生命の唄~Beast Roar~ (一本歯下駄)
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プロローグ

 ワタシは、この言葉を忘れない。

「死ぬな、生きろ、心の臓が音を止めるその瞬間まで」


 ワタシは異常を抱えて生まれ落ちた。

 

 両親とは全く毛色の違う子であった。

 

 数十年に一度生まれると言う忌子だった。

 

 忌嫌われる子供。

 

 その容姿は村人からすれば奇怪であり、本来であるならその場で殺されていたはずだった。

 

 ワタシの師であり、母である『ヒヅチ・ハバリ』がワタシを殺すのならば自分が育てるとワタシを村人から引き取り、ワタシを育てた。

 

 師に戦い方を学んだ、一人で生きる術を学んだ。

 

 ありとあらゆる事を師に学んだ。

 

 村人に殺され、ただ死ぬだけだったワタシに生を与えてくれた。

 

 このまま師と共に暮らしていくのだろうと思っていた。

 

 

 

 師であり、母であった『ヒヅチ』が死んだのは激しい雨の降る日の事だった。

 

 モンスターの攻撃を受け、泥濘(ぬかるみ)に足をとられ、濁流とかした川に転落した。

 

 死体は見つからなかったが、村人はあの濁流に呑まれては生き残れまいと、師が死んだ事にした。

 

 師と共に暮らした家で、ワタシはただ茫然としていた。

 

 

 元々、師は村に住んでいたわけではなく、記憶を失い、村に流れ着いた流浪の旅人だった。

 

 腰に佩いた刀と、腕が立った事から武人かなにかだったのだろうと、村で世話になる代わりにと村の周囲に現れるモンスター退治を請け負い、村の外れにある小屋を借りて暮らしていた。

 

 忌子であるワタシが生まれた際に、無理を言って引き取り、育てながらモンスターを退治し、ワタシに剣を教えていた。

 

 村人はそんな師の事を気味悪がっていたが、モンスター退治の腕もあって蔑にはしなかった。

 

 そんな師の庇護を失ったワタシに村人は「出て行け」と言葉にはしなかったものの、汚らわしい物を見る目でワタシを見た。

 

 師の日記を見つけたのは、師が行方不明になってから10日後、師が死んだとされた2日後の日暮れ頃だった。

 

 

 師はワタシに隠し事をしていた事をワタシは、何も知らなかった。

 

 いや、気が付いていないふりをしていた。

 

 師がワタシを見るとき、時折、憐憫が混じった視線を感じる事があった。

 

 一度、どうしたのかと尋ねた時、師は困ったような、泣きそうな顔をした。

 

 ワタシはそれ以降、日に日に募っていく師への不信感に気付かぬ振りをしていた。

 

 師に文字を教えて貰っていて良かったと思ったのは、そこが初めてだった。

 

 嫌々覚えていた文字を、四苦八苦しながら読み進め、師の日記の中盤に差し掛かった辺りで、ワタシは知りたくなかった真実を知った。

 

 ワタシはどうやら十歳までしか生きられないらしい。

 

 正確には十歳頃に体の不調が出始め、十二歳には死に至るらしい。

 

 体の何かが人とは違いおかしくなっているらしい。ぐらいしか分らなかったが、師はこの事をワタシに隠し、ワタシが息絶えるその瞬間まで見送る事を誓っていた。

 

 ワタシは今年で八歳、残り二年。

 

 正確には一年と半年。

 

 

 ワタシはどうすれば良いのかわからず途方に暮れた。

 

 

 村長がワタシを訪ねてきた。

 

 日頃、ワタシの顔を見ると顔を逸らし、ワタシを避けていた村長が、ワタシを訪ねてきた事に驚きを覚えた。

 

 村長はワタシに多くは語らなかった。

 

 ただ、村長もワタシが長く生きられない事を知っていた。

 

 ワタシに残された時間は少ない、だけどもう少しだけ長く生きられる可能性がある事を村長は語った。

 

 『オラリオ』と呼ばれる所には神々が降り立っており、その神々が人に与える『神の恩恵』と言うものを授かる事が出来れば、長く生きられるかもしれないというものだ。

 

 『神の恩恵』は人と言う器を昇格させて器を強く、大きくする。

 

 ワタシの器は異常を抱え、弱く、小さい。

 

 その器を強く、大きくする『神の恩恵』を授かり、『昇格』して『レベル』を上げれば、あるいは可能性があるのではないかと。

 

 他に村長は村で面倒を見るから静かに、死を待つのはどうかと誘ってきた。

 

 反吐が出る。

 

 村長の思惑は理解できなかったし、ワタシは「座して死を待つ」気にはなれなかった。

 

 師の語った言葉がワタシの魂に染みついていた。

 

 「死ぬな、生きろ、心の臓が音を止めるその瞬間まで」

 

 ワタシの決心は早かった。

 

 ワタシは生きよう。全てを賭して生きよう。

 

 小さな可能性であろうが、方法があるのであれば師の言葉に従おう。

 

 「ワタシは絶対に死なない、全身全霊を賭けて生きるのだ」と。

 

 

 

 

 

 『オラリオ』

 千年前、人の子からすれば途方もない程の昔に神々は天界での暮らしに飽き、人の住む下界に下りてきた。

 その最初の場所がオラリオの中心にそびえたつ白亜の塔『バベル』であった。

 正確にはバベルの立っていた場所にもともと建造されていた建築物を木端微塵にして降り立ち、そこに神々の力を用いてバベルを建造したらしい。

 

 神々は自らの名を関した【ファミリア】を作り、眷属を受け入れていった。

 ファミリアに所属した眷属には神の奇跡『神の恩恵(ファルナ)』を授けた。

 

 神の恩恵とは人の可能性を無限大に広げる奇跡であり、人が経験を積んだ際に得られる【経験値(エクセリア)】を使い眷属を強化するモノである。

 

 ワタシが旅路で学んだのはそんな当たり前の知識だった。

 

 ワタシが住んでいた村はオラリオからそれなりに離れていた。

 

 師が贈ってくれた『大鉈』という刀を腰に差し、背に師が家に残した予備の刀を佩き。

 

 村長が最後にとくれた山伏の様な衣類を身に纏い。

 

 なけなしの千ヴァリスを手に、ワタシは旅に出た。

 

 

 

 ワタシは歩き続けた。

 

 疲れ果てて眠り、簡単な干し肉や干した野菜等を齧り、武具の手入れの時間すら惜しみ、ワタシはオラリオを目指した。

 

 師の形見ともいえる刀には錆が浮かび、師から送られた『大鉈』はモンスターの血がこびりつき、刃も毀れきっていて、とても師に顔向けできる状態ではない。

 

 衣類は汗と泥に汚れ、村で忌避されていた毛色は旅汚れで染まり切り、体中に細かな傷を作り。

 

 それでもワタシは「生きるのだ、生きて、生きて、生き抜くのだと」と呟きながら。

 

 ただ、オラリオを目指した。

 

 

 

 オラリオにたどり着くのに一ヶ月もの時間をかけてしまった。

 

 オラリオの門を潜る際に変なモノを見る目で見られたが、ワタシには関係ない。

 

 幼い子供がたった一人で旅汚れに塗れながらにやってきた。

 

 異様な光景だろうが、ワタシには神の恩恵が必要なのだ。

 

 ワタシは道行く人に声をかけた。ほとんどの人に無視されたが、時折、武装した者達の中には「薄汚い孤児が話しかけるな」とワタシを蹴るモノも居た。

 

 胸を蹴りぬかれ、吐く息に血の匂いが混じった。

 

 肋骨が折れ、肺腑に刺さったのだろうか? 血の塊がこみ上げてきた。

 

 意識が朦朧とする中、ワタシはその男が「今日は【ロキ・ファミリア】の入団試験だってのに靴が汚れただろう」と悪態をついたのを聞き、迷う事無くその男を追った。

 

 たどり着いたのは【ロキ・ファミリア】の本拠(ホーム)、『黄昏の館』という場所だった。

 

 入団試験の受付が設置されており、数多くの入団志望者が居た。

 

 ワタシは迷う事無くその受付に声をかけた。

 

 受付に居たのはドワーフの男だった。

 

 ワタシを見るなり、そのドワーフは驚いた様子で大声をあげた。

 

「リヴェリア! すまんがちょっと来てくれ!」

 

 ドワーフの大声に皆の注目が集まり、自然とワタシに注目が集まった。 

 

「ガレス、大声を出してどうした……その子は……おい、お前、大丈夫か?」

 

 女性の声を共に、集まっていた人たちが道をあけ、そこからエルフの女性が現れ、ワタシに気が付いた。

 

「けほっ……大丈夫とは?」

 

 胸にこみ上げてきた血の塊を吐き、口を開けばその女性は目を鋭くし怒鳴った。

 

「その怪我だ! とりあえず動くな、治してやる」

 

 エルフの女性はワタシに近づくと、汚れきったワタシの姿を見て一瞬顔をしかめるも、何かの呪文を唱えてワタシに掌を向けた。

 

 淡い光と共に、ワタシの折れた肋骨が癒えていくのを感じた。

 

 魔法だ。

 

 初めて見た、魔法だ。

 

 神の恩恵によって、人々は特殊な技や技能を覚えるらしい。

 

 それの一つ。

 

 癒しの魔法。

 

 ワタシは確信した。

 

 そう、それだ、ワタシが生きるのに必要なモノ。

 

 癒えていく体に頓着などしない、例え壊れ果ててたとしても、心の音色が止まらぬ限り、ワタシは生きるのだから。

 

 「ワタシは絶対に死なない、全身全霊を賭けて生きるのだ」

 

 

 

 

 

 

「怪我はこれで大丈夫だな、ガレス、何があった?」

 

 怪我を癒し、リヴェリアはガレスの方を向き、声をかけた。

 

「わからん、ワシが見つけた時にはもう怪我をしとった」

 

 ガレス自身も困惑していた。

 【ロキ・ファミリア】の入団希望者の簡単な選別をしていたら突然、

 土埃に塗れた半ば焦点の合わぬ目をした幼い狼人の子供が、口の端から血を零しながらふらふらとしながら「あの、すいません」と声をかけてきたのだから。

 

「孤児か? いったいどうして……」

 

 リヴェリアも突然現れた薄汚れた浮浪者の様に見受けられる幼子に驚きながらも、その幼子が真っ直ぐリヴァリアを見ている事に気付き、リヴェリアは膝をつき目線を合わせながら問いかける。

 

「お前、ここで何をしている?」

 

「入団試験を受けに来ました」

 

 迷い無く紡がれた幼子の言葉に、同じく入団試験を受けに来ていたらしい屈強な男たちから嘲笑の笑いが漏れる。

 そんな男たちの中から何人かの者達が出てきて、幼子を睨む。

 

 気に喰わないのだろう。

 

 自分達は【ロキ・ファミリア】に入団するために色々な努力をしてきた。

 

 血と汗の滲む努力だ。

 

 そんな努力をした者達に混じり、薄汚れた子供が入団試験を受けるのが気に喰わない。

 

 そんな目をした者達が出てきても、幼子は目の前のリヴェリアを見据えて口を開いた。

 

「ワタシは、神の恩恵を授かる為に、入団試験を受けに来ました」

 

 半ば朦朧としている様にも見える焦点の合っていない目でリヴェリアを見つめ口を開いた事にリヴェリアは驚愕を覚え、幼子の容姿をもう一度確認する。

 

 腰に吊り下げてあるのは刃先に行くほどに刀身は分厚く、幅は広くと見るからに重心は切っ先に傾き切った振り回して威力を高め敵を叩き斬る剣。幼子の手に余る代物で、背に背負っている刀は大人が使えば程よい長さだろうが、幼子にとっては背に背負わねば持ち運べぬ長さで、見るからにボロボロで柄巻は毛羽立ち、柄頭や鍔の金属は錆が浮かんでいる。どちらの剣も手入れを怠っている事を一目で察せられるほどにボロボロだ。

 服装は土や泥に汚れているが、それ以上に血が滲んでいるうえに、至る所に裂け目やほつれが見受けられる。

 荷物が入っているらしい袋を背負っているが袋も汚れている。

 先程、口から零れた血が胸元を大きく汚しているが、一切気にすることなく見据えるその目を見て、強い意志を持って居る事を理解して大きく溜息を吐く。

 リヴェリアは立ち上がり、幼子を睨む男達を睨み返す。

 

「列に戻れ、今すぐにだ」

 

「待ってくれ、そのガキも入団試験を受けるってのか?」

 

「勿論だ、希望者には平等にチャンスが与えられる。それがたとえ浮浪者であろうがな」

 

 【ロキ・ファミリア】の入団試験は、犯罪者でなければ大体の人間を受け入れる。

 何故なら、神が気に入る人は何処にでもいるからで、浮浪者だからと放り捨てたら他のファミリアで大成したと言う事例も掃いて捨てる程にあるのだから。

 

 まぁ、入団できるかは別としてだが

 

「それとも、文句があるのか? 【ロキ・ファミリア】に入団しても居ないお前達が? 【ロキ・ファミリア】の入団試験に文句をつけると?」

 

 【ロキ・ファミリア】の副団長【九魔姫(ナイン・ヘル)】リヴェリア・リヨス・アールヴの言葉に、男たちはたじろいだ。

 

「もう一度言おう、列に戻れ、入団試験を始める」

 

 不服そうにしながらも、入団志望先のファミリアの副団長に逆らえず、男たちは列に戻った。

 

 リヴェリアは一つ息を吐くと、薄汚れた幼子を見下ろし、口を開いた。

 

「名前と出身は?」

 

「カエデ・ハバリ、出身はセオロの密林の中の村」

 

「……セオロの密林の中? 村なんてあったのか?」

 

「知らない、でもその密林を抜けてきた」

 

「……そうか、では列に並べ」

 

 入団試験を受ける為にと正装をしてきたり、装備を新調して真新しい武器やらを持っている屈強な者達に混じり、成人した小人族よりもなお小さな幼子が背に片刃の剣を背負い、腰に片刃の鉈剣を持っているだけでも目立つだろうに、あろうことか髪や尻尾、服に至るまで汚れきった浮浪者と言っても良い見た目をしており、目立ち方が尋常ではない。間違いなく神ロキの目に留まるだろう。

 

 神によってはそんな汚れた姿を嫌い、たたき出す神も居るがロキは気にしないだろう。

 

 ロキが気にするのはただ一つ、気に入るか、気に入らないかだ。

 

「よかったのか?」

 

「決めるのはロキだ、犯罪者じゃ無いんだろう?」

 

「剣に血がついておった、人の血ではない様子だからモンスターのだろうな」

 

「……あの子を思い出すな」

 

 リヴェリアが思い浮かべたのは、今ダンジョンの中で無茶を繰り返して強くなろうとしている少女の姿だった。



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『入団試験』《上》

 師に学ぶ事は多かった。

「例え、枯れ枝でも鉄剣を切り捨ててみせよう。ワシが教えるのはそんな剣技じゃ」

 まだ、学びたかった。


 目の前で繰り広げられている茶番を、表面上は「すごいなー」「やるなー」と感心したように演技しながら、内心は「アホやなー」「何自慢げにしとるんやろなー」とあきれ返りながら、神ロキは入団試験を見ていた。

 

 【ロキ・ファミリア】の主神、神ロキは他の神々同様退屈を嫌い地上に降りてきた。

 天界では暇潰しにと策謀を巡らせ他の神々を殺し合わせてその様子を観戦したり、怒れる神々相手に殺し合いの原因は自分だと明かして自らも殺し合いに参加したりと、やりたい放題をしていた神で、他の神々から恐れられたり疎まれたりしている神である。

 

 地上に降りてきてからはもっぱら子供達に構い倒す事に満足して天界で悪神等と呼ばれていた神とは思えない丸い性格になったと神々から「誰だアイツ」「あんなのロキじゃない! ただの壁だよ!」等と言われたりしていた。最後の一神は天界に強制送還される羽目になった。

 

 そんな神ロキは、自らが立ち上げたファミリアの人員確保の為に入団試験を執り行っている所である。

 

 自他共に認める美少女・美女好きであり、普段団員にセクハラしたり等やりたい放題しているし、美少女・美女であれば自ら勧誘したりもするが、入団試験での選別に関しては真面目に行っている。

 

 ダンジョン攻略を掲げたファミリアとして、深層に挑む団員達には命懸けで冒険をしてもらっているのだ。

 ダンジョンの中でほんの少しでも油断や慢心した行動をとれば相応の危険が伴う。

 無論、命を失う事も珍しくない。

 

 そんなダンジョンに挑む眷属達の為に、神ロキは入団試験については遊びを許さない。

 

 そして、そんな【ロキ・ファミリア】の入団試験の内容は至ってシンプル。

 

 【ロキ・ファミリア】団長【勇者(ブレイバー)】フィン・ディムナとの模擬戦である。

 

 【勇者(ブレイバー)】フィン・ディムナと言えばオラリオどころか全世界でも名を知らぬ者は居ないと言っても過言ではない人物だ。レベル6の一級冒険者である。

 

 冒険者、神々にファルナを授かった者達の総称でもあり、同時にダンジョンに潜り、富や名声を求める者達の事でもある。

 

 そのファルナを昇格させ、レベルを上げられるのは冒険者の中でも半分にも満たず。殆どの者はレベル1のまま生涯を閉じる事が多く。運の良い者達がレベル2やレベル3に至る。

 レベル6に達している者はオラリオでも数少ない上に、ヒューマンの子供程度の姿をしたパルゥムは、冒険者として他の種族に比べて劣っている部分が多い。

 そんなパルゥムでありながら、唯一のレベル6なのがフィン・ディムナという人物だ。

 

 ファルナを授かった者とそうでない者には埋められない差ができる。

 ただの一般人でもファルナを授かりレベル1となれば、それが駆け出しであったとしても、ファルナを持たぬ軍属の人間であろうが簡単に打ちのめしてしまえるほどの身体能力を得られる。

 

 そして、同じファルナを授かった冒険者同士であったとしても、レベルが一つ違うだけで勝つのは困難、二つ違えば勝つのは絶望的、三つ違うのであれば不可能。それだけの差が生まれる。

 

 現在、【ロキ・ファミリア】の入団試験を受けている者達は無所属の者達であり、ファルナを授かっていない。

 

 そんな無所属の者達が冒険者の中でも数少ない一級冒険者であるフィンに勝つ事等不可能を通り越して神ですら奇跡を起こせぬ状態である。

 

 それでありながら、無所属の者達は次々にフィン・ディムナから勝利をもぎ取っている。

 

 理由はなぜか? 単に手を抜いているからだ。むしろ勝ちを譲っている。

 

 今回の入団試験の内容の中で、フィン・ディムナが試験前に必ず入試者に言う言葉がある。

 

「君達は全力で、ボクを殺すぐらいの気持ちでかかってきて欲しい」

 

 「全力で」「殺すぐらいの気持ちで」と軽く言っているが、レベル6を相手に無所属がどれだけ全力を出したところで、傷一つつける事は不可能。

 ならばなぜそんな事をしているのかと言えば、本気と言うものを見てみたい。それだけだ。

 

 切迫した状況でないにしろ、最初から勝てないと諦める者達は、大抵が諦め癖の様なモノがついている。

 ダンジョンで諦めると言う事はつまり死ぬと言う事だ。仲間が死ねば士気が下がる。士気が下がれば他の者からも死者が出る。死者が出ればより士気が下がりと悪循環に陥る可能性が高い。

 

 ならば最初から諦めてしまう様な人物は入団させなければいい。それだけなのだが……

 

 今回の入団試験は本当にひどい。

 

 諦める、諦めない以前の問題としてフィン・ディムナを舐めている者達が多すぎた。

 

 「全力で」「殺すぐらいの気持ちで」とフィンは口にしているのに、寸止めしたり、武器を突き付けて「オレの勝ちだな(ドヤァ」みたいな事をする者が多かった。と言うか半数以上がそれだった。

 

 模擬戦用に【ロキ・ファミリア】が用意した刃の無い鉄製の剣を使った試験だが、無所属の者がレベル6に全力で打ち込んだとしても、怪我等しないどころか大した痛みにもならないだろう。

 だからこそ「全力で」「殺すぐらいの気持ちで」とフィンに言わせたのだ。

 

 本来であればレベル6相手に攻撃を当てること自体不可能なのに、フィンは始まった当初から負け越していると言っていい。

 

 今の男もそうだ、フィンの持つ剣をはじき飛ばし、フィンに剣を向け「どうだ?」と口にしている。

 

 再度思う「アホやなぁ」と。

 

 たとえ無手でもレベル6に勝ったと宣言できる辺り、舐めているにも程がある。

 

 まぁ、フィンは手加減に手加減を重ねて戦ってもらっているので勝とうと思えば普通に勝てるのだが、手加減して貰っているのに気付いているのだろうか?

 

 と言うか、模擬選終了後の待機列からは「レベル6ってこんなもんなのか、余裕だったな」等とふざけた台詞すらも聞こえる。入試者の質が落ち過ぎである。

 

 まぁ、オラリオの外から人が集まってくるのでこういった無知な者達が来るのも仕方ないだろうが、それでも酷い。

 

 入試者がフィンに勝利を宣言する度に、ロキに視線を送る。

 その視線に苛立ちを感じるが顔に出さずに「すごいなー」「やるなー」と感心した様な演技を繰り返す。

 

 今回の入団試験、参加人数が83人だっただろうか?

 

 これで81人目。入団させても良いなと思えたのは一人も居ない。

 

「期待できひんなぁ」

 

 82人目が前に出てきた。綺麗な身形をした男だ。

 顔立ちは悪くないのだが、服装がまずダメだ。

 「入団試験はフィン・ディムナとの模擬戦だ」とあらかじめ宣言しておいたのに、模擬戦に相応しくない礼服や私服、鎧すら身に纏わない者が多かった。

 

 まぁ、鎧を身に纏っても無駄だと判断して纏わなかった者も居なくはなかったが、普通にアウトである。

 

 鎧も纏わずにダンジョンに潜る気かと正気を疑う。

 ソレが許されるのは一級冒険者が上層・中層に挑むときぐらいである。

 

 ロキが行っているのは試験でありダメだしではないので何も言わないが……

 

 そして、82人目がフィンの剣をはじき飛ばし、首に武器を突き付けてロキをドヤ顔で見てきた。

 

 「すごいなー」と今まで以上の棒読みで笑顔を向けると、そのままフィンを見下したまま待機列に進む。

 横に座っていたリヴァリアが足を軽く抓ってくるがロキはリヴェリアの肩に手をぽんと置いて耳打ちをする。

 

「いや、こりゃ無理やて」「我慢しろ」「なぁリヴェリア」「我慢しろ」「はぁい、母さん」「誰が母だ」

 

 残り一人。

 

 前回の入団者はゼロだった、その前は一人は見どころのある者が居た。

 その前は三人は居たし、その前の前なんぞ八人ぐらい一気に入団させた。

 最近は質が落ち過ぎている。

 

 そんな風にやる気なさげにしながらも、渡された入試者の名前のかかれた一覧を目にして次の名前を呼ぶ。

 

「えー、次カエデ・ハバリ」

 

 もうどうでも良いかと用意されていた机に肘をつくと、リヴェリアが咎めるように睨んでくるがロキはへらへら笑う。

 

「もうええやん、演技なんぞせんでも、どうせおんなじ様なんがくるんやろ」

 

 神は退屈が嫌いだ。ロキも退屈が大嫌いだ。

 今まで試験を受けに来ていた82人は退屈過ぎた。

 我慢の限界である。

 

 最後の人物が目線をリヴェリアの方に向けている間に、最後の入試者がフィンの前に立ったらしい。

 フィンの息を呑む音が聞こえ、ロキはようやくそちらへ視線を向けた。

 

 立っていたのは幼いウェアウルフの少女。

 

 髪は伸び放題、手入れも碌にしていないどころか、元の色が解らない程に髪が汚れている。

 服装は山伏の様な格好。泥汚れに真新しい血の汚れもついている。

 血色の悪い肌に痩せこけた姿。

 手には古びた模擬戦用の剣。

 

 パッと見は裏路地の浮浪者そのものである。

 

「……はぁ」

 

 俯いたその姿にロキは軽い溜息が零れた。

 

 浮浪者だからと問答無用で締め出すなんて事はしないが、あまりにもひどい。

 まぁ、泥の中に宝石が沈んで居る事があるのが人間だ、試験を受ける事自体に可否は無い。

 

「カエデ・ハバリくんだね?」

 

「はい」

 

 見た目は酷いが、カエデの声を聞いてロキの神としての勘に引っかかるモノがあった。

 

「では、まずはボクと模擬戦をしてもらうけど、大丈夫かい?」

 

「……貴方を倒せば良いんですか?」

 

「そうだよ。全力で、殺す気ぐらいの気持ちでかかってきてほしい」

 

 今までの入試者と何かが違う。

 カエデは顔を上げてフィンを見据えた。

 伸び放題の髪の隙間から覗いたその目を見てロキは確信した。

 

「……なぁ、リヴェリア。あの子の入団試験許可したんリヴェリアやろ?」

 

「そうだが?」

 

「アレはアカンよ。あんな目ぇした人間はアカンて」

 

「はっきりしろ」

 

「初めから慈悲の神のとこ連れてけって話やん?」

 

 ロキは初めて神としての視点を持ってその子、カエデを見据えて息を飲んだ。

 

 見た目通りと言えばそうだろう。

 その子は死の淵にあると言っていい。

 

 元々、そう長くはもたない体だったのだろう。

 

 それをさらに酷使して寿命を削ってでも何かを成そうとしている。

 

 ソレが何なのかは言われずとも解った。

 

 目的は寿命を延ばす為のファルナ。

 

 ファルナを授かった人間は、普通の人間に比べて寿命が延びる。

 それはレベルが上がった人間ほど顕著であり、レベル5、一級冒険者まで至れば普通の人間の倍は生きられる。

 大体の冒険者は伸びた寿命を意識するより前にダンジョンで命を落とすので冒険者はあまり頓着しないが、時折、オラリオには寿命を延ばす事ができるファルナを寿命目的で授かりに来る者が居る。

 

 「死にたくない」そういった者達が必ず口にする言葉。

 死が存在しない神として、その言葉を否定はしない。理解できないから。

 

 慈悲の神などが病気や体質で寿命が短い者達にファルナを授けて余生を送らせるファミリアもいくつか存在する。

 

 【ロキ・ファミリア】を訪ねてきた寿命目的の者達にはそういったファミリアを紹介する。

 だからこそ、入団試験を受けさせる事は少ないのだが。

 

「では、貴方を倒します」

 

 カエデが正眼の構えをとる。瞬間、カエデの体から溢れ出るような殺気が場を包み込む。

 フィンが剣を片手で構える。

 

「……うそやん?」

 

 ロキはその様子を見て思わず言葉を零した。

 

 間違いなく、カエデと言う少女は武術に通じている。

 

 【ロキ・ファミリア】の主神として冒険者を数多く見てきた。

 そんな中に相手を圧倒するような剣気を放つ冒険者も数多く居る。

 カエデの放つそれはいまだ稚拙であるにしろ、幼い少女、幼女とも言うべき幼子が出していい剣気ではない。

 

「ロキ、合図を」

 

「あ……あぁ、すまん、ちょいとボーッとしとったわ、始めてええで」

 

 ロキが軽く手を振り下して合図をすると、少女は摺り足でフィンを見据えたままじりじりと距離を詰め始める。

 見た目は浮浪者の様だが、その様は相当に熟練の剣士である。

 

 フィンは自ら動く事なくカエデを観察しながら、その動きに関心を抱いた。

 

 カエデはフィンの間合いぎりぎりまで接近すると、そこでぴたりと静止した。

 

 剣の切っ先は振れる事無く、フィンに向けられたままであり、隙無くフィンを睨む様に見据える。

 

 カエデは大きく息を吸うと、そのまま一足飛びにフィンへと切りかかる。

 フィンは剣を受け止めようとするも、剣が触れ合った瞬間にカエデはフィンの剣の上を滑らせるような形で自ら逸らさせ、横なぎから上へと跳ね上がった剣は鋭い斬り返しを見せ、勢いを殺さずに脳天をかち割ろうと切りかかる。

 一撃目は首を狙い、二撃目は頭を狙った鋭い剣閃を見たフィンは確信しながらも二撃目の剣閃を受け流す。

 二撃目を受け流されながら、直ぐに後ろに飛びのき、カエデはフィンから距離をとって構えなおした。

 

「ほぅ……えぇやん、えぇ剣筋しとるやん……」

 

 ロキは瞬く間に行われた攻防を見て悲しげに呟く。

 

「あぁ、なんやろな。天は二物を与えずやったか……あんだけ才があるんやったら剣を極めたらアイズたん超えるかもしらんのになぁ……」

 

 アイズ・ヴァレンシュタイン、現オラリオにて『レベル4』となり、いまだなお成長を止めぬ少女がカエデと同じ年の頃に放った剣閃よりなお優れた剣閃を放つカエデを見て、ロキはカエデの残りの人生の少なさに憐れみを覚えた。

 

 フィンはカエデとの攻防ののち、距離をとろうとしたカエデを追う事はせずに、剣を構える。

 カエデはフィンを見据えると、口を開いた。

 

「強い」

「キミも、なかなかやるようだね」

「師匠のおかげ」

 

 それだけ喋ると、カエデは構えを変えた。

 

 正眼の構えから上段の構えへ。

 

 攻撃を重視した構えに変わり、様子見の攻撃から攻めに転じたのを察したフィンは先程よりもなお警戒心を高め、剣を両手で握りなおす。

 

 フィンが剣を両手で握りなおした事に一部の入団志望者から驚きの声が上がる。

 

「いく」

 

 カエデは気にすることなく宣言すると同時に地を滑る様に、一気にフィンに走り寄る。

 

 迷う事無く上段からの一切手加減の無い唐竹割りを繰り出すカエデに対し、フィンは剣を受け止める様に剣閃上に剣を割り込ませて受け止める。

 

 カエデの剣が振り抜かれ、フィンは思わずため息を吐いた。

 

 剣が折れた。根本からぽっきり折れてしまった剣の刃の部分はフィンの真後ろの地面に音を立てて突き刺さった。

 

 カエデに渡されていた模擬剣は使い古された破棄品だったのだろう。団員には貴賤問わずに同じ対応をする様に言い含めたはずなのだが、浮浪者に見えるカエデに対して新品の模擬剣を渡す事を躊躇った団員が勝手に使い古した破棄品の模擬剣を渡した所為だろう。

 耐久度の落ちた模擬剣ではカエデの振るった剣撃に、フィンが受け止めたソレに耐えきれなかったのだろう。

 

「うん、今のはとても良かったよ」

 

 腕に感じた確かな一撃の重さにフィンは感嘆の声を上げた後、今回の入団試験で初めて試験者を褒める言葉を漏らした。

 

 フィン個人としてはこの子の目を見て感じた事を除けば合格と太鼓判を押しても良いのだが、ロキが何か悩んでいる様子であるし、この子から感じるこびり付く様な死の気配が合格と言うのを躊躇わせる。

 

「……ありがとうございました」

 

 カエデは距離をとり、姿勢を正すと礼儀正しく深々と一礼すると、剣を見て困ったような表情を浮かべた。

 

「剣……折ってしまってごめんなさい」

 

 もう一度頭をさげる。

 

「いや、気にしなくて良いよ、むしろそんな折れかけの剣を渡してしまってこちらこそ申し訳ない思いだよ」

 

 優しく微笑みかけてから折れた剣を受け取る。

 

「それじゃ待機列に戻っていてくれ、合格者の選定を行う為にロキと話し合いをしてくるから」

 

 フィンがそう言うと、カエデは軽く一礼してから列に戻る。

 

 礼儀作法も完璧、性格も剣を折った事を負い目に感じた事から問題無し、剣技は言う事なしの満点。

 

 ただし、目を見た時に感じたカエデ自身にこびり付く濃密な死の気配からやはり難しくはある。

 

 ロキとの話し合いの結果次第だが、もし仲間として迎え入れるのであれば……



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『入団試験』《下》

 ワタシは吼える

「今一度、生きる(足掻く)のに必要な神の奇跡を!!!!」


 【ロキ・ファミリア】の主神、団長、副団長、重役の四人は、顔をつきあわせて会議を行っていた。

 

「ボクとしては入団させても良いと思うんだけどね」

「ウチとしちゃなぁ……良い子やと思うんやで? でもなぁ」

「私は何もない。ロキの判断に任せる」

「良いと思うがなぁ」

 

 賛成2、反対1、中立1。結果的には賛成優位だが、最終決定権を持っている主神のロキは反対と声を大にするわけではないが、それでも賛成はしかねると言った様子である。

 

「フィン、あの子すぐ死ぬで?」

「ボクはそうは思わないけど」

「……どうしてそう思うん?」

 

 主神のロキの疑問にどう答えるか悩みながらも、フィンは顎に手を当てて口を開いた。

 

「勘、だけどね」

「あー……勘かぁ、フィンも()()思うんかぁ」

「僕()?」

「ウチもなぁ……いけるんちゃうかなって思ったんよ。勘やけど」

 

 試験者達に入団試験の結果をまとめるので一時待機を言い渡し。

 即席で開かれた会議の中、リヴェリアは額に手を当て、ガレスは唸る。

 

 片や神の勘、人のそれとは隔絶した的中率を誇る勘。

 片や英雄の勘、数々の苦難を乗り越え培われた確かな勘。

 

 どちらも無視出来るモノではないが、彼女を入団させる際に発生するもろもろの問題を考えればやはりロキとしては賛同しかねるのだが、団長であるフィン・ディムナが賛成しているのでどうするか迷っている。

 

 発生する問題は複数あるが、どう考えてもカエデ・ハバリにファルナを授けた場合、彼女はそのままダンジョンに入り浸るだろう。

 アイズ・ヴァレンシュタインもそうだったが、ロキのお気に入りと言う事で一部の団員の文句等を封殺していたのだ、それと同じ事をしないといけなくなる。

 

 その上、彼女に他の団員と同じ集金ノルマを課すのも難しい。

 武具の手入れ、ポーション等の消耗品の事も考えれば彼女にはむしろファミリアから出資してでも援助しなければならない可能性が高い。

 明らかな団員の格差となるだろう。

 

 ロキは少し考えてからぽんと手を打って口を開く。

 

「よし、面接しよか」

「面接? また最初からかい?」

「いや? 今度は逆順でいくって適当に理由つけてカエデたんだけ面接や」

「わかった、説明はボクからした方が良いかな?」

「頼むわ」

「あの恰好で客間に招き入れるのは難しいと思うけど」

「……その場でやるわ」

 

 フィンは頷き、他の二人に視線を向ける。

 リヴェリアとガレスが頷いたのを確認してから、フィンが纏める。

 

「とりあえずカエデ・ハバリ一人に対してのみ面接試験を行い、それ以外の入団志望者は帰って貰うって事でいいかな」

「えぇで」「わかった」「うむ」

 

 

 

 

 

 失敗した。

 

 師がワタシに教えた剣閃を、ワタシは今だ放つ事ができなかった。

 

『例え、枯れ枝でも鉄剣を切り捨ててみせよう。ワシが教えるのはそんな剣技じゃ』

 

 師はワタシにそう言うと、落ちていた枝木を拾い上げ、無造作に一閃した。

 

 試し切り用の植物を束にした巻藁が、師の放った一閃ですっとずれ、斜めに断ち切られていたのを見たワタシは、綺麗な断面を見せるそれを触ったり匂いを嗅いだりして本当に枯れ枝で断ち斬ったのかを確認したが、断面から金属の匂いが感じられなかった。

 

 信じられなかったが、師は確かに神業と言えるそれを成して見せた。

 

『まぁ、こんなもん曲芸師がやる事じゃ。オヌシが覚えるべきは剣をうまく扱う事じゃ。今のオヌシはこんな芸当覚える必要もない』

 

 カラカラと笑う師は、ワタシが斬ろうとして失敗し、半ばで剣が止まってしまった巻藁を差しながら言った。

 

『まずは剣で上手く斬れ、話はそれからじゃ』

 

 師の教えの通り、ワタシは剣を振るい続けた。

 

 そして、今日、入団試験として行われたフィン・ディムナという人物との模擬戦。

 

 使っていたのは刃を潰してある模擬剣。

 

 師なら、例え模擬剣であろうがきっと相手の模擬剣を斬り捨てていたはずだ。

 

 ワタシにはできなかった。

 

 それ所か初歩として教えられた基礎の一つ「剣を折らぬ事」ができなかった。

 

 他の入団志望者は、フィン・ディムナを見事打ち破って見せていたというのに、

 

 正眼の構えをとり、様子見も含め反撃を警戒しながらの首を絶つ一閃目は普通に反応され、とっさに剣を流し速度を殺す事無く翻した脳天を狙った二閃目はあっけなく受け止められた。

 

 師なら、一閃目を放ち、二閃目を放とうと翻した瞬間に、ワタシの胴が断ち切られていたはずだ。

 

 二閃目が防がれたと解った瞬間に、ワタシは直ぐに距離を置いた。

 

 追ってきたならば、反撃として目を狙う一閃を放とうと思っていたが、追ってこなかった。

 

 気を取り直し、上段の構えをとり、

 

 兜割りを見舞おうと、

 

 相手の持つ模擬剣も含め、脳天から股座を一閃に断ち切らんと振るった剣閃は、

 

 剣が折れるという結果に終わった。

 

 あんな無様を晒し、他の入団志望者に嗤われながら、ワタシは俯き、目を瞑り瞑想を続けた。

 

 瞑想とは名ばかり、頭の中は嵐が吹き荒れ、心は波風立ち、平常心は何処かへといってしまった。

 

「師なら斬れた、師なら一閃で、師なら」

 

 師なら、師なら、そんな事ばかり考えるワタシは、一つ息をつき心を落ち着けようとする。

 

 師の言葉の一つ。

 

『ワシはワシで、オヌシはオヌシだ』

 

 そう、ワタシはワタシだ。

 

 師は師で

 

 ワタシは師じゃない

 

 師はワタシじゃない

 

『カエデ、オヌシはオヌシ以外の何者でもない。ワシならどうこう言い訳しとる暇があるなら、最高の剣閃とは何かを考えよ』

 

 師の剣閃は、ワタシにとっての憧れだから、最高の剣閃だと思った。

 

『うむ? ワシの剣閃は最高の剣閃だと? 何を阿呆な事を、ワシにとってワシの振るう剣閃は最高じゃろう。じゃがオヌシの最高の剣閃とは別ものじゃ、頭を使え』

 

 コブが出来る程の力で頭に拳骨が振ってきた。あれは痛かった。

 

 …………落ち着いた。ワタシはワタシ、さっきの無様はワタシが未熟故に発生した無様。

 

 故に、『ワタシはもっと剣閃を極めたい』

 

 他にも、やりたい事はいろいろある。

 

 其の為にまずすべきは、ファルナを手に入れ、ランクアップする事。

 

「うっしゃ、みんな待ったか~?」

 

 声が聞こえ、ワタシは顔を上げた。

 

 真っ赤な髪をした神様がひらひらと手を振って歩いてくる。

 

 先程戦ったフィン・ディムナと、治療の魔法を使ってくれたエルフの女性、受付に居たドワーフの男も歩いてきた。

 

 入団試験の結果が発表されるのだろう。ワタシはしっかりと顔を上げ、結果を受け止める為に姿勢を正す。

 

「だいぶ待たせてしまって申し訳ない。幾人か素晴らしい子が居て会議が長引いてしまってね」

 

 フィン・ディムナが前に出て口を開いた。幾人かの素晴らしい子……居ただろうか?

 

 ワタシは論外、剣を折ったのだ。

 

 他に居た者達はいずれもそれなりだが、素晴らしいと言う程ではない。

 

 もしかしたら私には分らない判断基準があるのだろうか?

 

「それで、急にで申し訳ないけれど、面談も行う事になったんだ」

 

「面談?」「なんだそれ?」「はぁ? 聞いてねぇぞそんなの」

 

「本当に申し訳ないんだけどね、神の決定だから文句があるなら帰って貰っても構わないよ」

 

 フィン・ディムナの言い草に、苛立ったような者達も居たが、カエデは息を吸い、心を落ち着ける。

 

 どの道、あんな無様を晒した私が入団できる事はない。故に次のファミリア探しをしたいが、途中で抜けるのは良くない行為だ。師も『一度始めたら最後までやり遂げよ』と言っていた。

 

「それじゃ、面談を始めるんだけど、面談に関しては順番を変えようと思うんだ。と言うわけで83番、カエデ・ハバリくんから前に出てくれるかな? この場で面談をするから」

 

 名を呼ばれ、前に出る。

 

 他の入団志望者の視線が刺さる。

 

「うっし、カエデたんやな? ウチは【ロキ・ファミリア】の主神のロキや。気軽にロキたんって呼んでえぇで」

 

「ロキ()()()、よろしくお願いします」

 

 深々と頭を下げると、妙な沈黙が流れる。 何かしでかしてしまったのだろうか?

 

「あ~、まあええわ。んでカエデたん。オラリオに何しに来たのか教えてもらってええか?」

 

 質問一、オラリオに何をしに来たのか?

 

「ファルナを得て、ランクアップするために来ました」

 

 

 

「次の質問や、何のためにランクアップ目指すん? 名声とかか?」

 

 質問二、ランクアップを目指す理由は?

 

「ワタシの少ない残りの命を延ばす為です」

 

 聞こえる笑い声、嘲笑う声、心を抉る笑い声が響く、聞こえる。

 

 それがどうした。ワタシは生きる為に来たのだ。ただのうのうと生きているオマエ達に笑われる謂れはない。

 

 

 

「慈悲の女神がやっとるファミリアがあるんやけど、そっちに行けば死ぬまで面倒見て貰えるで? なんもせずにゆっくり余生過ごせる所や。ファルナもちゃんと貰えるし、そっち行かへんのか?」

 

 質問三……

 

 

 

 

 

 三つ目の質問を問うた途端、カエデ・ハバリの雰囲気が変わった。

 

 非常に落ち着いた態度で返答していた先程の雰囲気が消え失せ、鋭い刃の様な殺気にも似たモノを滾らせてロキを真っ直ぐ見つめ、ゆっくりと、口を開いた。

 

「ロキたん様、一つ、質問よろしいでしょうか」

 

 これは、怒ってるんか?

 

「ロキたんでええでー質問は何や」

 

「……神は、人が死ぬのは何時だと思いますか?」

 

 人が死ぬのは何時か? 強い思いを抱く少女の質問だ、生命活動が停止した時という答えでは満足しないだろう。

 

「カエデたんはどう思っとるん?」

 

「……師は言いました」

 

 一つ、息を吸い、カエデ・ハバリはロキを見据えたまま口を開いた。

 

 

 

 

 戦場で、仲間と共に駆けた戦場で、負け戦である戦場で

 

 一人、片腕を失って尚、闘気滾らせ戦おうとする者が居た

 

 一人、無傷ではあるものの、怖気づき、剣を手放した者が居た

 

 一人、息絶え、戦場に転がる屍があった

 

 生きた者は幾人居る?

 

 

 ワタシはこう答えた「二人ではないか?」と

 

 師はこう言った「()()()()()()()」と

 

 何故か?

 

 

 為すがままに踏みつけられる屍と、為すがままに切り殺される者に差などは無かった

 

 剣を手に、抗おうとした者のみが生きているのだ

 

 生きるとはなにか? 心の臓が音を奏で続ける事か?

 

 否じゃ、それはただ生きているだけに過ぎない。

 

 『()()()()()とは、()()()()である』

 

 生きる事をしない生を、生きている等と言わん。それは生ける屍と言う。

 

 

 生きろ(足掻け)、ただ漠然と生きるのではない

 

 生きろ(足掻け)、それは生きる為に

 

 死ぬな(諦めるな)

 

 

 師は言った。

 

 『死ぬな(諦めるな)生きろ(足掻け)、心の臓が音を止めるその瞬間まで』

 

 

 

 

 

「ワタシにとって、死とは諦める事、生きるとは足掻く事」

 

 カエデ・ハバリはただロキを見据えて言葉を重ねる。強い意志を持ち、ただ口を開いた。

 

「人が死ぬ時、それは諦めた時」

 

 ゆっくりと、自らが噛み締める様に、カエデ・ハバリは続ける。

 

「ワタシは一年と少しで死ぬ。何かがなければ、一年と少しで死ぬ」

 

 強い思いは、言葉として紡がれ、力強く響く。

 

「けれど、()()があった!!」

 

神の奇跡(ファルナ)があった!!」

 

「神の奇跡を手に入れ!! ランクアップすればまだ生きていられる!!」

 

「神の奇跡を手に入れ!! ランクアップする!! ワタシはソレを成すんだ!!」

 

 自らの胸に手をあて、カエデ・ハバリは遠吠えの如くロキに吼える。

 

「ワタシの心臓はまだ音を奏でている!! ワタシはまだ動ける!!」

 

「師は言った!! 『生きろ(足掻け)』と!!」

 

「師は言った!! 『死ぬな(諦めるな)』と!!」

 

「ワタシは絶対に死なない(諦めない)!!」

 

「ワタシは生きる(足掻く)のだ!!」

 

 より力強く、もっと、もっとと、喉が張り裂けるのではないかと言う程の声量を以て、小さき獣は吼える。

 

「だから、ワタシに神の奇跡(ファルナ)を!!!!」

 

「今一度、生きる(足掻く)のに必要な神の奇跡を!!!!」

 

 

 

 

 

 喉がびりびりと痺れている。

 

 意思を、想いを咆哮した。

 

 後悔した。

 

 やってしまった。

 

 平常心で語っていたはずなのに。神に対し、吼える様に思いの丈を吐き出した。

 

 慌てて、言葉をつなげる。

 

「武具は自ら用意する、ファミリアへの納金もちゃんと行う。ファミリアには迷惑をかけない。だから「ダメや」だから……わ……た……」

 

 目を瞑り腕を組んだ神ロキを見て、遮られた言葉の意味を理解して、尻すぼみに言葉が潰えた。

 

 

 口を開こうと、何とか言葉を紡ごうとするのに

 

 唇は震えるだけで開かない

 

 喉は震えるだけで声を発さない

 

 頭の中は真っ白で、『ダメや』と言う言葉がぐるぐるまわる

 

 

 

 

 

 

 

 カエデ・ハバリの吼えた言葉を聞き、ロキは腕を組んだ。

 

 続く言葉を遮り、ロキはゆっくり目を開いた。

 

「ぁ……ぇ……」

 

 拳を握りしめ、それでもロキから目を離さないカエデ・ハバリを見て、ロキは考える。

 

『ワタシは生きる(足掻く)のだ!!』

 

 吼えた、その言葉に、ロキは震えた。

 

『ワタシは絶対に死なない(諦めない)!!』

 

 吼えた、その目に宿る意思に、ロキは震えた。

 

「武器とか防具の用意はいらん?」

「納金もちゃんとする?」

「迷惑をかけない?」

「何を言うとるん?」

 

「……ッ!?」

 

 カエデ・ハバリはより強く拳を握りしめ血が流れ出る、それでもやはりロキから視線を逸らさない。

 

「あんた、他のファミリア行ってそれで通用するって思っとるん?」

「…………」

 

 震え、歯を食いしばる、手から零れる血が滴となり地に染みを作る。

 それでも、カエデ・ハバリはロキから視線を逸らさなかった。

 

 他のファミリアに連れて行くか? 他の神に、この子を眷属としてやるのか?

 

 

 ありえない。この子を他の神に? 何を馬鹿な、奪ってでも自分の眷属にするに決まってる。

 

 

 

 こんな()()()()が目の前に居るのだ。

 

 

 ならば、神ロキが出す答えは?

 

 決まっている。

 

 

 

 手を大きく打ち鳴らす。

 

「気に入ったわッ!!」

 

 カエデの体がびくりとはね、表情が驚きに染まる。

 

「あんたの武具は【ロキ・ファミリア(ウチ)】が用意したるッ!!」

 

 必要な武具、ポーション、その他いろいろ。すべて【ロキ・ファミリア】で揃えよう。

 

 

「あんたの納金は必要ないわ神ロキ(ウチ)がなんとかしたるッ!!」

 

 他の団員が文句を言うだろう。主神の権限を使ってでも黙らせる。

 

 

「あんたがかける迷惑なんてすべて受け止めたるわッ!!」

 

 オラリオを二分するファミリアの片割れとしてその程度の些事はどうとでもして見せよう。

 

 

「ウチの眷属に、いや、もうウチの眷属やッ!!」

 

 こんな面白い子供が居るのだ、命少ない? 関係ない。

 

 

 泥に沈んだ宝石を見つけ、ロキは手を差し出す。

 

 

 驚きで目を見開いたカエデ・ハバリに対し、ロキはにんまり笑って見せる。

 

「逃げようなんて思うんやないで? 何処にも行かせへんからな」

 



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『凶狼(ヴァナルガンド)』

 ワタシだけの言葉。

「ワタシは絶対に死なない(諦めない)、全身全霊を賭けて生きる(足掻く)のだ」



 レベル4の冒険者【凶狼(ヴァナルガンド)】ベート・ローガは屋根の上から今日の入団試験の様子を見るともなしに眺めていた。

 

 別に何もしていない訳ではなく、鍛錬を行っていた合間になんでもない風を装っての観察である。

 

 本来なら【ロキ・ファミリア】の保有する鍛錬所で鍛錬を行っているはずなのだが、今日は入団試験に使用している為、屋根の上という不安定な足場での鍛錬を行っていた。

 

 そんなおりに眺めた入団試験を見て、ベートは怒りを堪えるので精一杯だった。

 

 何がと言えば、今回の入団試験の志望者の質の悪さである。

 

 期待していた訳ではないにしろ、新しい仲間になるかもしれないので見ておこう程度ではあったが、酷い。

 

 剣を突き付けて勝利宣言。

 

 剣を弾き飛ばしで勝利宣言。

 

 動きはファルナの無い一般人程度。

 

 鍛えているのではあろうが、そんな鍛えた一般人程度が剣を突き付けて勝利宣言しているのを見るとイライラが募る。

 

 勝ったつもりなのか? と

 

 ベート・ローガであったのなら剣を突き付けられていようと、相手が喉を掻き斬る前に反撃を叩きこんで黙らせるだろう。

 

 それに、フィンは先程から片手で剣を持ち、なおかつ攻撃が受け止められたり攻撃を防ぐと大業に仰け反る等、ありえない挙動をしている。

 

 当然、鍛えた一般人程度の防御等、あって無い様なモノとばかりに叩き潰せるし、攻撃されてもびくともしないどころか、直撃しても問題は無いだろう。

 

 それが理解できていない。それに待機列から聞こえる「レベル6って大したこと無いんだな」と言う言葉が聞こえ、ベートはそんなふざけた事を抜かした者を屋根の上から殺気を出して睨むが、気付きもせずへらへら笑っている。

 

 募る苛立ちを紛らわす為に鍛錬の続きを行おうと剣に手をかけたのと次の試験者が出てきたのはほぼ同時で、ベートは出てきた人物を見て目を疑った。

 

「汚ねぇガキじゃねぇか」

 

 あまりにもみすぼらしい浮浪者の様な姿。

 

 屋根の上から見た限りでは、顔も拝めず伸び放題汚れ放題の髪は薄汚れていて、唯一解るのは同じウェアウルフである事ぐらい。

 それも尻尾がキャットピープルらしくないからという消去法からである為、正直言えば自信を持ってウェアウルフだと断言できない。

 

「はぁ」

 

 最後の一人になりロキが完全にやる気をなくしているのを見て名前を覚える必要も無いなと今までの試験者同様に名前を頭から消し去り、ベートは今度こそ剣を抜き放ち振るい始めた。

 

 

 

 

 

 響いた金属音にベートは動きを止め、下を見下ろす。

 そこで初めて下の浮浪者の様なガキから放たれる剣気を感じた。

 

 一撃目は金属同士を擦り合わせる不快な音。

 

 二撃目は鈍い金属同士を打ち合わせた音。

 

 どちらも今回の入団試験の中で初めて聞いた音だった。

 

 大体の場合、フィンが攻撃をしても軽い金属音しか響かず。相手が攻撃した場合はまともな打撃音もせずにフィンが自ら大業な仕草で仰け反るので剣撃音が響かないのだ。

 

 それなのに響いた音にベートはじっと試験者、浮浪者の様なガキを見る。

 

「強い」

「キミも、なかなかやるようだね」

「師匠のおかげ」

 

 短いやり取り。

 

 驚きに声を失った。

 

「フィンが褒めた……」

 

 今回の入団試験、フィンは一度も試験者を褒める言葉を口にしていない。

 何故なら褒めるまでも無い様な稚拙な者達ばかりだったからだ。

 

 そんなフィンが、初めて試験者を褒める言葉を口にした、それも見た目だけで言えば今までの試験者の中で一番()()試験者相手にだ。

 

 そんな中、ガキは構えを変えた。

 

 正眼の構えから上段の構えに。

 

 ベートはさらに息を呑んだ。

 

 切っ先を振るわせる事無くフィンに突き付け、構えをとる。

 

 その人物から放たれる剣気は、拙くもベートの憧れの少女と重なるモノだった。

 

「なっ!?」

 

 その上、構えを変えた相手に合わせ、フィンも構えを変えた。

 変えたと言っても、片手で軽く握っていた模擬剣を、両手で()()()()()持っただけに過ぎない。

 

 それでも、今までの試験者相手に手を抜き続けたフィン・ディムナが初めて()()で相手取るのだと理解でき、ベートは薄汚れたガキの一挙一動を見逃すまいと剣を手にしたまま見据える。

 

 集中していたらしいその人物は、まるで滑る様に、レベル4となり、目も耳も一般人に比べて優れているベートですら微かにしか聞こえない摺り足の音、そして一般人にしては速いその足さばき。

 

 一瞬の内に、フィンを剣の範囲に収め、上段のまま真上からフィンを叩き斬らんと振り下される一撃は雷光にも似た一閃で、ベートはその一閃がフィンの持つ剣に受け止められる様を一瞬たりとも見逃す事無く見ていた。

 

「チッ」

 

 一瞬、ベートの目に偶然にも見えたそれに思わず舌打ちをし、ベートは剣閃の行く末を追う。

 

 

 予想通り、ガキが持っていた使()()()()()模擬剣は音を立てて折れた。

 

 最後の一瞬、振り上げられた剣の根元に走る罅に気付いたベートはこれまでの試験者に対して以上に、あの子供に使い古した剣を手渡したであろう【ロキ・ファミリア】の団員に対して苛立ちを覚えた。

 

 きっと、いや、確実に。

 

 あの子供が手にしていた剣が新品ならフィンを唸らせる一撃だったのだろう。

 

 剣が折れた事に双方驚き、フィンは困ったように笑みを浮かべて口を開いた。

 

「うん、今のは良かったよ」

 

 折れた剣を見て、子供は頭を下げ、フィンに剣を手渡して列に戻っていく。

 

 ベートは列に戻った子供をじっと、見つめ続けた。

 

 

 ベートはフィン達が試験者を残して離れて行ったのに違和感を感じながらも、試験者達の中に居る薄汚れた子供を見ていたベートは、他の試験者がその子供を嗤っているのを見て屋根の上から飛び降りてその試験者を叩きのめそうかと本気で考えていた。

 

「あのガキ、剣折りやがったぜ」

「だっせぇ、薄汚れてる上に剣まで折っちまってよぉ、どぉやって弁償すんだ?」

「やれもしない癖に無茶して借金背負ってもう人生詰んでんじゃねぇのか」

 ゲラゲラ

 

 下品に嗤うそいつらに殺気を向けながらも、ベートはその子供を見ていた。

 

 周りの嘲笑を一切意に介す事無く瞑想し、腰にさげた薄汚れた鉈の様な刀の柄に手をかけている。

 

 じっと見ていたベートだけが気付いたのだろう。

 

 その子供の口元が微かに動いていた。

 

 音に出ていた訳ではない、だがベートの目にとまり、はっきりと感じた。

 

 『ワタシはもっと剣閃を極めたい』

 

 強さを求めるその子供の姿が。

 

 

 その子供が顔を上げた。気付かれたのかと慌てて屋根の淵に身を潜めるとフィンの声が聞こえてきた。

 

「だいぶ待たせてしまって申し訳ない。幾人か素晴らしい子が居て会議が長引いてしまってね」

 

 ベートに気付いた訳ではなく、フィンに気付いたのだろう。

 

 誰に聞かせるわけでもなく咳払いと共に立ち上がり、もう一度見下ろし、目を細める。

 

「それで、急にで申し訳ないけれど、面談も行う事になったんだ」

 

「面談?」「なんだそれ?」「はぁ? 聞いてねぇぞそんなの」

 

「本当に申し訳ないんだけどね、神の決定だから文句があるなら帰って貰っても構わないよ」

 

 フィンの突き放す様な言い方は、間違いなくその試験者をもう既に居ないものとして扱っている。

 

「それじゃ、面談を始めるんだけど、面談に関しては順番を変えようと思うんだ。と言うわけで83番、カエデ・ハバリくんから前に出てくれるかな? この場で面談をするから」

 

 フィン達の意図を察したベートは黙る。

 

 薄汚れた浮浪者の様な子供、カエデ・ハバリというらしいその子は背筋を伸ばしたままフィン達の前に出る。

 その際、他の試験者が鼻で嗤ったりしているが、一切気にしていない様子だ。

 

「うっし、カエデたんやな? ウチは【ロキ・ファミリア】の主神のロキや。気軽にロキたんって呼んでえぇで」

 

 前に出たカエデに対し、ロキが前に出てにこやかに話しかける。

 

「ロキ()()()、よろしくお願いします」

 

 思わず吹き出しそうになり、ベートは尻尾を震わせた。

 

 『~()()』と言うのは神々が子供を呼ぶ時等に使うモノで、意味はよく知らないが敬称の様なモノだと聞いた。

 つまりは「ロキさまさま」と呼んでいる様なモノである。

 

 ロキが軽く頭を掻きながら何かを言おうとしてやめ、続きを口にする。

 

「あ~、まあええわ。んでカエデたん。オラリオに何しに来たのか教えてもらってええか?」

 

「ファルナを得て、ランクアップするために来ました」

 

 カエデはその問いかけに即答して見せた。

 

 それ以外に言葉は無いとばかりに。

 

 

「次の質問や、何のためにランクアップ目指すん? 名声とかか?」

 

「ワタシの少ない残りの命を延ばす為です」

 

 今、カエデは何と言ったのだろうか?

 

 『()()()()()()()()()()()

 

 意味を理解して、先程感じた違和感の正体に気付いたベートは震えた。

 

 フィンが褒めたのだ。あの83人の試験者の中でたった一人。

 

 フィンがしっかりと構えたのだ。あの83人の試験者の中でたった一人。

 

 フィンが本気で攻撃を受け止めたのだ。あの83人の試験者の中でたった一人。

 

 違和感の理由。

 

 あの場で即座に入団を認められなかった事に対してだ。

 

 薄汚れて浮浪者の様に見える事など、あの剣技と剣気があれば関係ないのに、フィンは話し合いの為にロキ達と共に離れたのだ。

 

 つまり、ロキ達が話し合ったそれは、つまりそういう事なのだろう。

 

 『入団させるか否か』ではなく『どうやって拒否するか』を。

 

「慈悲の女神がやっとるファミリアがあるんやけど、そっちに行けば死ぬまで面倒見て貰えるで? なんもせずにゆっくり余生過ごせる所や。ファルナもちゃんと貰えるし、そっち行かへんのか?」

 

 ベートはロキのその言葉にふざけるなと口にしそうになり、やめた。

 

 ベートは時間の許す限り強さを目指すだろう。

 

 そして、カエデも強さを目指していた。

 

 ベートには時間がある。カエデには、きっと時間がない。

 

 ベートが何かを言う事はできなかった。

 

 他の試験者に嗤われながらも、カエデは真剣な声色で口を開いた。

 

 

『ロキたん様、一つ、質問よろしいでしょうか』

 

 ぞっとする様な、冷めきったその言葉にベートは今一度カエデを見つめる。

 

『……神は、人が死ぬのは何時だと思いますか?』

 

 自ら噛み締める様に呟く様に放たれた言葉に、ベートはただ剣の柄を強く握りしめた。

 

『……師は言いました』

 

 

 

 

 カエデの口から語られたカエデの『師』と言う人物の人生観。

 

 そして紡がれるカエデ・ハバリが持つ強い意志を宿した言葉。

 

『ワタシにとって、死とは諦める事、生きるとは足掻く事』

 

『人が死ぬ時、それは諦めた時』

 

 その通りだ、諦めた奴に価値なんてない。

 

 そして、強く、強く吼える様に、カエデは咆哮する。

 

『ワタシは一年と少しで死ぬ。何かがなければ、一年と少しで死ぬ』

 

 一年と少し、普通に冒険者をするのであればランクアップには二年かかる。

 最短ランクアップ記録ではベートの憧れの少女が一年という短い期間でランクアップを果たしている。不可能ではない。

 

『けれど、()()があった!!』

神の奇跡(ファルナ)があった!!』

 

 きっと、ファルナが無くてもカエデは諦めないのだろう、何かしらの手段を探すのだろう。

 

『神の奇跡を手に入れ!! ランクアップすればまだ生きていられる!!』

『神の奇跡を手に入れ!! ランクアップする!! ワタシはソレを成すんだ!!』

 

 自らの胸に手をあて、カエデ・ハバリは遠吠えの如くロキに吼える。

 

『ワタシの心臓はまだ音を奏でている!! ワタシはまだ動ける!!』

 

 びりびりと、屋根の上から見下ろしているベートの心すらも痺れさせるほどの声量で、ロキに吼える。

 

『師は言った!! 『生きろ(足掻け)』と!!』

『師は言った!! 『死ぬな(諦めるな)』と!!』

『ワタシは生きる(足掻く)のだ!!』

『ワタシは絶対に死な(諦め)ない!!」

 

 強い言葉に、ベートは震え、見据え、認めた。

 

『だから、ワタシに神の奇跡(ファルナ)を!!!!』

『今一度、生きる(足掻く)のに必要な神の奇跡を!!!!』

 

 カエデ・ハバリは強くなる。そんな確信と共に、ベート・ローガはカエデ・ハバリの名を心に刻んだ。

 

 

 

 カエデの咆哮が終わると同時に、体を震わせたカエデが弱弱しい声色で慌てたように紡ぐ。

 

「武具は自ら用意する、ファミリアへの納金もちゃんと行う。ファミリアには迷惑をかけない。だから「ダメや」だから……わ……た……」

 

 ロキに遮られ言葉が潰えたカエデを見て、ベートは鼻で笑う。

 

 拳を握りしめ耐えるカエデに、ロキは畳み掛ける様に続ける。

 

「武器とか防具の用意はいらん?」

「納金もちゃんとする?」

「迷惑をかけない?」

「何を言うとるん?」

 

「……ッ!?」

 

 強く拳を握りしめられた手から血が流れ出る、ロキから視線を逸らさない。

 

「あんた、他のファミリア行ってそれで通用するって思っとるん?」

「…………」

 

 ()()ファミリアなら、間違いなく入団拒否され、慈悲の女神の元へと連れて行かれるに違いない。

 

 ただ、ここは()()、雑多にあるそこらのファミリアとはわけが違う。

 

 ここは【()()()()()()()()】なのだ。

 

 

 

「気に入ったわッ!!」

 

 カエデに負けぬ様にと大声でロキが宣言する。

 

「あんたの武具は【ロキ・ファミリア(ウチ)】が用意したるッ!!」

 

「あんたの納金は必要ないわ神ロキ(ウチ)がなんとかしたるッ!!」

 

「あんたがかける迷惑なんてすべて受け止めたるわッ!!」

 

 言葉を失ったカエデを畳み掛けたロキは、手を差し出して言う。

 

「ウチの眷属に、いや、もうウチの眷属やッ!!」

 

 ロキがあそこまで強く吼えたカエデを拒否するなどありえない。

 分り切っていたからこそ、カエデの言葉を鼻で笑ったのだ。

 

「逃げようなんて思うんやないで? 何処にも行かせへんからな」

 

 そう言われ、カエデ・ハバリは硬直したまま、その手をじっと見つめる。

 

 ベートはカエデが恐る恐る手を伸ばす様子を見ずに、屋根から飛び降りた。

 

 

 

 

 

 カエデ・ハバリは差し出された手に自らの手を伸ばそうとして途中で止まった。

 

 カエデ・ハバリの手は汚れきっていて、とても神の手をとって良い訳がなかった。

 

 慌てて服の裾で手を拭うが、服自体も汚れきっていてとても汚れはとれない。

 

 どころか逆に血がべっとりとつき、手垢の汚れが血の汚れに変わっただけだった。

 

「あの…………っ!?」

「手が汚れとる? んなもんどうでもええやん、はよ手えとりや」

 

 ロキの方からカエデに近づき、カエデの手を強引に掴んだ。

 

「言ったやろ? 逃がさへんって?」

 

 おろおろするカエデをにんまり笑うロキが捕らえて、そのまま手を引く。

 

「まあ、汚過ぎやし、まずはお風呂いこか」

 

 そう言って手を引かれたカエデは、響いた怒鳴り声に足を止める。

 

 

「ふざけんなよっ!」

「そんな汚ねぇガキがロキ・ファミリアに入団だと? 俺達はどうなるんだよっ!」

「んな薄汚ねえガキが入団するファミリアに入りに来たんじゃねえんだぞっ!!」

 

 入団試験を受けに来ていた、他の者達の怒りの怒声が響く。

 

 真面目に、血と汗の滲む努力をしてきた者達と、浮浪者と見紛うばかりの子供が同じ試験を受けるだけでも我慢ならないのに、自分たちを差し置いて入団するなど、許せるはずもない。

 

 響く怒声に、カエデは剣の柄に手をかけて睨む。

 

 努力をしていたのはお前達だけじゃない。ワタシは見た目を気にする余裕もなかったのだ。

 お前達に文句を言われたくはない。

 

 そんな思いを口にしようとする前に、銀色の影が試験者とカエデの間に立ちふさがった。

 

「おい、テメェら何騒いでんだ? アァ?」

 

 銀色の影、若干の幼さを残したウェアウルフの少年が試験者を睨みつけて殺気を浴びせかける。

 

 その殺気はフィンが試験の際に発していたものとは比べ物にならない本物の殺気。

 

 フィンの放っていた子供騙しの殺気ですらない殺気モドキを鼻で笑っていた試験者達は、一様に脅え、一部の者等は一瞬で気を失って倒れ、気を失わなかった物も腰を抜かし、失禁している者も居る始末。

 

「あー、ベート。落着きや」

「ベート、もういいよ、ボクが代わるよ」

 

 ロキとフィンに制止され、ベートは鼻を鳴らすとカエデの方を見た。

 

「っ!」

「はっ、汚ねぇガキだな」

「…………」

「何とか言ったらどうだよ」

 

 唐突に現れ、カエデを庇う様な事をして、そして見下す。

 訳がわからない、それでも何かを言わなければとカエデ自ら名乗りを上げた。

 

「……ワタシはカエデ・ハバリと言います。ガキではありません」

「テメェなんてどうでも良いんだよ」

 

 言いたいだけ言いふらし、ベートは踵を返して離れていく。

 それをガレスが肩を竦め、リヴェリアが呆れ、フィンとロキが軽く笑みを浮かべる。

 

「フィン、この場は任せるわー、ウチはカエデたんとお風呂タイムにするわー」

「わかった」

「ガレスはフィンを手伝ったってーな、リヴェリアは悪いんやけどカエデたんが着れそうな服を頼むわ」

「うむ」「アイズのお古辺りがまだ残っていたはずだな、それでいいな?」「ええでー」

 

 カエデ・ハバリはロキに手を引かれて【ロキ・ファミリア】の本拠の黄昏の館へ。

 

 

 始まった、ここから、カエデ・ハバリが死なぬ(諦めぬ)と定めた道が。

 

 ならばこそ、最期の最後まで生き抜こう(足掻き抜こう)ではないか。

 

 師の言葉ではない、自分の言葉を、口にしよう。

 

 

『ワタシは絶対に死なない(諦めない)、全身全霊を賭けて生きる(足掻く)のだ』

 



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『白狼(カエデ・ハバリ)』

 師は拳骨と共に語った

『己が身の調子を顧みれぬ者が剣を語るな間抜けめ、じゃから剣を折るなんぞしでかすんじゃ』

 拳骨の鈍い痛みが、今はただ懐かしい


 ティオネ・ヒリュテとティオナ・ヒリュテの姉妹は脱衣所に佇む薄汚れたウェアウルフを見て固まっていた。

 

 対するウェアウルフの子供も二人に気付き動きを止めていた。

 

 互いに口を開く事無く、目を見開いたウェアウルフは台の上に手荷物を置いていた所だったらしい。

 

 

 

 事の始まりは数十分前。

 

 

 

 ダンジョンから帰ってきた所でホームの入口から逃げる様に走り去っていく人々を見つけ、首を傾げていた。

 

 入口に仁王立ちした【ロキ・ファミリア】団長のフィン・ディムナに気付き、話を聞いてみれば今日の入団試験の不合格者達だったらしい。前回みたいに一人も合格者が居ないのかと思えば、83人中1人のみ合格したらしい。

 

 今回は前より酷い有様で、前回よりもなお質が落ちたらしく、上から隠れ見ていたベートが怒りのあまり突撃してこないかと心配になる程だったと言う。

 

 実際、最後には屋根から飛び降りてきて不合格者達に本気の殺気をぶつける程だったと言う。

 

 合格した一人はロキに連れられてお風呂に行ったらしい。

 

 と言うのも浮浪者の様に汚れていたらしいのだが、剣技も剣気も普通の人とは比べ物にならないぐらい優れていたと、フィンが絶賛する程の人物らしく、二人揃って首を傾げる。

 

 興味もあるし、ダンジョン帰りでバベルのシャワールームで軽く汚れを落としてきただけの二人は新しく入団する事になった人物を一見するついでにお風呂に向かう事にしたのだ。

 

 

 

 そして冒頭に戻る。

 

 

 

 端的に言えば、汚い。

 

 元の髪色も分らぬほどに汚れた髪に、血や泥、汗の染みで汚れきった服装もそうだし、立てかけた剣も錆ついている部分もあり手入れを怠っていることが読み取れ、伸び放題の髪から覗く目は真っ赤で驚きに染まっている。

 

「あー、こんにちは?」

「……こんにちは」

 

 ティオナは何を言うべきか迷った後に挨拶をしてみた。

 対するウェアウルフは、律儀に頭まで下げて挨拶を交わす。

 

 そして沈黙が舞い降りる。

 

 ティオネとティオナは予想以上に汚れた姿の彼女に驚き、

 対するカエデは唐突に現れた見知らぬ少女二名に驚き、

 互いに言葉を失って佇んでいると、スパーンと良い音を響かせて浴室と脱衣所を隔てていた擦りガラスが開かれ、ロキが現れた。―全裸で。

 

「うっしゃー、準備オッケーやで……ん? カエデたん、はよ服脱がんとー「あーロキだ」おぉーティオネにティオナやん? 今からお風呂入るけど一緒に入るかー?」

 

 ロキに指摘され、カエデはおずおずと台に荷物を置いてから服を脱ぎ始めた。

 

「入る入るー、その子がカエデちゃん? 予想以上に汚くてびっくりしたよー」

「そうねぇ、いくらなんでも汚過ぎよ。想像以上だったわ」

「せやから綺麗にしたろうとしとったんよ」

 

 げへへと下種な笑みを浮かべながら手を怪しく動かすロキを見て、ティオナとティオネは笑う。

 

「変な事したらぶっ飛ばすから」「団長以外にそんな事されたら殴る」

「冗談に決まっとるやん……」

 

 不自然に視線を逸らしながら言うロキに、ティオナが笑みを浮かべて聞く。

 

「何割が?」

「二分」

「一割ですら無かったっ!?」

 

 それを聞いたティオネが笑みを深めて口を開いた。

 

「じゃ私は手加減二分で殴ればいいのかしら」

「ちょ、ティオネの手加減二分てうち死んでまうわっ!?」 

 

 レベル4の冒険者が手加減二分で殴る。レベル3の冒険者でも致命傷は免れないだろう。

 神であるとはいえ、地上で過ごす為に一般人程度の身体能力しかもたない今のロキは間違いなく死ぬ。

 無論、互いに冗談だと解りあった上でのやり取りの為、物騒な事にはならないのだが。

 

 ロキはセクハラをするし、ティオネとティオナはセクハラに対して拳で礼をする。

 これは【ロキ・ファミリア】で当たり前の光景だ。

 

 まぁ、拳で礼をするのはこの二人とリヴェリアぐらいで、他の団員は平手であるのだが。

 

「ロキ()()()

 

 カエデが服を脱ぎ終わった様子で、ロキへ声をかけた。

 

「……ロキ()()()?」「何それ」

「あー、カエデたん。ロキでえぇよー……?」

「……?」

 

 何か間違えたかと首を傾げるカエデと、可笑しな呼び方をしたカエデを見て首を傾げるティオネとティオナ、気軽に呼び捨てで構わないと言うロキ。

 どうにもカエデ・ハバリは固い印象を受ける。と言うか真面目なのだろう。

 ロキが自分の事を「気軽にロキたんって呼んでえぇで」と言ったのを守っているだけなのだろう。

 ただ、他から見れば間抜けに見えるのだが。

 

「まぁ、えぇわ。ほらいくでカエデたん。二人もはよせえなー」

 

 ロキは呼び方を訂正するよりカエデを綺麗にする方を選ぶ。

 なによりそんな間抜けな呼び方をするカエデも可愛いと笑いながら。

 

 

 

 

 

 広い、お湯の溜まったソレ。

 

 湯を沸かすのはとても大変で、こんなカエデが両手を広げても全然足りないぐらいの広さの湯の張られた湯船を見て、カエデはロキに手を引かれながら困った表情を浮かべた。

 

「カエデたんどしたん?」

「お湯、こんなに……」

「んー? あぁ、皆で入れたら気持ちええやろ? せやからお風呂はでっかく大きく作ったんよー」

 

 ロキの趣味と実益を兼ねて作られた浴槽は同時に50人入っても余裕なほど大きく作られている。

 団員といちゃいちゃできるし、セクハラもできる。見放題とくればそうするほかない。

 

「いえ、湯を用意するの、大変でなかったかと」

 

 恐縮しきりのカエデを見て、ロキはカエデが勘違いしている事に察しがついて笑う。

 

「カエデたんは田舎出身やったか。せやったら知らんでもしょうがないか。オラリオ(ここ)では魔石を使っていろいろ便利な道具とか作られとるんよ。お湯を沸かすのもそう時間かからへんし気にせんでもええで」

「そんな道具があるのですか、便利ですね」

「せやろー、カエデたんそこ座ってーな。ウチが洗ったるでー」

 

 手をわきわきと怪しく動かしながらカエデを座らせ、シャワーのノズルを掴み湯を出して湯加減を確かめる。

 カエデは物珍しげにそれを見ながらも大人しくしている。

 

 下手に動けば汚してしまうと萎縮しているのだろう。もしくは神にこんな事をさせているのに恐縮しているのか? どちらにせよロキはスキンシップもかねてカエデを洗う事は決定事項なので気にしないのだが。

 

「かけるでー、目瞑っててなー」

 

 湯でさっと汚れを流してみるが、泥汚れはある程度落ちるものの、やはりほとんどの汚れは湯だけでは落ちそうにない。

 

「んー、たっぷり泡立てて洗うかー」

「私も手伝おうか?」

 

 石鹸を手にとった所で、ティオナがロキの横に顔を出した。

 

「お、えぇやん。ティオナたんは髪を頼むわ、うちは体を「ロキ?」……冗談やて」

 

 ティオナと反対側からティオネが顔をだし、ロキを睨む。

 ロキは手をあげて降参を示すと、ティオナがロキの手から石鹸をすっと抜き取ると、泡立ててカエデの髪を洗い始める。

 

「うわー……泡が真っ黒」

「ほんとねぇ」

「…………」

「カエデたんは動かんといてーな。耳に入ったりしたらあかんしなー」

 

 カエデが泡に包まれているのを見て、ティオナとティオネが顔を顰める。

 汚れ具合を示すかの様に泡は真っ黒になった。

 

 

 ティオネはティオナから石鹸を受け取ると、尻尾の方へ手を伸ばした。

 

「っ!」

「じっとしてなさいよ」

「ティオネ、尻尾は優しくしたってえな……」

 

 尻尾を掴まれ、カエデが跳ね、泡が散る。

 ティオネが優しく尻尾を洗い始め、ロキはカエデの腕を洗う。

 

「細い腕やなぁ」

「ロキは変な事したら殴るわ」

「変な事されたら言ってね」

「そんなー」

 

 わいわいしながらも、洗っていくが、カエデが黒い泡に包まれているのを見て、三人は口を開いた。

 

「これはなあ」

「本当に汚いわね……」

「これ、一回で落ちるのかな」

 

 オラリオ製の物はどれも他では見られない程優れた物が多い。

 そんなオラリオ製の石鹸や洗剤は他の場所で得られるものよりもなお優れているのだが、それでも一度で汚れが落ち切るとは思えない。

 

「まあ、何度か洗えばええやろ。お湯かけるでー」

 

 ロキはシャワーを出して泡を流していくと、泡に隠れて見えなかった姿が露わになっていく。

 

 若干灰色になった姿を見て、もう一度泡立てて汚れを落としていく。

 予想通り一度で落ち切らなかったらしく、二度目は一度目程でないにしろ泡は灰色に染まった。

 

 三度繰り返し泡を洗い落とせば、本来の色を取り戻した髪色がロキ達の前に現れた。

 

「めっちゃ白いやん」

「うわ、白い」「え? 白?」

 

 黒い泡が流れ、露わになった髪の色は白

 

 白髪と言うよりは色素が抜け落ちた白色

 

 汚れていた肌の色も、白と言うよりは透明

 

 透ける肌は血色が悪く、不健康そうな印象を受ける

 

「……もう良いですか?」

 

 目元も隠れるぐらいに伸び放題な髪が体に張り付いており、それを手でのけながらカエデがロキを振り返った。

 

 真っ赤な、ではない濁った血の色をした目

 目の下に薄らと見える隈

 

 痩せこけていると言う程ではなく痩せ気味程度で済んでいる

 

「これはー」

 

 色素が抜け落ちる遺伝子異常によって発生する病気。

 忌子と言われ、処分されることもあるソレはロキにとってもそれなりに見た事がある病状であった。

 

 納得。

 

 医神ですらないロキにわかる範囲で言える事は少ない。

 

 疲労感が漂っているが強い意思でそれを打ち消している。そんな目を見て、健康状態の悪さに察しもついた。

 

 色素が()()関係で、目の色は血の色がもろに出るのだ、故に目の色が濁っていると言う事は血が濁っている。

 

 要するに栄養が偏って血が不足して血が汚れている。

 

 血色が悪く見えるのもソレが原因

 

「んー……まずは療養か」

「……?」

「なんでもないでー、んじゃお風呂いこかー」

 

 首を傾げるカエデをロキは誤魔化しながら手を引いて立ち上がった。

 

「私達は体を洗ってるわ」

「じゃあねー」

「ティオネたんとティオナたん、二人ともありがとなー」

「ありがとうございます」

「どういたしましてー」「なんでこんなに汚れてたのよ」

 

 礼を言ったロキに合わせ、カエデも頭を下げて礼を言う。

 頭を下げた拍子に髪が目にかかり、それを手で直すカエデ。

 

「えっと、一か月程歩き続けてましたので」

「一か月? 凄いね」

「一か月間水浴びもせずに? よくやるわね」

 

 一か月間歩き詰め。

 ロキの思った以上に体力はあるらしい。

 基礎体力が低い訳ではない。模擬戦の動きからもそう筋力が落ちている訳でもない。異常らしい異常はその疲労からくる血色の悪さだけ。療養をとらせ、ファルナを与えれば十二分にいけそうである。

 其の為にはまず療養をとらせる事だ。

 

 湯船に並んで浸かりながら、ロキは頷く。

 

「そんなに頑張ってオラリオに来たんかぁ、せやったらまずは休息やな。しっかり体休めなあかんでー」

「いえ、必要ないです。()()()()()()ですから」

「あー……」

 

 止まる気は無いらしい。

 まぁ、当然かと理解しながらも、カエデの前に回り込んでロキはカエデの目を覗き込む。

 

「カエデたん疲れとるやろ? まずは疲れとらなアカンで」

「いえ、まだいけます」

 

 『()()いける』、意思が強い。悪い言い方をすれば頑固なのだろう。

 だがロキはこれを許す訳にはいかない。途中で潰れかねない。

 

「途中で倒れてまうやろ? まずはしっかり体を休めなあかん」

 

「でも……」

 

 

 

 その言葉を否定しようとして、カエデはふと剣を折った事を思い出した。

 

 『己が身の調子を顧みれぬ者が剣を語るな間抜けめ、じゃから剣を折るなんぞしでかすんじゃ』

 

 成程、正に師の言う通りである。

 

 『昼間、模擬戦で無様を晒しておきながら、重ねて晒す気か?』

 

 心の中の師が自分にそう語って見せる。

 

 無様だろうが惨めだろうが走り続けると心の中の師に吼えれば、拳骨と共に言葉が返ってくる。

 

 『次にオヌシが晒すのは屍じゃ阿呆』

 

 師なら、きっとそう言う。

 ついでに思い出した拳骨の痛みに、頭に手を当ててカエデは頷いた。

 

 

 

「いえ、すいませんでした、しっかり休みます」

 

 ロキの言葉に反論しようとしたカエデは一瞬考えてから頷いた。

 

「おー……素直やな。もっと反論するかと思ったで」

「休息の大切さは師も語ってましたので」

 

 意外なほどに素直な反応に、思った事を口にしたロキに対し、カエデは唐突に自分の頭に手を当てて俯きがちに口を開いた。

 耳も尻尾も垂れ下がりしょんぼりしている様に見える。

 

「どしたん? 頭痛むんか?」

「いえ、師の拳骨を思い出しまして……とても、痛かったので」

 

 なるほど、カエデ・ハバリの師と言う人物は情け容赦ない人物だったらしい。

 とはいえ、カエデの身振りを鑑みるにカエデの師と言う人物は間違った事を教えたり等はしていない様子だ。

 

「あーなるほどなー、拳骨は痛いもんなあ」

 

 ロキも、リヴェリアの拳骨の味を思い出して眉を寄せる。

 

 ロキが拳骨をプレゼントされるのが半分、いや八割…………九割九分九厘、ロキが悪いのだが。

 

 肩までしっかりと湯につかり、湯船の中から洗い場でじゃれあってるティオナとティオネを見てから、カエデ・ハバリの予定をロキなりに考えて纏める。

 

 まずは一週間程の休養

 

 ついでに休養中に武具や必要な道具類を揃える

 

 それからファルナを授ける

 

 あとはカエデ本人の頑張り次第と言った所か

 

 カエデ・ハバリが歩む道筋を大さっぱに描いたロキは似合わぬ慈悲の笑みを浮かべカエデを見る。

 

「うん、カエデたんしっかり頑張ってーな」

「はい」

 

 力強く頷くカエデ。

 

 濡れてべったりと張り付いた髪が頷いた拍子に目にかかる。

 

「……まずお風呂出たら、その伸び放題の髪の毛、整えよっか」

「……はい」



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『師の形見』

 手に巻かれた包帯を差して、師は言った。

『オヌシは器用じゃ、器用じゃが気を抜いてはいかん。大した怪我でなくて良かったのう』

 


「おおー、カエデたんめっちゃかわええでー」

 

 カエデ・ハバリ用にと用意された個室。

 着替えの白いワンピースを着たカエデをロキが褒め、リヴェリアが難しい顔で見ていた。

 白いワンピースを着たカエデはスカートに違和感を感じているのか裾を気にしている。

 

「獣人系だったのを失念していたな。すまない、今はそれしかないからそれで我慢してくれ」

 

 カエデはウェアウルフであり、当然の如くウェアウルフの特色ともいえるピンと立った鋭い狼耳と、ふわりとした大き目の尻尾がある。

 

 ワンピースはアイズ・ヴァレンシュタインが幼い頃に着ていた物で、ヒューマン用の物であった。

 

 要するに獣人系用の尻尾を出すための穴等の特殊な加工がなされていない。

 其の為、カエデの真っ白でもふもふした尻尾はスカートの内側で垂れ下がっている。

 

 何らかの反応で尻尾を立てる等すればスカートが捲れるが、それについては応急で尻尾用の穴をあけると言う意見をリヴェリアが上げたがロキが却下した。

 

 ロキ曰く「そういったトラブルがええんやろ!」との事。

 

「はぁ、それで元の服だが……これはもう使えないな」

 

 一応、風呂に入るついでに団員に命令してカエデの服や荷物の汚れは落とした。

 

 衣類に関しては無数の裂け目とほつれがある上、染みついた汚れがどうしても落ちなかった。

 

「ありがとうございます」

「ええて別に、しっかしカエデたん恰好ちゃんとすればめっちゃ可愛いやん」

 

 伸び放題だった髪もリヴェリアが手早く切り揃え、ショートボブに整えられている。

 目にかかるほどだった髪も綺麗に整えられ、血色が悪い事と、目の下の隈を除けば十二分に愛らしい容姿をしている事がわかり、ロキは満足そうに頷いてから、カエデが大事そうに抱え持った武器に目を向けた。

 身の丈に合わぬ長さの、汚れを落としただけで柄頭や鍔の金属は錆が浮かんでいるその刀、鞘の作りもそうだが良い刀とは呼べないそれ。

 カエデが腰に佩いていた鉈っぽい片刃の剣はカエデにちょうど良い大きさに見えるのだが。

 

「そういえばなんやけど、カエデたん。そっちの鉈みたいな剣はカエデたんのやってわかるんやけど、そっちの長い刀はカエデたんのなんか? 背負っとたら抜けんとちゃうん?」

「えっと……こちらの剣は『大鉈』と言いまして。師から一人で獲物を仕留める事が出来た時の褒美として頂いた物で、こちらの刀は余計な荷物ではありましたが……その……」

 

 カエデはボロボロの刀を大事そうに抱え持ち、視線を彷徨わせる。

 

「……師の形見でしたので」

「あー……そっか、そんなら大事にせなあかんな」

 

 形見、その言葉でロキは理解を示す。

 

 カエデが口にする『師』と言う人物。

 カエデの口振りからすれば間違いなくカエデを大事に思っているはずなのにカエデの寿命の事やファルナを得る為に一人でオラリオまで遠路遥々やって来た事等から師が共に無い事に関して憶測を立ててはいたが、それは合っていた様子だった。

 

 カエデに武術を教え、剣術を教え、礼儀も教えていたらしい『師』と言う人物が共にいない理由。

 

 死別なのだろう。

 

「その、師ちゅうのはどんな子やったん?」

「師は……とても優しい人でしたが、同時に同じぐらい厳しい人でもありました」

 

 カエデ曰く、カエデに非があれば容赦なく拳骨を脳天に叩き込み、怒鳴りはしないものの淡々と非を責める。

 カエデ自身が間違いを正せば即座に優しく笑みを浮かべて『よくやった』と褒める。

 飴と鞭の使い方の上手い人であったとの事。

 

「剣を持つ時は師と、剣を持たぬ時はヒヅチと呼べと言われてました」

 

 鍛錬の時や、森で狩りを行っている時、モンスター退治の時を除けば非常に優しく、常にカエデの傍によりそい、母の代わりに愛情を注いでくれていた事。

 

「……? カエデたんお母さんとかおらんかったん?」

「忌子でしたので、本来なら産まれたその時に殺されているはずだったのですが、殺される前に師が引き取ったので本来の両親が誰なのかは知らないです」

「ごめんなカエデたん」

「いえ別に……師が()()()()ので」

 

 ロキは眉を顰める。

 

 ()()()()から平気だったと、なら師が亡き今はどうなのだろうか。

 

 なんとなく、これ以上の詮索は控えるべきだとロキ自身の勘が告げている。

 本来ならもう少し踏み込む所ではあるが少し話を聞いた限りでもその経歴、過去は辛いモノが多い。

 

 これ以上踏み込んでカエデ・ハバリが精神的に折れてしまえば取り返しがつかない。

 

「そか、ええ人やったんやな」

「はい、尊敬できる方でした」

 

 真っ直ぐにロキを見据えて頷くカエデを見て、ロキは一つ吐息をもらす。

 

 この子、全然嘘つかんなあ

 

 この年頃、ましてや神と相対してもどうしてもボロは出るものなはずだが。

 常に嘘とは無縁の生活を送っていたのだろう。純粋過ぎる。

 

「せや、カエデたん、荷物の整理もあるやろうしちょい待っててな、ウチはフィン達と話あるしゆっくりくつろいでてな、お腹空いとったりせえへんよな?」

「はい、空腹については問題ないです」

「ならちょい待っててな、すぐ戻ってくるで」

 

 ロキはリヴェリアを引き連れて部屋を出る。

 

 出てすぐの所でフィンが壁に凭れかかり立っているのを見て、ロキは口を開いた。

 

「盗み聞きしとったんか? ウチの団長は趣味悪いなあ」

「ロキ、冗談を言っている暇があるのかい?」

 

 ロキの冗談に、フィンは真面目な表情を崩さずに答える。

 

「……フィン、医者を呼ぶ必要があるわ」

「医者……医神の方が良いかな」

「そうなんやけどなー」

 

 医者もしくは医神。

 医療系ファミリアを頼るのが一番である。

 

 しかし、問題もある。

 

 カエデ・ハバリは魅力的な眷属である事。

 

 ロキが気に入ったカエデを、他の神が見たらどう思うかである。

 少なくとも相当に捻くれた神か死に関する神でもない限りは気に入る事は確定している。

 

 そうなれば他の神に目をつけられる訳にはいかない。

 

 今欲しい情報はカエデ・ハバリの現在の状態と正確な残りの寿命。

 

 ロキは神であるが故に、人の子の状態をある程度は把握できる。

 しかし、わかるのは状態が良いか悪いか程度であり、正確な寿命までは解らない。

 それに何が悪いのかもわからないのだ。

 

 この情報を手に入れる為には医神に見せるのが手っ取り早い。

 

 しかし他の神に見せると言う事は目をつけられると言う事であり、今現在の時点でカエデはファミリアの入団を認めはしたものの、ファルナを授けていない状態である。

 

 ファルナと言うのはその子が眷属である事を示すモノでもあるので今のカエデはフリー同然であり、下手をすれば横取りされかねない。

 

 なら直ぐにでもファルナを授けるべきか否かで言えば、否である。

 

 カエデの性格もあるし、ダンジョンに対する前知識をカエデに教育する必要もある。

 

 ファルナを授ければ走り出してしまうだろうし、ダンジョンの知識も無くダンジョンに潜るのは自殺行為に他ならない。

 

 故にファルナを授けるのはある程度の休息と教育の後である必要がある。

 

 この状態でカエデを医療を司る神に見せるのはどうなのかと。

 

「うーん、ディアンケヒトはあかんしなあ」

「まぁ、そうなるね」

「あそこは……ふざけた依頼を発注するからな」

 

 大手の医療系ファミリア【ディアンケヒト・ファミリア】の主神ディアンケヒトは、腕は確かだが性格も悪い上に【ロキ・ファミリア】相手に足元をみた依頼を発注するなど意地が悪い。

 

「……神ミアハはどうだい? 神ディアンケヒトが敵意を抱いているかの神も医神だったと思うけど」

「あー、せやなー、ミアハか」

 

 中程度の規模のファミリアである【ミアハ・ファミリア】の主神ミアハはディアンケヒトよりも優れた腕を持つ美青年の姿をした男神で、本人の自覚無しに多くの女性を魅了したりしている神で性格は穏やかでもあり、人気が高い。()格者でもある。

 

 神ミアハなら事情を話せば無理に眷属を奪いはしないだろう。

 

 だが先程も言った通り、自覚無しに多くの女性を魅了したりしている。

 

 故にカエデが魅了されてしまわないか心配であるのだが。

 

 ディアンケヒトに頼む場合、足元を見られ多額の金を要求される上に、カエデ・ハバリを奪おうとする可能性が高い。

 ミアハに頼む場合、知り合いに無償でポーションを配り歩く様に無償でカエデ・ハバリを診断してくれるだろうが、同時にその魅了によってカエデ・ハバリの()を奪っていきかねない。

 

「それで、どちらにするんだロキ」

「ミアハやな」

 

 即決

 

 ディアンケヒトかミアハ、本拠に招くならどちらか?

 

 ディアンケヒトはありえない、ミアハの場合は事情を話せば快く受けてくれる。

 選択肢などあってないようなものである。

 

「そうか、では僕は【ミアハ・ファミリア】に取り次いでくるよ。急ぎだよね? 今から行ってくる」

 

 神様を呼び付けるのだからロキが出向くべきかもしれないが【ロキ・ファミリア】はオラリオで一二を争う巨大ファミリアであり、その主神がぎりぎり中規模に収まるファミリアの主神相手にわざわざ出向くのは変に注目を集めかねない。

 なら団長なら、これも微妙な所だろうが交渉事は基本フィンかリヴェリアが出向き、有事の際はロキが出向くと言うスタンスをとっている為に不自然ではない。

 【ディアンケヒト・ファミリア】の悪評はそこそこ知られているのであえて【ミアハ・ファミリア】や他の医療系ファミリアを頼るファミリアもそこそこある。

 

 以上の点からフィンに出向かせるのは間違いではないはずだ。

 

「たのむわ」

 

 ひらひらとロキが手を振ってフィンを見送ろうとすると、リヴェリアが口を開いた。

 

「フィン、入団試験の片付けは終わったのか?」

「ああ、それならガレスがさっと片付けてくれたよ。今は使用した模擬剣の破損の有無の確認もかねて団員の鍛錬に入っているんじゃないかな?」

「そうか、呼び止めて悪かった」

「いや、構わないよ、じゃあね」

 

 フィンを見送ってから、リヴェリアはロキに向き直る。

 

「私はフィンの代わりに書類の処理をしてくる。変な事はするなよ」

「変な事て「カエデに悪戯をするなと言う意味だ」わかっとるって」

 

 リヴェリアに釘を刺されたロキは大げさにうんざりした表情を浮かべてカエデの部屋に戻っていき、それを見たリヴェリアは額に手を当てて溜息をついてから、書斎に足を運んだ。

 

 

 

 

 

 ロキとリヴェリアが出て行ってから、カエデは荷物の整理をしていた。

 

 荷物と言っても持ってきたものは麻袋に収まる程度であったし、殆どが干し肉と乾燥野菜と言った旅糧であり、なおかつ消費されてなくなっていた為、荷物らしい荷物と言えば『大鉈』と『師の形見の刀』、武器の手入れ道具ぐらいしかない。

 

 体を休めるべきではあるが、どうにも気が落ち着かない。

 

 今までサボっていた武器の手入れをして気を静めようと考え、手入れ道具を机に並べて刀も置いた。

 

 師の刀は元は大きな太刀だったそうだが、幾度かの研ぎ直しを経て短くなった為に刀になった使い古しのモノを行商人から格安で仕入れた物であり、そんなに高価な物ではない。それ所かお値段なんと2,500ヴァリス。普通の剣が数万ヴァリスな事を考えれば安物である。

 

 そんな安物の刀ではあるが師の形見であるソレを粗雑に扱う等する訳も無く手入れは慎重に行う。

 目釘抜で目釘を抜き、刀を鞘から抜く。

 

「……あ」

 

 抜かれた刀身は曇り、元の輝きは完全に失われている。

 

 ほぼ野宿だったため、野晒しで一か月間背負っていただけだった事もあり、予想通りではあったものの師の形見でもある刀が曇り切った姿を晒している事に罪悪感を覚え、今まで以上に丁重に柄を外していく。

 

 柄を外したら(はばき)を外してから、下拭い用の拭い紙を使い鎺元から静かに曇った刀身の汚れを拭おうとするがカエデが小さい為、拭うのは非常に大変だ。

 それでも師から教わった通りに丁重に拭っていく。

 

 拭った紙を机に置き、打粉を刀の表の面を鎺元から峰の方へ平らにむらなく軽く叩いて打粉をかけていき、次に裏を返して逆に鋒から鎺元へと同じように打粉をかける。

 

 それから上拭い用の拭い紙に持ち替え、傷を付けない様にゆっくりと、丁重に打粉を拭いとっていく。

 

 ふと思い出したのは、師に初めて手入れを教えてもらった時の事。

 

 短刀で手入れの仕方を教わっていた時に、不注意から拭い紙で打粉を拭っている最中に手を切ってしまった事があった。

 師は仕方が無いと言った様子でカエデの手に包帯を巻き、血に塗れた短刀の刃を見てからカエデが下拭いにかけていた時間と同程度の時間で短刀の手入れを全て終えてしまった。

 

『オヌシは器用じゃ、器用じゃが気を抜いてはいかん。大した怪我でなくて良かったのう』

 

 その言葉が脳裏に浮かび、慌てて手入れを止めて拭い紙を置いて手を見る。

 

「切れてない……」

 

 気を抜くなと言う師の言葉を思い出しながら、手入れをしていた事に思う所はあるが、今は手入れに集中すべきと頭を振ってから手入れの続きを行う。

 

 拭い終えた刀身をじっくり眺め、傷や錆が無いかを確認する。

 

 どうやら、刀の表に出ていた部分である柄頭や鍔の金属は錆が浮かんでいたが、鞘に納まっていた刀身には一切の錆は浮いていない。

 その様子にほっと一息ついてから、鞘に納める。

 

 油塗紙に油を染みこませてから、もう一度鞘から抜き放ち、拭いと同様の要領で静かにていねいに油を塗る。

 油のつかない部分のないように確かめながら、三回程、同じ動作を繰り返して、上手く塗れた事に笑みを浮かべ、手についた油を使い(なかご)にも油を塗っておく。

 

 鎺をかけて目釘を抜き茎を柄に入れ、納まったのを確認して目釘を打ち、しっかりとぐらつきの無い事を確認してから鞘に納める。

 

 鞘に納まった刀を見て一息ついてから、刀をテーブルに置いた。

 

「おー、終わったんか?」

「! ロキたん様……はい、手入れは終わりました」

 

 何時の間にやら戻っていたロキがカエデの刀を見ていた。

 

「めっちゃ丁重に手入れしとったな」

「何時から見ていたのでしょうか?」

「んー? なんや粉をポンポンしとる所からやな」

 

 打粉かけから見ていたのなら、相当な時間待たせてしまった事だろう。

 

「すいません」

「いや、ええて別に、大事なモンやろ? そっちの大鉈は手入れせんでええんか?」

「……こちらは……その……」

 

 カエデは困ったような表情を浮かべ『大鉈』の柄を持ち鞘から抜く。

 

 現れた『大鉈』の刀身には錆が浮かんでいる。

 

「この通り、もう刀として使えませんので」

「あー……こりゃ酷いなあ」

 

 それ以上に、刃が完全に毀れ、欠けも目立つ。

 それでも折れも歪みもしていない刀身は相当に頑丈に作られているのだろう。

 刀ではなく鉄の棍棒として扱えば十二分に武器として使えるはずだ。

 

「はい、手入れと言っても汚れを簡単に落とす程度しかしようがないので」

「んー……そういや新しい武具も必要なんよな」

 

 ロキは頷く

 

「せやな、武器の用意もせなあかんし、やっぱ一週間はゆっくり休んでもらわなあかんな。もちろんやけどただ休むんやなくて武器の用意も防具の用意もある。それにダンジョンについてみっちり勉強してもらわなあかんからな」

「はい」

 

 はっきりと返事を返すカエデを見て、ロキは満足そうに笑みを浮かべる。

 

 良い子だ、この子が大成する事を本気で願ってしまう程には。

 

「んじゃ、これからの予定をさくっと説明するんやけど、その前になんか質問あったりせえへん?」

「特には……あ、いえ、一つだけ」

「ん? 何や? ウチのスリーサイズが気になるんか?」

「すりー……?」

 

 冗談めかして笑うロキに、カエデは困惑の表情を浮かべる。

 

「あー、冗談やから真面目に考えんでもええで、んで何が聞きたいん?」

「師の刀についてです。刃は無事だったのですが鞘や柄が錆びてしまっていて……ワタシは刃の手入れの仕方は学んだのですが、鞘や柄の錆はどうしたら良いのかわからないのです。何方かこの錆をどうにかできる方は居ませんでしょうか?」

「ああ、そんぐらいやったら武器用意するついでになんとかしてもらえると思うから安心してな」

「はい、ありがとうございます」

 

 嬉しそうに尻尾を振るカエデを見て、ロキはにっこり笑う。

 

 頑固な所もあり、無邪気な所もある、落ち着いている様に見えて一点しか見えていない視野の狭さもある。

 なんとも可愛らしい子ではないか。

 

 盛大にスカートが捲れて大変な事になっているが、本人は一向に気が付かず、ロキは指摘する気は無い。

 

 できうるならばずっと眺めていたいとロキは考えるが、説明は早い方が良いと、ロキは気を引き締める。

 

「んじゃ今日の残りの予定なんやけどなー」

「はい」

 

 威勢のいい返事と共に、カエデの尻尾がピンと立ち、スカートが盛大に捲れる。

 

 無論、ロキはソレを指摘しない。

 

 可愛い可愛い眷属の愛らしい失態をしっかりと記憶に納めて、ロキは説明を始めた。 



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『寿命』

 師は偶発的な奇跡を嫌う

『奇跡を起こすのは何時だって神ではなく人の子だ、神が人の子に与えるモノはあくまで()()()()であり、それを芽吹かせ、大輪の花を咲かせるのは人の子だ』

 奇跡とは自らの手で引き寄せるモノだと


 【ミアハ・ファミリア】主神ミアハは直ぐに見つかった。

 

 【ミアハ・ファミリア】の本拠であり店でもある『青の薬舗』に向かえば、その前で知り合いらしい冒険者にポーションを渡している所に出くわしたのだ。

 

 苦笑いを浮かべた【ミアハ・ファミリア】の団長のナァーザ・エリスイスと共に【ロキ・ファミリア】団長フィン・ディムナに気付いた途端に、ナァーザは顔を青くし、ミアハは柔らかな笑みを浮かべてフィンを出迎えた。

 

「やあ、こんにちは」

「神ミアハ、突然に申し訳ない」

「うむ、ロキには豊胸の薬は無いと伝えて欲しい」

 

 出会い頭にミアハが口にしたのは『豊胸の薬』について、

 

 過去数度、医神であるミアハや他の神々に胸を大きくする薬は無いかと探し回った事があった事を思い出したフィンは、顔を引き攣らせそうになりながらも何とか違和感なく言葉を続ける。

 

「いや、今日はソッチではない、毎回ロキが迷惑をかけて申し訳ない」

「豊胸の薬が目当てではない? それでは何の用なのか教えて貰ってもよいだろうか?」

「ここで話す訳にはいかないのでできれば我等のファミリアの本拠に赴いて頂けないだろうか」

 

 ミアハは顎に手を当て考え込み、団長のナァーザが前に出る。

 

「いくらロキ・ファミリアとは言え用件も話さずに主神を本拠へ来いと言うのは」

「待つんだナァーザ」

 

 警戒心も露わにミアハを危険から遠ざけようとフィンを睨むナァーザをミアハが引き止める。

 

「それで、用件は言えないとの事だけど、急ぎかい?」

「はい、出来るのならば今すぐにでも」

「なるほど……わかった、今からロキ・ファミリアのホームに赴く事にしよう」

「ミアハ様っ」

「勿論、私の眷属も共にだが」

 

 ミアハを呼び付ける条件としてミアハの眷属も付属してくる。

 今回問題になってくるのはミアハ以外の神に目を付けられる事、眷属が何人同行しようが関係無い。

 

「全員で出向いてもらっても構わないよ」

「わかった、ではナァーザ、行こうか」

「ミアハ様……わかりました」

 

 渋々と言った様子で頷いたナァーザはフィンを睨む。

 

「ミアハ様に何かあったら」

「それは約束するよ。【ロキ・ファミリア】の名に賭けてね」

 

 軽くウィンクしながら軽く言ってのければ、それ以上追及してもロキと同じ様に適当にあしらわれるだけで無駄だと理解したのか、ミアハに向き直る。

 

「ミアハ様、他の子達に外出を伝えてきます。少々お待ちください」

「あぁ」

 

 ナァーザを見送ったミアハは改めてフィンに向き直る。

 

「もしかしてロキに『お気に入り』の子でもできたのかい?」

「察しが良くて助かります。その通りです」

「なるほど……詳しくは其方の本拠で診てみるとしよう」

 

 優しげな笑みを浮かべ、ミアハは大業に頷いて見せた。

 

 

 

 

 

 武具の手入れを終えた後、今後の予定をロキから聞いた。

 

 武具の用意、ダンジョンについての勉強、冒険者のあれこれ、その他色々。

 ファルナを授かるより前に学ぶべきこと、ダンジョンに潜る前に用意すべき物、そういった事を考えればずっとベッドの上でゆっくりしてる訳にもいかないらしい。頑張らなくては。

 

 説明が終わってからはロキに質問されるがままに村での生活についてを話したり、【剣姫】と言うランクアップの過去最短記録保持者の話等を聞いていたら、ロキがフィンに連れて行かれた。

 なんでもロキが呼び付けた人?神が来たとか。

 

 一人になった部屋で、何をするか考え、考えるまでもなく長旅の間は疲労が溜まったら木や窪地で身を隠して眠るだけだった生活で癒えきる事の無かった疲労感を癒す為にベッドに横になる。

 ベッドで横になりながら壁の武器ラックにかけられた師の刀を見つめる。

 

「ヒヅチ……」

 

 目を瞑る、眠る時はほぼ師と共に毛布に二人で包まって眠っていた

 

 あの日々、使っていた古びた毛布等目でもない程に上等な寝具なのに、どうしてこんなに……

 

 これまで最も長くヒヅチと離れて行動したのは3日程だったと思う。

 

 こんなに長い間、師と離れたのは生れて初めてだった。

 

 溜まった疲労は複雑に波打つ心を深い眠りへと誘う

 

 微睡も無く、ただ暗闇へ

 

 つい一か月と少し前にはあったはずの温もりは無く、ただ一人。

 

 

 

 

 わざわざ呼び付けたミアハがやって来た事をフィンに伝えられ、客間に案内されていたミアハにロキが見た限りのカエデの情報を伝えてからミアハに「ウチの子やから手えだしたら……わかるやろ?」と凄みをきかせた。

 突然の呼び付けに応じてくれたことは感謝すれど、お気に入りになった子に手を出せば容赦はしない。そんなつもりだったが肝心のミアハは柔らかな笑みを浮かべて「ロキのお気に入りには手を出さない、約束しよう」と断言した。

 

 ミアハなら大丈夫かと、神二人と団長二人でカエデを休ませてる部屋の扉をノックする。

 

「カエデたーん、戻ったでー」

 

 軽いノックに一切反応が無い。

 

「んー、また何かに集中しとるんかな」

「何かしているのか?」

「さっき武器の手入れにめっちゃ集中しとってなー、尻尾とかわしゃわしゃしても気付かんのよ、めっちゃもふもふやったで」

 

 親指を立ててぐっと突き出したロキに、フィンは苦笑いを浮かべる。

 ミアハとナァーザは「ワタシもナァーザの耳を触っていいかい?」「ダメです」等のやり取りをしている。

 

「出直した方が良いか?」

「いや、ウチがちょいと様子見るわ、ちょい待っててなー」

 

 そういうとロキは扉を開けて部屋に入る。

 

 入って目にしたのはベッドの上、静かに眠るカエデの姿。

 

「あー……カエデたーん?」

 

 忍び足でベッドに近づいて耳を摘まんだりしても、反応は一切無い。

 櫛で整えられた毛並は触り心地もよく、ロキはしっかりと耳を触ってからミアハを待たせて居る事を思い出してカエデを揺すり起こす。

 

「カエデたん、カエデたーん、ちょい悪いんやけど起きてえな」

「…………」

「あれ? カエデたん?」

 

 むずかる事も無い。

 

「いや? 死んどらんよな……」

 

 胸に手を当ててみるも、鼓動はしっかりとしているし、呼吸もしている。

 生きている、しかし起きない。

 

「んー」

「寝ているだけだったのか」

「……ミアハ、女の子が眠っとる部屋に入るんはマナー悪いで」

「緊急の用事と聞いていたのでな、気になったのだ、すまない」

 

 しれっと、ロキの後ろからカエデを見下ろす優男神をロキは睨みつけてから、もう一度カエデを揺する。

 

「カエデたん、カエデたーん」

「…………」

「あー、あかん、完全に眠りついとる」

「そのままでも状態は診れるがどうする?」

 

 眠ってるカエデをミアハに診せる?

 一瞬迷うも、早い方が良いのは既に解っているしロキはミアハを睨み地獄から響く様な声を上げる。

 

「カエデたんに変な事したら殺すわ」

「神は死なないぞ」

「天界に送還する言うたんや」

「理解している」

 

 ロキが睨もうが凄もうが気にする様子も無く微笑みを湛えるその姿は下手をすれば医神ではなく慈悲の神と言っても通じる所がある。なるほど女神達に人気のあるわけだ。

 

「それで、聞いた話では余命幾何かを調べて欲しいと言う話だが、慈悲の神の元へ連れて行かないのか?」

「ウチの子にするって決めたんや」

「そうか」

 

 ロキが場所をあけると、ミアハはカエデの脈を診たり等の簡単な診察を始めた。

 ロキはミアハが変な事をしないかと睨み見るが医療行為として堂々と行っており、変な意味が一切ない事をうかがわせる。

 

 これがロキならにやけた笑みを浮かべながら撫でまわすので、一瞬で頬に紅葉のような手形がつけられるのだが、真剣な表情で患者を診ていくミアハを見るに、何の問題も無さそうである。

 

 女神のセクハラと男神の医療行為、比べるまでも無くミアハの勝利である。

 

「……ロキ、この子はまだファルナを与えていないな?」

「せやで、ある程度健康状態が安定してからあげるつもりや」

「ふむ」

 

 医療行為を終え、ミアハは立ち上りカエデから距離をとるとロキを見据える。

 

「ファルナ無しなら一年はもたないな」

「まぁ、せやろな」

「正確に言えと言うなら、このまま体調を回復させても一年はもたない、せいぜいが九ヵ月、どれだけ頑張っても十ヵ月は無理だ」

 

 医神なだけはあり、患者が目の前にいるのならどんな状態でも正確に言い当ててみせる事ができる。

 

 本来なら神としての能力の一部ともいえる備わった医神の目を使う事をミアハは良しとしないが、今回に限ってはロキが土下座を披露してでも頼み込んだのだ。頭を床に擦り付け、本気で頭を下げた。

 故にミアハは今回、カエデ・ハバリの診断に限り神としてのアルカナムを使わない範囲での医神としての力を使ってカエデを診ている。

 

 故にミアハの言葉はほぼ絶対だろう。

 

「んで、ファルナあげたらどんなもんなん?」

「一年と半年」

「あー」

 

 短い。 いや、レベル1としてのファルナならそれが限界だろう。

 

「短いなー」

「そうだな、それ以上はどうにもならない」

「薬でぱーっとなったりせえへん?」

「無理だ、ロキの豊胸と同じぐらいに無理だ」

 

 豊胸、そう言えば過去幾度か豊胸の薬を求めてディアンケヒトやミアハと言った医神を片っ端から訪ねた事もあった気がする。端的に言えば無理だった。

 

「そっか」

「この子の状態だが、まず筋肉や骨に異常はない。神経系も同じく」

「まぁ、そこはわかるわ、内臓系があかんのやろ?」

 

 剣を振り回す筋力や骨格は十二分に備わっている。それでありながらに寿命が短い理由は内臓に異常があるのだろう。

 

「消化器官関係が衰弱し始めている。とはいえ後数か月は普通に食事もとれるだろう。それ以降は消化に良いモノでないとまともに消化もできないはずだ」

「ふむふむ、そこら辺はなんとかなるわ」

「それと血が大分濁っているな、腎臓機能の低下も見受けられる」

「どんぐらい不味いん?」

「直ぐにでも治療を始めないといけないぐらいだ」

「マジか、そりゃ不味いな」

「腎臓機能に関しては薬を処方しよう、ある程度改善できるはずだ」

「そしたら寿命伸びるか?」

「いや、腎臓機能の改善をした上で一年と半年だ」

 

 医神として最善を尽くした上で出された答えだと言われれば、ロキは黙るしかない。

 医神と同等の知識は持ち合わせてはいないがミアハの言う事が正しいと言うのもちゃんと理解できるだけの頭はある。

 

「せやったら一つ質問なんやけどええか?」

「ああ、構わない」

 

「一日にどんぐらいまでならダンジョンに潜っとれるん?」

 

 ロキの質問に、ミアハは一瞬動きを止め、それから笑みを引っ込めてロキを睨む。

 

 滅多に見ぬ優男神の凄みの利いた睨みにロキは表情を消した。

 

「それは()()()()意味だ?」

 

 優しさを感じさせる声を発していたその口から放たれた言葉は敵意すら生ぬるい殺気の含まれた声

 

「あー……ちょいミアハ、落着き」

()()()()()()()()()()だと? 何を冗談を言っている」

 

 神ミアハの珍しい一面を見た、これが普段、何げない日常で見た光景ならロキはこの事を周りの神に言い触らすだろう。

 『超レアな神ミアハの激おこぷんぷん丸』等とふざける所であるが、今はそんな気は起きない。

 

「いや、冗談や無いで?」

「何?」

「ランクアップするまで手伝う気や」

 

 ロキの言葉にミアハは完全に表情を消し、ロキを睨みもせずに目を瞑り俯いた。

 

「ロキ、悪い事は言わない、この子を今すぐ慈悲の神の元へ連れていくのだ」

「……そっちこそ冗談や無いで、もうウチの子や、他の神にやるとかありえへんわ」

 

 ロキに目を合わせる事無く呟く様に放たれた言葉に、ロキは神威を微弱に放ちながらミアハを睨む。

 

 神相手に神の神威等微塵も効力は無いが、相手にどれだけ本気なのかを伝えると言う意味においては有効だ。

 

 ミアハはゆっくりと顔をあげ、ロキを見据える。

 

「先程、私が伝えた残りの寿命、一年半と言う診断結果についてだが」

「……?」

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()寿()()()

 

 

 ミアハの言葉にロキは放っていた神威を全て散らして目を見開く。

 

「あー……あ、マジなん? ソレ」

「私が嘘を吐くと?」

「いや、ミアハが嘘吐くんは無いわなあ」

 

 神ミアハは殆ど嘘を吐かない。眷属の体調の事に於いては絶対にと言い切れるぐらいに、神ミアハは嘘を吐かない。

 

「……ちなみに、ダンジョンに潜るとして、寿命てどんなもんなん?」

 

 恐る恐る口にすればミアハは顎に手を当てて考える。

 

 神であれば一瞬で出せる答えを、顎に手を当てて考える等の無駄な動作を入れるのは幾度も考え直すからだろう。

 

 今回で言えば最も長くダンジョンに潜り、最も長く生きられる可能性を見出そうとしているのだ

 

「……ダンジョンに一日八時間、午前九時からダンジョンに潜り午後十七時にダンジョンを出る。ダンジョンに一日潜ったら二日の休息を設ける。これで……半年」

「嘘やん、一年半あるんやろ? もう少しいけへん?」

「無理だ、どう足掻こうが七ヵ月目に入る直前頃から消化器官が機能を著しく落とし始めて一週間程で動けなくなるほどに衰弱する、衰弱が始まれば一か月ももつまい」

 

 うそやん?

 

「いやー……あー」

「ロキ、本気でランクアップを目指すのか?」

 

 一年、オラリオで記録されている過去最短記録、【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタインが誇る過去最短記録は一年だ

 

 カエデ・ハバリの場合、その半分の期間でランクアップしなければ死ぬ。

 ランクアップの為に努力しなければ、一年半は生きていられる。

 

 ロキは頭を抱えたくなり、ミアハの顔を見てからすっと視線をカエデの方へと向け

 

 

 濁った赤い目と視線が交差した。

 

 

 

 

 

 真っ暗な道を走る

 終わり(ゴール)は見えぬのに終わり(時間切れ)は直ぐ真後ろにある

 

 心の何処かに居る座り込んで膝を抱えた自分が呟く

「もうやめちゃえ(死んじゃえ)」って

 

 心の何処かで鎖に繋がれて暴れる自分が吼える

まだ足りない(生きていたい)」って

 

 赤い髪の神様が、道の先に立っていた

 終わり(ゴール)ではないけれど少しの休息を

 

 座る自分が呟く「もういいよ」って

 暴れる自分が叫ぶ「はやくしろ」って

 

 疲れ果てたワタシは呟く「もう少しだから」と

 

 

 

 

 両膝を地につけ崇めなくてはならないと思う様な威圧感が全身を襲ってきた。

 唐突に意識が覚醒し、慌てて飛び起きて威圧感の正体に目を向ける。

 

 ロキだ

 

 ビックリした。

 

 それ以上に未だに放たれるその威圧感がびりびりと全身を打ちつけてくる

 

 口を開く事も出来ず、ただロキを見ていた。

 

「……そっちこそ冗談や無いで、もうウチの子や、他の神にやるとかありえへんわ」

 

 ロキは自分ではない誰かを見ていた、それに気付いて震える体を叱咤してロキの視線の先の人物を見る。

 

 長身の、無表情の男の人、ロキと同じ神様の匂いがする男神。

 

 誰だろう?

 

「先程、私が伝えた残りの寿命、一年半と言う診断結果についてだが」

 

 知らない男神様の無表情に放たれた「寿()()」と言う単語が頭に引っかかる。

 

 誰の?

 

 うまく思考が回らない、ロキから放たれる威圧で今すぐにでもベッドから床に転げ落ちて跪かなくてはと心ではなく体がそう言っている。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()寿()()()

 

 ロキの威圧が消え去った。

 

 びりびりと体を縛る感覚は、威圧が消えた後にも体を縛り続ける。

 

「……ちなみに、ダンジョンに潜るとして、寿命てどんなもんなん?」

 

 よく分らないが、手早くランクアップを果たすのであれば、ダンジョンに潜るのが早いと言うのが世界での共通の認識だと言うのは頭の中に浮かんだ。

 

 それと寿命? 何の話だろうか? 一年半?

 

「……ダンジョンに一日八時間、午前九時からダンジョンに潜り午後五時にダンジョンを出る。ダンジョンに一日潜ったら二日の休息を設ける」

 

 【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタイン

 

 【ロキ・ファミリア】が誇るレベル4の冒険者

 

 過去最短記録を保持する冒険者

 

 過去最短記録、それは

 

「これで……半年」

 

 一年、だったはずだ

 

 

 ベッドの上で寿命は一年半

 

 ダンジョンに潜ったら半年

 

 ワタシの目的、死ぬ前にランクアップを果たし寿命を延ばす事

 

 過去最短記録一年、ダンジョンに半日以上潜り続けていた

 

 ワタシの寿命半年、ダンジョンに一日八時間

 

 過去最短記録一年、下手をすれば二日三日帰ってこない事もあった

 

 ワタシの寿命半年、ダンジョンに九時に入り、十七時には引き揚げる

 

 過去最短記録一年、一週間の内に六日もダンジョンに潜る事もあった

 

 ワタシの寿命半年、一日ダンジョンに潜ったら二日休みを設ける

 

 そんなの……

 

「ロキ、本気でランクアップを目指すのか?」

「…………」

 

 ロキと目があった

 

「カエデたん……目覚めて……あーウチの神威のせいか、ごめんなー」

「む……今の話を聞いていたのか……」

「ロキ様」

 

 驚いた顔のロキと、真剣な目をした男神

 姿勢を正し、ベッドに腰掛ける。立とうとしたが腰が抜けているのか立てなかった。

 

「カエデたん、今の話「ウチの子やの辺りから聞いてました」あー」

「半年、それがワタシの、ワタシがダンジョンに潜れる期間なのでしょうか?」

「せやで」

 

 ロキはカエデを見据える。

 嘘はつかない、目を逸らさない、それはロキなりに真摯に答える姿勢だ。

 男神は空気を読んだのか部屋の隅に移動した。

 ロキは腰掛けたカエデに視線を合わせてカエデの両肩に手を置いた。

 

「ワタシは」

「どっちでもええで、ウチはカエデたんの選択に任せるわ。どんな選択してもカエデたんの力になるで」

 

 半年でランクアップ、一日八時間、一日につき二日の休息

 

「……ワタシは」

 

 一年でランクアップした【剣姫】の話はロキから聞いた。

 参考にと、どれだけ頑張れば一年以内でいけるのかと

 無論才能も必要だと、だが自分には十分に才能はあるはずだから大丈夫だと

 

「…………」

 

 もし、一年あるのなら、もし一年と少しでも時間があるのなら

 

 ランクアップして見せよう

 

 でも……半年ではきっと無理だ、出来っこない。

 

「ワタシは」

 

 成し遂げられない

 

「ダンジョンに潜ります」

 

 そんなはず、ある訳がない。

 

 神ロキがカエデ・ハバリに授ける神の恩恵(ファルナ)は神が人の子に授ける神の奇跡だ、奇跡であるのなら、どれだけ可能性が低くとも、なんとかなる。

 

 師は言っていた

 

『奇跡を起こすのは何時だって神ではなく人の子だ、神が人の子に与えるモノはあくまで()()()()であり、それを芽吹かせ、大輪の花を咲かせるのは人の子だ』 

 

 それにどれだけ難しくとも()()()死ぬ(諦める)理由になりはしない

 

 ワタシは言ったはずだ。

 

『ワタシは絶対に死なない(諦めない)、全身全霊を賭けて生きる(足掻くのだ)

 

()()()()()()()()()()()()()()

 

 胸に手を当てる、心臓は焦りと困惑で早鐘を打っている。

 

 でも、その早鐘は止まっていない、生きているのだ

 

「ダンジョンに潜ります。まだ心の臓は動いている。なら死ぬ(諦める)理由はありません」

 

 例え、どんな理由があろうが死んで(諦めて)良い理由等無いのだから。

 

 

 

 

 力強く断言してみせたカエデを見て、ロキは頷く。

 

「全力でサポートするわ」

 

 それからロキは後ろを振り返り壁際に立つミアハを見た。

 

「そういうわけや」

「わかってる、他の神に話したりはしない」

「頼むで」

「何か出来る事があれば手を貸そう。とりあえずは薬を用意する」

 

 ミアハは神妙に頷く。

 

「ミアハは悪いけどフィンと客間に戻っててな。報酬の話は後でな、ウチはちょいとカエデたんとおるわ」

「あぁ」

 

 

 

 

 

「うし、カエデたん、起こしてごめんなー、とりあえず今はゆっくり眠りいや」

 

 ロキはカエデをベッドに寝かせて優しく髪を梳く。

 

「ロキ様……ワタシは」

「ええて、起きてからで」

「……はい」

 

 元々、疲労で深い眠りについていた所を神威で強引に叩き起されていたカエデは間も無く眠りに落ちる。

 本来なら語りたい言葉は数多くあるだろう、それでも体が休息を求めている。

 そんなカエデが再度眠りについたのを確認して、ロキはベッドから離れる。

 

「…………」

 

 部屋から出て、明かりを消す。

 

「おやすみカエデたん」

 

 



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『新人』

 鋼鉄の檻に断ち切られた月を見上げ、ただ願おう。

『あの子の行く末に、どうか幸おおからんことを』


 【ロキ・ファミリア】の食堂は、本拠の中で鍛錬所に次いで大きな面積を誇っている。

 理由は神ロキが皆で揃って食事をとりたいと我儘を言った為であるが、団員全員に対する連絡事項や新人挨拶の場としても使われる事が多い事もある為、趣味と実益が兼ねられている。

 

 そんな食堂には、現在【ロキ・ファミリア】の団員がほとんど集まっていた。

 

 夕食は館にいるメンバー全員で一緒に食べるというロキが定めた規則がある為だ。

 

 朝・昼はダンジョンに潜っている団員も多く、ダンジョンからの帰還が遅れる者も数人居ると言えば居るのだが……

 それに門番も必要だし、どうしても出席できない者も居る為、館の全員と言う訳ではないにしろほとんどの団員が集められる。

 

 集まった団員達は今日行われた入団試験の結果、入団が認められたと言う幼い少女の噂でざわめいていた。

 

 

「新しい子?」

 

 そんな中【ロキ・ファミリア】が誇るレベル1からレベル2への最短ランクアップ記録、1年を誇る【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタインは机に並べられた食事を前にして双子の件の噂話に首を傾げていた。

 

「そうそう、汚い子がね」

「ティオナ、言い方があるでしょ」

「でも本当に汚かったよね」

「……否定はしないけど」

 

 姉の【怒蛇(ヨルムガンド)】ティオネ・ヒリュテ

 妹の【大切断(アマゾン)】ティオナ・ヒリュテ

 二人はどうやら件の噂の幼い少女に既に会っていたらしい。

 

「それで?」

 

 二人に挟まれて、アイズは傾げていた首を戻し、口を開いた。

 

「さっきも言ったんだけどね、初めて見た時はびっくりだったんだよ」

「浮浪者みたいな恰好って言われてたんだけど、私たちのイメージを軽く超えてたしね」

「ねー」

 

 二人曰く

 凄く薄汚れた浮浪者みたいなウェアウルフの少女が入団したらしい。

 洗ってみれば生まれ変わったのではないかと言う程真っ白な少女だったそうな

 力強く何かを求めており、アイズみたいだったとの事

 

「その子の挨拶があるのかな?」

「そうじゃない? ファルナを授かるのはまだ先って話らしいけど」

「先? 何で?」

 

 入団が決まっているのにファルナを授けないとはおかしい。

 すぐにでもファルナを授けてランクアップの為にダンジョンに潜るのではないのか?

 

「あー、なんか目の下に隈とかあったし。オラリオまで一か月ぐらい歩いてきたって言ってたから一週間は療養だって」

「今日は顔合わせだけって聞いたわ」

「そうなんだ」

 

 アイズは朝早くからダンジョンに潜り夕食の直前に帰ってきた為、昼間に行われた入団試験には完全に不干渉だった。

 

 アイズは目的の為に自分が強くなる事を第一に考えている。

 入団試験に興味はあるものの、入団試験に不干渉で自身の強さを磨く事を優先していた。

 

 其の為、アイズは二人の話を聞いて今回の入団試験に合格者が居る事をようやく知ったのだ。

 

「あ、ロキだ」

「あの子も居るみたいね」

 

 そんな風に話していると大きな音を立てて扉を開けたロキが団長と副団長を連れて食堂に入ってくる。

 

「おーみんな集まっとるなー。待たせてごめんなー」

 

 ロキが大手を振って歩いており、フィンとリヴェリア、ガレスも歩いているロキに続き、そのすぐ後ろに真っ白髪の幼いウェアウルフがちょこちょことついて歩いているのを見た団員が静まりかえった。

 

 服装は、どこかで見覚えのあるワンピース姿でアイズはどこで見たかを思い出そうとじっと見つめる。

 

「あの服、アイズのお古じゃない?」

「リヴェリアが用意したんじゃないかしら?」

「あ、そうか」

 

 ぽんと手を打ったアイズは疑問が解消されて満足げである。

 ティオナとティオネは肩を竦め、皆の前に立ったロキを見る。

 

「うし、もうみんな噂しとるから知っとるかもしらんけど、今日新しい子が入団する事になったで。フィンから紹介するからちょい静かにしてな」

 

 にこにこと、新しい眷属が増えた事を喜ぶロキから視線を外しアイズは自分に似ていると言われた件の少女を見る。

 

 血の様な真っ赤な目に、真っ白な髪

 目の下に薄らと見える隈

 

 アイズは疑問を覚え首を傾げた。

 

 どう見ても、どう評価してもアイズの目に困惑した様子にしか見えないのだ。

 脅えているのか尻尾は丸くなっているし、おろおろとした雰囲気が隠しきれていない。

 

 アイズの様に強い意志を持っている様に見えずアイズはティオナの方を見た。

 

「沢山の人の前に立つの、初めてなんじゃない?」

「あー、なんか村出身って聞いたし、そうなんじゃない?」

「そっか」

 

 アイズは興味を失い、その少女から目を離してフィンを見た。

 

「ロキからも話があったと思うけれど、今日の入団試験を受けに来て、新たに僕たちの仲間に加わる事になったカエデ・ハバリだ。まだ幼くはあるけれど剣の才能は十二分にある子だ。諸事情あって一週間ほどの休養をとった後にファルナを授ける事になっているから一週間の間は本拠内でダンジョンの勉強なんかをする事になっているけれど、仲良くしてあげて欲しい」

「ほらカエデたん挨拶や」

 

 ロキがカエデの背を押して皆の前に立たせる。

 

 団員は特に騒いだりせずに静かに挨拶の言葉を待つ。

 

 緊張を解す為か幾度か深呼吸をしたカエデは震えながら口を開いた。

 

「……本日より、【ロキ・ファミリア】に入団しました。カエデ・ハバリと言います。……えっと……よろしくお願いします」

 

 小さい声の所為で前の方の団員にしか聞こえず、前の方の団員がぱらぱらと拍手をし始めたのを聞いた後ろの方の団員も拍手をする。

 

「カエデたん緊張しとるんか。可愛ええなあ」

 

 ロキは緊張したカエデに対し、カエデも緊張するのかと思ったものの、直ぐに察しがついた。

 

 常に師と共にあったため、一対一での会話は力強く真っ直ぐ受け答えができるが、複数の人に囲まれた事はないのだろう。

 小さな村出身とも言っていたし、なおかつ忌子と村人から避けられていればそうなるのも仕方が無い。

 

 ロキが後ろからカエデを抱きしめて頬ずりをしはじめ、カエデはされるがままであり。

 リヴェリアが溜息を吐きながらロキをどつく。

 その様子に苦笑を浮かべたフィンは、ロキを促す。

 

「まあ、緊張するのも仕方が無い。カエデは小さな村出身で人前に出る事も少なかったそうだからね。それじゃあ夕食にしようか。ロキ」

「オッケーやで。あ、カエデたんの席はそこなー」

「はい」

 

 ロキに示された席、ロキとリヴェリアの間の席にカエデが据わり、ロキが酒を手にとった。

 

「んじゃ皆、今日も一日お疲れさんやで。明日もがんばる為にガッツリ飲み食いするんやでー」

 

 ロキの音頭を合図に、皆が思い思いに食事をとっていく。

 

 その様子に満足げに頷いたロキは、隣に座るカエデを見る。

 

 

 

 

 

 こんなに大勢の人の前に立ち、注目されたのは初めてだった。

 

 ワタシの住んでいた村は、せいぜいが80人そこそこの村だったし、村の祭りを除けば殆ど人が集まる事なんて無かった。カエデは普段は村から離れて森でモンスター退治や狩り。森の野草や果実等の採取かひらけた場所で師と共に鍛錬をしているだけだった。

 

 ワタシが唯一、まともに会話ができたのは師と、行商人の人。

 後は村長。普段から避ける様な仕草をしていた村長と目を合わせた事は村を出る最後の時だけだったが。 

 

 そんな事を考えながら見た事も無い良い匂いのする料理に目を奪われ、どれから手を付けていいかわからず、とりあえずパンを手に取って、その柔らかさに驚いた。

 

「!」

 

 凄く柔らかい。

 

 普段、師と共に食べていたパンは固く、そのまま噛みつけば歯が折れるのではないかと言う固さだった。

 スープか何かに浸して柔らかくしないとまともに食べれなかったそれとは比べ物にならない。

 

 と言うかこれまで食べていたパンはパンだったのだろうか? 同じ名称の別物なんじゃ……

 

「カエデたん、どしたん?」

 

 パンをもふもふとしていたカエデを見たロキが声をかけ、カエデはそのパンをロキに見せる。

 

「ロキたんさま! このパン柔らかいです!」

「パンって普通こんなんやない?」

「ワタシが食べていたのは歯が折れそうなぐらい固いパンでした」

「なんやそれ……」

 

 何やら興奮した様子のカエデにロキは首を傾げ、フィンがくすくすと笑う。

 

「カエデ、君が普段食べていたのはライ麦パンじゃないかな。これは小麦のパンだから」

「……??」

 

 パンを片手に疑問符を浮かべるカエデを見て、ロキも笑う。

 

「とりあえず食べてみたらどうや?」

「……っ!」

 

 ロキに促され、パンに齧りつけば、驚きに目を見開いて直ぐにパンに貪りつく。

 

 尻尾が盛大に振られ、スカートが捲れている。ロキはニヤニヤとその様子を眺めていた。

 それに気が付いたリヴェリアがそれとなくカエデに注意しようとし、ロキが全身全霊を賭けて阻止せんとリヴェリアに組み付こうとするも、回避された揚句縄で椅子に縛られてしまう。

 

「リヴェリアあかんでアカン、それはアカン!!」

「カエデ、スカートが捲れている、少し落ち着け」

「リヴェリアあああああああ!!」

 

 こくこくと頷き、カエデの尻尾がさっと下げられ、リヴェリアがスカートを直す。

 それでもカエデはパンを食べる手を止めない。大きめのパンを小さな口で懸命に食べているのでがつがつ食べているのだが全然減っている様に見えない。

 

「なんでや! 今みたいなトラブルがええんやろ!!」

「ロキ、黙れ」

「母さんなんでや!」

「誰が母だっ!」

 

 ロキの嘆きの声を無視してリヴェリアが席に戻り、ロキが縄に縛られたままもがく。

 

「ちょっ、ほどいてーな」

「知らん」

「そんなー」

 

 そんなやり取りをしている横で、カエデはパンに無我夢中である。

 

「むぐむぐ」

「慌てて食べて喉に詰まらせない様にね」

 

 フィンに言われ、頷きながらもカエデはパンを食べるのをやめない。

 

 そんなやり取りを見ていた団員がくすくすと笑っているのが見えフィンは視線をそちらに向ける。

 小馬鹿にしている、と言うよりは微笑ましい物を見たと言った感じである。

 

 小さな村から出てきたカエデの様な子は、普段口にしている食べ物とのギャップから微笑ましい反応を示すが、正にカエデの反応がそれであり、団員達も微笑ましい様子に微笑んでいる。

 

 それから、食堂の隅に座っているウェアウルフの少年がじっとカエデの方を見ているのに気付いたフィンは、その少年をじーっと見つめてみる。

 

 数秒して気付いたのか、ウェアウルフの少年、ベートはフィンを睨み自らの食事に手を付け始めた。

 食事をしながらもちらちらとカエデの事を盗み見ているベートを見たフィンはそれとなくロキにソレを伝える。

 

「ロキ、あそこのベートが面白い事をしているよ」

「なんやて! ……ホンマやな、カエデたんの事めっちゃ意識しとるやん。今近づいて声かけたらめっちゃツンツンするんやないか? あ、それと縄解いてくれへん?」

「ごめんロキ、僕は食事に忙しくてね」

「嘘や!」

「あはは」

 

 笑いながらも一応縄の結び目に手をかけ、フィンは一瞬で白旗を上げた。

 

「ごめん、僕じゃ解くのは無理だね」

「……流石リヴェリアの拘束術やでぇ……って、普通に縄ちぎればえぇやん」

「いやーごめんね」

 

 ワザとらしく、パルゥムの幼い容姿を最大限に生かして媚びる様に小首を傾げて謝罪したフィンに、ロキが椅子を軋ませて抗議する。

 

「嘘吐きや! ウチの団長が嘘ついとる!!」

「人聞きの悪い事を言わないで欲しいよ」

「何を騒いどるロキ」

 

 ロキとフィンが騒いでいると、ガレスが酒杯片手に話しかけてきた。

 

「ガレス! 縄解いてぇな!」

「……何をしとるんじゃまったく」

 

 縄に手をかけ、ブチリと縄を引きちぎったガレスはロキの酒瓶をとり自らの酒杯に酒を注ぐ。

 

「ちょっ! 一日一本だけてリヴェリアに言われとる酒をとるなや!」

「これは正当な報酬だろう?」

「ぐぬぬ」

 

 一日一本、リヴェリアがロキに定めた飲酒に関するルールだ。

 夕食時に呑みまくって次の日の朝に二日酔いで呻き、夕食時にまた飲みまくってと言うのを繰り返しているのを見たリヴェリアが定めたルールであり、守らなかった場合はリヴェリアの説教が待っている。

 

 無論、隠れてこそこそ飲んだりしているので守られてはいないルールではあるのだが……

 

 リヴェリアの説教? むしろご褒美です。

 

 そのリヴェリアはカエデがパン以外の食べ物に興味を示し、大げさにも見える様な可愛らしい反応に一つ一つ丁重にどういった料理なのかを教えながら微笑んでいる。

 

「カエデたんをリヴェリアたんにとられてしもうた」

「まあ、セクハラするロキより優しいリヴェリアの方がね」

「そうじゃのう」

 

 項垂れたロキは一瞬で気持ちを切り替えると、立ち上がる。

 

「うっしゃ、ベートからかいに行ってくるわ」

「行ってらっしゃい、と言いたいけど、もうティオネ達に絡まれてるみたいだよ?」

 

 フィンの指差す先で、ベートがアマゾネスの姉妹に挟まれぎゃーぎゃーと喚いているのが見えた。

 

「ん? マジか、ウチも混ざってこよ」

 

 眷属をからかう為にベートの元に向かったロキは、途中ですれ違う女団員にセクハラを噛ましてお礼のビンタを貰ったり、男団員の席のお酒をちょろまかして文句を言われたりしている。

 

 

 

 

 

「うっせえぞバカゾネス共」

「あー、またバカっていった!」

「あんた、いい加減バカって言うのやめなさいよ」

 

 昼間見た浮浪者と見紛うカエデ・ハバリと、汚れを落とし綺麗さっぱりしたカエデ・ハバリのギャップに、ベートがカエデを何度も見ていたら、アマゾネスの姉妹がそれに気付いて近づいてきたのだ。

 はっきり言ってうざい。

 

「だからテメェらには関係ねえだろうが!」

「でも昼間にカエデちゃんに声かけたんでしょ?」

「……ベートってロリコンだったのね、アイズ、気をつけなきゃダメよ」

「そうなんですか? ベートさん」

「ちっげえっつってんだろぉがああああああああああああ」

 

 ぎゃーぎゃーとやかましく騒ぎ立てるベートと、そのベートを挟み両サイドからベートを挑発するアマゾネスの姉妹。そしてそれを見守るアイズ。

 周りの団員もこっそりベートを見てはくすくすと笑ったりしている。

 

「だ・ま・れっ! 俺はロリコンじゃねえっつってんだろ!!」

「へえ、じゃあなんでカエデちゃんをちら見してたの? 惚れた?」

「惚れた? じゃあロリコンじゃない」

「ち・が・う!!」

 

 そろそろ喉が枯れるのではないかとなった辺りでようやく二人はベートから少し距離をとった。

 

「それで? ベートはカエデを見てどう思ったのよ」

「お風呂でロキと話してる時のカエデは凄くアイズっぽかったけど、ベートは()()()()()()()見たんでしょ?」

 

 ()()()()()()()

 

 カエデ・ハバリがロキに向かって吼えたあの事だ。

 

 団員の中には同じようにカエデ・ハバリの言葉を聞いていた者も居たらしく、カエデ・ハバリは凄い子だと言う噂が広まっているのだ。

 

 故にロキとリヴェリアに挟まれ食事に無我夢中になっているカエデに話しかけに行こうと言うものが居ない。

 

「私、カエデちゃんの言葉聞いてないからさ、ほら、なんて言ってたのか気になるじゃん?」

「私も気になるわ」

「……私も、気になります」

 

 ティオナ、ティオネ、アイズの三人に詰め寄られ、ベートは面倒臭そうな顔を隠しもしない。

 

「知りたきゃロキに聞け」

「ウチを呼んだか? ベート」

「うげっ」

 

 口は災いの元

 

 ロキの名を出した所為でロキが召喚されてしまった様だ。

 

「んで、何が聞きたいん? カエデたんのスリーサイズか? んなもんウチだけの秘密や誰にも教える訳ないやろ」

「違う違う、今日の昼の入団試験の時、カエデがなんかロキに叫んだって」

「なんか凄い啖呵を切ったって聞いたわ」

「あー、昼間のか、ベート聞いてたやろ。教えたってもええんちゃう?」

「うっせえ」

「なんや、そんな事言う口はこの口かー」

「ひゃへほっ!!」

 

 ロキに頬を引っ張られ、ベートはロキを睨むが、ロキは知った事かと笑いながらベートの頬を引っ張る。

 

「このこのー」

「ねえロキ、ベートで遊ぶのも良いけどカエデの言ってた事教えてよー」

「まぁしゃあないなあ」

 

 ようやくベートが解放され、ロキはアイズの方へと身を寄せアイズの胸に手を伸ばす。

 

「んじゃ一揉まさせてくれたら教えたるで」

「…………」

 

 がしりとアイズがロキの手を掴んだ後、思いっきり捻る。

 

「いたたたたっ!?」

「変な事したら折ります」

「わかった、わかったから離してえなアイズたんっ!」

 

 アイズが手を離すと、ロキは大人しくアイズの横に座る。

 それを見てティオネとティオナも座り、ベートはようやく普通に食事にありつけるとスープに手を伸ばした。

 

「まずウチが最初カエデたん見た時は一瞬でこらアカン子やなーって思ったで」

「見た目があんなんだったしね」

 

 ロキの言葉にティオナが納得し頷き、唯一その浮浪者スタイルを見ていないアイズだけが首を傾げる。

 

「目ぇ見て確信したんよ。慈悲の女神んとこ連れてくんが良い子やって」

「慈悲の女神……って事は……」

「せや、寿命が近い子やね」

「でもまだ幼いのに」

「……中にはそういう子も居るんよ」

 

 ロキは優しく微笑みながらこっそりとティオネの胸に手を伸ばそうとして止める。

 

「惜しかったわね、少しでも触ってたら刺してたわ」

「こっわ、胸に手を伸ばしたらナイフ向けられたわ、ちょーこわい」

 

 胸に触れる直前の手に、ティオネが愛用しているナイフの切っ先が向けられていた。

 あと少しで刺さるのではないかと言うぎりぎりのラインである。

 

「団長以外にそんな事されたら普通するわよ。ねえアイズ」

「流石に刺したりはしません……多分」

「多分!?」

 

「続きはどうしたんだよ」

「なんやベート気になるん?」

「…………」

 

 ベートはカエデ・ハバリがフィンと戦う様子をずっと見ていたわけではない。

 姿を見てダメな奴だと判断して興味を失い、鍛錬に戻っていたのだ。

 故に見逃してしまった部分もありそこが気になって盗み聞きしていた。

 

 ここで気にならないと言えば嘘になり、ロキがベートをからかうネタを与えるだけである。

 故にベートは口を閉ざした。

 

「沈黙は是なり言うんやけどな……まあええわ」

 

 周りの団員もひそかにロキの話に耳を傾けていて続きが気になる様子だった為、ロキはふざけるのをやめて真面目に説明を始めた。



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『剣姫(アイズ・ヴァレンシュタイン)』

 もう師は助けてくれない。

『ワシの助けに頼るな。常に傍に居るとは限らんからな。ん? どうした? そんな泣きそうな顔をするな。傍に居ったのならこの身を盾にしてでも助けるに決まっておろう』

 師は()()()()()()()のだから。


 オラリオの準一級(レベル4)冒険者【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタインの朝は早い。

 

 ダンジョンに潜る前に体を温める意味も兼ねて朝食の前に【ロキ・ファミリア】の敷地内に存在する鍛錬所で鍛錬を行うのは毎日の日課であり、朝早く剣を振るう為に鍛錬所に出向くのだ。

 アイズがいつも通りに身支度を整え、愛用の片手剣を持って鍛錬所に向かっていた所、鍛錬所に人の気配がある事に気が付き、アイズは首を傾げる。

 

 ベートさんでも居るのだろうか?

 

 時折、アイズと同じ準一級(レベル4)冒険者の【凶狼(ヴァナルガンド)】ベート・ローガと言うウェアウルフの少年がアイズよりも早く鍛錬所を利用して居る事がある。

 鍛錬所の使用は団員であれば誰しも認められており、レベルや入団歴関係なく早いモノ勝ちと言う冒険者流儀の(わかりやすい)ルールの元で使用されている。

 

 アイズ・ヴァレンシュタインにとって、ベート・ローガと言う人物は苦手な人物に分類されていた。

 

 ウェアウルフ特有の鼻に掛けたような態度もあるし、口の悪さも相まって暴力的な印象を受ける部分がアイズにとって苦手とする部分だ。

 

 一応、照れ隠しが口の悪さに繋がって……口の悪さは元からだが、照れ隠しがやや過激な発言に繋がっているだけであり非常に仲間想いの男である事はアイズも知っている。

 

 それでも苦手と言う印象を拭いきる事が出来ない相手でもあるのだ。

 

 鍛錬所に続く扉の近くまで来たところで、アイズは足を止めた。

 

「ベートさん?」

「……アイズか」

 

 鍛錬所に続く扉の前にベート・ローガが立っており、少し開いた扉の隙間から向こうを見ていた。

 

「何をしているんですか?」

「……テメェには関係ねえだろ」

 

 ベートはそれだけ言うと、そのまま早足で何処かに行ってしまった。

 

「……?」

 

 よく分らないベートの行動に首を傾げてから、鍛錬所の中の気配を探る。

 鍛錬所に人の気配がある。

 

 でもベートさんじゃなかった。じゃあ誰が鍛錬所に居るんだろう?

