Sword Art Online Re:βoot (mimitab_)
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Sword Art Online Re:Generation
1.


2023年、11月。

アインクラッド 第37層 フィールド

 

8人の男女の前に立ちはだかるのは4体のコボルトオーク。体長2メートル弱の人型モンスターで皮膚は緑色と黄土色を混ぜたような色をしており、顔はゾンビのように爛れている。頭と胴を守る無骨な鎧を装備しており、手には血と錆がまんべんなくこびりついた汚らしいマチェーテを持っていた。

 

「きったねぇな、ホントに」

8人の中、1人の男が刀身から柄まで自分の身長以上ある大剣を肩に担ぎながら顔をしかめて不快そうに吐き捨てる。

「ねぇ、むーちゃん。私あの武器欲しい」

男の隣に立つ、短い髪を赤く染めた女が目を煌かせて言う。

「え?マジで?あれ欲しいの?」

「うん。だってカッコいいじゃん」

「お前の美的センス疑うわ。あんなん研磨石50個あったって足りないレベルだぜ?」

 

「はいはい2人共。お喋りはそんぐらいで」

8人の中で1番真ん中にいた少年が片手直剣を背の鞘から抜いて声をかける。

「無理だろ。口の塞ぎ方知らないからな」

少年の左に立つ1番長身の男が笑いながら言う。

「ま、やるべきことはやってくれるでしょ」

少年の右に立つ黒い装備で身を包んだ女が背負っていた槍を手に優雅に振り回しながら微笑む。

「ぬわっ、ノース!槍を振り回すな!危ねぇだろ!」

女の右に立っていた男が咄嗟に曲刀で自分の身体を防御しながら後ろに数歩下がる。

そんな仲間の姿を見て、誰にも分からない小さな笑みを浮かべた女は静かに腰にかけた細剣を鞘から抜き、もう1人の女は心配そうな面持ちで醜悪なモンスターを見る。

 

「そんじゃ、やりますか」

曲刀の男が号令を出す。

「事前に決めた2組で、1体ずつ蹴散らすぞ」

 

「ムニ、ヒート!コボルトオークA」

「アイス、シグ!B」

「ハル、ニカ!C」

「ノース!俺とDやるぞ」

「了解!!」

 

8人がいっせいに駆け出した。

 

 

 

Sword Art Online RE:Generation

第1話「日常」

 

 

 

「ヒート!俺から行くぞ」

「おっけ~」

刀身をオレンジ色に輝かせて強烈なソードスキルをコボルトオークに当ててから男はすぐに身を引く。その後ろからアイコンタクトも合図もなしに片手棍を髪の色と同じ真っ赤に輝かせた女が突っ込み強力な打撃を放った。間髪いれずに男が再度斬り込み、その後も女が敵に一瞬の隙も与えず棍で叩き潰す。

2人の相性が良すぎるからこそ成せる技。それは敵に攻撃をさせる時間を一切作らせない。お互いのソードスキル後の硬直時間も上手く考慮しながらテンポよく身体を入れ替わる、お手本のようなスイッチによる連携技。

 

「むーちゃん、やっぱりこの武器欲しい」

「まだ言ってたのかよ。やめろって」

「え~」

「こんな汚ぇ武器持った奴と俺はコンビ組みたくない」

「じゃ、諦める」

戦闘中だと言うのに、2人は喋ることをやめない。それだけの余裕さがあった。決して敵を侮っているわけではない。ただ、この2人で戦闘が出来るという『遊び』を純粋に楽しんでいるだけである。

 

 

「アイちゃん、好きにやっちゃって。僕は後ろで見てるから」

「はい」

長身の男が悪びれることもなく怠惰に声をかえるのに対して女は静かに応えた。姿勢を低くし、細剣を突き刺すように構える。

「いきます」

「よろしく~」

男の陽気な声を聞いて彼女は思い切り地面を蹴り瞬時に敵の懐に潜り込むと、高速の刺突を繰り出した。無数に刺された傷跡が刻まれたコボルトオークは彼女の素早さに混乱し咆哮しながら、刃こぼれしたマチェーテを振り回すが、女は姿勢を更に低くし立ち居地を数センチずらすだけで回避。モンスターの得物の軌道を見極めながら激しい刺突を放つ。

 

「さーて、もっと無様な蜂の巣状態になってもらおっか」

女の後方で口笛を吹きながら彼女の戦闘を見ていた長身の男は腰につけていた右側と左側に付けられたホルスターから2丁の拳銃を取り出し両手に1丁ずつ持ちながら構える。

「年下の女の子に戦わせて、僕は安全圏で射的。うーん、らくちんらくちん」

男の放った弾丸は細かな螺旋を描きコボルトオークの利き手に着弾。更に数発数ミリもずれない精密な射撃により、同じ箇所に撃ち込み、その腕を弾き飛ばす。武器を腕ごと失ったコボルトオークの汚く濁った瞳に映るは至近距離から突き出された細剣の切っ先。その鋭く光る剣先が眼球を抉り刈る。

「ナ~イス、バイオレンス」

後方から男が間延びした声をかける。

 

 

「槍には慣れたのか?」

横ぶりに薙ぎ払い、曲刀の刃を確実にコボルトオークの胴体に当てながら男が聞く。

「うん。結構いい感じ。片手直剣よりも使いやすいです」

男と前線が入れ替えた女が槍の切っ先を赤く光らせて鋭い4連激の突きを放つ。

「長物は使い手を選ぶけど、お前には相性が良かったみたいだな。よかったよかった」

「タクさんのアドバイスのお陰ですよ。ありがと」

「お、素直だね」

「失礼な。私はいつだって素直でしょ?」

 

槍や薙刀といった両手剣の派生系と言われる武器の特徴は一言で簡単に済ませるなら、デカくて重い上に扱いづらい。一撃一撃が強力ではあるが、モーションが大振りになりやすく相手に当てるのが難しいとされ、短剣や片手直剣よりも技量、熟練度、鍛錬量が必要だとされている。どんな武器もソードスキルというシステムスキルを使った後には硬直時間が発生するが、両手持ち武器は大抵それが長めに設定されている為、失敗した時のリスクが大きい。

しかし、上手く使いこなせることが出来れば、攻撃と守備の2つを同時に行うことが可能であり、前衛でも後衛でも威力が発揮出来る頼りになる武器である。

 

「まぁ、俺としても両手持ちが増えてくれて嬉しいよ」

曲刀を巧みに操る男が言う。

「タクさんは昔からそれだよね」

「昔剣道やってたしな。こういう剣の方が使いやすい」

男が振るう曲刀は戦闘が始まってから、まだ一度も刀身を光らせてはいない。システムで補助されるソードスキルに頼らなくとも、与えるダメージが大きな両手剣は当てるだけで強力だ。

「本当はもう1人ぐらい重量系使える奴がいるとバランス取れるんだけどな」

「うーん。パワー値足りないし武器変える気もないので私はパス。それより、ちゃっちゃと終わらせちゃおうよ」

「うし、ラストアタックはお前にやるぞ、ノース」

コボルトオークが持つマチェーテが青く光り基本的な片手直剣のソードスキルを放ってくる。それを上手くかわし、男は曲刀を紅色に光らせマチェーテの柄に重い一撃を振り下ろすと、汚らしく刃こぼれしたマチェーテの刀身は皹が入り根元からバキリと折れ地面に落ち、その破片をポリゴンへと変える。

武器を失い戸惑うコボルトオークの喉元に鋭く槍を突き刺し、そのまま横に薙ぎ払うと、醜いモンスターはその姿を消えた武器と同様に身体をポリゴンに変えて消滅した。

「いいね」

曲刀を持つ男が親指を立てた。

「それよりも、タクさん今の・・・」

「アームブラストってやつだ」

「噂には聞いてたけど、武器破壊なんて初めて見た!凄い!」

2人はハイタッチをして、今の戦闘を振り返る。

 

 

「ニカさん、焦らなくていいからね。確実に一撃ずつ当てていこう」

「は、はい!」

口では返事出来ても実際に行動に起こすのは難しい。ニカと呼ばれた女は実質かなり焦っていた。短剣を握る右手が震える。いや、右手だけではない。全身の震えが止まらないのだ。

コボルトオークが、その醜悪な顔面で女を威嚇する。ドス黒く濁った瞳に睨まれ足が竦む。ムリだ。ダメだ。動けない。動けたとしても、剣を必死に突き出しても剣先は全く当たらない。それが連続すれば当然焦りの度合いも上がっていく。心拍数が上がっていく。呼吸も乱れていく。立つこともままならない。ダメだ。本当にダメだ。どうして私みたいな弱虫が今の今まで生きてこられたのか不思議でしょうがない。

コボルトオークがマチェーテを振り上げた。

「ニカさん!」

腰が完全に抜けて座り込んでしまった女の前に立ちはだかり、左手に持つ盾でその鈍重な攻撃を受け止める少年。更にモンスターのガラ空きの懐に右手で持つ片手直剣の重い一撃を食らわせると、敵は大きく仰け反って後方に倒れた。

 

「大丈夫だよ」

倒れたモンスターを再度斬り、簡単に起き上がってこれなくしたところで少年が女に手を差し伸べた。

「あんなのジャガイモと一緒さ」

「ジャガイモ!?」

涙声混じりに女が返す。

「よく言うじゃん?ステージに立って緊張したら客を全員ジャガイモと思えって。僕学校ではそう習ったんだけど」

それとこれとは状況が全く違うと女は思う。

「あれはジャガイモ。ちょっとどころか、かなり形と見た目が悪いジャガイモ」

だから、それとこれとは違うと女は再度思う。

「ニカさんはこれからカレーを作りたい!ジャガイモはどうする?」

「切る」

条件反射で咄嗟に答えてしまった。

「そうさ。食べごろサイズに切らなきゃ食べれないもんね」

「でも、あのジャガイモ動きます」

発言しながら、どうして自分は戦場でこのような会話をしているのか我に返る。完全に少年のペースに乗せられていた。

「じゃあさ、ジャガイモ諦める?カレーの具は肉が主人公って言う人多いけどさ、僕は違うと思うんだよね。ジャガイモこそが主人公さ。あれがあるからカレーは美味い!」

もはや、意味が分からない。しかし不思議と震えは止まっていた。

 

女は少年をジッと見つめる。

こんな地獄みたいな世界で、彼は本気で冗談みたいなことを言っている。その子供らしい真っ直ぐで純粋な姿に女は惹かれた。

このギルドを守るリーダー、ハルという小さな少年の姿に。

 

 

 

ソードアートオンライン。

2022年、11月にサービス開始されたそれは、空想を現実にする架空世界。ヴァーチャルMMORPG。

そしてこの世界での死が現実での死に繋がる地獄のデスゲーム。

ゲームから解放される為には全100層からなるアインクラッド全フロアを制覇すること。

 

2023年11月現在。

第40層までが攻略組と呼ばれるハイレベルなトッププレイヤーたちによりクリアされていた。

 

 

 

アインクラッド 第32層 ヒュルゲンシュタイン

 

先の戦闘をした8人のギルドホームはこの街にある。主街区からは遠く離れた地にあり特に目立った観光名所があるわけでもなく、有名な鍛冶屋や道具屋、料理屋があるわけでもない。最前線の攻略を主とするギルドは勿論、誰もが通過点の街という考え方をしている為か、日中でも人通りは皆無に等しく拠点にしているプレイヤーもいない。そんな街の一角にひっそりと住む8人。自分たちにとって都合がよかった。それが、ここで暮らす理由である。

 

「いただきまーす」

夕食時、席に着いたメンバーの声が重なる。

食卓のテーブルには昔から世話になっているプレイヤーに作ってもらった数多くの料理の皿が並ぶ。こういった豪勢な一品を作り出すには調理スキルをある程度鍛えていなければいけない。剣を振り回すことが主な目的であるこのゲーム内で戦闘以外のスキルを上げるなんて酔狂だと思われていたが、ゲームでの死が現実での死に変わった時から、生活する為にこういったスキルは必要だと言われるようになった。

 

「うまい!これ全部オヤジさんが?」

メンバーで1番背の高い男、シグが肉を頬張りながら言う。

「そうだよ。この前食材を届けてくれたお礼だってさ。人数分プリンも作ってくれたよ」

サラダを皆の皿に取り分けながらノースが答えた。

「ありがたいねぇ」

「そういやノース!タクが武器破壊やったって?」

シグの向かいに座るムニが身を乗り出してノースに聞いた。

「あぁ。あれは凄かったよ。初めて見た」

「噂には聞いてたけどよお。そんなこと出来るんだな。いいな!俺もやりてぇ」

「タクさん帰ってきたら教えてもらえば?」

「そうする!」

「むーちゃん、ファイト!」

意気込むムニの隣でヒートが笑った。

 

「あの」

シグの隣に座るアイスが彼に話しかける。

「どうした?」

「今日の戦闘で薬草ドロップしたんですけど、いります?」

「なんてやつ?」

「えと、ヨモギハーブってやつです」

アイスが自身のストレージを確認しながら言う。

「あげとけあげとけ。よく分からん葉っぱはシグが使ってくれるって」

ムニが言った。

「一応、貰っておこうか」

「では送ります。23本」

「そんなに!?」

大量に送られてきたアイテムでストレージの整理を余儀なくされるシグ。

 

「前から疑問だったのですが、シグさんはどうして葉っぱコレクターなんですか?」

アイスの隣で上品に肉をナイフで一口サイズに切って食べていたニカが聞く。その言葉にシグとアイス以外の全員が、それを聞いちゃダメだと言うが、もう遅い。

「ニカちゃん!よく聞いてくれたねぇ」

「へ?」

張り切るシグをよそに、ニカを除く皆が「始まったよ」だの「地雷を踏んだな」だのと溜め息を吐いた。

「僕はね、夢があるのよ。βテスト時代からの夢が!」

「はぁ、なんですか?」

「いいね!その期待の眼差し、非常にいいね!」

シグはいきなり立ち上がり、ニカに向けて親指をたてる。

「僕はね、煙草を作るのが夢なのさ!」

「た、煙草?」

「おぅ!」

 

「この人、βテストの時、攻略そっちのけで煙草精製に熱出してたらしいよ」

サラダを分け終えたノースがまた大きな溜め息を吐きながら呆れたように言った。

「同じβテスターの身からすると、戦闘楽しまなかったなんて考えられないぜ。ヒート、アルクスパイス取って」

ムニが隣に座るヒートに頼みながら言う。

「アルクスパイス?この魚、充分ピリッとしてるけど」

「俺は辛いの好きなの」

「むーちゃんの味覚センスわけ分からん」

胡椒のような赤い粉末が入った小瓶を手に取り、渡すヒート。

「でもサービス開始してから1年!未だに満足いく煙草が出来ないんだよ!ねぇ、ニカちゃん!分かる?この気持ち」

「はぁ、分かりません」

詰め寄るシグに即答のニカ。

「いい感じの葉っぱが見つからないんだよねぇ。だからさ、ニカちゃんもいらない葉っぱあったら頂戴ね」

「わ、わかりました」

「ニカ、シグの部屋には入らないようにね。物凄く臭いから。煙いし」

ノースが言う。

「1回爆発したことあったよな」

アルクスパイスをこれでもかとふりかけた魚を満足そうに食べながらムニが言う。

「安全圏だからホームは燃えなかったし部屋の中にいたアンタも無傷で無事だったから良かったけど」

ノースがその時を思い出しながら困ったように言う。

「タクちゃんがブチ切れ寸前だったよねぇ」

ヒートがニヤニヤしながら言った。

「いや、あれはキレてたな」

ムニが訂正した。

「ハルちゃんが凄くなだめてたよねぇ。可愛かった~」

ヒートが笑う。

「シグ。あんたが何を作ろうと勝手だけど、ハルに心配かけたら駄目だからな。次やったらブン殴るよ」

「う。分かってるよ」

釘をさすノースの迫力に押され、シグが俯きながら頷いた。

 

 

6人が騒がしく食卓を囲む中、ハルはホームの外。街の外れにある転移門の前にある石垣に座っていた。ギルドのストレージ管理をしながら暇を潰していると、転移門が輝き1人の男が険しい表情を浮かべながら現れる。男はハルの姿を見つけると一瞬驚いたものの、すぐに頬を緩めて微笑んだ。

「ずっと待ってたのか?」

「うん」

ハルは答えて、その男。ギルド副リーダーのタクを下から見上げ、彼が喋りだすのを待った。

 

「そんな顔すんな。大丈夫だったよ」

タクは優しく笑ってハルの頭をクシャっと撫でた。

「よかった」

それに満面の笑みで応えるハル。

「帰るか」

「ご飯あるよ」

「オヤジさん作ってくれたんだろ?食べる食べる」

「じゃ、ウチに帰ろう」

「あぁ」

 

何気なしにハルは星が無数に広がる夜空を見上げた。作り物の、0と1で出来たグラフィックだと分かっていても、それは実に美しい。

 

 

アインクラッド。

それは空想を現実にした架空世界。

そんな偽物の世界で僕たちは本物の人生を噛み締め、必死になって生きている。

 

 

今日が終わる。そして明日が始まる。

同じ日など二度とない。だが変わらない日常を求めて旅をすると、僕は決めた。




*後々本編で書きますが、原作と違い初っ端から銃器登場です。


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2.

2023年、11月。

アインクラッド 第32層 ヒュルゲンシュタイン

 

さほど大きくないギルドホームの1階は食卓がある部屋に加え、リーダーであるハルの部屋がある。寝泊りをする個室とは別に、主に執務をする部屋だ。

今そこに、椅子に腰掛けるリーダーのハル。脇の壁に寄りかかる副リーダーのタクがいた。

「この前の戦闘どうだった?」

ハルが両手で顎に手をやり肘をテーブルに乗せながら聞く。

「ノースは大分槍の使い方に慣れてきたな。充分通用するレベルだ。ムニとヒートは言うまでもないだろ。アイスはやっぱり生粋の戦闘職だな。今更あいつに戦闘の知識叩き込んだところで、あいつは自分のスタイルを変えることはないだろう。シグは・・・そうだな。正直あの戦闘でシグは必要なかったな、うん。個人的にシグには近接戦闘も出来るようになってほしいんだが。まぁ、あいつの後方からの視野の広さは間違いなく強味だから・・・ま、いっか」

 

タクの観察眼は素直に尊敬できる。自分も戦闘をこなしながら、周りの戦闘もしっかりと己の目で収め、事態をすぐに把握して指示を飛ばすことが彼の役割。その姿は非常に信頼できた。

 

「もう少し上でも俺らなら行けるんじゃないのか?まぁ、決めるのはお前だが」

「うん・・・」

タクの言葉を受けたハルは歯切れが悪い。

「あぁ、そうだな」

そのハルの気持ちを汲み取ったタクが微笑む。

「ニカさん。絶対強くなれるハズなんだよね」

ハルの言葉にタクが無言で頷いた。

 

ハルは窓から一望できるフィールドの景色を覗く。

この世界のプレイヤーたちは、みんな心に抱えた苦しみと戦っている。

何かと戦っていない人間など、この世界には1人もいない。

そして何よりも辛いのが、孤独と戦うこと。

その敵を作らせない為に、ハルはこの世界での旅の中で気を許せる仲間たちに出逢い、このギルドを作ってきた。

それは、もしかしたら自分の為なのかもしれない。

自分は今日も仲間に生かされている。だから自分も仲間の為に出来ることはやらなければいけない。

それがハル自身に架せられた使命なのだろう。

みんな、何かを抱えている。

そんなことは知らないと嘲笑うかのような、カラッと晴れた青空が窓から見えた。

 

 

 

Sword Art Online RE:Generation

第2話「見る目」

 

 

 

アインクラッド 第39層 アールーン

葉っぱ屋「Smorkin Torch」

 

「いらっしゃーい」

カランコロンと鳴る扉の開閉音を聞いてシグはストレージを閉まってカウンター越しに挨拶をする。この店はシグが経営する薬剤ショップ。各種ポーション類などの基本的な薬剤とクエストに使われる薬草類、アイテム類。そして錬金に使う植物なども取り扱う少しマニアックな店。

「光砂と光葉を10ずつ」

「はいよ。800コルだけど、お得意様だから600でいいや」

接客はNPCに任せることも出来るが、客商売が嫌いではないシグは積極的にカウンターに立つことにしている。自分がやれば、こうやってまけてあげることも出来るしお客さんとの会話に花を咲かせることも出来る。

 

「ありがと。煙草できた?」

「出来てたらとっくに店舗に並べてるっての」

「そっか。楽しみにしてんだからな」

「頑張ってるんだけどねぇ」

ギルドのメンバーは、シグの煙草精製に毎回溜め息を吐いているが、こう言ってくれるプレイヤーも実は少なくない。改めて需要があると感じるのだった。

「っぽいのは出来るんだけどね」

「へぇ」

「これなんだけど」

興味深そうに食いついた客にシグは自身のストレージから毒々しい色をした葉っぱを乾燥加工し紙で巻いた煙草もどきを取り出しカウンターの上に置いた。

「美味いの?」

客はそれを手にとって眺める。

「味は・・・悪くない。だけど」

「だけど?」

「吸って20秒後に麻痺毒混乱出血状態に陥る」

「遠慮するわ」

客は笑って、その煙草もどきをシグに返した。

「しかも依存性が強い」

「そこだけ煙草だな。もしかして試したのか?」

「勿論さ。しばらくギルメンに隔離部屋に押し込まれた」

「だはははっ」

豪快に爆笑されるが、あれは最悪だった。二度と経験したくない。

 

「そうだ。シグ君のところは感謝祭クエストやるの?」

「あぁ、もうそんな時期か」

時の流れは早いもんだとオッサン臭いことを言うと、客はそうだなと笑った。

この世界には毎日受け付けているクエストとは別に季節ごとに受注可能なイベントクエストが存在する。感謝祭クエストもその1つで、11月に行われるアメリカの行事、サンクスギビングに由来するものだろう。

1年前の11月にサービス開始されたこのゲームは、勿論去年のこの時期にも感謝祭クエストはあったが、プレイヤーたちはアバターの死が現実での死に直結するという抗うことのできない変えられない真実を突きつけられたばかりで混乱しており、大多数の人間がこういったクエストに手をつけられる状態ではなかった。

しかし、今年は違う。この世界の生き方に慣れ始めてきたプレイヤーが増えてきている今は。

 

「さぁな。こればかりはリーダーに聞いてみないと分かんないや」

「そっか。俺はさ、シグ君のギルドについては何も思ってないんだ。嘘に聞こえるかもしれないだろうけど本当だぜ?むしろ尊敬してるし期待しちまう。何か俺らの知らないことをやってくれるんじゃないかってな」

「ありがと。でも僕たちが知っていることは、お客さんも知ってることさ」

身を乗り出し熱く語る客の熱意に感謝しながらシグは言った。

「ん。そっか。ま、お互い頑張ろうぜ」

「おぉ」

突き出された客の拳と自分の拳をぶつけた。

 

少しずつ。そう。少しずつ、僕らを見る目が変わってきているような気がして、シグは純粋に嬉しくなった。

 

 

アインクラッド 第32層 ヒュルゲンシュタイン

ギルドホーム

 

夜。

ホームの1階の食卓。そこにメンバー8人全員揃っていた。どんなに遅れてもいいから夜だけは一緒にご飯を食べようと徹底させたのはハルである。

 

「感謝祭クエストやってみようか」

皆の顔を見渡しながらハルが言った。

「いつだっけ?」

ムニがすぐにでもやりたいというのは、誰から見ても明らかなぐらい彼の表情に出ている。

「1週間後からだな」

タクが答える。

「1週間後ね。両手剣の熟練度もうちょい上げられそうだー!」

「私もそれまでは槍スキル今よりも上げてみる」

テンションを爆発させるムニにノースが同調した。

「じゃ、皆やる方向でいい?」

「やろう!」

ハルが聞くとアイスが無言で頷き、残ったメンバーが声を合わせる。ただ1人を除いて。

 

「私は・・・」

ニカが右手を弱弱しく挙げて声を発した。

「私は、お荷物になっちゃいそうだから・・・だから」

「ニカ!心配すんな!俺に任せろ」

彼女の今にも崩れてしまいそうな言葉を遮ってタクが明るく話しかける。

「このクエストは、まぁ興味本位ってのもあるが、お前の強味を引き出す為ってのがある」

「え?」

自分に強さがあるなど考えたことはない。このギルドに入る前も入った後も弱く震えて生きてきた。戦うことがこの世界に生きる人々に負わされた宿命なら自分なんて生きている価値はない。そう俯きながら途切れ途切れに言葉を搾り出すニカの言葉をタクはまた遮った。

「アホだな。何くだらないこと言ってんだ。誰がそんなこと決めたんだ?茅場の糞野郎か?奴の決めたレールなんか早々と脱線しちまったほうが身のためだ。俺がお前にも自信もって出来ることがあると証明してやるよ。ハルに任せてもいいんだけど、こいつ敵はジャガイモだとか意味不明なこと言うだろ?」

タクはいつだって熱い男でありながら、年上らしく人の心を鼓舞する力をもった人だった。

「ジャガイモに例えたの、そんなに分かりにくかった?」

ハルがあからさまに落ち込みながら言う。

「いや、そんなことは!」

ハルのそんな姿を見て慌てるニカであったが、残りのメンバーは大爆笑だ。普段簡単な返事しかしない無口なアイスでさえクスリと笑っている。

「ハルちゃん、やっぱ可愛いね!」

ヒートが椅子の中で項垂れるハルに抱きついた。

「うわ、ヒートさんやめて!やめ、うぅ・・・」

比較的ギルドの中では身長の低いヒートではあるがハルは彼女よりも小さい。そんな少年が抵抗してヒートの腕の中で暴れるが全く適わない。

「ニカ。タクさんのアドバイスは結構タメになるよ。私に槍教えてくれたし。この人、意外に見る目あるんだから」

「意外にってのは余計だが、やらないよりはマシだ。やろうぜ」

タクが優しく笑って言った。

ハルとはまた違う優しさと温かさを感じる。そんな彼に応えたいと思って、ニカは力強く返事をした。

 

 

翌朝。

「まずデュエルしよっか」

ギルドホームの裏庭にタクとニカはいた。

「デュエルですか?」

「そ。初撃決着モードで」

ソードアートオンラインに於いて、デュエルと呼ばれる1対1の決闘は3種類のモード選択ができる。完全決着、時間制限、そして初撃決着。しかし、アバターの死が現実での死を意味するこの世界では、先の2つのモードは相手のHPをゼロにしてしまう恐れ、つまり殺してしまう危険性がある。なので一般的なデュエルは初撃決着を選択するのが主流となっていた。これは初撃が相手にヒットするか、相手のHPを半分まで減らしたほうが勝者となる仕組みである。

 

「ニカは何使う?」

「ストライドダガーです」

「短剣か。じゃ、俺も」

タクはそう言って、ストレージから自分が所持している短剣を選択し装備する。第1層で購入可能なごく一般的な短剣であり、売られている値段も投擲武器を除き武器の中では1番安い。補正、状態以上付加などを起こすことはない、ただ斬るためにある短剣。それを右手に構え、姿勢を整えた。

「別にニカのことナメてるわけじゃないからな?これしか持ってないだけ」

「はい。分かってます」

ニカも短剣を構えタクと対峙して気づく。右手に持った短剣を後ろに引き左手を身体の前にもってきて構えの姿勢をとる彼に全く隙がない。

「じゃ、やってみようか」

優しい口調で語りかけるが、目は笑っていない。

「お願いします」

ニカが言葉を絞る。デュエル開始のカウントダウンが始まる。

 

 

アインクラッド 第25層 シールドクリフ

料理屋「Dice Kitchen」

 

「ハル君、こっちだよ」

店内に入ると、奥の方の席で小麦色の肌をした女性が手を挙げた。目当ての人を見つけハルは近づく。

「待ちました?」

「ぜーんぜん」

「よかった」

「ちょっち見ない間にハル君身長伸びたんじゃない?」

「残念ながら、この世界じゃ体型の変化はありませんよ」

「そうかなぁ。ね、オヤジさんも思いません?」

そう言って女は飲み物を運んできた男に話しかける。

「ギルドのリーダー張ってるってことで色々抱え込んでんじゃないのか?坊主。ほら、これいつもの。ツマミはサービスな」

「サンキュー」

「ありがとうございます」

 

この気さくで恰幅の良い陽気な中年男性は、この店のオーナーであるオヤジさん。アカウント名が「オヤジ」なので、そう呼ぶしかない。リアルでも料理屋を経営していたらしく、この世界に来たのも料理をする為なんだとか。フィールドで得た食材を持っていけば、どんなグロテスクなモンスターの肉でも美味い飯に変えてくれる。

 

「で、フランさん。話なんですけど」

オヤジが立ち去った後、ハルは世間話をよそに本題を切り出す。

「あれか。感謝際クエの情報?」

「流石ですね」

「最近はこの情報がダントツ人気だよ」

 

フランと呼ばれたこの女性は、所謂情報屋。この世界で有名な情報屋と言えば、通称「鼠のアルゴ」だが、フランもまた同業者である。必要とあらば、第1層から最前線まで、クエスト全各種、発見されているフィールドモンスター全種類の攻撃パターンやステータス、フィールドやモンスターの宝箱、ドロップ品、レアドロップ品、解放されている各層の街の治安状態、格安の宿屋など何でも把握しており、金額次第でその情報を売ることで生計をたてている。

今回ハルは現時点で分かっている感謝祭クエストの情報をフランに聞きに来ていた。攻略の糸口、計画を練るためにはまず情報を集めることから始まる。それは、この世界で生きることに於いてごく当たり前のことだ。何の対策もしないで外に出かける奴は自殺志願者か余程の馬鹿かのどちらかだろう。

 

「ハル君はお得意様だからなぁ。特別に安い価格でいいよ」

「すいません。でも何か御礼はさせてくださいよ」

「じゃあ、ハル君とお茶したいなぁ」

「え?今してるじゃないですか」

「仕事の話は抜きにしてさ」

「はぁ」

「分かる?デートだよ、デート。1個の飲み物をストロー2本で飲んだりするの」

「デデデ、デート!?」

「ウブだねぇ。君は本当に」

悪戯っぽく、だが大人っぽく笑うフラン。だが幼いハルにとって充分刺激の強い微笑み方である。顔をほんのり赤く染め咳き込むハルの頭をフランは笑いながら撫で回す。サービス開始から1年が経ち14歳になったハルだが、最近やたらとお姉さんたちに頭を撫でられたり抱きつかれたりすることが多いと感じる。嫌ではないが好きでもない。完全に子供扱いされ可愛がられるのがムズ痒くてたまらないのだ。その上、スキンシップを図ってくる人たちは皆、目のやり場に困るレベルの綺麗な人たちばかりだ。男にもハラスメントコードがあればいいのにと切に願うハルなのであった。

 

 

アインクラッド 第28層 フィールド 狼ヶ原

 

岩ばかりの殺風景な草原が広がる大地で採取クエスト、そしてレベル上げの為に訪れたムニ、ヒート、ノース、アイスの4人は熱烈な歓迎を受けていた。4人を囲むようにして距離を縮めてくるのは、ロウウルフと呼ばれるオオカミ型のモンスター。1度のポップ数が多く、ポップの頻度も感覚が短い。現在12頭に囲まれている。

しかし、4人の顔に焦りはない。採取すべき物はロウウルフの毛皮180枚。

すばしっこいが脅威ではない。武器を確実に当てていく技量があればテンポよく1人で3頭同時に相手することが可能なぐらいの力が4人にはある。だが今回は、チームで戦うことを軸にして考えなければいけない。1人1人で戦うのではなく、4人が一丸になること。フィールドに出る前、タクからノースに当てて指示されたことだ。

 

戦闘ではいつもタクが指揮を執ってくれている。前線にいるにも関わらず、まるで空から見下ろしているかのように全員の立ち位置を瞬時に把握し、1番的確な指示をこれまた瞬時に判断し実行に移させる。そんなタクにノースは今回の指揮官を任された。正直そんな彼の真似が自分に出来るハズがないと思ったがタクはノースの気持ちを理解したのか『俺の模倣なんてするな。お前はお前のやり方でいけ』と力強く背中を押してくれた。その温かい言葉を思い出してノースは口を開く。

 

「ムニ、ヒートは2人で1体ずつ撃破。1体に10秒以上かけたらペナルティ。アイスはとにかく身軽さを活かして駆け回りながら蹴散らして。足を止めたらペナルティ。そして私はヘイト値をあげて囮になるよ。その囮の機能が上手くいかなかったら私にペナルティ。そして全員ソードスキル禁止だからね」

自分に厳しく、他人にも厳しく。それがノースの信条。

号令をかけたノースは最近習得したばかりのバトルスキル『デコイコール』を発動する。それは周りにいる敵のヘイト値、つまり敵対心を自分に向けるもの。これによって他の3人は攻撃を与えない限り敵の視界には入らなくなる。と同時に敵は全て自分だけを攻撃してくるようになる。攻撃と防御を同時に発揮できる槍に転進したのだ。これぐらいのプレッシャーが自分には丁度いい。自分の新しい戦闘スタイルを確立する為にも、この場を持ちこたえさせる必要がある。

「かかってきな、犬っころ」

どっしりと槍を突き出すように構え、目の前の敵に集中する。それだけだ。

 

ロウウルフの群れがいっせいにノースとの距離を詰める中。アイスはオオカミの集団に細剣を突き出しながら突撃し、そのまま1体につき6回ずつ刺していく。そして残された集団のヘイト値が自分に向きそうになる1歩手前で後退し、すぐにその場を離れ別の角度から斬り込む。更にはオオカミの背中を踏み台にして高く跳び上がり、別のオオカミに細剣を突き刺す。目にも終えない追撃に次ぐ追撃。オオカミよりも鋭い彼女の牙がうねりを上げ獣の身体を次々とポリゴンに変えていく。

集団行動は未だに慣れない。だが、自分の力が必要とされ指示を与えられたのならば遂行するのみ。何故なら皆が思っている以上にアイスはこのギルドが、ハル、タクが支えるこのギルドが大好きだからである。無言、無表情のまま細剣を突き刺し、近くにいた別のオオカミを自身の力のみで蹴り飛ばす。この間、彼女は1秒たりとも足を止めていない。

 

「ヒート、やれ!」

先攻のムニがロウウルフに3連撃加えた後に叫ぶと、すかさず後攻のヒートが詰め寄り片手棍でロウウルフの身体をポリゴンに変える。その時すでにムニは次のロウウルフに3連撃加えていた。この場合、3連撃というのがミソである。1回、2回だけしか当てていなければ、ヒートが余計に武器を振り回さなくてはならなくなり、テンポがずれる。その逆も然りだ。多すぎれば、オーバーキル。つまり必要以上に攻撃していることになり、体力の消耗が激しくなるだけ。ムニがダメージを与え、ヒートは棍を1回振り下ろすだけでいい。それだけの配分でオオカミの姿を容易にポリゴンに変えることが出来る。

それに自分たちのテンポが崩れて1番危ないのは間違いなく囮になっているノースだ。その危機感がムニの集中力をより鋭利なものにしていた。

 

迫り来る3体に均等にダメージを与えてその姿を破片に変える。リーチの広い槍だからこそ可能となった技。更に槍が装備できるようにパワー値を鍛えていたのも正解だった。無用心に近づいてきたオオカミを蹴り1発で吹き飛ばしながら思う。そして今回の戦闘でノースが鍛えたかったものは槍以外にもう1つある。それは精神力。囮になり防御しながら攻撃を繰り出す。それを続ける。だが、こなす数が多ければ多いほど、疲労も増す。数字が全てだと言われているこのゲームだが、精神の強さもまたこの世界で生きていくために必要なものだ。だが、この力には終わりが見えない。数字で表示されるステータスとは違う。強い精神力とはいったいどんなものなのか、どこまでいけば掴み取ることができるのかノースにはまだ分からない。

 

このデスゲームが始まって以来、その力が脆い者から先に命を落としていった。しかし中には鋼のように堅い強い心を持ちながら命を落とした者もいる。ノースが初めてアインクラッドに足を踏み入れた時、自分に戦い方を教え共に冒険をすることを約束しあった1人の男は当時誰よりも強い精神力を持ち第1層のフロアボス戦で同士を募り、そして集まったプレイヤーを率いて戦った。そして、その戦場で彼は命を落とした。彼の強さが羨ましかった。だが、もういない。あれだけの精神力をもってしてでも、この世界は彼に味方しなかった。

 

「はっ!!」

彼の姿が、戦友が、唯一無二と言えるぐらいの深い絆で結ばれていた親友の姿が頭をよぎる。と同時に槍の追撃をかわしたロウウルフが牙を剥き出しにしてノースの懐に潜り込もうとしてくる。

「しまった!」

槍での防御は間に合わない。ならば片手で。だが、こんな細い腕なぞ胴体ごと噛み千切られズタズタに引き裂かれる。ほんの数秒後に訪れるであろう衝撃と痛みを覚悟しノースは目を閉じた。

 

しかし、それはいつまでたっても訪れない。恐る恐る目を開けたノースは、自分の目の前に立ちはだかりオオカミの口内に剣を刺し殺す仲間の1人の背中を見て驚く。

「ア・・・アイス」

「すいません。足を止めてしまいました」

静かに謝罪しながら今度は別のオオカミの首を斬り落とす。だが近くにいたオオカミがアイスに飛び掛る。焦ることなく細剣で防御姿勢をとるが、オオカミは細剣の刀身を咥え遠くに放り捨てた。

「・・・」

それでも焦りを全く見せないアイスは足元に転がっていたノースの槍を右足の爪先で蹴り上げ両手で構えると、それを巧みに振り回す。普段から細剣を使ってはいるが、彼女にとって武器は何でもいいのだ。戦うことが出来るのなら、先が尖っているだけで満足するアイス。ギルドでは誰よりも戦闘狂いの彼女であった。

 

「下がって回復してください」

アイスが言う。その言葉に感情が乗っていない。あまりにも冷静だ。

「で、でも・・・」

槍の刀身を赤く輝かせ短く助走をつけたアイスはその切っ先をオオカミの開かれた口内を抜け喉奥まで深く刺突し更に力を込めると、槍はそのまま獣の身体を貫き後ろにいた別のオオカミの眉間に深々と刺さる。ノースの知らない、槍のソードスキルによる鋭い突き。

「下がって回復してください」

有無を言わせないアイスの凛とした声、そして何よりも感情を全然読み取ることの出来ない彼女の表情にノースは震えた。

「ごめん」

ノースはすぐに安全な位置まで退がり、ハイポーションを飲みながらアイスの戦いっぷりを見つめる。ここにもいた。強い精神力を持つ人間が。それなのに、私はまた・・・。涙が頬を伝う。

 

 

アインクラッド 第32層 ヒュルゲンシュタイン

ギルドホーム 裏庭

 

本日何度目になるか分からない程のデュエル。全戦全敗の見事な敗北っぷりにニカは落ち込んでいた。

「ニカ!お前攻撃されるとき、目つぶっちゃうだろ。ありゃ危ないって」

タクが言う。

「はい・・・」

分かっている。分かっているのだ。しかし、デュエルが始まりタクが剣を向けて突っ込んでくる姿を見ると、恐怖がこみ上げてくる。そして防御することも忘れ咄嗟に目を閉じてしまうのだ。

「怖いのは分かる。でもな、目を開けるべきときに閉じるってのは現実から目を背けるのと同じだ。現実に負けちゃ駄目だぜ」

「駄目・・・ですか」

「あぁ」

タクは優しい人だ。それは彼と接するだけで感じ取ることが出来る。このギルドで1番年上であり、それに相応した強さを持っている。メンバーのことを常に考えてくれる。時には明るく、時には楽しく、そして厳しい人でもある。

 

「私、やっぱり戦闘のセンスないんですよ」

ニカは諦めたように弱弱しく呟いた。こんな場面で情けない弱音を受け入れてくれるような甘い男ではない。だけど、自分が戦いに向いていない。それもまた1つの真実なのかもしれない。

「1年この世界で生きていられたのが不思議なくらい、弱い人間なんです。私は」

 

「ニカ。ちょっと散歩いこう」

そんな彼女の姿を見つめながらタクが口を開いた。

「一緒に散歩。付き合ってくれないか?休憩がてらにさ」

 

 

アインクラッド 第1層 はじまりの街

 

転移門をくぐりぬけた2人は広場を歩く。夜だからなのか、攻略に諦めた人が住むこの街の広場はシンと静まり返り、往来する人の姿はない。

ソードアートオンラインがサービス開始され、新たな世界に心を躍らせた10000人のプレイヤーたちは、この広場で絶望という苦しみの味を知った。アバターの死が現実の死に繋がるという変えようがない残酷な真実。そして、その真実によって命を落としたプレイヤーたちの名前と死因が確認できる、黒鉄球の碑というオブジェクトがこの層に存在する。

その碑の前に立つタクとニカ。この世界にログインした全ての人間の名前がそこに記されている。そしてところどころ目立つのが、名前の上に刻まれた横棒。それは、もうその名前の人物がこの世界で生きていないことを意味する。

 

「ニカ。質問していいか?」

碑を見つめながらタクが言う。

「お前、生きたいか?」

「・・・可能なら死にたくないです」

「なんでだ?」

「え?」

「どうして死にたくない?」

タクが静かに問う。

「・・・失くしたくないから。前にいた世界での想いを」

少し間を置きニカが答える。

「その想いを知ってるの私しかいないから。私が死んでしまったら、知ってる人いなくなっちゃうから」

その答えはあまりに抽象的だったがタクは深く聞こうとはしない。何故なら、まだニカが言葉を発することをやめていないからだ。

「私は伝えていかなきゃいけないの。その想いを。沢山の人に」

言葉を口にすることで、生きたい。いや、生きなくてはいけない気持ちが昂ぶり涙が溢れる。そう。自分には目的がある。死んでしまっては達成できない目的。自分だけにしか出来ないことがある。

 

「ニカ、お前。ちゃんと生きたい理由あるじゃないか」

タクが優しく微笑みながら言う。

「お前は自分のことを何度も弱いと言うけどな、自分の弱さを認めることが出来る奴は間違いなく強い。そして生きたい理由が更にあるなら、ニカ。お前は充分に強いんだ」

タクが熱く語る。

「でも、私。どうやってこれから生きていけばいいのか」

「それを一緒に考えるために仲間がいるんだ」

「え?」

「俺だってこの先どうやって生きていくかなんてハッキリ分かってない。だけどな、そんなのは大事じゃないのさ。大切なのは、生きたいか生きたくないかだ。どうだ?」

「私は、生きたいです」

「あぁ。俺もだ。これ、見えるか?」

そう言ってタクは黒鉄球の碑に刻まれた1つの名前を指差す。

「・・・Rain?」

「俺の妹だ」

「え?」

名前に線は入っていない。それは、まだ何処かで生きていることを意味する。

 

「サービス開始直後にはぐれたんだ。フレンド登録もしてなかった。情報屋に探してもらってるけど行方知らずだ。こんなこと普通ないって情報屋は言うけど現に足取りが掴めない。俺は1日の終わりにいつもここに来て、こいつが生きているか確認している」

確かにタクは夜になると外出していた。帰ってくると、どこか安心したような表情を浮かべていた。

「俺はこいつと逢うまで死ねない。いや、こいつとこの世界を出るまで絶対に死ねない」

碑に刻まれた妹の名前を見つめながら言った。

 

「だからニカ。協力してくれないか?こいつに逢うためにはお前の気持ちが必要だ」

タクはニカの目を真っ直ぐ見て言った。

「私の気持ち?」

「心から生きたいと思っている人間に死なれて1番困るのは俺だからだ。お前に死なれたら俺は妹に顔向けできないだろう。だからお願いだ。常に生きたいと思ってくれ」

タクがニカの肩に手をやる。彼の想いが肩をつたい全身に流れ込んだ気がした。

「その為に強くなりたいというのなら、俺はお前の隣で戦い続けるさ」

 

「・・・タクさん」

肩を優しく掴む彼の手に自分の手を乗せる。

「私も同じ気持ちでありたいです」

「・・・ありがとう」

ニカの言葉を聞き、安心したように微笑むタク。

「私、実は1つだけ役にたつことがあるような気がするんです。でも私だけの力では上手く形にならなくて」

「手伝うよ」

「・・・ありがとうございます」

 

そんな時、突然タクとニカに緊急のメッセージが届いたことを知らせる通知音が鳴り響いた。

差出人はシグ。短いテキストだ。

 

『ノースがクエスト中にトラブル。至急、ホームに戻ってくれ』

 

2人は顔を見合わせた。



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3.

2023年、11月。

アインクラッド 第32層 ヒュルゲンシュタイン

ギルドホーム

 

タクとニカがホームに戻り最初に目に着いたのは、感情を露わにして泣きながら声を張り上げ怒るハルの姿だった。ハルの前には黙って立ちながら俯くノース。他のメンバーたちはノースの肩を抱いたり、ハルをなだめようとしているが、ハルの勢いは止まらない。

 

「何でそんな無茶するんだよ!何で誰も止めなかったんだ!僕は自己犠牲なんて自己満足な生き方、大嫌いなんだ!」

 

 

 

Sword Art Online RE:Generation

第3話「自己犠牲」

 

 

 

ノースよりも背が低いハルが彼女の胸倉を掴み、ノースの上半身を更に曲げさせながら涙を流して泣き叫ぶ。

「おい、ハル。落ち着けよ」

タクがハルの後ろから声をかけた。するとハルは振り向き、詰め寄りながらタクを下から睨みつけた。

「4人を採取クエストに行かせたのはタク?僕、知らなかったよ?」

「あぁ。俺が許可した。この4人なら大丈夫かなって。どうした。何かあったのか?」

「私が。私の判断ミスで・・・」

ずっと俯いていたノースが今にも泣きそうな顔をあげて言った。

「判断ミス?」

「ノースが1人で囮になって戦ったんだ。あそこはロウウルフが大量にポップするから侮れない場所なのに!そういう戦い方をしろってタクが命令したの!?」

ハルは涙をボロボロ流しながらタクを責める。

「俺はノースに指揮を執れと言っただけだ。悪ぃ。こうなることは予想出来なかったよ」

タクが悲しそうに言う。ノースはその言葉から失望の念を感じ取った。本当にタクにそういう気持ちがあったのかは分からない。

「危うくノースは死にかけたんだ!アイスがいち早く気付いてくれたから良かったけど。いや、良くない!良くないよ!何で誰も反対しなかったの?ムニとヒートも何で!?」

シリアスな雰囲気になると、いつも真っ先にお茶ら気出すムニとヒートの2人は何も言わない。ただ黙って唇を噛み締めるムニ。「ごめんね」と小さく呟くヒート。

 

「私は無謀だと思いました」

突然アイスが口を開いた。

「でもノースさんは自分から『やる』と決めたことは実行する人だと判断したので反対はしませんでした。あの時のチームリーダーはノースさんでしたし」

彼女の期待を裏切ってしまったことにノースは更に落ち込む。

「もういい」

ハルが遮る。

「もう、いい・・・」

ハルはそう言い捨て自室に入る。ノースが急いで後を追うが、彼女の目前で扉は閉められた。残されたメンバーの間に異様な沈黙が広がる。そして、その空気にいたたまれなくなったヒートを皮切りに1人、また1人と2階にある自室へ去っていく中。ノースは最後までハルの部屋の前に立っていた。

 

 

ムニが自室のベッドで寝転がり天井を見上げていると、ドアがノックされた。

「起きてるよ」

そう答えるとヒートがドアを開けて入ってくる。寝る為にある部屋なのでムニの室内にはベッド以外家具らしい家具が何もない。金をインテリアに使うぐらいなら武器の強化に使ってしまうからだ。

ヒートはムニのベッドに腰掛けた。

 

「どうした?」

ヒートが何も言わないまま座っているのでムニが促す。

「うん・・・。ごめんね、夜遅く」

「いいよ。気にしてない」

「今日のことだけど、私ね。戦闘中ずっと楽しんでた。のーちゃんのこともアイちゃんのことも考えないで、ずっと楽しんでた。ううん、このギルドに入ってから、私は指示されることをこなして楽しんでるだけなの。でも、それってもっと周りのことを見なきゃいけなかったのかなって。自分だけ楽しんで戦ってるけど、指示を出す人間は私には想像出来ないぐらい悩みながら大変な思いをしているのかなって。そんな中で自分だけ楽しんでいることに凄く罪悪感が溢れちゃって。自分に腹がたって・・・」

ヒートは言葉を心の奥から絞り出すように語る。

「そうか。俺もだよ」

ムニが同調した。

「俺も自分に腹がたった。でも、お前とは違う理由でだ」

「・・・どういうこと?」

ヒートはいつになく真面目な顔をしたムニを見つめる。

「俺たちがこのギルドで求められていることを達成出来なかったからさ。あの時ノースは10秒以内1匹片付けろと言った。ということは、5秒でも3秒ででも早く片付けりゃよかった。それが出来なかったことに腹がたってるんだ」

ムニは続けて言う。

「ヒート。自分で言うのもなんだが、俺たちは生粋の戦闘職だ。この世界で俺たちから剣をとったら何も残らないぐらいだ。その証拠に今回のクエストで、タクは俺たちよりも後に入ったノースをチームリーダーに抜擢した。それは何も俺たちが周りを見れない役立たずだからってわけじゃないハズだ」

「じゃあ・・・」

「信頼だよ。タクは俺たちが先頭に立って敵を蹴散らせばノースに負担はかからないと思ってくれたんだ。でも今回その信頼を裏切っちまった。そこに猛烈に腹がたってる」

 

ムニは起き上がって、ヒートの隣に並んで座る。

「だからさ、俺たち強くなろう」

ヒートの手を強く握ってムニはハッキリと口に出して言った。

「それに俺だって戦闘は楽しい。いや、お前と一緒だから楽しいんだ。お前が楽しむことをヤメたら俺は楽しくない。それは絶対に嫌なんだ」

「・・・うん。私もむーちゃんと一緒に戦えるから楽しい」

「あぁ。この気持ちを忘れたら俺たちは強くなれない。それに、俺らはこのギルドの賑やか担当だろ?前線で笑いながら戦ったって誰にも文句は言わせないさ」

「・・・あは」

「何で笑うんだよ」

「賑やか担当って。自覚あったんだ」

「おい!お前もだからな」

「分かってるよー」

2人は顔を見合わせてクスクスと笑った。

 

「ねぇ」

「何だよ」

「一緒に寝ていい?」

「変なことしたら通報するぞ」

「・・・普通、逆じゃない?」

「でも俺が変なことしても通報しないでくださいね」

2人は笑いながら布団に潜り込む。お互いの手は繋がれたまま。

 

 

アインクラッド 第12層 フィールド

 

この世界で、安全圏と呼ばれるエリアは2種類存在する。1つは、それぞれの層に点在する街や村。ここは悪質な行為ではあるがデュエルでヒットポイントをゼロにしない限り、いかなる攻撃を受けてもプレイヤーは死ぬことはない。もう1つはフィールドに点々と設けられている小さなエリア。この場にいればモンスターからの襲撃を受ける心配はない。しかし、完璧な安全エリアではなく、プレイヤーの干渉を受け死んでしまう可能性がある。なので、完全な休息をとりたい時は殆どのプレイヤーが、街や村にある宿屋に泊まったり家を買って休むというものが一般的だ。

そして、ここ第12層。フィールド名はファインレイクと言い、フロアの中心に大きな湖がある。その湖の更に中心に小さな島があり、ここが安全圏に指定されていた。この島に行く為には陸地の桟橋に浮かぶ勝手に動く小舟に乗って行ける。

 

昨日の採取クエストで大きな失敗をしたノースは、朝、ハルにこの島まで来るよう呼び出されていた。小島に辿り着くと、ハルが「来てくれてありがとう」と優しく声をかけてくれた。口調から怒っている感じはしない。

「索敵スキル使って調べたけど、ここには誰もいないよ」

そう言ってハルは砂浜に腰をおろした。ノースは少年の後ろで立っていたがハルに促され彼の横に座る。

 

「いきなり呼んでゴメンね。モンスターには出くわした?」

「出くわしたけど戦わなかったよ」

「そっか」

第12層のモンスターは、プレイヤーのレベルにもよるが殆ど全ての種類が臆病な性格をしており滅多にプレイヤーの前に姿を現さない。現してもすぐに逃げていってしまう。攻略が始まった当初は、逃げるモンスターを倒せば貰える経験値が高いという噂が広がり、リンチに近い狩りが行われたが、結局はガセネタであった。

 

「ちょっと話したいことがあったんだ。聞いてくれるかな」

「・・・はい」

「ありがと」

ハルは静かに笑顔を作る。少年らしい、実に子供らしい微笑み方だった。でも、その表情にはどこか悲しみが漂っているように見えた。

 

「僕ね、このギルドを作る前は違うトコロにいたんだよ。名前は『athlete」メンバーは僕もいれて6人の小さなギルド。全員同じ中学に通ってて陸上部に入ってた。リーダーのイグナイト。そしてトール、ヌル、フレイド、リク、最後に僕。僕の人生の中で最高の友達だったよ」

 

 

 

2022年、11月。

アインクラッド 第1層 フィールド

 

「すげぇな。お前らの言った通り、このゲーム本当に面白ぇ!」

片手直剣のソードスキルで猪のモンスターをポリゴンに変えたフレイドがハルとイグナイトに興奮しながら言った。

「ソードスキルが出るきっかけのモーションを覚えれば、もっと素早く攻撃出来るようになるよ」

ハルがアドバイスした。

「もっと色々教えてくれよ!俺も早く強くなりたい!」

「そうだぜ、βテスターの教師陣!」

フレイドが催促するとリクも同調した。

「焦らない焦らない。時間はタップリあるんだし、それにβテスト時代にレベル上げを熱心にやってたのってイグだけなんだよね」

ハルの言葉にトールとヌルが頷いた。

「ボス戦にも参加したけど、凄ぇ強さだったな。ありゃ攻略するのに何時間もかかりそうだった」

イグナイトが言う。

「攻略か。俺らも強くなって前線を駆け抜けようぜ。イグ!ギルド申請はしたのか?」

「あぁ。もう作ったよ。今、みんなを招待する」

イグナイトがそう言ってウィンドウを操作すると、5人にメッセージ通知の報せが届く。

「アスリート?」

ハルがギルド名を読んだ。

「あぁ、ごめん。勝手に決めちゃった。俺たち陸上部だし、響きもカッコいいしさ」

「いいじゃんいいじゃん」

イグナイトの答えにトールがOKボタンを押しながら嬉しそうな声をあげる。

「早くレベル上げて強くなるぞ」

フレイドが近くにポップした猪のモンスターを倒しながら言った。

「アスリートか。ギルド名に恥じないよう素早さ上げたいな」

ヌルがメガネに手をやりながら言う。

 

「俺はまた走れるようになっただけでも嬉しいぜ」

リクが言った。現実の世界で、中学1年にして先輩を押しのけ学年総合のリレーの選手の座を射止めたリクは大会前日に足を怪我し、出場を見送った苦い経験があった。顧問には呆れられたような顔をされ、先輩たちには詰られ殴られた中、共に支えて味方になってくれたのが、今ここにいる同級生たちだった。

