【凍結】ドラゴンクエスト 勇者アベルともうひとつの伝説 (しましま猫)
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<設定及び注意事項>(はじめにお読みください)

あらすじの注釈が増えてきたので、まとめてこちらに移しました。
細かいことを気にしないで楽しめるぜ!って人は読まなくて大丈夫だと思います。
このページを読んで、会わないなと思ったら読まないことを強くおすすめします。


※随時、追加していきます。

1.舞台設定

 この作品は、アニメ「ドラゴンクエスト 勇者アベル伝説」の二次創作になります。オリ主がアニメの世界にトリップするというありがちなお話です。とある理由から原作のバッドエンドの世界が巻き戻された形で、原作開始の10年前からスタートします。

2.呪文

 基本的にはドラゴンクエストⅢの設定を参考にしています。それ以降の作品で登場した者や、マンガなどのオリジナル呪文も、取り入れていきたいと思っています。物語の中で初出の呪文は後書きで解説しています。

3.アイテム

 こちらも呪文同様の設定とします。ただし、本編には登場しない不思議なマジックアイテムもあります。また、TRPGなどでおなじみの効果がドラクエの呪文では再現できないことが多いので、マジックアイテムで代用しています。呪文同様に後書きに解説を載せています。

4.特技

 基本的に、特技はモンスターの特権であり、人間やエルフなどのいわゆる「人間種」は一部の者を除き、特技は使用できません。一部の者といってもかなり限られた範囲にしようと考えているので、基本的には「人間種は特技を使えない」と思っていてもらって大丈夫です。理由は、某ジャンプ漫画のように戦闘のバランスが著しく崩れるからです。

 特技についても、必要に応じて後書きで解説しています。

5.スキル

 一部の者は特別なスキルを習得していることがあります。それは自覚している者から無自覚の者までいろいろありますが、英雄級の活躍をするような存在はほぼ全員、数個のスキルを保有しています。解説すべきタイミングが来たときに、本編ないし後書きで解説しています。

6.原作との関わりについて

 このお話は原作の世界を別視点で冒険する「もうひとつの伝説」です。主人公の介入で運命は変化していますが、アベルがバラモスを打ち倒す話の大筋は変更しません。主人公は話の冒頭で、時間を巻き戻すイレギュラーによって起こされた変異を修正するために転移させられています。

 何が言いたいのかというと、基本、主人公たちのパーティはアベルたちとは行動を共にしません。よって、この小説はそういう意味では、原作とは「合流」しない可能性があります。本当はこれを書くとネタバレになるので書きたくなかったのですが、自分の期待している展開と違うからと言って文句を垂れる匿名の人が見受けられるので、文章に起こして警告しておきます。この展開が嫌いな人は読まないことをおすすめします。

 また、本作においては「因果応報」というのをモットーにしています。原作では自己中心的なことをしてもとがめられなかった人がいたり、理不尽に不幸な境遇に立たされた人もいたりしましたが、なるべく、起こした行動に相応しい報いがあるようにしていきたいと考えています。そういう展開が嫌いな方にも、本作はおすすめできません。

7.要望について

 活躍させて欲しいキャラなどご要望がありましたら、メッセージか活動報告へのコメントでお寄せください。感想欄に書き込みますと規約違反になりますのでおやめください。

8.感想返しについて

 旧作の連載時に、私が不用意なことを書いたせいで、変な人を暴れさせてしまったので、感想への返信は最小限にしたいと考えています。よって、すべての感想に返信はしません。ですが、一応すべてに目は通していますので、感想欄はお気軽にお使いください。ただ、匿名書込を有効にしていると無責任なことを書く人が多いので、あまりひどいようであれば匿名投稿を制限させて戴くかもしれませんので、その旨、ご承知おきください。




※この作品をお読みになった結果、どのような気分になられても、作者は一切責任をもちません。閲覧はご自身の責任でお願いいたします。

こ、これくらい注意書いとけばいいよ、ね??


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プロローグ

どうも、しましま猫です。
主人公視点で物語を書き進めるのに行き詰まったため、第三者視点に変更して書き直しました。また暇つぶしにでもお付き合い頂けますと幸いです。
リメイクに当たって、プロローグを加筆しました。要望があったあの人を登場させています。さて誰なんでしょうね(すっとぼけ)。

※2018/12/30 誤字脱字、文章表現等を修正しました。
※2017/9/24 後半に新しいエピソードを追加しました。
※2017/4/9 誤字脱字等を修正しました。


 神々が世界を支配していた遙か昔、()き神々と悪しき神々の間に大いなる戦いが起こった。戦いは果てしなく続き、大地は裂け、森は焼かれ、大海は干上がった。そのとき、全能なる神は激しく(いか)り、地上に(りゅう)を遣わした。竜はたちまちにして戦いを鎮めた。だが、その後も竜は暴れ続け、その大いなる力によって世界は滅亡の危機に瀕してしまった。そのとき、善き神々は赤と青のふたつの(たま)を造り、その力を合わせ竜を封じ込めた。

 その後、善き神々は赤と青のふたつの珠にそれぞれ、別の力を与えた。赤き珠には竜を蘇らせる力、青き珠には竜を封印する力を。

 赤き珠は竜を蘇らせるとともにその力を制御することができるようになり、青き珠は役目を終えた竜を再び長く安らかな眠りにつかせることができるようになった。しかし、ふたつの珠に力を与えたため、善き神々の神としての力は失われた。彼らは人間(ひと)となり、自分たちの子孫をふたつの種族に分けた。愛と知力をもって赤き珠を守護するボーン族と、勇気と慈悲をもって青き珠を守護するグロウ族である。

 そして、世界に危機が訪れるたび、ボーン族の子孫の中から選ばれた聖女と、グロウ族の中から選ばれた勇者によって、竜はよみがえり、その強大な力で災いを沈めたという。そして、そのような時代から、また気の遠くなるような時間が流れた……。

 今から数千年の昔、豊かな自然の中で超古代文明を築き上げた民族があった。その名をエスタークといい、都は栄華を極め、人々は享楽と陶酔の中で(おご)り高ぶり、世界制覇の野望を抱いた。だが、その野望は自らが招いた水の汚染により、すべてを崩壊させてしまった。そして今、微生物一つ存在しない死せる水の底に沈んだ都、エスタークで、かつての世界制覇の夢を捨てきれず、さまよい続けた人々の残留思念が、とてつもない闇の帝王を誕生させた。その名を「大魔王バラモス」……!

 

※以上、「勇者アベル伝説」作中より一部引用。

 

 また、竜伝説の地とは異なる、遙か光の彼方では、人間たちが高度な文明を築き上げていた。しかし、反映と享楽の中で、人の心はすさみ、争いは絶えず、憎しみと欲望が世界を取り巻いていた。人々は心から笑うことを忘れ、この世界の有り様を嘆き、数多くの伝説や物語の中に、心の救いを求めていた。

 青年は何の変哲もない「人間」であった。しかし、神々のいたずらか、悪魔のささやきか、彼は見上げる夜空の星々よりも遙か彼方の世界より招かれてしまう。そこは、彼が物語の中に見た、伝説の舞台。「勇者」と「魔王」が、竜の伝説を巡って相対する世界であった。

 なぜ、彼は呼ばれてしまったのだろうか? 彼の心にある空虚が、何か異質な力を呼び寄せたのか? いや、救いを求める人々の心が、遠い世界から彼を呼んだのか、彼自身にもわからない……。

 今、もう一つの「伝説」が紡がれる……。

 

DRAGON QUEST THE HERO OF ABEL -ANOTHER LEGEND-

 

 賑やかな駅前の通りを、1人の男が重い足取りで歩いていた。日が落ちかけ、周囲はこれから夜の街に繰り出そうとする者、家路を急ぐ者などであふれ、露店の呼び込みや交通整理などの声が騒がしい。ついこの間もこの周囲で通り魔騒ぎがあったばかりなのに、街の賑わいは衰えを知らない。誰も彼も、今、目の前のことしか見えておらず、悪化した治安によって明日は我が身が(おびや)かされるかも知れない現状を、正しく受け止めようとはしていない。そんな人混みの中を歩く男も、明日の世界がどうなるかなどと言うこととは、全く無縁の人間であった。

 季節は秋から冬へ移りはじめ、朝夕の冷え込みも厳しく、吐く息は白く濁り、肌を突き刺すような寒風が吹きすさぶ。そんな中を、ダウンコートの裾を握りしめながら、男は一層重くなっていく足を叱咤するように、歩幅を大きくし、速度を速めていく。今日は非常に珍しく仕事が早く片付き、明日は滅多にない休みだ。こういうときに体を休めておかないと今後に響く。病気で何日も休もうものなら減給はおろか、即刻解雇である。労働基準法などというものは彼の勤める会社では遵守などしておらず、労働者を守るものはほとんど何もなかった。このご時世、優良企業に就職できなければ、雇用者にまるでコマのようにこき使われる、いわゆるブラック企業に勤めるしかなく、彼の勤める会社を含めて、そういう所は存外に多かった。

 男が駅にたどり着く頃には、あかね色の空が夕闇に落ち始め、ネオンや街灯があたりを照らし出していた。いつもの通り、地下通路へ向かうため駅の3番出口の階段を降りようと、コンビニの前の路地を右折する。

 

「ん? 何だあれ? テント……?」

 

 路地に入ってすぐ、見慣れないテントのようなものを目にした男はふと足を止めた。普段なら足早に通り過ぎてしまう怪しげなその入り口に、何故か今日に限って彼は足を踏み入れてしまった。疲労のせいで判断力が鈍ってしまったのだろうか? このご時世、たちの悪い商売で人から金を巻き上げる者など数多いというのに。

 

「ようこそ、占いの館へ、お待ちしておりました。」

 

 テントの中は薄明かりしかなく、布をかけたテーブルに水晶玉が置かれている。それを前にして、フードを被った人物がこちらを向いて座っている。光量が足りないのとフードを被っているせいで、顔はよく分からないが、声からして女性のようだ。その風体からして、怪しさ満載なのだが、その声は不思議と人を優しく包んで癒すような、そんな感じがする。まるで旧知の仲であるような親しみさえ感じさせる声に、男は彼女とどこかで会っただろうか、そんなことをぼんやりと考えていた。

 

「相当お疲れのようですね、無理して体を壊しては元も子もありませんよ?」

「はは、まあそうなんだけどね、このご時世じゃたとえブラック企業でも、収入があるだけマシさ、辞めても再就職先なんてないからね。」

「……どこも大変なのですね。……失礼しました。それではあなたの運勢について、占ってみましょうか。」

 

 占い師の女の声から、悲しそうな、寂しそうな感情を感じ取った男は、わずかに眉をひそめた。労働者の雇用環境悪化などは、昨今珍しいことでも何でもない。本当にどこにでもある日常だ。誰かが過労死した、上司に逆らって解雇されて路頭に迷った。労災が通らない、運良く裁判を起こせたとしても確実に負ける……等々、数え上げればきりがない。皆、内心は憤っていても、すべてを諦めていて、そんなものかと無感情を装っている。そうでもしないと見かけだけでも平穏に生きていくことができない。今の社会はそういう社会だ。だから、さっきのような言葉は占い師としての営業トークとしてはありだとしても、本気で相手の身を案じ、休養を勧めてくるような態度は違和感を感じる。

 

「タロットカードよ、この者の運命を見通し、道を指し示せ。」

 

 いつの間にか占い師の手にはタロットカードが握られており、銀色に光るそれはわずかに光を反射している。彼女はカードを両手でシャッフルし、テーブルに並べていく。徐々に場の雰囲気が変わり、何者も立ち入れないような清浄(せいじょう)な空気が立ちこめていく。それは占いや宗教というものをあまり信じていない男にとっても分かるほど、はっきりと感じられる者だった。故に、男は口を閉ざし、ただ話を聞く姿勢に入る。もっとも、男にはタロットの知識などはないから、ただ黙って女のすることを眺めている以外にはなかったのだが。

 やがて並べ終わったカードをひとしきり眺め終わった後、彼女はおもむろにうなずき、静かに口を開いた。

 

「……近いうち、あなたの一生を左右する大きな出会いが訪れます。同時に大きな困難があなたを待ち構えているでしょう。」

 

 女の声は不思議と、男の心に違和感なく入り込んできた。被っているフードのために表情を感じることができず、占いの結果も朗々とした声で紡がれている。今日はじめてあった人間の話す内容をぼんやりとだが受け入れている自分に、男は内心驚いていた。そんな男の心情を置き去りにして、女はなおも言葉を続けていく。

 

「あなたの周りに、いくつもの光が見えます。今はまだ小さな光ですが、やがて大きくなり、一つとなって世界を……いえあなた自身を救う力になるでしょう。出会った人たちと交わした言葉が、築き上げた絆が、あなたとあなたの大切な人たちを、きっと守ってくれることでしょう。」

 

 そこまで話し終えると、女はいったん言葉を切って、ふうと一つ息を吐いた。同時に周囲を取り巻いていた清浄な空気は霧散し、テントの中はタロットカードを広げる前の、薄暗い明かりが支配するだけの粗末な空間に戻っていた。

 

「ずいぶんと抽象的だな。」

「そうですね。けれどもあなたの心には届いたはずです。私は星の導きを人々に伝えるだけの者。占い師は予言者ではありません。道を切り開いていくのはいつも、その人個人の力なのですから。」

 

 男の少し皮肉めいた言葉にも、女は何でもないように返して見せた。そしておもむろに立ち上がり、男のすぐそばまでやってくる。こうしてみると、女性としてはなかなかに長身であることが見て取れる。

 

「少し具体的な話もしておきましょうか。……ええと、この先女難の相が出ていますから、女の人の誘惑には気をつけてくださいね。」

 

 男の手を取って、女は先ほどに比べると少し高めの、しかし変わらずに柔らかな口調でそう告げた。思ったよりも大きな、しかし柔らかく暖かな感触に、男は少しドキリとしたが、こちらもかすかな笑みを浮かべて切り返した。

 

「女難? ないない、そもそも原因になる女なんていないしな。……それとも、あんたがはじめの女難になってくれるのかい?」

「……いいえ、私にはその資格はありませんから。けれど女難と言っても、決して悪意のあるものではないので、その辺は安心していただいてかまいません。俗に言うハーレム状態というものでしょうか。」

「はあ? なんだそりゃ。ますます訳が分からん。」

 

 先ほどタロットカードを使ったときの言葉とは全く違った俗っぽい表現に、男は困惑した。そんな彼にかまうことなく、女は一方的に言葉を続ける。

 

「あ、それとこれを差し上げます。どうぞお持ちください。」

「ん? 何この袋? 中身は……、箱?」

「ラッキーアイテムです。どうぞ、開けてみてください。」

 

 女はどこにでもあるレジ袋を渡してきた。薄明かりの下、袋にプリントされた店名らしきロゴが見える。「TATSUYA(たつや) 神戸駅前通り店」と書かれているようだ。中にはそこそこのサイズの箱が入っており、取り出した男は少し驚いた。

 

「DVD-BOX? ええと、あれ? こりゃあ懐かしいな、このアニメのBOXなんてあったんだ。」

「お気に召しましたか? あ、ちゃんと国内正規品ですから大丈夫ですよ。後でゆっくり見てくださいね。」

「ああ、ありがと……って、こんなん買うだけの金がないよ、占いのお金だってまだ……。」

 

 ここへきて、ようやっと男は多少現実に引き戻された。DVD-BOXひとつ、安い物でも数万はする。ものによっては十数万、入手が難しい物であれば数十万することさえあるのだ。そんなものをラッキーアイテムとか言って売りつけられても、払える金など持ってはいなかった。

 

「あら、私は、差し上げますと言ったはずですが……。あ、占いの代金でしたら10ゴ……いえ100円頂きますが、それでいかがですか?」

「はあ? それってDVD-BOXが100円ってことだぞ? 何言ってるのか分かってるのかあんた??」

 

 男はさすがに混乱の極みにいた。占いに見せかけて商品を売りつける悪徳商法化と思ったら、100円の占い料だけで、DVDをくれるというから、それはもう意味がわからない。女は少し首をかしげるような動作をしてから、何かを思いついたかのように手を軽くぽんとたたいて、こんなことを言ってきた。

 

「それでは、このようにしましょう。実は、あなたがこの占いの館に来てくださった1000人目のお客様です。その袋の中身は、記念としてお持ち帰り頂くと言うことで、どうでしょうか?」

「は、はあ……??」

 

 ますますもって、何を言っているか分からない。先ほどの様子から見て、1000人目の客云々は、今思いついたことだろう。いったいなぜ、自分は100円で、昔見たアニメのDVDを売りつけられようとしているのか? いや売りつけるといっても、相手に何かメリットがあるとも思えない。商品には厳重な封がされた上、TATSUYAの正規販売品を示すホログラムシールが貼られている。おそらく模造品の類いではないだろう。

 

「本当にいいのか? これ、100円で買えるような品物じゃないんだが……。」

「はい、問題ありません。どうぞ持って行ってください。」

 

 男は少しためらったが、女に押し切られる形で100円の代金を占い料として女に払い、レジ袋入りのDVD-BOXを受け取ってテントを後にした。

 

***

 

 男が出て行った後、テントの中には先ほどの女が、水晶玉の前に座っていた。しかしその頭にはもうフードはかぶせられていない。褐色の肌と、このあたりではまず見ないだろう紫色の髪を腰まで垂らしている。頭部にはやはり見慣れない装飾品が銀色に輝き、その額の部分に緑色の石がはめ込まれている。

 

「少し、強引すぎたかしら。」

 

 誰に聞かせるでもなく、彼女は1人そうつぶやいた。その理知的な瞳は、先ほど男が出て行った入り口の方を見つめている。その表情はどこか悲しげで、見る者が見れば崩れ去ってしまいそうなくらいに儚く映ったかもしれない。しかしその瞳だけは、何か強い決意を秘めたように、この薄暗い空間にあってもなお、失わない光をたたえていた。

 

「あれでよかったの?」

「姉さん。」

「迎えに来たわよ。」

「ありがとう。」

 

 いつの間にか、先ほど男が出て行ったテントの入り口に、一人の女が立っていた。占い師の女とよく似た肌と髪の色、しかしどこか小悪魔的な、妖艶な美貌を感じさせる。だが、そのような全体像とは裏腹に、姉と呼ばれた彼女の瞳は深く憂いを帯びていた。

 

「運命を決めるのはあの人です。私は占い師、星の導きに従い、その言葉を伝える者です。」

「あんたがそういうなら、もう何も言わないわ。さあ、行きましょうか。」

「ええ。」

「天の精霊よ、翼をもたぬ我の翼となりて、かの地へ導け、我を待つ者のもとへ、我の帰るべき場所へ誘え。」

 

 その言葉はまるで異質な者、この世界には存在せず、あってはならないもの。言霊に呼応するように、テーブルの上の水晶が青白い光を放ちはじめ、それは次第に強くなっていく。

 

「リリルーラ!」

 

 その一言が終わると同時、一段と強い光がテントの中を覆い、そして消えた。開け放たれていたテントの入り口からも、外へ一瞬強い光が漏れ、薄暗い路地を照らしたが、偶然か必然か、そのときこの道には誰もいなかった。

 その日、いつの頃からか駅前に現れて、よく当たると評判だった占いの館は、店舗にしていた薄汚れたテントもろとも、この町から姿を消した。一部の人々の間で噂になっていた、フードを深く被って、顔がよく分からない謎の占い師のことも、いつの間にか忘れ去られていった。しかし、ここを訪れて彼女の言葉を聞いた者たちの心の中に、告げられた言葉だけが残り続けていた。その、占いの結果を示す言葉だけが、彼女がここにいた証であった。

 そう、男がもっと注意深かったのなら、あるいは疲労困憊でなかったなら、時間が昼間だったなら……結果は少しばかり変わっていたのかも知れない。そう、テントの前にある看板のひとつも見ていたのなら、変わっていたのかも知れなかったのだ。しかし、それはすべて、起こらなかった運命の話。現実に「もしも」はあり得ない。

 彼女らとともに合流呪文(リリルーラ)の光に包まれ、消えていったテントには看板が掲げられていた。それは発光もせず、周囲を電球で飾ったりもしていなかったから、夜になると読むのは難しかった。なにせ、木の板に子供が書いたようなたどたどしい黒文字で書かれていたのだから。

「占いの館、MINEA(ミネア)」と。

 

***

 

 木製のログハウスのような家の、寝室であろうと思われる部屋で、二つ置かれたベッドの間で椅子に腰掛け、1人の老婆が一冊の本を開いて朗読していた。ベッドにはそれぞれ、黒髪の男の子と女の子、彼らに寄り添う緑色と橙色のスライムが1匹ずつ老婆の語りを聴きながら眠りに落ちようとしていた。老婆が読み聞かせているその本は、かつてこの世界を救った「勇者」と呼ばれる若者と、その仲間たちの冒険譚(ぼうけんたん)であった。

 子供たちが寝入ったのを確認すると、老婆はリビングに戻り、窓から見える漆黒の空に目をやった。彼らにせがまれて最後まで読んでしまったが、その物語の結末はいつも彼女の心を悲しみで満たしてしまう。大魔王バラモスとの戦いからすでに50年以上が過ぎている。それでも、そのすさまじい戦いの渦中にいた彼女の心からは、その戦いで失ったものによってぽっかりと空けられた穴が、今でも残り続けているのだった。

 五十年前のあのとき、勇者と聖女により邪な力は払われ、伝説の竜の力で水の汚染はなくなった。だが、歓喜に沸く民衆を背に、勇者アベルは何処へともなく姿を消し、二度と人々の前に姿を現すことはなかった。

 人々は少なからず混乱した。魔王の脅威が去ったとはいえ、それがもたらした被害は甚大であり、無残な爪痕は各地に未だ多く残っている。そんな人々の希望の象徴として、「勇者」という存在はまだ必要とされていたのだ。

 しかし、勇者である彼が失ったものはあまりに大きかった。共に背中を預けて戦った女戦士デイジィ、幼い頃からの友人モコモコ、パーティの頭脳であった魔法使いヤナック、モンスターで有りながら人間たちを守って戦ったドドンガ。バラモスとの戦いで、仲間のほとんどが帰らぬ者となってしまったのだ。彼が最も好意を寄せていた幼なじみが無事だったことは不幸中の幸いであったのだろう。しかし、心優しい彼は、自分が生き残ってしまったことを悔やみ、幼なじみである少女、聖女ティアラの元を去った。その後、彼は一生を仲間たちの供養に費やしたと伝えられているが、その後どこでどうしているのか、もはや帰らぬ人であるのか、知るものは誰もいなかった。

 失踪した勇者に変わり、人々の希望の象徴として表舞台に立たされたのは聖女ティアラであった。彼女と勇者アベルが幼なじみで、恋人であるというのは近しい者たちにとっては公然の事実であったが、彼らが正式に交際していた記録はない。様々な公の場に引っ張り出され、人々を励ます象徴としての役目をこなしながら、ティアラは必死にアベルの捜索を続けたが、再会することはかなわなかった。そのことに絶望したからとも、人々からの大きすぎる期待の視線に耐えかねたからとも伝えられているが、ある式典の出席を最後に、彼女もまた公の舞台に姿を見せることはなくなった。

 世界はまたも動揺したが、そのとき、ようやく復興を果たしたドランの王ピエールが世界の先頭に立ち、王族の私財までも(なげう)って各国を援助し、その姿勢に心打たれた人々は聖女の喪失を乗り越え、再び復興へ向けて歩き出した。世界は徐々に平和で穏やかな本来の姿を取り戻していったのだった。

 老婆が何故「勇者アベル伝説」を読むたびに心を痛めるのか、それを知る者はこの村にはいない。それどころか、つい数年前にふらりとやってきた彼女の名前を知る者さえ全くいない。そのような人物は警戒されてしかるべきだが、そんな必要がないほどに世界は平和で有り、のどかで少々退屈な1日を繰り返すこの村の住人には、老婆の素性を気にするような者は誰もいなかった。勇者たちは多大な犠牲を払い、確かにこの世界を守ったのである。

 今、老婆が住んでいるこの家は、数年前まで腕の良い猟師の男が住んでいたそうだ。彼はもはや老人と言って差し支えない年齢であったが、銛(もり)一本でどのような魚も捉え、木の矢一本でどのような大型の獣も仕留めたという、村一番の腕の持ち主だった。そんな彼も、流行病にかかって帰らぬ人となり、この家は数年間空き家になっていたのだ。

 老婆はこの家に住み着くと、村の子供たちに読み書きを教えはじめた。また、不思議な魔法の道具(マジックアイテム)を多数作り、村に提供もした。それらは村人の生活を徐々に裕福にしていったから、彼らは次第に老婆に感謝するようになり、村の子供たちがいっそう彼女の家に頻繁に出入りするようになった。先ほどの2人も普段からこの家に出入りし、時には今日のように泊まってゆくこともあった。老婆はこの村で、平穏で満ち足りた生活を送っていたと言えるだろう。

 

「はっ、いけない……!」

 

 突然、老婆が立ち上がると同時、何かが大量に羽ばたくような音が周囲に響き、次いで何か大きなものがいくつも落ちてきたような、ズシンズシンという振動が地面を揺らす。次いで蹴破るような勢いで扉が開け放たれ、壮年の男が血相を変えて部屋に飛び込んできた。

 

「おお、婆さん、無事だったか、子供たちは?!」

「隣の部屋で寝ているよ、何があったんだい?」

「ふあぁ、どうしたのおばあちゃん。」

 

 男が入ってきたのとは反対側にある扉がゆっくり開き、男の子が眠そうな顔をしながら暖炉の方へ歩いてくる。老婆は一瞬迷うようなそぶりを見せたが、やさしく男の子に話しかける。

 

「ちょっと大きい地震があったみたいでね、なにこの家は私が特別な細工をしてるから大丈夫さ。安心しておやすみ。」

「うん……。」

 

 男の子は少し不思議そうな顔をしたが、眠そうな目をこすりながら元の部屋へ引き返していく。その姿を見つめる男はなるべく動揺を悟られないように無言を貫くのが精一杯だった。

 

「もう、逃げ場がないようだね。」

「ああ、化け物が襲ってきて、リックもマーフィーも、強い奴らはみんなやられちまった。一瞬だ。もう俺たちにゃあどうにもできねえ。それによ……。」

 

 男はごくりとつばを飲み込み、震える体をなんとか押さえつけながら言葉を続ける。村人の中では心身共にずば抜けて強い彼のこんな姿を、一体誰が想像しただろうか。

 

「あのモンスターはやべえよ。なんとか羽が生えた蜂の化け物みたいなやつを1匹倒したんだが、光になって消えちまいやがって、代わりに、こいつが……。」

 

 男の手には赤く美しい光を放つ石、宝石が握られていた。手を開いてそれを見せる男の顔面は蒼白で、彼がこの宝石の持つ意味を正確に理解していると分かるものだった。その美しい石を核として作り出される『宝石モンスター』の存在を彼は知っていたからだ。そして、それが意味することも正確に頭に浮かんでいることだろう。

 

「そうかい、あれだけ犠牲を払ったのに、まだ血が必要だというんだね……。」

『婆さん?」

「あたしゃねえザック、この世界が憎いよ。あんなに人が傷ついて、それでもようやくここまで持ち直したんだ。それなのに神様はまた、あたしたちから奪おうとするんだ。」

 

 老婆は憎々しげに吐き捨て、暖炉の横に据え付けられている柱時計に描かれている奇妙な模様に手をかざした。ゴリゴリと何かが動くような音がして、柱時計がゆっくりと右にスライドしていく。その裏には地下へ続く階段が隠されていた。

 

「……レミーラ。」

「おい、婆さん!」

 

 混乱して叫ぶ男、ザックに背を向け、老婆はいつの間にか手に持っていた水晶に魔法の光を灯し、それを掲げながら階段を足早に下ってゆく。よく分からないまま小走りで後ろからついてくるザックを気にかけることもなく、彼女はほどなくして最奥部の部屋にたどり着いた。

 そこには、巨大な砂時計が鎮座していた。優に成人男性の倍はあろうかというそれは、どうやってこんな大きなものを作ったか分からないガラスの器に、これまたどうやって作られたのかわからない七色に輝く不思議な砂がぎっしり詰め込まれていた。

 突如、ズガアァン!! というものすごい破壊音がして、地下室の入り口に近い天井が崩れ落ちる。幸い老婆には細かい岩の破片が降りかかる程度だったが、真下にいたザックはおそらく即死だろう。崩れ落ちがれきと化した地下室の天井の下から、何かの液体が染み出ているのが分かるが、レミーラの光が心許ないために色までは分からない。おそらく人間の血液であろうそれが流れ出す様を見ても、老婆の表情は動かない。動かずにただ、巨大な砂時計の一点のみを見つめていた。

 

「変えてみせる、変えてみせるともさっ!」

 

 老婆はそう叫ぶと、持っていた水晶玉を砂時計めがけて叩きつける。年老いた彼女の力ではさほど大きな衝撃は与えられないはずだが、水晶が割れると同時にわずかにできた亀裂は、瞬く間に砂時計全体に広がっていく。そしてそのひび割れから七色の光が漏れ出し、部屋を明るく照らしていく。老婆が安堵のため息を漏らしたとき、その目は驚愕に見開かれた。

 

「うぐっ!」

 

 続いて、その胸部から鋭利な爪が飛び出し、老婆は口からがはっと血を吐き出した。後ろを振り返ることもできずに、その頭はがくりとうなだれた。彼女の体を貫いた爪は、ほどなくしてずるりと引き抜かれた。それは巨大なこうもりの爪であった。動物のこうもりの爪としては長すぎるそれは、こうもりの顔が猫という異形の化け物が持つ鋭利な武器であった。にやりと邪悪な笑みを浮かべたこうもり猫……キャットバットがその場を離れようとしたとき、部屋を照らしていた光は急激に強さを増し、モンスターもろともあたりを七色から白一色に染め上げた。その光は地下室にできた天井の穴から、家屋が崩れ去って何も邪魔するものがない夜の空へ放たれ、そして――。

 まもなく、この世界のすべてを包み込んだ――。

 まるで、すべてを、塗り替えるかのように――。




※解説
女の占い師:原作でも割と人気のあるあの人です。この世界で顔バレするとまずいので、隠してます。トレードマークの水晶玉ももちろん持ってます。
タロット:なぜか打撃武器にもなる銀色のやつです。
占い:DQ4第5章のオマージュです。占い料は10Gで、その結果で勇者であることが分かり、ミネアとマーニャが仲間になります。
リリルーラ:某少年漫画に出てきたルーラの派生呪文で、いかなる場所からでも仲間の元へ合流する。ルーラとは何かが違うらしく、天井のあるところで唱えても頭をぶつけたりはしないらしい。ルラムーン草を媒介にすると次元を隔てても移動できる。
老婆と子供たち:原作の打ち切りエンドの方に出てきた人物です。老婆はティアラの年老いた姿であるような描写がされていますが、作中ではっきりとは言及されていません。


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第1話 目覚めの時 異世界からの招き!

※2018/12/30 誤字脱字、文章表現等を修正しました。
※2017/9/26 新しいエピソードを加筆しました。
※2017/4/9 誤字脱字等を修正しました。


 赤々と暖炉の火が燃える部屋で、椅子に腰掛けた老婆が、静かにその炎を眺めていた。傍らの大きなテーブルには、表紙の絵柄のよく似た、しかし色の違う2冊の本が置かれている。この世界に伝わる、すでに伝説になろうとしている2つの別々の物語が、それらの本には綴られていた。

 この2つの物語は、ほぼ同時期の史実として伝わっており、人々の間でも非常に人気のある有名な話だ。いずれも、「勇者」が「魔王」を倒すまでの長い道のりをわかりやすくまとめたものである。しかも、この2冊の本を執筆した人物は、今この部屋にいる老婆その人である。2冊のうち、黒い表紙の本は勇者アベルが大魔王バラモスと戦う物語で、今から20年ほど前に書き上げたものであるが、もう一冊の緑の表紙の本は、つい先日ようやく初稿を書き上げたもので、まだ世に出ておらず題名もない。ここにあるものは出版前の最終調整をするために制作されたもので、つい先ほどまで最後の修正作業をしていたのである。

 老婆は目を閉じ、本に記された物語の元になった、もう五十年以上も昔の出来事に思いをはせる。それらは何十年たっても、彼女の記憶から色あせることはなく、まるで昨日あったことのように思い出せた。もちろん、物語として執筆するに当たって様々な人物から聞き取りを行い、自分が直接知らないことも盛り込んでいるから、すべてが彼女の記憶をたどったものではないが、伝説の時代に生きた当事者として、この物語は決して創作ではなく、彼女のこれまでの人生そのものと形容しても良かった。

 彼女は満足していた。自分の生きている間に、2作目の物語を書き残すことができてよかったと。勇者アベルと同じ時代を生きた、ある1人の男による、「もうひとつの伝説」を……。

 外はすでにすっかりと日が落ち、漆黒の闇が世界を覆っている。しかし、月の見えない新月の空にもかかわらず、その闇は決して恐怖を与えることなく、優しい静寂で世界を包み込んでいた。老婆は考える。いつもここへ遊びに来る子供たちに、真っ先に完成した新しい物語を読んで聴かせてやろうと。老婆の語る物語が大好きな子供たちのまぶしい笑顔を思い浮かべ、彼女は柔らかな笑みをこぼした。

 ゆっくりと立ち上がった老婆は、二冊の本を壁際の本棚の所定の場所に丁寧に戻すと、ややよたよたした足取りで、再び椅子に腰掛けた。そろそろベッドで就寝しなければならないが、やけに強い眠気を感じる。こんなところで寝たら風邪を引いてしまうかもしれない、暖炉の火を消して、ちゃんと寝室に戻らなければ。しかし、押し寄せてくる睡魔に打ち勝つことができず、彼女は再び目を閉じた。その顔はとても穏やかで、いつも以上に優しい微笑みをたたえていた。

 翌日、いつものように来訪した子供たちが、いつものように炉端で眠りこけてしまった老婆を見つけ、仕方がないなあと苦笑しながら、彼女を起こそうとするはずだ。それは繰り返される日常で、老婆はいつも、少しばつの悪そうな顔をして目覚めるのだ。

 しかし、閉じられた(まぶた)が再び開くことは、もはや二度とないだろう。

 

***

 

 そこは、どこともつかない曖昧な場所であった。広大な森に囲まれ、美しい花々が咲き乱れる丘や、清らかな水が涼しい音を立てて流れる小川など、普段から周囲の景色にあまり注意を払わない者であっても、この光景を見たのであれば感動を覚えることは疑いようがない。そんな幻想的とも言える景色の中心に、周囲の絶景に見劣りしないだけの存在感を放つ建造物があった。それは城のようでも有り、何かを祭る宗教的な建物、そう神殿のようでもあった。しかし、この建造物が何であるかを明確に言葉で表現できる者は、世界にほぼ皆無であるといってよいだろう。

 その建造物の中庭のような場所で、1人の女性が憂いげに空を仰いでいた。しかしそこには雲一つなく、どこまでも澄み切った青が続いているだけである。よく見ると、背に一対の翼をはやした小柄な者が、その足下に跪き(こうべ)を垂れている。そんな足下に目をやることもなく、女性は空を見上げながら言葉を発する。

 

「そうですか、魔法によって時間が動いたと……。」

「はっ、大量の時の砂が効果を発したようです。もっとも、我々の存在する現在に、どのような事態が起こったかは、全く分かりません。申し訳ありません。」

「気にすることはありません。私たちもこの世界に住まうもの。私の力では時間にまでは干渉することはできません。時の砂が発動したということは、どこかで時間の逆行が起こったということですね。しかも今回は……。」

「はっ、術者の逆行が起こっておりません。したがって、原因も効果範囲も明らかにすることができません。」

 

 翼人(つばさびと)は跪いたまま、悔しそうに唇をかみしめた。そんな彼の雰囲気を察したのか、女性はようやく顔を翼人の方へ向け、穏やかな声で諭すように話しかけた。

 

「大丈夫です。確かに大きな魔力に呼応して、本来この世界に存在しないはずの邪悪な者を呼び寄せてしまったようですが、同時に希望の光も現れました。邪を拒む結界を張り直しましたから、当分は大きな動きは何もできないでしょう。」

「重ね重ねご心労をおかけして申し訳ありません。では、早急に『邪悪なる者』の詳細を調べ、対策を講じさせて頂きます。」

「お願いします。異世界から来た新たな勇者が目覚めるまで、今しばらくの時間を要します。くれぐれも慎重に、かの者に悟られることのないように。」

「かしこまりました。」

 

 翼人は立ち上がって礼をすると、背中の翼を羽ばたかせて、どこかへと飛んでいった。それを見送りながら、女性は長く美しい銀髪を風に揺らし、誰にも聴かれることのない言葉をつぶやいた。

 

「ごめんなさい。」

 

 それは、神々しい気配を放つ彼女が発したとは思えない、ひどく弱々しく、何かを懺悔(ざんげ)するかのような、苦しげな声色だった。

 

***

 

 滅多に人が入ることのない、険しい山々が連なるその場所には、この世界に並ぶもののない英知を携えた賢者が住まうといわれていた。しかし、その住まいがどこであるのかを、正確に知る者はほとんどいなかった。だからこそ、この場所で起こった異変に気づく者も、またほぼ皆無であるといってよかった。その男が、この場所で他者に発見されたのは全くの偶然であったし、大変な幸運であったともいえる。人里離れた場所というのは大変に危険を伴う。それは人が暮らす世界であれば、どこでも共通することである。特に、獣などより遙かに強力な力を持つ『モンスター』が生息するこの世界において、山中に1人で倒れ服していることの危険度は、想像を絶するほどに大きなものなのである。

 

「ここは……どこだ?」

 

 しかしながら、男は困惑していた。それはそうだろう。目覚めてみたら、全く知らない部屋にいて、しかも自分が生活している環境とは似ても似つかないような、そんな場所であったなら、誰もが通常の精神状態ではいられないはずだ。

 何一つ現状を理解できないまま、彼はベッドから起き上がり、とりあえず周囲を見渡してみた。どうやら木造の建物の中らしく、彼が寝ていたベッド以外には、簡素な椅子とテーブルがひとつ、窓際に置かれているだけだった。ベッドと反対側の壁には扉があり、これまた木製の簡素な作りであった。いわゆるログハウスのような場所にいるらしいことはわかったが、窓の外から見えるのは木々の緑ばかりであり、どう考えても記憶にあるいかなる場所とも一致しない。

 彼は混乱しながらも、自分がなぜこのような状況に置かれているか考えてみた。しかし当然のことながら、納得のいく答えなど出てくるはずがない。いったいどうなってるんだと叫びたい心境をこらえて、彼はとりあえず、最も近い過去……この部屋で目覚める前まで、自分が何をしていたのか思い出してみることにした。

 男の名は天野(あまの)ヒカル。年の頃は二十代も半ばくらいだろうか。日本という国の、とある大都市に住み、会社に勤めて給料をもらう勤め人、いわゆるサラリーマンといわれる職種の人間である。普段からブラック企業と呼んで差し支えない会社でこき使われていた。そんな仕事に疲れ果てたある日、昔大好きだったアニメのDVD全巻セットを偶然手に入れた。たまたま次の日が滅多に取れない休暇であったため、まるで厳しい現実から逃れるように、そのDVDを夜通しで見ようと、ビールとつまみを買い込んで自宅へ帰った。そして入浴もそこそこに、リビングでこたつに入りながらそのアニメを見ていたわけだが……。元々、日々の過酷な労働で疲れ切っていたところへ、つまみとはいえ大量の食物と、これまた相当な量のアルコールを摂取してしまったため、気がつけば眠り込んでしまったのだった。

 そして目を覚ましてみればこの状況である。記憶をできる限り掘り起こしてみても、結局何も分からないという現実は変わりない。いい年をして、本当に泣きたい心境になってくるのであった。

 そのとき、ガチャリと扉の開く音がして、誰かが部屋に入ってきた。

 

「おお、気がついたようじゃの。」

「へ?」

 

 部屋に入ってきたその人物は……いや人といっていいのだろうか。肌は妙に紫がかった色をしているし、顔から妙な突起のようなものをはやしているし、尻尾のようなものまである。何よりその脚は地についておらず、床から数十センチのところでふよふよと浮かんでいたのだ。このときの彼、ヒカルはまさに『ハトが豆鉄砲を食らったような』顔をしていた。

 しかし、彼が本当に驚いていたのは別の部分だ。いや、浮遊している明らかな人外に話しかけられたのだから、それ自体に驚かないはずはないのだが、彼は目の前の存在に見覚えがあった。そう、ありえない話ではあるが、彼が自分の部屋で見ていたアニメに、全く同じ姿のキャラクターが登場していたのだ。数多くの魔法を操る、古代人の末裔という設定の、名前は確か……。

 

「ザ、ザナック様?!」

「!!」

 

 今度は相手の側が驚愕に目を丸くした。当然だろう。見ず知らずの者に、自分の名前を言い当てられて、驚かないなどまずあり得ないことだ。しかし、ヒカルは同時に、どうしようもない現実を突きつけられることになった。

 

「おぬし、どうしてこのしがない年寄りの名を知っておるのかのう?」

 

 そう、目の前の老人が、彼の思い描いたアニメキャラと同じ名前であると認めたのだ。……これはアレだろうか? ネットの二次創作などでよくある、異世界転移というやつだろうか。いやまてまて、そんなことが現実にあるわけがない。ここに至っても彼は現状を受け入れられなかった。――いや、このような状況を即座に受け入れられる人間などそう多くはないだろう。彼はとりあえず、これは夢だろうと結論づけた。よくあるパターンで、夢の中でもう一度眠れば、次に目が覚めたときにはいつもの自分の部屋に戻っているだろう。そう考えた彼は、無言でもう一度ベッドに潜り込み目を閉じた。やはりまだ完全に覚醒していなかったのか、あるいは蓄積した疲労が抜け切れていなかったのか、すぐに眠気に襲われ、某ネコ型ロボットが活躍するアニメの、丸眼鏡の少年のように、速攻で眠りに落ちていくかと想われた。

 

「ザメハ!!」

 

 しかし、ザナックが発した言葉により、何か不思議な感覚が体を包んだかと想うと、ヒカルを取り巻いていた眠気は一気に霧散した。そして、この言葉、呪文を耳にした彼は、自分の想像したことが現実であると思い知らされることになる。

 

「人の名前を叫んでおいて、いきなり寝るでない! いったいおぬしは何者じゃ?」

「はぁ、いや、何者かと言われましても、な~んの芸も才能もない一般人です、ハイ。」

 

 そんな受け答えをとりあえずして、ヒカルは無性に悲しくなった。今までただ生活費を稼ぐためだけに働き、特技と人に誇れるものは何一つない。友だちはいないわけではないが、たくさんいるというわけでもない。現在は恋人も折らず、独身貴族と言えば聞こえはよいが、要するにさみしい独り身なのである。そんな現状をわざわざ口にすることは、自分で分かっていることでも涙が出そうになるのである。

 しかし、ザナックの名前といい、眠気を吹き飛ばす覚醒呪文(ザメハ)といい、やはりここは昔放送していたアニメ『ドラゴンクエスト』の世界なのだろうか? ヒカルが寝落ちする前に見ていたDVD-BOXがそれなのだが、アニメばかり見ていたからおかしなことになってしまったのだろうか? しかし、結局の所、考えてみても何も分かるはずがなかった。

 

「ふむ、(わし)にもなにやらよくわからんが……おぬしからは邪悪な気配はせん。何か訳ありのようじゃの……。」

「はぁ、それが……。」

 

 ヒカルはしばし迷ったが、自分で考えていても結局何も分からないと結論づけ、ザナックにすべてを話すことにした。自分がおそらくはこことは『別の世界』からやってきたこと、元の世界で語られている物語の中で、勇者と魔王が対決する話があり、その中にザナックが出てきたこと、ちょうどその話を読んでいたら寝落ちしてしまって気がついたらこうなっていたこと、それらを順を追って、なるべく文化の違いで混乱しないように配慮しながら話して聞かせた。アニメだのDVDだのは、この世界の文化からして理解不能であろうから、物語の書かれている本を読んでいたことにしておいた。そういった部分を除けば、ヒカルは自らの現状を偽りなくザナックに話して聞かせたのだった。

 

「むぅ、そうか、そういうことか。」

「え? いや、信じてもらえるんですか?」

 

 驚いたことに、やけにあっさりと納得された。どういうことかと首をかしげるヒカルの前で、ザナックは紫色の頬にこれまた紫色の手を当てて、なにやら考え込んでいる。

 

「いやな、おぬしはこの近くの森に倒れておったんじゃが、その周囲の空間に、わずかじゃがゆがんだ痕跡のようなものがあっての、ひょっとしたらと儂も可能性のひとつとして考えんでもなかったが、長い人生の中で、そんなことは経験したこともなかったからのお。」

 

 どうやら、ヒカルは『空間のゆがみ』というものに飲み込まれてこの世界にやってきたらしい。そういった超常現象的な変化を、この老人は感じ取ることができるようだ。多くの魔法を使いこなすだけでなく、それ以外にも様々な知識を持っているだろうこの老人に、ヒカルはダメ元で頼み事をしてみようと想った。

 

「あ、あの~。」

「ん?」

「いや俺、別世界に来てしまって、これからどうしたらいいか全然わかんないんですけど、ご迷惑かとは思いますが、しばらくおいてもらえませんか? 雑用でも何でもしますんで。」

「ああ、かまわんよ、ちょうど今、弟子を一人、育てておるんじゃが、これがなかなかに不出来での、いろいろ手伝ってくれるとありがたい。」

「わかりました、呪文とか唱えられないんで、ほんと肉体労働しかできないと思いますけど……よろしくお願いします。」

「ホッホッホッホッ、それで十分じゃよ、それに魔法なら、たぶん今後、使えるようになるじゃろうから、の。」

「え?」

「ホッホッホッホッホッ。」

 

 かくして、ザナックはヒカルの頼みを快く引き受け、ここに異世界での奇妙な生活が始まったのである。しかし、この出会いが今後の世界に与えていく様々な影響を、ヒカルはおろかザナックでさえも、まだ知るよしもない。

 

***

 

 そんなわけで、ザナックの道場に居候することになったヒカルは、彼の弟子という形で生活を共にすることになった。最初に約束したとおり、雑用はなんでもこなした。掃除に洗濯、料理など家事全般に、買い出しや薬草採取の手伝い、魔法の実験助手など、それはもう多岐にわたっていた。もっともザナックは料理は好きなようで、それは交代制で行うことになった。ザナックはふだんは畑を耕したり、狩猟や山菜の採取などをして自給自足をして暮らしている。ここの山々はホーン山脈といって、険しい山が連なっておりなかなか危険な場所だ。モンスターに襲われることもある。日常的にそんな環境であれば、生活していくうちに自然と戦闘力は身についてくるものだ。しかし元々科学万能の世界にいたヒカルの戦闘能力など一般人に毛が生えたほどにしかならなかった。せいぜい効率的に敵から逃げられるようになったくらいである。

 ところが、驚いたことになぜか魔法の才能はあったらしく、少しずつ呪文が使えるようになってきた。火炎呪文(メラ)でも使えると火おこしに便利だったり、松明(たいまつ)の火種になったりする。戦闘以外にもいろいろな使い方ができておもしろいものだ。あれこれやっている間にまたたくまに数ヶ月が過ぎていき、いつの間にかザナックが交流しているふもとの村、リバーサイドにも師の遣いということで出入りするようになり、村人たちとも交流を深めていった。

 そんなある日、ヒカルはザナックの遣いで、薬を届けに村にやってきた。もうすっかり顔見知りになっているので、門のところで見張りの者と話をして通してもらい、早々に頼まれた薬を道具屋の店主に手渡した。どうやらこの家の一人娘がモンスターに呪いをかけられてしまったらしく、それを解呪する特別な魔法の薬を調合してやったらしい。何度も頭を下げて礼を言う店主に、師匠に伝えておくよと軽く返したヒカルは、休憩を取るためにザナックがたてた村外れの別荘へ向かう。

 

「あ~、ご主人様だぁ、おかえりなさい~♪」

「お、ミミか、久しぶり。」

「も~、最近ぜんぜん来てくれないんだもん、ミミ寂しかった~。」

 

 ピンクの髪をツインテールに結んだ、某美少女戦士アニメの小さな方のうさぎさんのような女の子が、とてとてとヒカルの方へ向かってくる。よく見ると、人間と違って耳がとがっているのがわかる。そう、ファンタジーの世界によくいる住人、この子はエルフなのだ。なので人間の10倍くらい寿命があるらしい。しかも肉体が若いままの時間が相当長いらしく、見た目から正確な年齢を推し量ることは難しいという。ミミと呼ばれた彼女も、見た目は12歳くらいか、下手するともっと幼く見えるが、この見た目で人間の老人よりもはるかに長く生きている。

 

「いい加減、その、ご主人様はやめような?」

「だめ~、お姉ちゃんとふたりで決めたんだから~、命の恩人には一生尽くすの~、身も心もご主人様のものになるのぉ~。」

 

 身も心も、とか、その外見で口にするのはなんとも危険な香りしかしない。どこかからおまわりさんが出てきて連行されるのではないかと、この世界ではありもしないことを連想してしまうヒカルだったが、そもそもミミは130歳を超えている。幼い少女に見えても、人間でいえば世界最高齢のお婆さんも真っ青な年齢なのだ。ただし、エルフの感覚では見た目の通り少女だということは聞かされている。寿命自体が極端に違うため、大人や子供の概念も人間とは違うのだろう。また当然ながら、子供であってもその精神が人間の子供と同じというわけではない。時間の感覚自体が違うのだから、これもある意味当然だろう。

 しかし、手をつないで歩く2人の姿は、どう見てもお父さんと子供か、とても歳の離れた兄妹にしか見えない。ミミの方も、手をぎゅっと握ったり、ぶんぶん振ってみたり、子供っぽい行動を取っている。それが本心なのか演技なのか、エルフは愚か、人間の女性との関わりですら経験が多いとは言えないヒカルにとっては測りかねることだった。

 

「ご主人様、お帰りなさいませ。」

「あ、ああ。ただいま?」

 

 目的の建物の前で、ミミと同じピンク色の髪、こちらはストレートのロングヘアーの女性が、優しい笑顔をヒカルに向けている。ミミの姉で、名前はモモという。もちろん彼女もエルフで、見た目は20前半だが、やはり人間よりはるかに長く生きている。実年齢はヒカルには秘密だと言っているが、エルフは人間の約10倍の寿命を持っているため、おそらく200歳は優に超えているだろう。

 

「……ところでさ、なんで君、ここにいるの?」

「お帰りをお待ちしていましたわ。」

「いや、そういうことじゃなくて……、いや、いい。」

「? さ、どうぞ、お昼ご飯の支度ができていますわ。」

「ああ、ありがとう。」

 

 ヒカルはモモに促され、ミミをつれて小屋に入る。何故、毎回自分がここへ来るのがわかるのだろうか? 突っ込んで聞いてみたい気もするが、なぜか心が全力で警鐘を鳴らすので、深く追及することなく言葉を飲み込んだ。居間のテーブルには粗末だが丁寧に作られたであろう食事が並んでいた。

 本当に、この姉妹にはいつも世話になっているなあ、とヒカルは改めて思う。もともと彼がたまたま、本当にたまたま彼女たちの命を助けた格好になったのがきっかけだが、それでもやりすぎなくらい世話を焼いてくれる。傍目から見てもあきらかに容姿の整った姉妹と仲良くしているのだから、男にとって悪いことではない、そのはずなのだが……。

 

「はいご主人様、あ~ん、してください♪」

「いや、自分で食べるから……。」

「あ~、お姉ちゃんずるい、ミミもご主人様にあ~ん、するのぉ~~。」

 

 世話を焼くといっても、明らかに度を超しているその様子に、見る者が見ればうらやましがり、特定の人種に至っては血涙を流して嫉妬することだろう。しかしこういった待遇になれているとはいえないヒカルにとっては、一歩も二歩も退いてしまう事態になっていた。

 

「今日のドリンクはミルクです。今朝絞りたてをもらって、魔法で冷やしておきました。口移しの方がいいですか? ご主人様?」

「いや冷えてるのに口移ししたらぬるく……って、そうじゃないそうじゃない! 自分で飲むから普通にこっちによこしなさい!」

「そんな遠慮なさらないで、あ、何なら私のミルクでも……。」

「ぶっ、おまえ昼間から何を言ってるんだ、胸を出そうとするな胸を! 子供もおらんのにそんな液体が出てきてたまるか、飯くらい普通に食わせろ!」

 

 異世界でエルフの女の子とイチャイチャしているとかいう、非現実を突きつけられている現状は、彼にとって「受難」であるといって差し支えないだろう。

 

***

 

「ごちそうさまでした。」

「お風呂が沸いてますよ、ご主人様。片付けは私がやっておきますから。」

「ん、あ~、ありがとう。」

 

 夕食後、ヒカルはモモに促されて、着替えを持って浴室に向かう。手早く脱衣して、体を洗い、湯船につかる。いつもながら、どういうわけか昼間から風呂が沸いていて、彼好みの温度に調節されている。

 

「は~、生き返る~。」

「ほんと、あったかいね、お風呂大好き♪」

「うんうん、風呂は生き返るよなぁ、ってあれ?」

 

 隣から、するはずのない声が聞こえてきたような気がして、ヒカルは振り返ろうとしたが、何故か何かががっちり体にくっついていて動きづらい。おまけに自分の左腕に、小さいけれども柔らかなふくらみを二つほど押しつけられている感じがする。気のせいだと思いたいが、ふくらみの先端もはっきりと自分の腕をつついてくる。

 

「えへへぇ~~。」

「う、うわぁあっ?! ○×□◎☆△!!!」

「もう、ご主人様、ミミがお背中流すから待っててって言おうと思ったのに、さっさと行っちゃうんだもん。はい、もう一回上がって、洗いっこしましょ♪」

 

 いつの間にか、楽しそうに笑う少女の顔が目の前にあり、ヒカルは情けない悲鳴を上げた。知らないうちに抱きついていた腕は解かれ、彼の前には少女、ミミの産まれたままの姿がさらされていた。湯気でぼんやりとしている部分はあるが、いつもと違って下ろした長い髪に、くりくりとした美しく青い瞳、なめらかな肌は桃色に上気し、膨らみかけの双丘の頂上では、小さな蕾がしっかりと自己主張している。そのままへそから下へ視線を向けそうになるのを、ヒカルは理性で無理矢理に押しとどめた。

 これはまずい。、いつかこういうことをされそうな気がしないでもなかったが、さすがに不意打ちすぎる。そもそも、いくら100歳を超えていると言っても、人間の感覚で見た目が10代前半にしか思えないようなミミと一緒に風呂に入るなど、許容できるはずがない。ヒカルはこの場から逃げることを選択し、入り口まで一目散に掛け出そうとした。だが、そのときである。

 

「精霊たちよ、かの者を惑いの霧の中にとらえよ……、マヌーサ♪」

 

 急に、ヒカルの視界がもやのようなもので覆われ、ただでさえ湯気でぼやけていた周囲の状況がますます把握できなくなった。幻惑呪文(マヌーサ)、対象者を魔法の霧で包み込み、惑わす呪文である。レベルの高い魔法使いならば精巧な幻影を見せることもできるといわれているが、ミミの唱えたものは周りを見えづらくする程度のものだ。だが、彼女にとってはそれで十分、出口さえ正確に把握できなくすれば、大好きなご主人様はこの場から動けなくなるのだから。こういう行動一つをとってみても、彼女が見た目通りの子供でないこと、同時に人間ではない存在であるということがはっきりと分かるのである。

 

「こ、こらミミ、やめなさいっ!」

「洗いっこ~~お♪」

「助けてくれ~、誰か出してぇ~。」

 

 ヒカルはこの後何があったのか、ぼんやりとしか覚えていない。思い出したくないとも言う。ただ、のぼせてモモに介抱されたことだけは確かである。

 このように、いろいろとドタバタした騒がしい日常を送っているヒカルではあったが、訳も分からず異世界に来てしまった身の上としては、幸せな生活を送っていると断言してよいだろう。少なくとも、命の危機にさらされたり、とんでもなく理不尽な目にあわされたりということは、今のところ起こっていないのだから。エルフ姉妹の桃色の髪はヒカルのいる世界ではありえない色だった。だからこれが現実ですと言われてもどこか違和感があったのは確かだろう。しかし、ピンクの髪の女性と言っても、異世界から来た男を犬呼ばわりしたり、身分を笠に着て服従させようとしたり、挙げ句の果てには逆らえば鞭を振るって報復してくるような危険な存在に比べたら、多少度を超していても、かいがいしく世話を焼いてくれる存在がいるというのは、右も左も分からないヒカルにとっては大きな心の支えになっていたのである。

 

***

 

 『アベル伝説』の舞台は、科学がまだ発達していない世界として描かれている。人々はお世辞にも便利とは言い難い不自由な生活を送ってはいたが、高度な文明が発達していない分、空気はよどみなく、水はどこまでも澄んで、どこでも豊かな自然が満喫できた。そんな訳だから、水質汚濁などという言葉を知る者も、その概念を持つ者も、誰1人いなかったし、仮にそういう現象がゆっくりゆっくり進んでいたとしても、初期の段階で気づける人間はまずいなかっただろう。

 いつのころからか、ゾイック大陸と呼ばれる大陸の東の方から、徐々に死んだ魚が流れてくるようになった。ゾイック大陸に暮らす者たちは、東にある今は滅んだエスタークという古代人の都の跡地が、死せる水という汚れた水で満たされた沼地になっていることを知っていたため、何か不吉なものを感じていた。特に、自然と医師を通わせて強力な魔法を行使できるエルフなどは、何か悪いことの予兆ではないかと警戒を強めていた。しかしそのような存在は世界全体から見ればほんの一握りで有り、多くの人々、いや人間以外の種族であっても、この世界の水が、徐々に汚染されているということに気づいてはいなかった。また、水の汚染といってもごくわずかな地域にとどまっていたから、大多数の者たちは普段と変わらない生活を送ることができていたのである。ヒカル、エルフの姉妹、リバーサイドの人々、ザナックやヤナックでさえも、それは同じであった。

 そう、まだ、この時点では、世界は平和だった。だが、ヒカルは忘れていた。この世界を脅かす『悪』の存在たちを。そしてそれらはまだ、彼の前に姿を現してはいなかった。

 

to be continued




※解説
ザメハ:眠っている仲間をたたき起こす。パーティ全員に効果がある便利な呪文。ゲームでは僧侶が眠ってしまって使えないことも多々ある。
マヌーサ:相手に幻影を見せて攻撃を空振りさせる。初期に敵に使われるとやっかい。今回はエッチな使われ方をした。ミミちゃんマジ犯罪、容姿的に。


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第2話 修行の日々 不出来な兄弟子ヤナック!

※2018/12/30 誤字脱字、文章表現等を修正しました。
※2017/10/23 加筆修正しました。
ヒカルが習得する呪文リストから、イオ系を削除しました。あまりにも何でも使えると話が進めにくくなるため、今後は使える呪文をある程度制限します。
※2017/4/9 誤字脱字等を修正しました


 『魔法』とは、己の中に眠る魔法力――つまりMP(マジックパワー)を用いて発揮される力のうち、特定のキーワードである『呪文』によって発動する類いのものをいう。これらは精霊という天地自然の力を魔法力によって引き出し行使するものであり、使用するに当たっては『契約』という特別な儀式を行わなければならない。契約できる呪文は生まれつき定められているといわれており、言い換えればどんなに修行を重ねても、決して使用できない呪文が存在するということだ。また、ごく限られた者にしか使用できない特別な呪文も存在する。それは勇者のみが使用できるデイン系などのいわゆる『勇者専用呪文』や、賢者の間にのみ伝えられるといういくつかの高等呪文、失われた古代呪文や、果てはあまりに危険すぎるために封印された『禁呪』と呼ばれるものまで様々である。

 現在、ヒカルが転移してきたこの世界には明確な職業体系がない。職業自体は無数にあるが、ゲームで言うところの『職業(クラス)」という系統立てられたものが存在しないのだ。したがって、転職を特別な神殿が管理しているというようなこともなければ、仲間を集める特殊な酒場も存在しない。よって、僧侶と魔法使いという概念が曖昧であり、僧侶系、魔法使い系といった分類も、明確には存在しないのだ。一応、主に回復呪文を扱う神父、神官、僧侶、シスターなどと、攻撃呪文、転移呪文などを扱う魔法使いや魔導士、魔術師などという分類はなんとなくあるが、個人によって契約できる呪文が定められているこの世界では、魔法使いが回復呪文(ホイミ)で傷を癒したり、僧侶が氷結呪文(ヒャド)で夏場にかき氷を作って子供たちに振る舞ったりといったことが普通にあり得るのだ。ただし、この世界の人間には呪文を扱える者が極端に少なく、仮に扱えたとしても初級呪文が2~3もできれば優秀で、5種類以上の呪文が扱える者はどこでも引っ張りだこである。また、中級呪文、たとえばベホイミやヒャダルコなどが行使できる者は英雄の領域で有り、王宮から非常に高額な給料で召し抱えられていたり、金のある商人と契約して専属の護衛をしていたりと、一般人とはかけ離れた生活をしている者がほとんどである。

 そのようなことを考えると、このホーン山脈で自給自足を営む賢者とその弟子は異端であると言って差し支えない。すべてはやがて訪れる魔王との戦いにおいて、青き珠の勇者と、赤き珠の聖女を助け、共に戦うためであるが、そのようなことを知っている存在はこの世界ではごくわずかである。

 それはさておき、良く晴れ渡った空に、青々と草木が生い茂るその場所で、今まさに魔法の修行が行われていた。周囲を木々に囲まれたこの場所は、人の手によって形作られたであろう事が見て取れる。ところどころに座るのにちょうど良さそうな切り株が残されており、中心部あたりには木とわらで作られたかかしのような物体が数体、設置されている。そのうちの一体に向けて、1人の青年が指を突き出し、神秘の力を発動すべく呪文を唱えている。

 

「……天と地の(あまね)く精霊たちよ、我に力を! メラあぁ~っ!」

 

 周囲に青年の大声が響き渡る、次の瞬間、その指先から火の玉が発生し、前方に据えられた的へと飛んで……ゆくはずであった。

 しかし、悲しいかな、火球は指から放たれる前に、プシューッと煙を立ててむなしく消滅してしまった。青年、ヤナックはがっかりしたような、困ったような表情で、火球が消えてしまった自分の指先を見つめていた。

 

「あらぁ~、こんなはずじゃあ……。」

「ばっかも~~ん!!」

 

 ゴキッといういやな音がして、ヤナックはザナックの持っている杖で殴られる。見るからに痛そうだ。確かあの杖は『賢者の杖』と劇中で呼ばれていた。ゲームにおいては杖にも攻撃力が設定されている。後半に出てくるランクの高い杖であれば、通常の剣も真っ青なくらい高い数値でもおかしくない。原作の終盤でヤナックに授けられたその杖の攻撃力を考えていると、殴られてもいない自分の頭まで痛くなるような、そんな錯覚を覚えるヒカルなのだった。

 

「まったく、この未熟者めが! 少しはヒカルを見習ってまじめに修行せんかい!」

「そんなぁ~~。お師匠様ぁ~~。」

 

 まあ、ヤナックにしても、よく修行をサボってはリバーサイドの村で若い娘の尻ばかり追い回しているのだから、殴られても自業自得というものである。もっとも娘たちは『いや~、やめて~♪』と笑いながら逃げ回っており、追いかけられるのを喜んでいる節がある。このあたりは原作でもそうだったような気がするが、細かいところはヒカルの記憶にはなかった。

 

「ほれ、ヒカル、ちょっとここへ来ておまえもやってみぃ。」

「いいんですか? 俺もまだ力の制御がちょっと……。この間も森、焼きかけましたし。」

「なに、ヤナックのように、発動せんよりはるかにマシじゃわい。大きすぎたら儂が止めてやるから心配せんでもええ、それにだいぶん、魔法力の調整はできるようになってきておるぞい。基礎訓練も怠けずにやっておるようじゃし、ほぼ、心配はいらんじゃろ。」

「はぁ、それでは……。」

「うむ、ヤナックに手本を見せてやってくれ。」

 

 新参者に対するありえないような高評価、そしてずっと前から鍛えているのだろう弟子に対する辛辣な評価。ザナックとしては大意はないのだろうが、あまり良い状況とはいえない。それでも、ヒカルは立ち上がり、的の方へ向けて歩き出した。的から数メートルのところに立ち、ちょうど反対側でへたり込んでいるヤナックに声をかける。

 

「ほらほらヤナック、どいてないと危ないぞ。」

「あ~はいはい、わかりましたよっと、なんでこんなやつが、ぶつぶつ……。」

 

 何か文句を言うヤナックを無視して、ヒカルは的を見据えて、その方向に手をかざす。ヤナックを差し置いてあまり目立つのも多少気が引けるのだが、自分も弟子という形で世話になっている以上、師匠の言葉に逆らうわけにもいかない。気持ちを切り替え、今日はどんな呪文を見せようか少し考え、初めての呪文を試してみることにする。魔法力の調節に多少の不安があるが、いざとなればザナックがなんとかしてくれると言っている。であれば、毎日の地道な修行の成果を見せておくのも悪くはないかと、彼は使用する呪文を決める。

 

「……炎の精霊よ、我の元へ集え! かの者を眩き閃熱のもとに蹂躙せよ!」

 

 詠唱が進むにつれ、手のひらにオレンジ色の光が集まっていく。同時に何か目に見えない流れが手先に向かっていくのを感じる。放ったときの形をイメージし、呪文を放つ合図である『発動句』を紡ぐ。

 

「ベギラマ!」

 

 その瞬間、ヒカルの手のひらから光が的に向かって一直線に伸びてゆき、次第にそれは炎の渦となって木とわらでできた的を包み込んでいく。最後に開いた手を握り込むと、炎は収束していき、それが消えたときには白い灰が残っているだけだった。

 

「ほほぅ、ベギラマとは、また新しい呪文を覚えたのか、これだけの短時間で、実に見事なもんじゃ。魔法力のコントロールもほぼ、問題ないようじゃの。」

 

 ヒカルの行使した閃熱呪文(ベギラマ)はどうやら成功したようで、ザナックが賞賛の言葉をかけてくれる。ヤナックはというと、はじめは灰と化した的を呆然と見つめていたが、そのうちず~んと黒いオーラをまとって、すっかりいじけてしまった。やはりまずかったかと、ヒカルは少し後悔した。どこかでフォローしておかなければ、万が一ヤナックが原作開始前にリタイアでもしてしまったら、後々アベル一行が魔法なしでバラモスに挑む無理ゲーになってしまう。この世界のためにも、それだけは何としても避けなければならない。

 

「しかし、おぬしは様々な術が使えるのう、特別な者を除けば、扱える呪文は限られてくるはずなんじゃが……。いったい今までいくつ、儂に見せてくれたかの?」

 

 ヒカルが今までにザナックに見せた呪文は多岐にわたる。初歩の火炎呪文(メラ)はもちろん、ギラ、氷結呪文(ヒャド)真空呪文(バギ)、一部ではあるがメラミや、先ほどのベギラマのような中級呪文、回復呪文(ホイミ)瞬間移動呪文(ルーラ)なども使って見せた。こうしてみると、この世界基準でみれば、彼の魔法職としての才能は疑うべくもなく優秀であった。

 

「ええと、10くらいですかね、たぶん。」

「おぬしがここへ来て半年ほどになるが、今までこんなスピードで成長した者はおらんかったぞ。子供の頃から使えたわけではあるまい?」

「使えたらいいなぁ~っって、思ったことはありましたけどね。まあ、とにかく魔法に触れたのはここが初めてですよ。」

 

 嘘は言っていない。そもそもヒカルの元いた世界では魔法なんてものはなかったのだが、ヤナックが見ているこの場所で、複雑な話になるのを避けるために、彼は言葉を濁した。それを感じ取ったのか、ザナックはそれ以上の追求はせず、ふむ、とあごに手を置いて考えるようなしぐさをした。そして、しばしの間を置いた後、こう言った。

 

「おぬしがなぜ、儂の元に現れたかはわからん。じゃが……。」

 

 ザナックが言うには、かつて滅びた古代人の都、エスタークの怨念が、邪悪な実態を形作り、徐々に世界を脅かしはじめているそうだ。その邪悪な存在の名は、大魔王バラモス。多くのモンスターを引き連れて、ゾイック大陸という場所から侵略の手を伸ばしてきているらしい。現在(いま)はゾイック大陸以外にはさほど影響は出ていないが、直接の影響がないところでも、汚れた水である『死せる水』による海洋汚染の影響が徐々に出てきているらしい。

 この時点でヤナックの年齢は24歳だと聞いている。原作開始時点で34歳だと言っていたから、現在は原作開始の約10年前ということになる。ゲーム『ドラゴンクエスト』に登場する要素が、先の呪文以外にも様々に確認されており、この山脈の名前、ザナックとヤナックの師弟、それにエスタークにバラモスとくれば、もはや疑うベクもないだろう。ヒカルは寝落ちする前に見ていたアニメ『ドラゴンクエスト 勇者アベル伝説』の世界に迷い込んでしまったらしい。いやそもそも、アニメの世界など実際にあるのかわからないので、よく似ているだけの世界ということになるのだろう。アニメに限っていうのなら、『10年前の世界』などというものは描写されていないため、今後何が起きるかは予想でしかなく、同じように歴史が紡がれていく保証もない。しかし、今後アベルやティアラ、モコモコやデイジィといった人物らが、原作と同じように物語を作り上げていくのだろうという確信をヒカルは持っていた。もちろん根拠など何もないが、形にできない自信のようなものが、彼の心には確かにあったのだ。

 

「バラモスは滅びたエスタークの怨念、ゾーマが造りだしたもの。しかし……。」

「しかし……? なんですか?」

「どうも、ほかにもなにやら黒い影が、この世界に迫りつつあるようじゃ、おぬしが現れたことは、ひょっとするとそれに関係があるのかもしれんの。」

 

 原作にはなかったバラモス以外の脅威がこの世界に迫っているらしい。それはひょっとしたら、ヒカルが転移してきたことによって起こった事象なのかも知れない。無関係ではない、ということなのだろうか。この説明できない現象も、すべては偶然ではなく必然、そういうことなのだろうか。そういえば自分の身に何かが起こると、誰かに聞かされた気もするのだが、思い出そうとしてももやがかかったように曖昧で、はっきりと思い出すことができない。その事実が、それこそ現状が偶然ではない証拠なのだが、具体的に説明できるようなことは何もなかった。

 

「ふん、ちょっとくらい呪文がいっぱいできるからってね、そいつがそんなたいそうな存在な訳がないでしょうが。」

 

 さっきまでいじけていたヤナックだが、話はきちんと聞いていたらしい。それこそ根拠のないひどいいわれようだが、ヒカルとしてはこちらの意見に賛同したい。異世界召喚系小説の主人公など、頼まれてもお断りしたい心境なのである。しかし、そんなヤナックの発言をただのやっかみと判断したのか、師匠ザナックは、そんな彼の捨て台詞のような言葉を無視し、重々しい口調で話を続ける。

 

「おそらく近いうちに、ゾーマはバラモスを使い、ゾイック大陸以外にも侵略の手を伸ばしてくるじゃろう。」

 

 そう、確かにその通りだ。原作の1話でアリアハンに現れたバラモスは、それから短期間に世界中に汚染水をばらまき、人々を恐怖に陥れていった。アベルたちが旅を続けている間も、人間たちの国が攻め落とされていったことが、後にバハラタの回想によって明らかになっている。もし、この世界でもある程度原作と同じような運命をたどるのであれば、バラモスが表立って動き出す前に何らかの手を打てば、被害はある程度抑えられるのかもしれない。心境としては、できることなら一般人は助けてやりたいと思うヒカルだったが、この世界に来て魔法の才能を開花させはじめているとはいえ、それこそ自分自身が一般人の彼にはどうすることもできないことであった。

 

「この世に邪悪な者が現れたとき、竜伝説に記された勇者が現れるはずじゃ。」

「お、お師匠様、それは軽々しく口にしては……。」

 

 珍しく、ヤナックが師の言葉を遮ろうとした。思い返してみると、ヤナックは原作でも最初のうちは、自分の素性を隠していた。勇者や聖女、それを手助けする者などの情報はいわゆる極秘情報なのかもしれない。しかし、ヤナックに対してかまわないというように手を挙げ、ザナックは話を続ける。

 

「よい、ヒカルはわしが認めた男じゃ。我らの一族ではないが、おそらく邪悪な者と相対する運命を持って生まれてきたのじゃろう。」

 

 この世界では才能があると、何か強大な運命に立ち向かわなければならないのだろうか? しかしヒカルは現代日本に生まれたただのサラリーマンだ。いかに治安が悪化してきているといっても、日常的に命のやりとりをしてきたわけでは当然ない。そんな彼が、悪に立ち向かう──それこそドラクエの勇者かその仲間のような運命があると言われたところで、実感などわくはずがなかった。できることならば全力でお断りしたい。選択肢の『いいえ』を迷いなく選び、決定ボタンを押したい心境である。

 

「ヒカルよ。」

「は、はい。」

「お主の中にはとてつもない潜在魔力が眠っておる。今、使っておる力はそのうちの、ほんのわずかじゃ。いつか、そう遠くはない未来に、儂などよりはるかに強力な術を、使いこなせるようになるじゃろう。」

 

 そんなことを、ひどく深刻な表情でザナックに言われたが、正直言ってまったく意味が分からない。目の前の老人はおそらく、この世界でもトップレベルの呪文の使い手だ。そんな人物の見立てだから、おそらく正しいのだろう。正しいのだろうが、そんな予測は当たってほしくないというのが、ヒカルの本音だったろう。

 

「いつか、もし、儂よりも強い力を身につけたなら、そのときは頼む、この世界に住まう者たちをその力で助けてやってはくれまいか。」

「……、はい。」

 

 ここで『いいえ』を選んだなら『そんなひどい』の無限ループにでも陥ってしまうのだろうか? 『はい』を選ばなければ先に進めないように、この世界でも運命の強制力が働いているのだろうか? いずれにしても、このときのヒカルは、ザナックに対して肯定の意を示すことしかできなかった。最期まで勇者を守る一族の使命を果たし、この世界を守るために自分の命さえかけた老人が、彼に真剣に頼んできているのだ、断れるわけがない。しかし、正直彼は怖かったし、ひどく戸惑ってもいた。実際、本当に、誰かを救うことなどできるのだろうか。元の世界でも、ブラック企業にいいように使われるだけの、何の能力もないさえないサラリーマンだった、こんな男に、本当にそんなすごい力があるのだろうか……? あったとしても、その力を使いこなすことができるのだろうか……? 考えても考えても、後ろ向きの思考のループに陥ってしまいそうだった。

 

「ところで、話は変わるがの。」

「はい?」

「おぬし、どんな女子(おなご)が好みじゃ?」

「は? 何ですか唐突に。』

 

 先ほどの重苦しい話はどこへやら、にたにたと笑みを浮かべながら、老人はヒカルを眺めている。外見と合わせるとなんとも不気味だが、それは失礼になるのでヒカルは口に出すのをぐっとこらえた。

 

「いやのぉ、リバーサイドへ行ったときに、例のエルフの娘らが、もっとおまえさんを村によこしてくれとせがんできてのぉ。おぬし、割と人外にもてるのぉ。」

「人間としてはあまりうれしくないんですが……。」

「よいではないか、……なかなかかわいい娘たちじゃし、ほれ、そういうことになっても儂はとやかく言うつもりはないぞい、もうすこし通ってやったらどうなんじゃ?」

「いや、別に俺は……。」

「娘たちが、おまえさんと夜を明かしたいと、身振り手振りを交えて熱弁しておったぞ。」

 

 モモとミミの姉妹がヒカルに好意を寄せているのは事実だろう。それが、例えば恋人や伴侶に求めるような感情かどうかは不明な点もあるが、少なくとも彼女たちがヒカルを慕い、そばにいたいと思う心は本物であり、それに答えることは男としてもやぶさかではないはずである。彼女らの多少、いやかなり行き過ぎた「奉仕」がなければの話、だが。しかしそれとても、端から見たのならまさに嫉妬全開で、目の縁に炎を模ったしっとマスクを被り、名前もそのままのしっとマスクが召喚されそうな状況である。

 

「あ~あ、モモちゃん、前からかわいいと思ってたんだよなぁ、がっくし。」

 

 人間でないとはいえ、似通った姿をしているエルフはこの世界では非常に美形が多い。だから美しいエルフの姉妹、特に姉の方は村の男たちに言い寄られることも多かったが、その誘いもことごとく断り、ヒカルの世話ばかりをやいていた。そんなわけで、密かにヒカルはリバーサイドの若い男たちに大いにしっとされていたのだが、本人からすれば良い迷惑だっただろう。

 

「ミミちゃんも成長したらいい女に……あ~畜生ヒカルの奴め、なんてうらやましい!!!」

「……声に出てるぞヤナック。」

「このバカたれが!! そんなことばかり考えとるからさっぱり修行が進まんのじゃ。とっととそこに座って瞑想じゃ瞑想! 基礎からやり直しじゃい!!」

「ひえぇ~、お師匠様、申し訳ありません~~!!」

 

 ザナックにどやされ、切り株のひとつに腰掛けて瞑想をはじめるヤナック。しかし時々気が散っているのか、そのたびにザナックにどやされたり、杖でポカリとやられたり、今日はいつもよりきつい修行になりそうである。

 ところで、いったい例のエルフの姉妹は、ザナックに何を語ったのだろうか。聞いてみたいような気もするが、どうせろくなことは言っていないだろうと考え、ヒカルはそのことについて、思考そのものを放棄した。

 

***

 

 それからも、ヒカルとヤナックの修行の日々は続いた。初級呪文を立て続けに失敗するヤナックとは対照的に、ヒカルは覚えた呪文を次次自分のものにしていった。それにともなって、ザナックのヒカルに対する評価が上がり、ヤナックに対する評価がさらに辛辣になるという悪循環が起こってしまい、2人の間には徐々に重たい空気が流れるようになっていった。ヤナックの抱えているコンプレックスは思ったよりも根深いようで、ことあるごとにヒカルに対抗意識を燃やして突っかかってくる。ヒカルとしてはその程度で落ち込んだりするようなヤワな精神構造は持ち合わせてはいないが、このまま自分がここに居座っていたのでは、ザナックとヤナックの関係にも変化が起こる可能性がある。それはザナックの人格を考えると限りなく低い可能性ではあったが、念には念を入れておいた方がよいだろうとヒカルは考えた。自分の今の強さとこの世界の情勢を考えると、多少危険ではあったが、レベルアップの良い機会になるだろうと考え、彼は老賢者の元を離れる選択をしたのだった。

 

「ふむ、旅に、のう。」

 

 日もとっぷりと暮れ、夜空には無数の星が瞬き、月明かりが窓から差し込んでくる。テーブルの上のわずかなランプの明かりだけが、室内に暖色の光をもたらしていた。ヒカルと向かい合って座るザナックは、彼の話を一通り聞き終えると、いつもの癖なのか顎に手をやってしばらく目を閉じて考え込んでいるようだったが、やがて静かに口を開いた。

 

「……いろいろと気を遣わせたようじゃの。まったくヤナックめ、できの良い兄弟弟子の1人でもできれば、少しは励みになるかと思ったが、まさかあそこまでひねくれるとはのう。」

「いや、しかしあれだけ扱いに差を付けたら、もともとコンプレックスが強い奴なら相当応えますよ。真面目に修行するようになった部分もあるみたいですし、もう少し長い目で見てやったらどうでしょう?」

「……そうじゃな、儂も多少急ぎすぎたかもしれん。心のどこかで、焦りがあったのじゃろうな。……魔王は強大じゃ。儂らが想像しておるより遙かにの。生半可な実力や覚悟では、到底太刀打ちなどできん。」

 

 ザナックはおもむろに椅子から立ち上がり、窓の方へ歩きながら、小さな声でつぶやくように言葉を発した。

 

「人を育てるというのは難しい。特に魔法というのは精神の鏡写しのようなものじゃ。邪悪な心や欲望が強ければ、どんなに才能があっても、自分自身の力で自分を滅ぼしてしまう。逆に、ヤナックのように自信がなさ過ぎるのもいかん。いざというときに本来の力が出せんからのう。ほれ、ちょうどお主に懐いとる、小さい方のエルフの娘のようにな。」

「え? ミミのことですか?」

「うむ。……と、まあそれはよい。お主が行くというなら止めはせん。元の世界に帰る方法も、ずっとここにいたのではわからんじゃろう。……くれぐれも気をつけて行くのじゃぞ。世界が徐々に、魔王によって侵されようとしておるからのう。奴の配下である宝石モンスターたちも、少しずつ数が増えておる。その中にわずかじゃが、少しばかり強力な個体も混じってきているようじゃ。」

「はい、俺まだ弱いんで、安全にだけは気をつけますよ。」

「うむ、そうじゃ、これを持って行け。」

「……これは、あのときの……!いいんですか?」

「構わん。儂も存在を忘れておったし、この年寄りにはもはや用のない物じゃて。」

「では、ありがたくいただきます。短い間でしたが、お世話になりました。……旅立ちは3日後くらいにしようかと思っています。」

「たまにはここへ戻ってきて、世界の情勢などを教えてくれると助かるのう。」

「はい、俺には分からないことの方が多いんで、たぶんいろんな事を相談しに戻ってくると思います。」

 

 ヒカルはザナックから受け取った袋を持ち、部屋を後にした。1人残されたザナックはしばらく窓の外に広がる満天の星空を眺めていた。どれくらいそうしていただろうか、やがてテーブルの上の明かりが消され、老賢者の住まうこの小屋も、完全なる夜の静寂に包まれた。空には半分よりも満ちた月が、宵闇(よいやみ)を優しく照らしているのみだった。

 

to be continued




※解説
メラ:皆さんご存じ、呪文の初歩の初歩。敵1体に火の玉をぶつけてダメージを与える。スライム以上のHPがある奴だと効果は微妙だが、魔法使いは他に攻撃手段がないので使うしかない。ゲーム以外の描写では火起こしやたいまつの着火にも使われる便利呪文。今回の修行シーンは少年Jの某漫画のオマージュ。杖で殴られるまでがセット。
ベギラマ:敵を閃光で包み込んで焼き払う、ギラ系の中級呪文。覚えたての頃は敵の一掃に活躍する人気の呪文。このお話では術者の意識により形状を変化できる設定。
ちなみに余談だが、ドラクエ初期では雷の呪文で、詠唱も「炎よ雷よ、我の元へ集え」となっている。閃光により炎を起こす設定になったのはⅢから。アベル伝説の中では初期は雷で、後期は炎の描写になっている。ちなみにさらに余談だが、初期にムーアが放ったベギラゴンは黒い雷だった。え? それ何てドルマ?


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第3話 旅立ち バラモスの野望を阻止せよ!

※2018/12/31 誤字脱字、文章表現等を修正しました。
※2017/11/26 冒頭に新しいエピソードを追加しました。その関係で、後半のお話を若干変更しています。
※2017/4/9 誤字修正:兄妹→兄弟
 エニックスI  様、ご指摘ありがとうございました
 その他、誤字脱字等を修正しました。


 ヒカルがこの世界にやってきてから、半年あまりが過ぎ去ろうとしていた。季節は移り変わってゆき、山の色も緑の中に赤や黄色やその中間色といった異なる色が少しずつ混ざりはじめている。リバーサイドの村では夏の終わりの祭りが開催され、いつになく活気づいた人々の喧噪(けんそう)があたりに響き、いつも静かな麓の村は、少し違った様相を見せている。広場でたき火を囲んで踊る子供たちの様子を眺めながら、ヒカルは串焼きにした肉にかじりついていた。

 

「きゃ~~、ヤナックさんのエッチ!」

「いいじゃない~、ミリィちゃぁ~ん、俺といいことしようよぉ~。」

「きゃはは、捕まりませんよ~だ!」

 

 近くの茂みではヤナックが、村の若い娘と追いかけっこをしている。原作でも見慣れた光景だが、やはり村娘に嫌がっているような様子がない。楽しそうに笑いながら追いかけられている。そのうち、ほかにも2・3人の娘が加わって、にぎやかな追いかけっこは終わる気配がない。酒に酔ったヤナックは魔法のザル……もといカゴを使うこともなく、ややよたよたした足取りで娘たちを追いかけている。娘たちは基本、ヤナックをスケベ呼ばわりして騒ぐことがあっても、彼を拒絶するようなことはない。それどころか、進んで世話を焼いているような所もあって、誰も恋人にならないのがかえって不自然なくらいである。娘たちがなぜ喜んで追いかけられているのかというと、それはおそらく、ヤナックが絶対に一定のラインを越えてこないと知っているからだ。彼は娘たちが本当に嫌がることは決してしないし、彼女たちの相談事に乗ってやったり、ケガをすれば回復呪文(ホイミ)で治してやったりと、よく手助けをしている。そんな彼が恋人の1人もできないのは、彼自身がどこかで一線を引いてしまっているからではないかと、ヒカルは感じていた。よく考えてみれば、バラモスに立ち向かう勇者の手助けをするという彼の使命は、常に命の危険がつきまとっているといっても過言ではない。誰かと親密になれば、そう遠くない未来に永遠の別れを迎えてしまうかもしれない。使命の半ばで彼が死んでしまうことも十分に考えられるのだ。ヤナックが無意識のうちに、特定の相手と親密になるのを避けているように、ヒカルの目には映ったのである。

 

「あ~、またヤナックがおねえちゃんたちにいたずらしてるぞ~。」

「わ~、やっつけろ~!」

「へみ? わわっ、ちょっとまちなさい君たち! ととっ、うわあぁ!」

「きゃはははは、それ、みんな、全員でくすぐり攻撃だ~~!」

「ちょ、やめ、ぎゃはははははは!! や、やめ、いひひひひひ、うひゃひゃひゃひゃひゃ! こら~、いいかげんにしなさ~いっ、そんな悪い子たちにはおしおきだぞ~~!」

「や~い、こっこまでおいで~~!」

 

 途中から、踊りに飽きた子供たちが乱入し、村中を走り回りはじめた。笑いながら子供たちを追いかけるヤナック。はしゃぎながら逃げる子供たち。どちらも楽しそうだ。大人たちは酒を飲みながら、そんな光景を笑ってはやし立てている。ヤナックが羽目を外しても、基本的にここの村人たちは止めたり、とがめたりはしない。ヤナックが子供たちに読み書きを教えていたり、遊んでやったりと面倒を見ているため、大人たちからの信頼は厚いのである。そんな光景を、ヒカルも酒を飲みながら楽しげに見つめていた。

 

「ごしゅりんさまぁ~~、こんらところにいらっひゃったんれすかぁ~~♪」

「う、うわっ、モモ?! どうしたんだお前……って酒くさっ! 誰だよこいつに酒飲ませたの?!」

「とおぉってもいいきぶんれすわぁ……ぴと。」

 

 一体どれだけの酒を飲んだのか、普段の落ち着いた彼女からは想像もできないようなへべれけに酔っ払った姿で、モモはヒカルの前に現れた。そしていつもなら絶対人前ではやらない過剰なスキンシップを、よりにもよって大勢の村人が集まるこの広場で堂々と披露しはじめたのだ。

 

「ひっく、ごしゅりんさま、あったかいれすわぁ、すりすり。こうやって、かららを、こふりつけていると、と~っれもひもちいいれすぅ……。あふうぅん。」

 

 最早、ろれつが回っておらず、目の焦点も合っていないが、体だけは執拗にヒカルの全身にこすりつけ、体をくねらせながら悩ましい声を発するモモ。その行為は徐々にエスカレートし、ろれつが回らなくなった卑猥な台詞と共に、周囲におかしな空気を振りまいていく。

 

「ごしゅりんさまぁ、わたしらけこんなことしへるの、さみしいれすよぅ、ごしゅりんさまも、もっとモモにしゃわってくらはいよう。」

 

 いつの間にかこちらに視線を向けている村人、若い男連中からは強い嫉妬の感情と、これから先のさらに大胆な展開をわずかに期待する欲望の感情がごちゃごちゃと入り交じった視線を向けられているのを感じる。当然それを分かっているのはヒカルのみで、泥酔したモモは気づいているはずもない。彼女はヒカル以外の人間の前では、どこまでも淑女であり、清楚な雰囲気を崩すことはなかった。そんな彼女のあまりの豹変ぶりに困惑し、ヒカル以外の者たちもどう対処してよいか動くに動けずにいた。ヤナックとくすぐり合いをしている村娘や子供たちだけが、こちらに気づかずに戯れ続けているが、さすがにあまり長く続けると気づかれてしまうだろう。ヤナックと娘たちはともかく、子供たちに見せるにはまずい光景だ。

 

「ごしゅりんさまぁ、ごしゅりんさまのおててで、わたしのおっp……。」

「ええい離れろ酔っ払い! この変態エルフ!! 深くて三日は覚めない眠りの底に墜ちてしまえ!! ラリホー!!!」

 

 ヒカルは自分の手をつかもうとするモモの手を振りほどき、至近距離に迫ってくる彼女の額に人差し指を素早く突きつけ、そこから魔力を流し込む。元々泥酔していた彼女は途端に糸の切れた人形のように崩れ落ち、ぐったりと眠りこけてピクリとも動かなくなった。睡眠呪文(ラリホー)の効果は覿面(てきめん)のようだ。ちょうどその頃、子供たちにもみくちゃにされてひっくり返ったヤナックが降参したことで、祭りもお開きとなり、ヒカルたちは泊まっていかないかという村人たちの誘いを断り、帰路につくことにしたのである。モモはというと、そのままにしておくわけにもいかないので、しかたなくヒカルが村の男たちの手を借りて彼女の家まで運び込んだ。そこで、やはり泥酔して泥のように眠っている妹のミミを見つけ、結局両人とも寝室まで運ばれ、ここからは男の手には負えないからと、村の年長の女性が介抱することになったが、まあこれは余談であろう。しかし、彼女たちの閉じられたその目から、頬に伝う一筋の涙の後に気がついた者は、誰1人いなかった。その理由を知るのは彼女たち姉妹、2人だけである。

 ザナックの住む小屋まで帰る道すがら、ヒカルとヤナックは一言も発することがなく、ただ黙々と山道を登っていた。といっても、ヤナックの方は魔法のカゴに乗っているため、歩いているのはヒカルだけである。うっそうと木が生い茂る山道は暗く、たいまつがなければ何かに足を取られてしまうだろう。こんな時に周囲を照らすことができる呪文を、ヒカルは数日前に古文書から見つけ、契約もしたのだが、新しい呪文を頻繁に披露するとヤナックがいじけるため、このような方法をとっている。しかしたいまつで照らせる範囲は狭く、正直に言うと魔法を使った方が遙かに楽である。

 暗くなってしまったために多少時間はかかったが、ヒカルとヤナックはほどなくいつもの練習場にたどり着いた。そこでヒカルは立ち止まり、ヤナックの方を振り返った。ヤナックも無言のまま停止し、魔法のカゴでプカプカと空中に浮いている。

 

「んで、俺に話ってなによ。」

 

 ヤナックは相変わらず嫌悪感を隠そうともしない態度で要件を問うてきた。最近さらにまじめに修行に打ち込むようになったらしい。それ自体は良いことなのだろうが、ヒカルに対しての当たりはキツくなるいっぽうだ。ヒカルへの対抗心でハードな修行をこなしているということだろう。それ自体は別に良いが、ことあるごとに嫌みを言ったり、何でもかんでも異論を唱えるようになってきており、さすがにうっとうしいと感じることもある。しかしヒカルの方も、ヤナックにへそを曲げられてドロップアウトされたのでは、勇者パーティの魔法担当がいなくなるという事態になるため、ことあるごとにフォローを入れてはいるのだが、それもあまりうまくいっているようには感じていなかった。まあ、それも今日この日で、とりあえず一段落となるのだが、ヤナックはまだそのことを知らない。

 ヒカルは今日、祭りの後にヤナックに旅立ちを告げ、そのままザナックの元を離れようと考えていた。だから、いつもなら泊まって行けという村人の提案を断ることはしないのだが、今日に限ってはヤナックにも遠慮して貰っていたのだ。そのことも、どんちゃん騒ぎした後に村でゆっくり休みたかったヤナックにとっては気にくわなかったのだろう。ヒカルは、若干の申し訳なさを感じながら、それでも自分の決意を彼に伝えるため、口を開いた。

 

「まあまあ、お前にとっては悪い話じゃないぞ、俺は今日これから旅立つ。旅に出て、世界を回ってみようと思うんだ、ザナック様にはこの間話した。」

「……へえ、で、なんて?」

「旅に出て何をするのかと言われたな。」

「ま、そりゃ当然だろうね、で? あんたなんて答えたのさ?」

 

 ヤナックはさすがにこの答えを唐突に感じたのか、先ほどとは違った不思議そうな顔を向けてきた。日が落ち、あたりを夜の闇が覆い隠しはじめている。空には月が浮かび、どこか神秘的な青白い光を放っている。ターバンを頭に巻いた、24というには少し老け込んだように見える青年の顔は、対面に立つ男を見下ろしている。まだ、口髭は生えておらず、キセルも今はふかしていない。しかし彼を浮遊させているザル……もとい魔法のカゴは、現在も常用しているため、このときから標準装備だったようだ。ヒカルはゆっくりと、ヤナックにこれから聞かせるべき話を、言葉を選びながら語っていった。

 

「バラモスと死せる水の話は俺よりも詳しく聞いてるよな? ゾイック大陸の人たち……いや正確には、生物すべてが奴の脅威にさらされている。俺は俺なりの方法でそれに抵抗しようと思う。」

「戦うのか?」

「バカ言え、魔法の方はともかく、俺は直接戦闘力ほぼ皆無、一人じゃ奴とは戦えない、だけどな……。」

 

 ヒカルはあれからずっと考えていた。自分がこれからどうするべきなのかを。ザナックにはとてつもない才能があるようなことを言われたが、本人にはまるで実感がわかない。この世界の基準でいえば、人間が1年もたたないうちに系統の違ういくつもの呪文を行使できるようになるなどまずありえない。加えて、中級以上の呪文も使い手が少ないのが現状である。ヒカルもこれらの事実を聞かされて知ってはいたが、もともと魔法の類いなど存在しない世界からやってきたため、自分がどれほどの魔法の才能に恵まれているかという実感を持ってはいなかった。故に、彼は直接戦闘ではない別の方法で、バラモスとその軍団に対抗することを考えたのである。

 

「バラモスの軍団に対抗できる勢力をつくる。」

「!!」

「多少リスクはあるが、世界に魔法を広め、剣や格闘技以外の対抗手段、具体的に言うと魔法の使い手を増やそうと考えているんだ。」

 

 ヒカルが原作を見て思ったことが、味方側の魔法戦力が著しく少ないことだ。『青き珠』の能力はともかく、呪文が使えない『勇者』と、『戦士』に『力持ち』、ほかにも作中描写を見る限り、人間側は魔法職がほとんどいない、いや皆無だった。これでは低級モンスターですら呪文が使えるバラモスの軍勢には太刀打ちできない。幸い、バラモスがガイムを動かしてアリアハンに攻め入ってくるまで、原作通りならまだ10年以上ある。その間に魔法職を育てられるだけ育ててみたい、というのが彼の考えだった。

 

「……とんでもないこと考えるね、あんた。」

「できるかはわからないけどな、まぁ、おまえも俺がいない方がやりやすいだろう、おまえにはおまえの使命があるはずだ。」

「……お師匠から聞いたのか?」

「いいや、俺はおまえのことをはじめから知っていた。俺はこの世界の人間じゃない。」

「何だって?」

 

 ヤナックはさすがに驚いた顔をした。そして、その言葉の真意を確かめるように、ヒカルの顔をじっと見つめている。

 ヒカルはヤナックに、ザナックにしたのと同じように自分の身の上を話して聞かせた。ザナックからあらかじめ説明してもらってもよかったが、どうしても自分の口から伝えたかった。嫌われていることを感じていても、ヒカルの方はヤナックを嫌いになれない。原作を見ていたときから好きなキャラだったこともあるが、実際に接してみて、ヤナックの人となりを知ったことの方が影響は大きかっただろう。いざというときの行動力、内に秘める優しさ、どれも自分にはないものだと感じていたからだ。なんだかんだいって村の子供たちからも好かれている。だから、自分のことは自分の口から話したかった。

 

「……そうか、だからお師匠は何も言わず、あんたを受け入れたのか。」

「俺のことは嫌いなままでかまわない。でも、勇者たちにはおまえの力が必要だ。おまえが出会う時点で、勇者はまだ15だ。強大な敵と戦うには、年長者の助けが絶対に要る。だから、ぜひ立派な魔法使いになってほしいんだ。」

「正直いうとね、俺はあんたの才能をねたんでいたんだと思う。何でもぽんぽんこなしてしまうし、お師匠様に気に入られてるし、かわいい女の子2人といいことしてるし、それに比べて俺は……。」

「なぁ、ヤナック。」

 

 いつの間にかカゴから降りて、うつむき加減になって立ち尽くしているヤナックに、ヒカルは言葉をかけた。今度はいつもと違う、自信のなさそうな弱々しく揺れる瞳を向けてきた。彼も不安だったのだろう。それはそうだ。普段から散々出来損ない扱いをされていたところへ、出来のいい弟子が増える。師匠の注目は黙っていても自分から離れ、不出来な落ちこぼれだという劣等感が強くなり、元々たいしてなかった自信も急速にしぼんでいった。相手に敵対心の一つでも燃やさなければ、潰れてしまいそうだったのだろう。

 

「ザナック様が、なんでおまえを見捨てないと思う? あれだけさんざんに叱りつけて、ぶったたいて、それでもおまえを手放さないのは、なぜだと思う?」

 

 ヒカルは原作の後半の場面を思い出していた。ザナックは確かにヤナックは不出来だと思っているだろう。しかし、それでも最後には彼のあり方を認め、弟子として誇りであるとまで言った。そんな男が本当に落ちこぼれである訳がない。

 

「おまえの才能のことは俺にはわからん、ただ……。」

「ただ……?」

「魔法は、使う者の心を反映する。たぶんザナック様は、おまえの心の方を買ってるんだと思うぞ。おまえは確かに、スケベで酒好きでいい加減だが、周りの人たちの幸せを、誰より願っている。魔法を修行してんのも、使命のためだけじゃあないんだろう?」

「ヒカル、おまえ……。」

 

 ヤナックは目を丸くしてヒカルを見つめている。彼が師匠の真意を知るのは、老賢者が死ぬ間際だった。しかし、今ここには、いつも叱りつけてくる師匠の真意を伝える第三者がいるのだ。ヤナックが自分に秘められた才能を余すところなく開花させることを願い、ヒカルは別れの言葉を口にする。いつか、そう遠くない未来に、酒好きの彼と杯を酌み交わすことができることを、心の中で願いながら、しかし言葉には出さない。

 

「じゃあ、俺は行くわ、また会おう兄弟。」

「……ああ、またな。」

 

 月は魔力の象徴だとか、今宵は、魔法使いの旅立ちにはもってこいだ。ヒカルはヤナックに背を向け、いつの間にか闇に染まった空に青白い光を放つ満月を仰ぎながら、呪文の詠唱に入る。

 

「天の精霊よ、翼を持たぬ我の翼となりて、()の地へ導け。天よ、繋がれ!」

 

 青白い光がヒカルの体を包み込む。体が浮き上がる感覚が全身に伝わっていく。

 

「ルーラ!」

 

 この日、異世界から来た『彼』は一人で旅立った。まだ本当は、自分が何をすればいいのかわからない。それでも、何かしなければ、何も始まらない。ゾーマ以外に迫ってきている脅威の正体も、自分で確かめてみる必要がある。だが、見えているものはまだ何もない。自分の世界にとっては未知の『魔法』という力と、どれだけのアドバンテージになるかわからない『原作知識』というイレギュラーの2つだけをその手に、男の第一歩が刻まれた。

 

「行ってしまったか……。」

「はい……。」

 

 いつの間にか、ヤナックの隣に現れたザナック。ヒカルが去った後を、彼らはしばらく見つめていた。別の世界から来たという男は、バラモスに対抗する力を人々に与えるのだと言って、旅立っていった。わずかの時間でまだ初歩とはいえ様々な呪文を会得し、もはや正確に唱えられる者もいなくなって久しく、ザナックですら忘れかけていた『詠唱』という魔法の技術まで、倉庫でほこりをかぶっていた古文書の中から見つけ出して見せた。才能もそうだが、人を導くことのできる大きな力を感じる。勇者ではないが間違いなく『英雄』の器を持つ者に相違ないだろうと、老人は確信していた。

 魔法を広く伝えることには当然リスクもある。強大な力であるために、悪の手に渡れば災厄を招くことも十分にあり得る。しかし、多くの者たちはまだ知らないことだが、邪悪な力を宝石に宿して作り出されたモンスターたちが、わずかではあるが各地に出現しはじめ、その頻度は徐々にではあるが増え続けている。奴らは弱い存在であっても低級の魔法を易々と使いこなせる個体も数多くいる。利益とリスクとを天秤にかけた場合、やはり魔法を広める方が最終的に有益であろうと判断できた。それに――。

 

「あやつなら、人を見抜く目は確かじゃろう、ホッホッホッホッ。」

 

***

 

 ヒカルは旅の準備を整えるため、リバーサイドから少し離れた小さな集落へ立ち寄ることにした。夜であるため入り口にある門は閉ざされており、見張りとおぼしき人物が物見(やぐら)から外を監視している。リバーサイドほどではないが、そこそこ頻繁に訪れているため、もう顔なじみになっているその人物に、ヒカルは通してくれるように合図をする。

 

「おや、ヒカルじゃないか、旅支度なんかして、こんな夜更けにどうしたんだ?」

 

 物見櫓から男が降りてくる。今日の回り番は武器屋の店主らしい。地面に降り立つと彼はにこにこしながらヒカルの元へ向かってくる。

 

「ああ、ちょいと世界旅行にね、今日はもう遅いから、ここで休んで、明日の朝旅立とうと思ってさ。」

 

 それからヒカルは武器屋の店主と軽く世間話をした後、とりあえず今夜は一晩休んでから、明日、必要な物を買いそろえようと、道具屋の女主人が営む民宿へと向かって歩き出した。

 

***

 

 翌日、ヒカルは集落にある道具屋で、薬草などの回復アイテムを購入した後、防具屋で旅人の初期装備をそろえた。魔法職であるため、軽くて丈夫で動きやすい物を中心にチョイスした。購入した薬草、毒消し草、旅人の服、木の帽子と、昨日の昼間にリバーサイドの道具屋のおかみさんから半額で譲って貰った聖水の瓶が数本、それが装備を含めた、現在の彼の持ち物である。そして、護身用のナイフでも買おうかと、最後に武器屋を訪れる。

 

「ようヒカル、武器が必要かい?」

 

 昨晩、夜の見張りをしていた店主が、カウンターから声をかけてくる。一晩眠っていないはずだが、眠そうな顔をしているということもなく元気そうだ。

 

「う~ん、俺魔法使いだから、護身用のナイフとかあればほしいんだけど。」

「ああ、それだったら……、ほれ、これ、餞別代わりにくれてやるから、持っていきな。」

 

 店主が渡してきたナイフを受け取り、鞘から引き抜いてみる。通常のナイフとはかなり異なったギザギザの刀身が姿を現した。ピンク色で目立つ柄の部分といい、ゲームでいうところの「どくがのナイフ」と特徴が一致する。マヒ追加という特殊効果を持った、初期装備にするにしては高価な武器である。

 

「どくがのナイフ?! これ、けっこう高価なものじゃ……。」

「い~からい~から、気にすんな、それより、最近妙な魔物が増えて、なにやら世界中きな臭くなってきやがった……おまえは死ぬんじゃねえぞヒカル。せっかくかわいい嬢ちゃんたちにぞっこん惚れ込まれてるんだからな、がっはっはっはっ。」

 

 遠慮するヒカルに気にするなと手を振って、武器屋の店主は豪快な笑い声を上げる。店主に礼を言ってナイフを鞘に収めて装備すると、ヒカルは武器屋を後にするのだった。

 集落の代表者にあいさつをして、ヒカルは昼前に旅立った。この村のすぐ近くの森を抜けて、とりあえずどこか港町に行ってみようと地図を広げる。アリアハン周辺は原作の流れに影響が大きいので、今は近づかないことにした。地図上の一番近いのは村だが、その先にある街くらいまでなら日没前には到着できそうだ。とりあえずの目的地を定め、彼は半年ほど慣れ親しんだ地を離れ、旅立った。

 最初の数日は何事もなく過ぎていった。モンスターも弱く、初級の魔法があれば苦戦はしなかった。ただ、最初の村で1泊した後、次の町までが思っていたよりも遠く、広大な山中にある小さな集落を見つけては、そこで休みつつ進んでいくことになった。その日も、村というには小さな集落で朝を迎えたヒカルは、これからどこへ向かおうか、数日間で見慣れた地図とにらめっこをしながら考えていた。そして、彼が今日の目的地を定め、いざ歩き出そうと顔を上げたときだった。

 ガサガサと草が揺れる音と、何かの気配を感じて、ヒカルは一瞬身構えたが、邪悪な感じがしないのでとりあえず構えをとく。おそらく小動物だろうが、動物でも急に襲いかかってくることはあり得るので、慎重にゆっくりゆっくり歩を進めていく。今までにもこんな場面は数多くあったはずだが、それでもこういうときはいつも緊張するものだ。彼が次に目にするのはどのような光景であろうか、それは本人にも分からない。

 

to be continued




※解説
ルーラ:みんな大好き移動呪文。作者も使えるものなら使ってみたい呪文№1。Ⅰではラダトーム城にしか行けなかったが、Ⅱでは最後に復活の呪文を聞いた場所に行けるようになり、Ⅲ以降は一度行ったことがある町や村などに行けるようになった。初期は消費MPが8と高かったが、後の作品では2とか1とか。モンスターズに至っては石碑? の力を使うためMPを消費しない。ただのマップセレクトである。空が見えていないと使用できないという欠点があり、洞窟や建物などの閉鎖空間では天井に頭をぶつけてしまう。
ちなみに、二次創作ではイメージをはっきりと思い描ける場所ならばどこへでも行けることが多い。
薬草:冒険の初期には大量に持ち歩いてお世話になる人も多い、最下級の回復薬。初期のシリーズではこれ以外に回復薬がないという鬼畜使用。Ⅳでようやく出てきた上位回復薬は、なんと味方全員を全回復させる最高級仕様だった。よってドラクエでは回復を主に呪文に頼ることになるため、回復職(ヒーラー)なしだと難易度が跳ね上がる。隠し要素だが、やみのころもを剥ぎ取ったゾーマに多大なダメージを与えられる。
毒蛾のナイフ:奇妙な形をしたナイフ。マヒの追加効果があるので、攻撃力の割には便利な武器。ドラクエには状態異常の追加効果付きのアイテムが少ない。ちなみに、似たような名前を持つ「毒蛾の粉」とは効果が全く違う。蛾の種類でも違うのだろうか?


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第4話 森の中の戦い! 炎の戦士の恐怖!

※2018/12/31 誤字脱字、文章表現等を修正しました。
※2018/5/7 少し加筆修正しました


 ガサガサという音と共に、茂みの向こうから近づいてくる気配が、とりあえず邪悪なものでないことを察知したヒカルは、努めて心を落ち着けるように意識して、音と気配のする方向を見据えた。一応、何かあったときにすぐに動けるように注意していたが、危険はほぼないだろうとは思っていた。

 

「ご主人様ぁ~~♪」

 

 茂みの中から、聞き慣れた声がして、ほどなくしてよく見知った者がこちらへ駆けてくるのが見える。それはいつもと同じように、ヒカルに抱きついて、飼い猫が主人に甘えるときのように身体をこすりつけてきた。

 

「もう、ミミったら、せっかちなんだから。」

 

 やれやれ、といった表情で、茂みからもう1人が姿を現した。いつものエルフの姉妹はしっかりとヒカルの後を追いかけていたのである。ひとしきりじゃれついて満足したのか、ミミはヒカルから離れ、モモの隣へ歩み寄っていく。

 

「ご主人様、お一人で旅立つつもりでしたよね?」

 

 モモがいつもと同じような柔らかな笑みを浮かべて問いかけてくる。確かに笑ってはいるのだが、身にまとう雰囲気がいつもとは違っていた。声もわずかに低くなっているように思われる。よく見ると表情は穏やかな微笑みを浮かべているが、目が笑っていない。ヒカルは思わず2・3歩後ずさりした。気のせいなのだろうが『ゴゴゴゴ』といった擬音が聞こえてきそうな、背景に黒いオーラでも立ち上っていそうな、そんな状況を幻視してしまう。

 

「い、いや確かにそのつもりだけど、別に問題ないだろ、何を言って……。」

「うわ~~~ん! ご主人様がミミとお姉ちゃんを捨てたあぁ~~!!」

「え、いや待て、ちょっと、す、捨て……何言ってんの君たち。」

「ひどいですわご主人様、私たち身も心も捧げると誓いましたのに、しくしく。私たちの体だけが目的だったんですね?」

 

 ヒカルが答えるか答え終わらないかのうちに、ミミは大声で、モモはしくしくと泣き出した。――いや、あまりにもオーバーリアクションであり、モモに至っては手で顔を覆いながら『しくしく』などと自分で言っている始末で、嘘泣きであることを隠そうともしない。そもそも、ヒカルが1人で旅立つに当たって、捨てただの体が目的だのと、身に覚えのないことをネタにされて責められる理由などない。それにもかかわらず、心の奥がチクチクと痛むような感覚がするのは何故なのだろうかと、ヒカルは誰かに問いたくなった。

 

「……気をつけてくださいね。」

 

 そういえば、どこかでこんな状況に注意するように、誰かに忠告された気がする。しかし誰に言われたのか、そもそもそんなことが本当にあったのか、よく思い出せない。

 この状況にどう収拾をつけたものかとなやんでいると、先ほど姉妹が出てきた草むらから、先ほどよりも大きな草を踏みしめる音と共に、何かが近寄ってくる気配を感じた。

 

「はっ、向こうの茂みに何かいます!」

「まずい、邪悪な気配……!? 普通の動物やモンスターじゃないぞ!」

 

 振り向いたヒカルが言い終わるか終わらないかのうちに、全身が赤茶色の毛で覆われ、とがった口から長い舌をぺろ~んと伸ばした獣が現れた。ゲームでいうところの『オおおありくい』のようである。しかも、どうやら一匹ではなく、ある程度まとまった数で群れを成しているようだ。

 

「どうしますご主人様、数が結構多いみたいですよ……?」

 

 モモの言うとおり、ざっと数えても10匹以上は同じ気配を感じる。それに、おおありくいとは違う気配を群れの奥から感じる。このうっそうと茂る木々の間を、獣型のモンスターから逃げるのは分が悪い。迎え撃つしかないが、今まで戦闘を極力避け続けてきたヒカルは、実はあまり攻撃呪文を敵に使ったことがない。ゲームと同じ威力なのかは定かではないが、先手を取る方が有利と考えた彼は、使うべき呪文を選定する。

 

「風の精霊よ、刃となりて切り裂け!」

 

 手先に集まっていく光と、魔力とわずかな風の流れ。そのすべてを敵に向かって解き放つ。なるべく広範囲に広がるようにイメージして発動句を紡ぐ。

 

「バギ!」

 

 白い光が、ヒカルたちの前方に広がり、敵を包み込む。いつしかそれは小さな竜巻を作りだし、おおありくいたちを吹き飛ばし、あるいは切り刻んでいく。

 

「グワァアアア!!」

 

 何ともいえない嫌な断末魔とともに、破裂音のような音がしたかと思うと、次の瞬間、モンスターの群れの姿は消え、いくつもの宝石が散らばっていた。

 

「やっぱり、ふつうのモンスターじゃありませんでしたね。」

「ああ、バラモスの宝石モンスターだ。」

「ほほう、そこまで知っている者がいるとはな、それではなおさら、このまま生かして帰すわけにはいかないな。」

「……! やっぱり、まだほかにもいたか。」

 

 茂みから鎧に身を包んだ戦士らしき出で立ちのモンスターが現れた。数は2体。どちらも体にわずかに炎のようなオレンジ色の光をまとっている。これは、『炎の戦士』だろうか。しかし、原作にこのようなモンスターがいたという記憶はない。ただ、ここがアニメと全く同じ世界だという保証はどこにもない。加えて、原作の物語の中で世界のすべてを描ききっているわけでもなかったから、そういうものかと納得しておくよりないだろう。ドラゴンクエストに関係ない敵が出てこないだけ、まだマシというものだ。

 炎の戦士たちはこちらにゆっくりと近づいてくる。じりじりと間合いを詰められているようである。炎のブレスなどで攻撃された場合、周囲の木々に燃え移ってしまうと面倒なことになる。それ以前に現在ヒカルを含む3人は物理的な攻撃手段に乏しい。明らかに戦士系であろう敵に、直接的な攻撃を用いて戦ったのでは勝ち目がない。距離を詰められる前に可能な限り手を打っておくべきだろうと、ヒカルは考えた。

 

「……深き眠りの底に墜ちろ、ラリホー!」

 

 ヒカルが呪文を唱えると、炎の戦士のうち1体が急にその場に崩れ落ちた。そして、顔から鼻提灯(はなちょうちん)のようなものを出して眠りこけてしまった。

 

「お、おい、どうしたんだ? 貴様!こいつに何をした! おい、起きろ! おい!」

 

 残る1体の炎の戦士は慌てて仲間を起こそうとするが、揺すってもたたいても全く起きる気配がない。どうやら状態異常による睡眠は、通常の眠りとは異なり、そう簡単に目覚めるものではないようだ。そもそもゲーム的にいえば、ダメージを食らっても起きないことだってあるのだから、当然といえば当然なのかもしれない。しかしそんなことを親切に敵に説明してやる義理はない。問いかけを無視して、ヒカルは残り1体をどうしようか思案する。できれば多少混乱している今のうちに対策を取りたいところだ。

 

「ご主人様。」

 

 モモがヒカルに目で合図を送ってくる。何か考えがあるようだ。彼女に任せるという意味を込めて、頷きながら短い返事を返す。

 

「頼む。」

「はい。」

「くっ、こうなれば俺だけで、おまえたちを始末して……。」

「……光の精霊よ、邪悪なる者を遙か彼方へ消し去り給え!」

 

 敵の「お約束」なセリフを聞き終えることなく、モモは呪文を詠唱しはじめた。まあ、現実の世界なのだから、アニメのようにセリフを待ってやる義理などは当然ありはしないのだが、この世界をアニメ作品と重ねてみているヒカルには、その行動はなんともえげつないものに映るのだった。

 

「ニフラム!」

「な、なにぃ、この呪文はぁっ?!」

 

 モモが両手を広げるのと同時に、天から眩い光が降り注ぎ、ヒカルは一瞬目をつぶった。ほんとうに一瞬だったはずだが、次に目を開いたとき、炎の戦士の1体、眠っていない方の1体は浄化呪文(ニフラム)によって跡形もなく消え去っていた。そういえばゲームでは、特定の敵に一定の確率で効果のある呪文だったか、と思い出す。消された相手はどこに行くのだろう? この世界の呪文書にも『光の彼方へ消し去る』としか記載されておらず、その実態は謎に包まれている。どこかの漫画の黄金の聖衣をまとった眉毛が麻呂な人物の使うとある技に似ているなと、しょうもないことをヒカルは思い浮かべた。

 

「あら、私も1体仕留め損ねてしまいましたわ、まだまだ未熟ですわね。」

「いやいや、もともと成功率そんなに高くないはずだから、そんなもんじゃね?」

「そうですね、文献を読む限り、修行しても成功率が上がる類いの呪文ではないようですし……。」

 

 このとき、ヒカルとモモは油断していたのだろう。後から考えればとんでもない話だ。眠っているとはいえ、敵はまだ1体残っており、しかも無傷である。そんな状態で気を抜くなどあり得ない。

 

「きゃあああっ! い、いやっ、来ないでっ!」

 

 しまった、と思ったときにはすでに遅かった。知らないうちに残った1体の炎の戦士が目を覚まし、ミミに向かって攻撃を仕掛けようとしていた。しかもミミは恐怖で体がすくんでいるらしく、逃げることもできない。非常にまずい状況になっている。今からでは、ヒカルやモモの速度では間に割って入って攻撃を代わりに受けることさえできそうにない。ヒカルはとっさに思いついた手段を実行に移した。

 

「かああっ!!!」

「ヒャド!」

 

 ヒカルは両手に魔力を込めて、ミミと炎の戦士のちょうど中間あたりに向ける。炎の戦士がミミに向かって、口から火の玉をはき出したのと同時に、ミミの周囲から青白い光が広がり、氷の壁を形作っていく。ゲームでは当然、このような使われ方はしないが、だいたいのアニメや小説を読む限り、これで相殺できるはずだ。

 

「ば、馬鹿な、俺の『火の息』がっ?!」

 

 思惑通り、シュウッという音と共に、白い水蒸気を発しながら氷の壁と火の玉は同時に消え失せた。炎の戦士はさすがに驚いたのか、一瞬身動きを止めてしまう。そのとき、すぐ脇の草むらから植物のツルのようなものが伸びてきて、その左足に絡みつく。

 

「な、なんだとぉおっ?!」

 

 さすがにこれは意表を突かれたのか、炎の戦士はバランスを崩して倒れ込む。それとほぼ同時に、茂みの中からモモが飛び出してミミの傍らへ駆け寄っていく。

 

「ミミ、しっかりして、大丈夫?!」

「お、おねえ、ちゃん?」

「モモ、すぐに離脱しろ!」

「はい!」

 

 ヒカルはモモに指示を飛ばすと、彼女たちの待避状況を横目で確認しながら、右手を炎の戦士に向け、もう一度呪文を唱える。

 

「氷の精霊よ! 凍てつかせよ!」

 

 魔力の放出と同時に、右手の周りの空間から熱が奪われ、眼前に白く輝くいくつもの粒子が見える。右手を突き出し、魔力を塊にして相手にぶつけるイメージをする。先ほどはとっさだったために無詠唱で威力も数段落ちていたが、今回は十分に精神を集中し、完全に詠唱をしている。

 

「ヒャド!」

「し、しまっ!」

 

 炎の戦士はそこでようやく我に返り、状況を理解すると同時にその場を離れようと足を動かすが、先ほど足を取られたツルが、今度は絡みついてうまく抜け出すことができない。それでもなんとか足を外し、逃げの体勢を取ろうとしたとき、冷気の塊はすでにその目前まで迫っていた。

 

「う、ごああああ!」

 

 発動句が紡がれると同時にすさまじい勢いで放たれた冷気は氷の塊のようになり、炎の戦士どころかその周囲も白く染め上げていく。少々やり過ぎたか、とモモたちの方を見る。どうやら巻き添えにはなっていないらしいことが分かると、ヒカルはほっと胸をなで下ろした。

 

「すごいですわご主人様。冷気の余波だけで周りも凍らせてしまうなんて。あまりにも惚れ惚れして、見ているだけでイッてしまいそうになりましたわ。はあはあ。」

「あのね、あほなこと言ってる暇があったら、妹介抱してやりなさいよ君は。」

 

 ヒカルとモモがふざけ会っていると、ピシッ、バリバリ――という音とともに、炎の戦士を包み込んでいた氷にひびが入り始め、パラパラと崩れていく。そして数旬の後、ついには完全に砕け散った。

 

「う、ごああ、おのれぇ、人間やエルフごときがぁっ!」

 

 氷が溶けて炎の戦士が再びその姿を現した。今度はヒカルの方を向いて構えており、完全に彼を標的に据えている。しかしさすがに無傷というわけではなく、体中から白い湯気を出し、まとっていた炎も消えかかっている。それでも怒りと殺気に満ちた恐ろしい声を上げ、自らに抗う者を根絶やしにしようと歩み寄ってくる。ヒカルの頬を嫌な汗が流れる。脚が小刻みに震え、気を抜けば膝をついてしまいそうになる。彼はここへ来て初めて、死に対する本物の恐怖を感じていた。それは元の世界で、日常的な命のやりとりなどとは無縁だったただのサラリーマンの男が受け止めるには過酷すぎる現実であった。そもそも、彼はどこかで今置かれている状況を、現実のものと捉え切れていなかったのかもしれない。しかしそれは当然であり、誰も彼を責めることなどできない。

 ふと、炎の戦士のはるか後方の草むらでミミを介抱しているモモの後ろ姿が見えた。今、ヒカルがやられてしまえば、攻撃手段が乏しく非力な彼女たちでは逃げ切れるかどうかも怪しい。まして、今のミミの状態は走ることは愚か、立って歩くことさえもままならないだろう。ヒカルは奥歯をギリリとかみしめ、拳をぐっと握り心を強く持つ。そして現状を打破する方法を、頭をフル回転して考える。今の彼では戦士を相手に戦えるだけの肉体能力はない。となると、やはり呪文で迎え撃つしかないわけだが、もう一度氷結呪文(ヒャド)を撃つのはためらわれた。どうも系統別の得手不得手があるらしく、ヒカルはヒャド系の呪文が得意ではないようだ。それは、この呪文が弱点であるはずの炎の戦士を仕留め切れていないことからも明らかである。先ほど周囲まで凍ってしまったのは威力が強かったわけではなく、魔力を一点に集中させる技量が不十分であったため、収束し損ねた冷気が周囲に拡散しただけのことである。それに2度目ともなれば、今度は先ほどヒカルがやって見せたのと同じ方法を逆利用されて、火の息で相殺されるなどということも十分にあり得る。しかし、どの呪文を使おうか悠長に考えている暇もなさそうだ。ヒカルはひとつの推測を立て、やや危険な賭けに出ることにした。

 

「闇の雷よ、貫け!」

 

 ヒカルの手先に集まる魔力、それは漆黒の闇、次第にバチバチと音を立て、何か黒いものがほとばしる。手を握り込み拳を作り、相手に向かって突き出す。そのときには炎の戦士は彼の目前まで迫ってきていた。

 

「死ねぇっ! 人間!!!」

「ドルマ!」

「な、なにぃっ?!」

 

 ヒカルの手から離れた黒い物体は、次の瞬間には敵の体を貫いて、土手っ腹に風穴を開けていた。その場所からは火花のようなものがほとばしっているが、その色は黒で、闇の電撃とでもいうべきものだった。

 

「ぐわあああぁっ!!」

 

 炎の戦士の体は光となってはじけ、後にはいくつかの宝石が残されているのみだった。どうやら無事にとどめを刺せたらしい。ヒャド以外で有効な一撃を与えられる呪文を、ヒカルはこの闇雷呪文(ドルマ)以外には持ち合わせていなかった。しかし、ドルマ系の呪文はアベル伝説の放映当時には存在しなかった呪文で、実際炎の戦士に十分な効果があるかどうか確証が持てなかったのだ。呪文書を読む限り、ドルマ系はほぼ失われた系統で、もはやこの世に使い手がいるかどうかも定かではないと記されていた。故に、対処方法がとりにくい難しい呪文だろうと踏んで、これを選んだのだ。しかし、モンスターならば普通に使えたり、対処法を知っている可能性もあり、万一効かなかったり防がれてしまったりした場合は、確実に3人とも殺されていただろう。

 

「ふぅ、何とか勝てたな。モモ、ミミは大丈夫か?」

「はいご主人様、どこにもけがはないようです、ただ……。」

「う、ううっ、ぐすっ、怖いよう、火、こわいよう。」

 

 ミミは幼い子供のように――もともと見た目も言動も幼いのだが――ぐすぐすと泣きじゃくりながら、姉の豊かな胸に顔を埋めて、声をかけても答えようとしない。ヒカルは地図で近くの村を確認する。先ほど通り過ぎようと決めていた村の名前を確認すると「カザーブ」と記されている。リバーサイド同様に原作には登場しない場所である。とりあえずヒカルはミミを背負うと、モモとともに周囲に気をつけながらカザーブ村を目指して歩き始めた。

 

***

 

 その男が、リバーサイドという村に出入りするようになったのはいつ頃からだろうか。正確には覚えてはいないが、半年ほど前だったと記憶している。最初は特に興味もわかなかった。村の人々が世話になっているという、背後にそびえる険しい山の奥深くに住んでいる高名な賢者の新しい弟子ということで、概ね好意的に受け入れられていたようである。しかし、そんな新しい来訪者の話題も、彼女たち、エルフの姉妹の心を動かすことはなかった。彼女たちは、普段村人と接するときこそ平静を装っていたが、その心の傷は深く、本心では他人とは関わり合いになりたくないとさえ考えていたのだ。もちろん、他種族である自分たちを日頃から気にかけてくれて、助けてもくれる彼らのことを悪く思ったことなどない。しかし、彼女たちはある理由から、どうしても他者との間に壁を作ってしまいがちだった。それでも表面上だけでも村人たちと好意的に接しているのは、それこそ彼女たちなりの感謝の気持ちの表れであったのだろう。

 しかし、あるちょっとした出来事をきっかけに、彼女たちは新しい来訪者、魔法使いだという青年に心惹かれていくことになる。それはほんとうに、偶然が重なっただけの、よく考えてみればありがちな話で、特に珍しいものでもなかった。……内容など本当はどうでも良かったのかも知れない。彼女たちはその男の、ただまっすぐな心のあり方に動かされたのだろう。彼は一見、平凡で特に何の才も持たないように見受けられる。しかし、ほぼ初対面の、しかも美しい女性であるとは言え、エルフという他種族を、なんの躊躇もなく助けることなど、普通の人間はまずできない。リバーサイドの村人のように、平時であれば種族に関係なく接してくれる者たちもいるが、モンスターとの戦いともなれば命がけである。ほとんど面識のない他種族を何の見返りも求めずに助ける人間などそうはいない。エルフたちは精霊たちと心をつなぎ、世界のあり方をその心を通してみている。したがって接する相手の種族や外見などは全く気にしないことが多い。しかし、人間はそうではない。まず外見を気にし、自分たちと少しでも違っていれば、同じ人間であっても差別し、迫害する、そんな種族であると他種族からは認識されているのだ。

 いや、ここまで並べてきた理由も、本当はどうでもよいことだったのかもしれない。エルフの姉妹、モモとミミは青年、ヒカルに向けられた純粋な優しさが、ただ嬉しかっただけなのだろう。それにしても実は、村人と比べてもほんの些細な違いしかなかったのかもしれない。それでも、彼の行動が彼女たちの心を動かした、その事実だけは確かで、モモとミミはそれから、ことあるごとにヒカルの世話を焼くようになったのである。

 

「ミミ、気分はどう?」

「……うん、もう平気だよお姉ちゃん。」

 

 リバーサイドの村の、賢者が立てたという別荘、といっても、粗末な丸太小屋だが、その食卓テーブルに座ってぼんやりと窓から外を眺める少女に、彼女と同じ桃色の紙をした、姉の女性は心配げに声をかけた。少女の方は大丈夫だと答えたが、その瞳はどこか空虚で、姉の方を見てはいるが、その実はどこか遙か遠くを見ているようで、心の半分くらいはこの場所にはない、そういった状況に見受けられた。もっとも、先日まで泣き通しで、目を赤くして夜もろくに眠っていない、そんな状態だったのだから、これでもずいぶんとマシになったのは確かだろう。

 

「まだ少し休んでいた方が良いかしらね。」

「……ううん、泣くのは今日でおしまい、……ねえお姉ちゃん。」

 

 妹を気遣い、さらに言葉を重ねる姉に、少女は初めて目線をしっかりと合わせ、大きく首を振った。そして、多少弱々しいが、決意のこもった声で姉に話を切り出した。

 

「ミミも、私も一緒に連れてって。」

 

 姉、モモはその言葉を聞くと、穏やかに微笑み、静かに頷くと、丸椅子に腰掛ける妹、ミミをその胸に優しく抱きしめた。ミミも姉の体をその手で強く抱きしめ返す。二人のエルフの決意の抱擁はしばらく続き、その時間は長かったようでもあり、短かったようでもあった。ともあれ、2人は愛する主人の後を追い、旅に出ることを決意したのだった。現実には、戦闘能力に乏しい姉妹が旅をするのはかなりの危険を伴う。だとしても、主人と定めた者が危険を冒して一人旅する方が、彼女たちにとって許容できないことであった。

 

***

 

 なんとか、日の落ちるまでにカザーブに着いたヒカルたちは、民宿に部屋を取り、とにかくミミを休ませることにした。背負われている間に眠ってしまったミミを、モモと二人で交代して背負いながら、森の中を進むのはかなり疲れたが、幸いあの後はモンスターに襲われるようなことはなかったので、ケガなどはせずにたどり着くことができた。

 宿の部屋で目が覚めると、ミミも少し落ち着いたようなので、夕食をとって風呂に入り、その日は全員そのまま眠ってしまった。

 エルフの姉妹が、その胸に秘めた決意を、それに至るまでの思いを、ヒカルは知ることがないのかもしれない。しかし、彼女たちの向けるまっすぐな思い、――少々困った行動に出ることもあるが――それが彼を助けてきたことは紛れもない事実である。1人の魔法使いの『従者』となることで、彼の傍らにいることを選んだ二人の姉妹が、これからどのような未来を迎えるのか、それを知るものは誰もいない。

 

to be continued




※解説
バギ:真空の刃を敵にぶつける呪文。僧侶が扱える数少ない攻撃呪文で、魔法使いの呪文に比べると消費MPがやや少ない。ただし威力にばらつきがあるので敵を仕留めきれないことも多い。
ラリホー:敵を眠らせる呪文。うまく効けばダメージを与えた後も眠り続けるので一方的に攻撃できるが、逆に敵に使われるとやっかい。この呪文を使う敵が複数いた場合、眠らされ続けて一方的にボコられる場合もあり、序盤では遭遇したくないパターンだ。
ニフラム:邪悪な魔物を光の彼方へ消し去る。ゲーム的には特定の敵を一定の確率で倒せるが、消し去った扱いになるため経験値もゴールドも得られない。ある意味一撃必殺なので扱いにくいのか、アニメや漫画などではあまり使われない。
ヒャド:氷の塊を敵にぶつける呪文。初級呪文としてはダメージ量が大きく消費MPが少ない。これを覚えるとメラの出番はなくなる。Ⅴ(SFC版)では味方に使い手がいない。
ドルマ:初期のシリーズには存在しない系統の呪文。黒い雷を敵にたたき込む。漫画では黒いライデインが登場したことがあり、逆輸入であるともいえる。
火の息:炎のブレス系では最弱の特技。威力の低い炎を全体に浴びせてくる。初期のシリーズではMPを消費しないので、連発されるとそれなりにやっかい。


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第5話 恐怖を払え! 決死の氷結呪文!

※2018/12/31 誤字脱字、文章表現等を修正しました。


 カザーブの宿で一夜を明かし、次の日の朝、朝食を済ませたあと、ヒカルの部屋に全員が集まっていた。昨日、ミミが炎の戦士に、いや正確には炎攻撃におびえていた様子が気になったので、とりあえずヒカルは本人に理由を聞いてみることにした。

 

「なあミミ、言いたくなかったら無理にとはいわないけど、おまえ、ひょっとして火にトラウマでもあるのか?」

「ご主人様……。」

「いや、昨日の恐がり方が普通じゃないような気がしたからさ、何もなければ別にいいんだが。」

「……焼かれちゃったの。」

「え?」

「……私と、おねえちゃんの生まれ育った村ね、宝石モンスターに滅ぼされちゃったの。」

 

 ミミはつらそうな表情をしながら、ぽつりぽつりと、自分と姉がリバーサイドの村にやってくるまでのことを話し始めた。

 この世界に、ゾイック大陸という大陸がある。かつて、エスタークという文明が栄え、そして自らの手によって自らを滅ぼした。それは原作の通りなのでヒカルも知っている。同じ大陸にミミたちの故郷、エルフの里があったそうだ。

 エスタークの滅亡から長い時間をかけて、ゾイック大陸は徐々に美しい自然を取り戻し、エルフたちはそれを見守り、手助けしながら静かで平和な時を過ごしていたらしい。だが――。

 

「今から1年ほど前、急に凶悪なモンスターたちが襲ってきたの。私とお姉ちゃんは里の長老様のお遣いで出かけていて、帰ってきたときには里は火の海だった。」

「……ご存じの通り、私たち姉妹には戦う力があまりありません。目の前で炎に焼かれていく里を、呆然と見つめていることしかできませんでした。」

「そして、モンスターたちが私たちにも炎のブレスをはきかけてきたそのとき……。」

 

 そのとき、かろうじて生き残っていた2人の父親が、敵の炎を身代わりになって受けた。最後にありったけの魔力を注ぎ込んでバシルーラを唱え、2人の娘はリバーサイドの村の近くに飛ばされ、そこで気絶しているところを村人に助けられた、ということだった。

 

「なるほどね、2人ともあの村の元からの住人じゃなかったのか。」

「はい、私たちは村の人たちと、ザナック様のお世話になりながら、今日まで生きてきたのです。」

 

 リバーサイドで暮らすようになったモモは、自分の能力を使って、村の人たちに薬草の調合や、野菜など食料となる植物の栽培方法を教えていたらしい。彼女は戦闘能力はあまりないが、植物を意のままに操ったり、森の木々と会話ができたりと、某漫画の妖狐のような能力を持っている。昨日の戦闘で、炎の戦士の足をとって転倒させたのは、彼女が近くのブドウのツルを伸ばして足に絡めたからだ。こういった力はゲーム的な呪文や特技とは違うもので、日常的に便利なものから戦闘に役立つものまで、多種多彩だという。姉妹はヒカルがバラモスへの対抗策を講じるために旅立ったと聞いて、手助けするために旅に同行することを決めたそうだ。

 

「でも……、私、このままじゃご主人様の足を引っ張っちゃう、邪魔になっちゃう。」

 

 ミミがうつむいて、肩をふるわせている。今にも泣きそうだ。放っておいたら消えてしまいそうな弱々しいその存在を、ヒカルは無意識のうちに抱きしめてしまっていた。

 

「ご主人、様。」

「大丈夫、誰にでも、苦手な物のひとつやふたつ、あって当たり前だ。そんなに気にすることじゃない。」

 

 今日のミミは髪を下ろしている。姉と同じピンク色のふわふわな頭をなでてやると、彼女はヒカルにすがりついてしくしくと泣き出した。いつも自分からべたべたくっついてきて、過剰なスキンシップをとってくるのに、今はただ、泣いているだけだ。それほど、故郷の村を焼き払った炎の脅威は、ミミの心に深い傷を残していたということだろう。

 

***

 

 ミミが落ち着いた後、ヒカルはずっと気になっていたことを聞いてみることにした。

 

「なあミミ、おまえが攻撃呪文苦手なのって、そのトラウマのせいだろう? 元々使えたのに今は行使できない呪文があるんじゃないのか?」

 

 ミミはだまってこくりとうなずいた。エルフ族はもともと、人間はもちろん呪文が得意なモンスターなどと比べても、非常に高い魔力を持っている。通常は多彩な呪文を操り、その中でも自分が得意とする属性があり、その分野についてはまさにスペシャリストなのだが、現在のミミはたいした呪文は使えない。子供なのだから高レベルの呪文を扱えないのは当然としても、多数の系統があるはずの攻撃呪文も全く使えない状態なのだ。いや正確にいうと、ヒカルが考察したように、元々は使えたはずなのだが、村が焼かれた事件によって精神の内側に封じ込められてしまっていると考えられるのだ。

 

「……おそらく、エルフ族特有の強大な魔力を行使するためには、今のミミは不安定すぎるのだと思います。過去に植え付けられた恐怖が、呪文の発動にブレーキをかけているのではないかと……。」

 

 しかしいずれにしろ、この状況は良いとはいえないだろう。本人が苦しんでいることもそうだが、この先の世界の行く末を考えると、自分の力を十分に発揮できない状態は、それだけ命の危険にさらされる可能性が高いということになる。ヒカルとともに旅をするしないに関わらず、なんとかトラウマを克服する手立てを講じなければならないだろう。しかし、そうはいってもかなり難しい状況であることは確かだ。ヒカルが思考の海に沈みはじめたとき、それを強制的に引き上げる大声が、外から響いてきた。

 

「た、大変だ~、火事だぞ~!

「!! なにっ?!」

 

 急いで窓から顔を出してみると、通りを挟んで向かい側の家が燃えていた。どういう理由かはもちろんわからないが、かなり大きな炎が上がっていて、真っ黒い煙がもうもうと周囲に立ちこめている。

 

「やばいな、燃え移らないとは思うが、一応最低限の貴重品だけ持ってここを離れるぞ!」

「はい!!」

 

 ヒカルは震えるミミを抱き上げ、宿を飛び出した。幸い1階であったから、すぐに外には出られた。通りに出てみると、眼前には燃えさかる民家。周囲の人がバケツリレーで水をかけているが、火の勢いが強すぎて全く鎮火できていない。どうやらおさまるまで待つしかないようだ。

 

「ひ、火が……。」

 

 ヒカルの腕の中で、ミミは相変わらず小刻みに震えている。まったく運が悪い。炎攻撃の次は火事、何故わざわざトラウマをフラッシュバックさせることばかり起こるのか、ヒカルは心の中で運命というものに悪態をついた。

 

「お、お願い、子供がまだ中に、助けて、お願い!」

「無茶だ、もう火が回ってしまっている!」

「そんな………。」

「ああ、やっとできた私たちの子供なのに……。」

 

 建物の前で泣き崩れる女性と、それを抱きしめる男性。おそらく夫婦だろうか。燃えさかる小さな家の中から、かすかに赤ん坊の鳴き声のようなものが聞こえているのだが、炎が木造の建物を焼いているバチバチという音に遮られてよく聞こえない。子供を助けてくれと懇願された村人も、さすがにこの炎ではできることはなく、今にも飛び込まんとする夫婦を押しとどめるのが精一杯だった。ヒカルは精神を集中して、目の前のエネルギーの流れをさぐる。熱い炎のもう少し向こう、確かに、小さな生命の力を感じる、赤ん坊は確かにまだ生きていて、この家の中にいる。それがわかったとき、彼は抱いていたミミを地面に下ろして走り出していた。

 

「ご主人様っ! だめだようっ!」

 

 後ろでミミの叫ぶ声が聞こえる。しかし、ヒカルの体は驚くほどスムーズに動き、もはや彼自身でも止めることはできない!

 

「氷の精霊よ、我が身を包む衣となれ、ヒャド!」

 

 全身に冷気をまとわせ、ヒカルは家の中へ駆け込んだ。幸い小さく単純な構造のため、ゆりかごの中で泣いている赤ん坊をすぐに見つけることができた。

 

「よしよし、もう大丈夫だぞ。」

 

 ヒカルは、凍り付かせないように冷気を消して、赤ん坊をそっと抱き上げてみた。体の大きさからして、予想はしていたが、まだ首が据わっていない。自分を助けに来た存在に安心したのか、その瞳はヒカルをじっと見つめているが、もう泣いてはいない。そっと両手で支えて、彼は脱出するために踵を返した。しかし、まさにその瞬間だった。

 

「くっ、しまった……!」

 

 ある程度目的を達したことで、少しだけ安心して気が緩んでしまったのだろう、完全に反応が遅れた。ヒカルと抱かれている赤ん坊の頭上から、炎に包まれた木材が墜ちてくる。赤ん坊を両手で抱いているため、呪文を発動して打ち落とすことができない。また、かなり広範囲の木材が崩れてきており、走って脱出しようにも退路が断たれた状態だ。

 

「ご主人様あっ!!!」

 

 家の外から、ミミの悲痛な叫び声が聞こえる。ああ、あんなに大声で叫んで、ずいぶんと心配をさせてしまったと、ヒカルはそう思ったが、不思議と後悔はしていなかった。何も知らずにその澄んだ瞳を向けてくる赤ん坊に、守ってやれなかったことを心の中でわびて、彼は最後の時を覚悟し、目を閉じた。

 しかし、どうしたことか、最後の時が訪れるどころか、何も衝突してこないし、痛みも熱さもない。それどころか、上から何かが落ちてくる気配すら一向にない。目を閉じる瞬間まで、炎に包まれた幾多の木材が、ヒカルとその腕の中の赤ん坊めがけて崩れ落ちてきていたはずだ。ヒカルは不思議に思い、もう一度目を開けて周囲を見渡した。

 

「えっ?」

 

 そこには信じられない光景があった。さっきまで墜ちてきていた木材が、そのまま空中で停止している。それだけではない、ヒカルたちよりもずっと遠くで燃え上がり、少しずつ崩壊していた柱、屋根、壁などのすべてが、倒壊する途中でぴたりと停止していたのだ。しかし、火が消し止められたわけではなく、すべてのものが中途半端な状態で止まりながら燃えているという異様な光景が広がっていたのだ。

 

「氷の精霊よ、凍てつかせよ。我の行く手を阻む者を極寒の嵐によりて殲滅せよ!」

 

 入り口の方から呪文の詠唱と思われる声がする。何かに耐えるような、しかし強い決意のこもったようなその声は、激しい音を立てて燃えさかる炎の中にあっても、何故かはっきりとヒカルの耳に届いていた。

 

「ヒャダルコ!」

「つっ……!」

 

 魔力をおびた冷気が燃えさかる家の中へ流れ込んでくる。それはたちまちあたりを包んでいた炎をかき消していく。周囲の熱が奪われ、肌にまとわりついていた熱気が引いてきたとき、ヒカルはようやく我に返った。とにかく、炎が治まってきているのならば、脱出するチャンスは今しかない。彼は、頭にまとわりつく様々な疑問を振り払い、急いで入り口の方へ走り出す。いつの間にか、吹き込む冷気がやんでおり、難なく家から脱出することができた。理由は分からないが無事に赤ん坊を助けることができたようだ。

 

***

 

「あの、ミミさん? そろそろ勘弁していただけませんかね。」

「だめ。」

「もう1時間くらいこんな感じで、かなり足が痛いんですけど……。」

「だめ、絶対。」

 

 数時間後、宿の部屋で、ヒカルは正座をさせられていた。しかも、何故か膝の上にはミミがずっと座っており、抱っこ状態だ。さすがにミミが小さくて軽いといっても1時間はきつい。しかしどうやら怒っているらしく、解放してもらおうとしても、速攻で拒否されてしまう。

 あの後、赤ん坊の両親からは非常に感謝された。どうやら結婚して長いこと子供ができず、やっと授かった愛娘だったらしい。そういう意味では確かに良いことをしたのだが、ヒカル自身もなぜあんなことをしたのか分からない。ミミがトラウマを克服して氷結呪文(ヒャダルコ)を使えていなければ、赤ん坊共々間違いなく焼け死んでいただろう。

 

「……っちゃやだ。」

「え?」

「ご主人様、おいて行っちゃ嫌だよう……。」

 

 ヒカルはここで、ミミが何故トラウマに打ち勝つことができたのか、おおよその理由を悟った。彼女のトラウマは、自分には何もできずに大切な人たちを失ってしまったこと。その象徴が炎に焼かれる故郷の光景だったのだろう。そして、今回また、状況は異なっているものの見知った者が炎に巻かれて命を落とそうとしていた。そのことが彼女の心を奮い立たせ、元々の得意分野であったヒャド系呪文を再び使用できるようにした、ということだろうか。そこまで考えて、ヒカルは何か引っかかるものを感じた。仮にそうだとしても、トラウマを克服するだけの強い思いを抱かせるためには、助けたいと思う相手も相応に大切な存在でなければならないはずだ。そう考えると、ミミは大切な存在であるヒカルを失いたくないがために、恐怖に打ち勝って攻撃呪文を使いこなしたということになる。そこまで思い至っても、ヒカルはその考えが正しいという確証を得られないでいた。確かにかつて彼女たちを助けたことで、ずいぶん感謝をされたし、その例としてやり過ぎなくらいに世話を焼いてもらった。しかし彼女たちとの関わりは半年足らずのことであり、自分が故郷や家族といった、長い間関わってきた者たちと同等かそれ以上の存在であるという実感を、ヒカルは持つことができないでいたのだ。

 

「ご主人様は、どう思っているかわかりませんけど……。」

 

 いつのまにか、外へ買い物に行っていたモモが帰ってきていた。ヒカルとミミの様子、特に頭に多数の疑問符を浮かべていそうなヒカルの表情を見て、彼女はひとつ軽いため息をはいた後、いつになく真剣な表情になり、静かに話し始めた。

 

「ご主人様、あの日、あなたに助けていただいたあのときから、私たちの止まっていた時間は動き出しました。それはあなたにとってはたいしたことではないのかもしれません。けれど、私たちにとってあなたは、失いたくない大切な人です。あなたが大魔王バラモスに立ち向かうと決めたのなら、どうして何も言ってくださらなかったのですか? 私もミミも、とても悲しい思いをしたんですよ?」

 

 そう、それは何気ないことだった。たまたま村の外でモンスターに襲われていた姉妹を、助けただけのことだったのだ。ヒカルは意識してはいないが、彼は誰かが困っていると、後先考えずとにかく助けようとするところがある。お人好しと言ってしまえばそれまでだが、何一つ見返りを求めず、ただ相手のために善意のままに行動できる人間性というのは、誰でも持っているようなものではない。助けた事実そのものよりも、彼の裏表のない善意が、大切な者を失ってどこか空虚になってしまっていたモモとミミの心を埋め合わせる何かを、再び与えていたのだ。それが彼女たちの過剰な奉仕にもつながっていたし、もう一度誰かを大切に思い、その相手とともに過ごす幸せを与えていた。故にこそ、彼女たちはその大切な者を、再び失ってしまうことを恐れたのだ。

 

「約束してください、ご主人様、私たちをおいて、いなくなったりしないって。お手伝いでもメイドでも愛玩動物でも性処理玩具でもかまいませんから、一緒に連れて行ってください!」

 

 モモが真剣な顔で訴えかけてくる。――なのだが、いつにないその迫力とはどこかずれている、危ないセリフが混じっているような気がしたが、ヒカルはその言葉を全力で無視した。彼女たちの嗜好はともかく、向けられている思いは本物だ。それを受け止めてやらないなど、男としてどうこうという前に人間としてあり得ないだろう。それに、異世界に来て右も左も分からないヒカルがここまでやってこられたのは、彼女たちの助けによるところも大きかったのは紛れもない事実だ。

 

「わかったよ、俺はおまえたちを巻き込みたくなかったけど、そこまで俺のことを思ってくれるんなら、もう止めない。みんなでバラモスの野郎にたっぷり嫌がらせをしてやろうぜ。」

「一緒に行ってもいいの? ご主人様。」

 

 膝の上でミミがヒカルを見上げている。その瞳にはまだわずかばかりの不安が見て取れるが、もはや先ほどのような頼りなさはない。ヒカルはその瞳に正面から答えることを決意し、ミミの顔をまっすぐに見つめかえした。そして軽くうなずくと、傍らに立つモモの方に目をやる。彼女はいつもと同じ、柔らかな微笑を浮かべてヒカルとミミを見つめていた。

 

***

 

 いろいろあって、結局カザーブの村にもう一泊したヒカルたちは、次の日の朝食後にこれからの旅をどうしようかと相談していた。

 

「そうですね、順番は大切ですよね。」

「そうそう、港に行くのは確定として、どこの街によって、どんな順番で行こうか。」

「唇とかうなじとか胸とかおしりとか、内ももや……恥ずかしゅうございます、ぽっ。」

「おい、何の話だ。」

「ミミは胸からがいい~~。人差し指と親指で……。」

「だあっ、やめなさい! このお話が18禁にカテゴリされちゃうでしょうが! アベル伝説がゴールデン枠で放送できねえし、ハーメルンの運営から怒られたらどうすんだ!」

「はい? 何ですか? はーめるん? あべるでんせつ?」

 

 相変わらず変なことばかりをのたまう姉妹のため、方針決定は遅々として進まない。やはり一人旅の方がよかったかと、ヒカルは頭を抱えた。

 

「あ、ところでご主人様、リバーサイドで聖水を買われましたよね?」

「あ、ああ、道具屋の奥さんが、売れないから半額でかまわないっていうから。」

「……、この大陸には、あれの価値がわかる方はいませんね、残念です。」

 

 ヒカルはリバーサイドで旅支度を調えるとき、道具屋でいくつかのアイテムを買いそろえている。薬草、毒消し草、まだらクモ糸などのおなじみのアイテムと、聖水の小瓶を何本かだ。この世界で売っているのは珍しいという話を聞いたことがあったため、興味を引いたことと安かったことが購入を決めた主な理由だが、もう一つ、確かめてみたいこともあった。

 

「ねえねえ、せいすいって、おトイレでするあれのこと?」

「ミミ、その聖水はご主人様に個人的に差し上げる物ですわ、道具屋さんでは売っていないのよ?」

「ふ~んそうなんだ。」

「いやいやいやいや、そんなもん欲しくないから、君たちと黄金水プレイとか、なんで俺がそんなことしないといけないの!!」

 

 この姉妹はまた妙な方向へ話を脱線させている。そもそもそちら側のプレイなど、ヒカルにはさしたる興味もなかった。エルフの黄金水プレイとか、18禁ゲームなどであったなら確実に喜ぶ人種がいそうだが、彼はその辺は至ってノーマルである。

 

「この聖水は、私たちの村の神官様が神に祈りを捧げて清められたものです。私が少しだけ持ち歩いていた物を、道具屋さんにお売りしたのですが、やはりこの大陸では認知度が薄いようですね。」

「ええと、それって邪悪なモンスターを寄せ付けなくしたり、少量のダメージを与える物だったよな?」

「はい、ですがゾイック大陸では水の汚染で材料となる澄んだ水が減ってきていて、今では作ることができないと思われます。」

 

 どうやら買い求めた聖水はモモが持ち込んだもので、効果はほぼゲームと同じらしい。原作では同じようなアイテムとして「聖なる水」というものがあった。バラモスにそれなりのダメージを与えていたことから、ゲームの聖水と同じものとも考えられるが、ゲームをモデルにした物語で、同じ名前を使わないことが引っかかっていた。もっとも、名前や効果の違うアイテムは他にもあったから、名前だけ違う同じアイテムという可能性はある。しかしそもそも、バラモスと部下たちはただきれいなだけの普通の水でもダメージを受けており、アベルたちがモーラの都で手に入れた聖なる水というアイテムが現在所持している聖水と同じものかはよくわからない。また、モーラの都があるシオンの山から湧き出る水は、ガイムに対しても影響を及ぼしていたが、これにも何か聖なる力が働いていたのか、はたまたただの非常にきれいな水なのか、作中の描写から判断するのは難しい。そういったことを総合的に考えて、ヒカルはモーラの都について調べてみようと考えた。

 

「よし、次の目的地を決めたぞ。」

「どちらへ行かれるんですか?」

「モーラの都だよ。」

 

to be continued




※解説
ヒャダルコ:ヒャドの上位呪文。敵位置グループに凍結系のダメージを与える。Ⅲではやまたのおろち戦で活躍した。メラやギラに比べて耐性持ちが少ないため重宝する場合がある。ヒャド系は他の系統と異なり呪文のランクによって効果範囲が変わるという謎仕様だった。
毒消し草:毒を消し去る回復アイテム。キアリーを覚えるまでは必需品。DQでは毒状態は戦闘後に解除されないうえ、宿に泊まっても回復しないので、教会に行くか毒消し層やキアリーで回復することになる。通常の「どく」状態では移動中でなければダメージを受けないが、「もうどく」の状態になると戦闘中もターンごとにダメージを受ける。
まだらクモ糸:敵の素早さを下げ、行動を遅くするボミオスと同じ効果がある。ただ、DQの行動はランダム要素が意外と大きいので、このアイテム一つで行動順を大きく変えることはできない。おそらく一度も購入したことがない人もいるであろう微妙アイテム。
聖水:移動中に使うと弱い敵と遭遇しなくなり、戦闘中に使うとモンスターに小ダメージを与えるアイテム。Ⅳ(FC版)でははぐれメタルやメタルキングにも10以上のダメージを与えることができたが、後のシリーズでは修正されている。
アベル伝説の作中で出てくる「聖なる水」とゲーム上の「聖水」が同一のアイテムであるのかは疑問が残るため、拙作ではこの部分を独自解釈している。ご了承頂きたい。


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第6話 豪商ゴルド 港町に潜む邪悪な影!