 

 アイズはベートが少し開けていた扉の隙間から、鍛錬所の様子を見てみる事にした。

 

「……カエデ?」

 

 広い土がむき出しの場所に弓の練習用の的が隅に置いてあり、打ち込み用の人形もある。

 そんな鍛錬所の中央で真っ白いウェアウルフの幼い少女がボロボロの剣を振るっていた。

 

 ゆっくりとした動作で、型を確認するかのように振るわれているソレにアイズは見惚れた。

 

 それなりに剣を振るってきたアイズからしても美しいと言える剣舞の様に振るわれる剣

 真っ白い尻尾も使いバランスをとり、獣人特有の体の柔軟性や筋力を最大限に使用した剣舞

 

 ウェアウルフと言えばベートが思い浮かぶが、ベートの荒々しい足技も含めた武術とは全く違う。

 

 ちらりと見えた目はただひたすらに真剣に何かを見据えており、力強く何かを求めるその姿。自己紹介の場で見たカエデ・ハバリの緊張した印象を全て塗り替えるのに十分だった。

 

 『アイズに似てたよ』

 

 ティオナ・ヒリュテが言っていた印象を昨日は感じられなかったが、剣を振るう今のカエデはアイズに近いモノがある。

 

 何か目的を持って剣を振るっている。

 

 カエデ・ハバリが入団試験の際にロキに放った言葉について、昨日の夕食の際にロキから聞いていた。

『ワタシは絶対に死なない(諦めない)

『ワタシは生きる(足掻く)のだ』

 

 少ない命を伸ばす為

 

 理由を知り、アイズ自身が抱くモノとはまったく違うその理由に複雑な思いを抱いた。

 

 居なくなった両親を探す為、力を求めたアイズとは全く違う理由。

 

 カエデの両親は、カエデを捨てたそうだ。忌子と言われ生まれ落ちると同時に殺されそうになった子。

 カエデが師と呼ぶ『ヒヅチ・ハバリ』と言う親代わりの人に育てられ、その『ヒヅチ・ハバリ』と死別してなお、生きようとする姿勢を崩さないその姿はアイズとは全く違った。

 

「…………」

 

 ただ見惚れていたその剣技は、レベル4のアイズの目から見れば非常に遅い剣である。

 ファルナを貰っていない一般人であるカエデ・ハバリの剣舞は、レベル4のアイズ・ヴァレンシュタインの目には止まって見えるぐらいに遅いモノである。

 

 それでも、いや、むしろそれだからこそ

 

 剣舞の、剣閃の振るわれる先がアイズには手に取る様にわかるのだ。

 

 鋭い振り下しから、唐突に剣が跳ねあがり、鋭い弧を描き逆袈裟へと移行し、そのまま緩やかな円を描く様に剣先は真横に振るわれる。

 

 淀み無く行われるソレは、アイズの目からすればやはり遅い。だが美しい剣閃であると言える。

 

 レベル4の目から見ても一切淀み無く振るわれている。無理な体勢をとる事も無く無駄な筋力を使う事も無い。

 

 そんな剣舞は唐突にピタリと止まり、終わった。 

 

 剣舞を終えたカエデは、剣を鞘に納め、軽く深呼吸をして呼吸を整えている。

 

 アイズは自分も朝の鍛錬の為に来たのを思い出し扉を開けて鍛錬所へと入った。

 

 

 

 

 

 カエデ・ハバリの朝は早い。

 

 目覚めてすぐに、神ミアハが用意してくれたと言う薬を飲む。

 体の異常をほんの少し良くしてくれる薬らしい。

 凄く苦い。匂いが無いのが唯一の救いである。

 

 部屋に備え付けられていた水差しは、なんといくらでも水が出てくる魔法の水差しだった。

 

 無限に、と言うわけでは無いようだが、ダンジョンでとれる魔石を使った水差しで、魔石が無くなるまで綺麗な水が出続けると言う素晴らしい道具だった。

 他にも光を放つ道具、火を出せる道具だけに飽きたらず、なんと洗濯も出来る道具もあるのだとか。

 

 朝食も用意があるらしく、自ら作る必要はないそうだ。

 

 夢のようである。

 

 朝、目を覚ましたら水瓶を確認し、水瓶の水が少なくなっていれば川まで水汲みに行かなければならなかったのに。

 村に井戸はあったが、村の井戸を使うと村人と顔をあわせてしまう。村人が良い顔をしないので川まで汲みに行っていた。水汲みが無くとも洗濯をする為に洗濯物と洗濯板を担いで川に向かう事もあった。

 一度で足りぬので幾度か往復して水瓶をいっぱいにしてから、床下収納に入れられた保存食の中で腐ったり腐る兆候が出ているモノを探してあるのならそれを取り出しておく。

 それから剣の手入れを行う。ここでようやくヒヅチが目を覚まし、カエデが取り出しておいた食材を使って朝食を作り始め、朝食が完成する頃にカエデが剣の手入れを終える。

 そしてヒヅチと共に朝食をとってからヒヅチが剣を腰に差し、師になって一日が始まる。

 

 昨日、非常に満足できる夕食をとった後、ロキと軽く話をしてからカエデは与えられた自室で早々と眠りについた。其の為か朝早く、何時もの如く日の出より少し前に目が覚めた。

 

 今まで行っていた用事をする必要が無いとくれば、カエデ・ハバリは朝から時間を持て余す。

 

 師を失って以降も寝起きに関してはしっかりとしていたカエデで、朝起きればいつも通りの作業を行っていた故に、今日も日の出前に目覚めたのだ。

 

 旅路のさ中は昼間は歩き、足が疲れれば適度に休み、時間を見て干し肉や乾燥野菜を齧り、水場で水を補給し、夜は早々と眠り、日の出の少し前に目を覚まして歩きだす。

 

 そんな生活だったが故に、目を覚ます時間だけは体が覚えていた。

 

 薬の入った箱を備付の机の上に置き、もう一杯だけ水を飲んでから、無造作に壁に立てかけられた『大鉈』が目に入る。

 

 

 今日から、ダンジョンに関する勉強を始めるので、朝食後にリヴェリアの所を訪ねる様にロキに言われていたが、朝食の時間はまだ先である。

 

 時間まで何をしようか考えながら、『大鉈』を手に取り、自分の服装を確認する。

 

 灰色のシャツに裾を畳み長さを調整してベルトで止めたズボン姿。

 

 リヴェリアが用意したワンピースのままで、スカートのせいでどうにも足回りに違和感がある上、動くと足にまとわりついて邪魔でどうにかならないかとリヴェリアに相談した所、男物で良ければシャツとズボンがあると言っていたので昨日の内に受け取っておいたのだ。

 

 動きやすい恰好であり、剣も手にある。

 

 鍛錬所と言うファミリアに所属する人ならだれでも利用可能な鍛錬を行う場所もある。

 

 ならば一か月ほどサボっていた鍛錬を行わなくてはと、カエデ・ハバリは部屋を後にした。

 

 

 薄暗い鍛錬所には誰もおらず、カエデは剣を抜き放ち構える。

 

 構えは全ての剣閃につながる基礎である。五行の構え。

 

 一つ、正眼の構え

 攻防共に隙が少ない構えで、ヒヅチが好む構え

 

 一つ、上段の構え

 攻撃を主眼に構えで、カエデが好む構え

 

 一つ、下段の構え

 防御を主眼に置いた構えで、カエデが苦手とする構え

 

 一つ、八相の構え

 一対複数を主眼に置いた構え、カエデが得意とする構え

 

 一つ、脇構え

 反撃を主眼に置いた構えで、ヒヅチが嫌う構え

 

 カエデは短期決戦を主眼に置いて戦おうとする、体力・筋力共に劣るカエデが師に打ち勝たんが為に編み出した戦術が上段の構えを使った先制攻撃だが、師には幾度となく怒られてきた。

 正眼の構え、もしくは下段の構えで相手の出方を窺い、他の構えに移行して討ち果たすのが基本であると教えられていたカエデは、主に正眼の構えで様子見、攻撃できそうなら上段の構えへ、難しい、もしくは無理と判断すれば下段の構えへと移行して隙を窺う。

 

 師が絶対にやるなと口を酸っぱくして言っていたのは初見での脇構えである。

 

『初見の相手に脇構えでの反撃を狙えば下手を打てば屍を晒しかねん』

 

 師の言葉を思い出しながら、幾度と構えを変えていく。

 

 正眼、上段、下段、八相、脇構え

 

 どれも場と相手によって素早く切り替えて戦うのが大事である。

 

 無構えなるモノがあるそうだが、それは正眼の構えに近いらしい。

 

 師曰く

『構えをとれば敵に手を読まれる。ソレを嫌い無構えを編み出す剣士は数多い。だが無構えとはつまり攻撃も防御もどちらを行うか相手に読ませないと言う意味において攻防安定している正眼の構えが最も近いと言える』

との事。

 

 よく分らないが、無構えと言うのは要するに正眼に見えない正眼の構えだと言う事なのだろう。

 さっぱりわからない。

 

 構えの確認が終われば次は剣を振るっていく。

 

 

 師がカエデに教えた剣は、止まらずに剣閃を描き続ける剣である。

 遠心力、重力、筋力、三つをうまくまとめ振るう事で筋力の少ないカエデでも大鉈の様な剣が振るえる。

 

 と言うよりは重心が切っ先に傾き切った剣は振るい始めこそ重いものの、一度速度が乗れば後は描く剣閃を意識して剣先を導いてやればすさまじい速度を持った一撃となる。

 

 それこそ、カエデの手をもってしてもオークの首を刎ね飛ばせる程の一撃が繰り出せるのだ。

 

 しかし、弱点も大きい。

 一度剣を振るい始めればいいが、受け止められると途端に不利になる。

 一度止められれば、もう一度勢いを乗せなければならないがそれが叶う事は少ない。

 

 故にカエデは一撃必殺、もしくは止まる事のない剣閃を意識して、鋭い斬り返し等の細々とした剣技を習得している。

 

 剣が受け止められたら、剣を受け止めた対象の上を這わせるように自らの剣を導き逸らす。

 逸らした先で斬り返しを行い剣閃を相手に叩き込む。

 

 カエデが基本とするそれらは、カエデが一切勢いを殺す事無く振るわれなければならない。

 

 カエデは自身の非力を理解している。幾度か、モンスター退治に同行した際に危機に陥る事があった。その度に師に救われた。師が助けてくれた。

 

『ワシの助けに頼るな。常に傍に居るとは限らんからな。ん? どうした? そんな泣きそうな顔をするな。傍に居ったのならこの身を盾にしてでも助けるに決まっておろう』

 

 もう、師は傍に居ないのだ。

 

 次に危機に陥った際には、師の助けは無い。覚悟しなくてはいけない。

 

 六ヶ月、それがワタシに残された時間だから。

 

 

 ふと気が付けば、一通りの振るいを終えており、慣れ親しんだ動きでカエデは剣を腰の鞘に戻した。

 

 跳ね上がる心臓の鼓動が響き、生の喜びを唄う。熱を帯び、火照る体が心地よい。

 こんな風に息を整えていると、何時もなら師がやってきて評価を下してくれるのだが……

 

 何時の間にやら薄暗かったはずの鍛錬所は朝靄と共に日の光が差し込み始めている。

 

 呼吸を整えていると、誰かの足音が聞こえた。

 

 慌てて足音の方へと振り返れば、それは師ではなく【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタインだった。

 

 美しい金髪を靡かせ、人形の様に整った容姿を持つ幼い少女。

 片手には片手剣を持ったその姿を見て、カエデは頭を下げた。

 

「おはようございます」

「……? おはよう」

 

 アイズはカエデが唐突に振り返ってアイズを見た途端に落胆の表情を浮かべた事に疑問を覚えつつも挨拶を返す。

 

 ベートさんが来る事を期待してたのかな?

 

 先程、ベート・ローガが密かにカエデを見ていたのを思い出し。

 同じウェアウルフとしてベートに憧れていたのかと考え、アイズは頭を振る。

 

「場所、借りるね」

「あ、どうぞ」

 

 ここは【ロキ・ファミリア】の団員なら誰しも利用可能な鍛錬場であるはずなのに、何故かカエデに許可をとるアイズ、アイズに許可を出すカエデ。

 ロキがカエデは一対一なら人見知りしないと判断したのはある意味で正解だが、ある意味で不正解であった。

 

 カエデ・ハバリは目的を持って人と対話するのであれば何処までも強い意志を持ち言葉を放てるが、そうでない場合は口下手になってしまう。

 

 カエデは鍛錬所の隅により、改めて『大鉈』を抜く。

 

 抜き放たれた剣を改めて近くで見たアイズはあまりの剣の酷さに眉を顰めた。

 

「その剣」

「え?」

 

 剣を構えたまま、カエデはアイズを振り返る。

 

「ボロボロ、新しい剣を買わないの?」

「明日、剣を買いに行く予定ですので、今日の所はこの剣を振るおうかと」

「鍛錬用の模擬剣は使わないの?」

 

 鍛錬所に隣接する倉庫には模擬剣が仕舞われている。

 それを使わないのかと問いかけられ、カエデは首を横に振る。

 

「ワタシの剣はコレですから」

「……そっか」

 

 納得し、アイズは自らの片手剣を抜き放つ。

 視線がそれたのを確認したカエデも剣を振るい始める。

 

 

 

 二人が剣を振るっている。

 

 片や準一級(レベル4)、失ったモノを取り戻す為に力を求める少女

 

 片や無所属(ファルナ無し)、持たざるモノを手にする為に力に手を伸ばす少女

 

 二人の鍛錬は、珍しく早く起きたロキが来るまで続いた。



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『百聞は一見に如かず』

 師の百の言葉よりも、一度の戦闘で得た物の方が多かった。

『百閒は一見に如かず、しかし一見のみは百聞にも劣る』

 でも、その百の言葉が無ければその戦闘で死んでいた。


 【ロキ・ファミリア】の副団長、【九魔姫(ナインヘル)】リヴェリア・リヨス・アールヴの私室にて、本を必死に読み耽っている幼いウェアウルフの少女。

 その背を見ながら部屋の主は手元の紙に視線を落とした。

 

「優秀だな……もう十階層までの知識を覚えきったのか……」

 

 幼いウェアウルフ、カエデ・ハバリが提出した答案用紙を見て、その解答の正答率が十割である事に驚愕しながらリヴェリアは吐息を零した。

 

 

 

 今朝、カエデ・ハバリが朝食をとった後にリヴェリアの部屋を訪ねてきた。

 

 事前にロキからカエデにダンジョンの知識の教育等を任されていたので、既に準備してあったダンジョンの基礎知識を詰め込んだ本をカエデに手渡し、一通り読んでみろと指示してから一時間程。

 

 その本には階層毎の構造、危険地帯、注意箇所、出現モンスター、モンスター毎の注意点等々ダンジョンに関する知識が詰め込まれている。

 『オラリオ』の運営と『ダンジョン』の管理を請け負う『ウラノス・ファミリア』通称『冒険者ギルド』と呼ばれる組織が作り上げ、新米冒険者に配布する『ダンジョンのすゝめ』と言う指南書があるが、ソレ等とは比べ物にならない程の情報量がびっしりと書き込まれている。

 

 『ダンジョンのすゝめ』と言う『ギルド』が発行している新米冒険者用の指南書に記載されているのは、出現モンスターの分布と、ダンジョンの構造、ダンジョンに対する推奨ステイタス、モンスターのレベル識別ぐらいでそれ以外の情報は記載されていない。

 

 元はもっと多数の情報が記載されていたが、本を破り捨てたり、火口として使う等、まともに読む新米冒険者が居なかった為、記載情報は必要最低限で「とりあえずこれだけは読め」とされたのだが……

 

 冒険者は腕っぷしに自信を持つ者が多い。無論、ファルナがあれば元の腕っ節等あろうが無かろうが関係ないが、それでも腕自慢が冒険者になる事が多い。

 それ以外に冒険者になるのは夢見る少年少女ばかりであり、特に夢見がちな少年らは情報を軽視する事が多い。

 ギルドの受付嬢達も口煩く注意するのだが、それでも情報を軽視する冒険者は数えきれない。

 

 新米から死者が絶えない理由でもあるのだが、現状では打つ手無しである。

 

 そんな冒険者志望者にありがちな夢追い穴に落ちると言う事が一切無いのがカエデ・ハバリである。

 

 冒険者を夢見て来たわけでは無く、延命の為にオラリオに訪れた少女は、焦りはあるだろうがそれでも情報を軽視する様な事は無かった。

 元の教育の結果なのだろう、知識の重要性を理解し、なおかつ知識の習熟に関して苦を覚えない性質も相まってリヴェリアの用意した『ダンジョンの基礎』と言う基礎を詰めに詰め込んだ本を隅から隅まで読み込もうとしている。

 

 ちなみに、アマゾネスの姉妹の姉は一瞬で投げ出し、妹の方は元から物語好きで本を読む事が多い故にいけるかと思えば、つまらないと投げた。

 剣姫と呼ばれる少女は、本を二、三頁捲ってからそっと机に本を置いて涙目でリヴェリアに「無理」と懇願し、凶狼と呼ばれる少年は斜め読みで最後まで読んだと豪語した後に、リヴェリアの試験で叩き落され計数十度の読み返しを余儀なくされた。

 

 そんな著者リヴェリアの『ダンジョンの基礎』を、必死に読んでいるカエデは、途中で投げ出す事も、そっと本を机に乗せる事も、斜め読みで読んだ振りをすることも無く、一頁、一頁を丁重に読み込んで覚えようとしている。

 

 試しにリヴェリアが三階層毎の情報を質問すると言う簡易試験を行った結果は全問正解。

 

 一回目の回答はアイズが七割、ティオネとティオナが四割、ベートが五割と悲惨だったのに対し、カエデは一問も間違えない所か、白紙を手渡しダンジョン階層移動の階段までの最短ルートを書けと指示を出せば、一階層から六階層までの詳細な、分岐路から何まですべてを丁重に書きあげて見せた。

 

 本を盗み見ていたのかとも思ったが、その時『ダンジョンの基礎』はリヴェリアの手の中にあったし、リヴェリアは本を開いてはいなかった。

 

 カエデの記憶力の高さにリヴェリアは意地悪な問題も含めた試験を一時間おきに行った所、四度目の試験で十階層の問題も複数交ぜて出題してみたが、カエデは問題なく全問正解してみせた。

 

 執念の成せる業と言うべきだろうか

 

 

 

 カエデに『ダンジョンの基礎』を手渡した際に、カエデは引き攣った笑みを浮かべてリヴェリアを見上げ、本に目を落としてから、もう一度リヴェリアを見上げた。

 

「これは……」

「ダンジョンの基礎だ、ダンジョンで必要な知識を全て詰め込んである。コレを覚えればダンジョンでの活動も少しは楽になるだろう」

 

 カエデはゆっくりと本を開き、その情報量に目を見開いた後、一度本を閉じてからリヴェリアを見上げて口を開いた。

 

「必要とあらば、全て覚えます」

 

 そう言うと、カエデは本をじっと読み始めた。

 

 

 

 

 

『百聞は一見に如かず、その通りじゃったじゃろう?』

 

 初めての、モンスター退治。

 

 カエデは現れたゴブリンの姿を見て怯んだ。

 

 幾度と無く師の言葉でゴブリンとは如何様なモノなのかを聞いていたのに、初めてその姿を視界に納めた瞬間、ワタシは恐怖で身を縮こまらせてしまった。恐怖等抱きようが無いと豪語する程に聞き及んだその姿に怯んだワタシを見た師はケラケラと笑いながらゴブリンを斬り捨てて、飛んできたねじれた矢を手で叩き落とす。

 

『ボサっとするな。 刃を抜き放て、百度の言葉より、一見し刃を交えよ、さすれば理解もできよう』

 

 ワタシは無我夢中で剣で相手を斬った。いや、殴った。

 

 刃を立てる等と言う考えも浮かばない程に、手元は狂い、相手に叩きつける様に剣を振るった。

 

 事が終わった後、師は言った。

 

『百聞は一見に如かず、けれども聞いておらなんだら、オヌシは此処で屍を晒しておったじゃろうな、知らぬより知っておった方が良いに決まっておる』

 

 師の言う通りだった。ゴブリンは一匹一匹はそんなに強くない。けれども数と言う強みを生かす戦いをする。知らぬ者は目の前の一匹に集中し、囲まれて殴られて死ぬ。

 

 剣の振りは無様の一言だったが、それでもワタシは常に囲まれぬ様に立ち回った。

 

 それのおかげか怪我らしい怪我は無かった。

 

 ゴブリンの特性を聞いていなければ数を減らす為に目の前の一匹を倒すのに必死になり、注意力散漫となり不意打ちで追い詰められていたか、幼く非力な自分はゴブリンにあっけなく殴り殺されていた事だろう。

 

『百聞は一見に如かず、しかし一見のみは百聞にも劣る……一見すればそれで良い等とほざいて、一見はしてもその場で死んでしまえば百聞にも劣る。気をつけよ』

 

 百でも、千でも、万でも知れる事があるなら知ろう。知らぬして死ぬ事程、無様な死に様は無い。

 

 

 

 

 弱音を吐くかとも思ったが、そんな事は無かった。

 

「全てを覚えるのは難しい、重要な点は二重線が引かれている。そこを覚えればいい」

「いえ、知っているのと知らないのでは全く違いますから、全てを覚えます」

 

 本から目を離さずにそう言ってのけ、なおかつ本当に全ての知識を吸収しようとしている姿に、リヴェリアは感心すると共に、心配させられる。

 

「今日はこの辺りにしよう。もうお昼だ」

「いえ、後少しだけ」

「もうやめろ。それに一日で詰め込んでも明日には忘れるだろう」

 

 アイズはマシだったが、ベートは覚えた事の三割を次の日に忘れ。ティオナとティオネに関しては半分近くを忘れていた。

 今日少し見た限り、知識の吸収と言う意味では凄まじいものの、明日に全てを忘れちゃいましたなんて事になれば洒落にならない。

 

「……わかりました」

 

 渋々と言った様子で本を閉じたカエデの頭を撫でてから、リヴェリアは立ち上がる。

 

「その本はお前にやろう。根を詰め込み過ぎるのは良くないから読み過ぎるなよ?」

 

 アイズやベート等、他にリヴェリアが面倒を見た団員には『捨てずにちゃんと読め』と注意していたのに、逆の注意をしなくてはいけないのは嬉しくあるが複雑な気分だ。

 

「わかりました」

 

 カエデは本を大事そうに抱え持つと、リヴェリアに頭を下げた。

 

「ありがとうございました」

「いや、構わない。それでは昼食に行くが、一緒に行くか?」

「先に部屋に本を置いてきても良いでしょうか?」

「ん? わかった。私も同行しよう」

 

 

 

 

 リヴェリアとカエデが並んでテーブルに着いたちょうどその時、ロキがフィンと一緒に歩いて食堂にやってきた。

 ロキは直ぐにリヴェリアとカエデに気付いて大きく手を振りながら二人に近づく。

 

「カエデたーん、調子はどうや? 元気か?」

「はい、ロキたん様」

「さまなんてつけへんでええて」

 

 毎度の如く、眷属との距離感を縮めようとするロキは嬉しそうににこにこしていた。

 いつも以上ににこにこ顔のロキを見て、リヴェリアが半眼でロキを睨む。

 

「何かあったのか?」

「なんで睨むねん」

 

 にこにこしていたら眷属に睨まれ、ロキは不満そうに口を尖らせる。

 

「そりゃロキが嬉しそうな時は碌な事が無いからね」

 

 リヴェリアの代わりにフィンが笑いながら答えながら、カエデの向かいの席に腰かけた。

 ロキはカエデの横に座る。

 

「……? お昼ご飯、食べないのですか?」

「お昼はもう済ませたんよー」

 

 カエデの質問にロキは笑いながら答えながらカエデの尻尾をさわさわし始める。

 カエデは少しびくりと反応してからロキを見て、それから首を傾げる。

 

「楽しいですか?」

「めっちゃ楽しいで!」

「……そうですか」

 

 神様が楽しんでいるのなら、眷属となる自分が口を挟む訳にはいかないだろう。とカエデは敏感な部分を触られる度に体を震わせるだけで、必死に耐える。

 それに気付いたリヴェリアが無言でロキの頭に拳骨を落とした。

 

「カエデ、気にせずに昼食を食べていて良いぞ」

「……ありがとうございます」

 

 小声でリヴェリアにお礼を言ってから、カエデは昼食を食べ始める。

 

「酷いやんリヴェリアたん」

 

 拳骨のあたった頭をさすりながらロキが口を開くがリヴェリアは一睨みだけして自分の食事に手を付ける。

 無視されたロキが唸るが、リヴェリアは無視。

 苦笑いを浮かべたフィンが何時の間にやら用意したお茶を飲みながら口を開いた。

 

「それで勉強はどんな感じなんだい?」

「ああ、十階層までの問題は全問正解した」

「それは凄いね」

 

 長年の付き合いでリヴェリアの作った『ダンジョンの基礎』の本について知っていたフィンは、それを読まされているカエデに同情していたが、リヴェリアの言葉でフィンは目を見開いて驚く。

 

 リヴェリアの勉強会の辛さはフィンも知っている。

 

 フィンも団長としてダンジョンの知識を完璧に覚える際にリヴェリアに協力して貰ったが、その時の事はできれば思い出したくも無い。

 

 フィンの前で昼食のスープが熱かったのか涙目で息を吹きかけて冷まそうとしているカエデを見てからロキを見る。

 

「それで? ロキは何で嬉しそうなんだい?」

「聞きたいんか?」

 

 ふふふと意味深な笑みを浮かべたロキを見てリヴェリアが口を開いた。

 

「フィン? お前は何か知っているんじゃないか?」

「ああ、僕はちょうど食堂の入口でロキと会っただけだから、何でこんな気持ち悪い笑みを浮かべてるのかしらないんだ」

 

 フィンはお茶を飲み、肩を竦めながらリヴェリアに答える。

 

「気持ち悪いってなんやねん。神様の笑顔やぞ。後フィン、ウチの分のお茶はないんか」

 

 フィンを軽く睨みながらフィンのお茶に視線をやったロキはフィンに質問を飛ばす。

 

「無いよ」

「酷い団長やな」

「冗談だよ」

 

 笑みを浮かべながらフィンは隠していたコップをロキに手渡す。

 ロキはコップを覗き込んでフィンを睨む。

 

「コップだけやん、中身どこやねん」

「あそこにあるけど?」

 

 フィンの指差した先には、保温用の容器に入れられたお茶が置いてあった。入口直ぐ横である。

 

「なぁフィン、ウチに喧嘩売っとらへん?」

「朝、僕が寝てる所に君、何をしたか言ってごらん」

 

 フィンは凄みのある笑みを浮かべてロキを見る。

 ロキはうっと呻いてから視線を逸らしながら小声で呟く。

 

「落書きしただけやん」

「キミは僕の顔に『ティオネ専用』とか書かれてたらどうなると思うんだい?」

「面白くなるやろ?」

 

 ティオネ・ヒリュテがフィンに恋心を抱いているのはファミリア内で有名な話である。

 アマゾネスでもあるティオネの求愛行動はいささか過激であり、フィンは今のところはまだティオネが幼いから駄目だと拒絶しているが、いずれこの文句も使えなくなるだろう。

 まあ、その文句が使えなくなる頃には恋も冷め、ティオネも大人しくなるだろうとフィンは予想しているが。

 

「はあ、それで? ロキは何か楽しい事があったのかい?」

「実はなあ、朝ベートと会ったんよ」

「ベートとか? それがどうした?」

「ベートさん……?」

 

 食事を終えたカエデが首を傾げた後にぽんと手を打つ。

 

「銀色の人」

「銀色の……まあ、ベートは銀毛だから間違ってないな」

 

 リヴェリアがカエデの呟きに答えてから、空になった食器の乗ったプレートを持つ。

 

「食器を片づけてくる」

「ワタシも行きます」

「カエデたんとリヴェリアたんは興味無いんか?」

 

 ベートの話をしようとしたのに二人とも食事を終え、席を立つのを見たロキは二人を見るが、リヴェリアは

 

「興味など無い」

 

 と一言。カエデも同様に頷く。

 

「はい」

「あちゃー」

 

 ベートの方はカエデに興味有りな様子だったが、カエデ本人はベートに興味が無い様子。

 

「それでは、午後もよろしくお願いします」

「根を詰め過ぎるのは良くない。午後は別の勉強をするか……ダンジョン以外と言えばギルドや他ファミリアの事等だな」

「あー、リヴェリアたん、明日はカエデたんの武具の新調するためにファイたんの所に行くから午後空けといてなー」

「わかった、カエデもそれでいいか?」

「はい、わかりました」

 

 そう言いながらリヴェリアとカエデが食器を片付けるのを見送ったロキはフィンの前に座りなおす。

 

「真面目な二人が合わさると大変そうだね」

「カエデたん、真面目やからなぁ……リヴェリアと相性ええんやろな」

「それで? ベートがどうしたんだい?」

 

 改めてフィンに問われ、ロキはにこにこした顔で口を開いた。

 

「聞いてえな、朝ベートに会ったんよ」

「へえ」

 

 相槌を打ちながらお茶を飲もうとしたフィンは手を止める。

 

「お茶、淹れ直してくるよ」

「あー、ウチもお茶欲しいなー」

「しょうがないなあ」

 

 

 

 

 朝、ロキは基本的に十時ごろまで眠っている事が多い。

 時折、朝早く目覚めては鍛錬所に居るアイズにセクハラしに行く事もあるが、それも滅多にない。

 

 そんなロキは今日の朝は珍しく日の出の時間に目を覚ました。

 

「んー……カエデたんの事もあるしなあ」

 

 姿見の前で身嗜みを整えてから、ロキは自室の扉を開ける。

 それから思い出したかの様に水性ペンをテーブルから回収して団長の部屋に向かい、書類の処理で夜遅くまで起きていた所為でぐっすり眠っているフィンの顔に『ティオネ専用』と書いてから、テーブルの上に「ぐっすり眠っとったで byロキ」と書いた紙を用意してから、こそこそと部屋を抜け出す。

 

 どんな反応するやろかーと楽しげにスキップ混じりに廊下を歩いていると、反対方向から歩いてくるベート・ローガの姿があった。

 ベートは何やら嬉しそうにふっと笑いながら歩いてきており、ロキに気付いていない。

 ロキはすっと廊下の横によってベートが来るのを待つ。

 ベートが近くに来た所でロキはベートの横に並んで歩き始める。

 

「嬉しそうやな、なんかあったん?」

「あぁ、カエデが鍛錬所で……ってロキ!?」

「今気付いたんかい」

 

 まあ、ロキに気付いていたのならベートは無言で回れ右してロキを避けようとしただろう。もちろん、ロキはそんなベートにいちゃもんをつけて絡みに行く。今回はベートが気付かなかった為に接近を許したのだろう。

 

「それで、何があったん? カエデたんが鍛錬所でなんかしとった……まさか……」

「おい、なんだその顔」

 

 大きく仰け反りながら、驚愕の表情を浮かべたロキはベートから二三歩後ずさる。

 そんなロキを見たベートはあからさまに面倒くさそうな顔をしてロキを睨む。

 

「カエデたんを押し倒してあんな事やこんな事を「してねぇ!!」せやろなー、ベートってヘタレやしなぁ」

「誰がヘタレなんだよ!!」

「ベート」

「んな訳ねえだろ!?」

 

 にっこりと即答して見せたロキに、ベートが怒鳴るがロキは上機嫌そうにベートに身を寄せる。

 

「んで、何があったん?」

「何でもねえよ」

「またまたー、神様に嘘は通じへんで?」

 

 面倒な奴に絡まれた、どうやって逃げる……いや、絡まれた時点で逃がす気は無いだろう。楽しい事に飢えてるこの神の面倒臭さはそれなりに付き合いがある故に理解できてしまう。

 

「……カエデの鍛錬、見てたんだよ」

「ほー、それで?」

「…………」

 

 顔を逸らし、頬を赤らめるベートを見て、ロキは内心ツッコミを入れる。

 

 ベートがそんな初心な反応してどうすんのや、そういうんはカエデたんの仕事やろ。

 

「それで? 何があったん?」

「……昨日」

「昨日? あぁ、ベートがめっちゃカエデたんを視姦しとったな」

「してねえからな!? ……昨日見た時、アイツが腑抜けたように見えたんだよ」

 

 昨日? 夕食時のカエデたん?

 腑抜けたように……まぁ、昼間の入団試験の時にあんな啖呵を切っておきながら、夕食時にパンを嬉しそうに頬張っている姿を見て、腑抜けた様に見えなくもない……のか?

 

「でも、ついさっき鍛錬所で見た時、アイツはあの時と同じ目をしてたからよ、腑抜けた訳じゃねえんだなって」

「あー、せやから嬉しそうに尻尾ふりふりしとったんか?」

「してねえッ!! そんな犬っころみてぇな事しねえよ」

 

 そう言いながらベートはロキを置いて早足で歩いて行ってしまった。

 ロキは足を止めてその後ろ姿に一言。

 

「……いや、上機嫌そうに尻尾振っとるやん」

「…………」

 

 上機嫌そうに振られていた尻尾が、ロキの一言でピタリと止まり、ベートはそのまま走り出した。

 

「廊下走るんは危ないでー……聞こえとらんやろなー」

 

 そう言い残し、ロキは鍛錬所の方に足を向ける。

 

 無茶してないと良いんやけどね。まあ、カエデたんは頭悪くは無いっぽいし、大丈夫やろ。

 

 ロキの事を未だ「ロキたん様」等と呼んでいるが、それはそれでアホの子っぽくて可愛いので良いのだろう。

 

「むふふー……ん? この時間ならアイズたんも居るんかな。…………邪魔したら腕持ってかれそうやし、覗くだけにしとこか……」



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『折れない剣』

 抱きしめて、行かないで欲しいと伝えた。

『ヘファイストス様、俺が最初に出会った女性がヘファイストス様だったら、俺はヘファイストス様を愛したと思う。それぐらいヘファイストス様は素敵な女性だ。
でも、そうじゃなかった。俺がオラリオに来たのは愛した女の為で、そうじゃなければオラリオに来ようなんて思わなかった、オラリオに来なければ、ヘファイストス様と出会わなかった』

 珍しく、似合わない困ったような笑顔を浮かべた眷属を見た。


 『オラリオ』で冒険者が使う武具は、他の都市で手に入る物とは一線を画す。

 

 神々が与える『神の恩恵(ファルナ)』は冒険者の身体能力を上げる『基礎アビリティ』の他に、『器の昇格(ランクアップ)』によって数少ない者達が目覚め、習得する『発展アビリティ』と言うモノがある。

 

 『発展アビリティ』とは、『基本アビリティ』とは毛色が異なり特殊的(スペシャル)、あるいは専門職(プロフェッション)の能力を開花、強化させる。

 

 『発展アビリティ』が発現するか否かは、積み重ねてきた【経験値(エクセリア)】によって決まる。

 

 剣を使い敵を倒し続ければ【剣士】の発展アビリティが、武具を使わず殴打等で敵を倒し続ければ【拳打】の発展アビリティが発現する()()()()()()()()

 

 無論だが、発現するか否かは、やはり才能にも左右されるらしい。

 

 正確には才能があれば少量の【経験値(エクセリア)】で発現し、才能が無ければその分多量の【経験値(エクセリア)】が必要になる。

 

 他には発現条件が決まっているモノもある。

 

 有名な所で言えば《狩人》と言う発展アビリティがあるが。レベル2へのランクアップの時にしか得る事が出来ず、その条件は『短期間で同じモンスターを多数倒す事』である。

 

 言うは易く行うは難し

 

 才能次第であるともいえるが、才能が低ければ短期間に数千と言うモンスターを倒す必要がある。

 才能が有ればそれこそ数十体倒すだけでも発現するが、そこまで才ある者はそれこそ神々が地に降り立った頃に数人居たぐらいで、以後はまったく出てこない。もしくは出て来た事に気付いていないだけか。

 

 そして、どの『発展アビリティ』にも言える事だが、どれもこれも『基礎アビリティ』の上昇だけでは得られない程の効力を持つ。

 

 その『発展アビリティ』の中には、《鍛冶》と言った発展アビリティが存在する。

 

 無所属(フリー)の鍛冶師が作成する武具に比べ、神の恩恵を授かった者達の作り出す武具は『基礎アビリティ』次第ではあるが、やはり一段、二段は優れていると言える。

 

 そして《鍛冶》の発展アビリティを習得した者達が作成した武具は、神の恩恵を授かっただけの鍛冶師に比べ、数段優れている。

 

 それこそ、レベル3の《鍛冶》の発展アビリティを持たぬ鍛冶師と、レベル2の《鍛冶》を持つ鍛冶師では、後者の方が数段優れた武具を打つ。

 

 そんな《鍛冶》の発展アビリティを持つ眷属を数多く保有し『オラリオ』で、冒険者の武具を一手に引き受けている【ファミリア】が存在する。

 

 【ヘファイストス・ファミリア】

 

 天界では炎と鍛冶の神として知られ、鍛冶の神としては他の追随を許さないほどの技術を持っており、神々の武具も数多手がけてきたヘファイストスが主神を務める【ファミリア】が【ヘファイストス・ファミリア】である。

 

 冒険者の武具と言えば? と問われればほぼ間違いなく名前があがるのが【ヘファイストス・ファミリア】であり、複数ある鍛冶系ファミリアの中において断トツで最上位に位置している。

 

 探索系ファミリアで言えば【ロキ・ファミリア】ともう一つのファミリアが最上位を競い合い、

 鍛冶系ファミリアで言えば【ヘファイストス・ファミリア】が最上位であるとされる。

 

 ついでに言えば神の性格は良くないが【ディアンケヒト・ファミリア】も医療系ファミリアの中では最上位である。

 

 性格の悪さ、と言う意味なら探索系ファミリアの上位二つのファミリアも負けてない所か、断言しても良いが、探索系ファミリアの主神の方が数億倍、悪い。

 

 それは置いておくとして、【ヘファイストス・ファミリア】の武具はブランド武器としても知られ、主神ヘファイストスが認めた鍛冶師は己が作成した武具に主神の名を刻む事が許される。

 

 そんなヘファイストス・ブランドは冒険者の間で最も信頼が厚い。

 

 無論、他の鍛冶系ファミリアの信頼が無い訳ではない。【ヘファイストス・ファミリア】が圧倒的過ぎるだけだ。

 

 

 

 

 【ヘファイストス・ファミリア】は『オラリオ』各地に分店を持ち、主神が居る本拠はファミリアの規模に対してかなり小さい。

 

 鍛冶場を確保する関係もあるし、鍛冶場以外にも完成品の武具の販売も行わなくてはならない。バベルの塔の一部階層を貸し切って販売もしているのだが、各分店でも販売は行っている。

 

 そんな【ヘファイストス・ファミリア】の本拠にあるヘファイストスの私室にて、ヘファイストスは大きなため息を吐いていた。

 

 最後に手紙が届いてから約九年もの時が経った。

 

 幾度と無く読み直し、擦り切れたその手紙は、過去に【ヘファイストス・ファミリア】に所属していたとある元眷属の青年がヘファイストスに自らの近況を伝えていた手紙である。

 

 やれ村に着いただ、五年も待たせた恋人とようやく番になれたとか、村に腕の立つ剣士が住み着いていただの、とにもかくにも色々な事が羅列されていた手紙を、毎月の如く送ってきていた元眷属の青年から一か月に一通届いていた手紙は、ある時を境に手紙は来なくなった。

 

 もう一度、最後に届いた手紙を読み返す。

 

 

 

 

 

 俺が彼女の次に愛した神ヘファイストス様へ

 

 もう直ぐ子供が生まれます。名前を何にするか決まりました。

 男の子なら辛抱強さの意味を持たせてアジサイ、女の子なら優しい心の意味を持たせてアイリスと名付けようと思います。

 村外れに住む居候には『オヌシの様な騒がしい男が、女々しい名付け方とは……奇想天外とはこの事じゃろうな』なんて言われました。凄く失礼な奴ですよねヘファイストス様。嫁は『とても良い名前ね』って一緒に喜んでくれたんですが。

 それとは別に、俺も鍛冶師として子供に剣を作ってあげようかと思うんですよ。

 それで剣に何て名前をつけようか考えて『アジサイ☆スペシャルソード』とか『アイ・ラブ・アイリス☆ブレード』って名前にしようと思ったんですよ。

 それで居候の奴にこんな名前はどうだ? って聞いたら

『なんじゃそんな持っていて恥ずかしい名前の剣は……()()で良いじゃろ、オヌシが作る剣はどれも()()()()からのう』

 なんて適当に言うんですよ! 子供に持たせる父親からのプレゼント、もっと良い名前にしたいじゃないですか! ヘファイストス様だって俺の名付けには『センスが光ってるわね』って褒めてくれましたよね!

 もう一か月もしない内に子供が生まれますし、子供が生まれたらオラリオに遊びに行こうかと思ってたんですが、嫁と居候にめちゃくちゃ怒られました。

 生まれたばかりの赤ん坊がオラリオまでの旅路に耐えれる訳無いと、もし病に倒れたらどうするって怒られました。反省します。

 それで、俺の子供が10歳になったら一緒にオラリオに遊びに行きますんで、歓迎してください!

 俺の子供なんで絶対可愛いですよ!

   元ヘファイストス様の眷属:ツツジ・シャクヤクより

 

 

 

 

 手紙を閉じる。

 

 色々と言いたい事はあった。

 

 花言葉に重きを置いて名づける等、あの元眷属にはまったく似合っていない。その居候と言う人物の言葉には迷わず同意してしまう。まさに奇想天外だ。

 そもそもがツツジ自身の名も意味は『慎み』を意味していたと聞いた事がある。

 あの眷属が慎み? 騒がしく、自分勝手で、やりたい放題を尽くしたあの眷属が?

 名は体を表すと言うが、それが似合わないのもあの男の特徴とも言えるのだが……

 

 それに、剣につける名前にしても()()()()()

 なんというか、腕の優れた鍛冶師は自分の武具に()()()()()()をつけなくてはならないと言う制約でもあるのだろうか? いや、それならヘファイストスも己が武具に個性的な名前をつけているはずである。自分でも決してそんな個性的な名前は付けていない。故にそれはないはずだ。

 

 良い名前をつけてあげたいと言うのは解るのだが……もしかして私にも責任はあるのだろうか?

 

 最期の最後まで『センスが光ってるわね』なんて名づけのぶっ飛んだセンスについて誤魔化し続けた所為でもあるのだろうが……キラキラした目で「『スラッシュ☆ブレード』って名前付けました! かっこいいですよね!」と尻尾を振りながら部屋に飛び込んでくる眷属に、ヘファイストスは「酷い名前ね」なんて声はかけられなかったのだ。

 

 そして生まれたばかりの赤ん坊を連れてオラリオに来ようとした事、嫁も居候も言っている事は正しい。ヘファイストスだって怒るだろう。

 生まれたばかりの赤ん坊を見てみたい気もするが、旅路のさ中に病に倒れられでもすればヘファイストスも気分が悪い。

 

 その子が10歳になり、オラリオに訪れたのならそれこそ歓迎会を開いても良いと思っていた。

 

 あの騒がしくも愛おしい元眷属の子供の姿はまったく想像がつかないし、常々「愛してるぞおおおおおお」と叫んでいた元眷属の妻の姿を知らないのも相まって想像がつかない。

 それでも、間違いなく可愛い子を連れてくるのだろうと、その手紙が届いた日の夜に思っていた。

 

 

 一か月後、子供が生まれて余計騒がしさが増す事を予想していた手紙は届かなかった。

 子供が生まれ、手紙の存在を忘れてしまったのだろうか?

 ありそうと言うか、普通にその可能性が高すぎて笑ってしまった。

 

 

 半年後、手紙は届かなかった。

 子供にかかりきりになっていて忙しいのだろう。

 あの騒がしい男の子供、いったいどんな子が生まれたのだろう? そんなわくわくした様な気持ちのままだった。

 

 

 一年後、手紙は届かない。

 生まれてから一年、まだ手がかかるのだろう。手紙を書く暇は無いのかもしれない。

 もしかしたら私の事を忘れてしまったのだろうか? あの眷属は約束を破らない。

『ヘファイストス様の事は忘れない』と口にしていた以上それはないか。

 

 

 二年、手紙は届かない。

 そろそろ手紙を思い出しても良い頃合いだろうと、その場に居ない元眷属に苦言を呈したくなった。

 

 

 五年、手紙は届かない。

 ヘファイストスから手紙を送る事は無かった。オラリオを訪れる行商人を通じて手紙を送ってきている眷属の事だ、どこかでトラブルでもあって手紙が届いていないだけなのだろう。

 

 

 九年、未だに手紙は届いていない。

 

 子供はどうなったのか? そもそもが無事なのだろうか?

 

 オラリオの外に住んでいる以上、ヘファイストスから直接出向いて伺う事は難しい。

 ヘファイストスはオラリオ最大の鍛冶系ファミリアの主神だ。

 おいそれとオラリオの外に出る事が出来ない。

 

 高い壁に囲まれ、凄腕の冒険者がオラリオ周辺のモンスターを駆逐して安全が約束されたオラリオと違い、オラリオの外に住んでいる元眷属の村は常にモンスターの危険に晒されていると言っても良い。ダンジョンの中のモンスターよりは弱いとは言え、モンスターによって滅ぼされる村は珍しくない。

 

 モンスターに襲われたのだろうか?

 

 村に住みついて居た居候と言う女性は腕の立つ剣士だったらしく、村に近づくモンスターを片っ端から追っ払っていたそうだが……

 

 それに、あの青年も元とは言え眷属でしかも準一級(レベル4)だったのだ。ファルナを解除されても強化された器が元通りに戻る訳ではない。無所属の人に比べれば強いのは間違いない。

 駆け出し(レベル1)にも劣る様な身体能力でしかないが。それでもオラリオの外で現れるモンスター程度は軽く捻れる程度の強さはもっているはずだ。

 

 それとも流行病にでもやられたのだろうか? たしか3年程前に一部地域で流行病で大勢の人が死んだと言う風の噂を聞いた気がする。

 

 元眷属の青年は大丈夫だろう。だが嫁や子供が流行病に倒れた可能性は十二分にある。

 

 心配で仕方が無い。

 

 ヘファイストスは受け取るばかりで手紙を眷属に送った事は無かった。

 

 此方から手紙を送ってみようか? ……いや、やめよう。

 

 あの青年が、目的を達成したからファミリアを抜けたいと申し出た時、ヘファイストスは引き留めようとした。

 

 来る者拒まず、去る者追わずの姿勢だったヘファイストスにしては珍しく、言葉だけでなく行動で、引き留めようとした。青年は迷う事無く拒んだ。毎月手紙書くから、行かせてくれ。と

 

 

 

 【ヘファイストス・ファミリア】に入団希望者が現れた時、ヘファイストスはある剣をその希望者に見せる。

 

 ヘファイストスが下界に下りてきて、神の力(アルカナム)を封じて人として受肉した肉体だけを使い、打ち上げた剣。

 ヘファイストス自身でも、最高の出来であると断言できるその剣は、数多くの人の鍛冶師を魅了し、神の領域に少しでも近づきたいと駆り立てた。

 

 そんなヘファイストスの鍛冶の技術に惹かれ集まり、出来たのが【ヘファイストス・ファミリア】である。

 

 その剣を入団希望者に見せて反応を見るのだ。鍛冶師であるのなら、何かしらの反応を示すし、その剣に何かしらを抱く。それを見て入団させるか否かを決めるのだ。

 

 

 

 そして、その剣に、数多くの鍛冶師が挑戦してきた。

 

 挑戦法は野蛮にして簡素、ヘファイストスが作り上げた剣に、鍛冶師が作り上げた最高の剣を振り下す。只それだけ。

 

 数多くの鍛冶師の作り上げた最高傑作と打ち合い続けてきた。

 

 折れる所か、欠ける事も無く。幾数万本以上、人の子の鍛冶師が作り上げた最高傑作を砕き、へし折ってきた。

 

 最初は良かった。

 

 剣が折れればより良い剣を、そうやって眷属達は頂に立つヘファイストスを目指し、剣を打ち続けてきた。

 

 そんな風に努力を続ける子供達がとても愛おしかった。

 

 だが、長くは続かなかった。

 

 ヘファイストスの剣に追いつけない。自分ではその鍛冶の頂に辿り着けない。

 

 最初に集まった眷属達の剣を折り続けた剣は、何時しか眷属の心すら圧し折ってしまっていた。

 

 入団直後は、やってやると意気込んでいた。

 

 中にはもし打ち勝てたらヘファイストスと結ばれたいと望む眷属も居た。

 

 ヘファイストスも、もし剣に打ち勝った眷属が居て、それを望むのならば構わない。そう答えた。

 

 そんなやる気に満ち溢れた眷属達のやる気が徐々に焦りに変わり、最後には言うのだ。

 

 「自分には出来なかった」「やはり神様に追いつくなんて無理だったんですね」と、

 

 泣きながら、自分には無理だと言い。ヘファイストスの元を去った眷属はどれぐらい居ただろうか?

 

 ヘファイストスはそんな風に心折られ去っていく背中の一つ一つを余す所無く思い出せる。

 

 人の身に落ちて打った剣だから、貴方達でも到達できる。 そんな風に子供に声をかける事は出来なかった。

 

 結成直後からずっと、眷属に頂を抱かせ、頂を目指す眷属達の剣を、心を圧し折ってきたその剣を、折った鍛冶師が居た。

 

 

 その鍛冶師が作る作品はいずれも耐久力、ただその一点のみに特化した剣を生み出す鍛冶師だった。

 

 刃が毀れても、欠けようとも、折れる事だけは決してない剣。

 使い手を置いて剣が折れる事だけは無い。そんな思想の元に剣を打ち続けた鍛冶師で、神々が認め、ヘファイストス自身も認めた。

 

 二つ名も特殊武器(スペリオルズ)である不壊属性(デュランダル)の如き耐久性と言う意味がある。

 

 

 最終レベル4『疑似・不壊属性(デュランダル・レプリカ)』ツツジ・シャクヤク

 

 

 その鍛冶師が打った剣は、切れ味や威力は他の準一級鍛冶師の生み出す剣には劣るが、耐久力、ただその一点だけは一級鍛冶師ですら超える事が出来ないと言われている。

 

 【ヘファイストス・ファミリア】に入団し、ヘファイストスの作り出した儀式の剣を圧し折った張本人。

 剣を折った後は、故郷にて待つ恋人の元に帰ると足早にヘファイストス・ファミリアを去った男。

 

 

 

 ヘファイストスは【ロキ・ファミリア】から届いた「明日、お気に入りの子を連れて行くでー」と書かれたロキからの手紙を見てから、もう一度溜息を吐く。

 

 眷属が手紙を届けに来る度に、ヘファイストスはツツジの手紙かと期待して、違うと理解して溜息を吐く。

 

 明日、ロキが訪ねてくると言う予定を頭に入れて、ヘファイストスは手紙を入れた箱を撫でて夕暮れに彩られた町並みに視線を落とす。

 

「手紙、遅いわね」



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『ヘファイストス・ファミリア』

 吉報を携えて、いざ行かん彼女達の元へ

 師と弟子の二人

 それとついでに義弟も、首を長くして待ってる

 早く、はやく行かなきゃ

 急いでいるのに土砂降りの雨で足止め

 お酒片手に待っていた

 雨が上がるのを待っていた


 【ヘファイストス・ファミリア】の本拠でもある店舗のショーケースの中には、数百万ヴァリスから数千万ヴァリスはする超高級武具が並んでおり、駆け出しから熟練の冒険者までが分け隔てなくショーケースの中に並ぶ値段相応の性能の武具の数々を、まるで子供の様に眺めている姿が多々あった。

 

 そんな【ヘファイストス・ファミリア】の売り場にて、カエデは何気なしに眺めていた造りの良さそうな剥ぎ取り用ナイフの値札を見て硬直していた。

 

「……いち、じゅう、ひゃく、せん、まん……にひゃくごじゅうまん?」

 

 二百五十万ヴァリス。

 

 師が愛用していた刀が5万ヴァリスかそこら。カエデが形見として持ってきた刀に至っては2,500ヴァリスである。

 

 師の愛用した刀が五十本、形見の刀に至っては千本分の値段である。

 

 良い物なのだろうが、只の剥ぎ取り用ナイフにしか見えない。

 『Ήφαιστος』と言う模様が小さな柄の部分に精密に掘り込まれている以外に変わった所は見受けられないが、他とは何かが違うのだろう。

 安物を見分ける事ぐらいは出来るが、高価な物となるとさっぱりわからない。

 良い物ではあっても、剥ぎ取り用ナイフに二百五十万は高すぎな気もするが……

 

 村で過ごしていた頃の主な収入はモンスターの討伐証を、村に訪れる冒険者に売る事ぐらいだった。

 

 『オラリオ』にある『ダンジョン』で出現するモンスターと、『オラリオ』の外に居るモンスターの明確な違いは魔石の有無であり、『魔石』を利用した産業で世界の中心と謳われる『オラリオ』は、同時に『魔石』の唯一の産地でもある。

 

 『ダンジョン』に出現するモンスターからは『魔石』が回収でき、それを『ギルド』で換金する事が冒険者の主な収入源であるが、『オラリオ』の外のモンスターには『魔石』が存在しない。

 

 では、『オラリオ』の外でモンスター退治を行う退治屋や無所属の冒険者はどの様にヴァリスを稼ぐのかと言えば、モンスターの特徴的部位をはぎ取ってきて、外のギルドに持ち込む事でヴァリスと交換して貰えるのを利用する。

 

 『オラリオ』の外での代表的モンスターと言えばゴブリンが有名だろう。

 

 緑色の肌をした小型の人型のモンスターで繁殖能力が異常に高く、3匹見つけたらその十倍の数が居るのを覚悟しなくてはならない程だと言う。

 数で押し込もうとする戦術をとる事で有名であるが、一匹一匹の戦闘能力は訓練を受けていない大人でも武器さえあれば倒せる程度である。数に囲まれて殴り殺される事もあるので油断はできないが、一匹一匹は大した事ない。

 そんなゴブリンの、外での相場はゴブリンの右耳一つ、5ヴァリスである。

 

 『ダンジョン』に出現するゴブリンはファルナが無ければ通常のゴブリンと比べ物にならない程強いものの、ファルナがあるのなら武器さえあれば倒せると条件はほぼ同じである。

 そんなゴブリンからとれる魔石の相場は一つ、50ヴァリスと外の十倍である。

 

 其の為に、『オラリオ』の内と外では物価が大分違う。

 

 それに加え、カエデが手に入れた討伐証はそのまま『外のギルド』に持っていく訳では無く、村を訪れた通りすがりの無所属の冒険者に、相場の半額程度で売り払い、冒険者が『外のギルド』で換金すると言った流だった。

 

 結果的に、カエデやヒヅチが手にする金額はゴブリンの右耳一つで2ヴァリスと雀の涙であった。

 

 無論、ゴブリン以外にも、オーク等も稀に討伐していたし、ゴブリン自体は知らぬ間に溢れかえる事があるので塵も積もれば何とやらと、意外にも稼ぎは悪くなかった。

 

 オラリオの冒険者とは比べ物にならない金額ではあるのだが。

 

 そんなカエデが使っていた剥ぎ取りナイフの値段は200ヴァリスの安物で、元は投擲用ナイフであった物をヒヅチが研ぎ直して剥ぎ取りに使っていた。

 

 そんな投擲用ナイフ一本の値段も1500ヴァリスと、カエデの使っていた物の倍以上の値段である。

 

 無論、カエデの使っていたナイフとは比べ物にならない良品ではあるのだが……

 

「高い……これ投げるの……?」

 

 投擲用、そう銘打たれて無造作に並べられた一本を手に取って唸る。

 

 カエデの使っている『大鉈』よりも良い切れ味を持っていると思う。間違いない。

 

 軽く投げただけで目標に深々と突き刺さるだろう。これが安価な投擲ナイフとして販売されているのが信じられない。

 

 他にも投擲斧や、手裏剣と言う全てが刃で構成された投擲武器まで並べられており、どれもこれもカエデの『大鉈』なんかより幾倍も素晴らしい刃を備えている。

 

「…………」

 

 錆び付いて刃も毀れ、欠けてしまってもなお、『大鉈』には愛着もあり、自慢できる一本であったのだが、ここに並ぶ投擲武器の数々を見ていると、『大鉈』が劣っている事をまざまざと見せつけられ、正直泣きそうである。

 

 

 

 

 

 武器の新調と言う事で【ヘファイストス・ファミリア】を訪れたロキ、カエデ、フィン、ラウルの4人は、ロキがヘファイストスと挨拶をする為にラウルを引き連れていき、フィンとカエデの二人は売り場で適当に剣を見ておく事となった。

 

 しかし、と言うか当然の事ながら、一級冒険者が使う武具をメインで取り扱っているこの店で、カエデの様な駆け出しが使う武具は並んでいない。

 

 投げナイフ一本ですら駆け出しには辛い金額である。そこで、フィンはカエデが興味を持った武具に近づいて眺めているのを、保護者気分で付いて回っていた。

 

 最初にカエデが興味を持ったのはカエデの使っているのと同タイプの片刃の剣。

 カエデの使っている刀身が切っ先に行くほどに厚く、幅広になっている物は一本も無く、細身でスラリとした刀身のそれを見て、その美しさに目を奪われ、値札を見て硬直。

 

 暫くするとカエデはすっと視線を逸らし、逸らした先の剥ぎ取り用ナイフに目を止めた。

 

 そしてまた動きを止め、近くの樽に無造作に入れられた投擲ナイフを見つけ、そちらに近づいて値札を目にして「高い……これ投げるの……?」等と呟いている。 

 

 そんな風にカエデが投擲用のナイフを眺めている横で、フィンが苦笑を浮かべている。

 

「そうだね、ここの店で取り扱っているのは一級冒険者の使う物ばかりだから、カエデにはちょっと高い様に見えるかな?」

「『大鉈』、凄く良い剣だと思ってました……」

 

 しょんぼり、正にそんな擬音が似合いそうな程に意気消沈した様子のカエデを見て、フィンは腕を組む。

 

「んー……『大鉈』? カエデの剣だっけ……うぅん」

 

 カエデの持つ『大鉈』は確かに一級冒険者が使う武器に比べれば、確かに劣っている。

 だが、駆け出し冒険者の持つギルドの支給品に比べれば遥かに良い物で、下手をすれば三級冒険者(レベル2)の持つ三等級品の剣に匹敵する剣と言える。

 

「カエデの剣は十分に名剣と言えるよ。来る前にも説明したけど、ここにあるのは『オラリオ』でも一級品ばかりだから劣って見えるかもしれないけどね」

「そうなんですか?」

「そうだよ、カエデの持つ『大鉈』は駆け出し(レベル1)が持つには不相応ってぐらい良い剣だよ……今は錆とか欠けとかがあるから駆け出し相当だけどね」

 

 元は三等級品にも届きかねない名剣ではあったのだろう。耐久力を見てもそれに匹敵しかねない程なのだから、だが錆や欠け等で損傷している『大鉈』は駆け出しの持つ支給品にも劣るのだが……

 

 カエデは手に持っていた投擲用ナイフを樽に戻して、もう一度、最初に見た片刃の剣の並ぶ棚の前に立つ。

 

 どれもこれも、美しい刃文を浮かべ、見ているだけで切断されてしまいそうな程に鋭い刀の数々に目を奪われてから、困った様な表情を浮かべてフィンを見た。

 

「ワタシには、この剣は使いこなせないです」

「そうかな……?」

 

 フィンの見立てでは、技術と言う一面だけを切り取ってみれば、カエデは準一級冒険者(レベル4)相当の技術を持っている様に思う。

 現時点でもその剣技は素晴らしいの一言に尽きるのだが。自己評価が低いのだろうか?

 

「どうしてそう思うんだい?」

「……体格が足りてないです……」

「あぁ、なるほど」

 

 並べられている剣、刀、槍、槌、斧、弓。小剣やナイフならまだしも、それ以外の武具はどれもカエデの体格で振り回すには些か長すぎる。

 

 そんな風に話していると、店の奥からラウルが歩いてきた。

 

「団長、カエデちゃん。準備ができたみたいッス」

 

 【超凡夫(ハイ・ノービス)】ラウル・ノールド、二級冒険者(レベル3)であり、昼頃に本拠のエントランスで欠伸しながら一人で歩いて出かけようとしているのをロキに見つかり、今回のカエデの武具新調に付き合わされている。

 

 下っ端口調が特徴的ではあるが、冒険者としては特筆すべき点が無い。と言うよりは神々から見てもそんなに特筆した点が無い所為で普通の、ある意味で特徴的な二つ名をつけられた、変わった冒険者である。

 

「あぁ、行こうかカエデ」

「はい」

「こっちッス」

 

 勝手知ったるなんとやら、ラウルは普段と変わらぬ柔和な笑みを浮かべフィンとカエデを導く。

 奥に続く扉の横に立つ【ヘファイストス・ファミリア】の店員に軽く手をあげてその横を通り過ぎるラウルとフィン、律儀に頭を下げたカエデもそれに続く。

 

「あのウェアウルフ、白いのなんて珍しいな」

「見た事ない奴だったな新顔か?」

「【勇者(ブレイバー)】が付いてたし、なんかあるんじゃね?」

「羨ましいよな、駆け出しの癖にこんな所で買い物なんてよ」

「あんま大声で言うなよ、難癖つけられたら堪んないぜ」

「わかってるって」

 

 有名な【ロキ・ファミリア】の主神に団長が連れていた見知らぬ白いウェアウルフを見た他の客が、こそこそと噂話を始める。

 

 

 

 

 

 ヘファイストスの私室にて、ヘファイストスは椅子に腰かけたまま入室してきた三人を出迎えた。

 ロキはへらへら笑いながらカエデに手招きをして、カエデは前に出る。

 

「この子がカエデたんやで、カエデたんこっちがヘファイストスや」

「初めまして」

「あら、随分と礼儀正しい子ね」

 

 ロキと同じ、ロキよりも若干暗い色合いの赤い髪をし、顔の半分を隠すような大きな眼帯で右目を隠した女神に、カエデは深々を頭を下げる。

 そんなカエデを見たヘファイストスはロキを見てから、顔をあげたカエデを見る。

 

 説明の通り、カエデには死の気配が漂っている。

 事前にカエデ・ハバリがどんな子なのかと言うのをロキに聞いていたヘファイストスは特に驚きはしなかったが、カエデの容姿に引っかかりを覚えた。

 

 もう一度、頭の先から爪先までを観察して、引っかかりが何かを見つけようとして腰の剣に目が留まる。

 

 その剣を見て目を細める。

 

 どこかで見た事のある造りをした片刃の剣。

 

「その剣……」

「……? これですか?」

 

 ヘファイストスが刀を凝視している事に気付いたカエデが鞘ごと外して示すと、ヘファイストスは立ち上った。

 

「どしたんファイたん?」

 

 ヘファイストスはロキに答えず、無言でカエデに近づく。

 カエデが手に持つ『大鉈』をじっと見てから口を開いた。

 

「その剣、見せて貰ってもいいかしら?」

「はい、良いです」

 

 カエデが『大鉈』を手渡すと、ヘファイストスは鞘をじっくりと眺めてから、鞘から抜き放つ。

 

 錆が浮き、刃は毀れ、欠けも目立つその刀身をじっくり眺める。

 

「銘を確認させて貰ってもいいかしら?」

「はい」

 

 カエデの返答を聞き、ヘファイストスは手早く手入れ道具を机の引き出しから取り出し、慣れた手つきで柄を外した。

 

 その柄に刻まれた銘と製作者の名を見て、ヘファイストスは呟く。

 

「やっぱり」

「いや、やっぱりってなんやねんファイたん」

 

 ロキの言葉に答えず、ヘファイストスはカエデを見据える。

 

「貴女の名前、アイリスだったりしないかしら?」

「……? いえ、ワタシはカエデと言いますが……」

「嘘は……吐いてないみたいね」

 

 ヘファイストスは腕を組み、考える。

 

 ロキの紹介でやってきた『カエデ・ハバリ』と言う名のウェアウルフ。

 この少女はほぼ間違いなく『アイリス・シャクヤク』だろう。

 ヘファイストスの元眷属『ツツジ・シャクヤク』の娘。

 先程感じた引っかかりの正体。その視点で見ればわかる。

 毛色は全く違うが、口元や耳の形、探せば探すだけ元眷属の青年に似ている部分が多々ある。

 

 では、何故この子は自分の事を『アイリス』ではなく『カエデ』と名乗るのだろうか?

 

 異色の毛色、これだけで説明がつくだろう。

 アルビノ個体は地上の子供達の間で忌み子としてちょくちょく処分されている。

 

 だが、あの『ツツジ』が自ら進んで子を捨てるだろうか? 断言できる、それはない。

 

 ツツジは村長の息子だった。

 村の鍛冶師の家の娘と恋に落ち、婚約を誓い合った。

 その鍛冶師の娘と婚約の約束を取り付けたものの、親が「俺よりも鍛冶の腕が劣る奴に俺の娘はやらん」と言ってツツジと娘の婚約を否定した。

 ツツジはどうすれば認めて貰えるのかを考えた。

 この世で最も優れた鍛冶師の集まる【ヘファイストス・ファミリア】の情報を商人伝いに聞き。

 【ヘファイストス・ファミリア】の優れた鍛冶師達が挑み続ける神の打った剣、儀式の剣に挑んでいる事を知った。

 その後すぐ、迷う事無くその剣を折り、彼女の父親に自分を認めさせると、村を飛び出した。

 

 そんな事があったからか、村人と折り合いがあまり良くは無かったらしい。

 父親である村長は理解ある人でツツジがどんな子か知っていたから許したそうだが、村長の弟、ツツジの叔父は執拗に村を出たツツジに「村を捨てた奴に村長は相応しくない」と非難を浴びせたらしい。

 それを受けて自らも上に立つ人間ではないと理解していたツツジは村の鍛冶師を継いで村長の座を引き渡した。

 

 それと同時に叔父は「村長は息子が掟破りを行う様な教育しか行えない無能者だ」と非難し、自分こそが村長に相応しいとツツジの父親を攻め立てたそうだ。

 

 父親の立場まで悪くなってしまい、ツツジは酷く落ち込んでいた。

 

 とはいえ、叔父の村での評判は悪くは無いが、ツツジの父親ほど交渉に長けておらず、村長を挿げ替えると言う事にはならなかったし。

 

 ツツジは村を追いだされることはなかった。

 

 それ以降は、叔父が口煩いと愚痴を手紙に書いてくるぐらいだったのだが……

 

 ヘファイストスが想像出来る範囲で、ツツジの状況を鑑みるに村の掟をこれ以上破る事は出来なかった、と言った所か……

 

 捨てろと強要され、これ以上父親の立場を悪く出来ないと考え……信頼できる者に子を託した、多分そうだろう。

 

 居候等と呼んでいた剣士の女性が居たはずだ。その人物に我が子を託したのであれば……

 

 手紙が届かない訳を薄らとだが理解した。 

 

「この剣、どうしたのかしら?」

 

 銘を見た瞬間から考え込んでいたヘファイストスはカエデに目線だけを向けた。

 

「師から贈られました」

「師? その師っていう子はどこからこの剣を?」

「えっと……商人から……」

 

 師と言うのがあの手紙に書かれていた『腕の立つ女剣士』だったのなら……間違いない。

 だが商人?

 

「商人? ツツジからじゃなくて?」

「つつじ? えっと、ワンコさんっていう商人の方が持ってきましたが」

 

 成程、ツツジは自らの名を伝える事無く、商人としてカエデに剣を渡したのだろう。

 そう理解したヘファイストスは剣を見る。錆びて欠けて毀れて、それでも折れなかった剣を……

 

「ファイたん、どないしたん?」

 

 ロキの声を聞き、ヘファイストスは剣を机に置く。

 

「この剣、私の元眷属の打った剣なのよ」

「ほー……ん? 『オラリオ(ここ)』で作られた剣なんか?」

「言ったでしょう? ()()()って、ファミリアを抜けて外に出て行った子の作品よ」

 

 そういうと、ヘファイストスは錆が浮いている銘の刻まれた部分を指差す。

 

「ここに、銘と名が刻まれてるわ」

 

 ロキがそこを見て、首を傾げた。

 

「なんやわざわざ『神聖文字(ヒエログリフ)』で銘と名を刻んどるんか……ん?」

 

 ロキが目にした刀身、錆で見づらくなっているそこに刻まれた銘はわざわざ『神聖文字(ヒエログリフ)』で刻まれている。

 

 『神聖文字(ヒエログリフ)』とは、神々が使う言葉であり、地上の子供達が使う『共通語(コイネー)』に比べて非常に複雑で難しい。

 神々が与える『神の恩恵(ファルナ)』も『神聖文字(ヒエログリフ)』で記される。

 それを子供達でも分る様に共通語に訳すのも、主神の役目である。

 

 ロキは刻まれた『神聖文字(ヒエログリフ)』を見て、首を傾げる。

 

「カエデたん、この剣の名前って『大鉈』やったよね?」

「はい、そうですが」

「……んー? なんか別の銘刻まれとるで?」

「……そうなんですか?」

 

 その柄には『大鉈』と言うシンプルな銘ではなく、『アイ・ラブ・アイリス』と刻まれている。

 製作者の名前は『ツツジ・シャクヤク』で間違いないだろう。どこかで聞いた名前だが……

 

 ロキが感じた引っかかりを引っ張り上げてみれば、知っている名前だった。

 

 【疑似・不壊属性(デュダンダル・レプリカ)】ツツジ・シャクヤク

 最近、武器を壊しては新しい武器を購入するを短期間で多数行い、鍛冶師を泣かせ、鍛冶師の間で密かに【破壊屋(クラッシャー)】呼ばわりされ始めているロキの眷属のティオナ・ヒリュテが、「ツツジの作品が欲しいー」と叫んでいたのを思い出した。

 めちゃくちゃ壊れにくい武器を作る鍛冶師で、ゼウス・ファミリアが全盛期の時にヘファイストス・ファミリアを抜けてオラリオを去ったと聞いた。ロキは本人に会った事は無い。

 

 じゃあ、この『アイ・ラブ・アイリス』が剣の銘になるのだろうが……

 

「けったいな名前やな……カエデたん、この剣の名前って誰に教えてもらったん? 師から教えてもろたん?」

「ワンコさんがそう言ってました……師もそれで良いって」

「さっきも思うたんやけど、ワンコさんって誰やねん」

 

 カエデの口から出て来た名前に思わず突っ込むロキ。

 

「えっと……いつもお酒臭くて、フードにお面つけた変な商人さんです」

「なんすかソレ、ロキの事ッスか?」「ラウル後でぶん殴るわ」「なんでッスか!」

 

 ロキと眷属がじゃれ合うのを見ながら眉を顰める。

 フードにお面はわかる。お酒臭い? ……自棄酒だろうか? いや、()()()()()()()か……

 ヘファイストスは『大鉈』に柄を取り付け、机に置いた。

 

「名前を隠してるから、ワンコさんって呼ぶ様に言われてました……」

「間違いなく偽名だろうね」

 

 フィンの言葉に首を傾げるカエデ、偽名が何かを理解していないのだろう。

 最後の確認も兼ねて、ヘファイストスはカエデに聞く。

 

「その、ワンコって商人にその剣を売ってもらったのね?」

「はい、ワンコさんが剣を持ってきました」

 

 軽く溜息を吐く。これは、伝えない方が良い。

 

「なるほど……」

「んでファイたん、説明してくれるん?」

 

 ロキの興味津々な様子に、ヘファイストスはより深々と溜息を吐いた。

 

 神々は暇を持て余していて、楽しい事が好きなのだ。

 そしてロキも暇を持て余し楽しい事が、大好きなのだ。

 このツツジを取り巻く環境は神々にとって娯楽になりかねない……

 これを伝えれば、カエデにとって良くない事になる。

 

 とはいえ、ロキはカエデの行動の妨害となる事はしないだろう。

 

 むしろ妨害しようモノなら天界に居たあの頃の様に神々を潰すだろう。暇潰しとして手の込んだ、どちらが潰れるのか分らないドキドキハラハラした楽しむ潰しあいではなく、本気で、潰しに行く。

 悪神と恐れられたロキが、悪神として本気を出せばどうなるのか……想像はしたくない。

 

 カエデの父親がツツジ・シャクヤクであり、カエデの本来の名がアイリスである事をロキに説明しても問題は無さそうだが……

 

「ごめんなさい、話す気は無いわ。そうね……もしさっきの事を追及しないでいてくれたら、無料(タダ)でカエデの武具を用意してあげるわ」

 

 ツツジの子だと言うのなら、その子が儚い命を伸ばす為に、生きようと足掻くのなら。

 ヘファイストスに出来るのは鍛冶師としてその身を守る防具を、その道を切り開く事の出来る剣を作る事だけである。

 

「マジか! カエデたん、ここは特殊武装(スペリオルズ)を頼むんやで!」

「すぺり……?」

 

 流石に特殊武装(スペリオルズ)を用意となると難しいモノがあるのだが……

 

「いくらすると思ってるの」

「数千万やな」

「数千万!? 流石にそんな物受け取れないですよ!?」

 

 驚いて尻尾を逆立たせたカエデの姿に、一瞬、ツツジの姿が重なった。



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『防具(フルプレートアーマー)』

 急ぎ到着した彼女たちの小屋には誰も居なかった。夜になっても戻ってこなかった。

 朝日が昇ったので村に行ってみた。村には誰も居なかった。皆、死んでいた。

 父親が死んでいた。頭を斧で頭をかち割られていた。まだ何も言えて無かったのに

 叔父が死んでいた。槍で串刺しになっていた。ざまぁみろ、死体に唾を吐きかけてやった

 義弟が死んでいた。剣を手にしたまま真っ二つにされていた。オマエが死んでどうする

 師と弟子の死体が見つからなかった。槌で潰されたぐちゃぐちゃの挽肉の中も探した。二人の死体は無かった。


 【ヘファイストス・ファミリア】の本拠、武器の試し切りを行う為の大部屋にずらりと並べられた武器を一本一本素振りして試し、自らにあった物を選ぼうとしているカエデの背を見ながら、ロキはヘファイストスと雑談に興じていた。

 

「んで、ファイたん。マジでタダでええん?」

「ええ、良いわよ」

「防具もええん?」

「防具? 何を使うのかしら?」

「んー、武器は片刃の剣やと思うんやけど、防具なあ」

 

 カエデが【ロキ・ファミリア】を訪れた時、其れと言った防具は装備していなかった。

 

「チェーンメイルが無難じゃないかな。カエデは剣技で相手を圧倒するからね、変に鎧を着せると剣技の邪魔をしかねないと思うよ」

「まぁ、本人に聞かなわからんわな」

 

 フィンの言葉に頷きながらも、ロキはカエデを見る。

 

 

 

 

 

 ショートソード、ロングソード、グラディウス、バゼラートと言った基本的な片手剣

 レイピア、エストック、サーベルと言った直剣

 ツヴァイヘンダー、トゥハンド・ソード、クレイモアと言った大型の両手剣

 バスタードソードと言った片手半剣

 極東の方で使用される刀等

 

 用意されたのはどれもパルゥム用に調整された小さ目の物である。

 

 どれもこれも手に取ってはこれは違うと台に戻してを繰り返す。

 

 ファルシオンが最も求めている形に近いのだが、どうにもしっくりこない。

 

 ファルカタの方が合う気がするが、違和感が残る。

 

「カエデちゃん、凄いッスね」

「……? そうですか?」

「いや、凄いッスよ。ファルナ無いんスよね? 剣そんだけ振り回しても平然としてるなんて凄いッスよ」

 

 カエデの様子を見る様に言われ、怪我をしない様に武器を手に取り素振りしていたカエデの様子をずっと見続けたラウルがカエデに声をかける。

 

 カエデが最初に手にとったのは典型的なショートソードで、カエデは片手で構えをとり、一振りして直ぐに台に戻して別の剣を戻した。

 そこから休憩を挟まずに二十以上の武器を手に取って構えて素振りすると言う動作を繰り返し続けている。

 幼い見た目からは想像出来ないが、体力やスタミナがズバ抜けて高い。

 

「剣を振るうだけなら、何度でもできますよ。斬るってなると難しいですけど」

「何度でも? 斬るのとなんか違うんスか?」

「斬る時は刃の軌道を考えないといけないので」

「そこまで考えるんスか?」

「……? 考えないですか?」

「いや、カエデちゃんみたいな子が考えるのは凄いなと思ったッスよ」

 

 ファルナを得た冒険者にありがちな事ではあるが、力任せに相手を叩き斬る様な冒険者は多い。

 ラウルの感覚としては、ファルナを貰いたての駆け出しは特にそう言った傾向が強い。

 それに比べてカエデは最初からそこら辺の基礎が出来ている。

 

 見た目は幼い少女で、武器を振るう姿よりは、窓際のベッドの上から外を眺めている儚げな姿の方がしっくりくるカエデが、目の前で平然と武器を振るっている姿は違和感がある。

 

「……しっくり来る剣は無かったッスか?」

「一応、この、ファルカタを……」

 

 カエデはファルカタを手にしているが、微妙そうな表情をしている。

 

「んー、ファルシオンもよかったんすよね? 一応そっちも持ってヘファイストス様に他に同種の剣は無いか聞いてみたらどうッスか?」

 

 並べられた武器は、近くの【ヘファイストス・ファミリア】の店舗から急ぎで持ってきて貰った物で、他にも良い武器があればそれに近い物を複数用意してくれるらしいので、とりあえずラウルはファルシオンとファルカタの二本を手に取る。

 

「んじゃロキの所に戻るッスよ」

「あ、はい。ありがとうございます」

「いやいや、別に良いッスよ。剣、結構重いし、素振りで疲れてるだろうし」

 

 武器を試で素振りし続けたカエデを気遣い、ラウルは朗らかに笑う。

 

 

 

 

 

「ロキ、選んできたッスよ」

「選べたんか?」

「一応……」

「一応? 何か問題でもあったのかしら?」

 

 ロキとヘファイストスが隅っこで木箱に腰かけており、一回り大きな木箱に板を乗せてその上に茶器が置いてある。神が居る環境では無い様に思うが、鍛冶場を主な生活圏としているヘファイストスは気にしないし、ロキもその辺りに関してわざわざ口に出して文句なんぞ言わない。

 

 カエデの芳しくない反応に、ヘファイストスは一つ頷く。

 

「別の武器を持ってこさせるわ。パルゥム用じゃないから、少し大きいかもしれないけど……貴女の使っている『大鉈』と同じ製作者の作った剣が何本かあるから」

 

 ヘファイストスが残った武器を仕舞う様に【ヘファイストス・ファミリア】の団員に指示をだし、同時に倉庫から剣を持ってくる様に指示してから、ラウルの持っていた二本の剣を受け取り、確かめる。

 

「癖の強い剣を好むのね」

「……? 癖が強いですか?」

「どちらも重心が切っ先に傾いてるでしょう? 重心が手元に近い方が扱いやすく、重心が手元から遠い程扱いづらくなるのよ」

 

 ヘファイストスの言葉を聞いて、なるほどと頷くカエデ。

 

「まあ、重心が手元に近いと剣を振った時の威力が出しにくいと言うのもあるけれどね、本来ならその人にあった重心を割り出すのが普通だけど、貴女の場合は技術の高さで全てを補ってる感じね、恩恵無しでそこまで極めているなんて凄いわね」

「ありがとうございます」

 

 素直な反応ににこやかな笑みを浮かべ、ヘファイストスは口を開く。

 

「それで、この『大鉈』と、刀は手入れをすればいいのね?」

「はい」

 

 カエデの持ってきていた『大鉈』と『形見の刀』を受け取り、ヘファイストスは目を細める。

 

「『大鉈』を研ぎ直せば十二分に使えると言いたかったのだけれどね、いくら頑丈とはいえこれ以上酷使すれば折れてしまうわね。こっちの刀はナマクラと言っても良いぐらい酷いわね。研ぎ直しはするけど……使うのは無理よ。ゴブリンとかコボルト相手なら良いけど、キラーアント相手にするのは無理ね……形見だから使う事は無いんでしょうけど」

 

 カエデに頼まれた『大鉈』と『形見の刀』の手入れ。

 

 『形見の刀』、誰の形見なのかを問いかけた際に全てにおいての師『ヒヅチ・ハバリ』と言う剣士の女性の形見だと聞いて、ヘファイストスは空を仰いだ。

 

 ツツジがアイリスを託した人物が死んでいたとは……

 

 本来ならその師と共にオラリオに来る予定だったのだろうと予想したが、全く違う理由だった。

 

 カエデの寿命についてヒヅチはカエデ自身に何も教えていなかったらしい。

 そして、死ぬまで見送る事を誓っていた事……違和感が残る。しかし追及する相手は居ないし、カエデは何も知らない。

 

 もし、ツツジと会う事が出来たのなら、聞きたい。どうして私を頼ってくれなかったのかを……

 

 

 

 

 

 へファイストスが隠し事をしている。

 武具を無料で用意してくれると言う言葉を受け、迷わず其方に飛びついたのにはちゃんと訳がある。

 

 カエデの持っていた『大鉈』、もしくは『アイ・ラブ・アイリス』と言う剣。

 

 元眷属の作った剣だと言っていたが……

 

「フィン、どう思う?」

「……元眷属の子供、つまりツツジ・シャクヤクの娘がカエデ・ハバリって事になるのかな?」

 

 カエデは、ヘファイストスが持ってきた剣を素振りしており、ヘファイストスがカエデの感じた違和感に対し剣を調整している。

 持ってきた剣は『ウィンドパイプ』に『ハーボルニル』と言う二本の剣。どちらも『ツツジ・シャクヤク』の作品らしい。倉庫に眠っていたと言っていた。

 どちらもカエデの使っていた『大鉈』と同じ様な感じの剣ではあるが、カエデの手に馴染んでいた『大鉈』よりも大きく、カエデの手に若干余る節があるが、神の恩恵を授かれば問題なく振るえるだろう。

 

「つまりカエデたんはほんまはアイリスたんっちゅー事になるんか」

「……子供を捨てた理由ははっきりしてるね」

「まぁ……カエデたんは今さらアイリスや言われても困るやろうし、黙っとこうか」

「それが良いね、出生について知った所で何が出来る訳でもないし……」

 

 ロキとフィンは軽く頷く。

 

「この事は」

「ガレスとリヴェリアにはボクからそれとなく説明しとくよ……あくまでも可能性だけどね」

「頼むわ」

 

 上位メンバーだけの秘密にしておくのが賢明だろう。

 

 カエデがどういった反応を示すのか分らない為、これ以上精神的に追い詰める可能性の高い情報を与える訳にはいかない。

 

「難儀な事だよ」

「せやな」

 

 カエデが努力し、もしランクアップを果たしたとして、幸せは其処にあるのか?

 少なくとも、ヒヅチを失い、親も居ないカエデはそのままでは幸せとは言えないだろう。

 

「ウチらが居るし大丈夫やろ」

「まあね、目的は変わらないけど、皆の幸せも願ってるのは本当だからね」

「ベートとくっつけるんが一番かなぁ」

「ロキが楽しみたいだけじゃないのかい?」

「それもあるで? でもベートはカエデたんに興味あるみたいやし?」

「……その前に、ラウルと仲良くなってるみたいだけど?」

「…………」

 

 視線の先、カエデとラウルが笑い合っていた。

 ラウルがカエデと話すときは常に笑顔で対応していた為、カエデが少しずつ心開いている様子だ。

 

 カエデは嫌悪的な視線に敏感で、害意が宿っていると解ると直ぐに逃げようとする。【ヘファイストス・ファミリア】への道中でカエデが唐突にロキにピタリと身を寄せた事があった。フィンが不埒な視線をカエデに向けていた人に気付き、それとなく睨んで追っ払ったと言う事もあった。

 

 これまでカエデに笑顔を向けるのはヒヅチだけであり、害意や悪意が宿っていない笑顔を向ける者が限られた環境に居た為か、害意や悪意のない笑顔で接しられるとカエデは直ぐにとは言わずとも、少しずつ心開いていく。

 ロキも最初から笑顔でカエデに対応していた為にカエデに直ぐになつかれたが、ラウルも同様だろう。

 

 出会った直後はどう接していいか分らずにロキの傍に寄り添っていたカエデだったが、ラウルは安心させるように笑みを浮かべてカエデに接した。

 子供嫌いでは無いラウルはただ妹に接する様に微笑みかけ、気にかけていただけだが、カエデの心を少しずつ開かせていた様子だ。

 

「いやーすごいッスよ。リヴェリア様のあの勉強会真面目にやってるなんて」

「必要な事ですし」

「あぁ、ロキの所の【九魔姫(ナインヘル)】だったかしら? その子の勉強、本当に辛いらしいわね。私の所の眷属()からロキの所の眷属()が勉強が辛いって愚痴を零してるのを聞いたって言ってたわ」

「他のファミリアでも噂になってるッスか……まあ、当然ッスよね。だってあんなに覚えられるわけないッスもん」

「……? そうですか? 記憶するだけですよね?」

「記憶する()()って……そこが凄いんスよ。俺なんて何回やってもどこか穴抜けが出るッスから」

「調整できたわよ。これでどうかしら? 『ウィンドパイプ』の方が使いやすいみたいだからそっちだけだけど、振ってみてくれる?」

「はい」

 

 なるほど、見ていればわかるが、カエデは既にラウルと仲良しである。

 

「……ベートェ」

「いや……まあ、そうだね。うん」

 

 素直になれない上に、ラウルの様に朗らかな笑みを浮かべてカエデと接する事の出来ないベートでは、ああは行かないだろう。

 ロキとしてはベートを押したいが……

 

 今日もそうだ、ベートを連れて行こうと思ってたのに朝から探していたが見つからなかった。と言うか全力でロキを避けていた。

 フィンに探してもらおうかと思ったが、午後から出掛けるので午前中の内は書類整理で動けないと言われてベートを連れて行くのを諦めたのだ。

 結果的に昼頃に欠伸交じりに雑貨を買いに街に出ようとしていたラウルを捕まえたのだが……

 

 ラウルとカエデが急接近、どうなるベート

 

「いやぁ……なんちゅーか予想以上やな」

「なんとなく相性は悪く無いと思ってたけど、ラウルは仲良くなるの早いね」

 

 そこら辺の相性を考慮してカエデの近くに人員を配置したのだから当然だが……

 

 ロキは笑顔でカエデに対応するので真っ先にカエデに構い倒して心開かせ、リヴェリアは話に聞くヒヅチと同タイプ(出来たら褒め、失敗したら失敗を淡々と指摘する)なので仲良くなれる。

 フィンも基本的には余裕を持った笑みを浮かべている事が多いし、ガレスもラウル同様朗らかな笑みを浮かべている事が多い。

 とはいえ、カエデは年上の男性、それも相当歳が離れている男性に対し若干の壁を作っている様子だった。

 原因が何かは分らないが、ガレスに対して若干距離を置いた態度をとっていたし、フィンに対しては普通だったが、フィンがもう直ぐアラフォーである事を指摘すると、カエデはフィンからも若干距離をとった。

 それもフィンの場合は直ぐに解消されたが、ガレスに対する態度は少し硬いままだ。

 何らかの苦手意識があると判断して無理をさせない様に近い年で同じウェアウルフのベートも視野に入れたが、ベートがロキをあからさまに避け始めたので仕方なく笑顔で接する事のできるラウルが抜擢された。

 

 結果は上々、カエデは褒められて嬉しそうにしてるし、ラウルはべた褒めしている。

 と言うかラウル自身が劣等感を抱いている関係で誰それ構わず凄い凄いと褒めているだけだが……

 

「ボクとしてはラウルにはもっと自信を持って貰わないと困るんだけどね」

 

 フィンの言う通りだ、ラウルは才能が無い訳でもない、努力が出来ない訳でもない。ただ比べる相手が悪いだけだ。

 上だけを見て下に居る自分に嘆いている。下を見ればラウル以下なんて文字通り腐っている者が腐るほど居るのだから……

 

「まあ、そこら辺はおいおいやな……なんやカエデたんの顔色悪くなっとるけど大丈夫なんか」

「……? どうしたんだろうね」

 

 視線の先、剣の調整も終わり、後は防具をどうするか聞かれているらしいカエデの前にはハーフプレートやプレートメイル等の防具が複数並べられているが、カエデの顔色が余り良くない。

 

 

 

 

 

「カエデちゃん大丈夫ッスか?」

 

 ラウルの気遣いに頷いて見せる。

 

「大丈夫です」

「嘘ね」

「!」

 

 嘘だとヘファイストスが断じた。

 

「防具を見てから顔色が悪くなったわ、体調が優れないのならすぐに休みましょう。武器を何度も振るっていたから疲れがでたんでしょう」

「カエデちゃん、とりあえずこの木箱に座ると良いッスよ」

 

 ラウルに示された木箱に腰かけてから、もう一度防具を見る。

 

 胸の急所だけを守るハーフプレートに、腹も含めた胴回りを完全に守るプレートメイル。金属片を縫い合わせたラメラーアーマー、凹凸をつける事で使用する金属の量を減らしながらも強度の高いフリューテッドアーマー、極東で使われる胴丸や腹当、大鎧。

 さまざまな鎧が目白押しである。

 

 そんな中、目に留まったのは『フルプレートメイル』である。

 

 ワンコさんがその鎧を「アチキは棺桶って呼ぶさネ。アチキは絶対に着たく無いさネ」と言っていた。

 意味を知ったのはその直ぐ後だったが……

 

 

 

 

 

 その日、村にはギラギラとしたフルプレートアーマーを着こんだ騎士達がやってきていた。

 

 同じ頃に取引にやってきたワンコさんが師が取引の為のお金を小屋に取りに行っている間に、珍しい一団に興味を持ったワタシの為に一緒に見に行こうと誘ってくれたのだ。

 

 村にやってきた騎士の一団をこっそり見ていると、ワンコさんは唐突に呟いた。

 

「知ってるさネ?」

「……何をでしょうか?」

「あの鎧、アチキは棺桶って呼ぶさネ。アチキは絶対に着たく無いさネ」

「……? でも凄く強そうですよ?」

「あんなもん来てカエデは走る気さネ? 正気を疑うさネ」

「うっ……」

 

 ワンコさんの言う通りで、あのフルプレートアーマーを着込んだら最後、カエデは自ら身動きが取れなくなるだろう。

 

「オヌシらは何をしとるんじゃ……ほれワンコ、金じゃ。さっさと商品を渡せ」

「ヒヅチはアチキの扱いが酷いさネ。改善をヨーキューするさネ」

「では今回は酒は無しじゃな」

「それはヤメるさネッ!? お酒無しなんてアチキは絶命してしまうさネッ!!」

 

 こっそりともう一度、騎士を見た。

 

 格好良かったし、腰に佩いた剣も、着込んだ鎧も、どれも凄かった。

 

 

 

 

 

「あやつ等は森にオーガが逃げ込んだとほざいておったそうじゃ」

「おーがですか?」

「そう(オーガ)じゃ」

 

 オーガ、ここら辺では滅多に見ない種類のモンスターで、カエデ自身は見た事はない。

 

「そうじゃのう……筋肉でできた大きなゴブリンじゃな」

「……?」

「まあよい。とにかく、見知らぬモンスターを見たら逃げろ。相手取ろう等と思うでないぞ?」

 

 騎士団が村にやってきた理由は、騎士団が逃したオーガを狩る為らしい。

 

 オーガが森の中に潜んでいるらしいが、カエデとヒヅチは森に入らなければならない。狩猟をして村に納めなければまた文句を言われてしまう。

 

 だから普段以上に警戒しながらも、ヒヅチと森に入った。

 

 

 

 

 

「ふむ、獲物が居らん」

「匂いもしないです……」

 

 森に入って二時間、獣が一匹も居なかった。

 当然だ、オーガに襲われない様に逃げてしまったのだろう。

 

「いかんな、またスイセンが五月蠅く騒ぐやもしらん……しかし……うぅむ」

 

 一緒に行動すれば範囲は狭まる……手分けして探さないとまずいかもしれない。

 

「手分けして探しましょう」

「……ダメじゃと言いたいが、そうする他あるまい……良いか? オーガを見たら逃げよ。戦おう等と思うなよ?」

「はい、知らぬ痕跡があったらすぐに場を離れます」

「…………では、ワシはあっちの方から回る。ヌシは其方の方から回れ、墓場の辺りで合流じゃ。緊急時は狼煙をあげよ。遠吠えはやめておけ、オーガに気付かれる」

 

 師は少し迷い、直ぐに示した。

 

 師が回るのはオーガの様な大型のモンスターでも平気で歩き回れる木々の密集が薄目な所。

 逆にワタシが回る所は木々が酷く密集し、動き辛い代わりに隠れる場所も多々あり、オーガの様な大き目のモンスターが立ち入らない場所が複数あり、隠れ進む事に適した所。

 師は危なくないのか? そう思ったが、師は軽く鼻で笑った。

 

「ワシの心配なぞしとらんと、今日の獲物の事でも考えておれ……またスイセンにどやされては堪らんわ」

「わかりました、ではまた後ほど」

 

 小弓に弦を張り、腰の矢筒を確認してから毛皮のフードを深く被って森に潜む。

 

 カエデの毛色は森で酷く目立つ。それは師も同一であり、動物の毛皮を丸々使った外套を使って目立たない様にした物を使っていた。

 

 その時、ワタシが装備していたのはなんの変哲もない厚手のキルト地の服に毛皮の外套。

 武装は狩猟用の小弓に解体用のナイフ、剣は持っていなかった。

 

 獲物が見つかりますように、そんな事を考えていた。



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『心の傷(トラウマ)』

 村の皆の分の墓を作るのに二日もかかった

 死体の数も確認した。ぐちゃぐちゃに潰された死体は多分二人分

 だとすると三人分足りない事になる。師と弟子の二人は間違いなく死体の中に無かった。

 あと一人は義弟の娘、叔父の孫、村人の一人、三人の誰かの死体が足りない。

 村は襲撃を受けたのだろうか? あの二人の事だから間違いなく抵抗したはずだ。

 死体が無い。連れ去られた可能性もある。あの子の毛色は珍しいし、あの人は珍しい種族だから。

 探さないといけない


 その日の天気は快晴とは言えなかったけれど、雲が大目の晴れの日だった。

 

 森の中、弓と矢を持ちながら、警戒姿勢で慎重に進んでいく。

 

 普段なら木陰に隠れた小動物が時折走り回っていたりしているのに、今日はそれがない。

 

 小鳥のさえずりも聞こえず、静寂に包まれた薄暗い森はいっそ不気味である。

 

 でも、獲物を狩って来なければ文句を言われてしまう。

 

 ゴブリンの大量発生で獲物を獲られなかった時等は酷かった。

 

 村長の弟、スイセンと言う男は何かとヒヅチに文句を言う事が多かった。

 

「わざわざ村外れの小屋を貸してやってるんだ、最低限の仕事ぐらいしてもらわねば困るな」

「それとも恩義に応える主義と言うオマエの言い草はただの虚言だったのか?」

「剣の腕が立っても、理解力が劣るのならば剣の腕にも何の意味も無いな」

 

 ヒヅチがゴブリン狩りで真面に獲物を村に納められなかった時、スイセンがわざわざ小屋を訪ねてきた。

 

「忌み子を認めてやってるんだから獲物を納めろ、出来ないなら始末しろッ!!」

 

「獲物を納めるのはついでじゃろうが、ワシの主だった仕事は化け物(モンスター)退治であって、狩りを行うのはオヌシの所の(せがれ)の仕事じゃったはずじゃが? ヌシの倅が働かんからモンスター退治の必要が無い時だけ代わりに獲物を仕留めてきてやっておるに過ぎんじゃろ……所で、あの無駄飯食らいはまだ喪にふくす等とほざいておるのかや? キキョウが他界してとうに一年経っておるじゃろうに、そろそろ喪にふくすのもいい加減にせよと諭してやらんのか、そもそもキキョウは、ツツジの伴侶だったじゃろう。伴侶だったツツジは既に立ち直って鍛冶に精を出しておるのに、ヌシの倅ときたら……」

 

 ヒヅチは片目を瞑り面倒臭そうに、苛立ちを表すように無造作に尻尾を一振りしてからニヤリと笑いそう言った。

 

「言うに事欠いてっ!」

「何を言うておる? 事実、主の(せがれ)は猟師じゃろう? 獲物も獲って来ず、田畑の手入れも手伝わん役立たずの無駄飯食らいを養うオヌシが喚くな。カエデの方が比べ物に成らぬほどに良く働いておるではないか、オヌシは毎度毎度無駄に文句を言いに来て、暇なのかや? その気鋭を田畑を耕す方面に費やしてみてはどうかのう? それとも、わざわざ街に忍び女を買いに行きはしても田畑には興味が無いのかや? いい歳をしたジジイが色事に励むのは理解に苦しむのう」

 

「ッ!!」

 

「ほれ、何か言いたい事があるのなら言ってみよ……まぁ、無いのなら一つだけ、ヌシに言っておく事がある。色事を終えたのなら体を清めよ、臭くて堪らん……他に言う事は何もない。もう良いかの?」

 

「余所者が余計な事を……貴様何ぞ居らずとも何の問題も無く「ほぅ? ワシが居らんでも村に問題は無いと?」……」

 

「ならば聞こう。先日のゴブリン、二百近く群がっておったが、ワシが居らねばどうなっておったんじゃ? 雑魚とはいえ」

 

「ツツジにやらせる。それぐらい出来るだろう。村を捨て神の下僕なんぞに成り下がった下郎にお似合いの仕事だ」

 

「……良い根性しとるのう、検閲等とほざいて手紙を全て破棄しておったのは知っているぞ?」

 

「貴様……それを伝えたらどうなるかわかっているのか?」

 

「ヌシこそわかっておるのかや? ツツジは強いぞ?」

 

「……チッ」

 

「ふん、まぁ良い。これ以上ヌシと話しておる暇は無い、さっさと去ね」

 

「待て、話は終わってないぞッ!!」

 

 話の途中でヒヅチはスイセンの事を無視して森に足を向けた。カエデは森の木陰からその様子をずっと見ていた。

 

 ヒヅチが森に入って姿が見えなくなった後も、スイセンは小屋の前で怒鳴り散らしていた。

 「忌み子が村に疫病を齎したんだぞ」「白き禍が化け物を村に呼び込んでいる」そんな風に()()()を貶しながら。

 

 

 

 

 

 なんとしてでも、獲物を狩って帰らねば……

 

 ワタシは疫病なんて村に持ってきてない。

 ワタシは化け物を呼び込んでなんていない。

 

 だから獲物を持って帰る。そうすれば文句を言われないから……

 

 

 

 

 

 運が良かった。小ぶりではあるが、兎を二羽、鳥を一羽仕留められた。本当ならその場で血抜きだけしておきたかったが、臭気でモンスターに気付かれるかもしれないので血抜きは諦める。

 肉の質が落ちるが、獲物を仕留めた事に変わり無いのだ。

 

 密かに心の中でよしと呟きながら獲物に刺さっていた矢を抜き、獲物を皮袋に入れて矢に付いた血を近くに生えていた臭い消しの効果のある薬草の葉で拭って血の匂いを誤魔化していると、嗅ぎ慣れない嫌な臭いを嗅ぎ取った。

 

 血の付いたままの矢を遠くに投げ捨ててから、直ぐに木の陰に身を潜めながら周囲を探る。

 

「……? アレは……」

 

 ふと見つけたのは、カエデの胴より太い木が引きちぎられていると言う信じられない光景だった。

 

 耳を澄ませて周囲を索敵するが、恐ろしいぐらいの静寂に包まれている。

 

 新しい矢を取り出して弓に番えておく。あの木を引きちぎる様な化け物相手に小弓では心もとない、無くても変わらない気がするが……

 引く事はせずにそのまま警戒姿勢を解かずにゆっくりと薙ぎ倒された木々から離れようとした所で、モンスターの咆哮と人の叫び声が聞こえた。

 

『――――――――――――』

「――――――――――――」

「――――――――――ゴバッ!?」

「――――あああぁぁぁぁぁぁああ」

「――やられた!! 一度撤退するぞ!! 撤退だっ!!」

 

 慌てて低木の根元に潜りこんで身を隠す。番えていた矢は誤って落としてしまった。

 

 幾数人の怒鳴り声、何かがへしゃげる音、次の瞬間にはカエデの隠れた低木の直ぐ近くに金属の塊が飛んできた。先程、カエデが落とした矢が金属の塊に押し潰されるのを見た。あの場に留まっていたら自分が押し潰されていただろう。恐ろしい想像を振り払う。

 

 ガシャンと音を立てて落ちてきたそれが何かを確かめるより前に、カエデは慎重に咆哮の聞こえた場所を窺う。

 

 見えたのは信じられない程に太い腕、その腕で振るわれるカエデの胴なんぞよりはるかに太い木。

 木の棒じゃない、木そのものをぶん回している。

 

 そしてその木に吹っ飛ばされて森に消えていく銀色の鎧姿の人、それとガシャガシャと音を立てて逃げて行く一人の騎士、それに向かって木を投げ飛ばした巨大なモンスターは、体の至る所から出血しており、怪我をしていた。

 投げられた木は逃げる騎士に当たる事は無く、他の木にぶち当たり、あたった木が斜めに傾いだ。

 

 モンスターはもう一度咆哮をあげると、そのまま足を引きずる様に森の奥へ逃げて行く。

 

 カエデは息を潜めて待つ。見付かったら間違いなく殺される。

 

 相手が手負いで、弱っていたとしても、木を振り回す相手を小弓で相手取ろうと思えはしない。

 

 

 

 暫くして、カエデはゆっくりと警戒を解かずに低木の下から這いずり出て、辺りを警戒する。

 

 耳を澄ませると、直ぐ近くから咽ぶ音が聞こえた。

 

 先程、カエデが落っことした矢を潰した金属の塊は、ひしゃげたフルプレートアーマーだった……。

 隙間から血が流れ出ており、被った兜から咽ぶ声が聞こえた。

 

 音を立てない様に近づいて、声をかける。

 

「大丈夫ですか?」

「助―て――れ」

 

 なんて言っているのかは良く聞き取れなかった。

 でも助けを求めている。それはわかった。

 

 出血の状態から、治療は十二分に間に合う範囲だと思う。放置すれば失血死してしまうだろう。

 鎧がひしゃげて呼吸を妨げている。このままだと失血死ではなく窒息死してしまう可能性もある。

 

「少し、待っててください」

 

 ワタシは迷う事無く治療の為に鎧を外そうと手を伸ばした。

 

 フルプレートアーマーなんて見たのは初めてだった。構造なんて知る訳も無い。

 

 まずは最も出血の酷い箇所から取り掛かる。盾ごと腕がひしゃげていて、潰れたガントレットの隙間から多量の血が流れ出ていた。

 腕に装着されていた大きな盾を苦労して外す。盾もひしゃげていたし、腕なんてめちゃくちゃになっていた。ガントレットは簡単に外せた。チェーンメイルの腕の部分と収まっていたはずの腕は完全に潰れていて、原型なんて留めて居なかった。

 落ち着いてチェーンメイルの腕の部分を外して、布を当ててきつく包帯を巻き付けて止血してから、兜を外す。

 

 中から出て来たのは灰色の髪の毛のヒューマンの男の人だった。

 

 苦しそうに呻き、薄目を開けて此方を見たので、話しかける。

 

「大丈夫ですか?」

「…………」

 

 吐血している訳ではない様子で、息に血の匂いは混じっていない。運が良い人だと思う。内臓にダメージが無い可能性もある。それなら助けられる。

 

「今、応急処置してます。鎧、脱がせます」

 

 返事は出来ない様子だが、その人は軽く頷いた。

 まだ意識がはっきりとしている。ならば急ぎ鎧を脱がせて村まで運べば十二分に間に合う。

 応急処置を済ませて狼煙をあげる。後は師がなんとかしてくれるはずだ。

 

 ひしゃげた鎧、完全に金属板に覆われた胴体の鎧、どうやって外すのか解らなかった。

 

 手探りで外せそうな場所を探す。腰の鞘と帯剣用のベルトを外す、それから肩当を外して……胴鎧に手を伸ばした所で手を止める。

 

「えっと……留め具があって……外して……」

 

 留め具の位置は直ぐに分った。吹き飛ばされた衝撃で留め具は外れて吹き飛んでいた。

 

「あれ……? なんで外れないの? どうして……」

 

 留め具が壊れているのならもう外せるはずだ、なのに鎧を脱がせられなかった。

 

 へしゃげた鎧は留め具に止められることも無く、がっちりと噛み合い、完全に固定されている様だった。

 

「……外せない」

 

 ワタシでは非力過ぎて外す事は出来ない。

 狼煙をあげて、師の到着を待つべきかもしれない。

 内臓に被害が無いのなら多少は持つはずだ。

 

 その人の顔を覗き込んでその事を伝えようとして――――吐血で汚れた口元と白目を剥いた顔を見た――――

 

「ッ!?!?」

 

 吐血している。つまり内臓に損傷あり。そして白目、気絶。意識を失っている――呼吸は浅いが続いている――直ぐにでも医者に見せる必要がある。

 

 このままだとこの人が死んでしまう。慌てて狼煙をあげる為に落ち葉をかき集めて燃え広がらない様に小さ目に穴を掘る。そこに落ち葉を放り込んで火打石で火を焚く。

 

 すぐに火が出たのを確認して近くに生えていた煙の良く出る植物をナイフで裂いてほぐして放り込む。

 

 狼煙がちゃんと上がったのを確認してからもう一度鎧に向きなおる。

 

 師が着くまでどれくらいかかるのか不明だが、今すぐにでも鎧を脱がせないといけない。

 

 ナイフを取り出して鎧の隙間に突き立てて鎧を引きはがそうとしてみた。

 全力で引きはがそうと力を入れていたら、ナイフが折れて勢い余って後ろに吹っ飛んだ。

 

 折れたナイフの柄を手に焦る。

 

 このままだと死んでしまう。まだ呼吸してる。生きてる。助けなきゃ。

 

 ナイフはそのまま放り捨てて矢を数本取り出して鎧の隙間にねじ込む。

 そのまま矢を使って引きはがそうとするが、矢では無理だった。普通に折れた。

 

「矢じゃ無理、弓も……無理」

 

 矢はそこそこ強度があったはずだが無理だった。弓はしなりはしても強度は高くない。

 助けなきゃいけないのに、カエデの手持ちで唯一使えそうだったナイフを失った今、手が無い。

 

 何か無いか、慌てて辺りを見回すと、その男の人から剥いだ剣の鞘が見えた。剣は納まっていない。

 走り出す、剣が何処かに転がっているはずだ、何処かに……

 

 

 走り出した先、別の鎧姿の人が倒れていた。兜の部分が変な風になっていた。木にぶつかった衝撃で曲がってしまったのか、変な方向を向いている。体はうつ伏せなのに、兜の顔の部分が空を仰いでいた。もしかして兜だけが――なんて考えて兜の隙間部分を覗き込んだら()()()()()()()()()……中の人がどうなっているのかなんて想像もしたくなかった。確認するまでも無く絶命していた。

 

 腰の剣はそのままになっていたので、鞘から引き抜いて剣だけを貰う。

 

「剣、お借りします」

 

 死者に何を言っても無駄だが、骸には敬意を払わねばならない。生前の所業は死ぬ事で精算される、故に骸に罪は無く、しかとした弔いをしなくてはいけない。

 骸の弔いより生者の救助を優先すべきだから、今は野晒しにする他ない。

 剣を持って先程の人の所へ、到着したらすぐに剣を鎧の隙間にひっかけて、力を込めるが……

 

 ボキンッと、音を立てて剣が折れた。残った部分でもう一度、また折れた。三度目で使い物にならなくなった。

 思っていた程、騎士の使っていた剣の質は良くなかった様子だった。

 

 もう一本どこかにないか、もう一度走り出して探す。

 

 

 見つからない、金属の匂いを頼ろうにも血の匂いが酷い。

 

 

 苦労して見つけた剣はひしゃげて折れていた。

 使い物にならない。

 

 直ぐに男の人の所に戻った。戻った時には――――――息絶えていた。

 

 死んでいる、それを確認してから、もう一度鎧を外そうと手をかけた。師が此方を見つけたのはちょうどその時だった。

 

 師は何も語らず、骸になった二人の騎士を弔うから先に村に戻って獲物を村長の所に届けて来いと言った。

 ワタシは師の指示に従い獲物を村長の所に届けた。

 

 村長の家から真っ直ぐ小屋に帰ろうと足を向けたらスイセンが騎士を相手に話し込んでいるのが見えた。

 

「白き禍憑きにお気を付けを」

「白き……なんだそれは」

「災厄を運ぶ忌み子です。村外れの余所者が連れている子でして……出会うと碌な事にはならないでしょう」

「……ふむ、成程。気を付ける事にする。それよりも狐人(ルナール)について何かご存じではないか?」

狐人(ルナール)? そ奴が何か失礼を?」

「いや、オーガの反撃で怪我人が何人か出て危ない所だったのだが、狐人(ルナール)が救援に駆けつけてくれてな……オーガを仕留めた後は直ぐに何処かに行ってしまったので礼が言えなかった、その狐人(ルナール)についてご存じないか? ご老人」

「……余所者の事ですな」

「そうか、ならば礼を言わねばならん。何処に居るか案内して貰っても?」

「騎士様、申し訳ないがお断りです。白き禍に遭うなんて御免被ります」

「……そうか、別の者を当たる事にしよう」

 

 ワタシは見つからない様に遠回りして小屋に戻った。

 

 

 

 

 師が帰ってきたのは日が暮れ始めた頃だった。

 師は帰って早々に「血生臭い、水浴びに行くぞ」とカエデを担いで川へと運んだ。

 問答無用で服を引っぺがされ、川に突き落とされた。

 師も服を脱いで川に入ると、呆然としていたワタシにこう言った。

「気にするなとは言わん。じゃが囚われるな」

 意味は分らなかった。

 

 

 

 その後、小屋に戻ってから「騎士の連中が弔いの礼にとくれた」と干した果実のたっぷり詰った皮袋をくれた。

 

 ワンコさんが時折売りに来る干した果実は、好物だった。

 

 何時もなら嬉しいソレに、素直に喜べなかった。

 

 

 

 

 助けられなかった、それももちろんある。

 

 だけど、人を見捨てたり、助けられなかったりした事は他にもあった。

 

 

 まだ()について理解していなかった頃、森の中で倒れていた人を見つけた。

 師が怪我人に対してしていた事を真似て、声をかけて意識の有無を確認して、包帯を巻いて傷を塞ぎ、それから体が冷えていたから焚火を焚いてその人を温めた。

 呼吸もしてなくて、心臓も動いていないその人の傍で、目覚めるのを待っていた。

 ……その人は既に事切れていて、ワタシがやっていた事は全部無駄だったのだけれど……

 

 

 他にも、モンスターに襲われている人を見捨てた事だってある。

 五十匹近いゴブリンに囲まれて嬲り殺しにされている新米の退治屋の真似事をしていた少年たちが、助けてくれと叫んでいるのを聞きながら、その人たちを見捨てた。その時、ワタシは薬草採取の為に小ぶりのナイフしかもっていなくて、自分では何もできないと師を呼びに行った。

 戻った時にはゴブリンに貪り食われた後で骨しか残っていなかった。

 

 

 勿論、人が死ぬ事に慣れた訳じゃない。誰かが死んでいれば悲しい。

 

 

 でも、その時のワタシは男の人が死んだ事よりも身を守る鎧の所為で人が死んだ事の方に衝撃を受けた。

 

 金属板を使った、頑丈そうな鎧、装備していなかったら攻撃が当たった時点で即死だっただろう。

 でも、装備していた所為で変に生き残って長く苦しんで死んだのだ。

 

 もしそれが自分だったら?

 

 怖くて堪らなかった。

 

 

 

 ワンコさんがやって来たとき、ワンコさんは鎧に見惚れていたワタシの為にと胸当てとグリーブ、チェーンメイルを持ってきてくれた。わざわざワタシの体に合わせた物を、特注品だと言っていた。

 

 ワタシはグリーブとチェーンメイルだけ貰った。値段は1200ヴァリスだった。

 

 胸当ては装備できなかった。

 

 師が呆れ顔をしていた。ワンコさんは次に来た時にレザーアーマーを用意しておくと言っていた。

 

 申し訳なかった。

 

 けれど金属製の胸当てを装備するのは嫌だった。

 

 身を守ってくれる大事な物だと言うのはわかる。

 

 それでも、嫌だった。あの死に方を見てしまってから、金属鎧だけはダメだった。



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『疑似・不壊属性(デュランダル・レプリカ)』

 犯人は冒険者だ、犯人を見つけなきゃ

 犯人にあの二人を何処にやったのか聞かなきゃ

 あの人と一緒に色々と作戦を立てていたのに

 全部無駄になってしまった

 一度、オラリオに行こう

 あの赤髪の神に報告して、情報を貰わないといけない

 あぁ、お酒が飲みたい


 【ヘファイストス・ファミリア】の試し切りを行う大部屋にて、俯くカエデに対してヘファイストスとロキは困った様な表情を浮かべ、フィンは肩を竦める。

 

「カエデたん、板金は()()ってなんでなん?」

「ごめんなさい、板金の胴鎧は……ダメなんです」

 

 カエデの為に用意された各種防具の前で、体調が悪くなったらしいカエデは木箱に腰かけたまま俯いており、呟く様に「ダメなんです」とこぼした。

 

 理由をヘファイストスが問えば、板金の胴鎧はダメだと言うだけで他に何も言おうとしない。

 

 ヘファイストスは腕を組み、吐息を零した。

 

「じゃあ、どんな防具なら平気なのかしら」

「……革鎧なら」

「じゃあ革鎧をいくつか用意するけど……プレートメイルより防御力はかなり落ちるわよ?」

 

 金属製の鎧の利点は、何よりも頑丈な事だろう。

 手入れをしっかりすれば動きも滑らかで行動を阻害しないしっかりとした造りの物も多数存在する。

 欠点である鎧の重量は恩恵による身体能力の向上によって気にならない。

 

 革鎧の利点は軽量である事ぐらいだが、逆に欠点は板金鎧に比べて防御性能が劣る事、コストが高くなる事である。

 

 本来、金属鎧よりも革鎧の方が安価であるのだが、ここオラリオではモンスタードロップ品の革等を使った防具を主に作成している。

 

 モンスタードロップ品は、そのモンスターを倒せば確実に手に入る訳ではない上、革ともなると傷つけずに入手する事は非常に難しい。故に上層のモンスタードロップの革鎧であっても、鉄の鎧等に比べて比較的高価になりやすい。

 

 しかし高価ではあっても、防御性能は金属鎧に劣る事もあり、冒険者が革鎧を装備する事はあまりない。

 

 その上、【ヘファイストス・ファミリア】で取り扱う物は基本的に金属製の武具であり、一部革鎧も取り扱ってはいるものの、種類は格段に落ちる。

 

「ごめんなさい」

 

 完全に弱り切った様子のカエデに、ヘファイストスも何も言わない。

 

 ロキは目を細めてから小声でフィンに声をかけた。

 

「なあフィン」

「なんだい?」

「板金鎧を嫌がる理由、わかるか?」

「……重いとか金属の臭いが嫌いとか……じゃ無さそうなんだよね。チェーンメイルは平気そうだし」

 

 フィンはカエデが取り置きしたチェーンメイルを見てから、ラウルと話しているカエデを見る。

 

「鎧が嫌なんスか? 重いのはファルナ貰えば気にならないッスよ?」

「…………ごめんなさい」

「あー……まあ、ほら、ティオナさんとかティオネさんとか、鎧? 何それ食べれるの? って人達も居ますし。アマゾネスっすけど……カエデちゃんがなんか拘りがあるなら別に良いと思うッスよ」

 

 木箱に腰かけたままずっと俯いている。

 

「うぅん……鎧に何かトラウマでもあるのかな」

「んー……フィン、聞きたいんやけど……革鎧でも大丈夫なモンなん?」

 

 ロキの質問に、フィンは片目を瞑り唸る。

 

「カエデはどっちかっていうと回避型だから問題は無さそうなんだけど……」

 

 入団試験時の模擬戦にて、フィンの剣の間合いの内に侵入する際には必ず攻撃の時だけで、隙無く剣をぶつける様な戦術をとり、攻撃を終えたら範囲から離脱する。ヒット&アウェイを意識していた。

 カエデは距離をとる際にフィンの追撃を非常に警戒しながら距離を置く様に動いていた。

 

 カエデの体格からすれば、攻撃を防御すればそのまま体勢を崩されて押し込まれるからか、防御を意識するよりは回避を優先していた。

 

「……うん、問題は無いね」

「ほぉ、ならええんやけど」

 

 体格の関係でカエデは常に不利に立たされるだろうが、フィンも同じ道を通ってきたのだ。

 フィンは軽装であったが、攻撃を防御するよりそもそも当たらない様に立ち回っていた。

 その当時の自分よりもカエデの方が技術的に優れていると言える。

 何も問題は無さそうだ。

 

「これで一式揃ったわね、どうかしら?」

「……はい、ありがとうございます」

 

 【ヘファイストス・ファミリア】の団員が持ってきたレザーアーマーを見て、ヘファイストスは一つ頷く。

 

「鎧下のインナーも一式用意したから、一度全部装着してみなさい、調整もあるから」

「はい」

 

 ヘファイストスから鎧下を受け取ったカエデが試着室に向かったのを見て、ロキはこっそりとカエデの後を追おうとするがフィンが首根っこを掴みヘファイストスの元へ向かった。

 

「フィン、邪魔すんなや、ウチはこれからカエデたんの柔肌をさわさわしに行くんや」

「ロキ、気になる事があるんだろう?」

「……はぁ、ロキは相変わらずね」

 

 フィンに引きずられてくるロキの様子に呆れたように息を漏らしたヘファイストスは木箱に腰かけて首を傾げる。

 

「それで? 気になる事って何かしら?」

「カエデたんの事なんやけど、もしかしてファイたんの眷属の――「それについては追及しないって約束でしょう?」――でも気になるやん?」

 

 ヘファイストスは半眼でロキを睨んでから、肩を竦める。

 

「ならお金、払うのかしら?」

「んー……払ったら教えてくれるん?」

「えぇ、払ってくれるのなら……ね?」

 

 ヘファイストスは意味深に笑い、ロキは腕を組む。

 

 ファイたんは無料やと言ったが、金額がいくらなのかは口にしていな……いや、待て。無料……無料やて? ちょい待てや、無料っておかしいやろ。ファイたんってたしか――――

 

 そこまできて、ロキは一つ重大な事実に気が付いた。

 

「ひとつ気になったんやけど……ファイたんってたしか眷属(こども)等の作品をタダで渡したりせんやろ?」

 

 【ヘファイストス・ファミリア】の主神ヘファイストスは、武具の値引き交渉に一切応じない事で有名だ。

 

 当たり前の事だが【ヘファイストス・ファミリア】の取り扱う武具は当然の如く【ヘファイストス・ファミリア】に所属する鍛冶師達の作品である。

 それはヘファイストスの眷属の作品であると言う事でもある。

 

 そして、ヘファイストスは眷属(こども)の事を大事に思っている。

 

 故に眷属(こども)が作り上げた作品を、どれだけ酷い出来であったとしても無料で配ったりはしない。

 どんな作品であっても、眷属が作り上げた血と汗の結晶だと言って大事にする。

 

 だが、今回ヘファイストスは無料で武具を用意すると言っていた。

 

 眷属の作品で無いとすると……

 

「えぇ、当然でしょう? 眷属(こども)の作品を無料で提供なんてしないわ」

「マジか」

 

 にこやかに笑ったヘファイストスに、ロキは思い切り顔を引き攣られた。

 

 眷属の作品でなく、無料で渡しても良いとされる物。

 

 それは他のファミリアから買い取った物か、神ヘファイストス自身が作り出したものだけだろう。

 

 他ファミリアからわざわざ買い取って渡す事は無い筈なので、必然的に神ヘファイストスの作品になるのだが……なぜ、カエデのサイズに合った物が用意されていたのだろう? 若干大きいぐらいだった気はするが……

 

 神ヘファイストスの作り出した作品。

 それだけで数億ヴァリスは出す様な者は、冒険者・好事家問わずに数多存在する。

 それこそ、ヘファイストスが珍しく失敗したと言って歪んだ(二級の鍛冶師でも歪みを発見できなかった)短剣を適当に売りに出した所、一億と八千万ヴァリスで買い取られたと言う話まである。

 

 神様が手ずから作った、それだけの付加価値で数億ヴァリス。

 

「ちなみになんやけど……カエデたんの、防具一式……いくらになるん?」

「あの革鎧よね? ……そうねぇ……十億ヴァリスはくだらないんじゃないかしら?」

「!?」

「あー、やっぱりかぁ」

「フィン気付いとったんか!?」

「いや、だって無料だよ? おかしいと思ったんだ」

 

 フィンは苦笑を浮かべて肩を竦める。

 

「それで、ツツジの作品を無料でカエデに渡したのは――「聞きたければお金、払って頂戴」――…………」

 

 話す気は無い。そんな様子のヘファイストスにロキは肩を竦める。

 

「わかったわ。この件には一切ふれんし、探りもいれんわ。でも、想像はさせてもらうで?」

「ええ、構わないわよ」

 

 ヘファイストスとロキはにこやかに笑い合う。それはもう美しい女神の笑みである。華やかな笑みを交わし合っているのに、雰囲気は何故かピリピリしている。

 

 そんな雰囲気の二人にラウルが声をかけた。

 

「……お二人ともどうしたんスか? カエデちゃん着替え終わったッスけど」

「えっと……着替え、終わりました」

 

 おずおずとやってきたカエデの恰好はキルト地の鎧下の濃い群青色のインナーにスタッド・レザーアーマーを合わせて、腰にポーチ、背中に新しい武器の『ウィンドパイプ』を背負った姿であった。

 それを見てフィンが呟く。

 

「んー……新米冒険者って感じかな」

「せやな、どれもぴっかぴかの新品やしな」

「そうね、着こなしてると言うより着られている感じね」

「そうッスかね? 普通に似合ってると思うッスけど」

 

 四人の反応に首を傾げたカエデにヘファイストスが笑い、口を開いた。

 

「それで、違和感はあるかしら?」

「えっと、この……腕の部分が引っかかる感じがします」

「わかったわ、調整するわね」

 

 カエデが指摘した部分をヘファイストスが手早く調整していく様子を見ながら、ロキは一つ呟く。

 

「そういや、カエデたん、レザーアーマーの着方知ってたんやな」

「……そうなるのかな?」

「いや、知らなかったッスよ」

 

 ラウルの言葉にフィンとロキの視線がラウルに集まる。

 

「じゃあなんで着れとるん?」

「俺が着させたッスよ。試着室から困った様に顔出してたんで」

「……なんやと?」

 

 カエデたんのお着替えを手伝っただと……ロキの驚愕の表情に、ラウルが首を傾げた。

 

「どうしヘブシッ!? 痛いッス!? 何するッスかロキ!!」

 

 首を傾げた瞬間、ロキの拳がラウルの鼻っ面に叩き込まれ、怯みながらもラウルはロキに叫ぶ。

 

「うっさいわッ!! ウチもカエデたんのお着替え手伝いたかったわッ!! 後ついでにさっきラウル殴るって決めとったからついでに殴るわ」

「やめて欲しいっす、と言うか俺悪くないッスよね!?」

「黙れや!! もう許さんッ!! さっきからカエデたんといちゃいちゃしやがって!!」

「してないッス!?」

「ラウル覚悟せぇやああああぁぁぁぁぁあ!!!!」

「なんでッスかああああぁぁぁぁぁあ!!??」

 

 ロキはラウルに殴りかかり、ラウルは何故殴られるのか理解できないままにロキにぽこぽこと殴られている。

 特に抵抗をしないのは、一般人程度の力で殴るロキの攻撃ではレベル3のラウルにダメージが入らない為でもあり、変に抵抗してロキを怪我させるのも良くないと考えて無抵抗に殴られている。

 

 フィンが呆れたように肩を竦めてから、二人を無視してカエデの傍に行った。

 

「どうかしら?」

「はい、違和感なく動けます」

「そう、調整は一応終わったわ。また違和感があったら持ってきなさい。調整するわ」

「ありがとうございます」

 

 礼を言ったカエデの頭を撫でていたヘファイストスは、近づいてくるフィンに気付いて手を止めた。

 

「それで、武具は用意できたけれど……もう帰るのかしら?」

「はい。今回の件、わざわざ対応して貰って感謝しています」

「それについては構わないわ……ただ……あの二人、と言うかロキを止めなくていいのかしら?」

「……ラウルさんとロキたんさまは何をしているのでしょうか?」

「…………ロキ()()さま?」

 

 首を傾げたカエデに、ヘファイストスも同じように首を傾げた。

 

「カエデ、ちょっといいかしら」

「はい、何でしょうヘファイストス様」

「様は無くても良いけど……その、ロキ()()様って呼び方……間違ってるわよ?」

「……え?」

「~たんって言うのは、神々が使う敬称の様なモノで……そうね、~さんとか~くんみたいな意味なのだけれど……」

 

 ヘファイストスの指摘に、カエデは目を見開いて停止した後に、徐々に顔色が青くなっていく。

 

 今までずっと正しいと思っていた呼び方が間違っていたと知り、失礼な事をしていたと思ったのか青い顔のままどうしようと震えているカエデにフィンが笑いかける。

 

「気にしなくても良いよ、ロキも嫌だったら自分の口で言うからね」

「でも……」

「んー……おーいロキ、そろそろラウルで遊ぶのをやめてこっちに来てくれないかい?」

 

 フィンは少し考えてからロキに声をかける。

 

 ロキは、ラウルへの追撃をやめ、フィンの方へ向かうと見せかけてラウルの頬にビンタを一発叩き込む。

 バチンと良い音が鳴り、ラウルの頬に綺麗な手形をつけてから、満足そうにロキは歩いてきた。

 ラウルは張られた頬を摩りながら苦笑いを浮かべている。

 

「ロキさま、今まですいませんでした」

「……? なんでカエデたん謝るん?」

 

 歩いてきたら唐突にカエデに深々と頭を下げられ、ロキが首を傾げる。

 ヘファイストスが呆れたとでも言いたげな表情で額に手を当ててから口を開いた。

 

「ロキ、貴女、カエデが間違った言葉の使い方をしていたのを指摘しなかったでしょう……いや【勇者(ブレイバー)】と【超凡夫(ハイノービス)】、貴方達もだけれど……と言うか【ロキ・ファミリア】全員かしら?」

「なんの話を……」

 

 そこまで言った所でようやく気が付いた。

 

 カエデがロキを呼んだとき、『ロキたんさま』ではなく『ロキさま』と呼んだ事に。

 

「……ファイたん!? なにしてくれとんのや!!」

「貴女がちゃんと教えないのがいけないんでしょう?」

 

 変な呼び方を許容していたのは、むしろそっちの方が可愛かったからである。

 むしろ逆に新鮮な呼び方だったし、真面目なカエデが変な呼び方をしているのを可愛いなぁと愛でていたのに、ヘファイストスが台無しにしてくれた。

 

「ロキさま……」

「……カエデたん、ロキたんさまでえぇんやで?」

「いえ、その呼び方は間違っているそうなので」

「嘘やろ……」

 

 ロキはがっくりと膝をつき、項垂れる。

 フィンが半笑いを浮かべ、ヘファイストスはロキの頭をぽんぽんと叩く。

 

「今度からちゃんと教えてあげなさいよ」

「ファイたんゆるすまじ」

「あら? 支払をしてくれるの? 殊勝な心がけね」

「冗談に決まっとるやん」

 

 一瞬で態度を豹変させてにこやかにヘファイストスに笑いかけるロキ。

 

「あぁ、その呼び方、やっぱ間違ってたんスね」

「なんで教えてくれなかったんですか……」

「いやー、なんかすっごく普通にそう呼んでたんでそれが正しいのかなって」

「うぅ」

 

 ラウルの言葉に俯いて顔を赤くするカエデに、ラウルは朗らかに笑う。

 

「大丈夫ッスよ。誰もロキの呼び方なんて気にしてないッス」

「でも、変な呼び方だったんですよね……」

「気にしなくて大丈夫ッスよ。俺だってリヴェリア様の事を母親(ママ)って呼んだ事あるし」

「まま?」

「母親、お母さんって意味ッスね」

「…………」

「【ロキ・ファミリア】の母親(ママ)って言えばオラリオで通じるッスからねえ」

「そうなんですか……」

 

 お母さんと言う言葉を聞いたカエデの表情に影が差したのに気が付いたラウルはワザとらしくにこやかに笑うロキに声をかけた。

 

「それよりももう用事も終わったし帰るんスかね?」

「おー、せやな。そろそろ帰るわ。ファイたんマジ感謝やで」

「ヘファイストス様、ありがとうございました」

「えぇ、カエデ、貴女の武具の調子が悪くなったら何時でも来なさい」

「ウチは――「来ないで」――そんないけずな事言わんといてな……」

 

 

 

 

 

 【ヘファイストス・ファミリア】を後にして、本拠への途中でラウルは唐突に口を開いた。

 

「ちょっとお腹空いたんで帰りにじゃが丸くん買って帰りたいんスけど」

 

 カエデが新調したレザーアーマー一式の詰まった木箱を背負ったラウルは『じゃが丸くん』とでかでかと書かれたのぼりを指差して示しながらロキとフィンを見た。

 ヘファイストスから受け取った『ウィンドパイプ』と言う剣はカエデの背に背負われている。

 

「おおー、えぇな。久々にじゃが丸くん食べるかー」

「そうだね」

 

 オラリオで有名な食べ物と言えば? と質問すれば8割程度の人が『じゃが丸くん』と答えるだろう。

 簡単に言えばじゃが芋を蒸かして潰し、一口大に丸めた物に衣をつけて揚げた物だが、とある剣姫と言う少女がこよなく愛し、時折じゃが丸くん屋台の付近で他ファミリアの冒険者を叩き潰す等のトラブルまで発生させたりする原因にもなっている食べ物である。

 

「……じゃが丸くん?」

「カエデちゃん知らないんスか? じゃが芋を蒸かして潰して衣つけて揚げたオラリオの有名な食べ物ッスよ。カエデちゃんも食べるッスか? 奢るッスよ」

「良いんですか?」

「良いッスよ」

 

 じゃが丸くんの値段は基本のプレーンが一つ30ヴァリス。

 【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタインの愛するじゃが丸くん(小豆クリーム味)が一つ40ヴァリス。

 その他、味の種類は様々だが、一番高い味でも50ヴァリス程である。

 じゃが丸くんは子供のお小遣いでも購入可能な食べ物で、何も知らないカエデにラウルが見栄を張るのに最適ともいえる。

 

「マジかー、ラウルのおごりかー……じゃあじゃが丸くんデラックス(600ヴァリス)を頼むしかないわな」

「じゃあ僕はじゃが丸くんビッグ(150ヴァリス)にしようかな」

「ちょっと待つッス」

 

 ラウルの想定ではとりあえずシンプルなプレーン味(30ヴァリス)を全員分で120ヴァリスで済ますはずだった。しかし、デラックス(600ヴァリス)はまずい。

 

 デラックスは十種類のじゃが丸くんの味を一度に楽しめる物で、ビッグは単純にでかいだけ。

 

 いや、ラウルは冒険者、しかも二級(レベル3)なので収入的に600ヴァリスなんて気にもならない値段のはずなのだが、思わず二人を止める。

 

「デラックスはダメッス。欲しかったら自分で買って欲しいッスよ」

「しゃーないなあ……じゃあウチはアイズたんの好きな小豆クリーム味で」

「そうか……じゃあ僕はスペシャルデラックスで」

「団長ッ!?」

 

 じゃが丸くんスペシャルデラックス。お値段驚異の2000ヴァリス。

 何をどうトチ狂ったらそうなるのか、オラリオの食糧事情を一手に抱え持つ【デメテル・ファミリア】産の最高級品のじゃが芋を使い。さらに調味料から揚げる油に至るまで全てを超高級品で揃え、調理器具も全て最高級品と、何がしたいのか途中から分らなくなり、とりあえず全て高級品で固めれば良いだろう(適当)と言った流れで完成した……完成してしまった超高級じゃが丸くんの事だ。

 

 今までの販売数は【剣姫】を除けばわずか20個程度しか売れなかった商品で……【剣姫】を含めると驚く事に300近くは売れたらしい。恐ろしい話である。

 

「あははは、冗談だよ」

「冗談キツイっす……それじゃ買ってきますけど……団長、プレーンで良いっすよね?」

「そうだね」

「んじゃいってくるッス」

 

 ラウルが軽い足取りで買いに行くのを見送っていると、ダンジョン帰りの人混みの方からティオナの声が聞こえた。

 

「あーロキだ、フィンも――「団長ッ!!」――あ、ちょっと待ってよ」

 

 人ごみをかき分けて、ティオネが猛スピードで駆けてきて、その後ろをティオナとアイズが歩いてきた。三人が通る際に人混みがすっと道を空けているのが確認できる。

 

 オラリオのトップクラスのファミリアの準一級冒険者三人が歩いていれば当然の反応だ。

 

「団長! こんな所で会うなんて奇遇ですね! 今からデートとかどうでしょうか?」

「ごめんティオネ、僕は今ロキとカエデをエスコートしていてね、両手が塞がっているんだ」

「そんな……カエデ……は良いとして、ロキ! 私と代わりなさいよ!」

「ティオネ、ウチとフィンどっちが大事――「団長よ」――あぁそうやなティオネはそういう子やって知っとったで」

 

 ロキが少し悲しそうにフィンの横をあける。瞬間、ティオネがフィンの横を確保して腕に抱きつこうとするが、フィンは何気ない動作でスルリとソレをかわした。

 

「団長~」

「あはは」

「いつも通りやなぁ」

 

 ティオネが悲しそうに呟き、フィンが誤魔化す様に笑う。ロキが能天気そうに見守る。よくある光景である。

 

 そんな横で丁重に頭を下げるカエデと、同じ様に頭を下げ返すアイズ、それを見て肩を竦めるティオナの姿があった。

 

「こんにちは」

「カエデじゃん。こんにちは、今日は出かける日だったんだ? 何してたの?」

「こんにちは……武器を買いに行ってたの? その袋……」

 

 アイズの視線の先、カエデが背中に背負った剣を納めておく袋には【ヘファイストス・ファミリア】のエンブレムが刻まれており、アイズは明日に武器を買いに行くと言っていた事から、武器を買ったのだろうと想定した。

 

「おー、新しい武器買ったんだ。どんな武器? 見せてー」

「あ、はい」

 

 ティオナが興味津々と言った様子でカエデから背負っていた袋を受け取り中身を取り出した。

 

「おー、カエデの『大鉈』と似てる剣だね」

 

 出て来たのはカエデの持っていたボロボロの『大鉈』と言う剣と同じ片刃の剣。

 切っ先に行くほどに厚みが増し、剣幅も広くなっている振り回すことで威力を高める形状をしている。

 特に飾りらしい飾りも無い様に見える。美しい模様が刻まれている訳でも無く、只の剣と言った感じだ。今時の武器としては珍しい部類ではないだろうか?

 

 冒険者は派手な恰好を好む。アイズはそうでもなく、自らの防具のデザインはロキが行った物で、自分はとりあえず防具ならなんでも……そもそも攻撃に当たらないし。と言った感じなのだが、他の【ロキ・ファミリア】の団員は武具に装飾を行うのが当たり前と思っている節がある。

 

「でも『大鉈』より大きい?」

「はい、製作者は同じ人の物だそうです」

「へえ、製作者は誰なの?」

「えっと……【疑似・不壊属性(デュランダル・レプリカ)】ツツジ・シャクヤクと言う方の作品だそうです」

 

 その言葉を聞いた途端、ティオナはピタリと動きを止めた。 

 カエデが首を傾げる。

 

 ……【疑似・不壊属性(デュランダル・レプリカ)】?

 どこかで聞いたような……前にティオナが言っていた壊れない? 壊れにくい剣?

 

「どうしたんですか?」

「…………本当?」

「?」

「これ、ツツジ・シャクヤクの作品?」

「はい、そうらしいです」

「【疑似・不壊属性(デュランダル・レプリカ)】の作品?」

「……? そうなりますね……」

 

 剣をじーっと見たまま呟く若干不気味なティオナに思わず後ずさりながらカエデは答える。

 アイズは「あー……」と納得の表情。

 

「うっそぉおおおおおおおおおおお!?」

「!?」

 

 いきなりの大声に驚いて毛を逆立てて飛び退いてアイズの陰に隠れるカエデ。

 アイズは冷めた目でティオナを見ていた。

 

「ちょ、いきなり大声だしてどうしたのよティオナ」

「ちょっとこれ!!!! 聞いてよこれ、この剣!!」

 

 大声に反応して団長にじゃれついて居たティオネが声をかければ、剣をずびしっと指差してティオナは興奮した様に、と言うか興奮しながら叫ぶ。

 

「あの有名な【疑似・不壊属性(デュランダル・レプリカ)】ツツジ・シャクヤクの作品だよっ!!!! 十数年前にオラリオから去った今でも【疑似・不壊属性(デュランダル・レプリカ)】の作品を愛用してる人がいて、しかも十年以上使い続けても折れない超頑丈な剣なんだよ!! どうしても欲しくて持ってる人に売ってってお願いしたけど、愛用してるからって断られて、【ヘファイストス・ファミリア】の支店含めて全箇所回って、オラリオの武器屋を片っ端から回ったけどもう取り扱ってないって断られて、仕方なく競売所まで出向いたら一本だけ売りにだされてたけど好事家の人が一本八千万ヴァリスで落札しちゃって買えなかったあの【疑似・不壊属性(デュランダル・レプリカ)】の作品だよ!! どこで手に入れたの!! と言うかあたしに頂戴!!」

「え、ごめんなさい、それはあげれないです」

 

 ティオナのお願いに思わず即答したカエデ。ティオナはピタリと動きを止めた。

 アイズがティオナの手からそっと『ウィンドパイプ』を受け取ってカエデに手渡すと同時に その場で両手両膝を突いて嘆くティオナ。

 

「欲しかったのにいぃいいいいいいいいいいい」

 

 カエデは困惑しながらもおろおろしており、アイズが呟く。

 

「ティオナ……今日も武器、壊してたからね」

「だって、だってあの武器脆かったんだよ!! ちょっと壁を斬りつけただけでポキンだもん!!」

「壁?」

「そうだよカエデ!! ほんのちょっと壁を斬っただけなんだよ!! そしたらポキンって折れちゃったんだもん!!」

「嘘よ、だってその前に地面にぶっさしたり、モンスターごと壁をぶち抜いたりしてたもの」

「あの程度で壊れちゃうなんて思わないでしょ!!」

「普通に壊れると思うけど……」

「アイズはわかって無い!! あの程度出来ない剣なんて脆すぎ!!」

「普通に不壊属性(デュランダル)買えばええやん」

「ロキ! 一本1億ヴァリスを超えるそんなの買える訳ないじゃん!」

 

 ぎゃーぎゃー喚くティオナに、じゃが丸くんを購入して戻ってきたラウルは困惑した。

 

 じゃが丸くんを買ってくる間に合流したらしいが、何やら両手両膝をついて嘆くティオナさんとそれを呆れ顔で眺めるティオネさんにアイズさんが居て、団長が苦笑を浮かべて、ロキはやれやれと肩を竦めている。カエデちゃんだけが困惑顔で助けを求める様に自分を見ていたので、とりあえずじゃが丸くんを手渡して微笑む。

 

「出来立てッスから火傷しない様にするッスよ。中はほっくほくで熱いッスから」

「あ、ありがとうございます……あの、ティオナさんは良いんですかね……」

「ほっといてもええって別に。何時もの事やし。さんきゅーなラウル」

「ラウル、ありが……あー、ボクの分はアイズにあげて良いよ」

 

 フィンが受け取ろうとしたじゃが丸くんに狙いを定めたアイズに気付き、フィンは苦笑しながらもアイズに渡すようにラウルに言えば、ラウルが手渡すよりも前にラウルの手からじゃが丸くんが消失する。

 

「ありがとう」

 

 お礼を言いながらも既にじゃが丸くんに齧り付いているアイズには思わず脱帽である。

 しいて言うなればアイズの分は二つでは無く一つだ。団長の分だけでなく、ラウル自身が食べようと思っていた分も持っていかれてしまった事には一言物申したい気分ではあるが。

 

「……ラウルさん、半分食べますか?」

「あ、良いッスか? ありがとうッスよカエデちゃんめっちゃ嬉しいッス」

 

 見かねたカエデが半分に割って差し出してきたじゃが丸くんを受け取り、ラウルは嬉し涙を零す。

 

 

 

 四つん這いになって嘆くティオナに、苦笑を浮かべたフィン。

 こっそりアイズのお尻を撫でようとした所為で持っていたじゃが丸くんを略奪された揚句に放り捨てられたロキ。兄妹の様に仲睦まじいラウルとカエデ。

 

「もう一回買って来ればいいじゃない……ちょっとアイズ待ちなさい貴女はもう三つ食べたでしょ「まだ足りない」夕食食べれなくなったらリヴェリアに怒られるでしょ「うー」うーじゃなくて……はぁ」

 

 後ついでにじゃが丸くんをもっと購入しようと屋台へと踏み出そうとするアイズ。

 

 呆れ顔のティオネが肩を竦める。この惨状が【ロキ・ファミリア】の日常とは……とんだカオスである。



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『誇り』

『ワシが居たおかげで剣の腕が上達したと言い自信の無さそうな素振りをするのは何故じゃ? 自力では辿り着けなかったから? 阿呆め、ならばより誇れ。ワシのおかげで優れた剣の腕を手にしたと、自分の力でもないのに誇れぬ等とほざくな、己ではなく、己を導き己を辿り着かせた誰かを誇り、己を誇れ』


 【ロキ・ファミリア】本拠、明かりが消え薄暗い廊下をとぼとぼと歩くラウル・ノールドの姿があった。

 

「ふぁあぁぁ……ロキも酷いッスよ……」

 

 魔石を使い光を放つランタンを片手に、欠伸と愚痴を零す。

 

 時刻は真夜中、そろそろ眠気が限界に近い。

 

 何故こんな時間に起きているのかと言えば、昼間に【ヘファイストス・ファミリア】にて新人の武具を揃える際にロキを怒らせる事をしたからである。

 

 ラウル自身には特に身に覚えがある訳では無いのに、怒られるのは理不尽だと訴えてみたものの、ロキは取りつく島も無くラウルに夜間の警邏を言い渡した。

 

 【ロキ・ファミリア】は急激に大きくなったファミリアであり、【ゼウス・ファミリア】と【ヘラ・ファミリア】が壊滅した直後から急激に大きくなった。

 闇派閥(イヴィルス)の掃討にも大きく貢献した事もあり、今では探索系ファミリアの中では一二を争う大きなファミリアに成長した。

 

 元々、神ロキは天界で疎まれていた神でもあったためか、下界で急激にファミリアを大きくした事に嫉妬する神も数多く、時折ではあるものの他ファミリアから襲撃を受ける事もあった。

 

 主に襲撃を受けるのは迷宮(ダンジョン)内だけで、本拠を直接襲撃する事は殆ど無いが、絶対に無いわけでは無い。

 

 その辺りの事情から、昼夜問わず必ず門番を二人、昼間は二級(レベル3)冒険者4人が週替わりで常駐し、深夜は警邏を幾人か配置すると言う警戒態勢を敷いている。

 

 本来なら今日の夜間警邏はラウルの仕事ではなかったのだが、昼間にロキを怒らせた所為か嫌がらせの為にかラウルに夜間警邏を命じた。しかも主神命令としてである。

 

 明日はガレスが直接鍛錬をつけてくれる週に一日ある大事な日なのに……

 

「運が無いッス」

 

 昼間、あんな所で欠伸交じりに歩いていた所為で……いや、特に用事も無かったしカエデちゃん可愛かったから別に良いんッスけど……しかし、不気味ッスね。

 

 夜の本拠は言いたくは無いが不気味である。

 

 昼間は活気があふれ、ロキのセクハラで悲鳴が聞こえたり、セクハラのお礼を貰ったロキのうめき声が聞こえたり、鍛錬所から剣の打ち合いの音が聞こえたり、ベートさんの怒声が響いていたり、ティオネさんの団長コールが聞こえたり、とにもかくにも騒がしいファミリアであるが故に、夜間の静けさはいっそ不気味さすら感じさせる。

 

「……誰も居ないッスよね?」

 

 不安からか、独り言を呟きながらラウルはすっと後ろを振り返る。

 

 他にも何人か警邏を行っている団員が居るはずだが、先程から姿を見ない。

 

 いや、巡回ルートが不自然に交差しない様にしてるので当たり前なのだが……

 

 そんな風に考え事をしていると、足音が聞こえた。

 

「………………」

 

 ラウルはすっと息を殺して腰の剣に手をかける。

 

 聞こえた方向はちょうどラウルが進んでいく道の先、鍛錬所に通じている廊下。

 

 じーっと睨み、警戒していると、曲がり角からすっと白い影が現れ、ラウルは目を見開いた。

 

「……カエデちゃん?」

「……? あ、ラウルさん、こんばんは」

「あー、こんばんはッス」

 

 曲がり角を曲がってラウルの姿を認め、首を傾げた白い姿。白いウェアウルフのカエデはデフォルメされた犬の絵柄のパジャマに、剣を背負っていた。

 

「こんな時間に何をしてるんスか?」

 

 剣から手を離し、ラウルは出来る限りにこやかに話しかける。

 

 なーんか、カエデちゃん脅えてる風に見えるんスよね。笑顔で話しかけるとそうでもないッスけど……

 と言うか、こんな時間に何をしてるんスか……トイレ? 女子専用の棟にトイレぐらいあるッスよね?

 

「あー……ちょっと眠れなかったので、素振りでもしようかなと」

 

 深夜と言っていい時間帯に鍛錬所へ向かおうとしていたのか……

 無警戒にラウルに近づいてきたカエデの姿に若干ラウルは苦笑を浮かべる。

 

「リヴェリア様に怒られるッスよ?」

「……ごめんなさい」

「いや、別にチクったりはしないッスから、安心すると良いッス」

 

 別にカエデに恨みがある訳でも無し。武具をヘファイストス様直々に無料で渡されている事に思う所が無いわけでは無いが、それに見合うだけの技能を持っていたし、ラウルがとやかく言う事ではない。

 ロキに他の団員には黙っている様にと口止めもされているし……

 

 しかし、ここでカエデと別れても良いものか……

 

「カエデちゃんどうするッスか?」

「……? どうする?」

「部屋に戻るッスか?」

「…………」

 

 困った様に眉を顰めた姿に、同じ様に眉を顰めて曖昧に笑う。

 

「鍛錬所は行かない方が良いッス。あそこは色んな場所から丸見えッスから下手すると他の団員(みんな)に見つかってリヴェリア様に報告されるかもしれないッス」

「そうなんですか……どうしましょう」

 

 眠れない……眠れないねぇ……とりあえずこのまま部屋に帰してももやもやするし、ちょっとアレをするッスかね

 

「んー……よし、カエデちゃん、付いてくると良いッスよ」

「……?」

 

 不思議そうに首を傾げるカエデに笑いかけてから、ラウルは歩き出す。

 歩き出したラウルを不思議そうに見てから、カエデもラウルを追いかけた。

 

 

 

 

 

「こっちッス」

「……食堂ですか?」

 

 こそこそと、他の団員に見つからない様に食堂の扉を開けて中を確認する。

 

 見た所、誰かが居る気配は無い。

 

「よし、良いッスね」

「?」

「入るッスよ」

「良いんですか?」

「良くないッスよ。見付かったらめっちゃ怒られるッス」

 

 今からラウルが行う行為は、ファミリアの団員なら誰しもがやった事のある行為である。

 常習犯は主にロキであり、リヴェリアに黙ってお酒をちょろまかしている。

 

 要するに食糧泥棒である。

 

 発覚すればけちょんけちょんになるまでガレスに殴られるのだが、ガレス自身も酒をちょろまかす事があるので見つかった相手次第で誤魔化しも利く。

 利かないのは厨房を取り仕切っているコック達と、リヴェリア様だ。特にリヴェリア様に見つかるのはまずい。

 お供のエルフ達に塵を見る目で見下されてしまう。

 

 そんな事を考えながらも食堂のテーブルにカエデを待たせて手早く目的の物を作り上げる。 

 

 作るのはホットミルク。眠れない夜にはこれが一番……のはず。多分。

 

「できたッスよ」

「……ミルクですか?」

「そうッスよ」

 

 にこやかに笑いながらカエデの前に温かいミルクの入ったコップを置けば、困った様にラウルを見上げた。

 

「良くないですよね?」

「そうッスね」

「…………」

 

 なんとなく、カエデの性格的にただ渡しただけじゃ口をつけないのは分っていた。

 ラウルは自分の分のミルクに口をつけて、ほっと一息。

 

「ふぅ、美味いッス」

「……ラウルさん?」

「ほら、カエデちゃんも飲むと良いッスよ。眠れない夜にはホットミルクが一番……って誰かが言ってたッス」

 

 誰か……誰だっただろうか? 何故か満面の笑みを浮かべたロキがサムズアップをしている姿が脳裏を過った。

 

「…………」

「ラウルさん?」

「いや、なんでもないっす」

 

 変なロキが脳裏を過った所為で一瞬動きを止めたラウルをいぶかしんだカエデに、ラウルは微笑みかける。

 

「ほら、どの道こんな夜中にふらふらしてたのをリヴェリア様に報告されたら怒られるし、飲んじゃえば良いんスよ。カエデちゃんの為に作ったし、飲んで貰えないと俺が困るッス」

「……ワタシの為ですか」

「そうッスよ」

 

 自分も飲みたくなったのは嘘ではないが、カエデが眠れないと言っていたので作ろうと思ったのは本当だ。

 

「そうですか……」

 

 そういうと、ようやくコップに手を伸ばして両手で包む様に持ち、少しずつ舐める様に飲み始めた。

 

「……甘いですね」

「ちょっと蜂蜜入れたんスよ……あ、これで共犯ッスから、誰にも言っちゃダメッスよ」

「え?」

 

 驚いて顔をあげたカエデににっこり笑いかけてから、ラウルは残りのミルクに口をつける。

 カエデが少し考えてから、自分が嵌められた事に気付いたのだろう。むぅとラウルを睨むが、ラウルはへらへらと笑ってごまかす。カエデは暫くしてから残ったミルクをちびちびと飲み始めた。

 

 ある程度、量が減ってきた所で、気になった事をきりだしてみる。

 

「それで、眠れないって言ってたッスけど、なんかあったッスか? 悪夢でも見たッスか? リヴェリア様に説教される夢とか」

 

 リヴェリアが聞いていたら激怒不可避である。目を細めて「なるほど、私の説教は悪夢に勝ると……なるほどな」そんな風に言いながら徐々に距離を詰めてくる。想像したら背筋が震えた。

 

「……ワタシは、生きる為にオラリオに来ました」

「おぉ、それは凄い決意で来たんスね。俺なんて冒険者かっこいいなーって適当な理由でオラリオに来たのに」

 

 カエデの事についてはロキから聞いていた。

 少ない寿命を延ばす為にランクアップを目指すという目的を持ってオラリオを訪れたと

 

「……でも」

「ん?」

「…………ロキ様や、リヴェリア様……皆、優しくて」

「そりゃ皆凄く優しいッスよ、俺なんかにも良くしてくれるし」

「……怖くなりました」

「?」

「生きるだけで良かったんですが、優しくて、怖いんです」

 

 はて? 生きるだけで良かった? 優しいが怖い?

