとした表情になったキュルケがいかに自分の生き方が自由をか説いて見せようとしたところで、ようやく解放されたディアボロが立て掛けられていた防寒用の黒いコートを羽織って部屋を出ようとしている事に気が付いた。

 

「あら、ルイズのところへ行くの?」

「いや……少し知っておきたい事があるだけだ」

 

 バタン、と閉じられる扉の向こうからは何か強く踏みしめるような音がしたかと思えば、続く筈の足音は一切聞こえない。スタンドの力を使って窓から飛び出たディアボロが、そのまま城の外壁を昇って天辺まで登って行ったからである。風の僅かな流れでそのガンダールヴ顔負けの身体能力を、発揮している事に気付いたワルドは隠した手の中で口を引き攣らせる。ディアボロのことだ。発光するルーンなど目立つ以外の何物でもないことから、ルーンの力を使わずにこれなのであろうことが伺える。

 

「……面白くないわね。ルイズのトコでも行って時間潰してこようかしら」

「確か、船を降りる時の話では明日一番が出港だったか。君は化粧に随分時間を掛ける様だから是非とも気をつけてくれたまえ。特にゲルマニア人の君に何かあれば―――」

「存じていますわよ、お髭のおじさま。さすがのあたしも馬鹿やる度胸なんて持ち合わせていないわ」

「ならば、よいのだがね」

 

 扉が開けられ、また締まる。ワルドは一人、休憩用の居間に取り残されたようだ。

 少し耳を澄ませば、風のスクウェアメイジであるワルドの耳には城のあちこちから最後の晩餐の準備を進める者の騒がしい声や、自分の家族が無駄死にしていくことに対する悲しみから涙する非力な者たちの声が入ってくる。

 しかしそれらの感情に蓋をして、ワルドは冷徹な仮面を張りつけた。自分がなすべき事はいま、本当にどうしたらいいのか迷っている。ルイズ。嗚呼ルイズ。いまの君ならこんな時、何をすべきか簡単に決めてしまうのだろうね? でもそれじゃあ駄目なんだ。僕は裏切り者のワルド子爵であって、勇敢な表舞台に立つ戦士にはなれそうにもない。

 

「……ままならないものだね。こんな時こそあなたの言葉が聞きたかった。そうしたら、僕だって誰のために、自分のために、どんな道を選べただろうか」

 

 言葉にしてみても、晴れる心は無い。

 ふと近くに、件のウェールズが歩いている事を察知する。どうやら目尻に涙を溜めているようだが、ルイズの部屋で何を話していたのやら。死の淵に追い込まれた亡国の王子らしい振る舞いに少しむかっ腹が立ってきた。それと同時に、ルイズに対する想いと同じ。こんなにも自分には激情が残っていたのかと、あまりにも簡単な自分の精神構造が馬鹿らしく感じてしまう。

 だからすぐ部屋から出て、呼びとめてしまったのだろう。

 

「恐れながら、殿下と語らいの場を設けたいと考えております。パーティーの後に、時間を頂けないでしょうか」

「……ワルド子爵? ふむ、どうせ明日には失われゆく我が身。大使殿と同じく、命を繋げる者である君の頼みだ。喜んで話を受けようではないか」

「感謝します」

 

 動かねば、なにを考えようとも変えられぬ。

 一石は投じたのだ。しっかりしろよ、ジャン。

 

 

 

 最期を共にする演説が、老王に仕えることが心の底から誇りだと信じている馬鹿どものざわめきが聞こえてくる。命を繋ぎ、次代へ託す事すらよしとしなかった憐れな血族の末裔共が夢の後。死の先までもお供しますと、誓いを立てる臣下達の声に己が積み上げてきた組織の様相が浮かび上がる。

 ギャング達の統一。裏世界の浄化。お題目ばかりが過去へ葬られ、自身が流すと決めた麻薬の影響でイタリアの水面下は荒廃した。水の都ヴェネツィアの美しき水は、麻薬が染み込む濁った水へと変えられた。そうして掴んだ先には何があった? 己の絶頂が其れであると言うのならば、得られしものなど自己満足でしかあるまいに。

 

「“レコン・キスタ”と言ったな。ブリミル教の司祭が仕切る反乱運動。我が祖国の過去、718年を始まりとした7世紀に渡る再征服活動……聖地とやらがイベリア半島ならばとかくも、この魔法に満ち溢れた世界で何を求めようと言うのだ。ン? オリヴァー・クロムウェル大司教とやら……」

 

 豆粒よりも小さな点。それら全てが人間で、甲板からにやけた面構えで城を見る男へ問いを掛ける。しかしその距離は実に数キロ以上も離れているおかげで、観察されていると気付くにも、人の上に立つ者としてもクロムウェルはディアボロに酷く劣っている。

 化け物じみた観察行動は敵の動向を見るため。そして、写真も証明もへったくれもないこの世界では総司令とやらの顔を知っておけば何かと事前に厄介事を察知することができると思い立っての行動だった。

 しかし、見てみれば見るほどに異様なサマだと、彼は喉を唸らせる。死体を操るスタンド使いなど珍しくもないが、自意識を残したまま己が思うままに動けるようにし、更には絶対服従を可能とする反則にも等しい能力など見た事が無い。死体かそうでないかは、ジョルノ達輝きを宿す者の目を嫌と言うほどに見て来たからすぐに判別がつく。偽物の目の光は明かりが瞳の水晶体で反射しているに過ぎないが、真に生きる者の目は奥に消えることのない力強さが感じられる筈であるからだ。

 

「デルフリンガー」

『……ん、おお? 寝ちまってたぜ。なんかようですかい旦那ァ』

「死にゆく者共。死してなお扱われる者。貴様はどう見る?」

『まぁた重い話題を振ってきやがる。こちとらただの剣だってのに……ま、旦那の問いに答えるならどちらであろうと使い手による、とだけ言っておくぜ。俺は剣であって、ただの人間が手にする力の一つでしかねぇ。誰が握ろうと、死んでいようと……いや、死の間際に俺を握ってくれるってんなら、剣冥利に尽きるってやつだぁな』

「剣と槍を供えしガンダールヴ。主を守るために振られた剣ならば、死した歴代の者をどう思うか聞いてみたが……フン、期待外れのようだな」

『何をどー期待されちまってもな、ただ俺は旦那の味方だぜ。アンタの手の内に在る限りはずっとアンタの剣であり盾でもある。こちとら長い時を在り過ぎたモノに過ぎねえからよ、一発折っちまう気兼ねで振るってくれや? おっと、悲鳴だけは上げさせてもらうがね』

「口の減らん鉄屑め。だがこのディアボロの味方を気取ろうと言うのならば、絶対の服従でも誓って見せるがいい」

 

 剣に話して見せる光景は実に滑稽だろう。

 それでもディアボロは固い表情を崩すことなく、デルフリンガーに目線をやることもなくただレコン・キスタの包囲網を見続ける。せわしなく動き回る船員達の静かな船の様子を見守っていると、腰のあたりから朗らかな返答が聞こえてきた。