今回このゲームに誘ってくれたのも、自分を励ますために高い金を出し合ってソフトやナーブギアを揃えてくれた。感謝してもしきれないぐらいだ。

 

「みんなはまだインしてる?僕はそろそろ塾に行かないと」

ヌルがウィンドウをいじり時間を確認しながら言った。

「あぁ、そのつもり」

トールが答える。

「塾から戻ったらすぐ入れよ?お前結構強いんだからさ」

普段から勉強熱心なヌルは、ソードアートオンラインの説明書を墨から墨まで暗記している上、βテスト時代に遭遇したモンスターの動きなどを分析して得た情報により、フィールドモンスターの弱点やソードスキルのコツなどを誰よりも理解していた。

「そうするよ。・・・あれ、おかしいな」

「どうした?」

ウィンドウを何回もスライドさせながら首をかしげ困惑するヌルにみんなが興味を示す。

「バグかな。ログアウトボタンが無いんだ。僕だけ?」

「は?ここにあるだろ」

イグナイトが自分のウィンドウを開き指でスライドさせる。

「あれ?ない」

 

美しい夕日の下、静まり返る6人は突然頭上から振り落とされたような爆音で響く鐘の音に身をすくませた。

「おい!何だこれ」

フレイドが急に声をあげたので、みんなが彼の方を見ると、助けを求めるかのように手を伸ばすフレイドの姿が消えかかっている。いや、これは。βテスターである4人、イグナイト、ハル、トール、ヌルはすぐに気が付いた。

「強制転送!?」

 

 

アインクラッド 第1層 はじまりの街 転移門広場

 

「ここは?」

6人は全員中央広場に転送させられていた。周りに続々と現れるプレイヤーたちは、困惑した表情を浮かべ辺りを見回していた。

「何だよ、これ」「何かのイベント?」「もう少しでモンスター倒せたのに!」

中央広場は多くのプレイヤーで埋め尽くされ、喧騒の声が大きくなっていく。

突然、透き通るような青い空が映し出された頭上のグラフィックに大きな変化があり、広場に集められたプレイヤーたちは上を仰ぎ見た。それは、真紅と漆黒の市松模様で、まるで薄気味悪い血のような赤と不安に陥れるような深い闇といった黒が混ざりあう。更によく目をこらしてみれば、2つの英文が交互にパターン表示されたものだった。

 

 

『Warning』と『System Announcement』

 

 

それに気付いた者たちは喋るのを止め、運営側からのアナウンスを聞き漏らすまいと、上を見ながら耳を傾ける。

ハルたち6人を含め、ほとんどの者が空を見上げている。更に空を覆いつくしたそのグラフィックはその中心がドロリと溶け、垂れ、滴って落ちようとする。

「なんだ、これは」

トールが呟いた。

「もしかしてソードアートオンラインのオープニングなのかな」

「こんな気味悪いのが?」

ヌルの冷静な分析にフレイドが反応する。

「待て。何か来るぞ」

イグナイトがある一点を指差した。全長20~30メートルぐらいの紅のフードを被った謎のアバター。本来顔がある筈の場所には吸い込まれそうな程に深い闇しか広がっておらず、表情は全く分からない。そのフードのアバターが両手を広げ、声が落ちてくる。

 

 

『プレイヤーの諸君。ようこそ私の世界へ』

 

 

地獄のゲームが始まった瞬間であった。

 

 

 

アインクラッド 第1層 フィールド

 

最悪なアナウンスの後、アスリートの6人は次の街へ向かうためフィールドを駆けていた。それはフードのアバター、茅場明彦の言葉を分析したヌルの発言によるものだった。誰もが急速な解放を目指すようになった今、はじまりの街付近のフィールドは大人数がごった返す壮絶な狩り場へと変わり果てる。それを避けるために迅速に次の街へ向かったほうがいいというものだった。

戦闘慣れしたイグナイトとトールを前に、ポップするモンスターを斬り裂きながら走り続ける。そうやって次の街、次の村へと移動を繰り返す中、6人は急速に成長を遂げていった。

 

そして第1層、トールバーナ。ここは迷宮区を目前に控えた小さなヨーロッパ風の街である。

「迷宮区か」

イグナイトが呟いた。βテスト時に経験したことを踏まえ幾ら万全な準備をしたとしても、命を落とす危険性はグンと上がる。今までフィールドをただ一直線に走り抜けてきたが、迷宮区ではそうもいかない。テスト時代も攻略の為に何回くだらないトラップに引っかかって死んだか分からない。ボスの強さも計り知れない程だ。

「みんな、これから先は本当に何が起こるか分からない。経験地は多く貰えるだろうけど、そのぶんモンスターも強い。気を引き締めないと」

宿屋でイグナイトは5人に言った。

「まずは全員の装備を整えよう。レベルも揃えよう」

リーダーの言葉に5人は頷いた。

「幸い、この街で受注可能なクエストは種類が豊富だし、報酬も多い。ヌル、これでいいかな」

 

アスリートのリーダーはイグナイトだが、ブレインはヌルというのが全員の共通意識だった。知識豊富で判断力、分析力共に優れている。それは陸上部にいたころから発揮されていた力だった。部活内でヌルだけは選手ではなかった。女子のマネージャーもいる中、ヌルもマネージャーの1人で、チームの健康状態を本人以上に把握し、顧問、コーチ、先輩よりも的確な戦術を采配するスキルをもっていたため、部内では一目置かれていた。その上、年齢関係なく常に人を敬い気遣うことができる穏やかな性格をしており、彼に関わった人間は彼を心から信頼していた。

 

「うん。いいと思う。イグ、ギルドのリーダーは君なんだから、もっと自信もってよ」

微笑みながら言うヌルにイグナイトは恥ずかしそうに顎をかいたのを見て、全員が柔らかな空気に包まれる。

成り行きでリーダーになってしまったと自分では思っているイグナイトだったが、5人の彼に対する評価は高いものがあった。勇猛果敢で前線に立ち、積極的にモンスターの攻撃を受け止めてくれる。その間に後続のメンバーが攻撃することができた。戦闘の指示も的確で仲間が動きやすい。β時代のデータが引き継がれていることを抜きにしても、一番武器の熟練度が高い。

 

「イグにだけいい格好はさせないからな。俺にもガンガンまわしてくれよ」

誰よりも明るいフレイドが言う。βテスターではない彼はここのところ、メキメキと成長を遂げていた。ギルドのお荷物にはなりたくないという考えなのか、前線まで出てきてイグナイトと共にモンスターの動きを止める働きを積極的に行っている。元来からムードメーカー気質がある彼は仲間の士気を高めることも一役かっていた。

 

「俺も新しい武器に慣れてきたから頑張るよ」

同じくβテスターではないリクはメイン武器を片手直剣から両手斧に変更しており、それによって広範囲の立ち回りを得ていた。パワータイプでありながらスピード値が誰よりも速く、彼の振り回す武器は周りのモンスターを瞬時にポリゴンに変えることができる。

 

「迷宮区は宝箱が充実してそうだから楽しみなんだよな」

口ぶりに緊張感がないトールが身に付けている装備をは全てドロップ品によるものである。探究心好奇心の塊と呼ばれる彼は宝箱に目がない。昔から珍しい物が好きな性格だった。自他共に認めるコレクター精神丸出しで、現実世界の彼の部屋は全世界中のスニーカーが飾られていたり、大会で獲得した種類豊富なトロフィーが飾られている。

 

「でも、みんな気をつけてね」

これからの方向性が決まったところでハルがみんなの安全を気遣って言った。仲間の中で一番心配性で涙もろいところがあるハルは誰よりも小さな容姿をしている。仲間内では、マスコットキャラクターのような扱いを受け弟のように可愛がられていた。

「気を付けると言えばだけど・・・」

ヌルがハルの言葉を受け、思い出したように口を開いた。

「最近、βテスターに対する考えがよくない方向に流れてきてるって噂で聞いたよ。無闇に自分の正体を明かすのは、思わぬトラブルに繋がるかもしれないから用心しようね」

 

 

βテスターの迫害。

ソードアートオンラインの歴史に刻まれることになる大虐殺の1つ。その幕開けであった。

 

 

 

2022年、12月。

アインクラッド 第2層 フィールド

 

βテスター。

それは、ソードアートオンラインが正式にサービス開始される前に抽選で選ばれた1000人のプレイヤーを指す。β版のアインクラッドを経験し、一般プレイヤーよりは少しだけ戦闘慣れをした集団。それ故に、サービス開始と共に始まった出巣ゲームに於いて、多くの一般プレイヤーたちはレベリングの方法、戦闘の立ち回り、効率のいいクエストや狩り場を理解し把握していたβテスターを疎ましく思った。そして、一般プレイヤーよりも生き残る術を知っている彼らを妬むことから敵視するにまで変わる。その思想は瞬く間もなく広がり、いつからか迫害が始まる。この世界での死が現実での死に直結するというルールそのものを知りえてなかったβテスターには、それなりの責任があると言う者まで現れ、事態は悪化し結果、多くの罪のない人間が巻き込まれることになった。

 

 

それは、アスリートの6人も例外ではない。

 

 

「走れ!俺が残る!みんな行け!」

しんがりのフレイドが足を止め、友達の背中に声をかけた。

「ダメだ、フレイ!早く僕の肩に掴まって!」

ハルがすぐに言う。

「行ってくれ。俺はさっき斬られてHPが半分まで減った。毒も食らってる。左足も損傷ペナルティで後10分はこのままだ。ここに全員残ったら全滅だ!」

フレイドはそう言ってウィンドウを開きポーション類、回復結晶、持っている全てのアイテムをハルに託した。

「でも!」

「行け!もしかしたら、もしかしたら死なないかもしれない。帰れるかもしれない。帰れたら、すぐにお前らの家族に会って、お前らは最高の友人だったって。あっちで俺のために必死で生きてくれたって伝えてやる」

ハルの声を振り払い、フレイドが言った。苦痛な表情がかげるが、いつもの明るい笑顔だ。

「フレイ・・・」

トールが息を切らせる。

「行こう」

イグナイトが残る仲間に声をかける。

「置いていくの?そんなの!」

「うるせぇ。俺だって嫌だ。でも」

涙目になり、ハルの声から逃げるようにイグナイトは前を向く。

「・・・いいよ。俺も残るさ」

左腕を失ったトールが言った。

「俺も体力がヤバい。それにフレイとは小学校からの仲だ。最期まで一緒にいさせろ親友」

「トール」

フレイが微笑む。

「そんな!最期だなんて!」

ハルはこぼれてくる涙を抑えきれない。

「安全圏まで走れ。いいな?」

トールが残された4人に言う。

「トール・・・フレイ・・・ごめんな」

そう言って、ヌル、リク、イグナイトは走り出した。

 

「ハル。お前も行けよ」

フレイドが優しく言う。

「ダメだ。ダメだよ」

「ハル。生き残れよ。そして俺の家族に伝えてくれ。最期まで親不孝者でゴメンってさ」

トールが言う。

「俺の家族には、俺がいかにカッコよく戦ったか伝えてくれよな。後、彼女には本気で惚れてたって言っといてくれ」

フレイドが言った。

「くっせぇな、おい」

「な!うるせぇよ」

フレイドの言葉をトールが茶化す。

「だから、ハル。お前はここに残るな。俺らの存在、現実世界に持ち帰ってくれ。お前になら安心して任せられる」

フレイドが言った。2人の親友は抱く意志を曲げるつもりはない。それをハルは表情から読み取った。長い時間を共にしてきた。だからこそ声に出さなくても分かる彼らの気持ち。

「・・・分かったよ。ごめんね」

「謝ることはないさ。友達でいてくれてサンキューな」

2人が誰よりも身長が低いハルの頭に手を置く。

「たく。こんな子供に泣かれると罪悪感湧き出ちゃうぜ」

ケラケラと笑う仲間の笑顔。ハルは歩き出し、一度振り向くと、彼らはまだ笑ったままで手を振った。その姿を振り切るように走り出した。

 

 

アインクラッド 第2層 名も無き小さな村

 

イグナイト、ヌル、リク、ハルの4人は村の薄暗い路地裏で地面や壁に手をついて呼吸を整えていた。

「な、なんで」

ハルが息も絶え絶えに言う。

「少し休んだら移動しよう」

ヌルがマップを開きながら言う。呼吸は乱れてはいるが冷静さを欠いてはいないように見えた。しかし、仲間を2人失ったことで動揺しているのかウィンドウを操作している手が震えている。

イグナイトは自身のストレージから取り出したポーションを分配した。

「俺は・・・俺は関係ないだろ・・・?」

地面に這い蹲っていたリクが低い声で呟いた。

「狙われてるの、βテスターだろ?」

対象の3人は驚きと困惑が入り混じりあい顔を見合わせた。

「俺は、俺は違う。お前らとは違う。俺は一般プレイヤーだ。俺は・・・」

「リク!」

ハルが涙で顔をグシャグシャに歪めながら叫んだ。

「あ・・・。ごめんハル。ごめん、みんな」

「・・・」

我にかえり謝罪するリク。身を凍らせるような痛い沈黙が4人の全身を貫いた。この混沌とした世界で、この4人がバラバラになったら終わりだ。なんとかして手を繋ぎあって支えあって生きなければいけない。

「転移結晶はもうない。転移門がある所までもうすぐだ。そこで僕らの宿屋がある街まで飛ぼう」

ヌルが提案した。

 

太陽は姿を消し、辺りは薄暗い。月は雲に隠れながら微かに大地を照らしていた。4人は慎重に村を出たその時。

「みぃつけたぁ」

先頭にいたイグナイトが突然現れた男に殴られ横に吹き飛ぶ。途端に四方八方からフードを被った集団が飛び出し、残りの3人も殴られ地面に叩きつけられる。倒れたまま腕をガシリと掴まれ4人は無理矢理跪かされた。

「キミたちぃ、さっきの仲間ぁ?」

語尾を不自然に延ばしながら話す男が片手直剣をイグナイトの喉元に突きつけながら言った。カーソルはオレンジ。人を傷つけたことがある証だ。

「めっちゃ弱かったなぁ。1人はねぇ、片足なかったからもう1本の足も斬ってやったんだよぉ。ダルマみたいにぃ転がってたなぁ。だははっ。お前あいつのマネやれぇよぉ」

近くにいた男が地面にゴロゴロと転がりながら残酷にも4人の親友の真似をしてみせ、下劣な嗤い声をあげる。

「あれ、お前カーソル、オレンジじゃん」

「マジでぇ?いぇ~い」

そう言ってピースをしておどけてみせる。

「いいなぁオレンジ。オイラもその色がいい」

物を欲しがる子供のような口調で話す男がオレンジカーソルの男に言う。

「てことで、えい」

そう言って手に持っていた槍で目の前に跪いていたヌルの胴体に突き刺した。

「ぐっ、うわあああ」

ヌルの口から苦しみの音が漏れる。

「ヌル!クソッ、てめぇ!」

隣に跪いていたリクが怒り立ち上がろうとするが後ろにいた男に腕を掴まれに地面に抑え込まれた。

「どう?オイラもオレンジ?」

「なってるぅなってるぅ」

子供っぽく喋る男のカーソルはグリーンからオレンジに変わり、それを見た仲間が「いいね~」と嗤う。

「ははっ、コイツ泣いてるぜ」

ウォーハンマーを持った巨漢の大男がハルを見て蔑んだ。

「泣いちゃってるのぉ?かっわいいねぇ。そんなキュートなキミには大っサービスッ!」

そう言いイグナイトの喉元に突きつけていた剣で、腹を突かれて苦痛に溺れていたヌルの首を掻き斬った。

「あっ」

小さく声が出たヌルの姿はポリゴンに変えられキラキラと破片が跪いていた3人に降りかかる。

「ヌル!ヌル!」

リクが叫んだ。

「あんちゃんうるさい」

ヌルの腹を貫いた男が今度はリクの腹を槍で突き刺す。

「ああああああ!!」

「リク!」

自分の胴体に刺さった槍を見つめながら痛みで悶えるリクの隣でハルが泣き叫んだ。

「ハル・・・俺もここまでかな。さっきは、ごめん。狙いはβだけだろ・・・とか言って。ごめんな」

絶え絶えになりながらも必死で言葉を紡ぐリク。

「俺・・・後悔してないぜ。お前らの友達に・・・親友になれたの。生まれ変わったって・・・こんなクソみたいな最期だとしても・・・お前らの友達になり続けたい・・・本当さ。ありがとな・・・」

「ゴチャゴチャうるせぇよ」

巨漢の大男がハンマーをリクの頭に振り下ろした。リクは笑顔を浮かべたままハルの隣でキラキラと光る破片へと変貌し散る。

「リク!」

ハルは枯れ果てた声で友人の名を泣き叫び続けた。

 

「ねぇキミさぁ。さっきから仲間死んでんのにぃ何もぉ言わないんだねぇ」

語尾を延ばす男がニヤけながらイグナイトに目線を合わせ話しかけた。

「もしかしてぇ感情ぉがぁ、ナッシングなのかなぁ?冷たいねぇ。β上がりはみーんな、そうなのかなぁ?」

「感情ないのは、お前らのほうだろ?」

イグナイトが男の目を直接真正面から捉えながら静かに言う。

「ふーん。僕としてはだよぉ、キミ命乞いとかしてくれなにのかにゃー?つまらんねぇ」

 

「フザけるな」

イグナイトは静かに言い放ち、一瞬の隙をついて掴まれていた手を強引に振りほどくと自身のウィンドウを開きβテスト時代に取得した1つのバトルスキルを発動した。

 

『ドレインコール』

それは、自身の防御力を最低値にする代わりに周りにいるモンスターやプレイヤーのHPを一時的に吸い取り自分のパワー値に変換し攻撃力を高める捨て身の技。これを使うとフレイドやトールは本気で怒ったっけと思い出す。しかし、その友はもういない。もう二度と逢うことは出来ないだろう。その現況を作り出した奴らが目の前にいる。友の死がイグナイトの力になる。

剣を抜き、ハルを掴んでいた男の腕を迷いなく斬り落とした。更に後ろにいた男の手を強引に掴みウィンドウを開かせアイテムストレージから転移結晶を2つ実体化させる。

「てめぇ!」

男が叫ぶが、イグは剣を握っていないほうの手で体術スキルの手刀を食らわし気絶させる。

「ハル!転移だ!」

イグナイトが奪った転移結晶の1つをハルに放り投げながら言った。周りのオレンジプレイヤーたちは一瞬たじろいでいたが、武器を振り上げ迫ってきている。

「転移!はじまりの街!」

イグナイトとハルは同時に叫び、2人の姿は光に包まれ消える。光ごしに、苛立った犯罪者たちの表情が見えた。

 

 

アインクラッド 第1層 はじまりの街

 

転移を終えた後、イグナイトとハルは足早にそこから離れ、人がまばらに歩く商店街を通り抜け、ギルドで借りていた宿屋に身を潜めた。部屋の扉を閉め、しばらく耳をたたせるが追っ手がいるようには感じない。

「ハル。大丈夫か?」

耳をそばたたせながらイグナイトがハルの安全を確かめる。

「・・・うん。でも・・・でも、みんなが」

「・・・あぁ」

フレイド、トール、ヌル、リク。現実世界でもこの世界でも同じように支えあって生きてきた仲間はもういない。ビギナーを置いていったβテスターは殺されても文句は言えないなんて理不尽な因縁をつけられ、抵抗も出来ず無残に殺された。βへの風当たりが急激に強くなった発端の1つは、先日行われた第1層のフロアボス討伐戦。β時代に卓越した戦闘技術を身につけた男が討伐対を指揮していた男を見殺しにし、自身を『βテスター』と『チーター』を掛け合わせた『ビーター』と名乗ったことにより、一般プレイヤーのβテスターに対する憤りは膨れ上がった。

「もう・・・みんなが・・・」

「・・・あぁ」

そんな現況など今はどうでもいい。苦楽を共にした仲間はもう帰ってこない。6人で汗水たらすこともバカ騒ぎしてくだらない話に花を咲かせることも出来ない。

「あいつら・・・楽しんでた。酷いよ」

「・・・あぁ!」

あの男たちは人を殺すことに、剣を突き立てることに対して戸惑いもためらいも何も無かった。全くといっていいほど無かった。それどころか楽しみながら笑いながら剣を振るった。

トールとフレイドの最期に見せた優しい笑顔。ヌルの断末魔。リクの謝罪と感謝の言葉がハルの頭の中で飛び回る。

 

「ハル。俺は」

イグナイトは言いながら自身のウィンドウを開きストレージを整理し始める。

「・・・イグ?」

「俺はあいつらを殺しにいく」

「え?」

「もう我慢できない。復讐だ」

「イグ!それは!」

「止めないでくれ。それとお前は来るな!お前には殺人なんてやってほしくない」

「それはコッチのセリフだよ。イグが殺人なんて!そんなのダメに決まってる!」

ハルはイグナイトの腕を掴んだ。

「ハル。聞いてくれ。俺からの、ギルドリーダーとしての命令だ。リーダーの命令は絶対。みんなで決めたことだろ?」

「ダメだ。そんなのズルいよ」

「ハル。お前は、俺たち6人の中で誰よりも優しい。最初は殺すモンスターでさえ気遣ってたな。懐かしいよ。そんなお前にしか託せない頼みがある」

イグナイトは自分の腕を掴むハルの手を優しく解いていく。

「俺の予想だと、これからも力のない人間はクソみたいなオレンジに殺されていく。お前は、そんなプレイヤーを守ってくれ。βテスターだけじゃない。殺人なんかしない優しい人間を見つけて守ってやってくれ。頼むよ」

そう言って解いたハルの手を柔らかく、しかし強い気持ちを込めて握った。

「イグ・・・」

「アスリートは解散だ」

ハルの目の前にメッセージ通知のウィンドウが現れる。

 

 

『ギルド「athlete」から除隊勧告がだされています yes or no 』

 

 

「イグ!」

「分かってくれ」

「分からないよ」

「これ、俺がギルドホーム建てるのに貯めてた金だ。ギルド共通アイテムも全部お前にやる。お前のこれからに役立ててくれ」

イグナイトはハルの声を遮り一方的に意志を押し付けた。

 

「もう。何を言ってもムダなんだね」

「・・・あぁ」

「でも、これだけは言わせて」

「なんだ?」

「絶対帰ってきてね。イグが帰ってこれる場所空けとくから。待ってるから。だって、僕たち・・・」

「・・・友達だもんな」

「雄也!」

ハルはイグナイトに抱きついてわんわん泣いた。イグナイトは優しくハルの頭を撫でながらその小さな身体を抱きしめる。

「その名前を呼ばれるのは久しぶりだな」

 

2人は夜中まで、6人で過ごした思い出に身を寄せ合った。現実世界での学校のこと。部活のこと。仲間の恋愛事情。この世界で起きた様々なことに花を咲かせ笑いあった。そして朝日が昇る前の暗がりの中、2人は宿屋の前で別れた。熱く握手を交わし先の見えない未来に向けて、別々の道へ足を踏み出した。

 

 

 

2023年、11月。

アインクラッド 第12層 ファインレイク 小島

 

ハルの話が終わってしばらくノースは声を出すことが出来なかった。毎日純粋に笑う少年の過去に壮絶な物語があったことなど思いもしなかった。ハルは話し終えても静かに微笑みながら湖の水面を見ている。いや、本当は視線の先に懐かしい友人たちが立っているのかもしれない。

 

突然、ノースが発動している索敵スキルに何かが引っかかった。誰かが小舟に乗ってこちらにやってくる。ノースは槍を構えた。ハルは砂浜に座ったままだが、彼も近づいてくる男の存在に気が付いているだろう。

小舟を降りた男は桟橋を歩いてくる。黒い生地に赤いトライブ模様の刺繍がところどころ施された漆黒のコートを羽織り、片手直剣を背負っている。目元を覆い隠す黒髪。その頭上のカーソルはオレンジ。男はノースの前まで来ると凄まじい速さで背中の剣を抜きノースの首元に剣を突きつけた。ノースも槍を咄嗟に構えようとしたが男の方が幾分か速い。刀身の冷たさが首元から感じ取られ、ノースは息を呑む。

「やぁ、元気にしてた?」

ハルが砂浜に座ったまま、視線は水面を捉えながら言った。

「誰こいつ」

剣をノースに突きつけながら男が言う。

「僕のギルドメンバーだよ。だから傷つけないでね」

「そっか」

オレンジカーソルの男が剣を納めたのを見てもノースは構えを崩さない。

「ノースさん。こちら、僕の友達のイグナイト。イグ、彼女はノースさん。男顔負けの凄腕槍使いだからあまりナメてると斬られるよ」

「え?イグナイト?」

ハルの紹介にノースは思わず構えを解く。

 

「ハル。手短にいこうか」

「うん」

ハルはウィンドウを操作し、いくつかの回復アイテムと片手直剣を渡す。

「これ、強化しといたから。結晶はサービス。あげるよ」

「ありがとな」

受け取りながらイグナイトが無造作に言った。

「カーソル、オレンジだね」

「あぁ。暇があったら黒鉄球の碑を見てくれ。0023って名前に線が入ってる。ヌルとリクに槍突き刺した奴だ。覚えてるか?あいつに逢ってな。殺してきた。ごめんなさいって言いながら死んでいったよ」

「そう。これで終わった?」

「ごめんな。まだなんだ」

「無理しなくていいからね」

「心配すんな。これが俺のやりたいことだ」

2人の会話はなんだか上辺をなぞったような感じだ。物事の中心に切り込まないようにお互い配慮しあっているかのように見える。イグナイトの発言にハルは何も言わない。暖かい日差しが降り注ぐ中、この空間だけいたく静かで冷たい。

 

「じゃ、俺は行くぜ」

「うん」

「ハル」

「なに?」

「いや。泣かなくなったなって思って」

「・・・泣いたらイグは殺すのやめる?」

「やめないだろうな」

「じゃ、泣かない」

「・・・そっか。じゃあな」

イグナイトは、ほんの一瞬だけ寂しそうな顔をして踵を返した。ハルは一度も友達の顔を見ようとはしなかった。

 

復讐に燃えた男が乗った小舟が離れていく。

 

「もう誰の言葉もイグには聞こえないんだ」

ハルが呟いた。

「ただただ復讐の為だけに生きている。自分の人生を犠牲にしてまで」

ハルは足を抱えて、その小さな身体を更に小さくして震えていた。

「今でも彼はギルドのリーダーとして仲間の存在を守る為に戦ってる。僕はなんとかして彼を助けたいけど武器やアイテムの支給ぐらいしかできない。あいつは助けなんて求めてないんだ。考え方が違うんだよ。僕とイグは」

イグナイトが乗った小舟は遥か彼方に消えた。

「ノース。僕だってね、仲間を守る為に戦うさ。それがイグが僕に求めた最後の願いだから。僕はそれを何としてでも叶えるよ。だから、ノースは無理しないでよ。自分から命を危険に脅かすようなことはしないでよ。自己犠牲なんてただの自己満足だ。誰も得しないんだ。自分がよくても誰かは絶対悲しむ。それじゃダメなんだ。意味無いんだよ。だから」

「ハル君」

「みんなが僕に無理なことを押し付けていくんだ。僕に生きろと言い残して逝ってしまう。残された僕がどんなに寂しいか分かってないくせに」

ノースは、小さく縮こまる少年を後ろから抱きしめた。その小さな背中に背負い込んだ深くて大きな強い意志を共有するかのように。

「僕を離さないで・・・お願いだよ」

ノースの腕の中でハルは弱々しく震えた。

「傍にいて・・・」

 

採取クエストの時、自分が死に掛けた時。それを聞いてハルが怒り狂った時。

自己犠牲は嫌いだとハルは泣き叫んだ。その理由が分かった。

 

2人は日が暮れるまで、ずっと。ずっとそうしていた。




*原作と本編とでギルド作成可能の時系列が変わっています。


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4.

2023年、11月。

アインクラッド 第32層 ヒュルゲンシュタイン

ギルドホーム

 

「おかえりなさいませ、ご主人様」

「おぉ。ただいま・・・ぁあ?え?」

煙草精製の為にフィールドで薬草を採取していたシグがホームに帰宅すると玄関で出迎えてくれたのはメイド服姿のアイスだった。無口で物静かで身軽さを活かした戦闘を行いモンスターを淡々と刈りつくす彼女がツッコミどころ満載の格好で立っている。

「ア、アイちゃん!?どうした!?」

「罰ゲームです」

「は?」

「罰ゲームです」

 

 

 

Sword Art Online RE:Generation

第4話「感謝祭」

 

 

 

ノースは自室の姿見の前で未だに悶絶していた。鏡に映るその自身の姿は正しく正統派のメイド。濃紺のワンピースに白いフリルのついたエプロン。袖にも白いフリルが付いており、ご丁寧に赤のカチューシャまで上乗せさせられている。更に製作者の悪意を感じるぐらい、胸が強調されていたり、ドレスの丈が短かったりと女性の身体を意識した構造になっていた。このコスチュームを着用する発端を作ったのは紛れも無く自分だということが尚更屈辱的であった。

それは、先の採取クエストでのこと。確かにあの時、ノースは課題を出し達成できなければペナルティだと言ったのだ。しかしペナルティの内容は全く考えていなかった。最も、あの時は死にかけた上、メンバーには心配され、ハルには辛い思いをさせるなど色々なことがあったのですっかり忘れていた。

それが落ち着いた頃になって、アイスが「ペナルティは何をすればいいのですか?」と律儀に聞きに来たのであった。アイスが戦闘を中断して足を止めたのは自分に責任があるので「やらなくていいよ」と言ったのだが「そういうわけにはいきません」とバッサリ言い切られてしまったのだ。アイスがペナルティを受ける気満々なのに自分が受けないのは申し訳ないと思った矢先、話を聞いていたムニとヒートが、ショップで売れ残っていたハロウィンイベントのコスチュームが無料で手に入ったので、それを着ればいいと冗談まじりで提案したのであった。その結果がこのなんとも可愛らしいメイド服である。普段から黒のズボンと黒のシャツの上に銀のプレートメイルに黒のコートという男性的な装備をしているノースにとって、これは難関であった。

 

夜。

メンバーが全員集まって食卓を囲む中、ハルがウィンドウを操作しながら言った。

「食べながらでいいから聞いてね。明日予定通り、感謝祭クエストやるよ。詳しい情報は今みんなに詳細送りながら話すね」

「きたきたきた!やるぞー」

ムニがサンドウィッチを手に持ちながら興奮気味に叫び、隣に座るヒートと嬉しそうに顔を見合わせる。

「必要な薬草類も表記しといたからね。シグ君、倉庫から提供よろしく」

「ほーい」

シグがウィンドウをタップし確認をする。

「タク。ニカさんの調子はどう?」

「バッチリだよ。な?」

「大丈夫です」

タクの発言にニカが頷いた。その自信満々な表情からは数日前の弱気な姿など、どこにも見当たらない。

「よかった。でも無理することはないからね。お祭りイベントだし楽しくいこう。あと・・・」

ハルはそう言葉を置いてノースとアイスをチラリと見るが、すぐに目を背けた。

「あれ~?ハルちゃん、どうしたの?」

ヒートがニヤニヤしながらハルに言う。

「い、いや、目のやり場に困るというか・・・」

メイド服姿の2人を見てハルは顔を背けながら言った。アイスは何故か堂々としているが、ノースは先程からずっと顔を赤くして座っている。

「ふ、2人共。明日のクエストでもその格好なの?」

ノースに負けないぐらい顔を赤くしたハルが俯きながら聞いた。

「え?駄目ですか?」

アイスがキョトンとした表情をして言う。

「い、いや・・・ダメじゃないけど・・・」

「わ、わ、私はいつもの格好がいいです!」

ノースが声を大にして言う。

「でもノースさん。ペナルティですよ?」

「え?アイちゃん何でそんな意地悪・・・」

「それにコレで先程フィールドに出て戦闘をしたのですが、意外に耐久値高いし重くないしスピードアシストが付いているので素早さ上がるし、私明日これ着て行きます」

「・・・ペナルティになってねぇ」

アイスがハッキリと断言する中、タクが的確なツッコミをいれた。

「というか、その格好でフィールド出たのかよ」

シグも驚きである。

「アイちゃんは前からスカートだったから抵抗ないのかもしれないけど私はこれで戦闘なんて無理です!絶対に!」

ノースが声を張り上げる。

「ギャップ萌えという言葉がありますよ」

「ア、アイちゃん?」

「もう好きにしてください」

ハルがまだ顔を背けたまま締めくくった。

 

 

翌日。

アインクラッド 第10層 深遠の森

 

「結構人いるねぇ」

クエスト受注場所に集まり周りを見渡したヒートが言った。

「人が密集する時間帯は外したつもりなんだけどな。まぁ、去年は出来なかった人多いから仕方ないか」

タクが言う。

「フラグ立ててきたよ」

ハルが受注完了の報せを届けた。

「じゃ、最終確認。森の中心を目指して進むよ。中心にイベントボスがいる。レアドロップ品は、槍属性のトライデントスピア。三叉にわかれた矛らしい。森でポップするモンスターはレベル低めだけど、稀に麻痺と毒攻撃があるから注意して。全員、麻痺治療と毒治療のポーション及び結晶は10ずつ持ってね。シグ君は多めに持っていざという時だせるように。戦闘指揮はタクに任せるよ。じゃ、よろしく」

ハルがタクとハイタッチした。

「はい。任されました。隊形の指示いくぞ。先頭にムニとヒートとアイス。中盤はハル、シグ、ニカ。しんがりはノースと俺。ニカは俺が指示するまで短剣で戦闘。ハル、ニカのフォロー頼むぞ。シグは先頭の3人の援護。後ろから来る奴は俺とノースで止めてみせる。こんなもんか」

タクの言葉にみんなが頷く。

「じゃ、行こうか。楽しもうぜ」

 

戦闘は滞りなく進んだ。第32層にホームを設置しているが、戦闘、連携、レベル全てに於いて高層でも通用する力が彼らにはある。第10層で出現するモンスターなど本来敵にはならない。ムニとヒートの完璧すぎる連携とアイスの有無を言わせない強烈な突撃がモンスターの集団に穴を開ける。そこからこぼれた手負いの敵をハルとニカが的確に倒していた。ハルの手厚いフォローのおかげか、ニカは大分自由に短剣を振るうことが出来るようになっていた。後ろからもポップしたモンスターが迫ってはくるが、しんがりのノースとタクの武器はどちらもリーチが長い為、モンスターたちは近距離まで近付いてこれない。更に隊形の中心位置で前と後ろに銃口を向けたシグの拳銃による射撃によって、モンスターの動きを上手く阻害していた。

 

「本当に着てきたな。メイド服」

小型の猪を刀身の大きな両手大剣で両断したムニが呟いた。

アイスはペナルティで支給されたメイド服をひらめかせ刺突攻撃を放っていた。緑が深まる森の中その格好で戦う姿は場違いすぎて逆に笑いを誘う。

「正直パンツ丸見えで困るんだけど」

ムニがアイスの姿を凝視しながら言うと隣で剣を光らせたヒートがその切っ先をムニに向けた。

「むーちゃん、何か言ったー?」

微笑んではいるが目は全く笑ってはいない。

「言ってない!何も言ってない!」

 

そして、メンバーは開けた場所に到達した。恐らく、ここが森の中心だろう。地響きがする。それは、どんどんと近付いてきて森の奥から巨大な七面鳥が現れた。更に剣を持った二足歩行する人間サイズの鶏のモンスターが5匹現れる。七面鳥の頭上にはHPゲージが4本表示されボスの名前である『Bold Turkey』の文字が表記されている。

「あれがボスだ。攻撃は主に硬化された翼による斬り裂き、衝撃は、噛み付き。稀にブレスを放つと聞いたが兆候は未だに不明。攻撃はランダムで変わるから接近する時は常にボスの些細な動きまで見逃すなよ」

タクが全員に声をかける。

 

「ボールド?どういう意味?」

「ハゲって意味じゃなかった?」

ムニとヒートが話し始める。

「ハゲはbaldだ。あれは、強いとか勇敢なって意味だろ」

シグが訂正する。

「へぇ。じゃ、俺はボールドムニだな」

「じゃ、私はボールドヒート」

はしゃぐ2人は「で?」とニカの方を期待を込めて振り向く。

「なら私はボールドニカですね」

ニカが微笑みながら言うと賑やか担当の2人はニッコリ笑った。

「アホなこと言ってねぇで武器かまえろ」

タクが一喝する。

「ボールドタク!早く指示だしてくれ」

「ボールドタクちゃん!プリプリするとハゲちゃうよ」

「うるせぇ。ハゲ言うな!」

「ボールドタク!落ち着いて」

「ハルまで便乗すんな!ムニ、ヒート、アイスはボスに攻撃。翼の一振りに気を付けろ。モーションがデカいから回避出来る。情報通りなら飛行はしない。ただジャンプするぐらいはするだろうから踏み潰されんなよ。ハル、ノース、俺は鶏相手だ。前線の3人に行かせないようにな。シグは後方から射撃で全員の援護。お前ぐらい視野が広ければ可能だろ。ニカはシグの隣で戦闘支援だ。それに徹しろ」

「戦闘支援?」

ハルが尋ねる。

「あぁ。短剣だけ磨いたわけじゃねぇ。ニカ、みんなの度肝抜いてやれ。シグはニカに近寄る敵が出てきたらちゃんと倒せよ?」

「うぃっす」

「なら、行くぞ。戦闘開始!」

 

ムニ、ヒート、アイスが俊足を活かして巨大な七面鳥に接近する。それに感づいた鶏が行かせないように武器を向けるが、ハル、ノース、タクが弾いた。シグが七面鳥の頭に的確に弾丸を当てていく。

そしてニカは後方に居残ったまま、短剣を鞘に納め、ウィンドウを開き複数のアシストスキルを展開した。途端にニカとシグ以外の全員に、攻撃力向上補正、防御力向上補正が追加される。更に七面鳥を相手にする3人には素早さ向上補正まで上乗せされた。

「これは!」

自身のステータスを確認したハルは驚いた。

「凄いだろ?今じゃ誰よりもバトルスキルとアシストスキルを同時に多展開することが出来るんだぜ、あいつ」

タクが自分のことのように誇らしげに言った。

「昔から自分に出来ることを模索した結果らしい。最も使えるようになったのは昨日だけどな」

 

七面鳥を相手にする3人も自分の動きが格段に良くなり驚きを隠せないと同時に嬉しくもあった。

「ニーちゃん、サンキュー」

ヒートが楽しそうに言う。ムニも口元をニヤけさせながら腕の振りが異常に速くなり両手剣を豪快に扱っていた。

「助かります」

アイスは短く嬉しそうに呟き、七面鳥の足元に滑り込むと肌が剥き出しの両脚を斬りつけた。七面鳥は煩わしそうに首を振り脚を振り上げ足元にいるアイスを踏み潰そうとするが、本来スピードを売りにしている彼女に更に上書きされた素早さ向上補正によって彼女を捉えることは難しい。七面鳥は巨大な身体をしているせいか非常に鈍重であり、情報通り、攻撃のモーションが大きすぎるので3人は難なくかわしていた。

 

「スイッチ!」

ハルが叫ぶと、後ろからノースが前に出てきて2体の鶏をポリゴンに変えた。

「ナイス!」

ハルが嬉しそうに声をかける。更にその隣で3体を相手にしていたタクが、そのうちの2体をポリゴンに変える。残った1体はシグの射撃によって力尽きた。

「よし。俺らも七面鳥退治に行くか!ちっ!」

全ての鶏が消えた瞬間、タクの近くですぐに新たな鶏が5体ポップした。

「なんだこりゃ。永遠に出てくるのか」

「5体倒したら補充される仕組みなのかも」

「じゃあ、1体だけ残してみようか」

タクとノースが2体ずつ相手をする。ハルは残りの1体の攻撃を盾で防いだり剣で弾くだけで自分から攻撃は与えない。鶏は七面鳥ほど鈍重ではないが、猪や狼に比べると大して速くない。初歩的な片手直剣のソードスキルを使ってはくるが、それほど踏み込んだ攻撃もしてこない。

「ノース、何でメイド服着てこなかったの?」

タクがニヤニヤしながらノースに話しかけた。

「な!何言って』

ノースが動揺し鶏の剣を弾き損ね、切っ先がノースの左腕をかすった。

「お前、動揺しすぎ。危ねぇな」

「タク。ノースさんを困らせちゃダメだよ?」

「そうです。やめてください」

「でも、ハルだって正直着てきてほしかったろ?」

「な!何言って」

今度はハルが焦って鶏の剣を弾き損ね、思わず盾で身を守りながら後退する。

「おい14歳。正直だな」

そんな少年の姿を見てケラケラと面白そうに笑うタク。

「タク。黙ってないと斬るよ」

「でもノースはスタイルいいよねって前にお前言ってたじゃん」

「だ、だから!」

「え?」

2人の反応を楽しむタク。

「ノースのメイド服似合ってたよな?」

「だからね、今はそんな話やめてよ」

「似合ってたよな?」

「・・・うん。似合ってた」

ハルが負けを認めたように小さく呟くとノースは攻撃を弾くことも忘れ、顔を赤らめながら周囲にいる4体の鶏を一掃した。

「あー。ノース、俺の敵取るなよ」

「う、うるさい・・・です」

「何14歳に言われて赤面してんだよ」

「だぁぁ!うるさいです!私、前行きます!」

ノースはそう言って七面鳥の方へ駆け出した。

「あは、面白ぇ奴。ハル、俺も前行くけど大丈夫か?」

「うん」

ハルは鶏の最後の1体の攻撃を弾きながら言った。

「お2人さん、前行っていいよ~」

後方からシグが暢気そうに言って、鶏の頭を撃ち抜いた。すると被弾した鶏はよろけて地面に倒れこむと、そのまま眠り始めた。

「何だこれ?麻酔弾?」

「作ってみた。眠りから覚めたらまた撃つから心配しないで」

「いいねぇ」

「シグ君、ありがとう」

そう言ってハルとタクも前線に加わる。

 

「シグさん、そんなこと出来たんですね」

前線のメンバーに絶えずアシストスキルを追加しながらニカが言った。

「煙草精製の応用でな。薬莢に眠り草をこれでもかってぐらいブチ込んでみたんだ。巨大なモンスターには効果でないけどね。でも僕なんかよりも、ニカちゃんの方が凄ぇぞ。アシストスキルとバトルスキル併用で複数展開なんて器用すぎ。今までそんなこと出来る奴なんか聞いたことないぜ」

ニカの目の前には開かれたウィンドウが多数浮かんでいる。どれもが別のスキル発動によるものであった。この世界に於いてスキルと呼ばれるものは多く存在するが、その中でも援護に携わることのできるスキルは3種類ある。自分の力を高めるパッシブスキル。自分や他人のステータスを一時的に高めたり下げたりすることが可能なアシストスキル。そして対象となる敵のステータスを変えることができたり攻撃することや対象となるプレイヤーの回復を行うことが可能なバトルスキル。1つを長時間使うだけでも膨大な集中力と精神力が必要なのにも関わらず、ニカは2種類のスキルを同時に多数使用することができている。これまでも多くのプレイヤーが複数同時展開に挑戦してきたが、コントロールが難しく挫折していた人間も少なくない中でニカは平常心で起動することができている。

「タクさんにコツを教えてもらって」

「マジかよ。タクって何者なんだよ、ホントに」

シグが笑う。

「でも、ごめんなさい。射撃関連のアシストはまだ覚えてなくて」

「オーケーオーケー。気長にやってくれ。しかしカッコいいなニカちゃん。さしずめエフェクターってところか」

「エフェクター?」

「そ。このギルドでの役割さ。僕がシューターでニカちゃんはエフェクター。いい響きだろ」

「確かに。嬉しいです。ちょっと厨二病臭いですが」

「ハッキリ言うね」

 

「手応えはあるのになぁ」

両手剣のソードスキルを胴体に当て終えたムニが動き出しながら言った。

「落ち着いていこう。効いていないわけじゃないんだ」

ムニの硬直状態を守りながらハルが言う。その証拠に七面鳥のHPバーは2本半減少していた。

「残り1本ちょっとだ。基本に忠実でいこう。スイッチのタイミング気をつけろ」

タクが指示を飛ばした。

 

七面鳥のHPバーが残り1本になった時、急に七面鳥が後ろに下がった。そして新たに5体の鶏が目の前にポップし七面鳥を守るように立ちはだかる。後方に下がった怪鳥は大きく深呼吸を繰り返すようなモーションを始める。

「何だ、急に」

深呼吸するたびに七面鳥のHPバーが回復していく。

「回復!?そんなことするのか」

タクが鶏の頭を曲刀で斬りつけながら言った。

「それはズルいぞ」

ムニが鶏の脇をすり抜けて両手剣の剣先を向けながら突進する。七面鳥は再度大きく息を吸い込むと腹が大きく膨張し始めた。

「あれは!ダメだ!ムニ!下がって」

膨張に気付いたハルが叫ぶがムニには聞こえていない。

「全員下がれ!防御しろ!」

タクが叫ぶ。

「させるかああああぁぁぁぁ!!」

ムニの赤く輝く両手剣の刀身が七面鳥の頭まで後数センチというところで、怪鳥は嘴を開き強烈な臭気を含む息吹を放った。衝撃波がメンバーを包み込み立ちはだかっていた鶏5体をもまとめて巻き込み、後方まで回避していたのにも関わらず前線メンバー全員が吹き飛ばされた。

「みんな無事か!?」

タクがすぐに体制を起こして確認をする。

「ムニは?」

ノースも立ち上がって周りを見渡した。

「ぐわああぁぁああ!!」

立ち込める砂煙の中からムニが錐揉みしながら転がってくる。

「むーちゃん!」

急いで駆け寄ったヒートはムニのステータスを確認する。HPバーの横には麻痺と毒のマーク。至近距離で広範囲ステータス異常付加の攻撃を食らいムニのHPバーは半分以上削られ赤く点滅を繰り返していた。

「・・・身体が動か・・・ねぇ。気持ち悪ぃ」

ヒートが自分のストレージから回復結晶を取り出そうとした瞬間、急にムニが犯されていた麻痺毒のマークが消える。

 

「状態異常はもう消しました」

 

肩で息をしながらニカが言う。更に衝撃波を受けHPを減らしたメンバー全員の体力がほぼ完全に回復している。大人数にかけた広範囲ヒール。魔法という概念が存在しない筈のSAOに於いて、そんなスキルがあったとは情報屋が公開しているスキルリストにも載っていない代物を彼女はやり遂げた。何故ここまでの力が扱えるかは不明だが、スキルを発動し終え表情に疲れを見せるニカの足元はおぼつかず、咄嗟に隣にいたシグが身体を支える。

「へぇ、やるじゃん」

タクはニカが持つ未知の力と機転に感心して呟く。

「みんな、もう少しです。先程のブレス攻撃は体力を変換させて使う技。ボスの残り体力は少ない筈です」

ニカが言う。

「よし、仕上げだ。みんな行けるよな」

タクがメンバーを鼓舞する。

「ふざけやがって。めっちゃ不快だったぞ、この野郎」

ムニがフラリと立ち上がりながら苛立ち吐き捨てる。

「むーちゃん」

「何だよ」

「次、突っ込む時は私も連れていってね」

ヒートの明るい笑顔を受けて、ムニはバツが悪そうに頭をかいた。

「ニカ。戦闘支援の判断はこれから全部お前に任せる。お前の力だ。好きに使え」

「はい!」

タクの言葉にニカが力強く元気いっぱいに返事をした。

「みんなにもう1回アシストスキルをかけます。それからアイスさんには追加でこれ」

シグに肩を支えられながらスキルを展開させる。そしてアイスに先程ボス戦になる前に覚えたばかりのスキルを選択した。スキル名はブースター。爆発的なジャンプ力を付加させることが出来る技。

 

七面鳥はHPを減らしながらも体制を整えていた。その巨体に向けて各々の武器を構えた6人が駆けていく。その先頭を行くアイスを誰も追い抜くことは出来ない。みるみるうちに仲間との距離を離し怪鳥との差を縮める。そして鳥の数メートル先でジャンプし頭上を跳び越え背後に着地し、すぐに後ろから斬り込んだ。タクとノースは同時に己の武器の刀身を眩く光らせ七面鳥の胴体に深く突き刺し薙ぎ払う。

「ヒート、足元を抜けるぞ」

「オーケイ」

ムニとヒートはスピードを落とさないまま七面鳥の足元まで走り込み狭い股の間をスライディングで滑り抜け背後に回り込む。

前線に追いついたハルは足をとめずに更に速く走り、片手直剣を青く光らせ5連劇の重いソードスキルを放つ。3対3のバランスの取れた挟み討ちによる息の合った連携攻撃。互いが互いをカバーし合い、確実に剣をヒットさせていく。

 

「ニカちゃん、ちょっとごめん」

シグが支えていたニカの肩を優しく降ろし地面に座らせるとメイン武器を変更した。彼が装備したのはフリントロック式のピストル。現代の銃とは違う構造の銃で特徴的なのは撃鉄の起こし方と装填の仕方。マズルローダーと呼ばれ銃口に装薬と弾丸を詰める。現時点で最強クラスの拳銃と呼ばれるこの銃は、ハンドガンにしては非常に大振りで反動もその分大きい。片手で撃とうものなら、その反動と衝撃で腕がもぎ取れると言われており、シグの数少ない銃仲間の間でも不評続きの銃である。それを両手で構えガシリと無機質なトリガーを引くと、音速で飛ぶ丸い鉄の小さな球は七面鳥の目玉を抉り抜いた。

「もういっちょ」

シグはすぐにリロードを始める。特殊な構造をしている為、この世界で存在している銃の中では一番装填時間がかかるのも不評である1つの理由だ。破壊力と貫通力はスナイパーライフルの通常弾並みに絶大だとしても、反動が大きすぎて命中率は大幅に下がり乱戦には勿論向かない。銃器が実装されたこの世界だが、剣とは違い銃の為のスキルは未だに判明されていない為、銃を扱うプレイヤーは己の実力のみで撃たなくてはならない。それがこの世界で銃を扱う人間が少ない大きな理由である。しかし、シグは射撃に関しては絶対的な自信を持っていた。そうでもなければ、こんなフリントロック式のデカブツなど持とうとは思わない。幾らリロードに時間がかかろうが今回は頼りになる仲間が沢山いる。装填を終えたシグは狙いを定める。狙いをつけたら3秒以内に引き金を引くとシグはいつも心に決めていた。長い時間ターゲットを見つめ続けても集中力が途切れるだけだ。そして迷いなくトリガーを引いた。撃ちだされた弾丸が七面鳥のもう1つの目玉を撃ち抜いた。

 

目玉欠損により視界を失った七面鳥は当てずっぽうに暴れ周り嘴を地面に突き刺してくる。それをハルは冷静に盾で受け止めようとするが、滅茶苦茶で不規則な攻撃に予測しきれない。その危険性を察知したノースがハルの右隣に立って槍で防御した。

「全く、シグったら。前線のことも少しは考えてほしいけど。ハル」

ノースは後方で大降りのピストルをくるくると回して弄るシグに愚痴りながらも改めて少年に向き直る。

「なに?」

「私はここにいるよ」

「!」

ハルが驚いてノースの顔を見上げた。

「私はハルの隣にいるからね。だから1人じゃないよ。安心して」

「俺もいるぜ」

タクがすっとハルの左に立った。

「うん!」

ハルが嬉しそうに頷く。

背後に回った3人の追撃も加わり、七面鳥はHPバーを大きく減らす。残りは1ミリも満たない。

「首がやっぱ弱いな。ハル、俺を踏み台にして跳べ」

タクがそう言って膝をついた。助走をつけたハルがタクの背中に足を乗せ力強く踏み込む。そしてそのまま巨大な七面鳥の首元まで跳躍した。

「うおおおおりゃあああああ!!」

首を斬り裂くと巨大な身体はポリゴンへと変わり全員に破片がキラキラと輝きながら降り注ぐ中、落ちてきたハルはタクにキャッチされた。そして空間に浮かび上がる『Congratulation』の文字。クエストクリアを伝える証。

 

「よっしゃああああああああああああ!!」

メンバー全員が飛び上がり歓喜に包まれた。

 

 

アインクラッド 第25層 シールドクリフ

料理屋「Dice Kitchen」

 

馴染みのある店に足を運ぶと店主のオヤジは不機嫌そうにハルたちを見つめた。

「お前ら、もしかしてボールドターキーの肉持ってきたのか?」

 

ボールドターキーの肉。

それは感謝祭クエストクリアの報酬の1つであった。レアドロップ品とされていたトライデントスピアは出なかったが、感謝祭らしく鳥の肉が報酬で出たのであった。受け取ったはいいが調理スキルをコンプリートしていなければ食べることのできない代物であり、そんなプレイヤーはこのギルドには存在しないので、オヤジに頼んで調理してもらうことにしたのだった。

「いま作るから、そこ置いて待っとけ」

オヤジはいつもの柔和な笑顔など一片も見せず、ぶっきら棒に言い放ちながら厨房へ去って行く。

「なんだか機嫌悪そうだね」

ハルがノースに話しかけると、店の奥でテーブルを片付けていた青年が笑顔で近付いてくる。

「ごめんね。父ちゃん無愛想で」

彼はオヤジの実の息子であるフィックス。現実世界でもオヤジが経営する店を手伝っていたらしく、このゲームにオヤジを誘ったのも彼だった。

「何かあったんですか?」

「ほら今日は感謝祭クエだろ。それで報酬の1つがこのAクラスの肉だからさ。お宅らの他にも調理してほしいって人がひっきりなしに来るんだよ。今日はお宅らで35組目。感謝祭クエは後1週間ぐらい続くからもっと来るだろうね。最初は珍しい食材が調理できるってんで父ちゃん張り切ってたんだけどね。流石に飽きたらしい」

ノースの問いかけにケラケラ笑いながらフィックスが答えた。

「それは何というか、ご愁傷様です」

「気にしないで。料理すんのが俺たちの仕事なんだからさ、父ちゃんも贅沢言うなって言ってやったんだけどな。報酬で香草も幾つか出たでしょ?あれ少しくれたら付け合せにパスタとサラダでも作るよ」

「やった!」

フィックスの気前のいい一言にメンバーが喜ぶ。

 

 

アインクラッド 第32層 ヒュルゲンシュタイン

ギルドホーム

 

食卓には色とりどりの料理が並んでいた。フィックスがなだめてくれた結果、なんだかんだ言ってオヤジが沢山作ってくれたのだ。七面鳥の調理方法も様々だ。ローストにしたものからパスタに和えたもの、スープの具材にも使われている。

「かんぱーい」

声が重なる。食べ物を口に運び、その絶品さに舌鼓を打ちながら今日のクエスト話に花を咲かせる一同。

「ステータス異常とか一生の不覚」

明るく振舞ってはいるがいつになく落ち込んだ表情のムニに「私を置いていったバツだー」とヒートが彼の背中を叩きながら茶々をいれる。

「後でニカに、ありがとうって良いなよ。あんたと私たち回復した後のニカ、フラフラだったんだから」

ノースが言った。

「ニカちゃん、凄かったな。あんなん使えるの知らなかった」

シグがローストターキーを更に放り込みながら言った。

「タクが言うには、昔から習得しようと頑張ってたみたいだよ。タクはそれを後押ししたにすぎないって」

野菜を小動物のようにモシャモシャ食べながらハルが言う。

「早く帰ってこいよな。今日の主役」

シグが言った。

 

 

アインクラッド 第1層 はじまりの街

黒鉄球の碑 広場

 

タクとニカは黒鉄球の碑の前でタクの妹がまだ生きているかを確認していた。名前に線は入っていない。2人は胸を撫で下ろした。当初タクはコッソリ1人で行くつもりであったが、ニカが「私も行っていいですか」と尋ねてきたので断る理由もなく2人で来ていた。

「よかったですね」

ニカが微笑む。タクは彼女の顔を見た。その表情に数日前自分のことをギルドのお荷物だと発言していた彼女の姿はもうない。

「タクさん」

「ん?」

「私、タクさんに感謝しています。今日は本当に楽しかったです」

「そうか。俺もニカには感謝している。今日のニカは最高だったぜ」

「ホントですか?」

ニカは嬉しそうに顔を赤らめた。

「あぁ。特にムニの状態異常の解除。メンバーの回復。どれも見事な判断だった。チーム戦ではああいう力が不可欠だ。でもまだ体力が追いついていないのがネックだけどな。これからゆっくり物にしていこうぜ。頼りにしてるからな」

タクはニカの頭に手を置いて優しく撫でる。

「わっ、わ」

ニカはタクの大きな手で撫でられ更に顔を赤くする。

 

「ははっ。帰るか。飯が無くならないうちに」

「はい!」

 

2人は足を軽やかにして帰路へ。



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5.