第6話です。ここからリメイク前と少しお話が変わっていきます。なるべく、原作に出てきたキャラを多く登場させたいと思っています。
もし、出して欲しいキャラなどの要望がありましたら、活動報告の方へコメントお願いします。


 カザーブの村を出発し、いくつかの町や村を経由して、ヒカルたちは大陸北西の港町マイラにたどり着いた。ゲーム的に言えば森の中で温泉が名物の村だったはずだが、この世界では港町である。

 

「うわ~、すっごい人だね~。」

「こらこらミミ、あまりはしゃがないの、恥ずかしいでしょう?」

「まあまあ別にいいじゃないの、珍しいものがたくさんあって楽しそうだし、はしゃぎたい気持ちは分かるよ。」

 

 はしゃぐミミをなだめるモモを、ヒカルは笑いながら眺めていた。あれから、ここまでくるのに1ヶ月以上の時間を要した。この世界の移動はもっぱら徒歩か馬車である。大きな街道でも舗装されているなどということはなく、ヒカルの元いた世界のように車などがあるわけではないので、移動時間はヒカルの感覚からすれば相当に長くかかるものだった。さらに、未知の場所への移動となれば、ルーラを使うわけにもいかない。今はもう慣れたが、最初は疲労でヘトヘトになり、村や町に着くたびに宿屋で速攻ベッドへダイブ、ということが繰り返された。だから今のように、新しい街についてすぐに周りを散策しているというのは、それだけの間、旅に身を置いてきたということである。

 

「とりあえず、宿を取ってから、トフレ大陸に渡る船に乗る手続きをしなければいけませんね。」

「そうだな、まあでも、宿を取ったらとりあえず昼飯でいいんじゃないかな。急ぐ旅でもないし。」

「わ~い、ごはん! ミミお腹すいちゃった。」

「よ~し、とりあえず宿へゴー!」

「お~~!」

 

 手をつないで歩きながら拳を高く上げてはしゃいでいる主人と妹を眺めながら、モモはいつもと同じ柔らかな微笑みを浮かべていた。あれから、ミミは少しずつ安定して呪文を使えるようになり、自分だけの特別な能力(ちから)も手に入れたようだった。立ち直った彼女は魔法使いとしてもそこそこ優秀で、戦闘の際にも必要以上におびえることはなくなった。そんな妹の変化を嬉しく思うとともに、主と決めた男への敬愛が、より一層深く強固なものになっていくのを、彼女は感じていた。

 街の入り口から港へ向かう大通り沿いにはいくつもの店が軒先を連ねている。もうすぐ昼時とあって、飲食店の準備中の札が営業中に変わりはじめている。宿屋に部屋を借り、荷物を置いたヒカルたちはそんな中の店の1軒に足を踏み入れた。

 

「いらっしゃい、奥の席が空いてるからそっち座っとくれ。」

 

 店に入ってすぐ、キセルをふかした恰幅の良い女性が指し示す席へ、ヒカルたちは腰を下ろした。テーブル席の他に調理場に直面したカウンターが設置されており、店の雰囲気から酒場のような場所だと分かる。現実の世界でもあるように、夜は酒場として営業し、昼は食事を振る舞う店であるようだった。モモが店員を呼んで慣れた様子で注文をすると、ほどなくして皿に盛られた料理が運ばれてくる。この世界では庶民の口にする料理は単純な味付けのものが多く、シンプルに素材の味を生かしたものになっている。生野菜のサラダに、ほどよく焼き目のついた骨付きの鶏肉、魚介と野菜を煮込んだと思われるスープに、様々な果物。それらを笑顔で頬張りながら、ミミは時たまヒカルの方を向いてにこにこと笑っている。そんな彼女の顔についた食べかすを時々ナプキンで拭ってやりながら、ヒカルは苦笑を浮かべる。

 

「おまえなあ、もう少し落ち着いて食べろ、まるで小さな子供みたいだぞ。」

「もうミミったら、しょうがない子ね。」

 

 2人にそんなことを言われても、ミミは幼い子供のような食べ方をやめたりはしない。ヒカルと桃ももう慣れたのか、あきらめているのか、それ以上無理にやめさせようとはしなかった。彼らも口元を汚すようなことはないものの、その体格からはちょっと信じられないような速度で料理を平らげていた。

 

「おやまあ、3人とも良い食べっぷりだねぇ、気に入ったよ。」

「いや~、お恥ずかしい、あんまりうまかったから、ついね。」

 

 先ほど席を案内してくれた、おそらくこの店の主人なのだろう女性は、豪快な笑いを浮かべて機嫌良さそうにしている。事実、この店の料理は素朴ながら、その味は旅でつかれた体に活力を与えてくれるような、そう、家庭で母親が作ってくれるような、そんな暖かみのあるものだった。

 

「船に乗るのにずいぶんと手間がかかるんだね、ちらっと聞いた話だけど、なんだか船賃もやけに値上がりしてるみたいだし。」

「ああ、あんたたちこの町は初めてだね? 実はねえ、最近、大金持ちのゴルドっていう商人が港を牛耳っちまってさ、出す船の数を絞って船賃をつり上げてんのさ。」

「ほえ、そうだったの、まあ、どこにでもある話だけど、なんとも嫌な感じだねえ。」

「まったくさ、今じゃ元の船賃でやってんのはバスパじいさんを含めてほんの一握り。でもそういう連中にもゴルドが脅しをかけて、次々と自分とこに引き入れてるって話でねえ。」

 

 この店にやってくるまでの道すがら、他の大陸に渡る定期便の予約がいっぱいで、数日から1週間程度足止めを食いそうだという話を他の旅人がしているのをヒカルたちは聞いていた。船賃の方も以前より高くなったと、ぼやきながら歩いている人たちと何度かすれ違っている。一方でなんともいえないピリピリした空気が町中に張り詰めているのも、なんとなく感じていた。まだ何か物騒なことが起こるとか、そういった危険性はないだろうと思われたが、あまり長くこの街に滞在するのは得策ではないだろう。

 

「なるほど、こりゃあなるべく早く出発できるように手配した方がよさそうだね。」

「あたしもそう思うよ、船乗りたちもなんだかイラついているみたいだから、特に船賃の交渉とかは気をつけな。」

「ありがとうおかみ、モモ、代金を。」

「かしこまりました、ご主人様。」

 

 モモは所持している財布の中から、3人分の食事代をテーブルの上に置くと、立ち上がってヒカルの手を取る。

 

「それでは参りましょうか。」

「ああ、それじゃあ、ごちそうさん。」

「おいしかったよ、ありがとう。」

「ああ、良かったらまたおいで。」

 

 いつの間にかミミが、席を立ってヒカルたちの傍らまで来ている。ヒカルは入店してきたときと同じように彼女と手をつないで、店の入り口へと歩き出した。その後をモモが付き従い、彼らは悠々と店を後にした。

 

「よお、おかみよお、アレはいったい何者(なにもん)だ?」

「あたしがそんなこと知るわけないだろう? しかし、ありゃただ者じゃないね……。」

「あの娘っこたちはエルフだろう? どうみてもあのヤローの召使いかなんかだよなアレは。」

「……それにこの金払い、こんな庶民向けの店で払うような額じゃないね。ひょっとしたら、どこかの偉いさんのお忍びかもしれないねえ。」

 

 ヒカルは知らないことだったが、従者を連れ歩くような人間はこのような場所にはまず訪れることはない。原作の物語の中では明確にはされていないが、王が治める国が多く、文明も中世レベルであることから、この世界の政治体制は王制を敷いているところが多い。当然、貴族や平民、奴隷などの身分制度も確立しており、通常は従者を連れ歩くような身分の高い人間は庶民に混ざって行動することはまれであるのだ。

 

「しっかしよぉ、それにしたってエルフが人間に付き従うのかよ? あいつらプライド高くて、人間を下目に見てるっていうじゃあねえか。」

「さあねえ。けどあのお嬢さんはお高くとまってるような雰囲気はなかったし、エルフにもいろんなやつがいるのかもねえ。」

 

 おかみと客たちは、先ほど出て行った3人の珍客の話題に、しばし花を咲かせるのだった。

 

***

 

 結局、ヒカルたちは1週間後に出航予定のトフレ大陸行きの定期便を予約した。それ以前は満席ばかりで、どうやっても乗れそうになかった。キャンセル待ちという手段を執れるところもあったが、1週間くらいならば問題ないだろうと、この港で少し旅の疲れを癒すことにしたのだった。

 

「ご主人様、あそこの店に寄っていきたいのですけど、よろしいですか?」

「ああ、いつものやつか、よろしく頼むよ。」

 

 夕食までの時間帯、街を散策しながら宿へ帰る道すがら、モモが一軒の店の前で足を止める。そこは道具屋で、薬を取り扱っている旨が扉の張り紙に示されている。モモはおもむろに扉を開け、店の中へと足を踏み入れる。その後を、ミミの手を引いたヒカルが続いて入っていく。

 

「いらっしゃい、あ、いや、これは失礼、いらっしゃいませ、当店にどのようなご用でしょうか?」

「薬草を買い取っていただきたいのですが、お願いできますか?」

「はい、かしこまり、ました?」

 

 店に入ると正面にカウンターがあり、小太りで口ひげを少し生やした丸顔の店主が座っていた。店主はヒカルたちの姿を視認すると、少し驚いたような顔になったが、すぐに営業スマイルを浮かべて応対をはじめた。慣れない丁寧語を使い、少し額に汗をにじませながら、モモから大きな袋を受け取ると、店主はその袋を開けて、中のものを取り出し、鑑定をはじめたようだ。袋の中からは様々な植物が次々と出てくる。店主ははじめは硬い表情でそれらをひとつひとつ確認していたが、だんだんとその表情が驚愕へと変わっていく。

 

「こ、こりゃあ、驚いた、どれも貴重な薬草ばかりじゃないですか、いったいどこで手に入れたんで?」

「それは企業秘密ですから教えられませんわ。でも、私はエルフなので、そういう能力で自分で見つけてきたとだけ、言っておきますわね。」

「はえ~、そうですかい。こりゃますます驚いた。確かにエルフって奴は、魔法とか薬草とか道具(アイテム)とか、いろんなものに詳しいとは聞いたことがありましたがねえ、それに直接お目にかかれるとは……。」

「それで、おいくらで買い取って頂けますか?」

「う~ん、ちょっと正確な値段が出せないものもあるから、すぐに全部は買い取れませんが、少し待ってもらって、いや、いただいていいですかね?」

 

 モモが持ち込んだ薬草は、彼女特有の能力によって採取されたものである。もちろん彼女はそれらについての知識をすべて持っているが、人間の道具屋にはそれだけの知識はない。買取に時間がかかるのはどこの街でも同じことだった。そして、これらの薬草の希少価値を知った相手が破格の買い取り価格を提示してくるのも、いつもの流れであった。そのようなわけで、ヒカル一行は路銀に困ったことはなかったのである。

 

「鑑定が終わるまでどれくらいかかりますか?」

「明日の夕方までにはなんとかします。それで大丈夫ですか?」

「問題ありません。明日の夕方にまた来ます。この町の一番大きな宿に泊まっていますので、何かあったら連絡をいただけますか? あ、私はモモといいます。こちらの主人、ヒカルの名前で宿をとっていますので。」

「わかりました。それでは明日の夕方また来て、いえいらしてくださいませ。ええと、とりあえず今すぐ買い取れる文だけ、全部で8000ゴールドになります。」

「ありがとうございます。」

 

 モモは店主からゴールドの入った革袋を受け取ると、ヒカルに先ほどと同じ内容を簡潔に伝える。その様子を見て、店主はさらに冷や汗をかくのだった。

 

「やべえな、エルフを2人も従えてるなんて、ありゃあどこぞのお偉いさんに違いねえ。そそうのないようにしねえと。」

「何かおっしゃいましたか?」

「い、いえ何でもありま……ございませんです、はい。」

「それでは失礼しますね、鑑定の方をよろしくお願いします。」

「確かに、また明日、お待ちしておりや……おります。」

 

 ヒカルたちが店から出ようとしたちょうどそのタイミングで、店の扉が開き、1人の老人が中に入ってくる。老人はカウンターに向かって歩を進めながら、店主に短く用件を伝える。

 

「おやじ、いつもの薬を頼む。」

「おう、バスパじいさんか、メイヤさんの具合はどうだい。」

「相変わらずじゃな、今はなんとかやっておるが、少しずつ弱ってきておる。」

「ミグちゃんもまだ小さいのに大変だねえ。この店の既製品の薬じゃあ、そんなもんだと思うぜ、薬師か医者に頼んだ方がいいんじゃねえか?」

「そうなんじゃろうが先立つものがの、ゴルドの奴が幅をきかせ始めてから、仕事もままならん。」

 

 老人は忌々しそうに吐き捨てた。ゴルドとは、さっき昼食を食べた店でも聞いた名前だ。ヒカルは自分の原作知識の中にこの老人の名前がなかったか、どういった存在だったかを可能な限り思い出していく。この老人は確か原作で、アベルたちに協力していた船乗りだろう。メイヤは知らないが、ミグは孫娘の名前だったはずだ。こういうところまで原作とそっくりなのだなと、ヒカルは妙な関心を覚えた。そして、店主とバスパの話を努めて聞き流しながら、モモとミミと共に道具屋を後にした。

 

***

 

 ヒカルたちは宿で夕食をとった後、自分たちの部屋に引き上げて地図を眺めていた。カザーブの村からここまで実に1ヶ月半、ヒカルがこの世界に来てから8ヶ月ほどが経過しようとしていた。当初は春だった季節も今は夏から秋へと移り変わり、まもなく冬が訪れようとしていた。

 

「う~ん今までの距離と時間を考えると、シオンの山まで後数ヶ月かかるなぁ、まだまだ先は長そうだ。もうすぐ冬になるし、どこかで旅を中断して冬を越さないとならないかもなあ。」

「それは大丈夫だと思います。中央大陸の冬は寒く、たまに雪も降りますが、トフレ大陸やテイル大陸には、滅多に雪は降りませんから。」

「そうか、ならこのまま進んで問題なさそうだね。よし、じゃあとりあえず後1ヶ月くらいは旅を続けることになるけど、今後ともよろしくな。」

「はい、こちらこそよろしくお願いします。」

 

 ミミはいつの間にか、かわいらしい寝息を立ててベッドで眠りに落ちていた。その頭を撫でながら、ヒカルは昼間の出来事を思い返していた。ゴルドという豪商と、それに苦しめられている人々。助けられるものなら助けたいとは思うが、元々組織の末端でこき使われてきた彼には、金や権力を持っている者に対抗する手段など思いつくはずがなかった。今までのように相手がモンスターであったり、火事や地震などの災害であったなら、彼は人助けをためらったりはしなかっただろう。しかし、対人間となれば、宝石モンスターの時のように命を奪うことは、さすがに同じ人間としてためらわれた。それに、少しばかり他人より優れた能力があろうとも、それは個人より大きな集団に対してはたいした役には立たないことを、彼はよく知っていたのだ。しかし、この町のピリピリした雰囲気の中に、何か粘り着くような嫌なものを感じ取り、ヒカルはゴルドという人物について、これ以上の情報を集めるべきかどうか迷っていた。

 

「どうかなさいましたか? ご主人様?」

「え、あ、いやなんでもない。」

「……街の人たちの話、ゴルドとかいう商人のことが気になりますか?」

「はは、かなわないなモモには。いや、街の人たちを助けるのはたぶん権力のない俺には無理だろうけどさ、なんかこう、背景に不自然なものを感じるんだよな。そう、なんか邪悪な気配みたいな、街の連中のピリピリした雰囲気に混じってわかりにくくなってるけど、気になる嫌なものを感じるんだ、具体的に言葉にはできないけど。」

「深入りしない範囲で、この街の情報を集めてみますか? バラモスが何かを仕掛けていたりということもありますし。」

「そうだな、明日から少し、街を出歩いてみるか。」

 

***

 

 翌日の午前中、朝食を終えたヒカルたちは街を見物しながら、それとなく情報を集めていった。ゴルドは確かに金持ちの家に生まれたが、父親の財を受け継いだだけの、たいした才能もない男だった。だが、いつのころからか怪しげな連中と手を組み始め、金の力で港を押さえ、出入りする船と船乗りたち、それに関わる者たちに大きな影響力を持つようになっていった。この町は港町であるから、港を手中に収めるということは、街のほぼすべてを掌握したに等しかった。ゴルドは港を行き交う船の数を減らし、運賃をつり上げて不当な儲けを得ていた。船を出して欲しいという需要に対して、少しばかり供給が少なくなるように調整していたのだ。しかも、船賃の安い一般向けの客船から出港数を絞っていた。急ぐ客は高い船賃を払って高級な客船に乗るしかないという状況になっていた。船乗りたちにも組合があり、最初はゴルドに抵抗していたが、金と暴力で従わされ、今では彼の傘下に入っていない船乗りはバスパをはじめ数えるほどしかいないらしい。

 

「あの店のおかみが言っていたとおりだな。」

「ええ、でも、それ以外にもちょっと気になることがあるんです。」

「ん? どゆこと?」

「ゴルドのところに、ザムエルという商人が出入りしているのですが、元々取引があったわけではなく、最近関わりはじめたらしいんです。』

「おい、まさかこのパターンって……。」

「はい、ザムエルが街に現れてから、ゴルドの様子が少しずつおかしくなったらしいのです。」

 

 ゴルドは元々は、単に金持ちなだけで特に悪人だというわけではなかった。それが徐々に金と暴力に物を言わせるような振る舞いをする人物に変わっていったのだという。どう考えても、ザムエルという人物が怪しいのは明白だ。しかも、RPG的に考えれば、もしかしなくてもモンスターかそれに類する悪者が事件に関わっているパターンといえるだろう。

 

「お話まだ終わらないの~? お腹すいちゃった。」

「こらミミ、もう少し我慢しなさい。」

 

 いつしか、日は高く昇り、宿の階下からも鼻腔をくすぐる良い匂いが漂ってきている。窓の外を見やれば、飲食店の並んでいた通りへ向かって足早に歩いて行く人の群れが見える。ヒカルはミミの頭を軽く撫でた後、腰掛けていたベッドから立ち上がった。

 

「いや、俺も腹減ったし、そろそろお昼にしよう。」

「あら、もうこんな時間なんですね。かしこまりました、ご主人様。」

 

***

 

 ヒカルたちは宿を出て、近くの食堂を探して昼食をとった。宿への帰り、あえて回り道をしながら行き交う人々の会話に耳を傾ける。他愛もない会話に混じって、昨日のように船の出航待ちで滞在しているという話や、船乗りの関係者と想われる者たちのゴルドに関する噂話などが耳に入ってくる。

 もうすぐ宿に着くというところで、ふとモモが足を止める。彼女の視線は宿とは反対の方へ向かう路地の方へ向いていた。彼女の妹は急に立ち止まったモモを不思議に思い、その理由を問いかける。

 

「どうしたのおねえちゃん?」

「……あの路地に入ってすぐの所に、何かいるな。」

「それは音でミミもわかるけど? それがどうしたのご主人様?

 

 姉に代わって答えた主人に、ミミはきょとんとした顔を向けてくる。彼女は他の2人と違い、この路地へ入ったところに存在している邪悪な気配を察知できないようだ。ヒカルは状況を目視するため、路地への曲がり角を形作っている民家の塀の影に身を潜ませ、その先の様子をうかがった。

 

「あ、あれは、昨日の、バスパってじいさんか、周りにいるごろつきみたいな連中……全部で3人、獲物は、ナイフか。」

 

 ヒカルの見据える先には、1人の老人が数人の柄の悪い男たちに取り囲まれていた。老いた顔を憤怒にゆがめながら、老人は男たちを鋭くにらみつけている。

 

「ぐっへへへぇ、おとなしくゴルドの旦那の言うとおりにしときゃあいいものをよぉ。」

「ふざけるな! 真の海の男はお前たちのような輩には決して従わん! とっとと帰れ!」

「けっけけけ、お前も適当にぶちのめして、言うことを聞くようにしてやるぜぇ!」

 

 その言葉が言い終わらないうちに、男の1人が老人に向かって飛びかかった。粗野な言動とは裏腹に、そのナイフはなかなかのスピードで、老人、バスパの肩めがけて突き出された。しかし、その先端が老人に届くことはなかった。

 

「バギ!」

 

 呪文の発動句と共に発せられた小さな空気の塊が、男の体を激しくたたき、彼はナイフを取り落として後方へ軽く吹き飛ばされた。通常であれば空気の刃で敵を切り裂く真空呪文(バギ)だが、威力を調節されたそれは、標的とされた者を直接傷つけることはなかった。それは男とバスパとの距離が近すぎたため、老人を傷つけまいとした術者の配慮であった。そしていつの間にか、先ほどまでは存在しなかった者が、男たちとバスパの間に割って入っていたのだ。

 

「ば、かな。」

 

 男たちは驚愕した。いつの間にか間に割って入ってきたこの男の動向を、彼らは誰1人として視認できなかった。素早い盗賊や武闘家ならともかく、主として魔法を扱うであろう人間の動きを、何故見切ることができなかったのだろうか。彼らは知らないことだが、飛び込む寸前にモモによって唱えられた加速呪文(ピオリム)の効果により、彼、先ほどのバギの術者である男の素早さは、何段階も引き上げられていたのである。

 

「じいさん、ケガはないか?」

「お、おお、すまん、助かった、お前さんはいったい……。」

「その話は後だ、とりあえずここから逃げるぞ。これ以上こいつらと関わるとろくなことにならない。」

 

 バスパは黙ってうなずいた。確かに追い詰められて逃げ場がなく、やむなく戦闘態勢を取ったが、武器を持った3人の男たちに囲まれていては、勝率は低いだろう。であれば、この場はひとまず安全なところまで逃げるのが最良の手だ。

 

「けっ、逃がすと想うのかよ、魔法使いが1匹増えた程度で、俺たちに勝てると思ってんのか? ああん?」

「そうだな……、人間ならそれなりに勝てる自信はあるんだが、お前らモンスター相手じゃ、やっかいなことになるかもしれないな……。」

「なっ?!」

 

 男たちと老人が驚きの声を上げたのは、ほぼ同時だった。

 

to be continued




※解説
ピオリム:味方全体の素早さを上昇させる。前に述べたことがあるように、実際の戦闘中の行動はランダム要素が大きいため、1回で確実に敵より先手を取れるようになるのは難しい。重ね掛けすることである程度敵より先手を打てるようになる。FC版のⅢでは、素早さを上げた魔法使いにピオリム↓魔法使いがドラゴラムという流れで、ターン開始時に炎をはいてはぐれメタルを一掃して経験値を稼ぐという方法があった。

さて、金の力で港町を牛耳っている富豪と、それに虐げられる人々……。これは何か起こりそうですね。よ~し、次回もドラクエするぜ!


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第7話 脱出せよ、魔物だらけの港町!

わりと早くプロットだけは上がっていたんですが、書き上げるのが結構困難でした。頭脳戦のまねごとや思惑の行き違いなど、心理戦は書くのが難しいです。自分、頭良くないなあと現実を突きつけられてました(笑)。
呪文の効果等に独自解釈がありますのでご注意ください。

※2019/1/1 誤字脱字、文章表現等を修正しました。
※2017/6/18 誤字脱字の修正を行いました。我が盟友よ、協力に感謝するぞ!
※2017/5/6 モモのセリフの始まりに「(かぎかっこひらき)がない部分がありましたので修正しました。本多忠明 様、ご指摘ありがとうございます。


 数本の燭台に掲げられた、ろうそくの明かりだけが周囲をぼんやりと照らしている。それらが映し出す状況から、ここが何かの建物の中であることだけは察せられるが、窓もない薄暗いこの場所からは外の様子はうかがい知れない。そんな薄暗い部屋の中央には粗末なテーブルがひとつと、それを取り囲むように丸椅子がいくつか並べられている。丸椅子の一つには痩せこけた商人風の身なりの男が、テーブルに広げられた白い布の上に置かれている黒く丸い、大人のこぶし大くらいの物体に手をかざしていた。

 

「ククク、もう少し、もう少しで目標が達成される。我が主よ、今しばらくお待ちください。必ずや、ご命令を成し遂げて見せますぞ。」

 

 男は黒い球を布で包むと、その脇に置かれていた小箱へ丁寧にしまい込む。そしてそれを壁際にある、質素な棚の上に置くと、再び部屋の中央に戻る。そして軽く手を掲げた次の瞬間、その姿は黒い霧のようになってかき消えた。それからまもなく、燭台にともっていたろうそくの明かりが一つずつ消えてゆき、この場は暗闇だけが支配する空間となった。

 

***

 

 とある狭い路地裏で、数人の男が対峙していた。かたや3人組の男、ごろつきと表現して差し支えないだろう、日の当たる道を歩んでいるとは思えない者たちだ。かたや老人と、旅人の服に簡素な革製の胸当てを着用した細身の男だ。男は老人をかばうように立っており、周囲を取り囲む3人組を油断なく厳しい表情で見据えている。しかし、柄の悪い3人組と老人はどちらも口が半開きで、ぽか~ん、といった擬音が聞こえてきそうな表情をしている。しかし、次第に状況が飲み込めてきたのか、3人組の1人が険しい表情になり、先ほどのやや軽薄な、馬鹿にするような調子とは打って変わった、ドスのきいた声を発した。

 

「てめえ、いったい何者(なにもん)だ?」

「ただの通りすがりさ、魔法がちょっと使えるだけの、弱っちい人間だよ。」

 

 問われた男、ヒカルは何でもないことであるといった風に、軽い調子で言葉を返す。3人組の内の残りの2人の表情も次第に険しくなり、それでも何かに警戒している様子で、襲いかかってこようとはしなかった。一方、老人はまだ混乱のさなかから抜け出せずにいた。急に自分を助けに現れた謎の青年が、おそらく魔法の力であろう突風で敵を吹き飛ばしたことだけでも驚きなのに、自分を襲ってきた男たちをモンスターだと断言している。ヒカルは知らないことだが、魔法の存在はもちろん、モンスターが人に化けるという知識も、この世界の一般的な人間にはあまり浸透してはいない。ゲームであれば変化の杖や変身呪文(モシャス)などでおなじみだが、そういった魔法の道具(マジックアイテム)を目にすることは滅多にないことなのだ。

 

「野郎、このまま逃がしたんじゃザムエルさ……いや旦那に合わせる顔がねえ! 絶対にこの場でぶっ殺してやる!」

 

 3人組は何かに動揺しながらも、ヒカルとバスパに再度襲いかかってきた。しかし、彼らが不測の事態に動揺して動きを止めていたしばしの時間は、魔法使いにとってはこの上なくありがたい時間だったのだ。ヒカルは敵である男たちが接近してくる頃には、呪文の詠唱を完全に終えていた。

 

「風の精霊よ、我に襲い来る者どもを退けよ、バギ!」

 

 再び、ヒカルの放った真空呪文(バギ)の突風が3人組を襲う。その威力は先ほどとは比べものにならず、大人の男を3人まとめて数メートル吹っ飛ばし、地面にたたき伏せた。しかし相変わらず、敵を切り裂くようなことはなく、ただ相手を退けるためだけに放たれたものであった。

 

「2人とも、来い!」

「はい!」

 

 塀の陰から二つの人影が素早く飛び出し、次いでささやくような小声で呪文の詠唱が紡がれる。早口で一気にまくし立てるようなその文言は、声が小さいこともあってはっきりとは聞き取れない。

 

「慈悲深き精霊神(せいれいしん)よ、迷える我らを救い給え、リレミト。」

 

 その詠唱が終わると同時、一瞬赤い光が放たれたかと思うと、次の瞬間にはそこにいたはずの者たちの姿は、跡形もなく消えていた。

 

***

 

「取り逃がした……、だと?」

「も、申し訳ありません、ザムエル様!」

「正体不明の、しかも人間の魔法使いか、これは計画を早めた方が良さそうだな……。幸い、準備はほとんどできている。最後の計画の実行を持って、この町を引き払うとしよう。」

 

 ひざまずいて許しを請う者には目もくれず、顔色の悪い優男……ザムエルは今後の方針を1人つぶやいた。その声は無機質で冷淡であり、人間であれば聞いただけで震え上がってしまうようなおぞましいものであった。彼は足下に這いつくばっている者たちを尻目に、邪魔に入ってきたという人間について思案を巡らす。状況から考えて、おそらく瞬間移動呪文(ルーラ)ではない何らかの転移を行ったのだろう。この世界では移動や転移に関する呪文は使い手が少ないことで知られている。消費するMP(マジックパワー)が大きいことや、呪文自体が高等術であることが主たる理由である。まして、人間はエルフやドワーフなどの多種族と比べて魔法に関する力量や知識が著しく不足している。少なくともこの世界ではそのように認識されている。よって、呪文行使を主力とする自らの部隊がこの港町で行う計画は終始、人間たちに気づかれることなく順調に進んでいたのだ。だが、空を飛ばずに転移できる何らかの手段を持ち、バギの威力や性質までも自在に操れるような存在が人間の中にいるというのであれば、その相手に警戒しないわけにはいかないだろう。

 

「しかし、問題はそこだけでは、ないな。」

 

 さらにもう一つ、ザムエルには気になっていることがあった。それは件の魔法使いがあの状況でルーラをあえて使わずに逃走したということだ。習得していないということも考えられるが、そうでないのならばあえて使わなかったということになる。赤い光に包まれて消えたというのが本当ならば、ザムエルの知っている中で最も考えられるのは脱出呪文(リレミト)か、同じ効果を持つアイテム『思い出の鈴』による転移だ。しかしどちらにしても、リレミトを町中からの脱出方法に選択するなどというのは、人間どころかエルフやモンスターでも容易に思いつきはしない。一般にリレミトは洞窟や塔、深い森の奥などから脱出するための呪文であると認識されている。そうでない運用方法を思いつくということは、よほど頭が柔軟か、魔法に関する深い知識を持っているかのどちらかだと考えられる。そして、ザムエルは後者だと推測した。逃げるだけならルーラやキメラの翼などでもよかったはずだ。さらに、転移の手段が何か分からないように小細工をしている点も気にかかる。それはつまり、目の前の敵には魔法的な何かを見抜く力がないということを、短い時間で看破したということになる。確かに、外見だけ見れば、ただのごろつきが呪文を使うことなど、この世界ではまず考えられない。しかし、相手はザムエルの部下たちを『モンスターである』と見破った上で、先の判断を下している。それは全く正解であり、抹殺対象が消え失せた理由に思い至らなかったために、部下たちはここへ戻ってきているのだ。たいして長くはないが、確実に時間稼ぎに成功している。これから、余計な動きを取られる前に、多少不完全であっても計画を実行に移すほかはないだろうと、ザムエルは判断した。

 

「我がシモベ、邪悪な『魔法使い』たちよ。」

「は、これに控えおります。」

「うむ、予定より少し早いが、これから計画の最終段階に移行する。偵察に出した『さそり蜂』共が戻り次第、行動を開始せよ。」

「かしこまりました。すべては偉大なる我らが主のため……。」

「そうだ、すべては我らが主のために。」

 

 薄汚れたローブをまとった邪悪な魔法使いたちは、不気味な笑いを浮かべながら、ろうそくの明かりの向こうに広がる闇へ溶けていった。

 

「さて、お前たちの処遇だが……。」

「ひいっ! どうか、どうか命ばかりは……。」

「……もう一度だけ機会(チャンス)をやろう、我らの邪魔をした、その魔法使いどもを始末しろ。本来の姿と力を使ってもかまわん。奴らに与する者も可能な限り殺せ。……例のバスパとかいうじじいも、家族共々葬ってやれ。」

「へへーっ。必ず仕留めてご覧に入れます。」

「おそらく、奴らはバスパの家にまず向かうはずだ。奴らが逃げないように、町中の監視体制を整えるのを忘れるな。」

 

***

 

 リレミトによりモンスターたちから逃げ出し、町の入り口付近へ転移したヒカルたちは、目立たぬように人混みに紛れ、あるいは物陰に身を隠しながら、町外れにあるバスパの家に向かっていた。あのとき、ヒカルはあえてルーラを使用せず、ミミの習得しているリレミトでの退散を図った。ルーラの移動速度は通常、目視できないほど高速ではあるが、空を飛んで移動していることには変わりない。モンスターの視力であれば人間のそれとは比較にならないほど良い可能性もある。敵が仲間と遠距離で連絡を取る手段を有していた場合、到着地点で襲撃される可能性が多少なりともあった。バスパを襲った者たちには、おそらくもっと多くの仲間がいるはずであり、そういった連中にこちらの行動を何かの手段で監視されているかもしれない。それらを総合して考えると、あの場でルーラを行使することは愚策であった。ただしリレミトにしても、その効果を熟知していれば同じように街の入り口付近で待ち伏せていればよく、危険度は変わらない。それゆえどうやって姿を消したのか判別できなくするため、相手に詠唱を悟られないようミミに指示を出したのだ。そもそも、通常ドラクエのゲームにおいては町や村などではリレミトは使用できない。ただ、モンスターに乗っ取られた町など、ダンジョン扱いになっている場所ならば使えることもある。この世界の呪文書には『迷宮、森、建造物の中など、迷ってしまったときに唱えれば迷いの道より抜け出せるだろう』といった文言が記されていたため、以前訪れた町で試しに使ってみたところ、見事に入り口近くへ転移できることがわかったのだ。

 バスパを含むヒカルたち4人は、周囲を警戒しながら、それでもなるべく急いで町の中を移動していたが、やはりというか、人に化けたモンスターの姿をあちこちで見かけていた。彼らは外見に関しては完全に人の姿となっており、普通の人間ではまず見破ることができないだろう。――ではなぜ、ヒカルたちはその存在を感知することができたのか? という疑問が生まれてくる。どうしてかは分からないが、ヒカルには邪悪な存在、宝石モンスターを直感で感じ取れる能力(ちから)が身についていた。そのため、この町の殺伐とした空気の中にも違和感のようなものを常に感じていたのだ。そのことが、彼にゴルドの周囲を調べようという気を起こさせ、結果としてバスパを助けるという現在の行動に繋がっているわけだ。

 人の集団に溶け込んでいるモンスターたちが襲ってこないことに、ヒカルは内心安堵していた。おそらく、監視があるならば自分たちの動向は相手に筒抜けだろう。ドラクエに監視魔法の類いはなかったはずだが、水晶玉1つで目的の場所が見通せるトンデモ能力も存在していた。たとえ見つかっていたとしても、大勢の人のいるところで騒ぎを起こすことはしないだろうと踏んでいたが、何せ相手はモンスターだ。いきなり襲いかかってきたり、こちらの知らない特殊能力で攻撃されたりすると非常にやっかいなことになる。

 そうこうしているうちに、市場を通り、そこから一直線に伸びる細い道をまっすぐに進むと、住宅街と思われる一角へたどり着いた。老人は何軒かある同じような外観をした家の前を通り過ぎ、その先、ちょうど道の行き止まりにある広めの敷地の前で一度立ち止まった。そしてあたりを見渡し、安堵したように1つ短いため息をついた。とりあえず、見渡してみる限りでは、家に誰かが押し入ったり、周囲に潜んでいたりということはなさそうだ。バスパは再びゆっくりと、周囲の家々よりも大きな、しかし決して立派とはいえない家の扉へと歩を進める。

 

「今帰ったぞ。」

 

 そう言いつつ、答えを期待していないのか、老人は家のドアを押し開け、そのまま中へ入っていく。ヒカルたちは黙って老人の後に続いていった。中は広い作りではあったが、配置されているテーブルや椅子、棚や台所に至るまで、おそらく手作りなのであろう無骨なものだった。見た目から食器棚であろう場所に並べられている粗末な皿やカップなどを見れば、この家が貧乏ではないにしろ、決して裕福でもないということが一目で分かる。バスパはテーブルに4つある椅子の一つにどかりと腰を下ろし、残りの椅子に適当に座るようにヒカルらを促した。老人のすすめに従って、客人である3人がすべて椅子に座り終えた頃、入り口とは違う方向にある扉の一つが開かれ、1人の人物が姿を現した。

 

「お帰りなさい、お義父(とう)さん。」

 

 入り口で老人を出迎えたのは、素朴な感じのする若い女性だった。しかし、その顔には生気がなく、昨日道具屋でバスパが語ったとおり、何らかの病に冒されているであろうことが一目で分かる。

 

「起きていて大丈夫なのか? メイヤ。」

「はい、そろそろお夕飯の支度をしないといけませんし。」

 

 メイヤはそう言って笑顔を浮かべたが、それが無理をしているものだということは、この場の全員が即座に感じ取った。特に薬師であるモモは、いつもは見せないような険しい顔つきになって、バスパに問いかける。

 

「なぜ、あのような状態になるまで放っておかれたのですか?」

「何?」

「詳しいことは診察してみなければわかりませんが、あの方の病は適切な処置をしなければ、徐々に進み、最後は死に至るものです。……失礼ながら、先日道具屋さんでのお話を偶然聞いてしまいました。」

 

 そこまで言うと、モモは一度目を閉じて、軽く息を吐き、そして再度、真剣な瞳でバスパをじっと見つめた。

 

「あなたがゴルドという方の方針に反対している数少ない船乗りだと、町の噂話で耳にしました。たくさんの方が不当な値上げを容認していく中、あなたは決してそれに屈しないのだと。それはとても勇気のある、立派なことなのかもしれません。ですがバスパさん、あなたの意地やプライドは、家族をあのような姿にしてまでも、守らなければならないものなのですか?」

「うっ……。」

「よせ、モモ、それは俺たちの立ち入っていい話じゃない。」

「……申し訳ありませんでした。」

 

 モモはヒカルに制止されてすぐに、謝罪を述べて頭を下げたが、納得などしていないのはその表情を見ればすぐに分かる。バスパは苦しげな表情を浮かべ、ぽつりぽつりと言葉を吐き出した。

 

「儂だってなぁ、大切な息子の嫁を、こんな姿になんかしたくはなかった。じゃが、ゴルドの、いやザムエルの思惑通りになれば、今よりもっと恐ろしいことが起こる、どうしてもそんな気がして仕方がない。」

 

 実際、老人の勘は当たっていた。ザムエルが何の目的でゴルドを動かしているのか、それはまだ分からないが、人に化けた魔物を使役してまで、平凡な港町を支配下に置き、住人や旅人に害を与えているのは、何か、支配して利益を得る以外の目的があるからだろうとヒカルは考えていた。問題なのは、その目的がいまだほとんど見えてきていないということだ。

 

「じいさん、さっきも言ったが、あんたを襲った連中は人に化けた邪悪なモンスターだ。本来の姿まではわからないが、ああいう連中が町の中にうようよいやがる。おそらく、ゴルドの手下として働いている連中は、ほとんど化け物だと思って間違いないだろう。」

「なんと……! それではこの町はモンスターに支配されておるようなものではないか……!」

 

 バスパは愕然とした。人間の金持ちがごろつきを雇って町を牛耳っているものだと思っていたのだから、それは当然の反応だろう。もはや事態が、自分のちっぽけな意地やプライドでは、ほんのわずかな理とも動かすことはできないのだと、老人はこのとき、はっきりと悟った。悟ってしまった。それと同時に、目の前のエルフの娘に問われた内容が、まるで重たい鉄の塊のように、老いぼれた身体に重くのしかかってくるのを、バスパは感じ始めていた。彼は船乗りとしての良心に従って、仲間たちや客のことを思って頑固な姿勢を貫いてきた。それはある方位から見れば、不器用ではあるが筋の通った、どちらかといえば善行だと言って良いだろう。だが、それは家族を持つ1人の男として、正しい行いだったのだろうか? 現在、バスパの息子は大きな漁船に雇われ、遠洋漁業に出ておりしばらくは戻ってこない。その間、嫁と、まだ乳離れもしていない幼い孫娘を守るのは、彼の責務ではなかっただろうか? バスパはここに来て初めて迷い、うろたえた。しかし、この緊迫した情勢は、彼らに悠長に考える時間を与えてはくれなかった。

 

「ご主人様……!」

「やはりというか、当然だな。少し遅いくらいだ。おおかた上の奴に指示でも仰いでいたんだろうな。」

 

 いつのまにか、モモが椅子から立ち上がっており、部屋に一つあるあまり大きくはない窓から外をにらみつけている。それはいつも優雅な微笑みを絶やさない彼女に似つかわしくない、鬼気迫る表情であった。妹のミミも椅子から動いてはいないが、その目は窓の外を見据え、姉と同様に険しい表情となっている。こちらも、いつもの幼さ、無邪気さとはかけ離れた顔であった。窓の外は西日が差し込んでおり、その色は黄色から徐々に赤みを増しはじめている。その景色はいつもと変わらず、何か特段おかしなものが見えるというわけではない。市場の方からこちらへ向かってまっすぐに伸びている細い道と、連なる家々が視界に映り込んでいる。それ以外は何もないように見える。あくまで『人間』の視力で見える範囲では、という注釈がつくのだが。

 モモとミミのエルフとしての常人離れした視力は、はるか遠くからこの家に少しずつ近づいてくる敵の姿を捉えていた。同時にヒカルの邪悪な気配を感知する能力も、近づいてくるどす黒い殺意を、その中核となっているであろう邪悪な宝石の黒い輝きを、鮮明に捉えていた。

 

「奥さん、この家に他に誰か住んでいますか?」

「……、え、ええ、娘のミグが、まだお昼寝していますけど……。」

 

 モモに突然質問を投げかけられ、顔色の悪いこの家の嫁は、さらに顔色を悪くしてか細い声で答えた。義父や客人のただならぬ雰囲気から、自分たちに何か危機が迫っていることを察したためだ。

 

「じいさん、この家は何階建てだ?」

「二階建てじゃが、それがどうしたんじゃ?」

「全員で、上の階の窓のある部屋に集まろう、ここから撤退する。」

「お、おい、逃げると言ってもいったいどうやって……。」

「説明している時間が惜しい、言うとおりにしてくれ、頼む。」

「……わかった、お前さんを信じよう、若いの。」

 

***

 

 無骨に組み上げられた木造の家屋には、それでもしっかりとした作りの2階があった。ヒカルらはちょうど西日が差し込んでくる大きな窓のある部屋に全員が集まっていた。ヒカルとモモ、ミミのエルフ姉妹に、バスパ老人、その息子の配偶者であるメイヤと、娘のミグである。モモに抱きかかえられているミグはまだ半覚醒状態で、母親ではない者に抱かれているのがわかりはじめているのか、軽くぐずりだしている。

 

「大丈夫だ、悪いけどもう少し眠っていてくれな。」

 

 ヒカルはミグの頬をやさしくちょんちょんとつつくと、その身体に手をかざして詠唱をはじめた。

 

「慈悲深き大地の精霊よ、我と汝の盟約に従い、無垢なる者を優しき夢の中へ誘え、ラリホー。」

 

 通常の戦闘時よりも長い詠唱の後、ヒカルの手から放たれた淡い緑色の光が幼子を包み込み、開き駆けていた瞼が再び、完全に閉じられた。

 

「お、おお、ミグ、大丈夫なんじゃろうな?」

「ああ、心配ない、眠りの呪文をごく弱くかけた。あと1時間くらいは眠り続けるだろう。」

 

 ヒカルは呪文の効果を小さくコントロールするため、普段とは違う長い詠唱を行っていた。生命を慈しむといわれる大地の精霊に呼びかけ、幼いミグを眠りと共に守護してくれるように『契約』を結んだのだ。

 

「ご主人様、あいつらもうすぐそこまで来てるよ!」

「大丈夫だ、奴らがこの家に入ってきてからが勝負だ、それまで落ち着いて相手の動きを探るんだ。扉を破る音が聞こえはじめたら、俺は呪文を唱えるから、ミミは奴らがこの家の中に全員入ったタイミングで合図してくれ、できるよな?」

「うん。」

 

 ミミはヒカルの問いかけに大きくうなずくと、息を潜め、窓から自分の姿が見えないように身を隠した。他の者たちはすでに部屋の隅へ固まって息を潜めている。ヒカルは一度に大勢を対象にした呪文を唱えたことがない。そこで詠唱に集中するため他の感覚をできるだけ遮断するように努めた。その間、ミミの優れた聴力によって、呪文の発動タイミングに関するサポートをしてもらうことにした。モモは殺気などの気配をある程度は感じ取ることができるが、かなり近づかなければ察知できない。それはせいぜい自分の周囲のごく限られた空間、それこそ今いる小さな部屋一つ分くらいの範囲でしかなかった。ミミの方は気配の察知はほとんどできないが、姉よりも視覚や聴覚といった感覚が鋭敏であり、今回のように敵が荒っぽい手段に出てきてくれているのは好都合であった。これが隠密性に優れた盗賊などに警戒するとなれば、別の手段を考えなければならなかっただろう。

 部屋の窓はすでに開け放たれ、日没が近づいてくるに従って低下してきた外気が部屋に吹き込み、一同の身体を震わせる。やがて、階下でどんどんという不快な音が鳴り響いた。ヒカルは自分の周囲にいる面々を見渡し、改めて全員がそこにいることを確認した。そして目を閉じて精神を集中し、呪文の詠唱に入る。

 

「天の精霊よ、翼を持たぬ我の翼となりて、彼の地へ導け。天よ、繋がれ……。」

 

 ヒカルを中心に放たれた魔力は次第に淡く青白いドームのように、その効果対象となる者たちを包み込んでいく。全員が効果範囲に入ったことを感覚で察知すると、彼は一度ふうと長く息を吐き、その口を閉ざした。一種異様な静寂があたりを包み込む。階下から確かに不快な音が聞こえているのだが、魔力の光の中はなぜか心地よい安心感に包まれていた。幼いミグが微動だにせず、安心しきって眠っているのは、先ほどのラリホーの効果だけではないのかもしれない。

 それからしばし、無言の時間が続いた。ほんの短い時間だったかもしれないし、割と長い時間だったかもしれない。そんな時間は、ドオォンというひときわ大きな音に遮られた。次いで数人の足音がなだれ込んでくるのが聞こえる。だが、侵入者の人数や詳しい動向まではうかがい知ることはできない。その中にあって、優れた聴力を持つミミは、集中して意識を研ぎ澄ますことで、襲撃者の人数と、彼らがおおよそ、下の階のどの位置にいるかということをしっかりと把握していた。

 

「ご主人様、みんな家の中に入ったよ!」

「……ルーラ!」

 

 ミミの発した言葉に、ヒカルはうなずくことで返事とし、発動句と共に今まで練り上げた魔力を解放する。淡く青白く光っていた球体からひときわ強い閃光が窓の外へ放たれ、しかしそれは一瞬の後に消え失せた。その後には最早、この部屋にいた誰1人の姿もなかった。

 

***

 

「取り逃がした、だと?」

「ひ、ひいぃいっ! お、お許しを~~! どうか、どうか命ばかりは!」

 

 薄暗い部屋の中で、痩せこけた顔色の悪い男の前で、地に伏して命乞いをする者たちがいた。彼らは皆一様に身を縮こまらせ、恐怖におびえ震えている。しかし、地に伏している姿は人間ではなかった。どう見ても、巨大なカエルだ。不気味な青い体色に、数多くのいぼ状の突出物が見える。ゲームでいうところの『ポイズントード』だろうか。

 

「もう後はないと言ったはずだな。お前らのような役立たずは必要ない。」

 

 男は抑揚のない冷淡な声でそう言い放つと、ひれ伏す3匹の大ガエルたちに向けて右手をかざした。

 

「ひ、ひいいっ!」

 

 3体の巨大ガエルはその場からなんとか逃げようと、カエルらしく大きく飛び退き、ザムエルから距離を取る。しかし、次に着地した瞬間、無慈悲な声が部屋に響いた。

 

「ギラ。」

 

 その言葉と同時に、3体のカエルたちは一瞬にして閃熱呪文(ギラ)の高熱に飲まれて焼け死んだ。あたりには肉の焦げる匂いが充満し、倒れてピクリとも動かなくなったポイズントードたちは、はじけるように光となって消え去り、3つの小さな宝石へと変化した。

 

「おのれ、忌々しい人間め……!」

 

 そう吐き捨てたザムエルの姿は、怪しげなローブを身にまとった魔物の姿に変わっていた。右手には、黒くまがまがしいオーブを携えており、その黒い球体から、暗紫色のオーラのようなものが漏れ出ているように見えた。

 

「ククク……、だが本来の計画には何ら支障はない。この町からいなくなってくれたのなら、それはかえって好都合だ。」

 

to be continued




※解説
リレミト:Ⅰからおなじみの呪文。洞窟や塔などのダンジョンから脱出することができる。本作では呪文書の記述を引用し、町でも使えたのだとヒカルが解釈したようになっている。
思い出の鈴:上記、リレミトと同じ効果を持つアイテム。ドラゴンクエストモンスターズで登場した。使い切りだが普通に道具屋で買うことができ、MPも消費しないので割と便利。
変化の杖:Ⅲから登場。外見の姿を変化させることができる。ただし、マップ配置されているオブジェクト以外のモンスターの目はごまかせない。システムの都合なのはわかるが、なんとも謎な仕様である。Ⅲでは、エルフをだまして祈りの指輪を購入することができる。ぼろ船を探すために必要な骨と交換しなければならない残念な運命である。ゲームでは姿を変えるだけだが、小説などでは能力がコピーできる場合もある。本作では姿のみコピーできる仕様とした。
モシャス:味方が使えば味方1人に、敵が使えばこちら側の味方1人に変身することができる。相手の能力をコピーできるが、その仕様は作品によって一定しない。本作では変化の杖同様姿を変えるだけにした。
ギラ:閃光で敵を焼き払うギラ系の初級呪文。最も早く覚える範囲攻撃呪文であり、初期の敵ならば一グループをまとめて一掃できる。これを覚えているのといないのとでは初期の攻略難易度にかなり差が出る。
ラリホーの詠唱:対象者を強制的に眠らせるラリホーは、ダメージを受けても覚醒することがないほど強力なので、そんなものを幼児にかけるのはちょっとなあ、ということで、理由をつけて威力を調整しました。ミグちゃんはまだ1歳半~2歳くらいの設定です。

一応、原作開始までのプロットは書き上がりましたので、これからぼちぼち書き進めていこうと思います。……10年分の物語を(え)。
引き続き、感想、誤字脱字報告等頂けますと助かります。
あと、活躍させて欲しいキャラを引き続き募集中です。活動報告かメッセージの方へお願いします。感想欄は規約でダメらしいので。


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第8話 怒りと憎しみと、仕組まれた革命!

やっと書き上がりましたが、悩みまくったので文字数が多いです。
分割しようかとも思いましたが、どこで切ろうか悩んだので、このまま行くことにしました。


 険しい山々が連なるその場所は、未開の地がほとんどであるといわれている。あまりにも複雑な地形のため、その全貌を知っている者など世界に誰1人としていないだろうと考えられていた。そんな山脈の中腹あたりに、なだらかに整えられた区画が存在していた。それは自然にできたものではあったが、後から人の手が加えられ、簡易的にではあるが居住できるように整備されていた。ここは、自給自足を営む1人の賢者が住まう場所。彼がここに住んでいることを知るものは、交流をもっている麓の村くらいのものであった。

 そのような場所に、簡素に建てられた小屋の中、大きなテーブルを囲んで数人の大人たちが顔をつきあわせていた。ヒカルは行使した瞬間移動呪文(ルーラ)により、師匠であるザナックの元を訪れていた。さしものザナックも、子供を含めて6人もがいきなり小屋の前に転移してきたことに驚いていたが、顔色の悪い女性と、モモに抱かれている幼子を見るや、話は後だといって母子に温かい食事を振る舞い、寝床を用意して眠りにつかせたのだった。その後、モモが残る皆の食事を改めて用意し、全員が空腹を満たした後、これまでに起こった出来事について、ザナックを囲んで話していたのだった。

 

「ふうむ、これはまた、えらく面倒なことに巻き込まれたもんじゃわい。」

「一番問題なのは奴らの目的が分からないことなんですが、いろいろ考えてみてもやっぱり思い当たることがなくて、手の打ちようもないのが現状なんですよね……。」

 

 確かに、現状それが最も大きく、かつやっかいな問題であることは疑いがない。モンスターたちは町を支配し、住民や旅人を苦しめ、最終的には何を成し遂げようとしているのか。単純に金儲けなどということはないだろう。それはゴルドの方の欲望であって、モンスターたちには必ず別の目的があるはずであった。

 

「それに、妙なんですよねえ。」

「ん? 妙、とは、どういうことじゃヒカル?」

「ええ、実は、あの町にいたモンスター、これまでの奴と気配が違うっていうか、なんだか違和感みたいなものをバリバリ感じるんですよ。うまくいえないんですけど、同じ名前の料理でも、作る人によって微妙に違うというか……? そんな感じです。」

 

 ザナックはふむと短く答えてから、顎に手をやって考えるポーズを撮った。他の者たちは程度の差こそあれ、よくわからないという表情をしている。当然だろう。言っている本人もよくわかっていないのだから。これは感覚的なことであり、うまく言葉で説明できるものではなかった。

 

「ヒカルよ、つまり、今回遭遇した、人に化けたモンスターとやらは、お主が今まで戦ってきたモンスターとは、創られ方が違う、そう感じたのじゃな?」

「……はい、そういうことになると思います。」

「料理のたとえでいえば、料理人、つまり作った者が違う。モンスターに当てはめると造り出した者、親玉が違うということになるかの。」

「……! そ、それってまさか……。」

「儂の仮説になるがの。それに、それが分かったところで今回の事件に何か役に立つわけでもあるまい?」

 

 それはザナックのいうとおりであった。結局の所、ザムエルの目的が分からないことには、対策の立てようがないのだから、モンスターの素性などは、分かっても分からなくても同じだということだ。

 

「う~ん、それにしても回りくどいことやるねぇ、こりゃあ、怒りだの憎しみだの恨みだの、そういう嫌な感情が町中に渦巻いてそうだねぇ。」

 

 不意に、それまでだまって話を聞いていたヤナックが、そんなことを言い出した。それを聞いたとき、ヒカルの中で、何かが1つに繋がった。

 

「そうか、そういうことか、ありがとうヤナック、これで奴らの狙いがなんとなく分かってきたぞ。」

 

 ヒカルはゲームで魔王が勇者に語っていた内容を思い出していた。確か、魔王は人間の負の感情を力としているといった描写があったはずだ。ゲームであれば単なる設定で、魔王の力はあらかじめセットされたデータに過ぎないが、ここは現実の世界だ。人間の負の感情によってその力が増幅されるとしても何ら不思議ではない。

 

「ザムエルの奴は、町の人たちや旅人を苦しめて、そこから生じる怒りや憎しみ、暴力に対する恐怖なんかを、何らかの方法で集めて、自分の親玉、例えば魔王とかに送ってるんだと思う。その方法は相変わらず分からないけどな。」

「ふむ、ありえるの。竜伝説においても魔王は負の感情の集合体、あるいはそれを糧とする化け物という位置づけになっておる。」

 

 しかし、疑問もある。先ほどザナックはさらりと流したが、今回対峙したモンスターたちの生みの親が今までと違うということは、彼らはバラモスの宝石モンスターではないということだ。なぜなら以前、炎の戦士と戦ったときに、彼はヒカルの『バラモスの宝石モンスター』という発言に、『そこまで知っているなら生かしておく訳にはいかない』という言葉を返している。この内容を信じるのであれば、今回の敵はバラモスたちとは違う、しかも宝石モンスターを作り出せるほどの力を持つ者を頂点に据える集団、ということになる。無論、これらはすべて原作知識と今までの情報を総合した、ヒカルの推察に過ぎないのだが。

 

「わ、儂には難しいことはよく判らんが、このまま放っておいたら町がどんなことになるか……。」

「そうですわね、目的がご主人様の考える通りなら、すぐに滅ぼされることはないとは思いますが……。」

 

 バスパが慌てたような、焦ったような声を上げ、モモがそれに応えるように難しい顔をする。確かに、モモのいうとおり、今すぐに町が滅ぼされる、などということはないだろうが、このまま放っておけば、ある意味では滅ぼされるより悲惨なことになりかねない。バスパを助けてしまった以上、見なかったことにするという選択肢も選べない。ヒカルはそのあたり、どこまで行っても平和な国のお人好しなのであった。

 

「でも、戻ってやっつけるとしてもどうするの? 何かの力でのぞかれていたりしたら、顔が判っちゃってるんじゃないのかな?」

「それは十分にありえるの、さて、どうしたものか……。」

 

 ミミが発した疑問に、ザナックは目を閉じて再び何か考え込んでいる。先ほどから、この場の全員が、厳しい表情を崩していない。日はすでにとっぷりと暮れ、空に浮かんだ月の光が、窓の外に広がる宵闇に光を灯している。その、青白い光と漆黒の闇で彩られたモノトーンの景色を、バスパはただ、じっと眺めていた。それはまるで、何かにすがるような、そんな表情であった。

 

***

 

 一夜明け、マイラの町はいつもと同じような朝を迎えようとしていた。朝日が昇りはじめる前から、港ではおもに漁師たちが、魚を捕るために船を沖へと繰り出しはじめていた。しかし、もしこの港町に長く住み、その生活を見続けてきた人間、バスパ老人のような存在がここにいたのなら、何かしらの違和感を感じたかもしれない。港から出る船に乗っているのは若い男たちのみで、いつも彼らをサポートしているベテランの漁師たちの姿がなかった。それでも、若者たちの声で活気にあふれた港はいつもと同じように動き始める。そう、若者たちも、まるでこれが当たり前のことであるかのように振る舞っている。ごく自然に声を掛け合い、スムーズな動作で順番に船を出していく。しかし、いつも頑固なベテラン漁師たちに叱咤されながらぎこちない動きで仕事をする彼らを見慣れている者たちからすれば、それは違和感のある光景と言って良かった。

 年長者たちはどこへ行ってしまったのだろうか? その答えは、この町でも一番大きなとある宿屋の一室にあった。

 

「さて、今回が最後の寄り合いだ。奴らには気づかれてねえだろうな。」

 

 部屋の入り口に立つ、小じわの目立つ中年の男、この集団の中では若い方に入るだろう者が、全員を見回して確認を取る。集まった者たちは他者と顔を見合わせ、それから大丈夫だろうという風にうなずき合った。

 

「大丈夫じゃろう、若い者たちががんばってくれてるからな。」

 

 男たちの集団は中年~初老のもので構成されており、その中でもひときわしわと白い髭の目立つ老人が、皆の言葉を代弁するように口を開いた。同時にそれが、彼らのいう最後の会合の、開始の合図となった。

 船に乗る者たちを総じて船乗りというが、その営業形態は一様ではない。大きく分けると魚を捕る漁船、荷物を運ぶ貨物船、人を乗せる客船などが挙げられるだろう。それらにしても捕る魚の種類や、運ぶ荷物の種類、客を乗せる船のグレードなどでいくつもに分けられている。そんな、船に乗る者や、港で仕事をする者など、船に関わる仕事をする者たちの組合というものが、ここマイラの町にも存在していた。港を支配し、町に台頭するゴルドに対して、彼らは今まで散々に煮え湯を飲まされた恨みを募らせていた。この町に暮らす海の(おとこ)たちは、程度の差こそあれ、性根はバスパ老人と大きな違いはない。多少荒っぽいものや、頑固な者がいるにはいたが、彼らは皆、海を愛し、己の仕事に誇りを持っていた。そんな彼らだからこそ、たとえ自分たち以上の力で押さえつけられていても、いつまでも不本意な状態で支配されることをよしとしなかったのだ。

 

「ザムエルの奴はいつもゴルドの館にいるわけじゃあねえ。たまに、今は使われなくなった別荘の方で何やら仕事をしているみてえだ。」

「狙うとしたらザムエルがいないときの方がいいな。あいつはさほど強いとは思えねえが、何かやたらに嫌なもんを感じるんだよなぁ。」

「ああ、俺もだ、俺たちとはまったく違う世界にいるような、うまく言葉にできねえんだが、まるで人間じゃあねえみたいだ。」

 

 男たちは一致して、ザムエルがいない間にゴルドの館を襲撃し、彼を倒して町の治安を取り戻そうとしていた。彼らはザムエルの正体など知る由もなかったが、理屈では言い表せない何か、そう、生物的な本能とでもいおうか、そういった類いの感覚が、彼らにザムエルに近づくことの危険性を知らせていたのだった。とにかく、船乗りたちはこの町の権力者に対する反乱を企てており、この世界にヒカルたちが住んでいた世界のような概念があるかは判らないが、それは確かに『革命』といえるものであった。

 

「しかし、向こうさんは力の強そうな連中ばかり雇ってやがる。俺たちも鍛えちゃあいるが、奴らは人を傷つけること、殺すことを生業(なりわい)とする連中ばかりだ。さすがに正面から突破するのは難しいかもしれねえぜ。」

「それなら心配ない、協力してくれるアテがある。」

 

 隣に座る男の疑問に、最年長の老人はにやりと笑みを浮かべて答えた。そして、自分の向かい側に座る人物へ視線を送る。そこには、青い僧侶服に身を包んだ、この場には明らかに場違いな男が座っていた。男は慈悲深い、いかにも聖職者といった穏やかな表情でかすかに笑うと、静かに口を開いた。

 

「心配はいりませんよ、我々教会の者たちが、皆さんの手助けをさせていただきます。」

「おいおい神父さん、そりゃあちいとばかりまずいんじゃねえのかい? 人殺しやけんかは御法度だろう、あんたたちは。」

 

 また別の男が上げた声は、この場にいる者たちの思いを代弁するものであった。

 教会とは、この世界の生命を司るとされる『精霊神(せいれいしん)』に仕える聖職者の団体だ。国境を超えて活動することもある彼らは、いかなる国家、組織にも属しておらず、ただ己が信じる神への信仰のみで組織を維持している。彼らはその信仰心を貫くため、いくつかの厳しい掟を定めていた。その中に、人間同士の争いに加担してはならないというものがあった。。モンスターなどが相手であれば別だが、通常人間同士の争いには、たとえ国家間の戦争であっても関与することはない。だからこそ、協力を申し出るこの神父の発言は、通常ではあり得ないことであった。

 男の問いに対して、神父はもっともだという表情で一度軽くうなずくと、優しいゆっくりとした、しかしはっきりとした口調で答えた。

 

「ですから、我々は傷ついた方々の治療に専念させていただきます。戦時でも負傷者の治療などは行っていますから、特に問題ないでしょう。今回は、特別に高度な回復呪文を扱えるシスターたちに来てもらうようにお願いしましたから、皆さんはケガを気にせず存分に力を振るうことができますよ。」

 

 おおっ、と声が上がる。この世界では呪文を扱える者は人間の中ではごく少数であるため、回復呪文の支援が受けられるとすれば大きなアドバンテージとなるだろう。それに、教会のシスターといえば、普段は人里離れた修道院にいて、滅多に人前には出てこないといわれている。その上超がつくような美人の集団だという噂もある。そんなわけで、いい年をした男たちの集団は、いろいろな意味で盛り上がるのだった。

 

「よし、それじゃあ今夜、ゴルドの館を襲撃する。あまり気が進まねえ者もいるだろうが、少なくともゴルドの奴はとっ捕まえろ。間違っても殺すんじゃねえぞ。……処遇は後日、選ばれた代表者の寄り合いで決めることにする。この話は商工会や自警団の偉いさんなんかにも通してあるが、この町に住んでる連中はほとんど知らねえ。計画が外に漏れないように十分注意を払って行動してくれ。」

 

 年長者の老人が皆の顔を見渡して、念を入れて最後の確認を行う。全員が無言で、しかししっかりとうなずいたのを確認して、彼は言葉を続ける。

 

「ゴルドの別荘の裏手に、非常食なんかがため込んである倉庫がある。普段は近寄る奴はいねえから、そこへ夕暮れ前に集合だ。神父さんがシスターたちを連れて、先に待っていてくれる手はずになってる。」

「はい、あの倉庫区画は半分ほどは使われていない建物です。非常時の避難場所を兼ねてますからね。十字架のマークがついている建物が教会の管理するものですので、そこへ入って食事でもしていてください。空き倉庫の扉は鍵を開けておきますから。」

「すまねえ神父さん、俺たちも協会に迷惑がかからねえように、あんたらを絶対に戦いには巻き込まねえように頑張るぜ。」

「ええ、どうかこの町に一刻も早く平穏を……。町の人たちや旅の方々が安心できるよう、よろしくお願いします。」

 

 そうして、にこやかに笑う神父と、男の決意を胸に秘めた船乗りの老人は、堅く手を取り合った。明日こそは、皆が心穏やかに朝を迎えられるように、そう願いを込めた誓いであった。

 

***

 

 さてその頃、同じ宿屋の別の一室では、2人の男が小さなテーブルを挟んで向かい合い、難しい顔をしていた。テーブルの上にはマイラの町の地図が広げられ、あちこちに何か文字が書き込まれている。

 

「こりゃ、思ったよりまずいことになっちゃってるわね……。」

 

 男のうちの1人がキセルをふかしながら、地図の書き込みを指でなぞってなにやら確認をしている。

「ああ、何かはわからないけど、大きな憎しみ、というか、闘争心というか、そういうものが町の至る所で感じられる。それに混じって、モンスターの気配が薄れてるみたいだ。」

 

 残るもう一人はやれやれと肩をすくめ、地図の一点をじっと見つめている。2人の男、ヒカルとヤナックは今朝早くからこの港町に滞在し、魔物たちの動向を探っていたのだ。あれから、今後どうするかを話し合ったのだが、メイヤの病が思ったよりも重く、とりあえずモモが薬師としての知識と技術をフル活用して治療してみるといってザナックの道場に残ることになった。そして現在に至っているわけだが、ここにはテーブルの上の地図とにらめっこしている2人しかいない。バスパとミグは元々この町から逃がしたのだから連れてくるわけにはいかない。メイヤが治療を受けているため、ミミが幼いミグの面倒を見るためにザナックの元に残ることになった。ヒカルはなんとか宝石モンスターたちの企みを阻止しようと、単身でもう一度町に戻ろうとしたのだが、その際に1人では何かと不便だろうと、ザナックの提案でヤナックが同行することになったのだ。

 

「朝、港の様子を見に行ったらどうも違和感があったんで、ちょいと調べてみたのよね。そうしたら、どうも今日はベテランの船乗りたちが顔を出してないって話差。しかも、ほとんど全員。こりゃあなんかあると探りを入れてみたんだが、結局それ以上のことはわからなかった。何かを隠しているのは確かなんだけどね。」

 

 モンスターたちに加えて、船乗りたちが何かをしようとしている? しかし、どちらもいったい何が目的なのかいまいち見えてこない。いや、人間たちの方だけを考えれば、ヒカルには予想していることがあるにはあったが、それは元いた世界であれば考えられる可能性であって、環境が全く異なるこの世界においても、人々の考えが同じように動くのか、はかりかねている部分があった。そのためヒカルは未だ決定的な情報が何もない状態で、自分の行動方針を決めあぐねていたのだった。やはり命のかかった戦いというものを、この世界に来るまでに何も経験していないものにとって、この世界で起こる戦いは、それこそ目前でリアルすぎる映像作品を見ているような、そんな考えの延長戦だったのかもしれない。しかし、この世界の住人であるヤナックにとっても、これから起こる戦いや男たちの覚悟など、想像できるものではなかった。彼はバラモスの存在をこの時点で知っている数少ない人間であるが、その脅威が身近に迫っているとはいえない。全体的に見れば、未だ世界は平和であり、それを脅かす者たちの恐ろしさを本当に知っているのは、ゾイック大陸のごく一部に生きる者たちくらいであろう。

 

「とりあえず、なんとも薄気味悪いけど、しばらく様子見だね、こりゃ。酒場も今の時間じゃそんなにたいした情報は手に入らないだろうし。」

「ああ、ヤナックも朝から大変だったろう、夕方くらいまで自由にしててくれ。」

「まったく、俺にあんたの手伝いしろとか、お師匠も何考えてんだか……。そいじゃ俺はしばらく、適当に時間潰してきましょうかね、休憩休憩っと。」

 

 ヤナックはそう言うと、そそくさと部屋を出て行った。敵対的な態度は以前と比べればなりを潜めている。それこそ、所見の人間が見れば気づかないだろうくらいには、表面上の2人の会話には特に敵対的なところはなかった。それでも、やはりコンプレックスから来る嫉妬というものは、そう簡単に消せるものではないのだろう。長く顔をつきあわせていれば、どこかで本音が漏れ出てしまう。そういったことを意識しているのか、ヤナックはこの町に来てから、いやおそらく、ヒカルがバスパたちを連れて戻ったときから一貫して、必要以上のことを口にしないようにしている、ヒカルにはそう思えた。

 

「やっぱまだまだ距離おかれてるなあ。俺、嫉妬されるほど才能あふれる人間じゃないんだけど。」

 

 実際、ヒカルはただのサラリーマンだ。能力もいたって平凡であり、誰かの才能をうらやむことはあっても、その逆の立場に立ったことなどなかった。しかしどういうわけか、この世界に来て魔法だけは人並み以上に使えるようになった。そのことでまさか自分が才能あるものとして評価され、嫉妬の対象になるとはさすがに予想できないことだった。そのため、ヤナックに向けられる感情は理解はできても、納得のできるものではなかったのだ。

 

***

 

 マイラの町にある倉庫区画は、港の一番西側の端にもうけられていた。それなりに広い面積が確保されてはいたが、常時使われているのは港に最も近い場所にあるごく一部だけで、それ以外は非常時の備蓄食料や、滅多に使わない物品、例えば祭りの道具などが置かれており、そういった場所には普段はまず人が近づくようなことはなかった。加えて、災害が起きたときなどの避難場所を確保するため、かなりの数の建物が空いた状態となっていた。また、この場所はゴルドの別邸からほど近く、計画を実行するには最適の場所であった。

 そんな、見た目も似たように単純で、しかしそこそこ頑丈な建物のいくつかには、入り口に様々な文様が掲げられている。それは各々の所有者や所有団体を示すサインであった。そのうちの1つ、入り口に十字架の印が掲げられた建物へ、1人の男が近づいていた。質素な布の服に身を包んでいるが、その下の肉体は鍛え上げられており、露出している日に焼けた手足は今までの武勇を誇るかのごとく、いくつもの古傷をのぞかせていた。男は入り口の扉のカギがかかっていないことを確認し、その中へと入っていった。中は薄暗いが明かりが灯してあり、歩き回るのには問題がない程度の視界は確保されていた。

 倉庫の棚には様々なものが木箱や坪、タルなどに入れられて整理されており、所狭しと並べられていた。平時でもきちんと管理されている証拠に、中は多少ほこりっぽい部分もあったが、カビの匂いなどが漂っていることもなく、静かで落ち着いた空間となっていた。

 一番奥、入り口から最も遠い場所には小さなテーブルがあり、その中央でランプの火が赤々と燃えている。それに照らされて、パンや肉、野菜や果物など所狭しと並べられた食べ物が配膳されていた。確か神父は食事でもして休んでいてくれと言っていた。ここにアルものも食べてかまわないのだろう。テーブルを囲む椅子と同じ数だけの食器が、きれいに並べられている様子をしばし眺めて、男は椅子の1つに座って軽く食事を済ませることにした。

 

「あら、お早いお客様ですこと。」

 

 急に、背後からかけられた涼やかな声に、男は引かれるように振り返った。自分の真後ろには、倉庫の二階へ続く急な階段が設置されていた。半分梯子のような作りのそれは、取り外しの出来る簡易的なものであったはずだ。今、そのすぐ脇に濃紺の修道服を着たシスターが立っており、こちらを見つめている。年齢はよくわからないが、あどけなさの残る顔から未だに20代には達していないように見受けられる。修道服の上からでは体型も良くは分からないが、盛り上がった女性特有の双丘の膨らみは、男の目線を一瞬止めさせるほど美しい形を想像させた。シスターは子供っぽい笑みを浮かべながら、男に近づいてさらに話しかけてきた。

 

「ごめんなさい、驚かすつもりはなかったんですけど。さあ、お出かけになる前にこちらのものは自由に召し上がってください。ここに上がっている以外にも、たくさん用意してありますので、遠慮なさらず。」

「あ、ああ、すまねえな。」

 

 男はシスターに勧められるまま、かごに盛られている大きなパンを取り、適当にちぎって口の中に放り込みはじめた。シスターは彼のちょうど向かいに座り、その食べっぷりをじっと見ている。時々口元が嬉しそうに微笑んでいるのが分かる。決して悪い光景ではないのだが、食事をじっと見られているというのはなんとも居心地の悪いものである。

 

「シスター、こんなオッサンの行儀の悪い食事風景見ても、おもしろくもなんともねえだろう。何でそんなに嬉しそうなんだ?」

「あ、すみません。食事を見られるのっていやですよね、その、ごめんなさい。」

 

 シスターは申し訳なさそうに少しうつむき、また再び顔を上げた。その顔は優しく微笑んでいたが、瞳の奥に映る悲しい色を垣間見たような、そんな感覚を男は覚えた。

 

「お父さんが生きていたら、こんな風に食べてくれるのかな、って。そのパン、私が焼いたんですよ。」

「……そう、か。なかなかうめえぞ、これ。」

 

 男はシスターの口ぶりから、だいたいの事情を察したが、さらに深く訪ねるようなことはしなかった。しばらくするとシスターは立ち上がり、上階へと続く階段の方へ向かってゆっくりと歩き出した。そして、一度立ち止まって、大きな骨付き肉にかじりついている男の背に向かって言葉を投げかけた。

 

「お食事が済んだら上へ上がってきてください。戦いに行かれる前に、私たちの方で簡単な魔法的支援をさせていただきます。」

「魔法的……支援?」

「あ、はい。簡単に言うと、戦いを有利に進めるためにいくつか魔法をかけておく、ということです。少し儀式的なことをしますが、苦痛はないので受けていってください。むしろ気持ちいいと思いますよ。」

 

 振り返らないまま問うてくる男に答えを返し、シスターの女は上階の闇へと姿を消した。船乗りの男には魔法の知識などなかったから、シスターが何をしようとしているのかは皆目見当がつかなかった。しかし、彼女の様子から、何かおかしなことをされるような気はしなかった。それに、先ほどから口に運んでいる食事も、質素に見えるが素材を選んでいるらしく、非常に美味いものばかりだ。それに、なんだか気分が高揚して力があふれてくるような感覚がするのは、おそらく気のせいではないだろう。これらの食事も、戦いに赴く者たちに用意されたもので、何か特別な魔法でもかかっているのだろう、男はなんとなくそう思っていた。

 男がもっと魔法に対する知識を持っていたなら多少なりともこの先の未来は変わっていたのかも知れない。この世界においてはもちろん、ドラゴンクエストというゲームにおいて、支援魔法を戦闘開始前に使用するという概念はほぼ皆無である。少なくとも魔法という手段を行使する限り、それは戦闘中に行うものである。しかもその種類は決して多くなく、守備力を上昇させる防御呪文(スカラ)集団防御呪文(スクルト)、攻撃力を上昇させる攻撃倍加呪文(バイキルト)、炎や吹雪を軽減する寒熱防壁呪文(フバーハ)くらいが良いところである。素早さを挙げる呪文なども存在はするが、特別な局面でなければまず常用されることはない。ほかのRPGにおいて割とオーソドックスな精神耐性強化、呪い対策、状態異常耐性などの対策も呪文では行うことが出来ない。それは、世界の法則がドラゴンクエストというゲームをベースに成り立っているこの世界でも例外ではなく、魔法やアイテムの知識に長けたものであれば、この状況に違和感を覚えるはずなのだ。そう、だからこそ、知識のない「彼ら」は選ばれた、ともいえるのだが。

 男はある程度腹を満たすと、シスターが登っていった階段を同じように上り、ほどなくその姿は見えなくなった。テーブルの上には乱雑に置かれた使い終わった食器が1組と、まだまだたくさん残っているごちそうが、揺れるランプの炎に照らされて、次に訪れる者を静かに待っていた。

 

***

 

 いつの間にか、西に傾いていた日は落ち、あかね色に染まっていた空は少しずつよるの闇に落ち始めていた。いくつかの倉庫の半開きになった扉から漏れる光が、わずかに周囲を照らしているが、街頭などないこの町では、倉庫区画の様子を肉眼的に捉えることは、夜目の利かない人間にはまず不可能であろう。

 質素な作りの倉庫の1つ、その扉が開かれ、船乗りらしき男と若いシスターが姿を現した。男は何か決意を込めた瞳で夜空を見上げており、シスターの方はそんな男をじっと見つめている。何故か、その頬は上気し、わずかに赤く染まっている。瞳は潤み、何かの余韻に浸っているようにも見える。ただ、その様子は夜の闇に阻まれ、一番近くにいる男ですら正しく認識することはできないだろう。

 

「大丈夫か? 無理して歩かない方が良い。」

「大丈夫です、これが私の……役目ですから。」

「役目、か。じゃあ、何が何でもこの町を、あいつらから取り返さなくちゃあな。それが俺の役目だ。」

「どうか、ご無事で……。生きて帰ってきてくださいね。」

「ああ。」

 

 男はシスターがどのような状況であるかを、見なくても理解していた。気遣いを見せる男に、シスターは何でもないというように笑って見せた。その笑顔はひどくもろく、今にも崩れてしまいそうに見えて、男は彼女を抱きしめてしまいそうになる。が、そんなことが何の助けにもならないということを、彼はよく知っていた。

 男の身体はうっすらと汗がにじんでおり、夜風が心地よい涼しさを与えてくれている。もうかなり寒い季節のはずだが、これも魔法的支援のおかげか、それに必要だと行われた儀式というもののせいなのか、彼の体は寒さで身震いすることはなかった。

 男は一度、シスターの顔をしっかり正面から見据える。よく見ると修道服で全身のかなりの部分が覆われている彼女の顔も、うっすらと汗がにじんでいるのが、薄暗い中でもなんとなく分かる。男は彼女に背を向けると、目的地に向かって歩き出した。夜の闇がマイラの町を覆い尽くす前に、目的地へ向かうべく、その姿はシスターから遠ざかっていく。

 男を見送るシスターは、徐々に暗くなって逝く町の中へと、男の姿が消えてしまっても、まだその場から動けずにいた。その目からこぼれる一筋の滴は、戦いの片棒を担いでしまった故か、船乗りの男に最愛の父親の姿を重ねたからか、あるいは、行われた「儀式」の故か……。それは誰にも分からない。そう、たとえ彼女本人だとしても、だ。

 

***

 

「ヒカルっ! 起きているか! 大変だ!!」

「ヤナック、お前も感じたのか?!」

「ああ、とんでもなく邪悪なエネルギーが、こ、この宿の真下から……!」

 

 深夜、誰もが寝静まっている暗闇の世界で、2つの出来事が起こっていた。そのうちの1つは今、ヒカルとヤナックが滞在している宿の、ちょうど真下あたりから恐ろしく邪悪なエネルギーが感じられるということだ。もっとも、彼ら2人の魔法使い以外に、そのことを察知できるものは、この町には誰もいないのだが。

 

「やっぱり予想は当たっていたようね。ザムエルとかいう奴は多分モンスターか、それに関わりのある奴で、何らかの理由で邪悪なエネルギーを集めている。」

「ゴルドと町の人を争わせて、そこから生じる負の感情をエネルギーに変えている……!」

 

 ヒカルとヤナックは言葉を交わしながらも、邪悪なエネルギーの出所を探して回っていた。それは放出されているというよりはむしろ、一カ所に集まってゆくような感覚で、彼らには感じられていた。しかし、どんなに探してみても、この宿にははっきりとわかる地下への入り口などはなく、どこでエネルギーが集められているのか、彼らにはわからなかった。さらに悪いことに、宿の従業員やほかの宿泊客の姿が見当たらない。殺されたか、何か別な手段を使われたのか、ここにいる人間はヒカルとヤナックのみであった。

 

「くっそう、何がどうなってやがるんだ。死体でも転がっているならまだしも、誰もかれも消えたようにいなくなって、もぬけの空なんて。薄気味悪いったらありゃしねえ。」

「ヒカル! 危ない後ろだ! バギ!」

「つっ……!」

 

 ドサリと何かが落ちる音がして、慌てて振り返ったヒカルの目の前に、大きな虫のようなモンスターが胴体の真ん中から両断されて転がっていた。外見から判断するに、「さそりばち」系統のモンスターだろう。薄暗い中で、その色を認識する前に、姿はかき消えて宝石になってしまったので、正確に何だったのかはわからなかった。しかし、それを悠長に考えている暇もなさそうだ。」

 

「ヤナック、伏せろっ! ギラ!」

 

 身をかがめたヤナックの頭の上を、光の帯がかすめるように広がっていく。そこから発した炎は、相対するカウンターにぶち当たると同時に、その陰に身を隠していた者たちをあぶり出した。

 

「キッヒヒ、お前たちがザムエル様の周りをかぎ回っていた奴らだな、邪魔立てはさせんぞ。全員、かかれっ!」

「「「「「メラ!」」」」」

 

 薄汚いローブを着た怪しげな5人の集団が一度に展開し、火炎呪文(メラ)の火球を同時に浴びせてくる。ヒカルはとっさにバックステップで距離おとり、自分とヤナックの周りに魔法力を展開する。

 

「ヒャダルコ!」

 

 放たれた魔法力は冷気の防壁となり、5発のメラを完全にかき消した。同時に上がった水蒸気が2人の人間をモンスターたちの視界に映らなくする。

 

「吹き飛べ! バギ!」

 

 水蒸気の煙の中から飛び出したヤナックが、敵の「まほうつかい」5体に向かって放った呪文は、瞬く間に突風を引き起こし、触れる者たちを切り刻んでいった。そして、小さな突風が収まった頃には、まほうつかいたちの姿はなく、床には散乱したカウンターの木片と、わずかな光に反射する数個の宝石があるだけだった。

 

「ふうっ、なんとかなったか……。」

 

 ヒカルは改めて、戦闘後の周囲の状況を見渡し、ふうと息を吐いた。この宿がどういう状況にあるのか、店主を初めとした従業員と宿泊客らはどうしたのか、そのあたりは未だ分からない部分が多い。ただ、自分たちのことに限っては、限りなく危険な状況であるのだけは間違いないようだ。

 

「ほう、まほうつかい達を倒したのか。やはり油断のならぬ奴よな。」

「誰だ!。」

 

 不意に、どこからともなくかけられた声に、ヒカルとヤナックはあたりを見渡した。そして、いつの間にか宿の入り口近くに、顔色の悪い商人風の優男が立っているのに気がついた。その男は、青白い顔に張り付いたような笑みを浮かべ、徐々にヒカルたちに近づいてくる。

 

「初めまして、だな。人間の魔法使い。私はザムエル。ゴルド様のお抱え商人のようなものだ。」

「ヒカル、こいつは……。」

「ああ、ヤナック、やっぱ思った通り、人間じゃない、宝石モンスターが化けているみたいだぜ。」

「ほう、そこまで分かっているのか、ならば、生かしておく訳にはいかないな……! 部下どもが始末できればよかったが、やむを得ん。私が直々にあの世に送ってやろう。」

 

 その言葉が終わるか終わらないかのうちに、ザムエルの体が黒い霧のようなものに包まれ、しかしわずかな時間でかき消えた。そこにあった姿は、怪しげな仮面を被り、白いローブに緑のマントを着用したものへと変わっていた。ローブの前面にはこうもりのような模様が縫い付けられており、長く垂れ下がった袖口から見えるその手の指が5本ではなく4本で、この存在が人間ではないことを示していた

 

「魔術師、か……!?。」

「それだけじゃないみたいね、まだまだ伏兵がいるようよ。こりゃあかなり分が悪いね。」

 

 そう言いながらヤナックの顔はすでにザムエル、魔術師の方を向いてはいない。そして、魔法のかごに乗ったまま別の一点を目指して飛んでいく。

 

「むっ、逃がすか! ギラ!」

「ギラ!」

 

 ヒカルは魔術師の発動句に重ねるように同じ発動句を紡ぎ、ほぼ同時に放たれた閃熱呪文(ギラ)は激しくぶつかり、ヒカルと魔術師のほぼ中間でいっそう強い光を放つ。

 

「むっ、おのれ!。」

 

 衝突した2つの呪文が巻き起こす熱波と、強い光に一瞬魔術師は敵への注意をそらしてしまう。しまったと思い、もう一度先ほどまで人間の魔法使いが立っていた位置に目をやれば、そこにはもう誰の姿もなかった。

 

***

 

 そのころ町の別の場所で起こっていたもう1つの出来事は、後に「流血の革命」などというあまり聞こえの良くない名前を後の時代の歴史家たちによってつけられてしまうものであった。夜の闇に紛れてゴルドの邸宅前に集まった船乗り達は、勢いに任せて強行突入を図ったのだ。荒っぽい海の男達と、荒事のために雇われた屈強な男達との戦いは、通常であれば後者の方に軍配が上がっただろう。しかしこの夜は違った。どういうわけか船乗り達の動きが、裏社会でそれなり以上に腕を振るってきたはずの者たちと互角どころか、それ以上のキレを見せていたのだ。。

 

「今までよくも町の(もん)を苦しめてくれたなぁっ!!! もうがまんならねえ!」

「ぐっ、ぐあぁっ! く、くそったれ、なんて馬鹿力だ!。」

「オラオラオラオラ! どけやぁゴロつきども!」

「ど、どうなってやがるんだ、ホントにただの船乗りかよぉ!?」

 

 動きの速さだけではない。武器を振るう力も、戦いを前にした気構えも、とても一般人のそれを軽く凌駕していた。船乗り達は確かに、海に出るたび自然と、魔物たちの脅威にさらされており、ほかの住人達と比べれば戦い慣れしているといえただろう。しかし、対モンスター戦と対人戦では勝手が違う。それに、人間というものは同族に対する攻撃を通常は躊躇してしまうものである。裏社会で常に「対人間」の殺し合いを身近に感じている者たちに比べれば、船乗り達は対人戦に不慣れであると言い切ってよく、この状況で優勢に立つ可能性はほとんどゼロだと言ってよかった。ゴルドに雇われた荒くれ者達は普段の勢いはどこへやら。終始押されている状況をまるで理解できないでいた。船乗り達の集団は徐々に館の護りを突破し、建物の内部へと侵入していく。そんな中で、荒くれ者たちは、攻め入ってくる集団に違和感を覚えていた。

 

「ど、どうなってやがんだ? あいつは確か……!?」

「オラオラアァツ! よそ見してんじゃねえっ!」

「ぐっ、くそったれええぇつ!」

 

 その男、頭を丸坊主にした筋肉質の巨漢は、自分と戦っている相手ではないある1人の敵の様子に驚いていた。そいつは確かに、少し前に自分の拳で床にめり込ませてやった相手のはずだ。かなりの力と速度でたたきつけたため、床板が体に刺さり、骨も何本か折れていて重傷といってよかったはずだ。とどめを刺す前に邪魔が入り、ほかの仲間に救出され前線を離脱したが、こんなに早く復帰できるはずがない。しかもどう見ても、傷ついた体はその痕跡も見られないほどきれいになっており、動きもまったく疲労が見られない。つまり無傷で体力満タンな状態なのだ。

 

「そんなバカなことが……! はっ!」

「そこだあぁっ!!」

 

 気にしてはいけなかったのだ。命のやりとりをしている最中にほかのことに気を取られるなど、戦いに身を置くものとしてあるまじきことだ。しかし、無理もないだろう。このとき船乗り達に起こっていたことを、ゴルド陣営はなにひとつ把握できていなかったのだから。いや把握できたとしても、理解することなどできなかっただろうが。

 

「うごあぁっ!!」

 

 がふっ、と口から血を大量に吐き出し、坊主頭の巨漢はその場に倒れた。その腹には先を尖らせた木の棒が深く突き刺さっていた。通常であれば、鍛え抜かれた筋肉隆々の男手あれば、全神経を防御に集中することで、この程度の攻撃であればほぼダメージを受けることはない。しかし、ほかのことに気を取られていたことと、木の槍とでもいうべき獲物にかけられたバイキルトの呪文の効果により、男の頑丈な身体は貫かれてしまったのだった。突き刺さった木の棒からは淡い光が放たれており、これが通常の棒きれではないことを明確に示していた。

 ゴルドとその部下達は知らなかった。船乗りに協力を申し出た新婦が、招き入れたシスター達の回復呪文(ベホイミ)で、傷つき前線から離脱した者たちを完全回復させ、再び送り出していたことを。さらに、さまざまな魔法効果のかかった食事を取らせることで、一定時間持続する補助呪文と同じ効果を与えていたことを。そして、シスター達と船乗り達の間である「儀式」を行わせ、戦闘に対する恐怖を拭い去る精神力強化を施していたことを。さらに、これらの対策が教会のいち神父の力で行えるものではないことを、この場の誰も知らなかったのだ。

 

***

 

 なんとか宿屋の外へ出たヒカルとヤナック。しかし彼らの眼前に、黒い塊のようなものがふっと現れ、それはすぐにモンスター、魔術師の姿となって彼らの行く手を塞ぐ。

 

「逃がすと思うのか?」

「ま、そうだろうね……、ヒャド!」

「なんの、ギラ!。」

 

 ヤナックの放った氷結呪文(ヒャド)の冷気は、間髪入れずに唱えられたギラによって打ち消された。閃熱に当てられた冷気が白い水蒸気をあたりに充満させ、またも視界の悪い状況になる。

 

「うわっ、しまった!」

 

 邪悪な気配に反応して振り返ったが遅かった。敵は獣型のモンスターのようであり、身体能力が並の人間と変わらないヤナックの遙か上を行く速さで迫ってくる。夜の闇に紛れ、その全貌まではわからないが、こちらと違って相手は夜目がきくようだ。

 

「ぐはっ!」

「ヤナック! くそ、光の精霊よ、闇を照らす道標を与えよ、レミーラ!」

 

 ヒカルは手を高く突き上げ、上空に魔力を放つイメージで呪文を唱える。瞬間、ヒカルを中心とする直径数十メートルほどが照らされ、今まで見えなかったものが昼間のように鮮やかに視界に映り込む。そして、青い体毛のウサギのようなモンスターの頭に生えた角が、ヤナックの腹部に突き刺さっているのが、少し離れた位置からでも確認できた。

 

「く、くそう……!」

「ラリホー。」

 

 どこから声が出されているのか全く分からないそれは、しかし確かに対象を眠らせる睡眠呪文(ラリホー)の発動句を紡いでいた。ヤナックの腹に突き刺さった角が怪しく光ったかと思うと、魔力を直接送り込まれたその体は弛緩し、まぶたは次第に閉じられていく。ほどなく角がずるりと引き抜かれ、ターバンに赤ジャケット姿の青年は腹部から血を流しながらその場に倒れ服した。

 

「アルミラージかよ……! けど、離れてくれたなら好都合だ! ドルマ!」

「ギエェエ!」

「天の精霊よ、我に翼を! トベルーラ!」

 

 ヒカルの身体が青白い光に包まれ、その体を浮遊させる。そして魔物の目にさえも止まらない速度で飛翔し、アルミラージの肉体が消え失せる頃には、ヤナックの傍らまでたどり着いていた。

 

「しっかりしろ、おい!」

「くくっ、無駄なことだ。ラリホーの魔力を直接身体にたたき込まれたのだぞ? その程度で目を覚ますわけがあるまい。」

「時の精霊よ、かの者に目覚めの時を告げよ、ザメハ!」

 

 ヒカルは即座に左手をヤナックの顔にかざし、覚醒呪文(ザメハ)の呪文を唱える。しかし、その間も腹部から流れ続ける血液が、ヤナックの生命をむしばんでいく。

 

「無駄なことを。目覚める前に出血で死ぬのがオチ……、何だとっ?!」

 

 相手をあざ笑う余裕の態度を見せていた魔術師は、しかし次の瞬間に驚愕に目を見開いた。……最も素顔は顔で隠れているために、他者からは見えないのだが。しかしこのときヒカルが取った行動は、魔術師だけでなく、彼の部下であるモンスター達をも、一瞬硬直させるような光景であった。

 

「ヤナックの血肉よ、その傷を癒せ、ホイミ!」

 

 ヤナックの腹部に当てられたヒカルの右手から淡く緑色の光が放たれ、傷を塞いでいく。幸い、傷口が大して広くなかったことで、最下級である回復呪文(ホイミ)でも問題なく出血を止めることが出来たようだ。

 

「ん……、ヒカル? お、俺は……。」

「しばらく休んでいろ、俺の未熟なホイミじゃ失血までは回復できない。」

 

 目を覚ましたヤナックだが、さすがに出血量が多かったのか、まだ起き上がることができないようだ。この時点で、魔術師の手の者と思われるモンスター達がヒカルとヤナックを取り囲み、じりじりとこちらへ迫ってくる。1対多数という状況に持ち込まれ、かなり不利な状況だ。

 

「ふふ、はははは、さすがに驚いたぞ人間。レミーラをあのような目的に使ったばかりか、2つの呪文を同時に行使できると鼻……。やはり貴様は危険すぎる。今すぐ始末した方が良さそうだ。」

「……を眩き閃熱のもとに蹂躙せよ! ベギラマ!」

「何っ!」

「ダラダラ長台詞を喋っているからだ!」

 ヒカルの手から放たれた閃熱呪文(ベギラマ)は、取り囲んでいたモンスター達を炎に巻き込み、一瞬にして宝石へと変化させる。しかしさすがにすべてとは行かず、手負いのものや、無傷のものが散見される状況だ。それでも呪文1発で、敵の数をかなり減らしたことは間違いないだろう。

 

「くっ、おのれ……! こうなればやむを得ん! 暗黒の宝珠(オーブ)よ! 我に力を!」

 

 魔術師の叫びと伴にその右手に黒い霧のようなものが集まってゆき、それは次第にゆらめく炎のようなものを形作っていく。モンスターの手がゆっくりとヒカルたちの方へ向けられ、その手に宿る力を放つ言霊が紡がれる。ヒカル1人ならよけるという選択肢があったが、手負いの仲間を置き去りにすることはできず、必然的にその場での防御を選択せざるを得なくなる。

 

「消えてなくなれ! ベギラマ!」

「くっ、ヒャダルコ!!」

 

 宣告、5発のメラを防いだのと同じように、ヒカルは凍結呪文(ヒャダルコ)を周囲に展開することで、ベギラマの炎を打ち消そうと試みた。しかし、通常の閃熱ではない漆黒のそれは、張り巡らされた冷気の壁を突き破り、2人の人間へと迫り来る。

 

「くっ、だめだ、逃げられない!」

「く、くそうっ、俺が動けないばっかりに……!」

 

 どれだけ悔やんでもこの状況はいかんともしがたい。RPGにおいて、魔法職は後方支援が専門である。屈強な前衛がいてこそ、魔法の力を十分に発揮できるのだ。この場にはヒカルとヤナックの盾になって攻撃を受けてくれる盾役(タンク)も、詠唱の時間を稼いでくれる攻撃役(アタッカー)もいない。

 黒くまがまがしい熱波は、2人の魔法使いを飲み込み、その身を焼き焦がしていく。ヒャダルコでかなり減衰されているため、致命傷とはならないが、しつこくまとわりつく黒い炎は、肉体の内部にも軽くないダメージを与えていた。

 

***

 

 ゴルドの手勢と船乗り達の戦いは苛烈を極めた。といっても、ゴルド陣営が一方的な被害を出していたわけではあるが。いずれにしても、この世界の人間レベルの戦いとしては、尋常ならざる量の血が流されたのは事実であろう。豪華な調度品や装飾に彩られた館はどこもかしこも血に染まり、多くの死体が転がる地獄絵図のような状況と化していた。戦いが長引くにつれ、船乗り達の攻撃は勢いを増し、ゴルドの館を守る屈強なはずの男達の骸は、元の人物の原形をとどめないほど無残な姿をしているものばかりになっていた。

 

「あの扉が最後だぞ!!」

「ぶち破れ!!!」

 

 ついに、館の最奥部にある部屋の重厚な扉が破られた。正確なことはわからないが、かなり分厚く重厚な鉄の扉を、2人の男が持つバトルアックスが打ち破る様は、医用としか表現できなかった。その2本のオノもまた、淡い魔法の光に包まれていた。

 

「ひ、ひいぃっ!。」

「よぉ、ゴルド。今まで散々俺たちをいいように使ってくれたよなぁ。」

 

 1人の船乗りが、部屋の奥にいるガウン姿の男に向かって一歩、又一歩と近づいていく。近寄られた小太りの冴えない風貌の男は、1歩、また1歩と後ずさるが、とうとう壁際まで追い込まれて逃げ場を失ってしまう。

 

「か、かか金ならいくらでも出す! もうお前達には何もしない、だ、だから……。」

「助けてくれってか?」

 

 追い詰めた側の男は、やれやれといった風にひとつ深いため息をつき、それから、人間のどこからこんな声が出せるのかというほどの大声で、そのうちに秘めた怒りをゴルドへたたきつけた。

 

「ふざけんじゃねえっ!!! てめえがいったいどんなことをしやがったのか、よおっく考えてみやがれ! てめえの欲のために町の者やよそから北旅の人たちをさんざんに苦しめやがって!!!」

 

 その男の声は部屋を、ともすれば館全体を振るわすかのような怒号であった。それがまだ言葉として聞き取れたのは、この船乗りの男が見た目によらずかなり理性的な人間であったからに他ならない。よくよく見れば、部屋に踏み込んだほかの男達の目は血走り、まるでどこかのごろつきのように下卑た笑みを浮かべているものさえいる。彼らは町を救うという当初の目的を忘れ、いつしかゴルド個人に復讐を果たす修羅の集団と化していた。

 

「おい、ゴルドの家族を見つけてきたぜ、オラ! 入れや!!。」

 

 部屋に入ってきた別の男が、縄でグルグル巻きに縛られた何者かを室内へ向けて蹴り飛ばした。手足を拘束されているため抵抗も出来ず、受け身も取れないその人物は、嫌な音を立てて床に倒れ服した。

 

「あ、あぁ。」

「や、やめてくれ、妻だけは、どうか妻と娘だけは……! そうだ娘は、娘のミーアはどこへ?!」

 

 先ほどまでのおびえていた姿とは一転して、ゴルドは船乗り達にくってかかる。それを見ていた、先ほど、おそらくゴルドの妻なのだろう人物を蹴り飛ばした男は、つまらなさそうな顔をして言い放った。

 

「ああ? 娘? 知らねえな、あ~でも、勢いに任せて突入してきたからよ、巻き込まれてお亡くなりになっちまったかもなぁ?」

「そ、そんな、た、頼むから妻だけは、妻だけは助けてくれ!」

「ああ? ふざけんじゃねえぞてめえ!!! てめえのふざけたやり方のせいでな、病気の家族の治療代が払えなくて死なせちまった奴や、ここにいる連中みたいなゴロつきに、娘をおもちゃにされたなんて奴もざらにいんだぞ!!! それを何か? てめえの家族だけ助けてくれってか?」

 

 ゴルドはそこで、返す言葉を失った。船乗りの男達の殺気に当てられてしまったからではない。怒りにまかせた怒号混じりの言葉とはいえ、彼らの主張はしごくまっとうなものに思えたからだ。元々彼は、多少欲深いところがあったとしても、少なくとも自分の家族の身を案じる不通の夫であり父親であったのだ。……もし、自分の家族が誰かのせいで死んでしまったり、人生を狂わされたのなら……? それを思ったとき、彼はここへきてようやく、本来の精神を取り戻したのだ。だからこそ、自分に怒りをぶつけてくる男の言葉に、何も言うことができなかったのだ。それは人として正しい心を取り戻しはじめていたともいえるが、すべては遅きに失していた。

 

「さあて、こいつをどうするか……。ゴルドよ、てめえの処遇は町の偉いさん達が決めるってよ、だから殺しはしねえ。だが……!」

 

 ゴルドは今度も何も言わなかった。船乗り達の目から理性の光が消え、何を話しても無駄だということを悟ってしまったのだ。絶望してしまったと言い換えてもいいだろう。そして、これからゴルドの妻に対して行われた仕打ちは「流血の革命」の最後を締めくくる惨劇として、後の世まで語り継がれることとなる……。

 

「やっちまえ!!!」

 

 その夜、大商人の豪邸に、女の悲鳴と、男の悲痛な叫びが響き渡った。それは館の襲撃騒ぎで静寂を破られた夜の港町に、消えない深い傷を刻み込んだのだった。

 

***

 

 ヒカルとヤナックはもはや、満身創痍といって差し支えない状況であった。ベギラマのダメージをその身に受けながら、彼らは勇敢に戦い抜いたと言ってよいだろう。しかし、初手から多くの呪文を行使してきたことで、未熟なヤナックのMP(マジックパワー)はとうに枯渇し、ヒカルのそれももはや風前の灯火であった。

 

「ほう、あれをしのいだか、ますます人間にしておくのは惜しい奴よ。ヒカルといったか、その名前、覚えておくぞ。……さあ、殺れ、おまえたち!」

 

 魔術師は勝利を確信し、残った部下達に攻撃の指令を飛ばす。3分の1程度に減ったが、それでも10体ほどいるモンスターの群れが、ヒカルとヤナックに向かって襲い来る。先ほど見たアルミラージが数体と、お化けアリクイ、さそりばちなど、どれも中級呪文1発で片付けられる程度の敵だが、今のヒカルには集団に有効な呪文を行使するだけの力はもはや残ってはいなかった。彼らの身体はまもなくモンスター達の爪や牙角などによって引き裂かれ、かみ砕かれ、あるいは貫かれることだろう。ヒカルの灯したレミーラの効果が薄れはじめたとき、モンスターの集団はすでに目前まで迫っていた。

 

「バギマ!」

「な、何だと?!」

 

 ヒカルたちが死を覚悟し、目をつぶった瞬間、聞き覚えのある声が響き、強烈な風が彼らの体をあおる。そして、不気味なモンスターの悲鳴と、何かがはじけるような音が聞こえてきた。ヒカルは周囲で起こっている事態を予測しながら、ゆっくりと目を開けた。

 

「ホッホッホッホッホ。」

 

 果たして、そこには節くれ立った杖を持った老人が、ふよふよと宙に浮きながら、まじゅつしを見据えていた。その小柄な姿からは想像も出来ないような膨大な力を本能で感じ、魔術師は身動きを封じられてしまっていた。

 

「まだまだ修行が足りんのう、2人とも。」

 

TO BE CONTINUED




※解説
バイキルト:攻撃力を2倍にするおなじみの呪文。本作では対象者と武器の両方に効果を示す設定にしている。いてつくはどうで消されるたびにかけなおしていたのは良い思い出。唱えられる奴が貧弱で先に死んでしまうこともよくある。
ホイミ・ベホイミ:おなじみ回復呪文。ヒカル君は回復系も使えますが苦手です。ヤナックはまだまだ未熟なのでこの時点では見習得ということにしました。
食事によるバフ:D&Dなどではわりと不通だが、食事を取ることによる追加効果というものがある。ドラクエでは通常はないが、この世界ではそういった考えの出来る奴が、少数ながらいるようだ。
黒いベギラマ:あるアイテムの力により、魔術師は魔力を増強されており通常は使えないベギラマが行使できる。しかもそれは通常のものとは異なる性質と、高い攻撃力を備えている。

負けイベント発生! ということで
なんと ザナックが たたかいに くわわった!
しかし、町の革命の方は……。
嫌な予感しかしませんねえ。


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第9話 暗黒の宝珠、闇にうごめく巨大な影!

ふう、なんとかできあがりました。また思ったより長くなってしまった。
冗長な文章を書く癖を直さないとなぁ。
短い文章で状況を的確に描写できる作者さんには頭が下がります。


 夜の闇の中、月明かりに照らされ、1体のモンスターと老賢者が対峙していた。老人の持つ杖にはすでに魔力が込められはじめており、攻撃を放つ瞬間を待っていた。対するモンスター、魔術師は本能的な恐怖に駆られながらも、なんとか精神を集中し、闇の力を借りた自らの最強呪文を放とうとしていた。互いに呪文を発動するタイミングをはかっているように見受けられる。

 

「燃えよ火球、我が敵を赤き灼熱の元に焼き尽くせ……。」

「暗黒の宝珠(オーブ)よ、我が身に力を!」

 

 互いの予備動作が終わり、老賢者、ザナックと魔術師はほぼ同時に発動句を口にした。

 

「ベギラマ!!」

「メラゾーマ!」

「な、なんだとおっ?! この呪文は……! うごあぁっ!!!」

 

 ザナックの持つ賢者の杖が光り輝き、魔術師に向けて巨大な火球が放たれた。それは敵単体に対して使うのであれば最強の攻撃呪文。あらゆるものをその紅蓮の炎で焼き尽くす火炎呪文(メラゾーマ)の炎。いかに特別なアイテムで強化されているとはいっても、中級呪文である閃熱呪文(ベギラマ)では太刀打ちできない。それほど、呪文の階級(ランク)は厳格であり、下位の呪文では上位の呪文を打ち破ることはまず出来ないのだ。

 

「うぎゃああっ!!!」

 

 魔術師は不気味な声を上げ、その身体の一部を燃え上がらせながら落下し、地面にべしゃりとたたきつけられた。まともにくらえば即死だったのだろうが、ベギラマの威力が強かったため、消し炭にならずに済んだようだ。それでもその肉体はかなりの部分が黒く変色しており、かぶっていた仮面もその一部が溶解しはじめている。

 

「く、くくっ、まさかこれほどの使い手がこの世界にもいるとはな……。わが主から預かった宝珠(オーブ)の力を借りても、太刀打ちできないとは……!」

 

 ザナックは地上に降り立ち、倒れ服した魔術師を見下ろしていた。その言葉に若干眉を動かしたが、手に持つ杖を魔術師に向け、とどめの呪文を放つため魔力を蓄えはじめる。

 

「……確かに貴様は強い、いや、そこの2人の魔法使い達も十分に……。だが、この戦いは私の勝ちだ。たった今、ゴルドと船乗りどもの戦いに決着がついたようだ。これで私の役目は終わった……!」

 

 ザナックが何か言葉を発しようとする前に、魔術師は懐から短剣を取り出し、それを自分の体に突き立てた。もはや話すこともやっとで、どこからそんな力が出せたのかわからなかったが、そんなことに考えを巡らすまもなく、モンスターの肉体は消え去り、小さな宝石に還った。

 

***

 

 少女はごく普通の年頃の娘であった。大商人の家に生まれたため、幼い頃から裕福ではあったが、それ以外は何の変哲もない、女の子らしい人生を歩んできたといえる。それが、今日この日に終わりを告げた。

 いったい、何が運命を狂わせたのか、最愛の父は、いつのころからか町の港を支配し、船乗り達や港に関わる者、旅人達を苦しめるようになってしまった。もともと、どちらかといえば臆病で控えめな性格の父は、家族にとってはとても優しい人物であった。それ故、仕事仲間や館の使用人などからの評判も決して悪くはなかったのだが、どこから何を間違えてしまったのだろうか。

 まだ年端も行かない少女にはわからない。父が変貌してしまった理由も、自分が今何故宵闇に紛れて生まれ育った町を逃げるように去らなければならないのかも。しかし1つだけ確かなことがある。父にも母にも、おそらく二度と、生きて会うことはできないだろうということだ。自分を逃がしてくれた、昔から父に仕えてくれていたお抱えの料理人が教えてくれたのだ。館を襲ってきた者たちの目的を。父を捉えて、おそらくは処刑するためだろうということを。

 この日、1人の少女が町から姿を消した。身につけた所持品は旅をするには心許ないといわざるを得ない。それでも彼女は走り続ける。走らなければならない。自分を助けてくれた使用人が持たせてくれたわずかなゴールドを握りしめ、頼りない旅人の装備で身を固め、彼女は1人、マイラの町を後にした。

 少女は豪商ゴルドの娘、名をミーアといった。

 

***

 

「しっかりせい2人とも、ベホマラー。」

 

 ザナックの持つ杖から緑色の光が放たれ、ヒカルとヤナックを包み込む。複数の者を同時に回復させる集団回復呪文(ベホマラー)の効果により、2人の傷はたちまち塞がり、その痕跡すら見えなくなった。互いに顔を見合わせ、お互いに無事であることを確認し、2人はほっと安堵のため息を吐くのだった。

 

「これこれ、まだ安心はできんぞ、あの宿がどうなったか確かめてみねばのう。」

 

 ザナックの言葉に従い、ヒカルたちは元の宿屋に戻ってみる。相変わらず戦闘で破壊されたホールがあるだけである。ランプに灯はともっているが、客はおろか従業員の姿すら全くない。あれだけの騒ぎがあったのに、1人の客も起きてこないというのは明らかにおかしいことだ。それ以上に、従業員の姿さえ全くないというのには最早違和感しか感じない。

 

「やっぱりか、いったい皆どこへいっちまったんだろうな?」

「初めからおらんかったんじゃよ。」

「へ?」

「正確に言うと、少なくとも、従業員は人間ではなかったか……いや、ヒカルに感知できなかったということじゃから、高度な幻術のたぐいじゃろう。……客の方はまだわからんがな。」

 

 ザナックはこの宿の異変の原因がわかったようだが、残る2人はさっぱりわからず、お互い顔を見合わせ、そしてやはりどちらも首を横に振るのであった。

 結論から言うと、この宿は魔術師の手のものが町の者や旅人の動向を探るために隠れ鞘として利用していたようであった。客室には宿泊客がいるにはいたが、特殊な薬で深く眠らされており、あれだけ派手に呪文がぶつかり合った音を耳にしても全く目を覚まさなかったのだ。相当にやっかいな薬らしく、結局これは後日、薬師であるモモの手に委ねられ、宿泊客達が目を覚ますのは何日も後のことになる。

 

「ふむ、しかし客の方も大半は幻術か……。」

「お師匠、そんな術が本当にあるんですか? 宿全体にかけられて、現実感を伴った幻術なんて、聞いたこともありませんよ?」

 

 ヤナックの疑問に、ヒカルも確かにとうなずく。ドラゴンクエストの世界観では、TRPGなどでは割とよくある高度な幻術は通常の呪文では作り出すことができない。幻惑呪文(マヌーサ)では相手を軽く惑わす程度の効果しかなく、どんなに優秀な使い手が行使したとしても、現実と見分けるのが難しいような高度な術を宿屋のような大型の施設全体にかけるのは不可能であった。故に、このレベルの幻術となると、呪文以外の特別な手段を用いたことになる。そうなると、低レベルモンスターである魔術師が単独で行っていたとはとても考えにくい。もっと高位の魔法使いか、賢者や邪教の神官などの最高位クラスの術者でなければ、個として行使するのは不可能だろう。あるいは、複数の術者が協力して行っていたということも考えられるが、これも術者1人1人の呼吸を合わせなければならないため、かなり難しいと思われた。

 

「1つだけ、可能性があるとしたら、魔法の道具(マジックアイテム)ですかねぇお師匠?」

「うむ、あの魔術師、オーブがどうのとか口走っておったの。強力な闇の力をこの建物の下から感じた。消えかかって折るが、今ならまだ何かつかめるかもしれん。」

 

 ヤナックの言葉に首肯したザナックは、2人を伴い再び階下へと降りた。そして、呪文で破壊され尽くしているロビー全体に魔力を張り巡らせ、呪文を唱えた。

 

「いたずらな風の聖霊よ、強固に閉ざされし扉の鍵を開け放ち、未知なる世界を我の前に示せ。アバカム! ……なんてのぉ。」

 

 ザナックの詠唱とともに、木製の床が淡く発行し始める。広い床面の一部がいっそう強く光を放ち、その光が消える瞬間、ガチャリと金属のぶつかるような音が聞こえた。

 

「ありゃまあ、床に隠し扉、ずいぶんと注意して探したはずなのに……。」

「相当念入りに隠されていたみたいだな。しっかしすごいですねザナック様、フロア全体にアバカムかけるなんて、普通思いつきませんよ?」

「なに、ヒカルよ、お主が詠唱なんていう古代の遺物を掘り起こしてきたもんでな、儂もひとつ、まねをしてみただけじゃよ。正確な詠唱は、魔法の精度を上げたり、範囲をコントロールしたり、性質を変えたりと、いろいろとできるようじゃの。ホッホッホッホッ。」

 

 先ほどまで、ほかの床板と何ら区別がつかなかったその場所には、下へ向かって扉が開いており、地下へ向かう梯子のようなものが見えている。ザナックは杖の先にレミーラの光を灯し、浮遊しながら扉の先へと降りていく。続いてかごに乗ったヤナックが、最後にヒカルが梯子を伝って階下へと降りていった。

 地下の通路は入り組んでおり、縦横無尽に張り巡らされた細い通路と、いくつもの小部屋が入り乱れ、目的の場所に到達するまでにそこそこ時間を取られた。やがてひとつの奇妙な部屋で、一行は立ち止まることとなる。

 

「また行き止まりぃ? ど~なってんのよもう。」

「いや、まてヤナック。ここの床、何かおかしいぞ。なんで青い星みたいなマークが書いてあるんだ? ……! これはもしかして?!」

「どうしたんじゃヒカル、急に大声を出して。」

「あ、ああすいませんザナック様。ワープの魔法陣かなんかですかね。これは。」

 

 床に描かれたそれは、魔法陣と呼べるのかどうかよく分からない印ではあったが、ヒカルにはこれがワープゾーンの入り口であろうことは察しがついていた。その印は、ドラゴンクエストⅤでダンジョンに設置されていた、上に載ると比較的近くにある同じ印の場所へ転移できる仕掛けであった。

 

「なるほど、たしかにこれは空間転移系の魔力装置じゃな。よく気がついたのお、たいしたもんじゃ。」

「いや、ははは、まだ動かしてみるまで、どうなるかわかりませんよ?」

「ふ~~んだ、どうせ偶然でしょうが。」

「ヤナック、お前はまだまだ修行が足りん用じゃから、後でみっちり基礎からやり直しじゃ。」

「ふえぇ~、そんなぁ~~、がっくし。」

 

 事実、ヒカルはこの装置のことを知っていたから、驚きもしたしどんなものであるのかを正確に言い当てることが出来たのだ。だから偶然だというヤナックの指摘は実は結構真実を言い当ててもいるが、お師匠様がそれに気づくことはないのである。

 

「とりあえず、上にでも乗ってみるかの。何が起こるかわからんから、儂の傍を離れるな。」

「「はい。」」

 

 ザナックが床面に降り立ち、星形の印のちょうど真ん中あたりに立つ。そのすぐ傍にヒカルとヤナックも並び立った。まるでそれを待っていたかのように、青白い光が3人を包み込み、一瞬にしてその姿もろともかき消えた。

 

***

 

 マイラの町の一角で、血に染められた惨劇が幕を下ろしてから、幾ばくかの時間が過ぎ去った。まもなく空が白みはじめ、港から朝一番の漁船が出航する頃になって、事態は徐々に町の人々に伝えられていった。ゴルドは町の商工会をまとめている人物の元へ身柄を引き渡され、その処遇は後日町の有力者達の寄り合いで決められることとなった。もっとも、どんな結果になるにしろ、ゴルドには最早それに抵抗する気力はなかった。目の前で無残に命を削り取られていった妻。最愛の女性の悲痛な叫びが、苦悶の表情が、ゴルドの精神を完全にたたき折ってしまっていた。船乗り達の方はというと、すべてが終わり家路につく頃になって、ようやく我に返ったが、どういうことか館の襲撃に関する記憶が、まるでもやのかかったようになっていてうまく思い出せないでいた。よって、後の世に語られるこの革命の記録は、そのほとんどが襲撃を受けた館で辛くも生き残った者たちの証言をもとにして作成されたものであった。

 この夜の出来事が伝わっていく過程で、その悲惨さに眉をひそめるものもいたが、町の住人や旅人達にとっては船乗り達を非難する理由は特になかったと言える。これで港は正常に動き、人も物資もスムーズに流れるだろう。この結末はゴルド自身が招いたものであり、今までの行いのつけが回ってきたのだと、皆はそう考えていた。

 

「愚かですねぇ。あの革命で行われたことと、ゴルドが今まで荒くれ者達を使って行ってきたこと、いったいどこが違うというのでしょうか。」

 

 明け方の教会で、窓から空を仰ぎながら、その男、神父はぽつりとつぶやいた。周囲には修道服を身にまとった美しいシスター達が控えている。しかし、彼らの顔はまるで仮面のように無表情で、そこからは何の感情も読み取ることは出来なかった。

 

「さあ、人間というものはよく分からない生き物ですな。っと、この体はどうしましょうか? 我らが抜け出せばたちまちのうちに朽ちてしまいますぞ。」

「どこか人目につかない遠いところで、燃やしてしまうのが無難でしょう。騒ぎ立てられるとやっかいですしね。」

「では、夜が明けないうちに、行くとしますか。」

「そうですね。そろそろ教会の手が入りそうだ、さすがに奴らに見つかると面倒なことになります。」

 

 神父とシスター達は互いにうなずき合うと、まだ夜の明けない町中を音も立てずに歩き出し、人の歩みとは到底思えないような不自然な歩き方と速度で、町の外へ広がる闇へと消えていった。彼らの会話はおよそ神父とシスターの会話とは思えないものであった。神父の声はその口からではなく、足下から響いていた。これが昼間であったなら、そこから伸びる黒い影が人間のものではなく、影のように不定型なモンスターだと気がついたかもしれない。あいにく今はまだ暗く、その姿を視認することは誰にも出来ないが、それはゲームでいうところの「シャドー」というモンスターに酷似した姿だった。シスター達の頭上には淡い青色に光る人魂のようなものがゆらめき、目と口のように見える黒い部分が不気味にゆがんでいた。ドラゴンクエストⅣに登場する廃坑を徘徊するその人魂は、この世に未練を残したものの魂のなれの果て『さまよう魂』と呼ばれていた。

 この小さな港町で起きた事件は、すでに述べたとおり後世の歴史家達によってその全貌が明らかにされている。しかしそれはあくまで『表側』の部分のみであって、その裏で暗躍した者たちや、それと対峙した者たちのことは一切、記録には残っていない。この事件を伝え聞いた人々は、人間の負の部分を垣間見、その残虐性に身震いした。しかし、そのすべてが、邪悪な者たちによる策謀の結果であると気がついた者は、世界にほんの一握りしかいなかった。そして、その邪悪なる存在の正体を知る者は、現時点では世界に誰1人として存在しなかった。

 

***

 

 ワープ装置で移動したその場所は、闇に包まれていて何も見えない。しかし確かに、邪悪なエネルギーの残りかすのような気配が、おそらくたいした広さはないであろう室内に充満し、なんとも不気味で冷や汗を浮かべてしまう。再び呪文で明かりを灯そうとしたとき、急にボッという音と伴にゆらめく炎が現れ、その数は次第に増えてゆく。

 

「ひえぇ、何なのよ?!」

「うろたえるでないヤナック、それだから修行が足りんのじゃ。」

 

 やがてヒカルたちを取り囲むように灯がともり、密室になっている地下室の全貌をぼんやりと映し出した。どういう仕組みか分からないが、ゆらゆらと揺れながら燃えているのはろうそくの炎であり、誰かがこの部屋に入ると添加される仕組みになっていたようだ。人感センサーなんてこの世界にあるのか? などとややはずれた考えを巡らせるヒカル。改めて一同は部屋の中を見渡してみるが、怪しいものは何も見当たらない。というか、壁に備え付けらしい燭台とろうそく、粗末な棚やタンス、テーブルや椅子といった質素な家具が並んでいるだけで、怪しいものはおろか、気になるようなものは何一つなさそうだった。念のためタンスの中などを調べてみても、何の変哲もないアイテムが数個見つかった程度で、そろそろ薄れかかっている邪気と関係のありそうなものは全く見つからなかった。

 

「ふむ、どうやら奴のいうとおり、まんまと本来の目的を果たさせてしまったようじゃの。」

「残念ながら、そのようですね。しかし、これだけで終わるとは思えない。どう考えても、ほかにも負の感情を集める何らかの計画を、俺たちの知らないどこかで秘密裏に進めていると考えた方がいいでしょうね。」

「うむ、バラモスのことだけでなく、こちらも注意が必要なようじゃの……。」

 

 結局、新たに分かったことは何もなく、残ったものはこの町で権威を振りかざした豪商と、それに立ち向かった船乗り達、その結果として起こった『血塗られた革命』という表向きの事実だけであった。

 

***

 

 そして、夜が明けた。すでに町の中では、昨晩の襲撃の事実が至る所に伝わっており、大変な騒ぎになっていた。町の有力者達は事態の収拾に向けて、これからしばらくの間忙殺されることになる。襲撃以外にも、教会の神父がいなくなったとか、ゴルドの娘だけ遺体が見つからないとか、町で一番大きな宿屋が一晩で廃墟のようになったとか、細かいことまで取り上げたら、それはもういろいろとあった。そんななかで、人知れず魔物との戦いを終えた老賢者とその弟子達は、騒ぎが大きくなる前にホーン山脈へと引き返していたのだった。

 

「な、なんと、そのようなことが……!」

 

 ザナックから事の顛末を聞かされたバスパは、それっきりかなりの時間、言葉を発することができなかった。船乗り達の暴動そのものにもかなり驚いたのは確かだが、それよりも、知らぬ間にモンスター達が暗躍し、革命すらも仕組まれていたという事実に愕然としたのである。

 

「調べてみなければ詳しいことはわからんがの、モンスター達は人に化け、高度な幻を操り、町の生活に違和感なく溶け込んでおった。お主達、町に戻って何か不自然なものを見ても、知らぬふりをしておるのが身のためじゃぞ。深入りするとろくなことにならんからの。」

 

 ザナックからの忠告に、バスパは黙ってうなずくことしかできなかった。彼には人間に化けたモンスターの区別ができないのだから、下手に何かを知っているようなそぶりでも見せようものなら、どのような目に遭わされるのか分かったものではない。いやこの際、老いた自分はまだ良いが、若いメイヤや幼いミグのことを考えると、いかに頑固で曲がったことが嫌いな老人も、おとなしくしているほかはないだろうと納得せざるを得なかった。

 しかし先行きがまだ不透明な部分はあるものの、この先の展望はさほど暗いものでもないだろうと、この場の皆が考えていた。モンスターの大半は、あの革命が終わり、魔術師が倒されたことでどこかへ去って行ったらしく、その気配のほとんどが町から消え失せていた。まだ町に残っているモンスターもいるようだが、当面は大きな動きはしてこないだろうと思われた。

 バスパにとっては良いこともある。メイヤの病が完治可能であると、薬師であるモモが診断したことだ。エルフとしての彼女の高い能力で作られた薬で、メイヤの身体は少しずつだが確実に回復している。治療を続ければ数週間で完治できるだろうということだった。そんなわけでメイヤの病がある程度回復するまで、ヒカルたち一行の旅もしばし中断され、しばらくザナックの道場に滞在することとなった。

 

「あ~メイヤさん、人妻かぁ、きれいな人なのに、残念。」

「アホなこと言っておらんで、さっさと水くみに行ってこんか!」

「は、はいいっ! かしこまりましたあぁっ!!」

 

 約一名、さきの戦闘で自分の未熟さを痛感し、もう少し真面目に修行しようと決心したはずが、結局本質は変えることが出来ない困った男もいたのだが、彼がお師匠からさらにきつい修行を言い渡されて大変な思いをするのは、また別の話である。

 

「ありゃ、またザナック様にどやされてんな、やれやれだ。」

「そういう割には、楽しそうな顔をしていますね……。」

「まあね、あれがなくなったらあいつらしくないからな。それはそうと、顔色も大分よくなってきたね。まだしばらく治療は続けないといけないだろうけど、とりあえずは安心、かな。」

「……本当にありがとうございます。見ず知らずの私のために、皆さんこんなによくしてくださって。」

 

 先ほど、ザナックやバスパ、ヤナック達がやりとりをしていた大部屋から扉を一枚隔てた小さな部屋。そこで、簡素な作りのベッドから半身を起こしたメイヤと、なぜだか床に胡座をかいて座っているヒカルとが話をしていた。ヒカルの様子を気にしてか、メイヤはすまなそうな顔をしている。

 

「あ、あのすみませんヒカルさん、うちの子がご迷惑を……。」

「はは、なんでこんなおじさんにくっついて離れないんだろうねこの子は……。あ、いや別に迷惑とかじゃないからいいんだけどさ。俺、子供は好きな方だけど、ここまで懐かれるのは初めてだからちょっとびっくりしちゃってね。」

「ミグはけっこう人見知りをするので、私もちょっと驚いているんですけどね。どうしてなのかしら?」

 

 ヒカルの膝の上には、その身体にしがみつくようにして抱きついて、気持ちよさそうな寝息を立てているミグがいた。ヒカルたちが帰ってきて仮眠をとったあと、皆で朝食を食べたのだが、何故かずっとヒカルの膝の上から離れず、歩けばとことこと後ろをついてくる。離れていた時間といえば、授乳のために母親に抱かれていたときくらいのものである。ヒカルは自分で言っていたとおり子供は好きな方で、割と好かれることが多いが、ここまで懐かれたことはさすがにない。嫌なわけではないが、どうしてだろうと不思議には思っていた。それは周囲の者たちも同様であったろう。

 

「おや、また眠ってしもうたのか。」

「はい、もう俺も眠いから、部屋でこの子と一緒に寝ますわ。」

「そうじゃな、下手に引き離すのもあまりよくないかもしれん。その子はその子なりに、不安と戦っておったのかもしれんからの。」

「そうですね……。じゃ、メイヤさん、お大事に、ミグちゃん連れていきますね。」

 

 ヒカルはミグを抱いたまま立ち上がると、ザナックが開けた扉から部屋を出て行った。ザナックはベッド脇の丸椅子に腰を下ろし、ふうと軽く息を吐いた。よく見ると手には何やら温かい飲み物が入った茶碗を持っている。

 

「ほれ、モモの作った煎じ薬じゃ。熱くて苦いからゆっくり飲むのじゃぞ。」

 

 メイヤはザナックから薬を受け取ると、指示されたとおりにゆっくりと飲み始めた。相当に苦いらしく途中顔をしかめながら、時間をかけて薬を飲み終えると、その身をベッドに横たえた。ザナックは彼女に毛布を掛けてやりながら、これまでの出来事を思い返していた。人間の町に潜み、人に化けて暗躍する魔物たちと、それを束ねるものの存在。バラモスとは違う邪悪な存在が、徐々に表だった行動をはじめている。いろいろ考えるべきことは多いが、現時点では情報が少なすぎる。こちらも何らかの手段を考えなければ、後手後手に回って取り返しのつかないことになる恐れもある。……思考の海に落ちそうになって、ザナックははっと我に返った。とりあえず今は、当面の問題から片付けていくほかはないだろうと、考えを打ち切り、眠たそうな目を開いてこちらを見つめている女性に声をかける。

 

「思うところはいろいろあるじゃろうが、今は体を治すことだけ考えるのじゃぞ。」

 

 おそらくザナックの前で眠ってしまうことに引け目を感じているのだろうか。そんな彼女を安心させるように、ザナックは後は何も言わずに、椅子から立ち上がると扉の方へ歩いて行く。そしてゆっくり静かに扉を閉めたときには、メイヤはすでに浅い眠りに入っていた。扉の向こうで聞こえはじめた規則正しい小さな寝息を、その超人的な聴覚で感じながら、老賢者はこの場を後にした。

 

***

 

 雲一つない青空の下、真っ青な海に立つ白い波。心地よい風に吹かれながら、ヒカルたち一行を乗せた船は、当初の予定より若干遅れた日程で、マイラの港を出港した。甲板に積み上げられた木箱の上に立って、ミミは飛び去っていくカモメの群れを眺めている。ヒカルとモモは2人並んで、遠ざかってゆく港を見つめていた。

 革命騒ぎがあったおかげで、港町の機能が一時的に停止し、旅人達の出発は遅れることとなったが、それでも騒ぎの大きさを考えれば復旧は早いほうだっただろう。今後は出入りする船の数も元に戻り、旅人達も不自由するようなことはなくなるだろう。とりあえずそのことに、ヒカルはほっと胸をなで下ろすのだった。

 しかし、気を抜くことは出来ない状況だ。原作通りであれば、あと約9年後にはバラモスの侵攻が開始される。しかしバラモスがヒカルの知っているとおりの行動をするという保証などどこにもない。なるべく早いうちに世界を回り、魔法を広めて歩きたいとヒカルは考えていた。そして、今回の敵、魔術師の後ろで暗躍していた『主』なる者の存在。こちらはどのような敵であるのか、またどういった力を有しているのか全くの未知数であり、どういった手段で、人の負の感情を集めるという目的を達成しに来るかが読めない状況である。とりあえず、これから訪れる町の様子を、注意深く観察していくしかないだろうとヒカルは考えた。

 

「ご主人様、きれいな海ですわね。」

「ん? ああ、そうだね。」

 

 いつのまにか、モモがヒカルの腕に自分の腕を絡め、密着していた。何か嫌な予感がしたが、物思いにふけっていたため反応が一瞬遅れてしまったようだ。彼女の前で、それは致命的と言って良いミスである。モモの女性特有の柔らかなものがヒカルの腕に当たって形を変えている。いや、最早それは押しつけているといってよく、主人が動かないのをいいことに、従者のエルフの行動はエスカレートしていく。

 

「だあっ、こら、胸を押しつけるんじゃない胸を! ここは船の、交通機関の中なの! どうしてそういうことするかな君は!?」

「いいじゃないですかぁ、こうしていると気持ちいいんですもの。はっ、あうん。」

「ええいっ、離れんかっ!」

 

 そんな騒がしいやりとりが、甲板で海を眺めているほかの客に気づかれないはずもなく、そのうちに事態に気づいたミミの乱入で、さらに騒がしくなってほかの客や船員に怒られるというアホな失態をやらかし、奇異の目と、嫉妬のまなざしを向けられながら、ヒカルたちはトフレ大陸を目指して旅を続けるのだった。

 彼らはまだ知らない、これから先に待ち受ける過酷な運命を、そして、それを乗り越えた先にあるものを。1人の魔法使いと従者達の旅は、まだ始まったばかりである。

 

to be continued




※解説
メラゾーマ:敵単体を焼き尽くすメラ系の最上級呪文。ボス戦でお世話になった人も多いはず。特に初期のシリーズのボスにはだいたい効くので重宝した。
ベホマラー:パーティー全員のHPを80前後回復する。ただし終盤の敵は100以上のダメージを全体に与える攻撃を2回行動してくるため、回復が追いつかないことが多い。アベル伝説の原作ではザナックのみがこの呪文を披露している。ヤナックはいきなりベホマズンを使っている。
アバカム:カギのかかった扉を開けることが出来る呪文。初期のシリーズでは、扉にあったカギを道具欄から使用しなければ扉を開けられなかったため、呪文一つで開けられるのは重宝した。Ⅳ以降のシリーズではとびらコマンド、便利ボタンなどで簡単に開けられるようになったため、不要となったようだ。
幻術について:これもD&DなどのTRPGではいろいろなバリエーションがあるが、ドラクエでは呪文で再現することは出来ない。高度な幻術は現実と区別がつかず、レベルの高い術者でなければ見破ることは出来ない。ちなみに、ザナック様がいればおそらく見破ることが出来ただろう。
ヒカルに懐くミグちゃん:実は、ラリホーの魔力に包まれて安眠していたため、感覚でヒカルの魔力を感じられるようになってしまっています。彼にくっついて眠っているのはそのためです。子供は純粋で、目に見えないものも敏感に感じ取ることができるらしいですね。

さて、次回からはトフレ大陸編です。原作キャラがしばらく出てきませんが、オリキャラ側の体制を整えていく話なので、どうぞお付き合いください。ドラクエが好きな人であればわかるネタをいろいろ入れていきたいと思っています。

では、次回もドラクエするぜっ!


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第10話 秘湯 シオン温泉へようこそ!

温泉回です。
旧作の焼き直しですが、キャラが増えすぎると話を回せないので、今作では馬は出てきません。


 マイラの町での騒動から数週間が過ぎ去った。ヒカルたちは船で竜海峡を渡り、プラウという港町に来ていた。世界はバラモスの本格的な侵攻前ということもあり、一応の平和を保ち続けている。しかし、海上でも時折弱い宝石モンスターに襲われることはあって、その頻度が少しずつ増してきているように感じる。これから9年とすこしの間に、可能な限り敵の戦力をそいでおきたい。できれば死せる水攻撃にも対抗できるような何かを作れればと、ヒカルは考えていた。しかし、ヒカルはこの世界のことをほとんど知らないといって良い。テレビアニメ『ドラゴンクエスト』で明らかになっているのはごくわずかな部分だけだ。バラモスの軍勢にしても、アベル達と相まみえたのはほんの一部であり、実際はどれほどの規模なのかまったくわからない。相手を知らないうちに目立つ手を打つのは、現状では悪手と言って良いだろう。まあ、焦っても仕方がない、というのもまた事実である。大魔王バラモスが勇者アベルに倒されるという大きな未来はある程度決まっているはずだから、自分がやることは影からの『お手伝い』と、バラモス以外の脅威に対する備えだろうと、ヒカルは何となく考えていた。そもそも、勇者でもない彼が、魔王と直接対決するなど死にに行くようなものだ。彼はなるべく目立たないように、慎重に事を進めようと決めていた。

 

「ただいま戻りました、ご主人様。」

「おかえりモモ、それで、どうだった?」

「はい、どのお薬も高い値段で売れましたわ。これで当分、旅の資金には困らないです。」

「そうか、いつもありがとう、モモ。」

 

 モモがにこにこしながら、ずっしりとゴールドの入った革袋をテーブルの上に置いた。相変わらず彼女の調合する薬や、採取してくる珍しい薬草は非常に高額で売れているようだ。常に収入が支出を上回っているような状況なので、現在一行はかなりの大金を所持していた。さすがに実金貨であるゴールドを持ち歩くのは困難なため、最近ゴールド銀行に口座を開き、貯蓄を管理している。

 

「……ごほうび、ご褒美がほしいですわ。」

「え? ご褒美、って、おい、ちょっと。」

「あ、うっ、ぷはぁ、ご主人様ぁ……。この唇と舌の感覚がたまりませんわぁ、うっとり……。」

 

 しかし、困ったこともある。こうやって一仕事終えて帰ってくるたびに、『ごほうび』という名の過激なスキンシップ……男女逆なら完全なセクハラをされている状況なのである。今だってこうやって、唇を重ねられた上、ねっとりと舌をからめられ、豊満な胸を押しつけられている。繰り返すが、ヒカルが元いた世界で、立場が男女逆ならば訴えられて完全にアウトな案件である。

 

「ぷはっ、っておい、いきなり何す……。ってうわあぁ?!」

「そ、そんな大胆ですわいきなりそんなところを揉んだりして……、あっ! そ、そんなに強くしては痛いです、もっとやさしく、あ、そうです……うんっ。」

「ってなにやってんの君は、これは手が当たっただけでしょう、何勝手に俺の手を自分の手で押さえ込んでいけないことしてるの、ご褒美ってなんでこういうこと限定なわけ?!」

 

 口が離れたと思ったら、今度は手を胸に押し当てられ、勝手にぐりぐり動かされている。見る者が見れば歯ぎしりをして悔しがりそうだが、皆が皆、そのような状況で喜ぶわけでもない。

 モモがこうして資金稼ぎをしてくれるおかげで、路銀に困ったことはない。……ないのだが、別なことで、ヒカルが困っているのはご覧の通りなのである。

 

***

 

 翌日、朝早く目が覚めたヒカルは1人で村を散歩していた。プラウはマイラに比べると小さな町だが、漁業に携わる者たちがせわしなく動いているのが分かる。それ以外の住民達も次第に起き出してきて、朝飯前の一仕事をしているようだ。

 

「うわ~ん、痛いよう~!!」

「まあ、たいへん! 危ないからそこにあるものをさわっちゃいけませんってあれほど言ったのに……どうしよう、なかなか血が止まらないわ。」

 

 そのとき、ヒカルは民家の軒先で、泣いている子供とその母親らしき人物を見かけた。子供の足下には鎌が転がっていて、どうもこれでケガをしたらしい。押さえている腕からけっこうな量の血がしたたり、地面へ落ちている。布で押さえてはいるが、止血がうまくいっていないのか真っ赤に染まってしまっている。

 

「おや、ケガをしたんですか?」

「え、ええそうなんです、なかなか血が止まらなくて、血止めの薬草を切らしていて困ったわ。」

「うえええん! 痛いよう!」

「どれ、坊や、ちょっと見せてみな。」

 

 傷口は腕のやわらかい部分に斜めにスッパリとできていて、確かに止めどなく血が流れ出てくる。何かの拍子に変な勢いがついて切れたのか、経緯は良くは分からないが、このままでは止まるまでにかなりの出血をしてしまいそうだ。そう判断したヒカルはおもむろに子供の傍でオロオロする女性に問いかけた。

 

「この子のお母さんで?」

「え? は、はい。」

「この子の名前は?」

「ランドといいますが、それが何か……?」

 

 子供の母親は不思議そうな顔でヒカルを見ている。確かに、この状況で子供の名前など聞いてどうするのだろうか? 母親がそう考えたとしても不思議ではない。しかし、ヒカルのこの質問にはきちんとした理由があった。これから使う呪文は対象者の名前がわからなければ効果が極端に落ちる。何故か理由は不明であるのだが、詠唱するならば対象者の名前を入れた詠唱をせねばならず、詠唱しないにしても、対象者の名前を思い浮かべる必要があるのだ。ヒカルは右手を子供の傷口の上にかざして呪文を唱える。

 

「ランドの血肉よ、その傷を癒やせ、ホイミ。」

 

 ヒカルの手から淡い緑色の光が放たれ、ランドの傷口を少しずつふさいでいく。ザナックであれば、ほぼ一瞬で傷口を塞ぐことが出来るのだが、ヒカルの場合は少し時間がかかってしまう。やはり同じ呪文でも、使い手により得手不得手があるのは仕方のないことのようである。それでも数秒で傷はきれいにふさがった。ヒカルはさっき母親が傷口を押さえるのに使っていた布の汚れていないところで、腕に着いた血をぬぐってやった。

 

「ほれ、もう大丈夫だぞ。」

「あ、痛く……ない。ありがとうお兄ちゃん!」

「あ、ありがとうございます!」

「あ~、いいって、気にしないで。」

 

 ヒカルはひらひらと手を振って、何でもないよと言う意思表示をして、その場を離れた。モモがいれば適当な薬を持っていたのだろうが、まあこれはこれでいいかと納得しておく。魔法で傷を治したり、毒を消したりするのも、日常生活の役に立つ。魔法を広めていくのであればそういった面をアピールするのは悪くない手段だ。

 

***

 

 プラウの港町で数日を過ごし、ヒカルたちはシオンの山を目指して出発した。それから3日後くらいに、大きくそびえ立つ山の麓にたどり着いた。しかし思ったよりも高い山で、なおかつかなりの部分が断崖絶壁ときている。まるで天然の要塞のようにそれは彼らの行く手を阻んでいた。上れそうな道もないので、とりあえず周りをぐるっと確認して歩くことにする。どこにモーラがあるのか皆目見当がつかない。作中で目印になり得るものといえば、確か温泉があったはずだが、それにしても1カ所だけとは限らない。結局、ほぼしらみつぶしに探すしかないような状況だ。今回は大量の保存食を持参してきている。少し長旅になりそうな感じがして、始まったばかりだというのに疲れてきているヒカルだった。

 

「それにしても、大きな山ですわね。」

「おっきいね、あの中から今は滅んだ都を探すなんて、本当にできるの?」

「わからん、もし食糧が尽きたらルーラで戻って作戦の練り直しだな。」

 

 我ながらなんといい加減なことかと、ヒカルは心の中で苦笑いを浮かべる。彼は旅行好きで、元の世界でも少ない休みをうまく使って様々な土地を訪れていた。しかし行動が行き当たりばったりというか、計画性がないというか、とにかく大雑把だった。そのために同行者を振り回したことも多々ある。まあ、そんなこと後になって考えれば良い思い出だとは思っている。

 かなりの時間を歩き、ミミが疲れを口に出し始めた頃、ヒカルたちは休憩のため、適当な場所で大きな木の下に腰を下ろした。そして大木に背を預けると、ヒカルは道具袋から人数分の干し肉と水筒を取り出し、ミミとモモに手渡した。3人で食事を取りながら、陽光が所々から差し込んでいる森の木々を眺め、鳥たちのさえずりを聞きながらしばし無言の時を過ごす。

 

「そういえばご主人様、食べ物とお水をいっぱい買ったけど、ぜんぶその小さい袋に入ってるの?」

「ん? ああ、そうだよ。この袋は特別製でね、ザナック様のところでたまたま見つけたのをもらってきたんだ。」

 

 ヒカルが食料を取り出した袋は、腰に下げて歩ける程度の小さなものだ。とても、買い込んだ数週間分もある食料を入れておけるとは思えない。しかし、これはヒカルの言うとおり、特別なものである。ゲームで言うところの『ふくろ』コマンドと同等の機能を持った、見た目よりもはるかに大量の持ち物を入れておける大変便利な代物なのである。さらに、重さも片手で楽に持ち上げられるほど軽く、手を突っ込むだけで中に入っているアイテムの名前、個数などが頭の中に浮かんでくる。そればかりではなく、取り出したいものを頭の中に思い浮かべるだけで取り出せるという、帽ネコ型ロボットのポケット顔負けの多機能ぶりときている。ザナックのところで物置の整理をしていたら、隠し部屋を見つけ、冗談半分で唱えた解錠呪文(アバカム)によって開かれた扉の先にあった小部屋から、ヒカルはこの袋を見つけ出したのだった。旅立つ際に、ザナックがこの袋といくつかのアイテムを持たせてくれたため、ありがたく使わせてもらっているのだ。

 冬に近い季節のためか、森の木々から色とりどりの葉が落ち、冷たい風にあおられている。3人は防寒のために毛皮のコートをそれぞれ着込みながら、体を温めるために自然と身を寄せ合っていた。

 

「……ご主人様、気づいていますよね?」

「ん? まあね。」

 

 モモの言葉に、ヒカルは周囲を見渡しながら返答する。先ほどから、こちらを伺っている複数の気配がある。ただ、それはモンスターのものであろうと思われたが、邪悪な宝石の力を感じない、悪意のないものだった。3人が食事を終えてしばらくしてから現れたその気配は、木陰に潜んで様子をうかがっているようだったが、ここへきて動き出し、少しずつこちらに向かってきているようだ。

 

「あ~、ちょっといいべかな?」

「はい?」

 

 急に話しかけられて、ヒカルはとっさに返答したが、何とも間の抜けた返事であったろう。気配に気づいていたのだから、声をかけられたこと自体には、別段驚くはずはない。声のした方を向いてみると、バンパイアのような……いやたぶんそのものだろう姿のモンスターが空中にプカプカと浮かび、ヒカルたちを物珍しそうに見ている。ほかにもスライムや、いっかくウサギ、ももんじゃが一緒にいるのが見える。

 

「おめえさんたち、この辺のもんじゃあねえべ、見たところ悪い気配も感じねえし、こんな所に何の用だべ?」

「あ~、ええと、その……。」

 

 ヒカルが驚いたのはその口調だ。体色からおそらく『こうもり男』であろうそのモンスターは、いったいどこの田舎かと思われるような訛りのある口調で話しかけてきた。彼に対する反応に若干戸惑いながら、ヒカルは自分たちの行き先である、今は滅んだ都のことを知らないかと、尋ねてみることにした。

 

「あのさ、こうもり男さん?」

「ん? 何だべ?」

「このあたりに、モーラの都ってありません?」

 

***

 

「はあ、いい湯だ……。」

 

 あれから数時間後、ヒカルたちはシオンの山の麓にある温泉にきていた。なんと魔法でちょうど良い温度になるように調整されているらしい。とはいえ、手が加えられているのはそこだけで、あとは自然のままにしてあるそうだ。天然にできあがったとは思えない立派な岩風呂はありえないくらい広く、ヒカルはふと元の世界……日本のことを思い出していた。あれから結構な時間が経過してしまった。今更帰っても仕事はクビだろう。そもそも帰る手段などあるのだろうか。元の世界の暮らしは決して楽なものではなかったが、ブラック企業に勤めている割には、上司以外の同僚には恵まれていたし、気の置けない友人もそこそこいた。こちらの世界に来てから驚くことばかりで、元の世界のことなど思い出す余裕がなかったと、ヒカルは誰もいない浴室で苦笑を浮かべるのだった。

 

――休みになると昼まで寝てんなおまえ、あんまり無理すんなよ。

――友だちが事業やってんだけど、こないだ俺んとこにいい人材はいないかって相談しに来たんだ。……転職してみない?

――いいかげんに意地張るのやめろよな! お前そのうち体壊して死んじまうぞ!

 

 この世界に来る前に、友人が自分を心配してくれていたっけと、ふとそんなことを思い出す。1人で考える時間が出来ると、いろいろなことが改めて頭をよぎる。そういえばブラック企業なんか辞めてしまえ、仕事なら紹介してやると言っていた親しい友人のことも、久しく忘れていた。これから自分はどうなってしまうのか、彼には自分自身の未来を見通すことなど、できるはずがなかった。……いや、人の未来を見通せる力のある者でも、自分の未来だけは見ることが出来ないと言われている。そうであるからこそ、人は悩み苦しみ、それでも決断していくのかも知れない。

 

「大きなお風呂ですわね~。」

「そうだな、自然にこんなものができちまうんだから驚きだ。……ってあれ?なんか背中にや~らかいものが……それに初めてじゃないようなシチュエーション……。」

 

 ふと、自分の背中に奇妙な重みを感じて、振り返って確認しようとしたヒカルの首に、細くてしなやかな手が絡みつく。そして、うわずった甘ったるい女の声が、彼の耳元で何かをささやきはじめた。

 

「ああっ、ご主人様の背中に私の胸が……あんっ、気持ちよすぎて気絶してしまいそうですわぁ。」

「うわぁああっ!? おいこら変態エルフ! ここは男湯だぞ、おまえはあっちだあっち!!」

 

 動揺している場合ではない。この場はなんとしても彼女に即刻、お引き取り願わなければならない。ここは公衆浴場、今はほかに誰もいないが、いつ誰が入ってきてもおかしくない。家の風呂場のように女性が突撃してくることなど許されないのだ。しかし、正論を盾にこの場を切り抜けようとしたヒカルの目算は、変態エルフの次の言葉でもろくも崩れ去った。

 

「大丈夫ですわ、お金払って貸し切りにしてもらいましたから、2時間ほどだ~れも来ませんわ。ミミが疲れてねこけている今がチャンスですわあ……。」

 

 こともあろうに有り余る財力を振りかざし、宿の主人であるガーゴイルを買収し、モモは敬愛するご主人様にその身を捧げるために産まれたままの姿で浴場まで欲情むき出しでやってきたのだ。当然、積極的な女子に免疫などないヒカルは大いにうろたえた。いや、ヒカルでなくてもこの状況であれば、男なら誰もが多少はうろたえるというものだろう。

 

「や、やばいって、目つきが、目つき!!」

「ご主人様ぁ……あふう~ん。すりすり。」

「ちょ、何を俺の背中にすりすりしてるの君は、柔らかくて大きいものとその先端が背中を這い回ってるんですけど?! ぎゃ~、誰か助けて~!!」

 

 妹のものよりはるかに大きい、女性としての象徴たる2つの膨らみは、ヒカルに体をすり寄せるモモの動きに合わせて彼の背中を這い回る。興奮で存在感を増した先端が肌をくすぐるたび、なんとも言えないぞくぞくとした感覚が、ヒカルの背中に走る。意識を飛ばしそうになりながら、渾身の力で拘束を解き、ヒカルは一目散に浴場を後にした。

 

***

 

 静かに物思いにふけっていたはずが、結局エルフ姉の変態行為によりいつもの突っ込みを入れ、前回のよく似た場面と同じく、その場から離脱を図ったヒカル。幸いモモにはミミのような呪文は使えなかったらしく、なんとか振り切って食堂まで逃げてくることが出来た。ここはシオンの山の麓にある温泉宿。名前もそのまま『シオン温泉』というらしい。原作にこのような場所は出ては来なかったが、まあ天然の温泉があったし宿くらいはあって当たり前……なのかもしれない。

 食堂内は夕食時を過ぎており、客はまばらである。しかし、客といっても人間はほとんどおらず、獣型を中心としたモンスターばかりである。人間にはあまり知られていない温泉らしく、利用していくのはモンスターや妖精、エルフなど森に住み着いている者がほとんどだそうである。

 

「おんやあ、ヒカルさん、もう上がっちまったんか? さっき、めんこいおなごが風呂場を貸し切りにしてったけんども、あれぁおめえさんのツレじゃなかったべか? オラてっきり、2人で貸し切っていいことするんかと思ったべ、な~んてうらやましい。リア充爆発するべ。」

 

 適当に座る席を探していると、ここへ案内してくれたこうもり男に声をかけられた。彼は名前をもりおといい、普段は自警団として森の安全を守っているらしい。

 

「いや、もりおさん、普通の女の子ならちょっと喜んじゃうかもしれませんけどね、うちの使用人は変態でしてね、変態。」

「あんれぇ、あのお嬢さん、恋人とか奥さんじゃないんだべか? 使用人って、んじゃあヒカルさんは彼女のご主人様なんだべか?」

「ああ、そういうこと、ほら、いっしょにつれてたちっこい方のエルフは彼女の妹でね、2人とも俺の使用人ってことなのさ。

 

 ヒカルはもりおの向かいの椅子に腰掛け、先ほど遭遇した災難について説明していた。エルフ姉妹はモンスターから見ても美しいらしく、ヒカルがそんな美女の誘いを断る理由を、もりおはよく分からないというように首をかしげながら聞いていた。

 

「ふ~む、ヒカルさんえらい人なんだな~、でもそんな人が、モーラなんかに何の用だべ? あそこはもうはるか昔に滅んじまって、今じゃあ誰も住んでねえだよ?」

「ああ、実はね……。」

 

 ヒカルはもりおのさらなる質問に答え、自分の旅の目的を大まかに話して聞かせた。

 

「……こりゃあおったまげたな、あんた魔法使いだったべか。しかも大魔王に嫌がらせするって、そんな伝説上の、ホントにいるかどうかもわからん奴相手に、変わった人というか、すごい人だべ。……わかったべ、場所はオラが案内してやっから安心するべ。」

「本当? そりゃあ助かる、よろしく頼むよ。」

 

 大魔王のことは信じていない殴打が、とにかくもりおはモーラの都までの案内を申し出てくれた。これであたりをしらみつぶしに探すような面倒なことはしなくて済みそうだ。思わぬところから救いの手が差し伸べられ、喜ぶヒカルであった。

 

「お、おいどうした、しっかりしろ!」

 

 もりおとヒカルの話が一区切りして、お互いに何か食べようと、注文のため席を立とうとしたとき、急にドサリと音がして、何かが食堂に転がり込んできて、周りが騒然となった。入り口の方を見てみると、小さな濃紺の塊が転がっている。駆け寄って声をかけたいっかくウサギもどうしたものかと困っているようだ。ヒカルは濃紺の塊のように見える何者かの元へ近づき、状態を確かめるために声をかける。

 

「お、おい大丈夫か?」

「は、はい……飲まず食わずで飛んできたもんで、お腹が減ってしまって、もう動けないです……。」

「おい、しっかりするだべ、食いもんなら今、持ってきてやるから。」

「すみません、ありがとうございます……。」

 

 近づいて良く確認してみると、1匹のドラキーが倒れていた。ヒカルともりおは、とりあえずドラキーを支えてやって自分たちの座っていたテーブルの空いた席へ座らせ、それからすぐに食べ物を持ってきた。それを見たドラキーは、よっぽど空腹だったのだろう、ものすごい勢いで食べ始めた。しばらく無言の状態が続いたので、その間に残る1人と1匹?も夕食をとることにする。ふと外を見ると、いつの間にか日が落ち、あたりは夜の闇に閉ざされていた。

 しばし無言で食事をとり、一息ついた後食後の飲み物を楽しみながら、どうやら落ち着いたらしいドラキーに、ヒカルは尋ねてみた。

 

「んで、何を慌てていたんだ? 飲まず食わずで飛んでくるとか、明らかに非常事態でしょ?」

「はい、それが……。」

 

 彼、ドラキーのドラきちの話によると、彼らの故郷が宝石モンスターの軍団に脅かされているらしい。彼らの故郷、小さなモンスターが身を寄せ合って暮らす『スライム(とう)』というのだそうだが、そのスライム島はゾイック大陸の片隅にあるという。そんなところからここまで飛んできたのかと思えば、どうもそうではないらしく、島にある旅の扉を通って、モーラの都経由でここまできたそうだ。モーラにそんなものがあったかとヒカルは不思議に思ったが、原作はモーラの都について、いやそのほかの場所についてもあまり詳しく説明してはいなかった。旅の扉はおろか、スライム島などという場所も原作には登場しない。ゲームならば、スライムの形をした島はどこかで出てきた気はするが。

 

「それで、今はどういう状況なの? 助けを求めに来たんだろ? とりあえず話してみなよ。ただ、俺も連れもあんまり強くないから、力になれるかわからないけど。」

「はい、今は海からマーマンとかがたまに攻撃してくる程度ですが、たまに上空から大ガラスや、さそりばちなんかが襲ってくることがあって、その頻度と数が少しずつ増えてきているんです。奴ら宝石モンスターはきれいな水に弱いらしくて、海に囲まれたスライム島にはなかなか近づかなかったんですが、最近嫌なにおいのする汚れた水が、だんだんと海を侵食していまして、海の汚れがひどくなるにつれて、その……敵が襲ってくる頻度も増えています。」

「なるほど、死せる水、ね。」

 

 さて、どうしたものか、とヒカルは思案する。助けてやりたい気持ちはある。しかしヒカルたちはあまり強くない。かといってあまり戦わないでいるのも、いつまでもレベルアップしないということになり、それはそれであまりよろしくない。いざとなればルーラ1回分のMPを残しておけば逃げられる。ゲームのように数値がはっきり浮かぶわけではないが、感覚で自分のMPと、使う呪文の消費MPはなんとなくわかるのだ、なんと便利なことか

 話がそれたが、モンスターズなどのシリーズがわりと好きなヒカルにとって、善良なモンスターをも苦しめるバラモスの方針は気にくわない。できれば害のないモンスター達も味方に引き入れられれば、対抗する戦力になるかもしれない、とも考えた。

 

「よし、わかった。とりあえず俺が助けに行こう。ただ、やれるだけはやってみるけど、うまくいくかはわからないぞ?」

「本当ですか?! ありがとうございます!」

「じゃあ今日はとりあえずゆっくり休んで、明日の朝出発することにしよう。あ、でもモーラにちょっと用事あるから、寄り道していくよ? そんなに時間かからないと思うけど。」

「それでいいです、お願いします。」

「じゃあ決まりね。」

 

 とりあえず、モーラ経由でスライム島に向かうことを決めて、ヒカルは部屋に戻るために席を立った。もりおに追加の食料の手配を頼むと、快く引き受けてくれた。ヒカルはいくらかのゴールドをもりおに渡して、自分たちの部屋に戻るために歩き出した。さあ、また明日から忙しくなるぞと気合いを入れてみるが、何かを忘れているような気もする。しかし、まあたいしたことではないだろうと、彼は深く考えることもなく食堂を後にするのだった。

 

***

 

 暗く、深い水の底。地上からの光が十分に届かないその場所は静かで、外界からは隔絶されているように思われる。そんな暗く深い水の底に、大きな岩山のようなものがいくつもひしめき合っていた。それらはよく見ると、元は人工的に作られた建造物だったようにも見える。事実、はるか昔にこの地には、反映を極めた文明が存在していた。『エスターク文明』と呼ばれたそれは、名前も同じ都を中心とした一大国家であったといわれている。そこに住まう者たちはヒカルの住んでいた世界の水準からみても明らかに高度な文明を築き上げ、世界にその名を轟かせていた。

 しかし、盛者必衰、おごれるもの久しからずとはよく言ったもので、自らの力に溺れたエスターク人たちは、次第に世界を手中に収めるという壮大な夢を抱き、それを叶えるために様々な研究を始めた。だが、幸か不幸か、その研究が軌道に乗るより早く、彼らの文明は崩壊を迎えた。急速な発展は水の汚染を招き、それによりエスターク人たちの住まうゾイック大陸は、その大半が微生物すら存在しない死の大地へと変えられてしまったのである。

 そんな時代から数千年という月日が流れ、ゾイック大陸にも豊かな自然がよみがえり、世界は平穏を取り戻していた。しかし、エスタークのあった場所だけは未だに汚染水が充満する広大な沼地のままであり、生物を寄せ付けない邪悪な気配に包まれていた。

 そんな沼地の底には何もなかった。魚はおろか、微生物の類いですら、生存することがかなわない水、死せる水に満たされたその場所はよどんだ『無』の世界であった。だが、そのような世界にあってもなお、無数の白く光る物体がその中を動き回っていた。それは人魂と呼ばれる者に酷似していた。だが、それは人の魂などではなく、残留思念。それも世界征服などという馬鹿げた野望を未だ諦めきれない、愚かな古代人達の執念のなれの果て。次第に集まった有象無象のそれは、やがて明らかな意思を、そして力を持って動き始める。過去に沈んだ栄光にすがりつくように、今、光の世界を歩むものを妬むように。

 古文書にはこう記されていた。『かつて栄光を欲しいままにし、野望叶わず散っていった哀れな者たちの魂。それが寄り集まるとき、深淵の闇より災厄をもたらすもの来たり。その名をゾーマと呼ぶ。』と。

 だが古文書を記した偉大なる先人達も、これから起きる世界の危機を、何一つ予想できてはいなかった。いま、真なる暗黒の闇より、新たな脅威が現れ、古代文明の怨念を受けてよみがえろうとしていた……。

 

to be continued




※解説
ふくろ:おもにSFCのリメイク版から導入された、パーティ共通のアイテム入れ。預かり所に行かなくても大量のアイテムを放り込んでおくことができる優れもの。今回は小型軽量ということで、腰にくくりつけて歩いても邪魔にならない。決して「やくそうぅ~~。」とか言いながらアイテムを取り出してはいけない。また、中から竹とんぼや扉によく似たアイテムなどは出てこない。
毛皮のコート:主に寒い地方で常用されている防寒服。現在は冬ということで、旅人の服やマントでは寒すぎるだろうと思い、装備を変えさせている。作者が面倒くさがったから全員同じ防具だとか、そんなことを言ってはいけない。
シオンの山と温泉:原作では無人だったが、本作ではガーゴイルが経営する温泉宿がある。ここでは旅に役立つアイテムがいろいろ売っているらしい。また、温泉まんじゅうなどおみやげも充実しているとか。とても温厚な主人で、種族にかかわらず客はすべて平等に扱うそうだ。ちなみに、何故かわからないが、太ってヒゲを生やした商人が来ると急に臨戦態勢に入るという噂がある。また、店で盗みなど悪事を働くと、魔王も真っ青な戦闘能力を発揮して、地獄の底や魔界の果て、はるか天界までも追いかけて捕まえに来るらしい。

あんまりサービスできてない温泉回でしたw
なかなか話が進みませんな。
ヒカルと対を成す敵側の正体も徐々に明かしていこうかと思います。
さて、何が出てくるやら。

次回もドラクエするぜ!!


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第11話 伝説の都、竜の翼の秘密を解き明かせ!