 

『そりゃ無理だ。俺はガンダールヴの剣だからな』

「……やはりな。貴様がそう作られた物である以上、根底に“固定化”された意志はどうあろうと変えられん。繰り返しの黄金体験にて、それは嫌と言うほど思い知らされた」

『ああ、そりゃ旦那の過去話かい? おったまげたが、そんじゃあ旦那は―――』

 

 デルフリンガーが続けようとして、金具ごと鞘の中に押し込まれる。

 カタカタと喋ろうとする彼の意志を無視してディアボロはテラスに降り立ち、パーティの中に紛れていった。彼のなびくまだらのついた桃髪を見つめる人物が一人、パーティーの中から目ざとく彼の姿を見つけて追いかけていく。

 誰もかれもが何かしらを腹に抱えている愉快な舞踏会が終わりを告げる頃には、ディアボロの姿は会場の中からきれいさっぱり消え去っていたのであった。

 

 

 

 天空都市、白の国アルビオンは月が大きく見える。

 飛行機の窓から覗いだ様な巨大な月が強い光をもたらし、少し冷える夜を一年中演出している。赤と青の光はしかし、何故か白い光を発してとある部屋の中を照らしている。ランプの明かりすら見当たらない、広くもどこか物寂しい軍人の部屋。唯一豪華なベッドが王族だと言う事を証明するかのように鎮座し、その横にあるソファーに座った二人は月明かりのあたる場所で向かい合っているようである。

 

「……では、話とは何かな? ワルド子爵」

「まさか自室に通していただけるとは、皇太子殿は人を疑われた方がよろしいかと」

「そんな世間話をするために呼びとめた訳でもないのだろう? 私も、明日の死に戦のために今夜しなければならない事がある。時間はあるが、手短に頼みたいのだ」

「それも、そうですな。では―――」

 

 ワルドが帽子を脱ぎ去り、その視線を固定する。

 迷いを振り払った様な男の目には、どこか狂気的な光が宿っているようだった。

 

「この身がレコン・キスタの者だと言えば、あなたはどうしますかな?」

「……ふむ、続けてくれたまえ」

 

 目を見開いて体を揺らしたのは一瞬。

 すぐさまウェールズは杖を膝の上に置き、対してワルドは杖を自分たちの間に挟まるテーブルの上に置いてしまった。これには、ウェールズも動揺を隠せないようだ。

 

「レコン・キスタとして私は任務を請け負っている。だが、何をしようと其方は死ぬと決めているようだな」

「…その通りだ。君の話を真実とするならば、恥知らずのレコン・キスタには王家の誇りとは何たるかを教え、説きながらに盛大に血を撒き散らすつもりだよ。そのためならばどのような痛みにも苦痛の声ではなく、虐げられる民の声として我が言葉を荒げよう」

「……やはり、貴族としてウェールズ殿下は素晴らしいお方だ。だがそれは、レコン・キスタの兵士には何の意味も無いと知ったらどうしますかな?」

「どういうことだ」

 

 如何に非道な人間と言えど、王族の言葉には必ず耳を傾ける。それはハルケギニアに住む全ての人間が承知している事実であり、敵国の王であっても散り際の言葉は各国に広められる事が常識である。貴族であろうと、なかろうと、教養のある人間は必ずそう言った心へ訴える言葉を教育の過程で記憶し、経験の中で言い伝えていくものだ。

 だというのに、何の意味も無いとはどういう事か。決して、王族としてのおぼっちゃん思考なんかではなく、一人の貴族として気になった言葉にウェールズは身を乗り出した。

 

「我々レコン・キスタの兵士は皆、始祖の御業……虚無の魔法とやらで操られているのだ。そのため、死者はクロムウェルに従順なしもべと化し、生きた人間は心を洗い流されたかのようにクロムウェルを主と褒め称える。アレが有能と称した者は僕の様に意志を奪わず使い勝手のいい駒とするが、それ以外はオマエ達の元王党派のようにコロリと心を変えさせられる」

「……まさか、そんな。信じられないが―――」

「信じざるを得ない、と言いたいのでしょうな」

「その、通りだ」

 

 心血を注ぎ、王に尽くしてくれた者が「クロムウェル万歳!」と両手を上げてこちらに攻撃する姿を見たことのあるウェールズは、洗脳でもされていなければそのような事にはならなかった筈だと瞬時に理解する。

 だが、同時に腑に落ちない点がある。人心掌握を強制的に行う術は水の秘薬の得意分野では無かったのか、と。

 

「しかしそれは、始祖の御業を称するにはあまりにも」

「だが此方は見たのだ。死人が目の前で蘇り、そちらの情報をベラベラと喋る人形になり果てた瞬間をな」

「……死者の、蘇生。そうか。ならば私は、死ぬ事すら許されないかもしれない」

「こちらの女王、アンリエッタは善政を振りかざしているが、このような恋文の回収を頼むからには夢見る少女を抜け切れてはいない。そして、今回のことで国を存続させる事を決意したようだが―――畏れ多くも、始祖の血を引く者がゲルマニアに下るなどと、僕は決してそれを許すことなど出来ない! アレは、我々貴族全員を裏切ったのだ!!」

「なっ、アンを貶すかワルド子爵!?」

「そもそも、この身は……」

 

 そこで、ワルドは己が立ちあがって拳を握っている事に気付いた。

 ウェールズの視線は血がにじむまでに握りしめられた彼の手に注がれ、血を吐きだすかの如き罵詈雑言の込められた不敬な言葉に耳は向けられる。本来ならこの場で打ち首にされてもおかしくは無い筈であるのに、ウェールズは真剣にその話の全てを鵜呑みにしながら聞き届けた。多少のワルド自身の個人的視点も多く、主観的な意見は王として政治を行う上では不十分な要素として切り捨てられることもあるとだろう。なのに、彼の貴族としての叫弾と一国民としての不平不満が込められた言葉の羅列は自分の心に素直に溶け込んで行く。

 これこそが、貴族派に付く者たちの怒り。これこそが、我ら王家が敷いた政治の欠点。そもそもトリステインと言う国が成り上がりの始祖の血筋を引いていないゲルマニアに吸収されることは、売国奴のすることであるのだと、ワルドの心の底から溢れ出る怒りを感じられた。

 

 それからはワルド自身も支離滅裂になって行ったのだろう。暴言を吐く先はまるでお門違いだと言う事実に突き当たり、彼は疲れたように椅子へと腰を下ろした。力無く座りこんだことで成人男性の体重分に埃が撒き散らかされた。

 首を振りながらも、ようやく我に返ったワルドは頭を押さえて言う。

 