2023年、12月。

アインクラッド 第49層 ミュージェン

 

ソードアートオンラインがサービス開始されてから1年が過ぎた今、最前線はこのフロアだった。そして今日、この層のフィールドにある視界が開けた安全圏の中にある小さな小屋。多数のギルドの人間が外で警戒にあたる、この小屋の中で49層の迷宮区フロアボス攻略会議が行われようとしていた。集まったメンバーは大型ギルドから少人数パーティまでいるが、その誰もが精鋭揃いであった。

その中でも異彩を放っているのが血盟騎士団の幹部の1人。通称『閃光のアスナ』。団長から直々にオファーされ入団した彼女は細剣のスペシャリストであり、攻撃の要。人を率いる能力と人を魅入らせる容姿と力を併せ持つ少女。妹と同じくらいの年齢かなぁとタクは集団から少し離れたところで彼女の攻略計画を聞きながら考えていた。

 

「説明は以上になります。ここにいる方たちはボス攻略に参加ということで宜しいですか?」

アスナの言葉に、他のギルドの代表者たちが頷いた。

「成る程。見知った方たちが多いですね。今回も頼りにしています。あら『β』の方々は初めてでしたね。協力感謝します」

アスナが隅に立っていたハルとタクに言った。その言葉に室内にいた全員が2人を見る。その突き刺ささるような視線にタクは堂々としながら視線を撥ね返すがハルは小さな身体を更に縮めた。予想は出来ていたことだ。ギルド名を決めた時から覚悟が出来ていた・・・つもりだった。

 

「宜しくお願いします」

ハルは勇気を振り絞り、丁寧に頭を下げた。

 

 

 

Sword Art Online RE:Generation

第5話「ギルドβ」

 

 

 

会議が終わり小屋の外に出たハルとタクはアスナに呼び止められた。周りには他のギルドメンバーたちが遠巻きに2人をチラチラと見ながら何かを囁き合っている。

「こんにちは。この後お茶でもどうですか?」

「せっかくですけど僕らは用事がありますので・・・」

覚悟していたとは言え、ハルはこの雰囲気に耐えられなかったのだろう。早く安全な場所に帰って一息つきたいという気持ちが表情から見て取れる。

「じゃ、俺は御言葉に甘えようかな」

「タク!」

ハルは咄嗟にタクの腕を掴んだ。アスナがハルの子供のような仕草に不思議そうな表情を作る。

「ははっ、大丈夫だって。先にホーム帰っててくれよな」

タクが優しくハルの手を解きながら少年の頭に手を置いた。

「・・・わかった」

間を置いた後、ハルは俯きながら小さく頷いてタクの言葉に従う。

 

 

アインクラッド 第39層 アールーン カフェ

 

血盟騎士団の制服を着たプレイヤーと一緒にいると、どうしても目立つし人目を引く。しかし、タクは全く気にすることなくアスナが紹介した店に入る。奥の陰が出来た少し暗い席に2人向かい合って座った。

「呼び止めてしまって申し訳ありません。特別話すようなことは無かったのですけど」

「大丈夫。気にしてないよ。俺は話してみたかったかな。攻略組の最強ギルドの人と」

「最強だなんて」

「謙遜しないでくださいよっと。本当のことだろ?実力なくして噂はたたないからな。血盟の勇姿は中層にいても流れてくる」

「貴方たちの話も最近よく聞きますよ」

「へぇ?」

「βテスターを中心としたメンバーで構成員8人ながら成長が著しいギルドだって」

確かに最近はニカの能力の開花もあってか、積極的にクエストを受注しギルドの力を高めていた。各々がレベルを上げる中、戦術も増え戦闘を指揮することが多いタクにとって、そんな『β』の伸び具合に素直に喜びを感じていた。拠点としている階層付近なら信頼できる人間も何人かいるので、そのプレイヤーたちから頼まれたクエストなども積極的に行っていた。その結果、口コミなどで最前線を駆け抜ける攻略組に自分たちのギルド『β』の話が耳に入ってもなんらおかしいことではない。

 

「そっか。で、話ってのは何だい?」

「え?」

アスナは手に持っていたお茶のカップを傾けるのをやめて聞き返す。

「本当は話があるんじゃないのか?」

「驚きましたね」

アスナはカップを置いて上品に咳払いをした。

「ウチのリーダーは純粋すぎて良い意味でお子様だからな。すぐに感情的になっちまう。まぁ、それがいい長所であるのは確かなんだけどな。でも俺は黙ってアンタの話を聞ける」

「私が話したいことが分かっているような口ぶりですね」

「なんとなくね」

攻略組のトップギルドである血盟騎士団の幹部を前にしてもタクは物怖じしない。いつもの自分自身を貫き通した。それが彼の生き方であり、人との接し方。誰に対しても本音と本心をぶつけて今まで生きてきた。だからこそ、彼は異常なまでに落ち着いていた。

「なら単刀直入に申し上げます。血盟騎士団に入りませんか?」

「断るね」

「即答ですか」

「あぁ」

タクは異常なまでに落ち着いていた。彼女の口から何が飛び出るかも容易に予想が出来ていた。

「それは貴方の意見ですか?」

「ハルも断るさ。絶対にな」

「言い切りますね」

「アンタよりは付き合い長いんでね」

アスナは一瞬だけ苛立ちを表情に見せた。その曇った彼女の表情の動きをタクは見逃さない。血盟騎士団に入り力を思う存分振るってきたアスナに、こんな口調で話す人は今まで1人ぐらいしかいない。

 

「1つ、聞いていいか」

タクは出されたお茶をまだ一口も飲んではいない。もともと手をつける気なんてなかった。

「なんでしょう?」

タクの質問の内容に検討もつかず身構えるアスナにタクは素直に斬り込む。

「オファーの理由は同情か?」

まるで鋭利な刃物で斬られたかのように身をすくめるアスナ。それほどまでに彼の言葉は尖っていた。表情は何1つ変えていない。口元は微笑んだままだが、彼が抱く感情が彼の言葉1つ1つに乗っている。

「・・・いえ、そういうわけでは」

沈黙の後、アスナが否定しようとするがタクは、その彼女の返答さえも容赦なく斬り捨てる。

「でも似たようなものではあるだろ」

この男に隠し事は無意味なのだとアスナは悟った。ならば自分も本心を貫くだけだと思い直す。

 

「私は、今日の攻略会議で他のプレイヤーたちが貴方たちを見る目を不快だと感じました。ただβテスターだからという理由で見る、あの目が」

「まぁ予想は出来ていたことだ。俺たちが今まで攻略に参加しないで生きてきたこともあるだろうな」

「それは、責められるものではないと思います」

「アンタはそう思っても世間は違う。前線で攻略するプレイヤーは特にな。因みにオファーは俺たち全員なのか?」

「はい。そのつもりでした」

「嘘はつくなよ。ハルと俺以外には逢ったことさえないだろ。俺らと逢うのも今日は初めてだ。どんな力を持っているのかも知らないでアンタは俺たち全員を勧誘するのか?」

「嘘というわけでは・・・」

口ごもるアスナにタクは静かな口調で畳み掛ける。それが逆に威圧感を増した。怒りを感じているわけではない。ただ、心の置くから湧き上がってきた感情が言葉と混ざり合う。やはり、ハルを先に帰して正解だった。

「私は、βテスターに対する風当たりが嫌なだけです。同じ境遇でこの世界に幽閉されたのに、あまりに可哀想だと感じます。でも血盟騎士団に入れば、ある程度の保護も可能ですし、あんな目で見られることもなくなります。騎士団にもβテスターはいますし」

「それ本気で言ってるのか?」

「え?」

「それが本心だって言うなら、アンタには失望だぜ、悪いけど」

「どういうことですか?」

「アンタ意外と頭が悪いんだな」

タクは冷たく言い捨て席を立つ。自分なら感情的にならないなんてよく言えたものだ。ハルと長くいたことで彼の性格がうつったのかなとタクは心の中で苦笑した。

席を立ったタクを止めるかのようにアスナも立ち上がる。

「1つ教えといてやる」

タクはアスナの顔を見つめながら口を開いた。

「攻略会議が終わった後、アンタが俺たちを呼び止めた時、ハルの仕草にアンタは不思議がっていたな。アンタはハルの表情から何を読み取れた?」

「・・・怖がっているように見えました」

「その通りだが、少し違う。あいつは大人を全く信用していない。とりわけアンタみたいな勧誘をしてくる大人はな。アンタが俺たちを呼び止めた時に俺もだが、ハルはもう気付いていただろうぜ。アンタがこの話を出してくること」

「では何故、ハル君は貴方たち大人と行動を共にしているのですか?」

個人の行動理由に踏み込みすぎるのはマナー違反だというのが暗黙の了解ではあるが、アスナの口からは思わず疑問の言葉がこぼれ出た。発言してから彼女は初めて自分が他人の了見に入り込んでしまったことを後悔した。しかし、その言葉を受けたタクは不快な表情を浮かべることもなく、意外にも微笑んでいた。

「本心が転がり出たって感じだな。ハルが俺たちと組んでいる理由?それはハルが俺たちを信頼してくれてるからに決まってるだろ?自惚れとかそんなんじゃない。あいつの心は素直すぎて誰でも真剣に向き合えばハルの心を見透かすことが出来るんだ。そして俺たちメンバーはハルを信頼している。それだけだ。俺たちはもう完成されてるのさ。だからくだらない事情で俺たちを誘うのはやめてくれ」

「くだらない事情?」

「アンタ、俺が1から説明しないと何も分からない馬鹿なのか?」

血盟騎士団の幹部を平気で馬鹿呼ばわりするタクにアスナはまた苛立ちがこみあげるが、その気持ちを飲み込んでタクの言葉を待った。

「βテスター云々ってやつだ。それがくだらないって言ってんだ」

「くだらない?それは不謹慎では?落ち着きはしましたけどまだβテスターだからって命を狙われるプレイヤーがいるんですよ。実際にそれで人が死んでいるんです」

「それを俺たちが知らないとでも?」

タクの瞳に初めて怒りの炎が灯った。そのギラリとした視線にアスナは言葉を失う。

「アンタ、あまり俺をガッカリさせんなよ。血盟騎士団に入りたいなんて微塵も思ったことはないが攻略組にはこれでも感謝しているんだ。その幹部様がそんな発言をするのか?おい」

 

βテスターの迫害全盛期。関係のない一般プレイヤーも巻き込まれた被害者の多くは間違いなくβテスターの人間。その人たちが仲間を失った経験は勿論あるに違いない。それを失念し感情だけで本心を曝け出してしまったアスナは本気で後悔した。

「ごめんなさい」

結果的にアスナは頭を下げる。

「謝っても、アンタが放った言葉は返ってこないさ」

頭を下げた少女にタクは冷たく吐き捨てる。大人気ないと多くの人間は思うだろう。しかし毛頭からタクはそんなことなど気にしながら生きてはいない。

「素敵なティータイム、ご馳走様。代金は払っておく。今度の攻略で逢うことがあれば宜しくな」

そう言ってタクは店を去った。タクに出されたお茶は飲まれることもなくカップからは湯気が立ち上っていた。

 

 

アインクラッド 第32層 ヒュルゲンシュタイン

ギルドホーム

 

「攻略か」

自室で採取した植物を乾燥させながらシグが呟いた。

「さっきハル君帰ってきましたけど会議はどうだったんですかね」

「さぁな。まぁ今夜何かしら報告があるだろ」

シグの自室兼研究所にニカが遊びに来ていた。前にノースに言われた通り、確かに異様な臭いが部屋に充満しており入った時は立ちくらみがしたが、現実世界でお香を焚くのが趣味だった彼女にあまり抵抗はなく慣れてくれば、いい匂いだと感じなくもない。それをシグに伝えると彼は嬉しそうにニカを招きいれ、煙草精製には使えなかったがお茶には使えるというハーブを使ったほんのり甘い味のする紅茶のようなものを出してもてなしてくれた。

 

「しかし今度の攻略が成功したら次は50層ですね」

ニカがソファーに背中を預けながら明るく言った。シグの部屋は意外にも家具が充実している。部屋の広さは全員同じだが、彼の部屋にはベッドと研究器具が置かれたテーブルの他に1人がけのソファーが2つにローテーブルが1つ。クローゼットも隅に置いてはあるが不思議と部屋が狭いと感じない絶妙なバランスで整えられた居心地のいい空間だった。

「ついに半分だな。いい響きだよ」

「私も楽しみです。他力本願なところは申し訳ないですけど」

「あぁ。ニカちゃんもハルの思惑に気が付いた?」

「はい。今度の攻略、きっと私は出さしてもらえないでしょうから」

「僕も呼ばれないだろうな。行くのはタク、アイちゃん、ムニかヒートぐらいかな。慣れない仲間が大勢いる中で援護とか言われても無理な話だからねぇ」

「そうですね」

「ニカちゃんは参加したかったの?」

「いえ。怖いのは嫌いです」

「そうだな。僕も」

シグとニカは顔を見合わせてクスクスと笑った。

 

「シグさん。私も煙草作り応援させてください。採取の協力もしますよ」

「ありゃ。どういう風の吹き回し?というかニカちゃん喫煙者だったの?未成年で?」

「失礼ですけど私は20です。いえ、私は吸わないのですが母が吸ってて。なんだか無性にあの匂いが懐かしいんですよね。今は」

「マジで?ハタチ?見えねぇ・・・。いや、ごめん!ごめん!」

頬を膨らませてプリプリし始めるニカを見てシグが慌てる。ハルの1コ上ぐらいだと思ってたということは墓場まで持っていこうと心に決めた。

「そっか。大歓迎だよ。こりゃ早く完成させなきゃな」

「今は何の葉っぱ乾燥させてるんですか?」

「これは・・・レッドハーブとアラフ草と眠り草」

「確実に副作用出ますよね。レッドハーブって激辛でハッシシみたいな作用を引き起こす興奮剤じゃありませんでした?」

「間違いないね。そしてよく知ってるね」

「シグさん、現実でもこんなことを?大麻練成とかやってたんですか?」

「僕は煙草だけだよ。本当に。信じて」

ニカの疑いの目が心に刺さり必死に弁解を繰り返すシグ。

 

1階。

ハルは自室に入ると何もやる気がせず、すぐにベッドに寝転んだ。睡魔が襲っているわけではない。ただ疲労は感じていた。天井を見上げながら思い出すのは先の攻略会議。

そもそも攻略への参加はハル自身が決めたことであった。それをメンバーの中で付き合いが1番長い便りになる相談役であるタクに打ち明けると、会議だけでも出席してみればいいと言われたのだ。タクが攻略に乗り気ではないのも。攻略に興味を見出していないのも、参加することに反対していることもハルは分かっていた。そしてハルがタクの気持ちを理解しているという事実もタクは分かっているだろう。それを踏まえたうえで、タクはハルが会議に行くなら自分も連いていくと言ってくれたのだ。

イグナイトに使命を託された後、ハルはすぐにタクと知り合いになった。それからずっと行動を共にしてくれている。タクが妹を気遣い探していることは知っている。それでもタクはハルが背負い込んだ物を自分にも分けてくれと優しく言った。ギルドのメンバー全員をハルは信頼しているが、タクへ寄せる気持ちは別格だ。全員に対する信頼以上の別の感情がハルとタクの間に確かに存在していた。

ギルドを旗揚げしたのは5ヶ月程前。名前を『β』にした時も、彼は何も言わなかった。タクはβテスターではないのに、ハルの気持ちを汲んで何も言わなかった。それは有難くもあったが今になって申し訳ないという感情がふつふつと湧き上がっていた。口に出せば嫌な顔をされるβテスターの仲間というレッテルを貼らせたのと同じだ。そして今日の攻略会議での他プレイヤーたちからの突き刺さる視線。タクだって嫌な気持ちをした筈なのに先にその場から逃げ出したのはハルだった。それが情けなくて悔しくてたまらなかった。そんな負の感情が身体中を支配し始め涙で視界が滲む。

 

天井に向けて右腕を伸ばした。開かれた自分の小さな手。この手を差し伸べたことによって多くの信頼できる仲間を見つけてきた。その仲間を失うぐらいなら。いっそのこと。

ハルは心に決め、右手をゆっくりと固く握りしめた。

 

 

アインクラッド 第39層 アールーン

 

「隣を歩いてくれてもいいんだぞ」

カフェを出た後、タクは大通りから外れ人がいない路地裏に入り、後ろにいるであろう人物に声をかけると、陰から被っていたフードを外しながらアイスがスッと現れタクの隣に立った。

「いつから気付いていました?」

「割と序盤から。護衛はいらないって言ったのに。血盟騎士団の幹部様とお茶した時もお前店内に居たな。しかも、クリームたっぷりのケーキ食ってたろ」

「ばれていましたか」

「ケーキと言いメイド服と言い意外に可愛い物好きなのな、お前」

「否定はしません」

ニヤニヤするタクにアイスは悪びれる様子も恥ずかしがる様子もなく素直に答えた。

「何しに来たんだ?」

「護衛と偵察です」

「お前のその馬鹿正直なところ好きだぜ」

「ありがとうございます」

「で、どうだった?」

「クリームがしつこいように感じました。もう少し甘さ控えめだったのならテイクアウトしたかったのですが」

「その天然っぷりも嫌いじゃないけどよ。何だ。偵察ってケーキの偵察か?ってか、お前テイクアウトしただろ。メンバー全員分」

「ばれていましたか」

無表情のまま喋るアイスを呆れながら見るタク。

 

「そうじゃなくて『閃光のアスナ』だよ。同じ細剣使いだろ?」

「一度、手合わせ願いたいと思います」

「そうか。俺とあいつとの会話も聞いたか?」

「はい」

「どう思った?」

「タクさんの判断に賛成です。最も私は攻略というもの自体に興味がありませんけど。でもハルさんとタクさんが前線に出るというのなら、お供したいです。私は貴方たちが好きなので」

「お前のその馬鹿正直なところ大好きだぜ」

アイスは嘘を言わない。タクは彼女の言葉を聞いて心から感謝した。

 

「アイス、俺も何か甘いもん食いたい。オススメの店、連れてってくれ」

「甘いものですか?」

「何か知ってるだろ?シリアストークのしすぎで脳が糖分欲してるんだよ」

「なら、この近くにありますよ」

「うし。行こう」

2人は主街区に足を向けた。

 

ピンク色の壁をした店内は男女のカップルで賑わっていた。

「お、落ち着かねぇな・・・」

席に着いたタクは周りを挙動不審に見渡しながら小さく呟いた。

「甘くて美味しいものと言ったらココです」

「よく来るのか?」

「はい」

「誰と?」

「1人で来ます」

「1人!?」

現実世界でも1人ラーメンや1人カラオケといった言葉があるが、こんなカップル連れが群れる店に1人で入るのには相当勇気がいる。男と女では感覚が違うのだろうか。いや、そもそもアイスは普通の女の子ではない。普通ではないからこそ好感が持てるのも確かではあるが。

 

「この前メイド服着て行ったらNPCに間違われました」

「そりゃそうだ」

「タクさん、何食べます?」

メニューのウィンドウを開いたアイスがタクに尋ねた。

「じゃあ、このブラッディアップルのプディングとカルノール茶。ホットで」

「ブラッディアップル美味しいですよね。私は嫌いですけど」

「どっちなの!?」

最近になって、アイスは自分の意見や嗜好をしっかり口に出すようになった。あまり喋りたがる子ではないが、言う時は言うのだ。出逢った頃は自分の気持ちを押し殺し感情さえも殺していたような印象を受けたが、このところは違う。少しずつ心を開いてくれているのかなとタクは思う。

 

「タクさん、お願いがあるのですが」

アイスがピンク色のクリームがタップリと乗ったチョコレートのようなケーキを食べる手を止め言った。そして、これは非常に珍しいことだった。アイスがお願いをするなど滅多にあることではない。というよりも、初めての経験だった。

「どうした?」

タクは茶の入ったカップを手に持ちながら促した。

「私、デュエルがしたいです」

「俺と?」

「はい」

「本当は?」

アイスは嘘を言わない。これは絶対と言っていい程の確信と自信がある。確かにアイスは自分と戦ってみたいのかもしれない。しかし、アイスがその先を見据えているような気がしてならなかった。

「アスナさんと戦ってみたいです」

「俺は踏み台か?」

タクは笑いながら言った。

「間違いではありません」

アイスは素直に答える。

「でも侮っているわけではありません」

そう言ってアイスはいきなり立ち上がり素早いモーションで腰に帯刀した剣を鞘から抜きタクの首元に横から刀身を突きつけた。勿論安全圏なので斬られることはない。しかし彼女のその動き1つで賑やかな店内は一瞬にして静まり返り、近くに座っていたカップルたちは驚いて悲鳴をあげながら椅子から転げ落ちた。周りの人たちも「痴話喧嘩!?」とか言いながら騒いでいる。

「アイス、店内だぞ」

対するタクは表情1つ変えずに言った。右手に持つカップの中身でさえ波だっておらず全く慌てていないし動揺もしていない。ただ真正面からアイスの顔を直視する。彼女は修羅を纏ったようなオーラで座ったままのタクを見下ろしていた。最近の戦闘ではこのような感じになることはない。この感じは、アイスに出逢った頃のと似ている。

「殺る気満々だな、お前」

 

 

アインクラッド 第32層 ヒュルゲンシュタイン

ギルドホーム 裏庭

 

『β』には戦闘に生き甲斐を感じる人種がいる。抜群の相性を見せるムニとヒートは「戦闘マニア」である。戦闘を1つの遊びと考え剣を振るう。ソードアートオンライン本来の楽しみ方と言えるだろう。無論それはサービス開始前の遊び方だが。

対してアイスは「戦闘狂」である。戦うことに明け暮れ己の目的の為ならば相手を打ち負かし息の根を止めるまで容赦はしない。本来ならば指示を聞いてギルドメンバーに合わせた戦い方をすることは望んでいない筈である。それをタクは理解していた。少しでもと思い前線に配置し多くの敵と当たるように隊形指示を出してはいるが、個々の戦いを好む彼女がチームの戦いに合わせているのは、ハルを想う気持ちの方が強いから。それだけだ。

何しろアイスに出逢った頃は正に鎖から放たれた猛獣のようであった。大人びているが、アイスはハルとそんなに年齢差はない。しかし感情垂れ流しのハルとは違い、アイスは表情を表に出さないことが多い。それが彼女がこの世界で決めた生き方なのか元々そうなのかは分からないが、どちらにしろストレスの捌け口は必要だ。獲物がウサギ程度の小動物では猛獣は満足しない。

 

「俺は自分がウサギレベルの小物だと想ってたんだが」

細剣を構え微動だにしないアイスを見てタクはため息を吐いた。

「まぁ、ウサギも噛み付きはするけど」

曲刀を構える。初撃決着モードに設定したデュエルが始まろうとしていた。

 

カウントダウンがゼロになった瞬間、アイスはスタートを切った。体勢を出来る限り低くしタクに迫る。対するタクは一歩も動いていない。足を肩幅に開き受けの姿勢だ。アイスの剣先が曲刀の刀身をかいくぐりタクの身体を突き刺そうとするが、タクは切っ先の軌道を胴体に達するギリギリまで見極め身体を少し捻るだけでかわした。アイスはそこで停止せず、タクの肩に手を置いて空中で前転し跳び越え背後に回り剣先を向けるが、タクは背中を向けたまま剣を後ろにやりアイスの細剣の突きを弾いた。そして今度はタクの方から仕掛ける。弾かれ剣先がブレたところを見逃さず、体勢をアイスに向き直ったタクは彼女のガラ空きの胴体を曲刀で薙ぎ払うかのように斬ろうとするが、アイスはバク転で回避し距離をとった。

 

帰宅するなり裏庭に向かったタクとアイスの姿を偶然見かけ裏庭を覗きに来たノースとニカの2人は、ただただ驚くばかりであった。ハッキリ言って自分たちとのレベルが違いすぎる。数字が全てだと言われているこのゲームだが、タクとアイスからはそれ以上の自分たちにはない圧倒的な経験の差が感じられる。タクはいつも通り微笑んだように口元を柔らかく曲げているが、アイスは違う。あんな獰猛な目をした彼女の姿はモンスターとの戦闘で見ることもない。全くといっていい程の別人っぷりである。血に飢えたような荒々しさがあるのに繰り出す剣は見事に正確なものであった。

お互い、バトルスキルやアシストスキルは勿論。パッシブスキルやソードスキルすら使っていない。正真正銘の真剣勝負。尤も、実力をもった2人によるこのスピード勝負でソードスキルなど使えば容易にかわされ、硬直状態になったところを斬られるであろう。

 

距離をとったアイスはまた体勢を低くし細剣を突き出しながら突進する。対し今度はタクも剣を構えて突進した。距離が詰まる。お互いの切っ先がお互いの胴体に届くといったところで急にタクがバックステップで後方に退き距離を開けた。空振るアイスの剣。それを見逃すほどタクは甘くない。距離を詰める前から仕組んでいた緩急をつけた攻撃。アイスは反応に一歩遅れ剣で弾くことは間に合わないと判断し、器用にも細い身体の重心をズラし横にステップして回避。そのまま通り過ぎるタクの横っ腹に剣を突き刺そうとするが、タクは咄嗟に左手で自身の左腰に付けた鞘を掴み、それを盾代わりに使った。鋭い刺突を食らった鞘は耐久値が切れポリゴンへと変わるがタクにダメージは一切ない。一瞬だけ悔しそうな顔をして後ろに退がり体勢を立て直そうとする彼女との距離を一気にタクは縮めた。追撃がくるとは思わなかったアイスは完全に反応が遅れ胴体はガラ空き。剣で防ぐことも身体をよじることもできない。その細い胴体をタクの一振りが襲い掛かり、アイスは地面に倒れ込んだ。

 

決着は着いた。

 

曲刀を納めようと腰の鞘に手をかけようとしたところで、その鞘がもうないことを思い出したタクは一息吐いてウィンドウを開きストレージに曲刀をしまうと、アイスに近寄り彼女を引き起こす為に手を伸ばした。地面に倒れたアイスはその手を握り締めると、突然思い切り引っ張る。

「っおおいい!」

予想できなかった彼女の行動にタクはアイスの横に倒れ込む。

「仕返しです」

アイスは仰向けに寝転び空を眺めながら言った。

「そりゃないぜ」

タクは芝生とキスしながら言う。

「鞘を盾代わりにするなんて酷いです」

「えぇ?根に持ってる?」

「はい」

「生き残る為の手段ってことで」

「許します」

 

タクも仰向けになり空を見上げた。すると、曇天な空から小さな白いオブジェクトガチラチラと舞い降りてくる。

「・・・雪か」

タクがそれを伸ばした掌に受けて言った。雪のオブジェクトは冷たさも再現されておりタクの肌に触れた瞬間、溶けて無くなった。

「12月ですからね」

「俺の地元じゃ、12月で雪は早いな」

「アインクラッドではこうなのでしょう」

「アインクラッドでは・・・か」

「帰りたいですか?」

「最近あまり考えなくなったな」

「私もです。毎日があまりにも楽しくて」

「ははっ。俺もだよ」

アイスからそんな言葉が聞けたタクは嬉しくなって心から笑った。

 

「・・・お前、俺と戦えて平気だったな」

タクがポツリと言った。

「タクさんは仲間ですから。『β』は私の大切な宝物です」

「お前・・・」

「なんですか?」

「いや、なんでもない。俺はお前のそういうところ大好きだ」

「いえ、私の方が貴方のこと好きです」

「そこで張り合うのかよ」

 

2人は寒空の下、ノースとニカが話しかけてくるまでの間、ずっとポツリポツリと言葉を交わしながら芝生に寝転び、空を見上げていた。

 

 

夜。

1階の食卓で夕食を食べ終えたギルドメンバー全員はデザートにと出されたケーキに舌鼓を打つ。それは昼間、アイスが第49層のカフェでテイクアウトしたものであった。

「アイちゃん、これ美味しい!」

一口食べたヒートが嬉しそうに言う。

「そうですか?私にはクリームがしつこい感じがして好きじゃないです」

発言に反してバクバクと食べながらアイスが言った。

「好きじゃないのに全員分買ったのかよ」

シグが呆れながらツッコミをいれる。

「ヒート。アルクスパイス取って」

ムニが隣に座るヒートに頼む。アルクスパイスとはムニ愛用の激辛粉末調味料である。

「むーちゃん、これケーキだよ?」

「甘すぎるんだよ。ちょっと辛くしてもいいだろ」

「むーちゃんの味覚センス、わけ分からん」

ヒートが手渡すとムニはこれでもかというぐらい赤い粉を振りかけた。最早、別の食べ物に見える。一目でケーキだと判断するのが難しい程だ。

「許せません。表に出ましょうか」

向かいに座るアイスが低い声で呟き剣を抜こうとするのでハル以外の全員が慌てて彼女を止める。

「ハル。今日の報告」

タクがアイスをなだめながら言った。ハルは返事をしたものの、どこか上の空で、その違和感がタクを不安にさせた。ハルの返事を聞いたメンバーは落ち着き席に座り、少年の言葉を待つ。そんな彼らをゆっくりと見渡した後、ハルは口を開いた。

「今日、49層で行われた攻略会議にタクと2人で行ってきました。迷宮区のボスの部屋まで血盟騎士団の偵察隊が辿り着いたそうなので、そのボスの情報共有という内容でした。ボス討伐戦に参加という形ではりますが、参加するメンバーは僕だけで」

いつもよりも淡々と状況報告をするハルに全員が違和感を感じる。そして最後の言葉にみんながざわついた。

「おい!」

ムニが真っ先に声を出す。他も同じ反応だ。タクは不安が的中してしまったことに思わず唇を噛んだ。

「攻略に参加したい人は行かせるわけにはいかない。これが最終決定です。アイスさん、ケーキご馳走様。ありがとう。じゃ、おやすみ」

「ハル!」

立ち上がり足早に部屋を去ろうとする少年の背中をタクが呼び止めた。

「何も説明しないつもりか?」

「1人で背負い込んじゃダメだよ」

ヒートが優しく言う。

「ハル。みんな納得してないよ」

ノースが続いた。

 

「・・・嫌なんだ。嫌なんだよ」

少年は背を向けながら言葉を絞り出すようにそっと呟く。

「みんなを危ない目に合わせるのは・・・嫌な目に合わせるのは・・・」

「それはボス戦のことを言ってるのか?」

「違う」

「なら、今日の会議での他人の反応か?}

「・・・」

タクが問い詰めるとハルは押し黙る。

「・・・どういうことですか?」

ニカが尋ねた。

「いつものことさ。俺らが『β』の人間だって分かったら凄い目で見られたな。でもあれがどうした?俺らが気にしなけりゃいい話だ」

「タクは!タクは、違うから!」

ハルが振り向き、タクに詰め寄った。

「タクはβテスターじゃないから!でも僕は違う!僕はβテスターだ!それが理由なだけで何回も何回も酷い目に合ってきた!」

ハルの殴りかかる拳を弾きタクはハルの胸ぐらを掴み持ち上げ、そのまま壁に押し付けた。

「タクさん!」「タクちゃん!」「タク!」

ノース、ニカ、ヒート、シグの言葉が重なる。しかしタクは聞く耳を持たず、瞳はハルを見据えたままだ。

「何が違うって?」

「僕はβテスターでタクは違うって言ったんだ」

怒気をはらんだタクに負けじとハルが涙声混じりに言い返す。

 

「・・・お前まで、そこに拘るのか?」

「何が!」

「お前まで、あんな奴らと同じ視点なのか?」

タクは激しくハルの胸ぐらを掴んだまま、その小さな身体を壁に叩きつける。衝撃に顔を歪めたがタクの目を見ることを止めないハル。だがそれよりも鋭い視線でハルを睨み付けるタク。

「誰がβで誰がそうじゃないで、プレイヤーの評価や生き方が変わるのか?βだからって言い訳しやがって、お前はそんなくだらねぇ馬鹿みたいな戯言に拘ってんのかって聞いてんだ!そういう点では、βテスターやその関係者を殺して回った殺人プレイヤーと同じ考えだぞ!」

「それは・・・」

「そういうことだろ?」

「・・・」

タクに一喝されハルはついに黙ってしまう。タクはハルの胸ぐらを掴む手を離した。立つ気力も失くしたハルは床にペタリと座り込む。その身を案じてノースとヒートがハルに駆け寄った。

 

「今日、血盟騎士団の幹部様と話したよ。あいつも結局は同じ考え方だった。βテスターは可哀想だから俺たちに血盟に入れと。そうすれば保護してやれるって。俺たちの本心も力も関係なく、己が持つ価値観だけで言いやがった」

タクが俯きながら座り込むハルを見下ろして言った。

「タク、それ本当?」

ムニが確認するとタクは首を縦に振って険しい表情のまま肯定した。

「ハル。俺たちは可哀想に見えるか?β上がり、β関係者だからってことを気にして毎日生きているように見えるか?そんなチッポケなことを考えて怖がっているのはハル、お前だけだと思うぞ」

「じゃあ、みんな何を考えて生きているの?」

ハルが涙で濡れた顔を上げて尋ねる。タクが、みんなの顔を見た。

 

「この世界を楽しむこと」

ムニが彼らしく短く簡潔に意見をまとめる。

「楽しく生きて毎日大好きな人たちと笑い合うこと」

ヒートがムニと顔を見合わせてニコリと笑いながら言った。

「ハルの隣に立って戦い続けることだよ」

ノースが泣きそうになりながらも微笑みを必死に作りながら言った。

「みんなの為、私の為に頑張ることです」

ニカが力強く言った。

「煙草精製。毎日を陽気に朗らかにってね」

シグが明るい笑顔で言った。

「甘いものが食べたいです。それから、みんなを大切にしつつ、どうやったらタクさんに勝てるかが今の目標です」

アイスがタクをギラギラと見つめながら言う。

「さ、最後のは怖かったな。俺は、このギルドがいつまでも続くようにってな。で、ハル。お前は?何を求めてる。お前が今回攻略に参加しようと思った理由は何だ?お前が一時でも描いた夢の為じゃないのか?それを忘れたふりして自分だけが攻略に参加するなんて絶対に言うな。それはお前の大嫌いな自己犠牲になるんじゃないのか?いつもみたいにさらけ出してみろよ、お前の本心を。その本心に動かされた人間が今ここに集まっているんじゃないのか?」

 

隠す必要のないことに蓋をする行為をタクは酷く嫌う。本音と本音がぶつかりあえば道が開けると信じている彼の生き方。その強さがハルに立ち上がる勇気を与えた。ハルは自分の力を振り絞り、足に力をいれて立つ。

「僕は・・・みんなと生きたい。一緒に。・こんな仮想空間でじゃなくて、現実世界で一緒にいたい。現実世界でみんなと生きたいんだ。一生このギルドで出来た仲間で生きたい。だから攻略に踏み切った。僕は、僕らは、自分たちの力でこの世界を生き延びて現実に戻りたい。他人の力に任せて生きるのはもう嫌なんだ。僕はみんなと現実世界で思う存分遊びたい!」

「あぁ!」

実に子供らしくハルらしい意見。その言葉に嬉しくなりタクは頷くとハルを強く、そして優しく抱きしめた。残りの6人全員が2人に飛びつく。

 

ギルド『β』の更なる結束。

ハルの想い描いた純真無垢な夢に向かい彼らは進んでいくことになる。

それは実に当たり前のことだった。何故ならハルが思っている以上にこの少年は仲間に愛されているからである。ハルの言葉が仲間を動かし、仲間の言葉がハルを動かす。そんな関係性を保つギルドを誰が可哀想だと感じるだろうか。『β』こそ、ギルドらしい理想的な形であることは紛れもない事実だと言えるだろう。



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6.

2023年、12月。

アインクラッド 第32層 ヒュルゲンシュタイン

ギルドホーム

 

「49層の攻略参加メンバー発表するよ。タク、アイス、ニカ、僕の4人で行きます。ごめん。攻略組との折り合い上、全員は無理だったんだ。でも、まだまだ次があるから」

ハルがギルドメンバーに声をかける。呼ばれなかった仲間たちは残念そうだったが、ここは素直に従った。聞けば、ハルは夜中ずっと寝る間も惜しんでメンバー選出に頭を悩ませていたらしい。

 

「僕らが帰るまで30層までのフィールドに行くことは許すけど、勝手に上層のクエストはやらないように。じゃ、行ってくるよ」

ハルが元気よく手を挙げた。

「行ってくるぜー」

「行ってきます」

タクとニカがみんなに挨拶をしアイスがペコリと頭を下げ、残りのメンバーはギルドホームの玄関先で、緊張感と笑顔とを孕ませながら前線に赴く仲間たちを見送った。

 

 

 

Sword Art Online RE:Generation

第6話「攻略への挑戦」

 

 

 

アインクラッド 第49層 迷宮区 フロアボス部屋の前

 

「緊張します」

屈強な剣士の集団に囲まれた『β』の4人。その中でニカが言った。

「適度な緊張は必要だよ。でも呑まれないようにね」

ハルが優しく声をかけた。

「えぇと、掌に人を書いて飲み込む!」

ニカの様子にタクとアイスが微笑んだ。

「お前、それ緊張してんの?それとも俺らを笑わそうとしてる?」

「後者ですね」

「ち、違いますよ~」

タクとアイスによるユーモラスたっぷりな掛け合いのお陰で少し気持ちが解れたような気がしたニカ。

「お、指揮官のお出ましだぜ」

 

赤と白で染められた騎士服とマントを羽織った集団の中から1人の長身の男が現れた。その名はヒースクリフ。攻略組最強ギルド『血盟騎士団』のトップにして攻略の鬼。SAO最強の剣士とも言われており、下層にまで知られている超が付くほどの有名人だ。

「諸君。今日はボス攻略の参加に感謝する。第49層のボスは『フロストレザール』。偵察隊によれば冷気を纏った青い毛のライオンのような姿をしている。全長10メートル強の大型モンスターだ。HPは400万程。身体は氷のような鎧を装備しているが攻撃を幾らか与えることによって破壊は可能だと思われる」

集まった剣士たちを見渡しながら、ヒースクリフは落ち着きを払った様子でモンスターの詳細なデータを丁寧に説明する。

「我々血盟騎士団は前から攻める。ボスの攻撃も我々が受けて立とう。5人以上のギルド及びパーティは横から。それ以下の者たちは後方から攻めるように。基本中の基本だがスイッチのタイミングはちゃんと声に出すように。ラストアタックによるレアドロップ品があるようだが、それを奪い合うなんて情けない真似は私の前ではするな。以上だ」

作戦内容をしっかりと細かく説明する。

 

「諸君。この層をクリアすれば次は50層だ。半分までの希望の光が見えてきたが、まだまだ終わりではない。気を引き締めて行け」

ヒースクリフの凛とした声が響き渡り全員を鼓舞した。そして配下の者に合図をし、扉を開けさせる。

 

「ニカ。俺たちは剣を振るうが、お前は下がって回復に徹しろ。HPが減った奴なら誰でもいい。決して前に出てくるなよ?こんだけの大人数による大乱戦だ。フォローがいつも出来るとは限らない」

タクが言う。

「ニカさん。自分には回復しか出来ないなんて思わないでね。必要だと思ったから連れてきたんだ」

ハルがニッコリ笑って言った。

 

 

扉が開け放たれ、プレイヤーがなだれ込む。

吹き抜けなんじゃないかと思われる高い天井。部屋の中心が冷気に満ち、プレイヤーの吐く息が白い。そして中心に集まった冷気の霧が晴れ、モンスターが咆哮した。

 

 

「戦闘、開始!」

ヒースクリフが轟く。

 

 

各々の武器を手にプレイヤーが駆けていく。死に対する恐怖に打ち勝ち、ただ目の前の敵を倒しアインクラッドに囚われた仲間たちを解放する為に。

遠目から見ても血盟騎士団の動きは見事なものだった。最強と謳われているが決して噂だけが独り歩きしたわけではないというのは戦闘を見て分かった。1人1人がハイレベルな剣士で構成されており、攻撃力もさることながら防御力と連携も素晴らしい。両手盾や重量系の両手武器を持った重装兵がモンスターの攻撃を真正面から受け止め、後続の剣士が攻撃を加える。その単純な繰り返しではあるが、隊列が一切乱れない。味方通しで培われる絆、そして団長であるヒースクリフへの絶対的な信頼感がヒシヒシと伝わる。

「大したもんだなぁ」

「タク、見とれてないで僕らも行こう」

「あ、あぁ」

思わず足を止めてしまったタクにハルが声をかけた。

 

アイスは先頭を駆けていた。狙うは左後ろ脚。トップスピードの助走から鋭い剣技を放つが脚を覆う氷のような厚い鎧は容易には砕けない。しかし情報通り壊せないというわけでもないようだ。アイスに追いついた剣士たちが後ろ脚の鎧を夢中で斬りつけていく。ハルとタクも右後ろ脚に豪快に剣技を放つ。1人1人が出来ることをこなしていた。

そして後方に陣取ったニカは、前線で戦うプレイヤーたちのHPゲージをくまなく凝視していた。特にモンスターの正面で戦う血盟騎士団の体力の減りが激しい。前足を大きく振り上げることにより地面ごと抉るかのような攻撃に一気に半分以上HPを減らした1人の体力をすぐに回復させる。

今回のボス戦。まさか自分が赴くことになるとは夢にも思わなかった。ギルドの中では一番レベルが低いし近接戦闘など1人だけでは低層のモンスター相手だけでも苦労する。それでもハルは「来てほしい」と言ってくれた。ギルドでは生粋の戦闘職であるムニとヒートを差し置いての選出であった。それはつまり、戦闘ではないことが自分に求められているということ。ニカにしか出来ないことをハルが欲したということ。頼られた以上、そしてその仕事を引き受けた以上はやるしかない。自分の力を信じて精一杯。

 

「よし!」

タクの隣にいた屈強な身体つきをした男が槍で右後ろ脚の氷の鎧を粉砕し勢いに乗る。左後ろ脚の鎧の一点を執拗に狙っていたアイスは体勢を低くし、剣を後ろに引きながら刀身を輝かせる。細剣の最大刺突性重一撃必殺技『スラスティングスタブ』。顔を歪めることなく無表情のなまま剣を勢いよく突き刺すと氷の鎧が砕け散った。同時に他の箇所からも脚以外の鎧を破壊したことを伝える歓声が響き渡る。フロストレザールが鬱陶しそうに前脚で薙ぎ払いをするが血盟騎士団を初めとした重装兵で固められたボスの正面で戦うプレイヤーたちが持つ盾は脅威の防御力を保持し続けていた。

「このまま攻撃を加え続けろ」

ヒースクリフの凛とした声が聞こえる。ボスの周りに密集する全員が己の武器を輝かせ、ソードスキルを順々に当てボスのHPバーが残り2本になった時、急にボスが高く跳躍した。その巨大な身体はプレイヤーたちの頭上を跳び越え、集団との距離を開ける。そして口を開けると、その口内でドス紫色をした球体が耳をつんざく金切り音を上げながら急速に膨張していった。

 

「な、何だ?」

プレイヤーの何人かが言った瞬間、その何らかの収縮されたエネルギーの塊が放たれプレイヤーが多く集まる集団に飛んでくる。

「回避しろ!!」

ヒースクリフが叫び、球体が防御姿勢もまともにとれていない集団に着弾すると、それは強烈で強大な大爆発を引き起こした。近くにいたプレイヤーたちは粉塵と共に吹き飛ばされ壁に叩きつけられ動けない人も多い。着弾箇所にいたプレイヤーたちはニカが咄嗟に防御力向上補正をかけていなければ死んでいたであろう。HPを半分以上減らし赤く点滅するプレイヤーもいる中で死人が出なかったことは奇跡に近い。しかし、一刻も争う猶予もない時に地に伏したまま倒れて動けない人間がいることは確かだ。

「怪我人は退避させろ」

「大丈夫か、しっかりしろ」

「ヒール!もう大丈夫だ。ほら手を延ばせ」

手が空いた者がギルド関係なく助けを差し伸べる。そう。この空間ではみんなが仲間なのだ。ただ1つの目的に向かって突っ走る同士。

 

「なんだ今の攻撃。ブレスじゃないよね」

「あんなの見たことねぇな」

「鎧を壊したことがトリガーかな」

ハルとタクがポーションを飲みながら体勢を整えボスの方を見やる。何故ならボスの方はもうとっくに体勢を立て直し、また口内にエネルギーを溜めていた。長い時間をかけて溜め続けた球体は先程よりも倍は大きい。

「糞!あんなん食らったら死ぬぞ」

「あればかり撃たれたら近付けねぇ!」

口々に叫ぶプレイヤーたちからは絶望の表情が見て取れる。

「盾持ちは前に来い。防ぎきるぞ。そして防御しながら打開策を見つける!」

ヒースクリフが配下の重装兵に命令しながら言った。

 

「タク、アイス!行こう」

ハルが片手直剣を構えて2人に言い駆け出した。2人もハルの言葉を受け同時に頷いて走り始める。プレイヤーたち大集団から3人だけがボスに向かって駆けていくのを見て、全員が「あいつらは何をやっているんだ!?」と訝しげに驚きながら不安そうに見つめる。ただ1人を除いて。

 

回復役に徹していたニカは戦いが始まってからずっと3人のことを気にかけていた。この部屋にいる全プレイヤーのHPバーには常に気を配っていたが、それを行いながらも『β』の3人の姿を確認し続けていた。だからこそいち早く対応が出来た。ボスに向かって走る仲間を見て、ニカはすぐに3人の思惑に気が付く。バトルスキルとアシストスキルのウィンドウを展開し、3人に攻撃力向上補正、素早さ向上補正、ブースターと呼ばれるスピード向上補正とジャンプ力向上補正という多種類のスキルを付加させるという荒業を一瞬でやってのける。3人はすぐに自分のステータスが上がったことに気が付いて微笑んだ。

 

ハル、タク、アイスは思った。あれだけの高エネルギーを持った球体。至近距離で食らえばそれは死を意味する。そしてそれはボスも同じ筈だと。

 

 

「僕は右側。タクは左側。ウィークポイントの首を斬りつける!アイスは鼻っ面に跳び乗って、あのデカい口を閉じさせるんだ!」

「あぁ!」「了解です」

 

 

走るスピードがニカによって格段に上がった3人は目にも止まらぬ速さでボスとの距離を詰めその巨体に迫る。そして3人共、ボスの顔面に向けて跳んだ。ハルとタクはジャンプしたままソードスキルを発動し重い斬撃を首に。アイスは開いた口の上に跳び乗り、その上顎に片膝をつきながら思い切り細剣を突き刺した。剣は深々とボスの上顎を貫いた。ボスの瞳には自分の口の上に剣を立てる戦士の姿。その戦士もまた無表情のままボスの瞳を捉えていた。剣を刺され首を斬りつけられたフロストレザールは咄嗟に口を閉じる。その瞬間、行き場を失った口内のエネルギーが大爆発を引き起こす。ボスの頭が煙に包まれる中、爆発する前に跳躍して衝撃を逃れたアイスが、先にボスの正面に着地していたハルとタクの間にスッと着地する。爆発の影響で巨大な獣は吹き飛び壁に直撃し倒れて動かない。しかしHPバーは、まだ僅かに残っていた。

 

「タフな野郎だ」

タクが闘士剥き出しの目をしながら歯を見せ笑いながら曲刀を持ち構える。

「でも、後少しだ」

ハルがアイスに助け起こされながら言った。

すると後方から「突撃だ!」と聞き覚えのある凛とした声が轟き、プレイヤーたちが瀕死のボスへ向けて駆けていく。

「僕らも行こう」

ハルが言った。2人も彼に続く。

 

 

空間に浮かび上がる『Congratulation』の文字。勝った。49層クリアだ。歓喜の渦が鳴り止まず、更に大きくなって部屋を満たした。

 

『ナイスファイト!」

喜び合うハル、タク、アイス、ニカの4人に知らないプレイヤーの1人が声をかけた。

「あんたら最高だったぜ」

近くにいた話したこともないプレイヤーも笑顔で言う。4人は見ず知らずの人たちに肩を叩かれ背中を叩かれ拍手されハイタッチをされて賞賛された。誰よりも小さなハルは屈強な男たちに囲まれ頭を撫でられている。そこには攻略会議で受けた侮蔑に満たされた視線は無い。みんなが手を叩き喜びを分かち合っていた。

「君らの中で刀スキルを上げている人はいるかい?」

片手直剣を背負った1人のプレイヤーが4人に近寄ってきた。

「刀スキル?」

「曲刀を鍛えると出現する両手剣属性の武器のことだ」

近くにいた赤い鎧を着た武士のような格好のプレイヤーがタクに説明した。

「一応、俺が曲刀使ってるけど」

「これラストアタックによるドロップ報酬だ。よかったら貰ってくれよ」

「い、いいのか?」

「今回はあんたらの功績の方がデカい。それに俺には必要ないからさ」

男が自身の武器を指差して言い、ストレージから刀を取り出しタクに差し出す。

「せっかくだから貰っておきなよ」

沢山の人に頭を撫でられ、髪がグシャグシャになったハルが言った。

「あ、あぁ。ありがとう」

タクが差し出された武器を受け取る。

「俺、あんたらのこと最初はよく思ってなかったんだ。ごめんな。その謝罪も兼ねてのお礼だと思ってくれ」

その言葉は誰よりもハルが一番嬉しかった。復讐に燃え孤独に生きなくても、視線に耐え切れず己の殻に閉じこもって生きなくても、自分の力を出し切ったことによって得られた絆。イグ。君も早く、この嬉しさを僕と分かち合ってよ・・・。そうハルは心の中で思った。

 

「君達」

急に後ろから声をかけられ『β』の4人が振り向くと、血盟騎士団の団長ヒースクリフが立っていた。その隣には騎士団幹部のアスナが無表情のまま立っていた。どこか不機嫌そうにも見える彼女はチラチラとタクの方を見ているが、タクは努めて気付かないフリをした。

「先の戦闘。そして判断。実に見事だった。独断行動とは言え、結果があれなら責めるわけにもいかない」

若干、上から目線で気取った言い方ではあったが、何故か悪い気はしない不思議な喋り方をする男だった。

「ここで1つ提案があるのだが・・・」

「ごめんなさい」

「ごめんなさい」

「嫌だね」

「断ります」

ハルとニカが丁寧に頭を下げ、タクとアイスが物怖じもせず、あっけらかんと言い放った。

「即答かね」

「はい」

ハルが言い切った。

「血盟騎士団に入れば、君達にはいい待遇が受けられるように計らうぞ。幹部の座を用意することも可能だ。そして益々強くなれる」

「お言葉ですが、僕たちがそんなもの欲しがっているように見えますか?僕たちには、もう帰るところがありますので」

ヒースクリフとハル。歳の差も慎重の差も威厳の差も違う。その2人がしばらく見つめ合った。

「それはギルドホーム・・・ということかな?」

「それもありますが、現実の世界にということですよ。ヒースクリフさん」

ハルが丁寧な口調で訂正した。

「騎士団の幹部のポジション。そんな居場所で満足する程、僕たち大人じゃないんです」

丁寧ではあるが、どこか挑発しているかのようにも感じ、アスナが少しだけ眉をひそめた。

 

 

―――『あいつは大人を全く信用していない』

 

 

前にタクに言われた言葉がアスナの脳裏をよぎる。この少年の過去に何が起こり何を抱え込んでいるのかは想像もつかないし無理に詮索する気もない。そして、この少年の元に集ったメンバー1人1人が何を原動力にして生きているのかも分からないし、これも無理に詮索する気はない。ただ、ハルが団長を見つめる眼光の鋭さ。そしてその少年の姿に何も言わず事の成り行きを少年に託しているタク、アイス、ニカの3人。自分の価値観だけでは理解できない何かが『β』にはあると感じ取るだけで、アスナは精一杯だった。

 

「ふむ。断られたことは残念ではあるが致し方あるまい。また相見えることを楽しみにしておこうか」

ヒースクリフはそう言ってマントを翻し去っていった。アスナもそれに習い続く。ハルはその2人の背中に丁寧に頭を下げた。ニカも頭を下げる。タクとアイスにいたっては会釈もせず、その背中を見送った。

 

「よ~し、帰ろう!」

ハルが両手を挙げて大きくノビをしながら3人に振り返って言う。

「そうしましょう」

ニカが手を叩き賛同する。

「お腹が空きました」

アイスが腹に手をやりながら暢気に言った。

「何か土産でも買って帰るか」

「タクさんの驕りですか?いぇーい」

「おい、こら」

タクの発言にアイスは喜ぶか、全く感情がこもっていない。

 

 

ギルド『β』。

今まで最前線に顔を出さなかった小さなギルド。

その勇姿がアインクラッド中に知れ渡っていくのに、さほど時間はかからなかった。



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7.