なんとか早めの投稿ができました。
これも半分くらい焼き直しですが……。

※個人的な都合により、手術のため数日入院することになりましたので、次回の更新は遅れると思います。申し訳ない。

※2019/7/9 誤字脱字を訂正しました。
※2017/7/23 ソフィア 様より、これまで掲載した全話にわたり、多数の誤字報告をいただきました。ありがとうございました。


 暗い、暗い闇の中、どこまでも続く終わりの見えないその場所を、うごめく何かがさまよっていた。それ自体も明るい色ではなかったし、なにしろこの場所には光源がないから、視覚で捉えるのはまず不可能であった。しかし、その不気味な存在は呪いのような言葉をぶつぶつとつぶやきながら、この何もない世界を漂っていた。

 

「おのれ、忌々しい、光の力を持つ、神に選ばれた者たち。人間、エルフ、ドワーフ、ホビット、妖精どもやモンスターに至るまで、すべてが憎い……。」

 

 やがて暗闇の中に、光の球のようなものが現れ、その中に岩山とも建造物ともつかない不気味な物体が現れる。それはごくごく小さな「世界」であった。本来ならもっと緻密で繊細、かつ大規模なもの、世界1つとまでは言わないが大陸の1つくらいはたやすく作り出すことが出来たはずだった。しかし今となっては、戦いに敗れたために多くの力を失ってしまっており、己の居城1つ作り出すのもこの有様である。

 

「それに今度の世界にもやはり、精霊が強大な結界を張り巡らせておる。そのおかげでさらに力を消耗してしまった。おのれ、あの女……精霊神(せいれいしん)などとふざけた名前を名乗りおって……! いずれ闇の中に引きずり込み、完全なる無へと変えてくれようぞ。」

 

 それの吐き出す呪詛の言葉はおぞましく、何の力も持たない存在が耳にしたのであれば、その場で即死してもおかしくなかった。それほど、まるで闇と同化したかのような、この存在は、ちからの大半を失ってもなお、光の加護の元に生きる者にとっては恐ろしい存在であった。

 

***

 

 深い深い水の底で、その存在は力を蓄え、機会をうかがっていた。玉座に座するその存在は、巨大な悪魔のような体型をしており、体色は毒々しい紫色に彩られていた。その身からは怪しげな無数の管が天井に向けて伸びており、その中を光の粒子が上っていく。

 

「バラモス様」

「ムーアか。」

「はひぇ。 中央大陸に少しずつ送り出している宝石モンスターどものことでございますが……。」

「思ったより多く消されておるようだな。」

 

 バラモスと呼ばれた怪物は、部下であろうムーアと呼ばれた怪物の報告に忌々しげに顔をゆがめた。本来、バラモスが生み出した宝石モンスターは野生に暮らす普通のモンスターよりもはるかに凶暴かつ強力であり、普通の人間では太刀打ちできるはずがないのだ。しかし、どういうわけか、送り出した配下のかなりの数が倒され、地上に出る前にある程度の進出をしておこうという魔王の目算は、大きく当てが外れてしまっていた。

 

「ゾイック大陸の方は順調に進んではおりますが、あるちっぽけな島に住まう弱小モンスターどもが、団結して抵抗しております。まぁこちらの方は時間の問題でしょうが、むひょひょひょ。」

「やむを得ん。我らが精霊神の結界を破り、地上に浮かび上がることが出来るまで、まだしばし時間がかかる。一時的に配下達をエスタークまで撤退させよ。例の島の制圧を急ぎ、このゾイック大陸の地固めを行うのだ。」

「はひぇ、かしこまりました。」

 

 バラモスの命令を受け、ムーアは音もなくいずこかへ消え去った。静寂の戻った空間の中で、移動要塞に力を送りながら、バラモスは考えを巡らせていた。中央大陸に派遣した『炎の戦士』は、現状で生み出せるモンスターの中ではかなりの知性と戦闘能力を有していたはずだ。それが、引き連れていたオオアリクイの群れ共々、何者かに全滅させられている。ほかにも、中央大陸の各地で部下が倒されたとの報告を受けており、監視能力を持つモンスターからの報告によると、部下達を倒した者の中に、強力な魔法を数多く扱う人間がいるとのことで、バラモスは警戒を強めていた。

 現在のバラモスの力では、低級の宝石モンスターをわずかばかり、地上に解き放つのが限界である。死せる水の底深く沈んだこのエスタークの都を浮上させるため、移動要塞であるガイムを目覚めさせるため、そして何より、地上への出口に施された精霊神の結界を打ち破るため、彼はゾーマから授かったその力の大半をつぎ込まなければならなかったからである。彼とその軍勢が地上に進出するまで、あと10年弱の時間が必要となるが、そのことを知っている者は、この世界の住人にはいなかった。そして、この世界の存在ではない何者かが、バラモスの目的を妨げようと行動を起こしたこと、その者が先の報告に上がっていた、人間の魔法使いだなどとは、さすがに魔王でも気づくことは出来なかったのである。

 

***

 

 温泉宿で一夜を過ごし、ヒカルたちはドラキーのドラきちを伴い、こうもり男のもりおの案内でモーラの都へ出発した。もりおは慣れた様子で森の中を先導して進んでゆく。さすがは普段から周辺をパトロールしている自警団の一員であるといったところか。森の木々はすでに葉が落ち、枝だけの状態になって冷たい冬の風を素通りさせている。一行は森の中をひたすら前進していく。案内役のおかげでモンスターに襲われることもなく、ほかに特に困ったこともなく順調に目的地まで進んでいた。しかし、このときヒカルは別なことで少し『困って』いた。

 

「あの、モモさん? いいかげんに機嫌直してもらえません?」

「ふんふんふ~ん、ですわ。せっかく準備万端で誘惑して差し上げましたのに、淑女に恥をかかせるなんて信じられませんわ。」

 

 昨夜、温泉に置いてけぼりを食らったモモが、珍しく完全にすねている。普段のおっとりとした口調ではなく、妹のミミのように口をとがらせ、話しかければそっぽを向いてしまう。それはそれでかわいらしいと言えなくもないのだが、周囲が微妙な空気になってしまい、当事者のヒカルとしてはなんとも居心地が悪い。

 

「あん? 痴女がどうしたって? 寝言は寝て言え。」

「だいたいどんなラノベでも、温泉といえば混浴でいちゃいちゃすると相場が決まってますのよ! それなのに置いてけぼりなんて、お部屋に帰ってから一人でして……。」

「だぁっ! やめんか! そういうことを朝から口にするんじゃないド変態!それに何だラノベって、メタ発言は控えなさい!」

 

 しかし、やはりというか、怒っていてもマイペースにボケをかます従者にツッコミを入れる主人。これはこれで、いつも通りで何も心配する必要はないのかもしれなかった。その証拠に、ツッコミを入れられたモモの口元はわずかに緩み、少しずつ機嫌が直ってきているのがうかがえる。もっともヒカルの方はそんな微妙な変化には気づかず、会話がいつも通りに戻るのにはまだ少し時間が必要なのであった。

 そうこうしているうちに、少し開けた場所が見えてきて、小さな池らしきものが視界に入ってきた。そこで、もりおが皆に提案をする。

 

「あの湖で少し休憩するべ、都の入り口はすぐそこだべ。まあ入り口から結構歩かねえと都には入れんけどな。」

「入り口? 門か何かあるの??」

「いんやミミちゃん、モーラへは洞窟を通って行かないとなんねえべ。」

「え~? そうなの~~? ミミ暗いの苦手だなぁ。」

 

 どうやらモーラの都は無数に連なる山のさらに奥にあるらしい。確か原作でもアベル達が洞窟を通り抜けていた描写があった。入り口からどれくらいあるのかは、正確にはわからないが、それなりに時間がかかりそうだ。

 ヒカルたちは少し休憩した後、洞窟の入り口を目指して再び歩き始めた。十数分くらい歩いただろうか。道の先にそこそこ広めの洞穴が見えてきた。どうやらこれが、滅んだ都へ続く通路の入り口のようだ。洞窟の上には何やら看板のようなものが掲げられているが、文字はほとんどかすれていて読み取ることができない。

 

「着いたべ、ここを抜ければ、モーラの都はすぐそこだべ。」

「ふぇ~、ご主人様ぁ、やっぱり怖いよう。」

 

 ミミがヒカルの足にしがみついてくる。甘えん坊の彼女がこういった行動を取ること自体は珍しくないが、今回はその体が小刻みに震えているのが伝わってくるので、どうやら本当に怖いらしい。

 

「あ、そういえば、皆さんたいまつなどはお持ちですか?」

 

 ドラきちが心配そうに聞いてきた。ドラキーとこうもり男、モンスターの2人? 2匹? はおそらく夜目がきくはずである。しかし人間やエルフでは暗闇は見通すことができない。まあ、ヒカルはこういうときに使える便利な呪文を習得しているので問題はないのだが。

 

「大丈夫、たいまつはないけど、代わりになるものならあるからね。」

 

 彼は近くの木の枝を折って、その先を洞窟に向ける。枝の先に意識を集中して、呪文を唱える。

 

「光の精霊よ、闇を照らす道しるべを我に与えよ、レミーラ。」

 

 一瞬、眩い光が放たれた後、杖の先にはたいまつより少し明るいくらいの光がぼうっとまとわりついている。これで、魔法のたいまつが完成、というわけだ。特定の物質、例えば水晶玉や木の棒などに意識を集中すると、その物体に高原が固定され持ち運ぶことが出来るのだ。

 

「あんれま、おっどろいたなぁ、レミーラなんて、失われた古代呪文じゃねえべか。」

「私も実際に見るのは初めてです、ヒカルさんってすごい人なんですね。」

 

 もりおとドラきちがヒカルに賞賛の言葉を贈る。しかしヒカルとしては、レミーラがそんなに高等な呪文だとは思えない。消費する魔力も小さく、特に高度な技術を要するわけでもない。おそらく呪文の契約さえ出来れば、大抵の者は難なく扱うことが出来るだろうと思われた。もっとも、この呪文が失われた古代呪文というのは本当であり、この世界にほとんど使い手がいないという事実を、このときのヒカルは知るよしもなかった。そして、そういった呪文を使いこなすこと自体が驚くべき才能であると言うことにも、このときの彼は思い至らなかったのである。

 

「と~うぜん、ご主人様はものすご~く偉い人なの、よ、えっへん。」

「あのねえミミ、君が威張ってどうするの……。」

 

 なぜか、小さな胸を精一杯反らしてふふんと得意顔になる従者の姿に、ヒカルは精神的な頭痛を覚えながら、ドラキーとこうもり男に主人、つまり自分の自慢をし続ける彼女を視界からそっと追い出した。くだらないおしゃべりを続けながらも一行は洞窟の中を歩き続け、ひたすら目的地へと向かって進んでいた。皆で会話していれば時間は潰せるはずだが、それでもかなり長く感じる。木の枝に灯したレミーラの光が消え、また呪文をかけ直すということを3回も続けた頃、ようやく小さな光が前方に見え始めた。

 

「あ、むこうに光が見えるよ!」

 

 ミミが光の方を指さし、少し歩く速度を速める。次第に光は大きくなってゆき、気がつくと一行の眼前には、都と呼ぶには珍妙な建築物がそびえ立っていた。アベル達がここへたどり着いたとき、時間は夜だったはずだが、今は昼過ぎ。太陽はやや西に傾きはじめているが、時間でいうと2時か3時くらいだろう。太陽の光に照らされたその建物の異様さは、際立っているように思えた。

 

「着いたべ、ここがモーラの都だ。」

「なんか都というより、要塞という感じですわね……。それにしても違和感が半端じゃないですけど。」

「良かったよ、そう思っているの俺だけじゃなくて、この世界じゃこれが標準ですなんて言われたら、どうしようかと思ったわ。」

 

 都という場所は原作でもいくつか出てきてはいたが、そのうち本当に都と呼べるのはドランくらいで、メルキドに至っては地中に沈んでいた。しかし、それと比較してもこの『モーラの都』という名前には違和感しかない。かつては人が住んでいたらしいという発言もあったが、とても普通に生活を送れる構造には思えない。その違和感を感じているのは、どうやら異世界から来たヒカルだけではないようで、とりあえず彼は自分の感性に問題がないことを確認して、1つ小さな安堵のため息を吐くのだった。

 

「なあドラきち、旅の扉はどこなんだ?」

「あそこに見える神殿の一番奥の部屋の祭壇裏に隠し階段があるんですけど、その先を進んだところにあります。」

「なるほどわかった。俺たちは少しここを調べてから行くから、必要だったら先に帰ってもらってもいいぞ。」

「わかりました、私は先に帰って長に報告をしてきます。用事が終わったら来てくださいね。次の襲撃まで、いつも通りならまだ2~3日あると思いますから。」

「ああ、わかったよ、じゃあまた後で。」

「はい、お待ちしています。」

 

 そう言うとドラきちは、皆に丁寧な挨拶をした後、神殿の建物の方へ飛んでいった。ドラきちが見えなくなった後、ヒカルは後ろに振り返って、さっきからこっちを監視しているだろう存在に話しかけた。

 

「襲ってこないのかい、じいさん? どっちかっていうと侵入者だと思うぞ、俺たちは。」

「害のないモンスターを襲えとまでは命令されておらんのでな。じゃが貴様らは別じゃ、勇者でもないものが何故、神聖なこの都に立ち入った。」

「聖なる水のことでちょっとね、それと、勇者に中途半端なアドバイスと、弱い武器を渡して何がしたかったのか、理由でも調べてみようかと。」

 

 ヒカルはいつもと変わらない軽い口調で応じるが、老人はそれが気に入らないようであり、顔にはいらだちの表情を浮かべている。

 

「勇者でもない者が知った風な口をききおって、滅べ、ベギラマ!」

「ベギラマ!」

「何いっ?!」

 

 老人の放った閃熱呪文(ベギラマ)はヒカルの唱えた同じ呪文で相殺された。しかし、二つの呪文がぶつかり合った熱波が周囲に広がり、気温が上昇しているのがわかる。

 

「今度はこっちから行くぞ、風の精霊よ、刃となりて切り裂け! 見えざる刀身をもって、我に徒なす者を切り伏せよ!」

 

 温度の上がった周囲の空気を巻き込んで、魔力がヒカルの手先に集まってくる。そもそもゲーム的に言えばシステムの一部に過ぎない目の前の老人、に見える存在に、呪文の効果があるのか疑問だが、ゲームでは非実体にも魔法効果は及ぶためおそらくは大丈夫だろう。ヒカルはそう推察し、老人に向かって両手を突き出した。

 

「バギマ!」

 

 その言葉と同時に、突き出された手の間から放たれた真空の刃は渦を巻き、目標に向かってうねりながら高速で飛んでいく。老人は忌々しそうに顔をゆがめ、それでも迎撃するための呪文を唱えた。

 

「バギ!」

 

 勝負はこの時点で決まっていた。下位の呪文では上位の呪文を打ち破ることはまずできない。ましてや、完全に詠唱した中級呪文のバギマと、発動句だけの初級呪文のバギでは、その優劣は明らかだ。もっとも、原作で長い詠唱をしている場面など見たことがない。ヤナックやザナック、敵のムーアが詠唱のような予備動作をしていた場面はあったので、実際は詠唱か、それに類似した行動は行われていたのかも知れない。しかし、ほとんどの場合、呪文の発動はほぼ、発動句のみによってなされていた。

 

「お、おのれ、異分子めが……!」

 

 老人は忌々しそうに顔をゆがめ、ヒカルをにらみつけてくる。しかし、ある程度予想通りというか、ダメージを受けて苦しそうにしているものの、真空派で切り裂かれているのに衣服も破れていなければ、血も流していない。そこまで考えて、ヒカルは老人の言動に引っかかるものを覚える。彼は確かに『異分子』という言葉を口走っていた。ヒカルがこの世界の存在でないことを看破したのだろうか? しかし、ただ単に設定された命令(コマンド)を実行するだけの存在、ゲームで言うならNPC(ノンプレイヤーキャラクター)のようなものであるはずの目の前の存在が、そんなことを知っているはずがない。

 

「この先へ行かせはせぬぞ! メラミ!」

「ヒャダイン!」

「な、何いっ?!」

 

 ヒカルが老人の火炎呪文(メラミ)を迎撃するより早く、いつの間にか隣に移動してきていたミミが、今まで使ったこともない高度な呪文を敵にたたきつけた。発動句だけとはいえ、氷結呪文(ヒャダイン)の冷気は紅蓮の炎をかき消し、余波の冷気は老人を飲み込んでいった。

 

「ぐっ、おのれエルフめ……! この世界に存在してはならぬそのような者をかばい立てするとは、恥を知れいっ!!」

「……知らないよ! この人が何者かなんて! ……でもねえ、この人は私の、私たちの大切な人なんだ! そっちこそ、何も知らないくせに偉そうなこと言わないでよ! 誰かの存在を一方的に否定する奴なんて、どんな役目を持っていようが、ただのクズよ!!」

 

 老人の言葉に激高し、普段の内気な彼女からは考えられないような暴言をたたきつけるミミ。……やはりあの老人……に見える存在は、ヒカルの素性を知った上で発言をしているのだろうか? しかしそれではそもそも、あの存在はいったい何なのだろうか。余計に分からないことが増え、思考の海に陥りそうだったヒカルは、次の瞬間、目にしたものにぎょっとした。

 

「な、何だよあれ……!?」

 

 それは、どこから運ばれてきたのか、成人男性より一回りか二回りは大きな岩の塊であった。それがヒカルたちと老人の間に立ち塞がるように空中に静止している。よくよく精神を集中してみると、その大岩は強大な魔力に覆われており、その発生源は、ヒカルの隣に立って、鬼神のごとき怒りのオーラをまとわせているエルフの少女であった。岩は彼女の特殊能力のひとつである念動力(サイコキネシス)によって持ち上げられているのだ。ミミは険しいなどと表現するのもはばかられる憤怒の表情で、両手を前に突き出し、ありったけの大声で叫んだ。

 

「消えてなくなれ!」

「ふ、ふざけるなあぁっ! 儂とて、儂とて好きでこのようなことをしておるのではないわあっ! イオ!」

 

 老人の怒りとも悲鳴ともとれる絶叫が周囲にこだまし、初級の爆裂呪文が向かってくる大岩を迎え撃つ。……これがもし、呪文同士のぶつかり合いであれば、あるいは結果は違っていたかもしれない。しかし……。

 

「な、なんだとおっ?!」

 

 正確に言えば、老人の爆裂呪文(イオ)は、大岩を見事に粉砕していた。通常はそれで終わりだったはずなのだが、この岩は爆砕されてなお、その破片が意思を持ち向かってきたのだ。爆炎を潜り抜け、無数の指向性を持った岩のかけらが老人を打ちのめす。すべてがありったけの念を込めたサイコキネシスにより超高速で降り注ぎ、老人は新たに呪文を発動するどころか、体勢を立て直すことも出来ない。そしてついに身体のバランスを崩し、その膝を折って地に伏した。ちょうどそのとき、ミミのあまりの変貌に思考停止していたヒカルが再起動を果たし、とある呪文の詠唱の準備に入っていた。それが終わりきらないうちに、彼はその場の全員に聞こえるよう大声で指示を飛ばす。

 

「みんな、俺のところへ!」

 

 全員が一瞬動きを止めたが、モモがもりおの手を取ってヒカルとミミの所まで駆け寄ってくる。老人は杖を支えにして何とか立ち上がろうとしているが、顔は苦痛と怒りがごちゃまぜになったようなものすごい形相でこちらをにらみつけているものの、未だ完全には立ち上がれていない。しかし相変わらず服も破れていなければ、一滴の血も流してはおらず、攻撃の余波で体に塵埃をまとわりつかせてはいるが、その姿は異様であるというほかはない。

 

 仲間たちが有効範囲に入ったことを確認して、ヒカルは呪文を詠唱する。目標は先ほどドラきちが入っていった神殿だ。見えている場所なら、行ったことがなくても問題なく転移できるはずである。こちらに姿を見せている入口であろう場所へ意識を集中させる。

 

「天よ繋がれ! ルーラ!」

「ベギラマ! しまっ……!」

 

 老人は体制を立て直し、攻撃呪文を放つがもう遅い。その手から閃光が放たれるより一瞬早く、排除すべき目標と定めた侵入者たちは、青白い瞬間移動呪文(ルーラ)の光に包まれ、その場から消えた。次の瞬間、彼らの目の前には巨大な神殿が現れていた。今は昼だが、入り口から中の様子は伺い知れない。まるで洞窟のような深い闇に閉ざされている。なぜか神殿の上には塔のような建造物がそびえたっており、さらにてっぺんに竜を模した大きな像が据えられている。

 

「ご主人様、早くしなければ追撃が!」

 

 モモが珍しく焦ったような声でせかしてくるが、その心配はおそらくないだろうとヒカルは踏んでいた。

 

「大丈夫、あのじいさんはここまでは追ってこられない。」

「え?」

「あれは生きた存在じゃない。じいさんの形をとった何か、だ。本来はこの都に勇者を導くための存在。だからバギでも血が出なかったし、ヒャドでも凍傷すらできなかった。」

「……! そういえば、そうですわね。では、あのおじいさんは生命(いのち)ある存在ではないのですか?」

「平たく言えばそういうことになるんだろうね。どういう原理で生み出されているのかはさっぱりわからないけど。ほら見てみな、あの近辺からは動けないようだね。」

 

 ヒカルが指さした先には、片手で握った杖を支えにようやく立ち上がり、こちらに向けてもう一方の手のひらを向けている老人の姿がある。しかし、追ってくるどころか、追撃に呪文を放ってくる様子もない。もっとも、あそこからでは射程範囲外だろうが。

 

「! うそ……!?」

「き、消えた、いったいどうなってるんだべ?」

 

 ミミともりおが目を丸くして、ヒカルの指さした方向を見ている。彼らの見ている中で、老人はすうっと姿を消したのだ。そう、ヒカル以外は知らないが、ちょうど原作でアベルをこの神殿へ導いた直後と同じように。

 

「あのおじいさん、とてもつらそうなお顔をしていましたわね。」

「ああ、そうだな、確証はないけど、もともとは俺たちと同じ、生命ある存在だったのかもな。ま、それはとりあえず置いておこう。今考えてもあのじいさんが何者かわかるわけでもないからね。」

「そう、ですわね。」

 

 そう答えた彼女の表情は、いつになく悲しそうだった。でも、彼女が何を思ってそんな顔をしているのか、ヒカルにはわからない。

 

「そんでヒカルさん、これからここを調べるんだべか?」

 

 そう、これからこの神殿の中を調べようというわけである。原作では竜のカギなるアイテムと、それを収める地価の水晶、のようなものしか描写されていなかったが、ヒカルが気になっているのはむしろ上の階だ。あとは「竜の翼」という御大層な名前もである。構造といい、どう考えてもただの「都」とは思えない。

 レミーラを唱えて光源をつくり、ヒカルたちは神殿の中へ入っていった。一行の中でヒカル1人だけしか明かりをともせないため、全員で時間をかけてゆっくりと探索していくことにする。神殿といっても手入れがされているわけでもなく、ところどころヒビが入ったり柱が傾いたりしている。原作でも柱が倒れてくるアクシデントがあったので、慎重に進む必要がありそうだ。竜のカギが置いてある祭壇をとりあえず素通りし、彼らは神殿の中を一通り調べて回った。ここにはいくつか部屋があり、宝箱などもそれなりにあったが、今の彼らに必要なものはほとんどなかったので、中身を確かめただけで全部元に戻した。

 

「さて、この部屋が最後か……。」

 

 その扉は大きな柱の陰にあった。何故こんなところにあるのか疑問だ。柱と扉の距離が、ちょうど扉を開くだけのスペースしかない。まるで柱で扉を隠しているかのようだ。

 

「う~ん、開かないよこれ。」

「鍵がかかっていますわね。」

 

 やはりというか、お約束というか、部屋には鍵がかけられていた。しかし、当然開ける鍵は持っていない。そもそもこの世界にゲームのような特殊な鍵が存在するかは分からないが、閉ざされた扉なら呪文で開けることはできる。

 

「ご主人様、どうなさいますか?」

「あんまり気は進まないけど、開けないことにはらちがあかないから、魔法で開けることにするよ。」

 

 ヒカルは扉の取っ手に手をかざして、呪文を詠唱する。

 

「いたずらな風の精霊よ、強固に閉ざされし扉の鍵を開け放ち、未知なる世界を我の前に示せ。」

 

 扉の鍵穴に意識を集中し、かざした手を一度握り、また開く。扉を開け放つイメージを作り、最後の発動句を紡ぐ。

 

「アバカム!」

 

 おそらく鍵が外れたであろう、ガチャリ、という金属音の後、ギイィーッ、という音がして、扉がゆっくりと開いていく。解錠呪文(アバカム)の効果により、扉は完全に開け放たれた。

 

「すっご~い、鍵もないのに開いちゃった!」

「アバカムなんて、魔力制御がもんのすごっく難しいって聞いてるべ、ヒカルさんやっぱ相当すごい人なんだな~。」

「そう、ご主人様はとっても偉いのよ!」

 

 あ~、その流れ、もういいから、ホント、疲れる……。かわいい女の子に褒められるとかうれしいだけのはずなのに、この姉妹に言われると疲れる。……などと、かなり失礼なことをヒカルが思っていると、いつの間にかモモに顔をのぞき込まれていた。

 

「ご主人様、今ものすごくひどいこと思いませんでしたか?」

「い、いやそんなことないよ、うん。ないない。」

「じとーーーっ、ですわ。」

「い、いやだなあモモさん、ハハハ。さ、扉も開いたし先に進んでみようか!」

 

 ヒカルたちは扉の先へとゆっくり進んでいった。この先は長い廊下のようで、しばらく進んでいくと上に上がる階段が見えてきた。

 

「どうやら、当たりみたいだな。」

「この上に何があるんですか?」

「詳しくはわからない。ただ、俺の予想が間違ってなければ、この都、いや、さっきのモモの言葉を借りるなら要塞かな。んで、それを管理している部屋みたいなものがどこかにあるんじゃないかと思っていたんだ。」

「え? そんなものがあるんですか?」

「確証はない、ただ、あの妙なじいさんの出現とか、竜の翼っていう変わった名前から考えて、単純に都市じゃない何かが、ここにあると思うんだ。」

 

 話しているうちに割と長いらせん階段を登り切ったようだ。目の前にはまた扉があって、やはり魔法で鍵がかけられている。もう一度アバカムを唱え、扉を開けたちょうどその時、レミーラの光が消えた。

 

「きゃっ!」

「大丈夫ミミ?」

「う、うん、ちょっとびっくりしただけ。」

「人間は不便だなあ、おらたちは夜目が効くから問題ねえけどな。」

「ああ、ちょっと待って今照らすから、レミーラ!」

 

 先ほど開け放った扉の方向へ手をかざし、中にあるだろう部屋をイメージして呪文を唱える。一瞬まぶしく光った後に、ヒカルたちの視界にその部屋の全貌が映り始める。

 

「こ、これは……!」

「うわぁ……。」

 

 鍵のかかった扉を開けて、その中に足を踏み入れると、周囲とは打って変わった清浄な空気が辺り一面に漂っている。崩れかけてボロボロになっているほかの部分とは違い、年月が立っているのにカビが生えるどころか、埃すらかぶっていない。それはそれで、異様な光景ではあるのだが、それ以上にこの部屋の作りを見たヒカルはあるものを思い出し、言葉にならない驚きを感じていた。

 その部屋の中心には何やら魔法陣のようなものが描かれ、入り口から見て左右に細長く作られた空間の両端には、それぞれ祭壇のようなものが設置されていた。その構造はドラゴンクエストというゲームの、天空編と呼ばれるシリーズをプレイしたことのある者であれば、誰もが必ず訪れるある場所の作りに酷似していたのだ。

 

「天空城……。」

「え? ご主人様、何か?」

「ん、あ、いや、何でもない。」

「?」

 

 ヒカルの小さなつぶやきは、その内容まではモモに聞き取られることはなかったらしく、彼女は不思議そうな表情を少しの間していたが、やがて周りを歩きながら確認していたもりおとミミに呼ばれてそちらの方へ歩いて行く。

 ヒカルは面倒なことにならなくて良かったと、内心ほっとしながら、魔法陣のような印の中央に立ってみる。わずかな魔力を感じはするが、これで何かができるような感じはない。いや、というよりむしろ、力が絶対的に足りていない感覚がある。これが何をする装置なのかは正確にはわからないが、ゲームと同じであるなら、左右の台座にそれぞれ特定のアイテムを据えれば、天空城のように浮遊し動かせるのではないかと、ヒカルは考えた。しかし、それは今はとりあえず置いておこう。仮にヒカルの推測通りだったとしても、動力として必要な2つのアイテム……ゲームでいうところのゴールドオーブとシルバーオーブに該当するものはこの場にはなく、そのありかさえも分からない状態なのだ。

 ヒカルはさらに歩を進め、入り口とちょうど対面する壁の方へ歩いて行く。壁の前には何か文字の書かれた石板と、その傍らに手形の模様のついたサイドテーブルのようなものがある。近づいて確かめてみるが、石板の文字は古代文字らしく、ヒカルには読み解くことが出来なかった。

 ……後にして考えれば、うかつな行動は控えておくべきだったのかも知れない。しかし、人間というものは時として、好奇心に打ち勝てないものだ。手形の模様を見たのなら、それに自分の手を重ねてみたいと思ったとしても、不思議なことではないだろう。ただ、何が起こるか分からない状況で、好奇心のままに行動することが危険であるというのは、今更言うまでもないのである。

 

「わわっ!」

 

 ヒカルが手形に自分の右手を重ねたそのとき、石板の文字が淡く発行し始め、部屋全体が急に明るくなる。レミーラでは十分に照らされていなかった隅の部分まで、良く見通せるほどの光源は、しかしその位置が明確ではなく、部屋全体がほぼ均等な光量で照らし出されていた。同時に部屋全体がゴゴゴゴッと低い音を立てながら振動を始め、それは数秒の後におさまった。

 

『モーラノミヤコヘヨウコソ アタラシイゴシュジンサマ ゴメイレイヲオキカセクダサイ』

「へっ?」

 

 急な部屋の揺れにバランスを崩しかけ、石板に手をついて体勢を立て直したヒカルの耳に、聞き慣れない硬質な音声が飛び込んできた。それに応じるように、振り返った彼の目に飛び込んできたものは、その場の全員を驚かせるのに十分であった。

 

to be continued




※解説
メラミ:メラ系の中級呪文。中ボスなどと戦うときに重宝する。消費MPが少なくダメージが大きいので、敵の数が少ないのであれば有用である。
イオ:爆発で敵全体を吹き飛ばすイオ系の初期呪文。敵全体に効果のある強力な系統の呪文だが、現実に使うとなると効果範囲に注意しなければならないだろう。
サイコキネシス:定めた物体を物理法則を無視して動かすことが出来る能力。今回は大岩を持ち上げ、イオで砕かれてもなおその破片は敵へ向かっていった。このように、ミミの特殊能力は魔法とは判定されないため、魔法効果で迎撃することが難しい。

「竜の翼」って、アニメ見てたときも引っかかっていたんですよね。そんな疑問を独自解釈してみました。この世界にゴールドオーブとシルバーオーブはあるのでしょうか?
敵サイドの話をちょっとだけ書いてみました。今後少しずつ、敵側の動きも物語に組み込んでいけたらなと思っています。
精霊神はこの世界の教会が信仰している創造神で、オリキャラです。そのうち出しますが、出番は後の方になると思います。

さて、いったいヒカル君は何を呼び覚ましてしまったのでしょう?
次回もドラクエするぜ!


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第12話 謁見 スライム島のキングスライム!

久々の投稿です。
入院を含め、少しドタバタしていました。
かな~り時間が開いてしまいましたね。
執筆時間を確保するのは難しいです。
文章を短くすると淡泊になる、しかし思うとおりに表現しようと言葉を連ねると長ったらしいだけに。こういうのを文才がないって言うんだろうなぁ。
さて、今回からちょっと原作キャラの出番がない回が続きます。オリ主サイドの戦力を整える回ですので、ご了承ください。

※2019/7/9 誤字脱字を修正しました。
※2017/9/10 ソフィア様、誤字報告いただきありがとうございました。


 ヒカルが手を触れた瞬間、手形が光を発し、硬質な機械音声と友に中空に何か光の塊のような物が浮かび上がり、次第に形を変えていく。数秒の後、それは美しい女性の姿へと変化した。ただし、背中から一対、巨大な純白の翼をはやしている。純白の肌にウェーブのかかった金色の長い髪を腰まで伸ばし、目を閉じて両腕を胸の前で交差させている。どう見ても衣類をいっさいまとっていないようだが、ヒカルを含めた一行は誰1人状況が飲み込めず、もれなくその場に固まってしまうのだった。

 

「一体どういう状況なんだこれ? いや、まあ不用意に動かしたのは俺なんだけどさ。」

「何で急に翼をはやした娘っこが出てくるんだべ?」

「天使? でしょうか? 全裸なんて刺激的すぎますわ。」

 

 ヒカル、もりお、モモがそれぞれ疑問を口にする。ミミなどは思考が追いついていないらしく、口を半開きにしてただ呆然と突っ立っているだけだった。

 

「ご主人様って、この状況からしてもしかしなくても俺のことだよな? 新しい? なんのことだかさっぱりだ。」

 

 ヒカルがそんなことをつぶやいた瞬間、右手の下、ちょうどそれが置かれているくぼみの部分が一層強く光り輝き、同時に何かがヒカルの頭の中へ直接流れ込んでくる。

 

「こ、これは……!」

 

 ――はるか昔、超古代文明を築き上げたエスターク人は、愚かにも世界征服という自らの野望を成し遂げるため、ゾイック大陸全土へ侵略の手を伸ばしはじめていた。しかし、ごく少数の善意ある者たちが、自分たちの生み出してしまった汚染水である『死せる水』による世界への悪影響を懸念しており、竜の翼はそれを浄化してきれいな水に戻すための研究をしていた施設であった。しかし、野望に燃える悪しきエスターク人たちは、竜の翼を破壊するため攻撃を仕掛けてきた。その攻撃から逃れるため、竜の翼は防御を固め、要塞のような作りになっていった。戦いが長引くと予想した善良なるエスターク人たちは、当時のエスターク文明においては最高峰の技術力を用い、竜の翼を空高く浮上させ、悪魔に魂を売ってしまった同胞達の手から辛くも逃れることができたのである。それからまもなく、エスターク文明は滅亡し、ゾイック大陸には死せる水による汚染と戦いによる傷跡だけが残された。

 竜の翼に残されたエスターク人たちはトフレ大陸に居住地を移し、そこで竜伝説に記された、伝説の竜の力を知ることになる。彼らは長い時間をかけ、伝説の竜に汚れた水を浄化する力があることを突き止め、勇者と聖女の力を借りてゾイック大陸を浄化するという考えに至る。しかし、勇者や聖女は世界の危機にしか現れず、少なくともそれは今ではないらしい。エスターク人は世界の危機について調べる内、それが魔王と呼ばれる、モンスター達を束ねる悪の王による侵略であることを知る。さらに調査を進める彼らだったが、そんな折に世界を大地震、台風、水害、山火事などの大災害が襲った。特に、竜の翼を中心として建設された善良なるエスターク人たちの新しい都、このモーラの周辺は大変な大災害に見舞われた。エスターク人たちは本来は都市機能の管理のために使っていた竜の翼のエネルギーを防御に回し、なんとか都の破壊を免れた。しかし同時に、竜の翼は蓄積していた膨大なエネルギーのすべてを使い果たし、モーラの都は高度なその機能のほとんどを失ってしまった。都を統率していた年長者の集団である長老会は、竜の翼を長い眠りにつかせることを決断し、都市機能を失ったモーラの都は寂れてゆき、やがて滅んでしまった――。

 

「な、何だったんだ今のは……?」

 

 それは端から見れば一瞬の出来事だったのだが、ヒカルにとってはかなり長い時間に感じられた。頭の中に入ってきたものは、この『竜の翼』に関する膨大な情報だったからだ。そして、それと同時にこの部屋が竜の翼の中枢であり、かつての都市機能や竜の翼そのものを動かしていた部屋だということも分かった。

 ヒカルはまだ現実に戻ってこられずに呆けている仲間達をよそに、都市の管理機能を司る存在を呼び出すため、頭に浮かんだキーワードを口にする。

 

「翼を司る者よ、新たな主たる我の名を刻め、我が名はヒカル。」

「ショウチイタシマシタ ヒカルサマ サイショウコウセイデ カンリキノウヲ サイキドウシマス。」

 

 一瞬、眩い光が部屋全体に放たれ、それが収まり全員が目を開けたとき、先ほどまで空中に静止していた女性型の何かが、静かに目を開いた。

 

「おはようございます。ヒカル様。」

「おまえが、モーラの大王か?」

「う、うわあああん!!」

「え?! ちょ、何? 何がどうなってんの?」

「はっ、ご主人様? あら? え? いったいこれはどういう状況ですの??」

「あ、れ? ご主人様? 裸のお姉さんが、泣いてる?」

 

 落ち着いた声で話しかけてきた女性を模った『それ』は、ヒカルの言葉を聞いて急に顔を覆って大声で泣き出してしまった。その声に呆けていた残りの3人はようやく現実に引き戻された訳だが、いったいどういう状況なのかわからずに困惑するばかりである。

 

「あの、えっと、これってどういう状況なのかな? ミミわかんない。」

「ご主人様が翼のはえた裸の女の人を泣かせていますわ。」

「いやいやいやいや、その表現だと誤解されるから、絶対女の敵として認識されるからね?!」

 

 ミミとモモの反応、特に姉の方の言い草に、ヒカルは半ば絶叫しながら反論する。一体何がどうなっているのか、ヒカルにもまったくわからないのだ。泣きたいのはむしろ彼の方である。

 

「あのねえ君、急に泣き出されちゃ訳がわかんないでしょう。とりあえず落ち着いてくれないかな?」

「ぐすっ、えぐっひっく。もうじわげござびまぜん。」

 

 泣き崩れた彼女が落ち着くのには、結局それなりに長い時間を要した。ようやく落ち着いた彼女によると、モーラの都と竜の翼の機能は多岐にわたっており、そのすべてを円滑に管理するために古代魔法技術によって作られた存在が、彼女のような『管理者』というものだそうだ。この世界にコンピュータもその概念もないが、その系統に当てはめるなら、対話型のUI(ユーザーインターフェース)といったところだろう。恐ろしく先進的な技術である。しかもヒカルには電子的な仕組みもなしにこれらがどうやって動いているのか皆目見当がつかない。まあ、古代文明の遺産であるため、ほかの者たちにも理解できる代物ではないのだが。

 

「なるほど、管理者がこの世界にもう存在しないんで、一番近くにいた俺を管理者として認識したのか。」

「はい。どうぞご命令を、新しいご主人様。」

 

 命令しろ、などといわれても、何も思いつくはずはない。そもそも起動するつもりもなかったわけだから、それは当然といえよう。悩んだヒカルはとりあえず、気になったことを聞いてみることにした。

 

「う~ん、命令っていわれても困るんだけど、とりあえずさ、なんで急に泣き出したのか教えてくれる?」

「それは……ううっ、ぐすっ。」

「あ~ほらほら泣かないで、困ったなあもう。」

「すみまぜん。ですが、わ、私、確かに作られた存在ですけど、その、一応、女の子なんです。な、なのに、だ、大王なんて名前、あ、あんまりですっ! うわあああん!!!」

 

 再び泣き出してしまった彼女。どうやら『女性』としての意識はあるらしい。ヒカルは頭に流れ込んできた情報をもとに、その名前を口にしただけなのだが、確かにこれだけ外装を美しい女性の容姿にしておいて、名前が『モーラの大王』などというのは、制作者のセンスが疑われても仕方がない。

 

「それは確かにひどいですわね。」

「う~ん、メスにオスの名前つけるようなもんだからなあ、わりと適当なモンスターの名前でも、ちょっと考えられないべ。」

「かわいそう、ご主人様、どうにかならないの?」

 

 三者三様に、同情の意を表す仲間達に、ヒカルは先ほど入ってきた情報の中に、解決策がないか探りを入れる。

 

「う~ん、これかな。都を管理する物よ、主の名において汝に名を与える。」

 

 ヒカルは目当ての機能だと思われるキーワードを口にする。途端に、今まで泣いていた彼女の動きが止まり、再び硬質な機械音声が部屋に響いた。

 

「メイレイヲ ジュダクシマシタ カンリシャノ アタラシイ ナマエヲ オキカセクダサイ。」

「う~ん、女の子の名前なんて自信ないけど、どうすっかなあ。」

 

 どうやら新しい名前の入力を受け付ける待機状態に入ったようだ。しかし男のヒカルに女の子の名前などとっさには思い浮かばない。なんとか考えてみるも、

 

「ええと、ユリカ、マイコ、アサミ、マユミ、トモエ、ミユキ……ダメだな日本人名しか思い浮かばない。」

 

 どれもこれも、金髪色白な彼女にふさわしい名前とは思えない。困ったヒカルは従者のエルフに知恵を借りることにする。

 

「モモ、何かいい案ない?」

「そうですね……エレオノーレ……なんてどうですか? エルフの古い伝承に記されている大魔法使いの名前なのですが……私たちは親しみを込めて、普段はエレンという略称で呼んでいますわ。」

「よしっ、それでいこう。ええと、汝、命名、エレオノーレ。」

「ニュウリョクヲ ウケツケマシタ カンリキノウヲ サイキドウシマス。」

 

 部屋に一瞬眩い光が放たれ、新しい名前を与えられた彼女は、再び目を開いた。

 

「ヒカル様? 私、いったいどうしたのかしら??」

「お目覚めかい? 気分はどうかな? これで名前が変わっているといいんだけど。」

「!! ありがとうございます! エレオノーレ、なんて女らしい名前なのかしら……。ありがとうございますヒカル様。」

「うんうん、よかった。そこにいる大きい方のエルフ、モモがつけてくれたんだ。愛称はエレンらしいよ。改めて、俺はヒカル、で、モモの隣にいるちっこいのがミミ、あのこうもり男はもりおさんだ。」

「モモ様。素敵な名前をありがとうございます。ミミ様、もりお様、お騒がせして申し訳ありませんでした。」

 

 エレオノーレト名付けられた『管理者』は、皆に深々と頭を下げた。顔を上げた彼女の表情は、優しいまなざしをしており、口元には優雅な微笑みをたたえている。ようやく場が一段落したところで、ヒカルは次の行動に移ることにする。

 

「早速で悪いんだけど、勇者に渡す予定のアイテムって入れ替えられるか?」

「え?! 入れ替えるのですか? 聖なる水は死せる水をわずかですが浄化させる力がありますし、はがねの剣なんて滅多に手に入らない貴重な品なんですよ?!」

 

 エレオノーレ、エレンの言葉に、一同は唖然とする。聖なる水はともかく、はがねの剣など多少高価ではあるが、普通に武器屋で売っているアイテムだ。それが貴重品とは一体どういうことなのだろうか?

 

「あ~、なるほどね。 いいかいエレン、君が造られたころは鋼鉄の製錬技術は貴重な物だったかも知れないけど、今や技術が発達して、鋼鉄なんて設備があれば増産できる代物なの。だから珍しいものでも何でもないわけだよ。」

 

 人間の技術とは日々進歩する物だ。ザナックのところで読みふけった歴史書によると、魔法金属などの制作過程に魔力が絡むような代物は別として、銅や鉄などの生成技術は古代文明の頃にはたいしたものではなかった。神代の武具、伝説の名工などの有名人が作成した武具などを除けば、通常の武装において精錬された金属の使用は一般的ではなかった。それはヒカルが元いた世界の古代史と何ら変わるところはない。そういった時代に、モーラの都のような大都市でのみ作られていたらしい鋼鉄製の武具は、一般人が手にできる中では相当に貴重なものだったようだ。しかし、現在ではこの世界でも鋼鉄の武具は王宮の兵士などに標準装備として支給されている国もあり、金さえ出せば武器屋で普通に購入できる程度の代物である。

 

「そうだったんですか。私が眠っている間に、世界もいろいろと変わっているのですね。ええと、入れ替えは可能です。代わりのアイテムを持ってきて頂ければ、私の方で処理させて頂きます。」

「よし。それと、この竜の翼を浮上させるアイテムの名前と所在(ありか)は分かるか? 多分ここの力を完全に引き出すのに必要だと思うけど。」

「名前はゴールドオーブとシルバーオーブです。申し訳ありませんが、どうやら何らかの方法で隠されているらしく、私の探知能力では場所までは特定できません。竜の翼が飛べなくなった時点で、封印されたと記録されていますが、経緯についての詳細までは分かりかねます。」

 

 どうやら、ゴールドオーブとシルバーオーブは、存在することだけは確かなようだ。しかし、今は両方ともどこにあるのかわからない。ヒカルはとりあえず、2つのオーブの腱は後回しにすることにした。

 

「この竜の翼は、2つのオーブがあれば飛べるのか?」

「はい。竜のカギによって水晶の力を解放し、その上で2つのオーブを祭壇に捧げれば、竜の翼は再び浮遊することができるはずです。」

「よし分かった。それじゃあ、次に俺が来るときまで、この場所を見つからないように隠すことは可能か? 勇者じゃない奴が来るたびに呪文で撃退するとかちょっと物騒だからな。」

「それは可能です。モーラの都は現在、半分以上地下に埋もれた状態にあります。周囲を魔法のフィールドで隠し、通路を特定のアイテムを使わなければ通れないようにしておけば良いかと思われます。」

 

 ヒカルはエレンにしばらくの間都を外部から見えないようにするように指示し、それはまもなく果たされた。かなり大がかりな装置のはずだがたいして待たされることもなく処理は完了。通行不可となった都へ通じる道を通ることができる通行証の役目を持つアイテムを受け取り、彼のここでの目的は果たされた。

 

「じゃあ、エレン、悪いけど次に来るときまで、もう少し休んでいてくれ。」

「はい。少しさみしいですが……お帰りをお待ちしています。」

 

 エレンはそう言い残すと、光の球となり、やがて静かに消えていった。一行が部屋を出、扉を閉めると、再びガチャリとカギのかかる音が聞こえ、竜の翼は再び、しばしの眠りにつくことになるのだった。

 

***

 

 旅の扉を通り、ほこらの入り口を抜けると、いつの間にか外は日が落ちかけるような時刻になっていた。今までずっと暗い屋内にいたために、時間の経過を正確に把握できていなかったようだ。朱色に染まった空は水平線の向こうまで続き、きっと明日の天気も良いのだろうと予測できる。後ろを振り返ると、さほど大きくないほこらの裏手には森が広がっており、その先を見通すことはできない。いきなり森の中へ入るのは、これから夜になることを考えると危険と思われたため、ヒカルらはとりあえず海岸線を歩き、住人がいないかどうかを探してみることにした。

 ドラきちのいうとおりであるなら、ここがスライム島ということになるはずだ。海岸線に沈んでゆく夕日を見ながら、適当に歩を進めていると、意外にもすぐに森は途切れ、草原の中に城らしき建物が見える。まだ遠くてはっきりとは見えないが、城の周りに町のような集落が広がっているようだ。歩いて行っても日が沈みきる前にはあそこまでたどり着けるだろうと目算を立て、ヒカルたちは町へと歩を進めていった。

 

「みなさん、お待ちしていました。ようこそスライム島へ。」

 

 町にたどり着き、門のところで見張りをしていたスライムに話をしていると、どこからかドラきちがやってきて、ヒカルたちを町へ案内してくれた。この島には基本的に弱いモンスターしかおらず、駆け出しの戦士にも一撃で倒されてしまうようなレベルの者がほとんどだという。島は1匹のキングスライムが治めているが、彼はキングスライムの中でも特に弱い個体らしく、今までの戦いでは数少ない城の兵士であるさまようよろいたちが奮戦し、どうにか敵を撃退していたということだった。

 

「とりあえず、この島の長であるキングスライム様に会って頂けますか?」

「もう夜だけど、かまわないのか?」

「はい、城には連絡してあります。襲撃への備えは早いほうが良いと、長もそのように申しておりましたので。」

「わかった、じゃあ行こうか。」

 

 ヒカルたちは小さな町の中を、その中心にそびえ立つ城へ向けて進んでいった。周りの風景とはあまり調和の取れていない大きな城の前にたどり着いたときには、日はすっかり暮れ、空には月が顔を出していた。

 ドラきちが城門の前に立つさまようよろいに何かしら話をし、ほどなくして門はゆっくりと開かれた。スライム系の小さなモンスター数匹に案内され、城の奥にある謁見の間へと通されると、玉座には巨大なキングスライムが鎮座していた。

 

「良く来たな、旅人たちよ。儂がこの城の主、キングスライムのキングスじゃ。」

「ええと、なんて応対すりゃ良いのかな? 初めましてヒカルです。ご尊顔を拝し恐悦至極?にございます。」

「わっはっは、別に普通に話してくれてかまわんぞ。このしゃべり方はただの癖のようなものじゃからして、別に儂はほかの者と比べて偉いわけでもなんでもないからのう。」

「は、はあ、そうですか。」

 

 それではなぜ大きな城に住んでいたり、ほかのモンスターが召し使いみたいなことしてんだよと突っ込みたくなるヒカルであったが、漫才をかましている時間もないので、話を進めることにした。

 

「ねえねえ、ミミお腹すいた~。」

「こらミミ、大事なお話をしているんだから、もう少し我慢しなさい。」

「だってぇ、歩き続けて疲れたよう。」

「わっはっは、すまんすまん、少し急ぎすぎたようじゃな。どれ、儂も夕食にするか。少し待っておれ。」

 

 キングスはそういうと、どこから取り出したのか小さなベルをチリンチリンと鳴らす。まもなく何匹かのいっかくウサギが現れ、夕食の用意を命じられて退室していった。そして、ヒカルたちはキングスの案内で、大きなテーブルのある部屋に通され、しばし待つと給仕らしきモンスター、長い舌をたらしたつちわらしたちが様々な料理を並べはじめた。

 

「さあさあ、遠慮しないでたくさん食べるのじゃぞ。ときに小さきエルフの娘よ、名前はなんという?」

「ミミだよ! うわ~おいしそう、お魚に、野菜に、果物もあるぅ~~♪」

「ふむ、ではミミ、待たせてすまなかったの。皆でいただくとしよう。」

「わーい!」

 

 ミミはかわいらしくいただきますをして、目の前にある料理を食べ始める。ヒカルたちもキングスに促されるまま、テーブルの上の料理を口に運んでいく。どれも新鮮な食材を、素材の味が引き立つように調理しており、旅で疲れた一行の胃袋に染み渡っていく。食事しながら自己紹介やこれまでの旅についてなどを、一通りし終えたあたりで、大量にあった料理は見事に平らげられていた。

 

「さて、ドラきちの頼みを聞いてここまで足を運んでくれたこと、改めて感謝しよう。」

「いえいえ、実際役に立つかどうかわからないですし。それで、襲ってくるモンスターはどれくらいなんですか?」

「数はいつも、多くても30体がいいところじゃろう。空から来る奴はおおがらすやさそりばち程度じゃから、たいして脅威にはならん。この城の唯一と行ってよい戦力、さまようよろい総勢5体が相手をし、ホイミスライム達に回復をさせながらどうにか戦っておる。」

 

 食後のデザートを楽しみながら、ヒカルはキングスから襲撃してくるモンスターについての情報を仕入れていた。空と海から襲ってくるモンスターのうち、空の襲撃者についてはどうにか対処ができているそうだ。さまようよろいの攻撃力とホイミスライムの回復呪文(ホイミ)の組み合わせなら、低レベルの敵が相手であれば安定して有利に戦いが進められるだろう。

 

「問題は海、ですか。」

「うむ。さすがにあまり大型のモンスターはやってこないが、頻繁に責めてくるマーマン達だけでも手こずっておる。奴らは陸地に上がれば弱体化しよるから、陸におびき寄せてなんとか、といったところじゃな。」

「ふ~む、今以上に数が増えたり、面倒な呪文を使う奴が出てくると危ないですね。」

 

 現状の戦力はさまようよろいとホイミスライムくらいしかまともに役にはたたず、これ以上攻め込んでくる敵が増えたり、レベルの高い相手が現れたりすると耐えきれないだろう。ヒカルはどうしたものかと考えを巡らせる。

 

「まあ、今聞いたくらいの強さの奴なら、距離取って俺とミミの攻撃呪文で倒すことはできるけど、たとえ一度撃退したとして、今までのパターンだとまた襲ってくるのは目に見えてる。その辺も含めて、なんとかできる手段があればいいけどなあ。」

「なんと! あれだけの数を相手にできるほど、高度な呪文が使えるのか?!」

「まあ、俺はベギラマとバギマ使えるし、ミミはヒャダルコ使えるからなんとか。」

「う~む、エルフの娘はそういう能力なんじゃろうが、そちは人間じゃろ? いや人間でなくても高等呪文を複数使いこなせる者など、この世界にはそうはおらんぞ。」

 

 ここでも魔法の才能を褒めちぎられ、少し照れくさい思いをするヒカルであったが、首を振って思考を切り替える。複数の敵を永続的に退けるような魔法の罠や、アイテムなどがなかっただろうか、と。

 

「1つだけ、あるにはあるな。」

「む? 何か良い考えが浮かんだのか?」

「破邪の呪文なら、邪悪な魔王の手下をこの島に入れないように結界を張ることができるはず。」

 

 ザナックのところで目にした古代の呪文書に、どこかの漫画で出てきたオリジナル呪文がしっかり記載されていたことを、ヒカルは思い出していた。遊び半分で契約の儀式を行ったところ、拍子抜けするほどあっさりとそれは完了してしまったのだ。ただし、行使するとなると膨大な魔法力(マジックパワー)を必要とするため、今のヒカルでは何かの魔法的媒介を用いて島全体に五芒星を形作るように配置し、その中心で呪文行使を行う必要があった。しかもそれなりに強い魔力を帯びた媒介でなければ、大きな結界を作り出すことはできないのだ。ヒカルの話を聞いていたキングスは、しばらく目を閉じて考えていたようだったが、ほどなくしてゆっくりと目を開き、静かに語りはじめた。

 

「この城の宝物殿にある、魔力を帯びた鉱石である魔石を使えば、媒介としては申し分ないじゃろう。本来は高度な魔法の武器なんかを作るために保管してあった物じゃが、そういうものを作る職人もいなくなって久しい。マホカトールの行使のため、使うとよい。」

 

 キングスはどこか寂しげに、天井を見つめながらそう言い、いっかくウサギを宝物殿へ向かわせた。ヒカルはキングスの態度が少し気にはなったが、詮索している場合でもないと思考を切り替える。魔石を用いれば可能であるとはいえ、あくまでも計算上の話であって、おそらく成功したとしてもヒカルのマジックパワーはほとんど空になってしまうだろう。つまり、失敗すれば敵を迎撃できる手数が減ることになり不利である。加えて、いつ襲撃が起こるのか細かいことは不明なため、できる限り迅速に準備する必要があるだろう。

 そこまで考えたとき、ヒカルたちのもとへ光り輝く美しい鉱石がいくつも運ばれてきた。どうやらこれが魔石のようだ。魔石は魔法石とも呼ばれ、例えば使うと特定の呪文の効果を発揮するアイテムなどを作るときに用いられるそうだ。ヒカルは強い魔力を内包しているものをいくつか選び、それらを道具袋にしまうと、キングスに明日の早朝から作業を開始すると告げ、仲間達と友にあてがわれた部屋で休息を取るのだった。

 

***

 

 ヒカルたちが去った後、キングスは玉座に戻り、目を閉じて瞑想にふけっていた。彼が思い浮かべるのはこの島に来てからのことだった。この島で力の弱い動物やモンスター達と過ごすようになってから、どれだけの時間が過ぎたのだろうか。それなりに長かったはずだが、一瞬のことだったような気もする。過ぎ去った時間など、思い出してみればそんなものなのかもしれない。

 

「ヒカル、か。おもしろい男じゃの。」

 

 ドラきちが助っ人として連れてきたのは人間の青年であった。一見何の力もない、戦いなどとは無縁なようにも見える。実際、それは当たっているのだが、さすがに頭の良いキングスも、ヒカルが異世界の住人だなどという現実離れした真実には、初見ではたどり着かない。それでも、ほかの人間達とは何か違う雰囲気を、わずかばかり感じ取っていたのも確かだった。

 

「どのみち、もはや儂の力ではここを守り切ることはできぬ。この城にある数々の伝説の武器防具も、それを使いこなすだけの者がおらねば、まさに宝の持ち腐れ。……あの若者に賭けてみるとするかの。」

「キングス様!! 大変でございます!」

「何事じゃ?! もう敵が攻めてきよったか?!」

「いえ……それが、アン様がお一人で、試練の洞窟へ赴かれました!」

「なんじゃと?!」

 

 敵の襲撃ではないと一瞬安堵したのもつかの間、スライムの王は激しく動揺し、その青く輝く粘体をふるわせた。

 

「あの馬鹿者め! 早まるなと申したであろうに……!」

 

 発せられた嘆きの声は、しかし思い人には届くことなく、謁見の間にむなしく消えていった。

 

to be continued




※解説
はがねの剣:原作でモーラの大王がアベルに渡したアイテムの1つ。この剣の切れ味に調子に乗ったアベルはヤナックの忠告を無視してバラモスに立ち向かうが、結果はお察し。はがねの剣で魔王を倒せたら伝説の剣はいらんのですよ。……まあゲーム的には素手で魔王に会心の一撃を連発する女の子も、いるにはいるのだが。
モーラの大王:原作で女性声だったのを、作者なりに解釈してこうなりました。あの声で大王とか、当時のスタッフは何考えてたんでしょうね。……何も考えてなかった、のか?
マホカトール:五芒星の魔法円を用い、邪悪な力を拒む結界を作り出す呪文。某有名漫画のオリジナル呪文。どうやら発動すれば永続的に維持されるようだが、一定以上の力を持つ者であれば無理矢理通ることも可能。また、おそらくだが何らかの方法で魔法円を壊すことができれば、結界は消失するものと考えられる。

さて、マホカトールは敵を退けることができるか? そして、キングスは一体何を動揺しているのか。アンって誰よ?
ということで、次回もドラクエするぜ!


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第13話 迫り来る敵 負けるな小さき者よ!

タイトルは、うしとらアニメからのオマージュです。
とうとうバラモス様に目をつけられたか弱き者たちの島。はたしてヒカルは皆を守り切れるのか?
そして、ここに戦いの決意をする者がもうひとり……。


 朝、といってもようやく太陽が顔をのぞかせた頃合いであり、周囲はまだ薄暗い。ヒカルが謁見の間に入ると、すでにキングスが玉座に座して待っていた。

 

「待たせちゃいました?」

「気にするでない、年寄りの朝は早いのだ。して、準備は良いのか?」

「もらった島の地図にポイントを書き込んでみました。ここに皆で手分けして魔石を埋め込み、俺がこの城から呪文を唱えます。成功すればある程度強い奴でも結界の中へは入ってこられませんよ。」

 

 破邪呪文(マホカトール)は邪悪な意思を持つ者、この世界の場合はバラモスの宝石モンスターを寄せ付けない強力なバリアを展開する呪文である。しかし、この呪文が登場する漫画の描写から考えて、中ボス以上の実力があれば突破することは可能であろうと思われる。バラモスが直接出てきてはいないのと、今までに遭遇したモンスターが一定レベル以下であることを考えると、敵の側も未だ世界に進出できる状況にはないと考えられる。その推測が正しければ、マホカトールで島全体を覆ってしまえば、本格的な世界征服が始まるまではとりあえず安全は確保されると考えて良いだろう。

 

「では、よろしく頼んだぞヒカルよ。」

「はい、頼まれました。」

 

 こうして、ヒカルは島に住むモンスター達と協力して、巨大な五芒星の魔法円を作り上げるべく動き出したのだった。

 彼らはまだ知らない。魔王バラモスが世界中に散らばっていた配下を呼び戻し、ゾイック大陸の支配をより強固なものにすべく動き出したことを。そしてその最初の標的が、このスライム島であることを。

 スライム島はゾイック大陸の南に浮かぶ小さな島である。上空から観察すると1匹の緑色のスライムのようにも見えるため、この島を知る者達からはスライム島と呼ばれていた。もっとも、人間達の中でこの島の存在を知る者はおらず、人間以外のごくわずかな者たちが知る程度である。そんな島で会ったから、弱い獣やモンスター達が身を寄せ合って暮らすにはちょうどよかった。ここには強いモンスターや人間や、エルフなどの亜人種、大型の獣などにすみかを追われた者たちが隠れ住んでいた。

 しかし、その城がいつからそこにあったのか、それを知る者はだれもいなかった。また、王冠を戴いた巨大なスライム、キングスライムがいつからそこに住み着いていたのかも、誰にも分からなかった。しかしそのキングスライム――キングスは不思議なモンスターだった。自然と周囲の者を従わせるというか、生まれついての上位者というのか、そういった雰囲気が身体からにじみ出ているのである。気がつけば多数のモンスターがキングスに付き従い、彼を護り、身の回りの世話をしていた。彼はいっさい、何も求めたりしなかったのに、である。

 この島はいったい何なのか、なぜ弱い者たちが集まるのか、謎の城の主であるキングスライムは一体何者か――。いつものヒカルであればそういった疑問をまず持ちそうなものだが、今回に限ってはどういった訳か、彼でさえも周囲の状況を違和感なく受け入れていた。

 

「なんと、この世界の者ではなかったか。どうりで、な。」

 

 ヒカルが去った後、ぽつりとつぶやかれたキングスの言葉は、誰に聞かれることもなく謁見の間の静寂に溶けていった。

 

***

 

 スライム島には小さな森があり、そのほぼ中心部にぽっかりと口を開いた洞窟がある。しかし木々に覆われていて、上空からは見つけ出すことは困難であろう。そんな洞くつの前に、1人の人間が立っていた。鎖帷子(くさりかたびら)に身を包み、腰に剣を携えているその姿は戦士であろうか。褐色の肌に青い瞳、整った顔立ちと短く整えられた金髪。一見すれば美しい少年のようにも見えるが、丸みを帯びた体つきと胸部の膨らみから、この人物が女性であることがわかる。彼女は手にしたたいまつに火をつけ、それを掲げてゆっくりと洞窟の中へと歩を進めてゆく。一本道の単調な通路をしばらく進んでゆくと、少し開けた空間に出た。その空間は最奥部から水が湧き出しており、わずかに通り過ぎる風は少し肌寒い。湧き水がたまってそこそこ大きな泉になっている場所には、明らかに人の手で作られただろう四角形の祭壇のようなものがあり、その四隅にある燭台には明々と灯がともっていた。

 

「やはり決心は変わらぬか、アンよ。」

「うん、私は儀式を受けて、力を手に入れたい。その思いは変わらないよ、ルイド」

「人間のそなたが、異形に成り果ててまで、力を求める理由を、今一度問おう。」

 

 彼女、アンと呼ばれた女性は、たいまつを消して後処理を済ませると、ルイドと呼ばれた異形の者、モンスターであるドルイドの方へ顔を向け、決意のこもった瞳で彼を見つめた。そして薄桃色で形の良い小さな唇は、しかしはっきりとよどみなくその心の内を告げた。

 

「私は、皆を守る剣になりたい。この島に1人で流れ着いて途方に暮れていた、人間の私を助けてくれた、皆の力になりたい。でも今のままじゃ、いつか大勢の敵に、みんなやられてしまう。だからどうしても、力が欲しいんだ。」

 

 あまり上手な表現とは言い難いが、それでもまっすぐに決意を述べる彼女の様子に、ルイドはひとつ、小さなため息を吐いた。

 

「こりゃ、キングスの奴にぶっ飛ばされるかもしれんな。」

「……ごめんなさい。」

「いや、もはや何も言うまい。どのみち今のままでは、邪悪な宝石モンスターどもにこの島が制圧されるのも時間の問題だ。私もおぬしの決意にかけてみよう。こちらへ来るがよい。」

 

 アンは祭壇へ続く橋を渡り、ルイドの元までたどり着いた。そしてほぼ正方形をしているそれの、ちょうど中央に来たところで、跪き頭を垂れる。動作の完了を見届けると、儀式の言葉をルイドが朗々と紡ぎはじめた。

 

「すべての生命(いのち)を創造し、見守りたまいし偉大なる精霊神(せいれいしん)よ、その尊き御力(みちから)をもってかの者の願いを叶えたまえ。求めるは力、捧げるはその生命(いのち)。純粋にして高潔なる誓いのもと、その偉大なる力のひとしずくを、かの者のために分け与えたまえ。」

 

 ほぼ密閉状態にある洞くつの奥深く、祭司であるドルイドの詠唱は、未だいつ終わるともなく続いていく。はたしてこの儀式は何であるのか、執り行う彼らは何者か? それらの謎をひもとく時間もなく、この島に迫り来る邪悪な力の片鱗は、今までにないほどの速さと質量を持って、か弱くも懸命に生き抜こうとあがく小さき者たちに迫り来る。それに彼らが気づく頃、それはもはやすべてが始まった後になる。そのことを、並々ならぬ決意を持って禁断の儀式に臨む彼らは未だ、気づかない。時は残酷にその音を刻み続け、黒い足音は着実に、この小さな島へと近づいているのだった。

 

***

 

 ヒカルが異変に気づいたのは、魔石の半分ばかりが所定の場所に設置されたという報告を受けたときだった。宝石モンスターが近くにいるときの嫌な感覚が、まだかなり遠くの方から感じられる。しかし、まだはっきりとはわからないものの、何かとてつもなく強力な敵が迫っているような気がしていた。ヒカルが宝石モンスターを感知できる能力は、その強さまで正確に測れるものではない。おおまかな力は邪悪な気配の大小で推測することはできるが、ゲームでいえば雑魚と中ボスが判定できる程度で、自らのレベルが低いであろう現在の状況では、あまり当てにできるものではない。しかしこのときヒカルは、迫り来る気配がおそらく、自分たちにとって苦戦を強いられる相手だろう事を、直感のようなもので感じ取っていたのだ。

 

「……どっちにしても、やることは変わらない……か。」

 

 そう、要するに敵が攻めてくるより早く、最悪間に合わなくても、できる限り早期に結界を発動できれば、被害は最小限で済む。どのような状況でも、彼の役目は一刻も早く、結界を完成させることなのである。

 キングスの城はちょうど島の中央に建てられており、その城の中心地であるある1つの部屋に、ヒカルは座して禅を組んでいた。別に仏教に造詣が深いわけでもないが、巨大な術式に挑むに当たり、心を落ち着かせるために、彼は日本古来からある精神の統一法を選んだのだ。

 魔石の位置は精神を集中すれば大まかに把握はできるが、細かい位置まではわからない。よって、正確に設置されたという報告をすべて受けてからでなければ呪文の詠唱には入れないのだ。島には魔石を抱えて高速で飛び回れるようなモンスターはあまりおらず、作業の完了までに思ったより時間がかかっていた。それでも、もりおが島中を飛び回っているため、小さな飛行型モンスターだけで立ち回るよりはまだましなはずだ。一定時間ごとに、ドラきちの仲間のドラキー達が作業の進捗状況を報告に訪れている。

 

「……!! なっ、もうこんなに近づいてきてる、いくらなんでも早すぎだ!」

 

 しばしの時間が過ぎ、魔石の3/4ほどが配置し終えた頃、宝石モンスター達の位置はヒカルの想定より春香に早く、スライム島に近づいていた。この調子だと、敵が上陸するまでにマホカトールを発動させるのはおそらく不可能だろう。それでもヒカルは動くことができない。敵を迎撃するために攻撃呪文のひとつも使おうものなら、マホカトールを行使するのに必要な魔法力(マジックパワー)を確保することができなくなるからだ。強大な魔石に蓄積された力を用いてなお、破邪の呪文は術者であるヒカルに相当の負担を強いるものだった。本来であれば、熟練の賢者でもなければ発動できないような高度な呪文であるから、使用者が未熟であれば当然といえば当然なのだが、それでも現状でこの呪文をまがりなりにも行使できる彼は、間違いなく世界有数の魔法使いであった。

 

***

 

 モモとミミの姉妹は、キングスの計らいで城の奥にある一室に避難していた。彼女たちのエルフとしての能力はともかく、直接的な戦闘力は乏しいため、大群との戦いでは数少ない戦闘要員が彼女たちを護りながら戦えないと判断されたためだ。加えて、多数のモンスターに襲われるという状況は、彼女たちにとって過去の恐怖を呼び覚ますのに十分であり、現にこの瞬間も、彼女たちは部屋の片隅に身を寄せ合って、震えていたのだ。

 モモは思う、妹だけでなく、自分自身も未だあの日の惨劇から立ち直り切れていなかったのだと。そして、自分たち姉妹がどれだけ、主である魔法使いの男に守られていたのかということを。これではいけない、自分も皆の、主の役に立たなければと思う、しかし今日に限って体がいうことを聞いてくれない。モモは震える妹を抱きしめ、自身も恐怖に身を震わせながら、同時にやり場のない悔しさに唇をかみしめた。

 彼女たちはまだ知らない。その恐怖は決して、ただ単に過去のトラウマからくるものなどではなく、エルフ特有の鋭敏な感覚が、迫り来る敵の邪悪な力を正確に感知したが故であることを。そして、その邪悪な存在達は、彼女たちの主が考えるより遙かに早く、小さき者たちがひっそりと暮らすこの島に近づいてきているのだ。

 

「2人とも、無事ですか!?」

 

 急にドアが開かれ、ドラきちがものすごい勢いで部屋に飛び込んできた。驚く2人を気遣う余裕もないらしく、彼は一方的に話を続ける。

 

「五芒星が完成する前に、敵にこの島に上陸されました! しかも、今まで見たこともないような恐ろしい奴らばかりです! これからこの城にこもって守りを固めるとキングス様がおっしゃっています。お二人もここから移動してください!」

 

 モモとミミはまくし立てるドラきちの話に、十分について行けてはいなかったが、現状がヒカルの想定したものよりもはるかに悪いということだけは理解できた。彼女たちはドラきちについて部屋を移動し、島中から集められたモンスター達と身を寄せ合って成り行きを見守るしかなかった。

 

***

 

 島のとある一角では、今まさに、最後の魔石が設置されたところだった。ドラキー達ともりおは、作業を終えると迅速にその場を離れ、ヒカルの所へ完了を報告するため城へ引き返そうとしていた。彼らは現在の島の状況はある程度把握しており、侵入者達に見つからないように身を潜めながら、それでもできる限り急いで城へと向かっていた。

 

「もりおさん、私もう飛べません、どうか先に行ってください!」

「でも……おなごを置いていくなんておらには……、い、いやわかったべ、飛べないならここから動くんじゃねえぞ!」

 

 もりおは一瞬躊躇したが、一刻を争う現状において、迷いは命取りになる。彼は覚悟を決め、メスのドラキーが隠れたのを見届けると残りのドラキー達と共に再び城へと飛び立った。

 この島にはおおよそ不釣り合いな、純白の荘厳な城が目に入ったとき、そこではすでに戦闘が繰り広げられていた。割と大きいはずの堀は緑色のカニのようなモンスターに埋め尽くされ、城門の護りを固めるさまよう鎧たちは多数の羽根つきの虫のモンスターと、猫とこうもりを足したようなモンスターと交戦していた。それはそれぞれじごくのハサミ、キラービー、キャットフライと呼ばれるモンスターだ。もりおは状況を見てすぐに、別の場所から城に入ることを選択し、キラービーとキャットフライのいない、彼らの死角になる部分から窓を通って城へ入り、ヒカルのいる部屋へ一目散に飛んでいく。翼が疲労で悲鳴を上げているが、そんなことにかまっている余裕はない。一刻も早く魔石の設置完了を報告せねばならないのだ。

 ようやくヒカルのいる部屋まで続く一本道の廊下にたどり着く。たいした距離はないはずだが、やけに遠いように感じられるのは、彼の疲労と焦りによるものなのだろう。もはやフラフラになりながら、それでもかなりの速度で、彼は部屋にたどり着き、勢いに任せて扉を開け放った。

 

「ひ、ヒカルさん、魔石の、配置が、終わっただ、はあはあ。」

「もりおさん! ありがとう、そこで休んでいてくれ。」

 

 ヒカルは短い言葉でもりおの労をねぎらい、休息を進めると、一度開いた目を再び閉じて精神を集中し詠唱をはじめた。

 

「聖なる力を(つかさど)りし五芒星の光よ、清浄なるその輝きをもって、邪悪なる者の忌まわしき力を打ち払え。」

 

 地図に書き込んだ五芒星の形を思い浮かべ、魔石の大まかな位置を確認していく。それらを魔力の糸でつなげ、五芒星を形作っていく。完全にそのイメージができあがったとき、今までとは比べものにならない強大な魔力が、ヒカルの中に流れ込んできた。自身の魔法力とそれを混ぜ合わせ、島全体を覆う光のドームを形作っていく。

 

「……邪悪なる威力よ、この島より退け!」

 

 ヒカルの目が再度開かれ、その口が最後の発動句を紡ぐ。

 

「マホカトール!!」

 

 次の瞬間、術者であるヒカル自身と、島の各所に埋め込まれた魔石から青白い強烈な光が天に向かって立ち上り、周囲にいた敵も味方も、その輝きに一時、視力を奪われ動きを止める。それはこの部屋の片隅で成り行きを見守っていたもりおも例外ではなかった。

 

「ほええ、やっぱヒカルさん、すっごい人なんだなぁ。」

 

 そんなのんきな感想をつぶやきながら、周囲を照らす魔法の光が収束していくのを、もりおは呆然と見つめていた。程度の差はあれ、現在この島で戦っている者、また島に上陸しようとしている者、皆一様に同じ状況であったろう。

 

「な、何だこの光は、ぐわっ!!」

 

 バチバチという電気が走るような音とともに、今まさに島に侵入しようとしていたキラービーの一体は、突如現れた光の壁に阻まれた。海から上陸を目指していたじごくのハサミたちも、同じように阻まれて先に進むことができない。無理に通過しようとすれば、ダメージが蓄積されて宝石に還ってしまう。マホカトールの結界はヒカルのもくろみ通り、島全体を覆い尽くし、邪悪な力を阻む結界を形作っていた。この結界の前では、現在バラモスが地上に解き放てる程度の弱小モンスターではどれだけの数を束にしても突破することはかなわないだろう。結界の外にいるモンスター達は、これ以上決して進むことはできない。

 

「けっ、やっかいなものを作りだしてくれたニャ。しかし、今更結界など手遅れなのニャ。今まで上陸した手勢だけでも、ここにいるよわっちい奴らなんて簡単に始末できるのニャ~~、ギャハハハハハ!」

 

 キャットフライの1体があげる高笑いに、ほかの者たちも同調するように不気味な笑い声を上げる。それは決して負け惜しみなどではなく、キングスの城の守りはもはや、風前の灯火となっていた。

 

***

 

「……創造の奇跡を今ここに顕現し、新しき命と力をこの者に与えたまえ!」

 

 洞窟の中で、通常の魔法などとは明らかに違う長い長い詠唱をすべて負え、ドルイドが杖を振り下ろした瞬間、跪く女性の足下から彼女を包むような光が放たれた。それは目がくらむというほど強くもなく、彼女を優しく抱くように収束し、彼女の姿はその光の中で徐々に形を変えてゆく。光が収まったとき、そこには緑色のスライムに乗った、フルプレートの騎士らしき姿のモンスター、ドラゴンクエストでは最早おなじみの『スライムナイト』となったアンの姿があった。

 

「これは……私の新しい姿?」

「うむ、転生は成功したようだな。……信じられないようなことだが、精霊神様から直接にお言葉をいただいた。まず、本来はスライムナイトの本体はスライムだが、お主の場合は特別に、別行動を取れる、スライムモギという相棒をいただけるそうだぞ。」

「え?それじゃあこのスライムは……。」

「うむ、初めましてだな。私はアーサーだ。種族はスライムモギ。精霊神様の命により、これから君と行動を共にする。」

 

 ルイドから説明を受け、騎乗するスライムから自己紹介を受けたアンは、彼、アーサーから飛び降りると、その体に触れながら初対面の挨拶を返す。

 

「ああ、これからよろしく頼むぞ、アーサー。」

「それからアンよ、スライムナイトの鎧の中は本来空洞だが、おぬしの肉体は元のままの美しい姿で残されておる。身につけている鎧は精霊の鎧といって、装備品として精霊神様がくださったものだそうだ。それと……。」

 

 途中まで流れるように説明を続けていたルイドが口ごもったのを見て、アンはフルフェイスの兜をとり、元と何も変わらない美しい容姿で微笑んだ。

 

「良いんだ、ルイド。失ったものは私の記憶、ここへ来る前の、思い出だ。それが何だったのかさえ、もはやかけらも思い出せないが、心配するな。たとえ過去を失っても、私はみんなと生きる現在(いま)を守るため、この力を手に入れた。」

 

 そして、再び兜を装備したアンは、アーサーに騎乗すると、どうやって前進しているのか物理的には全く説明のできない高速な動きで、洞窟の入り口へ向かっていった。その場には、杖を持って立ち尽くすだけのドルイドと、彼女がここへ来たときに使用していた、すでに火が消えて冷たくなったたいまつが残されているだけだった。

 

***

 

 それは、まさに生き地獄というよりほかはないだろう。城の守り手である、数少ないさまよう鎧達が戦闘不能にされ、城の一室に集められた者たちも再び移動せざるを得なくなった。十分な防御陣が敷かれているならば、度重なる敵の攻撃にもびくともしないこの城は安全だと言えただろう。しかし、数えるのも馬鹿らしい緑色の化け物達に囲まれ、迎撃できる者がほぼ皆無であるこの状況では、追い詰められて逃げ場のない袋のネズミである。キングスは自分だけしか知らない秘密の隠し通路を使い、城にかくまっている者たちを森へ逃がすことを決断した。結界を張り終わったヒカルたちも合流し、避難作業は黙々と進んでいった。そしてなんとか、敵が城になだれ込んで来る前に、全員が隠し通路を無事に通り、森の入り口に立てられた建物、隠し通路の出口まで到達することができたのだ。だが、それで終わりではなかった。そこからが、さらなる苦難の始まりであったのだ。

 

「……手遅れ、か。」

「くっ、こちらの動きを分かった上でここまでおびき出したのか? 予想以上に頭が回る。」

 

 ヒカルとキングスは瞬時に状況を把握すると、悔しげに顔をゆがめる。結局の所、城に立てこもろうが、外へ逃げようが、大量の敵に取り囲まれるという結果は変わらなかったのである。

 周囲を見渡すと、あたりに広がる草原と同じような色をしたカニのモンスターが地上を取り囲み、空からはキラービーとキャットフライが、その目を邪悪な色に輝かせて獲物達を見下ろしている。

 

「くっそ、ぐんたいガニでも倒せるか怪しいのに、よりによって上位種かよ、しかもキャットフライがセットなんて、完全に魔法使い殺しじゃねえか。」

「あ、ああ、どうしましょうご主人様。」

 

 それは俺が聞きたい。ヒカルは自分が誰かに教えて欲しいと本気で思った。守備力が異常に高く集団守備力上昇呪文(スクルト)を唱えるカニと、攻撃力が高く急所を狙ってくる上に呪文封じ(マホトーン)まで唱えるこうもり猫。おまけに麻痺攻撃を得意とする虫までついている。前衛をつとめていたさまよう鎧達が倒された今となっては、直接的な打撃で彼らと渡り合える者はいない。レベルの高い攻撃呪文で一気に倒してしまう手もあるが、先ほどのマホカトールの行使により、ヒカルのMPはほぼ枯渇状態となっていた。

 

「ギャヒャヒャヒャ、もうこれまでのようだなぁ、どうれ、どいつからいたぶって殺してやるかなあ。」

「ひいっ。」

 

 誰の悲鳴だったのだろう。その声を聞いたキラービーの1体は嫌な羽音を立てながら弱き者たちを物色する。ほかのモンスター達もじりじりと、包囲網を狭めてきている。

 

「く、くっそう、これまでか、俺の身体能力じゃあいつらにダメージすら与えられない。」

 

 ヒカルはここへきて初めて、自分の判断を後悔した。今、島へ攻め入っている連中を片付けてから、改めて結界を張れば良かったのではないかと。しかし、仮にその手段をとったとしても、すべての敵を倒しきる前にマジックパワーが尽きてしまっただろう。未だに、マホカトールの魔法円の外では多数のモンスター達がこの島を取り囲んでいるのだ。おそらく交戦を選んだ場合は、その圧倒的物量に押しつぶされ、今よりもっと早い段階で皆やられてしまっていただろう。彼の判断は決して間違ってはいなかった。間違ってはいなかったが、どうしようもない、抗えない現実というものは、確かに存在する。今がまさにそうである。それを悟ったとき、彼の頭を初めて、諦めという言葉がよぎった。

 

「ゲヘヘ、決~めたまずはそこのちっこいスライムベス、お前からだあっ!!」

「う、うわぁつ! ピキー!!」

 

 叫ぶと同時、キラービーは高速な動きで、ほこらの入り口付近に固まって震えているスライムベスの群れに突っ込んだ。このモンスターの尻尾の針は非常に強力で、刺されると毒で全身が麻痺してしまう。その間に捕獲され食い殺されてしまうのだ。スライムベスの移動速度ではキラービーに遙かに及ばず、当然ただの人間であるヒカルにも追いつける速度ではなかった。

 

「ぐっ、な、に?」

 

 誰もがもうだめだと諦めて目をそらそうとしたそのとき、信じられないことにキラービーは動きをピタリと静止ししてしまう。何事かと、敵を含めすべての人間が固まる中、1人の人物がゆっくりとキラービーの方へ近づいてゆく。その姿をはっきり視認したとき、ヒカルは絶句した。

 

「み、みんなを、いじめると、許さないん、だからっ!」

「ミミっ!!!」

 

 モモの悲鳴のような叫びがあたりに響き渡った。ミミが震える小さな手をキラービーに向け、おそらく念動力(サイコキネシス)でその動きを封じたのだ。手だけではなく、体中が恐怖に震え、歯をガチガチと鳴らし、目に涙をためながら、それでも小さなその身を突き動かすもの、それは怒り。弱者をしいたげる傲慢な強者に対しての怒り、いやそれ以上に、何もできずに怖がって震えているだけの、自分に対する強い怒りが、彼女を前に進ませている。

 魔法とは精神力に大きく左右される力である。彼女の限界を超えて張り詰めた精神は、周囲の者が思う以上にその眠れる力を引き出し、エルフとしての本来の力を一時的に、不完全にではあるが引き出していた。

 

「……これ以上、やら、せない! 氷の精霊よ、凍てつかせよ! 我の行く手を阻むものに、鋭利なる白刃の嵐となりて吹き荒れよ!」

「ば、ばかニャ、体が、動かん!」

「ヒャダイン!!」

 

 キャットフライの1体が仲間に加勢すべく飛び込もうとするが、なぜか動くことができない。ミミのサイコキネシスによる拘束はキラービー1体にしか効力を及ぼしてはいない。にもかかわらず、じごくのハサミやキャットフライまでも、まるで何かに縛り付けられるようにその場を動けないでいた。それは強大な力に対する恐怖、野生の本能と言い換えてもいい。氷結呪文(ヒャダイン)などという高等呪文を使い、1体とはいえキラービーを完全に動けなくするような訳の分からない力を持つ存在に対して、生き物としての直感が警鐘を鳴らしているのだ。

 果たして、完全に詠唱されたヒャダインの冷気は、硬直して動けない敵モンスターの軍団に襲いかかり、それらを飲み込んで周囲を白銀に染めてゆく。そして冷気の嵐が収まったとき、ヒカルたちの眼前には、宝石モンスターの氷像が多数転がっていた。地を這っていた者も、空を飛んでいた者も、等しく吹き荒れる冷気の嵐に当てられ、無残な氷塊となって倒れ伏していたのだ。

 

「つっ、すごい余波だな……、ミミは……無事、なのか?」

「ふうっ、しかしすごい娘じゃな、氷結呪文特化に特殊能力持ちとは……。」

 

 ヒカルとキングスはいち早く立ち直り、周囲の状況を見て唖然とする。それほど呪文のもたらした結果はすさまじく、やがて止まった時間が動き出すように、無数の氷像はガラガラと崩れ、光となって消え去った。後には無数の光り輝く宝石が散らばるのみだった。

 

「はあはあ、やった……?」

「い~や、まだだニャ!」

「きゃあっ!」

 

 ミミが声に反応するより早く、彼女の背後に現れたキャットフライは全身から奇妙な魔力の波動を放った。ヒカルがその意味に気づくより早く、呪文の発動句は紡がれた。

 

「マホトーン。」

 

 ミミを黄色い魔法の光が包み、しかしそれは彼女の体に溶け込むようにすぐに消えてなくなった。一見、彼女の体には何も異常はないように見える。しかし、マホトーンは彼女の肉体ではなく、精神の方に作用し、呪文の発動を封じてしまうのだ。

 

「ま、まずい!」

「! よすんじゃヒカル! 今のそなたでは!」

「ご主人様!」

 

 ヒカルはマホトーンの結果を見届けると、はじかれるようにミミとキャットフライの間に割って入った。訳が分からなくなっていたミミの目前で、彼女の主はキャットフライの鋭利な爪により、その腹部を切り裂かれた。

 

「ぐっ! ああっ!!」

「ご、ご主人様!?」

 

 彼女が我に返ったとき、目の前では自分をかばい、腹からおびただしい血を流して倒れ服す男の姿があった。勢いをつけて飛び込んできたことで、振るわれた爪はより深くヒカルの体を傷つけ、内臓にも到達する深刻なダメージを与えていた。キャットフライの恐ろしいところは、生物の急所を見極め、たとえ防御に優れた存在であっても大きなダメージを与えることのできる攻撃力にある。今の一撃は痛恨とまではいかないが、並の人間1人を一瞬で行動不能にするほど強烈なものであった。

 

「ご主人様、なんで、どうして、私、なんかの、ために……。」

 

 ミミは倒れ服す主人にすがり、ぽろぽろと涙をこぼしながら問う。どうして、自分なんかを助けたのかと。

 

「バカな、ことを……聞くんじゃねえよ。お前が、大事だからに、決まって……んだろうが。いいから、さっさと、逃げ……ろ!」

「ギャハハハハハ、これは良い見世物だ。弱い奴がいくらあがいても、何一つ変わらない。」

「そうニャそうニャ、お前達は全員、我らバラモス様の軍団の前に滅びるのだニャ~!!」

 

 いつの間にか、ミミが数を減らしたはずであるのに、周囲は再び敵に囲まれていた。おそらく、城の包囲に回っていた連中が加勢に来たのだろう。……ミミは見事な高等呪文で敵を一掃したが、それとても襲撃者の半数に過ぎなかったのだ。しかし、半数がやられるというのは相手にとってもかなりの痛手であるはずだが、敵は動揺することもなく、ただ目的を果たさんがため、再びその爪をエルフの少女に向けて振り下ろす。

 誰1人、その場を動くことはできなかった。先のヒカルの行動は、ミミに対する攻撃を予測できたからこそ、それを彼女の代わりに受けることができたのである。しかし、行動が起こされてからでは、キラービーやキャットフライの高速な動きに反応できる者など、この中には誰1人としていなかった。誰もが、少女が切り裂かれる瞬間を直視すまいと、無意識に視線をそらした。その時だ。

  何かが衝突するような音がして、ミミは恐る恐る目を開いた。そこには、キャットフライの爪を盾で受け止めている、スライムに乗った騎士の姿があった。

 

to be continued




※解説
ヒャダイン:冷気の嵐を呼び起こすヒャド系の高等呪文。最高位のマヒャドが敵1グループを対象とするのに、この呪文は敵全体に効果がある。なぜか、ヒャド系だけ4段階あったのは謎である。FCの3では、設定ミスでマヒャドより後に覚えてしまうことがある。後のシリーズでリストラされたりとかなり不遇な呪文。だが、貴重な全体攻撃呪文であるのは間違いない。
マホトーン:敵の呪文を封じ込めるおなじみの呪文。レベルが低いときに使われると大変危険。特に魔法を主力にしている、つまり現在のヒカルたちのようなパーティにとっては鬼門である。僧侶のようなヒーラーがいる場合にも、その喪失は特に痛い。
痛恨の一撃:防御無視で大ダメージを与えてくる、敵側の会心の一撃。キャットフライは序盤の敵としては、攻撃力が高く危険。レベル10~15程度の魔法使いだと2撃で確実に死ぬ。ほか、3では暴れザルなども使ってくるので印象深い。

ええと、ついにやっちまいました。呪文封じ+高攻撃力でのアタック。前衛のいないパーティでは致命的です。しかも守備力特化スクルト持ちと、麻痺攻撃持ちがおまけについてます。
さあ、次回はついに知る人ぞ知る、スライムナイトのアンさんが大活躍だ!


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第14話 勇気の証 轟け正義の光!!

マホカトールが成功し、ミミのヒャダインが炸裂!
しかし、ゲームでおなじみのマホトーンにより大ピンチに!
もうダメかと思われたとき、颯爽と現れるヒーロー!
……ベタすぎますよね、でも好きなんです、こういう展開。だから後悔はしてません!


 その状況は、この場の誰もが予想し得ないものであった。スライムに騎乗した全身鎧(フルプレート)の騎士、スライムナイトはつい宣告までさまよう鎧が装備していた盾を構え、キャットフライとエルフの少女の間に割って入った。盾は小柄な騎士にとっては扱いづらいとはっきり分かるものであったが、それを軽々と使いこなす姿は異様であった。そして、突然のことに動きを止めてしまったことが、キャットフライにとっては命取りになる。

 

「はっ、しまっ……!」

「遅い!!」

 

 気合いを込めた、しかしフルフェイスの兜の性なのか、男とも女とも分からない声と友に、その手に握られた剣が風切り音を上げて敵に迫る。スパアァンと小気味よい音がして、キャットフライは肩口から袈裟切りにされ、分断されたその体が地に着く前に、光と破裂音を伴って、体色と同じオレンジ色の宝石となり果てた。その斬撃の軌道すらも、この場にいる誰も捉えることはできなかった。

 

「ご主人様!! 大丈夫ですか?”!」

「ああ、大丈夫だ。心配かけたな。」

 

 この混乱に乗じて、モモがヒカルの傍らまでたどり着き、急いで身体の状態を確かめる。苦痛に耐えながら努めていつもと変わらない態度をとる主人に、モモは自分のふがいなさを悔やみ、拳を強く握りしめた。もっともヒカルの方は、痛みが激しくてそれだけ言うのがやっとだった、というだけのことであったのだが。

 

「いろいろ言いたいことはありますが、とりあえず治療ですわね。……これは普通の薬草では手に負えませんわ。まだ開発途中なんですけど……ためらっている場合ではありませんわね。」

 

 モモは道具袋から何か水薬の入った小瓶を取り出すと、その中身をヒカルの腹部へとふりかけた。液体はヒカルの体に触れると淡く緑色の光を発し、やがてそれは全身に広がってゆく。光が収まったとき、ヒカルの体から痛みはすべて消えていた。

 

「……これは、驚いたな、アモールの水か。」

「はい、ただ、まだ試作段階ですので、失血までは回復できません。しばらく動かない方が良いですわ。」

 

 ヒカルは改めて周囲の状況を確認する。自分たちの後ろにはキングスがおり、その後ろには城と同じ純白の建造物がある。抜け道はこの建物に続いており、出口はキングスの後ろの一つしかなく、窓もない。小さな弱小モンスター達をすべて収容できるほど広い建物のはずだが、その周りを圧倒的な数の宝石モンスター達が取り囲んでいる。

 

「ご主人さまぁ、無事で良かった、死んじゃうかと思ったよお。」

「悪かった悪かった。とっさだったんで、ゆっくり考えてる暇がなかったんだよ。……にしても、あのスライムナイト、たった1匹? ですげーな。どんな動きしてんのかさっぱり分からん。」

 

 グズグズと泣きながら抱きついてくるミミの頭を優しく撫でながら、ヒカルは現状の分析をやめずに頭を回転させ続ける。ヒカルたちの眼前に躍り出たスライムナイトは、飛行している相手さえも騎乗しているスライムのジャンプを利用して確実に1体ずつ仕留めている。流れるようなその動きは、キラービーやキャットフライを翻弄し、少しずつ数を減らしている。しかし、いかんせん1対多数である。いかに個としての戦闘技術が優れていても、限界というものはある。

 

パキイィン!

 

 それはスライムナイトの持つ剣が根元から折れた音であった。盾と同様に、剣の方もさまよう鎧が使っていたものだが、すでに今までの戦闘で摩耗しており、ここへ来て一気に耐久度の限界を迎え、破損してしまったのだ。ドラゴンクエストというゲームであればそのようなことはないのだが、残念ながらこれは現実である。神代から伝わる伝説の武器でもあれば、耐久度など気にせず戦うことができただろうが、普通の鉄製の剣ではやむを得ないことである。

 

「くくっ、剣の限界がきたか。残念だったなあ!」

 

 キラービーはそう言い放つと、やかましい羽音を立てながらスライムナイトに迫る。フルプレートの一部である小手(ガントレット)を使い、拳で応戦するも、当然剣の時のようなダメージは与えられない。じりじりと後退を余儀なくされるが、後ろには守るべき者たちがいる。元は人間であったモンスターの騎士は、大切な者を守るためだけに、その力を手に入れたのだ。形勢が不利になったからといって、退くという選択などとるはずがない。

 

「負けるかっ!」

 

 裂帛の気合いを持って、キラービーに接近すると、スライムナイトはその尾をつかみ、勢いよく投げつけた。キラービーの体は後方に控えていたじごくのハサミの1体に激突し、衝突した者同士は宝石と化した。しかし、武器がないことを見て取った敵は、スライムナイトめがけて一斉に襲いかかろうとする。空からキャットフライが飛びかかろうとしたとき、その目の前を何かが通過し、ザクッという音と友に地面に突き刺さった。そう、突き刺さったのだ。見ると、それは一振りの剣であった。

 

「スライムナイトよ、その剣を授けよう、そなたの力で、見事魔物どもを打ち倒してみせい!」

「なっ、あれは……キングス、なのか? でも、あ、あの姿は……!」

 

 ヒカルが声のした方を振り向くと、先ほどまでキングスがいたはずの場所に、恰幅の良い白鬚をたたえた老人が立っていた。左手には杖を持ち、立派なガウンをまとい、頭には王冠を戴いている。

 

「感謝します、王よ。」

 

 騎士は、相変わらずボイスチェンジャーにでもかけたかのような奇妙な声で短く礼を述べると、地面に突き刺さった剣を抜きはなった。剣を手に取ったスライムナイトは、またも目にも止まらぬ速度と騎乗しているスライムの奇妙な跳躍力で、空飛ぶ敵を駆逐し続けていく。その様子から、ヒカルたちは目を離すことができなかった。

 

「ばかニャ、いったいどうなっているのニャ?! いくら何でも、これだけの数を相手に疲労もせずにあんな動きを、ありえないニャ! あいつはアンデッドかニャ?!」

 

 スライムナイトの攻撃の勢いは全く衰えることがない。たとえモンスターであろうとも、生命体である限り体力は有限なはずなのだが、いっこうに疲れを見せないその様子に、数を減らされ続ける敵の側にも焦りが見え始めていた。

 

「そりゃあ、奇跡の剣が相手じゃあな。それにしても、まさかメダル王だったとは、キングスも人が悪い。」

「すまんすまん、隠しているつもりではなかったのだがのう。あの姿の方がここで暮らすには都合が良かったのでな、騙したような形になって悪かった。」

 

 ヒカルとキングス、メダル王の会話の間にも、スライムナイトは順調に敵の数を減らしてゆく。一体どれほどいるのかわからないほどひしめき合っていた包囲陣にも隙間ができはじめ、誰もが助かるかも知れないと希望を持ち始めたときだった。

 

「「「「「スクルト」」」」」

 

 突如、じごくのハサミ達の口が開き、声なのかどうかも分からない不気味な音が、しかし確実に呪文の発動句を口にした。それと同時に十数体程度残っていた敵全体を赤い光が包み込み、数秒してそれは収まった。

 

「そうだった、あいつらスクルト使えるんだった、しかも複数で重ね掛けとか、これはまずい状況になったぞ……!」

 

 じごくのハサミというモンスターは、ゲームの中では少し異色の存在である。カニのような外見を持つこの種族は、下位のぐんたいガニであっても、その守備力は同レベル帯のほかのモンスターの倍近く有り、上衣腫のぐんたいガニともなれば、守備力はぐんたいガニのほぼ倍という驚異的な数値をたたき出している。

 スライムナイトは一瞬動きを止めたが、かまわずにじごくのハサミの1体にそのまま斬りかかる。奇跡の剣が淡い光を放ち、その剣先が確実に緑のカニを真っ二つにすると思われた。

 

ガキイィン!!

「何?! 剣がはじき返された?!」

 

 スライムナイトは驚きの声を上げたが、すぐさま距離を取り、剣を構え直す。そして再び勢いを付けて今度はキャットフライに、あるいはキラービーに先ほどと同じように斬りかかるが、やはり結果は同じであった。こうなると、周囲に守備力低下呪文(ルカニ)集団守備力低下呪文(ルカナン)を行使できる者がいない以上、集団守備力上昇呪文(スクルト)を何重にもかけられた敵を打撃で倒すことは不可能に近く、攻撃呪文で打ち倒す以外にない。しかし、ヒカルのMPは底をつき、ミミは呪文を封じ込められている。

 

「まてよ、スライムナイトなら、呪文を……! ちっ、なんてこった。あいつもMP0なのかよ、こりゃあ打つ手なしか……!」

 

 とっさに、スライムナイトに攻撃呪文を使えと助言しそうになったヒカルだが、落ち着いて精神を集中してみると、 スライムナイトのMPもほとんど底をついていることがわかってしまい、攻撃呪文が行使可能な者が誰一人いないという絶望的な現実をたたきつけられたのである。

 

「ごめんなさいご主人様、まだマジックパワーは十分にあるのに、マホトーン食らっちゃって……。」

 

 ミミがしょんぼりとうなだれる。彼女もまた、姉と同じように自分の無力を嘆き、感情だけで先走って相手の能力を警戒しなかったことに後悔の念を強めていた。

 

「魔法力はある? そうか、その手があったか!」 おいスライムナイト! そいつは剣じゃ無理だ、いったん下がれ! 俺に考えがある! ミミ、来い!」

「え? ご主人様? きゃっ!」

 

 きょとんとするミミをよそに、状況はめまぐるしく動いてゆく。スライムナイトは打撃では事態を打開できないと理解したのか、初対面であるはずのヒカルの呼びかけに答え、剣を引いていったん広報へ下がる。ヒカルはミミを引っ張ってスライムナイトの傍らまで移動し、彼に小声で作戦を伝える。

 

「あんた、それだけレベル高ければマホトラ使えるだろ、こいつは呪文は封じられているけどマジックパワーは十分にある。なんせエルフだからな。ミミの力を使って、今覚えてる一番協力で、なおかつ広範囲に効果があるやつをたたき込んでくれ、それで決着はつくはずだ。」

 

 これはヒカルにとってはある種の賭けであった。時間がないために即断した形になったが、スライムナイトがマホトラを使える保証などどこにもない。Ⅴで仲間になるスライムナイトが、早い時点でマホトラを習得していたため、今目の前に立つ者の能力であれば、おそらく使えるだろうと推察したのだ。しかし、そこにはゲーム知識以外の根拠は何もない。戦士ではないヒカルでは、スライムナイトの戦いから正確にレベルを推し量ることはできなかったからである。

 スライムナイトは吸う旬の間考えるようなそぶりをしたが、すぐに軽くうなずくと、ミミの方へ顔を向ける。フルフェイスの兜で表情はまったくわからないが、それで良いのかと確認をしているのだろう。ミミは黙ってこくりと頷いた。

 

「マホトラ。」

 

 ミミに向けられたスライムナイトの左手から、魔力吸収呪文(マホトラ)のかすかな光が放たれ、彼女の魔力を吸い取ってゆく。ミミは力が少し抜けていくような感覚を覚えながら、なぜか温かで柔らかなものに包まれるような、不思議な気分になっていた。それは、故郷で母親に抱かれていたときのような、絶対の安心感をもたらす優しい感覚だった。

 

「確かにもらい受けたぞ、お前の力。そして礼を言うぞ、人間の魔法使い。この島を守ってくれたこと、私を助けてくれたこと。」

 

 そう言うとスライムに乗った騎士は、再び敵に向き直り、魔法の言霊を紡ぎはじめた。敵は隙をみて襲いかかろうと、あるいは呪文を回避しようと身構えるが、一定の範囲内には踏み込んでこない。今まで聞いたこともない詠唱に戸惑っているのだろうか? いや、おそらくスライムナイトの発する強者としてのオーラのようなものに当てられて動くことができないのだろう。事実、スライムナイトの周囲に強大な魔力が集積していくのを、ヒカルはその身に感じていた。

 

「天なる轟きよ、裁きの(いかずち)となりて降り注げ! 邪悪なる魔の軍門に降りし愚かなる者どもに鉄槌を!」

 

 ガントレットで覆われた右手を高く上げ、人差し指を突き立て、それを振り下ろすと同時に、発せられた最後の発動句と友に裁きは下された。

 

「ライデイン!!」

 

 晴れ渡っていたはずの空は一瞬にして黒雲に覆われ、おびただしい数の雷光が敵に降り注ぐ。カニも、虫も、こうもり猫も、断末魔すら発することも許されずに、天の裁きによりその身を貫かれ焼け焦げた。それは一瞬のことで、ほんとうに瞬きしている間に、すべてが終わっていた。周囲にはただ、日光を反射して輝く無数の宝石が転がっているだけだった。ライデインってイオラじゃないのかよ、などというヒカルのつぶやきは雷鳴の轟音にかき消され、この場の誰にも届くことはなかった。

 

「な、なんだあれは!! 呪文?! あんな強力なやつは見たことねえぞ!」

「ば、ばかニャ……! あ、あれは勇者のみが扱えるという正義の光ライデイン……!? 俺様の目の錯覚かニャ?!」

 

 破邪呪文(マホカトール)の外側から様子をうかがっていたキラービーとキャットフライは、驚いて固まる以外に何もできなかった。キャットフライが電撃呪文(ライデイン)の詳細を知っていたことや、その設定が原作と矛盾していることなど、ヒカルたちは誰も知るよしもない。結界の外にいる敵にまでは、さすがに呪文の効力は及ばなかったが、スクルトで固められた十数体もの仲間を一瞬で倒され、島を魔法円の外から取り囲んでいた連中は騒然となった。

 

「グギギギ、やむを得ん、撤退するぞ。」

「おのれ、忌々しい奴らめ、しかし、バラモス様がお出ましになればこのような結界などすぐにかき消してくれるわ! それまでせいぜい首を洗って待っていることだな!!」

 

 じごくのハサミとキラービーは捨て台詞を残し、敵の大群はぞろぞろと島から離れていく。結界内にいた味方が倒されてしまった以上、光の壁を通ることのできない彼らには、もはや打てる手がなかったのだ。こうして、バラモスが地上に姿を現すまでの期間限定ではあるが、島は再び平穏を取り戻したのだった。

 

***

 

 半日以上に亘った襲撃が終わりを告げ、皆が城に戻ったときにはすでに夕暮れとなっていた。最終的に作戦は成功したものの、受けた被害は決して小さくはなかった。どういうことか、キングス、いやメダル王の城と、抜け道の出口となっていた建物には傷一つついてはいなかったが、ほかの場所はそうはいかなかった。城の周りにあった居住区は無残に破壊され、美しい森や草原も手ひどく荒らされてしまっている。また、すべての者を救えたわけでもなく、少なからず犠牲は出てしまっている。

 

「そう気にするでないヒカルよ。そなたのおかげで多くの者が救われた。それに当分は襲われる心配もなくなった。ドラきちはたいした助っ人を連れてきてくれたものだのう。」

「はい、キングス……メダル王様。私も来て頂いたのがヒカルさんで本当に良かったと思います。」

「よしてくれよ。ほとんどあのスライムナイトのおかげさ。あいつが来なかったら結局みんなやられてただろうからね。」

 

 ヒカルはメダル王とドラきちの称賛を素直に受け取れないでいた。バラモスの手下どもと本格的に戦ってみて、自分の認識の甘さを改めて思い知ったためである。いかに個として優れた才覚を持っていても、数の暴力の前では太刀打ちできないと言うことを、嫌と言うほど思い知らされたのだ。そしてやはり、バラモスに退行するためにはゲームのように勇者+その仲間と言った少数精鋭に頼るのではなく、集団として対抗しなければならないという考えを強くするのだった。

 

「そんなことより皆、疲れたであろう。幸いこの城にはまだかなり食料の備蓄もある。節約すれば1ヶ月くらいはなんとかなるだろう。今日はとりあえず食事を取って、ゆっくりと休むことだ。本格的な話は明日からにしようではないか。」

 

 メダル王の提案により、ささやかな夕食が振る舞われ、ヒカルたちはすみかをなくした者たちと友に城の空室で寝泊まりすることになった。ミミは疲労がたまったのか食事後すぐに寝てしまい、ヒカルは彼女たちの部屋でモモと向かい合って今後の方針を話し合っていた。

 

「やっぱり、このまま個人で動くのは限界があるな。どこかの町、できれば王都みたいな大きいところで、何か魔法を広める手段を探せると良いんだけど。」

「そうですね。国の偉い方が協力してくだされば良いのですが、さすがに見ず知らずの者にいきなり助力してはくれませんわね……。」

「とりあえずさ、この辺で大きな国と言ったらテイル大陸のドランくらいしか思い当たらないから、一度行ってみようとは思ってるんだ。

 

 ヒカルは魔法を広めようと旅に出たが、どうやって広めるか具体的なプランがあったわけではない。なんとなく魔法使いを育成する期間などがあれば良いか程度には考えていたが、やはり個人ができることには限界がある。加えて、異世界からやってきたヒカルにはこの世界における社会的基板というものがない。自分の地位を確立するところからはじめなければならないのである。

 

「失礼します、ヒカルさん、寝る前にお風呂でも入ってきたらどうですか?」

「おうドラきち、この城の風呂、使って良いのか?」

「はい、メダル王が許可されました。」

「う~ん、ちょっとまだ考えたいことがあるから、俺最後で良いわ。モモ、先に入ってこいよ。」

 

 ヒカルは少し考えてからそう答えると、向かいに座る従者に声をかける。いつもなら一緒に~とか言うところだが、さすがに大勢の人の目があるところではそれなりに自重するのか、あるいは先ほどの戦闘でマイナス側に傾いた心理から完全に脱却できなかったのか、珍しく素直にはいと短く答えて、モモは部屋を後にした。

 

***

 

 モモが浴室へ向かった頃、謁見の間ではメダル王とスライムナイト、アンが対面していた。フルフェイスの兜は彼女の小脇に抱えられており、隣には緑色のスライム、アーサーが並んでいた。

 

「ついに、やってしまいおったか。このバカ者め、早まるなと申したであろうに。」

「申し訳ございません。しかし……。」

「よい。助けられたのは事実だからの。しかし、まさか儀式の代償がここに来る前の記憶、そのすべてとは……。」

 

 アンは転生の儀式を行い、スライムナイトになった際にこの島に来る前の記憶をすべて失った。その代わりというのか、彼女の能力は非常に高く、ゲームで言えばレベル20以上は確実にあるだろう。呪文も回復と攻撃をバランス良く習得しており、現在この世界に出現している宝石モンスター程度であれば、単騎でも圧倒できるほどの能力を有していた。

 

「まあ、結果的に島は守られた訳だしのう。もはや何も言うまい。だが、バラモスとか言う魔王がよみがえれば、、この島の結界も役には立たなくなるであろう。どうするべきか……おっと、今は休むことが肝心だ。そなたも今日はゆっくりと眠るがよい。」

「はい、そうさせて頂きます。今後のことは後ほど考えたいと思っています。」

 

 アンはメダル王に一礼すると、アーサーと友に謁見の間を出て行った。メダル王はその後ろ姿が消えてしまっても、入り口の方をしばらく見つめていた。そして懐から大きなペンダントのようなものを取り出し、それを掲げてつぶやいた。

 

「この世界の希望のかけら達、今こそ我が願いに応え、新たな勇者達の助けとなるため、目覚めるのだ……。」

 

 メダル王の手にしているものは、一見ペンダントのように見えるが、よく見ればそれは、ゲーム内でおなじみのアイテムを大きくしたような形をしていた。それが一瞬光り輝いたかと思うと、次の瞬間にはメダル王の手の上には何も残ってはいなかった。

 その夜、天から降り注いだ数多の光が、世界中に希望のかけらとなってちりばめられた。ヒカルがこの光景を見ていたのであれば、メダル王が何をしたのか理解できたことだろう。メダル王とは勇者達に助力する神の使い。所持する強大な武具やアイテムの力を疎んだ魔王によって、城ごと異空間に幽閉されたこともあったほどだ。そんな存在が、なぜこの世界に現れたのか、その理由は彼以外には、誰も知らない。

 

***

 

 メダル王の城には大浴場がひとつあり、皆が入り終えたとドラきちに教えて貰ったヒカルが、寝る前にひとっ風呂浴びようとやってきたところである。すでに時間は深夜に近く、空には大きな月と、宝石のようにきらめく星たちが幻想的なシャンデリアを形作っている。文明によって夜も明るい日本の市街地ではまず見ることなどできない光景である。そんな夜空を右手に楽しみながら、彼はゆっくり急がず目的地へと歩いていた。

 思えば一日でいろいろなことがあった。モモの研究しているという「アモールの水」の試作品によって、すでに完全に治癒してはいるが、キャットフライによって切り裂かれた腹部がまだ痛むような錯覚を覚える。本当に自分たちの住んでいる世界は平和だったのだと、ヒカルは改めて思い知らされた。スライムナイトの彼が来てくれなかったら、今頃どうなっていたのだろうか。気は進まないが、武器を用いた戦闘や格闘の訓練などにも、機会を見つけて取り組んでおいた方が良いだろうと心に決め、彼は大浴場の入り口をくぐる。脱衣篭の並ぶ広々とした空間の向こうに、大浴場の入り口が見える。湯気で先はよく見えないが、今なら誰もいないはずである。

 

「ん? これは……鎧か?」

 

 ふと目に入ったそれは、金属製のフルプレートであった。さまようよろいのものとはカラーリングと形の違うその鎧をまとっていた存在はたった1人だ。スライムナイトの鎧って中身があったのかとどうでも良いことを考えながら、彼は手早く服を脱ぎ、その辺の脱衣篭に適当に放り込み、一日の疲れを癒すべく湯気の向こうへ消えていった。

 彼はまだ知らない、女性で有りながらモンスターの力を欲し、弱き者を守るため、剣を取った1人の人間のことを。これから起こる出会いがもたらす多くのことを。しかし、彼女と紡いでいく時間がどれだけ長くなっても、彼は彼女がここへ来る前に歩んできた人生を知ることはできない。それは、もはや彼女の心から消えてしまったものなのだから。

 

「ふうっ、やっぱり風呂はいいなぁ。」

 

 体を洗い終え、湯船に浸かりながら、ヒカルはぼうっと、何を考えるでもなく浴槽に張られた湯の心地よい温度に身を任せていた。大浴場と言うだけ有り、数十人で入っても十分に余裕があり、何種類もある異なった趣の浴槽が来る者を飽きさせない。かなりの時間ぼうっとしてしまったと、ヒカルが浴槽から立ち上がったとき、立ち上る湯気の向こうに人影が見えた。

 

「お、スライムナイトか? あんたもずいぶん長い間入っていたもんだな。まあ俺も風呂は好きだけどさ。こっちはそろそろ上がるけど、あんたはどうする?」

「?!」

 

 こちらに向かってくる人影に、ヒカルは気さくに声をかけた。立ちこめる湯気のためにまだ相手の容姿ははっきりと見えないが、驚いて動きが止まったのが分かる。広い浴場で他人に会うことなど、さほど珍しくもないことである。ヒカルは不思議に思い、もう少しスライムナイトの「彼」に近づこうと歩き出す。

 

「おい、大丈夫か? のぼせて具合でも悪くなった……え? は?? う、うわあぁっ!!! ○△☆」×◎!!!」

 

 手を伸ばせば簡単に触れられるところまで近づいて、ヒカルはスライムナイトに呼びかけたが、その途中で大声を反響させてしまう。彼の目に映ったのは、金髪のショートヘアに、澄んだ青い瞳と、褐色の肌を持つ美しい女性であった。そう、女性だ。顔だけ見れば中性的で少年と言われても納得してしまいそうだが、その両手はほどよく膨らんだ胸部を隠しており、何より下腹部に男性の象徴たる物がないことを、ヒカルは目視してしまったのだ。そして、頭髪と同じ金色の陰毛を凝視しそうになり、慌てて目をそらす始末であった。

 

***

 

 場内で彼女、スライムナイトのアンが休息を取るためにあてがわれた小さな部屋がある。簡素なベッドと小さなタンスがあるだけの部屋だが、今ここには彼女以外の人物がいた。

 

「ごめんっ、ほんっとうにごめん!!」

 

 ベッドに腰掛けて困ったような顔をする彼女の目の前で、その男、ヒカルは地面に顔を押しつけるようにひれ伏していた。土下座である。その理由は語るまでもなく、大浴場で裸体を見たことに対してだろう。確かに顔から火が出るくらい恥ずかしかったが、そもそも不可抗力が重なってこうなったであろう事を、彼女は十分に理解していた。

 アンが装備していたフルフェイスの兜は、どういうわけか彼女の声をヒカルたちの元いた世界で言うところの、ボイスチェンジャーでも通したような性質のものに変えてしまっていた。その上、彼女は男言葉に近い話し方をしていたため、ヒカルが男と間違えても何ら不思議はなかった。

 

「ああ、わかった、もういいから、顔を上げてくれないか。男と誤解させるような言動を取っていた私の方にも落ち度はある。……その、さすがに恥ずかしかったが、な。」

 

 これ以上はらちが明かないと判断したのか、アンはヒカルの傍らまで歩み寄り、立つように促して手を貸してやる。そこまでして、ヒカルはようやく立ち上がった。風呂場でのアクシデントは度々あったとは言え、いきさつは同アレ自分から女性の入浴中に突撃してしまったようなこの状況は、ヒカルにとっては精神力を削られるものだった。

 

「そんなに気にするなら、責任をとって私を嫁に貰ってはくれないか?」

「ううっ、俺はなんてことを……そうか、責任取って嫁に……って、ええええっ?!」

 

 ヒカルは驚いてアンを凝視してしまう。今はフルプレートではなく、人間が普通に着る女性用の布の服をまとっている。その要旨は美しいと言って差し支えのない、戦士であることが信じられないような女性らしいものであった。言動はどこかからかうようなものだったが、彼女の澄んだ瞳はどこか、憂いを帯びているような、そんな暗い影を落としていた。

 

「……なんか、調子狂うなあ。」

「私と一緒は嫌か?」

 

 また唐突にそんな言葉を投げかけられ、ヒカルは困惑してしまう。彼女の裸体を見てしまい、土下座して謝って、罵声の一つも浴びせられるものだと思っていたし、今までのパターンからして、それが当然の流れだろう。しかしこの展開はいったい何なのか、彼には分からない。当然だろう。彼はまだ、彼女のことを何も知らないのだから。

 

「私には、記憶がないんだ」

「え?」

「いや、正確には、私のこの力は、ここに来るまでのすべての記憶、思い出と引き換えに手に入れたものなんだ。」

「なっ……!」

 

 驚くヒカルに、アンはこれまでのすべて……といっても、この島に来てからのことをぽつりぽつりと話し始めた。どこからかこの島に流れ着いた人間だった彼女は、島に住むモンスターたちに助けられ、一緒に細々と暮らしていた。しかし、頻度を増す宝石モンスターの襲撃に、いつかは耐えきれなくなる日が来るとわかったとき、彼女は自分自身を異形の存在、モンスターへと「転生」させる儀式の存在を知った。そして、猛烈に反対するキングスの制止を振り切り、祭司であるドルイドのルイドと友に、独断で儀式に臨んだのだった。儀式に成功すれば力が手に入る。この世界の創造主とされる精霊神(せいれいしん)に祈りを捧げるもので、失敗してもペナルティなどはないそうだが、成功した際に自分の一番大切な「何か」を失うと、儀式の詳細を記した古文書には書かれていた。アンの場合はそれが自分の記憶だったわけだ。

 それは1人の人間が決断するにはあまりに重い内容で、自分が同じ立場に立ったならば絶対に選べないと、ヒカルは考える。彼女にとってこの島のモンスターたちがいかに大切なのかということはよく分かる。しかし、だからといって何かを代償にしてまで、それらを守る力を手に入れようとするかと問われれば、是と答える者はさほど多くはないだろう。彼女は大切だと思う存在のためにそういった選択のできる希有な者なのだろう。それは尊い、しかし危うい存在であるとも、ヒカルは思うのだった。

 

「おっと、なぜだろうな、初対面の君に、ついつい長話をしてしまったな。すまない。もう遅いから、お互いゆっくり休むことに使用。」

「あ、ああ、そうだな。」

「今夜のことは気にしていない。むしろ話を聞いてくれて感謝しているくらいだ。だから、風呂場の件はこれで終わりに使用。」

 

 彼女はにっこりと笑って、ヒカルを部屋の外まで見送ってくれた。当の本人がもう良いと言っているし、本当に気にしていない様子だったので、ヒカルもこの件はこれまでと、区切りを付けることにした。

 しかし、自室へ戻るために廊下を歩きながら、ヒカルは考えてしまう。あの強大な力は、本当に彼女の望んだものだったのだろうかと。代償にしたものは、本当にその力に釣り合うものだったのかと。他人であるヒカルが考えても、答えなど出るはずもない。アン本人にしても、代償として失ったその記憶が何だったのかさえ、最早知ることはできないのだ。ヒカルの頭の中には、別れ際に彼女が自分に向けて発した言葉が、まとわりつくように残っていた。

 

「今度は君が、私の思い出になってくれないか?」

 

 運命は動き始める。誰も予測しない方向へ、誰も知ることのできない未来へ。物語の結末はどこへ向かうのか、それは誰にも分からない。

 闇の中で動き始める影と、目覚めはじめた小さな光、これらが相まみえる未来は、今はまだ、遠い。

 

to be continued




※解説
アモールの水:ドラクエⅥより登場の回復薬。ほかのRPGでいうところのポーションである。回復量は薬草よりは多いがベホイミには劣る。モモの試作品は未完成で、傷は治癒できるが失血は元に戻らない。また、体力も十分には回復しない。
スクルト:おなじみ守備力上昇呪文。ボス戦で使わなかった人はいないはず。今回は敵側のただでさえ堅い守備力をさらに底上げする鬼畜仕様である。ちなみに、初期のタイトルでは味方側の守備力上昇より敵側の上昇値の方が多く設定されている。まさに鬼畜。
マホトラ:本来は敵からMPを吸い取る呪文だが、今回は味方から譲渡して貰う目的で使用した。ゲームの仕様では少量のMPを吸い取るだけだが、本作では術者の意思により吸収量を調節できる仕組みにしているため、ライデインを行使できた。もちろん敵にかけた場合、相手のレベルや耐性によっては抵抗される。
ライデイン:勇者のみが扱えると言われる正義の光。作中で示したとおり、本作では勇者以外は使えない設定にしてある。したがってムーアやヤナックはデイン系を使わないことになる。ゲームのナンバリングによって効果範囲が異なるが、本作では単体ではなく範囲効果とした。よって消費するMPもそれなりに多い。また、雷を落とすという性質上、現実の世界では使いどころの限られる呪文である。
奇跡の剣:メダル王が小さなメダルと交換してくれるアイテム。攻撃力が100と高く、敵を攻撃するたびにHPが回復する。Ⅴではスライムナイトの最強装備。
メダル王:小さなメダルのコレクターで、集めて持って行くと珍しいアイテムと交換してくれる。本作では独自解釈有り。彼がこの世界に現れたのには理由がある。

スライムナイトのアンさんについては、元ネタがあります。分かる人はかなりコアなドラクエファンです。ちなみに、元ネタでも女の子です。
気になる人は「TDQ2]でググってね。

 さて、ついにオリキャラ側の勇者が現れました。彼女がこれからどんな道を歩んでいくか、見守って頂ければと思います。
次か、その次くらいの話から再び原作キャラとの接点が見えてきます。

次回もドラクエするぜ!


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第15話 目覚めぬ王、ドランの都を覆う暗雲

今回、なんだか説明ばかり長いような気がしています。
お話の背景設定を短くわかりやすく、内容も詰め込むって難しいですね。

※11/26 ソフィア 様、誤字報告ありがとうございました。
※第6話までの、短いお話を加筆修正しています。とりあえず、プロローグと1話に新しいエピソードを追加しました。各話平均1万文字を超えられるように調整しています。活動報告の方で随時連絡させて頂いていますので、よろしければご覧ください。


 スライム島での大規模な攻防戦から幾日かが過ぎ去った。小さな住人たちは復興を急ピッチではじめている。森などの自然が元に戻るには時間がかかりそうだが、もともとさして複雑な作りでもなかった居住区などは少しずつ復元されはじめている。光の結界に覆われたこの場所であれば、期間限定ではあるが当分は安全だろう。ヒカルたちが準備を整え、明日にでもこの島を旅立つことを決め、それぞれが島の住人たちに挨拶をしたり、復興を手伝ったりと別行動をとっていたとき、その知らせはもたらされた。

 

「ヒカル、入るぞ。」

「アンか、何かあったのか?」

「ああ、さっきドランの都へ買い出しに行っていた仲間が帰ってきたんだが、少し気になることがあるらしくてな。メダル王が君にも意見を聞きたいとおっしゃっているんだ。」

「わかった、すぐに行くよ。」

 

 たまたま、一時的に部屋に戻っていたヒカルの元へ、アンがやってきてメダル王の呼び出しを告げる。彼はアンに続いて部屋を出ると、長い廊下を謁見の間へ向けて歩き始めた。今のアンは全身鎧(フルプレート)ではなく、簡単な革の鎧を身につけており、相棒のスライムも傍らにはいない。背筋を伸ばして無駄のない動作で動く彼女は、まさに歴戦の戦士といった漢字だ。

 

「どうした? 私の格好に何かおかしいところでもあるか? 身だしなみには気をつけているんだがな。」

「あ、いやいや、そんなんじゃあないよ、うん。何も問題はないさ。」

「……? それならば良いのだが。君が私に見とれている、ということであればうれしいのだが、まあこんな男のような女ではな。」

 

 そんなことはないという意味の言葉を、流暢に言えたのならどれだけよかっただろうか。しかし、ヒカルにはそういった気の利いた言葉をためらいなく出せるような度胸はなかった。アンは確かに口調は堅苦しく髪も短くしており、顔立ちもやや中性的なところはあるが、だからといって女性らしくないというわけではなかった。鎧を着込んでいないときは、身だしなみにも気を配っているし、粗末な布の服などではないきらびやかな衣装に身を包んだのであれば、男と間違えられるようなことはないだろう。ヒカルはあの夜の一件以来、彼女の服装の変化や、細かい仕草が気になってついつい見つめてしまうことがある。それが何故であるのか、彼にはよく分かってはいなかったが、彼女の傍にいると、何かほかの者と一緒にいるときとは違う感覚を覚えていた。

 しばらく雑談を交わしながら、2人は謁見の間へ歩を進めていく。あれだけの戦闘があったというのに、手ひどく破壊されている居住区などとは違い、城の壁や床、天井などには傷一つついて折らず、ヒカルが最初に訪れたときと同じ白い輝きを放っている。さすがに調度品や家具の類いは破壊されているものも少なくなかったが、一般に出回っているものよりは遙かに丈夫にできているものが多く、簡単な修繕で済むものがほとんど出会った。

 謁見の間に着くと、メダル王は窓から外の様子を眺めているところだった。王のほかに、入り口を守るさまよう鎧が1体と、魔法使いとキメラと思われるモンスターが1体ずつ部屋の中央あたりに控えていた。

 

「メダル王、ヒカルを呼んで参りました。」

 

 アンの声に振り返ったメダル王は、跪いて礼を取ろうとする彼女を手で制止し、控えている魔法使いに視線を向ける。

 

「マーリンよ、そなたがドランの都で見聞きしたことを、こちらの2人にも話してやってはくれぬか。」

「はっ、かしこまりました。」

 

 メダル王に促されるまま、魔法使いはヒカルたちに、自分が見聞きしてきたことを語りはじめた。

 この、魔法使いのマーリンとキメラのメッキーは、島が襲われる少し前に、不足してきた備蓄品などを買い足すため、ドランの都に買い出しに出かけていた。人間とは極端に外見の違うメッキーが町に入ると大騒ぎになるため、人間とさほど変わらない容姿のマーリンが、魔法使いの老人として町で買い物を済ませ、何日か滞在して人間社会の情報を集めて帰って来るというのがいつものパターンだ。そうやってこの島の者たちは世界の大まかな情勢をある程度把握していた。

 

「今回は、買い出し自体には問題がなかったのじゃが、都の様子がちょっとおかしくての。」

「そうそう、オイラは城下町の外で待ってたんだけど、柄の悪い連中がひっきりなしに出入りしているし、衛兵も当たり前のように通してんだよな。」

「いつもはあんな連中は町には入れん。おかしいと思っていろいろ調べてみたんじゃが……。」

 

 彼らの話によると、どうやらドランの国王と王妃が、数週間ほど前から眠ったまま目を覚まさないというのだ。何か強力な呪法をかけられているらしく、覚醒呪文(ザメハ)などでは全く効果がなかったらしい。今でも応急お抱えの魔導士があれこれ手を尽くしているそうだが、一向に解決のめどが立たず、ドランの国政は半ば停滞状態にあるということだった。

 

「しかも、悪いことに、この機に乗じて、大臣が中央大陸に攻め込む準備を始めたそうじゃ。男たちは徴兵され、戦のために税を上げられ、他国から腕に覚えのある者たちが多数集められ、戦の準備をしておるようじゃ。」

「でもよ、その辺の詳しいところまでは分からなかったぜ。いろいろかぎ回っているのを勘ぐられて、危うく牢屋にぶち込まれそうになったらしいからな。」

「……怪しい、めっちゃ怪しい。」

「そうだな、何者かの陰謀の匂いがするぞ。」

 

 ヒカルとアンは顔を見合わせる。こういった展開にモンスターが絡んでくるのはRPGのお約束である。どちらにしてもドランへ向かうつもりだったヒカルは、この件をできるだけ調べてみようと考えていた。

 

「行くのか、ドランへ。」

「ええ、そろそろ旅立とうと思っていましたから。」

 

 短いメダル王の問いに、ヒカルはうなずき、旅立ちを告げた。王はあごひげを撫でながら、穏やかな笑みを見せ、彼を送り出す言葉をかけた。

 

「気をつけての。そなたはどうもすぐに無茶をしよる。良いか、命はひとつしかない。個人ができることには限界がある。くれぐれも、命を粗末にするでないぞ。」

「はい、……肝に銘じます。」

「それと、もう一つ。」

「何でしょうか?」

 

 顔の前で指を1つ立ててみせるメダル王に、ヒカルは問い返す。メダル王は手を下ろすと、いつものどこか愛嬌のある顔から、一転して厳しい表情になり告げた。

 

「魔物の影に気をつけよ。」

「魔物……? モンスターのことですか?」

「そうではない。そなたは気づいているだろうが、モンスターといっても善悪様々じゃ。人間に善人と悪人がいるのと同じようにの。まあ、今回攻めてきよった宝石から作られたあれらは、ほぼすべて邪悪な存在じゃから例外になるがの。」

「はい、それはわかります。」

 

 確かに、今までの道中で宝石モンスター以外に危ない目に遭わされたことはほとんどない。それどころか、もりおやこの島の住人たちのように、友好的に接してくれる存在も多くいる。ゲームではモンスターはたいてい倒すべき存在だが、一部のシリーズでは仲間になるものもある。魔物という言葉はゲームではほぼ敵モンスターと同義で用いられる用語だったが、この世界では違うのだろうか? ヒカルはうなずいて続きの言葉を待った。

 

「うむ、結論から言うが、魔物とは魔王に魂を売った存在のことじゃ。つまり……。」

「モンスター以外でも、魔王の軍門に降った者はすべて、魔物だと、そういうことですか?」

「その通り。じゃから、今後はモンスター以外の人間種、エルフやドワーフなども含めて警戒を怠らんことじゃ。」

 

 確かに、人間やエルフなど、モンスター以外の種族の中に、魔王に魂を売り渡すものが存在するなら、宝石モンスターではないから、ヒカルの特殊能力で感知するのは困難だろう。今後は人々の動きにも注意しておく必要があると、ヒカルはメダル王の言葉をしっかりと心に刻んだ。

 ヒカルはメダル王に深々と礼をして、謁見の間を退室していった。それをだまって見送るアン。扉が閉まってからも動く様子のない彼女に、王は軽くため息を吐き、やれやれといった調子で問いかけた。

 

「共に、行きたいか?」

「い……いえ、私は……。」

「おそらく、運命なのじゃろうな。」

「運……命……?」

「多くは語るまい、行かねば、後悔することになるぞ?」

 

 その言葉を聞くと、アンはようやく王の方へ振り向いた。メダル王は優しく笑っているが、アン自身には分からない彼女の内にある何かを見透かすように、老人の目は彼女を射貫いていた。アンは跪き、深々と頭を下げ、決意を述べる。

 

「……私も彼と共に旅をしたい、おそらく魔王を倒さなければ、この島にも皆にも安息の日は来ない、だから……私は魔王を倒すため、彼の剣になりたいのです。」

「今はその答えで良かろう。アンよ、己の心の赴くままに、行くがよい!!」

 

 メダル王はスライムナイトを送り出した。彼女が剣を振るう本当の意味を、これからの長い旅の中で見つけ出すことを願い、その背中を押したのだ。何百年生きたか分からない、人間のような姿を取っているが、本来どのような存在かもわからない人物の言葉は、なぜかアンの胸に深く刻み込まれ、彼女は世界へ新たな1歩を踏み出した。それは、後に彼女が成した功績を考えれば、非常に小さな1歩。しかし、確かにすべては、ここから始まったのだ。

 

***

 

 一夜が明け、小さな島にそびえ立つ白亜の宮殿を背に、ヒカルたち一行はドランの都へ向けて旅立とうとしていた。城門の前にはメダル王と、ドラきちやもりおなど数名が見送りに来ている。

 

「ヒカルさん、気をつけてな。」

「もりおさん、いろいろ世話になったね、ありがとう。」

「いんや~、オラはな~んにもしてねえべ。でも、短い間だったけど一緒に旅ができて、楽しかったべ。オラはこれからまたシオンの山へ戻るけんども、温泉にもまた来てくれな。」

「ああ、落ち着いたら必ず。」

 

 ヒカルはもりおと固く握手を交わし、再会を約束する。モモとミミも続いて握手を交わし、彼らの別れは穏やかなものとなった。見ればアンも島の者たちと別れを惜しんでいるようだ。子供と思われる何匹かのスライムが彼女にまとわりついている。

 

「ぷるぷる、アンちゃん、いっちゃうの~。ボクさみしいよう。」

「ピキーッ、必ずまた遊びに来ておくれよ。」

「うわ~ん、行っちゃいやだよう。」

「……すまないな。何、定期的に戻っては来るつもりだ。そうしたら、また一緒に遊ぼう。」

「「「約束だよ!!!」」」

 

 アンはまとわりつくスライムの子供たちを、順番に1匹ずつ優しく撫でてやり、それがすべて終わると兜を被り、アーサーに騎乗した。

 

「では、王よ、行って参ります。」

「うむ、そなたも、命を大切にするのじゃぞ。」

「はっ。」

「さ~って、んじゃそろそろ行くぜぇ~。」

 

 出発の準備が整ったとみたキメラのメッキーは、準備は良いかと最終確認をする。皆がうなずくのを確認し、集まった全員の周りを旋回しはじめる。メッキーが宙を舞うごとに、円を描くように青白い光が降り注ぎ、やがてヒカルたちの全身を包む。

 

「そいじゃ、ちょっくら行ってくるぜ~、ルーラ!」

 

 その言葉とともに、メッキーを含む一行は光に包まれ、ドランの都があるテイル大陸へ向けて飛び去っていった。その光の軌跡を見つめながら、メダル王は静かに微笑むのだった。

 

***

 

 テイル大陸は一年を通じて気温が高く、砂漠の面積が多い事で知られている。しかし、ヒカルが元いた世界のように砂漠化が進行しているわけではなく、そのいたるところにオアシスが点在し、人々はそれなりに安定した水源を確保していた。彼らの衣装はこの世界でも特徴的で有り、ヒカルの記憶にあるアラビア民族のような出で立ちをしていた。そんなテイル大陸を治めるのが、大国ドランである。代々、優秀な王により行き届いた政治がなされ、民衆は絶対王政下であっても束縛されることなく満ち足りた生活を送っていた。そんなドランを統治している今代の王は、まだ年若いピエール国王である。父王が急逝したため、二十歳になったばかりの歳に即位し、それでも歴代の王に勝るとも劣らない善政を敷き、国民からの支持は絶大であった。そんな国王の傍らで慈愛のこもったまなざしを人々に向けるのは王妃ジュリエッタ、天真爛漫な笑顔を振りまくのは5歳になったばかりの王女サーラであった。国民を思い政務に励む王と、それを支える王族、そして王族を慕う国民が1つとなって、ドランの国は繁栄を極めていた。

 そんな、長らく平和だったこの国に異変が起こったのはつい最近のことである。王と王妃がそろって、眠りから覚めないという異常事態に陥ってしまったのである。調査の結果、何らかの呪いのようなもので眠らされているらしいということはわかったが、それ以外は一切が不明で有り、王宮内は蜂の巣をつついたような大騒ぎとなった。大臣以下重臣たちは初めのうちは事実を公表せずにいたが、いつまでも隠し通せるものでも亡い。噂が噂を呼び、事実と虚構とが織り交ぜられたそれは瞬く間にドランの王都を駆け巡り、もはや収拾がつかないところまで広がってしまっていた。民衆は根拠のない噂に踊らされ、ついには国全体を巻き込んだパニックに発展しかねない状況にまでなっていた。ここへきてようやく、王を取り巻く重臣たちは事実を公表し、王都はとりあえずの落ち着きを取り戻したのだった。

 しかし、問題は何一つ解決していなかった。王夫妻を眠りから冷ますため、高名な僧侶や魔法使い、呪術師などが招聘されたが、いずれの者も夫妻を深い眠りの底から呼び覚ますことは不可能であった。そして今、大臣であるサリエル公爵の側近というマムオードと名乗る魔導士が、かろうじて王と王妃の魂を肉体につなぎ止めているらしい。しかし、詳しいことは民衆には知らされて折らず、彼らは皆一様に王夫妻の身を案じ、不安な日々を過ごしていたのだった。

 メッキーと町外れの森で別れた一行は、王都へ続く街道を南へ進み、ほどなくして無事、ドランの国へ入国した。入国審査自体はさほど厳重になってはいなかったが、伝え聞いたとおりに柄の悪い傭兵といった風体の者がそこかしこに見受けられた。一行はすぐに宿をとり、情報収集をすべく昼下がりの王都へ繰り出していった。

 

***

 

 城という場所には、たいていの場合、有事の際に使用する秘密の隠し通路が多数設けられている。それはかつての日本においても西洋においても同じで有り、遙か時空を隔てたこの異世界においても、全く同様であった。

 今、通常は使われていない薄暗い部屋の暖炉に向かって、1人の幼い少女が静かに歩み寄っていた。その、一見暖炉に見える場所は隠し通路になっており、長く狭苦しい通路を通ってゆけば、町の地下下水道へとつながっていた。少女は足音を立てないように、ゆっくりゆっくりと暖炉の中へと入ってゆく。ほこりや煤で、身にまとっている高価な衣服が汚れるのにもかまわず、彼女は奥の隠し通路へと入り込んでゆく。このまま誰にも見つからず、その行為は成功を見るはずだったのだが、彼女の身体が暖炉の中、隠し通路の闇へ完全に消えるわずかばかり前に、その身体は何者かの手によって引き戻された。

 

「ひうっ!」

 

 突然何者かに抱きかかえられ、幼い彼女は奇妙な声を上げてしまう。ゆっくりと振り向くと、そこには立派な口ひげを蓄えた初老の人物が自分を見下ろしていた。その顔は昔から見知っているはずなのに、見つめられるとまるで背中から冷水を浴びせられたように、サーラの身体を悪寒が駆け抜ける。

 

「いけませぬぞ姫、王と王妃、お父上とお母上があのような状態でございます。さすがにこの私めも、いつものいたずらと見逃して差し上げるわけには参りません。」

 

 姫、サーラが城を抜け出そうとすることなど、さほど珍しいものでは亡い。しかし今は大臣のいうとおり、ただでさえ王が不在で皆が混乱しているときである。この上姫までいなくなったというのでは、さらなる大混乱を招きかねない。大臣は口調こそ穏やかだが、今のサーラの行動を全否定すべく圧力をかけている。口調は平時のそれと大差なく、内容についても筋が通ってはいるが、幼い少女を萎縮させ行動不能にするには十分なプレッシャーとでもいうべきものを、彼は放っていた。

 ほどなくメイドが現れ、姫を連れて部屋へと戻ってゆくのを、大臣はしばらく眺めていたが、やがて彼女らが向かったのとは反対方向、自らの執務室の方へと歩き始めた。その顔はどこまでも無表情で有り、彼の内心を推し量ることは不可能であった。

 メイドに連れられて部屋へ戻りながら、サーラは言い知れない恐怖を覚えていた。大臣に見つかって連れ戻されるのは昔からよくあったことだが、彼はあんな冷たい感じのする人間ではなかった。厳しいがどこまでも暖かみのある、父王が信頼を寄せていた家臣の1人だったのだ。しかし、今の彼はどうだろう。どこまでも無表情で、少しでも逆らえば何をされるか分からない、そんな感じがする。実際はこうやって部屋に戻されるだけで、何もされてはいないが、サーラの幼い子供特有の鋭い感性が、あれは危険だと警鐘を鳴らしていた。そしてなんとなく、父や母が目覚めない眠りについたことと、大臣の変貌は何か関係があるような、そんな予感が彼女には会った。だからこそ、なんとか城を抜け出して外へ助けを呼応と、何度か抜け道を使っての脱出を試みているのだが、どれもことごとく失敗している。幼い彼女には現状のすべてが理解できているわけではないが、このままにしておいたら大変なことになる、そんな不安が頭から離れない。そして、そういった悪い予感ほど当たっているもので、彼女の予想は事件の真相にわずかに行き着いていたが、自分たちの目先のことにとらわれている他の大人たちは、この騒動の裏で暗躍する邪悪な者たちの存在に、全く気がついてはいなかった。

 

***

 

 その夜、少し遅めの夕食を済ませ、宿屋の一室でヒカルら一行は今まで集めた情報の突き合わせをしていた。しかしその大半はマーリンとメッキーの話の内容と同じもので、新たに分かったことはほとんどなかった。王と王妃が目覚めないこと、公爵配下の怪しげな魔導士の存在、戦争のために集められた傭兵たち……。これらの情報はいずれも町に流れる噂話程度の情報で有り、本当のところはよく分からないというのが実情だった。確かなことは、王と王妃が眠り続けているという話は、王宮から正式に発表されているためおそらく事実であろうということと、目的はともかく、傭兵が確かに集められているという2点しかない。そして情報統制がされているらしく、本当に詳しいことは国でも上層部に位置するごくわずかな者しか持っていないだろう。

 

「確かに、これだけじゃあほとんど詳しいことはわからんな。」

「そうですわね。何か活動をしながら情報を集めるにしても、現状では少し難しいかも知れません。」

 

 ヒカルとモモは集めた情報を整理して紙に書き出したメモを眺めながら、一つ一つ声に出して全員の共通理解を図っていく。そんなやりとりは数分で終わり、ミミが眠たそうにあくびをしたところで、今日はもう休もうかということになった。ヒカルは話し合いをしていた女性陣の部屋から出ると、向かいにある自分用の1人部屋に入り、ドサリとベッドに倒れ込んだ。

 ベッドに突っ伏しながら、ヒカルは町の様子を思い出していた。原作で、王に化けたバラモスの配下に支配されていたときのような、よどんだ嫌な雰囲気に包まれてしまった町並みは、行き交う人の心を陰鬱にさせる。バラモスが表立って大きな動きができない現状では、この事件に関わっているのは十中八九、もう一つの勢力の方だろう。マイラの町で暗躍していた彼らは周囲に悟られることなく見事に目的を達成している。今回もおそらく、公表されている事実とは別の何かが、城内で起こっていると考えて良さそうだ。それが何であるのかは、相変わらず全くと言っていいほどわからないわけであるが。

 今回も何らかの手段を用いて、この王都に住まう者たちの負の感情を集めているのだろう。確かなことはそれだけで、なぜ王負債を眠らせたか、今後どうしようとしているのかなど、わからないことのほうが圧倒的に多い。このまま情報不足の状態で動いても、あまり良い結果にはならないだろうと思われた。

 

「入ってもいいか、ヒカル。」

「ん? アンか? 空いてるからどうぞ。」

 

 どれくらい考えことをしていたのか、部屋の扉がノックされる音で、ヒカルはふと我に返った。ほどなくして扉が開き、部屋着に着替えたアンと、スライムのアーサーが入室してきた。ヒカルはベッドの上に起き上がり、傍らにある椅子を彼女に進めた。

 

「その……どう思う? 今回の事件、また魔王なり何なりが関わっていると思うか?」

「ん? ああ、たぶん、そういう輩が裏で糸引いてるだろうな。でも、たぶんバラモスじゃあないと思うぜ。」

「?! ちょっと待ってくれ、今の言い方だと、バラモス以外にも、魔王がいる、そういうことになるのか?!」

「ええと、ああそうか、アンには話してなかったよな。」

 

 ヒカルは少し間を置いて、それからゆっくりと、マイラでの出来事を語りはじめた。スライム島がゾイック大陸からほど近いこともあって、そこに住まう者たちは魔王バラモスの存在に気がついていた。バラモスの部下を名乗る魔物の軍勢に故郷を追われた者たちも、少なからず住み着いていたからだ。しかしそれ以外の脅威が別にあると聞いて、アンは驚愕を隠せない。彼女を落ち着かせながら、ヒカルは自分が体験してきたことを順を追って話して聞かせた。アーサーは時々身体をぷるぷると動かしながら驚いているようだったが、口を挟むことなく黙って話を聞いていた。ひとしきり話し終えたヒカルは、1つ長い息を吐くと、窓の外へ視線を向けた。もはや外は夜の闇が支配し、昼間から曇天だったせいか月も星も見えない。その光景は今のこの国の置かれている状況そのものを示しているようでもあった。

 

「……なるほどな。少し驚いたが、そういうことであればこの事態はますます怪しいな。王夫妻に眠りの呪いとやらをかけた奴は、十中八九マイラの革命とやらを裏で操っていた黒幕に間違いないだろう。そもそも、ザメハで解けない眠りをもたらす呪法など、おそらくこの世界では知っている者の方が少ないであろうからな。」

「ああ、この世界の呪いはたいした種類がない。俺が師匠んとこで読んだ本にも載ってなかったから、マイナーなことだけは確かだろうな。」

 

 今まで黙っていたアーサーが述べた見解に、ヒカルは肯定を返す。少なくとも呪法や幻術という、高度化すればどこまでも複雑な力を軽々と行使する存在に、今のまま突撃するのは間違いなく愚策だろう。

 

「しかし、表向きに集めた情報だけでも、あまり時間に余裕があるとは思えないぞ。このまま大臣がほかの国に戦争を仕掛けたりすれば、魔物と戦う前に人間同士でつぶしあうことになりかねないからな。そうなったら、真っ先に苦しむのは奴らではなく、何の力も持たない普通の人たちだ。」

 

 アンはもどかしそうに、手を膝の上でもぞもぞと動かしている。口調は冷静であろうと努力しているのがうかがえるが、その心中が穏やかでないことは一目瞭然である。元の性格からそうなのかはわからないが、高潔な騎士である彼女にとって、王がいないことを良いことに好き放題にふるまう大臣一派は許されざる存在であるのだろう。

 

「ふむ、そこで私から提案なのだがな。」

「ん? なんだ? アーサー?」

「うむ、実はアンと南側の地区、王城にほど近い区画を見て回っていた時、一か所だけ気になるところがあったのだ。」

 

 ヒカルは驚いてアーサーを凝視する。その視線を受けたアーサーはやや間をおいて、続きの言葉を口にした。

 

「気になるといっても、ほんのわずかに違和感を感じた程度だ。完全に私の直観だからな。何か具体的な変化を皆に分かるように示すことはできない。故に先ほどは話すことができなかったのだ。しかし、これ以上猶予がないのであれば、とりあえず調査してみるのも悪くはないだろう。」

「そうだな。わずかでも可能性があるなら、やってみるしかないな。うん、明日みんなに話してみるわ」

「うむ、それが良いだろう。……では、アンよ、私は先に休んでいるぞ、ではな。」

「え? あ、ちょ……。」

 

 話が終わったとみるや、何か言おうとするアンの言葉を待たず、アーサーはそそくさとその場を離れ、信じられないようなスピードで入り口のドアから出て行った。……スライムがである。当然、彼には手も足もない。そんな彼がどうやって扉を開いたのか、また、どうやって閉じたのか、ヒカルもアンもいっさい目視することができなかった。

 

「あ、え~と、何だったんだ今のは。」

「やれやれ、いったい何を考えているんだあいつは。私がその気でも、相手にも都合というものがあるだろう。」

「な~んか、とっても不穏なパターンなんですけどこれ? アンさん、あなたはいったいどういう気なんですか?」

 

 またかよ、という表情をするヒカルに、アンは不思議そうな顔を向け、穏やかに笑いながら言った。

 

「とりあえず、眠くなるまで傍にいてもかまわないか?」

「あ、ああ、別にいい、けど……?」

「心配するな、君が先に寝てしまっても、どこぞのエルフのように襲ったりはしないさ。……そうだな、寝顔を少し、拝ませて貰うかもしれないが、それくらいは許してくれ。」

 

 何だろうか、このなんともいえないもどかしいような、ほっとしたような複雑な気持ちは。彼女、アンはいったいどういうつもりでこういった微妙な言い回しをするのだろうか。ヒカルは考えるが、答えなど分かるはずがない。実のところ、アンがエルフ姉妹のように彼に対する好意を明確に自覚しているかといえば、それはおそらくノーだろう。彼女はただ、どこかで漠然と抱えている不安を、彼以外の前では出さないだけである。それは通常は「特別な感情」に類されるものだが、アンはそれを明確に理解し、正しく言葉で表現することができていなかった。

 それから、2人はしばしの間、他愛のない話で時間を潰すこととなる。そして、このようなことが、これから毎夜のように繰り返されることになる。異世界からきた男と、記憶をなくした女、奇妙な縁で巡り逢った2人のたどる運命は、本人たちが思うよりは遙かに長く、そして険しい。

 

***

 

 ドラン王城の南にある一角は、城に勤務する衛兵などの宿舎を中心に校正されている。彼らの住居はもちろん、生活や娯楽に必要な施設が一通りそろっており、この区画だけである程度日常生活が完結するように作られている。その中には、学校や図書館などの施設も有り、王城に勤務する者やその家族だけでなく、王都に住まう者に対する教育が行われていた。これはこの世界の水準から考えると、かなり進んだ政策と言える。識字率1つをとっても、文字が読めない者の方が多いこの世界において、ドランの国民は大半が文字の読み書きを子供の頃に修得できていたのである。

 それは余談として、ドラン王立学校初等部の構内では、現在ちょっとした問題が起こっていた。子供たちの遊び場として設けていた空き地で、その目的の通り遊んでいた子供が急に倒れるという事件が多発していたのだ。学校側はすぐに空き地を出入り禁止にして、原因を調査したが、その結果は芳しくなかった。子供たちは皆、眠ったように動かなくなり、わずかずつではあるが衰弱していった。それは飲まず食わずで眠り続けていることを考えれば異常に遅いものであったが、それでも放っておけば死んでしまうだろう。しかし、王夫妻の件で大騒ぎとなっている王宮では有効な手が打てず、またどう考えても行き着きそうな答え、子供たちと王夫妻の置かれている状況が似通ったものだということにすら気づかなかった。それは子供の親たちも学校の関係者も同じで有り、平時であれば見逃すことのないようなことに気がつかないということが、この王都が現在置かれている状況を雄弁に物語っていた。

 

「この井戸だな。」

「ああ、何かおかしい感覚がする。」

「え~、ミミよくわかんない、のぞいてみようか?」

「こらミミ、危ないからやめなさい。」

「大丈夫だよお姉ちゃん、よっこいしょっ……きゃああっ!!」

 

 件の空き地こそ、アーサーが違和感を感じた場所であり、そこには水の枯れた古井戸がひとつ、ぽっかりと口を開けていた。中を確かめようとミミが井戸をのぞき込んだ瞬間、彼女の小さな体は吸い込まれるように井戸の中へと落ちていった。慌てて手を伸ばしたほかの者たちも、後に連なるように1人ずつ順番に後を追ってゆく。そして、次に気がついたとき、彼らの目の前には驚くべき光景が広がっていた。

 

to be continued




※解説
ジュリエッタ王妃:原作では登場しないドランの王妃。もちろんオリキャラです。彼女が一体どういう人物で、これからお話にどうか欄で行くのかは、数話先で明かされることになるでしょう。
サーラ姫:ドランの王女。原作で年齢が明らかでないため、本作では原作開始時点で14歳としました。ちなみに現在は原作開始9年と少し前です。
眠りの呪い:ザメハで解除できない特殊な呪いで有り、かけられた者は目覚めない永遠の眠りに落ちるといわれている。解除法は現時点で不明であるが、決して解けないというわけではないのでご安心を。

あら~、思ったより進みませんでしたね。
初の、呪文やアイテムの解説なしですよ、どうすんのこれ。
さて、井戸に吸い込まれてしまった主人公たち、そこに広がっていた光景はいったい……?

次回もドラクエするぜ!


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第16話 取り戻せ! 囚われの魂

かなり時間が空いてしまいました。
ついに、ドラン王城に突入します!
ヒカルたちを待ち受けるものは一体?!
そして、サリエルとマムオードの目的とはいったい……?