「いや、すまない。本題から逸れたようだ」

「……いいや、此方としても貴族が王家に持つ不満と言うのを思い知ったよ。レコン・キスタ……ハルケギニアの統一。如何なる犠牲があろうと、血の道を歩むことになろうとも、リーダーのクロムウェル司教が愚物であったとしても…………そう、己の手で未来を作ろうとする有志の集だったということか」

 

 改めて、敵を知ると言うのは遅すぎるとは分かっていたとしてもウェールズは感慨を抱かずにはいられない。ワルドをほんの一角としても、彼ほどの力を持つ者であるからこそ立ち上がろうとする者が大勢いるのであろう。だからこそ、戦場で会った者は生気に満ち溢れた瞳をしていたのだろう。ワルドの話にあった様に「始祖の御業」とやらで操られている者たちではない、本当の勇者たちがあの軍勢の中で我々の首をとって行ったのだ。

 

「では、どうすればいい? 真実を知った()はこれ以上かれらレコン・キスタの兵を倒せそうにも無い。自分の軍勢に与する者の顔を全て覚えた訳でも無ければ、誰が操られているのか、はたまた操られることで強力な力を制御されているのかすら分からないんだ」

「……これはレコン・キスタ所属の者としての意見では無い。僕個人として言わせて貰いたいのだが」

「何でもいい、この罪を洗い流すことは望んでいない。ただ、この混沌とした意志が渦巻く現状の打破をできる手立ては無いのか教えてほしい」

「―――我々に付きたまえ」

「な、それはッ!!」

 

 立ち上がるウェールズを、先ほどとは反対に冷静になったワルドが下から見つめている。その瞳から発せられる空気はこちらを騙そうと言う物でも無く、単に彼なりの策略があると確信したもの。穴があったとしても、最善と思われる策を繰り出すアルビオン王家に仕えてくれる軍師の表情にも似通っている。

 だから、少しだけウェールズは「衛兵を呼ぶ」という発想を落ちつかせた。そもそもワルドがこれまでに話している事すべてが、此方側にとっては有益以外の何物でもないのだから。

 

「いいか、クロムウェルの元にお前を生きたまま連れていく。捕虜、とでも言うのだ」

「それでなんになる?」

「機会を待てる。そちらも己の誇りを、己がするべきことをしたいというなら屈辱に耐えるくらいはしてみせろ。正直うまくいくとも分からん賭けだが、成功すれば名誉と命を掴むことはできよう」

 

 眼を閉じて博打をするようなものだ。

 もし王党派の貴族が見ていれば、ここでウェールズがそれに頷くことは無い。必ずや我らと共に天を抱かず死するのみというだろう。しかし―――彼は、是と言った。

 

()は、その時にどうするべきだ?」

 

 身を乗り出してワルドに向き直る。ウェールズもまた己の杖を机に置き、ワルドの杖に並べるように転がした。

 

「そうだな、精々反抗的ながらも、力無く崩れ落ちた様を見せつけると良い。あのクロムウェルは誰が見ても始祖の御業以外は愚物でしかない。人材の適材適所をしているようにも見えるが、所詮は他人任せでなければ馬鹿な教信者以外何も動かせない男だからな」

 

 ワルドによるオリヴァー・クロムウェルへの評価は散々なものだった。死人を蘇らせる? ああ、確かにそれは凄まじいだろう。だが今のワルドにとっては上司(クロムウェル)すら己の目的を果たす為の道具に過ぎない。あわよくば、その始祖の御業を解明してやろうとも思っているほどだ。己の目的すら果たせるならば、あのような男に従う義理などどこにも無いのだ。

 ワルドの言葉を噛み締めていたウェールズは成程、と頷いた。しかし目にはまだ憂いが残っている。それを離すべきかは迷っていたが、次の瞬間には彼も腹をくくったらしい。

 

「そうか……だが父上は長くは無い。それに王党派の者も明日に出港する脱出船には乗らないと言っていた。本音を言えば、私とて此方の我儘で先のある彼らを死なせたくは無いのだ」

「…解決策については有り体に捕虜の団体様とでも言っておこうか。だが、貴様らはまず必ずあの始祖の御業とやらに掛けられることになる。そうなれば自身が持つ全ての情報を吐きだすだけの九官鳥だ。この今の会話ですら打ち明けられてしまい、この身すら道連れだろう。こればかりは……対策のしようが無い」

「それが、ワルド殿の策にある“穴”と言う事か?」

「その通りだ」

 

 隠すような事でも無い。ハッキリと、しかしどこか期待を込めて言う。

 ウェールズは再び思考の海に己を投じ、難しいなと時間の無い深夜の空を一瞥しながら言い切った。そうか、と項垂れようとしたワルドだったがウェールズにはまだ考えがあると手を打つ。この共犯、なんとかなるかもしれないのだとも。

 

「……大丈夫なのか? 此方としてもルイズが気にかけていたからというのが最大の理由で、実際のところはどうなるかも分からん即興の策だ。そもそも此処まで穴を一つに絞れたこと自体が奇跡に等しい」

「いいや。水の、スクウェアメイジ。秘薬を用いることで、何とか出来るかもしれない」

「秘薬? だが効力は風の噂(・・・)に聞くエルフの秘薬にも劣るだろう。たかだか生き残った程度のスクウェアメイジで、そんな都合のいい……」

「いいや、腕の不確かなスクウェアだからこそだ。完全だとなお怪しまれる上に、完全な奴はどうしても十全に作ってしまうからね」

「不完全だからこそ?」

 

 私語を交えるように入ったウェールズは、悪戯を思いついた悪ガキのように目を光らせた。そこには王家としての誇りも何もあったものじゃない。ただ幼いころより、互いの恋慕を打ち明ける前に居た、アンリエッタの心をつかもうと問題を起こしまくったウェールズ・デューダーの姿だけがあった。

 

「いいか、全力で無茶な注文をして―――」

 

 そのきらきらとした瞳を笑みで彩りながら、ウェールズは言った。

 

「私たちの心を壊してもらうのだよ」

 

 ワルドですら絶句する、狂ったような考えを。

 




平均字数より3000字も短くなってしまい申し訳ありません。


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スカイ・サイド・ムーン

戦いの序章


「心を……壊す、だと?」

「とはいっても、君の言う博打を更に勝ちにくい手へ上乗せ(レイズ)するだけなのかもしれないのだがね」

 

 どう言った内容か、思いついたばかりの策をせめて成功につながる様にと祈らんばかりにウェールズは続ける。

 

「エルフの秘薬には心を壊す代物があると、聞いた事はあるかね?」

「……風が運ぶ噂程度ならば」

「そも、薬と言うのは治す為に作るから難しいのであって、壊す為だけならば水のスクウェアクラスだと多少苦労を掛けるだけで作れるだろう。ただし、やはり我々の体に作用を及ぼすからには効果のムレがあるだろう。私はその薬を、我々の都合の良い様に記憶と人格をバラバラにするためだけに作って貰おうかと思っている」