2024年、2月。

 

第50層解放から2ヶ月。攻略組は更に快進撃を続け、今現在55層までが解放されていた。下層に比べ、50層からフロアの街やフィールドが広い。広大な土地が見つかると、すぐにその地は人で賑わう。店が立ち並び活気が出る。迷宮区を攻略して周るSAO最強ギルド『血盟騎士団』は本部を新たに第55層のグランザムに設置した。最前線が本部であると団長のヒースクリフは常々言ってはいたものの、大規模な組織となった今、有力なメンバーを繋ぎ止めとく為にも司令本部を欲した結果であった。

 

『β』は第50層解放の後も2回攻略に参加し最前線で攻略組と肩を並べ戦った。メンバーは10人にも満たない少数ギルドでありながら、他の有力ギルドに負けない強さを保持しており、その噂を聞きつけた人たちにより、各所からのクエストの依頼、護衛などの仕事も絶えない。そして、その仕事によってギルドの財布は膨れていた。

 

そんなある日のことだった。リーダーであるハルがみんなを集めて言ったのは。

「よし、引っ越そう」

 

 

 

Sword Art Online RE:Generation

第7話「新たな始まり」

 

 

 

アインクラッド 第50層 アルゲート

新ギルドホーム

 

外から見ただけでは、前の建物の造りと然程変わりはない。ただ前のホームは、人通りが少ない街の人通りがまったくない通りに建てられていたが、今回は市場から少し外れた場所に建っており、2階の窓からは市場の活気溢れる賑やかな様子を眺めることが出来る。

一般的なギルドホームの個人部屋はワンルームに備え付けのベッドがあるぐらいだが、お金に余裕があったので、部屋はカスタマイズを加え女性陣の意見を取り入れ、どの部屋にも浴室を設置した。この世界では汗をかくことはない。汚れというグラフィックは付くことがあるが水で流せばすぐに落ちるため気にしていないプレイヤーが多い。タクやムニもそう考えていたが。

「1日の終わりは浴槽にゆったり浸かりたい」

「お風呂と言う文化を忘れたら日本人ではない」

「日本人としての誇りはどこにいった」

「この非国民が」

と言った女性陣の意見に折れた男性陣。トドメはアイスの「不潔です」という侮蔑的な視線を含めた一言に殺された。因みに、ハルは女性陣と同意見であった為、罵倒を逃れている。

1階は前と殆ど同じ造りだった。会議室も含めた食卓。ハルの執務室兼自室。そして、最近は依頼されることも増えてきたので、新たに応接間を加えた。

 

その応接間に今日は1人の男が来ていた。向かい合って座るのはハルとノース。男は緊張しながら2人を見つめた。第50層解放時に多大な功績を残したβテスターの少年。中性的な印象を与える容姿を持った屈指の槍使いであるβテスターの少女。どちらも男より歳下であるが、歩んできた道と培ってきた経験は男より遥かに上だ。

 

第50層解放の後『β』は自分たちの出自を明らかにしていた。危険な判断ではあるが、自分たちがβテスターだろうがそうではなかろうが関係ない。他人に有無も文句も言わせないという意志の表れだった。それは危ない橋を渡る賭けでもあった。βテスターの迫害はもう行われていない。少なくとも表面上では。メンバーは心配したが、ハルは突っぱねた。ハル自らβテスターであることを情報屋を介して公表したのだ。心配性で頑固なリーダーが思い切った決断をしたのだ。ハルのことが好きなメンバー全員、彼の意向に従った。

 

誰よりも戦闘マニアな両手剣使い。βテスターのムニ。21歳。

彼のパートナーとして生き続けることを誓ったギルドのムードメーカー。運動神経抜群の赤髪短剣使い。ヒート。19歳。

煙草を完成させるまでは死ねない。例え完成したとしても死ねない。生産スキルを多く保持したガンシューター。βテスターのシグ。25歳。

短剣使いだが、パッシブ、アシスト、バトルスキルを多展開することが可能。メンバーを支えるエフェクター。常識人のニカ。21歳。

黒い装備を身に纏い近付く者には容赦をしない攻撃防御の要。生粋の槍使い。βテスターのノースイースト。19歳。

立ちはだかる敵を完膚なきまでに刺し潰す戦闘狂でスピード狂でありながら可愛い物に目がない細剣使い。βテスターのアイス。17歳。

前線で戦闘できる力を持ちながらメンバーに戦闘指示を飛ばし士気を高め優しく厳しく接する副リーダー。曲刀から刀に転身したギルド最年長のタク。29歳。

そして誰よりも身体が小さいがリーダーとしての力量、資質は誰にも引けをとらない。涙もろく頑固な片手直剣使い。βテスターのハル。14歳。

情報屋に『β』のメンバーの情報を聞けば、こう答えられる。

 

「依頼の内容は第55層で採れるアルカナクリスタルインゴットを1つ見つけてくること。これで宜しいですか?」

ハルが男に確認をとる。

「は、はい」

「最前線か。骨が折れそうだな」

「す、すいません」

ノースが思わず本音を漏らし男が怖がっているのか間髪いれずに謝った。

「えと、クレイさん・・・でしたっけ。今回は最前線への依頼ってことで準備資金も実費も情報代も嵩みますけど大丈夫ですか?」

「どれくらいですか?」

クレイと呼ばれた男がハルに尋ねた。

「・・・これくらいですかね」

ハルがウィンドウに提示する。

「あ、あぁ。はい。これなら何とか大丈夫です」

「分かりました。やってみましょう。最善を尽くします」

「はい。宜しくお願いします」

クレイが頭を下げた。

 

ノースはウィンドウを開き費用を細かく計算するハルの姿に目をやる。攻略組と共に3回ボス戦に挑んだ。血盟騎士団が指揮を執ってはいるが、そのいずれもハルはタクに凌ぐキレのいい判断力をみせている。前回参加した時も、ハルは何度か血盟騎士団の団長ヒースクリフに直談判して自分が組み立てた作戦を実行し、死人どころか怪我人すら1人も出さず見事ボス撃破に貢献していた。調子にのるようなタイプでは決してないが、このところのハルは難しい依頼でもクエストでも挑むようになった。戦い方に無謀なところや危なっかしいものはまだ見られていないが、ノースはハルのことが心配だった。何か開き直っているような、自分が行くべき道を見つけてしまったような逞しさを感じる。ノースは昔のハルが少し懐かしかった。純粋無垢で常に守ってあげたくなるような感じ。それが今では本当に凛々しいのだ。頼りになるかと言えば、それは間違いではない。ただ、その逞しさは子供が背伸びをして手に入れたような、諸刃の剣のような気がしてならなかった。

 

夜。

食卓に8人が揃った。ホームが変わっても、全員で夕食を囲む習慣は変わらない。タクが徹底していることだった。遅刻は許されるが、みんなで飯を食べるというのは大事なことであると彼は常日頃から思っていた。

「食べながらでいいから聞いてね。今日、仕事の依頼を受けました。最前線での採取です」

「最前線?腕が鳴るねぇ」

ヒートがムニと顔を見合わせて笑う。この2人は戦闘のことになればすぐに満面の笑みでテレパシーで会話しているかのように顔を合わせていた。

「55層と言うと、鉱石関連か?」

シグが聞いた。

「そう。採取目標はアルカナクリスタルインゴット。今のところ、その鉱石が特別な効果を持っているって情報はないけれど、何かエンゲージリングを造ってそれに装飾したいみたい」

「婚約指輪?誰かにあげるのか?」

「そこまで詮索してないけど、多分ね」

タクの言葉にハルが答えた。

「もうすぐバレンタインですもんね」

ニカが言う。

「普通、女が男にチョコあげる日じゃないの?」

ムニが言った。

「欧米では違うみたいだよ。まぁそれに記念日としては丁度いいのかもね。えとね、依頼主さんはクレイさん。ギルドには入ってなかったよ。20層に女性と2人で住んでるみたい。オレンジとの関わりも無し」

 

他人の詮索は趣味ではないが仕事を受ける以上、重要なことであった。依頼主には本人の最低限聞ける範囲内の個人情報を教えてもらい、情報屋にも依頼主が危険な人物かどうか調べてもらう。ハルとタクが決めたことだった。βテスター迫害期に嫌という程、不快な体験を味わっているメンバーにとって、オレンジプレイヤーとの接触は極力避けなければならなかった。ハル自身は、今も秘密裏にイグナイトとコンタクトを取ってはいるが、それを知っているのはタクとノースだけである。

 

「明日、もっと情報を集めるよ。みんなも準備しといて。55層は氷雪地帯だから防寒着を整えるように。情報次第だけど可能なら明後日やるよ。以上。仕事の話はお終い!」

そう言ってハルはウィンドウを閉じた。

 

 

翌日。

第52層のフィールドでタクは珍しくブチギレていた。理由は目の前で、フラフラと足はおぼつかずヨダレを垂らしながら不気味にニヤけている人物、故にシグにあった。

事の発端は全てシグにある。100%シグの責任と断言してもいい。ハルとノースが情報収集にあたっている間、レベル上げをしようとフィールドに赴いたタク、シグ、ムニ、ヒート、ニカの一行はポップしたモンスターを危なげもなく倒し、見晴らしのいい丘の上で休憩していた。するとシグが見たこともない植物を採取。すぐに自分で開発した『お手製煙草精製キット』を使って煙草を作り始めたのだ。その理解出来ない情熱に溜め息を吐きながらシグの様子を見ていた4人だったが、それも彼が火を点けて吸うまで。

シグが吸った瞬間、彼は「まっずぅ!!」と叫び転げ回った。心配したニカが近寄ると、彼は急にニヤけながら「僕は!女の子が大好きだぁぁあぁ!!」と叫び放ち、近くにいたニカを思い切り抱きしめた。更に胸に顔を埋め「ニカやん!ニカやん!僕と結婚してぇな!ゲヘヘ」と最早変態ここに極まりである。顔を真っ赤に染めたニカが必死に抵抗するが適わず。ハラスメントコードを起動させようとするがシグの力が強すぎて身動きがとれない。タクとムニとヒートが強引に引き剥がそうとすると、今度はヒートに向かって「おっぱいがここにもぉぉ!!」と跳びかかった。悲鳴を上げ回避するヒート。そして今に至る。

 

タクはシグを見た。頭上にはグリーンのカーソルとHPバー。その横に毒状態、混乱状態のマークが表示されている。

「この馬鹿・・・」

タクは呟いた。

「ゲヘヘヘヘヘー」

相変わらず不気味なニヤけ面のシグ。新手のアンデッド系のモンスターのようである。タクが状態異常回復のポーションを出しシグの胸ぐらを掴み地に伏せさせながら強引にその液体を口の中に流し込むと、彼のニヤけ面は消え、状態異常のマークも消える。

「あ、あれ?僕は何を・・・」

「お前・・・」

「え?何?あれ?」

「記録結晶に収めたけど観る?酷かったぜ?」

ムニは座り込むニカとヒートの傍らで腹を抱えて大爆笑していた。

「え?あれ?僕、何かやらかした?」

「やらかしたどころじゃないな」

タクが静かに言った。唐突にスッと音もなく立ち上がる涙目のニカ。無言のままシグに近付く。タクは黙って彼女に道を開けた。

「あ、あれ?ニカ・・・ちゃん?」

「こりゃ嫌われたにゃー」

「間違いない」

「監獄送りに1票」

ヒート、タク、ムニが言う。

ゴゴゴゴゴゴゴと背後から聞こえそうなぐらい不穏なオーラを身に纏うニカ。そしてニコリと笑うとウィンドウを操作した。途端にシグのウィンドウに表示される通知。

 

『ニカさんからデュエル(完全決着モード)を申し込まれています yes or no』

 

「え?」

「ちゃんと防いでくださいね?HPゼロになったらシグさん死んじゃいますから」

「完全に嫌われたにゃー」

「間違いない」

「でも防いだら怒られるに1票」

地獄のデュエルという名のお仕置きが始まろうとしていた。

 

 

アインクラッド 第50層 アルゲート

ギルドホーム

 

「ただいまー」

ハルとノースが扉を開けてまず目に入ったのは腕を組みながら仁王立ちするタクの前で額を床に付け土下座をするシグの姿。

「どうしたの?」

 

ハルが聞くとタクは怒りを通り越して呆れたような表情を見せた。タクの隣に立つニヤニヤが止まらないムニが「これを観た方が早い」と記録結晶をハルに渡すした。

観終わった後のハルとノースは同時に溜め息を吐きながら可哀想な物を見るかのような目でシグを見下ろした。いや、完全に残念に思いながら見下ろしていたのだが。

「シグ君」「あんた・・・」

「・・・ごめんなさい」

シグはまだ土下座の姿勢を崩さない。

「ニカさんには謝ったの?」

ハルがシグに頭を上げるように言ってから聞いた。

「あ、あぁ」

シグが本気で申し訳なさそうに答える。

「部屋に閉じこもっちまったけどな」

タクが天井を見上げながら言った。

「今ヒートが慰めに行ってるよ」

ムニが付け加える。

「私、見てくるよ」

「ぼ、僕も行くよ」

「あんたが来ても無意味だし逆効果しか期待出来ないから、今はそこにいて」

ノースはそう言って2階に続く階段を上っていく。

 

残された男性陣。

「それにしても・・・おっぱいは無いわ」

ムニが笑い出した。

「あれは混乱というよりも本性が曝け出たって感じだったな」

タクもつられて笑い出す。

「お前ら、ちょっとは慰めてくれよ」

シグは今にも泣き出しそうだ。

「シグ君、反省してる?」

「も、勿論!」

ハルの問いかけに何度も頷くシグ。

「じゃあ、僕から言うことは何にもない」

ハルはニッコリ笑って言った。

「お前、ハルの優しさに感謝しろよ?」

「監獄送りに1票いれてたのになー」

「あ、あ、ありがとう」

 

 

翌日。

アインクラッド 第55層 西の山

 

ギルド『β』のメンバー8人は主街区グランザムを出発してフィールドに出た。

西の山。通称クリスタルマウンテンと呼ばれるこの険しい山脈はフロアが解放されてからずっと雪が降り注いでおり、酷い時は吹雪で視界が劣悪という氷雪地帯である。深く積もった雪のせいで足がとられやすく、そしてなんといっても寒い。スピードが落ちるから嫌がっていたアイスも、この地に立ってからはその低い気温に我慢できず厚手の首元にファーがついたコートをメンバー同様に羽織っていた。

「再度確認するね。今回はアルカナクリスタルインゴットを求めて西の山を探索します。レアアイテムではないからそんなに苦労はしないと思いますが入手条件等は未だに不明です。注意すべきはやっぱりモンスターかな。ここに出現する敵は最前線だけあってやっぱり強いから分かっていると思うけど、絶対侮っちゃダメだよ。まぁ、その辺の戦闘指示はタクに任せる」

ハルがタクにバトンタッチした。

「ほい、任されました。隊形はいつも通りでいこうね。先頭にムニ、ヒート、アイス。中盤にハル、ニカ、俺。ノースとシグは後方よろしく。各種ポーションは余裕があるぐらいが丁度いいから、ちゃんと持って。ここ最前線だから情報不足な敵やダンジョンもあるから気をつけるように。宝箱見つけたからっていきなり開けるなよ?それから、未だに攻略組も討伐できていない類の中に白竜ってのがいるけど、まず今の俺たちじゃ倒せない。随時、周囲に目を配るように。よし。それじゃ、行こうか」

タクが号令を出した。

 

「昨日そういやアイス帰り遅かったじゃん」

ムニが、先頭を歩くアイスに追いついて話しかけた。

「55層でケーキ食べていました」

「お、何か美味しいお店あった?」

ヒートが2人に並んで聞いた。

「比較的、高級感のある所が多かったです。値段も高かったし。オススメは出来ないですね」

「高級感!むーちゃん、今度行こう!」

「えぇ?ケーキ?」

意気込み興奮するヒートに、ムニは露骨に嫌そうな顔をした。

「舌馬鹿なムニさんには勿体ないです」

「むーちゃん、バカにされてるよ」

「俺は辛い物が好きなだけだ」

 

「シグ君と話した?」

「話す気ないです」

ハルの質問にニカは仏頂面で答える。あの事件から日が経ってもニカはお冠だった。

「おいおい。いい加減許してやれって。あいつもわざとやったわけじゃないんだし」

「何ですか?私が悪いとでも!?」

「いや、あいつが悪い」

「そうですとも!」

これはよくない流れだ。普段怒ることに無縁なニカが今回は本気で怒っている。しかも引きずるタイプの怒り方だ。普段大人しい人が怒ると怖いとよく聞くが、その典型的な例の一つだろう。長期戦になりそうだなとタクは心の中で思った。

 

「シグ?」

「何?」

「元気ないね」

「そりゃ・・・そうさ」

隊列の最後尾。ノースが話しかけるとシグはガクリと肩を落としてうなだれた。あの事件以来、煙草精製に身が入らない。それどころか何かをやる気にもなれない。ニカはギルドで唯一煙草精製を応援してくれた人物であり、それを機に2人は一緒にいることが多く、互いのことを話し合える良き友達関係を築けていた。それがこの有様だ。ホームですれ違っても目すら合わせてくれない。

昨夜ムニが「肌身離さず持っとけ」と言って渡された記憶結晶。中身は自分の痴態。まさに黒歴史と言ってもいいレベルの自分の無様な姿。

「まぁ、あんたがその状態ならニカも分かってくれるって」

「そうだといいけど・・・」

「あんたが明るくないと、みんな調子出ないんだからね」

ノースがシグの背中を優しくポンと叩いた。

 

「敵だよ!」

先頭を行くムニの声が聞こえる。2体、中サイズのモンスターが眼前を低空飛行して向かってくる。翼を広げた灰色の翼竜。

「ゲイルドラゴンか。ドラゴン系ばっかりだな。このフロアは」

「後ろからも来てるよ」

一行の背後から同じ系統のモンスターが2体現れ、ノースが声を出す。

「前の2体は、アイス、ムニ、ヒート。後ろは俺、ハル、ノースで行こう。シグとニカは両サイドを見ながら適度な支援をよろしく」

タクが支持を出した。

 

「アイス、1体引き付けてくれ。俺とヒートで1体倒したらすぐ行く!」

ムニが言うとアイスが短く返事をして快速を飛ばした。第50層解放のフロアボス討伐戦後、アイスはタクに「やっぱりお前の持ち味はスピードだな」と言われて以来、自分の装備をより身軽な物に変更していた。身に着けているアクセサリーや履いているブーツも全て敏捷性向上補正が付加されてある。これだけ揃えるのに値が張ったが、ハルがギルドマネーで購入してくれた。

 

ヒートは最近までメイン武器に悩んでいた。今までずっとムニに合わせて片手棍を使っていた。特別な技量は必要なく、ただ相手を叩き潰す為の武器。ムニと共に戦う際、ヒートは常にムニの補助的な役割だった。彼が敵の姿勢を崩し、追撃のヒートが倒す。先制攻撃という大変な役割は常にムニが行っていた。それに対して実はずっとヒートは申し訳ないと思っていたのだ。自分は戦闘で楽しい思いをしているが果たしてムニも同じ気持ちなのだろうかと。何しろムニが斬った敵をポリゴンに変えるのはいつだってヒートなのだ。戦闘の楽しさが敵を倒すことにあるなら、いつもヒートだけが楽しんでいることになる。それがたまらなく嫌だった。

しかしムニはヒートの思考に気付いて言ってくれた。「お前と一緒に戦えるから俺は楽しい」と。それでも愚図ったヒートを見て彼は「じゃあ、2人で武器屋でも覗きに行くか」と自身のレベル上げの貴重な時間を潰して、心置きなく付き合ってくれた。その結果見つけたのが『ブッチャーキーパー』と呼ばれる短剣。ダガーに分類されるが、その刀身は片手直剣並みに分厚く大きい。片手棍に比べ要求される技量が多く、重い為、扱いにくくもあるがヒートは気に入っていた。何よりもムニが自分のポケットマネーで買ってくれたものだった。

 

「ヒート。先制はお前に任せる。3蓮撃のソードスキル。その後すぐにスイッチだ!」

ムニが前を行くヒートの背中に言った。

βテスト時代から彼は両手大剣一筋だった。しかもドロップ品に拘っていた。フィールドで拾う武器はショップで同型の物を買うのと比べると、何らかの付加スキルや効果が付いていることが多い。更に苦労して手に入れた武器は愛着度も大きく異なる。現在ムニが使っている『クラウンバスター』は赤い刀身をした両手剣である。前回攻略に参加しした時に迷宮区のモンスターを倒した際にドロップしたものだった。真正面から敵の攻撃を受け止めると、敵を一時的にスタンさせる追加効果がある。

これは、隊の先頭を担うことが多いムニにとって重要なことだった。今現在『β』には重装兵クラスのプレイヤーがいない。ボス攻略戦で『血盟騎士団』と肩を並べた時、彼らの攻撃を的確に受け止め仲間に被害がいかない非常にレベルの高い戦闘技術を目の当たりにしてムニは思った。この役目は今のところ俺にしか出来ないと。タクもその素質があるが、彼の力は前線よりも中盤や2列目にいた方が活きる。ノースにもその素質が見え隠れしてはいるが、自惚れなどではなく単純に彼女はまだまだ力不足だ。自分が敵の攻撃を防いでいる間に他のメンバーが戦いやすくなるのなら、進んでその役を引き受けるべきだ。ギルドの為に出来ることが目に見えているのなら行動に起こすのみ。それが勝ちに繋がるのなら尚更のことだった。

 

「ノース、ハルと一緒に行け。シグ、俺の援護頼むぜ」

2人を1体の方に行かせ、もう1体のドラゴンをタクは引きつける。

第50層解放のフロアボス攻略戦で譲り受けた刀『タツカミ』の柄を握る。まだ鞘から抜いてはいない。思い入れの強い刀だった。あの戦闘で曲刀スキルの上があることを知り、死に物狂いで熟練度を上げた結果、握ることが出来るようになった武器だ。

大学を卒業するまで近くの道場に通って剣道を習っていた。全国規模の大会にも何回か出場したことがある。残念ながら一度も優勝することは叶わなかったが。それでも長年親しみなれた感触。刀の柄を握ると不思議と安心感が心を満たす。たかがゲームの、現実世界には存在しない物だというのに。

ドラゴンが獰猛な目つきで牙をむき出しにしながらタクに迫る。そのギリギリまで接近を許し懐に入ったモンスターを居合いで斬りつけた。目にも止まらぬ速さで振りぬかれた刀が容赦なくドラゴンの首を深く抉る。バランスを失い地面に叩きつけられ暴れもがくドラゴンにシグが弾丸を放ち容易に起き上がれなくする。その援護を無駄にしないようにタクは追撃した。

 

「ハル君、私が先に行くからね」

槍の切っ先を光らせたノースがハルの前に飛び出し、刺突属性の鋭い突きを放つ。すぐにスイッチをし、ハルが片手直剣のソードスキルを放つ。ムニとヒートほど抜群の関係ではないが、ここのところ共に戦闘する機会が増えた2人。それはハルに怒られたことによる罪意識、ノースに打ち明けた過去の体験といったことが理由ではないのだが、現にあの自己犠牲の事件から2人は日常でも共に生活することが多い。

ノースの持つ槍の名は『グレース』と言う。両方の端に刃がついた形状をしており、第48層の鍛冶屋のショーウィンドウに並ぶそれを偶然見つけ一目惚れ。聞けば、どのショップでも売られているわけではなく、その鍛冶屋のオーナーによるハンドメイドらしい。SAOには登録されている武器だが、NPCのショップでは見たこともなかった。どちらにも刃が付いている為、攻撃の幅が大きく広がった。刺突し手首を返せばその反動によりもう片方の刃で敵を斬り裂くことで牽制することも可能である。

 

「うぉりゃあああ!」

スイッチをし、ハルがノースの後ろから現れ、5連撃の重いソードスキルを放つ。パワー値が程よく上がり重い片手直剣を欲していたハルは、ノースの薦めで第48層の鍛冶屋を紹介され、そこで購入したのが今の武器である『ジェスターロード』。これもそこのオーナーがハンドメイドで作った価値の高い片手直剣だった。ついでに盾もそこで購入した。盾には攻撃を受け止めると、その攻撃した者の体力を少し吸い取り自分のHPに換算してくれるという優れものだった。オーナーが言うにはまぐれで出来たらしく、頼まれても同じ物は作れないかもと笑っていた。

 

シグとニカは並んで立っているものの、2人の間に会話は一切ない。シグは口を開こうとしているが閉口一番何を言っていいのか分からず息だけが漏れた。対するニカはシグからよせられる視線を跳ね除け口を一文字に結んでいる。その顔を横でチラっと見ながらシグは今は戦闘に集中しようと思うのだった。

SAOに於いて、銃を使うプレイヤーは1年前まで珍しい部類に入った。何しろβテスト時やサービス開始当初は存在しなかった武器のカテゴリである。それが2023年の2月。急に実装されたのだ。敵に近付かなくても命を刈り取ることの出来る銃の性能に人気を博し一時期は全プレイヤーの半分がその魅力的な言葉につられて手には持ってみたのだが、その実扱うのにかなり難易度の高い武器だと判明する。まず求められる必要なステータス値が高く設定されている。パワー値の他に隠れステータスである集中力や精神力。そして大きな特徴として、剣などの近接武器にはソードスキルというシステムアシストされた必殺技が存在するが、銃には一切ない。弾丸を命中させる為には自分の実力以外で射撃することは不可能である。ただ撃つだけでは到底当たるはずもなく、精密なコントロールが必要とされる。そんな面倒臭さから、当初は糞武器認定され一部のガンマニアしか使わなかった。更に言えば、銃は宝箱やモンスタードロップで手に入るわけではなく、全てショップで購入しなければならない。その値が高すぎるというのも難点の1つで、銃の購入費と維持費をまとめると高層の家が何件も買えるのではないかと言われるほどである。しかし、それでもこの武器に魅力を感じ己の財布と睨めっこしながら保持しているプレイヤーはごく少数ではあるが存在する。チームに1人いれば、それは後方支援の要となり、熟練度を上げれば狙撃専門のスナイパーライフルや制圧一掃専門のヘビーマシンガンまでと戦闘のバリエーションが広がる性能を持った武器が多数存在する。

現在シグが扱っているのは2丁の『ベレッタM92』。非常にシンプルな形状をしたメジャー級の一品。長年愛用し続けている拳銃である。

 

シグは両サイドの援護をと思ったが、戦闘は終結を迎えようとしていた。

「依頼品はドロップしたか?してないか」

ハルが戦闘を終えて戻ってきたメンバーに確認を取るが、みんな首を横に振った。

「そもそもモンスタードロップするのか?」

タクが聞くとハルは「分からないんだよね」と暢気に笑いながら答えた。

「まぁ、探索も兼ねて気長にいこうよ」

ノースが明るく言う。

 

一行が歩みを進めるこのフィールドは西の山。別名クリスタルマウンテンと呼ばれている。一般的な身長のプレイヤーよりも背の高い結晶体が所狭しと生えた山である。曇天の空からは雪なのか結晶なのか分からない小さな粒がキラキラと舞っている。眺めだけを見れば第47層のフローリアに次ぐ絶景であり、デートスポットに最適であるが、いかんせん出現するモンスターが強い。最前線なのだから当たり前ではあろうが探索するのはそれなりの覚悟と経験が必要である。単独で行動するなど只の自殺行為に等しく、もってのほかだ。そして寒い。季節ながらそうなのかと思われたが、このフロアの気候は1年中こうではないのだろうかという見解が強まっていた。

 

「洞窟だ」

歩みを進めた先にポッカリと開いた穴。高く聳え立つ山の麓に突如現れた洞窟に一行は身構えた。

「一応、ここの情報はあるんだよね。進めるだけ進んでみようか」

ハルが言った。

誰が付けたわけでもないのに、洞窟内に入ると壁に等間隔に備え付けられた松明に火が灯る。

「なんか不気味だよー」

洞窟を慎重に進みながらヒートが言葉を漏らす。

「・・・わっ!!」

「きゃあ!?」

突然、ムニがヒートの耳元で大声を出し脅かした。

「なはは、ビックリした?・・・な、おい!やめろ!冗談だって!」

屈託のない笑い方のムニ。その彼に無言で剣を抜くヒートとアイス。

 

「ハル。洞窟名の情報はあるのか?」

「えとね、『ドラゴンネスト』だって」

「納得」

「どうしたの?」

ハルの言葉にタクが頷いた。何故なら一行が辿り着いた洞窟の最深部は大きく開けたボス部屋のような形状をしており、天井が無く吹き抜けになっている。見上げるとチラチラと舞う粒が顔に落ちて溶けた。そして更に目を引くものは、その異様な物体。成人男性の体格と同じくらいの大きさをした青みがかかった白い卵が3つ。

「でけぇ」

ムニが呟いた。

「玉子焼きが食べたいです」

アイスの感性はおかしい。

「あ、巣の後ろに宝箱がありますよ」

ニカが指を指して言った。

「本当だ。ハル、頼む」

「うん」

 

この世界で出来るだけ長く生き残る為には、手数を多くすること。使えるスキルは多く習得することである。そしてハルはトラップ解除スキルを最近になって会得していた。まだまだ熟練度を上げきってはいないが、今の段階で彼が使えるのは宝箱を開ける際に、本物か偽者かを見極めることが出来る。

「大丈夫みたいだ。開けるね。うわっ!」

ハルは宝箱を開けて突然声をあげた。

「どうした!?」

驚いてハルの傍に集まるメンバー。

「見てコレ!凄く綺麗だ!」

ハルが手にするのはキラキラと銀色に透き通り輝くクリスタル。タップすると『アルカナクリスタルインゴット』と表示された。

「お、目当てのやつじゃねぇか?いいねぇ」

ムニが感嘆の声をあげる。

「凄い!武器錬金にも使えそう」

ノースが感動している。

 

クリスタルの輝きに目を奪われ興奮してハルの周りに集まるメンバーをシグは輪に加わらず遠巻きに見ていた。それに気付いたニカが無言で彼を見つめながら小さく手招きをする。表情は堅いが微笑んでいるようにも見えた。その優しさに触れ、遠慮がちに近付こうとしたシグは、ふと殺気を感じ頭上を見上げた。スキルを使用したわけでもない。ただ単純な勘だった。長年この世界で生きてきたことにより得た感覚。何か黒い点が空から降ってくる。それはだんだんと大きくなり・・・。

「回避しろぉぉぉ!!」

シグは大声を出して近くにいたニカとムニの手を掴んで、来た道へ続くトンネルに2人を追いやった。残りのメンバーも異変に気付き走り出す。シグは最後まで残り全員が洞窟内に逃げ込んだのを見て自分も走り出すが、遅かった。

 

空から舞い降りた巨大なドラゴンが洞窟の入り口の前に立ちはだかり逃げ遅れたシグを見下ろし睨み付ける。ドラゴンにとっては狭い広場内で翼を器用に畳み咆哮し威嚇する。対するシグは武器さえ構えていない。それでも頭の中は冷静だった。どうやって逃げるかを算段し、その目的を果たせる手段も彼は手に入れている。

「クソッ」

1人だけ分断された状況にタクが洞窟内で舌打ちをした。

「大丈夫だ!」

ドラゴンを挟んでシグの声だけが聞こえる。

「何が大丈夫だ、あの馬鹿!」

タクが強引に飛び出そうとすると、急に爆竹のような破裂音が響き煙が立ち込めた。ドラゴンが絶叫し地面をのた打ち回る。そのスキを縫うように走ってきたシグがトンネル内に滑り込んだ。

「シグ!大丈夫か?」

ムニが助け起こす。

「あぁ。逃げよう。長くは持たないだろうし」

シグが立ち上がり言った。

一斉に来た道を引き返し洞窟を走り抜ける。ドラゴンの咆哮がこだまし洞窟内に反響した。洞窟を出ても走り続け山から離れたところで足を止めた。全員が呼吸を整え峰の方を振り返るがドラゴンが追ってくる気配は感じられない。

「はぁ・・・はぁ・・・。あれが白竜って奴か」

ムニが肩で息をしながら言った。

「情報なしで挑むのは無謀すぎるね」

ハルが言う。

「アイちゃんがあそこで玉子焼き食べるって駄々こねてたら死んでたなぁ」

ヒートがニヤニヤ笑いながら言った。

「その時は斬るまでです」

アイスは呼吸1つ乱れていない。

 

「それよりもシグは何したんだ?よくあの状況で逃げられたな」

タクが感心してシグに尋ねた。

「あぁ。あれはSGだよ」

「SG?」

「スモークグレネード。煙幕手榴弾試作品1号なんだけどね」

「試作品?お前が作ったのか?」

周りのメンバーが驚く。

「そう。手榴弾は投擲武器としてショップに売られているけど改良してみた」

「お前、器用だな」

タクは更に感心してシグの肩を叩いた。

「もっと作り込んでから実戦で使ってみて、需要がありそうだったら僕の店で売ろうと思っていたんだけど上手くいってよかったよ」

「へぇ。やるじゃん」

ノースもシグの背中を叩く。

「い、痛いよ。それよりも、これで依頼クリアじゃない?」

背中の痛みに顔をしかめながらシグがハルに聞いた。

「そうだね。帰る前に今日得た情報を情報屋に伝えて任務終了かな。すぐにクレイさんにメッセージ飛ばしてホームに来てもらおうか」

ハルが嬉しそうに言った。

 

「しっかし、これからの迷宮区のボス戦では、あのドラゴン並みの強さを持った奴がうじゃうじゃ出てくるんだろな。うーん、楽しみ!」

ムニが飛び跳ねた。

「あの洞窟も何らかのクエストありそうだよね」

ノースがアイスに話しかける。

「『ドラゴンの卵で玉子焼きを作れ』ってクエストなら私参加します」

やはり、どこか感性のおかしい彼女があまりにも真面目に無表情で言うので、全員が耐え切れず吹き出し白い息に混じって楽しげな空気が、冷たく肌に突き刺さる冷気の中で温かく彼らを包んだ。



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8.

2024年、2月。

アインクラッド 第39層 アールーン

 

時はシグがセクハラ事件を起こした時まで遡る。アイスはフィールで単独で行っていたレベル上げに休止符を付け、前にタクと行ったケーキ屋に足を運んだ。相も変わらず、この店は男女のカップルで溢れているがマイペースな彼女はそんな雰囲気など気にしないで1人席に着いた。しかし耳には周りの会話が入ってくる。

 

「バレンタイン、楽しみにしててね」

「義理チョコぐらいならあげる」

「現実世界で、俺10コ以上貰ったことがあってさ」

「SAOのチョコレートってどうやって作るんだろ・・・」

 

バレンタイン。

その言葉にアイスは耳をピクピクさせた。

 

 

 

Sword Art Online RE:Generation

第8話「女の子のキモチと男の子のキモチ」

 

 

 

アインクラッド 第50層 アルゲート

ギルドホーム

 

新設したホームには名ばかりの広いキッチンがある。何故名ばかりなのかと言えば『β』の人間は誰も料理をしないからである。そのキッチンに全女性陣4人が集まっていた。召集をかけたのはアイスである。

「昼12時。キッチン。集合」

短いテキストだったが、アイスの召集なぞ初めてだったので、みんな興味津々で集まった。

 

「で?」

キッチンに仁王立ちで立つアイスにノースが促した。

「チョコ食べたい・・・です」

「え?アイちゃんが食べるの?」

ヒートが言う。

集まった3人は薄々分かっていた。この季節に女の子だけキッチンに集合。バレンタインのチョコ作りだろうと。だから、アイスの為に作る気は更々無い。

「要は、ハル君たちにってことですよね?」

ニカが言う。

「違います。私が食べます」

「アイちゃん、やっぱ変なコ」

「チョコって言うけど、誰か作れるの?」

ノースが3人を見渡すが、誰1人肯定しない。

「現実世界では作ったことあるけど、ここでは剣を振るうのみだからなー。調理スキルなんて鍛えてないよ」

「え?意外」

ヒートの発言にニカが驚いた。

「意外ってどういう意味だー」

ヒートがニカの頭をグリグリする。

「え、いや、痛い!いや、あの、ヒートちゃんはチョコ作るよりも男子に混じってサッカーボール蹴ってるイメージが!」

「それもやってた」

 

「私は無理だなぁ。現実世界でも焼きそばぐらいしか作れない」

ノースが自分で言って情けなくなったのか溜め息を吐いた。

「私は少しだけレベル上げてますけど、レベル高くないとすぐに焦げて悲惨なことになっちゃうんですよね」

ヒートから逃れたニカが残念そうに言う。

「物は試しです。材料は買ったのでやりましょう」

急にアイスがフライパンを取り出して言った。

「アイちゃん、いきなりフライパンは使わないと思う」

ヒートが呆れながら冷静にツッコミをいれた。

 

 

アインクラッド 第39層 アールーン

葉っぱ屋「Smorkin Torch」

 

シグが経営する回復薬、薬草専門のショップである。そこに今日はハル、タク、ムニの3人が遊びに来ていた。目当ては前回シグが戦闘で用いた煙幕手榴弾の製造である。試作品と言っときながら絶大な効果を発揮したその武器に需要を感じたメンバーが製造過程を見に来たのだ。

 

「お前、ホントに器用だな」

タクがシグの手際を横で見ながら感心する。

銃器という武器のジャンルは、この世界ではかなり異質な分類に分けられる。『剣の世界』と謳われているのに銃を使うのは邪道であるといった意見が多く、使用人口はかなり少ない。その理由の一つに購入費が半端なく高いというものがあり、そして金の問題は一丁維持するだけでも常につきまとう。毎日念入りに手入れをしないと戦闘でジャムを多く起こす上、耐久性の低いモノだと水滴や泥が付着しただけで動作不良になることもある。だからこそ、サービスが開始してからも未だに銃器を使っているプレイヤーは、本物の銃好きと言えた。

維持費に金はかかると言うが、それでも銃器には剣には無いメリットも存在する。それは知識と技量があれば、ある程度の改造が施せるというものだ。だからこそ、シグは手榴弾を煙幕グレネードに改造することが出来た訳だが、これは全員が出来る訳ではなく、先述通り、銃を愛してやまない彼だからこそ出来る業だろう。

「そう?」

「うん、凄いと思うよ。何で教えてくれないのさー」

ハルが口を尖らせる。

「シグ、これ入れていい?」

作業台に向かうムニがシグに確認をする。意外だったのは、ムニも手先が器用だったということ。シグが分解した手榴弾に手際よく薬剤を詰めていく。細かい作業が出来るようレベルをあげている彼の意外性に全員驚きであった。

 

「そういや、さっきホームのキッチンに女の子たちが集結していたけど」

ハルが、ふと思い出して言った。

「何だ、バレンタインってやつ?」

この中では一番年上なのに、少し期待を膨らませるタクが反応する。

「あいつら料理のレベル上げてたっけ」

ムニが作業の手を止めて言った。

「・・・それなんだけどさ。お前らは男だから言ってもいいと思うから言うけど。僕チョコ作ったんだよね」

シグが薬草を刻みながら言う。

「え?」

3人の野郎共が同時に反応した。

「いや、僕この前問題起こして女の子たちに迷惑かけちゃったじゃん?そのお詫びにさ。甘いもので釣るわけじゃないけど・・・」

「シグ!俺には?」とタク。

「僕の分は?」これはハル。

「俺には迷惑とかない訳?」ムニが身を乗り出す。

「え?いや、お前ら男じゃん」

「バレンタインは男がチョコ貰える日だろ?ほら、出せ!出せ~」

タクが机をバンバンと叩き出したじろぐシグ。

「というか毒味だ!毒味!作ったの出せ!」

ムニが作業用の包丁を振り回す。半ば強引にシグの手を取りウィンドウを開かせストレージからチョコらしき物がラッピングされた可愛い包みを取り出した。

 

そして、その結果。残る空箱。もとい残骸。

 

「うめぇ!」

「美味しかった!」

「ご馳走さん!」

「お前ら・・・」

残った空箱を手にワナワナ震え始めるシグ。その姿を見て固まる3人であった。

 

数秒後。

そこにはシグの前で土下座する3人が。

「つい、出来心で・・・」

「ごめんなさい」

「すんません」

「はぁ。いいよ、もう。材料はまだあるし・・・」

「俺らも手伝うぜ」

「どうせ毒味役だろ?」

「いやいや、俺は昔ハルと2人だけでツルんでいた時は交代でメシ作ってたんだぜ?店で食えるほど金に余裕がなかったし、こいつβテスターだから外出を凄ぇ嫌ってさ」

「懐かしいね~。最初は酷かったね。タクが肉を焦がしまくってさ」

「あぁ?お前だって似たようなもんだったろ。お前が最初に作った蛙のスープ忘れたとは言わせねぇぞ」

ハルとタクが当時の思い出に花を咲かせた。

「そういや俺が2人に会った時は、メシ3人で作りあってたよな」

ムニが言った。

「そうだったそうだった。ムニが作る猪のバーガー!あれ美味かったよな!」

タクが言うとハルが頷く。

「2人に会う前はソロで、βテスターだったもんだから街や人の輪に入りづらかったからね。キャンプセット購入してフィールドの安全圏で調理してた」

「あぁ、そうそう。それで、その匂いにつられた僕らに会ったんだよね。あの時か。初めて会ったの」

ハルが言う。

「何だよ、みんな料理出来んじゃん」

シグが笑った。

「ムニ君に会ってすぐオヤジさんに会ったからね。食材持っていけば何でも料理してくれるし」

ハルが言った。

「そうだな。美味いもん作ってくれる人が現れてから俺ら作るのやめちゃったな」

タクが相槌を打つ。

「じゃ、作ろうぜ久々に!」

ムニは乗り気だ。

「ここじゃ設備ないから、ホームに帰ってからやろうか」

シグが提案し、みんなが同意した。

 

 

アインクラッド 第50層 アルゲート

ギルドホーム

 

キッチンは戦場であった。料理道具は散乱し、得たいの知れないドス黒い液体(恐らく溶けたチョコレートもどき)が床に飛び散り、オーブンからは煙が上がっている。

「ヤバいよね・・・」

ノースが周りの凄惨な光景を見渡して一言呟いた。

「これ、何に使うつもりだったの?」

ヒートがアイスが用意した食材の中から大きい魚を持ち上げて困惑しながら聞いた。

「ダメです!また焦げました!」

ニカが煙がモクモク立ち昇るオーブンを開けて叫ぶ。

「うん。知ってる」

その姿を見ずにノースが言う。

アイスだけは黙って謎の物体をこねている・・・かと思えば、いきなり食材の中から葉っぱを取り出して刻み始めた。あまりにも一心不乱すぎて誰も声をかけるタイミングが掴めない。

 

「なんっじゃ、こりゃぁぁ!?」

扉を開けてキッチンに入ってきたムニの声に飛び上がるノース、ヒート、ニカの3人。何しろ煙が室内に立ち込めているので誰も扉が開いたことに気付かなかった。

「け、けむっ」

煙草製造で煙に慣れているシグでさえ咳き込む。

「わわっ、男子たちは入ってきちゃダメですよー」

ニカが慌てて4人を中に入れまいとするが無駄な抵抗である。

「お前ら・・・それは完成間近なのか?」

タクが聞くとアイスを除く女性陣3人は黙って首を横に振った。

 

キッチンは綺麗に片付けられた。得体の知れないアイスの完成品を目にした張本人のアイスは「食べたくない」と拒否したがノースが無理矢理口に流し込み片付けられた。

「お前ら、無理はするなよ」

タクが諭す。

「いきなりハイレベルなモノ作ったらダメだよ」

ハルが優しく笑う。

「いいじゃん?挑戦する気があるってのはさ」

「別に怒ってないよ。ただ面白くてよぉ」

ムニの言葉にタクが笑い出す。アイスを除いた女性陣3人は恥ずかしそうに俯いた。

「ハル。やろうぜ」

シグがハルに声をかける。

「オッケー。みんな、男女ペアのチーム対抗戦でいこう!4組で一番美味しいモノを作った人が勝ち!どう?」

ハルが立ち上がり両手を広げて提案する。

「甘いもんじゃなくてもいいのか?」

ムニが質問した。

「いいよ。もうすぐ夕食時だし!じゃ、タク!隊形指示よっろしく!」

「まっかされましたー。うーん、こりゃ悩んじゃうな。でも決めました。ムニとノース。たまには違う連携が見たいぜ。ハルとヒート。シグとニカ。俺とアイスでいこうか!食材はアイスがわけ分からんモン沢山買ったんで何かしらあるだろ。じゃ、戦闘もとい調理、開始!」

 

「よし、ノース!肉焼こう肉!」

「さっきアイスが猪の肉買ってたよ」

「それ焼こ!付け合せはこの野菜でいいや。切って切って」

「でも私がやると、形不揃いになるし・・・」

「構わん構わん。食えば同じ同じ」

何事も楽しむことを本業とするムニの姿に自然と表情が解れるノース。彼のこういった姿勢には何度も救われてきた。

「お肉焼いてどうするの?」

「ステーキ、ハンバーグ、パンがあるならバーガー。どれにする?」

「ハンバーガー食べたいな」

「いいね!SAOでの俺の得意料理だね!」

ムニが早速調理に取り掛かる。ノースも彼に急かされて野菜を切り始めた。切った野菜は全て歪な形をしていたが、ムニはそれに対して何も言わず、調理レベルが低いプレイヤーでも簡単に作れるレシピを肉を焼きながら教えてくれた。

 

「ヒートさん、何にしよっか」

「アイちゃんがデッカい魚買ってきてたよ」

「あぁ、これね。でかっ!重っ!」

「どこで手に入れたんだろね」

「お店でこんなの見たことないなぁ」

「焼く?煮る?蒸す?」

ヒートはやる気満々だ。

「ムニ君が肉焼いてるから、僕らは煮てみようか」

「いいね。和風で決めちゃおう!」

「じゃ、まずは切り身にしてっと」

ハルが包丁で魚を軽く突いた。SAOの料理はシステム化されており、切る、焼く、煮るなど非常に大雑把な作業しか選択できない分、プレイヤーの熟練度によって完成度が異なる。

「お、ハルちゃん、上手いね」

「タクと2人でいた時は交代で料理してたんだ。でも基本的にタクが肉料理、僕が魚料理することが多かったかな」

「へぇ。私も負けてらんないなぁ」

「ヒートさんも上手いじゃん」

2人でニコニコ笑いながら調理を進める。

 

「お前な、前衛的な現代アート作ってるわけじゃねぇんだぞ」

アイスの奇怪な行動に早くもタクがツッコミをいれた。彼女が何を作りたいのかは一目瞭然であるが、問題は選ぶ食材のセンスである。何故、ここで苦味のある葉を刻もうとしているのか理解に苦しむ。

「芸術は爆発です」

「ヤメなさい。食い物爆発させてどーすんだよ。今度は俺がお前の口にねじ込むぞ」

アイスはチョコ作りがどうしても諦めきれなかったらしい。恐らく昼12時に女性陣で集まった時からずっと食べたかったのだろう。ならば、その夢を叶えてやるのが年長者の役目かなとタクは心の中で思う。作業台の上に乗ったチョコレート板のような物を手に取った。この世界には現実世界と同じ食材は存在しないが、味が同じものは勿論存在する。今手に持っているチョコレート板は「ダークビーンズ」という豆を加工したものらしく、アイテムとしても使用することが出来、効果は体力を少し回復する程度のものだ。苦味と甘味が丁度よく、プレイヤーの中では簡易的な食事やおやつ感覚で食されているものだった。

「いいか?お前はこのチョコ板を刻め。ほら、斬り刻むの得意だろ?」

「馬鹿にしていますか?」

「いや、褒めてる」

 

「魚が余ってるな」

シグは食材を選びながら少し距離を開けて隣に立つニカの顔を見た。思えばセクハラ事件から一言もマトモな会話をしていなかった。

「シンプルに刺身にでもするか。前にこの魚で食ったことあるし」

ニカは言葉を発さない。

「うん。そうしよう」

最早、独り言に近い。

「・・・刺身で、いいかな?」

1人でブツブツ喋っているのが寂しくなりニカに返答を求めるが返事はない。寂しさが切なさに変わり始めた、その時。

「シグさん!」

「うぇ!?何?」

急に名前を呼ばれ、変な声が出てしまった。

「私・・・ごめんなさい」

「え?何が?」

「この前の洞窟でドラゴンに襲われた時、私シグさんに助けてもらったのに、私その後も失礼な態度をとってしまって」」

「あ、ん?あ、いや・・・」

頭を下げられ戸惑うシグ。

「それに、シグさんは全員が逃げるまで残ってくれて、更にあの絶体絶命の状況から1人の力で抜け出して、凄くカッコよかったです」

頭を上げたニカは涙目になりながらもニコリと笑う。

「え・・・あ、ありがとう」

その表情に見とれてしまい言葉が詰まり照れてしまう。

「いや僕こそ、この間はごめん。本当に」

「もう気にしていないから大丈夫ですよ。あれは、あの時のシグさんが悪いわけで今のシグさんは悪くないです」

「・・・それ、結局僕じゃん」

「そうですよー」

クスクス笑いながら責めるニカの言葉に怒りは全く感じられない。むしろ全力でからかいにきてくれている。

「あ、お刺身ですよね。賛成です!」

シグの独り言はちゃんと聞こえていたようだ。

「でも、お刺身といったら醤油ですよね。こんな世界にあるんですか?」

「それがあるんだなぁ」

そう言ってシグは自身のストレージから密閉された透明の小さな容器を取り出し、小皿に中身の液体を垂らしてニカに勧めた。

「え、何コレ!?凄い!醤油です!懐かしい~」

指につけて舐めたニカが感嘆の声をあげる。

「ふふーん。崇めなさい」

「はい、すごいすごーい。シグさんが作ったんですか?」

「そう。アビルパ豆とサグの茎とウーラフィッシュの骨とクルタ草の筋を使ったの。でも残念ながら僕が考えたわけじゃなくて、原案は血盟騎士団のアスナさん。この前攻略の時に知り合って教えてもらったレシピに少しアレンジ加えただけ」

「へぇ。でも凄いです」

シグとニカの間にわだかまりはもう無かった。2人は会話に夢中で知る由もないのだが、その様子を見ていた『β』の残りのメンバーたちは顔を見合わせガッツポーズをするのだった。

 

食卓に料理が並ぶ。そしてそれをみんなで囲んだ。ムニとノースが作ったハンバーガーと茹でた野菜が人数分皿に盛り付けられる。辛党のムニはアルクスパイスを振りかけないと完成ではないと言うがノースが全力で阻止した。パンからはみ出た肉はかぶりつきがいが充分ある程大きい。グレービーソースは非常にまろやかで食欲をそそる匂いが鼻につく。ハルとヒートが作った魚の煮物もいい感じだ。ありあわせの食材で作ったにも関わらず、あっさりと味つけされた調味料が坂に上手く染み込んでいた。魚が大きすぎて煮物だけでは余ったので、2人はスープも作っていた。その温かさが身体中に浸透する。シグとニカの刺身も好評だ、何よりも醤油がいい。懐かしい日本の伝統的な味に全員の手が止まらない。そしてデザートにと出されたのはタクとアイスによるチョコクッキーとプリンのような茶碗蒸しのような物体。

「見た目はアレだが味は保証する。俺が味見したし、なんせ甘いもんに目がないアイスが作ったからな。プリンは・・・形としては酷いが結構美味いぞ。まぁ、出来るまで失敗作が山積みだけど」

タクが説明する。

 

メンバー全員で食卓を囲むのは『β』の伝統的な習慣だ。これがあるのとないのとでは、1日の終わり方が違う。やはり夕食をみんなで囲んだ時の方が、ギルドが家族のように思えてくるのだ。

8人は、チーム対抗戦であることなんて忘れていた。笑い声が絶えない時間が続く。

 

 

「ニカちゃん」

夕食を終え、時間も遅くなったので全員で仲良く片付けを終え自室に戻ろうとしたニカはシグに呼び止められた。

「これ」

そう言って彼が取り出したのは可愛くラッピングされた小さな箱。

「本当は女の子全員分あったんだけど、野郎共に全部食われちまった。でもニカちゃんにはどうしても渡したくて急ピッチで作ってみた。ちょっと形崩れたけど、もし良かったら」

「あ、ありがとうございます。大事にとっておきますね」

「いや、耐久値、明日きれちゃう」

「あれ。じゃあ、大事に食べます」

「あ、あぁ」

屈託の無いニカの笑みにシグはまたもや照れてしまう。

 

シグは彼女の笑顔が好きだった。こんな世界に囚われても、ニカはこんなにも可愛く笑うことが出来る。もう二度と彼女の笑顔を失くさないと心に堅く誓うのだった。

 

「おやすみなさい」

「あぁ。おやすみ」



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9.