※2017/11/26 ソフィア 様、誤字報告ありがとうございました。


 王宮の最深部といっても良い場所に、王族の居住区は設けられている。そのうちの1室、王と王妃の寝室で、大臣であるサリエル公爵と、ローブに身を包んだ小太りの男が、何やら話をしていた。部屋にいるのはこの2人だけではない。ほかにも位の高い貴族と思われる幾人かの男たちが、不安を隠せない表情で2人の話に耳を傾けていた。

 

「やはり、目覚めさせる方法は見つからないのか、マムオードよ。」

「まことに申し訳ございません。王様とお妃様にかけられた呪いは非常に強力なものでございます。しかも、どこからか術者が邪悪な力を送り続けており、その力を退けるだけで精一杯でございます。あれをご覧ください。」

 

 マムオードが指さす方向には、小さな一つのテーブルと椅子が有り、テーブルの上に置かれた白い布の上に、小さな、黒い球体が鎮座していた。

 

「なんだあれは、魔法の道具(マジックアイテム)……宝珠(オーブ)とかいうものか?」

「さすがはホメット伯爵、よくご存じで。あれは暗黒のオーブと申しまして、暗黒の力を吸い込むことのできるマジックアイテムでございます。現在、あれの力を使って王様とお妃様に送られ続けている邪悪な呪いの力を吸い取り、これ以上の害が及ばぬように食い止めているのでございます。」

 

 ホメット伯爵と呼ばれた貴族は、ううむとうなり声を上げながら、きれいに整えられたあごひげに手をやる。その表情は険しく、どこかの映画に出てくる悪の総裁のような恐ろしい顔になってしまっているが、本人は気がついていないようだ。無理もないだろう。国王が目を覚まさなくなってから国政は停滞しがちで、大臣を初めとする貴族たちが手分けして取り仕切っているが、複数に分散された権力はうまく噛み合わず、現状を何とかしようと必死に努力している彼らの焦りはさらなる混乱を呼んでいた。

 

「私は引き続き、王様の治療を続けながら、弟子たちに呪いを解く方法を調査させます。」

「うむ、それしかないじゃろうな。貴族でもない1人の人間に背負わせるにはあまりに重責じゃが、引き受けてくれるか、マムオードよ。」

 

 貴族たちの中で最年長の、長い白鬚を蓄えた老人が進み出、魔導士を静かに見据えている。もはや吹けば飛んでしまいそうな程に痩せ衰えているが、それでもなお、鋭いその眼光は、ローブに身を包んだその男を射貫くように捉えている。

 

「私は他国の者ではありますが、それなりに腕の立つ魔導士であると自負しております。この魔導士マムオードと、数多の精霊の御名にかけて、私のすべてを持って事に当たらせて頂きます。」

「すまぬな、よろしく頼む。」

ははっ。」

 

 マムオードが深々と礼をし、それを見届けた貴族たちは順に部屋から退室していく。ほどなくして扉が閉められ、部屋には眠り続ける王夫妻と、サリエル公爵とマムオードが残された。

 

「サリエルよ、問題は起こっていないようだな。」

「ははっ、すべてはマムオード様の仰せの通りに。」

「まもなくすべての準備が整う。この、暗黒のオーブを満たす人間どもの負の感情を、一気に集める準備がな。そしてそのとき、この国は絶望に支配されるのだ。」

 

 狂気にゆがむ魔導師の顔を、大臣は感情のこもらない瞳で見つめている。雇われているはずの男にまるで部下のような態度を取るこの国の大臣の姿を見たなら、王夫妻はどのような反応を見せるであろうか。しかし、今なお眠り続ける彼らは、自分たちの国がいかなる状況に陥っているのかを知ることはできない。サリエル公爵が進めていると言われる隣国との戦争でさえも、本来の目的を隠すための偽装でしかないのだということを、立場が逆転しているこの主従のほかには、誰も知らない。

 

***

 

 彼らは戸惑っていた。井戸に吸い込まれるようにして落ちた彼らが気がついたとき、そこは元いたドランの城下町であった。ただ一つ違うところがあるとすれば、町は活気にあふれ、行き交う人々にも笑顔が絶えない、ということである。ちょうど、王夫妻が眠らされるまでの、この国の在りし日の姿を写しているようでもあったが、ヒカルたちには知らぬことである。

 

「どうなってんだこれ。」

「にぎやかで楽しそう~、でもなんか変な感じ?」

 

 ヒカルは人々を観察しながら、先ほどまでの町の様子と比べてあまりに違うことに驚きを隠せないでいた。その傍らであたりをキョロキョロと見渡しながら、若干の違和感を感じたのかミミが首をかしげている。

 

「先ほどまでとは違うことは確かだな。それに何かおかしなものを感じる。」

「私も同じだな。こう、どこか狭いところに閉じ込められてしまったような、そんな感じがする。」

「……確かに、周りを循環している魔力の流れがおかしい。それにここにいる人たちの生命力、あんなに活発に動き回ってるのに、まるで病人みたいに弱っているものが多い。」

 

 アンとアーサーが感じる違和感は、多かれ少なかれすべての者が感じているようだ。ヒカルはとりあえず町の中を調べてみることを提案し、危険があるといけないからということで、人間1人とエルフ2人、スライムナイトのパーティは、手分けすることなく固まって周囲を探索しはじめるのだった。

 町の中は外見上だけ見れば、特に変な所はなかった。どうやら王夫妻が目覚めない状況は同じらしく、国民がそれを心配しているという所も同じらしい。今までの暗澹とした都の雰囲気を考えるのであれば、この状況はすでにおかしいといわざるを得ないだろう。一通り町中を見て回り、宿に戻ったそれぞれの発言からも、それが見て取れる。

 

「異常だな。」

 

 最初に口火を切ったのはアンだ。すでに武装を解いており、その整った素顔には不快の色がうかがえる。その発言はここにいる全員の意見を代表するものでもあった。

 

「そうですわね。そもそも、ここは現実の世界ではないような気がします。どこまで行っても町の出口がありませんし、同じ所を無限に歩かされている感じがしました。」

 

 モモのいうとおり、ここには出口がない。どこまで行っても同じような町並みが続いている様は一種異様で有り、ここが現実のドランの都とは異なる場所であるということだけは確かなようだ。

 

「人々の生命力のこともそうだが、行動や言動についてもおかしなところが多い。あれだけ暗澹としていたのがまるで嘘のようだ。王夫妻を心配はしているようだが、危機感がまるでない。その上、新しい魔法の道具を研究していて店を閉めている道具屋や、伝説の戦士に憧れて職務そっちのけで訓練してばかりいる兵士、恋人と肩を寄せ合って公園の噴水をずっと見つめている若い男女……。それを見ても周囲の者は気にとめる様子すらない。」

「ああ、しかも1人や2人じゃないからな。現実の世界ならとっくに行政や経済が止まって大混乱だ。それなのに何事もない。。」

 

 アーサーの分析に頷きながら、ヒカルは現実離れしたこの都の状況は一体何なのかと考えを巡らせていた。現実ならば許されない、自分の思うままに行動するという生き方。それが叶ってしまう世界。ここが現実の世界でないのは確定事項として、ではいったいどのような世界だというのか。

 

「う~ん、よくわかんないよねぇ。みんな周りのことはまるで目に入っていないみたい。まるで同じ世界にいても、バラバラに自分の夢でも見ているみたいな……?」

 

 窓から通りを行き交う人々を眺めながら、ミミが発した一言、その中の「夢」という言葉に、ヒカルの中のある記憶がよみがえった。

 

「待てよ……、夢、井戸、目覚めない王、マムオード……? マムオード? 魔王、ムドー!?」

「何? 魔王だと?!」

「そうか、そういうことだったのか……!」

 

 ヒカルはドラクエシリーズの6作目、夢と現実の世界を行き来する物語を思い出していた。状況はかなり違うが、この世界が夢の世界で、マムオードが魔王ムドーならば、この世界を脅かすバラモスとゾーマ以外の脅威とは、すなわち。

 

「すべての元凶はデスタムーア、ということになるのか……。」

「デスタムーア? 聞かない名前ですわね。」

「ああ、元々この世界の存在ではないからな。

 

 頭に疑問符を浮かべている面々に、ヒカルはゆっくりと語りはじめた。彼の世界でいうところのドラクエ6作目「幻の大地」の物語を。それは夢と現実を行き来する果てしなく長い冒険の物語で有り、ある意味で、自分探しの長い旅ともいえる物語であった。

 

「ふむ、確かに、ここが夢の世界ならば、それなりに説明がつく、が……。」

 

 アーサーはううむと唸りながら、自分の考えをまとめようとしているようだ。ミミはきょとんとした顔を浮かべ、アーサーの体をつついたりしている。モモとアンは顔を見合わせ、やはり何かがしっくりこないという表情をしていた。

 ヒカルは全員を見渡して、まあこの反応は当然だろうと考えていた。そもそもドラクエⅥでいうところの「夢の世界」は寝ている間に見る夢という意味ではない。それは、かなえたい願望のほうの夢で有り、王夫妻が眠り続けていることとこの世界との関連性は、納得のいくような説明ができないのである。

 

「ひとつ、これは可能性の話だが……。」

 

 アーサーが重々しい調子で語りはじめた。その内容は、この世界が不完全ではないかということと、王夫妻を幽閉する目的で、何かまだカラクリがあるのではないかと、おおむねそういう意味の内容だった。ヒカルは確かにそれはあり得るはなしだと考えたが、問題は王夫妻がどのような方法で幽閉されているかということだ。

 

「本来、夢の世界とは現実の世界の鏡写しのようなものだ。マムオードが魔王ムドーで、その背後にいるのがデスタムーアなる大魔王ならば、このような狭い世界に王夫妻を閉じ込めなくとも、夢の世界全体を侵略するなど、もっとスケールの大きい手段がいくらでもとれたはず。それを行わないということは……ここからは私の推測に過ぎないが、奴らの力も十分ではないのかもしれんな。そうであれば、この世界が中途半端であることにも説明がつく。」

 

 確かに、アーサーの説明はある程度筋が通っているように思われた。敵の力が十分でないのなら、王夫妻を眠りから冷ますことができるかもしれない。ヒカルたちはお互いの意見を交換しつつ、これから先の方針を話し合うのだった。窓からはさんさんと照りつける太陽が、幻のドラン王都を明るく照らしている。現実ではないこの世界の太陽は、あれからかなりの時間が経過したにもかかわらず、人々の頭上に鎮座したまま動くことはなかった。

 

***

 

 深夜、王都が夜の闇に閉ざされ、ほとんどの者が眠りにつく時間帯、王宮でも起きて活動しているのは夜警をしている巡回の兵士くらいのものである。最奥部のフロア、王族の居住区があるこの場所でも、1人の兵士が見回りを行っていた。といっても、一兵士が王族の部屋に立ち入ることはなく、彼は廊下から異常がないかを確認する程度であった。

 

「ん?」

 

 不意に、何かが通り過ぎたような気がして、兵士の青年は振り返るが、彼の持つカンテラの明かりに映し出される廊下には、人の姿はもちろん、気配も何も感じない。末端とはいえ正式な訓練を受けている彼であれば、侵入者の気配くらい簡単に気づけるはずである。何か良からぬ事を企むような者は、独特の気配を持っているから見つけ出すのは容易なことだ。

 

「気のせいだったか?」

 

 彼は不思議に思いながら、再びカンテラをかざして長い廊下を進んでいった。そしてこの場には静寂のみが残された。しかし、彼が一瞬だけ感じた違和感は実は気のせいではなかった。特殊な方法で姿を消しているため、通り過ぎた小さな存在に気がつかなかったのだ。姿の見えないその存在は、真っ暗な廊下をわずかな燭台の明かりと、手探りの感覚を頼りに進んでいく。その歩みは決して早くはなかったが、足取りは確かで、1歩1歩目的の場所へ進んでゆくのだった。

 

「た、大変でございます、大臣閣下!」

「何事だ、騒々しい。」

「ひ、姫様が、また部屋から抜け出されました!」

「……またか、あれほど申し上げたのに困ったお方だ。落ち着け、子供の足でそう遠くへゆけるものではない。まだ場内にいるはずだ、落ち着いて探すのだ。」

「承知いたしました!」

 

 サリエル公爵は冷静な言葉で兵士を落ち着かせ、寝泊まりするために間借りしていた部屋から執務室へと移動した。そして姫を探すため、場内の兵士やメイドなどに矢継ぎ早に指示を飛ばしていく。いつものように、ほどなくして姫は見つけ出されるだろう、誰もがそう考えていた。しかし、だ。

 

「見つからない、だと?」

 

 もうすでに、夜が明けかかっており、東の空がわずかに白みはじめている。捜索をはじめたのは深夜だったはずである。大臣は姫の行きそうな所はたいてい目星を付けていたし、いままでそこに彼女がいないなどということはなかった。大臣は多少迷ったが、姫の部屋を直接捜索する指示を出し、自らもそこへ向かうべく、執務室の椅子から立ち上がるのだった。

 

***

 

 ドラン王城の内部には、いくつかの庭園が存在している。それぞれ違ったコンセプトで造園されており、たくさんの花が咲き乱れる花壇や、広葉樹で埋め尽くされている小さな森のような庭園、一面がサボテンの丘など、庭という範疇を超えたものが敷地内のあちらこちらに点在していた。それでも庭の全面積は城の敷地面積の1/4に過ぎず、世界に名を轟かせるドラン王国の王城は、その巨大さでも世界に知られた名所であった。

 

「ようこそドランの城へ! 今なら花壇の庭園が見頃です!」

「2階は関係者以外立ち入り禁止です! 間違って入ったりしないように気をつけてくださいね!」

 

 ヒカルたちは城の入り口で、まるで観光施設でも案内するかのような兵士の軽い対応に戸惑っていた。とりあえず、怪しまれないように2階には立ち入らず、1階で数ある庭園を巡りながら人々に話を聞き情報収集をすることにした。場内は広く、8つもあるという庭園を3ほど回った頃には、もはやかなりの時間が経過していた。しかし未だに日は落ちる気配がなく、人々を明るく照らし続けていた。

 

「やはり、2階に何かあるのは間違いないようだな。」

「そうですわね、でも、これだけ監視の目が厳しくては簡単には侵入できそうにありませんわよ?」

 

 アンとモモがどうしたものかと思案顔を浮かべている。ヒカルも先ほどからどうやって2階へ侵入したものかと考えを巡らせているが、階段を塞ぐように兵士が立って周囲に目を光らせており、立ち入ることができそうにない。

 

「あの階段にいる兵士、どいつもこいつも宝石モンスターだ。」

「君も感じたのか。……私なら倒して突破するのは簡単なのだが、やめておいた方が良いだろうな。」

「え~、ここは現実の世界じゃないんだから平気なんじゃないの?」

 

 ミミの発言に、ヒカルは首を振り、否定の言葉を返す。

 

「ダメだな。騒ぎを起こせば、王様に繋がる手がかりをつかむことが難しくなる。そもそも王様が眠り続けてることと、2階にある何かの関連性も分からない。暴れるのは得策じゃないだろうな。しかし……。」

 

ではいったいどうしたものかと、ヒカルは思案を巡らす。その間にも怪しまれないように全員が散歩を装って歩き回っており、目の前にはたくさんの木が生い茂る森のような庭園の入り口が見えていた。

 

「あそこなら、中に入って多少立ち止まっていても怪しまれませんわね。」

「そうだな、とりあえず少し休憩するとしよう。まだ先は長そうだからな。」

 

 モモの提案にアンが同意し、ミミとアーサー、ヒカルもそれが良いだろうと賛同したため、一行は庭園の中に入り、そこでしばしの休息を取ることにしたのである。

 

「なあ、何かおかしくないか?」

「おかしいな、まあ、現実ではないらしいから問題はないのかも知れないが。」

 

 大きなリンゴの木にもたれかかりながら、ヒカルがぽつりとつぶやいた言葉に、アンが同意を返す。ほかの者たちもそれぞれ木の根元に腰を下ろして休憩しているが、やはり何か違和感を感じるのか、あたりをキョロキョロと見渡している。しかし全員、その違和感の正体がなんなのか、すぐには気づけないでいた。

 

「庭にしては広すぎると思わない?ここ。」

「ああ、違和感の1つはそれか。どう考えても森かなんかだなこれは。空間認識がおかしくなりそうだ。」

 

 確かに、ミミが言うように、庭にしては広すぎる。入り口からのぞいたときは生い茂る木々を取り囲むように石造りの壁があるのを目視できていた。ところが中に入った途端、どこを見渡しても壁などはなく、どこまでも木々の緑と色とりどりの果物の色が続いている。今まで歩いてきた方向に目をやれば入り口こそかろうじて目視できているが、それも、まるで森の中に扉だけが設置してあるような、ツッコミどころしかないような光景だった。それに、違和感はそればかりではない。

 

「それにもうひとつ、多分、さっきから誰かに監視されてるな。はっきりとは分からないけど、見られているような感覚がある。」

「……お気づきでしたか、これは驚いた。」

「?! 何者! モンスターか! 私のヒカルに危害を加えると容赦しないぞ!」

「これは申し訳ない。旅の方々。気配は消していたつもりでしたが、なかなかうまく隠せるものではありませんな。……ご無礼はお詫びいたします。異国の勇者様。何卒剣を収めてはいただけませぬか。」

 

 突如、背後からかけられた声に、敵襲かとアンは身構え、たんかを切って腰の剣を抜き放った。最後の方の台詞はどこのバカップルかと言われるような内容だが、突如声をかけられるという事態に皆が困惑し、そのような些細なことに反応するものはいなかった。

 

「落ち着けアン、敵意は感じない。とりあえず剣を治めるんだ。」

「あ、ああ、すまない、驚いたのでつい……。

「……ちょうろうじゅ、でよかったよな? まさかリンゴの木がモンスターとはね。」

 

 ヒカルになだめられ、アンはようやく構えをとき、ヒカルが見ている方向に目をやり、次いでわずかに驚いた表情を見せる。

 

「これで違和感しか感じなかったとは、この庭全体に高度な幻術を施しているようだな。」

 

 今まで、ヒカルとアンが身を預けていた大きなリンゴの木は、頭部に緑色の葉を茂らせ、手のような枝と、足のような根を持ち、幹の部分に不気味な顔のあるモンスターの姿へと変わっていた。

 

「驚かせてしまってすまんですのう。ですが、どうしても皆様方に、姫様をお助け頂きたく、こうして姿を現した次第でございます。」

」え、姫様?」

「さあ、姫様、こちらに来て勇者様方にご挨拶を。」

 

 ちょうろうじゅが枝で手招きをすると、彼の背後にある一本の木の陰から、5歳くらいの小さな女の子が、おそるおそるといった感じでゆっくりとこちらへ近づいてくる。整った顔立ちに、戸惑いや恐れを見せながらも、どこか気品を感じさせる優雅な動き、煤で汚れているが明らかに庶民のものとは違う高級な布地で作られたであろう衣服。そのどれをとっても、この場にいる者たちとは明らかな別世界に生きる人種であろう事が見て取れる。彼女はちょうど、アンの目前数十メートルのところで停止し、その小さな唇を動かして自分の名を名乗った。

 

「ドラン王国第一王女、サーラと申します。」

 

***

 

 時は、ヒカルたちが城内で情報収集をしていたあたりに遡る。当直の兵士をやり過ごしたサーラだったが、場内の隠し通路のひとつに入り込んだ後途方に暮れていた。彼女は決して道に迷ったわけではない。彼女の記憶力や理解力は、一般人が考える5歳児のレベルを遙かに上回っており、父王より直接教えられた数多の隠し通路のルートは、彼女の小さな頭脳の中に寸分の狂いもなく記憶されていた。彼女はこれから、いったいどこへ逃げたら良いか分からずに、困り果てていたのである。というのも、城の外にろくに出たことのない彼女には、脱出できたとしても、城下に協力してくれる者がいるかどうかも分からなかったからだ。庶民はおろか、貴族たちともある意味隔絶された日々を過ごしていたのだから、それは無理からぬ事であった。しかし、このままずっと途方に暮れているわけにもいかない。おそらく城内では、姫がいなくなったと気がついた大臣以下、家臣たちが血眼になって捜索をしていることだろう。無数にある隠し通路をしらみつぶしに当たっていけば、時間はかかっても彼女を見つけ出すことは可能であろうし、彼女の身を隠す役割を果たしている「消え去り草」の効果も、いつまでも続くものではない。

 

「姫様……サーラ姫様……。」

 

 どこからともなく聞こえる誰かの呼び声に、彼女はびくりと肩をふるわせた。もう見つかってしまったのだろうか。しかし、思っていたよりもあまりにも早すぎる。それに、何か困ったときに開けなさいと言われた、消え去り草の入っていた木箱には、母の字で効果について詳しく記されていた。それによると、この道具(アイテム)によって姿が消えた者は、気配も薄くなるため野生の動物やモンスターのような勘の鋭い相手でなければ見つけ出すことはできないと書かれていた。だから先ほども当直の兵士をやり過ごすことができたのだ。

 

「さあ、姫様、そこから儂の声に従って、ゆっくりと前へお進みくだされ。……心配はいりませぬ。儂は貴女の味方でございます。……ただ、故会って今いる場所から動くことができないのでございます。……さあ、お急ぎください、追っ手が隠し通路を探し始める前に……。」

 

 姫は多少迷ったが、今更引き返すわけにはいかないのもまた事実である。それに、聞こえてくる声はどこまでも優しく。不思議と初めて聞くような感じはしなかった。いくら常人離れした頭脳を持っていても、5歳児の精神ではこれ以上の複雑な思考は最早限界であった。彼女は声に引き寄せられるように、複雑な通路をほとんど感覚だけを頼りに、ゆっくりゆっくりと進んでいった。

 

「ようやくお会いできましたな、サーラ姫様。」

「えっ、どこ? どこにいるの?」

 

 時間をかけて通路を出た先は、数ある庭のうちサーラが最も気に入っている果樹園であった。しかし、声はすれどもその主らしき者の姿はどこにも見当たらない。不思議に思いあたりをキョロキョロと見渡すが、人影らしきものさえ見つけることはできなかった。

 

「……そうでしたな、姫様には儂の姿は見えないのでございましたな。私はいつも姫様が実りを楽しみにしてくださっている、今あなた様の目の前にあるリンゴの木でございます。」

「ええっ?! この、リンゴの、木?」

 

 サーラはわずかに差し込む月光に照らされる巨木に目をやる。光度が足りないため明確にはわからないが、甘いリンゴの香りには覚えがあった。目の前の木に近づくとその香りは一層強くなり、彼女は記にもたれかかるように崩れ落ち、その目を閉じた。

 

「う~ん、はっ!!」

 

 彼女が目を開いたとき、そこには見渡す限り広大な森が広がっていた。記憶している限り、城内にこんな所はなかったはずである。しかも、先ほど空を見上げたときは月が出ていたはずなのに、今は木々の間から木漏れ日らしき光が差し込んでおり、どうも時間は昼間のようである。そんなに長く、眠っていたのだろうか? 彼女は身を起こし、あたりを見渡して、かわいらしく小首をかしげて見せた。しかし、今その仕草に反応するような存在は、誰1人としていないはずだった。

 

「お目覚めになりましたか、姫様。」

「え? きゃっ!」

 

 急に後ろから声がして、驚いて振り返ったサーラは、さらに驚くものを見てしまい、驚愕で硬直してしまった。今まで、自分がもたれかかって眠っていたであろう巨木の幹には、不気味な顔が浮かんでおり、そこからまるで手のような枝が生え、ユサユサと動いていたのだった。

 

「驚かせて申し訳ありませんな。儂は果樹園のリンゴの木、長く生きております故、少しばかりほかの者と違う姿と、力を持っておりますのじゃ。」

 

 サーラは不気味なリンゴの木、ドラクエのモンスターでいうなら、じんめんじゅ系統のモンスターである、ちょうろうじゅの姿に驚きこそしたが、不思議と恐怖は感じなかった。根拠などは何もなかったが、彼女の直感が、目の前の存在は味方であると教えていた。

 

「ふむ、多少驚かせてしまいましたか、しかし、このような見た目の儂が、怖くはないのですかな? こちらから呼んでおいて何なのですが、この見た目ですからのう。」

「ううん、ちょうろうじゅさんは怖くない、です。きれいなお顔をしていたり、きれいな服を着ていても、良い人ばかりではないですもの。」

 

 サーラの応えに、ちょうろうじゅはふむと軽く返して、それから葉の生い茂った頭部らしき部分に手のような枝をツッコミ、真っ赤に熟したリンゴの果実を取り出し、サーラの目の前に差し出して言った。

 

「とりあえず、これでも食べて一息ついてくだされ。食べながらゆっくり話をしましょうかのう。」

 

***

 

 森のような庭園の中で、ちょうろうじゅを囲んで、彼から振る舞われたリンゴにかじりつきながら、ヒカル一行とサーラはこの国が置かれている現状についてと、これからどうするべきかという話し合いをしていた。ちょうろうじゅはドラン城の果樹園に植えられているリンゴの木が、夢の世界で力を持った存在であり、現在の森のフィールドは彼の力で展開されており、ここだけはほかの場所から隔絶されているということだった。また、ドラン城下町は現在、何者かの力により夢の世界から一時的に切り離されており、王都に出口がないのはそのためらしい。また、王夫妻はこの世界で眠りの魔法をかけられ、城の南にある一番高い塔の最上階に幽閉されているそうだ。夢の世界に魂をとらわれて眠らされたため、外の世界から起こしても目覚めることはないという。目覚めさせるには夢の世界で直接2人の魂と対面して覚醒させるほかはないそうだ。ほかにも、魔導士マムオードがおそらく人間ではないことや、大臣であるサリエル公爵が何者かに操られているだろうということも、ちょうろうじゅはヒカルたちに話して聞かせたのだった。

 

「どうやら、これから王様を直接起こしに行かないといけないらしいな。」

「しかし、当然妨害されるだろう。姫がいなくなったことや、ひょっとしたら私たちのことも、敵に感づかれているかもしれない。」

 

 この空間から出て行動を起こせば、当然敵の方もそれに気がついて対抗策を講じてくるだろう。王夫妻の魂がある城の南側へ行くには、どうやっても兵士の塞いでいた階段を通って2階へ行かなければならないらしい。それ自体は難しくないが、構造がわからない城の中を、目的の場所を探しながら突破するのでは、敵に対して後手に回ることになる。それは現状では非常にまずい選択であった。

 

「あ、あの、私も一緒に連れて行って頂けませんか? 隠し通路なら、その、全部覚えています。」

「それは本当か?」

 

 聞き返すアンの言葉に、サーラは力強く頷いた。しかし、幼い彼女を連れて行くことをためらっているのか、アンは次の言葉を発しようとはしない。そんな彼女の様子に不安を感じたのか、サーラは目に涙を浮かべながら、アンにすがりつくように懇願するのだった。

 

「お願いです、勇者様、父と母を、どうかお助けください! 私にできることは何でもします! だから、だから……どうか……。」

 

 最後の方は途切れ途切れの言葉で、彼女が泣き出したいのを必死にこらえているのが分かる。年相応に感情を表すことも、王族には許されないというのか、堅く拳を握りしめ、歯を食いしばって、小さな彼女は声を上げるのをこらえていた。

 

「こら。ガキが背伸びしてんじゃねえ。」

 

 不意に、サーラの頭にぽんと誰かの手が置かれ、優しく言い聞かせるような声が耳に届いた。それは、普段彼女を取り巻く大人たちの誰とも違っていて、ただ単純に、子供に対する大人の態度だった。そのことを、幼い彼女は理解できなかったが、頭に置かれた手がゆっくりと髪を撫でてゆく旅、張り詰めた何かが解けてゆくような安堵感が、サーラを包み込んでいった。そうなるともう、こみ上げてくる感情の波にあらがうことは、幼い彼女にはできなかった。

 

「う、うえぇええん! おどうざまぁ、おがあざまぁ、うえぇええん!!!」

 

 泣き崩れる小さな小さな身体を、ヒカルは優しく抱き留め、その背中をとんとんとたたいたり、さすったりしている。アンはふっと小さく息を吐くと、金属製の兜と小手を外し、ヒカルの傍らに腰を下ろして、その手をサーラの頭に優しく置いて、静かな口調で告げた。

 

「姫様、いや、サーラ、もう不安やさみしさを我慢しなくとも良い。私と私の仲間たちが、お前の父上と母上を魔物の手から取り返してやる。」

「うっ、ひっく、ほんとう……? ゆうしゃ、さま……?」

 

 頭を上げて、涙でくしゃくしゃの顔で、自分を見つめてくる幼子に優しく笑いかけながら、アンははっきりとした声で返答を返す。

 

「ああ、私が勇者なんてたいしたものかは分からないが……戦士として、この剣にかけて誓おうじゃないか。だから、サーラも力を貸してくれるな?」

「はい!」

 

 アンの瞳をまっすぐ見つめて力強く応えるサーラ、彼女の頬は未だ涙に濡れていたが、その表情には最早不安の色はなかった。

 

「さて、んじゃ改めて、と。俺はヒカル、旅の魔法使いだ。」

「私はアン、ヒカルと旅をしている。一応騎士だが、馬ではなくスライムに乗っている。それと、今は誰にも使えてはいないな。」

「私はモモです。ヒカル様にお仕えする薬師ですわ。……そして……。」

「モモお姉ちゃんの妹のミミだよ! よろしくねサーラちゃん! 私たち2人はエルフなんだよ!」

「お初にお目にかかる。スライムモギのアーサーだ。アンを乗せている、馬のようなもの、かな。」

 

 少し落ち着いたところで、ヒカルたちはサーラにそれぞれ自己紹介をする。それは一国の王女を相手にするような態度ではなかったが、サーラにとっては何よりの救いだったろう。彼らはサーラを王女としてではなく、大人が庇護すべき子供として扱った。それは普段から周囲の大人に心を許せずに張り詰めていた彼女の精神を、少しずつ解きほぐしていったのである。

 

「改めまして、サーラです。どうかお父様とお母様を助けてください、お願いします。」

 

 だから、サーラも少しだけ、家臣やほかの王族など、あるいは客人に対するような態度ではなく、父や母と会話するときのように、できるだけ、ただの子供として振る舞おうとしたのかも知れない。ヒカルは小さな姫を抱いたまま、彼女の目をしっかりと見つめて答えを口にする。

 

「ああ、確かに頼まれた。もう時間がなさそうだから行くとするか、しっかり案内してくれよ。」

 

 そして、元来た方向に小さく見える入り口に向けて、幼子を抱いたまま歩き始めた。そして、その背に続いて仲間たちが歩き始めたとき、後ろから声がかかる。

 

「どうか、姫様をよろしくお願いいたします。」

「ああ。」

 

 ヒカルは短くそう答え、振り返ることなく入り口へ向けて歩き続ける。ただ、父と母を求めてさまよう小さな子供が、これ以上小さな胸を痛めることがないように、彼が願うのはそれだけである。

 

「ギャハハハハハッ! そう簡単に行かせるわけにはいかねえなあっ!」

「?! 敵か!」

「くっ、俺たちが入ったときに紛れ込みやがったか、今まで襲うチャンスを見計らっていたのか……!」

 

 アンは剣を抜き構えを取り、ヒカルはチッと舌打ちをする。茂みの中から紫色をしたピエロのような格好の魔物が飛び出し、こちらに向かって得物を構えて向かってくる。かなりの速さが有り、あれこれ考えてから迎撃している暇はない。呪文を詠唱するどころか、発動句をギリギリ言い切れるかどうかと行ったところだろう。しかし、ヒカルが何か考えるよりも早く、事態は動いていた。

 

「覚悟しなぁっ!!!」

「ふんっ!」

 

 そんな短いやりとりの後、高速に動く2つの影が交錯し、次の瞬間、ヒカルは驚きに目を見開くことになるのだった。

 

to be continued




※解説
消え去り草:姿を消すアイテム。Ⅲでとある城に入るために必要。原作ではドラン城に入るためにヤナックが道具屋で購入した。ただし使用期限?が切れていたのか、すぐに効果が切れて姿が見えてしまった。同じく姿を消す方法として、レムオルの呪文を使う方法があるが、消え去り草よりも効果は短い。また、これらの方法で姿を消しても、モンスターとのエンカウントは防ぐことができない。

あ~、なんとか魔物との遭遇まで書いたけど、また文字数が……。
どうしましょうコレ。
次回はもう少し戦闘シーンに力を入れたいです。
サーラちゃん5歳は無理あったかなあ(汗)

じ、次回もドラクエするぜ!!(強引)


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第17話 悪魔VS勇者! 夢の世界の戦い!!

大晦日に更新しようと思ったら、年が明けてしまったでござる。
みなさま、明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
ということで、新年一発目、行きます!
急いで書いたので、今後修正するかも知れません。


 それは一瞬のことだった。交錯する2つの影が重なったと同時に、肉を切り裂いたのだろう嫌な音が耳に入ってくる。次の瞬間には、片腕を失い地に伏すピエロと、剣を振り抜いた姿勢で片膝をつくアンの姿が現れた。

 

「お、おのれよくもオレの腕を!! だ、だが貴様もその流血だ、かなりのダメージを受けているに違いない!!」

 

 魔物、きりさきピエロの左腕は床に転がっており、武器であろう巨大なフォークのような物体はその手に握られている。武器の無い残った腕では、全身鎧(フルプレート)の騎士にダメージを与えるのはおそらく、かなり難しいだろう。しかし、アンの方も右膝のあたりから結構な領の血が滴っている。彼女が回避に失敗するほど、この魔物、きりさきピエロのスピードはすさまじいものであった、ということなのだろう。もっとも、周囲で状況を見守っている仲間たちは誰も、その動きは見えていなかったのだが。。

 

「ふう、まあ確かに、この傷を放っておけば、出血多量で少々まずいことにはなるだろうな。」

 

 アンは余裕の態度を崩さず、それでも傷が痛むのか、未だに立ち上がることができずに右膝を押さえている。モモやミミは心配そうに様子を見守っており、サーラに至ってはヒカルにしがみついたまま震えている。それでも泣き出すどころか、目をそらさずにじっと両者の戦いを見守っているあたりは、王族としての教育のたまものなのか、あるいは彼女の生来の気質によるものか、凡人であるヒカルには分かるはずがなかった。

 

「けっ! 余裕ぶっこいてんじゃねえっ! 武器なんざなくてもこの爪で引き裂いてやるわぁっ!」

 

 いうが早いが、きりさきピエロは残った右腕のするどい爪を光らせ、アンに向かってすさまじい速さで突っ込んで行った。アンの脚力はかなりのものだが、膝を負傷していては本来のスピードは出せず、必然的に回避も遅れることになるだろう。対して、敵の方も、片腕を失いバランス感覚が狂っているのか、直進する以外の動きを見せない。しかし、残忍な魔物の目は確実にフルプレートの弱点、鎧のパーツのつなぎ目を狙っていた。この部分から刺突武器などをねじ込めば、生身の肉体にダメージを与えることができるのだ。

 

「ベホイミ。」

「な、しまっ……!」

 

 膝を覆うようにあてがわれていたアンの両手から淡く緑色に輝く魔法の力が発動し、それが消えた瞬間、彼女自身もきりさきピエロの視界から消え去った。1点への攻撃に前集中力を注ぎ込んでいたかの魔物には、アンの動きに即応することはできず、それが命取りとなった。

 

「もらった!」

「ぐはあっ! ぐ、ちく、しょうめ……!」

 

 横凪に払われた剣の太刀筋は正確にきりさきピエロを上下に分断し、魔物は最後の言葉と共に宝石へと姿を変えた。アンはひとつ軽く息を吐き、剣を鞘に収めると、ゆっくりとヒカルたちの方へ歩み寄ってくる。その表情はすでにいつもの無愛想ながらも穏やかなものに戻っていた。

 

「急ごうか、少し時間を取られてしまったからな。」

 

***

 

 サーラに案内され、無事城の2階へ到着したヒカルたちは、所々にある抜け道などを駆使し、王夫妻の魂がとらわれている場所へと進んでいた。幸い、彼女の案内が正確であったため、敵に見つかることなく短い時間で城の南側まで到達することができた。そこにはひときわ高い塔がそびえ立っており、昼間だというのにそこだけが暗いような、なんとも言えない嫌な雰囲気を醸し出していた。

 

「さて、この大きさを考えると、隠し通路はここまで、か。」

「はい、ここからは入り口を開けて普通に入らなければいけません。でも、扉にはカギがかかってるんです。」

 

 塔の内部はさほど広くなく、おそらく隠し通路などは設置できないだろうと思われたため、ヒカルはサーラに確認を取ると、案の定工程の返事が返ってきた。カギを開けないと中には入れないと不安がる彼女の頭をなでて、安心させるように優しい声色で、ヒカルは攻略方法を示す。

 

「まあ、俺は魔法使いだから、魔法でなんとかするさ、さて、俺の抱っこはここまでな。手が塞がってると魔法が使えないからね。」

「はい。」

 

 ヒカルはサーラを静かに床に下ろし、彼女がしっかりと両足で立ったのを確認すると、ドアに手をかざして呪文を唱える。

 

「いたずらな風の聖霊よ、強固に閉ざされし扉の鍵を開け放ち、未知なる世界を我の前に示せ、アバカム。」

 

 ガチャリという金属音がして、カギの外れた扉はひとりでに開いた。中は明かりがなく、足を踏み入れれば吸い込まれてしまいそうな漆黒の闇が広がっていた。ヒカルは一足先に中に入り、内部を照らすために別の呪文を行使する。

 

「光の精霊よ、闇を照らす道しるべを我に与えよ、レミーラ。」

 

 一気に内部が明るくなり、周囲に問題がないことを確認したヒカルは仲間たちを招き入れ、扉を元通りに閉じた。ちょうどそのとき、誰かが走ってくるような足音が遠くから聞こえはじめていた。それは常人の聴力では捉えきれないほど遠い場所から発せられていたが、この場の約1名だけは、種族特性ともいうべき鋭い聴覚で、その音を捉えていた。

 

「ご主人様、大勢の、多分兵士さんがこっちに来るよ!」

「大丈夫、まだ見つかっていないはずだ、でも、そんなにのんびりしていられないみたいだな。サーラ、急ごうか。」

「はい。」

 

***

 

 夜が明け、ドラン王城のサーラ姫の部屋で、大臣であるサリエルは苦虫をかみつぶしたような顔をしていた。姫の勉強机には小さな木箱が置かれており、その蓋は開いていた。そしてその傍らには、この箱に入っていたある道具(アイテム)に関する説明が、子供にわかりやすいように丁寧に書き記されていた。

 

「おのれ、あの女、どこまでも私とマムオード様の邪魔をしおって……!」

「ふむ、なるほど消え去り草か、これでは兵士たちには見つけられないな。目的を達するまで面倒ごとを避けるため、我が部下のモンスターたちをこちらにはほとんど配置しなかったのだが、どうやら裏目に出たようだ。」

 

 木箱と手紙をにらみつけてものすごい形相で王妃への呪詛を吐くサリエルとは対照的に、マムオード、魔王ムドーは落ち着き払った声で、一切の動揺を見せることなく事態を分析していた。

 

「むっ、何者かが夢の世界の方へ侵入したか。……! 何と、もう塔の1階にたどり着いてイルだと?! 何故今まで感知できなかった?!」

「い、いかがなされましたマムオード様。」

 

 突如として、声を荒げて驚きと怒りを見せるムドーに、彼が魔王などとは知るよしもないサリエルはうろたえた。不気味で底知れない雰囲気を持つ男ではあったが、その態度は常に冷静で有り、うろたえたり怒りをあらわにするなどということはこれまでになかった。それほど、ムドーが気づかぬ間に侵入者が夢の世界の城内で、王都王妃の魂を換金した部屋のすぐ近くまで迫っているというのは緊急事態であったのだ。

 

「ベレスよ、聞こえるか! 今、そちらへ侵入者が向かっている。何故か儂の探知に今までかからなかった。お前の力で速やかに奴らを排除せよ。」

 

 何もないところへ話しかけているような様は一種異様ではあったが、おそらく何らかの魔法的な力なのだろうと、サリエルは納得することにした。そして、ベレスと呼ばれた者への指示を負え、いくぶん落ち着いたのか、口調をやや穏やかなものに戻し、ムドーはサリエルに告げた。

 

「少し早いが、暗黒の宝珠の力を使用する。誰もこの部屋に入らぬように手を回せ。」

「かしこまりました。」

 

 サリエルはうやうやしく礼をすると、足早に部屋を退室していった。後には魔術師マムオードという人間の姿を借りた魔王、眠り続ける王夫妻、それに黒くよどんだ力を放つ暗黒の宝珠(オーブ)が残された。

 

***

 

 魔物、ベレスは多少なりとも焦っていた。塔の最上階で王夫妻の魂を見張るという重大な役目を命ぜられていながら、侵入者たちの接近に気がつかず侵入を許してしまった。本来、モンスターの感覚は人間種よりはるかに鋭敏である。それは魔王に使役される魔物であっても同じで有り、城内に配置された魔物たちのネットワークを使えば、侵入者たちがこの塔に接近してきた時点で排除することはたやすいはずだった。しかし、現実に今、侵入者たちはすでに塔を登りはじめており、最上階であるこの部屋にたどり着くのは時間の問題であった。ムドー以下魔物たちはおろか、ヒカルたちすら知らないことだったが、彼らには探知能力を阻害する述が施されており、それゆえにここまで感知されることがなかったのである。何故そのような事態になったのかといえば、先にちょうろうじゅが皆に食べさせたリンゴの果実に、彼の能力(スキル)によって探知阻害の効果が付加されており、それを食べた一行はここまで魔物の索敵にかからなかった、というわけである。また、ちょうろうじゅの展開していた空間は魔物たちから認識されて折らず、ヒカルたちがサーラと出会ったことも、彼女の願いを聞き届けてこの塔にやってきたことも、魔物たちは知るよしもなかった。ベレスはただ、たまたま侵入してきた、おそらく多少は腕の立つ人間を軽く始末し、それで失態は帳消しだと考えていた。

 

「むっ、来たか、弱く愚かな人間どもめ。

「ふむ、当たりみたいだな。しかし、こいつ何だっけ、ええと、じごくの……なんとかだっけ、色が違う気もするんだが。」

 

 魔法でカギのかかった扉を難なく開けて入ってきたのは旅の者たちと思われる一行だった。そして、それに混じってこの国の姫の姿を認めたベレスは、悪魔の頭脳をフル回転させて状況を考える。判断するには情報が不足しているが、おそらく幼い姫が何らかの手段で、城外から協力者を雇ったというところなのだろうと推察する。姫が年齢からは考えられないほど賢いということは主より聞かされているが、それでも子供1人でここまで腕の立つ者を揃えられるはずがない。おそらくは外部に協力者がいるだろうと、そこまで考えを巡らせ、ベレスはそこでいったん考えるのを止めた。とにかく今は、ここにいる侵入者たちを排除しなければならない。

 

「ふむ、少しは我らについて知っているようだな。魔法のかかった扉をたやすく開けて侵入してくるとは、貴様は盗賊か魔法使いと行ったところか。横の者は……まさか魔物が人間に与するとはな。それにエルフの小娘が2匹か。姫よ、この世界の基準ではなかなかに強そうなものを連れてきたではないか。」

 

「ひっ。お、お父様とお母様を返しなさい! この悪魔!!!」

 

 にやりと不気味な笑いを浮かべる濃緑色の悪魔、大きな鎖鎌を構え、背中から巨大な翼をはやした異形の値踏みするような視線に、幼いサーラは震えながらも気丈に切り返す。そんな幼子をかばうように、スライムに乗った騎士は前に出る。

 

「訂正して貰おうか。」

「何?」

「私を魔物と行ったな。モンスターは本来、精霊と共に世界を見守る者だ。貴様らのような魔王の使い魔と一緒にされるなど虫唾が走る。」

「ほう、挑発して私の動揺を誘うつもりか? 無駄なことだ、貴様は強いだろう。後ろのもの立ち寄りも遙かにな。」

 

 ベレスの左手、鎌を持っていない方の手が光り輝き、眩い選考がアンと、彼女の後ろにいるすべての者を捉え、飲み込もうと放たれた。

 

「滅びよ、ベギラマ!」

「ヒャダルコ!!」

「ぬっ?!」

 

 しかし、甲高い少女のものと思われる発動句と同時に、冷気の壁が一行の前に現れる。氷結呪文(ヒャダルコ)で作られた防壁と、ベレスの閃熱呪文(ベギラマ)とがぶつかり合う。白い水蒸気を大量に発しながら、2つの力は霧散した。

 

「炎の精霊よ、我の元へ集え! かの者を眩き閃熱のもとに蹂躙せよ!」

「ほう……、詠唱か。」

「ベギラマ!」

 

 間髪入れずに完璧に詠唱されたヒカルのベギラマは、ベレスを飲み込み焼き払ったかに思われた。水蒸気で視界が隠されている中で、息のぴったり合った主従の魔法連携は完璧なタイミングであった。しかし、視界が徐々に晴れて行く中で、ヒカルたちはあまり受け入れたくはない光景を目にすることになる。

 

「な、んだと?」

「フフフフ、少し驚いたぞ。前言は失礼な発言だったな。撤回しよう。氷の精霊に祝福されたエルフと、詠唱まで完璧に使いこなす人間の魔法使いか……。私はお前たちを侮っていたようだな。素直に認めよう。お前たちは強い。少なくとも今、この世界においてほかに並ぶもののない呪文の使い手だ。」

 

 そこには、多少皮膚がすすけているが、何らの痛痒も感じていないという落ち着いた口調で語るベレスの姿があった。

 

「くっ、ギラに対する耐性か……! ちくしょう、攻略本でも持ってくるんだった。」

「そんな、ご主人様の魔法が通じないなんて。」

 

 ミミは少なからず動揺する。今までヒカルの行使する強大な呪文が数多の敵を葬り去ってきた事実が、それが効かないことによって逆に彼女の不安をあおる結果となっていた。しかし、冷静に考えれば、モンスターというものは様々な耐性を有しているものが、上衣腫になればなるほど数多くいる。このベレスはゲームでは確実に中盤以降に出現する敵だったはずだ。それを考えれば、耐性のひとつやふたつ持っていても何ら不思議ではないのだ。

 

「ミミ、落ち着け、モンスターってのは強くなればなるほど、特別な能力を持っているもんさ。呪文の効かない相手なんていくらでもいる。」

「ふむ、なかなかに冷静だな。人間にしては肝が据わっている。」

 

 ヒカルは努めて冷静に見えるように振る舞いながら、実は内心かなり焦っていた。もちろん、彼の言葉は本音で、呪文が1つ2つ効かないからと行って、さほど問題にはならない。それよりも、彼はこの魔物、ベレスについての知識をかなりの部分忘れていた。何かもうひとつくらい、注意しておかなければならないことがあったはずなのだが、それがどうしても思い出せない。

 

「ならば今度は私からいかせてもらおうか。」

 

 ベレスは鎖鎌を構え、最初の標的を定めると、常人の目には止まらないような速さで行動を開始する。ヒカルがはっとしたときには、大鎌の先端はミミに向かって振り下ろされていた。

 

「きゃあつ!!」

「させるかっ!」

「むうっ、やはり、貴様がこの中では最も強い、か。」

 

 ミミの悲鳴と同時に金属の衝突する音がして、いつの間にか間に割り込んだアンがベレスの大鎌を剣で受け止めていた。獲物にかなりの大きさの差があるが、どちらかというとベレスの方が押し負けているように見受けられる。緑色の悪魔は背中の翼を羽ばたかせ、いったん離れて距離を取り、ヒカルたちのいる入口側とは反対にある扉の前に着地する。しかしそのとき、またも甲高い声がベレスの耳に届く。

 

「氷の精霊よ、我の行く手を阻む者に、極寒の嵐となり吹き荒れよ!」

「何?! この呪文は!?」

「ヒャダイン!!」

 

 精神を極限まで集中させて詠唱されたヒャダインの嵐がベレスに向かって吹きすさぶ。先ほどのベギラマがほぼ無効であったことを考えると、この呪文も効かない可能性があるが、逆に弱点である可能性もまたある。どちらにしても現状で攻撃の手を休めるのはあまり良い作戦ではないだろう。しかし、ヒカルはこのとき、心の中に生じたわずかな引っかかりのようなものが、言い知れない不安に変わってゆくのを感じた。根拠など何もない、いわば直感であったのだが、残念なことにその不安は的中してしまうことになる。

 

「しまった、あれは……!」

「マホカンタ。」

 

 ベレスの取った行動は耐性をもって無効にするわけでも、よけるわけでも、また呪文で迎撃するわけでもなく……その行動は魔法使いにとってはもっとも取られたくない対処法の1つであった。ベレスの前に魔力で形成された光の壁のようなものが出現し、それはヒャダインの冷気をまるごと、術者とその周囲へと跳ね返したのだ。

 

「ベギラマ!」

 

 ヒカルはとっさに閃熱で炎の壁を作りだし冷気を受け止めるが、正確に詠唱されたヒャダインと、即席のベギラマでは結果は見えている。吹きすさぶ冷気の嵐はベギラマの閃熱に威力を削られながらもそれを飲み込み、ヒカルたちパーティ全員を包み込んだ。

 

「ぐわあぁあっ!」

「くっ、減衰されてこの威力……!」

「きゃあっ!」

「おねえちゃ……うわあぁっ!!」

 

 ヒカルたちは全身鎧(フルプレート)で武装しているアンを除き、冷気の嵐にあおられ、後ろへ軽く吹き飛ばされた。たたきつけられるような衝撃がなかったのは、ベギラマにより威力が落ちていたからだが、それでも軽く身体を打ち付け、苦痛にうめき声をあげる。さらに正面から冷気をくらったため、動きが鈍り思うように体勢を立て直せない。しかし、そのような中にあっても、約1名だけは次の行動を起こしていた。

 

「ゆ、勇者……様?」

「ケガはないか、サーラ。」

「はい、でも、勇者様は……。」

「ヒカル、モモ! 姫を頼む、それと自分たちの回復を、なるべく早くだ!!」

 

 跳ね返された冷気のダメージを最も前で受けたはずの騎士は、仲間たちの答えを聞かずに飛び出した。フルプレートは霜が付着し真っ白になっており、その下の身体にもかなりのダメージを食らっていることが予想できる。しかし、駆ける速度は通常と変わらず、ベレスへ向けて俊足の一閃が振り下ろされる。

 

「ぐっ、バカな、確かに冷気を直撃で食らったはず、何故こんな動きを、それにこの力は……!」

 

「我が血肉よ、その傷を癒せ、ホイミ。」

「ミミ、大丈夫? ほらこれを飲んで。」

 

 アンがベレスと剣を交えている間、ヒカルたちは傷を回復すべく、薬草や回復呪文(ホイミ)を行使しながら、戦線の立て直しを図っていた。

 

「なんとか動けるようになったな。サーラ、お前は大丈夫か?」

「はい、勇者様が守ってくださいました。でも……。」

「あいつのことなら心配すんな。」

 

 不安そうに下を向くサーラの頭に、ヒカルはやさしく手を置き、美しく整えられた髪を優しく撫でてやる。上に立つものとして育てられたが故、両親以外の大人にそんなことをされたことのないサーラだったが、伝わってくるその手のぬくもりに身を委ね、目を閉じた。彼女が落ち着いたのを確認して、ヒカルはできる限り優しい口調で話を続ける。

 

「あいつは強い、戦闘能力、戦う力だけで行ったら、今のこの世界に、1対1でアンに勝てる奴はまずいないだろうな。」

「ふふ、そうですね、それに、どうやら間合いを詰めている間に、傷も自分で回復してしまったようですし、本当に、出る幕がありませんわね、私たち。」

 

 サーラに話を聞かせながら、薬草やホイミといった低級の回復手段を数回行使し、ヒカルとミミの傷はほぼ問題ないくらいに回復した。最後にモモが自分の傷を薬草から抽出したエキスで治療しようとしたとき、その手に小さな手が重ねられる。

 

「ええと、これで良いのでしょうか……モモの血肉よ、その傷を癒せ、ホイミ。」

 

 声の主を確認して、モモは少なからず驚愕した。幼いサーラの手が薬瓶を持つ自分の手に添えられ、彼女の口から回復呪文の詠唱が紡がれた。淡く緑色の魔法の光は、モモの身体を優しく包み込み、冷気による凍傷をみるみるうちに回復していく。

 

「……こりゃあ驚いたな。お前呪文が使えたのか?」

「は、はい。簡単なものばかりですけど……。ええと、えいしょう? は、ヒカルのやっていたのを真似しただけです。上手にできたか、わかりませんけど……。」

 

 上手にできたか、と言われれば、ほぼ満点を付けられるくらいのできである。モモはヒカルとミミを優先して治療していたために、自分は動ける程度の回復しかしていなかった。しかしサーラのホイミはその状況をたった一回の行使で、ほぼ傷跡が残らないくらいに回復している。数回行使してようやく全回復に持ち込んだヒカルの呪文と比べたら、その差は明らかであった。

 

「いやぁ、たいしたもん……っと、話はあとだ、アンに加勢するぞ!」

「でもご主人様、攻撃呪文はあいつに跳ね返されちゃうよ?」

 

 ミミのいうとおり、反射呪文(マホカンタ)は例外なくすべての呪文を跳ね返す。たとえ最上級呪文であろうともだ。また、守備力低下呪文(ルカニ)などのいわゆるデバフ系の呪文や、睡眠呪文(ラリホー)などの状態異常を引き起こすような呪文も同様である。しかし、だからといって魔法使いに全く打つ手がなくなるかといえば、そういうわけでもない。

 

「大丈夫、要するに奴に直接当てなけりゃいいのさ。アン! こっちから援護するぞ、うまくよけろよ! 闇の(いかずち)よ、貫け! ドルマ!」

「バカめ、いかなる呪文を唱えようとも、このマホカンタの光の前では……なっ! うごあぁっ!!」

 

 ヒカルの手から放たれた黒い雷は、ベレスではなく、その真上の天井を打ち抜き、悪魔は衝撃によって落下してきた岩盤の下敷きになったのだ。ゲームでは起こらないことだが、現実であるこの世界では、呪文そのものを跳ね返すことはできても、二次的に起こった物理的接触までは防ぐことができないのだ。

 

「ぐうぅっ、舐めた真似をしてくれるな……! この程度で私がやられるとでも思ったか!! 愚か者め!!」

 

 さすがというべきか、ベレスはがれきの下から難なく起き上がり、憤怒の表情でヒカルたちをにらみつける。こざかしい人間たちをどのように始末しようか算段を付けはじめた彼の頭の中は、怒りで半分我を忘れていたために、大切なことが抜け落ちてしまっていた。

 

「愚かなのはお前だ。」

「な、にっ……。がふっ!」

 

 悪魔が驚きに目を見開いたときにはすでに遅く、その旨には一本の剣が深々と突き刺さっていた。眼前にはフルプレートの騎士がそれを突き出した姿で静止している。口から血液かどうかもよく分からないどす黒い液体を吐き出しながら、ベレスの全身はだらりと力なく垂れ下がる。悪魔が獲物である鎖鎌をけたたましい金属音を立てて床に落とした瞬間、その体は光と共に消え失せ、吐き出した体液がたまっていたはずの場所には、不気味な紫色に輝く大きな宝石が転がっているのみだった。

 

「終わったか。いやあ悪かった。こいつのことすっかり頭から抜け落ちてたわ。マホカンタなんて魔法使うなら最も注意しなきゃならないことなのにな。」

「ふっ、まあそう気にするな。結果的に皆無事だったのだからな。しかし、これだけ強い魔物が守護しているということは、君のいうとおり当たりなのだろうな。」

 

 ヒカルの軽い謝罪に対して、アンは気にするなと手を振り、外した兜を小脇に抱え、ベレスの背後にあった扉に目をやる。おそらくあの先に、王夫妻の魂がとらわれているのだろう。

 

「よし、この先には宝石モンスターの気配がしない。扉を開けて先へ進もう。」

「そうですわね。さあ、サーラ姫、行きましょうか。」

 

 モモはサーラを自分の胸に抱くと、先を進むアンとヒカルの後をゆっくりと歩き出した。最後尾をミミが周囲の音に気を配りながら進んでいく。ほどなくして扉は、何の抵抗もなくあっさりと開かれた。

 

***

 

 現実のドラン城、王夫妻の寝室では、まがまがしく邪悪な力をまとった小さなオーブが、その力を解放しようとしていた。しかし、それはこの国をどうこうしようというのではなく、部屋の天井にできた黒い穴のようなものに吸い込まれていく。宝珠を手に持つ黒いローブの男は、何かブツブツと怪しげな呪文を唱えていたが、突如、驚きに目を見開き、危うく左手に持ったオーブを落としそうになってしまう。

 

「ば、バカな、ベレスがやられただと?!」

 

 男、魔王ムドーが変化した魔術師マムオードは、夢の世界で王夫妻の魂を見張っていた部下の反応が消失したことに、大いに動揺していた。それは、主の命令を淡々とこなし、数々の功績を挙げてきた忠臣として、許されざる失態である。しかし、夢の世界を完全に掌握できているわけではないため、ベレスがどのような相手に倒されたのかまでは、こちら側からはうかがい知ることはできない。かといって、暗黒の宝珠に蓄えられた負の力は、一度転送をはじめてしまうと中断することができず、ムドーはこの場を動くことができない。魔王はすぐにサリエルを呼び出し、侵入者に備えて城の守りを固めさせるように指示を飛ばすと、苦々しい思いで儀式を続けるのだった。

 

***

 

 開けた扉の先には大きなベッドが有り、一組の男女が身を寄せ合って眠りについていた。よく見れば半透明に透けているように見える。また、ところどころ光を放つ意図のようなものが絡みついており、これにより詳細は不明だが、何か魔法的手段を用いてここに縛られているだろう事がうかがえる。この状態であったため、現実世界からいかなる手段を用いても、彼らは目覚めることがなかったのである。

 

「ふ~む、さてどうしたものか。眠っているように見えるんだが、何この糸みたいなの?」

「状態を診察してみましょうか? ちょっと失礼しますね。」

 

 モモはサーラを床に下ろすと、ベッドの傍らまで来て2人の身体に触れ、何かを探っているようだ。薬師である彼女は特殊技能により、触れた相手の健康状態を知ることができるらしい。しかもその内容はゲームでいうところのいわゆる「ステータス」に比べてかなり細かいものであった。

 

「……わかりました。明確に断言はできないのですが、ここにあるのは王様とお妃様の「魂」だと思います。お二人は「眠り」の状態異常にかかっていますね。何か、ラリホーを非常に強力にしたような魔法の力で強制的に眠らされています。そのせいで魂が少し弱ってきているように感じられます。半透明に見えるのはそのためだと思います。」

 

 便利な能力だよなあ、と、のんきなことを考えながら、ヒカルはこの状況をどうすれば打破できるのか、今まで得た知識から答えを探る。この世界の人々は現実の人々の夢が作りだしたもう一人の自分で有り、お互いに影響を与え合って存在している。通常ならば現実と夢の自分は明確には認識されず、どの程度影響を与え合っているかも知ることはできない。しかし、何らかの方法で夢の世界と現実が繋がってしまった場合、本来2つでひとつのはずの存在が分かたれたり、片方が行動不能になってしまうことはあり得る。今回は作為的に、王夫妻の魂が夢の世界に持ち込まれ、こうしていわば幽閉されている状況であったため、現実世界からは影響を及ぼすことができなかったのである。

 

「ご主人様?」

「っと、悪い、ちょっと考え込みすぎたか。とりあえず、このままにしておいて魂がこれ以上弱ると厄介だな。できるかはわからないが、起こしてみるか。」

「できるのですか?」

 

 期待と不安が半々という表情をしているサーラの頭にぽんと手を置いて、ヒカルはその不安をなるべく取り除くように、はっきりとした口調で応えてやる。

 

「わからん。しかし、魔法で眠ってるなら魔法で起こすことが、できるかもしれない。」

「そうだな。試してみる価値はあるだろう。ここでザメハを唱えられるのは君だけだからな。任せたぞヒカル。さて、サーラ、父上や母上の傍にいたいだろうが、魔法で悪い影響があるといけない。ここから私とみていよう。」

「はい、勇者様。」」

 

 アンはサーラを抱き上げ、両親の状況がよく見えるところまで移動し、ミミにも近くに来るように促す。モモはベッド脇に立ったまま、王夫妻の状況を観察することにする。

 ヒカルは、モモの傍らに立ち、2人の男女に両手をかざし呪文を詠唱する。言霊が紡がれるたび、ヒカルの手から放たれる魔法の光が、王夫妻を包んでゆく。

 

「時の精霊よ、目覚めの時を告げよ。邪なる力による偽りの安らぎより、かの者たちを呼び覚まし、その目を開かせよ。絶対不変なる時の力をもって、諸悪の根源たる幻惑と堕落の底より、この者たちを招く忌まわしき手を退けよ。」

 

 時の精霊に呼びかけるその詠唱は通常より遙かに長く、ヒカル自身も慎重に言葉を選びながら進めてゆく。詠唱にあまり厳格な決まり事はないのだが、術者自身のイメージを明確にさせるため、強力な魔法を行使する際やかつて幼子を眠らせたときのような細かなコントロールが必要なときは、心を平静に保ち長い詠唱を行うことが多かったと、古文書には記されていた。

 

「ザメハ!」

 

 発動句が紡がれると同時に、王夫妻を包む魔法の光は一層強くなり、その場にいる者たちは一瞬目を閉じた。しかしその中にあって、幼いサーラだけは確かに、白い光の中から抜け出す黒いもやのようなものを、確かに目視していた。その黒いものが霧散すると同時に、光も収まり、王と妃を拘束していたらしい光の糸も消え失せていた。

 

「終わったぞ。たぶん、効果はあったと思う、王様とお妃様を縛っていた魔力は解かれているからな。」

「お父様、お母様!」

 

 たまらず、身を乗り出して両親に呼びかけるサーラを、アンは床に下ろしてやる。ベッドに駆け寄ったサーラは、そこで、父と母の目が少しずつ開かれていくのを、確かに見た。

 これが、幼い姫が目にした、1人の魔法使いの伝説の始まりだった。

 

to be continued




※解説
マホカンタ:おなじみ、呪文をそっくり術者に返す反射呪文。攻撃呪文どころか回復や補助も跳ね返すという困った仕様。よって使いどころは考えなければならない。敵に使われると、初期のシリーズでは解除手段がないので厄介。天空の剣が登場して以降は凍てつく波動が味方側でも打てるので、それで打ち消せる。モンスターズの特技に、打撃による物理ダメージを反射する「アタックカンタ」というものがある。

今回は2連戦でした。アンさんを強くしすぎた関もありますが、彼女にも弱点はあるので、今後はそれも描いていけたらと思います。ドランの都が今後どうなるか、今少しお付き合いくださいね。


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第18話 対決! 魔王ムドー!!

大変お待たせしました。プロットを書きながら執筆しているので、更新ペースがさらに遅くなってしまいました。1日48時間くらい欲しいっす。
今回はさらに、3話を同時執筆しているため、更新停止かと思われるような間が空いてしまいました。
それはさておき、さあ、いよいよ魔王戦に突入だ!!


 目を開いたとき、男は現在の状況をうまく理解できず、次の行動を起こすことができなかった。ベッドに横たわる自分と妻、その傍らに立ち、今にも泣き出しそうな娘、その様子を優しげなまなざしで見つめる4人の大人たち。格好からして冒険者の一段のように見受けられるが、これはいったいどういう状況なのだろうか。

 

「お父様、おとうさまぁっ!!!」

 

 男の傍らで、幾ばくか立ち尽くしていた少女は、今まで押さえ込んでいた者を解き放つかのように、未だ寝ぼけて意識のはっきりしない父、ピエールに抱きついた。その顔はもう、涙と鼻水でぐちゃぐちゃで、元々の整った顔立ちは見る影もない。そんな娘の背中をなでさすりながら、男、ピエール国王はベッド脇に立つ魔法使いらしき男に疑問を投げかける。

 

「……初対面で悪いとは思うのだが、私にはこれがいったいどのような状況かわからぬ、知っているなら教えてはくれまいか?」

「あ~、詳しく説明したいのはやまやまなんですけどね、そんな時間もないみたいでして。」

「……良くは分からぬが、急を要するのだな?」

 

 男の口調はなんとも軽く、一国の王に対するようなものではない。しかし、表情には不真面目なところは全くなく、今がまさに緊急事態なのだということを察したピエール国王は、ひとまず最初に男に告げなければならないことがあることに気がついた。

 

「うむ、それはそれとして……姫、いや娘が世話になったようだな、礼を申すぞ。」

「いえいえ、たまたま偶然通りかかったようなもんですからお気になさらず。時間がないので要点だけサクッと説明しますが、現在、王様とお妃様はおそらく魂の状態で、この場所は現実の世界ではありません。」

「な、なんと……?!」

 

 男から告げられた内容は、とても1度聞いてはいそうですかと納得できるような内容ではなかった。しかし、この場所は確かに城内ではあるが、本来の自分たちの寝室ではない。通常、王族の居住区はこのような見通しの良い、塔の上などにはまず作らないからだ。また、やけに体が重く、すぐには自由に動けそうもない。どうやら長く眠っていたようだが、その間に何か事件に巻き込まれたということなのだろうか。

 

「まあまあ、サーラ、そんなに顔を汚して、さあ、拭いてあげますからこちらへいらっしゃい。」

「お、おかあさま……!」

「……旅の方々、娘がお世話になりまして、お礼の言葉もありません。どうやら、眠っている間に、恐れていたことが起こってしまったようですね。」

「ジュリエッタ、何か心当たりがあるのか?」

 

 いつの間にか目を覚ましていた王妃、ジュリエッタは慣れた手つきで、どこからか取り出したハンカチでサーラの顔を拭いてやりながら、夫と同様に旅の冒険者たちに礼を述べ、当たりを1度ぐるりと見渡し、納得したような表情で小さく頷いた。その様子から、少なくともピエール国王よりは事態を把握できているようだ。

 

「王妃様、貴女はこの状況をある程度把握なさっているようですね。なので、細かい説明は省きますが、あなた方は魔物によって魂のみを捉えられ、この夢の世界に幽閉されていたのです。」

「夢の世界……? とな?」

「はい、簡単に言うと、現世に生きる者たちの願望が形を成したもの……といったところですかね。通常はこの世界に立ち入ることはできないんですが、魔物たちは何らかの手段を使って道を作り、夢の世界と現実とをつないだようです。」

「そうですか。この世界で眠り続けていれば、現実の世界からいくら働きかけても、目を覚ますことはないというわけですね。」

 

 王妃、ジュリエッタは納得したというように深く頷き、未だグズグズと膝の上で泣いている娘をあやしながら、夫の方へ顔を向けた。

 

「陛下、いえあなた。私は一般的な人間よりは魔法の知識を持っているつもりですが、今の状況がどのようなものであるのか、正確にはわかりません。これから話すことは、多分に私の私見が交じっておりますが、その前提で聞いて頂けますか?」

 

 ピエールは改めて、妻の顔を見つめる。いかなる時でも微笑みをたやさなかったその口元は固く結ばれ、先の言葉をためらっているようにも見受けられる。妻がこのような表情をするところなど、夫婦になって以来見たことがない。先ほどの魔法使いの青年の言葉と併せて、今がまさに急を要する状況なのだと、ピエールは気を引き締め、ジュリエッタの次の言葉を促した。

 

「かまわぬ、言ってみなさい。正直私には、急を要する事態だという意外には何も分からぬ。ヒカルと申したか、そなたの話を聞いてもなお、正しく理解できてはいないだろう。だが、私よりも魔法に多少なりとも詳しい妃ならば、何か核心に触れる部分があるかもしれぬ。」

 

 王妃は小さく頷くと、サーラを膝の上から降ろし、自分の傍らに座らせ、それから夫を含めた周囲の者を1度ぐるりと見渡し、そしておもむろに話し始めた。

 

「まず、おそらくこれは人の所業ではないでしょう。夢の世界に干渉するなど、それこそ魔王級の力でなければ不可能です。私たちが想像するより遙かに強大で邪悪な力が、ドランの国に迫ってきているようです。」

 

 ピエールはごくりとつばを飲み込んだ。なんと恐ろしい話か。魔王や勇者のことは、伝説として世界各地に残っているし、王家に代々伝えられている予言の書にも書かれている。しかし、長い間平和の中に暮らしてきた者にとって、そのような伝説はもはや架空の物語に近く、現実感を持って受け入れるのは相当に難しいであろう。しかし、ピエールとジュリエッタに至っては、肉体と魂を分離されるという非常識が、実際に自身に降りかかっている。

 

「そしてもうひとつ、サーラがここにいるということは、おそらくあの道具箱の中にあった消え去り草を使用したのでしょう。あれは、城内で何か大変なことが起こって、誰の助けも借りられなくなったときに使いなさいと教えておきました。ですから、おそらくですが、邪悪な力をこの国に持ち込んだ者は、ほかならぬ我が国の者、それも城内を掌握できるほど力のある者、ということになります。誰かは特定できませんが、この時点で候補は数名に絞られてしまいます。おそらく大臣か、伯爵以上の爵位を持つ貴族が、この事件に加担していると思われますわ。」

「な、なんと、我が家臣たちの中にそのような……! いや、うろたえている場合ではない。この上は一刻も早く、現実の世界に戻って事を収めねばならぬ。」

「はい、あなた。……皆様方、巻き込んでしまう形になってしまい大変心苦しいのですが、どうか今しばらく、娘と私たちに力を貸してください。」

 

 夫の決心が固まったことを確認し、王妃はヒカルたちの方へ向き直り、ベッドに腰掛けたままではあるが、深々とお辞儀をした。本来ならば王族が一般庶民にこのような態度を取ることはまずあり得ない。身分制度などよく分からないヒカルでも、そのくらいのことはなんとなく分かる。目の前の彼女、ジュリエッタが並々ならぬ覚悟をもって、魔王ムドーの絡むこの事件に当たろうとしている。それは王族として国や民のためか、あるいは母親として、愛する家族のためか。いずれにしても、自分以外の者のためにここまで真剣になれる者の頼みを断るなどという選択肢は、彼には選べるはずがなかった。そしてもう1人、弱き者を守るために剣を振るう騎士にも、そのような薄情な選択肢は選べない。

 

「顔を上げてください、お妃様。俺は上流社会とかには疎いんで、細かいところはよく分かりませんが、こんな下船の者に頭下げちゃまずいんじゃないですか? まあどっちにしても、力になるって娘さんに約束してしまったんで、のりかかった船ですから最後まで付き合いますよ。それに、あちらさんとは多少なりとも因縁があるみたいなんで、ね。」

「おいヒカル……まったく君は、相手が誰でもその調子か。謁見のまだったら首が飛んでいるぞ。……申し訳ございません、王妃殿下。なにぶん旅に生きる者ゆえ、ご無礼の段はご容赦を。しかしこの男の申す通り、我ら一同、姫様をお助けする約束をいたしました故、魔王ムドーを退けるそのときまで、お供させて頂きます。」

 

 王族に対する礼儀など知らないヒカルとは対照的に、アンは王妃の前に跪き、すらすらと格式張った言葉を並べ立てる。彼女の種族「スライムナイト」が騎士であるためか、それとも彼女の生い立ちがそうさせるのか、それは誰にもわからなかったが、王都王妃はアンの言葉に満足したように深く頷いた。

 

「さて、とりあえずこの場を離れるとしますか、少し長居しすぎてしまっているみたいですしね。お二人とも、それでかまいませんか?」

「それは構わぬのだが……、どうも我らはここを動けぬようだ。先ほどから、入り口の方へ向かおうとしておるのだが、このベッドの周囲から離れることができぬのだ。」

「えっ、そりゃどうも、まいったな……。」

「……おそらくですが、私たちの魂が弱りすぎているため、この場を離れられないか、現実世界で身体の方に何か問題があったか、そんなところだと思います。……何か、魂を受け入れる器のような者があれば、良いのですが……。そうだわ、そちらの小さなエルフさんの首かざりと、ヒカル、あなたの後ろに立てかけてあるその杖の魔石に、私たちの魂を入れて、現実世界まで持って行って頂けないかしら。」

「いや、かまわないですけど、そんなことできるんですか?」

 

 頭の上に疑問符を浮かべるヒカルと仲間たちの様子に、ジュリエッタはもっともだというようにうなずき、次いで、私? といった顔をして首から提げられている奇妙な形のペンダントを見つめているミミに声をかけた。

 

「小さなエルフさん、お名前は何というのかしら?」

「あ、えっと、ミミ、です。」

「そう、それじゃあミミ、私の所まで来てくれるかしら?」

「は、はい。」

 

 戸惑い気味に歯切れの悪い返事を返すミミに、ジュリエッタはおかしそうに小さな笑みを浮かべ、自分たちのそばまで来るようにと彼女を手招きする。

 

「あなた、これからあなたの魂をミミのペンダントについている魔石に封じます。あなたは魔力がほとんどないので、魔石の中に入っている間は眠ったようになってしまうと思いますが、ほかに方法がないので承知してくださいね。」

「う、うむわかった。して、どうすれば良いのだ?」

 

 覚悟は決めているのだろうが、若干ためらいを見せるピエール国王に、ジュリエッタは安心させるように優しい笑顔を向ける。そして、ミミのペンダントに国王の手をかざさせた。王妃が耳元で何かをささやいた数秒後に、ピエール国王の姿は光となり、ペンダントの中央にきらめく魔石の中へ吸い込まれるようにしてその場から消えた。

 

「お、お父様?!」

「大丈夫ですよサーラ。お父様はこのエルフのお姉さんのペンダントの中でお休みになっています。これから母もしばしの間姿を消しますが、この方たちと一緒ならば大丈夫ですね?」

「は、はい、お母様。」

「よろしい、ではヒカル、後ろの壁に立てかけてある杖を持ってください。その杖は魔道士の杖、武器としてはたいした力はありませんが、その杖の魔石を使うことにしましょう。」

 

 ヒカルは言われるまま、壁に立てかけてあった魔道士の杖を手に取る。ジュリエッタの方へ向き直った彼に、彼女は再び、今度は前よりも深くおじぎをした。

 

「娘の、サーラのことを、どうかよろしくお願いします。」

 

 顔を上げた彼女が杖の方に左手を向けると、その姿は光の塊となり、魔道士の杖の先端についている赤い魔石へと吸い込まれていった。

 

***

 

 目の前の光景に、サーラは驚きを隠せないでいた。先ほどまで、確かに城の中にいたはずである。それが、たった1つの呪文が唱えられた次の瞬間には、彼女の視界は緑一色に染まっていた。きょろきょろと辺りを見渡すと、見覚えのある樹木型のモンスターがこちらを見つめている。

 

「おお、戻られましたか。ご無事で何よりですじゃ。」

「ふう、ルーラってやっぱり便利だな。っと、のんびりしちゃいられない、今ので敵に目撃された可能性が高いからな、ちょうろうじゅ、姫をここへ呼んだのがあんたなら、元の世界に帰すこともできるんじゃないかと思って、こっちへ戻ってきたんだ。俺たちが通ってきた井戸は城からずいぶん遠いし、敵に待ち伏せされてる可能性もあるからな。」

 

 驚いて未だにあたりをきょろきょろと見回すサーラに、ヒカルは少し苦笑しながら用件を話す。この中庭、果樹園の主ともいうべきちょうろうじゅは、それは問題ないと返してきた。複数人を現実世界に戻すのは、多少の時間を要するが難しいことではないらしい。

 

「しかし、あせる必要はありませんぞ、おそらく、敵の親玉は未だ、あなた方の所在はつかめておりますまいから、のう。」

「……やっぱりか。あまりにもスムーズに事が進むんで、もしかしてとは思っていたんだが……。

「おや、お気づきでしたか。儂の能力(ちから)は少々特殊でしてな。皆様方の存在を、敵から隠しておったのです。ほれ、先ほどここで食べた、あの果実に、そのような力を込めておりましてな。儂には戦う力はほとんどありませぬが、敵を欺くことに関しては、少しばかり自信がありますのじゃ。」

 

 ここにきて、ヒカルたちはようやく自分たちが、この、ちょうろうじゅの力で守られていたことを知った。しかし、敵に見つかる可能性が低いとしても、今は急がなければならない理由がほかにある。ヒカルは早急に、自分たちを元の世界に戻してもらえるよう、超老樹に頼み込み、それは快く了承されたのだった。

 

***

 

 薄暗く、照明を最低限に落とした部屋の中、巨大なキングサイズの天蓋付きのベッドに、夫婦らしき男女が寄り添って眠っていた。しかしその顔色は白蝋のように白く、弱々しく吐き出される寝息だけが、彼らが死人ではないと教えている。ベッドのそばに置かれた小さなテーブルの上にある黒色の丸い塊は、大して大きくもないのにどす黒い瘴気のような者を放ち、それ1つでこの部屋全体を暗くよどんだ世界へと変えてしまっていた。宝珠に手をかざして怪しげな呪文を唱えている男、人間に化けた魔王は努めて平静を保つよう努力はしていたが、その内心は焦りと怒りがごちゃ混ぜになったような状況で、お世辞にも落ち着いているとはいえなかった。

 なぜ、未だに夢の世界に侵入した者たちの所在がつかめないのか……? ムドーは考えてみるが、いっこうに答えにたどり着かない。それは決して彼が無能というわけではなく、この世界、ひいてはムドーが元いた世界における「認識阻害」というものに対する考え方からくるものであった。ドラゴンクエストのゲームにおいて、相手から認識されなくなるような魔法はさほど多くない。というか、ゲーム内ではレムオルという透明化の呪文ひとつである。それにしても、特定のイベントで人間の門番に気づかれずに城内に入るという限定的な目的のためだけに用意されたような呪文で、モンスターの目はごまかされない。しかし現在、ムドーが部下たちに追跡させている存在は、特殊な方法で気配そのものをほぼ感知されなくなっているため、鋭敏なモンスターの感覚をもってしても、探し出すことができなかったのである。このことは、ヒカルたちですらちょうろうじゅから直接聞かされるまで正確に把握できていなかったため、ムドーがそれに思い至らないのは、ある意味では当然のことであったろう。

 そう、だからこのとき、存在を警戒していたはずの「侵入者」に不意を突かれたとしても、それは無理からぬ事であったのだ。

 

「なっ……! 貴様ら、いつからそこに……!」

「こりゃ驚いた、本当に誰にも見つからなかった。」

 

 ヒカルたちは現実の世界に戻り、王夫妻の寝室を目指して抜け道を駆使しながら進んできた。その場所は夢の世界とは違い、城の最奥部といってもよいところに位置しており、王妃とサーラの案内がなければ容易にはたどり着けなかったであろう。ミミの首かざりに収まった王の魂は、王妃が言ったように眠ったような状態になっているようで、沈黙したまま何か反応する様子はない。事情を知らなければ、それはいつも彼女が身につけているペンダントと、外見的には何の違いも見られなかった。しかし、王妃の魂の方は杖に収まってもなお、意識を保っているようで、その声は杖を持つヒカルにだけは聞こえていた。外見的にも先端の宝玉がわずかに光を発しており、そのことによって母の存在を感じたからか、サーラはヒカルにべったりと寄り添い、そばを離れようとはしなかった。しかし、精神がある程度落ち着いたことによって、支持も幼児とは思えないほど的確であったから、ヒカルたちはさしたる苦労もなく、ここにたどり着いていた。

 

「ええいっ、誰かいないか、くせ者だ!!」

 

 慌てた魔術師、マムオードは衛兵を呼ぼうと大声を張り上げる。王城の王夫妻の寝室ともなれば、異変を感じ取ればすぐに衛兵がやってくるはずだ。しかし、周囲からはこちらに向かってくる足音も、声もまったく聞こえない。シーンと静まりかえった場内からは、何かが動く気配すら、全く感じない。

 

「つきましたよ、王妃様、あなたたちの肉体の真ん前にね。……それと衛兵なら、呼んでも来やしないぜ、全員ラリホーでおやすみしてるからな。さあ、観念して貰おうか、マムオード……いや、魔王、ムドー!!」

「!? き、貴様なぜその名を?! 何者だ?!!!」

「んなもん、素直に教えてやる義理はないね、ミミ、そのペンダントを王様の体の上にかざすんだ!」

 

 急に現れて、この世界では誰も知ることのないはずの、魔王の名を言い当てた人間の男は、うろたえるムドーをよそに、傍らに立つ少女に指示を出す。すばやくピエール王の近くまで走り寄ってきた少女は、その首から提げられた不思議な形のアクセサリーを、王の進退の上にかざす。その間わずか数秒である。吸う旬のためらいもなく指示通りに動くその姿は、彼女が彼、ヒカルに寄せる信頼の厚さを物語っていた。

 

「しまった、奴らめ、王夫妻の魂をっ!!」

 

 気づいたときにはもう遅い。いつの間にか、王妃の身体にはヒカルの持つ魔道士の杖の先端が向けられており、首かざりにはめ込まれている魔石と、杖の先端の魔石はほぼ同時に違う色の光を放ち、数秒後に、王夫妻の目はゆっくりと開かれた。」

 

「……! こ、ここは……?!」

「……私たちの、寝室、ですね……どうやら、うまく、いったようですよ……あなた。」

「ああ、まだしゃべんない方が良いと思いますよ、特に王妃様、ラリホーをこの城全体にかけるとか、魂だけで無茶したんですから、そこでゆっくり寝ててくださいな。あれをサクッと片付けるまで、ね。」

「……おいおいヒカル、仮にも相手は魔王だぞ、そんな余裕をかましていて大丈夫なんだろうな?」

 

 ややあきれぎみに問いを投げかけるアンに、ヒカルは問題ないというように親指を立ててみせる。実際、彼には確かな勝算があった。

 

「まあ、今までの俺たちのパーティならちょっとまずかったかもね。でも今は、有能な前衛がいるんだぜ、やや後衛寄りのパーティだけど、それをカバーしてあまりあるだけの戦力を持つ、頼りになる奴が、ね。」

「ずいぶんと高く買われているな、ふふ、だが悪い気はしないぞ、調子に乗らない程度に気合いを入れて、期待に応えなければ、な。」

 

 アンの頬がやや紅潮しているように見えるのは目の錯覚だろうか。しかし、気合い十分といった彼らに対し、収まりの付かないのはコケにされた形となった魔王その人である。

 

「貴様ら、黙って聞いていればずいぶんと調子に乗っておるではないか。いいだろう、今こそ、我の姿をその目に焼き付け、恐怖するが良いわっ!!!」

 

 ムドーが気合いを込めると、人間の、魔術師マムオードの姿であったそれは、次第に黒い霧のようなものに覆われ、異形の輪郭を現していく。ほどなくしてヒカルたちの前には、太めで緑色の肉体に、頭には二本の角を生やした巨大な魔物が姿を現していた。マントこそ身につけてはいないが、それはまさしくドラクエ6作目の序盤の難敵、魔王ムドーそのものと言ってよかった。

 

「やっぱりな、まあそうくると思ったよ。さあ行くぜ、覚悟しな魔王! アン、前に出てあいつを攪乱しろ、ミミ、俺たちは後ろから援護だ、モモ、今のうちに回復薬の準備を頼む!」

 

 ヒカルの指示を受け、仲間たちはそれぞれ次の行動の予備動作に入る。ムドーの体を覆う闇が完全に消え、攻撃動作に入ろうとしたそのときには、すでにパーティの行動は開始されていた。

 

「遅い!」

「ぐはぁ!?」

 

 振り上げられた魔王の右腕は、計ったかのように飛び込んできたアンの剣により受け止められ、深々と食い込んだそれにより傷つけられる。通常、非力な人間ごときの力では、仮にも魔王であるムドーの身体に傷をつけることは叶わない。アンが現在使用している武器は、スライム島で使っていた奇跡の剣ではなく、それよりも数段劣る破邪の剣だ。この剣も特別な魔法の力が付与されており、この世界では貴重な物ではあったが、ムドーと一戦交えるには心許ないといわざるを得ない。しかしながら、モンスターでありレベルの高いアンのステータスと技量をもってすれば、その結果は見たとおりである。

 しかしムドーの方も黙ってやられている訳はなく、その剛腕で小さなアンの体を押し返し、力任せに吹き飛ばした。空中ですばやく体制を立て直したアンは、少し離れた場所に軽やかに着地する。再び攻撃を仕掛けようとした彼女は、驚愕に目を見開いた。

 

「な、何だと……? 傷が、塞がっていく?!」

「ふはははは、この程度の攻撃など、我が闇の力の前ではどうということもないわっ!」

 

 信じられないことに、先ほど深々と切り込まれたはずの腕の傷が、周囲がボコボコと泡立つと同時に、みるみるうちにふさがってゆく。その有様は驚きと同時に、強い恐怖を相手に与えるには十分であった。故に、魔王は敵がすべて、恐れおののく物と確信していた。ある意味で、それは間違ってはいない、この世界に住まう者たちからすれば、それは絶望的といっても良い力の差を見せつけるには十分すぎる行為だったからだ。

 

「自動回復、思った通りだな、……燃えよ火球、我が敵を赤き焦燥の元へ導け!」

「むっ?!」

 

 だが、ムドーはまだ、人間たちを甘く見ていた。主と共に、人間の勇者たちに敗北してもなお、人間全体は脆弱な種族だと、そう思っていたのだ。それ故に、己の能力に対して対策をとる者がいるなどとは考えない。もっとも、ヒカルの素性を知っている者など、仲間の中にもいないのだから、彼が元いた世界のゲームでムドーと対戦し、その攻略法を熟知しているなど思い至るはずがないのだが。

 

「メラミ!」

「ぐうおぁああ!! こ、こんなものっ!」

「左がお留守だぞっ!」

 

 傷が塞がりきるその前に、ヒカルの右手から放たれた火炎呪文(メラミ)の炎は、正確にムドーの右腕を捉え、治りかけのその傷口めがけて激突する。強靱な表皮は火炎呪文(メラ)系への耐性により、幾分かそのダメージを軽減したが、治りかけの傷口から侵入した熱気は魔王の肉体を侵食し、その骨の一部までをも融解させていた。左手で火炎を払おうとする魔王だったが、再び飛び込んできたスライムナイトの鋼鉄の盾が、その拳を正確に受け止め、一瞬だが動きを止める。力ずくでアンをなぎ払おうとするムドーだったが、トンという軽い感触と共に、その拳は軌道をそらされ空を切る。はっと気がついたときには、そこにはフルプレートの騎士の姿はすでに無く……。

 

「まだまだ行くぜ! 闇の雷よ、貫け! 漆黒の刃をもってかの者を打ち倒せ!」

「ぬぐぅうっ! 

「ドルクマ!!」

 

 その詠唱を耳にし、反応しようとしたときにはすでに遅い。ヒカルの左手は黒い雷をほとばしらせ、一瞬で漆黒の線状に収束したそれは、またも寸分の狂いもなく、ムドーの右腕を打ち抜いた。そして、その腕は人間でいうところの上腕の途中当たりからだらりと垂れ下がり、もはや完全に機能しなくなった。

 

「ぐううっ、我が右腕がっ?! おのれ、いい気になるなよ人間どもっ!!」

「あれは、ミミ! 相殺しろっ!!」

「はいっ! 氷の精霊よ、凍てつかせよ! 吾の行く手を阻む物を退けよ!!」

「かあぁっ!!」

「ヒャダルコ!!」

 

 ムドーの口が大きく開かれ、敵を焼き尽くす火炎の息が放たれる。しかし、まるでそれを予測していたかのように飛ばされたヒカルの師事により、ミミが突き出す両手から強力な霊気が放たれ炎を迎え撃つ。

 

「あ、暗黒のオーブよっ!」

 

 ムドーの叫びに呼応するように、戦いの勢いにあおられて床に転がり落ちていた宝珠から、なお止むこと無く立ち上っていた黒いオーラの一部がムドーに向かって流れ出す。それを受けた巨体が一瞬、ドクンと脈打つような動きを見せたかと思うと、次の瞬間、吐き出される炎の威力が急激に増加する。

 

「くっ、ううっ、だめ、押し切られるっ!」

 

 ミミの潜在魔力がいかに強力であるといっても、肉体の方は戦闘向きではない。無論、人間の女性と比較したら、エルフである彼女の方が何倍も頑丈ではあるが、魔王クラスのモンスターから見れば、レベル1の違いも、5の違いもたいした違いではない。その程度の物だ。細い脚を踏ん張り、なんとか気合いで炎を押し返そうと魔力を込めるが、肉体の方がその強大すぎる力に追いついてこない。遂に膝が折れそうになったそのとき、その小さな肉体は何者かによりしっかり抱き留められる。

 

「氷の精霊よ、汝と契約セし、選ばれし者に祝福を。」

 

 その声は、彼女の心に希望を抱かせるもの。その手のぬくもりは、絶対の安心をもたらすもの。魔法とは精神の力である。心を強くもちさえすれば、肉体の脆弱ささえも補える力になり得る。ましてや彼女はエルフ、自然界の力、精霊の祝福を受けている。そして、敬愛する彼女の主の魔法力が、その身を優しく包んでいる。今の彼女にとって、目の前の魔物が魔王だろうと有象無象の雑魚だろうと、さしたる問題ではない。

 

「氷の精霊よ、吾に力を!! ヒャダイン!!!」

「なんだとおっ!? この呪文はっ?!」

 

 ミミの両手から放たれる冷気が格段に強力なものとなり、暗黒の力によってどす黒く強力になった炎を押し返す。ムドーの巨体がじりじりと、ベッドとは反対側の壁へ押しやられ、2つの力の衝突によって生じた突風が、棚に飾られた調度品、壁に掛けられた美しい絵画を吹き飛ばし、床にたたきつける。。

 

「えいっ!!」

「う、ごわぁあっ!」

 

 気合いを込めたミミのかけ声と共に、冷気は見事に炎を押し切り、耳をつんざくような轟音と共に、ムドーは部屋の白壁に激突した。頑丈に作られているはずの壁には亀裂が入り、表層からボロボロと崩れ落ちた破片が床にまき散らされる。

 

「おのれぇっ、か弱き、人間、風情がっ!」

「それがお前の敗因だ。悪いが自動回復する程度なら、わりと簡単な対処方法があるんだよな。」

「な、何っ?!」

 

 自らの力を脅威ではないとばかりに冷静に分析する目前の人間に、ムドーは激しく動揺していた。実際の所、魔王の力もその「主」の力も、弱体化していたことは確かである。しかしそれでも、この世界の者たちに後れを取らない程度には回復させていたつもりだった。力だけに頼るのではなく、慎重に計画を立て、主の力を取り戻すべく地道な活動を続けてきたのだ。現に、この国の大臣を取り込み、裏から乗っ取り支配することで、他国と争わせ、それによって生じる負の感情エネルギーを取り込む計画は、順調に進んでいたはずだ。目の前の連中さえ邪魔をしなければ、もう少しで計画は完成するはずだったのだ。しかし、どこが間違っていたのかを考え、計画を修正するにしても、目の前の邪魔な連中を片付けなければならないことに変わりは無い。それ故にムドーは、改めて全力を持って、このパーティを叩き潰すべく行動を開始しようとした。したのだが、それはあまりにも遅い判断だった。

 

「もらったっ!!」

 

 いつの間にか再び距離を詰めていたスライムナイトの剣が、ムドーの機能しなくなった右腕を見事に切り落とした。ドスンという鈍い音と共に床面に激突したそれは、もはやピクリとも動かない。右肩から大量のどす黒い体液を垂れ流しながら、残った左手で騎士を迎撃しようとしたムドーの攻撃は、再びたやすくかわされ空振りに終わる。

 

「自動回復する暇を与えないか、回復能力以上のダメージを与え続ければいい、それだけのことさ。」

「ぐ、ぬうっ、これしきのことでっ!」

「風の精霊よ、刃となりて切り裂け! 吾に仇なすものを切り伏せよ!」

 

 ムドーは悔しげに顔をゆがめ、それでもなお、敵であるヒカルたちを排除せんと動き出す。ゲームであればいくらダメージを受けても攻撃の威力が落ちることなど無いが、現実の法則がはたらく世界ではそういうわけにはいかない。以前のきりさきピエロの時と同様、片腕を失っていればバランス感覚が狂い、思うように動くことは出来ない。今のムドーのような巨体であれば、それはなおのことである。

 

「バギマ!!」

 

 ムドーが体制を立て直す前に、先ほどの攻撃で腕が切り落とされ、中の肉がむき出しとなった傷口に、真空呪文(バギマ)が迫り来る。バランスが崩れて回避が遅くなっているところへ、高速で接近する真空の刃を、ムドーは受けることもよけることもできない。

 

「ぐぎゃあああっ!!!」

 

 おどろおどろしい、と表現することさえためらわれるような不気味な叫び声を上げ、巨大な魔物は大きくよろめいた。しかし、左腕を床につき、体勢を立て直そうとしたところへ、さらなる追撃が迫る。

 

「そこっ!!!」

 

 いつのまにか、魔王の眼前に現れたスライムナイトの剣は、その巨体を右の肩口から袈裟切りに切りつけた。再度、大きくバランスを崩した魔王の体は、今度は受け身さえ取ることができず床面に激突し、城全体を揺るがした。

 

「やった!!」

「お見事ですわ。今回も回復薬の出番はありませんでしたね。」

 

 ベッド脇で心配そうに戦況を見守っていたサーラは、その顔をぱっと輝かせた。王夫妻も安堵の表情を浮かべている。モモは用意した回復薬の小ビンを撫でながら、穏やかに笑っている。

 

「ミミ、大丈夫か?」

「う、うん大丈夫、でも、たぶんMP(マジックパワー)は使い切っちゃったかな。」

「ハハ、それは俺も同じようなもんだ。今まで連戦してきて、あれだけ呪文を撃ちまくったからな。でも、見てみろよ、効果はバッチリだ。もう、自動回復する余力も残ってないみたいだぜ。」

 

 ヒカルのいうとおり、反対側の壁に目をやれば、魔王ムドーの巨体は倒れ伏し、起き上がって攻撃してくる様子がないどころか、先ほどのように傷が再生していく様子も見られない。現実では、自動回復能力を発揮するためにはある程度の生命力が残っている必要があるということだろうか。

 

「ぐうぅ、口惜しや、せめて、せめて全盛期の半分でも魔力が回復していたなら……。だ、だが最低限の役目は果たした。貴様らなど、我が主が復活されれば、どのみち絶望に支配されるのだ。ここでこのムドーを倒したところで、貴様たちの未来は変わりはしない。」」

「さて、このまま放っておいてももう、助からないとは思うが、自動回復能力とやらがまた発動すると面倒だ。とどめはきっちりと刺させて貰うぞ。かまわないなヒカル。」

「ああ、デスタムーアのことだ、どうせそう簡単には尻尾を出さないだろうし、悔しいがそいつのいうとおり、少なくとも今の俺たちが太刀打ちできる相手じゃない。」

「!? な、なぜ、我が主の御名までも……!」

 

 驚きに目を見開くムドーをよそに、スライムナイトはゆっくりと剣をかまえ、倒れ伏す魔王へその顔を向ける。フルフェイスで覆われているその視線がどこに向いているか、周囲の物は知ることはできない。

 

「急所は、そこか。」

 

 やがて、破邪の剣が持ち上げられ、大上段に構えられたそれは、正しく彼女が見極めた魔王の急所へと振り下ろされた。それは寸分の狂いもなく、とどめの一撃として放たれたはずだった。

 

「かああっ!」

 

 しかし、剣が振り下ろされたその瞬間、アンをじっと見据えていたムドーの瞳が怪しく光り輝き、次いで白いもやのようなものが彼女と、相棒たるスライムの身体を覆い尽くした。それは白いガスのような、何かの粉のような、形容しがたいものであった。

 

「アン!! 何だあれは?!!」

「……いけない、あれは、呪いの光……!」

 

 突然のことにうろたえ叫び声を上げるヒカル、同じく驚愕の声を上げた王妃は、しかし次の瞬間にははっとしたような表情を浮かべ、ベッドから身を起こした姿勢のまま固まってしまう。そうこうしている間に白いもやは晴れ、そこには銀色に輝く一振りの剣を振り下ろす、アンの姿が……。

 見事な石の彫像と化したスライムナイトの姿があった。

 

to be continued




※解説
ドルクマ:黒い雷を敵1体にぶつけるドルマ系の中級呪文。ただしゲームでは威力が微妙であり、ステータスが成長すれば強力になる物のその頃には上級呪文を習得しているため使いどころがない。本作では使い手がほとんどいない希少呪文として活躍して貰った。
魔王ムドー:デスタムーアと共に、勇者に敗れた後にこの世界へ飛ばされた設定になっています。したがって、全盛期のような力は無く、第二形態になることはできません。特殊能力もかなり制限されています。しかし、相手を石化させ、肉体と魂を分離する能力は残っていたため、最後にそれを発動しました。
破邪の剣:Ⅳから登場。はがねの剣の次あたりに手にすることになるだろうか。そこそこの攻撃力を持ち、使用するとギラの効果があり、呪文の使えない戦士にとっては、初期のシリーズでは割と重宝した。最近のナンバリングでは複数攻撃できる武器や特技が増えたため、さほどありがたいものでもなくなった。

……アンちゃん強いから、魔王をサクッと倒しちゃうと思った方がいらっしゃるかも知れませんね。残念ですが腐っても魔王……というところでしょうか。
それにしても、いろいろと察しの良い王妃様有能すぎる。
魔王がほぼ倒されたとはいえ、唯一のアタッカーが呪いで石になってしまいました。しかも、ドラクエのゲームでは元に戻す方法は限られています。どうするヒカル?!

次回もドラクエするぜ!


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第19話 もうひとつの、プロローグ

3話同時執筆していた2話目です。これは、本来は外伝にして本編終了後に投下しようとしていた、アン側のプロローグを含んでいます。やはり、勇者の冒険の始まりを、これを読んでいる皆さんだけには知っておいて頂きたく、第19話として本編に組み込む運びとなりました。
今まで言及してきませんでしたが、このお話のテーマは「強い思いが変える運命」です。大切なのは、理不尽にあらがう強い意志、誰かを守りたい、誰かと一緒にいたいという強い思い、それらが合わさるとき、きっと、邪悪なる者たちが信じる力とは違う、本当の「力」を手にすることができるでしょう……!

※2017/4/14 ソフィア様、誤字報告ありがとうございました、修正しました


 激しい戦闘によってすっかり荒れ果ててしまった王夫妻の寝室にあって、それはあまりにも異質な存在だった。銀色に輝く剣を構え、今にも動き出しそうな全身鎧(フルプレート)の騎士の石像が、力を使い果たし身動きの取れなくなった巨大な魔物の傍らに佇んでいた。騎士が騎乗しているスライムもまた、美しく丸みを帯びた石に変わっている。それを見届けると、息も絶え絶えの魔物、魔王ムドーは誰に語るでもなく、荒い息を吐きながらつぶやいた。

 

「こ、これで良い、スライムナイトよ、貴様を葬るだけの力は無いが、永遠に覚めぬ石化の呪いをかけてやったぞ……。ぐうっ!! がはっ!! た、魂を別次元に送る力さえ、今のこのムドーにはないというのか……! はあ、はあ、この場の全員を始末できぬのは無念だ……、こやつだけでも封じられたのが不幸中の幸いか……。申し訳ありません、我が主よ……!!」

「野郎! アンに何をしやがった!?」

「グハハハハ……がっ、うぐっ、せっかくだから教えてやろう。まあ、……大まかには今話したとおりだがな……。せ、石像となって永遠の時を苦痛と共に過ごすが良いわっ! がふっ!」

 

 それはあまりにも、絶望的な通告だった。石化はゲームでは「状態異常」ではない。したがって解除する手段が非常に限られてくる。そもそも、この世界に解除方法が存在するかどうかさえ不明なのだ。呆然とするヒカルたち。その様子を眺め、魔王ムドーは体中から黒い体液を垂れ流し、同じ物を口から吐き出しながら、満足げに笑みを浮かべるのだった。

 

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 これから語られるのは、誰も知ることのない物語である。後に、竜伝説に記される伝説の勇者と並び立ち、世界の危機を救ったもう1人の「勇者」であるとまで称された1人の戦士の「知られざる物語」。このお話は、どうかこの「もうひとつの伝説」がすべて終わるまで、之を読んだあなたの心の中にだけ、そっと、しまっておいていただきたい。

 

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 彼女は、裕福な家に生まれたことを除けば、何の変哲も無い、年相応の女性であると言って差し支えなかった。ただ、彼女の父親は世界でも有数の富豪であったため、その生活水準は一般人とはかけ離れた物であったのは間違いない。それでも、アンジェリカが男女や貧富を問わず、多くの友人知人に囲まれていたのは、彼女が親しみやすく優しい性格だったからだと言って良いだろう。

 

「アンジェリカ、早くしないと遅れるわよ。」

「いっけない、もうこんな時間、それじゃあママ、行ってきます!」

 

 女性、アンジェリカは小走りで階段を駆け下り、少々慌てた様子ながら玄関で手早く靴を履くと、振り返って母親に軽くキスをし、それから勢いよくドアを開けて駆け出していった。

 

「まったくせわしない、あれじゃあいつになったら一人前のレディになることやら。」

 

 母親は困ったような笑みを浮かべ、しばらく娘の走り去った後を見つめていたが、ふと思い出したように廊下の壁掛け時計に目をやり、それから開いたままの玄関のドアを閉めると、そろそろ洗い終わる洗濯物を片付けるため、洗濯室の方へと足早に歩いて行った。

 

***

 

 朝の通勤・通学時間帯のメインストリートを、長く美しい金髪を風にたなびかせながら、独りのうら若い女性が駅へ向けて走り抜けていた。一目見て日本人ではないとわかるその容姿は道行く人々の足を止めさせ、同性でさえも思わず振り向いてしまうほど注目の的だった。そんな視線には全く築かず、アンジェリカは長い髪の毛が顔にかかってくるたびに、やや煩わしそうにそれを手で払いのけながら、ひたすらに駅への道を直進していた。

 まもなく20歳になる彼女は、その金髪や青い瞳が示すように、日本人ではない。彼女の父親は元々、アメリカで小さな旅行代理店を営む個人事業主だったが、ふとしたことからゲーム開発に手を広げ、それが講じてゲーム会社を設立して現在の地位の基盤を築いた。元々日本のアニメなどに強い興味を示していた彼は、自らの会社が自国で十分に成長を遂げたところで、あろうことかその会社の経営を知人に任せ、新たな事業を始めるために日本へとやって来たのだった。

 結果として、日本人の仲間たちと少数で立ち上げられた小さな会社は、最初は動画投稿サイトを運営するだけの零細企業に過ぎなかったが、時代の波に乗り、人気コンテンツの配信や登録者によるネット生放送番組の放映など、テレビやラジオに取って代わる新しいメディアとして急激に成長し、アンジェリカの父の名声は日本においても隅々まで轟くようになったのである。

 アンジェリカも、13歳になる年に母に連れられて来日し、それからずっと日本で生活をしている。父親の影響からか、日本のアニメやゲーム、特撮などをこよなく愛するいわゆる「オタク女子」になってしまっており、容姿端麗であるにもかかわらず恋人の1人もいないというのが、彼女の母親のもっぱらの悩みであった。もっとも彼女の方は、得意分野であるコンピュータ関係のスキルを活かして、IT企業でシステムエンジニアとして勤務しており、余暇は好きなアニメを見るなどしてすごしていたから、仕事もプライベートも共に充実しており、母親のそんな懸念など気にもとめていなかった。

 そうこうしている間に目的地にたどり着くと、アンジェリカはいつもの改札口を踊るように通過し、ホームへの階段を一段飛ばしで駆け上がる。快速電車の閉じかけのドアにギリギリで滑り込み、彼女の1日が今日も始まるのである。

 

***

 

 その日は、どうも気分が優れなかった。特に理由などは思い当たらなかったが、近頃、たまにそういうことがある。アンジェリカは退勤時間を告げるチャイムが鳴ると、そそくさと帰り支度を整え、自宅への帰路についた。

 秋から冬にさしかかるこの季節は、夕方から夜に駆けて急激に気温が低下する。秋用の少し薄手のコートでは、身震いしてしまうこともある。震える足を叱咤しながら、風でも引いてしまったかと内心ため息をつき、今日はもう早く休もうと、アンジェリカはさらに駅への道を急ぎ足で進んでゆく。構内にさえ入ってしまえば、そこそこ空調が仕事をしてくれているので、外にいるときほどの寒さは感じないだろう。いつもの通り、地下通路へ向かうため駅の3番出口の階段を降りようと、コンビニの前の路地を右折する。しかし、路地に入っていつも通り階段までまっすぐに向かおうとした彼女は、雑居ビルと雑居ビルの間の狭い空間にぽつんと、薄汚いテントを発見した。看板にはあまり美しいとはいえない黒文字で、店の名前と占い1回100円と書かれていた。「100」と「円」の文字の間に、なぜかアルファベットの「G」が挟まれる形で存在しており、上から「×」印で消されている。上に書かれた店名と併せて、何かのジョークだろうか? とにかく、理由はよく分からないが占いの店であろうそのテントに興味を持ったアンジェリカは、ゆっくりとその中へと足を踏み入れた。

 

「ようこそ、占いの館へ。お待ちしておりました。」

 

 テントの中は薄明かりしかなく、布をかけたテーブルに水晶玉が置かれている。それを前にして、フードを被った人物がこちらを向いて座っている。顔はよく分からないが、声からして女性のようだ。初対面にもかかわらず心にすっと入ってくるようなその声音は、アンジェリカを多少、緊張させる物であった。

 

「そんなに警戒しないで頂けると嬉しいのですが……。私の占いはあなたに害を与えるようなことはありません。」

 

 そう言われても、今まで富豪である父の莫大な財産をかすめ取ろうとやってくる、その手の怪しい人物は何人も見てきた。詐欺師の類いが自分は危険DEATHなどと口走るわけがなく、人当たりの良い態度や、先ほどのような自然と他人の心に入り込んでくる技術を駆使して、あの手この手で他人を陥れるのだ。だから、目の前の占い師を怪しむのは、アンジェリカにとっては当然のことだった。

 

「大丈夫です、私はここで、星の導きを皆さんにお伝えするだけです。道具はこのタロット以外には使いませんし、何かを追加でお売りしたり、あなたの身元を特定するようなことも一切しません。あ、それと占い量は10ゴ……いえ100円です。税込み価格ですので追加で料金を頂くことはありません。

 

「100円? 安すぎないそれ?そんなんじゃ暮らしていけないでしょう?」

「いえいえ、1日で結構なお客さんが来てくれますので……。物は試しですから、1度、占っていってください。」

 

 女性はおだやかな口調を崩さず、テーブルを挟んだ向かい合わせの椅子にアンジェリカを誘導する。気がつけば、いつの間にか水晶玉を間に挟む形で、二人の女性は向かい合っていた。アンジェリカが何か言葉を発する前に、占い師の女性は自分と水晶玉との間にタロットカードを広げはじめた。それは銀色に光る珍しいもので、なんだかよく分からないが細かなデザイン画のような物が微細な線で書き込まれている。カードが1枚めくられるたび、場の雰囲気が変わり、何者も立ち入れないような清浄な空気が立ちこめていく。それは何ら特殊な感覚を持たないアンジェリカにも、はっきりと分かるほど異質な物だった。故に、彼女は黙って聞く姿勢に入る。理由は分からないが、ここで自分が何か言葉を発するのは、ひどく場違いな気がしたからだ。

 

「……近いうちに、あなたは今までに無い過酷な選択を迫られることになるでしょう。そして、選択如何によっては、大きなものを失うことになります。」

 

 告げられた内容は抽象的な言葉を使ってはいるが、あまり良い内容とは言えない物だった。こういった不安をあおる方法で金を巻き上げるような輩を、アンジェリカは腐るほど見てきた。しかし、目の前の彼女からは悪意のような物は感じられない。その言葉は朗々と紡がれ、一言一言にはどこか近寄りがたい神秘的なものさえ感じられるほどだ。だから彼女は、次の占い師の言葉を、ただ黙って待っていた。

 

「ですが、どんなときにも希望を失ってはいけません。あなたの周りに、いくつもの光が見えます。今はまだ小さな光ですが、やがて大きくなり、一つとなって世界を……いえあなた自身を救う力になるでしょう。出会った人たちと交わした言葉が、築き上げた絆が、あなたとあなたの大切な人たちを、きっと守ってくれることでしょう。」

 

 その言葉が終わると同時に、占い師はふうと息を吐き、同時に周囲の清浄な空気は霧散し、その空間は元の粗末なテントの中に戻っていた。

 

「ずいぶんと抽象的だけど、なんかあまり良い内容じゃないみたい。意味の分からないところもあったし。」

「そうですね、ですがあなたの心には届いたはずです。私は星の導きを伝えるだけの者、その先の運命がどうなるのか、私にはわかりません。占い師は予言者ではないのですから。」

 

 悪い運命を提示して、金をだまし取るよくある手口かと思ったが、そんな訳でもないらしい。アンジェリカの少し険のある言葉にも、占い師は何でも無いように穏やかな口調を崩さずに答えた。このご時世では珍しいことだが、どうやら本当に、彼女は純粋に占いの結果を伝えているだけであるらしい。そういえば、駅前によく当たる占いの館があると、同僚の誰かが話していた気がするが、ひょっとするとここがそうなのだろうか?

 

「もう少し分かりやすい話もしておきましょうか。ええと、近い未来に、あなたにとっての運命の男性が現れます。……ですが、その方に思いを寄せる女性が多く、ゲットするには多少、積極的なアタックが必要でしょう。」

「はぁ?」

 

 思わず、間抜けな声が口から漏れてしまう。先ほどの言葉とは打って変わった俗っぽい表現に、アンジェリカはなんと帰したら良いか分からない。そんなアンジェリカをよそに、占い師は大きめのレジ袋に入った何かを差し出してきた。

 

「何? これ。」

「ラッキーアイテムです、差し上げますのでどうぞお持ち帰りください。」

「はい? ええと、結構大きいね。中身を確かめてみても?」

「ええ、もちろんです。どうぞ開けてみてください。」

 

 言われるまま、アンジェリカはレジ袋の中から中身を取りだした。そのときに袋にプリントされている店名のロゴマークが、彼女の視界に入ってきた。そこには「TATSUYA(たつや) 神戸駅前通り店」と書かれていた。

 

「DVD-BOX? けっこう重たいな……?! こ、これはっ……!」

「お気に召しましたか?」

「いや、これ、欲しかったけどもう売ってないから、オークションか中古品でも探そうと思っていたんだけど……って新品?!」

「はい、そちらは未開封の品になります。落とさないように気をつけてお持ち帰りくださいね。」

 

 アンジェリカはあんぐりと口を開けて固まってしまった。確かこの、国民的ゲームを題材にしたアニメのBOXは限定生産で、かなり昔に発売されたと記憶している。現在では中古品ですら入手困難となっている。それが新品ときたら、いったいどこで手に入れたものなのか……。

 

「いや、いやいや! こんなの買うお金、今持ち合わせてないからね?! 新品なんてそれこそ、数十万円するって聞いたし、いやそりゃ、私だって欲しいと思ってるけど?!」

「あら、私は差し上げますと申し上げたと思いますけれど……。あ、占いのお題でしたら100円です。」

「いや、あの、意味分からないからね?! それってDVDが100円っていうことなんだよ? 何言ってるかわかってるのあなた?!」

 

 アンジェリカの反応に、占い師はちょっと困ったように考えるようなしぐさをした。そして、手をぽんとたたいて、こんなことを言い出した。

 

「ええと、それではこういうのはどうでしょう? あなたがこの占いの館にいらっしゃった50人目のお客様です。そちらのDVDは記念品として差し上げますので、お持ち帰りください。」

「は、はあ……。……これ、どう考えてもコピー品じゃないよね。はっ、まさか盗品?! って、あれ、こんなところにレシートが……TATSUYAのレシート、あそこでこれ、売ってたんだ? ええと、あれ……?」

 

 レシートの「合計金額」の右横に視線を移そうとしたアンジェリカは、急にふらついて倒れそうになり、あわてて踏ん張って体勢を立て直した。しかし、やはり体調不良がたたったのか、意識は急速に落ちていく。こんなところで倒れたら迷惑がかかると、必死に意識を保とうとしたが……無理だった。彼女は、自分がその場に倒れたのかどうかすら知ることなく、その意識を手放した。

 

「ごめんなさい、細かいところを追求されるわけにはいきませんので、ごく軽くラリホーをかけさせて貰いました。けれど、これで道は開かれました。どうかお幸せに、アンさん。」

 

 どこかで、何かを後悔するような、それでいて自分を励ましてくれるような女性の声を、アンジェリカは聞いたような気がした。

 次に彼女が気がついたとき、そこは先ほどまでの場所ではなかった。濃紺色の制服に同色の帽子を被った中年の男性が、彼女を揺さぶっていた。

 

「お客さん、お客さん、ちょっと起きてください、もう終点ですよ。」

「ううん……、はっ! あれ? ここは……。」

「ああ良かった。何度呼んでも起きないんですから、困りますよ、電車の中でそんなに熟睡されちゃあ。ほら降りた降りた。」

 

 訳も分からないまま客車から追い出されるように降車し、辺りを見渡してみるといつもの最寄り駅ではない。どうやら眠って乗り過ごしてしまったらしい。彼女は眠い目をこすり、未だぼんやりする頭を無理矢理働かせ、その後なんとか自宅へ帰り着いたのだった。

 

***

 

 真っ暗な、何もない空間の中、1人の女性が、緑色のスライムを胸に抱き、呆然と立ち尽くしていた。先ほど、とどめを刺そうと魔王に斬りかかったまではよかったが、その後何かをされたらしく、気づけば何かうっすらと見覚えのある風景が、目前にスクリーン投影されたかのようにぼんやりと浮かんでいた。それが、自分が失った記憶だと、アンが気づくのにさほどの時間はかからなかった。幼い頃、母がいつも、末っ子で甘えん坊な彼女を優しく抱きしめてくれたこと、父にせがんで、たくさんの日本のアニメを見せて貰ったこと、兄や姉たちにゲームで遊んで貰ったこと……。そんな始まりの頃の記憶から、13歳の頃に日本に引っ越してきて、日本人のたくさんいる中学に入学して戸惑ったこと、父の友人だという青年が、文化の違いに悩む自分をいつも助けてくれたこと、気がつけば、たくさんの大切な人たちに囲まれて、笑顔に包まれていた、幸せな、大切な記憶……。幸か不幸か、ムドーの呪いにより石化させられたことで、アンはアンジェリカとしての記憶をすべて、取り戻していた。

 

「ど、どうしよう、真っ暗で何も見えない、さっきの私の記憶の再生? みたいなのも、終わっちゃったみたいだし……。ねえアーサー、どうしたら良いと思う?」

「ピキー。」

「??? え? 何? 何言ってるのか分からないよ? ちゃんと答えてよ。」

「ピ、ピキキーッ!!」

「うそ……アーサーの言ってることが、全然わからない……?! ど、どうしよう、どうしようどうしよう?!」

 

 誰もいない空間に閉じ込められ、相棒のスライムとは会話ができない。すべての記憶を取り戻したことで、何の変哲も無い19歳のアンジェリカに戻ってしまった彼女に、事態を切り抜ける策など浮かんでくるはずがなかった。

 

「はっ、そうだ、ヒカル、ヒカルと連絡が取れれば、なんとかなるかもしれない、あ~、でも、いったいどうしたら???」

 

 どこを見渡してみても、何もない真っ暗な空間である。真っ暗といっても、何故かアンジェリカ自身と、スライムのアーサーの姿ははっきりと見えているから、ここはおそらく現実の世界ではないのだろう。しかし、混乱する彼女は事態を冷静に分析することなどできない。しばらく辺りをうろついたり、ヒカルの名前を叫んでみたりしたが、その程度で状況が変化するわけもなく、やがて彼女はその場に座り込んでしまった。

 

「ピ、ピキー!!」

「心配してくれてるの? ありがとう。 ……そうだ、そういえば、あのときも、こうやって途方に暮れていたっけ……。」

 

 アンはアーサーをぎゅっと抱きしめ、ぼんやりと、漆黒の空間を見つめる。そうすると、先ほどと同じように、何かが空中に映し出された。それは次第にはっきりとした映像となって彼女の目に飛び込んでくる。真っ青な空と海、その中間にぽっかりと浮かぶ小さな島が見える。まるでどこかの映像作品のようにズームインされてゆく景色は、やがてその中心に小さな人影を映し出した。

 

***

 

 ゾイック大陸の南に浮かぶ島、小さく弱き者たちが住まうスライム島に、アンと呼ばれるその人間がやってきたとき、最初に彼女を発見したのは小さなスライムだった。小さな彼らは人間を怖がっているところもあったが、知らない場所に迷い込み、途方に暮れて森の入り口でへたり込んでいた彼女を見捨てておけず、結局助けることになるのである。

 モンスターたちから見て、アンは少し変わった女性だった。スライムやドラキーといったモンスターの種族は知っているのに、この世界の地理などについて全く知らなかった。発見されたときの服装も粗末な布の服だけで、難破した船などから流れ着いた割にはどこも濡れたり汚れたりして折らず、不可解な点が多かった。この島で一番の知恵者であるドルイドは、彼女がどこか「別の世界」から来たのではないかと推測を立てていたが、彼女が自分のことをあまり語らないせいもあって、結局の所真実はわからなかった。それでも、明るく優しいアンは島のモンスターたちに徐々に受け入れられ、彼女たちは世界から隠れ潜むようにひっそりと、しかしそれなりに幸せな日々を過ごしていた。アンは自分の素性を周囲の物に話すことはなかった。同じ世界にいても、国が違うだけで意見や価値観のずれが生じて、うまくいかないことが多い。ましてやここは異世界、相手はモンスターである。真実を話した場合に返ってくる反応が予測できない。そういったことを考えて、彼女は周囲の者が自分を呼ぶときに使う「アン」という通称のみを名乗り、どこか遠いところから飛ばされてきたことのみを説明した。その方が問題がないだろうと判断したためだ。

 実際は、アンの素性をこの島の者たちが知ったところで、何か問題が起こるのかといえば、まず起こらないだろう。それどころか、彼らは彼女を元の世界に帰すために、喜んで協力してくれただろう。そんなことは彼女、アンが一番分かっていたはずである。彼女はその快活な外面とは裏腹に、心の内では他者と違うことで忌避されるのを恐れていた。そんな臆病な自分を隠すため、明るく親しみやすい人物の演技をしているというのが本当のところなのだが、彼女の元いた世界でも、臆病で繊細、甘えん坊で泣き虫な素の彼女を知るものは非常に限られていた。

 アンがこの世界とアニメの世界の類似性を見いだしたのは、ドランの都へ買い物に出かけていたキメラのメッキーが帰ってきたときに、島の外の話を偶然聞いたときだった。メッキーは島の外のことをそれほど多く知っているわけではなかったが、彼の話すドランの都の情報から、彼女は今いる世界がこの島に来る前に見ていたアニメ「ドラゴンクエスト」とよく似た世界であることに気がついた。しかし、俗にいう「異世界転移」など本当にあり得るのだろうかと、彼女は考え、いろいろな推論を立ててみるが、結局の所それらは実証のしようがなく、現在自分が置かれている状況を正確に知ることはできなかった。彼女に分かっているのは、ドラゴンクエストのゲームでおなじみのモンスターたちが動き、意思表示をしてくるという事実だけであった。だから彼女は、この島でモンスターたちと戯れながら、元の世界に、DVDを再生していた自分の部屋に戻る方法をゆっくりとあせらずに探すつもりでいたのである。しかし、そんな穏やかな日々は、長くは続かなかった。やがて島に凶悪なモンスター、魔王の配下であるという「魔物」が侵入してくるようになった。初めは数えるほどしかいなかった魔物たちは、次第にその数を増し、とうとう城の兵士であるさまよう鎧だけでは対処が難しくなってきた。この世界において、魔王、バラモスが送り出してくる魔物、宝石モンスターの力は、低レベルであっても非力な人間や弱いモンスターを簡単に殺しうる、非常に危険な存在だったのだ。

 この島の住人たちはいずれも、ゲームでいえばレベル一桁台で遭遇するような弱いモンスターばかりで、バラモスの手下を相手にまともに戦える者などほとんどいなかった。また当然、アメリカ生まれだが平和な日本で生活し、命のやりとりとは無縁であったアンも、戦うすべなどは持ち合わせていなかった。ヒカルがザナックと出会い、彼に師事し魔法の力を手に入れたのは、まったく幸運なことだったのである。

 

***

 

 目の前で再生されていく、自分がスライム島にたどり着いてからの日々の映像を眺めながら、アンジェリカは自分の心の中が、言い知れぬ恐怖でいっぱいになっていくのを感じていた。彼女は自分が今の姿、スライムナイトになる決意をするまでの苦悩を思い出してしまったのだ。同時に島のモンスターたちと過ごした暖かな時間が脳裏によみがえり、全く生理のつかない、ごちゃごちゃとした感情が心の中をうねるように這い回っているのを感じていた。

 今からそう遠くはない過去、小さなスライムやドラキーの子供を抱きしめながら、一緒に震えていたこと、もたついて転びそうになりながら、つちわらしたちと逃げ回ったこと、いっかくウサギたちの巣穴で、身を寄せ合って夜を明かしたこと……。彼女は怖かった。それでも、寄り添う彼らの、人間とは違うけれども、それ以上に暖かい命の鼓動を確かに感じたから、彼らと過ごす日々は彼女にとって、かけがえのないものになっていった。だからこそ恐怖に震えながら、皆のために何かしたいと、彼女はそう思うようになっていったのだ。

 島を守る方法を探して、ドルイドのルイドと徹夜で城内の蔵書をあさり、見つけ出した1つの古文書には、大きな力を手に入れるための「転生」という儀式の詳細が記されていた。それによって手に入る力はすさまじく、スライム島を襲撃しているモンスターを簡単に退けることができると、アンは確信した。ルイドはその考えにやや懐疑的だったが、アンには確証に至るだけの根拠があったのだ。古文書の内容を要約すると以下のようになる。

 

【この儀式によって転生を果たすことができたならば、身体能力に恵まれれば一流の戦士をも凌駕し、あらゆる武器を使いこなせる。もし、魔法力に恵まれたのであれば現在この世界に存在が知られている呪文の中でも、最高と目される力を振るうことができるだろう。儀式により転生した者は、たとえ生まれたてであろうとも、魔王の右腕とされるような強大な魔物にも遅れは取らない。ただし、いかなる姿に転生するか、それはわからない。また、たとえ転生に成功したとしても、その代償として自分の大切な物を、何か1つ失うだろう。】

 

 元々ドラゴンクエストのナンバリングタイトルをほぼすべてプレイしてきたアンは、古文書の内容から転生後に手に入る力が、少なく見積もってもレベル20以上は軽くあると踏んでいた。ゲームで中ボスクラスと対等に渡り合うならば、その程度は必要になるからだ。しかし、冷静に分析している頭脳とは裏腹に、最後の一文が心に引っかかっていた。儀式の代償として「失うもの」とは何であるのか、彼女は言い知れない不安を覚えた。だが、時間は待ってはくれない。侵略者たちに対する対策を何一つ満足に打てないまま、時間だけが無慈悲に過ぎ去っていった。

 

「そうだ……、私は……怖かったんだ。でも、みんなと一緒にいたくて、今の時間を壊されるのがたまらなく嫌で、だから私は恐怖を押しのけて、あの儀式を……!」

「 ピキーッ?」

「アーサー、キングスはそれが分かっていたから、私を止めたんだ。いつか、私の心に限界が来たとき、心が折れてしまうかもしれないって思ったから。いつもそうなんだ、私は、何か1つのことだけを考えることで、ほかの嫌なことを押さえ込んでしまうんだ。だから、あのときだって、私は自分の恐怖や、不安を押さえ込むために、みんなのためって建前を作って、キングスが止めてくれるのも聞かないで、1人で突っ走って……。」

 

 アンジェリカの瞳から大粒の涙がこぼれ、彼女の頬をぬらしていく。それを拭うこともせずに、彼女は虚空に向かって自分の不安を、迷いを、恐怖を吐露していた。それは、ヒカルが彼女に漠然と感じていた危うさそのもので、まっすぐすぎるが故の心の弱さ。もし、彼女が記憶を失わないまま力を得ていたのならば、あまりに大きすぎる力に押しつぶされ、たやすく心が折れてしまっただろう。ヒカルが炎の戦士と戦い追い詰められたとき、エルフ姉妹を守るために力を振るえたのは、ひとえに彼の並外れた精神力のたまものである。それを持っているという時点で、彼は特別な存在だったのだ。通常の人間であれば、命のやりとりを常にしなければならない状況下にあって、平常心を保ってなどいられない。それはこの世界に住まう者であっても基本的に同じなのだ。なんの力も持たないレベル1の一般人が死と隣り合わせの恐怖に立ち向かえるかと言われたら、答えは否である。アンジェリカの精神は、今まさに孤独と不安で押しつぶされそうになっていた。

 

『アン、しっかりしろ! 死んだわけじゃないんだろ?!』

「え?」

「ピキ?」

「アーサー、今の声……!!」

『目を覚ましてくれ、アン!! お前はこんなことに負ける奴じゃないはずだろ?! 戻ってこい!!!』

 

 一瞬、幻聴かとも思った。しかし、反応からしてどうやらアーサーにも聞こえているらしいその声は、彼女がこの世界で、そう、スライムナイトのアンになってから、出会った不思議な男性で……。

 

「ヒカ……ル?」

 

 その名前を呼ぶと、どうしてだろう、心の中が少しずつだが穏やかになっていくのを感じる。その声で、何度救われただろう。強さと引き換えに、空っぽになってしまった心を何度、満たしてくれただろうか。彼の部屋に行って、他愛のない話をするようになった。部屋から出て別れるのが、次の朝になればまた会えるって、分かっているはずなのに寂しくて……。出会ってからの時間はまだ、ごく短いはずなのに、前から傍にいてくれたような錯覚さえ覚える。それはどうしてだろう。

 

「ヒカル!! ここだよ! 私は……、私はここにいる!!!」

 

 気がつけば、彼女は声を限りに叫んでいた。帰りたい、彼の元へ、この感情がなんなのか、アンジェリカにはわからない。けれど、帰りたい。彼女を呼ぶ優しい、声のするところへ。彼と、彼と自分の、大切な仲間たちのいる、その場所へ……!

 

「つっ……! これは……?!、」

 

 そのとき、暗闇の中に再びぼんやりと何かが映し出された。アンジェリカはその中に、確かに見たのだ。石像となってしまったスライムナイトに、必死に呼びかける男の姿を。背の高いエルフと背の低いエルフ、幼子が同じように声を張り上げているのを。そして、倒れ服しながらも彼らをあざ笑っているのだろう、醜くゆがんだ笑みを浮かべる魔物の姿を。彼女は行かなければならない。それが氏名だから? 勇者としての? 騎士としての? いや、違う、そうじゃないだろう。

 

「……まだ迷いは消えないか? アン。」

「!! アーサー、どうして……!」

「私はずっとここから君に呼びかけていたぞ。どうやら、まだ運命は潰えてはいない。道は開かれた。……行くのだろう? 彼が、皆が待っている。」

「うん、私、行くよ!」

 

 帰るんだ、みんなの所へ、この世界に来てから、大好きになった、彼の所へ! その思いが一段と膨れ上がり、アンジェリカが虚空に浮かぶ自分の石像に視点をあわせたとき、。

 彼女の世界は、真っ白な光に塗りつぶされた。

 

-----

 それは、後の伝説には書き記されない1ページ、しかし、彼女にとって大切な心の欠片。なぜなら、人は悲しみや苦しみなくしては、決して本当の強さを手に入れることはできないからだ。彼女が気づいた大切な思いが、再び記憶の奥底に埋もれ、日常から忘れ去られるのだとしても、それは決して消えてしまうことはない。なぜなら、それは……。

-----

 

 もはや物言わぬ石の像と化したそれに向かって叫び続ける者たちを、魔王ははじめ、嘲笑と侮蔑を込めた笑みを浮かべながら眺めていた。もはや己の身は不完全な自動回復では修復できないほどのダメージを負っている。攻撃のための力も、先ほど石化の呪いをかけたことで、すべて使い果たしてしまった。まもなくこの肉体は塵と化し、滅びるだろう。しかし、これだけの絶望を与えられたのならば、悪くはない、屈辱だが、決して悪くはない、魔王はそう思うことにした。しかし、だ。おかしい。先ほどから暗黒の宝珠の力が弱まっており、この部屋に漂っていた負の感情が薄れてゆくのを感じる。

 

「……! 聞こえた! アン、生きているんだな?! 俺たちはここだ! 戻ってこい!!」

 

 人間の男が声をからしながら、なお叫ぶその姿は、端から見ればこっけいで、無様で……。それなのに何故か、その姿は魔王をいらだたせ、焦燥させ、そして、恐怖させる。2人のエルフと、1人の幼子も、彼に引っ張られるように、ピクリとも動かないスライムナイトの像に向かって叫ぶ。

 

「グハッハハハ、愚か者め、そんな呼びかけで、何が変わるものか、何も、何も変わりはしないっ!!」

 

 魔王は笑う、呼びかけただけで呪いが解けるなら、苦労はしない、と。しかし息も絶え絶えなその姿は、どこか、頼りなく、先ほどまで、敗北したとは言え放っていた威圧感のようなものは、すでになく……。

 

「いいえ、道は開かれました。魔王よ、おまえの企みは今、ここに潰えるのです。」

「じゅ、ジュリエッタ?!」

「おかあ、さま?」

 

 皆が振り返ると、いつの間にかベッドの脇に左手の杖を支えにして立つ王妃の姿があった。長い間夢の世界に幽閉されたことで、その体は衰弱して痩せ細り、顔には精気がなく蒼白だ。にもかかわらず、りんと透き通ったその声は、とても弱り切っている人間のものとは思えず、魔王でさえも、その姿に釘付けになってしまう。

 

「サーラ、その杖をこちらへ。」

「は、はい。」

 

 サーラは訳が分からないという顔をしながら、母の言葉に従い、ベッド脇に立てかけてあった杖……、母の持っている、魔道士の杖と全く同じものを取り、しかしその後どうすればよいのかわからずに、母親の前で立ち尽くしてしまう。そんな娘の様子に、ジュリエッタは柔らかな微笑みを浮かべ、1歩歩み寄る。杖を支えにしているとは言え、意外にもしっかりとしたその1歩は、周囲を驚かせるのには十分であった。

 

「現実と夢の世界に分かたれし杖よ、今こそ1つとなりて、邪なる呪いを打ち払う力とならん。」

 

 その言葉が終わると同時、サーラの両手に握られていた杖が光り輝き、ジュリエッタの左手に握られた、同じ外見をしたもうひとつの魔道士の杖に吸い込まれていく。そして、一層強い光が放たれ、全員が気づいたとき……。

 そこには、今まで見たこともないような神々しい光を放つ、一本の杖を携えた、王妃ジュリエッタの姿があった。

 

to be continued




※解説
占い師と占いの館:はい、プロローグのアレと同じです。占い師も同じ人です。彼女は同じ場所で占いをしながら、ある人を待っていました。プロローグではその役目が果たされたため、店舗もろとも元の世界へ帰還しています。彼女の発言から察しが付いた方もいるかと思いますが、アンジェリカが転移したのはおそらく、ヒカルより前になります。文中ではサクッと流していますが、彼女がスライム島で過ごした期間は、それなりに長いということになります。
転生の儀式:別種族に生まれ変わることができるという儀式です。失う大切な何かは、人によって違いますが、それを持っているために強大な力が逆にデメリットになるようなものが失う対象になります。アンの場合は、アンジェリカとしての記憶を持ったままだと、強大すぎる力に心が負けてしまうため、それを回避するために記憶喪失になっています。
ムドーの呪い:ゲームでは肉体と精神を分かち、肉体は石となり、精神は夢の世界へ飛ばされました。肉体の方が意思を持って活動していたⅥ主人公は例外らしいです。このお話では、不十分な力のためゲームのようなことにはなりませんでしたが、肉体は石化し、精神はどこかに幽閉されたようです。

さあ、王妃様はいったい何の杖を……って、杖って時点でバレバレな気もしますけど。
それはそうと、無理して大丈夫なんでしょうか……? なんか無茶な魔法を行使してかなり衰弱してるらしいことを、前話でヒカル君が言っていたような気がしますが……?
アンの運命は?! 次回もドラクエするぜ!!


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第20話 永遠の別れ、届かない手

同時執筆していた最後のお話です。
ヒカル君がこれから活動していくための基盤を作るために、これまで長い話を書き続けてきました。
冗長な文章にお付き合いくださった方々に、深く感謝です。
あと数話で、ムドー編は終了になります。
今更ですが、第4話を少し加筆修正しました。
それから、プロローグの前に注意事項等を追加しました。それにともなって、あらすじを簡素なものに変更しています。

※2018/5/6 誤字を修正しました。トッシー様、ありがとうございました。


 誰もが、身動きすらできなかった。多少、魔法の扱いに優れているといっても、衰弱しきった身体に無理をして気力だけでその場に立っているような人間が、なにゆえこれだけの圧倒的なプレッシャーを放てるのか、それを理解できる者など、この場には誰もいなかった。それは彼女が左手に持つ杖の力か、ジュリエッタ自身の希薄化、知る者はいない。

 

「魔王よ、お前の思い通りになど、断じてさせません、ストロスの杖よ、勇者をむしばむ邪なる呪詛の力を打ち払い給え!」

「ば、バカな……ストロスの、つ……。」

 

 息も絶え絶えな魔王の言葉は最後まで続かない。王妃の持つストロスの杖から白く清浄な光が放たれ、石像と化した勇者、アンと彼女が騎乗するスライム、アーサーの身体を包み込む。そして、灰白色の石の塊は、次第に生物らしい鮮やかさと生命の躍動を取り戻してゆく。

 

「お、の、れ……ぐはぁっ!」

 

 そしてついに、魔王が力尽き、その身が塵となって消えたのと同時に、杖から発せられる光も収束し消えていった。

 

「はっ、私は、いったいどうしたのだ?! ムドーは、皆はどうなった?!」

「アン、元に戻ったのか?!」

「ヒカル……? いったいこれは、ムドーの、奴が放った光を浴びて、その後真っ暗な闇に落とされて、ヒカルの声が聞こえて……?」

 

 混乱するアンは状況をなんとか整理しようと頭を回転させるが、ムドーに述をかけられた後のことが、もやがかかったようにぼんやりとしか思い出せない。しかし、彼女が状況を整理し終わる前に、悲痛な子供の声が室内に響き渡った。

 

「お母様!!」

 

 ドサリという音がして、そちらを振り返ったアンは言葉を失った。そこには、床に倒れ服す王妃の姿があり、駆け寄ったサーラが必死に声をかけている。傍らには、奇妙な形状をした杖が転がっていた。

 

「こ、これはいったい? ヒカル! いったい何があったんだ?!」

 

 そう聞かれても、ヒカルにだってこの状況を正確に他人へ伝える手段などない。わかっていることといえば、王妃が瀕死の体にむち打ち、ストロスの杖の力を解放して石化の呪いを解いたという、この場に居合わせ、状況を目撃したものであれば誰でも分かることだけである。

 

***

 

 結局、それから半日以上経ち、城内の者たちが目を覚ますまで、状況は何も動かなかった。衰弱しきった王夫妻はしばらく眠っていたが、ピエール王は城内が慌ただしくなった頃に再び目を覚ました。そして、彼は疲弊した身体にむち打ち、自分たちの恩人へと刃を向ける家臣たちを、必死で止めなければならなかった。

 

「し、知らぬ事とは申せ、国王陛下を救って頂いた恩人に、なんたる無礼を……!」

 

 この部屋に最初に駆けつけた衛兵たちの中で、真っ先にアンに剣を向けた者が、青ざめた顔で跪き許しを請う。しかし、アンは気にした風もなく、それが職務だろうと軽く流した。実際、魔王ムドーはその死体すら残さず消えてしまっている。衛兵たちが駆けつけたとき、部屋の惨状と、倒れ服す王妃と、剣を持ったスライムナイトを目撃したのなら、彼らが王を守るという職務のためにアンに剣を向けたとしても、それはやむを得ないことであろう。王の一言でその場が収まったのは、彼らの主君に対する忠誠がどれだけ厚いかを物語ってもいた。いずれにしても、長く覚めない眠りについていた国王が目を覚ましたことで、事態はゆっくりと収束の方向へ向かっていったのだった。今後、王が回復すれば、滞っていた国政も徐々に動き出し、ほどなく国内は平穏を取り戻すだろう。城の者たちは皆、ほっと胸をなで下ろしたのだった。

 ヒカルたちは王夫妻を救ったことで、国賓として迎えられ、城内の一区画に滞在を許可された。慣れない場所に戸惑いながら、彼らは国を救った英雄として、惜しみない称賛を送られたのである。

 しかし、すべてがうまく収まったのかというと、そういうわけにはいかなかった。ムドーが所持していた暗黒の宝珠は、いつの間にかその場から消えており、どこを探しても見つけることができなかった。また、何台も前からドラン王家に仕え、国の支えとなってきたサリエル公爵家の現当主、この国の筆頭大臣を務める男が、突然行方をくらませた。しかし、王が床に伏しており、事件の後始末が住んでいない現状で、これ以上深入りできないと判断されたため、サリエル公爵の捜索は保留された。そのほかにも、眠ったままになっていた子供たちのことがようやく王宮に情報として伝わり、事態の確認が行われようとしていた。これは後に判明したことだが、眠っていた子供たちのすべてが目を覚ましたわけではなく、衰弱してそのまま息を引き取った者も数名いたそうである。良いことも悪いことも含め、この慌ただしい状況はしばらく続きそうである。

 

***

 

 魔王との戦いから一昼夜が過ぎ去り、ヒカルたちは王夫妻の元へ呼び出されていた。昨日の戦いで半壊した部屋とは別の部屋がすぐさま用意され、夫妻は無事、ひとまずゆっくりと身体を休めることができる環境を手に入れたのである。

 

「このような格好ですまぬな。王妃が、妻がどうしても、お主らに話しておきたいことがあると、そう申すのでな。」

「いや、それ事態は別に構わないんですが、その、そんな状態で大丈夫なんですか? もう少し体を休めて、後日ゆっくり聞きますよ?」」

 

 ピエール王は一晩ゆっくりと眠ったためか、ベッドから体を起こして普通に会話できるくらいにはなっていた。おそらく、モモが衛兵たちが来る前に飲ませた薬草のエキスが効果を発してきているのだろう。魂に受けたらしいダメージは回復呪文(ホイミ)ではあまり回復せず、後でやってきた神官たちがその無力を嘆いていたほどだ。モモの能力はこの世界ではとても珍しく、貴重なものなのである。しかしながら、なぜか王妃は同じ薬を飲んだにもかかわらず、ベッドから起き上がることができない。それでも話したいことがあるなどと言われれば、ヒカルには嫌な予感しかしなかった。

 

「良いのです、ヒカル。……今、きちんと話しておかなければ、もうじき私は、声を出すことすらできなくなるでしょうから。」

「……! やっぱりか、あのとき無茶な呪文使ったり、魔王の呪いを解いたりしたから……!。」

「そうですね、……けれど、私は城の皆と、あなた方が戦うところなど見たくありませんでした。魔王の策略で、戦わなくても良い者たちが戦い、傷ついていくのを、どうしても見たくなかったのです。それに、……アンは罪のない兵士たちを切り捨てることなどできないでしょう?」

「お、王妃様、まさか……?!」

 

 アンは驚いてジュリエッタの方を凝視してしまう。確かにアンの性格であれば、この城の兵士たちと戦闘になった場合、命を取らないように手加減して戦う可能性が高いだろう。それではいくら彼女が強いといっても、数百人以上に上る手勢を相手にするのでは時間がかかってしまい、速やかに目的を達せられなくなる。

 

「魂は、肉体から離れて長時間は存在できません。夢の世界で幽閉されていた場所は、私たちを動けなくすると同時に、すぐには死なないようにする特殊な術式が組まれていたようです。だから眠っている間の私たちの衰弱は、非常にゆっくりしたものだったのです。」

「……なるほど、呪いを解いて魂は束縛から解放されたが、逆に一刻も早く肉体に戻さないと危うい状況になっていた、ということか。何で黙ってた。」

「おいヒカル、王妃様にその口の利き方は……!」

「……ごめんなさい、けれど知ればあなたたちの心を乱してしまう。あなたたちだけなら大丈夫でも、サーラが不安になって取り乱せば、心優しいあなたたちは少なからず迷い、行動に遅れが出る……。」

「つまり、あんたにとっても賭けだった……ということか?」

 

 ヒカルの拳は硬く握られ、体は小刻みに震えている。これでうまくいくと思ったのだ。王夫妻を助け出し、魂を肉体に戻し、魔王を倒せば、すべてうまくいくと……。しかし現実は、ゲームのイベントをクリアするようには行かない。ハッピーエンドの物語のようなきれいな終わり方をする話など、存外に少ないのかも知れない。

 

「そんな顔をしないでください、お願いヒカル。私は夫を、ピエールを助けるために、そしてサーラとこの国を救うため、あなたたちに駆けたの。そして、私は勝ったのです。これでこの国はまた、元通りの美しく穏やかな国に戻るでしょう。」

「だからって……、なんであんたが死ななきゃならないんだ……!」

「ヒカル?! 待て、それはどういうことだ!」

「王妃の……ジュリエッタの体は、回復を受け付けない状態になってるのさ。特別な状況で魔法を行使すると、まれにそういった状態に陥ることがある。通常は時間がたてば回復するんだが、彼女の場合はその力も残っていない。王様はまだ、魂のダメージが少なかったみたいで、目に見えて回復しているけどな。」

 

 身体の回復能力はその者の持つ内なる力によってコントロールされている。HPは生命力で、これは誰もが持っている生命のエネルギーであり、食事、睡眠などで回復できるほか、呪文や特殊なアイテムでも回復することができる。MPはこの世界では特殊能力を発動させるために必要な力で、イコールではないが精神力と深い関わりがある。この力は時間経過である程度回復するほか、深い睡眠や精神的なリラックスなどで大きく回復させることができる。ただし、MPを回復させるアイテムはこの世界ではめったにお目にかかれるものではないらしく、魔法の聖水、祈りの指輪、エルフの飲み薬などのゲームでおなじみのアイテムを、ヒカルはまだ目にしたことはなかった。そして、これらよりさらに根本を成しているのが「魂」だ。魂は精神を入れるための器のようなもので、肉体と精神をつなぎ止めている。この力を失ってしまうと、精神と肉体は分離子、人は死ぬ。即死呪文(ザキ)が残りHPに関係なく効果があるのは、魂に作用し肉体から強制的に切り離すためである。力を失い肉体から離れても、魂自体が消滅してしまうことはめったにないが、魂の衰弱が激しい状態で肉体から離れると、たとえこの世界の基準では奇跡に近い存在である蘇生呪文(ザオラル)を用いたとしても、よみがえらせるのはほとんど不可能らしい。

 

「……確かに、魂の力が弱りすぎている私は、おそらくエルフの秘薬であっても回復することはないでしょう。わかっています、いえ、あのときから分かっていたのです。」

「……旦那に力を分け与えていたから、か。そんなことが本当にできるのかと思っていたけど、どうやら嫌な予想の方が当たりやすいらしい。」

「なっ、それはどういうことなのだ?!」

「……そこまでわかっていたのですか。ヒカル、あなたはすごい人ですね。私は誰にもそのことを、一言も話していなかったのに。」

 

 ピエールは驚きで言葉を詰まらせ、ヒカルはやっぱりかとさらに表情を曇らせる。ほかの者たちも概ね、沈痛な表情を浮かべているが、その中にあって、ジュリエッタだけは違っていた。ヒカルの言葉を肯定するジュリエッタは、多少の驚きを見せてはいるが穏やかな笑みを浮かべており、弱々しくはあるが見る者の心を落ち着かせる。夫婦になったとき、サーラが生まれた時、それから5年……。変わることのないそのえがお が、消えてしまいそうなのにそこにあるそれが、ピエールにはたまらなく愛しく、そして、悲しい。。

 

「……あんたたちは同時に眠りについて、同じ場所に幽閉されていた。魂に施された処置もたぶん同じものだろう。なのに、夢の世界で目覚めてからの王妃の衰弱は目に見えて早かった。何らかの方法で、自分の力を王様に分けてたんだろ? 俺は魂とかについてはあんまり詳しくはないが、魔法に秀でた者なら魔力や精神力のコントロールの要領で、魂の力もある程度制御できるらしいって師匠んとこの本に書いてあったからな。」

「はい……、夫は魔法の力をほとんど持っていませんので、私より早く魂の力を使い切ってしまう可能性がありました。ミミのペンダントに入る直前に、私の力を半分ほど、夫に分け与えました。当然初めてのことだったので、うまくいくかどうか自信はなかったのですが。」

「そうか……。」

 

 ヒカルはそう言ったきり、彼にしては珍しくうつむき、黙り込んでしまった。一行のリーダーであり、ムードメーカーでもある彼の沈黙により、他の仲間たちも言葉を発することができない。ややあって、再びジュリエッタが口を開いた。

 

「……そうそう、来て頂いたのはこのような話をするためではないのです。ヒカル、あなたにお願いがあって、ここへ呼んだのです。」

「俺に……ですか?」

 

 ヒカルはようやく顔を上げ、少し困惑したようにジュリエッタの顔を見つめてしまう。病床にあっても美しい彼女の容姿は、床に伏していても異性の目を引きつける。しかし、それよりも、彼女のまっすぐで澄んだその瞳は、まるで見るものを吸い込むかのようだった。

 

「ヒカル、あなたが、おそらくほかの皆さんも、束縛されることがお好きではないだろうということは、ほんの短い間でしたが接していてなんとなく分かりました。これから私のするお願いは、あなたたちを悩ませ、苦しめてしまうかも知れません。ですが……。」

 

 ジュリエッタはヒカルの後ろに控えている仲間の3人に順番に視線を向け、それからわずかばかり、申し訳なさそうにしたが、すぐに何かを決意するように表情を引き締め、再びヒカルに視線を戻した。

 

「それを承知の上で、あえてお願いします。この国に、ドランに居を構え、私亡き後のこの国……いいえ、夫と娘のことを、あなたにお願いしたいのです。」

「へ?」

 

 思わず間抜けな声を出してしまうヒカル、何を言われたのかよく分からないという顔をしている。仲間たちも同じようなものだ。しかし、ピエール王が何の反応も示さないところを見ると、すでに2人の間では話されたことなのだろう。どう答えて良いか分からないという様子のヒカルに、ジュリエッタはさらに続ける。

 

「ヒカル、あなたの魔法の才能と知識は、すでに、少なくとも人間の間では世界に並ぶもののないレベルまで到達しています。ですが、あなたや、アンがいくら強くても、個人でできることには限界があります。今回のような強大な力を持った魔物が大群で押し寄せてきた場合、人間の国などはあっという間に滅ぼされてしまうでしょう。」

「……確かにそうですね、俺たちが個人的にいくら経験を積んで強くなったところで、大群には太刀打ちできない。それは嫌と言うほど思い知らされましたよ。」

 

 ヒカルは1つ長い息を吐いて、苦笑いを浮かべながらそう答えた。突拍子もない提案をされたことで、1度頭の中がリセットされたのか、いつもの様子に戻っている。一見、軽薄そうな笑みは、その裏にある彼の後悔を隠すためだろうか。

 

「ですから、この国で、魔法使いや戦士を教育する事業を興してみたらどうでしょう? 私はどちらかというと、ヒカルは人を導くのに適していると思いますよ。」

「え? 俺が? あ、いやすんません。実を言うと、魔法を広めて腕の立つ魔法使いを育成すれば、魔王への対抗策になるかと思って、今まで旅してきたんですが、まさか王妃様がそんなこと言うとは思いませんでしたよ。」

「まあ、それでは私たち、同じ事を考えていたのですね。」

 

 ジュリエッタの嬉しそうに微笑む姿を見て、ヒカルはどう反応したものかわからない。彼女の考え方は、この世界においては異端と言って良く、特に古い慣習に重きを置く上流階級の人間としてはあり得ないくらいに先進的なものだ。

 

「久しぶりに、本当に楽しい気持ちになりました。ヒカル、アンやミミ、モモ、みなさんともっと早く出会えていればよかったのに。」

「王妃様……。」

「ねえヒカル、私はきっと、近いうちに死ぬでしょう、けれどね……。」

 

 再び、周囲に立ちこめはじめた暗い雰囲気を吹き飛ばすように、身体を横たえたままの彼女は、優しい笑みを崩すことなく、眼前の青年を見据えて、柔らかな口調で言った。

 

「夫と娘、この国の人たちを大切に思う私の思いは、きっと消えないから、だからヒカル、まだ旅の途中だというなら、それが終わってからでも構わないから……。」

 

 ……なぜだろう。彼女の姿は痩せ細っていて、顔は一目見て病人のそれと分かるほど蒼白で、実際、身を起こすこともできない。なのに、その表情は苦痛や悲嘆にゆがむことがなくて……。

 

「この国の人たちを、あなたの大切なものに、加えてはくれないかしら。」

 

 窓のない、少し湿った空気が漂うその部屋で、煌々と灯るランプの明かりが照らす、彼女の表情は、やっぱり笑っていた。

 

***

 

 城内にある、国賓をもてなすための部屋、ヒカル一行はそんな最高級宿屋もかすむような空間に、滞在を許可されていた。しかし、その豪華さに感嘆するわけでもなく、贅をこらした歓待にうつつを抜かすわけでもなく、男は1人、あてがわれた部屋の1室で、おそらく一生使うことなどなかったはずの巨大なベッドに腰を下ろし、ぼんやりと天井を眺めていた。

 

「大切なもの、か。」

 

 自分にとって大切なものはなんだろうか。仲間か、自分の信念か、それとも……。いや、それが明確に分かったところで、彼にはそれらを「守る」などということが、自分にできるとは思っていない。そんな人間が、王族と国を託されるなんて、スケールが大きすぎて頭が付いていかない。それに、なぜ王妃は笑っていられるのか。自分の命が付きようと言うときに、なぜ取り乱さないのか。最初は演技かとも思ったが、彼女の様子を見ているとどうもそうとは思えない。ならば彼女は、どうしてあんな風に笑っていられるのか。上位者としてそのように教育されているからなのか、彼女自身がそういう気質であるのか、考えてみてもヒカルには分からない。

 

「おい、ヒカル。」

「……?! おわっと、なんだアンか、脅かすな。」

「ご挨拶だな、思い悩んでいるようだから、その、私でも傍にいれば少しは、違うかと思って、だな……。」

 

 なぜか、徐々にうつむき加減になり、声が小さくなっていくアン。そんな彼女を見て、ヒカルは少し苦笑する。鎧を脱いだ彼女は、今は城下町で購入した旅人の服をまとっている。それは、一般的な布の服を多少丈夫にしただけの、戦士の装備としては頼りないものであった。今は、相棒のスライム、アーサーも傍らにはいない。心配そうにヒカルを見つめる彼女の瞳は、蒼く、どこまでも澄み切った空のようで……。

 

「ん? どうかしたのか?」

 

 ついつい、じっと見つめてしまうヒカルであった。そんな彼の胸中など知るはずもない彼女は、少し小首をかしげて不思議そうにしている。普段からあまり明確に表情を変えることのない彼女のそんな様子は、ヒカルに彼女を意識させるには十分だった。

 

「……いや、さ、俺にとっての大切なものって、なんなのかな、ってさ。」

 

 だから、彼は自然と、自分が漠然と抱えている思いを吐露していた。普段から、周囲にあまりそういったことをしたことがない彼のそんな様子を見たなら、ごく親しい友人以外は驚きの表情を見せただろう。もっとも、今はそんなリアクションをするだろう彼の友人たちは、誰1人この場にはいないのだが。

 

「なあ、アンにとって、守るべきもの、とか、大切なもの、って何なんだ?」

「う~ん、そうだな、私は島のみんなと、一緒に旅をしてくれているモモやミミをいつも、守りたいと思っているが……、私が一番に守りたいのは、君だよヒカル。」

「へ? 俺?」

 

 いつになく、柔らかな笑みを浮かべてそう言い切るアンに、ヒカルは戸惑いながら返答することしかできない。彼女が一番に守りたい者が、何故自分なのか見当がつかなかったからだ。

 

「……やれやれ、無意識だったのか? それはそれで女として傷つくぞ。あのとき、あんなに必死に私に呼びかけてくれた君のことを、特別に意識しないわけがないだろう?」

「え? いや、あれは、確かに今までに無いくらい大声で叫んでたが……夢中で、アンが戻ってくることだけを考えて、必死で……?! え、いや、あれ、う、うわあっ、今考えると、むちゃくちゃ恥ずかしいことしてんぞ俺?!」

 

 今更になって、ヒカルは気がついた。人目もはばからずに大声で、声がかれるまで女性の名前を連呼するなど、考えてみれば彼の人生の中で一度もなかった。アンと出会って、まだごく短い時間しかたっていないはずだ。夜になるとよく、彼の部屋を訪ねてくる彼女と話をしていたのは確かだが、それにしてもまだ、ほんの短い時間しかたってはいない。にもかかわらず、なぜあんなに必死になって、ヒカルはアンに呼びかけたのだろう。

 

「どうも、石にされていた間の記憶があいまいで、未だに思い出せないんだが……。私は真っ暗な世界に閉じ込められて、絶望しかけて泣いていた。でも、そのときヒカルの声がした。それから皆が私を呼んでいるのが聞こえた。だから私は戻ってこられたんだと思う。おそらくだが、あの杖の力だけでは、私の石化は解くことができなかっただろう。……まあ、根拠はないがな。でも、私はヒカルが呼び戻してくれたと、そう思っているよ。」

 

 何故だろう。彼女は、いや彼女だけじゃない、モモやミミ、果てはこの国の王妃まで、何故彼女らは、自分をここまで信じてくれるのか? ヒカルには分からない。今だって、自分の無力さを突きつけられ、こうしてまとまらない思考に悩まされているというのに。

 

「……俺は……結局王妃を、サーラの母ちゃんを助けてやれなかった。そう約束したのにな。俺は、臆病で弱いだけの男だ。そんな奴に自分の家族の、ましてや一国のことを頼むなんて、俺はジュリエッタが何考えてんのかさっぱり分からねえよ……。」

 

 再び、ヒカルの胸中に大きな後悔が押し寄せる。幼いサーラのために、両親を助けてやりたいと、そう思っただけだった。結果は、ドランの国が救われ、肝心の王妃、サーラの母親には、伸ばしたその手は届かなかった。

 

「ヒカル、もういいんだ、君は君のやれることを、精一杯やったじゃないか。だから、そんなに1人で思い詰めないでくれ。」

「?! アン……。」

 

 ふわりと、頭全体が柔らかく温かいものに包まれる感触に、うつむいていたヒカルは顔を上げて、驚いた。いつの間にか、自分の傍らに並んで腰掛けていたアンが、その胸元へ彼の頭を抱き寄せていた。それはヒカルを多少混乱させたが、それよりも、アンの鼓動が、体温が、包み込んでくるその感触が、徐々に彼の心を落ち着かせていく。それは、アンが暗闇の中、ヒカルの声に安心したのと同じ感覚であったが、彼はそのことを知るよしもない。

 

「どんなに、助けたいと思っていても、助けられない者がいる。どんなに伸ばしても、この手が届かないこともある。それでも……。」

 

 アンの手が、ヒカルの頭を、背中を撫で、不器用で優しい言葉が、彼の心に落ちてゆくたびに、それは張り詰めた心を、少しずつ緩めてゆく。

 

「君は、手を伸ばし続けるんだろう? いつも、私に、皆にそうしているように。自分が傷ついても、誰かのために……だから……。」

 

 今まで感じたことのないような、胸の中にこみ上げてくるような気持ち、それが何であるのか、ヒカルにも明確には分からない。ただ、この安らぎに身を委ねてしまいそうになる。それでも、彼の心はまだ、寸前のところで踏みとどまっていた。このままでは女性の胸に抱かれて、ひどい醜態をさらしてしまうことになるだろう。それだけは避けなければ……。しかし、それは何のためだろうか? 男としてのプライドなのか、もはや、まとまらない思考に答えは出ない。

 

「君が倒れそうなとき、何かに潰されてしまいそうなとき、私が傍にいよう。その苦しみは私が一緒に受け止めてやる。忘れるな、君は1人じゃない。私は、あのとき暗闇から私を呼び戻してくれた君を、ずっと信じている。」

「なん、でだよ、お前も、モモやミミも、王様やお妃様まで、なんで俺みたいな奴を、そんなに信じられるんだ……! こんな、何の力も無い、俺なんかを……。」

「……ほかの者はどうか知らないが、私は君の力なんか、信じていないぞ。たぶん私の方が強いし、な。」

 

 アンは手の力を緩め、解放されたヒカルは彼女の顔を見つめる。からかうような言動とは裏腹に、その蒼い瞳はまっすぐに彼を見つめていた。

 

「私は、私みたいな人間を、いや、最早力のために人すらやめてしまった私のことを、ほかの誰でもない私として見てくれる、出会って間もない私のことを信用してくれる、そんな君の心のあり方を、信じているだけだよ。」

「アン、俺は……泣いてるサーラが、父ちゃんや母ちゃん、助かったら笑ってくれるかなって、そう思っただけなんだ。悔しいよ、あんな小さな子が、不安なのを我慢して、あんなに頑張ったのによ……。母ちゃん、もうすぐ死んじまうんだぞ……5歳だってよ……。そんなの、認め、られっかよぉ……!」

 

 吐き出される言葉は迷走し、流れるように言葉を紡ぐいつもの彼のものではない。そのなかにある、子供の願いを叶えたかったという、その思いこそが、彼の根本を那須ものであった。優しさなどと言うありふれた言葉で表現するのは簡単だが、純粋に他者を思いやれる心を持って、何のためらいもなく行動に移せる者は、それほど多くはない。だからこそ、停まっていたエルフたちの時間は再び動き出し、思い出を失ったスライムナイトの心は満たされたのだ。それが分かっているからこそ、ヒカルの周囲の者たちが彼に寄せる信頼は揺らぐことがない。

 再びうつむいてしまった男に手を伸ばし、女はその身体をしっかりと抱きしめた。彼の後悔を、悲しみを、全部、その身で受け止めるかのように、モンスターとなってしまった手で、彼の存在を確かめるかのように。

 

「私が、全部受け止めてみせるから、だから、誰かを思って流す優しい涙を、どうか偽らないでくれ。」

 

 なんて回りくどい、堅苦しい言い回しなのか、と、アンは心の中だけで自分に悪態をついた。ただ、泣いてもいいんだと、短く一言言えば、それで良かったはずなのに。今の彼女にはそれができない。思い出を失った故か、スライムナイトという人ならザル存在となった故か、それは誰にも分からない。

 

「う、ぐっ、うわああっ。」

 

 しかし、彼女の言葉は、その真意は、委中の相手には確かに届いたようである。自分の腕の中に、暖かい体温を感じながら、アンは子供のように泣きじゃくる、ヒカルの姿をただ、じっと、優しいまなざしで見つめていた。

 きっと、明日になったら、彼は又いつもの調子で、笑ってくれるだろう。今日のことを恥ずかしがりながら、それでもまた1歩、進んでいくだろう。そして、また傷つきながら、誰かのためにその手を伸ばすのだろう。そんな彼が、アンはたまらなく愛おしい、そう思った。

  いつの間にか、部屋の小さな窓からは赤く染まった夕日の光が、ベッドの上の2人を照らしていた。優しい太陽の光に祝福されるように、アンとヒカルの穏やかな時間は過ぎてゆく。互いのことに思いをはせる2人には、ほんのわずかに開いたドアの外で、すすり泣く者の存在が映ることは無かった。

 

「ぐすっ、お姉ちゃん……。」

「ミミ……。」

 

 ドアの外で、よく似た桃色の髪を持つエルフの姉妹が、お互いをしっかりと抱きしめ、涙を流していた。敬愛する主の落ち込みように気がついた彼女たちは、彼のことを心配し、また力になろうともしていた。いつものように少し過激なスキンシップを取り、それに慌てふためきながら、彼女たちの主は立ち直ることができたかも知れない。今、部屋の中で彼を抱きしめている女性がいなければ、の話だが。

 

「……私、たち、ふられ、ちゃったね。」

「そうね。でも……。分かっていたんだわ。私たちではあの人の、本当の支えにはなってあげられないって。」

「うん……でも、ご主人様、ずっと、大好き、だよ……。」

 

 ミミは声を殺しながら、大声で泣きたいだろう衝動を必死で押さえ込んでいた。しかし、頬を伝う涙は止めどなく溢れ、押さえることができない。姉のモモは妹の頭を撫で、いつもと同じように彼女の感情を受け止めている。普段と違うところは、姉も妹と同じように、溢れる涙を抑えることができていないことだろう。王宮に敷き詰められた最高級のカーペットに落ちたその滴の訳を、この姉妹のほかに知るものはいない。

 

to be continued




※解説
ストロスの杖:Ⅴで登場した、石化の呪いを解くためのアイテム。ちなみにFFと違い、DQには「石化」という状態異常はない。したがって石化した場合、通常の呪文やアイテムでは元の姿に戻すことはできない。ストロスの杖はⅤ主人公の石化を解除できたが、より強い力で呪われているビアンカ(フローラ)は元に戻せなかった。
魂と肉体の話:完全な独自解釈です。あまり説得力を持たせられた気はしませんが、原作が原作ですからこんなもんでしょう(おい)。魂に一定以上の力が無いと、肉体にとどまることはできない、みたいな感じにしました。

いつも、文章構成やプロットの作成に手を貸してくれている、リアルの友人に、「登場人物が過酷な運命をたどるのは君の小説の醍醐味だよねえ」みたいなことを言われました。……すんません、今回も過酷なことになっちまいました。ごめんよサーラちゃん。原作で父親しか出てこなかった(よね?)ので、そこから解釈してこんな話になっちまいました。5歳児になんて運命を歩ませてんだ俺のバカ!!