「いや―――驚いた。甘ったれた死に急ぎかと思えば、豪胆な事を」

「お褒めにあずかり光栄だよ、グリフォン隊隊長殿」

 

 しかし、とワルドは聞き返す。

 

「此方としてはどうでもいいが、それでは其方の反撃すらできなくなるのではないか? 所詮私はちょっとした勧誘側だ。手段を提示しただけで、元々王党派だった者がどうなろうと知った事ではない。後は野となれ山となれとも思っている」

「それでいいのだ……と言いたいが子爵殿。少しだけこの作戦に協力してほしい事がある」

「ほう?」

「心の壊れた私たちを連れて行き、洗脳の手段によってクロムウェルに操られそうになった時、だ。なるべく心や記憶を戻すことは不可能だと進言してもらいたいのだ。その、始祖の御業でさえもな」

「我らが始祖そのものにも不可能があると欺け、と言うのか。これはまた王家に似つかわしくない発言だな」

「良いではないか。クロムウェルの言う始祖の力が我々アルビオン王党派の敵なのだ。今更牙を剥いたところで何を言われるわけでもない。もう、覚悟の上だ」

 

 ウェールズはここ一番の笑顔を見せる。その内に秘める心には、薄暗くも確固とした信念が抱かれているようでもあった。ワルドがそれに気付く事は容易い。だからこそ、こうしてどんな形であろうと戦い抗おうとする姿を―――トリステイン上層部にも見たかった。

 今と成っては叶わぬ夢、そう切り捨てることしかできない己の実が恨めしいが、やはりそれでも国を愛する心は何処かに残っていたのか。売国奴が今更何を思っているのか、と自分を卑下したくもなってくる。そのような様々な思惑を抱えながらも、ウェールズがまた何かを言おうとしている事に気付いた。

 

「……その目は、何か? まだ何かあるのか」

「その通りだ、子爵殿。最後に君には、やってもらいたい事がある。それさえ達成できたならば、我々が次に目覚めた時には最大限君のために手を貸すことを誓おう」

「…なんとも、安い案件だ。それでそのやってもらいたい事とは?」

「我々が雌伏の時を過ごす最中、貴殿には―――」

 

 

 

 

 その数十分後、アルビオン城内は忙しない空気に包まれることになる。

 反対に静かになった王子の部屋から移動した裏切り者(・・・・)のワルド子爵は、とんでもない約束をしてしまったものだと頭を抱えながら、血判の押された羊皮紙を持ってレコン・キスタ勢力が一望できるテラスへと身を寄せていた。

 手紙を括りつけ、一匹のハトを飛ばして送る。その書便に書かれているのは、王子の口から直接聞いた王党派軍勢の事細かに書かれた勢力図。まさかの王子本人からお墨付きをもらってしまったこの裏切りとも何とも言えない微妙な行為に、ワルドは自分のどっちつかずな立ち回りを初めて恨んで深いため息を吐きだしていた。

 

「……物憂げね? 随分と疲れているようだけど」

「ああ、ルイズ」

 

 声に反応して後ろを振り向くと、月の光を全身に受けたピンクブロンドを輝かせる片想いの相手がいる。先ほどの書便のやり取り、見てたわよ。と彼女が言ったことから此方の動きは全て見られていたらしい。

 ワルドは思う。どうにもこうにも、ルイズも随分と豪胆になったものだと。前に見た時の彼女は正しく、自分でオールを使えない幼子だった。でも今はどうだろうか? ……そう、圧倒的なまでの従者が付く事でルイズという女性は今までおざなりにして来た精神面の成長を一身に受けているような気がする。

 だからこそ、脆く儚げな美しさすらある。今はこの不安定さが自分にも似ているのかもしれない。そんな共感から想いを寄せているが、もし完全に成長した彼女であればどうなっているのだろうか。この身はそんな輝かしい未来を想像し、彼女に擦り寄っているだけなのかもしれない。

 

「難しい顔。そんなに皺寄せるといかつい顔つきになっちゃうわよ? 甘いフェイスのプレイボーイさん」

「き、君は本当にルイズか?」

「……うんやっぱ無理あったわよね。キュルケに聞いたのが間違いだったわ」

 

 額に手を当てる苦労人っぽい姿。これも、最近のルイズがすることが多くなった表情。尖りに尖っていた性格が丸くなってしまったことで、自分以外が今まで以上に破天荒に思えて来てしまっているのだろう。自分もそれに一躍買っていると思うと、ルイズの中にも憂いの乙女としての表情を形作っている実感が沸き上がってどうにも興奮する。

 美しい女性はどの時代であっても財宝にも勝るとは言うが、いや、自分がただこのルイズ・フランソワーズという一人の女性に入れ込んでいるだけなのだろう。でなければ彼女のどんな姿でも見れることに感謝しているなど、ただの変態のやることだ。

 

「前置きはまあ、もういいわ。そんな事より」

「……ああ」

「レコン・キスタに送ったのね。この死にかけた王党派の命を握った紙を」

「その通りさ。ウェールズ様きっての願いだ」

「ッ!? ウェールズ皇太子さまが?」

「君には、話しておいた方が良いだろう」

 

 そうして伝えた。ウェールズ達王党派はレコン・キスタに下るのだと言う事を。そして雌伏の内にて屈辱を受け入れ、必ずや祖国の復興を誓っているのだと。細かな計画に関しては、何処に目があるか分からない故にルイズへ話すことはできなかったが、彼女もその事は重々承知していたのかそうなのね、とだけ言って目を伏せた。

 

「姫殿下も、お喜びになられるのか悲しまれるのやら」

「少なくとも平常心は保てないだろうね。馬鹿な判断を下さない事を祈りたいが」

「自国の姫に向かってその暴言。ワルド、やっぱりあなたのことが分からないわ」

「分からないのはこっちの方だよ。まさか、あんな要求をされるとは誰が思うのか。言いだしっぺの法則なんて誰が言い出したのか。是非とも首謀者をぶん殴ってやりたいね、まったく」

 

 両手を広げて首を振る。ワルドがオーバーなリアクションをしていたその時、ハトに括りつけた書便はクロムウェル大司教の手へと渡っていた。

 

 

 

「おお、おお! よくぞ来たワルド子爵の使いよ。誰かおらぬか!? この功労者…いや功労鳩には是非とも休息と安らぎを与えてやらねばならぬ!!」

「では、わたくしめが」

「是非とも頼むよ元王党派幹部殿!」

 

 目の奥に生の輝きを無くした男がハトの入った籠を持って行く。まるで万年演技をしているかのような大きな態度の男―――オリヴァー・クロムウェルは丸まった書便を開いて王党派の事細やか過ぎる勢力情報に目を通すと、内容の理解はできなくともこれだけ書かれているのだから間違いは無い、などと言った判断を下した。

 

「……うん?」

 

 諜報では絶対に手に入る事は無い筈の情報すらあると言う事に何の疑問も抱かず、自分の操る軍師にその勢力図を渡して布陣を作るよう言いつけた彼はもう一つ括りつけられていた紙に目を通していた。