人はどうしても他者と自分を比べてしまう。時にはそれが良い方へ転がるが、大抵は悪い方へと傾く。そして自分が他者よりも劣っていると自覚した時、自分を守りたいが故に人は思いもよらぬ行動に出る。大勢の人間が集まればなお更のことだ。嫉妬が嫉妬を呼び、憎悪が憎悪を呼び寄せる。そういった感情は容易に水に溶けることはない。仮に、そういった感情を抱いた人間が人の上に立てば一体どうなることか。

 

SAOサービス開始から1年と少し。

アインクラッドには数多くのギルドが存在する。規模も大きいものから小さなものまで様々だ。そして誰もが他者多様な目的を掲げている。ひたすら攻略の為に最前線を駆け抜ける者。仲間と生き残るだけを夢見てもがく者。しかし、全てのギルドが前を向いているわけではない。事実、攻略に望むプレイヤーは総人口の中で2割にも満たない。

 

 

 

Sword Art Online RE:Generation

第9話「相対するもの」

 

 

 

2024年、2月。

アインクラッド 第50層 アルゲート

 

この層の主街区「アルゲート」は中華の下町っぽい造りで、背の低い建物が所狭しと建てられており、道幅は狭いにも関わらず人通りは多い。街の大きさが比較的広い上に道は迷路のように入り組んでおり、住み慣れたプレイヤーでさえも気を抜けば迷子になることが多く、街の全容を完全に把握できている者は少ない。それ故に追っ手を巻くには最適であった。

「振り切った・・・か」

薄暗い路地裏に入り後ろを確認したノースが言った。

「話してもいいんだけどね、僕は」

ハルがうんざりしたような表情を見せながら言う。

 

第50層、第51層、第53層、そして第56層の解放に参加し勝利に貢献してきた『β』は攻略組を中心にそれなりの信頼を得ていた。中ギルドにも満たない人数ながら培ってきた数多の経験から得た卓越した判断力、戦闘力を併せ持つ戦闘集団とまで言われている。そんなに凄くない、出来ることをしただけというリーダーのハルの発言が更に評価され、謙虚ながらここ一番という時は頼りになるギルドと知られ『β』のメンバーは、その言葉に背中がむず痒くなる。そして最近は、それに伴ったあることがメンバーを困らせていた。つまり、勧誘である。

 

第50層解放時に『血盟騎士団』の団長であるヒースクリフから勧誘されたことはまだ記憶に新しい。あの時団長はあっさりと引き下がってくれたものの、実は水面下では勧誘を臭わす発言をされ、その度にハルは同じ返事をして断っていた。

そういった話を持ちかけてくるのはギルドは何も1つだけではない。『β』の噂を聞きつけた中小ギルドから合併、吸収などの誘いがきていた。更に3人から5人のパーティーが訪ねて来たかと思えば「ギルドにいれてください」ときたもんだ。ハルは優しいので、追い返すことはせず、来た人来た人を歓迎し応接間に案内し、お茶をだして対応するが誰1人もギルドには入れていない。一応フレンド登録をして「必要だと思ったら呼びます」なんて言い帰しているが、恐らくそれは一生訪れないだろう。

 

そもそも『β』の人間は入る経緯が特殊なのだ。それぞれ違う理由、過去があるにしろ根っこは同じである。

 

――ーハルに助けられたから。

 

故にハルの為に生きることが出来ればいいというのがメンバー全員の共通意識である。だからこそ、最前線の攻略自体に興味がない人間が大半であった。それでも解放に協力しているのは、それがハルの意志だからである。

 

そして今、一番頭を悩ませる勧誘をしてくるギルドが『アインクラッド解放軍』。通称『軍』である。

『血盟騎士団』が最強ギルドなら『軍』は最大ギルド。リーダーのシンカーという男は尊敬できる素晴らしい人間だと噂に聞いたが『軍』のメンバーは1000人を超える。幾ら人が好いと言ってもプレイヤーの数が大規模なら当然統制を執るのは難しい。聞くところによれば、ギルド内で幾つかの派閥に別れており、いざこざが絶えないらしい。元々は2つのギルドが合併して生まれた形である。一時期は攻略組として最前線での戦闘を貫いていたが第25層のフロアボス戦で大敗を期し、現在は第1層はじまりの街を根城に下層の治安維持と組織の強化に励んでいるという。

最低限のルールはあっても、SAOには政府というものが存在しないため法律もない。牢獄はあるが警察はいない。『軍』は、その役割を果たそうとしている。しかし、誰の認可を受けたわけでもなく『軍』の一方的な考え方によるものなので、このギルドとの関わりを極力避けるプレイヤーは殆どである。

 

「ハル、軍の追っ手はいないみたい」

ノースが再度後ろを確認して言った。

「ホームの場所知られてるんだから、どうせ来ちゃうでしょ。あぁ、めんどくさ・・・」

ハルが溜め息を吐いた。

「帰る時間、ずらそうか」

「そうする?うん。賛成」

ノースの提案に頷き2人は転移門の方へ歩き出した。

 

 

アインクラッド 第48層 リンダース

 

SAOの街はフロアによって世界観が多種多様である。『β』のホームがある第50層主街区アルゲートは迷路のように道が入り乱れ人も入り乱れる騒がしい中華系の下町風。『血盟騎士団』が本部を構える第55層主街区グランザムは通称「鉄の都」と呼ばれ、無数の鋼鉄で出来た塔が建ち並ぶ要塞のような街並み。そして、ここ第48層リンダースは、至る所に水車が設置されている良きヨーロッパの村みたいな、のどかな街並みが広がっている。

特に用事は無かったが時間潰しにと、ハルとノースはこの街にある鍛冶屋に遊びに来ていた。剣を振るうことがこの世界の日常ということで、武具屋を見て周るのは現実世界で洋服屋を見て周るのと同じことである。2人は鍛冶屋の扉を開けて中に入る。扉の横には『リズベット武具店』と書かれた手製の看板がぶら下がっていた。

 

「いらっしゃい。あれ、久しぶりだね」

ウィンドウを操作していた女性プレイヤーが2人にカウンター越しに声をかけた。この店のオーナー。リズベットその人である。赤いワンピースに白いドレスエプロン。淡いピンク色の髪がよく似合う女の子だ。歳はノースと然程変わらないと思われるが、鍛冶スキル完全習得者のマスタースミスであり、ハルとノースの武具を作ってくれた人である。

 

「今日はどうしたの?武器の不具合でもあった?いや、私の造った武器にそんなことあるわけないか~」

出会った頃からこんな調子で喋る人懐こい性格をしていた。

「いえ、特に用はなかったんですけど」

「ありゃ、ハル君。身長縮んだ?」

「変わってないです」

「どれ」

リズベットはカウンターから出てきてハルの横に並び、少年の頭に手を置き自身と背比べをした。月日が経っても体型に変化が起こらないSAOに於いて、ハルの身長が伸び縮むことはあり得ない。

「まだ、お姉さんの方が高いね。わっはっは」

豪快に勝ち誇られ、露骨に落ち込むハル。

 

「のーちゃんも久しぶりだねぇ。どう?私の槍。大事にしてね」

「勿論ですよ。肌身離さず持ってます」

「よろしい。私が作った物は全部私の子供みたいなもんだからさ。もし壊されたりしたら、ただじゃおかないね。うん」

「大切にします。リズベットさん」

「もう。リズでいいのに」

誰に対しても気さくな人だった。

「2人の武器、研磨しようか?今暇だし」

「いいんですか?」

「オーケーオーケー。素材あったら格安で強化してあげるよ。聞いたんだからね。2人がクリスタルマウンテン行ったの。あそこ珍しい鉱石があるらしくて、1回行ってみたいんだよね」

そして商売上手でもあった。商売人はこれくらい図々しいほうが却って清々しいものだ。

「ハル、どうする?」

「せっかくだから頼もうかな。ストレージに入れっぱなしで使い道が分からない鉱石あるし」

「いいねぇ、決まり!じゃ、私は裏に引っ込むから、ちょい待ってて」

そう言って2人の武器を預かったリズベットは奥の鍛冶部屋に入った。

 

最前線で何度か戦ってきたからこそ分かることがある。当たり前だが、装備する武具は強い方がいい。出来るときに強くしておく。全財産を武器に注ぎ込むプレイヤーも少なくない。生粋の戦闘職であるムニもそういった考え方で、彼の部屋にはベッド以外の家具らしい家具が1つも存在しない。

 

「ハル、あのさ」

「なに?」

商品として飾られている片手直剣を眺めるハルにノースが声をかけた。

「1回さ、はじまりの街に行ってみない?」

「軍の本部?」

「・・・そう」

「あぁ、ノースさんはそう言えば昔そうだったね」

「うん。だから上位の人に話せば、シンカーさんに話せば勧誘も無くなるんじゃないかなって」

「まぁね。シンカーさんが噂通りの人なら、こんなしつこく付回すような勧誘はしないと思うけど」

「・・・やっぱり上手くいってないのかな」

「軍のこと、心配?」

「え、いや・・・」

「心配なんだ」

「・・・うん」

ハルは別に咎めているわけでも怒っているわけでもない。ノースの気持ちは痛いほど分かった。なにせ、今とは違う形だとしてもノースの古巣に変わりはないからだ。

 

 

2022年、12月。

アインクラッド 第1層 はじまりの街

 

連絡はすぐにノースの耳に届いた。

 

『第1層のボス撃破。死亡者1名。ディアベル』

 

βテスターの頃からの仲だった。サービスが開始されたら一緒にギルドを設立して互いに競い合おうと約束した仲だった。今まで彼と交わした会話が頭の中で渦巻くと同時に涙が止まらなかった。

 

βテスト時代、ノースは男のアバターでインしていた。男性用の装備の方が強い気がしたし、黒を好むノースから見て男性用の方がビジュアル的の彼女の嗜好であった。更に言えば、彼女は「闘う男」に憧れを持っており自分が女であることにコンプレックスを抱いていた。だから、せめてゲームの中だけは男になると決めていた。気分は完全に典型的なRPGで有りがちな勇者であった。そんな折にディアベルと知り合う。ジョブシステムが存在しないSAOで「俺は騎士(ナイト)だぜ」とか言っちゃうところが逆に好感が持てた。そして共に攻略を進め、仲を深め、互いに認め合い2人の間には絶対的な信頼感が生まれていった。それは、ゲームの中でしか通用しない絆であったが、間違いなく友情を超えた何かであったとノースは今でも思う。

 

2022年の11月にサービスが開始されてすぐ、ノースとディアベルは合流。これからのことに期待を膨らませながら話していたその時、鐘が辺りに響き渡り突然の強制転送。告げられる恐ろしいデスゲームの内容。そして茅場晶彦から配られたアイテム「手鏡」。これによって、ノースは現実世界と同じ性別へと変わり果てた。背中まで伸びた黒髪、膨らみが生まれた胸、華奢で細身な身体。隣にいたディアベルは呆然としノースを凝視した。そして、あろうことすぐに彼は笑った。嘲りではない。心から笑ったのだ。混乱と喧騒が渦巻く広場で彼は声を出して腹を押さえながら笑った。

「ノース、なんだよそれ」

「え、な、なんで僕・・・」

「はははっ、お前女の子だったのかよ。ははっ、笑える。しかも僕っ子かよ」

「あれ・・・え!?」

「だははっ、待てよ性別変換装置じゃないよな、俺は男のままだよな?男が女に化けるってのはよくある手法だけどよ。おまっ、だっはっははは」

「ちょっと!笑いすぎだよ」

「いやー、ごめんごめん」

 

「しっかし、とんでもないことになったな。よし、ノース!」

笑った顔そのままでディアベルはノースに話しかけた。

「やってやろうぜ。茅場がここまで糞だったてのはショックだが、あいつからの挑戦受けてたってやる」

どこまでも前向きな男だった。ノースが憧れてなりたかった勇者がすぐ傍にいた。

 

それから1ヵ月後。第1層フロアボスの攻略会議での彼の姿も立派なものだった。一癖も二癖もありそうな腕のたつプレイヤーを纏め上げ、全員の士気を高めた。その男の隣で戦えることが何よりも幸せだった。しかし、ボス戦前日に彼に言われた言葉は衝撃的なものだった。

「残る?嫌だよ。僕も行く」

「ノース、駄目だ」

ディアベルがノースにボス戦には参加するなと釘を刺したのだ。ノースが反論しても拒否しようとしても彼は頑なに首を横に振った。

「何で急に!?僕が女だから?もしかしてそういうこと?」

「そうだ」

「そ、そんなのってないよ。僕が男だったら一緒に行くんだろ?」

「あぁ。お前が女の子だから連れて行けない」

「それは酷いよ!」

自分の存在が否定されたのと同じだった。

「ノース、聞いてくれ」

ディアベルはノースの肩を掴み真面目な顔をして言った。

「俺は、俺はな。ノースが女の子で良かったと心から思ってる」

「!・・・な、なんで」

「βテストの時から思ってた。こいつが、俺の隣で戦うこいつが女だったら俺は惚れるだろうなってさ」

告白に近い発言だった。そんなの卑怯だ。

「俺が強くなって、お前のことを守れるようになったら一緒に戦おう。約束する、それまで待っててくれ。頼む」

ノースが頷くまで、ディアベルは話し続けた。

 

 

そして、その約束が果たされることはなかった。彼が約束を破るのは初めてのことだった。

 

 

「ディアベルはんの勇姿はワイが引き継ぐ!ディアベルはんのことは二度と忘れないわ!」

連絡を届けてくれたキバオウが周りのプレイヤーを鼓舞した。

「アインクラッド解放隊の旗揚げや!ワイはディアベルはんの願いの為に!精一杯尽くすで!」

 

『アインクラッド解放隊』

後にシンカー率いる『MTD』を吸収し『アインクラッド解放軍』へ名を変える巨大ギルド。その産声が轟いた。

 

 

先陣を仕切るキバオウにリーダーの素質が無かったかと言えば嘘になる、彼の攻撃的な性格は荒っぽくもあったが勇猛果敢で、どんな敵にも挑むその姿勢は間違いなくメンバーの士気を高める効果があった。強者が弱者を導かなくてはならないというキバオウが掲げた信念の基、彼は常にギルド内での強者で在り続けた。しかし彼の中で強者=βテスターであることにノースは薄々気付いていた。攻略に対してβテスターが自分たちを導かないことに関しては毎日愚痴を漏らし暴言を吐いていた。聞くところによれば、第1層のフロアボス攻略時もβテスターのチーター、所謂ビーターの血も涙もない冷徹なソロプレイヤーが1人紛れ込んでおり、結果的にその男がディアベルを見殺しにしたらしい。

話だけ聞けば、ノースはその男を一方的に恨むことが出来た。でも出来なかった。何故なら自分自身もβテスターなのだから。それを知るのはディアベルだけ。そして彼がβだと知るのもノースだけだ。

同じβテスターとは言え、ディアベルと自分に決定的な違いがあるとするなら、ノースは人を導かなかった。ずっと彼の背中を追いかけ、自分は先頭に立たなかった。何が勇者だ。笑わせてくれる。これ程までに自分が嫌いになったことはない。ディアベルは誰も導く人間がいなかったから自らリーダーの位置におさまったのだ。あの時、自分が導いていたら、ディアベルは自分を女だからという理由で置いていくことはなかっただろう。そもそも自分が女でなければ。こんなにも辛い想いはしなかったし、もしかしたらディアベルも死ななかったかもしれない。

 

ノースは、その日、ギルドを抜けた。誰に何も告げず、ホームを離れた。

 

 

2023年、6月。

アインクラッド 第27層 主街区

 

風の噂で、第25層の攻略時、『アインクラッド解放隊』が壊滅的なダメージを被ったと聞いた。それに対して何も感じなかった。どこをどう歩いてこの街に辿り着いたのか全く記憶にない。ポップしたモンスターは何も思わず、ただただ斬り殺した。自身も傷を負ったが治す気も生まれなかった。眠気が襲えばフィールドだろうが関係なくその場に倒れこんで寝た。命など必要なかった。街に入り、行く当てもなく彷徨う。そして外周まで来てしまった。そこから景色を眺めた。太陽が地平線に沈もうとし、雲がオレンジ色に輝いている。だが、何も感じない。

 

ふと、数10メートル離れた先で2人のプレイヤーが何か言い合っていることに気が付いた。

「ケイタ、ごめん」

「み、みんなは、死んだ・・・?」

悲壮感を漂わせる黒いコートを羽織った男の言葉に驚愕の表情を浮かべる男。

「あ、あぁ。俺の。俺の責任だ・・・」

「・・・」

「ケイタ?」

「お前のようなビーターが、俺たちに関わる資格なんてなかったんだ」

「!?」

黒いコートを羽織った男に目を合わせることもなく言い放った男は、外周の塀に登り、立つ。この街は雲よりも高い位置に存在している。落ちれば、その命は簡単に砕け散るだろう。

「お、おい!やめろ!」

そして、何の迷いもなく身体を宙に傾け、そして堕ちていった。

「あ、あ、あぁぁぁぁぁぁぁ!!」

残された黒いコートを羽織った男が絶叫した。その声が辺りにこだます。男は暫く蹲り、そしてゆっくりと立ち上がる。ノースには気付かず、顔を下に向け俯いたまま姿を消した。

 

「なんだ、簡単なことじゃないか」

ノースは誰に言うまでもなく呟いた。飛び降りた男に倣って、外周の塀を登り、立つ。顔に当たる風が気持ちいい。作り物の風だというのに、こんなにも心地いい向かい風は現実世界でも感じたことがない。太陽が地平線の彼方に沈もうとしている。その美しさに目を奪われた。久しぶりにSAOの風景が綺麗だと思った。

 

ディアベル、ごめん。待たせてごめん。でも君が悪いんだよ。君が約束を守らないから。

いや、僕も悪かったよね。僕が女だったから。一緒に行けなくてごめん。でも、もう大丈夫だから。

君が帰って来ないから、僕がそっちに行くね。

 

「何か見えるのかー?」

突然、後ろから間の抜けた声がした。

「よいしょっと」

両手剣を背負った声の主が塀を登りノースの左隣に立った。

「うわー!スゲぇ夕陽!!」

男が額に手を当て眩しそうに言いながら景色に感動する。

「ムニ。危ねぇぞ」

後ろから別の男の声がする。

「僕も、っと」

ノースの右隣の塀に少年が登ってきた。

「うわぁ!ホントだね!凄く綺麗だ!」

「ハル、お前も危ないって」

「タク、凄くいい眺めだよ」

「俺は登らなくても見えるんだよ」

「登って見た方が気持ちいいぜ。風もいい感じでーっと!?」

両手剣の男が急にバランスを崩し咄嗟にノースに捕まる。それを支えようとした少年がノースの腕を掴むが重みに耐え切れず、3人は後ろの地面に転んだ。

「だから危ねぇって・・・」

「むーちゃんマヌケすぎー。私は登らなくて良かったー」

転がる3人を見て2人の男女が呆れながら笑っていた。

「うわわ、ごめんなさい。怪我してない?」

ノースに覆い被さる少年が慌てた様子で言った。

「俺、ケツ痛い」

ノースと少年の身体に潰された両手剣の男が呻き声を上げる。

 

「かんぱ~い」

第27層の主街区にある宿屋。その下の部屋で、ノースはお詫びと称され、先程の集団にご馳走になっていた。久々に食べるご飯だったが全く食欲が沸かない。そんな中、1人1人が簡単な自己紹介をし杯をぶつけ合った。

「いや~、さっきはごめんね」

メンバーの中では誰よりも子供に近い少年のハルがあどけなさの残る微笑みを浮かべながら、ノースの杯にグラスをぶつけて言った。

「俺もすまん」

悪戯っぽい笑みを携えるムニが笑いながらペコリと頭を下げる。

「まぁ食べてよ。僕らの驕り」

「い、いや・・・」

「のーちゃんはソロなの?」

集団の中では紅一点のヒートが短めに切った赤毛を揺らしながら訊いた。

「あ、うん」

「そっか。俺も最近までそうだったけど、結構楽しいよな。キャンプしてるみたいでよ」

ムニが言う。

「気楽な奴だな、お前は」

一番の最年長だと思われるタクがケラケラと笑う。

「せっかく楽しむ為にこの世界に来たんだぜ?楽しんだもん勝ちだよ。デスゲームって人は言うけれどよ、一種のクエストだよ、こんなん」

強がっているようには聞こえない。ムニは第一印象から変わっていない。どこまでも明るくて前向きな男だった。その姿にノースはディアベルの影を重ねる。ムニを中心に笑顔が広がっていく。この集団は、この残酷な世界で屈託のない笑顔を見せている。思えば、ディアベルが死んで以来、ノースは心から笑ったことがなかった。毎日が戦闘の繰り返しで、それだけに明け暮れていた。

 

「あれ、ノースさん。もしかしてお腹空いてなかった?」

ハルが全く食が進んでいない彼女を見やり心配そうに言った。

「宿屋の飯って味気ないよな」

タクが呟く。

「そりゃ私たち毎日オヤジさんの手料理食べてるし」

「舌が肥えちゃったんだろな。前は焦げた肉でも我慢して食べてたのに」

「俺が、明日こそは魚釣るからよ!」

「いや無理だろ。そもそもあそこ釣れんの?」

「βの時は釣れた」

「え?」

ムニの言葉に今まで口を開こうとしなかったノースが反応した。

「い、今なんて?」

「へ?」

身を乗り出すノースにムニが戸惑った。

「あ、あぁ。お前ホントお気楽さんだな」

タクが微笑みながらも呆れて言う。

「え?」

他の3人は理解しているのにムニだけは本当に解っていないようだ。

「周りに俺ら以外の人間はいないにしても、お前はまた。いや、慣れたからいいけどよ」

「だから、何?」

「鈍い奴だな。お前、今自分がβ上がりだって明かしたんだぜ?」

「は?あ、あぁ!それ?」

ムニは合点がいったような表情を浮かべるが、全く気にしていない様子で馬鹿にしたように言う。

「もう言うの諦めてたけど、今結構シビアなご時世なんだぜ?」

「タク、心配しすぎだって」

「俺はいいけど、ハルのことも考えてやれよ」

タクが諭すように言って顎をクイッとハルに向けた。ハルの表情は先程とは一変して怯えた顔つきになっており、それを見たムニが慌てる。

「あ、ハ、ハル。ごめん。ついうっかり」

「・・・気をつけてね」

ハルが静かに呟いた。

「で、でも!ノースさん悪い人に見えなかったから、つい。ごめん」

「・・・大丈夫だよ」

ムニが再度謝ると、少年は疲れたように微笑んで見せた。

 

「まぁ、そういうことだ」

タクがノースに向き直る。

「え・・・」

「この気楽なアホタレはβテスター。それが何か君の気にさわったかい?さっき身を乗り出してたからさ」

「タ、タク・・・?」

優しく穏やかな口調のタクだったが表情は裏腹に厳しいのを見てハルが不安気に名前を呼ぶ。

「怒ってないさ。今はな」

タクが微笑みながらハルの言葉に顔を向けず返事をする。タクの視線がノースを突き刺した。彼女はすぐにでも逃げ出したい衝動にかられる。誰が何を言っていいのか分からず、先程まで賑やかだった空気は一変して暫くの間、沈黙が続いた。

 

「タク。もういいよ。こういうのはよくない」

ハルが怒ったような口調で静かに呟いた。

「わかったよ。すまなかった」

そんな様子の少年に目を向けたタクは、そう言ってノースのことを見るのをやめた。

「ノースさん、ごめんね」

「い、いえ・・・」

「この宿屋、部屋空いてたから、実はノースさんの分もまとめて取っちゃったんだ。今日はここで休むといいよ」

「え、そんな」

「お金のことは気にしないで。迷惑料だと思って、ね?」

口ごもるノースに対し、ハルは純粋であどけない笑顔を浮かべながら矢継ぎ早に言葉を並べる。間違いなく自分よりも年下だろう。だからなのだろうか。その表情に何故か絶対的な安心感を抱いてしまう。

 

 

結局、ハルの言葉に押され、部屋に泊まることになってしまった。数十分間、布団に潜り込み天井を見上げる。久しぶりの感触だった。偽物の世界の偽物な温もりに包まれる。眠る気には全くなれなかった。眼を閉じれば暗闇の中にディアベルの姿、先程の食事の楽しい風景が浮かび上がるだろう。眼を開けている時でさえ、頭の中を渦巻いているのだから。

人生最期の布団の感触を味わい、ノースはベッドから起き上がって装備を確認する。別にこれから戦闘に赴くわけではない。ただ、自分が今まで慣れ親しんだ格好で彼に会いに行くのが妥当だと思った。扉の開閉音をたてないように足音を殺す。静かに廊下を歩き階段を降りて宿屋の外に出た。

最期に人と話せてよかった。最終的には変な空気にして嫌われてしまっただろうが、それでも人の笑顔を見ることができてよかった。心からそう思った。

 

時刻は夜中。後数時間で太陽が昇り新しい1日が始まるが、自分がその日を堪能することはない。街中は人影が全くない。きっと、みんな屋根の下で寝ていることだろう。建物の間を抜け外周に行き着く。月が明るかった。雲に隠れることなく輝く三日月は夕方見た太陽とはまた違う眩しさを放っていた。どうしてこうも、この世界の風景は美しいのか。しばらく、外周の塀にもたれかかりながら、その景色を眺める。

 

「死んじゃうの?」

ふいに後ろから声が聞こえた。暗がりで全く気付かなかったが、綺麗な花々が植わる花壇の石垣にハルが腰掛けていた。

「あ・・・」

「死んじゃうのか」

ハルはノースの顔をじっと見つめながら言った。月の光が僅かにハルの表情を照らした。その顔に夕食時に見せた笑顔は一切ない。

「それは、ズルいよ」

無表情のまま、瞳から一雫の涙を流しながらハルは言葉を搾り出した。

「僕は知らないよ。君がどんな人生を送ってきたのか。この世界で今までどうやって生きてきたのか。それでも、自分から死んじゃうのは・・・ズルすぎるよ」

「そう。ズルいんだよ」

ノースは自分に言い聞かせるように言った。

「僕の友達は生きたくても生きることが出来なかった」

「そう・・・それは残念だったね」

「君はそれでも死んじゃうの?」

「うん」

「そっか」

少年の悲痛な心の叫びがノースの身体中に突き刺さる。でも決意を曲げるわけにはいかなかった。この少年には一刻も早く自分のことなど忘れて仲間のところに戻り、あの目を背けたくなるぐらい眩しい笑顔を振りまいてほしいと願う。

 

「死ぬ前に一言いいかな?」

「どうぞ」

ノースの言葉にハルが促した。

「弱者は生きていけない世界だよ、ここは」

「じゃあ、誰が生きていけるの?」

ハルは一度もノースの姿から顔を背けない。

「強者だよ」

「そう。僕はどっちかな?」

ハルが尋ねた。

「君は・・・難しいね。弱者に見えて強者にも見える。はじめてかな。見た目で判断できない人は」

「そうなんだ。褒められたのかな、今」

ハルはここにきてニッコリと笑った。月明かりに照らされて、その笑顔がよく見える。あまりにも無邪気な笑顔だった。この世界には似付かわしくない程に場違いであるともとれる。

「君の笑顔は素敵だね。見てるこっちが嬉しくなるよ」

ノースはそう言って外周の外を見やる。彼の笑顔をこれ以上見ていると決意が鈍りそうだった。

 

「じゃ、ハル君バイバイ。最期に君に逢えてよかった」

ノースは顔を向けずハッキリと口に出し、外周の塀を登るために手をかけた時だった。石垣に座っていたハルが急に立ち上がったかと思うとノースの隣まで走ってきた。呆然とするノースには目もくれず、塀の上に登り1回だけ深呼吸をする。そして優しく微笑みながら、まるで子供用のプールに飛び込むかのような軽い跳躍で飛び降りた。

「ちょっと!」

ここでノースの反応が少しでも遅れていれば、ハルの姿は雲が広がるグラッフィクの中でポリゴンへと変貌していただろう。そう。咄嗟にノースが身を乗り出し手を伸ばして落ちるハルの手を掴んでいなければ。それでも少年の身体が特段軽いわけではない。それでも掴んだ手を離すまいと、ノースはハルの右手首を必死に両手で引っ張った。そんな彼女の焦る表情を見上げたハルは対照的にキョトンとした顔でぶら下がりながら不思議そうにノースへと視線を送る。

「何で、僕を助けちゃうのさ?」

「そ、そんなの!だって!」

「いいよ。一緒に死のうよ」

「な・・・に・・・言ってるの!?」

「だって僕が何言ってもノースさんには無駄なんだなって分かったから。やっぱり僕は弱者だね。弱者は生きていけない。そう言ったでしょ?」

ハルの口ぶりからは死ぬことへの恐怖なんて微塵も感じられなかった。それよりも、ノースを説得できなかった悲しみの方が勝っているように見えた。

「ち、違う!ハル君は・・・ハル君は・・・ズルいよ!」

「え?」

「こ、こんなことして、死んじゃうのは・・・ズルいよ!」

「それ、僕のセリフだよ」

「うるさい!あんた、ちゃんと捕まってなさい!」

ノースは力を振り絞ってハルを引き上げる。この世界に来てから今まで、ここまで必死になったことはなかった。引き上げられたハルの身体はそのままノースの身体によって受け止められ、2人は地面に転がった。

「いてて・・・あれ、夕方と同じだ」

ノースの腹の上に圧し掛かったハルが暢気に言う。そんな能天気な少年の態度が無性にイラついて、ノースは上半身を起こしハルの頬に思い切り平手打ちをしてすぐにギュッと抱きしめた。

「バカバカ!なんであんなこと!本当にバカじゃないの!?」

「ノースさんなら助けてくれると思った」

「バカ!あんたバカだよ!本当に!!」

「ねぇ、聞いて」

「バカ・・・バカ・・・」

ノースの涙はとうに枯れ果てていた。

「強者とか弱者とか。僕は関係ないと思う」

「バカ・・・バカ!」

「人間、誰だって弱いときもあれば強いときもあると思うんだ」

「バカ・・・バカ・・・バカバカバカバカ」

「そういう考えじゃ、ダメかな?」

ハルがノースの拘束を優しく解きながら言った。

「後さ、あまりバカバカ言わないでよ」

少年はまた笑った。このコ、笑ってばかりだ。

 

 

2024年、2月。

アインクラッド 第48層 リンダース

リズベット武具店

 

「ハル。私、軍の人に会いに行きたい」

「いいよ。明日行こうか」

ハルは即答でノースの申し出を受け入れた。

「随分すんなりだね」

「ノースさんが抜けた後から1回も顔出してないんでしょ?いつか言われると思ってたし」

「そう」

 

「はい、できたよー」

リズベットが工房から元気よく出てきた。

「研磨と強化。どっちも成功しているからねー」

「ありがとうございます」

「ありがとう」

「何か不具合があったら、いつでも遊びにおいでよー」

明るい声に送り出される。

 

外に出た2人はオレンジ色に染まる空を見上げた。太陽が沈み始めている。

「綺麗だね」

ハルが空を見上げて微笑んだ。

「お腹空いちゃったな」

「私も」

「何か買っていこうか」

少年はニッコリ笑って提案する。出逢った頃から変わらない、沈む夕陽の眩しさに負けない輝きをもった笑顔。ノースの毎日は、この彼の表情に助けられている。いつからかは気付かなかったのだが、いつのまにかノースは自分のことを「私」と言うようになっていた。何がきっかけだったのかは定かではない。それでも何となく、それはハルが教えてくれた言葉の中に答えがあるのではと思っていた。

 

弱者だろうが強者だろうが関係ない。男だろうが女だろうが関係ない。

 

『β』の人間は、それを当たり前のように受け入れてくれた。

ノースは地平線に沈んでいくオレンジ色の太陽を見つめる。

いつものように、その風景が美しいと感じた。



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10.

2024年、2月。

アインクラッド 第1層 はじまりの街 軍本部

 

「タンク!徴税の時間だ、行くぞ」

槍を担いだ男が身の丈2メートル以上ある大男に声をかけるが、その巨大な男は黙って首を振った。

「放っとけ放っとけ。来るわけねぇだろ」

両手剣を背負った別の男が退屈そうに言う。

「徴税は俺たちの立派な仕事だぜ?あいつ、また命令違反かよ」

「木偶の坊は置いてけやいいんだよ」

「あいつ、もうすぐで軍やめるらしいぜ?弟と引き換えに」

「マジかよ!?血も涙もないな」

 

タンクと呼ばれた大男は大声で陰口を叩く集団に目もくれず、ただただ黙って立っていた。

 

 

 

Sword Art Online RE:Generation

第10話「巨人と小人」

 

 

 

転移門を抜けて5人の男女が姿を現した。ハル、ノース、タク、ムニ、ヒート。ほぼ同時期に出逢い、ギルド『β』の設立時に最初に登録されたメンバーである。

「はじまりの街は久々だなぁ」

このフロア独特の空気を肌で感じながらヒートが言った。

 

2022年、11月6日。この街から10000人からなる全てのプレイヤーの壮絶な旅が始まった。解放されることを夢見て走り出したプレイヤーは今でこそいるが、当時はそんな人間などいないに等しかった。多くの人間が混乱の中、恐怖とパニックに陥り、自我を崩壊させていった。そして、その想いと戦う決意をし、この世界で生きることを決めたプレイヤーが、現在この世界の殆どをしめている。しかし、それは決して攻略を目指しているわけではない。実際、攻略の為に最前線を駆ける人間は全プレイヤーの2割にも満たない。

 

『β』の5人は静かな街並みを歩く。比較的大きな街ではあるが、活気は全くと言っていい程ない。何故なら、この街に住む人間は攻略を諦めた者、生きる希望を失くした者、単純に戦う力が無い者で溢れているからである。どんよりとした負の空気が街中に漂っており、居心地がいいとは言えない。そんな中、ヒートは街路樹に植わる木の下で座り込む男の子と女の子を見つけた。歳はハルよりも下に見えるほど幼く小学生ぐらいの体格に見えた。

「何、やってるんだろ」

「あぁ、あれか。昔俺もやったよ」

ヒートの言葉にムニが反応して答えた。

「どういうこと?」

「木に生ってる実が落ちてくるのを待ってるんだろ」

「え?あれ落ちるの?オブジェクトだと思ってた」

「落ちない時もあるな。いや、落ちない時の方が多い」

「美味しいの?」

「味はしないから美味しくもないし不味くもない。ただ寂しさと切なさが口の中で広がるだけだよ」

ハルが悲しそうに言った。

「じゃあ、何で?売ると高く買ってもらえるとか?」

「3コルか5コルぐらいかな」

ノースが答える。

「子供か・・・」

タクが同情するような目をして口にした。

 

子供。それもハルのような少年ではなく、本当に子供としか言いようのない小さな子たち。

ソードアートオンラインは推奨年齢13歳以上とされてサービスが開始された。それでも、ログインに年齢確認があるわけではない。法律で決められているわけでもなく、あくまで「推奨」である。だから、それ以下の少年少女が少なからずログインし、このデスゲームに巻き込まれた。子供がこの残酷な世界を彼らの力だけで生き抜くのは不可能に等しく、多くの幼いプレイヤーたちがゲーム序盤で命を落とす結果となった。そして、命を落とす危険性を理解した彼らは外に出ることが出来ず、はじまりの街に留まることを余儀なくされていた。

 

ハルが木の下でうずくまる2人にそっと近づいた。子供たちはいち早くハルの姿に気がつくと途端に怯えた目つきになり、慌てて転びかけながら走って逃げ去ってしまった。その姿をハルは悲しそうに見つめている。

「ハル?」

タクが声をかける。

「ん、ごめん。昨日買ったサンドウィッチが耐久値切れそうだったからあげようと思ったんだけど」

「そうか。でも1人1人構ってたらキリがないぞ」

「わかってる。わかってるよ」

ハルは俯きながら返事をした。

「他人に怯えてたね」

ヒートが心配そうに言った。

「軍のせいかな」

「それもあるかもな」

ノースの言葉にタクが頷いた。

 

『アインクラッド解放軍』による、下層の統治。

噂によれば随分と横暴なことを行っていると聞く。

ノースは切なげにため息を吐いた。

 

 

「この糞ガキ!」

5人が歩いていると、突然路地裏から怒気を含んだ大人の怒鳴り声が聞こえた。それも1人ではなく複数のだ。5人は顔を見合わせ、声の元に向けて走り出す。

『アインクラッド解放軍』の制服である重厚な鎧と緑色のマントを身に着けた7人の男たちが3人の子供を袋小路に追い詰めていた。先程、木の下に座っていた子供2人を背中に回し守るようにして1人の少年が剣を抜き庇っていた。その姿に大人たちがせせら笑う。

「おいガキンチョ。そんな危ないもんチラつかせてんじゃねぇよ」

「俺たちが誰だか分かってやってんのかぁ?」

「うるさい!これ以上近づくな!」

少年は大人たちを牽制する。

「カッコつけんなよ、ガキ」

軍の1人が少年の腹に蹴りをいれた。力加減など一切せずに。

「うっ!?」

転がり蹲りながらも少年は眼光を光らせ大人たちを睨み付ける。庇われていたもう2人の子供たちは蹴られた少年を心配して駆け寄った。

 

「ガキはどっちだよ」

「あぁ!?」

背後からの声に軍の男たちは一斉に後ろを振り向いた。そこには首の骨をボキボキと鳴らしながら近づくムニ。

「誰だ、でめぇ」

1人がムニに拳を固め殴りかかってくるが、ムニはそれを容易に避けると男の鳩尾に弾丸のような重いパンチを食らわせる。安全圏なのでダメージはない。だが衝撃はある。殴られた男は吹き飛び民家の壁に叩きつけられ地面に倒れこんだ。それに怒った軍の集団が武器を握り向かってくる。しかし今度はムニの前に躍り出たヒートが剣を抜き広範囲攻撃のソードスキルを放った。安全圏でソードスキルを使用しても、デュエルでない限りHPが減ることはない。だが、先述した通り個々のレベル差がある場合、受けたプレイヤーには衝撃が襲う。それは一種の脅しに近い攻撃だった。

「な!?てめぇら、誰だ!?」

地に伏っする男が怯えながら虚勢を張る。

「君たちこれから話に行こうって相手に何やってんの・・・」

ハルが呆れた口調で微笑みながら言う。

「まぁ、僕も同じ気持ちではあるけど」

片手直剣を抜き、伏する男の喉元に切っ先を突きつけた。

「『β』が君たちのボスに会いたがってるって伝えてくれるかな?」

軍の人間たちは震えながら頷き走り去っていった。

 

「大丈夫?」

ノースは蹲る少年に駆け寄った。

「あ、うん。ありがとう」

「立てる?」

「平気だよ。こんなの慣れっこさ」

少年は立ち上がって明るく言った。

「ジュン、カナ。お前らもこの人たちにお礼しなよ」

少年が後ろでへたり込む子供2人に声をかける。

「元はと言えば、お前らがホーム抜け出すからこんなことになったんだからな」

「あ、あ、ごめんなさい。ありがとう・・・ございます」

2人の子供に頭を下げられムニとヒートは年甲斐もなく照れた。

「そうだ!ねぇ、お姉さんたち時間ある?僕たちのホームに来てよ!お礼がしたいんだ!僕はシュート!よろしくね」

少年がノースの手を引っ張りながら言った。

 

 

『β』はシュートに連れられ、はじまりの街の外れに位置する教会にやってきていた。扉を開けて入ると、中はいっぱいの子供たちで溢れかえっている。ハルたちに気付き一瞬怯えた表情を見せるがシュートが一緒だということを確認すると、また無邪気に遊び始める。

「サーシャ先生、ジュンとカナ見つかったよ」

シュートが叫ぶと子供たちの中から修道服のような青いローブを身に付け、メガネをかけた若い女性が現れる。

「シュート、ありがとう。ジュン君、カナちゃん、心配しましたよ」

女性はジュンとカナを抱きしめた。ごめんなさいと言いながら泣き出す2人。

「あら、その方たちは?」

女性はハルたちに気付き言う。

「この人たちが助けてくれたんだ。お礼してもいいだろ?」

シュートが答えた。

「まぁ、ありがとうございます。私はサーシャと言います。この教会の何というか、責任者というか」

「先生は俺たち子供を匿ってくれてるんだ。俺らみんな感謝してるんだよ」

口ごもるサーシャの言葉に続いてシュートが言った。

「へぇ。僕はギルド『β』のハルと言います」

ハルの言葉を皮切りに『β』のメンバーが軽く自己紹介をした。

「すっげぇ!ギルドかっけぇ!」

シュートは声を大にして感動している。

 

お礼と言われ、5人は食事を頂いていた。パンと卵と少量の野菜といった普段食べているものに比べれば質素ではあるが、味付けがどの食材にもしっかりと染み込んでおり、その家庭的な味は決して悪いものではない。

「多いですね」

周りのテーブルで食事をする子供たちを見てノースが言った。

「そうですね。レベル上げすら満足に出来ない子供たちを引き入れているうちに、こんなに増えちゃいました。まぁ、私もレベル上げるのそんなに上手くないんですけど」

大変だとは言うが、サーシャの口ぶりから後悔したり面倒腐がったりしているような感じは一切ない。

「立派だと思います」

ハルが率直な意見を述べるとサーシャは嬉しそうに顔を赤らめた。

 

「おいこら、俺のパンを取るんじゃねぇ」

ムニは子供たちのテーブルに混ざり騒いでいる。

「お姉ちゃんカッコよかった」

「ぬふふ。そう!私はカッコいいのだ!」

ヒートも子供たちに囲まれ騒いでいた。今日子供を救ったヒーローの2人だ。完全に子供たちの人気を独占していた。

 

「生活はどうですか?」

ノースが聞いた。

「あまり贅沢な暮らしは出来ないですね。だけど食材やお金の調達はシュートが頑張ってくれるので、なんとか」

「そっか。お前偉いんだな」

タクが隣に座るシュートの頭を撫でると、少年は誇らしげに微笑んだ。

「でも軍の方からの圧力は相変わらずというか」

「徴税ですか?」

「えぇ。シュートが稼いでくれるお金も殆ど取られてしまって。私がもっと強ければいいのですが・・・」

「そんなことないぜ先生!俺がもっと稼ぐからさ!」

俯くサーシャにシュートが明るく言った。

「ありがとね」

サーシャにお礼を言われたシュートは照れを隠すように頭をかいた。

「軍の圧力は徴税の他にも?」

ノースが聞いた。

「えぇ。子供を軍にいれるから寄越せと言われます」

「軍に?」

「勿論断っています。1回だけ、その申し入れを受けたことがありました。でもそれから連れて行かれた子に会いに行っても面会謝絶で・・・そしてその1週間後に黒鉄球の碑を調べた時、名前に線が入っていました」

「そんな!?いきなりフィールドに送り込んだってことですか?」

ノースが息を呑む。

「あるいは最初からそのつもりで囮に使ったのかもしれないな」

タクが静かに呟いた。

 

戦闘出来ないプレイヤーをに向けてモンスターをけしかけ、その間にモンスターを安全な位置から倒す汚いやり方。巷では「モンスターPK」と呼ばれるこの悪質な手は殺人ギルドを中心に広まっていた。それが使える技かどうか軍は知りたかったのかもしれない。

 

突然、扉がドンドンと乱暴に叩かれた。その荒っぽい叩き方に『β』の人間は思わず立ち上がり自身の武器に手をかける。

「大丈夫ですよ。この時間なら恐らく」

サーシャはそう言って立ち上がり扉を開けた。外に立つのは身長が2メートル以上ある巨大な男。背中に背負っている斧はその男よりも大きい。

「タンク!」

シュートが大男に向かって駆け出す。タンクと呼ばれたその大男は駆け寄って来たシュートの頭をゴツゴツとした手で優しく撫でた。そしてウィンドウを開き大きな麻袋を取り出してサーシャに無言で渡した。

「タンクさん、こんなに?」

サーシャは受け取って目を丸くしタンクの顔を見上げる。

「・・・」

対しタンクは何も言わない。

「いつもすいません。ありがとうございます」

その言葉を聞き、タンクはシュートの頭にポンと優しく手を置き、踵を返して去っていく。

「タンク!また一緒に狩りに行こうよ!」

シュートがその後ろ姿に声をかけた。

 

「あの方はタンクさんです。夜になると毎日教会に寄ってくれて。大金を渡してくれたり食材やアイテムを渡してくれたりと優しい方なんです」

サーシャが席に戻ってきてハルたちに説明をした。

「タンクはいつも何も言わないけど、めちゃくちゃ強くていい奴なんだ」

シュートは自分のことを話すように誇らしげだ。

 

 

翌日。

アインクラッド 第1層 はじまりの街

アインクラッド解放軍 本部

 

巨大な建物だった。1000人を超えるメンバーが在籍しているということを抜きにしても、その巨大さは見る者、足を踏み入れる者を圧倒させる。城の廊下は中世ヨーロッパのような装飾が施され、得体の知れない高価そうなアンティークや恐らく上位の者であろう肖像画などが飾られている。花瓶にいけられた花でさえドぎつい色をしており、どうも落ち着かない。

「趣味、悪ぃな」

ムニとヒートは気に入らないという感情が明からさまに顔に出ている。残る3人もその悪趣味な品々に難色を示す。

 

5人は初見の間というところに通され、暫くすると男が現れ5人よりも髙い位置に置かれた豪華な椅子に座った。因みに『β』の5人に椅子は用意されていない。

「βテスターが何の用や」

明らかに見下した感じの口調だった。

「シンカーさんにお会いしたいのですが」

ハルが言う。

「なんや、わしじゃ不満かい」

「シンカーさんにお会いしたいのですが」

ハルはもう一度、落ち着き払って言う。

「なんじゃ坊主!ナメてんのかゴラァ!」

男が怒気を含み唾を撒き散らしながら叫ぶ。乱暴な関西弁。『アインクラッド解放軍』の副リーダー、キバオウとはこいつのことだろう。昔と変わらないその横暴な態度に懐かしさを覚えながらノースは黙ってキバオウの姿を見つめた。

「では、貴方でも構いません」

「あ?」

「最近、貴方たち軍の方からギルド加入の勧誘を何度も受けているので正式に断りに来ました」

ハルは全く口調を変えることなく物応じせずに言い切った。

「勧誘だぁ?フザけんなよコラ。誰がβテスターなんぞに、ンなこと頼むかボケ!」

「なら、勧誘はなしの方向でいいですよね」

ハルは話をまとめ、帰ろうとする。

「ちょ待てやコラ、なんやその態度は」

キバオウが立ち上がり威嚇するが、ハルは帰る支度を整え背中を向けていた。残る4人もハルに続く。

 

「待て言うとるやろが!おい!」

キバオウは席を離れハルたちの傍まで降りてきて叫んだ。

「まだ何か?」

ハルが顔も向けずに言った。

「『何か?』じゃないわボケ!ワレ目上の人間に話す態度ないンかコラ!・・・ん?」

5人の傍まで降りてきたキバオウは、ノースの存在に気付き彼女の姿を舐めまわすように見つめる。

「お前・・・ノースか?」

「・・・どうも」

驚くキバオウにノースが軽く頭を下げた。

「お前・・・よくもノコノコと現れよったの。わかってるんか、お前がいなくなった後の解放隊がどんな被害こうむるハメになったンか」

「第25層の話ですか?」

「そうや。あそこで何人も仲間が死んだンや。それをお前は!」

「私のせいですか?」

「そうに決まってるやろが!お前みたいなβ上がりのクズが尻尾巻いて逃げ出したからやろが!」

キバオウはそう言って乱暴にノースの肩を掴んだ。

「おい」

途端にタク、ムニ、ヒートの3人が自身の武器を抜き放ち、キバオウの喉元に切っ先を突きつける。

「・・・なんのつもりや」

「お前こそ、なんのつもりだ?」

タクが鋭くキバオウを睨みつけながら言う。

「軍の本部で何さらしてンのか、わかってンのか?」

「わかってるからこその行動だが?」

そのタクの口調はキバオウよりも尖っていた。

「戦争になるで?お前らカスが束で挑んでも負けない兵力がウチにはある」

「数に頼ってんのか、情けねぇな」

ムニが呆れた口調で言う。

「こいつムカつくなぁ。ハルちゃん、斬っていい?」

ヒートが苛々を隠すことなく言い切る。

「戦争?かまいませんよ。ただ挑んでくるのは貴方たちの方ですけど」

ハルが言う。

「お前らホンマもんのアホやな。最前線で戦ってるからって調子のンなや」

「調子にのってるのは貴方の方では?」

「どういうことや」

「貴方たちが毎日やってることはオレンジプレイヤーと同じくらい卑劣だ。この街の癌だ」

「何やと?」

キバオウが鋭く睨み付けるがハルは怯まない。

「徴税と称して弱い者から金を巻き上げ、街に出れば子供を虐め、何が強者だ。笑わせないでください。アインクラッド解放を謳いながら第1層に閉じ篭って自身の命もかけず警察の真似事をして暮らしてる。そんなことをしていて楽しいですか?と僕は問います」

ハルの言葉にキバオウは悔しそうに黙り込み、ノースの肩を掴む手を離した。それと同時に剣を喉元に突きつけていた3人もキバオウに鋭い視線を送りながら構えを解く。

「もういいですよね」

ハルはそう言って出口の方へ向けて歩き出す。

 

「ノース。ディアベルはんが今のお前の姿見たら悲しむで」

ハルに続いて立ち去ろうとしたノースの背中に向けてキバオウが忌々しげに言った。

「その言葉、そっくりそのままお返しします」

ノースが振り返る。

「ディアベルは、こんなつまらないことをする人間ではありませんでしたから。かつての貴方はそうだった。私はキバオウさんの昔の姿が好きでした」

 

 

5人は軍本部の廊下を無言で歩いた。すると前からタンクが大きな身体を揺らしながら歩いてくる。

「タンクさん」

ハルが思わず声をかけるとタンクは無表情のまま足を止めた。小さなハルを無言で見下ろしていたが暫くすると何も言わないまま、その場を立ち去っていく。

「兄さんに用があったのかい?」

近くの部屋の扉が開き、細身で筋肉質な男が顔だけを外に出して言った。

「せっかくだからお茶でもご馳走するよ。さ、入って入って」

男が手招きをするので5人は中に入る。

 

綺麗に整頓された部屋だった。棚に色んな種類の本がギッシリと並び、武器であろう巨大なウォーハンマーがクローゼットの横に立てかけてある。男は自身のウィンドウから、座り心地の良さそうなソファを5つ取り出し座るように勧めた。

「兄さんとは知り合い?」

テーブルの上にお茶の入ったカップを6つ置いて男は言った。

「いえ、知り合いと言う程でも」

ハルが答える。

「そっか。まぁ、この世界で兄さんと友達になるのは難しいよね」

男はクスクス笑いながらカップに口をつける。

「はじめまして。僕はロック。正真正銘、タンクの弟さ」

「現実世界でもてことですか?」

「そうそう。僕らは兄弟でインしたんだよ」

ノースの質問にロックは快く答える。

「君たちはギルド『β』の人たちかい?さっきキバオウと会ってた」

「はい」

「そうか。いや、キバオウがアホみたいに怒ってたからね。あの人が不機嫌なのはよくあることだから気にしないで」

仮にも福リーダーである男をアホ扱いするロック。

「シンカーさんがもう少し厳しくなれたらいいんだけどね。それは無理な注文さ。優しさの塊みたいな人だからね。おっと、軍の内部の話をペラペラ外部の人間に話すのはあまりよくないね。ごめんごめん」

兄のタンクとは対照的によく喋る人だった。

 

「やっぱり上手く纏まってないんですか?」

「おっと、直球で来たね。ど真ん中ストライクコースだね。まぁ正しいよ。このギルドの実権はキバオウが握っているようなもんさ」

ノースの質問に気分を害した素振りも見せずロックは答える。

「下層の治安維持、徴税、狩場の独占、オレンジプレイヤーへの処遇、βテスターへの偏見。全部キバオウが考え指示してやっていることだ。いいこととは勿論思わないけどね。でも僕は元々シンカーさんが率いていたMTDにいたんだ。シンカーさんがいる所に僕もいたい。それが僕の考え」

ロックは淡々と述べる。

「誰か止める人はいないんですか?」

ノースが聞いた。

「キバオウはああいう性格だからね。言っても大した効果は出ない。実質、キバオウ派の人間の方が多いんだ。そりゃそうだ。彼についていけば裕福な暮らしが出来るからね」

「でもそれは・・・」

「勿論ただのまやかしにしか過ぎない。だけどね、一回その味を味わってしまったら人間というのは中々前には踏み出せないんだよ」

ロックはノースの言葉を遮って言った。

「貴方はそれを見ているだけですか?」

ハルが口を開く。

「厳しいね。そう。見ているだけだ。僕はもうシンカーさんに頼るしかない。なんとかしてほしくてキバオウと話をしただけで罰せられたよ。軍を抜けると言えば、この内部の情報がどこかに漏れるのかを危惧したのか今や僕は自室謹慎の身さ」

明るい口調の中に諦めが含まれていた。

「僕らMTDの人間はキバオウによって厳しく監視されている。だから外に出させてもらえないんだ。それはシンカーさんも同じだろうね。まぁ、それを強引に突っぱねたのが兄さんだけど」

「どういうことですか?」

「兄さんは子供を保護している教会を援助しているんだ。僕の身柄と引き換えにね」

「え?」

「兄さんのそういった行動が最近バレてキバオウが兄さんに言ったんだ。そういう勝手なことをするなら、お前も弟も一生外出禁止。この城で幽閉生活を送れとね。そしたら兄さんは昨日、軍を真っ先に辞めたんだ。他の奴らの制止を振り切り、僕の意見も聞かずにね。兄さん他人に指図されようが関係ないから。誰もあの大男は止められないよ」

ロックは誇らしげにケラケラと笑った。

 

「悪い人じゃなさそうだ」

軍本部の城を後にした5人は転移門広場に向かいながら話をする。

「というか、いい奴だったな。兄も弟も」

ムニが言った。

「どうにかしたいね」

ヒートが心配そうに言う。

「でもロックさんと約束しちゃったし・・・」

ハルがため息を吐いた。別れ際、ロックはこれは内部の問題だから外部の君たちが解決に乗り出さないようにねと深く釘を刺した。

「でも、外部の人間、特に子供たちが被害を受けているんだぜ?」

ムニが苛立つ。

 

「あ、お兄さんたち」

転移門広場にたどり着くと、転移門の前に立っていたシュートが声をかけてきた。

「あれ、どうした?」

タクが怪訝そうな顔を浮かべる。

「お兄さんたち、最前線で戦うギルドなんだって?」

「まぁ、間違ってはないな」

ムニが答える。

「それならさ!俺もギルドに入れてよ」

「え?」

シュートの発言に5人は驚き固まった。

「俺、結構強いよ?短剣と片手直剣のレベルも上げてるし。いつか攻略組に仲間入りするのが夢だったんだ!」

「ちょ、ちょっと待て。サーシャ先生は何て?」

戸惑いながらタクが聞いた。

「めっちゃ反対された。迷惑になるからって。でも強いギルドに入ることが夢だって言ったら許してくれたよ」

 

「ごめんね、シュート君」

力説し熱くなる少年の言葉を遮りハルが口を開くと、少年の表情から明るさが消えていく。

「ダメ?」

「うん。ダメだ」

「俺、人の役にたちたいんだ!お願いだよ!」

シュートは頭を深く下げて言った。ハルは膝を折り、シュートとの目線を合わせる。

「君は充分人の役にたってるじゃないか」

「え?」

「君は教会の優秀で立派なボディガードじゃないか。これ以上に人の役にたつ仕事なんて中々無いと思うよ」

「でも、攻略だって」

「攻略が直接人の役にたつかい?1層1層攻略するごとに教会の子供たちの暮らしが良くなるかな?」

「それは!でも、この世界からいち早く解放される為に俺は戦いたい!」

「それなら、本物の攻略組に入るといい。僕から信頼出来るギルドに口添えしてあげようか?『血盟騎士団』でも『風林火山』でも有名なところはいっぱいあるよ。そして僕らは、こういうギルドとは違うんだ。僕らの目的は攻略だけではないんだよ」

「じゃあ、何の為に生きてるの?」

「僕らかい?そうだな。根っこは教会の子たちと変わらないよ。生きるために生きてる」

「よく分からないよ」

「そう。実際のところ、僕らにも判ってないんだよ」

「え?」

「とりあえず死にたくないから生きてる。僕らはそんなものなのさ。だから僕たちは君が思うような強いギルドではないんだよ。攻略に参加するのは、ただ単に目的が合致するからなんだ」

ハルの言葉はよく解らなかった。近くで聞いているメンバーでさえも解らなかった。しかし意図は理解した。ハルがシュートを拒んでいるのは『β』は常に危険が伴うようなギルドであるが故の行動だと。βテスターを中心に構成されたギルドであり、まだまだ他人から嫌悪感を買われることも多い。そんなギルドに新しい仲間を加えることに対してハルは不安に感じているのだろう。

 

「じゃあ、僕たちは行くね」

そう言ってハルは立ち上がった。

「でも・・・」

シュートが顔をあげる。

「それでも、お兄さんたちは俺を助けてくれた」

小さな身体の奥底から搾り出すように声を出す。

「久しぶりなんだ。サーシャ先生やタンク以外に俺たちみたいな子供に優しくしてくれた大人は。だから、だから俺はお兄さんの傍にいたい。お兄さんの隣で戦いたい。安心していたい」

「・・・」

ハルは黙ってシュートの言葉を聞いた。

「教会も・・・いい所だけど。俺が、俺が頑張らないと俺が笑っていないと、みんなが安心できない。でも俺だって・・・たまには泣きたい。たまには1人が寂しいって言いたい。たまには安心していたい」

シュートは涙を零して想いを吐露した。

「それが君の本心かい?」

「・・・そう。強いギルドに入りたいのも夢だけど、それ以上に安心していたいんだ」

言葉に気持ちが篭ると同時にシュートは静かに声を殺して泣き始めた。止めようとしても涙が止まらない。

「わかってるんだ。この気持ちが甘えだって分かってる。だから強くなりたいんだ。お願いだよ。足は引っ張らないって約束する・・・だから」

 

「いいよ」

暫しの間を置いてハルは言った。残りの『β』のメンバーは何も言わない。全員がどこか遠いものを見るような目をして違う方角を見つめていた。

「え・・・今、なんて・・・?」

シュートがしゃくり上げながらハルの顔を見る。

「いいよ、おいで」

その視線に気付いたハルは優しく言う。

「でもまずはサーシャ先生に挨拶して。他の子たちにも。それが終わったら出発するよ」

「う・・・うん」

シュートはまだ信じられないような顔をして、ゆっくりと頷いた。

 

 

 

アインクラッド 第1層 はじまりの街 教会

 

『β』のメンバーは、シュートがサーシャや子供たちに別れの挨拶をするのを遠目から見ていた。全員が寂しそうな顔をしており泣き出してしまった子もいる。サーシャも泣きそうな表情だ。そんな様子の教会の仲間をシュートは熱く鼓舞している。

 

「これで良かったと思う?」

ハルがメンバーに尋ねた。

「いいんじゃね」とムニ。

「泣き落としはズルいよね」とヒート。

「お前が決めたことだ」とタク。

「わかんないよ、そんなこと」とノース。

「真剣に聞いたのに・・・」

ハルは口を尖らせた。

「あ・・・」

教会の敷地に大きな身体を揺らして歩いてくる大男を見つけたヒートが指を指した。

 

「その格好・・・軍、辞めたんだね」

シュートがタンクに気が付き近寄って言った。

「タンク。今までありがとう。俺、あの人たちについていくことにしたんだ。安心して。すっごくいい人なんだ」

大男はシュートに言われた『β』のメンバーを見やると近づいてきてハルの前に立った。圧倒的な身長差である。そのままタンクはハルを見下ろすと、ゴツゴツした大きな右手を差し出した。その手をハルは微笑みながら握り返す。髭が濃すぎて定かではなかったが、僅かにタンクが微笑んだような気がした。

 

「じゃ、行こっか」

ハルが号令をかける。

シュートは教会の方を振り返り手を振った。子供たちが全員外に出てきて手を振り返す。サーシャは深くお辞儀をした。タンクはじっとシュートのことを無言で見つめている。

 

 

第1層、はじまりの街。この街から全てのプレイヤーの壮絶な旅が始まった。そして今、1人のプレイヤーの新たな旅が始まろうとしている。

 

「お前、足を引っ張るのは構わない。手も足も引っ張っていいけど、自分の首は締めるなよ」

タクが言った。シュートは分かったような分からないような表情を浮かべているが頷いてみせる。

「今はそれでいい」

そんな少年の顔を見てタクは笑った。



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11.