 生憎と自分は頭が良くない。 カエデちゃんが何を言いたいのかさっぱりわからない。

 

「……んー、ちょっと良くわかんないんスけど。優しくされると怖いんスか?」

「あ、いえ、そういうわけでは無くて……えっと……」

「そんな慌てなくても良いッスよ」

「……違うんです、村に居た時と、何もかもが」

「村……村ッスか」

 

 村、確か忌子がどうとか、ロキが言っていた。

 ウェアウルフは強さを尊ぶ種族で、同族間同士、親子同士でも反りが合わないと殺し合いに発展する事もあるぐらいに過激な種族だと聞いた事がある。

 

 ベートさんも自分より弱い人の言う事を聞く気は無いと常々宣言しているし。

 だが、ベートさんはカエデちゃんを見下していただろうか? そんな事は無いと思うのだが……むしろ大分気を使っていた様な……?

 

「村に居た時は、何も考えなくて良かったんです……あ、モンスター討伐の時はもちろん色々考えてました。でも、村人とのやり取りや商人との取引は全部師が……ヒヅチがやってくれました」

 

 村での出来事、ぽつりぽつりと語られる、どれもこれもにヒヅチ・ハバリと言うカエデの師の姿があった。

 【ロキ・ファミリア】での出来事、どれもこれもロキが居て、リヴェリアが居て、他の誰かが居るのに、ヒヅチの姿が無くて、それなのに嬉しい、楽しいと感じて。皆優しくて、でも一番優しかったヒヅチが居なくて……

 

「ヒヅチの事……忘れちゃいそうなんです」

「ん……それは無いんじゃないッスかね?」

「……そうですか?」

「ん、そうッスよ。俺も自分が住んでた所の事、なんだかんだで忘れて無いッスし……」

 

 ラウルが【ロキ・ファミリア】を訪れる以前は本当に目立たない、取り留めも無い様な記憶に残らない様な生活をおくっていた。【ロキ・ファミリア】の入団試験を受けた日、合格を言い渡され、入団し団員として活動を始めた頃。初めてのダンジョン、ランクアップに繋がった戦いの事、他にも色々。

 ファミリアに入団する以前からは考えられない様な濃密な時間を過ごした。

 けれども、【ロキ・ファミリア】に入団する以前の事を忘れた事なんて無い。

 

「……そんなものなんでしょうか」

「そうッスよ、何なら賭けても良いッスよ?」

「賭ける?」

「そうッス。カエデちゃんが忘れちゃったら俺が何でも言う事聞いてあげるッス」

「……逆に覚えてたら?」

「んー? じゃが丸くん奢ってくれればいいッス」

 

 にへらと笑って見せる。

 微妙そうな顔をしてから、カエデは頷く。

 

「わかりました。忘れたらじゃが丸くんです」

「それで良いッス。深く悩んでも仕方無いッス」

 

 そう言ってほんの少し残ったミルクを飲み干す。 

 

「……ラウルさんは」

「ん?」

「ラウルさんは冒険者になりたくてオラリオに来たんですか?」

「そうッスよ。カエデちゃんみたいに凄い目的があった訳じゃ無いッス」

 

 カエデちゃんの様に、生きる為に、そんな崇高な目的は無かった。

 アイズさんやベートさんみたいに強さを求めて来た訳でも無かった。

 ガレスさんやリヴェリア様みたいな目的を持ってきた訳でも無い。

 

 ただ、冒険者かっこいいな、そんな小さな憧れからオラリオを訪れた。

 

 そんななんでもない自分が、強さを求め、目的の為に、ダンジョン攻略を掲げた……そんな最強に近いファミリアに居ても良いのかわからない。

 

「ワタシの目的、そんなに凄い事じゃないです」

「凄いッスよ」

 

 断言できる。()()()憧れから冒険者になり、【ロキ・ファミリア】なんて恵まれ過ぎた場所に居る自分なんかより、カエデちゃんみたいな真っ直ぐな目標を持つ子の方が……

 

「……でも、ラウルさんは二度も称賛されているんですよね?」

「? 二度? 何の話ッスかね? 称賛される事なんてした覚え無いッスけど」

器の昇格(ランクアップ)するには、神々が称賛する様な偉業を成し遂げる必要があるんですよね?」

 

 器の昇格(ランクアップ)するには、条件がある。

 一つは基礎アビリティ、力、耐久、俊敏、魔力、器用のいずれか一つをD以上にする事。

 もう一つは……神々が認め、称賛するに値する偉業を成す事。

 

 基礎アビリティを上昇させるには【経験値(エクセリア)】が必要で、器の昇格(ランクアップ)にはそれの他に【偉業の証】を必要とする。

 

「……俺がランクアップできたのは、皆のおかげッスから」

 

 【偉業の証】を手にした時、ラウル・ノールドは一人ではなかった。

 信頼できる同期に入団した仲間と共に、偉業を成した。

 

「でも、ラウルさんが成した事ですよね?」

「違うッス、皆が居たからッス」

「……? でも、【偉業の証】は本人が手にする資格が無ければ得る事はできないんですよね?」

 

 【偉業の証】、レベルを上げるのに必要なソレを得る為には、本人が成す必要がある。

 たとえば、迷宮の孤王(モンスターレックス)と呼ばれる複数のファミリアが合同で討伐作戦を行う事もあるソレを倒すのは偉業と呼べる。

 だが合同討伐作戦(レイド)に参加しただけではまともにランクアップ等できない。

 止めを刺せばランクアップできるかと言えばそうでもない。

 

 例えば、上位冒険者に瀕死状態にしてもらって、瀕死のモンスターに下位冒険者が止めを刺す等をした場合等は、まったく【経験値(エクセリア)】が得られない。

 

 それと同じで、迷宮の孤王(モンスターレックス)に止めを刺したからと言って【偉業の証】を得られるわけでは無い。

 と言うかそんな事で【偉業の証】を得られるのなら今頃オラリオは駆け出し冒険者なんて居やしないのだ。

 

 詰る所、ラウル・ノールドは器の昇格(ランクアップ)に値する【偉業の証】を手にしている以上、謙遜するまでも無く間違いなく称賛を浴び、脚光を浴びる様な偉業を成している。

 

「だったら、ラウルさんは十分に凄い人だと思うんですが」

「…………そうかもしれないッスね。でも……」

 

 一人じゃなかった。

 仲間と一緒だった。

 

「……? 仲間と一緒だと何かダメなんですか?」

「皆が居たおかげでランクアップできただけで、俺は何も凄くないッス」

「なんでですか? 【偉業の証】を得るに値する偉業を成したからこそのランクアップですよね? 凄いからこそランクアップできたのに、凄くないんですか?」

 

 …………皆にも、散々言われてきた。

 ランクアップできたのなら、それは神々が認め、称賛するに値する偉業を成したからこそだと。

 

 それも、誰でもない(おまえ)自身が成した事なのだと

 

 どれだけ言葉を重ねられても、自分が凄いだなんて思えなかった。

 

 劣等種族と侮られるパルゥムでありながら冒険者の中でも五本指に入る【勇者(ブレイバー)】フィン・ディムナ

 

 最高峰の魔道の知識を持ち、魔法使いの中では最強を冠する【九魔姫(ナインヘル)】リヴェリア・リヨス・アールヴ

 

 一二を争う力と耐久を誇り、ファミリアに於いて最強の盾となる【重傑(エルガルム)】ガレス・ランドロック

 

 最年少で最短ランクアップ記録を持つ【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタイン

 

 自分よりも年下で、なのに確かな実力を持つ【凶狼(ヴァナルガンド)】ベート・ローガ

 

 エルフなのに魔法が使えないと嘆いて居ながら装備魔法と言う希少(レア)中の希少(レア)魔法(マジック)を習得した【魔弓の射手】ジョゼット・ミザンナ

 

 他にも、【ロキ・ファミリア】には数多くの優れた冒険者が多い……多すぎた。

 

 二級(レベル3)冒険者【超凡夫(ハイ・ノービス)】ラウル・ノールド

 

 他のファミリアであれば、きっと鼻高々になって威張り散らしていたのではないだろうか?

 だが、【ロキ・ファミリア】ではあまりにも()()()()()

 

 【ロキ・ファミリア】への入団条件は二級(レベル3)に到達出来る事。

 

 そんな噂が流れている。

 

 実際、【ロキ・ファミリア】に入団する者達は二級(レベル3)に到達する者ばかりだ。ロキやフィン、リヴェリアにガレスがしっかりと見極めた者しか入団を許されないのだから当然だが……

 

 本来なら絶賛されてしかるべき二級(レベル3)の冒険者は【ロキ・ファミリア】において当然の事とされてしまう。

 

 いや、少なくともラウル・ノールド自身がそう思ってしまっている。

 

 【ロキ・ファミリア】に所属している以上、ラウル・ノールドがレベル3になるのは当たり前で、凄くも何ともないと……

 

「……よく、わかんないです」

「【ロキ・ファミリア】ではレベル3なんて当たり前ッスからねぇ」

 

 きっと、()()()()()()()()()()()()()()()。そんな気がするのだ

 

「でも、ワタシは凄いと思いますよ」

「……それはありがたいッスね」

「仲間が居たからできたのに、誇らしくないんですか?」

「全然思わないッスね。仲間が居なきゃ俺なんて何もできないッス」

 

 そう、ラウル・ノールドなんて、【ロキ・ファミリア】が無ければただの凡夫に過ぎない。

 

「……? 仲間に失礼なのでは?」

「へ?」

「師が言ってました」

 

『ワシが居たおかげで剣の腕が上達したと言い自信の無さそうな素振りをするのは何故じゃ? 自力では辿り着けなかったから? 阿呆め、ならばより誇れ。ワシのおかげで優れた剣の腕を手にしたと、自分の力でもないのに誇れぬ等とほざくな、己ではなく、己を導き己を辿り着かせた誰かを誇り、己を誇れ』

 

「師が居たおかげでワタシは今の剣技を得られました。それを誇らないのは師に対する侮辱になると」

「……侮辱ッスか……」

 

 仲間が居たおかげで、自分は凄くなんてない。けれども誇らないのは仲間に対する侮辱だと……

 

「だから、ラウルさんは誇って良いんだと思います。ワタシは師が居たからできた事ですけど、それでも誇りに思ってます」

 

 ウェアウルフは誇りや矜持を大事にする。カエデもきっとそうなのだろう。

 自分のではない、誰かの誇りや矜持を

 

「……そうッスか……自分じゃなくて、仲間の……」

 

 ラウル・ノールド自身に誇れそうな部分なんて何もない。

 けれども、苦楽を共にした、共に偉業を成してきた仲間達や【ロキ・ファミリア】の事は誇れる。むしろ誇りに思ってる。

 

 今のラウル・ノールドがレベル3に成れたのは仲間や【ロキ・ファミリア】のおかげだ。

 今の自分を誇らないのは、仲間や【ロキ・ファミリア】の事をどうでも良いと思ってると言う事になる。

 今の自分を誇るのは、仲間や【ロキ・ファミリア】の事を誇る事に繋がる。

 ならば、誇らなくてどうする

 

「…………そうッスね。仲間(みんな)の事を誇るのは何の間違いでもないッスよね」

「それが正しいのかワタシには分りません。師もいずれわかる時が来ると言ってました。ワタシにはまだわかりませんが……」

 

 真っ直ぐと見つめてくる赤い目に、心を射抜かれた気がした。

 

「……なんか、カエデちゃんの相談に乗ろうと思ってたのにいつの間にか俺の相談に乗って貰っちゃいましたね、ありがとうッス」

「いえ、ワタシも、ありがとうございます」

 

 どちらともなしに頭を下げて笑い合う。

 

 

 

 互いに飲み終わったコップを手に調理場の流しでしっかりと洗ってから食堂を出る。

 

「良いッスか? リヴェリア様には絶対秘密ッスよ?」

「はい」

「よし、二人だけの秘密ッス」

「わかりました。二人の秘密です」

 

 にこりと笑い合い、こっそりと食堂を後にする。

 

「一応、送ってくッス」

「あ、はい。ありがとうございます」

「と言っても女子棟の入口までッスけどね。この時間に男の俺が女子棟に居たなんて知られたら……」

「知られたら?」

「……恐ろしい目に遭うッス」

「…………」



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『視線』

 ここは何処だろう?

 ガタガタと揺れる馬車の中

 鎖に繋がれて、何処に連れて行かれるのだろう?

 誰か助けて

 今じゃない、あの時に

 助けて

 アタシじゃない、皆を


 【ロキ・ファミリア】に所属する準一級冒険者【凶狼(ヴァナルガンド)】ベート・ローガの朝は早い。

 目覚めて直ぐに鍛錬所に向かい、鍛錬所に誰かいないかを確認する。

 

 これまでは【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタインが居るぐらいだったが、最近はカエデ・ハバリと言う新人が剣を素振りして居る。

 鍛錬所の入口からちらりと確認してから、上の階に上がり、傾斜のきつい屋根の上で鍛錬を行う。

 

 下の二人が鍛錬を終えた頃にシャワーを浴びに行き、何食わぬ顔で朝食の席に着く。

 

 席の位置は食堂の隅の方。部屋を一望できる場所に陣取る。

 

 その位置から気になる人物が居ないかをちらちら見ながらゆっくりと食事をとる。

 

 それがベートの朝の日課であった。

 

 

 

 そんな日課のさ中、ベート・ローガの視線の先。

 

 真っ白い毛並に赤い目をした幼いウェアウルフ、カエデ・ハバリが【超凡夫(ハイ・ノービス)】ラウル・ノールドと談笑しながら食事をとっている風景があった。

 

「今日の朝食も美味しいッスね」

「はい、焼いた卵、美味しいです」

「目玉焼きッスね」

 

 朝、カエデはアイズと共に鍛錬場で剣の素振りを行っていた。

 アイズが「そろそろ鍛錬やめてシャワーにいこ」とカエデを連れて行ったのを確認してから、一足早く食堂の隅を確保したベート・ローガは、入口からアイズが一人で入って来た事に疑問を覚えた。

 昨日はアイズと一緒にカエデも食堂に来て並んで食事をとっていたはずだ。ティオネとティオナがそこに合流して談笑しながら食事をとり、その後カエデはリヴェリアの元へ向かい、アイズ、ティオネ、ティオナがダンジョンに向かう。そんな流れだったはずだ。

 なのに、今日はアイズが一人でやってきて、その後にカエデとラウルが並んで食堂にやってきて、一緒に食事をとり始めた。

 

 何事かと思わず目を剥き、ギロリとラウルを睨むベート。

 

 ラウルが体を震わせ、何事かと辺りを見回す。それに気付いたカエデが首を傾げている。

 

「ラウルさん? どうしました?」

「いや、なんか寒気が……風邪ッスかね?」

「ファルナを貰うと病気には殆どかからないそうですが」

「そうなんスけどね……なんなんスかね?」

 

 不思議そうに首を傾げるラウル。それを同じように首を傾げながら見るカエデ。

 

 

 

 その様子にベートは耐えきれないと言わんばかりにガツガツと朝食を食らい始める。 

 そんなベートの隣に何食わぬ顔でティオネが座った。

 

「あんた、何カエデの事じろじろ見てる訳? ストーカー?」

「なっ!? 何しに来やがった!」

「朝食、他に何かある?」

「ベートさぁ、カエデの事じろじろ見てるの丸分りなんだけど」

 

 反対側にティオナも座り、二人してベートを半眼で睨む。

 

「見てねえ!! 俺はあんなガキなんて見ちゃいねえ!!」

「へぇー」「そーなんだ」

 

 二人ともベートの言い分をこれっぽっちも信用していない様子で自分の食事をし始める。

 

「テメェら何で俺を挟んで朝食食ってんだよ、あっちにアイズが居んだろ」

「あー、それね。ちょっとカエデちゃんに相談事されたからそれを解決する為よ」

「そうそう」

 

 フォークでベートを差して二人は同時に口を開いた。

 

「「鍛錬所に居るカエデちゃん視姦し過ぎ」」

「なっ!!?? ンな事して「へー、してないんだ?」「へー。ロキの前でも同じこと言える?」……」

「カエデちゃんがさー、シャワー浴びてる時にアイズに「鍛錬中にずっと誰かの視線を感じるのですが、アイズさんですか?」って聞いたらしくてさ。アイズは自分の鍛錬に集中してるから違うって、んでカエデちゃんが不安そうにしてたから犯人捜しする? ってアイズと話しててさー。多分ベートだろうなぁって私が犯人とっちめるって約束しちゃったのよねー」

「…………」

「なんか言ったらどう?」

「それでどーする? 相手する?」

 

 相手する? 簡単に言えばこれ以上続けるなら実力行使に出るぞと言う脅しだろう。

 とはいえこの件はベート・ローガ自身が犯人ではない。断言できる。

 

「俺じゃねえよ」

「違うの?」「あれ? ベートじゃないの?」

「俺も鍛錬に集中してんだよ、ずっとは見てねえ」

「「…………」」

 

 見ていた事は否定しない。だが「ずっとではない」と言うのは嘘ではない。

 ベートも自分の鍛錬を疎かにしてまでずっと見ている程暇ではないし遊んで鍛錬も行っていない。

 つまり鍛錬中のカエデをずっと眺めている犯人が別に居るはずだ。

 

「んー? そうなると犯人は誰なんだろう?」

「ベートかと思ったんだけどねえ……見てたのは否定しないのね」

「…………」

「あ、ちょ」「待ちなさいよ」

「うるせぇ」

 

 ベートは残っていた食事を一気に詰め込んでから席を立つ。

 二人が止めるも無視してベートは食堂を後にした。

 

 

 

 残された二人は顔を見合わせてから肩を竦める。

 

「ベート以外に()()()カエデを見てる犯人って誰だと思う?」

「誰って……誰だろ? ロキかな?」

「ロキねぇ……微妙よね。でも一応次はロキを当たってみる?」

「もう起きてるのかな?」

 

 二人して顔を見合わせてから溜息を吐く。

 【ロキ・ファミリア】でカエデの鍛錬を観察する様な人物はそう居ない。

 あり得る可能性をあげるならカエデの事を気にしているベートが第一有力候補としてあがり、次点でこっそり覗き見をするロキ。とはいえロキは見る()()よりは直接セクハラしに突撃する事が多い。

 アイズの鍛錬中にセクハラかまそうとしてアイズに鍛錬用の模擬剣でぶっ飛ばされていたのは記憶に新しい。

 アイズ曰く「剣じゃ無かったから(刃のついてない武器だったから)思わず……」と言っていた。

 

「それと別に気になったんだけど、なんかカエデとラウル仲良いわね」

「あーそうだよねー……昨日から仲良さ気だったよね。じゃが丸くん分け合ってたし」

 

 カエデ・ハバリとラウル・ノールドの仲が良い。

 昨日、カエデがロキ、フィン、ラウルの三人と共に【ヘファイストス・ファミリア】に向かった事をティオネもティオナも知っていた。

 ダンジョン帰りにちょうど鉢合わせして話をしたのだ。

 その時にはラウルとカエデは仲良さそうにはしていたが……

 

「なんか昨日より一気に仲良くなってない? カエデちゃんが壁を作ってないって言うか、結構素で話してる感じ?」

「そうねー、なんなのかしらね?」

 

 二人して首を傾げてから、まあ良いかと流す。

 そも、誰と誰が仲良くしてようが余り関係は無い。

 むしろカエデは師と言う人物を亡くしてから一人でいたらしいので仲の良い人が出来るのは良い事だろう。

 

「まあ、そんな事より今日のガレスの鍛錬どうする? 参加する?」

「ティオナ、アンタはどうするのよ」

「モチのロン参加に決まってるじゃん」

 

 ガレスの鍛錬。

 週に一度、【ロキ・ファミリア】が誇るレベル6の【重傑(エルガルム)】ガレス・ランドロックの鍛錬の日がある。

 正確にはガレスとの一騎打ちと言う鍛錬だ。

 普段からガレスは団員の鍛錬を行っているが、週に一度だけ一騎打ちでの実戦形式の鍛錬を行っている。

 参加するのは主に二級(レベル3)準一級(レベル4)が参加し、三級(レベル2)駆け出し(レベル1)はその実践を見守るだけに留まる。

 と言うのもガレスは一騎打ちのさ中に容赦なく攻撃を行ってくる。

 無論、()()()()()()()()はしてくれるが、逆に言えば()()()()()()()()()()は負う事になるのだ。怪我をしても高等回復薬(ハイ・ポーション)を用意してあるし、最悪の場合でも死んでいなければ万能薬(エリクサー)を使用してくれるので問題は無い。

 鍛錬で死んだ者も過去に居たらしいが、本人が遊び感覚でガレスの鍛錬に参加したのが原因らしく、ガレスも「遊び気分なら死ぬぞ」と脅しをかけるぐらい危険なモノだが、参加希望者は後を絶たない。

 

 何故なら、レベル6の冒険者等オラリオでは数える程しか存在しなく。そんなレベル6冒険者との一騎打ちの戦闘を行えるなんぞ希少な経験であり、【経験値(エクセリア)】もそれなりの量が得られる。

 

 【経験値(エクセリア)】は自分よりも格上との戦闘をこなせばより多く貰える。だからこそガレスとの一騎打ちが行われる際には希望者が後を絶たない。

 

 【経験値(エクセリア)】が多量に貰えるとあって、三級(レベル2)駆け出し(レベル1)と言う下級冒険者が参加を希望する事も多いが、参加云々の前にガレスの前に立つ事も不可能である。

 

 レベル差一つで勝つのは困難

 何故ならば、格上の攻撃は格下に対して直撃すれば即死する威力になり、ガードした上からでも致命傷になり、格下から格上への攻撃は直撃しなければダメージにはならなくなる。一撃で即死する可能性の中で相手に何度も攻撃を当て続けなければならないのだ。その上、俊敏の差から攻撃を避けるのも当てるのも難しい。

 魔法やスキルで逆転する事は多々あるが、それでも難しい。

 

 レベル差二つで勝つのは絶望的

 何故ならば、格上の攻撃は格下に対してかすっただけで致命傷、ガードした上から即死させる威力になり、格下から格上への攻撃は防御されてしまえばダメージにならず、急所に直撃させなければダメージにならない。ガード不可能で全ての攻撃を回避しなくてはならない。当たれば終わり。その上で、俊敏の差から攻撃を避けるのはほぼ不可能、絶望的なまでに勝つのは無理だ。

 魔法やスキルで逆転できる可能性はあるが、ほぼ無理だろう。

 

 レベル差三つで勝つのは不可能

 目を、口を、直接体の中に剣を捻じ込めば勝てるだろう。それを相手が許せばの話だが。

 どんな攻撃を当てようがダメージにならない。その上で相手の攻撃はかすっただけでも即死する威力。その上で俊敏の差で攻撃を当てる事も、攻撃を避ける事も不可能。

 魔法やスキルで逆転も何も無く、魔法の詠唱なんぞしてる暇はない、レベル差三つを埋めるスキルは今のところ確認されていない。故に不可能。

 

 そして、レベル差四つで何も出来ない。

 文字通りだ、レベル差四つでは何もできない。

 剣を構えるとか、魔法を詠唱するだとか、そもそも対峙した時点で立っている事すら不可能だ。

 何故か? レベル差四つの相手の放つ威圧感、只それだけで膝を突き、震えて蹲る事しか出来ないからだ。

 精神力があれば、等と生易しい話ではない。

 

 そも、レベル差一つある時点で精神力の弱い者なんぞ対峙出来ない。

 レベル差二つなら下手をすれば気絶してしまう。

 レベル差三つの相手に剣を向けれる者はその時点で【偉業の証】を得る程の事なのだ。

 

 ではレベル差四つは? ソレに立ち向かえるのは精神が死んだ廃人か、何も考えていない愚か者かのどちらかだ。どちらでもなく、勇気や精神力で立ち向かえる等と言う話ではない。

 

 だからこそ、ガレスの鍛錬に参加できるのは二級(レベル3)以上でなくてはならない。

 

 その二級(レベル3)以上であっても、参加すら出来ない者も居るぐらいだ。

 

 本気の重圧に押し潰されながら、武器をガレスに向けられる者は【ロキ・ファミリア】内でも一部の者だけだ。

 

 そんな鍛錬を望む三級(レベル2)駆け出し(レベル1)に対し、ベートがよく吐き捨てる言葉がある。

 「雑魚」と、ベートはガレスの鍛錬を受ける際に威圧感だけで気絶するような間抜け共を見下す。

 

 ティオネやティオナですら、本気の威圧をぶつけるガレスの前では思わず怯む。

 それは【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタインも【凶狼(ヴァナルガンド)】ベート・ローガも変わらないだろう。

 それでも、強くなれる場なのだから参加しない等と言う選択肢は無い。

 

「だから珍しく少なめなのね……」

「……まあね」

 

 普段、大食いである事でからかわれる事もあるティオナのプレートにのっている食事は普段よりもだいぶ少ない。かく言うティオネの食事もだいぶ少ない。

 先程のベートの朝食も少なかった。アイズもとっくの昔に朝食を終えている。

 

 ガレスの鍛錬を受ける際の注意点として、朝食を少なめにする事があげられる。

 何故か? ガレスは容赦しない。と言うか本当に容赦してくれない。

 

 男だとか女だとか、それ以前にお前達は冒険者だろう? そう言って容赦なく殴る蹴るは当たり前。

 

 お腹をぶん殴られた拍子に吐瀉物を撒き散らしながら吹っ飛ぶ事なんて珍しくない。

 以前もティオナがやらかした。ぶん殴られ、上がってきた吐き気を堪えようと踏ん張った瞬間に鍛錬用の斧でぶっ飛ばされて鍛錬場の壁に叩き付けられて胃の中身を全部戻してから気絶して吐瀉物に頭から突っ込んで吐瀉物で溺死しかけると言う貴重な経験を積んだ。以降、朝食の量を鍛錬が始まるまでの消化できる最低量まで減らすことにしたのだ。

 ベートも同じ様に吐瀉物を撒き散らして空を舞った経験があるし、ティオネは団長が見ていたので吐く事こそしなかった物のド派手に吹っ飛ばされて肩の骨を粉砕されたりした。

 ちなみにアイズは最初からソレを見越していたのか最初の時点で食事量を減らして対応していたらしく、一度もやらかしたことは無いらしい。本人曰くだが。

 ロキ曰く、アイズたんは……その、な? わかるやろ? 吐いた程度で止まる訳無いやん? との事。

 

「今日は頑張るよ」

 

 やる気満ち溢れたティオナが宣言していると、おずおずとカエデが声をかけてきた。

 

「おはようございますティオナさん、ティオネさん」

「あ、おはよーさっきぶりだねー」

「おはよう、どうしたの?」

 

 カエデの後ろには苦笑いを浮かべたラウルの姿と、じーっとラウルの背中を見ているアイズの姿もある。

 

「えっと、朝の……視線の事なんですが……解決しましたか?」

「あー、ちょっと当てが外れたんだよね。もう少し待ってもらっていい?」

「ごめんなさいね、ベートじゃなかったらしいのよね」

「あ、はい。わかりました。ごめんなさい、面倒事を押しつけてしまって」

 

 わざわざ頭まで下げるカエデにティオネもティオナも笑う。

 

「いや、良いよー、おもしろいベートも見れたし」

「そうねえ」

「面白いベートさん?」

「そそ、聞いてよアイズ。あのベートがさぁ、真顔になったり目を見開いたり睨んだり顔赤くしたり青くしたりでめっちゃ面白そうな反応してたんだよー」

「ふふふ、思い出しただけでも笑っちゃうわよね」

 

 笑っている二人に不思議そうに首を傾げるカエデを見て、ラウルは微笑むとティオネとティオナに声をかける。

 

「二人もガレスさんの鍛錬に参加するんスよね? 早く朝食食べきった方が良いんじゃないッスか?」

「あ、そうだね。それじゃさくっと食べちゃおっと」

「そういえば時間的にぎりぎりね」

 

 ガレスの鍛錬まで時間はまだあるが、食べた物を消化する時間も考えるとぎりぎりだ。

 

「ガレスさんの鍛錬、とても辛いモノらしいですね。師の鍛錬とどっちが辛いでしょうか?」

「カエデの師の鍛錬、わからないから比べられない……」

「そうッスねー……俺的にはガレスさんの鍛錬の方が辛いと思うッスよ? 普通に骨を砕かれたりするッス」

 

 ラウルが遠い目をしながら呟けば、カエデが驚いたように尻尾を立ててラウルを振り返った。

 

「え? それって大丈夫なんですか?」

「骨が折れるぐらいなら全然大丈夫」

「アイズさんの言う通りッスね。骨折れるだけなら優しいッスね。内臓破裂した時とか地獄ッスからねぇ」

「……アレは痛い」

「…………」

 

 二人の言い分にカエデが震えながら脅えている。

 流石に脅かし過ぎたか? とラウルは思うが、遠い目をして考え直す。

 

 事実、ガレスの鍛錬のさ中に骨が折れるだとか内臓破裂とかはよくある。

 冒険者は脳と心臓が無事なら大丈夫と言うしぶとさがある。

 その関係かガレスは死ぬか死なないかの瀬戸際の死なない方を容赦なく突いてくる。

 そのおかげで上質な【経験値(エクセリア)】は手に入るのだが……

 

 とにもかくにも、冗談で済まない事も多いのだ。

 

「皆さん、死なないですよね……」

「んー? ふぁいひょうふふぁほー」

「ティオナ、食べてから喋りなさい」

「んぐっ、大丈夫大丈夫、ガレスもそこら辺の加減はしてくれるし、あたし達も死なない様に精一杯やるし。怪我したら高等回復薬(ハイ・ポーション)もあるし。平気平気」

「そうなんですか……?」

 

 不安そうにしているカエデにアイズが首を傾げた。

 

「カエデも強くなったら参加するんじゃないの?」

「……そうですね、強くなったらワタシも参加したいですね」

 

 一瞬、表情が曇ったが、すぐに真剣そうな表情になったカエデにティオネとティオナが首を傾げる。

 

「それじゃ俺は準備に行ってくるッス。カエデちゃんはリヴェリア様との勉強、頑張ってくださいッス」

「はい、それでは、ラウルさん、頑張ってください」

「超頑張るッスよー、アイズさんティオネさんティオナさん、俺はこれで失礼するッス」

 

 ラウルを見送ってから、カエデは三人に向き直り頭を下げる。

 

「ワタシも、リヴェリア様の所に行きますね。視線の件、リヴェリア様にも相談してみます」

「うん、ごめんね、力になれなくて」

「あー、リヴェリアに相談するのか、ならほぼ解決かなー、じゃあねー」

「リヴェリアに相談したら確実ね。他に困った事があれば声かけなさいよ、出来るだけ力になるわ」

 




 『まだファルナ貰ってないのか』とか言われそう。

 他の作品でここまで来てまだファルナ貰ってない作品とか他に無くない? なくない?

 後、アンケートやってます。興味ある方は活動報告までどうぞ。


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『知識』

『ヒッヅチー、遊びに来たさネー』

『……オヌシ、暇なのか? 五日前にも来とったが』

『何を言ってるさネ、アチキは必死に時間を作って会いに来てるだけさネ。カエデは何処さネ?』

『はぁ……こやつは本当に……はぁ……』

『二回も溜息吐いたさネッ!? どんだけアチキの事嫌いさネッ!!』

『嫌いではないぞ? 嫌いではな……カエデなら水浴びでもしとるんじゃ……おい待て何処に行くオヌシ、は? 覗き? ……ワシの刀はオヌシを斬る為にあるのではないのじゃがな……仕方あるまい』


 リヴェリアの私室にて開かれている勉強会に参加しているカエデは、行儀良く膝の上に手を置いて姿勢を正して座っている。

 机を挟み前に立つリヴェリアはカエデの周りに解答に繋がる物が何もないのを確認してから、カエデの前に置かれた『ダンジョンの基礎』の本を手に取る。

 

「それでは、試験を始める。質問はあるか?」

「無いです」

「よし、じゃあまず一問目からだ」

 

 本が閉じられている事を再度、確認してからリヴェリアはカエデに告げる。 

 

「ダンジョンの上層で出現するモンスターを答えろ、ついでに各モンスターの特徴も答えろ」

 

「はい」

 

 

 

 一階層から五階層にかけて出現するのは『ゴブリン』『コボルト』の二種類。

 

 『ゴブリン』は小柄な体躯を持つモンスターで一階層では基本一匹から三匹で行動し、二階層で五匹、三階層では最大八匹の集団行動をとる事が確認されています。

 基本的な能力は低いものの、最低限の集団行動における基礎的な動きを行い、ダンジョン最弱でありながら『最弱』の肩書に油断した冒険者を数多屠っている危険なモンスターです。

 武装は無く、主に殴り攻撃が主体になりますが、稀に冒険者の死体から武装をはぎ取って使用する事もあるため、冒険者が主に持ち歩く剥ぎ取り用ナイフ等を主武装にしている場合があります。

 

 『コボルト』は犬頭のモンスターで、ゴブリンより大柄であり。一階層では一匹から二匹、二階層では四匹前後、三階層以降はゴブリンとの共同戦線を張ってくる事が確認されています。

 基本的な能力はゴブリンよりも上ではあるものの、集団戦闘における基礎をまるっきり無視した戦い方を行う為、単体ではコボルト、集団ではゴブリンの方が危険度が高いとされています。

 武装はゴブリン同様無いですが、ゴブリンと違い鋭い爪や牙を持っておりひっかき攻撃や噛みつき攻撃を行ってきます。殴り攻撃と違い、ひっかき攻撃は出血を伴う攻撃の為、気付かぬ間に出血による能力低下が発生する事もある為、怪我に対する対応が重要となります。噛みつき攻撃はそのまま噛み千切られると言う事は無いにしろ、噛みつかれた際にそのまま押し倒され、武装解除されてしまう危険もある為、噛みつき攻撃には最大限の注意を払う必要があります。

 

 二階層より『ダンジョンリザード』が出現します。

 

 『ダンジョンリザード』は大柄な体躯で基本的に動きは鈍いですが、ダンジョンの天井などに張り付いて潜み、油断した冒険者を上から圧死させる等と言った攻撃を行ってきます。

 武装は無く、爪や牙も持たないですが、天井からのとびかかり攻撃の威力は非常に高く、油断した冒険者の首の骨を圧し折ってそのまま即死させる事もある危険なモンスターです。

 他には近づいてきて体当たりをしかけてきますが、基本的に動き自体は機敏ではないので危険度は低いです。

 しかし天井からの奇襲攻撃の危険性は非常に高く、ゴブリン、コボルトとの乱戦時に奇襲攻撃される事も多く、注意する必要があります。

 

 六階層より『フロッグシューター』『ウォーシャドウ』が出現します。追加情報として六階層より『食糧庫(パントリー)』と呼ばれる特殊な広間が一定階層毎に存在する様になります。

 

 『フロッグシューター』は巨大な単眼のカエルで、攻撃法は飛び掛かりによる体当たりもしくは舌を伸ばし相手に叩き付ける舌攻撃の二種類が基本であり、この階層より中距離における攻撃法を持った種別のモンスターが登場しはじめます。舌攻撃、体当たり共に威力は大した事は無いものの、乱戦時に舌攻撃を受け、体勢を崩す事で危険な状況に陥る冒険者も数多く、乱戦時の舌攻撃には注意を払う必要があり、可能ならば最優先撃破を狙うべきモンスターです。

 

 『ウォーシャドウ』は身長160C程の細長い人型モンスターであり、その姿は名の通り()の様に見える事から、物影に潜み、奇襲を仕掛けてくる等と言った個体も存在する事が確認されています。武装は細長い三本の指ですが、指は鋭いナイフ状になっており、生半可な防具では防御もままならず斬られてしまう程に鋭い為、非常に危険度が高く、ギルド支給のライトアーマーでは攻撃を防ぐ事が出来ない為、ギルドでは六階層に突入前に五階層までで資金を稼ぎ、防具の買い替えが推奨されています。注意すべきは奇襲攻撃とその鋭い爪をもってして繰り出される切り裂き攻撃。これまで出現してきたモンスターとは一線を画す程の強さの為、油断した冒険者等や慣れ始めた新米冒険者を数多く屠ってきたモンスターでもあります。動き自体は特殊なモノは無く、しっかりと動きを観察し、反撃を叩き込む事に意識をさく事で危険度を下げる事は可能です。

 

 七階層より『ニードルラビット』『パープルモス』『キラーアント』が出現します。希少種(レアモンスター)として『ブルー・パピリオ』と言うモンスターも出現します。

 

 『ニードルラビット』は文字通り、額に角の生えた兎の姿をしたモンスターで、その角を使った突進攻撃は直撃すれば鉄板を貫通する程の威力を持っており、乱戦時に視覚外から突撃される等と言った形で命を落とした冒険者も数多いです。動きもそこそこ素早く、体躯も総じて小型な事もあり、攻撃を当て辛く、防ぎ難いと言う特徴はあるものの反面、耐久は非常に低いため、短剣の一撃でも倒せる程に脆いので攻撃を誘発させてカウンターを叩き込む戦法をとる事で比較的安全に狩る事が可能です。しかし数が揃うと非常に厄介であり六匹以上の集団の場合は一度撤退する事も視野に入れるべきモンスターです。

 

 『パープルモス』は毒の鱗粉と言う攻撃を放ってくるモンスターで、直接攻撃を行ってくる事は殆どありません。しかし毒の鱗粉は非常に危険であり、毒状態になった場合、疲労感や吐き気と言った状態異常(バッドステータス)を誘発し、それに加えて体力が著しく減少していきます。一度の吸引で毒状態になる事はありませんが、もし乱戦時に発見した場合は最優先討伐対象に指定すべきモンスターです。

 

 『キラーアント』は4本の足に2本の細い腕、赤一色に染まっているその姿は蟻によく似ています。その甲殻は非常に硬く下手な武器ではその甲殻に弾かれダメージを与える事が出来ない上に六階層に出現するウォーシャドウと同等の攻撃能力まで有しています。更に致命傷を負う等と言った危険に晒された場合、特殊なフェロモンを放ち周囲の同一種類の個体を呼び寄せる性質を持っています。その範囲は七階層の半域を覆う程であり、フェロモンを放たれた場合、その階層のキラーアントを全て呼び寄せる結果に繋がり、非常に危険です。その甲殻の防御力、高い攻撃力、特殊行動の三点から冒険者の間では『新米殺し』の名で呼ばれる事もあり、キラーアントによる死者の数は全体の中で最も高い割合を占めていると噂されています。特殊行動に対する対処法は即死させる以外に無いですが、その硬い甲殻を突破して即死させる為には攻撃性魔法か、ウォーハンマーやウォーピック等の強撃による甲殻貫通や甲殻破壊攻撃による即死を狙うのが一番です。剣を使って討伐する場合は甲殻の隙間を狙って攻撃を繰り出すのが基本ですが、首を狙って即死させない限りは微弱にフェロモンを出されてしまう事も多く、剣や槍、弓等での討伐はかなりの難易度となります。その甲殻を無視して敵を斬り裂く事の出来る武装があれば特に苦労はしないでしょう。

 

 『ブルー・パピリオ』は上層における希少種(レアモンスター)であり、青く透き通った四枚二対の翅を持つ蝶であり、戦闘能力自体は皆無である代わりに警戒心が非常に高く、戦闘音に感づいた場合逃亡を始めてしまう為、戦闘を避けられないダンジョン内では非常に出会いにくいモンスターです。そのドロップアイテムのブルー・パピリオの翅は装飾品としても素材としても使われる事があり、その神秘的な美しさから非常に高値で取引される為、ブルー・パピリオを専門で狩る冒険者も居ます。しかし発見自体が非常に難しい事もあり、専門で狩るのもかなりの根気が必要だそうです。

 

 八階層から九階層にかけては新しいモンスターの出現はありませんが、一階層から五階層にかけて登場した『ゴブリン』『コボルト』が出現しますが、その能力は非常に高くなっており、集団戦における『ゴブリン』の危険度、『コボルト』の爪の鋭さは比較にならず、『コボルト』の噛みつき攻撃は下手をすれば肉を噛み千切られる危険性も孕んでおり今まで以上の警戒が必要となります。

 

 十階層より『オーク』『インプ』『バットパット』が出現します。

 追加情報として十階層より以下三階層にわたって『薄霧』『霧』『濃霧』の三つの『迷宮の悪意(ダンジョンギミック)』が存在します。

 もう一つ『迷宮の悪意(ダンジョンギミック)』として『怪物の宴(モンスターパーティー)』と呼ばれる同一地点に多量のモンスターが一度に発生すると言うものも存在します。

 更に迷宮の武器庫(ランドフォーム)と呼ばれる特殊設置物が配置されるようになり、モンスターが手に取る事で武器の形に変化し天然武器(ネイチャーウェポン)となり、武装を使用するモンスターの危険度が更に増しています。

 

 『オーク』は大柄な体躯に強靭な筋力、見た目は太っちょな豚ではあるものの、その脂肪の下には非常に引き締まった筋肉が存在し、見た目程鈍重と言う訳では無い為、鈍重と決めつけてかかると痛い目を見る事も多いモンスターです。また、この階層より存在する迷宮の武器庫(ランドフォーム)から天然武器(ネイチャーウェポン)をつくり出し装備する事で危険度は今までの階層の比ではなくなります。今までの階層では冒険者の遺品を使っており、お世辞にも質が良いと言えなかった武装を使う『ゴブリン』のみでしたが、この階層の『オーク』は新品の天然武器(ネイチャーウェポン)による武装と相まってかなりの危険度を誇ります。とはいえ、()()()()()鈍重ではないだけで、動き自体は機敏ではないのでしっかりと攻撃を回避し、攻撃を当てる事で倒すのは難しくは無いでしょう。厚い脂肪を持っている関係で打撃武器が非常に効きづらい為、剣や槍と言った武装で倒すのが推奨されています。

 

 『インプ』は小悪魔の様な姿をした非常に狡猾で『ゴブリン』以上の知能を持っているうえ、数も多いと言う厄介な性質を持ったモンスターです。『ゴブリン』同様単体での能力は高くないものの、集団戦における危険度は『ゴブリン』とは比較にならず、背後をとるだけに飽きたらず死角を狙って積極的に誘導をしようとしたり、他のモンスターを呼び寄せる等、小賢しい戦い方をしてくるため、かなり厄介なモンスターです。個体能力は低めなので確実に一体一体仕留める事が推奨されます。

 

 『バットパット』は蝙蝠型モンスターで、飛行能力を有している為討伐が難しく、『薄霧』ならまだしも『霧』『濃霧』の状態の階層ではまともに視認する事も出来ず唐突に『霧』の中から奇襲を受ける事も少なくありません。その上、集中力を乱す怪音波を放ってくる事もあり厄介さと言う意味では最も高く、気が付かぬうちに集中力を乱された上で奇襲を受けてなすすべなく牙で仕留められると言った報告も上がっています。討伐には弓やクロスボウ、投石布(スリング)等と言った遠距離武装で仕留める事が推奨されていますが『濃霧』状態の階層では見つける事自体がかなり難しい為、牙による噛みつき攻撃を誘発させて仕留めると言った方法が有効であると言われています。しかし集中力を乱す怪音波もあるので一匹二匹ならまだしも五匹以上を同時に相手取るのは悪手とされています。もし集団に襲われた場合は通路へと誘導し高度を下げた所を狙うのが定石でしょう。

 

 十一階層より『シルバーバック』『バトルボア』『ハード・アーマード』が出現します。また希少種(レアモンスター)として『インファントドラゴン』が出現します。

 追加情報として十一階層では『霧』の『迷宮の悪意(ダンジョンギミック)』が存在します。

 

 『シルバーバック』は白毛の野猿の様なモンスターで、高い筋力を持つモンスターです。『オーク』同様、迷宮の武器庫(ランドフォーム)から天然武器(ネイチャーウェポン)をつくり出し使用する事もありますが、基本的には本能に任せた大振りな攻撃を繰り出してくるモンスターで、高い筋力や跳躍力から危険性はそこそこ高くはありますが、仲間同士の連携を一切取らない等と言った面も見られ、単独では危険ではあるものの、集団と言う意味での危険度は低いモンスターです。

 

 『バトルボア』は巨大な猪型モンスターで、勢いの乗った突進は下手をすれば二級(レベル3)冒険者ですら致命傷を負いかねない程の威力となり、非常に危険なモンスターですが、逆に突進後には非常に大きな隙がある為、攻撃を誘発させて戦う事で有利に戦闘を進められます。しかし出現階層の十一階層は『霧』の『迷宮の悪意(ダンジョンギミック)』の影響で視界が悪く、視界外からの急な突進で即死させられたり等の事故も発生している模様であり、地形も相まって非常に危険なモンスターです。突進の際には大きな足音を立てるので、足音が聞こえたら直ぐに回避行動に移れるように常に注意を払う必要があります。

 

 『ハード・アーマード』は鎧鼠(アルマジロ)の様なモンスターで、その甲羅の強度は非常に硬い反面、甲羅に守られていない胸や腹等は非常に柔く脆い為、そこを狙う事で簡単に倒す事が出来る。と言われているが実際には防御行動と呼ばれる状態に移行された場合、甲羅の隙間も存在しない強固な状態となった上で、転がって突進してくる等と言った攻撃行動もとってくることから非常に厄介なモンスターでもあります。その甲羅の固さは上層では特筆すべき固さと言え、上層で最も高い防御力を持つモンスターとされています。攻撃の種類は防御姿勢状態での転がり突進と、噛みつきの二種類だけですが、その防御力の高さから手こずる事も多く、『ハード・アーマード』に手こずっている間に『バトル・ボア』の強襲を受ける等の危険がある為、最悪無視してしまうのも手だと言えます。攻撃法はイコールで移動法でもあり、若干の傾斜のある場所を選び上へと逃げれば防御姿勢状態の『ハード・アーマード』に追いつかれる事は無い上に、防御姿勢で無い場合は同階層内では比較的鈍足に分類されているため、逃走は容易いでしょう。『キラーアント』と違いウォーピックやウォーハンマーですらダメージとして通らない事もある為、討伐自体が悪手である事が多い様です。

 

『インファントドラゴン』は体高は約150C、体長は4Mを超す小竜で、上層における『迷宮の孤王(モンスターレックス)』とも呼ばれる希少種(レアモンスター)であり、その能力は三級(レベル2)冒険者程度では単独で太刀打ち出来ない為、三級(レベル2)冒険者が数人係りで討伐する事が推奨されています。単独(ソロ)討伐の場合は最低でも二級(レベル3)冒険者である事が推奨条件とされています。火球を飛ばす攻撃をしてくる事が稀にありますが、一度放った後には数分から数十分の冷却時間が必要な様子で連発は出来ないと言う情報があります。十一、十二階層で出現が確認されています。

 

 十二階層より『トロール』が出現します。

 追加情報として『濃霧』の『迷宮の悪意(ダンジョンギミック)』が存在し、危険度は上層最大となっています。

 

 『トロール』は『オーク』よりも大柄であり筋肉質な体をしたモンスターで、単独行動をしている事が多い代わりに、上層の希少種(レアモンスター)である『インファントドラゴン』を除けば最大の単体能力を有しており、これを討伐できて初めて上層を攻略したと言えるモンスターです。その大柄な体から使用される天然武器(ネイチャーウェポン)の大きさも最大であり、大きな棍での大振りの一撃は回避しやすい様に見えるが、その実、当たらずともその大きな棍を振り回した際に発生する風圧で体勢を崩されやすく、一撃目で体勢を崩され、二撃目で仕留められると言った冒険者が多数存在するそうで、特に小柄な『パルゥム』や比較的軽量な『キャットピープル』『エルフ』等は特に注意が必要で、風圧だけで壁に叩き付けられてしまう事もあるそうです。

 

「以上が上層で出現が確認されているモンスターとなります」

「うむ、上出来だな」

 

 ほぼ完璧な答えを回答してみせたカエデの頭を撫でてやれば、気持ちよさ気に目を細め、自らすり寄ってくるのを見ながら、リヴェリアは軽く頷く。

 

「次は【ステイタス】について説明してみろ」

 

「はい」

 

 

 

 ファルナを与えられた際に指標となるべきモノであり、人々が今までに得てきた【経験値(エクセリア)】を使い、神々の手で『更新』する事で強化されていくモノで、【ステイタス】は神々が作り上げた【エンブレム】と共に背に刻まれ、【エンブレム】はその神の眷属である事を示す大事なモノでもあります。

 基本的に【ステイタス】は主神の手によって隠蔽(ロック)されていますが、『開錠薬(ステイタス・シーフ)』等の非合法薬品等で強制的に暴かれる事もある為、冒険者は他の人に対して背を晒す事を嫌います。

 また、【ステイタス】はその冒険者の歩んできた人生そのものであり、軌跡を描くモノであります。

 追加情報として、【ステイタス】を知られる事で不利になる場面も多い事から、仲間同士でも【ステイタス】を教え合う事は滅多にありません。

 

 【ステイタス】の記載事項は、

 

 第一に『二つ名』と『名前』

 この名前は眷属本人が認識する己の名が刻まれる為、結婚や離婚等で家名が変化した際に【ステイタス】の更新と共に変化する事が確認されています。

 『二つ名』は初めての器の昇格(ランクアップ)の際に神々がその眷属の特色を表した、または過去の偉業を成し遂げた英雄に準えた、または各神の眷属である事を象徴する特徴的な名の事で、レベル2以上の冒険者が名乗るモノでもあります。

 基本的に『二つ名』は器の昇格(ランクアップ)の時以外に変更される事は無い為、頻繁に変わる事は無いですが、稀に眷属に似合わな過ぎる、不相応過ぎる等の理由で変更される事があるらしいです。

 

 第二に『所属(ファミリア)

 これは神の名でもある為、誰の眷属かと言う事を示すモノでもあります。

 

 第三に『種族』

 基本的な『ヒューマン』の他に『亜人種(デミ・ヒューマン)』と呼ばれる『エルフ』『小人族(パルゥム)』『ドワーフ』『アマゾネス』『獣人種』の五種類が存在し、更に『獣人種』は『猫人(キャットピープル)』『犬人(シアンスロープ)』『狼人(ウェアウルフ)』『狐人(ルナール)』『猪人(ボアズ)』とその他数多存在し細分化されています。

 

 第三に『レベル』

 現在オラリオにおいて最大とされているのは【ロキ・ファミリア】と探索ファミリア最大を競い合う【フレイヤ・ファミリア】に所属している【猛者(おうじゃ)】オッタルが保有する『レベル7』が世界で最大のレベルであり、現在においてオッタルと同等の『レベル』に達した者は存在せず、名実共に最強とされる冒険者です。

 

 第四に『基礎アビリティ』

 基礎能力値の事であり、『力』『耐久』『魔力』『敏捷』『器用』の五項目に分かれています。

 【経験値(エクセリア)】を使って強化される基本的な項目で強化度合いは熟練度と呼ばれ、それぞれ昇順にS、A、B、C、D、E、F、G、H、Iの十段階で能力の評価が示されます。

 熟練度0~99がI、100~199がHと言った形で、100を区切りとし上位の表示へと切り替わります。

 基本的に基礎アビリティの熟練度はその項目毎に上昇条件が違い、『耐久』であれば攻撃を食らう等の耐える事、『魔力』であれば魔法の使用等で魔力を消費し続ける事でその項目に応じた【経験値(エクセリア)】 を得る事ができます。

 基本的に熟練度に二段階以上の差がある場合は勝つ事はほぼ困難であるとされており、『力』ステイタスがEの冒険者とCの冒険者が腕相撲をした場合、どれだけ条件を変化させようと、EがCに勝利する事は不可能とされています。ですが、冒険者同士の抗争等に於いてはそれだけで勝利が決まる事はありません。

 また『器の昇格(ランクアップ)』の条件の一つとして『基礎アビリティ』の評価が五項目いずれか一つでも『D 500~599』に到達している必要があります。

 

 第五に『発展アビリティ』

 器の昇格(ランクアップ)の際に特定の【経験値(エクセリア)】を得ている等の条件を満たしている事で発現する可能性のあるモノです。

 器の昇格(ランクアップ)の都度、一つだけ習得可能であり、可能性の引き継ぎはできません。レベル1からレベル2への器の昇格(ランクアップ)の際に習得条件を満たしていたモノでも、レベル2から3の器の昇格(ランクアップ)の際に条件をもう一度満たさなければ発現しません。

 有名な『発展アビリティ』は多数ありますが、種類は千差万別であり神々も知らぬ新たな『発展アビリティ』は常に発見され続けており、神々の興味を引く対象にもなっています。

 【狩人】一度【経験値(エクセリア)】を取得した事のあるモンスターと戦う際にステイタスが上昇する。

 【鍛冶】鍛冶の際にボーナスが得られる

 【剣士】剣の使用時にステイタスの強化、剣の技量の上昇等

 その他、数えきれぬほどの『発展アビリティ』の存在が示唆されています。

 

 第六に『スキル』

 『スキル』とは【ステイタス】の数値とは別に、一定条件の特殊効果や作用を肉体にもたらす能力であり、【ステイタス】が器そのものを強化するとしたら、『スキル』は器の中で特殊な化学変化を起こさせるモノであります。

 発現するスキルの多くは、名称に差異はあっても冒険者たちの間で共有されている効果効用が多いです。

 

 また、種族特有の『スキル』が存在し、有名なモノは『エルフ』『ドワーフ』『アマゾネス』『獣人種』に偏っています。

 

 『エルフ』特有の『スキル』は魔法の威力の上昇、魔法の範囲を上昇等の魔法関連の『スキル』が多数存在しています。

 

 『ドワーフ』特有の『スキル』は防御力の上昇、体力の上昇と言った防御関係の『スキル』が多数存在しています。

 

 『アマゾネス』特有の『スキル』はどれも攻撃力を上昇させる効果が多く、攻撃関係の『スキル』が多数存在しています。

 

 獣人関係のスキルは種族毎に多種多様であり、一部のみとなりますが

 

 『猫人(キャットピープル)』の『スキル』

 高度からの落下ダメージ軽減や足音の消音化と言った特殊行動補助の『スキル』が主だっています。

 

 『犬人(シアンスロープ)

 基本的に自身よりは周りの仲間を補助する『スキル』が多いです。

 

 『狼人(ウェアウルフ)

 基本的に自身のみを強化する『スキル』が多く、個人戦闘用の『スキル』を習得します。

 

 オラリオに『狐人(ルナール)』が殆ど存在しない為、『狐人(ルナール)』については不明。

 

 『猪人(ボアズ)

 戦闘時、時間経過と共にステイタスが上昇していく『スキル』を習得すると噂されています。

 

 第七に『魔法』

 『魔法』は先天系と後天系の二つに大別することができ、先天系の『魔法』を習得できるのは『魔法種族』と呼ばれる『エルフ』と獣人種の中でも『狐人(ルナール)』の二種類が基本である。

 『魔法種族』はその潜在的長所から修行・儀式による『魔法』の早期習得が見込め、属性に偏りが見られる分、総じて強力かつ規模の高い効果が多いモノを習得できる。『狐人(ルナール)』の習得する魔法は特殊なモノが多い事から『属性魔法』の『エルフ』、『妖術・奇術』の『狐人(ルナール)』とされている。

 後天系は『ファルナ』を媒介にして芽吹く可能性、自己実現である。規則性は皆無、無限の岐路がそこにはあり、【経験値(エクセリア)】に依るところが大きいとされています。

 『魔法』は魔法の才能『習得枠(スロット)』によって習得数が変化し、『習得枠(スロット)』の最大数は三つであり、冒険者は三つ以上の魔法を習得できません。

 『魔法種族』の『エルフ』『狐人(ルナール)』は『習得枠(スロット)』を三つ保有していますが、それ以外の種族は基本一つで、更に『ドワーフ』と『アマゾネス』は『習得枠(スロット)』が一つも存在しない事が多いと言われています。無論、個人差はあり『エルフ』でも『魔法』が使えない者も居れば『猫人(キャットピープル)』が三つの『魔法』を使い分ける事もありますが、基本的には『魔法種族』以外で『魔法』を三つ習得する事は無い上、そもそも『魔法種族』以外で『魔法』を習得できた冒険者は数が少なく、器の昇格(ランクアップ)は出来ても『魔法』が習得できない冒険者も多い為、レベル2になっても『魔法』も『スキル』も無いと言う冒険者は珍しくありません。むしろそちらの方が多いくらいだそうです。

 

 『魔法』の種類は大雑把に分けて『攻性魔法』『補助魔法』『治療魔法』『付与魔法』『装備魔法』の五種類に分類されます。

 また『狐人(ルナール)』の使うモノだけは『妖術・奇術』に分類される為、五種類には属さないです。

 

 『攻性魔法』は単純に詠唱完了と共に攻撃性の破壊を巻き起こす現象を引き起こす魔法であり、冒険者が口にする『魔法』は基本的にこれにあたります。

 『補助魔法』はステイタスの一時的上昇効果や、防御系の壁の設置等といった補助を行う『魔法』全般をそう呼びます。

 『治療魔法』または『回復魔法』は文字通り怪我の治療や治癒等の効果を持った『魔法』です。もっとも有用であるとされていますが習得者が比較的に少なく、習得している冒険者は各ファミリアで優遇されています。

 『付与魔法』は自分の肉体もしくは指定した対象に対して特定属性の魔法効果を付与する魔法で、【ロキ・ファミリア】に所属する【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタインの使用する『エアリエル』と言う風属性の付与魔法(エンチャント)を使用する事が有名で、属性によって様々な効果があります。また、『魔法』に関する適性の高い種族や人が強い感情を抱いた際等に発現する事が確認されているため、別名『感情魔法』等と呼ばれる事もあるそうです。

 『装備魔法』はオラリオにおいても習得者が過去・現在においても五名しか確認されていない特殊魔法で、込めた魔力分だけ魔法効果を発動する『魔剣』に相当する装備品を作り出す魔法です。『魔剣』と違い形状は様々であり【ロキ・ファミリア】に所属している【魔弓の射手】ジョゼット・ミザンナの使用する『妖精弓の打ち手』と言う魔法は『エルフ』特有の『魔法』に相当する追尾・単射の効果を持つ矢を放つ弓を作り出す魔法であり、発動回数は作成者の『基礎アビリティ』『器用』に応じて変動する……らしい、と言うのが確認されています。オラリオにおいても習得者数が少なすぎてどんなものなのか判別されていないモノの為、不明な点が多い魔法でもあります。

 他に確認されている『装備魔法』として【ソーマ・ファミリア】に所属していた“ホオヅキ”と呼ばれる冒険者が『酒乱の盃』と言う、込めた魔力に応じて『お酒』が出てくると言う盃を作り出す『装備魔法』を習得している事が確認されており、『装備魔法』の多様性は様々と言われています。

 

 基本的に『魔法』には『詠唱』が必要であり、発現の際にステイタスの『魔法』に刻まれた固有の『詠唱』を行う事で『魔法』の効果が発動します。

 『詠唱』は『一文』『短文』『中文』『長文』『超長文』の五段階に分かれています。

 基本的に『魔法』は『詠唱』の時間が長いほど威力を増し、逆に『詠唱』の時間が短いほどすぐに発動出来るという利便性があります。

 

 第八に『偉業の証』と『偉業の欠片』

 『偉業の証』とは『神々が称賛する様な偉業』を成し遂げる事で得られるモノであり、『偉業の欠片』は『神々が認める事』を成し遂げた際に得られるもので、『器の昇格(ランクアップ)』に必要なモノでもあります。

 『偉業の欠片』は複数集まる事で『偉業の証』に変化します。

 『偉業の証』を得る事が『器の昇格(ランクアップ)』の条件になっているため、数多くの冒険者は『偉業の欠片』を必死に集め、『器の昇格(ランクアップ)』を目指しています。

 

 

 

「以上がステイタスの説明です」

「ふむ……途中、不要な説明も混ざっていたが、問題は無いだろう」

「不要……?」

「『装備魔法』の【ソーマ・ファミリア】のくだりだ、まあ、合格だな」

「はい、ありがとうございます」

 

 深々と頭を下げたカエデに、リヴェリアは微笑みかける。

 

 カエデが【ロキ・ファミリア】を訪れて今日で五日。たった五日である。

 勉強を始めたのが四日前、四日間でこれだけの情報を頭に詰め込み、しかと理解しているのは目を見張るモノがある。

 ましてや、今回は上層のみに絞ったが、カエデは中層のモンスターや特徴、『迷宮の悪意(ダンジョンギミック)』もほぼ理解している。流石に下層までは手を出していないものの、凄まじい習熟速度であると言える。

 

「よくやったな、これは何か褒美をやらなくてはな……」

「いえ、それよりも『ダンジョンの基礎』を返して頂きたいなと……」

 

 頭を上げたカエデの視線の先にはリヴェリアの持つ『ダンジョンの基礎』の本。

 

 まさか、()()()()()()()()気なのか?

 

「……いや、これは私が預かる。少し頑張り過ぎだ」

「…………わかりました」

 

 ほんの僅かに不服そうな感情の混じった返事をしたカエデの視線はやはり『ダンジョンの基礎』に向いたままである。

 

「はぁ」

 

 暇があれば剣を振るい鍛錬を積むか、本を読み知識の収集を行う。ここ四日間でのカエデの行動だ。

 リヴェリアとの勉強会と朝食・昼食・夕食を除き、基本的に鍛錬所か部屋のどちらかで鍛錬か勉強。

 【ロキ・ファミリア】の内部でのカエデの行動はかなり際立っていると言える。

 

 実際、ファミリア団員の中から不気味だと言う声も上がる程に……

 

 アイズは鍛錬ばかり行っていた為、アイズも不気味がられていたが、カエデの場合は聞き分けが良い部分も相まってと言うより、聞き分けが良いのに行動が極端だと言う部分から不気味がられているらしい。

 

 今朝はラウルと笑い合って食事をとって居る姿があった事は皆噂にしていたので知っているだろうが、それ以外の時は鍛錬か勉強、どちらかに集中している……いや、し過ぎていると言っていい。

 

 少し、気を抜く場も作るべきだろう。どの道、ダンジョンの勉強はほぼ完璧にこなしている事もあり、これ以上勉強に時間を費やす必要はない。それをそのままカエデに伝えれば鍛錬にひた走る可能性があるのが怖いのだが……

 

「と、そう言えば試験の前に相談があると言っていたが、何の相談だ?」

 

 試験を行う前、カエデが『試験の後に相談したい事があります』と言っていたのを思い出し、問いかければ困った様に眉根を寄せたカエデがリヴェリアを見上げた。

 

「早朝の鍛錬の際にずっと誰かに見られている感じがありまして……良くは分らないのですが……その、ワタシじゃなくて……ワタシを見ている様な……?」

「……? カエデじゃないカエデを見ている? 視線な……」

 

 自身でもよく分っていないのか……

 

「どこからの視線かわかるか?」

「えっと……高い所から見下ろされている様な……そんな感じがします」

「……高い所?」

 

 高い所から見下ろす……? 高い所、最上階のロキの部屋か? ロキは上から見下ろすよりは同じ目線に立つ事を好むだろうし……

 高い所からの視線、留意しておく必要があるだろう。

 カエデが行動を開始する早朝に活動する団員は夜間警邏を行っていた者ぐらいだろうから、その者達から話を聞いてみるか?

 

「何時からだ?」

「えっと……今朝からです」

「……わかった、此方でも調べてみる事にしよう。安心しろ、下手人はしかと捕まえておく、何か変わった事があったら伝えろ」

「はい」

 




 色々と独自設定が入ってます。ご了承ください。


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『神の恩恵《ファルナ》』

 師は言った

『何があろうがオヌシの傍に居よう。心配等せずとも、な』

 師は言った

『安心せえ、ヌシを一人に何ぞせぬわ。一人にしたら心配で堪らぬからな』

 ヒヅチは言った

『名を呼べば何時でも、何処にでも駆けつけよう。約束じゃ』

 名前を呼んだ。 ヒヅチは来なかった。


 【ロキ・ファミリア】の主神ロキの私室は、揺らめく炎の様にも見える複数の尖塔から形成される本拠『黄昏の館』の最も高い尖塔の先に存在する。

 螺旋階段で登り、向かうその場所、部屋の前でカエデは深呼吸を行い部屋の扉をノックした。

 

「ロキ様、カエデです。ファルナを授かりに来ました」

 

 【ロキ・ファミリア】を訪れて一週間。

 リヴェリアが【ダンジョン】の知識について必要な分の習熟が終了したとお墨付きを貰って、ようやく訪れたこの瞬間に緊張と共に待っていれば、部屋の中からロキの声が聞こえてくる。

 

「入ってええでー」

「失礼します」

 

 扉を開け、部屋に入ったカエデの目に飛び込んできたのは雑多に転がる様々な物の数々だった。

 

 一番多いのは酒瓶だろうか? 中身の詰った物、中身の無い空き瓶も含め大小様々な酒瓶が転がっている。

 不思議と、酒の臭いは漂っておらず、部屋の中は清浄な空気で満たされている。

 

 他には何も乗せられていないのに傾いた天秤、綺麗な硝子で作られた鎖、姿が映らない鏡、話に聞く【魔術的骨董品(アンティーク)】と言う今の時代に失われてしまった精霊と人間が協力して作り上げた神々の授けた『ファルナ』とは別の系統の奇跡を宿した珍しい道具や、神々が降り立つ前の太古の時代に繁栄していた『狐人(ルナール)』の生み出した【古代の遺物(アーティファクト)】等の現代技術では再現できない効果を齎す魔術的道具(マジックアイテム)等が無造作に酒瓶に交じって転がっている。

 

 その雑多な物と言うモノが転がり、散らばっているソレらは部屋は神ロキの『移ろい易い気質』を示している。

 

 そんな部屋の中心、大きなベッドに腰掛けたロキは手をひらひらと振ってカエデを出迎えた。

 

「カエデたん久しぶりやなー、そこの椅子に座ってな。あ、本来なら色々と注意を説明すんのやけど、母親(ママ)から話は聞いとると思うから説明は省くで?」

「はい、上着を脱いで座ればいいのでしょうか?」

「ええでー、こっちに背中向けてなー」

 

 ロキの指示の通り上着を脱いで手に持ち、ロキに背を向けて用意されていた椅子に腰かける。

 ベッドに腰掛けたロキの前に置かれた椅子に腰かけたカエデの背中を見て、ロキは針を取り出す。

 

「んじゃじっとしててなー……綺麗な背中やなぁ」

「はい」

 

 ロキは人差し指の先を刺す。針を抜けば血があふれてきて、指の上に滴を形成する。

 『ファルナ』を授ける際に使用する物。それは神々の血である。『神血(イコル)』を使い、眷属となる人間(こども)の背に刻まれる事になる。

 

 ロキは溢れ出た血をカエデの背中に押し当てて縦に一線、引かれた『神血(イコル)』は直ぐにカエデの肌と同化して消え去り、波紋と共に淡い光を放ち始める。

 その光は徐々に形をとり始め、笑う道化の形へと変化し、カエデの背にふわりと染みつく。

 光が失われた時にはカエデの背には刺繍にも見える【ロキ・ファミリア】の主神ロキの眷属である事を示す【エンブレム】が刻まれていた。

 これで、晴れてカエデ・ハバリは神ロキの眷属となった。

 

「うっし、ファルナはちゃんと付与されたわ」

「ステイタスはどうなっているのでしょうか?」

「あー、ちょい待ってな。今のはファルナ与えただけで、まだ更新しとらんからなーもう少し待ってなー」

「はい」

 

 『ファルナ』を授ける事と更新は別の事である。

 『ファルナ』を授かった際、『最初の更新』と呼ばれる授かった直後に行う更新を経て『ファルナ』を授ける儀式は完了すると言っていい。

 

 『最初の更新』、それは今まで眷属が生きてきた中で得てきた【経験値(エクセリア)】を引き上げ、形にする事だ。

 

 普通に村人として過ごしてきたのなら力と耐久、器用が『10~20』程度、俊敏は『5~10』あれば良い方だろう。魔力は『エルフ』や『狐人(ルナール)』でも無い限りは基本的に最初の更新の時点で上がる事は無い。

 訓練された軍人が授かった場合は平均が『50前後』になる。

 無論、個人差が存在する為、一概には言えないが、優れた才能を持つ眷属等は『最初の更新』の時点で熟練度がHに届く眷属も存在する。

 

 ロキはもう一度カエデの背中に『神血(イコル)』を塗り付け、かき混ぜる様にカエデ・ハバリの身に刻まれた今までの人生の集大成である【経験値(エクセリア)】を引き上げていく。

 

 背に刻まれた『ステイタス』が変化していき、ロキは息を吐いた。

 

 薄命である事を除けば才能の塊……か。

 

 名前、所属、種族、レベル。この辺りは基本的な情報だけだ。特に変わった所は無い。カエデ自身が認識する名前が『カエデ・ハバリ』であり『アイリス・シャクヤク』となっていない為、カエデは自身の事を『カエデ・ハバリ』だと認識して居る事になる。『ツツジ・シャクヤク』については別口で調べているので今は無視で構わない。

 問題は『基礎アビリティ』の方である。

 

 

 初期更新で500オーバー、百万人に一人の確率だっただろうか?

 【ロキ・ファミリア】に於いてはリヴェリアとフィン、意外だがラウルも400オーバーだったが……

 『最初の更新』で500オーバーは珍しい。才能に満ち溢れた素晴らしい眷属だ。

 

 魔力が『I0』であるのは、『ウェアウルフ』であり、魔法種の『エルフ』『ルナール』でないので当然であるのだが……

 

 若干ステイタスが歪なのが気になる所だろうか?

 『ウェアウルフ』は力と俊敏の才能を持って生まれる。其の為力と俊敏は高めになるのだが逆に耐久はあまり伸びが良くない。器用が高いのはカエデ自身が持って生まれた才能なのだろう。

 普通であれば力の方が耐久よりも伸びるはずだが……器用の高さに頼った戦いの弊害ともいえるだろう。

 器用が『最初の更新』でGに届くのは珍しいが、基礎アビリティに偏りが酷い。

 

「カエデたん、器用がGやで、めっちゃ高いわー」

「そうなんですか? G……熟練度200~299でしたか、高い……? 話に聞くよりも凄く高いですね、50前後あれば良い方と聞きました」

「あー、せやね。普通はそうなんやけどそんだけカエデたんが頑張ってきたって事やろ」

 

 尻尾が起き上がったのを見て、ロキは尻尾の先を摘まむ。

 

「カエデたん悪いんやけど尻尾下げててなー」

「あ、ごめんなさい」

 

 嬉しさのあまり尻尾が動いてしまったのだろう。

 

 しかし、頑張ってきた。その一言で済ませるにはカエデの『器用』は高過ぎる。どんな環境に身を置けば……いや、日常生活から鍛錬、モンスター討伐、狩猟を毎日の様に行っていればそうなるのか? 才能と合わさって凄まじい伸びだと言える。

 

 次の発展アビリティは、まだレベル1では発現しないのでなくて当然

 

 『スキル』の欄を見てロキは目を見開く。

 

 言葉を失った

 

 三つも発現している

 

 一つはロキも知っているモノだ

 

 【ミューズ・ファミリア】と言う九姉妹の神々が集まってできた複合ファミリアの誰かにでも聞けば詳しく教えてもらえるスキルだ。

 

 そして、残りの二つは確実に『レアスキル』だろう

 

 なにせ『早熟する』と『取得【経験値(エクセリア)】の増加』と言う聞いた事も無い効果なのだから……

 

 だが……一つは良い。『早熟する』の方のスキルは良いのだが……

 

 『取得【経験値(エクセリア)】の増加』の方はカエデには伏せておいた方が良いだろう。発動条件がヤバイ。下手をすればそのまま……

 

 二つ目のスキルはカエデには伏せておくべきだ。

 

 

 そして、最後の一つ。

 

 カエデの背に刻まれた【ステイタス】の中の一つのスキルの効果の一文に刻まれた文を見て、ほぼ確信した。

 

 ――ヒヅチ・ハバリは生きている可能性がある――

 

 このスキルが存在している以上、ヒヅチ・ハバリは生きている。

 

 ……だが、何故カエデは師が死んだと口にしたのだろう?

 

 少なくとも、カエデは嘘を……吐いた事は…………待て

 

 カエデ・ハバリは『ヒヅチは死んだ』と一度でも口にしたか? 自分(ロキ)はそれを聞いたか?

 

 勝手に、自分が『ヒヅチは死んだ』と思い込んでいただけではないか?

 

 

 傷を抉る行為かもしれない。だが、聞くべきだろう。

 

 

 

 

 更新が、まだまだかかりそうだった。

 『初めての更新』で時間がかかるのはそれだけ『良いステイタス』だったと言う事だろう。

 器用が『G200~299』だったのだ、他にも色々あるのかもしれない。

 

「カエデたん……」

 

 神妙そうな神様の声が聞こえた。何か問題でもあったのだろうか?

 

「はい? なんでしょうか? 更新、終わりましたか?」

 

「いやー、それとは別の話なんやけどな……カエデたんの、師……ヒヅチ・ハバリは何処に居るんかなって……」

 

 震えた、俯いて、ぎゅっと手を握った。

 聞いてほしく、無かった。

 

「師は……ヒヅチは……雨の日に……」

 

 

 

 

 

 雨が降っていた

 

 とても、激しい雨が

 

 嫌な予感がしていた

 

 

 

 何の事は無い、師が頭を撫でてくれれば、何時だって安心していた。

 

 ほっとして、尻尾が下がる。それが日常だったように思う。

 

 なのに、その日は違った

 

 

 

 

 

 土砂降りの雨が降っていた。

 

 朝目覚めた瞬間から尻尾が湿り気を帯びていて不愉快だった。

 

 珍しく師がワタシよりも早く起きて朝食の準備をしていた。

 

 急いで剣の手入れをし始めると、ヒヅチが頭を撫でてくれた。

 

 それから慌ただしく外套を纏って村に行くと言って出て行った。

 

 何時もと様子が違った なんだろう? そう思っていた。

 

 

 

 ヒヅチが戻ってきたのは、剣の手入れを終えて戻ってくるのが遅いな、迎えに行こうかなと不安感からソワソワしていた時だった。

 雨水が染み込んで重くなった外套を脱いだヒヅチは不機嫌さを一切隠さずに吐き捨てる様に言った。

 

『あの阿呆め、今日は土砂降りの雨じゃと言うのに……モンスター退治に行かねばならんくなった』

 

 雨の日に森に入る事は殆ど無い。

 獣も雨の日は姿を消す事が多い。

 普通のモンスターも雨の日は活動が減る。

 

 しかし、元々水辺で過ごすモンスター等は雨の日は活動範囲を広げる。

 

 そのモンスターからの被害を恐れて直ぐにでも討伐すべきだとスイセンが騒ぎ立てたらしい。

 

『モンスター退治はお前の仕事だろうヒヅチ、あの()()()()()と共に討伐に行ってこい』 

 

 そう騒ぎ立て、他の村の重鎮も同様にヒヅチに討伐を求めた。

 

 村長は危険ではないかと最後まで渋っていたが我慢の限界を迎えたヒヅチが引き受けたらしい。

 

『カエデを禍憑きなんぞと同じ様に呼びおってからに……あ奴らめ……』

 

 そんな風に呟きながらヒヅチは手早く武装を整えていく。

 

 軽装とも呼べる胸当てに腰当、腰巻に打刀を一本と解体用ナイフ。背負い袋を肩にかけて毛皮で作った外套ですっぽりと体を覆い、弓に手をかけて、それから呟いた。

 

『カエデ、弓はいらん。置いていけ』

 

 ワタシは何故かを問うた。

 

『雨霧が酷く狙いをつけれん。そもそも矢が飛ぶかどうかも怪しいぐらい雨が酷いからな……余計な荷物にしかならん』

 

 ワタシは背に背負った小弓と矢筒を棚に戻した。

 

 ヒヅチは同じように準備していたワタシに声をかけてきた。

 

『オヌシ、本当に付いてくる気か?』

 

 雨の日の森が危険なのは百も承知だった。

 

 普段と違うモンスターが出るだけじゃない。

 

 雨音で耳が潰され

 

 雨霧で視界が利かず

 

 臭いは雨で洗い流されて鼻は利かない

 

 耳、目、鼻、五感の内三つが潰された状態でモンスター退治なんて危険なんてモノじゃない。

 

 それでも、一人で行かせてはいけない。そんな風に感じた。

 

 ワタシも行く。真っ直ぐ見据えて言い放てば師は肩を竦めた。

 

『危ないが、まあいい……』

 

 それだけ言うと師は背を向けて小屋を出た。

 

 その姿に不安感が増した。

 

 慌てて追いかける。

 

 

 外に出た瞬間、雨は凄まじい勢いでワタシの外套を濡らした。

 

 瞬く間に濡れそぼり、水を吸って毛皮の外套は重くなって外套だけでなく内側のキルト服にすら染み始めて眉を顰めた。

 

 師の言う通り、この雨の中では弓矢は何の役にも立たないだろう。

 

『よし、行くか……聞こえるか?』

 

 ザーザーと、雨の音で全てが掻き消されていた。

 

 小屋は頑丈な造りでそうやすやすと壊れるモノではないし、音に関してもあまり気にならなかったが、扉を開け、外に出てみれば師の声も聞き逃しそうな程に激しい雨が降っていた。

 

 雨音は酷い、すぐ近くに立つ師の声すらも雨音にかき消されてしまいそうな程だ。

 

 ぎりぎり聞こえた声に反応すれば、ヒヅチは眉根を寄せた。

 

『声では不安じゃ……ふむ、会話に大声を出していてはモンスターに気付かれる。合図で指示を出す。見失うなよ?』

 

 そういうと、師は唐突に自分の毛皮の外套をナイフで裂いて尻尾を外に露出させた。

 

 師の金の尻尾は目立つ。そんな風に露出させていては危ないのでは? そう思った。

 

 ヒヅチは自分の尻尾を摘まんで見せて手で『これ』『見失うな』『ついて来い』そう合図を行ってきた。

 

 それからヒヅチは雨霧に遮られた森の方へ足を向けた。

 

 不安感が増した

 

 心配で、心配で、思わずヒヅチの尻尾を掴んだ

 

 何だと言わんばかりに振り向いてから、肩を竦めてワタシの耳に聞こえる様に近づいてヒヅチは言った。

 

『不安か? ワシもじゃ。どうにも嫌な予感がして堪らん。もしも不安なら小屋で待っていても構わん』

 

 小屋で待っていたら、ヒヅチが戻ってこない。そんな気がした。

 

 だから首を横に振った。一緒に行く。ワタシはそう言った。

 

『そうか……気を付け……いや、良い。雨の怖さは十二分に知っておるじゃろうしな……』

 

 そう言うとヒヅチは頭を一撫でして森の方へ視線を向けた。

 

 頭を撫でて貰えれば、普段のモンスター退治の時は不安感は消し飛んで大丈夫だと思えたのに、その日だけは不安感が増すだけで何の意味も無かった。

 

 『行くぞ』『付いて来い』その合図を見て、歩き出したヒヅチの尻尾を追った。

 

 

 

 

 

 雨音が酷く、二(メドル)も離れていないはずの師の声も聞こえない程だった。

 森の木々に阻まれて滴は地まで届かない、なんてことは無く、枝木で作られた森の天井を突き破っているのではないかと言う程の雨量で地面を盛大に打ち鳴らしている。

 

 雨霧も酷い。五(メドル)先にある木がうすぼんやりとしか見えず、見通せない。

 師の金の尻尾が雨霧の中、うすぼんやりと見えており、師が目立つように尻尾を振りながら歩いてくれるおかげで逸れずに済んでいるが、灰色の毛皮の外套であったのならとっくの昔に見失っていたと思う。

 

 臭いが分らない。直ぐ近くに居るはずの師の臭いも感じ取れない。これではモンスターに気付けない。

 

 唯一の救いは風が強くない事だろうか?

 

 横殴りの雨でないおかげで真っ直ぐ歩けている。

 

 

 そんな風に考えていたら唐突に師が振り返ってワタシを押し倒して低木へと引き摺り込んだ。

 引き摺り込まれた際に水溜りに盛大に倒れた為か、下着までぐっしょりと濡れて不愉快だったが、師が真剣な表情で耳打ちしてきた言葉に体を硬直させた。

 

『囲まれておる、静かに、気付かれておらん』

 

 その言葉が信じられなかった。

 

 警戒は厳重に行っていたはずなのに、雨の所為で気付かずにモンスターに取り囲まれる事態になるなんて……

 

 そう思っていたら低木の下の空間に身を伏せて隠れるワタシと師の視線の先にうすぼんやりと影が見えたのに気付いた。

 ずるずると体を引き摺りながら体長3Mにも届く様な巨大な蜥蜴の様なモンスターがワタシ達の前を歩いて横切って行った。

 

 しかも一匹だけではない。確認できただけで五匹の蜥蜴の様なモンスターが低木を避けて何処かへと向かっていった。

 

『……気付かれずに済んだか……カエデ、奇襲を仕掛ける』

 

 ヒヅチが立ち上がり『付いて来い』と指示をしてきたため、直ぐに立ち上がり、後を追う。

 

 

 後を追った先で、ヒヅチが『姿勢を低く』『息を殺せ』と指示をしてきたので、ヒヅチと同じ様に姿勢を低くしてヒヅチの直ぐ横に近づいた。

 

『数は七じゃ、外周五匹はワシが何とかする。二匹はオヌシが仕留めよ』

 

 ヒヅチが示した先、雨霧にぎりぎり消されない範囲に二匹の蜥蜴のモンスターが居た。

 

 他のモンスターの位置がさっぱりわからなかった。

 

『あそこ、そこ、そっちの草場、そこの沼地に二匹、あの草場のモノだけは気を付けよ』

 

 ヒヅチの指差す方向を見ても、ワタシの目には白くぼやけや雨霧しか映らない。

 

『……良い、合図と共に仕掛けよ、ワシが先に仕掛ける』

 

 師はそう言うと止める間も無く雨霧の中に消えて行った。

 

 不安感に押し潰されそうだった。

 

 そんな風に思ったのもつかの間、背中に石ころが当たった。合図だった。

 

 腰の『大鉈』を引き抜いて木の根を足場に一気に駆け寄り、もっさりとした動きで木の皮を剥いでいたモンスターの首を狩り、勢いを殺さずに次のモンスターの背中に剣を突き立てて引き抜く。

 

 一匹目のモンスターの首が落ちて水溜りが真っ赤に染まって行き、剣を突き刺した方も少し暴れたが動かなくなった。

 

 血の臭いは一切感じなかった。恐ろしいぐらい、雨の臭いで他の臭いが消されていた。これではヒヅチが何処に居るのかわからない。

 

 それからヒヅチが何処に居るのか確認しようとしたら、肩を叩かれた。

 

『良くやった』

 

 頭を撫でて貰えて、そう言われた。

 

 飛び跳ねるぐらい嬉しい事のはずなのに、なんでか嬉しくなかった。

 

 

 

 モンスターの討伐証を剥ぎ取って腰の袋に入れてから、次のモンスターを探す為に森の中を移動していた。

 

 突然、ヒヅチが『姿勢を低く』『静かに』の指示を出して尻尾を外套の内側に仕舞いこんで低木の傍でしゃがみ込んだ。

 

 雨は少し緩んだと思う。雨霧はまだ立ち込めているし、雨で臭いは洗い流されてしまっているけど、音が聞こえた。

 雨音とは違う轟音ともとれる水流の音。カエデの土地勘が間違っていなければ川の近く。

 

『カエルか……ツツジが厄介だと言っていた奴じゃな』

 

 師は近づいてきて轟々と水の流れる音が響く方向を指差して言った。

 

 川の音で何も聞こえないけれど、薄れ始めていた雨霧の中に微かに蠢くモンスターの姿を見た。

 

 そのモンスターの奥、普段からは考えられない程に増水して濁流と化した川が見えた。嫌な予感が増した。

 

『……カエデ、あそこの一匹を仕留めよ、ワシは残りの三匹を仕留める』

 

 ダメだ、行っちゃだめだ

 

 尻尾をギュッと掴まれたような、そんな嫌な予感が駆け抜けて師の腕を掴んで止めた。

 

 師はワタシを見ると頭を撫でた。

 

『安心せえ、大丈夫じゃ』

 

 安心させてくれる笑みを浮かべて、安心させる様に頭を撫でてくれる。

 

 なのに、何故か、ちっとも、これっぽっちも、安心なんてできなかった。

 

 ダメなのだ、この先に進んではいけない。戻らなくちゃいけない。

 

 何故か? 分らない。でも行っちゃいけない。お願いだから行かないで。ワタシは師を止める為に言葉を重ねた。

 

『……その不安感を忘れるな、勘を勘と笑うな、それはきっとオヌシを助ける一助となろう』

 

 そう言うと、ヒヅチはさっと低木から飛び出していき、そのまま一匹の背中に剣を突き立てると二匹目のモンスターの放った舌を伸ばす攻撃を斬り捨てながら駆け寄って行った。

 

 ダメなのに、ワタシは遅れない様に飛び出してまさに師に攻撃を繰り出そうとしたカエルの様なモンスターの背中に斬りかかった。

 

 ヌルり、嫌な感触が手に走った。

 

 斬れなかった。

 

 驚愕しながら、足を踏み込んで剣を翻す。

 

 雨で泥水になった足場は非常に不安定だった。

 

 けれども斬り返しは上手くいった。

 

 二閃目は上手くモンスターの目を斬り裂く事に成功した。

 

 驚いたように飛び跳ねたモンスターはそのまま濁流と化した川に飛び込んで流されていった。

 

 

 

 周りを見回そうとして、背中を打たれた

 

 

 

 何が起きたのか解らなかった。

 

 手から大鉈が離れ、反射的に大鉈を追って一歩踏み出した瞬間、ドシャリと何かが伸し掛かってきた。

 

 一瞬で体を押し潰され、息が口から全て零れて行った。

 

 叩き付けられ、朦朧とした視界の中、自分に伸し掛かった何かの顔が目の前にあった。

 

 カエルのモンスターの顎が見えた。

 

 だらりと垂れた舌がワタシの頬を撫でた。

 

 伸し掛かられた位置が良かったのだろう。柔らかそうなお腹だったおかげでワタシはぺしゃんこにならずにすんでいた。

 

 しかし、動けなかった。

 

 慌てて腰のナイフを引き抜こうとした。

 

 お腹から下と左手がモンスターの下敷きになっていてナイフを抜く事が出来なかった。

 

 大鉈を探した、とても手が届かない位置に転がっていた。

 

 そして、大鉈の直ぐ横、ベつのカエルのモンスターがずりずりと近づいてくるのが見えた。

 

 口を開き、何をしようとしているのか一目瞭然と言うモノだった。

 

 頭から食べる気だ。

 

 

 

 ――あ、これは死んだな――

 

 

 

 助けて、師、助けて、助けて、ヒヅチ

 

 ワタシは有らん限りの力を振り絞って助けを求めようとした。

 

 肺の中には空気が残って無くて、ほんの少しヒューと喉が鳴っただけだった。

 

 

 

 ――嫌だ、死にたくない――

 

 

 

 モンスターに頭から齧られて死ぬなんて……いや、その前に意識が薄れ始めた。

 

 腹に伸し掛かってきているモンスターの所為で呼吸もままならない。

 

 

 師の言葉が脳裏を過った

 

死ぬな(諦めるな)生きろ(足掻け)、心の臓が音を止めるその瞬間まで』

 

 目の前に迫った死に対し、ワタシが出来たのは拳を握りしめて全力で伸し掛かっているカエルを殴る事だけ。

 

 殴った手は滑ってしまい、威力は分散されてダメージになっていない。

 

 

 死にたくない。必死に、全力で、でも弱弱しく拳をモンスターに押し当てる事しかできなくて……

 

 

『カエデッ!!』

 

 師の叫びと共に、伸し掛かっていたモンスターの顎から刀の切っ先が生えてきた。師が脳天に刀を突きたてたんだと思う。

 

 刀は直ぐに引き抜かれ、師は今まさにワタシの頭を丸齧りにしようと近づいていたカエルを横一線で真っ二つにするとワタシに伸し掛かったままだったモンスターの死体を蹴り退けて叫んだ。

 

『生きとるかッ!!』

 

 ワタシは返事が出来なかった。荒い息を吐きながら手を少し上げるので手一杯で……

 

 師の背中に攻撃を繰り出すモンスターの姿が見えていたのに、声をかけられなかった……

 

 師は攻撃に気付いて振り向き様にそのモンスターを斬り捨てた。

 切り捨てる為に師は足をしっかりと地につけて踏ん張った。

 切り捨てる事に成功した。

 

 良かった。そう思った。

 

 斬り捨てられてなお、勢いのままにモンスターの屍が師にぶつかった。

 

 

 

 ――師の足が泥濘(ぬかるみ)で滑り、川に落ちていく姿が見えて背筋が凍った――

 

 

 

 慌てて師に手を伸ばそうとした。

 

 師は姿勢を崩し、今まさに濁流と化した川に落ちそうになりながら、大きく振り被って刀を投擲した。

 

 

 

 ――刀を地面に突き立てていれば、落ちる事は無かったのに――

 

 

 

 投擲された刀は奇襲せんとワタシの背後に忍び寄っていたモンスターに突き刺さってモンスターの動きを封じた。

 

 ヒヅチの体はもう既に濁流の上だった、もう間に合わない。

 

 それでもヒヅチは叫んだ。

 

()()()()()

 

 その言葉に、ワタシは反射的に『大鉈』に手を伸ばしてまさに背後から奇襲しようとしていたモンスターを突き殺した。

 師の刀が刺さったままのそのモンスターが川にずり落ちていくのを見て、師の刀を回収しなきゃと思ったが直ぐに意識を切り替える。

 『()()()()()』ヒヅチはそう言った。一匹じゃない、数匹居る。

 

 

 

 残っていたモンスターは三匹だった。危なげなく倒して、死体の数を確認すれば二十以上居た。川に落とした分を考えても二十五匹だろうか?

 

 周りにモンスターが居ない事を確認してから、討伐が完了した事をヒヅチに伝えようとして

 

 

 

 ――ヒヅチの姿が無い事に気付いた――

 

 

 

 ぞっと、嫌な予感がした。いや、ずっと、朝、目を覚ましてからずっと嫌な予感はしていたのだった。

 

 それが、確実なモノになった。

 

 ワタシは叫んだ。

 

 『師』と

 

 ワタシは叫んだ

 

 『ヒヅチ』と

 

 返事は無く

 

 いつの間にか、雨は止んでいた。

 

 只々、濁流と化した川から聞こえる轟音だけが響いていた。

 

 

 

 

 

「死んだ、か?」

 

「…………」

 

 ヒヅチは死んだのだろうか? 死体は見つからなかった。

 

 村人は皆、口々に言った。

 

 『ヒヅチは死んだのか』『惜しい人を亡くした』『何故白き禍憑きが』『とうとう白いのに殺されたのか』『だからアレほど処分しろと』『ヒヅチが死んだ? 嘘だろ……』

 

 皆、みんな、ミンナ、みんな、死んだって、死んだ。()()()()()()()()()()()って…… 

 

 

 

 

 

「……死んだ、んだと……思います……」

 

 震える声で、そう呟いた。 肩が震えていた。

 その言葉の真意を探る。その必要すらない。

 

「カエデたんは()()()()()()()()。そう思っとるんか?」

 

「わからないです……師はワタシに言いました、『死ぬな(諦めるな)生きろ(足掻け)、心の臓が音を止めるその瞬間まで』そう、ワタシに教えました。師は言いました『オヌシに言うワシの言葉は全てワシが胸に留めて居る誓いじゃ……ワシは誓いを破らぬ様に生きている』と……だから……」

 

 泣きそうな、そんな雰囲気だ。

 

 カエデが振り向いて、目を見据えてきた。

 

 真っ直ぐ、只、愚直なまでに真っ直ぐな

 色を……生きとし生けるモノ全てがその身に宿す生命を表す色

 真っ赤な血の色を宿したその瞳で、ロキを見据えた。 

 

「師は最期まで生きる(足掻く)んだと思います」

 

 真っ直ぐ 只、真っ直ぐに……師を、ヒヅチを信じるその瞳にロキは思わず笑みを浮かべた。

 

「カエデたん、これはまだ確定やない情報や……もしかしたら……ヒヅチ・ハバリは生きとるかもしらん」

 

 ロキの言葉に、カエデは目を見開いた。

 

「……本当に?」

 

「カエデたんにスキルが発現しとった。その内の一つや……」

 

 

 

 

 

 名前:『カエデ・ハバリ』

 所属:【ロキ・ファミリア】

 種族:『ウェアウルフ』

 レベル:『1』

 

 力:I0 → I64

 耐久:I0 → I89

 魔力:I0 → I0

 敏捷:I0 → H106

 器用:I0 → G259

 

 『スキル』

師想追想(レミニセンス)

・早熟する

師の愛情(おもい)の丈により効果向上

()()()想い(しんじ)合う限り効果持続

 

 【■■■■】

 ・取得【経験値(エクセリア)】が上昇する

 ・『■』■■■■■■■■■

 ・『■■』■■■■■■■■■■■

 

孤高奏響(ディスコード)

・『邪声』効果向上

・『旋律』に効果付与

任意発動(アクティブトリガー)

 

 

 『魔法』

習得枠(スロット) 無し】

 

 『偉業の証』☆

 『偉業の欠片』☆☆




 【ミューズ・ファミリア】については読者からいただいた意見を参考に魔改造ファミリアとして登場させてます。団員の方もちゃんと登場しますゾ! 魔改造しましたが(震え声)

 【ナイアル・ファミリア】も登場予定。猟犬さんも居ますヨ!

 意見をくれた二方には感謝感激です。特に【ミューズ・ファミリア】の方。
 色々と面白可笑しく設定を弄繰り回せたので凄く満足です。

 その他、モブ系ファミリアがあれば是非に是非に……作者に案をください。

 詳しくは活動報告『『生命の唄』ファミリアについて』の方をご覧ください。


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『道』

『ヒヅチー、ヒヅチー』

『そう叫ぶなワンコ、何の用じゃ……ふむ? 何故剣を抜いて……あぁ何時ものか……ほれ、何処からでもかかってこい』

『今日こそぶっ倒してやるさネッ!!』



『ヒヅチには勝てなかったさネ……』

『何故オヌシは学ばぬのじゃ、少しは考えて戦わんか阿呆め』

『おかしいさネ、アチキこれでも一級冒険者さネ、なんで無所属に負けるさネ』

『経験の差じゃな』

『記憶喪失の奴が経験とか言うなさネッ!!』


 【ロキ・ファミリア】の鍛錬所にて、カエデ・ハバリは両腕を前に突き出して『ウィンドパイプ』を水平に構え、目を瞑り己の身の内に意識を集中させていた。

 

 

 

 ファルナを授かり、師の生存の可能性が示唆されて、カエデが思った事は一つ。

 

 ――ヒヅチを探しに行きたい――

 

 会いたい。それは当たり前の事だろう。

 

 死んだとは思っていなかった、だが生きているのなら何故現れないのか?

 そんな疑問を封じ込めながらオラリオを目指していた。

 何度も何度も、日が落ち、月夜を見上げる度に師の名を呟いていた。

 『名を呼べば何時でも、何処にでも駆けつけよう。約束じゃ』

 ヒヅチはそう言った。名を呼ぶ度に心に空いた穴を風が通り抜けて行くような、空虚な感覚に襲われた。

 

 だが、ヒヅチが何かを成す時、そこには常に何かしらの理由があった。

 

 初めて真剣を持った時。ヒヅチは無造作にカエデを斬りつけた。傷自体は大した事無く、少し切れて血が出ただけで、痕すら残らなかった。

 あの時、ヒヅチはこう言った。

 

『剣を甘く見るな。刃を向けるべき先を見失うな……斬るべきモノだけを斬れ……ワシの様になるぞ』

 

 身を持って剣の恐ろしさを教える。その目的の為にカエデを傷付ける事も辞さない。それはヒヅチなりの愛情の一つだった。

 

 ヒヅチは危険なものを取り扱う時は常に口にする。

 

『己が身を傷つけるモノは全て、他者も傷つける事が出来る。ソレの意味を理解せよ』

 

 火を扱う時。ヒヅチは無造作に焼けた炭をカエデの掌にのせた。火傷した。二週間程痛みで手が上手く動かなかった。ヒヅチは『火を使っとる時は集中せよ』と言った。

 火が危険なものだと理解できた。ワンコさんはもっと上手いやり方があるとヒヅチに詰め寄っていたが、ヒヅチの教え方は非常に理解しやすかった。

 

 ヒヅチが何かを成す時、そこには常に何かしらの理由があったのだ。

 

 ならば、今回もきっと理由があるのだろう。

 

 少なくとも『ヒヅチはワタシを想っている』と言う事は確定している。

 

 ヒヅチの生存の可能性に縋り付いて探しに行く事は簡単だ。

 

 だが、思い出すのは師が口にした言葉

 

『初心貫徹、ヌシが最初にやろうと思った事は最後まで成し遂げよ』

 

 模擬戦は負け、剣を折ってしまい。入団できないと思った【ロキ・ファミリア】の入団試験を抜け出さなかったのは、その言葉があったからだ。

 

 そして、カエデ・ハバリが【ロキ・ファミリア】に入団した際に心に誓ったモノ。決めたモノ。

 

『ファルナを得て、ランクアップをし、十分な寿命を得る事』この三つだ。

 

 ロキにもそう吼えたのだ。

 

 ならば、師を探すよりも前にこれらを成さねばならない。

 

 それに、師を見つけても寿命で死んでしまっては意味が無い。

 

 

 

 

 鍛錬所の片隅。

 

 ファルナを授かった事で変化した身体能力の確認の為に軽い素振りを行い、それが終わってから師が『呼氣法』と呼ぶ技法を使った場合の確認作業も行っていた。

 

 『呼氣法とは何か? 己が身に宿る力の循環。それは意識せずともオヌシの身に循環しとる。だがそれは生きるのに必要最低限の循環が為されておるだけに過ぎん。なればこそ、攻撃に適した循環へと至ればより鋭い、より早い、より強い攻撃を繰り出す事が出来る。其の循環を己が望むがままに変化させる技法。それが呼氣法じゃ』

 

 師はそう語った。

 

 ワタシが使えるのは二つだけ。

 

 常に意識せずとも使っている『丹田の呼氣』と戦闘中に意識して使う『烈火の呼氣』だけだ。

 

 他にも『黒鉄の呼氣』『身命の呼氣』『月下の呼氣』等、師は様々な『呼氣法』を使い分けていたが、自分に出来たのは二つだけ。

 

 『丹田の呼氣』は、師が真っ先に習得しろと言ってきた『呼氣法』だ。

 

 人の心である精神、人の技である技能、人の体である身体、この三つは密接に関わりあっている。

 『心・技・体』三つが整わねばまともな一撃は繰り出せない。

 

 気を付けるべきは、技は心と体が支えていると言う所だ。

 そして、心と体は互いに干渉し合っている。

 

 体に強い刺激があれば心が驚く

 心に強い刺激があれば体が驚く

 

 怪我をしたとき、体調が崩れた時、身体の不調に引っ張られ、精神は弱る。

 失敗をしたとき、悲しみに暮れた時、精神の不調に引っ張られ、肉体は弱る。

 

 逆に言えば

 

 身体を強く保てば精神は強く保てる

 精神を強く保てば身体は強く保てる

 

 故に師は『丹田の呼氣』を無意識に使う事を指示してきた。

 

 『丹田の呼氣』とは、精神を静め、身体を整える呼気である。

 

 この『呼氣』があったからこそ、冷静さを保つ事が出来てきていたのだ。

 

 『丹田の呼氣』が使えなければ単独で『オラリオ』までたどり着けたかどうかわからない。

 

 ヒヅチの死に動揺()()()()()()()のも、これのおかげ。

 

 この『丹田の呼氣』は常に使っているので今更ではあるが、最近は蓄積した身体の疲労が精神の振れを促し、精神の振れを『丹田の呼氣』で抑えきれなくなっていた。

 

 【ロキ・ファミリア】の入団試験でロキに対して吼えてしまったのも、ソレが原因。

 

 『ヒヅチの生存』を聞いた瞬間に【ロキ・ファミリア】を飛び出さずに冷静に『師の言葉』を思い出して行動できたのも常に使い続けていた『丹田の呼氣』のおかげだ。

 

 「寿命が短いのに、冷静過ぎて不気味だ」そんな風に言われる原因だが、これが無ければワタシは精神の動揺から体調を崩す可能性が高い。

 

 不気味な程の冷静さの秘密

 

 常々無意識に使えるレベルにまで達していたのはヒヅチのおかげだ。

 

 

 そして『烈火の呼氣』

 

 此方は単純に力を引き上げてくれる『呼氣法』だ。

 

 ただし『呼氣法』は一度に一つのモノしか使えない。

 

 『烈火の呼氣』のさ中は『丹田の呼氣』が使えない為、今までは『烈火の呼氣』の使用は抑えてきた。

 

 『烈火の呼氣』を使い、精神の動揺があれば身体の疲労が重なってそのまま錯乱して暴れ回る可能性もあった。

 

 だが、今回、十二分な休息を得て、ファルナを得た事で身体能力が向上し、精神は身体に引かれ、精神面もある程度の向上が見込めた。

 

 其の為、ダンジョンに潜る前の確認として『烈火の呼氣』の使用を考えたのだ。

 

 

 『烈火の呼氣』とは、己が身を生命力と言う薪を燃やす炉に見立て、『呼氣』にて空気を送り、より大きな焔を生み出す事で身体の力を増す『呼氣法』である。

 

 

 意識を集中させ、自分の体と言う炉に()べられた生命力と言う薪を燃やす火を、徐々に、少しずつ大きくしていく。

 

 火が徐々に大きくなり、ある時を境に爆発的に大きな焔へと変化する。

 

 その瞬間を狙い、剣を振るう。

 

 

 振り抜き・真一文字

 

 

 ただの横一閃の一撃は、目に留まらぬほどの速度をもってして振り抜かれた。

 

 振り抜いた直後、肩がぎちりと鈍い痛みを発し始めた。

 

「……痛い……」

 

 『呼氣法』を『丹田の呼氣』に戻せば、身体と言う炉の中で燃え上がっていた焔は一瞬の内に消え去り、残ったのは体に残る気怠さとも取れる疲労感と、振り抜いた際に痛めた肩の鈍い鈍痛のみ。

 

 『呼氣法』には種類がある。

 

 『常用の呼氣法』と『単用の呼氣法』だ。

 

 前者は『丹田の呼氣』『身命の呼氣』『月下の呼氣』等、常に使い続ける事が出来る『呼氣法』

 

 後者は『烈火の呼氣』『黒鉄の呼氣』『集念の呼氣』等、一時的に使い、休憩を挟む必要のある『呼氣法』

 

 正しい『単用の呼氣法』の使い方は『大きくした火を小さくしないように定期的に呼氣法を行う』事である。

 『単用の呼氣』は長時間使用し過ぎれば疲労が蓄積し身体に異常をきたす。

 

 其の為、使用については師に厳しく教えられた。

 

 使い方を誤れば身を滅ぼす。それは師が教えた技法すべてに言える事だ。

 

 剣も、己が身を斬り裂く危険を孕んでいる。

 

 だから教えをしっかりと守った積りだったのだが……

 

 

 思った以上に威力が出た。

 

 

 鈍い鈍痛が両肩に伸し掛かる様で、腕が震えている。

 

 カエデは何とか鞘に剣を納めてから、鍛錬所の隅に用意された長椅子に腰かけた。

 

 上手くいかない。

 

 何故だろうか……

 

 

 

 

 

「見たか今の……」

「……見たよ。恐ろしいぐらい速い一閃だったね」

 

 【ロキ・ファミリア】の主神、ロキと団長フィン・ディムナの二人は窓辺から鍛錬所にてレベル1とは思えないありえない程の速度を誇る一撃を繰り出した幼いウェアウルフの少女、カエデ・ハバリを見てから、フィンは部屋に視線を戻した。

 

「……あー、なんや問題が山積みやで」

「そうだね……それで? 今日はボクが一緒に行くで良いのかい?」

「んー……頼めるか?」

 

 二人の悩みの内容はいたってシンプルだ。

 

 カエデと共にダンジョンに同行するメンバーの選出。

 

 先日、カエデ・ハバリが謎の視線を感じたと言う報告がリヴェリアよりあげられた。

 

 その後もしばしカエデは窓から外を眺めては何かを探す仕草を繰り返しては首を傾げていた。

 

 鍛錬の際には必ずアイズに「誰かに見られてないですか? ……気のせいでしょうか?」と声をかけている。

 

 原因について心当りが有り過ぎてロキは慌てる事となった。

 

 『オラリオ』に存在する『白亜の塔・バベル』は神々の技術を持って地上に、ダンジョンの真上に聳えたつ他に類を見ない程の高さを誇る建造物だ。

 その『バベル』の最上階を貸切、自分のモノとして『オラリオ』を睥睨するとある女神の存在がカエデの指摘する「上から見られている」と「ワタシじゃないワタシを見ている様な」の二つに当てはまる。

 

 神々は地上の人々(こども)の『魂』の揺らぎを感じ取る事が出来る。

 その『魂』の揺らぎをもってして、神々は地上の人々(こども)の嘘を見抜くのだ。

 

 そして、その『魂』を直接見る事が出来る女神が存在する。

 

 天界ではロキと一緒に悪巧みやらなんやら色々やらかしており、ロキ曰く「ウチ以上に性格悪い神やで?」との事。ちなみに神々からすれば「どっちもどっちなんだよなぁ」と言った感じである。

 

 その女神はだいぶ手癖が悪く、気に入った眷属(こども)が居れば何としてでも手に入れようとする悪癖がある。

 しかも手におえない理由は多々あり、現『オラリオ』において探索系ファミリアの中では【ロキ・ファミリア】と最上位を争い合う超強豪ファミリアであると言う点。

 

 中小規模のファミリアでは到底太刀打ちできず眷属を奪われるし、大規模であってもとある理由から眷属を奪われる事も多い。

 

 その神がカエデ・ハバリに目を付けたとなれば、状況としては最悪だと言える。

 

 相手は一度目を付けた子にはちょっかいをかけたがる。

 

 具体的に言えば『試練』を与える。

 

 『試練』を与えられた眷属に待っているのは二つ。

 

 『試練』に敗れ、女神の興味から外れて打ち捨てられた骸と化すか

 『試練』を超え、女神の興味を引き、女神の手によって奪い去られるか

 

 もし、カエデ・ハバリに手を出すのなら、ロキは容赦する気は無い。

 

 そして、相手も本気で気に入った眷属(こども)に『試練』を与える事を一切躊躇しない。

 

 今の所はカエデの行動範囲は【ロキ・ファミリア】の本拠内部のみに限られて居た為に問題は無かったが、ダンジョンに潜る様になればちょっかいをかけられる可能性が跳ねあがる。

 

 下手にカエデと同レベルの冒険者とパーティーを組ませた日には『試練の邪魔』と言う理由でカエデだけを他の団員から孤立させて『試練』に挑ませるだろう。

 

 他の団員は帰ってくるが、カエデのみ未帰還等と言う事になりかねない……

 

 かと言ってカエデよりも上位にあたる冒険者と組ませるのも難しい。

 技能は高くとも、カエデはレベル1、行けるのはせいぜいが中層。

 

 それに、準一級程度では最強に太刀打ち所か逃亡も叶わない。

 

 そうなればカエデと行動を共にするのは一級冒険者の中でもレベル6の団員でなければ危険が付きまとうが、他の団員から文句が上がるだろう。

 

 本当ならその女神に直接話をつけに行きたいところではあるのだが、あの女神は特殊な能力を有しており、人前に姿を現す事は無い。常に『バベル』の頂で『オラリオ』を見下ろすあの女神はロキと会おうともしないだろう。

 

 確認したいができない。そんな状態だ

 

 

 もう一つの問題。

 

「カエデたんのスキルの事もそうや」

「……【孤高奏響(ディスコード)】だったかい?」

 

 【孤高奏響(ディスコード)】カエデが習得した『旋律スキル』と呼ばれるスキル。

 

 『『旋律』に効果付与』とは、【ミューズ・ファミリア】が主に行っている冒険者向けの演奏会(コンサート)を行っている団員が全員持っているスキルの効力で、珍しい訳ではない。

 

 端的に言えば、歌や詩、奏でる音楽に効力が付与されると言うスキルだ。

 

 『基礎アビリティを一時的に向上させる』と言った『補助魔法』と同じ使い方が出来るのだが、欠点も同時に存在する。

 

 『補助魔法』の場合は『詠唱』を行い、対象者を中心に一定範囲の仲間に対して込められた魔力の効力が尽きるまで、効果が発動する。

 

 『旋律』の場合は、『歌』を歌う等で聞いた対象に無差別に効力が発動すると言う点。モンスター相手に効果が発動する事はまずないが、人間同士の戦闘の場合は自分だけでなく、範囲内の人物全員に効果を齎してしまう。

 

 そして、何よりカエデの習得した【孤高奏響(ディスコード)】は『『邪声』効果向上』の特性を持っている。

 

 『旋律スキル』の中で『聖声』『邪声』『聖律』『邪律』の四種類あるなかの一つ。

 

 『聖声』は声を、『聖律』は音楽等で、仲間に基礎アビリティ上昇や一時的に発展アビリティの『治癒』『精癒』の効力と同程度の治癒効果を付与すると言ったプラス効果を齎す。

 

 『邪声』『邪律』は声、音楽等で、()()()()()()()()()()

 

 『邪声』『邪律』と言えば【ミューズ・ファミリア】の一人、女神ウーラニアーの眷属の【呪言使い(カースメーカー)】が有名だろう。

 

 『心裂絶叫(スクリーム)』と言う技。

 

 ダンジョンのモンスターが使用してくる『咆哮(ハウル)』と同じく『強制停止(リストレイト)』の効果を持った技。

 それだけではなく『恐怖』に『錯乱』、『発狂』まで様々な状態異常(バッドステータス)を誘発させる恐ろしい技なのだが……

 

 致命的な弱点が一つ。

 

 “敵味方問わず発動時に旋律や声を聞いた全員に対して発動する”のだ……

 

 抵抗(レジスト)する方法はそう難しくない。

 

 特定のスキルを保有していれば『邪声』『邪律』は無効化可能だ

 

 他には単純にレベルが発動者よりも上なら無力化できる。

 

 だが『『邪声』効果向上』と言う特性があった場合、レベル差が一つでは抵抗(レジスト)出来ない場合がある。

 

 実際、【呪言使い(カースメーカー)】は準一級(レベル4)冒険者だが、度重なる【イシュタル・ファミリア】の一級(レベル5)冒険者【男殺し(アンドロクトノス)】の襲撃を単独で追い返している。正確には単独でないと味方にも被害が出るので単独で行動しているだけだが……

 

 『『邪声』効果向上』の場合は、下手に同レベルの団員所か、一つ上のレベルの団員とすらパーティーを組むのは危険だったりする。

 

 唯一の救いは『任意発動(アクティブトリガー)』だった事ぐらいか……

 本人に発動には注意する様に言い含めてあるので大丈夫だと思うが。

 

 そんな風に考え事をしていると扉をノックする音が聞こえた。

 

「ロキ、居ますか? ジョゼットです」

「おージョゼットたん入ってええでー」

「はい」

 

 扉を開けて入ってきたのは【魔弓の射手】ジョゼット・ミザンナ、二級(レベル3)冒険者で、『オラリオ』でも五人しか確認されていない装備魔法の使い手。

 

 淡い金髪に長い耳、背は高めでエルフらしく露出の少ない肌を隠す淡い萌木色の服を着こなしたエルフの少女は入室早々、頭を下げるとフィンに気付いて再度頭を下げた。

 

「団長もいらっしゃったのですか……こんにちは」

「あぁ、こんにちは」

「それで、リヴェリア様より此方の方へ伺う様に申し付けられましたが」

 

 ジョゼットは『邪声』『邪律』を無効化するスキルの保有者でもある。

 今回、カエデに同行して貰う為に呼んでおいたのだ。

 

「何の用件でしょうか?」

「せやねー、新しく入団した子しっとるやろ?」

「……白い狼人ですか。存じております」

「その子のお守を頼みたいんよー」

「別に構いませんが、毎日は無理です。私もラウルやアキとダンジョンに潜る日もありますので」

「あぁ、毎日やのうて、三日に一回ぐらいや、んで今日さっそくこの後行ってもらいたいんやけど……無理ならええで?」

「構いませんよ……今日はダンジョンに行く予定でしたが、ラウルが使い物にならないので……」

「……ラウル、まだ寝込んどるん?」

 

 本当なら同じく『邪声』『邪律』無効化を持ったラウルも同行させる気だったが、ラウルの方は二日前の『ガレス式強化訓練(実践編)』に参加して盛大にボコボコにされていた。何やらいつも以上にやる気に満ち溢れ、一度所かなんと八度もぶっ飛ばされてなお立ち上がってガレスに剣を向けた。何がラウルを動かすのかは分らなかったが、その後、ラウルはぶっ倒れて万能薬(エリクサー)まで持ち出す事になった。

 怪我自体は完治したものの、その次の日丸一日は動く事が出来ず。今日の朝様子を見に行った限りではまだダメだったらしい。

 

「はい、何故かは知りませんが、ラウルが頑張ってました。理由を聞いても教えて貰えずに……まあ、ラウルの事ですからちょっとかっこいい所を見せたいと言った理由でしょうが」

 

 何気に、ラウルも男で、女の子の前ではかっこいい顔をしたがる。その癖自分は凄くないと自信を持っていないのだからなんとも言いようがない。

 

 ガレスにぶっ飛ばされたのが効いたのだろうか?

 別に、ガレスの鍛錬で寝込む団員が出るのは珍しくは無いのだが……

 

「まあ、ラウルは好きに寝かせとけばええわ……」

「そうですか、弓はどうしますか? 持っていきますか?」

「あぁ、弓なー……フィンと相談して決めてえな」

「了解しました。団長、エントランスで待機しておきます」

 

 それだけ言うと、ジョゼットはすたすたと背筋を伸ばして部屋を出て行った。

 

「相変わらず固ったいなぁジョゼットたん」

「最初の頃よりはマシじゃないかな?」

「まあせなんやけども……」

「僕もカエデに声をかけてから準備してくるよ」

「ウチもエントランス行っとくわ」



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『冒険者ギルド』

 やっと、オラリオに到着した

 ギルドの依頼を片付けていたらやけに時間がかかった

 もっと早くに着くはずだったのに、依頼者が虚偽情報で依頼を出していて、ただの『ゴブリン討伐』として受託していたのに『ゴブリンだと勘違いしていた』等とのたまいやがって……つい手足を捥ぎ取って串刺しにしてソイツの屋敷の前に飾ってしまったじゃないか。おかげで報酬はおじゃんだ。最悪。ギルドにもうだうだ言われるだろう。本当に面倒だ、そんな時間なんて無いのに

 早く、はやくあの神の所に行って情報を聞こう

 ……あぁ、今日は『ガネーシャ様の日』なのか


 群青色のキルト地の鎧下の服の上から鋲打ち(スタッド)()革鎧(レザーアーマー)を装備し、脚部には動きを阻害しない様に精密に組み上げられた金属靴(アイアンブーツ)

 背中に背負う形で刃先に行くほどに剣幅は広くなり、分厚くなっている『ウィンドパイプ』を背負い、腕、腰、腿の三か所に小分けにしてポーションを入れたベルトを締め、取得品を納める腰のポーチを引っ提げ、剥ぎ取り用のナイフもポーチの横に鞘をかけて置く。

 その上から新しく渡された淡い茶色の外套を纏ってから、各種装備の取り出しや収納等、取り回しに不都合は無いか何度かの確認を行ってから、カエデはロキに向きなおった。

 

「準備、終わりました」

 

 【ロキ・ファミリア】本拠、エントランスホールにてカエデが初めてダンジョンに向かうと言う事でロキは装備の最終確認を行っている様を眺めていた。

 

 主武装は大剣、主防具は革鎧、膝から下だけはリヴェリアの指摘でアイアンブーツに変更されている。

 主な理由はカエデが狼人であり、狼人特有の咄嗟に()()()()事があるので、足を守る為にと言う理由である。

 

 狼人は基本的に剣より足の方が早いと蹴りをメインで使う事が多い。

 理由としてはその優れた俊敏性を誇っている狼人はその脚力もずば抜けて高い。其の為か蹴りの力は他の力を誇る種族と同等かそれ以上になる為である。

 

 狼人と喧嘩をする時は拳ではなく蹴りに注意しろと言われる程である。

 他には兎人も恐ろしい程の蹴りを出すが、あちらは狼人程気性が荒く無く、冒険者として活動しているモノは殆ど居ないので気にする必要はない。ちなみに蹴りの威力は兎人の方が上だったりする。

 

 ただ、カエデ自身はそのアイアンブーツに対して『下半身の重量増加で剣筋の安定感を出す為でしょうか?』と若干ずれた事を言っていた為、蹴りより剣の方が主武装として刷り込みが入っているらしい。これにはアイアンブーツを用意したガレスが苦笑していた。

 ドワーフらしく、鍛冶の発展アビリティこそ無いものの、装備の修繕も出来るガレスはある程度の調整も出来るらしく、カエデのアイアンブーツの用意も担当していた。

 

 準備を終えたカエデを見て、ロキは大きく頷いた。

 

「うっし、んじゃ門の所まで見送るわ」

「わかりました。団長、ジョゼットさん、よろしくお願いします」

 

 なんでもないかの様に手を振って言えば、カエデはしかと頷き、フィンとジョゼットに頭を下げる。

 

 フィンは活動範囲が上層のみと言う想定ではあるが、武装自体は割と本気である。流石に深層攻略時に使用する攻略用装備こそ装備してはいないが、下層でも十二分に通用する武装で固めている。

 対するジョゼットは革の胸当て以外には左手にアームガードを装備しているだけで背に弓を背負い、腰に大き目の矢筒やポーチを引っ提げているだけの軽装である。

 

「ああ、よろしく」

「リヴェリア様のご指示ですから、最善を尽くします」

 

 フィンはにこやかに、ジョゼットは伸びた背筋はそのままにエルフ流儀の敬礼を返すのみ。

 

 固さと言うよりは真面目が人の形になったともとれるジョゼットだが、【ロキ・ファミリア】入団時に比べれば遥かにマシである。ベート並の狂犬状態だったと言えば通じるか……

 

 とはいえ、ベートと違い、今では真面目な軍人気質ともとれる上下関係を絶対のモノと意識して動いているので問題を起こす事は殆どない。今回のダンジョンの同行についてもジョゼット程の射手が共にいればモンスター相手にカエデが不覚をとっても問題は無いだろう。上層のモンスター相手にカエデが不覚を取るとは思えないが……

 

 ロキとしては、眷属を見送る際にはありとあらゆる言葉を尽くして心配して居る事を伝えたいのだが、それは眷属の重しとなってしまう。

 それに、ダンジョンに行く以上、眷属が死ぬ危険性は常にある。

 もし、死んでほしくないのなら眷属にダンジョンに潜らせる事なんてありはしないのだ。

 それでもダンジョンに行く眷属をそのまま見送るのは帰ってくる事を信じている……なんて臭い事を言う積りはないが、ロキ自身も眷属がどんな道をゆくのか、どんな成長をして帰ってくるのを楽しみにしているからだ。

 

 挨拶もそこそこに、エントランスを抜け、【ロキ・ファミリア】が誇る手入れの行き届いた庭園を抜け、【黄昏の館】の正面門へ

 

 門は昼間という事で開け放たれており、門番が左右に控えてロキが来たのを確認して姿勢を正す。

 欠伸をしていたのを見逃さなかったフィンが意味あり気に門番の一人に微笑みかければ、その門番は顔を引き攣らせて小声で「ごめんなさい」と言っていた。最近は『闇派閥(イヴィルス)』の影響が抜け始め、比較的安全になってきているため、事件直後は気を引き締めていたが、時間が経って気が緩んでいたのだろう。安全面を考えれば気の緩みは許せるモノではない。

 

 まあ、ソレを指摘する気は無い。フィンからリヴェリアに報告が上がって説教を受ける事になるのだろう。可哀想に……

 

「んじゃ、カエデたん、見送りはここまでや……ウチから言える事はあんまないけど……せやなー、気を付けてなー」

 

 ひらひらと手を振って、にこにこと笑顔を浮かべて迷宮に挑む眷属を見送る。

 

「はい、いってきます」

 

 軽く頭を下げると、カエデはそのままロキに背を向けて歩き出した。振り返る気配は微塵も無く、フィンが肩を竦めて軽く片手をあげてそれに続く。

 

「それじゃあ、いってくるよ」

「ロキ、私も行きます。それでは、失礼」

 

 続いてジョゼットも早歩きでフィンの後ろに付いていく。

 

 結局、カエデは一度も振り返る事無くロキの視界の届く範囲から消えてしまった。

 

「あー……なんやちょっと悲しいなぁ」

 

 アイズが初めてダンジョンに潜った日も、同じ様に振り返る事は無かった。

 

 と、言うよりは【ロキ・ファミリア】に入団した団員の殆どは振り返る事は無いのだが……

 

 後ろ姿を見送って、記憶に焼き付けて置く。

 

 ソレが最期の姿になる可能性もあるから。

 

 

 

 

 

 迷宮に潜る前にやる事は一つ。

 

 冒険者登録である。

 

 と言っても、冒険者登録でやる事はそう無い。

 

 まず『冒険者ギルド』と冒険者や神々の間で呼ばれる施設に向かい、そこで『所属ファミリア』と『名前』『年齢』『身体的特徴』『使用武装』を登録して、ギルドの用意した『認識票』を受け取る。

 他にはギルドの支給品が必要なら発注と受け取りを行うぐらい。

 

 『認識票』は冒険者である事を示すモノであり、『冒険者ギルド』が定める『冒険者法』に同意したと言う意味があり、他には各種ギルドが用意した冒険者向けのサービスを受けられたりする。

 サービスとしては『バベルの塔』内部の冒険者向け施設や『ギルドの迷宮取得品の換金所』の利用が主立っており、特に『換金所』で多額の金額を稼ぐ冒険者は『ヴァリス』をじゃらじゃらと引っ提げて帰るのがだるいと言う場合等はギルドに預けておく事が出来たりするらしい。

 

 『冒険者法』は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()等に罰則が与えられる以外には冒険者同士の衝突等には関与しないモノで、冒険者が横暴な態度で一般人に恐喝行為を行わない様に等、どちらかと言えば冒険者よりは一般人を守る方向に特化した法律の様なモノだ。守らなかった場合は主にその冒険者本人に対して『罰金』が課せられ、所属ギルドから本人に対して注意喚起が行われる。再犯等の重度な犯罪行為だと判別された場合はファミリアへの厳重注意およびに『罰金』もしくは『冒険者登録の抹消』等、冒険者として『バベルの塔』内部に用意された各種冒険者用施設が使用できなくなったり、迷宮への侵入を制限されたりする。

 

 他には、迷宮内で冒険者が死亡した場合、大抵の場合はモンスターによって執拗に攻撃されて死体の原型を留めている事が少ない為、冒険者の死体から剥ぎ取られ、ギルドへと提出される事で『死亡した冒険者リスト』に名前を記載する為に利用される。

 

 初期の頃は『認識票』を回収してきた冒険者に恩賞金を支給していたらしいが、恩賞金目当てに新米冒険者殺しが流行した為、急きょ取りやめになり、恩賞金はファミリア側が任意支給する形に落ち着いたと言う話もある。

 

 神相手に嘘は吐けないので、『認識票』を回収してきた場合は神が直接回収した本人に詰問する場合が多いため、冒険者達は仲間のモノでも無い限りは回収しない事もあり、見つけても無視する場合が多いらしい。

 

 ほとんどの冒険者は首から下げたり防具に縫い付けたり髪飾りや装飾品に改造して装備している。

 

 フィンは首から細い鎖で下げており、ジョゼットは髪飾りに改造して装備している。

 

 登録を終え、受け取った『認識票』に記載された自分の情報を見ながら、吐息を漏らした。

 記載されているのは『所属』『名前』『レベル』『識別番号』『種族』『特徴』で、『二つ名』があればそれも追加される。

 

 

 所属【ロキ・ファミリア】

 名前『カエデ・ハバリ』

 レベル『1』

 番号『1929510』

 種族『ウェアウルフ』

 特徴『白毛・赤目・大剣使い・革鎧装備・女性』

 

 

 その中で、目についた『白毛』『赤目』の二つに目を細めてから、指示された通りにとりあえず首から下げようかと首にかけてから、激しい動きでチェーンが首に絡まる可能性を考えて手首に巻くタイプのモノに変更して貰う。

 

 ギルド職員にファミリアで予習してきた事を伝えて説明は省いてもらう。

 大体の新米冒険者に行われるギルドからのダンジョン講義は希望者に対して無料で執り行われるモノだが、希望者は殆ど居ないらしい。

 【ロキ・ファミリア】の様な大手ともいえるファミリアの場合は自分のファミリア内で新人教育を終わらせておくので問題ないが、小規模等の場合、新人教育すら行わずにダンジョンに潜らせる事があるらしい。

 

 

 

 『認識票』を見ていて思った事は、頭から丸呑みにされたらどうするのだろうと言う疑問

 

 迷宮の中層十三階層に出現する『ダンジョン・ワーム』の強化種等が巨大化して冒険者を丸呑みにしてしまう事が過去にあったらしく、その際に数多くの冒険者が生死不明に陥った事件等で冒険者もろとも『識別票』が飲み込まれたらしく、結局意味が無かったらしい。

 

 あくまでも地上でサービスを受ける為の道具と割り切るのが良いらしい。

 

 迷宮で死んだ冒険者は()()()()()()()。それと共に識別票も呑まれてしまうらしく、意味が無い事が多い。あくまでも死亡確認の方はついでな為、期待されていないらしい。

 

「よし、登録は終わったね、それじゃ行こうか」

「はい……ジョゼットさんは何をしているのですか?」

「……ん? あぁ……今日はアレの日だったなと……」

 

 ジョゼットさんは窓際から外に視線を向けて眉を顰めていた。どうしたんだろうと声をかけると、窓の外を指差す。

 

 気になって視線を向けて、思わず目を見開いた。

 

 巨人が居た。しかもゆっくりとした動きで『オラリオ』を囲む市壁の向こう側を滑る様に移動している。

 

「え? あえ? な、なんか巨人が居ますよ!?」

「……あぁ、カエデはアレを見たのは初めてになるのか、アレは……うん、まぁ【ガネーシャ・ファミリア】の『フライングガネーシャ』だよ」

「え? ふらいんぐ……え?」

 

 よく見れば、市壁の向こう側に見える巨人は見覚えのある仮面を身に着けていた。

 『オラリオ』最大規模のファミリア。その所属人数は軽く千を超え、群集の神に恥じぬ程に素晴らしく団員を纏め上げる【ガネーシャ・ファミリア】の主神、ガネーシャの身に着けている仮面とそっくりである。

 神ガネーシャの実物は見た事が無いが、精密な絵で見たソレと全く見た目が同じで思わず二度見してしまった。

 

「【恵比寿・ファミリア】が使ってる『宝船』を改造して作られた……『オラリオ』が誇る無駄にお金がかかってて、無駄に壮大な設備を利用した、無駄なモノとして有名だね」

「流石、『オラリオ』最大ファミリア、保有する資金も最大で無駄に使われる資金も最大ですね」

 

 フィンが苦笑して、ジョゼットは呆れ返りながら肩を竦めていた。

 

 リヴェリア様に学んだ【ガネーシャ・ファミリア】とは

 

 群集の神ガネーシャの率いる所属人数千人超えの超々超大規模ファミリアで、普通ならそんなに眷属を持てば管理しきれなくなるはずなのに、一切ファミリア内部で荒れる事も無くカリスマをもってして眷属を率いるオラリオ最大規模のファミリアである。

 『オラリオ』に於いて唯一『モンスターの調教(テイム)』の技術を持つファミリアで、『特殊系ファミリア』として『オラリオ』の治安を守る為に団員に指示を出したりしているらしい。前の『治安系ファミリア』が軒並み『闇派閥(イヴィルス)』の引き起こした『27階層の悲劇』によって壊滅して以降は【ガネーシャ・ファミリア】が治安維持を務めているらしい。とはいえ冒険者同士のいがみ合いには一切口出しせず、一般人に被害があると判断された場合のみ鎮圧行動に移るので冒険者同士のいがみ合いは絶えないらしい。

 後は本拠が『アイアムガネーシャ』という自身の姿を象った形で作られており、入口が股間部分にあるらしいと言う話を聞いたぐらいである。

 

 あの『フライングガネーシャ』とは商業系ファミリア【恵比寿・ファミリア】が作り出した『空飛ぶ船』の『宝船』と言う輸送船を改造して作り出された『オラリオ』が誇る最も無駄で壮絶な道具だと言う。

 驚くべき事に、あの空飛ぶガネーシャ様像は中身が空洞で、数多の眷属によって飛行しているらしい。

 

 一か月に一度『オラリオ』の市壁の外側を一日かけてぐるりと一周回るのと、近隣の神が率いる国家系ファミリア、【アレス・ファミリア】の統治しているラキア王国との戦線に投入されて神アレスに対する挑発に使用されたりしているらしい。

 

 ちなみに今空を飛んでいるアレは二代目らしく、一代目はぶちぎれた神アレスが何としてでも落とせと眷属達の魔法攻撃の集中砲火を受けて撃沈されたらしい。近々三代目の『アイアムフライングガネーシャ』の建造が予定されているらしく、北東のメインストリートの先にある『飛行船の船着き場』とその付近の『造船所』で建造が開始されているらしい。

 

「空飛ぶ船……船?」

「飛行船ね、魔石を使って空を飛ぶ馬鹿げた船よ……神様が作ったのではなく、魔石を使った道具の製造を主に行ってるファミリアが共同で作った飛行装置を盛大に使った船ですね……ただし、理論だけしかできていなかったソレを完成まで持って行ったのは【恵比寿・ファミリア】なのであの船は【恵比寿・ファミリア】以外は保有してません」

「と言うか、他のファミリアには必要ないからね」

 

 『空飛ぶ船』とは、阿呆みたいに大量の魔石を使用して空を飛び、多量の物資の輸送を可能としており、『オラリオ』では世界中のありとあらゆる物が手に入ると言われる要因の一つとなっているモノである。

 【恵比寿・ファミリア】が保有しており名称は『宝船』で今は『船着き場』には存在せず、『オラリオ』の外、極東とのやり取りや、その他国家との定期便としても稼働しているらしい。とはいえ主に運ぶのは輸出入品であり、人を運ぶ場合はかなりの金額を請求されるらしい。

 

 戦争直前などに『通商破壊』等と称してラキア王国によって撃墜されているらしく、今空を飛んでいるモノは十代目を軽く超えており、【ガネーシャ・ファミリア】に提供された元『宝船』は改良が進む前の、今よりももっと魔石が必要で、輸送できる物資から得られる利益よりも飛行させる為に消費させる魔石の金額が嵩む赤字待ったなしの未改良の装置を使用したモノであり、アレを一度飛ばす為に数億ヴァリスが消費されている。

 

 そう、飛ばすだけで数億ヴァリス。

 

 【ガネーシャ・ファミリア】の規模からしても手痛い出費のはずだが、眷属達は汗水たらしてあの船を動かす為の魔石をダンジョンで手に入れてくる為、実質整備費だけを賄う事で済んでいるらしい。

 

 ……ちなみに、整備費だけで数億ヴァリスが吹き飛んでいるらしい。馬鹿馬鹿しいと神々は笑うが、それを維持し続け、なおかつ一か月に一度と言う高頻度で飛ばし続けているその【ガネーシャ・ファミリア】が誇る財政は凄まじいの一言で、【ガネーシャ・ファミリア】がファミリア全体を通して最大規模を維持し続けている証明とも言われている。

 

 なんとも……言いようが無い。

 

「……目立ちたがり……なんですよね?」

「えぇ、その通りですよ、度が過ぎる気もしますがその通りですね」

「……まぁ、アレもその内見慣れるからね」

 

 フィンの言葉に周りを見回せば、驚いたのはワタシと同じ様に最近オラリオに来た数人だけで、他の人たちは「またか」みたいな呆れ顔をしていたり、そもそも視界に映っても反応すらしていない。

 

「さてと、それじゃダンジョンに向か……ん?」

「団長?」「……?」

 

 フィンが唐突に言葉を止めて、ギルドの入口から入ってきた人物の方へ視線を向けた。

 すたすたと歩く小柄な少女……いや、女性だろうか?

 見た目は幼い黒髪黒目に巻き角が特徴の羊人の少女なのだが、浮かべられた表情は大人びていて、とても見た目通りの少女とは思えない。

 

 フィンがじっと見つめているのに気が付いたのか、その女性は首を傾げてからにこやかな笑みを浮かべて近づいてきた。

 

 草臥れ、よれよれになったローブに首から冒険者の識別票を下げているので、冒険者なのだろう。

 ちらりと見えた識別票に刻まれた名は『アレイスター・クロウリー』だった。

 

「やあ、こんにちは、フィン・ディムナ、今日は良いガネーシャ日和だね。風も無く、安定してガネーシャが飛行しているくどくて良い日だ」

「こんにちは」

 

 何とも言い難い雰囲気を纏ったその女性を見て、フィンはにこやかに返事を返す。

 

「すまないが、私の主神を見ていないかい? あの鳥頭はまた何処かに行ってしまってね」

「見ていないよ……それよりも何か用かい?」

「ん? 神様を探していたら見覚えのある顔が此方を見ていたから話をしに来ただけだが? それとも、勇者様は占い師が話しかけてきたらすげなく小銭を投げて追い払うのかい?」

 

 くすくすと笑みを浮かべながらフィンを見据える黒髪黒目の女性は、見ているとゾワゾワとする不気味さを感じさせる。

 苦笑を浮かべたフィンから、唐突に視線を外したその女性、アレイスターはカエデを見据えた。

 

「こんにちは」

「えっと……こんにちは」

「なかなか面白そうな子じゃないか、なるほど、出会いと言うのは君の事だったのか」

 

 なにやら唐突に納得したような表情を浮かべると、唐突に待合席の一つを示した。

 

「キミ、そこに座りたまえ」

「え?」

 

 唐突の指示に戸惑っているとフィンが溜息を吐いて、ジョゼットが天井を仰いだ。

 

「カエデ、特に何かされる事は無いから席に座ると良い……すぐに終わるよ」

「え? でもダンジョンに」

「えぇ、団長の言う通りにした方が良いわ。こいつかなりヤバイ奴よ」

「あぁ、料金はいらないよ。私がやりたくてやる事だからね」

 

 ダンジョンに行くのだから、できれば早く行きたいのだが……

 

 アレイスターは既にカエデに座る様に指示した席の対面に腰かけて何やら紙切れを取り出していた。

 

「カエデは占いとか信じるタイプ? まぁ、この人の占いは恐ろしい位に当たるからダンジョンに行く前に占うのもありね」

「……占い?」

 

 【占い師】アレイスター・クロウリー

 所属は情報系ファミリア【トート・ファミリア】の団長で、レベルは『3』らしい。

 上がったのは最近らしく、次の神会(デナトゥス)にて二つ名の更新が行われるらしい。

 二つ名【占い師】の名に恥じぬ程に占いに通じていると言うよりは、アレイスターの行う占いは外れる事が無いと言われるほどで、神々曰く、特殊な電波を受信するクッソ怪しい女。神恵比寿が女になって占い上手になったらコイツになるんじゃね? 等と言われているらしい。

 

 気になったのは外れる事のない占いと言う部分。

 人の心の内や運勢や未来など、直接観察することのできないものについて判断することや、その方法の事を占いと言うらしい。

 

 要するに『先読み』みたいなモノなのだろう。

 

 ダンジョンに行く前に占いと言うモノで占っておくのは悪い事ではない……らしい?

 

 大人しく腰かけようとして、背に背負った『ウィンドパイプ』が邪魔だったのでフィンに預かってもらい、再度腰掛ければ、アレイスターは紙切れの束をテーブルに置いた。

 

「さてと……これはタロットと言うモノでね、裏返しのまま、キミが思った順番で引いてくれればいい」

「はあ……えっと、引く?」

「あぁ、このカードの一枚を手に取って、私の指示通りに並べてくれればいいよ」

「はい」

 

 指示通りに紙切れの一枚を手に取って指示された場所に置いていく事十回。

 

「よし、さてと……それじゃあ、まず君の現状からだ」

 

 そう前置きをすると、アレイスターは十字に重ねられた紙切れ、タロットカードと言うそれを裏返した。

 

 

 

 

「あんまり、気落ちする必要は無いよ。あくまで占いだからね」

「そうね……あくまで占いですし」

「はい」

 

 ダンジョンの入口、『バベルの塔』の中央広場(セントラルパーク)にある噴水の前で、天まで届くのではないかと言う程の高さを誇る白亜の塔『バベルの塔』の天辺を見据えて目を細める。

 

 アレイスターの占いは的確だった、らしい。

 

 少なくともアレイスター自身は「当たるも八卦、当たらぬも八卦と言う言葉が極東にあるらしいよ? 当たらない事でも願えば良いんじゃないかな?」と胡散臭く笑ってから、大アルカナのタロットの一つを手渡した。

 

 アレイスターには別名『タロットの魔術師』と言うモノがある。

 アレイスターだけが作れる『タロット』と言う魔法道具(マジックアイテム)が存在し、ソレは発動するとその図式に応じた効果が発動するモノで、アレイスターの気に入った人物に手渡されるのみで販売されていないモノで、かなり珍しいモノらしい。

 

 今まで【ロキ・ファミリア】の団員はそこそこの割合でアレイスターから『タロット』を手渡されている。

 

 フィンに渡されたのは『タロット【節制】』

 アレイスター曰く『強すぎる願望など、何事も行き過ぎてしまえばバランスが崩れ良い結果は得られないよ。少し考えなおすと良い』

 効力は『武装の耐久状態を回復させる』

 

 ガレスには『タロット【力】』

 アレイスター曰く『望む方向へ物事が進まず憤りを感じた時、力任せに行動するのではなく、目の前の事態を冷静に眺め、時に相手を包容する思いやりを持つ方が良いね』

 効力は『一時的に基礎アビリティ『力』を向上させる』

 

 リヴェリアは『タロット【隠者】』

 アレイスター曰く『本当にやりたいことが出来ているか、正しい道へと進んでいるか、深く考察すべき時期だよ、一度静かな場所で胸に手を当ててしっかり考えてみると良いよ』

 効果は『詠唱魔法効果向上』

 

 ラウルは『タロット【愚者】』

 アレイスター曰く『人生は予期しないことに満ちており、可能性も自分で制限しない限り無限にあると言って良いのだから、君はもう少し制限を解くと言い。まぁ難しいからこそ君は愚者な訳だがね』

 効果は『一時的に発展アビリティ《予兆》付与』

 

  『タロット』を手渡す際の言葉は人それぞれ違うのだが、ほとんどの冒険者が受け取るのは『タロット【愚者】』らしい。

 

 カエデ・ハバリが手渡されたのは『タロット【月】』

 言葉は『予期せぬ危険や不運を暗示しているね……まぁ、これはついでだろうね。君は幻影に踊らされることのないようにもう一度後ろを振り返るべきだよ……手遅れになる、前にね』

 効果は『不明』で、他に受け取った人物は居ても使用する前に居なくなってしまったらしい。

 

 よく分らない。 幻影に踊らされるとは何の事だろうか?

 ……気にしない方が良いのだろうか?