 

「ほお、ワルド子爵ほどの男から直接私に…? うむ、やはり上に立つ者として生の声と言うのは聞かねばならぬと言うものだ!」

 

 クルクルと広げた紙の上下に分銅を置く。すると、クロムウェルの目は面白可笑しく見開かれると同時に喜色に満ち溢れた声色になった。

 

「ほう、ほうほうほう! これはこれは、ウェールズ皇太子が自ら!? なんともいいではないか、是非にとも知らせなくてはなるまい!! 戦わずして収まるとは、いやはや無益な戦いを避ける事が出来るとは! 思いもよらなかったぞ皇太子殿!」

 

 ―――ウェールズ他王党派の大隊は恐れの余り服毒によって心も記憶も亡くした廃人と化した。肉体は生きたままであるが故、是非とも全員に始祖の御業を使っていただきたい―――

 

 ワルドの簡素なもの言い。信者達の言葉を聞いてきたクロムウェルとしては疑わしい所が無いでもない。だが、それ以前に自分に王たちが恐怖したと言う一文がクロムウェルの心を、判断力を曇らせている。この効果は決して長く続くものではない、というのは作戦を提案したウェールズも、その補佐を任されたワルドも十分に分かっている。

 だが、必要なのは彼らが「始祖の御業」によって操られるまでの短い時間で十分なのだ! そう、たったの一晩明けるまでの時間で必要十分条件を満たしている! まるで戦場で一瞬の油断が命を落とす確率がたったいま、クロムウェルという男に覆いかぶさっているのだ!

 

「は、はっはははは! 素晴らしい! 欠損した死体よりかは生きた人間の方が使い勝手が良い。まったくもって、ワルド子爵は素晴らしい働きをしてくれたものだ。これは王党派の者たちを仕切る権利でも与えてやるべきか? ああ、この素晴らしい指揮官に恵まれたことに感謝したまえよワルド子爵!」

 

 決して低能とは言い切れない大司教はしかし人心掌握の術には非常に長けていた。その結果が、信者を動員したレコン・キスタの結成とその統領への就任。更には「始祖の御業」をも手にしている。そんな彼にとって最早恐れる事は何もないかと思われた。

 しかし、此処に来て再び彼の心を動かす出来事が起きたのだ。遥か高みに居る筈の王が、我らが主神である始祖の血を引く王たちが、この自らを恐れて服毒を選んだ。それはすなわち、始祖の子孫たちが、始祖そのものが自分に下った事と同義である。

 出世欲の収まりどころを知らない男は、あまりにも高揚し過ぎた(・・・・・・)のである。手に負えない程、あまりにも大きな物が手に入った。そのせいで――――その下に隠された足元に、気付く事が出来なくなった。次に足元を見るのは、痛みを知る時だけなのだろう。

 笑う、笑う。この時ばかりは曇天よりなお曇ったクロムウェルの視界には勝利の栄光しか見えていない。ウェールズの輝かんばかりの太陽は、曇天の向こうで絶えず笑みを浮かべているにも関わらず……。クロムウェルが勝つか、ウェールズが勝つか。ようやく敗北が決定されていた戦争は、どちらが勝つとも分からない運を天に任せる戦へと持ち込まれた。

 

 

 

 少し時間は遡り、「女神の杵」亭にて。

 数多の傭兵を黙らせ、トライアングルの中でも戦いのなんたるかを知り得る土のフーケと戦う事を選んだ二人は背を合わせて孤軍奮闘、背水の陣を繰り広げていた。魔法の使えない傭兵の一部はどちらが勝つかに賭けている傍観者と化しているが、魔法で傷を負った者たちは怒りで我を忘れてギーシュやタバサに襲いかかる。貴族、そして魔法の使える者という箔が何とか牽制の役割を果たしているものの、実戦経験の乏しいギーシュにはやはり動きの荒さが目立つのか傭兵、引いてはフーケのゴーレムが繰り出す拳の的になりかけていた。そんな激戦の中でのワルキューレ操作人数は「4体」。それぞれが無手で傭兵たち相手に大立ち回りを繰り広げており、ギーシュ自身も薔薇の杖を片手に傭兵の注意を引きつけつつワルキューレで一撃カウンターをかまして場外へ放り投げている。

 

「タバサァ! とにかく傭兵全員どうにかできないかな!?」

「地面固定」

「ッ! 了解!! 錬金……」

 

 杖を一振り、自分の足に土をまとわりつかせたギーシュは泥臭い足の感触に不快感を感じながらもその場に踏みとどまる。しかしそれは格好の的であると言わんばかりに怒りの形相で剣を振り上げた傭兵がギーシュに殺到する。フーケはまだ精神力が続いているとはいえ、狂ったようにも見える行動にギーシュを見捨てて厄介な水のトライアングルから撃破しようと身構えた。そんな時だった。

 

「ラグーズ・ウォータル・デル・ウィンデ……」

 

 強い一陣の風が吹き荒れる。びゅうびゅうと風しか感じられなかったそれは地面をまくり上げ、周囲の小石などの残骸を巻き込みながら冷たい暴風へと変貌する。ギーシュを襲おうとしていた傭兵は構わず剣を振りおろしていたが―――固い何かに剣は弾かれた。

 驚愕に表情を染める傭兵は、それ以上意識を保つ事ができなかった。寒い、ただ寒いとしか感じられず、自分の体は無数の氷粒によって吹き飛ばされた。細かで強い振動が全身を襲い、吹き飛ばされた傭兵がいた一方で、ギーシュとタバサはまったくの無傷!

 蒼い風が、周りを取り囲んでいる。内側から見る光景はあまりにも幻想的で、その荒々しい蒼の中にある美しさにギーシュは鉱石を磨きだす時にも似た感銘を受けていた。が、すぐに頭は疑問の色へ切り替わった。

 

「アイス・ストーム」

「これは…何故僕たちだけが無事なんだ?」

「ルイズが薦めた本、台風の真ん中は無風」

「彼女が風について…? そうか、彼女は風メイジが多いヴァリエール家の三女!」

「気をつけながらこっちに。ギーシュの居る場所はまだ風が強い」

「わ、分かった」

 

 錬金で慎重に地面ごと体を動かし、タバサとピッタリ背中を合わせる位置でギーシュは足の固定を解いた。巻き上がる水色の竜巻の中では、逆に外の様子が何一つ伺う事ができない。恐らく外は大変なことになっているだろうという想像はしながらも、彼は細心の注意を払いながら外に居る「使い魔(ヴェルダンデ)」へ連絡を取った。

 

「……タバサ、傭兵は全て去ったみたいだ。フーケの姿も無い」

「分かった」

 