はあはあ、失礼、取り乱しました。
じ、次回もドラクエしますわよ?(錯乱)


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第21話 魔法学院開校! ちいさな姫の願い

ちょっと全体的に長くなってしまいましたが、ようやく下地が整いました。次話はこの続きになりますが、魔王討伐→魔法学校(仮称)の開校までで、とりあえず話の大筋は一区切りです。
時系列的にはこのお話の終了時点で原作開始8年前になります。
1話開始時点 原作開始10年前(春) 
20話終了時点 原作開始10年前(冬) 
21話終了時点 原作開始8年前(春) 
これから魔法を世界に広めていくことになりますが、残り8年分はそれなりに時間が飛びます。原作開始前の登場人物たちと少しずつ接点が見えてくると思います。


 その日は珍しく、砂漠のオアシスにあるドランの機構としてはやけに寒く、昼前まで晴れ渡っていた空は南中の太陽を見せることなく、いつの間にか雲に覆われていた。そんな中、ドラン王城の最奥部の部屋で、サーラは静かに、ベッドで眠る母親を見つめていた。

 王妃はヒカルたちをこの部屋に呼んだ翌日の夕方には、すでに話すことさえままならなくなっていた。その身体は目に見えて衰弱していき、いかなる魔法屋道具(アイテム)を用いても、一向に回復する様子が無かった。この城に滞在している、薬師として最高位であろうエルフの女性が調合した薬草を用いても、それは変わらなかった。

 サーラはほとんど動かなくなった母の傍らを離れることがなく、目を閉じて何も答えない彼女に話しかけ、返答がないことに表情をゆがめ、それでもまた話しかけるという行為を繰り返していた。時折、目を開けた王妃は穏やかな表情を浮かべ、じっと娘を見つめ、ほどなくして再び眠りに入るというサイクルを繰り返していた。父が目に見えて回復していくのと反比例するように、まもなく母には終わりの時が訪れるだろう。幼いサーラはそれを、心のどこかでは分かっているのかもしれない。

 

「お母様?」

 

 サーラが気づくと、母はいつの間にか目を開けていて、顔は動かないが視線はこちらを向いているのが分かる。サーラは母の手を取り、その顔をのぞき込んで、彼女の唇がわずかに動いていることに気がついた。声はほとんど出せてはいないが、その口は短く、娘に最後の言葉を継げていた。

 

「あ……りが、とう……。」

 

 はっとしたサーラが何か言葉を発しようと口を開き駆けたとき、す母の瞳は再び閉じられた。そして、それはもはや、2度と開かれることは無かった。

 

「お母様あっ!!!」

 

 その叫びは、場内の1フロア全域に響き渡り、彼女がこのような大声を発したのは、後にも先にもこの時だけであったという。

 この日、夜を待つことなく、ドランの若き王妃、ジュリエッタは帰らぬ人となった。享年26歳、あまりにも早すぎる死であった。王族を慕っていた国民の嘆きは深く、彼らは皆、在りし日の彼女を偲び、涙したという。砂漠の国には珍しく、ちらちらと雪が舞い落ち、王都をうっすらと、白く染めていた。

 

***

 

 微生物1つ存在しない、かつての古代文明のなれの果てである忌まわしい水の底、巨大要塞と呼ばれる不気味にうごめく物体の心臓部で、自らを大魔王と故障するその魔物は、忌々しげに部下からの報告を聞いていた。

 

「ドランに正体不明の宝石モンスターが現れただと?」

「はっ、偵察に出した大ガラスからの報告によりますと、強大な力を持つものが、ドランの都を手中に収めようと画策しておりましたが、勇者とその一行に打ち倒されたとか。」

「何?! 勇者だと?!」

 

 大魔王、バラモスはさすがに驚いたのか、普段は鋭く細めている目を見開いている。跪き報告をしている部下は、びくりと身を震わせたが、努めて冷静に話を続ける。

 

「はっ、ドランの都を支配しようとしていた者は自らを魔王ムドーと名乗り、大臣をそそのかし国の乗っ取りを謀っていたようです。勇者というのは、これは正しい情報とは思えないのですが、全身を鎧で武装し、スライムに騎乗したモンスターであったといいます。」

「なんだと?」

 

 バラモスは考える。スライムに乗った騎士のモンスターなど聞いたことがない。それにムドーなる魔王の名も、初めて耳にする。近頃、自らの作りだした存在とは別の宝石モンスターが地上にわずかだが出現しており、それらはバラモスの作りだしたモンスターと同じように、何者かに使役されているようである。しかし、それがどのような存在であるのか、今の段階では全く分からない。

 この時点で、バラモスはひとつミスを犯していた。彼はスライム島から引き返してきた部下たちを、役立たずとしてろくに話も聞かず処分していたのである。消された部下たちの中には、当然マホカトールのことや、ライデインを使用する騎士のことなどを知っている者たちもいたわけで、中には県のキャットフライのようにライデインの詳細を知っている者も存在した。それらの情報をきちんと入手していれば、ムドーを倒した騎士がスライム島で自らの部下たちを撃退した存在であると、バラモスは容易に気づけたはずなのだ。しかしながら、自由に動けない状況においての失敗というのは予想以上に魔王をいらだたせ、大切な情報源を自ら葬り去るという間違いを犯させていた。

 

「おのれ、こざかしい魔法使いの次は、勇者に魔王だと? 儂の知らぬところで気に入らん事ばかり立て続けに起こりよる。ジャークよ、引き続き偵察を続けさせろ。ただし手を出すな、こちらの力が不十分なままで、下手に首を突っ込むのは得策ではない。」

「ははあっ、仰せのままに。」

 

 ジャークと呼ばれた部下は一礼すると、そそくさと退室していった。バラモスは目を閉じ、巨大要塞ガイムにエネルギーを送り続けながら、今後をどうしたものかと思案する。ムドーなる魔王の後ろには、おそらくもっと強大な力が潜んでいるはずだ。それが、自らを生み出したゾーマのような存在なのか、あるいはもっと、別の何かなのかは分からないが、警戒しておいた方が良さそうだ。それに、自分の知らないところで宝石モンスターが生み出されているというのは気にかかる。しかし、警戒すると言っても、現時点では情報があまりにも少なすぎる。

 

「いや……、手がかりと言えるものが、ひとつだけ、あるにはあるな……。」

 

 バラモスが目をかっと見開き、そこから妖しい光が放たれると、次の瞬間、彼の眼前には美しい琥珀色をした宝石が現れた。それはどういう原理か、宙に浮いたまま静止している。これは宝石モンスターの核をなすものではあるが、一般的な宝石と区別するのは非常に難しい。しかし、宝石モンスターを生み出すことができるバラモスにとっては、通常の宝石と見分けるのは造作も無いことである。

 しかし、普段から見慣れているはずのそれを見つめるバラモスの表情は険しく、何かを警戒していることが見て取れる。その理由は、この宝石が彼の普段から使用しているものではないからだ。

 

「ゾーマの神殿にこれがあったということは、ムドーとやらの背後にいる者は、ゾーマに接触して宝石モンスターを生み出す力、このバラモスと同じ力を得たと言うことか? それとも、元々そのような力を持った何者かが、ゾーマと接触をはかったか……。いずれにしても、儂が生み出されるより前のことであるのは間違いないようだな。」

 

 バラモスは目を閉じ、移動要塞のエネルギー充填に力を注ぐ。作業は思ったよりも難航し、10年とはいわないが数年単位での遅れが出ている。ガイムは形こそ整ってはいるが、動力機関を含めた内部の整備はほとんど進まず、自分が力を送るのと同時進行で部下たちにも作業をさせているが、それでも遅々として進まなかった。バラモス自身を含めた幹部たちの力を蓄えること、新たな宝石モンスターの軍勢を作り出すこと、精霊神の結界を解除することなど、同時進行で進めなければならないことが多すぎ、てが回っていないのが現状であった。しかし、水の底に渦巻く黒い野望は、ゆっくりと世界にその魔の手を伸ばしはじめていた。

 

***

 

 王妃の死から1週間、ドランには珍しく、すっきりとしない天気が続いていた。民衆は悲しみに沈み、邪悪な力から解放されたにもかかわらず、都はいまひとつ活気がない。そんな城下町の様子を、当面の滞在場所に選んだ宿屋の2階にある部屋から見下ろしながら、ヒカルはこれから先のことをいろいろと考えなければならなかった。

 

「ご主人様、モモでございます。」

「入って良いよ、かぎは開いてるから。」

「失礼いたします。」

 

 まもなくゆっくりと部屋の扉が開かれ、よく見慣れた女性が入室してくる。その装いを見て、ヒカルははあとため息を吐くのだった。

 

「お前ね、いい加減その口調と格好と、どうにかなんないの?」

「あら? ご主人様はこの国で確固たる地位を築くのですから、従者は今後も必要ですわ。メイドは高貴な方のお屋敷にはつきものですわ。ご主人様にふさわしい立派なお屋敷が見つかるまで、今少しお待ち頂ければと……。」

 

 その言葉に、ヒカルはさらに深くため息を吐いて、どうしてこうなったんだろうと現状を嘆く。王妃の死後、ピエール王の提案で、ドランの国に新たに、人材育成のための組織を設立するという話になったのだが、その手始めとして、優秀な魔法使いを養成する訓練所のような者はどうかという話になった。何度か検討を重ね、要約形が見えてきたときには、それは子供たちに魔法を教育する学校という形式を取ることになっていた。そして、新しく設立されることとなった「ドラン王立魔法学校(仮称)」の統率者、学校長として、ピエール王はヒカルに白羽の矢を立てたのだった。

 ヒカルだって、子供の頃から魔法を学ばせることには賛成だ。国がバックアップしてくれるのであれば、多少時間がかかるかも知れないが、いずれ優秀な魔法使いも数多く輩出されることとなるだろう。自分がそこに携わることにも異論は無い。しかし、だ。この学校は将来的に数百人規模の学生と、指導者数十名の巨大な組織となる構想がたてられており、校長という役職は、それらのすべてを取り仕切る最高責任者なのである。さらにいうなら、ドランには魔法や魔法使いを扱う組織はこれまでになかった。それ故、魔法学校の

校長は必然的に、この国における「魔法」というものの「すべて」をとりまとめる役職なのである。

 

「あ~、俺、雇われたことしかないから、人の上に立つなんて無理だよ、絶対無理!!」

「大丈夫です、ご主人様なら何の問題もありませんわ。」

「なんでそういう根拠のないことを、君も妹も自信満々に言い切るの! 君たちがそんな態度してるから、周りだって俺ができる奴みたいな錯覚起こしてるでしょうが!!」

 

 元の世界でしがないサラリーマンだったヒカルには、管理職の経験など皆無である。いったい何をどう取りしきればいいのか、さっぱり分からない。しかも、彼の頭を悩ませているのはそれだけではない。彼が新しい一歩を踏み出すのをためらう要因が、もう一つあったのだ。

 

「いけませんわご主人様、伯爵様がそのように狼狽されましては、下々の者が不安がります。上位者というのはこう、もっとどっしりと構えているものですわ。」

「そう、それだよ、何だよ伯爵って!? よそ者に位を与えるとか、内紛の種にしかなんないだろうが?! 何考えてんだよピエール!! しかも没落した家名を新たに与えるから問題ないとか、俺はどこの銀河の英雄だよ?! 美男子でも金髪でもねえよ、こちとら黒髪黒目の日本人でいっ!!」

「???」

 

 すっかり動揺し、よくわからない用語をのたまいながらああでもない、こうでもないと悩む主人を見ながら、モモは穏やかな微笑を浮かべている。あんなことを言っていながら、ヒカルは着々と魔法学校の開校に向けた準備を、ピエール王や側近たちと進めていた。王とその側近たちは、彼にとても好意的且つ協力的であり、新たな事業を興すにあたってあらゆる援助を惜しまなかった。ドランの貴族たち、特に王が信頼を置く者たちは、ヒカルが考えていたような特権意識の塊、それこそ先ほどの彼の台詞に出てきたとある銀河の帝国貴族のような輩はほとんどいなかった。もちろん、貴族全体で見ればそういう連中も決して少なくはなかったが、権力の中枢にいる者たちは皆、真剣にドランの国と国民を思い、政務に励んでいたのである。そんな彼らが、今回の魔王事件を受けて、国力の強化を図ろうとする国王の妨げになることなどあり得なかった。

 

「盛り上がってるところ邪魔するぞ。」

「う~ん、もう腹をくくるしか……、ああでも、就任の儀式とかめんどいなぁ、略式とかになんないかなあ、ブツブツ。」

「やれやれ、まだ踏ん切りが付かないのか。こういうときは俺に任せろ位言ってのけるのが男というものだろう。』

「ああ、アンか、そうだな、俺に任せ……っておい、お前もそっち側かよ?!」

 

 いつの間にか、部屋に入ってきたアンは、窓際に立ち腕を組みながら、普段と変わらない、あまり動かない表情でヒカルを見つめている。その姿はいつもの全身鎧(フルプレート)ではない銀色に輝く高級そうな鎧を身にまとっている。それが王宮騎士団の標準武装であると気がついたヒカルは驚きの声を上げた。

 

「お、お前その格好……、受けたのか?!」

「ああ、王宮騎士団二番隊の隊長だそうだ。」

「なっ……! マジかよそれ?!」

 

 ヒカルはさらに目を丸くして驚いた。騎士団の二番隊というのは、この国では国王直轄の部隊、近衛の次に国王に近い兵士の集団と言える。そんな部隊の隊長に部外者を、しかも人間でないと承知の上で起用するなど、通常はあり得ないことだった。

 

「王様に頼まれたときは断ったのだがな、他国の、しかもモンスターなどを王族の側近に据えるなど、余計な争いを呼び込みかねない。……しかし、姫様に頼まれれば、な。ヒカル、君もそうだろう? 」

「はあ、まぁ、そりゃあ、な。あんなお願いの仕方は反則だ。」

 

 ヒカルはひとつ深いため息を吐き、面倒なことになったという表情を浮かべて頭をかき、しかしその後には、決意を秘めた表情で言い切った。

 

「まあしゃあねえ、乗りかかった船だ、……ずいぶんと大きな船に乗りかかっちまったもんだが……最後まで付き合ってやるさ。」

「ふふ、そうこなくてはな。なに大丈夫だ。辛いときがあったら、私の胸で良ければいくらでも貸してやるぞ。」

「なっ、もう2度とあんな醜態はさらさねえよ!!」

 

 顔を真っ赤にしながら手をわたわたと振るヒカルを、アンはおもしろそうに、もっとも他者からは変化の分からないだろう顔で、じっと見つめていた。彼の中では、もうとっくに答えは出ていたはずだ。彼はサーラのことを放ってはおけないだろう。きっと彼は、だれかの後押しが欲しかっただけなのだ。その背中を押す事ができた事実に、アンは満ち足りた気持ちだった。

 

***

 

 その日はよく晴れた、砂漠のオアシスにふさわしい天候だった。暦の上では春であるが、この国の気候は、年中ほぼ夏といって差し支えない。王妃が他界したときに降った雪などは、数十年に1度あるかないかというくらい珍しい者なのである。ドラン王都を震撼させた魔王事件から1年と数ヶ月が過ぎ去ろうとしていた。国の創立記念日とされる今日、とある発表が国王から民に向けて行われることとなっていた。いつもは王宮の中央庭園を開放して行われるのが通例だが、今回に限っては場所が変更されていた。王都の中心街の西側に位置する、新しい建造物において、その布告はなされることとなっていた。その建物こそが、半年前から急ピッチで建造が始まり、つい数週間前に完成した新たな施設、優秀な魔法使いを育成するための新しい学校であった。

 

「うへえ、なんだあの人だかり。」

「ふむ、それだけ注目されている、ということだろうな。」

「魔法使いの養成学校なんて、世界でも聞いたことはありませんもの、当然ですわね。」

 

 校門前の広場に集まる人の群れを見て、うんざりとした表情を浮かべる主人の顔を、モモはおかしそうに見つめていた。彼の傍らではアンが、やれやれといった様子で彼の肩をポンポンとたたいている。そんなやりとりから目線を外し、モモは妹と友に来賓をもてなす準備をするため、今いるこの部屋……今日から主人の執務室となる校長室を後にした。

 本日午前十時、この学校の開校式典と同時に、ピエール国王から国民に向けて、重大な発表が成されることになっていた。その内容を知っているヒカルとアンは顔を見合わせ、

互いに目線を合わせ、ほぼ同時に頷いた。

 

「まさか、あれを公表するとは……良いのか?」

「まあ隠しているわけでもないしな。仮に隠していたとしても、いつかは知られることになっただろう。結局は同じ事さ。」

 

 ヒカルはアンの返答に、そうかとだけ軽く返事をし、再び目線を窓の外にやる。ちょうどそのタイミングで、2頭の立派な馬に引かれた豪華な馬車が、正面玄関前に停車するところだった。

 

「お、来たな。これから長い長い1日が始まる。あ~面倒くせえ。」

「まあそう嫌そうな顔をするな、王様も姫様も好きでやっているわけじゃないさ。」

「まあ、そうだな。」

 

 ヒカルは一度目を閉じ、長い息を吐き、呼吸を整えて気持ちを落ち着かせる。そしてゆっくり目を開くと、表情を引き締めてドアの方へと進んでいった。その傍らに、銀色の鎧をまとった騎士が寄り添うように並んで歩いていた。

 

***

 

 砂漠の国の太陽は、まだ昼前だというのに王都をじりじりと照らし、環境に適応した者でなければふらついてしまいそうな熱気が街中を支配していた。それでも、本日お披露目となる「ドラン王立魔法学院」の校門前広場には人が押しかけ、これから行われる開校式と国王の言葉を待っていた。

 ドランにおいて、学校のほとんどは国が直接運営しており、入学式や卒業式に王族が来賓として訪れることはさほど珍しくない。開校式ともなれば、王族の誰かが必ず、何らかの形で訪問し、職員や生徒に声をかけるのが通例であった。しかし、それでも今回のように、一般市民が押しかけてごった返しになることはあまりない。魔法学院の設立は、世界初の取り組みとして、外交筋から世界各国へ情報がこまめに伝えられており、この国だけでなく世界中から注目されていた。加えて、王妃が他界してから初の、サーラ姫が参加する公式行事とあって、いつも以上に民衆の関心が高かったのである。

 

「これより、ドラン王立魔法学院、開校式を執り行う。」

 

 開会宣言と友に盛大なファンファーレが鳴り響き、関係者たちが見守る中、第一期生となる新入生が会場に姿を現す。数は40に届かない程度だろうか。職員や来賓の拍手を受け、やや緊張しながらも全員が所定の場所に整列し、正面玄関の前に据えられた演題に向かって礼をする。

 

「国王陛下、続いて王女殿下のおなりである。」

「おお、姫様だぞ、姫様がお見えになった!」

「まあ、大きくなられて……。」

 

 国王に続き、豪華な、けれど涼しげなドレス姿のサーラ姫が、静かに入場する。頭部には日の光を浴びて輝く冠を頂いている。母の死から1年と数ヶ月、ようやく公の場に姿を現した彼女は、幼さの中に母親譲りの美貌を感じさせる容姿へと成長を遂げていた。そしてその姿は、国民に希望を取り戻させるには十分だった。歓喜に沸き立つ民衆に見守られながら、式典は粛々と進行していく。

 

「それでは、王女殿下より、ドラン王立魔法学院初代校長へ、任命状の授与を行って頂く。」

 

 幼い姫はすっと立ち上がり、誰の補助もなしで壇上へ上がり、任命すべき臣下の名を口にする。

 

「ドラン王立魔法学院、初代校長に任ぜられる者、アザナード=ヒカル=メイデル=シャグニイル伯爵、前へ。」

「はっ!」

 

 呼名された男は静かに立ち上がり、ゆっくりとした足取りで王女の元へ近づき、ほどなくして小さな主君の前に跪いた。彼の動作が完了したことを確認すると、幼い王女は本当に6歳なのかという落ち着いた声音で、朗々と任命の言葉を紡いでいく。

 

「ドラン王立魔法学院は我が国、いえ世界で初めての、魔法使いを養成する学院です。この学院と我がドラン王国、ひいてはすべての国民と全世界のため、その力をいかんなく発揮し、邪悪なる者たちの脅威に立ち向かう力となることを望みます。」

「謹んで拝命いたします。すべての民のため、ひいては全世界のため、微力ではございますが誠心誠意、勤めさせて頂きます。」

 

 王女より差し出された任命状を、ヒカルは恭しく受け取り、ここに、ドラン王立魔法学院の初代校長が誕生したのである。ヒカルの胸の内には、今まで抱えていた漠然とした不安はあまりなくなっていた。完全に消えたわけではないが、先ほどよりはずっと軽くなっている。幼いサーラの一言一言が何か、言葉にできない力を与えているのがわかる。それこそが人を導く力、この世界では精霊神の代行者といわれる王族の力なのだろうか。己の立ち位置に戻り、一息つくヒカルをよそに、式典は予定通り進行していく。

 

「国王陛下よりお祝いのお言葉を賜る。」

 

 壇上に上がった国王は全員を見渡し、幾ばくかの間を置いてから、低く響く声で国民に語りかけた。

 

「今日ここに、邪悪な魔王の侵略より我が国を守る新しい力、魔法学院の開校式を無事に迎えられたことは大変喜ばしいことである。今後、本稿より優秀な魔法使いが輩出され、我が国民を守る力となることを確信している。そして、ゆくゆくは我が国だけでなく、広く世界に魔法を広め、その力をもって邪悪なる者たちを打ち倒し、世界に平和をもたらしてくれることを期待している。……魔王ムドーは見事、シャグニイル伯爵とその仲間たちに打ち倒された。あれから世界的に見ても、大きな混乱は生じていないが、皆の知るとおり、そう遠くないうちに、予言の書に記された大魔王が復活し、竜伝説に記された青き珠の勇者が現れるはずである。勇者を助け、この世界に永久の平和をもたらすことこそが、王として生を受けた余の使命である。」

 

 ヒカルとアンはそれぞれの持ち場で、ほぼ同時にゴクリとつばを飲み込んだ。王のここまでの演説は社交辞令であり、予言の書の存在、勇者と大魔王……バラモスの出現については国民にもあらかじめ開示されていた情報だったからだ。問題はここから先だ。

 

「さて……本日はここに集まってくれた皆、ひいては我が国民すべてに、伝えておかなければならないことがある。皆も知っての通り、我が王家に伝わる予言の書には、竜伝説や世界の理法(ことわり)について、様々なことが書き記されている。本日はその中で「モンスター」という存在について話さねばならぬ。」

 

 いつの間にか、周囲はしんと静まりかえっている。アンはゆっくりと、一度目を閉じ、気を落ち着ける。これから話されることは、彼女自身にも関係のあることで、その後の国民全体の反応によっては、この国を出て行かなければならないと、彼女は考えていた。

 

「昨今、倒すと宝石に姿を変えるモンスターが見受けられるようだが、あれらは本来の意味でのモンスターではない。モンスターとは古文書に寄れば、精霊神様の生み出された、世界の護り手、決して人間と敵対するような存在ではない。」

 

 にわかに会場がざわつきだし、列席している関係者も、広場に集まった人々も、困惑の表情を浮かべている。この世界において人間は種族としては非常に弱い部類に入る。モンスターは遭遇しただけで逃げ帰らなければならないくらい強い。故に、兵士や傭兵、冒険者などの戦いを生業とするものはその討伐を当然のことと考えていたし、倒して宝石になろうがなるまいが、その違いなど考える者はいなかったのだ。

 

「モンスターの中には知能が低く、野生の動物や魔王のしもべである魔物と同じように人を襲う輩もいるだろう。しかし、知恵あるモンスターは精霊神様の銘に従い、世界の行く末を見守り、弱き者の力となるのだ。ちょうど今から1年前、我が騎士団に迎えられた異国の騎士、アンのようにな。」

「なっ?!」

「正気でございますか陛下?!」

 

 これには、王の側近以外の式典に参列していた貴族たちも動揺を隠せない。事実にではい。国民へ向けて、王がそれを……王宮騎士団の二番隊隊長にまで抜擢した者が、モンスターであることを明かした事への動揺だ。しかし、王の言葉がまだ途中であることに気づいたためか再び口を閉ざし、広場の民衆もそれに習って、私語を止め、数分後にこの場は再び静寂に包まれた。

 

「……驚いたことであろう。しかし、我が忠実なる家臣たちよ、愛すべき民たちよ、心して聞いて欲しい、これは余の願いである。」

 

ピエール王は再びゆっくりと、低く重々しい口調でしかしすべての者に優しく語りかけた。

 

「予言の書にはこう書かれている……邪なる力、世界に満ちるとき、すべての種の垣根を越え、その心をひとつとせよ。人も、エルフも、ドワーフやホビット、妖精や異形の怪物に至るまで、すべて精霊神が作り給いし、この世界に住まう同志である。心合わさるとき、邪を払う青き珠は、勇者にさらなる力を与えるであろう……とな。」

 

 そこまで語り、ピエール王は1度、周囲を見渡した。人々は皆、王の言葉の続きを待ち、何も言葉を発してはいない。しかし、その表情は単純に驚いている者、モンスターという言葉に恐怖を覚える者、敵意を示す者など様々である。しかし、これは王としても予想の範囲内だ。ある程度のマイナスの反応があることは当然わかっていたし、それによって良くない事態が引き起こされる可能性もあった。だが、だからこそ、今更後戻りはできない。

 

「アンよ、余の元まで来るのだ。」

「はっ。」

 

 名指しされた騎士は、いつもと変わらぬ所作で王の下まで進み出、臣下の例を取る。その姿は鎧をまとった人間の女性、ほかの騎士たちと何一つ変わらないように、そう見えた。

 

「余はそなたをモンスターと知った上で、直属の騎士団へ招き入れた。そなたの口から、余とこの国に対する思いを聞かせてはくれぬか。」

「私は、人ならざる身、この身体は精霊神様より頂いたもの。私は弱き者を、力なき者を救うため、この剣を振るう覚悟を致しております。陛下の民を思うお心に添い、魔王の悪しき力に立ち向かい、陛下とこの国のため尽力いたす所存でございます。」

「うむ、人ならざる者にも、精霊神様は知性と、そして弱き者を慈しむ愛をお与えになった。今日この日より、我がドランの国は、この国の法を守る限り、種族にかかわらず入国、居住を認めるものとする。」

「なっ?! 陛下?!」

「お、おい、アン様が……、モンスターだってよ。」

「うっそだろぉ、どう見ても男っぽい美人さんにしか見えねえぞ?」

 

 ざわざわと、人々が思い思いの言葉を漏らす中、王が降壇し式典はさらに続いていく。しかし、人々には最早、形式的なその様子などほとんど目にも耳にも入っては来ない。

 ドラン王立魔法学院の開校と、それに伴う電撃的な布告は、この式典に招かれた各国の要人によって、世界中に喧伝されたのだった。

 

***

 

 日が傾き始め、空の色が黄金色からあかね色に変わりはじめる頃、校長室では一組の男女が、幼い少女と3人で和やかな時間を過ごしていた。応接用のテーブルの上には、飲み物と焼きたてのアップルパイが用意され、香ばしい良い香りが部屋を満たしている。少女、サーラ姫は小さく切り分けられたそれを、少しずつ味わいながらゆっくり食べ進めている。それを穏やかな表情で見つめながら、女性、アンは隣の男性に話しかけた。

 

「ようやく、今日一日が終わったな。さすがに丈夫な私も疲れたぞ。」

「姫様はもっと疲れただろうさ。もう終わりましたからね、少しゆっくりしても構わないと、陛下からお許しを得ていますので、好きなだけ休んでいってください。」

「ありがとう。」

 

 サーラは無邪気な笑顔を浮かべて、コップに注がれたフルーツジュースをこくこくと飲み、そしてまたアップルパイに手を伸ばす。そんなことを何回か繰り返した後、彼女はふと手を止め、対面のソファに座ってくつろいでいる男に視線を向けた。

 

「ん? どうかしましたか? 姫様。」

 

 サーラはしばらく無言のままでいたが、やがて意を決したようにヒカルをじっと見据え、こう言った。

 

「ヒカル、お願い、魔法で皆を、幸せにして挙げてください。魔王や悪いモンスターのために、私のような……父や母をなくすような子供たちが、これ以上増えないように。私は力がないから、戦うことはできません。けれど、たくさん勉強して、きっと、この国の皆の力になって見せます、だから……。」

 

 最初はハキハキしていた彼女の口調は、やがて何かを耐えるような涙声に変わってゆき、小さな唇は震えている。母をなくした彼女の心の傷は、簡単に消え去るようなものではないだろう。それでも、彼女は人の上に立つ宿命の元に生まれた人間、私情を捨て、為政者として前に進まなければならない。男児がいないドラン王家の第一王位継承者は、ほかならぬ彼女なのだから。

 サーラの頭に、優しく置かれた手が、不器用に動かされ、ゆっくりと彼女の黒髪を撫でていく。いつの間にか、アンに抱かれ、その膝の上で頭を撫でられていることに気づいたサーラは少し驚き、それから安心したように目を閉じた。

 そんな2人の様子を見て、ヒカルは穏やかに、安心させるように、できるだけ優しい口調で答える。彼女を王女としてではなく、1人の子供として扱うものなど、父王以外は彼らだけであろう。だからサーラは、それが王族に対する言葉遣いでなくても、気にするようなことはない。

 

「大丈夫だ、お前の母ちゃんと約束したからな。この国で、俺にできるだけのことをやってみるさ。……子供たちが、父ちゃんや母ちゃんと、笑って暮らしていけるようにな。そういうわけで、邪魔な魔王にはさっさと引っ込んで貰おうぜ。」

 

 目を開けたとき、サーラの心の中は温かいもので満たされ、先ほどのような思いはなくなっていた。彼女の悲しみが消えてなくなることはないだろう。それでも、このちいさな姫の願いを叶えようとしてくれる大人たちがいる限り、彼女は少しずつ前を向いて歩いて行けるだろう。

 

「ヒカル、アン、もうひとつ、お願いしてもいいですか?」

「ん? なにかな? 私達にできることなら良いが……、ああ、父上のお許しをちゃんともらわなければいけないぞ?」

「お父様にはもうお話ししてあります。2人に私の先生になってもらいたいのです。」

「先生? ああ、魔法とか武術とか、そういうことか? 王様がいいって言うなら俺も構わないけど、王宮には家庭教師とか、指南役とか、いくらでもいるだろ?」

「こらヒカル、まったく君は、変なところで鈍感なのだからな……サーラの気持ちをもう少し考えてやれ。」

 

 不思議そうな顔をしてサーラに問い返すヒカルに、アンはやれやれと肩をすくめる。相変わらず表情はあまり動いてはいないが、あきれている様子がサーラにもよく分かる。アンに指摘され、ヒカルはしばし困ったような顔を浮かべて考え込んでいたが、やがてぽんと手を打って、何かに気がついたようだった。

 

「おっ、そうか、まあ堅苦しい先生ばかりだと息が詰まるよな……サーラは本当は甘えん坊だしな。」

「あ、あまえんぼう……そ、そんなことはありませんっ! ちゃんと夜だって1人で眠れるし、今日の式典だって立派に……。」

 

 からかうようなヒカルの言動に、ムキになって反論するサーラの様子は、同じ年頃の子供と何ら変わることがない。ヒカルは彼女の頬をやさしくつついて、目線を合わせて語りかける。

 

「甘えん坊でいいじゃないの、子供は子供らしくしときなさい。まあ、王宮じゃ俺らもそれなりの態度とらないとダメだろうけどな。寂しかったらそう言えば良い、傍にいて欲しければ、そう言ってくれればいい、俺はお前が望むなら、俺にできる範囲で答えてやるぜ。」

「私は……サーラは、アンとヒカルに、もっと、そばにいて、欲しいです。」

 

 その答えを言い終わるか終わらないかのうちに、小さな姫の体は眼前の青年に抱き上げられ、高くなった視点から見下ろした先には、先ほどまで自分を抱いてくれていた女性が、めったに見せない明確な笑顔でこちらを見ている。

 

「分かったよ、ただし、俺らも仕事があるからな、あまりたくさんの時間はとれないぞ?」

「はい、お願いします!」

 

 彼女はぱっと顔を輝かせ、元気よく返事をする。その声にはもう、マイナスの感情を読み取ることはできなかった。

 

***

 

 日はすっかりと落ち、空にちりばめられた無数の星たちが少しずつ顔を見せる頃、真新しい魔法学院の校舎を背に、一組の男女が帰路につこうとしていた。サーラ姫を迎えの馬車に乗せた後、軽く後始末をして、守衛に後のことを任せ、門を出た頃にはもう、太陽は地平線の向こうへ姿を隠していた。

 

「さすがに腹減ったなあ、とっとと帰るか。」

「……今夜は私の家に寄っていかないか? 料理を一人分作るのは割と手間なのでな、一緒に食べてくれると助かるんだが。」

「おっ、いいのか? んじゃ遠慮なく。」

 

 ヒカルが伯爵として居を構え、アンが城の騎士として街の一角に部屋を借りてから、彼らは互いの住まいをよく訪れるようになっていた。たいていの場合はアンがヒカルの屋敷にやってくるのだが、たまに逆になることもあった。もっとも、仮にも爵位を与えられた者がおいそれとは外出できないため、ヒカルはこういうとき……アンが彼を誘いそうなときには仕事で朝まで帰らないという体裁を整えてから行動している。もっとも、そのことをアンは何も知らない。仮にも日中は王城に勤め、貴族社会の内情をある程度把握している彼女ならば、そのあたりに気がついてもおかしくなさそうだが、アンの心の中は、ヒカルと一緒にいられるということで浮かれており、普段なら気がつけることにも思い至ることはなかった。彼女は否定するかも知れないが、恋は盲目なのである。

 

「なあヒカル、。」

「ん? 何だ?」

「私達、こうして歩いていると、その、見えるのかな、恋人同士、に……。」

「へ? どうした急に?」

 

 立ち止まってこちらを見ているアンの表情は、薄暗がりの中でははっきりと分からない。それでも彼女の雰囲気がいつもと違うような気がして、ヒカルも立ち止まって彼女に向き合う形になる。

 

「姫様に、その、二人はおつきあいしているのですか、って言われてな……。」

「アノませガキ……。」

「いや、姫様はおつきのメイドから聞いたらしい、城内では私達がその、男女の仲だという噂になっているとか、な。」

 

 サーラのおつきのメイドの顔を、ヒカルはできる限り思い出してみる。噂好きの彼女たちがそういった話題を仲間内で口にするのは珍しくもないが、姫の耳にまで届いていると言うことは、おそらく城内ではある程度、広範囲に噂が広まっていると言うことだろう。

 

「考えたんだ、私はヒカルのことを、その、男としてどう思っているのか、って。」

「アン……?」

 

 彼女にそう言われて、ヒカルも考えてみる。何か大きなきっかけがあったわけではないが、気づけば2人はどちらからともなく近づき、一緒にいることが自然だと感じるまでになっていた。食事を共にし、様々なことを語り合い、寝所こそ共にしてはいないが、いつそうなってもおかしくない状況にはなっていた。しかし、なぜか一線を越えることはなく、今日まで仲間以上恋人未満のような曖昧な関係が続いていたことは確かだった。では、ヒカルは、アンは、お互いの関係に何を望んでいたのだろう? これから先をどうしようと考えていたのだろう?

 

「私は、知っての通り最早人間じゃない。この体は精霊神様が特別に残してくれたものらしい。だから、私が人間の君のパートナーにふさわしいのか、私にはわからない。今までいろいろ考えたんだ。でも、私は君の傍を離れたくない。ずっと一緒にいたい、ずっと傍にいて欲しい……、でも今まで言えなかったんだ。」

 

 ヒカルはここで、彼女が自分との関係に今まで悩み続けてきたことを初めて知った。彼女はそういった悩みや迷いを、あまり表面に出すことはなかったから、そういったことがわかりにくいというのは確かだ。しかし、今までかなりの時間をずっと傍で過ごしてきて、自分は何故それに気がつけなかったのかと、彼は後悔に襲われた。

 いや、たぶん気がついていなかったはずはないだろう。アンはヒカルと恋仲になりたいと、面と向かっては言葉にしなかったが、彼に対する好意は明確に言葉や態度に表していた。その中にはかなりストレートなものもあったはずだ。ヒカルはそういったことにことさら敏感なわけではないが、かといってあまりにも鈍感というわけでもない。彼女の向けてくる明確すぎる好意に、気づいていないはずがなかった。

 

「ごめん、アン、今まで1人で悩ませてしまったんだな。」

「ヒカル……?」

 

 不意に、体を包み込む感触に、アンは少し驚いたが、自分がヒカルに抱きしめられていることにすぐに気づいて、顔が耳まで火照っていくのを感じた。幸か不幸か、この光量では、彼女のゆでだこのような顔は、委中の相手に見られることはないだろう。

 

「俺さ、小心者だから、分かってたけど、知らない振りをしてたん、だろうな。自分じゃそんなつもりはなかったけどさ。お前が何度も言ってくれたのに、一緒にいたいって。」

 

 しばらく互いを抱きしめ合っていた2人は、やがてゆっくりと、惜しむようにどちらからともなく離れ、暗がりの中で互いを見つめ合う。夜の王都を照らすものは大通りに並ぶ夜店の灯りと、家々の窓からわずかに漏れる光だけだ。そんな、互いの姿を輪郭しか捉えられないような場所で、互いを見つめる2人の沈黙は、長いようでも、短いようでもあった。やがて、どれくらいの時間が経ったのか、男は静かに、はっきりと自分の思いを口にした。

 

「俺もアンに傍にいて欲しいよ、だから、とりあえず……。」

 

 ヒカルはアンの腕をとって、その手をしっかりと握りしめ、ゆっくりと、大通りの灯りの方へ歩き出した。そこを抜ければ、アンの家はすぐそこだ。

 

「晩飯、作ってくれるか? いつもみたいに。」

「ああ、なんならこれから先、毎日君のために作っても構わないぞ?」

「え?」

「いや、何でもないさ。」

 

 見る人が見たなら、なんてもどかしいことかと、じれったく感じるのかも知れない。彼らの心の距離は近いようで遠く、遠いようで近い。明確に気持ちを言葉にしても、だからといって即、何かが変わるかと言えば、そうはならない。

 やがて2人はやや遅い時間に、小さなテーブルで夕食を共にするだろう。いつでも大切な人が傍らにいる幸せをかみしめながら。彼らはまだ知らない、自分たちがなぜこの世界へ呼ばれたのかを。彼らは知ることができない、この世界にはない、互いの「過去」を。光と闇は未だ大きく動くことはなく、伝説はまだその序章すら、終えてはいない。彼らが立ち向かうべき敵は、運命は、その臨各すら未だ、見せてはいない。だが、とりあえず……。

 魔法学院の校長、シャグニイル伯爵と、王宮騎士団二番隊隊長、アンが恋仲であるという事実は、公然の秘密である。

 

to be continued




※解説
ヒカルの貴族名:適当です。あまり突っ込まないでください。原作でも、アラビア風の民族衣装を着ているドランの王様の名前がピエールだったりと、けっこういろんなものが入り交じった設定になってました。なので、名前も適当な響きのカタカナを並べ立てて作っており、特に意味はありません。
ドラン王国の組織:こちらもねつ造です。手元には組織の概略を設定として起こしてありますが、必要があるものだけその都度、作中で説明します。一応、王族に近い方から、近衛、騎士団、一般兵士という序列になりますが、それぞれ役割が違うため、必ずしも近衛が一般の兵士より上位な訳ではありません。

こんだけ長文書いて、魔法ひとつもでてこないとか、大丈夫なのかこれ……。

さて、あと1話程度で次の展開へ進める、はずです。次回の話は本筋とは、無関係ではありませんが、そんなにお話は大きく動きません。あと、糖分高めの予定で、リア充爆発しろ的な展開です。

次回もイチャイチャするぜ!
あれ……?


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第22話 歌って踊れるモンスター!! 花嫁を取り戻せ!

今回のお話は、本編そのものには深く関わりはない、と思いますが、ヒカル君には大イベントになります。
一言で言うなら、リア充爆発(ry


 ヒカルがドランに腰を落ち着けてから、いつしか1年以上の時が流れ、魔法学院の開校から数ヶ月はめまぐるしい勢いで過ぎていった。ヒカルは多忙を極め、モモが健康管理をきちんとしていなければ倒れていたかも知れなかった。初めての仕事というのはそれだけで、負担のかかるものである。加えて、人の上に立つと言うことは、特にこういった王権国家では、強い権力を持つが故の責任も重大なものだ。まあそれでも、魔法学院の校長はたいしたものだと、世間に言われる程度には仕事をこなしていたから、ヒカルの新たな就職は、そこそこうまくいったと考えて良いのだろう。

 季節も初夏に近づこうかという頃、ドランの国に続く砂漠の道を、1人の男がゆっくりと、少しふらついた様子で歩を進めていた。がっしりと鍛え上げられた筋肉が、簡素な革の鎧の下の、丈夫そうな鎖帷子越しにでもはっきりとわかる。しかし、砂漠を鎖帷子を着込んで旅をするなど、自殺後遺である。男はここより遙か遠い国から、はるばる海を渡ってきた。彼の故郷には砂漠などなかったため、出発したときから身につけている装備のままで、この砂漠に突入してきてしまったのだ。鎖帷子の金属は熱を吸収し、通常よりも早く男の水分を奪っていった。彼の体力が並外れていたからこそ、今まで倒れずに進んできたが、何事にも限界というものはある。背中に背負った一振りの大検、俗にバスタード・ソードと呼ばれる彼の武器も、体力の消耗に拍車をかけていた。

 

「くっ、だめだ、足が思うように、進まん。」

 

 男は遂に、砂漠の真ん中にどうと倒れ服した。晴天の下、ギリギリ目視できる距離に、ドラン王都の門が見えているが、今の彼には捉えることができない。薄れ行く意識の中で、彼はこれまでのことを思い出す。幼い息子をおいて、いにしえの伝説をたどり旅してきたこと、息子が伝説に歌われる特別な存在であること、その幼なじみである少女もまた、これから起こるであろう数々の試練に向き合わなければならないだろうこと……。彼は決意したのだ、今まで誰も到達したことのない、伝説の剣を安置してあるという島、息子のためにそれを探し当てるのだと。男は中央大陸の小さな国、アリアハンよりやって来た勇敢な狩人、その名をオルテガといった。

 

***

 

 山奥の小さな村、その中にある、これまた小さな教会で、2人の男女がこの世界の創造主である精霊神に、これからの人生を共に歩む誓いを立てようとしていた。

 

「……あなたたちは、互いを永久(とわ)に愛し、生命(いのち)尽きるまでともに歩み、支え合うことを、精霊神様に誓いますか?」

「「誓います」」

「では、誓いの口づけを。」

 

 新郎と新婦の顔が近づき、ゆっくりとその唇が重ねられ……、やや長い口づけの後、ゆっくりと距離を取って見つめ合う2人の周囲を飛び交う祝福の声、照れながら笑い合う2人の顔を、ステンドグラスに色づけられた日の光がまぶしく照らしていた。

 

「お~お、やってくれちゃってもぉ、ま、その方がこっちはやりやすいけどねぇ。」

 

 教会を囲む林の木陰に身を隠し、ザルもとい魔法のカゴで若干宙に浮きながら、口ひげを生やした男はパイプを吹かしながら、周囲に鋭く目を光らせる。新郎と新婦は村の中央を流れている川の畔で、皆の祝福を受けている。木々の間から吹き込んでくるわずかな風の音と、小鳥たちのさえずりが耳に心地よい。

 

「やっぱり、いたか。お師匠のお膝元でナメた真似してくれるじゃないの。今にみてなさいよ~~。」

 

 男は何かに気がついたようだが、相変わらず林の様子に変かはない。普通の人間であれば感じ取れないようなわずかの気配を、この男、ヤナックは感じ取っているのだ。

 

「まぁ、今は動かない、だろうね。では、こちらも準備といきますか。」

 

 やがて、林の向こう側から感じ取れていた気配が消え去ったのを確認して、ヤナックは仲間と合流すべく、このリバーサイドの村を象徴する川の畔に立てられた水車小屋へと向かうのだった。

 

***

 

 リバーサイドの村を象徴する大きな水車と水車小屋は、村のほぼ中心部に建てられていた。小屋と言っても複数の部屋があって、4~5名くらいは滞在し生活ができるくらいの空間が確保されている。そのうちの1室で、小さなテーブルを囲みながら何やら話し合っている者たちがいた。人数は4名。先ほど祝福されていた新郎新婦と、口ひげを生やし頭にターバンを巻いた男、そして背の低い老人である。

 

「いや~、お二人とも結婚おめでとさん。」

「……ありがとう、きっとヒカルを幸せにしてみせる。」

「こらこらこらこら、そういう話じゃないでしょう?! ヤナック! 真面目にやんなさい。それにアン、その台詞、どっちかって言うと男の台詞だからね?!」

「いいじゃあないの、この際本当に一緒になっちゃえばさ。どこで油売ってるかと思ったら、ドランで貴族になってこんな美人さんを……ぶつぶつ。」

 

 未だにウエディングドレスとタキシード姿の二人、アンとヒカルが返す全く違った反応をちゃかしながら、ヤナックは頭を高速で回転させ、事の経緯を整理する。

 半月ほど前、二組の男女の結婚式が同時に行われた。あまり大きな集落ではないこの村では珍しいことで、祝い事に皆が喜び、浮かれていた。しかし、結婚式の終わった夜に、2人の花嫁が何者かに連れ去られた。現場には獣のような足跡がいくつも残っており、おそらくモンスターの仕業であろうと結論づけられた。

 

「あ、あのぅ……それで、2人の花嫁をさらった何者かについて、何か分かったのですかな?」

 

 このままでは話が進まないと思ったのか、先ほどまで黙ってやりとりを聞いていた老人――この村の村長が不安そうな声でヤナックに尋ねてきた。

 

「おっと、すみませんねぇ、こいつらがあんまりイチャイチャしてるもんですから。なあに大丈夫、かすかだが確かに気配を感じましたからねぇ。奴ら、必ず動きますよ、夜にはね。」

「ヤナック、敵の正体は分かったのか?」

「いいや、そこまでは無理だね。向こうもおそらく、様子をうかがえるギリギリの距離で偵察してたんだろうさ。」

 

 いったい、花嫁たちは何の目的で連れ去られたのか、そもそも今も生きているのか、分からないことが多い。それでも魔王と戦ったときのような気配はヒカルもアンも感じていなかったため、それほど強い相手ではないだろうと思われた。とりあえず、前と同じような状況を作れば、また花嫁をさらいに何者かが現れるだろうと、結婚式のまねごとをして様子をうかがってみたのだが、動きが確かにあったわけだ。

 

「ま、そういうわけだから村長さん、俺ら今夜泊まって様子をみることにするよ。もし、俺らがいなくなって、明日の夜になっても帰ってこなかったら、ザナック様のところへ使いを出してくれ、頼むよ。」

「分かりましたですじゃ。くれぐれもお気を付けて。」

 

 そうして、ヒカルたち3人は後のことを村長に頼むと、夜を待つため村はずれの小屋、2人の魔法使いの師が建てた別荘へと向かっていった。

 

***

 

 気がつくと、男は大きなベッドに寝かされていた。ぼんやりと周囲を視線だけを動かして確認してみるが、旅人の宿などの宿泊施設の部屋とは思えない。室内には数こそ少ないが、そういったものに詳しくない者でも一目で分かるほど高級な家具や調度品が配置され、ベッドの素材も庶民では手が届かないほど高級なものであることが分かる。男は体のだるさを感じながらも上体を起こし、改めてきょろきょろとあたりを見渡してみる。自分は砂漠の道で力尽き、倒れて気を失ったはずだが、ここはいったいどこなのだろうか。倒れる前とのあまりの環境の違いに、男、オルテガは困惑するしかなかった。

 

「あら、気がつかれたようですね。」

「……!? エルフ……? ……いや、これは失礼。どうやら助けて頂いたようで、感謝の言葉もない。私はオルテガ、中央大陸からここまで旅をしてきた者です。」

「まあ、中央大陸から……砂漠の入り口にある町で、きちんと装備を調えておかないとだめですよ? あのような装備では、人間は砂漠の熱にやられてしまいますから。」

「いやあお恥ずかしい限りだ。……目的を急ぐあまり、知らぬ間にあせっていたようだ。……おっと、いかんな。このような話の前に、言わねばならないことがあったというのに。」

 

 そう言うとオルテガは、ベッドから半身を起こしたままではあったが、モモに向かって深々と礼をした。彼女がエルフであることに驚いていたようだが、嫌悪などと言ったマイナスの感情は、彼からは読み取れない。

 

「ご丁寧にありがとうございます。私はドラン王立魔法学院校長、シャグニイル伯爵にお仕えするメイドで、名をモモと申します。」

「シャグニイル伯爵? ああそういえば、道中よく噂を耳にしたな。何でも魔王を打ち倒し、その功績が認められて爵位を与えられ、ドランで魔法使いの教育に力を入れているとかなんとか……。いや、それは良いとして、それでは伯爵様にもお礼を申し上げなくてはならないな。」

 

 オルテガの話を黙って聞いていたモモは、ベッド脇の小さなテーブルに置かれている水差しから、コップへ水を注ぎ、それを彼に差し出しながら答えた。

 

「今はお体の回復が優先です。それに、主人は今、所用で留守にしていて2・3日は戻りません。」

「なんと、そうであったか、しかし、主人に無断で見ず知らずのものを介抱などしたら、あなたがとがめられてしまうのではないのか?」

 

 オルテガの懸念はもっともだ。貴族社会では従者は主人に絶対服従するのが基本だ。いくら善意から出た行動とはいえ、無断で見知らぬ者を屋敷に入れて世話を焼いたなどと言うことになれば、良くて暇を出され、悪ければ処刑されてしまうことも十分に考えられる。貴族社会とは概ねそういうものだ。ただし……。」

 

「ほかの方のことは存じませんが、私達の主人はそのようなことで使用人をとがめたりはしませんわ。砂漠で倒れていたあなたを、偶然私と、うちの出入りの商人が助けて、この館に運んできただけのことで、人として当然のことをしたまでです。逆に、もしあなたを見捨てたなんて事が知れたら、私が主人にお叱りを受けてしまいます。……さ、その水をお飲みになって、もう一眠りされると良いですよ。起きたら何か、食べ物を用意しますから。」

 

 彼女が主人からとがめ立てされることがないと知り、オルテガは安堵した。そして彼女が注いでくれたコップの水をゆっくりと飲み始めた。やがて空になったそれを受け取って、モモは部屋を出て行った。再びベッドに体を横たえたオルテガは、助かったという安堵からか、深い眠りに落ちていった。

 

***

 

 夜も更け、昼間から曇天の空は星ひとつ見えない。ザナックの別荘の一室で、1人用の小さなベッドで男女が枕を並べて眠りについている。といっても、灯りを消して真っ暗になっている部屋の中で、それを目視するのは人間では不可能だろう。時折、寝返りを打つために生じるかすかにシーツのすれる音と、気持ちよさそうな寝息だけが、この部屋が無人ではないことを教えてくれる。

 普通であれば、幸せな2人は寄り添い、良い夢を見ながら一夜を過ごし、朝日に祝福され目覚めるのだろう。しかし、そんな優しい沈黙の闇の中、うごめく者たちがいた。彼らは素早く、気づかれないようなわずかな音しか立てず、迷うことなくベッド脇までたどり着いた。このような暗所であっても、種族によっては昼間と変わらずに行動できる目を持つ者たちがいる。ここにいる彼らの種族もそのひとつである。

 その手際は恐ろしいほど早かった。彼らはあっという間にベッドに眠る2人の内の1人……女性の方をひょいと音もなく担ぎ上げ、瞬く間に部屋から退散した。その間わずか数秒、後には再び、灯りのない真っ暗な、静寂に包まれた小さな部屋があるだけだった。

 

「……っと、これでよかったのかい?」

「ああ、奴らの目的と本拠地を突き止めないことにはね。」

 

 ややあって、ベッドの下からもぞもぞと這い出した男と、ベッドの上に身を起こした男の2人は、互いの顔が見えない中で灯りも付けずに現状と今後の動きを確認する。

 

「しかし、行き先を突き止めるってどうする気だよ? 途切れるまで気配を探ってみたが、奴らどうやら、地面の下に潜って言ってしまったみたいだよ?」

「ああ、それはちょっとばっかし予想外だったな。まあ、俺らじゃ奴らは追いかけられないけど、仲間と合流することなら出来るさ。ちょいと試してみたい呪文があってね。」

「ほおう、それはおもしろそうだね。んじゃ、とりあえず朝までもう一眠り、しますかね?」

 

 そうしてまもなく、ドアが開閉される音がして、男の内1人は部屋から出て行ったようだ。もう1人の男は、わざとらしいあくびをひとつして、再び、パートナーのいない寝床へ潜り込み、5分とたたないうちに気持ちよさそうに寝息を立てるのだった。

 

***

 

 彼らは混乱していた。ボスの命令通り花嫁を拉致してきたつもりだった。いや、実際それはうまくいったのだが、目の前の女性は腕に覚えがあるらしく、この場にいる者が全員でかかったとしても、行動を止めることはまず不可能だろう。

 

「さて、と。正直に、花嫁たちをさらったわけを話して貰おうか。弱いもの相手に手荒なまねはしたくないが、言うことを聞かないというなら、少し痛い目を見て貰うことになるぞ?」

「う、ううっ、ボクたちはおやびんの命令で、花嫁さんをこのアジトまで運んできたモグ。く、詳しいことはおやびんじゃないとわからないモグ。」

「娘たちに手荒なまねはしていないだろうな?」

「し、してないモグ! 丁重におもてなしするように、おやびんに言いつけられているモグ!!」

 

 体色が灰色のモグラのようなモンスター、いたずらモグラたちは慌てふためきながら、戦う意思がないことをアピールする。彼らに邪悪な気配がないことを察知していたアンは、懐に隠していた武器を使うことがないだろうと予測し、心の中でほっと安堵する。

 

「では、そのおやびんとやらの所へ、連れて行ってもらおうか?」

「は、はいモグ! こちらですモグ!」

 

 冷や汗を流しながら、体色が蒼いキラースコップが彼らのアジト……複雑に入り組んだ迷路のような洞くつを先導し、彼らが「おやびん(親分)」と呼ぶ者のところまで案内する。洞窟内は真っ暗というわけではないが、たいまつの掲げられた燭台はまばらにしか火が灯って折らず、夜目がきかないアンには多少歩きづらかった。やがて5分ほども歩いただろうか、急に大きく開けた場所に出、アンは一瞬辺りを見渡したが、すぐにその視線は一点に固定された。

 

「おやびん、というのはお前で良いのか?」

「……そうだ、ワガハイがこの『歌って踊れるモグラ団』のボス、ドン・モグーラだ。」

「……来たか。」

「な、なにっ?!」

 

 落ち着いた貫禄のある、低い声で応答し、威厳を見せたドン・モグーラだったが、次の瞬間、あまりの事態に固まってしまう。手下が連れてきた女性の周囲が青白く発酵したかと思うと、次の瞬間には、この場に招いた覚えのない男が2人、まるで初めからそこにいたかのように佇んでいる。

 

「へぇ~、こりゃ驚いた、まさかリリルーラとはねぇ。」

「この呪文は飛行しないから、転移先がどこでも問題なく行けるからね。それにしても、良いタイミング、だったのかな?」

 

 驚きながらも、初めて目にする呪文の説明を頷きながら聞いているヤナックと、初めての呪文の成功に満足げなヒカル。予期せぬ2人の登場に、モグラたちは大混乱に陥った。

 

「な、何者だ?! どうやって入ってきた!」

「お、おやびんを守るモグ~! 全員戦闘態勢だモグ~! ……ひっ!!」

「やれやれ……どちらかというと最悪のタイミングだぞヒカル。やめておけモグラたち、言ったはずだ、弱いお前たちに力を振るうのは気が進まんが、言うことを聞かないというなら……。」

「ひっ、ひいいいっ! ごめんなさい、ごめんなさいモグ!! 抵抗しないから、乱暴しないでモグ~~!」

 

 アンがキラースコップの1体を押さえ込み、わずかに威圧すると、弱いモグラたちは震え上がり、降参とばかりに手にしていたスコップ状の武器を投げ捨てた。

 

「……手下どもが失礼した。ワガハイもお前たちに危害を加えるつもりはない、もちろん花嫁たちも傷つけたりはしていない。。」

「……なら良い。しかし、何故花嫁たちをさらったのか、その理由を詳しく話して貰おうか。」

 

 手下のキラースコップを解放し、自らの元へゆっくりと近づいてくる女性に、落ち着いた声で応対しながら、ドン・モグーラと呼ばれる巨大なモグラは体の震えを抑えることが出来なかった。彼女から発せられる強者としての気配が、獣特有の鋭い直感を介して警鐘を鳴らしていたのだ。この存在は決して敵に回してはならない、と。

 

***

 

 リバーサイドの村へ続く細い街道を、一台の馬車が村へとゆっくり進んでいた。うっそうと木々が生い茂る森をわずかに切り開いて作られたこの道は、馬車がギリギリすれ違える程度の広さしかない。元々高速で移動する馬車などないが、それにしてもこの馬車はやけにゆっくりと、歩いた方が早いような遅さで進んでいた。

 

「止まれ!!。」

 

 突然、若い男の声がして、道の真ん中に2人の若者が立ち塞がった。その手にはそれぞれ棍棒と同の剣らしき獲物が握られている。

 

「おやおや何ですか? これだけ護衛の付いた商人の馬車をそんな装備で襲うなんて、やめておいた方が身のためですよ?」

「う、うるせえっ! よくもナナミとベティを拐かしやがったな! この人さらいめ!」

「……これは、穏やかではありませんね。確かにこの馬車は積み荷ではなく人を運んでいますがね、乗っているのはただの旅人さんですよ。」

「畜生め、しらばっくれやがって! 全員ぶちのめしてあらいざらい吐かせてやる!!。」

「話し合いは無駄のようですねぇ、お願いしますよ先生方!。」

 

 この馬車の持ち主らしき、小太りの商人が降りてきて説得を試みたようだが、頭に血の上った2人の男は聞く耳を持たない。結論を言えば、2人の直感は的中していた。この商人、ヤーヤル・ドーガという男は、表の顔では運送業を営みながら、裏では手広く人の売り買いを生業としている闇商人、裏社会ではそれなりの実力者なのである。もっとも、村人らしき2人の男たちがそんなことを知るはずはなく、通常こんな場所をめったに通らない護衛付きの馬車などを見かけたものだから、さらわれた自分たちの伴侶を探し出せずにあせっていた彼らは、怪しいと決めつけて行動に出たのである。相手が本当に善良な市民だったならどうなっていたのか、そんな当たり前のことが考えられないほど、2人の男は精神的に限界に近かったのである。

 ヤーヤルの指示を受け、馬車の周りを固めていた屈強な男たちが、2人の若者、リバーサイドで武器屋を営むヘッケルと、木こりのバートに迫り来る。只の村人と、裏社会を生き抜く用心棒とでは勝負になどなるわけがない。

 

「大地の精霊よ、絡みつけ! ボミオス!」

「何?! 呪文だと?!」

 

 不意に、どこからともなく男の声がして、ヘッケルとバートに真っ先に襲いかかった男たちの動きが極端に遅くなる。それでも、村人2人はその場を動いて攻撃を回避するという手段を執れない。あまりにも実力差がありすぎ、相手の殺気に足がすくんでしまっているのだ。用心棒たちはにやりと口元に嫌らしい笑みを浮かべ、手にした獲物を標的めがけて突き出した。何のことはない直線的な動きだが、村人2人ならいとも簡単に葬り去れるだけの威力があった。

 

「な、なにっ?!」

「や、奴らが消えやがった?!」

「じ、地面に穴が空いてやがる! まさかここから……。」

「モグラじゃあるめえし、んなことあるか! さがせ! 遠くへは行ってないは……へぶっ!?」

「安心しろ、ただの手刀だ、命までは取らん。」

 

 急に標的の姿がかき消え、戸惑う用心棒たち、気を取り直して逃げたであろう村人たちを探すべく動き出そうとするが、いつの間にか現れた全身鎧(フルプレート)の騎士に後ろから手刀を振り下ろされ、1人がその場に倒れ服した。状況を確認する間もなく、屈強な男たちは小柄な騎士に次次と気絶させられ、1分もたたないうちに全員が地に服していた。驚いたのはヤーヤルだ。いったい何がどうなっているのか、全く思考が追いつかない。裏の世界でそれなりに名をはせた彼だ。こういった緊急事態には慣れていたはずだった。しかし、状況はあまりにも、彼の知る常識を逸脱したものだった。

 

「ヤーヤル・ドーガだな。調べは付いている。その馬車の中で眠っている人たちを引き渡して貰おうか。抵抗するなら……。」

「く、くそうっ、何なんだお前らは!! 特にそこのお前、見たところモンスターだな?! 一体何のつもりで私の邪魔を……!」

「私はテイル大陸のドラン王国騎士団二番隊隊長、アンだ。」

「げえっ、あの大国ドランの騎士だとぉっ?! 騎士の中に腕利きのモンスターがいるって言う話は本当だったのか?!」

「あ~あ、こりゃまた、一方的にやられちゃったねえ。大の男が情けないことで。」

「そう言うなヤナック、こいつらが弱いわけじゃなくて、アンが強すぎるのさ。」

 

 森の茂みから姿を現したヒカルとヤナックも、想定していたとはいえあまりに一方的な展開になんとも言えない表情をしている。まあとにかく、若い娘や子供を中心に人をさらい、人身売買の仲介をしていた商人は、アンの手によりアリアハンに引き渡され、あえなくご用となったのである。しかし、結局小さなアリアハンの国力では、背後で暗躍する人身売買組織までは、捜査の手を伸ばすことが出来なかったそうだ。そして、このことが後々、さらに大きな事件を呼び起こすことになろうとは、ヒカルもアンもヤナックも、このときは全く考えもしなかった。

 

***

 

 リバーサイドの村にある村長の家は、川上にそびえ立つ巨木の下に立てられている。この木は樹齢500年とも、それ以上とも言われており、村の守り神が宿っているともされていた。村長の家はほかのものより多少大きくはあるが、作りとしては特に高級な素材を使っているわけでもなく、ほかの民家と同じような木造の質素なものである。

 

「このたびは事件を解決してくださり、お礼の言葉もありませんですじゃ。」

「……いやいや、こちらこそ花嫁たちをさらうような真似をして申し訳なかった。なにぶん、手下もワガハイもあまり強いとはいえないのでな、人さらいどもに見つかってしまうと彼女たちを守り切れなかった。」

 

 村長とテーブルを挟んで向かい合っているのは、成人男性の数倍はあろうかという巨大な、赤い体色をしたモグラのモンスターだ。この村の住人はザナックと交流する中で、モンスターという存在についてあらかじめ聞かされていたため、ドン・モグーラを忌避することはなかったが、それでも村長がやや引き気味なのは、巨大モグラの体格を考えれば仕方のないことだろう。

 事の始まりは、近頃中央大陸で暗躍する人身売買組織の動きが活発になったことにある。モグラたちは地下に張り巡らされたネットワークを介して、人間社会のいろいろな情報を持ち合わせている。そのほとんどは軽いいたずらのネタにする程度の情報なのだが、ドン・モグーラの手下の1匹が、本当に偶然に、人身売買の組織が隠し持っていた拉致対象のリストを入手してしまった。もちろん彼らは通常であれば、人間社会のあれこれにちょっかいを出すことはしない。うまく棲み分けをすることがお互いのためであると分かっているからだ。しかし、そのリストからリバーサイドの娘2人を見つけたとき、状況は変わったのだ。

 

「いや、しかし、まさかベティとそちらの親分さんのところのモグラさんが知り合いだったとは、儂も昨日あの子から聞いて初めて知りましたですじゃ。」

「ワガハイも人さらいのことを聞くまでは知らなかったのだがな。もぐりんは少し好奇心が強すぎてな。散々注意しているのだが気質という奴はこう、なかなか直せるものではないようだ。」

「今回はそれでベティとナナミは助かったのですから、良かったではありませんか。まあ棲み分けというのは大事かも知れませんが、ことこの村に至っては、モグラの皆さんに害をなすような者はおりませんから、今後も村の者と仲良くして頂ければ儂もうれしいですじゃ。」

「そうであるな。ワガハイたちもこの村の人たちとなら、良いお付き合いが出来るかもしれん。」

 

 太く大きな手と、細くしわの刻まれた手が重ねられ、ここにモグラ団とリバーサイドの友好関係は結ばれたのだった。

 村長とドン・モグーラはしばらくして、ゆっくりと手を離し、事件の経過やお互いのことなど、他愛もない話に花を咲かせていた。どれだけの時間が過ぎたか、部屋のドアをノックする音がして、幾人かの者たちが部屋に入ってきた。ベティとナナミを戦闘に、ヒカルとヤナック、アンに数匹のモグラたちの姿もある。

 

「おお、お前たち、無事で何よりじゃ。すべてはモグラさんたちのおかげですな。」

「本当に、ありがとうございました。親分さん。それからもぐりん、助けてくれてありがとう。」

 

 ベティはトレードマークであるポニーテールを揺らしながら、モグラのボスに深々と礼をし、集団の一番後ろでもじもじしているいたずらもぐらに駆け寄って嬉しそうに抱きしめた。いたずらモグラ――もぐりんは照れながらもされるがままになっている。モグラの表情はよく分からないが、もぐりんもうれしいのだろうか、くすぐったいと足をばたつかせることはあっても、嫌がっている様子は全くない。

 

「いやいや、ワガハイたちだけでは人さらいどもを倒すことはできなかった。しかし不思議なものだな。人間と、モンスターが仲睦まじく、互いに助け合っているとは。」

「精霊神様はすべての命を、互いに助け合って生きていくように創造されたと聞いておりますじゃ。これが本来のあるべき姿なのかもしれませぬ。」

「ふむ、確かに、そちらにも人間とモンスターのつがいがいるようだし、な。」

 

 そう言うとドン・モグーラはヒカルとアンに顔を向け、少し考え込むようなしぐさをし、やがて意を決したように立ち上がると、ヒカルたちの所まで近づき、やや緊張したような声音で言った。

 

「アン殿、ヒカル殿、このたびは賊を退治するのに力を貸して戴き、感謝します。先も話していたのですが、弱いワガハイたちだけでは花嫁たちを隠すだけで精一杯だった。あなた方の助けがなければ、事件は解決できなかったかも知れません。」

「いや、まあそれは、お師匠に頼まれたことだから別に良いんだが、なんで急にそんな丁寧な態度になってんの?」

「我らモンスターは、基本的に強い者には敬意を払います。ワガハイは本来それなりに強くあるはずなのですが、どうも芸術以外にはからっきしダメでして。」

 

 ドン・モグーラってゲームでもこんなやつだっけ? と考えながら、記憶が定かではないヒカルは途中で考えるのを辞めた。本来、ドン・モグーラはゲームでは注ボス扱いで、戦闘力もそれなりにある。その上、下手くそな音楽を周囲にまき散らすという迷惑なモンスターだった。しかしこの世界のモグラの親分は、気が弱く強さも子分たちと比べてわずかに強い程度で、代わりに歌や踊り、絵画や彫刻を始めとした芸術に秀でているという、姿形以外は似ても似つかない個体となっていた。

 

「まあ、いいんじゃないのか? 私は確かに戦いには向いているが、女としてそれだけでもどうかと思うしな。人もモンスターも、皆それぞれ自分の良いところ、他者の良いところを認め合って、楽しく生きて行ければそれで良いと、私は思うぞ。

 

 今はフルフェイスの兜を小脇に抱え、アーサーからも降りているアンは穏やかな口調で、強さがすべてではないと話す。彼女が強すぎる自分の力をあまり好ましく思っていないような、そんな気がして、もちろん彼女の動きの少ない表情からははっきりとは分からないけれども、ヒカルはなんとも言えない気持ちになるのだった。

 

***

 

 花嫁の誘拐事件が解決してから数週間がたち、山奥の小さな村、その中にある、これまた小さな教会で、2人の男女が今、入りきらないくらいの人々に祝福され、この世界の創造主である精霊神に、これからの人生を共に歩む誓いを立てようとしていた。そしてややあって、2人の立つ壇上に、その誓いを見届けるべく、1人の人物が姿を現した。

 

「なっ?! サーラ、姫様……?」

「どうして、このような場所に姫様が……?」

 

 眼前に立つ、教会の神父ではない、見知った少女の姿に、新郎と新婦、ヒカルとアンは驚きで固まってしまう。少女、サーラはヒカルとアンの顔をじっと見つめている。しばらくの間沈黙が続いた後、彼女はおもむろに口を開いた。

 

「ヒカル、アン。」

「はい?」

「どうしたのですか? 姫様、このようなところにお一人で……。」

「私、怒っています。」

「え?」

「私、怒っていますのよ? 私だって、サーラだって二人の結婚をお祝いしたかったのに、なのに……誰にも何も言わずに行ってしまうんですもの。だから、私、メッキーにお願いして、ここまで連れてきてもらいました。」

 

 そう言ってサーラは教会の入り口の方へ目をやる、すると、群衆の中に確かに、モンスターであるキメラの姿があった。村人は今更モンスターが混じっていても驚くことはない。今回の事件解決の功労者であるモグラ団の面々も、人間に混じって普通に参列しているのだから今更だ。それはさておき、新郎新婦の方へ再び向き直った少女の目には、涙がいっぱいで、それは今にもこぼれそうで……。

 

「わ、分かった分かった、悪かったよ。俺が騒がれるの嫌だって言って、ここを式場に選んだのがいけなかったな。まさかこんな反応されるとは思っていなかったんだよ。」

「さ、サーラ、頼むから泣かないでくれ、ああ困ったな、どうしよう。」

 

 今にも涙が決壊してしまいそうなサーラの表情に、ヒカルとアンはおたおたとうろたえるばかりである。貴族の正式な婚姻なんて面倒くさいから、何か理由を付けてこじんまりとやろうと考えたヒカルは、自分の生まれ育った遠い異国の風習で、結婚式はごく親しい者たちの間だけで、なるべく小さな教会で、おごそかに、精霊神に誓いを立てなければならないという「宗教上の理由」をでっち上げたのだ。精霊神が実在するというこの世界にあって、神に誓いを立てる結婚の儀式というのは、たとえ異国の慣習であっても尊重されるらしい。そんなわけで、ピエール国王は精霊神様に誓いを立てる儀式であれば、その方法についてとやかく言うべきではないと了承し、ヒカルの師匠であるザナックを仲人として、リバーサイドの村で挙式が行われることになったのである。ただし、いろいろな横やりを回避するため、国王と大臣以外には詳細な内容は明かされず、挙式の場所も日時も公開されなかったから、サーラは直前までそのことを知らなかったのだ。

 

「ホッホッホッホッ、まあそう怒りなさるな、小さな姫君よ。」

「ザナック様!」

「まったく困った花婿と花嫁じゃのう。こんなにかわいらしいお客を招待しないとは……。のう、サーラ姫よ、この男の師として、あなたにお頼みしたいことがあるのじゃが、聞き入れて頂けませんかのう?」

「私に、ですか……?」

「うむ、古来より王族は、精霊神様の代行者、とされておる。そこでじゃ、あなたにこの2人の門出にあたっての誓いを、見届けて頂きたいのですが、どうですかの?」

「ちょ、ザナック様、いきなりそれは……。」

「黙っておれ! お前らに拒否権はないからの。子供を泣かせた罰じゃ。」

 

 ザナックはサーラの顔をじっと見つめながら、彼女が答えを出すのを待っているようだ。ほどなくして、小さなその口は了承の言葉を発し、ここに挙式は改めて最初から仕切り直されることになったのである。はて、いったいいつ、2人は正式に結婚することになったのか、そもそも最初は、誘拐事件の犯人をおびき出すために、新郎新婦の演技をしていただけのはずだ。それがなぜ、このようなことになってしまったのか、それは事件が解決した日の夜に遡る。

 

***

 

 事件が無事に解決し、ザナックに事の顛末を伝えた後、ヒカルたち3人はリバーサイドの村へ戻っていた。花嫁たちが無事に帰ってきたと言うことで、村長をはじめ村人たちからお礼と称して酒やごちそうを振る舞われ、調子に乗ったヤナックが裸で踊り出したり、モグラ団の面々が歌や踊りを披露したりとどんちゃん騒ぎとなった。一方で、ヘッケルとバートは商人の馬車をいきなり襲ったことについて、村長と新妻たちから長々と説教される羽目になった。ベティとナナミを助けたのが自分たちではなかったこともあって、彼らの意気消沈ぶりは見ていてかわいそうになるレベルであった。しかし、襲った馬車が人さらいのものでなかったら、実際はその可能性の方が高かったわけだが、その場合のリスクを考えれば、これはまあやむを得ないことだろう。

 日がすっかりと落ちた今も、村長の家ではどんちゃん騒ぎが続いているだろう。ヒカルはなんとなく、宴会の輪から抜け出し、この村の象徴とも言える水車小屋の傍に並んでいる岩のひとつに腰を下ろした。ここは釣り好きな村人がよく釣り糸を垂らしている場所であり、実際川魚がよく釣れるスポットだそうだ。騒がしい宴の音が風に乗ってかすかに耳に届くのを感じながら、何の気なしに水面をぼんやりと眺めてみる。穏やかに流れる水に、月や星の光が反射して不思議な世界を形作っている。ヒカルはほろ酔いの頭で、これまでに起きたことをなんとなく思い返してみた。特に大きな戦いもなく、今まで遭遇した事件の中ではかなり楽に片付いたと言えるだろう。そんな、ある意味緊張感のない事件だったからだろうか。今になって、作戦とは言えあまりに大胆な方法をとったものだと、昨日の彼女の花嫁姿を思い出し、急に恥ずかしい気持ちになってしまう。だが、恥ずかしさのあまり記憶の片隅に追いやろうとしても、ウエディングドレス姿のアンと、重ねた唇の柔らかな感触が鮮明になり、そんなことを公衆の面前で行ったことに、彼の羞恥心は増すばかりであった。

 

「しっかし、それにしても可愛かったなあ、アン。」

 

 まるでそうあるのが当然のように、気がつけばヒカルとアンはここまで寄り添ってきた。彼らはお互いの形に出来ないもの、強いて言うならその心のあり方に自然と惹かれ合った。だから、ヒカルも最近までアンの外見についてあまり深く意識したことはなかったのだが、改めて考えてみると、ショートカットのスタイルの良い女性というのは、彼の好みのど真ん中を射貫いていた。最初はあまり表情が変わらないと思っていたが、仕草を含めて、今は顔を見ればどんな感情を抱いているのか、ある程度は分かるようになっていた。だから、ウエディングドレスを着たときの、少し照れているけれども嬉しそうな表情は、ヒカルをドキリとさせるには十分すぎるものだった。

 

「結婚、か。」

「……そうだな、恥ずかしかったが、悪い気分ではなかったぞ。」

「ああ、ああいうのもいいかも、な。」

「私が、君の生涯の伴侶でも良いのか? 戦うしか能がない、自分でも女としてどうかと思うときもあるが、それでも良いのか?」

「関係ないさ、お前が傍にいてくれれば、それ……って、うわあぁぁぁ?! アンおまえ、いつからそこに?!」

 

 気がつくと、自分の隣にはよく見知った顔があって、こちらを見てかすかに笑っているのが分かる。彼女、アンもそれなりに飲んでいたはずだが、酔っている様子はない。いや、そんなことよりヒカルは、自分は一体何を口走ってしまっただろうと今更ながらに慌てふためいてしまう。

 

「あ、えっと、その、だな。どこから聞いてました?」

 

 ヒカルは恐る恐る、目の前の女性に尋ねてみる。語尾が何故か丁寧語なのは、彼の童謡を現しているのだろう。そんな男の様子を見つめながら、アンは何でもないようにさらっと返事を返す。」

 

「私のことを可愛いと、言ってくれたところからだ。」

「全部じゃねえかよ?! ああもうクソ恥ずかしい!!!」

 

 月明かりしかないから、ヒカルの顔が真っ赤なことはアンに悟られてはいないだろう。彼女がおかしそうにこちらを見ているのが、なんとなくわかる。相変わらず表情の動きに乏しく、彼以外には気づくことは出来ないだろうが、彼女は今、心から楽しそうにしていると、ヒカルには確信が持てていた。

 

「なあ、ヒカル、もし、君さえ嫌でなければ……。」

「え?」

「私と、け……。」

「わ、わ、ちょっと待った!!」

 

 言おうとしていた言葉を途中で中断され、アンは今度は誰が見ても分かるようなきょとんとした表情をしている。ヒカルは彼女がこの場の勢いに任せて発しようとしている言葉を察知し、それを止めたのだ。些細なことなのだろうが、彼の中で、それはゆずれないものだった。

 

「それは、それだけは男の俺に言わせてくれ!」

「……? そういう、ものなのか?」

「そういうもん! 少なくとも俺の中では!!」

 

 その言葉は、男性が女性に贈るべきもの、まあ別に、そんなことが決まっているわけではないが、彼はそう考えている。だからこそ、このまま彼女に続きを言わせて「はい、よろこんで」なんて答えるわけにはいかないのだ。誰が何といおうと、彼の中ではそうなのだ。ヒカルは場を仕切り直すように、短く咳払いをして、アンの顔をまっすぐ見据え、この場の雰囲気とわずかに酔った勢いに任せて短く、人生を左右する言葉を言い切った。

 

「俺と、結婚してくれ。」

「ああ、喜んで。」

 

 あまりにも短く、簡潔な言葉。しかし、目の前の女性はやはり簡素な答えを返し、後は無言で彼に抱きつき、その胸に顔を埋め静かに目を閉じた。腰と頭に回された腕が彼女を引き寄せる力を感じながら、アンは長い間、自分を包むぬくもりに身を預けていた。

 2人の関係の進展は、端から見ればじれったいものだっただろう。今こうして正式に結ばれたことは、唐突に映るのかも知れない。本人たちでさえも、お互いに抱く愛という感情のすべてを理解し切れてはいないのだろう。しかし、それで良いのだ。これからも、2人はお互いを幸せにするため、ゆっくりと、端から見ればくすぐったいようなやりとりを、続けてゆくはずだ。その道の行方は、彼ら自身にも分からない。

 

***

 

 ステンドグラス越しに差し込む日の光を背に、子供用の礼服に身を包んだ少女が、一組の男女に向けて朗々と何かを語り聞かせている。その調子はとても、幼い子供のものとは思えず、こういった式典めいたものに場慣れしている様子がうかがえる。

 

「……ここに、アザナード=ヒカル=メイデル=シャグニイルと、その妻たるラナリー=アン=アスマ=シャグニイルの婚姻を、精霊神の代行者たるドラン王国第一王女、サーラ=アリシエール=サナド=ドランの名において見届けます。両名とも、前へ。」

「「はっ!!」」

 

 これから夫婦となる2人は、自らの前に立つ主君の元へ、数歩歩み出る。サーラは聖典の内容をよどみなく読み上げ、新郎新婦に最後の問いを投げかける。

 

「……あなたたちは、互いを永久(とわ)に愛し、生命(いのち)尽きるまでともに歩み、支え合うことを、精霊神様に誓いますか?」

「「誓います」」

「では、誓いの口づけを。」

 

 ゆっくりと重ねられた唇は、お互いの感触とぬくもりを伝え、2人にこの上ない幸せをもたらした。ややあって2人が元の位置に戻ったことを確認すると、見届け人は場を締めくくる言葉を紡いだ。

 

「婚姻の儀は見届けられました。ドラン王家と精霊神の名においてあなたたちが夫婦たることを認めます。いかなる時もこの誓いは、あなたたちの行く先を照らすでしょう。」

 

 人間と、モンスターと、従者のエルフと、多くの者たちに見守られながら、2人は新しい一歩を歩み始めた。未だ運命は定まらず、この先に何が待ち受けるのか、知るものはいない。かつての物語を知る青年にすら、この先の未来は分からないだろう。後の人々が様々な尾ひれはひれを付けて語り継いだと言われる2人の英雄のなれそめの真実を知るものは、この世界では本当にごくわずかだ。

 

***

 

 ドラン王都の中心地にある、貴族の邸宅が密集する一等地に、ヒカル、つまりシャグニイル伯爵の邸宅は構えられている。モモが使われていない屋敷をいくつか見つけてきた中から、魔法学院にアクセスしやすい場所を選んだのだが、その際に改修費を国王自らが拠出したことが貴族たちの間で話題になった。こうしてヒカルは徐々に、ピエール王と側近たちによって、王の側近、国の重臣という地位を固められていった。この屋敷も元の世界であれば、彼が足を踏み入れたことさえなかったような、それは別世界といってもいい住まいだった。

 

「それでは、モモ殿、世話になりました。とうとうお会いすることはできなかったが、シャグニイル伯爵にもよろしくお伝えください。」

「はい、確かに、主人にそのように伝えます。どうか道中お気を付けて。」

 

 口ひげを生やした、がっしりした体格の男は、(とお)に満たない子供がいる年齢にしては、やや老けて見える。ただ、実際に年齢を聞いたわけではないので、見た目通りの齢を重ねているのかは、モモにも分からなかった。

 

「オルテガ様、これを。」

「む、ミミ殿。これは……。」

「お弁当です。旅のいろいろな話が聞けて楽しかったです。また、この国に立ち寄ることがあったら、ぜひお越しください。」

 

 幼い容姿ながら、姉同様の細やかな気遣いを見せる妹のエルフに、オルテガは笑みを見せ、ゴツゴツとしたその手に、かわいらしくラッピングされた弁当を受け取り、担いでいた荷物袋の中に丁寧にしまい込んだ。そして改めてもう一度姉妹の方へ向き直り、軽く一礼すると彼女たちに背を向け、繁華街の方へ向けて歩き出した。

 

「しかし、ずいぶんと貴重なものをたくさんもらってしまったような気がするが、良かったのだろうか?」

 

 通りを歩きながら、オルテガは重くなった荷物のことに思いを巡らす。まだ研究中の試作品といえども、傷を癒すという魔法の水薬や、主人のコレクションの選定から漏れたものですがと前置きされた、それでも一般人には手の届かないほど高価と思われる魔法の道具など、気づけば数十にも及ぶアイテムを譲られたのだ。遠慮して断ろうとしたのだが、置いておいても使う者がいなくて無駄になるからと、半ば無理矢理に荷物袋に入れられ、今に至っている。

 

「しかし、プライドの高いと言われるエルフが絶対の信頼を寄せる主人か、是非とも会ってみたかったが、残念だな。」

 

 男は、おそらくもうこの国を訪れることはないだろうと考えていた。彼の目指す場所は人の住む世界から遙か遠い場所。ひょっとしたら、生きては帰れないかも知れない。なにせ、その場所にたどり着けた人間など、今まで1人もいなかったのだから。しかし、たとえ自分が直接その場所を伝えに戻れなくても、いずれ成長した息子が、自分の旅の即席をたどって、その場所にたどり着ける、そのわずかな可能性に男は賭けていた。

 愛する息子のため、強い決意を胸に秘めた男は、ドラン王都の商店街を行き交う人の波に消えてゆき、ヒカルと彼の運命は交わることなく動き始めた。

 

to be continued




※解説
オルテガ:原作で登場したアベルの父親。原作前の世界なので少し若い姿でイメージして頂けると良いかと思います。原作での一人称は「父さん」か「儂」でしたが、作中で「儂」という一人称を使う登場人物があまりにも多すぎるので、本作では「私」にしています。同様の理由で、ピエール王の公務における一人称は「余」になっています。
ボミオス:敵全体の素早さを下げる。これによって行動順をある程度コントロールできるが、ピオリムと同じ理由で使いどころは限られる。味方全体に必ず効果があるピオリムと比べると使用頻度は格段に落ちるだろう。モンスターズでは単体に効果がある「ボミエ」が登場している。アニメではピオリムは登場しているがボミオスは未登場。
結婚の誓い:ねつ造です。精霊神(ルビスみたいなもの)という神と、教会という組織があるので、現実世界のキリスト教「もどき(ここ重要)」になっています。ちなみにこの世界では、神父と神官、僧侶の区別は曖昧なので、違いはあってないようなものです。
サーラとアンの名前:ヒカルのと同じく、適当に長い名前を付けました。特に深い意味はありません。アンの現実世界での本名はアンジェリカ=スタッドマンといいますが、本編で登場人物たちがそれを知ることはありません。

この展開はプロットの時点で決まっていましたが、プロポーズの場面は勢いで書きました、後悔はしていません。ハーレムルートで良いんじゃないかというご意見もありましたが、多数入り乱れた男女関係なんて複雑なものは私には書けません、ごめんなさいm(__)m

さて、これにて導入編は終了になります。次話から時間が適当に飛びつつ、原作前の登場人物たちと接触していきたいと思います。それにより、物語の細かな部分が変化していきます。ヒカルとアンがこの世界に来たこと、デスタムーアが現れたことで、原作で怒るイベントの時間なども変わっていきます。その点をご了承の上お読みください。
活躍させて欲しいキャラやアニメ本編のエピソードなどで取り上げて欲しい内容などがありましたら、活動報告へのコメントかメッセージでお寄せください。毎回のお約束ですが、感想欄には書かないでくださいね。

次回もドラクエするぜ!


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第23話 雪の日の悲劇! せせら笑う悪意

ここから、原作キャラがぼちぼち登場しますが、アベルたち原作主人公組とはまだ出会いません。直接絡ませるかもまだ未定です。主人公1人が介入した程度では、彼らの物語の結末は変わらないので……。


 ドラン王都の入り口には、大きな関所が設けられており、朝から晩まで実に様々な者たちが出入りしている。人と表現しなかったのは、先の国王の布告によってこの都で暮らす者が人間だけではなくなったからだ。ピエール王は布告の後、時をおかずにスライム島のメダル王を国賓として招き、2人の王が友好条約を結んだことで、今まで正体を隠して行われていたモンスターたちの訪問が堂々とされるようになった。彼らのほとんどは戦いに不向きであり、人間に害を及ぼすのが難しかったこともあって、暴力的なトラブルは起こらなかったが、それでもモンスターに好んで近づこうとするものはあまりおらず、仕事として関わる役人や兵士、品物を売り買いする道具屋くらいが彼らの話し相手であった。

 その状況が変わったのは、ピエール王が2度目にメダル王を招いたときだった。メダル王のお供として、また移動のための瞬間移動呪文(ルーラ)の使い手として同行していたキメラのメッキーにサーラ姫が近づき、お友達になってと笑顔で話しかけたのだ。これにはメダル王やピエール王でさえも驚きを隠せず、メッキー自身もどう応対して良いか分からず一瞬固まってしまったほどである。

 

「え? おともだち? オイラと? う~ん、え~と、オイラは別に良いんだけど、……どうしましょうメダル王?」

「わっはっはっは、ピエール王よ、あなたのご息女はおもしろい子じゃな。サーラ姫、ぜひとも、メッキーとお友達になってやってくれ。」

「はい!! よろしくね、メッキー!」

 

 そんなことがあってから、王城ではサーラと一緒に遊ぶモンスターの姿がたびたび目撃されるようになった。最初はキメラ1匹だったのが、いつのまにかスライム、ももんじゃ、いっかくウサギ、ドラキー……など、その数や種類は1ヶ月のうちに十数種類、数にして30ほどにも膨れ上がっていた。もともと、公式行事以外であまり城外に出ることの無い彼女にはちょうど良い遊び相手だったのだ。彼女にしてみれば、その言葉通り友だちが欲しかっただけなのだろう。しかし、王女がモンスターたちと仲良くしているという噂は瞬く間に国全体に広がり、その頃から国民のモンスターたちに対する態度が少しずつ変わりはじめた。そして、年が明けて冬の終わりが訪れ、王女の8歳の誕生パーティの時、、城のバルコニーから民衆に手を振るサーラの姿に、人々は驚いた。彼女は胸元に1匹のスライムを抱いており、足下にはいっかくウサギが寝そべっていた。さらに頭上ではドラキーがパタパタと旋回し、背後には護衛の兵士と一緒に数体のおおきづちが並んで警護? している姿が確認されたのだ。そして驚くことに、どこからともなく現れたキメラの背に乗り、彼女は集まった人々の頭上をゆっくりと遊覧飛行して見せたのだ。

 この日のことが決定打になり、メダル王の関係者に限られるものの、モンスターたちは次第にドランの国民たちに受け入れられていくようになった。現在ではふつうに街中で人間とあいさつを交わしたり、子供と遊んだり、荷物運びを手伝ったりといった姿が散見されるようになった。式典でのパフォーマンスは大人たちが考えたものだが、サーラがモンスターたちに友だちとして接していたのは事実であり、他種族にも人間と変わりない態度で接するその姿は結果的に多くの国民の心を動かしたのである。

 しかし、いつの世も本当に恐ろしいのは怪物などでは無く、人間なのかも知れない。これから語られる話はそういう話だ。欲深く愚かで、同族さえ手にかける人間と、自然と共に生き、周囲に害をなさないモンスター、討伐されるべきは果たして、どちらなのだろうか?

 

***

 

 時が経つのは早いもので、魔法学院の開校から1年はあっという間に、それこそ飛ぶように過ぎていった。最初は何もかも手探りだった教育や学校経営も、翌年にはある程度形になり、二期生からは他国からの留学生も散見されるようになった。魔法の才能を開花させはじめた学生もちらほら現れ始め、そうでない者も膨大な魔法の知識を与えられ、学者の卵として一目置かれる者も出始めた。一度軌道に乗ってしまえば、あとは流れるように進んでゆくもので、もともとこの世界基準では国民の学問に対する意識が高かったことも手伝って、ドランにおいて魔法や魔法使いは広く一般に認知されていった。

 夏が過ぎ、秋も終わりに近づいた頃、ヒカルとアンはピエール王の計らいで7日間、つまり1週間の休暇を与えられることになった。結婚してからも仕事に明け暮れ、新婚旅行すらまともに行っていない夫婦を気遣った、ピエール王の配慮であった。

 そんなわけで、ヒカルとアンはとりあえず、ザナックの道場を訪れていた。テイル大陸は砂漠が多く、冬でもあまり寒くは無いが、中央大陸はだんだんと寒さが厳しくなり、暖かいものが恋しい気候になっていた。ザナックが昼食にと用意してくれた温かいスープを味わいながら、ヒカルとアンは久々に職務から離れてゆっくりとした時間を過ごしていた。

 

「いやぁ、こっちはやっぱり寒いですねえ。」

「ホッホッホッホッ、まあここは標高が高いからなおさらじゃの。ゆっくりあったまっていくと良い。まあ今でもお熱いお二人さんにはこの寒さもなんのその、かのう?」

「ぶっ、ザナック様、不意打ちでそういうネタをぶっこまないでほしいんですけど。」

「ほらほらヒカル、顔に汁が飛び散っているぞ、まったく仕方が無いな。拭いてやるからこっちを向け。」

「自分でやるからいいわ恥ずかしい!」

「ホッホッホッホッ、良い脳、若いというのは。」

 

 本人たちにはどの程度自覚があるか分からないが、端から見ればいかにも「新婚」なイチャつき具合を披露しながら、暖かい料理に満足し、二人は食後の茶を楽しむのだった。

 

「ときにヒカルよ。」

「何でしょうザナック様。」

「おぬしが前に言っておった、デスタムーアとか言う奴のことじゃが……やはりこの世界にはそれらしい記録は無い。」

「やっぱりですか。この世界に元々存在していたなら、過去の記録や伝承から不完全でも対抗策を考えられるかと思ったんですがねぇ。」

「おぬしはデスタムーアについて、知っておるようじゃの。

「はあ、知っていると行っても、俺の世界じゃ物語の中だけの存在ですからね。全く同じ個体とは考えにくい。もっとも、本当にデスタムーアがいるかどうかも、確証は無いんですけどね。」

 

 ヒカルはデスタムーアの存在する確率が高いとは考えている。しかし、それは予想の範疇を出ず、できればこの世界に少しでも情報があればと思ったのだが、そううまくはいかないようだ。

 

「ふむ、しかし、バラモスとは違う者が生み出した宝石モンスター、各地で起こる奇っ怪な事件、背後にうごめく影……、いずれにしても、本来の竜伝説とは異なる災いが、この世界に着実に迫っておる。それにの。」

 

 ザナックは一息に茶を飲み干すと、ふうと長めのため息を吐き、背後の窓を振り返りその先の景色へ視線をやる。抜けるような秋の空に、小さな雲がいくつか、ゆっくりと流れている。ほとんどの者たちは、いつもと変わらないように見えるこの空に、季節の変わり目を感じる程度だろう。

 

「この中央大陸でも、邪悪な気に充てられた者たちが何やら不穏な動きを見せて折るようじゃ。ヒカルよ、くれぐれも気をつけるのじゃ。特に、人間には、の。」

 

 向き直った老賢者の表情は、どこか愁いを帯びているような、そんな気がした。

 

***

 

 中央大陸の南に、ボンモールという小さな国がある。アリアハンの半分にも満たない小さな王都と、周囲に散在するいくつかの貧しい村からなるこの国は、立地が悪いこともあって通称も途絶えがちであり、住人は流出する一方だった。国民は貧困にあえぎ、王族や貴族ですら貧しい生活を余儀なくされており、この国の人々は誰もが、身を寄せ合うようにひっそりと暮らしていた。救いがあるとすれば、ボンモール王が圧政を敷かず、領民から税を搾り取るような貴族たちもほとんどいなかったことだろうか。だから、ボンモールの治安は国民の生活レベルを考えればかなり安定している方だと言えた。

 しかし、いくら為政者が圧政を敷かなかったと行っても、外から流れ込む悪意はどうしようもない。国力が弱っているような状況では、犯罪組織の取り締まりなどはおろそかになってしまうものだ。だから、現在この国が抱えているある問題がいっこうに改善しないのは、仕方ないと言えば仕方ないことだった。……当事者たちにとっては受け入れがたいものであったが。

 

「う、ううっ、なんでだ、なんでだよぅ……!」

「すまねえ、どうしようもなかったんだ、みんなが生き残るためにゃあ、どうしても……。」

 

 隣村へ続く街道に、がっくりと膝を落とし、地についた拳を握りしめ、しかし、少女の目だけは涙に濡れながらも、馬車の走り去ったその方角を見据えていた。まだ幼い彼女にとっては、あまりにも過酷な、受け入れることの出来ない現実だった。ほんの数ヶ月前まで、両親と、弟妹と、貧しいながらも幸せに暮らしていた彼女の傍らには、今や誰もいない。

 

「金、なのか……全部金なのか!! ……そうかよ、わかったよ、そんなにその金が大事なら、そんなもん、あんたにくれてやるッ!」

「お、おいよせ、やけを起こすな!!」

 

 男は慌てて少女の手をつかもうとするが、すばやい彼女を捕まえることはできずに、その手は空を切る。

 

「ば、馬鹿野郎!! 子供(ガキ)1人で何が出来るってんだ!!」

 

 男の悲痛な叫びが村中に響き渡り、さすがに何事かと村人たちが集まってくる。彼らは一様に疲れ果て、その表情には活力というものが全く感じられない。今年に限って不作、流行病などが続き、もはやこの村は明日食うものにも困る有様だった。だから、両親を失った子供たちの内、十に満たない幼子だけを高値で買い取るという人買いの言葉、提示された法外な金額に目がくらんだとしてもやむを得ないことだった。そう、それが幼い兄弟を引き離し、彼らの心に大きな傷を残すものだとしても、彼らにとってはやむを得ないことだったのだ。まだ8歳の男の子と、6歳の女の子、彼らは大好きな姉から引き離され、古びた馬車に乗せられて連れて行かれた。

 この日、村一番のお転婆娘、気は強いが気立ての優しい、十歳になったばかりの少女が1人、売られたわけでも無いのに村から姿を消した。

 

***

 

 ザナックの道場で1泊した後、ヒカルたちはホーン山脈を南へ下り、小国ボンモールを目指してゆっくりと馬車で旅をしていた。馬車と行っても商人が使うようなごくありふれたもので、仮にも爵位を持つ貴族が乗るようなものでは無い。それでも途中知り合ったピンク色の珍しいドラキー、ドラみを仲間に加え、それなりに楽しい道中を過ごしていた。

 

「う~ん、少し冷え込みが厳しくなってきたな。」

 

 ヒカルは馬車内に持ち込んだ火鉢に手をかざしながら暖を取っている。最初の2日ほどは季節の割には暖かい日が続いていたが、三日目から急に気温が下がり、いつの間にか空は白い雲で覆われはじめていた。

 

「ヒカル、それにしてもこの火鉢という奴は便利だな。これのおかげで馬車の中は外より数段暖かい。しかし、まだ少し寒いな。

「おい、さっきからどこを触ってるんだおまえは。それにスライムナイトは暑さも寒さも関係なく、雪の中でも問題なく活動できるはずだよなあっ?!」

「男の一番暖かいところはここだと思ったのだが、ダメか?」

「あのね、ドラキーとは言え、向かい側に女性がいるのですよアンさん。」

「きゃ~、新婚、ラブラブ、見てるこっちが恥ずかしいわあ~。」

「ドラみさん? その割には近寄ってきてガン見してますよね?」

 

 そんなやりとりをよそに、馬車はゆっくりとだが街道をボンモールへと進む。彼らは扉を閉めた馬車の中にいるためにまだ気がついてはいないが、いつのまにかちらちらと雪が舞い落ちはじめ、あたりは次第に冬の寒さに包まれていった。

 

「ちっ、ふざけててもやっぱ気分悪りぃわ、クソ人買いどもが……!」

「ああ、さっきの村もひどい有様だったな。両親が亡くなって身寄りの無い子供を買っていったとか。」

「人間ってほんとう、お金ないとな~んにもできない生き物だね、やんなっちゃう。」

 

ヒカル、アン、ドラみは昨日宿泊したテンペという小さな村のことを思い出していた。弱肉強食を基本とするファンタジー世界において、弱い者は死ぬ。病気だったり、モンスターや獣との戦いだったり、食糧難だったりと、原因は様々だ。病気以外は現代日本のサラリーマンだったヒカルにはなじみのないものだった。だから、そういう状況にさらされるというのがどういうことなのか彼には分からない。しかし、親を亡くした子供を金で売り払うという神経だけは、彼にはどうしても受け入れがたいものだった。

 

「旦那型、ちょいといいですか?」

「ん?どうかしたのか?」

 

 不意に馬車が止まり、御者の男が扉を開けて顔をのぞかせた。その身体にはうっすらと白いものが積もっている。

 

「そこの防寒具をとってもらえませんかね、こりゃあ本格的に降り出しそうだ。馬が寒さでうまく進まねえや。」

「ああ、悪いね1人で寒い思いさせて、どこか休憩できる場所はこの辺にあるかい? ほらこいつだろ? 防寒具。」

「おっと、こりゃどうも。もう少しで森の休憩所に着くと思いますが、馬がこの調子なんでちょいと時間がかかるかもしれません。」

 

 御者は防寒具を受け取ると、自分の体に付いた雪を払い落とし、手早く着込んだ。白い息を吐きながら持ち場に戻ろうとする男に、ヒカルは小さな袋を差し出した。

 

「んじゃこれ、馬に食べさせてみな。それからあんたも食べときな。休憩所についたら少し休んで暖を取ろう。」

「へい、そうしやしょう。……って、こいつは、炎の実じゃないですか?!」

「ああ、北方大陸からの輸入品だよ。念のために用意しておいてよかった。あんたもそれで寒さをしのぐといい。まだたくさんストックしてあるから、足りなくなったら言ってくれ。」

 

 御者の男は了承の意を告げると、扉を閉めて出て行った。程なくして馬車は再びゆっくりと動き始め、ヒカル一行は雪のしんしんと降る街道を進んでゆくのだった。

 

***

 

 少年は絶望しかけていた。降りしきる雪が馬車の中まで入ってくることは無いが、外との気温差はほとんど無い。粗末な毛布に包まれて縮こまるその体は、すっかり痩せ衰え、冷え切っていた。

 最初にこの馬車に乗せられたときはもう訳が分からなかった。自分と妹の名を叫びながら涙を流し、馬車を追いかけてくる姉。しかし、馬車の速度に追いつけるはずも無く、その姿は次第に遠ざかり、見えなくなった。いったいなぜ、自分と妹だけがこの馬車に乗せられたのか、まだ8歳の少年が理解するには少しの時間が必要だった。

 それを知ってしまったとき、少年は頭の中が真っ白になった。村人たちが生活に困り、身寄りの亡くなった自分たちを金で売り払ったのだと分かったとき、怒りよりも衝撃の方が大きかった。そして自分は捨てられたのだというどうしようもない事実が、彼の心を締め付けた。そこから先は、もうどうやってここまで来たのか覚えてなどいない。さまざまな町を経由し、同じく金で買われてきたのだろう子供たちと同じ馬車に乗せられたり、また別れたり、そんなことを繰り返した。そして、今この馬車の中は彼と、彼の幼い妹の2人だけになっていた。

 少年はこの年齢にしては強い心を持っていたし、身体も元々丈夫な方だった。彼1人であったなら、スキを見て逃げ出してどうにか1人で生きて行くことができたかも知れない。生き残れる可能性は高くは無いが、人間を売り買いするなどと言う同じ人間とは思えない連中に良いようにされるくらいなら、彼にとっては逃げ出してモンスターの餌食にでもなった方が何倍もましだったかも知れない。しかし、彼にはそんな一か八かの行動に出られない理由があった。

 

「しっかりしろ、大丈夫だからな。」

「おにい、ちゃん……。」

 

 彼の隣で体を横たえている幼い少女は弱々しい声でかろうじて答えるが、顔面蒼白、目はうつろで有り、一目見て健康体で無いことが見て取れる。もともとあまり体の丈夫では無かった彼の妹は病にかかり、その命の火はもはや、風前の灯火と言って良かった。

 少年は何度も、妹にだけでも温かい飲み物や食べ物を分けてくれるように、柄の悪い周りの大人たちに必死に頼み込んだ。しかし、そんな少年と、病に苦しむ彼の妹を見ても、大人たちは嘲笑するばかりだった。それでも諦めず、何度も何度も頼んだが、うるさいと怒鳴られ、殴られ、わずかに与えられていた食べ物さえも頻度が低くなり、少年はすでに、身も心もボロボロになっていた。

 

「くそう、どうすりゃいいんだ、どうすりゃあ……!」

「おにいちゃん、いいの……。」

 

 少女が諦めの言葉を発し、そのまぶたがゆっくりと閉じられていく。しかし、もはや少年の心は折れかけ、かけるべき言葉も口からは出てこない。度重なる肉体的、精神的疲労と暴行によるダメージで、少年の心は折れる寸前だった。

 

「ええ? 旦那型、本当にお買いになられるんで? さっきも言いましたけど、もう売れ残りの死にかけのガキが2人いるだけですよ?」

「……構わないさ、子供の体は死体でもその筋には高く売れるからな。」

「そうですかい、へへっ、お代の方はぐんとお安くしときますんで……。」

 

 不吉な会話が終わると同時に、馬車の扉が開き、小柄な男が乗り込んでくる。旅人の副の上からコートを羽織った、何の変哲も無い優男のように見える。しかし、少女は言わずもがな、少年の方にももはや、これ以上運命にあらがうだけの気力はほとんど、残されてはいなかった。

 

「おい、買取は確定だが、身体の状態を確認させてもらうぞ、少し魔法を使うから、集中するために扉を閉めさせて貰うからな。おい、連中に代金を渡してやれ。」

「ああ、わかった。」

「こ、こりゃあずいぶんと重てえな、な、中身を確認しても構わないですかい?」

「ああ、構わないよ、よっこらしょ、と。」

 

 小柄な男は馬車の扉を閉め、薄暗いその空間の済の方で身を寄せ合うようにして振るえている子供たちに近づいた。先ほどの話の内容は聞こえていたのだろう、少年はびくりと肩をふるわせ、恐怖に染まった表情で男を見ている。

 

「……心配するな、必ず助けてやる。ただし、奴らに気づかれると面倒だからな、そっちの女の子の方は急がないと死んでしまう、無駄な時間はかけたくない。」

「え、あ……。」

「答えなくて良い、奴らに感づかれないように、指示は最低限しかしない。……その子はお前の家族か?」

 

 小声で話す男の言葉に、少年は目を見開いた。何とか応答しようとするその声を遮り、男は少年の傍らの少女の身元について尋ねてきた。少年が小さく頷くと、男は優しい笑みを浮かべ、懐から小さな袋を取り出し、その中から小さな木の実を2つ取り出し、少年の手に握らせた。

 

「それを食べれば少しの間寒さをしのげる。その子はもう飲み込めないかも知れないが、かみ砕いて口移しすればまだ何とかなるだろう。出来るな?」

「はい。」

 

 弱々しい声だが、その返事は男にはしっかりと届いていたようだ。少年は炎の実を一つ口に入れ、咀嚼すると、傍らに横たわる妹の体を優しく抱き起こし、口移しでゆっくりと飲ませていく。少女の喉が何度か動き、実が飲み下されたことを確認すると、少年は残るもう一つを口に含み、今度は自分が飲み下した。それを確認した後、男は少女の傍らに座り込むと、その体を抱きかかえ、右手をかざす。そして、わざとらしい大きな声で、外に聞こえるように言い放った。

 

「おおっ、小さな女の子かぁ、こりゃあ拾いモンだぜ。あそこの旦那はこういうのがお好きだからなぁ、へへっ。」

 

 外の男たちの何やら話す声と、下卑た笑い声を背に、男は小声で何やらつぶやきはじめた。

 

「少し眠っていろ、後で回復してやるからな。慈悲深き大地の精霊たちよ、小さきものにしばしの休息と平穏を与えよ……ラリホー。」

 

 男の手からかすかな光が放たれ、苦しそうだった少女の息づかいがわずかに落ち着き、小刻みにけいれんしていた体が脱力する。驚きで目を見開いた少年を落ち着かせるように、男は柔らかい口調で現状を説明する。

 

「ああ、大丈夫だ、ラリホーって知ってるか? 睡眠の呪文を弱く賭けた。体力を無駄に消費しないようにな。……さて、ここからが正念場だ。正直悪党の演技は慣れないんだが、まあなんとかやってみる。適当に合わせて付き合ってくれ。……俺を信じろとはいわないが、付いてきた方が今よりましになるのは確かだと思うぜ?」

「あ……なたは、いったい?」

「説明してる時間が惜しい、今はここから逃げることだけ考えろ。」

「は、はい。」

 

 男は馬車の扉を開け放ち、少女を抱き上げると、再び口調を荒っぽいものに変えて男たちと話し始めた。

 

「いい品物だ。確かに買い受けたぜ。オラ、お前も出てこい!」

「ちくしょう、何だってんだよ……!」

「いいからついてこい、お前たちは俺が金で買ったんだからな、もう俺の所有物だ。」

「へへっ、旦那、お買い上げありがとうございます。馬車まで運びましょうか?」

「いや、いい、自分で買ったものくらい自分でもっていくさ。」

「へえ、んじゃ寒いんでお気を付けて。」

「ああ、お前らもな。」

 

 少年が馬車から降りると、外で待っていたフルプレートの戦士らしき人物が近寄ってきて、彼と人買いたちの間に割り込むようにして入り込み、少年の身体を押して向かい側の馬車に向かわせた。全員が乗り込むとまもなく扉は閉じられ、馬車はゆっくりと動き出した。

 

「ぐへへぇ、思いがけず儲かっちまったなぁ、おい。」

「ああ、後でゆっくり勘定しようぜ、さすがにゴールド金貨じゃねえが、金塊がごっそり入ってやがる。」

「なんかやたらと冷てえ気がしねえか?」

「ばっか、これだけ寒いんだぞ、金属なら冷えてて当たり前だろうが。」

 

 男たちはゆっくりと離れていく馬車を見送り、暖を取っているテントの中へ引き返した。その中では火にくべられた鍋が、そろそろ良い具合に温まっている頃合いだ。温かい食事でも取りながら金塊を勘定しようと考えたの男たちは、鍋を囲んで丸くなるように腰を下ろした。。

 鍋の中では具材のたっぷり入った温かなスープがくつくつと煮え、食欲をそそる良い匂いを漂わせている。彼らはとりあえず、雪をしのぐために貼ったテントの中で体を温め、先ほど思いがけず手に入れた金塊の勘定に心躍らせるのであった。

 彼らはまだ知らない、渡された金塊は真っ赤な偽物で、彼らが食事を終えて革袋を開く頃には、そこには袋一杯の水に浮かぶ氷の欠片が淡い光を放っているだけであることを。そして、それがたった2つの呪文によってもたらされた魔法の産物だったということを。

 いや、それよりも何よりも、彼らは知っておくべきだったのかも知れない。困っている者、特に弱い者を何の見返りも求めずに助けようとするお人好しが、この世の中にはいるということを。

 

***

 

 ゆっくりと移動する馬車の中で、身体を温める魔法の木の実の力を実感しながら、少し冷静になった少年は改めて、現状に困惑していた。馬車の中には先ほどの小柄な男、鎧と兜を脱いだ戦士……と思われる女性、ピンク色をした、たぶんドラキーの一種だろうモンスターが、自分の妹を囲んで難しそうな顔をしている。

 

「これは、ひどいな。」

 

 最初に口を開いた女性は、忌々しそうに顔をゆがめ、膝の上で拳を握りしめた。表情こそあまり動いてはいないが、明らかに憤っているのが分かる。隣に座る男は腕を組み、何かを考えているように見える。

 

「ほんっと、人間って怖いわぁ、ある意味凶暴なモンスターよりタチが悪いわね。」

 

 小さな翼をパタパタと小刻みに動かし、座した大人の顔くらいの高さをキープしながら、ドラキーはため息交じりに現状を嘆く。

 

「お前も、大丈夫か? まあ急なことで驚いただろうが、とりあえずここにはお前たちを傷つけるような奴はいないから安心しな。」

「しかしヒカル、これは次の町まで待っていたら、手遅れになってしまうかもしれんぞ。回復呪文(ホイミ)で体力の回復を試みたが、回復した傍から弱っていく。おそらく病気の姓だろうが、そうなるとモモに診てもらったほうがいい。」

「そうだな、よし、迷っている場合じゃ無い。本当は奴らを泳がせて、元締めを突き止めてやろうと思ったんだが、どうもこの子の状態が気になる。ここからドランまで一気に飛ぼう。」

「それが良いだろう。ヒカルと別れて奴らを追っても良いのだが、どうも何か嫌な予感がする。私も一緒に帰ることにしよう。」

 

 少年は相変わらず状況が完全に飲み込めてはいなかったが、妹が危険な状態で、助けるためにどこかに向かおうとしているらしいことだけは、会話の内容から察せられた。

 

「あ、あの。」

「ん?」

「どうして、俺たちを、助けてくれたんですか?」

 

 弱々しく問いかけられたその言葉に、金髪の女性は優しい笑みを……そう、ちょうど少年たちの母親が、彼らに向けてくれたような表情を浮かべて、穏やかな声で言った。

 

「大人が子供を助けるのに、何か理由が必要か?」

「え?」

「かなりひどい目に遭ったようだな、周りが信じられなくなりかけている、そんな顔をしているぞ。心配するな、私達はお前と、お前の妹を助けるために来た。」

「そうだぜ、けどな、お前の妹はここじゃあたぶん助けられない。これから俺の国へ飛んで、もっと詳しい奴に診てもらうことにした。時間が無いからな、黙ってついてきて貰うぞ?」

 

 男の強い口調は有無を言わさないものだったが、それは威圧したり、服従を要求したりするものではなく、緊急事態のために即、行動が必要だからだ。そのことだけは、少年にもわかったらしく、彼が短く頷いたことを確認すると、男は馬車を止めさせ、御者の男に何か話を始めた。御者は最初は驚いていたようだが、やがて真剣な顔になると、深く頷き了承の意を示す。

 

「よし、話はまとまった。これから馬車ごと魔法で転移させる。アン、その子をしっかり抱いてろ。おっちゃん、あんたも馬車の中へ。」

「へい、わかりやした。」

「ねえヒカル、ちょっといい?」

「ん? なんだドラみ?」

「あのさ、あいつらのこと、気になるんでしょ? あたしあいつらを追っかけてみようと思ってるんだけど、ここで離脱していいかな?」

「……お前の戦闘力の弱さを考えたら、かなり危険だと思うが、何か考えがあるのか?」

「えっとね、私、戦うのはてんで弱いし、攻撃呪文もからっきしダメなんだけど、レムオルとかマヌーサとかメダパニとか、そういうの得意なんだよね。何か調べて分かったら教えるから。この大陸に知り合いとかいないの?」

 

 ドラキーの提案に、男は短く考える仕草をした後、道具袋から翼の形をしたアイテムを取り出して、彼女に手渡した。

 

「キメラの翼?」

「ああ、これで俺たちと最初に出会った、ペルポイの町の近くの森にいてくれ。1週間後に迎えに来る。いいか、何があっても深入りするな。何かが分かっても、分からなくても、1週間後にはそこにいて待ってろ。」

「OK、分かったよ。じゃあ……行くね、レムオル。」

 

 その言葉と友に、ドラキーの姿はかき消え、女性が扉を開くとパタパタという翼を動かす音だけが通り過ぎ、遠ざかっていった。御者が扉を閉めると、ヒカルは全員を見渡して心の準備を促した。

 

「さあ、行くぞ、みんな、念のため衝撃に備えてくれ。こんな大きいものを動かすのは初めてだからな、着地の時に何かあるかもしれん。おっちゃん、そっちの坊主たのむわ。」

「よっし、坊主、こっちこい、おじさんにしっかりつかまっとけ。」

「は、はい。」

 

 全員が1箇所に固まったことを確認し、男は目を閉じ、精神を集中し詠唱をはじめた。

 

「天の精霊よ、翼を持たぬ我の翼となりて、彼の地へ導け、進むは天の楼閣、強固なるその門を我らのために開け放て……天よ繋がれ!」

 

 男を中心に、青白い光が放たれ、それは次第に広がりやがて馬車全体を、馬を含むすべてを包み込む。魔力の調整を完了した術者はゆっくりと目を開き、最後の発動句を口にする。

 

「ルーラ!」

 

 次の瞬間、馬車は不思議な力で天へと押し上げられ、その速度はぐんぐん増してゆく。そしてあっという間に再び降下し、ゆっくりと速度が落ちていく。やがてトスンという軽い感触がした後、動きは感じられなくなった。

 

「ふむ、無事についたみたいだな。」

「なかなかうまい着地だったぞ。この子にも悪影響はなさそうだ。」

 

 少年が女性の方を見やると、彼女の胸には妹がしっかりと抱かれて眠っている。表情は未だ苦しそうではあるが、どこか少し安心しているような、そんな顔をしていると、少年は思った。

 

「さあ、俺のイメージ通りなら屋敷の前のはずだけど、とにかくこの子を家の中まで!」

「よし、先に行くぞ!」

 

 馬車の扉が開かれ、目に飛び込んできた景色に、少年はただ驚くしかなかった。先ほどまでの冷え切った空気とは異なる、ぬるく乾いた空気に包まれたそこには、彼が今まで診たこともないような、大きな屋敷がそびえ立っていた。

 後になって、少年はこの日のことを思い出し、ここが自分の運命の分かれ道だったと、周囲に語ったという。後にドランに名を轟かすことになる英雄の歩みは、未だ1歩たりとも踏み出されてはいない。

 

to be continued




※解説
原作イベントの時期:トビーとルナが人買いに連れて行かれたのはデイジィの回想では彼女が10歳の時で、原作開始時17歳ですから、原作開始7年前と言うことになります。原作開始時点でトビーは15歳、ルナは13歳になる予定です。トビーとルナの年齢設定は原作で明確な言及がないのでこちらで設定しています。しかし、私の設定だと人買いに連れて行かれた時点で8歳と6歳というかなり幼い年齢になっています。子供たちに過酷な道を歩ませすぎだな……自重しないけど。
レムオル:姿を消す呪文。消え去り草と同じ効果だが、ゲームでは持続時間がやや短い。モンスターには効果がないらしく、姿を消して歩いても普通にエンカウントする。この呪文を使えば、消え去り草を持っていなくてもある城に侵入できるが、それだけの呪文である。現実に存在したら悪用されること間違いなしだ。Ⅲ以外のナンバリングでは登場しない。
偽の金塊:あるものをある魔法で光り輝かせ、金塊に見せかけています。さあ、皆さんにはタネがわかるかな……? ちなみに、雪が降っていて視界が良くなかったことと、周囲が低温であったことが、相手をだませたポイントになります。まあ、人買い連中(下っ端のチンピラ)の頭が悪かったのも、一つの要因ではありますね。


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第24話 空を貫く1対の塔! 世界樹の秘境を目指して

前回、目の前で死にかけている少女を救うため、人買いたちの前で一芝居打ったヒカルたち。
はたして、病魔に冒された少女を救うことができるのか?


 広大なドラン王城、その建物自体も世界屈指の素晴らしい建築物だが、どちらかといえば数ある庭園の方が有名だろう。バラ園、ユリ園など花の咲き誇る庭園や、広葉樹や針葉樹が整然と植えられた庭園など、その一つ一つが隅々まで手入れされており、世界中にその美しさが知れ渡っている。

 少女がもたれかかってうたた寝をしている巨木は、数ある庭園の中でも彼女が最も気に入っている果樹園のリンゴの木だ。この木は果樹園の中では最も古く、この庭園が造られた当初からあるとも言われているが、詳しいことを知るものはいない。

 少女の傍らでは、ウサギのような外見をした、しかしそれよりは遙かに大きい獣が体を丸め、寄り添うようにして眠っている。巨木の影が日差しを遮り、頬に当たる心地よい風を感じながら、少女は幸せなまどろみに心を委ねていた。

 

「姫様、ここにいらしたのですか!」

 

 幸せな時間を邪魔され、少し不快そうに起き上がった半眼の少女は、視界に写る人物が見慣れた従者と知って、一瞬で表情を作り替え、愛らしい笑顔で応対する。最初の反応に少しびくりとした従者……今日の当番であるメイドはほっとしたような表情を一瞬見せたが、すぐに業務用の貼り付けたような微笑を浮かべ、要件を告げる。

 

「お休みの所申し訳ありません。シャグニイル伯爵夫妻がお戻りになられました。」

 

 少女……サーラ姫はきょとんとした顔で、メイドの言葉を聞いていた。メイドは少しの間、不思議そうな顔をしていたが、姫の疑問を察知して説明を付け加えた。

 

「7日間のご旅行の予定でしたが、予定外のことが起こったと言うことで、早めにお戻りになられたようです。……伯爵夫妻が戻られたら報告するようにとのご命令でしたので……。」

「そうですか、わかりました。ありがとう。」

 

 そういうと王女、サーラは、傍らでまだ体を丸めて眠っている獣……いっかくウサギの背を撫で、優しく声をかける。それは、従者や客人に向けるものとは、言葉遣いも声色も全く違うものだった。おつきのメイドがこの光景を初めて見たなら、驚きで数秒は動けなくなったことだろう。今いるメイドの彼女も、最初はそうだった。

 

「ラビー、ヒカルたちが帰ってきたみたい、私は会いに行こうと思うけれど、あなたはどうする? ここでお昼寝してる?」

 

 いっかくウサギはのそのそと起き上がり、サーラの半歩ほど右後ろへ移動する。それが同行の意思だと知っている彼女はいっかくウサギ、ラビーの頭を軽く撫で、庭園の出入り口へと歩き始めた。途中、一度立ち止まり後ろを振り返った彼女は、臣下や客人には絶対に見せないような、年相応の子供の表情で笑って言った。

 

「今日は途中になっちゃったけど、また明日、お昼寝しに来るね。」

 

 再び前を向いて歩き出した彼女の黒髪を、優しい風がふわりと揺らし、先ほどまで寄りかかっていたリンゴの巨木がざわざわと揺れた。

 彼女の言葉がリンゴの木……ちょうろうじゅに向けたもので、木が風に揺れたようなその動きこそが、彼女の呼びかけに対する返答なのだと言うことを、従者のメイドが知ることはない。

 

***

 

 王都ドラン、ヒカルの邸宅の一室で、1つのベッドを囲んで数名が顔をつきあわせていた。この館の主であるヒカルと、従者であるモモ、そしてまだ年端も行かない少年の3名である。ベッドには少年よりもさらに幼い少女が横たわっており、その手を少年が固く握りしめている。

 

「だめです、今の私の手持ちでは、この子の病を治療することはできません。」

「そんなに面倒な病気なのか?」

「はい、外から入り込んだ邪気に体が冒されている上、衰弱しきっていて栄養補給をまともに受け付けてくれません。今は薬草から抽出したエキスを体に定期的にすり込んで、あとは神官様にホイミをかけていただきながらしのいでいますが、このままではそう長くは持ちません。」

「そんな……! せっかく、あいつらのところから助かったのに、どうすることもできないなんて!!」

 

 少年の顔に絶望の色が浮かぶ。この兄妹がいったい何をしたというのだろうか。運命に対する罵倒を心の中で浴びせながら、ヒカルはそれでも努めて冷静に対応策はないかと思考を巡らす。

 

「1つだけ、助かるかも知れない方法があるにはあるな……。」

「! そ、それは本当、ですか?」

「……ホーン山脈にあるパデキア、ですか……。いえ、たぶんそれでも無理でしょう。この子の病は生命力を枯渇させるやっかいなもので、正直、今なぜ生きていられるかも私には分からないのです。これを完全に治すには、それこそ生命そのものをつかさどる世界樹の力でもなければ……。」

「世界樹か……、って、ちょっとまて、あるのか世界樹?!」

「ある、とは言われています。しかし、その場所までは私にもわかりません。エルフの伝承では、世界樹は精霊神の御霊(みたま)とともに、下界より隔絶されし秘境に在る、とだけ記されています。」

 

 ゲームで言えば世界樹はⅡの頃から存在はしていた。そう考えればおそらくこの世界にもあるだろうと、ヒカルは確信のようなものを感じていた。そして、そういったことに詳しそうな人物に、彼は1人だけ心当たりがあったのだ。

 

「モモ、この娘を頼む。俺はこれから、ザナック様のところへ行ってくる。」

「お気をつけて。」

「お、俺も……。」

「お前はダメだ。」

 

 同行を申し出る少年の言葉を、ヒカルは強めの語調ではっきりと拒絶した。そして、不安と、焦燥に顔をゆがめる彼の頭にぽんと手を置いて、腰を低くし、目線を合わせて優しく言い聞かせる。

 

「勘違いするな。お前にはお前にしか出来ないことがある。お前の妹は今、衰弱して眠ったままだが、病気って運命と闘っているんだ。その闘いから目をそらすな、たとえ言葉は届かなくても、目を閉じていてお前の姿を見ることが出来なくても、お前の妹を助けたい心が本当なら、傍にいるだけで力になる。これは、他人の俺たちには出来ないことなんだ。」

 

 少年はじっとヒカルを見つめ、やがて静かにうなずいた。そして、ヒカルに向かって深々と頭を下げ、小さいがはっきりした声で言うのだ。

 

「お願いします、妹を、ルナを助けてください!」

 

 ヒカルは黙ってうなずくと、立ち上がって部屋の入り口へ歩を進める。入り口に近づいたあたりで外側からドアが開き、別の人物が部屋に入ってきた。

 

「アン! 戻ったのか?」

「お帰りなさいませ、奥様。」

 

 ヒカルは少し驚いたように入ってきた人物の名を呼び、モモは使用人として臣下の例を取る。部屋に入ってきたのはアンだった。2人で王への挨拶を済ませた後も、彼女はやることがあると言って城内に残っていた。それはそこそこ時間がかかるもののはずだが、何故こんなに早く戻ってきたのだろうかと、ヒカルは不思議に思った。そんな彼の表情を見て取ったのか、ベッドの脇まで移動しながら、彼女はこの時間に帰宅した理由を話し始めた。

 

「私達が早めに戻った事情を、姫様に聞かれてしまってな、気を利かせてくださったらしい。まったく、あのお歳でそんなことまで考えているとは、大人としてはなんとも複雑なのだが……。」

 

 彼女は少し苦笑いしながらふっと軽く息を吐き、次いでベッドで眠る少女と、その傍らでどう反応したものかと困り顔の少年を順番に見やり、再びヒカルに向き直った。

 

「話は聞いていた。私も一緒に行こう。急ぐのだろう?」

「ああ、仕事帰りに悪いが、頼む。」

「なに、いつものことさ。」

 

 アンは軽く笑うと、立ち尽くす少年の傍らまで歩み寄り、その肩に手を置いて、安心させるように優しい調子で言い聞かせる。

 

「聞いたとおりだ。私は女とは言っても戦士、剣を振り回すことしかできないが……。お前の妹を助けるため、力になろう。……少年、名前は?」

「……トビー、です。」

 

 ヒカルはこのとき初めて、その少年の名を知った。そういえば、先ほど彼は妹を、確かに「ルナ」と呼んでいた。そして今までのことを思い出し、自身も目の前の事態に少なからず動揺していたのだと気づく。そう、兄妹を助けたあの場面は、原作では、今この部屋のベッドで眠る妹、ルナが命を落とすシーンとして描かれていたはずだ。アベル伝説の作風の中ではあまり多くない悲劇のシーンだったために、良く覚えていたはずなのだが、現実に人買いが病気の子供に行った仕打ちがあまりにもひどかったために、衝撃と怒りで冷静さを欠いていたようだ。もちろん、彼らに確かめてみるまでは本当のところはわからないが、今はそんなことをしている場合ではないだろう。彼らがデイジィの弟妹だったとしても、それが初めからわかっていたとしても、あの状況で助けないなどと言う選択肢を、ヒカルが選べるはずはないのだから、結局やることは変わらない。ヒカルが思考を巡らせている間に、アンは少年のところまで歩み寄り、そして、まだ傷だらけの彼を抱きしめ、その身体を優しく撫でながら、呪文を唱えた。

 

「もっと早く治してやりたかったのだがな、遅くなってすまない。こんなになるまで戦って、怖かっただろう、痛かっただろう。……トビーの血肉よ、その傷を癒せ。」

 

 アンの手から淡く緑色の魔法の光が放たれ、トビィの体を包み込んでいく。彼女は目を閉じ、傷ついた少年を一層強く抱きしめた。小柄な少年の顔はアンの胸に埋もれ、トビーは多少の驚きに目を見開いた。

 

「ホイミ。」

 

 一瞬、さらに強い光がトビーの全身を包み込み、はじけるようにして消え去った。自分を抱く温かく柔らかなぬくもりと、傷を癒す魔法の力に緊張が緩みかけ、少年の目に涙がにじむ。しかし彼はぐっとそれをこらえ、その目に強い意志の光を宿す。

 

「……トビーは強いな。」

 

 気がつくと、目の前の女性は自分を抱きしめていた手を離し、笑顔でこちらを見つめていた。その表情は不安に駆られていた少年の心に再び勇気の火を灯す光。少年はまだ知らないが、それこそが、誰かに勇気を与えるその光こそが、紛れもない、彼女が勇者である証なのだ。

 

「さあ、行こうか、時間が惜しい。」

「ああ、行こう。」

 

 アンとヒカルは短く言葉を交わし、連れ立って部屋を後にした。トビーはそんな2人の背中を黙って、見つめていた。扉が閉まり、その姿が見えなくなっても、彼はしばらく、その場を動くことができなかった。

 

***

 

 数日前まで滞在していた大賢者の元を再び訪れたヒカルとアンは、世界樹についての情報を得るためザナックと食卓を囲んでいた。卓上の皿にはパンと焼き菓子が並べられ、彼らの眼前に置かれたティーカップからは紅茶の良い香りを乗せた湯気が立ち上っている。しかし、それらに口をつけようとする者はいない。

 

「ふぅむ、世界樹のう……。」

「ご存じですかザナック様?」

「まさか、その名をお前が知って折るとはな。……確かに、世界樹はこの世界にある。」

「ほ、本当か?! いったいどこに!」

 

 アンは身を乗り出して、問い詰めるように叫んでしまう。そして、はっとして慌てて椅子に座り直し、恥ずかしそうにうつむいた。感情をあらわにすることがほとんどない彼女にしてはかなり珍しいことである。

 

「……このホーン山脈の北側に、険しい岩山に囲まれた秘境があると言われておる。しかしそこへ、地に足をつけてたどり着くのはまず不可能じゃろう。ほぼ垂直に近い断崖絶壁、どこまで深いか分からない渓谷、そして何より、風の谷とは比べものにならん強風が行く手を遮っておるからの。おそらく翼を持つものであっても、あのすさまじい風をまともに浴びたのでは、飛んで乗り越えることは無理じゃろう。トベルーラや簡単な飛行の道具も、同じ理由で焼くには立たんじゃろうな。」

「ひょっとして、世界樹はその、到達不可能と言われる渓谷の先に……。」

「うむ、谷を越えた先にあると言われておる。……たどり着いた者の話は、少なくとも儂が生きてきた中では、聞いたことはないがの。」

 

 ザナックは少し冷めた紅茶を一口含み、ゆっくりと飲み込んでから、さらに話を続ける。

 

「その谷を挟むように、ふたつの塔がそびえ立っておる。雲に届きそうな程高いこの塔の最上階からであれば、風の影響を受けずに谷を越えることができるといわれている。

「ドラゴンの角、か。」

「?! ヒカル、お主どうしてその名を知っておる?……そうか、そういうことか。では、その塔を攻略する方法も知っておるか?」

「風のマント、ですか?」

「うむ。ただし、どこにあるのかはわからん。塔のどこかに隠されているという話や、すでに失われたという話もあるが、どれも真実の程はわからん。つまり、たどり着けたとしても最悪、谷を渡ることができない可能性も高い、ということじゃ。」

 

 確かにそれでは、苦労して塔……ドラゴンの角にたどり着けたとしても、最後の最後で手詰まりになる可能性が高いと言うことになる。ルナに残された時間を考えると、相当に厳しい条件だ。しかし、そうであれば、行動を起こさないという選択肢は、なおさら選べるわけがない。ヒカルとアンは顔を見合わせ、ほぼ2人同時に頷き、椅子から立ち上がった。

 

「やはり、行くのじゃな。」

「はい、いろいろと教えて戴いて、ありがとうございました。」

「気をつけての。」

 

 ザナックはそれだけ言って、黙って2人を送り出してくれた。装備を着用し、道具袋を身につけ、小屋の外へ出た彼らの前に、大きな翼を持つ異形の姿が現れた。

 

「メッキー?! おまえなんでここに……。」

「サーラがお前たちを助けてくれって、べそかきながら頼むもんだからさあ、ヒカルの家に行ったらここだっていうから、追いかけてきたんだぜ。いやあ、前に1度来たことある場所で良かったぜホント。んで、なんか良くわからんけど急いでるみたいだな。おまえら2人くらいならオイラが仲間を呼んで連れてってやるぜ。」

 

 思わぬ助っ人の登場に、ヒカルとアンはサーラに感謝した。翼を持つモンスターの助けを借りれば、少なくともドラゴンの角のある場所までは、徒歩よりも遙かに早く、確実にたどり着くことが出来るだろう。ヒカルはメッキーに事情を手短に話し、仲間を呼んできてもらえるように頼むことにした。

 

「よっしゃ、友だちを1匹超特急で呼んでくるぜ、ちょっと待ってな、ルーラ!」

 

 言うが早いが、陽気なキメラの身体は魔法の光に包まれ、テイル大陸の方向へあっという間に飛び去っていった。

 

***

 

 中央大陸の北東に、コナンベリーと呼ばれる港町がある。客船や漁船が多く出入りし、いつも活気に溢れているこの町も、宵闇に包まれ静寂が支配している。もっとも、あと1~2時間もすれば、早朝から出港する漁船に乗り込むため、船員たちが慌ただしく動き出すことになるだろう。ごく短い、暗闇と静寂に支配された時間は、裏の世界を生きる者たちの時間でもある。

 何の変哲もない住宅地の一角に、古びた宿屋がある。超一流の高級宿というわけでもないのに、ここは会員制で、いわゆる「一見さんお断り」の宿である。通常、こういった店は、客の質を確保するためか、取引内容が外に漏れては困るかのどちらかの理由で、会員制・紹介制という形を取っている。この店は後者の理由で普通の人間は出入りできない。

 そんな、いかにもな宿屋の1室で、ランプの明かりを囲んで、十数人の男たちが顔をつきあわせていた。よくよく診れば誰も彼も人相が悪く、一目見ただけでまっとうな道を歩むものではないというのが分かる。

 

「よし、てめえら集まったな。さて、ガキどもの買い手はどうなってるか、順番に報告して貰おうか。」

 

 男たちの中で、ひときわ屈強そうなスキンヘッドの人物が、周囲をゆっくりと見回しながら発言する。どうやら彼がこの集団のまとめ役であるようだ。

 

「へい、中央大陸はアリアハンの貴族様からお求めがありまして、男2と女3、合わせて5、すでに引き渡して代金は受け取り済です。」

「トフレ大陸のほうは最近はさっぱりですね。レーベって村の村長夫婦から男1、これから送る予定です。」

「トイラ大陸のデルコンダルから、男5、女7の注文でさあ、2日後の船で送りやす。」

 

 次次と上がる報告を、まとめ役の男はとりあえず黙って聞いているようだ。人間が品物として軽々しく売買されている様子は、普通の人間なら顔をしかめる程度では済まないだろう。しかし、裏の世界を生きる者たちにとっては珍しいことでもない。ことに、この集団、人買いと言われる者たちはそれを生業としているのだから、まさしく人間は「商品」なのである。さらに言えば、この連中は金で十分な人間が買えない場合は誘拐魔で行うというとんでもない犯罪集団であった。

 

「……問題はテイル大陸で、人身売買禁止令なんてのが出ちまって、まああそこはもともと大口の取引はあまりないんですが、さらにやりにくくなっちまいました。特にあの、新参者の伯爵が出張ってきてからは、おもしろくないことしかありやせん。今回も取引ゼロ、うちの若いもんが衛士の連中に何人か連れて行かれやした。」

 

 最後の優男の報告に、スキンヘッドの男はいかめしい顔をさらに険しくし、忌々しげにチッと舌打ちをした。その形相タルや、裏の世界を生きる男たちであっても一瞬びくりとしてしまうような迫力があり、この男が確かにこの集団で一番の強者なのだと示していた。

 

「中央大陸の方でもちっとおもしろくねえことがあったそうじゃあねえか。」

「へ、へえ、その、もうお耳に入ってやしたか。ボンモールへ向かった連中のいちばん下っ端がしくじりまして……。」

「いや、失敗自体は仕方ねえ、そいつらはシメとくとして、問題なのはその内容だ。氷を金塊に見立てて、兄妹2人を持ってかれたそうじゃねえか。」

「へえ、知り合いの魔法使いに調べさせたんですが、なんで氷が金塊に見えたのかさっぱり分からねえと、首かしげてやした。ただ、そういった感覚を惑わすような魔法は呪文じゃ再現不可能で、厄介な術式とかいう奴を使いこなせないといけねえらしいですぜ。そいつの話は半分もわかりやせんでしたが、使った奴は並みの腕前の魔法使いじゃねえ、そういうことになりまさあ。」

 

 その説明で、周囲の男たちは皆、黙り込んでしまった。魔法を使える人間は数が少なく、中級呪文が行使できたり、初級呪文を何発も唱えることができたりと言った人材は、その辺に転がっているようなものではないのだ。さらに、相手を惑わす幻覚の呪文などは、呪文で実現できないために使い手が限られ、膨大なマジックパワーと魔法の知識が必要とされるのだ。故に、犯罪集団は警戒を強くする。

 

「あまり考えたくねえが、魔法でんなことができるのはドランの国くらいしか思いつかねえ。下手したらそこの上の方にいる奴に目ぇつけられたかもしれねえ。今後は十分警戒して、派手な動きはしばらく控えるしかねえな。」

 

 スキンヘッドの男はそう場を締めくくり、男たちはその風貌からは考えられないような俊敏且つ精細な動きで、1人又1人と音も立てずに部屋を後にする。最後に残った男はランプを手に持ち、後ろ手でドアを閉めると、下の階に続く階段をゆっくりと下っていった。

 彼らは気がつかなかった。姿を消し息を潜め、この場の話をすべて聞いていた人ならざるものが、部屋の中に存在していたことを。

 

***

 

 ヒカルたちがメッキーとその仲間のキメラの背に乗り、ドラゴンの角を目指して飛んでいた頃、ドラン王城の1室で、国王と重臣たちが集まり、極秘に会議を開いていた。集まっているのはピエール王と、行政の各部門の責任者である大臣たちだ。筆頭大臣グエルモンテ侯爵をはじめ、財務大臣サリエル伯爵、文芸大臣アルマン男爵、外務大臣グリスラハール男爵といった国の重臣たちが一堂に会している。テーブルの上にはいくつもの紙田場が並べられており、その膨大な資料を精査しながら、彼らは最近世界中を脅かしている、人身売買組織への対策について話し合っていた。

 

「ふむ、まさか人身売買の連中と遭遇するとは、シャグニイル伯爵もよほどの受難体質とみえるな。」

「しかし、他国のことと放ってもおけまい。なにせかの組織は世界中に根を張り、非道な所業を繰り返しておりますからな。」

 

 アルマン男爵の皮肉めいた言葉に、グエルモンテ侯爵は真剣な表情で返す。この男がヒカルを何かと敵視していることは知っているが、そんなことは最早どうでも良いことだ。人身売買などと言う非道な手段が世界中でまかり通れば、いかにドランの治安をよくしても、影響を全く受けないというわけにはいかない。中央大陸の弱小国が組織に有効な対策を打てていないため、かの大陸は完全に人買いたちの拠点となってしまっているのだ。

 

「つい最近も組織の構成員とおぼしき数名の男たちを、衛士たちが捉えておりますが、他にも王都に潜伏している者がいると考えて間違いないでしょうな。誰かが手を貸している、ということになりますか。」

「うむ、……嘆かわしいことだが、状況から見て、それなりに地位のある者が手引きをしているとしか思えん。今はまだ実際に売られたり、さらわれたりした者はいないと聞いているが、放置しておけば何が起こるかわからん。」

 

 サリエル伯爵――さきの魔王事件で失踪した筆頭大臣の息子であり、現在は爵位を侯爵にまで下げられているが、王の抜擢により財務大臣の要職を任され、サリエル家の汚名を晴らすために日々政務に励んでいる――は、手元の資料を忌々しげににらみつけている。彼のつぶやきのような発言に頷きながら、ピエール王は今後の懸念を口にする。この国の貴族たちは、少なくとも王の側近や国の要職にある者たちは身分を笠に着ることもなく、本当に純粋に国のことを考え、政務を行っている者がほとんどだった。そんな彼らにとって、自らの国民が人身売買組織の脅威にさらされているというのは、とうてい許しておけない事態だったのだ。それは、ことあるごとに新参者のシャグニイル伯爵、ヒカルにくってかかっているアルマン男爵でさえも同じ事で、積み重ねられた紙束の上で握られた彼の拳は、小刻みに震えていた。

 

「このようなときに、シャグニイル伯爵はいったい何をされているのだ?! それこそ魔法で組織の人員をあぶり出すとか、できることはいくらでもあるではないか!!」

「落ち着け、若造。まったく何かにつけてヒカルを適ししよってからに。奴は今、死にかけの子供を助けると言って、中央大陸に引き返していきよったわ。」

 

 アルマン男爵を押さえると言うよりは、若造という言葉一つで黙らせたのは、集まった面々の中で最も高齢であるグリスラハール男爵だ。爵位はさほど高くはないものの、代々外務大臣を務める名門の家柄で、先代の王の治世から50年近くの間、ドランの外交を一手に引き受けている人物である。その身体は細く、吹けば飛んでしまいそうなほど痩せているが、眼光は未だ衰えず、齢70にも届こうかという老人のものとは思えない。

 

「シャグニイルの件については、余が許している。個人的なことかもしれぬが、死の淵に瀕している幼子を、放っておくこともできぬであろう。」

「は、出過ぎたことを申しました。」

「良い、そなたや皆があせるのは分かる。それに、この人会の件は、我が国とも無関係とはいえぬ。グエルモンテ。」

「はっ。こちらは我が国における人買いどもの組織を、追える限り調べたものです。……ここには書かれていませんが、奴らに手を貸している我が国の貴族、おそらくはホメット伯爵ではないかと……。」

 

 うつむき加減で述べられたアルマン男爵の謝罪を軽く流し、王はグエルモンテ侯爵に1枚の資料を示し、その説明をするよう促した。侯爵が発した、資料には記されていない首謀者の名に、彼と王を除く面々は驚愕をあらわにした。ホメット伯爵は公職にこそ就いていないが、広大な領地と莫大な材を持ち、ドランの反映に貢献してきた男だ。多少自慢話が過ぎるところはあるが、領土の統治についても善政を敷き、領民からも慕われているという。そんな男が影で、人身売買組織の片棒を担いでいるというのだから、にわかには信じられない話だったのだ。

 

「そん、な、あのホメット伯爵が、まさか……。」

「まだ確たる証拠はない。だが、調べなければなるまいな。サリエルよ。」

「はっ、

 

 あまりの驚きのため、アルマン男爵からは絞り出すような声しか出ない。王は閉じていた目を静かに開き、サリエル伯爵の方へ視線をやる。意図を察したサリエル伯爵は立ち上がり、一礼すると部屋を出て行った。そしてこれですべての議題を討議し追えた会議は解散となった。しかし、残った者たちがしばらくの間自席から動くことができなかったのは、無理からぬ事だったろう。

 

***

 

幾多の山々を越え、ヒカルとアン、メッキーとその友だちだというミオミオは、雲の上までそびえ立つ塔の目前まで到達していた。塔の北側にはどこまで深いのか分からない渓谷がある。その向こうにこちら側と同じような高い塔がそびえ立っているはずだが、霧のようなものが立ちこめ、向こう側を見通すことができない。辺りを一度見回してから、ヒカルはため息交じりにつぶやいた。

 

「こりゃあ、思ったよりひどい風邪だな。それに塔が高すぎて、頂上までルーラで行くこともできない。それにご丁寧に、外側から入れそうな場所が全くない。地道に塔を登って、風のマントを探して向こうへ渡るしかないな。」

「向こう側が見えないのも作為的なものだろうな。着地点のイメージが明確に持てなければ、移動系の呪文や特技は使えない。仕方がない。手段をゆっくりと考えていられるほど時間もないしな。……それにしても、やはりあのとき奴らを追っていかなくて正解だった。私と君のどちらがここを攻略するにしても、さすがに1人では危険すぎる。」

「ああ、結果的に直感は当たっていたことになるのか……今回はそれで良かったけどな。」

 

 正直言ってヒカルは、直感に任せた今回の行動が正しかったか、分からないでいた。しかし、理由があって下した判断よりも、そういったカンの方が正しいと言うことは少なからずあることだ。ヒカルとアンは塔を徒歩で登る決意をして、入り口の方へ歩き始めた。そんな彼らの背にキメラの声がかかる。

 

「んじゃあ、おいらとミオミオはあっちの森で待ってるから、無事に戻ってこられたら声をかけてくれよな。」

「ああ、周囲に邪悪な気配はしないが、塔へは不用意に近づくなよ。」

 

 ヒカルの言葉に、キメラたちは了解の意志を継げると、まもなく森の中へと消えていった。ヒカルとアン、スライムモギのアーサーは塔の前で一度立ち止まる。間近で見上げるとさらに高く感じ、たいした面積があるとは思えないこんな建物が、どういう原理で倒れずに立っているのかまるで分からない。

 

「ふむ、何か塔全体を覆う力を感じるが、アンやヒカルはどうだ?」

「……魔法屋生命力の類いじゃないから、俺にはなんとなく変な感じがするくらいしかわからんな。」

「私には白いオーラのようなものが渦を巻いているように見えるな。アーサーも同じか?」

「うむ、いったいこの塔は何なのか、警戒しておいた方が良さそうだぞ。」

 

 アーサーとアンに見えている「聖なる力」はヒカルの目には映らなかった。それはこの塔が魔法的な力以外で覆われていると言うことだ。それは彼の得意な魔法では、何かが起こっても対処しきれない可能性があると言うことをシメしている。しかし、いずれにしても、彼らは前に進むほかはない。

 アンは入り口の扉に手をかけ、ゆっくりと手前に引く。動かないことを確認すると今度は、扉を奥に押し込むように力を入れる。程なくして、重たい音を立てて、分厚い鉄製の扉はゆっくりと開かれた。

 

「何もないな。カギくらいかかっているかと思ったが。」

「その辺がかえって不気味だけど……ま、行くっきゃないでしょ。」

 

 塔の中はかび臭く湿った空気が満ちており、ここが長らく外からの訪問を受けていないと言うことが分かる。ゲームとは異なり、モンスターの住処になっているようなこともないようで、周囲に生き物の気配はない。そうして、魔法の明かりを頼りに、ヒカルたちは塔の最上階を目指し、何階まであるのかわからないその建物を、少しずつ登っていった。

 

to be continued




※解説
パデキア:ゲームではあらゆる病を治すとされる秘薬。原作では瀕死のアベルを蘇らせる呪文をザナックが唱えるための触媒となっていた。ゲームでは根を、原作では葉をすりつぶして用いている。回復呪文では病気は治癒しないので、なにげに重要アイテムと思われるが、ナンバリングでの登場はⅣのみである。
世界樹:Ⅱから登場した、生命を司る巨木。その葉は死者をも蘇らせる力を持つとされている。ザオリクの呪文と同じ効果がある。ちなみにナンバリングタイトルでは葉を一度に1枚しか持つことができないが、スピンオフ作品ではそのようなことはない。ゲームでも、世界樹の葉を持った状態だと、世界樹からは新たに手に入らないと言うだけなので、一度預けて後から引き出せば複数所持できることもある。また、同様の理由で宝箱やモンスターからのドロップアイテムの場合は葉を所持していても普通に手に入る。
ドランの貴族たち:ねつ造です。本名は例の如く長く、設定もしてありますが、よほどのことがない限り作中で明かされることはないでしょう。この世界の為政者たちは原作に沿い、基本的に善人を多めに配置しています。世界が滅びる脅威があるのに、人間社会もごちゃごちゃでは話の収拾がつかなくなりそうですので……。

何人かの方からリクエストを戴き、トビーとルナを救済すべく主人公たちが動き始めました。とうとう原作の登場人物の運命に介入してしまったヒカル。彼らはルナの命を救うことができるか? 世界樹の葉は本当に存在するのか?
その前に、いかにも何かありそうな、目の前のダンジョンをクリアできるのか……?

少女の命は最早、風前の灯火だ。急げ、勇者たちよ!!
次回もドラクエするぜ!!

……余談ですが、仲間モンスターの名前を調べていたときに、キメラの名前候補に「トビー」ってのがありました。まあ、だからなんだって話ですけども……。


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第25話 世界樹に迫る脅威! 恐怖のドラゴン軍団!