 

 顔を下げて、カエデはバベルを、正確には『バベル』の真下に存在する『迷宮(ダンジョン)』の入口を見据えた。

 冒険者ギルドで余計な時間を使ったが、これから始まるのは冒険者が迎える洗礼の一つ。

 

 

 『初めての迷宮探索(ファーストダンジョンアタック)』である。

 

 

 ただ見据えた先にあるのは、数多くの冒険者を迎え入れ、数多くの冒険者を呑んだ魔物の楽園、原初のモンスターが生まれる穴。

 

 もっとも効率よく経験値(エクセリア)を集められる場所として其処に歩みゆく。

 その姿からは戸惑いは消え去り、真っ直ぐと見据えて剣の柄に手をかけて鯉口を切り、直ぐに納め直す。

 

「行きます」

 

 誰に聞かせるでもない、只の宣言。フィンとジョゼットは頷いてカエデに続く。

 

 自ら先頭に立ち

 

 先導される事無く

 

 真っ直ぐ、真っ直ぐ歩む姿は

 

 幼くとも、覚悟を決め迷宮に挑む者達と同じである。




 読者様から頂いたキャラを重要人物枠っぽく登場させてますが、元は別のキャラ(作者のオリキャラの一人)が担当していた役割を挿げ替えただけなので、ストーリー自体に変更はありませんゾ。ご安心ください。

 元のオリキャラはどうなったのかって? この作品では顔を見せないんではないですかね。


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『初迷宮』《上》

『ロキー、アチキが来たさネー』

『んぉ? おぉーホオヅキたん久しぶりやなー』

『……ロキが書類整理してるさネッ!? 明日は槍が降るさネ……世界の終りさネ』

『言い過ぎやろホオヅキたん……まぁ、仕事せえへんとほったらかしにしとったんは否定せんけども……んな事より、前言っとった子どうしたん? なんやファルナが欲しいから入団試験受けさせて欲しいって言ってた子。今度連れてくる言っとったけど、何処に居るん?』

『あー……ソレさネ、ちょっと問題が発生して行方不明になったさネ』

『問題? どないしたん?』

『あー、村人が皆殺しにされてたさネ。連れてくる予定だった子とその師匠は行方不明。死体は無かったから生きてるはずさネ……最悪。ヤッた奴見つけて八つ裂きにしてやろうと思ってるさネ。と言う訳で情報くれー』

『……いや、いきなり情報くれ言われても困るんやけど……と言うか皆殺して、穏やかやないなぁ……』


 『バベル』の地下一階、ダンジョンに通じる大広間には、数多の冒険者がダンジョンからの生還を喜んだり、生還した冒険者が今回の稼ぎで何をするのか友と談笑したり、これからダンジョンに潜る前の意気込みを呟きながらダンジョンに通じる階段を下りて行く姿があった。

 

 そのざわめきが、一瞬止まる。

 

 迷宮都市『オラリオ』に於いて探索系ファミリアの最上位を競い合う最大ファミリアの【ロキ・ファミリア】の団長【勇者(ブレイバー)】フィン・ディムナの姿を見て、冒険者達は一瞬ざわめきを止めてから、より大きなざわめきを発生させる。

 

 あの【勇者(ブレイバー)】と、二級(レベル3)冒険者だが特殊な魔法を持つ事で有名な【魔弓の射手】の二人が居ればおのずと注意が集まる。

 

 しかも新人らしき幼い白毛の狼人の子供を連れていれば注目度は更に上がるだろう。

 

 あの【勇者(ブレイバー)】直々に新人に付く事等、レベル6になって以降殆ど無かったのだから。

 

 そして白毛の狼人。

 

 ウェアウルフと言う種族は毛色でその特性が分れている種族だ。

 

 灰毛は草原や高地に住まい、平地での俊敏性は随一、長距離移動にも適し高いスタミナを持っている。

 

 茶毛は森林や荒れ地に住まい、障害物を避けながらの俊敏性は随一、動体視力に長け、反応速度が非常に高い。

 

 赤毛は激しく攻撃的な性格である代わりにその身体能力は非常に高く、拳に蹴りとどの攻撃も恐ろしい程の威力を持つ。

 

 蒼毛は常に冷静に冷徹に獲物を追い詰め、敵を屠る知能の高さを持つ。

 

 他に珍しい毛色として

 

 銀毛や黒毛も存在する。

 

 銀毛は少ないが見かける事はある。ただし黒毛は今現在のオラリオに於いては【ソーマ・ファミリア】に所属していた【酔乱群狼(スォームアジテイター)】ホオヅキと言う冒険者を除いては今現在存在しないと言われている。

 

 白毛は殆ど見ない為、特性は全くの不明。

 

 正確には生まれても、出生と同時に親によって殺されてしまうか、群れの中で寿命が尽きて死ぬかのどちらかで、オラリオまで出てくる事がなく、ファルナを得る事自体が稀な事もあり、神々もどういった特性を持つ狼人なのかわかっていないのだ。

 

 其の為、白毛の狼人は非常に珍しい。そういう意味ではその幼い狼人は希少(レア)なのだろう。

 『オラリオ』に於いては狐人(ルナール)並に白毛の狼人は姿を見ない。

 

 そんな珍しい毛色の少女がわき目も振らず、ただ『ダンジョンの入口』の階段に足を向けており、その少女の後ろに【勇者(ブレイバー)】と【魔弓の射手】が連れ立っていればその少女がどういった少女なのか直ぐに想像が付く。

 

 【ロキ・ファミリア】期待の新人

 

 そんな肩書きを意識して少女の姿を見れば、新品の皮鎧を身に纏い、新品の身の丈に余る大剣を背に背負ったその姿は、他の冒険者の嫉妬を煽るのには十二分に過ぎるだろう。

 

 『オラリオ』の『冒険者ギルド』から支給される装備品は鋳型方式で安価に量産され、各冒険者用に形状を調整しただけの『ブレストプレート』と、こちらも鋳型で量産された安価な『短剣』と言うありきたりな入門用装備に各種ポーチや取得物を入れる腰袋、『ギルド』と直接契約している医療系ファミリアから卸されている『初心者用ポーション』のみ。

 

 鎧下のインナーは自前で用意するのは当たり前、最悪、普段着のシャツにズボンの上から防具とポーチ、剣を吊るすだけと言う姿になる。

 

 殆どの中規模ファミリアでは、ダンジョンに関する教育は行われても武装までは用意して貰えず、新米冒険者は上記の普段着に『ブレストプレート』に『短剣』となけなしの『初心者用ポーション』のセットで初めてのダンジョン探索に挑む。

 

 無論、探索系ファミリア最大規模を誇る【ロキ・ファミリア】ならば新人にある程度の装備品を用意するのは当たり前なのだが……

 

 『オラリオ』に来る前に冒険者の真似事をして金を稼いである程度マシな装備品を自前で用意して各ファミリアへ自分を売り込む者も居る為、全員が全員ではない。

 

 しかし 殆どのファミリアの団員は初めてのダンジョン探索の際の装備品は高が知れたモノでしかない。

 

 そう言った者からすれば、今の完璧なフル装備で、なおかつかなり上質な大剣を背負う少女は羨ましいと言うよりは単純に目障りだ。

 

 だからと言って、あの【ロキ・ファミリア】の新人らしき少女にいちゃもんをつけに行く愚かな冒険者はこの場に存在しない。

 

 

 

 

 

「相変わらず、鬱陶しい視線ですね」

「まあ、ジョゼットは有名だからね」

「団長に言われると嫌味にしか聞こえませんね」

 

 そんな冒険者たちの視線を一切気にも留めずに、戸惑う事もせずに『ダンジョンの入口』に足をかけて進んでいくカエデ・ハバリの後ろをついていく二人。

 視線の鬱陶しさに半眼で辺りを睨むジョゼットに、茶化す様な事を口にしながらも、周辺索敵を一切怠る事のないフィン。

 

 そんな二人の事を一切意に介さずに姿勢を若干低くし、剣の柄に手をかけたまま下りて行くカエデは、徐々に見えてくる階段の終わりを見て、呟く。

 

「思ったより、明るいんですね」

「あー……それはカエデが狼人だからですね」

「狼人だから……?」

 

 呟いた言葉を拾ったジョゼットの言葉に反応して呟けば、ジョゼットは軽く肩を竦めて説明しはじめた。

 

「知っているとは思いますけど、貴女は狼人、獣人系の種族の一つです。特徴は獣人種特有の力強さと類稀なる俊敏性、猫人程でないにしろある程度の器用さも持ち合わせている反面、耐久は獣人種の中では低め。打たれ弱さでは犬人に劣っていたりする種ね。それでここからが重要なんだけど、獣人系は総じて五感が鋭いのよ、狼人は嗅覚と聴覚に秀でているけど、他の五感も全てヒューマン以上なのです」

 

 つまり、カエデ・ハバリの視界に映る景色は地下と言う部分、入口であると言う事を差し引いてもおつりがくる程に明るいその場は、他のヒューマンやエルフ、ドワーフ等からすれば若干の薄暗さを感じる程度なのだろう。それでも『ダンジョン』が地下の迷宮である事を思えば十二分に明るすぎるのだが……

 

「魔石灯いらずとはこういう意味なのですね」

「あー……上層では灯りが必要になる事は殆どないかな。十八階層の『迷宮の楽園(アンダーリゾート)』とかでは必要だし他にも必要な所はあるけどね」

「必要な所……?」

「カエデはまだ学んで無いかもしれないけど、下層以下の階層では時々『盲目回廊(ブラインドゾーン)』とかあるんだよ……あそこは本来の洞窟らしく一切光が無いんだ。光源を持ってないと非常に危険だからね……さて、ダンジョンの入口から入ってすぐとはいえ、ダンジョンに入った感想はどうだい?」

 

 気が付けば、階段を下りて直ぐの所、道幅が広くなっている通路、冒険者の間では『はじまりの道』と言われるその場所で一度足を止めて、カエデはスンスンと鼻を鳴らして臭いを嗅いでから首を傾げた。

 

「空気が淀んでいませんね、凄く不思議な感じがします」

 

 普通の洞窟であるのなら、何処かに別の出入り口があって風が吹き込んだりしていない限りは空気が淀んでいる事が多い。その上、その洞窟を住処にした魔物や動物の臭いが溜まりに溜まって、鼻がねじ曲がるのではないかと言う程の悪臭となっている事がある。

 そして、風の流れがあれば洞窟の中に居る生物の臭いを感じ取る事が出来るはずなのだが、ソレが無い。

 

 特に風の流れがある訳でも無いのに、空気は淀む事も無く存在している。

 

 それだけで此処が異質な場所であると言う事が感じられ、若干耳を澄まして奥の方から聞こえてくるはずの他の冒険者の足音を聞いてみようとすれば、通路の先から冒険者らしき足音が聞こえ、追加で複数の乱れた足音が聞こえた。

 

 足音の大きさは大分不揃いで、音の質から靴を装備していない動物系の脚だと判断できる。

 

「……コボルトでしょうか。先に進んだ冒険者と戦闘になっているみたいですね」

「少しタイミングが悪かったみたいですね」

「まぁそうだね。確かにあの足音はコボルト……ん? 怪我人が出たみたいだね」

 

 フィンも耳を澄ましてから、先に進んだ冒険者と事を構えているらしいモンスターの声を聞きながら、腕を組む。

 上層、それも最弱級の敵相手に不覚をとったらしい冒険者の男性の声が響き、複数のコボルトの叫び声が響き、他の冒険者の怒号等が響いている。

 ダンジョン入口直ぐと言う所でも先に進んだ冒険者達の様に不意打ちを受ける事もあるのだろう。

 

 暫くすればコボルトの声が途絶え、慌ただしく走ってくる足音が聞こえてきた。

 

 通路の先から走ってきた集団は、先程カエデ達がバベルの地下に足を踏み入れたとほぼ同時にダンジョンの階段を下りて行ったパーティーらしい集団だった。

 

 怪我人らしい人物を担いで三人の男女が駆けて来たのを見て、フィンとジョゼット、カエデは揃って通路の横によって道を空けた。

 

 担がれていたのは少年で『ブレストアーマー』とそのインナーらしい普通のシャツにズボン、腰の鞘も新品のようだったのだがどれも血に塗れていた。

 

「畜生、ポーションケチるんじゃなかった」「だから言ったのに!」「うるせぇテメェらさっさと運べッ!! こんな入口で新人死なせましたなんて神様に言えるかッ!!」

 

 騒がしく走ってきたその三人と怪我人の少年の内、先頭を走っていた若い男性が此方に気が付いて駆け寄ってくる。

 

「そこのあんた、悪いんだがポーションを分けてくれ、新人がへまして怪我しやがってよ」

「…………」

 

 ヒューマンの若い、二十代の男性は駆け寄って直ぐに交渉の積もりなのか三人の中でジョゼットに声をかけた。

 確かに、カエデは見るからに子供、フィンも小人族(パルゥム)の種族がら子供に見え、見た目だけで言えばジョゼットが二人を連れている様にも見えるだろうが……

 

「おい、聞いてんのか?」

「ちょッ!? あんたなんて口利いてるのよッ!! 【ロキ・ファミリア】の【勇者(ブレイバー)】じゃないッ!!」

「は? 誰だソイツ」

「馬鹿かコイツ!?」「あぁヤバイ、これ死んだわ」「うぐっ……」「いやまだ死んでねえだろ、今治療すりゃ十分間に合う」「そういう意味じゃ「五月蠅いですね」……ヒィッ!?」

 

 ドスの利いた声を放ったのは、声をかけられても一切反応せずに無視したジョゼットだった。

 一睨みで、犬人らしい女性を怯ませ、怪我人の少年を担いだドワーフもたじろぐ。

 だが、若いヒューマンの男性だけは怯まずに逆に睨み返した。

 

「んだよ、こっちは怪我人抱えてんだぞ、少しぐらい「黙れ、あんたとにかく黙れッ!! ほら行くわよっ!!」「すまんかった、この事は出来れば水に流して欲しい、重ね重ね申し訳なかった」おい、おまえら」

 

 犬人の女性が、ヒューマンの男性の腕を掴み引き摺って行き、ドワーフの男性が頭を下げてから来た道を引き返して行った。

 その様子を見ながらずっと黙っていたカエデが呟いた。

 

「あの傷でも、冒険者って死なないんですね、結構深々と首を抉られていた様に見えましたが」

 

 血塗れの姿に怯む訳でも無く、冷静に傷口を観察していたらしいカエデにジョゼットが若干呆れ顔で答えた。

 

「当たり前ですが、あの傷は致命傷です。回復薬(ポーション)無しでダンジョンに潜ればああいった不意打ちで食らった致命傷で死ぬ事だって珍しく無いんですよ……リヴェリア様から散々言われたとは存じますが」

「そうだね、回復薬(ポーション)を買い渋るなんてね……」

 

 致命傷でも易々と死なない。ある意味では心強く。ある意味では背筋が凍る情報だろう。

 

「……行きましょうか」

 

 カエデは呟きと共に血の滴が垂れている道の先を見据えた。

 

 

 

 

「アレを見て一切動揺しないのは凄いと言うか末恐ろしいですね。団長」

「慣れてるみたいだったね。何処かで似た様な経験でもしたのかな?」

 

 血に塗れた道の先、少年に不意打ちを食らわせたらしいコボルトは、その後すぐにドワーフの持っていたバトルハンマーか何かで頭を砕かれたのだろう。頭の潰れたコボルトが倒れている場には少年の体から流れていた血と同じ臭いが漂っていた。

 

 他にもコボルトが二匹居たらしいが、どれも倒すだけ倒して剥ぎ取りをせずに放置したのだろう。死体だけが残っている。

 

 その死体を見て、カエデはスンスンと臭いを嗅いでから、一つ頷くとそのまま無視して素通りしてしまった。

 

 他の冒険者が仕留めた獲物を横取りするのはルール違反ではあるが、今回の場合は別に剥ぎ取っても文句は言われないだろう。だが、カエデはそれをする気は無い様子だった。

 

「……あの怪我をした少年、助かると良いですね」

「気になるのかい?」

 

 ジョゼットの呟きに対してフィンが問いかけを投げると、ジョゼットは眉を顰めた。

 

「目の前であの大怪我、死なれれば寝覚めが悪い事この上ないです」

 

 心底、嫌そうに呟いたジョゼットは軽く目を細めてからカエデが唐突に姿勢を低く、腰を落として通路の脇に寄っているのを見て、一言。

 

「敵を見つけたみたいですね」

「みたいだね」

 

 

 

 

 

 通路の先、ゴブリンが三匹、第一階層に於いて三匹はそこそこの数である。

 運の良い事に、ある程度見通しが利く通路でありながら、あのゴブリンの集団は全員が此方に背を向けている。

 『丹田の呼氣』を乱さぬ様に慎重に身を沈めて剣の柄に手をかけて、背負っていた剣を腰に吊るし直す。

 

 手早く襲撃の準備を終えてから、後ろのフィンとジョゼットを確認すれば、フィンは頷き、ジョゼットは弓を片手に持って矢をくるくると回していた。不覚をとれば援護はすると言う事だろうか。できれば失敗はしたくない。

 

 姿勢は低く、腰を落として、一気に疾駆出来る構えをとって、腰の『ウィンドパイプ』の鞘を左手で握る。

 

 ゴブリンはどれも動き自体はシンプルで、進行方向、ちょうどこちらとは反対の方向に向かってゆったりとした速度で進行して行っている。後方警戒と言う言葉を教えてあげたくなるほどに後ろに対して無防備な姿を晒している。しかし、その一匹、右手に錆び付いた何か、ナイフの様なモノを所持している。最優先討伐対象に指定。

 

 位置をしっかりと確認してから落ちていた小石を拾い上げて投擲。

 

 モンスター退治の基礎の一つ『注意を逸らす』

 馬鹿正直に真正面から戦う必要は無い。

 例え人相手だろうがモンスター相手だろうが、生死を賭けた戦いをする以上、ソコに卑怯だの狡いだの批判の言葉が入り込む余地は有りはしない。

 

 狙う位置はゴブリン右手側の壁。

 

 投擲すると同時にウィンドパイプの柄に右手を添えて一気に走り出す。

 

 狙いはただ一つ、錆びたナイフを手にしたゴブリンのみ

 

 ゴブリン達の右側の壁に石ころが当たり、軽い音が発生する。音につられてゴブリンの視線が三匹とも其方に向かう。

 視線が逸れ、此方に未だに気付かないゴブリンに向かって走り寄り、一気に足を止める。

 

 加速は十二分、加速からの急停止によって『ウィンドパイプ』が鞘走り、鯉口が独りでに切られ、鞘から疾駆した勢いをそのままに乗せた強靭な刃が抜き放たれる。

 その抜き放たれた刃の行先を右手一つで操り、瞬く間の抜刀の紡ぎによって最優先討伐対象に指定されたゴブリンの首を皮一枚残して斬り捨てる。

 

 残った勢いのまま、軸足をしっかりと地面に固定し、踏み込みつつ首を半分以上失って膝から力の抜けたゴブリンの体を押して三匹目のゴブリンの動きを阻害してから、二匹目のゴブリンの胴を横凪ぎで斬り捨て、斬り捨てた勢いを大きく上に逸らして流れた剣を翻し、三匹目のゴブリンの脳天から胸までを一閃。胸の半場で剣を抜き放って地面に向かって突き刺さりそうな剣を返して横なぎに変化させてから血や油を振るい落して、その勢いを緩めながら鞘に剣を納める。

 

 ガチンと大き目の音を響かせて剣を納めた頃になってから、二匹目の上半身が地面にボトリと落ちた。

 

 周囲の音や気配を探っても特に新手が居る様子は無い。警戒を解かない様に腰の『ウィンドパイプ』から手を離して小石を拾い上げて倒れたゴブリンの死体に投げつけてみる。

 

 一匹目は首を飛ばし、二匹目は上半身と下半身で泣き別れ、三匹目は脳天から胸元までがパックリ二つに割れている。

 

 どう見ても死んでいるのだが、『ダンジョン』では何が起こるかわからない。もしかしたら下層に存在する凶悪な『迷宮の悪意(ダンジョンギミック)』の一つ『不死者の出生地(アンデット・ゾーン)』が無いと言いきれない。

 

 殺したと思ったのに『不死者(アンデット)化』してモンスターが起き上がってきた言う話をラウルに聞いており、過剰警戒を行っていて、この階層においてはただの警戒心過多であるが、冒険者として間違ってはいない。

 

「……よし」

 

 仕留めたのを確認後、周辺警戒を再度行うがモンスターの気配は無い。直ぐに戦利品を獲る為に腰の剥ぎ取り用のナイフを手に取って()()()()()()()()

 

 

 

 

「あ……」

「あー……」

 

 新米では無く、元々狩人や無所属の冒険者として経験を積んで『オラリオ』を訪れる冒険者は、ゴブリン程度怯まずに倒せる。

 それはカエデも例外では無かった。

 

 ()()()()()によって鍛え上げられていたカエデは戦闘能力は一切問題無かった。

 だが、対モンスター戦においてしっかりと戦えるかと言うのはまた別問題と考えていたのだが、全く以て問題は無い様子だった。と言うか妙に手馴れている。わざわざゴブリンの気を逸らしてから不意を突いて戦闘に入ると言う事をする冒険者なんて今まで見た事が無い。

 

 大体の冒険者は『ファルナ』によって強化され。上がった身体能力で真正面から叩き潰す戦い方をする。

 

 『ファルナ』を得る以前から無所属の冒険者として動き、戦い慣れた者も例外なく『ファルナ』によって強化された身体能力を使いたがる。

 

 その為か、カエデの様に奇襲戦法をとる新米冒険者は居ない。のだが……

 

 まぁ、それは別に構わない。

 

 嬉しそうに尻尾を振りながらゴブリンの右耳を剥ぎ取るカエデを見ながら、ジョゼットが一言。

 

「あー、()()()()のままみたいですね」

「……多分、カエデも緊張してるんだと思うよ」

 

 カエデは右耳三つを剥ぎ取ってから、収集品入れにその右耳を入れようとして一瞬動きを止めてから、慌てて右耳を放り捨ててもう一度剥ぎ取りナイフを取り出してゴブリンの胸に突き立てて魔石の剥ぎ取りを始めている。

 

「自分で気付けるだけマシだね」

「まぁ、そうですね」

 

 新米冒険者には二種類居る。

 

 片方は『ファルナ』を得る事で戦える様になった『一般人』

 片方は『無所属(フリー)』で元々戦える者がなった『経験者』

 

 『経験者』の中でも『オラリオ』の外でゴブリンやコボルト等の小物を狩って生計を立てていた者達程やらかすのだ。

 

 外での換金品は『ゴブリンの右耳』『コボルトの右耳』、『オラリオ』での換金品は『モンスターの魔石』である。

 

 もう一度言おう。よく()()()()のだ。特に後者の経験者が……

 

 袋一杯にゴブリンとコボルトの右耳、ダンジョンリザードの右目を抉ってきて換金所に持ち込むと言う間抜けなミスを……

 

 魔石をポーチに納めて、ほっと一息ついているカエデも、自分で気付かなければ同じ事をしていたかもしれない。

 

 最悪フィンかジョゼットが指摘する所だったが、指摘する前に気付いてくれてよかった。まぁ、ロキに伝える笑い話が出来たと思えば悪くは無い。

 

 

 

 

 現在階層は第五階層。

 

 ダンジョンの第三階層からは、ゴブリンとコボルトが共闘して来る。

 

 その特色の例に洩れる事無く、ダンジョン第五階層にて白毛の狼人の少女の前に立ち塞がるのはゴブリンが六匹、コボルトが四匹の計十体のモンスター。

 

 既に幼い少女、カエデ・ハバリを敵として認め、威嚇の声をあげている。

 

 対するカエデは腰を落とした姿勢のまま一気に駆けだす。

 

 連携をとる訳ではないが、囲んで叩こうと動くコボルトと、そのコボルトの穴を埋める様に布陣するゴブリンは新米冒険者であれば逃亡を選択するのが当然だが、カエデは一番先頭を走ってきたコボルトと、そのすぐ後ろのゴブリンをすれ違い様に斬り付け、共に左足を斬り飛ばし、そのままちょうど目の前に来たコボルトを逆袈裟掛けの形で斬り捨てる。

 袈裟懸けから振り上げられた剣を素早く斬り返すと同時に左に寄ってきたゴブリンを斬り捨てる。

 

 残りゴブリン六匹、コボルト三匹。片足を失って尚戦意を失わずに吠えかかってくるゴブリンとコボルトは無視して残りを仕留める。

 

 まず手始めに袈裟懸けしたコボルトの胴体を蹴り上げて正面に回ろうとするモンスターを牽制、直ぐに剣で右側に寄ってきたコボルトを斬り捨ててから、後ろに下がってコボルトのとびかかり攻撃を避ける。

 回避しながら剣を突き出してコボルト自らが突っ込んでくる勢いでコボルトを突き殺し、コボルトの体が刺さったままの剣を振るい、その死体を投げ飛ばしてゴブリンに当てて動きを牽制、最初に蹴り上げたコボルトの死体も蹴って他のゴブリンに当てて動きを牽制し、仲間があっけなく突き殺された事で怯んでいた最後のコボルトの首を軽く刎ねて仕留める。

 

 残り、ゴブリン四匹。武装無し

 

 突き殺されたコボルトの死体を押しのけて起き上がろうとしているモノと、コボルトの下半身が当たって体勢を崩した二匹を無視。

 残りの二匹はそこそこ距離がある為、一匹に素早く詰め寄って斬り捨て、そのままの勢いで真後ろまで剣で薙ぎ払う。読み通り、もう一匹が後ろに走り寄ってきていた為、軌道上に身を晒しておりそのまま薙ぎ払われた剣によって胸から上と胸から下で真っ二つになる。

 

 残り、ゴブリン二匹。武装無し

 

 残った二匹がようやく立ち上がって構えをとる頃には、十匹近く居た集団はその二匹だけになっていた。

 一瞬、一匹が視線を周囲に巡らせて仲間の死体に怯んだ瞬間に、カエデが踏み込んで隙を見せたその一匹を真っ二つに斬り捨て、残りの一匹が慌てて殴りかかってきた一撃を剣の柄で受けて流してから、すれ違い様に胴を一閃。

 

 二、三歩前に歩いてから腹の中身をボタボタと零して慌ててその内臓を抑えて膝を着いたゴブリンの、丁度斬りやすい高さに落ち着いた首を刎ねる。

 

 ゴロゴロとゴブリンの首が転がったのを確認してから、カエデは周辺警戒をしようとして、一気に勢いをつけて剣を真上に振り上げた。瞬間、上から奇襲をしかけてきたダンジョンリザードを真上で真っ二つにしてカエデは再度剣を返して、血を跳ね飛ばす。

 

 ドシャリと、カエデの左右に綺麗に真っ二つにされて開かれたダンジョンリザードが転がる。

 

 それを確認してから、最初に左足を切り落としたまま放置していたコボルトとゴブリンの首をはねて仕留める。

 

 そこまできて、一息ついて剣に付いた血と油を振り払って鞘に納めた。

 

「ふぅ……ゴブリン六匹、コボルト四匹、ダンジョンリザード一匹、討伐完了です」

「……いやぁ、本当に凄いね」

「慣れてるとかそういう動きじゃないわね……完全に読んでたわ」

 

 これまでの撃破数、ゴブリンが百十八匹、コボルト九十四匹、ダンジョンリザード七十三匹。

 

 昼過ぎに潜り、今はちょうどおやつ時ぐらいの時間だろう。

 

 フィンが懐中時計を取り出して時間を確認すれば大体その程度の時間である。

 

「出てくる間隔、かなり短いですね、息切れしそうです」

 

 カエデの言う通り。時間にして一時頃から潜り三時に差し掛かる時間。

 大体二時間の間に三百近いモンスターを討伐している。

 

 少し多い気もするが、第五階層まで足を運べばそんなぐらいだろう。

 

 休み無くモンスターを斬り続けているカエデと、ソレを援護するでもなく突っ立ってぼーっとしているフィンとジョゼット、と言うかフィンもジョゼットも特に援護せずともカエデ一人でガンガンモンスターの群れを殲滅している。

 

 現に今のモンスターの群れも最後のダンジョンリザードの奇襲攻撃に対して反応したジョゼットが『妖精弓の打ち手』と言う魔法で作り出した『妖精弓』の弦を引いた所でカエデ自身が気付いて剣で天井から奇襲を仕掛けたダンジョンリザードは剣を真上に振り抜くと言う力技ともいえる方法で真っ二つである。

 

「カエデ、貴女は休んでいてください。剥ぎ取りは私が行っておきます」

「はい、すいません」

「カエデ、水飲むかい?」

「ありがとうございます」

 

 ジョゼットは自ら魔石の剥ぎ取り作業を行う事を言って出た。何故新米のサポーターを二級の自分がやっているのかと言えば、ロキやフィンにお願いされた事はカエデの援護や補助だったのに援護も補助も必要とせずにカエデが一人で事を片付けている為、完全に後ろを付いて回るだけで取得物袋が一杯になったらジョゼットの背負うバックパックに移してーと言った形だけでしか役に立っておらず、仕方なく補助は補助でも完全に荷物持ちだけに徹するのも嫌だなと思い剥ぎ取りを申し出たのだ。

 

 手早く魔石を抉り取って行けば、モンスターの骸は色を失い、灰となる。そのモンスターの灰すら虚空に解ける様に消えてゆく。

 

「いつみても、不思議で仕方ないですね……」

 

 地上のモンスターは魔石を持たない。稀に魔石を持つモンスターも地上に居るが、ダンジョン程ではないし、地上に馴染んだモンスターは魔石を抉られても死体は残る。

 

 だが、ダンジョンのモンスターはその核である魔石を抉り取られるとその体が消滅してしまう。

 

「コボルトの爪に……ダンジョンリザードの皮……ですが綺麗に真っ二つですね」

 

 そして、今の様にモンスターの体の一部が灰にならずに残る事がある。

 

 一説にはその部位には特殊な力が宿り、核である魔石を抉られてなお灰にならずに原型を保てるだけの()()()が詰まっている。

 またその部位は、『オラリオ』の鍛冶師達の手によって数多の武装に変化を遂げる。

 

 カエデの身に着けている『鋲打ち(スタッド)革鎧(レザーアーマー)』も第十一階層に出現する『バトルボア』の皮をなめし革にして作られた物であるし、『ウィンドパイプ』もモンスターの喉笛に当たる部分から作られたらしい。喉笛はそう固い素材ではないはずだが、何をどうすれば強靭な刃と化すのだろうか?

 

 ただ、ダンジョンリザードは頭から真っ二つにしてしまったため、ドロップアイテムの皮も綺麗に真っ二つにされてしまっている。

 

 これでは胴鎧としては使えない。ガントレットやアームガード、レッグガードに使う分には問題無さそうだが、売値はかなり落ちるだろう。

 

「これでも上質な方ですね……」

「そうだね、ボクやガレスが初めて手に入れたダンジョンリザードの皮は……穴だらけだったり、裂けてたりで使い物にならなかったし」

 

 一突きで倒せずに何度も槍で突き刺す等すれば、その分革はボロボロになる。

 斧で殺してもずたずたになる事が多いし、リヴェリアの魔法なんて革も魔石も残さずに焼き尽くす為、最終兵器扱いしていた頃もあったのだから……

 

 それを考えれば頭から綺麗に真っ二つで即死させて得た革は上質な部類だろう。

 

「回収完了しました」

「あ、はい、ありがとうございます」

「礼には及びません、リヴェリア様からの指示ですから」

 

 バックパックを背負い、ジョゼットは弓の弦を使って器用に即興曲を響かせ、呟く。

 

「行きましょう。残り一時間半程ですが、しっかりと経験値(エクセリア)を集めるのでしょう?」

「はい。あ、水」

「ん? その水はあげるよ」

「ありがとうございます」

「次からは自分でちゃんと持ってきてね?」

「はい」

 

 フィンが持ってきていた水袋をカエデは腰のポーチの横に吊り下げてから、剣の位置を確認して頷く。

 

「行きます」

「了解」「わかったよ」

 



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『初迷宮』《下》

 帰る場所が無くなってしまった

 唯一心を開ける場所だった

 口煩いヒヅチが居て

 騙され易いカエデが居て

 ヘラヘラ笑う自分が時々訪ねて行く

 そんな楽しい場所

 もう誰も居なくなってしまった


 キラーアントの首の部分にウィンドパイプを捻じ込んで一気に首をもぎ取る。

 

 カエデはゴロンと頭が転がったのを確認してから、臭いを嗅いでフェロモンを出されていないか確認して一息ついた。

 

「何とか、仲間を呼ばれずに済みました」

「そうみたいだね」

 

 フィンが仕留められたキラーアントを見ながら眉を顰め、ジョゼットがキラーアントの魔石を剥ぎ取りながら口を開いた。

 

「二階層移動してきたのでしょうか、珍しいですね」

 

 モンスターは基本的に出現階層外においても上下二階層まで階段を使って移動する事がある為、出現階層外にも出現する事がある。

 とはいえ、一階層の移動も頻繁にある訳ではなく珍しい。二階層の移動は滅多に見られないと言える。

 ただし、中層のモンスターが上層に上がってくる事や、上層のモンスターが中層に下りる事はまずない。

 

 キラーアントの出現階層は七階層からであり、五階層で出ている事は非常に珍しい。

 

「でも、良い経験だよ」

「はい、この階層なら仲間を呼ばれても反応する個体が居ないので殆ど問題はありませんから」

 

 この階層において仲間を呼ばれるフェロモンを出されても、被害は非常に少ないだろう。下の階層からも上がってくる可能性はゼロではないが、七階層でやらかすよりは数が少ないのは確定だ。

 

 初めての迷宮探索と言うには、かなり順調と言えるだろう。

 

 初戦闘からここまで、カエデは相手に対してまともに攻撃行動をとらせてはいない。その獣人特有の五感の高さを生かして先んじてモンスターを発見し、奇襲攻撃を行って相手が気付く前に仕留める。もしくは気付いた時には混乱に陥れて相手の判断能力を奪い去って優位な状況を作り出しつつ戦闘を開始する。

 その手際はかなり手馴れた様子で、危なげなくモンスターを屠る姿は力任せに武器を振り回して敵を仕留めようとする新米にありがちな事も行わず、自分のスタミナに応じた戦闘方法を確立している。

 

 息切れの心配もしていたが、カエデは結局休み無く戦い続けている。

 

 そこにフィンは違和感を感じていた。

 

 五階層に入ってしばらくしてから、カエデは単独で十匹以上のモンスターを相手にしていた事もある。

 その際、カエデは若干息切れの様子も見せていた。

 

 その次に息を整える間も無く五匹のモンスターが現れた事があった。

 

 流石に息切れしていては辛いだろうとフィンが前に出ようとしたが、カエデはそのままそのモンスターに駆け出していき、全てを軽く仕留めた。

 

 その戦闘の時、カエデは一切息切れをしていなかった。

 

 ファルナを授かった冒険者の治癒能力は無所属に比べて非常に高くなっている。

 

 だが、それでも復帰が早すぎる。レベル1ならばもう少しかかりそうなモノだと思っていた。

 

 そして、それ以降注意して見ていて気が付いた事がある。正確には予測した事、だが。

 

 カエデは【孤高奏響(ディスコード)】のスキルを使っている。

 

 独自の旋律を刻む事で、自らに対してスタミナ回復速度向上の増幅(ブースト)効果を発動させている。

 

 本人は一切自覚無しに発動させているらしく、フィンに指摘された際に首を傾げてどういう事かと聞かれた。

 

 自覚なしに【孤高奏響(ディスコード)】の効果を発動させているのは若干危険ではある。

 唐突に効果が切れて感覚のズレから攻撃を食らう等の可能性があるから……

 

 ただ、カエデ自身がどうして効果が発動しているのかさっぱり分かって居ない。詰る所、解除方法も再度かけ直す方法も分かって居ない。一応、フィンもジョゼットもカエデの様子を注意深く見ているが、変わった所は特に無い。

 

「魔石の回収、終わりました」

「じゃあ次に行こうか」

「はい」

 

 頷いたカエデは、小部屋から通路へと足を運び、フィンとジョゼットがそれに続く。

 

 疑問は残るが、今この場に於いて追及すべきではない。少なくともカエデは無意識に尻尾で不快感を示していた。フィンはカエデの増強効果の途切れに注意しつつも、後を付けてきている数人の冒険者に注意を払った。

 

 

 

 

 

 冒険者は試練を望む

 

 試練を乗り越え『偉業の証』を手にする事を望む

 

 偉業を成して『偉業の証』を手にしたい

 

 其の為に、『偉業の証』を手にする事が出来る試練を望む

 

 しかし、試練は望んだ所で現れはしない。

 

 試練とは『望む』『望まぬ』に関わらず

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 

 通路を移動していると、敵を見つけた。正確には足音が聞こえ、気配を感じた。

 

 十字路の左側の奥、複数の足音が聞こえ、カエデはウィンドパイプに手をかけた。

 

「行きます」

 

 後ろの二人に宣言してから、カエデは軽い足音を立てつつ一気に通路の角へと張り付く形で近付いた。

 

 左通路にモンスター確認。ゴブリン三匹、走ってきている。

 

 違和感を感じた。

 

 基本的にモンスターは冒険者を認めない限り走ったりと言った体力を消耗する動きを避ける傾向にある。

 

 逆に冒険者を見つけると体力の有無にかかわらず襲いかかってこようとする事があるが、モンスターに気付かれるような事はしていないはずだ。

 

 少なくとも、ゴブリンに気付かれない程度に足音を抑えたはずだが……加減を誤ったか?

 

 通路から確認、ゴブリンは特に武装は無い。余裕である。

 

 此方に気付いているなら気を逸らす必要は無いだろう。

 

 一気に通路から飛び出して駆けだす。

 

 先頭を走っていたゴブリンの首を刎ね、二匹目を軽く斬り付けてから三匹目のゴブリンを仕留めようとして、背筋が粟立つような感覚を覚えた。

 

 視線を動かして確認したゴブリンの表情、一匹目のゴブリンの表情は恐怖に彩られていた。

 

 二匹目のゴブリンは惚けた様な表情をしていて、三匹目のゴブリンは目を見開いていた。

 

 おかしい、此方に気付いていたから走っていたのではないのだろうか?

 

 そう思い、目を細めると、ゴブリンの後ろに四足歩行の獣が居た。

 

 黒い犬の様な四足歩行の獣。口の端からチロチロと舌にも見える炎が見え隠れするその獣は、カエデの記憶の中のとあるモンスターの特徴と類似していた。

 

 だが、そのモンスターだとするとおかしい。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()だ。

 

 そして、そのモンスターはカエデの学んだダンジョンのモンスターの攻撃法の中で、最も危険な攻撃を行う予備挙動と全く同じ動作をしながら、大きく上に上がった口を振り下ろしざまに開こうとしている。

 

 ――()()()()()()()()()()()()()()()()()()を感じた――

 

 慌てて腰の水袋を強引に掴んでベルトから引き剥がしてゴブリンに向かって投げつけた。

 

 ベルトから引き剥がした際に金具が壊れたのか、中身が少し零れていたが、足りない。

 

 腕の部分に固定されていたポーションも引き抜いて投げる。

 

 空中で水袋とポーションが当たるが、ポーションの入った試験管の様な細長い瓶は割れていない。

 

 ウィンドパイプで投げた水袋とポーション瓶、後ついでにゴブリンの体を引き裂いて飛び散った水とポーション、モンスターの血を浴びながら前に飛び出る。

 

 瞬く間に身に纏っていた外套が水とポーションと血を弾いているのを感じながら、一歩でも前に進む。

 

 ウィンドパイプの平の部分に左腕を押し当てて右手はしっかりと柄を握る。その平の部分でゴブリンの体を引っ掛けて盾にする。

 

 水とポーションとモンスターの血の混じり合った雨に打たれて目を閉じて息を止める。

 

 そのまま、その四足歩行の犬型のモンスターの()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 

 背後を付いてくる冒険者の気配が消えた。お粗末な尾行だったので軽く殺気を出してみれば一目散に逃げて行ったのだ。どうやら【フレイヤ・ファミリア】の差金ではなく、只の嫉妬した冒険者だった様子で、フィンが軽く吐息を吐いた直後、カエデがモンスターに気付いて、十字路の左通路に突撃して行った。

 

 止める間も無かったその行動を見送って直ぐにフィンの親指の疼きが危険を知らせてきた。

 

「……ッ!?」

 

 その瞬間、フィンは一気に剣を引き抜きながらカエデが曲がった先に飛び出そうとして、目の前に迫ってきた炎を見て慌てて身を引いた。

 

「ッ!!」「団長ッ!?」

 

 元の通路に飛び退けば、カエデが突撃していった通路から一気に炎が広がり、十字路を焦がしていく。

 

 炎を扱うモンスターは上層において一匹しか存在しない。『迷宮の孤王(モンスターレックス)』とも称される希少種(レアモンスター)インファントドラゴンのみである。

 だがインファントドラゴンの出現階層は十一・十二階層であり、移動したとしても九階層が限度だろう。

 他の冒険者がインファントドラゴンから逃走しようとしてそのまま上の階層に連れてきた可能性はありえない。

 そもそも、インファントドラゴンは図体がでかい。どれだけ追われたとしても八階層までである。七階層以上の階層の通路ではインファントドラゴンが移動可能な通路はかなり限定され、六階層に至っては殆ど不可能である。

 

「これはッ!?」

 

 目の前の現象に目を見開いたジョゼットは青褪める。

 フィンは舌打ちと共に剣を振るって炎を斬り、そのまま突っ切って急ぐ。

 

 唐突だが、ダンジョン第十三階層。中層の入口は冒険者の間では『最初の死線(ファーストライン)』と呼ばれる。

 第十二階層まで余裕で探索してきたパーティも第十三階層で全滅してしまったと言う報告は決して珍しい事ではない。

 冒険者の中には『最初の死線(ファーストライン)』を越えられない奴は冒険者じゃねえ等と言う者も居るが、実際上層でどれだけ粋がろうが中層に挑めないモノは駆け出し(レベル1)のまま過ごす事は珍しくない。

 それは誇張でもなんでもないのだ。

 

 実際、『最初の死線(ファーストライン)』以降のモンスターはそれ以前のモンスターと比べて数段飛ばして強くなる。

 

 だが、それはメインの理由ではない。

 

 正しい対策を施さずに『最初の死線(ファーストライン)』を越えたらまず、帰って来れない。

 

 『最初の死線(ファーストライン)』を越えるにあたって絶対に守らなくてはならないルールが存在する。

 『火精霊の護布(サラマンダーウール)』を装備していく事。

 

 第十三階層から出現する、四足歩行の犬型のモンスター『ヘルハウンド』

 

 強さ自体はそうでもない。と言うより身体能力自体は上層のトロールやシルバーバック所か、バトルボアにすら劣る程度でしかなく、はっきり言えば中層の雑魚とも言えるモンスターでしかない。

 

 だが、それは身体能力だけの話で、ヘルハウンドには別名が存在する。

 

 それは『放火魔(パスカヴィル)』と言う名前だ。

 

 ヘルハウンドは火を吐く。それだけ聞けば上層の希少種(レアモンスター)の『インファントドラゴン』と同じかと思うかもしれない。

 

 しかし、違う点が一つ。 火力が段違いである。

 

 上層の『インファントドラゴン』の使用する『火球』は文字通り『火球』だ、着弾すると小爆発を引き起こして、爆風に当たれば若干の火傷を負う程度の威力。

 

 だが『放火魔(パスカヴィル)』の名は伊達では無い。

 その火力は駆け出し(レベル1)では骨すら残さず焼き尽くされる。()()()()()()()()

 対策をしなければ()()()()()()()()()()()()()()()()()()火力を有している。

 それも、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()の火力。

 

 よく、第十三階層で『()()()()()()()()()()()()()』と言う報告が上がる。

 

 ソレは、識別不可能なまでに焼き尽くされ、肉体所か、身に着けていた剣、鎧、そしてギルドの支給品の『識別票』すらもドロドロに溶かされて溶けた鉄の一部が通路にこびり付いているだけになってしまう事もある。

 

 とはいえ、『火精霊の護布(サラマンダーウール)』と言う精霊が自らの魔力を編み込んで作り上げた護符を装備していればその炎はほぼ無力化できる。ちょっと熱めの空気程度で済むのだ。

 無論、連続して食らい続ければ危険だが、そうなる前に仕留める事は難しくないので、中層において『ヘルハウンド』は数が揃わなければ危険は少ない。

 そもそも火を吐かせる前に仕留めれば危険も糞も無いと、大体の冒険者に最優先で狩られる事もある。

 

 その『ヘルハウンド』ならこの五階層でも普通に行動できるだろう。

 

 フィンの予測が間違っていなければ、今の攻撃を放ったのはヘルハウンドで間違いない。

 

 身体能力的にはカエデの剣技があれば十二分に対処可能だ。

 

 だが、今回、最悪な点が一つ。

 

 カエデ・ハバリは上層用の装備で身を固めていた。

 

 何より『火精霊の護布(サラマンダーウール)()()()()()()()()

 

 炎が止んだ其処にこびり付いているのは、カエデの唯一の持ち物の『ウィンドパイプ』が溶けてドロドロになったモノだけ。そんな光景が脳裏を過った。

 

 

 

 

 

 熱い、あつい、熱い、熱い、熱い、熱い痛い痛い熱い痛い。

 

 肌を焼く熱に、意識がもぎ取られそうになる。

 

 一瞬感じた灼熱は、次の瞬間には激痛へと変化した。

 

 外套を炎が舐めた。水とポーションと血で濡れた表面は一瞬で蒸発し、外套を火達磨に変えた。

 

 目を瞑り、只足を動かす。

 

 一歩前に

 

 ぐちゃりと、金属靴(アイアンブーツ)。の底につけられていたはずの鋲は全て溶けて地面にへばりつく。

 

 熱せられたアイアンブーツによって脚が音を立てて焼けていく。

 

 剣の柄を握った右手は一瞬で黒焦げになり、炎に晒された右腕もアームガードが燃え上がる。

 

 剣の側面に押し付けていた左手も、身に着けていたレザーアームガードを一瞬で焼き尽くし、肌が焼けついていく。

 

 ジュージューと、音を立てて全身が焼き尽くされる感覚を味わいながら、一歩でも前へ

 

 腰の辺りからパリンと言う音。ジュッと言う音と共に左耳の感覚が無くなり、音が聞こえなくなった。

 

 一歩を踏み出した。まだ、終わらないのか

 

 盾にしていたゴブリンの体が完全に焼け尽きた、

 

 一歩を踏み出した。

 

 次の瞬間、ひんやりとした空気に包まれた

 

 

 

 ――即死の火炎放射を抜けた――

 

 

 

 目を見開いて、一気に踏み込む。

 

 溶けたアイアンブーツの滴を散らしながら、一気に踏み込んで真っ赤に焼けて音を立てているウィンドパイプを振るった。

 

 真っ赤に焼けたウィンドパイプを()()()()()()に叩き付けた。

 

 特に斬った感覚も、叩き付けた感覚も無く、ただ振り抜かれた。

 

 

 

 

 

 ベート・ローガは苛立ち交じりにゴブリンを蹴っ飛ばした。

 

 軽く吹き飛び、壁に叩き付けられたゴブリンは叩き付けられた拍子に魔石が砕けたのかそのまま灰になってしまう。ドロップアイテムらしい爪が転がったが、ベートはソレを金属靴(アイアンブーツ)で踏み潰した。

 

「クソが」

「まあまあ、そうピリピリしないでよ」

 

 ベートは背負っていた魔石やドロップアイテムの詰まったバックパックを睨み、一緒に歩いていたティオナを睨みつけた。

 

「剣をぽんぽん折りやがって、テメェは脳味噌まで全部筋肉でできてんのか? アァ?」

「うっ……」

「あーあ、今回は擁護できないわね」

「うんうん」

 

 今日、ベートはアイズ、ティオネ、ティオナの三人と共にダンジョンに潜っていた。

 ダンジョン下層に挑む際には、流石に一人では手におえない為、同レベル帯の者達とダンジョンに潜るのが通常だ。

 今回、ティオナが新しい剣を作って直ぐにへし折ってしまったため、借金が出来てしまい、それの返済の為に資金集めをしようと言う話になり、同レベルのベートも誘われた。

 ベート自身も新武装開発の為に資金をコツコツ集めていた事もあり、今回のプチ遠征とも言えるそれに参加していた。

 

「なんでリヴィラで換金しねえんだよ」

 

 ダンジョン十八階層はモンスターが発生しない『安全階層(セーフティーポイント)』であり、冒険者達が自分たちで作り上げた冒険者の街が存在する。

 

 そこには多数の冒険者が集い、様々な商売を行っている。

 

 本来なら地上まで魔石やドロップアイテムを持っていかなければ換金できないが、多数の魔石やドロップアイテムを持ちながら移動するのは非常に大変な事もあり、その街で魔石やドロップアイテムを換金してくれるサービスをしている店もある。

 

「何を言ってるのよ、()()()()で換金したら利益が半分以下になるでしょ」

 

 地下、それも危険なモンスターのはびこるダンジョンの中で行われている商売である。

 基本的に『リヴィラの街』で行われる換金はかなり足元を見られる。

 具体的に言えば地上のギルドが換金してくれる金額の三分の一から五分の一程度。

 余裕があるなら自分で地上のギルドまで持って行った方が利益を見込める。

 

「チッ」

 

 今回、ベートとティオナは荷物持ちをしていた。

 

 公平なる(()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()())じゃんけんで決められた荷物持ちに、ベートは顔を顰めたが、負けは負けである。例え風の魔法を至近距離で突き付けられながらじゃんけんをして負けたとしてもである。

 

 そんなベートは苛立ちを五階層をふらふらと呑気に歩いているゴブリンやコボルトを蹴り飛ばして壁に叩き付けると言う方法で発散していた。

 

 魔石を砕けば当然ながら収入はゼロになる。

 

 ドロップアイテムも砕けば収入はゼロだ

 

 だが、上層のドロップアイテムを山ほど集めても今ベートやティオナが背負う収集品の価値の百分の一にもならないだろう。

 

「そういえばさっき七階層にヘルハウンド居たけど、もうこの階層まで上がってきてないよね」

 

 先程、他の冒険者が連れ込んだらしいヘルハウンドがダンジョン十階層と七階層をうろついていた。

 どうにも阿呆な冒険者達(パーティ)が『火精霊の護布(サラマンダーウール)』の偽装品を売りつけられたのに気付かずに中層に挑んで返り討ちに合い、慌てて地上に戻ろうとして上の階層にヘルハウンドを連れ込んでしまったらしい。

 そんな話を笑いながらしていた冒険者とすれ違った。

 

 不愉快な気分にさせられ、ベートの怒りは頂天である。

 

 上層に中層のモンスターを連れ込めばどうなるか誰だってわかる。そんな事を笑いながら話していたその冒険者達を叩きのめしたくなったが、ティオネが止めた。流石に他のファミリアの冒険者に()()()()()()()()等と言う理由でダンジョン内で襲い掛かれば不味い。

 しかもその冒険者はどうにも阿呆な冒険者達と敵対しているファミリアの者達だったらしい、詰まる所ファミリア同士の抗争の様なモノだ。

 オラリオ最強を誇る【ロキ・ファミリア】が変に手出しをすればそのままオラリオの全てのファミリアを巻き込んだ抗争に発展しかねない。其の為ベート達からファミリア同士の抗争が関わる出来事に手出しする事は厳禁だ。

 

「クソがッ!!」

 

 ついに十匹目の犠牲が出てしまった。蹴られたのはダンジョンリザード。

 壁にべしゃりと張り付き、そのまま皮を飾った飾り物風にダンジョンの壁に押し付けられていたダンジョンリザードは、皮をドロップして灰になった。

 

「あ、皮だ、結構レアじゃない?」

「ア? んな塵持って行ってどうすんだよ」

「一応、持っていく」

「好きにしろ」

 

 アイズがドロップしたダンジョンリザードの皮を手早く丸めて紐で縛っているのを見ながら、ベートは鼻を鳴らした。

 

「クソッ」

 

 瞬間、焦げ臭い臭いを感じ取った。ベートは黙ってドロップアイテムの詰まったバッグをティオネに投げつけて一気に駆けだした。

 

「不機嫌そうねぇ……ん? ベート? ちょっとッ!?」

「え? ちょッ!? ベートッ!!」

「あ、ベートさん……?」

 

 

 

 

 

 ベートが駆け付けた時、丁度ダンジョン五階層に迷い込んだ『ヘルハウンド』が火炎放射によって何かを焼いている所だった。

 

 直ぐにそのヘルハウンドを仕留めようと脚を踏み出すより早く、その炎を何かが突き破って出て来た。

 

 片耳だけ残ったその姿に目を見開き、ベートは息を飲んだ。

 

 

 

 全身を焼き焦がす様な()()()()()を負った小柄な人物が炎を突き破って出てきて、なおかつそのまま真っ赤に焼けた武器でヘルハウンドを仕留めてしまった。

 

 

 

 その人物が肉の焼ける音を立てながら立っていた。

 

 見る影も無い。

 

 身に着けていた装備品の殆どが焼け落ち、唯一解るのは群青色のインナー服を着ているぐらいか。それも大分焼けて肌が晒されている。その晒された肌も黒焦げか焼けて体液を垂れ流している。

 

 髪も殆ど燃えているが、焼け残ったらしい片耳と、唯一識別可能な顔半分程を見て、ベートは息を飲んだ。

 

 カエデ・ハバリだ。

 

 持っている剣も刃先に行くほどに分厚く、幅広になっている特徴的な形状あり、未だ赤熱している。

 

 剣にこびり付いた肉が焦げ付いて異臭を放ち、脚を守っていたはずの金属靴(アイアンブーツ)は音を立ててカエデの脚を焼いていく。

 

 そのまま呆然と様子を見ていたが、カエデは唐突にパタリと前のめりに倒れてしまった。

 

 ベートは慌てて駆け寄る。

 

 倒れて微弱な痙攣をしている焼け焦げた人型の肉塊状態のカエデに駆け寄り、熱によって真っ赤に熱せられていた剣を蹴飛ばし、カエデの脚を焼く凶器と化した金属靴(アイアンブーツ)を引っぺがす。

 構成していた部品は溶けており、手をかけた瞬間に音を立ててベートの手を焼くがベートは気にせずに一気に金属靴(アイアンブーツ)を引きはがした。

 

 引き剥がした金属靴(アイアンブーツ)には肉がこびりついており、カエデの脚は肉が剥がされ骨が覗いている。その骨も焼けている様な重症状態となっていた。

 

「畜生、万能薬(エリクサー)なんて持ってねえぞッ!!」

 

 この重症を直すのならば高等回復薬(ハイポーション)では足りない。

 万能薬(エリクサー)でも無ければほぼ確実に後遺症として片耳や両足、ついでに左腕も失う様な重症として残ってしまうだろう。

 置いてきたアイズやティオネ、ティオナの誰も万能薬(エリクサー)なんて持ち歩いていない。

 

 そんな風に悪態をついていたベートに小瓶が差し出された。

 

「ベート、どいてくれ」

「フィンッ!? なんでフィンが!?」

「良いから、はやく」

 

 フィン・ディムナが差し出してきた小瓶は医療系ファミリア最大規模を誇る【ディアンケヒト・ファミリア】製、最上位品質の一本五十万ヴァリスはする万能薬(エリクサー)である。ソレを惜しげなく使用して治療を施していく。

 

 焼けてほぼ瀕死状態だったカエデの体が瞬く間に再生していき、カエデがうめき声をあげた。

 

 再生する際に発生する違和感に身を捩るカエデを見て、ベートはほっと一息ついた。

 

 万能薬(エリクサー)を使用して再生が始まると言う事はつまり死んでいないと言う事だ。

 

「カエデ、大丈夫かい?」

「うっ……うぅ……ここ……モンスターは……」

「大丈夫だ、もう居ないから」

 

 フィンが安心させようと声をかけ、ベートは近くで見たカエデの恰好に一瞬硬直した。

 

「……そうですか……エリクサーって凄いですね」

 

 自身が瀕死の重傷を負っていたのにも関わらず、平然とした様子で治った体に感心しつつも身を起こそうと手をついて立ち上がろうとしたカエデは、ふらついて立ち上がるのに失敗してベートにもたれ掛った。

 

「べーとさん? あれ? どうしてここに?」

「あ……くっ、おいフィン」

 

 もたれ掛ってきたカエデの姿を見て、ベートは顔を真っ赤に染めて慌ててフィンを見た。

 

「あっ……装備が……」

 

 カエデも自身の状態に気が付いたのか、泣きそうな表情でフィンを見た。

 

 残念な事に、カエデの装備は『ウィンドパイプ』を残して全て焼けてしまっていた。

 むしろあの炎の中、原型を保っている『ウィンドパイプ』の耐久性の高さに感心すべきか、それとも生きてあの炎を突破したカエデに感心すべきか、迷ってからフィンはベートに声をかけた。

 

「ベート、カエデに上着を貸してあげて欲しいんだけど」

 

 今のカエデは服が半分近く焼けてしまっており、残念な事に服としての機能を殆ど失っていた。

 最悪、肌を隠す程度の為に何かを貸さなくてはいけないが……

 フィンの言葉に反論しようとして、ベートは舌打ちした。

 

「…………チッ」

 

 フィンは外套を纏っておらず、服も鎧と一体型でカエデに渡すには不都合が多い。

 後から追いついてきたジョゼットは動きやすい様にインナーの上に革鎧のみだけで、なおかつエルフは肌を晒す事を嫌う為服を渡す事は難しい。

 まだこの場には居ないが、アイズは外套を身に纏っていない。ティオネとティオナなら腰からひらひらさせている布を渡せるかもだが、それを取っ払うとアマゾネスではなく痴女になってしまう。

 対してベートはジャケットの下にシャツを着ているので渡しても問題は無い。

 

「……?」

 

 何のやりとりをしているのか分っていないらしく、首を傾げているカエデにさっと脱いだ上着を押し付けてからベートは立ち上った。

 

「んな所で呑気に寝てんじゃねえよ」

「…………??」

「ベートは素直じゃないね……」

 

「団長ッ! カエデッ! 大丈夫ですかッ!?」

 

 遅れてやってきたジョゼットが声をかければ、カエデが戸惑いながらもベートの上着を着ながら返事をした。

 

「はい、なんとか……服とか鎧とかダメにしちゃいましたけど……」

「まぁ、生きててよかったよ」

 

 フィンは深々と溜息をついてからベートを見た。

 

「ところで、ベートはなんでこんな所に居るんだい? アイズ達と借金を返す為に下層に行ってたんじゃ」

「俺が借金背負ってるみたいに言うんじゃねえ!! あれはバカゾネスがヘブシッ」

 

 唐突に通路の奥から飛んできたバックパックがベートの背中にぶち当たり、ベートはそのまま壁に激突して止まる。バックパックの中身だった魔石が辺りに転がったのを、カエデは驚きの表情で見ており、ジョゼットが壁にぶち当たったベートを見てうわぁと若干引いている。フィンは収集品で満載だったバックパックが飛んできた方向を向いて微笑んだ。

 

 其方の方向には怒りの形相を浮かべたティオネの姿があった。

 

「やあ、ティオネ……あんまり収集品は乱暴に扱わない方が良いよ」

「団長ッ!? 今のはですね、あの、馬鹿がですね」

「誰が馬鹿だこのバカゾネスッ!!」

「あんたの事よベートッ!! いきなり人にバッグ投げつけてきて飛び出して行ったと思ったらカエデに自分の服着せて悦に浸って……まさか……あんた」

「っちっげえよッ!! これには訳が――「あーベート、ティオネも先に行くなんて酷いよー、あ、団長にジョゼットじゃん。カエデもー……なんでカエデはベートの上着着てるの?」……くっそ、面倒くせぇ」

 

 ティオナとアイズも合流し、余計騒がしくなる予感を感じて、ベートは不機嫌そうに鼻を鳴らした。ティオネが怒りのままベートに詰め寄ろうとするのをフィンが宥めれば一瞬で皮を被ったティオネが団長にすりより、ジョゼットが散らばった魔石を回収し、ティオナがベートの上着を着たカエデに詰め寄る。

 

 その様子を目にしながら、アイズは近づいてきたゴブリンの魔石を突いて灰に変えながら首を傾げるのだった。 



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『想い』

 ()()()()()()()()()

 誰よりも強い剣の師でもある父上が居て

 最強の妖術師の母上が居て

 共に研鑽を積む姉上が居て

 そして、少女が居た

 幸せだった

 とっても、とっても幸せだった


 【ロキ・ファミリア】の大浴場の片隅で、膝を抱えて小さく丸まって湯船に浸かっている白毛の狼人の少女を眺めるジョゼットは深々と溜息を吐いた。

 

 リヴェリア様より仰せつかった命

 

 『カエデ・ハバリに同行し、重傷を負う事等になりそうな場合に援護に入る事』を守れなかった。

 

 あの時、ジョゼットはカエデの能力を正しく評価できていた。

 

 ゴブリンやコボルト、ダンジョンリザードだけではなく、『新米殺し』の名で知られるキラーアントですら問題皆無で殲滅していた。

 流石に上層の『迷宮の孤王(モンスターレックス)』とも呼ばれるインファントドラゴンや、上層にて最高難度を誇るトロール、10層以降に出現する各種モンスター等に対してはどうにもならないとは思う。

 だが上層五階層に出現するモンスター群相手には、それこそ『怪物の宴(モンスターパーティー)』並のモンスターに襲われない限り問題ないだろうと油断していた。

 

 結果として他の冒険者が上層に連れ込んだ中層における厄介なモンスターでもあるヘルハウンドの火炎放射によってカエデは重度の火傷と言う大怪我を負ってしまった。

 

 フィンが一応と言う形で所持していた万能薬(エリクサー)のおかげで死ぬ事こそ無かったが、リヴェリア様からの命に背く様な形になってしまった。

 

 リヴェリア様からの信頼を裏切った。何とも情けない。

 

 悔しさもある。だがそれ以上に新人の狼人には申し訳ない事をしたと思う。

 

 中層のモンスターの中で死亡率の高さで言えばヘルハウンドは非常に高い。

 

 火炎放射は対策を行わなければほぼ確実に死ぬと言われている程、危険なモンスターだ。

 

 そのヘルハウンドの火炎放射をその身に受けてなお生存しているのは運が良いだけでは無い。

 

 あの時、カエデはあの一瞬でヘルハウンドの火炎放射攻撃の予備動作を読み取った。

 

 その上……ヘルハウンドから距離をとろうと後ろに下がるのではなく前に進む事を選択した。

 

 もし、カエデではなく他の新米冒険者だったら、モンスターから距離をとろうと後ろに下がっただろう。

 だが、カエデは後退ではなく前進を選択した。

 

 カエデが接敵したヘルハウンドとの彼我の距離はおおよそ五(メドル)前後だった。

 

 距離をとろうと後ろに下がるとどうなるか?

 ヘルハウンドの火炎放射は、意外と射程距離が長い。数(メドル)所か数十M(メドル)を余裕で超える攻撃範囲を誇っている。

 あの時、通路での戦闘だったため、左右に広がる事も無く、攻撃範囲はもっと広がっていた事だろう。

 そうなれば後ろに下がって距離をとろうとした場合、十(メドル)以上の距離を炎を突っ切って移動する必要があった。だが、前に進む場合は半分以下の五(メドル)で済んだ。

 

 とはいえ、駆け出し(レベル1)相当の耐久では、たかが五(メドル)の距離を突っ切る前に焼け死んでいたはずだ。

 それを、水とポーション、モンスターの血を利用して、文字通り『焼け石に水』の対策を行った上でモンスター、ゴブリンの体を盾のように扱って炎の直撃を回避した。

 

 あの一瞬でそれだけの判断が出来る冒険者が他に居るのか?

 

 三級(レベル2)所か二級(レベル3)冒険者だって、『火精霊の護布(サラマンダーウール)』無しでヘルハウンドの目の前に放り出されて、火炎放射を浴びそうになったら半数が死ぬだろう。

 駆け出し(レベル1)だったのなら、カエデ以外は全員死ぬ。そんなレベルだ。

 

 ダンジョンの入口『始まりの道』にて出会った冒険者の事を馬鹿にできない。

 新人が大怪我を負う様な間抜けな者達の事を内心小馬鹿にしていたが、自分も同じ様な失態を犯している。

 誇り高きエルフの射手の中でも、最も優れた射手としての腕前を持っていると自負していた自尊心を大きく傷つける形になった。 

 

 この件に関してはリヴェリア様も、団長も、そして主神のロキも揃ってジョゼットに非は無いと口にした。

 【凶狼(ヴァナルガント)】ベート・ローガがかなり怒りを抱いていたみたいだったが、カエデの一言で静まった。カエデに庇われる形になり、余計に惨めな思いをしたが、カエデに悪気は無く思っていたことを口にしただけだろう。

 

 中層のモンスターが上層に居る事を予測しろ等、無理だ。

 

 他の冒険者の失態で上層に中層のモンスターが入り込む事は殆どない。とはいえ絶対に無い訳ではない。

 だが、それを予測するのは不可能だ。

 

 だからこそ、皆、そして重傷を負う事になったカエデ本人ですら「仕方が無かった」とジョゼットを責める事は無かった。

 

 しかしだからと言って、ジョゼットは自分自身を赦す事は出来なかった。

 

 『迷宮では何が起こるかわからない』

 

 それはギルドが冒険者に教える言葉。

 

 それは先達の冒険者が、後進の冒険者に対して教える言葉。

 

 【魔弓の射手】ジョゼット・ミザンナと言う冒険者は二級(レベル3)冒険者である。

 無名、カエデ・ハバリと言う冒険者は駆け出し(レベル1)冒険者である。

 

 ならば、ジョゼットはカエデ以上に『何が起こるかわからない』と言う事を知っているはずだったのに、ソレを忘れていた。

 

 ソレで自分が死んだり、痛い目を見るのは別に構わないが、新米が死んだり痛い目を見るのはダメだ。

 

 何のために自分がカエデに同行したのか分らなくなってしまうから……

 

 

 

 

 

 カエデは湯船に映る自分の姿を見ながら、反省していた。

 

 あの時、自身は慢心していた。

 

 迷宮(ダンジョン)怪物(モンスター)は恐ろしく強い。

 

 その言葉を忘れぬ様に動いていた積りだった。

 

 セオロの密林のモンスターとの戦いのさ中、カエデは油断や慢心を抱く事は無かった。

 

 もし油断したり慢心したりしていれば師の拳が容赦なくカエデを打ち据えていた。

 カエデの能力も低く、対してモンスターは非常に強力だった。

 だからこそ油断も慢心もしなかった。

 

 目を閉じて、意識を自分の内側に沈めて、冷静に、冷徹に、自分に対して評価を下す。

 己が評し、己自身に下される評価は『愚か者』と言うモノ。

 

 神の恩恵(ファルナ)と言う神ロキが授けてくれたモノがその身に宿った事で変わった。

 

 森の中では神経を集中させなくてはモンスターを見逃す事すらあった。

 

 だが、ファルナによって向上した五感はまるで手に取る様にカエデにモンスターの事を教えてくれた。

 

 その身体はまるで羽根の様に軽く、踏み出す一歩は恐ろしく早く、繰り出す一閃は瞬きの間に敵を屠り、斬り捨てる感触はまるで草木を薙ぎ払うかの様で……

 

 詰る所、上がった五感や身体能力を過信していた。

 

 最後、三匹のゴブリンを確認した時、不思議に思ったはずだ。

 

 『見つかっていないはずなのに、ゴブリンが不自然な行動をとって居る事』に

 

 なのに、ワタシは余裕で倒せると、碌に確認もせずに突撃すると言う軽率な行動をした。

 

 結果が中層のモンスター、ヘルハウンドと至近距離で接敵してしまった。

 

 ちゃんと警戒していれば、あのゴブリンがヘルハウンドと言う脅威から逃走しようとしていた事ぐらい正しく認識できたはずなのに、出来なかった。

 

 今回、自分がなんとか生きているのは中層のモンスターの情報を事前にリヴェリアに教わっていた事が大きい。

 もしヘルハウンドの知識が無ければ……

 

 口元から漏れ出る火から、火属性の攻撃を繰り出す事は予測できただろうが、様子見の為に後ろに下がろうとしただろう。結果は言うまでも無く焼け死ぬ。

 

 ただ前に進むだけでなく、水やポーション、ゴブリンの血やゴブリンの体、全ての要素が揃って初めて生存を可能にした。

 

 そもそも、油断していなければあの瀕死に至る重傷にならなかったはずなのに、油断や慢心が無様な結果を生んだ。

 

 師にこの事を知られたらどんな反応をするか……

 

 …………思いっきり殴られて罵倒される気がする。

 

 ただ、師はこう言うだろう。

 

 『()()()()。運が良かったでは無く、()()()()()()せよ』

 

 今回の失敗で命を落とす事は無かった。だからこそ次がある。

 

 そして同じ失敗をしない様にする事こそが最も重要な事だ。

 

 ……正直、言えば。

 

 あの炎を見た時。ワタシは死んだと思った。

 

 それでも体が勝手に動いた。

 

 あの時、炎を抜けてヘルハウンドを斬り捨てた後、全身を焼かれ、意識が朦朧としているさ中、師が何時か語った言葉が脳裏を過った。

 

『ワシは記憶を失っておるが、記憶を失って尚、()()()()()()()()()

 

『戦場を駆ける中で、(こころざし)同じくした同胞(はらから)が命失い、戦場を彩るモノに成り果てていく風景は、その者達の顔も名も思い出せぬ恥知らず(ワシ)の心を深く抉る』

 

(こころざし)(なか)ばで果ててしまう者を目にする事程、悲痛な事はあるまいて』

 

 モンスターの血に染まった刀を片手に、師はもの哀しげに語った。

 

 確か、モンスターから攻撃を受けて軽い打撲を負った際に言われた言葉だ。

 

 そうだ、師はワタシが共にモンスターに刃向ける事を望んでいなかった。

 

『出来うるならば、オヌシは小屋で大人しく帰りを待っていて欲しいが……もしオヌシの望みがワシと共に戦場に身を置く事ならば、ワシはオヌシが死なぬ様に最大限手を尽くそう。もし泣き言を漏らすのなら、オヌシは小屋で待て、泣き言を飲み込み、戦場に身を置くなら……死ぬな、生きろ、心の臓が音を止めるその瞬間まで……ワシを置いて逝かんでくれ、誰かが死ぬ風景は見飽きたんじゃ』

 

 ワタシが望むのなら、万敵斬り捨てる剣技を授けよう。

 

 ワタシが望むのなら、危機を払い退ける武技を授けよう。

 

 ワタシが望むのなら、戦場に於ける心得を授けよう。

 

 師が、ワタシに教えた全ては、ワタシを()()()()()教てくれたモノだった。

 

 ソレを一時、ほんの一瞬忘れてしまった事を恥じよう。

 

 ()()()()

 

 同じ失態をしてなるものか

 

 

 

 

 

 【酒乱群狼(スォームアジテイター)】ホオヅキは『酒乱の盃』によって作り出した『盃』から溢れ出る酒を浴びる様な勢いで飲む。

 零れた酒が盛大に服を汚していくが、元々()()()()汚れていた服は今さら酒が滴った所で変化は無い。

 

 むしろ()()()が酒によって清められて綺麗になるぐらいだ

 

「あぁ……こりゃヤバイさネ……手がかり発見……でき…………無かった。皆殺しさネ。……いや……アチキは悪く無いさネ。こいつら…………話しかけたら…………武器向けたさネ。武器…………アチキに武器を……向けてきた……」

 

 誰に対してでもない言い訳を漏らしながら、足元に転がったソレを踏み潰す。

 何度も、何度も、何度も、執拗に、原型を留めぬほどにぐちゃぐちゃになったソレを苛立たしげに睨み、唾を吐きかける。

 辺り一面に飛び散った()()を見ながら、ホオヅキは頬に張り付いていた肉片を摘まみとって放り捨てる。

 

「あー、糞っ……何で知らないさネ……次の奴らは何処に居るさネ」

 

 ホオヅキは情報収集の為に立ち寄った洞穴でとある集団に接触した。

 

 簡単に言えば脱走した冒険者。

 

 冒険者くずれの集団だ。

 

 オラリオで犯罪行為に手を染めてギルドから指名手配されてしまった愚かな冒険者達。

 

 主神に背いて逃げ出して、神の恩恵(ファルナ)を取り上げられた者達。

 

 一度でも神の恩恵(ファルナ)を授かった者は、ソレを失った後も能力の全てを失うわけでは無い。

 

 駆け出し(レベル1)に劣る程度であるとはいえ、身体能力は一般人に比べて高くなる。

 

 そういった者達がオラリオの外で追剥や盗賊行為を行えば普通の商人では太刀打ちも出来ないし、オラリオの冒険者でもない限りそこらの傭兵程度では追い払う事もできない。

 

 本来ならそう言った冒険者くずれの者達はギルドが各ファミリアに依頼を出して討滅する事になっているのだが、最近あった『二十七階層の悲劇』や『アストレア・ファミリアの壊滅』等の影響で外に逃げた冒険者くずれに対する対応が遅れているのだ。

 

 結果的にオラリオの外には現在『冒険者くずれ』が複数集まってできた盗賊団が複数存在する。

 

 とは言えカエデとヒヅチを連れ去る事が出来る程の実力者はその盗賊団には存在しない。

 

 少なくとも一級冒険者として名を馳せた自分を軽く捻れる程度の実力を持つヒヅチを相手にたかが冒険者くずれが叶う訳がない。

 

 だからこそ、犯人は冒険者くずれではなく別の集団だと当たりをつけていた。

 

 そして、神ロキから『イシュタル・ファミリアが起こした騒動』によってオラリオの外に追放された複数のファミリアが存在すると言う情報を得た。

 

 ほぼ間違いない。イシュタル・ファミリアが目障りな他のファミリアを『二十七階層の悲劇』に乗じてオラリオの外に追放すると言う事をしでかしていたらしい。

 

 【ミューズ・ファミリア】も追放を目論んだ様子だが、度重なる【男殺し(アンドロクトノス)】の独断による襲撃等によって【ミューズ・ファミリア】に対して【イシュタル・ファミリア】は強く出られず、結果として【ミューズ・ファミリア】の追放は出来なかったみたいだが……

 

 そして、その追放されたファミリアの中には準一級(レベル4)の【牙折る也(ファングブレイカー)】と言う面倒な奴が所属していたらしい。

 

 モンスターの牙を片っ端から折る事で無力化すると言う能力に特化していたらしく、モンスターの牙以外にも不壊属性(デュランダル)が付与されていない刀剣ならどんなモノでも折って無力化してしまうと言うスキルを持つ対剣士戦闘が得意な冒険者らしい。

 

 ヒヅチ・ハバリと言う剣士は、無手戦闘がもっぱら苦手だった。

 

 剣を持ったヒヅチに勝てる気がしなかったが、ヒヅチから一度だけもぎ取った勝利があった。

 

 剣を持たずに水浴びをしていたヒヅチに強襲をしかけたら、あっけなく勝利できたのだ。

 

 その後、話を聞けば『無手は苦手じゃ……オヌシが刀剣を持っておったのなら奪えば良かったが、相手も無手、此方も無手だとワシは手も足もでん』と言っていた。

 

 かの【牙折る也(ファングブレイカー)】は無手、拳を武器にした冒険者だった。

 

 自分よりもレベルが一つ下とはいえ、ヒヅチから剣を奪い去ればヒヅチは何もできなくなる。

 

 ある程度の抵抗は出来るだろうが、剣を持つヒヅチと剣を持たないヒヅチでは全く違う。

 

 ホオヅキをもってしてもオラリオで最高の剣技を誇る等と謳われている【剣姫】なんて鼻で笑うレベルの技術を持つヒヅチだが、大きな欠点として剣や槍、武装を持たない場合はそんなに強くない。

 

 だからその【牙折る也(ファングブレイカー)】の所属するファミリアが犯人であると決めつけて探し始めたのだが……

 

 追放されたファミリアが何処に居るのか分らなかった。

 

 探索系ファミリア最大を誇る【ロキ・ファミリア】の主神ロキは天界では悪神と知られており、数多の情報を掴むルートを確立していた。

 その神ロキの持つ情報のルートにはある欠点が存在した。

 

 オラリオ内部の情報なら殆どを掴めるが、逆にオラリオの外となると殆ど情報が無くなると言う点。

 

 基本的に神々はオラリオ内部で全ての事が完結する為、オラリオの外に目を向ける事は殆ど無い。

 

 『ラキア王国』からの進軍には注意していてもオラリオの外に追放されたファミリアに関しての情報は殆ど無かった。

 

 要するに『追放された』と言う情報は手に入っても『どこに行った』かまでは知らなかった。

 

 手詰まりと言えるこの状況、ホオヅキは大雑把な予測で動く事にした。

 

 と言ってもほぼ確信を持って言える事だが。

 

 追放されたファミリアの主神は元々【イシュタル・ファミリア】の主神イシュタルと険悪な仲だった。

 そんな険悪な仲だった相手に追い出されたファミリアの主神がどういう行動をとるか予測すればいい。

 

 ほぼ間違いなく報復を望む。

 

 だが其の為にはオラリオに舞い戻る必要がある。

 そして舞い戻ったとしても規模がそこそこ大きい【イシュタル・ファミリア】に報復するのは非常に難しい。

 

 まず舞い戻る為にギルドが課した罰金を返す必要がある。

 そして追放される際に失われた戦力をどうにかして取り戻す必要がある。

 

 ホオヅキの予測では

 

 珍しい種族の狐人(ルナール)と珍しい白毛の狼人(ウェアウルフ)を売りとばす事で罰金用の資金を集めようとしたのだろう。

 

 そして戦力、此方はそこらに散らばっている元冒険者の冒険者くずれに声をかけていると予測した。

 

 元冒険者と言うだけあって、元々はオラリオで一級(レベル5)冒険者として名を馳せた者も存在するし、探せば元三級(レベル2)冒険者程度ならそれなりの数が冒険者くずれに身を落としている。

 

 オラリオの外で雑魚を相手にしている所為で本来の実力から劣るとはいえ、新人をかき集めるよりは戦闘経験もステイタスもある元冒険者に声をかけた方が確率が高い。

 

 それに元々自分の所属していたファミリアを裏切ってオラリオから逃げ出す羽目になった者達もオラリオに返り咲く事を望んでいるだろう。

 

 だからこそ、ここら辺で噂になっている盗賊団を片っ端から訪ねたのに、こいつ等ときたらホオヅキが自己紹介をした途端に武器を向けてきたのだ。

 

「アチキは【酒乱群狼(スォームアジテイター)】のホオヅキさネ。お前等、ギルドに指名手配されてる冒険者くずれで良いさネ? ちょっと聞きたい事があったから訪ねてきたさネ」

 

 そう声をかければ皆一様に揃いも揃って慌てて武器を向けて「ころせー」だの「にがすなー」だのと叫びながら向かってくるのだ。

 

 もっとも、ホオヅキがもう少し冷静なら自分の行動が軽率だと気付くだろうが、残念な事に()()()()()()()状態で、なおかつ知り合いが酷い目に遭っている可能性によって焦っているホオヅキは気付かない。

 

 もし、ギルドから指名手配されている冒険者なら、そこに現役の冒険者が訪ねてくる事が何を意味するのか。

 

 ギルドからの討滅依頼を受けて来たと勘違いするに決まっている。

 

 ましては【酒乱群狼(スォームアジテイター)】ホオヅキと言う冒険者は()()()()()有名だ。

 

 敵対する相手ファミリアの団員を一人残らず()()()にすると言う事を平然と行う冒険者だ。

 

 無論、当時のホオヅキの行動は何も間違ってはいない。敵対したファミリアも当時の【ソーマ・ファミリア】の団員を迷宮内で直接殺す等と言った事を行っていた。

 

 とはいえ、ソレに対する報復がファミリアの団員を一人残らず()()()にしてしまうのはやり過ぎではあるが、ソレを責める事は誰もしなかった。

 ホオヅキに団員を皆殺しにされたファミリアは喧嘩を売る相手を間違えただけである。

 

 そしてそんなホオヅキの名はオラリオを追放された冒険者くずれの間で有名である。

 

 現在、ホオヅキは【ソーマ・ファミリア】から距離をとって本拠に帰る事もせずにふらふらしている。

 

 迷宮にも潜らずあっちへふらふらこっちへふらふらと好き勝手行動しているホオヅキは普段はオラリオの外で珍しいお酒等を仕入れてオラリオ内部の神々相手に売り卸す事で収入を得ていた。

 

 オラリオで手に入らない物は無い。と言われているが実際には手に入らない物は結構存在する。

 

 例えば辺境の村でひっそりと作られているお酒等と言った、商業ルートに流されない商品だ。

 

 そう言った通常のルートでは手に入らない珍しい・希少な酒を仕入れて売る事で収入を得ているが、ホオヅキ自身も酒好きな為、仕入れた商品を飲みつくしてしまう事も珍しくなく、珍しかったり希少だったりしてもおいしく無くて売れなかったり等、商売のみでは収入が安定しない。

 

 なら迷宮でと言いたいが、とある理由から迷宮に潜る事はしなくなったホオヅキはギルドが発行するオラリオの外の依頼を片付ける事で足りない分の収入を得ていた。

 

 ギルドが発行しているオラリオ外の任務はオラリオの冒険者達は罰則としてとらえられている。

 

 オラリオの外のモンスターは弱くまともな経験値(エクセリア)が得られない。

 収入も討伐証を持ってきても魔石の半額以下、敵が弱いのも相まって依頼料も微々たるモノ。

 その上で迷宮と違い討伐対象のモンスターを探して回るのもかなり時間がかかる。

 

 面倒なだけの依頼は、冒険者にとって罰則に近い。

 

 実際オラリオで冒険者が何かしらの軽い違反を犯した場合、オラリオ外の任務を強制的に受託させられる事が有り、そうでもなければオラリオ外の任務に赴く冒険者等居ない。

 

 結果として溜まりに溜まっていた依頼をホオヅキが片っ端から片付けていたのだ。

 

 無論だが、その中には『冒険者くずれの討伐依頼』も数多交じっており、ホオヅキは容赦無く冒険者くずれを屠ってきていた。

 

 結果として『冒険者くずれ狩りのホオヅキ』として冒険者くずれから恐れられていたが、ホオヅキにその自覚は無い。

 

 ホオヅキにしてみれば収入を得る為に()()()()()()()()()()()()()()のも()()()()()()()()()()()()()()()()()のも変わりないのだ。

 

 そう言った事情から、訪ねてこられた元冒険者の冒険者くずれ達はどうにかしてホオヅキから逃れようと手に武器を持つ。

 

 そして話し合いに来たのに武器を持たれたホオヅキは武器を手にしている以上、敵対していると判断して()()()()()()()()()()()

 

 無論だが、仲間が殺される事で戦意喪失して武装解除する者も少なからず存在した。

 

 そう言った者から話を聞いたのだが、どいつもこいつも知らないと口にするばかり。

 

 本当に知らないのか確かめる意味も兼ねて両足を踏み潰したり、腕を捩じ切ったり、目玉を抉り取って見たりしても「知らない助けてくれ」と泣き叫ぶばかり。

 

 最後の一人の頭を叩き割って脳を引きずり出してその脳に向かって聞いてみる。

 

「本当に知らないさネ?」

 

 無論だが、返事は無いし、そもそも返事なんて期待していない。

 

 興味を失って、ぽいっと軽い動作で引きずり出した脳を近くの篝火に投げ込んでから、辺りを見回す。

 

「次の所に行くさネ。ここの奴等は役に立たなかったさネ。情報を持ってないとか糞の役にも立たない奴等さネ」

 

 吐き捨ててから、足元に転がっていた死体を蹴飛ばして道を作る。

 

 ここには三十人近く群がっていたが、誰一人欲しい情報を持っていなかった。

 

 山積みになった死体が邪魔で仕方ない。洞穴を根城にしていた所為か血と臓物の臭いで空気が淀み不愉快な気分になる。

 

 『酒乱の盃』で酒を浴びる様に飲んで、呟く。

 

「二人とも待ってるさネ。アチキが助けに行くさネ」

 

 偽りの名を冠し、狂気に彩られ、群れ無くした群狼の主は、ただ求むるままに意味の無い言葉を呟く。

 その呟きを聞き届けるモノはソコには居ない。




 ~花言葉~
鬼灯(ホオヅキ)』 偽り、誤魔化し


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『才能』

 世界には穴があった

 その穴は何時からあったのか誰にもわからない

 その穴からは怪物が溢れ出てきていた

 人々はその穴をどうにかしようと頭を悩ませた

 そして一つの結論を出した

 穴を塞ぐ建造物を作り出そうと

 父上はそんな偉業を成す為に家を出た。


 【ロキ・ファミリア】本拠『黄昏の館』正面門の前、そろそろ帰還してきそうだなと出迎えの為にニヤニヤしながら立っていたロキが見たのは、装備品の殆どを失って焼け焦げたインナーにベートの上着。靴は代用品なのか安っぽいブーツを履いているカエデ・ハバリの姿だった。

 

 昼に本拠を出た時に装備していた装備品の殆どを消失したその姿に目を見開いてフィンを見れば、すまないと呟いて頭を軽く下げるフィン。ジョゼットは深々と頭を下げて出迎えたリヴェリアに謝罪している。

 その後ろ、アイズが困った様な表情を浮かべて立っている。

 ジャケットを着ていないベートが一人離れた所で不貞腐れた顔をしていた。

 

 そして肝心のカエデはロキの前に立つと深々と頭を下げた。

 

「ごめんなさい、装備品がダメになってしまいました」

「……いや、問題無いで……」

 

 何故、インナーが焼け焦げてボロボロなのか?

 

 何故、金属靴が無くなっているのか?

 

 何故、ベートの上着を着ているのか?

 

 一瞬の混乱

 

 それからロキはベートを視線の中心にとらえた。

 

「……ベート、ちょっちそこに立ってるんや。避けるなよ?」

「は? 何言ってんだロ……ブッ!? 痛ってェなッ!! 何しやがんだッ!!」

 

 『初めての迷宮探索(ファーストダンジョンアタック)』を終えて帰還したカエデ・ハバリを見て、様々な疑問が脳裏を駆け抜たロキは考えた末にベート・ローガの顔面にドロップキックを叩き込んだ。

 

 

 

 

 

 【ロキ・ファミリア】ロキの私室にて、ロキとフィンが額を突きあわせて話し合いを行っており、その横でリヴェリアが眉根を揉み、ガレスが腕を組んで唸っていた。

 

「んで、何があったか端的に頼むわ」

 

 カエデが帰還後、とりあえずボロボロの姿のカエデをお風呂に行かせ、ロキは三人を連れて私室へと足を運んだ。

 

「順を追ってでいいかい?」

「まぁ、それでええわ」

 

 まず、フィンはカエデとジョゼットと共にダンジョンに潜った。

 

 一応、【フレイヤ・ファミリア】からの手出しを警戒しての事だったが、手出しらしい手出しは確認できなかった。

 其の為、単純にカエデの同行者として動いていただけで、モンスターとの戦いにおいてもフィンは何もしなかった。

 唯一ジョゼットがサポーターとして動いていたぐらい。

 

 問題発生はダンジョン五階層探索中、カエデが敵に気付いて突撃していった際、フィンの勘が危険を知らせてきた。

 だが、一歩遅く、カエデはダンジョン十三階層『中層』以降に出現するはずの『ヘルハウンド』通称放火魔(パスカヴィル)の火炎放射に巻き込まれた。

 『火精霊の護布(サラマンダーウール)』を装備していなかったカエデは瀕死の重傷を負うも、そのままヘルハウンドの討伐に成功。

 

 瀕死の状態で倒れたカエデの燃えた装備品をベートが剥ぎ取った所でフィンが万能薬(エリクサー)を使用して治療を行い、完全に復帰。

 

 万能薬(エリクサー)は死んでさえいなければどんな重傷者も完治させる事ができる高級品で、【ディアンケヒト・ファミリア】が取扱う最上位のモノは1本で50万ヴァリスはくだらない。

 

 あの時、カエデの治療に上位回復薬(ハイポーション)を使用していたらカエデは熱せられた金属靴(アイアンブーツ)によって骨まで焼かれていた両足と、剣の柄を握っていた所為で炭化していた右手を失うと言う重度を通り越して冒険者として()()()()()()()可能性があった。

 ロキが一応と持たせていた万能薬(エリクサー)のおかげで大丈夫だったが、ソレが無ければカエデは其処で()()()()()()可能性が高い。

 

 結果的に大丈夫で、カエデは五体満足。焼かれたカエデ自身は焼けた防具を見てダメにした事を気にしていた。

 

 話を聞いたロキは頭を抱えて唸る。

 その反応にフィンは頭を下げ、リヴェリアが片目を閉じて呟く。

 

「油断してたのは申し訳ない」

「死ななかったのが幸いだな」

 

 あの時、フィンは完全にカエデの実力から問題皆無と警戒心をモンスターの索敵から【フレイヤ・ファミリア】への警戒の方へ集中していた。加えて言えば、フィンは自分たちの後をこっそり付けている者達の存在に気付いて其方に警戒心をさいていた。

 まぁ、その者達は【フレイヤ・ファミリア】とは一切関係なかった。良い装備品でなおかつ護衛までついているカエデに嫉妬していた他のファミリアの冒険者が付いてきていただけらしい。

 

 対してジョゼットはカエデの実力から、上層で怪我する事は無いでしょうと油断していたらしく、反応が完全に遅れていた。リヴェリアに頭を下げて謝り、あさつまえ自らの死をもって謝罪とするとナイフで自分の首を掻き斬ろうとするなどしたが、リヴェリアはそんな行動をとったジョゼットに軽い説教を行ってから、お風呂に行くカエデの世話をする様にと言いつけてカエデと共にお風呂に向かわせた。

 

 結果として、カエデが死にかけると言う結果に繋がったが、死ななかったのが幸いだ。

 

 それ所か、カエデはこの一件で『偉業の証』を手にした可能性もある。

 

 ヘルハウンドの火炎放射を突破して、討伐。

 

 ヘルハウンドは身体能力自体は上層相応の為、ソレだけでは『偉業の欠片』にもならないだろう。

 

 だが『火精霊の護布(サラマンダーウール)無しで』と言う接頭語が付いた途端、それは『偉業』と呼べるモノに変化する。

 

 ヘルハウンドの火炎放射は、火精霊の護布(サラマンダーウール)無しで食らえば二級冒険者でも致命傷、一級冒険者でもドワーフの様に耐久に優れていなければ十二分にダメージとなる。

 そんな攻撃である火炎放射を、レベル1で、なおかつ火精霊の護布(サラマンダーウール)無しで突破したと言うだけでも十分に偉業で、その上で討伐まで含めれば十二分以上に『偉業の証』を得る程の偉業と言える。

 

 それを考えれば、手放しで喜ぶべき事態である。

 

 

 

 通常、冒険者は『偉業の欠片』を求めてダンジョンに潜る。

 

 自分よりもレベルの高い相手に挑む事が最も簡単に『偉業の証』を得る手段ではあるが、ソレは命がいくつあっても足りない。

 通常であればどれだけ準備万端にした所で、自分よりもギルドが定めるモンスターのレベル区分が上のモンスターを討伐するなど、不可能に近いのだ。

 例外も存在すると言えばする。と言うか今回のヘルハウンドがソレだ

 

 火精霊の護布(サラマンダーウール)が有れば火炎放射と言う危険極まりない攻撃をほぼ無力化できる。

 後は身体能力自体は高くない為、結果として火精霊の護布(サラマンダーウール)有りの場合の区分は雑魚と言う有様。それでも火炎放射の危険性がゼロになる訳ではないので総合評価としてレベル2区分を与えられていると言うのがヘルハウンドだ。

 

 火精霊の護布(サラマンダーウール)が無かった場合、ヘルハウンドの区分はレベル3を超える。

 下手をすればレベル4冒険者も仕留められる攻撃を持っているのだから当然と言えば当然だが……

 

 

 他には神々が絶賛するナニかを成す事でも『偉業の証』を手にできる。

 

 有名所で言えば【疑似・不壊属性(デュランダル・レプリカ)】ツツジ・シャクヤクの成した

 『バカみたいな耐久力の剣を不壊属性(デュランダル)無しで作り上げた』事

 

 【酔乱群狼(スォームアジテイター)】ホオヅキの成した

 『駆け出し(レベル1)冒険者100人に指示を出して一級(レベル5)冒険者30人を皆殺しにした』事

 

 自らが直接戦う事無く、『偉業の証』を手にする事も出来るが、殆どが不可能に近い。

 

 

 それらを成す事が難しい。だからこそ冒険者が手にする事を望むのは『偉業の欠片』なのだ。

 

 例えば二級(レベル3)冒険者が『迷宮の孤王(モンスターレックス)』のゴライアスの討滅戦に参加し、相応の活躍をする。等である。

 二級(レベル3)冒険者がソロでゴライアスの討伐を行えればソレはもう『偉業の証』を得る偉業となるが、ソレは不可能に近い。

 だが、複数人で協力し討伐する事は不可能ではない。無論、相応に危険も伴う上、成功割合も三割程度でしかない。

 二級(レベル3)冒険者パーティーによるゴライアス討滅戦の戦績は全てのファミリアを平均して『二割で全滅、五割で撤退、三割で成功』と言うのがギルドの記録として残っている。

 その記録の中で【ロキ・ファミリア】は成功率十割を記録しており【巨人殺し】の名でも知られている。

 

 単独ではなく、集団で偉業を成す事で『偉業の欠片』を手にできる。

 

 

 それでも冒険者の半数は器の昇格(ランクアップ)を成す事も出来ずに生涯を閉じる。

 

 器の昇格(ランクアップ)出来ない冒険者の六割が偉業を成そうとして失敗して命を落とし、二割が偉業を成せるだけの『試練』が目の前に現れる事を待ち続けている者で、残り二割が『試練』に臆して足を止めた冒険者だ。

 

 

 『試練』

 

 冒険者や神々が口をそろえて言うソレは何もせずとも冒険者の前に現れる。

 

 【フレイヤ・ファミリア】の女神フレイヤ等は自ら進んで『試練』を眷属に課そうとするが、本当に英雄・英傑として歴史に名を刻んだ者達は当たり前の様に『試練』の方からその者達の前に現れる。

 

 『試練』を望む冒険者は多い。

 

 だが『試練』が現れる事の無い冒険者も多い上、現れない事に焦り自ら危険に飛び込む事でソレを『試練』として打ち払おうとする冒険者が殆どだ……結果としてそう言った()()()冒険者は死ぬ事が多い。

 

 

 今回、カエデ・ハバリは他のファミリアの抗争によって発生した『モンスターの階層移動』の『ヘルハウンド討伐』と言う『試練』が現れたと言える。

 

 しかも突破した。

 

 『試練』を突破して『偉業の証』を手にした可能性が非常に高い。

 もしそうであれば最短器の昇格(ランクアップ)記録を大幅に塗り替える事も可能だ。 

 

 アイズ・ヴァレンシュタインが一年での最年少・最短器の昇格(ランクアップ)を成した。

 

 有名ではあるが、通常の冒険者は器の昇格(ランクアップ)に二年以上かかる。

 

 

 何故か?

 第一に『試練の有無』

 第二に『試練を突破出来るだけのステイタス・実力を得られていない』

 以上の二つの理由が挙げられる。

 

 『試練の有無』は解りやすく、『試練』を望みながらダンジョンに潜る冒険者たちの前に『試練』が現れない事で器の昇格(ランクアップ)に必要な『偉業の証』『偉業の欠片』を得られない。

 故にレベル1のまま足踏みし続ける冒険者が多い。

 

 次に『試練を突破出来るだけのステイタス・実力』

 『試練』が目の前に現れた所で『試練』を突破出来なければ『偉業の証』も『偉業の欠片』も得る事ができない。それ所か、『試練』によって命を落とす事もある。

 

 

 『試練』に備えて【経験値(エクセリア)】を集めステイタスを強化し、戦いの経験を積み技術を伸ばす。そして現れた『試練』を突破する。

 これが普通の冒険者の器の昇格(ランクアップ)までの過程だ。

 

 

 当然、ステイタスを上げるのには相応の【経験値(エクセリア)】が必要な為、ステイタスあげに時間がかかる者が大半だが、最低限器の昇格(ランクアップ)に必要な『何れかの基礎アビリティがD以上になっている事』だけならばそう難しい訳ではない。

 

 例えば、種族的に得意・優位とされる基礎アビリティだけであれば一年でDに到達できなくはない。

 ドワーフは耐久、エルフは魔力、猫人は器用、狼人は俊敏

 

 だが、一つだけ基礎アビリティがDになっている()()では『試練』は突破できない。

 

 他にも基礎アビリティがどれだけ高くとも知識や技術が無ければ『試練』であっけなく死ぬ。

 

 運が無ければ『試練』も現れず、現れても()()()死ぬ等

 

 運、技術、能力、三つそろう事が難しいからこそ最低二年かかると言われている。

 

 

 

 では【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタインがどうやって最短器の昇格(ランクアップ)を成したのか?

 

 簡単に言えば正道を通らなかった。

 

 『試練』が現れない事に焦れて『危険に飛び込む事で試練と成す』と言う()()を行った。その()()を突破したからこその一年と言う最短記録をたたき出したのだ。

 

 同じ事をしようとした他の冒険者も多い。成功したのがアイズ・ヴァレンシュタインだけだったと言う話だっただけの話である。

 

 だが、数万人いる冒険者の中でたった一人の成功者としてアイズ・ヴァレンシュタインは名を刻んだ。それだけだ。

 

 

 

 そして、カエデ・ハバリの場合

 

 『一回目の迷宮探索(ファーストダンジョンアタック)』において『試練』が現れた。

 

 これは珍しい事ではない。実際に『一回目の迷宮探索(ファーストダンジョンアタック)』において悲惨な目にあった冒険者は多い。

 

 ペコラ・カルネイロやラウル・ノールド、アナキティ・オータムの三人も『一回目の迷宮探索(ファーストダンジョンアタック)』の際に怪物進呈(パス・パレード)に巻き込まれると言う『試練』と呼べる出来事に出会っている。

 三人の場合は試練の突破と言うよりは試練からの逃走による生存をしただけで『偉業の欠片』すら手にできなかったが……

 

 そういう報告は珍しくない。

 

 『一回目の迷宮探索(ファーストダンジョンアタック)』にて『試練』が()()()()()()()()()()()()()

 

 ただし、試練を()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 本来なら『一回目の迷宮探索(ファーストダンジョンアタック)』の際には変化した身体能力に戸惑って全力を出せる者は少ない。

 

 【ロキ・ファミリア】においては『一回目の迷宮探索(ファーストダンジョンアタック)』の前に研修として変化した身体能力の確認も兼ねて模擬戦等も行って万全を期す事が多かったが、ソレを行ったペコラやラウル等も上層のモンスターのみで構成されていたとはいえ、ゴブリンとコボルトを中心とした怪物進呈(パス・パレード)から逃げるのが限界だった。

 

 そんな中、特に事前に()()()事をしなかったカエデは変化した身体能力に戸惑うでもなく落ち着いて試練を突破してしまった。

 

「喜ぶべき事……だと思うけど」

「ロキ、何か隠し事をしているな」

 

 フィンとガレスの言葉にロキは頭を抱えたまま唸る。

 リヴェリアが吐息を吐いて口を開いた。

 

「確かに成長系スキルの存在があるのなら、アイズを超える記録をたたき出す可能性は高いだろうが……悩んでいるのはソコじゃないな?」

 

 カエデ・ハバリは半年以内にランクアップしなければ死んでしまう。

 だからこそ半年以内のランクアップを望んでいる。

 普通なら半年では『基礎アビリティD』すら難しい。

 

 カエデの最初の更新の結果、器用Gと言う高数値をたたき出したから可能かと言えば、無理だ。

 

 最初の更新によって高い数値がたたき出された場合は、その分必要な【経験値(エクセリア)】の質や量が増える。

 最初の更新が低ければその分上昇は早い。

 

 結果としてファルナを貰った際の最初の更新によるステイタスは最初の最初、冒険を始めて二、三か月は有利に戦えると言うだけに留まり、一年もすれば才能や努力次第だが、同じぐらいに落ち着く。

 

 故に最初の更新で高い数値をたたき出していても最低限の『基礎アビリティD』に到達するのには一年近くかかる。

 

 だが、カエデ・ハバリには【師想追想(レミニセンス)】と言うスキルが存在する。

 他に類を見ないレアスキル。

 効果は『早熟する』

 

 このスキルの効果でカエデの成長速度は早い可能性が高い。故に『基礎アビリティD』は到達可能な可能性が高いとフィンやガレス、リヴェリアは判断した。

 

 そして今回の『偉業の証』を得たかもしれないと言う情報。

 

 喜ぶべき事のはずだが、ロキは頭を抱えている。

 

 思いつく可能性としてアイズの最短記録の際もそうだが、神々の注目を浴びる事だろう。

 

 最短記録を持ち、白毛の狼人は希少であり、なおかつ成長系のレアスキルを持っている。

 

 神々の興味を引くのは間違いない。

 

 ロキはカエデが神々に目を付けられる事を警戒しているのか? と思うもフィンもリヴェリアも首を横に振った。もしソレなら探索系ファミリア最強の片割れ【ロキ・ファミリア】に所属するカエデに手出しをしようとするファミリアは数が限られてくる。

 

 一つ目は【ロキ・ファミリア】と並ぶ【フレイヤ・ファミリア】

 

 二つ目は規模なんて関係ねえ、と規模を無視して行動を起こす神々(馬鹿共)

 

 一つ目は問題だろうが、【フレイヤ・ファミリア】が手出ししてくる場合はオラリオに存在する全てのファミリアを巻き込んだ抗争に陥る可能性が高い。

 オラリオを狙っている『ラキア王国』と言う国家ファミリアである【アレス・ファミリア】が存在する以上、オラリオ内部で抗争を巻き起こす可能性のある行動をとるとは思えない。

 

 二つ目については手出しできる範囲なんてたかが知れている。邪魔なら潰せばいい。

 

 ロキの頭を悩ませるのは他の要因だ。

 

「……実は、だまっとるスキルがあるっちゅーたら?」

 

 ロキの言葉に三人は目を細める。

 

「……カエデのスキルは【孤高奏響(ディスコード)】と【師想追想(レミニセンス)】の二つじゃないのか?」

 

 リヴェリアの確認する言葉に、ロキはゆっくりと首を横に振った。

 

 カエデ・ハバリのステイタスについてロキは一部のスキルを伏せる形で三人に話していた。

 

 本来ならステイタスを誰かに明かす事はしない。ステイタスを晒す事は弱点を晒す事に等しい。

 ファミリア同士の抗争等で冒険者同士の戦いも珍しくない以上、弱点を晒す行為をしないのは当然だがロキはカエデ自身に許可をとり、三人には特別な『スキル』について話している。

 

 【孤高奏響(ディスコード)】は仲間も巻き込みかねない危険なスキルの為、仲間内で明かす事は珍しくは無い。

 【師想追想(レミニセンス)】はレアスキルもレアスキルと言うモノの為、このスキルについては四人で共有して注意していく形をとろうという話になっていた。

 

 そして、ロキが黙っていた最後のスキル。

 

「『取得【経験値(エクセリア)】の上昇』っちゅー効果のスキルを習得しとる」

「……なんだって?」「それは……」「羨ましい話だな」

 

 フィン動きを止め、リヴェリアは目を見開き、ガレスは顎を撫でる。

 三者三様の反応に当然かとロキは足元に転がっていた酒瓶を拾い上げて栓抜きを手に取った。

 無言のリヴェリアがロキの手から栓抜きを取り上げて睨む。

 

「ちょ、飲ませてーな。マジで飲まんとやっとれんのやて」

「終わったらいくらでも飲んでいい。だが今は先に説明しろ」

「……はぁ」

 

 溜息を吐いてロキは酒瓶をベッドに転がす。

 

 それから紙切れ、カエデのステイタスの書かれた紙を取り出して机に置いた。

 三人は机に置かれた紙を覗き込んで、動きを止めた。

 

「羨ましい? そんな事口が裂けても言えんわこんなスキル」

 

 吐き捨てたロキは動きの止まったリヴェリアの手から栓抜きを掏り取って先程ベッドに転がした酒瓶の栓を抜く。

 ぐびぐびと中身を半分ほど飲んでから、ロキは鼻で笑った。

 

「んで、このスキルは羨ましいって言えるか?」

「……すまんかった。軽率だった」

 

 ガレスは苦虫をかみつぶした表情をしながら、口を開いた。

 

「フィンはどう思う?」

「どうもこうも、超ド級の爆弾……かな、いや、()()って言えば良いのかな?」

「玩具なー……」

 

 玩具と言う表現にリヴェリアが眉を顰める。フィンは溜息を吐いてロキが黙っていた理由を察した。

 

「これ、カエデは?」

「知らん。教えたらどんな行動に出ると思う?」

「……まぁ、そうだね。死にかねないかな」

 

 カエデのステイタスのそのスキルを目にして、三人は眉を顰めた。

 

 

 

 【死相狂想(ルナティック)

 ・取得【経験値(エクセリア)】が上昇する

 ・『死』に近い程効果向上

 ・『瀕死』状態時、効果超々向上

 

 

 

 取得【経験値(エクセリア)】が上昇すると言う効果だけ切り取れば他の冒険者は羨ましがるだろう。

 他のデメリットと呼べる部分も眷属によっては気にもしないだろう。

 

 『死』に近い程効果向上や『瀕死』状態時、効果超々向上など、死ぬ事を恐れない狂人染みた冒険者ならオラリオにも多数存在する。【フレイヤ・ファミリア】に所属する冒険者なんてまんまソレである。

 

 このスキル。『瀕死』状態時、効果超々向上と言う部分。

 面白い事好きな神々ならやりかねない事としてあげられる事。と言うよりロキもカエデのステイタスについてこの方法をとれば余裕でいけるのではないかと思った。

 

 他の神が知ったら間違いなくカエデは酷い目に遭うだろう。

 

 『高いレベルの冒険者がカエデを死なない程度に嬲り続ける』ソレだけでカエデは多量の【経験値(エクセリア)】を得る事になる。

 

 どれほどの効果かはまだ判明していない為、ソレでいけるか分らなかったし。そもそも眷属を嬲ろう等と考えるなんて天界に居た頃ならまだしも、今は出来る訳無い。

 

 カエデのスキルは他のファミリアに知られればカエデの身が危ない。

 

 それだけなら良いが、カエデ自身が可能性があるのならどんな事でも受け入れようとする姿勢がある。故にカエデに下手にこのスキルの存在を教えればカエデ自身がソレを望む可能性がある。

 

 一歩間違えれば死ぬ様な綱渡りを自ら望んでやろう等と言うのは狂人でもないと不可能だ。

 

 カエデの習得したこのスキルはカエデ自身が持つ『狂気』の一部がスキル化したともとれる。

 

 師の教えを従順に守ろうとするカエデは何処か歪みを抱えている。

 

 だからこそ、カエデにこのスキルを伏せた。

 

 ロキはフィンやリヴェリア、ガレスにもこのスキルを伏せた。

 

 知る者が自分独りだけなら、誰にも、何処にも漏らす事はない。

 

 信用出来る人物であろうが、知る者の数が増えれば増えるだけ情報が漏れる可能性は増える。

 

 知る者が一人から二人になるだけでも危険は数十倍に跳ね上がる。

 

 だから、伏せた。

 

 

 カエデが急成長した場合は【師想追想(レミニセンス)】の効果によって急成長したとカエデに伝え、フィン達にも同じ説明で済ます。

 もしカエデが半年以内にランクアップした場合の神々の注目される事になる事についてはギリギリまで隠して、少し情報を漏らして【師想追想(レミニセンス)】のおかげで出来た事であると神々に知らしめる。

 

 そうしておけば【死相狂想(ルナティック)】と言うスキルについて追及されない。そう判断したから。

 

 

 だが、今回カエデが『瀕死の重傷を負いつつもヘルハウンドを討伐した』と言う一件が発生した。

 

 カエデが瀕死の重傷を負い、駆け付けたベートがヘルハウンドを討伐したと言うだけならまだ良かった。

 

 カエデにとっては良い事だ。ロキもカエデがランクアップできた場合には飛んで跳ねて喜ぼうと思う。

 

 しかし、だ

 

 冒険初日でランクアップなんてしたら他の神々の反応はどうなるのか?

 

 元々オラリオの外で戦闘経験があったからと言う説明だけで神々が納得できるか?

 

 不安要素が多すぎて頭を抱える結果になってしまった。

 

「……まだステイタスの更新はしていないだろう? 獲らぬ狸の何とやらだよ、今は悩んでも仕方ないと思うけどね」

「……喜ぶべき事だが、スキルについては喜べないな」

「神の玩具の才能に溢れてるでよろこんでーな、なんてカエデたんに言えるかッ!!」

「落ち着けロキ……」

 

 フィンは真剣な表情でカエデのステイタスの書かれた紙に火をつけて燃やす。

 ガレスは眉を顰め、ロキは持っていた酒瓶を机に叩き付けた。

 酒瓶の強度がかなり高かったのか酒瓶が割れる事は無かったし、テーブルも傷一つない。

 リヴェリアはロキが怪我をしていないか確認してから、立ち上がった。

 

「カエデの様子を見てくる」

「ワシは一度倉庫の防具でも見てくる。防具、全部焼いたんじゃろう?」

「僕は書類の処理かな……ロキ、更新が終わったら来るよ」

「わかったわ……はぁ、心構えしとこ」

 

 カエデが入浴を終えたら、ステイタスの更新を行う。

 

 どんなステイタスになるのか、杞憂ならロキとしてもうれしい限りだが、どうにも神の勘がソレだけでは済まないと告げている。

 

「はぁ……」




 ごめん、ちょっと筆がのらない。

 いや、マジでマジで。プロットをぽちぽち見ながら書いてるんだけど……

 すまん。アレだ、なんか書けなくなってきた。

 なんでだろうね。なんでだろう。

 ……仕事忙しいからネ。みんなごめんね。エタらないように頑張るけど、進行速度遅くなるよ。


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『更新』

 父上が死んだ

 押し寄せる怪物の波を押し留める為に自ら身を張って最前線に立ち、そして命を落とした

 母上が代わりに戦場に立つ事になった

 最強の剣士と名高い父上に代り、最強の妖術師である母上が戦場に赴くのは必然だった

 姉上と少女は無事を祈った

 その祈りが届く場所等ありはしないのに


 カエデ・ハバリは上着を脱いでロキに背を向けながら部屋を見回していた。

 

 ステイタスの更新

 

 風呂上がり、食事より前に直ぐに更新するとロキに伝えられていた為、お風呂を上がって直ぐにロキの私室を訪ねれば、ロキはにこやかに出迎えてくれた。

 

 それからステイタスの更新の為にロキに背を向けて椅子に腰かけたのだが、最初の更新の時と同じく、やはり更新には時間がかかるらしい。

 

 それとも、カエデ自身が急ぎ過ぎているのだろうか?

 

 背中を撫でる指先を意識しつつも、部屋を見回している。

 

 相も変わらず。溢れる酒瓶や酒、【魔術的骨董品(アンティーク)】や【古代の遺物(アーティファクト)】が溢れかえっている。

 

 ……あの部屋の隅の方にそっと置いてある薄っぺらい本は何だろうか? やけに肌色が多い絵が見えるが。後は白っぽい液体の様な何か? なんだろう。画集か何かだろうか?

 

 そんな風に部屋の中を見回すカエデの視線が見覚えのある木箱に固定された。

 

 あの木箱……どこかで見た様な? そんな既視感を覚え、何処で見たのか頭の中でころころ転がして探してみると、直ぐにぴったりと一致する形状、大きさの木箱をワンコさんが背負っていたのを思い出した。

 

 旅装束に大き目のバックパック、左腰に鉈、右腰に戦爪(バトルクロー)、お酒の入った酒瓶を紐でぶら下げ、フードを被り、覗き穴の存在しない顔の上半分を覆う奇妙な仮面を付けて、けらけら笑うお酒臭い商人の人。

 

 そのバックパックの上に似た様な、と言うか全く同じ形状、大きさの木箱が縄で括り付けられていたはずだ。

 

 ワンコさんにその木箱は何か尋ねたら

 

 『この木箱さネ? お酒専用に改造してもらったホオ……ワンコさんのお気に入りの木箱さネッ!』

 

 と答えていた。お酒専用の木箱なのだろう。

 

 ロキ様も部屋に酒瓶や酒が沢山転がっている所から、お酒好きなのはわかる。ロキ様も同じお酒専用の木箱を持っているのだろう……

 前の更新の時には見当たらなかった気がするが、薄い本と同じく見逃していたのだろうか? あれだけ大きい物を見逃すだろうか? 相当、焦っていたのだろう。気をつけなくてはいけない。

 

 ふと、ワンコさんの事を思い出していたら、大事な事を思い出して思わず声が漏れた。

 

「あ」

「うぇあっ!!?? なななななななんやカエデたん、どしたったん?」

 

 思わず声をあげれば、こちらが驚いてしまう程動揺したロキの声が聞こえて、尻尾が跳ねてロキの手をはたいてしまった。

 

「ごめんなさい。えっと、一つ思い出した事がありまして」

「……ステイタスについてやのうて?」

「? ステイタスの更新は終わりました?」

「あー、ごめんなー、もうちょいかかるわ」

 

 何故か焦った様な声だったロキは、直ぐにいつも通りの声色に戻る。どうしたのだろうか?

 

「ワタシのステイタス、どこかおかしいですか?」

「え? いや、別におかしい所は無いでー」

 

 おかしな所は無い。じゃあなんで慌てていたのだろう?

 

「それより、思い出した事って何や?」

「えっとですね、ワンコさんについてなんですが」

「……ワンコさんっちゅーと、商人の事か」

「はい」

 

 確か、ワタシが村を出た日より二日後にワンコさんが訪ねてくる事になっていたはずだ。大雨の所為で遅れる可能性はあったが、それでもワンコさんに何の連絡もせずにオラリオに出てきてしまった。

 ワンコさんは心配性でモンスター退治の際等に凄く心配していたし、ちょっとした怪我でも大騒ぎしたりする人だった。

 もしかしたら心配をかけてしまっているかもしれない。

 

 そんな事をロキに話せば、ロキは大丈夫やろと笑った。

 

「それについては大丈夫やろ、ワンコっちゅうんが商人なら【恵比寿・ファミリア】が知っとるやろうし、知らんかったとしてもセオロの密林まで足を運ぶ商人なら間違いなくオラリオにも顔出しとるやろうし、調べよう思えば調べられる思うで」

「そうなのですか?」

「せやせや……っと、ステイタスの更新終わったでー」

 

 ロキはそう言うと、カエデにステイタスの書かれた紙を手渡した。

 

 

 

 

 力:I64 → H189

 耐久:I89 → E490

 魔力:I0 → I0

 敏捷:H106 → G222

 器用:G259 → E443

 

 『偉業の証』☆

 『偉業の欠片』★☆

 

 

 

 

……偉業の欠片だ。

 

 偉業の欠片!

 

「ロキ様ッ!! 偉業の欠片ですッ! 欠片ッ!」

「せやでカエデたん、おめでとうや」

「はいっ」

 

 偉業の欠片。

 

 冒険者の半数が心の底から渇望しても得られる事の少ない偉業の欠片だ。

 

 それを、初日に手に入れた。これは大きい。

 

 かの【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタインはランクアップギリギリまで『偉業の証』を手にできなかったみたいだが、ワタシの場合は初日に『偉業の欠片』である。

 

 これなら半年以内のランクアップも不可能ではないのでは?

 

 先に見えた光に思わず飛び上がって喜びを表せば、ロキが飛びついてきて抱きしめられた。

 

「よう頑張ったわ、めっちゃ頑張った、せや、カエデたんはよう頑張ったで、トータル1200オーバーなんて初めて見たわ」

「はい、頑張りましたッ!」

 

 そのまま二人で喜んでいたら、リヴェリアがやってきて怒られてしまった。

 

 服も着ずに何をしているのかと。

 

 その後、『偉業の欠片』については他の団員に黙っておく事を言い含められてからロキの部屋を後にした。

 

 嬉しさから足取りも軽くなり一度自分の部屋に戻ろうと廊下を歩いていると、ジョゼットが廊下の片隅に立っているのが見えた。

 

窓から、夕焼けに染まる街を眺めながら、妖精弓の弦を弾いてもの哀しい旋律を刻んでいる。

 

「ジョゼットさん、こんばんは」

「……あ、カエデさん。こんばんは」

 

 窓から外を眺めていたジョゼットは軽く溜息をついてから、カエデに振り返って頭を下げた。

 

「重ね重ね、今日は申し訳なかったです」

「……あの、その……謝る必要は無いです」

 

 【ロキ・ファミリア】の本拠に戻ってから、戻る前もそうだが、ジョゼットは何度もカエデに謝っていた。

 

 護衛として付いていたのに護衛の任務を全うできなかった事を謝罪してきた。

 

 だが、それについてカエデはジョゼットを責めるつもりはないし、謝られるいわれも無いと思っていた。

 

 師の言葉

 

『選択したのなら責められるは己自身じゃ。オヌシはワシと共にモンスター退治に同行したいと申し出た。ワシはそれを承諾した。モンスターからの攻撃でオヌシが怪我をするのはオヌシ自身の責任じゃし、オヌシの不注意でワシが怪我をしたとしてもオヌシの同行を赦したワシ自身の責任じゃ』

 

『選択した覚えなんて無い? そんな事は有り得ん。選択せずに流される事を()()()じゃろ? 流される事も選択の一つじゃからな。もしくは()()()()()()()()()()とかな。自身で選択肢を探さずに居れば選択肢を選ぶ間も無く問題に直面するじゃろうしな』

 

 迷宮は危険な所である。

 

 数多の冒険者が富を名声を求めてその穴に潜って行った。

 

 そして、数多の冒険者が命を落としてきた。

 

 モンスターは冒険者に対して殺意を抱き、冒険者の命を奪わんと襲ってくる。

 

 そも、そんな危険な所に自ら潜る選択をしたのはカエデ・ハバリ自身であり、ジョゼットではない。

 

 確かに護衛をするという選択をジョゼットがしたのはわかる。

 

 だが同時にカエデ自身が危険に身を投じる事を選択したのだから、他者に責められるべきではない。

 

 馬鹿にされ、嗤われ、侮辱されるのは構わない。

 

 自ら選んでおきながら無様を晒したのは己自身である。

 

 だが、責を責められるのは違うのだ。

 

 『己を責められるのは己自身以外に居ない』

 

 己の失態を己に問えぬのであれば、それは愚かな事である。

 

「ソレを赦す赦さないを決めるのはワタシではなくジョゼットさん自身だと思います。ワタシがどれだけ赦しの言葉を紡いでも、ジョゼットさん自身が赦せなくては意味が無いですし」

「……それも、そうですね。すいません。カエデさんに謝罪し続けても迷惑なだけですね。これっきり謝罪はしないとこの場で誓います。ですが最後に、ごめんなさい」

 

 真面目な表情を一瞬だけ歪ませ、困った表情を浮かべ、それから笑みを浮かべて謝罪の言葉を紡いだ後、ジョゼットは顔を上げて口を開いた。

 

「もし、カエデさんが何か困った事があれば是非声をかけてください。微力ながら力添え致しましょう」

「……はい、困った事があったら頼りにします」

 

 ジョゼットの悩みはカエデの悩みと似ているのだろう。

 

 カエデ自身も、師が川に落ちた原因が自分にあると思っている。

 

 師はソレを認めないだろう。カエデの同行を認めた己にこそ非があり、カエデを責め立てる事はありえない。

 だが、カエデ自身はカエデを責める。アレは己の失態故起きた出来事だと。

 

 ソレの無意味さを理解しつつも、それでも己を責め立てるのをやめられない。そういうモノだ。

 

 だからこそ、謝罪の言葉の応酬に意味は無い。

 

 己を責めるべきは己自身でなくてはならない。

 

「……ここで、話し続けていても仕方が無いですね。食堂に向かいましょうか」

「はい」

 

 

 

 

 

「それで? ステイタスの方はどうだったんだい?」

「最悪」

 

 フィンの質問に一言だけ答えてから、ロキは深々と溜息を吐いた。

 

「まず第一に、『偉業の証』やのうて『偉業の欠片』やった」

 

 駆け出し冒険者が、最初の迷宮探索において特殊装備無しでヘルハウンドを討伐した。

 

 『偉業の証』を手に入れたのは間違いない、そう確信していた事が裏切られた。

 

 正直信じられないが、少なくともカエデのステイタスに於いて、かの出来事は『偉業の欠片』相当に分類されてしまった様子だった。

 

「……信じられんな、ヘルハウンド討伐だぞ?」

「何がダメだったんだろうね」

 

 リヴェリアもフィンも、ガレスすらも『偉業の証』を疑っていなかった。現実は『偉業の欠片』である。

 

 とはいえ、初日に『偉業の欠片』を入手する冒険者なんて居ないと断言できる以上、カエデの『偉業の欠片』入手は凄い事ではあるのだが……

 

「んでもう一つ、基礎アビリティについてなんやけど……ある意味では予想通りなんよなぁ」

 

 カエデに渡したモノとは別のステイタスを記した紙を広げて溜息を吐いた。

 

 

 力:I64 → E489

 耐久:I89 → B760

 魔力:I0 → I0

 敏捷:H106 → D522

 器用:G259 → C643

 

 

 トータル上昇値1800オーバー

 

 普通の冒険者が一日で上昇させるステイタスはどれだけ頑張ってもトータル20~40程度が限界だ。

 

 初期値がオール10前後の駆け出し冒険者が、初回冒険で色濃い冒険をし、潤沢な経験値(エクセリア)を得たとしてもトータル100~150ぐらいが関の山だろう。

 

 ソレを考えればスキルによる上昇値が恐ろしい程高いのが分る。

 

 問題はこのステイタスの伸びは【師想追想(レミニセンス)】によるモノなのか、【死相狂想(ルナティック)】によるモノなのかが完全に不明であると言う点。

 

「これは……恐ろしいね」

「…………」

「……まさか、ここまで伸びるとは」

 

 カエデ自身に教えたモノは大分低めにしておいた。

 

 それでもトータル1000以上

 

 カエデは、非常に頭が良い。とはいえ発想力が低いのか与えられた知識の中から答えを見つけ出すのは得意だが、全く知らない方程式等が組み込まれると途端に答えを見つけられなくなる。

 今のカエデには【師想追想(レミニセンス)】のスキルによる『早熟する』と言う効果によってステイタスの伸びが非常に良いと教えてある為、もう一つの成長系スキルの存在について思い付く事はないはずだ。

 

 だが、もし本当のステイタスを教えていた場合、今後の更新の際に感づかれる可能性がある。

 

 最初の更新でトータル1800オーバーをたたき出し、今後の冒険に於いて上昇値が少なくなった場合等、カエデは数少ない情報から答えを導き出す可能性がある。

 逆に言えば現在与えている情報を間違ったモノにすり替えられてしまうとカエデは永遠に答えに辿り着けない。

 

 己の知識に当てはめて対処しようとするのは悪い事ではないが、ソレに囚われると足元を掬われる事になる。矯正しておくべき点だが、今はそのままにしておくべきだろう。

 

 変に【死相狂想(ルナティック)】に感づかれれば面倒事になりかねない。

 

「……しかし、これは不味いね」

「せやな、完全に超面白い玩具やで」

「他に神に知られれば放っておかれる事は無い」

「それも美の女神が知った日には……」

 

 カエデは『偉業の欠片』を入手した事、『基礎アビリティD以上』を達成した事で凄く嬉しそうにしていたが、カエデが知らないだけで足元には大穴が開いている。

 

 このまま順調に器の昇格の機会を得たとしてもその大穴に落ちる危険性が減る訳ではない。

 

「……厳重に秘匿しないといけないね」

「他の子らにも影響がでそうやしな」

「……羨望や嫉妬で足元を掬われればそれまでだからな、今まで以上に注意しないとまずいぞ」

「そうだな……どうするんだ? ワシらが四六時中付いている訳にもいくまい。いずれはパーティーを組ませなければならんし」

 

 ガレスの言う通りだ。

 

 カエデに四六時中誰かが付いている事は難しい。それにダンジョンに於いても三日に一度、幹部の誰かを一名随伴でダンジョンに潜るという事を続ける事も難しい。

 今の時点でも団長や副団長、ガレスが目を付けているという情報だけで羨ましがる団員も居るぐらいだ。

 これから先、カエデへの優遇が過ぎれば他団員からの不満が爆発しかねない。

 

 如何すべきか話し合うべき事は沢山あるが、ロキは一つ考えを導き出す。

 

 もういっそ【師想追想(レミニセンス)】について最初から公開して、そのスキルのおかげで急激に強くなっていく少女と言うカバーストーリーを組み立てて、【死相狂想(ルナティック)】のスキルから皆の視線を引きはがすのはどうかと言うモノ。

 

 どちらにせよカエデ・ハバリへの注目は避けられまい。

 

 ならば目立つ方向を此方で完全に定めて本命は隠しておくのが良いのではないか?

 

 レアスキルやレア魔法(マジック)がある冒険者を優遇するのは何処のファミリアに於いても普通の事だ。

 

 【ロキ・ファミリア】に於いても【魔弓射手】ジョゼット・ミザンナはかなり優遇している。

 

 ダンジョンの深層攻略用に魔剣を多数用意しようとすると、本来なら数億から数十億ヴァリスが吹っ飛ぶ。

 だが、ジョゼットはマインドさえ回復してしまえばいくらでも魔剣に相当する妖精弓を作る事が出来る。

 本格的な迷宮探索を行う際に一週間ほどの準備期間が有り、その準備期間中ジョゼットはマインドが切れるまで弓を作り続け、マインドが切れたら部屋で寝る。起きたらまた弓作りと言った労働をする事で迷宮探索用の魔剣代わりの妖精弓作成を行っている。つまりジョゼット一人で数億から数十億ヴァリスの価値があると言える。

 当然ながら、ジョゼットを他の団員と同じ様に扱う事は無い。ファミリアに対してそれだけの利益を上げている団員に何もなし等と言う事はありえないからだ。

 

 そして、カエデの成長系スキルも、短期間での成長による補助期間の短さ等を理由に優遇する事を皆に伝えれば理解はしてもらえるだろう。納得するかは別だが。

 

 考えを纏めてから、フィンに相談すれば、フィンは悩ましげな表情を浮かべてから呟く。

 

「【フレイヤ・ファミリア】の動向が気になるかな。このままなら問題らしい問題は見当たらないと思うよ。ファミリア内部の事については僕達でなんとかできる範囲だと思う」

「そうだな、あのファミリアがどう動くか次第だ。少なくともカエデはほぼ間違いなく目をつけられているだろうしな」

 

 リヴェリアの言葉にロキは眉根を寄せてから、溜息を吐く。

 

「フレイヤ、フレイヤなぁ、アイツはほんまになぁ……」

 

 気に入った団員が居ればどんな手段を講じてでも奪おうとする美の女神を頭に思い浮かべてから、ロキは二度目の溜息を吐いた。

 

「……ここで悩んでおっても仕方があるまい。カエデにはステイタスを他の者等に教えない様に言い含めておいたのだろう? ならばカエデがランクアップするまでは現状のままで良いのではないか?」

 

 ガレスの言葉に三人が唸り、フィンが頷いた。

 

「少なくとも、カエデがランクアップするまでまだ期間が有る事が分っただけでも大きい……と言いたいけど、カエデの様子を見るに次の『試練』もそう遠くない。最悪【フレイヤ・ファミリア】が『試練』を用意する可能性だってある。そうなれば『偉業の欠片』を入手するのもそう遠くは無いだろう。それまでの間にカエデを守る手段や方法を模索しておく必要があると思う」

 

 少なくとも、他のファミリアに奪われた場合、お気に入りの眷属を奪われてむかつく程度で済めばいいが、他ファミリアで大成して、手が付けられない程に強大な敵としてカエデが立ち塞がる事があれば、非常に面倒だ。

 【ロキ・ファミリア】内部で大成して、【ロキ・ファミリア】を家、家族と認識すればカエデは必死に【ロキ・ファミリア】を守ろうとするだろう。

 それは【ロキ・ファミリア】にとってかなりの利益となり得る。

 

 この調子で成長すれば最強(レベル7)も夢ではないのでは? そう考えるフィンの言葉にロキが眉根を寄せた。

 

「フィン、あまり言いたくはないが「わかってるよ。損得で考えすぎだって言いたいんだろう?」……」

 

 リヴェリアの苦言にフィンは肩を竦める。

 

「どちらにせよ、カエデを守る手段は必要だと思う。今のままだと他のファミリアのちょっかいでカエデの迷宮探索に支障が出る可能性があるからね」

「そうだな」「うむ」

「まぁ、その通りやな……最悪、ファイたんにも協力仰ぐか」

 

 女神ヘファイストスがカエデの事を気にしている。

 少なくとも、自分の作成した武具を言い訳を要して無料で提供する程度には。

 

 探索系ファミリア最強の片割れ【ロキ・ファミリア】の加護だけでなく、鍛冶系ファミリア最高峰の【ヘファイストス・ファミリア】の加護もあれば他ファミリアからカエデに対するちょっかいはかなり減らせるだろう。

 

 とはいえ、情報を若干隠しているヘファイストスを完全に信用する事も難しい。

 

 どうするか悩みながら、ロキは時計を見て時間を確認してから呟く。

 

「あ、もうすぐ夕食の時間やな……このまま悩んどっても始まらんし、とりあえずこの件はいったん保留にしとこや」

 

 時間を見ればそろそろ夕食の時間である。食堂に向かわなければ皆を待たせる事になってしまうだろう。

 

「……そうだね、当然の事だけどカエデのステイタスについては内密にね」

「わかってる」「無論だな」「当然やろ」




上昇値高すぎ? 高くない?

『『瀕死』状態時、効果超々向上』は伊達じゃないです。


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『ざわめき』

 母上は帰らなかった、壊れた簪だけが、唯一母上の形見として帰ってきた

 姉上が家を出る事になった

 行かないで、少女は泣いて縋り付いた

 姉上は笑いながら言った

「国がどうとか、偉業がどうとか、私はそんなモノに興味はありません。貴女を守る為に戦いに赴きます。あの穴が塞がればきっと怪物に脅える必要が無くなった世界が訪れます。私は貴女とそんな平穏な世界へ赴きたいのです。どうか家で待っていてください」

 少女は涙を堪えて姉を見送った


「なんなのアレッ!!」

 

【ロキ・ファミリア】本拠の大食堂にて、集まった団員達がざわめいている中の一角にて、ティオナ・ヒリュテはテーブルを盛大にバシバシと叩きながら文句を叫んでいた。

 

「なんでギルドの換金所が一時利用不可能なのッ!!」

「まぁ……その、運が無かったと」

「そもそも武器をそんなポンポン壊さなければ問題無かったでしょ」

 

 アイズが困った様な表情を浮かべてなだめようとし、ティオネは呆れ顔で皮肉を呟く。

 

 それに対し、ティオナはテーブルを強く叩いて叫ぶ。

 

「おかしいでしょッ!! なんで今日に限ってギルドでトラブルがあって換金所が使えないなんて事になるのさッ!!」

 

 大きく響いた音にびくりとカエデが跳ねて、ジョゼットがカエデの頭を撫でて大丈夫ですか?と呟いてからティオナを睨む。

 

「ティオナさん、テーブルが壊れます。武器だけでなく、テーブルまで壊すつもりですか?」

 

 準一級(レベル4)冒険者の一撃を受けてなおびくともしないテーブルだが、何度も攻撃を受ければ壊れてしまうだろう。

 

 ティオナ・ヒリュテはただでさえ借金を背負っている状態なのだ。

 

 その上でファミリア内部の備品を破壊して借金を更に増やしたくは無いのだろう。直ぐに大人しくなって椅子に腰かけてからぺしぺしと優しめに机を叩き始めた。

 

「うー」

「唸ってもどうにもならないわよ。運が無かったと諦めなさい」

「なんでさー、希少種(レアモンスター)も見つけてドロップまでゲットしたのにー」

 

 ティオナ・ヒリュテは借金を背負っている。

 

 新しい武器を作ってもらい、使いはじめたその日の内に破壊してしまったのだ。借金してまで作成依頼を出したのにである。

 

 少なくとも、本人は()()()()ではなく、()()()と口にするだろうが、他から見れば変わりない。

 

 その借金を返済する為に、今日のダンジョンに挑んだ。

 

 結果は上々所か、なんと希少種(レアモンスター)とエンカウントして、討伐に成功。その上でドロップアイテムまで入手して借金を完済できるのでは? と期待に胸を膨らませていたのだが……

 

 ダンジョンの帰還途中でカエデや団長と合流後、一緒にダンジョンを抜けた後にティオナ一人でギルドの換金所にドロップ品を持って行って換金する予定だったのだが、収集品でパンパンに膨れ上がったバッグを二つ背負って苦労して到着したギルドには人だかりができていた。

 

 団長から「カエデの収集品もついでに換金を頼めるかな?」と笑顔と共にお願いされ、カエデの収集品の入ったバッグを背負ったティオネと共に二人して何事かと首を傾げる事となった。

 

 何が起きているのかと後ろの方の野次馬に声をかければ、知り合いの鍛冶師だったらしく顔を見た瞬間に「ゲェッ!? 破壊屋(クラッシャー)ッ!?!?」と大声で叫ばれ、他の者達からも何事かと見られてしまった。

 

 まあ、それは良いとして……いや、良くは無いが、ともかく借金を返済する為にはダンジョンで得た魔石やドロップアイテムを換金する必要がある。

 

 其の為にギルドにやってきたのに、人だかりができていてギルド前が騒がしかった。

 

 何が起きたのか簡素に説明してくれと要求すれば、その鍛冶師は「ギルドで暴れた奴が居るらしい」と教えてくれた。

 

 その後、ギルドの人だかりを抜けて換金所に向かおうとしたら、換金用カウンターがめちゃくちゃに破壊されていた。後ついでに通常受付も破壊されつくしており、待合の椅子や机も半数近くがぶっ壊されていた。

 

 破壊屋(クラッシャー)等と言う不名誉な名前で呼ばれる事のあるティオナですら、こんな破壊の仕方はしないだろう。

 

 というか、ティオナが壊すのはあくまでも武器であり器物破損はしない。時々、【ロキ・ファミリア】の備品を壊す事はあるが、あれは事故である。

 

 ギルド職員が慌ただしくやって来た冒険者の対応をしており、何があったのかは後日発表するので、今日の所はお引き取りくださいと頭を下げていた。

 

 ティオネとティオナが声をかければ、ギルド職員は申し訳なさそうに頭を下げて「今日はギルドの各種受付は使用できません……換金等は後日お願いします」と断られてしまったのだ。

 

 結果として、換金するはずだった魔石やドロップアイテムはそのまま【ロキ・ファミリア】の本拠の倉庫に放り込まれる事になり、各ファミリアや冒険者もギルドに預けてある金が利用できずに困っていたりした訳だが。

 

 ともかく、今日の収入で完済できるはずだった借金は、未だティオナの背中に背負われていると言う状態になっている。

 

 せっかく完済できると思ったのに、と不満を漏らすティオナにアイズが一言。

 

「どうせすぐに武器を壊して借金するから良いんじゃないの?」

「「「……確かに」」」

 

 アイズの言葉が聞こえ、肯定する様に呟く団員達。

 ティオナが凄い勢いでアイズの方を振り返った。

 

「ちょっとアイズッ!! ソレどういう意味ッ!!」

「…………」

 

 アイズはスッと視線を逸らした。すぐさまティオナがアイズの両肩を掴んでがくがくと揺らし始める。

 

「どういう意味なのッ!! ちょっと、いくらアイズでも許せない事もあるんだよッ!!」

「でもどうせまた壊すでしょ」

「ティオネだって武器ぐらい壊すじゃんッ!! なんであたしばっかり破壊屋(クラッシャー)なんて呼ばれなきゃいけないのさッ!!」

 

 アマゾネスには二種類の戦い方が存在する。

 アマゾネスは基礎アビリティ『力』が高くなりやすく、スキルも『力』を増幅させる系統のスキルを覚えやすい。結果として力任せに大きな武器をぶん回すタイプ。

 もう一つは野生の勘染みた直感で相手の急所を突いて瞬殺する技量タイプの二種類だ。

 

 ティオナは前者、ティオネは後者のタイプである。いや、ティオネはある意味で前者でもあるが、使用武器からしてもティオナとティオネは二つの種類に分かれている。

 

 力任せに大きくて重い武器をぶん回して敵をぶっ飛ばす分りやすい戦い方をするティオナは、その分武器の扱いが雑でありよく武器を壊す。

 ティオネも時折キレて本性を現して力任せの戦い方をして武器を壊す事がある。が、当たり前だが毎回武器を雑に扱うティオナと、ある程度自制して丁重に武器を扱うティオネでは武器の寿命が全く違う。

 

 それこそ一か月に二・三本の武器を平然とぶっ壊すティオナと、数か月に一本壊すティオネでは呼ばれ方に差が出るのは当たり前だ。

 

 余談だが、アイズ・ヴァレンシュタインも習得している付与魔法(エンチャント)が武器の耐久を著しく消耗する影響で武器を壊しかける事が多々あるが、アイズの場合は壊れそうになったらちゃんと武器が壊れない様に気を使って戦うので、完全に武器をぶっ壊す事は少ない。その代わりに耐久の消費の仕方は三人の中で追随を赦さずにトップではあるのだが。

 

「あー……ツツジの作品欲しいなぁ……」

 

 唐突に元気を失ってしなびたティオナは机にべちゃりと張り付いてカエデの方をちらちらと見始める。

 

「良いなーあたしも【疑似・不壊属性(デュランダル・レプリカ)】の作品欲しいなー」

「ちょっと、はしたないわよ」

 

 ちらちらと視線を送られたカエデは困った表情をしてティオナを見ていたが、ジョゼットがその視線を遮る様に身を乗り出してティオナを睨む。

 

「カエデさんの武装を羨むのは分りますが、みっともないですよ」

「でも欲しいじゃん。ティオネだって欲しいよね」

「…………否定はしないけど」

 

 ジョゼットの言葉にティオナはティオネに振るが、ティオネは一瞬迷ってから頷いた。

 

 【疑似・不壊属性(デュランダル・レプリカ)】の作品。

 

 その殆どが【イシュタル・ファミリア】の戦闘娼婦(バーベラ)達が保有している。

 

 【疑似・不壊属性(デュランダル・レプリカ)】ツツジ・シャクヤクの作り出す作品はどれも耐久力に優れており、短剣、突剣、直剣、長剣、大剣、特大剣、様々な種類の武装が存在する。

 

 耐久力に優れる武器。冒険者は誰しも求めるモノだが、最も【疑似・不壊属性(デュランダル・レプリカ)】の作品を愛しているのはアマゾネスと言う種族だろう。

 

 種族全体で戦闘的な性格の傾向の強いアマゾネスと言う種族にとって、武器とは無くても問題ないが、あれば良いと言う感じであろう。

 実際、武装を失ったアマゾネスが徒手空拳でモンスターを薙ぎ払ってダンジョンから帰還してランクアップを果たすと言う偉業を成し遂げる事が多い。

 だが、武器が壊れれば徒手空拳で戦えばいいとはいえ、危険が伴う事に変わりは無い。

 

 特に扱いが雑である事が多いアマゾネスにとって武器の耐久は武器の攻撃力以上に重視する部分と言えるだろう。

 

 そんな中でアマゾネスの中で一躍有名になったのが【疑似・不壊属性(デュランダル・レプリカ)】ツツジ・シャクヤクであろう。

 

 かの鍛冶師が作り出した武器はどれもこれも耐久力がずば抜けて高く、それこそツツジが十年以上前にオラリオを去って以降、未だなお【イシュタル・ファミリア】の主戦力でもある戦闘娼婦(バーベラ)の主武装がツツジの作品であり、現役で使われ続けていると言われればそのずば抜けた耐久力の高さを理解できよう。

 

 他にも十年以上前から使い続けて現役の作品は数多存在し、不壊属性(デュランダル)が付与されているのでは? と疑われる事が多いぐらいなのだ。

 

 だが、流石に十年以上の時が経った今、【疑似・不壊属性(デュランダル・レプリカ)】の作品を手に入れる事は至難の業だろう。

 

 好事家が買い漁って宝物庫に大切にしまわれているか、自慢げにショーケースにでも納められて飾られているか、もしくは現役で冒険者の手の中にあるか。ダンジョンに呑まれた物も数多存在するだろう。

 

 店頭に並んでいる【疑似・不壊属性(デュランダル・レプリカ)】の作品なんてもう存在しないと言っていい。

 

 だが、カエデ・ハバリは【ヘファイストス・ファミリア】の主神ヘファイストスより、直接【疑似・不壊属性(デュランダル・レプリカ)】の作品を受け取ったらしい。

 

 ティオナが訪ねて行った際にはもう在庫も無いときっぱり断られたにも関わらず、カエデには特別に渡されたことに関して、ティオナは狡いと思ったが、カエデにソレを言った所でどうにもならない。

 

 少なくともカエデがティオナにいじわるをしている訳では無いのだ。

 

 それでも狡いモノは狡いが。

 

「うー……」

「また探してみれば?」

 

 前見つけた時は好事家がアホみたいな値段で競り落として行った。

 もう一度見つける事が出来るか? 競売で勝つ事ができるか? 支払いはどうするのか? それを考えれば今いる鍛冶師に頼み込んで出来うる限り頑丈な剣を作って貰う方が確実だろう。

 

「カエデー、もう一回貸してー」

「ダメです」

 

 ぴしゃりと、珍しくきっぱり断ったカエデにティオナはがっくりとうなだれる。

 

「やっぱダメかー」

「ティオナ、あんた分ってるんだったらもっと丁重に扱いなさいよ」

「……あははー、いやーテンションあがっちゃって……」

 

 ダンジョン帰り、ティオナはカエデから『ウィンドパイプ』を借りていた。

 とはいえ、カエデの『ウィンドパイプ』は刀の刀身を残して装飾や柄、鞘も含めて燃え尽きてしまったらしく、むき出しの刀身だけと言うモノだったが。

 鞘も、柄も、鍔の無い『ウィンドパイプ』を使わせて貰ったティオナの感想は「最ッ高!!」と言うものだった。

 

 柄が無い所為で握りが悪いとは感じたが、それでもゴブリンやコボルトにぶつけても刀身が軋む感触が無い。

 

 その上『ウィンドパイプ』を使って分かったが、重心が切っ先に傾き切っている形であるのに扱いやすい。

 

 正確には重心が切っ先に傾き切っているから重くて疲労しやすいのかと思っていたがその剣の重量自体はそう大して重くない。ティオナが使っていた大剣の半分より少し上程度の重さしかないのだ。

 

 ティオナの使っていた大剣は、アマゾネス用に超重量で作られた特大剣であるのだから、比べる対象がおかしいとは思うが。

 

 ソレを抜きにしても『ウィンドパイプ』はかなり軽量な大剣だと言うのが分った。

 

 そして、力任せにぶん回せば勝手に切っ先が相手に向かってくれるのだ。重心のとり方が上手いのか、考えつくされたその特性は振り回す様な扱い方をするティオナにもピッタリの特性だった。

 

 変な当て方をしない限りは弾かれる事も無く相手をぶった切るに違いない。

 

 相手がゴブリンとコボルト、ダンジョンリザードと言う上層の雑魚しかいなかったのは若干不満ではあるが、試しに借りた【疑似・不壊属性(デュランダル・レプリカ)】の作品の素晴らしさに更に酔いしれ、ティオナの【疑似・不壊属性(デュランダル・レプリカ)】好きは加速したと言えるだろう。

 

 そして貸してと言う言葉に自分は防具を失って万能薬(エリクサー)で完治したとはいえ、重傷を負って体力を消耗していると言う理由から前衛として活動を出来ないカエデは安請け合いで今回の武器をぶっ壊して無手になっていたティオナに『ウィンドパイプ』を貸してしまった。

 

 結果はカエデは戦うティオナの姿に毛を逆立てて驚いてやめてと叫ぶ事になった訳だが。

 

 平然とモンスターを縦にぶった切った勢いのまま地面まで深々と抉るような一撃を繰り出し。

 モンスターを横一線で真横に振り抜いた勢いのまま、壁を粉砕して隣の通路との直通路を築きあげたり。

 

 見ているだけで武器が壊れる理由が察せられるような戦い方に、カエデは気が気でなかった。

 

 まあ、『ウィンドパイプ』は壊れる所か歪みも無く全くもって問題は無かった訳だが。

 

 フィンが「槍があれば是非欲しかったね」と呟いて、その耐久力に感心していた。

 

「はぁ……欲しいなー何処かに落ちてないかなー」

「あんた……」

「ダンジョンになら……でもダンジョンに落ちてる武器って……」

破壊屋(クラッシャー)と呼ばれるのを自覚しているのならもっと武器を丁重に扱えば良いのでは?」

「……私も、ティオナに武器を貸すのは……」

 

 願望を呟き始めるティオナ、呆れ顔のティオネ。

 武器が落ちている場所と聞いてイメージしたダンジョンに落ちている武器。その武器が落ちている理由を考えて顔を青褪めさせるカエデ。

 至極真面目なジョゼットが皮肉を呟き。

 アイズはティオナに武器を貸した末路を想像して顔を引き攣らせている。

 




 ギルドで暴れた冒険者……一体、何ヅキさんなんだ(すっとぼけ


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『手紙』

 姉の帰りを待つ日々

 剣を振り

 鍛錬を積み

 瞑想をし

 胸に抱いた不安を押し殺し続け

 姉が帰ってくる日を待っていた

 そんなある日、姉が帰ってきた


 【ヘファイストス・ファミリア】本拠のヘファイストスの私室にて、神ヘファイストスは【トート・ファミリア】が発行している神々の情報誌を眺めながら溜息を零した。

 

「……【酒乱群狼(スォームアジテイター)】がまた暴れたのね」

 

 その情報誌の一面を飾っている速報。

 

 

 『危険な獣が解き放たれた!? ギルドの失態。 狂群狼怒りの鉄槌』

 

 つい昨日、ギルド本部のエントランスにて一級(レベル5)冒険者【酒乱群狼(スォームアジテイター)】ホオヅキの手によってギルド職員3人およびギルド長ロイマン・マルディールが重傷を負わされる事件が発生。

 

 原因はギルド側がホオヅキに受託させた依頼の中の一つ。

 『ゴブリン討伐』が原因と推測される。

 

 ホオヅキの受託した『ゴブリン討伐』の依頼は事前にギルドから派遣された観測員の手によって討伐対象が正しい事の裏付けを行ってから依頼として冒険者に発行される事になっていたが、ホオヅキが実際に赴いた際に現れたモンスターは『オーク』の集団であったとの事。

 ギルド側は事前調査で複数の観測員を送り出していたにも関わらず誤った情報で依頼を発行していた事になる。

 その中で、ホオヅキがギルドに問いかけた所、観測員の送り出しを行わずに都市外からの依頼を受託しホオヅキにそのまま発行していた事が発覚。

 これに対してホオヅキは事前確認を怠った事を指摘し、ギルド職員の右腕を圧し折りギルド長を呼ぶ様に命令。

 他のギルド職員が慌ててロイマンを呼びに行き、今回の依頼の申し開きを行う事に。

 

 その際、ホオヅキはギルドのエントランスの待合席に腰かけて『ここから動かないさネ、豚を呼ぶさネ』と発言。

 ギルド長ロイマンがこれに対してエントランスまで赴いてホオヅキにゴマすりを行いつつもギルド側の非に関しての言い訳を行った所、ホオヅキはゴマすりの際に言われたとある一言で大激怒。

 ロイマンの右腕を引っこ抜き、持っていた鉈で両足を切断。重傷を負ったロイマンを投げ飛ばし、投げ飛ばされた先に居たギルド職員一名が押し潰されて重傷。

 待合席のソファーを複数投げ飛ばして受付カウンターを粉砕、その際にギルド職員一名が投げ飛ばされたソファーが命中し重傷を負う。その後、気絶したロイマンの首根っこを掴んでギルドの奥へと姿を消したのち、暫くしてからホオヅキが単身出てきて、そのままギルドを去って行ったらしい。

 その後、ギルドから緊急告知が行われ、ファミリアを騒がせた。

 

 『一級冒険者【酒乱群狼(スォームアジテイター)】ホオヅキに限定的裁量権を与えた』

 

 この限定的裁量権とはギルドのブラックリストに登録された冒険者及びにオラリオ外への無断逃亡を図った冒険者、ファミリアから追放された元冒険者、オラリオ周囲の犯罪行為に手を染めた冒険者に対しての裁量権の事である。

 

 あの血濡れの惨劇を引き起こした【酒乱群狼】に対して裁量権を与えたギルドにはいったいどんな考えがあっての事なのか?

 

 オラリオの外に逃げ出した冒険者やファミリアがどんな目に遭うのか、もう既に想像が付く。実際、昨日から今朝にかけて夜中に複数の元冒険者のごろつき集団が壊滅しているのを確認。

 

 中には拷問されたらしき死体も有り、脳天を砕いて脳髄を引き摺り出した痕跡も見つけられ、執拗なまでに攻撃を受けたのか肉片が散らばっているだけという場所まで存在しており、何をもってそんな事をしたのかは全く不明である。

 話を聞こうにも肝心の【酒乱群狼】に追いつく事が出来ず、話を聞く事ができなかった。

 

 ロイマンは右腕を肩の辺りから引っこ抜かれて膝から下を切断された状態で、もうダメなんじゃないかと噂されていたが、偶然ギルドまで顔を見せていた【ミアハ・ファミリア】主神ミアハの手によって完璧なまでに治療を施された事が後の調査で判明。

 どうせミアハの事だからゴマすりだと言いながら冒険者にポーションを配り歩いていたのだろう。何時もの事だ。

 ミアハ曰く『綺麗に切断されていたおかげか両足は問題ないだろう。右腕も問題は無いと言いたいが油断はできない』との事。

 

 以上の事から、これからオラリオの外に夜逃げしようと考えているファミリアは決してオラリオの外に逃げない様にしよう。

 

 ()()ホオヅキがオラリオの外で元冒険者・逃亡冒険者狩りを行っている所に出て行くファミリアが居るとは思えないが……

 

 暫くの間ギルドの換金所が使用できない事に伴い、臨時に【恵比寿・ファミリア】が魔石の換金を行う事を発表。換金を望む眷属には【恵比寿・ファミリア】の支店に換金を行いに行くように伝えてあげよう。

 

 

 ヘファイストスは足を組み替えて呟く。

 

「ギルドから許可を得ずにオラリオの外に出たファミリアや冒険者に対しても裁量権を持つ……ねぇ」

 

 詰る所、今現在ギルドから許可を得ずにオラリオの外に出たファミリアや冒険者は【酒乱群狼】が裁量権を以て裁いてしまっても問題ない。しかもほぼ間違いなく惨殺されると言う事になるだろう。

 

 前々から『狂ってる』だの『気が触れてる』だの言われていたあの冒険者がついにやらかしたらしい。

 

 ギルド側は『経費削減の為に観測員の人数を減らしていた』だの『観測員がそもそも一人も送り出されていなかった』だの噂が立っておりギルド側から『二度と同じ事が起こらない様に再発防止に努める』と声明が出されている。

 

 それにしても、あの【酒乱群狼】に話を聞こうとするなんて相変わらず【トート・ファミリア】の団員は【酒乱群狼】とは違う意味で気が狂っているのではないだろうか?

 仮に出会えたとしてまともに相手をしてもらえるか分らない。と言うか殺される可能性もあるのでは?

 例え話が出来たとしても意味ある会話になるとも思えない。

 

「まあ、気にしても仕方ないわね」

 

 【ヘファイストス・ファミリア】からすれば特に関係の無い話だ。

 

 戦える鍛冶師として冒険者と鍛冶師を兼業している者達も抱える【ヘファイストス・ファミリア】だが、ドロップアイテムは基本的に鍛冶の素材として使用してしまうし、魔石は元々契約を行っていた【恵比寿・ファミリア】に対して直接卸していた。代わりに【恵比寿・ファミリア】は上質な玉鋼や金属を提供してくれている。

 

 そんな中、元々利用していなかったギルドの換金所が使用できない事はあまり関係ないのだ。

 

 オラリオの外が危険地帯になっている云々も、逆に言えばギルドの許可書を提示すれば【酒乱群狼】は手を出してこないだろう。

 あの眷属は()()()()()()()()

 

 【酒乱群狼】と言えば一級冒険者30人の虐殺が有名だが、アレは戦争遊戯(ウォーゲーム)のルールの時点で『どちらかの眷属が全員死ぬ事』が勝利条件として提示されていたからそうしただけであり、他にもさまざまな殺傷事件を起こしているが、どれも相手側から【酒乱群狼】に喧嘩を吹っ掛けていたのが原因だ。

 

 一級冒険者に喧嘩を吹っ掛けたら殺されても文句を言えない。

 

 それはオラリオではごく当たり前の事なのだが、何も知らない新米が知らずに喧嘩を吹っ掛けて殺されたり致命的な怪我を負わされたりする事は日常的だ。

 

 無知は罪だから

 

 オラリオ外で困るのは許可書を得ずに行動している者達だけだろう。

 そんなのは違法品を取り扱っている商人やギルドに違反した者達ばかりだし。

 ソレであるならギルドからすればホオヅキが勝手に探し出して屠ってくれるのはありがたいぐらいでむしろ経費削減になって喜んでいるのでは?