2024年、4月。

アインクラッド 第20層 フィールド

 

「シュート!右だ!」

タクが鋭く指示を飛ばすと、少年は片手直剣を青く光らせ斬撃性のソードスキルを放つ。しかし合わせるタイミングがズレ、敵である大型のカマキリのようなモンスターには当たらない。

「気にすんな。終わったらすぐに退がる!」

タクに言われて慌てながら後ろに引くと、後方から飛び出したムニがカマキリの首を一刀両断した。

 

「ボヤッとすんな。戦闘中だぞ。次行け次!」

ムニの剣技にホレボレしながら一息吐いたシュートにタクが指示を飛ばす。

「カマキリBに重め3連撃のソードスキル!」

「は、はい!」

「遅。タイミング合ってない。退がれ!ヒートがスタンさせたら、もう1回やれ!」

ヒートの剣技によって麻痺して動きが止まったカマキリにシュートは慎重にソードスキルを放つ。するとカマキリは姿をポリゴンに変え砕け散った。

 

「ナイス!次だ!カマキリC。アイスがカマを弾いたらお前がスイッチしてソードスキル無しでトドメを刺せ!」

「りょ、了解」

 

 

 

Sword Art Online RE:Generation

第11話「ちびっこ戦士の奮闘」

 

 

 

アインクラッド 第50層 アルゲート

ギルドホーム

 

シュートの為の、タクによる午前中の特訓を終えた『β』の一行はホームに帰ってきていた。

「疲れちゃった?」

食卓のテーブルに突っ伏すシュートにニカがお茶を差し出しながら優しく声をかけた。

「タク兄が鬼教官すぎ~」

「え?なんて?」

すかさず後ろからタクが軽く膝蹴りをかます。

「いたいよ」

尻を押さえ大袈裟に痛がるシュート。それを見て、みんなに笑いが広がる。

 

小さな少年はすぐにギルドに馴染んだ。みんなにとっては弟が出来たような感覚であり、シュートにとっては兄と姉が出来たような感覚であった。そしてそれを誰よりも喜んだのがハルである。これで身長が一番低いのは自分ではない。これで低身長をネタにからかわれることはないと思った。だが、甘かった。逆に14歳であるハルと11歳のシュートが同じくらいの身長だということで、タクに「ちびっこ」と称され一括りにされてしまったのである。戦闘でも組まされることが多く、タクに「ちびっこ共、行け」とか言われる始末である。

 

シュートの特訓は下層から順番に行われた。なんせ今まで第1層から出たことがなかったのだ。ゆっくりとこなしながら、シュートが今のところ通用するフロアは第20層から第30層までとされており、その間も攻略は進み、今のところ第59層までが解放されている。『β』は57層の解放時、攻略戦に参加した後、シュートの育成の為に前線から引いていた。

シュート自身、最前線の攻略に挑みたい気持ちは強かった。しかしメンバーの強さを目の当たりにし自分ではまだ無理だとも感じていた。タクにそのことを告げると彼は笑いながら「その気持ちだけ大切にしとけ」と言った。

ギルドに入れて欲しいと頼んだ時、ハルは自分たちは攻略組ではないと言ったものの、シュートから見て『β』は猛者揃いだった。そんなメンバーに憧れを抱きつつ自分の可能性を大いに感じるのであった。

 

 

夜。

オヤジの飯を食べながらメンバー全員が食卓を囲む。

「食べながらでいいから聞いてね。明日第35層のクエストやりに行くよ。えとクエスト名は『桜の木の下で』難易度は高くないんだけど、場所が場所だから注意が必要かな。でもシューには場数踏んでもらいたいし。みんな宜しくね」

「場所が場所?」

ハルの言葉にシュートが不思議そうな顔をした。

「35層っていうと『迷いの森』か」

タクが口の中の食べ物を飲み込んで言う。

 

迷いの森は、第35層北部に広がる森林地帯である。名前の通り、立ち並ぶ森は基盤目状に数百のエリアに分割され、1つのエリアに1分いると東西南北の連結がランダムに変更されてしまうという仕組みであるため、気の抜けない場所であった。

 

「タクとニカさんはマップ読み込んでおいてね。まぁ言わなくても2人はやってくれるだろうけど。シグ君は各種ポーション、結晶を人数分集めておくこと。はい、一応僕からの報告は終わり。久々のクエストだ。みんな、楽しもうね!」

 

 

翌日。

アインクラッド 第35層 迷いの森 入口

 

「緊張してる?」

ニカがシュートに尋ねた。

「うん。ニカ姉は?」

「私も」

2人はクスクス笑う。

「フラグたて終わったよ。クエスト名は変わらず『桜の木の下で』目標はこの森にある桜の木を見つけること」

「・・・無理じゃね?」

ハルの言葉を聞いてムニが無数に生い茂る木々を見つめながらげんなりとして言った。

「えとね、桜の木は最深部にあるんだ。だからまずは中心に向かおう。じゃ、タク。戦闘指示の方やっちゃって」

「はい、任されました。昨日マップ見ながら思ったんだけど、頼むから独断行動はするなよ?迷子になったら洒落にならねぇ。シグ、各種ポーション、結晶をみんなに分配。もし迷子になったら転移結晶使ってホームに帰ってくれ。こっちからも無理に捜すことはしないから。隊形の説明するぞ。先頭にムニ、ヒート、ノース。中盤はちびっこ2人とニカ。しんがりはアイス、シグ、俺で行く。ニカ、お前は戦闘支援の他にタイムキーパーと方位探知をやってくれ。最深部にはボスがいるが、まぁ、ボスの説明は着いてからでいいだろう」

タクの指示に全員が頷いた。

「じゃ、行くぞ。ピクニックだな」

 

 

「ノース、AとBの攻撃受け止める!ちびっこ共、AとBをやれ!ムニ、ヒート、C!アイス、D!シグ、アイスの支援!俺はEに行く!アイス、終わったらこっち来い!」

自身の戦闘中でも前方、後方の両サイドに指示を出し続けるタク。目が8個はあるのではと思うぐらいに視野が広かった。

「シュー、ソードスキル使っていいからね?僕がフォローするから」

ハルが隣を走るシュートに言った。

 

狭い森の中で縦横無尽に駆け回るメンバー。ムニ、ヒート、アイスはオブジェクトである木を上手く使い、細い枝でさえも彼らの足場になる。特にアイスの戦い方は非常にイヤらしい。派手な一撃で決めきるのではなく、一突きいれれば場所を変え今度は背後から一突き、更に場所を変え頭上から一突きとジワジワと敵のHPバーを減らしていく。

 

「シュー、左方から行って。僕は右から同時に行く」

「分かった」

ノースが器用に2体の敵の攻撃を槍で受け止める。そしてハルとシュートが両サイドから同じタイミングで斬り込んだ。更にダメ押しとばかりにノースが両方の敵にスタンを放つ。数秒間の麻痺を喰らい硬直状態になった2体を再度ちびっこ2人が斬り裂く。

 

「むーちゃん、後よろしく」

短剣で敵の利き腕を斬り落としたのを確認したヒートは自分の後ろにいるであろう相棒に後を託す。

「任せろ」

ムニが両手剣で豪快に胴体を両断する。

 

「アイちゃん、そいつはもういいからタクの方行ってやって」

シグが銃のマガジンに新しく開発した弾丸を装填し終えて言った。アイスは頷いてタクと対峙するモンスターの背後に周る。アイスになぶられていた敵は彼女を追おうとするがシグがそれを許さない。

「おいおい、お前の相手は僕だって」

シグが引き金を引くと、音速の速さで放たれた弾丸は敵のコメカミにヒットすると火薬量を多めに追加されたそれは派手に弾け爆発する。

「うん。悪くないな」

爆発しポリゴンに変わる敵の姿を見てシグは満足そうに微笑んだ。

 

「ナイス挟み撃ちだ」

敵の背後から細剣を突き刺すアイスを見やってタクが言う。

「この陣形のまま行くぞ。ソードスキルなしで斬り刻む」

敵に攻撃させる暇も隙も与えず、前と後ろからタクとアイスが剣を振り抜いていく。

 

 

「ニカ。時間は?」

全員が戦闘を終えタクはニカに確認をする。

「3分休憩しましょう。エリアが変わっても方位探知スキルがあるので大丈夫です」

「おっけぃ」

全員が各々の位置で草むらに座り込む中、タクとアイスだけは立ったまま索敵スキルを使って辺りを警戒した。

「どう?調子は」

ハルがシュートに尋ねる。

「楽しいよ!」

息を弾ませながらシュートが答えるとハルは満足そうに笑った。

 

ふと、シュートは近くの木の裏にトレジャーボックスはあることに気がついた。

「あ、宝箱。俺が先だよ」

シュートが駆け出す。その言葉にみんなが反応し顔を向ける。

「シュート!待て!」

タクが叫ぶがシュートはお宝を開けることに夢中で聞こえていない。そして何の躊躇いもなく箱をタップした。途端に森の中に鳴り響く甲高い警告を表すアラーム音。呆然と立ち尽くすシュートの目の前にブラックホールのようなグラフィックが浮かび上がった。

「ワームホール!?」

ハルが咄嗟にシュートの腕を掴み引き離そうとするが、シュートの身体はそのブラックホールに飲み込まれ始めていた。

「おい!」

タクが駆け寄ろうとするがアイスの方が早かった。彼女もシュートの腕を掴むが引き込む力が思いのほか強い。引力に飲まれ3人の姿は消え去った。それを途方にくれたように見つめる残されたメンバー。

「敵だ!」

ふいにシグが叫ぶ。鳴り響いていたアラーム音が止まると木と木の間から巨大な身体を揺らしながら棍棒を片手にダラリとぶら下げたゴリラのようなモンスターが8体現れた。

「ドランクエイプか。仕方ねぇ。行くぞ」

タクが刀を構えながら号令をかける。

 

ドランクエイプ。

上層では珍しくもないが、このモンスターは中層にして常に5体以上の集団で現れ、スイッチを主体に組織だった攻撃をしてくる。更に体力が減った奴は後ろに下がり体力を満タンに回復させてから前に出てくる厄介で面倒臭いモンスターであった。

 

「今は集中しろ。シグとニカ以外前線に出るぞ。ムニ、ヒートで1体ずつ。俺とノースで1体ずつだ。後ろに下がって回復されても無理に追うな。奴らの群れの中まで入ったらフォローは出来ない。確実に死ぬぞ!シグ、後方から戦闘支援。ニカ、俺らの体力はお前に預ける。これはトラップイベントだから逃げることは出来なさそうだ。いなくなった3人と合流する為にも気合いれていくぞ」

タクの言葉に全員が咆哮した。

 

 

ワームホール。

フェイクの宝箱に隠されているトラップの1つで一般的には広範囲のダンジョンや森の、やや不自然な位置に設置されていることが多い。初めて存在が確認されたのは第55層の迷宮区。まさか中層であるこの森に存在するとは思わなかった。これに飲み込まれると、同エリアのランダムな位置に飛ばされてしまう。

 

ハル、アイス、シュートはどこからともなく吐き出され草むらに折り重なるようにして転がった。すぐにハルとアイスは起き上がって現状を確認、把握するがシュートはまだ呆然と座り込んだままだった。

「シュー、どっか怪我してないかい?」

索敵スキルを使い辺りを見渡しながらハルが言った。

「だ、大丈夫だと思う・・・なに今の・・・」

「トラップだ。こっちにモンスターが出ていないということは、タクの方に出てるのかな。アイス、何か変わったところは?」

「生物反応なしです」

「よし」

ハルは頷いてウィンドウを開きマップを確認する。

「ダメだ。タクたちの場所がマーキングされてないや。1人だったら転移して脱出するところだけど3人だったら、あるいは」

 

この時点でシュートは自分も戦力の1人として数えられていることに驚いた。今しがたトラップに引っかかるという重大なミスを引き起こしたばかりだというのに。

「シュー。勿論君も頭数に入ってるよ。仲間なんだから当然でしょ」

シュートのそんな顔に気付いたハルが当たり前のように言った。

「でも・・・」

「じゃあ、君だけ脱出するかい?僕らを置き去りにするのは許さないよ」

口調は厳しいが表情は穏やかだった。

「それともトラップに引っかかったこと怒られたいの?そんなの後でも出来る。今は前だけを見るよ」

「あれ、なんでしょうか?」

突然、ハルの言葉を遮りアイスが深く生い茂る森の一点を指差して言った。

「え?どれ?」

指差した一点だけ、辺りの木々がピンク色に染まり輝いている。

3人は用心しながら、その光源を目指して進むと急に開けた場所に出た。大きな広場だ。そして、その中心に見事なまでに巨大な桜の木が生えていた。

「すっげぇ!」

シュートが感動し思わず声をあげる。

 

「僕の判断ミスかな?」

「いえ、見つけてしまった私に責任があるでしょう」

自虐的に苦笑いをするハルにアイスが素直に自分の非を認めるかのような口調で答えた。シュートは不思議そうな顔をして2人を見る。

「どうしたの?」

「いや、こんな広い場所でしょ?ここで戦えと言わんばかりの・・・」

ハルがため息を吐きながら言うがシュートにはまだ分かっていない。

「それに、シューも聞こえるでしょ?この音」

遠くから腹に響く鳴き声が。地面が微かに揺れ始める。

「え、え・・・」

狼狽えるシュート。

「やっちまいました。ごめんなさい」

アイスが細剣を構えながら言った。

「いやアイスさんのせいじゃないでしょ」

ハルも片手直剣を背の鞘から抜く。

「シュー、武器構えて。くるよ」

地響きは最早凄まじく3人の身体を揺らす。そして闇が広がる木々の間から巨大なモンスターが木をかき分けながら現れた。

 

体長6メートルぐらいの虎が鎧を纏い、2本足で歩行している。手には大振りの両手斧。虎はギラギラした双眸で広場の入口に佇む3人を見つめた。

「大きいねぇ」

ハルが虎を見上げながらシミジミと感想を述べる。

「そ、そんな余裕ぶらないでよ」

シュートが顔を青くしながら言った。

「タクには一応メッセージ送っといた。ピンチですハートって。だから増援が来ることを信じていくよ。シュート行ける?いや、行ってもらうからね」

「う、うん」

「戦闘中は、あいつのHPを減らすことは考えなくていい。増援が来た時に僕らが死んでなければいいんだ。だから無理に突っ込む必要はない。分かった?」

ハルが2人に声をかけた。

「長時間の接近戦は禁止。アイスさんは出来るだけヘイト値を稼いで。よし、行こう!」

3人が各々別の方向に走り出す。戦闘開始だ。

 

 

ドランクエイプとの戦闘は熾烈を極めていた。HPが残り少ない味方を庇うようにしてHP満タンの敵が前に出てくる。

「ふざけんなぁ!」

ムニが前に出てきたエイプを両手剣で斬りつける。更に後ろからヒートが追撃。そしてムニが追撃。更にヒートが追撃。その繰り返しである。ダメージは然程もらっていないがキリがない。それでも、この連鎖攻撃で2体のエイプをポリゴンに変えていた。

対するタクちノースのコンビも同じようにスイッチを繰り返し、3体目のエイプをポリゴンに変える。

「次いくぞ、次!」

タクの身体から闘志が溢れ出る。先程ハルからメッセージが届いた。

「何が『ピンチですハート』だ!?」

タクは焦っているわけでも怒っているわけでもない。ただ戦闘により分泌された大量のアドレナリンが身体中を駆け巡る。

「ノース、奴の棍棒は俺が受け止める!前に出ろ!シグ、てめぇハンドガンに拘りすぎだ!たまには活躍しろ!」

口調は乱暴だが、間違いなく戦闘を楽しんでいた。タクとは長い付き合いだが、彼が楽しむ姿は久方ぶりに見るシグだった。

「燃えすぎじゃない?」

シグはウィンドウを開きメイン武器を変更して新たに取り出したのはポンプアクション式のショットガンである『SPAS-12』連射性は劣り遠距離も弱いが、近距離射撃による弾の重み、破壊力、貫通力は銃の中でもトップクラスを誇る。

 

「ニカちゃん、僕も前に出るからね」

シグは隣に立つニカに声をかけタクの下に駆け出した。

メイン武器が銃のシグは滅多に前線に出ない。『β』は前線で戦えるメンバーが揃っているので、わざわざ自分がでなくてもいいだろうという考え方である。1人だけ銃であり他はみんな剣なので普通の連携は取れないし射線を一々気にしながら戦うのも面倒臭かった。

 

シグは走りながらショットガンのフォアエンドを前後にスライドさせる。散弾が基本であるが今回シグが使用するのは強力な破壊力と貫通力を1発1発に込めたスラッグ弾。助走をつけエイプの肩に飛び乗り、頭部に銃口を向けゼロ距離でトリガーを引いた。再度フォアエンドをスライドさせ、同じ箇所に弾丸を放つと肩から飛び降りる。頭部が黒コゲになり煙を上げ倒れ込むエイプに接近していたタクが刀を振り両断する。

「シグ、お前最高だ!」

タクがハイテンションで叫ぶ。

「いや、だから燃えすぎでしょ」

シグは呆れた顔をしながら、回復しようとしているエイプで向かって手榴弾を投降する。凄まじい爆発が巻き起こり、粉塵に紛れ込みながら倒れるエイプの懐に潜り込んだシグは腹部と頭部に1発ずる弾丸を食らわせポリゴンに変えた。

 

 

虎の動きは非常に機敏であった。身体が巨大な分、歩幅も大きい。ハル、アイス、シュートはお互い距離を取り戦っていた。しかし、ハルとアイスに比べ、シュートはあまり多く斬り込みに行けない。自分よりも遥かに大きなモンスターと戦うのは初めての経験だった。足がすきみ、身体の震えが止まらない。

「シュー。それでも構わない。無理だと思ったら近づくな。だけど足は止めるな。絶えず動き回るんだ」

ハルが虎の周りを駆け回りながら言った。情けないと感じながらもシュートの身体は正直だった。

「シュー。敵を常に見るんだ!そっち行くぞ!」

虎がいきなり進路を変え、シュートに向けて斧を振りかぶる。

「あ・・・あ・・・」

逃げなきゃいけないのは分かっている。それでも足が、足が全く動かない。

 

重い打撃音が鳴り響く。思わずシュートは目を閉じたが自分の身体に衝撃はいつまでたっても訪れない。恐る恐る目を開けると、シュートの前にハルとアイスがいた。ハルが虎の斧を盾で受け止め、アイスもまた虎の斧を細剣で受け止めている。

「くっ・・・押し返せないか!」

ハルが盾を持つ手に力を込めるがビクともしない。

「シュー。僕らが受け止めている間にそこから離れろ!早く!」

我にかえり退避するシュート。それを確認してハルとアイスが上手く斧を受け流し、その場から離れる。

 

「強いですね」

アイスがハルの隣に立って呟いた。

「うん。中層とは思えないね。フロアボス並みだよ」

「提案なのですが、シュート君は脱出させた方がいいかと」

「そう思う?」

「はい」

ハルはアイスの顔を見る。無表情ではあるが、長い付き合いだからこそ彼女の気持ちが分かる。明らかに心配していた。思えば、シュートがワームホールのトラップに引っかかった時もアイスの反応は誰よりも早かった。アイスなりに常に気を配っていたのだろう。もし飲み込まれたのがハルとシュートだけだったら、ここまで戦闘を続けることは出来なかっただろう。

「分かった。伝えてくるよ。暫く引きつけてくれるかい?」

「はい」

 

ハルは腰を抜かしたままヘタり込むシュートの傍に行って言う。

「シュー。こいつ予想以上に強すぎる。僕らで何とかするから君は先に帰るんだ」

「え?」

「足手纏いとかそういう理由じゃない。単純にレベルが違いすぎる。僕らは安全マージン充分にとってるけど君はギリギリだ。転移結晶で50層のホームまで飛んでくれ」

ハルは必死で述べる。

「ごめんなさい・・・」

「謝る必要も泣く必要もない。このクエストをチョイスしたのは僕だ。僕に責任がある」

ハルの断固たる決意にシュートは背中を押された。

「転移結晶の使い方は分かるね?」

「うん。大丈夫」

シュートはそう言ってストレージから結晶を取り出した。

「僕らもすぐに帰るから」

「あ、ありがとう・・・。転移アルゲート!」

 

シュートが転移結晶を掲げて街の名前を叫んだ。本来ならシュートは光に包まれ告げた街に転送される。しかし何も起こらない。

「ま、まさか結晶無効化エリア?ここだけ?」

失念していた。考えが及ばなかった。しかも、このエリアだけ結晶が使えないという情報は今まで聞いたこともないし情報にも無かった。そしてハルはもう1つ忘れていたことがあった。それは今の状況。目下戦闘中であり、モンスターの存在は完全に頭の中から消えていた。

 

結晶無効化エリアで結晶を使用すること自体がトラップであったのだろう。使用したプレイヤーを識別するシステムが作動し、アイスと対峙していた虎はクルリと向きを変えてハルとシュートに迫った。

「な!?」

ハルが思わず左手に持つ盾で攻撃を防ごうとするが、完全に遅れた反応、不安定な姿勢によって虎が振りかざす斧は盾には当たらず、ハルの左腕を根元から掠め取った。ハルの身体は衝撃で吹き飛び、盾を持ったままのハルの左腕が身体から離れポリゴンに形を変えた。片腕を失ったハルのHPが著しく低下する。

転がって立ち上がることの出来ないハルに目掛けて虎が再度斧を振り下ろす。アイスが懸命に駆けるが遠すぎる。間に合わない。このままではハルが、死んでしまう。

 

 

―――死ぬ?

 

 

「それはダメだああああああああ!!」

シュートの身体の震えが止まった。足が動く。本能が働いた瞬間であった。

倒れるハルの位置から離れた場所に転がる盾を拾い、地に伏したハルの前に立ち巨大な斧の一撃をその盾で受け止めた。凄まじい衝撃だった。しかしここで負けるわけにはいかない。身体に鞭を打ち我武者羅に踏ん張った。

駆け寄って来たアイスが虎の背後から強力な突きによるソードスキルを放つと、盾にかかる力が弱まる。アイスに虎が向き直る。すかさずアイスは虎をハルとシュートから引き離した。

 

「ハル兄!」

シュートは自身のストレージからハイポーションを取り出しハルに飲ませた。

「・・・ありがと・・・」

息も絶え絶えになりながらハルはそれを飲み干す。片腕欠損ペナルティによりハルのHPは完全には回復しない。

「俺、ハル兄の盾になるから!俺、頑張るから!」

「・・・うん。一緒に行こう!」

先程まで戦意喪失していたシュートの姿はどこにも見当たらない。ハルは少年の瞳に燃え上がる炎のような煌きを見て、右手に剣を握る。

「シュー。行こうか」

「分かった!」

2人同時に虎に向けて駆け出した。

 

2人の小さな子供に気付いた虎は後ろを向いたまま、長く強靭な尾を振り回す。ハルの左側にピッタリくっついたシュートは盾を両手で構え尾を受け止めると、ハルが失くした左腕の仕返しだと言わんばかりに尾を付け根から両断した。

バランス感覚を担う尾を失った虎は後ろに倒れ込む。それをチャンスだと睨んだ3人はところかまわず虎の身体に斬り込んだ。合流するまでの時間稼ぎをする戦い方ではない。この3人だけで倒してしまおうという気迫の表れであった。

虎が起き上がろうとするが、すかさずアイスが頭に飛び乗り、脳天に細剣を突き立てる。それでも虎のHPは全損しない。

「斬り続けるよ!」

「了解です」

「了解!!」

ハルの言葉に2人が呼応する。

 

最初に5本あった虎のHPバーは戦闘開始から1時間経とうとしている今、残り1本となっていた。そして残り1本を切ったところで急に虎が跳躍する。そして何の前触れもなく持っていた斧をアイスに向けて投げつけた。鈍く回転する斧を難なく回避した彼女を次に襲うのは4本脚になって地を駆け迫る虎の鋭く尖った牙。アイスを噛みちぎろうと大口を開ける。咄嗟に細剣で防御姿勢を取るが、虎はそのままアイスの細剣を噛み砕いた。細い刀身が柄の根元から粉々に砕け散る。

 

「アイスさん!」

カバーに入ろうとした片腕のハルは目を丸くした。剣を折られ破壊された彼女は戸惑うどころか更に闘志を燃やしていた。柄だけ残った剣を放り捨て、右手をオレンジ色に輝かせる。そして右腕を振りかぶり、低い位置まできていた虎の眉間に鋭い手刀を放った。体術スキルによるゼロ距離超近距離技『エンブレイサー』である。虎の身体は大きく仰け反り半回転しながら地面に叩きつけられた。

 

「か、かっけぇ!」

感嘆の声をあげるシュートにアイスが無表情のままピースサインを向けた。

「アイスさん、武器いる?これしかないけど」

ハルが自身のストレージから薙刀を取り出しアイスに渡した。受け取った狂戦士はそれを軽く振るい間合いや扱いやすさを確認する。普段から片手剣だけを使用するアイスしか見てないが、これはこれで様になっている。というよりも、これ程までに武器が似合う女性も珍しい。勿論褒め言葉である。

「ごめん。片手剣持ってないんだ。それ使えそう?」

「問題ないです」

「よし。残りのHPバーは1本ない。こうなったらもう3人でやっちゃおう。畳み掛けるよ。シュー、行けるかい?いや、行ってもらうからね!」

「大丈夫さ!」

シュートはハルの盾を左に持ち右手に握った片手直剣を握り直した。

 

虎は先程投げた斧を拾い戦闘体制に入っていた。3人は同時に駆け出す。

最初に斬りかかるのはアイス。虎の頭部目掛けて勢いをつけて跳び、空中で1回転しながらその遠心力を利用して虎の顔面を斬りつけた。

次に行くハルも勢いをつけて跳び、虎が持つ斧の刀身を足場にしてもう一度跳ぶ。そして剣に全体重を込めて虎の喉元に剣を突き刺し、すぐに退避する。

最後に追いついたシュートは虎の股下に入り込み、両足に3連撃ずつソードスキル無しの斬撃を放ち続ける。虎のHPバーは残り約半分。

「シュー。さっき1発貰ったろ?ポーション飲んで!アイスもだよ!」

「了解です」

「分かった」

2人の体力が回復する間に、ハルが虎の懐に潜り込み応戦する。片腕を失っているとは思えない動きであった。すぐにアイスとシュートが参戦する。しかし先程とは対照的に虎は上手く3人の攻撃を斧で受け流し受身の戦いをしてきており、中々体制を崩すことが出来ない。

 

「ハル、アイス、シュー!一旦退け!」

ふいに広場の入口から聞き慣れた声が響いた。

「ムニ、ヒート、ノース、シグ!前に出ろ」

4人の仲間が3人と入れ替わるようにして虎と対峙する。

「みんな!」

ハルが安堵したような表情を浮かべた。

「捜したぞ、この野郎」

荒っぽい口調とは裏腹に優しく微笑むタク。

「ありゃ、アイちゃん、武器どうしたの?」

「折られました。最悪です」

アイスの薙刀に気付いたヒートが尋ねた。

「ハル、お前片腕どうした?」

「斬られた。最悪」

ムニがハルの腕に気付く。

「まぁ、シューが僕のこと庇ってくれなかったら多分死んでたけど」

「マジかよ、やるじゃん!ちびっこ」

タクが嬉しそうに笑う。

 

「敵の守備力、敏捷力を幾つか下げましたよ~」

まるでお茶が入りましたよというような、ほんわかした口調で言うニカ。

「よっしゃ!お喋りもこんぐらいにしてやっちまうか!」

「当然!」

タクが刀を構えると同時にハル、アイス、シュートが駆け出す。

 

 

程なくして、虎のHPバーはゼロになり、その姿をポリゴンに変え四散した。

ハル、アイス、シュートにとっては2時間近く続いた長時間の戦闘が終わりを告げた。

 

 

「つ、疲れたー」

ハルとシュートが草むらに大の字になり寝転ぶ。

「まだクエストクリアじゃないぞ」

タクが言う。

「あ、そうだった」

「忘れるなよ」

「忘れてた」

みんなが笑い出す。

 

「えとね、クリアするには桜の木の下に近寄ること・・・」

『β』の9人が立派な大木の下に立つ。途端に優しくそよ風が吹き、枝を揺らす。花弁が舞った。

「綺麗だね」

「そうだな」

ヒートとムニが肩を寄せ合って言った。

もう一度、静かな風が吹いたかと思うと、9枚の光輝く花弁が1人1人の前に落ちてくるので、みんなが手でそれを受け止める。ハルが受け止めた1枚をタップすると『春の結晶』と表示が出た。

「春の結晶だってよ。何?お前の結晶?」

タクが笑う。

「や、ややこしいな。どうやら強化アイテムみたいだね。装備なら何にでも使えるのかも」

ハルが言う。

 

「にしても、いい所だな。花見がしたいぜ。弁当持ってくりゃ良かったな」

シグが言った。

「そうですね。ずっといたくなります」

ニカが相槌を打つ。

「私は嫌いです。剣が折られた場所ですしハルさんが腕を失った場所ですから」

アイスが悔しそうに言ったのを聞いて『β』のメンバーは笑いに包まれる。

 

「いや、僕の腕、もう復活したから」

クリア報酬を受け取った時に丁度ハルの左腕欠損ペナルティが解けていた。そのハルにシュートが近づき、預かっていた盾をハルに返す。

「ありがとね」

ハルが優しく微笑む。

「シュート。もとはと言えば、お前がトラップに引っかかったのがチーム分断の原因だぞ」

いきなりタクが吼えたのでシュートは小さい身体を更に小さくする。

「でも、その後は大活躍したらしいから、お咎めは無しでいいや。よくやった!言っただろ?足引っ張るのも手引っ張るのも構わないって」

タクは笑っている。シュートが見渡すと、全員が笑いながらシュートの方を見ていた。それを確認した小さな少年は愛嬌ある笑顔を浮かべ笑い返してみせた。

 

「しばらく、花見していこう」

ハルの提案に全員が頷き、桜の木の下に腰をおろした。



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12.

2024年、4月。

アインクラッド 第39層 アールーン

葉っぱ屋「Smorkin Torch」

 

(まいったなぁ)

シグは心の中で呟いた。カウンターを挟んで目の前に満面の笑みではしゃぐニカがいる。

 

いつも通り、朝に店を開けウィンドウを弄りながらストレージの整理をしていると彼女が遊びに来たのだ。ニカ曰く「今日は晴天なので絶好のお出かけ日和です!出かけましょう!」とのことだ。

店をNPCに任せて出かけること自体には何ら問題はない。自分自身も別にインドア派ってわけでもない。ただ1つ問題なのはニカと一緒だということ。シグは最近自分の心の中で湧き上がる気持ちに気付いていた。だてに25年間生きてきたわけではない。間違いない。これは確実に恋である。

 

シグはニカのことが好きになっていた。

 

 

 

Sword Art Online RE:Generation

第12話「ボーイズロマンス」

 

 

 

アインクラッド 第50層 アルゲート

ギルドホーム

 

ハルは自室兼執務室で先日行われた迷いの森クエストでの反省会をタクとしていた。タクは「もういいだろ」という考えであったが、あの場で誰も死ななかったのは奇跡に近いとハルは思っていた。

「仕方ねぇだろ。結晶無効化エリアだって情報屋は言ってなかっただろ?トラップの宝箱があるってのも聞いてねぇし。まぁ省みるなら何で今回だけいつもと同じ情報屋に頼らなかったんだって話だな」

タクが言う。『β』が未開のクエストに赴く際は、毎回情報屋であるフランに聞き込みをしてからにしている。しかし今回はフランの姿がどこを捜しても見つからなかったのだ。

「それでも、チーム分断なんて最悪だよ」

「でもそのお陰でいいもんが見れた」

「何?」

「シグの近接戦闘さ」

「あぁ。僕もちょこっと見たけど、シグ君ってやっぱり強いよね」

「おぉ。隊形は最近固定気味だからなぁ。変更しても面白そうだなって思ってさ」

「楽しそうだね。こっちは落ち込んでるのに」

「おいおい。だから結果オーライだって言ってるだろ?」

「そりゃそうだけどさ」

ハルは不満そうに口を尖らした。大の男がこれをやるとブン殴りたくなるぐらいムカつくだけだが、ハルやシュートがやると実に可愛らしい。今のハルにそれを言うと不貞腐れてしまうので伝えることはしないが。

 

 

アインクラッド 第47層 フローリア 主街区

 

「わぁ、綺麗ですね~」

転移門をくぐり抜けたニカは街の景色に高揚した。第47層はフロア全体が花で覆われた美しい階層で、主街区であるフローリアは別名『フラワーガーデン』と呼ばれる程に花が咲き乱れた美しい街だ。

 

(失敗した・・・)

シグは心の中で自分に悪態をついた。

結局、店はNPCに任せて出かけることにしたのだが「どこに行く?」とニカに問うと彼女は「シグさんが行きたい所でいいですよ」と一番困る返答をした。自分のセンスが問われる回答に行き着いた結果がここである。

フロアが花畑ということで、この街に訪れるプレイヤーは圧倒的にカップルが多い。この街で結婚式をあげる男女も少なくない。そんな超メジャー級のデートスポットに来てしまったことに早くも後悔しているシグなのであった。

 

そんなシグの心境も知らず、ニカは無邪気に街の花壇を見て周る。花壇に植わる花をタップすると、その名前と種類が表示された。

「花っていいなぁ。栽培スキル鍛えてみようかなぁ。シグさんは栽培スキル持ってます?」

「持ってる」

完全に上の空であったが反射的に答えることが出来た。

「いいなぁ。え、それは煙草の為ですか?」

「そう。使える植物は自分で育ててみたいし」

「そしたら、こういう花も栽培出来るんですか?」

「うーん、こんな綺麗なのはまだ出来ないなぁ」

 

(やべぇ、僕いま普通に会話してる!?)

 

「私に合いそうな職人スキルって何だと思います?」

「ベタだけど、料理かな」

「料理か~。前はボロボロだったからなぁ」

「最初はあんなもんだって。僕も初期の頃は食材ダメにしてたよ」

「そんなもんか~」

普通に会話が成立しているが、シグの内心は様々な感情が入り乱れていた。

 

「シグさんって職人スキル幾つ持ってるんですか?」

「えーと、料理、栽培、武器精製、職人スキルではないけど釣りとか・・・」

「釣り!?」

「昔は自分で釣った魚、食べてたよ」

「へぇ、凄い」

 

(凄い・・・凄い・・・凄い・・・凄い・・・凄い・・・)

ニカの言葉が頭に響き続ける。

 

「な、何か食べる?」

「そうしましょうか」

シグの提案にニカが頷いた。

 

(失敗した・・・)

店に入り席についた瞬間、シグはまたもや心の中出悪態をついた。

街がカップルで溢れていれば当然店の中も同じ状態である。かといって違う場所に移動するのも不自然で変だし・・・。せめて、隣の席で彼女に「あーん」して食べさせて貰ってる優男がいなければ、こんな気持ちにはならなかったのに!!

 

「シグさん、何食べます?」

ニカがメニューのウィンドウを見ながら言った。

「え?えー、クランザスのサイコロステーキでいいや」

「了解です。じゃあ私はマカスの実のクリームパスタにしようかな」

注文を終え、程なくするとメイド服姿のNPCが料理を運んできた。

 

「シグさんって結構強いですよね」

「え、何突然」

ニカがパスタを口に運びながら急に言うのでシグは食べる手が止まる。というよりも固まる。

「西の山行った時も迷いの森の時も凄かったし」

「どうした、急に持ち上げたりして。そんなよいしょしても、ここの飯代ぐらいしか奢らないぞ」

いつも通りの冗談が飛ばせるまでに回復してきたシグ。

「別にお世辞を言っているわけでは。私、シグさんの戦ってる姿、結構好きなんですよね」

「え?」

 

(好き・・・好き・・・好き・・・好き・・・好き?好きって言われた・・・好きって言われた・・・好きって言われたああああああああ!!??)

 

「ドリンクのお代わり如何ですか?」

いいタイミングでNPCがやってきた。

「あ、あぁ。お願いし・・・えぇ!?」

見上げてシグは声が裏返る。ずっとNPCのウェイトレスだと思っていたがアイスだった。いつぞやのメイド服を着て立っている。これにはニカも気付かなかったようで盛大に驚いていた。

「お、お前なにやってんだよ!?」

「なにって、仕事ですが」

「仕事?何でこんな所で」

「無銭飲食のペナルティです」

「は?」

聞くところによれば、武器装備を整える為に金を使い果たし、どうしても腹が減った為、ここの飯屋に寄り、たらふく食べたが勿論代金を払えるわけもなく、食べた分だけ働かされているらしい。なんだ、そのペナルティ。情報屋に教えたほうがいいぞ。聞いたことないから。

「お前、金ないなら言えよ。それぐらい助けてやるよ」

「1回やってみたかったんですよね。こういう仕事。夢が叶いました」

何故か嬉しそうに言うアイス。最早ツッコミすら入れる気にもならない。

 

「ふむ。このステーキ、なかなか美味ですね」

いつの間にか、アイスがシグの隣に座って料理をつまみ始めている。

「食うな!仕事中だろ!」

「2人は今日デートですか?いい御身分ですね」

「何様だ、こら!」

アイスのお陰でいつもの調子が戻ってきたシグである。こればかりは彼女に感謝であった。

「まぁまぁ怒らない。はい、あーん」

アイスがフォークにサイコロステーキを突き刺し真顔でシグに差し出した。言葉に全く感情がこもっておらずモンスターを突き刺すテンションでフォークを突き出されても怖いだけだ。

「何でお前に食べさしてもらわなきゃいけねぇんだよ」

「断られちゃいました。じゃあ、ニカさん、あーん」

「ありがとー」

アイスに差し出されたステーキを口に頬張るニカ。

「こういうことがやりたくて、この店に来たのではないのですか?」

「違うわ!」

一瞬だけニカに見とれていたが気を取り直して言い返すシグ。

「はい、アイちゃんパスタだよー」

ニカはスパゲッティをフォークに巻いてアイスに差し出す。

「うん、美味しいですね、これも」

口をモグモグしながらアイスが言った。

「シグ君もいる?はい、あーん」

「っ!!」

動揺して固まるシグ。

「いらないのなら私が戴きます」

「食べる!食べるよ!」

アイスが勝手に前に出てこようとするので押さえつけ、シグは照れながら口を開けた。

「えへへー、でも私が食べるのでしたー」

ニカは悪戯っぽく笑ってスパゲッティを自分の口に運んだ。

 

 

アインクラッド 第50層 アルゲート

ギルドホーム

 

帰宅して自室のベッドに倒れ込むシグ。御飯を食べ終えた後はニカと2人で武具店を見て周ったり、草むらで寝転びながら話をしたりと有意義な時間が過ごせたが、ドッと疲れていた。

「シグー、飲みに行こー」

ドンドンと乱暴に扉が叩かれムニの声がする。帰ってきたばかりだというのに騒々しい。扉を開けると、ハル、シュート、タク、ムニが満面の笑みで立っていた。

「僕、たった今帰ってきたばかりなんだけど」

「男子会しようぜ」

シグの意見などおかまいなしだ。

「ヒートが今日は女子会だって言うからさ。それに対抗して俺たちもさ」

ムニが言う。

「ハルとシューはともかく、お前ら『男子』って歳じゃないだろ」

「バカヤロー。男はいつだって子供だぞ!」

「大体ゲームやってる男が大人なわけないだろ!」

タクの意見は地味に説得力がある。

「しょうがねぇなぁ。どこで?外でやるの?」

「オヤジさんの所行こうぜ」

タクが答えた。

 

 

アインクラッド 第25層 シールドクリフ

料理屋「Dice Kitchen」

 

「ほい、乾杯!」

色とりどりの料理を囲み、タクが音頭をとる。5人の「男子」たちがグラスをぶつけ合った。

「シグ、腹減ってないの?」

「だから僕はもう食べてきたの」

肉にかぶりついたムニの質問にシグが答える。

「どこで?」

「何で言わなきゃいけないの」

「誰と?」

「だから何で」

ムニとタクから質問攻めの集中砲火を食らう。

「何ムキになってんだよ」

「なってないよ」

「なってるよなぁ?」

「なってるなってる」

タクが同意を求めると、ムニが大袈裟に頷いてみせる。実に腹立たしい。

 

「シュー、ギルドには慣れたかな?」

ハルが隣に座るシュートに聞いた。

「うん。みんな優しいから俺みんなのこと大好きだよ!」

「よかった」

「シュー。『β』の中で誰が一番好き?」

タクが豪快に笑いながら絡む。

 

ソードアートオンラインでは年齢問わず酒が飲める。酒といっても、気分が高揚するスパイスが組み込まれたドリンクであり、飲み過ぎには注意が必要だが、現実世界のアルコール摂取の症状と特に変わりはない。よって現在のタクの状態は、居酒屋によくいる絡むのが大好きなオッサンということだ。故に面倒臭い奴ということである。

 

「え?選べないよ。みんな好きだもん」

シュートが困ったように言った。

「じゃあ、女性陣の中で誰が一番可愛い?」

「え?うーん」

タクの質問に本気で悩みだすシュート。

「あまりシューを困らせちゃダメだよ?」

ハルがシュートを守るように言う。

「それじゃ、ハルでもいいや。お前は?」

「えー・・・難しいな」

「何?悩んじゃうの?うちの女性陣、みんなハルのおメガネには適わないと。伝えとくわ」

タクとムニはニヤニヤが止まらない。

「何言ってんの!いやだって、みんな僕よりも年上だし、綺麗だし・・・」

ハルが慌てふためきながら言う。

「確かになぁ。ゲーム好きな子って感じしないよな。うちの女性陣って。シグは?」

「は?」

タクが急に話を振ってきた。

「だからさ『β』で一番可愛い子は誰かって」

「ニカちゃんかな」

 

(失敗した・・・)

つい本音が出てしまった。しかも即答だ。ここでの模範解答は間違いなく「ハル」である。ギルドのマスコット化している少年の名前を出しておけば、何とか事を回避出来るのだ。シグは心の中で本日何度になるのかも分からない悪態を自分についた。

 

「成程ね。シグは子供っぽい子が好きなのね」

「何それ、ロリコン?」

タクの解釈を受けて、ムニがテキトーで無責任で誤解を生みそうな発言をする。

「馬鹿。あいつ20だから、そんなんじゃないだろ!」

シグが必死に訂正する。

「あいつ20に見えないよな。俺ずっと中学生だと思ってたし」

タクが失礼にも笑い始める。

「俺もニカ姉、可愛いと思うなぁ。ギルドの中で一番優しいし」

「お、シューもニカに一票か。じゃ、俺もニカが一番可愛いって言っとこ。ムニは?」

「俺?じゃ、俺もニカに一票」

「なんだよ、お前ヒートじゃないのか?」

「あいつのことは、そういう目で見てない」

「なんだ、それ」

ガハハと笑い合うタクとムニ。

 

「みんなして、なんだよ」

少し不貞腐れたような顔をするシグを目ざとくタクが見つけた。

「いやな、お前、ニカのこと好きなんだろ?今日一緒にデートしたらしいし」

「な、何で知ってんだよ」

露骨にシグが慌てた。

「アイスに聞いたぞ。『楽しそうに来店してきやがってマジ頭にきました』とか言ってたな」

「あいつにそんなこと言われる筋合いなんかねぇ・・・てか違うよ。デートじゃないって」

「あれ、そうなん?」

「違うから」

「だけど?」

シグが終わらせようとした会話をタクが強引に続けた。

「シグ君」

聞き手に回っていたハルが突然口を開く。

「『β』は恋愛禁止じゃないからね?」

「・・・お前まで」

周りを見渡すと、全員がニヤけながらシグが話を切り出すのを待っていた。

「いや、だから」

「いいじゃん。ゲロッちゃえよ。俺もカミングアウトするからさ。俺、ヒートと結婚することにしました。わーい。ほら、拍手拍手」

「え!?」

ムニがいつもと同じ軽い調子で言うので全員が驚く。

「ん?何?」

「お前、軽すぎだろ!」

タクがツッコミをいれた。

「うわー、おめでとう」

ハルが自分のことのように喜ぶ。

 

「シグ。こんな世界だからこそ、言いたいことは言っといたほうがいいぜ」

ムニが軽い調子のまま言った。しかし表情は口調とは裏腹に真面目なものだった。

「βテスターだから分かるだろ?俺たちいつ死ぬか分からないんだぜ?死ぬ間際に『ああしとけばよかった』なんて思うのは最悪じゃん。勿論俺は死ぬ気ないけどな」

 

βテスターは、このゲームが始まってから幾度となく危険な目にあってきた。アバターの死が現実の死と直結する世界。どのプレイヤーにも死は容赦なく襲いかかってくるが、βテスターの場青は理不尽な理由で命を追われることが一般プレイヤーに比べて多かった。

 

「分かってるよ。でも僕だって死ぬ気はない。仲間を死なせる気もないさ」

シグが静かに言い返した。

「ならいいよ。決断を急ぐ必要もないけど、言いたいことがあるなら言うべきさ」

ムニは満足そうに笑って再度忠告した。

「あぁ。じゃ言うけど、僕はニカちゃんのことが多分好きだ。だから誰も邪魔すんなよ?」

心の中で決意して言い切ってみせる。

「邪魔なんかしないぜ」

ムニが嬉しそうに言った。

「多分?曖昧だな、おい」

タクがニヤニヤ笑いながら茶々をいれるが、今となってはシグは気にならない。

「応援する!」

シュートが無邪気に言ってくれる。

「変な植物吸ってまた嫌われないようにね!」

ニッコリ笑うハルは、表情とは別にサラッと怖いことを言う。

 

幾つになっても、人懐っこい奴らだ。

いつかこの時を思い出して笑い合う日が来るだろうか。

その時、誰1人欠けることなく集まっているだろうか。

その時、僕たちはこの世界にいるだろうか。

それとも、現実世界に戻れているだろうか。

 

その時、僕の隣に彼女はいるだろうか。

 

いや。

今は、そんな先のことは考えなくてもいいか。

願望しか見えない未来なんて現実味がない。

 

ただ迫り来る今日を乗り越えていくだけ。それだけでいいかもしれない。

 

なにも、僕は独りぼっちってわけでもない。ヘンテコでお節介で頼りがいのある仲間たちに囲まれている。愛情を傾けられる人にも出逢えた。

 

恵まれているんだな、自分は。

そう思って、シグはグラスの中身を一気に飲み干した。



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13.