北海道胆振地方地震で被災された方々に、心からお見舞い申し上げます。
私の住んでいる地域は大きな被害はなかったですが、北海道全域が停電の影響を受け、物販の復旧までにそれなりの時間を要しました。
バタバタしていたこともあり、更新が遅れてしまい申し訳ありません。
あと、気づいたらUAが10000超えていました。お読み戴いているすべての方々に心から感謝致します。ありがとうございます。
今後も、遅筆ではありますが、ぼちぼち更新していきますので、どうぞ長い目出見てやってくださいませ。


 塔を登りはじめてから、いったいどれくらいの時間が経過したのだろう。そもそも塔の高さがどれだけで、自分たちが今どのあたりにいるのかさえ、正確にはわからない。幸いにも襲ってくる獣やモンスターなどはおらず、ここに来るまで戦闘は一度も起こっていない。しかし、あまりにも長く続く同じようなフロアに、先を急ぎ焦る2人の脚は次第に重くなっていく。

 

「ふうっ、いったいどこまで登りゃあいいんだ、この塔は。」

「どの階も同じような構造をしているから感覚が狂ってくる。もうかなり上まで来たはずだが、外を見下ろせるような窓のようなものも全くないな。」

 

 ヒカルは汗を拭いながら、今までどのくらい階段を上ってきたか考えてみる。軽く20回は超えているだろう。もちろん、ゲームのドラゴンの角はこんな高さではなかった。まあそんな作りにしたらプレイヤーが途中で飽きてしまうし、当時のデータ容量の上限を考えれば当然なのだが、この世界では名前だけ同じ別物のダンジョンだといって良いだろう。しかしそれにしても、何か同じ所をぐるぐると回らされているような感覚を覚えるが、階段は確実に上っているためそのようなことはないだろう。おそらく各フロアの構造をわざと同じにして、侵入者の感覚を狂わせることが目的なのだろう。

 アンが見通す先には次のフロアへ続く上り階段がすでに見えている。人間のヒカルにはそこまで見通せていないが、アンの様子からそのことは察していた。次は最上階であれば良いが、そういう感じはない。うんざりした気分になりながら、ヒカルはアンの後をついて、上のフロアへと足を運ぶのだった。

 

「む、これは……。」

 

 次のフロアは見渡す限り一部屋しかなく、その次のフロアへ続く上り階段も見えている。そして、今までとは違う冷たい風が、上のフロアから流れ込んできているのが判る。どうやら、そろそろ最上階が近いらしい。

 

「ん? おいアン、何だあれ? 何か倒れていないか?」

「? 何かいるのか? ああ、階段のそばに何かいるな。……小動物のようなものが、うずくまっているように見えるが……。」

「生命力を感じるからたぶん生き物だと思う。邪悪な力は感じないから大丈夫だと思うけど。

「何かの罠かもしれないぞ、2人とも気をつけるのだ。」

 

 階段のそばに、緑色で小さな何かが丸くなっているのが見える。わずかな生命力を感じたヒカルは、それに近づこうとし、アンもその後を追う。アーサーの忠告を受けた2人は、やや歩く速度を落とし、周囲に警戒しながら上り階段の下までたどり着いた。

 

「こいつは……ミニデーモン、か?」

「外見からすればそうだな。しかし、なぜこんなところに、ミニデーモンが1匹だけ……? 見たところかなりの傷を負っているようだが。」

 

 近寄ってよく見ると、それは緑色の体色をした小さな悪魔、ミニデーモンと呼ばれるモンスターだった。しかし、いったいなぜ、こんなところでミニデーモンがたった1匹で倒れ伏しているのだろうか。

 

「とりあえず、名前が分からないから効果は落ちるが、回復してみるとしよう、ベホイミ。」

 

 アンはミニデーモンに触れると、詠唱を行わずに呪文を唱えた。ミニデーモンの個体名がわからないため、本来の回復呪文(ベホイミ)の効力は望めないが、それでも起こして話を聞くことくらいは出来るだろう。魔法の光が収束する頃には、目立った外傷はすべて塞がり、苦痛を取り除かれたミニデーモンはゆっくりと、その目を開いた。

 

***

 

 深い深い森の中にある小さな集落。地図には記されておらず名前もなく、俗世から隔絶された秘境、ここで暮らす者たちは皆、自給自足を行い、自然界の力、精霊の加護を受けて慎ましく暮らしていた。それだけであれば別に銅ということもないが、この集落にはひとつだけ、他と違う大きな特徴があった。

 

「精霊神様、今年もまた、多くの実りを与えてくださりありがとうございます。」

「大地の恵みに感謝いたします。」

 

 集落の北端にある巨木は、いったい樹齢何年ならばこのような大きさになるのかというほど太く、その周りを一周するだけでかなりの時間を費やすと思われる。そんな巨木の下に、数十名が集まり、何やら祈りを捧げているようである。集団と巨木の前には祭壇らしきものが設置され、野菜や果物、魚や酒などが供えられている。祭壇の真下で、小柄な老人と妙齢の女性が、巨木に向けて何やら祈りの言葉らしきものを読み上げている。老人の方は小柄でずんぐりとした体格をしており、女性の方は細身だが豊満な胸部と殿部が異性の目を引きつける。外見的な特徴からおそらくドワーフとエルフなのだろう彼らは、どうやら集団の代表者として、収穫祭のようなものを取り仕切っているようである。

 

「た、大変だぁっ!! ま、魔物が森に現れたぞ!!」

 

 静寂に包まれた清浄な雰囲気は、やや遠くから聞こえる悲鳴にも似た男の叫びによって打ち破られ、その場は騒然となる。状況を確認する間もなく、男の背後の森から煙が上がり、次いでバチバチという音が聞こえてきた。

 

「な、なんじゃ?! あれは?!」

「長老、ど、ドラゴンです、多数のドラゴンが森に現れて暴れています!!」

 

 長老と呼ばれたドワーフの老人は、驚きのあまり手にしていた杖を取り落とし、隣に立っていたエルフの女性も顔面蒼白になっている。それも当然だろう、この世界においてドラゴンは、他の生物に比べて圧倒的すぎる力を持っている。英雄の領域にある強者が複数人のパーティを組んでいればドラゴン1匹くらいには勝てるかもしれない。しかし、それが複数体現れ、しかも暴れ回っているというのは、限られた数の強者がいたとしても対処できるものではなく、その状況は絶望という言葉以外では表現できない。この場にいる者たちは世界全体から見ればそこそこの強者と言えたが、それでも複数のドラゴンを相手にまともに戦えるものなど1人もいなかった。

 

***

 

 小さなミニデーモンの目には、それはまるで英雄譚に記された戦いのように映っていた。吐き出される炎をものともせず、すべて紙一重でかわしながら、固い鱗の隙間の柔らかい部分だけを的確に剣で切りつけ、スライムに乗った騎士は巨大な魔物、スカイドラゴンと呼ばれるモンスターを翻弄していた。

 

「闇の雷よ、貫け! 漆黒の刃をもってかの者を打ち倒せ!」

 

 目の前の騎士に意識が集中しているスカイドラゴンは、後ろで呪文を唱えている魔法使いへ注意を払えない。尻尾による大ぶりの攻撃をかわされ、バランスを崩したときには、呪文の詠唱は完了していた。

 

「ドルクマ!」

 

 魔法使いの手から放たれた黒い線状は、正確にスカイドラゴンの急所を打ち抜いた。いかにずば抜けた生命力を持つドラゴンであっても、ちまちまと蓄積されたダメージの上に中級呪文を、それも急所に直撃されてはなすすべもない。一瞬全身を硬直させ、次の瞬間には光となってその身は消え失せた。

 

「ふうっ、危なかった。あの不意打ちに気がつかなければ結構なダメージを食らうところだったな。」

 

 スカイドラゴンの体の核となっていた大きなエメラルド色の宝石を回収し、ヒカルたちの元へ戻ってきたアンは軽くため息を吐く。あの後、傷の癒えたミニデーモンのミニモンから事情を聞いたところ、森で薬草を採取している最中、スカイドラゴンの群れが現れ、逃げ回っていたところふとした拍子でそのうちの1体の脚に引っかけられてここまで運ばれた形になったということだった。ミニモンは精霊神に仕えている薬師で、ドラゴンの角を超えた先には確かに精霊神の宿る神木(しんぼく)、世界樹が存在すると教えてくれた。

 

「しかし、なぜこんなところにドラゴンが……。飛んでこられる高さじゃないはずなんだが……?」

「おいアン、下を見てみろ、それから上もだ。」

「ん? 上と下? 何を言っているんだ? ……! なっ!? これはいったい……。」

 

 アンが驚くのも無理はない。下を見ると、どこまで深いのか判らない険しい渓谷が見え、その先には確かにこの塔と同じような塔がそびえ立っている。こちらよりも多少低いらしく、塔の頂上がはっきりと目視できる。問題は上だ。見上げると確かに上空には雲があり、その隙間から青空が見える。太陽は若干雲に隠れ気味になっているが、しっかりと塔の最上階を照らしている。……おかしい。先ほどは確かに塔の頂上は雲の上にあり目視できなかった。それにかなりのフロアを登ってきたはずで、その割には雲はまだかなり高い位置にあるように思われた。

 

「……やられたな。アンとアーサーが見た聖なる力ってやつで、幻覚を見せられていたみたいだ。この塔は下から見たときのような高さは元々なかったのさ。探索中もおそらく高度な術で幻を見せられていたんだ。魔法じゃない、何か別の力でね。アンたちがその辺を感知できなかったのは、述をかけたやつがアンよりもかなりレベルが高いか、聖なる力を使った幻術に特化した能力を持っているか、そんなところか。」

「聖なる力、……あの塔を侵入者から守っている力、か。ではあのスカイドラゴンはどうやってここに? 奴らが幻術を見破れるとはとても思えないのだが?」

「それについては色々思うところもあるんだけどな、……おっと、そんなことを長々語っている時間もない。とっとと向こう側の塔へ飛ぶぞ。」

「ちょ、ちょっと待ってよ、ボクがさっきも言ったとおり、風のマントはここにはないんだ。だから向こう側へは……。」

 

 ヒカルの話を慌ててさえぎるミニモンに、アンは大丈夫だとだけ、短く答えた。まだ何か言おうとするミニモンを手で制し、ヒカルは全員を自分の周囲に集め、呪文の詠唱をはじめた。

 

「天の精霊よ、翼を持たぬ我の翼となりて、彼の地へ導け。竜の角の一角へと我らを誘え、天よ、繋がれ! ルーラ!」

 

 いつもとは違う詠唱の言葉を紡ぎ、全員を魔法の光で包み、目には見えない翼をまとった魔法使いは、神の遺した道具(アイテム)すら使うことなく、自らと仲間たちを反対側の塔へと、難なく運んでみせた。

 

「す、すごい、人間がこんな呪文を使えるなんて、いや、エルフやモンスターだって、ここまで出来る奴は見たことない、ボクは夢でも見ているんだろうか??」

「ふふふ、驚いているな。ヒカルはこの世界では最強の魔法使いだからな。」

「おいおい、そういう身内をベタ褒めするのは恥ずかしいからやめとけ。」

 

 ミニモンの驚愕と、得意げなアンの勝算に照れくさそうな表情を浮かべながら、ヒカルは塔の下に広がる広大な森を見下ろした。あちらこちらから煙が上がり、はっきりとは判らないがオレンジ色の炎のようなものも見える。どうやら森のあちらこちらで火の手が上がっているようだ。

 

「こりゃ、ちとまずいな。山火事とかならあんなにあちこちでいっぺんに起こったりはしないと思うけど、そうだとすると……。」

「先ほどのドラゴン、か?」

「あんまり考えたくないけどな。」

「ええっ、まさか、まさかあんなのがまだたくさんいるっていうの!? ど、どうしよう、みんなが、里のみんなが……!」

 

 ヒカルとアンの口にした推測を聞き、ミニモンは生きた心地がしなかった。世界樹の麓にある小さな集落にはわずかだが、ドワーフやエルフ、モンスターたちが住み着いている。彼らはいずれも、この世界ではそこそこの強者のはずだが、さすがにあのドラゴン相手では苦戦どころではすまされないだろう。先ほどはアンとヒカルが規格外に強かったことと、敵が1匹だけだったため倒すことが出来たが、もしあんな魔物が複数体で現れたなら、勝利することはおろか、逃げられるかさえ怪しい。

 

「……1箇所に集まってれば倒す方法はある。けどまあ、その前に間に合うかどうか、これから塔を降りなきゃ行けないからな。」

「あ……。」

 

 ミニモンはそこで、塔から地上まで降りることを全く考えていなかった事に気がついた。眼下の様子から見て、すでに被害はかなりの範囲に及んでいることが推察される。この塔を下り、世界樹のある秘境までたどり着くにはどんなに早くとも、徒歩であれば半日以上は軽くかかるだろう。ルーラであれば一瞬で戻ることもできるが、ミニモンは使えないし、一度も訪れたこともないヒカルでは、ルーラ自体が使えてもたどり着くことはできない。誰かと連絡を取ろうにも、そのような能力やアイテムを、ミニモンは持ってはいなかった。

 

「とりあえず、この塔から脱出する、そのあとは仕方ない、歩いて世界樹まで行くしかないな。」

「やむを得んな。ミニモン、案内してもらえるか?」

「う、うんわかったよ、でも、ここを脱出するって、どうするの? 呪文……ま、まさか……アレも使えるの?」

「まあね、じゃあ行くぞ、慈悲深き精霊神よ、迷える我らを救い給え、リレミト!」

 

 ヒカルたちの身体を赤い魔法の光が包み、その姿はその場から一瞬でかき消えた。ミニモンが気がついたときは、高くそびえ立つ塔を背に、広大な森が眼前に広がっていた。その状況に、彼はただ驚くしかなかった。

 

「さて、ここから先の案内は任せるぞ、ミニモン?」

「あ、うん、わかった。じゃあボクについてきて。」

 

 アンに促され、ミニモンは彼らの先頭に立ち、森へ入ろうと一歩を踏み出した。しかし、彼の足は、上空から誰かに呼ばれたことで、それ以上進むことはなかった。

 

「ミニモン! こんなところにいたのですか? 無事で良かった!」

「エリアス!!」

 

 ミニモンとヒカルたちが声のする方に目をやると、何者かが遙か上空から彼らを見下ろしている。どうやらミニモンの知り合いのようだが、遠目では鳥が飛んできているようにしか見えない。やがてその姿は少しずつ近づいてきて、ミニモンの眼前に降り立った。近くで見てみれば、その容姿は翼のはえた人間、ちょうどⅣでいうところの天空人のような外見をしている。金髪色白の、やや切れ長の目をした青年は、ミニモンを抱き上げ、心底安心したという表情を浮かべた。

 

「探しましたよ、精霊神様も心配しておいでです。さ、戻りましょうか……おや、失礼、そちらの方々は……! こ、これは、精霊の鎧……! 失礼致しました、勇者様。」

「? おいおい、初対面でいったい何の真似だ? 私にはあなたに跪かれる覚えなどないのだが?」

「こ、これは申し訳ございません。私は精霊神様にお仕えする戦士で、翼人のエリアスと申します。その鎧は精霊神様が認めた勇者の証、あなたに出会うことがあれば世界樹までお連れするようにと申しつかっておりました。」

「あ~、エリアス? ボクにはよくわかんないけど、スカイドラゴンにあっち側の塔まで連れて行かれたボクを助けてくれたのが、この2人なんだよ。」

 

 いきなり目の前の翼人に跪かれ、アンは困惑するばかりだ。隣の男に視線を向けて見るも、ヒカルにしても同じようなものだ。ミニモンがヒカルと暗に助けられたという話を聞かせたことで、翼人のエリアスは幾分かは落ち着いたようだが、それでも興奮冷めやらないといった様子で、熱のこもった視線を暗に向けている。

 

「ふむ、精霊神様がお呼びとは、2人とも、それはこちらとしても都合が良いのではないかな?」

「まあ、そりゃアーサーの言う通りだな。ええと、エリアス、さんだっけ? 俺も一緒に行ってかまわないかい?」

 

 ヒカルの問いかけに、エリアスはようやく落ち着きを取り戻したようで、すこしばつの悪そうな顔をしながら、それでもどこか優雅な所作で、ヒカルにお辞儀をして見せた。それは何というか、礼儀作法など気にもとめないヒカルであっても、優雅で美しいとさえ思う、不思議な魅力を持っていた。

 

「これは失礼致しました。……この桁外れの魔力、そして勇者アン様とご一緒と言うことは、あなたがヒカル様ですね。大変お見苦しいところをお見せ致しました。改めまして、ミニモンを助けて戴いて、ありがとうございます。お二人とも、精霊神様の元へご案内致します。……できれば私どもにご助力戴きたいのですが……。」

「ああ、あの森の騒動のことかい? それは構わないよ。こっちもちょっと急ぎの用があるんでね、代わりといっちゃあなんだけど、できることなら協力しよう。」

 

 ヒカルのその答えに、エリアスは安堵の表情を浮かべ、ヒカルとアンに自分の近くまで来るように促した。全員が効果範囲に入ったことを確認した彼は、天に向かって片腕を突き上げ、呪文を唱えた。

 

「では、参ります、ルーラ!」

 

 森のあちらこちらで上がっている火の手は、収まるどころか徐々に広がりはじめている。何故このような場所を魔物が襲撃するのか、神が宿るとされる巨木と、それにまつわる人々を巻き込み、運命の歯車は、男が知らない方向へと回り始めている。

 

***

 

 どこかの建物の中庭のような場所で、1人の女性が憂いげに空を仰いでいた。周囲の建物も含め、見渡す限り筆舌に尽くしがたい絶景だというのに、彼女はまるでこの世界の忠臣であるかのような美しさと神々しさを放っていた。彼女こそは、この世界に住まう者たちから「精霊神」と呼ばれあがめられる神である。すべての生命あるものを作りだし、慈しむとされる彼女は、自らの宿る神木、世界樹の周囲で起こっている事態と、自らが住まうこの神殿で薬師をしているミニデーモンが戻らないことに心を痛めていた。

 

「精霊神様、ミニモンでしたらエリアスが探しております、どうぞご安心ください。」

「レイアス、ミニモンのこともそうですが、森を襲っている邪悪な者たち、あれはおそらく、本来の歴史から外れたゆがみによってもたらされた、かの者のしもべ。おそらくあれと互角以上に戦える者は、この中にはいないでしょう。」

「……それは……。」

 

 翼人、レイアスは顔をゆがめ、拳を強く握りしめた。彼は弟のエリアスと友に、一族の中ではずば抜けた剣の腕を持っている。その上、多生ではあるが呪文の心得もあり、いかなる敵が現れてもこの世界樹と里の者を守り切れると自負していた。しかし、彼は見てしまったのだ、森を焼き尽くす強大なドラゴンの力を。そして、戦おうとする意思とは正反対に、その身体は一歩も動くことができず、ドラゴンが通り過ぎるまで岩陰に隠れて身を潜めていたのだ。それは生物として生き残ると言うことを考えれば、決して間違った選択ではない。しかし、誇り高き戦士としてはあまりにも無様で、この上なく情けない姿だと、レイアスは湧き上がる後悔の感情を抑えることができずにいた。

 

「戻りましたか。」

 

 精霊神がそう言って、中庭の花壇に視線を向けたのとほぼ同時に、空から青白い光がものすごい速さで降り立ち、その中から現れた見知った人物に、彼女の顔がほころんだ。

 

「エリアス、ミニモン、無事で何よりです。」

「はっ、遅くなり申し訳ありません。」

「心配かけてごめんなさい、精霊神様。」

 

 精霊神は静かにエリアスに歩み寄り、彼に抱えられているミニモンを抱き上げると、嬉しそうに自分の頬を寄せた。ミニモンはくすぐったいような、照れくさいような表情をしているが、嫌がることもなくされるがままになっている。ふと、精霊神の視線がエリアスの傍らに立つ人物たちに向けられた。彼女は多生驚いた表情をしたが、すぐに柔らかな微笑を浮かべた。

 

「よく、ここまで来ましたね、ヒカル、アン。』

「精霊神様、お初にお目にかかります、私は……。」

「良いのですよ、アン、ずっと2人を待っていました。私はここから動くことができません。あなたたちが私に会いに来てくれるまで、待つしかありませんでした。」

 

 跪こうとするアンを制し、精霊神は彼らを待ち続けていたことを明かす。それはまぎれもない本音のようで、先ほどまで空を見上げていたときのような憂いは、彼女の表情からは消えていた。もっとも、その表情を知っているのは、この中ではレイアスだけであるが。

 

「っと、唐突で悪いんですが、そちらも急いでいるでしょう? こちらも急ぎの用がありましてね、そちらのエリアスさんからだいたいの事情は聞きました。それで、精霊神様はここから森全体の様子を把握してますか?」

「ええ、大腿の状況はわかっています。森に複数体の魔物、スカイドラゴンが現れ、無差別に周囲を焼き払って暴れています。この世界樹はあの程度の力では焼けることはありませんが、この樹の周りに小さな里があって、様々な種族が小規模ですが集まって暮らしています。集落そのものは世界樹の結界にあるので被害はないと思いますが、森が焼けてしまうと、彼らの生活が成り立たなくなってしまいます。できればドラゴンたちを退けたいのですが、なにぶん私達では力不足で……。」

 

 精霊神は事情を話し終えると、再び憂いげな表情を浮かべた。そのような表情であっても、美しいその姿はあらゆる者の目を引きつけるほど魅力的なものだ。非常に美しい女性の姿をしている彼女が、本当はどんな存在なのか、ヒカルにも分からない。通常の生物から感じるような生命力を、彼女からはまったく感じないからだ。強大な魔力の塊とでも形容できるそれが何故人の姿を模り、言葉を発しているのか、彼の理解の及ぶところではない。しかし、精霊神に力を貸すことが、間違いなく自分たちの目的の助けになるだろう事を、ヒカル茂アンもアーサーもわかっている。であれば、取るべき行動はひとつだ。

 

「ふむ、奴らを1箇所に集めることさえできれば、一発で退場させられるんですけど、精霊神様も一口乗ります?」

「ヒカル、さっきもそんなことを言っていたが、本当に大丈夫なのか?」

「ヒカルさん、横から口を挟むようで申し訳ないのですが、ドラゴンの群れを一発で退ける方法など、私も全く思いつきません。いったいどうされるのですか?」

「ボクも気になるよぉ、ヒカルとアンはドラゴン1匹くらいならあっさり倒しちゃうくらい、ものすごく強いけどさあ、さすがにあんなのがいっぱいいたら、ちょっと勝てる気がしないよ?」

 

 アン、エリアス、ミニモンに次次と疑問を投げかけられ、ヒカルはにやりと笑みを浮かべ、余裕の態度を崩さずに説明をはじめた。

 

「なに、簡単なことだよ、あいつらはとある呪文に対する耐性がなくてね、そいつを使えば一発でサヨナラできるのさ。どんな呪文かは、まあ見ての尾楽しみさ。」

「ふざけるな!! そんな方法があってたまるか! 人間風情がいい加減なことを!!」

「あっ、おやめなさいレイアス!!」

 

 精霊神が静止の言葉を発したときにはすでに、レイアスは憤怒の形相を浮かべて剣を抜き、ヒカルに斬りかかっていた。魔法の力以外一般人と大差ない彼の身体能力では、一流の戦士の一撃を受けることも、交わすこともできるはずがない。しかし、レイアスの剣はヒカルを切り伏せる寸前で、別の剣によってしっかりと受け止められていた。

 

「貴様、何のつもりだ?!」

「……それはこちらの台詞だ。私の愛する夫を傷つけようとする者は、何人であろうとも容赦はしない。切り捨ててやるからそこへなおれ。」

「おやめなさい両名とも。……レイアス、あなたはどうしてそう、すぐに戦おうとするのです。今までは多めに見ていましたが、この世界に選ばれた勇者たちに害をなすのであれば、あなたをここへおいてはおけませんよ。……剣を収めなさい。」

「……はっ、申し訳ありません……。」

 

 形だけの謝罪と、納得できていない表情に思うところはあったが、緊急時と判断している他の者は話を続ける。

 

「ヒカル、許してくださいね。レイアスは決して悪人ではないのですが、気位が高く乱暴なところがあって困っているのです。……わかりました。おそらくあの魔物の群れは、世界樹と、それに宿る私を世界から消すため、送り込まれた刺客とみて間違いないでしょう。私が結界の外へ姿を現せば、おそらくそこへ集まってくるはず……。」

「せ、精霊神様、そのような危険なことを、おやめください!!」

「よし、それでいこう、ドラゴンどもはきれいに片付けますから任せてください。」

「き、貴様、そのような安請け合いをして、精霊神様に何かあったら命はないと思え!!」

 

 こりもせずにがなり立てるレイアスを、ヒカルはめったに見せない冷たい目で見下ろし、ひとつ小さなため息を吐く。この翼人の戦士は、おそらく今のこの世界の基準では間違いなく強者に分類されるのであろう。プライドが高いのもそのあたりに起因するものだと考えられるが、どうも人間に強い嫌悪感を持っているように感じられる。まあ、強いと言ってもゲームの戦士に換算すればレベル10もあれば良い方だろう。それではスカイドラゴンの群れが相手では勝負にはならない。スカイドラゴンが登場するゲームと言えばドラクエⅢが真っ先に思い浮かぶが、Ⅲでスカイドラゴンが最初に出現するのはダーマ神殿の周辺、ここへはレベル15以上はないと到達するのは厳しい。レイアス以上のレベルを持つものは世界全体を見渡してもそうはいないと考えられるため、戦力不足というエリアスや精霊神の言うことは本当なのだろう。

 それにしても、このレイアスという男は背景に抱えているものは別として、戦うための力だけを磨いてきたのか、他のことに頭が回っていない。短絡的で、直情的、何かを考えて行動すること自体、そもそも向いていないように感じる。精霊神がヒカルの考えていることをある程度察して返答を返していることにも気がついていない。

 

「精霊神様、ちょっと言いにくいんですけど……。」

「……? 何でしょう?」

「あいつ、切れやすい上に、バカですよね……。」

「な、何だとぉっ!!!」

「……すみません、彼は頭を使うことは苦手で……。」

「兄者はその、戦闘力に特化しているというか……。」

 

 精霊神とエリアスの返答に、ヒカルのレイアスを見る目が生暖かいものに変わる。彼らの表現は直接的ではないが、その内容はレイアスはバカだとはっきり言っているようなものだ。アンはフルフェイスの兜を被っているので表情は分からないが、小さくため息をつく音が聞こえたのは気のせいではないだろう。ミニモンに至っては、うずくまりながら笑いをこらえている始末だ。

 数秒の後、皆の反応の意味を理解したレイアスの絶叫をよそに、ドラゴンたちを迎え撃つ準備が始められていくのだった。

 

***

 

 スカイドラゴンたちは森を縦横無尽に飛び回り、手当たり次第に炎を吐き、辺りを焼き尽くしていた。また、その頑強な身体で木々をなぎ倒し、花を踏みつけ、岩を砕き、美しかった森はあっという間にがれきと倒木に埋め尽くされた廃墟に姿を変えていった。倒れた木からは炎が上がり、バチバチと嫌な音を立て周囲に燃え広がっている。ドラゴンは自分たちを生み出した邪悪なる存在の指令を遂行するため、この森を破壊していた。

 

「おやめなさい、魔物たちよ。」

 

 突如、森の一角が光り輝き、美しい女性が姿を現した。それこそがドラゴンたちが狙う真の獲物、この森のどこかにあると言われる霊木、世界樹に宿る精霊神と呼ばれる者であった。彼女の姿を認めると、一番近い位置にいたドラゴンが大きな咆哮を上げ、それを聞きつけた周囲のドラゴンが同じように咆哮を上げる。ややあって、精霊神は大量のドラゴンに囲まれた。

 

「これですべてのようですね、この美しい森を、これ以上壊すことは許しません、すぐにここから立ち去りなさい。」

 

 精霊神の威厳ある態度に、魔物たちは一瞬たじろいだが、彼らは主より聞かされている。精霊神は生命を生み出すことはできても、奪うことはできない。それどころか、生物を傷つけることすらできない。それが分かっているから、魔物の群れは彼女の言葉には構わずに、一斉に炎のブレスを吹き付けた。

 ……通常の生物が相手であれば、最下級種とはいえ、ドラゴン十数体が一斉に吐き出した炎に耐えうるのはほぼ不可能と言って良い。しかし、相手は精霊神だ。そもそも仮にも神と称される存在に、ドラゴンの炎ごときが効果があるのか、答えは否だ。

 

「光の精霊よ、邪悪なる者を遙か彼方へ消し去れ! ニフラム!!」

 

 ドラゴンたちが反応しようとしたときにはすでに遅かった。炎は精霊神の体を燃やすことはなく、ただただお互いにぶつかり合って激しい熱を発するばかりだ。そのような事態に驚いたため、別の方向から放たれた魔法の光は回避されることなく、邪悪なドラゴンたちを包み込んだ。

 次の瞬間、幻影で作られた精霊神以外の姿はそこにはなかった。そして、彼女の姿も又、破壊された森の木から発する揺らめく炎に解けるように消えていった。

 

to be continued




※解説
ミニデーモン:天空シリーズで、天空城に住んでいるモンスターです。こいつに話しかけることで、パーティーに1個という条件で世界樹の滴をもらえます。このお話ではモモと同じ薬師という設定にしました。世界樹のしずくは持っているんでしょうかね?
スカイドラゴンとニフラム:スカイドラゴンはⅢに出てくるドラゴンの中では弱い部類に入るが、一緒に出現するモンスターより格上で、ステータスも高い。しかし、ニフラムに対する耐性が全くなく、よって100%効く。ゲーム的にはこの方法で倒してしまうと得るものは何もないので、通常の戦闘で積極的に選ぶ意義は薄い。ただし現実であれば作中のような使い方もできる。

はい、スカイドラゴンとニフラムについては最近知りました。まあ、設定ミスなんでしょうけどね。低レベル呪文で一掃されるドラゴンとかもうねw
精霊神は有名なあの大地の精霊さんとは別物です。あくまでもこの世界のそういう立ち位置の存在で、設定もオリジナルです。さあ、見事ドラゴンは撃退しましたが、時間がもう無いぞ! 無事に世界樹の力であるあのアイテムは手に入るのか?


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第26話 裁かれる者たち 裁く者たち

世界樹に迫る脅威を退けたヒカルとアン。彼らは無事に世界樹の力を手にすることができるのか?ルナの運命やいかに?


 砂漠のオアシスはほぼ年中夏であるが、昼夜の温度差が激しい。数値で表現すると何十度も違うことは珍しくないのだ。従って、場合によっては火をたいて暖を取らなければならないこともある。

 暖炉にくべられた薪がパチパチと音を立て、炎が赤々と燃える1室で、ベッドに横たわり目を覚まさない少女と、その傍らで彼女を見守る少年の姿があった。外は宵闇に包まれ、子供はとっくに眠らなければならない時間だ。しかし、少年はしっかりと目を見開き、浅く弱々しい呼吸を繰り返す少女、自らのたった1人残った家族である妹から目を離さない。

 

「まだ起きていたの? さすがにもう寝た方が良いよ? 代わりに私が見て奥から。」

「大丈夫です。」

「そんなこと言って、昨日から一睡もしていないじゃない。あなたまで倒れちゃったら大変だよ?」

 

 部屋のドアが開き、入ってきた女性はピンクの紙をツインテールに結び、白いフリルの着いた黒いメイド服をまとっている。容姿は12~14歳前後か、下手するともっと幼く見えるが、彼女、ミミがエルフで、自分より十倍以上長く生きていることを、少年、トビーは先日聞かされて知っていた。動く様子のない彼に小さなため息を吐きながら、ミミはベッドに眠る少女、ルナに目をやり、彼女の小さくなっていく呼吸音を聞いて顔をしかめた。モモと教会の者たちが施しているその場しのぎの治療の効果は次第に薄れ、もはやルナはいつ死んでしまってもおかしくない状況になっていた。

 

「お、にい、ちゃん……。」

「ルナ! 大丈夫だ、俺は、俺はここにいる!」

 

 不意に、うっすらと目を開けて自分を呼ぶ妹の手を握りしめ、トビーは大声で彼女に呼びかける。その声が聞こえたのか、ルナは小さな唇を動かし、本当にかすかな声で言った。それは傍らにいるトビー以外のものにはおそらく聞き取れないだろう。超感覚を持っているミミですら、彼女が兄に書けた言葉を完全には聞き取れなかったのだから、トビーがこれを聞き分けられたのは、ひとえに「家族だから」ということなのだろう。

 

「ありが、とう、おにい、ちゃん……。さきに、行くね……。」

「……! だめだ、ルナ、行くな、お前がいなくなっちまったら俺は……!」

 

 必死で呼びかける兄の手を握る妹の力は、次第に弱くなり、その瞳は閉じられようとしている。「先に逝く」などという言葉が幼子から発せられること自体が違和感を感じさせるものだが、命の終わりとはそういうものなのかもしれない。その現実を受けいれたくなくて、トビーは声を限りに叫ぶ。ミミはうつむき唇を震わせた。敬愛する主人を信じていないわけではない。しかし、今、現実にルナの命は尽きようとしている。だめだったか、間に合わなかったのか、そんな考えが頭をよぎり、握りしめた拳に力が入る。ルナの手から力が完全に抜け、トビーが茫然自失となり、その目から涙が溢れる。彼が絶望に支配されかけたその時、大きな大人の手がその手に重ねられた。

 

「まだ、逝かせねえよ……! お前は生きるんだ! ルナ!!」

「は、伯爵さま……?!」

「世界樹の葉よ、その力を示せ!!」

 

 アンの叫びと友に、彼女の手にしていた緑色の葉が淡い光を放ち、ひとりでにルナの上に舞い落ちた。仰向けに寝かされた少女の胸元に、その葉が落ちたとき、放たれる光がいっそう強くなり、それは部屋全体を覆い尽くした。あまりの光量に、その場の全員が目を開けていられない。しばらく後、ヒカルがゆっくりと目を開けたとき、ルナの進退の上で、みずみずしい緑色だった世界樹の葉は、干からびて茶色く枯れ果てていた。

 

「う……ん。あれ、ここは……?」

「?! ルナ? あ、ああっ……!!」

 

 聞き慣れた声に、トビーは恐る恐る目を開けた。そこには、上半身を起こして、きょとんとした顔でこちらを見つめる妹の姿があって……。その先は、もう何がどうなったか、彼は覚えてはいない。ただただ、頬を熱いものが伝い落ち、それは衣服を、ベッドを濡らしていく。何か言葉を発しようとしても言葉にはならなかった。妹の手を握りしめ、彼はただ、泣き続けることしかできなかった。

 結局、トビーが落ち着き、別室で眠りにつくまでしばらくの時間を要した。ルナの方は状況がよく分かっていないようで不思議そうな表情をしていたが、その顔色はもはや病人のものではなく、世界樹の奇跡が確かに効力をもたらしたと確信できる状態だった。

 

「あの……えっと、わたしどうしたの? おにいちゃん、なんで泣いてるの?」

「……その話はまた今度に使用。お腹はすいていないか?」

 

 アンがそう尋ねたタイミングで、ぐうとかわいらしく腹の鳴る音が聞こえ、まるで計ったかのように部屋の入り口から新たな人物が顔をのぞかせた。よく見ると彼女、モモの手元には手押しワゴンがあり、その上に乗せられた鍋から湯気が上り、スープの良い匂いが漂っている。

 

「はは、相変わらずモモはタイミングが良いな。」

「そろそろ、お戻りになる頃だと思っていました。温かいものを召し上がって、ゆっくりお休みください。……ルナも食べられますか?」

「あの、ええと……。」

「大丈夫だ、とりあえず急に食べるとお腹がびっくりするからな、少しずつ食べると良い。」

 

 ルナはまだ状況があまり良く飲み込めていないようだが、とりあえず空腹を感じているらしい彼女の元までワゴンが運ばれ、モモは手早く鍋の中身を器に移す。ルナは戸惑いながらも空腹には勝てず、おいしそうな匂いを立てているスープを一口、口に運んだ。

 

「おいしい……。」

「そうか、少し手が震えているな。どれ、こぼすといけないから、私が食べさせてやろう。ほら、あーん。」

 

 目の前の女性が自分に害をなさないと分かったためか、あるいは極度の空腹のためか、ルナは戸惑いながらも言われたとおりに口を開け、アンは自分の手元で冷ましたスープを彼女の口へ運ぶ。そんなことを繰り返している内に、具だくさんのスープはあっという間に完食された。

 

「なかなか言い食べっぷりだな、おかわりするか?」

「ううん、大丈夫、です。」

 

 彼女が小さなあくびをしたのを見届けたアンは、その体を再びベッドに横たえさせ、毛布を掛けてやる。ルナの紙を何度か撫でてやり、彼女が落ち着いていることを確認したアンは、ヒカルとモモの方を向いて言った。

 

「ゆっくりと寝かせてやろう。私達は食堂で夕食を頂くとしようか。」

「かしこまりました、では、こちらへ。」

 

 食器をワゴンに乗せ、ドアの方へ向かうモモに続いてミミとヒカルが、それに続いてアンが立ち上がって部屋を出て行こうとしたとき、小さな声がそれを呼び止めた。

 

「おかあさん、行かないで……。」

 

 少女の目には涙が溢れ、不安でいっぱいの表情をしている。アンを母親と間違えて呼んでいる当たり、どうやら少し混乱しているらしい。アンはベッド脇の椅子に座り直し、ルナの手を握って優しい声で語りかけた。

 

「わかった。お前が眠るまで、私がここにいてやるから、安心してお休み。」

「一緒に、寝て……。」

「ん? 1人では眠れないのか?」

「抱っこ、して……。」

 

 アンは一瞬迷うようなそぶりを見せたが、上着を脱いで肌着だけになると、ルナの隣に横になり、彼女と自分に毛布を掛けた。そして振るえる少女をその旨に抱き、安心させるように背中をトントンとたたいたり、頭を撫でたりし始めた。そして、その状況を見守っているヒカルたちに、先に食事をしているようにと促し、ほどなくしてこの部屋はルナとアンの2人だけになった。

 

「なんてことだ、身体は世界樹の葉で回復したが、心の傷があまりにも深すぎる。いったいどうしてやれば良いんだ……。」

 

 かすかな声でつぶやかれたアンの言葉は、静かな寝息を立て始めたルナに届くことはなく、心室の静寂に溶けて消えていった。温かなぬくもりが、ようやくルナに静かな眠りをもたらすだろう。しかし、幼いその心には、容易には消えない傷が残ってしまったのだ。勇者、などと呼ばれながら、皆を守るなどと公言しながら、自分は何て無力なのだろうと、アンは唇をかみしめた。

 

***

 

 世界樹の中に広がる、まるでもうひとつの世界であるかのようなその場所は、精霊神の住まう神殿を中心とした広大な空間である。世界樹の大きさを考えても、その中にこれほどの空間が存在するのは物理的には不可能で、何か超常的な力が作用しているのは明らかだ。神殿はほぼ白一色で統一されており、光源もないのにどの部屋も均一の明るさに保たれている。そればかりではなく、温度や湿度などの環境も最適な状態が保たれており、さらには空間内の生物の生命力を時間と共に一定量ずつ回復するという特殊なフィールドとなっている。これらはもちろん、この神木に宿る存在、いやこの世界樹の木と同一の存在といってもいい彼女の力によるものである。

 

「なぜ、なぜですか精霊神様、なぜ人間などに世界樹の葉を……!」

「いいかげんにしてください兄じゃ、彼らがいなければこの世界樹はともかく、森は焼き払われ、いかに精霊神様の力といえども修復にどれだけ時間がかかったか判らないのですよ?」

 

 レイアスは元々美しいはずのその顔を憤怒にゆがめ、鬼のような形相を浮かべている。それでも、さすがにその表情を真正面から神に向けるのは不敬だと感じているのか、やや目線を下げてうつむいている。しかし、体はわなわなと小刻みに震え、握りしめた拳は自らの爪が手のひらに刺さり血がにじんでいる。彼の双子の弟、エリアスはため息を吐きながら兄をたしなめるが、そのような言葉が今の彼に届くわけがないことを、誰よりエリアス自身がよく分かっていた。

 

「レイアス、あなたが人間を毛嫌いする理由は分からないわけではありません。しかし、彼らの歩んできた道、これから歩む道は、あなたが思うよりはるかに過酷な道です。そもそも、ヒカルとアンは世界の意思によって選ばれた者、そしてそのことは彼ら自身の意思とは関係ありません。」

「ええっ?! ちょっと待ってください精霊神様、じゃあ、ヒカルとアンはその、強制的に連れてこられた、ってことなんですか?!」

 

 今まで黙って彼らのやりとりを聞いていたミニモンは、驚いた様子で手に持った小ビンを落としそうになり、慌ててしっかりと持ち直した。小ビンには透明な液体が満たされており、その中に緑色の植物の葉のようなものが浸されている。精霊神はミニモンをゆっくりと抱き上げ、その頭を軽く撫でながら、部屋の窓から見える空を見つめて、また悲しそうな表情をするのだった。

 

「私は世界のゆがみによって生まれた邪悪なる存在、デスタムーアからこの世界を守ってくれる存在を願いました。世界の意思はそれをくみ取り、そして自らのゆがみを正すという本来の目的に従い、修正される前の歴史を物語にして、ある世界に顕現させました。」

 

 精霊神によれば、本来の歴史では古代エスタークの怨霊ゾーマの意思により生み出された大魔王バラモスが、竜伝説に記される勇者の力を受け継いだアベルという少年と、同じく聖女の力を受け継いだティアラという少女により倒されるという。そして伝説の龍の力で汚された水は元に戻り、世界は平和を取り戻す。だが、その後何者かが歴史をやり直すために大量の「時の砂」を行使し、現在の状況に至っている。術者が誰で、何故時間が巻き戻されたのかを含め、バラモス打倒後の詳しい歴史は、結局、異世界に顕現させた物語からは読み解くことが出来なかったそうだ。さらに、物語の中でも結末が2通りになっており、本来の歴史でも何らかのゆがみが生じていたらしい。

 

「世界の意思は物語を広めていく中で、それに惹かれてくる者たちの中から、邪悪な存在を打ち倒す力を持つ者、勇者の波動を持つ者を見いだし、何らかの方法でこの世界に転送しました。それがヒカルと、アンです。彼らは元の世界では戦う力など持ち合わせていない普通の人間ですが、こちらでは彼らの魂と世界の波動が同調し、彼らに強大な力を与えています。ですが……。」

 

 強制的な異世界転移など、彼らが望んだものではない。ヒカルはたまたま強い心を持っていたため、魔法という強大な力を受け入れ、難なく行使することができた。しかしアンの方は、そのままでは強大な力に心が押しつぶされてしまう状態だった。彼女の力は自らの防衛本能のため転移後も発言せず、そのままであれば力に気づくことなくスライム島で過ごしていたことだろう。しかし、彼女が自ら力を得ようとしたことは精霊神にとっても予想外だった。転生の儀式によって彼女は人ではなくなり、強大な力を得た。そのとき、それと引き換えに自らの経験と記憶の大部分を封印された。彼女の皆を守りたいという強い意志のみを残したことで、精神のバランスがようやく保たれ、彼女は剣を撮って戦えるようになったのだ。つまり、記憶が戻ってしまえば彼女は戦えなくなる可能性が高い。ムドーに石化されて魂が肉体から分離したとき、1度記憶が戻っているが、スライムナイトの身体に魂が戻ったことで、その記憶は再び、心の奥底に封印されている。この記憶喪失の本質は彼女の防衛本能によるものであり、儀式によるデメリットではない。そもそも、生命を慈しむ精霊神の力を借りる儀式に、「代償」として失うものなど本来は存在しない。古文書に書かれていた内容は儀式の方法以外はかなりの部分が間違っており、方法だけが完全に正しかったのはもはや奇跡としかいいようがない状況だったのだ。ただ、儀式自体もそれを受ける者に負担がかからないように、よほどの条件が揃わなければ成功せず、なおかつ転生する者の肉体と精神を最大限に保護するよう術式がくまれている。それらの相乗効果により、何万分の一にも満たない確率で発動した結果が、今のアンなのだ。

 

「そん……な、なんで、あの2人じゃなきゃいけなかったんですか?!」

「勇者と同等の波動を持つものなど、そう簡単に見つかるものではありません。彼らしかいなかったのです。彼らでなければ、この世界を救うことはできません。この世界に定められた勇者たちの力だけでは、デスタムーアを倒すことはできないのです。」

 

 ミニモンは先ほどの戦いを思い出していた。まるで神話の英雄のように凶悪な敵に立ち向かっていく2人の姿を。しかしその力はただの人間でしかない彼らの運命を狂わせ、本来は無縁であった、命を賭けた戦いに身を投じさせてしまっている。そんなことが、神や世界の意思だとしても、許されて良いのか? 考えてもミニモンにはわからない。

 アンの失われた記憶について、力を与えたガワである精霊神はすべてを知っている。彼女がヒカルと同じ世界から転移した存在であると言うことを彼が知れば、今以上に心の支えになることだろう。しかしそれは出来ない。なぜなら、万が一にも、彼女に記憶を取り戻させてしまう可能性を与えることになりかねない危険をはらんでいるからだ。

 

「ふん、この世界を救う勇者に選ばれるなど名誉なことではないか。世界のために戦うのは当然のことだ。」

「……じゃあ聞くけどさ、レイアス、君の故郷が人間たちに滅ぼされたのも運命、そう思ってあきらめるんだね?」

 

 吐き捨てるようなレイアスの言葉に、ミニモンがいつもは見せないような険しい表情を浮かべ、明確な敵意を持って彼をにらみつけた。その様子は普段のミニモンからはおよそ考えられないようなもので、レイアス、エリアスばかりでなく精霊神でさえも一瞬驚きの表情を見せたほどだ。しかし、普段は優しく臆病な小さなモンスターのそのような変化を見せられてもなお、レイアスはたじろぎながらも反論せずにはいられない。

 

「な、何を言う?! それとこれとははなしが別……。」

「何も違わないでしょ、レイアスが言ってるのは結局の所、与えられた運命は理不尽でも受け入れろってことなんだよ? それとも君の運命は受け入れがたくて人間を恨む正当なもので、彼らが強制的に連れてこられて、望んでもいない運命に振り回されるのはあきらめろって? ホントふざけてるね君。まあ彼らは何があっても、誰かさんみたいにことあるごとに敵を作って、人のせいになんてしないだろうけど。」

「そうですね、ミニモンのいうとおり、彼らはこの世界の事なんて放っておいても良かったはず。誰にも彼らに戦いを強制する資格なんてありません。もともと彼らはこの世界の住人ではないのですからね。でも、彼らはそうしなかった。」

 

 ミニモンだけでなく、エリアスもまた、口調こそは穏やかだがレイアスを冷たい視線で見つめている。居心地が悪くなったのか、レイアスはチッと舌打ちをして、そのまま黙り込んでしまった。精霊神はミニモンを抱いたまま窓際に立ち、空を流れる雲を、やはり憂いげな瞳で見つめながら、ふたごの翼人の方を振り返ることなくつぶやいた。

 

「彼らが成そうとすることが、誰かを助けようとする行いである限り、私は助力を惜しみません。たとえ失われた生命をよみがえらせる禁忌の法を使うことになったとしても。……最終的に世界の意思によって彼らが選ばれたのだとしても、彼らの人生を奪い、見知らぬ土地へ連れてきてしまったその責任は、間違いなく私にもあるのですから。」

 

 一輪の風が精霊神の長い銀髪を揺らし、彼女の瞳からこぼれ落ちた一筋の涙をさらっていく。それは彼女の後ろ姿を見つめているふたごの従者の目に映ることはなかった。

 

***

 

 世界樹の葉が奇跡を起こしたあの日から、3日ほどが過ぎ去っていた。邸宅の居間で、赤々と燃える暖炉の火で身体を温めながら、食後の紅茶を楽しんでいる貴族の夫婦がいた。同じテーブルには桃色の髪を持つエルフの姉妹と、黒髪の少年が座っている。

 

「ようじ、たいこう?」

「ああ、ちょっと難しい言葉だったな。赤ちゃん返りとか、他にも言い方はあるんだが、要するに、今の歳よりも小さな子供のようになってしまうことだな。」

「ルナは、その、赤ちゃんみたいになっている、ってことですか?」

 

 ここには少年、トビーの妹ルナはいない。先ほどアンが寝かしつけたところで、今はヒカルとアンの心室の大きなベッドで眠っている。世界樹の力で、身体の傷が完全に回復したばかりでなく、いくつか抱えていたと思われる病気もすべて治癒していた。ゲーム的にいえば、1度死んで生き返ると状態異常がすべて解除されるのと同じ状況だろう。

 しかし、心の方はそうはいかなかった。柄の悪い大人たちに受けた仕打ち、病に苦しんでいる自分とそれを支える兄を嘲笑し、暴力を平然と振るうその姿は、彼女に拭い去れない恐怖を与えてしまったのだろう。

 

「自分のことは自分で出来ていますし、聞き分けも良いので、完全に赤ちゃんになってしまったわけではないですね。けれど、お父さんやお母さんを失ってすぐに、あんなひどい目にあわされたんですもの、誰かに寄りかかっていたくなったとしても、仕方ないことだと思います。彼女はまだ子供なのですから。」

「そういう意味じゃ、トビーがタフすぎるんだよね、無理してるんじゃないの? 今日からミミが一緒に寝てあげよっか? ほらほら、ぎゅー、しよ?」

「え、ええ? 良いですよ、1人で寝れますってば、ちょ、くっつかないでくださいっ!!」

 

 抱きついてくるミミを引き剥がそうとするトビーをおかしそうに眺めながら、ヒカルとアンはルナについて、もう少しこのまま様子を見ようと決めた。トビーの方も、今は大丈夫かもしれないが、何かのきっかけで心の問題が表出することも十分考えられる。2人を教会が管理する孤児院へ預けようかという考えも最初はあったのだが、あの日以来夜になるとルナがアンから離れないため、引き離すのはルナの心に良くないだろうと結論づけた。しかし、今後この幼い兄弟の処遇をどのようにすべきか、ヒカルとアンは決めかねていた。そもそも親になったことがない彼らには、子供の行く末を考えることになるなど想像もしていなかっただろうから、無理からぬ事だろう。とりあえず、ルナの精神が落ち着くまで、幼い兄妹を傍らに置いて見守ってやることくらいしか、2人にはできなかった。

 

***

 

 ドラン王城の1室、簡素だが管理の行き届いた部屋で、2人の男がテーブルを挟んで何やら話している。1人は大柄で、立派な口ひげをはやし、仕草の一つ一つに気品と威厳が感じられる。対するもう1人は小柄で、どこにでもいるようなごく普通の男である。

 

「そうかい、やっぱり思っていたより厄介な組織みたいだな。」

 

 小柄な男、ヒカルは顎に手をやって、口をへの字に結んで不快感をあらわにしている。しかしその表情すらもどこか愛嬌があり憎めないと、対面に座る男、この国の王であるピエールは思うのだった。

 

「うむ、しかしなんとかしなければならぬな。こともあろうに子供を中心に取引をするなど、人の親としてまず許せぬ。」

「俺ぁ親になったことはないけど、同感だね。多少時間がかかっても、徹底的にぶっ潰さないと、魔物や魔王の前に、同じ人間にやられることになりかねないからな。」

 

 人間の強欲、憎悪、嫉妬などといった悪意に基づく行動が活発化しているのはおそらく、デスタムーアの計画の一端なのだろうと、ヒカルは当たりを付けていた。人間の負の感情が力となっていることが確かな以上、犯罪組織の台頭などを見過ごしておけば、後々取り返しのつかないことになるのは目に見えている。しかし、容易に対策が取れないというのも又、まぎれもない事実であった。

 

「簡単に行かぬのはわかっている。それでも、各国の王に書状を送り、我が国が捜査摘発に全面的に協力する故、人身売買組織の駆逐に力を入れてくれるように依頼している。……いろいろ忙しいとは思うが、ヒカルとアンにも手を貸して貰いたい。」

「ああ、もちろんだ。あんな連中生かしちゃおけねえ。」

 

 ヒカルは冷めた紅茶を一気に飲み干すと、なんとしてもこの事件を解決するのだと、決意を新たにした。ピエール王はそんな彼の様子に満足そうに頷くのだった。

 

「あ~あ、こんなところをアルマンの奴に診られでもしたら、ま~た何言われるかわかったもんじゃないな。」

「ふふ、そうだな。……無理を言って悪かったとは思っているのだ。しかし、これから相手にしなければならないのは魔王、対抗するためには今までと同じではだめだ。だからこそ、お前には余……私の傍で力を振るって貰わなければならぬ。そのためには……古い身分制度やしきたりなど、邪魔になるだけだ。」

 

 ヒカルのこの場での言動は、とても一国の王に対するようなものではない。しかし、何よりピエール王自身が、2人だけで話すときに限り、それを望んでいる。最初にこの提案をされたとき、さすがのヒカルも驚愕で言葉が出なかったほどだ。

 

「私に今、本当に必要なのは、身分を超えて同じ場所に立ち、共に助け合う存在だ。我が側近たちは皆、有能だ。そのことは疑ってはおらぬ。しかし、王に権力を集中したこの国の政治(まつりごと)では、どうしても私の考えが最優先されてしまう。それではダメなのだ。想像を絶するような敵と戦わなければならないとき、本当に必要なのは、共に考え、力を合わせて立ち向かえる対等の存在……。私はお前に私の友になってほしかったのだ。」

 

 王様に友だちになってくれと言われて、はいそうですかと答える一般人なんていないだろうと、自分がこの世界においてはすでに「一般人」ではない事実を棚に上げてヒカルは考える。ピエールが何を思って、この国の貴族からしたら「よそ者」である自分をそばに置こうとするのか、後妻も撮らず妾も侍らせず、ただひたすら政務に取り組むのか、ヒカルにはよく分からない部分も多かった。しかし、妻の死後も悲しみを押し殺し、国民のためにと仕事に励む姿は、ヒカルの元いた世界の政治家たちにはまず見られない姿勢なのは確かだ。悩み苦しみながらそれでも歩みを止めないこの王の力になりたいと、いつしか彼は本気で思うようになっていた。ドランにとどまったのは目的を果たすためのバックボーンを得るためであったが、知らない間にヒカルも大多数の国民がそうであるように、ピエール王のもつ魅力に惹かれていたのかも知れない。

 

***

 

 男は驚き、怒り、また焦っていた。今までも、どこからか情報が漏れ、アジトにしていた場所を襲撃されることは幾度かあった。しかし、裏社会に張り巡らされたネットワークを介し、それを上手く煙に巻いてきたのだ。いつも、役人が踏み込んでくるのは彼と部下たちが逃げた後だった。しかし、今回は違う。逃げだそうとしたときにはすでに、アジトにしている宿屋は武装した者たちに包囲され、自分たちの目の前にはその集団の長らしき、全身鎧(フルプレート)の騎士が立ちはだかっていた。どういうわけか、他の者が馬に乗っているのに対して、この騎士だけは緑色のぷるぷるとしたゼリー状の物体に騎乗している。それは形から見て、どう考えてもモンスターであるスライムそのものであったが、男たちは誰も、人を乗せられるようなサイズのスライムを見たことなどなかったから、実際にはモンスターとおぼしきそれが何であるのか、明確に知っている者は独りもいなかった。スライムから下りた騎士は、ゆっくりと彼ら……人買いを生業とする集団の元締めとその直属の部下たちに向かってくる。その体格は小柄ながら、圧倒的な強者の雰囲気をまとっており、裏社会で命のやりとりをしてきた彼らには、この騎士が自分たちが束になってもまるで歯が立たないということが、いやが上にも判ってしまうのだ。

 

「貴様らが人買いの一味だと言うことは調べがついているおとなしくして貰おうか。」

「くっ、どうせ戦っても勝ち目なんかねえ、好きにしやがれ。」

 

 この集団の元締めタル、スキンヘッドのいかめしい男は悔しさをかみしめながら、しかし決して抗えない実力の差に打ちひしがれた。貧しい農家に生まれ、大きな商家で奴隷同然に働かされ、着る物や食事も満足に与えられず、気がつけば城下町で盗みを働き、生きるために悪行を積み重ね、裏社会のとある組織で頭角を現し、元締めと言われる立場にまでなった。そんな人生の中で彼が最も頼りにしたものは、純粋な戦闘力である。熟達した専業の戦士にも勝るとも劣らない実力は、荒事を生業とするこの業界において彼の身を守り続け、他者に一目置かせる材料となった。それ故に彼は、自分の力に自信を持っていたし、実際彼に対抗できる存在は人間社会の中では非常にまれだろう。だからこそ、目の前に立ちはだかる圧倒的な強者の存在は彼の自尊心を粉々に打ち砕いた。強者である男には、弱い部下たちよりもさらに鮮明に、目の前の存在の驚異的な実力が、理屈ではなく感覚で分かってしまうのだ。磨き上げてきた自分の力で目の前の障害を排除したくとも、体が動かない。気をしっかりと持っていなければ、この場から一目散に逃走してしまいそうになる。それだけの恐怖を与える存在に、彼は今まで遭遇したことは無かった。

 

「……なるほど、お前がこの国の人買いをまとめ上げている、グレゴとかいう奴か。」

「ほ、ほおぉ、オレの名前を知っていてくれるとは光栄だな。しかし、そういうあんたは何者だ? この国にはあんたのような腕の立つ奴はいないはずなんだが。」

「そういえば名乗りがまだだったな。私はラナリー=アン=アスマ=シャグニイル、ドラン王国騎士団の二番隊隊長だ。この国の国王陛下の依頼を受け、人買いなどと言う不届きな輩を捕らえて回っている。」

「なっ……てめえやっぱり人間じゃ……。」

「連れて行け。」

「はっ!!」

 

 驚きの声を上げる男の言葉を遮るように、アンは部下たちに命令を下す。あっという間に縛り上げられた男たちはなすすべもなく引き立てられていく。この騎士たちですら、グレゴなど相手にならないほど強い。それが判ってしまった彼にはもう、戦意など残っているはずがなかった。しかし、引き立てられていく彼の耳に届いたアンの言葉は、そのすさんだ心を深くえぐるものだった。

 

「……確かに私はモンスター、しかし、自分より弱いものを平気で食い物にするような輩に、人間でないからと言ってとやかく言われる筋合いなど無い。」

「く、くそぅ、だが俺たちを捕まえたところで無駄なことだ、この国には、いや世界には、俺たちみたいな奴はゴマンと……。」

「だからどうした。」

「な……に?」

 

 男が最後の抵抗をするかのように吐き捨てた言葉を、騎士は即答で切り捨てた。そんなことは関係がない、そう言いきるように発せられた言葉は、先ほどのものよりも鋭利な刃となって、深く深く、グレゴの心を突き刺した。

 

「どんなに時間がかかっても、どんな手を使っても、人買いなどという組織は私が、いや私達が残らず叩き潰してやる。可愛い子供たちに絶望を与えるような奴は、精霊神様の生み出された同胞として認めることはできないからな。」

 

 アンと名乗った騎士の姿が遠ざかるのを、焦点の定まらない視界に移しながら、グレゴは考える、自分のしてきたことは何だったのかと、悪事と分かって、悪党になりきると決めて、様々な思いを振り切って、それでも自分は生きるためにこの道を選んだ。それを後悔はしていない、断じて、後悔など、しては、いない……。

 

「お疲れ様、ほんっと手間のかかる仕事だよねえ~、人間ってほんっと面倒くさいわあ。」

「そうだな。しかし、ルナやトビーのような子供たちをこれ以上増やさないためにも、根気よく続けていかなければならない。ドラみのおかげでずいぶんと手間が省けた、ありがとう。」

「まあ、子供は種族関係なく、世界の宝だってうちのばあちゃんも言ってたしね~。役に立ったのなら良かったよ。」

 

 ドラみが透明化を駆使して人身売買組織の情報を密かに集めているため、アンたちは組織が動く前に手を打てている。そういう意味では、捕縛の手柄はほとんど彼女1人のものだ。まだまだ、世界的には人間の敵として討伐されることの多いモンスターが、人間の子供たちのために東奔西走しているというのだから、皮肉な話だ。

 全世界に張り巡らされた人買いの組織網が崩壊し、この世界に人身売買が台頭しなくなるまで、この後さらに数年の時間を要する。グレゴという男がその後どうなったのか、知るものはいない。

 

to be continued




※解説
人買い:原作中では実は魔王より極悪なのではないかという組織。このお話の中では、若い女性や子供など弱いものをさらって売り飛ばすという最低の連中です。しかし、人身売買などと言う悪逆非道がまかり通っているということは、人間の負の感情あふれまくりでデスタムーアさんがウハウハではないですか。何とか阻止しなければ、ということで今回の話になりました。

さて、ルナは無事に一命を取り留め、トビーの闇落ちは阻止されたようですが、果たしてルナは年相応の元気な女の子に戻ることができるのか?
原作が遠いって? 知らんな(すっとぼけ)。

ちなみにこの物語は、トビーとルナの物語でもあります。アベルとティアラ中心ではない物語を目指しています。原作のお話はダイジェストどころか、こちらの話に必要がなければ出しません。改めて、その点をご了承の上お読みください。


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第27話 動き出す歯車 変わりゆく運命

さて、ルナとトビーの今後はどうなるのか、そして、原作とはやや異なった動きを見せていく歴史……、邪悪なる者たちの影は、徐々に世界に迫りつつある……!


 シャグニイル邸の朝は早い。朝日が昇りはじめる頃には、使用人達が食事の準備などを始めるためだ。あと1時間もすれば、この館の主達も起きて行動を開始するだろう。そうなる前に、彼ら夫婦がスムーズに身支度を調え、食事を取り、それぞれの職場へ赴けるように、数少ない使用人達は大忙しである。エルフ姉妹の姉である彼女は、そんな使用人達をまとめ、この館の炊事選択掃除などの家事仕事、資産管理や主人のスケジュール管理に至るまで、ほぼすべてを一任されていた。貴族社会は男社会であり、こうした仕事は普通なら執事の業務だが、この館では女性である彼女がそれを任されている。妹の方は主に、来客の接待、交渉ごとなどを任されており、姉妹はこの国の貴族達の間ではちょっとした有名人だ。人間達にとって、エルフの印象は気位が高く、人間を見下しているというものが大半だ。それは決して間違いではなく、自然を愛し、物事の本質を見抜く力に優れるエルフ達にとって、人間達、いわゆるヒューマンといわれる種族は目に見えるものだけを重視し、生き急ぎ、物事の本質が見えていないと想われていることが多く、それが領主族の間に浅からぬ溝を作っているのは確かだ。シャグニイル邸に使えるメイドのエルフ姉妹は人間に対しても基本的に友好的であり、見下すような態度を取ることはない。そのことは最初、貴族達にとって相当の驚きを持って受け止められ、人間よりも強い力を持っている彼女たちを服従させていることで、主人であるヒカルに対して注目が集まることにもなった。彼女たちがそこまで計算をして普段から行動しているのかどうか、本人達以外には判るはずもないが、少なくとも彼女たちのおかげで、ヒカルが新参者だからといって侮られるようなことはなく、彼がそういった面で苦労することはなかったから、結果的に良かったのだろう。

 

「あら、おはようトビー、ルナ、もう少し寝ていても良いですよ?」

「おはようモモさん、いや、そういうわけにもいかないですよ、俺たち居候ですし。」

「私も朝食のお手伝いします。」

「うふ、2人とも真面目ねえ。旦那様も奥様もまだ寝室にいるから、一緒に寝てきたら?」

 

 モモのそんな言葉に、トビーは慌てて近くの男性使用人に交ざって荷物を運び出し、ルナはその場でうつむいて真っ赤になっている。2人がヒカルとアンの2人と寝床を共にしていたのはつい数ヶ月前までで、大きなベッドで寄り添って眠る4人は本当の親子のようだと、使用人達は皆、微笑ましく見ていたのだった。そんな2人がある日、それぞれ1人で寝ると言い出して、急な変化にヒカルとアンも戸惑った。しかし、これも2人が成長した、自立心の表れだろうと納得し、床を分けたのだ。

 ヒカルたちは知らないことだが、元々、住んでいた村で、この兄妹は早いうちから両親と床を別にしていた。それが、あの人買いの事件から助けられた後、大人と一緒に眠っていたというのは、それだけ、彼らが負った心の傷が大きかったということなのだろう。トビーの方は最初は1人で眠っていたが、そのうちにルナと一緒にいた方が彼女が安心するからという理由で、アンに促されて一緒に眠るようになった。1人で寝ている間、毎晩のように悪夢にうなされて夜中に飛び起きる彼を心配したミミが、ヒカルたちにそれを報告した結果、近くで見守っていた方が良いだろうと判断されたのだ。

 そんな彼らも日が経つにつれて落ち着きを取り戻していき、2人とも夜はぐっすり眠れるようになった。そして、こうやって自立心を芽生えさせているわけだが、そんな2人が可愛くて、モモはつい少しだけ意地悪を言ってみたくなるのだった。

 

」ルナ、それじゃあ朝ご飯の支度を詩に行きましょうか。」

「は、はい!」

 

 口角が緩みそうになるのをぐっとこらえて、メイドの顔になったモモは、うつむいて手をもじもじさせているルナに声をかける。はっとした彼女は少し慌てながら、しかし元気よく返事を返す。2人は足早に、調理場の方へと歩を進めるのだった。

 

 

***

 

 中央大陸の中心部にほど近いところに、アリアハンと呼ばれる小国があった。人口は千認定度しかおらず、万に届こうかというドランと比較すれば、実に10文の一ほどである。かつては世界の中心だったともいわれるほどに歴史の古い国だが、もはや伝統と格式以外に、この国の存在を世界に示すすべはなかった。それほどに、アリアハンは力の弱い国なのである。

 さて、そのアリアハン領内に、国と同じ名前を持つ小さな村があった。通常は国と同じ名前を冠す集落など、城下町以外にはあり得ないのだが、この村はとある理由から「アリアハンの村」と称することを許されていた。この村には伝説の竜に関する数多くの伝承が残されているという美しく広大な湖、竜神湖(りゅうじんこ)があり、それはこの国だけでなく世界各国から神聖な場所として重要視されていた。もっとも、この湖にまつわる伝承を記した古文書はアリアハン王家にしか存在せず、どういう内容であるかを知っている者はごくわずかである。村人はそんな伝説とは無縁であるかの如く、狩猟や農業などの自給自足で生計を立てていた。端から見れば、どこにでもあるような牧歌的な風景が広がるだけの、何の特徴もない貧しい村に映っただろう。

 少年は、そんな村で、ある夫妻の間に生まれた。父は狩猟を生業とし、母は機織りなどをして生計を立てていたが、母は産後の肥立ちが悪く、息子が生まれて間もなく他界した。それから、彼はずっと、父親に育てられ、優しい村人たちに見守られながらすくすくと成長していった。まだ、己に課せられた運命など、何も知らないままに。

 今年10歳になる少年は、名をアベルといった。

 

「今日も大漁、大漁っと。」

 

 肩に担いだ魚籠(びく)の中に溢れんばかりの獲物を詰め込んで、機嫌良く鼻歌などを歌いながら川沿いの道を下っていく。眼下には大きな竜神湖と、その(ほとり)に小さな集落が見えている。太陽は多分今が一番高い位置にあるだろう。もうすぐ昼時だ。アベルが村への帰りを急ごうと、歩く速度を速めようとしたときだった。

 

「待ちな小僧、そのカゴの中身を全部おいてけ、死にたくなかったらな!」

「げっ、山賊?! なんでこんなとこに!」

「うっせえ、よその国から来た二番なんだかっていう騎士連中が、このあたりを根こそぎ掃除して回ってんだよ! おかげでこちとら商売あがったり……って、んなこたあてめえにゃあ関係ねえ!とっととそのカゴの中身をよこしやがれ!!」

 

 いつの間にかアベルの回りには、血走った目をした柄の悪い大人たちが数名、彼を取り囲むように布陣し、じりじりと方位を狭めてきている。アベルは子供としては強い方で、村の格闘大会で力自慢の幼なじみを倒すくらいの実力はあった。しかし、所詮は子供だ。大の大人複数人に逃げ場もなく取り囲まれてはどうすることもできず、彼らの言うとおりにカゴの中身を差し出して命乞いをする以外には、助かる方法などないだろう。

 

「嫌だね! この肴は村の人たちに食べて貰うために捕ってきたんだ! 誰がお前らみたいな悪者にくれてやるかよ!」

 

 よせば良いものを、少年は断固として、今日の収穫物を渡すことを拒否する。これは普段からお世話になっている村の人たちにと、朝早く起きて山奥まで入り、モンスターを避けながら苦労してここまで運んできたのだ。いつも夕飯を作ってくれる幼なじみのお母さんの好物だという珍しい肴も手に入れたのだ。彼としてはこんな訳の分からない連中に渡すわけにはいかないのだろう。その気持ちはよく分かる。しかし、いかんせん状況が悪すぎる。アベルの答えを聞いた賊たちは、悪い人相をさらに凶悪にして、一斉に襲いかかってきた。

 

「く、そうっ、負ける、もんかっ……!」

 

 判っていたのだ。勝ち目のないことくらい、アベルには判っていたのだ。しかし、どうしてもこの思いだけは譲れない、父が旅立ってから数年、いつか帰ってくるその日のため、強く立派な男になろうと、小さなその旨に秘められた決意は、少年に逃げるという選択肢を選ばせなかった。しかし、いかに強い意思を持っていようとも、迫り来る脅威は10歳の子供にとってはあまりにも強大であり、何か対処しようにも足がすくんで動かない。つぶやかれたささやかな抵抗の意思は、悪しき欲望に頭を支配された大人たちに届くことはない。迫り来る暴力の嵐に、少年は反射的に身を縮めた。

 

「が、はっ。」

「な、何だてめ、ぐふっ!」

 

 固く目を閉じた少年は、やがて来るだろう痛みに備えて歯を食いしばる。しかし、どうしたことかいつまでたってもその時は訪れず、それどころか大人のうめき声と共にドサドサと何かが地面に落ちる音がして、やがて何の声も、物音も聞こえなくなった。

 アベルは恐る恐る目を開け、あたりを見渡して驚いた。そこには地面に倒れ服す賊たちの姿と、悠然と構える1人の人物の姿があったから。その人物は戦士らしく、腰に一振りの剣を下げているが、それを使った形跡はない。倒れ服している者たちには目視できるような切り傷がなく、戦士のまとっている革の鎧にも返り血らしきものは付着していない。

 

「この野郎!!」

 

 不意に、森の茂みの中から別の者たちが飛び出し、騎士に躍りかかった。手には伐採用と思われる斧、古びた剣、鎌などを持ち、今にも振り下ろそうとしている。しかし、騎士はとくに驚いた様子もなく、腰の剣を引き抜くと、振り向きざまに一回転して振り抜いた。次の瞬間には、あろうことか振りかぶられた獲物はすべて地面にたたき落とされ、いつの間にか剣を鞘に収めた騎士は呆然とする一段の間を縫うように駆け抜けた。次の瞬間、彼女の通った後には数名の、倒れ服すものの姿があるだけだった。

 

「無事か? 少年。」

「あ、れ、女の、人?」

 

 髪を短く切りそろえ、整った顔立ちから美形の男性かと思ったのだが、発せられる声から、どうやらこの人物は女性であるようだ。驚いた顔をしているアベルに、騎士は苦笑しながら歩み寄ってくる。よく見れば、鎧は女性用で、胸の部分の膨らみがはっきりと判る。慌ててそこから視線をそらし、アベルはとりあえず、彼女の顔をしっかりと見据えて言った。

 

「助けてくれてありがとう、お姉さん!」

 

 騎士がアベルの頭を撫で、彼が少し照れくさそうに頬を書いたとき、何者かがこちらに駆けてくる足音と、目の前の女性を呼んでいるのだろう大きな声が、アベルの耳に入ってきた。

 

「隊長! こちらでしたか!」

「遅いぞ。」

「も、申し訳ありません。こ、こいつらは……。」

「おおよそ風貌は手配書の通りだ。副長、こいつらを縛り上げてその辺に転がしておけ、捕獲部隊が追いついたら引き渡すぞ。」

 

 副長と呼ばれた男の騎士は一礼すると、部下たちと共に倒れている者たちを手早く縄で縛り上げ、近くの道の脇にあった切り株の回りに、それこそ何か荷物でも整理するように手早く並べていく。呆然とその様子を眺めているアベルの肩をポンポンとたたき、隊長と呼ばれた女性はおかしそうに笑った。

 

「そんなに珍しいか?」

「あ、いや、うん。でもこいつら何? この辺じゃあ山賊なんてめったに出ないんだけど。」

「ああ、それはな……。」

 

 女性棋士が話してくれたことには、この連中は、アリアハンの国で人身売買……人間を金で売り買いしている悪い奴らで、最近取り締まりが厳しくなったために稼ぎがなくなり、山賊になって道行く人々を襲い、金品や食料などを強奪していたそうだ。そんなことを説明されているうちに、村の方から馬に乗った一団が現れ、縛り上げた者たちは引き渡されていった。

 

「さて、少年、君はあの村の子かな」

「あ、うん、オイラアベルっていうんだ。」

「そうか、私はアン、アリアハンとは別の、ドランという国から来た騎士だ。」

 

 アンに手を引かれ、アベルは山道を下る。けっこうな重さがある魚籠を女性は軽々と片手でぶら下げ、速度を落とすこともなく悠々と歩いている。アベルと手をつないでいるため、先ほどまで装備されていたガントレットは外されており、細くてしなやかな、柔らかくて温かいぬくもりが、少年になんともいえない安心感のようなものを与えてくれる。遠い日に同じようなぬくもりに包まれていたような気がして、彼は無意識にその手をぎゅっとつよく握った。女性棋士はちらりと振り向き、彼の手を握り返してくれる。

 ほどなくして、無事に村にたどり着いたアベルは、事の顛末を知らされた村の大人たちからお説教を食らうことになった。普段は温和な神父様に張り倒されそうになり、幼なじみの母親には泣き崩れられ、彼はここに至って、ようやく自分がどれだけ無謀なことをしたのか気がついた。そして、どれだけ村の人たちから大切にされているのかと言うことも。

 

「オイラ、弱いなあ。」

 

 西に傾きはじめた太陽は黄金職に変わりはじめ、褐色の少年の肌を明るく照らす。まぶしいその光が、自分には届かない何かのような気がして、アベルは目を閉じた。あの時、アンが助けに入らなければ、自分は悪い大人たちに打ちのめされ、ひょっとしたら死んでいたかもしれない。子供が多人数の大人に叶うはずなどないのだが、それでもアベルは、何も出来なかった自分の弱さを呪わずにはいられなかった。

 

「こんなところで何をたそがれているんだ? 少年。」

「あ、アンさん。」

「昼間のことを気にしているのか? あれはまあ、仕方がないだろう。多勢に無勢という奴だ。」

「うん、わかってるよ、でも、でもさ……。」

「強く、なりたいか?」

 

 うつむいていた顔を上げ、少年は女性棋士の顔をじっと見つめる。陽光に照らされた、彼女の短く切りそろえられた金髪が風に揺れた。少年はそんなアンの姿に、伝説にうたわれる勇者とはこんな人なのかなと、ぼんやりと考える。そして発せられた問いに、素直に首を縦に振った。アンはふっと笑うと、アベルの隣に腰掛け彼の手に自分の手を重ねた。

 

「そうか、ならば逃げる勇気を持て。」

「え?」

「今日のような場合、まず自分の安全を確保することを優先するんだ。」

「でも、それじゃあ強くなんて……。」

「いいかアベル、戦いにおける強さとは、己の……自分の力を知り、敵の力を知ることだ。そして、その時に応じた正しい行動を取れること。」

 

 アンは言う、立ち向かう勇気は必要なものだが、無謀は勇気ではないと。生き残ってさえいれば、今でもできることはあるはずだと。そして、今は弱くても、強くなろうと努力し続けていれば、必ず強くなれる、とも言った。

 

「それにな、アベル。」

 

 アンはアベルの手を自分の両手で優しく包み込み、自分の胸元へ寄せる。鎧を脱いだ旅人の服の分厚い布ごしに、彼女の柔らかさと、トクトクという心臓の鼓動がわずかに伝わってくる。その行為に顔を赤らめる少年は、それでも騎士の顔をじっと見つめ、続く言葉を待っている。」

 

「本当の強さとは、決して戦う力のことじゃない。何の力もなければ力の強いものには叶わないかもしれない。しかし、知恵が力を凌駕することもある。同程度の実力であれば、最後に勝つのは……、ここが強い方だ。」

 

 アベルがはっとして、気がついたときにはアンは彼に背を向けて、村の入り口から手を振っている騎士たちのもとへ歩き始めていた。その背を見つめる彼に一度だけ振り返った彼女は男の子が見ても格好良いと心から思える、そんな勇ましい表情をしていた。

 

「アベル、大丈夫、君は強いさ。無謀なのはよくないが、理不尽に屈しないその心を持ち続けていれば、いつか本当の強さを、手に入れられる。私のようなまがい物じゃない、本当の強さを。」

 

 いつか縁があったらまた会おう、そう言い残して、女性棋士はいつの間にかあかね色に染まった夕日を浴びながら、今度こそ仲間たちと共に小さな村を後にした。

 異世界から来た勇者と、竜伝説に選ばれた勇者、彼らは互いの素性を知ることなく、それぞれの運命を進んでゆく。彼らがこの先の道で再び出会うことがあるのか、それは誰にも判らない。

 

***

 

 シャグニイル邸の大きさは、貴族の邸宅としては中の下くらいの規模であるが、それでもヒカルの元いた世界のちょっとしたホテルくらいの大きさはある。この世界に住まう一般的な貴族であれば、たくさんの使用人を雇い、普段から使いもしない部屋に豪華な調度品を飾り、自らの力を誇示するところだが、この館はそんなこともなく、使用人と言えばエルフの姉妹のほかに十数名が雇われているだけだ。屋敷内の部屋も、使われているのはごく一部だけで、来客なども多くなかったから、その生活ぶりは与えられた身分を考えれば質素すぎるものだった。

 財力がないのかと言えばそういうわけでもない。爵位と共に与えられた領地は、この国では辺境と言って良かったが、国内でも一二を争う広大なオアシスと、その恩恵を受けた肥沃な土地に恵まれ、領地収入は貴族たちの中でも上位に入っていた。もともと王家の直轄領だったこの土地には、王が選んだ優秀な政務官が配属されており、ヒカルの領地となった後も引き続いて内政を代行してくれている。そんなわけで、シャグニイル家には十分な収入があったから、多少散在したところで経済的に苦しくなる訳ではなかった。ヒカルやアンが贅沢な生活にあまり魅力を感じなかったことと、魔王の脅威に対抗するという目的の達成に力を注いでいたため、直接関係のないことについてはおざなりになっていた、というのが大きな理由だ。貴族としての外面を保ちながら、魔王への「嫌がらせ」の準備をするなどという器用なことは、ヒカルにもアンにもできなかったのである。

 そんな、シャグニイル邸の2階に、この屋敷にしては珍しく金をかけた部屋がある。それは書斎だ。作りもそうだが、世界中からかき集められた膨大な量の書物が収められており、書斎の他に書庫となっている部屋がいくつもある。魔王や竜伝説、呪文書、兵法書など、目的の本を探すだけでも苦労しそうな程だ。ヒカルはこの部屋で、時間があるときには様々な本を読みあさって知識を蓄えていた。元の世界では分厚い本など、昼寝の時の枕代わりにもならない扱いだったが、この世界には書物や口伝以外に情報を得る手段がなかったので、必要に駆られて仕方なく読書をするようになったのである。

 さて、今この書斎で本を読んでいる人物は館の主ではない。書斎の脇に設けられた、大人用よりはいくぶん低めの机に本を積み上げ、そのうちの一冊を広げ、手元ではペンを走らせている。涼やかな印象を受ける水色のワンピースは派手なデザインではないが、素材は見ただけで一級品と判る。この地方では珍しい白い肌と、美しい黒髪につぶらな黒い瞳の愛らしい少女は、外見から予想するに10歳には満たないくらいの年齢だろうか。小さな手が動くたび、ものすごい速さで文字が書き記されていき、白紙だった紙1枚はあっという間に埋め尽くされた。少女はそれを脇机の神束の上に置き、新しい紙に向かってまた同じように何事か書込はじめる。何かにとりつかれたように作業を続けていた彼女が、手を止めたのはそんなことが30階以上も繰り返された後だった。

 

「あら、またここにいたのですか? ルナはお勉強熱心ですわね。」

「あ、モモさん、えへへ、本を読んでいると、ついつい夢中になっちゃって。」

「好きなことがあるのは良いことですわ。最近は教会にも出入りして、人ともよく話すようになったみたいですし、もう安心ですわね。」

「はい、その……いろいろ迷惑をかけて、ごめんなさい。」

 

 申し訳なさそうにうつむくルナの小さな体を、モモは優しく抱きしめた。窓のない部屋で、机の上のランプの光だけが、彼女たちを温かく見守っている。最初は少し恥ずかしそうにして、逃げるように身をよじっていたルナだったが、そのうちに力が抜け、モモの豊満な体に身を預ける格好となった。モモは愛おしそうに、ルナの黒髪を優しく撫でている。

 

「謝ることなんて何もありませんわ。私は旦那様のご命令に従っただけです。あなたはあなた自身の力で、自分の心を取り戻したわ。この館の皆が、それを心から喜んでいるんですのよ。だから、もっと自信を持ちなさいな。」

 

 そんなことを言いつつも、まあ無理かもしれないなと、モモはなんとなく想っていた。彼女の心の傷が完全に消えることはないだろう。自分と妹がそうであるように、深く心に刻まれた傷、トラウマというのは完全になくすのはかなり難しい。ルナの場合は人買いに受けた仕打ち事態もそうだが、自分がいることで兄に負担をかけてしまったという自責の念が強く、それによって過度に自分を押さえ込んでいる節がある。彼女の謝罪の言葉は、自分が皆の重荷になっているのではないかという思いが、常に心のどこかから消えないために発せられるものなのだろう。今はただ、ゆっくりと時間をかけて、彼女が自分に自信を持てるように支えていくしかない。これでも2年前に比べたら見違えるほどの改善なのだ。結果を焦っても、良いことなど何もない。

 

「さ、もう晩ご飯の時間ですわ。皆が待っていますから行きましょうか。」

「はい。」

 

 ルナは読みかけの本にしおりを挟み、丁寧に閉じると、机の上のランプを持って、開いている入り口の方へと歩み出す。やや遅れて、その後ろ姿を見守るように、モモが歩き始め、ほどなくして書斎の扉は閉じられ、2人は夕食を捕るため食堂へと向かうのだった。

 

***

 

 草木も眠る丑三つ時……にはまだ早いが、電気などないこの世界では、夜は意外と早くやってくる。酒場と呼ばれる場所でさえ、日をまたいで営業しているところなど希だ。当然24時間営業の商店、コンビニエンスストアのようなものなどあるはずもなく、夜の闇に包まれた街は静かに眠りに落ちてゆく。それは身分の高いものも低いものも、富める者も貧しい者も等しく同じである。

 月明かりに照らされた大きなベッドの上で、一組の男女が窓から空を見上げている。満月の青白い光と、無数の星たちのきらめきが、2人をうっすらと照らし、ある種幻想的な光景を作りだしている。女は男に寄り添い、2人は一糸まとわぬ姿をさらし、時々なんとも悩ましいため息をこぼしている。身体はうっすらと汗ばみ、灯りが十分にあればその上気した肌の色を拝むことができたのだろうが、月と星の光量では世界はほとんどの色を失い、モノトーンの光景が広がるばかりである。

 

「なあ、ヒカル。」

「ん? 何だ?」

「私は幸せだよ。」

 

 女は自分の下腹部をさすりながら、何かをかみしめるようにそうつぶやいた。部屋の窓はこの世界では希少品であるガラスがはめ込まれ、外の空気が直接入ってくるようなことはないが、それでも部屋の小さな暖炉に火をくべていても、この時間はそれなりに冷え込む。しかし、今はそんな室温の冷たささえも心地よいと感じられる。きっと目の前の彼女もそうなのだろうと、男、ヒカルはなんとなく考えていた。

 

「ああ、しかし、無い物ねだりはいけないのだろうが、やはり、女としてなんともやりきれないこともある。」

 

 アンはヒカルの背に手を回し、彼の存在を確かめるように抱きしめた。まだ熱を持った身体が重なり合い、先ほどまでの激しさの余韻を伝えてくる。ヒカルはアンの髪を撫でながら、黙って彼女の話を聞いていた。

 

「今、私の中は君でいっぱいだ。……でも、私は君との子供を、この腹に宿すことができない。それがどうしても、悲しくなることがあるんだ。」

 

 モンスターであるアンの人間のような身体は、本来なら存在しないものだ。幸いにというか、その身体は感触的にも人間のそれと遜色なく、あらゆる器官が人間であったときのままで遺されていた。だから彼女は人間のように飲食もするし、排泄もする。切られれば血も流すし、五感もちゃんとある。しかし、現実にはそれはもはや人間のものではないのは確かで、その証拠に人間がかかるような病気にはいっさいかからないし、傷の回復も軽いものならその日のうちに、動けないほどの重傷でも2~3日あれば自然と回復してしまう。そんな彼女が人間の男性を伴侶とし、他の夫婦が行うようにこうして肌を重ねることができること自体、奇跡に近いようなものだった。

 だからアンには理解はできている。こうやって普通の夫婦のようにお互いを感じていられること自体がとても幸せなことで、本来なら望むことすらできないというのを、ちゃんと頭では判っているのだ。しかし、感情的にはそんな簡単に割り切れるようなものでないこともまた、動かしようのない事実であった。、だからといって何か解決法があるわけでもなく、2人はこうしてしばしの間、無言で、次第に覚めていくお互いの熱を惜しむように、その感触を感じていることしかできなかった。

 

「なあ、ヒカル、ずっと考えていたことがあるんだ。」

「ん? 何だ?」

 

 ヒカルに身を寄せたまま、彼を見上げるアンの言葉に、彼は先を促すように応える。彼女が何を考えているか、出会って間もない頃は本当によく分からなかった。けれど今はなんとなく判る。それでも彼女の想っていることは自分の口から言った方が良いだろうと、ヒカルはアンの言葉を待つ。

 

「養子縁組、というやつをしてみないか?」

「そうだな、子供ができないんだし、それも良いかもな。」

「……驚かないんだな。」

「まあ、なんとなくいつか、言われるような気がしていた。誰を養子にしたいのかも、見当はついてる。でも……。」

「ああ、判っているさ。」

 

 アンはヒカルをじっと見つめ、やがて決意が固まったのか軽く頷いた。そして、窓の方へ視線をやり、ふうと短いため息を吐いた。そんな仕草の一つ一つに、ヒカルはどきりとさせられてしまう。彼女の瞳には、高く昇った月が映り込んでいる。夜空には雲一つなく、月明かりの他にはどこまでも深い闇が広がるのみだ。

 

「彼らは、死ぬはず、だったのだろう? 君の知っている物語の中では。」

「ああ、俺は歴史を買えてしまったのかもしれない。」

「なに、物語は所詮は物語だ。現実ではないさ。君は君の想うまま、助けたいと想う者に、手を伸ばせばいい。」

 

 ヒカルが異世界から召喚されたことを知るのは、彼女で3人目だ。やはり夫婦で隠し事は良くないだろうと、結婚式の直前にヒカルがアンに話している。そのときの彼女は、多少驚いた顔はしたが、それだけだった。彼女だって、記憶がないから自分はどこの誰だか判らないし、この世界に明確な出所がないという意味ではお互い似たようなものだろう、ともいった。

 

「さて、そろそろ冷えてきたな、寝るとしようか。」

「ああ、そうだな。」

「ほらほら、私が体を拭いてやるから、ちょっと待っていろ。」

「いや、自分で……。」

「こういうのも愛情表現という奴だ、それとも、触られるとまた興奮するのか?」

「いや、さすがにそんな余力もうないッス。」

 

 アンは小さく笑って、ベッドの傍らに置いてある濡れた手ぬぐいで手早く自分の体を拭き、同じ所にある乾いた布で水気を拭き取る。そして慣れた手つきで、ヒカルの体も同じように拭いてやって、2人はようやく眠りにつく。いつもより少し遅い就寝となってしまったから、休日である明日は遅くまで寝ていよう。桃色の髪の使用人がニヤニヤしながら「ゆうべはお楽しみで……。」などと言ってくるかもしれないが、いつものことだしもうなれた。それより、養子縁組の話をしたら、相手はどんな顔をするのだろう。驚く? それは驚くだろう。受け入れてくれるか、そうでないか、それはわからない。最後に決断するのは自分たちではないのだから。これは彼らの人生を左右する問題だ。

 まどろみに墜ちてゆく中で、アンは自分に寄り添って眠っていたあの日の兄妹を思い起こしていた。彼らの立場も中途半端なままで、そろそろ決断をしなければいけないとは判っていた。でも、言い出せなかった。彼らの心が不安定になるから? いや、多分そうではない。彼女自身が恐れていたのだ、兄妹が自分から離れていってしまうことを。

 人買いから、トビーとルナの兄妹を助け、一つ屋根の下で暮らし始めてから、すでに2年の歳月が流れていた。

 

***

 

 シャグニイル邸の庭の片隅で、2名の者が木刀を打ち合っている。周囲には誰も折らず、木と木が打ち付け合う乾いた音だけが響いている。しばらくそんなことが続いた後、やがて2人のうちの1人、少年は膝をついてうずくまってしまった。

 

「よし、今日はここまでだ。昨日よりも長く打ち込めるようになっているぞ。急がず、ゆっくり、確実に力をつけていくんだ、焦ってはいけないぞ。」

「あ、りがとう、ございました!」

 

 少年はふらふらと起き上がり、力の入らない脚に活を入れ、直立不動で礼をする。……礼に始まり礼に終わる。時には殺し合いに繋がる技術であるからこそ、常に礼節を重んじ、自らを律しなければならないのである。

 少年と相対していた女性は表情を緩め、ふらつく彼を優しく抱き留め、支えてやる。その表情は我が子を見つめる母親のようにも見えた。

 

「トビー、決意は変わらないか?」

「……はい。」

剣を振るうだけが、強くなることではないんだぞ?」

「判って……ます。けど、俺は皆を守れる力が欲しい。強くて理不尽な相手から、あの時の俺たちを守ってくれた、伯爵様やアン様のように……!」

 

 少年の変わらぬ決意と、まっすぐな瞳に、アンは自分の中にはない強さを見たような気がした。彼女の強さは記憶と引き換えに手に入れたものだ。厳密にはそうではないが、少なくとも彼女はそう思っている。失った思い出がなんだったのかわからない彼女には、それを後悔する気持ちなどはない。しかし、なんとなく漠然とだが、自分の力が恐ろしく強大であるにもかかわらず、どこか不完全で、何か大切なものが欠けているのではないかと、ぼんやりとだが感じていた。

 本当は、せっかく助かった命を戦いに投じ、わざわざ再び命の危険に自分から飛び込んでいくような真似は、できることならさせたくはないとも想う。しかし、トビーの意思は固く、簡単にはあきらめないだろうし、そもそも彼の決めた道をどうこう言う視覚など、自分にはないのだと、アンは自嘲した。

 これより数年、トビーはアンに師事し、厳しい訓練に耐え、自らの才能を開花させてゆくことになる。形は違えども、彼が原作と呼ばれる物語と同じように剣の道を歩んだことを、今のアンは知らない。

 

to be continued




さて、また年月が飛びましたが、こうでもしないと永遠に終わりそうもないですので(苦笑)。
ちょっと迷っていることがありまして、よろしければご意見をお聞かせください。
トビーとルナの国内での立場をどうするか、ということです。
1.アンの提案を受け入れ、シャグニイル家の養子になる。
2.養子にはならず、ヒカルが後見人になる。
※どのルートを通っても、2人が最終的に不幸になるようなことはありません。多少の試練はあるかもしれませんが。また、物語の大筋がこの選択によって変化することはありません。
もし、よろしければ、この後活動報告にスレッドを立てますので、そこへの返信という形でお答え戴けると嬉しいです。また、メッセージが使える方はそちらでもかまいません。
くれぐれも、感想欄には書き込まないでください。規約違反になります。私が運営に怒られちゃいますので。
意見がまとまらないときはダイス振って決めます(笑)。

……解説コーナーがないぞ今回(ぼそ)。


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第28話 姫の想いと、あの日の約束

さて、時間がそれなりに飛びつつ、そろそろトビーとルナのこれからについて、方向性を定めなければいけませんね。今回は時間軸が行きつ戻りつしているので、場面転換多めです。
※11/21 オカタヌキ様、誤字報告ありがとうございました。修正しました。


 ドラン王都の、王城にほど近い一等地にある、兵士たちの訓練場の広場で、2人の人物が相対している。共に木刀を構え、間に立つ審判が下す開始の合図を待っていた。2名のうちの1名は男、といってもまだ少年であり、短く切りそろえられた黒髪に、切れ長の目が特徴的だ。対するもう1名は、短い金髪に整った顔立ちをしており、一見すると金髪の美男子のように見えなくもないが、その体つきからまぎれもなく女性であることが見て取れる。2名は木刀の他には、訓練用の革の鎧を身につけ、これまた訓練用のブーツを履いているのみである。

 

「はじめ!」

 

 審判である男の手が振り下ろされると同時に、少年は木刀を構えて、ものすごい速度で女性に迫る。そのスピードは審判である男、王国近衛隊長のゼシアルの目をもってしても、動きをギリギリ追いかけられるかどうかと言うほど、常人離れした速度だ。もっとも彼は速さに特化した戦い方をするわけではない。近衛や騎士団の中には、ゼシアル以上、今のトビーと同じくらいのスピードを出せる者もいる。しかし、それは片手の指で数えられるほどでしかなく、いずれもドラン屈指の強者、英雄に片足を突っ込んだ領域にいる者たちだ。

 

「遅い!」

「くっ?!」

 

 攻撃を受けている女性はその場から一歩たりとも移動することなく、繰り返される剣劇をすべて受け止め、流し、時にはその間隙を縫うように少年に一撃を浴びせている。それに苦悶の声を上げながらも、彼は倒れることもなく、攻撃を続けている。

 

「信じられない。あんな子供が、こんな攻撃を……。しかも、だんだん速くなっている、だと?」

 

 ゼシアルが驚愕するのも無理はない。開始直後の速度でさえも、目で追うのがやっとだったのに、今や斬撃くらいしか捕らえられないほどに速くなっている。通常なら疲労が蓄積し、だんだんと遅くなっていくものだろうが、少年の攻撃は繰り返されるごとに速度を増し、女性の方は徐々に押されているようにさえ見える。

 

「そこっ!」

「むっ?!」

 

  少年の気合いの入った声と共に、さらに速度を増した連撃が女性を襲う。それはやがて無数の閃きとなり、全方位から標的に向かい放たれた。

 勝負あったか、と、信じられないという表情をしながら、ゼシアルが判定を下そうとしたとき、さらに信じられない事が起こった。

 

「……強くなったな、トビー。」

「う、わっ?!」

 

 いつの間にか、女性の姿は少年の前から消えており、はっとした彼が振り返った瞬間、鈍い打撃音と共に、彼の側腹部に木刀による一撃が打ち込まれた。

 

「が、はっ……!」

「そ……それまで、勝負あり! 商社、アン!!」

 

 自らが持つ獲物を放り捨て、崩れ落ちる少年の体を、女性は優しく抱き留める。その表情には先ほどまでの鬼気迫るものはなく、どこまでも優しく、また何かに満足したような柔らかなものだった。

 

「ふむ、正直驚いたぞ。あれは"さみだれぎり"、ふつう人間には使えない技のはずなのだがな。」

「げほっ、やっぱ、また一発も入らなかった……。」

「いや、そうでもないぞ。」

 

 この試合の目的は一つ。少年、トビーが王国騎士団に入隊するに足る実力があるかを見極めること。その条件は、現在ドランで最も強い戦士、アンに一撃でも与えることだ。それが叶わなかったと悔しがる彼に、アンは自分の右腕を見せる。そこには、確かに何かで打ち付けられたような青あざがくっきりと遺されていた。

 

「どうですか、ゼシアル団長?」

「……正直驚いたよ。君に一撃入れられる者など、手加減された状態でも片手の指で数えられるほどしかいない。文句なしの合格だ。」

「……だそうだ。」

「あ、ありがとうございますっ!」

 

 喜ぶトビーの顔を見て、満足そうに頷くゼシアル団長は、歩み寄ってくるアンに視線を向けた。そして、おもむろにこう切り出した。

 

「それで、気の早い話なんだが、トビーの配属先をどうしようか、騎士団内でも意見が分かれていてな。」

「ああ、まあしばらくは他の新入りと同じように一通り全部隊を回らせて経験を積ませ、その後はそうですね、騎士団なら三番隊、兵士団なら市場警備の日勤あたりから初めてみましょうか。何事もした済みの経験は大切ですから。」

 

 この国の兵士や騎士は新入りであればすべての部署を回って一通りの仕事を1年ほどかけて体験し、その後最も適性が高いと考えられる部署へ配属される。ヒカルが元いた世界での新人研修の制度が、しっかりと確立されていた。アンの話を聞いていたゼシアルは、少し困ったような表情を浮かべ、言いずらそうにしていたが、やがて決意したように口を開いた。

 

「そのことなんだがな、実は彼の配属先について上から要望が来ているのだ。」

「こんな11歳の子供にですか? いったいどこから?」

「それが、姫様直々に、自分の近衛隊、それも直属の護衛として欲しいと……。」

「「はあ?」」

 

 アンとトビーはほぼ同時に間抜けな声を上げてしまう。王女の護衛は近衛二番隊の役目だが、そもそもここに配属されるためには、ただ強ければいいというわけではない。もちろん強さも必要だが、王女仕えの騎士として、貴族社会に対する礼節なども重んじられる。従って、ここに配属されるのは経験の長いベテランばかりである。名家の子女であれば、若くても採用されることはあるが、それでも新人研修とは別に数年の経験を積まねばならず、たとえ伯爵家の関係者という肩書きがあったとしても、新人がいきなり研修後に抜擢されるなどということはまずあり得ない。

 あれから、兄妹は結局シャグニイル家の養子にはならず、ヒカルを後見人として、トビーは王宮騎士であるアンの弟子として、ルナは教会の神官見習いとしてドラン国籍を取得している。形だけでも伯爵家の子息となっているのならまだ、形式上身分だけは要件を満たしているが、現在のトビーの身分ではどうやっても分不相応な部署であると言わざるを得ない。

 

「何かの間違いではないのですか?」

「いや、間違いなく、私が姫様ご本人から直接伺った、ここに書簡まで提出されている。」

「いったいどうなっているのですか? 姫様がこんなご無理を言われるとは……。」

「そのこともあって、人事の部署が大騒ぎになっているのだ。姫様のご意向となれば無碍にもできん。」

「それは、そうですが……。」

 

 未だに状況がよく分からずに困惑するアンとトビー、だがそれはゼシアルにしても同じ事で、普段は兵士は愚か傍仕えのメイドの配置に至るまで、1歳口を出したことのないサーラ姫の突然の「おねがい」に、王宮内は混乱するばかりなのだった。

 

***

 

 王城のとある1室、王宮内にしては珍しく、割と簡素といえる机と椅子、わずかな調度品だけが置かれた部屋で、ヒカルとサーラ姫が向き合い、魔法の授業が行われていた。

 

「さて、今日の復習です。まずはメラ系とヒャド系の呪文を、階級の低い方から順番に答えてください。」

「はい、メラ系はメラ、メラミ、メラゾーマ、メラガイアー。ヒャド系はヒャド、ヒャダルコ、ヒャダイン、マヒャド、マヒャデドス、全部で9つです。ただし、メラガイアーとマヒャデドスについては、実在するかどうか疑わしいという見方もあり、学者の間で意見が割れているそうです。」

「それでは、メラゾーマやメラガイアー、あるいはマヒャドやマヒャデドスを極大呪文と呼ばないのはなぜでしょう?」

「それは、両者とも熱エネルギーを操作するという意味では、同じ呪文といえるからです。温度を+側に操作すればメラ系に、-側に操作すればヒャド系になります。」

 

 ヒカルの発問に、サーラ姫はよどみなく答えていく。今年11歳になった彼女は、相変わらずその年齢にしては考えられないほど理髪で、大人顔負けに気の利く才女に成長していた。王族として必要な知識に加え、魔法屋剣術、体術、兵法など戦いに関する知識、その基礎的な技術までも次次と吸収していた。もはや才女などというありふれた言葉では、彼女のすごさを表現しきれないくらいである。

 

「結構、では最後の問題です。温度を操作するこれらの呪文の最高位に位置する呪文と、その効果を答えてください。」

「呪文はメドローア、効果はこの呪文の光に触れたあらゆる物質の消滅です。」

「はい、正解です。では今日の授業はここまで。」

「ありがとうございました。」

 

 ヒカルとサーラは互いに短く礼をし、本日の授業はこれで終了となる。それを見計らったかのように、メイドが2人の前に紅茶のカップを、テーブルの真ん中にクッキーの盛られた皿を置き、速やかに退室していった。ヒカルは紅茶を一口飲み、上品な動作でクッキーを食べているサーラに問いかける。

 

「ところで姫様、トビーを護衛にしたいという要望を出されたと聞きましたが?」

「はい。」

「内容的にかなり無茶な要求だと想うのですが、何か理由がおありですか?」

 

 サーラはクッキーを1枚食べ終えると、ハンカチで口元を拭い、それからヒカルの背後にある窓の外へ視線をやり、何かを思い出すように目を閉じた。

 

***

 

 その日は砂漠の夏にしては気温もあまり高くなく、青空と白雲(しらくも)がちょうど良いくらいに共存していた。そんな過ごしやすい日であれば、時間を作って散歩でもしたくなるのが人情というものだ。しかし、そんなことを高貴な身分の人間が1人で行ったなら、大騒ぎになることは必然である。

 

「へ、陛下、大変でございます!!」

「何事だ、騒々しい。」

「ひ、姫様の姿が、どこにも見当たりません!」

「……またか。最近はおとなしいと想って油断しておったわ。」

 

 ピエール王はため息を吐きながらも、特に焦ったりうろたえたりする様子はない。王族が城からいなくなるなど大問題なのだが、おてんばなサーラ姫のこのような行動はわりと頻繁にあるため、いちいち騒いでいたら身が持たなくなる。

 

「婆や、グリスラハール夫人よ、そう慌てるでない。いつもの事だ。」

「し、しかし陛下!! もし、もし姫様に何かあれば、私は、私は……ううっ。おのれあのモンスターめ、それとあのメイドも、あとでこってりとお灸を据えてやらねば。」

「やれやれ、誰かある、近衛二番隊隊長をこれへ。」

「陛下、二番隊隊長マンセム、これに。」

「聞いての通りだ。姫を探して連れ戻せ。ただし、騒ぎ立てて民に迷惑をかけるでないぞ。」

「心得ております。マネマネとメイドはいかがいたしましょうか。」

「捨て置け、姫が逃げるたびに処分していたのではそのうち城内に人がいなくなるわ。それにモンスター達はメダル王の客人、くれぐれも無礼な振る舞いは謹むように。婆やも、良いな?」

 

 マンセムと呼ばれた騎士は一礼すると、謁見の間を足早に出て行った。それでもまだ落ち着かずにうろうろする老婦人の姿に苦笑しながら、ピエール王は政務の続きに取りかかる。

 

「あのバカ娘が。」

「陛下? 何かおっしゃいましたか?」

「……何でもない。そなたも部屋に戻って休んでおれ。」

「かしこまりました。」

 

 王がつぶやいた悪態は、耳の遠い老婦人に届くことはなく、彼女はゆっくりと執務室を出て行った。執務机の傍らに控えていた護衛の騎士がわずかな笑みを漏らしたことも、目が悪くなってきている彼女には、やはり気づかれることはなかった。

 

***

 

 少年は困惑していた。日課である午前中の訓練を追えて、少し時間があったので、訓練用具の置き場として使っている倉庫の整理をしていたのだが、小屋の奥にある大きな酒樽をどかした先に、古びた地下への階段を見つけたのだ。まあそれだけであれば、この国の貴族の館はところどころ、王宮と地下通路で繋がっていて、緊急時にはそこが重要人物の闘争路として使われるということをトビーは知っていたから、どうということはなかった。しかし、今、彼の目の前には、ほこりまみれの倉庫には似つかわしくない、黒髪の美しい少女が立っていた。服装は、女性の兵士が王宮内でよく着ている革のドレスだが、彼女が兵士でないことは、その華奢な体つきから明らかだ。この地方では十分に色白といえるきめ細かな肌、つややかな髪、見るものを釘付けにして止まない美しく澄んだ瞳。確かに髪型も変わっているし、普通なら気づかないくらい完璧な変装だが、トビーに限ってはその人物を見間違えるはずがなかった。

 

「ひ、姫様? サーラ姫様?!」

「えっ、どうして……。」

 

 サーラは驚き、明らかに動揺した表情を浮かべている。なぜ、目の前の少年は自分の変装を一発で見破ったのか。変身呪文(モシャス)の使い手であるマネマネのまねりんと、お化粧係のメイドが時間をかけて施してくれた変装だったはずだ。城内でも、自分がサーラだということには誰1人気づかなかった。城からの追っ手かとも想ったが、少年の様子を見れば今までここで作業をしていたのは一目瞭然で、そうなるとますます、何故正体がバレたのかわからない。

 その時、サーラは少年の首にかけられたペンダントを見て、あることを思い出した。そのペンダントを所有している人物は、自分を除けば今この国、いや世界に1人しかいない。だから、半年以上会わなくて、短い間に大きく成長して風貌が変わってしまった少年の名を、サーラは確信を持って呼ぶことができた。

 

「あ、あなたはもしかして、トビー? じゃあここは……。」

「はい、シャグニイル邸の倉庫区画です。」

 

 サーラが自分の名前を覚えていたことに、トビーは多少驚いたが、彼女が恐ろしく記憶力の良い人物だというのは、ヒカルから聞かされて知っていたので、姫様って凄いんだなと納得して、それ以上考えることがなかった。彼女から送られたペンダントの意味と、それを約束通りいつも自分が身につけていることの意味、まだ幼い彼は、それを正確に理解できてはいなかった。

 

「そ、それよりどうして、姫様がうちの倉庫に……。」

「お城を抜け出してきてしまいました。だって、退屈なんですもの。」

 

 さらっと爆弾発言をするサーラを、トビーはしかし、まったく違う感想を持って見つめていた。いたずらっぽく笑う彼女の表情が、彼を捕らえて放さない。美しい彼女に見とれてしまい、彼は結構な時間を沈黙していた。

 後の人々は語った。ドランの王女サーラに仕えた1人の騎士は、幼少の頃からすでに、姫の騎士であったのだと。

 

***

 

 トビーは考える、どうしてこうなった、と。あれから城に戻りたくないというサーラに押し切られる形で、教会に併設された孤児院に来ている。サーラは孤児達に交じりながら、かくれんぼをしたり鬼ごっこをしたりと、活発に動き回っている。

 

「モンド、つ~かま~えた♪」

「はあはあ、嘘だろ、サリーちゃん脚速すぎるよ。」

 

 ここの孤児達は、トビーとルナの素性をほとんど知らないが、この少年、茶髪を少し長くして後ろで結っているモンドという少年だけは、彼らの素性をすべて知っていた。そんな彼にも、目の前で鬼ごっこの鬼をしている人物が姫だなどとは打ち明けられず、彼女は世話になっている男爵の家の令嬢で、騎士見習いをしているサリーだと嘘をついた。現在サーラはサリーという少女になりきり、モンド達がいつも遊び相手をしている、孤児院の小さな子供達と戯れていた。

 

「うわああん、痛いよう。」

「マリサったら、また転んじゃったの?」

「あ、血が出てるよ、速く手当てしないと。」

 

 走り回っていた小さな女の子が1人、転んでケガをしてしまったようだ。しかも悪いことに、足に何かの破片が当たって切り傷を作っている。まだ4歳の彼女は、痛い痛いと泣きじゃくるばかりだ。

 

「あらあら、大変、ちょっと見せてみて。」

「こりゃあ、この植木鉢の破片で足を切ったのか。誰だよちゃんと片付けなかったの。」

「とにかく教会に連れて行って手当てしないと、けっこうぱっくり切れてるぞ。」

 

 サーラがいちはやく少女、マリサに駆け寄り、モンドが傷の状態を確かめる。その後ろからトビーが心配そうに様子を見ている。確かに、きちんと血止めなどの処置をしないといけないくらい、大きな傷口からは思いのほか多量の出血が確認できた。

 

「大丈夫よ、マリサ、だったわね。ちょっと動かないでね。」

「痛いよう、うえええん。」

「大丈夫、すぐに治してあげる。マリサの血肉よ、その傷を癒せ。」

 

 マリサの足にかざされたサーラの手から、淡く緑色の魔法の光が放たれ、それは少女の傷口を優しく包んでゆく。次第に痛みが薄れてゆき、マリサが目を開いたとき、彼女の目の前には優しく微笑む少女がいて……。

 

「ホイミ。」

 

 開いていた傷口がみるみるうちに塞がって。数秒もたたないうちに、そこには出血した血液以外は何もなくなっていた。小さなマリサは、このとき、サリーという名前以外何も知らないこの「お姉さん」を、精霊神様の遣いだと、本気で思った。

 

「あれ、いたく、ない。すっご~い、おねえちゃん神官様だったの?」

「そういうわけではないわよ。これ以上難しい呪文は使えないから。」

 

 サーラはマリサを抱き上げると、汚れを落として着替えさせると言って教会の建物の方へ歩いて行った。トビーもモンドも、驚きで呆然としてしまい、彼女たちを見送ることしかできなかった。

 そんなことがあってから、サーラは時々城を抜け出しては、サリーとしてトビーと城下町を回るようになった。孤児院で子供達と遊んだり、買い物をしたり、祭りを見に行ったこともあった。そんなことがあるたびに、お城では婆やが大騒ぎし、周囲の者がそれに振り回されるという事態が起こっていたが、それは余談だろう。確かに、王族が供も連れずに街を散策して歩くなど、警備のことなど考えるともってのほかだ。しかし、サーラだって、内面は10歳そこそこの少女だ。年頃の子供達と一緒に遊びたい、普通に街を散歩したい、そんなことを願ったからといって、誰が彼女を責められるだろうか。もっとも、そのたびに捜索を命じられる近衛騎士達は気の毒ではあったが、王は別にサーラがその日のうちに戻ってさえいれば、小言の一言二言くらいで済ませていたから、近衛騎士達にとっても王の命令は形式だけのものであるというのは周知の事実だった。

 

「ねえ、トビー。」

「ん? 何代サリー?」

 

 トビーとサリー、2人の会話ももう慣れたもので、この自然なやりとりを見て、サリーがサーラ姫だと気づくものなどまずいないだろう。最初はそういう「演技」をすることで何とか緊張を抑えていたトビーも、最近では自然と、普通の女のこと話すように会話できていた。

 

「手をつないでくれますか?」

「え?」

「だめ、ですか?」

「あ、いや、そういうわけじゃ……。」

 

 戸惑っているトビーの手を、サーラはしっかりと握り、2人は仲良く手をつないで祭りの喧噪の中へ消えていった。笑顔のサーラと、顔を赤くして照れるトビーと、彼らは周囲の人たちの目に、どのように映ったのだろうか。

 

***

 

 テーブルに置かれた紅茶とクッキーはすでになく、空のカップと皿だけが置かれていた。先ほどまで対面に座っていた男はすでにおらず、部屋の窓から外を見つめる少女の目には、夕日に照らされる城下町が映っていた。ここは城の一番高い位置にある部屋。東西に2つある塔のうち、ひとつの最上階だ。ここからは城に近い区画の様子を一望することができ、行き交う人々が黒い点のように遠くに見える。それが、自分と他者との隔たりのようで、サーラ姫は一瞬、悲しそうな顔をしたが、胸の前で組んだ手をぎゅっと握りしめ、静かに目を閉じた。

 

「精霊神様、彼に、トビーに巡り合わせてくださって、ありがとうございます。」

 

 サーラの首からは、トビーに渡したものと同じペンダントが下げられている。これは精霊神ゆかりの品であり、世界に一対、つまり2つしかない貴重なものだ。なぜそんな貴重なものを、トビーに渡そうと想ったのか、サーラ自身にも明確にはわからない。ただ、彼女にとってトビーははじめてできた、同世代の友だちだった。彼女が自分から、友だちになって欲しいと口にした相手は、モンスターを除けば彼だけだったのだ。

 後の人々はこう言った、これは「運命」だったのだと。

 

「トビー、初めて会ったときの……私の9歳の誕生日の約束を覚えているかしら。……忘れてしまっているかもしれない。……でも、いいの、だって、あなたは、ちゃんと私を守ってくれたもの、そう、あの時も……。」

「あらあら、リンゴみたいに真っ赤になっちゃって、どうしたの?」

「えっ、べ、ベス?? いつからそこに?」

「ずいぶん前からいるわよ。……ふ~ん、トビーがどうしたって?」

「な、何でもありません!!」

 

 サーラの頬が真っ赤なのは、決して沈みかけた夕日の光の性だけではないだろう。スライムベスのベスはおかしそうにケラケラと笑いながら、サーラの肩にぴょんと飛び乗る。そういえばそろそろ行かなければ夕食に遅れるなと、顔が赤いままの姫は真っ赤なスライムを伴って、父王と夕食を共にするため、部屋を後にした。

 

***

 

 温かい暖炉の火が、部屋全体を優しく照らし、包み込んでいる。パチパチと燃える薪の音が耳に心地よい。ここ、シャグニイル邸の食卓テーブルには、これでもかと盛られたごちそうの山が、卓を囲む者たちの口に入るのを待っている。ヒカル、アン、トビー、ルナ、そしてモモとミミが食卓に着いている。本来、使用人であるエルフの姉妹達が主人と食卓を囲むことはあり得ないが、ヒカルとアンは彼女たちを、いや使用人すべてを家族と見なしているため、彼女たち以外でも、使用人が同じ食卓で食事を取ることは、この館においては日常の光景だった。最初は恐縮して遠慮していた者たちも、子供を作れないことをアンに打ち明けられ、家族になってくれと頼まれれば嫌とはいえなかった。この館で働くものは数こそ少ないが、ヒカルとアンが行く先々で人助けをした結果、雇われた者が大半であったため、主人に対する信頼は熱く、また親近感も強かったため、今では全員がひとつの家族のように暮らしている。

 

「今日はトビーの入団試験合格のお祝いです。料理長と一緒にごちそうをたくさん作ったんですよ。」

「うむ、まだ兵士団と騎士団のどちらに配属されるか、正式に決まったわけではないが、どうも近衛の二番隊に決まってしまいそうな勢いだな。」

 

 にこにこと料理を皆に勧めるモモと、先の配属先の問題で頭を抱えるアンとトビー。それを困惑しながら、それでも食欲の方が先に立っているヒカルとミミ、それをあきれてみているルナなど、反応は様々だが、そもそも何故、サーラ姫はトビーを自分の護衛に指名したのだろうか。ヒカルはサーラにそれを尋ねてみたが、彼女が過去の回想と共に答えた内容、彼が唯一の「お友達」だからというのは、どうも決定力に欠けると想った。

 

「兄さん、何か心当たりはないの?」

「そう言われてもなぁ……、う~ん、……はっ! まさか、いや、でも……。」

「何か思い当たることがあるの?」

「まさかとは想うんだけど、実は……。」

 

 ルナに訪ねられてしばらく唸りながら考えていたトビーは、やがて1つの出来事を思い出した。それは、この場の誰もが結末だけは知っているとある事件だ。しかし、その顛末をトビーが当時、頑として語らなかったため、結局詳細は分からなかった。トビーは静かに目を閉じ、その時の出来事を一つ一つ、記憶の糸をたぐって思い出そうとしていた。。

 

***

 

 ドランの都には珍しく、昼過ぎから大粒の雨が降り出し、それは次第に激しくなって、1時間も後には王都は土砂降りに見舞われた。お忍びで教会の子供達の所へ遊びに来たサーラも、雨で外へ出ることもできず、マリサと何人かの小さな子供達を相手に、絵を描いたり物語を読み聞かせたりと、いつもとは少し違う穏やかな午後の時間を過ごしていた。トビーはモンドとシスター達の掃除の手伝いをしつつ、子供達の相手をするサーラを眺めながら、外はあいにくの天気だけれどもこういうのも悪くはないかと思っていた。まあ夕方には、雨の中を屋敷に引き返し、姫を見送る頃にはずぶ濡れになっているかもしれないが、それはそれで仕方ないかと苦笑し、棚にたまっているほこりをはたき落とす。彼に気づいたサーラが子供達の元を離れ、一緒に掃除をするとぞうきんを持ち出したときは少し困ったが、姫という身分を隠している以上、一緒にやらないと不自然である。端から見て仲睦まじく仕事をする少年と少女は、周囲の者たちにさぞ微笑ましく映っただろう。

 彼らが一通りの掃除を追えて、サーラがどこからか持ってきたお菓子を子供達に配り、なごやかなティータイムが終わった頃、予想だにしない形で静寂は破られた。

 

「きゃああっ!!!」

 

 突然、甲高い女性の声と、ドタバタという乱雑な足音に、子供達は驚いて硬直してしまう。いや、それはサーラやトビーを含む子供達だけでなく、その場にいた数名のシスターも同じ事だった。

 

「い、今の声、シスター・クリスの声だよな……!」

「さっきまで確か礼拝堂でステンドグラスのお手入れを……!!」

「急がないと!! モンド、シスター・エイミ、ここを頼む!」

「あ、トビー!!」

「サー、サリーはここで小さい子達を頼む!!」

 

 そう言い残して、まるで放たれた矢の如く、少年は乱暴にドアを開けて部屋を飛び出した。さっきのシスターの悲鳴から、嫌な予感しかしない。子供達が過ごしていた大部屋から、隣の建物、教会の礼拝堂までは1本の廊下で一直線に繋がっている。空は分厚い雨雲に覆われ、昼間だというのに薄暗いそこを、トビーは迷うことなく走り抜けた。

 果たして、彼が見たものは、冷たく光るナイフをシスター・クリスの喉元に突きつけ、神父を脅しているとみられる薄汚れた、ずぶ濡れの、眼光だけは嫌にギラギラとした男の姿だった。

 

「食い物と金を出せ!! この女がどうなっても……。」

「やめろおぉぉっ!!!」

「な……ぐはっ、うごっ?!」

 

 後先考えず、男に向かって一直線に突き進むトビーの体当たりは、見事男に命中、というか激突し、男はものすごい勢いで壁にたたきつけられる。何が起こったかわからないという表情をしている男の腕に、鋭い痛みが走り、彼は苦痛に顔をゆがめた。

 

「て、てめえ、このガ……がっ?!」

「……相手が自分より大きい場合、まず手足の自由を奪う!!」

「げご?! ぎゃあっ、オレの腕がっ?!」

 

 男の反応は常に後手後手に回っていた。目の前の少年はいつの間にか、彼の獲物であるナイフを手に、男の両腕を、子供のものとは思えない鋭いナイフ裁きで切りつけ、それは性格に上腕二頭筋腱――力こぶを作っている筋肉の腱――を、深々と切り裂いていた。男はこれで、肘を曲げて力を入れることはできない。

 

「く、くそう、ちょこまかと!! ぐっ、なん、だと?!」

「はあはあ、これで、もう身動きは、とれない、はずだっ!!」

 

 両腕の傷に気を取られていた男は、今度は足に走る痛みに顔をゆがめた。少年の持つナイフは、男のアキレス腱を性格に、これまた子供の所業と和思えないほど鮮やかに、スッパリと断ち切っていた。彼はとうとう立つことすらままならなくなり、その体を床に打ち付けた。ここまでわずかに数秒、トビー自身は気がついてはいないが、彼に元々才能があったことと、地道に続けていた基礎訓練のおかげで、彼の戦闘能力はその辺の大人でも手に負えないくらいのレベルにまで達していたのだ。

 

「と、トビー? 大丈夫なの?」

「はあはあ、シスター・クリスも、ケガはないですか?」

「おお、2人とも、無事で何よりだ。」

「神父様、この男はいったい……。私にはなにがなんだか……。」

「判らない。とりあえず兵士団の詰め所へ連絡して、捕まえに来て貰おう。」

「わ、私が行ってきます。」

 

 遅れて礼拝堂に入ってきた中年のシスターが入り口を開け放ち、傘も差さずに飛び出していく。神父とシスター・クリスは現状にやや混乱しながらも、倒れている男を担ぎ上げ、壁際に座らせた。腕と足の剣がことごとく切られているのだ、最早人を傷つけるどころか、自力で立って歩くことすらままならないだろう。そう考えて気を緩め、男に背を向けた彼らは、その口元が歪んだ笑みを形作っていることに気がつかない。

 

「さ、さあ、もうすぐ兵士さん達がここへ来る、おとなしくするんだな。」

「ククク、それはどうかな?」

「な……に?」

 

 別の方からした声に振り返ったトビーは、その光景に絶句し、また自分の詰めが甘かったことを後悔した。そこには、小さなマリサを小脇に抱え、反対の手でその喉元にナイフを突きつける、もう1人の男の姿があったのだ。

 

「うわあああん! 怖いよう! お兄ちゃん、お姉ちゃん!!」

「マリサ、マリサを離しなさい、この下郎!!」

「うるせえ、このガキ!!」

 

 マリサを取り戻そうと食い下がるサーラを、男は乱暴に蹴り飛ばす。彼女の体はゴロゴロと床を転がり、トビーの近くで停止する。苦痛に顔をゆがめながら、しかしサーラは樹上にも、震える足を叱咤して立ち上がる。体は恐怖に震えていても、その瞳はしっかりとマリサを人質に取る男を見据え、その心は未だ折れてはいない。

 

「ひ……サリー、大丈夫なのか?!」

「だい、じょうぶ、です。ちいさなマリサの恐怖に比べたら、こんなものっ!!」

「チッ、気にくわねえガキだ、わかってんだろうなァ!? 少しでも動いてみろ、こいつがどうなってもしらねえぞ。」

 

 トビーは恐怖を抑え込んで立つサーラの姿に、なんて強い姫様なんだろうかと、心の底からそう思った。その姿を見ていると、何故か自分の心のそこからも闘志が湧き上がってくる。彼は全身に闘志の力……闘気(オーラ)をめぐらせる。彼はその使い方を意識できているわけではなかったが、見るものが見れば、全身から湧き上がるそれに気がついたことだろう。

 しかし、状況は今のところ著しく不利であると言って良い。先ほどは男の不意を突く形での特攻であったため、相手が対応策をとる前に無力化できた。しかし今は、正面から敵と相対しなければならない状況だ。トビーと男が1対1であったのなら、勝機は十分にあっただろう。しかし、幼いマリサを人質に取られ、うかつな手出しはできない。そんな状況を好機とみたのか、男は先ほどの仲間と同じ要求を繰り返す。

 

「食い物と金を出せ、このガキを殺されたくなかったらな……。」

「失せなさい下郎。」

「んだとぉ?!」

 

 誰もが、男の要求を呑むしかないと、考えた。しかし、その中にあって、サリー、サーラ姫だけは、男の要求を明確に拒否した。そして、憤怒の様相で彼女をにらみつけ、様々なあおり言葉で威嚇する男に多少引き気味になりながらも、傍らに立つ少年にだけ聞き取れる小さな声で、こう言った。

 

「トビー、私のことを、助けてくれますね?」

「えっ。」

「これからひとつ、攻撃呪文を試してみます。相手に隙ができれば、あなたならなんとかできるでしょう?」

 

 サーラは握りしめた右手に魔力を込める。少年の答えは聞かない、だって、彼女には判っているから、トビーが、必ず彼女の助けになってくれると、そう信じて疑わないから。それくらいの時間を一緒に過ごしてきたと、彼女は確信していた。

 

「風の精霊よ、刃となりて切り裂け。」

 

 小声で紡がれた言霊は、彼女の手元から小さな風を巻き起こし、やがてそれは収束し、見えざる刃となって顕現する。それに気がついているのは術者である彼女と、傍らに立つトビーだけだ。

 

「バギ!」

「なっ ぐぎゃあああっ!!」

 

 放たれた真空呪文(バギ)は初級呪文ではあるが、完璧に詠唱されている上に緻密なコントロールによって魔力を収束させている。真空の刃は研ぎ澄まされた一級品の剣のように、敵である男の両足を切り裂いた。

 

「くっ、そう……!」

「今だ!!」

 

 タイミングを計ったように飛び出したトビーは、バランスを崩した男に迫り、抱えられているマリサをひったくるように抱きかかえ、あまりのことに呆然としている神父に押しつけるようにして手渡すと、反転して追撃すべく駆けだした。

 今までのパターンであれば、バギの一撃を食らった男が立ち直るより、トビーの追撃の方が早かっただろう。先ほどの男程度の実力ならば、今のトビーには太刀打ちできない。しかし、それはこの、もう1人の男も同程度の実力だったなら、の話だ。

 

「さ、サリー!」

「う、ううっ……。」

「まさか呪文とは……な。重ね重ねナメたマネしてくれんじゃねえか、ええっ?!」

 

 バギのダメージに耐えた男は、悪鬼の如く凶暴な笑みを浮かべ、足下に伏する少女をさらに痛めつけるべく、右手のナイフを振りかぶった。それはもはや、憤怒などと言う表現を通り越し、ほぼ狂気と呼んで差し支えない感情を宿していた。

 

to be continued




※解説
精霊神のペンダント:精霊神がある理由から、幼いサーラに与えたアイテム。世界に一対、つまり2つしかなく、ひとつをサーラが、もうひとつをトビーが身につけている。すべての状態異常無効、呪文、ブレス威力半減、ステータス上昇、回避率上昇、精神体制上昇などの、この世界では破格の効果が付与されているが、サーラ自身はそれを知らない。このアイテムは2つそれぞれに明確な装備車がいるときに限り、ある条件を満たすと発動する強力な隠し効果がある。

今回の戦闘描写ですが、まあ所詮ゲーム的な世界の話しだと想っておおらかな目で見てくださいね(汗)。ちなみに、人間は正しい姿勢で直立している場合は身体の筋肉にあまり力を入れていませんが、下腿三頭筋、ふくらはぎの筋肉だけは常に明確に収縮し使用されています。
トビー君とサーラちゃんが大人相手に善戦しているように見えるのは、半分は解説にあるアイテムのおかげです。まあ、トビー君は今の段階でもかなり強いですが。

な、なんかヤバい奴に襲撃されてますけど、大丈夫なんですかこれ?! 過去回想だから大丈夫なはず、ですよ、ね??
書いてる私も不安になってきました(をい)。

じ、次回もっ、ドラクエするぜ!!!


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第29話 少年、小さな小さな、第一歩

前回、穏やかな午後を騒がす不届き者が出現!
サーラとトビーは協力して立ち向かい、何とか人質は2人とも解放されました。
しかし、予想外の男の強さに大ピンチに?!


 地面にたたきつける激しい雨の中を、軽装鎧で武装した兵士の集団が、城下町外れの教会へ向かって、ぬかるんだ通りを走り抜けていた。いかに、有事の際も迅速に行動できるよう訓練されている彼らであっても、このような道路状態では想うような速度では進めない。

 

「先に行かせて貰うぞ!!」

「アン様、お気をつけて!!」

 

 兵士達の横を、信じられないようなスピードで、全身鎧(フルプレート)の、緑色のスライムに乗った騎士が通り過ぎていく。この雨の中にあって、いったいどのように前進しているのか、相変わらず物理的には全く説明できない。

 

「アン、トビーが教会にいるのは確かなのだな?」

「ああ、孤児院に行ってくるといって、今朝早く家を出たようだ。しかし、まさかこんなことになるとは……。」

 

 兵士の詰め所にずぶ濡れで飛び込んできた中年のシスターの訴えにより、不審者を捕縛するために兵士談が動いた。たまたま、屋内の訓練場で部下と共に汗を流していたアンは、この話を聞いた途端、彼女にしては珍しく、血相を変えて飛び出したのだ。話に寄れば侵入者は無力化されているということだったが、妙な胸騒ぎがした彼女は、こうしてスライムを急がせて現地へ向かっている訳だ。

 

「心配のしすぎでは……ともいえないな。私も何か嫌な予感がする。こういった予感に限って当たるものだ。」

 

 そんなものは当たって欲しくはない。ないが、理由もなく湧き上がってくる焦燥感は拭えそうにない。彼女はひたすら、豪雨でかすむ視界の中を目的地へ向かって突き進んだ。

 

***

 

 少女は襲い来るであろう衝撃や痛みに耐えるため目を閉じた。それは彼女の身体能力では最早避けることはできない。ましてや先ほど受けた腹部への蹴りのダメージは想ったよりも大きく、再び立ち上がれるかすら微妙なところだ。しかし、どういうことか、いつまでたっても何の衝撃も痛みも襲っては来ない。代わりに、聞き慣れた声にはっとなって彼女が目を開いたとき、そこにあった光景は彼女を驚かせるに十分なものだった。

 

「く、うっ!」

「ば、バカな、あの距離からっ!?」

 

 いったいどうやったのか、男とサーラの間に割り込み、ナイフを握るその腕をがっしりと押さえつけ、トビーが彼女への一撃をかろうじて防いでいた。しかし、男の持つナイフもトビーの脇腹に突き刺さっており、傷口からは血が流れ出している。だが、苦痛にうめき声を上げながら、彼は決して倒れはしない。

 

「クソがっ!」

「う、ああっ!!」

 

 男はナイフをえぐるように動かし、トビーの脇腹を切り裂いていく。これにはさすがの彼も苦痛の叫びを上げた。しかし、それでもなお、彼は膝をつくこともなく、サーラを守るように男の前に立ちはだかっている。

 

「気に、いらねえっ! その目! その顔!! 何だよ、もっと恐怖しろよ、泣いてわめけよ!! おもしろくねえ!! クソが!!!」

「ふざけるなよ……!」

「なん……だとぉおっ?!」

「オレは決めたんだ、みんなを、お前みたいなくず野郎から守れる男になるんだって……、約束……したんだっ! この人を必ず守るって!!」

「トビー……?」

 

 サーラははっとした。それは彼と初めて出会ったときの、彼女の9歳の誕生パーティの時の約束。いや約束というにはあまりに不確かで、半分は冗談交じりだった。ただ、彼の生い立ちを聞いて、理不尽な運命に立ち向かうその姿を、格好良いと想ったから、何気なく口にしてしまったのだ。

 

――トビー、あなたは、私を守ってくれますか?――

 

「ふざけんじゃねえっ! てめえに何が出来るよ!? あと、あと一撃だぁ! こいつでドスッとやってやりゃあよォ!! てめえはおだぶつなんだよォ!!」

 

 男は1度ナイフを引き抜き、血まみれのそれを振りかざし、目に狂気の光を宿してトビーに向かって振り下ろす。サーラは想う、なぜ、自分には中途半端な力しかないのかと、彼が自分を守ってくれたように、自分も彼を守る力が欲しいと、胸のペンダントを握りしめて、彼女は願ったのだ。

 

――サーラ、この子を助けてくれたお礼に、そのペンダントをあげましょう。いつか、あなたにとって本当に大切な人が現れたとき、その片方をお渡しなさい。きっと――

 

 迫り来る男の一撃を、現在のトビーは回避できない。感情にまかせてめちゃくちゃに動いているように見えて、実際はその動きは訓練された盗賊に勝るとも劣らない。装備を調えた屈強な戦士でもなければ、この攻撃を耐え忍ぶのは不可能だろう。まして、手負いの、しかもいくら規格外に強いといっても、10歳そこそこの子供であるトビーでは、防ぎきることはできない。彼はしかし、事ここに至ってもなお、その場を一歩たりとも動こうとはしなかった。恐怖していないはずがないだろう。しかし、だ、たった1人で大人達の中で頑張っている1人の少女、彼女を守りたいと、彼はあの時、本気で思ったのだ。彼は約束を違えない、たとえそれが、幼子のたわいもない、ひょっとしたら発した本人でさえどこまで本気だったのかわからない、そんな曖昧なものであっても、だ。

 

「ぐへへぇ、やったぜ……これでてめえは……?!」

「まだ、だあぁっ!」

 

 男は確かに、トビーの急所めがけてナイフを突き入れた。それは直撃だったはずで、本来なら一撃ひっさつの威力があった。しかし、実際にはナイフは皮膚をそこそこ傷つけたものの、少年の急所である心臓に達してはおらず、トビーは苦痛に顔をゆがめながらも、渾身の力でナイフを引き抜き、逆に男めがけて切りつけた。

 

「ぐぎゃああっ!!」

「トビー!! ……?! な、なんだあれは?!」

 

 その攻撃が明確に見えたものは1人だけだった。ちょうどこのタイミングで教会に飛び込んできたアンは、確かに、怪しげな風貌の男を捕らえる複数の斬撃を目にしたのだ。次の瞬間、少年と男は同時に床に倒れ伏した。

 見るものが見たのであれば、男の一撃がトビーに炸裂する瞬間、少年の身体を包んだ赤い魔法の光、守備力上昇呪文(スカラ)の発動に気がついただろう。サーラが無意識で、発動句もなしに唱えた呪文は、トビーの身体を強化し、本来なら急所に到達していた攻撃を阻んだのだ。これがサーラと、トビーの身につけているペンダントの真の力――術者と同じペンダントを身につけているものを対象とする限り、契約済みの呪文を無詠唱で、本人の習熟度に関係なく完璧な形で発動する――という信じられないような効果によるものであることを、サーラ本人でさえ気がついてはいない。

 

「トビー!! しっかりしろ!!」

「ト……ビー。」

「ひ、姫様?! なぜ、姫様がこのような場所に……。」

「ごめんなさい、ごめんなさい、トビー、ごめんなさい……。」

 

 サーラはただ、泣く子としかできなかった。ペンダントの力によって自分の潜在能力が引き出され、それが彼を救ったなどと、気づけてはいないのだから、それは当然だ。結局、守られるだけだった自分、そんな自分を命がけで守ってくれたトビー。彼女はタダ、泣きながらかすれた声で、謝罪の言葉を何度も繰り返した。

 

***

 

 アンに師事する少し前の、事件のことを話し終えて、トビーは1つ長い息を吐いた。本当はすべてを話すつもりはなかったのだが、こういう展開になったのならまあ、話さないわけにも行かないだろうと、彼は重い口を開いたのだ。あの後、アンにやや遅れて到着した兵士団によって男は捕らえられたが、トビーとの戦闘で負った傷が元で、2度と戦えない身体になってしまったそうだ。それはまあ、自業自得として、問題なのは彼が所属していた組織だ。彼は例の人身売買組織の構成員であり、商売が立ちゆかなくなったためやけを起こし、人質を取って国外逃亡をはかろうとしたようだ。なんとも浅はかだが、それだけ組織も追い詰められていたということだろう。

 サーラ姫はあの事件からしばらくの間塞ぎ込んでいたようだが、ほどなくして立ち直り、以前にも増して政治の勉強に熱心に取り組むようになった。それは周囲の者たちを驚かせ、父王でさえもどこか具合でも悪くしたのかと疑ったほどだ。しかし、このときサーラはある決意を固めていた。彼女は自分にできる方法で、トビーのように周りの者たちを守りたいと、強く願うようになっていた。彼女が選んだ方法は、為政者として国を良くし、皆が暮らしやすい世の中を作るというスケールの大きなものだった。彼女が決意を固めた原因が自分にあるなどとは、当のトビーは想像すらしていないだろうが。

 

「なるほど、そんなことがあったのか。しかし、なぜあの時黙っていたんだ? 確かに姫様がお忍びでいらしていることを隠していたのは問題があるが、賊の襲撃自体は予測不能だ。事情を話せば勘違いされて投獄されそうになることもなかったんだぞ?」

 

 あの後、トビーは姫の身分を知りながら城へ報告せず、それが彼女の危機を招いたとして投獄されそうになった。そのような事態に至っても事情を全く話そうとしなかったため、しびれを切らした兵士が本気で牢屋へ連れて行こうとしたところへ、別の者が王の勅命を伝える伝令分を持ってきたため、それでトビーは釈放されたのだ。

 しかし、ドランの国は子供1人を簡単に投獄するようなことはない。王女が絡んでいたとはいえ、事情さえちゃんと説明できていたら、そもそも取り調べのようなことさえ行われなかった可能性が高いのだ。

 

「う~ん、男の意地、みたいなもの、かなあ?」

「なんだそれは??」

 

 アンは、よく分からないという表情を浮かべているが、隣に座るヒカルはそれとは対照的に、深く優しい笑みを浮かべている。

 

「そうか、お前は姫を、サーラを守ると約束したんだな。」

「はい。」

「守れよ。あの子は1人で孤独に戦っている、それに寄り添うのは簡単な事じゃないが……いや、きっと、おまえにならできるだろう。俺はそう思うよ。」

「はい!!」

「いったいどういうことだ? 私にはよくわからないぞ。」

 

 アンはなお不思議そうにしながらも、何かを決意したようなトビーの表情を見ると、それ以上の追求はしなかった。彼が何か強い思いを胸に、戦士になろうとしたことだけは確かで、それは11歳の少年にしては重たいものなのだろう。それを判っていてもなお、茨の道を突き進もうとするトビーを、アンは止めるすべを持たない。願わくば、彼が簡単に死ぬことがないように鍛えてやるくらいしか、できることが思いつかなかった。

 

***

 

 ドランの都から、広大な砂漠を越えた先に、豊かなオアシスがある。グリスラハール領であるこの地には、王都ほどではないが、大きく栄える町があった。ドムドーラと呼ばれるその町は、第2の王都と言われるほど、この国の中では活気溢れる場所だった。

 その姉妹が、いつからこの町に住んでいるのか、正確には誰も知らない。この世界でも珍しい紫がかった長い髪と、小麦色の肌にエメラルドのような緑の瞳、容姿こそ似通った2人は、しかし性格は全く違っており、姉は踊り子、妹は占い師という珍しい組み合わせだった。

 

「姉さん、またこんなところで賭け事を……、何回言ったら判るんですか!!」

「ご、ごめんって、そんなに怒んないでよ~~!!」

「いいえ、私が占いで稼いでも、すぐに酒代や賭け事に使ってしまうんだから……! 今日という今日は許しません!!!」

「うわーん、ごめんなさーいっ!」

「待ちなさーーい!!」

 

 酒場で賭け事をしていた姉は、妹の説教が長引くとみるや、一目散にその場から逃げ出した。妹の方もすぐに、後を追って駆けだしていく。こんな光景も、いつの頃からか繰り返される見慣れた風景になって、彼女たちは良い意味でも悪い意味でも、町の有名人となった。しかし、そんなドタバタしたやりとりに気を取られる人々は、姉妹が胸の内に抱える苦悩に、決して気づくことはない。

 

「ねえ、何か思い出せた?」

「いいえ、ぜんぜん……。姉さんは?」

「あたしもさっぱりだわ。ここがどこなのかも、私達がどこから来たのかも……。まったく思い出せないわ。」

 

 彼女たちは記憶を失っていた。自分たちの名前以外のすべてを忘れ、気がついたらこの町にいた。幸い、姉は歌と踊りを、妹は占いの技術を体で覚えており、それぞれ一流と言って差し支えないものだったため、とりあえず食うには困らなかった。しかし、もう何年もたっているのに、記憶の片端さえ頭には浮かんでこない。

 ふうと長いため息を、姉が1つ吐いたとき、今までもの悲しそうな表情でうつむいていた妹が、急にがばりと顔を跳ね上げ、険しい表情で水晶玉を手に取った。

 

「……何か、良くないことでも見えたの?」

「ええ、これを見て。」

「……! 何よこれ、獣の大軍団?!」

「邪悪な気配がします。これは魔王の配下、魔物に違いありません……!」

「そりゃ大変! って、あんたなんでそんなことわかるのよ?!」

「そ、それは……。」

 

 姉の問いに、妹は言葉に詰まった。邪悪な気配? 魔王の配下? 自分はいったい何を口走っているのか。しかし、水晶玉に映し出された怪物達から伝わってくるおぞましい気配を、彼女は確かに、過去に感じたことがあるような気がしていた。

 とにかく、妹の占いはほぼ百発百中、それは町の支配者層にも知れ渡っている。彼女が危機を告げたなら、町は防衛のため動き出すだろう。それが判っているから、身軽な姉はためらうこと無く飛び出していった。

 不思議な魅力を持つ、2人の姉妹は姉をマーニャ、妹をミネアといった。その名の示す意味、彼女たちが伝説の勇者と共に戦った「導かれし者」であることを、この町の住人達は誰も知らない。

 結果的に、魔物たちは町へすぐに攻めてはこなかった。しかし、ドムドーラは全域が厳戒態勢となり、はるか遠方に布陣する獣系モンスターの大群を警戒しつつ、かといってこちらから責めることもできない状態になった。ここへきてようやく、町の有力者達は、現状を領主であるグリスラハール男爵へ報告するか、検討に入っていた。この判断の遅れが、後に大きな悲劇を生み出すことになろうとは、誰も想像し得ないことだった。

 

***

 

 ドラン王城の一角に、近衛と王宮騎士専用に設けられた訓練場がある。その片隅で、1人の少年が木刀を手に、先ほどからどれくらい続けているのか、いつ終わるともしれない素振りを繰り返している。やや長めの黒髪に、整った顔立ちをしているが、目つきは獲物を見据える鷹のように鋭く、年上ならばともかく同年代であれば、ちょっと近寄りがたい雰囲気を醸し出している。しかし、素振りをする動作は洗練されており、剣術の教科書のように完璧な動きをしている。その流麗な動作には、確かな育ちの良さが感じられた。ここには少年以外には誰も折らず、高くなってきた太陽が照りつけ、少年の体にいくつもの玉の汗を浮かばせている。今年11歳になる少年は、名門貴族マハール子爵の一人息子で、名をフランクといった。

 

「フランク、まだ着任の式典まで3日もあるのに、もう訓練しているのか? 部隊回りも7日後からだぞ? 少し気が早くはないか?」

「こ、これはアン様! こちらにいらっしゃるとは珍しいですね!」

 

 訓練場に姿を見せた女性に、フランクはうれしそうに駆け寄っていく。今年、城の兵士の採用試験に合格したのは30名で、ちょうど退職を迎えるものと同じ数になる。フランクはトビーと同年齢で、今回の試験では最年少での合格になる。しかも、アンに一撃を入れることができた2名――うち1名はトビーだが――のうちの1人だ。

 この国で最強の戦士であるアンは、その道を志すものにとっては憧れの的であり、端麗な容姿とも相まって人気が高かった。もっとも、そんなことは本人にとってはどうでも良いことであったろうが。

 

「フランクは部隊回りはどこからだ?」

「はい、私は騎士団3番隊からと聞いています。」

「そうか、来年は希望の舞台に配属されると良いな。」

「はい!」

 

 快活に笑うフランクの姿に、アンは表情を緩める。もっとも、それはごく親しい者にしか判らないくらい微細な変化だったから、フランクでは気づくことができなかっただろう。それでも、柔らかな彼女の雰囲気を感じたからだろうか、少年はいっそう無邪気な笑みを浮かべ、未来への希望を語る。

 

「私も、もっと強くなって、姫様をお守りできる騎士になりたいです!」

「ふむ、フランクは近衛2番隊が死亡か?」

「はい! 姫様のおそばにお仕えするのが、私の夢なんです!」

 

 サーラ姫の傍仕えになりたいと志願する者は、職種、性別、年齢を問わず多い。その中でも女性であればメイド、男性であれば近衛2番隊は一番の花形だ。だから、アンはこのとき、フランクのそれも他の者と同じ、姫への強い憧れから来るものなのだろうと考えていた。実際そういった理由から王女の傍で仕事がしたいと望む者は多かったからだ。

 アンは知らない、フランクが原作と呼ばれる物語で、サーラとどのような関係だったかを。ヒカルは自分が知っている物語を、アンにすべて話してはいなかったから、それは当然のことだ。原作知識というものを、仮に身内であっても軽々しく話すことをよしとしない、彼の考え方が正しかったか、そうではなかったか、それは誰にも判らない。もし、アンが、サーラがトビーと出会わなかった物語を知っていたら、何かがまた、変わったのだろうか。

 いずれにしても、アンはフランクの左腕に装着された、黄金に輝く腕輪の真相を、このときはまだ知らなかった。その腕輪は彼の10歳の誕生日に父であるマハール男爵から贈られたもので、外見はただの高価そうな腕輪にしかみえない。しかし、刻まれた古代文字の意味するところを正確に理解できる者がいたのならば、驚愕し、あるいは恐怖に顔を引きつらせたかもしれない。しかし残念なことに、この腕輪の危険性に気づけるだけの知識を持つものは、この世界には片手の指で数えられるほどしかいなかったのだ。

 少年、フランクは想像する、美しい姫の傍らで、彼女を守る自分の姿を。パーティの席で、彼女と優雅に踊る自分の姿を。そして、常に彼女と共にありたいと、本気で思った。それは少年の純粋な恋心だったはずだ。誰に恋い焦がれようとも、それを止められる者などいない。しかし、世の中には人の思いをゆがめ、おぞましい力を与える邪法が確かに存在する。子供には不釣り合いとも想える高価な腕輪を贈られた本当の訳を、少年は知らない。

 

***

 

 入団試験と称して様々な者たちを見極め、その中から特に優秀だった者が合格者とされ、辞令が交付された。華々しく執り行われた着任式で、ピエール王自らが任命の言葉を読み上げ、辞令とは別に立派な任命状を手渡した。また、サーラ姫がひとりひとりに剣を直接授与し、多くの貴族が見守る仲、新人達はそれぞれ、王家と国に対する忠誠の誓いを立てる。これらの儀式は、彼らにこれからの仕事に対する決意を新たにさせた。

 同じ日に、退職者達も集められ、王都王女から直接ねぎらいの言葉をかけられ、退職金となる温床の目録が手渡され、兵士達の「世代交代」が粛々と進められていく。そんな中にあって、サーラが時折、トビーに向ける視線に築いたものが果たして何人いただろうか。式典に対する緊張で、トビー本人でさえも気づいていなかったのだから、いたとしてもごくわずかな者に限られただろう。関係者ではないヒカルはこの場にいなかったから、式典の中に参列していたフランクと顔を合わせることは無かった。しかし、ヒカルの汁物語とは違う歴史が動き始めたことで、新たに救われる者もいれば、救われない者もいるということだろうか。その時フランクは気がついてしまった。自分の愛する姫が、自分ではない他者に視線を送っていることを。それが、自分が彼女に抱く感情と同じなのだと、彼には直感で分かってしまったのだ。人と人との駆け引きが重要視される上流社会で生きてきた彼だからこそ、また、王女に恋い焦がれる少年の彼だからこそ、サーラの感情の動きに気づけてしまったのだ。

 

「あいつは……誰だ?」

「ああ、あいつはアン様の弟子だよ。シャグニイル伯爵家の貢献を得ているが、元は貧しい村の出で、人買いに売られるところだったそうだ。」

 

 フランクのつぶやきに、隣にいた男が答えた。彼は男爵家の次男で、その剣の腕はすでに騎士団長クラスだという。歳は15・6といったところだろうか。しかし、フランクにはこの男の素性などはどうでもよく、ただただサーラ姫が視線を向けていた少年、自分と同じくらいの歳の彼の素性に驚くばかりだった。

 

***

 

 深夜まで長引きそうな祝勝会を早々に切り上げ、アンとトビーは暗くなり始めた大通りを、涼しい夜風を浴びながら帰路についていた。さすがに慣れない環境に疲れたのか、トビーは足取りも重く、普段よりやや遅いスピードで歩いている。

 

「さすがに疲れたか。まあ私もあの雰囲気は苦手だな。そのうち慣れるだろう。」

「はあ、姫様はいつもあんな式典ばかりで、そりゃあ息もつまるよなぁ。」

「そうだな、下々の者ではわからない、たくさんのご苦労がおありだろう。」

「オレも、アン様の……師匠のように強くならないと……!」

 

 そんな言葉を聞いて、アンはふと立ち止まり、トビーの方へ振り返った。つられるように立ち止まった彼には、何故かアンの瞳が揺らいだように見えた。それは気のせいだっただろうか。

 

「私のように……か。トビー、私のこの力は、過去の記憶と引き換えに手に入れたものだ。だから、これは決して、本当の強さじゃない。」

「えっ?」

「私は皆を守りたいと想った。強く願って、力を手に入れた。しかし、代わりに、スライムナイトになる前の記憶をすべてなくした。私は元は人間だったようだが、アンというこの名前以外、もう何一つ覚えてはいない。」

 

 アンは言う。力を得たことも、記憶を失ったことも、後悔はしていない。だが、戦う力を手に入れるために何かを失うとしたら、それが正しいことだとは到底思えない、と。

 トビーはタダ驚きに目を見開き、彼女の話を黙って聞いているしかできなかった。常に圧倒的な力で皆を救ってきた、他者から見ればまさしく勇者そのものだろう彼女。しかし、その力はトビーが想像もしなかった方法でもたらされたのだという。その力に、自分も妹も救われ、今ここにいる。

 

「だから、お前は間違えるな、決して力だけを先に求めてはいけない。今の優しいお前のままで、皆を守れるような、そんな騎士になってほしいんだ。」

 

 アンはそう言うと、優しく優しく、トビーの体を抱きしめた。今日は2人とも式典用の衣服を身につけており、布ごしに確かにその体温を感じ合える。それでも、彼女は人ではないと、戦うためにそこにいると、そういうのだろうか。

 

「お前たちは私達の養子にはならなかった。でも忘れるな。私もヒカルも、トビーとアンを自分の子供だと想っているよ、お前たちは私の家族だ。……いや、心だけでも私の家族だと、想わせてくれ。」

 

 トビーは、何も答えることができなかった。養子になろうか、ルナと散々迷って、自分たちのような売られた子供が家族になっては面倒なことになると辞退した。それでも彼らはできるかぎりの手助けをするからと約束してくれた。あの時、死んでいたはずの妹、どこへ売られていたか判らない自分、その運命を想うとき、トビーはシャグニイル夫妻に対する感謝の言葉が見つけられない。だから、アンの体を強く抱きしめ返すことくらいしかできなかった。彼はせめてと、心の中で誓ったのだ。絶対に、みんなを守りたいという、今の気持ちを捨てないで、生きてゆこうと。

 それは、後にドラン屈指の戦士と言われる彼が、本当に小さな、小さな第一歩を踏み出した瞬間だった。これより後、ドランの王宮騎士トビーの名声は、国内だけでなく世界中に轟くこととなる。そんな彼の出発点となった、幼い日のエピソード、様々な尾ひれはひれをつけられて、後の英雄譚に語り継がれることになるだろう。もっとも、今はそのことを、本人でさえ想像だにしないだろうが。

 

***

 

 砂漠に栄える町、ドムドーラを一望できる、大きな岩山が連なるその場所は、彼らの巨体を隠すにはうってつけだった。大柄な魔物が多いこの集団の中にあっても、彼ら、トロルと呼ばれる種族の巨体は抜きん出ており、その太い腕を一振りされるだけで、人間などはあっという間に絶命してしまうだろう。

 

「親分、まだ命令は来ないんで?」

「まあそう慌てるな。 あちらにはあちらの準備があるんだろうさ。」

「デスタムーア様はなんだって、バラモスと勝って魔王に協力するんですかねえ?」

「おい! 軽々しく主の名を口にするな!!」

「!! すいやせん、気をつけます。』

 

 親分と呼ばれた魔物、茶色の体色をしている他の個体とは違い、緑色の体をしたさらに二回りほど大きな魔物、ボストロールに叱責され、トロルの1体は慌てて口を押さえた。

 

「魔王バラモスの部下、だいまどうとやらが儀式を発動するのにはかなりの時間がかかる。俺たちの出番ももう少しお預けだな。」

「しかし親分、人間の方はなんか感づいているみたいですぜ? 面倒なことになりやせんかね?」

「なに、気がついて準備していたとしても、人間じゃあ俺らに傷1つ、つけられねえだろうさ。」

「違いねえ。」

 

 ぐへへと下品に笑うトロルたちは、引き連れている魔獣の軍団と共に、未だ動く気配を見せない。しかし、世界征服を企むバラモスの魔手は、砂漠の町に刻一刻と迫ろうとしていた……。

 

to be continued




※解説
スカラ:味方1人の守備力を上昇させる呪文。1人を対象とする限りにおいて、その上昇値はスクルトよりも高い。ただし、ドラクエのゲーム的にはこの手の呪文は基礎値に対する倍数で上昇値が決まるため、元々守備力が低い者にはたいして効果はない。
黄金の腕輪:忌まわしき錬金術、進化の秘宝を使用するために必須となるアイテム。今作ではどのような使われ方をするのか……?

※サブシナリオダイス判定
トビーとルナの今後の立場はどうなる?
2d20=7,13
最初の値を1.後の値を2.として判定、よって、2.の選択肢を採用した結果、トビーはアンの内弟子扱い、ルナは神官見習いになりました。

さて、様々な決意を胸に、新しい道へ歩き出したトビー。しかし、同時に何やら不穏な動きが……?

次回もドラクエするぜ!


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外伝 姫様からの招待状(クリスマス特別編)

突発的に思いついたネタです。
あの世界にもクリスマス的な祭りがあったら、というお話。
作者がサーラちゃん推したいだけの外伝です。
時系列は現在の本編よりは前のお話になりますが、どこと明確に決め手は鋳ません。とりあえず別の時間軸のお話と思って読んでくださいませ。


 シャグニイル邸の朝は早い。主人達が起き出すずっと前から、彼らの身の回りの世話が滞りなくできるよう、細心の注意を払い準備が進められていく。朝食の準備はもちろん、着替えの準備、それぞれの勤務先へ向かう馬車の手配など、数え上げればきりがない。主人達は元々、生まれついての貴族では無かったらしく、そんなにあれもこれもやらなくても構わないと常々言っているのだが、彼らに恩義を感じている使用人達は仕事の手を緩める様子はない。

 しかし、それにしてもずいぶんと早い時間から、屋敷十をせわしなく動き回る者達の姿が目立つ。今日は主人達はどこへも出かけないはずなのに、だ。精霊神(せいれいしん)がこの世界を想像するために降臨したことを祝い、感謝を捧げる「降臨祭(こうりんさい)」なるものがこの世界には存在し、前夜祭から本妻とその後始末のため、毎年3日間は祝日とされていた。それはドランの国だけでは無く、だいたい世界中でほぼ同じようなものだ。例外があるとすれば、遙か東の果てにあるというサムライの国倭国(わこく)では、独自の文化が栄えているらしかった。しかしそういったところは例外中の例外で、創造神が実在するとされるこの世界では、神に感謝を捧げる祭りは国を超え、世界中で最も尊いものとして重要視されていたのである。今日は前夜祭の日、当然ながらたいていの仕事は休みで、魔法学院も大多数の例に漏れない。王国騎士団はさすがに全員休暇というわけでは無かったが、シフトを調整し、最小限の人数で勤務できるよう取り計らわれていた。そんなわけで、アンの方も今日は一日出勤の予定はない。このように、主人達が休みの時は働く使用人の数も最低限で、動き出すのももっと後になってからだ。にもかかわらず、今日はいつにも増して人の数が多いような気さえする。

 

「う……ん。」

 

 薄明かりが差す部屋の中、巨大なベッドで大人二人に挟まれながら眠る幼い少女は、たまに寝返りを打ちながら何事か小さな寝言をつぶやいている。彼女を挟むように眠っている大人……男性と女性はまるで両親のようだ。女性の逆怒鳴りでは、少女よりもやや年齢が上なのであろう少年が、女性に背中をぴったりと寄せて眠っており、こちらは微動だにしない。そのうち、何かの拍子で伸ばされた少女の手が女性の胸元へ伸び、その柔らかい膨らみに軽く振れる。薄目を開けた女性は穏やかな笑みを浮かべながら少女を胸元へ抱き寄せ、再び目を閉じる。子供を授かることができないこの女性にとって、子供に求められるというのは戸惑うことも多かったが、この上ない幸せをもたらしてくれるものだった。屋敷内を人がせわしなく動いている気配がするが、もう少し眠っていようと思い、ほどなく彼女は再び浅い眠りに落ちていった。

 

***

 

 この世界における暦は、どういうわけかヒカルの元いた世界の太陽暦とほぼ同じものが採用されていた。原作で日付について明確に示されたのは第1話でアベルとティアラの誕生日が共に『青銅の年、赤の月、竜の日』であると明かされた一度きりで、それ以降は話題にすらならなかった。この世界の古文書に寄れば、青銅の歳云々というのは『|竜歴《りゅうごよみ』と呼ばれるもので、はるか昔には使われていたようだったが文言が長すぎて不便だったため、数字による表現に改められたようだ。暦年についてはそれぞれの地方でまちまちであり、テイル大陸はドラン王国歴が採用されていた。ちなみに現在はドラン王国歴1986年らしい。

 降臨祭は12月の23日~25日、ちょうどヒカルの世界でのクリスマスとほぼ同じ時期に当たる。この間、人々は仕事を忘れ、近しい者たちでパーティーを開いたりプレゼントを交換したり、教会で精霊神に感謝の祈りを捧げたり、死者の霊を慰めるために巡礼したりと、思い思いの時間を過ごすそうだ。ドランでは一般的に、24日は近しい者たちで会食などを楽しみ、25日はそれぞれが思い思いの形で精霊神に祈りを捧げるということだった。この日は王城の一角が一般開放され、王族とともに精霊神に感謝の祈りを捧げる催しが開かれる。催しと行ってもささやかなもので、短時間で住むものとなっており、城に勤めるものが家族や友人、恋人と過ごす時間をなるべく削らなくても良いように配慮されていた。ヒカルからすれば恐ろしくホワイトな、新品のシーツもかくやというほど真っ白な労働環境である。

 今日は12月の24日だ。王城の自室で、サーラは明日の式典の準備を済ませ、側近達と入念なリハーサルを済ませたところだった。時刻はもうすぐ昼、真冬でも暖かな太陽の光が降り注ぐバルコニーで、彼女はせわしなく動く町を眺めていた。

 

」姫様、婆やでございます。ご用命のものを滞りなく準備致しました。陛下からは、ご夕食をシャグニイル邸で過ごされても構わないとお許しをいただいております。」

「ありがとう、今年はまた人が増えたみたいだから、プレゼントの数を間違えないようにしなければね。」

「そちらは何度も数え直しましたので間違いないかと思われます。馬車はご昼食の後、出立できるよう手配しておきますが、それでよろしゅうございますか?」

「ええ、それで問題ないわ。よろしくお願いね」

「ははっ、かしこまりました。」

 

 老婦人はやや間借り気味の腰をさらに曲げてゆっくりと礼をすると、のろのろと退室していった。その後ろ姿を見送ってから、サーラは部屋の隅にある大きな姿見に全身を打つし、身だしなみを整えていく。鏡に映る自分の頬が緩んでしまっているのがわかり、彼女は少し顔を赤らめた。

 

***

 

 昼食を終え、食後の紅茶と茶請け以外はきれいに片付いた食卓テーブルを囲んで、数名が楽しげに談笑していた。シャグニイル邸の主であるヒカルと、妻であるアン、メイドのミミ、今日は料理長のマルトスの姿もある。アンの膝の上ではルナがクッキーをポリポリとおいしそうに食べている。時間の経過と共に彼女の精神状態も概ね落ち着いて、昼間であれば年齢相応のことができるようには成った。しかし、彼女の1日も早い回復を願い、アンは時間のあるときはいつもルナの傍らで見守っていることが多かった。ルナの方もアンといると安心するのか、彼女に抱っこをせがんだり、本を読んで欲しいと持ってきたりと、心を開いていった。兄妹を人買いから助けてから、まださほど時間が経過していないことを考えれば十分に早い回復といえる。兄のトビーの方も、最近は悪夢にうなされる回数もかなり減ってきているようである。

 

「いやあ料理長、昼飯から気合い入ってるね。もうお腹いっぱいだよ。」

「うんうん、すっごいおいしかった!」

「いやあ、旦那様やミミちゃんにそういってもらえると、こっちも作ったかいがあるってもんでさあ。夜はもっと気合い入れて作りますんでお楽しみに!」

「はは、あまり無理しすぎて倒れたりしないでくれよ。うちの厨房は料理長がいないと回らないんだから。」

「判ってますよ。去年は風邪引いて倒れちまいましたからねえ、今年はそんなへまはしません。」

 

 恰幅の良い体を揺らしながら豪快に笑うマルトスの姿に、ヒカルたちも楽しい気分になる。彼ほどの料理人は世界中探してもそうはいないだろう。もっと爵位の高い貴族からの勧誘もあったのだが、彼はそのことごとくを断り、信山社であるシャグニイル伯爵のお抱えとなったのだ。

 

「旦那様、お客様がお見えです。」

「ん? ああもうそんな時間か、どれ、お出迎えに行きますか。」

「そうだな、ルナもお出迎えに行こうな。」

「おでむ、かえ?」

「そうだ、とても大切なお客様が見えると、朝食の時に話しただろう?」

 

 部屋の扉に取り付けられたベルが鳴り、やや間をおいて入室してきたモモが来客を告げると、ヒカルはおもむろに椅子から立ち上がり、客を出迎えるため開いたままの扉に向かって歩き出す。アンはルナを抱いたまま、その後に続いた。

 

「ようこそいらっしゃいました、姫様。」

「出迎えありがとう、少しの間世話になります。」

 

 屋敷の門前に止められた豪華な馬車から、降り立った1人の少女は、存在するだけでその場の主役になれる、そんな不思議な魅力を持っていた。そんな彼女だったから、新しく伯爵家に加わった幼い同居人の視線は、自然と固定されてしまって、それに気がついたサーラはにっこりと笑って、ルナを抱いているアンに歩み寄り、幼子に声をかけた。

 

「はじめまして、お名前は何というのかしら?」

「あ、え……と、ルナ、です。」

「そう、私はサーラ、よろしくね、ルナ。」

 

 いっそう笑みを深くして、自分の頭を撫でるその姿に戸惑い、ルナはただじっと、サーラを見つめていることしかできなかった。

 

***

 

 昼時を少し過ぎた頃から、シャグニイル邸では夜の会食に向けて、使用人達がさらに慌ただしく動き回っていた。屋敷のエントランスホールには大小様々な箱が積み上げられ、食材だの装飾品だの様々なものが取り出されあちこちへ運ばれていく。そんな様子を楽しげに、ヒカルとアンは眺めていた。サーラもアンの隣で終始笑顔を浮かべ、使用人達の作業を見守っている。

 

「サーラ、ずっと立っていても何だ、上の部屋で休んでいても良いんだぞ?」

「いいえ、こんなおもしろいもの、お城では見られませんから。」

「おしろ? お姫様はお城から来たの?」

「そうよ。お城は大きくてきれいなところだけれど、とっても退屈なの。それから別にお姉ちゃんで良いわよ。」

「うん、サーラお姉ちゃん!」

 

 ルナは最初は緊張していたが、サーラが積極的に話しかけたためか、少しずつ受け答えをするようになってきている。姫の身分とか、立場とか、そんなものはよく分かっていないようで、言葉遣いもなっていないが、ことサーラに限っては、そのような態度をいちいち気にしたりはしない。ましてやここは彼女が父王と同じくらい信頼を寄せる夫婦の邸宅だ。ここにいる間だけは、サーラは姫では無く、ただの女の子として扱ってもらえる。使用人達もそのことをよく分かっているから、主を含めたこの館の者たちが仰々しい態度を取るのは門の外だけだ。粗い言葉遣いの中にも確かに感じる暖かさが、サーラは大好きだった。

 

「奥様、飾り付け用の木を運んできましたぜ、屋敷に入れるのを手伝ってもらえますか?」

「……また規格外に大きいのを持ってきたのか? そんなことは拘らなくても良いと言っているだろう。」

「いえいえそういうわけにはいきません。どの貴族様のお屋敷よりも立派な奴を、大陸十を駆けずり回って探してきましたんで。」

 

 やれやれ、とアンは苦笑しながら、男性使用人の後をついて外へ出た。そこにはどうやって運んできたのか、特注サイズらしい荷車に乗せられた巨木が幅をきかせていた。

 この世界では、降臨祭の時に精霊神が宿るための木を、敷地内に立てて飾り付けをするということが、特に上流階級の間で行われていた。その時に使用される木が大きければ大きいほど、御利益も大きいという。そんなわけで立派な木を立てて豪華な飾り付けをすることが、貴族にとって自らの権威を示すことに繋がっていたのだ。ヒカルもアンもそんなことには興味がまるで無かったが、毎年使用人達の方が盛り上がり、この有様なのである。

 

「しかしこれは……去年のものよりずいぶん大きいな。私1人では手に余るかもしれん。。」

「えっ、そりゃあ困ったな。」

「お、俺が手伝いますよ。」

 

 今回運ばれてきたものは巨木と言って良く、いかに常人離れした力を持つアンであっても、運び入れるのには苦労しそうだ。その時おずおずと、後ろからかけられた声に彼女が振り返ると、そこには大人が持つにも苦労しそうな大きな木箱を3つも重ねてしっかりと運んでいるトビーの姿があった。

 

「……よし、手伝って貰おう。その荷物をおいてきてくれ。」

「はいっ!。」

「急いで転ぶなよ。」

 

 先を急ごうとする彼に注意を促し、しっかりと大地を踏みしめるその後ろ姿を眺めながら、ようやく本来の元気を取り戻しつつある少年の姿に、アンは安堵のため息を吐くのだった。

 

***

 

 サーラは、1人の少年に見惚れてしまっていた。アンが主力だったとはいえ、巨木をエントランスに運ぶのを手伝い、立てられた木をするすると登って装飾品を手早く飾り付けていく。あっという間に美しく彩られたツリーが完成した。

 

「ふむ、トビーは身軽だな。疲れただろう、少し休んでいろ。」

「は、はい、そうします。」

 

 さすがに張り切りすぎたのか、トビーは崩れるように床に座り込み、肩で息をしている。

 

「ほれトビー、水漏ってきてやったぞ、今年はお前のおかげで早く片付いたよ、後で料理味見させてやるから厨房まで来いや。」

「は、はい、ありがとうございます。」

「はい、どうぞ、お疲れ様でした。」

「え、あ、ひ、姫様?! わざわざ、その、ありがとうございます。」

「まあ、そんなに堅苦しくしなくても良いのですよ? 私とあなたは同い年と言うではありませんか。」

 

 そんなことを言われても、姫様だという人に失礼なことはできない。それは一般人としては語句当然の感覚であり、悪い言い方をすればこの館の者たちの方が普通ではないのだ。トビーのその反応に、サーラは少し困ったような顔をしたが、すぐにまた柔らかな笑みを浮かべ、コップの中の氷水を飲むトビーの姿を見つめた。

 

「あ、えっと、俺の顔になんかついてます?」

「ううん、そうではないの、トビーはすごいのね、大人の人たちの手伝いをしっかりできるなんて。」

「ははは、体力だけは自信がありますから、親父に鍛えられたんで。」

 

 サーラはトビーが水を飲み終わったのを確認すると、それを受け取ろうと手を伸ばした。自分で持って行くと立ち上がろうとする彼から、やや強引にコップを受け取り、彼女は誰もが見惚れるような流麗な所作で、エントランスホールを後にした。残されたトビーは、サーラの後ろ姿をタダぼんやりと、見つめているだけだった。

 

***

 

 日が傾き始め、地面に伸びる影が長く伸び始めた頃、シャグニイル邸の大広間ではサーラが家中の者たちにプレゼントを配っており、ちょっとした騒ぎになっていた。王女から直接降臨祭のプレゼントを手渡されるなど、一般庶民はまず経験できないことである。この国における王族の国民的人気を考えれば、感動して泣き崩れるものがいたとしても不思議ではない。……まあこの館の者たちはサーラをある程度見慣れているから、さすがにそこまで大げさな反応をする者はいなかったが、それでも大喜びでプレゼント――中身は手作りクッキーだったらしい――を受け取る使用人達の姿を、ヒカルもアンも嬉しそうに眺めていた。一通りプレゼントを渡し終えて、非番の者たちの分を料理長がまとめてどこからか持ってきたこぎれいな箱に入れ、皆がそれぞれの仕事へ戻っていった後、サーラはヒカルとアン、トビーとルナの4名を呼び止め、それぞれに違う色のリボンがかかった小袋を手渡していく。

 

「これは私から、先ほどのものとは別に、ヒカルとアン、それからトビーとルナへの贈り物です。モモとミミには先に渡してしまいましたが……どうぞ受け取ってください。」

「サーラ、いつものことだが気を遣いすぎだぞ。」

 

 苦笑するアンに、サーラは静かに首を振ってみせる。そして、不思議そうに袋を見つめているトビーとルナに、優しく語りかける。

 

「トビー、ルナ、ヒカルとアンは私にとって、両親と同じくらい大切な人たちです。だから、この館に迎えられたあなたたちは、私にとって家族も同じ。だからそれを受け取ってくださいね。」

 

 自分の思いをもっと的確な言葉で語れたなら、とサーラは思う。彼女がヒカルとアンに寄せる信頼は、短い言葉では到底表せるものではない。かといって、言葉を並べすぎたのでは薄っぺらくなってはしまわないだろうか。それでも彼女は、新しくこの館に加わった住人に、自分の思いをいくらかでも知って欲しかった。そして、トビーとルナのことも大切にしたいと、本気で双思っていた。

 

***

 

 夜も更け、窓の外は深い闇に包まれ、町は静寂に支配されている。夕食をともにした後、サーラは城へ戻り、使用人達も今はほとんど帰宅して、館の中は昼間の騒ぎが嘘のように静かだ。ランプが灯る部屋で、同じテーブルに向かい合って、ヒカルとトビーが何やら話をしていた。

 

「そうか、サーラにそんなことを言われたのか。」

「どうしていいか判らなくて、あれでよかったんでしょうか?」

「ハハハ、サーラはちょっと突拍子も亡いことをすることがあるからな……。まあ、あいつが良いというならいいんだろうさ。」

「そんな、軽いですよ。姫様ですよ姫様。」

 トビーは、テーブルの上に置かれた封筒を眺めながら、はあとため息を吐いた。彼には経験が無いことばかりだったから、どうして良いか全く判らない。

 

「姫である前に、彼女も1人の女の子だ。」

「アン様。いや、まあ確かにそうですけど……。」

「ルナならやっと寝たぞ。今日は少し興奮していたようだったからな。トビーもいろいろと疲れただろう。」

「そりゃまあ、いろいろと。」

 

 アンは苦笑しながら、ヒカルの隣の椅子に座り、次いでテーブルの上の封筒に目をやる。。そして、中身を取り出して一読すると、さらに笑みを深くした。

 

「なるほど、確かにこれは驚くだろうな。おそらく前代未聞だ。」

「そう言いながら楽しそうな顔しないでくださいよ……。平民の俺にはもうどうしたらいいかわかんないんですから……。」

「サーラのことは嫌いか?」

「いや、そんなことないですけど……。」

「プレゼントも気に入ったみたいじゃないか。それははやてのリング、俊敏性を少しだけ揚げることができる、そこそこ優れもののマジックアイテムだな。」

 

 ヒカルの解説に、トビーはぎょっとしたように目を見開く。高価そうなリングだとは思っていたが、まさか魔法の道具(マジックアイテム)だったとは。魔法がかかったアイテムというのはそれだけで貴重品で、庶民が簡単に手に入れられるものではないのだ。

 

「なんで、そんな高価なものを……。ますます訳がわかりませんよ。」

 トビーが困惑するのも当然だろう。サーラとはほぼ初対面だ。一度、ヒカルが彼ら兄妹をシャグニイル家で保護するため、その許しを王に乞うために登城したときに会ったことはあるが、形式的に教えられた挨拶をしただけで、本当に"会ったことがある"だけである。それがなぜ、特別なプレゼントを渡され、このような手紙まで……。トビーの頭は混乱するばかりだった。

 

――春のはじめに、私の9歳の誕生パーティーが王城で開かれます。出席していただけますか?――

 

 一通の、お手製の招待状から始まる1人の戦士の物語は、まだその1ページ目すら、めくられてはいない。招待状を読み返し、少年が戸惑いながらも出席を決めたその時、運命は少しだけ、違う方向へ動き出したのだ。

 

***

 

 王城の自室で、お土産にもらったアップルパイを食べながら、夜空を見つめるサーラの心は穏やかだった。シャグニイル家に新しくやってきた兄妹は、サーラが想像もつかないような過酷な運命にさらされ、信じられないような奇跡の上に今があるのだと言うことを、つい最近まで彼女は知らなかった。確かに、最初に謁見の間で見たときの彼ら、特に妹の方は何かにおびえ、受け答えすらまともにできない状態だった。今思えば、人買いなどという非道な連中によほどひどい仕打ちをされたのだろう。それでも兄の、少年の方はしっかりと挨拶を交わし、まっすぐな瞳でこちらを見つめていたことを覚えている。そんな彼と今日は直接話せて、決して器用では無いけれど、言葉の端から感じられる暖かさに触れて、彼女は初めて、足りなかった何かが満たされたような気がしていた。

 サーラは王族として申し分の無い素養を持ち、それを磨く努力もしてきた。だからこそ多くの者に慕われ、皆の希望となり得たのだ。しかし、一方で彼女は寂しかった。王族としての特別な日々は、彼女に年頃の少女らしい喜びは何も与えてはくれなかったし、他者のように対等に語り合える友と呼べる存在もいなかった。何不自由ない生活をしていても、母親という大きな支えを失ってしまった彼女は、いつも1人でいるような感覚から、抜け出すことができないでいた。

 それでも、自分と同い年だという少年は、想像を絶するような運命にも心を折ることなく、どこまでもまっすぐに突き進んでいるように、少なくともサーラには思えた。だから、後から父王や側近達に何か言われるかもしれないけれど、どうしても彼を招待したくて、その場で髪とペンと封筒を借りて、即席の招待状を書いてしまったのだ。

 そもそも、勢いで普段はやらないようなことをしてしまったが、彼は来てくれるのだろうか。ずいぶんと恐縮していたようだったから、困らせてしまっただろうか? でも、トビーの中に感じた、自分にはない強さに、サーラは確かに心動かされていた。

 サーラは目を閉じ、心の中で精霊神に祈りを捧げる。彼女は知らなかったが、今は亡き母が、いつもそうしていたように、ドランの民達が幸せな降臨祭を迎えられるように、夜空に願いを込めた。

 ふと、ヒカルが言っていたことを思い出して、彼女は目を開け、シャグニイル邸がある方向を見つめて、彼が教えてくれた祝いの言葉を口にする。

 

「メリークリスマス。」

 

 それは遙か遠い異世界で、神の子の誕生を祝う風習が変化し、一般的なイベントにされたもの。ツリーを飾り、皆でごちそうを食べ……。眠りについた子供達の枕元へ、大人達はプレゼントを置いたりするのだ。

 サーラは知らない、自分の運命が、遠い遠い世界からやってきた1人の人間によって変えられていることを。それがこの先、彼女に何をもたらすのかは誰にも判らない。しかし、ひとつだけ確かなことがある。神聖な夜に込められるその願いは、たとえ世界が変わっても同じだ。大切な人を大切に思う、誰かの幸せを願うその心は変わらない。

 1人の王女が夜空に願ったその思いは、きっと届くだろう。今はまだ小さな思いでも、その思いを捨てないで、彼女が歩み続ける限り、支えてくれる多くの人々が、きっと、彼女の力になるはずだから。

 

Fin




初めて外伝を書きました。クリスマスに間に合わせるために大急ぎで書いたため、推考も校正もろくにしていません。読みにくい文章で申し訳ないです。
みなさんにも素敵なクリスマスが訪れますように。メリークリスマス!