 

 ともかく、関係ない話題の情報誌は放置で構わない。

 

 今、ヘファイストスが行っていたのは【ヘファイストス・ファミリア】に届いた手紙や情報誌等の配達物の仕分けである。

 

 他のファミリアなら眷属にやらせる仕事であるが、ヘファイストスは神が直々に行っている。

 

 単純にとある眷属からの手紙が来ないかを期待して行っているだけなのだが、最近では習慣の様になっている。

 

「これはロキの所からの手紙ね、カエデに何かあったのかしら? 後で読もう」

「……ラブレターか、一応後で読んでおこうかしら」

「この手紙は破棄ね、前に断った遠征の話だろうし」

「へぇ、新しい楽曲の演奏会を行うから招待状かしら? 行く余裕は無さそうね……」

 

 手紙の中には毒物や刃物を仕込んで嫌がらせを行われる事も有るが、事前に眷属が安全を確認しているので問題は無い。だったら仕分けも眷属にやらせればと思うかもしれないがどうにも譲れないのだ。

 

「そう言えばもう直ぐ神会(デナトゥス)だったかしら、今回の主催者は【ミューズ・ファミリア】のタレイア……あの子に主催者が務まるのかしら……」

 

 神会(デナトゥス)の報せの手紙を分けて置いて、次の手紙に手を伸ばして差出人の名前が書かれていない手紙を見て首を傾げた。

 

「これ、誰からかしら?」

 

 眷属が検分しているので危険な物が仕込まれてはいないだろう。

 

 差出人不明の手紙に、ヘファイストスは神特有の勘の様なモノが疼くのを感じた。

 

 思わずペーパーナイフに手を伸ばして封を切る。

 

 

 

 

 

 

 神ヘファイストス様へ

 

 お久しぶりです。ツツジです。

 色々と伝えたい事がありますが最低限のみ記します。

 

 今まで手紙を出せなかった訳では無く、叔父が商人に取引して俺の手紙を全て途中で破棄させていたからでした。今まで気付かなくて、ヒヅチとカエデが居なくなって気付きました。

 手紙、届いて無かったんですね。知らなくて、助けを求める手紙を書いてました。

 

 ごめんなさい

 

 最後にヘファイストス様に届いた手紙は子供が生まれる直前のモノだと思います。

 子供についてはちゃんと産まれました。

 キキョウも凄く頑張って、二人も子供が産まれました。

 

 最初に産まれた一人が真っ白い毛色に真っ赤な目で、『白き禍憑き』って呼ばれる忌み子でした。

 

 白い子は何故、忌み子と呼ばれるのか。

 理由は単純で薄命である。それだけでした。

 俺達、黒毛の狼人は情に厚すぎる。情を抱いてしまえば何処まででも尽くそうとしてしまう。

 個では無く群れとして生きる狼人として、群れの中に薄命な子を入れて、情を抱いてしまうと、薄命をどうにか出来ないかと群れ自体が動き出してしまうんです。

 ソレで神々を頼る事をした結果が過去にあった『黒毛の狼人狩り』の原因になったんです。

 それ以降、白子は群れの中で情を抱く前に親の手で殺す事になっていました。

 

 親が己の手で屠る事で、情を斬り捨てる。ソレが俺達『黒毛の狼人』のやり方だったんです。

 

 村の掟では『白き禍憑き』が産まれたら、両親どちらかの手で息の根を止めると定められていましたが、俺にはできませんでした。

 

 どうにか子供を、アイリスを助けられないか考えていたら叔父が『お前が殺せないのなら俺が殺す』とアイリスを殺そうとしたんです。親父はやめる様に言ってました。俺はどうすれば良いのかわからなくて動けなくて、あのままだったらアイリスが殺されている所でした。でもヒヅチが止めてくれて、アイリスを殺そうとしている理由を知ったヒヅチが『殺すならワシが育てる』と言ってアイリスを連れていきました。

 

 ヒヅチに詳しい事情を説明しました。

 薄命故に情を抱く事が辛い事を、そしたら『死ぬまで面倒を見る。死を看取る』って言われて追い払われました。

 それから数日してからヒヅチに言ったんです。『神の恩恵』があれば寿命をどうにかできるかもしれない、と

 

 それから、神の恩恵について詳しく説明したらヒヅチが

『この子が自ら選択出来る様になるまでは鍛えよう、己が道を選べる様になったら選んだ道を歩める様に力添えをしよう』って言ったんです。

 

 すぐにでもオラリオに連れて行こうと思ったんです。旅路の危険はヒヅチとホオヅキが居れば大丈夫だって思って。

 

 でも、ホオヅキに止められました。

 

 今は【ゼウス・ファミリア】と【ヘラ・ファミリア】が崩壊して治安が安定してないから行くのはやめろって。

 今行っても【闇派閥(イヴィルス)】が蠢いていて危ないって。

 

 俺はキキョウやヒヅチ、ホオヅキと相談して、オラリオの治安が安定するまでアイリスを鍛えてランクアップさせて寿命をどうにかするって決めました。

 ヒヅチは『この子が拒むのならばワシはただ甘やかして安らかに死なせる積もりだ』と言ってましたが、俺はアイリスに生きて欲しい。せっかく生まれたのに、何もできずに死ぬのはあんまりだと。

 

 それで、村の中で『忌み子』が毛嫌いされてて、『アイリス』と呼んでいたら一瞬で俺の子だとバレて村での立場が危うくなると言う事で『アイリス』じゃなくて『カエデ』と呼ぶ事になりました。

 

 前々から産まれた子供に『アイリス』と名付けるって騒いでいた所為で、そう呼べなくなりました。

 

 もう一人の子に『アイリス』って名付ければって言われましたが。最初の一人目の為に考えた名前だったので、ソレはやめました。二人目の子には『ヒイラギ』って名前を付けました。

 

 それで『カエデ』は順調に育って、ヒヅチの元で剣を持つ様になったんです。

 

 カエデを鍛える事が決まってから、ヒヅチはカエデに鍛錬を着け、俺はカエデの為に剣を打ち続けました。

 

 それから、流行病でキキョウが亡くなって、ヒイラギも、ヒヅチも流行病で倒れてもうだめかって思った時に、ホオヅキが特効薬を持ってきてくれて、なんとかヒイラギもヒヅチも助かって、でも叔父が『流行病を村に齎したのは白き禍憑きの仕業』だって騒ぎ出して、静かになってた村が騒がしくなって、カエデが石を投げつけられるようになりました。

 

 村で、カエデが石を投げつけられているのを、ただ見てる事しかできませんでした。

 ずっと、俯いて獲物を担いで運んでる自分の娘に何の声もかけれないんです。

 ヒヅチと居る時だけ、笑ってて、村に入ると俯いて視線に脅えてるんです。

 

 俺は、何もできませんでした。

 

 村の中で、叔父に脅されていました。

 『黒毛の狼人狩り』の悲劇を繰り返したいのか、と

 

 叔父は、一人の子供なんかより、群れが大切だったんです。

 

 親父は『後悔してからでは遅い、儂の様にならんでくれ』って言って、俺がカエデにこっそり剣を打っている事を黙っていてくれました。

 

 キキョウが死んでから、俺はヒイラギを守りながら待ってました。

 

 それで、ホオヅキがやっとオラリオが安定してきてカエデを受け入れてくれそうなファミリアを見つけたと伝えてきて、ようやくかって思ってました。

 

 次にホオヅキが訪ねて来た時にヒヅチとカエデがホオヅキに連れられてオラリオに向かって、その後に少し間をおいてから俺とヒイラギもオラリオに行く事になってました。

 俺は有名過ぎてカエデとなんか関係があると思われればカエデの足を引っ張りかねない。

 そんな風に考えてました。

 

 でも、ヒヅチが死んで、10日後ぐらいにカエデが居なくなってしまいました。

 

 ホオヅキが連れて行ったのかって思ったけど、違いました。

 

 親父がこっそりカエデに寿命の事を伝えてオラリオに解決策があるって教えてしまったそうです。

 しかも長旅に必要なお金や食糧を用立ててカエデを送り出してしまったんです。

 

 俺とヒヅチ、ヒイラギの三人の作戦をまったく教えていなかった所為で勝手な事をしてしまったと、親父は謝ってきました。でも、カエデの事だからきっと一人でオラリオに辿り着いてしまうだろうって思ったんです。

 

 もし、オラリオでカエデを見かけたら、助けてあげて欲しいんです。

 

 今まで、ずっと手紙が届いて無くて、九年も待たせておきながら、勝手だってのは分かってます。

 それでも、お願いします。カエデを見つけたら助けてあげてください。

 

 俺がヘファイストス様に贈った『百花繚乱』も、もしよければカエデに渡してください。

 

 代わりに何でもします。新しく剣を打ったり、なんなら奴隷になってもいいです。

 

 次にホオヅキが村に来たら、ホオヅキに事情を説明して一緒にオラリオに行く事にしました。

 

 ヒイラギは俺の血をしっかり引いているらしく、もしかしたら俺の作品以上の頑丈さを持った武器を打てる逸材かもしれないです。

 

 ps:驚くかもしれませんが、ホオヅキは()()【酒乱群狼】です。実は俺の義理の姉だったらしく、かなり助けられました。

 

        ヘファイストス様の事を四番目に愛しているツツジ・シャクヤクより

 

 

 

 

 

「…………」

 

 謎が氷解して、謎が浮上した。

 

 何故、あのツツジが子供を捨てる様な真似をしたのか。

 

 何故、手紙が届かなかったのか。

 

 二人居たのだ。双子。

 

 アイリスとヒイラギ。

 

 片方が忌み子だった。

 

 ツツジはどちらも見捨てられなかったのだろう。

 

 アイリスを見捨て、ヒイラギのみを助ければ何の問題も無かったかもしれない。

 

 だが、見捨てられなかったからこそ、ツツジはどちらも助けようと手を打っていた。

 

 半ば強引にオラリオに来ると言う手もあったかもしれない。

 

 しかし、九年前と言えば最強派閥の【ゼウス・ファミリア】【ヘラ・ファミリア】の二枚看板が『三大クエスト』に挑んで主力が壊滅後、【フレイヤ・ファミリア】【ロキ・ファミリア】の二つのファミリアによって完全に消え失せた影響で【闇派閥】がオラリオ内部で蔓延っていた時期だ。

 少なくとも、カエデの様な毛色の珍しい狼人が居れば攫われて売りとばされるのがオチとなっていた可能性が高い。

 ソレを考えればギリギリまで待っていたと言う事情も分かる。

 

 手紙が届かなかった事情も、『黒毛の狼人狩り』が関係していたのか。

 

 『黒毛の狼人狩り』

 

 過去、と言っても四・五百年前の話だが黒毛の狼人は別名『群狼』と呼ばれていた。

 その時代に於いて『群狼』のみが習得する特殊スキルがチート並に強いと神々の間で流行った。

 一部の神々は、黒毛の狼人を半ば攫ってくると言った形で自分の眷属にすると言う事を行い、数多の黒毛の狼人が友人を、恋人を、我が子を奪われ涙を呑む形になった。

 

 特に黒毛の狼人は他の種族よりも仲間内の情が厚く……いや、厚すぎた。

 

 数多の黒毛の狼人が攫われた友人や恋人、我が子を取り戻そうと、()()()()()()()()

 

 殆どの場合、神威によって萎縮して神に攻撃する意思を削ぐ事ができるはずなのだが、黒毛の狼人は狂気を身に宿しやすく、結果として神威より狂気が勝り、神に手をかける者達が何人も現れ始めたのだ。

 

 黒毛は危険の証

 

 神々の間でそんな認識が広がりファミリアは黒毛の狼人と言うだけで差別や攻撃の対象として攻撃しだしたのだ。

 

 結果的に言えば、神々が引き金を引いた『黒毛の狼人狩り』はやがて、黒毛の狼人VSそれ以外の種族のファミリアとなっていった。

 

 その段階に至って、黒毛の狼人は恐ろしいポテンシャルを発揮した。

 

 『群狼』の名は伊達では無かった。

 

 例え無所属(レベル0)だろうが、『群狼』は数十人集まれば単独の一級冒険者を殺す事が出来る。

 

 十四~十五人集まった群狼を仕留めるのになんと一級冒険者四人がかりでも半日かかったのだ。

 

 そんな恐ろしい殺し合いも、元々数が少なかった黒毛の狼人が壊滅する事で終わりを迎えた。

 その後、数が激減した黒毛の狼人は何処かのファミリアに保護されて隠れ里を作り全滅は免れたらしい。

 

 神々を直接殺した狼人については神々の手で屠られたそうだが……

 

 あの争い以降、黒毛の狼人の危険性を理解した神々は黒毛の狼人に手出し禁止と言う法まで作り出した。

 

 そして、ツツジはそんな隠れ里から出て来た黒毛の狼人だった。

 

 あの頃と違い、狂気を身に宿した黒毛が激減して残ったのは比較的温厚な者達ばかりとなっていたし、黒毛の狼人は()()を形成していて初めて恐ろしいと称される種であり、ツツジ単独で群れを率いている所か仲間も一人もいなかった事、ヘファイストスはツツジが神殺しを行う様な人物には見えなかった事もあり、眷属として受け入れた。

 

 黒毛の狼人は危険だ。そんな思想が残っているとはいえ、神々も四・五百年前の出来事なんて気にもしていない。黒毛の狼人に殺されて天界に戻された神々は未だ恨み言を呟いているだろうが、地上に残っている神々は気にしていない。

 実際、殺された神々は産まれたばかりの子供を攫って眷属にしたりしていた為に激怒した狼人に襲われたらしく、同情の余地は無かった。

 

 ツツジもまた、群狼の名に恥じぬ様な、人を惹きつけるナニかを持ってはいたが、本人は全く活用する気が無かった。鍛冶以外に……と言うかヘファイストスの剣を折る事以外に興味を示さなかった。

 

 最近は黒毛はホオヅキ以外居ないと言われるほどになっていたが…… 

 

 そのホオヅキも、ツツジの義理の姉だと言う。驚きと言うか、本当だろうか?

 

 ……あのツツジとホオヅキが姉弟の関係だと?

 

 いや、義理の姉か。いや、そうじゃない。あの『狂ってる』等言われてるあの眷属と?

 

 むしろ、納得できる理由とも言えるのだが……

 親、兄弟、友人、恋人。何れかに何かあれば容赦の欠片も無く相手を殲滅する。

 黒毛特有の情愛の厚さからくる狂気染みた攻撃性をホオヅキも持っていた。

 ツツジも【ヘファイストス・ファミリア】所属時代に団員を攻撃された際に激怒して相手を半殺しにした事もあった。

 

 しかしホオヅキ、ホオヅキねぇ……つい昨日もやらかしたあの眷属が……

 

 …………考えるのをよそう。あのホオヅキが次にオラリオに来る時にツツジが共にくるらしい。

 

 ……いや? ホオヅキはもう既にオラリオに居る。時間を考えればツツジがオラリオに来ていなければおかしい気はする。

 

 どういう事だろうか?

 

 ……あまり、良い感じはしない。

 

 もしかしたらツツジに何かあったのでは? あのホオヅキが荒れている理由がツツジに何かあった事が関係しているのなら……

 

 ホオヅキに聞くのが一番だが、今のホオヅキの様子ではまともな話が出来るとは思えないし、眷属に探しに行ってもらう事はしたくない。そうなるとツツジの事が気になるのだが……

 

 今は置いておこう。

 

 他にも気になる所が多いが、気になった部分をもう一度読み返す。

 

『ヘファイストス様の事を四番目に愛しているツツジ・シャクヤクより』

 

 この一文、わざわざ順番を記載している理由。なんとなく察しはつく。

 

 一番はキキョウ、二番目と三番目、いや三人とも一番か。キキョウ、アイリス、ヒイラギの三人が一番、そして四番目のヘファイストス。

 

 ここで『ヘファイストス様を一番愛してる』と書かないのはあの頃と気持ちは変わっていないと言う意思表示だろう。なんだかんだ言いつつも、ツツジはヘファイストスに靡く事はしなかった。

 悔しい気もするが、同時にツツジらしいなと安心もした。間違いなくツツジの手紙だと断言できる。

 

 そして『『百花繚乱』をあげてください』と言う一文。

 

 『百花繚乱』

 

 【疑似・不壊属性(デュランダル・レプリカ)】ツツジ・シャクヤクが最後に打ち上げた一本の大刀。

 

 ツツジはそれまで特殊武装(スペリオルズ)を作る事をしなかったが、最後の最後に打ち上げた剣には再生効果(リジェネレート)を付与した特殊武装(スペリオルズ)を作り上げた。

 

 再生効果(リジェネレート)の効果は単純に武装の耐久を徐々に回復させると言うモノ。時間をかければ完全に新品同然の状態まで再生する為、武装を消耗する冒険者にはありがたい効果である。

 当然だが折れてしまえば効果は失われてしまう上、耐久力が低下すると言う欠点がある。

 

 結果として、耐久が回復する以前に折れたりしてしまって使い物にならない特殊武装(スペリオルズ)として知られているソレだったが、ツツジの作り上げる不壊属性(デュランダル)に匹敵する耐久力の前に、再生効果(リジェネレート)の耐久力低下はそう大して違いは無い為、ツツジ曰く『ぜってぇー壊れねぇ武器作ったから、俺が死んだ後もずっとヘファイストス様の傍に置いとけるぜ。大事にしてくれよ』との事。

 

 レベル4の時点でヘファイストスの儀式の剣を圧し折った為、そのままオラリオを去ったツツジだが、最後にこの『百花繚乱』を打ち上げた後、ステイタスの更新を行ってからオラリオを去って行った。

 その最後の更新にてツツジは『偉業の証』を手にしていた。

 残念な事に基礎アビリティがD以上になっておらず、レベル5にはなれなかったのだが……

 

 ツツジがオラリオを去ってから、しばらくしてその大刀の異常さに気付いた。

 

 凄まじい再生能力を有していた。

 

 ツツジに嫉妬していた眷属の一人が『百花繚乱』を折ってやろうと数多の手段をもってして『百花繚乱』を折ろうとした。

 

 結果はその眷属の心が折れた。

 

 凄まじい熱で焼こうが、凄まじい重圧をかけようが、剣を幾度打ちつけようが、揚句、バトルハンマーや大型武装で圧し折りにかかったが、傷付ける事がやっとだった。

 

 そして、その傷も数秒もしない内に再生して消え失せると言う始末。

 

 結果として不壊属性(デュランダル)ではないのに破壊出来ない大刀と言う恐ろしいモノとして神々に認識される事になった。

 

 神々の間では密かに『不滅属性(イモータル)』等と呼ばれる程の耐久力と再生能力を有した、オラリオ最高峰の鍛冶師をはるかに超えた特殊武装(スペリオルズ)である。

 

 見た目は切っ先に行くほどに分厚く、幅広になった大刀で、装飾が一切施されていない武骨な武器ばかり作ってきたツツジにしては珍しく、剣の側面に精密な細工がしてあり、血溝の役割も果たすその細工は、百花繚乱の名の元にもなったモノで、精密に描かれた数多の花々の咲き乱れた姿が掘り込まれている。

 

 柄も、鞘も、全てに装飾を施した一本の剣。

 

 【へファイストス・ファミリア】を去る前に、最後の最後にツツジが打ち上げてヘファイストスに贈った剣。

 

 手入れの行き届いた『百花繚乱』に手を伸ばして溜息を吐く。

 

 これを渡す。ソレは出来ればしたくない……ツツジが自分の為に作った最後の一本だから。

 

 どうするか考えてから、『百花繚乱』を机に置く。

 

「どうしようかしらねぇ」

 

 ツツジが知ったらどう思うだろうか?

 

 カエデはちゃんとオラリオに到着しており、あの【ロキ・ファミリア】に入団していると知った時。

 

「あ、ロキからの手紙」

 

 そこまで思い至って、ロキからの手紙を思い出し、直ぐにツツジの手紙を丁重に箱に仕舞ってからロキの手紙の封を切る。

 

「何があったのかしらね」

 

 そう呟きながら、ヘファイストスはロキからの手紙を開いた。

 

 

 

 

 

 ファイたんへ

 

 カエデたんが放火魔(バスカヴィル)に焼かれて、防具全部焼失して死にかけたから、新しい防具買いに行くわ

 後、剣も焼かれて傷んどるかもしらんから見て欲しいわ

 

 ロキより

 

 

 

 

 

「……はい?」

 

 短い手紙に思わず首を傾げ、それから書いてある内容を認識して、呟く。

 

「え? あの子いきなり中層に突っ込んだの?」

 

 流石ツツジの娘だ。なんと言うか予想外の事をしでかすあのツツジをしてあの子ありと言った感じか。

 

 ……死にかけた? ちょっと待ってほしい。どういう事なのか……




 黒毛の狼人

 通称『群狼』

 常に群れで行動し、何をするにしても群を中心に動く種族

 常に群れの中で『巨狼の血』を引く者が長として君臨し、群れの一部となった狼人は長の命で動く。恐れを知らず、長の命に従うその様は数多の試練を乗り越えてきた一級冒険者ですら恐怖を抱くほどの狂気を宿した行動力を見せつけてきた。

 情愛が強く、群れの誰かが望まぬ形で命を落としたり攫われたりしそうモノなら、相手がモンスターであれ人間であれ、報復を行う狂気を宿した種

 例え神が相手であろうがその報復の牙が止まる理由とはなり得ぬほどの狂気をその身に宿す。

 逆に一度でも群れの仲間と認められればどんな手段を使ってでも守ろうと動く為、何も分らぬ無垢な赤子の状態で攫って育てる事で、凄まじいまでの戦闘能力を有した集団に育てる事が出来る。

 この特徴を生かして赤子を攫う神が絶えなかったが、怒り狂った黒毛の狼人の手によって幾人も屠られてきた。


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『黒い巨狼の話』

 姉が眠る布団の傍で少女はただ涙を零す事しかできなかった

 医者は言った『二度と目を覚ます事はないだろう』と

 妖術によって精神をすり減らし続けた結果

 精神消失してしまったらしい

 姉は約束通り帰ってきた

 しかしこんな帰還は望んでいなかった

 涙が枯れるまで 少女はただ泣き続けた


 そこを歩く若人(わこうど)よ、少し話をしないか?

 

 うん? ナンパかだって? いや、全然違うよ。

 

 キミは確かに顔立ちも整っているが、残念な事に私の好みではない。

 

 私の好みかい? そんな話はどうでも良いだろう。

 

 それで、話を聞いてくれるかい?

 

 ……私は誰かだって? それなりに有名人だと自負していたんだがね。

 

 『タロットの魔術師』と言えば通じるかい? ああ、分ってくれたか。

 

 何? 思ってたより普通? いったい私はどんな人物だと噂されているんだろうね。

 

 少し興味はあるが今はどうでも良い。

 

 話を聞いてくれないか? 何? 急いでいる?

 

 そんな急ぐことは無い。聞いて損の無い話だよ?

 

 ……胡散臭い? こんな見目麗しい女性の話だよ? 聞きたくないかい?

 

 自分で見目麗しい等と言うなんて変わり者だって? ふふっ、よく言われるよ。

 

 さて、昔話をしよう。いや? 今話?

 

 昔話だな。今まで続いている。いや、これから先も続いていく物語だ。

 

 興味はあるかい? ない?

 

 キミは随分と酷いヒトだな。

 

 こんな見目麗しい羊人の昔話を聞ける機会なんて今後無いんじゃないかな?

 

 まあ、キミが興味を示そうと示すまいと話は聞いてもらうけれどね?

 

 

 

 

 

 ある所に黒い巨狼が居ました

 

 巨狼には一つ、自慢がありました

 

 美しく鋭い白牙

 

 巨狼は誇りに思っていました

 

 その鋭さはありとあらゆるモノを貫きました

 

 巨狼は白牙をとても、とても大事にしていました

 

 

 

 

 

 ある日、巨狼の元に金色の獣が訪ねてきました。

 

 金色の獣は言いました

『どうかその力を貸して頂けないか』

 

 巨狼は問いかけました

『何をすればよいか』

 

 金色の獣は言いました

『怪物の湧き出す穴を塞ぐ、偉業を成さんが為に数多の種族の者達が協力している』

『巨狼もその鋭い白牙をもってしてその偉業を助けてくれはしないか』

 

 巨狼は白牙を褒められ、喜び、協力を約束しました。

 

 

 

 

 

 金色の獣、小人の騎士団、人間の英雄、精霊と妖精の魔道士、ドワーフの技師達、獣人の戦士団

 

 そして黒い巨狼

 

 数多の種族が集い、世界の穴に挑みました

 

 

 金色の獣が穴から溢れ出る怪物を切り伏せ、小人の騎士団が押し留め、人間の英雄が鼓舞し、精霊と妖精の魔道士が炎の魔術で焼き払い、ドワーフの技師達が蓋を作り、獣人の戦士団が溢れた怪物を叩き潰す。

 

 巨狼もその爪を、脚を、巨体を使って怪物を切り、潰し、殺しました。

 

 

 

 暫くすると、怪物の溢れ出る穴から強大な怪物が現れました。

 

 翼はためかせる黒き竜

 

 地を踏み鳴らす巨大な獣

 

 全てを焼く炎を撒き散らす巨人

 

 雷の翼をもつ巨鳥

 

 石膏の体を持つ怪物

 

 五つの首を持つ蛇の怪物

 

 鬣と尻尾が蛇になっている黒い双頭犬

 

 獅子の頭、山羊の胴、毒蛇の尾を持つ異形の怪物

 

 羽毛のある巨大な蛇

 

 その他、数多の強大な怪物が次々と溢れ出して、数多の英雄/戦士/魔道士達を蹴散らしました。

 

 

 

 金色の獣が全てを焼く炎を撒き散らす巨人と雷の翼をもつ巨鳥を一太刀に斬り伏せ

 

 小人族の騎士団が石膏の体を持つ怪物を仕留め

 

 精霊と妖精の魔道士達が五つの首を持つ蛇の怪物を焼きつくし

 

 獣人の戦士団が鬣と尻尾が蛇になっている双頭犬を殺し

 

 人間の英雄が黒き竜に手傷を負わせましたが。逃げられてしまいました。

 

 地を踏み鳴らす巨大な獣は誰も手が付けられず何処かにいってしまいました。

 

 

 

 黒い巨狼は自慢の白牙を獅子の頭、山羊の胴、毒蛇の尾を持つ異形の怪物に突き立てました。

 

 異形の怪物は瞬く間に死に絶え、白牙は折れてしまいました。

 

 巨狼は自慢の白牙が折れた事を嘆き、悲しみました。

 

 溢れる怪物を白牙無しで殺し続け、気が付けば蓋が完成していて皆が勝鬨をあげていました。

 

 

 

 巨狼だけは悲愴な咆哮をあげ、白牙が折れてしまった事に悲しみました。

 

 

 

 金色の獣が戦いの終わりと同時に故郷へと帰りました

 

 小人族の騎士団が地上に残った怪物を屠る為に旅立ちました

 

 人間の英雄がドワーフの技師達と協力して蓋の補強と、その蓋の周囲に街を作り始めました

 

 精霊と妖精の魔道士達はいつの間にか居なくなっていました

 

 獣人の戦士達は言われるまでも無く各地の故郷へと帰りました

 

 

 巨狼は故郷の森に帰り、悲しみに暮れました。

 

 

 

 

 

 白牙が折れた事に悲しみを抱いていた巨狼は、新しい白牙が生えている事に気が付きました。

 

 巨狼は新しく生えてきた白牙に喜び、今度は折らぬ様にしようと大事にしました。

 

 

 暫くして、白牙は美しく、鋭く育ちました。

 

 巨狼はその白牙を誇りました。

 

 

 そして、その白牙はすぐに折れてしまいました。

 

 

 何があった訳でも無く、鋭く育ったその白牙は儚過ぎたのです。

 

 

 巨狼は嘆きました。 どうして折れてしまうのか。

 

 

 牙はとても、とても鋭く。ありとあらゆるモノを貫く鋭さを持っています。

 だが、同時に使えば折れてしまう程に儚く脆いモノでした。

 だから使わないように大事にしたのに、儚すぎて時間が過ぎ行くだけで折れてしまうのでした。

 

 

 巨狼は嘆き、悲しみに暮れました。

 

 

 また、白牙は生えてきました。

 

 鋭く、美しく育ちました。

 

 白牙は儚過ぎて勝手に折れてしまいました。

 

 

 また、白牙は生えてきました。

 

 鈍くはありましたが、美しく育ちました。

 

 儚くはありませんでしたが、それでも短い間に折れてしまいました。

 

 

 また、白牙は生えてきました。

 

 何度も、何度も、何度も

 

 白牙は生え変わり、鋭く/美しく/儚く育ち、折れていきました。

 

 

 巨狼は考えました。

 

 何度も、何度も、何度も

 

 繰り返し、繰り返す、白牙が折れて暮れる悲しみをどうにかできないかと

 

 

 

 ある日、森の奥で生え変わる白牙の儚さに嘆いていた巨狼の元に旅人が訪れました

 

 旅人は言いました。

 『神々を頼ってはどうか?』

 

 巨狼はその言葉に従い、蓋を築き上げた穴のあった場所を訪ねました。

 

 其処は始まりの悲しみの場所

 

 最初の白牙が折れてしまった場所

 

 だが、巨狼は求めてしまいました

 

 儚過ぎる白牙の儚さをどうにかする方法を

 

 

 

 黒い巨狼はその白い巨塔の立つ世界最大の街で出会った神に求めました。

『白牙に神の奇跡を授けて欲しい』と

 

 話を聞いた豊穣の女神は頷き、答えました。

『良いでしょう。眷属として迎え入れ、奇跡を授けます』と

 

 白牙は奇跡を授かりました。

 だが、それだけでは足りませんでした。

 

 エクセリアを使い、奇跡を強くしなければならない。

 

 巨狼は必死に白牙が折れない様に、傷つかない様白牙にエクセリアを集めさせました。

 

 

 

 暫くして、白牙は美しく、鋭く、強靭に育ちきりました。

 

 今までは直ぐに折れてしまっていた儚さは消え失せ、美しくある姿に神々すらも羨みました。

 

 巨狼は白牙を誇りました。

 

 

 

 

 

 めでたし、めでたし。

 

 で終わればまだ良かっただろう。

 

 なに? もう終わりではないのかだって?

 

 そんな訳無いだろう? こんな平凡で幸せな物語は食傷気味だろう?

 

 こらこら話の途中で席を立とうなんて失礼じゃないか。

 

 最後までちゃんと聞いておくれよ。

 

 それじゃあ、続きを話そうか。

 

 

 

 

 

 ある日、巨狼の赤子が攫われました。

 

 犯人は誰だ

 

 巨狼は犯人を捜しました。

 

 そして、見つけました。

 

 神でした

 

 

 巨狼は害成す者達には容赦なく襲い掛かります

 

 そう、神が相手であっても

 

 

 巨狼は今までどおり、今まで生きてきた中で育て上げた白牙を神に突き立てました

 

 

 神は死にました

 光の柱となって消え失せました 

 赤子は帰ってきました

 

 しかし

 

 美しく、鋭く、強靭だった白牙は折れてしまいました

 

 巨狼は悲しみました

 

 巨狼は嘆きました

 

 巨狼は怒りました

 

 

 

 

 別の神が巨狼の子供を攫いました

 

 白牙を失った巨狼は子供を攫った神を殺しました

 

 巨狼は別の神に殺されました

 

 

 

 

 巨狼は目覚めました

 

 巨狼は少し痩せてしまいました

 

 巨狼は自分を殺した神を殺しました

 

 巨狼は神々に殺されました

 

 

 

 

 

 巨狼は目覚めました

 

 巨狼は更に痩せていました

 

 神々は巨狼を攻撃し始めました

 

 痩せ細った体では神々に抵抗できませんでした

 

 次々に仲間が殺され、痩せ細り、このままでは滅びてしまう

 

 巨狼は神を恨みました

 

 巨狼は神を呪いました

 

 

 

 

 

 痩せ細り、骨と皮、後は頭しか残っていない巨狼は滅びを覚悟しました

 

 そんな時、神々の居る白い巨塔の街に他の黒い巨狼たちが集まってきました

 

 巨狼と同じく、子を、家族を攫われた巨狼たちは次々に神々に襲い掛かりました

 

 

 痩せ細った巨狼はただ見ていました、見ている事しかできませんでした。

 

 

 巨狼達と神々の戦いは激しさを増していきました

 

 

 その戦いも、徐々に治まっていき

 

 

 気が付けば、自分以外の巨狼は皆死に絶えてしまいました。

 

 

 このまま自分も滅びるのか

 

 

 そんな風に諦めていた巨狼に、噓くさい男神と豊穣の女神は言いました

『ここから逃げて森の奥に潜み隠れなさい』と

 

 巨狼はほんの少し迷ってから、その言葉に従いました。

 

 

 

 

 

 森の奥、巨狼は寝床を作り二人の神に言いました

『もう二度と神々と関わり合いになりたくない』と

 

 噓くさい男神と豊穣の女神は言いました。

『もう二度と貴方と会わない様にここに誰も立ち入れない様にします。安らかに暮らしてください』と

 

 

 

 

 巨狼は居なくなった二人の神に感謝し、寝床で痩せ細った体を慰めました。

 

 沢山、仲間が死にました

 

 沢山、悲しい思いをしました

 

 沢山、神を殺しました

 

 悲しくて、悔しくて、恨めしくて

 

 巨狼は森の奥、立ち入りを禁止された区画の寝床で泣きました。

 

 

 

 

 

 痩せ細った体は徐々に元に戻り始めた頃

 

 白牙が生えてきました

 

 巨狼は考えました

 

 自慢で、鋭くて、美しい白牙

 

 それがあった所為で、神々に目をつけられ酷い目にあいました

 

 巨狼は考えて、考えて、考え抜いて

 

 自ら白牙を抜き落とし、自らの手で折りました。

 

 泣きました、鳴きました、啼きました、哭きました

 

 ただ、悲しくて、哀しくて

 

 どうして抜かねばならぬのか?

 

 どうして折らねばならぬのか?

 

 巨狼は嘆きながら我が子らに語りました

 

『白牙は禍憑きの証だ』と

『禍憑きは折らねばならぬ』と

『生まれた白牙は折らねばならぬ』と

 

 そう、偽りを口にしながら死にました

 

 

 

 次の目覚めた巨狼は真実を飲み込み、偽りを口にしました。

 

 

 

 何度も、何度も

 

 死んで、目覚め、偽りを口にしました。

 

『白い禍憑きは、殺さねばならぬ』と

 

 

 

 

 永き時の果て、巨狼は目覚めました

 

 今までの所業を知り、巨狼は嘆きました。

 

 白牙を折る理由、神々との関係、愚かしい選択

 

 巨狼は嘆きに嘆いて、それでも白牙を折ると言う選択をとりました

 

 

 

 

 その後、偽り続けた巨狼は愛した女性と番になりました。

 

 

 

 

 暫くして、巨狼は新しく白牙が生えてきた事に気付きました。

 

 弟が言いました

『今すぐ殺せ、災厄を齎す白き禍憑きを殺せ』と

 弟は苛立たしげに白牙を睨みました

 

 番の女性が言いました

『どうかこの子を殺さないで』と

 それだけ言うと番の女性はそのまま死んでしまいました

 

 

 巨狼は悩みました

 

 折るべきか、折らぬべきか

 

 

 悩みに悩んだ巨狼はその白牙を抜きました

 

 

 抜いて、隠しました

 

 

 隠して白牙を育てました

 

 

 

 

 白牙は日に日に鋭く、美しく育っていきました。

 

 ある程度大きくなった白牙を見て、巨狼は悩みました

 

 このままでは折れてしまう

 

 神々の奇跡に頼らねばならない。

 

 しかし頼る事はできません。

 

 巨狼として、神々と顔を合わせる事ができませんでした。

 

 恨み/悲しみは消えていない。

 

 巨狼は悩み、悩んで

 

 決めました。

 

 

 愛した女性の遺言に従おうと

 

 巨狼は密かに神に手紙を綴りました。

『白牙に神の奇跡を授けて欲しい』と

 

 それはきっと、とても愚かしい行為でした。

 ですが、巨狼は白牙を愛してしまっていました。

 

 

 神からの返信が届きました

『良いですよ』と

 

 

 巨狼は喜び、白牙を神の元へ届ける為に準備を始めました。

 

 

 ある日、巨狼は白牙を隠した場所へ向かうと、そこに隠したはずの白牙は無くなっていました。

 

 

 巨狼は慌てました

 

 弟が言いました

『隠していた白い禍憑きは俺が捨てた』と

 

 巨狼は探しました

 

 探して、探して、探して

 

 終ぞ、白牙は見つかる事はありませんでした。

 

 

 嘆き、悲しみ、巨狼は神に手紙を書きました

『白牙を失ってしまった』と

 

 

 それから巨狼は悲しみに暮れながら過ごしました。

 

 

 

 

 

 巨狼は新しい番を作りました。

 巨狼として血を残す必要があると、ただの義務の為に番を作り、子を儲けました。

 

 生まれてきた息子に『慎み』の意味を持つ名を与え、育てました。

 

 ある日、息子は言いました。

『番にしたい女の父親に認められるために神々の剣を折ってくる』と

 

 弟は言いました

『裏切るのか』と

 

 巨狼は言いました

『好きにすれば良い』と

 

 息子は直ぐに群れを離れて神々の居る白い巨塔の街に向かっていきました。

 

 

 

 

 巨狼はただあるがままに過ごしました。

 

 ただ一つの事柄だけは忘れる事無く覚えていました。

 

 失ってしまった白牙の事だけは片時も忘れる事はありませんでした。

 

 

 

 

 ある日、金色の獣と出会いました。

 

 森の中、ズタボロの姿で彷徨っている所を群れの一人が見つけてきたのです。

 

 巨狼は信じられないと驚きました

 

 千年以上前に居た金色の獣と瓜二つの姿をしていました。

 

 巨狼は金色の獣を群れに迎え入れました。

 

 金色の獣は礼にと巨狼の群れに害成す怪物を狩る事を約束しました。

 

 

 

 

 暫くして、巨狼の元に息子が帰ってきました。

 

 息子は言いました

『神の剣を折ってきた。後序に女神に告白までされてきた』と

 

 弟は言いました

『ふざけるな裏切り者め』と

 

 巨狼は言いました

『よくやった』と

 

 弟が騒ぎ立てましたが、巨狼が一声かければすぐに静かになりました

 

 息子は意中の女性と番になりました。

 

 

 

 

 ある日、巨狼は気付きました。

 

 また小さい白牙が生えてきた事に気付きました。

 

 息子は言いました

『俺の娘だ、殺せない』と

 

 番の女性は言いました

『どうか殺さないで』と

 

 弟は言いました

『今すぐ殺してやる』と

 

 巨狼は何も言えませんでした

 

 其処に、金色の獣がやってきて、小さい白牙を奪って行ってしまいました。

 

 息子と番の女性は泣きました。

 

 弟は怒鳴り散らし、怒りを露わにしました。

 

 巨狼は安堵し、白牙の事を思い出しました。

 

 

 

 金色の獣に育てられ、小さい白牙は鋭く、美しく育っていきました。

 

 巨狼はそんな育っていく小さい白牙の傍に見知らぬ女性が居る事に気が付きました。

 

 妙な語尾で喋る女性

 

 巨狼は直ぐに悟りました

 

 あれは無くした白牙であると

 

 何故わかったのかはわかりませんでした

 

 でもわかったのです

 

 巨狼は泣きました

 

 嬉しくて、哀しくて、申し訳なくて

 

 金色の獣が言いました。

『気付いておるのはわかる。だがあ奴の口から言わせてやれ』と

 

 巨狼はその言葉に従いました。

 

 無くした白牙が折れていなかった事を喜び、そして待ちました。

 

 待って、待って、待ち続けました。

 

 

 

 

 ある日、金色の獣が死にました

 

 川に落ちて死にました

 

 小さい白牙だけが残されてしまいました。

 

 巨狼は悩みました

 

 このままでは小さい白牙が折れてしまうと

 

 悩んで、悩んで、決断しました

 

 神の奇跡について教えてしまおうと

 

 巨狼は小さい白牙に顔を合わせました

 

 ですが、小さい白牙と目が合うとどうしても無くした白牙の事を思い出してしまい、思わず目を逸らしてしまいます。

 

 それでも、巨狼は教えました。

 

 神の奇跡の事を

 

 後は、ほんの少しだけ、勇気を出して尋ねました。

 

 一緒に居ないかと

 

 その言葉に小さい白牙は答えませんでした。

 

 小さい白牙に少ない食糧と路銀、そして無くした白牙に渡す予定だった護布で作った服を渡して小さい白牙を見送りました。

 

 

 次の日、息子が訪ねてきました。

 

 息子は言いました

『あの子が何処に行ったか知らないか』と

 

 巨狼は全てを話しました

 

 息子は慌てて手紙を綴りました

 

 巨狼はその手紙が届いていない事を知っていました。

 

 巨狼は少し悩んでからその事を息子に教えました。

 

 息子は驚いた表情をした後、弟を殴り飛ばしてから手紙を出しました。

 

 

 

 

 数日後、村に旅人が訪れました。

 

 大きな鋼鉄の馬車を引き連れた集団でした

 

 巨狼は問いかけました。

『如何なる用件でこの村を訪れたのでしょうか?』と

 

 集団の頭らしき男は言いました

『女を一人寄こせ、そしたら乱暴はしない』

『大人しく差し出さなければ皆殺しにする』と

 

 巨狼は吼えました

『渡す事はしない』と

 

 男は言いました

『ならば死ね』と

 

 巨狼は斧で頭をかち割られて死んでしまいました。

 

 

 

 巨狼は目覚めました

 

 巨狼は吼えました

『よくも兄を殺したなッ!! 殺してやるッ!!』と

 

 群の皆が集団に襲い掛かります。

 

 次の瞬間には巨狼は槍に貫かれて死んでしまいました。

 

 

 

 巨狼は目覚めました

 

 巨狼は吼えました

『親父と叔父の敵討ちだ』と

 

 群れは動き出しました。

 

 恐ろしい程の連携を持ってして、巨狼の手足として群れは集団を引き裂きました

 

 巨狼がこのまま皆殺しにしてやろうと思っていると

 

 男が言いました

『このガキを殺されたくなきゃ、大人しくしろ』と

 

 巨狼の娘を人質にとり、男は嗤っていました

 

 巨狼は直ぐに攻撃をやめる様に指示をしました

 

 男は嗤いながら言いました

『準一級鍛冶師もこの様か、だらしがないな』

 

 男は巨狼に斬りかかりました

 

 巨狼は手にした剣で反撃も出来ずに頭から真っ二つにされて殺されてしまいました

 

 

 

 幼い巨狼は目覚めました

 

 幼い巨狼は叫びました

『よくも親父を、皆を殺したな、絶対許さない』と

 

 群れは幼い巨狼に従い、仇討をせんと踊りかかりました。

 

 

 

 群れは勇猛果敢に挑みました。

 

 幼い巨狼は、幼いなりに戦いました。

 

 しかし、その者達には敵いませんでした。

 

 

 

 気が付けば、手足として動いていた群れは一人残らず殺しつくされ巨狼は頭だけになっていました。

 

 頭だけになった幼い巨狼は吼えました

『殺してやるッ!! テメェ等全員殺してやるッ!!』と

 

 男は吼える幼い巨狼を鎖で繋ぎ、鋼鉄の馬車に放り込みました。

 

 男は言いました

『運が無かったな』と

 

 

 

 

 鋼鉄の馬車の中

 

 幼い巨狼は泣きました

 

 なんで、こんな事になったのかと

 

 

 

 

 

 ふう、話はこれでお終いだ。

 

 ふふっ、キミはなかなか私好みの若人(わこうど)な様だ

 

 ……うん? なかなかに胸糞悪い話だっただって?

 

 それはそうさ。現実なんてそんなモノだからね。

 

 続きの話はないのかだって?

 

 この物語は紡がれている途中だからね。無いよ

 

 でも巨狼の話はこれで終わりさ

 

 最後まで話を聞いてくれて感謝するよ。

 

 ……キミはなかなか察しが良いね。『黒毛の狼人狩り』の話に関係しているのかだって?

 

 答えは自分で見つけたまえ。私の口から語られても面白くないだろう?

 

 キミは物語をその目で見る立場に居るんだろう? ならばいずれ分ろう……いや、もう分かっているのかな?

 

 お前は何者かって?

 

 ふふっ、何者だと思う? 誰でしょうか?

 

 ……まあ、悩みたまえ若人よ、誰しも悩みの一つや二つ持つモノだからね。

 

 

 それじゃあ、私はこの辺りで失礼させて貰うよ。

 

 主神が【酒乱群狼】を探してオラリオを飛び出しかね無くてね。今は縛って本拠に放置しているがね。

 

 

 ああ、そうだね、もし君が良いのなら。今回の話の感想を聴かせて貰おうかな。

 

 

 何? 面倒だって? それならそれで構わないよ。

 

 

 じゃあ、さよならだ。

 

 また機会があれば是非に出会おうじゃないか。

 

 興味深い話を用意しておくから、次も楽しみにしてくれたまえ。




 あとがきにて各キャラクタープロフィールや簡単な用語紹介を入れようかなって思ったけどどうなんだろうね。

 当然ならがオリ設定ぶっこみます。と言うかマインドダウンやらマインドゼロやらあやふやなモノもあってどう使えば良いのかわかんないから勝手に設定突っ込んでるだけですがね。



名前『カエデ・ハバリ』(アイリス・シャクヤク)
好きな物『マシュマロ』
嫌いな物『ニンジン』
 真っ直ぐに育て上げられた白毛の狼人
 白毛、赤目と忌子としての特徴を持っていた事が災いし産まれると同時に殺されかけるもヒヅチ・ハバリに助けられて一命を取り留める。
 しかし薄命であった為に直ぐ近くに死が有る事を悟り、師でもあり母でもあるヒヅチ・ハバリの言葉に従い行動を開始。
 行動力に満ち溢れているモノの、若干の歪みを抱えている少女



名前『ヒヅチ・ハバリ』
好きな言葉『死ぬ(諦める)な、生きろ(足掻け)
嫌いな言葉『正義』
 真っ直ぐ、ただ真っ直ぐ。己の有り方を、生き方を貫く金毛の狐人。
 村の近くを記憶喪失の状態で彷徨っていた所を助けられて礼にと村の周辺のモンスター狩りを買って出ていた。
 それなりに村人と信頼関係も築いていたが、忌子を殺そうとしている場に遭遇して迷わずにその忌子を助けると言う行動をとった。
 忌子、カエデ・ハバリを助け、師として武技と心得を教え、母として愛を注いで育てていた女性。
 土砂降りの雨の日、カエデを庇い川に転落して行方不明になってしまった




精神疲労(マインドダウン)
 魔力(精神力(マインド))を短時間に多量に消費した際に現れる症状
 集中力の低下、基礎アビリティの一時的低下、頭痛や眩暈と言った軽度の症状が現れる。
 魔法種族(エルフor狐人)の場合は耐性がある為、軽度の眩暈程度で済む。
 逆にドワーフや獣人、アマゾネスの場合は重度の頭痛や眩暈等、耐性が無い故に症状が重くなりやすい。
 種族毎に症状が消えるまで差があるが、魔法種族の場合は一時間程度、その他種族の場合はおおざっぱに半日程度続くとされる。

精神枯渇(マインドゼロ)
 魔力(精神力(マインド))を使い切った状態
 魔法種族以外の種族の場合は大体が気絶してしまう。
 魔法種族の場合は重度の眩暈や基礎アビリティがかなり減少する等、深刻な状態に陥る。
 個人の素質次第だが、魔法種族の場合でも一日、魔法種族以外の場合は一週間ほど回復に時間がかかる為非常に危険な状態。


精神消失(マインドロスト)
 魔力(精神力(マインド))が枯渇している状態のまま、更に魔法を使用した場合に発生。精神力ではなく精神その物を削って魔法を使用し続ける事で陥る症状。
 精神が消失してしまった状態であり。魔法種族以外で陥る事はまずない。
 この状態になってしまった場合は治療不可能。
 精神を焼失し植物人間状態。
 呼吸もしている。心臓も動いている。だが死んでいると言う状態になってしまう。


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『羊人』

涙が枯れ果てた少女は徐に刀に手を伸ばした

 泣きながら、ずっと考えていた答えを見つけ出した。

『姉上、私が姉上に代りかの穴を塞いできます』

 少女は眠る姉に宣言し、しかし言い直して亡き父の言葉使いを借りて言いました

『待っていろ姉上、ワシが必ず願いを叶えよう』

 だから、どうか待っていてくれ

 少女は母の形見の壊れた簪と父上より贈られた刀を手に家を出た。


 カエデは、目の前で奇妙な悲鳴を上げて気絶した羊人の女性を見て困惑していた。

 

 【ロキ・ファミリア】の本拠の一角。

 

 医務室の前の廊下を通った際に、医務室から眠たげに目を擦りながら羊人の女性が出て来た為、カエデは礼儀正しく挨拶をしたのだが……そうしたら、ゆっくりと目を見開いて少し間を置いてから「ピィッ!?」等と言う奇妙な悲鳴を上げて倒れてしまった。何事かと慌ててカエデが駆け寄ってみれば、気を失っている様子で困惑する羽目になったのだ。

 

 何故気を失ったのか? さっぱり分らずに困惑しているカエデに、一緒に歩いていたジョゼットが歩み寄ってカエデの肩を叩いて首を横に振った。

 

「その人はペコラ・カルネイロと言う人で、見た目通り羊人です。が、ここからが重要ですが。この人は狼人がとても苦手なのです。目があっただけで気絶してしまう程に」

「え? 苦手?」

 

 ペコラ・カルネイロと言う女性は、年頃は10代後半ぐらいで、ふわりとした質感の白髪に灰色の瞳で、セーター等で大分厚着をして全体的にもこもこした雰囲気をした人物である。

 どう考えてもカエデの倍近い年齢の筈なのだが、幼いカエデ相手でも狼人だというだけで気絶してしまうらしい。

 

 カエデとしては唐突に目の前で倒れられれば流石に驚くのだが、ジョゼットは慣れた手つきでペコラを担いで医務室のベッドに放り込んだ。

 

「カエデは気にせずとも良いですよ。何時もの事ですし。ベートさんとかよく出会い頭に気絶させてますから」

 

 ペコラ・カルネイロが枕に顔を押し付ける形でベッドに放り込んだ後、ジョゼットは肩を竦めながら医務室の入口を指差した。

 

「行きましょうか。ペコラは近くに狼人が居ると気絶しっぱなしになってしまうので、ここに居ると迷惑でしょうし。あぁ、謝る必要は無いですよ。ペコラ自身も勝手に気絶してる自覚があるのでむしろ申し訳なく思っているみたいですし……逆に謝罪の為に顔を合わせたらまた気絶させてしまいますからね」

 

 そう言えばリヴェリア様から「目が合うと気絶する羊人が居るが、気絶したら適当に廊下の隅に転がしておけ」と言われていたのを思い出した。扱いが雑だと思うのだが、本人自身も納得しての事らしい。

 

 何故、狼人と目があっただけで気絶してしまう様な人物が【ロキ・ファミリア】に居るのだろう?

 

「……あぁ、かなり便利なスキルを持ってるんですよ。……カエデさんは理由があって利用できませんが……後は、見た目は戦いに向かなそうな人ですが、かなりの実力者ですよ。レベルも4ですし」

「レベル4?」

 

 申し訳ないが、見た目だけで言わせてもらうなら、ごく普通の荒事の似合わない優しそうな雰囲気の女性だったのだが……準一級冒険者?

 

「『巻角の大槌(ホーンヘッド)』と言う大槌を使って大体のモンスターを叩き潰す事が出来るらしいですし。見た目はひ弱ですが耐久はドワーフに負けず劣らずと言った感じなので、かなり打たれ強いですよ」

 

 冒険者は見た目で判断してはいけない。

 

 そんな格言染みた言葉を呟いてジョゼットは笑った。

 

「ペコラが弱そうに見えるのは仕方無いですよ。実際、新人は皆ペコラの事を舐めてかかりますからね……まぁ、それが間違いだと気付けば皆直ぐに態度を改めますがね。それよりもカエデさんは今から【ヘファイストス・ファミリア】へ行くのでしょう? 時間の方は大丈夫ですか?」

 

 二日前、カエデは『初めての迷宮探索(ファーストダンジョンアタック)』の際に、上層の五階層にて中層に出現するはずのモンスター、放火魔(バスカヴィル)の火炎放射を受けて武装の『ウィンドパイプ』以外を焼失してしまっていた。

 残った『ウィンドパイプ』も刀身部分の刃金のみが残っている状態で、武装として使い続ける事も出来なくはないが難しいと言った状態に陥っていた。

 

 その武装を再度整える為に、今日は【ヘファイストス・ファミリア】を訪ねる事になっている。

 

 時間を聞かれ、カエデは首からチェーンで下げていた時計を見て頷く。

 

「時間の方は大丈夫です」

「そうですか。私はこれからダンジョンに向かいますので、また後程お会いしましょう。それでは」

 

 ジョゼットをエントランスまで見送り、カエデはもう一度時計を確認してからエントランスの隅っこに置物の様に立つ。

 

 今回はフィンが忙しく付き添いはガレスとロキと後もう一人誰かを連れて行くと言う話だった事を思い出しながら、カエデはエントランスを抜けてダンジョンへと向かっていく団員一人一人に頭を下げて「行ってらっしゃい」と声をかけていく。

 殆どの団員が気前よく挨拶を返すのに対し、銀毛の狼人の少年、ベート・ローガはエントランスの隅に立ってダンジョンに向かう団員に挨拶をしているカエデを見て目を逸らした。

 カエデはベートにも挨拶をするが、ベートは耳を一つ揺らしただけでその前を素通りしていく。

 

 若干、悲しそうに尻尾が垂れ下がったカエデの前で、ベートがエントランスを抜ける為に扉に差し掛かった瞬間、ベートの後頭部に凄まじい勢いでティオナのドロップキックが叩き込まれた。

 

「無視するとか可哀想でしょッ!!」

「グブッ!? 何しやがるッ!!」

「挨拶してくれてるんだから、挨拶仕返しなよ、カエデおはよー」

「おはようございますティオナさん」

 

 後頭部を強打され、苛立った様子のベートは鼻を鳴らしてティオナを睨む。

 

「俺がどうしようが俺の勝手だろ」

 

 【ロキ・ファミリア】内部でベートの態度の悪さは知れ渡っている。理由あっての事だがソレでも目に付く素行がベートは暴力的な人物で関わると碌な事にならないと団員達の一部から避けられたりもしているのだ。

 そんなベートに律儀に挨拶をするのは、お気楽か律儀か真面目な性格をした団員のみである。

 

 ジョゼット、カエデやアイズ等の律儀な性格の者達はベートを見ても嫌な顔をせずに挨拶をし、ラウルやティオネ、ティオナ等一応ベートの性格を少しだけ理解している者達も挨拶をする。

 

 だが、入団一年目の新人達はベートの雰囲気に気圧されて挨拶しようと言う者は居ない。

 

 そういう意味では気圧されずに挨拶をしに行くカエデは希少な部類だろう。

 

「はぁ、そんなんじゃ嫌われるよ?」

「ハッ、嫌いたきゃ勝手に嫌ってろ」

 

 付き合ってられない、言外にそんな雰囲気を纏ったベートは鼻を鳴らしてエントランスを抜けて出て行ってしまった。

 ティオナは肩を竦めてから改めてカエデに向き直った。

 

「カエデは今日は【ヘファイストス・ファミリア】に行くんだよね。もし【疑似・不壊属性(デュランダル・レプリカ)】の作品が残ってたらどうにか私に売って貰えないか交渉してくれない」

 

 両手を合わせてお願いと言ってきたティオナに、カエデは一応頷いておく。

 

「もし可能なら……交渉だけはしてみます」

「ほんと? ありがとー。なんかお土産持って帰ってくるねー」

 

 そう言うと手をぶんぶんと力強く振りながらティオナはダンジョンに向かうべくエントランスを後にした。

 

 ソレを見送ってから、カエデは一息ついて時計をもう一度見る。

 

 そろそろ時間だな、等と考えているとロキの軽い足音と、ガレスの重い足音が近づいてきているのに気が付いて顔を上げて其方を見る。

 

「カエデたんお待たせやー」

「すまんの、少し時間がかかってな」

「……ペコラさんは狼人が苦手なのですが、苦手なんですよ? なんでペコラさんが……」

 

 いつも通り剽軽な仕草で手を振るロキに、その後ろを歩くガレス。ただ歩いているだけだというのにガレスには全く隙らしい隙が見当たらない。意識してみれば何処をどう攻撃しようが防がれてしまう未来しか見えない。

 そしてその横、目をギュッと瞑りながらガレスの服の裾を摘まんだペコラ・カルネイロがぶつぶつと呟きながら歩いていた。

 

 先程、気絶させてしまったペコラが何故一緒に来ているのか分らずに首を傾げれば、ロキも同じく首を傾げた。

 

「カエデたんどしたん?」

「あ、いえ……ペコラさんはどうして来たのかなと」

「ん? ペコラたんの事知っとったん?」

「今朝に……その、出会い頭に気絶されました」

「……あー」

 

 カエデの困惑した態度に察しがついたのか、ロキは頬を掻いてからペコラに手招きをする。

 

「ペコラたん、カエデたんに挨拶してえな」

「……ロキはペコラさんを殺すつもりですか?」

 

 ロキの言葉に、腹の底から絞り出したかのような重音な声で答えたペコラの首根っこをガレスが掴んでカエデの前に引き摺り出した。

 

「ほれ、しっかり挨拶ぐらいせんか」

「……ひぃっ!? ちょっ、ちょっと待つのですよ。ペコラさんは心の準備が――――ピギィッ!?」

 

 引き摺り出され、カエデの目の前に来たペコラは、カエデと目があった瞬間にまたしても珍妙な悲鳴を上げて白目を剥いて気絶してしまった。

 ガレスが首根っこを掴んでいるので倒れる事こそ無いが、目の前に気絶した女性が吊るされている様子にカエデは困惑の表情をロキに向ける。

 

「……ロキ様、あの……」

「カエデたんは気にせんでええよー……なんで自分の半分ぐらいの年の子相手に気絶しとんねん」

「はぁ、コレが無ければ直ぐに一級に上がれる実力があるのだがなぁ」

 

 呆れ顔のロキに勿体ないとこぼすガレス。

 すると、ペコラの体がびくりと跳ねて、くわっと目を見開いた。

 

「ペコラさんはペコラ・カルネイロと言います。羊人(ムートン)の十七歳、好きな食べ物は羊羹ですッ!!」

 

 唐突にガレスの手を振り解いてカエデに詰め寄り、叫ぶ様に自己紹介をしたペコラに、カエデは驚いて飛び退いてから、カエデも続いて自己紹介を始めた。

 

「えっと……カエデ・ハバリです。狼人(ウェアウルフ)の……九歳ぐらい? 好きな食べ物はマシュマロです」

「……カエデたんマシュマロ好きやったんか、知らんかったわ」

 

 カエデの自己紹介にロキが反応してからにっこり笑ってペコラを見る。

 

「やれば出来るやん」

「ペコラさんは出来る子なのです。そう、ちゃんと心の準備をすれば狼人なんて……狼人な……ん……て…………」

 

 勢いよく、頷いてカエデを睨んだペコラは、徐々に顔色を青褪めさせ、そのまま言葉が尻すぼみになっていき、最後には白目を剥いて気絶してしまった。

 流石にこの羊人の様子になんと感想を言えば良いかわからず困惑しきったカエデはロキを見るが、ロキは肩を竦めてから床に倒れ伏したペコラを示して口を開いた。

 

「……ガレス、悪いんやけどペコラたん運んでくれへん?」

「わかっとる」

 

 ガレスは溜息を零してから、ペコラを担ぐ。

 

 何故、こんな人を連れて行くのだろう?

 

「せや、カエデたん。言っとらんかったけど、今日は【ヘファイストス・ファミリア】だけやなくて【ミューズ・ファミリア】にも寄ってくわ」

「……【ミューズ・ファミリア】?」

 

 【ミューズ・ファミリア】と言えば歓楽街の【イシュタル・ファミリア】と二分している娯楽系ファミリアであり、主に音楽や歌等を披露する『あいどる』なる者達等が所属しているファミリアだったはずだ。

 後は『旋律スキル』に関しては他のファミリアの追随を赦さない程の技量を誇っているらしい。

 

「カエデたんの【孤高奏響(ディスコード)】の特性については【ミューズ・ファミリア】に行って教えてもらうんが早いんよ」

 

 【ミューズ・ファミリア】は隠し事を殆どしていない。

 『旋律スキル』と言えばあまり使い勝手の良くないスキルとして冒険者の間で広まっているが、このファミリアはその『旋律スキル』を覚えた者達が数多く所属しているファミリアで、『旋律スキル』に関する知識は最高峰であるらしい。

 本来なら『スキル』に関する事は秘匿するのが普通だが【ミューズ・ファミリア】はむしろ自分達から進んで『旋律スキル』の知識を広めている。

 

 理由としては一人でも多く『音楽』の素晴らしさに気付いてほしいからだとか。

 

 【ミューズ・ファミリア】には【戦場の歌姫(プリンセス)】や【妖精の恋人(リャナン・シー)】等の有名な音楽に関する眷属が所属している事もあり、その眷属のファン達が互いに牽制しあい、結果的に台風の目の様になっており、どのファミリアも手出しをしない。

 

 例外としては【イシュタル・ファミリア】がちょっかいをかけているが、その度に【呪言使い(カースメーカー)】に撃退されている。

 

 撃退できるだけの戦力と、周りの環境によって安全が確保されたファミリアだが、九姉妹の内の一人に頭のまわる者が居り、その一人が今の状況を維持しているらしい。

 

 そして、かの【呪言使い(カースメーカー)】はペコラ・カルネイロの姉だそうだ。

 

 【呪言使い(カースメーカー)】に対して妹のペコラの二つ名は【甘い子守唄(スィート・ララバイ)】という。

 『聖律』『聖言』効果向上の効果を持つ『旋律スキル』を持っておりそれなりの実力者である。

 

 【甘い子守唄(スィート・ララバイ)】の二つ名に恥じず、どんな相手も眠らせる唄を歌えるらしい。本当だろうか?

 

 ちなみに【呪言使い】はレベル6相手には効果が薄れるが、ペコラの技はレベル7、オラリオ最強のあの【猛者(おうじゃ)】オッタルですら眠らせる事が出来るらしい。

 『邪声』『邪律』はレベル差での抵抗(レジスト)が可能だが、『聖言』『聖律』はレベル差に関係なく相手に効果を齎す事ができるのだ。

 

 まぁ、ただ唄を聴かせるだけで眠らせられる訳ではないので、倒せるか否かで言えば不可能だそうだが……

 

 そして、ペコラのその繋がりから、カエデに対して【呪言使い(カースメーカー)】の技を伝授して貰おうとしている。

 

 本来、そういった技は他のファミリアの団員に教えたり等はしないのだが、【ミューズ・ファミリア】はそこら辺を一切気にせずに技を広めようとしているらしい。

 

 ロキはフィンの報告にあった『不自然な自己強化』についてを調べるついでにカエデに『邪声』系の技を習得させようと言う魂胆だ。

 

「わかりました」

「せや、んじゃファイたんの所顔出してからいこか」

 

 ペコラを担いだガレスを先頭に、ロキとカエデが並んでエントランスを後にした。

 

 

 

 

 

 

 ロキの考えでは、カエデには『邪声』系の技が必要だろうと思っている。

 

 一朝一夜で身につく技ではないだろうが、ソレでも『邪声』系の技はそれなりに有用なモノも多い。

 

 『威嚇(メナス)』や『猛威(レイジ)』に始まり、様々な『邪声』スキルが存在し、総じて相手の精神を揺さぶり、行動力を低下させるものが多い。

 

 上手く使いこなせばカエデのスキル上、格上にも通用する小技となろう。

 

 流石にレベル差2つを超えればきついが、レベル1つ上程度なら相手の動きを縛る事ができる。

 

 格上殺しは分りやすい偉業であり、格上相手にも通用する小技があるのなら『試練』の難易度をほんの少しでも下げる事ができ、結果的にカエデの生存率は上がる。

 

 そういった事情もあり、ペコラを連れて行こうと言うのだが。

 

 肝心のペコラは狼人に対して大きなトラウマを持っているため面倒な状況になっている。

 

 しかも、だ。

 

 ペコラの子守唄(ララバイ)は類を見ない様な特殊な効果があった。

 

 ペコラ・カルネイロの使う『聖律』『聖言』の合わさった子守唄(ララバイ)は、疲労回復に精神回復の効果がある。

 

 それも、子守唄(ララバイ)を聴きながら一時間も寝れば、どんな疲労状態も、精神疲労(マインドダウン)精神枯渇(マインドゼロ)も、全てが回復するという驚異的とも言える効果がある。

 

 これが有ればカエデの疲労も一週間待たずに回復できただろう。致命的なまでに狼人が苦手だという欠点さえなければ……

 

 最初、カエデの入団を決めた時にはそもそもペコラの事は考えもしなかった。

 

 ペコラに狼人に子守唄を聴かせてあげてくれ等とお願いした所で『無理』の一言で終わりだろう。

 

 だが、カエデに成功の芽が見え、なおかつこれから先の過酷な試練を予期した今、少しでもカエデの未来を考えてペコラには多少無理して貰おうと考えたのだ。

 

 無論、ペコラが本気で拒否するなら止めるつもりではあった。

 

 交渉の末、ペコラ自身も『狼人が苦手で一級にいつまでも上がれないというのは悔しいですので、努力はしてみます。愚痴を零しますが大目にみてください』と前向きに向き合おうとしていたのだ。

 

 愚痴を零したりしているモノの、本人もやる気だし、カエデのランクアップの助けにもなると多少強引にペコラとカエデを引き合わせたが。一応自己紹介は出来る様子だった。

 

 しっかり心構えをして、カエデと向き合えば……ただ、あの状態で子守唄が歌えるかと言えば無理だろうが……

 

 もしペコラの子守唄がカエデに対して使用可能になれば、カエデの迷宮探索の間隔を二日に一回にしても良いかもしれない。

 

 まぁ、まだ机上の空論だし、気絶してガレスに担がれているペコラの様子から大分先の話にはなりそうだが……

 

 ペコラの姉に『邪声』系の技を教わりつつも、ペコラとカエデを出来る限り引き合わせて慣れて貰う。

 

 試練が現れるより先にペコラが慣れればいいのだが……




名前【甘い子守唄(スィート・ララバイ)】『ペコラ・カルネイロ』
好きな事『寝る事』
嫌いな事『説教される事』
 白髪に灰眼、背は低めでセーター等を重ね着している所為か全体的にもこもこした雰囲気の女性。頭の巻角は綺麗に渦巻いており密かに誇っている。
 気弱(に見える)でか弱い(様に見える)女性だが戦い方は豪快の一言。
 自らの巻角を模した頭を持つ大槌『ホーンヘッド』を振り回し、見た目のか弱さをぶち壊すドワーフ並の高耐久を誇る女性。
 それこそレベル1の時にバトルボアの突進を真正面から受け止めてしまう程の恐ろしい耐久を誇っていた。
 ロキ・ファミリア入団以前の幼い頃に、()()()()()に両親を目の前で惨殺され、殺されかけるるという経験をした為に、狼人と目があっただけで気絶してしまう程に、狼人に対してトラウマをもっている。

 『聖言』『聖律』の二つを合わせた二つ名の元になった子守唄は数秒で相手を眠りに陥らせ、一時間ほど子守唄を聴きながら眠れば、精神枯渇(マインドゼロ)ですら全快してしまう回復能力を持つ。

 狼人に対するトラウマさえなければ直ぐにでも一級に成れる才能かあると言われている


名前【呪言使い(カースメーカー)】『キーラ・カルネイロ』
好きな物『蜂蜜』
嫌いな物『特に無し』
 黒髪に灰眼、背はペコラと同じく低めで闇色のローブに外套、顔の左半分を隠す眼帯を身に着けている女性。ペコラの姉。頭の巻角は若干捩じくれており、左側が若干大きく、右側が小さく左右非対称になっている。
 過去に狼人によって両親を惨殺されており、ついでとばかりに殺されそうになっていたペコラを庇った際に負った傷が残っていて、顔の半分に大きな傷跡が残っておりソレを隠す為に眼帯を身に着けている。

 数多くの【男殺し(アンドロクトノス)】の襲撃を単独追い返す実力者
 最近の悩みは【男殺し(アンドロクトノス)】に何故か恨まれており、単独行動中も襲撃を受ける事


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『後ろ盾』

 作戦は単純、穴から溢れる怪物を切り伏せ蓋を被せる

 蓋が完成するまで、英傑達が怪物を押し留める、それだけだ。

 しかし、穴から溢れた怪物の所為で穴に近づくのさえ苦労する

 近づく事も出来ず数多くの同胞が命を落としていく

 黒い巨狼や、数多の種族の者らに協力を求めた

 それでも穴に近づく事も出来ない

 父上は、母上は、姉上は、皆一様に穴の淵までたどり着いて命落としたと言うのに

 少女は穴に近づく事も出来なかった


 『ウィンドパイプ』の状態を確認しながらヘファイストスは納得の吐息を零した。

 

「なるほど、つまりどこかのファミリアの所為でヘルハウンドが五階層まで出て来てたと……」

 

 やってきたロキを出迎え、何故カエデがヘルハウンドに焼かれると言う事態に陥ったのか、蓋を開けてみれば何の事は無い。

 五階層で活動していたらそこにヘルハウンドが現れたらしい。

 

 完全に新米の冒険者の場合は一階層で一週間程慣らしてから、二階層、三階層と下りて行くのが普通だが、元々オラリオの外に居た頃から戦いに身を置いてきた冒険者は初日から三階層、四階層へ下りる事もある。

 

 だが、五階層まで下りるのは珍しい。

 

 護衛付きであったと言うのなら別に普通だが、護衛が護衛として機能していなかったらしく、ヘファイストスは呆れと共にロキに思った事を呟いた。

 

「その相手のファミリアには仕返しはしたのかしら? まだ特定段階?」

 

 眷属が傷つけられた。正確には違うのだろうが、上層に中層のモンスターを連れ込んだファミリアと、そのファミリアと抗争を繰り広げていたファミリア。その二つのファミリアには何かしらの罰則がギルドからあるだろう。

 基本的にギルドはファミリア同士の抗争には口出ししない事が多いが、ダンジョンにおいて他ファミリアへの影響が大きい場合に限りギルドは明確に注意喚起と言う形で罰則、主に罰金等や一部依頼の強制受託等を科す事が多い。

 まあ、ギルドの罰則云々の前にロキの事だからその二つのファミリアに対して報復を行うのが目に見えていたのだが……

 

「あー……それなぁ……ムカつくんやけど、もう逃げたみたいなんよね」

「……はい?」

 

 ロキは新しい防具を試着して動きを確認しているカエデの方に視線を向けてからカエデが此方を見ていないのを確認し、それからロキは凄まじい形相を浮かべて苦々しげに呟いた。

 

「逃げたってどういう?」

「片方は【恵比寿・ファミリア】の名を騙って偽の火精霊の護布(サラマンダーウール)を売りつけたらしくてな。その日の内に恵比寿んとこがぶっ潰したみたいや。もう片方は前々からダンジョンで問題起こしてたっぽいんよ。せやからかギルドから最終勧告されとって今回の問題でギルドからダンジョンでの制限された上で罰金が科せられる事になってたみたいなんやけど、ソレが怖くて()()()()()っぽいんよ。夜中にフィンとベート連れて夜襲しかけたら(もぬけ)の殻やったんよ」

 

 ……あー、夜逃げ?

 

「……ちょっと、待ってくれないかしら」

 

 柄や鞘等が焼けて刃金部分のみしか残っていない『ウィンドパイプ』は何の問題も無かったので、棚から焼失した柄や鞘等の部品を取り出す為にロキに背を向けながら話していたヘファイストスは震えながらロキを振り返った。

 

「どしたん?」

 

 不思議そうに首を傾げるロキにヘファイストスは嫌な予感をひしひしと感じながらも捻り出すように問いかけた。

 

「……夜逃げって、何処に逃げたのかしら?」

 

 片方はオラリオに於いて敵に回すとヤバいファミリア筆頭の【恵比寿・ファミリア】を敵に回す行為をして、【恵比寿・ファミリア】によって潰されたらしい。あの胡散臭い男神の事だ、自分のファミリアの名を汚される行為を決して許しはしないだろう。

 

 そしてもう片方。

 

 ダンジョン内でファミリア同士の抗争を行う事に制限を儲けてはいないが、抗争相手以外のファミリアも巻き込む形での抗争を引き起こした場合は流石にギルドから注意勧告が入る。最初は『ちょっと気を付けてよー』と軽いが、数が嵩めば流石のギルドも黙っていない。下手をすればダンジョン侵入禁止の上、ファミリア総資産の何割かを罰金として納めねばならなくなる。

 注意勧告を受けていたファミリアだったが故に、今回のヘルハウンドを上層に連れ込んだ事件でギルドから確実にファミリアにとって軽くない罰金が言い渡されるのが確定しているのを察して夜逃げしたらしい。

 

 夜逃げ。オラリオの何処に潜伏したのだろう……?

 

()()()()()()や、おかげで炙り出して潰す事もできへんわ。ベートがめっちゃ不機嫌になってもうてなぁ」

 

 予想通り過ぎた。

 

 オラリオ内部に潜伏する形での夜逃げなら、必ずロキはその尻尾を掴んで表に引き摺り出すだろう。ギルドの罰金を言い渡された上で【ロキ・ファミリア】との敵対確定と来ればもう二度と冒険者として活動は出来ないだろう事は確実なのだが……

 

 ……あぁ、なんだ。そのファミリアにはちょっと同情する。

 

 と言うかロキは()()()を一切知らないのだろうか?

 

「ロキ、外がどうなってるのか知ってるかしら?」

「……? 外? なんかあるん?」

 

 これは知らないのか。ヘファイストスは思わず深々と溜息をついてから、【トート・ファミリア】の情報誌をロキに手渡して呟いた。

 

「その外に逃げたファミリア、当然だけどギルドから許可証を発行してもらってないのよね?」

「許可証? んなもん発行して貰ってる訳無いやん。んでこのちり紙に何が……」

 

 ロキがその情報誌に書かれた【酒乱群狼(スォームアジテイター)】の件を見て、()()()したファミリアの末路を一瞬で察したのだろう。

 

「……ざまぁみろやな」

 

 凄まじいニヤケ顔で呟いてから、表情を戻してロキは呟く。

 

「巻き込まれた眷属が哀れやな。まぁ、あんな主神を仰いだ自己責任やね」

「そうね」

 

 眷属達はファミリアの主神を選ぶ権利がある。

 自らが仰いだ主神の神関係のトラブルは、眷属の関係にも影響してくる。

 

 例えば、【ミアハ・ファミリア】と【ディアンケヒト・ファミリア】の関係みたいなモノだ。

 

 一方的にではあるが神ディアンケヒトは神ミアハを敵対視している。

 

 其の為【ディアンケヒト・ファミリア】の団員は【ミアハ・ファミリア】の団員と交流をする事を完全に禁止している。

 

 他にも【ロキ・ファミリア】の主神ロキは天界では悪神として知られ、一部の神から非常に恐れられている為、一部の神のファミリアの団員もまたロキの眷属に対して非常に警戒していたりする。

 

 以上の様に、神が作り上げたファミリアには、神の評判や神々の関係のトラブルが付いて回り、敵対ファミリアとの抗争と言った形で眷属も巻き込む事が多い。

 

 神々が与える神の恩恵(ファルナ)に差異は一切無く、どのファミリアを選んでも問題ないと言われているが、神自身の周辺関係によっては入団しただけで毛嫌いされたりするのだ。

 

 そう【ナイアル・ファミリア】の様に神々から不気味過ぎて恐れられていたりして、眷属として冒険者登録した人物は誰も口をきこうとしなかったりなど、神の恩恵(ファルナ)以外の部分でかなり差が出る。

 

 その猛獣の解き放たれた野(オラリオの外)飛び込んだ(逃げ出した)ファミリアの団員がどうなったのかはもう予想できるが、そうなったのはそんなトラブルを引き起こす神を主神として仰いで眷属となった事が原因だ。

 

 ロキの言う通り、自業自得である。

 

 可哀想であると思わなくもないが、それだから助けよう等とは微塵も思わない。

 

 まぁ、それがツツジやカエデであったのなら、迷わず助けようとしてしまうのだろうが……

 

 カエデを助ける。その言葉にヘファイストスは顔を顰めた。

 

 一応、戦える鍛冶師として戦闘も行える鍛冶師を抱えている【ヘファイストス・ファミリア】ではあるが、あくまでも鍛冶がメインであり、戦闘も行えるのはついでである。一応自衛戦闘が出来るだけでモンスターと正面切って戦いに行く鍛冶師は数少ない。

 当たり前の話だが、冒険者としてモンスターと正面切って戦う事を生業にした者達と、鍛冶師として武具を作り上げる事を生業にしながらモンスターと戦う者達では戦闘能力なんて比べ物にならない。

 

 だから【へファイストス・ファミリア】が直接ダンジョンでカエデの援護をーと言うのは不可能だ。

 

 中層まではいけても、下層からは逆に足手纏いになりかねない。

 

 そう考えると武具を手渡す事しか出来ないのは少し歯がゆい気もする。

 

 そんな考え事をしていたヘファイストスに、ロキが神妙な顔つきで声をかけてきた。

 

「ファイたん。少し相談があるんやけど」

「……? 相談?」

 

 真剣な表情のロキに、ヘファイストスは柄や鞘を仕上げた『ウィンドパイプ』を台の上に置いてロキを見据えた。

 

「カエデたんはレアスキルを覚えとる」

 

 その言葉にヘファイストスは眉を顰め、それから続きを促す。

 

「成長系スキル。簡単に言えばそんなスキル覚えとってな」

「良い事……だけじゃすまないわねそれ」

 

 短い寿命を延ばすと決めた最愛の眷属の子が、その想いを成し遂げるのに助けになるレアスキルを覚えているのだ。良い事……だけではないか。

 成長系スキルなんて持っている眷属が居たら神々は挙ってちょっかいをかけようとするだろう。

 

「で、ロキは私に何をしてほしいのかしら」

 

 大体察しはついた。

 

 ロキはヘファイストスにカエデの後ろ盾になってほしいと言う事だろう。

 

 それ自体は構わない。所か全面的に協力したい所だが、一応建前上はロキに聞いておかねばならない。

 

 ツツジからの手紙の事もある。既にオラリオの外で暴れ回っている【酒乱群狼】に接触出来ない為にオラリオの外に数人眷属を送り出してツツジの故郷がどうなっているのか調べる様に仕向けたが、どうなっているのか分らない。

 

 カエデは何も知らない様子なので、ヘファイストスはカエデに故郷の様子や父親の事を話すつもりはない。せめてカエデが寿命を手にして大人になるまでは教えるべきではない。

 

 ……と言うかここで【ヘファイストス・ファミリア】がカエデの後ろ盾になるのは構わないのだが。もし後ろ盾として機能し始めた場合、複数のファミリアが疑問に思うだろう。

 特に理由も無く後ろ盾になる事は少ない。

 いや、無い訳ではない。気紛れな神々の中にはなんとなくで後ろ盾になる神も居る。無論、そんな適当な理由で後ろ盾になった神なんぞ信用もできなければ、同じくなんとなくと言う理由で唐突に裏切ったりするので当てにする所か完全に邪魔でしかない。

 

「カエデたんの後ろ盾。言わんでもわかるやろ?」

「……はぁ、ソレをするのは難しいと思うわよ」

 

 ヘファイストスの言いたい事は直ぐに伝わったのだろう。ロキは一つ頷いてから切り出した。

 

「深層攻略時のモンスターの収集品(ドロップ)を優先的にファイたんの所に持ってくる。それでどうや?」

 

 そのまま後ろ盾になればかならずカエデとヘファイストスの繋がりについて周りのファミリアが嗅ぎまわる。その結果として【疑似・不壊属性】との関係や【酒乱群狼】との関係、カエデの血縁関係が明かされてカエデ自身がその事を知ってしまう可能性。そうなれば面倒所か、下手をすればカエデが精神的に折れてしまう。

 そうならぬためにも建前として何かを用意しなくてはならないが……

 

 深層の収集品の優先取引権

 

 十分所か十二分に過ぎる。

 

 深層攻略できるファミリアは数少ない。

 特に【ゼウス・ファミリア】【ヘラ・ファミリア】のオラリオの二強ファミリア崩壊後は、一時的に深層の収集品の取引価格は十倍以上に跳ね上がった。

 深層の収集品を多量に回収して地上に放出していた二強ファミリアが消え去れば希少度が跳ねあがるのは目に見えていたし、当然なのだが……それによって【ヘファイストス・ファミリア】はかなりあおりを受けた。

 

 と言うか今でも深層の収集品はかなり数が不足している。

 

 オラリオでも最高峰の鍛冶系ファミリアである【ヘファイストス・ファミリア】は当然ながら現状でも相当深層の収集品を優先して回してもらっているが、それでもかなり不足している。

 

 それが『収集品の優先取引権』を、深層攻略に於いて【フレイヤ・ファミリア】と二分している現在の二強の片割れから受け取れば、今の不足を補う事も出来るだろう。

 焼け石に水だろうが、それでも鍛冶系以外にも、他の生産系ファミリアは軒並みその権利を欲するだろう。

 

 つまりカエデの後ろ盾として【ヘファイストス・ファミリア】が名乗り出るのに十二分な理由となりえる。

 

「良いわよ、ソレなら十二分な理由でしょうし」

「ふぅ……いやー、良かったで、もし断られたらどう脅そうか考えとったわ」

 

 承諾を得られたからかへらへらといつも通りの笑みを浮かべたロキの言葉に、ヘファイストスは顔を顰めた。

 

()友を脅すつもりだったの?」

()友ならウチの性格知り尽くしとるやろ?」

 

 まぁ、その通りか。

 

 友だとか知り合いだとかそんな(しがらみ)なんぞ知った事かと天界で暴れ回った悪神の名は伊達ではないのだ。

 

 そんな風に話し合っているとカエデとガレスが防具選びを終えたらしく声をかけてきた。

 

「ヘファイストス様、防具選び終わりました」

「ふむ、一応今回は胴鎧以外は金属系で妥協したのね」

「おー……なんや違和感ある防具やな」

 

 カエデの装備は若干違和感が残る状態の装備だ。

 

 胴は非常に高い火耐性を持つ火鼠の皮を使った緋色の水干(すいかん)に、両手両足は金属製の重鎧と言う歪な恰好になっている。

 

 防具として見た場合、胴体部分がガラ空きに見えるが実は防御力自体はそこまで低くない。

 

 と言うか準一級冒険者も利用する素材を使用した防具なので防御力は一級品には届かないモノの、今のカエデの活動階層に於いては十二分通り越して過剰な防御力を誇っている防具だ。

 

 これに『ウィンドパイプ』を併せ持てば、中層所か、下層まで行っても通用するだろう。

 

 とはいえ、水干は極東の男性用の普段着として利用されるモノなので少女であるカエデが身につければ若干の違和感があるのは当然だ。

 状態はかなり上質で、ツツジがダンジョンに潜る際にも利用していたモノでもある。そう、この水干は元々ツツジが利用していたモノを一度素材としてばらしてから作り直したモノであるのだ。カエデが身に着けるに相応しいだろう。

 

「変ですか?」

「うむ……ワシはそうは思わんが」

「手足がかなりごついんよなぁ」

「まぁ、重鎧だものね」

 

 緋色の水干とカエデの瞳の色が同色で、白髪が映えており、似合っていると言えるのだが、両手のガントレット、両足のサバトンの重厚な鈍色の輝きが浮いてしまっている。

 

「……他に欲しいモノはあるかしら?」

 

 ヘファイストスの質問に、カエデは少し悩んでからロキを窺う様に見た。

 

「欲しいもんあったら何でも言ってええでー」

 

 ロキの許可が出たのを確認してから、カエデは口を開いた。

 

「ティオナさんが、【疑似・不壊属性(デュランダル・レプリカ)】の作品を欲していたので、売ってあげられないでしょうか?」

「……ん? 【破壊屋(クラッシャー)】?」

「ファイたん、【大切断(アマゾン)】や、クラッシャーやないで」

 

 カエデの頼みを聴いたヘファイストスが呟けば、ロキが訂正するが、ヘファイストスははいはいと適当な返事をしてからカエデに向き直る。

 

「それは別に構わないわよ。【大切断(アマゾン)】に伝えてくれるかしら……と言っても、今手元にあるのは『ハーボルニル』っていう大刀ぐらいだけど」

「はい、ありがとうございます」

「それで、他に欲しいモノはないのかしら?」

 

 再度の質問に、カエデは少し悩んだ様子を見せてからおずおずと切り出した。

 

「えっと、左手用短剣が欲しいのですが……」

「左手用短剣?」

 

 ロキとヘファイストス、ガレスの三人がカエデの言葉に首を傾げる。

 

 カエデの得物は『ウィンドパイプ』と言う大剣である。大剣と言うか大鉈刀か。

 

 両手で扱う得物であるソレを持つカエデが副武装(サブウェポン)として小型剣を求めるのは分る。

 だが、左手用短剣と言うと対人用の装備品であり。右手で直剣や刺突剣を使いながら左手で敵の攻撃をいなすと言う戦い方(スタンス)でもない限り使う事は無い筈なので大剣を使用するカエデが求めるのは違和感がある。

 

「直剣と一緒に用意すればいいかしら? ロングソードだと長すぎるかしらね」

 

 副武装(サブウェポン)として直剣と左手用短剣を使用するのかと聞けば、カエデは首を横に振った。

 

「いえ、左手用短剣だけ欲しいなと」

「カエデは、大剣を持ちながら左手用短剣を持つつもりなのか?」

「……ダメですか?」

「いや、構わないだろうが……」

 

 左手用短剣は対人用の装備品だ。

 

 基本的に剣や槍等の攻撃をいなすのに使われるソレをカエデが求める理由。

 

 ソレを考えてから、ロキは納得したのか眉を顰めてヘファイストスに言う。

 

「ファイたん、ええのあったら用意してくれへん?」

「……わかったわ」

 

 否が応でも目立ち、他のファミリアからちょっかいをかけられる可能性を示唆されたカエデは対人用武装を求めたのだろう。

 カエデの剣技の腕前から、攻撃をいなす事についても問題は無いだろうとは思うが……

 

 理解が早い。そして答えを導き出すのも早い。

 

 今の内から隠し札として左手用短剣を用意しておくつもりなのだろう。

 

 幼い少女が浮かべる表情とは思えない程に鋭い意志を宿した瞳に押され、ヘファイストスは溜息と共に立ち上がって控えていた団員に左手用短剣として使える短剣を数種類持ってくる様に指示を出してから、棚に置いてあったとある大剣を手に取る。

 

 布に包まれたそれを丁重に扱い、ロキの前に置いてから、言う。

 

「ロキ、これはツツジの最高傑作の不滅属性(イモータル)特殊武装(スペリオルズ)『百花繚乱』よ。今のカエデに持たせるには()()()()からロキがタイミングを見てカエデに渡してちょうだい」

「……ええんか?」

「必要なら、使いなさい。なくさない様にしてほしいけれどね」

 

 不滅属性(イモータル)についてはロキも知っているのだろう。ロキは窺う様な表情を浮かべてから、『百花繚乱』を受け取った。

 

「重っ、めっちゃ重いなこの剣」

「……当然じゃない。特大剣だし」

 

 その重さに驚いたロキは暫く悩むと、ガレスにその布に包まれた『百花繚乱』を持っていくように指示をしてから、呟く。

 

「サンキューな、これあれば後ろ盾が一発でわかるわ」

 

 ヘファイストスの眷属の【疑似・不壊属性】ツツジ・シャクヤクが作り上げた不滅属性(イモータル)特殊武装(スペリオルズ)『百花繚乱』は神ヘファイストスがとても大事にしているモノだと言うのは神々の間でも既知の事実である。

 カエデが『百花繚乱』を使用する様になれば自然とカエデの後ろ盾に【へファイストス・ファミリア】が居ると神々に知らしめる事が出来るだろう。

 

 武装としても一級品に届く上、決して折れる事も無く。切れ味が落ちようと直ぐに再生する武装だ。

 

 カエデの戦い方にも合った切っ先に重心が偏った大刀である。

 

 カエデがやり取りには首を傾げているが、自分の事なのだと言うのは半ば理解しているのかヘファイストスに頭を下げてきた。

 

「ありがとうございます」

「気にしないで良いわよ……」

 

 良い子だ。

 ツツジが居れば可愛がりそうなモノだが……ツツジは本当にどうしたのだろう。

 今朝、慌てて団員を送り出したので結果がでるのは最低でも往復で一か月はかかろうはずである。

 其の為、言える事は無いが、それでも良い事は何もないと神の勘が告げている。

 

 新しい武装に喜んでいるカエデを目に、ヘファイストスは笑みを浮かべながら、内心は悩むのだ。

 

 ヘファイストス・ファミリアの団員が左手用短剣を乗せた台車を持ってきたのを見て、カエデは其方に向かった。団員の説明を聞きながら試しに握って見て感覚に合ったモノを選んでいるカエデを見てから、ヘファイストスは思い出したことをロキに聞いた。

 

「そう言えば、ロキ、成長系スキルってどの程度なのかしら? まさか初日から基礎アビリティG以上になったとかかしら?」

「初回更新から器用がGやったで?」

「凄いわね」

 

 初回更新で基礎アビリティGとは、凄まじい才能……いや、あの剣技からすれば当然か。

 

 ツツジの初回更新は力がHであり、それ以外はIだった。親子と言え才能の遺伝はしていない様子だ。

 キキョウの方の才能を引き継いだのだろうか? キキョウとはあった事も無いのでただの予想だが。

 

「それで、成長系スキルは?」

「……聞きたいん?」

「……? えぇ、気になるもの。教えられないのならソレでも良いわよ」

 

 無理に聞き出すつもりはない。そう言えばロキは苦虫をかみつぶしたような表情を浮かべて近くによる様に手招きをしてきたので近づけばロキは耳打ちでぼそりと呟いた。

 

「一回目の迷宮探索で更新したら耐久がIからEになったで」

「………………」

「ファイたん?」

「え? それ本当?」

 

 耐久がIからEに上昇。

 

 I0~99からE400~499?

 

 成長系スキル。凄まじい効果と言うか……

 

「それ、何か副作用は無いわよね? 成長が早まる代わりに寿命が減少するとか」

「いや、詳しくは教えられへんけど副作用は無いで」

 

 ロキの表情を見て深く追求すべきでないと察したヘファイストスはロキから離れて呟く。

 

「詳しくは聞かないわ。困った事があれば言って頂戴。出来る限りはするわ」

「助かるわ。悔しいんやけどウチだけや守りきれん。特にフレイヤに」

 

 その女神の名前が出た瞬間、ヘファイストスは目を見開いてロキを見た。

 

「ちょっと、もう()()()()()()()()の?」

「最近なぁ、カエデたんが朝の鍛錬中に『バベル』の上から誰かに見られとる気がするーって言ってたらしいんよ」

「確定じゃない。ソレ、絶対フレイヤよ。どうするのよ」

 

 フレイヤは男だろうが女だろうが気に入った眷属には間違いなく手出ししてくる。

 

 一応、ヘファイストスはフレイヤとは友好関係にある。

 

 しかし、フレイヤは気に入った団員には片っ端からちょっかいをかける悪癖があり、ツツジにもちょっかいをかけてきた事もある。

 

 まぁ、ツツジはフレイヤの魅了に対して『確かにアンタは魅力的だが、キキョウ程じゃねぇ』と言い放ってフレイヤを唖然とさせて、ツツジが【小巨人(デミ・ユミル)】にぶっ飛ばされていただけで済んだが。

 無論、ヘファイストスはツツジにちょっかいをかけられた為にフレイヤには抗議したのだが、フレイヤは反省した様子も無く『ごめんなさいね、どうしても我慢できなかったのよ』と笑みを浮かべていた。

 無駄な抗議だと理解して、ヘファイストスは釘を刺すに留めたのだが……

 

 他にも【アポロン・ファミリア】もツツジに手出ししてきたが。あちらは【イシュタル・ファミリア】の戦闘娼婦(バーベラ)がツツジに注文していた剣を横取りした為にキレた戦闘娼婦(バーベラ)達によってボコボコにされていたのでヘファイストスは特に何もしていない。

 

「せやからファイたんの後ろ盾を……」

「…………私の後ろ盾じゃ無理よ。フレイヤはその程度じゃ止まらないわ」

「せやろなー」

 

 後ろ盾を得れば止められる? 友好関係にある神のお気に入りにすら手出しするあの女神が止まる訳ないのだ。

 

 既に詰んでいる状態だと知ったヘファイストスは、ロキと共に深々と溜息を吐いた。

 

「「はぁ……」」




 オラリオの外に逃げ出したファミリアがどうなるのか……あっ(察し


ペコラさんはどこに居るかって?
ペコラさんなら、ロキの足元で気絶してる(寝てる)ぞ。 




名前【魔弓の射手】『ジョゼット・ミザンナ』
趣味『お菓子作り』
特技『継ぎ矢』
 【ロキ・ファミリア】に所属しているエルフの少女(に見える女性)
 実年齢は既に80を超えているがエルフの中では若造扱いされる年齢ではある。

 エルフの国に置いて王族の親衛隊に抜擢されるほどの弓の腕前を持っており、リヴェリアが国を出た際に密かに後を着けて連れ戻す様に言われていたが本人はリヴェリア様の意思を尊重して連れ戻す事はせず、自ら国を捨てる形でオラリオにやってきたエルフ。

 魔法の才能を持っているはずの魔法種族のエルフでありながら魔法の習得枠(スロット)無い(ゼロ)と言うある意味においては希有な存在。
 エルフは他種族に比べると身体能力が劣っており、その劣っている分に魔法が強いと言われていたが魔法が使えないジョゼットは前に所属していたファミリアでは役立たず扱いされ、冷遇されていた。
 駆け出しでありながら二つ名を着けられていたが、つけられた二つ名は【エルフ擬き】と言うジョゼットを侮辱するモノであった。

 魔法が使えないと言う理由も相まって完全に小馬鹿にされ、他のファミリアの改宗しようにも魔法が使えない【エルフ擬き】と言う二つ名が広まっていた所為で改宗もできず、しかも主神はジョゼットのステイタス更新を拒否し、ファルナを与えるだけ与えて放り出すと言う始末。

 其れに対しジョゼットはどうにか射手として認めて貰おうと単騎ダンジョンに挑み、驚くべき事にミノタウロス等の駆け出しではどうしようもないと言われていた得物を数多く仕留めて見せる等の実力を見せつけるも、主神は『魔法使えないエルフとかイラネーから、ワロス』とジョゼットを鼻で笑って追い出す始末。

 この一件から、魔法が使えないと言う理由だけで冷遇された揚句、初期ステイタスのままミノタウロスを倒しても認められないと言う事実から荒れに荒れたジョゼットは、準一級冒険者や一級冒険者に喧嘩を吹っ掛けては、返り討ちにされる等をしでかし始める。

 これに一部の神々が憐れみを覚えて、ジョゼットを自らのファミリアに改宗させようとするも、当時の主神が面白がって改宗を許さずにボロボロになって裏路地に転がっているジョゼットを鼻で笑っていた。

 そんな中、神ロキの眷属になっていたリヴェリアが神ロキに何とか出来ないかと相談した結果、その主神は神ロキの策謀でオラリオを追放され、射手として凄まじい能力を持っていたジョゼットは【ロキ・ファミリア】へと改宗する事になった。
 ロキの元での最初の更新にてランクアップし、習得枠(スロット)の開口と共に『妖精弓の打ち手』と言う装備魔法を習得し、【魔弓の射手】と言う二つ名を得た。

 お菓子作りは趣味と言い張っているが出来栄えはかなりのモノ。
 ジョゼット曰く『行き詰ったらとりあえずお菓子作りでもして気分転換をする』との事。
 自分で食べるより作ったお菓子を誰かが食べてるのをみながらお茶するのが好みらしく作り過ぎたお菓子は近くを通りかかった団員にプレゼントしたりしている。

 自室には自作のファミリア団員の人形を飾っていたりと、以外と少女らしい一面を持ち合わせている。ティオネに団長の人形をせがまれて作ってあげたり等もしており、ファミリア内部においてジョゼットの少女趣味は普通に認知されている模様。

 【ロキ・ファミリア】内部で怒らせてはいけない人物TOP3に入る人物。
 滅多に怒る事は無いが、ジョゼットを侮辱する意味を込めて『エルフ擬き』と呼ぶと、本気で激怒させる事ができる。


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『呪言使い』

 穴に近づけず、焦りばかりが募る日々

 そんなある日、故郷から贈り物が届いた

 姉の名の刻まれた綺麗な石

 持っているだけで不思議と力が湧いてくる不思議な石

 少女は首飾りにしてソレを身に着けた



 姉が少女の為に用意してくれた物と疑いもせず


 【ミューズ・ファミリア】の本拠、オラリオの南のメインストリートに面する大劇場(シアター)の直ぐ近くに存在する。

 特に拠点名が定められている訳ではないが、規模はかなり大きい。

 

 複数の女神が募ってできたファミリアだけあり、女神の数だけ本拠が存在するらしく、その中の一つに【呪言使い(カースメーカー)】が拠点があるらしい。

 

 【呪言使い(カースメーカー)】が主神として仰いでいるのはウーラニアーと言う女神で、ミューズの神々の中では未来予知に通じる神である。

 本人は本拠でゆったり過ごしているらしく、基本的に居留守をして居る事が多いらしい。

 

 

 

 

 

 道中、何故か大瓶に入った蜂蜜を購入してガレスが持つ荷物に追加してからロキ、ガレス、カエデ、ペコラの四人は【ミューズ・ファミリア】の拠点の一つに足を運んでいた。

 

「良いですか、それ以上ペコラさんに近づかないでください、良いですか? フリじゃないですよ? 近づいたら噛みつきます。本気ですからね? 冗談じゃないですよ?」

 

 じりじりと、カエデと目を合わせながら後退していくペコラの姿に、ロキとガレスの呆れた様な視線とカエデの困惑の視線が突き刺さる。

 

 今現在の居場所は【ミューズ・ファミリア】の拠点の一か所、【呪言使い(カースメーカー)】が利用している拠点の門の前である。

 

 門の前には特に見張りが居る訳でも無く、人は居ない。

 

 そんな門に背をむけてじりじりと後退して門に近づいていくペコラの姿は不審者以外の何者でもない。

 

 この拠点に到着した時にはペコラは気絶した状態でガレスに担がれていたが、ロキの指示でペコラを起こすと、途端にカエデから距離をとり、カエデから視線を外さないようにしながらも、ロキに【呪言使い(カースメーカー)】に話を通してくれと言われて門の方へ移動し始めたのだが……

 

 此方に視線を向けたまま、じりじりと門に近づくペコラ、その後ろの門が音も無く開き、黒髪に灰眼のローブ姿の羊人の女性が顔を覗かせたのが見えた。顔半分を覆う眼帯を身に着けた女性が人差し指を口に当てて静かにと言う合図をしながらするりと門を出てペコラの背後に近づいていく。

 

「あ……」

「なっ!? なんですかっ!! 驚かさないでください、ペコラさんは心臓が口からポロリしそうなんです「久しぶりだなペコラ」ヒギャアァァァァァァアッ!!??」

 

 思わず声を出せば、大げさなほど驚いたペコラが胸に手を当てて呼吸を整えようとし、ソコに後ろから近付いた羊人の女性がペコラの肩を叩いた瞬間、ペコラの悲鳴が響き、思わずカエデは両手で耳を塞いだ。

 

「フフッ、久しぶりだねペコラ、元気にしてたかい」

「なっ何をするですかっ!! いくらお姉ちゃんと言えど酷いのですよっ!! 今ちょびっとチビッちゃったかもしれないじゃないですかっ!!」

 

 毛を逆立ててペコラの姉、【呪言使い(カースメーカー)】キーラ・カルネイロに詰め寄るペコラの頭をポンポンと撫でてから、キーラはロキに向き直った。

 

「やぁ、神ロキ。久しぶりだね。話なら室内へ案内するよ?」

「キーラたん久しぶりやな、頼むわ」

「え、ちょっ、ペコラさん無視するなんて酷いのですよっ」

 

 騒ぐペコラを無視して、キーラは門を大きく開け放ち、ロキとガレス、カエデを迎え入れる。

 

「話は室内で、ロキとガレス、そこの狼人も着いてくると良い」

「ペコラさんも居るのですが、あの、聞いてますか? ちょっとペコラさんもーヒギャァッ!?」

「あっ……ごめんなさい」

 

 誘われるがままにキーラの後をついていくロキとガレスに続いて、カエデも後を追えばペコラが不用意に近づいてきたカエデを見てそのままパタリと倒れてしまった。

 流石に今のは悪いと思ってペコラに謝るが、意識の無いペコラはピクリとも動かない。

 

「……ガレス、ペコラたんを頼むわ」

「あぁ、カエデ、オマエはロキと先に行っていろ」

「……はい」

「まだペコラのソレは治ってないのか」

 

 扉を片手で抑えたまま、呆れたように呟くキーラは、カエデをちらりと見てから呟く。

 

「流石にこんな子供相手に脅えるのは滑稽が過ぎるんだが……」

 

 

 

 

 

 気絶したペコラを客室のベッドに寝かせてから、ロキはキーラと向かい合って交渉を行っていた。

 

 机の上には人数分の紅茶とお茶請けのクッキーが数種類。

 ジャムの乗ったクッキーを気に入ってガレスの分も貰って食べているカエデはロキの話から自分が【呪言使い(カースメーカー)】から複数の技術を伝授してもらうらしい事をなんとなく把握した。

 

「っちゅー訳で、カエデたんに邪声系の技をいくつか伝授して欲しいんよ」

「ほう」

「後はカエデたんが使っとる自己強化の理由も探って貰えると助かるわ」

「……ふむふむ」

 

 【呪言使い(カースメーカー)】キーラ・カルネイロ

 暗いイメージを持たせる二つ名であり、衣類も【呪言使い(カースメーカー)】の二つ名のイメージそのものではあるが、本人はいたって普通の女性であった。

 

 ソファーに腰かけたまま、対面に座るロキ、その横で立ったまま腕を組むガレスに、ロキの横に座る幼い狼人を灰色の片瞳で見据えてから、キーラは一つ頷いた。

 

「ソレは構わないが、料金を取るぞ?」

「……お金がいるんですか?」

「あぁ、主神の方針では無料で教える事になっているが、私個人に対しての依頼だ。依頼料は私が決める。もし無料でやって欲しいのなら、主神を通してくれ」

 

 きっぱりと言い切ったキーラは、クッキーを一つ摘まみとって齧ってから、齧った断面をカエデに向けながら呟く。

 

「特に狼人には良い思い出が無い。故に主神の願いでも無料でと言うのは正直嫌だ」

 

 敵意がある訳ではない。不愉快と言う訳でも無い。

 ペコラを後ろから驚かした時に宿っていた悪戯っぽい笑みの様な感情が宿っていた瞳は、今はただのガラス玉が嵌っているかのような無機質さを剥き出しにしながらカエデを見据えている。

 思わず身震いすると、ロキが呟いた。

 

「ガレス」

「あぁ、これだろう?」

 

 ガレスは荷物の中から、蜂蜜がたっぷりと詰まった大瓶を取り出すと、机の上に音を立てて置いた。

 唐突な行動にカエデが目を点にしていると、キーラががたりと立ち上がった。

 

「ふむ、分っているじゃないか。良いぞ、とても良い。最近主神から蜂蜜禁止令が出されて自分では買いに行けなかったんだ。よし良いだろう。技でもなんでも教えてやる。何を教えて欲しい」

 

 立ち上がったキーラの瞳はキラキラと今まで以上に輝いており、先程のガラス玉を思わせる無機質な瞳は何処かに消え去ってしまっていた。

 

「……え?」

「うっし、んじゃ今回の依頼受けてくれるんやな?」

「あぁ、任せろ。完璧に技術の伝授を行ってやる」

 

 狼人に良い思い出が無い。敵意は無いが無機質な瞳を向けてきた相手が、蜂蜜の大瓶一つで豹変したのを見て、流石に訳が分らずカエデはロキを見れば、ロキは親指をグッと立てた。

 

「キーラたんの好物は蜂蜜や。なんかお願い事があったら蜂蜜渡しておけば大体のお願い聞いてくれるで」

「でも、なんか狼人には良い思い出が無いって……」

 

 ロキの言葉にカエデが疑問を呈せば、直ぐにキーラが親指を立てて腕を突き出して言い切った。

 

「確かに、私は狼人は好きじゃない。過去に【酒乱群狼(スォームアジテイター)】に酷い目に遭わされたからな。だがそんなモノは蜂蜜の前では些事に過ぎないのだよ。良いかね?」

 

 狼人への嫌悪感は、蜂蜜の前にはどうでも良い事らしい。

 

「流石ロキだ、しかもかなり良い蜂蜜じゃないか。これは良いぞ、とても良い」

 

 机の上に置かれた蜂蜜の詰った大瓶を嬉しそうに撫でながら、キーラは満足げに頷いていた。

 

「……ソレで良いんでしょうか」

「あんまり深く考えると面倒だぞ。こういう時は考える事自体無駄だ」

 

 ガレスの言葉に思わず納得し、カエデは先程のキーラの異常な様子は記憶から投げ捨てる事にした。

 

 

 

 

 

 キーラの個人的な訓練用の一室。大き目の部屋には一面がガラス張りになった場所があり、その向こうの部屋にガレスとロキ、目が覚めたペコラが椅子に座っていた。

 

 キーラの扱う邪声系の技の数々は敵味方問わずに重大な被害を齎す為、基本的に防音がしっかりとした部屋を使って訓練を行うらしい。

 

 キーラと向かい合って立つカエデに向かって、キーラは大きく息を吸うと睨みつけて呟く様にぼそぼそと言葉を零した。

 

動くな

 

 小さい呟きの筈のソレは、大きく部屋に響き渡る。いや、カエデの耳にはまるで他の音を塗り潰すかの様な大音量で聞こえ、その言葉の通り、カエデは動きを止めた。

 

 いや、止めたわけでは無い。動けないのだ。

 

 まるで金縛りにあったかの様な現象に、カエデはどうにか自由を取り戻そうと足掻くが、どうにもならない。

 

「さて、今のは『呪縛命令(バインド・オーダー)』の一つだ。私の二つ名【呪言使い(カースメーカー)】の代名詞とも言える技の一つ。これは『邪声』効果の中でも分りやすく、効果も強い……どうだ? 動けないだろう?」

 

 そんな身動きが取れなくなったカエデをよそに、キーラが説明をしてくるが。カエデは口を開く事も出来ない。瞬きは出来るし呼吸も出来る。だが視線は固定されて指先一つ動かせない。

 

「効力は様々だが……動いて良いぞ

 

「っ! 今のは……」

 

「いきなりやってみろなんて言わないし、私には効果が無い。邪声系の技はレベル差があると無力化されてしまう。ソレを忘れると面倒だからな」

 

 キーラ曰く

 

 『邪声』『邪律』系の技は使用者よりも対象者のステイタスが高い場合は効果が落ちる。

 レベルが高い場合は完全に無力化されてしまう。

 旋律スキルに『邪声or邪律』効果向上と言う追加効果が存在するのならレベル差一つまでは効果を齎せる。

 

「他には……そうだな。『死ね』と命令するだけでも相手を殺せるが。これはかなり難しいな。私が使っても三級(レベル2)冒険者までしか効果を発揮しない」

 

 『死ね』、そう言葉にするだけで相手を殺せるらしい。

 思わずギョッとしてキーラを見れば、キーラは呆れ顔を浮かべていた。

 

「当然だが、オマエを殺す気なんぞ毛頭ない。と言うか殺したらその後私が挽肉になる未来しか見えない。私の主神の未来予知並に的中する未来予想だぞ? それに報酬を受け取っておきながら途中でやっぱやめたなんていう積りは無いから安心しろ」

 

 その言葉に安心して吐息を零せば、キーラは心底呆れたと言わんばかりに溜息を吐いた。

 

「神でもない癖に相手の言葉を鵜呑みにし過ぎだろう。少しは警戒を残せ……と言うか失礼な話だが、狼人、オマエが『邪声』効果向上の付属効果付きの旋律スキルを習得したと言うのが正直信じられんのだが」

「……? 何でですか?」

 

 『聖律』『聖声』の効果向上系の付属効果を持った旋律スキルを覚える眷属には共通点があり、誰かの為に喜び、怒り、悲しみ、笑える様な他者への共感性の高いと言う点。

 『邪律』『邪声』の効果向上の付属効果を持った旋律スキルを覚える眷属は、誰かを恨み、羨み、憎み、呪う様な他者への劣等感が強い人物に発現する。

 

 キーラとカエデは初対面である。故にキーラはカエデの事に関して何も知らない。

 

 せいぜいが『神ロキの依頼で邪声系の技術を教える珍しい毛色の狼人の子供』程度である。

 

 だが、妹の反応や、話を聞いてみた感想を言うのであれば『純粋で無知』だ。

 

「まあ、オマエが心の中にどんなモノを隠し持っていた所で、ワタシには関係無いがな」

 

 あくまで『技術を伝授する』のと『カエデの使う独自の技術の調査』が依頼内容であり『精神分析』をするのは依頼外である。故に話していて歪みを見つけた所で、キーラが何か口出しする事は無い。

 

「まあいい、『邪声』系の技はある程度理解したな?」

「はい」

「簡単な『威嚇(メナス)』ぐらいはすぐ使えるだろう、相手を文字通り威嚇すればいい。試だ、全力で私を威嚇してみろ」

「わかりました」

 

 威勢の良い返事と共にカエデはキーラを睨み、唸り声をあげながら威嚇姿勢をとる。それを観察しながらキーラは欠伸一つ零した。

 

「…………」

 

 喉を鳴らし、睨みつけ、尻尾の毛を逆立てて、精一杯の威嚇をするカエデを余所に、キーラは欠伸をやめると溜息を吐いた。

 

「やめだ、やめ」

「……ダメでしたか?」

「…………聖律系の技を使いながら邪声系の技は使えんのだが……そう言えばその無意識に使ってる自己強化も調べてくれと言われていたな」

「……?」

 

 首を傾げるカエデを見ながら、キーラは腕を組んでカエデをじーっと見つめてから、カエデに近づいた。

 

「触るぞ」

「?」

 

 徐に近づいたキーラはカエデの耳を触り、尻尾に触れ、体中をぺたぺたと触り始めた。

 触られるカエデは何がしたいのか分らずにされるがままになっている。

 

 その様子をガラス越しに見ていたロキが騒ぎ出すが、直ぐにガレスに鎮圧され、ペコラは姉が不用意に狼人に近づいたのを見て青褪めているが、キーラは一切気にしていない。

 

「成る程、呼吸法に旋律を持たせているのか。興味深いと言うか凄い技術だな」

「……旋律?」

「一定の間隔での呼吸、無意識に旋律を刻む事で『聖律』系の効力が発動している。高等技術だぞ。それも【戦場の歌姫(プリンセス)】の使う『陽気な行進曲(カラフル・マーチ)』に似ているな。あっちは鼻歌で旋律を表して自分を含め周囲の人物の治癒能力や体力回復能力を高めるモノだが……そうか、呼吸で旋律か」

 

 納得の表情を浮かべてカエデから離れ、腕を組んでからキーラは口を開いた。

 

「お前は普段から呼吸を意識的にやってるのか? それとも仕込まれたのか? その呼吸法」

「……? 丹田の呼氣の事でしょうか?」

「……『丹田の呼氣』? お前、ソレは狐人の技法じゃないのか?」

「そうなんですか?」

 

 首を傾げたカエデに、キーラの胡乱気な視線が突き刺さる。

 

「『丹田の呼氣』、大雑把に『呼氣法』と呼ばれる技法の一つだと言われている」

 

 過去、神々が降り立つより前、ダンジョンがただの『穴』と呼ばれていた古代。

 その時代に狐人は他のどの種族よりも優れた技術と不可思議な妖術を用いて現在のオラリオと同等の規模の都市を一種族のみで作り上げていた。

 ある出来事で都市『狐人(ルナール)(みやこ)』と呼ばれたその場所は今は何もない場所になってしまっている。

 

 狐人の技法

 

 ある出来事の際に、狐人の9割が死に絶えた為に、狐人が独自に進化させてきた技法や技術は全て消え去り。残った狐人達が必死に守り代々伝えてきた過去、神々が地上に降り立つより前に『穴』を塞ぐ際に溢れ出たモンスター相手に使用されていた戦う為の技法であり、今の時代に於いてはその殆どが消失してしまっている。

 

「神タケミカヅチと言う、天界でも有名な武神が居るのだが、そのタケミカヅチが狐人の技法を教えて貰おうと極東に有る九尾の血筋を残す名家のサンジョウノ家を訪ねた事があるが、すげなく追い払われたそうだ」

 

 神であっても技法を教える事を拒み、すげなく追い払う。

 

 『丹田の呼氣』と言えば極東で狐人の中で唯一残っている九尾の家系、サンジョウノ家が、唯一代々受け継ぐ事に成功した()()()『呼氣法』であり、サンジョウノ家が他の狐人にも秘匿する秘技である。

 

 故に『サンジョウノ』の名を冠していないカエデが習得して居る事はおかしい。

 

「ふむ……ヒヅチ・ハバリ……か」

「はい、師に教わりました」

「良いか? 狐人の中で九尾と言うのは重大な意味を持つ」

 

 九尾もしくはナインテール。

 

 狐人の中でも()()である者に与えられる名誉ある名であり、今風に言うなら神々が与える二つ名の様なモノだ。

 

 その中でも九尾の家系、一度でも九尾の名を冠した人物を輩出した血筋をそう呼び

 

 一つ『イテマダキ』

 二つ『ニノセキ』

 三つ『サンジョウノ』

 四つ『ワタヌキ』

 五つ『ゴコウヤ』

 六つ『ロクタンゾノ』

 七つ『ナナカマド』

 八つ『……………』

 

「以上八つの家系で九尾の家系だ」

「……? 九つじゃないんですか?」

「九番目は『九尾』の事だからな」

 

 九つ目は『九尾』を示し、残り八つの家系から一人の九尾が選ばれて九の名を冠する。

 故に九尾の家系。

 

「八つ目の家系は何ですか?」

「知らん。名は残ってない。何故か? 狐人の中でも最も嫌われている家系だからな」

「……?」

 

 八つ目の家系

 

 狐人の間では『裏切りの八番目』と毛嫌いされているらしい。

 

迷宮聖譚章(ダンジョン・オラトリオ)を読んだ事無いのか?」

「なんですかそれ?」

「はぁ……著者不明の英雄譚の様なモノなんだが、その中に狐人の英雄が複数登場するんだが……おおざっぱに説明するぞ?」

 

 知らぬ者など居ない程の有名な英雄譚を知らぬ無知なカエデの様子に溜息を吐いたキーラは、呆れ顔を浮かべながら一つ指を立てて話始めた。

 

 

 始まりは一人のヒューマンの少年がこう思った事である。

 怪物の溢れ出すあの穴を塞げば、地上に蔓延るモンスターを断絶できるのではないか?と

 

 ヒューマンの少年は穴を塞ぐ夢を見ながら、剣を持ち、モンスターを退治し始めた。

 青年へと成長を遂げたその少年は、各地に散らばる各種族を訪ね、穴を塞ぐ計画を知らせた。

 最初の一度目は一種族を除いて、ほとんどの種族がそんな事できっこないと計画を笑った

 とある一種族、狐人の『五十五代目 九尾』の八番目の家系の男、最強の剣士と名高い狐人はそのヒューマンの思いに答え、共に穴を塞ぐ為に行動を開始した。

 五十五代目と共にヒューマンは穴の淵までたどり着くも、五十五代目と、それに率いられた狐人達の奮闘むなしく溢れるモンスターに殲滅され、ヒューマンの男だけが生き残る。

 

 その様子を見ていたパルゥムの騎士団『フィアナ騎士団』が協力を申し出て、五十六代目の九尾、最強の妖術師の五十六代目とフィオナ騎士団、ヒューマンの男が再度穴に挑む。

 五十六代目の九尾の強力な結界によって穴を塞ぎ、フィアナ騎士団とヒューマンの男がモンスターの掃討を行うも、あふれ出てきたモンスターによって結界は破壊され、五十六代目とフィオナ騎士団の半数が死に、ヒューマンの男は逃げ帰った。

 

 生き残ったフィアナ騎士団とヒューマンに、五十七代目の九尾、次代の最強を冠する妖術師、少数のドワーフ、少数のエルフ、少数の獣人が合流し、三度目の穴を塞ぐ偉業を成し遂げんとヒューマンの男は穴に挑んだ。

 五十七代目が結界で穴を塞ぎ、他の者達が穴から溢れたモンスターを倒し、穴を塞ぐ蓋を作り始める。

 穴の周囲に外と内を隔てる()を築きあげる事に成功するが、五十七代目が妖術を酷使し過ぎた為に精神消失してしまい、その後溢れ出たモンスターによって蹴散らされてしまう。

 

 そして五十八代目、壊れた簪と一本の刀を携えた九尾は、狐人の戦士を数多く従え、数多くの種族に声をかけ、生き残った英傑達の元へ馳せ参じた。

 

 最初の頃は疲弊したヒューマンや他種族も苦戦して、九尾も今までの九尾程優れてはおらずに苦戦に苦戦を重ねるも、唐突に九尾は本領を発揮したのかたちどころに穴の淵まで皆を導く。

 その後、九尾は自ら穴に飛び込み、穴の内でモンスターを切り伏せて堰き止め、フィアナ騎士団、ヒューマンの男が同じく穴に飛び込み、エルフの術師、射手の援護の元、ドワーフの技師、力自慢の獣人達によって穴を塞ぐ蓋が完成した。

 

 最初は小さな少年が夢見たただの夢物語でしかなかったソレは、夢見た少年が折れる事無く願い続け、それに応えた各種族の手によって叶えられたのだった。

 

 めでたしめでたし

 

「みたいな話だった気がするな……いや、すまない。私も最後に読んだのは随分前だ、良く覚えていない」

「……? 九尾の人、凄いと思うんですが? 穴を塞ぐ手伝いをしたんですよね? 何で嫌われてるんですか?」

「それは後日談が関係してくるな」

「……?」

 

 五十八代目 壊れた簪、折れた刀、一個の首飾りを身に着けた九尾。

 その人物は蓋の完成と共に故郷へと帰還し、故郷であった『狐人の都』にて狐人達を一人残らず皆殺しにして最後には都を消し飛ばす大妖術を行使して死亡した。

 

「………………」

「そう、狐人の数が激減した理由でもあり、狐人が故郷を失った原因でもある。故に狐人は嫌うんだよ」

「……八番目の家系が?」

「そうだな、ついでに言えば五十五代目から五十八代目まで、全員が八番目の家系だったらしいな」

「だから嫌われてるんですね……何で故郷を滅ぼしたんでしょうか?」

「知らないさ、神々にも分らないらしいからね、私になんてわかる訳もない」

 

 

 

 

 

 穴を塞ぐ

 

 その偉業は神々も馬鹿らしいと天界から笑いながら見ていたらしい。

 

 最初に夢見た少年を、神々は笑いに笑った。

 

 腹が捩れて死ぬと笑った。

 

 だが、その夢は夢で終わらなかった。

 

 少年の夢が、願いが、神々ですら不可能だと笑った偉業を成し遂げんと数多の種族が募った。

 

 神々は途中から笑うのをやめ、真剣に、手に汗握って応援した。

 

 がんばれ あとすこしだ

 

 神々が見守り、人々が成し遂げんと努力したソレは見事成功した。

 

 ソレは神々からすればしょうも無い様な事だろう。

 何せ神なら小指一つで成せる事なのだから。

 

 だが、神の様な力を持たぬ子供達が成そうとするそれは、壮絶で、想像に絶する程の苦難の道。

 

 それを、地上の子供達は何に頼る訳でも無く、成し遂げて見せた。

 

 ソレは暇を持て余した神々には酷く楽しい事に満ち溢れている様に見えるに相応しい偉業だった。

 

 天界でもお祭り騒ぎになるような偉業だった。

 

 神々は口々に言った。

 

「あの子は俺が最初に目をつけてた」

「あの子はこっちにきたら私の眷属にする」

「うるせえ、あの子は俺が最初に目を着けてたに決まってんだろ」

「はあ? 何ふざけた事を、笑ってた癖に」

 

 殴り合いの喧嘩にまで発展したソレを、とある神が宥め、そして言った。

 

「俺らも下界に行けば良くね?」

 

 その一言を皮切りに、神々は天界から地上へと降り立った。

 

 

 

 

「……あの、その降り立った場所ってオラリオですよね?」

「正確には迷宮都市オラリオと言う名称で呼ばれる前の街、穴を塞ぐ建物が立ち、その穴の中に富と名誉を見出した()()()()()()()の集う街があった所に、だな」

「……バベルって、神々が立てたんですよね? その……元からあった建物を粉砕して……」

「そうだが?」

 

 地上の人々が文字通り死ぬ程の苦労をして立てた建造物。

 

 神々は地上に降り立つ時、どんなふうに降り立てば目立てるかなんて考えを持っており。

 

 結果として地上の人々が立てた迷宮の蓋をぶっ壊そうぜと悪乗りが過ぎ、その蓋をぶっ壊して降り立った。

 

 ソレに激怒した人々、特に英雄の血筋の者達が神々の神威ですら抑えきれぬ怒りを抱いたが故に、大戦を引き起こしかけ、神VS地上の人々と言う最悪の構図になりかけた所で、神々が土下座して謝罪し、代わりにバベルの塔を瞬きの間に築き上げたのだ。

 

 千年の時を経て尚、傷一つ無く、汚れ一つ無く聳え立つ神々の偉業そのモノである白亜の塔。

 

「そんなこんなで地上に神々が降り立って来た訳だが」

「あれ? ちょっと待ってください」

「どうした?」

 

 其処までの話をまとめた上で、カエデは気付いた。

 

「神々が降り立つ前の人たちはどうやって戦っていたんでしょうか?」

 

 神々が降り立ち、地上の眷属(こども)達に神の奇跡(ファルナ)を授けた。

 

 ファルナのおかげで人々は労せず力を得られるようになり、死亡率は激減し、今ではファルナ無しでは迷宮に潜れないと言われる程なのだ。

 

 それを、()()()()()()迷宮聖譚章(ダンジョン・オラトリオ)に登場した英雄たちはどうやって()()()()()()()()戦ったのか?

 

「決まっているだろう? 当時の人々は、ファルナは無くて当たり前、今の様に神に頼る事はせずに自分の両足で立っていたんだ」

「…………」

 

 唖然である。

 

 彼の古代の時代に於いて、ファルナは無くて当たり前。

 

 ファルナ無くしては迷宮のモンスターには勝てないと言われている今の時代。

 

 地上にも迷宮のモンスターが蔓延っていながら、ファルナも無く穴を塞ぐ偉業を成し遂げた英雄たちの凄さを理解して思わず震えた。

 

「まぁ、今の時代はファルナ無くして云々と言う者も多いが、遠い過去の時代にはファルナ無しで偉業を成す英雄たちが居たと言うだけの話だ……あー、と言うかオマエの技法から話がそれ過ぎたな……」

「あ」

「……最悪、『邪声』効果の技法を使いたければ『聖律』の技法である『丹田の呼氣』を一旦解除してから挑むと言い。『威嚇(メナス)』ぐらいならさっきの要領でやれば使えるはずだ」

「はい、ありがとうございます」

「……そう言えば神ロキはどうし……なんだあれ」

「……?」

 

 ガラス越しの部屋、その中でロキ、ガレスが爆睡しており、ペコラが壁の方を向きながら何かしているのが見えた。

 

「……()()()()? はあ、おい狼人、オマエアイツに声をかけてやれ」

「え? でも、妹なんですよね?」

 

 妹のトラウマでもある狼人、現に苦手だと良い気絶までしてしまう様な状態なのにカエデを嗾けるキーラを見て思わず呟けば、キーラはニヤリと笑って見せた。

 

「なあに、ショック療法と言う治療法があってだな」

「より酷くなったらどうするんですか?」

「……うん? 記憶ぶっ飛ばす」

「記憶を飛ばす技があるんですか?」

「殴れば飛ぶだろう?」

「…………」

 

 身に纏う衣類から得るイメージは根暗な印象を受けるが、中身はなんと言うかかなり大雑把で脳筋みたいな感じで違和感がある。

 ペコラもふわふわした優しいイメージを抱く印象だが、中身は高耐久でハンマー振り回す人物らしいので、この妹にして、この姉有りと言った感じだろうか。




 一部誤記があった事をお知らせします。
 『邪言』と記載している部分が過去話にあるかもですが、正しくは『邪声』です。
 もし見つけた方が居ましたら、お手数ですが誤字報告をお願いします。
 作者も自身で探していますが、見落としがある可能性がありますので……orz

 →原作ではありえない事云々~
 二次創作だから許せ。としか言えないです。





名前【酒乱群狼(スォームアジテイター)】ホオヅキ
好きな物『酒』
嫌いな事『傷付けられる事』
 毛色は不明、目の色は赤色の女性の狼人
 事ある事に髪や尻尾に至るまで毛を染めており、赤だったり蒼だったり白だったり黒だったり、地毛が何色なのかさっぱりわからず、スキル的に黒毛じゃね? と噂されている。

 所属は【ソーマ・ファミリア】で役職は『団長』だが本拠には一切立ち寄らず、あっちへふらふらこっちへふらふらとよく分らない生態系を持つ女性。
 オラリオにて有名な冒険者の一人。

 有名な話は『駆け出し100人に指示を出して一級30人を皆殺しにした事』であり
 黒毛の固有スキルである【巨狼体躯】を持っている。

 右手に鉈、左手に戦爪と言う変則的スタイルで戦い、左手の戦爪で突き刺して右手の鉈で解体()すると言う凄惨極まりない戦い方をする為、戦闘相手が十中八九の割合で切断死体(バラバラ)にされる。
 ちなみに残りの一部はその凶悪なまでのステイタスで絞殺されるので、死亡率はほぼ十割。

 酔っていれば酔っている程に強くなる特殊スキルも保有しており。
(殺し方もより凶悪になる)
 故に酔ったホオヅキに喧嘩売ったらダメだと言われている。


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『悩み』

 少女は完成した『蓋』を眺めて呆然としていた。

 周りで勝利の雄叫びを上げる他種族の英雄達を見てようやく戦いの終わりを実感した。

 少女は血塗れのまま、折れた刀を振り上げ、力の限り叫んだ。

 勝利だ、我()の勝利だ、憚る必要等無い、声を、勝鬨を上げよ。

 叫んで、叫んで、叫んで、そして泣いた。

 少女の声に反応する同胞(はらから)は誰一人として居ない。

 『蓋』を作る為、穴に身を投げた少女と同胞(はらから)()

 少女ただ一人を除いて、同胞(はらから)は誰一人として帰る事は無かった。

 共に『蓋』を作らんと募った同胞(はらから)は皆……死に絶えたのだから。


 呆れ顔のキーラがカエデを見降ろしながら溜息混じりに呟く。

 

「得手不得手があるからな。はっきり言えばオマエは『邪声』系の技に向いていない」

「…………」

 

 その言葉にしょんぼりとしているカエデに、キーラが続ける。

 

「『丹田の呼氣』なんかの高等技術が使えるんだ。気落ちする必要も無いだろう。むしろ羨ましいぞ」

 

 一応、励ましている積りなのか肩を竦めながらカエデを見降ろすキーラに、床に転がったカエデが呟く。

 

「なんでダメなんでしょうか」

「なんで? 簡単に言えばオマエは人を()()()をさっぱりしない。と言うより恨みはすれど()()()()()()な。性格の問題だ、だが使えない訳じゃない。『邪声』系の技の自己解呪ぐらいは出来るはずなんだが」

 

 『邪声』系の技の一つ『呪縛命令(バインド・オーダー)』による命令で床にあおむけに寝たまま動けなくなっているカエデに対してキーラはしゃがんでカエデの額を指先でこつこつと小突く。

 

「まず第一に、相手に屈服させられている事に反発心を抱かない。オマエは私を恨み、呪い、罵倒を浴びせかけるべきだ、ほら、私に何か言ってみろ。何か言いたい事はないのか?」

「えっと……」

「はいアウト。まず罵倒の言葉を選ぼうと頭で考えている時点でアウトだ」

「…………」

 

 こつこつと額を小突かれながら、カエデは必死に罵倒の言葉を探そうとするも、容赦ないダメだしでカエデは若干涙目になりながらもどうにか起き上がる為に体を動かそうとするも、指先一つ動かせずにいる。

 それでもどうにかしようと必死に頭を捻るカエデに、キーラは

 

「どうにも、恨む事を知らない訳ではなく、恨む事の無意味さを理解している節があるな。その所為か恨みを抱いても直ぐに自己完結して恨みが長続きしない。コレの所為で『邪声』系の技の威力が激減している。お前の旋律スキルの効果向上があっても、はっきり言えばファルナ無しの冒険者すら怯ませる事も出来ないぐらい弱弱しい効果しか発動しない。そこらの猫やら犬やらならオマエの威嚇で追っ払えるんじゃないか? あ? ゴブリン? 馬鹿かオマエは。良いか? 効力が全くないそんな『邪声』系の技なんて塵芥に決まっているだろ。最弱と謳われるゴブリンにすら効き目が表れるか微妙過ぎる。ほら、どうした? はぁ……なんだ? 泣くのか? 涙を零して? そんな暇があるのなら、さっさとその『呪縛命令(バインド・オーダー)』を自己解除して立ち上がってみせてみろ。無理? 何を言っている。 不可能ではない。お前にかけた効力はスキルがあるなら自己解決できるは……おい動くな、オマエ今何をした? あ? 旋律スキルで無効化しようとした? 器用だな。凄い凄い、オマエは凄いよ。あの一瞬で『聖律』系の技で『呪縛命令(バインド・オーダー)』の効力を弾こうとするなんて、凄まじいまでの才能と天才性を持つ狼人だな……だから動くな。オマエはわかって無いな? 今回お前が習得すべきは『邪声』系の技であって『聖律』系の技じゃないんだ? 私がオマエに教えるのは『邪声』系の技の数々だ。わかったら『邪声』系の技の一つでも……動くな動くな動くな、おい、オマエ……ワザとやってないか? どうにも私の事が嫌いな様子だな。あ? 『聖律』と『邪声』の違いがわからんだ? 何を――――――

「キーラたん、ストップや」

 

 凄まじいまでの機関銃の如き罵倒がカエデに突き刺さり、起き上がろうとした姿勢から『聖律』系の技で解呪に成功して立ち上がろうとした瞬間に『呪縛命令(バインド・オーダー)』によってうつ伏せに倒されたカエデが震えながら涙目でロキに助けを求めた為か、ロキがキーラの罵倒を止める。

 

 ガレスが同情するような視線をカエデに投げかけており、キーラは止めたロキに対して肩を竦めた。

 

「やり方に文句があるなら、他の奴に頼むと良いぞ。私も狼人が嫌いだからな……別にその白い狼人に恨みがある訳じゃない。狼人全てが嫌いなだけだ」

 

 きっぱりと言い切ったキーラにロキが呟いた。

 

「頼む奴間違えたか」

「みたいに見えるがな」

 

 ロキの言葉にガレスが反応するが、肝心のキーラは立ち上ると、カエデに呟く。

 

動いて良いぞ

「……ロキ様ぁ……」

「あー、カエデたん。よしよしや。カエデたんは頑張っとる思うでー……ちょっと相性が悪かったんやなあ」

 

 動ける様になった途端、ロキに縋り付くカエデに、ロキが頭を撫でながらキーラを睨む。

 

「流石にやり過ぎやで?」

「……むしろ、そこまで罵倒してやったのに、恨み言一つ漏らさないなんて信じられんのだが?」

「……そう言う性格なんやろ」

 

 『邪声』系の技を使う基礎として恨み、羨み、憎み、呪うと言った形で相手に思いをぶつける所から始めなくてはならない。

 

 だがカエデはどうにも戦う相手に対してすら恨みや憎しみを抱かないタイプらしく『威嚇(メナス)』を使う事すらできなかった。

 これに対してキーラは即興でカエデをありとあらゆる言葉で罵倒し、床に伏せさせ頭を踏みつけてみたり、挑発したりと、カエデが自分を恨みそうな事を片っ端から試してみたのだが、恨み言一つ零さない上、涙目になる。

 涙を零すまでにはいかない様子だが、それでも『やってやる』と言うやる気は満ち溢れていれど『恨み』や『憎しみ』を抱かないカエデには『邪声』系の技の習得は不可能ではないか? と言うのがキーラの感想だ。

 

「ぶっちゃけると、こいつに『邪声』系の技は使え無さそうなんだが。と言うか本当に『邪声』系効果向上』の効果がついていたのかすら疑問に思えるレベルだぞ? 本当についてたのか?」

「……それはウチも疑問に思ったんよなあ」

 

 ロキもキーラの意見には賛成だ。

 カエデは入団試験の時に馬鹿にしてきた相手に対して恨みを抱いた様に見えた。だが、その恨みもベートが現れた瞬間に霧散してしまった。

 どうにも長続きしないと言うか、恨みを抱くのは一瞬。しかも恨みを抱いたまま戦いに赴けない……いや、恨みを抱いたまま戦いに赴く事をよしとしない教育を施されているらしい。

 

『恨み、憎しみはオヌシの力を引き出してくれるじゃろう。じゃが、その分鈍り、相手に剣閃を読まれる事になる。それに色々な感情を含むと言うのは不純物が混じりやすい。剣を握るのなら思うはただ一つ。勝利し生き残る事のみ、故に剣を握るのなら恨み憎しみ何ぞ捨て去れ、余計な感情を抱いたまま剣を振るうと碌な事にならんからな』

 

 カエデもソレに忠実に習って『剣を握る上で余計な感情は排する様にしている』らしい。

 

 その思考は生粋の戦士か剣士か、ともかく戦うモノの中では珍しくないモノではあるのだが……

 考え方そのものが『邪声』系の技の習得を阻害している。

 だからと言って考えを改めろなんてとても口にできそうにない。

 

 常に相手を恨み、憎み、呪う事で『邪声』系の技のキレが凄まじい【呪言使い(カースメーカー)】キーラ・カルネイロだが、ほんの些細な事で相手を恨み、憎む様にしているらしい。

 常々感情的で相手を罵倒する事に長けているが故にキーラは適性が高いのだが……

 

 カエデのスキルは単純に言えば『宝の持ち腐れ』と言う物だ。

 

「……キーラさんは「キーラと呼び捨てで構わん。むしろ呼び捨てにしろ」……えっと」

「そこで悩むな、余計()()()()()()だろ」

「…どうやって人を恨んでいるのですか?」

 

 何とか立ち直ったらしいカエデがロキから離れてキーラに問いかけるが、キーラは一つ頷くと口を開いた。

 

「この眼帯、顔の半分を覆っているのだが、手酷い傷がある。故に私の顔は()()のだ。だからこそ()()()()()()()()、そもそも()()()()()()()()()()()が羨ましい。その羨ましいと言う感情をそっくりそのまま()()()へと形を変えて抱き続けているだけだが?」

 

 その言葉にカエデが考え込むが、ロキはカエデの頭をぽんぽんと撫でる。

 

「カエデたんはそのままでもええよー……と言うか『邪声』系の技ってそんなんやったんか、知らんかったで」

「……なぜ知らずに教えてくれ等と頼みに来たんだ……一応『旋律』スキルがあるならその狼人には『聖律』か『聖声』系の技でも教えた方が効果的だぞ? ペコラにでも頼んでみれば「ちょっと、お姉ちゃんはペコラさんの味方ではないのですかっ!!??」……アア、ワタシハオマエノミカタダゾー」

「すっごい棒読みなのですがっ!! 棒読み過ぎるのですがっ!!」

 

 少し離れた所で壁に向かってぶつぶつと自分を励ます言葉を呟いていたペコラが反応して立ち上がるも、カエデに近づかない様に大回りしてキーラに掴みかかろうとするが、キーラはすっとカエデに近づいてペコラをニヤニヤと見据える。

 

「ほら、ペコラ、私はここだぞ?」

「ぐぬぬぬ、狡いのですが、ペコラさん苦手な物があるんですが? 狡くないですか?」

「何、只の狼人じゃないか。何を脅える必要がある」

「ぐぬぬぬぬぬ」

 

 唸りながらもカエデに近づけず、結果的にキーラにも近づけないペコラはガレスの後ろに回り込む。

 

「ガレスさん、やってしまうんですよっ!!」

「いや、すまんがそりゃできんな」

「酷いっ!!」

「その辺にしときいや……ともかく、そろそろ時間やし、いったん帰ってまた今度やな……」

 

 ロキの静止にペコラは動きを止めたのち、キーラを睨むが、キーラはどこ吹く風と無視してカエデに向き直った。

 

「おい白い狼人」

「……なんでしょうか」

 

 若干いじけているカエデは上目使いでキーラを見るが、キーラは溜息一つ零すと肩を竦めた。

 

「そういじけるな。私も好き好んでお前を罵倒している訳じゃない……いや、楽しかったのは否定しないが、ともかくオマエが『邪声』系の技が使えない事に関してはむしろ()()()だ」

「良い事ですか?」

「当たり前だ。誰かを恨まずにいられるのならソレが一番だし、その方がギスギスしなくて済む」

「…………」

「確かに役に立ちはするが、無理に習得する必要なんて無い。むしろお前はその性格のままで居た方が良い。誰かを恨み始めたら……いずれ、恨み恨まれの泥沼に落ちる事になるからな」

 

 遠い目をして何処かを見てから、キーラはぽつりとつぶやいた。

 

「糞面倒な蛙野郎が何度も夜襲をしかけてきて寝不足になったりするからな。マジムカつくよアイツ。いつかぶっ殺してやる」

 

 若干物騒な事を呟いたキーラはふと表情を戻すとロキを見た。

 

「そう言えばロキ、習得は絶対にさせる感じか? この調子だと習得は絶望的なんだが?」

「あー……まあ、しゃーないわな……正直、欲張り過ぎな気はしとったし」

「……ごめんなさい」

「カエデたんの所為やないて……しゃーないわ、こりゃ諦めるしか無いわな……」

 

 無理に習得を目指すなら、性格の矯正からしていかなければならないが、わざわざ恨みがましい性格に矯正してまで『邪声』系の技を習得するとなると想定よりもかなり長い期間をとらなければならなくなる。

 

 はっきり言って無駄と言えるし、性格の矯正なんてすれば元々歪な部分のあるカエデの負担がでかすぎる。

 

 

 

 

 

 【ロキ・ファミリア】の大食堂、カエデは本拠へと帰還後、同じくダンジョンより帰還したジョゼットと食事を共にしながら、【呪言使い(カースメーカー)】から言われた事についてジョゼットに相談していた。

 

「なるほど、性格上スキルの使用が難しいと……ふぅむ……」

「どうやって人を恨み続ければいいんでしょうか?」

「無理に恨む必要は無いかと」

 

 人を恨み続ける方法、恨みを肥大化させる方法。

 

 そんなモノありはしないし、普通はそんな考えを抱く以前に人は恨みを抱くモノな気がするが……

 

 しょんぼりした様子でサラダを食べるカエデを見てから、ジョゼットはふとカエデの皿からプチトマトを摘まみとってみる。

 

「ジョゼットさん?」

「……ふむ」

「?」

 

 唐突なジョゼットの行動に首を傾げたカエデを見て、ジョゼットはプチトマトを指差した。

 

「私が盗りましたが、どう思いました?」

「……?? えっと……? 食べたかったんですか?」

 

 なるほど、物欲が薄い。いや今回の場合はカエデはあまり執着心を抱いていなかった物だったから怒らなかっただけか? どちらにせよ盗られた事を些事として処理しているのか、恨みを抱く気配は微塵も無い。これが食事にこだわりを持つ団員なら文句の一つも垂れる所だが、文句すら出てこない。

 

 ジョゼットはプチトマトをカエデのサラダに戻して口を開いた。

 

「盗られた事に関して思う所は……無さそうですね。丸いと言うより動ぜず。精神力が高いと言えるのでしょうかね。射手として見れば素晴らしい素質ですよ」

「……? えっと、何がしたかったんでしょうか?」

「いえ、少し確認を……しかし、カエデさんの怒る所が想像できませんね。モンスターを睨む目は鋭いですが、何かしらの感情を抱いている訳ではないみたいですし……確かに恨む憎むが出来ない性格みたいですね」

 

 罪を憎んで人を憎まず、と言う性格……と言うには前提がおかしい気もする。

 

 カエデが怒る姿を想像しようとして、そも付き合いも昨日始まったばかりの少女の怒り姿なんぞ浮かぶ事も無く、ジョゼットは質問を変えて問いかけた。

 

「カエデさんは、人にされて嫌な事……いや、そうですね。苛立ちを覚える事はあります?」

「苛立ち?」

「ムカつく、とかですかね」

「………………ジョゼットさんはどんな事に苛立ちを感じるんでしょうか?」

 

 質問に質問で返すのは失礼にあたるが、カエデは必死に答えを見つけようとしてから困った様に返してきたので、必死に答えを探した上での質問だろう。

 どうにも、苛立ちを感じる部分が自分でも分っていない可能性もあるのか。

 

「そうですね……私の趣味はお菓子作りなのですが。作っている途中に摘み食いをされると苛立ちを覚えますね、他には……まぁ、こちらは良いでしょう。後は食事中に騒がれるのはあまり好きではないので苛立ち……と言う程ではないですが思う所はありますね」

 

 ジョゼットの返答にカエデは頭を悩ませているのか考え込み始めてしまった。

 その様子を見ながら、急かしても答えは出ないだろうとジョゼットはスープに口を着けながらカエデの様子を眺める。

 

 唸って、唸って、必死に答えを捻り出そうと思考するカエデは、本気で悩んでいるのだろう。

 

「…………『白い禍憑き』……」

「ん? 何か見つかりましたか?」

「……なんでもないです」

 

 考え込んでいたカエデが唐突に俯いて耳が垂れてしまったのをみて、ジョゼットが声をかけるもカエデは弱弱しく首を横に振るだけで黙り込んでしまった。

 

 一瞬聞こえた単語に、思い当たる節があり、ジョゼットは少し迷ってから呟いた。

 

「そうですね、先程は言うのをやめましたが、私はとある二つ名が大嫌いなんですよね」

「……二つ名?」

「今の私の二つ名は【魔弓の射手】ですが、ソレ以前に何時の間にやら定着していた二つ名があるんですよ」

 

 首を傾げるカエデの前で、ジョゼットは溜息を零して呟いた。

 

「【エルフ擬き】です」

「……? なんですかそれ?」

「二つ名、魔法種族なのに魔法が使えない。見た目はエルフ、中身は別物、そんな意味を込めて勝手に周りが呼んでた二つ名です。この二つ名は私の恥でもあり、最も忌み嫌う二つ名です。この名で呼ばれたら私は本気で怒るでしょう」

「…………」

「カエデさんも、呼ばれたら怒る名があるのですか?」

 

 カエデが悲しげに眼を細めたのを見て、ジョゼットは地雷を踏んだか? と身構える。

 

「……『白い禍憑き』」

「ふむ? ソレは……」

「いつも、村で言われてました」

 

 悲しげに、俯いてスープの水面に映る自分の顔を見てからカエデは困った様に眉を寄せた。

 ソレを見て、ジョゼットは直ぐに謝った。

 

「すいません。詮索すべきではありませんでした」

 

 カエデの様子から、苛立ちより悲しみが勝っており、ソレが傷を抉っている事に気付いたジョゼットは困った様に眉を寄せた。

 

 これは重症か? いや、まだ分らない事が多々ある。少し調べてみるか。

 

「……他の質問をしますが……カエデさんの師、その人が侮辱されたらどう思いますか?」

「侮辱……ですか?」

「そうですね……くだらない生き方をしただとか……」

 

 ソレは流石に言い過ぎかとジョゼットが口を閉じて別の言葉を考えようとしているさ中、カエデは目つきを鋭くして口を開いた。

 

「『世界中の誰しもが間違いだと言う道であろうが、己自身が瞬きを置かずして()()()()()と叫べるのであれば、その道を貫き通せ、誰の否定も受け入れるな』」

「……それは、カエデさんの師の言葉でしょうか?」

「はい」

 

 ジョゼット自身も頑固な部分を持ち合わせているが、カエデのソレは師の教えによるモノとカエデ自身の性格からきているらしい。

 危うい生き方だと思う。後は敵を作りやすい生き方か?

 

「『己が貫ける信念を抱け』『抱くべき信念を間違えるな』『己自身に問いかけ続けろ、もし瞬き間に問いに答えられず、悩むのならばその信念は捨て去れ』『抱く信念は己が全てをもってして肯定出来うるモノだけにせよ』、師が抱いた信念は誰が否定しようと、世界の全ての人達が否定しようと、師が自身で否定しない限りは間違いではないです。ワタシが口出しすべき事ではないですし、師自身も誰それの罵倒の言葉に気に掛ける事は無いでしょう」

「……」

 

 思っていたより過激な思想で、思わず口を閉ざすが……

 

 なるほど、想いを一つに絞る事で余計な思想を削り、只一つ目的を掲げて貫く。

 

 それは非常に解りやすい。

 

 カエデの強さに繋がっている事は簡単に解る……のだが。

 

 ふむ……これは変に考えを改めさせない方が良いのか? リヴェリア様にもそう進言しておくべきか。

 

 

 

 

 

 ワタシは師に問うた事があった。

 

 何故、ワタシだけ白毛で他の皆と違うのか?

 何故、石を投げられ、拒絶されるのか?

 ワタシも皆と同じ毛色で、皆と共に有りたかった

 何故、ワタシだけ皆と違うのか? と、

 

 師は言った。

 

『オヌシに変えられるのはオヌシ自身のみ。ワシに変えられるのはワシ自身。だがどう足掻こうと変えられぬモノもある。ワシはどう足掻こうが狐人であり狼人には成れぬ』

 

『皆と分かり合えぬ事が悲しいか? 悔しいか? 恨めしいか? その感情は抱くだけ無駄じゃろうて。抱くなとは言わんが、囚われるな』

 

『過去は変えられん、何が有ろうとな』

 

『変えられるのは未来だけじゃ』

 

『しかし未来において、オヌシやワシだけでは変えられぬモノもある』

 

『オヌシは変われる。ワシも変われる。じゃが他の者まで変われる訳では無い』

 

 その言葉は、どれも悲しげに言われた言葉だった。

 

 その意味を理解したのは何時だっただろうか?

 

 村人に殺されそうになった時だった気がする。

 

 あの時、赦して下さいと懇願するワタシに村人の男の人が言った言葉。

 

『死ね、オマエが生きているだけで迷惑だ』

 

 あの言葉、今でも鮮明に覚えている。

 

 その時にワタシはヒヅチに言った。

 

『死にたい、誰もが石を投げてきて、誰もが目を背けて、誰もが死ねと言ってくるのなら。死んでしまいたい。どうしてワタシ()()()助けたの、あの時に死んでいればこんなに苦しい想いもしなかったのに』

 

 ヒヅチはワタシを抱き締めて言った。

 

『安心しろ。例え村人の全員が、世界中の総ての人々が、世界そのものがオヌシが生きる事を否定しようと、ワシは肯定しよう』

 

『オヌシ自身が間違っていたと否定しようが、ワシがオヌシの命を救い上げた事を間違いだった等とは言わん』

 

ヒヅチが……初めて……ワタシに殺気を向けてきた。

 

 その殺気は……多分……本気だった。

 

 背筋が一瞬で粟立って……絶対に勝てない……必ず殺されてしまう。

 

 そう思わせる様な。首に刃を押し当てられて……違う。既に首を落とされたかと錯覚するような殺意。

 

 モンスターが向けてくる憎しみの籠った殺意とは全く違う。ただ純粋なまでの『殺す気』と言うモノだった。

 

『もし、本当に苦しくて、狂ってしまいそうなら。その時は、ワシがオヌシに死を与えよう』

 

 ヒヅチはワタシに刀の切っ先を向けながら言った。

 

『死にたいか?』

 

 師の金色の瞳が紅く揺らめいた気がした。

 

 粟立つ背筋に反して、ワタシは転がっていた採取用のナイフを拾ってヒヅチに向けた。

 

 きっと、答え次第でワタシは其処で死んでいたはずだ。

 

 ワタシがどう足掻こうが、本気のヒヅチに勝てるはず無いのだから。

 

 答えようと口を開こうとしたら、ワンコさんが乱入してきて答えられなかった。

 

 その質問。

 

 ――……ろしてよ……――

 

 ワタシは――――なんと答えようとしたんだっけ?