2024年、4月。

 

SAOに於いて習得可能な職人スキルは幅広く多種多様に存在する。戦闘しフロアを解放するだけがこのゲームの生き方だと唱えるような人間は無知であり早死にする確率が非常に髙い。何故なら、戦闘スキルだけでこの世界を生き抜くのは無謀とされているからである。

 

『β』で一番多くの生産系のスキル数を保持するのはシグであった。本人は器用貧乏と謙遜するが、料理に始まり、栽培、薬剤精製(植物加工)、アクセサリー精製、裁縫、武器精製。全てマスターには至っていないものの、それなりの物は造れる為、『β』のメンバーはいざという時、シグを頼りにしていた。

 

そして今日、彼を頼って訪ねてきた男が1人。

 

「結婚指輪、2つ造ってくれ」

ムニは開口一番、シグに言い放った。

 

 

 

Sword Art Online RE:Generation

第13話「結婚」

 

 

 

「僕よりも上手く造れる人いるでしょ?」

シグがムニから素材を受け取りながら言った。

「シグが造ったやつがいいの!」

ムニが言い張る。

「まぁ引き受けた以上、一生懸命造るけどさ」

「幾らぐらいかかる?」

「素材は全部ムニが持ってきたやつで足りてるから費用はいいや。僕からの結婚祝いってことにしといて」

「マジで?サンキュ!」

 

「しかし、お前らが結婚か。いいなぁ」

「シグもしたらいいじゃん。ニカと」

「馬鹿。物事には順序ってもんがあるだろ?まだ彼女ですらないんだぜ?」

「この前のセクハラ事件があったのに、いい関係じゃんじゃん。お似合いだと思うんだけどな」

「嫌なこと、思い出させないでくれよ」

「いや。シグはあの事件忘れちゃダメだぞ」

「忘れねぇよ」

ニカに嫌われた事件を思い出し、苦い顔をするシグを満足げに見つめるムニ。

 

「製造過程、見ていくか?」

「見る見る!」

「と言ってもハンマーで叩くだけだけどな」

「料理にしても、その辺つまらないよね」

「あぁ、ムニもそう思う?」

 

SAOに於いての料理や製造の出来は全てレベルによって決まる。なので製造過程は非常にシンプルであり、単純にシステム化されていた。手先が器用か不器用かで決まるわけでもなく、面倒でもないので熟練度次第で誰にでも会得することが可能だが、その味気なさにシグは退屈さを感じる。それでもアクセサリーの精製なんかは出来るまでそのアイテムがどんな効果を持っているのかは分からないので、出来上がりを見るのは楽しみな作業でもあった。

 

「僕の手持ちの素材も加えてみようか。面白い反応が出るかもしれないし」

「シグに任せるよー」

ムニは作業台の脇にある回転椅子に座りクルクル回りながら言った。

「プロポーズはムニからしたの?」

ハンマーを叩きながらシグが聞く。

「あぁ。俺から」

「何て言ったの?」

「それ聞いちゃう?」

ムニは照れながら頭を掻いた。

 

 

アインクラッド 第50層 アルゲート

ギルドホーム

 

「何て言われたの?」

ヒートの自室に遊びに来たノースが身を乗り出しながら聞いた。

「え?恥ずかしいなぁ」

ヒートは照れている。

「教えてくださいよー」

ニカが催促した。

「『これからも俺の傍にいてくれ』って」

「きゃー!!」

ヒートが恥ずかしそうに小さく呟いたのを聞いてノースとニカが黄色い声をあげた。

「ムニさんらしいですね。凄くシンプルです」

ニカが顔を赤らめながら言う。

「それでそれで?」

「ちょ、のーちゃん顔近い。それでもなにも『はい』としか言えないよ」

「いいなぁ。私も彼氏ほしいです」

「ありゃ、ニカは結婚願望あり?」

ニカの意外な発言にノースが驚く。

「願望って程ではないですけど。そんな人がいたらいいなって」

「シグやんでいいじゃん」

ヒートが言った。

「え?何でシグさんが?」

「私はてっきり2人が付き合ってるものだと」

ノースが当たり前のように言った。

「えぇ!?違いますよ!」

「全力で否定なの?シグやん可哀想」

「いや!そういうことではなくて!」

「何?まんざらでもないとか?」

ノースが詰め寄った。

「ノースさん、顔近いです。えと、シグさんは、仲のいい友達ってことでして・・・」

ニカの声がだんだん小さくなっていく。

「だけど?」

「ヒートさんも顔近いですって。いや、ホントに、それ以上のことは何も・・・」

「この前、フローリアでデートしたってのは?」

「あれはデートってわけでは・・・って何で知ってるんですか!?」

「アイスが言ってたよ。『2人仲良く来店しやがって畜生!』って」

ノースが楽しそうに言う。

「もう!あの子は!」

ニカはため息を吐いた。

「前のシグやんのセクハラ事件も、あれ正式なプロポーズだったのかもよ?」

ヒートがニヤニヤしながら言った。

「『ニカやん!ニカやん!僕と結婚してぇな!ゲヘヘ』だっけ?」

ヒートが正確にシグのモノマネをするとノースが笑い転げた。

「もう!忘れようとしてたのに!」

「いや!あれを忘れるのは勿体無い!」

ノースがニカの言葉を遮る。

「あんなに熱いプロポーズは見たことも聞いたこともなかったね」

笑いすぎて涙目になったヒートが言った。

「いやだから!あれは違いますよ!」

ニカは弁解に必死だ。

 

「でも普段のシグは結構カッコいいじゃん」

気を取り直したノースが言った。

「だねー。戦闘でも終始落ち着いてるし。私、未だに剣の世界で銃使う人は邪道だって思っちゃうんだけど、シグは別だね。迷いの森での銃捌き、あれ普通にカッコよかった!」

ヒートが先のクエストを思い出して言う。

「その上、職人スキルは殆ど持ってるし。いざという時は何かと頼りになるし。アホなところあるけど、基本的にはギルドのこと真面目に考えてるし。いい奴だと思うんだけどな」

ノースが言った。

「何で私の顔見ながら言うんですか」

「いい奴だと思うんだけどなぁ?」

「思うんだけどなぁ?」

「2人共!顔が近いです!」

 

 

アインクラッド 第39層 アールーン

葉っぱ屋「Smorkin Torch」

 

場所は戻ってシグの店。ホームで女性陣が自分の話題で盛り上がっていることなど露知らず。

 

「出来たけど、どうかな」

シグがハンマーを作業台の上に置いて言った。

「こっちが守護の指輪。防御力大幅補正と全ての状態以上耐性が付いてる。こっちは狂戦士の指輪。攻撃力と敏捷力大幅補正が付いてるな。2つ共思いの外よく出来たな。自信作だわ。誰がどっち付けるかは2人で考えてくれ」

「おぉ、サンキューな」

ムニは喜び舞い上がる。

「僕的には、もっと結婚指輪らしく装飾つけたかったけど、あまりデカいクリスタルつけても戦闘に邪魔なだけだしなぁ」

「いや、これで充分だぜ?。縁がキラキラ輝いて綺麗だし」

「内側に何か彫ろうか?」

「そんなこと出来るのか?」

「あぁ。何でもいいぜ」

「じゃあ『M to H』で」

「ベタだな。お前らしいけど」

恥ずかしげもなく言い切るムニにシグは笑う。

 

「シグー。もう一つお願いがあるんだけど」

「何だよ」

「ウェディングドレス造れない?」

「造ったことない」

「造れない?」

「造れ・・・と?」

「うん」

「僕の裁縫スキル、そんな高くないよ?」

「造れないこともない?」

「造ったことないから分からん。でも多分手持ちの素材じゃ無理だな」

「俺の分合わせても無理かな」

「無理だな。あれ確か結構素材とか鉱石とか使うんだよ」

「じゃ、フィールドで掻き集めるか」

「僕じゃなくて専門の裁縫師に頼めよ。値は張るかもしれないけどすぐにいいヤツ造ってくれるぜ?」

「シグが造ったやつがいい」

「ワガママ言うな」

「ワガママ言うもん。人生に一度の晴れ舞台だもん」

ムニは執拗に食い下がる。

「それを言われたら僕が断れないじゃないか」

「計算済みです」

「この野郎」

ムニがクスクス笑うのでシグもつられて笑ってしまう。

 

「素材採取行くか?」

シグが聞いた。

「一緒に行ってくれるの?」

「仕方ねぇだろ。どんなもんが使えるか知ってるの僕だけなんだから」

「やった!他の奴らも誘おう!」

「あぁ。55層の西の山なんかいいかもな」

シグが計画を練り始めると、ムニは『β』のメンバーにメッセージを飛ばし始める。

 

 

アインクラッド 第55層 西の山 麓

 

ウェディングドレスの素材集めに協力する為に『β』の全員が集まった。運よく全員が集まれた理由として興味本位もあるが、みんながメンバーの為に何かしたいと思っての行動である。

 

「やっぱり、ここは常に寒いな」

タクが白い息を吐き出し首周りにファーが付いたジャケットを羽織ながら言う。

 

西の山。通称クリスタルマウンテン。

ハルの身の丈ぐらいのクリスタルが無数に生えており、曇天の空からは雪と鉱石の結晶が混じったようなキラキラとした粒が舞う美しい氷雪地帯。

 

「みんな、すまんね。俺たちの為に」

ムニがおどけながら言うと、みんなは「謝ることないぞー」と楽しそうに返す。

「タク、見つけた素材は僕が使えるか判断するけど戦闘指示はタクに任せるからね」

シグが言った。

「はいよ、任されました。俺も素材について調べてみたけど白竜が特別な鉱石を体内に取り込んでいるらしい。だから自ずと戦う羽目になる。いつかのリベンジだな。そのドラゴンがポップするポイントに向かおうと思う」

「腕がなるぜ!」

ムニがヒートと顔を見合わせて笑う。

「陣形は、先頭にムニ、ヒート、アイス。鉄板だな。中盤はハル、シュー、ノース、俺。後ろはシグとニカで。文句が無けりゃ出発!午前中で終わればいいな」

 

9人はドラゴンの生息エリアに向け山を登り始める。程なくして「クルセイダーズ」という銀色の毛皮に覆われた狼のようなモンスター数体に包囲されたが、全員が力を合わせ難なく撃破した。

「アイスさん、武器使わないの?」

体術スキルだけで戦闘を行う彼女を見てハルが心配そうに尋ねる。

「縛りプレイです」

「し、縛りプレイ!?なんか怪しいよ、その響き」

「ハルちゃん、変なこと考えたらダメだよ」

「か、考えてないよ」

ニヤニヤ笑うヒートに茶化され必死に訂正するハル。

「武器、使わないの?」

ハルが気を取り直して再度質問した。

「剣が折られるのは屈辱でしたが、ああいうことを想定しておくことも必要だと思いまして」

「ああ、成程ね。でも無理しちゃダメだからね?」

「はい」

 

「シグさんが造るんですか?」

「ムニに頼まれてな。あいつにお願いされたら誰も断れない」

列のしんがりで、ニカの質問にシグが答えた。

ニカは隣を歩くシグの顔を横目で見る。今まで面と向かって会話が出来ていた筈なのだが、先のヒートとノースとの会話のせいで変に緊張してしまいシグの顔を直視することができない。

「ニカちゃんにも何か作ってあげようか?」

「え?」

「さっき指輪も作ったんだけど、あれ意外に楽しくて。少しハマっちまった」

ニカが返答に困っていると前を歩くノースと目が合った。チラチラと笑顔でこちらの様子を伺っている。

 

「素材次第でどんな効果が現れるのか、出来るまで判らないってのも結構楽しくてさ」

ニカの心境など知る由もないシグは勝手に会話を続けている。

「思ったんですけど、ギルド共通の何かが欲しいなぁ・・・なんて」

努めていつも通りの自分に徹しようと、ニカが提案した。

「ギルド共通?」

「血盟騎士団とか軍とか大きなギルドは制服があるじゃないですか。ああいうの、少し憧れます」

「制服か」

「制服じゃなくても、全員が同じアクセしているとか・・・でもいいんですけどね」

「仲間の証明ってこと?」

「まぁ、そんなところです」

 

「それ、いいな」

突然、前を歩いていたタクが二人の歩くスピードに合わせて言った。

「シグ、ぜひ造ってくれよ」

「私も賛成だよ」「俺も!」

ノースとシュートまでもが二人に合流して言った。

「構わんけど、今回とは別に素材採取しなきゃいけないな」

シグがストレージを確認しながら答えた。

 

 

西の山 通称クリスタルマウンテン 山頂

 

「すげぇ眺めだな」

ムニが隣を歩くヒートに言った。

「ハネムーン候補地にしちゃう?」

「いいね」

「・・・モンスター強いから二人だけで来ちゃダメだよ」

ハルがすかさず釘をさす。ムニとヒートの強さは把握しているしレベルも安全マージンも申し分ない。しかし、最前線を少人数で探索して、もしものことがあると嫌なので、現在ソロか少数でフィールド探索に行ってもいいフロアは49層までと決めている。それでも情報がしっかり取れていないダンジョンも少なからず存在するので、探索に出かける時はハルかタクに一言申すことが義務付けられていた。

 

不意に、索敵スキルを使用しているタクとアイスが同時に空を見上げた。

「きたな」

灰色の曇天。その遥か上空から白く輝く点が九人に向かって落ちてくる。その点は地上に近づくにつれ、どんどんと大きくなり山の頂きに派手に着陸した。

 

白竜。

今まで戦ってきたフロアボスよりも巨大な光沢のある銀色の身体。前に巣で遭遇した時は洞窟内だったので翼を畳んでいたが、今回はそれを目一杯広げて九人を威嚇する。眼下に立つ『β』のメンバーをオレンジ色に輝く瞳でギラギラと見下ろしたかと思うと、身を突き刺すような咆哮をあげる。

「やる気満々じゃねぇか。面白ぇ」

ビリビリと肌を刺すような咆哮を全身に浴び、ムニは笑顔を見せながら両手剣を構えた。

 

「隊形の指示出すぞ。ムニ、ヒート、ハル、ノースがA隊。アイス、シュー、シグ、俺がB隊だ。ニカは後方支援。アイスとシグは攻撃性の高い武器を持て!A隊が先に仕掛ける。飛ばれると厄介だ。飛んでいる間は体力回復優先。ドラゴン特有の武器、ブレスを放つ可能性も充分ある。口の動きには随時警戒しとけ。よっしゃ、行こうぜ!」

タクがメンバーを鼓舞しながら吠えた。

 

A隊の四人が駆け出す中、シグはウィンドウを開きポンプアクション式ショットガン『Spas-12』を装備する。そしてアイスもウィンドウを開き剣を取り出した。

「細剣MAXになったのか」

タクがアイスの剣を見て呟いた。

 

アイスが装備したのは、細剣の熟練度がMAXに達すると装備可能となると言われている剣、エストック。その刀身は細剣よりも細く鋭い。より強力な刺突性攻撃を放つことの出来る突撃剣である。疾走というエクストラスキルを保持している彼女は武具もステータスもスピード優先に振っている。誰よりも速い戦闘を可能としている彼女にとって、エストックという武器はベストマッチだと言えるだろう。

 

ムニとヒートが同時に跳躍し、ドラゴンの首元にソードスキルを放ち直ぐに退避。後からハルとノースが足元を斬りつける。

「硬っ!?」

膝をついて着地したヒートが言った。

クリスタルを腹の中で精製すると言われているだけあって皮膚の硬さは折り紙付きだ。

「A隊退がれ!B隊スイッチ!」

タクが指示を飛ばすと、最初に突っ込んだのはやはりアイス。ニカのスピード値向上補正のアシストスキルを貰った彼女の速さは最早誰の目でも追えない。そのスピードを殺さぬまま跳躍し、首元に強烈な突きを放つ。金属がぶつかり合う甲高い音が辺りに響き渡り火花が激しく散った。

次に行くのは、シグ。ショットガンのフォアエンドを素早く前後にスライドさせドラゴンの背後に回り込み放つは、APシェルと呼ばれる徹甲弾の一種。

「これ高かったんだから効いてくれよ」

言いながら合計三発撃ち込んだ。

「シグ、あまり背後に回るな!援護出来ない!」

「りょーかいっと」

アイスが退避し着地すると同時に、タクとシュートが剣を輝かせながら胴体に斬撃を与える。ドラゴンは煩わしそうに首を振り、脚で二人を踏み潰そうとするが、二人はすぐに退いて躱した。

「B隊退がれ!A隊スイッチ!」

タクの指示が出ると、A隊の四人が前に飛び出す。

「クソッ!弱点はどこだよ!?」

首元に斬撃を当て終え地面に着地したムニが言った。

「焦っちゃダメだ。HPは確実に削れてる!」

ハルがドラゴンの頭上に表示されているHPバーを確認して言った。

「ノースさん、一回試したいことがあるんだ。肩借りるよ」

「おっけー」

ハルは後ろに下がると助走をつけ、ノースの肩を踏み台にして跳躍する。ニカのジャンプ力向上効果のあるアシストスキルを受けた彼の身体はドラゴンの頭上まで跳び上がり、頭に着地したハルはドラゴンの眉間に小さく輝くダイヤの形をした模様目掛けてソードスキルを放った。すると、ドラゴンは今までとは別の咆哮音を大きく上げ頭を乱暴に振る。バランスを失い振り落とされたハルは下にいたノースにキャッチされた。

「あー、怖かった」

「ハルってたまに命知らずだよね」

ノースはハルを地面に優しく降ろしてやりながら呆れる。

「タク、多分眉間が弱点の一つだよ」

ハルが後ろを振り返り伝えた。強敵と対峙する時、弱点を探るのは常套手段である。他のモンスターとは違う特徴を短い時間で割り当てる。ハルはドラゴンの頭上に光るHPバーを確認した際、眉間に輝くダイヤ模様を一瞬で目に捉えた。冷静で命知らず。落ち着いているようで実は誰よりも闘志を燃やす少年。タクはハルの無謀な行動にハラハラドキドキであったが気を取り直す。

「ナイス!だがいきなりあんなことするな!次やったらブン殴るぞ!」

ピースサインを送りながら叱り飛ばすと、ハルは舌をペロリと出しておどけてみせた。大人がやればムカつくだけの仕草だが、ハルがやると実の可愛らしく不思議と許す気になる。彼がそれを意識してやっているかは不明だが。

 

突然、ドラゴンが翼をはためかせ、空へと飛び上がった。翼が生む衝撃波で前線にいたメンバーが吹き飛ばされる。空中に舞い上がったドラゴンは何の前触れもなく大口を開け、A隊の四人に向けて蒼く光るブレスを放った。

「うぉ!?」

ムニとヒートはすんでのところでローリングしながら回避。ハルはノースの前に回り込んで盾で防御した。

「ハル、ノース!大丈夫か!?」

「無事ー!」

立ち込める粉塵で姿が見えないがハルの元気な声が聞こえる。

「ニカ、回復頼んだぞ。A隊退がれ!」

「はい!」

タクの言葉にニカが返事をした。

 

「しっかし、あんなに高く飛ばれたら攻撃出来ないな」

タクは、様子を伺いながら頭上をゆっくり旋回するドラゴンを見て恨めしそうに言う。

「タク。僕も後ろ退がるよ。ニカの所まで退がるから」

シグが言った。

「あ?何だよ。戦線離脱か?」

「バカ。違うよ。僕も試したいことがあるから」

迷いの森以来、シグは戦闘に積極的だった。タクがそう指示している部分もあるが、最近は自ら戦闘に好んで参加しそれなりの戦果をあげるようになっている。昔から後方支援を主としていただけあって視野も広い。彼の新たな可能性にタクは少なからず期待するところがあった。

「いいぜ。何でもやってくれよ」

タクが微笑みながら言った。

 

シグはニカの隣まで後退すると、ウィンドウを開きメイン武器を変更しながら地面に腹這いになった。

「ニカちゃん、僕これから完全に無防備だからドラゴンがこっちに降りてきちゃったら、ちゃんと僕を抱えて逃げるんだよ?」

「えぇ!?」

いきなり冗談のような台詞を吐くシグ。

そんな彼が新たに取り出し、地面に固定するようにトライポッドを設置した銃は『Barrett XM109 Payload』。

剣の世界ではあまりに無機質で場違いな銃器の中でも異色中の異色。「AMR」と呼ばれる対物ライフルである。

 

前線で戦闘する機会が増え、銃の熟練度を大幅に上げたシグは最近になってスナイパーライフルを会得。前線で戦闘する為に上げた熟練度なのに、覚えたスキルは皮肉なことに後方支援の武器。ただ、戦闘の幅が広がったことに変わりはない。アインクラッドに於いて銃器はフィールドに落ちていない為、ショップで買う必要がある、しかし、ショップで購入できる銃器の値段は余りに高額である上、維持費にも金の問題が一生ついて周る。剣で言うところのソードスキルというものが銃器には存在しなく、全て自分の実力で撃たなくてはならない。銃に関する知識がなければ維持を保つことも出来ない。しかし、その知識があり、尚且つ、自分でカスタマイズが出来るなら話は別である。

 

シグはショップで『Barrett M82』というスナイパーライフルを購入し、自身で納得のいく改造を幾度となく重ね今の銃を手に入れていた。改造の結果、本来連射性能を持つオートマチック式であった銃を命中率向上の為にボルトアクション式にするという犠牲を払った代わりに、2km以上の超長距離狙撃が可能であり、25mmの口径を備えたそれは、通常弾の他にAPシェルと呼ばれる徹甲弾、HEシェルと呼ばれる弾、HEATシェルと呼ばれる成形炸薬弾が発射可能である。重量と射撃時の反動が凄まじくこれでも緩和した方なのだが、立った姿勢で撃とうものなら、容易に腕が千切れる。勿論シグは経験済みである。

 

「あいつ、戦争でもおっ始めるつもりかな」

タクがその銃というよりは砲と呼んだ方がしっくりくる代物を見て呟いた。

 

「みんな!僕が撃ち落とすから、奴が墜落したら袋叩きにするように!」

シグがスコープを覗き込みながら叫ぶ。狙うは大きく広げられた翼。あの中心に風穴を開ければバランスを崩して落ちてくれるかもしれない。本来狙撃する時は、標的との距離や風向きなどを計測する観測手と呼ばれる役割が必要となってくるが、ないものは仕方がない。銃を使えるのは自分だけだし、銃の知識を持つ人間も今は自分だけだ。狙撃の腕は勿論だが、それにまつわる全ての計算を自分一人でこなさなければならない。それが出来なければ自分はこれ以上強くはなれない。

 

まずは通常弾を撃ち込む。「ズドン!」と腹に響く衝撃がシグを襲う。慣れない内はこの衝撃が痛みでしかなく、運が悪ければシステムがダメージと判定しHPが減ったものだが、今ではそんなこともなく、何故かその衝撃が心地よいと思うまでになっていた。鋭く尖った弾丸は僅かにそれ、遥か彼方、あさっての方向に飛んでいった。

「うーん、もうちょい右か」

幾らスコープの中心に標的を捉えたからといって確実に当たるわけではない。音速で飛ぶ弾丸と言っても少しの風向きで弾丸の軌道は左右される。その上、今回の戦場は雪が舞い散り風が吹き荒れる雪山の山頂。

「いけ」

二発目は見事にドラゴンの翼に命中した。しかし、一発では効いた様子がない。現実世界ではヘリさえも破壊出来ると謳われる対物ライフルであるにも関わらずだ。

「まだまだ」

シグがボルトを引くと発射済みの薬莢が排出され地面に落ちるとポリゴンへと変わりキラキラと舞う、

三発目。命中するが穴は空かない。それでも諦めず、射撃を続けていく。七発目がドラゴンの右翼の真ん中に命中した時、翼に微かに穴が空く。しかし、ドラゴンはまだ悠々と飛行を続けていた。

「なら、これはどうだよ」

マガジンを取り外し、HEATシェルが入ったマガジンを急いで装着する。成形炸薬弾。現実世界での用途は対戦車用の砲弾である。威力は通常弾とは比べ物にならない。ボルトを引き弾丸がガチャリと装填される。スコープを覗きレティクルに風向きを考慮しながらターゲットを合わせ、重く無骨なトリガーを引いた。

身体にズシリと伸し掛かる衝撃と共に射出された弾丸は細かく螺旋を描きながらドラゴンの右翼に直撃すると派手な爆発を引き起こした。翼の膜がズタズタに引き裂かれ、ドラゴンは断末魔のような悲鳴を上げながら落下。山頂に無様に墜落した。

 

それを見てすぐに駆け出すのは鋭い刃を持つ七人。己の武器を輝かせ我先にと向かっていく。

ハル、シュート、タク、ノースが胴体を斬りつける。アイスは眉間のダイヤ型の紋章に刺突性の髙いソードスキルを放つ。起き上がろうとしたドラゴンの首に両サイドからムニとヒートが斬り込み、そのまま鋼鉄に等しい硬さの皮膚を斬り裂いた。途端にドラゴンの姿が眩しく光り輝き、そして無数の破片に砕け散り、メンバーの頭上に降り注いだ。肩で息をする九人の表情はほころび、歓喜に満ちていく。

 

 

後日。

アインクラッド 第1層 はじまりの街 教会

 

ムニとヒートの注文を全て盛り込んだウェディングドレスを完成させたシグは、控室で待つヒートに届けると彼女は頬をピンク色に染めて、はしゃぎながら喜びを爆発させ、シグの首が締まるぐらい激しく抱きついた。その出来栄えに、付き添っていたノースとニカも感嘆の声を上げ、シグの腕を褒め称える。

 

対し、新郎の控室では、ムニが珍しく真面目な顔をして緊張しているのか忙しなく歩き回っていた。

「ムニ、いったん止まれよ。せっかく一張羅に着替えたのに見苦しいぞ」

椅子に座るタクが笑いながら言った。ムニが着るタキシードのようなスーツは、シグがウェディングドレスを造る傍ら、ドラゴン討伐で貰えた素材で出来たものだった。

「いやだって、だってだって、緊張するじゃんよー」

「いつものお前らしくドッシリと構えとけよ」

「え?いつもの俺ってドッシリしてる?」

「・・・してないな」

一瞬考え込み、タクが言った。

「ムニ君、時間だよ」

ドアをノックして入ってきたハルが嬉しそうに言う。

 

この教会の聖堂が現実世界と同じ使われ方をしたのは初めてのことではないだろうか。小さな教会に入りきらんばかりのプレイヤーが多く集まり、会衆席には教会で暮らす子供たちやサーシャ先生、ムニとヒートの狩り友達、オヤジやフィックスなど常連店の関係者たち、ギルド包みでお世話になっているプレイヤーたちで埋め尽くされ、最前列には『β』の面々が喜びの表情で座っていた。祭壇の前には牧師の服装を無理矢理着せられたタクと相変わらず緊張した面持ちのムニ。

後方の扉が開かれ、みんなが立ち上がり後ろを振り向いた。ハルの手を引き銀色に輝くドレスを着たヒートが慣れない足取りでゆっくりと歩いてくる。普段とは違う女の子らしさを強調した彼女の格好にムニは顔を真っ赤にしながら驚き声を失う。何故かヒートと手を繋ぎ共にバージンロードを歩く羽目になったハルの顔までもが真っ赤だ。

「・・・どうかな?」

ムニの隣まで来たヒートが小さく呟く。

「最高」

ムニがニッコリ笑って答えるとヒートは可愛くはにかむ。

 

タクが形式ばった言葉を述べ始める。牧師の役割を嫌々引き受けたクセに凄まじくノリノリなその姿に誰もが笑いに包まれる。ムニが指輪を取り出す。そしてヒートの左手の人差し指にシグが造った守護の指輪をはめた。ムニの方には狂戦士の指輪が輝いている。

 

ムニがヒートに優しくキスをした。

会衆が拍手と歓喜に包まれる。ハルとシュートが顔を真っ赤に染めて見とれていることに気付いたノースが二人の目を塞ごうとする。

唇を離した後、二人は照れくさそうに笑いながら互いのおでこをくっつけた。

 

 

祝宴は夜まで続いた。オヤジとフィックスが店を休業してまで料理を振舞ってくれた。

「食べ疲れたよ」

宴会場である教会の庭から少し離れた芝生の上でシグはニカと共にいた。

「いい式でしたね」

「あぁ。あのブーケよく出来てたな。ニカちゃんが造ったんだろ?」

「はい。栽培スキルを必死に上げて何とか」

「凄く可愛かった」

「え?」

「あ、いや、ブーケが、その、可愛いって意味だからな!」

「わかってますよ」

ニカは照れながら微笑む。

 

「今日はムニとヒートの日だけど。これ」

シグはそう言い、自身のストレージからピンク色に透き通る指輪を取り出す。

「僕が受け取った『春の結晶』で造ってみた」

「え?」

迷いの森でのクエスト報酬で制作した指輪をニカに差し出す。

「指輪なんて押し付けがましいかもしれないけど、貰ってくれないかな。僕・・・僕はさ、ニカちゃんのことが好きだ。僕はこの世界に来れて良かったと思ってる。君みたいな素敵な人に出逢えたから。だから、だから、僕と付き合ってくれないか。僕は、みんなに比べて頼りないかもしれないけど・・・君の為に生きると誓いたいんだ。だから・・・」

「私もシグさんのことが好きです」

「・・・え?」

「きっとシグさんが想ってる以上に、私シグさんのことが大好きです。だから、こんな私でよければお願いします」

はにかみながらニカは言った。その笑顔にシグは心から安堵し安心する。

遠慮がちに抱きしめようとすると、ニカが先にシグの胸に飛び込んだ。

 

 

ギルド『β』の戦闘マニアである二人の結婚というめでたい日の裏側で、新たなカップルが誕生したというニュースがメンバーの耳に入るのは、そう遠くない未来であった。



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14.

2024年、5月。

アインクラッド 第50層 アルゲート ギルドホーム

 

「すげぇな」

第61層解放の為の攻略会議に参加しホームに帰ってきたハルとタクの報告にメンバー全員が反応した。

「ユニークスキル、神聖剣か」

それは『血盟騎士団』の団長であるヒースクリフが最近会得したエクストラスキルの更に上位となるスキル。会得条件は不明で情報屋をもってしても未確認の為、団長一人しか習得していないものである。

「負けてらんねぇな」

ムニが腕まくりをしながら力強く言った。

 

 

 

Sword Art Online RE:Generation

第14話「紅の頂点」

 

 

 

SAOがサービス開始されてから一年以上が経った今、多くのエクストラスキルと呼ばれるものが情報屋を通して一般に公開されていた。『β』ではタクが使用する刀、アイスが使用するエストックや体術もこれに該当する。会得条件も明らかにされており、熟練度やイベントクエストをこなせば誰にでも習得できる。

しかし、その上位に当たるユニークスキルは全くの別物である。会得条件は不明。何がトリガーになるのかも分からない。運も関係していると言われている。そんなスキルが存在することを知ったアインクラッドに住む剣士たちは、未知なるスキル会得の為に奮起することとなる。

 

そんな中『血盟騎士団』を中心に新たなる攻略が始まろうとしていた。第60層迷宮区のボス部屋の前にプレイヤーたちが集まる。ハル、タク、ムニ、ヒート、アイスの五人も黙って開戦を待っていた。

緊張する攻略組の面持ちの前に、最近副団長に就任したアスナと、誰もが知る男ヒースクリフが立った。

ハイレベルな剣士たちで構成された最強ギルド『血盟騎士団』は常に攻略の最前線で戦い続けてきた猛者たち。その頂点に長く君臨する男こそが団長のヒースクリフ。SAO最強プレイヤーと崇められ、誰よりも尊敬の眼差しで見られてきた男である。

「諸君。今宵は第60層フロアボス討伐に参加してくれたことを心から感謝する」

凛とした声が響く。その言葉一つ一つでプレイヤーたちの士気が上がる力を持っていた。

「今回のボスは『ナラカ ザ パニッシャー』偵察隊の情報によればHPは700万程。刀を持った武士の姿をしていると聞いた。防御力攻撃力共にバランスが取れたボスであろう。ボスが生み出す全ての攻撃は私を含めた騎士団の重装兵が請け合おう。私たちが攻撃を食い止める間、諸君は横ないし背後から攻撃を加えてほしい。持久戦になるだろうが勝つのは我々だ。何故なら、私たちには背負っているものがある。我々攻略組はアインクラッド全プレイヤーの希望である。そのことを忘れぬよう、自身の心に刻み込め!では、行くぞ!」

ヒースクリフの力強い言葉を受けたプレイヤーたちが歓声をあげ、武器を高々と掲げる。騎士団のメンバーがボス部屋の扉を開けた。

 

プレイヤーが次々となだれ込むと、広いボス部屋の壁に設置された松明に紅い焰が灯っていく。広場の奥で胡座をかいて座っていた武士の鎧を身につけたボスが脇にある刀を手にし、ゆっくりと立ち上がった。全長六メートル程のボスはゆったりとした動きで眼下にいる人間を見下ろす。兜の下にあるあるべき顔はなく、真っ暗闇に包まれ表情を確認することは出来ない。そして、これまたゆっくりとしたモーションで刀を構えた。

 

「戦闘開始!」

ヒースクリフが片手直剣を抜き、剣先をボスに向け轟いた。

プレイヤーが散らばり各々の戦闘位置につく。『血盟騎士団』の重装兵はヒースクリフを真ん中に横に並びボスの前に立ちはだかった。すぐにボスが刀を振り下ろすが防御力に定評のある重装兵の盾陣形はびくともしない。

「仕掛けろ!」

ヒースクリフが号令を出すと、周りのプレイヤーたちが自身の武器を構え四方八方から突撃する。『β』の五人も例外ではない。ボスの左方から迫り、強力な剣技を放つ。やはりここでも先陣をきるのは俊足を飛ばすアイス。それにムニとヒートが続く。

『β』でも先行隊に属する彼らは誰よりも先に先制攻撃を放ちたいという気持ちが髙い。早く強い敵と戦いたくて仕方がないのだろう。アバターの死が現実世界での死に直結するという絶対的なルールが存在する中で、そんな精神力を備えている時点で異常なのは間違いない。しかし『β』の人間はそんな異常者が多く集まっている。恐れを知らない感じさせることがない、端から見れば命知らずな戦闘スタイルが、周りの士気を高めるには充分であった。

 

「硬いね」

「でも白竜程じゃないな」

剣技を放ち終えたムニとヒートが話し合う。

武器、鎧には耐久値が存在する。ゼロになればどんなに強い装備でも粉々に砕け散る。そしてそれはモンスターにも当てはまる。絶対に壊せない装備は、この世界に存在しない。

無茶苦茶に剣技を放っているように見えて『β』の面々は鎧の繋ぎ目を正確に狙っていた。特にアイスのエストックによる刺突は寸分の狂いもなく目を見張るものがある。あのスピードで当てるべき箇所に確実に切っ先を突き立てることは容易ではない。

 

周囲の小さな人間が煩わしいのかボスは暴れ、刀を振り回すが、この攻略戦に集まったメンバーは全員が各フロアで強敵と命をかけて戦ってきた猛者たち。そんな我武者羅な振りに刈り取られるような素人は一人もいない。

 

ボスのHPバーが黄色に変わったとき、急に動きを止めたかと思うと、ボスは兜の下、顔がある位置からいきなり一本の刀を取り出し二刀流へと変化した。その二本の刀を不規則に振り回し始める。いくら我武者羅な振りでも、予測の出来ない二本の刀の軌道を一瞬で見極めるのは難しく、全プレイヤーが後ろに退がる中、一人の男が前に出た。

 

ヒースクリフ。SAO最強プレイヤーと言われる男が余裕だともとれる表情でボスの前に立つ。その身体を不規則な流れで軌道を描く二刀流による攻撃が襲うが、ヒースクリフは全ての斬撃を盾で受け止め弾いてみせる。驚くべきは盾を構える速さ。思えば、ヒースクリは今まで自身のHPを黄色すなわち半分まで減らしたことは一度もない。『血盟騎士団』の重装兵が束になっても適わない強固な防御力を保持しているのだ。そんな男に『神聖剣』という新たなスキルが加わった。あらゆる攻撃を防ぐ効果がある能力を身につけた男。彼がボスの前に立ち続けてくれる限り、彼が倒れることはない。

全ての斬撃を一人で受け止め続けるヒースクリフの姿に感化された他のプレイヤーたちが周りから攻めていく。もうボスのHPは残り少ない。

 

「生き生きしてるな」

タクはアイスの戦闘を遠目で見ながら呟いた。

「そうだね」

ハルが同意する。

『β』きっての戦闘狂であるアイスをフロアボス戦に毎回参加させているのは、ちゃんとした理由がある。一つは間違いなく戦力になるということ。これは誰にでも当てはまるが、もう一つはアイスだけにしか当てはまらない特殊な理由だった。それは、アイスのストレス発散の為。どんな時でも強者と戦いたがる彼女の気持ちを汲んでのことだった。ムニとヒートは戦闘マニアで留まっているがアイスは戦闘狂い。ギルドの中で一番血の気が多く、本人もハルたちも口には出さないが、彼女の将来が心配になる程にアイスは血を求めている。戦場を求めている。戦っている時に一番自分が生きていることを実感する。相手が強ければ強い程、それを意識し真価を発揮する特殊なタイプだ。弱い敵にも容赦はしないがすぐに倒せてしまう為、アイスは物足りなさを感じてしまう。そうなった時の彼女は少々面倒臭い。大抵はタクが一時間デュエルに付き合わされることで緩和していた。二人の勝敗は今のところ五分五分であり、アイスもタクも勝負に手は抜かないのでいつだって真剣勝負であるが、付き合わされるタクからしてみれば、デュエルが終わった後は毎回疲労困憊である。それは、フロアボス討伐の時よりも疲れることが多い。

「今日は居残りデュエルないかな」

タクが笑って言うと、ハルも同情してニッコリ微笑む。

 

(いける)

アイスはボスの左方から攻め、鎧を破壊し確信する。正面の鎧はヒースクリフのお陰もあって破壊されている。弱点も見極めることが出来た。それはボスの左胸。人間でいう心臓部分。そこに刺突性のソードスキルを放てば終わる。ただそこに確実に当てる為には、ボスの刀を空中で躱す必要があるが、それは然程問題ではない。そして、その瞬間が気持ちの高揚に繋がることは誰よりもアイスが知っていることだった。

後方から助走をつけ、ボスの足元から跳躍する、刀を避けたらすぐにソードスキルが放てるように腕を剣技のモーションに合わせ発動させようとした時、急に一人のプレイヤーがアイスの目の前に飛び出してきた。アイスは急な乱入に仕方なくモーションをキャンセルし、地面に着地し退避する。アイスの前に飛び出したプレイヤーはボスの刀を細剣で弾き、アイスの傍に難なく着地する。その間に周りにいた剣士たちがボスのHPを減らし、武士の姿をしたボスは細かい破片に変わり砕け散った。

 

空中に浮かぶ『congratulation』の文字。第61層解放という結果に歓喜の渦が広がった。

 

アイスは自分の前に立ち剣を鞘に納めるプレイヤーを静かに見つめた。そのプレイヤーは姿勢を正し、赤と白の制服を翻しながらアイスに近寄る、

「危ないことはしないで下さい。あのまま貴方が突っ込んでいたら斬られていましたよ」

丁寧な物言いだが威圧的な口調。憤然とした表情で言い放つ『血盟騎士団』副団長、細剣使いの『閃光のアスナ』その人である。

「私がいち早く気付いて防御したから良かったものの」

対しアイスは無表情のまま何も言わず、エストックを鞘に納める。

「まったく、貴方のギルドメンバーは仲間が危険な行動をしているのに全然気にかけないのですね」

「アイスは斬撃がくること分かってたぜ?」

近くに寄ってきたムニが明るい調子で言った。

「そうですか?私にはそうは見えませんでした」

「そりゃ、あんたが『β』の人間じゃないからだ」

タクが呆れた調子で言う。

「何ですかそれは。同じギルドのメンバーだったら仲間が危険な戦闘をしていても簡単に見過ごすのですか?」

アスナはタクの方を向き睨みつけながら言う。

「危険な戦闘だと思ってないからな。こっちは毎日アイスの戦い方を見てるんだ。信頼してんだよ」

タクが静かに言う。

「そんなの、信頼とは言えません!」

タクの表情一つ乱さない落ち着いた姿にイラつきながらアスナが言った。

「何にしろ、アンタはアイスの攻撃を妨害したんだ。あいつに謝ったほうがいい」

「な!?」

タクの言葉にアスナの怒りは最高潮に達した。

「私は正しいと思ったことをしたまでです。感謝はされてもいいと思いますが、何故謝罪なんてしなきゃいけないんですか!?」

「タクさん」

不意にアスナの怒りを傍観していたアイスが口を開く。

「な、何?」

タクはアイスの口から放たれる言葉を覚悟しながら訊く。

「この後デュエル付き合ってください。三時間程」

「・・・やっぱり?」

「やっぱりです」

タクは深くため息を吐いてアスナの顔を見た。

「何ですか?」

アスナがタクの目を見る。

「アイちゃん、イラついてるなー」

「タク、お疲れー」

ヒートとムニが他人事のように笑い合ってタクに同情する。

 

「どうしたの?」

「何の騒ぎだね?」

遠くで会話していたハルとヒースクリフがやって来た。アスナが簡単に説明をする。自分に非は全くないと付け加えて。

「成程。アスナ君が良かれと思ってやったことが結果的に妨害になってしまったということかな。それはすまないことをした。しかし、アスナ君も悪気があったわけではない。分かってくれ」

ヒースクリフが落ち着いた口調で言う。発言する言葉の選び方が見事だ。どちらにも非はないと思わせる的確な力だった。

「しかし、それでも分かり合えないなら提案がある。君たちも剣士だろう。剣士なら剣士らしく剣で決着をつけたら如何かな?」

そう微笑みながら言った。

「団長が仰るのなら私は構いませんが」

アスナが自身の細剣の柄に手をかけて言った。対するアイスはというと。

「私は強者としか戦いたくありません」

そう言い切り去っていく。

「あちゃー」

アイスの挑発的な言葉にムニとヒートが同時に額を押さえた。息ピッタリの反応である。

こんなことを言われて怒らない人間がいる筈がない。

「な!?」

アスナは顔を真っ赤にして言葉を失っている。

「相当キレてんな、あいつ」

タクがため息を吐くと、ハルが心配そうにアイスの後を追う。

 

「ヒースクリフさん、すいませんね」

タクが頭を下げると団長はクスクスと笑う。

「構わないさ。こちらも副団長が迷惑をかけてすまない」

「団長!」

ヒースクリフが丁寧に頭を下げるとアスナが不服そうに声をあげるが、ヒースクリフはそれを目で制した。

「アスナ君。少しは『β』を信頼してみたらどうかな?最前線の攻略は『血盟騎士団』だけでは出来ない。他のギルドに感謝することは大切だ。では『β』の諸君、失礼」

ヒースクリフはサイド頭を下げて去っていく。アスナも無言で軽く頭を下げると、団長の後についていった。

 

「流石だな」

ムニが言うとタクとヒートが頷く。

「大人の風格ってやつかな」

「ありゃ上に立つ人間としての素質がある。羨ましいぜ」

 

 

夜。

アインクラッド 第50層 アルゲート

ギルドホーム

 

「タク兄、お疲れ」

シュートが食卓のテーブルに突っ伏すタクにお茶を出した。先程まで鬱憤が溜まったアイスと四時間に及ぶデュエルを終えたばかりだった。

「あぁ、さんきゅ」

タクは出されたお茶を一気に飲み干した。

「アイ姉、凄かったね」

「おぉ。あいつエストックになってから更に強くなりやがった。怪物だよ怪物」

「でも、それに負けないタク兄も凄かった」

シュートが素直に感動して言う。

「そりゃ負けたくねぇもん。まぁ、18勝21負で今日は俺の負けだけど」

タクが悔しそうに言った。

「俺も強くなるぞー。聞いてよ、短剣の熟練度800超えたんだぜ」

シュートが誇らしげに言った。

「マジか。いいね。明日アイスと戦ってみれば?」

「え?無理」

「即答だな。強くなる宣言はどこいった」

「いきなりボスレベルじゃん。というかここの他人、みんなボスレベルじゃん」

「そんなことないって。自分の力の差を見極める為にもさ・・・いいこと思いついた」

タクは閃く。

「絶対いいことじゃない」

シュートはタクの恍惚とした表情に怯える。

 

「『β』デュエルトーナメントやろう」

「ほらー」

「『ほらー』じゃ、ねぇよ。強くなりてぇんだろ?俺もなりたいし。ギルメンの手の内を知っとくのは一緒に戦う時に役立つぞ」

タクは満面の笑みでトーナメント表作りを開始する。その様子にシュートは、もうトーナメントが始まっていることを感じるのだった。



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15.

2024年、5月。

アインクラッド 第50層 アルゲート

ギルドホーム 裏庭

 

ギルドホームの裏庭は屋外であるが、敷地内であり不可視モードに設定してあるので『β』以外のメンバーが覗くことも立ち入ることも出来ない。そこにギルドのメンバー九人全員が揃っていた。

 

「よし。みんな集まったな。通知はメッセージでした通り。これから『β』デュエルトーナメントを開始するぞ!はい、拍手!」

タクが言うと、全員がされるがままに拍手をする。

 

 

 

Sword Art Online RE:Generation

第15話「デュエル」

 

 

 

「トーナメント表は昨日送った通りだ。試合形式は初擊決着モード。銃は禁止。アイスはシードね。怒るなイラつくな舌打ちすんな。目的はメンバーの戦闘スタイルの確認と自分の強さを見定めること。見事一位に輝いた奴は、一個願いを叶えることができる!これでどうだ」

タクが言うと「異議なし」と仲間の声が帰ってきた。

 

 

1回戦。

ムニ vs.ハル

 

「いくぜー、ハルー!」

「お手柔らかにね」

両者が同じタイミングで駆け出した。先に仕掛けたのはムニ。ハルの片手直剣よりもリーチの長い両手剣を横殴りに振るう。ハルは軌道を見極め盾で受け止めずに、小さな身体を活かしてムニの懐に潜り込むと剣を振る。ムニはすんでのところで躱し距離をとった。

盾で受け止めなかったのは正解である。力自慢が売りのムニの剣を盾で受け止めきるのは至難の業だからだ。しかし、ハルが不利なのは変わらない。両手剣の方が間合いが広い分、ハルはその間合いに入って戦わなければならない。逆にムニは片手直剣が届かない位置でも戦うことが出来る。先に駆け出したのはハル。ムニに先手を取らせるわけにはいかない。しかし、両手剣の間合いに入った瞬間、ムニが腕を振りかぶった。長い間、自分の得物を両手剣にしているムニは、どこが自分の間合いなのか瞬時に分かる。更には重い両手剣を巧みに操る技量も持っている。一撃目をハルが避けても、ムニは器用に手首を返しすぐに次の攻撃に繋げることが出来る。防戦一方になってしまったハルは、胴体に両手剣の刀身を食らいHPを減らした。

勝者はムニ。

「間合い広すぎだよー」

ハルが悔しそうに言うとムニが嬉しそうに鼻を鳴らした。

 

 

ノース vs.シグ

 

「手加減しないからね」

「銃禁止とか。タクの意地悪」

ノースが槍を構えるとシグが毒づきながら右手に短剣を構えた。

「あんた、剣なんて持ってたんだ」

「一応ね」

そう言ってシグが駆け出す。槍と短剣。余りにもリーチ差がある。しかし油断は禁物だ。普段銃を使っている時から型にハマらない戦闘スタイルを持つシグである。全力で叩き潰さなければいけないとノースは考えていた。

後数メートルで槍の攻撃範囲に入るとノースは思った瞬間、シグが左手で何かを投げた。と思うとデュエル終了の通知音が流れる。ハッとしてノースは自身の右腕を見ると、針が数本刺さっている。

「へへ。隙ありー」

シグが朗らかに笑った。彼が行ったのは投擲スキルによる攻撃。短剣はフェイク。あまりにもズル賢い戦法にノースはイラつくが負けは負けだ。

「ちょ、それズルい!」

「短剣で槍と真っ向勝負なんて無理!」

清々しく言い切られる。最早怒る気も失せる。これには周りで見ていたメンバーも苦笑いである。

勝者はシグ。

 

 

ニカ vs.シュート

 

「シュー君か・・・」

「負けないぞー」

二人揃って短剣を構える。間合いは同じ。シュートが直線的な攻撃を仕掛ける。それを弾きバックステップで距離をとろうとするニカ。負けじと突っ込んでいくシュート。防戦一方になるがニカはシュートの斬撃を全て弾いてみせた。意外に防戦に優れていることにメンバーは驚いた。確実にニカは成長していた。

対し、シュートの攻撃はスピードはあるが、あまりにも単調である。しびれを切らした少年は咄嗟にソードスキルを発動。しかし、ニカはそれを容易に見切った。何故なら、そのソードスキルのモーションはニカも知っている短剣の動きだったからである。

剣技が一つも当たらず硬直状態になったシュートの身体にニカが斬り込みデュエルが終了した。

「当たらねー!」

「惜しかったねぇ」

悔しそうに叫ぶシュートの頭をニカがポンポンと優しく撫でる。

勝者はニカ。

 

 

タク vs.ヒート

 

「お前、結構厄介なんだよな」

「タクちゃんには負けないからねー」

タクが鞘に納まったままの刀の柄に手をやり居合の構えをする中、ヒートが駆け出した。アイス程ではないが彼女も爆発的なスピードを持ち合わせている。タクはヒートをギリギリまで引き付け、彼女が懐に潜り込もうとした瞬間、刀を抜いた。ヒートは居合によって放たれた刀の軌道を見極めタクの頭上を飛び越え回避する。頭を低くして回避するものだとタクは思っていたが、身軽さと運動神経の良さを利用したヒートらしい動きだ。

タクの背後をとったヒートは、そのまま斬りかかる。しかし、タクは背中に目があるかのような動きでヒートの斬撃を見もしないで刀を後ろに回し弾き返す。

「マジですかー?」

バックステップで距離を空けながらヒートが呟く。

「マジマジ!」

そのヒートにタクは素早く向き直り刀の切っ先を向けて追撃する。ヒートは更に後方に退がりながら刀の切っ先を弾こうとするが、タクが操る刀の刀身は簡単にはブレない。逆に無理して弾こうとしたヒートの体勢が崩れた。ガラ空きの胴体。それを見逃すような男ではない。そのまま懐に潜り込みヒートの身体を横に斬る。終了の通知音が鳴り響いた。

勝者はタク。

「悔しー」

「お前とムニが一緒だったら負けるかもな」

タクがヒートを助け起こしながら言った。

 

 

アイス vs.ムニ

 

「アイス、目が怖い」

「いきます」

エストックを構えながら重心を低く保つアイスと対峙したムニが怯えたようにおどける。

「それが仲間に向ける目かよ、おい」

「今は敵です」

エストックと両手剣では、間合いに於いてはまだ両手剣の方が上である。しかし、相手がアイスとなると、そんな理論は通用しない。リーチ差があっても、その差を一瞬で縮めることの出来る力を彼女は持っている。だが、優勝候補といえど、ムニに勝てない要素がないわけではない。何故なら両手剣は近接武器の中でもダメージを与える量が遥かに多い。単純にパワー値だけ見れば『β』の中で一番高いのはムニだ。圧倒的な機動力を持つ女と圧倒的な攻撃力を保持する男の対決が始まる。

二者同時に動き出した。アイスが姿勢を低くしながらムニの懐に潜り込む。両手剣の間合いに入るところは確認したがムニはあえて剣を振るわなかった。振るうよりもアイスのスピードの方が圧倒的に速い。ムニはバックステップし距離を保ちながら、今回は剣を振るう、しかしアイスはギリギリのところで避け突進する。エストックの切っ先がムニの胴体に達しようとするが、ムニはローリングで避け、すぐに立ち上がりアイスの脇から両手剣を振るう。アイスは咄嗟にエストックで弾こうとするが、ここで武器性能の差が出た。

エストックは突撃に適した武器ではあるが、刀身が細い為、攻撃を弾いたり受け止めたりすることに関しては全く向いていない。相手が短剣程度であれば鍔迫り合いぐらいまでには持ち込めるかもしれないが、今回の相手は凄まじい攻撃力を誇る両手剣。エストックで両手剣の大きく太い刀身を弾くことは出来ず、アイスの体勢が崩れた。そのガラ空きの胴体に向けてムニが更に攻める。

しかし、彼女は全く焦っていなかった。すぐにエストックを左手に持ち替え、右手を赤く輝かせる。そして崩れた姿勢から右腕を振りかぶり両手剣の刀身に思い切り拳をぶつけた。

「マジかよ!?体術!?」

アイスが繰り出した技は体術スキルによる超零距離近距離技。しかもただのパンチではない。命中すれば相手を一瞬だけスタンさせることの出来る状態異常を施すことが可能である。拳をぶつけられた両手剣は細かく振動し、ムニの利き腕が痺れ、握力が無くなり剣を落としてしまったムニの身体をエストックの鋭く尖った剣先が襲う。

勝者はアイス。

 

「剣持ちながら体術かよ・・・失念してた。出来るんだよな、それ」

ムニが完敗を認める。周りの観戦者たちもアイスに賞賛を送った。

SAOでは同じ種類の武器を片手に一本ずつ装備することが出来る、つまり二刀流になることが出来るのだ。しかし、その場合ソードスキルは使えずデメリットばかりなので、単純に使い手の技量勝負となるその戦法を好んで使うものはいない。しかし、片手に剣を持った状態でも体術に繋げることは可能だ。剣によるソードスキルから体術によるソードスキルを繋げることが出来る。

 

 

2回戦。

ニカ vs.タク

 

「ニカが相手か。ボッコボコにしてやる」

「昔の私ではありません。返り討ちにしてあげます」

何故かヒール気取りのタクを優しく見つめるニカが逆に挑発した。

「返り討ち?十年早いぜ」

タクが刀を抜き、切っ先をニカに向けて駆け出す。距離はすぐに縮まり、そのまま胴体を斬り裂いてやろうとした瞬間、タクのスピードが急に落ちた。いや、落ちたというレベルではない。タクの一つ一つの動作が極端に遅くなっている。

「は~あ~!?」

話す言葉まで間延びする始末。ゆっくりとウィンドウを操作し自分のステータスを確認したタクは愕然とした。状態異常のマークが自分のHPバーの横にこれでもかという量で幾つもついていた。スロウ、攻撃力低下、防御力低下など序の口である。見れば、ニカはウィンドウを多数展開しアシストスキルを発動していた。

「い~や~、ま~て~え~。こ~れ~は~ひ~ど~い~」

情けなさを覚えるほどに間延びした口調で呟くタク。そんな彼にニッコリと微笑みながら近づいたニカが無情にも短剣のソードスキルを放った。

勝者はニカ。

 

「恐ろしいな」

ノースがシミジミして言った。

数字が全てだと言われているアインクラッドの世界。その数字を自由に上げたり下げたり出来るニカの存在は脅威である。

「お前、そりゃないよ・・・」

「ルールに表記されていませんでしたので、使っちゃいました」

落ち込むタクにケロリとしながらニカが満面の笑みで言い切った。

 

 

アイス vs.シグ

 

「始める前に一つ言わせてくれ」

「何でしょう」

エストックを低い姿勢で構えるアイスに向かってシグが言った。

「僕は正々堂々と勝負なんてしないからな」

「分かりました」

シグの清々しさすら覚えてしまう開き直った姿勢にアイスが口元を緩ませた。

「あいつ、カッコ悪ぃどころじゃない」

観戦者たちはため息を深く吐きながらも、内心シグがアイス相手にどう戦うのか興味津々である。

 

アイスが駆け出すと、シグは後方に退がり距離を空けながら何かをアイスに向けて投降する。アイスの足元に落ちたその物体は弾け、煙幕が辺りに広がった。シグお手製のスモークグレネードである。煙幕に包まれ動作を止めたアイスに、煙に紛れて接近したシグが短剣で斬りかかった。しかし、アイスは常人では考えられない反射神経でシグの短剣を弾いてみせる。すると、追撃を受けない内にシグはまた煙に紛れて後方に退避する。

煙が晴れてシグの姿を確認したアイスはすぐにシグに向けて走り出した。それを見てシグはまた何かをアイスに向かって投げつける。アイスは咄嗟にその物体をエストックで二分に切断する。爆発する前に両断してしまう彼女の反射神経は素晴らしい。しかし、シグにとっては、その行動も計算済みだ。

切断された物体はアイスの両脇で派手に弾け、彼女の周囲を眩い光りで埋め尽くす。シグが開発した、もう一つの手榴弾。辺りを閃光と爆音で包み込み、相手の視覚と聴覚を奪うフラッシュグレネード。

予期せぬ効果に体制を崩しシグを見失ったアイスに、シグはエストックが届く筈もない安全地帯から針を投擲。寸分の狂いもなくアイスの胴体に針は突き刺さり、初擊成功。

勝者はシグ。

 

「あいつ、カッコ悪ぃどころじゃない」

観戦していた『β』のメンバーは再度深くため息を吐いた。対してアイスはというと楽しそうに笑っていた。こう来たかとばかりに笑いながら負けを認める。その姿を見て、ハルとタクは驚きながらも心から安堵した。こんなにもイラつく戦い方をされたのにも関わらず、彼女は心底嬉しそうだった。戦闘狂と呼ばれるアイスは『β』のメンバーに囲まれている時だけは、ちょっと変わった可愛い女の子だった。

 

 

決勝戦。

シグ vs.ニカ

 

「まさか、シー君が相手なんて」

「てか、僕の相手女の子ばっかじゃん。何?神様は僕に非情になれって言うの?」

対戦する二人も含め『β』のメンバー全員が、まさかファイナルがこんな対決になるとは夢にも思わなかっただろう。

デュエル開始の通知音が鳴ると、両者はすぐに後方に退避し大きく距離をとった、ニカは投擲が届かない距離まで退がり、シグはアシストスキルなどの状態異常負荷スキルの効果範囲外まで退がる。観戦するメンバーが長期戦になるのかと思った時だった。

「でも、これは届いちゃうんだなぁ」

シグが手榴弾を山なりに投降した。それは単純なグレネード。ニカの目の前に落ちたそれは凄まじい音をたてて大爆発を引き起こした。

「きゃああぁぁぁあああ!!!???」

爆破の衝撃に巻き込まれ体力を半分まで減らしたニカ。

勝者はシグ。

あまりにも、あっけない幕引きである。

 

「自分の彼女に、あんな危ないもん投げるか?普通」

ムニが言う。

「充分すぎる程に非情だったね」

ヒートが言った。

プンスカ怒りながらシグをポカポカ殴りつけるニカに対して笑顔で謝りまくるシグを『β』メンバーはしらけた目で見守った。

 

 

「異論はあるだろうが、優勝はシグ。異論はあるだろうが」

一息つき、タクがみんなを集めて言った。

「シグ。優勝賞品として一つだけ願いが叶うけど。何?」

「タク、不機嫌すぎ」

誰よりも異論があるかのような目つきのタクにシグが怯える。

「えとね、じゃあ、今回の御無礼許してください。これがお願い」

シグがあっけからんと言った。そんな彼の姿に不服そうな表情をしていた『β』のメンバーたちは吹き出した。

「仕方ねぇな。許してやるよ」

「許す許す!」

「許します」

笑いの渦が広がる。

 

 

『β』で初めて行われたデュエルトーナメントは全員が笑顔になるという結末で幕を閉じた。しかし、この一日が笑顔で終わったわけではない。

 

夜。

ハル、タク、ムニ、ヒートがそれぞれの用事の為に出かけた後、ギルドホームに意外な人物が来訪した。受け答えをしたのはノースと、たまたま近くにいたアイス。

「こんばんは」

戸口に立つ、背中まで流れた栗色の髪をした少女が挨拶をする。赤と白の制服を纏い、細剣を腰に帯刀する『血盟騎士団』の副団長、アスナ。

「あれ、どうしたんですか?ハルなら今は不在ですが」

予期せぬ来訪者に驚きながら、攻略に関する話かなと思いノースが言う。

「今回はハルさんに用があるわけではありません」

「どういうことですか?」

「アイスさんにデュエルの申し込みをしたくて、伺った次第であります」

アスナが丁寧に頭を下げた。

 

ギルドホームの裏庭。

立会人としてノースとシュートが見守る中、アスナとアイスが距離を開けて向かい合う。

「貴方とは、どうしても一戦やりたかった。無礼であったのなら謝ります」

「構いません」

アスナの言葉にアイスは言葉少なめに返事した。

デュエルのカウントダウンが開始される。アスナは細剣をアイスはエストックを両者共に重心を低く保った姿勢で構え、無言で睨み合う。

 

カウントがゼロになった瞬間、両者が距離を詰めるようにして駆け出した。凄まじい速さで互いの懐に潜り込もうとする。アスナが細剣を突き出した時、アイスは低い姿勢を更に低くし地面を這うように走りながら回避した。お互いが交差し、アイスはすぐにアスナの背後に向き直りエストックを輝かせ背中にソードスキルを放つが、アスナは身を翻し細剣で受け止めた。器用な手首の返しによりエストックが弾かれ胴体がガラ空きになるが、アスナが追撃する前にアイスは空いた片方の手を輝かせ体術スキルに繋げる。しかし、それもすんでのところで細剣により阻まれる。だが、アイスの攻撃は止まらない。細剣で受け止められ止まったかに見えたアイスは、全身を回転させ回し蹴りを放つ。アイスの踵がアスナの首元に直撃し、アスナは横に吹き飛び地面に叩きつけられるがHPバーはまだ黄色には変わっていない。アスナはすぐに飛び起き、バックステップで後方に大きく退避した。

「強いですね」

首に手をやり肩で息をしながらアスナが言う。対しアイスは呼吸一つ乱れていない。

 

「凄ぇ。ん?何してんの、ノース姉」

感激しながら観戦するシュートは、隣でウィンドウを操作するノースに尋ねる。

「ん?一応ハルにアスナさんが来たってこと知らせようと思って。あれ?もう返事きた。ん?」

ハルから返ってきたテキストを読んでノースは戸惑う。

「なんて?」

シュートがノースのウィンドウを覗き込んだ。

 

『すぐにやめさせて。今から帰る』

 

「やめさせて?なんで?」

「さあ」

シュートとノースは首をかしげた。二人の前では凄まじい剣技の応酬を繰り出し戦い合うアスナとアイスの姿。お互い一歩も引かない。

「ハル兄が言ってるんだから辞めさせなきゃね。俺、伝えてくる」

シュートが戦闘中の二人に向かって駆け出した。

「あ、待って!」

ノースが少年を止めようとするが遅かった。

 

剣と剣のぶつかり合いは激しさを増していた。『閃光』の異名がつくほどアインクラッドでは凄まじい速さを誇るアスナでさえ、アイスの動きについていくこと、ましてや封じることは難しい。繰り出す攻撃の流れに規則性が見いだせない。なにせ、彼女の武器は剣だけではないのだ。彼女の全身が武器であった。剣が封じられれば次は体術による手刀。それが封じられれば華麗な足技。それが封じられれば今度は頭。更に全身バネのような身軽さで周囲を跳び回り、彼女を捉えることが出来そうもなく、ひとたび対峙すれば防戦一方になってしまう。

 

アスナは緩急をつけながら距離をとり、自身のスピードを活かしてアイスの背後に回り込もうと細剣を光らせて走り出した瞬間、急に目の前にシュートが軌道上に飛び出してきた。避けきれず咄嗟に細剣を突き出してしまったことにより、そのモーションにシステムが呼応した結果、シュートの小さな身体に細剣の刺突性の髙いソードスキルが的確に放たれた。

呻き声を上げ錐揉み回転しながらアイスの足元まで吹き飛ぶシュート。安全圏なのでHPバーが減ることはない。しかしレベル差による衝撃はある、ぶつかる瞬間、シュートが咄嗟に装備した短剣で防御していなければ気絶は免れなかっただろう。

「いてて・・・」

足元に転がるシュートをアイスは見下ろす。

「はははっ、だっせー俺。アイ姉、平気?」

シュートが顔を引きつらせながら無理して微笑んだ。その姿がアイスの目に入る。その瞬間、彼女の脳裏に、あの忌々しい記憶が蘇る。

 

『姉ちゃん、平気?』

 

あ・・・。

 

『いてて・・・だっせー俺、斬られちゃった』

 

あぁ・・・。

 

『姉ちゃんは、俺が絶対守るから!』

 

ああああああああああああああ!!