って、25日ギリギリですやん(目そらし)。


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第30話 魔物襲来! ドムドーラの町を守れ!

またまた、更新停止かというような間が開いてしまいました。
もし、楽しみにしていた、という方がいらっしゃったら申し訳ありません。
書き続けてはいますが、ちょっと行き詰まってました。
リアルが忙しかったのもありますが、それ以上になかなか良い展開を思いつかなかったもので……。


 ドムドーラの町の夜は賑やかだ。酒場、劇場などのほか、夜だけ開いている市場などというモノもある。定期的に開かれている闇のバザールから流れてきた品物や、ここでしか手に入らない珍しい商品もたくさんあったから、そういったものを目当てに訪れる人も、決して少なくはなかった。

 

「はいよ、キメラの翼3個で7500ゴールドね。」

「ありがとうおじさん、よく手に入ったね。」

「な~に、他ならぬ嬢ちゃんの頼みだからな、おじさん、頑張って世界中から集めて来ちゃったよ。」

「いつもありがとう♪。」

 

 市場の中程で露店を開いている、口ひげを生やした中年の男から、キメラの翼3つを受け取った人物は、重たい革袋を店主に手渡した。その袋をひっくり返し、提示した金額と相違ないことを確認すると、店主は金貨を袋に戻し、露店の奥の方にある木箱の中へしまい込んだ。目の前の客は、いつの間にか目深に被っていたフードを外し、その素顔をあらわにしている。外見からどうみても17~8歳くらいの、まだ少女のあどけなさを残した女性は、裏の世界では情報屋としてそれなりに名が通っていた。

 それにしても、ゲームであれば25~30ゴールド程度のキメラの翼がひとつ2500ゴールド、百倍とはぼったくりに思えるかもしれないが、もちろんこれにはちゃんとした理由がある。この世界ではキメラ自体が、人間の前に姿を現すことは希であり、認知度が低い。当然その翼も希少品であり、ゲームのようにその辺の道具屋に並んでいる訳ではないのだ。

 彼女は受け取った品物を満足そうに道具袋にしまうと、店主に近寄り、少し背伸びしてつま先立ちになると、大柄な男の頬にそっと唇を寄せ、目を閉じた。男は少し驚いたようだったが、若くてかわいらしい彼女のそんな行為に、だらしなくにやけた顔つきになってしまう。

 

「うふふ、私からのお、れ、い。またよろしくね♪」

「あ、ああ、まあできるだけ、お望みの品物を揃えてやるぜ。」

ありがとっ、近いうちにまた来るわ。その時はちょっと難しいモノを探して貰うかもしれないけど代金とは別に、ちゃんとしたお礼するから♪。」

「え? 代金とは別に?」

「うん、おじさん優しいから、その、いいかな、って……。」

 

 女性ははにかみながら、顔を少し赤らめ、両手で自分を抱きしめるような仕草をする。ぽかんとした顔の店主が気づいたときには、彼女はまた、無邪気な笑顔を浮かべ、手を振って別れの挨拶をすると、夜の闇に紛れていった。

 

「あれが、凄腕の情報や、ねえ。」

 

 店主の独り言は、市場の喧噪にかき消され、誰の耳にも届くことはない。彼がだらしなく緩んだ表情を元に戻し、商人の顔に戻った頃には、夜更けと共に店を梯子する酔っぱらいの姿や、色気を振りまいて客引きをする女の姿など、町は徐々に夜の色を濃くしていった。

 

「さ~、もういっけん、いってみよ~!!」

「ま、マーニャさん、飲み過ぎですって。」

「な~に言ってんのよトビー、まだまだこれからでしょ~~!! もう一見いったら、その後はおねえさんとい、い、こ、と、しましょ♪」

「だめだ、完全にできあがってる……。」

 

 トビーは傍らではしゃぐ踊り子服姿の女性に振り回されながら、周囲の者たちに助けてくれと目で訴えるが、同行している兵士団の面々も、マーニャの仕事仲間だという連中も、ニヤニヤとこちらを見ているばかりで、助け船の1つも出そうとはしない。トビーはマーニャに腕を組まれ、露出の多い彼女の素肌を密着され、もうどこへ視線をやったモノやら、自分の腕をどう扱ったモノやらわからない。

 トビーが最初に配属されたのは兵士団第3部隊、第5小隊だった。そして、たまたま回ってきた王国領内の巡回任務に、場所が近く短期間で終わるからと同行し、今に至っている。交代でドムドーラの町を見て回り、グリスラハール男爵の私兵隊と交流し、今日の夕方から明日一日、非番と言うことで自由行動となったのだ。そこで、兵士団の先輩達に劇場へ踊りを見に行かないかと誘われ、興味本位でついてきた結果、なぜかマーニャという町一番の踊り子に気に入られ、この有様である。元々、酒に強い体質だったらしく、トビーは特に酔い潰れている様子はない。対してマーニャの方は見ての通りで、酔い潰れてはいないモノのこのままではそうなるのも時間の問題と思われた。

 

「ね、え、さ、んっ!!!」

「ひえっ、み、ミネア?!」

「なかなか帰ってこないと思ったら、こんなところで何をしているんですかっ!! あら? その子は……。そうですか、酔っ払って、またお客さんに迷惑をかけてたんですね?!」

 

 いつのまにか、マーニャとよく似た容姿の、こちらは体中をすっぽりと覆い隠すマントに身を包んでいる女性が、次に入る店に当たりをつけていたマーニャの前に立ち塞がり、鋭い目つきでにらみつけている。マーニャは2・3歩後ずさりしながら、どこか逃げ道はないかと周りをきょろきょろ見渡しはじめた。

 

「……逃げようとしても無駄です、観念しなさい。」

「ちょ、あんた何、手元に魔力ためてんのよ?! バギなんてこんな街中で使ったら……!」

「問答無用!! バギ!!」

「ひええっ!!」

 

 ミネアの手から放たれた真空呪文(バギ)を、マーニャはかろうじて回避する。彼女の右横を通り抜けたごく小さな竜巻は、後ろを歩いている通行人に当たる……前に、まるで何事もなかったかのように消え去った。

 

「待たんかいコラ!!!」

「うわあぁ~ん、ごめんなさいぃ~~!!」

 

 容姿には似つかわしくないドスのきいた低い声を上げ、妹は逃げる姉を追いかけて人混みの中へ消えていった。何が何だか判らずに呆然としているトビーの肩を、今まで傍観していた先輩の兵士がポンポンとたたいた。

 

「残念だったな。」

「……何がですか。」

「あんな美人にいいことしてもらえる、めったにないチャンスだったのによ。」

「……本気で怒りますよ。」

 

 豪快な笑い声を上げ、トビーの背中をバシバシとたたきながら、先輩兵士達は解散を告げ、これまでのなりゆきを見守っていたマーニャの同僚達も、ちょっと残念そうにしながらちりぢりになっていく。トビーは深いため息をひとつ吐くと、先輩兵士達と共に宿へ戻るべく歩き始めた。

 

***

 

 ドラン王城最奥部にある、王女の私室で、その日も魔法の授業が行われていた。といっても、サーラはもうかなりの知識を吸収してしまっており、ヒカルが教えることもそろそろなくなってきているのだが。

 

「魔法の契約に重要な、精霊とはどういった存在でしょうか?」

「妖精やモンスターのような形ある存在では無く、大自然の力そのものといわれています。精霊と契約を交わすということは、大自然の力を自分の魔力と結びつけ、呪文を介してその力を使用できるようにすることです。」

「よろしい。では、古代の呪文使い達が用いたとされる、詠唱とはどのようなものでしょう?」

「詠唱とは、特定のキーワードを使って頭に描くイメージを鮮明にし、より細やかな、効率の良い魔法の運用を可能にする技術のことです。ただし、すべての者が詠唱を使いこなせるわけでは無く、古文書に寄れば精霊神様に認められた者だけが、その術を扱えるといわれています。」

 

 本日の授業内容を問う質問に、相変わらずよどみなくすらすらと答えるサーラの様子に、ヒカルは満足げに頷き、教科書代わりに使用していた魔法書にしおりを挟んで閉じ、これをもって授業はお開きとなった。2人が互いに礼をし、顔を上げたのを見計らったように、いつものごとくメイドが紅茶と茶請けを持って現れる。サーラの好物のアップルパイが、皿の上から良い匂いを漂わせていた。

 

「トビー、いつ頃帰ってくるかしら。」

「ああ、10日かそのくらい、かかるって言ってましたからね、まああと3~4日ってところだと思いますよ。」

 

 サーラは首から提げたペンダントを握りしめ、祈るように目を閉じた。まあ、研修なのだから無事に帰ってくるだろうが、それでも、彼が道中、何事もないようにと、心の中だけで精霊神(せいれいしん)に祈りを捧げる。彼女のそんな静かな時間は、この宮殿で最も騒がしい者の乱入により中断された。

 

「ひ、姫様、大変でございますっ!!」

「まあ、婆や、どうしたの? いつものことだけれどそんなに慌てて。」

 

 婆やと呼ばれた女性、グリスラハール夫人は息を切らせ、まるで天変地異でも起こったかの如く、しわがれた割には甲高い、なんとも耳障りな声を響かせながら入室してきた。この老婦人はいつも校なので、サーラが一緒になって驚くことはない。しかし、どうも今日はいつもと少し、様子が違うように感じられる。

 

「へ、陛下がお呼びでございます。ドムドーラの町が、魔物たちに占拠されたと……。」

 

 カラーン、と、乾いた金属音がして、サーラは持っていたフォークを床に落としてしまう。ドムドーラの町といえば、トビーが今、滞在している場所では無いか。いや、それ以前に、町1つが魔物に占領されるなど前代未聞だ。

 

「姫様、陛下の元まで参りましょう。私がお供致します。」

「ええ、お願いします。婆や、これ以上騒ぎ立てることのないように、皆が動揺します。」

「は……ははあっ、申し訳ございません。」

 

 一瞬呆けた表情を見せたサーラは、しかし次の瞬間には再び、いつもの落ち着いた顔になり、老婦人をたしなめると、ヒカルと共に父王の下へ向かうため部屋を後にした。

 

***

 

 その日は気温が高く、石造りの城壁は太陽を反射し、城門を警備する兵士からじわじわと体力を奪っていた。そろそろ最初の交代の時間が告げられる鐘が鳴るという時刻になって、見張り台に上っていた兵士が慌てて降りてきて、門のところにいる同僚に大声で呼びかけた。

 

「おい、大変だ、大けがをした奴がこっちへ向かってきてる、早く手当てしてやらないと今にも倒れそうだ!」

「なにっ、それは大変だ、おい、誰か俺と一緒に来い!!」

 

 その日、傷ついた兵士が1人、ドランの王都に現れた。傷の手当てをしようとする周囲の兵士達に、彼は何とか、うめくような声を絞り出して訴えた。

 

「お、俺のことはいい、王様に……国王陛下に支給ご報告せねばならぬ事があるのだ、へ、陛下にお取り次ぎを……!」

 

 鬼気迫るその様子から、ただ事ではないということを察した兵士達は、傷ついた男を両脇から抱えるようにし、可能な限り急ぎ足で、王宮へと向かったのだった。

 

「へ、陛下、私は、グリスラハール私兵団、マドールと、申します。このような、姿で、拝謁を賜りますこと、緊急事態故、な、なにとぞご容赦くださいませ……!」

「よい、申してみよ、何があった?」

「は、ははっ、今よりおよそ2日前、ど、ドムドーラの町が、多数の……魔物に、占拠……されました。我ら……は、王都から……巡回に来ていた兵士団の方々……と、住民を逃がすことには、ほぼ……成功致しましたが、ここまで、報告に……赴く、道中で、我ら……グリスラハール、し、私兵団は、魔物の軍勢に……襲われ、力及ばず、全滅……いたしました。お願いでございます、陛下、何卒、ごたいさく……を……。」

 

 息も絶え絶えに、しかし、はっきりと伝わる言葉で報告と嘆願を言い切った兵士は、その場にドサリと倒れ込み、そのまま絶命した。彼の様子から、王の近くに控えていた貴族、騎士達は皆、事態が最悪の方向へ動いていることを悟った。

 

「何ということだ……、魔王を退け、ようやく新しい政策が実を結びはじめてきたというのに……、誰かある、騎士団二番隊をこれへ、それから……勇敢なその者を、手厚く葬ってやるのだ。」

「はっ、かしこまりました。」

「婆や、何を呆けておる、そなたも貴族の端くれであろう、気を確かに持て。」

「……は、も、申し訳ございません。」

 

 深々と頭を下げる老婦人に、ピエール王はサーラ姫を呼んでくるようにと言いつけ、それから周囲の者たちに矢継ぎ早に指示を飛ばしていく。

 

「グエルモンテ、二番隊と兵士談30名をもって討伐隊を変成する。兵士団の選定は兵士超に任せよ。それから、討伐隊に与える装備と、支援物資を早急に準備するのだ。」

「かしこまりました。」

 

 グエルモンテ侯爵は一礼すると、足早に謁見の魔を後にする。残された者たちも順次、王の指示を受けて退室していった。そしてこの場には、今日たまたま出仕していた老貴族だけが残された。

 

「じい、この事態をどう見る?」

「野生のモンスターがこのような行動はまず取りますまい。ほぼ間違いなく、魔王がらみの事件かと。」

 

 静かに発せられた老人の答えに、ピエール王は首肯すると、王錫を手に取り立ち上がった。その目には強い決意の光が宿っていた。

 

「何としても、ドムドーラの町を、取り戻さねばならぬ。」

 

 ドムドーラは王都に次ぐ大都市の1つだ。また、国内の各都市を結ぶ中継地点でもあり、ここを落とされると物流に多大な影響が出る。また、ここから王都への街道も整備されているため、落とされると軍事的にも攻められやすくなりまずいことになる。ピエール王は焦りを抑え、町を取り戻す方法を必死になって考えていた。

 

***

 

 少年が目を開けると、そこは薄暗い部屋の中だった。視線だけを動かして確認した範囲では、どうやら灯りはランプあたりだろうか。どうもかび臭い感じのする、お世辞にもきれいとは言えない空間だ。そんなところで、少年は布にわらを詰めただけの簡素なベッドに寝かされていた。状況をさらに確認するため身を起こそうとしたとき、横から不意に声がかかった。

 

「良かった、気がついたのね。子供が睡眠も取らないであんなに動き回ったら、倒れて当たり前ですよ、さ、これを食べて、もう少しおとなしくしていてね。」

「ミネア……さん?」

「うふふ、トビーったら、まだ寝ぼけた顔をしているわよ。」

 

 くすくすと笑う目の前の女性が、最近知り合った占い師と知り、トビーはようやく覚醒しはじめた頭で、自分の今の状況を把握しようとする。町に大量の魔物が押し寄せ、あっという間に占拠していく中、トビーを含む兵士団は魔物を倒すよりもまず、町の住民を避難させることに注力した。その甲斐あって、大きな被害もなくほとんどの住民を町から退去させることができたはずだ。はずだというのは、先輩兵士達と不眠不休で避難誘導をする中、まだ幼いトビーは過労で倒れてしまったのだ。無理もない。2日以上も寝ずに動き回っていたのだから、常人であれば大人でも倒れてしまうだろう。彼がそうならなかったのはひとえに、常日頃からの厳しい訓練のたまものであり、そのタフさは大人の兵士も驚かせるモノだった。

 

「はいっ、あ~ん♪。」

「え、あ、いや。」

 

 考え事をしている間に、野菜と米を煮込んだ雑炊の入った器から木製のスプーンに軽く一杯をすくい取り、ミネアはそれをトビーの眼前に差し出した。戸惑いながらも、まだどことなく寝ぼけているのだろう彼は、それにぱくりと食いついた。

 

「ん、ぐっ。」

「あら、ちょっとまだ熱かったかしら。ごめんなさいね。お姉さんがふ~ふ~、してあげるから、次は大丈夫よ。」

「あ、あひがとふごらいまふ……って、そうじゃあなくって、自分で食べますからいいですって!!」

「遠慮しなくっても良いのよ? ほぉら、あ~ん♪」

 

 何故、この人はこんなに楽しそうなんだろうと、笑顔でスプーンを差し出すミネアを眺めながら、トビーは考えたが、疲労と空腹がまだかなり残っている彼は、次の瞬間には考えることそのものを放棄した。

 

「ごちそうさまでした。」

「はい、おそまつさまでした。だいぶ顔色も良くなったみたいね、でも無理はダメよ?」

「はい、迷惑かけてすみません。それで、その……皆さんの避難は……。」

「それは、大丈夫よ。」

「姉さん。」

「何とか、ほとんどの人は逃がせたと思うわ。君もよくがんばったね。領主様のところの私兵団の人たちが王都へ救援要請に向かってるわ。」

 

 部屋に入ってきたマーニャはトビーの様子を見て、少しほっとしたような表情を浮かべ、彼のボサボサになった頭を少し乱暴にわしゃわしゃと撫でた。最初は驚いていたトビーだったが、不思議と温かいその手の感触に、抵抗もせずされるがままになっていた。

 

「おっ、トビー、目ェ覚めたか。なんだこの野郎、きれいなお姉さんにかわいがられちゃって、何てうらやま……。」

「隊長隊長、そうじゃないでしょう、まったくもう、こんなときに。」

 

 のしのしと、大柄な体を揺らしながら入ってきてトビーをからかう男、隊長をたしなめ、一緒に入ってきたもう1人の兵士がミネアの方へ視線をやる。

 

「けが人ですか?」

「ええ、幸い皆、たいした傷ではないですが、今後のこともありますからできるだけ治しておきたいと思いまして。この町に滞在していた神官団の方にもお願いしたのですが、何分人手が足りなくて。ミネアさんは回復呪文が使えるとお聞きしましたので、すみませんが手伝ってもらえませんか?」

「もちろん、良いですよ。案内して戴けますか?」

 

 ミネアはすっと立ち上がり、隊長と若い兵士に連れられて部屋を出て行った。残されたマーニャとトビーは、隣り合うようにしてベッドに腰掛けている。

 

「判ってると思うけど、問題はここからだわ。」

「はい、逃げることができなかった人の方が、問題ですね。」

「そう、病気の人とか、お年寄りとか、その人達の世話をしていた人たちとか、そういう、事情があってここを離れられなかった人たちがいる。この状況で、自分で動けない人を逃がすのは到底無理だわ。」

「その人達を助けようと思ったら、モンスターからこの町を開放するしか……。」

 

 現状、町の住民の大半は避難に成功しているが、マーニャの言ったとおり、自力で動けない者たちを逃がすことはほぼ不可能だった。動きが遅いモノに併せれば、それだけ町をうろついている魔物たちの餌食になる可能性が高くなるからだ。魔物たちは獣型が多く、一般人の何倍も早く動ける。。そして、捕まったら最後、命はないだろう。この状況を打破するためには、魔物たちを倒すのが一番良いが、それを行うには圧倒的に戦力不足だった。

 

「難しいわねぇ、私攻撃呪文使えるけど、たぶん、初級呪文程度じゃあいつらが相手じゃたいしたダメージになんないよね。デカいサルみたいのとか、固そうな虫とかカニとか、倒せる気がしないもん。」

「無理、でしょうね。中級以上の呪文なんて、攻撃でも回復でも使える人、めったにいないですし……こんなとき、伯爵様がいてくださったら……。」

「伯爵さま?」

「あ、魔法学院の校長をしていて、俺と妹の後見人をしてくださっている方です。すごい魔法がたくさん使えるんですよ。」

「助けには来てくれないの? その人。」

「いえ、王都に救援要請が届けば、ほぼ確実に助けには来てくださるとは思うんですけど、さすがに王都からここまでだと、それなりに時間がかかりますから……。」

 

 トビーには、こういった事態であれば、ヒカルたちが絶対に行動を起こすだろうという確信があった。しかし、ここから王都へ知らせが届いて、助けが来るまでにはそれなりの時間がかかるだろう。それまで持ちこたえられるかどうかはわからない。とりあえず今は、一刻も早く活動できるように体を休めようと、トビーは再びベッドに横になった。

 

「もう少し休んだら、俺も皆を手伝いに行きます。」

「おやすみなさい、あまり無茶はダメよ?」

 

 トビーはこくりと頷くと、そのまま深い眠りに落ちていった。意識がなくなる瞬間に、何か柔らかいモノが自分の唇に触れたような気がしたが、強烈な眠気に襲われた彼は、その感触は何かということに思い至ること無く、意識を手放した。

 

「やめなさいって言っても、聞きそうにないわね。せめて、よく眠れるようになるおまじないよ。ミネアのラリホーもよく効いたみたいだから、起きたら体力全開だよ。」

 

 年相応の、かわいらしい寝息を立てる唇から、自分の唇をそっと話すと、マーニャはトビーの頭に手を置いて、先ほどとは違う、ゆっくりと優しい手つきで撫ではじめた。彼女の表情はいつもの、相手をからかうようなモノでは無く、どこまでも優しい、妹によく似たやわらかなものだった。

 

***

 

 どこかの洞窟なのだろうか、ゴツゴツとした岩壁に囲まれた薄暗い空間で、1人の女が簡素な机に向かい、何やら書をしたためている。壁の数カ所には燭台が設置されており、ろうそくの明かりが空間を照らしてはいるが、お世辞にも十分な光量だとは言い難い。女は一文字一文字を丁寧に、しかしそれなりのスピードで書き進めている。その筆跡は美しく、彼女がある程度以上の教養を持っていることが伺い知れる。やがて、一段落したのだろうか、彼女はペンを置き、椅子から立ち上がり後ろを振り返った。

 

「こ、これは、気づかずに申し訳ありません。」

「構わんさ、作業を中断させるほどの用があるわけでもない。」

「こちらの報告書をだいまどう様に……。」

「ふむ、助かったぞ。俺はこういうことがあまり得意ではないからな。」

「もったいないお言葉です。」

 

 女は机の上の紙束をていねいに折りたたみ、どこから取り出したのか封筒らしきものに入れ、燭台のろうそくからロウを垂らして封をし、それを先ほどから自分の後ろに立っていた男に手渡した。男と行っても、その者が人間であるかはわからない。姿は全体的に人型だが、全身を丸みを帯びた鎧で覆い、露出している顔には頭髪がなく、くすんだ赤色のような特徴的な皮膚の色、やや尖った耳、口を開けば牙のようなものが見える。モンスターの類いかと言われればそれも何か違うような気がするし、この男がいったいどのような種族であるかは外見からはよくはわからなかった。しかし、仕事を誉められた女の方は外見からして人間であり、笑みを浮かべるその顔は幼さが残るが美しいと断言できるものだった。

 

「そういえば、例のものも手に入ったようだな。」

「はい、キメラの翼、5つほどが限界でしたが……。思ったより費用もかさんでしまいましたし。」

「いや、俺が思った以上の成果だ。金のことは気にするな、それより、また足りない分を貴様の体で払ったりはしていないだろうな。」

「「は、はい、そのようなことは、決して。」

「なら良い。貴様は俺の数少ない直属の部下だ、所有物にも等しいとしれ。ではこれで我らの役目は終わりだ、引き上げるぞ。」

 

 男が女に背を向け、歩き出す。女は手早く荷物をまとめ、ろうそくの灯りをたいまつに映し、男にやや遅れてこの場を後にした。

 

***

 

ドムドーラの町から北、砂漠地帯と平原地帯のちょうど境界に当たるところに、アネイルと呼ばれる小さな町があった。平時は穏やかな、特徴というモノもこれといってない静かな町だが、今だけは悪い意味で騒がしくなっていた。魔物に占拠された町から逃げ出してきた者たちが、この町に多数流れ込んできたからである。領主であるサリエル伯爵の命令により、彼らは難民扱いとなり保護されたが、そもそも小さなアネイルでは、大都市といえるドムドーラの住民を受け入れるだけの住宅、食料、衣類などありとあらゆるものが不足していた。無論、サリエル伯爵は物資については早急に手配したが、住居についてはどうにもならず、現在この町は郊外までテントが立ち並ぶ異様な風景が広がっていた。

 

「さて、ここまではルーラで来られたが、この先が問題だな。」

「ああ、ドムドーラも言ったことはあるから飛べなくはないんだが、敵のど真ん中に突っ込むのも危ないからな。」

 

 現在、アンは騎士団二番隊を引き連れ、ヒカルとともにアネイルを経由してドムドーラに入ろうとしていた。敵中に直接転移するのは、包囲されることを考えるとあまり良いとはいえないと考えたからだ。

 

「兄さん、どうか、無事でいて……。」

「まあ大丈夫だろう、今のトビーなら、そう簡単にやられたりはしないさ。」

 

 兄の心配をするルナを、アンは優しく励ます。そんな2人を見ながら、ヒカルはルナも存外強情なモノだと苦笑した。まだ10歳にも満たない彼女を、はじめはおいていくつもりだったが、どうしても自分も行くと譲らなかったため、根負けした2人はここまで連れてきてしまったのだ。兄、トビーのこともそうだが、ルナがいつも世話になっているドラン大教会の神官長がこの町を訪れているらしく、そのことも、彼女が強く同行を申し出た一因となっているようだった。

 ルナはその年齢にしては神官として優秀で、すでにホイミやキアリー、ピオリムなどの初期呪文を習得している。その才能と精霊神に対する信仰心の厚さから、神官長直々に目をかけられ、ドラン大教会の聖職者達からもかわいがられていた。

 魔法力(マジックパワー)を十分に持ち合わせており、回復役(ヒーラー)としては十分に優秀な彼女を、能力的に連れて行くメリットは十分にある。それは確かなのだが、やはり幼い少女を魔物の群れが跋扈する前線へ連れて行くのは抵抗がある。それでも、たった1人の兄を助けたいという彼女の気持ちを大切にしてやりたいとも思い、ヒカルの胸中はなんとも複雑だった。

 

「あのう……もしかして、シャグニイル伯爵様ですか?」

「はい、そうですけど……って、君は?!」

「え? 私のことをご存じなのですか? お会いするのは初めてのはず、ですけど。」

「あ、いやいや初めてだよ、うん。ちょっと知り合いに似てたものでね。」

 

 後ろから声をかけられ、振り返ったヒカルは驚きのあまり、その場に尻餅をつきそうになったが、何とか踏ん張ってそれをこらえた。そこにいたのは、ドラクエⅣをプレイしたことがあれば知らぬ者はいない、伝説の姉妹の姉、マーニャだった。妹のミネアとはよく似た顔立ちをしているが、胸部と腰回り以外はすべて地肌というところに、薄手のマントを羽織っているだけという露出度の多い格好が、彼女が姉妹の姉の方であるとヒカルに知らしめた。

 

「ええと、コホン、確かに俺はシャグニイル伯爵って呼ばれてるけど、どちらさんで?」

 

 相手のことを知ってはいたが、それはあくまでも物語(ゲーム)の登場人物としてだ。とりあえず話を進めるため、ヒカルは自分の名を名乗り、マーニャに用件を話してくれるように促した。

 

「ふむ、なるほど、思ったより状況が悪そうだ。ヒカル、急いだ方が良さそうだな。」

「ああ、かなり追い詰められているっていう感じだからな。しかし、どうやって町に入るか……。」

「私が先導します。町の人たちを逃がした抜け道があるので、そこから入ればたぶん見つからないと思います。」

「よし、それでいこう、時間が惜しい、すぐにでも出発だ。」

 

 ヒカルが立ち上がったのを合図に、全員が武器と荷物を手にし、滞在していた兵士詰め所を後にした。町が占拠されてから、すでに3日あまりが経過している。アネイルまでルーラを用いたため、普通に移動するよりは遙かに早い進軍だ。しかし、それでもここからドムドーラまで、敵に見つからないようにたどり着くとしたら最短でも半日はみなければならない。今は丁度夜明けだ。たどり着く頃には日が沈んでしまっているだろう。ここまで、眠らずに来たのだろうマーニャを休ませてやりたいが、そんな時間は無い。

 

「大丈夫、私も行きます。」

 

 気丈にそう答え、同行を申し出る彼女を気遣いながら、ヒカルたちは一路、ドムドーラの町を目指して進むのだった。

 

to be continued




※解説
傷ついた兵士:ドラクエⅡのオマージュのつもりです。ムーンブルクが陥落するシーンは、日本版ではSFCからですが、英語版ではFCからあったようです。蘇生魔法の使い手を確保していないので、兵士さんはあえなくお亡くなりに……、合唱。

さて、いよいよドムドーラの町に向かうヒカルたち。なにやら怪しげな連中も動き始めましたが、彼らはいったい何者なのでしょうか……? 無事、町を取り戻すことはできるのでしょうか??

次回もドラクエするぜ!!


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第31話 砂漠の町の師弟、それぞれの死闘

ドムドーラの町は一刻を争う深刻な状態になってしまいました。ヒカルたちは町を開放できるのか? そして、なにやら不気味な策略が、背後で動いている気配が……。
いったい、魔物たちの目的はなんなのか? それが見えないまま、戦闘へと突入していきます。


 ドムドーラの町には、王都ほどではないが、災害などの非常時に使用される地下通路が整備されていた。それは西側の区画に建てられている教会から、北側のアネイルへ向かう街道に設けられた小さな休憩所とを結ぶものだ。地下通路と行っても、大人が1人、どうにか立って歩ける程度の高さと幅しかないそこを、ヒカルの灯す魔法の光だけを頼りに、一行は街中へ向けて進んでいた。

 

「マーニャ、この道は途中で分かれたりはしていないんだね?」

「はい、この通路は教会まで分かれ道はありません。ただ、割と複雑に曲がりくねっていたり、段差がたくさんあるので、足下には注意してください。」

 

 おそらく、侵入者に通路を見つけられたときの時間稼ぎなのだろう、分岐もしていないのにやたらと曲がり角があり、意味も無く階段を上ったり下ったりしなければならないなど、決して楽には通れないように作られている。この道を足腰の弱い老人や病人を連れて通るのはかなり困難といえるだろう。

 

「この先の階段を上れば、教会の地下室に出ます。」

 

 マーニャの案内に従って通路を抜けると、少し開かれた空間に出た。壁に備え付けられた燭台のいくつかには火が灯っており、上へと続く階段が確認できる。ヒカルたちはゆっくりと、慎重に上階へと登っていった。

 

***

 

 状況は最悪だった。外の様子を確かめるため、建物の影に身を潜めながら町の中を確認して回ったが、獣型の魔物たちがそこかしこをうろうろ歩き回っており、地下道を通らずに進むのは至難の業だった。あの狭い通路を、自力で移動できない者を連れて通るのはほぼ不可能だろう。本当に大人1人分くらいの幅と高さしかないから、担架に乗せて運ぶとか、背負って通るというのは無理がある。必要な物資を運ぶにも、大型の荷車や馬車などは当然使えないし、背負うにしても幅を取るものはダメだ。小分けして運ぶには人手が足りない。魔物を排除あるいは撤退させるためには戦力が圧倒的に不足している。トビーたち兵士団が住人の避難を優先したのは、直接戦っても魔物たちに勝てる可能性が低かったことも大きな理由だった。実際、魔物に見つかって戦闘となり、重傷を負った者たちが少なからず鋳る。何か打開策を打ち出さなければ、備蓄されている物資が底をつき、魔物にやられなくとも自滅してしまうだろう。

 町にいる人々は、グリスラハール私兵団の全滅を知らない。何買うまい手段を思いついて、地下道から逃げおおせたとしても、大漁の暴れザルの軍団に取り囲まれて殺されてしまう可能性があることを、今の彼らはトビーも含めて、知るすべがなかった。

 それでは何故、町の住民のほとんどが避難に成功したのか? 何故、マーニャは見つからずにアネイルまでたどり着けたのか? 何故、ヒカルたちは無傷でドムドーラの町に入ることができたのか? これらはただの偶然だったのだろうか?

 

「おお、トビー、戻ったか。王都から救援が来てくれたぞ。」

「え?! それじゃあ……。」

「無事だったか、トビー、ルナが心配していたぞ。」

「アン様!! シャグニイル伯爵様!! 来てくださったんですね!」

 

 安堵のため力が抜けて折れそうになる自分の膝を叱咤し、新米兵士はよく見知った男女の元へ小走りで駆け寄っていく。――彼らが来てくれたのなら、なんとかなるだろう。それほど、トビーがアンとヒカルに寄せる信頼は厚かった。

 

「おお、ルナではないか、なぜこんな所へ……。」

「神官長さま、ご無事で良かった。私にもお手伝いをさせてください。」

「ルナ?! どうしてお前が……!!」

「兄さん……、生きてる……! 無事で良かった……。心配……したんだから……。」

 

 目尻に涙をにじませて、しかしそれでも、幼い妹は気丈に、兄の無事を喜ぶのだった。怖くないかと言われれば怖い。しかし、彼女にとってはモンスターよりも柄の悪い人間の大人の方がよっぽど恐ろしい。モンスターに占拠された町の方が、人買いの馬車よりもよっぽどましだと、そう思えてしまうほど、あの体験は彼女の心に深く刻み込まれてしまっていた。

 

「神官長様からだいたいの状況は聞いたよ。トビー、お前が知っていることを俺にも教えてくれないか?」

「は、はい。わかりました。」

「私達は町の様子を確認してこよう、副長。」

「はっ、了解しました!」

「それはやめたほうが良いと思うよ。」

「え?」

 

 町の状況を自分の目で確認しようと、アンは部下達を引き連れ、この場を離れようとした。しかし、どこからか彼女と部下達を引き留める声がする。驚いて周囲を見渡してみるが、声のした方には人は誰もおらず、整然と積み上げられたタルの山があるだけだ。やがて何かに気がついたのか、アンはゆっくりと声のした方へ歩み寄っていく。部下達も、神官達も、トビーとルナも未知の存在に警戒しているが、ヒカルだけは何かを察したらしく、穏やかな笑みを浮かべているだけだ。

 

「姿を見せたら銅だ? この国では法さえ侵さなければ、種族を問わず入国は自由だ。」

「いや~、そうらしいけどぉ~。」

「ちょっと不安といいますか~。」

「は、恥ずかしいじゃん?」

 

 そんな声が聞こえた後、ややあって、タルの底から何か、光るものが見えた。最初は何か判らなかったが、次第にそれは形を見せ始め、全貌を現す頃には、アンの足下まで近づいていた。

 

「は、はぐれメタル?」

「ルナ、よく知っていたな。ふむ、全部で3匹か、これは珍しいな。」

 

 アンの足下にいる彼ら(?)は、銀色の不定型な形をしたモンスター、スライムの亜種で、世界でも目撃例がまれな希少種だ。ルナがその存在を知っていたのは、ひとえに彼女の日頃の勉学のたまものである。

 

「モンスター、なのですかな? 彼らは。」

「ああ、邪悪な気配はしないから、魔王の手先ではないだろうね。」

「じょ、冗談じゃないよ~、ボクらはただの通りすがりのはぐれメタル、あんなおっかない奴らと一緒にしないでよ~~。」

「そ、そうですよ。それでなくても人間の中には私達を見ると、メタル狩りだとか言って問答無用で襲いかかって来る方々もいるんですから、私達の方がいつもおびえて暮らしているんです。」

「それにしても王国の騎士にモンスターがいるっていう噂、本当だったのか。オレっちびっくりしちまったぜ。」

 

 ヒカルと神官長の話に割って入るように、はぐれメタル達は自分たちが無害であるとアピールする。どうやら三者三様の口調と性格のようだ。

 

「おっと、今は時間が惜しい。それでお前たち、私達を引き留めた理由を聞こうか……っとその前に、私はアン、ドラン王国騎士団二番隊の隊長をしている。そこにいる鎧を着た人間達は私の部下だ。それから……。」

「ああ、その子は知ってるよ~、トビー君だよねぇ、子供なのにすごいよね、大人の兵士さん顔負けの大活躍だからねぇ。あ、僕ははぐりんっていうんだ。よろしくね。」

「ええと、そちらは兵士さん達と神官団の皆さんですね、いつも見回りと治療お疲れ様です。私はゆうぼうといいます。」

「そっちの女の子はさっきの話からするとトビーの妹だったな、おっと、オレっちはスタスタだ、よろしくな。んで、そっちの旦那は……。」

「ヒカルだ。肩書きは王立魔法学院の校長、職業としては魔法使いかな。」

 

 はぐれメタル達は半固形体の身体を器用に動かしながら、自分たちの自己紹介をしていく。どうも、彼らはどこかで町の人々の動向を見ていたらしく、それなりに状況を把握しているようだ。

 

「それでお前たち、行かない方が良いとはどういうことなんだ?」

「うん、町の皆はどう思ってるか知らないけど、今まで脱出や偵察なんかが何事もなくできてたのは、たぶん奴らが故意に見逃していたからなんだよね~。でも、アンや騎士さんたちみたいな、そこそこ以上に強い人たち相手だと、ちょっとまずいことになるかもしれないな、って。」

 

 はぐりんが言うには、魔物たちはある強力な個体、ボスに統率されていて、人間達の動きはすべて、ボスとその取り巻き達に逐一報告されているらしい。さらに、地下通路の出口付近には暴れザルの集団が待機しており、逃げる者もいつでも襲撃できるようにしていたということだ。実際にはぐりんがその様子を確認しているから間違いないのだという。

 

「いやちょっと待て、隠れていても宝石モンスターの気配なら判る。殺気来たときは気配なんてしなかったぞ?」

「う~ん、それはわかんないけど、本当のことだよ? 現に、助けを呼びに行った兵士さんたちはやられちゃったみたいだしね。それに、みんな気づいてないみたいだけど、今まであいつらにケガをさせられた人たちは、偶然ああなったんじゃないよ。それこそ、ある程度以上強い人を狙って、死なない程度に加減して攻撃していたんだ。」

 

 はぐりんの言葉に、ヒカルははっとした。そういえば、急展開に飲まれて意識の端に追いやっていたが、確かに違和感はあったのだ。この町から脱出する際、グリスラハール私兵団だけが最終的に全滅し、ほかはすべて無事に町を脱出できている。マーニャも自分たちも、襲われることもなく隠し通路を通れているのに、私兵団だけが殺されているのは違和感がある。グリスラハール私兵団は確か、この世界の基準では精鋭揃いで、王宮騎士団とまではいかないが、そこいらの兵士よりはかなり強かったはずだ。そう考えると、彼らも一定以上の戦闘能力を持っていたために襲われた、とは考えられないだろうか。

 暴れザルの方は本当にいるのか、ヒカルたちには判らない。ヒカルがここへ来る間に、少なくとも町の外には邪悪な存在は感知できていない。そうなると、私兵団はたまたま、通りすがりのモンスターに襲われたと考えるのが自然だが、そうするとはぐれメタル達の話とは矛盾が生じる。しかし、彼らが嘘をついているようには感じないし、そもそも嘘をつく理由がない。

 

「ふむ、ボスか、どんな連中か知っているか?」

「おう、アレはトロルだな。今じゃめっきり見なくなったが、まあマジで強いから戦うのはやめといたほうがいい。オレっちのメタルボディでも、受けきれるかわからないくらい馬鹿力だからなあいつら。」

「スタスタノ言うとおりですね。それに、トロル達の中に1体だけ、体の色が違うのがいました。私はあんな緑色のトロルは見たことがないんですが……。」

 

 ヒカルははぐれメタル達の話を聞いていくうち、背筋に嫌な汗が流れるのを感じた。トロルと言えば、ゲームでは終盤の敵のはずで、下手な注ボスよりも凶悪なステータスを誇っている。まさに打撃特化のモンスターであり、いくら突出した強さのアンがいるといっても、現在の物理攻撃と物理防御に難があるパーティ校正では倒すのはかなりきつい。それに、ゆうぼうの話が本当だとすれば、さらに状況は不利だ。

 

「ボストロールか……。」

「知っているのかヒカル?」

「へぇ、知ってるの? 凄いね君、ボクらあんなやつ見たことないよ。でも、ものすごく強いって事は感覚で分かるかな。この中で一番強いのはアンでしょ? ええと他は……、ヒカルと、トビー君、騎士さんたちは戦えると思うけど、全員でかかってもあれに勝野は厳しいね。申し訳ないけど、兵士さん達じゃ力不足だよ。」

 

 はぐりんの言うとおりだろう。トロルはⅢで、ネクロゴンドに生息しているモンスターだ。倒すためにはゲームのバラモスに挑めるだけのレベルでないと厳しい。複数体を相手にするならなおさら、今のメンツでは火力不足だ。サマンオサで注ボスを貼っていたボストロールなどは、1体でも勝野は不可能かもしれない。トロル数体とボストロールの組み合わせであれば、結果は言わずもがな、である。加えて、現在アンや騎士達の持っている支給品の域を出ない武器では、多勢でダメージを一気に与えて倒すという力押しも期待できない。

 それに、そもそも、この状況は敵に誘い込まれた可能性が高い。誘い込んで何をするつもりなのかが不明瞭なところが不気味ではあるが、今までの経験からしてろくな事ではないだろうと言うことだけは確かだ。そして、この事件の裏には間違いなく、デスタムーアの関係者が関わっているのだろう。

 

「しかし、これはまずいな。一刻も早く、この町から魔物どもを排除しなければいけないというのに。」

「排除?? 無理無理、桁外れの力でごり押ししてくるような脳筋ばっかりなんだよ? あれだけの数がいたら、中級以上の呪文を何発もぶつけないと厳しいよ。」

「トビー、外を見てきたんだろう? どんなモンスターがいたか、私達に教えてくれ。」

 

 アンに促され、トビーは先ほどまで、先輩の兵士達と見回って得てきた情報を、その場の皆に話して聞かせた。話が進む度に、周囲の空気が重たくなっていく。

 

「ええと、オレの知っているモンスターは、お化けアリクイ、あばれこまいぬ、メイジももんじゃ、大ネズミあたりですかね。暴れザルはオレも見てません。他にもいたと思うんですが……。」

「後はなんかやたら耳がでっかい青色のネズミやら、金色?のミミズの化け物、毒々しい色をした芋虫みたいな奴、それから真っ赤なカニみたいな奴もいましたね。我々は今まであんな魔物は見たことがないので名前まではわかりませんが……。」

 

 トビーの説明を補足する兵士の言葉から、ヒカルは敵側の戦力を計算する。暴れザルが目撃されていないのが気にかかるが、それを除けば中級呪文でも片付かないような強力なモンスターはあまり見受けられない。しかし、単体でさほど強くないからと言って楽観はできない。おそらく、問題は個体の強さではなく、その数だろうと予測が付くからだ。

 

「う~ん、トビーや兵士達が知らなかったモンスターは、エアラットにサンドマスター、どくイモムシ、ぐんたいガニ当たりだろう。どくイモムシの毒と、メイジももんじゃのヒャドにさえ気をつければ、地道に攻撃していけば倒せるだろうが、数の方はどうなんだ?」

「はっ、1種族につき少なくとも10体以上は目視できています。……実際はもっと多い可能性の方が高いかと。」

 

 兵士の言うとおり、少なく見積もっても100体近くの魔物が侵略してきたことになり、スライム島の時ほどではないが、統率しているトロル達のことを考えれば、脅威はあの時以上だと考えた方が良い。ムドーのときはたいした数の魔物とは戦っていないから、あの時のように後先の考え成しに魔法力(マジックパワー)道具(アイテム)などのリソースを投入するわけにはいかない。しかし、中途半端な方法では雑魚の数を減らすことが出来ずに苦戦するだろう。ヒカルはこの場をどう切り抜けるか、頭を悩ませるのだった。

 現在、ヒカルたちがいるのは教会の地下倉庫だそうで、薄暗いがランプの明かりが灯っていて作戦会議などはどうにか出来る状態だ。教会の外は魔物たちが定期的に巡回していて外に出るのは容易ではない。動けない人々は町のあちこちに散在しており、何とか監視の目をかいくぐって、動けるものが交代で食料などを届けているが、かなりの危険を伴うために頻繁には行えない。もともとこの地下倉庫には非常時の食料などが備蓄されてはいるが、それも底をつき始め、このままでは魔物に殺されるか餓死するか、救いようのない最悪の二択を迫られることになる。

 教会の外はすでに日が落ち、夜空に浮かぶ月と星だけが、やけに静かな砂漠の町を照らしていた。しかし、その静寂がかえって不気味さを演出しているのは、追い詰められた人々の心理状態のせいなのだろうか。

 

***

 

 東の空が白み初め、夜の闇が開けようとする頃、ドムドーラの町を掌握している魔物達――ボストロールとトロル達は、どこからともなく聞こえる異様な声に目を覚ました。それは人間達のものとはちがう、こもったような、なんとも計上しがたい異様な声だと、彼らは思った。

 

「天なる轟きよ、裁きの雷となりて降り注げ! 邪悪なる魔の軍門に降りし愚かなる者どもに鉄槌を!」

「何っ?! 呪文だと?!」

 

 今まで聞いたこともないような言葉に、戸惑うトロル達。しかし、明け方の空に差し込む光を何かが遮り、膨大な魔法力が辺り一帯を包み込む。危ないと気がついたときにはすでに、その呪文の発動句が響き渡っていた。

 

「ライデイン!!」

「い、いかん、回避か防御を……! ぐわあぁああっ!!!」

「いったい何がどうなって……ぐぎゃあぁあ!!」

「うろたえるな、状況をほうこ……ぐげほぉおっ!!」

 

 トロル達は決して頭が悪いわけではない、他の悪魔たちに比べればやや脳筋ではあるが、平均以上の頭脳を持ち、主の命令を的確にこなす優秀な部下である。しかし、彼らにだって知らないことはある。夜明けと共に町全体が電撃呪文(ライデイン)の標的になるなど、予想して対処しろという方が無理というものだ。

 

「ぐ、ううっ、これしきの攻撃で、我らを倒せると思うなよ……!」

「じょ、状況を確認しろ、町の様子はどうなっている?!」

 

 さすがと言うべきか、ライデインに打ち抜かれてもなお、トロル達は健在だった。攻撃呪文の一発くらいでは仕留められないほど高い生命力(ヒットポイント)も、彼らの特徴のひとつである。それは、およそこの世界では他に類を見ないほどだ。勇者専用とされる正義の光でさえも、その半分も削ることができない。しかし、彼らはともかく、町に展開された魔物たちはそういうわけにはいかない。ほどなくして、トロル達は驚愕の事実を知らされることになる。

 

「ぼ、ボス、大変ですぜ!!」

「どうした、何があった?!」

「ま、町に配置していた奴らが、ほ、ほとんど倒されちまった。しかも、騎士や兵士の連中が生き残った奴らを片付けはじめやがった!」

「ぐぅっ、仕方ない、暴れザルどもを迎撃に向かわせろ、もうこうなったら向かってくる奴は全員、始末しちまえ!!」

 

 ボストロールの号令で、トロルの1体が暴れザル達に命令を下すため、その巨体を揺らしながら、図体に似つかわしくない速さで駆けだしていく。自らの体から漂う焦げ臭い匂いに顔をゆがめながら、トロル達のボスである魔物は身体に気合いを込めた。

 

「ふんっ!」

 

 するとどうだろう。体のあちこちがボコボコと泡立ち、焼け焦げた部分がはがれ墜ち、その下から新たな組織が再生していく。ボストロールの名にふさわしい自動回復のスキルが発動し、程なくしてすべての傷は何事もなかったかのように消え失せた。

 

「なるほど、やはり一筋縄ではいかないか。」

「むっ、……さっきの呪文はてめえだな、スライムナイトのくせに生意気な……!」

「はあっ!!」

 

 そびえ立つ岩山のひとつから飛び降り、スライムナイトは目にも止まらぬ速さでボストロールに迫る。さすがにスピードではアンの方に分があるらしく、その太刀筋は見事に、巨大な魔物の胸を切り裂いた。

 

「ぐっ、なんだこの威力は、てめえただのスライムナイトじゃねえな?!」

「ボスを守れ! あいつを抑えるんだ!!」

 

 ボスが敵の速さについて行けないことを察した部下達は、その巨体を生かしてアンを取り囲み、力任せに押さえ込もうと行動に出る。さすがに巨大なトロル達に囲まれては、彼女も逃げ場を失って苦戦することは必至だ。

 

「大地の精霊よ、絡みつけ、ボミオス!」

「ぐぬおぉ?!」

 

 突如、足下から発せられた魔法の光に囚われ、トロル達の動きが極端に遅くなる。しかし、素早さを下げる減速呪文(ボミオス)も、すべての敵に効果があったわけではないようだ。

 

「しゃらくせえっ!! このまま叩き潰してやる!!」

 

 呪文の束縛を逃れた2体ほどが、手にした巨大な棍棒をアンに向かって振り下ろす。彼女はそのすべてをかわし、いったんトロル達から距離を取る。しかし、この攻防は時間を稼ぐには十分だった。

 

「くっ、やはりか……。」

「自動回復、当然と言えば当然か。」

 

 アンが切りつけた胸の傷は、すぐにその周囲が泡立ち初め、数秒後には何事もなかったかのように塞がってしまった。アンの攻撃力をもってしても、自動回復を上回るダメージを与えることは難しいようだ。もっとも、彼女の装備している剣が未だに破邪の剣であることを考えれば、この結果は驚くべきものなのだが。

 トロル達から距離を取り、並び立つアンとヒカルは2人だけだ。二番隊の部下達も連れてきてはいるが、アンがあの状況では参戦してもたいした戦力にはならないだろう。わかってはいたことだが、この実力差はいかんともしがたい。アンの一撃でも、ヒカルの最大攻撃である火炎呪文(メラミ)でも、トロル1体を倒しきるためには数発を打ち込まなければならない。部下達でさえそうなのだ、自動回復を持つボストロールはメラミのダメージ程度なら瞬時に回復してしまう。仮にもう一撃ライデインを放っても、トロルのHPを削りきることは出来ないだろう。それ以前に、あまりにも広域にライデインを行使したため、元々たいして多くないアンのマジックパワーは底をつきかけていた。

 

***

 

 驚くべき光景が展開されていた。兵士達は皆、信じられないものを見たという表情をしている。それは半分に分かれてこちらについてきたアンの部下である二番隊の騎士達も同じようなものだ。彼らの眼前では疾風のごとき速さで剣を振るい、町のあちこちに散らばっている、ライデインの直撃を免れた魔物たちを次次と片付けていく1人の兵士の姿があった。それは、この世界の一般的な強さの基準をとっくに超えていて、速さだけならばもはや人外の領域だ。しかも、それがまだ12歳の子供によって成されているなど、到底信じられないことだった。

 

「せいやあっ!」

 

 目にも止まらぬ剣劇が、お化けアリクイの身体を真っ二つに切り裂き、小さな宝石へと変える。普通の兵士ならば2撃は与えないと倒すのは難しい。しかし、トビーはたった一振りで、そんな相手を瞬殺してしまったのだ。

 

「トビーばかりに無理をさせるな、周囲をくまなく警戒、敵は1体ずつ確実に始末しろ! 1人で無理なら複数でかかれ!!」

「「「「「了解!」」」」」

 

 先に動いたのはトビーの所属する兵士団だった。体調の号令で2~3名ずつの小さな集団をいくつか作り、トビーの回りに散会して警戒に当たる。もうかなりの魔物を倒したはずだが、あとどれくらい残っているかは未知数だ。

 

「我らも後れを取るな! 可能な者は呪文の併用とバスタード・ソードの使用を許可する! 時間をかけるな、一撃で仕留めろ!」

 

 二番隊副長の鋭い声で、何人かが杖を抜き、また何人かが背中の大剣に手をかけた。こちらは一気にダメージを与えて決着をつける方法を選んだようだ。

 

「ククク、バカな人間め、暴れザルどもよ、奴らを全員始末しろ!!」

「グオアァア!!」

 

 どこからか発せられた声に従うように、暴れザルが1匹、2匹と現れ、トビーたちを取り囲んだ。いったいどこに潜んでいたのか見当もつかない。しかし、その危険性は熟練した戦士である彼らには一目瞭然だった。

 

「て、撤退しろ、我らの手には負えん!」

「グルルルル……。」

 

 いつの間にか、トビーたちは皆、暴れザル達に取り囲まれ、じりじりと方位を狭められている。このまま接近を許せば、逃げることさえ不可能になってしまう。兵士団と騎士団の反応は速かった。全員が各々の判断で、暴れザル達の合間を縫うように離脱していく。巨体が反応するにはある程度のタイムラグがある、そう考えての行動だったが、それはやはり、魔物の本当の恐ろしさを知らないと言わざるを得ない行動だった。

 

「グワアァア!!」

「ぐはっ!!」

「な、速……! げほっ!!」

 

 振り抜かれた剛腕に弾き飛ばされ、何人かの兵士が地に服す。騎士達は何とか暴れザルの攻撃を回避し、輪の外へ抜け出している。しかし、兵士団の者たちとトビーは未だに暴れザルの包囲網の中だ。

 

「ば、かやろう、トビー、何で逃げなかった?!」

「すみません隊長、仲間を見捨てて逃げるなんて、オレには出来ません!!」

 

 隊長に向かって振り下ろされた暴れザルの腕は、トビーの剣によって阻まれている。しかし、剣が腕に食い込んでそこからダラダラと血を流しながらも、魔物は力任せに腕を振り抜こうとする。腕力だけならば今のトビーより、暴れザルの方がやや上だ。――やや上、ということ自体がすでに、驚くべきことなのだが。

 

「ら、ラリホー!」

「グ、オアァ……。」

 

 兵士団の中に、多少呪文の心得のある者がいたようで、彼が放った睡眠呪文(ラリホー)により、耐性を持たない暴れザルは戦闘中にもかかわらず意識を刈り取られ、その場にドスンと倒れ服し、大いびきをかいて眠りこけてしまった。しかし、トビーに向かってきていた1体以外は効果範囲に入っていなかったらしく、魔法を多少警戒して動きが遅くなっている物の、さらに包囲網を縮めにかかっている。

 

「隊長、剣、お借りします!!」

「お、おいトビー!! よせっ!!!」

 

 隊長の手からひったくるようにはがねの剣を借り受け、トビーは猛然と暴れザルの群れへ突っ込んでいく。それはやけになった無謀な突進かとも思われたが、決してそうではなかった。

 

「五月雨斬り!!」

「グ、オワァアッ?!」

 

 振り下ろされる無数の剛腕をかいくぐり、放たれた幾多の斬撃は暴れザル達を切り刻み、その体に傷をつけていく。あまりにも速すぎるために、巨大な魔物たちは対応が追いついていない。驚きの一声を上げた頃にはすでに、小さな兵士は先ほどと同じく、仲間達の前で剣を構え、魔物たちをにらみつけていた。

 

「グルルルル……!」

「やはり、威力が弱すぎるか……!」

 

 五月雨斬りによってつけられた無数の傷から血を流しながら、それでも魔物たちの動きが大きく衰えた様子はない。多数の敵に効果がある分、一撃一撃の攻撃が浅いため、決定打にならないのだ。しかし、だからといって、1匹に攻撃を集中したなら、残りの連中を自由にしてしまうことになる。現状、トビーには全体にちまちまとダメージを与えて、こちらに近づけないようにするしか策がなかった。それでも地道に攻撃していれば、いずれはダメージが蓄積し、倒すことが出来るだろう。――それまでトビーの体力が持てばの話だが。

 

「ホイミ。」

「ホイミ。」

「……ホイミ。」

 

「な、にっ?!」

 

 どこからか、回復呪文の発動句が聞こえたかと思うと、暴れザル達の身体を淡く緑色の魔法の光が包み、無数につけられた傷をみるみる回復していく。ほどなくして、トビーたちは再び、体力が全快した暴れザル達に囲まれることになった。

 

「ま、まずいなこりゃ、くそったれ……!。」

「おかしいですよ隊長、ホイミが使えるサルなんて聞いたことないですよ?!」

「トビーの言うとおり、暴れザルは呪文を使えないはずだ。いったいどうなってるんだ?」

「た、隊長、見てくださいアレを! 暴れザルの頭の上に、何か蒼くてちっこいのが……!」

 

 兵士の1人が指さす方を見て、トビーと隊長は同時に固まった。暴れザルの頭の上からひょっこり顔をのぞかせたモンスター、蒼いクラゲのような外見をしたそれは、この場ではこの上なく厄介な存在だった。

 

「ばかな、ホイミスライム、だと?」

 

 ドラゴンクエストのゲームをプレイしたことがあれば、誰もが知っているモンスター、ホイミスライムが、暴れザルの身体に隠れ潜んでおり、敵側の回復役(ヒーラー)を勤めていたのだ。ゲームのイラストではどこか愛らしい姿をしているが、今の彼らは邪悪な医師に支配され、赤く明滅するその目はどこを見据えているのか判らない。あまりにも不利な状況に、トビーは奥歯を噛み締めた。

 

to be continued




解説がない……だと?

ということで、トビー君とアンの両方にまたまた試練が……。回復持ちのアタッカーにどう対処するのか、ゲームでも悩まされましたよね。ホイミスライムなんて序盤はうざいことこのうえないです。
ちなみに、ボストロールの自動回復は100に設定してます。メラミのダメージが80程度なので、敵の回復力を上回ることができません。ちょっと強くしすぎたかな……どうしよう(汗)。

じ、次回もドラクエ、するぜっ!!


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第32話 ひとかけらの、勇気を! 絶望を照らす光!

何とか5月中に投稿できました。
誤字脱字等が目立つ本作ですが、校正作業は地道に進めております。
お気づきの点がありましたらご報告いただけますと嬉しいです。
トビーとアンの戦いもついに佳境に。今までと比べ、はるかに強大な敵にどう立ち向かうのか?
後、遅筆なので前回の話を思い出せないという指摘をいただいたので、そのうち前書きあたりに前話までのあらすじを掲載したいと、おもいます。
いつかは、けいさいしたいと、おもいます(小声)。


 姉妹はその場を動けずにいた。多数の魔物に臆したわけではない。それらはどういうわけか、彼女たちの目には驚異には映らなかった。ただ、その魔物たちに、ほぼ1人で立ち向かう少年から、目が離せなくなっていた。

 戦況は悪化の一途をたどっている、と言っていいだろう。かたや、回復手段のない戦士職1人と、1対1で回復要因がついている物理攻撃型の魔物。不利などという言葉を通り越して、最早理不尽と言っても過言でない状況だ。トビー以外の兵士達では、ホイミの回復量を超えて、暴れザルに有効なダメージを与えられないうえ、攻撃に耐えうるだけの防御力がない。呪文が使える者もわずかにいるにはいたが、使える呪文が低級である上に保有している魔法力(マジックパワー)が極端に少なく、呪文を一~2発、唱えるのがやっとという者がほとんどだ。まあ本業が戦士なわけだから、職種的には当然といえる。そんな状況で下手に攻撃に参加しようものなら、かえってトビーの足を引っ張って戦況を悪化させかねない。プロである彼らはそのことがよく分かっているから、ただ黙って少年の戦いを見守っていることしか出来なかった。

 しかし、トビーはまだ、倒れてはいなかった。肩で息をして、剣を持つ手は震えている。全身に浅くない傷を受けており、相当のダメージを受けていることが一目で分かる。それでも、その足は大地をしっかりと踏みしめ、今までただの一度も、膝をつくことすらなかった。

 

「ねえ、さん。」

「トビー、あんた何やってんのよ、速く、速く逃げなさいってば……!」

 

 今の姉妹には、低級の攻撃呪文や回復呪文がわずかに使えるだけで、この状況をどうにか出来るような力はなかった。それでも、小さな体で皆のために奔走する少年のことが気がかりで、どうしても頭から離れなくて、危険だと判っていながら、こうやって住居の塀の陰から彼の様子をうかがっているのだ。

 

「トビー! もういい、お前だけでも逃げるんだ! 逃げ道は俺たちが作ってやる!」

「そ、そうだ、お前なら回復すればまた戦える、俺たち全員より、お前1人の方が戦力になるんだ!」

 

 意を決した兵士の1人が、震える手で槍を構え、他の物もそれに続くように武器を手に取る。彼らの見据える先は一点で、どうやら集中攻撃を与えて包囲網を突き崩し、トビーが離脱する隙を作ろうということらしい。どのみち、このまま戦っていてはトビーがやられた時点で全滅だ。彼1人だけでも助けることが出来れば、大きな戦力になると、プロの集団である兵士たちは判断したのだ。それは正しかったかも知れない。しかし、行動を起こそうとする兵士団と、それを察知して迎え撃とうとする暴れザル達の間に立ちはだかり、トビーは声を限りに叫んでいた。

 

「嫌だ! オレは、オレは皆を守るために、立派な戦士になるためにここまで戦ってきたんだ。絶対、あきらめるもんかっ!」

 

 その叫びは兵士団だけでなく、魔物たちをも一瞬、硬直させるだけの迫力があった。この小さな体のどこから、ボロボロの体のどこから、こんな力が出せるのか、それを理解できる物など、この場には誰もいなかった。

 しかし、その姿に、ミネアとマーニャの姉妹は目を見開いた。彼女たちはかつて、こんな光景を目にしたことがあるような、そんな気がした。――昔、ここではないどこかで、まだ未熟だったその人は、それでも皆を守るため戦った。悲しい過去と、復讐の憎悪を押さえつけながら、本来優しい人だった彼は、戦いに傷つきながら、それでも――。

 

「レ……イ。」

「勇者、様……!」

「グオアァアッ!!!」

 

 一瞬、脳裏によぎった恐怖を振り払うように、魔物、暴れザルは拳を振りかぶり、眼前に立つ人間の少年へと振り下ろした。少年はもはや限界だ。並外れた気力で立ってはいるが、いつしか剣を地に突き立てて体を支えている。棒立ちの状態でこの魔物の攻撃を受けてしまったら、今の疲労困憊の彼ではなすすべもなく倒されてしまうだろう。いや、今までだって、普通ならとっくに倒れていてもおかしくない状況だったのだ。トビーは強い、肉体的にも精神的にも、確かに強いのだ。それでも――その力はまだ、眼前の魔物の群れに及ばない。いかに強くとも、1人で出来ることには限界があるのだ。

 それでもなお、彼は最後の気力を振り絞って、大地を踏みしめ、杖代わりに突き立てている剣を持ち上げようと、震える手にもありったけの力を込めた。しかし、不意にその腕に、誰かの手が優しく重ねられた。

 

「もう、もういいのよ、トビー、もう大丈夫だから、ね?」

「……!? ミネア……さん?」

「トビーの血よ肉よ、その傷を癒せ。ベホイミ。」

 

 いったいいつからそこにいたのか、ミネアは振るえる少年の手を優しく握り、回復呪文(ベホイミ)の発動句を紡いだ。暖かな魔法の光がトビーを包み、その傷をみるみる塞いでいく。

 

「まったく1人で無茶しちゃって、後はお姉さんに任せなさいな。」

「マーニャ、さん?」

「せっかく興奮してたのを落ち着かせてあげたのに、また熱くなっちゃって……。こりゃ、あんたの彼女になる人、大変だわ。」

「あ、えと、その……。」

 

 いたずらっぽい笑顔を浮かべ、トビーの顔をのぞき込んだマーニャは、トビーの少しうろたえたような態度に満足そうに頷くと、回りを取り囲む暴れザル+ホイミスライムの集団を見渡した。トビーはマーニャの言葉にどきりとして、心臓がやかましい音を立てているのを感じていた。ミネアは少し困ったような顔をしているが、いつものように姉の言動をとがめたりはしない。

 

「ネエトビー、自分を粗末にしちゃダメだよ? きっと、あんたが死んだら凄く悲しむ人が、あんたが思っているより、たくさんいるはずだから。」

 

 少年の目に映った、マーニャの後ろ姿は、優雅で優しく、女性としての魅力に溢れていて、こんな状況なのに思わず凝視してしまいそうになる。彼女の肌のぬくもりが、触れていないのに伝わってくるような気さえして、少年は顔を赤らめた。しかし、それよりも何よりも――。

 今のマーニャの姿は、誰よりも強く、頼もしく、トビーの目に映ったのだ。

 

***

 

 戦いを始めてからどれくらいの時間が過ぎたのか、2人だけの勇者パーティと、トロル達の戦闘は泥沼の様相を呈していた。しかし、5体が3体と、半数ほどに数を減らしても、未だに圧倒的な腕力を振るってくる巨人達は、アンとヒカルの脅威であることに変わりはなかった。むしろ、体力的には並の人間と変わらないヒカルと、力よりも技を駆使して戦うスタイルを得意とするアンの組み合わせでは、単純だが圧倒的な力に物を言わせた戦い方を取るトロル達とは相性が悪い。

 

「ちいっ、いくら何でもタフすぎると思ったら、またあれかよ……!」

「黒い、オーブか……。これで確定だな。」

 

 トロル達がいかに強いといっても、ボスのように回復手段があるわけではない。数の減った今、攻撃をかわしながらダメージを与えるだけでも、時間をかければ倒せるはずなのだ。しかし、目の前のトロル達は未だに、十分な体力を残しているように見受けられる。そして、岩山だらけのこの場所に立ちこめているどす黒い気配と、ボストロールの背後に守られるように安置されている黒色の小さな宝珠(オーブ)を見たとき、ヒカルの中でこの事件の黒幕の正体が強い疑惑から確信へ変わったのだ。

 

「やっぱりてめえら、デスタムーアの手先だな。

「なっ、何のことだああっ!?」

「フッその驚きよう、やはりか……まったく毎度毎度、回りくどくイライラする手段ばかり使ってくれる物だ。」

 

 さすがにトロル達も、ひた隠しにしていた主の名を口にされ、動揺を隠しきれない。その隙が見逃されるはずがない。

 

「食らえっ!」

「燃えよ火球、我が敵を赤き焦燥の元へ導け! メラミ!!」

「グゥッ、ぬかったわっ!」

 

 アンの剣による一撃はトロルの腹に深々と突き刺さり、引き抜かれた後の傷口からは血液と思われるどす黒い体液が噴出している。悪魔の弱点に的確な一撃をたたき込む、『あくま斬り』が炸裂したのだ。膝を折るまいとよろめきながら、棍棒を構え直すその巨体を覆い尽くさんばかりの巨大な火炎呪文(メラミ)の炎が直撃し、遂にまた1体、巨大な悪魔は地に伏し宝石に還った。

 敵の数は少しずつ減っているが、アンの体力もかなり消耗してきている。ヒカルの魔法力(マジックパワー)にはまだ余裕があるが、強力な呪文を直撃させるためには相手側にそれなりに大きなスキを作らせる必要があり、そのようなチャンスは限られる。そして、大きな呪文を放った後には、自分自身にも大きなスキが出来やすい、このときがまさにそうだった。

 

「死ねえっ! 人間!!」

「なっ、しまっ……!」

「ヒカル!!」

 

 極度の緊張状態と、強力な呪文の連用により、集中力が途切れたところを狙われた。ヒカルが気づいたときには、彼の背後からトロルの棍棒が振り下ろされたところだった。このタイミングでは、彼の身体能力では防御も回避も不可能だ。もう1体のトロルの攻撃をしのいでいるアンも、その場から動くことができない。ヒカルはダメージを覚悟し、一撃で死なないことを祈るのみだった。

 

「精霊神様、お力を! バシルーラ!!」

「な?! う、ごわあああっ!?」

「な、何だと?! あの呪文は、いったい誰が?!」

「はあはあ、精霊神様、今一度、お力をお貸しください!! 天の精霊と創造神の契約のもと、邪なる者どもをこの地より払いたまえ!! ば……バシルーラ!!!」

「ば、バカなぁっ!!」

 

 それは突然だった。あまりに予想外であったため、敵も味方も、二度放たれたその呪文の効果を、呆然と見つめることしかできなかった。2度の発動を『許してしまった』と言い換えてもいい。かつて、モモとミミの姉妹を守るため、彼らの父親が行使した呪文――ルーラの派生呪文とされ、今では扱える者がほんの一握りしかいない古代の遺物――強制移動呪文(バシルーラ)と呼ばれるそれを、まだ十歳(とお)そこそこの人間の少女が扱ってみせるなど、魔物たちですら予想の範囲外だったのだ。結果的に、不意打ちを食らった形になった2体のトロルは何処かへ吹き飛ばされ、この場にはボストロール1体と、勇者と魔法使い、そしてバシルーラを行使した術者である少女が残された。

 

「ルナ……?! どうしてここに……。それにあの呪文は、あいついつの間にあんな呪文を?」

「お、おのれ小娘えぇっ!!」

「い、いかんっ! 逃げろルナ!!」

 

 手下すべてを失った形になったボストロールは、さすがに平常心ではいられなくなったのか、元々醜い顔をさらに醜悪にゆがめ、いにしえの呪文を行使した少女を抹殺せんと迫る。その速度たるや、いったい巨体をどうやって動かしているのか、理解できる物などいなかった。ヒカルが対策を立てる余裕もなく、逃げろと叫ぶアンの声すらも届いていないようで、少女はただその場に力なくへたり込んでしまった。

 ボストロールは棍棒ではなく、あえて素手でルナに一撃を放った。相手が武器を使うまでもない弱者なのもそうだが、か弱い生き物がなすすべ鳴く潰れていく様は、この悪魔にとってこの上ない悦びをもたらすものだったからだ。その巨大なこぶしで打ち抜かれたら、たとえ鋼の鎧で全身武装したドランの騎士でも、ひとたまりもなく潰されてしまうだろう。

 

「な……に?!」

「へへへぇ、ザンネンでした。」

「い、以外とたいしたことのない攻撃ですね。」

「こ、これでボス、トロールなんてお笑いぐさだぜ。」

「この、はぐれメタルどもっ!!」

 

 いつのまにか、ボストロールの目には止まらないほどの速さで現れた3体のはぐれメタルが、振り下ろされた拳を頑強なメタルボディで完全に受けきっていた。いかにボストロールの腕力といえども、モンスター達の中で最強を誇るメタルボディの防御力は突破できなかったということだろう。

 

「邪魔だ、どけえいっ。」

「わ、わわっ、また来るっ!」

「さ、さすがに次は……。」

「もう、受けきれ、ねえ……ぞ?」

「させるかよっ! メラミ!!」

「フン、その程度の呪文など……?! な、なにぃっ!! ぐ、ぐわあああっ、あ、熱い、熱い熱い熱い!!」

 

 放たれたメラミは完璧に、ボストロールの身体を直撃した。ガードが間に合わなかったため、その身体は炎に包まれ、魔物は暑さに苦しみ、徐々にルナ達から距離を取っていく。初めて、彼の放った呪文が明確に、自動回復を超えるダメージをたたき出したのだ。

 

***

 

 トビーはミネアの温かな腕に抱きしめられながら、これは夢なんじゃないかと思った。自分の前に悠然と構える女性に対し、魔物たちはうなり声を上げて牽制はしているが、いっこうに襲ってくる様子がない。トビーにはそれが、魔物たちの本能――圧倒的な強者に対する恐怖――からくるものだとすぐに判った。しかし、やはりにわかには信じがたい。女性、マーニャは左手に鉄扇を構え、今にも踊り出しそうな姿勢で、美しい褐色の肌を惜しみなく大衆の面前にさらしている。絵面だけ見れば、どうしようもなく場違いな場所に飛び込んできたようにしか映らないのだ。だが、トビーだけではなく、兵士や騎士達、戦いを生業とする者たちには判っていた。魔物たちと同じく、理屈ではなく本能で、マーニャは、この場の誰よりも強いのだと。

 

「さて、おサルさんたち、よくもかわいいトビーとその他大勢をいじめてくれたわね……。地獄へ落ちる覚悟は出来てるかしら?」

 

 一瞬、場の空気が凍り付いた。マーニャはこの場の魔物全員を倒す、と宣言している。気張った様子もなく、散歩にでも行くような自然な口調でだ。どこまでも落ち着いているように、軽くさえ聞こえるその言葉は、魔物たちを震え上がらせるだけの力を持っていた。

 

「異界に住まいし炎の霊よ、我のもとに集いてその力を示せ。地獄の業火をもって我の前に立ちはだかりし愚かなる者どもに滅びを与えよ。」

 

 鉄扇を持つ左手とは逆の、細くしなやかな右手に光が集まり、それは徐々に熱を帯びていく。マーニャの回りの空気が膨張し、彼女の姿が若干歪んで見える。やがてゆらめく炎が彼女の回りに現れ、次第に弧を描いて蛇のようにのたうち回りはじめた。

 

「消え去りなさい、魔の者ども! ベギラゴン!!」

 

 扇の一振りを合図に、練り上げられた魔力は炎の大蛇となって地を這い、暴れザルの包囲網に絡みつくように広がっていく。逃げだそうとした個体にも炎は容赦なく絡みつき、言霊の如く地獄の業火で魔物たちを黒炭と化していく。

 彼女が詠唱を完成させてからわずか数秒で、人間達を取り囲んでいた暴れザルの群れは消え去った。しかし、そこには宝石モンスターの証である邪悪な宝石は残されていなかった。

 

「やっぱり、操られていたのね、かわいそうに。せめて安らかに眠りなさい。」

 

 マーニャは一瞬、悲しそうな、辛そうな、なんともいえない表情を浮かべたが、次の瞬間には表情を引き締め、ある建物の方を見据え、振り返らないまま叫んだ。

 

「逃げるわ、ミネア!!」

「判ってます! バギクロス!!」

 

 抱きしめられていた腕を解かれたトビーが驚く暇もなく、マーニャの指し示す方向に突如として巨大な竜巻が巻き起こり、何か蒼く小さな物を多数巻き上げていく。ミネアが胸の前で十字を切ると、竜巻は霧散し、青と黄色のゼリー状の物質がベチャベチャと地面に降り注いだ。そして、破裂音のような物と友に消え失せ、蒼く輝く無数の小さな宝石へと変化した。

 トビーは何が何だか判らないまま呆然としてしまったが、まあ無理もない。他の者たちもだいたい、同じような状態だった。極大閃熱呪文(ベギラゴン)極大真空呪文(バギクロス)など、伝説に記されるのみで実際に見たことなどない幻と行ってもいい呪文だ。それをうら若い女性が軽々と使って見せたのだから、思考が追いつかなくなっているとしても無理からぬことだろう。

 しかし、2人の姉妹は未だに、先ほどと同じ建物の方を見据え、険しい表情をしている。それは、この場の戦いがまだ終結していないという何よりの証拠だった。

 

「いい加減、出てきたらどう? 強そうなのは見た目だけなのかしら?」

「ぐへへ、図に乗るなよ人間が、その程度の力では我らには勝てん、この棍棒の餌食にしてくれるわ!!」

「……なるほど手負いか。ならば!! 燃えよ火球、かの者を紅蓮の悔恨の元に滅せよ!」

「な、何っ?! これは、この呪文はっ!?」

 

 マーニャがステップを踏むと、彼女の頭上に大きな炎の塊が現れ、鉄扇が振られる度に大きさを増していく。危険を察知して待避を試みたトロルの行動を先読みするように、魔物の進行方向に向かい、紅蓮の炎が球体となって放たれた。

 

「メラゾーマ!」

 

 かつて、ザナックが行使したメラ系最強とされる攻撃呪文。ゲームにおいてもボスクラスの敵にさえ有効なダメージを与えるそれは、電撃呪文(ライデイン)のダメージが残っているトロルには致命傷となった。

 

***

 

 ヒカルが渾身の力を込めて放った2発のメラミは、完璧に同じタイミングでボストロールに直撃し、メラゾーマとは行かないまでもそれに近いダメージを与えることに成功した。そのスキにヒカルとアンはルナの元まで駆け寄ることができたが、気を失って倒れている彼女の傍らでははぐれメタル3匹が、ボストロールの一撃を受けて動けなくなっていた。どうやら、先ほど受けた攻撃は『痛恨の一撃』となってしまったらしく、もはや流動体を動かすのも困難で、銀色の液体だまりに顔が付いているような有様で、見るからに危険な状態であることが判る。

 

「おまえたち、なんて無茶を、待っていろ、今すぐ回復を……。」

「無駄……だよ。ホイミはある程度以上、生命力が残っている肉体にしか効果はないからね、ボクたちには……もう……。」

 

 弱々しい声で語るはぐりんは、それでもきっと笑っているのだろう。モンスターの表情などよく分からないが、ヒカルはなんとなく、そんな気がした。弱っていくその生命力を感じることが出来るから、彼らの言うことが嘘ではないと判ってしまう。

 

「そんな顔をしないでください。私達は……満足ですよ。最後に、こんな可愛いお嬢さんを守って……死ねるのですから。」

「い、いままでよ……逃げてばっかり……いたから、まあ最後に……帳尻が合ったって、ことだろうよ。」

「……そうだね、こんな小さな子が頑張ってるのに……ホント、恥ずかしいよ。」

 

 彼らは頑強な肉体とたぐいまれなる素早さを有していたが、低級モンスターにも劣るような生命力しかなく、何かの弾みでくらったダメージが致命傷になりかねない。だから、常に逃げの姿勢を貫き、時には倒される仲間を見捨てるようなこともしながら、今まで生きながらえてきたのだ。そんな彼らの心を、幼く非力ながら強者に立ち向かう少女の勇気がほんの少し、動かした。それは結果として彼らの命を奪うことになるのだろうが、不思議と3匹のはぐれメタル達の心は穏やかだった。

 

「……精霊神様、誉めてくださるか……なあ?」

「絶対、お褒めの言葉をいただけますよ……。」

「……め、メタルキングとか、に……してもらえる……かも……な。」

 

 こんな状況になっても軽口をたたき合う彼ら3匹は、きっと気の合う友だちだったのだろう。お互いのことをよく知り、理解し合っているからこそ、1人では無いからこそ、こんな現状でも受け入れることが出来るのかも知れない。そんな彼らの消えゆく命は、力を得たことで様々なものを置き去りにしてしまった騎士の、心の奥底に響くものだった。

 

「あ、あっ。」

 フルフェイスの兜の下の顔は判らない。しかし、彼女は泣いているのだろうか。珍しくすすり泣くような、しゃくり上げるような声にも成らない声が、兜の変性効果によってゆがめられて聞こえてくる。なぜ、こんな感情の波に襲われるのか、彼女自身にも判ってはいないだろう。しかし、誰かを守るために身を投げ出すなど、口で言うほど簡単にできることでは無い。はぐれメタル達が元来、勇敢だったのか、ルナの行動がそれほど彼らの心に大きな変化をもたらしたのか、あるいはその両方か。いずれにしても、わきあがってくる深い悲しみを、アンは抑えるすべを持たない。

 

「……そんなに泣かないでよ……かっこいい、勇者さま……。」

「あなたは、みなさんの、光に……。」

「心配、すんなって……1人じゃ……ない……からよ……。」

「はぐりん! ゆうぼう!! スタスタ!!!」

 

 叫ぶ声はむなしく響き、生命(いのち)は終わりを告げた。光がはぐれメタル達を包み、そして静かに消え去った。そこにはもう、なにもない、彼らの身体のほんのひとかけらさえも……モンスター達はそうして『最期』を迎えるのだ。

 

「く、はははははっ、愚か者め、そんなことで感傷に浸っているから、俺に回復する時間を与えてしまったぞ。そこの雑魚スライムどもも、無駄死にだったなあ!!」

「……黙れ。」

「あああん?」

「黙れと言っている、この見にくいゲスが。」

 

 全身に力をみなぎらせ、弱者をあざ笑うボストロール。アンは静かに顔を上げ、冷たく、低い声色で、その怒りを魔物へとぶつけた。それはいつもの彼女らしからぬ、激しい感情を乗せた声だった。

 

「ふ、んっ! お前たち弱者にゲス呼ばわりされようが、痛くもかゆくもないわっ!。」

「この野郎、言いたい放題言いやがって、今度は消し炭にしてやるっ! 炎の精霊よ、我が両手に……。」

「ヒカル、君は手を出すな。」

「アン……?」

 

 ヒカルは耳を疑った。2人がかりでも倒せるかどうか判らない相手なのだ。怒りにまかせて、単身で突っ走ればどうなるかは火を見るより明らかだ。

 

「ぐはははは!! 仲間割れなどしている場合かっ! そおらあぁっ!!」

 

 そうこうしている間にも、ボストロールの、部下達よりも一回り大きな棍棒が振り下ろされる。それはアンの腹部に直撃する軌道を描いていた。タイミング的にも、今から受けたりよけたりするのは困難だ。だが、ボストロールが勝利を確信し、見にくい笑みを浮かべた直後、彼の顔は驚愕の色に染まっていた。

 

「なん、だ? 何なんだお前の鎧のその輝きはあっ!?」

 

 結論を言えば、棍棒は確かにアンの腹部を直撃していた。いかに鎧の上からとはいえ、ボストロールの腕力で振るわれた棍棒の直撃を受ければ、その衝撃だけでもダメージは計り知れない。しかし、硬質な金属音と友に棍棒ははじかれ、鎧にはへこみすら付いていなかった。そして、普通の金属の物とは到底思えない輝きが、アンの鎧全体から発せられていたのだ。

 

「これは……この光は、彼らの魂さ。」

 

 ――ねえアン、最期にお願いがあるんだ――

 ――私達のこのメタルボディの力を――

 ――お前さんに、使って欲しいんだ――

 

 どこからか、3匹の声が、ヒカルにも聞こえたような気がした。いつの間にか、アンの身につけていた精霊の鎧が形を変え、銀色に輝く伝説の鎧と化していた。肩パーツに特徴的な角のような突起があり、いたるところに蒼く輝く宝石のようなものが埋め込まれている。最強の防御力を誇るモンスターの名前を与えられた鎧は、それ自体がはぐれメタルの身体と同じ金属でできているとも言われていた。

 

「来い、ボストロール、決着をつけよう。私を倒すなど簡単なのだろう? やってみるがいい。本当に出来るものならなっ!」

「ぐはははは、そんな鎧をまとったからといっていい気になるなよスライムナイト! お前のその矮小な肉体など、鎧共々粉砕してくれるわっ!」

 

 伝説の『はぐれメタルの鎧』をまとった勇者と、トロルを束ねるボストロール。互いに雌雄を決すべく、最期にして最強の一撃がぶつかり合おうとしていた……!

 

to be continued




※解説
ベギラゴン:敵1グループを焼き払うギラ系の最上位呪文。ダメージが微妙なのと、耐性を持つ敵がそこそこいることから、味方側で使う機会は限られる。逆に、FC版では味方側には基本的に耐性がないので(一部の装備は別として)、敵に使われると厄介。某漫画では呪文の中で特に優遇されており、独特の発動スタイルが話題となった。ちなみに原作ではヤナックが初期に使おうとして何度か失敗している。作中では雷だったり炎だったり安定していないが、本作でのギラ系の描写は閃熱に統一している。
バギクロス:敵1グループを真空の刃で切り刻むバギ系の最上位呪文。打撃で倒しにくい敵に割と効いたりと、使いどころを理解していれば案外役に立つ。消費MPも他の最上位呪文に比べて少なくコスパも良い。ただし、下位の呪文と同様ダメージにばらつきがあるので、そこだけは注意したい。ちなみに原作でのバギは単なる衝撃波かエネルギー弾のように描写されていたが、あまりにショボいので本作ではゲーム仕様に変更している。
バシルーラ:敵1体をどこかに吹き飛ばす。公式ガイドブックではゴールドがもらえる旨の解説があるが、実際は何ももらえない。トロルはバシルーラ耐性がないので、今回登場してもらった。この世界では珍しい呪文で、作中ではザナックが一度使用したのみ。

いろいろと展開を詰め込みすぎた気がしますが、あまり長引かせるといつまでも終わらないので(汗)。遅筆なのは十分理解していますデス。はい。

ミネアさんとマーニャさんはデスピサロ打倒後のステータスです。すべての呪文を取得しており、記憶が戻ったことで過去の戦闘経験などもすべて取り戻しています。現時点でアンよりはるかに強いです。
さて、体力を消耗した状態で、ボストロールと正面からぶつかるつもりか?! 次回、アンはどうなる?

次回もドラクエするぜ!!


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第33話 敗北……、邪悪なる力の片鱗

今回で、ボストロール船に決着がつきます。しかしタイトルが不穏です。え?! ひょっとしてアンちゃん負けちゃうの??
答えは本編で……。


 その場にいる者たちが通常の思考と行動ができるまでに、やや時間を要したのは無理からぬことであったろう。巨大な火炎呪文(メラゾーマ)の残り火が消える頃になって、ようやく我に返った騎士団の者たちが状況確認に動き出した。地面は焼け焦げ、所々に青く美しい宝石が散らばっている。誰1人、それに目もくれないのは不思議と言えば不思議だが、ドランの騎士や兵士の職務に対する責任感の強さと、先ほどまでここで行われていた苛烈な戦闘、それに終止符を打った信じられないようなでき事を考えると、そこそこ高価なはずの目の前の金品に目が行かないのは、当然と言えば当然だった。

 

「ふう、片付いたわね。」

「ええ、姉さん。……まさかあんなことで記憶が戻るなんて、思わなかったわ。」

「ふふっ、どうりでこの子のこと、気になってたはずよね。」

 

 トビーの髪を優しく撫でながら微笑む妹の様子を、マーニャはおかしそうに見つめている。トビーの身体の傷と体力はミネアの回復呪文(ベホイミ)でほぼ全快しているはずだが、つもりに積もった精神的疲労が一度に押し寄せたようで、彼は戦いを見届けると、襲い来る睡魔に抗うことができなくなっていた。しかし、それは今までの状況と彼の年齢を考えれば当然のことだった。最後にミネアとマーニャの助太刀があったとは言え、トビーがいたからこそ兵士団や騎士団の犠牲は最小限で済んだといえる。

 

「……それにしても、あの伯爵夫婦、とんでもない人たちだったみたいね。」

「そうですね、あれは邪を払う聖なる波動、私達や勇者様と同じ、魔王と戦う運命にある者の証です。」

「ってことは、この世界にも魔王がいる、ということになるのね。」

 

 マーニャは空を見上げ、すっかり高くなり街中をぎらぎらと照り焦がす太陽を仰ぎ見た。すでに、夜明けと友に始まった戦いは開戦から6時間ほどが経過しようとしていた。そして、町の外れで繰り広げられているもうひとつの戦いにも、今まさに決着が付こうとしていた。

 

***

 

 ごつごつとした岩肌ばかりが目立つ、町外れの岩山地体。そんな殺風景な中で、スライムに乗った騎士と巨漢の悪魔が退治していた。もう数分も、にらみ合いを続けていて動かない。どちらも次に繰り出す攻撃が、勝敗を決するひっさつの一撃であると理解しているからだ。

 

「グハハハ、どうしたかかって来ないのか?」

「そちらこそ、自信満々な態度は見せかけだけなのか?」

 

 巨漢の悪魔、ボストロールは正直、いつ攻撃を仕掛けたものかと迷っていた。圧倒的な腕力で相手を叩き潰す自分の戦法は、目の前の小さな敵には確かに有効だ。後一押しで勝利は確実なものとなるはずだ。――にもかかわらず、ボストロールの本能の奥深くにある何かがけたたましく警鐘を鳴らしていたのだ。

――あれに自分から踏み込むのは危険だ――

 

「ふむ、来ないのならば仕方が無い、か。」

「むっ?!」

 

 突如、ボストロールの視界から、スライムナイトの姿が霞むように消え失せた。魔力の流れを感じないため、単純に高速移動して視界の外から攻撃するつもりだろうと、巨漢の悪魔は判断した。一定以上のレベルに達した者が相手ではこうしたいわゆる『目くらまし戦法』は愚策だ。強者であればあるほど、相手の姿などは指標としない。強者の戦いにおいては、相手の殺気などの気配を読むことこそが、攻撃に対処する手段となる。そして、ボストロールほどの存在であれば、気配を読むことなどできて当然だ。

 

「そこかっ!!」

「ぐっ!」

 

 背後から迫り来るスライムナイトの速攻を、ボストロールは右腕でなぎ払う。いかに、伝説級の強固な鎧をまとっているとはいえ、圧倒的に軽いアンの身体は数十センチは吹き飛ばされ地面に叩きつけられた。そこが平坦だったから良かったようなもので、もし岩山にでも激突していようものなら、半端なダメージでは済まなかっただろう。幸いにしてそれほど致命的なダメージは受けていないように見受けられるが、それでも衝撃ですぐには体勢を立て直せない。当然、そのようなスキが見逃されるはずは無い。

 

「もらったあぁ!!!」

 

 ボストロールは傍らに墜ちていた棍棒を一瞬で拾い上げ、信じられないようなスピードで倒れ服す騎士へ迫る。たとえ今から体勢を立て直したとしても、次の一撃には対処しきれない、すでにそこまで、両者の距離は詰められていた。

 

「かかったな、賭けは私の勝ちだ。」

「な、にぃっ? ぬ、ううんっ!」

 

 振り下ろされた棍棒がアンの体を打ちのめす様を、遠くから見ているしかない騎士団の部下達は覚悟した。いかに、鎧が伝説級になったとはいっても、圧倒的な力で打ちのめされれば、鎧を伝わる衝撃だけでもその威力は計り知れない。しかし、結果として、ボストロールの繰り出した一撃は、アンの持つ何かに遮られ、彼女の体までは届かなかっった。そして、ボストロールの棍棒と、アンの構える武器が交差するその接点から、眩い光があふれ出した。

 

「ば、かな、押し切れん、だとぉおっ?! このオレが力負けしているというのかっ?! あ、ありえんっ!!」

「……お前と私の武器の交わる、その形を良く見ろ!」

「なっ、バカな、これは……!!」

 

――十字架(クルス)?!――

 

「グランドクルス!!!」

 

 アンの武器――すでに鞘に収められていた剣――とボストロールの棍棒は十字を形作り、そこを起点としてすさまじい力の放出が起こっていた。闘気(オーラ)と呼ばれる闘志の力を一点に集中させ、敵にぶつける放出技のうち、最も強力な威力を誇る必殺技の一つ、それが、グランドクルス。どこかの戦士が編みだしたものだとも、伝説の勇者が考案したものだとも伝えられるそれは、オーラを扱う技術があまり普及していないこの世界において、使用できる者はまずいないはずであった。

 

「か、はっ、おのれ、こざかしい……、マネを……。だ、だが耐えきって見せたぞ、まだ、まだてめえを叩き潰すくらいの力ァ残って……はっ?!」

 

 グランドクルスは大技だ。その力がボストロールに与えたダメージは計り知れない。その証拠に、悪魔の皮膚はボロボロに破れ、肉や骨がむき出しになっている部分さえある。自動回復を瞬時に発動できないほどの傷を負っていることは明らかだ。それでも、まだ動けるだけの力が残っている。人間であればとうてい正気を保ってなどいられない状況にあっても力を振るうことができる、それが『魔物』なのだ。グランドクルスは強大な威力を誇る反面、大きな欠点があり、放った後の反動がすさまじい。良くてしばらく動けなくなり、悪くすれば気を失ってしまうか、最悪、死に至ることすらある。現在のアンは気を失ってはいないが、硬直して動けなくなっており、追撃をかわしたり、受けきるだけの行動は取れないだろう。。

 ボストロールは勝利を確信した。このまま動けぬ敵を打ち倒し、傷は時間はかかるが後でゆっくり回復させれば良い。確かにそうだ、目の前の敵が1人であったなら、の話だが。

 

「んなこと、させるかよ。」

「ぐ、おおっ?!」

 

 いつの間にか、ボストロールに向けて突き出されたヒカルの両手から、眩い閃光がほとばしり、巨大な悪魔の全身を包み込んだ。それは先刻のメラミと同じように、に発の同じ呪文を全く同じタイミングで炸裂させるもので、威力はベギラゴンとまではいかないが、自動回復能力も発動できなくなって弱り切ったボストロールにとどめを刺すには十分な力を持っていた。

 

「ベギラマ。」

「ぐっぎゃああっ!!!」

 

 本人も驚くほどの、冷たい声色で放たれた発動句と友に、光は収束し、やがて炎の柱となってボストロールを貫いた。耳に残る不快な断末魔を上げ、緑色の悪魔は地に倒れ服し、まもなく、体色と同じ巨大な緑色の宝石へと姿を変えた。

 

***

 

 明け方から続いた戦闘はついに終わりを迎えた。少なくない被害を出しながらも、ボストロールを筆頭とする強力な魔物の群れは退けられ、戦いを終えた者たちは教会近くの広場に集結しつつあった。

 

「おお、シャグニイル伯爵ご夫妻、ご無事でしたか。」

「神官長もご無事で。なんとか収まりましたね。」

「ええ、しかし建物内で安全とはわかっていても、あの雷はヒヤッとしましたぞ。」

「はは、それはすみません。あまり良い手段を思いつかなかったもので……。時間もありませんでしたし」

 

 誰も思いつかないような奇抜な作戦をそれしか浮かばなかったからと実行してしまう目の前の男の度胸に、初老にさしかかった神官長は少しばかりの畏怖を感じたが、絶望的だった昨日までの状況が覆された今となっては、気にするような事でも無いだろうと思考を頭の隅に追いやった。目の前の男は何をしでかすか判らないという意味では、敵に回すとこの上なく恐ろしい存在ではあるが、多くの弱き者を救い、その力におごることも無く国王を助け政務に励んでいる。何よりも、身寄りの無かった幼い兄妹を引き取って我が子同然に育てている。今、彼の背中に身を預けて安心しきって眠っている少女の姿を見れば、彼女が幸せであるのは疑いようがない。新参者の伯爵に対し、疑念が全くないかと言えば嘘になるだろう。しかし、彼の今までの行いは称賛されることこそあっても、非難されるようなことは決してない。

 

「勇者、か。剣を持ち、先頭に立って戦う者だけが、そうではないのかもしれぬな。」

「は?」

「いえ、何でもありませぬ。」

 

 不思議そうにするヒカルに背を向け、神官長は己の職務を果たすべく、人々の傷を癒したり、支給する物資を揃えたりとせわしなく動き回る他の神官達の方へと歩き出した。

 

「終わったみたいね、……ギリギリ、ってところかしら。」

「おつかれさまでした。こちらも何とか片付きました。」

 

 呼びかけられて振り向くと、よく似た顔の女性が2人、ゆっくりとこちらへやってくる。彼女たち、ミネアとマーニャの雰囲気が、今朝見かけたときと違うことに、ヒカルとアンは気がついた。おそらく個々人の単純な戦闘能力だけでも、ここにいるすべての者を凌駕するほどの実力はあるだろう。いったい、トビー達の方では何が起こっていたのだろうか。ふと見ると、当の少年はミネアに背負われて眠っている。装備している支給品の鎧はボロボロで、激しい戦いが繰り広げられていたことは容易に想像が付くが、彼の身体には目立った外傷はないように見受けられる。生命力も充実しているように感じられ、この状況ではあちら側で何があったのか、詳しいことはわからない。しかし、一つだけ確かなことがある。ヒカルはゆっくりと彼女たちに歩み寄った。

 

「何があったか良くはわからないが、その様子だと、トビーが世話になったようだね。すまなかった。」

「いえ、この勝利はトビーのものです。私達はつい先ほどまで、過去の記憶と経験の大半を失っていました。彼がいなければ、記憶と力を取り戻すことは無かったと思います。」

「この子の姿がある人と重なっちゃってね、それでぜ~んぶ思い出しちゃった、ってわけよ。」

 

 ミネアに背負われ、規則正しい寝息を立てるトビーと、それを優しく見守るマーニャと兵士、騎士達。その様子から、また無茶をしたのかと苦笑し、同時にトビーが無事だったことに、ヒカルとアンは安堵した。

 

「さて、本格的な事後処理は明日からだな。さすがに今日はもう休んだ方が良い。皆疲れてボロボロだからな。かくいう私もだが。」

「うむ、移動しているだけとはいえ、長丁場だったからな、私も右に同じだよ。」

 

 アンは兜を脱ぎ、どこかの家から持ち出されたのだろうテーブルセットの椅子に腰掛けた。その足下では騎乗者から解放されたアーサーが、緑色の粘体をゆっくりぷるぷるさせながら、おそらく休息しているのだろう。戦いで傷ついた者はある程度回復され、命に別状の無い程度には持ち直している。しかし、もはやこの場に満足に行動できる者はほとんどおらず、それは激戦に辛くも勝利したヒカルとアンも同じ事だった。とりあえず今夜はゆっくり休んだ方が良いだろう事は明らかだ。すでに太陽は西に傾きはじめていて、まもなく町は黄金食から赤く染まり、夕暮れを迎えるだろう。徐々に肌に当たる風が涼しく心地よいものになり始めている。

 

「そうだな、今日はアンの言うとおり、今後のことは明日考え……?!」

「な、何だこの気配は?!」

 

 突如、背筋に悪寒が走り、ヒカルは思わず振り返った。アンは椅子から立ち上がり、周りを見渡す。しかし、アンの超人的な視力を持ってしても、怪しいものは一つもないように見える。だが、何かどす黒く、まとわりつくような嫌らしい気配が、いつの間にか町全体を覆い尽くしていた。

 

「伯爵様、トビーを。

「え? ミネア?」

 

 背中からトビーをそっと下ろし、地べたに敷かれた毛布に横たわる、妹のルナの傍らにそっと寝かせると、ミネアはぽかんとするヒカルの表情をおかしそうに見つめ、そしてやや顔を赤らめ、少しうつむいた。

 

「ミネア。」

「はい、姉さん。」

 

 姉のマーニャの呼び声に、顔を上げた彼女の表情はすでに、何かを決意した硬いものに変わっていた。静かに姉の元まで歩み寄り、2人が並び立った瞬間だった。

 

「な、に?!」

 

 アンはさらに明確に、周囲の地盤がうごめくのを感じ取った。言うなれば、モンスターの本能、動物に近い危機察知能力の故、彼女はこれから襲い来るものを明確に感じ取っていた、しかし、それはあまりに遅すぎた。戦いの疲労のせいか、それとも、この災厄をもたらす力が余りに強大であるせいか、それは彼女にも判らなかった。

 ゴゴゴッという激しい地響きと友に、ザーッと砂が流れ落ちるような音が聞こえ、次いで縦にグラグラと揺れる振動が体に伝わってくる。何か足下が不安定で、地に足が着いている気がしない。地震だろうか? 周囲の者は皆、初めはそう思った。しかし、その予想は外れていた。

 

「フハハハハ、愚かな人間どもよ、ボストロールを退けて、勝ったつもりでいるのだろうが、残念だったな。お前たちの”負け”だ。」

 

 まるで地の底から響くような声だったと、後で兵士の1人は語ったという。まるで、天から降り注ぐかのような声だったと、後で神官の1人は語ったという。その声は暗く、おぞましく、人々は恐怖した。いや、恐怖などと言うありきたりな言葉では、それが発する恐ろしい気配を、到底表現などできなかった。

 

「い、いったい何が起こっている?! アン隊長、これはいったい?!」

「うろたえるな副長! 私にも判らんが、動揺して取り乱せば敵の思うつぼだぞ! ……しかし、いったいこの声はどこから……?」

「おっおい、あれを見ろ!!」

 

 騎士の1人が指さす方向に、アンが顔を向けると、いつの間にか何やら巨大な人影のような者が現れていた。否、それはローブのような衣装をまとい、人に近い姿形をしているが、それよりも何杯も、何十倍も大きく見え、何よりその顔は、おぞましい異形のそれであった。

 

「くそっ、天よ繋がれ! ルーラ!!」

 

 ヒカルの判断は速かった。彼の残り少ないMP(マジックパワー)では、逃げの一手を打つ以外に手段は無かったのだ。それとても、この場の全員を離脱させることはとうていかなわない。それでも、なすすべもなく全滅するよりはましだ。

 

「な、にっ? 魔法が発動しない?!」

「クァハハハハハハ! 愚かな人間の魔法使いよ。貴様ごときの力量では儀式によって作り出されたこの空間から逃げ出すことはできぬわ。己の未熟さを思い知るが良い!」

 

 ヒカルの瞬間移動呪文(ルーラ)は、儀式魔法で覆われたこの場所では発動できないらしい。この場が魔法自体を無効化しないことは先の戦闘で魔法が使えていたことから明らかだ。この場所では転移魔法のみが無効と言うことだろうか? いや、それは違う。ヒカルの魔法は目の前の魔物により、明示的に遮断されていたのだ。呪文封じ(マホトーン)でもない力で特定の魔法が阻害できる事実、それはすなわち――ヒカルと術者の力量の差を示していた。

 

「くっ、お前もデスタムーアの手のものか?」

「ふん、冥土の土産に教えてやろう。我が名はだいまどう、大魔王バラモス様にお仕えする将軍である!」

「な、何てこった……!」

「ヒカル? どうした、しっかりしろ!!」

 

 ヒカルはがくりと膝を突いた。起こって欲しくないと思っていた、一番最悪の事態――デスタムーアとバラモス、魔王同士が手を組む事態――に陥ってしまったのだ。想定していなかったわけでは無いが、どこかで可能性が低いと、勝手に決めつけてしまってはいなかったか? 彼は激しく後悔した。

 

「ハハハハハッ! 思い知ったか矮小な人間ども! この町と一緒に沈み逝くがいいっ!」

「させるわけないでしょ、そんなこと。」

 

 いつの間にか、ヒカルたち全員を背にかばうように、褐色肌のうら若き女性達、2人の姉妹がだいまどうの前に並び立っていた。たいした装備も身につけていないように思われるその姿は、しかしまるで堅固な城壁に守られているかのような安心感を、その場の全員に与えていた。

 

「伯爵さま、この世界の勇者様、皆さん、どうかご無事で……!」

「坊や……トビー、あんたは死ぬんじゃ無いわよ。」

 

 一度だけ振り返り、ヒカルとアンの傍らに寝かされている少年を、マーニャはいとおしそうに見やった。そして顔を戻した彼女の殺意のこもった表情は、眼前の敵以外に映ることはない。

 

「くっ、生意気な、貴様らのような小娘に、我が計画が阻めるものか! すでに儀式は発動されている。もはや、何人たりとも止めることはできぬわ!! おとなしくこの町と運命を共にするがよい!」

「お断りですね。私と姉さんが、あなたの思い通りになんてさせません。」

 

 いつになく強い口調で言い切るミネア。その声色は隠しきれない怒りの色を含んでいる。彼女が怒るのは何故か? 彼女や姉が悪を撃つ運命にある者だからか、彼女自身の正義感からか、それは他者には判らないことだ。

 一つだけいえるのは、その怒りは彼女の魔力をさらに高め、今まで余裕綽々と言った態度だっただいまどうを、少なからず動揺させた。

 

「ふ、んっ、強がって見せたところで、貴様らにこの状況を覆す手段や力があるのか? 無いであろうな、フフフフ、ハーッハッハッハッハ!!」

「さあ、それはどうかしらね……異世界の賢者よ、志を同じくする同胞たる我の声に応え、その力と英知のわずかばかりを分け与えよ、異界に住まいし天の精霊たち、勇敢なる者たちに祝福と加護を!!」

 

 舞い踊るマーニャの体から光が溢れ、広場に集まる人々を包み込んでいく。ヒカルの時のように発動が阻害される兆候は無く、光に包まれた人々は次第に空へ浮き上がっていく。

 

「なっ、バカな、押さえ込めないだと?! 我が魔力を上回るのか?!」 あ、ありえん!! バラモス様から授かった力が、こんな小娘などに、劣るはずがないっ!!」

 

 魔物、だいまどうは知らない。目の前の2人の人間が、かつて異世界で魔王を討ち滅ぼした勇者の仲間であることを。すでに魔王を打ち倒すだけの力を持っている彼女たちに、大魔王バラモスの側近であろうとも、その力が及ぶはずが無いのだ。ましてや、それが未だ不完全な力であればなおさらだ。

 結果として、動揺するだいまどうは、マーニャに呪文詠唱の時間を与えてしまった。もう少し冷静に、例えば攻撃呪文なり何なりを繰り出していれば、あるいは彼女の呪文発動をキャンセルできたかも知れない。しかし、はっと気がついたときにはすでに、それは完成されていた。

 

「合体魔法……オクルーラ!!」

 

 紡がれた発動句により、練り上げられた魔力は解放され、沈みはじめた太陽を覆い隠すような強力な光が辺り一面に溢れ、そして、はじけた。その後にはもう、広場に集っていた人々の誰1人として、残ってはいなかった。

 

***

 

 沈み逝く太陽を背に、異様な光景が展開されていた。アンの視力でギリギリ目視できる距離に、ドムドーラの町がある。いや『あった』と表現する方が正しいだろうか。いま、その町はゆっくりと、砂の中に沈んでいるのだから。

 

「あ、ああ、町が、沈んでゆく……。」

 

 遠眼鏡(とおめがね)で町の様子を観察していた兵士の力ないはずの声が、やけに大きく聞こえる。マーニャの放った、おそらくルーラの派生であろう大呪文により、この場の者たちは町とともに沈む運命から救われた。もっとも、その数は広場に集まっていた者だけで、町に残っていた病人や、その世話をするために残った者――最も助けなければならなかったはずの者たち――は、沈み逝く町と運命を共にした。かなり遠く離れているはずだが、地響きと砂の流れる音がはっきりと、ここまで聞こえてくる。

 

「ヒカル……。」

「俺、たちの、負けだ……。」

 

 気遣わしげに寄り添うアンの声が聞こえているのかいないのか、ヒカルは自分の目では確認できない町の方をにらみ据えたまま、小さな声でつぶやいた。よくよく思い起こしてみれば、原作でもドムドーラは砂の中に沈んでいた。しかし、物語の中ではすでに沈んだ町の呪いを解いて元に戻すという過程しか描かれていなかったため、まさかこんな形で町が鎮められるとは予測できなかったのだ。トロル軍団が率いていた魔物の群れは、儀式を完成させる時間を稼ぐためのおとりだったのだ。ヒカルたちはそれにまんまと引っかかってしまったことになる。ボストロールとの戦い自体には辛くも勝利を収めた。トビーとルナも結果的に無事だった。神官団、騎士団、兵士団も犠牲は最小限で済んだ。しかし、ドムドーラの町を奪還することはできず、最終的に作戦は失敗に終わった。

 砂漠が真っ赤に染まる頃、それまで嫌でも耳に届いていた音が止んだ。そして、この日、『ドムドーラの町』は地表から姿を消した。後の人々は語ったという、この戦いは、ドランに名を轟かせた勇者と魔法使いの初めての敗北であった、と。

 

***

 

 薄暗い石造りの建物の、比較的大きな部屋の中、2人の人間と1体の魔物がにらみ合っていた。壁の燭台には灯が灯り、薄暗く暖色系の光が不十分ながら周囲を照らしている。どこか悠然と構える人間、2人の女性のうち1人に、忌々しそうに魔物は問いかける。

 

「何がおかしい?」

「ふふ、ごめんごめん、ちょっと楽しいことを思い出していてね。」

「ふん、計画の一部は邪魔されたが、体勢は何も変わらぬ。貴様達の負けという事実はな!」

 

 2人の女性、マーニャとミネアは顔を見合わせ、困ったような表情をした。確かに、完全に沈んでしまったドムドーラの町に取り残された彼女たちには、もはや執れる手段が無い。桁外れのマーニャのMPも、先ほどのオクルーラの消耗で枯渇寸前だ。神官団に混じって回復治療を行っていたミネアも同じようなものである。しかし、事ここに至っても、彼女たちの心は穏やかだった。なぜなら、彼女たちの目的はすでに果たされており、これから先、眼前の敵との戦闘結果がどうなろうとも――たとえ負けたとしても、それこそ何の影響も無いのだ。

 

「まあ、認めるのは癪だけど、この場は完全に私達の負けね。」

「ええ、でも、希望の光は解き放たれました。すでに未来は動き始めています。もはや何一つ、魔王の思い通りにはならないでしょう」

 

 その落ち着き払った態度は、彼女たちが歴戦の猛者である故か。しかし、いずれにしてもそれは、だいまどうのプライドを傷つけ、余計な怒りを買うものだったことは間違いないようだ。

 

「クククッ、良いだろう。このまま殺してやってもいいが、それではおもしろくない、悪魔の騎士よ!!」

「! 姉さん、何か来ます!!」

「判ってるわ!!」

 

 身構える2人の前にどす黒い闇が現れ、その中からガチャリガチャリと金属音を鳴らしながら、硬質な異形が姿を現した。

 

「鎧の、魔物?」

「見たことがないですね、この世界のオリジナルでしょうか。」

「悪魔の騎士よ、お前の力でその小娘達に絶望を与えるのだ。気に入らんが、あちらの魔王との契約だ。」

「ははっ、仰せのままに。」

 

 いつの間にか、だいまどうの姿は消え失せ、主の命令を受けた魔物、悪魔の騎士は、兜の奥から妖しい光を明滅させ、じりじりと姉妹に迫る。

 ――戦いはまだ、終結してはいない。

 

to be continued




グランドクルス:某漫画の不死身の戦士の切り札。闘気を十字に収束させて解放する強力な必殺技。ただし、闘気の放出は身体に多大な負担をかけるため、本来はかなり小さめに放つのがコツであると、考案者は述べている。ゲームではグランドクロスという特技が登場しているが、こちらはバギ属性の攻撃であり似て非なるものだ。
オクルーラ:某漫画に出てきたルーラの派生呪文。ふたつのルーラを組み合わせることで対象を任意の場所へ転送する。今回は周囲の者たちを比較的近場の安全な場所へ飛ばすという大技を、膨大なMPに物を言わせて成し遂げている。さすがのマーニャも大勢を転移させたためにかなり消耗している。

原作で砂に沈んでいた町、本作ではこのような形で沈没して貰いました。はたして、ミネアとマーニャの運命は……? って、もう結果はモロバレな気がしますが……。

次回もドラクエするぜ!!


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第34話 戦慄!! 悪魔の騎士の呪い!

さて、前話で沈み逝く街に取り残されたマーニャとミネア。彼女たちはこれからどうなってしまうのか……? って、バレバレですかね。しかし、原作よりもはるかに強いだろう彼女たちをどうやって……?
そして、事実上敗北したヒカルたちはこれからどうするのか?


 目を開けると、そこは薄暗い教会の地下室だった。あたりを見渡してみると、今は人の姿は無い。感覚的に、ずいぶんと長く眠っていた、いや眠らされていたような気がする。ゆっくりと身を起こし、徐々に覚醒していく意識の中で、少年は次第に現状を思い出していく。そして、覚醒しきった頃にはどうしようもない焦燥感が、彼の足を前に進ませていた。

 

「どこ行くつもり? そんな状態で。」

「え? マーニャ、さん?」

 

 いつのまにか、ベッドの隅に1人の女性が座っている。少し困ったような、それでいて何かを悟っているような複雑な表情を浮かべている。その人は最近知り合った、このドムドーラの町で一番の踊り子。何故か少年を気に入り、よく似た顔の妹と2人で世話を焼いてくれる、少年にとっては優しいお姉さんだ。

 

「今はダメよ。」

「でも、でも、みんなが動いている時に……!」

 

 静止するマーニャを振り切り、今にも部屋を飛び出してしまいそうなトビー。マーニャはふうと短くため息をついて、トビーの傍らまで歩み寄った。

 

「座りなさい。」

「え? でも……。」

「いいから。」

「はい……。」

 

 やや強めの口調で言われ、トビーは急にしゅんとなって、おとなしくベッドに座り直した。マーニャの言葉はなぜか、従わなければならないような気持ちにさせる不思議な物で、けれども不快感のような物は感じなかった。それでも、トビーの中でくすぶっている感情が収まったわけでは無い。座りながら身を乗り出し、隙あらば立ち上がって走り出しでもしそうな彼の横に座り、マーニャはその体を優しく抱きしめた。

 

「あ、ちょ、マーニャさ……。」

 

 トビーは、間近で感じられる女性の感触と匂いに、軽いパニックを起こしかけていた。確かに、先日も酔って絡まれ、かなり密着されていたが、そのときは酔っ払いの介抱だという建前が理性を前面に押し出していたため、比較的落ち着いた行動を取れていた。しかし今は、目の前の彼女は酔ってはいない。あのときの酒臭いにおいではない別の香りに包まれて、彼は今まで感じたことのない感情に支配されようとしていた。しかしそれが何であるのか、まだ幼く、なおかつ精神状態が安定していない今のトビーでは気づくことはできないだろう。。

 

「体にはね、活動状態と休眠状態のバランスを取る機能があるの。医学的には……ええっと、じりつ……なんちゃらっていうらしいんだけど、ああもう、ミネアみたいにうまく説明できないわ。……あまり緊張状態が長く続きすぎると、そのバランスが崩れて体がおかしくなるの。今のあんたみたいに。」

 

 急に真面目な顔をして、小難しそうな発言をするマーニャに、彼はさらに混乱した。しかし確かに、現状彼の体は活動と休眠、興奮と沈静のバランスが崩れ、どちらかというと極度の緊張・興奮状態にあるといってよかった。それ故、睡眠呪文(ラリホー)でも使わなければ、長いこと眠ることはできなかったのだろう。それを見越して、ミネアがこっそりと呪文を駆けておいてくれたのだが、強制的な睡眠で身体はある程度休まっても、精神の方は草還丹には行かなかったということだ。逆に言うと、ひとたび緊張状態が解かれれば、一瞬にして休眠状態がユウセイとなり、行動不能になってしまうことだろう。

 

「あ~あ、こんなにしちゃって、こんな状態で外、行くわけ?」

「あっ、そ、そこは。」

「あっ、じゃないわよ。何て声だしてんの? ふふ、可愛いんだから。」

 

 いつの間にか敏感に硬直している部分をつつかれ、トビーはなんとも情けない声をあげてしまう。彼だって年頃の少年だ。年上の美女に密着されたなら、それ相応の反応を示すのは当然だ。普段は理性で押さえ込んでいる様々な事柄も、身体のバランスが崩れている今となっては抑えが効かない。マーニャはくすくすと笑い、小悪魔的な笑みをその顔に浮かべ、少年の耳元でささやいた。

 

「お姉さんに任せなさいな、ちゃんと鎮めてあげるから」

「あ、え、ちょ、マーニャさ……うわっ?!」

 

 ――その後のことは、もうよく覚えてはいない。長い時間だったような気もするし、あっという間だったような気もする。気がついたときには仰向けに寝かされ、肩で息をしている自分に、トビーは気がついた。視界には薄汚れた天井がぼんやりと映っているが、どうも焦点が定まらない。確かなことは、彼はこれでひとつ、大人への階段を上ったと言うことだろうか。

 

「うふふ、どう? 少しは落ち着いた?」

「あ、え、と、はい?」

「あははは、なんで疑問形なわけ? ふふ、でも少しはましになったみたいね。子供のくせに大人ぶって無理するからそういう事になるの、わかった?」

 

 2人の肌からはじっとりと汗がにじんで、薄暗いランプの明かりに反射している。トビーは無意識か、マーニャの右手を自分の左手で握っている。初めから終わりまでずっとそうだった。握っていない左手で軽く頭を小突かれ、トビーは少し住まなそうにぽつりとつぶやいた。

 

「ごめん、なさい。ありがとう、マーニャさん。」

「ふふ、本っ当、あんた可愛いわね。」

 

 マーニャは目を閉じ、少年の自分より小さな唇に、そっと唇を重ねた。トビーは少し身もだえしたが、やがて自分も目を閉じ、彼女のされるがままになっていた。どれくらいの時間がたったか、重ねられた唇が離れたことで目を開けると、先ほどとは打って変わって、真面目な顔をしたマーニャが、トビーの瞳をじっとのぞき込んでいる。

 

「いい? 約束しなさい、トビー。」

 

 コロコロと表情が変わる人だなと、頭の片隅で思いながら、トビーは続く彼女の言葉を待った。軽薄なように見えて、彼女の歩んできた道は、きっと自分以上につらく、重たい物だったのだろうと、なんとなく彼は感覚で感じ取っていた。

 

「あんたは、死ぬんじゃ無いわよ。」

 

 そう言って、優しく抱きしめてくれるぬくもりを感じながら、少しずつ遠くなっていく意識に、トビーは今度は抗うことはしなかった。

 

「……さん、兄さん、起きて!」

「……?! ルナ? ここは……。」

「わからない、町の外みたいで、でも、みんな黙っちゃって、どうしていいかわからなくて……。」

 

 何故あの時の夢を、彼女が助けを呼ぶために単身、町を抜け出す直前の出来事を夢に見たのかと、赤面する間もなく、自分を揺り起こした妹の切羽詰まった表情から、まだ事態が収拾していないのだという現実を、彼は突きつけられることになった。簡易なテントの中に、誰かが整えてくれたのだろう毛布を二枚使っただけの粗末な2人分の寝床から起き上がり、トビーが外へ出てみると、すでに周囲は宵闇に墜ち、不気味な静けさと暗い闇が覆い尽くしている。所々にたいまつの灯りがわずかに周囲を照らし、夜の見張りだろう兵士達が何人か番をしているのが目に入る。しかし、彼らが一様に暗く沈んで見えるのは、月の無い暗い闇と、静寂のせいだけではないだろう。状況を確認しようにも、とても話を聞けるような雰囲気では無い。結局、トビーが、自分たちの敗北という事実を知ったのは、それから三日も後のことだった。

 

***

 

 薄暗い陰気な空間の中、舞い踊る姉と、それに付き従う妹、2人の姉妹は最後の力を振り絞り、悪魔の騎士と呼ばれるだいまどうの手下を追い詰めていた。

 

 「炎の精霊と風の精霊の盟約により、眩き光を放て。」

「異界の創造神よ、暗黒の中に進むべき光の道をお示しください!!」

 

 荒れ狂う嵐と、ほとばしる閃光が一つに合わさり、灼熱の暴風となって暗黒の鎧に迫る。その威力はすさまじい、などという凡庸な言葉で表現できるような物では無い。

 

「ベギラゴン!!」

「バギクロス!!」

「ぐ、ぬおぉっ!? ここまでの力を持っているとはっ! やむを得ん!! 暗黒のオーブよ、その力を示せ!!」

 

 掛け合わされて何倍にもなった二つの呪文、極大閃熱呪文(ベギラゴン)極大真空呪文(バギクロス)の威力に呑まれる寸前、いつの間にか悪魔の騎士の頭上に現れた黒く丸い宝珠(オーブ)から、まがまがしい漆黒の闇が霧状に広がり、鎧の魔物を包み込んだ。その黒い霧のような物に触れた灼熱の嵐は、あろうことか何事も無かったかのようにかき消えてしまう。

 

「……やっぱり、そうなるか……!」

「当然ですね、対処法を用意し、万全の状態と踏んだからこそ、だいまどうはこの場を離れたのでしょうから。」

「となると、残りのマジックパワーをリレミトあたりに費やしても、結果は見えてるわね。」

 

 すでに、今の大技で姉妹のマジックパワーは底をつき、強力な呪文はおろか、初級呪文を唱えることもできないだろう。しかし、魔王を打倒したほどの強者である彼女たちなら、そもそも呪文に頼らなくとも、目の前の魔物を倒すことくらいはできそうなものだ。いや、それは十中八九、可能だろう。問題は、すでにこの町が儀式魔法によって砂の底に沈んでしまっているということだ。この場所からの脱出がおそらく不可能であろう事に、彼女たちは気がついていた。だいまどうは彼女たちを逃げられなくする何らかの手段を持ち合わせており、だからこそ姿を消した――とはミネアの分析だが、それは十中八九、正しいだろうと思われた。目の前の敵を倒せたとしても、最終的に彼女たちには逃げ道が無く、人間である以上いずれ体力がつきて死んでしまうだろう。

 

「はあ、まったく我ながらバカよね。」

「はい、姉さんはバカだと思います。」

「……言ってくれるじゃない。」

 

 マーニャとミネアは顔を見合わせ、どちらからとも無く微笑んだ。こうなるだろうことは最初から判っていた。ひょっとしたらもっと上手い手段があったのかもしれないが、あの場でとっさに思いついたのはこうすることだった。自分たちはこの世界の住人ではないし、誰かに呼ばれた覚えも無い。であれば、この世界のことはこの世界に選ばれた勇者達に任せ、その助けになるのが最善と、彼女たちは判断したのだ。

 彼女たちは知らない、この世界に選ばれた勇者と魔法使いが、ともに異世界から来た者、ある意味自分たちと同類であることを。そして、自分たち自身にもこの世界で与えられた役目があり、彼女たちはまだ、それを果たしてはいないのだということを。

 

「く、クハハハハ、ま、まさかここまで力の差があるとはな。忌々しい異界の魔王とやらの力を借りねば太刀打ちできないとは……。どうせ貴様らはここから逃げることはできん、放っておいても死ぬ、が……! こ、このまま黙って死なせるなど、我が誇りが許さぬ!!」

「はっ、いけないミネア、何か来る?!」

「ククッ、もう、遅いわ!!」

 

 悪魔の騎士の怒るような、嘆くような叫びと友に、マーニャの足下が光り輝き、どこからともなく石でできた棺のような物が現れた。姉に手を伸ばそうとするミネアだが、何故か体がいうことをきかない。そうこうしているうちにマーニャの体は石の棺に収められ、そのまま部屋の隅にある祭壇のような所に収まった。

 

「これは呪いだ、この建物に安置されていた、渇きの壺を媒介にして呪いを発動した。これでその女は呪いを解かぬ限り、棺から出ることはできぬ。……安心するがいい、あの棺に入っている間は時間が止まり、死ぬことは無いぞ、クハハハハハハ!!」

 

 ミネアがどんなに力を入れても、すでに呪いにむしばまれている彼女の身体はピクリとモ動かない。そんな彼女をあざ笑うかのように、姉の収められた棺は地中深く沈んでいった。その様を見つめながら、しかし、ミネアは驚きはしても、恐怖したり焦ったりしている様子は無い。そのことが、悪魔の騎士にはおもしろくない。

 

「そうか、これでもまだ折れぬか……ならば、貴様には行きながらの絶望を与えてくれるわ!!」

 

 その言葉が終わるか終わらないかのうちに、ミネアの体は浮遊感に包まれ、一瞬視界がブラックアウトする。はっと気がついたときには、彼女の体の拘束は解かれていた。

 

「……? 何この感覚……?」

 

 体が重く、視界も少しぼやけているような気がする。背中を突き刺すような寒さに身を震わせ、見上げた空はすでに日が落ちて、見渡す限り満点の星空だ。どうやら沈んでしまった町から地上に放り出されたらしい。

 

「ハハハハハ、その身に絶望を抱えて生きてゆくが良い……。」

 

 

 

 何処か遠くから、悪魔の騎士の笑い声が聞こえたような気がした。ミネアは重く、おぼつかない足取りで、定まらない意識の中、どこへ行くでもなく、夜の砂漠へと消えていった。

 

***

 

 ドムドーラの町での戦いの顛末は、ほどなくして王都へ報告された。敗北という結果そのものよりも犠牲となった者たちを悼み、ピエール国王はかなりの時間、沈黙していたという。戦いの詳細については国民へは伏せられたが、人の口に戸は立てられない、とはよく言った物で、様々な形で人々の耳に入ることとなった。ドランで最も強い戦士であるアンと、最高の魔法使いといわれるヒカル、シャグニイル伯爵夫妻の事実上の敗北は、国民に大きな衝撃を与えた。国内でも有数の大きな町であるドムドーラの消失は、魔王事件から立ち直ろうとしていた民衆の心に暗い影を落とした。

 しかし、国全体がどんなに意気消沈していようとも、為政者達は立ち止まるわけにはいかない。まもなく国王の召集の元、今後の対策を話し合う会議が開かれた。

 

「……と、報告は以上になります。最後に、力及ばず、また敵の策を見切ることができず、ドムドーラの町を落とされてしまい、誠に申し訳ございません。」

 

 

 ヒカルは先日、国王に直接伝えた内容を簡潔にまとめ、会議の場にて改めて報告していた。会議室と定められた部屋には大きなテーブルを囲んで、国王をはじめ大臣や有力貴族など名だたる顔ぶれが一堂に会していた。しかし、ヒカルの報告が終わっても、誰1人発言しようとする物はいない。国王ですら、腕を組んだまま微動だにしないのだ。

 

「陛下、シャグニイル伯爵、今回は大変申し訳なかった。」

「なっ?! グリスラハール男爵?!」

 

 老貴族はおもむろに立ち上がり、皆の前で深々と礼をした。その態度に周囲の者たちは少なからず驚きの表情を浮かべている。かの老人は爵位は低くとも、誰もが認める王の側近だ。そんな人物が国王はともかく、新参者に頭を下げたのだ。体面を重んじる貴族社会において、これは異例のことだった。

 

「良いのだ、アルマン男爵、今回のことは我が領内で起こったことだ。本来なら私が独力で解決せねば成らない案件。それを、陛下直属の騎士団を投入させ、さらに負けたというのでは申し開きもできませぬ。」

「……いや、今回のことは何人たりとも、予想はできなかったであろう。まさか町ごと砂の中に沈めるなどという大胆な手段を講じてくるとは……。」

 

 この会議が始まって、ようやく王が口を開いた。その口調は穏やかだが、沈痛な面持ちで周囲の物を見渡し、ひとつ短いため息をついた。

 

「わからぬことがあるとすれば、犠牲者の数があまりにも少ないことですな。奴らは逃げ出す者たちを見逃してすらいる。てっきり、町の住人達は殺されてしまうものだと思っておりました。」

「サリエルの申す通りよな。犠牲者を最小限に抑えているようにすら見える。実に不可解なことだが……誰ぞ思い当たることがある者はおらぬか?」

「……おそれながら……。」

 

 王は発言者の方を見やり、その顔を確認すると、一つ頷いて先を促した。

 

「シャグニイル伯爵、思うところがあるのならば申してみよ。」

「はっ。おそらく、でございますが、生き残った者たちにドムドーラでの出来事を伝えさせ、人々の恐怖を煽るのが目的化と……。」

「なっ、バカも休み休み言え! 人間ならともかく、魔物がそんなことをして何になるというのだ!!!」

 

 急に椅子から立ち上がり、怒鳴り声を上げたのはアルマン男爵だ。先ほどから拳を振るわせ、イライラを募らせている状況だったが、いよいよ我慢できなくなったようである。今にも発言者であるヒカルに、つかみかからんばかりの勢いだ。元々、保守的な考えを強く持つ彼は、新参者のシャグニイル伯爵とその妻――ヒカルとアンが王に徴用されるのを快く思わなかった。ドランの国のことは自分たちの力で解決するべきであり、よそ者の意見など入れるべきではないと、彼は強く考えていたのだ。

 こと、内政に至っては彼の考えは間違っているわけでは無い。この国の貴族達は王に対する忠誠心が強く、強固な中央政権が確立していた。その中に部外者を入れるということは、今まで築き上げてきた物が急速に揺らぎかねない危険性を大きくはらんでいるのだ。それに、彼の名誉のために述べておくと、アルマン男爵という男は決して権力に胡座をかいた無能な貴族では無い。短気なところはあるが、領民のためを思って政務に励む良い領主だ。だからこそ王に認められ、若くして重臣に名を連ねている。彼のいささか激しい論調も、王と国、国民を思えばこそなのだ。しかし、そんな彼の行動を制したのは他ならぬ王だった。

 

「続けよ、シャグニイル。」

「はっ、魔王は人々の負の感情を糧にするそうでございます。今回も魔王の力とするため、人々から恐怖などのマイナスの感情を、何らかの方法で集めている物かと。」

「そのことは確か、予言の書にも記載がございましたな。」

 

 グエルモンテ侯爵の言葉に、ピエール王は深く頷き、再び目をつぶって沈黙した。結局、この後王が口を開くことは最後までなかった。この日の会議ではグリスラハール領への新しい町の建設と、難民への支援が取り決められた。そして、ヒカルとアンには戦いの疲れを癒すという目的で、しばらくの休暇が与えられた。

 

***

 

 じりじりと太陽の照りつける、暑い砂漠の中を、大きな馬車が列を成して通って行く。その数は5程度だが、ひとつひとつがとても大きな物だ。一台を2頭の馬が引き、馬車の後をラクダに乗った数人が追随している。暑さの厳しい砂漠の中にあって、この一段は旅慣れているのか疲れ果てた様子も無く、楽しげな話し声や、時に大きな笑い声まで聞こえてくる。

 そんな一段の馬車のひとつ、他に比べるとやや高級そうなその中で、恰幅の良い中年の男がひときわ大きな笑い声を上げていた。

 

「はっはっはっはっはっは、いやあ、笑いが止まらん。もうすぐ砂漠を抜けるというのに、モンスターの1匹にも遭遇することがないなんて、十五の頃から商売を始めてもうすぐ25年にも成るが、こんなことは初めてだよ。それもこれも……。」

 

 男は大きな体をゆらしながら、嬉しそうに自分と対面して座る人物を見やった。砂漠で倒れているところを発見できたのは本当に偶然で、助けられたのは運が良かったからだろうと、男は思った。

 

「なあ、ナバラ婆さん、あんたの占いは本当によく当たるなあ。おかげで大もうけだよ、ぜひ、しばらくといわずずっとうちにいてもらいたいもんだ。」

「そうかい、ゴンザ、喜んでもらえたなら、あたしも恩返しができたってもんさね。ちょっと訳ありの旅でね、あんたさえ嫌じゃ無ければ、しばらく一緒に旅させてもらってもいいかね?」

 

 男、ゴンザ……ゴンザレス=ハスフールは快活に笑い、こちらの方が頼みたいくらいだと、老婆の動向を快く了承した。

 あの日――ドムドーラの町が沈んだ日――異世界からやってきた姉妹は魔物の呪いにかかり、姉のマーニャは地中深く閉じ込められてしまった。残る妹、ミネアの方は、その姿をしわがれた老婆へと変えられてしまった。砂漠で倒れているところを助けられて、最初にその事実を知ったとき、さすがのミネアも少なからず動揺した。若く美しい娘が、突如として老婆の姿になったのなら、驚くのは当然で、むしろ本来ならばもっと動揺視狼狽してもおかしくは無かった。しかし彼女はかつて、勇者の仲間として幾多の苦難を乗り越えてきた真の強者だ。すぐに状況を確認し、自分がこれからどうするべきかを考えた。身体能力は呪いで制限されているが、本当に老婆というほど弱っているわけでもないようだ。魔法に関する力や、占い師としての能力にも衰えは感じられない。そこでミネアは、かつて別の世界で出会った知り合いの老婆の名前を借り、自らを偽って商人のキャラバンに同行することを選んだ。そして、今に至っているというわけだ。

 

「……誰が、絶望なんぞしてやるもんかね。」

「?何か言ったか婆さん?」

「何でも無いさね。……おっと、砂漠を抜けたら廻り道が吉と出ているね。急ぎすぎると魔物に出くわすかもしれないよ?」

「なに、そいつはいかん。おい、この先の岩山を迂回して次の町に入るように指示してこい。」

「わかりました旦那様。」

 

 主人の命令に、今まで黙って話を聞いていた使用人なのだろう若い女性は、馬車の外へ顔を出し、併走する護衛に二言三言伝言をしたようだ。それからすぐに、女性は主人の傍らまで近寄ると、まもなく伝言が伝わり、一行は進路を変えるだろうと報告した。程なくして馬車はゆっくりと方向を変え、ゴンザの一段は結局、魔物には一度たりとも遭遇すること無く、町へとたどり着いたのだった。

 

***

 

 人は誰でも、一度くらいは『鳥のように自由に飛びたい』などと思ったことがあるのではないか。ヒカルの元いた世界でも、飛行機が常用されるようになるまでには、それはそれは長い苦難の道のりがあった。魔法が存在するこの世界では、転移の呪文を応用すれば飛行は可能であるが、それ自体が恐ろしく光度である上、魔法というものを操れる存在自体が希少なため、特に人間達の間では、やはり空を飛ぶというのは夢物語であった。

 その少女は中央大陸にある小国の、小さな村の生まれで、幼い頃は病弱だったが、父と母、村人達の愛情を受けてすくすくと成長し、十歳(とお)を過ぎる頃には見違えるほど健康になった。容姿も美しく成長し、将来は村の男達を魅了する美人になるだろう事は容易に想像できた。そればかりではなく、彼女は村娘とは思えないほど聡明であり、様々な勉強をして数多くの発明品を製作するまでになっていた。この世界では珍しく、科学的な理論と技術に基づいた様々な道具を、彼女は作ることができたのである。

 そんな、今年13歳になったばかりの少女が夢見て止まないのが、空を飛べる道具を作ることだ。鳥のように、とまではいかないが、風に乗って空を飛べる道具を作りたいと、彼女は熱心に勉学に励んでいた。

 だが、今、彼女の丹精込めて作り上げた作品、空を飛ぶ夢が詰まった純白の翼が村の広場で公衆の面前にさらされ、人間であればまるで罪人のように縛り上げられていた。そして、少し離れた位置から、それを粉々に破壊する力が放たれようとしていた。

 

「あ、ああっ……。」

「燃えよ火球、赤き炎熱のもとに、災いを呼ぶ翼を塵芥と化せ。」

 

 魔法使いらしき男から発せられた声は平坦で冷たく、しかしその手から放たれようとしている『呪文』は膨大な熱量を伴っており、、少女の頬から涙とともに汗が伝い墜ちた。それに気づいているのかいないのか、男は一度、彼女を冷たいまなざしで見下ろし、再び広場の中央に向き直り、発動句を唱えた。

 

「メラミ。」

 

 言霊の終わりと同時に放たれた火炎呪文(メラミ)の炎は一直線に、広場に据えられた的めがけて直進していった。そして、激しい音を立てて激突したかと思うと、瞬く間に赤い炎を天に向かって吹き上げた。少女はその有様を、ただ、涙を流しながら見ていることしかできない。

 少女、ティアラの夢を乗せて飛ぶはずだった翼――風の翼は、この日、たった一発の魔法によって、欠片も残らず灰と化した。

 

「ご主人様。」

「ミミ、それからモコモコ、アベル、確かに見たな?」

 

 男、ヒカルに呼びかけられた3人、少女1人と少年2人は、黙ってそれぞれ頷いた。それを確認すると、ヒカルは満足そうに笑みを浮かべ、彼らと村人達に背を向け歩き出した。

 

「ご主人様。」

「ん?」

「えっと、今までお世話になりました。」

 

 去りゆく男を主人と呼ぶ少女は、振り返らず立ち止まったその背中に、深く丁寧に頭を下げた。少女にはわかっていた。この村にとどまる選択をしたということは、主人の庇護を離れることであり、同時にここの村人達からも良い感情は向けられなくなるだろうと。顔を上げた少女、ミミは一度目を閉じ、深く深呼吸をした。覚悟はしているが、それが現実になったときに耐えきれるかどうか、彼女にもわからない。しかし、もう決めたのだ。自分の力で、守りたいと思う者のために、彼女は生きるのだと。

 

「ミミ、心配すんなって、その……オラがついてるからよ。」

「オイラもだ、それに、あの人は間違ったことはしてないと、オイラ思うよ。……どっちかっていうと、おいら達の方が間違ってたんだ。」

 

 筋肉質な少年、モコモコに手を握られ、くせ毛の少年、アベルに肩をたたかれ、彼らの十倍近く生きているはずのエルフの少女は、不思議と心の中に温かい力が湧き上がってくるのを感じた。こういうことに、何年生きてきた、なんてことは関係ないんだろう、そう思った。

 

「ミミ、幸せにな。」

「ありがとう……。」

 

 彼女の言葉が終わらないうち、柔らかな風がその頬をなでた。ほんの一瞬、彼女がその風二気を取られて、そうしてはっと我に返ったときにはもう、主人だった男の姿は、そこには無かった。

 

「ありがとう、大好きだよ、ご主人様……。」

 

 再び紡がれた、小さくつぶやくその言葉は、ざわめきはじめた人々の声にかき消され、誰の耳にも届くことはない。

 

to be continued




※解説
風の翼:原作でティアラが作っていた、グライダーのような? いやそのまんまの道具。彼女は最終的にこれで空を飛び、ガイムから脱出することに成功したが、それはアベルやモコモコを実験台にした幾多の失敗の上に成り立っていた。モコモコなど大けがをさせられたらしいことが1話で触れられている。本作ではこれからどうなるのか……?

アレ? なにやら急展開の予感が……? 一体何があった??
詳しくは今後の展開で……!

ちなみに、もちろんナバラさんは偽名です。言うまでもないですね。

次回もドラクエするぜっ!


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第35話 弱虫エルフと優しい力持ち

前回のラストで急に時間軸がすっ飛びましたが、これから少し巻き戻してお話を進めていきます。え? ティアラと風の翼? アベルとモコモコ? ミミちゃん何言ってんの?
それは、これから明かしていきます。
そろそろ、原作主人公サイドと接触しないと、何の二次創作だかわかんなくなりそうなので……(をい)。


 男が去ったあと、村はいつもの静けさを取り戻していた。しかし、その雰囲気は明るいといえるものでは無く、ものすごく暗いというわけではないとしても、どこかすっきりとしない、そんな空気に包まれていた。

 

――自分の子供が、モコモコのように空を飛ぶ実験に利用されて、大けがをしたら、あなた方はいったいどうするんですか?――

 

 広場で呪文を打つ前に、男が放ったその言葉は、村人達の、特に大人達の心の中にこびりついて、忘れようとしてもなかなか消え去ってはくれなかった。確かに何故、あんな危険なことを子供達にだけやらせて黙認していたのかと、後悔する者もいたし、よそ者が村のことに口を出したと憤る者もいた。しかしどちらが正しいのかといえば、男のいっていることの方が正論だ。それがわかっているからこそ、村の大人達は男に面と向かって言い返すことができなかったのだ。

 

「あ~あ、やっぱりなんかビミョーな雰囲気になっちゃってるなあ。一部私のせいなんだけど……。」

「気にすることないって、オイラ前にも言ったろ? あれはオイラ達の方が間違ってたんだって。」

 

 複雑な表情を浮かべているミミの肩を、あのときと同じようにぽんぽんと軽く叩きながら、アベルは笑って彼女を励ました。彼の言葉は、不思議と他者に力を与える。ミミは今は遠く離れた、懐かしい主人たちのことを思い浮かべていた。今日も空は青く、竜神湖(りゅうじんこ)から吹いてくる風は肌に心地よい。

 

「なんかアベルって、勇者みたいだよね。」

「え? いやいや、オイラなんてまだ弱っちいし、そう勇者っていうのは、アンさんみたいな人のことだよ、うん。」

「そうだね、あの人は多分、まぎれもない勇者なんだと思う。でもね、勇者の本当の力は、戦う強さにあるんじゃないんだ。」

「え?」

「お~い、2人とも~。」

 

 そんなことを話していると、村の方から呼ぶ声がして、振り返ってみると丸っこい人の姿が遠くに見える。次第に近づいてくるそれが見知った人物と知って、アベルとミミは顔をほころばせた。

 

「お、モコモコ、もう家の手伝いは終わったのか・」

「おうアベル、きっちり片付けてきたぞ、って、こらミミ、なんだよ、ま~た暗いこと考えてたな?」

「え、えっとぉ、だって……。」

 

 ミミはうつむいてもじもじと、何やら聞こえない言い訳をぶつぶつと口にし始めた。モコモコは苦笑しながら、彼女の桃色の髪を、その大きな手で撫でてやる。アベルも苦笑しながら、そんな2人の様子を穏やかに眺めていた。こんな風景も最近は見慣れたものである。大柄なモコモコと、小柄なミミは一見すると兄妹のようにも見えるが、ミミはエルフであり、モコモコの10倍は長く生きている。そんな彼女が、モコモコの家に住み着いて一緒に暮らしているというのは、端から見れば信じられないようなことだった。ミミは大多数の人間が持っているエルフに対するイメージ――プライドが高く他種族を、特に人間を見下している――からはかけ離れた存在であり、その点だけでもアリアハンの村人を驚かせるには十分だった。加えて、幼い外見ではあるが、間違いなく美少女と形容して差し支えないミミが、お世辞にも美形とは言い難いモコモコと生活を共にしていることに、村の者たちは首をかしげた。しかし、エルフ達は皆、人間から見れば整った顔立ちと抜群のスタイルを誇っているが、彼ら自身は自分たちの外見をさほど重要視してはいない。彼らは種族特性ともいえる膨大な魔力をコントロールするため、精神のあり方に重きを置いている。見た目をどうしても気にしてしまう人間とは評価基準がそもそも違うのだ。

 しかし、それにしても、内向的なミミが、いかにして、辺境の村の少年とここまで親密になったのか、それは気になるところである。

 

「何、笑ってんだよアベル。」

「あ、いっやあ、ずいぶんと中良くなったもんだなあってさ。ミミがこの村に来てからいろいろあったから、時間の感覚がおかしくなってんだよな。」

「オラもなんかいっぱいあったから、頭ん中わやくちゃだ。ミミがこの村に来てからどれくらい経ったんだっけな?」

「えっとね、だいたい三ヶ月、かな。」

 

 モコモコ、ミミ、アベルはその場に腰を下ろして、並んで竜神湖を眺めていた。今日もよく晴れた空は穏やかで、緩やかな風が頬を撫でる。隣に座る大柄な少年の体に身を預けながら、ミミはこの村に来てからのことを思い出していた。

 

***

 

 アリアハンの村の近くには深い森があり、モモが曰く薬草の宝庫だそうである。そんなうっそうと茂る木々の間を、とぼとぼと歩く小柄な少女がいた。桃色の髪を二つに結び、人間とは異なるとがった耳を持つ、彼女はエルフである。

 

「ううっ、やっぱり暗いし怖いよう。」

 

 薬草の採取くらい1人でできると張り切って飛び出してきたのは別にいい。彼女は見た目は12~14歳前後だが、もう百数十年を生きている。1人で薬草採取くらいどうということはない、はずである。

 

「ご主人様のためにも、がんばらなきゃ。」

 

 数週間前、ドムドーラの町が沈んでから、彼女の主人である夫妻には休暇が与えられていたが、彼らは数日休んだ後にすぐ、それぞれの成すべき事を定め、行動を起こした。アンは騎士団を鍛え直すため登城し、ヒカルは魔王についての新たな見識を広めるため、師匠ザナックの元を訪れた。数日間老賢者の住まいに滞在し、古文書など様々な資料を調べていた主人は、何か目的を定めたようで、一冊の本を師匠から借り受け帰路についた。

 、その帰り道、たまには景色でも見ながら帰ろうという気まぐれで、ヒカルと彼に同行していたモモとミミの姉妹は、歩いて山を下りることにした。後で考えれば、これがいけなかった。森に潜んでいたモンスターに不意打ちされ、強制転移呪文(バシルーラ)をもろに受けてしまった3人は、敵が何者かを確認するまもなく空高く放り出されてしまったのだ。幸い、とっさにヒカルが唱えた飛翔呪文(トベルーラ)により、墜落死は免れたものの、術者である彼自身の姿勢制御が上手くいかず、勢いを殺しきれずに着地と同時に気絶してしまったのだ。

 何とか付近の村、アリアハンまでたどり着いて助けを求めたモモとミミは、主人を村の宿屋まで運んでもらい介抱した。幸いたいしたダメージは受けなかったらしく、半日ほどでヒカルは目を覚ましたが、これまでの疲労が一気に出たらしく、ふらついてすぐには起きて活動できない状態になっていた。モモの見立てでは2~3日の静養が必要ということだ。どうも着地の時のダメージのほかに、積もり積もった疲労が一気に出たらしい。そんなわけで、主人の一日も早い回復のため、姉のモモが使う調合薬に必要な薬草を採取するため、ミミは森へとやってきたのである。

 

「ええと、これとこれと、あ、あれも必要っと。」

 

 薄暗い森の中を、目当ての薬草を集めて回り、必要なだけかごに入れると、彼女は道端に座り込んで休憩を取り始めた。お弁当にと持ってきた自前のサンドイッチをほおばる。周囲を見渡してみても、うっそうと生い茂る樹木と、その根元に生える多種多様な野草の緑色で視界が埋め尽くされている。それらはいくぶん、心を落ち着かせる色ではあったが、やはり、ミミは暗いところが得意では無かった。

 

「あれ? おめえこんなとこで1人でなにしてんだ?」

「え? あれ、あなたは、村の人?」

 

 声のする方に顔を向けると、丸っこい体に丸っこい顔をした、筋肉質の少年が、背中に(たきぎ)に使うのだろう大量の木の枝を背負って立っていた。おそらくアリアハンの村の住人なのだろうが、村に来てまだ数日しか経っていないので、この少年のことを、ミミはまだ誰かしら無かった。

 

「おう、そういうおめえは村の(もん)じゃねえな? ん? でもど~っかで、見たことはあるような気が……?」

 

 そこまで言われて、そういえば主人を運んできてくれた大人達に交じって、目の前の少年がいたことを、ミミはぼんやりと思い出した。確か子供ながら大人顔負けの腕力の持ち主だったと記憶している。そういえば今も身の丈に合わないような大量の荷物を背中に背負っているのに、平然としている。

 

「ええと、この間はご主人様を助けてくれてありがとう。私はドラン王国のシャグニイル伯爵様にお仕えするメイドで、ミミっていうんだ、よろしくね。」

「あ、ああこの間の人のところの、ええと、伯爵って、確か偉い貴族様のことだよな、ええっと、オラはアリアハンの村の、モコモコっていいます、よ、よろしくおねがいします?」

「あはは、そんなにかしこまらないでよ、偉いのはご主人様で、私はただの使用人だから。」

 

 何やら急にかしこまって、慣れない丁寧語で挨拶する少年に、ミミは思わず吹き出してしまう。そして、なんとなく感じる優しげな雰囲気に、今までこびりついていた暗所に対する恐怖心が、少しずつ和らいでいくのを感じた。少年、モコモコはてへへと照れくさそうに笑うと、改めて短くよろしくと挨拶をした。そして、その視線がミミの持つ食べかけのサンドイッチに向いたとき、彼の腹時計も昼時を継げ、ぐうと音を鳴らした。

 

「ははは、オラも腹減っちまったな。隣で食べてもいいか?」

「うん、どうぞどうぞ。実は初めての場所だから、なんとなく不安だったんだよね。一緒に食べよ♪」

 

 モコモコは荷物を降ろし、腰に下げた革袋からやたら大きな包みを取り出した。それを開くと、子供の頭くらいもあるかというほどの、大きなパンが姿を現した。

 

「うわっ、それ全部食べるの?」

「おう、母ちゃん特性の『大きなパン』だぜ。」

 

 そりゃ見ればわかると、突っ込みそうになって、ミミはこの少年と普通に会話している自分に驚いた。メイドとしての仕事なら別だが、内気な彼女はプライベートでは五句近しい人間としか話をしない。いや、仕事だという建前が無ければ、面識のあまりない相手と会話することができないのだ。それは、相手の性別や年齢とは関係なく、だいたい誰にでも同じである。何度も向こうから話しかけられることが繰り返され、それでようやっと少しずつ自分から話しかけることができるという具合なのだ。だから、目の前の少年が十代前半と推察できるような年齢の相手だとしても、こんなに自然に会話できているのは異例のことだった。

 

 

 

***

 

 アリアハンの村の、今は人が住まなくなったという空き家の一室で、ベッドに横たわる男を心配そうに――もっとも、表情の動きが少なすぎて、ごく近しいもの以外には変化はわからないだろうが――見つめている女性がいた。ベッドの反対側には、女性がもう1人、何やらテーブルの上ですり鉢に入った緑色のものを混ぜている。

 

「やれやれ、やはり無理をしていたのか。だからもう少し休んでいろと言ったのだがな。私と違って人間は疲労が簡単にはぬけないというのに。」

「そうですね……よほど、この間のことが心に引っかかっていらしたのですね。」

「……それは私もだよ。どんなに力を得ようと、およばないことはたくさんある。それでも、自分ができることを突き詰めていくしか、今の私にはできないがな。」

「ふふ。」

 

 女性は薬を調合する手を止めて、ベッドの上の男性、ヒカルと、その傍らで彼の手を握っている女性、アンを見つめ、おかしそうに笑った。本当に、表面的な性格はずいぶん違うように感じられるが、根っこの所では2人ともよく似ている。

 

「きっと、旦那様も、同じなのだと思いますよ。」

「……そう、なのか? モモがそういうなら、そうなんだろうな。……さて、私は職務に戻る。すまないがヒカルを頼んだぞ。」

「はい、かしこまりました。」

 

 アンは名残惜しそうに、ヒカルの髪を撫で、その唇に、自分の唇をそっと重ねた。薬が効いて深く眠っているのか、彼女の夫は起きるそぶりを見せない。部屋の隅に立てかけてあった剣を装備して、アンは静かに部屋を出て行った。

 

***

 

 昼間でも薄暗い森の中を、小柄な少女とやや大柄な少年が並んで歩いていた。昼食をともにした後、モコモコも帰るところだというので、2人で一緒に村までの道を歩いている。道といっても、森の中を通る村人によって踏み固められた、他の場所よりは多少歩きやすい場所といった程度のものだ。気をつけて歩かないとぬかるんだ地面や、木の根に足を取られてたやすく転倒してしまう。来るときに何度か転びそうになったため、少し慎重に歩いているミミとは対称的に、もう何度も通って歩き慣れているのだろうモコモコは足取りも確かだ。

 

「きゃっ。」

「ととっ、大丈夫か? この辺足もとが悪いからな、気をつけろよ。」

「うん、ありがと。」

 

 転びそうになったところを、太くがっしりとした腕が抱き留める。そんなことが何度かあって、2人はどうにか夕暮れ前に、森の入り口まで無事にたどり着いた。まもなく、太陽は白から黄金職に変わり、村はいつもと同じ夕暮れ時を迎えるだろう。

 

「……! な、何アレ?!」

「う、嘘だろおい?!」

 

 しかし、森の入り口から少し歩いたところで、2人は異変に気がついた。なんとなく焦げ臭いような臭いが鼻を突き、継いで黒色の煙が多数上がっているのが目に入る。

 

「う、そ。」

「む、村が燃えてる?!」

「た、大変、モコモコ、私に捕まって、キメラの翼使うから!!」

 

 何が何だかわからなかったが、ミミが道具袋から何かを取り出すのを見て、モコモコは背中の荷物を放り出して彼女の腰にしがみついた。図的にかなり妙なことになっているが、緊急事態ゆえにそのようなことを気にしている場合では無い。

 

「おねがい、キメラの翼よ、私達をアリアハンの村まで連れて行って!!」

 

 ミミがキメラの翼を天高く放り投げると、それは赤い光を放ち、光に照らされた2人の体はぐんぐん空へ押し上げられていく。そして、翼から炎が吹き上がりそれが燃え尽きるのと同時、人間の少年とエルフの少女は、薪の束と薬草の詰まったカゴを残してその場から消え失せた。

 

「くきききき、逃げられたか。」

「なあに、あの集落でも仲間達が暴れている、すぐに家もろとも黒焦げだ、げひひひひ。」

 

 いつの間にか、薪の束の上に赤い炎、いや炎の形をしたモンスターがゆらゆらと浮いている。燃える炎のような、人魂のような体に、黒く目と口のようなものが浮かんで不気味なことこの上ない。

 

「けけけけ、メラ。」

 

 2体のうち片方の体から分離するように現れた小さな炎は、モコモコの残していった薪の束に燃え移り、やがて大きな炎となって荷物全体を包み込んだ。バチバチとはじける火の粉が薬草の入ったカゴに燃え移り、2人が残した荷物は数分と立たずに灰と化した。

 

***

 

 アリアハンの村の、森の入り口に近い集落で、炎の魔物ーであるメラゴーストと、村人達が攻防戦を繰り広げていた。しかし、2体しかいないはずの敵に対して、金属製とはいえ農具を持っただけの村人では分が悪い。とりあえず、何とか倉庫区画の被害だけに食い止めているが、このままでは居住区に攻め込まれて大変なことになってしまう。

 

「い、いててて、死ぬかと思った。……って、なんだよあれ?!」

「いたた、ごめん、焦ってたから着地が……、あ、あれって、魔物?! め、メラゴースト!!」

「魔物だって?! あんなやつ見たことねえぞ?!」

「と、とりあえずなんとかしなきゃ、氷の精霊よ! ヒャド!!」

 

 着地の衝撃に顔をゆがめながら、ミミは目の前の状況に対処すべく、呪文を唱えた。発動句のみのため不完全なそれは、それでも威力は十分で、2体いるメラゴーストの1体に命中し、その体を見事に消滅させた。しかし、残る1体は仲間が倒されたことに動揺するでも無く、及び腰になっている村人に向かって襲いかかった。

 

「うわあぁあっ、来るなあっ!!」

「あっ、ダメ、そいつに武器は!!」

 

 ミミが慌てて叫ぶが、その時にはもう遅い。村人の振り下ろした伐採用の斧は、メラゴーストを真っ二つに分断した。――したのだが――。

 

「げえっ?! そんなばかな?!」

「「メラ。」」

 

 あろうことか、分断されたメラゴーストはそれぞれまた同じような形になり、何と2体に分裂してしまった。やや小さくなっているようなので弱体化しているようだが、たとえ初級の火炎呪文(メラ)であっても、に発同時に撃たれたら村人など即死だ。

 

「ヒャダルコ!!」

「ぐぬっ? おのれ、エルフめ、先ほどから邪魔をしおって……!」

「長引くと不利……! お願い、氷の精霊たち、凍てつかせよ! 我の行く手を阻むものを極寒の嵐によりて殲滅せよ!!」

「ぬうっ?! これはっ!!」

 

 氷結呪文《ヒャド》」を1体ずつに放っていたのでは間に合わない、そう判断したミミは再度、範囲攻撃できる上位呪文を選択した。彼女の手から放たれた魔力は周囲の温度を下げていき、いつの間にか凍てつく吹雪となってメラゴーストに襲いかかった。

 

「ヒャダルコ!!」

「グ、オオアアァッ!!」

 

 不気味な断末魔と共に、魔物たちは冷気の中で消え失せ、魔法の嵐が止んだ後には霜を被ったオレンジ色の宝石がいくつか、散らばっているだけだった。

 

「あ、あぶなかった。」

「ほええっ、おめえすげえなあ。呪文なんてオラ初めて見たよ。……でも大丈夫か?体、振るえてるように見えるぞ?」

「だ、大丈夫、一度に何発も魔法使ったから、ちょっと力が入らないだけ……。」」

 

 片方は魔法を連射した反動で、もう片方は戦いのあまりの衝撃に、ドサリと地面に尻餅をついて、ミミとモコモコは無事を喜び合うのだった。

 

***

 

 村外れの、今は空き家になっている家の一室、ベッドから無理矢理に体を起こし、ふらつきながら部屋を出て行こうとする男を、傍らで必死に止めている人物がいる。しかし、男は制止の言葉に耳を貸さず、ゆっくりとドアの方へと歩みを進めている。

 

「だ、ダメです旦那様、今の状態で魔物と戦うなんて!」

「わかっている、けど相手は宝石モンスターだ。……村人じゃ手に負えない……! 今、村の外からも増援らしき奴らが近づいてる、?! 何だ? 消えた?」

「どうしたのですか?」

「村にいた奴らが倒された、どうなってんだ……。くっ!」

「旦那様!」

 

 男は床に膝を突き、忌々しげに窓の外をにらんだ。外の様子が気にかかるが、今の彼の状況では、行っても助けにはならないだろう。しかし、このままでは村の居住区まで責めてこられる可能性は十分にある。

 

「モモ、悪いけど行って助けになってやってくれ、オレの道具袋にあるアイテムを使って構わない。ここまで攻めてこられたらこっちも危ないからな。」

「はい、かしこまりました。」

 

 主、ヒカルの命を受け、従者のエルフ、モモは壁にかけられていた道具袋を腰にぶら下げると、足早に部屋を出て行った。

 

***

 

 倉庫区画に出現したメラゴーストを見事に倒したミミだったが、襲撃はそれで終わりでは無かった。追加で数体が遅れて現れたのだ。それだけであれば、彼女の有り余る魔法力(マジックパワー)があれば、もう一発ヒャダルコでも食らわせてやれば済んだことだろう。しかし、事態は草還丹には行かなかった。

 

「や、やっべえ、囲まれてんぞ……!」

「くっそう、モコモコ、お前とその嬢ちゃんだけでも……!」

「ダメだあ、どこにも逃げ場なんてねえぞ!」

 

 あろうことか、メラゴースト達は倉庫に蓄えられていた干し草を燃やし、それで村人とミミ、モコモコをまとめて包囲してしまったのだ。最初の戦闘に勝利して、気が抜けたところを一気に襲われた感じだ。悪いことに、メラゴースト達はその身体自体も炎でできているため、干し草の上に乗るだけでそれらは一気に燃え上がり、たちまち炎の壁を作りだしてしまったのだ。

 

「お、おいミミ、どうしたんだよ?!」

「火……こわいよう、みんな、燃えちゃう、おとうさん、おかあさん……。」

 

 モコモコにしがみついて、ミミは振るえて動くことができない。あの日、家事で燃えさかる家屋の中から主人を助け出したとき、克服できたと思っていた。だが、現実はそんなに甘くは無かったのだ。彼女の力は未だに不安定であり、その安定化は主であるヒカルの存在に依存していたのだ。周囲を炎で取り囲まれているこの状況では、どこにも逃げ場は無く、それは精神的にも肉体的にもそうであって、今の状況では彼女は力を行使できない。

 

「ミミ、しっかりしろ、ちっくしょう、オラも体が動かねえ……!」

 

 恐怖に駆られているのは何も彼女だけでは無い。まだ十代前半の少年であるモコモコにとっても、こんな状況は恐怖でしかない。行動を起こそうにも、足がすくんで動かない。しかしそれは無理からぬ事だ。周りの大人達だって似たようなものなのだから、彼が特別臆病なわけでは決してない。

 

「キヒャヒャヒャ、もう逃げ場はないぞ。どうれ、今のうちにその厄介なエルフから片付けてくれるわ!!」

 

 メラゴーストの1体が、燃えさかる干し草の束の1つかみを、ミミへ向けて投げつけた。その動きがやけに遅く感じ、それでも動けない彼女は終わりを悟った。自分が力を完全に使いこなせれば、この状況を一瞬で覆すことも可能だ。それは彼女にもわかっている。それでも、燃えさかる炎の壁の向こうに、今はもう滅んでしまった村と、失われてしまった家族や仲間達を減資してしまい、彼女はその力を行使することができない。

 

「ぎゃああ、あちちちちっ!!!」

「?! えっ? 何……? きゃ、モコモコ?! 何してるの?!」

 

 突然聞こえる少年の悲鳴に、遠ざかりかけていたミミの意識は急速に引き戻された。自分を包み込んでいるがっしりとした何かが、見知った少年のものであること、悲鳴の主が彼、モコモコであることを認識した彼女の頭は、冷や水を浴びせられたように急激に冷めていった。

 

「だ、いじょうぶか? へへっ、ぐっ、あっちいなあ、くそっ。」

「どう、して。」

「わっかんねえよ、ぐっ! ただな……。」

 

 もはや、火傷の痛みにうめく声も弱々しくなり、苦悶に顔をゆがめながら、恐怖に自分自身も震えながら、それでも太い腕でしっかりとミミを抱きかかえ、モコモコは歯を食いしばった。

 

「お、おめえが、よ、助けて、って言ってるような、気が、したからさ。お、女の子にはやさしく、しろって、母ちゃんが……。」

「モコモコ!!」

 

 抱きしめていた力が緩み、年齢の割に大柄な少年はその場に崩れ落ちた。その背中は焼けただれ、焦げ臭い匂いと血の臭いが鼻につく。

 ――自分は何をしていたんだろう。目の前の少年には戦う力なんてない。彼だって怖かったはずだ。それでも、出会って間もない自分を守るため、彼は体を張ってくれたのだ――戦う力があったはず、なのに、いつまでも過去に引きずられて前に進めない、ミミはそんな自分が情けなく、腹立たしい。

 拳を強く握りしめ、震える足を叱咤し、ミミは何とか立ち上がった。そして、周囲を取り囲むメラゴースト達をにらみ据え、普段の彼女からは到底想像できないような低い声で、短く能力の発動を継げた。

 

「吹き飛べ。」

「ケキャ? 何だと?!」

 

 次の瞬間、立ちはだかっていた炎の壁が、一瞬にして崩れ去った。動揺するメラゴースト達と、驚く村人達の耳に、りんとした詠唱の声が響いた。

 

「氷の精霊よ、凍てつかせよ! 我の行く手を阻むものに、鋭利なる白刃の嵐となりて吹き荒れよ!」

 

 膨大な魔力が練り上げられ、術者自身と周囲のものだけを避けるように展開されていく。青白い光はやがて、無数の氷の刃となって、状況が飲み込めず混乱しているメラゴーストの群れめがけて襲いかかった。

 

「ヒャダイン!!」

 

 周囲は一瞬のうちに冷気で白く凍り付き、メラゴースト達も、崩れてもなお燃えさかっていた炎さえもすべて、その形をとどめたまま氷像と化した。やがて、それらは音もなく砕け散り、周囲に白い蒸気が立ちこめた。

 

「モコモコ……。」

 

 極度の緊張状態から解放されたためだろう。ミミはまるで糸の切れた操り人形のように、その場にドサリと倒れ込んだ。

 

「お、おい、嬢ちゃん!! しっかりしろ!!」

「だめだ気絶してるぞ! モコモコ?! こりゃあひどい火傷だ、早く手当てしないと……。」

「大丈夫だ、私が治そう。」

 

 村人達が声のした方へ振り返ると、革の鎧をまとった女性戦士らしき人物がこちらに歩み寄ってくる。その傍らで、緑色のスライムがはねながら付いてきているのを見て、村人は初めはぎょっとしたが、戦士の顔がはっきりと見えると、その表情は安堵のため息に変わった。

 

「は、伯爵さんの奥さん……?」

「助けに入ろうと思ったんだがな、余計なお世話だったようだ。」

 

 女性は村人達の横を通り抜け、焼けただれた背中をむき出しにして倒れている少年の傍らまで歩み寄り、その背中に手をかざした。

 

「君の勇気を、確かに見せて貰ったぞ。……モコモコの血肉よ、その傷を癒せ、ベホイミ」

 

 女性戦士、アンの右手から淡く緑色の光が放たれ、モコモコの全身を包み込んでいく。まもなくして光が消え去ると、彼の体から一歳の火傷の跡は消え失せていた。」

 

「奥様!!」

「モモか、ちょうどよかった。薬を持っているなら皆の手当を手伝ってくれ。」

 

 遠くから息を切らせ、走ってくるモモに声をかけながら、互いの手をしっかりと握り、何処か満足したような顔を浮かべている2人――ミミとモコモコを、アンは優しいまなざしで見つめていた。

 薄れていく意識の中で、モコモコの身体が癒されていくのを見届け、ミミは安心して目を閉じた。はっきり認識したわけではないが、彼女にはわかっていた。もう大丈夫なのだと。

 

***

 

 バシャバシャという水音で、ミミがふと我に返ると、湖面から大きな魚が顔をのぞかせていた。それを見たアベルは傍らに置いていた銛を手に取り、獲物めがけて湖に飛び込んでいった。

 

」お、ちょっとぼーっとしすぎたかな、オラも夕食、狩りに行ってくるか。」

「ん、じゃあモコモコのお母さんと、お夕飯の準備してまってるから、あまり遅くならないでね。」

「おう。」

 

 手を振りながら遠ざかっていく少年の背を見送りながら、自分に新しい勇気をくれたその大きな背中を、見えなくなるまで見つめているミミなのだった。

 

to be continued




※解説
メラゴースト:本来、攻撃はメラ一発ですが、それ自体が炎みたいな体なので、自身の身体を使って火をつけることもできる設定にしてみました。ある意味燃料があればメラより凶悪かも。ちなみに火薬とかに特攻した場合自分自身も爆発四散してしまいます。

ミミとモコモコのエピソードは初期の構想時点から考えていました。根の優しい彼が主人公カップルに振り回されて日の目を見ないのはあまり好きな展開じゃなかったので、このお話では彼に美少女をあてがってみました。まあ人外ですけどね。
次回は、なぜティアラの発明品が燃やされるに至ったかを書いていきたいと思います。

次回もドラクエするぜ!!