 ほむ。この作品内で登場したオリキャラ、用語、武器等、気になるモノがあれば質問して貰えればあとがきでちょくちょく説明っぽく書いていきますので、気になった方は作者にメッセージをどぞ。




 銘『ウィンドパイプ』 別名『喉笛』
 作:【疑似・不壊属性(デュランダル・レプリカ)】ツツジ・シャクヤク
 種別:大刀(刃渡り70C程度) 

 刃先に行くほどに太くなっているその刀は、力任せに振るう事で『ぶった切る』事が主な使い方だが、力任せに振るっても刃が自ら相手に喰らい付く様にも感じられる不思議な大刀。その様子から『喉笛に喰らい付くみたいなイメージ』で銘を打たれた。

 作者名がきちんと彫られている為にツツジの作品であるとされているが、ツツジが何時作ったモノかは不明。
 倉庫の片隅でずっと眠っていたモノであり、埃を被り錆が浮き始めていた所をヘファイストスが見つけて破棄処分されかけていた所を拾い上げられた内の一本。

 銘『ハーボルニル』 別名無し
 作::【疑似・不壊属性(デュランダル・レプリカ)】ツツジ・シャクヤク
 種別:大刀(刃渡り95C程度)

 刃渡り、重量共に平均より少し上の『大刀』の中でもさらに大き目であると言えるその刀身は、かざりっけの無い武骨ともとれる鈍色の輝きを灯している。

 此方も『ウィンドパイプ』と同じく倉庫の片隅でずっと眠っていた作品。
 『ウィンドパイプ』に比べて刀身が長く、重量もかなり重め。
 扱うのであれば相応の筋力を求められるのでどちらかと言えばドワーフやアマゾネスと言った筋力自慢向けの作品。


 どちらの作品もカエデ・ハバリの持つ『アイラブアイリス』 別名『大鉈』と同形状でより大きくしたモノである。
 神ヘファイストスは『練習の際に作られた剣ではないか?』と予測しているが、事実は本人不在の為不明。

 製作者の二つ名にそぐわぬ耐久性を誇っている。

 切れ味(攻撃力)はせいぜいが四等級武器(上層~中層上部)程度で労せず切断可能な程度。
 中層下層まで下りると切れ味だけでの切断は難しくなる。

 耐久だけで言えば下層でも十分に通用するが切れ味が全く足りていない所為か足りない切れ味を筋力で補って『ぶった切る』必要有り。筋力極振り気味のドワーフかアマゾネスが持つ分には下層でも十二分に効果はあると思われる。


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『呼氣法』

 帰ろう。故郷に、帰ろう。姉上が待っている。

 行きには数多の同胞(はらから)と駆けた大地をただ一人踏締めて。

 共に帰ろうと約束を交わした者等を全て失って。

 それでも()()()()()を果たす為。

 少女はただ一人、帰路につくのだ。

「姉上、ワシは……間違っていたのか?」

 数多の同胞を率いた。

 数多の同胞と駆けた。

 数多の同胞を導いた。

 数多の同胞を………………殺した。

 間違いか? 『蓋』の完成を望んだのは……間違いだったのだろうか?


 ダンジョン七階層

 

 通路の間隔が短くなり部屋(ルーム)の割合が多くなってくる階層であり、主な出現モンスターは新米殺しの名で知られる『キラーアント』、他には毒と言う状態異常を引き起こす鱗粉を使用してくる『パープルモス』に、死角からの一撃で即死を狙う『ニードルラビット』である。

 

 カエデはまっすぐに正面から突撃してくるキラーアントの牙を跳躍で回避すると同時に、頭を踏みつけて背中の上を走り抜けざまに跳び台として利用して、大きく跳躍した。

 天井すれすれをゆったりした様子で飛び回っていたパープルモスをウィンドパイプで引き裂き、下で落ちてくるカエデに向かって牙を振り上げて威嚇していたキラーアントを、ウィンドパイプを下にして落ちる事でそのまま頭から胸部に当たる部分までを真っ二つに引き裂き、着地と同時に周囲を薙ぎ払う。

 

 薙ぎ払いに巻き込まれたらしいニードルラビット数匹が剣先で引き裂かれて血と臓物を撒き散らす。

 

 カエデは薙ぎ払った後に、ステップで先程飛び越えた関係で背後に回ったキラーアントの噛みつき攻撃を回避してから、もう一度天井を見上げれば、倒したはずのパープルモスが何処からともなく追加されて毒の鱗粉を撒き散らしている。

 

「多すぎ……っ……」

 

 唐突に襲う倦怠感と共に、湧き上がってきた吐き気に思わず膝を突きかけるが、直ぐに飛び退いて懐から取り出した投擲用短剣で天井付近を飛ぶパープルモスに投げつけるも、甲高い音を立てて天井に当たり落ちてきた。

 ふらつき様に、キラーアントの一撃を転がって回避するも、そのまま立ち上がる事が出来ずに呻く事しかできずにカエデは青褪めた顔をして歯噛みした。

 

 瞬間、数本の矢がカエデを苦しめていたパープルモスと、追い詰めていたキラーアントに突き立ち、一撃で魔石を砕いて無力化した。

 

「大丈夫ですか? ……毒ですね、解毒剤をどうぞ」

 

 カエデの戦う様子を見ていたジョゼットが弓で援護し、倒れたカエデに駆け寄って解毒剤を手渡し。他のモンスターが現れないかの警戒に当たる。

 

 その間に解毒剤を一気に飲み干してから、ポーションを追加で飲み、カエデは立ち上った。

 

「パープルモスの間隔が非常に早いですね……」

 

 思った以上にパープルモスの毒鱗粉がいやらしい。

 他のモンスターに紛れて天井付近で鱗粉を撒き散らすと言う行為自体は話に聞く通りなのだが、他のモンスター諸共毒状態にしてくる上、一匹二匹仕留めても気が付けば三匹目四匹目のパープルモスが天井付近で飛び回って戦場を毒鱗粉で埋め尽くすと言う事態になる。

 

 当然、カエデも幾度と無くパープルモスを仕留めてはいるものの、何時の間にやら別個体が現れ、少しずつ、少しずつ体に蓄積した毒が、唐突に効力を現わして体調不良を引き起こす。

 

「そうですよ。なので一匹倒したからと油断すれば別の個体がいつの間にか戦線に合流していて何時の間にやら毒になってしまって追い詰められる場合も多々あります。なので遠距離攻撃が可能な射手か魔術師がパーティーに居なければ非常に危険な階層ですね……どうですか?」

 

 ジョゼットが援護しなければ先程の戦いのさ中、カエデは命を落としていた可能性が高い。

 

 戦闘能力が高いだけではダンジョンでは生き残れない。

 

 確かにカエデの戦闘能力は天性とも言える程の才能と、師の教えを忠実に守る努力家と言った部分からきており、戦闘能力だけで言えばそこらの駆け出しなんて目ではないと言えるのだが。

 

 やはりダンジョン内部での行動における基礎的な経験が不足している。

 

 『何が起こるか分らない』と言う前提部分を持ちながらも、その前提の範囲が広すぎてカエデの能力ではすべてに対処しきれない。

 

 今回、ルーム内に存在したモンスターはキラーアント三匹だけだった。

 カエデは同行者に確認をとると同時に飛び出して、三匹を軽く不意打ちで仕留めたのだが、仕留めると同時に罅割れる音が部屋に響いたと思えば、壁に罅が入り、ニードルラビットとキラーアントが卵から孵るかのように壁を砕いて出て来たのだ。

 

 ダンジョンのモンスターは壁や天井等、()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 その現象を見たカエデは迷わずニードルラビットを優先して倒し始めたのだが、天井の付近でいつの間にかパープルモスが湧いており、粉っぽい空気に違和感を感じたカエデが天井の辺りをゆったりとした動作で飛び回るパープルモスに気付き、慌てて対処している間に新たに壁からキラーアントが湧き出してきてしまった。

 

 しかも、その後カエデは慌てる余りキラーアントに止めを刺し損ねてしまい結果として数多のキラーアントが迷宮中からカエデの戦うフロアまで雪崩込みそうになるも、カエデはどうにか対処しようと目の前のモンスターに集中し過ぎ、幾度かパープルモスが追加されてくる等と言う事も発生した結果、単体で対処しきれない量のモンスターと対峙する羽目に陥ったのだ。

 そして知らぬ間に蓄積した毒が猛威を振るうと言った形で追い詰められしまった。

 

 『何が起こるか分らない』は、問題が一つずつ起きるとは限らないと言う事でもあるのだ。

 

 故に今回のカエデの失敗は引き際を誤った事である。

 

 毒で失われた体力を回復するためにジョゼットの近くで座り込んだカエデはジョゼットを見上げて呟いた。

 

「どの時点で引けば良かったんでしょうか?」

 

「そうですね……まずパープルモスを発見した時点で一度ルームから通路に撤退すべきだったとは思いますね」

 

 ジョゼットの言葉に俯いて考え込むカエデに、ジョゼットは思わず呟く。

 

「むしろ、モンスターが壁から産まれてきたのに慌てずに対処して、なおかつかなりの数を討伐できた時点で相当素晴らしい事なんですけどね……」

 

 カエデの倒したモンスターは、魔石を砕いた為に消滅したモノもあるので厳密な数は不明だが、少なくとも百は超えている。

 キラーアントの恐ろしい特殊能力を発動させておきながら、フィンとラウルの二人で三つある内の二つを塞いで残りの一つの通路から雪崩込むキラーアントを焦りながらもしっかりと対処していた上、ジョゼットが最後に援護に入った時には残り数匹と言うぐらいまで減らしてあった。

 

 しかし問題点もあったと言えばあった。カエデの行動に、では無く。カエデの体質の問題だろう。

 

 カエデが小柄故にか、どうにも毒に対する耐性が低い。

 一匹を切り伏せる際に少し毒の鱗粉を吸っただけにも関わらず、カエデは毒状態に陥った。

 

 発展アビリティ《耐異常》を最優先で習得しなければかなり辛いだろうと思うのだが……

 

 そんな風にジョゼットが周囲警戒をしながら考えていると、通路でルームに流れ込みそうになっていたキラーアントの群れを片付けてきたフィンとラウルが戻ってきた。

 

「いやーキラーアントは相変わらず数多いッスね」

 

「大丈夫だったかい? 二人とも」

 

 剣を片手に、なおかつサポーター用の大き目のバックパックまで背負ったラウルは息切れ一つ無くにこにこと笑みを浮かべており、フィンは片手で槍を持ってひらひらと手を振っている。

 

「……カエデさんが毒を貰ったぐらいでしょうか? 他はおおむね問題無しですね」

 

「毒か、大丈夫かい?」

 

「はい、直ぐに解毒剤を飲みましたので……」

 

 フィンは軽くカエデの目を見てから一つ頷いた。

 

 若干、目が()()()()()が、問題ない範囲だろう。

 

 目の色が直接血の色であるが故に、体調不良や健康不良、状態異常が発生するとカエデの目の色が濁る。

 故にカエデの目を見れば大体の状態は分るのだ。

 

「大丈夫ッスか? カエデちゃん耐異常持ってないんスね」

 

「……はぁ、まだ駆け出し(レベル1)のカエデが発展アビリティを持っている訳無いでしょうに」

 

 ラウルの言葉にジョゼットが呆れ顔を向けると、ラウルははっとして頭を掻いた。

 

「いやー、カエデちゃんの動きってどうも駆け出し(レベル1)って感じがしないんで……つい」

 

「……? ありがとう……ございます?」

 

 褒められていたと思ったカエデがラウルに礼を言えば、フィンが苦笑し、ジョゼットが肩を竦めた。

 

「僕からカエデにアドバイスだけど……そうだね、()()は十二分にあるけど()()()()()()()()が不足してるね。まだダンジョンに潜ったのは三回目だから仕方ないけど……あんまり焦らない様にね?」

 

 カエデがダンジョンに潜るのは今日で三回目、三日に一度なのでカエデが初めての迷宮探索(ファーストダンジョンアタック)を終えてから七日目である。

 

 わずか三回目の探索でダンジョン七階層まで足を運ぶのはかなり珍しいが、カエデの場合はモンスターとの戦闘経験もある上、護衛が三人も付いている為、先程の様に危機的状況に陥った場合に直ぐに助けが有るので比較的無茶がしやすい立場にある。

 

 故にどんどん無茶しようとする気があるので釘を刺す意味も込めてカエデに声をかけるが、カエデは一つ頷き威勢よく返事を返す。

 

「わかりました」

 

 その言葉が、半ば信用ならない事もなんとなく理解しているが、フィンはそれ以上追及も釘刺しもしない。

 

 と言うのもカエデが焦る理由も理解できるし、カエデは意図してフィンの言葉を無視している訳ではない。

 

 戦闘中は余計な考えを抜き、敵を倒して生き残る選択肢を常に考えているカエデだが、その生き残る選択肢の中にフィンやジョゼットを頼ると言う考えが全くないのだ。

 

 幾度と無く救われて尚、頼ろうとしない。

 

 と言うよりは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と思っているのだろう。

 

『初心の人、二つの矢持つことなかれ。後の矢を頼みて、初めの矢に等閑の心有り』

 

 弓の初心者は、矢を射るとき二本の矢を持ってはならない。

 後の矢を頼りにして、最初の矢をいい加減にしてしまう。

 

 二本の矢を持つと二本目があると思って安心してしまう。

 故に一本目に対する心構えがおろそかになってしまいます。

 それでは、弓は上達しない。

 

 『二本目は無い』つまり『次は無い』と思って練習するのが物事の上達のコツである。

 

 逆に『次が有る』つまり『誰かが助けてくれる』等と考えて居ては上達しないと言う心構えで戦いに赴いているのが原因なのだ。

 

 矯正すべきか悩んだ末、フィンもロキもガレスもリヴェリアも、他にもラウルやジョゼットもだが、皆がカエデにそれとなく『頼りにしてくれ』と口にしてみたが、カエデは一向に頼ろうとしない。

 

 いや、頼む事はあるにはある。

 

 例えばリヴェリアに『ダンジョンの中層の情報』を聞いたり。

 

 ラウルに『迷宮の悪意(ダンジョントラップ)はどんなモノがあるのか』を問いかけたり。

 

 直接戦闘とは関係の無い部分、伝聞に関してカエデは貪欲なまでに皆に聞いて回っている。

 

 だが、戦闘中に於いてカエデは誰かを頼りにする事は全くしないのだ。

 

 これにはフィン達も困ったモノなのだが……ロキが出した結論は『こっちから勝手に助けるぐらいの勢いでいく』と言うモノだった。

 

「……すいません」

 

「いや、謝る事じゃないよ……その考え方は素晴らしいけど、いつか足をすくわれるから、気を付けてね?」

 

 一応、もっと頼っても良い事を暗に伝えてみるが、カエデは頷くだけであった。

 

 

 

 

 

 ロキは【ロキ・ファミリア】の自室、机に置かれたカエデのステイタスの記載された紙とキーラの報告書を読みながら深々と溜息を吐いた。

 キーラの報告書に手を手に取って呟く。

 

「『呼氣法』なぁ」

 

 『呼氣法』

 

 神々が地上に降り立つ前に栄えていた狐人(ルナール)達の使用していた技術の一つであり、特殊な呼吸法を行う事で、身体能力を向上させたりする効果のある特殊な技法である。

 

「なぁー……これなぁ」

 

 ロキは古代についてはさっぱり知らない。

 

 今から千年以上前の古代、神々が降り立った直後辺りの時期、神ロキは天界で暴れ回っていたのだ。

 

 特に地上の子供達が『迷宮の蓋』を完成させると言う偉業を成し遂げた事に神々が狂喜乱舞し、神々がお祭り騒ぎを起こしていた時。

 

 その時ロキは『なんや? 地上で群れとる人()()()見てて楽しいんか?』と神々に喧嘩を吹っ掛けて回っていた。

 

 地上がどうなってるかなんて微塵も興味を抱けず、知ろうともしなかったのだ。

 

 あの時代、子供達が死んで魂が天界へと送られてきたら神々は『その子は俺が貰う』だの『私の眷属とするわ』と地上の英雄たちの魂を片っ端から自分のモノだと言い張って奪い合っていたのだ。

 

 その中で『五十八代目 九尾』と言えばロキは知っていると言えば知っている。

 

 だが『五十八代目 九尾』の活躍についてロキは()()()()()()()()

 

 何故か?

 

 その時代、『五十八代目 九尾』と言えば()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()であり、神々が最も注目した人物(こども)でもあった。

 

 

 

 地上では子供達が『蓋』の完成を祝って宴を行っていた様に、

 

 天界では神々が子供達の『偉業』を肴に宴を行っていた。

 

 神々は『五十八代目 九尾』が死後天界へと送られて来たら自分のモノにすると殴り合い所か殺し合いの喧嘩に陥るまでに至っていた。

 

 

 そんな風に天界では阿呆みたいな神々の大戦が行われて地上から全ての神々が目を離している間に、『五十八代目 九尾』は己の故郷にて唐突に大量虐殺を始め、その故郷を消し飛ばす様な大規模な妖術を使用して()()()()()()()

 

 

 全ての神々が口をあんぐりあけて驚愕したのだ。

 

 ()()ヒューマンの英雄の青年と並んで英雄と神々が褒め称えた『五十八代目 九尾』がそんなことをしでかすなんて信じられない。

 

 一部の神は『あの蓋を作る間に数多の仲間の死と、モンスターを殺すと言う行為で精神が擦り減ってモンスターと人の区別がつかなくなっていたのでは?』とその『五十八代目 九尾』を庇ったが、それでもその人物がやった事は天界を阿鼻叫喚の地獄絵図へと塗り替えた。

 

 死んだ子供は誰しも天界で相応の裁きを受けて新たな生を受けるか、神々に気に入られて天界で眷属として過ごすかのどちらかだ。

 

 そんな中、『五十八代目 九尾』はその時代に於いて追随を許さない、今現在におけるオラリオと同等の数の狐人が集まっていた都市の『狐人(ルナール)(みやこ)』の生きていた人々を()()()()()()()()()()()のだ。

 

 当時の死人の数は今と比べ物にならない程多かった。

 当然ながら、地上に迷宮のモンスターが普通に跳梁跋扈していたのだ。

 

 故に人は生まれては死にを繰り返しておりギリギリ絶滅せずになんとか種族を保存していたと言う状態だったのだ。

 

 そんな中、『五十八代目 九尾』が殺した人々の数は、三日でかなりの数になる。

 

 当然、天界にそれだけの魂が雪崩込む事になり、天界へと送られてきた死者の魂を裁く役割の神々だけでは到底対処が追いつかず、権能が全く関係ない神々も死者の魂を裁く()()()()()()()()()

 

 しかも神々から注目を集めていた『五十八代目 九尾』が死亡したと言う事で密かに自分のモノにしようと神々が睨みを利かせあうと言う事態に陥っていたのだ。

 

 無論ロキも駆り出されたが、ロキはむしろいたずらに魂をあちらこちらにばらまいてより混乱を深める様に誘導した挙句、その責任を別の神に押し付けてイラついていた神々を大喧嘩所か普通に殺し合いにまで発展させて爆笑しながらソレを見ていた。

 

 その後、ある程度魂の整理がついた所で神々はある事に気が付いたのだ。

 

 『五十八代目 九尾』の魂が何処にも無い事に……

 

 ロキは迷わずここで嘘を吐きまくった。

 

 やれあの神がこっそり隠して持って行ったのを見ただの

 

 やれあの魂ならあの神が隠し持っているだの

 

 やれ魂は普通に裁かれ地上へと流されただの

 

 やれ魂をさばいて地上へと送ったのはあの神だの

 

 神々を混乱のどん底に落としこんでロキは腹を抱えて大爆笑していた。

 

 最後の最後には『その五十八代目やったか? ウチがこっそり持っとるで? 欲しかったらウチを倒してみせぇや』と神々に喧嘩を吹っ掛けたのだ。

 

 要するに『五十八代目 九尾』を口実に色々とやらかしていたので、知っていた訳である。

 しかし、本来の活躍については何も知らず、ただ引っ掻き回すのに利用しただけだ。

 

 あの時の事を思い出してロキは口元を歪ませて呟く。

 

「あんときはめっちゃ楽しかったんよなあ」

 

 そう、楽しかった。本気で寄こせと叫びながら殺しにかかってくる神々から逃げ惑う振りをしていたのはとても楽しかった。

 

 だが現在、自分の眷属となった眷属(こども)達に構い倒している方が数倍面白い。

 

 そんな事は置いておくが、結局は『五十八代目 九尾』の魂は見つからなかった。

 

 

 一部の神曰く『天界も揺るがす様な威力の妖術を地上でぶっぱしたんだから、そんなことした魂が無事で済む訳ないでしょ』との事。

 

 驚くべきことにかの『五十八代目 狐人』が引き起こした『狐人(ルナール)(みやこ)』を消し飛ばした大妖術は、天界を揺るがす様な規模だった。

 そこまでの威力を伴う妖術に巻き込まれたのだ。魂自体が無事では済まないだろうと神々は考えたのだ。

 

 実際、かの時から千年近く経った最近も『五十八代目 狐人』の魂が見つかったと言う報告はあがっていなかったし、ロキが地上に降りて来てからも天界では『五十八代目 狐人』探しは続いているらしいので、結局未だ見つかっていないのだろう。

 

 

 何故今そんな話をしたか?

 

 カエデ・ハバリの師の話に繋がるのだが。

 

 カエデ・ハバリの師、ヒヅチ・ハバリは『狐人』であり、なおかつ現代に於いて『失われた技法』を知っており、使用する事が出来るだけで済まず。なんと伝授も可能と言う驚異の人物。

 

 そのヒヅチ・ハバリ。

 

 今に於いては『生存の可能性がある』とだけされており、ロキも密かに他のファミリアから感づかれない様にヒヅチ・ハバリについて捜索しているのだが……

 

 ロキは今までヒヅチ・ハバリと言う人物が『ただ極まった狐人』程度にしか考えていなかったのだが……

 

「もしかしたらもしかするんよな」

 

 ヒヅチ・ハバリが『五十八代目 狐人』本人か、その血族の可能性がある。

 

 千年以上前に『狐人の都』を滅ぼしたかの人物が密かに生きていて、子孫を残していたと言う低い可能性……

 

 もしくは、千年の時を生きる術を見つけ、本人が生存していた()()()()()()()()

 

 だが、そうでもなければ失われた技法を保有して、なおかつ伝授できるなんて……

 

 カエデの持つ『呼氣法』その中で『丹田の呼氣』は【アマテラス・ファミリア】内部の『サンジョウノ家』に受け継がれている。

 

 もう一つの『烈火の呼氣』

 

 完全に失われたと思われていた技法。

 

 カエデ曰く『自身の攻撃能力の引き上げ』と簡素に言っていたが、正しくは全くの別物だった。

 

 『能力の引き上げ』は間違っていないと言えば間違っていないが……

 

 正しくは『能力の()()()()引き上げ』である。

 

 

 本来、人間は『全力』を出す事は出来ない。

 

 人の言う『全力』とは、身体が壊れない範囲での全力であり、無意識に肉体の破損を引き起こしかねない程の力を出せない様に能力を抑えているのだ。

 

 その能力の限界値を超えた力を出す。それが『烈火の呼氣』の本来の姿である。

 

 カエデがファルナを貰って直ぐに試した際、『烈火の呼氣』を使用したら肩が痛くなったと言っていた。

 

 ガレスの予測では、カエデの師、ヒヅチの教えた『烈火の呼氣』はかなり制限のかかったモノであり、本来ならば一度の使用で『肉体が破損する力』を引き出せない程度の抑えめの能力であり。

 カエデの『孤高奏響(ディスコード)』によって『旋律』効果が付与された事で本来以上の力が発揮されて、結果的に今のカエデが『烈火の呼氣』を使用すると『自分の肉体を破壊する程の力を発揮』できると言う状態になっている。

 

 これを聞いて以降、とりあえずロキ、フィン、ガレス、リヴェリアの四人はカエデに『烈火の呼氣』の使用を禁止した。

 

 だが、カエデはこれに対して『緊急時、必要とあれば使います』と反論した。

 大人しく言う事を聞くことの多かったカエデが迷わずに断った理由は直ぐに理解できたが……

 

 あまり無茶はしてほしくないが、無茶しなければ死ぬ様な場合は躊躇せずに無茶をしでかすとカエデ自身が言い切ったのだ。

 

 カエデの思い切りの良さは『ヘルハウンド』の一件で既に解っている。

 

 変な所で力を使って無駄に『肉体』を破壊する事は無いだろう……

 

「はぁ……しっかしキーラたんマジ有能やな。ペコラたんと交換……は不味いな。どっちも欲しいんやけどなぁ」

 

 キーラのまとめたカエデの使用する『呼氣法』の効果と、その由来及びに『狐人の歴史』に関してキーラは丁重にまとめた物を用意してロキに渡してきた。

 

 キーラはこう言っていた。

 

『この技法、オラリオで広まるとかなり不味いモノだ。それに今の段階で使用できるのはあのちっこい狼人か、その師ぐらいだろう。伝授する事も可能だろうが広げない方が良い。

 ……ロキ、私はお前に雇われた身だ。故に今回得た技法についてはロキに一任する。

 もし忘れろと言うのなら忘れるし、使って良いと言うのなら遠慮なく使う。

 ただこれだけは言わせてくれ。

 この技法が広がると【ミューズ・ファミリア】が危険視されて周りのファミリアから潰されかねない。

 今までは戦場であんまり役に立たないスキルだし、演芸スキルだろうと軽視されていた『旋律スキル』が今までにない所か、習得しているだけで凄まじい戦闘能力を発揮できるスキルだと知れ渡れば特に……私はこのスキルについては墓まで持っていくし、誰にも教えない。

 これは私個人の頼みだ。

 

 この技法を広めないでくれ』

 

 キーラの言い分はよく分った。

 

 今まで演芸スキルと馬鹿にされてアイドル活動なる妙な活動しかしてこなかった【ミューズ・ファミリア】

 

 『旋律スキル』に於いては最先端を行く【ミューズ・ファミリア】だが、致命的とも言える欠陥を抱えている上、ダンジョン内部で使うには癖が強すぎてオラリオに於いては危険視はされていなかった。

 

 唯一、嫉妬に狂った【男殺し(アンドロクトノス)】が襲撃を仕掛ける程度。

 

 それ以外は特に何かする訳でも無かったのだ。

 

 しかし、今回の『呼氣法』の技法が『旋律スキル』と組み合わさる事で劇的な効果を齎す事が分った。

 

 これが広まれば【ミューズ・ファミリア】の団員は『凄まじい脅威度を誇る集団』と言う認定を受けるだろう。

 

 これを知るのは【ロキ・ファミリア】の主神、団長、副団長、重役の四人と【呪言使い(カースメーカー)】個人のみ。

 

 ロキはとりあえずキーラには『呼氣法』の事は忘れる様に言った。

 

 それからカエデに『呼氣法』を誰かに教え無い様に言ったのだが……

 

 これに対してカエデは簡素にこう答えた。

 

『技術の伝授なら、ワタシには出来ないです。使える()()ですので』と

 

 要するに『呼氣法』は使えるが、じゃあ誰かに伝授できるかと言えば無理だと言う。

 

 なら大丈夫か、と言えばそうでもない。

 

 カエデの師の事だ

 

 今現在何処に居るのか全くの不明の人物。ヒヅチ・ハバリ

 

 そもそも、生きているのかすら定かではない。

 

 ロキがスキルから『生きているのでは?』と読み取っただけで、もしかしたらの可能性もある。

 

 カエデは生きていると信じて過ごしているが、ロキとしては不思議でならないのだ……

 

 カエデの口から聞くヒヅチ・ハバリと言う人物。

 

 

 本当に狐人か?

 

 

 カエデの口から語られるヒヅチ・ハバリの偉業はどれも信じがたいモノばかりだ……

 

 だが、カエデは嘘一つ口にしていない。

 

 それにその偉業はカエデの目の前で行われたモノであるらしい。

 

 

 木の棒で鉄の剣を斬り裂いた

 

 ボロボロの刀で岩を斬り捨てた

 

 ナイフ一本で大熊を倒した

 

 

 普通の狐人にはとても無理そうな事ばかりだ。

 

 狐人は珍しい種族だが、強いかどうかで言えばかなり微妙な種族だ。

 

 

 そこそこ高い身体能力

 特殊な妖術と言う魔法。

 

 

 確かに強そうだ。

 

 確かに、ヒューマンに比べて身体能力は高めではある。

 

 しかし獣人種全体に於いてはそこまで高くない所か、下から数えた方が早いぐらいだ。

 

 妖術についても、不可思議な効力であったり、使い道があるのかと疑問を覚える様な奇怪な効果の魔法を覚えたりするらしく、ぶっちゃけ魔法として敵を攻撃したりするならエルフの方が数倍強いと言う有様。

 

 要するに全体的に中途半端なのだ。

 

 過去、最強だと謳われた種……

 

 『五十八代目 九尾』本人であるのなら、弱すぎる。

 

 彼の人物が成した偉業は()()()()では済まない。

 

 その血族なら、ありえるかもしれないが……なら、本人の魂は何処へ消え去ったのか?

 

 本人に会えばわかるかもしれないが……

 

「ヒヅチたんなあ……どこにおるんや」

 

 ロキは報告書を机に放り、カエデのステイタスの紙を拾い上げる。

 

「カエデたんのステイタスも問題なんよなぁ……」

 

 二回目のダンジョンアタックはダンジョン六階層で行動し、特に問題もなくカエデが無双して終わったのだが……

 

 

 

 力:E489 → D533

 耐久:B760 → B762

 魔力:I0 → I0

 俊敏:D522 → C636

 器用:C643 → C690

 

 

 

 伸びは良い。トータル200オーバーである。が……

 

 初回更新で1800オーバーだった事を考えれば少なすぎる気もする。

 

 無論、普通の冒険者ならかなり過剰とも言える伸びだが……

 

 この伸びのままいけば普通に問題は無いだろう。

 

 カエデ自身が焦りを覚えなければ、だが。

 

 一回目の更新よりも上昇値が減った事に対し、カエデは首を傾げていたが、『ヘルハウンド』と言う中層のモンスターを討伐していた事で多くの『経験値(エクセリア)』を得たのだと納得していたのだが……

 

 困った事に事実であり否定も出来ない。

 

 カエデが焦り、中層に突撃する未来が見える気がする。気のせいだと良いのだが……




『呼氣法』
 狐人(ルナール)の扱う技法の一つ

 特殊な呼吸法により、自身の体の内に流れで()と呼ばれる循環を、より効率的に、より目的の為に研ぎ澄ます為の技法であり、数多の種類が存在する。

 魔力の存在しない人や、他の種族でも扱う事が出来る技法であるが、狐人達はこの技法を多種族へ広げる事を嫌い、己の種族内だけで共有するに留まっていた。

『五十八代目 狐人』の起こした『狐人の都』の虐殺によって狐人の数が激減して以降、正しく技法を引き継げた狐人がほとんど居なかった為に現代においては『サンジョウノ家』のみが引き継いできた技法である。


『丹田の呼氣』
 氣の循環をより正しい有り方へと導く呼氣法
 主な効力は精神、身体を整える事で、精神的に強くなり、身体的にはスタミナの回復速度アップ等が主な効果。

 呼氣法の基礎にして、これを習得せずに他の呼氣法は習得する事は禁じられている技法。

 カエデ・ハバリの使用する丹田の呼気は、使用開始時に意識して行い、その後は無意識に維持し続ける形となっているがゆえに『孤高奏響(ディスコード)』の発動対象として認識されている。
 呼吸では己自身にしか影響を与えられず、完全自己強化型の技となっている。


『烈火の呼氣』
 氣の循環をより攻撃的に、瞬間的な身体能力の向上へと導く呼氣法

 正しくは身体にかけられている『制限(リミッター)』を一瞬だけ外して常人では考えられぬ程の身体能力を発揮するための呼氣法

 使用後は必ず丹田の呼氣で元の状態に戻さねば、外れた『制限』が戻らなくなり、自らの行動で己自身を破壊してしまうような危険な状態になってしまう。

 故に『丹田の呼氣』を使えぬモノが習得すべきではなく、無理に行えば自己破壊につながる諸刃の剣の技法

 カエデ・ハバリの使用しているモノは、身体の破壊が起こらないギリギリの制限解除(リミット・オフ)であったのだが、『孤高奏響(ディスコード)』の効果でより効力が付与された事で、使用時にデメリットが大きくなりすぎている。


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『予感』

『ぴぎゃぁっ!?』

『わぁ……ヒヅチさん、そんな可愛らしい声も出せるんですね』

『なっ……なっ……何をするかっ!! いきなり尻尾を掴みおってからにっ!!』

『えへへ、ごめんなさい』

『……はぁ……オヌシが理由も無く尻尾を掴む事は無いと知っておっても、心臓に悪かろう……それで? 何じゃキキョウ。何か言いたい事でもあるのか?』

『えぇっと……なんか、危ない予感がしたんで……思わず掴んじゃいました……えへっ』

『危ない予感を感じる度にワシの尻尾を掴むなと言うておろうに……まぁ良い。オヌシの勘は良く当たるからな……一応気を付けて怪物退治に行ってくるとするかのう』

『あっはい。気を付けてくださいね~それではワタシはこれで~』

『…………キキョウは毎度、気楽な奴じゃのう』


 【ロキ・ファミリア】本拠、一室の中でカエデはじーっと羊人(ムートン)の女性と睨み合いを展開していた。

 

「…………」

「…………」

 

 相手の羊人、ペコラ・カルネイロは若干青褪めながらも壁際から反対の壁際の椅子に大人しく座っているカエデに震える足で近づいていく。

 カエデは出来うる限り動かない様にペコラと目を合わせてただ待つのだ。

 不意に、震えていたペコラのブーツが床に擦れて音を鳴らした。

 ぴくりと、音に反応してカエデの耳が動いた瞬間にペコラは悲鳴を上げて後ろに飛び退いてそのまま壁にべたりと張り付いて悲痛な声をあげた。

 

「ひゃっ!? ちょっ、ちょっとびっくりさせないでくださいっ!!」

 

「ごめんなさい……」

 

「今のはカエデは悪くないでしょう……」

 

 狼人の耳が小刻みに動いているのは、周囲の音をより精確に認識する為であり、特に集中せずとも無意識にかなりの頻度でぴくぴく動いているのだ。

 耳の良い特性を持つ獣人は皆同じ特徴を持つ。

 種族柄仕方のない事であり、カエデが意識的に行った事ではないのでカエデを責めるべきではない。

 

「でもっ!!」

 

「ペコラ、付き合ってくれているカエデの身にもなってあげて欲しいのですが」

 

 横から、本の頁を捲りつつペコラを嗜めるジョゼットが本から顔を上げて呆れ顔で溜息を吐いた。

 

 ペコラの狼人に対するトラウマの克服と銘打たれた作戦。

 単純にカエデが大人しく椅子に座って、ペコラがカエデに近づく。シンプルで解りやすい作戦だが、カエデが身じろぎしただけでペコラは大きく驚いて飛び退くと言うのを何度も繰り返しており、椅子に座っているだけとはいえ、カエデも出来うるならば他の事をやりたいのだが……

 

 ペコラの二つ名【甘い子守唄(スィート・ララバイ)】の由来とも言えるペコラの『旋律スキル』を利用した『子守唄』の効力は『疲労回復』と言うモノがある。ソレが利用できれば二日に一回ダンジョンに潜っても良いとミアハが許可していたらしいのだ。

 三日に一回の探索が二日に一回になればそれだけ『経験値(エクセリア)』を得られる時間が増え、『偉業の欠片』の入手の機会も訪れやすくなる。

 

 と言うより『基礎アビリティD以上』を達成している以上、早期に『偉業の証』だけでも入手しておきたい。

 

 カエデは既に『偉業の欠片』を一つ保有しており、『偉業の欠片』をもう一つ手に入れれば即時器の昇格(ランクアップ)可能と言う状態なのだ。

 

 まだ三回目の探索を終えた次の日。冒険者になって十日目である。焦る必要はありはしない……

 

 そんな考えをするカエデを余所に、ペコラが壁にへばり付いたまま動かなくなったのをジョゼットが見かねて引き剥がしにかかる。

 

「ふぇー嫌なのですー離せー」

「何時まで壁に張り付いているのですか、ほら、もう少し頑張って」

「いやー、ペコラさんは十分に頑張ったのです。今日はもうやめましょう。そうですよ」

 

 腐ってもレベル4のペコラ、レベル3のジョゼット程度の力ではびくともしない。

 

「……カエデさん、ちょっとこちらに「やめるですよっ!? ペコラさんが動かないからってカエデちゃん動かすのは卑怯過ぎですからねっ!?」カエデさんが近づいてくるか、ペコラが近づくか、どちらが良いですか?」

「うー……うーうー」

「唸っても意味は無いですよ?」

「……ジョゼットの鬼畜、だからそんなにおっぱい小さいんですよ」

 

 カエデの耳がブチリと何かが引きちぎれる音を捉えてぴくりと反応した。

 

「………………」

「はんっ、ジョゼットさんはいっつもそうですよ。お菓子をつまみ食いした時も「ペコラ?」はい?」

 

 にっこりと笑みを浮かべたジョゼットが、鏃が吸盤になった矢を指に三本挟み、もう片方の手に弓を持ってペコラから距離をとっていた。

 

「良いですか? 私はエルフなんですよ? 種族がら、小柄である事はどうしようもありません……どうしようが、何をしようが、胸が小さいのはどうにもならないんです」

「何を言ってるですか。おっぱい大きい()()()だって居るってロキが言ってましたし」

「そうなんですか?」

 

 ドヤ顔で言い切ったペコラの言葉にカエデが反応してエルフには、王族の『ハイエルフ』と通常の『エルフ』それから『ダークエルフ』の他に『エロフ』なるエルフも存在するのかと感心したように「ほぅ」と呟いた。

 

「空想の産物と言うモノです。そんなモノはいませんので……」

「ひぎゃっ!?」

「覚悟は良いですか?」

 

 ソレをジョゼットが一刀両断し瞬く間にペコラの脳天に矢が突き立った。

 カエデが『エロフ』なるエルフは居ないのかと首を傾げ、後でリヴェリア様に確認しようと心に誓った。

 

「ちょっ、覚悟の前に矢が飛んできてるんですがっ!? ジョゼットさんはやりすぎぃっ!? 痛いですよっ!!」

 

 ペコラが文句を言うも、無視したジョゼットは次々に吸盤付きの矢をペコラに射る。気が付けば既に5本目の矢がペコラの頭に引っ付いている。

 

「痛い痛いですって!! ちょっと貧相なおっぱいだって口にしただけでこれはひぎぃっ!? お尻は無いと思うのですがっ!?」

 

 頭を隠すようにジョゼットに背を向けたペコラのお尻に次々と矢を放っていくジョゼット。何処からそんなに矢を取り出しているのか疑問を覚えたカエデがジョゼットの立っている足元に矢束が三つ程転がっているのが見えた。

 何時の間に……

 

「これはさっき二人がわいわいしてる時に用意しました。なんとなくこうなる予想はついてましたし」

「酷くないですかっ!? ペコラさん苦手な物を克服するために頑張ってるのにっ!?」

「人が指摘されたくない事をずけずけと口にした貴女が悪いのでしょう?」

「ひぎゃっ!? 待つのですっ!! これ以上やられるとペコラさん新しい扉が開けてしまいますよっ!!」

「カエデの教育に悪い事を口にしないでもらえますか?」

「ひぎっ!?」

 

 自分の教育? はて、ペコラが口にした事で何か不味い事でもあったのだろうか? カエデが首を傾げながらも二人の様子を見続けていれば、ペコラがずるずるっと地面に崩れ落ちた。

 

「もうペコラさんの負けで良いですよ……」

「これに懲りたら二度と口にしないでください」

「……おっぱいの大きさでは負けてませんがねぎっ!?」

「…………ペコラ?」

 

 威圧感を伴いながら、ジョゼットが吸盤矢をペコラの角に射る。ペコラは慌てて角から吸盤を引っぺがして立ち上がった。

 

「ちょっと!! 角はやめるですよっ!! 角はとっても大事で……すか……ら?」

「次は脳天にいきますか?」

 

 立ち上がったペコラが見た光景は、鋭い螺旋を描く対甲殻用貫通矢と呼ばれる矢を弓に番え、引き絞った状態で鏃の先端をペコラに向けて笑顔を浮かべたジョゼットの姿だった。

 ペコラの耐久は異常なので命中した所でかすり傷で済むだろうが、本気で怒っているのを察してペコラは直ぐに頭を下げた。

 

「ごめんなさい……」

「よろしい。……さて、遊ぶのもこの辺りにして……カエデ、今日はこの辺で終わりにしましょう。ペコラのやる気が続かないみたいですし」

 

 矢を腰の矢筒に戻したジョゼットは残りの矢束を拾い上げてバッグに納めていく。

 ペコラがぐったりと床に倒れ伏して呟いた。

 

「お願いです。心配してくれるのはありがたいですがカエデちゃんは近づかないでください。死んでしまいます」

「あ、はい」

「あ、別にカエデちゃんの事、嫌いじゃないですよ? ほんとですよ? ただやっぱり狼人は怖いのですので」

 

 一人でぶつぶつと呟きだしたペコラ。

 カエデはペコラに近づかない様に部屋の壁沿いに出入り口に向かい、扉を開けてペコラに振り返った。

 

「その……大丈夫ですか?」

「大丈夫です。初日に比べたら大分進みました。えぇ、初日に比べれば」

 

 初日、カエデとペコラは目線が合っただけでペコラが硬直して動けなくなった。だが二日目、三日目と繰り返す内に、目線が合っただけでは硬直する程では無くなったし。心構えをせずともカエデと目を合わせた程度で気絶する事は無くなった……

 

 とはいえ、やはり近づく事は厳しいらしい。

 

「カエデちゃん、明日ダンジョンでしたよね? 頑張ってください……ペコラさんもがんばりますので」

「はい」

 

 体中に玩具の矢が突き立ったまま床にべったりとうつ伏せに転がるペコラの声援にカエデは頷く。ちょうどそのころになってジョゼットが矢を納め終えてバッグを背負って立ち上がった。

 

「では、行きましょうか」

「あの、ジョゼットさんは私に何か言う事は無いのですか?」

「そうですね、その矢は全部回収して私の部屋に置いておいてください」

「…………」

 

 ペコラの体中に刺さった玩具の矢を指差して言い切ったジョゼットはそのままカエデと共に部屋を出て行った。

 

「……ペコラさん、泣き虫だったり……するんですが……いや、自業自得ですが。わかってますよ。ペコラさんもジョゼットさんの胸の事を口にしたのが悪いんだって……でもですね、ペコラさんにも言い分が……ぐすん」

 

 

 

 

 

 オラリオのバベルへと続く北のメインストリート。

 

 四度目の迷宮探索となる今日。

 フィン、ラウル、ジョゼット、カエデの四人でダンジョンに潜る為にメインストリートを歩いている。

 

「どうするんスか? 七階層辺りだと毒が辛いッスよね?」

「はい……」

「小柄な分、カエデは毒の回りが速い……にしても限度があると思うんだけどね」

 

 ダンジョン七階層より出現する『パープルモス』の毒鱗粉。

 

 本来の冒険者なら多少は無視できるぐらいの危険度で、窮地で毒状態に陥るなんて事にならなければ問題にならないはずの毒鱗粉だが、カエデは他の冒険者なら問題ない程度の量であっても毒状態に陥ってしまう為、パープルモスは非常に致命的な敵としてカエデに立ち塞がっていた。

 

「どうしましょう」

「私が見つけ次第撃ち落とす……ぐらいなら、そもそも潜る階層をより下にしてしまいますか? 十階層辺りであればパープルモスを見かける事はありませんが」

「十階層……ですか」

 

 ダンジョン十階層。

 

 朝霧程度の濃度の薄い霧が階層全体に発生しており視界は悪い。

 十一、十二階層に比べれば問題ない程度だが奇襲率も非常に高い上、バットパットの厄介な集中力を乱す怪音波等にも注意が必要であるのだが……

 

「まぁ、一度ダンジョンに潜って七階層で暫くエクセリア集めしていけそうなら下に降りる形で良いと思うよ……今回はラウルも居るしね」

 

 フィンの言葉にジョゼットも頷いて、ラウルが肩を竦める。

 

「ただの荷物持ち(サポーター)ッスけどね」

「その荷物持ち(サポーター)も重要な役割だけどね」

 

 冒険者は基本的に戦う事をメインにするが、ダンジョンでは魔石やドロップ品を回収する必要がある。そうしなければ稼ぎが無いからだ。

 基本的に武具の整備やポーション等の各種消耗品の事を考えると冒険者が一人で持ち歩けるポーチに収まる魔石程度では赤字にしかならない。

 

 かといって大型のバッグ等を背負ってモンスターと戦うのは自殺行為に等しい。

 

 戦いの度にバッグを地面に置いておいてと言うのも可能と言えば可能だが、通りすがりの冒険者に奪われたり、モンスターとの戦いのさ中に紛失したり、モンスターの攻撃でバッグ自体が破壊されたりして確実性に欠ける。

 

 ソレを防ぐ為に荷物持ちをメインに行う荷物持ち(サポーター)等が居るが、無所属(フリー)であったり他のファミリアに所属するサポーターは荷物の持ち逃げを行う可能性が高いので基本的に同一ファミリア内部でサポーターを立てる事が多い。

 

 そんな中でラウルは進んで荷物持ち(サポーター)に名乗り出る事も多く、荷物持ち以外にも事細かなサポートも出来る上、普通に冒険者としてもそれなりの実力を持つ万能な人物である。

 

 最初の際にはジョゼットが荷物持ちをしていたが、ソレだと対応が遅れる可能性があると言う事で二回目はラウルが荷物持ちをして、ジョゼットがカエデの援護を集中的に行う事で隙を無くした完璧な布陣を整えたのだ。

 

 ちなみにフィンは完全に他ファミリアに対しての牽制目的での同行であり、カエデの補助も行う事はあるがソレがメインではないらしい。

 

「相変わらず、バベルは人が一杯ッスね」

 

 ラウルの呟きにカエデが中央広場(セントラルパーク)を見回せば、

 

 小人のサポーターが冒険者に自分を売り込んでいたり、犬人の冒険者が猫人の冒険者と痴話喧嘩していたり。二人のアマゾネスに両腕をとられて左右に引っ張られ情けない悲鳴を上げるヒューマンの男の人が居たり。じゃが丸くんの屋台の前でじゃが丸くんを買っているアイズさんが居たり。

 

「あ、アイズさん」

「ん? ほんとだね」

 

 カエデがぽつりと呟けば、フィンも同じく気付いたのか同じ方向を見て頷いていた。

 

「あぁ、本当ですね」

「何処ッスか?」

「あのじゃが丸くんの幟の所です」

「あー、居たッスね。相変わらずッス」

 

 そんな風に四人でアイズを見ていると、さっと素早く振り返ったアイズがきょろきょろと辺りを見回し始め、直ぐにカエデ達と目があった。

 

「あ、こっちに気付きましたよ」

 

 カエデが手を振れば、アイズがあからさまに挙動不審になり、おろおろした後、店員の差し出してきたじゃが丸くんの入った袋を受け取ろうとしてから、首を振って断って全力で走りだした。カエデ達とは全く別方向に向かって。

 

「あれ?」

 

 アイズのおかしな行動に首を傾げるカエデを余所に、フィンが呟く。

 

「ふぅん……リヴェリアに報告かな」

「団長?」

 

 フィンの呟きに反応したラウルが首を傾げると、顎に手を当てて考え込んでいたジョゼットが「成る程」と呟いて口を開いた。

 

「じゃが丸くん禁止令出てましたよね。アイズさん」

「あっ……」

 

 そう言えばアイズはここ一週間で『偉業の欠片』を立て続けに二つ入手していた。

 だが、その方法が余りにも無茶を重ねるやり方であり、ロキがソレを止める為にアイズに『無茶し過ぎたらじゃが丸くん禁止やで?』と注意したが、その後も無茶を重ねて『偉業の欠片』を手に入れて『偉業の証』にしたらしい。後は『基礎アビリティ』を上げれる所まで上げて『器の昇格(ランクアップ)』する所まできているらしい……が、その無茶がバレて『一か月間じゃが丸くん禁止令』が出されていたのだった。

 

 後でリヴェリアにこってり絞られるアイズに若干同情してから、カエデは首を振ってその考えを振るい落した。

 

「行きましょうか」

 

 呟きと共に、フィンが居る影響で勝手に割れていく人混みを真っ直ぐダンジョンに向かって歩く。

 

 門を潜り、バベルの地下一階のフロア。迷宮の入口についた所でラウルが口を開いた。

 

「俺……帰ったらお腹一杯肉食べるッス……いたっ」

「……?」

 

 唐突な宣言にカエデが首を傾げてラウルを振り返ると、ジョゼットがラウルの後頭部を引っ叩いていた。

 

「帰ったら(なになに)とかそう言った願望を口にするのは神々が言うには『死亡フラグ』って言うらしいッス」

「しぼうふらぐ?」

「逆に立てまくると『生存フラグ』になるって聞いたッス」

「…………??」

 

 よく分らない事を言っているラウルに首を傾げていると、ジョゼットがラウルの後頭部を再度引っ叩く。

 

「ラウル、ソレが通じるのは『主人公』だけらしいのでやめてください」

「僕は帰ったら書類整理かなぁ……はぁ」

 

 ジョゼットの注意を余所に、フィンが帰ったら何をやるか口にしてどんよりしている。

 

「団長のソレは完全に生存フラグッスね」

「はぁ……カエデさんは気にしなくて良いですよ。言わせておけばいいです」

「……? 分かりました」

 

 ロキの余計な入れ知恵でどうでも良い事を呟くラウルにジョゼットが溜息を吐いてから注意をしてきたのでカエデは一つ頷いてダンジョンの入口、直径十メドルの穴の淵に彫り抜かれたダンジョンに続く階段の一段目に足をかけて――

 

  ――尻尾の先を掴まれた気がした――

 

 カエデは慌てて後ろを振り返って自分の尻尾を見る。

 誰かに掴まれているなんて事は無く、ともすれば尻尾が掴まれていたのはただの気のせいだったのではと自分ですらわからない様な有様でカエデは自分の尻尾の先を見て首を傾げた。

 

 その様子にフィンが目を細め、ジョゼットとラウルが首を傾げた。

 

「どうしたッスか?」

「大丈夫ですか? 何かありましたか?」

「いえ……なんでもないです」

 

 カエデの言葉にフィンが首を傾げてから、呟く。

 

「カエデ、何か感じたのかい?」

「……尻尾を掴まれた気がしました」

 

 カエデの言葉にラウルとジョゼットがカエデの尻尾を見るが。大き目で真っ白な尻尾は触れば直ぐに解るだろうが、誰かが触った形跡は見当たらず。二人で首を傾げた。

 

「誰も触ってないと思うッスよ? 気のせいじゃないッスか?」

「私もそう思いますが……」

 

 二人の言葉に、気のせいだったのかなと納得してから、カエデは二段目に足をかけた。

 

 

 フィンが自身の親指をじーっと眺めてからダンジョンに下りて行く三人の後を追う。

 

 カエデは何かを感じ取った様子だったが、フィンの親指はぴくりとも言わない。

 

 何事も無い……はずだ。

 

 自身の勘とカエデの勘、どちらを信じるべきかは解り切っている。

 

「……一応、気を付けておこうかな」

 

 それでも、カエデの勘は時折恐ろしいぐらい冴える事がある。

 

 ここ一週間、カエデの鍛錬として模擬戦を何度か行ったガレスが言っていた。

 

『初見殺しと言える攻撃にも勘付く時がある。まるでフィン、お前みたいだったぞ』

 

 その言葉からカエデもフィンの親指に似た何かがあるのではないかと考えていたが……

 

「……あぁ、当たってるみたいだね」

 

 人混みの中、不自然にフィンに視線を投げるいくつかの人影。

 

 どれもこれも好奇の視線では無く観察と言う様な視線。

 

 その中の一つ。幾度か顔を合わせた事のある『最強』の視線と同じ視線にフィンは肩を竦めた。

 

 様子見、だろう。

 

 もしくは何らかの警告か……

 

 どちらにせよ早い所片付けるのが良い。

 

 とはいえトラブルを起こせば困るのはどちらも同じ。

 

 故に人の目のあるこの場で手出しして来る事は無いだろう。

 

 来るとすればダンジョンの中……さて、何処でどうでてくるか。




 カエデちゃんの私服をどうするかまだ決めて無いんよなぁ……
 シャツにジーパン。ジャケットのラフなスタイル?
 フィッシュテールスカートの清楚なお嬢様系?

 ……紺色で厚手の全身タイツに【ロキ・ファミリア】のエンブレムを背負った藍染の羽織と言う痴女っぽいスタイルが浮かんだ。

 元ネタの子、大刀持ってたしね。イメージ的にそんなんだよ。あっちは金髪だったし尻尾無かったけど……でもオラリオの冒険者ってすっげぇキメた格好してる人多いしなぁ……まぁ、キャラを濃くする為だと思うが……




 『ヒューマン』
 もっともごくありふれた種族であり、特徴と呼べる特徴はどの種族とも子を成せると言う点から繁殖能力に優れ、人間全体の半数がヒューマンであると言える程に数が多い事。
 能力は平凡その物、個体差はあるが総じてなんでもできるがどの事柄でも大成する事は無いと言える器用貧乏。

 英雄譚において『英雄の始まりを紡ぐ種族』とも言われている。
 数多の英雄が存在するが、どの英雄に置いても始まりは『ヒューマン』である。

 『ヒューマン』の少年の夢から始まった『迷宮聖譚章(ダンジョン・オラトリオ)』を初めとし、数多くの英雄譚に置いて大小の差はあれど『英雄譚の始まり』はヒューマンによって齎されている。

 魔法に優れた『エルフ』の英雄が居た。
 技巧に優れた『ドワーフ』の英雄が居た。
 戦いに優れた『獣人』の英雄が居た。
 奇跡を起こした『精霊』の英雄が居た。

 そんな英雄の始まりは何処においても『ヒューマン』が齎したモノである。

 『ヒューマン』が連れ出さねば『エルフ』は故郷()を出ようと思わなかった。
 故郷()を出なければ、英雄に成れなかった。

 『ヒューマン』が声をかけねば『ドワーフ』は酒に溺れるだけだった。
 酒に溺れ続けていれば、英雄に成れなかった。

 『ヒューマン』が偉業を成す戦場を用意しなければ『獣人』はただ力を振り翳す獣でしかなかった。
 ただ力を振り翳すだけでは、英雄に成れなかった。

 『ヒューマン』が寄り添わねば『精霊』は只有るだけだった。
 寄り添い、互いに力を高めあわねば、英雄に成れなかった。

 『始まりの英雄の種族』それこそが『ヒューマン』と言う種族の本質であろう。


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『大罪人』

『ヒヅチー、最近正義のあすとらるふぁみりあ?がなんか『やり過ぎです』って文句言ってくるさネ。凄く面倒臭いさネ』

『ふむ? その糞を口から垂れ流してそうなファミリアとやらがどうしたんじゃ?』

『……!?(なんかヒヅチの口からありえない単語が聞こえた気が……ちょっと酒の飲み過ぎかもしれないさネ……少し飲酒を控えた方が良いさネ……?)』

『どうした?』

『いや、なんでもないさネ、最近あすとらるとかいう女神が『ホオヅキ、貴女はやり過ぎなのです。喧嘩で相手を殺すのはやめなさい』って悪を下すのは良くとも命を奪うのはやり過ぎだー正義に反するーとかどうとか五月蠅いさネ』

『なんじゃ、そんな口から糞を垂れ流す様な神がオラリオにはおるのか。何故ソイツを殺さんのじゃ? 正義なんて糞を垂れ流しておるんじゃ、どうせ碌な神ではあるまい』

『気のせいじゃなかったさネ!!?? と言うかオマエどんだけ正義嫌に偏見をもってるさネ!?』


 ダンジョン第十階層。

 

 階層の形状自体は八階層、九階層と同じでルームの数が七階層以前よりも増え、一つ一つのルームの大きさも今までの倍近くまで大きくなる。ルームを繋ぐ通路は少なく短くなる。天井までの高さも3Mから4M程度だったのが10M近くになる。

 木色の壁面には苔がまとわりつき、地面も短い草の生えた草原になり、八階層、九階層では陽光を思わせる光源が天井より降り注いでいたが、十階層においては朝霧を連想させる程度の光度であり、薄霧に包まれた階層である。

 

 出現モンスターは大柄な体躯に豚の様な顔、分厚い脂肪とその下に隠された強靭な筋肉によってタフネスを発揮する『オーク』に、小賢しく数と悪知恵で冒険者を苦しめる小さな悪魔『インプ』、朝霧に紛れ冒険者の集中力を低下させる怪音波を放つ『パットバット』と言った厄介なモンスターばかりが出現し、初めて訪れる冒険者を翻弄する。

 

 迷宮の悪意(ダンジョンギミック)もより凶悪性を増し『怪物の宴(モンスターパーティー)』と言う悪意が冒険者に牙を剥く。また迷宮の武器庫(ランドフォーム)と呼ばれる一見そこらの岩や木にしか見えない設置物も数多存在し、モンスターが触れる事で天然武器(ネイチャーウェポン)へと変貌を遂げ、モンスターの攻撃能力が跳ね上がる事で危険性は振り切れる程に跳ね上がっている。

 

 

 

 そんなダンジョン十階層にて、幼い狼人が低い唸り声と共にオークの首を跳ね飛ばした。

 

 三匹居たオークの内、一匹が迷宮の武器庫(ランドフォーム)の岩に触れ、その形状を岩の棍棒へと変化させている隙をついて容赦無く首を跳ね飛ばして、仲間の首が跳んだ事で困惑した二匹の足首をウィンドパイプを遠心力で振り回しながら接近してその勢いだけで圧し折り、足首が破壊された事で体勢を崩した一匹の首を切断、残った一匹が手に持っていた木製の棍棒を投げつけてきたが、それをウィンドパイプで弾いてから一気に駆け寄り、捕まえようと腕を伸ばすオークの伸び切った手を切断し、流れる様に首を刎ねる。

 

 一連の流れを終えた幼い狼人、カエデ・ハバリはウィンドパイプを右手で持ち肩で担ぐと、左手で懐から投げナイフを取り出し薄霧の向こう、天井付近を飛んでいるらしいパットバットらしき影に投げつけて撃墜した。

 

「……もう、大丈夫でしょうか?」

 

 カエデが一息吐き、耳を澄ませていると、モンスターを相手に大立ち回りを繰り広げている間、弓を片手にソレを眺めていたジョゼットがカエデに声をかけた。

 

「みたいですね……魔石回収しますが、カエデさん。一つ良いでしょうか?」

 

「はい、何でしょうか?」

 

「いえ、投げナイフをかなり消耗してますよね? 補給しますか?」

 

「はい、お願いします……ありがとうございます」

 

 ジョゼットから投げナイフを数本受け取り、懐の内側の皮のベルトの投げナイフを納める鞘に収めながら、カエデは周りを見回した。

 カエデが見回す十階層のフロア、現在階層は三方向に他のルームへと通じる通路があるフロアの筈だが、フロア中央に立つカエデから見てどの方向を見ても薄霧の所為で視界が通らず通路を視認する事が出来ない。

 

 それにしても不思議な霧である。

 薄霧、その霧に包まれていれば湿気が多そうなモノなのだが、まったく湿気を感じない。霧は出ているが呼吸に湿り気を感じる事も無ければ、尻尾が湿って不快感を覚える事も無い。

 これが自然現象で発生する霧とは別物であると言う事が解り、視界の中に映る薄霧と、体で感じる空気の差にどうにも違和感が残る。

 思わず尻尾の先を摘まんでぽつりと呟いた。

 

「なんか、変な感じがします」

「そうですか? ……あぁ、そうですね。私は迷宮の独自の空気に慣れてますから気にしませんが。カエデさんは気になりますか。湿り気も無いのに霧が発生していると言うこの状況、かなり違和感がありますよね」

「はい」

 

 ジョゼットの言葉に頷きながら、カエデは周囲を見回してみる。

 ラウルとフィンも同じフロアで警戒しているはずだが、その姿も確認できず、カエデは首を傾げた。

 

「ラウルさんとフィンさんは何処でしょうか?」

 

「あぁ、二人ならあそこにいますが……呼びますか?」

 

 ジョゼットが指差す先を見ても、薄霧が漂っているだけで二人の姿を確認できない。

 目を細めてどうにか姿を見ようとすると、薄霧の向こうに人影が確認でき、ラウルとフィンの二人が歩いてきた。

 

「うん、問題は無いみたいだね……パットバットが厄介……じゃないみたいだね、普通にこの薄霧の中で落とす辺り流石だよ」

 

 フィンが苦笑しながら、数本の投げナイフをひらひらと示した。

 その投げナイフは先程カエデがパットバットを落とすのに利用した物で、どうやらフィンとラウルが回収してくれたみたいで、カエデがお礼を言えばラウルが苦笑を浮かべた。

 

「お礼は良いッスよ。ソレが仕事ッスから……いやー、それにしてもジョゼットみたいに遠知能力(ペセプション)も無いのにこの霧の中でパットバットを落とすなんて流石ッスね」

 

「……? 何ですかそれ?」

 

 ラウルの言葉に首を傾げれば、ジョゼットが肩を竦めた。

 

遠知能力(ペセプション)と言うのは視界を遮られても視認可能にすると言う補助系のスキルです。私が習得しているスキルの一つですね」

 

 遠知能力(ペセプション)とは、五感の内の一つ『視覚』性能強化効果のあるスキルであり、習得者は目を瞑っていても相手を独特の視界を用いる事で視認可能になると言うスキルである。

 単純に霧や暗闇と言った特殊条件下の中でも独特の感覚を用いて視認しているのと同じ状況を作り出す任意発動(アクティブトリガー)のスキルである。

 

 猫人(キャットピープル)が習得する猫の目(キャッツアイ)等とよく比較されるが、あちらは暗闇条件下であっても普通に視認可能になり、動体視力が強化されると言うものである。

 

 動体視力強化の効果がかなり汎用性が高いので猫の目(キャッツアイ)の方が便利とされており、遠知能力は濃霧の中でも平然と行動できるので便利と言えば便利だが、ごく一部階層でしか役に立たないので微妙なスキルである。

 

「……ジョゼットさんって、この霧の中でも()()()()()ですか?

 

「見えてる……と言うと語弊がありますね。私も霧の向こうは()()()()()、ですが()()()()()()

 

 ジョゼットの言葉に首を傾げるが、ジョゼットも困った様に眉を顰める。

 『コウモリであるとはどのようなことか』と言う『言語化不可能』な『感覚質(クオリア)』が関係してくるため、説明のしようがない。

 ジョゼットからすれば『霧の中で見えない部分も、意識すれば認識できる』と言うモノであり、どの様に説明するべきか悩ましいモノがある。

 

 カエデにどう答えようか迷っていると、ジョゼットの認識可能範囲に複数の人影が入ってきた事に気付いてジョゼットは弓を構える。

 ジョゼットが弓を構えるより以前にフィンがその人影に気付いていたらしく剣を片手に薄霧の向こうに視線を向けて眉を顰めた。

 

 薄霧の中、モンスターに気付かれない様に足音や気配を殺す事は珍しくない。

 しかし、つい先ほどまで戦闘音が響いていたフロアに対して近づく場合は他の冒険者とのトラブル回避の為に声をかける場合も多い。しかし警戒範囲に近づいてきた冒険者らしい三人の人物は足音も殺し、霧に紛れて潜む様にフロアの中に侵入してきた。

 

 フィンの勘が告げている。これは敵だと。

 

 フィンは警戒しつつも口を開いた。

 

「そこの冒険者、僕は【ロキ・ファミリア】の【勇者(ブレイバー)】だ。周りの者も【ロキ・ファミリア】の団員だ。武器を納めてくれ。それ以上武装解除せずに近づいてくるのなら敵対者と判断する」

 

 薄霧の中、武器を片手に足音を殺して近づいてくる。モンスターだと誤認されている()()()()()可能性を考えて声をあげたフィンに対する返答は無く。相手は霧の中散開し始めた。

 

 相手の武装を見てジョゼットは確信した。

 光を反射しない様に刀身に白い艶消しの塗料の塗られた短剣を手に、霧の中に紛れる様に白い外套に付属して顔を隠す頭巾の様なモノまでしている。

 そんな真っ白い姿だが、ほぼその行動は真っ黒その物である。

 

 フィンの言葉にカエデが首を傾げ、ラウルはバッグの肩紐を片方外して剣を抜いた。

 

「……聞こえなかったッスかね?」

 

「いや、これは……カエデ、ジョゼットの傍に。ジョゼットはカエデを守って、ラウル。警戒態勢」

 

 目つきを鋭くし、口早に指示を出すと、フィンは剣を納めて組み立て式の槍を取り出すと瞬く間に組み上げ一本の槍にして穂先を霧の中に潜んでいる者の一人に向けた。

 カエデはウィンドパイプを鞘に納めて機動性を確保した後、左手に逆手持ちで防御用のダガーナイフを握りしめる。ジョゼットは弓を霧の中に隠れた積りになっているらしい者を睨みつける。

 ラウルがサポーターバッグをジョゼットの近くに放り捨てて遮蔽物として利用出来る様にした上で剣を抜いて最後の一人に剣を向ける。

 

 フィンもジョゼットもラウルも一切油断なく霧の中に視線をやって警戒しているが、カエデだけは霧の中に気配を感じ取る事が出来ずに困惑しながらも三人の警戒している方向から三人組であると判断して何時攻撃がきても良い様に警戒心を強める。

 

「もう一度繰り返す。武装解除し姿を現すか、ここから立ち去るんだ」

 

 フィンの警告に、相手は反応を示さない。それ所か、明確に殺気を放ち始めた。

 

「っ!?」

「カエデさん、大丈夫です。落ち着いてください」

 

 霧の中、カエデの感覚ではとらえられない白い刺客達からの唐突な殺気にカエデが怯むも、ジョゼットが直ぐに声をかければ、カエデは息を整えてジョゼットの射撃の邪魔をしない様に姿勢を低くしつつも直ぐに動ける様に構えた。

 

 ジョゼットがぽつりと呟いた。

 

「団長、数が増えてます……八人」

 

「面倒だね……強さは?」

 

「……三級(レベル2)が二人、二級(レベル3)が一人、残りは駆け出し(レベル1)ですかね……いえ、追加一人……大柄2M超え……鉄塊を背負ってます。レベルは私より上ですね」

 

 ジョゼットの言葉にフィンは眉を顰めた。

 

 薄霧で視認できないが

 

 身長2M越えの大柄な体躯で、鉄塊を背負っている。推定二級(レベル3)を超える実力者。

 頭に浮かんだのは警戒していた【フレイヤ・ファミリア】の【猛者(おうじゃ)】オッタルである。

 

 ここで仕掛けてきたか……いや、待て。それだとおかしい。

 

 今仕掛けてきた相手が【フレイヤ・ファミリア】だとすればおかしい。

 【フレイヤ・ファミリア】は駆け出し(レベル1)冒険者が所属していないファミリアだ。

 ファミリアを構成する団員は全て神フレイヤが気に入り他の神から奪い取った眷属で構成され、最低でもフレイヤから仕掛けられる()()を突破しなければフレイヤが奪う事は無い。其の為、【フレイヤ・ファミリア】を構築している団員は最低三級(レベル2)以上である。

 故に襲撃者に駆け出し(レベル1)が含まれている時点で【フレイヤ・ファミリア】では無い。

 

 しかも、カエデは相手から差し向けられた殺気を感じてようやく警戒状態へと移行した。

 

 五感の優れる狼人、その中でも飛び抜けて五感が優れたカエデに悟られずに行動できる辺り、ただの駆け出し(レベル1)では無く暗殺技術を学んだ特殊な暗殺者、それも相当手練れの刺客であろう。

 

 眉唾物の噂話に登場する『冒険者暗殺組織』が脳裏を過り眉を顰めた。

 

 『蓋』を破壊した神々に対して密かに怒りを抱き続けた()()()()()の血筋が密かに神々に報復すべく、神の眷属を無差別に仕留めていると言う眉唾物の話。

 実際、冒険者の不審死は珍しくないが、頻繁に起きない上に大体がファミリア同士に抗争による暗殺の場合が多い。だからこそ嘘八百であると言われている噂。

 最近器の昇格(ランクアップ)を果たした【ナイアル・ファミリア】に所属する団員、アルスフェアと言う少年が『冒険者暗殺組織』に所属していたと言う噂を聞いた時はそんな物ある訳がないと鼻で笑ったものだが……

 

 暫く互いに警戒し合うこう着状態が続く。

 

 出来うるならばこちらから打って出て相手を蹴散らしたい所ではあるのだが、もしここで【ロキ・ファミリア】から手を出せば面倒な事になる。フィンの勘がそう言っている。

 

 相手が相当手練れの刺客である。

 

 ここから予測できるのは相手が聴覚をあえて失っている可能性。

 迷宮で聴覚を()()のはある意味において自殺行為だが、怪音波対策として耳栓をつける事もある。

 ここでオラリオにおいて探索系ファミリア最大規模の片割れである【ロキ・ファミリア】である此方から相手に手を出した場合、此方が『警告をした』と言い張っても相手側が『警告が聞こえなかった(警告されなかった)』と言い訳をする可能性が高い。

 

 本来ならそんな言い訳なんぞ蹴散らせるのだが……

 

 どうも勘が不味いと告げている。

 

「再度、警告する。今すぐ武器を納めて立ち去るんだ。今なら見逃してあげるよ」

 

 手を出すのは不味いが、同時に手を出されるのも不味い。

 嫌な勘ばかり冴え渡る。

 

 フィンは握り締めた槍を握り直し、カエデをどの様に地上まで連れて行くか思案する。

 

 ここでカエデを抱えてフィンが走り抜けるのが早いが、相手の狙いがカエデであっても、置いていくラウルとジョゼットが推定準一級(レベル4)以上の冒険者から逃走しきれるかと言う不安が残る。

 勘は『逃げ切れない』と告げている。

 

 少なくとも『ラウルは生き残るがジョゼットが死亡または致命傷を負う』。

 

 カエデとラウル、ジョゼットを地上まで逃がし、自分だけ残る。

 この場合は……可能性がかなり高そうだが。これだけ手練れの刺客を用意する様なファミリアがソレを考えていないとは思えない。ほぼ間違いなく待ち伏せされているだろう。

 

 別の手段としてこの場で交戦した場合。こちらから仕掛けるのは『ファミリアが危機的状況に晒される』。

 相手から仕掛けてくるのを待つ……少なくともそれが最善手だろう。

 

 そんな風に考えを纏めて槍を握りしめたフィンに対し、霧の向うから男の声がかけられた。

 

「……白い狼人を引き渡せ」

 

 その男の要求に、カエデが息を飲む声が聞こえ、ジョゼットがカエデに小声で尋ねる。

 

「お知り合いの声でしたか?」

 

 その質問にカエデが首を横に振って答えたのを見てジョゼットがピンと弦を鳴らして呟いた。

 

「そうですか、なら敵ですね」

「ジョゼット」

「わかってます」

 

 完全に敵対者として排除行動に移ろうとしたジョゼットに釘を刺してから、フィンは霧の奥の人物に声をかけた。

 

「この子は僕達の仲間でね、君達に渡す訳にはいかない。どういった理由で欲しているか理由(わけ)を聞いてもいいかい?」

 

 余裕ぶった気配を微塵も隠さず、呟いた言葉に霧の中に潜む相手が苛立ったのか殺気が揺らめいたのを感じてフィンは口元に笑みを浮かべた。

 

「……神が大罪人である白い狼人を然るべき時に裁くべく、欲している」

 

 霧の中から聞こえた声に、カエデが反応した。殺気をぶつけられながらも霧の奥を見据えて呟いた。

 

「大罪人……? ワタシは何も悪い事はしてな――「嘘を吐くなッ!!」――ッ!?」

 

 カエデの言葉に怒鳴り、膨れ上がった殺気と威圧感にカエデが一瞬で戦意を失いダガーナイフをとり落として震えながら膝を着いてしまう。ラウルとジョゼットも怯み一瞬硬直した後、ジョゼットが戦意を完全に失ったカエデを抱えてラウルがジョゼットのカバーに入る為にジョゼットの傍による。フィンは霧の中から向けられた殺気と威圧感から相手が自身と同じ一級(レベル6)冒険者であると察して舌打ちをした。

 

 先程まで微かな殺気以外を消していたその男が霧の中から現れた。

 霧の中から白い外套を纏い、顔を口元まで隠す頭巾で完全に隠した身長2M越えの大男が現れ、フィンは思わず呟いた。

 

「【ハデス・ファミリア】の【処刑人(ディミオス)】アレクトル……?」

 

 【ハデス・ファミリア】、()()治安系ファミリアではあるが、治安維持の為に団員を警邏させる訳でも無く、本拠も持たずに活動範囲がオラリオ内外問わないファミリアであり、活動内容がいまいち不明なファミリアである。

 

 主神が冥界の管理者である神ハデスであり、その特徴から闇派閥(イヴィルス)への関与や所属が疑われていたが、闇派閥(イヴィルス)の資金源を断つ事で闇派閥(イヴィルス)との関与を完全に否定して、闇派閥(イヴィルス)の壊滅に貢献したファミリアなのだが……

 

 その【ハデス・ファミリア】の団長【処刑人(ディミオス)】アレクトルは闇派閥(イヴィルス)の資金源となっていたオラリオの外の国々の貴族連中を片っ端から問答無用で『死刑』に処した事で悪名が知れ渡った人物である。

 種族は牛人(カウズ)の男であり、自分や【猛者(おうじゃ)】オッタルが台頭する以前は最も最強に近い狂信者と呼ばれた人物だ。

 鉄塊と称される事もあるがそれは『処刑人の大斧』と呼ばれ、見た目は処刑道具の一種である『断頭台(ギロチン)』の刃として利用されている傾斜のある鋭い刃のついた鉄塊である刃に強引に柄を取り付けただけと言う武骨であり怖気を齎す見た目をした『斬首刑の大斧(ギロチンアックス)()()に、顔の部分が覗き穴の存在しない苦悶の表情を浮かべた人を模して造られた赤錆びた全身鎧(フルプレートアーマー)と言うインパクトの強い武装をしている。

 

 今はその全身鎧(フルプレートアーマー)では無く、白い外套の下には艶消しされた革鎧(レザーアーマー)を使っている様子だが……背中の武装はまさしく『斬首刑の大斧(ギロチンアックス)』その物である。

 

 【ハデス・ファミリア】は規模は小規模で所属人数はせいぜいが30人程度。団長は上位に食い込む程の一級(レベル6)冒険者だが、ファミリア同士に抗争には一切興味を示さず、手を出された場合のみ敵対するのみ。

 

 唯一【ソーマ・ファミリア】と事を構えたぐらいか?

 

 確か【酒乱群狼(スォーム・アジテイター)】を罪人と称して処刑しようとして、その時【ソーマ・ファミリア】に対して敵対心を持っていた複数の小・中規模の上位ファミリアを煽って四十近いファミリアで連合を組んで一級冒険者(レベル5)冒険者30人と、【処刑人(ディミオス)】アレクトルで、当時準一級(レベル4)冒険者だった【酒乱群狼(スォーム・アジテイター)】率いる【ソーマ・ファミリア】と戦争遊戯(ウォーゲーム)をしたのだ。結果は【ハデス・ファミリア】の集めたファミリア連合側のボロ負け。結果として二度と【ソーマ・ファミリア】及びに【酒乱群狼(スォーム・アジテイター)】に手を出さないと言う契約を結ばされている。

 

【ロキ・ファミリア】とは敵対していない所か、関与もせずにファミリアの規模で競い合う気も無い様なファミリアだが、独特の価値観で動いているらしく、神ハデスが『罪人』と定めた人を殺そうとする危険なファミリアである。とはいえ、神ハデスが『罪人』として殺そうとする眷属や人物は大体が本当に罪を犯した人物であり、死刑に処すのはやり過ぎな嫌いがあるが、一応『治安系ファミリア』と呼べる活動をしていたのだ。

 

 だからこそ()()治安系ファミリアであると言われているファミリアだが……

 

 カエデ・ハバリが罪人?

 

「……一つ聞きたい、どんな罪を犯して罪人となったんだい?」

 

 フィンの質問に、【処刑人(ディミオス)】アレクトルは鼻を鳴らして呟いた。

 

「貴様も……貴様の主神ロキも……その罪に加担していながら知らぬだと?」

 

 アレクトルは声色からしてもあからさまに苛立ちを覚えたように『斬首刑の大斧(ギロチン・アックス)』の内の一本の柄を掴み、その巨大な刃をフィンに向けた。

 

「来たるべき時に備え、生命を謳歌するのならよし。だが、来たるべき時を否定しようモノならば、それは天命に抗うが如し大罪也。故に白き狼人、お前は大罪人だ。来たるべき時、お前は我らが神の手で冥界へと送られねばならぬ……故に【勇者(ブレイバー)】よ、大人しく我等に大罪人の身柄を引き渡せ。抗わぬのであれば【勇者(ブレイバー)】……そして神ロキの罪を問う事はしないと約束しよう。白い狼人よ、我等が神に来たるべき時に冥界へと送り出されろ。其れこそお前が行える唯一の贖罪也。罪を贖えば、お前には平穏無事なる来世を約束しよう」

 

 ソレはつまり、カエデが()()()()()()、つまり『寿命の終わり』に対して『神の恩恵(ファルナ)』を頼って()()、つまり『足掻く(生きる)事』が『大罪』であると言っているのだ。

 

 アレクトルの言葉にカエデの表情が凍りついた。

 フィンはカエデをちらりと見てから肩を竦めて呟いた。

 

「カエデ君、()()はそう言ってるけど、君はどう思う?」

 

 戦意を失ってジョゼットに支えられていたカエデが震えながらもアレクトルを睨みつけて声を発した。

 

「知らないです……足掻く(生きる)のが大罪だなんて……知らないです……ワタシは……例え足掻く(生きる)事が大罪だとしても、知らない、関係無い。足掻く(生きる)のをやめて、諦める(死ぬ)事なんてできない」

 

 その言葉にフィンは満足げに頷き、ラウルがにっこり笑う。ジョゼットはカエデの頭を撫でてカエデを一人で立たせた。

 震える足で立ち、カエデはアレクトルを睨みつける。

 

「邪魔、しないでください」

 

 その言葉に、アレクトルは一つ呟いた。

 

「そうか」

 

 『斬首刑の大斧(ギロチン・アックス)』を片手に一本ずつ、両手に二刀流として持ち上げる。

 片側だけで刃渡りが優に2Mはある巨大なソレ。アレクトルは軽々と両手に持っているが、重量は推して知るべしである。

 ガレスの使うバトルアックスなんて目ではない程の巨大で武骨な処刑道具にフィンは組み立て式の槍を向ける。

 ジョゼットが腰に結わえてあった『妖精弓』を手に取り、ラウルが長剣を両手で構える。

 カエデも落としたダガーナイフを拾い上げ左手に逆手に持つ。

 

「ならば、此処で罪を贖え。罪深き者共よ」

 

 アレクトルが呟くと同時に、【ハデス・ファミリア】の眷属達が霧を突き破って襲い掛かってきた。




 うむ、皆楽しんでくれてるんかな?
 感想とかもっと欲しいよネ。『楽しいよ』とか『面白いよ』とか、そう言った感じの感想が沢山あると嬉しいんですがね。モチベに繋がるかも?

 後は誤字報告、毎回ありがとです。





『エルフ』
 森の民、等とも呼ばれる事もある種族。
 森の中に置いてのエルフの戦闘能力は非常に高く、木々を軽々と飛び移りながら外敵に矢や魔法を放ち無双を誇っている種族であった。
 特徴は長寿種であり他の種族の数倍程度の寿命を持っている事。
 子供が出来にくく、種族の数が増えにくい特徴もある。

 エルフの中には『ハイエルフ』と呼ばれる。エルフの中においても特殊な立ち位置の者達が存在し、ハイエルフは独自の専用魔法を習得する。

 基礎アビリティに置いて、力・耐久が非常に伸びにくい代わりに、魔力・器用は非常に伸びやすく。俊敏も悪く無い伸びを持つ。
 特に耐久は下手をすれば『E』にすら届かない事も多く、殆どのエルフが『G』止まりである。
 代わりに魔力はほぼ確実に『A』に届き、才能有る者は『S』に届くと言われている。
 数少ない『魔法種族』でもあり、『神の恩恵』を授かった際に確実に『魔法』が一つは発現する上、『習得枠(スロット)』が最大数の三つ開口して居る事が多い。

 古代のエルフは、長寿種と言う特徴を活かし、習熟に非常に時間のかかる『神の恩恵』に頼る事の無い『古代の魔術』を使いこなす種族でもあった。


 古代の時代に置いて、エルフは『蓋』の作成に否定的であり、殆どのエルフは故郷の森に引きこもり、『蓋』の作成にかかわったエルフは極少数。それこそ片手で数えられる程度でしかなかった。

 当時のエルフの王の言い分として以下の文が挙げられている。
『森の中であればエルフに敵う者等居るはずも無し。故に蓋の作成に協力する意味も無い。同胞を無駄に死なせる事に加担する気は無い』

 要約すると
『森の中に引きこもっている分にはモンスターなんて脅威じゃねぇから、蓋作るのに協力する気はないよ。だって犠牲出ちゃうし』

 この事が原因で、現代においてもエルフは『いけ好かない種族』等と他の種族から嫌われており、エルフ側も他の種族との寿命の差等からエルフの方が優れた種であると他種族を見下したりする事も有り、エルフと他種族は比較的に仲が悪い。

 とりわけ『蓋』の作成に全面協力したドワーフとは相性が非常に悪い事があげられる。


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『鎖』

『もしかしてそのあすとらるふぁみりあ? とやらをどうにかしたいのか? ならワシが皆殺しにしてやろうか』

『え?』

『なぁに、正義なんぞ掲げた糞にも劣る集団なんじゃろ? 切り捨てられた所で問題はあるまい』

『何を言ってるさネッ!?』

『……? オヌシこそ何を言っている? ()()じゃぞ? 滅ぼさねば碌な事になるまいて、ほれ早くオラリオとやらに案内せえ……正義なんぞ掲げとる奴らは抹殺あるのみじゃて』

『やめっ! やめるさネッ!! ちょっ!? 止まるさネッ!! やばッ!? ツツジーッ!! キキョウーッ!! ヒヅチを止めてくれさネーッ!! アチキじゃ止められないさネーッ?!?!』


 ダンジョン十階層、薄霧に包まれた草原を彷彿とさせる草の茂ったフロア。

 

 アレクトルの繰り出した『斬首刑の大斧(ギロチン・アックス)』の一撃を槍でいなしてから、即座に相手の腕を狙って槍を突き出すも、陶器の砕ける音と共にフィンの槍が弾かれてしまう。

 フィンは舌打ちと共に後ろに下がりアレクトルを睨む。

 

「ちっ……厄介だね。その魔法」

「『凶刃は我が身に触れず『失攻刃』』」

「……あぁ、本当に厄介だ」

 

 攻撃に対する自動防御を付与する魔法。発動すると陶器の砕ける音と共に魔法効果を消失して敵の攻撃を弾くと言うシンプルで解りやすい魔法だ。

 先程からフィンはアレクトルと一対一で戦っているが、非常に厄介な魔法がどうにも突破できない。

 

 相手は一撃貰うの覚悟で斬りかかってくるが、此方はあんな大斧が直撃すれば一撃で致命傷を貰いかねないが、フィンの槍の一撃は魔法で必ず防がれてダメージにならない。

 

「流石【勇者(ブレイバー)】と呼ばれるだけはあるな」

「ははっ、嫌味にしか聞こえないよ【老兵(パレマコス)】」

「…………貴様、その名で呼ぶ事は許さんぞ」

 

 【老兵(パレマコス)

 【処刑人(ディミオス)】アレクトルが密かに呼ばれている蔑称である。

 アレクトルは既に老いた老人である。現役冒険者の中で最年長なのは現在アレクトルなのである。

 実力はそこまで高く無く、レベル6と言う場所に辿り着いたのも80歳を超えてからと言う人物だ。

 

 いくら神の恩恵(ファルナ)を授かった冒険者と言えど、ずっと冒険者を続けられるわけでは無い。

 

 普通の冒険者、エルフでも無ければ基本的に60歳か70歳程度で引退し、後世の育成に回るのが普通だが。アレクトルは、80歳を超えてから器の昇格(ランクアップ)を果たした長寿種のエルフを除いた最年長ランクアップ記録を持つ人物である。

 しかもそれ以降も闘い続け現在においては100歳に到達目前とされており、牛人(カウズ)所か長寿種であるエルフを除いたすべての種族であれば冒険者を引退して然るべき段階にありながら、未だ牛歩の歩みではあるが成長を続ける驚異的人物でもある。

 

 そんな老兵とも言えるアレクトルだが、その戦術はアマゾネスとよく似た脳筋的戦術を使用してくる。

 

 被弾(ダメージ)覚悟での攻撃は非常に厄介であり、何より被弾(ダメージ)を一度だけ無効にしてしまう【失攻刃】と言う魔法によって単純な戦闘であってもまともに打ち合う事も出来ない事が多い。

 

 そんなアレクトルが呼ばれると激怒するのが【老兵(パレマコス)】と言う蔑称である。

 これは引退すべき年齢に達していながらダンジョンに潜り続ける年老いた冒険者に贈られる言葉であり、要するに『そろそろくたばれ糞ジジイ』と言う意味を持つ言葉である。

 

 フィンの倍の年数は戦っているアレクトルと言う男はまさに驚異だろう。

 

 ステイタス的な差は殆ど無い。才能あるフィンと違い、凡人以下でしかなかったアレクトルはフィンと同じレベル6に達するのに倍の時間をかけてしまっている。しかし戦闘に対する経験はフィンの倍以上。

 

 残念な事にアレクトルに才能は無かった。だがそれを補って有り余る程の向上心を以てして神ハデスに仕えるべく己を鍛え上げ、今までの数多の戦場における経験がソレをさらに昇華させている。

 

 能力的才能は無く、効率的な戦い方を考え付き実行できる程の頭脳も無い。ならば自らにあった力をただ極めるのみ。

 

 その極まった脳筋戦術は、下手な戦略を砕き潰していくだろう。

 体格的不利、能力は同等、そして何よりフィンとの相性が最悪である。

 

 目にも止まらぬ程の連続突きを叩き込もうとするも一撃目で盛大に弾かれて後ろに飛び退く羽目になる。危うく目の前を轟音を立てて振り抜かれる『斬首刑の大斧(ギロチン・アックス)』によって頭を切断される所だった。

 あまりの厄介さに舌打ちを繰り返し、アレクトルを此方に引きつける。

 

 アレクトルがラウルやジョゼットの方に向かえば一瞬で片づけられてしまう上、カエデは『丹田の呼氣』のおかげで威圧感で気絶せずにアレクトルに立ち向かえるが能力的にどう足掻こうが勝てる訳も無い。

 

 出来る事は時間を稼いでアレクトルを三人から引き剥がしておいて、三人が敵を片付け終わって地上へと向かう様に指示を出す事。後序にガレス辺りを呼んでもらえば余裕だろう。

 

 

 

 

 

「でぇやっ」

「ラウル、下がってください『射手隊よ、弓を持て、矢を放て『一斉射』』」

 

 カエデは相手が投げてきたスローイングダガーを弾き、ジョゼットの背後から近づいてくる冒険者に唸り声をあげながら斬りかかる素振りを見せれば、襲撃者の白装束は直ぐに後退して距離をとる。

 ジョゼットが『妖精弓』を引き絞り、天井に向かって射る。

 

 『妖精弓』がたった一射で砕け散り、消え去るも放たれた矢が薄霧の中、朝靄の様な光を放っている天井に突き刺さり、炸裂した。

 一度に数十を超える追尾性の魔法矢が放たれ、白装束へ降り注いでいく。

 

「ぐぁっ!?」「何だこの魔法はっ!?」「魔剣っ!?」

 

 しかも一度では無く、着弾地点より数度に分れて追尾性の魔法矢が放たれ、ラウルが降り注ぐ魔法矢に注意を逸らして隙を晒した駆け出し(レベル1)冒険者を二人、蹴り飛ばして気絶させてジョゼットとカエデの傍に戻る。

 

「流石ジョゼット、この調子で頼むッス」

「任せてください、カエデさん、もう少し近くへ」

 

 ジョゼットから少し離れた為、慌ててジョゼットの近くへ戻れば何本かのスローイングダガーが飛来する。

 落ち着いてダガーでソレを払い落として相手を睨む。

 

 現在、ラウル、ジョゼット、カエデの三人は七人の冒険者に囲まれているさ中である。

 

 前衛がラウル、後衛がジョゼットで、ジョゼットの防御にカエデがついていると言った陣形をとっている。

 本来なら防御対象はカエデであるが、相手は厄介な対象であるジョゼットから排除すべくジョゼットに対して飛び道具のスローイングダガーを使ってジョゼットの詠唱妨害を企んでいるが、上手くいっていない。

 飛んでくるスローイングダガーをカエデが払い落とす事でジョゼットが安全に詠唱でき、ラウルは二人に接近を許さない様に二級(レベル3)一人と三級(レベル2)二人を上手くいなしている。

 

 と言うよりラウル一人で二級(レベル3)三級(レベル2)二人を完全に封じ込めているのだ。

 

 【超凡夫(ハイ・ノービス)】ラウル・ノールド。

 特筆した特化点が存在しない代わりに、特筆した弱点も存在しない。

 地味な戦い方ばかりしているラウルだが、相手の挑発に決して乗らず。自分のペースを貫き続けるだけの忍耐力を持っている。

 

 白装束側、【ハデス・ファミリア】側からすれば、前衛のラウルをどうにかしてジョゼットとカエデから引き剥がしたいのだが。二人の傍から一定距離離れた途端にラウルは追撃をやめて二人の傍に戻ると言うのを繰り返している。

 

 何よりうっとおしいのはラウルの牽制力とジョゼットとの息の合った連携である。

 

 ラウルは迷わず【ハデス・ファミリア】の二級(レベル3)冒険者に圧力をかけつつも、他の冒険者がジョゼットとカエデに近づこうとすればソレの牽制も行う。

 同時に仕掛けようとすれば必ずジョゼットの邪魔が入り、ジョゼットの詠唱中に投擲武装で妨害しようにも白い狼人、カエデがそれを妨害してしまい、上手く連携を崩せない。

 

 カエデをどうにかして連れ去ってしまえば【ハデス・ファミリア】側の勝利ではあるが、本来の計画通りに行っていない。もっとも厄介な【勇者(ブレイバー)】を抑えて後は数で押せば余裕だろうと高を括っていた結果だろう。

 

 特に【超凡夫(ハイ・ノービス)】の二つ名から大した事は無かろうと油断しきった結果だろうか。

 

 ラウルの牽制力が凄まじく手出しが出来ない。【魔弓の射手】の援護能力は馬鹿にならない所か、『妖精弓』の装備解放(アリスィア)の効果が凄まじく直ぐに立て直されてしまうのだ。

 

 装備解放(アリスィア)とは、装備魔法と言う習得者の少ない魔法における特殊な効果の事である。

 装備魔法の基本は『誰が使っても同じ効果が発動する』と言うモノ。詰る所魔剣と同等の効力を持っているが、その装備を生み出した人物、つまり装備魔法の習得者が追加詠唱を行う事で更に別の効果を発動する。それが装備解放(アリスィア)

 本来ならば隠匿されているソレを躊躇せずにぶっ放してジョゼットは数の不利を完全に無き物にしている。

 

 ジョゼットの装備魔法『妖精弓の打ち手』の装備解放(アリスィア)の効力は、

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と言うモノ。

 

「『誇り高き妖精の射手へと贈ろう。非力な我が身が打つ妖精弓を、十二矢の矢束を六つ、七十二矢の矢を添えて『妖精弓の打ち手』』」

 

 ジョゼットの詠唱と共に、ジョゼットの手の中に妖精弓が生み出され、ジョゼットは迷わず弓引くと追加詠唱を唱える。

 

「『射手隊よ、弓を持て、矢を放て『一斉射』』」

 

 矢が放たれた瞬間に、弓は砕け散る。放たれた矢は天井に突き刺さり炸裂すると同時にその場に光球を残す。

 十二矢の矢束、六つ。

 十二の矢が一度に放たれ、続けて六度。合計七十二本の魔法の矢が天井から敵対者へと降り注ぐ。

 

 一つの矢束に束ねられた矢を同時に放ち、矢束の数だけ回数が放たれると言うシンプルな『装備解放(アリスィア)』。

 ジョゼット一人で複数の白装束が倒れ伏し。気付けば7人居た冒険者が既に3人に減っている。

 

「案外余裕ッスね」

「……はぁ、油断大敵。残っているのは二級(レベル3)三級(レベル2)ですよ……」

 

 ジョゼットが新たな妖精弓を完成させながらラウルに釘を刺す。ジョゼットの言葉にラウルは眉を顰めて相手の出方を窺う。

 

「わかってるッスよ」

 

 フィンが迷わず一級(レベル6)冒険者の【処刑人(ディミオス)】アレクトルを抑えてくれたおかげでどうにか勝てそうだが……相手の編成に違和感を感じた。

 

 【ハデス・ファミリア】は30人規模のファミリア。団長の【処刑人(ディミオス)】が唯一一級(レベル6)であり、それ以外は二級(レベル3)が二人、三級(レベル2)が3人、それ以外が駆け出し(レベル1)と言う編成だったはずだ。

 

 あと一人ずつ、二級(レベル3)三級(レベル2)が何処かに潜んでいる……。

 

「……ラウル。【ハデス・ファミリア】の二級(レベル3)、もう一人は【縛鎖(ばくさ)】です。ここに居るのは【監視者】ですね」

「うわ、マジッスか……」

 

 ジョゼットの苦虫を噛み潰した様な苦々しげな表情に、ラウルは引き攣った笑みを浮かべた。

 

 【縛鎖(ばくさ)】イサルコ・ロッキ

 

 ジョゼットと同じくオラリオに数少ない装備魔法を使える冒険者の一人。

 使用できる装備魔法は『捕縛の鎖』。単純に投げると対象に向かって勝手に巻きついて拘束すると言う地味に面倒な効果を持った装備魔法である。

 装備解放(アリスィア)の効力は不明である。と言うかそもそも装備魔法すべてに装備解放(アリスィア)があると確定している訳ではない。

 【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタインの使用する付与魔法(エンチャント)にはエアリエルには追加詠唱が存在するが、他の冒険者の付与魔法(エンチャント)には追加詠唱が存在しないモノも多い。

 その関係から、全ての装備魔法に装備解放がある訳ではないと推測されているが。

 習得者が少ないが故に情報が少ないが、警戒するに越したことはないだろう。そう判断したラウルが警戒しつつも目の前の三人を片付けるべく剣を向け直す。相手も構えなおすが既に息切れ寸前。

 対する此方はカエデが若干息を切らしているぐらいで無傷。

 

「とりあえず目の前の三人を――「避けるんだっ!!」――ッ!? カエデちゃんっ!!」「ッ!?」「カエデさんッ!?」

 

 フィンの大声が聞こえた次の瞬間には、『斬首刑の大斧(ギロチン・アックス)』がカエデとラウルの間に凄まじい轟音と共に突き立つ。

 衝撃で吹き飛び、転がりながらなんとかカエデが体勢を整えて立ち上がるのと、残っていた白装束三人がラウルに殺到するのはほぼ同時だった。

 

「カエデさんッ!! 怪我はッ!?」

「大丈夫です」

 

 ラウルの援護より先にカエデの元に駆けつけたジョゼットに起き上がりながら答えると、ジョゼットが妖精弓を引き、詠唱をしようとした瞬間に、カエデは鎖の擦れる音を聞いた気がした。

 

「鎖……?」

「カエデさん?」

「鎖の音が聞こえます」

 

 霧の向う側、ラウルが三人相手に上手く立ち回っている姿が見えるが、あのままではジリ貧でラウルがやられる。だがカエデの言う()()()も気になる。

 警戒心を高め、ラウルの背後から攻撃しようとしていた白装束を妖精弓で射抜き。続けて矢を放とうとしたジョゼットは足元で何かが動いているのに気付いた。

 

 これは――鎖?

 

 地面から鎖が生えている。まるで蛇の様にゆらゆらと先端のカギ爪が揺れており、地面との接地面は不自然に水面を思わせるかのように揺らめいている。

 

「……カエデさん、気を――ッ!? 避けてくださいッ!!」

「ッ!? 鎖が地面から――

 

 瞬く間に、地面から生えた鎖がカエデの脚に絡みついた。

 瞬間、ドポリとまるで地面が水面になったかのように鎖の絡みついた脚の部分が地面に沈む。

 

「これはっ!? カエデさんっ!!」

「ッ!?!?」

 

 驚愕と共に慌てて剣で鎖を断ち切ろうと振るうも、地面に当たると鈍い音を響かせて弾かれてしまう。

 ずぶずぶと足が沈みついには腰の辺りまで沈み込み、カエデが必死に抜け出そうともがくも沈む速度が緩まる事は無い。

 ジョゼットが慌ててカエデの体を抱いてそれ以上沈むのを止めようとする。

 

「団長ッ!! ラウルッ!!」

 

 フィンとラウルに助けを求めようとするも、一級(レベル6)同士で激しく戦いを繰り広げているフィンはこちらに反応する余裕は無く。ラウルは同格一人と援護に二人も居る状態で此方に構っている余裕は無い。むしろ援護しなくてはラウルはいずれやられる。

 そう考えながらもどうするか考えている間に更に数本の鎖が地面から生えてきてジョゼットの体も含めてカエデを雁字搦めにして沈む速度が速まった。

 

「ジョゼットさんっ!!」

「しまッ!? くッ!」

 

 ジョゼットがどうにか鎖を破壊しようと短剣を振るうも、鎖に傷一つつけられない。

 

「魔法の産物……装備魔法ッ!! ラウル、団長ッ!!」

「ジョゼットッ!?」

「なッ!? そう言う事か【処刑人(ディミオス)】ッ!!」

 

 グイグイと地面に引き摺り込まれながら、何とかフィンとラウルに現状を伝えたが、もう既にカエデが胸の辺りまで沈み込み、ジョゼットも腰まで沈んでしまっている。

 

「くっ、カエデさんしっかりしがみついてくださいっ!!」

「はいっ!!」

 

 カエデは縛られて動けない。ジョゼットは何とかカエデを抱きしめて離さない様に耐える。

 

 

 

 

 

 いつも通り、安定した戦い方こそ、最も生存率が高い。

 その戦い方は地味だろう。けれども冒険者として、安定した戦い方をしているからこそ、ラウルはこれまで死なずに冒険者を続けているのだ。

 だが、今はそんな事を考えている余裕は無い。

 

 ジョゼットの焦った声に三人に対応しながら其方を確認すれば、鎖に絡みつかれたカエデとジョゼットが身動きが取れなくなっている状態であった。

 それだけならまだよかったが、二人の体が地面に沈んで行っていたのだ。

 

 先程までは安定して距離を詰めさせない様な立ち回りをしていたラウルは唐突に相手の剣を左手で受け止める。

 左腕にブスリと剣が突き刺さるが、ラウルはそのまま相手に接近して右手で持った剣の柄で相手をぶん殴る。

 

「あぁ、うっとおしいッス!!」

 

 今まで安定した、地味な戦い方をしていたラウルの唐突な戦闘方法(バトルスタンス)の変更についていけなかった白装束は困惑し足を止めてしまう。

 ラウルは殴り飛ばした方とは別の白装束、三級(レベル2)の一人を切り伏せてから、二級(レベル3)の懐へともぐりこむと同時に腹に肘打ちをかまして吹き飛んだのを尻目に、既に頭まで地面に沈み見えなくなったカエデと首の辺りまで沈みこんだジョゼットの元へ駆ける。

 

「ジョゼットッ!! カエデちゃんッ!!」

 

 だが、一歩遅くジョゼットの頭まで地面に沈み込んでしまい、ラウルが辿り着いた頃には朝霧の中にカエデのダガーが転がっているだけであった。

 

「畜生ッ!!」

 

 地面に拳を振り下すも、不自然な揺らめきも何もない。普通の地面である。

 カエデとジョゼットが地面に沈んで行ったのは【縛鎖】の使う装備魔法の効果だったのだろう。

 

 ラウルはカエデのダガーを拾い上げて剣を残っていた立ち上がってきた白装束に向けた。

 

「ちょっと、今、機嫌が悪いッスから……加減しないッスけど、文句言わないでくださいッス」




 感想ありがてぇ……

 ドワーフって原作においても強いのね。下級モンスターなら恩恵無しでも倒せるとかどうとか。スゲェ。


『ドワーフ』
 酒樽、等と揶揄される事もある種族。
 種族的特徴は何と言ってもその()()()()である。
 成人したドワーフであれば男女問わずに酒樽一つを余裕で空にできると言われており、酒樽等と揶揄される原因ともなっている。

 基本的にお気楽な種族とも言われており、酒盛りが何よりも好きだとも言われている。種族総じて職人気質な部分もあり、手先も器用である。

 『力』と『耐久』に優れており『器用』も相応に高くなる種族。
 反面『魔力』は絶望的であり魔法を覚える事は殆どなく、『俊敏』も他種族に比べて低い傾向にある。

 古代において『蓋』の作成に全面協力し、種族総じて『蓋』の建造に関わった事も有り、神に良い印象を抱いていない……かと言えばそんな事は無く。
 自らの力で死ぬ気で建造した『蓋』より神々が指先一つで建造した『バベル』の方が立派である事に素直な称賛をし。神々を許す心の広さも持っていた種族。

 だが『蓋』の建造に反対し、全く協力しなかった『エルフ』の事を毛嫌いしており。顔を見ただけで吐き気がする等と口にする事も多い。


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『試練への招待状』

『あの子は英雄では無いわ』

『でも、その魂はとっても、とっても美しい。でもね……その美しさは限定的なモノでしかないの』

『散り際の花こそ、最も美しい、そうは思わないかしら?』

『死に捕らわれてしまわぬように、精々必死に生き(足掻き)なさい。不格好な演舞でも、命を掛けたものならば力強く煌めいて、私の目に焼き付くでしょう』

『さあ、舞を始めましょうか。少しでも美しく、少しでも優雅に。私の描く道筋で、最も美しく輝いてくれる事を願っているわ』

『退屈過ぎて死にそうな今を変えてくれる極光を……』

『もし、私に焼き付けてくれるなら……その時はちゃんと()()()()()()


 剣の折れる音と共にジョゼットの蹴りが白装束の鼻っ面に突き刺さり、ゴキンと水っぽい音を立てて白装束の後頭部と背中がべったりとキスを交わし、捥げかけた首から夥しい量の血が噴き出る。

 

 気にすることなくジョゼットは弓を引き速射する事でカエデの背後に接近していた白装束の足、腹、側頭部に矢を射る。

 

 鎖によって地面に沈んだ二人だったが。真っ暗な地面の中をずぶずぶと沈む不快感に呑まれて暫くすれば、脚の先から何処かの空間に引っ張り出され、カエデとジョゼットの二人の体が空間に出た瞬間に鎖は弾けて消えて10M近い高さから地面に放り出された。

 ジョゼットがカエデを抱えて上手く着地すれば、周りは十階層の朝霧を思わせる薄霧では無く、正に霧と言うべき十階層よりも濃い霧が充満したルームに投げ出されていた。

 その霧の中、白装束をまとった【ハデス・ファミリア】の団員が構えており、直ぐにジョゼットは周囲を取り囲んでいた白装束に気付いて応戦を初め、カエデも遅れて応戦しはじめた。

 

 十階層で戦っていた時は殺すまではしなかったが、今はそんな事を言っている暇は無い。

 何より先程の鎖。使っていたはずの【縛鎖】の姿が一切見えない。

 

 十一階層に居るのは駆け出し(レベル1)程度の者達ばかり。

 

 力がそこまで高くないジョゼットの蹴りで首が捥げるのは予想外だった。せいぜいが首を痛める程度だと思っての一撃だったのだが……

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()が何人も交じっている。

 

 しかも動きが全然()()()()()

 

 意味がわからない。分断した所を狙ってくるかと思えば、肝心の【縛鎖】の姿は見えない。

 

 もう一度分断する気か?

 

 フィンとラウルからカエデだけを引き剥がすつもりだったのだろうがジョゼットと言うオマケ付きだった。故に姿を隠してもう一度カエデだけを引き剥がそうとする可能性は高い。

 

 カエデに張り付いておくべきか。

 

 特に鎖。装備魔法で生み出されたと思わしき鎖の装備解放(アリスィア)はどうやら拘束対象を壁や地面などの物質を透過して引き摺り込む性質を持つらしい。

 

 嫌らしい上、秘匿していた装備解放(アリスィア)を持ち出す辺り、【ハデス・ファミリア】の本気具合が垣間見える。

 

 そう思いながらもジョゼットは妖精弓の装備解放(アリスィア)を発動して残っていた厄介そうな白装束二人を針鼠に生まれ変わらせた。

 

「……いや、本当に殺す積りは無いのですが。何故避けないのですかね」

 

 別に殺す積りなんて微塵も無い。相手は驚愕したかのようにジョゼットの魔法弓を食らう。おかしい。違和感が残るがどうにも分らない。

 

 

 

 

 

 ジョゼットがフロアに居た何匹かの()()()()()()()()()()()()()()、カエデは三人の白装束と戦っていた。

 

 目の前に居る白装束のステイタスはこちらと同格。少なくとも俊敏と力は同格程度だろう。

 二、三度の剣の打ち合いから判断した相手のステイタスを元に、的確にウィンドパイプで相手の剣をいなす。

 後ろに回り込んだ別の白装束が背後から斬りかかってくる。背中に背負った鞘に相手の剣先を引っ掛けさせて素早く身を反転させる。引っ掛かっていた剣先が引っ張られた事で腕を大きく前に突き出てしまった相手の下に潜り込みつつ、相手のベルトにあった予備のショートソードを奪っておく。

 

「あっ!? このガキッ!!」

「待てっ! コイツ強ぇぞっ!」

「…………」

 

 三人がかりでかかってきているが、カエデが小柄故に相手の懐や剣閃の死角にとちょこまかと潜り込んで、仲間同士で同士討ちを発生させようとしたりと、堅実と言うよりはただ単に鬱陶しい戦い方を繰り広げる事でどうにかやり過ごしている。

 

 一対多での戦闘のコツは、ただひたすらに回避を優先する事である。

 

 一撃貰って怯み、ソコに他の敵の追撃を連続で食らえば瞬く間にやられてしまうだろう。

 

 とりあえず奪ったショートソードを手の中でくるくると弄び、相手を挑発して大振りな攻撃を誘発させようとするが、場が悪い。

 

 何より十階層よりも濃い霧の所為で目視で相手を確認するのが難しい。

 

 その上で、カエデの身に着けている防具が緋色と、白い霧の中で悪目立ちする装備だったのも仇となっている。

 

 相手からすれば非常に見つけやすく、此方からすれば相手の白装束は意識していないと視界から消えかねないのだ。視線を一度外せばすぐに姿をくらまして奇襲を仕掛けようとしてくるのが一人いる。

 

 終始無言で此方を窺っている白装束。他の二人は素人丸出しとまでは行かないが、数で押す戦闘ばかりしてきていたのか連携は凄くとも個人の能力はかなり低い。

 だが無言の白装束だけは不味い。

 その白装束だけは足音も無ければ気配も霧に紛れて消えそうになる。気配も薄く、一度視界から消えれば完全に見失う事は間違いない。見失えば残り二人に翻弄されてる間に奇襲を食らって一撃で仕留められかねない。

 

 他には【縛鎖】の事も気がかりである。

 

 このフロアにはその冒険者が居ないらしい。更に下の階層か他のフロアで待機している可能性もある。

 

 鎖の音に注意しつつ、白装束の相手をするのはかなりきつい。

 

 何より、今まで人を直接殺した事が無い故にどうしても手心を加えてしまう。

 

 人が死ぬ様は幾度と無く見て来たが、自分の手で……となると一度も無い。

 

 斬り付けた事も有るし、危うく殺しかけた事も有る。しかし人を殺す為に剣を振るった事は一度も無いのだ。

 

 モンスターなら何百匹殺そうが気にもしないが、人はそういう訳にはいかない。

 

 如何すべきか迷いつつも二人で連携して突っ込んでくる白装束をいなしつつ、隙あらば霧に紛れようとする無言の白装束に詰め寄って距離をとらせない様にする。ついでに奪ったショートソードを距離を詰めようとした所に左右から突っ込んできた右側の白装束の足元に引っ掛ける様に投げておく。

 

 回転するブーメランのように投擲されたショートソードだが、運悪く相手の足首に命中したらしい。苦悶の声と共に右側の白装束が倒れ、左側の白装束が怒りの叫び声をあげながら大振りの一撃を見舞ってくる。

 直ぐにウィンドパイプの切っ先で相手の剣の切っ先を受け止めながら、刀身の上を滑らせて相手の手首を軽く斬り裂いておく。

 

「ぐぁっ!?」

「このガキがぁあああああ」

 

 カランと言う剣をとり落とす音を聞きながら霧の中で血を吹き出して手首を押さえて下がっていく白装束を見送って、霧に紛れようとしていた白装束に投げナイフを投げて牽制しておく。

 

「ぐぁっ……くそっ、話が違ぇぞ!! 相手は動けねぇんじゃなかったのかッ!!」

「チッ、俺らは引くぞっ!!」

 

 霧の中、口数の多かった白装束の二人が走って離れていくのを感じつつも、残った一人に警戒心を向けた。

 

「……何故だ?」

 

 終始無言だった残りの一人の白装束の言葉に眉を顰める。

 

「お前には()()()()()()()()

 

 相手はこちらに言い聞かせる様に口を開くが、この状況で態々舌戦を繰り広げるのはほぼ間違いなく何かしらの意図があっての事だろう。直ぐに距離を詰めて斬りかかる。

 白装束は受ける事はせずに後ろに跳び退って剣を構えなおした。

 

「チッ、引っかからないか」

 

 白装束が何か言っているが無視して一歩詰めつつも振るう。

 白装束はカエデの振るうウィンドパイプを、カエデがやった様に逸らそうとするが。

 

 それぐらい予測できて当然。だから対策も十二分。

 

 カエデのウィンドパイプが音を立ててあらぬ方向へ弾かれる途中、カエデは迷わずウィンドパイプを手放して相手の懐に突っ込む。

 

「なっ!?」

 

 驚いた表情の白装束、その手首をしっかり握った投げナイフで斬り付けて剣を奪い取り、直ぐに相手の足に奪った剣を突き刺す。

 

「ぐぅっ!? こいつっ!!」

「これで、終わりっ!!」

 

 突き刺す位置は膝の部分。脚甲も何も装備していない膝は只のレザーガードだけであり、打撃には強くとも刺突には大して防御能力は無かったのだろう。ズブリと肉を突く感触と共に一気に剣を捻り傷口を大きく広げるのを忘れない。

 

 直ぐに相手から距離をとって霧の中にとんで行ってしまったウィンドパイプを探そうと鼻を鳴らすと、ジョゼットの叫ぶ声が聞こえてきた。

 

「貴様ッ!? よくもカエデさんをッ!!」

 

 何を言っているのか一瞬理解できず、声のした方向に視線を向けると、霧の中から、光の矢が複数飛んできて、()()()()()()()()()()()

 明らかにジョゼットの妖精弓の魔法である光の矢に驚いて声をあげる。

 

「っ!? ジョゼットさんッ!?!?」

 

 慌てて身を翻して三本の矢の内二本を投げナイフで迎撃し、足元の石を蹴り上げて最後の矢の射線を塞ぐが、石ころに当たった光の矢が炸裂して霧の中吹き飛ばされてしまう。

 

「ちっ、手間取らせやがって……まぁ、これで良い」

 

 ゴロゴロと転がりつつも投げナイフを懐から取り出して、悪態をつく白装束に投げナイフを投げた。

 

 その投げナイフは霧の中から唐突に現れたジョゼットに掴みとられてしまった。()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 唐突に理解できない行動を始めたジョゼットにカエデは足を止めて投げナイフを追加で二本掴んだ。

 

 霧の中、ジョゼットが白装束の男に近づいて甲斐甲斐しく治療を始めた。脚に刺さった剣を抜いて高位回復薬(ハイ・ポーション)を飲ませ、立ち上がるとジョゼットが()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「カエデさん、あの最後の一人は私が倒しますので……そこで待っていてください」

「ふんっ、なかなか時間がかかったが……悪く無いな」

「ジョゼットさんっ!!」

 

 慌ててジョゼットに声をかけるが、ジョゼットは鋭い目つきでカエデを睨みつけた。

 

「殺されたくなくば引いてください。先程は加減を誤って何人か殺してしまいましたが……貴方はなかなかやる様だ。加減出来ないかもしれません」

 

 仲間に向けられた殺意に身が竦む。そして気付いた。霧の中、ジョゼットの周囲に薄紫色の光の玉がふよふよと浮かんでいる。

 

「ジョゼットさん、ソレ……」

「黙りなさい。こちらが【ロキ・ファミリア】である事を理解しつつも襲撃する蛮勇は称賛しますが。これ以上続けても無駄です」

 

 再度の警告に冷や汗が流れた。

 

 そのジョゼットの後ろ、不自然に気配が薄い男にカエデは視線を向けた。

 

「くくっ、間抜けが一人、捕まったみたいだねぇ」

 

 白装束の頭巾を取り払った下から出て来たのはキャットピープルの男である。

 その男、よく見ればジョゼットの周囲を飛んでいるのと同じ紫色の光の玉が何個も飛んでいるのが見えた。

 

 幻術系の魔法……呪詛(カース)に分類されるモノだろう。

 

「自己紹介しておこうか……【縛鎖】イサルコ・ロッキだよ。装備魔法で有名っちゃ有名だけど……ソッチよりコッチの方が使い勝手良いんだよね」

 

 自身の周囲を飛び交う紫の光の玉を指先で突きながら呟かれた言葉にカエデは一歩後ずさった。

 カエデがイサルコに視線を向ければ、ジョゼットの目つきはより鋭くなり、妖精弓はギリギリと音が立つほどに引き絞られている。

 

「引け、私はそう言いましたが? 聞こえませんでしたか?」

「ジョゼットさん……」

 

 完全に、声すら届いていないらしい。ジョゼットが唐突に矢を放ち、カエデは慌ててソレを回避しようとする。

 

 霧の中、霧を貫く様に放たれた光の矢をどうにか避けようと大きく動くも、追尾性能のある光の矢は回避しようと足を踏み出したカエデに合わせて追尾してくる。

 壁際によって直ぐに真横に飛び退けば光の矢は壁に突き刺さって動きを止めた。

 

 カエデが追尾する光の矢を必死に回避している間にジョゼットが白装束の体を抱えて一気に走り出した。

 声を張り上げて引き留めようとするも、ジョゼットは置き土産と言わんばかりにカエデに投げナイフを投げつけてそのまま走って行ってしまう。

 

 霧の中から飛んできた投げナイフに慌てて身を捻って回避するも、完全に足が止まってしまう。

 

 そんなジョゼットに担がれた白装束の男、イサルコは拘束を解こうと暴れているみたいだがそのまま担がれて行った。

 

「ジョゼットさんっ!!」

「あぁっ!? おい離せ糞エルフッ!! チゲェよっ!! あの白い狼人を――――

「カエデさんは静かに、このまま団長と合流しますので」

 

 幻術によってイサルコの事をカエデだと誤認しているジョゼットはそのままイサルコの言葉を無視して走っていく。遠のいていくイサルコの声に思わずぽかんと間抜けな表情を浮かべた。

 

「え……?」

 

 誰も居なくなった十一階層のフロアに一人取り残されたカエデは周囲を警戒するもモンスターの気配も先程逃げて行った二人の白装束の気配も何も感じない。もしかしたら自分も幻術にやられているのではないかと警戒するも、無意味だと判断して投げナイフを懐に仕舞った。

 カエデは一度だけ辺りを見回してから直ぐに団長に合流すべく後を追おうと足を踏み出そうとして、霧の中に大柄な人影を見つけて慌ててバックステップで距離をとった。

 

 背中のウィンドパイプに手を伸ばそうとして鞘に何も入っていないのに気付いた。

 先程手放していたウィンドパイプが何処に行ったのか分らない。

 

 2Mを超える大柄な影、その姿に【処刑人(ディミオス)】を警戒するも、全く違う声が聞こえてカエデは首を傾げた。

 

「大丈夫か?」

「……?」

 

 聞いた事が無い声に思わず首を傾げながら、霧の中でその人物の姿をよく見ようと警戒しつつも距離を詰める。

 

「受け取れ、お前の武器だろう」

 

 霧の中から何かが投げられ、ズンと言う重音が響き、目の前に剣が突き刺ささった。カエデは一気に後ろに飛び退いてから、霧の中に薄ら見える剣がウィンドパイプだと気付いて警戒を強めた。

 

「誰ですか?」

「今は答える積りは無い」

 

 今は? 敵意は一切感じないが……尻尾が誰かに掴まれた。直ぐにこの人物から離れた方が良いと。

 

「白い狼人、カエデ・ハバリ」

 

 名を呼ばれ、警戒心が一気に増す。

 何故名を知っている? 少なくともこの人物と会った事は無い筈だ。

 

 霧の中、薄らと見える姿に警戒心を抱きつつもウィンドパイプを地面から引き抜いて鞘に納めてから柄に手をかけつつ距離をとろうとするも、呼び止められてしまう。

 

「カエデ・ハバリ」

 

 再度の呼びかけに眉を顰め、柄の握りを確認しつつも次の言葉を待つ。

 

 勝てない。背を向けて逃げ出す事も許されない。

 

 この大柄な人物から感じる気配からそう判断して待つ。

 

 ここで背を向けたら間違いなく切り捨てられる。そんな気がした。

 

 それだけじゃない。ここで剣を向けても斬り捨てられるだろうし、自分に出来るのは話を聞く事だけなのだと。なんとなく理解できた。

 

「試練を、()()()()()()()()()()()()

 

 その言葉に背筋が震えた。試練、待ち望んでいたモノではある。だがこの感覚は……

 

「女神の試練だ。喜べ、オマエの活躍は女神が見ている」

 

 女神? 誰の事かはわからないが……一瞬だけ、バベルの最上階から中身を見据えてくる視線の事が脳裏を過った。

 

「十二階層、細道へ向かえ……」

 

 それだけ言い残すと、大柄な人物は霧の中へ消えて行く。

 

 一瞬、無視して地上に向かおうかと考えるも、霧の中でその人物が振り返ったのが気配で解った。

 

「逃げるなら、俺がお前を殺す」

 

 一言、ただ一言だけ呟かれた言葉。

 

 先程の白装束の向けてきた殺気とは全く違う所か、微塵も殺気を感じられない言葉だった。

 

 だが、ソレの意味を正しく理解できた。

 

 隔絶した強さがある。

 

 絶対に勝てない。逆立ちしようが、世界がひっくり返ろうが、今の自分が千人束になっても、その人物には勝てない。

 

 そう、殺気を向ける必要も無い。向けただけで殺してしまうかもしれないからだ。

 

 

 

 謎の人物が消えて、完全に一人になってから。息を整える。

 

 気が付けば、肩で息をしていた。何時から呼吸を止めていたのか、息を大きく吸う毎に視界が広がり、思考が鮮明になっていく。

 

 ()()

 

 あの男は試練があると言った。

 

 ワタシの為だけに用意された試練。

 

 ジョゼットやフィン、ラウルの事は気がかりだが……どちらに向かうべきか。

 

 

 三人の元へ向かう。必ず死ぬぞと尻尾を引っ張られるような感覚がした。

 

 【ロキ・ファミリア】の本拠まで逃げる。三人の元へ向かうのと同じだ。必ず死ぬだろう。

 

 あの人物と戦う。必ず死ぬだろう。

 

 試練に向かう。危険だと尻尾を掴まれる感覚がした。

 

 

 どの選択肢をとっても、きっと死ぬ様な目に遭うだろう。

 

 いや、選択肢なんてありはしない。

 

 『試練に向かう』それ以外の選択肢を選べば必ず死ぬ。

 

 あの人物は決して嘘は言ってない。今もこの霧の中で此方を観察している。そんな気がする。

 

 誰かの視線を感じた。ねっとりとした、中身を直接覗き込まれるような、不愉快な視線。

 

 バベルの頂きから飛んでくるその視線。

 

 

 

 手持ちの持ち物を確認する。

 

 武装は乱暴に扱ったのに傷一つ無い『ウィンドパイプ』、それから『投げナイフ』が三本。

 防具は『緋色の水干』に左腕の動きが若干悪くなっている『ガントレット』と金属製のブーツ。

 道具類は『回復薬(ポーション)』が三本、『高位回復薬(ハイ・ポーション)』が二本。

 後は『解毒剤』と途中で拾った魔石にドロップ品。

 

 十二階層の注意点を思い出しつつ眉を顰めた。

 

 十一階層においても霧によって視界が悪いのに、十二階層は更に視界が悪い。

 

 それこそ3~5M程度の距離で識別不能になる程に濃い霧が漂っていると言う話だ。

 

 ジョゼットのように透視能力(ペセプション)があるのなら良いが……カエデはそのスキルを持っていない。

 

 鼻と耳、この二つだけで挑まねばならない。

 

 手が震えた。

 

 細かな傷が出来ているのに気付き、回復薬(ポーション)を一本、一気に飲み干してから顔を上げる。

 

 進むしかない。

 

 

 『十二階層 細道』、何処の事か特定するのは難しくない。

 

 冒険者たちの間で『罠の細道』と呼ばれている箇所がある。

 

 十二階層の階層の形状自体は八階層、九階層と同じでルームの数が七階層以前よりも増え、一つ一つのルームの大きさも今までの倍近くまで大きくなる。ルームを繋ぐ通路は少なく短くなる。天井までの高さも3Mから4M程度だったのが10M近くになる。

 そんな十二階層の中で、不自然に細長い通路が一か所だけ存在するのだ。

 

 その通路内に冒険者が四人以上同時に侵入すると、出口と入口の二か所で確実に怪物の宴(モンスターパーティー)が発生して挟み撃ちにされると言う通路である。

 

 駆け出し(レベル1)は確実に避けて通る道だが、十一階層と十三階層へ通じる階段への最短ルートとしても利用されており、単独(ソロ)活動している冒険者や、三人未満のパーティー等が中層へ挑む際等に利用する為、人が全く居ないわけでは無い。

 

 運が悪いと他のパーティーとすれ違ってしまい、前後からモンスターに……と言った事になるので殆どの冒険者が避けて通る道。

 

 きっとそこだろう。

 

 怪物の宴(モンスターパーティー)が試練になるのだろうか?




モチベが続かんとです。どうするかなぁ……。

 ダクソ2楽しいんじゃぁ…… 



小人族(パルゥム)
 特筆すべき点は成人しても子供程度の姿にしか成長しない種族であり、見た目だけでは年齢の把握が難しい種族。

 ステイタス的にはヒューマンの劣化版等と言われる程度でしかなく、基礎ステータスがDに到達する事も無い事が多い、神々からは『使えない』だの『愛玩用』だのさんざんな評価をされており、オラリオにおいては扱いは基本的に良くない。

 古代においては周りが『不可能だし、一度失敗してるだろ』と小馬鹿にしていた二度目以降の『蓋』の作成に自ら協力を申し出て、一歩も引かず最前線にて戦い続け、その容姿からは考えられぬ程の戦果をあげていた。

 その騎士団は騎士団の創始者でもあり数々の偉業を成し遂げた『フィアナ』と言う人物を神格化して信仰する小人族達が集まり出来た『フィアナ騎士団』と言う名称であった。

 しかし神が地上に降りてきた際に『フィアナ? 誰それ? 女神? 何言ってんの?』と神々に小馬鹿にされた上、ステイタス的に『外れ種族』等と馬鹿にされる事となる。それが原因で他種族から『劣等種』等と言われるようになり、総じて卑屈な性格な者が多くなった。

 現代の小人族に対する評判は『使えない』だの『役立たず』だのと言った酷評が多い上、子供の様な容姿で毒を吐いたり卑屈であったりなど、他種族にとって苛立ちを感じる部分も多い所為か『生意気なクソ小人族(パルゥム)』等と罵られる事も多い。

 そんな状況でありながら、しかと名を馳せる事のある種族でもある。
 どんな逆境においても『進む意思』を忘れない。
 幼い容姿でありながら、劣ったステイタスでありながら、『生意気だ』等と罵られようと、止まる事だけはしようとせず、現状を打破しようと動き続けるその『意思』。
 その身に宿す『意思』はどんな種族においても存在しない『勇気』を示す種族であるとも言われている。


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『刻む覚悟』

 無様、ただ一言。

 あの白い狼人を評価したらそんな言葉しか出てこない。

 しかし、フレイヤ様は仰った。

『あの子は、貴方を超えるわよ? だって、あの子は()()()()()()()()()()()()()ではあるもの、そこらに転がる雑多な石ころではなく()()()()()()()

 頂に立つ己を下す存在。

 フレイヤ様が仰るからには、きっと、そうなのだろう。

 だが……あの、無様に逃げ惑うあの小娘が……本当にそうなのだろうか?

 疑問を覚える事すら不敬だ。

 ただ待つ。結末を……


 ダンジョン十一階層、霧の充満したルームの中でカエデは慎重に下の階層、十二階層へと続く通路へ向かっていた。

 

 元は十階層で探索していたが、敵対してきた【ハデス・ファミリア】の【縛鎖(ばくさ)】の計略でフィンとラウルから分断されて、なおかつジョゼットを呪詛(カース)の幻術で操って無力化された事で完全に孤立してしまったのだ。

 

 その際、霧の中より大柄な人物が『女神の試練』等と称して下に向かう様に指示してきた。

 

 その人物と自分の実力差からまともに戦うのは愚策と考え指示に従う事にしたのは良いのだが……

 

 当然の如くだが、道に迷った。

 

 頭の中に地形の地図は完璧に入っているとはいえ、十階層から直接下の階層に引き摺り込まれる結果となったが故に現在位置がさっぱりわからず、結果として迷子と言う状態になっている。

 

 何より致命的なのはこの階層に広がる霧の迷宮の悪意(ダンジョントラップ)である。

 

 霧の所為で視界が確保できず、モンスターを避ける事は出来ても、自分の現在位置を割り出せずにうろうろと壁沿いに動く羽目になっている。

 出来うる限り現在位置を把握しようと、頭の中で現在移動した地形の地図を作製しつつ、それを頭の中にある十一階層の地図と照らし合わせているが、どうにも上手くいかない。

 

 もしこのまま逃亡の意図ありと判断されて先程の大柄な人物に襲われる事になれば命が危うい。

 

 急ぎつつも慎重に、出来うる限り壁際を歩き地形の把握に努めるが、霧の中と言う悪条件、背後に潜む強大な敵と言うプレッシャーでいつも通りのポテンシャルが発揮できないのか、全く地形がかみ合わない。

 

 どうしようと一瞬足を止めてから、周りを見回すも、霧の所為でまったく見えず、右手側の壁だけが存在する以外には特に何かがある訳でも無い。

 

 そう考えつつも一応前進していると唐突に何かが転がる音が聞こえ、其方に注意を向けて霧の中を睨むがモンスターの気配は無い。だが断続的に何かを転がす音が聞こえる。

 小さな小石か何かを投げて転がす様な音……

 

 ――尻尾の先を掴まれた気がした。

 

 進め、そのまま。 戻れ、今すぐ。

 

 どちらの感覚も覚え、首を傾げてから、音のする方向に足を進める。

 

 モンスターの気配が遠くの方でするも、直ぐに掻き消える。まるで何かに包囲されていてその包囲している存在がモンスターを排除しているかのような感覚だ。

 

 霧の中から複数の視線を感じる。

 

 モンスターの様な害意と殺意を剥き出しにした様なモノでは無く、まるで観察するかのような不思議な視線。だが、決して友好的では無い視線だ。

 先程の大柄な人物から向けられた視線ともまた違うし、常々感じていた内を見通す視線とは別のモノである。

 

 一瞬、震えてから、もう一度音の鳴った方に足を進めて――下の階層へと通じる道を見つけて背筋が凍った。

 

 ――戻れ、直ぐに。危ないから。

 

 ――進め、今すぐ。死んでしまうから。

 

 背中を押され、尻尾を掴まれる。不思議な感覚だが息を飲んでから足を進める。

 

 戻ると言う選択肢は疾うの昔に消え去った。ここで背を向けた途端、ワタシは死ぬだろう。あの人物はきっと自分を殺す。それだけは理解できた。

 

 

 

 

 

 ダンジョン十二階層、十一階層より濃い霧が充満した階層であり、階層の作り自体は十一階層と同じだが、上層最難関とも言われる『トロール』が出現する階層であるが、そのモンスターの強さより濃霧の危険度の方がはるかに高い階層である。

 

 十二階層の地面を踏締め、周囲を見回せば、自身を中心に半径2~3M程度の周囲しか見えず、地面も2M以降は霧の所為で良く見えない。

 

 ――雨霧に包まれた森の中の情景が脳裏に浮かんだ。

 

 手が震え、思わずウィンドパイプの柄をがっしりと掴んだ。

 

 ――雨音が聞こえる気がする。

 

 ザーザーと、まるで全ての音を覆い隠す様な、激しい雨の音。

 

 雨なんて降っている訳がない。永雨領域(レインゾーン)と呼ばれる、迷宮内でありながら雨の様に天井から水が発生して地面がぬかるんでいると言う迷宮の悪意(ダンジョンギミック)も存在するらしいが、ソレがでてくるのは下層より下である。

 

 この階層を覆っているのは濃霧であり雨霧では無い。なのに、聞こえる気がするのだ。雨音が……

 

 頭を振って、その音を振り解こうとする。

 

 恐怖で足が竦みそうになっていると、また音が聞こえた。今度は後ろから。刃を擦り合わせる様な澄んだ音色だったが、あからさまに此方を威嚇している。早く進め、と。

 

 他の冒険者とすれ違い、助けを求め――無理だ。

 基本的に他ファミリアに対して救助行動をとるファミリアは居ない。ましてや今現在は【ハデス・ファミリア】と事を構えているさ中である。助けを求めればその相手のファミリアにも迷惑がかかるだろうし、もし助けてくれる人物が現れたとしても、半端な実力の場合は諸共あの大柄な人物に殺されかねない。

 

 震える体を押さえつけ、丹田の呼氣を意識して精神を落ち着ける。無意識の内だろう、丹田の呼氣が乱れていたらしく、意識して戻せばすぐに精神の乱れは収まった。

 

 落ち着いた所で十二階層の地図を頭の中で広げてから、細道に通じる道を確認しつつも足を進める。

 

 

 特に迷う事は無い。細道は直ぐに見つかった。

 

 道幅はおおよそ4M程度、高さも4~5M程度と低め……だと思われる。天井の鍾乳石の様なモノが薄らと見えているので多分その程度だと予測したが、実際のところは不明である。

 細道の奥に誰かいないか大声を上げて確認するべきだろうか?

 

 …………雨音に紛れて何かの物音がする。

 

 いや、雨音は只の幻聴だろう。頭を振って振り払おうとするも、どうにも上手くいかない。

 

 目を凝らし、細道を見つめるが、奥の方で何か大きなモノが暴れている音が薄らと聞こえてくるのみ。

 その音も次第に大きさを増す雨音にかき消されそうで、よく分らない。

 

 コンディションは最悪。

 

 濃霧で視界だけでなく、幻聴で聴覚まで潰されている。唯一の救いは嗅覚が生きている事ぐらいだろうか?

 これで霧が地上の霧と同じく臭いまで掻き消してしまっていたら手も足もでなかっただろう。

 

 気配を探る事もなんとかできなくはない。いざ足を踏み出そうとすると、背後から声をかけられた。

 

「逃げ出すと思ったが、成程、蛮勇に優れるか」

「ッ!?」

 

 慌てて振り向き様にウィンドパイプの切っ先を濃霧に向ける。濃霧で視界が悪いせいか、うっすらと人形の影が霧の中に浮かび上がっている。距離は3Mぐらいだろうか、その距離に近づかれていたのに、声をかけられるまで接近に気づけなかったことに驚きつつも足の震えを誤魔化すように問いかける。

 

「なんのようですか?」

 

「心配するな。攻撃はしない。この細道に入ったが最後……引き返せば殺す」

 

 なら、この場で逃亡、本拠である『黄昏の館』への帰還を望んだ場合はどうなるのか?

 

 そんな疑問が口から零れそうになるが、その問いかけをする事無く、鞘から解き放たれたウィンドパイプを一振るいして自身を鼓舞してから呟く。

 

「邪魔、しないでください」

 

 その言葉に、霧の中に影の身を映した人物は鼻で笑うと呟いた。

 

「良いだろう。進め、女神の試練がお前を待っている……もし、突破できたのなら……いや、今言うべきではないか」

 

 意味深に、言葉を切ると、その人物は他に何を言うでもなく踵を返して霧の中に完全に消えて行った。

 

 だが視線が消え去る事は無い。どこかで此方を見ている。

 

「『己に問いかけろ』」

 

 師の言葉を呟き、己自身に問いかける。これより至るは生死を賭した試練の場である。

 

 貫くべき信念はただ一つ。生き残り、寿命を手にする事。

 

 ――その信念に間違いは無いか?――

 

 あるはず等無い。迷う事等ありはしない。

 

「ワタシはまだ……」

 

 

 心の何処かで、座り込んだ自分が、目を閉じた。

 

 心の何処かで、鎖に繋がれた自分が、鼻で嗤っていた。

 

 ワタシは只、前だけを見つめた()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 細道の先、大きなルームになっている場所。

 近づくにつれ、隠しきれない大きな音と共に、冒険者たちの悲鳴が聞こえてきた。

 

「何でこんな事に」「逃げろーッ!!」「グァッ!?」「だれか、助け……」「ッ!!」「馬鹿野郎ッ!! 戻るんじゃ」「ゴバッ!?」「畜生ッ!! あいつら通路を()()()()()()()」「逃げ道がねえぞっ!!」「細道に逃げろ!!」「あそこに多人数で入ったらヤベェだろっ!!」「じゃあテメェらは此処で死んでろっ!!」

 

 罵倒、悲鳴、その中に混じった大きな咆哮が、迷宮全体に響くかのように振動を撒き散らす。

 

 踏締めている迷宮の床すらもビリビリと振動するような、恐ろしい咆哮。

 

 細道から出て直ぐの所で、カエデは反応する間も無く吹っ飛んできた何かに押し倒された。

 

「ッ!?」

 

 身を捻って衝撃を逃す暇も無く濃霧の中を凄まじい勢いで飛んできた()()に押し潰されかけ、一瞬意識が跳びかけるが、慌てて自分の上に覆いかぶさっている何かを押しのけた。

 

「ぐぁっ……畜生……こんな……所……で…………」

 

 押しのけた()()()が、呻き声を上げて、ゴボリと血泡を吹いて絶命した。

 

 ソレが何なのかを理解するより前に、自身の体についた鉄錆の臭いと、臓物の臭いに思わず吐き気を催して口元を押さえて後ずさる。

 

 後ずさろうとした足に何かが絡んでいるのに気が付いた。

 

 細長い、臓物の臭いがたっぷり染みついた細長くぶよぶよしたソレ。自身の足に絡んでいて、その細長いモノの先は、先程押しのけた()()に伸びている。

 

 臍から下を失った、エルフの青年の死体。

 

 防具はローブ……だったのだろうか? 強い衝撃で顔は見る影も無くへしゃげて判別できない。胸も、腹もべっこりと不自然に凹んでおり、割れた頭からは何かのぶよぶよしたモノがはみ出している。

 失われた下半身の部分から伸びた内臓が、自身の足に絡まっている。

 

 意識した瞬間、猛烈な吐き気を覚えて、嘔吐きかけた所で大きな悲鳴が聞こえて我を取り戻す。

 

 ――こんな所で吐いている暇は無い――

 

 自身の足に絡みついたソレを掴んで引っぺがしてから、直ぐにその死体から離れようとして、霧の中で赤い光が弾けたのが見えた。

 

 悲鳴、怒号、そして爆発音。ドカンと言う大きな爆発音と共に、霧の中から焦げた臭いを撒き散らす赤黒い肉片や、肉がこびりついた骨片等があちらこちらに飛び散るのが見えて、思わずその場に伏せる。

 

 飛び散った物体がナニなのかを意識するより前に、身を起こして一気に駆けだす。

 

 霧の中、聞こえる咆哮と冒険者の悲鳴から、その咆哮の主の正体を知り、今戦っている……いや、蹂躙されている冒険者の人数を割り出してから、カエデは震える足を必死に動かす。

 

 冒険者の人数はカエデがこのフロアに入ってきた段階で、多分12人。

 そして今現在動いている冒険者の数は8人だろう。

 

 このフロアに入ってからまだ10秒か20秒程度しか経っていない。しかし相手は桁違いの強さを持つ怪物である。

 冒険者を虐殺している化け物の正体。もう既に予測は出来ていた。

 

 上層で火を扱うモンスターなんて一匹しかいない。

 

 前の様に中層から放火魔(パスカヴィル)ことヘルハウンドが入り込んでいると言う方が何倍もマシ、どころか断言しても良い。この怪物と戦うぐらいならヘルハウンド10匹を相手にする方が楽だと言える。

 

 上層の『迷宮の孤王(モンスターレックス)』等とも称されるそのモンスターの名。

 

 『インファント・ドラゴン』だ……

 

 

 

 冒険者の悲鳴が次々に消えて行く。

 

 視界は僅か2~3M程度しか利かない濃霧の中。

 

 先程浴びた血や臓物の臭いで鼻まで潰されてまともに臭いも分らなくなり。

 

 ましてや幻聴の雨音が豪雨と呼べる段階にまで進んだ今。

 

 目、鼻、耳。三つが潰されて頼りになるのは僅かばかりの勘のみ。

 

 その勘も、尻尾を掴まれ、引っ張られ、引っこ抜かれそうな痛みを感じる程に暴れ狂っている。

 

 他の冒険者と合流し叩こうにも、声をかけても相手にされない。

 

 いや、此方に反応する余裕も無いらしい。

 

 完全に濃霧と『インファントドラゴン』と言う悪夢の様な組み合わせに混乱しつつあった冒険者達。そして次々と死ぬ仲間という状況に完全に錯乱しているらしい。

 

 逃げろと叫ぶ声。そして悲鳴。誰かの名前を叫ぶ少女の声が、次の瞬間には潰れた蛙を思わせる悲鳴を上げた後に、ズシャーっと何かを引き摺る音と共に、霧の中を凄まじい勢いで何かが吹き飛んでいく。その吹き飛ぶ何かは部屋中に血と臓物の臭いを撒き散らしてより鼻を潰してくれる。

 

 このルームにある出入り口、細道へと通じる通路を除けば他に二つあるはずなのに誰もそこから逃げようとしない。

 

 違う、正確には逃げられない……だ。

 

 カエデは敵が『インファントドラゴン』だと理解した時点で戦闘を放棄した。

 

 『インファントドラゴン』は上層における迷宮の孤王(モンスターレックス)とも呼ばれる事のある希少(レア)モンスターであり、ギルド推奨攻略レベルは三級(レベル2)が6人でパーティーを組む事が条件で、単独(ソロ)の場合は二級(レベル3)以上が推奨されているモンスターである。

 駆け出し(レベル1)では10人以上集まっても歯が立たない。

 

 そう、カエデがこのフロアに到着した時点で居た12人の冒険者達は殆どが駆け出し(レベル1)で、引率としてついてきていたらしい三級(レベル2)冒険者は既に死体になっているらしい。

 

 団長と叫びながら死体に縋り付いている冒険者が居たので危ないから離れろと声をかけようとしたが、それより前に尻尾を引っ張られた気がして思わずその人物を無視して横を走り抜ければ、背後で尻尾が振り下され、死体に縋り付いていた冒険者は見事に死体と一体化を果たしていた。

 

 身震いと共に二つある他の道に逃げようとしたのだが、向かった先では二人の冒険者が壁に……霧の中ではわかりにくいが天井が崩落したのか塞がった通路の石や岩を必死に退けているのが見え……尻尾が引っ張られた気がして、大きく飛び退いてそこから離れると、霧の中でも分る炎の熱がすぐそばを走り抜け、崩落した通路で逃げ道を確保しようとしていた冒険者二人が爆発の直撃で木端微塵になり、至近距離で爆発を喰らった自身も吹き飛ばされて地面を盛大に転がる羽目になった。

 爆風で吹き飛ばされた際に足を負傷したため、迷わず高位回復薬(ハイポーション)を口にしたが、気が付けば吹き飛ばされた拍子に回復薬(ポーション)の入った小瓶が割れたのか腰のポーションポーチから液体が染み出ていた。

 

 運が良いのか、割れたのは一本だけだったが。回復薬(ポーション)高位回復薬(ハイポーション)がそれぞれ一本ずつしか残っていない。

 

 そんな事を確認している間にも、不幸にもインファントドラゴンの突進を喰らったらしい冒険者が三人、いや一人が即死して二人が重傷を負ったらしい。

 

 豪雨の様な音で耳が潰されているはずなのに、微かな呻き声や助けを求める声が聞こえる。聞こえてしまう。

 

 近くで聞こえた助けを求める声に思わず、其方に近づいて直ぐに離れた。

 

 左足がまるまる失われ、右足もへしゃげていながらも、這いずりながら『万能薬(エリクサー)を……』と呻き声を上げながら、必死に他の冒険者の死体のポーチを漁っていた姿を見て、助けようがないと判断した。

 

 樽を思わせる大柄な体躯のドワーフの男性だった。カエデの筋力では引き摺って移動するのが精々。カエデが生き残っているのは一重に他の冒険者より目立たない様にただ只管に逃げ惑っていたからであり、高機動故に攻撃されても回避できていたからだ。だが、ここで重しでしかないドワーフの男性を助けようと思えば機動力はガタ落ちし、死に体の人物を引き摺っていれば否が応も無く目立ち、攻撃を誘発するだろう。そうなれば確実に死が待っている。

 

 ――見捨てた――そう言い換えても良い。

 

 この場で重要なのは自身が生き残る事である。

 

 細道、そこに逃げればその先に待つのはあの大柄な冒険者に抵抗を許されずに殺される未来しかない。

 

 他の二つの通路はまるで示し合わせたかのように天井が崩れて塞がっている。

 

 倒す? インファントドラゴンを?

 

 不可能である。

 

 霧の中、轟音と共に振るわれる尻尾の一撃が危うくかすめかけた際に、ウィンドパイプで斬りかかってみたがあっけなく弾かれてウィンドパイプは弾かれた衝撃と共に霧の中を吹っ飛んでいき、今現在、カエデの手元に存在するのは採取用のナイフと、投擲用ナイフのみであり、とてもあの鱗を傷付けられる様な武装は無い。

 

 落ちていた他の冒険者の武器を拾ったが、折れて柄だけになったモノ。カエデが取り扱うには大きすぎる斧、それから潰れた弓。後は魔法使い用らしい詠唱補助具の長杖ぐらいしかなかった。

 

 先程の爆発で運良く天井が崩落して通行不能になった通路が通行可能になっていないか期待したが、ダメだった……

 

 そんな事を思っている間に、生き残っている冒険者は自分を含め6人になったらしい。

 

 回避と隠密を心掛けつつ、目も鼻も耳も潰された状態で何とか生き残っているカエデは荒い息を吐きながら壁際に走る。自然と、フロアの外周を一周してしまったらしく近くに細道へと通じる道が見えて思わず足を止めた。

 

 こっちには進めない。

 部屋の中央では二人の冒険者が上手く立ち回っているらしい……が、長くは持たないだろう。

 

 そう思っていると霧の中から三人組の冒険者が走り出て来た。

 

 ライトベストを身に纏ったエルフに、へしゃげた斧を担いだドワーフ。両手にナイフを持ったキャットピープルの三人組。こちらを確認すると同時に、ドワーフが眉を顰め、エルフが舌打ちし、キャットピープルが足を止めた。

 

「「「「…………」」」」

 

 唐突な出会いに互いに足を止め、カエデはどうするか考えようと、駆けずり回り続けた事で半ば酸欠気味に陥って揺れる視界の中、キャットピープルがごく自然な動作で近付いてきたのを見て首を傾げる。

 

「君、怪我してる? 大丈夫?」

 

 そう言いながら、既に手の届く範囲に近づいてきたキャットピープルの女性は唐突に此方の肩を掴むと顔を近づけてきた。

 

「ちょーっと悪いんだけどねぇ……細道(こっち)に来られると困るんだよねぇ」

 

 それは知っている。この三人がもし細道に入った後に、自分もその細道に侵入した場合、挟まれるように怪物の宴(モンスターパーティー)が発生して全滅しかねない。ましてや今の自分はウィンドパイプすら失って攻撃能力が激減している。突破も難しいだろう。

 

 そう思っていると、尻尾を掴まれた気がして思わずその女性の手を振り払って後ろに倒れ込む。

 

 気がつけばカエデの太ももの辺りにナイフが刺さっている。その女性の持っていたナイフの一本が自身の足に刺さっているのを見て、思わず呻き声を上げる。

 

「悪いわね、細道(こっち)に進んで来たら、アンタ殺すから。それじゃ、行きましょ」

「おい、ガキだろ……」「流石にやり過ぎなんじゃ」

「じゃああんた等、この子の代りに此処に残れば?」

 

 冷徹な瞳で此方を見下ろすキャットピープルの女性に思わず背筋が震え、後ろの二人が霧の中で逡巡しているらしい。自分はとりあえず足に刺さったナイフを引き抜いてキャットピープルに投げ渡す。

 

「返します」

「……チッ、ここで殺しておくべき……いや、無いね。流石に殺したら言い訳出来ないし。足止めならまだしもね」

 

 舌打ち、それからしゃがんで再度、顔を近づけるとナイフを首に押し当てながらキャットピープルの女性は口をひらいた。

 

「あんた、この道は使うな。アタシ等三人で使うから他を当たりな。もしくは五分待ちな。アタシ等の足なら五分かからないからね。それまでここに居な」

 

 脅してくるキャットピープルの女性に、頷いておく。

 

 どの道、細道を使って逃げる事は出来ない。待ち伏せされているのだから。

 

「良い子だね」

 

 皮肉気に嗤うと、その女性はさっと立ち上がって細道の中へ走って行ってしまった。

 残った二人の内、エルフの男性が此方に近づいてきたので警戒するが、その男性はポーチから回復薬(ポーション)の小瓶を取り出すと投げ渡してきた。

 なんとか受け取って見上げれば、エルフは軽く頭を下げてそのまま細道に入って行った。

 ドワーフは鼻息一つ漏らすと「悪いな」とだけ言って走っていく。

 

 それを見送ってから回復薬(ポーション)の蓋を空けて中身を飲もうとして。舌先に痺れを感じて直ぐに回復薬(ポーション)を吐き出して自身の回復薬(ポーション)を取り出して飲んだ。

 

 わざわざ毒薬で此方を痺れさせてモンスターに殺させる事で、今回の攻撃行動を隠滅するつもりだったのだろう。頭が良いと言うか、狡賢いと言うか。

 自身の手で殺したわけではないので相手取る神次第だが、上手く言い逃れが可能だろう。

 ともかく被害はそう大きくない所か、かなり効力が薄いモノなのか舌先が痺れて味覚が麻痺したぐらいの被害で済んだ。

 

 これで視覚、聴覚、嗅覚に続いて味覚まで潰されて、五感の内四つがダメになっている現状に思わず笑いが零れた。

 

 ――何をやってるんだろう?――

 

 そんな疑問を覚えつつも立ち上がってウィンドパイプを探そうともう一度歩き出そうとすると、霧の中から凄い勢いで男の人が走ってきた。

 

「子供ッ!? ここで何して……いや良い、お前も早く逃げろッ!!」

 

 此方の事を心配してくれているのか、この状況であっても逃げろと勧めてくる余裕があるのか……わからないが。その人物は悪い人ではないのだろう。だが、止める間も無く細道に入って行ってしまった。

 

 まだ五分所か一分もたっていない。

 

 その男の人が走って入って行った直後、細道の方からひび割れる音が連続で響く……

 

 怪物の宴(モンスターパーティー)だ……

 

 何度かモンスターの発生は見て来たが、今聞こえる音はそんな生易しいモノでは無い。

 十? 二十? もっと、もっとたくさん。

 

 数えきれないほどのモンスターが霧の中、細道の壁から産まれ、そして細道へ走っていく。

 

 遠くの方で悲鳴と怒声が聞こえた。『あの糞ガキッ』等と言うキャットピープルの怒声だ。

 

 豪雨ともとれる雨音は、いつの間にか消えていた。

 

 細道からフロアにモンスターがやってくる事は無いだろう。

 

 インファントドラゴンと言う脅威が居る以上、モンスターも容易に近づいてこない。

 

 ゆっくりと息を整えて、投げナイフを握りこむ。

 

 逃げ場は無い。時間稼ぎはこれ以上不可能。

 

 ならばやる事は?