 短い言葉でタバサの魔法は解かれ、蒼い幻想の暴風は肌寒さだけを残して姿を消す。

 いつの間にか戦う場所を変えていたのか、自分たちがいたのは(大木)に通じる道の草原部分だったらしい。タバサのアイス・ストームで地面がめくり上がって大惨事となっているが、月の明かりが作る大木の影から位置を察する事ができた。

 初めてとも言える実戦、なんとか生き残る事ができたと一息ついたところでギーシュは共に戦った彼女が倒れそうになっていることに気付き、膝を折る前に抱きとめた。

 

「タバサ、大丈―――ぶっ!?」

 

 痛い。頬を杖でぶたれた。

 

「痴漢」

「い、いや僕は君の身を案じてだね!?」

「なら、別にいい」

 

 あいも変わらずの無表情、だが眼鏡の下にある瞳は確かな疲労を表していた。

 アイス・ストームは水のトライアングルスペルに属し、数あるトライアングルの中でも水と風の属性を混合させた制御の難しい高等魔法である。いくら実戦で使用する事が出来ようと、その制御と威力の大きさに少なからず精神力を削ぐものを、彼女はこの小さな体で十数秒もの間維持し続けていたのだ。その労力たるや、ドットの自分では理解しきれないものなのであろうとギーシュは思う。

 

「ええっと、シルフィード君! 彼女がお疲れの様だから背に乗せてやってくれないか」

「―――きゅい!」

 

 そして、ギーシュはフェミニストらしく女性であるタバサをいたわることにした。タバサの使い魔であるシルフィードは幼竜に属するのだろうが、その体の丈夫さは4人の子供を乗せても平気なことで証明されている。なにより、この大きな体格で温める事も出来るだろう。そんな考えの下シルフィードにタバサの世話を任せたギーシュは頭を掻きながら、これからどうするべきか悩み始めた。

 

「……ふぅ。タバサ君、多分まだ起きているんだろう? これからどうするつもりかな」

「後を追う。キュルケが心配」

「…ああ、確かに彼女は戦えるかもしれないけど、別段軍人の家を出ているようにも見えないし、あれほどの“覚悟”を備えたヴァリエール主従に比べると不安になるのも仕方ないか」

「今すぐにでも行くつもり」

「……分かった、分かったよ。その代わり、潜入のために僕のヴェルダンデも連れて行ってもらう。空の領分は君に任せるけど、土掘りにおいては此方のほうが一日の長があるからね」

「好きにして」

 

 こちらを見下ろし、乗ってと目で訴えかけてくる彼女に従って風竜の体に飛び乗った。ヴェルダンデもひっつく様にしがみついているが、流石は(ドラゴン)。穴をも掘り続けられるジャイアントモールの爪が鱗に引っ掛かっていても顔色一つ変えていない。

 まったくもって、ルイズの周りにはとんでもない実力者がそろっているものだ。唯一実力も、覚悟も正しく「ドット」クラスのギーシュは自分をそうして蔑んだ。

 

 バサッ! バサッ!

 強く羽ばたいた翼が三回目にして空中への切符を得る。4度目の羽ばたきに勢いよく地面を蹴ったシルフィードは天高く飛び上がり、己の翼によって推力を作りながら船とは比べ物にならない速度で超高度を目指し飛び立った。

 冷たく感じ、薄くなっていく筈の空気は風竜の精霊使役によって人間でも耐えられるように調整される。そうして大空の旅を碌な装備も無く旅立つ事が可能なファンタジー遊覧飛行を決めこんだ二人は、白の国アルビオンに続く空の道へと消えていくのであった。

 

 

 

 早朝、ウェールズはパーティーに出席した貴族、そして父親である現国王ジェームズ一世を再びホールへ集めていた。そこにはルイズとキュルケ、ワルドとディアボロの姿もあり、重要な役者全員が集まった事を確認したウェールズが声を張り上げて宣言する。

 

「ここホール一帯に我が魔法サイレントを張らせて貰った! 観測班、魔道具の盗聴反応を報告せよ!!」

「ありません。ウェールズ殿下の完璧な魔法に敵も手は出せない事は確実でしょう!」

「防諜よぉしッ!! では諸君、私と、このワルド子爵によって考え付いた一世一代の大きな賭けに乗るつもりはあるか!? まずはその意志の有無によってこの地を発つ者、残る物に分かれてもらいたい!」

「我ら全員、一丸と成って敵に報いる限りぃ!!」

「ウェールズ殿下、出撃の御命令を!!」

「諸君らの気兼ねはようく伝わった!! だからこそ、その覚悟をも水泡に帰す可能性があるこの“賭け”に乗るや否や、この場にて決めていただきたいのだ!」

「なっ……!?」

 

 誰かが上げた疑問の声はすぐさま波紋となって場に行きわたる。

 されど、ざわざわと騒いだのはたった数秒! このレコン・キスタには無い生きた人間同士の王党派の団結力の高さがここまで生き残ってきた覇気を感じさせているっ!

 

「……いいだろう。諸君らはこの賭けに乗る、と言う事か? いや、計画を聞いてからでも遅くは無い。ではワルドくん、まずは君からこの壇上でお願いする」

「了解した、ウェールズ殿」

「ワルド? あなた一体……」

「まぁ、見ていてくれよルイズ。これが僕と彼の答えだ」

 

 まだ何か言いたそうなルイズを押しとどめ、ワルドはウェールズの隣に立った。ウェールズやジェームズという王族を前にして礼も無く、なんて不作法なと罵る声があったがそんな小さな疑問もワルドの第一声にて吹き飛ばされる。

 

「王党派よ、私はレコン・キスタの一員だ」

「なにぃ!?」

「静粛に! いまは我が友人、ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルドが話しているのだ。これを聞けぬ者は我が配下とは認めんぞ!!」

「……ウェールズ。これは一体?」

「父上、よく聞いていてください」

 

 何度も騒ぎ立とうとする王党派の貴族を黙らせたウェールズはワルドに目配せした。

 

「再び発言を賜った。そう、確かにこの身はレコン・キスタに所属しているが私は奴らの操り人形では無い。しかし、この操り人形と言う言葉が真実となってしまうような恐るべき“始祖の御業”というものをクロムウェルは有している。これは――」

 

 ワルドの口からクロムウェルの手段が語られ、その誇りも何もかもを馬鹿にした非道さに王党派は怒りを募らせ始めていた。それらが爆発する直前に、しかしと言ってワルドは聞く者の心を覚まさせる。君達も死ねば、奴らの思い通りになってしまうだけなのだ、と。

 それを聞き、今度は顔を青ざめさせる者が溢れた。だからこそ、この冒涜的な秘術に対抗しうるべく、ウェールズが考え出した案がある。そうして、皆の希望の星であるウェールズへと話の柱を握らせた。

 

「…このように、ワルド殿は決して我々の敵では無い。いいや、愛に目覚めた戦士だとも言えよう! 彼の清純な心に応えられずして、何が貴族か? 何が王か! そうは思わないかお前達!!」