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第36話 砕けた夢、折れた翼では飛べない

34話のエンディングで、あろうことか原作のキーアイテムこと風の翼を焼き払ってしまったヒカル君。いや、ちょっと、なにやってんのよ君? 原作の流れに介入しまくってるじゃないですかやだあ。
こういう、目の前で起こったことを見過ごせないのが彼の性格で、長所でもあり短所でもあります。


 アリアハンの村は、大きな竜神湖のちょうど反対側に深い森があり、そこは自然の恵みの宝庫である。木の実や果物、キノコ、薬草などの植物、ウサギやイノシシ、シカなどの獣など、小さな村落の生活を十分支えられるだけの資源があり、水もきれいだ。村人達は自然と共に生き、金はないがある意味、とても豊かな暮らしをしているといえた。

 少年はそんな村落で生まれ、他の村人達と同じように、自然に囲まれ自然と共に生きてきた。そして今日も、いつものように食料調達のため、ウサギなどの小動物を捕まえる罠を設置しているのである。いくつかの罠を仕掛け追えると、少年、モコモコはやや離れた茂みの中へ身を潜め、音を立てないように気をつけながら、獲物がかかるのをじっと待つ。罠を放置しておいて、ほかの動物を狩りに行っても良いが、今日は少し霧が出ていて、これ以上森の奥へ進むのは危険そうだ。

 茂みに身を潜めながら、モコモコはここ数ヶ月の出来事を思い出していた。突如村に現れた、魔法使いだという男は別の大陸から来た貴族だった。その使用人だというエルフの姉妹、その妹の方が今、彼の家に住み着いている。いったい、何がどうなって、こんなことになってしまったのか、モコモコ自身にもよくはわからない。メラゴーストの攻撃から訳もわからずに、無我夢中で彼女をかばったが、結果的に戦いに決着をつけたのはミミの魔法だ。結局、自分は何一つできてはいない。にもかかわらず、目覚めたモコモコに向かって、彼女は笑ってこう言ったのだ。

 

「守ってくれてありがとう、みんなが助かったのはあなたのおかげだよ。」

「え? お、オラ? でもよ、オラ結局あのモンスターにやられて、ぶっ倒れてただけだぜ……?」

「あなたの勇気が、私に力をくれたの、だから、私はあの時自分を取り戻せたし、強い魔法も使えたんだよ。」

「は、はあ……。」

 

 きょとんとする少年の顔をうれしそうに見つめながら、エルフの少女は照れくさそうに顔を赤らめ、少しもじもじしながら、それでも意を決したようにゆっくりと、彼に継げたのだ。

 

「あの、ね、お願いがあるんだけど。」

「え?」

「ミミと、おともだちに、なってくれますか?」

「あ、え、そりゃ、別にかまわねえけど……?」

 

 その時、彼女が自分の手を握りしめたその感触が、こうして1人になったときでも時折、思い出される。思えば、彼の人生で、女の子から手を握って貰うなんて事が今まであっただろうか。村で同じくらいの年頃の女の子といえばティアラだが、彼女は昔から、アベルと一緒にいることが多く、おそらく彼に好意を持っているのだろう事は周囲の誰の目から見ても明らかだ。モコモコもアベルと張り合って彼女の心を射止めようとしたことが何度かあったが、今となっては何故あんなにムキになっていたのか自分でもよくわからない。

 

「けっ、思い出したらなんか腹立ってきたぞ。」

 

 先日あった嫌な出来事を思い出し、そうつぶやいてからはっとした彼は、慌てて仕掛けた罠の方へ目をやったが、時すでに遅し。案の定、罠まで後数歩と近づいていた野ウサギが、その長い耳をぴくりと動かしたかと思うと、一目散に森の奥へと走り去っていった。モコモコははあと軽くため息を吐き、再びうっそうと茂る草の中へと身を隠した。

 夕食のメインディッシュの調達には、今少し時間が必要なようである。

 

***

 

 アリアハンの村で手当を受けていたヒカルの体調が回復し、普段通り動けるようになったのは、彼がこの村に来てからちょうど1週間後のことだった。今までいわゆる『原作』に介入しないようにするため、彼はこの村に近づくのを避けていたのだが、強制転移呪文(バシルーラ)で飛ばされた先がアリアハンというのは、何かの因果だろうか。とにかく、体調が回復したら早々に立ち去ろうと、借りている空き家を引き払う準備を整えていたのだが、そういうわけにはいかなくなってしまった。

 

「やれやれ、国王直々の依頼、か。」

「……申し訳ありません。私の落ち度です。」

「いや、いろいろとタイミングが悪かった、決してモモのせいじゃない。まさか数年に一度の国勢調査が来るなんて予想外だったよ。」

 

 ファンタジーの世界だからと気にしてはいなかったが、この世界の国家にも国民を管理する戸籍があり、その調査が数年ごとに行われていた。アリアハンは小国ながら歴史が古く、国家としての制度自体は思ったよりもしっかりと整えられていた。村や町ごとに世帯数、世帯人員、収入とそれに対する税率が細かく記されていて、およそ5年ごとに更新されているそうだ。ドランではこういった国民の戸籍管理は王の直轄領以外は領主である貴族に任せられており、細かな部分が領地によって異なっている。しかしアリアハンでは戸籍はすべて王宮が管理しているそうだ。それはさておき、調査に来た役人が当然、村民ではないヒカルたちのことを何者かと尋ねてきたわけで、モモが主人の身分を話したことから、その内容がアリアハン王の耳に届き、王から直々の頼まれごとをされてしまったのだ。

 

「いいえ、私が旦那様の身分を適当に隠しておけば、このような面倒なことには……。」

「ま、嘘つくとどっかでぼろが出るじゃない? 俺等全員、嘘つくの得意じゃないし。こうなったらもう仕方がない、言われたとおり王宮の魔法使いの育成を手伝ってやるしかないだろう。」

 

 ヒカルはよっこらせと立ち上がると、魔法の道具袋を腰にゆわえつけた。玄関から外へ出ようと、ギシギシと音のする古びた木の扉を開けると、ちょうど2人の人物がこちらへ歩いてくるところだった。

 

「おうミミ、お遣いご苦労さん、モコモコも手伝わせて悪いな。」

「ご主人様、モコモコが手伝ってくれたからすっごく楽に終わったよ!」

「でへへっ、オラ力くらいしか取り柄ねえけど、そう言ってもらえるとなんか嬉しいな、でへへ。」

「助かるよ、うちの使用人2人は見ての通り非力な女子なんでね。さてと、オレはちょいと出かけてくるから、後は頼むぞミミ。」

「はい。行ってらっしゃいませ。」

「ルーラ。」

 

 ミミとモコモコに軽く手を振り、ヒカルは瞬間移動呪文(ルーラ)でその場を後にした。残された2人のうち、モコモコは目をぱちくりさせて今まで魔法使いの男が立っていた場所を凝視している。魔法というものを今まで間近で見たことのなかった彼にとって、最近は驚くことばかりだ。

 

「さ、行きましょ、手伝ってくれたお礼に、お昼、何か作るから。」

「ほんとか?! やった!!!」

 

 足取り軽く、家の方へ向かっていくミミの後ろを、薬草を山ほど詰め込んだカゴを背負って、大柄な少年は喜んでついて行くのだった。

 

***

 

 少女が顔を上げると、いつの間にか部屋の窓からは陽光が差し込み、村は夕暮れ時を継げていた。カアカアとやかましく鳴くカラスの声が、そろそろ夕飯の時刻が近いと教えている。作業机の上に広げた図面をきりの良いところまで書き上げて、少女、ティアラはぐっと背伸びをした。立ち上がって窓から下を眺めると、昼間の仕事を終えて家路につく村人の姿がちらほら見受けられる。その中に、見知った少年を見つけて、いつものように大きな声で名を呼ぼうとして、しかし、彼女はその言葉を飲み込んだ。……言葉などかけられるはずがない。ちらりと部屋の隅に目をやれば、何かの骨組みらしきものが立てかけてある。しかし、つい先日まで白く美しい姿だったそれを思い出すと、胸の中にこみ上げてくるやり場のない感情を爆発させてしまいそうになる。目元ににじんだ涙を乱暴に拭って、ティアラがもう一度階下を見下ろしたとき、そこには先ほどまで狩りで仕留めたのだろう獲物をぶら下げて歩いていた少年、モコモコの姿はなかった。

 言われたことはわかる。理解はできる。自分の実験に友だちを付き合わせて、失敗してケガをさせてしまった。しかし、驚いたと同時に怖くなり、彼女は自分でも信じられないような腕力で持ち上げた『風の翼』を担いで、この作業部屋へ逃げ帰ってきてしまったのだ。そう、その事件があってから、村の人たちも、いつも一緒にいてくれた幼なじみも、どこかよそよそしい態度になり、話を聞いてくれる人物は両親と、幼い頃からかわいがってくれた老人くらいになってしまった。しかし、元のような人間関係を取り戻したくても、ティアラには何をどうしたらよいのかわからない。だから彼女は、結局自分が夢中になれることに没頭して、辛い現状から逃げを打つ以外には、何も出来なかった。

 

「アベル……。」

 

 いつも自分を気にかけて、何かあると守ってくれた幼なじみの少年の名前をつぶやいてみる。しかし、弱々しいその声は、部屋の静寂に溶けて消えていき、委中の相手どころか、誰の耳にも届くことはない。

 

***

 

 ヒカルがアリアハンの魔法使い達を育成するという王の依頼を引き受け、しばらく経ったある日のこと、その日の日程を終えて滞在先へ戻ってきたとき、すでに太陽は西に傾き始めていた。村の女性たちが夕飯の支度を始めているのか、あちらこちらからおいしそうなにおいが漂ってくる。ヒカルも少し空腹を覚えて、今日の夕食について思いを巡らせた。いつも夕飯を用意してくれるモモは、アンの頼みで兵士達の訓練に救護係として同行しており、数日は帰らないそうだ。自分一人でも材料さえあれば、2人分の夕食くらい作れるが、従者であるエルフの姉妹は主人にそのようなことをさせるのをよしとしなかった。たいていの場合、ヒカルが外で活動するときにはどちらかが同行して身の回りの世話をしていた。ドムドーラの町へ赴くときも、安全のために屋敷にとどまらせるのに苦労した。彼女たちがそんなものだから、屋敷の使用人達も過保護というか、やりすぎなくらいに世話を焼くようになってしまった。それでも、周囲の人々のそんな振る舞いを、ちょっと困ったと思うことがあっても、本心から嫌だと思ったことなどはヒカルは一度もなかった。今日はミミがどんな料理を作ってくれているか、少し楽しみにしながら、ヒカルはやや早足で滞在先の住居へ歩を進めた。

 

「ん?」

「ヒカルさ~ん!!!」

 

 村の中心部を抜けた当たりで、大声で自分の名前を呼ばれ、声のした方に顔を向けると、ボサボサ頭で上半身裸という格好の少年が、魚の入った魚籠と銛を持ったまま、息を切らせながら近づいてくるのが見えた。

 

「アベルじゃないか、どうしたんだそんなに慌てて。」

「し、神父様が、すぐに来て欲しいって、モコモコが、大変なんだ!!」

 

 荒い息を吐きながら、途切れ途切れに話すアベルの言うには、今から少し前、深い傷を負ったモコモコが教会に運び込まれたとのことだ。どうやら高いところから墜ちたように見受けられるが、詳しいことはわからないらしい。この村で医者代わりをしている、アベルの親代わりでもあるパブロ神父が治療を試みたが、彼の手には負えず、モモであればなんとかできるかと探していたが見つからず、ヒカルが戻ってきたら相談しようという話になったそうである。

 

「わかった、オレも医者じゃないからどこまでできるかわからんが、とりあえず診てみよう。モモは数日は帰ってこないからな……。」

「お願いします!!」

 

 走り出そうとするアベルを手で制して、ヒカルは村外れの小さな教会を頭に思い描いた。魔力のフィールドで自分とアベルを包み込み、その力を解き放つべく発動句を口にする。

 

「天の精霊よ我らを神のもとへ導け、ルーラ!!」

 

 男と少年は青白い光の矢となり、夕暮れに染まる村の上空を駆け抜けた。アベルが急な浮遊感に驚いた次の瞬間には、足は大地に着き、目の前には見慣れた教会が現れていた。一瞬、驚きで固まってしまうアベルだったが、すぐに状況を思い出し、教会の扉をノックもせずに乱暴に開け放つと、その中へと矢のような勢いで飛び込んでいった。

 

「神父様、ヒカルさん帰ってきたよ!!」

「お、おおアベル、すまない助かったぞ。」

 

 中から聞こえる神父の声も、彼の動揺を現すかのように、若干振るえている。事態が急を要するのだと改めて感じたヒカルは、アベルの後を追って小走りで教会の中へと駆け込んだ。

 

***

 

 小さな教会の1階、その一番奥の部屋に備え付けられた、大人用の割と大きめのベッドで、大柄な少年が苦しそうなうめき声を上げている。目を固く閉じて歯を食いしばり、顔からは脂汗がにじんでいた。全身に無数の打撲の後があり、手足が若干おかしな方向に曲がっているように見受けられる。

 

「これは……ひどいな。一刻も早く手当てしないと。」

「でも、この村に医者はいねえだよ……神父様の手に負えないと、あたしたちじゃあもう、どうにも……。」

 

 恰幅の良い女性がベッド脇に立ち、がっくりとうなだれている。名前は知らないが、彼女が少年、モコモコの母親であることを、ヒカルは知っていた。今の彼女は原作アニメに登場したときのような肝の据わった様子は微塵もなく、息子の容態にただ肩を落とすばかりだ。しかし、それも無理はない。この世界の医者はたいてい、大きな街にしかおらず、こんなへんぴな村に常駐していることの方が希なのだ。また、この世界における医療技術はヒカルたちの世界と比べて著しく低く、特に人間達の間では民間療法に毛が生えた程度でしかない。だから、たとえ医者がいたとしてもこの状況をどうにかできるかは怪しい。モモのいない現状で、治せる可能性があるとしたら、ヒカルの回復呪文くらいだろう。しかし、それにしてもこの状況では今すぐに治療することはできない。

 

「これは……たぶん何カ所か骨が折れてるな。しかもずれて変な方向を向いているみたいだ。これをなんとかしないと、オレのホイミだけじゃ完全に元通りにはならない。」

「そ、そんな、な、なんとかならないんですか? 父ちゃんが死んで、この子までいなくなったら、あたしは、もう……。」

 

 そんなことを言われても、今のヒカル1人の力では、この状況はいかんともしがたい。ゲームにおける回復呪文は、HP(ヒットポイント)という数値を増やすものにすぎない。しかし、現実における『治癒」とか『回復』という言葉を一口に表すのは難しいことだ。たとえば今回のような場合、折れてずれてしまった骨を元に戻す『整復』と、傷を回復するという二つの要素をどちらもこなさなければならない。魔法の効果は術者によってバラツキがあり、二つの要素を同時にこなせるのはごく限られた者だけだ。そういった人材、たとえば魔力のコントロールに長けたヤナックや、あるいは師匠のザナックであれば、治療は可能かもしれない。

 

「今は、無理だな。」

 

 そう、今回に限っていえば、彼らに助力を請うことはできない。他ならぬヒカルの依頼で、彼らには世界に散らばる伝説の武具の調査に行って貰っていた。ザナックに寄れば、修行を兼ねてヤナックを連れて数ヶ月旅に出ると言っていたので、今頃は世界の何処かを旅しているだろう。探すのは困難を極める。アンとモモを探し出して連れてくることにしても、騎士団の極秘訓練と言っていたから、すぐに居場所を特定して連れてくるのはかなり難しい。ルーラで行ける場所にいるとは限らないし、行けない場所にいる可能性の方が高い。

 

「ご主人様、お願い、回復呪文使えたでしょ? モコモコを助けて!!」

 

 急な呼びかけに驚いて良く見ると、ベッド脇の椅子に座り、モコモコの手を握りしめて、今にも泣き出しそうに顔をゆがめ、ミミがヒカルの方を見つめていた。彼女が自分たち以外の人間のことにこれだけ必死になるのは珍しいが、なんとかしてやりたくても彼1人の力ではどうにもできない。――いや、待て、もし、誰か協力してくれる者がいれば――と、こぼれ落ちそうな涙に揺れるミミの瞳を改めて見据え、ヒカルはあることを思いついた。

 

「……俺1人では無理だ。けど、ミミ、お前の力を借りれば、なんとかなるかも知れない。」

「えっ……私?」

「ああ、お前の能力を使えば、モコモコの体の状態を確かめたり、ずれた骨を元に戻すことができるかもしれない。」

「それじゃあ……!」

 

 ミミが生まれながらに持っている、魔法とは別の固有能力。それらのうちいくつかをうまく組み合わせれば、骨格を可能な限り正常な位置に戻し、その上で傷を治癒することができる。

 

「ただし、これはたぶん、かなり負担がかかると思うぞ。本当に実用できるかも賭けだしな。」

 

 そう、これはあくまで、ヒカルのこの場の思いつきであり、本当にできるかも確実ではなく、できたとしてもミミにはかなりの負担をかけてしまうだろうと予測できた。それでも、小さなエルフの従者が、主人に寄せる信頼が揺らぐことはない。

 

「私、やります! モコモコ、助けたい門!!」

「ミミちゃん、あんた……。」

 

 どうしてここまで必死になるのか、ミミ自身にも明確な理由はわからない。それでも、あのとき、迫り来る炎から自分を守ってくれた少年を何とか助けたいという彼女の思いは本物だ。数百年以上を生きるミミの寿命からしたら、モコモコと過ごした時間は一瞬のようなものだ。しかし、心のあり方を何よりも大事にする、エルフの彼女にはわかるのだ。モコモコの精神が、人間では非常に珍しい純粋なものであると。それ故に彼女は少年に惹かれ、ともに過ごす時間を心の底から楽しいと、そう思うようになっていた。

 

「……わかった。これから方法を説明するぞ。オレとミミの精神をつなげて、透視能力で全身の骨の状態を確認する。それから念動力で正しい位置に戻して、最後に回復呪文をかける、と、こんな具合だ。」

「うん、わかった、やってみる!」

 

 ヒカルは椅子に座り、ミミを自分の膝に座らせた。そして、彼女の発動した透視(クレアーボヤンス)に自分の魔力を同調させ、彼女と同じものを見ることができるか試みた。

 

「む、これは、すごい骨折だな……。左鎖骨、右肋骨3本、左上腕骨、右大腿骨と腓骨、……幸い脊柱は無事か。

 

 結果として、試みは成功し、ヒカルの視界にはモコモコの身体内部の様子が手に取るようにわかる。ミミに指示を出して、骨だけに意識を向けさせると、その部分だけが強調して映し出された。その状況はあまりに酷く、全身骨折の重傷だ。しかも、折れている肋骨の一部が肺に刺さる寸前まできている。不幸中の幸いというか、今のところ命に別状はないようだが、すぐに治療しなければ後遺症が残る可能性もある。

 

「ミミ、これからモコモコの骨を、俺が言うとおりに動かすんだ。回りの臓器を傷つけないように慎重にやるんだぞ。」

「う、うん、わかった……。」

 

 それから2人は、クレアーボヤンスと念動力(サイコキネシス)を駆使して、ずれている骨を正しい位置に戻した。個人的な興味で、人体について勉強しておいてよかったと、ヒカルは内心ほっと胸をなで下ろした。同じような作業を慎重に繰り返し、すべての骨が正しい位置に戻ったとき、窓の外から紅い夕焼けの光がさしこんでいた。

 

「お、わっ、た……。」

「おいミミ、しっかりしろ!」

「ミミちゃん!!」

 

 精神力を使い果たし、ヒカルの膝から崩れ落ちるように床にへたり込んだミミを、モコモコの母親が抱き留めた。涙を流しながら、ミミを抱きしめた彼女は、愛おしそうに彼女の髪を撫で、その労をねぎらった。

 

「ありがとうねえ、うちの子のためにこんなに一生懸命……。」

「ふうっ、なんとか上手くいった。ミミに感謝しないと名、俺1人じゃお手上げだったよ。」

「ご、しゅじん、様……。」

「そのまま寝てろ。後は任せな。」

 

 その言葉を聞き終わると、ミミは静かに目を閉じた。彼女は信じている。主人はいつだって、彼女たちの期待に応えてくれた。彼が任せろというなら、彼女が心配することはもう何もない。

 

「さてと、これが最後の仕上げだ。契約した手の呪文をいきなり使う羽目になるとはね……。」

「は、伯爵様、いったいこれから何を……?」

「奥さん、うちの使用人を頼みますよ。」

「え? あ、はい。」

 

 きょとんとする神父と女性に背を向け、モコモコの傍らに立ったヒカルは精神を集中し、先日契約したばかりの呪文の詠唱をはじめた。

 

「モコモコの血肉よ、その傷を癒せ。大地の精霊よ、かのものにその生命の根源たる力を分け与えよ!」

 

 ベッドに横たわる少年は、今だ苦痛に顔をゆがめ、声も出せない。その身体にかざされた術者の手から、淡く緑色の魔法の光が注がれ、次第に全身を包み込んでいく。魔力が全身に行き渡ったことを確認したヒカルは、最後の発動句を口にする。

 

「ベホイミ!!」

 

 魔法の光が一瞬強くなり、やがてゆっくりと収束していく。無数の打撲や内出血の後はきれいに消え去り、モコモコは目を丸くした。

 

「あ、れ……痛く、ねえ?」

「成功だ……!」

 

 ベッドの上では、起き上がったモコモコが不思議そうに全身を動かし、痛みがないことを確かめている。彼の母親は腕の中で眠ってしまったミミを抱きしめ、息子の無事に涙した。

 

「あ、ありがとうございます、伯爵様……。ほんとうに、ううっ。」

「あ~、いいっていいって、とりあえず何とかなってよかったわホント。いやぁ、苦手な呪文って疲れるね、ハハハ……? あれ……?」

 

 灸に視界がぐらつき、ヒカルはその場にぺたりと尻餅をついてしまった。すぐに起き上がろうとするものの、次第に意識が遠のいていく。ミミだけでなく、ヒカルの疲労もかなりのものだったようだ。パブロ神父の呼ぶ声を遠くに感じながら、彼の意識は次第に沈んでいった。

 

***

 

 徐々に沈んでいく太陽を窓から眺めながら、アベルは改めて自分の無力さを噛み締めていた。モコモコとは小さい頃からよく遊んだ中だったし、意地を張り合ったりケンカしたこともたくさんあった。向こうがどう思っているかはわからないが、アベルにとってモコモコは間違いなく友といえる存在だった。そんな友だちが全身ボロボロになって、この教会に運ばれてきたときには心臓が止まるかと思った。相当に重傷らしく、パブロ神父の手持ちの薬では気休めにもならないと言うことだった。アベルも試しに、覚え立ての回復呪文(ホイミ)を使って傷の治癒を試みたが、いかんせん契約した手で慣れない呪文では効果がほとんどなく、同じくホイミが使えるようになった村人数人にも頼んで試して貰ったが結果は変わらなかった。彼らに魔法を教えてくれた伯爵の使用人であるエルフの女性ならば、高価だがよく効く薬を持っているだろうと尋ねてみたが、今日に限って留守にしていた。それで、伯爵の帰りを待ってこの教会まで来てもらった。今、彼とパブロ神父、モコモコの母親と、、それからずっとモコモコに付き添っていたエルフの少女、ミミが奥の部屋で治療を試みている。なにやらとても難しい方法をとるのだと言うことしか、アベルにはわからなかったし、今はできることもないので、こうして別の部屋で治療が終わるのを待っていた。彼の傍らには魚籠に入ったままの獲物が、差し込む陽光をその鱗に反射させている。事の重大さに慌て、この魚籠を持ったまま駆け回っていたことに、アベルは先ほど要約気がついたほどだ。何も出来ることがない、というのはもどかしいもので、アベルは今までにないような難しい顔をしている。いつもおおらかで、明るさを絶やさない彼だが、やはりこういったときには気持ちは沈んでしまうものだ。だが、彼がどこか思い詰めたような顔をしているのには、もうひとつ理由があった。

 

「あのケガ、それにさっきのティアラ……。」

 

 モコモコが教会に運ばれてくる少し前、ボロボロになった何か大きなものを担ぎ上げて自宅へ引き上げていくティアラを目撃したのだ。何かあったのかと話しかけようとしたちょうどそのタイミングで、傷だらけのモコモコが担架に乗せられてきたため、タイミングを逃してしまいそれっきりだったのだが、モコモコのあの怪我は、ティアラの『空を飛ぶ実験』に付き合わされた結果ではないのか? そんな考えが、アベルの頭の片隅にこびりついて離れなかった。自分も前に実験にかり出され、失敗して落下したことがある。そのときはあまり高い位置からではなかったのと、下が竜神湖のほとりの砂地だったから事なきを得たが、もし、あのときより高い位置から、あるいはもっと固い地面に落下していたらどうなっただろうか。そう考えると、背中にイヤな汗が伝い墜ちるのを感じるのだった。

 

「アベル、ここにいたのか。」

「あ、神父様、治療は……。」

「うむ、なんとか無事に終わったようじゃ。……すまんが、村の男衆を何人か呼んできてくれんか。伯爵様が疲労で倒れてしまってな。」

「ヒカルさんが?! わ、わかったよ、オイラ急いでいってくる!!」

 

 とりあえず、何かを考えるのは後だ。アベルは神父の言いつけで、大人の男達の手を借りるため、教会を飛び出していった。いつの間にか、日は西の空へ沈み、半月(はんげつ)と共に姿を現した星たちが、村を静かに照らしていた。

 

***

 

 見上げた星空はどこまでも続いているようで、きらめく星の光がすべてを包み込んでくれるようだ。たくさんの星たちにまつわる物語を、幼い頃から母に聞かされて育ったためか、少女は星を見るのが大好きだった。それが高じて、星空を拡大して見ることができる望遠鏡というものを、家の倉庫で眠っていた古い本から再現して見せたことが、彼女が様々なものを作ることを趣味とするきっかけだったのかもしれない。ちょっと面白い遊び道具、生活に役立つものなど、彼女が制作したものは多岐にわたっていた。無論、失敗作も数多くあったわけだが、幾多の失敗にめげることなく、彼女は様々な『発明』を繰り返し、父親に作業場を与えてもらえるまでになった。村の大人達にも誉められ、好きな発明に没頭し、彼女は幸せな日々を送っていた。

 どこで、何を間違えたのだろう。あの日、傷ついたモコモコを放って、逃げ出してしまったその時から、彼女の夢の翼は折れ、その心は自由に飛べなくなってしまった。それでも、あきらめられない空への憧れが、彼女の胸を焦がす。

 彼女は気づいていない、夢を叶えるための実権の対価として払った代償はあまりにも大きく、そのことに気づけない彼女の行く先には、本来の『物語』よりもはるかに過酷な運命が待ち受けていることを。

 『彼』が現れなければ、この世界は『原作』と同じような歴史を辿ったのだろうか。それは誰にもわからない。しかし、すでに運命の歯車は狂いはじめ、世界はかつてない混沌の中へ陥ろうとしている。しかしながら、それに気づいている者は、異世界転移してきたヒカルを含め、この世界に1人もいなかった。

 少女の心とは裏腹に、どこまでも優しく静かな闇が、村全体を包み込んでいるようだった。明日もよく晴れた、穏やかな気候になるだろうことは疑いがない。しかし、少女、ティアラの心に立ちこめた暗雲は、いつ晴れるとも知れなかった。

 

to be continued




※解説
クレアーボヤンス:透視能力。対象の内部構造を見ることができるほか、意識を集中すれば見たい部分だけを強調表示することもできる。呪文を用いないため、魔法とは認識されず、呪文では妨害できない。ただし、魔王の念力や結界などを用いれば防ぐことはできる。

普通、空飛ぶ実権で友だちケガさせたら、ただじゃ済まないですよね? ということでこんな話になりました。ティアラにとっては過酷な運命になりますが、聖女になるために必要な『愛』と『知力』(ソフィアが作中で明言しています)のうち、知力の方はともかく、愛が、原作の彼女には大きく欠けているように感じます。これから彼女が本当の『愛』を見つけることができるのか、見守って挙げてください。


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第37話 竜の伝説、まだ知らぬ宿命

アリアハン編もそろそろ終わりに近づいてきました。夢の翼は折られ、ティアラの行く先には暗雲が立ちこめます。原作ではティアラ一筋だったアベルにどのような変化が訪れるか、そういうお話です。
※11月30日 サブタイトルにかぶりがあったので修正しました


 薄暗い部屋の中、質素な木のテーブルを挟んで、一組の男女が向かい合って酒を飲んでいた。灯りと言えばテーブルのほぼ中央にあるランプのみで、あとは何もない。こんな質素な照明でも贅沢な方で、ろうそく1本のか細い灯りだけで夜を過ごす家もある。だから、夜は早めに就寝し、朝日と共に起きてきて活動するというのが、どこの町や村でも当たり前だった。

 向かい合う二人は夫婦で、今年13になる娘がいる。ごく普通の家庭で、ごく普通に子育てをしていた、そのつもりだった。

 

「どうしたものか、な。」

「あの伯爵様が言うことはわかります、でも、何もあそこまでしなくても……。」

「では、モコモコの怪我がもし完治していなかったら、我々はどう責任を取れば良いんだ? 伯爵様がいらっしゃったから、たまたま大事には至らなかっただけで、あのままではたとえ自然治癒したとしても、後遺症が残る可能性も低くはなかったと、神父様がおっしゃっていたではないか。」

 

 夫婦はティアラの両親で、夫がイワン、妻がマルチナといった。彼らが難しい顔をしているのは、娘が空を飛ぶ実権と称して、同じ村に住む少年に大けがをさせてしまったからである。彼らはそのことを、ヒカルがモコモコの傷を完治させた後に知った。その時、娘の作業場に乗り込んできたというエルフの少女の悪鬼羅刹のごとき表情は、今思い出しても、大の大人ですら震え上がってしまいそうなくらい、苛烈なものだった。しかし、それほどに事態は深刻であったとも言え、ティアラの親である夫妻の衝撃も又大きなものだったのだ。

 

「いずれにしても、ティアラがやっていることで、人様に迷惑をかけたことは事実だ。塞ぎ込んでいるのは可愛そうだとは思うが、やっていいことと悪いことはきちんと教えていかなければならん。……私達が少し、甘やかしすぎたかもしれないな。」

「はい、あなた……。」

 

 イワンは手元の果実酒を、ぐいっと一気に飲み干し、腕を組んで黙り込んでしまった。マルチナは深いため息を吐き、夫と自分のグラスを持って、台所の方へ引っ込んでいった。その背を見つめながら、イワンは娘の将来を憂い、静かに目を閉じるのだった。

 

***

 

 ヒカルが目覚めたとき、傍らではアンが心配そうに彼の顔をのぞき込んでいた。もっとも、いつものことながら身内以外にはほとんどわからない表情の動きだったが。反対側の窓に目をやると、すでに太陽はかなり高いところまで昇っている。昨晩気を失ってから、どれくらい寝込んでいたのだろうか。

 

「まったく、君が倒れたと言うから、心配になって訓練を切り上げて飛んできてしまったぞ。気絶するまでMP(マジックパワー)を使うなんて、いったい何を考えているんだ。」

「すまん、ミミの能力借りる以外に、手段が思い浮かばなかったんだよ。」

「まあ、人助けと言うことだから今回は仕方がないが、自分の体は大事にしてくれ、寿命が縮む思いだったぞ。」

 

 精神力を使い果たして倒れたくらいで、何を大げさな、とは思ったが、逆の立場ならやはり、自分も彼女を心配するだろうと、ヒカルは言葉を飲み込んだ。他に手段を思いつかなかったとはいえ、無茶なことをしたという自覚はある。エルフの能力は彼らの膨大な魔力によって成立しているものも多い。ミミの能力も、使用するには呪文の何倍ものマジックパワーを必要とするもので、それを一緒に使ったのだから、人間であるヒカルへの負担も相当なものだったと考えられる。改めて、自分たちとモコモコが無事であったことに、ヒカルはほっと胸をなで下ろした。

 

「そういや、なんでモコモコは大けがをしたんだろうな? 狩りに行って崖から足を滑らせた、とかか?」

「……そのことなんだがな、ついさっき神父様から話を聞いてきた。少しばかり問題だぞ、これは。」

「ん?」

 

 アンはややためらうようなそぶりを見せたが、ゆっくりと、パブロ神父から聞いてきたという話を語り出した。

 昨日の昼過ぎ、家の手伝いを追えて、湖へ遊びに行っていたモコモコは、そこで何やら実権をしているティアラと遭遇した。彼女は最近、人間が独力で空を飛ぶのだと称して、巨大な翼のような道具を作っており、アベルとモコモコを何度もそれに乗せて飛ばし、実験台にしていたと言うことだ。しかし、いくらティアラが人並み外れた才能を持っていたとしても、子供がそう簡単に空を飛ぶ道具など作れるものではない。現にこの実権は今まで何度も失敗しており、そのたびに少年2人はケガをしていたらしい。

 

「異常だな。」

「ああ、やはりヒカルもそう思ったか、私もだ。子供達よりも周りの大人が、な。」

 

 アンの聞いたとおりならば、この村の大人達は、子供が危険なことをしてケガをしても、ろくに対策をとっていないということになる。子供だから、多少危ないことをしてケガをして帰ってくることなどは日常茶飯事だろうが、空を飛ぶ実権などというスケールの大きなものになってくれば話は別だ。ティアラの制作している『風の翼』と呼ばれるものは、原作の描写を見る限りではヒカルの世界で言うところのハンググライダーに類似した道具と考えられる。しかし、この世界では化学的な手段で空を飛ぶという考えを持つ者は、おそらく彼女以外いないか、いてもかなり稀な存在だと思われた。この世界の科学水準はヒカルの世界で言うところの中世ヨーロッパか、下手をすればそれよりも遅れているかもしれない。したがって、先人達の研究資料などは入手できないだろうことがほぼ確実で、ティアラは空を飛ぶ理論、それを成し得る技術をほぼゼロから、自力で開発しなければならないのだ。そういうわけで、子供達だけでやらせるには危険が大きすぎる実権なのだ。今回モコモコが重傷を負うまで、軽い怪我程度で済んでいたのは単に、運が良かっただけで、下手すればもっと前に、今回異常の大惨事を引き起こしていた可能性すらある。

 

「危機意識が低すぎる。何とか村人達に注意喚起しないといけないけど、いかんせんこっちはよそ者だからなあ。」

「……難しい問題ではあるが、このまま放置しておく訳にもいかないだろう。」

 

 アンのいうとおり、このままティアラの好きにやらせていたら、一歩間違えば死人が出かねない。ヒカルは『原作』の主要人物たちの運命に介入することを一瞬ためらったが、このまま放置しておいて誰かが死んでしまったら、後悔するどころでは済まないだろう。

 

「だ、旦那様!」

「ヒカルさん大変だ!! ミミがティアラの家で大暴れしてて、手がつけられないんだ!!」

「何?!」

 

 ヒカルが意を決してベッドから立ち上がったちょうどそのとき、部屋の扉を乱暴に開け放ち、モモとアベルが飛び込んできた。2人とも息を切らせ、モモの方は顔面が蒼白になっている。もはや倒れる寸前の彼女を支え、アンが落ち着かせるように優しく話しかけた。

 

「大丈夫かモモ? しっかりしろ、ふらふらじゃないか。いったい何があった?」

「お、オイラが話すよ。昨日モコモコが怪我したのが、ティアラの空飛ぶ実権のせいじゃないかって、オイラモコモコに確認したんだよ。そしたらやっぱりそうだって……。それをミミが部屋の外から聞いてて、それで……。」

「ふむ、なるほどな。アベル、悪いがモモを見ていてくれるか? ミミが本気で怒っているなら……。」

「ああ、普通の人間ではまず、止められないからな。」

 

 モモを軽くひょいと抱き上げ、先ほどまでヒカルが寝ていたベッドに寝かせると、アンはヒカルと共に、開け放たれた扉を閉めもせずに、小走りで部屋を出て行った。

 

「エルフって本当はすごく怖い……? のかな?」

「……そんなことはないですよ……ミミは特に普段はめったなことで怒ったりしませんわ。」

「……そうだよなあ、あ、モモさん大丈夫?」

「……はい、少し落ち着きました。ありがとう。」

「もう少し寝ていると良いよ、えと、オイラ特になんにもできないけど、その、そばにいるから、さ。」

 

 頬をかきながら照れくさそうに笑う少年に、モモも釣られて小さな笑みをこぼした。この少年も純粋で優しい心を持っている。そばにいると落ち着くような、不思議な雰囲気があると、モモはそう感じた。彼こそが竜伝説に選ばれた勇者だとは、彼女は知らない。

 

***

 

 ティアラと両親が住んでいる家は、村の中ではかなり大きい方で、遠くからでもよく見える。数年前に娘専用の作業部屋を増築するなど、両親は村の中でも裕福なようだった。しかし今、その作業場からものが壊されるような音が断続的に聞こえ、それに混じってすすり泣くような声も聞こえる。アンとヒカルは階段を一気に駆け上がり、開いたままの扉から部屋へ飛び込んだ。

 

「うわっ、何だこりゃ?! おい、ミミ、やめろ、何やってんだお前!!」

「落ち着くんだミミ!! くっ、怒りで半分我を忘れているのか……。私達の声が届いていない……?!」

 

 部屋の中は荒れ放題で、紙切れだの木片だの、様々なものが散乱し、また宙に浮いて飛び交っている。ティアラはというと、部屋の隅でうずくまって泣くばかりだ。この惨状を引き起こしている張本人、ミミは長い髪を逆立て、周囲に様々な物体を浮遊させたまま、地獄の鬼もかくやというような表情で、ティアラをにらみ据えている。

 

「あのときと、同じか。」

「あの時?」

「ああ、モーラの都で戦った奴が、オレのことを異分子って罵ったことがあってな、その時以来だ、あんなミミの顔を見るのは。」

 

 しかし、状況はその時よりも悪いと言って間違いないだろう。今のミミは半狂乱状態と言って良く、駆け込んできたヒカルとアンのことも正確には認識できていないようだ。その視線は先ほどからずっと、ティアラ只独りに向けられている。

 

「お前にも私の友だちと同じ思いをさせてやる! 人を怪我させておいて自分だけ逃げ帰るなんて卑怯者め!!」

「う、ううっ……!」

「何とか言ったらどうなの? このクズ女!!」

 

 答えられるはずがないだろう。まだ12、3そこそこの子供が、こんな圧倒的な力を見せられたら、良くてその場から逃げ出すくらいが関の山だ。ティアラからしたら、村の外で凶暴なモンスターに襲われるよりはるかに恐ろしい状況に陥っている。ミミの口調は普段の子供っぽいものではなくなっており、彼女の怒りが相当なものであることがわかる。

 

「やむを得ん、許せミミ!」

 

 アンは床を蹴って軽く跳躍すると、常人の目には止まらないスピードでミミに迫り、その横を駆け抜けた。次の瞬間、小さなエルフの体はぐらりと傾き、まもなくどさりと床に倒れ伏した。それと同時に、今まで宙を舞っていた様々なものが、パラパラと床に降り注ぐ。アンがすれ違いざまに振り下ろした手刀によって、ミミはその意識を刈り取られ、彼女の発動していた念動力(サイコキネシス)もその効力を失ったのだ。

 

「うっわ、危なかった。刃物でも飛ばされていたら大惨事だぞこれ。」

「相変わらず何て強力な力だ。正面切って戦っていたら危うかったな。」

 

 危機一髪といったところか、とりあえず物はいろいろと壊れたようだが、けが人が出なくて良かったと、ヒカルとアンは安堵するのだった。

 

***

 

 翌日、ヒカルはミミを伴い、ティアラの家を訪れていた。どんな理由があるにしろ、他人の家に侵入して暴れ、被害を与えたのだから、謝罪はしなければならないだろう。おそらくリビングであろう部屋の大きなテーブルを挟んで、ティアラ一家とヒカル主従が対面していた。

 

「うちの使用人がお宅の器物を損壊したことについては謝罪します。後で本人に責任を持って復元させますので、どうぞご勘弁ください。」

「そんな、伯爵様が下々の者に頭を下げられるなんて、どうかおやめください。」

「身分は関係ありません。他人の家で暴れるなど、私の監督不行き届きです。申し訳ありませんでした。」

「申し訳ありませんでした。」

 

 ミミは主人と一緒に、とりあえず謝罪をして、頭は下げたが、それが形だけだというのはこの場の誰から見ても明らかだった。その様子に、ティアラの父、イワンは遠慮がちに口を開いた。

 

「いえ、壊れた物は直すなり、また買えばすむことですが……その、私には、そちらのその、メイドさんがなぜ怒っているのか、そちらの理由の方がその、気になりまして……。」

「……は? 娘さんから何も聞いていないのですか? 昨夜そこそこの騒ぎになっていたと思うのですが。」

「騒ぎ、というとまさか、モコモコがケガをしたという……?」

「本当に、何もご存じないので?」

 

 夫妻は困惑した表情で、娘の方へ視線を向ける。当のティアラはというと、うつむいて父親とも母親とも目を合わせようとはしない。それにさらに困惑する両親。ヒカルは小さくため息を吐いて、嫌な予感を抱えながら追加の質問を投げかけた。

 

「では、娘さんが空を飛ぶ道具を作っていたことはご存じですか?」

「え、ええ、何やら図面を引いて、大きな羽のようなものを作っていたようですが……。そういえば、昨日、作業部屋を見たときはところどころ壊れていましたわ。」

「なるほど、その道具の実験をするのに、娘さんがお友達をたびたび付き合わせて、失敗して怪我をさせていたことは?」

 

 ヒカルの言葉に、マルチナはぎょっとした表情を浮かべ、再び娘の方へ視線をやった。イワンの方は驚きのあまりその場で硬直してしまっている。ティアラはうつむいたまま肩をふるわせ、ついにメソメソと泣き出してしまった。

 

「ふざけないでよっ! ティアラあなた、モコモコにあんなことしといて、謝りにもいかないわけ?! 昨日、私や、ううん、モコモコのお母さんや、アベルや、神父様がどんな思いでいたかわかってるの?!」

「落ち着けミミ、怒りを叩きつけてもなんにもならん。」

「ご主人様……。」

 

 ヒカルはやれやれと、大げさにため息を吐き、イワンの方をまっすぐに向いて、ややきつめの口調で再度、問いただした。

 

「再確認しますが、あなたがたは娘さんのやっている実権に関して、その内容をなにも把握されていなかった、そういう事ですか?」

「……は、はい。」

「……前言は撤回します。損壊した器物は可能な限り復元しますが、謝罪はしません。娘さんが何をしてしまったのか、親としてもう一度、ちゃんと考えてください。それから、あの風の翼とやらは危ないので処分させてもらいます。」

「え? そ、そんな……!」

「そこには反応するのか、……悪いがはっきり言ってあきれたよ。ティアラ、君にとってはモコモコのことよりも、あのガラクタの方が大切なわけだね?」

 

 ヒカルはわざとらしく咳払いをして、もう話すことはないとばかりに椅子から立ち上がり、まだ怒りが収まらない様子のミミを半ば引きずるように、あいさつもそこそこにティアラ一家のもとをあとにした。

 

***

 

 アリアハンの村の、竜神湖(りゅうじんこ)とはちょうど反対側、森の入り口にほど近い場所で、1人の少年が黙々と、木の棒を振るっていた。太陽は頭の上を少し過ぎたくらいで、今が一番熱いときだろう。額から流れ落ちる汗を拭うこともせず、少年は一心に素振りを続けていた。

 

「九十八、九十九、百!!!」

「お疲れ様、はいお水。」

「ああ、ありがとう……? う、うわあっ、ビックリした。なんだミミか……驚かさないでくれよ。」

「ふふ、アベルったらこんな暑い日に無理すると倒れちゃうよ?」

 

 差し出された水稲の水を一気に飲み干し、肩にかけた布で汗を拭ってから、アベルは空を見上げた。どうやら、熱中するあまり時間がたつのを忘れていたようだ。

 

「いやあ、この間みたいにモンスター、魔物が襲ってきたりしたら今のオイラじゃひとたまりもないからな。できることはやっておかないと。」

「そう? アベル今でも十分強いと思うけど。モコモコに負けないくらいなんでしょ?」

「う~ん……あいつみたいに、魔物から女の子守れるかっていわれたら、オイラ自信ないよ。正直言ってびっくりしたもんな、凄いよあいつ。」

 

 アベルは村の向こう側に見える竜神湖を見つめ、そして拳をぐっと握りしめた。何かを決意したような、彼のそんな雰囲気に、ミミはいつも皆を守っていた背中と、同じものを感じたような気がした。

 

「大丈夫だよ。」

「え?」

「はじめから、強い人なんていないけど、アベルは強くなれるよ。」

「はは、ありがとう。みんなを守れるくらいにオイラ、きっと強くなるよ。」

 

 アベルが思い浮かべるのは、幼い日の記憶、盗賊達に襲われ、危ういところを助けてくれた戦士のこと。思いがけず再会した彼女は、あの時と変わらない優しい表情を向けてくれた。自分はまだまだ、彼女のように強くなれていないけれども、いつか大切な皆を守れるような、そんな強い男になるのだと、アベルは決意を新たにする。

 竜伝説に記された、伝説の勇者としての自身の運命を、少年は未だ知らされてはいない。

 

「お~い、おめえらこんなとこにいたのか? 暑いからもう少し日陰にいこうぜ~!」

「わかった~~!! ほら、行こうアベル!」

「あ、うん。」

 

 呼ばれた声のする方へ、駆けだしていくミミの後を、アベルは慌てて追いかけた。己に課せられた宿命を彼が知るまで、原作通りならばまだしばしの時間がある。邪悪な影はゆっくりと、しかし確実にこの世界に迫ってきている。1人のエルフが加わったこと、異世界から来た男がもたらしたものが、アベルやモコモコらにどんな影響を与えるのか、それは誰にもわからない。

 

***

 

 ヒカルが仮住まいをしている空き家に、その日は珍しく来訪者が会った。立派な白鬚を蓄えた老人は、居間のテーブルでヒカルと向かい合って座り、進められた茶と茶請けに手もつけず、何かを懇願するような表情を浮かべている。

 

「そのような顔をされても困ります。確かに私は部外者ですがね、さすがに見過ごせませんよ。いったい何を考えているんですかあなた方は。」

「じゃ、じゃがなにもせっかく造った者を壊さなくとも……のう?」

「のう? ではありませんよ。そうやって甘やかしたから、こういう結果になったのでしょう? 彼女がちゃんと反省して、取るべき行動を取っていたら、あるいは、両親がちゃんとそれをさせていたら、私もこのような強硬手段には出ませんでしたよ。』

「じゃが、ティアラは……。」

 

 さらに何か言おうとした老人は、そこで言葉を止めてしまった。ヒカルには彼が何を言いたいのか、なんとなくわかっていたが、素知らぬふりを決め込んで、事実を並べてそれに対する一般論を主張するという態度を貫いた。ティアラがボーン族の流れをくむ者、赤き珠の聖女という特別な存在であることは、おそらく村の中でも一部の者しか知らないのだろう。彼女やアベルが自分たちの使命について知らされるのは、15歳の誕生日を迎えてからになる。原作ではまさにそのタイミングでバラモスが襲ってきたため、ティアラは自分の氏名を知らぬまま拉致されることになってしまったが、アベルがパブロ神父から聞かされたように、本来はこの老人がティアラに役目を伝えるメッセンジャーということになるのか。

 

「何ですか? ティアラに何か特別な配慮をしなければならない理由でもあるのですか? それはモコモコという1人の命よりも重たいものなのですか?」

「い、命? そんな大げさな……。」

「大げさ? あの状況を見ていないからそんなことが言えるんです。あのまま処置ができなかったら、ちゃんと動ける体に戻ったかどうか怪しいですね。私が居合わせて対処ができたのは全くの偶然です。モコモコが後遺症で苦しむことになったら、あなたが責任を取ってくださるんですか?」

「う、ううむ……。」

 

 老人はそれ以上、言葉を発することができない。おそらく、特別な存在であるからとティアラを甘やかし、悪いことをしたら叱るという当然のことを、両親に怠らせた元凶は彼だろう。この老人は村の中でも実力者だというから、ほかの大人達も右へならえで、何か思うところがあっても口にしなかったのだろうか。いずれにしても、ヒカルにはティアラやこの老人の立場に配慮する理由は何一つない。乱暴な言い方をすれば、知ったことではないのだ。彼にとっては友だちに怪我をさせて謝りもしないような子供を放置しておくことは、見過ごせない事態だった、それだけのことだ。

 結局、老人、ヨギは黙って引き下がるしかなかった。ティアラの行動や態度に問題があるのは事実だし、それは何か特別な人間だからといって許されるものかと言えば、少なくともヒカルの中では明確に否であった。この世界で親しくなった、彼に近しい者たち、たとえ身分の高いピエール王やサーラ姫、ドランの貴族達に問うてみても、同じような答えが返ってくるだろう。ヒカルは改めて、ティアラに一度、明確な否定を突きつけることを決意し、同時に自分がこれ以上彼らの運命に介入しないように、アリアハンを去る決心を固めたのだった。

 

***

 

 アリアハンの村の広場に吹き付けた一輪の風が巻き上げた灰は、つい先ほどまで、美しい純白の翼だったもののなれの果てだ。少女の夢の詰まった美しいその翼は、骨格すら残ることなく白い灰と化し、空へと舞い上げられていった。そして後にはもう、形あるものは何一つ、残ってはいない。

 

「わ、私の、風の翼が……。」

 

 呆然と、巻き上げられる灰を見つめ、うわごとのようにつぶやくティアラ。いつもなら彼女がこうして落ち込んでいるときは、同じ日に生まれた幼なじみの少年が慰めてくれたものだが、今、当のその少年、アベルは厳しい表情を向けている。

 

「アベル……。」

「ティアラ、はっきり言っておくよ、オイラもう、おまえの実権には付き合わないからな。風の翼だけじゃなくて、全部だ。」

「えっ……。」

 

 ティアラがアベルの顔をもう一度見ようと顔を向けたとき、すでに幼なじみの少年は彼女に背を向け、広場から遠ざかっていった。

 

「あ、おいアベル、待ってくれよ~!」

 

 彼の後を追い、モコモコと耳も足早にその場を後にした。集まっていた野次馬達も次次と解散し、この場にはティアラと、彼女の両親、ヨギ老人だけが残された。彼らはしばらく黙ってティアラの様子を見守っていたが、父親のイワンが歩み寄ってきて、娘に声をかけた。

 

「ティアラ。」

「お父様……。」

「もっと早く気がつくべきだった。お前のやったことは悪いことだ。それだけは間違いがないことだからよく覚えておきなさい。それと、今後は人様を実験台にするようなことは当面禁止する。」

「……はい。」

「それから、モコモコとお母さんには明日にでも正式に謝りに行く。しかし……。」

 

 娘をじっと見つめる父親の顔は、今まで見たことがないような深刻なものだ。言葉もゆっくりと、一つ一つ慎重に選んで話しているように見受けられる。

 

「許してもらえるとは思わないことだ。」

「えっ……。」

「大けがをさせただけでも大変なことだが、お前はそのあと、動けない彼を見捨てて、その場から逃げた。伯爵様やアベル、ミミがあれだけ怒っているのはそれが理由だ。……お前は取り返しの付かないことをしてしまった。」

 

 いつも優しかった父の厳しい言葉は、少女の心に重くのしかかる。決して彼女を激しく責めるようなものではなかったが、それらは確実に、例えるならまるで一言一言が重たい鈍器で殴られでもしたかのように、ずしりずしりと心の中に響いてくるのだ。

 

「いいかねティアラ、お前がたくさん勉強して、大きな夢を持って頑張っているのは、それはすばらしいことだ。しかし……。」

 

 少女は顔を上げることができない。聡明な彼女には、父親の行っている話の内容はよくわかる。自分が悪いのだと言うことも、理解はできる。しかし、それでもなお、作業部屋をエルフの少女に荒らされ、果ては一番大切にしていた風の翼を魔法使いの男に焼き払われ、そこまでされる理由があるのかと考えてしまう。そのこと自体が、すでに根本的に間違っているのだと言うことを、彼女の心は受け入れようとはしない。

 

「友だちよりも発明品の方が大事だというなら、今後二度と本当の友だちなどできないと知りなさい。」

 

 ようやく顔を上げた彼女の視界は、溢れ出る涙でぼやけて、間近にいるはずの父親の顔すらもまともに映さない。イワンはマルチナ、ヨギと二言三言何かを話していたが、その内容すらもティアラの耳には入ってこない。

 

***

 

 昼食の片付けを追えて、アベルは何をするでもなく、精霊神の像が祀られた礼拝堂の机に突っ伏していた。礼拝堂と行っても、たいした広さもない質素なもので、長いテーブルも椅子も、精霊神の像さえもすべて木製で、パブロ神父のお手製だ。

 

「つっかれたぁ……。ここのところだるくてしかたねえや。」

「それは鍛錬のやりすぎだな。大人ならともかく、子供は無理をしすぎるものじゃないぞ。』

「え?」

 

 不意にかけられた声に驚いて振り返ると、1人の女性が礼拝堂の入り口に立っていた。今日は鎧も着ていないし、剣も携えてはいないようだ。女性はゆっくりとアベルに近づいてくる。あいかわらず、ほとんど動かない表情のため、アベルでは彼女が何を考えているのかよくはわからない。

 

「アンさん、今日はどうしたの? もうここへは来ないと思っていたのに」

「借りていたあの家を最期に掃除しておこうと思ってな。今終わったところだ。」

 

 アンはそう言って、かすかに――本当に、読み取れるかどうかわからない微妙な表情の変化だが――笑って見せた。そして、アベルの隣に腰を下ろして、彼をまじまじと見つめる。

 

「ど、どうかしたの?

「いや、なに、強くなるためにずいぶん体を鍛えているらしいと聞いたのだが、なるほど、ずいぶんとたくましくなったものだ。」

「うん、でも正直言って、まだまだだよ。アンさんみたいにはなかなかなれないね。」

 

 そう言って苦笑するアベルの頭を軽く撫でて、アンは礼拝堂の窓から外を眺めた。その横顔はどことなく悲しげに見えて、アベルは言葉を出せなくなってしまう。

 

「私のように……か。前にもそんなことを何度か言われたな。しかし、私の強さは色々なものを捨ててしまった強さだ。……アベル、強さとは決して戦う力のことじゃない。私など目指すな。君は今の優しい君のままで、君だけの強さを手に入れれば良いんだ。」

「オイラだけの、強さ……?」

「人はみんな違う。どんなに頑張っても届かないことや、どうしても不得手なものはある。それでも1人でさえなければ、周りの誰かが自分の足りないところを補ってくれる。自分も誰かの足りない部分を補える。」

 

 少年を見つめる女性戦士のまなざしはどこまでも優しくて、それは彼が幼い頃に失ってしまった、自分を包み込むようなあたたかなぬくもりを、与えてくれるものだった。少年は思う、やっぱりこの人のようになりたいと。戦う力だけではなくて、誰かの心も守ってあげられるような、そんな強い人間になりたいと、アベルは心から思った。

 

「いろいろな強さがあるんだね、オイラだけの強さってまだわかんないけど、オイラは回りの人たちを守れるような人間になりたいんだ。……でもわかったよ。絶対に戦う強さだけに拘ったりしないよ。自分のことだけで、周りが見えなくなったら、こないだのティアラみたいになっちまうもんな。」

 

 アベルの母親は、すでに他界してこの世にはいない。父親はある日突然、帰ってこなくなった。それでも寂しさに負けることなく、誰かのために強くなろうとする少年の心のあり方に、アンは自分にはない強さを、確かに見たような気がした。

 

「え? アン……さん?」

「すまない、少しだけ、君の勇気を私にも分けてくれないか。……君はもう十分に強いさ。誰かのために生きられる者は強い。だから焦るな。力なんて、努力していれば後からついてくる。」

 

 気がつくと、アンはアベルをその胸に抱きしめていた。彼の純粋な優しさはどこからくるのだろう。傍に両親がいなくても、曲がることも歪むこともなかったその心は確かに『強い』と断言できるものだ。それでも、無理をしたらいつか壊れてしまうのではないかと、アンは心配でたまらなくなる。いつかこの少年が、背負いきれない何かに押しつぶされてしまわないかと、いらぬ心配をしてしまった。だから適当な理由をつけて、こんなことで足しになるかはわからないけれども、せめて精一杯の思いを込めて抱きしめてやるくらいしか、アンにはできなかった。

 彼女が少年、アベルの宿命をヒカルから聞かされるのは、これより少し後のことになる。魔王に立ち向かうことを宿命づけられた2人の勇者の歩む道は、果てしなく長く、そして険しい。

 

to be continued




原作では、ほぼティアラを助ける目的のためだけに、勇者としての道を歩んでいたアベルですが、本作では宿命を知るまでに出会った人々や、さまざまな出来事のために、視野が多少なりとも広くなっています。彼は今後、どのような人生を歩んでいくことになるのでしょうか? それはヒカル君にも、作者ですらまだわかりません。なるべく、原作の誰にでも分け隔てなく優しく接するアベルを文章の中で表現できればと考えています。

ティアラの運命の方はほぼ原作よりもきついものになりそうです。ハードモード、ひょっとしたらベリーハードかアルティメットモードでのスタートになりそうです。ただ、本人の知らぬ事とはいえ、この運命自体未来の自分が呼び込んだようなものですから、自業自得といえなくもありません。
因果応報を適用するとえらいことになってしまいそうですな、これは。

次回もドラクエするぜ!
……Gayoでアベル伝説配信してるらしいですね……。


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第38話 募る思いが呼ぶ悲劇……進化の秘法の恐怖!

アベル君の成長フラグが立って、原作も安泰かと思いきや、反対にティアラフラグをバキバキ折ってしまうヒカル君。その影響がそのうち出てくるのでしょうか?
とにかく、ドランへ帰還しようとするヒカル君なのですが、何やらまた面倒なことになってるようです……。


 アリアハンが非常に小さな、力の弱い国だと言うことは以前にも触れたが、それを象徴するように、国の中心とも言える城と城下町も又、とても小さなものだ。それでも、小国が点在している中央大陸の中では大きな方で、ともすれば村と間違われるような城下町も多数存在しているのが、この当たりの情勢だ。したがって、他国との戦争などは、仮に権力者にその気が合っても、それを成せるような余裕のある国はどこにも無かった。

 大国、それこそドランなどと比べたらまるで箱庭のような城の、とりあえず体裁だけを整えた謁見の間で、1人の男が跪いている。その先の数段高いところには、普通の大きな椅子を無理矢理飾り付けただけのような簡素な玉座に、もうすぐ中年にさしかかるくらいの年齢だろうか、王冠を頂いた人物が座している。

 

「そうか、やはり決心は変わらぬか。もう少し、この国に滞在して貰いたかったのだが、やむを得んな。」

「……ご期待に添うことができずに申し訳ございません。」

「いやいや、元々そなたは他国の王に仕える身、それをこちらで無理を言って来て貰ったのだ。国へ戻ったら、ピエール王にもくれぐれもよろしく伝えてくれ。」

「承りました。」

 

 男は立ち上がり、一度深々と礼をすると、王に背を向け退室するために歩き始めた。しかし、ほんの数歩歩を進めたところで、その足は止まることになる。

 

「た、大変でございますっ、城にキメラが乱入してきましたっ!!」

「どけどけどけどけっ、どいてくれ!!!」

「な、何事だ?!」

 

 キメラの乱入と聞いて、一瞬身構えたヒカルだったが、まもなく構えを解き、慌てた様子で猛スピードで飛んでくるキメラに歩み寄り、両手を広げてその進行を制止した。

 

「こらこらメッキー、いきなり城に飛び込んできたら騒ぎになるだろう、とりあえず落ち着け。」

「ヒカル!! やっと見つけたぜ! こ、これが落ち着いていられるかよ!! ドランの城が、トビーが大変なんだ! オイラはサーラに頼まれて、お前をずっと探してたんだぜ!」

「何? いったい何があった?」

「説明してる時間ももったいねえ!! 今すぐドランへ戻るぜ!!」

「……わかった。陛下、御前をお騒がせして申し訳ありません。ご無礼とは存じますが、これより魔法でドランへ帰還させていただきます。」

 

 メッキーのただならぬ慌て様から、よほど深刻な事態が起こったのだと感じたヒカルは、一度玉座に向き直り、謁見の間での非礼を詫びた。王はそれには触れず、傍らに控えていた従者から一冊の本を受け取ると、自らヒカルに歩み寄り手渡した。

 

「これは……?」

「私が知る限りの、竜伝説やその他の伝承に関する様々なことを書き記したものだ。すべて書き上げてから渡そうと思っていたのだが、何やらただならぬことが起こっている様子。もしかしたら何かの役に立つかも知れぬ。持って行くが良い。」

「ありがとうございます。では……。」

「うむ、くれぐれも気をつけるのだぞ?」

「はっ! お心遣い感謝します。」

「よしっ、じゃあ行くぜ! ヒカル、お前はマジックパワー温存しとけ、オイラが送っていってやる、ルーラ!!」

 

 あっけにとられる謁見の間に残された者たち。瞬間移動呪文(ルーラ)など、小国で使い手などおらず、誰もかれも目にするのは初めてだ。キメラの体から発せられた光は1人と1匹を包み込み、城の窓からあっという間に上空へ消えていった。

 

「何か、よからぬことが起こり始めているようだな。エスタークの怨念にまつわるものではない、何か、別の……。」

 

 光の残像が消えた後を、アリアハン王ヨーゼは、厳しい表情で見つめていた。彼には特別な力は何もないが、言葉では表現できない嫌な予感が、その胸にまとわりついて離れなかった。

 

***

 

 その日はドランの国中がお祭り騒ぎになっていた。城の一角にある闘技場(コロシアム)が解放され、国中から腕に覚えのある者たちが集う『第1回王女杯武闘大会』が開催されるためだ。コロシアムの入り口に繋がる大通りには屋台が建ち並び、道行く人たちの足を止めさせている。

 

「どうした? ナバラ婆さん、何か気になるものでも売っていたか?」

「いいや、何でもないさね……あたしゃ人混みはどうも苦手でね。」

「そうかい、じゃあ宿に戻るとするか。今日からしばらくこんな調子で、こっちも仕事にならないからな。」

 

 男の後をひょこひょことついて行きながら、ナバラという偽名を名乗っている占い師――ミネアは妙な胸騒ぎを感じるのだった。

 後にして思えば、それは決して気のせいなどではなかった。かつて、彼女たちの父親が偶然見つけ出したばかりに、数々の悲劇を生んでしまった古代文明の遺物、その禁呪法とも言うべき『秘法』が今、次元の壁を隔てたこの世界にも悪夢をもたらそうとしていた。

 

「ほらほらルナ、急がないと始まっちまうぜ!」

「モンド、そんなに急がなくても大丈夫よ。指定席をサリーさんがとっておいてくれているから。」

 

 人混みをかき分けるように、モンドとルナは闘技場へと急いでいた。今回の大会にはルナの兄トビーも参加しており、その雄姿を間近で見られるようにと、サーラが特等席を用意して待っているそうだ。丁寧に書かれた手紙には『モンドさんやお友達もご一緒に』と、数名分の指定席観覧券が同封されていた。事情を何も知らないモンドは、招待者であるサリーが用事で来られないと聞いて残念がっていたが、訳を知っているルナの方は複雑な心境である。それに正直、戦いを好まない彼女は、武闘大会を見に行くのにあまり乗り気ではなかったが、やはり血を分けた兄が出場するとあっては応援したい気持ちもある。色々悩んだ結果、結局はモンドやトビーの同僚の数名に声をかけ、観戦することにしたのだ。

 

」お、ルナ!! こっちだぞ~!」

「あっ、隊長さん、いつも兄がお世話に……。」

「いいからいいからそんなことは、もうすぐ開会式はじまるよ!!」

「ただいまより、第1回王女杯ドラン武闘大会を開催する!」

 

 ルナがトビーの所属部隊の隊長、ラーザスに呼ばれて席に着いたとき、ちょうど開会の宣言がなされ、選手達がぞろぞろと入場し整列していく。

 

「それでは、開会にあたり、王女殿下よりお言葉を賜る。」

「みなさん、暑い中ようこそお集まりいただきました。本日はドランの国中から集った、腕に覚えのある方々の中から勝ち上がった8名が、決勝の舞台に挑みます。どうぞ彼らの勇姿を目に焼き付け、惜しみない声援を頂きますよう、大会主催者としてお願い致します。……武力は他者を傷つけるものですが、同時に脅威から私達を守ってくれるものでもあります。今日ここに集った勇士達を含め、日々武を極めんと精進するすべての皆さんが、ご自身の大切な人を、ひいてはこのドランの国民すべてを守る力になると、私は固く信じております。本日は日頃の鍛錬の成果をいかんなく発揮し、すばらしい戦いを見せていただけることを期待しています。」

 

 会場から沸き起こる割れんばかりの拍手を聞きながら、ルナは改めて、姫様って凄い人だな、と思った。サーラの言葉の一つ一つには、何故かわからないが人を引きつけ、力を与える不思議な魅力がある。今日の彼女は、いつもよりはかなり質素な動きやすい服装に身を包み、語りかける言葉も式典の時のように仰々しくはない。それでも彼女の言葉に会場全体が急激に盛り上がりを見せている。熱気渦巻く中、ドラン初となる、国を挙げた一大イベントが幕を上げたのだった。

 

***

 

 第一試合が開始されてからどれくらいの時間が経過しただろうか。選手控え室から闘技場へ向かう通路を、1人の少年が歩いていた。革の鎧に身を包み、腰に剣を携えた彼は、百名以上いたと言われる予選を突破し、今日の決勝に出場する猛者の1人である。鋭い瞳はどこを見据えているのか、緊張した面持ちで歩を進める彼は、こちらに歩み寄ってくる人物に気がついて足を止めた。

 

「ずいぶんと緊張しているな。いつも通りやれば良いんだぞ。」

「あ、アン様、自分では落ち着いているつもりだったのですが、そんなに緊張しているように見えますか?」

「ガチガチとまではいわないが、いつものフランクらしさがないな。もっとこう、流れるような動きを普段はしているぞ。」

 

 歩み寄ってきた女性は、彼が憧れる人物の1人だ。人間ではないらしいが、見た目人間と何が違うのかよくわからない。戦士らしいキリリとした表情は、ドレスをまとった貴族令嬢とは別の意味で、確かに美しいと言えるものだった。それより何より、戦士としての確かな実力と、誰にでも分け隔てなく接する公正さこそが、彼女が国中から尊敬のまなざしを向けられている――本人は意識していないが――一番の理由だ。普段あまり接することのないフランクにも、会えばいつも必ず声をかけてくれるし、剣術の手ほどきをしてくれたこともある。彼女のように強くなりたい、と思わない兵士はいないほどだ。

 

「と、もうすぐ試合だな、邪魔をして悪かった。私は観覧席から見ていよう。」

「はい、必ず優勝してみせますよ!!」

「ああ、がんばってこい。」

「はい!!」

 

 闘技場の入り口へ歩いて行く背中を見つめながら、アンは思い過ごしだったかと、自分の心をよぎった不安を意識の隅に追いやった。しかし、実はそれこそが、いわゆる第六感、虫の知らせのようなものであったことを、後で知ることになり、結果として彼女は激しく後悔することになる。

 

「姫様……。」

 

 次の試合の出場者のための、大気用の席に腰を下ろし、ふと前を見ると、ちょうど正面に貴賓席が儲けられていて、サーラ姫がピエール王と、数名の貴族達、国外から招かれた来賓等と何やら談笑しながら、試合を観戦しているのが見える。

 

「続いて第2試合を行います、選手両名は前へ!」

 

 ひときわ大きな歓声の中、闘技場に設けられた石造りのリングで向かい合う2人の強者。そのうちの1名はフランクも見知った人物であり、その人物の姿を目にする度、フランクの心は自分でも嫌になるくらい後ろ向きになってしまうのだ。

 

「ああ、姫様、やはりあいつのことをみていらっしゃる……。」

 

 本当にそうなのか、この距離からではサーラ姫の視線などわかりようもないが、フランクにはどうしてもそう思えてしまうのだ。あの日、新米兵士達への辞令交付の時に、サーラ姫がトビーに向けるまなざしが、自分が彼女に向けるそれと同類のものであることを、知ってしまったから。それから偶然目にした2人のやりとり、応急の者たちの噂話などは、彼にとっては見たくもない光景、聞きたくもない話ばかりだった。

 

***

 

 ドムドーラの町の事件から数日たったある日のこと、フランクは本来非番だったが城内の警備にかり出されていた。魔物たちと戦った兵士が多数負傷したために、騎士団からも急遽人員が回されるなど、臨時で当番が組み直されたのだ。まだ研修期間を終えていないフランクではあったが、騎士団3番隊への配属がほぼ内定していたため、経験を積ませるにはちょうど良いだろうと登城させられたのだった。

 

「あら、フランク、早いのですね。」

「こ、これは姫様、おはようございます。……? どうかなさったのですか?」

「……いいえ、何でもありませんよ。」

 

 普段と変わらず穏やかな表情のサーラだが、今日はいつもと違ってなんだか元気がないような気がする。それはフランクの直感で、サーラを見続けてきた彼だからこそ気づけた、非常に小さな変化だと言えた。しかし、サーラは何でもないと一言返しただけで、後は何も言わず、会議室へ続く廊下の方をじっと見つめていた。彼女が何か、例えば悩みなどを抱えていたとしても、その内容まではフランクの知るところではない。それが、彼にはなんとももどかしい。

 

「! シャグニイル伯爵、会議は終わったのですか?」

「これは姫様、たった今、終わったところでございます。……私に何かご用でしょうか?」

 

 ほどなくして、扉が開け放たれる音がして、会議室の方から人がぞろぞろとこちらへやってくる。誰も彼も疲れ果てた顔をしており、会議の内容があまり良いものではなかったことがうかがえる。夜明け前から国の重鎮たちが招集されて開かれる会議など、内容を知らなくても前向きなものではないのは明確だ。サーラ姫が話しかけた相手は、最近新設された魔法学院を取り仕切る男で、この国で『魔法』というものを広く普及させるための様々な取り組みを行っているらしいと聞いた。フランクが憧れるアンの夫であり、件の魔王事件で王夫妻を救ったことから、今、ピエール王が最も信頼する臣下なのではないかと噂されている。そんな彼がサーラ姫が幼少の折から、妻のアンと共に支えてきたということは広く知れ渡っており、国民からの人気も高かった。しかし、古くからドランに仕えてきた貴族達の中には、彼らを快く思わない者もいたし、フランクの父親もそうだった。ことあるごとに新参者がよそ者がと、陰口をたたいているのを聞いてきたフランクだったが、彼自身はシャグニイル夫妻のことを悪く思ったことなどはなく、むしろ尊敬しているくらいだった。特に同じ戦士として、アンに対しては彼女のように強くなりたいとさえ思っていたほどだ。

 

「あの、これをトビーとルナに渡していただけますか? こっちがトビーへ、こっちはルナにデス。」

「これは?」

「開けてはだめですよ? 中身は秘密です。」

「開けませんよ。またトビーが恐縮してオロオロするでしょうけどね。」

「ふふ。そんなに大それたものではないですよ? ……でも、トビーもルナも大丈夫でしょうか? あんな戦いの後ですから……。」

 

 話を聞かなければよかった、贈り物を見なければよかったと、フランクは後悔した。サーラ姫はよく、手作りのお菓子などを臣下達に渡して、その労をねぎらったりしている。城の兵士からメイド、出入りの商人に至るまで、本人や家族の誕生日やら、記念日やらをよく覚えていて、何かある度に様々なプレゼントを手渡しているらしい。フランクも何度かお菓子や小物などを直接手渡されたことはある。その時は持ち帰った後、枕元に包みを置いて眠ったほどである。どんな形でも、委中の相手から贈られるものは嬉しいものだ。シャグニイル家の家族ともいえる兄妹への気遣いとして贈り物をするのも、他の者に対する気遣いと何ら変わりはない。しかし、彼は見てしまったのだ。2つの贈り物のうち、トビーへと書かれた小さな札が付いている袋の方が、大きく、貴族社会で対等と認めた相手だけに渡される特別な方法でラッピングされていたのだ。当然、この世界の貴族社会の常識に疎いヒカルやアン、元々平民であるトビーやルナがそのことに気づく可能性はまずなかった。しかし、貴族社会では贈り物の包み方一つにしてもさまざまな作法があり、そのことを当然熟知しているフランクにはわかってしまったのだ。――サーラ姫は、トビーという人間を特別な存在だと思っている――ということが。

 

 それからというもの、フランクの心中は穏やかではなかった。思い返してみれば、シャグニイル夫妻が人買いからとある兄妹を助け、その後見人になったという話が貴族達に広まった頃から、サーラの遊び相手としてフランクが登城する機会が著しく減っていった。元々、件の魔王事件から、その兆候は会った。登城してみると、サーラの周りにはいつのまにかモンスター達が1匹また1匹と増えていき、彼女は貴族の子女達と交流するよりも、モンスターたちと過ごす方を選ぶようになっていった。それが、トビーとルナが彼ら夫妻の元で暮らすようになってからさらに顕著になったのだ。そして、その後サーラ姫が城から抜け出す事件が度々起こり、ある日、教会の襲撃事件に巻き込まれてしまったらしい。その話を人から伝え聞いたときには生きた心地がしなかったが、その時に姫を命がけで守った少年がいたという噂が、貴族達の間で流れていた。情報統制がされていたらしく、フランクの父マハール子爵の情報網を駆使しても、真相の程はわからなかったが、そのときの少年がトビーであることは容易に想像が付いた。他にも、サーラ姫らしき人物が同年代の少年と祭りの屋台を歩いていたらしいとか、子供たちを連れて市場を歩いていたなどといった話は数限りなかった。どれも噂の域を出ず、真相は定かではなかったが、ほとんどの噂話に、サーラ姫によく似た人物と同年代の少年の2人が登場していて、それがお忍びで城を抜け出していたサーラ姫本人と、トビーであろうことは、これも容易に想像が付くことだった。

 

「……私は、なぜ近衛に選ばれなかったのだろうか……?」

 

 彼の心の動揺をいっそう強くした出来事が最近あった。近衛2番隊に、トビーが抜擢されたという話だ。今すぐにというのではなく、他の者よりは長めの見習い期間を経てのことだそうで、まだ公にはされていないが、姫のたっての希望で、本人の署名が成された書類まで提出され、正式に手続きされた記録が残っているので、間違いのない事実だろう。王族には、自らを護衛する近衛の隊員を直接任命する権限があり――もっとも権限が行使されたことは、特に最近はほとんどないそうだが――今回のトビーの任命もその権限を行使して行われたものだ。傍に仕えるメイドの人選にさえ、今までまったく口を挟むことのなかった彼女のそんな行動は、フランクの推測を確信に変えるには十分すぎるものだった。

 

「では、私はこれで、まあトビーなら大丈夫ですよ。心配のしすぎは姫殿下の御身にもよろしくありません。いつものように悠然と構えておいでなさい。」

「うふふ、そうですね。トビーとルナには、落ち着いたらまた遊びに来てくださいと、伝えてください。」

「はっ、かしこまりました。」

 

 いろいろと考え事をしているうちに、2人の話は終わったようだ。フランクは自分の動向を悟られないように、静かにその場を後にした。やかましくなる自分の心臓の音が、他者に聞こえてしまうのではないかと錯覚するほど、彼の心は乱れていた。

 

***

 

 薄暗い、石造りの壁に囲まれた部屋の中央で、痩せた顔色の悪い男が、淡く光を放つ水晶玉を、食い入るように見つめていた。半病人のような顔貌とは対称的に、豪華な装飾に彩られた派手な服を身にまとっており、この男が裕福な人間であることがわかる。

 

「いいぞ、フランク、その調子だ。お前が勝ち進み、優勝すれば、きっと王女殿下もまた、お前を傍に置こうとお考えになるはずだ。お前が姫の騎士になれば……ぐふふふ、フハハハハ!!」

 

 男の名はピシャド=ドーバル=ゾラ=マハール子爵。フランクの実の父親である。マハール家は代々、ドラン王家に仕えてきた古参の名門であり、先々代の王の治世まで財務、軍事、外交などの要職を任されてきた。しかし、今はというと、この男を見れば一目瞭然であろう。

 

「そうだ、そこだ!! ええい何をやっているか!! そんな奴などさっさと片付けてしまえっ!!」

 

 今はたいした役職もなく、下級官吏に甘んじているこの男だが、かつての栄光を捨てきれず、いつか国の中枢に返り咲いてやると、たいした能もないのに野心だけは人一倍強く、それをかなえるために様々な手段――表沙汰に出来ないようなことも含めて――を講じてきた。

 しかし、以前に触れたように、この国の、特に王の側近たちや高い爵位を持つ貴族たち、国の中枢をになっているような者たちは、王に忠誠を誓い、国や民のことを第一に考える非常に優秀な者ばかりだ。そんなところへ、野心が強いだけの凡庸な男が入り込もうとしても、それは無理というものだ。しかし、こういう無能に限って、自分は優秀だ、認めない周りが悪い、という明後日の方向に思考がゆくものだ。この男、マハール子爵もおよそその例に漏れない。

 

「むっ、あの小僧は、くそっ、奴さえいなければ、今頃我が息子が姫のおそばに……!! ええい忌々しい、平民風情が!」

 

 貴族特権とは本来、優れたものが社会をよりよい方向に進めるため、多大な責任を伴って与えられているものだ。しかしながら、それも世襲となると、次第に自分は特別だといういわゆる『特権意識』だけが先行してしまい、権力を行使する際に伴う重大な責任を果たさない者が現れてくる。最初は特に優秀な者ばかりだった貴族集団も、何代も続けば馬鹿も阿呆も産まれてくるわけで、そのあたりを見誤ったのが、国王と貴族を中心とした王政の限界といえるだろう。そのような中では、ドランはまだ相当にまともな国だといえる。

 

「ふはははは!! また勝ったぞ!! でかしたフランクよ! あと1勝で結晶だぞ! もう少し、もう少しだ! ハハハハハ!!!」

 

 まるで、賭け事に勝ったときのような高笑いを浮かべる子爵は気づいてはいない。傍らの水晶が、淡い光と友にどす黒い邪悪な気配を発していることを。息子に与えた高価な金の腕輪が、古代錬金術によって作り出された忌まわしき代物だと言うことを。そしてそのすべてが、彼の知らない邪悪な存在によって、意図的にもたらされたものだと言うことを

――ククククッ、セイゼイ浮カレテイルガイイ、愚カデ弱イ人間ヨ、ソノ魂ヲ、偉大ナル我ラガ主ノタメニ捧ルノダ――

 

 部屋の片隅にある、宝石箱を模した箱は不気味に笑う。この部屋で、主に負の感情を捧げる触媒となる人間の男を監視するのが、この魔物、パンドラボックスに課せられた役目だ。そうして誰も知らないところで、おぞましい計画は進んでゆく。子爵の手元に置かれている、かの魔物の分身たる死を招く小箱が、水晶と同じく邪悪な力を放っていることに、また、その意味に、愚かな父親マハール子爵は、気づくことが出来ない。

 

***

 

 メッキーのルーラで着地した場所は、貴賓席にほど近い、通路に当たる場所だった。会場には未だに多くの観客が避難もできずにとどまっており、サーラやピエール、貴族達や諸外国の来賓までもが、貴賓席から動けずにいた。

 

「陛下、姫様!」

「ヒカル! シャグニイル伯爵、戻ってきてくれたのですね!!」

「おお、シャグニイルよ、よくぞ戻った。メッキーもご苦労であった。」

「いいってことよ、友だちのサーラの頼みだからな。……っと、それより、どうなったんだあの化け物は?!」

「トビーとアンが応戦していますが、硬着状態です。観客達が下手に動くと、どのような攻撃をされるかわからないので、皆、ここから逃げられずにいるのです。」

 

 ヒカルが闘技場の中央に視線をやると、確かに、そこでは戦闘が繰り広げられているようだ。会場自体がかなりの広さのため、一見しただけでは何が起こっているのか正確にはわからない。状況を確認しようと視線を一点に固定し、ヒカルはその場に固まってしまった。

 

「なっ?! バルザック……?! しかも第二形態だと?!」

「あ、あの魔物を知っているのですかシャグニイル伯爵?! 我々はあんな怪物は見たこともありません!」

 

 アルマン男爵が言うのももっともだ。本来、モンスターとしてのバルザックはドラクエⅣのボスキャラであり、モンスター名=固有名である。バルザックという人間が魔物化した姿であるため、元々の人間が存在しないこの世界では、いるはずがない、はずである。しかし、遠くからでも見える魔物は確かに、棍棒を振り回す巨大な悪魔のような姿をしており、ゲームに登場したバルザック第二形態と配色までほぼ同じだ。

 

「と、とにかく加勢してきます、何とかあいつを引きつけるので、できるだけ速やかに観客の避難を!」

「ま、待ってヒカル、あの、あの怪物はフランクなのです!!」

「な、何だと?!」

「さきほどまでトビーとフランクが決勝戦を行っていたのじゃが、トビーの勝利で決着した後、フランクの腕が黄金に光り輝いたかと思うと……。」

「つ、次の瞬間にはあのような魔物に……!」

 

 サーラの言葉に驚くヒカル。グリスラハール男爵とグエルモンテ侯爵が続けた言葉は、にわかには信じがたい内容だった。闘技場で暴れているかの魔物が、あのフランクだなどとは、直接見ていたものでさえ未だに信じられない。魔物の姿しか見ていないヒカルには、それが先ほどまで人間の少年だったと言われても、すぐには思考が追いつかない。しかし、そんな彼らをよそに、魔物、バルザックと酷似した姿に変わり果てたフランクは暴走を続けていた。

 

「くそっ、何てバカ力だ!」

「す、スピードもオレよりずっと速い、さっきとは比べものにならない……!」

 

 おぞましい怪物の姿となったフランクは、アンの腕力を上回り、トビーのスピードを凌駕していた。戦士職に限れば、相手にできるのはこの2人くらいなもので、他の者たちは加勢したくとも、足手まといになることがわかってしまう。大会の出場者、兵士達のような力あるものならば、眼前の化け物がどれほどの強さであるのか、それと互角に渡り合っているこの師弟の実力がいかばかりなのか、嫌でも理解できてしまう。

 アンは迷っていた。確かに目の前にいるのは先ほど言葉を交わした少年だ。強くなるために努力を怠らず、職務を忠実にこなし、周囲の大人達からも将来を期待されていたし、彼女自身も期待していた。そんな努力家の少年だった。それが何をどう間違えば、あのような姿になり果ててしまうのか、あれをこのまま倒してしまって良いのか、かといって救う方法があるのか、アンにはわからないことだった。

 

「グオオアアアッ!!」

「な、何っ?!」

 

 会場全体を揺るがすようなすさまじい雄叫びを上げ、フランクの棍棒がトビーに迫り来る。その速度は先ほどの倍くらいはある。アンは後悔した。迷っている場合ではなかった。この怪物を放置しておいたら、どれだけの被害が出るのかわからない。それ以前に、自分とトビーで倒せるかどうかもわからないのだ。そのようなギリギリの状況で、一瞬たりとも迷うべきではなかった。

 

「トビー!」

 

 アンの悲痛な叫びが会場にこだまする。このタイミングでは、彼女のスピードを持ってしても助けに入るのは不可能だ。予想外の速さに不意を突かれた形になり、トビーは防御の構えが間に合っていない。このままでは致命的な一撃を食らってしまうだろう。アンだけではない、会場の誰もが、加勢しようと飛び出し駆けていたヒカルも、この後に起こる惨劇を覚悟した。

 

to be continued




※解説
進化の秘法:本作では、『進化の秘法』という術があり、それを発動する術者が必要という設定にしています。術をかけられたフランクは黄金の腕輪を持っていて、彼のマイナスの感情が一定ラインを超えたことで発動しました。術者はパンドラボックスですが、マハール子爵の野心につけ込んでその精神を半ば支配する形で発動させています。したがって、表向きの進化の秘法の術者はマハール子爵になります。
マハール子爵家:フランクの実家、本作のオリジナル設定です。トビーの運命が変化したために、フランクがサーラの婚約者になる道が閉ざされかかっています。理不尽に不幸を背負わされるモブが増えただけともいいます(をい)。あまり不幸な人は作らないつもりだったんですが、どうしてこうなった? ごめんよフランク君……。


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第39話 破滅への誘い、死のオルゴールの旋律

ドラン王女杯武闘大会が開催される中、サーラちゃんに好意を寄せる少年、フランク君の大好きパワーが暴走して大変なことに。バルザック第二形態よろしく化け物になってしまった彼を停めることは出来るのでしょうか?また、彼の父親を操っている不穏な怪物の背後には、またしてもあいつの影が……!


 リング状で繰り広げられる戦いに、誰もが息を呑んだ。決勝戦まで勝ち上がった2名はどちらも剣士で、難関であるドラン王宮の兵士入団試験に、十五に満たない年齢で合格したという。その事実だけでも信じられないようなことだが、今、観客たちの眼前で繰り広げられている戦いは、もっと信じられないような光景だった。

 

「はあっ!」

「ふんっ!」

 

 気合いの乗ったかけ声と友に繰り出された一太刀を、いったいどれだけの数の人間が性格に目視できたのだろう。目にも止まらぬ速さ、などとよく言うが、まさに、彼らの攻撃はすでに並の兵士を軽く超えており、その動きを目で追える者は、この場に数えるほどしかいなかった。

 

「副長、どう見る?」

「いやあ、どちらも速いですね、私も目で追うのがやっとですよ。」

 

 アンに問われた男は、あまりにも速い2人の動きを見逃さないように注力しながら、落ち着いたゆっくりした口調で自分の分析を述べた。

 

「単純な身体能力では、わずかにフランクの方が上ですね。」

「ふむ、私も驚いたよ。手前味噌だが、トビーの実力はそこいらの腕利きなどでは相手にならんレベルに達している。まともに相手に出来る者は騎士団の中にもそう多くはいないはずだ。それをわずかでも上回っているとはな。」

「……正確に言えば、ほんとうにまともに相手できるの、隊長くらいしかいないですよ?あれが子供かと思うと末恐ろしい。それをわずかでも上回っているとか、いったいどんな才能に恵まれるとああなれるんですかねえ?」

 

 副長はやれやれと肩をすくめた。軽口をたたきながらも、戦いの動向はしっかりと目で追い続けている当たり、この男もただ者ではないと思わされる。彼はさらに続ける。

 

「でもまあ、あれじゃトビーには勝てませんね。」

「副長もそう思うか。私も同意見だな。あれではいかに優れた能力に努力を重ねても、トビーに勝つことはできん。」

 

 リング状ではなおも、勢いが衰えることもなく、均衡した戦いが繰り広げられているように見受けられる。会場はこれだけの人がいるにもかかわらず静まりかえっており、聞こえてくるのは試合用の刀剣がぶつかり合う音と、風切り音のみだ。

 

「くっ。」

 

 剣を合わせながら、初めて相まみえる本当の強者に、フランクは驚きを隠せなかった。強さが別格であるアンを除けば、今まで訓練で彼と対等に渡り合えた者などほとんどいない。正面切っての戦いに限れば、彼の勝率は100%、負けなしである。ドランの兵士、騎士たちはこの世界基準で見ればかなりの強者揃いであり、訓練とはいえその中で負けなしというのは、彼の実力が本物である何よりの証拠だ。そんなフランクをしても、目の前の対戦相手、トビーは別格の強者だった。

 それはある意味、当然のことかも知れなかった。トビーとフランクの最も大きな差、それは実戦経験の有無だ。本当の敵、特にモンスターなどは型にはまった、それこそ戦術の教科書のような動きをするはずもなく、それに対応しているうちにトビーには、相手の動きを見切る力が身についていた。逆に、いかに厳しいとはいえ、所詮は人間同士の戦いである模擬戦の範疇を出ない経験しか積んでいないフランクには、相手の動きに合わせて臨機応変に変化するトビーの動きを捕らえることは難しかったのだ。

 

「はあっ!!」

 

 かけ声に気合いを込めて渾身の人たちを振り下ろすフランク、それは性格に受け止められてしまう。相手の動きを見ていても、わずかに自分の力量の方が勝っているように感じる。しかし、どうやっても攻撃はすべて止められてしまい、フランクは決定打を出すことが出来ないでいた。まるで、次の自分の動きがすべて、相手にはわかっているかのようだ。実際、一撃一撃は目にも止まらぬ速さを誇っていても、フランクの動きは単調であり、良くも悪くも『教科書的』な動きだといえた。

 いかに身体能力が高かろうとも、パターン化された攻撃は見切られやすい。すでに、トビーはフランクの動きのほぼすべてを、完全に読み切っていた。

 

「ふんっ!!」

「くっ、しまっ……!」

 

 焦りからか、今まで休みなく続いていた攻撃の手が一瞬緩んだ。その隙を突き、トビーの横薙ぎの一撃がフランクの腹にわずかにヒットした。そのことで、フランクの攻撃のリズムが乱れ、わずかにバランスを崩してしまう。こういった状態から、つまり自分に不利な体勢からどのように立ち直るか、あるいはそこからでも有効な手を打てるか、そのあたりが、先に述べた実戦経験の差、ということになるだろう。

 

「そこだっ!!」

「な、にっ?!」

 

 次の瞬間、無数の斬撃が光の軌道を描きながらフランクに襲い来る。受け止めて打ち返そうにも、不規則な、それでいて華麗に舞い踊るかのような光が、四方八方から向かってくるため、瞬時に判断して次の手を打つのはかなり困難だ。

 

「む、あれは……いつもの『五月雨斬り』ではないな。」

「何だアレは、私にはさっぱり見えませんよ?!」

 

 このときはじめて、今まで盛んに攻撃を仕掛けていたフランクが、防戦一方になった。観戦していた者たちが、そう認識した次の瞬間には、ドサリという音とともに、勝者と敗者がはっきりと分かたれていた。

 

「やった! すごいわトビー!!」

「うむ、見事な攻撃ですじゃ。……まさかこの儂の目にもすべて捕らえきれんとは……まいったのう。」

 

 満面の笑みで手を叩くサーラ姫の隣で、満足そうに頷く老人。かつては名高い武闘家として知られたかの老人、グリスラハール男爵の目を持ってしても、トビーの最後の攻撃のすべてを見切ることは出来なかったようだ。この老人が何者であるかはとりあえず置いておくとして、とにかく、常人の目には映らないほどの剣劇が、しかも複数身体に打ち込まれたことで、さしものフランクも防ぎきることが出来なかった。

 

「じい、あれはいったいどんな剣技なのですか?」

「……あれによく似た技を、昔戦ったモンスターから喰らったことがあります。あれはおそらく『剣の舞』でしょう。……人間には使えぬ技のはずなのじゃが、な……。」

 

 サーラがトビーの勝利に喜び、花の咲くような満面の笑みを浮かべている。ここが公式の場所でなければ、彼女が王女でなければ、真っ先に彼の元へ走り寄り祝福していたのだろうか。倒れ服す彼の脳裏に、そんな考えがよぎったとき、フランクの中の、何かが、切れた。

 

「ウオァアアアアアッ!!!」

 

 とても、少年のものとは思えぬ、会場全体を揺るがすような雄叫びが響き渡り、掲げられたその腕が黄金に光り輝いた。その光はやがてフランクの身体すべてを包み込み、そして、はじけた。果たして、そこには――。

 とても元が人間だったとは思えない、醜い異形の化け物が、赤く明滅する眼光を放ち、トビーを見据えていた。

 

***

 

 トビーを完全に捕らえた棍棒は、彼の体を地面に打ち付け、激しい衝撃を与えた。フランクの身体変化と友に現れた巨大なその武器は、いったいどこにあったものなのか全くわからないが、何か特別な材質で出来ているようには見えず、ひたすら巨大な木の棒だ。しかし、単純なその重量と、巨大な魔物の腕力から生み出される一撃は、当たれば確実に少年1人の息の根を止められるだけの威力を持っていた。いや、たとえ重装備に身を包んだ大人の騎士が相手だったとしても、結果はさほど変わりはないだろう。

 

「トビー!!!」

「うぐっ、がはっ、……ひ、め、様?」

 

 生きている、確かに彼は生きていた。即死級の攻撃をもろに受けたはずだが、まるでサーラ姫の声に応えるかのように、よろよろと立ち上がり剣を構えている。その様子に多少なりとも驚いたのか、バルザック形態のフランクは追撃しようとしていたその手を下ろし、じっと様子をうかがう態勢を取っている。棍棒の一撃が炸裂した瞬間、トビーの身体を覆った赤い魔法の光が、ヒカルやアンだけでなく、この魔物にも見えたのだろうか。それは防御力を大幅に上昇させることが出来る守備力上昇呪文(スカラ)の光、ヒカルもアンも習得してはいないし、彼らが知っている限りドランの国で習得できた者はいない。それに、本職の戦士でさえ見切ることの難しいあの動きを防ぐタイミングで、スカラを行使するなどよほどの強者でなければ不可能だ。

 

「いまの呪文は……? サーラ? いや、サーラの戦闘力じゃ無理だ。しかし、それじゃあどういうことだ?」」

「ああ、トビー、よかった……。」

「姫様、お気を確かに! シャグニイル伯爵!! 何をやっているのです!! 早くあれをなんとかしてください!!!」

 

 アルマン男爵が慌ててサーラ姫を支え、彼女はなんとか貴賓席に激突する三時を免れたが、受け止めたのがこの男というのはなんとも、ヒカルには面倒な話だ。アルマン男爵はことあるごとに、ヒカルの行動に難癖を付け、酷いときにはそれはもう、罵倒する行動から言動に至るまですべてが、まるで子供のようである。

 

「チッ、このような状況に至っても個人攻撃ですか? おめでたい頭で。何ならご自分であの魔物をどうにかなさってはいかがです? 人に偉そうに上から目線で言うからには、あなたには造作も無いことなのでしょう?」

「よさんかヒカル、それにあちらに加勢するより、やらなければならんことがあるじゃろ? あの、奇妙な腕輪の魔力を断ち切らんことには、分が悪すぎるわい。」

「じいさ……グリスラハール男爵、それはそうなのですが、あの秘術を操っている奴がどこにいるのか、見当が付かないのですよ。」

 

 さすがにこの状況に至ってまで個人攻撃に終始するアルマン男爵に業を煮やし、売り言葉に買い言葉で応戦するヒカルだったが、無論今はそのようなことをしている場合ではない。例によってグリスラハール男爵にたしなめられたが、進化の秘法の元を絶つと言っても、この広い闘技場内で、魔法とは異なる術の使用者を探すのは困難を極める。

 

「進化の秘法か……やれやれ、厄介なものを……。あのような誰からも忘れ去られたような秘術を、いったいどこの何者が持ち出したか……。フランクが術者とはとても思えん。必ずどこかで、術を発動している何者かがいるはずなのじゃが……。」」

「先ほどから邪悪な気配がこの闘技場全体を覆い隠すように放たれています。この会場内に術者がいる確たる証拠ともいえますが……。」

「人を隠すには人の中、か。術者は人間の可能性もあるかのう。」

 

 さらに厄介なことに、この会場内には宝石モンスターの気配がない。何かの手段で感知を妨害しているのか、あるいは、魔王事件の時のサリエル公爵がそうだったように、魔王に魂を売ったか、操られている人間が一枚噛んでいる可能性もある。後者だった場合――状況からしてこちらの方が可能性が高いが――さらに厄介な話になる。

 

「いや、迷っている場合じゃないな。トベルーラ!」

 

 ヒカルは飛翔呪文(トベルーラ)を用いて貴賓席から飛び立ち、今まさに魔物とにらみ合いを続けているアンとトビーの元へ降り立った。

 

「ヒカル?! もどったのか?!」

「ああ、……長々説明してる暇はないから手短に言うぞ。あれは人間すら化け物に変えることが出来る錬金術の一種、進化の秘法だ。この会場の何処かから術を発動している奴がいる。オレはそいつを探し出して術を止めさせてみる。悪いがここは頼んだぞ!!」

「は、伯爵様、フランクは……!」

「……助かるかはわからん、しかし単純に倒すよりは可能性はあるかもしれん。……オレが間に合えばの話だけどな。」

 

 確かに、もし術者を倒すことで変化が解ける類いのものならば、助けられる可能性もある。しかし、現状それが可能かどうかは賭けだ。

 

「グオアァアァ!!」

「悪いが後を頼むぜ! そらよ、置きみやげだ!! メラミ!!」

 

 新たな標的を魔法使いの男に定め、魔物と化したフランクは棍棒を振りかぶった。しかし、すでに発動準備が成されていた呪文が先に炸裂し、魔物は攻撃の手を止めざるをえない。

 

「よしっ、行くぞトビー、ベホイミ!」

「はいっ!!」

 

 炎が消え煙が晴れると、そこにはすでにヒカルの姿はなく、師弟は再び、たった2人で未知の怪物と対峙することとなった。観客たちの見守る中、予期せぬ形で、結晶の『延長戦』が繰り広げられる。

 

***

 

 ヒカルは広い闘技場内の薄暗い通路を、小走りで駆け抜けながら、術を発動している『何者か』の気配を探っていた。しかし、広いこの闘技場をくまなく探すのは骨が折れる。邪悪な気配は蔓延しているが、発生源を突き止めるにはもう少し細かな捜索が必要だ。

 

「校長先生!!」

「!! シェリーにミーシャ、アルフレッド!」

 

 先を急ぐヒカルを呼び止めたのは、ドラン魔法学院に通う生徒たちだ。少年1人と少女2人、一緒に行動することの多いこの3人は、学院の中でも特に魔法の才能に恵まれた子供たちだ。まだ十代の前半という幼いともいえる年齢の彼らだが、いずれも魔法の腕前に関しては、そこら辺の王宮お抱えの魔法使いにも引けを取らない実力を持っている。

 

「お前たち、試合を見てたのか?」

「見てた、あれ、普通じゃ、ない。」

 

 やや口ごもった、特徴のあるしゃべり方をする少女、ミーシャは深刻な顔で、手にしている『魔道士の杖』を握りしめた。彼女は多種多様な魔法を使いこなすことが出来、勉強は得意ではないが、こと魔法の実技に関しては生徒たちの中ではトップクラスだ。加えて、勘が鋭く、邪悪な気配などには特に敏感だ。その点に限れば、ヒカルよりはるかに優れている。特殊な儀式と邪悪な気配の流れを敏感に察知しているのだろう。

 

「アルフレッドが、図書館の本で、あんな怪物を作り出す術について読んだことがあると言っていました。ええと、進化の……。」

「進化の秘法ですよシェリー、フランク様が身につけていた金の腕輪、あれが光ったと思ったら、あんな怪物になってしまったんです。まさかとは思うんですが、あまりにも本で読んだ通りだったので驚きました。』

 

 ヒカルはまず、アルフレッド少年の勤勉さに驚いたが、進化の秘法について書かれた書物があったこと自体にも相当に驚いた。様々な書物に目を通してきたつもりだったが、学院の図書館にそんな本があったことを、彼は知らなかった。そういえば、グリスラハール男爵も進化の秘法について知っているようだった。それはさておき、今は驚いている場合ではない。かなりの危険が伴うが、ヒカルは子供たちに手を貸して貰うことにした。

 

「ミーシャ、悪いが邪悪な気配の発生源が判るならオレ……私を案内してくれないか? お前たちにこんなことをさせるのは気が引けるが……。」

「皆まで言わないでください。私達は、校長先生のお力になるためにここへ来たのですから。」

 

 シェリーの言葉に、ヒカルは軽く頷くと、子供たちの頭を1人ずつ、優しく撫で、それから決意を込めたまなざしで、長く続く闘技場の廊下、その先を見据えた。

 頭上から聞こえてくる戦闘音とは裏腹に、薄暗い廊下に生き物の気配はない。しかし、おそらくこの通路を進んだ先に災いの元凶があるだろうことを、ヒカルは半ば確信していた。

 

***

 

 石造りの壁に囲まれた、薄暗く湿った部屋で、水晶玉を食い入るように見つめながら、男は全身を震わせていた。恐怖故にではない。歓喜による物だ。水晶玉に映し出された映像の中では、自分の息子が圧倒的な力を振るい、ドランの国で最も強いと評される戦士を追い詰めている。

 

「ふはははははは! そうだ、いいぞ、もう少しだ!!」

 

 男の目は血走り、耳障りな甲高い声を張り上げ狂ったように笑い叫んでいる。その有様――化け物となった己の息子が暴れるのを喜ぶ――は、彼が正気ではないという証拠だ。

 

『ククッ、本当ニ愚カダナ、人間トイウ生キ物ハ。』

 

 魔物、パンドラボックスの嘲笑の声は、この部屋にはっきりと響いているが、男、マハール子爵はそれを意にも介さない。己の野心につけ込まれ、心を邪悪に支配された彼は、すでにもう、かなり前から正気ではなかったのだ。

 

『デハソロソロ仕上トイコウカ、目障ナスライムナイトヨ、進化ノ秘法ノ力ノ前ニ敗レ去ルガ良イ!!』

「冗談じゃねえわ

『何?!』

 

 気がつくと、固く閉ざし、隠蔽までしたはずの扉はあっさりと開かれ、1人の男と3人の子供たちが入り口に立っていた。そのうちの1名、小柄な少女が明らかに、おびえを含んだ声音で継げる。

 

「あ、れ、あの棚の上の箱、あれが、本体。子爵、操られてる!!」

『バカナ、我ノ擬態ヲ看破シタダト?!』

 

 小柄なその少女は、とても戦い慣れしているようには見えない。現に今も振るえているのは恐怖のためだろう。それでも、部屋全体に声を響かせ、魔力や気配をまんべんなく行き渡らせて出所を隠したにもかかわらず、迷うことなく自分が擬態している箱を突き止めた。パンドラボックスは即座に、一番の危険分子と判断した人間を排除にかかる。

 

『死ネ、ザキ。』

「マホカンタ!!」

 

 パンドラボックスの放った即死呪文(ザキ)は、しかしタイミングが判っていたかのように唱えられたシェリーの反射呪文(マホカンタ)によって術者へ返される。しかし、当然パンドラボックス自身には即死の効果はない。だが、この事態は魔物にとっても驚くべきことだった。

 

『人間フゼイガ、マホカンタヲ使エルトハ……!』

「邪魔はさせんぞぉ!! シャグニイルうぅっ!!」

「お前は寝ていろ! ラリホー!!」

 

 マハール子爵が短剣を振りかざし、ヒカルに向かって突っ込んでくるが、正気を失っている故か、そのナイフ裁きはでたらめといってよく、ヒカルの身体能力でも何とかかわすことが出来た。とりあえず無力化するために放たれた睡眠呪文(ラリホー)の魔力により、なんの耐性も持たない子爵はあえなく床に這いつくばることとなる。

 

『チッ、役立たズメ、……見ツカッテシマッタカラニハ仕方ガナイ。貴様らヲ殺シテココヲ立チ去ルトシヨウ。……ザラキ』

「!! しまった!」

 

 パンドラボックスの唱えた集団即死呪文(ザラキ)により、死の言葉をささやく怨霊たちが部屋に充満し、ヒカルたちのいる入り口まであっという間に迫ってきた。今からでは対策を講じるのは困難だ。マホカンタで守られているミーシャ以外の者に『死の言葉』が降り注ぐ。

 

「ぐっ、うがっ!!」

「くっ、ああっ、やめてえぇっ!!」

「う、わあああっ、怖いよう、お、お母様っ!!」

 

 高い魔力を有する故か、ある程度の耐性があるらしく、ザラキはすぐに結果をもたらさなかったが、耐えがたい恐怖による苦痛が、ミーシャを除く3人に襲いかかる。特に、子供たちは今までに発したことがないような声量で絶叫しており、このままでは恐怖に耐えかねて絶命するのも時間の問題だ。

 

『ハハハハハ、心地ヨイ絶叫ダ、特ニ人間ノ恐怖ハ良イ音ダ。実ニ素晴ラシイ。』

「く、そっ、ぬかった、まさかトラップモンスターだったなんて……!! せめて子供たちだけでもっ……、や、闇の……雷、よ、つらぬ……ぐっ!!!」

「校長先生、 シェリー、アル!!! 何とか、しなきゃ……。できるの? 私に……?」

 

 ヒカルは何とか攻撃呪文を繰り出し反撃しようとするが、恐怖に駆られた状態で精神統一などできるものではない。そもそも、発動されてしまったザラキがそんなもので解除できるかは怪しいところだ。しかし、よく回る彼の頭も、現在の精神状況では当然、まともには働かない。

 ミーシャは呪文をはじき返す光の壁に守られながら、何とか打開策を考えていた。普段の勉強は得意ではないが、こういったときの対処能力に関しては、彼女は非常に優秀である。そんな彼女が導き出した答えは、一か八かの賭けといってよかった。しかし、実行をためらっている猶予などすでに無く、彼女は自分の直感のままに、現状を打開しうる一つの呪文を行使した。

 

『フハハ……?! 何ダコノ力ハ? 我ガ呪文ノ効力ガ薄レテイクダト?!』

「これは……?! おい、シェリー! アルフレッド!! しっかりしろっ!!」

「ううっ、校長、先生?」

「あ、れ、怨霊……たちが、消えて、いく……?」

 

 次第に膨れ上がっていくミーシャの魔力は、パンドラボックスのザラキの効果を徐々に弱めていき、次第に自分と仲間たちを覆うように展開されていた。いつの間にか彼女の震えは収まり、普段は愛くるしいその表情が、魔物さえ一瞬たじろぐような恐ろしい形相へと変わっていた。――もっとも、彼女の後ろ姿しか見えていないほかの3人の知るところではないが――彼女を突き動かす物は、憎悪、魔物と呼ばれるすべての存在に対する、激しい憎悪だ。その理由(わけ)は、彼女以外には判らない。

 

「ゆる、せない! おまえ、だけは、人の、こころを、もてあそぶな!!」

『何、ダト?! 何ダコノ感情ハ?! 暗黒ノオーブデ吸収デキナイダト?!』

「……マホトーン!!」

 

 震える声を張り上げ、3人組の中で最年少の少女は杖を固く握りしめ、それを媒介として己のありったけの魔力を、一つの呪文につぎ込んだ。

 本来、呪文封じ(マホトーン)は術者の呪文を『封じる』ものだ。したがって、呪文が発動されてから唱えてもその効果を打ち消すことは出来ない。――『通常は』という注釈が付くが――

 ミーシャのすべてのMP(マジックパワー)をつぎ込んで発動されたマホトーンは、冥界から呼び出された音量たちをすべて、跡形もなく消し去った。もっとも、それはまさしく、彼女のすべての力と引き換えだったようで、精神力を使い果たした彼女は膝から崩れ落ちそうになるところを、復帰したヒカルにかろうじて支えられ、なんとか立っている有様だ。

 

『あリ得ン、スベテノマジックパワーヲツギ込ミ、我ノ呪文ヲ打チ消スナド、ソンナバカナコトガ……! オノレ人間ども……! 死ノオルゴールヨ、愚カナソノ男ノ魂ヲ喰ライ、暗黒ノオーブニ宿ル力ヲ我ガ主ノ元ヘ!!!」』

 

 パンドラボックスが命じると、マハール子爵の懐から小さな小箱が飛び出し、宙に浮かんだそれは黒い霧のようなものをまき散らしはじめた。それが子爵の体にまとわりつき、全身を覆ったかと思うと、眠っていたはずの子爵はにわかにうめき声を上げて苦しみ始めた。

 

「う、ぐ、あぁっ! くる、しいっ! た、助けてくれ、だれ、か、し、死にたくなぁいっ!! 私はまだ死にたくない!!!」

「チッ! バギマ!!」

「メラミ!!」

 

 ほぼ同じタイミングで放たれたヒカルの真空呪文(バギマ)とシェリーの火炎呪文(メラミ)は、燃えさかる炎をまとった嵐に変化し、子爵の体の上で不気味に浮かぶ小箱、死のオルゴールをピンポイントで直撃した。――しかし、だ。

 

「うそ?! ぜんぜん効いていません!」

「やはり、予想はしていたが、手遅れ、だったか……!」

『フハハハハ、少シハデキルヨウダナ人間。ダガソノ程度ノ力デハ、我ヲ、マシテヤ我ガ主ヲ止メルコトナド到底出来ヌワ。思イ出ノ鈴ヨ、コノ身ヲ地上ヘ。』

 

 棚に飾られていた小箱が、一瞬のうちに魔物、パンドラボックスの本来の姿に戻り、さらに次の瞬間には赤い光に包まれ、部屋から消え失せた。マハール子爵が急に声を発しなくなり、まるで糸の切れた人形のように脱力して動かなくなった。そして、宙に浮いていた小箱、死のオルゴールはいつの間にか、黒い霧のような、もやのようなものをまとわりつかせた漆黒のオーブへと姿を変えていた。

 

「また、デスタムーアか……!」

 

 ヒカルはオーブを確保しようと手を伸ばすが、その手が届くよりわずか前に、オーブは跡形もなく消え失せた。そしてその場には、血走った目を開ききったままで絶命した、貴族だった物のなれの果てが、哀れに転がっているのみだった。

 

***

 

 リング状での戦いは硬着状態が続いていた。怪物化したフランクの動きを、アンとトビーはほぼ見切っていたが、単純な身体能力の高さ、特に強靱な鱗のような皮膚で守られたその肉体には、容易にダメージを通すことが出来ないでいた。一方魔物の方も、大ぶりな攻撃はすばやい師弟には届かず、こちらも決定打を出せずにいた。だが、徐々に形成は魔物の側に傾きつつあった。

 

「はあはあ、くそっ、こっちはもう息が上がってきてるのに、あっちはまだ余裕か……!」

「大丈夫かトビー? ……これは早めにカタをつけなければまずいな……!」

 

 徐々に、トビーの体力が限界に近づいており、彼ほどではないがアンにも疲労の色がうかがえる。対して魔物の方は、まだ余力を残している様子だ。生物である以上、魔物の方にも当然限界はあるだろう。しかし、その限界は人間と比べたらはるかに遠くにあり、モンスターであるはずのアンの限界値をも上回っていたのだ。それが『進化の秘法』の成せる(わざ)なのだろうか。

 いずれにしても、このままでは先に体力が尽きるのはアンとトビーの方だろう。であれば、その前に相手のHP(ヒットポイント)を一気に削りきる大技をたたき込む以外にない、アンはそう結論づけた。しかし、それには彼女1人の力では不可能だ。

 

「トビー、頼みがある。」

「え?」

「1分……いや三十秒でいい。奴を完全に足止めしてくれ。これから大技を撃つ準備をする。」

 

 これはかなり危険な賭けだ。すでにトビーの体力は底を突きかけている。アンが放とうとしている技の、いわゆる『溜め』に要する時間を稼ぎきれずに彼が倒れれば、二対一でかろうじて拮抗している戦況は大きく崩れることになる。――当然、現状で拮抗しているのだから、それを1人で押さえ込むのは相当に骨が折れることは言うまでもないが――それでも、ここで決定打を打たなければ、かの魔物を世に解き放つことになる。それだけは何としても避けなければならない。――たとえ、フランクという少年の命を刈り取る最悪の結果になったとしても――アンは、決意を込めて、破邪の剣を固く握りしめた。

 

「わかりました、行きますっ!!」

「頼む!!」

 

 トビーは再び剣を構え、様々な衝撃でひび割れだらけになった石造りのリングを力強く蹴って跳躍した。その動きに魔物は完全には反応できていない。相変わらず大ぶりな棍棒の一撃はトビーを捕らえることはなく、すさまじい風切り音とともに空を切った。

 

「天なる轟きよ、我が剣に宿り、邪なる力を払う刃となれ!」

 

 アンの掲げた剣に魔力が集まっていき、晴れ渡っていた空にはいつのまにか黒雲が立ちこめはじめた。アンの魔力に呼応するように雲から小さな電工がほとばしり、掲げた剣の先にも魔力の光がバチバチと火花を挙げる。

 彼女は力を溜めながら、愛弟子と怪物の戦闘を注視する。最後の力を振り絞ったトビーの『五月雨斬り』は、有効なダメージを与えてこそいないが、十分に魔物の気をそらす役には立っている。

 

「ライデイン!!」

「グオ?!」

「よくやった!! 離れろトビー!!」

「はっ、はいっ!!」

 

 天から目もくらむような眩い雷が、アンの掲げる破邪の剣めがけて、墜ちた。アンの指示とほぼ同時に、最後の力を振り絞ったトビーは、転がり落ちるように魔物から離れ、距離を取った。異変に気がついた魔物が迎撃態勢を取ろうとしたが、その時にはもう遅い。青白く輝く雷光をまとったスライムナイトの姿は、すでに視界にはない。

 

「ライスラッシュ!!」

「フランク~~!!」

「サーラ、ヒ、メ、サ、マ、ウ、ゴアァアアアアッ!!!」

 

 果たして、ようやく立ち直り、貴賓席から戦況を見守っていたサーラの目の前で、電撃呪文(ライデイン)の光をまとった斬撃が、魔物――フランクという1人の少年だった物――に向かい放たれた。姫の叫びに呼応したその呼び声は、大技(ライスラッシュ)の轟音にかき消され、誰の耳にも届きはしない。

 

「許してくれ、フランク……!」

 

 立ち尽くすアンと、その横に鎮座するスライムのアーサーの目前で、巨大な魔物は正義の光に打ち抜かれ、その場に倒れ服した。同時に、その身体が淡い黄金色に光り、それが収束したときには、1人の少年の姿が、そこにはあった。冷たい石のリングに横たわるその姿は、酷く小さく、悲しく、見る物の目に映ったという。

 

to be continued




※解説
シェリー=アルマータ:ドラン有数の大富豪の娘。明けても暮れても金のことしか考えていない父親に嫌気が差し、魔法の勉強をするため学院に入学した。おっとりとした、いかにもお嬢様な口調で話す。めったなことでは怒らないが、本気で怒らせるとかなり怖いらしい。金に執着する者を蛇蝎の如く嫌う。一方で、金持ちでありながら贅沢はせず、質素倹約を心がけるなどしっかり者。大人びているように見えるが、本当は淋しがり屋。実はトビーの隠れファンである。13歳。得意呪文はメラ系で、ほかに補助呪文が少々使える。MP切れを起こしやすいのが弱点。
ミーシャ=レイモン:王家お抱えの鍛冶職人の娘。実技試験で過去最高得点をたたき出し、特待生として入学した。3人組の中では最年少の11歳。皆のマスコット的存在で、とてもかわいがられ大切にされている。魔王ムドー事件の際、大好きな兄が二度と覚めない眠りについてしまい、普段はひた隠しにしているが魔王やそれに加担する者すべてを強く憎んでいる。学院に入学した本当の目的は、魔王とその配下たちを根絶やしにするというある意味、子供が考える物としては非常に恐ろしい内容であるが、それを知るものは現時点では誰もいない。得意呪文はバギ。攻撃、回復と幅広い魔法を使いこなすことが出来るが、あまり高度な呪文は使えない。年少故体力に難がある。勉強は苦手だが機転が利き、とっさの判断力に優れる。運動全般が苦手。
アルフレッド=ダンテ=モールガン:ドランの零細貴族モールガン家の一人息子。母親に溺愛されて育ったため、かなりの甘えん坊。勉強熱心で、魔法以外にもさまざまな知識を持っており、3人組の知恵袋的な存在。12歳。得意呪文はホイミなど回復系全般。教会の新刊になりたかったが、貴族家の跡取りであるため叶わなかった。心優しく、動物好きで家では犬を飼っている。気弱で臆病なのが弱点。
マホトーン:原作ではヤナックが、すでに発動しているホイミを力業でねじ伏せていたため、大量のMPをつぎ込めば発動済みの呪文も打ち消せる設定としました。ただし、通常の数倍のMPを消費し、なおかつ高度な制御を必要とするので、マホトーンを「習得している」だけの術者には到底使いこなせません。ミーシャはオリキャラで、かなり特殊な立ち位置の存在になります。ある意味で、ヒカル側のキーパーソンかも知れません。ちなみに、そういった理由で、ヤナックの才能はかなり特別、ということになります。マホトーンのこのような使い方は、本作ではヤナックとミーシャ以外にはできません。
死のオルゴール:有名な没アイテム。本作では子爵の命と引き換えに、暗黒のオーブの力を解放するという役目を与えられました。ちなみに一度使うと無くなる模様。
剣の舞:通常攻撃より若干威力の低い攻撃を4発たたき込む。ばくれつけんなどと同系統の技。威力はシリーズにより多少差異があるが、本作ではばくれつけんと同等にしている。
ザキ:敵1体に即死効果をもたらす呪文。敵側には耐性を持つ物も多く、使用してくる相手には効きにくいのがお約束。ちなみに人間の味方は耐性アイテムを装備していないとレベルが高くても即死する可能性があり危険。初期のシリーズでは耐性アイテムが少なかったこともあり、ザキ系を集団で使う敵が現れると厄介。味方側ではⅣの某神官が乱発してネタとなった。
ザラキ:敵全体に即死効果をもたらす恐ろしい呪文。ザキよりも単体に対する確率はやや墜ちるが、敵にコレを連続で使用されるとかなり危険。初期のシリーズではブリザードなどのザラキ連発攻撃が有名。
ライスラッシュ:本作のオリジナル技になります。剣にライデインを落とし、横薙ぎの強烈な一撃をたたき込む必殺技、属性は電撃/斬撃です。ギガスラッシュの下位技になりますが、集団に効果のあるライデインを剣に収束するため単体に使うのであればかなり協力。しかし、アンの少ないMPでは多用は出来ません。

必殺技はかなり迷いましたが、いきなりギガ技はちょっと、ということで勝手に作ってしまいました。威力的には「ダイの大冒険」で登場した『ライデインストラッシュ』程度になります。

さあ、アンの技が初めて、明確に人間に対して炸裂しました。まぁ魔物化してましたけど。フランクの生死は? 彼は救われるのか?
次回もドラクエするぜ!!


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第40話 邪悪の胎動、それぞれの始まり

少し忙しくて、本文を執筆する時間が取れませんでした。最終回までのプロットはあるので、ゆっくり更新していきます。よろしければおつきあいください。
気づけば40話を数えてしまいました。この話にて原作前のエピソードは終了となります
長すぎる前振りにお付き合いいただいた方々に、心から感謝致します。
我が盟友よ、今こそ新たなる伝説の始まりだ……!
。今後、世界の運命はどのようになっていくのか、ヒカル君と一緒に見届けてくださいね。


 ドラン王都の中でも、貴族たちの館が建ち並ぶ一等地、ヒカルのいた世界風に言い換えると、閑静な高級住宅街といったところか、そんな場所のはずれにある、このあたりでは割と質素な――といっても、一般的な家屋からすれば恐ろしく大きく、立派な物だが――館がある。いま、その館の主である老人が、旅の装備に身を固め、供回りも1人もいないという状況で、何処かへ旅立とうとしていた。

 

「すまんな、婆さん、留守を頼むぞ。」

「ふふ、何年ぶりですかねえ、お爺さんにそう呼ばれるのは。」

「お互い、貴族生活は肩が凝るなあ。」

「ええ、本当に。」

 

 会話を交わす2人は夫婦なのだろう。やりとりの中に、長年連れ添ってきた絆のような物が感じ取れる。この老人がドランの重鎮、グリスラハール男爵その人だとしったならば、周囲の人々は驚きを隠せないだろう。

 

「よもや、お師匠の言っていたことが現実になろうとは……な。」

「後継者が、早く見つかりますように、お早いお帰りをお待ちしていますよ、あなた。」

「では、行ってくる。後のことはシャグニイル……ヒカルに任せてある。奴の関係者もそうだが……伝説の青き珠の勇者がこの国を訪れたときは……。」

「心得ておりますとも。」

「重ね重ね、すまないな。すべてはこの世界のため……いや、これからを生きてゆく若者たちのためだ。」

「ええ、おじいさんもくれぐれも、道中記を付けてくださいよ? もう若くないんですから。」

 

 夫人の見送りに、老貴族は今度は答える代わりに軽く手を挙げ、住宅街を長く走る一本道を、老人にしては軽い足取りで、ひょこひょこと歩いて行った。遠ざかるその背中が見えなくなるまで、夫人、マリーモンテ=クレハ=アルテ=グリスラハール夫人は、静かに見送っていた。

 

「どうか、ご無事で……。」

 

 つぶやかれたその声は委中の相手には届くまい。しかし、その思いだけは、夫たるかの男爵の心には確実に、届いていることだろう。

 

***

 

 ヒカルと3人の子供たちが闘技場へ戻ったのは、まさにライスラッシュと名付けられた必殺技が、魔物と化したフランクに直撃した頃だった。彼らのはたらきで、古代の儀式を発動していた術者と、媒体である腕輪の接続は絶たれ、儀式的にはフランクは『進化の秘法』の呪縛から解放された。しかしながら、彼の腕に装着され、今や魔物の肉体の一部と化したそれは、単独でも恐ろしい力を放ち、フランクを魔物に変貌させ続けていたのだ。もっとも、術者であるパンドラボックスが儀式のフィールドを離れたことで、与えられていた膨大な力は弱体化し、体力が付きかけていたトビーでもどうにか、1人で足止めを出来るくらいにはなっていた。アンの放ったライスラッシュに込められた正義の光は、黄金の腕輪の力を粉々に粉砕し、フランクを元の姿へと戻すことには成功したようだ。

 

「う、ううっぐあっ!!」

 

 目覚めた少年の身体を、かつて感じたことのないような激痛が襲う。無理もないだろう。電撃呪文(ライデイン)の力が込められた一撃をまともにうけたのだ。進化の秘法によって強化された肉体でなかったら、とっくに消し炭と化していたはずだ。

 

「フランク!!!」

「ひ、姫様、お待ちください!! まだ危険で……。」

「よい、アルマン。」

「は?」

「……行かせてやれ、これはサーラ自身が決着を付けなければならぬ問題だ。王族としてではなく、1人の人間としてな。」

 

 まだ少しふらつきながら貴賓席をオリ、リングへと駆けていくサーラ姫を制止しようとしたアルマン男爵を、ピエール王は手で制した。その瞳は深く愁いを帯びていたが、しっかりと娘と、横たわる少年を見据えていた。

 

「そうであったか……人心とは思うままにはいかぬものよな……。」

「陛下、これも、ある意味、運命でございましょう。」

「じい……そうか、そうだな……。」

 

 王の隣で闘技場を見下ろす老貴族の表情も又、悲哀に満ちたものだった。観客は未だ事態を完全に把握できては折らず、演劇に見入るかの如く、闘技場の中心で繰り広げられる出来事を見つめていた。

 

「トビー! 大丈夫か?!」

「ううっ、は、伯爵様、だ、大丈夫です、恥ずかし、ながら、体力はもう限界ですが……。」

「僕が回復します。そのままじっとしていてください。完全には無理ですが少しは楽になると思います。』

「ああ、ありがとう……。」

 

 アルフレッド少年はトビーの身体に両手をかざし、その傷を癒すべく呪文を唱えた。

 

「ホイミ!」

 

 淡く緑色の魔法の光がトビーを優しく包み込み、完全ではないが蓄積したダメージを和らげていく。ほどなくして、どうにか起き上がって楽に話せるくらいまでは、トビーは回復した。

 

「はっ、そうだ、フランクは……!」

「フランク、大丈夫ですか?!」

「ひめ、様、もうしわけ、ありません……、このような醜態を、お見せす……ぐっ!」

「動かない方が良い、すまなかったな、あれしか、お前を停める手段が思いつかなかった。」

 

 アンは剣をゆっくりと鞘に収め、片膝を突いてフランク少年の顔をのぞき込んだ。容姿端麗だった面影はどこにも無く、あちこちが腫れ上がり無残な有様だ。

 

「どうやら死にはしなかったようだな。しかし……。」

「……ヒカルか、君たちが術の大本を叩いてくれたようだな。弱体化していなければ止められたかどうか微妙だったぞ。おかげでフランクの命は救うことができた。だが、もはや彼は剣をとって戦うことはできないだろう。」

「?! そんな、どういうことですか?! ねえヒカル、アン! 傷なら回復呪文で治せば元通りに……。」

「駄目なんだよサーラ、さっきの、怪物になる儀式のせいで、フランクの身体はどういうわけか回復呪文を受け付けない状態になっているんだ。」

 

 アンの説明に、サーラは驚愕のあまり声も出せない。現在のフランクは、元の姿に戻ってこそいるが、その身体は進化の秘法を用いたことと、アンの強烈な魔法剣をその身に受けたことで、深刻なダメージを負っており、一命は取り留めた物の自力で歩くことさえおそらく不可能だろう。加えて、どういうわけか身体が回復系の力を受け付けなくなってしまっている。アンが残り少ない魔法力(マジックパワー)を費やして唱えた回復呪文(ホイミ)も、効力を発する前にかき消えてしまったのだ。

 

「生命力はある程度残ったから、おそらく死にはしないと思うが、残念ながら今の状況を治療する手立てはおそらく……。」

「良い、のです、シャグニイル伯爵。……わた、しが……姫様を、身分不相応にも、愛してしまった故、このような……ことに……。」

「それは違うぞ、誰かを好きになることに罪なんかあるものか。罪があるとすれば、その心につけ込んで利用しようとする輩だ……!」

「伯爵……、私は、私は……うぅっ……。」

 

 少年の目から涙がこぼれる。ずっと、ずっと姫に憧れて、いつか異性として好意を持つようになっていた。それを押し殺して押し殺して、心の奥底にしまい込んで、彼は今日までを生きてきたのだ。様々な思いを抱えながら、それを他者に悟られぬように、彼は努めてきたのだ。それが予想外の力によって暴走したとしても、誰が彼を責められるだろうか。

 

「……泣かないでフランク……。ごめんなさい、私はあなたの想いに答えることができません。……でも、私もあなたと同じ、私もまだ、思い人に気持ちを伝えられてはいないの、でもいつか、そうもっと、私が自分に自信を持てて、勇気が出せるようになったら、きっと、そう思うの。」

 

 サーラは手にしたハンカチで、フランクの涙を優しく拭いて、そして自分の思いを吐露する。彼女もまだ、自分の気持ちを、委中の相手に伝えられてはいない。いや、ついこの間まで、そんな相手が自分にいるとは想っていなかったのだ。しかし、ドムドーラの襲撃事件を経て、自分の気持ちに気がついた。トビーがドランを離れているときの空虚な気持ち、ドムドーラが襲撃されたと聞いたときの衝撃、彼がたった1人で魔物たちから仲間を護り戦ったと聞いたときのモヤモヤした感情。守ってくれると、誓ってくれた、そしてその約束をいつも必ず守ってくれた、傍にいてくれた、そんな1人の少年の存在が、自分にとってどれだけ大きい物だったのか、彼女は初めて知ったのだ。

 

「みんな、まだまだ、片思い……なのですね……。」

 

 フランクは静かに瞳を閉じ、そうつぶやいた。その声は酷く弱々しかったが、どこかすっきりとした、晴れやかな物であるように、サーラは感じた。

 かくして、ドランで開催された武闘大会は、予想外の事態が起きた物の、観客には1人の犠牲者も出すことなく、トビーの優勝という結果に終わった。しかし、度重なる、国を揺るがすような大事件に、民心は揺らぎ、形に出来ない大きな不安が、国中に渦巻いていた。それは、かの邪悪なる大魔王に力を与え、その魔の手は、光指す世界に住まう者たちに、あと少しで届くほどに近づいていたのだ。だが、ゆっくりゆっくり、人間社会に隠れ潜むように浸食するその影は、未だほとんどの者たちに認知されてはいなかった。

 

***

 

 ドラン王宮にある、サーラ姫の自室で、1人の老婦人が、小さな主に頭を垂れている。王族と進化という関係であるから、別に珍しくもない光景なのだが、今日に限っては様子が違うようだ。部屋の主、サーラ姫は驚きと困惑が入り交じった表情で、老婦人の白髪交じりの頭を見つめるほかはない。

 

「暇乞い、ですか? 急にどうしたの? 婆や。」

「……言葉の通りでございます。我が夫が所用により、館を離れて旅に出ることとなりました。つきましては、勝手とは存じますが、当家の諸々のことを取り仕切る必要がございますので、この婆やも本日をもちまして、おいとまをさせていただきたく、ご挨拶に伺いました。」

「お父様……陛下はご存じなのですか?」

「はい、夫がかねてより、お役目を離れ隠居する旨、陛下にお伝えしておりました。」

「まあ。」

 

 どうやらグリスラハール夫妻の暇乞いは、ピエール王にはあらかじめ伝えられていたことらしい。正式に手続きされたことであれば、自分はそれをどうこういう立場ではない。ただ、去りゆく物を見送るだけだ。それでも、長年世話を焼いてくれた彼らが去るのは、当然寂しい物だ。

 

「寂しく、なりますね。」

「そのようなお言葉、もったいのうございます。姫様、いつも御前をお騒がせし、まことに申し訳ございませんでした。」

 

 老婦人は深々と頭を下げたまま、微動だにしない。いつもやかましく騒ぎ立てている姿とは対称的だ。そんな姿を見せられたら、まだ十代前半の少女としては胸にこみ上げてくる物がある。

 

「そんなことを言わないで、私の方こそ、いつも我が儘ばかり言って、困らせてごめんなさい。どうか元気でね、今までありがとう、婆や……。」

「ひ、姫様、そのようなお言葉、もったいない、ううっ。」

 

 老婦人は肩をふるわせ、感極まった様子で声を詰まらせた。表情は見えないがおそらく涙ぐんでいるのだろう。このまま湿っぽい状況を長引かせるのも良くないと思ったのか、サーラは努めて明るい声で問いかけた。

 

「そういえば、陛下にはご挨拶をしたのですか?」

「いいえ、これから夫とともに伺うことになっております。」

「では、私も一緒に参ります。」

 

 サーラはグリスラハール夫人の手を取って、ゆっくりと立たせると、そのまま手を引いて、玉座の間へと向かって歩き始めた。城の窓からは、西に傾きはじめた太陽が差し込み、遅番の兵士がちょうど交代した頃合いだ。運命はゆっくりとゆっくりと、誰も知り得ない方向へと、その歯車を回しはじめる。それらがどのようにかみ合い、どのような出会いや別れをもたらすのか、運命の神以外は知り得ないことだ。

 

***

 

 シャグニイル家の応接室で、一組の老夫婦を囲んで、ささやかな宴が催されていた。テーブルには主賓であるグリスラハール夫妻と、ヒカル、アン、トビーとルナ、モモの姿がある。

 

「はっはっはっはっ、それは苦労したのう、姫様はあれで相当に頑固だからな。」

「笑い事じゃないですよ男爵さま、本当に心臓が止まりそうだったんですから。……恋人同士に見えるように抱きしめてくださいとか、バレたら処刑ものですよ。」

「姫様が同じ歳くらいの男の子にそのようなことをねえ。大きくなられた物だわ。」

 

 老夫婦はトビーが語る城外でのサーラの様子に、手元のグラスを傾けながら楽しげに笑い、相づちを打っている。どちらも、王宮で見せている雰囲気とは異なり、どこにでもいるような普通の老人だ。

 

「で、じいさん、本当に旅に出るのか?」

「……うむ。いかに老化を遅らせる秘術で長らえているとはいえ、この身体もあと十年ももてばよいほうじゃろう。まさか、お師匠が予言されてから150年以上後になって、異世界から魔王が侵略してくるとは……な。」

「150年ってあんたいったい本当はいくつなんだ……下手すりゃエルフも真っ青な歳なんじゃないだろうな?」

 

 ヒカルはやれやれとため息を吐き、手元のグラスから酒を一気にあおった。ピエール王と同じく、この老人も他の貴族がいないときはかしこまった対応をしないようにヒカルに言い含めていた。最初、それは老人のヒカルに対する気遣いだろうと彼は考えていたが、どうもそればかりではないようだ。

 

「儂は元々貴族ではない。諸国を武闘家として旅しておったのじゃが、先々代の王と縁があり、爵位を与えられもう長くこの国に居座ってしまった。しかし、本来の儂の目的は師匠から受け継いだ拳法の後継者を探すこと。だがついに、この国でそれはかなわなかった。まあ平和な世の中が続くならたいした問題でもなかったのじゃが……。」

 

 老人は静かに目を閉じ、その場はしばしの間、静寂に包まれた。誰もが老人の次の言葉を待ち、言葉を発しようとはしない。

 

「……ヒカルよ、陛下と、姫様を頼む。」

「ああ、それはジュリエッタに言われてるさ。なんでみんなオレなんかあてにすんだかね。」

「ふふ、それでもあなたは、面倒くさい顔をしながら、約束を守るのでしょう?」

「婆さんにはかなわんね。まあ、お人好しとでも何とでも言ってくれや。」

 

 ヒカルはそう言うと、ポリポリと頭をかきながら、いつのまにか新しく中身の注がれたグラスに口を付けた。その様子をおかしそうに眺め、老婆、グリスラハール夫人は王宮の時とは全く違う、柔和な表情で笑うのだった。

 

「お人好し、そうかもしれませんねぇ。でも……、そう、そんなあなただからこそ、この館の人たちは皆、笑っていられるのですよ?」

「そんなもんかねえ。」

「そういうものですよ。」

 

 楽しげな笑いと、部屋を照らす温かな光と、穏やかな時間と。それらがずっと続けば良いのにと、この場の誰もが想ったことだろう。しかし、楽しい時間はあっという間に過ぎてしまう物だ。夜が明ければ、彼らはそれぞれ、定めた目的のために歩き出さなければならない。それがわかっているから、せめて今夜だけは、今の幸せを噛み締めて、酒に酔い、ただ笑い合おう。

 その日の宴は、この館では珍しく、夜明け近くまで続いた。

 

***

 

 中央大陸のはずれに、ペルポイという町がある。貧しい村や町が多いこの大陸にあって、この町も例外なく貧しく、さびれていた。しかし、それは表向きのことで、この町には光の中を歩く者たちには縁の無い、闇の側面があったのだ。

 巨大な石造りのリングの上で、2人の人物が剣を構えてにらみ合っている。かたや筋骨隆々の屈強な男、かたや鎧で武装してはいる物の、細身の助成だ。

 

「おいなにやってんだ!!!」

そうだそうだ! 早く戦え!!」

「怖じ気づいたのか!」

 

 相対してからすでにかなりの時間が過ぎているはずだが、に名は剣を構えた最初の姿勢のまま動いてはいない。周囲の柄の悪い観客たちのヤジをよそに、対戦者を見据え、にらみ合いを続けている。

 ここは闘技場だ。それだけならば珍しくもなんともないが、この闘技場はある一点が他とは異なっていた。

 

「せいっ!」

「ムッ?!」

 

 女性の気合いの乗ったかけ声が響いた刹那、その姿は一瞬で対戦相手の前からかき消えた。次の瞬間、男は血しぶきを上げながら倒れ、勝負は一瞬で決着が付いた。

 

「な、何だよ今の。」

「あの女、また勝っちまいやがったぞ?」

 

 にわかに会場がざわつきはじめ、手に持った札を見て呆然とする者、信じられないような顔をする者など、反応は様々だ。

 ここは闘技場、人の命を賭けのネタとして、どちらが生き残るかを当てる、といった場所だ。出場者には、勝てば目の玉が飛び出るくらいの賞金が出るが、負けることはすなわち、死だ。

 

「さあ、次はどいつだ!」

「しょ、勝者、挑戦者デイジィ!! つ、次の試合の準備までもうしばらくお待ちください!!」

 

 ようやく立ち直った進行役の男が場を取り仕切り、デイジィと呼ばれた女性は係員なのだろう男に促されていったん退場していった。

 結局、デイジィはこの日、一日中勝ち続け、彼女の元には信じられないような額の大金が転がり込んだ。しかし、結局こうやって、裏社会を渡り歩いても彼女の欲するものは見つかりはしなかった。

 あの日――人買いの馬車に連れ去られ、生き別れになってしまった弟と妹――もはや生死さえも明らかではないが、それでも生きていることに一理の望みを託し、彼女は明日も、無謀な戦いに身を投じてゆくのだろうか。

 1人の男によって運命を変えられた兄妹と、原作の物語と同じく、それを探す姉。デイジィがトビーとルナを探しているように、ヒカルの側でも彼女を探していた。しかし、どういった巡り合わせなのか、もう何年もたつというのに、彼らの運命はマダ、交わらない。

 

***

 

 窓のない、ランプの明かりだけが灯る石造りの部屋で、2人の男が並び立ち、何やら言葉を交わしている。夏の砂漠地帯ともなれば、外はかなりの暑さだが、地下に作られたこの部屋は思いのほか涼しく、避暑には最適だ。

 

「どうだいピエール、進み具合は」

「思ったより順調だな。あと1年ほどで完成できるだろう。……しかし、地下に第2王都を作るなど、思い切ったことを考えたな。」

「……実際に使うかわからんし、維持にそれなりの費用がかかるから提案するかどうか迷っていたところはあるんだけどな。」

 

 ここは、ドラン王都の地下、入り組んだ通路のあちこちに作られた無数にある部屋の一つだ。元々、追うや貴族達の脱出路としての通路が張り巡らされていた地下を、非常時に第二の王都として機能させようというのがヒカルの考えだった。そして、ピエール王がその考えを取り入れたため、現在第二の王都となる地下都市が秘密裏に建設されているのだ。これで、原作のように王都が魔物の手に落ちたとしても、首脳陣さえ無事であればこの地下都市から反逆の指揮をとることができる。また、原作で地下に作られていた『死せる水』の製造装置の建設なども、あらかじめ地下に防衛網を敷いておけば未然に防ぐことができるだろう。むろん、その前に警戒を厳重にして、そもそも手出しをさせないように手を尽くすつもりだが、備えておいて悪いと言うことはない。

 

「ヒカルよ。」

「ん?」

「今度は、守りたい物だな。」

「……ああ、守ってみせるさ、俺たちの力でな。」

 

 どんなに伸ばしても届かない手がある。だとしても、やはり、男は手を伸ばさずにはいられない。それが彼という人間だから。たとえお人好しだろうとなんだろうと、彼は、自分の周りへ手を伸ばし続けるのだろう。

 

「ところで、うちの卒業生たちは真面目に働いてるかい?」

「ああ、我が国だけでなく、他国からの依頼で出向している者もいるほどだ。」

「うーん、自分でやってきたこととはいえ、まだ15にもならない子供を送り出すのはなあ……。」

「まあ気持ちはわかる。 だが、我らの目的を考えるなら、優秀な人材はどうしても欲しい。」

「ま、そうなんだけどねえ。大人としてはなんとも複雑なわけだよ。」

 

 小柄な男は軽いため息をひとつ吐いて、ゆらめくランプの明かりをじっと見つめている。その横顔はどこか愁い気で、いつもの彼らしくない。何かの決意を秘めているような表情にも、ピエール王の目には映った。

 

「やはり、さらなる魔法の力を求めるのか。」

……ああ。今のレベルじゃ魔王どころか、その部下にも歯が立たない。人間の限界っていわれてる壁を突破しないことには、これから先ドムドーラの時のようなやつが出てきたら太刀打ちできないからな。」

「ずっと迷っていたのだが、私も覚悟を決めなければならないな。」

「ん?」

「これを持って行け、どこかへ旅立つつもりであろう?」

 

 ピエール王から渡された羊皮紙を広げ、内容を読んだヒカルは目を丸くした。

――ドラン国王ピエール=アドルド=ジエル=ドランの名において、この者に勅命を与える。

一つ、魔王の脅威を退け、これを討伐するため、あらゆる情報を収集し備えること。

一つ、国籍、身分、種族に選らず、魔王あるいは魔物によって苦しめられている者の力となるべし。

ドランは国王の名の下に、盟友たる諸侯に対し、かの者へのできうる限りの助力を求める物である。――

本来の文はもっと格式張ったものだが、要約するとおおよそ上のような内容になる。一国の王が密命とは言え、1人の人間にここまで肩入れするのは異例だ。国王直筆の書簡には絶大な力があり、使い方を間違えれば剣などよりよほど凶悪な、権力という武器になりかねないのだ。それをわかっていながら、ピエール王はあえて、ヒカルに権限を与え、彼が他の国の情報まで閲覧できるように手を回した。情報とはそれ自体価値がある物だ。文化が違うといってもそのあたりはどこの世界でもおよそ変わりない。この世界において、勇者や魔王、竜伝説などに関わる伝承や予言などは、国家機密として扱われていることも多く、特別な地位の者でなければ閲覧することは出来ない。アリアハン王がヒカルに竜伝説について書き記した手記を手渡したのは異例中の異例、ということになる。

 

「……いいのか?」

「何を今更驚いている? もはや事は我が国一国の問題ではない。各国の王に、魔王討伐に役立ちそうな情報は惜しまず提供するように依頼してある。我が国と国交のあるところならば、手を貸してくれるであろう。」

「助かる。」

 

 ヒカルは短くそれだけ言って、羊皮紙を丸めて懐に入れ、部屋を立ち去っていった。残されたピエール王は彼が出て行った部屋の扉をしばらくじっと見つめていた。

 それから数日の後、シャグニイル伯爵は学院の経営を従者のエルフに任せ、単身でドランの国を後にした。さらなる魔法の深淵に達し、邪なる魔物の王に対抗するために。

 それから、世界はしばらく、何事もなく平穏だった。退屈だが穏やかな時間が流れ、人々は素朴ながら幸せな日常を、なんとなく過ごしていた。その中にあって、迫り来る脅威を察知し、それに対する備えをしていた者が、いったいどれくらいの数、存在したのだろうか。ただ何もせずに、漫然と時が過ぎゆくのを見送っている者が多い中で、ドランは様々な面で、有事に備えていたといえるだろう。ヒカルが育てた魔法使いたちは新設された魔法師団に組み込まれ、あるいは他国に出向きその力を存分に発揮した。魔法が使える者も増えていき、高位の呪文はともかく、魔法自体はさほど珍しいものではなくなっていた。世界は、1人の男の出現によって、彼の思うよりはずっと、その有り様を変えていったのだ。

 そして、さらに二年の歳月が流れた。

 

***

 

 暗い暗い水の底、かつての古代文明の負の遺産、微生物一つ存在しない『死せる水』に満たされた沼地のそこで、古代人の野心の残滓が作り上げたそれは、一つの生物のような実態をなし、多くの者の欲望を喰らったといわれる美しい宝石から、数多の恐ろしい怪物を作りだした。それらは今、精霊神と呼ばれるこの世界を守護する存在が作り上げた強固な結界をついに突破し、まがまがしいその全貌を世界に占めそうとしていた。

 かつての古代文明、エスタークの負の遺産から作り出されたかの存在は、邪悪なる怪物たちから尊敬と畏怖を込めてこう呼ばれた。

 『大魔王バラモス』と。

 

「ムーアよ。」

「はひぇ、バラモス様、ようやく準備が整いましてございます。ムヒョ。」

「よろしい、では、これより浮遊要塞ガイムを浮上させる、者ども、衝撃に備えよ!!」

「はっ!! 伝令!! これより浮上する! 総員、持ち場に着き衝撃に備えよ!!」

 

 部下達が配置についた旨の報告を受けると、魔物の王、バラモスはその力を、怪しげなケーブルのような物を介して、浮遊要塞と呼ばれるものへつぎ込んだ。ほどなくして、彼らを乗せた要塞『ガイム』は、振動を伴いながらゆっくりと上昇しはじめ、次第にその速度は増していく。

 

「砕け散れ、忌まわしき結界よ! ぬううんっ!!!」

 

 バラモスの眼が妖しく光、彼が力を込めると、激しい衝撃とともにガイムは急浮上し、ついに、創造神たる者が作り上げた強固な結界を突き破り、水上にその姿を現した。

 

「フハハハハ! ついに、ついにやったぞ! 者ども、これより我が魔王軍による世界侵略を開始する。そして、伝説の竜をよみがえらせる力を持つ赤き珠と、それを操る聖女をこの手に収めよ。すべては我らの永遠なる反映のために!!」

「オオッ!! バラモス様ばんざい!! エスタークに栄光あれ!!!」

 

 災厄は解き放たれた。これより世界は、文字通り死をまき散らす汚染水である『死せる水』に苦しめられることとなる。この先、幾多の苦難が人々に降りかかることとなるが、そのことに気がついている者は、世界全体から見たらほんのわずかである。そして、その影に潜むように、もうひとつの邪悪な影が、別な方向から世界に魔の手を伸ばしはじめていた。

 

to be continued




ついにバラモス様のご出陣!です。次話から原作の時間軸に突入していきますが、作中でアベル達が旅をした器官がいったいどれくらいなのか不明なため、そちらは独自解釈になります。……いくらなんでも某J漫画のように決戦まで三ヶ月、などということはありません。

それでは、次回もドラクエするぜっ!!


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