 

 ――――戦え……死にたくなければ――――

 

 覚悟を、心に刻め。

 

 もう逃げるのはお終いだ。

 

 どうにかウィンドパイプを探し出す。そしてインファントドラゴンを仕留める。

 

 ――――不可能か?――――

 

 出来ない。

 

 ――――なら死ぬだけだ――――

 

 死にたくない。

 

 ――――なら――――

 

 足掻く(生きる)だけ。




 アマゾネスも怖い種族だよなぁ……他の種族駆逐する特性持ってるもん。

 モチベガン下がりですなぁ……お気に入り3000下回ったりしましたし。
 ふぅむ……うむむ……うむ? まぁ、良いか。良くないけど(震え声)




『アマゾネス』
 褐色の肌の女性のみの種族であり、全てのアマゾネスが高い戦闘技術を持つ事でも有名。どの種族とも子供をもうけることができるが、生まれる子供は必ずアマゾネスになる。裸身を見られても恥ずかしがることはなく、露出の高い服を好む傾向にある。

 基本的にアマゾネスは強い雄を好み、その雄の子を産む事を望む。しかし優れた雄を求めてアマゾネス同士が殺し合いに発展する事も多く、種族総じて血生臭い種族でもあった。

 ステイタス的には『力』の一点特化。と言われるほどに『力』が馬鹿げた勢いで上昇する。ついでに習得するスキルは『力』を上昇させるモノばかりであり、『力』がほぼ確実に限界突破(オーバーリミット)する種族として有名。
 それ所か、欠点らしい欠点は『魔力』が伸びず魔法が殆ど使えない事位である事以外は、総じて高いステイタスを誇る。だけではなく戦闘技術も高いが故に凄まじい活躍をして見せる種族であり、神々からの人気も高い。


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『牙』

『ベートもう少しトラブル控えて欲しいなーなんてウチ思うんやけどなー』

『五月蠅ぇよ、俺が何しようが俺の勝手だろうが』

『ふぅん……それで、今回は()()()()怒ったんだい?』

『五月蠅ぇっつってんだろ。聞こえなかったのかよ』

『素直じゃないな』

『んだとババア』

『まぁ、落ち着け。とりあえずギルドで罰則依頼を受けて来い……話はそれからだ』

『チッ』


 苛立ちを発散すべく繰り出したただの前蹴りは、反応する間も与えずに狙った対象の胴体部分に直撃し、内臓やら何やらをぶちまけながら真っ二つになって吹っ飛んでいく。

 そんなヘルハウンドの事を苛立たしげに睨みつけながら、ベートは悪態をついた。

 

「クソが……何で俺が」

 

 【凶狼(ヴァナルガンド)】ベート・ローガは今現在、ギルドからの冒険者依頼(クエスト)の消化の為にダンジョンに足を運んでいた。

 

 冒険者依頼(クエスト)の内容は『十八階層リヴィラの街への物資の輸送』である。

 

 本来なら準一級(レベル4)冒険者であるベートが受ける事は絶対に無い様な依頼であり、報酬も依頼された物資の輸送程度なんぞの報酬金なんてたかが知れている。

 何故そんな依頼を受ける事になったのかと言えば、ギルド側からの罰則依頼と言う形で強制受託させられたのである。

 

 そんな苛立ちを、物資の受け渡しが完了してから地上に依頼達成の報告に向かう途中に出会うモンスターを片っ端から魔石を砕いて潰す事で発散しようとしているが、ヘルハウンドを見る度に余計な苛立ちが募り、結果的に苛立ちの発散どころか逆に苛立ちが加速すると言う逆効果に至っている。

 

 他のダンジョンのドロップ品収集の依頼があったらそちらをやっていただろう。

 

 だが生憎とドロップ品収集系の依頼は全て【ガネーシャ・ファミリア】が片付けており、オラリオ近場の盗賊討伐やモンスター討伐等の討伐依頼は【酒乱群狼(スォームアジテイター)】が片っ端から受けては掃滅していたらしく、一つも存在しなかった。

 唯一あったのは今ベートが完了してきた『十八階層リヴィラの街への物資の輸送』と、オラリオから一ヶ月近くかかる離れた町の『オーク討伐依頼』だけである。

 

 『オーク討伐依頼』は、前任の【酒乱群狼(スォームアジテイター)】が『ゴブリン討滅依頼』として受託していた依頼だったが、実際のモンスターがオークであった為に【酒乱群狼(スォームアジテイター)】が依頼主を惨殺した挙句にモンスターには手をつけずにギルドに押しかけてブチギレてギルド職員数人とギルド長を半殺しにすると言う惨劇を生み出した依頼の成れの果てだとかどうとか。

 

 無論、冒険者のベートが本気で走り抜ければ一週間かからずに行って帰って来れるが、一週間も迷宮に潜らず走り続けて、経験値にもならない雑魚をわざわざ探し回って蹴り潰してくるなんて面倒過ぎる。しかも討伐証として魔石ではなくオークの鼻を切り取って来ないといけないなんて面倒にも程がある。

 

 それなら半日程度で走り抜けられる輸送依頼を受ける方がまだマシだと判断した訳であるが、依頼主はリヴィラの街を取り仕切っているボールス・エルダーだったらしく、顔を合わせた瞬間に苦虫を噛み潰した様な表情で『なんで上級冒険者がこんな依頼なんかを……』と悪態をついてきたのだ。

 

 どうせ、自分よりレベルが下の冒険者だったらいちゃもんをつけて依頼料を減らす積りだったのだろう。思いっきり睨みつけてやれば黙って依頼の達成証を渡してきた。

 

 苛立ちの原因は様々だが、苛立ちをぶつけられるモンスターには堪ったものでは無いのだろう。

 

 まぁ、苛立ちをそのまま殺気として振り撒いているので、不用意に近づいたモンスター側に問題があるのだが。

 

 ……モンスターが反応出来ない速度で高速接近して辻斬りならぬ辻蹴りをしているので、モンスター側の非を問えるかどうかは賛否分れそうではあるのだが。

 

 そんな苛立ちを群れていたヘルハウンドを蹴り潰して、ベートは十二階層に通じる通路の先を見据えて唾を吐き捨てる。

 

「面倒臭ぇな」

 

 ベートの視線の先には不自然な境界線を生み出す白い濃霧が存在した。

 

 その中では全く視線が通らないと言う面倒な迷宮の悪意(ダンジョントラップ)がベートの行く先に揺蕩っている。

 

 可能なら蹴り飛ばしたい所ではあるが、この濃霧はどう足掻こうが消し去る事は出来やしない。

 

 同じファミリアに所属する【魔弓の射手】なんかは透視能力(ペセプション)等でこの霧の中でも普通に視認できるらしいが、ベートはそう言った特殊なスキルは持っていない。

 

 基本的に狼人(ウェアウルフ)が取得するスキルしか持っていない以上、この霧はベートにとって苛立ちの対象にしかならない。

 

 準一(レベル4)冒険者と言うのは伊達では無いので、上層と中層は目を瞑っていても余裕と言えるのだが面倒な事に変わりない。

 

「……チッ、皮と牙か……まぁ、要らねぇな」

 

 何かが転がる小さな音を捕えたベートが霧から視線を外して先程蹴り潰したヘルハウンドの方を見れば、ちんけな牙と、蹴った時に裂けた皮がドロップしているのが見えた。

 

 必要ないと判断してその場に放置して霧の中に足を踏み出す。

 

 もしほかの冒険者が見つければ勝手に拾ってくだろうし、見つけられなければそのまま迷宮に呑まれるだけである。ゴミ掃除の必要が無いのでこの迷宮は非常に便利と言えば便利だろう。

 

 霧の中に一歩踏み出してベートは舌打ちをしてから頭の中で地図を広げる。

 

 霧の迷宮の悪意(ダンジョントラップ)の関係で、十一階層、十二階層は地図が完璧に埋まっている訳では無い。

 

 特に十二階層なんて霧の所為で迷って行方不明になる事も珍しくは無い。まぁ、そう言う場合は透視能力(ペセプション)を持つ冒険者を雇って捜索されるのだが……

 

 そんな十二階層と十一階層の地図を頭の中で広げながら足を進めつつ、帰り道をどうするか考えようとして、考える間も無く近道を選ぶ。

 

 最短ルートには『罠の細道』が存在するが、あそこは四人以上の人が同時に侵入すると通路の前後からモンスターが湧く細道である。基本的にパーティーは使用しないが、四人未満のパーティーが利用する通路である。後はベートの様にソロで活動している冒険者等か……

 もしくは四人以上でもあらかじめ湧かせて潰しておけば一定時間は四人以上で侵入してもモンスターが湧かなくなるので【ロキ・ファミリア】の長期遠征などを行う場合は事前に()()しておいて大人数で利用する事もある。

 時折ではあるが通路の前後から同時に二つのパーティーが侵入して意図せず発生させると言う事故が発生する場所でもあるので、ベートが侵入した際に反対側から三人以上が侵入してくれば意図せず罠を発動させることになるだろうが、出てくるモンスターなんぞ上層の雑魚である。迷宮の孤王(モンスターレックス)と呼ばれる事も有るインファントドラゴンならまだしも、只の雑魚なら全部潰す事が出来るし、反対から入ってきた冒険者から文句を言われようが、そう言った()()が起きる事も有ると言う事を理解しながらも侵入した()()()()である。ベートの知った事ではない。

 

 そんな風に考えながらも駆け足気味に濃霧の中を走り抜ける。

 

 何より面倒なのは霧の所為で速度が出せない事である。まぁ、自身の速力で壁にぶち当たった所で耐久的に致命傷にはならないだろうが、苛立つ事に変わりは無い。

 

 駆け足気味とはいえ駆け出し(レベル1)冒険者が見れば『それが駆け足なのか』と驚愕すべき速度で走るベートの耳に、遠くの方から聞いた事のある咆哮が聞こえてきた。

 

「ケッ、インファントドラゴンかよ……」

 

 聞こえてきた咆哮、竜種特有の振動を伴ったその咆哮が聞こえてきたのはベートが向かう細道の方からである。

 

 少し不自然さを感じさせる音ではあったが、その咆哮は間違いなくインファントドラゴンのモノであると断言できる。

 

 音を良く聞けば、くぐもってはいるが冒険者と戦っているらしい音だと確認でき、ベートは眉を顰めた。

 

 今朝早くにわざわざ挨拶をしていたカエデの姿が脳裏に過るが、アイツが潜るのはせいぜいが十階層だろう。流石に濃霧の迷宮の悪意(ダンジョントラップ)の所為で危険度が跳ね上がるこの階層にまでフィンがカエデを連れ込む理由は無い。

 

 爆発音と共に微かに冒険者の悲鳴が聞こえ、一度ベートは足を止めた。

 

「チッ」

 

 このまま進めば、間違いなく見たくも無い景色を見る事になるだろう。一瞬、脳裏を過ったのはベートの部族の末路。頬に刻まれた『牙』を意味する刺青を撫でてから眉を顰めて踵を返そうとする。

 

 『牙』の刺青を刻んだベートの部族、放浪の獣人部族『平原の獣民』。

 

 周りの他の狼人の部族からは『変わり者の集まり』と言う目で見られていた部族であった。

 

 狼人の中で『白毛の狼人』は『白き禍憑き』等と呼ばれて迫害されており、自らの部族で白毛の狼人が産まれようモノなら、その日の内に殺されて居なかった事にするのが普通なのだ。

 

 だが『平原の獣民』の中では白毛は迫害の対象では無かった。特別扱いされる事もないが普通に群れの仲間として扱われていたのだ。それが他の狼人の部族から『変わり者の集まり』等と呼ばれていた所以でもある。

 

 ――『牙』の刺青――

 

 ベートの部族の中で強さを認められた戦士に刻まれる『牙』の刺青。

 

 過去、古代よりはるか以前、狼人同士の部族争いのさ中、『黒き巨狼』と言う部族が引き連れていた『白牙』と言う白毛の個体。

 狼人の部族同士の争い、その中で猛威を振るったのはその『白牙』と言う個体だった。

 

 黒毛に蒼眼の狼人の集団にたった一匹だけ白毛に紅眼の狼人が交じっている。異質なその光景に、殆どの部族は首を傾げた。そんな中『白牙』は、部族争いの中で『黒き巨狼』の部族に手を出した部族を片っ端から虐殺しはじめたのだ。

 ソレを目にした他の狼人の部族はアレを仕留めれば名をあげられるのではと次々に『白牙』に挑みかかり……ひとつ残らず壊滅した。

 

 たった一匹、血に塗れて佇むその『白牙』に殆どの狼人は畏れを抱いた。本能に刻まれる程の畏怖を振り撒いた『白牙』と言う存在によって、狼人達の中で『白毛』は恐怖の対象となり、自らの部族に生まれ落ちれば殺してしまうと言う凶行に走らせる事となる。

 

 そんな中、一部の部族はその『白牙』に憧憬を抱いた。

 

 そんな『白牙』に憧れ、同じ強さを求めた部族が長い時を経て尚、その話を伝承と言う形で残していたのが『平原の獣民』であり、ベートの部族でもあった。

 

 ベートも幼い頃に伝承として話に聞いた『黒き巨狼』と『白牙』の伝承。『牙』の刺青を授かる際に聞かされた『弱肉強食』の理論。

 

 『白牙』は『平原の獣民』の抱く『弱肉強食』の理論の中でも『絶対強者』として君臨していたモノである。

 

 他の狼人の部族はその『白牙』の伝承を忘れ去り、残ったのは『白毛』に対する迫害心のみになってしまっている。

 

 ベートの父親はそんな他の狼人の部族を『恐怖に打ち勝てなかった弱者』と笑っていたが……

 

 其の末路はあっけないモノで、より強いモノに全てを蹂躙されると言うまさに『弱肉強食』の理論そのままであった訳だが。

 

 

 

「面倒くせぇな」

 

 踵を返そうとしていた足を止め、悲鳴が聞こえなくなり。時折インファントドラゴンの暴れる音だけが聞こえる様になった通路の先を振り返ってから、悪態をついてから別の近道へと走り出した。

 

 

 

 ベートがギルドから罰則を喰らう原因は、他の狼人を道端で半殺しにした事が原因である。

 

 オラリオに出て来たばかりの駆け出し(レベル1)ですらない、冒険者志望のファミリアに未所属の狼人の少年が道端でベートに声をかけて来たのが始まりである。

 

 その狼人の少年は、オラリオでも有名である【凶狼(ヴァナルガンド)】を見て声をかけてきたのだ。『憧れてます』と、それに対しベートは無視した。

 少年はあからさまに無視された事に落胆した様子でベートから離れようとしたのだが、真昼間から酒盛りをして酔っていたらしい狼人の中年の冒険者がその少年を呼び止めて大声で【ロキ・ファミリア】を貶す事を口にした。

 

 ……正確にはカエデ・ハバリを貶す事を、である。

 

『あそこのファミリアは白い禍憑きを眷属にした所だから行かない方が正解だぜ』『聞いたか? あの白い禍憑きが初めてダンジョンに来た時にソイツが入ってすぐ、他の新米冒険者が入口で重症負ったらしいぜ』『やっぱ禍憑きなんかに関わるべきじゃねえよな』『あの【ロキ・ファミリア】も禍憑きなんて所属しちまったんだ、直ぐに落ちぶれるさ』『実際、最近怪我人が増えてるじゃねぇか』『盗賊も惨殺されてるみたいだしよ、冒険者も何人も惨殺されてるみたいだぜ?』『白い禍憑きがオラリオに来てから良い話なんて一個もねぇしよ』『お前も白いのには気をつけろよ。関わる所か近づくだけで危ないぜ?』

 

 その狼人の冒険者の声は、大きく聞こえた。正しく言うならあからさまに【ロキ・ファミリア】に対して挑発的な言動をしているのを聞いた周りの人達がこれから起きる惨劇を察してそそくさと逃げ出した所為でその狼人の冒険者と少年のみが残されていただけだが。

 

 少年は驚きの表情と共に『白い禍憑きが所属? そのファミリアって頭おかしいんじゃ……』と口にした。

 

 それを聞いたベートはその二人に殺気を向けて黙れと言ったが、冒険者は酔っていたのか鼻で笑い、少年も『禍憑きなんて所属してるんですか?』と質問してきた。苛立ちが募ったベートは冒険者と少年を殴り飛ばした。

 

 冒険者の方は酒に酔っていたと言う事と、所属していたファミリアの主神がロキに土下座しに来て赦しを乞うたが、問題は無所属だった少年の方である。

 

 如何なる理由があれ、無所属に手を出したベートに非があるとギルドからの厳重注意と罰則が科せられる事になった。

 ロキはこれに対して『喧嘩売ってきたんはその少年(ガキ)やろ。なんでベートに罰則があるんや』といちゃもんをつけたが、ベートは常々オラリオ内で問題を起こす事が多く、何度もギルドが見逃してきたがこれ以上は無理だから一応罰則だけは受けてくれとの事で、ロキもベートが普段からトラブルを起こしている事を理解していた為にベートの罰則を受け入れたと言う形に収まった。

 

 その後の話は簡単でどちらか、オラリオ遠方の討伐依頼かダンジョン内の雑務依頼かのどちらかを選べと言われ、仕方なく雑務の方を選んだのだが……

 

 荷物を届けた帰りに希少(レア)モンスターと出会った。それだけなら運が良いとドロップアイテム狙いでインファントドラゴンを倒しに行く事も考えたが、他の冒険者が戦っているのなら話は別だ。

 横取りなんぞとケチつけられたくは無いし、その場に居合わせていた所為で『なんで助けてくれなかったんだ』等と自分勝手な文句を言ってくる冒険者も居なくはないので関わり合いになりたくないのだ。

 

 そんな事を考えながら駆け足で進んでいると、霧の中から声が聞こえ、思わず足を止めた。

 

「クソッ、あの白い狼人、十二階層に下りやがった。ここだと濃霧で面倒くせぇしよ」

「さっき、馬鹿が細道の罠発動させてやがったぞ」

「マジかよ、白い狼人に関わると碌な事無いって噂、マジなんだな」

「つか、マジで下りたのか?」

「あぁ、さっさと見つけて捕まえねぇと、【勇者(ブレイバー)】の足止めももう限界っぽいし、既にイサルコさんが捕まっちまってるからヤバイぞ」

「クソっ、霧の所為で見えやしねえ……【魔弓の射手】をどうにかこっちに引き込めてりゃこんな事にもなんなかったのによ」

「つってもイサルコさんの魔法、地味に使い勝手が悪いじゃんか」

 

 ベートは白い狼人と言う単語に反応し、その会話が聞こえた方向に無言で足を進める。

 

 距離的に同じフロア内に居る形だろうが、相手は此方に気が付いていない様子である。ジョゼットの様に透視能力(ペセプション)を持っていないらしい。

 

 もう直ぐ声の主の姿が見えるだろうと言う至近距離に近づいた辺りでベートは口を開いた。

 

「オイ、其処の雑魚二人」

「っ!?」「誰だっ!!」

 

 反応したのか剣を抜く音が聞こえ、ベートは相手に軽く殺気を向けつつ視認できる距離に近づいた。

 

「白い狼人ってのは誰の事だ?」

「げっ!? 【凶狼(ヴァナルガンド)】ッ!?」

「誰だソイツ」

 

 霧の中で話し込んで居たのはどうやら赤毛の狼人と、茶髪のヒューマンの二人組だった。

 同じ白を基調とした装束の様なモノに身を包み、フードを外している様子で二人の顔を見てベートは内心鼻で笑った。

 

 少なくともベートが名前や容姿を覚えていない以上、只の雑魚でしかないのは確定である。三級(レベル2)ともなれば微妙だが、二級(レベル3)ぐらいであれば特徴から名前ぐらいは思い出せるはずである。

 しかしその二人の特徴は何処の誰にも引っ掛かる訳でも無い。つまりベートが覚える必要性すら感じなかった三級(レベル2)の雑魚か、三級(レベル2)ですらない雑魚でしかない。

 

 感じる雰囲気からも自身よりも強いとは微塵も思えない程度でしかない。

 

「【凶狼(ヴァナルガンド)】……ってもしかして【ロキ・ファミリア】のっ!?」

「そうだよ、糞っ。こんな所で準一級(レベル4)冒険者なんて冗談じゃねぇぞ」

 

 二人して踵を返して逃げ出そうとしたのを見て、ベートは一気に殺気を強める。

 

 只それだけなのに二人は足を止め、その場でガタガタと震え始めた。ソレを見てただの雑魚かと鼻で笑ってからベートは口を開いた。

 

「おい、白い狼人ってのは誰の事だ?」

「おっオマエには関係ないっ……こっこの件は俺達のファミリ……ファミリアの……問題で」

「おい、そっちの雑魚は」

 

 震えながらもなんとか口を開いた赤毛の狼人を睨んで黙らせてから、もう一人のヒューマンに声をかける。

 

「っ!! さぁっ……俺は何もっ!?!?」

「さっさと教えろっつって……くっそ、気絶しやがった」

 

 殺気を強めれば、ヒューマンの方がぶくぶくと泡を吹き始め、パタリと倒れてしまった。

 その倒れたヒューマンの頭を爪先で小突くも反応が無い。

 仕方が無く赤毛の狼人の方に視線を向け、睨む。

 

「んで、白毛の狼人ってのは誰の事だ? 答える気がねえなら……分ってんだろォな?」

「ひぃっ!? まっ、待ってくれ!! 主神の指示なんだっ!!」

 

 目の前の鼻先を掠るように蹴りを繰り出してみれば、酷く脅えた様子で震えだし、そのままペラペラと事の概要を話しだしたのを見てベートは眉間に皺を寄せた。

 

 

 二週間程前にオラリオに罪人になる可能性のある子がやってきたと主神が呟き。【監視者】が監視を行っていたが、途中で【幸運の招き猫(ハッピーキャット)】の妨害に遭い断念。

 その後はその子は何処のファミリアにも受け入れられず何処かで野垂れ死にするだろうと判断され放置される事になったが、一週間ほどしてからダンジョンに例の子が潜り始めたと言う噂を聞き調査を行えばその子がダンジョンで経験値を稼ぐべく戦っている姿を確認し、主神が直ぐに止めさせろと指示をだした。

 しかし所属しているファミリアが探索系ファミリアの最強の片割れ【ロキ・ファミリア】である事が発覚し、真正面から白毛の狼人をファミリアから追い出せと言った所で聞いてもらえないと判断し、半ば強引に攫って時が来た後に処刑する事に決定。

 団長の【処刑人(ディミオス)】が中心となって白毛の狼人の強奪作戦を立案し、今現在その作戦中だと言う。

 【処刑人(ディミオス)】と主力が【勇者(ブレイバー)】と【超凡夫(ハイ・ノービス)】を足止めし、【魔弓の射手】と白い狼人を引き剥がし。更にそこから【魔弓の射手】を【縛鎖(ばくさ)】の呪詛(カース)で操り、目的の人物のみを攫って離脱。ついでに幻術で別のファミリアの所為であると誤認させる事で発覚までの時間稼ぎをする積りだった。

 

 しかし、幼いはずの白毛の狼人が、駆け出し(レベル1)とは言え冒険者歴5年以上のベテラン二人がかりで挑んでも手も足もでず、【縛鎖(ばくさ)】イサルコも同時に挑みかかるも三人を手玉にとって反撃までしてきたため、イサルコの指示で撤退。

 

 【魔弓の射手】に対する幻術を変更し、白毛の狼人を半殺しにしてもらおうとするも、思い通りに動かずにイサルコが捕獲されてそのまま離脱されてしまう。残った白毛の狼人を襲撃しようか迷ったが、唐突に現れた怪しい巨大な影が白毛の狼人に『十二階層に行け』の様な事を指示してその後此方に襲い掛かってきてほんの少しの間気絶していたので慌てて十二階層で白毛の狼人の捜索を行っていたらしい。

 

 そこでベートと鉢合わせして……

 

「成る程、テメェら【ロキ・ファミリア(おれら)】に喧嘩売ったって事か」

「ヒィッ!? まっ、待ってくれ、俺は団長の指示に従っただけでヘグッ!?」

 

 言い訳がましくきゃんきゃん吼えようとした狼人の腹に一撃叩き込めば、呆気無く気絶して倒れて動かなくなった。ソレを見てからベートは一気に走り出す。

 

 放置した二人がモンスターに襲われようがどうなろうがもうベートとは関係ない。わざわざ敵対者を助ける義理なんてありはしないのだから。

 

 それよりも問題はカエデの事である。

 二人の話が正しければこの階層に来ている可能性が高い。

 そして大柄な影、団長並の身長の大柄な奴だったと言う謎の人物。

 

 誰かなんて知りはしないがまともな奴じゃないだろう。

 

 その指示通りにカエデが動いている可能性は低いが。もし本当にこの階層に来ているのなら……

 

 あのインファントドラゴンと戦っていた人物が誰かなんて気にも留めなかった。

 

 可能性は低いだろうが、もしカエデであるのなら……助けないとまずい。

 

 鍛錬の様子を見るにカエデは相当強い。だが、主にゴブリンを相手にしていたか、人間相手の鍛錬だったらしく、大型の相手との戦闘経験は少なそうではあった。

 

 インファントドラゴンはオークなんかよりよっぽど大型で、なおかつ竜種である。

 

 人型の相手しかしてきていないカエデには荷が重い所の話ではないだろう。

 

 二度目、とは言え今回は組織だった妨害なのでフィンとジョゼットを責めるのは酷だろうが、それでも二人を殴り飛ばしたいと思った。

 

 

 走りながら一気に駆けて行けば、直ぐに先程ベートが引き返した場所へと戻ってきた。

 

 もう既に音は何も聞こえない。実はカエデはあそこに居ないのでは? もしかしたらフィンやラウルとどうにか合流しているのでは?

 

 一瞬だけ希望的観測をしてみるも、直ぐに打ち消す。

 

 希望的観測して助かるのならいくらでもしてやる。そんなのしてたって助かりゃしないし、助けられもしない。

 だからこそ強くなりたいと思ったし、()()()()()()()()()()()()()()()なんて近くに居るだけでも不愉快なのだ。 




モチベ回復の為に少し書きたい話を書きました。つまり遠回りしたって事だよ……
 割と悪いと思ってる。カエデちゃんの活躍が見たかったんだよね? 皆。

 ……ごめん、本音はこっち。戦闘描写難しすぎて難航中なんだ(震え声)


 オラリオ・ラプソティア?始めました。
 一番好きなのはギタ・マイヤーズです。あの子可愛いですね。
 ベルくん、ヘスティア、アイズさんの三人はSSRゲットしましたが……
 原作キャラのSSRばっか出る癖に、ギタさん所か他のラプソティアのキャラはイベントで手に入れたSR以外持ってないって言う……ちょっとガチャ率渋すぎない?

 ギタさんのSRほすぃ……

 後、レオって女の子なんですね。唯一の男キャラかと思ってました(驚愕)



『獣人』
 獣の様な特色が体に現れた種族。獣の種類に応じて能力や性格等が違い、ヒューマンに比べて身体能力が高めである。どの種族も五感に優れており、ヒューマンに比べて冒険者としてかなり活躍しやすい種族。神々にも人気が高くどのファミリアでも歓迎される。

 犬人(シアンスロープ)猫人(キャットピープル)牛人(カウズ)猪人(ボアズ)狼人(ウェアウルフ)狐人(ルナール)狸人(ラクーン)羊人(ムートン)兎人(ラパン)虎人(ワータイガー)等、その種類はかなりの数に上る。

 代表的なのは『犬人(シアンスロープ)』と『猫人(キャットピープル)』、『狼人(ウェアウルフ)』の三種族であろう。

 他人の援護をするのに適したスキルや能力を持つ『犬人(シアンスロープ)

 特殊系のスキル発現率が高い上、対迷宮の悪意(ダンジョントラップ)種族とも言われる『猫人(キャットピープル)

 身体能力の高さ、優れた戦闘能力、五感にも優れる戦闘種族にも数えられる『狼人(ウェアウルフ)

 この三つが主にオラリオで活躍している。

 オラリオ最強(レベル7)の【猛者(おうじゃ)】オッタルによって『猪人(ボアズ)』もそれなりに有名ではあるが、上記三種族程数が居るわけでは無い。

 希少(レア)種族の狐人(ルナール)はそもそもオラリオにおいてもごく少数、両手で数えれれる程度の人数が居るかいないかであり見かける事は少ない。

 性格が戦闘に向かない種族の羊人(ムートン)兎人(ラパン)牛人(カウズ)等は冒険者として名を馳せる者は少ない。


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『烈火の如く』

『やり過ぎたかしら……でも、とっても綺麗だったわ』

『目を閉じていても見えるぐらいの極光』

『おめでとう、貴女の事を愛してあげるわ』

『素敵……とっても素敵……だからこそ残念だわ』

『貴女は、きっと私の手に収まらない』

『私が手にしてしまったら……輝きが変わってしまうもの』

『決して手に入らない……手に入れられない』

『それでも、欲しいと思ってしまうのよ……貴女の事を……』


 ダンジョン十二階層、濃霧に満ちた上層における最終階層。

 注意すべき点は数多あるが、何より危険なのは迷宮の悪意(ダンジョントラップ)の濃霧であろう。

 

 視界の殆どを奪い去られてしまい、モンスターとの遭遇戦時の危険度は跳ね上がる。

 

 濃霧を突き破って冒険者を撥ね殺す『バトルボア』や、転がる事で想像以上の移動速度で冒険者に突っ込んできつつも、その強固な甲殻で冒険者に恐れられる『ハードアーマード』、単体の戦闘能力の高い『シルバーバック』、十階層から降りてきて霧に紛れつつ冒険者を翻弄する『インプ』等も居る上、希少(レア)モンスターを除けば上層最大の戦闘能力を持つ『トロール』。

 

 これだけ聞けば、十二階層がどれほど危険か、分るだろう。

 

 だが、迷宮の悪意はそれだけにとどまらない。

 

 濃霧、冒険者の視界を奪い去るソレ。

 

 ソレはモンスターの視界も奪い去り、どちらも目隠しをしたまま戦っている状態である……と思われているが、モンスターは霧の中に隠れて移動する冒険者を察知する確率はかなり高い。

 

 何故か? 理由は判明していない。

 

 だが、冒険者の間で()()()()()()()()()()()()()()()()()と言う眉唾モノの噂が流れている。

 

 濃霧の中、モンスターの気配を必死に探りつつ、霧に紛れて移動する冒険者に対し、モンスターは時折迷い無く真っ直ぐ冒険者に突進してくる事がある。特にバトルボアが視界外から唐突に突進してくる事は珍しくない。

 

 バトルボアには霧の中でも冒険者を識別する方法がある等と言われる事もあるが、そのバトルボアは決して冒険者を自身で捕捉している訳ではない。その五感能力はあくまで平均的なモンスター程度でしかない。

 

 では、何故バトルボアは濃霧の中、霧に紛れた冒険者を完全に補足し、迷い無く突進してくるのか?

 

 それが()()()()()()()()()()()()()()()()()と言う眉唾物の噂に繋がっている。

 

 どれだけ気配を消そうと、どれだけ巧妙に隠れようと……モンスターは時折ありえない程の察知能力を発揮して冒険者を捕捉し、攻撃をしかけてくる。

 

 迷宮の悪意(ダンジョントラップ)と呼ばれる事は無い。その迷宮の悪意。

 

 ダンジョンがモンスターに冒険者の位置を正確に教え、そして殺しにかかってくる。

 

 ソレは決して眉唾物の噂では無い。

 

 ダンジョンに足を踏み入れた冒険者が必ず感じる、迷宮の悪意。

 

 明確な形をとっている迷宮の悪意(ダンジョントラップ)の方がよほど可愛げがあり、数多の冒険者がその存在を肌で感じ取るソレ……

 

 ――ソレは、なんと言えば良いのか?――

 

 迷宮は、冒険者を殺そうとする。

 

 モンスターは、冒険者を殺そうとする。

 

 迷宮は、モンスターを導いて冒険者を殺そうとする。

 

 太古の昔、神々が地上に降り立つ以前から、『穴』は怪物(モンスター)を生み出し、地上に放出し、人々を駆逐せんと悪意を振り撒き続けていた。

 

 神々が地上に降り立ち。神ウラノスが結界にて『穴』を封印し、『迷宮』と名を変えて以降……

 

 地上に悪意を振り撒けぬ迷宮は、腹の内に忍び込む愚かな人々を数多飲み込んできた。

 

 其処には名声があった。其処には富があった。其処には未知があった。

 

 そして、其処には、底知れぬ悪意が潜んでいるのだ……

 

 ――――迷宮の悪意――――

 

 迷宮は冒険者を殺さんと恐ろしい悪意を振り撒き続けている。

 

 

 

 

 

 濃霧の中、爪先がへしゃげたサバトンの切っ先が足に食い込んでずきずきと締め付ける様な痛みを感じながらも、むしろその痛みのおかげで明確に意識が冴え渡り、尻尾を掴まれた感覚を覚えた瞬間に地面に飛び込む様な形で伏せる。

 

 瞬間、地に伏せたカエデの背後を凄まじい勢いで振り抜かれたインファントドラゴンの尻尾が通り過ぎる。

 

 其の風圧だけで体が浮きかねない程の恐ろしい一撃。

 

 

 駆け出し(レベル1)相応の耐久しかない自身が喰らえばもれなく周りに散らばる()()に仲間入り確定のその攻撃を潜り抜け、即座に地面を両腕でついて体をバネの様に跳ね上げて、そのまま身を反転させて近くの下半身だけになっている冒険者の死体から剣を剥ぎ取る。

 

 抜く間も無く上半身がもぎ取られたのか、鞘に収まったままのその剣……ショートソードだろうその剣は拭い損ねたモンスターの脂で薄らと光沢を放っている。その光沢に魅入られる訳もなく、その刀身が今相手にしているインファントドラゴン相手に不足し過ぎている事も理解しながらもショートソードを片手に残った下半身の腰のポーチに手を伸ばそうとして、咄嗟に全力でその場から走り出す。

 

 冒険者の下半身は、次の瞬間には大きさに見合わない跳躍をしたインファントドラゴンの下敷きになり血肉が飛び散った。

 

 先程から、カエデは濃霧の中で必死に冒険者の死体を漁っている。

 

 死体から道具類を剥ぎ取るのは唾棄すべき事かもしれないが、役立つ道具があるかもしれないし、どの道このまま置いておけばインファントドラゴンに踏み潰されるか、迷宮に()()()()()()()のだから……

 

 死体の道具袋に手を伸ばすと言う行為自体はヒヅチとも一緒に行っていた事ではある。

 

 森の中、迷い込んで死んだ者。モンスター退治の依頼を受けて失敗したオラリオ外の冒険者。

 そんな死体から残った金品を剥ぎ取ると言う事は悪い事ではあると思う。それでも()()()()()()行為でしかない。

 

 死んだ人には不要な物である。それに……ワタシは()()()()()()()()()()()()

 

 倫理観に囚われていては生き残れない。

 

 無論、あまりにも外道に落ちればソレはバケモノと呼ばれる存在に堕ちる行為だ……だからこそ、生きている人を殺してでも生き残ろうと言う事はしない。

 

 結果的に見殺しにする事はあろう――ワタシには助けられるだけの力なんて無いのだから――

 

 ワタシにできるのは自分が生き残る為に全力を尽くす事であり、誰かに手を伸ばす事では無い。

 

 はき違えてはいけないのだ……

 

 そんな風に自身の行為を正当化しつつも、死体の持っていたショートソードでインファントドラゴンの足を斬り付けるも、甲高い音と共に弾かれてしまいダメージを与えられなかった。

 

 小さくとも……伝承に語られる事もあり、英雄譚の中で討伐する事を栄誉と言われる竜種と言う事だろう。

 

 その鱗は薄らと灰色の光沢を見せ、飛び散った赤い血が美しい斑点をその鱗に描く。

 

 顔をあげて濃霧の中にあるインファントドラゴンの顔を見る。

 

 距離はどれぐらいだろうか? 多分それなりの距離。濃霧の所為で距離感が判別できない。少なくとも3M以内では無い。

 

 濃霧の中……真っ赤な光を宿した、冒険者――人々に憎悪と殺意を向けるその爛々と輝く真っ赤な瞳が、濃霧の中であっても激しく自己主張し、濃霧の中にぼんやりと赤い光と言う名の憎悪と殺意が浮かび上がり、カエデを見据えている。

 

 透視能力(ペセプション)を持っている?

 

 口から零れ落ちそうになったそんな疑問を奥歯で噛み潰して飲み込みつつ、霧の中を疾駆する。

 

 見られてる。

 

 どれだけ早く動こうと、インファントドラゴンは悠長な動きでカエデを追いかけまわしてくる。

 

 嫌がらせ、悪意……

 

 ただ殺すだけでは足りない。

 

 苦しめ、ずっと、もっと、沢山、苦しみの中で、苦しんで死ね。

 

 そんな意思を感じさせるような絶妙な攻撃ばかり。思わず悪態の一つも吐きたくなる。

 

「なんでっ!!」

 

 此方がただ一人になって足掻き始めた当初、インファンドラゴンは多数の冒険者を一撃の元に屠るような無双する戦い方から、あからさまに手加減を加えた様な攻撃ばかりを繰り出すばかりになった。

 

 ――当たれば四肢がバラバラになる大振りの尻尾――

 

 ――その巨体に見合わぬ跳躍から繰り出される伸し掛かり――

 

 ――濃霧を突き破って襲い来る火球――

 

 どれもこれも、即死級……では無く、当たれば確実に即死する攻撃ばかり。

 なのにカエデは霧の中で転がり、伏せ、走り回ってその攻撃を回避し続けていた。回避する事すら難しいはずなのに……

 

 

 霧の中、赤い光が弾けた。

 

 

 迫りくる火球を見て、足の向く先を反転させて飛び退けば、カエデの本来の進行方向から()()()()()()()()()()()()()

 

 其れなりに距離はあったが、爆風は容赦なくカエデに襲い掛かる。

 

 爆風に煽られて体勢を崩した所に、まるで()()()()()()()()()とでも言う様な大振りな尻尾の薙ぎ払いが襲い掛かり。咄嗟に跳躍してその尻尾を飛び越えて着地すると同時に、振り抜かれた尻尾が再度カエデに向かって振り抜かれるのを感じて咄嗟に尻尾の付け根に全力疾走して勢いの弱った部分の一撃を受ける。

 

 一番威力の弱い尻尾の付け根辺りで攻撃を受ける事で、尻尾の先端の直撃に比べて被害を抑える努力はしたが……当たる直前にショートソードを盾代わりに使ったのが悪かったのだろう。右手のガントレットがへしゃげ、ショートソードが圧し折れてしまった。

 

 これだ……直撃すれば即死するその火球。インファントドラゴンはわざとやっているのではないかと思える様な精度でカエデに直撃しないコースを選ぶ。かといって回避を許してくれる訳でも無く、まるで嬲る様に此方を弱らせようとして来る。

 

 爆風に煽られて火傷とまでは行かずとも火照った様に熱を持つ肌に眉を顰めつつも、吹き飛ばされてできた距離を維持するために足を止めず走りながら、へしゃげたガントレットを引っぺがして放り捨ててから最後の一本の高位回復薬(ハイポーション)を飲み干す。

 

 もう、高位回復薬(ハイポーション)が無い……回復薬(ポーション)は戦いのさ中に小瓶が砕けて中身がポーションポーチから零れ落ちている。

 

 多分、戦闘時間は十分も経って無いはずだ。

 

 だが十分にも満たない戦闘のさ中……いや、これは戦闘では無いか。

 

 ただ一方的に嬲られる事十分、カエデは失っていたウィンドパイプを見つけられずにインファントドラゴンの攻撃を必死に回避する事しかできていなかった。

 

 その回避に関してもインファントドラゴンはまるで弱い小動物を嬲り殺すかの様に回避は出来ても必ず小さなダメージを負わせる様に攻撃を繰り出している所為でカエデはただ体力を消費するだけで打開策も浮かばない。

 

 別の冒険者の死体を探そうとするも、目に入る範囲――と言っても3M程度の距離だが――には見当たらない。

 

 武器、そう武器だ。武器が必要……

 

 今のカエデは爪先がへしゃげて足を圧迫する左のグリーブと、火球の熱で歪んだのかかみ合わせが合わなくなったのか何かをかんで動きが悪くなった右のグリーブ。そして左手のガントレットに緋色の水干。防御性能は非常に高いのだが……攻撃を喰らえば即死する。カエデ自身の耐久の低さが防具の性能で軽減されたダメージであっても耐え切れない。

 

 濃霧の中、まるで憎き人を嬲れる事を歓喜するかの様にインファントドラゴンが咆哮する。

 

 明確な殺意と憎悪が振り撒かれてカエデは一瞬足を止めてから。頭の中で現在位置を割り出そうとする。

 

 何度も攻撃され、吹き飛ばされ、転げまわり。今のカエデは自身の現在位置を見失っていた。

 

 どこまで進めば壁なのかわからず、回避の度に心臓が凍りつきそうな恐怖に襲われる。

 

 回避した先が壁だったら? フロアの隅っこに追い詰められたら?

 

 もし壁なら、壁と尻尾でサンドイッチである。それはとても美味しく無さそうだ。

 

 隅っこに追い詰められたら……

 

「まだ終わってない」

 

 暗い考えを一度吐き捨てる。

 

 心臓は爆ぜてしまうのではないかと言う程に激しく脈打つ。

 

 生きてる――まだ生きれる(足掻ける)――

 

 だが、どうすれば良い? 生きる(足掻く)と決めているからには何かしらの行動をしなくてはならない……だが剣も無くあのインファントドラゴンを倒す事は不可能だ。もう落ちている武装にも期待できないだろう。

 

 ――尻尾が、優しく掴まれた気がした――

 

 誰だろう? 分らない。 誰かがずっと見守ってくれている気がする。 気の所為?

 流行病に倒れ、死にかけてから。誰かが、尻尾を掴んでくる。

 最初は、気の所為だと思った。ヒヅチに聞けば守護霊がどうのと言っていた。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ……わからない。ヒヅチとワンコさん。他に誰かが助けてくれるなんて想像もしていないし、ソレが何なのかもわからない。信じて良いのか……

 

 怪我をしそうになったり、死にそうになる度に、尻尾を誰かが掴むのだ。

 

 やめろと、危ないと、戻れと……今まではそうだった。

 

 でも、この瞬間だけは違った。

 

『こっちに、貴女の探し物がある』

 そう、伝えられた気がする。

 

 もし、違えば……死ぬ。でも、今まで勘と呼んでいるソレに幾度と無く助けられてきた。

 

 ……勘を信じよう。

 

 自身がフロアの隅っこに居るのか、中央に居るのか……そもそもウィンドパイプは何処にあるのか?

 もしあったとして、インファントドラゴンに踏み潰されて壊れていないか?

 幾度と無く、冒険者の武器を踏みつけたのか金属がへしゃげる音を聞いていた。

 その音を立てる原因の中に、ウィンドパイプが無いなんて保証はないが……逆にウィンドパイプが踏み潰されてしまったと言う確証もない。

 

 でも、尻尾を優しく掴むその感触は、きっと嘘では無い。

 

 ワタシは【ロキ・ファミリア】の皆から頭が良いと言われる。きっとそれは大きな間違い。

 

 だって、頭が良ければ村人と仲良く出来る方法を思いつくはずだし、もっと簡単に寿命を延ばす方法を見つけられるだろうし……頭が良いのならこんな状況に陥る事なんて無いんだから。

 頭に知識を詰め込むだけ。ソレを上手く活用できるかはわからない。でも覚えていればそれだけ手札が増えるから。増えた手札を上手く利用できるなんて思えない。

 

 乱れず続けられていた丹田の呼氣を、やめる。

 

 きっと、今からワタシがやる行為はとっても、とても馬鹿な行為だと思う。

 

 ――命を賭けるなら、命以外も全て賭けてしまえ――

 

 ロキは、烈火の呼氣は使うなと言っていた。理由はちゃんと説明された……身体能力の限界解除(リミットオフ)。代価は大きいが……『旋律スキル』と意識して組み合わせれば……

 

 濃霧の中、此方を窺う……いや、どう足掻くのか悪意を持って見下ろすそのインファントドラゴンと、一瞬だけ視線を交えてから、自身の尾を掴む感覚を頼りに走り出す。

 

 インファントドラゴンの足元――多分、其処に有る。

 

 間違いなら? 死ぬだけだ。其れでも構わない。どの道、このままでは嬲り殺されるだけだ。

 

 本当にあっているのか? 迷うな、進め。その()を信じると決めたのはワタシ(おまえ)自身だろう?

 

 嘲笑うかのように振るわれる尻尾。高めの軌道……地面と尻尾の隙間が大きい、回避は容易い。スライディングの要領で尻尾の下を潜り抜ける。そのまま、身体を跳ね上げながら全力疾走。立ち止まったら死ぬ。

 

 インファントドラゴンは此方を向いただろうか? 相手の顔の位置に視線を向ける余裕は無い。

 無い。無い。霧の中、足元に視線を凝らしつつ必死に走る。

 

 勘の位置に、ウィンドパイプがなければ? 死ぬ。

 

 お願いします。どうか――――

 

 今、ワタシは誰に何に祈った? 神に?

 

 ――神が与えるのは奇跡の種だ――

 

 そのままでは花咲く事も無く種のまま……

 

 ――神に祈りを捧げても、何も起きやしない――

 

 祈りなんて無駄だ……

 

 ――掴むのは己の手でなくてはならない――

 

 掴むんだ……細い糸の先を……

 

 

 

 

 濃霧の中、相手の巨体が見えた。

 強靭な鱗、動き回るさ中に付着した冒険者の血肉がこびり付いて鮮やかに彩られた灰色の鱗。

 無数の傷は、カエデが与えたモノでは無い。他の冒険者の生きた(足掻いた)証なのだろう。

 ソレに一瞬、視線を奪われてから――ウィンドパイプを見つけた――

 

「あったっ!!」

 

 歓喜、勘を信じて良かった。後はこれで――

 

 手を伸ばし。一気に柄を掴みとる。後はこの剣で相手を――そう思った直後、尻尾を引っ張られる感覚を覚えて上を見た。

 

 ――――――赤黒い肉質に鋭い牙の並んだ口内が頭の上にあった――――――

 

 蠢く喉の奥に揺蕩う暗い闇が映り、ヒヅチが居なくなった日に見たカエルのモンスターの口内を思い出した。

 

 ――――まだ居るぞ!――――

 

 あの時言われたヒヅチの言葉が、身体の硬直を吹き飛ばした。

 

 食われる。頭から? まだ、まだだ、終わる訳には行かないのだ。

 

 一気に体に熱を灯す。

 

『その火を大きくし過ぎるな、危ないからな』

 忠告の一つ。大きくし過ぎると危ない。

 

 ――熱に体を焼き尽くされるぐらいにまで、大きくしたらどうなるんだろう?――

 

 その熱に吐息を吹きかける。

 

『決して一気に大きくするな。少しずつ、少しずつじゃ』

 忠告の一つ。一気に大きくするのはダメだ。 

 

 ――一気に熱が膨れ上がる。力が一気に上がった気がする――

 

 指先に至るまで、全身に熱を宿す。熱はまだまだ膨れ上がる。

 今まで扱った事が無い位に、大きく、熱く――速く……――速く!!――もっと速くッ!!

 

 もう既に上半身がインファントドラゴンの口内にある。閉じられれば、あっけなく上半身を噛み千切られてお終い。

 

 それだけは――――嫌だ――――

 

 

 

 

 

 灯った熱に、息を吹き込む。

 

 ――もっと、はやく、おおきく――

 

 全身が灼熱に焼かれるような感覚に包まれる。

 

 ――まるで放火魔(パスカヴィル)の炎の中の様だ――

 

 本来の呼氣。身体能力の限界突破。

 

 ――ヤメロと叫ぶ声が聞こえた気がした――

 

 体の中で、何かが弾けた。

 

 ――同時に、何かが壊れた気がした――

 

 一気に振り抜く。

 

 ――重い、重いウィンドパイプを――

 

 下から上に、真上に向かって。

 

 ――本来なら、上から下に、重力を利用して振るうソレを――

 

 腕力だけで、振るう。

 

『腕力だけに頼って剣を振るうな間抜けめ、そんなんじゃ切れるもんも切れんわ』

 

 ――そう言って呆れ顔を浮かべたヒヅチの姿が脳裏を過った――

 

『力任せにぶん回せば大丈夫さネ!! アチキが言うんだから間違い無いさネ!!』

 

 ――鉈を片手に持ったワンコさんがヒヅチの横で笑っていた――

 

 

 

 

 

 腹に長い牙が突き立つ、性能の高い防具に阻まれてすぐさま牙が身に突き立つ事は無い。それでも衝撃で剣閃がズレそうになる。

 

 振り抜け、止まるな。このまま

 

 ――インファントドラゴンの口の端に刃が食い込む――

 

 防具の緋色の水干が貫かれた。腹に牙が食い込んでくる。

 

 ――頭蓋に当たってゴリゴリと言う不快な音を響かせる――

 

 食い込んだ牙が臓腑を傷付ける。体の内で臓腑が破壊される音が響く。

 

 ――頭蓋を砕き割り、口蓋を断ち切って脳髄を破壊する――

 

 

 

 

 

 脳髄が破壊された為か、インファントドラゴンは動きを止めた。

 

 

 

 

 

 終わった。そう思った途端、インファントドラゴンが倒れ伏す。

 

 巻き込まれまいと咄嗟に身を捩って口内から抜け出せば、霧の中に頭の半分を砕かれた死に体を晒しながらも、未だに憎悪の籠った瞳で力なく此方を睨むインファントドラゴンと視線が交差した。

 

「……ごめんなさい」

 

 謝罪は、きっと必要無い。けれども、言葉にしておく。

 

 相手が襲い掛かってきたのだ。ワタシはソレを振り払っただけで……其れでも、命を奪う事は、好きになれない。

 

 奪って、生きて、生きて……その先に有るのは……

 

『バケモノ、なんぞと呼ばれるのは嫌じゃろう? ワシの生き方何ぞほんの少し道を踏み外せばそんな呼び名が当てはまってしまう危うい生き方じゃからのう……オヌシは道を違え、外道に堕ちるなよ?』

 

 奪って、生きる。『生きる事は奪う事』

 

 嫌いになれば生きていけない。目を逸らせばしっぺ返しを食らうだろう。受け入れ、飲み干せばそれはバケモノと呼ばれてしまう。だから決して『奪う』事に慣れてはいけないのだ……

 

 徐々に光が失われ、完全な骸と化したインファントドラゴンを見てから。自身の腹に開いた傷口に手を当てる。

 完全に貫通した訳では無いが、出血がひどく、いくつかの臓腑が破壊されているらしい事は分るが、どうしようもない。

 高位回復薬(ハイポーション)所か回復薬(ポーション)も無い現状、この怪我の完治は難しい。

 

 一応、止血帯はポーチに入っていたが、いくつかの臓腑まで破壊されている様な怪我なので効果は薄かろう……

 

 もし、自分がファルナを授かる以前の普通の人であったのなら、きっと既に死んでいる筈だ。ファルナのおかげで心臓と脳髄さえ無事なら死ににくいと言う特性のおかげか……

 

 …………体の中の熱が引いた後、血に塗れた下半身も、破壊されて激痛を放つはずの臓腑も、貫かれている体の感覚どころか、手足の感覚も覚束ない。

 

 今、自分は仰向けに倒れている……はずだ。視線で周囲を見回そうとするが、身体はさっぱり動かない。インファントドラゴンの口内にはまだウィンドパイプが残っているし、回収しなくては……それ以上に最低限の止血を……しなくては。

 

 何とか腰のポーチから止血帯を取り出すも、強く傷口に当てて締め上げる等と言う動作は行えそうにない。

 

 床にたっぷり広がっている血は、自分のモノか……それともインファントドラゴンの傷口から溢れ出た血だろうか?

 

 そんな風に考えていると、爆発音が聞こえた気がした。

 散弾の如く何かが飛来し、インファントドラゴンの骸にビシビシと当たる音が聞こえる。丁度インファントドラゴンの骸の陰に居たおかげか、その飛来物が当たる事は無かったが……

 

 嘘だと言いたかった。

 

 この階層で壁もしくは崩れて封鎖された通路を吹き飛ばせる威力を出せるモンスターなんてインファントドラゴンだけだ。

 迷宮の孤王(モンスターレックス)は通常一匹しか生まれないが、迷宮の孤王(モンスターレックス)と呼ばれているだけで、インファントドラゴンはただの希少(レア)モンスターである。

 

 二匹目が出現する可能性は限りなくゼロに近くとも、ゼロでは無い。

 

 二匹目の相手をする余裕なんてありはしない。けれどもこのまま寝転がっていれば今度こそあの咢で砕かれて死ぬ。もしくは踏み潰されてだろうか? せめて剣に手を伸ばそうとするが、手はピクリとも動かなかった。

 

 激しい出血により意識が遠のいていく。

 

 ――せっかく、倒したのに――

 

 まだ終われない。弱々しく、途切れそうにはなっていても、まだ鼓動は止まっていない。

 

 ほんの少し、ほんの少しだけ、心が揺れた。良いのだろうか? だってこれだけ頑張ったのだから……もう……

 ヒヅチは褒めてくれるだろうか? 『よくやった』その一言が聞きたかった。

 

 薄れて遠くなる意識の中、けれどももう一度()()を明確にする。

 

 …………まだだ、鼓動が枯れ果てるその時まで、生きる(足掻く)と決めたんだ。

 

 ワタシはまだ、死ねない。

 

死なない(諦めない)生きるんだ(足掻くんだ)、心の臓の音色が枯れ果てるその時まで』

 

 ワタシはベルトから投げナイフを取り出して――

 

 

 

 ――――手から投げナイフが零れ落ちて、小さな金属音を響かせるのが精一杯だった――――

 

 

 

 




 前回は、カエデちゃんの活躍を上手く表現出来ず、難航してしまい、皆の期待を裏切る形の話ですまなかった。
 そして、今回の話、誰が来たのかはもう既に予測可能回避不可能状態ですが。本来なら『牙』と『烈火の如く』の更新の順番が逆でした……
……つまり()()が現れたかわかんない状態にする積りだったが、出来なかったわけですよ。凄く悔しいです。

 今後も戦闘描写に詰まったら唐突に別のシーンぶち込むかもです(白目)

 無論、そうならない様に全力で頑張りますが……ぶっちゃけ今回の戦闘シーン見て貰えばわかる通り、戦闘描写が下手糞なのでどうにもならない場合があるかもです……と言うか一番重要な戦闘描写が遅れたりって……

 気になった事は、更新優先で本編が難航してたら別シーン(書きやすい回想シーン?)をぶち込むのと、そもそも更新せずに『遅れますー』みたいな活動報告だけ乗っけるの。どっちが良いのかは気になりましたな。私的には更新を一度でも止めるとズルズルーと更新しなくなっちゃうので更新は確実にしておきたいんですがね……(出来るかは不明ですが)




 『投げナイフ』
 別名:スローイングダガー

 オラリオ内部において鍛冶系ファミリア最高位【ヘファイストス・ファミリア】の新米鍛冶師達の作品。
 練習用に作られたモノも多く、中には酷い出来のモノが混ざっていたりする。
 基本的に木箱や樽の中に無造作に入れられている投げナイフを冒険者側が選別して買い取る形となっている。

 消耗品。

 それは神の鍛冶師を頂に抱き、日夜頂を目指し努力を繰り返す新米鍛冶師の練習作品である。
 所詮練習作品、切れ味は上級鍛冶師の作り出すモノとは比べるまでもない。
 しかし本気で上級鍛冶師を目指す者達の血と汗が滲んだ作品はそこらの鋳型で作られる大量産品の投げナイフ等とは比べ物にならない切れ味を誇る。


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『苛立ち』

 一人にしないで。

 二人とも、何処へ行ったの?

 お願いだから、一人にしないで。

 何処? 二人は何処?

 何処にやったの? 何処に隠したの? 何処に連れて行ったの?

 知らないなんて、嘘っ八。

 オマエ達は絶対に知っている。

 教えろ、二人の居場所を……

 教えろ、何故皆を殺したのか……

 答えろ、()()()()()()()()()()()()()()


 ダンジョン十二階層、罠の細道が繋がっているルームは、細道に通じる道とは別に二か所、別の通路へと通じる道が存在する。

 

「チッ、塞がってんじゃねぇか」

 

 その一つ手前のルームにて、ベートは眉を顰めてインファントドラゴンが居たと思わしきルームへと通じる通路を見据えて舌打ちをした。

 

 天井が不自然に崩れて通路を完全に塞いでしまっている光景がソコに在った。

 

 既にルームの中から音は聞こえない。インファントドラゴンが身動ぎする動きすら聞こえない為、もしかしたら倒されているのかもしれない。

 逆に冒険者を倒し終わったインファントドラゴンが休息しているのか……。

 

 不自然に崩れた通路を見て直ぐに解った。普通に崩れたわけでは無く誰かが意図的に崩したらしい。

 

 崩れた天井付近、剣でスッパリ岩盤を切り分けて天井を落とす事で通路を塞いでいるらしい。準一級(レベル4)冒険者のベートでもこの岩盤を取り除くのにはかなりの時間を要するだろう。

 

 普通の方法なら、だが。

 

 音が聞こえない以上もう生存も絶望的だろう。とは言え一応ルームの中に大声で呼びかけるもこの岩盤越しで聞こえていないのか……それとも……

 

「……ぶち抜くか」

 

 普通の方法、ツルハシ等で地道に岩盤を削って開通を目指す? そんな面倒な事をする積りは無い。

 

 助走をつける為に崩れた岩盤から距離をとる。濃霧の所為で岩盤が見えなくなるがこの程度であれば何の問題も無い。蹴る位置をしっかりと見据えて一気に駆けだす。

 

 冒険者としての身体能力に合わさり、習得しているスキルの効果で少しの助走で一気に最大速度へと移行したベートはそのまま岩盤を蹴り抜く。

 

 ベートの使用している金属靴(メタルブーツ)は岩盤程度をぶち抜くぐらいであれば十二分に過ぎ。何の問題もなく岩盤を蹴り抜いてルームの中に岩盤の破片が飛び散るが、ベートはぶち抜いたソレに気をかける事もせずに鼻を鳴らした。

 

「っ……ひでぇ臭いだな。雑魚が調子に乗るから……」

 

 血と臓物の臭い。それに焼け焦げた肉の臭いを足せばこんな臭いになるだろう。

 

 濃霧の中、飛び散った岩片とは別に、足元に赤黒い何かが転がっているのが見えた為にベートは思いっきり眉を顰めた。

 

 多分、ドワーフの男だろう。腰から下が踏み潰されているらしく、上半身だけになったエルフから何かを探していたらしいが……周りにポーションの小瓶が転がっている辺り。死体からポーションを剥ごうとして踏み潰されたのだろう。

 

 胸糞悪い光景に眉を顰めていると、微かに金属が転がる音が聞こえ。ベートの耳がピクリと反応した。

 

「おい、誰か生きてんのか?」

 

 声を出してみるも反応は無い。だが耳を澄ますと微かに途絶え途絶えの吐息が聞こえる。

 

 その吐息に向かって小走りで近付こうとして――――目の前にインファントドラゴンの後ろ姿が現れ咄嗟に構える。

 

 構えて直ぐに気が着いた。ピクリとも動かず。冒険者、人々に対する憎悪の感情を振り撒く事も無く、呼吸の音も聞こえない。既に屍になっているらしい。

 

 倒されている? こんだけ雑魚(駆け出し)が死んでる中で……誰が?

 

 疑問を覚えつつもその死体を回り込んで途切れかけの吐息に近づく。

 

 見えたのはまず頭部。インファントドラゴンが力尽きた亡骸の頭部。霧の中でもはっきりとわかる程度には頭から剣の刃が突き出ており、頭部を破壊された事による致命傷だと思える傷。

 

 そして、その直ぐ近くに倒れたカエデの姿にベートは目を見開いて直ぐにカエデに近づく。

 

「おいっ!! しっかりしろっ!!」

 

 咄嗟に近づいて声をかけるが、弱々しい途切れ途切れの吐息でベートに反応する事も無い。

 既に意識は無い様子で全身血塗れでなおかつインファントドラゴンの臭いが染みついている。そんな感想を抱くより前にポーチから高位回復薬(ハイポーション)を取り出してカエデの体に掛ける。

 

 よく見れば腹の部分に穴が開いているのが見え、致命傷を負い瀕死の状態であるのが確認できたが高位回復薬(ハイポーション)をかける事で傷が塞がっていくのが見えて安堵の吐息を吐こうとしてカエデの手を押さえつける。

 

「おい、傷に触るんじゃねぇ……チッ、聞こえてねぇか」

 

 反射的なのだろう。違和感を感じたのか意識が途絶えていても手が動いて塞がりゆく腹の傷に触れようとしたのでその手を掴んで止めつつ、もう一本高位回復薬(ハイポーション)を取り出して飲ませる。

 

 意識が無い人物に液体を飲ませるのは相応に難易度は高いが。強引に捻じ込むぐらいでも効果を発揮する。

 

 咽る動作をしたカエデを見て、一瞬眉を顰め。それから傷口を見てみるが既に塞がっている。

 傷があったと言う形跡はカエデの防具である緋色の水干の腹の部分に開いた穴以外に確認はできない。

 

 先程まで弱々しかった呼吸も安定したのをみて安堵の吐息を漏らす。

 

 顔色は若干青褪めているが単純に血が足りていないのだろう。カエデを地上まで運ぶか迷ってから、カエデが身動ぎしたのを見て、もう直ぐ目覚めるだろうと寝かせて立ち上がった。

 

 ベートは直ぐ近くに転がっているインファントドラゴンの骸を見て眉を顰める。

 

「……コイツがやったのか?」

 

 そのインファントドラゴン。頭部から生えた刃はベートの記憶の中にある物と同一である事に驚きの表情を浮かべてそれから辺りの音を探ってから、モンスターが居ない事を確認してカエデを寝かせてからインファントドラゴンの頭の部分に近づく。

 

 口の内側の口蓋を粉砕し、顔の横部分から脳髄に至るまでがウィンドパイプで無造作に破壊されている。それを見て、ベートは睨む様に傷口、その断面から覗く()()()()()に目を向けてから否定する。

 

 カエデがインファントドラゴンを倒した? あり得ない。

 

 カエデは確かに強い。ベートも雑魚にしてはやる方だと認めるし、その意思の強さも認めている。

 だが、カエデは所詮駆け出し(レベル1)であるし、冒険者になってまだ二週間も経っていないのである。普段から鍛錬を弛まず行っているのは知っているが、ギルド推奨レベルが三級(レベル2)であるインファントドラゴンは相応に耐久も高く、どれだけステイタスに優れていようがアマゾネス(脳筋)ドワーフ(筋肉達磨)の様な馬鹿げた筋力を発揮する種族でなければこんなインファントドラゴンの頭骨を砕き破壊する事なんて出来やしない。

 

 ましてはいくらアマゾネス(脳筋)ドワーフ(筋肉達磨)であろうと、神の恩恵(ファルナ)を授かってたかが二週間ではステイタス的にどれだけ良くとも筋力はGかHだろう。初期ステイタスのトータルが300超えだったベートは俊敏が飛び抜けて高く、次点で器用であった。筋力も高くはあったが……

 

 カエデも同じ狼人であるなら多少の差はあれど、同じ様な状態だろう。

 

 これで筋力Bあったと言われても、所詮駆け出し(レベル1)で凄いと言える程度。インファントドラゴンの頭骨を破壊するだけの威力を出せる訳無い。

 

 だが……他に生存者は一人も居ない。耳を澄ませてもカエデの吐息以外にこのルーム内で聞こえる音は一切ない。

 

 もしほかの冒険者が倒しておきながら、カエデを放置して逃げたのなら……其れはありえない。

 インファントドラゴンの討伐なんてベートの様な準一級(レベル4)冒険者なら片手間程度だが、二級(レベル3)三級(レベル2)からすれば称賛されるに価する偉業である。

 

 それに希少(レア)モンスターであるインファントドラゴンの魔石や素材を捨ててまで逃亡する必要は何処にも無い。

 

 少し迷ってから、ベートはナイフを取り出してインファントドラゴンの魔石を剥ぎ取り始める。

 

 他の冒険者の獲物の横取りになるのだろうが。そもそも死体を放置した時点で取得権を放棄したも同然である。怪物の宴(モンスターパーティー)等にあって魔石やドロップ品の詰ったバッグや装備品を破棄して逃亡した冒険者の、落としたバッグや装備品を集めて地上で売りとばす小賢しい奴も居ると言えば居るが……

 

 ナイフで適当に腹を裂いて魔石を無造作に抉り出せば、上層所か中層下部のミノタウロスの魔石よりも少し大きいぐらいの魔石が出て来たのを見て、ベートは鼻を鳴らした。

 

 下層程ではないが、上層最大級のモンスターであるインファントドラゴンの魔石だ。これ一つで数万ヴァリスは下らないだろう。

 

 そんな様子を見ながらもインファントドラゴンの体が一気に色を失い。多量の灰になったのを見て濃霧の中でベートは溜息を吐いた。

 

 ドロップ品は『インファントドラゴンの大牙』と『インファントドラゴンの鱗』らしい。

 

 適当に拾ってポーチに放り込んでから、頭部が消えた事で残されたウィンドパイプを見てベートは引き攣った笑みを浮かべた。

 

「マジかよ……どんな力でブチこみゃこうなるんだよ……」

 

 転がっていたウィンドパイプは刃の部分が無残にへしゃげており、どれほどの衝撃があればこうなるのかと思わず疑問を覚える程度に破損している。既に剣として使う事は出来なくなっている。だが剣の軸は歪んでいないらしい。刃だけが無残な事になっているのを除けば鈍器として利用できなくはないだろう……

 

 そんな事を思いながらベートがウィンドパイプに手を伸ばそうとすると。呻き声と共にカエデが身を起こしたらしい声が聞こえてベートは霧の中からカエデを見る。

 

「っ……うぅ……ここ……ッ!? インファントドラゴンっ!!」

 

 バッと一気に立ち上がったらしい音を捕え、ベートは溜息を吐いた。

 

 血が足りておらず青褪めていたカエデが、一気に立ち上がればどうなるかなんて知れた事。頭に血が足りず一気にブラックアウトしたらしく、そのまま膝を突いたらしい音を聞いてベートは一瞬天井を仰いでからウィンドパイプを掴んでカエデの近くに立ち、声をかける。

 

「おい、んな所で寝てんじゃねぇよ……死にてぇのか?」

「うぅっ……? ……ベート……さん? なんでここに……」

「はんっ。ここは近道だろうが。んな雑魚しか出ねェ様な所なんてわざわざ遠回りする理由なんてねェよ」

 

 言葉通り、この細道は最も最短ルートで下層へと下りるのに利用される場所であり、単独(ソロ)で行動する事も多いベートが利用するのも当然である。その説明に若干首を傾げてから、カエデはよろよろと立ち上がろうとして膝を突いた。

 ソレを見てベートは眉を顰めて半壊したウィンドパイプをカエデの前に差し出す。

 

「テメェの剣だろ」

「ありが……ありがとうございます」

 

 カエデはふらつきながらも立ち上がり。ベートからウィンドパイプを受け取って、その刃が無残にもへしゃげているのをみて若干涙目になってから鞘に納めようとして、へしゃげた刃が噛んでしまい鞘に納まらないらしく引っ掛けて首を傾げて、出来ないと判断して悲しそうに耳を伏せていた。

 それを見つつもベートは気になっている事を聞く事にした。

 

「オマエがインファントドラゴンを倒したのか?」

「……? えっと……多分?」

「……多分?」

 

 何で本人が不思議そうに首を傾げるのか理解できず、コイツが倒したと思ったのは気の所為だったのか? 等と思案しているとおどおどとした様子のカエデが口を開いた。

 

「倒した……はずなんですけど……えっと、インファントドラゴンの死体が何処にも無いですね……夢だった?」

「…………」

 

 死体が無い事に首を傾げて夢だったのかと首を傾げるカエデを見て思わず口を閉ざす。

 ベートは無言のまま魔石とドロップアイテムをポーチから取り出して放り投げれば、慌てて受け取ったカエデはソレをみて首を傾げる。

 

「魔石? と……牙と鱗?」

 

 不思議そうに首を傾げてソレを見てからベートを見上げたカエデは口を開いた。

 

「これは?」

「はぁ……ここに転がってたインファントドラゴンの魔石とドロップ品だ」

「おぉー……ベートさんが倒してくれたんですか?」

 

 すっとぼけているのか。もしくは天然か……どちらにせよ真面目に相手してると面倒そうだ。

 カエデは自分が倒したらしき事を言っているが能力からして無理が過ぎる。駆け出し(レベル1)がインファントドラゴンの頭骨を砕いて倒しました? 信じられない。

 

 そんな風に思っていれば何度も不思議そうに首を傾げていたカエデが急に辺りを見回して。ピンッと耳を立ててベートに掴みかかってきた。

 

「ベートさんっ!!」

「っ!? ンだよっ!!」

「【ハデス・ファミリア】が襲撃してきてっ!! ワタシが罪人で、団長が【処刑人(ディミオス)】と戦って、ジョゼットさんが【縛鎖(ばくさ)】の呪詛で操られて、ラウルさんがピンチですっ!!」

 

 ベートの服にしがみ付いて捲し立ててくるカエデに眉を顰めてから。ベートは状況を思い出して舌打ちをした。

 

「そういや【ハデス・ファミリア】が喧嘩吹っ掛けてきてやがったか……」

 

 インファントドラゴンをカエデが倒したのかどうかが気になっていて忘れていたが。【ハデス・ファミリア】が襲撃を仕掛けて来ていたのだった。

 

 フィンの奴が【処刑人(ディミオス)】と戦っているらしいが……問題ないだろう。

 ラウルなんてかなりしぶとい奴である。ジョゼットも伊達に二十年近く冒険者をやってない。

 

 そもそも【処刑人(ディミオス)】なんて一級(レベル6)冒険者ではあっても『死にぞこない』なんて言われる程度には歳を食った冒険者である。はっきり言って経験は豊富ではあっても体がついてこなくなっている冒険者だし、フィンが後れをとる訳も無い。

 

 他の奴らも、小細工しかできない【縛鎖(ばくさ)】と、遠くから眺める事しか出来ない【監視者】が二級(レベル3)だったはずだが、残りは三級(レベル2)の雑魚しかいない。

 

 真正面から戦うと糞面倒な装備魔法を持つ【魔弓の射手】ジョゼット・ミザンナと、どんな状況でも凡庸な活躍が出来る【超凡夫(ハイ・ノービス)】ラウル・ノールドの敵では無い。

 

 要するにベートが意識する必要も無い程度の雑魚しかいないファミリアである。

 ましてやフィンが【処刑人(ディミオス)】の相手をしている以上、負けは無い所か【処刑人(ディミオス)】がフィンを倒すのではなく足止めをしていると【ハデス・ファミリア】の奴らが話していた時点で察するべきである。

 

 後残っているのは数ばっか多い駆け出し(レベル1)と、覚える必要も感じられない三級(レベル2)の雑魚だけである。

 

「はんっ、あんな奴等の心配なんてしてねぇでテメェは自分の心配でもしてろよ」

 

 カエデが気にするまでも無く大丈夫であるし、むしろこの状況で最も危険な立ち位置に居るのは狙われているカエデ自身である。わざわざフィン達を気にするより前に自身の安全を確保すべきだろう。

 

 まぁ、自分(ベート)と合流した時点で既にカエデの安全は確保できたも同然だが……

 

「とりあえず上に行くぞ……テメェ歩けんのか?」

 

 先程から刃のへしゃげたウィンドパイプを手にふらふらとしているカエデに声をかければカエデは頷いて口を開いた。

 

「問題ないです……あっ……あの……」

「アァ?」

「えっと……大きな人が逃げたら殺すって……」

「…………」

 

 カエデの言葉を聞いて、【ハデス・ファミリア】の雑魚二人が言っていた事を思い出した。

 【処刑人(ディミオス)】並に巨大な人影がカエデに十二階層に行く様に指示したと言う話。

 

「はんっ、何が来てもぶっ飛ばしてやる。テメェは自分の身でも守ってろ」

「……わかりました」

「行くぞ」

「あっ……そっちは……」

 

 それだけ言って細道の方に足を向けると、カエデが再度声をかけてきてベートは胡乱気に振り返る。

 

「んだよ、言いたい事があんならさっさとしろ……んな血生ぐせぇ所に長居したかねぇんだよ」

 

 霧の中、臭いだけでも分るが十人以上の冒険者の血の臭いが溜まって淀んだ臭いになっているこのルームからは一刻も早く抜けたいし。もっと言うなれば血塗れになってるカエデもさっさとシャワールームにでも突っ込んでおきたい。

 

「えっと……他の冒険者が……」

「言ったろ、()()()()()()()()()()()()()って、テメェはせいぜい置いてかれねぇ様に付いて来い」

 

 それだけ言ってベートは細道の方へ歩き出す。

 

 細道の方からは音は何も聞こえてこない。

 

 入って直ぐの所で一度後ろを振り返れば、カエデの姿が見えず眉を顰めていると、霧の中からウィンドパイプを杖代わりにしてよたよたと歩いてくるのが見えて軽く溜息を吐いた。

 

 この調子だと日が暮れそうである。

 

 そんな事を思っていると細道の奥の方から足音が聞こえ、ベートが其方の方に視線をやれば。遅れてカエデも気付いたのか刃がへしゃげたウィンドパイプを其方に向かって構えた。

 切っ先はぶれっぶれだし、重心もふらふらで真面に構えと言えるかも怪しいが戦意だけはある様子でベートはまた溜息を吐いた。

 

 倒してやるっつってんだろ……

 

 そんな風に考えている間に凄い勢いで霧の中から何かが近づいてくる。

 

 足音からして小柄な奴と女男一人ずつ。計3人の人物だが……男は重い荷物でも持ってるのか足音が少し重めの感じがする。

 

 小柄な奴は十中八九フィンだろうし、女の足音も聞き覚えがある。ジョゼットだろう。最後の一人は他の雑多な足音に隠れそうになるがラウルのモノだろうと予測して霧の中を見据える。

 

「カエデさんっ!!」

「ジョゼットさん?」

 

 細道から走ってきて透視能力(ペセプション)で最初に此方に気が付いたジョゼットの声が聞こえ。ベートはあからさまに苛立った様子でジョゼットの居る方を睨みつける。

 

「カエデは居たかい?」

「こっちです団長、ベートさんも居るみたいです」

「ベートさん? 何でこんな所に居るッスか?」

 

 霧の中からフィンとジョゼット、ラウルの声が聞こえて、カエデが構えを解いた。

 

 走ってきたフィン達が若干息を切らしつつも片手をあげて挨拶してきた。

 

「やぁ……無事……かは微妙だけど。なんとか生きてるみたいだね。大丈夫だったかい?」

 

 血塗れのカエデの様子に驚いたジョゼットが慌ててカエデに近づいて顔に着いた血を拭ったりし始めた。

 

 それを横目にベートは鼻を鳴らした。

 

「『次は失敗しません』だとか抜かした奴が、失敗しといてよく顔見せられたもんだよなぁ」

 

 ジョゼットに、牙を剥く様に笑みを浮かべて嘲笑う。

 ジョゼットが反省した様に俯いたのを見て、カエデがおろおろとし始めた。

 

「テメェ、良くもまぁ二度も失敗しやがってよぉ……フィンも何やってんだテメェ?」

「……成程、ベートがカエデを助けてくれたんだね」

「ウッセェ、別に助けた積りなんかねェよ。此処は最短ルート上だろうが。偶然見かけたから拾っただけだ。つか、テメェら護衛がどうとかほざいておきながらなんだよその体たらくはよ」

 

 苛立ちをぶつけんとフィンに詰め寄ろうとしてベートは足を止めて。舌打ちをかました。

 

 霧の所為で気付かなかったが。フィンは血塗れになっていた。肩の辺りに良い一撃を貰ったらしく、服の肩の辺りが大きく抉れている。傷は高位回復薬(ポーション)で塞いだらしく傷は無いが……

 

「あぁ、これかい。気にする事は無いよ。結構良い一撃貰っちゃったけど……代わりに片目と片腕を貰っておいたからね。万能薬(エリクサー)を持ってなかったみたいだから確実に片目と片腕は奪えたと思うよ」

 

 ウィンクしつつも余裕ぶっているフィンに眉を顰めてからラウルの方を見て……ラウルが肩に縛り上げられたキャットピープルの男を担いでいるのを見てベートはソイツを睨む。

 

 【縛鎖(ばくさ)】イサルコ・ロッキが縄で縛られて猿轡まで噛まされてぐったりとしている。

 

 どうやら捕縛したらしい。

 

「カエデさん、すいませんでした……」

「いえ、ワタシも……すいません……でし…………た……」

 

 霧の中でカエデに頭を下げているらしいジョゼットに対しておろおろとしていたカエデが不意に膝を突き――そのまま倒れた。

 

「っ!? カエデさんっ!!」

 

 倒れるカエデを抱きとめたジョゼットが何度もカエデに声をかけるも反応が無い。

 その様子に気付いたフィンがカエデを抱えたジョゼットに近づき、カエデの様子を確かめてから肩を竦めた。

 

「疲労で気絶したらしいね……これは……『烈火の呼氣』かな……」

 

 既に高位回復薬(ハイポーション)を二本も使って完全に治療は済んでいるはずである。

 とは言え疲労だけは消えないので溜まっていた疲労から、フィン達と合流して気が抜けたのか気絶してしまったらしい。

 

 フィンの呟きから『烈火の呼氣』と言う言葉を聞いてベートは思案する。

 

 聞いた事が無い()()()である。どう言うモノか分らないが……もしかしたらカエデがインファントドラゴンを倒すのに使ったスキルかもしれない……本当に倒していたのなら……

 

 間違いなく偉業の証を得ているだろう。

 

「……はんっ」

 

 カエデは強い。だが弱い。

 

 所詮駆け出し(レベル1)

 

 今朝、ベートはカエデの挨拶を無視した。

 

 此処最近、カエデは顔を合わせる度に挨拶をしてくるが、ベートは全て無視している。

 

 カエデは確かに強い。認めてもいる。

 

 だが所詮駆け出し(レベル1)

 

 気を抜けばすぐ死んでしまう程度の存在でしかない。

 

 一年と言う寿命があり。一年以内に器の昇格(ランクアップ)しなくては死んでしまう儚い存在でしかない。

 

 だから無視した。

 

 もし挨拶を返して欲しいのなら、せめて器の昇格(ランクアップ)して寿命を延ばしてからにしろ。

 

 そう思っていた。

 

 だが……もし今回のインファントドラゴンを本当にカエデが倒していたのなら……

 

 器の昇格(ランクアップ)も不可能では無い。

 

 俄かには信じがたいが……

 

 もし、器の昇格(ランクアップ)して三級(レベル2)にあがったのなら。

 

 挨拶ぐらい返してやっても良い。そう思えた。




 本作の二次創作(だんまちの三次創作に当たる作品)を書きたいと言う変わった方がいましたので一応他にも居るかもですので少しお伝えします。

 『生命の唄』二次創作(ダンまち三次創作に当たる作品)につきまして。
 読者様から募ったキャラ・ファミリア等も含まれており私個人では許可出来ない為、基本禁止となります。

 読者様から募ったキャラ・ファミリアを除外しての創作であればご自由にどうぞ。

 【ミューズ・ファミリア】の主神・眷属&付随してペコラ・カルネイロ
 ※カエデ・ハバリの【孤高奏響(ディスコード)】は元より本作に存在した設定であり、後から出て来たアイディアと絡めた形なので可。ペコラ&キーラは【ミューズ・ファミリア】の意見を元に作成したキャラなので不可。

 【トート・ファミリア】の主神・眷属

 【ナイアル・ファミリア】の一部眷属 ※神ナイアルにつきましては本作にあらかじめ登場予定だった為、可とする。
 以上のキャラ・ファミリアを除外して『生命の唄』二次創作を行う分にはご自由にどうぞ。


 その他、本作におけるオリキャラを自作品に登場させたいと言う作者様へ。
 メッセージにてご一報頂ければ可とします。
 登場させる作品タイトル&登場させたいキャラ。
 投稿時に匿名投稿する・している場合は匿名を記載してください。

 なおキャラステイタス等の情報も希望すれば公開しますのでメッセージにてお送りください。




『酒乱の盃』
 冒険者【酒乱群狼(スォームアジテイター)】ホオヅキの使用する装備魔法。
 酒が溢れる盃を作り出す。
 使用者がイメージした液体を入れておく事が出来る容器の形状をした()を作り出す魔法。
 込められた精神力(マインド)の量によって出てくる酒の量が変化する。

 詠唱『盃をその手に、零れる酒は湯水の如く、溺れたまえよ』

 普段ホオヅキが好んで作り出すのは朱色の酒杯。
 他には酒瓶の形をしていたりと、見た目はそこらの酒瓶や酒杯と同じモノであり、混ざると解らなくなる。

 中身の酒はホオヅキが最後に口にした酒と同じモノになる。

 二種類の装備解放(アリスィア)が存在する装備魔法である。

 追加詠唱『酒は百薬の長』
 盃から溢れる酒が万能薬(エリクサー)と同じ性能を持つ様になる。
 飲むだけで持続的な回復効果も得られ、飲んでいる間はほぼ不死身状態になれる。
 しかし致命的欠陥として耐異常にて防げない『酩酊』状態を引き起こすと言うペナルティも発生する。

 追加詠唱『酒は万病の元』
 盃から溢れる酒を一滴でも口にするとランダムで毒効果を発揮する様にする。
 毒効果の内容は選ぶことは出来ないが、対異常で防げない様な猛毒から、対異常がなくても問題ない程度の軽度の毒であったりと、効果がランダムで扱いづらい。

 体の末端部位から徐々に腐って落ちたり。体中に赤黒い斑点が現れて激痛に見舞われたりと恐ろしい効力もあれば、少し熱っぽくなったり、眩暈がしたり程度と軽い効果の場合もある。
 ちなみに最も恐ろしいのは触れた端から体がドロドロに溶けると言うモノであったりする……。


 主な利用法は『百薬の長』の回復効果中に口に含んで相手に吹きかけると言う使い方をする。自身への猛毒効果は『百薬の長』の回復効果で打ち消しつつ、吹きかけた相手に猛毒効果を発揮すると言う恐ろしい使い方をしている。


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『器の昇格《ランクアップ》』

 横転した馬車の中。

 隙間から見える光景が目から離れない。

 鎖に繋がれて、外から聞こえる狂った叫びに体を震わせる。

『二人を何処にやった』『言え、知ってる事全部』『嘘だ、知らない訳がない』

 そんな叫び声と共に、()()()()の絶叫が響く。

 手足を捥ぎ取られて、芋虫みたいに這いつくばるあいつ等を見て、ざまぁみろと声をかけた。

 …………アイツ等が全員バラバラになったら、次はアタシの番かな…………

 ………………アイツの声、どっかで聞いた事ある声だけど何処で聞いたんだっけ?

 村の仲間は皆死んだし、狂った奴(あんなの)居なかったはずなんだけど……

 でも、知ってる奴だと思う。()()()()()()()()()


 目を覚ましたら【ロキ・ファミリア】の私室の天井が目に飛び込んできた。

 

 薄らと最後の記憶を辿りつつも、目の前の天井を見続けてから、壁の方に視線を向ければ『形見の刀』と『大鉈』がラックにかけられているのを見て目を細める。

 

 疲労感がまるで鉛の様に体にこびり付いている所為かまるで水の中で動いているかのような動きで身を起こして室内を見回す。

 

 簡素な私室にはベッドと、中身が全く入っていないクローゼット。そしてエンドテーブルとチェア。窓際の真っ白なカーテンは閉じられ、魔石を使った照明は点いていない。後は武具を収めて置く為のチェストが一つ。

 壁にかけられたラックに鎮座している『形見の刀』と『大鉈』が唯一部屋を彩る装飾品と言えるだろう。

 

 そんな私室を眺めながら首を傾げる。

 

 ワタシはどうして此処で寝てるんだろう?

 

 思考に靄がかかった様にまるで上手く纏まらず。ベッドから出ようと足を床につけて立ち上がろうとするも上手くいかない。

 立ち上がれない。体が鉛とすり替わったのではないかと言う程重たく、立ち上がる事は出来そうになかった。

 

 上手く働かない思考に若干の苛立ちを覚える。しかしその苛立ちすらも靄がかかった様に消え失せていく。

 

 最後の記憶を必死にたどる。

 

 ベートさんに会って……ジョゼットさんが申し訳なさそうな顔をしていて……それから……

 

 疲労感の所為で頭の中に浮かんだ光景がぼやけて消えてしまう。

 

 そんな風にベッドに腰掛けながら部屋をぼんやりと眺めていると、扉をノックする音が聞こえた。

 

 コンコンと、丁重に扉を叩くこの音は――――誰だろう?

 

 多分、リヴェリア様か、ジョゼットさん……だと思う。

 

 返事をしようと口を開くも、声が出なかった。

 

 口から零れた吐息が静かな部屋に響き、扉の向うからリヴェリア様の声が聞こえた。

 

「入るぞ」

 

 短い一言と共に扉が開けられ、入ってきたリヴェリア様と目が合う。

 

「目覚めていたか。調子はどうだ?」

 

 その質問に答えようと口を開くが、声は出ない。疲労感の所為で思考は纏まらない。問いかけられた内容がぼやけて消えて行き。そのまま問いかけられたと言う事柄すら脳裏から消えて行く。

 

「……カエデ?」

 

 自分の名前を呼ばれた。気がする。ぼんやりとした思考の中、返事をしようと口を開いて、閉じる。

 

 いつの間にか目の前にリヴェリア様が居て、声をかけられて……返事をしないといけないはずなのに、疲労感がソレを阻害する。纏まらない思考はそのまま目の前に居るリヴェリア様の事すら意識から零れ落ちさせ、何故自分が此処に居るのか分らなくなり首を傾げた。

 

 あれ? 窓はカーテンが閉まっていたのではなかっただろうか? 何故開いているんだろう? 照明も落とされていたはずなのに……はて?

 

「大丈夫か?」

 

 再度の質問。ゆっくりとその意味を噛み締めて理解しようとするも、薄れていって消えてしまう。何かがおかしい気がする。おかしい? 何がおかしいのだろうか……?

 

 目の前のリヴェリア様の目を見てから、窓の方に視線を向ける。なんとなく。

 

 窓から見える景色が薄らと灰色に染まっているのが見えて、首を傾げる。

 

 灰色? 空の色は灰色だっただろうか? 雨でも降っているのか? 雨音は聞こえないのに。曇り空なのかもしれない。

 

「カエデ、大丈夫か?」

 

 肩を掴まれ、質問を投げかけられた。前を向けばリヴェリア様の顔が目の前にあって……リヴェリア様の筈だ。何かがおかしくて首を傾げる。

 

「……カエデ、私の言葉がわかるか?」

 

 質問、質問? 何を問いかけられているのか理解できなくて首を傾げてから、違和感の正体に気が付いた。

 

 リヴェリア様の髪色は灰色だっただろうか? 目の色も灰色な気がする。

 

 と言うよりは、世界全てが灰色に染まっている。なんだろうコレは……

 

「カエデ、カエデ、おい、聞こえているか?」

 

 その問いかけに頷く。ちゃんと聞こえている。聞こえているのだ……何が?

 

「……調子はどうだ? 会話は可能か? 無理なら首を横に振ってくれ」

 

 調子はどう? わからない。思考に靄がかかってぼんやりする。上手く思考が纏まらない。

 

「わからないです」

 

 何とか口から言葉が零れ落ちる。おかしい、何かがおかしい。何がおかしい?

 

 その言葉を聞き、リヴェリアは眉を顰めた。

 

 

 

 

 

 

 【ハデス・ファミリア】から襲撃を受けた。カエデを狙っている。そんな報告を受けたのはリヴェリアがフィンの代りにギルドに提出する書類を纏め終わったのでお茶でも飲もうかと茶器の用意をしているタイミングであった。

 

 リヴェリアの私室の扉を蹴破る勢いで入ってきたのは焦った表情のジョゼットだった。カエデに同行してダンジョンに行っていた筈であり、時間的にまだ戻ってくる時間では無かったのと、エルフらしく気品ある行動を心掛けているはずのジョゼットの珍しい慌てた姿に一瞬怪訝そうな表情を浮かべてから、茶器を置いてどうしたと問いかけた。

 

『緊急報告、神ロキが発見できなかった為、副団長に報告に上がりました! 【ハデス・ファミリア】の襲撃を受けました。狙いはカエデ・ハバリ、襲撃で分断された後にカエデ・ハバリがインファントドラゴンと交戦、生還はしましたが意識不明です。現在、ダンジョン内でベートさんと合流し団長、ラウルと共にカエデさんを護送中。追加報告【縛鎖(ばくさ)】を捕縛しラウルが運搬しております。私は先駆けとして報告に上がりました』

 

 早口で捲し立てる様なジョゼットの報告にリヴェリアは一瞬思考停しかける。

 

 その後の行動は素早く行方を晦ましていたロキを捕まえる様に数人の団員に指示をだし。直ぐに本拠の警戒態勢を敷きつつも鍛錬場で団員の鍛錬を行っていたガレスにフィンと合流する様に伝えた。

 

 直ぐにガレスはダンジョン入口でフィン達と合流しカエデを無事に本拠に運び込む事に成功。

 

 その後、街中をこっそり徘徊していたロキの捕獲に成功したアイズが戻った後にファミリア内で緊急会議が開かれ、状況の把握に努めた。

 

 『カエデを罪人と呼び【ハデス・ファミリア】が命を狙っている事』、『謎の巨漢がカエデに十二階層でインファントドラゴンと交戦する様に指示した事』そして『カエデがインファントドラゴン討伐に成功した()()()()()()事』

 

 ロキの反応は凄まじく、悪神としての表情を浮かべて『ハデス殺すわ』と断言した後に『フレイヤアァァァァァッ!!』と叫び。最後には『カエデたんナイスやッ!!』と喜んだりと大忙しだったが。

 

 その後、【ハデス・ファミリア】の行方を捜索する為にダンジョンに潜るも、姿は綺麗さっぱり消えており、ベートがダンジョン内に放置した【ハデス・ファミリア】団員の姿も無かった。

 【処刑人(ディミオス)】が治療の為に【ディアンケヒト・ファミリア】に立ち寄った事は分ったが、その後の行方は不明となっている。

 

 一応、捕虜である【縛鎖】イサルコ・ロッキを預かっている旨をギルドに報告しておき、肝心のイサルコは捕虜用の部屋に拘束している。

 

 結局、【ハデス・ファミリア】は行方知れずとなり姿を晦まし。警戒態勢に入った【ロキ・ファミリア】に襲撃を仕掛けるファミリアはいなかった。

 

 そして意識不明だったカエデは二日間も眠り続け、漸く目を覚ました。

 

 

 

 

 

 目を覚ましたカエデの様子が変だ。そんな報告を受けたロキは直ぐにミアハに連絡をつける様に指示をしてからカエデの元に向かった。

 

 部屋に入って見たのはぼーっとベッドに腰掛けながら首を傾げたりしているカエデの姿だった。二日も目覚めなかった眷属が目覚めている事に喜んだロキはカエデに駆け寄って抱き付くも。カエデは無反応で一瞬首を傾げるのみ。様子がおかしいと聞いていたがこれほどとは思わず、面食らってしまったがその後必死に何度も呼びかけ続けている。

 

「カエデたん? 大丈夫かー……?」

 

「……はい」

 

 ロキはベッドに腰掛けたカエデの両肩を掴んでカエデの視線を自身に向けさせてから声をかければ、カエデは一拍おいてからようやく返事をする。

 

 ソレを確認してから、ロキはカエデの両肩から手を離してもう一度声をかける。

 

「カエデたん」

 

 今度は返事がない。所かロキの方から視線を外して部屋の中を見回して首を傾げている。

 

 視点が安定せず、焦点もしっちゃかめっちゃかになっているのが解り、ロキは眉を顰めてもう一度カエデの両肩を掴む。掴めばカエデの視線が目の前のロキに固定されて不思議そうな表情を浮かべる。

 

「カエデたん、大丈夫かいな?」

 

「……? ロキさま? 大丈夫……? 何がですか?」

 

 おかしい。どうにも心此処に有らずと言った様子である。ただ、最初に比べればマシになったと言える。

 

 最初にカエデに声をかけた時はそもそもロキを認識できずに何度も首を傾げており。五度ほど繰り返して漸くロキに反応を示したぐらいだったのだ。

 

 緊急で呼び付けたミアハがやってくるまで、何度も呼びかけてみるが、反応がこれ以上回復しない。

 

 もしこのままなら……そんな風に心配して若干焦っていたロキだったが、そんな焦りもミアハの診断結果で落ち着く事が出来た。

 

 ミアハはカエデの様子を見るなりカエデに一言『寝た方が良い』とだけ言ってカエデをベッドに寝かせつけたのだ。

 

 ミアハは『意識だけが覚醒し、肉体は未だ疲労状態から抜け出せていない。体や脳は休みを求めているのに意識だけが半覚醒している所為で反応は鈍いし思考が回っていない。まずは疲労回復の為に寝る事。次に目を覚ましたら食事をとらせた方が良い。直ぐにとは言わないが後半日も眠れば一応は回復するだろう』とだけ言うとロキに内密の話があると告げてきた。

 

 

 

 

 

 ミアハの診断結果を聞いて若干安心しつつも、内密の話について話す為にミアハと二人きりで客室で対面するロキはミアハの真剣な表情を見つつも口を開いた。

 

「んで? 内密な話って何や?」

 

「……カエデ・ハバリのステイタスについてだ」

 

 ロキはミアハに何も教えていない。ただ『カエデが倒れたから様子見たってーな』と軽い伝言で伝えたのだ。ソレだけでミアハはすっとんできてくれたので感謝している。

 

 しかし、ステイタスについてと言う言葉にロキは眉を顰める。

 

「教えてくれ言うんや無いやろな」

 

 眷属の人生、その軌跡をそっくりそのまま映したモノ。ソレがステイタスであり、その眷属の長所、そして短所を映し出すモノである。本来なら、と言うよりオラリオにおいて他ファミリアの眷属のステイタスを聞くと言う行為は忌避されるモノであり。マナー違反である。

 

 ミアハの表情は変わらず。ロキの言葉を肯定する訳でも否定する訳でも無くミアハは口を開いた。

 

「魔法……いや、スキルだろうか? アレは生半可なスキルの反動では無いな、もしあの疲労状態に陥る原因となった魔法かスキルがあるなら……もう二度と、使わせるな」

 

 真っ直ぐロキを見据えたミアハの言葉に、ロキはゆっくりと手を額に当てた。

 

 疲労状態の原因、心当りが有り過ぎて困る。

 

 『烈火の呼氣』が原因で間違いないだろう。カエデ自身の口から語られたわけでは無いが、ベートが確認したインファントドラゴンの倒し方や状況から間違いなく原因はソレであると言えるが……

 

 カエデの言葉を思い出して眉間に皺が寄る。

 

『緊急時、必要とあれば使います』

 

 その()()()が今回の出来事だった訳だが……

 

「無理や」

 

「……どんなスキルなのかは聞かずとも理解できる。あのままだと、間違いなく死ぬぞ」

 

「せやろなぁ……」

 

 『烈火の呼氣』、しかもフィンの見立てでは『旋律スキル』も組み合わせた本格的なモノを使用した可能性が高い。

 今までの能力の制限解除(リミットオフ)とは別次元なレベルでカエデは力を発揮している。

 

 本来、インファントドラゴンの頭骨なんてそうそう砕けるモノじゃない。

 

 それこそ強靭な鱗に守られた頭の頭骨部分なんてまともに狙う場所じゃないし、正攻法なら比較的に柔らかな腹の部分をどうにか狙うのが基本である。

 

 腹を狙う為に足を攻撃して少しずつ弱らせ、止めとして腹に一撃叩き込む。ソレがインファントドラゴンと戦う正攻法である。

 

 間違っても、()()()()()()()()()()()()()()()して倒すなんて倒し方はしない。

 

 ソレが出来るのは最低でも準一級(レベル4)冒険者である。

 

 だが、カエデは駆け出し(レベル1)冒険者でありながらソレを成した可能性がある。

 

 もしソレが本当なら凄まじい偉業だが、間違いなく言える事はソレが体に掛ける負担は想像を絶すると言う事だろう。

 

 と言うか割とカエデが生きている事自体がかなり奇跡的とも言えるモノなのだ。

 

 本人の生きる意思の賜物か、カエデは未だ生にしがみ付いているが……

 

「カエデの寿命が半分以下になっていた。アレはどういう事だ?」

 

 ミアハの言葉にロキは口元を歪めて呟く。

 

「やっぱりかぁ」

 

「…………」

 

 カエデが今回しでかしたことは、()()()()()()()()()()()寿()()()()()()()()()()()()()()行為である。

 無理が祟った。結果としてはそうだが……カエデ本人はただ生き残る為に全力を尽くしただけである。

 

 あの場面、インファントドラゴンに襲われているカエデが生き残る為に全力を尽くした結果だったとして、『カエデ・ハバリは生き残る事に成功した』ソレが事実である。

 

 代価として『寿命が二ヵ月半になった』としても、インファントドラゴンにあの場で殺されるか、少しでも長く生きる為に寿命を削るか。どちらか選べと言われればカエデは迷わず後者を選ぶだろう。

 

 例えあらかじめカエデに危険性を説明しておいたとしても、その場で死ぬぐらいなら、残っている寿命を削ってでも生存を優先する。カエデの性格上、間違いなくそんな選択肢を選んで寿命を削っていく。

 

 削れた寿命は元に戻らない。

 

 元々、カエデは寿命に難を抱えていた。ソレは生れ付きの先天的なモノであるとミアハも断言したが。今回は違う。疲労が溜まり切ったカエデの体は間違いなく寿命が削れていた。其れもロキが一目見て一瞬で解ってしまう程度には……

 

「ロキ、カエデの()()()()()を使わせるな。次は……死ぬぞ。間違いなくな」

 

 ミアハの言葉にロキは両手を上げた。

 

「さっきも言ったけど、そりゃ無理やな。危険性の説明はしっかりする。せやけどな。カエデたんは危険性を承知の上で、必要やったら迷わず使うわ」

 

 ()()()()()()()()

 

 フレイヤにはそれなりに警戒していた積りだった。だが【ハデス・ファミリア】とか言う訳のわからん所が手出ししてきた所を狙って手出ししてくるとは予想外だった。

 

 しかも今回の件で【フレイヤ・ファミリア】に文句を言えない。正確には言った所で知らぬ存ぜぬで押し通される事位目に見えている。何より致命的なのはカエデが『大柄な人物』が()()()()()()を正しく把握できていない事があげられる。

 

 もしカエデの『大柄な人物』と言う情報だけで【フレイヤ・ファミリア】に文句を言おうモノなら、『もしかして別のファミリアの子なんじゃないの?』とはぐらかされてしまい、追及も出来ない所か半端な予測で動けば【フレイヤ・ファミリア】が優位に動ける様になってしまう。ムカつくが今回の件で【フレイヤ・ファミリア】、ひいてはフレイヤに『ふざけんな』と言う事すらできない。

 

 ソレ以前に、カエデの異常性に気付いているのはロキとフレイヤぐらいで他のファミリアには『珍しい白毛の狼人』ぐらいしか伝わっていない積りだったのだ。

 

 ミアハも『寿命を求めてやってきた眷属』程度にしか考えていないだろう。

 

 ソレが【ハデス・ファミリア】が『罪人』と呼んで処刑を実行しようとしている辺り当てにならない。

 

 他にも【恵比寿・ファミリア】に所属している【幸運の招き猫(ハッピーキャット)】も一枚噛んできているらしい。

 

 この調子だと他にも複数のファミリアがカエデに目をつけている可能性が高い。

 

 面倒此処に極まれり。カエデを守れると断言出来なくなった。

 

 ロキはゆっくりと立ち上がるとミアハを見据える。

 

「今回、カエデたんの寿命が削れた事は、本人には内緒にしてくれへんか?」

 

 ロキの言葉にミアハはあからさまに眉を顰めた後に、目を伏せて頷いた。

 

「……わかった。私からは言わない……だが、一つ聞かせてくれないか?」

 

「なんや?」

 

 目を開き、ロキを見据えるミアハは確信した様に呟いた。

 

器の昇格(ランクアップ)出来るのだろう? わずか二週間……ダンジョンに四度潜っただけで器の昇格(ランクアップ)した等、皆が知ればどうなるか、予測できない訳ではあるまい。どうするのだ?」

 

 その言葉にロキは肩を竦める。

 

 カエデは今回の件で器の昇格(ランクアップ)するだろうが……減った分の寿命の事も考えれば今回の器の昇格(ランクアップ)で得られる寿命は余り当てにならない。しかも周りの状況は最悪とも言えるぐらいに悪化するだろう。

 

 ミアハの言う通り、たったの四度、ダンジョンに潜っただけで『偉業の証』を入手し、なおかつ器の昇格(ランクアップ)に必要な『基礎アビリティD以上』を成し遂げた。ソレを知った神々は迷わずカエデを付け狙う事だろう。

 

 【ヘファイストス・ファミリア】がカエデの後ろ盾として機能したとして、それで守り切れるかと言えば。断言するが『不可能』である。

 

 そこら辺の駆け引き何ぞ知った事かとカエデの周囲を引っ掻き回す神は必ず現れる。

 

 そうなれば削れた寿命に器の昇格(ランクアップ)にて伸びた寿命が合わさって最終的にプラスにはなるだろうが、周囲で巻き起こる神々の奪い合いの所為でカエデが身動きできなくなる可能性もあるのだ……

 

 なる様になる。そんな風に構えていれば間違いなく『カエデは死ぬ』。

 

 今のままでも【フレイヤ・ファミリア】の『試練』が今後もカエデに与えられるだろう。その度に寿命を削っていれば……今回削れた分は器の昇格(ランクアップ)で取り戻して有り余るが、もし器の昇格(ランクアップ)して伸びる量よりも削れる量が多くなれば……

 

 【フレイヤ・ファミリア】に対する牽制を増やしたいが……【ハデス・ファミリア】が懸念事項過ぎる。

 

 ミアハを見て、もう一度肩を竦める。

 

「なんとかするわ」

 

「……そうか」

 

 それ以上語る事は無いと判断し、ミアハと別れた。

 

 

 

 

 

 カエデが完全復帰したのはそれから二日後の昼頃であった。

 

 口いっぱいに料理を頬張っていっそ必死に食事にありつくカエデの様子を見ながら。リヴェリアは安堵の吐息を零した。

 

「元気になった様で安心したぞ」

 

「むぐむぐ、むぐ? むぐ」

 

 料理を頬張りながらも何かを言おうとするカエデにリヴェリアは首を横に振る。

 

「無理に喋らなくて良いぞ……空腹なのだろう。食べながらで構わない。この後、ロキにステイタスの更新をしてもらえ」

 

 頷きながらもスープを口にしているカエデの様子にマナーが悪いなと感じつつも、仕方が無いかと肩を竦める。

 

 合計三日目に一度目覚めて空腹を訴え、食べるだけ食べて再度眠りに就き。そして今日になって目覚めたカエデは再度空腹を訴えたが。最初に比べて受け答えはしっかりとしていたし。二日目にあった心ここに有らず状態から脱していたのだ。

 

 一気にスープを飲もうとして、熱かったのか一瞬口を離してから、再度果敢にスープに挑むカエデの姿に苦笑を浮かべる。

 

 そんな様子を眺めてようやく安心できたのだ。

 

 

 

 

 

 ロキに手を引かれてステイタスの更新の為にロキの私室にやって来た。

 

 記憶が定かではないが、どうやらインファントドラゴンと戦ってからもう四日ほど経っているらしい。

 

 途中、何度か目覚めていたらしいが、そのことをワタシは覚えていなかった。

 

 首を傾げつつも、ロキと共に部屋に入れば、変わらぬ笑みを浮かべたロキの姿があった。

 何故か部屋の隅っこの辺りにごみ袋が鎮座しているが……隙間から見えるのは肌色の多い画集の様な薄っぺらい本が覗いている。あれは何だろう?

 

「いやーひっさしぶりやな。心配しとったでー……カエデたん、心の準備はええかー?」

 

「はい」

 

 インファントドラゴン討伐。間違いなく『偉業の証』を得られる様な偉業で間違いない。

 

 そしてワタシのステイタスは器の昇格(ランクアップ)に必要な『基礎アビリティD以上』を達成している。

 

 例え『偉業の欠片』だったとしても、既に一つ手に入れているので結果的に『偉業の証』になるのは確定であり、今回の更新で器の昇格(ランクアップ)可能であると言う事実に変わりは無い。

 

 【ハデス・ファミリア】の襲撃、インファントドラゴンとの戦闘。冒険者として活動を始めてたったの二週間での器の昇格(ランクアップ)

 

 最短記録(レコードホルダー)更新や、歴史に名を残すだとかどうとか。そんなモノに一切興味は無い。

 

 どれだけ寿命が延びるか。ワタシが気になるのはそれだけである。

 

 椅子に腰かけてロキに背を向ける。

 

 ロキがあらかじめ準備していたらしい更新に使う針などを手早く使い、ステイタスを更新していく。

 

 

 

 

 力:D533 → A877

 耐久:B762 → A869

 魔力:I0 → I0

 敏捷:C636 → S962

 器用:C690 → S999

 

 『偉業の証』★

 『偉業の欠片』★☆

 

 

 発現可能:発展アビリティ

 《剣士》《生存》《狂歌》《軽減》

 

 

 

 

 

 淡く輝くステイタスを見て、ロキはゆっくり息を吐く。

 

 それからもろ手を挙げて大声で喜ぶ。

 

「やったでっ!! 器の昇格(ランクアップ)やっ!! 最短記録(レコードホルダー)更新やっ!! しかもこんな短期間やでっ!!」

 

 下の階層、他の団員に聞こえるぐらいの声量で声をあげる。目の前に居るカエデからすれば迷惑極まりないはずの声量なのに。カエデの反応は耳をピクリとさせるだけだった。

 

 カエデの事を覗き込む。ゆっくりとその事実を噛み締める様に理解している様子だ。徐々に喜色へと染まっていく表情に満足気に笑みを浮かべて。ロキは口を開いた。

 

「カエデたん、発展アビリティ3()()()発現しとるわ。《剣士》、《生存》、《軽減》やな」

 

 《剣士》はアイズも持っているスキルであり。剣を扱う際にステイタスにボーナスが付き、剣の扱いが上達すると言うモノ。

 

 《生存》は簡単に言えば生存に関わる耐久のステイタスへのボーナスと、追加で即死級の攻撃に対する直感効果が得られると言うモノ。

 

 《軽減》は攻撃行動等の反動損傷(ダメージ)の軽減効果。

 

 《狂歌》は……、【ミューズ・ファミリア】に尋ねれば答えて貰えるだろうか。見た事の無いアビリティだ。ただ、一目で『嫌な予感』を感じるアビリティに手出ししようとは思えない……。

 

 カエデに必要なのは《軽減》だろう。

 

 事例が無いので確証はないが《軽減》ならば『烈火の呼氣』の反動損傷(ダメージ)を軽減できるかもしれない。

 

 それに無茶を重ねていく以上、あるのと無いのとでは全然生存率が違うはずだ。

 

「カエデたん、どれがええ?」

 

「……《生存》でお願いします」

 

 だろうな。そんな感想を飲み込みロキは口を開いた。

 

「ウチ的には《軽減》をおすすめするでー。カエデたんの『呼氣法』の反動も軽減できるやろうし、これからも使うならそっちのがえぇで」

 

「………………」

 

 迷う様に眉を顰めたカエデの様子を見つつ。ゆっくり考えさせる。

 

 これはカエデの人生(ステイタス)である。(ロキ)が勝手に定めて(決めて)良いモノではない。

 

 器の昇格(ランクアップ)

 

 何の含みも無くもろ手を挙げて喜びたい事のはずなのに。

 

 脳裏を過るのは他の神々に弄ばれ、翻弄されているカエデの姿である。

 

 内心舌打ちしつつも、ゆっくりカエデの返答を待つ。




 感想沢山貰えるとやる気でますね。もっとたくさん欲しくなりますな。



 本作におけるステイタスの伸びについて。

 限界値はありません。原作に於いては『全然伸びなくなる』とありますが。本作もほぼ同じ感じです。

 具体的な理由として、才能の有無で必要経験値(エクセリア)の量が決まる。と言った形。(上がらなくなるのはそれ以降は馬鹿げた数値の経験値(エクセリア)を集めなければならなくなったから)

 他には得意な基礎アビリティは『必要経験値が少なく』、不得意な基礎アビリティは『必要経験値が多い』と言う感じです。
 なので才能の無い基礎アビリティ(エルフで言う耐久や力)なども、経験値(エクセリア)を死ぬ気で集めればSに行けなくはない。みたいな感じですね。

 簡素に言うとエルフは『魔力の必要経験値(エクセリア)0/20』、『耐久の必要経験値(エクセリア) 0/200』みたいな感じで、必要経験値(エクセリア)が数倍に跳ね上がっているので非常に上がりにくい感じ。
 逆に言えば経験値(エクセリア)さえためてしまえば限界到達(カンスト)する事は不可能では無いです。
 まぁ、必要経験値(エクセリア)が馬鹿げた数字にまで跳ね上がって、器の昇格(ランクアップ)した方がより強くなれると言った感じですが。

 全く基礎アビリティが上がらなくなった時は『必要経験値(エクセリア) 0/20億』とかになってるんでしょうね。

 無論基礎アビリティが上昇すればする程に、手に入る経験値(エクセリア)も低くなる訳で……上げるの大変そう(小並感




【妖精弓の打ち手】
 【魔弓の射手】ジョゼット・ミザンナの扱う装備魔法。
 追尾性能のある光の矢を放つ魔法弓を作り出す。

 詠唱『誇り高き妖精の射手へと贈ろう。非力な我が身が打つ妖精弓を、○○矢の矢束を○つ、○○矢の矢を添えて』

 ○○の部分は数字。込めた精神(マインド)量によって数が変動する。
 最低値は『六矢の矢束を三つ、十八矢の矢を添えて』
 最高値は『二十四矢の矢束を八つ、百九十二矢の矢を添えて』

 通常使用の場合は最低十八回、最高百九十二回使用可能である。

 装備解放(アリスィア)
 追加詠唱『射手隊よ、弓を持て、矢を放て『一斉射』』によって発動。

 一つの矢を放ち、着弾地点もしくは一定距離飛んだ後にその地点から一つの矢束の本数分の矢を同時に放つ、回数は矢束の数に依存する。
 単発威力は単体使用と変化無し。

 個人で弾幕を張れるが、威力はそこまで高くない。下層以下においては数を揃えて放ち続ける事で個人であってもモンスターの群れを足止めできる。ただし足止めが限界であり倒す事までは出来ない事が多い。


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『神会』《上》

『アマネ、そろそろ頷いてはくれないだろうか?』

『お断りじゃと言うておろう、早うこの枷を外せ。其れと、ワシの名は()()()じゃ。間違えるな死にぞこないめ』

『……オマエは神が憎くないのか?』

『否定はしまい。しかし()()()()()()()()()()()()じゃ。多少の憎悪何ぞ飲み干して見せるわ』

『……ふざけるな、神々が()()()()()()()()()()()()()()!!』

『はぁ、ワシはあの()には良い思い出は無い。破壊された事に思う所はあるが。神を憎む程では無い』

『何故だっ!! オマエは仲間の血肉すら糧として()()()()()()()()ではないかっ!! 其れを破壊したのだぞっ!! ()()()()()()()()()()()っ!!』

『知るか。其れより枷を外せ。ワシはオヌシの()()()なんぞに付き合っとる時間は無い。あの子との約束があるんじゃ』

『……その()()()とやらが、アマネ、貴女の裏切りの訳ですか……ジョゼットと言う小娘に弓術を教える内に情を抱いて裏切った兄といい。我が子でもない者に情なんぞ抱いて……どうして()()()のだっ!!』

『……知らんと言うておろうに、さっさと枷を外せ。それともう三日も飲まず食わずは辛いんじゃが。何時まで月を肴に空腹を我慢させる積りじゃ。ワシとて飲み食いせねば死ぬんじゃが』

『貴女が頷くまで解放する積りは有りません』

『……はぁ、強情じゃの死にぞこない』

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

『……ワシはヒヅチじゃ。アマネでは無い。間違えるな小娘

()()()()()()()()()()()()()()()()()

『………………』


 ヘファイストスは並んで歩くロキの方へ視線を向けて驚きの表情を浮かべた。

 

「え? 貴女、今なんて言ったの?」

 

 ロキに伝えられた情報が信じられずに足を止めれば、ロキは肩を竦めてヘラヘラと笑う。

 

「せやから、カエデたんが器の昇格(ランクアップ)したから今回の神会(デナトゥス)で二つ名つけるんよ。っちゅーわけでウチの案に賛成してぇーな」

 

 何でも無い様に笑いながら言うロキに、ヘファイストスは額に手を当てて呟いた。

 

「……嘘でしょ、カエデが冒険者になってから、まだ一ヶ月も経ってないのよ?」

 

「せやで。最短記録更新や。神の恩恵(ファルナ)授かってから三週間での器の昇格(ランクアップ)やで。もう更新も完了してるし。ギルドにも書類は提出したで?」

 

 笑いながら、いや、不自然に笑顔を浮かべながら言うロキの姿にヘファイストスは唖然としながら立ち尽くした。

 

 

 

 何の事は無い、本日の神会(デナトゥス)の招待状を持ってバベルの受付で手続きを行い。送迎の眷属と別れて会場であるバベルの三十階層に向かう途中の廊下で、ロキが仁王立ちしておりヘファイストスを見つけるや否や片手を上げて挨拶を交わしてきた。

 

 そこから何の事は無い世間話の様などうでも良い話をし始めたロキを不審に思いつつも、肩を並べて会場の入口扉前に辿り着いた所で、ロキがとんでもない事を言い出したのだ。

 

『カエデたんが器の昇格(ランクアップ)したでー』

 

 何の事は無い、世間話の延長の様なタイミングでの爆弾の投下にヘファイストスも目を剥くほどに驚いてしまった。

 

 

 

 深呼吸をして精神を落ち着かせてから、ヘファイストスは口を開いた。

 

「よかったじゃない」

 

 本心からの言葉に、ロキも笑顔を浮かべる。目が一切笑っていないのが気になるが……

 

「せやなー……」

 

「何処で証を?」

 

 偉業の欠片を入手していたのは聞いていたが、もう一つ同じだけの偉業を成し遂げたのだとすれば凄まじい速度だが……

 

「上の女神が、親切に試練を用意してくれたんよー……『インファントドラゴンの単騎(ソロ)討伐』の偉業を成し遂げて偉業の証ゲットやで」

 

 ロキはそう言いながらも右手を真上に向けて笑顔を深める。いや、それはもはや笑顔等とは呼べない程に歪んだ憎悪の表情である。一応笑顔に見えなくはない。しかし溢れ出る憎悪と悪意が間違いなく笑顔とは呼ばせない程に至ったその表情は天界で悪神として名を馳せているさ中に時折浮かべていた表情である。とても下界の眷属(こども)達に見せて良い表情ではない。

 

 そんなロキを見ながら、ロキの指が向けられた先の天井を見上げ、精密に掘り込まれた硝子が贅沢にも使われた照明を見て目を細めてから。ロキの示すモノがソレではなく。このバベルの最上階に坐す女神の事だと気付いたヘファイストスは溜息を吐いた。

 

「もう、手出ししてきてるのね」

 

「せやでー」

 

「しかも、インファントドラゴン単騎(ソロ)討伐って……三級(レベル2)冒険者の偉業でしょ……」

 

 インファントドラゴンの単騎(ソロ)討伐、三級(レベル2)冒険者の偉業の欠片に相当する其れ。駆け出し(レベル1)冒険者が成したのであれば間違いなく偉業の証を得るに相応しい偉業だが……

 

 『偉業の証』が得られる偉業なんていうのは神々が口をそろえて『不可能だ』と口にする様な事を成さなければならない。

 『不可能』だからこそ、ソレを成す冒険者を神々は絶賛するのだから……

 

 第一に、インファントドラゴンの耐久がどれほどなのかを考えれば、駆け出し(レベル1)冒険者がどう足掻こうが倒せないと言う結論に至るのには何の不思議も無い。

 

 その鱗や皮を傷付けるだけでも駆け出し(レベル1)ならば基礎アビリティ『筋力』がAに到達していないと無理だと言われるほどなのだ……

 

 ソレを成した? どうやって?

 

 其れも気になるが、器の昇格(ランクアップ)は喜ばしい事ではある。

 

 まぁ、あの美の女神(フレイヤ)が手出ししてきてなければ、と言う但し書きは必要だが……。

 

「それで、私はどうすれば良いのかしら?」

 

「悪いんやけど予定を早めるわ。後【ハデス・ファミリア】もカエデたん狙っとるみたいでな……ぶっ潰しときたいんよ」

 

「は? え? ちょっと待ちなさい。【ハデス・ファミリア】? 何であのファミリアが出てくるのよ」

 

 カエデの事について知っているのは【ロキ・ファミリア】と自分、後はフレイヤぐらいだと思っていたのだが……【ハデス・ファミリア】? 一体何処から?

 

「後なー恵比寿んとこも怪しいんよな。【幸運の招き猫(ハッピーキャット)】が手出ししてきとるんよ。まぁ【ハデス・ファミリア】を妨害してカエデたんから引き剥がすみたいな事しとったみたいなんやけど……(潰すべき)味方(利用すべき)かわからんのよなぁ」

 

 あまりの惨状に口を半開きにしつつも、思考を回す。

 

 【ハデス・ファミリア】に【恵比寿・ファミリア】?

 

 【ハデス・ファミリア】はファミリアの眷属総出でカエデを狙いダンジョン内で襲撃をしかけてきた。

 撃退はしたが主神やら眷属達には雲隠れされてしまい行方知れず。

 

 【恵比寿・ファミリア】は【ハデス・ファミリア】の【縛鎖(ばくさ)】イサルコ・ロッキの尋問の結果とベートの言葉から【幸運の招き猫(ハッピーキャット)】が【ハデス・ファミリア】の妨害に回ってカエデを庇う行動をしているとの事。但し、敵か味方かは判別できず、本人に確認をとろうにも【恵比寿・ファミリア】の各店舗を行ったり来たりしているらしく会う事が出来ず。主神の恵比寿も今日の神会(デナトゥス)にギリギリ間に合うぐらいには『行商』から帰ってくるそうで、顔は出すがその後直ぐに再度行商の為にオラリオを離れるとの事で面会すら受けてくれず。完全に立場不明である。

 

 そして仕舞には【フレイヤ・ファミリア】の【猛者(おうじゃ)】オッタルらしき人物がカエデに『女神の試練』を受けろと強制したらしい。

 但しカエデ自身が確実に【猛者(おうじゃ)】であると断言できなかった事と、証拠らしい証拠が何もなかった為、あくまでも【フレイヤ・ファミリア】が手出ししてきた()()()()()()でしかない。この状態で【フレイヤ・ファミリア】に文句をつければ逆に着け込まれて面倒な事になりかねない。

 

 どの情報も良い話を覆い隠す所か、良い話が消し飛ぶ様な内容でヘファイストスは溜息を零した。

 

「今日の神会(デナトゥス)で出方を見る?」

 

「【ハデス・ファミリア】は潰しときたいわな……【縛鎖(ばくさ)】から情報絞れんのよなぁ。本拠は無いっちゅー話やけども、()()ぐらいあるやろーって尋問したんよ。と言うか半ば拷問やな。ジョゼットたんがマジギレして半殺しにしとったわ。まぁそれでも吐かんかったんやけどな」

 

 【魔弓の射手】ジョゼット・ミザンナが【縛鎖(ばくさ)】を半殺し……。

 

 あのエルフは一時期有名だった頃に【凶狼(ヴァナルガンド)】並に暴れていた眷属だったので不思議ではないが……

 

「まぁ、今回の神会(デナトゥス)は荒れるでー……ウチが荒すんやけどな」

 

 ニカっと笑みを浮かべたロキに、ヘファイストスは深々と溜息を吐いた。

 

 

 

 

 

 

「それじゃ第ー……何次かは知らないけど。神会(デナトゥス)を始めまーす」

「なぁ、最近良い噂聞か無くね?」「眷属(こども)が最近ヤベェのがオラリオに来たとか言ってたんだが。白い狼人がどうとか。迷信信じてるんだな」「俺がっ!! ガネーシャだぁああああ!!」「うっせぇ、黙ってくれガネーシャ」「なんかラキアが進軍の為の軍備集めてるっぽいぜ?」「また軍神(アレス)かよ……何度撃退されりゃ気が済むんだ?」「俺のところの眷属()がさぁ、最近冷たくてさー」「俺の所、今回器の昇格(ランクアップ)出来そうで出来なかったんだよなー」

 

 司会進行役としてぴょんと立ち上がって宣言した木蔦の冠を頭に乗せ、半長靴を纏った幼い容姿の女神を気にした様子も無く、好き勝手に話し合う神々を見た幼い容姿の女神、タレイアが徐々に涙目になっていく。

 

 その様子を知りながらも、ロキとヘファイストスは全く違う方向に視線をやっていた。

 

 二人の視線の先、其処には悠々とした様子で席に着く男神の姿があった。

 

 【ハデス・ファミリア】の主神、神ハデス。

 黒々とした艶やかな鴉羽色の髪を肩で切り揃えた美丈夫の青年神、表面上は無表情であるがその顔色は若干青褪めており優れない。

 

 他にも二人が視線を巡らせれば、ひときわ目立つ女神の姿があった。

 

 その周囲の神々は口を閉ざし、男神も女神もどちらもその美の女神に視線を奪われ、美しさに吐息を零すと言う動作を繰り返す。

 そんな周囲の事をさも当然と受け入れつつ、この場に滅多に顔を見せる事の無い美しさを体現した、ではなく美しさ其の物とも言える女神フレイヤ。

 

 そのまま視線を他に向ければ、胡散臭い雰囲気を撒き散らす男神の姿もある。

 

 ニヤニヤとした笑みを浮かべて、ロキとは違った意味で胡散臭い臭いを周囲に撒き散らす茶髪に青いポロシャツにジーンズ、安っぽいスニーカーと言う恰好をした商売系ファミリアの主神、神恵比寿。こちらも若干顔色が優れない。自ら進んで行商をしつつもギリギリのタイミングで神会(デナトゥス)に滑り込んできたことから、碌に休憩もせずに来たらしい。相も変わらず胡散臭い笑みを撒き散らしている。

 

 そんな三人の神の様子を見つつも、ロキとヘファイストスは一瞬視線を交差させる。

 

 警戒すべきは? フレイヤ一択。 異議無しやな。

 

 そんな会話を視線だけで済ませてフレイヤを見れば、二人の視線に気づいたフレイヤがゆったりとした動作でロキを見て、微笑みを浮かべた。

 

 その微笑みに周囲の神々が更に深く悩ましげな吐息を零して見とれているのを軽蔑の視線を向けたロキが眺めてから、口元に獰猛な笑みを浮かべてフレイヤを見据える。

 

 そんなロキやヘファイストス、睨み合うフレイヤが一様に視線を交わらせて互いに威圧しあっていると、唐突に女神タレイアが泣き始めた。

 

「うぁぁぁん、皆ひどいよぉぉぉおお」

 

 司会進行を行おうと必死にアピールしていた女神タレイアが泣き始めた所で、神々は自分勝手に話すのをやめてタレイアに注目する。

 

「ひぐっ……えぐっ……」

 

 ぽろぽろと涙を流すタレイアを眺めつつ。全ての神々が次の言葉を待つ。

 

「もうやだぁあああああああああ」

 

 叫び声と共に司会席に置かれていたメガホンを思いっきり投げて、そのまま司会席からぴょんと飛び降りて走り去っていく。神会(デナトゥス)の会場の扉をバタンと開けてそのまま何処かに行ってしまったのを見送った神々が、再度自分勝手に話始める。

 

「んでさー、軍神(アレス)がまたやらかすアレどうするよ」「俺がガネーシャだっ!!」「誰もガネーシャ呼んでねぇから」「今回の監視だれがやってたっけ?」「ナイアルじゃね?」「げっ、ナイアルかよ……」「どうしたら眷属(こども)にメイド服着て貰えるんだ」「馬鹿野郎、メイド服なんかじゃなくて園児服着せろよ」「ランドセルに黄色い安全帽とか最高よなぁ」「何言ってんだコイツ等……」「痛ぇ」「うわ、セト大丈夫か? メガホン直撃してただろオマエ」「せんせー、セト君がメガホンの直撃でヤバイですー」「セト……良い神だったのに」「どうして死んじまったんだっ!!」「「「セト……」」」「死んでねぇよっ?!」

 

 何時もの光景である。

 

 例え司会進行の女神が泣こうが、男神が吐こうが。神々は知った事かと自分勝手に会話を弾ませる。コレを静めたくば、威圧するなり脅すなりする必要があるが。彼の女神、タレイアはそんな事が出来る女神ではない。しかも神々に無視されて傷心になってしまう打たれ弱い女神でもある。どうしてそんな女神に司会進行を任せたのか……

 

「はぁ、ちょっとウチのタレイアが司会進行できそうにないから、代わりに進行役をするわ」

 

 タレイアが出て行った扉が完全にしまったのを確認した一人の女神が立ち上がっててを叩く。

 

「はいはい、皆静かにー。神会(デナトゥス)を始めるわよ」

 

 立ち上がったのは女神タレイアと同じく【ミューズ・ファミリア】を形成する神々の一人、女神エラトーである。

 

軍神(アレス)の所のさー」「セトが死んだーこの人でなしー」「いや、俺ら人じゃなくて神じゃー」「ばっかだなオマエ、裸エプロンなんてよ」「水着エプロン超良いよなぁ」「最近一緒に寝てくれないんだよな……ちょっと前まで『かみさまー』ってとてとてーって走ってきて抱き付いてくれたのにさぁ」「おまえ其れ十年以上前の話だろ」

 

 エラトーの言葉をガン無視で話を続ける神々にエラトーが溜息を吐く。

 

「はぁ……ちょっと其処のセト、そのメガホン返しなさい」「あっはい」

 

 頭に瘤の出来た神セトからエラトーがメガホンを取り上げると。そのまま息を吸い込み始める。

 

 ソレを見た瞬間、フレイヤとロキ、ヘファイストスが一様に耳を塞ぐ。

 

そろそろ黙りなさい

 

 頭が割れるのではないかと言うほどの大音量で、エラトーの声が響き渡る。その声に神々が一様に動きを止めた。

 

「もう一度欲しいかしら?」

「「「いいえ、大丈夫です」」」

 

 口を揃えた神々が司会席に立つエラトーの方を見る。ようやく始められるとエラトーがメガホンを司会席に置いて口を開いた。

 

「えー、では。神会(デナトゥス)を始めます。 司会進行は訳あって私、エラトーが務めさせて頂くわ」

 

 わーわーどんどんぱふぱふーと妙な擬音で神々がはやし立てるのをジトッとした目で見たエラトーは溜息を吐いた。

 

「はぁ……じゃあ最初の報告事項から。最近近隣の『ラキア』王国の動向報告について。今の担当の【ナイアル・ファミリア】のナイアル。頼むわ」

 

 エラトーの言葉にスッと手をあげて立ち上がったのはぴっちりと()()()()を着込んだ美丈夫の男神である。

 

「では、不肖ながら私から報告を」

 

 立ち上がったのは規模の小さい商業ファミリアの【ナイアル・ファミリア】の主神ナイアルである。

 不気味な笑みを浮かべたその姿に神々が一瞬眉を顰めるも、ナイアルは気にした様子も無く口を開いた。

 

「【アレス・ファミリア】、ラキア王国に潜入していた私の眷属からの報告によればラキア王国内にて謎の殺傷事件が発生している模様です。王国近隣の支配地域の街や村に於いても殺傷事件が発生しており。今回の軍備においては()()()()()()()()()()()()()であり、『オラリオ』への進行を目的をした軍備では無い様子でした」

 

 その報告を受け、神々が「ほー」だの「え? 殺傷事件に眷属(軍隊)差し向けてんの?」等と勝手に話すのを見たエラトーがメガホンに手を伸ばす。瞬間神々が口を閉ざしてナイアルに続きを促した。

 

「殺傷事件の詳細につきましては……つい一か月程前から発生し始め、現段階に至るまでに()()()()()()()()()()()()()()。犯人につきましては()()()()()と言う事以外は完全に不明であり。主な殺傷に使われた道具は切れ味の良い刀剣であると言う事。後は……被害者の中に数名、ラキア王国の騎士団長クラスも複数含まれているそうです」

 

 その言葉に神々が怪訝そうな表情を浮かべる。

 

 ラキア王国騎士団長クラス、オラリオで言うなれば二級(レべル3)冒険者相当に値する実力者の事である。

 

「これにつきまして、犯人は推定準一級(レベル4)とされていますが。死体はどれも()()()()()()()()()()()()()()、私の推定としましては一級(レベル5)相当の人物であると思います」

 

 現在オラリオにおける一級(レベル5)冒険者は、ホオヅキの殺戮等や【ゼウス・ファミリア】【ヘラ・ファミリア】の壊滅、『闇派閥(イビィルズ)』の暗躍等で数が激減しており、行方不明になった一級(レベル5)冒険者も相当数いる為、その内の誰かが暴れているのでは? と神々が話しているさ中、神ナイアルは手を叩いて注目を集めると再度口を開いた。

 

「追加報告としまして潜入調査を行っていた私の眷属(こども)、四人中三名がその連続殺人犯に()()()()()()()()()()

 

 その報告に神々がどよめく。

 

 【ナイアル・ファミリア】の眷属は、準一級(レベル4)一人、三級(レベル2)二人、駆け出し(レベル1)一人である。

 それぞれが個性的な眷属ばかりである【ナイアル・ファミリア】の眷属が四人中三人仕留められた? 相手がどれほど手練れだったとしてもオラリオが誇る一級冒険者でもない限りは早々仕留められないと思われていたナイアルの眷属が、オラリオの外で仕留められた?

 

「状況については、最年少のアルスフェアが回収してきてくれました」

 

 神々のどよめきがさらに大きくなる。

 

 アルスフェア。神ナイアルの眷属である駆け出し(レベル1)少年。その言葉は、駆け出し(レベル1)のアルスフェア以外の眷属が死んだ事を意味する。

 特に準一級(レベル4)冒険者【夜鬼(ナイトゴーント)】はかなりの実力者であり、早々やられる事はないと思われていたし。生き残ったのも【夜鬼(ナイトゴーント)】だろうと思っていた神々からすれば驚愕の事実である。

 

「アルスフェア曰く、『瞬く間もなく闇から現れ出でて【夜鬼(ナイトゴーント)】を首を刎ねて仕留めた後、逃げる事を最優先にした【妖虫(シャン)】と、足止めの為に残った【外世界からの漁師(シャンタク鳥)】、どちらも気がついたら()()()()()()()()()らしく、その後死にもの狂いで逃げ出し、追いつかれそうになった所で唐突にその人物が足を止め、そのまま市街へと消えて行ったとの事。容姿は不明。唯一フードの形状が獣人用であったとの事から獣人ではないかと推測されるだけですね……」

 

 そこまで言うと、ナイアルは指一つ立てて「あーそう言えば」と続ける。

 

「なんでかは知らないですけど。アルスフェアが『偉業の証』を手に入れてたんですよねぇ? 不思議ですよねぇ? ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 その言葉に神々の胡乱気な視線が突き刺さる。

 さすがに嘘臭過ぎる。

 

「はは、信じて貰おうなんて思っては居ないですよ……まぁ、本当なんですがね」

 

 それから、ナイアルは肩を竦めて席に着き、思い出したかのように片手をあげて口を開いた。

 

「あぁ、私のファミリアはこれ以上潜入調査を続ける事は不可能ですので、何方(どなた)かラキア王国の潜入調査の代役を頼めませんかねぇ」

「と言う事みたいね。ラキア王国内で起きてる殺人事件、ありえないと思うけど『闇派閥(イヴィルス)』の生き残りの可能性もあるわね」

 

 『闇派閥(イヴィルス)』は【ロキ・ファミリア】の【勇者(ブレイバー)】の活躍によって仕留められたはずである。だが無いと言いきれない。

 

「まだ残ってんのかよ」「しぶと過ぎぃ」「水場の黴かよ……」「黒光りするアレみたいだなぁ」

 

 好き勝手呟く神々の様子をちらりと見てからエラトーが口を開いた。

 

「【ナイアル・ファミリア】に代わってラキア王国監視に就いてくれるファミリアは居るかしら?」

 

 誰もやりたがらない雑務に皆が静まりかえる。そんな様子を見たエラトーは一つ手を叩くと目があった一人の男神を指差した。

 

「今、フレイヤの胸に視線をやったそこの貴方。この件お願いね?」

「うぇっ!? 何でっ!?」

「あら、やってくれるのかしら?」

「はいっ!! 喜んでっ!!」

 

 フレイヤの胸に視線を向けていた男神が文句を言おうと口を開こうとすると、合わせる様にフレイヤがその男神に笑顔を向ける。途端に嬉しそうに尻尾を振る幻覚を振り撒きながら男神が承諾する。

 

「ありがと、フレイヤ。大好きよ」

「どういたしまして」

「はっ、俺はいったい何を……」

 

 男神が正気を取り戻した時には既に決定事項として書記席に座ったトートが無言のまま『アレス監視役』と言う名誉有る雑務の任を執り行うファミリア名を【ナイアル・ファミリア】からその男神のファミリア名へと手早く書き換えてしまう。

 

 ちくしょーと嘆く声を無視してエラトーが口を開いた。

 

「えー、次の話は?」

「はい」

 

 手をあげて立ち上がったのは胡散臭い雰囲気を撒き散らす神恵比寿である。

 

「おえー」「うわっ」「せんせー、神セトが恵比寿君の余りの胡散臭さに吐きましたー」「うぇっぷ……俺も気持ち悪くなってきた」「やべぇ……誰かあの胡散臭さをどうにかしてくれよぅ」

 

 瞬間、神々が吐いたりえずいたり、口を押えたりと好き勝手騒ぎはじめ神恵比寿が引きつった笑みを浮かべる。

 

「ちょっと待ってくんない? 僕そんなに胡散臭い?」

「「「うん」」」

 

 その言葉に悲しげに眼を細めてから、恵比寿は咳払いして口を開く。

 

「えー僕から質問ね。ギルドが()()()()()()について」

 

 恵比寿のその言葉が聞こえた瞬間、空気が引き締まる。

 

 ギルドの()()()()()()について。

 

 ギルドがとある眷属に対して発行した一つの依頼から発展した事件の事である。

 

「まず第一に、ウラノス、何やってんの?」

 

 笑みが深まり、胡散臭い雰囲気を撒き散らしながらも、その目に宿っているのは明確な怒りである。

 この場に居ない『神ウラノス』に問いかける言葉に神々の注目も集まる。

 

『……済まない事をした』

 

 何処からともなく、響く神ウラノスの声に神々が次々に騒ぎ出す。

 

「なんてことしてくれたんだよ」「あの【酒乱群狼(スォームアジテイター)】になんつーもん渡してんだよ」「つか俺の眷属()が受けた依頼も変なの混じってないよな?」「何が()()()()だよ。手抜いてんじゃねえよ」

 

 次々に『ギルド』、【ウラノス・ファミリア】を批難する神々。

 

 最初に地上に降り立った神の一柱神ウラノスは神々に疎まれている。最初に降り立ち、最初に『古代のエイユウ達との決定的な確執を作り上げ』、後続の神々が期待した古代のエイユウ達との出会いをフイにしたあげく、『神の恩恵』や『神々の地上におけるルール』を生み出した上『冒険者ギルド』として最初期から絶対の地位を確保して現在に至るまでその地位を維持し続けている事に嫉妬した神々による批難の数々。

 ウラノス自身もそれに思うところがあるのか反論することなく批難を受け止めている。いや、聞いていないのか? この場に居ない為、判別もできない。

 この場に居ないのにはちゃんとした理由があるのだが、それでも苛立ちが押さえられないのか神々の批難が徐々に大きくなる。

 それに冷静な声色の恵比寿が待ったをかけた。

 

「ストップストップ、今は僕の発言中なんだよねぇ……黙っててくんない?」

 

 恵比寿の雰囲気に神々が口を閉ざしたのを見て、恵比寿はエラトーに視線を向ける。

 

「で? 今回の件について言い訳は?」

 

「なんで私を見るのよ……ウラノス、答えて」

 

 恵比寿の視線から逃れる様に司会席を下りると、司会席に薄らと神ウラノスの姿が投影される。その投影されたウラノスはゆっくりと司会席から立ち上がり、神々が腰掛ける円卓の中央まで滑る様に移動する。

 

 その様子を黙って見る神々の前で、ウラノスはゆっくりとした動作で膝を突く。

 

 見守る神々の前で、ウラノスはそのまま両手を床に突き、ほれぼれとする様な動作で頭を下げる。

 

 其れは極東で知られる最上級の謝罪の形。神々がネタで繰り広げる事も有る謝罪。

 

 名を『土下座』と言う。

 

『すまなかったっ!!』

 

 その土下座を見た恵比寿はゆったりした動作で立ち上がり、中央で土下座の姿勢のまま固まったウラノスの幻影の前に歩み出でて、ウラノスの頭に唾を吐きかけた。

 恵比寿が吐きかけた唾はウラノスの幻影をすり抜けてウラノスの目の前の床にぴしゃりとつく。ソレを見つつもウラノスは顔を上げない。

 

「なぁにがすまなかっただってぇ?」

 

『…………』

 

「あのさぁ? 僕の眷属、何人か【酒乱群狼(スォームアジテイター)】に詰め寄られて迷惑してんだよね。道中の盗賊とかごろつきを片付けてくれてるから何も言わないけど、被害が酷いんだよ? あの子結構手加減を知らない所為か走ってる馬車を()()()()()()とかやらかして商品が台無しになったりする事もあるんだよねぇ……被害いくらになると思ってんの?」

 

「それ以外にも急にやってきて唐突に『【恵比寿・ファミリア】で緊急で換金所を代替してほしい』とかさぁ? 僕の所はそれなりに余裕はあったよ? けどねぇ、冒険者が詰めかけてきてパンクしかけたんだよねぇ? っていうか一部団員が何でか【恵比寿・ファミリア】は換金金額を誤魔化してるだのなんだの騒いで文句つけてきたんだよねぇ?」

 

「ギルドが()()()()()のにさぁ? 僕の所が割食った訳なんだけどさぁ? ねぇ? どうしてくれるのかなぁ?」

 

 嫌らしい笑みを浮かべつつ、神ウラノスをねめつける恵比寿の様子に神々が呆れたように肩を竦める。

 

 商売系ファミリアの【恵比寿・ファミリア】主神恵比寿は、温厚な神として知られているが一たび怒ると相当根に持つ。特に今回のギルドの失態で割を食う羽目になったのは【恵比寿・ファミリア】である。

 

 換金所の代替を()()()()()()()()()揚句、他のファミリアの文句を『ギルド』ではなく【恵比寿・ファミリア】に擦り付ける様な事までしたのだ。

 

 ギルドの換金所の方が高値で買い取りをしてくれる。【恵比寿・ファミリア】はギルドと違って収集品換金の際に()()()をとっている。等の根も葉もない噂が流れ、【恵比寿・ファミリア】が一時的に開設した換金所で数多の冒険者が文句を垂れたのだ。

 どれもこれもギルドの失態の所為であるのに、あたかも【恵比寿・ファミリア】が悪いとでも言わんばかりの態度で接してくる冒険者達。

 

 それに辟易するのは【恵比寿・ファミリア】に所属する眷属達である。

 

 そしてキレるのは恵比寿である。

 

「僕の眷属……君も知ってるよねぇ? 【恵比寿・ファミリア】は()()()()()()()()()()()()()()()ってさぁ」

 

 【恵比寿・ファミリア】は幹部クラスの眷属にしか神の恩恵(ファルナ)を授けていない。

 

 ソレは『冒険者ギルド』と呼ばれる【ウラノス・ファミリア】と同じく、『商業ギルド』を取り仕切る【恵比寿・ファミリア】なりの誠意の示し方であり、ごく一部の眷属を除いて神の恩恵(ファルナ)を授けずに眷属として行動している。

 

 正確には『オラリオで商売をする人物は何者であれ【恵比寿・ファミリア】の一員として扱う』と言う契約に基づいたモノである。

 

 冒険者が横暴な態度で店に値切りをしたりする等と言った行為から商売人を守る為にギルドが執行している『冒険者法』とは別に、商売人は全て恵比寿の眷属として扱い、有事があった場合は無所属であろうが商売人が関係したトラブルは【恵比寿・ファミリア】が出張ってきて解決しても良いと言うもの。

 

 どうしても力ある冒険者より、力なき商売人の方が立場が低い。『冒険者法』で守られていても不十分だと常々口にしていた恵比寿が神ウラノスとの話し合いの末に決定したその規則(ルール)

 

 『商売人を守る法』。【恵比寿・ファミリア】とは『オラリオで取引する全ての商人を守る盾』である。

 

 ごく一部の【恵比寿・ファミリア】の眷属を除いて、他の眷属はただの一般人。

 

 今回の件で【恵比寿・ファミリア】が急きょ代理の換金所として用意したのは『傘下として守っている一般人の店』であったのだ。

 

 無論、神の恩恵(ファルナ)を授けた眷属を数人配置してある程度配慮はしたが、どうしても『商売人』と言う肩書上、戦いに向かない者が多い【恵比寿・ファミリア】の団員では不足していた。

 

 結果として、換金所で起きたトラブルが原因で『一般の商売人が商売をやめてしまう』と言う事態に陥った。

 

 商売人が減る事を嘆いた恵比寿は、そりゃキレるだろう。

 

「それでさぁ「ストップ、恵比寿」はい?」

 

 キレており、このままウラノスの頭を踏みつけかねない程の勢いで捲し立てていた恵比寿を止めたのはエラトーである。

 

「ウラノス、結論は?」

 

『……今回の件で【恵比寿・ファミリア】が負った損害は全てギルドが賄おう』

 

「ふぅん……」

 

 納得してません。そんな表情の恵比寿をエラトーがやんわり止める。

 

「落ち着きなさいな……全く。ウラノスも今回の【酒乱群狼(スォームアジテイター)】へ限定的裁量権を渡した事については?」

 

『ソレについては言う事は無い』

 

 顔を上げてきっぱりと言い切った神ウラノスの様子に、一部の神々が苛立たしげな視線を向ける。

 

 苛立たしげな視線を向けた神々はどの神々も()()()()ファミリアの主神であり、違法品などを取り扱っていたのだろう。それを察していながらも手出しせずに()()()()()()()()だけで済ました神ウラノスは立ち上がり。そのまま恵比寿に軽く頭を下げて姿が消えてしまう。

 

「チッ、まともな返答じゃなかったね。まぁいいや。僕からはこれだけだよ」

 

 苛立たしげな様子を隠しもせず、席に戻った恵比寿にエラトーが深々を溜息を吐いた。

 

「まぁ、私は知らないけど今回のウラノスの所の所為で被害被ったファミリアは後でウラノスの所に殴り込みでもすればいいんじゃない? 【酒乱群狼(スォームアジテイター)】みたいにね」

 

 冗談めかしてそう言ってから、エラトーは司会席に戻って机をパンパンと叩く。

 

「それで? 他にはないかしら?」

 

 其の問いかけに一部の神が手をあげて次々に用件を述べていく。

 

 【デメテル・ファミリア】がセオロの密林に保有していた管理地でもあり採取地に侵入して荒し回ったファミリアが居る事。

 

 【恵比寿・ファミリア】を騙って偽の『火精霊の護布(サラマンダーウール)』を販売していたファミリアをぶっ潰した事。

 

 その際に中層のヘルハウンドが上層に侵入して、複数の駆け出し(レベル1)冒険者パーティーが全滅したこと。

 

 オラリオ外部に逃亡したファミリアの主神が簀巻きにされて【酒乱群狼(スォームアジテイター)】に連行されてきて、眷属は一人残らず解体(バラバラ)になっていた事。

 その主神が天界に帰った事。

 

 新しく楽曲が完成したから近々コンサートを行う事。

 

 俺がガネーシャである事。

 

 『フライングガネーシャ』の三号機の初飛行を記念して『ガネーシャの日』を制定しようと言う意見。

 

 近々発売される『薄い本』の予約状況について。

 

 上層十二階層の細道の辺りで意図的な崩落痕が確認されたこと。

 

 更にその付近でインファントドラゴンが確認され、三つのファミリアの冒険者パーティーが壊滅したこと。

 

 希望する『薄い本』は何があるか等。

 

 神々の行うどうでも良い物から重要なモノまで、様々な話合いと言う名の意見のぶつけ合いに、若干疲労感を感じつつも、エラトーはようやく()()()()()()()()が来たかと口を開いた。

 

「えー、じゃあ。二つ名命名……開始しましょうか?」

 

 神々が狂喜乱舞する宴の始まりの宣言に、集まった全ての神々が叫び、祈り、願う。

 

 今回の命名に参加する器の昇格(ランクアップ)した眷属を持つ主神は妙な二つ名が眷属につけられない事を願い。

 

 そして関係無い神々はどんな悶え苦しむような二つ名を付けてやろうかとニヤニヤ眺める。

 




 思った以上に長くなってしまった……ヤベェ……しかも全然進行してネェ。ヤベェ。
 ヤベェって感想以外でてこねぇ、ヤベェ(白目)
 神々のやり取り、こんな感じで良いのか?