「然り! 然り! 然りッ!」

「だからこそ、彼の情報を私なりに纏めた結果私は―――君達の中に居る有志と共に雌伏の時を過ごすことに決めた!! 一旦は奴らの軍門に……汚辱にまみれながらも下るという決断を下したッ!」

「――――!?」

「ああ、そうだ! 蔑むがいい、馬鹿にするがいい。これが私の決断だ!!」

 

 ざわざわと再び場が騒がしくなる。この繰り返しの中、その勢いと威圧感から抗う意志のあるルイズ達は冷静にこの状況を分析する会話を繰り広げているようだった。

 

「……なるほど、ふるいにかけている訳か」

「ふるい?」

「とある道具だ……。細かい網目があり、何かと混ぜられた小さな粒のうち、一定以上の大きさのものだけを網目の上に残し残りは下に落として種類を分けるものだ」

「つまりそれで、最後まで裏切らない付き従う相手を選ぶってこと? 同じ仲間なのに、信用ないのねえ……あの皇太子さま」

「いいや、奴は信頼を試しているのだ……階級的な社会の立ち位置ではなく、一個人として本当に従う意志があるのかを判断させている。恐らくはこれで、少なくとも6割以上の人間は身を引くだろう」

「ええ? 仮にも貴族よ。そんな訳が―――」

 

 キュルケの信じられない、と言った発現と同時、ウェールズは「心を壊す薬を飲む」という条件を繰り出していた。それによって、一歩下がった王党派の貴族は8割にも至る。

 

「あ、った……」

 

 目を見開いて個人に仕える者たちというのがどんな人間かをキュルケが見つめる中、ウェールズの作戦説明は続けられた。

 

「では、今ので私と共に来てくれると誓ってくれた者18名はこの薬を。残りの者たちは……国から離れ、愛しい者たちを守り続けるのだ!!」

「し、しかしウェールズ様!! そのような賭けなど」

「いいや、私は限界だ!! 推すねッ!! いつまでも敗北の国として、敗北の皇太子として言い伝えられたのでは男が廃る! なによりアンに向ける顔が無い!! 我が祖先が作り上げた勝利の証とも言える国を、乏しめる事など出来るはずがないっ!! ここまで言われても操られるだけの無駄死にをする貴族など皆―――この城から出て行くがいい!」

「……す、すみません。俺は無理だ!」

「お、おれも……駄目だ。そんな死に方は我慢なりません!!」

 

 家族を惜しみ、命を惜しみ、本音をさらけ出した者たちが次々とホールから出て行き、朝一番の避難用の船へと足を向ける。慌ただしい声を荒げる者たちは、生への執着心で一杯だった。

 そうして―――ホールに残ったのは20人。その誰もが、己の国のために、己の誇りを賭すための炎を瞳に宿していた。

 

「……ついてきてくれるのだな」

「私は、レコン・キスタにこの国が終わらされるのは我慢なりません」

「この身はただ、王の為に捧げるのみです。特にッ、あなたの様な勇敢な決断を下す王へと捧げるべきだと思ったまで!」

「ならばこの小瓶を持て! 中身をこのグラスの中に注ぐのだ」

「おおおおおおおおおおおお!!」

 

 ウェールズを含め、20人の有志達はその手に己を破壊する毒薬の入れられたグラスを手に持った。これが最後だと言わんばかりに、ウェールズは己の父親へと振り返る。その手は、小さく震えていた。

 

「…おお、ウェールズ……お前は、真に国の復興を考えているのだな」

「はい父上。この命ではなく、誇りを賭す価値があるとワルド殿が気付かせてくれました。ならば私は、この国を支える星となるために喜んで泥をも被りましょう。そして、再び頂点へと舞い戻るのです。その時が―――アルビオン復興の時…!」

「朕は、もはや何も言うまい。全てをお前に任せるとしよう」

「ありがとうございます。……父上ッ!」

 

 流した涙はグラスの中へ。

 今から訪れる汚辱の時は、雌伏の時は……想像するだけでこの身を焼く思いに囚われる。されど一度己で決定し、その願いを他人にも託したからには遂行しなくてはならない。それこそが己に目覚めた美学であり、この身がなすべきことであるのだから。

 

「諸君! ……乾杯!!」

「乾杯!」

「乾杯!」

「乾杯ッ!!」

 

 ルイズが、キュルケが手を口で隠しながらその覚悟に感嘆する。

 一度に飲み干した勇者たちは立ちどころにその場で血を吐きだし始め、ウェールズ達は激しい苦痛に苛まれながら己と言う個を失っていく。目に灯した生の光はなりを潜め、どこまでも空虚な息をするだけの生物に、生きているだけの物体へと変貌を遂げていった。

 ただの薬ひとつで心が失われる光景は、見ていて気持ちのいいものではない。いろいろな何かを吐き出しそうになる気持ちをぐっとこらえながらも、これもまた「覚悟」の形の一つであるのだとルイズは必死にその姿を視界に捉えていた。そして―――彼らはただ、息をするだけの人形と化す。

 

「……では、彼らは僕がレコン・キスタへ連れて行こう。ウェールズ殿から預かった二つの願いを履行しなくてはならないからね。よってルイズ、君たちとはここでお別れだ」

「ワルド、あなた分かっていたのよね」

「そうさ。これが彼らの選択……そうですね、ジェームズ国王」

「…うむ。しかと、朕もこの目で見届けた。……最期に、我が息子の有志が見られて本当に良かったと、ただそう思わずには、いられん…!」

 

 涙を流す王の姿は、悲壮に満ち溢れる。この代で、何故この様な悲劇の大戦が行われなければならなかったのか。そしてこの責を全て、次代を担うべき息子と勇気ある貴族達に背負わせなければならない運命を呪いたくもある。だがジェームズは、それらを涙とすることで全てを呑み込んだ。

 

「そして……朕の命も、今ここで尽きるようだ」

「そんな!?」

「よい、よいのだ赤毛の親善大使殿。そして屈強な大使殿に……最期の願いがある」

「いいだろう」

 

 指名されたディアボロが前に出る。

 ヨロヨロと椅子から立ち上がったジェームズは、ウェールズの指にはめられた風のルビーを取り外すとディアボロにそれを渡した。

 

「この風のルビーを、我が息子の意志と共に伝えていただきたい。そして……我が身を、死体すら残らず粉々にしてもらいたいのだ……身勝手、とは分かってい、る。……頼んだ、ぞ…希望の子らよ……」

「……死んだ、か」

 

 ジェームズはその場に倒れこんだ。

 息子の心が崩壊する瞬間は、覚悟していても寿命も近い体では耐えきれるものでは無かったのかもしれない。様々な思惑を残したまま、ここに事実上アルビオン王家は終止符を打たれたとも言えるだろう。ジェームズ一世の目は瞳孔が開き切っている。ディアボロはその死体に触れようともせず、スタンドを発現させっ!