 

 

「ちょっと、あんた!いきなり飛び出してきたら危ない・・・で・・・え?」

体勢を整えシュートを叱ろうとしたアスナはアイスを見て驚いた。駆け寄ったノースも足を止める。そして転がっていたシュートも不安気にアイスを見上げた。

アイスは辺りにこだます声で絶叫した、頭を抱え背中まで流れるサラサラとした長い黒髪をグシャグシャに掻き毟る。

「ア、アイ姉?」

戸惑いながらシュートは立ち上がりアイスの肩に手を触れようとした瞬間、アイスはシュートの首根っこを片手で掴み自分の後方に投げ飛ばした。そして、頭と腕をダランと下げながら無言でアスナと対峙する。揺れる前髪の隙間から覇気の無い目でアスナを睨みつける。

「な、何?」

アスナは彼女の奇っ怪な姿に背筋が凍る。

アイスは静かに左腕を延ばし、地面に転がっていたシュートの短剣を手に取る。右手にはエストック。左手には短剣。両腕を力なく下げながら切っ先をアスナに向け、静かに呟いた。

 

 

「コロス」

 

 

本当にアスナに向けて言ったのかは定かではない。しかし、二本の剣先は明らかにアスナに向けられていた。その姿勢のまま、アスナとの距離を瞬時に詰めた。

「な!?」

突き出されたエストックを回避するが、すぐに短剣の追撃がはしる。その切っ先がアスナの胴体を容易に斬り裂きデュエル終了の通知音が鳴り響く。しかし、アイスの攻撃は止まらない。鋭いキレのある攻撃で体勢を整えていないアスナの身体に剣を突き立てていく。HP減少というダメージは全くないが、全身を襲う衝撃がアスナをどんどん弱らせていく。

「や、やめて・・・」

アスナの頬を涙がつたうが、アイスの猛攻は止まらない。

 

 

「アイス!!」

 

突然、声がしたかと思うと、倒れるアスナの前にハル、タク、ムニ、ヒート、ノースが立ちはだかりアイスの二本の剣を受け止め、強引に弾き飛ばした。それでも拳を振りかぶるアイスを五人がかりで無理矢理突き飛ばし地面に倒させる。すぐに起き上がろうとした彼女をタク、ムニ、ヒート、ノースが羽交い絞めにし、ハルは正面からアイスを強く抱き締め涙を流しながら「大丈夫。大丈夫だから」とアイスの耳元で優しく囁き続けた。

 

次第にアイスが暴れるのをやめていく。ハル以外の四人が押さえ込むのをやめた後も、ハルはアイスを抱き締め続けた。アイスは項垂れたように俯く。その姿を呆然としながら見つめるアスナにタクが近寄った。

「悪ぃな、ホントに。今日はもう帰ってくれ。迷惑料が必要だったら日を改めて言ってくれ。すまないけど今日は駄目だ。ごめんな」

タクの真剣な表情にアスナは言うべき言葉が何も見つからなかった。そして、小さく礼をし、その場を去った。

 

 

静かに項垂れるアイスをハルは優しく抱え込む。彼女の強い心の内側にある想いに寄り添うかのように。

 

 

 

夜中。

ギルドホームの食卓に、ハルとアイスを除いた『β』の七人が席に着いていた。

 

「この世界に於いてプレイヤーの個人情報をベラベラ喋ることはマナー違反以前に人として最悪な裏切り行為かもしれない。だけどな、俺はお前らを信頼して話そうと思う。お前らだったら、今から話すことを活かして更に結束してくれるんじゃないかって思うからだ」

タクが六人の神妙な顔つきを見ながら静かに言った。

 

「最初にアイスと出逢ったのは俺とハルだ。彼女の身に何が起こったのかも、彼女の口を通して俺たちは知っている。アイスがギルドに加わってくれたのは、それからもっと後。ムニとヒートが入ってからだな。その話をしようと思う」

 

 

普段から、冷戦沈着で天然で憎む要素が全くない仲間の一人、アイスの過去を話す為にタクはみんなを集めた。

 

 

「アイスは、元オレンジ。明確な殺意をもってプレイヤーを三人殺したことがある」

 

タクの言葉に、六人が息を呑んだ。



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16.

2023年、1月。

アインクラッド 第1層 憩いの森

 

デスゲームが始まって一ヶ月が経過した。アイスは、はじまりの街から北の外れに位置する森を根城に生活していた。この森は、後に穴場の釣り場スポットがあることで有名となるが、当時は出現するモンスターの中に手強い種がいることもあり、訪れるプレイヤーは意外と少ない。アイスはβテスター時代に、この森がレベル上げをするのに絶好の場所だと目をつけていたが、一人でモンスターを相手にフィールドで生活することは難しかった。では何故、この森で生きていられるのか。その答えは簡単である。

 

「姉ちゃん、この猪狩れば飯ができるよ」

アイスの隣で短剣を構える少年が明るく言う。アイスの実の弟であるミスト。

この残酷な世界を姉と弟の二人で生き抜くことを誓い合った、アイスにとって、そしてミストにとって、二人はお互いにかけがえのない大事な家族であり、パートナーであった。

 

 

 

Sword Art Online RE:Generation

第16話「弟」

 

 

 

現実世界で病弱で中学を休みがちだった弟の晃平をSAOに誘ったのは姉であるアイスだった。βテストでの体験を彼に話すと、晃平はベッドの上で目を輝かせた。そして運良くソフトが手に入り、アイスは学業の傍らバイトに励み弟の分のナーヴギアを揃えた。アインクラッドという現実よりも美しくどこまでも行ける広大な世界に胸を高鳴らせた晃平は、自身の名前を名字である風霧に由来し、ミストと名を変えた。

しかし、二人を待ち受けていたものは、あまりにも残酷極まりない真実。ゲームの中での死が現実での死に直結するという逃れようのないもの。寝たきりの生活が多い弟を自由気ままに走らせたいというアイスの想いは粉々に砕かれ、結果としてまた弟を一つの世界に幽閉させてしまった姉は、何度も頭を下げて謝った。しかし、ミストは決して責めようとしなかった。それどころか、現実世界よりも生き甲斐を感じる世界に連れてきてくれてありがとうと、ニッコリ笑って感謝したのだ。この言葉が、この想いが、どんなにアイスの支えになったかは計り知れない。ミストは、この世界では自分が姉の為に生きるからと強く言葉にした。それは、現実世界で病弱な自分を気遣って生きてきてくれた姉の為に自分が出来ることを模索して生きることを誓った強い意志の表れだった。

 

ミストは常にアイスの前に出たがった。十三歳という年齢も相まってか、男は女よりも強くなくてはならないという持論があったのか、戦闘を積極的にこなし、戦いのスキルの他にも、釣りスキルや調理スキルを鍛えて美味いものを作ったりと、現実世界でやりたくても出来なかったことを満喫しているようにも見えた。

 

「姉ちゃん、俺から仕掛けるよ」

「いいよ」

ミストが短剣で習得したばかりのソードスキルを猪に向けて放つ。すぐにアイスが追撃し片手直剣の一振りで、そのモンスターの姿をポリゴンへと変えた。二人で生きていくことを誓い合ってから、ミストの短剣熟練度は驚く程早くその数値を上げていった。初めはアイスがβテスト時代の経験を生かして教えていたが、最近は独自のスタイルを手にし、そして尚且つそれをモノにしている。小柄な体型を活かし、地面と身体が平行になるぐらい重心を低く保ち姿勢を下げながら突撃する。モンスターの身体のサイズ関係なく、瞬時にその地面を這うような動きで懐に潜り込み鋭い一撃を放つ。

 

 

星空の下で、ミストが作った猪のステーキを食べる。

「硬いね~」

「次はちゃんとしたの作るよ」

「昨日もそう言ってなかった?」

失敗作となってしまった黒焦げの肉を苦笑いを浮かべながらアイスは頬張る。ミストは拗ねたように唇を尖らした。

「おっかしいなぁ。あ、ゼリーなら上手く作れた。姉ちゃん、食べる?」

「食べる食べる」

ステーキと比べ、ゼリーは中々の出来栄えだった。形が崩れていたり、ところどころドロドロな食感があったがイチゴのような甘酸っぱい味が口の中に広がる。道中で採取した木の実を使ったらしい。

 

「姉ちゃん」

ゼリーを味わって食べるアイスにミストが不意に話しかける。

「何?」

口をモゴモゴとさせながらアイスが反応した。

「食べながら返事しちゃダメだよ」

「あ、ごめん。で?」

「俺、何度も言うけど、この世界に来れて良かったと思ってるんだ」

「・・・本当に?」

アイスが食べる手を休めて申し訳なさそうに言う。

「本当さ。だから、そんな顔しないでよ」

ミストは底抜けに明るい調子で答えた。

「今まで出来なかったことが、この世界では出来るから。ねぇ、絶対この世界を二人で生き抜こうね!姉ちゃんと二人だったら俺出来ると思うんだ!」

ミストは熱く語る。強がっているわけでもない。真にそう思っているから言葉に出せるのだ。そして、その言葉は、何よりもアイスの心に温かく広がる。

「私も少しは晃平のこと守らせてよ。たった一人の弟なんだからさ」

「勿論さ。でも今までずっと守ってもらってたからね。恩返しがしたいじゃんか。俺だって男なんだからな。そして姉ちゃんは、俺にとってたった一人の姉なんだからさ」

 

現実世界でも、仲が良すぎるぐらい良い関係が築けていた。姉弟だけではなく家族関係も良好であった。両親は文武両道で面倒見のいい姉に期待を寄せる一方で、病弱だが優しい性格で周りを笑顔にする弟にも信頼と愛情を寄せていた。そんな姉弟の関係が、この世界に来てから、より深いものになった気がする。それを二人はヒシヒシと感じていた。この姉なら、この弟となら、この世界を最後まで手を取り合い支えあって生きていけると確信していた。

 

しかし、どんなに二人の関係が深いものになったとしても、運命とは残酷なものだ。

ソードアートオンラインの世界、創造主である茅場晶彦によって創られた史上最悪、類を見ない大規模な監禁地獄に囚われたプレイヤーたちが悪魔の諸像へと成り果てる。

 

 

2023年、2月。

アインクラッド 第3層 フィールド

 

アイスとミストは三人の男に剣を向けられていた。事の発端は、街でクエスト攻略の為にパーティを組んでくれと頼まれ、報酬も良かったことから快く承諾し、クエストクリアとなった直後のことだった。今まで仲良く談笑していたが、急に持ち物全部置いていけと剣を突きつけられたのだ。

アイスとミストの二人は装備している武具が比較的レベルの高いものだった。βテスト時代の経験を活かし、二人でダンジョンや森を練り歩いた末に見つけドロップしたものも数多い。全て努力の結果として手に入れたものであった。その装備が欲しくなったのか、三人の男たちは不気味な表情を浮かべ姉弟に難癖をつけながら脅迫する。

 

「おい、女ぁ。お前の持ってる片手直剣強すぎじゃね?どうやって手に入れた?チートでも使ったのか?」

「いや、これは・・・」

アイスが持つ片手直剣ジークフールは、第2層の迷宮区にミストと二人で潜った際に遭遇した強いモンスターを必死こいて倒した時に、たまたまドロップしたものだった。

「あれじゃね?お前βテスターだろ?このチート野郎」

アイスが口ごもっていると別の男が言った。

「んだよ。βかよ。ふざけやがって」

もう一人が舌打ちを打ちながら言う。

 

ここ最近、βテスターに対する風向きは異常なほど悪ぃ。一部では一般プレイヤーよりも前知識があるβテスターが全ての知識を共有しなかったことでいざこざが勃発しており、少しバトルの立ち回りが上手いだけでもチート扱いされ、争いの元ともなっている。その為か、自らの正体をβテスターであると明かすのは自殺行為に等しい。それ以前に、自分の正体をベラベラと語ること自体が、オンラインゲームでは御法度である。そんなことを懸念してか、見ず知らずのプレイヤーと馴れ合うのは危険な行為であり、ゲーム開始から三ヶ月以上が経った今でもギルドが増えていかないのは、そういった理由があるのかもしれない。

 

「お前たちこそフザけんな。これは迷宮区で手に入れた武器だっての」

「うるせーぞチビ助。二人で迷宮区なんか行けるわけねぇだろ。ってか、お前のダガーも強すぎんだよ。明らかにおかしいだろ!」

ミストが持つ短剣は、SAOが開始されてからずっと使っている一般的な初期武器を可能な限り強化したものであった。下層に於いて、ここまで強化出来たのは運も関係しているだろうが、その反面、多くの研磨石を稼ぐために、ダンジョンに長い時間潜り込み得たものと言っても過言ではない。

 

「おいチーター共。さっさと装備を地面に置けよ。命は助けてやるからよ」

剣を向けニタニタと嗤いながら男が言う。

「やれるもんならやってみろ。俺たちを傷つけたらお前ら全員監獄行きだぞ」

「監獄?そりゃウゼぇな。やっぱ殺すか。殺せば目撃者もいなくて済むかも」

「殺しちゃう?まぁオレンジになってもカルマ回復っていうクエストがあるらしいし」

男たちが口々に言いながら切っ先をチラつかせる。

「姉ちゃん、平気?危ないから後ろに下がってて」

ミストがアイスの前に立ちはだかりながら言った。

「『姉ちゃん』? 何だ、お前ら家族?」

「いいねぇ。姉を守る弟ってか?」

男たちがせせら嗤う。

「というかよー、弟クン。お前の姉ちゃん結構可愛いな」

「なー。こっち来てから女とはご無沙汰なんだよ、俺たち」

「SAOではセックスして中出ししても子供なんか出来ないよな」

「てか、局部までちゃんとデザインされてんのかな」

「俺のアソコはちゃんとキャリブレーションされてたぜ?」

男たちの視線がアイスの身体を舐め回す。

 

「最悪だ」

ミストが呟いた。

「あ?ごめん、聞こえちゃった?」

男たちが嗤いながら姉弟に歩み寄る。

「ということでさ、弟クン。ちょっとそこどいてよ。俺たち、お前の姉ちゃんに用があるからさー」

「絶対にどくものか!」

ミストが怒鳴り短剣を構える。

「なに?俺らとやるつもり?いいぜ、ほら!」

一人の男が言い終えてミストに迫ると、持っていた片手直剣を振りかぶりミストの胴体を斬り裂いた。重い衝撃を受け、ミストはアイスの足元に転がる。

「晃平!」

「いてて・・・だっせー俺。斬られちゃった・・・」

弟の傍に跪いて傷の様子を見ると、ミストの胴体は深く抉られ、両腕が刈り取られていた。

「だはは。弱ぇなガキ」

剣で斬った男は、ミストが落とした短剣を拾い、タップしてステータスを確かめる。

「うほ、凄ぇなコレ。よくこんなに強化出来たな。その弱さでこの剣の強さ。やっぱチートしか考えられないぜ、お前」

「か、返せ・・・」

ミストが息も絶え絶えに言う。両腕欠損に加え、胴体の傷でHPバーが著しく減っている。アイスが回復結晶を迷わず使用するが完全には回復しない。

 

「お前、カーソルオレンジだぜ」

「マジ?やった。カッコいい?」

カーソルの色を仲間に指摘された男がミストの短剣を振り回しながらおどけてみせる。

「返せ!」

「ん?返してほしい?ほらよ!」

そう言って男が短剣の切っ先を向けたままミストに投げた。その剣先はミストの胴体に突き刺さる。更に接近してきた男からミストを守るようにアイスが前に立ちはだかるが、男はアイスの顔を殴り飛ばし強引に退かすと、ミストの腹に刺さった短剣の柄尻を足の裏で思い切り蹴る。深々と刺さる剣がミストの痛覚を酷く刺激した。

「おいガキ、お前死んじゃうぜ?」

カーソルをオレンジにした男はミストから離れると、地面に倒れこむアイスの顔面を更に殴り、満面の笑みで、アイスの身体にのしかかる。

「瀕死の状態で姉貴が犯されんの特等席で眺めてたらいいぜ」

男たちが嗤う。アイスは抵抗するが腕は抑えられハラスメントコードも何故か起動せず、ただただ必死にもがくことしか出来ない。

「暴れんなよコラ!」

「ははは!ウケる。写メとか撮りたいな。そんなもん持ってないけど」

男たちの手がアイスの身体に延びた。

 

「や・・・やめろぉ!!」

ミストは傷だらけの状態で立ち上がり、あらん限りの力を振り絞り、アイスの上に覆い被さる男に体当たりを食らわせた。

「姉ちゃんは、俺が絶対守るから!」

アイスの前に立つミストは両腕を失くし、腹に刺さった短剣を抜くことも出来ない。それでも全身に力を込め、強く、勇ましく、立ち続ける。

「うぜぇぞガキ!」

地面に吹き飛ばされ倒れた男は表情を歪ませ起き上がり、自身の片手直剣を構えるとミストに向け振りかぶった。ミストはその狂った男の姿を見ても動じず避けようともしない。自分が避ければ、後ろにいる姉が斬られてしまうから。だから彼は動こうとしない。そんな思考は全く持ち合わせていない。

「晃平!」

アイスが涙混じりに弟の名を呼ぶ。

「姉ちゃん。俺、約束したから。姉ちゃんを守るって約束したから!」

弟が背中を向けながら言葉を紡ぐ。その小さな背中が彼の強さを物語る。

 

時間の流れが遅くなった気がした。

片手直剣で斬られた彼の身体はゆっくりとアイスの上に倒れ込み、少しばかり苦痛の表情を浮かべながらも、口元を緩ませながら「ありがとう」と呟いて、その小さな身体をポリゴンへと変えた。キラキラと無数の破片となった結晶がアイスの身体の上を舞い散り、彼の腹に刺さっていた短剣がアイスの手の中にカランと無機質な音をたてて落ちる。

 

「キレちまった・・・」

カーソルをオレンジに変えた男が悪びれもせず嗤いながらため息を吐いた。

「安心しろよ。お前もタップリ楽しんでから弟クンのところに送ってやるから。あっちで感想でも話せばいいだ・・・あ!?」

男が言い終わらない内にアイスは足払いを仕掛け、男を転ばせる。残りの二人が剣を抜き近寄ってくるが、アイスはゆっくりと音もなく立ち上がり、ミストが遺した短剣で一人の利き腕を切断し、もう一人の右足を迷いなく切断した。痛みで転がる二人を冷たく見下ろす。転がる二人は痛みに悶えながらもアイスの顔を見上げた。垂れた黒髪で隠されているが、感情が全くないように見える。そして冷たく光る瞳からは涙が一筋流れた。

「ま、待って」

転がる一人が叫んだ瞬間、アイスは短剣を振り下ろす。左胸に刀身は深々と突き刺さり、利き腕を切断された男の姿は一瞬でポリゴンへと変貌。更に隣で転がっていた、足を失った男の左胸にも同じように短剣を突き刺し、男は絶望の表情を浮かべたまま姿をポリゴンへと変えた。

 

「・・・てめぇ」

オレンジカーソルを頭上に浮かべた男は驚愕しながらも威勢を張りながら立ち上がる。

「へっ。これでてめぇもオレンジだぜ?俺と同類だ。この人殺しが!」

男はフラフラとおぼつかない足取りのまま剣を構え吼える。対し、アイスはまた音もなく立ち上がった。無言、無表情のまま。しかし、涙を流しながら男の顔を見つめる。

「何か言え!コラァ!」

男が剣を振りかぶり迫るが、アイスは男の剣を簡単に避けると、剣を持つ男の腕を肩から切断した。そして顔面を容赦なく殴り地面に転がす。

「い、痛ぇ・・・が!?」

地面に突っ伏す男を強引に仰向けにし、上にのしかかり男の喉元を左手で掴み頭が動かないように固定する。

「イタイ?」

アイスが静かに呟く。頬には何粒も流れた涙の跡。その跡をつたって新たな涙が零れる。そして短剣を握り締めた右腕を天高く振り上げた。

「や、やめ・・・」

「コロス」

男の顔面。目の下辺りに思い切り振り下ろす。男が絶叫する中、かまわず何度も振り上げては振り下ろした。やがて男が姿をポリゴンに変え消え去っても、その動作は止まらない。

 

 

ああああああああああああああああああ!!

 

 

静かな空の下、静かなフィールドで彼女は涙も枯れ果て、喉が千切れるまでに泣き叫んだ。

 

 

2024年、5月。

アインクラッド 第50層 アルゲート

ギルドホーム

 

タクがアイスの壮絶な過去をメンバーに話している時、食卓が沈黙で包まれている中、二階にある自室でアイスは目を覚ました。自分の状態をゆっくりと確認する。どうやらベッドに寝かされているようだ。木の天井が視界に入る。顔を横に向けると、ベッド脇で椅子に座る少年が自分の顔を眺めていた。

「・・・晃平?」

「残念。僕はハルだよ」

少年はニッコリと微笑んで見せた、

 

この会話は前にも憶えがあった。

あれは生きる気力も無くして、街に入ることも出来ず、ただただフィールドを何週間も彷徨った末に、ハルとタクに出逢った時・・・かな。

 

 

カーソルをオレンジに変えた者は街や村に入ることが出来ない。強引に入ろうとすれば、NPCの門番が現れ、凄まじい力で撃退される。

 

ずっと一人でフィールドを歩き続けた。ポップして襲ってくるモンスターは全て撃退した。生きたいわけではなかったが無残に死ぬ気もなかった、気持ちが落ち着くことはない。荒れ狂った感情が治まることはなく、時には怒り、時には泣きながら、立ちはだかるモンスターを斬り殺した。空腹時にはミストが作ってくれた料理を食べた。腹は満たされることもあったは、噛み締めるごとに自分の無力さを痛感し、心が痛んだ。その食べ物もすぐに尽きた。眠気に襲われれば地面に倒れ込んだ。

行くあてもなく、生きるあても死ぬあてもなく、迷宮区に単身で潜り込んだ。出現するモンスターはどれも強敵であったがアイスは剣を振り続けた。

 

そんな中、迷宮区の最深部で、近くにプレイヤーがいることに気が付いたアイスは咄嗟に身を隠し、物陰から様子を伺う。プレイヤー通しの面倒は御免だった。しばらくして仲良さげに歩く二人の男が視界に入った。一人は曲刀を持つ長身の男。そしてもう一人は片手直剣を右手に持ち微笑みながら何かを喋っている少年。その顔を見てアイスは驚いた。思わず声が出た。アイスの声に二人が振り向く。

「オレンジか!?」

曲刀の男がアイスの頭上に浮かぶカーソルに気付き剣を向けるが、アイスの視線は少年に釘付けだ。

身長、髪の色、顔の作り、表情の浮かべ方、声、何から何まで弟にソックリだった。アイスは少年の元へ駆け出す。いち早く曲刀の男が反応し少年の前に立とうとするが、アイスの方が早かった。戸惑い焦る少年をアイスは思い切り抱きしめた。

「ひぇ!?」

急に抱きしめられ変な声が出る少年。それでも構わず更に強く抱き締め頭を撫でる。

「お、お姉さん、どうしたの~!?」

少年が腕をバタバタさせながら言う。アイスは抱きしめる力を弱くし、顔を離す。

「晃平?」

「残念。僕はハルだよ」

少年はクスリと笑う。笑い方も似ていた。思わず、再度強く抱きしめる。

「え、えぇ~!?何で?タク、助けて~」

少年が慌てる。

「あ、あぁ・・・おい、あんた」

男がアイスの肩をトントンと優しく叩いた。

 

 

迷宮区。安全圏。

少年と男に促され、アイスは腰をおろした。そして、少年たちと軽く自己紹介をする。

「晃平って?誰か捜してんのか?」

タクが尋ねた。

「いえ。もういません。似ていたもので。すいませんでした」

アイスはおろしたばかりの腰を上げ、立ち上がろうとする。

「もう行くの?」

ハルが心配そうに言った。

「はい」

アイスは言葉少なめに返事をする。

「行く所あるのか?」

タクもハルと同じような表情を浮かべる。

「貴方たちに関係はありません」

「そう言うなよ。腹減ってるか?俺らの弁当でよければ食ってくれよ。作りすぎて困ってるぐらいだ」

「だから言ったじゃん。二人しかいないのに、そんなに作ってどうするつもり?ってさ」

「こうやって持て成すことが出来たんだから、結果オーライだろ?」

タクがそう言って、ストレージから形不揃いのサンドウィッチを取り出す。

「気持ちカツサンドだ」

「その紫色の肉なに?」

ハルがパンに挟まれた奇妙な色をした肉を指差し顔をしかめる。

「蛙だ。多分」

「食べる気なくすよ、この色。蛙の肉なのにカツサンドって詐欺もいいとこでしょ」

「気持ちカツサンドだ!」

ハルが抗議するがタクは聞く耳を持たない。どうやら自信作のようだ。

 

「ほら、食べるか?」

「初対面の人に渡すものじゃないでしょ。アイスさん、食べたくなかったらいらないってハッキリ言っていいんだよ」

アイスは無言でタクが差し出したサンドウィッチを受け取る。食欲は全く唆らないが久々に見る加工食品を一口齧る。異様な味が口の中に広がった。ミストが昔作ってくれたものとは程遠い。

「・・・美味しいです」

「え?嘘?」

アイスの言葉にハルとタクが驚き、二人もサンドウィッチにかぶりつくが「不味い!!」と叫んで直ぐに吐き出した。

「タク、何コレ!?」

「不味いわ。これ問題作だわ」

「僕が作ったスープよりも酷いよ」

「馬鹿。あれよりはマシだろ」

「アイスさんも不味かったら不味いって言わないと!」

 

二人の兄と弟のような仲良さそうな会話に思わずアイスは口元が緩むと同時に、ミストのことを思い出してしまい胸が痛む。

「お、笑ったな」

「そりゃ笑うでしょ。人間なんだから。失礼なこと言っちゃダメだよ」

タクの言葉にハルが厳しくツッコミをいれる。

二人の様子が、かつての自分とミストの姿と重なる。口元が緩むと同時に記憶の上に被せた蓋が外れるのは容易だった。感情が緩み、涙が頬をつたう。

「ど、どうした?俺のサンドウィッチそんなヤバかった?」

タクが慌てる。

「アイスさん?」

ハルがまたもや心配そうに声をかける。

「私・・・私は・・・」

枯れ果てたと思っていた涙が、止まらなかった。

 

 

数日後。

アイスはカルマ回復クエストを終え、自身のカーソルをグリーンに戻していた。自分一人では出来なかったしやろうとも思わなかった。

「結構面倒臭かったね」

「お使いの上に戦闘とか・・・」

ハルとタクが口々に感想を言い合う。迷宮区で出逢った二人は、お節介など百も承知と言った調子でアイスに付きまとい、カルマ回復クエストがどんなものか経験してみたいと言われ、強引に付き合わされた結果によるものだった。

 

「アイス、お前結構強いな」

タクが快活に笑いながら言う。アイスは無言で軽く頭を下げた。アイスの戦闘はミストを亡くしてからの孤独の戦いで、より鋭く研ぎ澄まされていた。自分を殺してくれるモンスターを探し続けでの結果が彼女に蓄積されている。ひとたび敵を前にすれば容赦なく斬り込み、自身がダメージを食らっても決して倒れない。しかし、そんな無茶苦茶な戦い方だけでクエストクリアできたわけではない。行動を共にしたハルとタクは、そんな彼女の戦闘スタイルを活かしつつアイスの邪魔にならない立ち位置を取り立ち回ってくれた。特に、戦闘指示を送るタクの采配は素晴らしく、どんな敵にも突撃していくアイスの性格をいち早く理解し、彼女をアタッカーに置きながら最善のフォローを編み出してくれた。

 

「お世話になりました」

アイスが小さく呟き踵を返そうとする。二人は面食らうが直ぐにいつもの表情に戻った。

「どこか行くの?」

ハルが訊いた。

「あてはありません」

「なら、僕たちと行動しようよ」

「何故ですか?」

「何故って・・・」

彼女の真っ直ぐな言葉にハルは詰まってしまう。アイスは馬鹿ではない。二人が何故自分を引きとめようとするのか。何故一緒にいてくれるのかは何となく理解しているつもりだった。短い間ではあったが共にいて分かることは沢山あった。ハルもタクも、自分の大好きな人種であった。その上で突っぱねたのだ。

 

タクは静かにハルとアイスの会話を見守っている。この人はいつもそうだった。大人らしい意見を言うくせに、局面局面では、いつだってハルの意見を尊重する。

「じゃあ、フレンド登録しよ」

ハルがニッコリ笑って言った。弟に似た少年の表情に今度はアイスが言葉に詰まる。

「僕はアイスさんの友達。いいかな?だから、僕が困ったら助けてよ」

あまりにも強引であるが、それは今に始まったことではない。ハルはいつだって頑固だった。

「逆にアイスさんが困ったら呼んでよ。絶対だよ?僕、すぐに行くから。その時は僕がアイスさんを守るから。その逆だったら、アイスさんが僕を守ってよね、これ約束!」

アイスはハルの押しに負け、ウィンドウに表示された『YES』のボタンをタップした。

 

その数週間後である。ハルからアイス宛にメッセージが届いた。

「ギルドを作りたいんだけど規定人数が足りなくて困ってます。入ってください」

またもや強引だった。しかし、義理堅い彼女の性格を逆手にとった手だった。困ったら助けるという約束の基、アイスは『β』に加入する。

設立時のメンバーは、ハル、タク、ムニ、ヒート、アイスであった。

 

 

2024年、5月。

アインクラッド 第50層 アルゲート

ギルドホーム

 

「懐かしいね~」

アイスの回想にハルが相槌を打った。彼女がここまで昔の話を語ってくれるのは初めてのことだった。

「はい」

アイスが天井を見上げながら頷く。上を向いていなければ、ハルの優しさのせいで込み上げた感情が頬をつたって流れてしまいそうだった。

「僕、嬉しいんだ。最近のアイスさん、よく笑うようになったから。タクも言ってたよ。心を少しずつ開いてくれてるんかなって。でもね、僕ら、仲間なんだ。もっともっと甘えてくれてもいいのに」

「え?」

ハルの言葉に思わずアイスは少年の顔を見てしまう。溜まった涙が頬をつたい布団の上に落ちる。

「だって君は僕の姉じゃないから。だから僕よりも強くあるべき理由なんて一つもないんだ」

ハルの言葉はいつだって核心をついてくる。しかし不思議と嫌な気持ちにはならない。

「そう・・・ですね」

「僕は晃平君の代わりにはなれない。だからアイスさんも僕の姉の代わりにならなくていいんだ。誰よりも強くあろうなんて考えなくても大丈夫だよ。僕たちはいつまでも対等の友達なんだ」

ハルはそう言って、アイスの涙に手を触れた。

 

「生きよう。一緒に来てくれる?」

「・・・はい」

アイスの返事にハルはニッコリ笑った。弟に似た笑い方だが、それは違う。これはハルの笑顔だ。

 

 

晃平。

私、生きるからね。

晃平の為に。私の為に。『β』の為に。

そして・・・。

 

ハルという、かけがえのない友達の為に。




キャリブレーションってどこまでされるんだろうね。
素朴な疑問です。


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17.

2024年、5月。

アインクラッド 第??層 ???

 

霧が深く漂う森。木々の間から空を覗くことも難しい程に背の高い木が鬱蒼と生い茂る。地面に生えた草は朝露を浮かべ湿っており、踏みしめる度にひんやりとした空気が足を伝う。

 

「誰だ」

赤い刺繍が施された黒いコートのポケットに両手をいれて歩みを進めるイグナイトが言った。返事はない。辺りは静けさに包まれ、遠くで何らかの鳴き声が微かに聞こえる。時間帯も相まってか、不気味で不穏な空気が霧と共に漂い、あまり長居したい場所ではない。

「誰だと聞いているが?」

イグナイトは人がいるであろう背後の木の陰に、目もくれず静かに言い放つ。

「・・・凄いねぇ。バレちったか」

その陰からフードを深々と被り、口元しか見えない男がニヤけながら現れた。

「全員出てきたらどうだ」

「・・・へぇ」

感情が一切篭っていない調子でイグナイトが声を発すると、フードの男は感心したような素振りを見せながら手を挙げる。すると、木々の間から同様にフードを深く被った男たちが三人現れた。

「キミ強いね。オレンジ君」

「お前らもだろ?」

姿を現したフードの男たちのカーソルは全てオレンジ。対するイグナイトも同じ色だ。

「『ラフィンコフィン』か?」

イグナイトが背中を向けながら言った。

「当たり。なら話は早いかなぁ?ヘッドがキミに逢いたがってる。来てくれるよね?」

男はニヤけたままであるが、フードで隠れているギラギラとした瞳でイグナイトを睨みつけながら言った。

「ふーん」

イグナイトは興味なさげに鼻を鳴らすだけだった。

 

 

 

Sword Art Online RE:Generation

第17話「接触」

 

 

 

アインクラッド 第50層 アルゲート

ギルドホーム

 

ホームの応接間のソファでハルとタクが隣り合って座る。その向かいには細身で長身。茶色の髪を背中まで伸ばし、スラッとした長い足と大人な雰囲気が漂う振る舞いをしたフランが座っていた。ハルが長年信頼を寄せる情報屋の一人である。

SAO界で一番有名な情報屋『鼠のアルゴ』とはまた違う独自の情報ルートを持ち、最前線の情報やクエスト攻略の情報は勿論だが、得意としているのはプレイヤーの詮索。攻略組から始まり大型ギルドから小規模ギルドのプレイヤーの情報を扱う。そして極秘裏に集めているのが、殺人プレイヤーの情報。常に隠密で行動し、どのギルドにも所属せず単独でプレイヤーの身辺を嗅ぎ回ることから、彼女を敵視する特にオレンジのプレイヤーからはフランのことを『野良犬』と呼称している。フランはその不本意なあだ名を逆に気に入ってしまい自らを犬呼ばわりするが『β』のメンバーは長い間お世話になっている彼女をちゃんと名前で呼んでいた。

 

「胸糞悪ぃ話だな」

タクがフランが持ってきた話を聞いて、ため息を吐いた。

フランは情報を売り買いすることで生計をたてているので、自身が持つ情報をむやみに公開することはない。しかし、今回は単純に大事なクライアントに忠告する為に訪れていた。

それは、最近アインクラッドで起きた事件。殺人ギルドとして名を馳せる『ラフィンコフィン』によって行われた大虐殺。経験値が多く貰える限定クエストがあるという嘘の情報を流し、そこに集まったプレイヤーを全員殺した余りにも酷い残虐極まりない内容である。

 

『ラフィンコフィン』

名を聞けば誰もが不快感を露わにし、関わりを持ちたくないというギルド。殺人を快楽と捉え、一般プレイヤーを殺すことに何の躊躇いもない。一度人を傷つければ、自身のカーソルはオレンジになるが、彼らは自らのことをレッドプレイヤーと称し、殺人をして楽しむのがこの死のゲームで許された一つの権利だと考えている。

 

「フランさん。忠告は有り難いけど、絶対に無理はしないでね。危ないよ」

ハルが心配して言った。

「私は好きでやってるの。私の情報でハル君たちが死ななければ、それでいいの」

フランは当たり前のように言う。

「それでも心配だよ。ねぇ、ギルドに入る気はないの?」

「ハル君の仲間に?嬉しい話だけど答えは変わらないよ」

SAOが開始されてから割と初期の段階で、ハルとタクはフランと知り合っていた。その時からハルは『β』加入の話を彼女に持ちかけているが、毎回断られている。情報を力にしているフランは頼られることも多いと同時に狙われる可能性も高い。プレイヤーの個人情報を詮索するような行動をしている時点で恨みを買われることもある。その矛先が『β』に向いてしまえば、フランは一生後悔することになる。それを恐れてのことだった。それでも常に心配してくれるハルの優しさを身に感じるだけで充分嬉しかった。

 

応接間の扉が突然ノックされ、ハルとタクが返事をする前に扉が開かれると同時にシュートが前のめりなりながら駆け込み、ソファに座るフランの胸に飛び込んだ。

「フラン姉ぇ~」

「お!元気だったか?よしよし」

甘えるシュートの頭をフランが優しく撫で回すのを見て、タクは再度深いため息を吐いた。しかし、それは先に吐いたものとは、また違った意味合いを持つ。

「ごめんなさい。シュー君!大事な話してるからダメだよー」

ニカが遅れて入ってくる。

 

ハル以上に誰にでも人懐っこいシュートは『β』と仲がいい外部の人間にもすぐに懐いた。その中でもフランには人一倍甘えている。その理由は定かではないが、タクと同年代であり、シュートにとっては年上すぎるフランに母親の姿を重ねてしまうのではないかというのがハル達の見解であった。

「フラン姉、今度レベル上げ手伝ってよ」

「そんなのタクがやってくれるでしょ?」

「タク兄、厳しいから嫌だ」

「んだと?」

シュートの真っ直ぐな言葉にタクが微笑みながらこめかみを引きつらせる。

 

『β』のメンバーがシュートに戦い方を指南する時は、彼をギルドの戦い方に合わせるようにして教える。しかしシュートは長い間、第1層でタンクと共にレベル上げをしていたらしい。タンクの教え方とフランの教え方は似ているとシュートは事あるごとに言う。つまり、シュートを前線に立たせ、大人は後ろで控え、後方から見守り支援するというカタチだ。こっちの方が、シュートは自分の好き勝手に動けて戦闘が楽しいらしい。だが、この戦い方を覚えてもらってはギルドにとって困る。あくまでチームプレイを基盤とする『β』の戦闘に全く合わない。例外として、ムニ、ヒート、アイスは前線に出続けても危なげがないことから個人プレイに走らせることも少なくはないが、シュートにそれが同じように出来るかと言えば無理な話である。

 

「そういや、シグはいる?」

フランがシュートの頭をワシャワシャしながら言った。

「シグ君なら、今は店かな」

ハルが答える。

「そっか。帰り寄って行こうかな。シグの発明した武器、私も欲しいんだよね」

「俺も行くー!」

シュートがフランの腕の中で元気よく言った。

「じゃあ、ハル君。気をつけてね」

「うん。フランさんも」

「タク。シュー君あまり厳しくしちゃ駄目だぞ」

「うるせぇ」

「それじゃ、シュー君、行こうか」

「行く行くー」

フランが立ち上がり手を差し出すと、シュートがその手を嬉しそうに握った。

 

 

2024年、6月。

アインクラッド 第49層 ミュージェン

 

主街区から離れた街の外れにある講堂。聞き耳、覗きなどのあらゆる防犯措置がとられたこの建物に集められた、限られたプレイヤーたち。その誰もが戦闘職として名を馳せる猛者ばかり。その中に召集をかけられた『β』のハル、タク、ムニ、ヒート、ノースがいた。

様々なギルドの、様々な人間が入り混じる。SAOで共に生きているからといって全員が信頼し合っているわけではない。だからこそ多くのギルドがこの世界には存在するのだ。そして、そんな思考も考え方も性格も違う人間が、こんな場に集まれば、否が応でも室内に漂う空気は不穏なものとなる。早くも大型ギルド同士のいがみ合い、小競り合いが始まっていた。『血盟騎士団』と『アインクラッド解放軍』、『青竜連合』のプレイヤーたちが睨み合う。一応攻略を共にしているものの、互いが掲げる理念は全く違う。

 

「来るだけ無駄だったかな」

「何だ?『β』は臆病風に吹かれてんのか?」

タクが小さく呟くと、その声が耳に入った別ギルドの人間が絡む。タクは努めて無視した。しかし、見た目から判断して無視されて黙ってるような人間ではない。

「おい、β野郎!何シカトしてんだ!」

「やめなさい!」

掴みかかる男の前に『血盟騎士団』の制服に身を包んだアスナが厳しい視線を送りながら立ちふさがった。『閃光』『副団長』など多くの肩書きを持つ彼女にキツく睨まれ、男は身を退く。タクはダルそうに顔をしかめ、わざとらしく大きなため息を吐いた。

「貴方も無闇に挑発しないで下さい」

アスナがタクに向き直り、厳しい口調で言った。

「うるせぇな。本音を言っただけじゃねぇか」

「あのですね。前から訊こうと思っていたのですが、貴方、私のこと嫌いでしょ?」

「好きじゃない」

タクの心底面倒臭そうな言葉に熱り立つアスナを見て、ムニとヒートは顔を見合わせながらクスクス笑った。昔から双子のように同じ仕草をとることが覆いムニとヒートだが、結婚してからその度合いは格段と増えた。

 

「ごめんね、アスナさん。タクも悪気があるわけじゃ・・・ないと思う」

ハルは自信が無さそうに謝った。

「アンタ、俺のお袋の口調にソックリなんだ。だから好きじゃない」

タクが言わなくてもいいことを敢えて口に出す。

「タクちゃん、お母さんのこと嫌いなん?」

ヒートが笑いながら訊いた。

「嫌いじゃないけど好きでもない。アンタと同じだな」

タクがアスナを見て言った。

「ちょっとね~」

その言葉に苛立ちを抑えきれない副団長。

 

「アスナ」

不意に後ろから名前を呼ばれアスナが振り向くと、黒いコートを羽織った見知った人物が立っていた。

「キリト君。来てくれたんだ」

「あぁ。迷ったけど話だけならと思って。ただ、この様子じゃ来るだけ無駄だったかなって思うよ」

タクと全く同じ感想を宣う彼に、今度はアスナがため息を吐く。

 

「キリト?」

ノースが反応した、見たことのある男だった。顔つきは少々変わったものの、昔どこかで。

「ん?そちらは?」

キリトがアスナの後ろにいる『β』メンバーを見つめる。

「あ、あぁ。こちらギルド『β』の。最前線の攻略に参加してくれてて。ほら、覚えてない?」

「あぁ。この前話してた。はじめまして、キリトです」

キリトが友好的な態度え手を差し出すと、ハルがその手を握った。

「こちらこそ。リーダーのハルです」

ハルに促され、残りの四人も名前を名乗る。

「あぁ。貴方がタクさんか。アスナから事あるごとに聞いてるよ。ムカつく奴だって。でも俺からはそう見えないな」

「ちょ!?」

「・・・あ?」

キリトが素直にツラツラと問題発言を述べ、アスナは慌てて彼の口を塞ごうとするがもう遅い。タクは苛々としながらアスナを睨む。ムニとヒートはまたクスクスと笑いの発作が始まり、ハルとノースがタクをなだめた。

「え?俺、なんか変なこと言った?」

「言ったわよ!」

「おい、待てコラ!」

アスナに怒られキリトは何が悪いのか分からないとトボけた顔をする。

 

噂で広がっているキリトの情報とは180度違う彼の印象に『β』のメンバーは驚く。βテスターを中心に構成された自分たちなら一度は耳にしたことがある名前である。

『黒の剣士』『ビーター』尊敬、畏怖、妬みなど様々な理由からつけられた呼び名を持つ元βテスターのプレイヤー。最前線を転々としながら常にソロであり続ける孤高の剣士。攻略会議でも度々目にしていたが、共に戦ったことは一度もない。

そしてノースは思い出した。この朗らかに笑う少年が、今は亡き戦友ディアベルを見殺しにし、その後、第27層で一人の男を自殺に追い込んだことを。乗り越えた筈のディアベルの死という忌々しい記憶がノースの頭の中で蘇る。思わず拳を強く握り締め、表情が乱れてしまわないように平静を必死に取り繕う。

「ノースさん?」

いつの間にか傍に来ていたハルがノースを不安そうに見上げた。どうしてこの少年は人の気持ちを悟るのが上手いのか。

「大丈夫。大丈夫だよ」

ノースは頬を無理矢理緩ませ笑顔を作る。だが、こんな偽物の表情を見破るのはハルにとって得意なことであろう。ハルはノースの気持ちを汲んだのか無言で彼女の堅く握り締めた拳を優しく解いて、その手をギュッと握った。

 

 

「みんな、聞いてくれ」

突然、集団よりも高い位置に上がった男が言った。集まった人間の視線が、その男に注がれる。

「今日は集まってくれてありがとう。これより討伐隊の説明を始めたいと思う。皆も知っての通り、最近下層でラフコフによる大虐殺が行われた。殺人を快楽と考える異常犯罪者をこれ以上野放しにすることは出来ない。討伐隊の目的は、そんな糞野郎共を文字通り討伐することだ。ここで注意してもらいたいのは、殺すのではなく、あくまで生け捕りにし監獄に送ること。僕たちまで犯罪の手に染まる必要はない。ただ、その為に皆の力を借りたい」

男は壇上の上で力強く述べた。

「騎士団を始め、今日はSAOで名を馳せる様々なギルドに集まってもらった。日常では互いによく思ってないこともあるかもしれないが、ここは共に力を合わせてくれないか?」

「ちょっといいかな」

男の話の腰を折って一人の男が手を挙げた。『血盟騎士団』の団長、ヒースクリフである。

「どうしました?」

「私は討伐隊の話、辞退させて貰おう」

「え?」

男はヒースクリフの意外な発言に素っ頓狂な声をあげる。

「ヒースクリフさん。僕は今回騎士団の力があればと考えて行動した次第です。貴方がいなければ!」

「勝手に私を頭数に加えないで頂きたい。私は攻略の為に剣を振るう」

「でも1」

「私の剣は人を斬る為にあるのではない」

ヒースクリフの凛とした声が講堂内に轟き、壇上に立つ男は沈黙した。彼だけではない。講堂内を水を打ったような静けさが広がる。

 

「ふん。情けないな」

タクの傍にいた『聖竜連合』の一人が口を開いた。

「俺は参加するぞ!聖竜は全員参加だ!」

「俺たちもだ!」

軍の幹部たちが剣を掲げた。それに続き、多くのプレイヤーたちが賛同の声をあげる中、ヒースクリフは一瞬だけ満足そうな笑みを浮かべると、マントを翻し講堂を後にした。

「・・・仕方ない。だが、これだけ参加の声があがったことを僕は素直に嬉しく思う。現在、僕の仲間及び情報屋がラフコフのアジトを散策している。情報が入り次第、細かな日程、作戦を練ろうと思う。今日はありがとう!解散!」

壇上の男が言った。

 

 

「俺たちはどうすんだ?」

ムニが険しい顔をするハルに訊いた。

「参加しない」

「だよな」

「絶対に許可しないからね」

ハルが断固として言った。

「アスナ?」

キリトが名前を呼ぶ。

「団長はああ言ったけど、アスナはどうする?」

「私は・・・」

「やめとけ」

口ごもるアスナを見てタクが口を挟んだ。

「どうしてですか?」

「迷うぐらいなら参加するな」

普段からアスナとタクの二人は話が全く噛み合わない。どちらも互いの態度をムカつき合っているのだから仕方がないのかもしれない。そんな中、タクは本気でアスナを心配して言った。

「ヒースクリフさんが正しい。俺たちの剣は人を殺す為にあるわけじゃない」

「俺の剣は」

タクの言葉をキリトが遮った。

「なんだ?」

「いや、なんでもない」

しかし、すぐに口をつぐんだ。タクはそんなキリトを訝しげに見る。

「僕らも帰ろう」

ハルが言った。

ぞろぞろと人波に流されながら帰路に足を向ける中、ノースが立ち止まった。

 

「キリト・・・さん」

「?」

アスナと共に帰ろうとしたキリトが名を呼ばれて足を止める。

「ノーちゃん?」

ヒートが彼女の異様な表情に戸惑いながら話しかける。

「キリトさん。少し話をしてもいいですか?」

『β』のメンバーが不安そうにノースの顔を伺った。

「僕も行こうか?」

ハルの問いかけにノースは黙って首を振った。

「じゃ、転移門の前で待ってるからね」

ハルは優しく言ってメンバーを促す。

「私、待ってるよ」

アスナはキリトにそう言って、ハルたちと共に去っていく。

 

 

講堂。塔。

 

この大聖堂のような建物は多目的建造物とされ、集会などの目的の為に誰でも使うことが出来る。最上階にある塔は小さな部屋だが、窓からはミュージェンの街並みを一望出来る場所だった。

キリトは戸口に立ち、自分に背を向け窓から外を眺めるノースの言葉を待っていた。それでも彼女は口を開かず、しびれを切らしたキリトが先に口を開く。

「話って?」

「・・・」

ノースは何も言わない。だが、身体を小さく震していた。

「貴方は・・・人を殺したことがありますか?」

「・・・え?」

あまりにも衝撃的な問いに予想していなかったキリトは思わず訊き返してしまう。

「答えてほしいです」

「・・・あぁ。あるよ」

キリトは間を置いて、素直に答えた。答えたところで救われることも慰められることもない。何の得も無いと分かった上でキリトは肯定した。

「後悔していますか?」

「あぁ。助けることが出来た筈の人間を俺は殺してしまった」

キリトは自分の手を見つめて言う。己の無力さを絞り出すかのように言葉を発した。初めてのフロアボスのことも、初めて所属したギルドのことも。まるで今起こったかのように、頭の中で鮮明に蘇る。人を失くした思い出は痛みであり忘れようとしても逃れることは出来ない。そして、その想いはいつからか、忘れてはいけないものなのだと。自分が傷つくことを分かった上で、自分の身体に刻み込んだ。

「・・・初めて人を殺したのは第1層でのフロアボス討伐の時だ。ボスの動きがβテストの時と違くて、結果的に一人死んだ。その後も、自分の正体を偽った結果、一つのギルドが全滅した。全部俺のせいだ」

キリトは自らを呪いながら言う。

 

「・・・ディアベルは最期、何か言ってましたか?」

「え?」

キリトはハッとして顔を上げた。窓から夕陽が差し込み、その光がノースの頬をつたう涙を照らす。

「知ってるのか?」

「・・・私の友です」

ただの友達ではない。それ以上の関係だった。だが、その関係を表す言葉は見つからなかった。

「そうか・・・あいつは最期まで立派だったよ。最期に『この世界を終わらせてくれ』と俺に託して死んだ」

「・・・」

部屋の中を冷たい沈黙が支配する。

 

「ごめん」

その空気に耐え切れず、キリトが口を開いた。

「何故?」

「俺が・・・俺が・・・殺したのも同然だ。俺が・・・」

キリトはノースの顔を直視することが出来ず、俯きながら謝罪の言葉を紡ぐ。

「安心しました」

「え?」

「貴方はビーターではない。それが分かって安心しました」

ノースはニッコリ笑って言った。無理に笑っているのが痛いほど分かるぐらいに。

「キリトさん。貴方の剣は何の為にありますか?」

「俺は・・・俺の剣は、人を守るために使いたい」

意図せず零れてしまった涙を拭いもせず、キリトはハッキリと声に出して言う。夕陽の逆光を受け、ノースの表情は分からなかったが、彼女は満足そうに微笑んだかのように見えた。

 

 

 

アインクラッド 第??層 ???

 

「イグナイト君」

「気安く呼ばないでほしいかな」

名を呼ばれたイグナイトは煩わしそうに声の主に向かってイラつきながら言った。

「君の剣は何の為にある?」

「お前みたいな奴を斬る為だ」

イグナイトが片手直剣を構えた。

「ククク。Very funny. 面白いね。やってみるかい?」

声の主が短剣を手に取る。短剣と呼ぶには大きすぎる刀身。中華系の包丁のような形状をしているそれは、友刈包丁。今までに何人もの命を刈り取ってきた悪魔が宿る剣。

 

「殺す前に訊いておこう」

「何かな?」

「そのフザけた名前、どういう意図で付けたんだ?」

「プーか?可愛いだろ?」

「あぁ。虫唾が走るぐらい可愛らしいな」

イグナイトが唾を吐き捨て、駆け出した。



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