 

「待ってくれ」

「…どうした」

「ここは、僕がやろう。いや、僕に任せてくれ。ウェールズと共に僕は―――レコン・キスタのトップに下剋上を成す。そのためにジェームズの死体にはもう一仕事してもらう。クロムウェルに操らせはしないけどね」

 

 術者であるウェールズに代わり、効力が消える直前にワルド自身がサイレントの魔法を張り直しているため、この会話も聞かれる必要はない。よって、ワルドはそんな自分の組織を裏切るような事をのたまった。

 ルイズも少なからず予想はしていたが、やはり自分と関わってからワルドというこの男は随分と身の丈を越えた事を成そうとしているきらいがある。惚れ直した、という言葉を信じるならばそれに値する行動だと、「馬鹿な男」のしそうな事であるかもしれないと納得しかけていた彼女はそれでも確かめたい事があった。

 

「ねぇワルド。一つ聞かせてもらえないかしら」

「いいとも」

「無事にまた会えるのよね? あなた自身が(・・・・・・)

「……さて、どうかな」

「ワルド!」

「分かった、分かったよルイズ。君に誓って無茶はしないと約束する」

 

 嘘だと言う事はルイズにも分かっていた。彼女がこんな真摯な感情を表に出しているのに、ワルド自身がへらへらと笑って誤魔化す様な態度を崩してはいないからだ。こんな不安定な様子なんて、自ら死地に飛び込み無謀の限りを尽くそうとしていると言っているようなものだ。

 だから、自分の納得のいくまでルイズはワルドに喰ってかかろうとして、その手を掴まれる。ディアボロでは無い。それは、ディアボロとは別の秘密を打ち明けたキュルケの華奢で小さな手。それでも掴む力とは別に、振り向いた時に見たキュルケの目は物語っている。行かせてやりなさい、と。

 

「……約束よ」

「ああ、約束さ」

 

 帽子のつばを指ではじき、ワルドはウィンクして見せる。渋い見た目に反した若々しい行動は「憧れのグリフォン隊隊長」としての行動そのもの。甘いフェイスで偽り、しかしそれを知っている人間には真意を伝えるための行動ともとれる。

 突如マントを翻し、ワルドは背を向けた。

 

「さて、お友達が来たようだ。既に船も出港しているだろう……あの子のドラゴンなら君たち全員が脱出可能だろうさ」

 

 彼の言葉が終わると共にルイズ達のいる地面の近くが盛り上がり、瓦礫を吹き飛ばしながら一匹のジャイアントモールが顔を覗かせる。その下に続いて顔に土を被った金髪の少年がはい出してきた。

 

「ルイズ! キュルケ! 大丈夫かい!?」

「ギーシュ、アンタ何処から来てんのよ!?」

「どこって、安全な道さ。この下にすぐタバサのシルフィードが待っているから、早く来てくれたまえ。もうニューカッスルの上空は竜騎士隊と船でいっぱいだ!」

「ギーシュ君の言うとおりだ。君たちは早く行け」

「……いい加減、この茶番にも飽きてきた所だ。行くぞ、ルイズ」

「分かったわ。ディアボロがそう言うんなら、もうそうなっている(・・・・・・・)んでしょうね」

「ワルド子爵も、早く!」

 

 ルイズとキュルケが穴の中に入って行った事を確認したギーシュが叫ぶ。何も知らないとはいえ、彼の行動は実に正しい。しかしワルドは、ここで彼らとは行動を別にしなくてはならないのだ。

 

「僕は彼らを引きつける。寿命を迎えたとはいえ、ジェームズ王の死体は度肝を抜くには十分だろうからな」

「そんな―――わっぷ!?」

「早く行け。押し潰すぞ小僧」

 

 渋るギーシュを抑えつけたディアボロがそのまま穴に消えていく。ディアボロはワルドに視線のひとつもくれてやらず消えていく辺りは、何とも彼らしいものだと一人残された男は苦笑した。

 さて、これからは自分の戦場、そして独壇場だ。華麗な演説でも披露して、操られていない者たちの肝を抜くのが仕事。物理的にか、精神的にか、それはこれからの行動次第だが、ワルドの中には久しぶりに闘志と言う者が湧きあがっていた。吹き荒れる暴風、と言う者もいるだろう。だがっ! 彼の心は今澄み渡っている。自由に飛び回る風の自由気ままな気分に満ち溢れていたのだ……。

 

「“ウェールズ達の記憶を覗かれないようにする”」

 

 帽子を押さえつけ、杖を振る。レビテーションの魔法で浮かび上がった廃人達とジェームズの死体はワルドに付き従うようにテラスへと動いて行く。

 

「“クロムウェルの力も奪う”。“両方”やらなくちゃならないってのが、“コウモリ”の辛いところかな。僕の覚悟は……ああ、できているさ」

 

 サイレントの魔法を解除。目の前に現れたのは「味方」であるレコン・キスタの軍勢。ジェームズの死体を引っ掴んだワルドはそのジェームズの死んだ目を味方に見せないようにし、服ごとつり下げてひたすらに叫んだ。

 

「聞け! レコン・キスタの精鋭たちよ!! このニューカッスルは我が手によって墜ちた!! これが忌まわしき前王、ジェームズ1世の……最期である!!」

 

 軍人の筋力全てを用い、力強く死体を投げた!

 ワルドは一切の情け容赦なく、既に死しているその体に己の魔法を激突させる。

 

「カッター・トルネード!!」

 

 風のスクウェアクラスにのみ許された風の暴虐。真空の層を間に、二つの局地的な竜巻が王だった者の体を切り刻む。腕を、頭を、足を、腹を、無差別に刻まれた肉袋からは血が雨のように飛び散らかされ、肉は塵となって跡形もない。まだ温かいそれらが真下に居るワルドの顔に飛び散るのも当然であった。

 何と言う暴虐、何と言う野蛮! これが貴族のする事なのか? レコン・キスタで操られていない者たちはワルドの蛮行に息をのむ。恐れをなす。しかし何の迷いもなく、血を浴びてなお己の信じる光に向かうその視線は「畏れ」をも見ている者に抱かせていた!

 

「敵王、このジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルドが討ち取ったァッ!!!」

 

 未だ降り注ぐ血を浴びる修羅の男。

 その目を見開いた形相は後に、この光景を見ていたクロムウェルに対する最大の対抗手段となるのだが、そんな事は知った事では無い。ここまで踏み出してしまったからには、自分が目指す道と他人に託された道を歩まなければならない。それが、貴族としての己が持つ宿命、宿願となる。

 ウェールズの熱き意志は同じ風を操る者として確かに受け取った。ならばこの身は、夢に向かう追い風となってやろうではないか。

 




すみません、また更新は遅れると思います。
これからもこのように遅々とした、内容も普通量程度の物になるでしょうがご了承ください。

熱いワルド、ゼロ魔側で一番書きたかったのが実はコイツ。需要はあるのだろうか。


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