 あ、三月ぐらいまで現実の方がかなり忙しくなりそうです。なので更新が遅れる可能性がありますが。その時は生暖かい目で見守ってください。出来うる限り全力を持ってして事にあたりますが……もしかしたらもあり得ます。



 【恵比寿・ファミリア】
 『商業ファミリア』の中心ファミリア。
 オラリオの商売人を庇護するファミリアであり、無所属の商売人は殆どが【恵比寿・ファミリア】の所属として扱われている。

 主神の恵比寿は胡散臭さが人の形になった神と言われるほどに胡散臭い。
 青いポロシャツにジーンズ、安っぽいスニーカーを履いた茶髪の軽薄そうな青年神。

 団長は【八相縁起】と言う二つ名の狸人(ラクーン)の男性。

 副団長は二枚看板とも言われる【幸運の招き猫(ハッピーキャット)】と【金運の招き猫(ラッキーキャット)】の双子の猫人(キャットピープル)

 実際に神の恩恵(ファルナ)を授かっている眷属数は50名前後と少な目ではあるが、所属人数はオラリオで商売を行う殆どの商売人が含まれるため【ガネーシャ・ファミリア】はるかにを超える。しかし、規模はあくまでも中規模に留まっている。

 生産系ファミリア最大規模の【デメテル・ファミリア】と密接な関係がある。
 【恵比寿・ファミリア】は交易ルートを、【デメテル・ファミリア】は高品質の野菜や果物等を互いに提供しあっている。
 そのためか、二つのどちらかのファミリアと敵対すると、連動してもう片方も敵対することになる。

 『冒険者ギルド』【ウラノス・ファミリア】と『商業ギルド』【恵比寿・ファミリア】として密接な関係を築き上げている。ときおり、ギルドの失態の尻拭い等をさせられたりしており仲が悪い様に見える。

 【恵比寿・ファミリア】と敵対した場合、もれなくオラリオ内部の取引の一切合財を止められてしまい。お金があっても買い物が出来ないと言う事態に陥る。
 特に食料品関係は【恵比寿・ファミリア】が流通ルートを全て抑えている為、下手に敵に回すと街中で兵糧攻めをされてファミリアが壊滅しかねない程……

 オラリオ外部でも『行商』と言う形で外の商売人とも強い繋がりを持っており、本気で怒らせるとオラリオの外ですら何処に行っても『取引』が出来なくなるほど。


 【勇者(ブレイバー)】が『闇派閥(イヴィルズ)』の神々の潜伏場所に気付けたのは【恵比寿・ファミリア】が掴んでいた不自然な『食料品の流れ』等の情報の提供があったおかげでもあり。【ロキ・ファミリア】とはそこそこの仲ではあるが、完全に友好的と言う訳では無く『金の繋がり』と言う形をとっている。


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『神会』《中》

『アマネ、貴女の言う()()()ってどんな子?』

『ワシはヒヅチじゃと言うておろうに……唐突に何じゃ。後飯をくれ。もう二週間飲まず食わずじゃ。本当に死んでしまう』

『裏切りの理由を聞かせて。後食べ物に関しては平気でしょう? 二週間飲まず食わずで平然としてる貴女が死ぬとは思えない』

『阿呆め、教えるか。どうせ利用するつもりじゃろ。普通に腹が減ったんじゃが……』

『そうね、利用するわ。ところで、貴女の言うあの子って白毛の狼人?』

『………………』

『アマネ、貴女……嘘が下手ね。セオロの密林から一人でのこのことオラリオに向かっていくのを仲間が確認したわ。貴女を見つけた川の上流を探してたら見つけたの』

『…………(一人で? ワンコは何をやっとるんじゃあ奴……)』

『それで、どうする?』

『どう……とは?』

『その子を捕まえる様に指示はしておいたけど。目の前で八つ裂きにでもすれば言う事を聞いてくれる?』

『……はんっ、あの子には()()()()()()()()()んじゃぞ。易々と捕まるモノかて』

『…………無理ね。こっちには()()()()があるモノ』

『は? ……おい、神の恩恵? オヌシは神を殺したいのではないのか? 何故、神の恩恵なんぞ』

『あぁ、神様の遊びの一環らしいわ。その神様曰く。天界に神を全員送還したら自身の勝ち。自身の作戦を邪魔されて送還されたら相手の勝ち。そんな遊びに興じているのよ。それに利用されてやってるってだけよ。胸糞悪い話だけどね。……だから神は嫌いなんだ』

『糞っ、カエデに手を出したら只ではおかんぞ貴様』

『まぁ、精々祈ってなさいな。どうせ神に祈ったって碌な事になりはしないけどね』


 三級(レベル2)に達した眷属が一人でも所属しているファミリアのみが参加権を得られる『オラリオ』の事を報告し合い。そして神々が器の昇格(ランクアップ)した眷属に二つ名をつける神会(デナトゥス)

 

 『バベル』の三十階層に用意された神々が集まる神会(デナトゥス)の会場にて、神々がついに始まる四か月に一度の大きなお祭り。

 

 『眷属への二つ名の命名』

 

 神々が狂喜乱舞する宴の始まりを告げた神エラトーは、手元の資料をちら見してから騒ぎ立てる神々を見て肩を竦めた。

 

「私の眷属も今回の命名に参加するから、可愛いのをよろしくね」

「えー」「どうしよっかなぁ」「俺の黒歴史(カタストロフ)が火を噴くぜぇっ」「はははっ、えっとエラトーの所……あぁ、この子か。マジかこの子か、おめでとう。純粋におめでとう」「え? この子ランクアップ? 普通に凄くね? ダンジョン潜ったっけ?」「おぉー、デビューから早4年。人気を勝ち取ってのランクアップですか」「これは……」「「「やっぱふざけたいよねぇ」」」

「貴方達は……」

 

 騒ぐ神々を余所に、ロキはただ只管にフレイヤと睨み合っていた。

 

 交差する視線の中、互いに視線のみでやりとりをしている。

 

『殺してやるわフレイヤ』

『あら怖い顔ね、どうしちゃったのかしら』

『何惚けとるんや糞ビッチ』

『ふふ、もしかして……妬いてるの?』

『なんやあの殺したい笑顔』

 

 どす黒いオーラを纏ってフレイヤを睨むロキの姿に、周囲の神々がロキから密かに距離をとっている。

 

 そんな様子を知りながらもヘファイストスはロキから溢れ出るどす黒い瘴気にも似たオーラの真っただ中で内心溜息を吐いた。

 

 これ、私もロキと同じ様にドン引きされてないかしら?

 

 そんな事を思いつつも、ロキと立場が同じである事を示す為にロキのすぐそばに座っているヘファイストス。天界に於いて悪戯の対象にされた事もあるし。裏切られた事も無い訳ではないが。それでも裏切ろうとは思えないし思わない。

 

 そんな恐ろしい雰囲気の真っただ中のロキやフレイヤの睨み合いを、エラトーは一瞬だけちら見してから。無かったことにした。

 

 触らぬ悪神と美神に祟り無し……と。

 

 周囲の神々にも『絶対に突くな、やめろ』と視線で脅しておく。

 

 天界に居た頃から互いに協力して神々を嵌めたり。時に互いに盛大に裏切りあってみたり。殺し合いにまで発展する悪友とも言うべきあの二人に関わっていては、命がいくつあっても足りない。

 

 まぁ、神は死んでも問題ないのだが。下界を楽しんでいる今、ちょっかいかけて二人の騒動に巻き込まれればどうなるかなんて解り切った事。手を出す間抜けは……居ない。いや、多分居る。刹那的に生きる神々をしてこの騒動に進んで突っ込みそうな神が何人も……やめろ、やめて、お願いだから。臆病で平和主義の神々の心の声がまるで手に取る様にわかる。

 

 それを見つつもヘファイストスとエラトーが視線を交差させる。

 

『ねぇ、()()どうにかしてくれないかしら?』

『嫌よ、死にたくないもの』

『……貴女が原因?』

『違うわ、なんで私がトラブルメーカーみたいに言われなきゃいけないのかしら』

 

 エラトーが溜息を零してからこれ見よがしに咳払いをしてから、ギルドの職員のまとめた今回の器の昇格(ランクアップ)に伴う二つ名変更もしくは二つ名命名を行われる冒険者のリストを手に取って一番上の眷属の名と所属を読み上げる。

 

「えー、【ナイアル・ファミリア】のアルスフェア。種族は犬人(シアンスロープ)、性別は男性ね。今回で三級(レベル2)だそうよ……偉業の証はー……えぇ……『ラキア王国』で殺人犯から逃げ切った事が偉業として認められた……」

「うっそだろおい」「え? マジだったの?」「本当だと言ったじゃないですか」「嘘にしか聞こえねぇよ」「マジか……マジかぁ」

 

 信じられない、そんな風に言いつつも、神々の無駄に優れた頭脳はどんな二つ名にするかを既に決めている様子なのを確認してエラトーは口を開いた。

 

 横目で睨み合う悪神と美神、その間に挟まれた鍛冶神に憐れみの視線を送りながら、であるが。

 

「じゃあ二つ名を決めていくけどー」

「【猟犬(ティンダロス)】で」「【大逃亡(カワード)】とか良いんじゃね?」「【巻き尻尾(ウィークリング)】にしようぜ」

 

 即座にナイアルが望みの二つ名を告げるが、ソレを無視するかのように神々が次々に二つ名を上げていく。どれもこれも『臆病者』や『弱虫』等と、逃亡によって偉業の証を得た事を意識した二つ名である。その二つ名に納得の表情のエラトーや神々だが、ナイアルが不気味に笑みを浮かべて口を開いた。

 

 ヘファイストスが視線で助けを求めてきているが。エラトーは悪神と美神に挟まれても鉄面皮の如く表情を変えずに居るヘファイストス程精神面は強くない。要するに助けるの無理だからこっち見ないで。

 

「あぁ、唐突に此処で本来の姿を見せたくなってしまいました。どうしましょう」「やめろっ!?」「俺らを発狂させる気かっ!?」「発狂したら一回死ねばいいじゃないですか?」「ばっか野郎っ!! 死んだら天界に送還だろっ!!」「えぇ、だから天界に帰ればいいじゃないですかぁ……」

「ナイアル、力づくで眷属の二つ名を決めようとするのやめてくれないかしら」

「嫌です」

 

 エラトーの懇願に即答で否と答えたナイアルを見て、エラトーは溜息を吐いた。

 

「はぁ……えーじゃあ【ナイアル・ファミリア】のアルスフェア君の二つ名はー【猟犬(ティンダロス)】で良いかしら? 異論のある神は、ナイアルの前に正座しなさい。私はあっちの壁の方向いてるから手早く済ませなさいね」

 

 エラトーはそう言うとナイアルに背を向けて鼻歌を歌い始める。

 

「あー、異論無いんで次行って貰って良いよ」「だってなぁ……発狂したくないしなぁ……」「ナイアル自重しろ」「嫌です」「真顔でそう言われんのムカつく」「マジ、ナイアルって害悪」「せっかくの命名式なのにしょっぱなからこんなんかよ……」「萎えるわー」

 

 好き勝手言い散らす神々だが、エラトーも同意見である。

 

 発言力の強い神は半ば強引に眷属の二つ名を決める為、神々が考えた身悶え苦しみと爆笑に包まれる(さいきょうにかっこいい)二つ名が何の意味も無くなってしまうのだ……

 

 誰、とは言わないが。胡散臭い商売の神とか、地上でも魅了と言うチートを使い振るう美神とか、悪逆非道が嘘の様に丸くなった壁……もとい元悪神とか。今回のナイアルもその一人。本来の姿をちら見せするだけで神々ですらSAN値直葬(発狂待ったなし)である。しかも美神の魅了同様に神の力(アルカナム)を使っていないので地上で行っても罰せられないという卑怯(チート)である。

 

 神は基本的に不変ではあるが、発狂もすれば死にもする。ただポンッと元の姿、能力のまま再度出現するだけである。

 

 但し地上に於いて死亡した場合は天界に強制送還され、二度と地上に下りてくる事は出来ない。其の為地上で発狂しようモノなら取り返しがつかないのだ。

 

 神ナイアルの卑怯っぷりに神々が文句を垂れるがエラトーがソレを遮って次の眷属の名を呼ぶ。

 

「えっと……【ソーマ・ファミリア】の――

 

 

 

 

 

 【†区行†】【Ω(エクストラ)】【麗しき殺界(デベルト)】……等々。

 

 神々が誇るハイセンスな二つ名があげられ、付けられていくのを尻目にロキはふとフレイヤを睨むのをやめて手をあげた。

 

「【蒼薔薇の歌姫】とかえぇんちゃう?」「あら、ロキにしては素敵な二つ名ね」「「「…………」」」「あぁ? なんやフレイヤ、アンタ喧嘩売っとるんか?」「褒めただけよ」「チッ」「「「…………(え? 何があったのこの二人……)」」」

 

 【ミューズ・ファミリア】のクリスティーヌ・ローレライの二つ名が【蒼薔薇の歌姫】に決まり、二人の睨み合いが再開される。

 

 素敵な二つ名なのだが……ちょっと睨み合いをやめて欲しいなーと二人にアイコンタクトを送ろうとして、二人の威圧感に一瞬で心折られエラトーは視線を二人から逸らす。

 

「次ー、あら? これでラスト……ラストはー……【ロキ・ファミリア】のカエデ・ハバリ。種族は狼人(ウェアウルフ)、性別は女性。偉業の証はー……え? インファントドラゴン単独(ソロ)討伐? この子駆け出し(レベル1)から三級(レベル2)よね? 駆け出し(レベル1)でインファントドラゴン単独(ソロ)討伐なんて凄いわね」

「マジかー、またロキの所かよ」「単独(ソロ)とか、凄いわ……え? 待って。頭骨粉砕で即死させた?」「うっそだろオマエ」「この子もしかしなくても筋肉の怪物(マッチョネスクリーチャー)的な感じ?」「うわ、狼人(ウェアウルフ)で女の子だろ……年齢9歳なんだけど」「マジでっ!? 幼女じゃネェかっ!!」「……なぁ、これ嘘だろ。虚偽報告過ぎ。所用期間三週間とかあり得んから」「あ、本当(マジ)じゃん。約三週間だし。神の恩恵(ファルナ)授けたの三週間前と嘘過ぎかワロス」

 

 名前:カエデ・ハバリ

 種族:狼人(ウェアウルフ)

 性別:女性

 年齢:9歳前後

 偉業の証:『インファントドラゴン単独(ソロ)討伐』

 追記事項:インファントドラゴンの頭骨を粉砕し即死させた模様

 報告者:【凶狼(ヴァナルガンド)】ベート・ローガ、神ロキ、カエデ・ハバリ

 特徴:白毛、赤目

 器の昇格(ランクアップ)期間:十九日 (約三週間)

 

 

 書かれた特徴と特記事項、期間等を見た神々がざわめきだす。

 

「ロキ、どういう事なの?」

 

 好き勝手言い合う神々を無視してエラトーが勇気を振り絞って本人に問いかければ、ロキはフレイヤを強く睨んでからエラトーの方に顔を向けてにんまり笑みを浮かべて口を開いた。

 

「嘘はなーんも書いとらんで? マジもマジ。大マジで約三週間、十九日で基礎アビリティD以上達成と偉業の証入手をしてみせたで?」

 

 自信満々に壁を……胸を張ったロキの言葉に神々が同時にえーと呆れ顔を浮かべる。

 

 いくらなんでも噓くさすぎる。其れはもう恵比寿が可愛く見えるレベルで胡散臭い。

 

 ましてや最短一年二ヵ月と言う記録を同じく【ロキ・ファミリア】の【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタインが二ヵ月短縮し一年と言う短期間での器の昇格(ランクアップ)を成している。

 

 そこから僅か一ヶ月にも満たない期間での器の昇格(ランクアップ)? 【剣姫】はそれだけでなく最年少、僅か7歳と言う幼い少女が一年も迷宮に潜り続け、器の昇格(ランクアップ)に必要な『偉業の証』を入手したと言う事でも信じられずに何度も審問会を開いたと言うのに?

 

「……ロキ、チート(いけない事)とか、してないわよね?」

「しとらんで」

 

 神々の胡乱気な視線がロキに突き刺さるが、ロキは気にした様子もなくへらへら笑みを浮かべて立ち上がった。

 

希少(レア)スキル覚えとってなー……『早熟する』っちゅースキルなんやけど」

「うぇっ!?」「マジで?」「うっそだぁ……嘘だぁ」「何それ羨ましい」

 

 ロキの言葉に神々が騒ぎ立てるが、エラトーがメガホンを片手に持てば直ぐに静まる。

 

「ロキ、そのスキルの詳細は?」

「言うと思うん? カエデたんの人生(ステイタス)やぞ? 他の神々(塵クズ共)に教える訳無いやん」

 

 小馬鹿にした様に鼻を鳴らしたロキに神々が苛立ちの視線を向けるも。オラリオ最大の探索系ファミリアの片割れ【ロキ・ファミリア】と言う地位を持つロキ相手に変な口をきけはしない。

 

 そんな中でも神々の中には配られた資料の中のカエデ・ハバリの写真を見てニヤニヤと厭らしい笑みを浮かべている者や、どうやって勧誘しようかなーと近くの神と相談する者までいる。

 

 そんな神々をロキが睨みつける。

 

「はぁ……まぁ良いわ。おめでとう。その子がどんな化け物(クリーチャー)かは知らないけど。あんま騒ぎにしないで欲しいわね」

 

 エラトーは娯楽系ファミリアの主神の一人として、上位冒険者を求めてもいなければ、凄い眷属が欲しいだなんて思っていない為、騒ぎだけ起こさなければ別に良いかと最短記録云々は完全にスルーして話を進めようとするが、探索系ファミリアの主神達は黙っていない。

 

「ロキ、この子俺の所にくれよ」「俺も欲しいぞー」「狼人(ウェアウルフ)だろ? 俺のファミリアとかぴったりじゃないか」「あ? でもこの子アレじゃね? 白き禍憑きとか言うのじゃね? 狼人(ウェアウルフ)が居るファミリアはダメだろ。俺の所一人も居ないしだいじょ――

禍憑き(ふざけた事)言うた奴、死にたいんか?

 

 神々が好き勝手言い合う中、唐突にロキが大声で叫ぶ。

 

 地雷を踏み抜いた神相手に威圧しながらも口元を歪め獰猛な笑みを浮かべる。

 

「もういっぺん言ってみぃ」

「あっ……いや……その……」

「ほれ、言うてみいや」

「……ごめんなさい」

「次口開いたらアンタ殺すわ」

 

 殺気と悪意を振り撒くその姿は天界に居た頃に大暴れしていた悪神その物であり、彼の頃の恐怖を思い出した一部の神が震え上がり、エラトーが額に手を当てて頭を振る。

 

「やめて、その殺気。私が死ぬわ。と言うか吐きそう」

()()()()()言うたんが悪いわ」

「そうね、あの子の事を()()()()に呼んでほしくないわ」

「……チッ」

 

 ロキの言葉にフレイヤが同意の言葉を漏らせばロキが盛大に舌打ちをする。

 

 そんな中、唐突にハデスが椅子を蹴倒して立ち上がった。

 

 ロキも、エラトーも、フレイヤも、全ての神々が唐突に立ち上がったハデスに視線を向ける。恵比寿だけ欠伸をしていた。

 

「おぉ……どうしたハデス」「冥界の管理人さんどうしました?」「顔色悪いぞオマエ、いや天界に居た頃も悪かったけど」

「…………」

「ん? え? 何だって?」「声小っちゃい」「聞こえなかったぞ?」「マジで顔色悪いぞ。恵比寿じゃネェんだからさ」「え? 僕の顔色悪い?」「恵比寿、オマエ死にそうな顔してるぞ」「後セトも、死体に見えるぐらいだ」「うっそだろオマエ、セトならさっき……」「「「セトぉ」」」「死んでねぇからっ!!」

 

 ぼそぼそと、小さな声で呟かれた言葉に神々が首を傾げ、流れる様に雑談に流れていく。ついでにいじり倒されているセトは顔を真っ赤にして叫んでいた。

 

 そんな中、神ハデスは顔を上げてロキを睨みつける。睨まれたロキは逆にハデスを睨み返す。

 

 互いに盛大に視線を交わらせ火花を散らす様子に神々もただ事では無いと口を閉ざし始め、気が付けば常に神々の声が響く神会(デナトゥス)の会場の大部屋は微かな吐息ですら大きく響く程の静寂に包まれた。

 

ロキ、あの眷属を今すぐ殺せ

 

 小さく、ぼそぼそと呟かれた言葉に神々が息を飲み。ロキはハデスを射殺す様な視線を向けて口を開いた。

 

「なんや? 聞こえへんかったなぁ」

 

「もう一度言う。ロキ、あの眷属(カエデ・ハバリ)を殺せ、今すぐに」

 

 今度こそ、神々は呼吸すら止めて驚愕した。

 

 ロキの表情等、見るまでも無く天界に居た頃の悪神としての顔が盛大に現れており、下界の眷属(こども)達が目にすればそれだけで心臓が止まってしまう程の恐ろしい形相である。

 

 ソレを無視するかの様にハデスが口を開いた。

 

「もう一度言う。あの眷属を――『マジで死にたいらしいなぁ』――…………」

 

 憎悪が練り込まれた笑みを向けられたハデスは口を閉ざして俯いた。

 

 神々はその憎悪が此方に向かない事を祈り始める。

 

「神様助けてー」「おい俺らが神様じゃねぇか」「じゃあ誰か(おれ)を助けてくれよ」「馬鹿野郎、自分でも救ってろ」「オマエ自分救えんのかよ」「無理に決まってんだろ。もう誰でもいいや助けてくれ」「今助けてくれたら靴だって舐める。足だって舐める」「せめて眷属のパンツ食ってからくるんだった……」「会いたいよナーシァー」「俺……帰ったら眷属(こども)に告白するんだ」「俺、前々から幼女趣味(ロリコン)って言ってたけど、アレ嘘なんだ……ほんとは貧乳好きなんだぜ?」「皆今すぐ死亡フラグを立てまくれっ!! 運が良ければ生存フラグになるぞっ!!」「おう」「実は帰ったら眷属(こども)にひざまくらしてもらう約束してんだよ」「何それ普通に羨ましい」「うっそだろおまえ……いや待て、オマエの眷属全員ドワーフの男……」「おぇー」

 

 盛大に大きくなっていく騒ぎの中、ロキに睨まれ俯いて黙っていたハデスが顔を上げた。

 

「ロキ、一つ聞きたい」

「なんや? 遺言か?」

「……オマエの所為でどれだけ俺が天界で苦労したと思っている

「は?」

 

 唐突に大声で叫んだハデスに、神々が口を閉ざす。ヘファイストスが腕組みをして何かを思い出す様に考え込み。フレイヤは「あぁ~……成程」と呟いている。

 

「ウチ、天界でアンタになんかしたか? あんたに何かした記憶なんて無いで? そもそも会った記憶も無いんやけど?」

 

 と言うかそもそも神ロキは天界に於いて神ハデスと面識は無い。せいぜい通りすがりに『なんや顔色わっるいのが居るなぁ』ぐらいの感想を抱く程度の間柄でしかない。要するに他人である。

 

 それなのにハデスはロキを強く睨み、『覚えていないだとっ!?』と驚きの表情を浮かべている。

 

「覚えていないのかっ!!」

 

「えー……何をやねん」

 

「オマエが、()()()()()()()()()()

 

 天界でしでかした事? 数えきれないぐらいあるが……ハデスに直接何かした記憶も無ければ、ハデスを利用して何かした記憶も無い。ハデスに嫌がらせした? そんな事した覚えはない。

 

「いや、アンタに何かした記憶なんかあらへんのやけど」

 

「貴様が、天界で仕出かしたあの事件っ!! よくもまぁぬけぬけと言えるなっ!!」

 

 激怒しているらしいハデスの様子にロキは訝しげな表情を浮かべる。

 

 あれ? なんかウチ、恨み買っとる?

 

 元々、知らない内にカエデに目をつけて手を出してきたのでムカついたのが始まりなのだが、ロキ自身に恨みを抱いているらしい状況を見てロキの怒気が引っ込む。

 

「……ウチ、アンタに何したん? ちょいマジで覚えとらんわ」

 

 割と真面目にハデスに何かした記憶は微塵も無い。何故そんな恨みを抱いているのか理解も出来ないのだが……

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()だろう……」

 

 魂の整理ー……あー、千年前の九尾の五十八代目が引き起こした大量殺人のアレか。

 

 天界に下界から一度に沢山魂が流れてきて仕事が回らずに周りの神々に助けを求めて来たやつか……

 

「あっ」

 

 腕組みをして考え込んでいたヘファイストスが唐突に声をあげた。ロキは其方に振り向けばヘファイストスが苦虫を噛み潰した様な表情をしていた。

 

「どしたんファイたん?」

「ロキ、貴女、あの時魂をやたらめったら適当にばら撒いたでしょ?」

「うん? せやけど……それがどした――あっ」

 

 記憶を辿れば、千年前、五十八代目の引き起こした天界に魂が溢れるあの事件の折にロキは『仕事手伝ってくれ』と言われたのでとりあえず真面目にやる気も無かったし適当にそこらに魂をばら撒いてみたり、適当に魂を裁いてみたり。仕事の邪魔をしていたのを思い出した。

 

 確か神ハデスは冥界の管理人で……魂を裁く責任者……

 

 成程、恨まれるのも当然である。

 

「貴様があんな事をしでかした所為で……俺は……俺は……」

 

 プルプルを震えるハデスにロキは気まずげに視線を逸らす。別にハデスを苦しめる積りは無かったのだ。ちょっとした暇潰しの積りで……

 

 その代償は全てハデスが支払っていた。

 

 ロキがばら撒いた魂を再度回収する為に走り回り。滞っていた魂の流通の為に寝る間も惜しんでの仕事所か、一日七十二時間分の仕事を片付ける事、早数百年。

 

 神々が地上に娯楽を見出して下りて以降も神ハデスは只管に魂の管理を行っていた。

 

 ハデスの眷属も同様。

 

 ただ只管に魂を正しき流れに乗せる毎日。

 

 時折、発狂した眷属や手伝いの神が奇声を上げて立ち上がり、ソレを他の眷属や神が殴り殺す。殺された眷属や神は何事も無かったかのように再生して仕事を再開する。

 

 ブラックよりもなお黒い天界での魂整理の仕事。

 

 ただでさえ大変だったソレ、ロキがしっちゃかめっちゃかにしてくれた所為で仕事が終わらない所か、増える一方。

 

 いや、増えたのは何もロキの所為だけではない。ロキの所為で仕事が倍増したのは否定しないが、他の神々も()()()()()()()()()()()()()

 

「そうだ、お前等馬鹿共(かみがみ)が地上で余計な事をしはじめたから……」

 

 余計な事。

 

 簡単に言うと神の恩恵(ファルナ)を地上の眷属(こども)に与えた事である。

 

 魂の流通システムをざっくり説明すると『寿命を迎えた魂を裁いて地上に流す』だけである。

 

 まぁ数が膨大だし小さな命すらも管理していると果てしなく終わりの無い仕事なのだが……

 

 最も魂の管理が面倒なのは当然の如く『人』の魂である。

 

 『虫』や『小動物』の魂は其処まで情報も無ければ特に何かある訳でも無い。要するに右から左で構わないのだが、『人』の魂だけは別である。

 

 『罪人』『善人』『凡人』と、区別し始めればそれも数千数万通りの区別方法が存在する魂は、それに適した処置を施さなければならないのだが……

 

 其れは慣れてしまえばもんだいない。それにその部分は下界の(こども)の個性であり天界の神々には関係ない。

 

 では、天界の神々の仕出かしたことは?

 

 『寿()()()()()()()』が何を指すのかを考えれば理解もしやすかろう。

 

 本来であれば、『人』は生まれ落ちた瞬間に『寿命』、詰る所『裁かれる時』が定められている。

 

 寿命が尽き、天界へと送られた魂は『裁き』を受けて然るべき処置が行われる……。

 

 もし寿命より早く死ぬ事があれば天界で『裁きを待つ』事になる。

 

 では、寿()()()()()()()()()()

 

 簡単に言えば仕事が止まる。それもその魂を裁かねば他の魂に手をつけられなくなってしまうのだ。

 

 要するに仕事が滞る、そりゃぁもう冗談じゃないぐらいに。

 

「俺がどんな思いで下界に下りてきたと思っているっ!!」

 

 天界で、ハデスとハデスの眷属。逃げ出した死の神々、タナトスやツクヨミ等の神々に代り生贄にされた(駆り出された)神々は時折発狂して殺されつつも必死に仕事していたのだ。

 

 なのに……なのに。

 

 下界で神の恩恵(ファルナ)なんてふざけたモノを(こども)に与えたばかりに……

 

 

 神の恩恵(ファルナ)を得るだけで人の寿命は僅かにだが伸びる。そう……伸びてしまう。

 

 本来神の恩恵(ファルナ)を授かるのは、常に死の危険のある『迷宮に潜る冒険者』のみなのだが……

 『商売人』や『鍛冶師』、『薬師』や『歌手』等にも神々は分け隔てなく気に入った(こども)を眷属にすべく神の恩恵(ファルナ)を授ける。

 

 これによって起きたのは単純、『冒険者』は死にやすいからあまり気にならないが、それ以外の死ににくい癖に寿命を延ばして、なおかつ病気に耐性を持つ所為で普通に生活してるだけじゃ死なない奴らが出始めた。

 何が起きたか? 『裁きの時』になっても『魂』が天界に存在しないと言うトラブルだ。

 ハデスも、ハデスの眷属も、生贄にされた(駆り出された)神々も、全員発狂した。

 そして怒った。激おこである。

 

 そしてハデスは下界に下りる事にした。

 

 『寿命きてんだからさっさと死ね』と言う為に……

 

 ハデスは地上でできた眷属に闇派閥(イヴィルス)の資金源となっていた貴族連中を皆殺しにさせた。

 

 闇派閥(イヴィルス)に恨みがある訳でも、普通の神々の協力をするつもりも全くなかった。

 

 年老いた人は死を恐れる。それは王族も貴族も平民も変わりはしない。だからこそ闇派閥(イヴィルズ)はそこにつけ込んだのだ……

 神の恩恵(ほんの少しの寿命)を与える代わりに金を寄こせと。

 そうやって資金源になっていた貴族連中を殺した理由は一つ。

 

『お前ら寿命きてんだろ? じゃあ死んで天界で裁かれろ、仕事が滞る』

 

 只それだけである。

 

 

 

 

 

 ソレを聞いたロキは呆れ顔を浮かべてハデスを見る。

 

「あんた……真面目過ぎやろ」

 

 そう言えば天界でのハデスの評判は『糞真面目』だったか。というか『仕事馬鹿』だったか?

 

 ゼウスや他の神々が『もうちょっと遊んで良いんじゃね?』と言っても『魂の流動が滞る』と言って仕事を一切やめなかった真面目っぷりに神々も呆れていたのだが……

 

「お前らもそうだぞ、もう寿命が来てる眷属が居たら殺せ、さっさと」

 

 ハデスにそう言われた神々が鼻で笑って「お断りしますー」とふざけたように口を開くのを、鬼の形相で睨むハデス。

 それを見つつも、ロキは口を開いた。

 

「理由は分ったわ……せやけどカエデたん殺すなんて事は出来へん。と言うかさせへんわ……と言うかぶっ殺す」

 

 なるほど、理由はわかった。自身の身から出た錆なのも理解した。

 

 だが知った事か。とりあえずカエデに手を出したオマエ(ハデス)は殺す。確定事項だ。

 

 そんな風に獰猛な笑みを浮かべたロキが宣言する。

 

「覚悟しぃや? 神会(これ)終わったらアンタ囲んで磔にしたるさかいな」

 

 エラトーがそっとエチケット袋に朝食を戻し、ヘファイストスは若干ハデスに同情しつつもカエデに手を出すなら許す気は無いとハデスを睨み、フレイヤが「ロキ……貴女何やってるのよ」と呆れた表情を浮かべている。




 うわぁ……中編になっちゃったよ(白目)

 予想外に長い。自分で書いてて思った。1万字超えたぁ!?って。

 酷く長くなっちゃったなぁ……下で終わる……よね? 終わるよね?


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『神会』《下》

『糞がっ!! 【恵比寿・ファミリア】の【幸運の招き猫(ハッピーキャット)】に邪魔されただとっ!!』

『ほー、その【幸運の招き猫(ハッピーキャット)】とやらには感謝せねばなるまいな』

『アマネ、貴様……』

『だからアマネでは無いと何度言えばわかる』

『……自ら協力を申し出てくれるのが理想的でしたが、仕方無いですね』

『隷属の刻印なんぞ持ち出して……本気か?』

『本気だ、貴女には働いて貰わねばならない。私一人では神々に対抗出来ようはずもない。アマネ、貴女が頷いてくれれば刻印を刻む必要も無くなるのだが』

『断る……くどいぞ、何度問いかけられようと返答は変えん』

『真っ先にやってもらうのはラキア王国での任務ですね。ついでに言うなれば【ナイアル・ファミリア】の眷属も屠って貰いたい』

『お断りじゃな』

『ならば刻印を貴女に。できれば頷いて欲しかったですよ』

『ワシはオヌシがそこまで外道に落ちていたと信じたくは無かったな。あの頃は森の外の事など何も知らぬ愚かな夢見るお姫様じゃったんじゃがな』

『好きに言えば良いだろう。私は世界の残酷さを知った。神の傲慢さを知った。どうしても神々が赦せないのだ』

『身勝手な奴じゃ』


 神会(デナトゥス)会場、『バベル』の三十階層の大部屋の中でハデスとロキが睨み合うのを見ながら、エラトーがほろりと涙を零した。

 

「だから神会(これ)に参加したくなかったのよ……眷属(こども)に会いたい……一緒に鼻歌でも歌っていられたら幸せなのに……」

 

 開幕直後に泣きながら逃げて行ったタレイアを恨みつつ、エラトーは遠い目をしながら司会席に立つ。

 

「えー……ロキもハデスも座りなさい。ハデスの言い分はわかった。けど()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()よ」

 

 基本的に、天界であったいざこざを地上で持ち出すのは厳禁である。

 

 あくまでも神々は地上にお邪魔している存在である。文字通り邪魔するのは良くないので天界に於いてあった数々の揉め事を地上に於いて発散する事を禁じたのだ。

 

 とは言え抜け道も数多存在し、()()()()()()()()()を搦める事で天界での恨みを晴らす事は珍しくない。

 

「エラトー、貴様は「ハデス。止まりなさい。貴方のソレは天界の言い分。下界に持ち込んでいいモノではないわ」……」

 

 エラトーの言葉にあからさまに苛立った様子のハデスに待ったをかけて、ロキの方を向く。

 

「ロキも、今回の件は――「許せ言うんか? 襲撃されとるんやぞ?」……そうは言わないわ。ただこの場で争うのはやめて。戦争遊戯(ウォーゲーム)の話し合いなら私も参加するけど……ただの言い争いなんて見たくも無いわ」

 

 胃への致命的なダメージがでかすぎるのだ。やめてほしい。割と死にそうなのだ。

 

 と言うか胃痛で死ぬ初めての神として自身の名が挙がったに日には天界で胃痛の神エラトーなんて不名誉な仇名が一生語られ続ける事になる。割とやめてほしい。

 

 その願いは一応通じたのだろう。きっとその願いが届いた神はまともな神ではない様子である。まぁ、神々(自分達)を見ればまともな神が殆ど居ないのは既に察していたが。

 

「あぁ、その事か。実はなー。ハデスだけやのうて皆に釘刺そう思ってな」

 

 にっこり笑顔で、どす黒い雰囲気を撒き散らすロキを見てエラトーはそっと神々を見回す。

 

「うわーぁ……」「なんで俺らまで」「ハデスのが跳び火してんじゃねぇか」「おろろろろ」「うげぇ」「俺にも袋を……おろろろろ」

 

 神々の半分ほどがロキの威圧で半狂乱気味である。平然とニヤニヤ笑みを浮かべてロキを見ている神は頭がおかしいのではないのだろうか。良く見たら超穏やかな笑みを浮かべたデメテルとか、欠伸をしつつも手元の資料ペラペラしてる恵比寿とか割とヤバイのが居るのが確認できる。

 

 常々思うのだ。デメテルとか恵比寿とかフレイヤとか、こんな状況で平然としてる奴等ってなんかこう、神とかそう言うモノじゃなくてもっと違う別の何かなんじゃないだろうか?

 

 意識を別の事に向けてからゆっくりと顔を引き攣らせてエラトーがロキの方を向いた。

 

()()()()ってどういう……?」

 

「決まっとるやん? カエデたんに手ぇ出したら潰すわ」

 

 知ってる。お気に入りの眷属に手を出されたらどの神も怒る。だがそれでも手を出すのが一部の神々(馬鹿共)である。エラトーはそっち側ではないので手出しはしないしする気も無い。そのカエデ・ハバリと言う眷属がどんな歌を好むのか、音楽は好きか等は気になるが……本人を強引に己のファミリアに引き込もう等と言う気は無い。

 

「あぁ、それでファイたんの所と話もまとまっとるんよ」

 

 ロキの口からヘファイストスの名が出た事で神々は黙ってヘファイストスに注目する。

 

 成程、あの比較的常識人枠に収まってる様に見えてロキの蛮行を受けておきながらもロキの神友として振る舞っている狂人の鍛冶師はロキの協力者に収まっているのか。納得である。ヘファイストスめ、原因ではないと言いつつ協力しているではないか。

 

 内心ヘファイストスを罵倒しつつ、エラトーはヘファイストスの方を向いた。

 

「はぁ……えっと、ロキ、ここで言えばいいのかしら?」

 

「せやで」

 

「……はぁ……そうね。皆注目して」

 

 ロキと小声で話し合ってからヘファイストスが立ち上がって手を叩く。既に視線は集まっていたのでヘファイストスは直ぐに口を開いた。

 

「カエデに手を出したファミリアとは取引を全面停止するわ」

 

 ヘファイストスの台詞が静かな大部屋に響き、そして神々は意味を理解して騒ぎ始める。

 

「え? 【ヘファイストス・ファミリア】との取引停止?」「マジかよ、一級武装が使えなくなっちまうぞ」「最悪、ゴブニュん所使えば良くね?」「ばっか、ゴブニュの所は一見さんお断りだろ」「ヘファイストスの所の武器が使えないとか洒落にならんぞ」「もしかして整備も拒否られる感じ?」

 

 オラリオに於いて【ヘファイストス・ファミリア】製の武装の普及率は八割を超えている。要するにオラリオの冒険者のほぼ八割は『ヘファイストス・ブランド』の武器を使っているのだ。

 これは【ヘファイストス・ファミリア】が新米鍛冶師に積極的に鍛冶場を与えて鍛えている影響で、新米鍛冶師達の作る練習作品が安価に冒険者に使われている事が大きい。

 粗悪品や良品等の玉石混淆の練習作品は品質に差が大きいが、代わりに練習作と言う事で価格も安価である。

 バベルの四階から八階までが【ヘファイストス・ファミリア】の支店として利用されており、其処でも新米鍛冶師達の安価な練習作が数多取り扱われていると言えばどれほどかは理解も出来よう。

 

 【ヘファイストス・ファミリア】と取引停止された場合は其処の掘り出し物も利用できなくなってしまうし、一級(レベル5)冒険者や準一級(レベル4)冒険者等の上級冒険者は殆どが【ヘファイストス・ファミリア】製の一等級武装を利用している。

 

 冒険者にとって武装とは命の次に大事なモノであり。その質は生存率を大きく左右する。

 

 であるならば、最も質が良く、出回っている『ヘファイストス・ブランド』を利用できなくなると言う事がどういう事か……

 

 下級冒険者のみで構築されたファミリアは良いだろう。【ヘファイストス・ファミリア】以外にも小規模でやっている鍛冶系ファミリアは無い訳では無い。しかし一級冒険者が利用できる武器と言うのは【ヘファイストス・ファミリア】か【ゴブニュ・ファミリア】以外で手に入る事はほぼ無いと言って良い。

 

 非正規ルートを使って入手する事は不可能ではないだろうが、値段は倍以上に跳ね上がる所の話では無い。元の一等級に分類される武装でも数千万ヴァリスは当たり前。ソレが桁を一つ二つ跳ね上げた値段と言うのが非正規ルート、いわゆる闇ルートと呼ばれるルートでの取引価格となる。

 

 しかも非正規ルートで取引しているのがバレれば『商業ギルド』でもある【恵比寿・ファミリア】も黙っていない。

 

 探索系ファミリアの主神が揃って頭を抱える中。探索系では無い神々は「ふーん」と言った感じである。

 

 ソレを見たロキがそういった探索系では無いファミリアの主神を睨みつけるが。知った事かとニヤニヤ笑みを浮かべている。

 

 アレは手出しする気満々だろう。

 

 神々の様子を見て溜息を吐いていたエラトーを余所に、とある神が手をあげた。

 

「ひとつ質問がある」

 

 手をあげて存在を主張したのはオラリオに於いては【ヘファイストス・ファミリア】の名の陰に隠れがちではあるが同じく一等級武装を作り出す事の出来る【ゴブニュ・ファミリア】の主神。神ゴブニュである。

 

 ドワーフを連想させる小柄で逞しい体つきを、着流しを肌蹴させた姿の初老の男神のゴブニュは、ロキの威圧感をモノともせずにヘファイストスの方に視線を向けて口を開いた。

 

「どうしてロキに協力する? カエデ・ハバリと何か関わりでもあるのか?」

 

 その質問にはっとなった神々がヘファイストスに注目する。

 

 基本的に中立と言うか目立って何処かに加担しないヘファイストスが、神友とは言えロキに協力するとは思えない。詰る所何かしら理由(わけ)あっての事だろうと予測したのだろう。

 

 まさか鍛冶以外に興味の無さそうなゴブニュの口からその質問が飛び出したのは予想外だが……

 

「あぁ、それね。ロキが深層のドロップアイテムの五割を優先して私の所に卸してくれるって言うから協力したのよ」

 

 その言葉にゴブニュが目を細め。神々が納得した様な表情を浮かべた。

 

「そりゃそうだよなぁ……」「俺の所も深層のドロップ品とか欲しいんだけどなぁ」「あぁ……なんつーかズルいよなぁ」

 

 納得と諦めと羨望と、様々な言葉が神々の口から零れ落ちるのを見つつも、ゴブニュがロキの方を見据えて口を開いた。

 

「ロキ、儂の所も協力する。だから深層の素材を此方にも融通して欲しいのだが」

 

 その言葉に一部の神が悲鳴を上げる。

 

 エラトーは逆に納得できた。

 

 鍛冶にしか目の無い神だからなんかあるんだろうなと思っていたが、どうやら元々『深層の素材関連』で契約でもしているのだろうと考えて自身もその蜜を吸う為に質問したのだろう。

 

 【ゼウス・ファミリア】と【ヘラ・ファミリア】、二つのファミリアがダンジョン深層から大量のドロップアイテム等の素材を回収してきており、その素材を使って【ヘファイストス・ファミリア】も【ゴブニュ・ファミリア】も武装を作成していたが。二つのファミリア壊滅後は素材が目減りして価値も跳ね上がり。相場価格は前の数倍から下手をすれば数十倍。中には桁数が三つも跳ね上がった素材もあるのだ。

 

 そんな素材を優先的に卸してもらえるとなれば、鍛冶系ファミリアとして黙っていられないのだろう。

 

 一部の神々、詰る所眷属が【ヘファイストス・ファミリア】ではなく【ゴブニュ・ファミリア】と直接契約を結んでおり、ヘファイストスと敵対しても関係無かった探索系ファミリアの主神が悲鳴を上げている。

 

 ゴブニュの所すら禁止されれば手出しがし辛くなるだろう。

 

「お? えぇで。せやけど三割になるで?」

 

「構わん。少しでも多く良い素材が手に入るのならな」

 

「っちゅー事やから。カエデたんに手ぇ出したらゴブニュん所も取引停止すんで」

 

 神々がふざけんなーと口を開くもロキはニヤリと笑みを浮かべた。まるで予定通りとでも言わん態度である。

 

 ヘファイストスも若干呆れ顔をロキに向けつつも呟く。

 

「貴女、最初からコレ狙ってたんでしょ」

 

「せやで、まぁ……これでも動く神々(アホ)は居るやろけどな」

 

 最悪の場合、品質の低いオラリオ外の鍛冶師の作品でもダンジョンに潜れなくはないのでカエデに手出しする神が一人も居ないかと言えばそんな事は無いし。

 

 そもそも探索系ファミリア以外の場所は遠慮なしに手出ししてくるだろう。

 

 ロキが一応この後に控えるイベントに向けて思考を回していると、一人の女神が手をあげた。

 

「ロキ、私もそのカエデって子に手出ししたファミリアに制裁を加えるのに協力しても良いかしら?」

 

 神々の視線がその神――デメテルに集中する。

 

「「「え?」」」

 

 ロキだけではない。ヘファイストスもフレイヤも、恵比寿も誰しもと言うか神々の全てがデメテルの言葉に首を傾げた。

 

 え? いきなり出て来たけど、何で? デメテルも協力?

 

 理由が分らずに首を傾げつつも、ロキが口を開いた。

 

「え? 何でデメテルは協力する気になったん?」

 

 農業系ファミリア【デメテル・ファミリア】の主神デメテル。

 数いる神々の中で最も胸が大きく。三大巨乳神としても数えられている神であり、貧乳をコンプレックスとしているロキも一時期僻みの対象にしていた神である。

 

 性格はおおらかその物であり、地上に下りてきた理由は眷属(こども)達と野菜作り(土いじり)をしてみたかったと、刺激を求めて下界に下りてきた神々の中では非常に大人しい理由の神でもある。

 

 ファミリアの規模もかなり大きく、オラリオに留まらず【デメテル・ファミリア】の農村等も管理しており、『セオロの密林』等にも管理地・採取地として土地を確保していたりと、かなり広い範囲に手を広げているファミリアである。

 

 オラリオに於いては食糧生産を一挙に賄っており、農業系ファミリアの中では最大規模……と言うか【デメテル・ファミリア】以外に農業系ファミリアは居ないと言われているぐらいである。

 

 なんでわざわざ地上に下りてきて刺激も糞も無い土いじりなんて……等と神々に小馬鹿にされていながらも、おおらかな性格で全部受け流して農業を続けていた神である。気が付けば食料関連は【デメテル・ファミリア】一色であり、下手に敵に回すと食糧関連でかなり困った事になるファミリアである。農業系と言う事で眷属の平均レベルは低いモノの、敵対した場合の危険度は『冒険者ギルド』や『商業ギルド』と並んで数えられるほど……

 

 だが、危険度は高くとも主神の性格がおおらかであり、眷属に直接手出ししたりしない限りはよっぽど怒る事は無いし、何処か特定のファミリアと敵対している訳でも無いので手出ししなければ無害所か美味しい食材を提供してくれる良いファミリアである。

 

 そんな【デメテル・ファミリア】が【ロキ・ファミリア】に協力?

 

 冗談では無い。そんな事になったらカエデ・ハバリに手出しできるファミリアなんて【ウラノス・ファミリア】か【恵比寿・ファミリア】ぐらいしか居なくなってしまう。

 

 【フレイヤ・ファミリア】ですら食糧無くして活動が続けられる訳もないのだから……

 

「あぁ、それね……ハデスが居たからかしらね」

 

 にっこりと笑みを浮かべたデメテルの言葉に神々が首を傾げる。

 

「え? ハデス?」「ハデス……ハデスが居たから?」「デメテルとハデスってなんかあったっけ……」「もしかして……ハデスに好意を?」「あっ!! 思い出したっ!!」「何をだよ」「ハデスってデメテルをキレさせた唯一の神じゃねぇかっ!!」「っ!? あのデメテルを怒らせたぁっ!?」「え? デメテルってロキが毎日嫌がらせし続けて数千年、終ぞ怒る事無くロキに微笑みかけてたって逸話があっただろ?」「そのデメテルを怒らせるって……」「ハデス、オマエ何やらかしたんだよ」

 

 一人の神がぽんっと手を打って叫べば、神々も次々に思い出す。

 

 デメテルはおおらかな女神である。

 

 どんな状況でも笑みを浮かべて何でも許してくれる神である。

 

 それこそ数千年単位で悪神ロキがひたすらに巨乳を妬んで嫌がらせをし続けてもおおらかに笑って許すレベルでおおらかな女神である。最終的にロキが折れて膝を着いていたのは神々を震撼させた。あの怨敵(巨乳)相手にロキが膝を着いたのかとお祭りにすらなりかけたのに。

 

 他にもデメテルが怒った所を見た事が無いと言う事で神々総出で怒らせようとしてみたが意味が無かったりなど、怒る所が想像出来ないデメテルだが、そのデメテルを唯一激怒させた神が居た。

 

 神ハデスである。

 

 一体何が原因だったのかは未だ不明であるが、神ハデスがデメテルにしでかした()()()が原因でデメテルを激怒させたことは事実として神々の記憶に焼き付いていた。

 

 そしてデメテルの協力の理由に気が付いた神々が一様に額に手を当てた。

 

 これ、アレだよ。カエデ・ハバリを口実にして【ハデス・ファミリア】を攻撃する気だ……

 

 天界での出来事を元に下界で手出しするのは基本的に禁止されている。其の為神々は地上で眷属を使って挑発し合って限界を超えた方が手出ししてくるところを狙って()()()()を得てから盛大に攻撃をする。

 

 しかし【ハデス・ファミリア】は基本的にトラブルを起こさず、挑発にも乗らない。報復に食料品の取引を止めたくとも攻撃対象にする為の大義名分がさっぱり得られない状況だっだのだ。それを攻撃する()()()()として【ロキ・ファミリア】のカエデの後ろ盾としての協力宣言だろう。

 

 ロキからすれば寝耳に水である。同じくヘファイストスもぽかーんと半口を空けており寝耳に水なのがうかがえる。

 

 ロキとしては【デメテル・ファミリア】の後ろ盾なんて願ったり叶ったりだが……

 

「……あれ?」

 

 ロキはふと首を傾げる。

 

 これ、ハデス潰さない方が良いんじゃ?

 

 この神会(デナトゥス)が終わった後、外に待機させていた眷属と共にハデスを捕獲して磔にして天界へ強制送還させようと思っていたのだが……

 【デメテル・ファミリア】の協力を得られるのなら、怖いモノ無しと言うか……フレイヤも易々と手出しして来ないだろう。

 

 ロキがフレイヤの方を伺えば、引き攣った笑みを浮かべたフレイヤを目があった。

 

『貴女……これも、貴女の()()()()なのかしら?』

 

 そんな風に視線で問いかけて来たフレイヤに対し、ロキはドヤ顔を返す。

 

『予測出来へんかったやろ』

 

 悪神ロキと、美神フレイヤは天界でも互いに認め合う程の知力を持つ神であり、それぞれが敵対したり協力したり様々な立場で関わる中で、互いの能力は完璧に把握し合っている。

 

 そんな中、今回の出来事をロキは全く予測していなかった。と言うかハデスがデメテルを激怒させていたと言う出来事ですら神々が騒いでいるのを聞いて初めて知ったぐらいである。

 

 ――ウチも全く予測できへんかったからなぁ――

 

 ロキに予測できない事と言うのは。ほぼ断言しても良いがフレイヤも予測外だったのだろう。

 

 あの余裕の笑みを常に浮かべていたフレイヤが完全に笑みを引き攣らせている。

 

「ロキ、どうするのよ」

 

「どうするて……ハデス下手に潰さへん方が利がでかくなってもうたわ。ムカつくけど利用しよや」

 

 ヘファイストスの囁きにロキが答えれば、ヘファイストスがロキを見ながら顔を引き攣らせる。

 

 今のロキの表情は言葉に出来る様な様子ではない。

 

 殺したいほど憎らしい相手を、生かした方が利点が大きい。でも殺したい。八つ裂きにしても足りないぐらいにムカつく。でも生き残らせた方が利が出る。

 

 カエデの生存率は、ハデスを殺した場合と生かした場合では天と地ほどの差が出る。

 

 ハデスを殺した場合? 【ヘファイストス・ファミリア】と【ゴブニュ・ファミリア】の二つの協力によって殆どのファミリアは手出しして来ないだろう。だが【フレイヤ・ファミリア】や上位冒険者を抱えていない小さなファミリアが足元を掬おうとしてくる。

 

 ハデスを生かした場合? 【ハデス・ファミリア】の手出しは収まらないだろう。しかし【ヘファイストス・ファミリア】と【ゴブニュ・ファミリア】だけでなく【デメテル・ファミリア】の協力によって殆どのファミリアが手出しを渋る。【フレイヤ・ファミリア】ですら手出しを躊躇うのだから当然である。

 

 肝心のハデスの方を見れば『やはりか……』と昇天寸前の様な諦めた顔をしていた。

 

 成程、ハデスの顔色が悪かったのはデメテルの手出しを予測していたからなのか……。

 

 まぁ、その程度でハデスが止まるとは思えないのだが。警戒だけにするのが良いのか?

 

「あー、デメテル様が協力するなら僕も協力するよ」

 

 唐突な横殴りの衝撃的出来事の後に、神々が放心状態から抜け出せぬうちにもう一人の神が手をあげた。

 

 胡散臭い笑みを浮かべた神恵比寿の言葉を聞いたロキは瞬時に表情を引き締めて恵比寿を睨む。

 

「なんで協力するん?」

 

「え? だってデメテル様が協力するんでしょ? じゃあ僕も協力するってだけだけど?」

 

 胡散臭い笑みを浮かべた恵比寿の言葉に神々が凍り付き。そして深々と溜息を吐き始めた。

 

「最悪、手出しできねぇじゃん」「あー、面白そうな子なのにな」「くっそ、これだからロキは嫌いだ」「コレ、全部ロキの掌の上じゃね」「マジかよ……天界でも思ったけどロキ頭良すぎ」

 

 いや、過剰評価である。ロキもこの流れは完全に予想外である。

 

 

 しかし、周りの神々は恵比寿の言葉に納得しているらしい。

 

 理由は分らなくもない。

 

 恵比寿自身は何処の神ともトラブルを起こしてはおらず。唯一ウラノスの管理している『冒険者ギルド』と仲が悪いと言う噂が流れる程度。何処のファミリアに対しても中立であり、『商人の味方』を宣言する通り商人が関わるトラブルに於いて商人が全うな商売をしていれば間違いなく商人に加担する以外は特に何かある訳でも無い。

 

 唯一、利益に大きくかかわっている【デメテル・ファミリア】とはかなり親密な関わりをしている様子だが……。

 

 【ディアンケヒト・ファミリア】の様に自ファミリア内で生産と販売を両立していない限りは商売に関わるファミリアとは友好的であると言える。

 

 【ロキ・ファミリア】も一応商売関連、と言うよりは取引に於いて関わり合いが無い訳ではないが金の繋がりしか無く。余計な手出しも邪魔もせず。支払った金額分だけ誠意を見せてくれるファミリアでしかない。

 

 その【恵比寿・ファミリア】の恵比寿が何の利も無く協力を言い出す? 信用できるはずもない。

 

 ましてや事前に手出ししてきているのだ。神々が信用しようともロキは信用できない。

 

 はっきり言って、デメテルは良い。理由がはっきりしている。カエデを()()()()()()()()のはむかつくが、理由としてはっきりしていて解りやすい。要するにデメテルからすればハデスに対する口実になればソレで良いと言うスタンスなのだから。

 

 しかし恵比寿、テメェはダメだ。

 

 どんな理由で協力するにせよ、信用ならない。

 

 もし事前に【恵比寿・ファミリア】の【幸運の招き猫(ハッピーキャット)】の手出しの情報が無ければ怪しみつつも利用する気になっただろう。

 

 だが、この場で唐突に協力を宣言するのではなく、事前に手出ししてきつつも協力を宣言されたのであればよしと頷く事なぞ出来ようはずもない。

 

 とは言え周りの神々は既に恵比寿がロキの協力者として名乗りを上げた事で萎えてやる気を失っている様子から、恵比寿の協力が信用できずとも利用すればカエデの安全をほぼ100%保証できるのを理解して舌打ちをかました。

 

「恵比寿、裏切ったらわかっとるやろな」

 

「ワー怖い。まぁ安心しなよ。その子次第だからねぇ」

 

 ニヤニヤと怪しい笑みを浮かべた恵比寿に舌打ちしつつも、ロキがヘファイストスの方を向くとヘファイストスが遠い目をしているのに気が付いた。

 

「どしたファイたん」

 

「……私の協力、いらなかったでしょこれ」

 

 完全に不要かと言われればそうでもないが、【ハデス・ファミリア】と敵対する為の大義名分(いいわけ)を神デメテルが欲しているのを知っていれば最初からデメテルの所に話を持っていけばよかったのだ。

 

 敵の敵は味方と言う言葉の通り、ハデスに対し敵対するデメテルを最初から味方に引き込めば……

 

 まぁ、神ロキはデメテルとハデスの因縁なんて知りもしなかったし、ヘファイストスも知らなかったのでそんな事口が裂けても言えないのだが。

 

「あのー、良いかしら?」

 

「なんやエラトーたん」

 

 先程から顔色が土気色に変わりかけたエラトーが手をあげて呟く。

 

「二つ名の命名式、再開していい?」

 

「あぁーええでー」

 

 ロキの肯定の言葉に涙を零しつつ、エラトーがメガホンを手に持って呟く様に言葉を漏らす。

 

「と言う訳だから、カエデって子に手出ししないようにした方がいいわ……【ヘファイストス・ファミリア】に【ゴブニュ・ファミリア】、【デメテル・ファミリア】に【恵比寿・ファミリア】……これに【ロキ・ファミリア】まで敵に回したくないでしょ……うっ……考えたらお腹痛くなってきた」

 

 ぷるぷると震えつつもメガホンを司会席に置いたエラトーが遠い目をしつつぼそぼそ呟き始める。

 

「カエデって子でラストだから……私、この命名終わったら帰るのよ。眷属(こども)に歌でも歌って貰おうかしら……あぁ、なんで私こんな所に居るんだっけ……」

 

 遠い目をしながらも現実逃避を始めたエラトーの様子にロキは悪びれた様子も無く笑顔を向けた。

 

「カエデたんの二つ名なら()()()()()()()で」

「だろうな」「ですよねー」「つまんねぇ……」「これだから」「せめて面白可笑しい二つ名つけたかった」「【白き禍……何でもないですごめんなさい」

 

 ロキの宣言に予測通りだったと神々が文句を垂れ、ふざけた事を言おうとした神を強く睨み黙らせてからロキはフレイヤに問いかける。

 

「アンタは何か二つ名考えとるん?」

「えぇ、まぁ一応ね」

 

 応と答えられたその答えにロキは舌打ちをかましてから、周りを見回す。

 

「まぁ、ええわ。カエデたんの二つ名は『生命の唄』、ルビは『ビースト・ロア』。合わせて【生命の唄(ビースト・ロア)】や」

 

 【生命の唄(ビースト・ロア)】と言う二つ名に神々が首を傾げる。ヘファイストスやフレイヤも首を傾げ、恵比寿だけが頷いている。ハデスは椅子に深く腰掛けて青褪めた顔で震えており、デメテルが笑顔を浮かべている。

 

「えー、っと? どういう意味?」「生命の唄? どっかで聞いたよな」「アレじゃね? 古代の英雄の」「あぁー……『生命(エイユウ)(さけび)』ね」

 

 納得と言う表情を浮かべた一部の神々の様子に逆にロキが首を傾げた。

 

「『生命(エイユウ)(さけび)』って何や?」

「うぇっ!?」「知らないのっ!?」「マジかよ……」「あぁ、そう言えばロキって地上見ずに暴れてたっけ」「あー、知らないのも無理ないか」「アレ聞かなかったのか」「え? と言うか其れ知らずに『生命の唄』なんて二つ名にしようとした訳?」「ないわー」

 

 神々の非難に首を傾げるロキに、フレイヤが溜息を吐きつつ口を開いた。

 

「ロキ、『生命(エイユウ)(さけび)』って言うのはね。古代、千年前の『神々が下りるきっかけを作った英雄達』の叫んだ戦闘前の口上の事よ」

 

 千年前、神々を熱狂させた『古代の英雄』達。神の恩恵(ファルナ)等と言う補助も無く戦い馳せた英雄達の事。

 

 そんな英雄が唄った(さけんだ)前口上。

 

 

 

 

 

 幾十と、幾百と、幾千と、幾万の屍を越え我等は辿りついた。

 幾度涙を流した? 幾度弱音を吐いた? 幾度仲間を失った?

 

 其れも此れも、全てはこの日が為に。

 

 さあ、立ち上がれ。付き従う同胞(はらから)よ。

 さあ、武器を取れ。朧げな生命(いのち)よ。

 さあ、声を上げよ。儚き生命(えいゆう)達よ。

 

 いざ、戦場だ。鼓動(いのち)枯れ果てるその時まで進み逝け。

 いざ、血戦(けっせん)だ。信念(たましい)を抱け、倒れ逝くその瞬間まで。

 

 死ぬな(諦めるな)生きろ(足掻け)。心の臓の音色が枯れ果てるその時まで。

 

 我等が命、『蓋』の建造に全て捧げようぞ。

 

 

 

 

 神々を熱狂させたその『魂の声(さけび)』。

 

 地上の人々が、ほんのわずかな『精霊の加護(古代版ファルナ)』と、『生命()の持つ力』ただそれだけを駆使して、不可能と言われた偉業を成し遂げたソレ。

 

 彼の時に唄われた(さけばれた)生命(エイユウ)達の唄。

 

 神々は其れを『生命(エイユウ)(さけび)』と呼んだ。

 

「ほー……そんなんあったんか」

 

 ロキはその話を聞いて懐かしむ神々を見つつも首を傾げる。

 

死ぬな(諦めるな)生きろ(足掻け)。心の臓の音色が枯れ果てるその時まで』

 

 その台詞(フレーズ)はカエデの口からも語られていた。

 

 もしかすると……

 

 そう思っているロキに対して神々が次々に好き勝手言い始める。

 

「その子がどんな子かしらんけどさぁ、流石にねぇ」「『古代の英雄』クラスじゃあるまいし、その二つ名はなぁ」「不相応過ぎじゃね?」

 

 神々の言いたい事は一つ。

 

 古代の英雄の、『生命の唄』を二つ名として使うには、カエデ・ハバリは不相応なのでは?

 

 その言葉にロキは呆れ顔を浮かべた。

 

「何や知らんけど……古代の生命(古臭い英雄)やのうて現代の生命(今生きてる子ら)の方を見ろや」

 

 ロキの言葉に神々が口を閉ざす。

 

「ウチはカエデたんにぴったりや思うて【生命の唄(ビースト・ロア)】っちゅー二つ名考えたんやで?」

 

 

 

 入団試験の日、初めて見た時。ロキはカエデ・ハバリを『みすぼらしい狼人の子』程度にしか見なかった。

 一応は見てやろう程度ではあったし、剣を構えるその瞬間まで『外れ』だと思っていた。

 

 その予想が裏切られ、質問を繰り出したあの瞬間。

 

 カエデ・ハバリの思いの丈(強い意志)聞いた(叫ばれた)瞬間。

 

 ロキはカエデに惚れ込んだのだ。

 

 『ワタシは絶対に諦めない(死なない)

 『ワタシは生きる(足掻く)のだ』

 

 心に深く刺さったその言葉に、獣の如く吼えたその姿に、痺れを覚えて眷属にすると決めたのだ。

 

「あんた等が古代の英雄らに特別な感情抱いとるんは分ったわ。せやけど今を生きてるんは現代の生命(カエデ・ハバリ)やろ? 相応しくない? 何をふざけた事を……」

 

 むしろ、カエデ・ハバリ程その二つ名の合う眷属等、居ようはずもない。

 

 吼え、吠え、咆えたその姿は、彼の時代に生きた生命(エイユウ)に劣るはずもないとロキは断言できる。

 

「せやからカエデたんの二つ名は【生命の唄(ビースト・ロア)】や」




 『デメテル』と『ハーデース』の因縁についてはwiki等を参照ください。

 数ある『死の神』の中から最初は『タナトス』を選ぼうかなと思いましたが原作に登場しましたし。丁度良くこの展開にもっていけそうだった『ハーデース』を選びました。




 『英雄』と『生命(エイユウ)』について。

 完全な分類は出来ませんが大雑把に。

 『運命に流された(なるべくしてなった)』のが英雄。

 『運命に逆らった(足掻きつくした)』のが生命(エイユウ)

 神々の恩恵も無く、古代の英雄が成した事、成す事となった理由は『穴から溢れるモンスターを封じ込める蓋を作る』と言うモノでした。
 現代に置いて『ファルナ無くしては倒す事が出来ない』と言われる危険なモンスターも当然の如く地上に溢れた時代。
 人々は当然現代より過酷な状態にあったでしょう。滅びも覚悟したその時代において立ち上がった者達。
 不可能と神々に笑われながらも、その『不可能な運命』を切り開いて偉業を成し遂げた。

 故に『英雄』の名を冠した。

 現代の英雄は『ダンジョンに夢を見た者達』が『神の恩恵(ファルナ)で夢を叶えた』のが主立ってますが。

 古代の英雄は『ただ只管に想いを遂げる為に生きた(足掻いた)』者達ですね。

 つまり生きた(足掻いた)英雄が生命(エイユウ)であり、至る(成る)英雄が英雄となる。

 二通りの英雄像を描いてます。



 今作はただ生きる為に足掻く『主人公』と、ソレを見る『神々』。二つの側面を持たせて……みたかったです(白目)


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『襲撃予告』

『頼むっ……許してギャァッ』

『何を……何を許せば良いさネ?』

『俺は、ただ命令された……だけ……ギャアアアアアアアアアアッ!?!?』

『命令? 誰にされたさネ』

『腕……俺の腕がぁ……』

『腕ならもう一本あるさネ。ほら、早く教えるさネ』

『知ら……知らないんだ……頼む、許し――――グブッ』

『そっか、知らないならもう良いさネ』

『ヒィッ!?』

『次はお前さネ。教えて欲しいさネ……誰に命令されたさネ』

『頼む、どうか命だけは――――ッ!!??』

『…………はぁ、後は何処にー……って、もう全滅さネ。数ばっか多い癖に役に立つ奴は一人も居ないさネ……』


 早朝、【ロキ・ファミリア】の鍛錬場に顔を出したアイズはいつも通り日の出と共に鍛錬を始めていたカエデと挨拶を交わしてから、自らの剣を構えて素振りを始めた。

 

 素振りをしながらもちらちらとカエデの方を盗み見れば、駆け出し(レベル1)の時に比べて格段に動きの鋭さが増した姿が見えて思わず眉を顰める。

 

 昨日、食堂でカエデ・ハバリが器の昇格(ランクアップ)を果たして三級(レベル2)冒険者へと至った事のお祝いが開かれたのだが……。

 

 カエデ・ハバリの器の昇格(ランクアップ)までにかかった期間は僅か十九日、一か月未満での器の昇格(ランクアップ)であり、最短記録を大幅に塗り替える結果であった。無論だが、別に最短記録を塗り替えられた事が悔しいわけでは無い。決して。

 

 思った事は全く別の事。『成長系のスキル』を保有していると言う部分。ズルい、単純にそう思った。強さを求め、ただ只管に強くなろうとしている自身には発現しなかったスキル。そのスキルの習得条件は何か?

 

 種族特有のスキルではないだろう。狼人(ウェアウルフ)の習得するスキルであるのならベートさんも同じスキルを習得していてもおかしくは無い。しかしそんな事は無かった。

 

 なら、精神面や素質から発現したスキルであろうか? 羨ましい。

 

 そんな風に時折カエデに視線を向けながら、鍛錬に集中できないアイズはいったん手を止めて深呼吸をし始める。

 

 無駄だ。カエデは今まで生きてきた人生が常人とは違う。ロキがそう言っていた。生まれ落ちたその日から否定の連続。その中にあったほんの僅かなたった一人だけ肯定してくれた言葉だけを頼りに生きてきた。

 

 その人物との繋がりが唯一、カエデの背を押し続けていた。その繋がりが成長系スキルの発現に繋がった。

 

 同じ人生を歩んだ所で同じスキルが発現する訳では無いにしろ、殆どの人はカエデの様に周囲の殆どから否定され続けても尚、生きようと言う意思を持ち続けるのは難しい。

 

 それでも生きようと言う意思を持ち続けて生き(足掻き)続けて来たからこそのスキルであると、ロキは語った。

 

 だからこそ『ズルい』と口にだけはしない。

 

 自分だって魔法や剣の腕をズルい等と言われれば、相応に思う所はある。其れを手にする為にどれほどの努力を繰り返したのか。その魔法にどれだけの想いが籠っているのか。知りもしないで『ズルい』等と言われれば自分だって怒りたくなる時もある。

 

 だから、カエデのスキルや技術を『ズルい』とだけは言わない。手にするのに相応に苦労を重ねてきているのだから。

 

 そんな風に思っていても、やはり成長系スキルは羨ましい。

 

 自分よりレベルは下だが……きっと直ぐにでもアイズを超えていく気がする。この調子で器の昇格(ランクアップ)を重ねていければ……だが。

 

 そんな考えを頭を振って追い払い。もう一度剣を構える。

 

 『ズルい』なんて考えている時間は無い。羨めば強さが手に入るのなら……羨むだけで望んだものが手に入る事は無いのだから。

 

 剣を振るい始めた所で、自身をカエデの二人しかいない鍛錬場の入口が開かれて、ベートが入ってきた。

 

 珍しいな、と言うのがアイズの率直な感想だろう。普段は滅多に鍛錬場に姿を見せる事が無いベートが現れた事もそうだが、その手に剣を持っているのはもっと珍しい。

 剣を使わない訳ではないが、基本は徒手空拳……蹴りを中心とした戦いをするベートが剣を振るうのは殆ど無いと言っていい。そんなベートが剣を持って鍛錬場に現れた事に内心首を傾げる。

 

「……あ、ベートさん。おはようございます」

「……あぁ」

「……? ……??」

 

 鍛錬場に入ってきたベートに気付いたカエデが剣を振るう手を止めて頭を下げたのをベートが目を細めてみてから、小さく返答を返した。それを見て思わずベートの方をじーっと見てしまった。

 

 何時もならカエデの挨拶を無視していたが、今日は短くとは言えカエデの挨拶に返答していたのだ。

 

 カエデ自身も一瞬ぽかんとしてから首を二度三度と傾げてから、口を開こうとして、ベートの方を見てから口を閉ざして剣の素振りに戻っている。

 

「アイズか」

「ベートさん、おはようございます」

「あぁ」

 

 ……もっと乱暴と言うか粗暴と言うか。そんな雰囲気である事が多いベートが、珍しく大人しい。

 

 何かあった……あ、昨日確か屋根の一部が破損しているのが見つかったから、原因に心当りのある団員は後でフィンの所に来るようにと言っていた。ベートは時折屋根の上で鍛錬をして居る事があったので、それが原因で何かあったのだろう。

 

 納得してから鍛錬を再開する。

 

 

 

 

 

 振るい、勢いを乗せ、相手の首を刎ねるイメージをしつつ。寸前で止める。

 

 今までは自分にはそんな動きは出来なかった。

 

 遠心力を利用して最大限まで高めた威力の一撃を相手に叩き込むと言う事に特化して自身の筋力不足を補っていたのだが、その影響か自分の攻撃を寸止めする様な動きは筋力不足が如実に出ており出来なかったのだが、器の昇格(ランクアップ)の影響が如実に出ているのだろう。

 

 今までは勢いを乗せる為に大振りの一撃を繰り出す必要があったが、今では力任せに振るっても同じだけの威力を繰り出せるようになった。

 

 それ所か放とうとした一撃を剣筋を逸らして軌道を強制的に変えて振るい直す必要があったのが、力にモノを言わせて強引に静止させて寸止めが出来る様になった。

 

 今までは大振りの一撃を狙う為、小技で隙を埋めるスタンスだったが、これからは大振りでなくとも十分に威力の乗った一撃が繰り出せるようになった事で、戦略の幅はかなり広がる事だろう。

 

 昨日、器の昇格(ランクアップ)をしたので二つ名が授けられた。ギルドからの正式発表は今日の昼頃になる予定だが、昨日の時点で既に二つ名は聞いていたし、【ロキ・ファミリア】の団員には伝えられている。

 

 【生命の唄(ビースト・ロア)】カエデ・ハバリ それがワタシを示す名になるらしい。

 

 今日からカエデには二つ名が付く事になる……。…………それで何かが変わるのだろうか? ちょっと名乗りが面倒になったぐらいだろうか?

 『古代の生命(エイユウ)』がどうのと言う話をされたが、余り興味は湧かなかった。

 

 確かに凄いとは思った。けれど其れとワタシに何の関係があるのだろうか?

 

 ロキは『別に気にせんと今まで通りでええで』と言っていたが……。

 

 剣閃をピタリと静止させ、剣を……壊れてしまったウィンドパイプの代りに渡された鉈剣を鞘に納める。

 

 ウィンドパイプの耐久力を持ってしても『烈火の呼氣』の一撃には耐えきれなかったらしい。

 対象が悪かったと言うのもあるのだろうが……流石にあの一撃でウィンドパイプが壊れるとは……。

 

 『烈火の呼氣』を使った事についてをロキに怒られたが、後悔はしていない。あの場で死ぬのと、今生きている事、どちらが良いかなんて是非を問う必要も無いのだから。

 

 ……其れとは別に気になる事が出来た。

 

 何時もならベートさんに挨拶しても見向きもされずに無視されていたのだが……今日は返事……返事? をしてくれた……様な気がする。

 

 気の所為だったのだろうか?

 

 

 

 

 

 本来なら屋根の上の足場の悪い場所で鍛錬を行うのが常だったが、カエデの器の昇格(ランクアップ)の話題で焦った所為だろう。力加減を間違えて屋根の一部を破壊してしまったのだ。

 屋根の耐久なんて準一級(レベル4)冒険者が力加減を間違えればすぐに壊れてしまう程度の耐久しかなかった。今までは特に傷付ける事も無かったので何も言われなかったが今回の件を受けてフィンから『屋根の上での鍛錬の禁止』を言い渡されてしまったのだ。

 

 朝の鍛錬をサボると言う事はしたくなかったが、鍛錬場には思った通りカエデとアイズが居た。屋根の上から見下ろしていた二人の動きを適当に流し見てから、自身の鍛錬を始める。挨拶してきたカエデに返事をしてやったら不思議そうに何度も首を傾げていた。

 

 ベートは両手に一本ずつ、双剣を連続で振るっていく。

 

 互いの刀身がぶつかり合わない様に注意しつつも、最大の速度を以てして切り刻む。

 

 本来なら脚を使った方が早いが、打撃攻撃が効かないモンスターも居る。そう言ったモンスター用に常々剣は持っているが、本格的に剣を振るうのはあまりなかった。

 

 カエデ・ハバリの器の昇格(ランクアップ)

 

 偉業の証を得ている確信はしていたが、既にステイタスの基礎アビリティD以上も成し遂げていたと言うのは想定外だった。

 

 ……成長系スキル。それについて思う事は余り多くは無いが……其れよりも苛立つ原因は他にあった。

 

 『白き禍憑き』、白毛の狼人に送られる蔑称。忌子である事を示すその名前……。

 

 カエデは気付いているのだろうか? 昨日の食堂で行われた祝いの席で、カエデにお祝いの言葉を述べに行った者達の中に【ロキ・ファミリア】に所属している狼人が一人もいなかった事に……。

 

 いつも通り、食堂の隅を確保して眺めていたベートは、狼人がベートとは反対の隅っこに集まって黙って黙々と食事をしていたのに気が付いた。

 

 何時もなら騒がしいぐらいに騒ぐのに、それすら無くただ黙って葬式の様な雰囲気で席を囲む狼人の集団。

 

 どういう意図があるのかは直ぐに理解できたし、ぶっ飛ばしたいとも思った。

 

 器の昇格(ランクアップ)をして実力を示して見せたのにも関わらず、狼人は誰もカエデを認めようとしない。ただ白毛だからと『禍憑き』呼ばわり。

 

 今日の昼頃には器の昇格(ランクアップ)者と二つ名命名式の結果の一覧がギルドに張り出される事だろう。

 

 ……そして、オラリオに居る狼人達も、【ロキ・ファミリア】に所属する狼人同様、カエデを認めはしないだろう。

 

 腫物に触る様に接するのもムカつく事はむかつくが、そもそも存在すら認めず悪態をついている雑魚共が余りにもうっとおしい。

 

 それ以外にも苛立ちの原因が数多存在する。

 

 わざわざ、神会(デナトゥス)の後に【ハデス・ファミリア】の主神と眷属を縛り上げて血祭りにあげるから手伝えと団員に指示を出して大人しく従っていたのに、急に手を出すなと掌を返したのだ。

 

 ロキが言うには『【ハデス・ファミリア】が敵対したままの状態だとカエデの後ろ盾に最強の盾がつくから【ハデス・ファミリア】以外は手出ししてこん。んでそのハデスん所も滅多に手ぇだしてこんから今は我慢してえな』と言っていたが……。

 

 やられたらやり返すのが基本だろうに、相手になめられる原因にもなるのだ。それを…………。

 

 ……………………。

 

 

 

 

 

 深々とロキの口から零れ落ちた溜息に、フィンが肩を竦めた。

 

「ハデスを見逃すしかなかったのは、仕方ないよ。【フレイヤ・ファミリア】ですら手出しできない状況だからね」

 

 フィンの言葉にロキは胡乱気な視線をフィンに向けた。

 

「ハデスっちゅーか……恵比寿殺したいわアイツ……」

 

 神会(デナトゥス)が終わって直ぐ、ロキはハデスを潰す作戦の為に動員した団員に手出し厳禁と伝えて、恵比寿とデメテルに話を聞こうとした。

 デメテルの方は普通に会って会話を交わしたが。『そっちの眷属()を利用してごめんなさい。でもハデスだけは許せないのよね』と申し訳なさそうに謝罪してきたのだ。後序に山ほど野菜を貰った。

 恵比寿は……。

 

「恵比寿の奴……ハデスよりムカつくわ」

 

 恵比寿はロキの顔を見た瞬間ににっこり笑顔を浮かべて『今日は閉店だよガラガラー』と言って【恵比寿・ファミリア】の本店の中に姿を消した。いっそ襲撃してやろうかと思ったが二階の窓から顔を出して『話す事は無いんだなぁこれが。店に迷惑だから帰ってくんない?』とおちょくってきた。

 

 天界でやらかした事で恨まれていたハデスの方よりも、何がしたいのかさっぱりわからない恵比寿の方がムカつく。どうにかしたいのだが……。

 

「んー……手紙を送るとか?」

「どんな手紙送り付ければ出てくる思うん?」

「『【恵比寿・ファミリア】の各店舗、片っ端から潰すよ』とかどう?」

 

 しれっと言い放たれた言葉にロキはフィンを半眼で見る。

 

「其れ、洒落になっとらんで」

 

 間違いなく【恵比寿・ファミリア】と敵対ルート待ったなしの恐ろしい手紙であるはずだが……。

 

「いや、案外いけると思うんだよね」

 

 フィンの自信ありげな様子にロキは首を傾げた。

 

「どういうこっちゃ」

「ほら、神恵比寿は商人の味方だろう? 怒らせはするだろうけど確実に引っ張り出す事は出来ると思うんだよね。後は……戦力的にこっちの方が上だからね」

 

 【恵比寿・ファミリア】の団長は【八相縁起】と言う準一級(レベル4)冒険者である。元は別のファミリアの眷属だったのだが改宗(コンバージョン)して【恵比寿・ファミリア】に入団した人物である。

 

 商才はあるモノの片手を失っており隻腕となっている冒険者であり、戦闘能力はだいぶ落ちている人物であり戦えば余裕で倒せる。

 他の【恵比寿・ファミリア】の眷属にしろ、二枚看板はそれぞれ二級(レベル3)が良い所。

 それ以外には三級(レベル2)が数人、他は駆け出し(レベル1)と言う形。

 

 だが問題は戦力では無く取引の停止による真綿で絞殺されるようにファミリアを滅ぼされる事である。

 

「ほら、絞殺されると言っても一瞬じゃないだろう?」

 

 ……成程。思わず拳で掌をぽんと打ち、フィンを見る。

 

「いや、下手したらウチのファミリア消えるで?」

 

 一瞬で滅ぼされる訳では無い。そうであるのなら、完全に滅ぼされる前に恵比寿の首級を挙げる事も出来る。最悪其れが出来ずとも『商業ギルド』に所属する【恵比寿・ファミリア】の庇護下にある店舗を片っ端から襲撃すれば……無論そんな事すれば『冒険者ギルド』とも敵対する訳だが、ここで役立つのは天界での神ロキの異名。

 

 悪神ロキ。

 

 自身の快楽の為ならば、どんなことをするのも厭わないとやりたい放題していたのがロキである。そのロキが本気で行くと脅しをかけたら……? 天界での知り合いなら迷わず土下座する。

 恵比寿とは天界に於いては顔を合わせる事は無かったものの、それでも噂位は聞いた事があるはずだ。其れを利用する積りなのだろう。

 

 だがロキの反論通り失敗すれば【ロキ・ファミリア】が消滅する。

 

「だから其れは無いよ……僕達が消えたら、誰が【フレイヤ・ファミリア】を止めるんだい?」

「あー……フレイヤかー」

 

 過去、【恵比寿・ファミリア】から不自然な食料の流れがある事が【ロキ・ファミリア】に内密に伝えられた。

 その内容を元にフィンが闇派閥(イヴィルス)に所属する神々の潜伏先を割り出して一網打尽にしたのだ。

 

 何故【恵比寿・ファミリア】が自身で対応に当たらなかったのか?

 

 恵比寿は戦力不足を言い訳にしていたが、実際の所は徐々に広がり始めていた【フレイヤ・ファミリア】との名声の差を減らす為であった。

 

 【フレイヤ・ファミリア】一強になればオラリオが荒れると判断し、対抗馬として鎬を削り合っていた【ロキ・ファミリア】に目をつける形だったのだ。

 

 【恵比寿・ファミリア】は積極的に手出しをせずにファミリア同士の勢力図を見守る姿勢に徹する『冒険者ギルド』、【ウラノス・ファミリア】に代り、ファミリア同士の勢力を拮抗させたりしてバランスを保つ様な行動をしている節がある。

 

 今のオラリオに於いて【フレイヤ・ファミリア】に対抗できるファミリアなんて【ロキ・ファミリア】しか存在しない。

 

 食糧と言う生命線を握り占めている【デメテル・ファミリア】と言えど、戦力的な差があるので牽制は出来ようとも壊滅してしまえばそこまで。

 【ウラノス・ファミリア】はそもそも対抗馬として名を上げる事は絶対にしない。

 【恵比寿・ファミリア】もわざわざ美神と敵対したいとは思っていない。

 

 以上の点から【恵比寿・ファミリア】は【ロキ・ファミリア】を本気で滅ぼす事はしない。所か変に戦力を減らさせたりすれば【フレイヤ・ファミリア】が今以上に増長して面倒な事になる。

 

 そう言った面から脅す程度ならば許される可能性は非常に高そうであるとフィンは踏んだのだろう。

 

「……まぁ、それはウチも思ったけどなあ」

 

 神デメテルを怒らせようと画策していたあの頃を思い出して溜息を零した。

 普段、怒らない人物ほど、本気で怒らせた時に恐ろしい。

 

 デメテルが其れに当てはまっていた訳だが、恵比寿も同様に誰かに怒る事は殆ど無い。と言うかデメテルと違い誰かに怒った事が一度も無いのでは? と言われている神なのだ。

 

 眷属(商人)の事で怒っている姿は良く見るが()()()()()()。要するに演技臭いのだ。

 

 本気で怒ったのなら、どうなるかわからない。どこまで踏み込める?

 

「……ええか。送りつけたるかー。アイツムカつくしな」

「はい、これ」

 

 フィンが手渡してくれた便箋を手に取り。内容を決めようとして、適当にペンを動かす。

 

『店を片っ端から襲撃して欲しく無かったらウチと会えや』

 

 あの胡散臭い商売神に送りつけるならこれぐらいで良いだろう。



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『会談』

『ヒヅチィ……会いたいさネ……』

『なぁ、酒臭いんだけど』

『ヒヅチィ……カエデェ……』

『酒臭いって……聞こえてないのかよ』

『何処行ったさネェ……』

『なあ、離してくれよ。酒臭くて堪んないんだけど』

『……おとうさん』

『アタシはアンタのお父さんじゃ……はぁ……』


 器の昇格(ランクアップ)対象者一覧。

 

 最短器の昇格(ランクアップ)記録 更新

 

 所属:【ロキ・ファミリア】

 二つ名:【生命の唄(ビースト・ロア)

 名前:カエデ・ハバリ

 種族:狼人

 性別:女性

 年齢:9歳

 所要期間:三週間

 備考①:インファントドラゴン単独(ソロ)討伐

 備考②:『早熟する』と言う成長系スキル保有

 備考③:初期更新400オーバー

 

 

 

 

 数多の冒険者が手続きの為に集まる『冒険者ギルド』、万神殿(パンテオン)の内部。

 

 掲示板に張り出された神会(デナトゥス)によって二つ名の命名が行われた器の昇格(ランクアップ)した冒険者リストを見て、各ファミリアの眷属達はあからさまに困惑した様な反応を見せた。

 

 今まで、最短器の昇格(ランクアップ)記録を持つのは【ロキ・ファミリア】の【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタインであり、同時に最年少器の昇格(ランクアップ)記録も持っていたが。

 

 今回の神会(デナトゥス)によって二つ名を命名された一覧の中でも異常に注目を集めている一人の眷属。

 

 その眷属がたたき出した最短記録(レコードホルダー)更新の一文。

 

 大々的に一覧の目立つ場所に書かれた備考などを見た冒険者達が口々にその件の冒険者、カエデ・ハバリについて考察を述べている。

 

「マジかよ」「成長系スキル……ずりぃよなぁ」「また【ロキ・ファミリア】か……」「【剣姫】超えるって……」

 

 他にも複数の器の昇格(ランクアップ)報告や、二つ名の張り出しが行われているが、そんな物が目に入らない程に一人の冒険者に注目が集まっている。

 

 そんなギルドの掲示板の前に集う冒険者の後ろ姿を見て、恵比寿は軽く溜息を吐いた。

 

「いやぁ、人気だねぇ……」

「騒がしくなるだろうね」

「ねぇ、君の『幸福のお呪い』って奴のおかげであんなスキルが出たの?」

 

 恵比寿の横で肩を竦めたのは灰毛をキャスケット帽に納めて隠し、ぴっしりと茶色のコートを着込んだ小柄な猫人(キャットピープル)の女性。

 右目が金、左目が蒼と言うオッドアイで恵比寿を見上げてから肩を竦めた。

 

「そんな訳無いでしょ。ちょっと()()()が起きるだけのスキルだよ? 『成長系スキル』なんて発現する訳無いって」

「だよねぇ」

 

 【幸運の招き猫(ハッピーキャット)】モール・フェーレース。

 希少(レア)スキルにて運気を操る冒険者。

 

「僕があげたのはほんのちょびっとの幸運だよ? それに効力は【ロキ・ファミリア】の入団試験会場に辿り着いた時点で切れてるはずだしね。無論だけどファミリアに入れたのもあの子の実力だよ」

 

 肩を竦めたモールに、恵比寿は溜息を零す。

 

「僕さ、ロキに目をつけられちゃったみたいなんだよね」

「……ふぅん」

「ちなみに、君ももれなく探し回られてるけどね」

「知ってるよ。だからこんな恰好してるんじゃないか」

 

 【ロキ・ファミリア】の主神に目をつけられた。

 割と冗談では無い情報だが、どうにも今までの()()()()()()()が一気に回ってきたらしく、最近は碌な目に遭わない。まあ、【ロキ・ファミリア】の団員からそれとなく逃げ果せて来たので、まだ()()()()()訳では無い様子なのだが。

 

 偽装としてコートを着込んでキャスケット帽で耳を押さえつけて、自分が【幸運の招き猫(ハッピーキャット)】である事をひた隠しにしている。

 

 と言うか見つかったら割とヤバイ。それは恵比寿も同じなはずなのだが……。

 

「ねぇ、何で逃げも隠れもせずにこんな所に?」

「なんでって……ロキに呼び出されちゃったし」

「…………え?」

 

 モールは朝目が覚めて直ぐに店番の人に声をかけて、別の店舗に向かう途中で恵比寿に声をかけられたので、此処まで足を運んだだけである。

 そも、【ロキ・ファミリア】から逃げているのは自身の自業自得と言えばそうだが、別に害意があっての事じゃない。むしろ……

 

「手出ししなきゃよかった、なんて思ってる?」

「恵比寿、僕の事知ってるだろ?」

 

 恵比寿の唐突な言葉に不満気に返す。

 其れなりに付き合いのある福の神は、にかぁっと喜色の悪い笑みを浮かべて腕を肩に回してくる。

 

「僕と君の付き合いじゃないか」

 

 恵比寿の指を掴んで腕を引っぺがしてから、手を振ってその場を後にする。

 気安く触らないで欲しい。触り方が厭らしい訳じゃないのに背筋がゾクッとするのだ。

 

「僕は付き合う気は無いよ。一人で会えば?」

「えぇ……僕一人でロキに会えって? 僕殺されちゃうかもよ?」

「無いね」

 

 【恵比寿・ファミリア】の規模と影響力を知っているのなら、決して手出しはしないだろう。

 

「あの子に会わなくて良いの?」

 

 モールは足を止めて恵比寿を肩越しに振り返って呟く。

 

「来ないよ」

 

 確かに()()()()()()()()()()

 

 だが、今回の恵比寿の呼び出しにわざわざ連れてくるなんてしないだろう。

 

 と言うか、相手はこっちを探しているのだ。其れに対し逃げ回ると言う行動をとっている時点で【ロキ・ファミリア】からどう思われているのかは察しが付く。

 

 割と命が危うくなりそうなのだから、巻き込まないで欲しい。と言うか巻き込むな。

 

「じゃあ僕はこれ――「ちょい待ちぃや」……」

 

 恵比寿に手を振って離れようとしたモールの肩をガシッと掴む手。既に手遅れな様子だ。

 

「これも()()()()ってね」

「恵比寿、後で君の髪の毛全部引っぺがしてやる」

「うわぁ怖い」

 

「なんや、ウチを無視するんか?」

 

 肩を掴まれたまま恵比寿に恨み言を呟けば、後ろから威圧感と共に声をかけられてモールは溜息を零した。

 

「本当に運が尽きちゃったみたいだね。まだ()()()()と思ったんだけど」

「久しぶりやな二人とも、めっちゃ()()()()()()()

 

 肩越しに振り返ればにっこり笑みを浮かべた神ロキと目があった。恵比寿に嵌められたらしい。

 

 

 

 

 

 ロキは捕まえた恵比寿と【幸運の招き猫(ハッピーキャット)】モール・フェーレースと共に街中を歩いていく。

 ロキは一人きり……に見えるが、よくよく周囲の気配を探れば何人も【ロキ・ファミリア】の眷属の気配を感じる。中には【勇者(ブレイバー)】や【重傑(エルガルム)】まで出張っている。近くに居ないのは単にそっちの方が口を割らせやすいから。

 もう逃がす積りは微塵も無い。

 

「んで、恵比寿は何で協力する気になったん?」

 

 聞きたい事は色々あるが、神会(デナトゥス)では結局最後まで答える気は無い様子で煙に巻かれたので、どうにか質問しようと手紙を送りつけてやったのだ。

 

 『店を片っ端から襲撃して欲しく無かったらウチと会えや』

 

 【恵比寿・ファミリア】の影響力は知っている。如何に【ロキ・ファミリア】と言えども敵対すればじわじわ絞殺されるのが落ちだろう。

 だが、完全に死滅する前に【恵比寿・ファミリア】に壊滅的な被害を齎す事は出来る。

 

 恵比寿は『会わなかったら絶対やるよコレぇ……』と観念して今回の面会に応じたと言う訳だ。

 

 【幸運の招き猫(ハッピーキャット)】の方については期待してなかったが、どうやらちゃんと連れて来たらしい。まぁ、目の前で逃げ出そうとしていた様子だが。

 

「恵比寿の馬鹿。僕まで巻き込んで……君は福の神じゃないよ。貧乏神だ」

「あははは……ごめん、今回は謝るよ」

 

 後ろの二人のやり取りを聞き流しつつも、近場の喫茶店に入る。

 

 良く利用するその喫茶店の二階に上がり、ロキは対面に座った二人を睨む。

 

「んで、説明してくれるんやろ?」

 

 暗に説明しなかったら潰すと威圧しつつそう言えば、恵比寿は苦笑い、モールはあからさまな溜息。

 

「前に質問に来てた顔上半分を隠す仮面にフードのお酒臭い商人の事なんだけど。僕の眷属じゃないね。少なくとも僕の知ってる()()()()()()じゃないよ」

 

 前に【恵比寿・ファミリア】に送った質問状の返答にロキの額がヒクつく。

 

「えー、何を説明すればいいの?」

 

 恵比寿が冷や汗を流して言葉を紡げば、ロキは鋭い眼光で恵比寿を睨み口を開いた。

 

「カエデたんについて。なんや関わってきとったやろ。知っとる事全部や」

「知ってる事……ねぇ」

 

 恵比寿は口に手を当ててから、溜息を零した。

 

「知らないよ。何も、ね」

「はぁ? 知らんやと?」

「僕は、って言う但し書きはつくけどね。モールが知ってる」

 

 恵比寿の言葉に、不貞腐れたようにストローで飲み物をぶくぶくと泡立てていたモールの方に視線をやれば、モールが横目でロキを見てからストローから口を離す。

 

「僕の知ってる事は少ないよ」

 

 モールの言葉に嘘は無い。その様子にロキは恵比寿を一睨みしてからモールの方を見た。

 

「えぇから全部吐いてくれへん?」

「はぁ……だから嫌だったのに」

 

 もう渋々と言った様子でキャスケット帽をとって胸に抱えてから、モールは右目を閉じてから口を開いた。

 

 

 

 

 

「要するに、行商中に出会って気になったから手助けしたと?」

「そうだよ、それ以外に理由は無いね」

 

 モールの言葉にロキは眉根を寄せた。嘘は何一つ言っていなかった。

 

 内容は非常に単純。

 

 恵比寿と一緒に行動を行っていた行商のさ中、とある村で行商の交渉を行っていた所に幼い狼人の少女が旅糧となる干し肉や乾燥野菜等を求めて声をかけてきたのだ。

 だが、その際にその幼い狼人の少女が白毛で『禍憑き』であるのを知った村人の何人かの狼人がその幼い狼人を鍬や熊手等で追い払ってしまったのだ。

 

 その際、その幼い狼人はヴァリスの詰った袋をそのまま恵比寿に押し付け、干し肉の束を行商馬車から奪って行ってしまったらしい。

 

 干し肉の束一つが大体300ヴァリスなのだが、その幼い狼人が置いて行った金額は1000ヴァリス。

 

 商売をする上で強引に商品を奪われたとなれば間違いなく強盗として締め上げるのが普通なのだが、状況が状況であった事もありその幼い狼人を責める積りも無ければ、捕まえてどうこうなんて気は無かった。

 

 忌み子として追い立てられる姿に思う所のあった【幸運の招き猫(ハッピーキャット)】が多すぎた支払に対して乾燥野菜や干し肉等の旅糧を届ける為に別行動し幼い狼人を追った。

 

 冒険者としてそこそこの身体能力もあって直ぐに追いついたが、その幼い狼人の周囲にごろつきに似た雰囲気の集団を見つけた為、襲われたら可哀想だと撃退してから、干し肉や乾燥野菜等を渡したのだと言う。

 

 ただ、ここで疑問に思った事は、そのごろつきの様な集団は間違いなく『神の恩恵(ファルナ)』を授かった冒険者だったのだと言う事。

 

 そして中には三級(レベル2)クラスの強さの者も混じっていたのだが、二つ名を聞きだす前に逃亡されてしまい断念。口振りから幼い狼人を捕縛しようとしていたらしい事もあり、幼い狼人の周囲で本人にバレない程度にその襲撃者を撃退しつつ正体を探ろうとしたが失敗。

 

 何人か捕まえたが口を割る前に自殺されたり、何らかの呪いで捕まった瞬間に頭が爆発して死んだり等、まともに情報を吐かせられなかったのだ。

 

 幼い狼人にこっそりと『幸運のお呪い』を付与してから、オラリオの入口を入って行くのを見送ってからは、密かに周囲に張り込んで襲撃者の正体を割り出そうとしていたら【ハデス・ファミリア】が同じく動いていたので声をかけようと思ったら、唐突に敵対してしまい話が出来ずに戦闘に……仕方なく撃退してからは襲撃者は【ハデス・ファミリア】だったのでは? と【ハデス・ファミリア】を張り込みつつ調査していたらしい。

 

「ほぅ……謎の襲撃者に【ハデス・ファミリア】なぁ……なんかわかったんか?」

「なーんにも。ここで言わせてもらうけどあの集団、かなり手練れだったよ。僕もかなり()()()()()()()()()し」

 

 モールももう一度相手なんてしたくないと口にして、またストローで飲み物を泡立て始めたのを見てロキは恵比寿の方を見た。

 

「んで? 恵比寿は?」

「ん? 決まってるじゃん。デメテル様が敵対を望むなら僕はそれに媚びるだけだよ」

 

 …………。

 

 蓋を空けてみれば、カエデの現状を憐れんだ【幸運の招き猫(ハッピーキャット)】の先走りなだけだったらしい……。で、納得できる訳も無い。

 

「あんた他にもなんや知っとるやろ」

 

 神の勘、恵比寿(こいつ)は何か知っている。

 

 ロキの言葉に恵比寿はにっこり笑みを浮かべて口を開いた。

 

「知らないよ、僕は()()()ね?」

 

 要するに、口を割る積りは微塵も、これっぽっちも持ち合わせていないと言う宣言。

 

 その宣言にロキの額に青筋が浮かぶ。

 

「わかっとるんか?」

「君こそ、分ってる?」

 

 同時に、恵比寿の額にも青筋が浮かんだ。

 

「君が人質にとった子らは、まっとうな商人だよ?」

 

 神と神、悪神と福の神、種類は違えど神である。その二人の神の睨み合いで店の中の雰囲気が一瞬で凍りついた。

 

 ロキの怒りの原因は、カエデの事で何かしら掴んでいる癖に黙っている事。

 

 恵比寿の怒りの原因は、商人たちを人質にとる様な真似をした事。

 

 二人の壮絶な睨み合いの横で、モールがケーキにフォークを突き立てて呟いた。

 

「恵比寿、店に迷惑だよ」

 

 ロキと恵比寿の睨み合い、神々の睨み合いの所為で周りの客が脅え、支払うモノだけ支払ってさっと出て行ってしまった。本来なら稼ぎ時である昼食時だと言うのに、ロキと恵比寿の所為で客は消え失せ、新たに客が入ってくる事も無い。店員の女性もテーブルに出しっぱなしになっている食べかけの軽食の乗ったプレートを片付けるに片付けられずに縮こまっているし、料理を出したシェフは俯いたまま視線を逸らしている。

 

 商売の神として、店に多大な迷惑をかけたと言う事実を恵比寿が理解した。

 

「……っ!」

 

 その瞬間、恵比寿の怒りの雰囲気が消え失せ、ロキの怒気だけが残る。

 

「ロキ、矛を収めてくんない?」

「嫌や。教えるまでこのままやで」

 

 恵比寿はロキをじぃーっと見てから、口を開いた。

 

「ごめん、教えられない」

「は? 何ふざけた事言うとるん?」

 

 教えろ、今すぐ、知ってる事、全部、洗いざらい吐け。

 そんな雰囲気のロキに対し、恵比寿は頭を下げた。

 

()()()()()()()()()()()()()

 

 その言葉を聞いた瞬間、ロキは怒気を引っ込めて顎に手を当てて考え込む。

 

 『ウラノスとの契約』とはなんだ?

 

 元々、『冒険者ギルド』の管轄を行う【ウラノス・ファミリア】と、『商業ギルド』を管轄している【恵比寿・ファミリア】は密接な関係がある。

 無論、其処には複雑な契約もなされている事だろう。

 

 だが、その契約に『カエデ・ハバリ』が関わっている?

 

「その契約の内容は?」

「……言えたら苦労しないよね」

 

 誤魔化す様な笑みを見て、ロキは溜息を零した。

 

 これはどれだけ押そうが意味がない。それ所か恵比寿はファミリアを壊滅させられようと吐く事は無いだろう。

 

 商売の神として、契約は絶対のモノだ。ロキは約束や契約も容赦なく破ったりするが、恵比寿は絶対に守るだろう。そう易々と契約を破っていたら商売人としての信用を失う結果にしかならないのだから。

 

「はぁ、んで? どこまでなら話せるん? カエデたんはどのぐらい関わっとるん?」

 

 ロキの質問に恵比寿が目を鋭くして顎に手を当てて考え込み始める。

 

「詳細は言えない……そうだね。大雑把に言えばカエデちゃんは割とヤバめな()起爆剤かなぁ」

()起爆剤?」

「まぁ、こっちにも色々あるんだよ。ただねぇ……もう導火線に火が着いちゃってるんだよね」

 

 本当に困った様に笑う恵比寿にロキは眉を顰めた。

 

 元、と言う事は元々はカエデは何らかの()()()になる予定だったのか?

 

「あぁ、勘違いしないでね。カエデちゃん本人が起爆剤ではあるけど、僕らが()()()()()()()()()()()()()()だけなんだ」

「……うん?」

 

 詳しくは話せない、カエデは元起爆剤、神が手出ししなければ問題無かった?

 

「ウチが眷属にしたんが間違いやった言うんか?」

 

 【ロキ・ファミリア】の眷属にした事が間違いだったのか? そんなふざけた事を言うのなら八つ裂きにしてやろうかと思っていれば、恵比寿は首を横に振った。

 

「馬鹿が……正確には馬鹿の眷属かな。その子らがやらかしてね。導火線に火を着けたんだよ」

 

 導火線、やらかした。

 

 ロキの知っている事は余り多くは無い。と言うかカエデについては下手に踏み込んで聞くのも憚られるほどなのだ。少しずつカエデから情報は引っ張り出しているが……

 

 カエデの口から語られるのは基本的に師であるヒヅチとの生活ばかり。村はどんな村だったのか等は口にしていない。カエデからすれば差別してきた村の話などしたくもないだろうし無暗に聞けないと言うのも大きいのだが。

 

「まあ、信用できないのは分るよ……と言う訳で、コレで信用して欲しいなぁって。袖の下とか山吹色のお菓子って好きじゃないんだけど……今回はそうも言ってられないんだよね」

 

 恵比寿がすっと差し出してきた本に一瞬目を奪われてから、ロキは恵比寿を見据える。

 

「どういう積りなん?」

「どういう? だから袖の下だよ」

 

 笑みを浮かべた恵比寿。

 

 怪しすぎるが、一応その本を受けとってから眺めてみる。

 

「これなんや?」

魔道書(グリモア)だよ。それもとびっきりの最上級品」

「は?」

 

 魔道書(グリモア)にも等級(ランク)が存在する。

 

 最も価値が低い魔道書(グリモア)でも数千万ヴァリスはする。

 

 下級の魔道書(グリモア)習得枠(スロット)に空きがある場合に魔法を習得できる()()()()()()と言うモノ。

 

 中級が習得枠(スロット)に空きがある場合に確実に魔法を習得できるモノ。

 

 上級が習得枠(スロット)を発現させる可能性を秘めており、確実に魔法が発現するモノ。

 

 最上級のモノにもなれば、確実に習得枠(スロット)を開口させ、魔法を習得させると言う効果を持つ。

 

 最上級の魔道書(グリモア)なんて、数百億ヴァリスを積み上げても尚、絶対数の少なさから確実に手に入るなんて言えない品である。

 

 気軽に差し出されたその魔道書(グリモア)をちら見して、少し中身を覗く。

 

 本来なら開いた対象を引き込み、読ませ。夢と言う形で本人の心の内に存在する魔法の()()()()()()()()()()代物であるが、神の身であるロキにその強制力が引っ張られる事は無い。

 

 中身をほんの一頁捲っただけで、ソレが本物だと察したロキは溜息を零した。

 

「恵比寿、これ、どういう積りや?」

「何度言えば解るんだい? 袖の下、山吹色のお菓子、まいない……もうぶっちゃけるね。賄賂だよ」

 

 賄賂? 恵比寿が? と言うか……

 

「これ、手に入れるんにどんぐらいかかったん?」

「ロキが気にするのは其処かぁ……えっとー……魔法関係が盛んな国あるじゃん? あそこと取引でようやく手に入れたんだよねぇ……嘘だけど」

「はぁ?」

「ごめん、僕の袖の下を渡す積りなのは間違いないけど。それはほんとはこっち」

 

 ロキが恵比寿の言葉に首を傾げると、恵比寿がもう一冊本を取り出してきた。

 

「はい、()()()()()()()()()。当然、最高品質じゃないよ。中級の魔道書(グリモア)ね」

 

 手渡されたもう一冊の本……恵比寿の言う通り、中級の魔道書(グリモア)である其れを見て恵比寿を睨む。

 

「んじゃ最上級(こっち)は何やねん」

「……はぁ、美神に渡せって言われてね。僕はフレイヤの使い走りじゃないんだけどね……魅了(チャーム)にやられちゃったんだよね」

 

 たははと笑みを零す恵比寿に、ロキは盛大に舌打ちをかます。

 

 あのフレイヤはどうやら恵比寿を使って、カエデに魔道書(グリモア)を贈り付けようとしていたらしい。ふざけた事を……。

 

「それで、どうする? 僕としては両方受け取って欲しいんだよね。まぁ、返してくれるなら中級の方は受け取るよ。最上級? そっちはもう僕とは無関係だ、押し付けないでくれないかな」

 

 恵比寿は最上級の方は触りたくも無いと両手を上げて拒否してきた。

 

 理由はわかるが……

 

「くっそ、フレイヤめ……掌かいな」

「もうこれでいいかい? あ、ウラノスとの契約を探るのはやめてね?」

「はっ、分ったわ。もう何処にでも行けばええやん」

 

 ロキがこれ以上情報は吐かせられないだろうと追い払う仕草をした瞬間、【幸運の招き猫(ハッピーキャット)】モール・フェーレースはぴょんっと立ち上がると、恵比寿の顔を尻尾でぺしっと叩いてから店の出口に向かう。

 

「恵比寿のバーカッ!!」

 

 それだけ言うと扉を開けて出て行ったのを見て、恵比寿が苦笑を漏らす。

 

「怒らせちゃったみたいだねぇ」

「知らんわ……でも尻尾で叩かれるの羨ましいなぁ……カエデたんに頼んだらやってもらえんやろか」

「……はぁ、支払いは僕が払うよ」

「は? 当然やろ」

 

 何を言っているんだコイツはとロキが恵比寿を半眼で睨む。

 

 恵比寿の方は「魔道書(グリモア)を袖の下してあげたのに」と呟くがロキは知った事かと立ち上がる。

 

「あぁ、せや。これだけは聞いとかなあかんかったわ……カエデたんをどうする積りや?」

「どうって? ……ごめん、謝るよ」

 

 誤魔化す様に笑みを浮かべた瞬間、ロキの瞳から光が消え、純粋な怒気が恵比寿に突き刺さる。

 慌てて謝ってから恵比寿は一呼吸おいて口を開いた。

 

「カエデちゃんに何かする積りは無いよ。これは嘘偽り無い本心だ。むしろ成功を願ってる」




 胡散臭い恵比寿の山吹色のお菓子。

 喜色満面のフレイヤの善意百%の贈り物。

 受け取るならどっち?


 ちなみに片方は返品は出来ません(断言)





 名前『【幸運の招き猫(ハッピーキャット)】モール・フェーレース』
 得意技『幸福のお呪い』

 【恵比寿・ファミリア】の二枚看板の片割れ。双子の妹の方。
 灰毛に、右目が金、左目が蒼と言うオッドアイ。
 普段は太織無地紋付の冬小袖を身に纏う小柄な猫人。

 『幸運を操る』と言う希少(レア)スキルを覚えているが、使い過ぎると本人曰く『ツケが回ってくる』らしく、使い過ぎた結果不幸な目にあったりしているので、周囲が思う程幸運に塗れている訳では無い様子。
 と言うか何もない所でずっこけたり。鳥の糞が直撃したりと割と不運な目に遭う事も……



 名前『【金運の招き猫(ラッキーキャット)】カッツェ・フェーレース』
 得意技『ギャンブル』

 【恵比寿・ファミリア】の二枚看板の片割れ。双子の兄の方。
 灰毛に、右目が蒼、左目が金と言うオッドアイ。
 普段は冬小袖に黒紬紋を身に纏う小柄な猫人。

 金運を操る希少(レア)スキルを――覚えている訳では無い。
 商才に満ち溢れ、若き商売人として振る舞う男性。
 得意な事がギャンブル……と言うかイカサマであり、賭博場(カジノ)で荒稼ぎしたりして出入り禁止を言い渡されている。
 がめつい訳ではないが、金の臭いに非常に敏感。


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『説明』

『なぁ、何処行くんだ?』

『うん? 酒場さネ』

『……何しに行くんだ?』

『んー? 傭兵雇いに行くさネ』

『また酒を飲みに……って、え?』

『……オマエはアチキが毎日酒しか飲んでないみたいな偏見をヤメろさネ』

『え? 酒場行って酒飲まない? お前偽物だなッ!?』

『何言ってるさネ。酒は飲むさネ。ついでに傭兵を探すさネ』


 前傾姿勢のまま一気に駆け抜け、目標としていた長い耳に、白と黄色の毛並み、ふさふさの尻尾。 額には鋭い一角が生えており後ろ足で地面に立っている兎型のモンスターであるアルミラージの一匹をすれ違い様に胴を一閃しそのまま駆け抜け、後方で火炎放射を放とうとするヘルハウンドの首を刎ね飛ばす。

 

 刎ねたヘルハウンドの首を蹴って別の個体の口を塞ぎ、今まさに火炎放射を吐かんとしていたヘルハウンドの口がふさがれた事で小規模な爆発の様な状態になったのを尻目に、爆炎に照らされて動きを止めた残りのアルミラージを一気に仕留めて行く。

 

 十秒もすればそこには首無し死体が複数と、爆ぜたヘルハウンドがいくつか転がる光景が広がっていた。

 

 周囲を囲む壁も、床も、天井も岩盤で構成されており、どこか湿った空気が漂っている。何も知らなければ、天然の洞窟と思わせる雰囲気を醸し出しているフロアの中、カエデは警戒心をそのままに周囲を探る。

 

 現在位置はダンジョン中層、第十三階層。

 

 冒険者とそうで無いモノを隔てる最初の難関にして、最も死亡率が跳ね上がる危険地帯。上層とは比べ物にならない程の危険性を持つモンスターの宝庫でもあり、迷宮の悪意(ダンジョントラップ)の種類も片手で数えきれてしまう上層に比べて比較にならない程の種類が現れ始める階層でもある。

 

 器の昇格(ランクアップ)を果たし、無事に駆け出し(レベル1)から三級(レベル2)へと至ったカエデ・ハバリは二つ名【生命の唄(ビースト・ロア)】に更新された識別票を右腕の手首に巻き付けて新しい得物である片手半剣、バスタードソードを主武装に、ダガーを副武装に装備し。防具として修繕の入った緋色の水干の上から火精霊の護布(サラマンダーウール)を羽織ってダンジョン中層である最初の死線(ファーストライン)に立っていた。

 

 周辺警戒をしていたが、モンスターの気配は遠くの方に少し感じられる程度で近付いてくる気配は無い。

 

 ヘルハウンドが爆ぜる音で近付いてきそうなモノだが。どうやら気付いていないのか、それとも何か別の要因かは不明だか近づいてこないらしい。

 

「カエデさん、どうですか?」

 

 フロアの入口で弓を構えたまま問いかけて来たジョゼットの方を振り返って頷く。

 

「問題ないです」

 

 ジョゼットは周囲を見回してから、吐息を零した。

 

 本来なら、中層に挑むのであれば前衛、中衛、後衛もしくはサポーターの三人から四人程度でパーティを組むのが普通である。

 

 モンスターの突撃を受け止めて足止めする前衛(タンク)

 武器や攻撃魔法等を用いてモンスターを討伐する中衛(アタッカー)

 回復魔法や補助魔法での援護等を行う後衛(ヒーラー)もしくは補助(サポーター)

 

 基本的編成は前衛(タンク)一人、中衛(アタッカー)二人、補助(サポーター)一人である。

 そも、回復魔法や攻撃魔法などの魔法関連はエルフでもない限りは習得者が少ないので後衛(ヒーラー)が居るパーティは少ない。

 

 とは言え、現状で言えばカエデ単体で敵を殲滅しているので無理に組ませる必要は無いと言えば無いのだが、常にジョゼットやラウル、フィンが同行するのも難しいので組ませるべきである。

 

「おー……そろそろバッグが一杯ッスね」

「もうですか……?」

 

 ナイフ片手にモンスターの魔石を手早く抜き取るラウルの言葉にカエデが不思議そうに首を傾げるが、ラウルは半笑いを浮かべてバッグを示す。

 

「この階層、敵の出現が激しいッスからね。気が付けば一杯ってのは良くあるッスよ……まぁ、ここまで早いのは予想外ッスけど」

 

 ラウルの言葉通り、この階層に来てからまだ三時間ほどしか経っていない。上層と比べ物にならない程のモンスターの数……では無く。ヘルハウンドが引き起こす爆発音や燃焼時に発生する臭気等で周囲からモンスターが集まってきてしまうのだ。

 

「いったん戻りますか?」

「んー……稼ぎを優先するなら戻るべきッスね」

 

 ジョゼットとラウルの言葉にカエデが少し考えてから、口を開いた。

 

「まだ戦っても良いですか?」

「その辺りはカエデちゃんに任せるッス」

 

 魔石を集め終わり、パンパンに膨れ上がったバッグを背負ったラウルが笑みを浮かべる。

 

「最悪、ジョゼットも荷物持ちするッスか?」

「……まぁ、あまりそれはしない方がいいと思いますが」

 

 油断しきっていた結果、カエデが瀕死の重傷を負う目に遭った時の事を思い出したのか眉を顰めるジョゼットにラウルが察したのか呟く。

 

「あー……冗談ッス」

 

 今日の探索にはフィンが同行していない。なんでも【恵比寿・ファミリア】との話し合いがどうとかで其方の方に向かったのだ。

 【ハデス・ファミリア】に対する警戒心が薄いと言われそうだが。フィンが【処刑人(ディミオス)】に与えた怪我はかなり深かった様であり、療養しなければならなくなってしまったのだと言う。

 【ディアンケヒト・ファミリア】の神ディアンケヒトが【処刑人(ディミオス)】の治療に携わった様子だが、神の恩恵(ファルナ)が有っても死にかけの重傷だった。との事らしく、暫く所か冒険者としての活動にも支障が出る程の大怪我らしい。

 とは言え一級(レベル6)冒険者と言うのは飾りでは無いらしく。その状態であっても準一級(レベル4)冒険者程度の実力はあるので警戒は一応すべきだが、その代わりに今回の迷宮探索(ダンジョンアタック)には準一級(レベル4)冒険者の【大切断(アマゾン)】ティオナ・ヒリュテが同行している。

 

 『ハーボルニル』と言う【疑似・不壊属性(デュランダル・レプリカ)】の作品を入手する際にカエデに世話になったし、暇だから良いよーと割と軽い感じに同行を容認してくれたのだ。

 

 そのティオナはうんうんと頷きながらラウルの背負うバッグを見て口を開いた。

 

「私が持とうか?」

「あ、それは無しで」

「すいませんティオナさん。貴女が持つと色々と不都合がありますので」

 

 【ハデス・ファミリア】に対する対抗札として同行しているティオナに荷物を持たせていざと言う時に重しの所為で不意を打たれる危険を冒す訳にはいかない。

 

「そっか……あー、でも見守るだけってのも暇だなぁ」

「まぁ、其れが同行条件ッスからね」

 

 今回の目的はあくまでもカエデの補助であり、カエデが対処不可能でない限りは手出し厳禁と言う形をとっている。戦闘種族等と言われるアマゾネスのティオナからすれば目の前で戦っているのに自分が手出しできないのは相当なストレスだろう。

 

「カエデさん、まだ続けますか?」

 

 ジョゼットの問いかけに少し考え込んだ後、カエデは首を横に振った。

 

「そろそろ地上に戻ります」

 

 上手く説明できないがなんとなく、そうした方が良い気がしたから。

 

 カエデのその言葉にジョゼットが少し眉を顰めてから、ティオナの方を見た。

 

「ティオナさん、もしかしたら何かあるかもしれないので警戒をお願いしても良いですか?」

「うん? 良いけど……何か?」

 

 不思議そうに首を傾げているティオナだが、ジョゼットからするとカエデの言う『なんとなく』は時折恐ろしく的確な答えを導き出す。

 

 カエデが『嫌な予感がします』と言えば、直後に怪物の宴(モンスターパーティー)が発生したり。

 『右はやめた方が良い気がします』と言えば、右の通路で半壊した冒険者パーティが怪物進呈(パスパレード)する相手を求めて走ってきていたり等。勘に優れているのか、カエデの『予感』は非常に良く当たる。

 

 まぁ、杞憂に終わる事も少なくは無いのだが。

 

「うーん。まぁいっか。帰ったらなんか買って食べようよ。お腹空いちゃったし」

「じゃが丸くんですか?」

 

 買い食いと言えばじゃが丸くんと思っているカエデの言葉にティオナが苦笑いを浮かべた。

 

「カエデはじゃが丸くん好き?」

「はい、美味しいですよね」

「そっか……私は暫く良いかな……」

「……?」

 

 アイズと仲良くなろうと一緒にじゃが丸くんの屋台巡りを行ったりしたりしているので若干食べ飽きた感じはしている。むしろ三食全部じゃが丸くんでも平然としているアイズの方が異常な様な……。そんな考えが脳裏を過ったティオナは頭を振って口を開いた。

 

「ほら、クレープとか美味しいモノ色々あるんだからそう言うのも食べてみた方が良いよ」

 

 森の奥にある人を寄せ付けない排他的な村で質素な生活をしていたカエデからすれば『クレープ』や『ケーキ』なんてものは目にする事も無かったことだろう。

 そう言った甘味にどんな反応するのか楽しみにしつつティオナは上層へと続く道へ足を向けた。

 

 

 

 

 

 【ロキ・ファミリア】の大食堂、皆の前に立ったフィンの言葉に食堂内がざわめきはじめる。

 

「と言う事だから。詳しい説明は各班に配属される補助役(サポーター)に聞いて欲しい」

 

 何の事かさっぱりわからないカエデは首を幾度も傾げていた。そんなカエデを見兼ねたラウルが囁く。

 

「団長の言ってた『遠征合宿』って言うのは三級(レベル2)冒険者を5人組ませたパーティを複数作って、各パーティ毎に十八階層を目指して一泊して戻ってくるって言う『合宿』の事ッス」

 

 『遠征合宿』

 【ロキ・ファミリア】が二ヵ月に一度行っている迷宮深層への大規模遠征に向けた団員の選別を行う為のモノである。

 基本的に大規模遠征、深層に遠征に向かう組は最低二級(レベル3)以上である事が条件に組み込まれている。だがそれは戦闘要員の話であり、補助役(サポーター)については適正さえあれば三級(レベル2)であっても参加する事が可能である。

 但し、絶対に前線に出される事は無く。あくまで補助がメインで雑用をさせられるだけだが……。

 

 それでも殆どの団員は参加を希望するのだ。

 

 深層に進むと言うのは危険を伴う。当然その危険を乗り越えれば……運が良ければ偉業の欠片を入手できるのだ。

 現在【ロキ・ファミリア】に所属している二級(レベル3)冒険者の半数以上が遠征中に偉業の欠片を手に入れて器の昇格(ランクアップ)を果たしていると言っていい。

 そう、大規模遠征の補助役(サポーター)として参加すると言うのはつまり偉業の欠片の入手機会を得る事である。

 

 故に皆が補助役(サポーター)として大規模遠征に参加する事を望むのだが……。

 

 現在【ロキ・ファミリア】に所属している団員数は300を超える数であり、千人を超える規模の【ガネーシャ・ファミリア】を除けば並ぶファミリアの居ない大規模ファミリアである。

 

 その内訳は一級(レベル6)が三人、準一級(レベル4)が四人、二級(レベル3)が四十人程、三級(レベル2)が百十人程、残りが駆け出し(レベル1)と言う状態である。

 

 通常の中規模ファミリアが団長が二級(レベル3)、片手で数えられる程度の三級(レベル2)、残りは駆け出し(レベル1)と言うのが普通なのを考えればどれほど【ロキ・ファミリア】の規模が凄まじいのか理解も出来よう。

 

 【ガネーシャ・ファミリア】については言う事は無い。しいて言うならあそこは別格だ。団員の練度こそ【ロキ・ファミリア】に遠く及ばない程度だが、頭数は異常に多い。『俺がガネーシャだっ!』と叫んでいるだけの主神に見えるが、やはり群衆の神だけのことはありカリスマに満ち溢れているのだ。

 

「ゴライアスを倒さないといけないんですか……?」

「いや、流石に其れは無いッス。事前に迷宮の孤王(モンスターレックス)は討伐するッスから。一度討伐されたら二週間は出ないッスし」

 

 恐る恐る質問したカエデに笑顔で返答するラウル。その返答に思わずカエデは首を傾げた。

 

「……? それって凄く簡単じゃないですか?」

 

 ラウルの説明にあった『三級(レベル2)冒険者五人パーティで十八階層で一泊して帰還する』と言う条件を聞いたカエデの素直な感想である。

 

 基本的に中層の最初の死線(ファーストライン)とも言われる十三階層に挑む際のパーティの編成の基礎は『三級(レベル2)が一人以上編成された三人から四人のパーティ』と言うモノである。

 

 そして十五階層からは中層の迷宮の孤王(モンスターレックス)を除いたモンスターの中で最高難度を誇るミノタウロスが出現する。その辺りの攻略においては『ミノタウロスを避ける』と言う条件を付けるのであれば『三級(レベル2)が二人以上編成された三人から四人のパーティ』が推奨されている。

 

 もし三級(レベル2)冒険者が五人編成されているのであれば、相当パーティの編成が悪く無い限りは基本的に十八階層に辿り着くのは難しくは無い。

 

 迷宮の孤王(モンスターレックス)が居なければ、だが。

 

 中層の迷宮の孤王(モンスターレックス)は灰褐色の体皮を持つ総長7Mはある巨人であり、ギルドの推奨討伐難度は二級(レベル3)冒険者の6人パーティが四つ以上で挑むか、準一級(レベル4)冒険者が数人で挑むぐらいである。

 

 迷宮の孤王(モンスターレックス)であるゴライアスを三級(レベル2)冒険者が束になった所で倒すなんて不可能なのだ。

 

 だが逆にゴライアスが片付けられているのであれば難易度は下がるどころか……普通に行って戻ってくるなんて余裕過ぎる。

 

「あー、それはアレッスね……カエデちゃんが思う程簡単じゃ無いッスよ?」

「……?」

 

 苦笑いを浮かべたラウルの様子に首を傾げるカエデ。

 

 そんなカエデを見ながらラウルは内心呟く。

 

 これだけ聞けば簡単である。これだけ聞けば。……実際は全く違う。

 

「それは「ラウル、カエデ。今は僕が話しているから少し口を閉じてくれるかな」あっはいッス」

「ごめんなさい」

 

 話に集中していたら団長に注意されてしまい、周囲の団員がくすくすと笑っている。

 

「さてと……今回の邪魔役は五人。アイズ、ベート、ティオナ、ティオネ、ペコラだ」

 

 ラウルの表情が一瞬で引き攣り、カエデが首を傾げた。

 

 邪魔役?

 

「次に各編成を発表していく」

 

 二級(レベル3)冒険者が補助役(サポーター)を中心に、三級(レベル2)冒険者を五人選出したパーティが一組とされる。

 失敗条件は単純に邪魔役に補助役(サポーター)以外が倒される事。

 期限内に十八階層に辿り着けない、十八階層から期限内に戻って来れなかった場合。

 

「邪魔役って何ですか?」

「……ダンジョンの中で襲ってくるッス」

「え?」

 

 小声でどういう事かとカエデがラウルに問いかける。

 

「邪魔役に選ばれた人は、ダンジョン内で『遠征合宿』メンバーを襲って蹴落とすッスよ。要するに準一級(レベル4)冒険者の目を欺くかなんかして十八階層に辿り着くって言うのが今回の目的ッス。無論ッスけど、十八階層でキャンプしてる時も容赦なく襲ってくるッスから……帰りもッスけど」

 

 普通に考えたら無理ではないだろうか? そんな考えがカエデの脳裏を過るが、ラウルが首を横に振る。

 

「無論、手加減はしてくれるッスよ……それでもキツイッスけど」

 

 前回の帰還したパーティは十組中ゼロ。十八階層にたどり着けたパーティですら一組のみだったのだ。結局は十八階層でキャンプしてる最中に襲撃を受けて全滅した。下手をすれば普通に行きだけで全てのパーティが全滅することもあり得る。

 

二級(レベル3)はあくまで補助役(サポーター)ッスから、戦闘については手出し厳禁ッス」

 

 一応、突破すれば大規模遠征の補助役(サポーター)として参加できるかもしれないし、そうでなくともご褒美が出るので()()()()()()()()()

 

 その()()()の中には当然ながら、邪魔役の方も含まれる訳だが……。

 

「次、補助役(サポーター)ラウル。メンバーはアリソン、グレース、ヴェネディクトス、アレックス、カエデだ」

 

 フィンの発表した班に自分の名前が含まれていたのに反応したカエデが耳を澄ませる。ラウルの顔が引きつり、震えてから呟く。

 

「ヤベェッス」

「……?」

「何でもないッス」

 

 呟きに反応したカエデを誤魔化してから、ラウルは聞こえない程度に溜息を零す。

 団長がどういう意図で補助役(サポーター)にラウルを任命して、其処にカエデを筆頭としたメンバーを選出したのかを薄らと理解した。

 

 アリソンとヴィネディクトスの二人は常識的な三級(レベル2)冒険者だが……。いや、カエデも常識的と言えなくもないが。単独(ソロ)が基本なので集団(パーティ)行動について知識が少ないだろう。そこら辺の知識の習得と実戦経験を積む為だろう。

 

 ただ、其処にグレースとアレックスである。

 

 どちらも能力的に高いのだが……。性格に問題あり。

 

 ただ、狼人が含まれていない辺りカエデに配慮したパーティだろう。

 

 ……『孤高奏響(ディスコード)』についてはカエデが『呼氣法』を使い続けていれば他に使う事は無いと言う判断からだろう。

 

 編成はバランスが良い。ただラウルは相応に苦労するだろう。

 想像して溜め息をつくラウルに、カエデが首を傾げた。




 パーティーって、どんな編成が良いんじゃろ。
 魔法使い珍しいっぽいし全員前衛とかが普通だろうからなぁ……。





 パーティーメンバー。

【兎蹴円舞】『アリソン・グラスベル』
兎人(ラパン)の女性。
・武器 棒・槍

【激昂】『グレース・クラウトス』
・ヒューマンの女性。
・武器 短剣

【尖風矢】『ヴェネディクトス・ヴィンディア』
・エルフの男性。
・武器 杖・魔法

【強襲虎爪】『アレックス・ガードル』
虎人(ワータイガー)の男性。
・武器 格闘・拳

生命の唄(ビースト・ロア)】『カエデ・ハバリ』
狼人(ウェアウルフ)の女性。
・武器 大剣・短剣


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『ヒイラギ』《上》

『カエデ、オヌシは村の周辺のゴブリンを狩れ。ワシは奥地へ行ってくる』

『危なくない?』

『問題あるまい』

『……』

『何かあれば狼煙を上げよ。直ぐに向かう』

『わかった』


 この村は何処かおかしい。そう感じ始めたのは何時の頃だっただろう?

 

 目覚めと共に天井を眺める。古びた天井の染みをぼんやりと数える。数えた染みの数が二十を超えた辺りでようやく布団からもぞもぞと抜け出して、大きく伸びをする。

 伸びをやめ、大きく息を吸い込んで吐き出す。

 

「んーっ、ふぅ。今日も晴れか……親父は起きてるみたいだな」

 

 漂う臭いに湿り気は感じず、今日は晴れているらしいことを確認しつつも遠くから聞こえてくる鉄を打つ音に眉を顰める。

 

 また親父が朝早くに起きて……いや、下手したら一晩中鍛冶をしていたのかもしれない。

 

 いつもいつも、毎日毎日同じように刃先に行くほどに幅広になるファルシオンみたいな剣を何本も打っては『これじゃない』だの『こんなのはダメだ』だの言って作った剣を放り捨てる事を繰り返している親父に苦言の一つは言いたくなる。しかし母さんが死んでからああなっちまったし。強くは言えない。

 

「朝飯作るか……つか顔洗おっと……えっと、布巾ってここらにあったよな?」

 

 近くの棚から顔を拭く布巾等を引っ張り出してから部屋を出る。

 

 古臭い廊下の軋む音を聞きながら一応親父の部屋の扉を開けてみるが、やはり誰も居ない。綺麗に敷かれたままの寝具がそのまま残っている。

 

 やはり一晩中鍛冶に精を出している様だ。

 

 溜息を零しつつも井戸のある村の中央まで足を運ぶ。家を出る際に鍛冶場の方を見れば既に火が入れられているのが見えて複雑な気分になる。

 

 親父は元はファミリアに所属していた神の眷属だった。鍛冶師として頂を目指すと言う事を目的に据えた【ヘファイストス・ファミリア】と言う所で神の恩恵(ファルナ)を授かって鍛冶に精を出していた。

 

 その神の恩恵(ファルナ)の影響で親父は多少の無理・無茶を押し通す事ができるのだ。其れこそ二日三日寝ずに鍛冶を続けると言った様な事をしても割と平然としている。その所為で村の皆から『神に変えられた』だの言われているのに、親父は一向に気にしようともしない。

 

 うちの村では神の眷属であった事を煙たがられている。大昔に神の手であたし達の種、黒き狼人達は酷い目に遭わされたからだそうだ。聞いた話では『神の座す地に磔にされた』そうだが……正直よく分らない。

 

 皆は神が嫌いだと口にするが、親父は別に神様も百人百色だと言っていた。人と同じで良い神も居れば悪い神も居る。その中でもヘファイストス様は良い神だったと。

 

 実は神様に告白までされてきたと自慢げに言っていた親父の姿を脳裏に描き。今の姿と頭の中で比べて鼻で笑う。流石に神様に告白紛いな事をされたなんて言うのは噓だろう。

 

 そんな事をつらつら考えている内に井戸までたどり着いた。まだ朝霧が出ている村の中心では既に井戸端会議をする女がちらほら見えた。

 

「あら? ヒイラギちゃん。おはよう」

「おはよう」

「今日も早いわね」

 

 にこやかな笑顔を向けてくれるのは一人だけ、他の奴等は露骨に眉を顰めてひそひそ話を始める。

 

「ツツジの所の……」「神に身を売った……」「キキョウも何であの男を……」

 

 黙って井戸のロープを引っ掴んで水をくみ上げようとする。コイツ等は好きになれない。仲間は大事にしろと何度も伝えられているが、こいつ等はアタシと親父を仲間だとは思っちゃいないみたいだし。

 

「手伝うわ」

「別にいらない」

「意固地にならない方が良いわ」

 

 そう言って手伝ってくれるのは一人だけ。他の数人はそそくさと水瓶を一杯にすると井戸を離れていく。

 

 この村でアタシと親父をちゃんと仲間扱いしてくれるのは極少数だ。他は『神の下僕に堕ちた』だのなんだのヒソヒソと陰口を叩くばかり。本気を出した親父ならぶん殴って黙らせられるはずなのに親父は口を閉ざすばかり。

 

「はい、これでよしと……水瓶は?」

「そっちは大丈夫だよ。まだ半分残ってたはずだし」

「そっか……ツツジはどうしてる?」

「昨日からずっと鉄打ってるよ……依頼か?」

 

 親父はこの村で唯一の鍛冶師だ。農具や鍋等の金属製の道具の修繕や作成を請け負っている。と言ってもほぼただ働き状態ではある。数少ない目の前の女性、オキナ等の少数だけはちゃんと報酬として野菜なんかをくれるが……。

 

 生活に困っている訳では無い。

 

 親父はかなり金持ちと言うか、親父の作った武具は商人がかなりの値で買い取ってくれる。そのおかげか飢える事も無ければ、村人達以上に良い生活は出来ている。其れが余計に村人達に疎まれる原因なんだろうが知った事かと言った感じだ。

 

「いいえ……そう、ツツジはまだ……」

 

 これだ、皆何か知っている。アタシに何かを隠している。其れがなんなのかアタシにはさっぱりわからない。

 

 冷え切った井戸水で顔を洗って手ぬぐいで乱暴に拭う。胸の奥がキリキリと痛む。

 

 仲間、同胞、我等は種を以てしての一匹の狼也て。そんな風に言うくせに、肝心な事をひた隠しにして目を逸らしている。何でアイツは嫌われているのか。

 

「あら……ヒヅチと……」

 

 何かに気付いた様に呟いたオキナの向いている方向に視線を向けると。黒毛ばかりしか目に入らないはずのこの村では珍しい色合いの人達が歩いていた。

 

 思わず目を引いてしまう金色の髪を靡かせつつ、すたすたと背筋を伸ばして腰に刀を引っ提げた綺麗な狐人(ルナール)の女性。ヒヅチ・ハバリと、背中に親父が打った刃先が幅広になった斬馬刀を背負ったアタシより少しちっこい背丈の狼人(ウェアウルフ)の少女。カエデ・ハバリの二人組だ。

 違うのはアタシが黒毛に蒼眼なのに対して、カエデは白毛に赤眼っていう真逆の色合いをしているぐらいか。肌の色も恐ろしい位に白く、血色が悪く見える。そんな奴。

 

「ごめんなさいね、ヒイラギちゃん。私はこれで失礼するわね。朝食の準備しなきゃ……」

 

 まるで脅えた様な目を白毛の奴に向けてから、そそくさと去っていくオキナ。

 

 アタシはオキナの事は嫌いじゃない。この村で数少ないアタシと親父を同胞として扱ってくれる人物だから……でも、正直好きかって言われればそうじゃない。

 あの白毛のアイツの事を恐れてる。それが何か気に食わないのだ。

 

 『白き禍憑き』

 アタシ等の部族だけじゃない。他の狼人(ウェアウルフ)の部族にも畏れられる災厄を齎す凶兆の子。産まれたその日に殺して火で焼き尽くす事で災厄から逃れられると信じられている。

 

 アタシは其れはおかしいと思った。おかしいと口にもした。親父はその通りだと肯定したが村では口にするなと言われた。村で口にすれば『禍憑きに魅入られた』だの『気が狂った』だの言われるだけだった。

 

 それでもおかしいと思うのだ。

 

 井戸の傍で歩いていく二人を見送る。片や顔を上げ、胸を張って歩く狐人(ルナール)。片や俯き、周囲に脅えながら歩く狼人(ウェアウルフ)

 

 あの二人はこの村を災厄(モンスター)から守ってくれている守り人だ。

 

 守り人のはずだ……。

 

 本来なら崇められるぐらいにはありがたい守り人のはずなのに。この村ではアタシと親父以上に疎まれている。そんな人達。

 

 

 

 

 

 家に帰ってみれば鍛冶場から鉄を打つ音が聞こえてこなくなっていた。首を傾げつつも鍛冶場を覗いてみる。

 

「ただいま。親父、起きてるよな?」

 

 鍛冶場の入口から中を覗けば、むっとした熱気が顔に当たり思わず眉を顰める。

 

「ヒイラギか? 悪い、炉の熱を上げてくれ」

 

 鍛冶場の中で半裸になって作業するぼさぼさ頭の親父の姿に溜息を零してから、足踏み式の鞴に近づいて炉に空気を送り込んで熱を上げていく。地味に辛い作業だが親父は炉の前で作った剣の研ぎを入れているらしい。

 炉の管理は重要な役割ではあるので本来なら親父が自分で熱を見極めるんだが。一応鍛冶師見習いとして師事しているのでそこらの管理を任されている。と言うより覚えろと言われてやらされている。別に嫌って訳じゃ無い。親父の打つ剣はどれも凄い剣だと思う。アタシが最初に打ったナイフなんてあっさりと折れやがったし。

 

「炭は? 追加するか?」

「いらねぇ……こんぐらいでいいな。サンキュー」

 

 親父の納得するぐらいまで熱の入った炉の中に、無造作に親父が屑鉄と炭を入れるのを見て溜息を零す。

 

「朝飯作るから早めに切り上げてくれよ」

「後一本だけ、打たせてくれ」

 

 溜息を零してから、鍛冶場を後にする。親父の事だから一本じゃ済まない気もするが。

 

 家に戻って窯に火を入れる。鍋に水を入れて適当に干し肉やらくず野菜やらを放り込んで煮込む。アホみたいに固い黒パンを取り出して机の隅っこでブッ叩いてみる。

 

「……いつも思うけど、食えるのかこれ……いや、食ってんだけどさ」

 

 ガンガンと、食い物とは思えない様な固い音に眉を顰める。

 スープに浸さなきゃ歯が折れちまうぐらいに固くなったパンを適当に皿に乗っけて机に置いておく。

 

 適当に食えるもんつっこんだだけのスープも程よく仕上がった所で、鍛冶場から聞こえていた鉄を打つ音が聞こえなくなっていた。そろそろ戻ってくるかなとスープを器に盛り付けていると、バリバリとぼさぼさの頭を掻きながら親父が入ってきたのを見て眉を顰める。

 

「回れ右」

「は? どうしたんだよヒイラギ」

「良いから回れ右だ。髭剃って来い。後顔洗ってこい。と言うか水浴びしてこい馬鹿親父」

 

 髪はぼさぼさ、無精髭が生え、顔には油がべっとり。思わずキレそうになるぐらい酷い装いのまま部屋に入ってきた親父に思わず低い声が出た。

 

「わかったよ……別に良いじゃんよ」

 

 ぶつぶつと文句を零しながらも大人しく出て行く親父に溜息を零す。

 

 親父はかっこいい。家族の贔屓目もあるだろうが精悍な顔立ちをしているし、何かに集中している時の親父は鋭い目をしていて思わずグッとくるぐらいにはかっこいい姿をしている。

 それこそ母さんが惚れるのも理解できるぐらいにはかっこいいと思う。

 

 まあ、だからと言って神様に告白されたなんてのは嘘だろうがな。

 

 ただ、母さんが死んでから親父はどうにもだらしなくなった。鍛冶ばかりに意識を向けて他の事から目を逸らしてる。そりゃあ母さんが死んだのは悲しいが、まるで逃げる様に鍛冶ばかりに精を出す親父の姿は余り好きになれない。

 

 他にも親父は色々とアタシに隠し事をしているし……白毛のアイツ。アイツが持ってる剣は親父が打った物で間違いない。それも親父が何百本と仕上げて来た剣を厳選して『これなら渡せる』と満足気に頷いていた一本がアイツの手に渡っている。何でだ?

 

 予測はなんとなくしている。アイツはアタシと似た様な臭いがするから。血が繋がっているんだとは思う。ただ親父は母さん以外の雌と子作りなんてしちゃいないと断言していたのに。どういう事なんだろうか?

 

「ただいま」

「おう、お帰り」

 

 帰ってきた親父を見て頷く。ちゃんと無精髭を剃って油まみれの髪やら顔やらもしっかり洗ってくれば精悍な顔立ちに鋭い目つきと狼人(ウェアウルフ)基準で言えば文句無しの美形がソコに居た。さっきまでのぼさぼさ頭に無精髭の姿と比べるとまるで別人みたいだ。

 

「はぁ、スープ冷めちまってるな……いただきます」

 

 親父が椅子にどっかり座って用意したスープを食べ始めたのを見て、アタシもスープに口をつける。

 

 親父の言う通り冷めちまってるし、あんまり美味いもんでもない。ただ不味いってほどじゃないから食えなくはないな。パンも適当に千切って……ちぎ……千切れないのでそのままスープにぶち込もう。

 

「親父、じいちゃんの所からいくつか依頼来てるぜ」

「なんだ?」

「斧の刃が潰れたから打ち直しして欲しいってのと、鍋が歪んだから直して欲しいってよ」

 

 井戸で歩く二人を眺めている時にやってきた爺ちゃんが刃の潰れた手斧と歪んだ鍋を渡してきたのだ。

 伐採用の斧で何をブッ叩けばあんな風に刃が潰れるのかわかんない様な壊れ方をした斧と、多分調子に乗ったクチナシを叩くのに使ったんだろう。何度も鍋は人をブッ叩くもんじゃねえと言っても手に馴染んでるからと使っちまうらしく良く壊す奴が居るのだ。

 

「あー……何時までだ?」

「今日中」

「わかった。少し寝るかな……ヒイラギはどうする?」

 

 今日はどうするか。その問いかけに少し考え込む。

 

 用事がある訳じゃ無いし、鍛冶の手伝いをしても良い。洗濯物は別にまだ大丈夫だし。倉庫整理も必要ない。この前行商人が来た時に買い込んだ食材もまだあるし。

 

 たまには外をうろついてみるか。

 

「特に予定はないな。適当に散歩でもしてるよ」

「おう、森には入るなよ。最近は村の外れにもゴブリンが出るからな……森の奥で何かあったのか?」

 

 ぶつぶつと独り言を呟き始めた親父の足を蹴っ飛ばしてさっさと飯を食えと言ってから。パンを浸したスープをガツガツと喰らう。親父も呟くのをやめてスープをさっと食った後。そのまま欠伸をしつつも自分の部屋に戻っていくのを見送る。

 

「おやすみ、親父」

「おう、気を付けてなヒイラギ」

 

 ヒラヒラと手を振る親父を見送ってから。食い終わった皿なんかを洗っておく。

 

 散歩っつっても村の中なんて見飽きたんだがなぁ。

 

 

 

 

 

 適当に村の中を散歩する。畑で雑草抜きをしている奴も居りゃ土を耕してるのも居る。人数はそう居ない。この村の人口なんて100人にも満たないしな。

 

「おーい。ヒイラギー」

 

 適当に村をぶらついていると、呼びかける声が聞こえたので其方を向けばいつもの変わらない面子が三人揃って手を振っているのが見えたので手を振り返して近づく。

 

「おはよ」

「おう、おはようヒイラギ。今日も良い天気だな」

「おはよー」「おはよう」

 

 ノッポ、チビ、デブの三人。別に背がめちゃくちゃ高いからノッポでもなければ、背がめちゃくちゃ低いからチビでもない。デブなんてなんとなく三人組と言えばそんな感じだからって理由で太っちゃいないと言う割とどうでも良い理由からそう呼んでる。まぁ口にはせずに心の中だけでだけど。

 

 三人の中では少しだけ背が高いアタシのはとこのクチナシ。三人の中ではほんのり背が低いザクロ。その中間のニゲラ。三人組で良く悪さして皆に怒られてる糞餓鬼三人集。

 

 アタシと親父が村の中で疎まれていても、こいつらは変わりゃしない。多少の口の悪さはあれど此方を蔑にもしなきゃ陰口も叩かない。ただオキナと同じく……いや、オキナ以上に好きにはなれない三人組だ。

 

 カエデを見かける度に石を投げつけてるのを何度も見ている。本当に気に食わない奴らだ。だからと言って態度には出さないが。

 

「今日は何するんだ? 変な事するとまた怒られるぞ……つか、クチナシ。オマエんとこの母ちゃんにちゃんと言えよ。鍋は人をブッ叩くもんじゃねえって。鍋の修理依頼何度目だよ」

「家の母ちゃんに直接言ってくれよ……俺だって何度も頭ブッ叩かれたくねえよ」

「そもそもブッ叩かれる事しなきゃ良いだろ……」

 

 この前は井戸に悪戯しようとしたんだったか? そりゃ怒るだろ。川まで水汲みなんて冗談じゃない。モンスターだって出るんだぞ。

 

「ちぇっ……」

 

 不貞腐れたようにそっぽを向くクチナシに、苦笑いを浮かべたニゲラが口を開いた。

 

「それよりも、今から森に行こうと思うんだけど。ヒイラギもどう?」

 

 その言葉に思いっきり眉を顰める。

 

「ダメだろ」

 

 二週間ぐらい前から森の様子がおかしくなった。本来ならゴブリンは臆病とまではいかずとも、村の周辺まで姿を現す事は無く。川まで洗濯に行くのが日常だったが。二週間前ぐらいから村外れにすら姿を現す事もあり。何匹か村の中にすら入りこむ始末である。

 

 その原因究明をヒヅチとカエデの二人で行っていると言う話だった。

 

 村の周辺に現れるゴブリンなんかのモンスター退治と、森の奥地の調査。同時に行うのは厳しいのかなかなか結果が上がって来ず。村人達の中にはヒヅチを『役立たず』等と罵る奴等も居るぐらいだ。

 

 それに文句の一つも言わずにヒヅチは森の奥地へと向かい。カエデが森の周囲のモンスター退治を行っていると言うのに、大叔父がカエデを森の奥地に向かわせろ等と言っているのを聞いた。

 

 大叔父はあんなにカエデを嫌うのかなんて知っちゃいないが、どうせくだらない理由だろう。

 

 なんでも大叔父が好きになった女が祖父を好きになって祖父と番になってしまったらしく。その事を根に持っていて祖父の言う事すべてに反対する様な事を言っている。カエデを嫌っているのもそんな理由なんだろう。

 

「えー、最近村の中で遊べーだのって言われてやる事なくなっちまったしよ」

「畑仕事手伝えよ」

「嫌だよ面倒臭え」「ヒイラギも手伝ってくれよ」

「アタシにゃ無理だ。アタシが手伝ってたらあいつ等五月蠅いだろ」

 

 アタシも手伝えるなら畑仕事ぐらいなら手伝っても良いが。手伝いを申し出ると村の奴等がヒソヒソと五月蠅いのだ。変に手伝ってやっても労いの言葉一つ無く、貶されるだけなら手伝う気も失せるってものだ。

 

 その事を理解してくれたのか三人が黙る。

 

「んで、森に行くのか? 絶対やめろよ。モンスターが出るし危ねえぞ」

「ふっふっふー……それぐらい分ってるっつの。まあ、今回は大丈夫だけどな」

 

 自信満々にクチナシが言っているのを見て首を傾げる。なんでこいつ等こんなに自信満々に……。

 

 其処で気が付いた。チビ……ザクロが背中に何か隠している。クチナシがザクロの背に隠した何かを取り出して掲げて見せた。

 

「じゃーん! 見ろよコレ。この前爺ちゃんがくれたんだぜ」

 

 そう言って掲げているのはただの鉈だった。この前親父が何本か拵えてた鉈の一本がクチナシの手に収まっている。

 それ所かクチナシだけで無くザクロもニゲラも同じ鉈を手にしている。

 

「これがありゃゴブリン程度どうって事は無いぜ」

 

 自信満々に言ってのけるクチナシに溜息を零した。

 

「無理だろ。ゴブリンってかなり数が多いらしいし。変に森に入ると酷い目に遭うぞ?」

 

 アタシだって護身用の剣ぐらい持ち歩いている。親父が作ってくれたショートソードとアタシが作ったナイフの二本。だからと言ってゴブリン相手にどうとでもなるなんて思ったりはしない。

 何のための守り人なのかを理解していないんだろう。

 

 守り人、ヒヅチとカエデの二人の内、カエデの方はアタシよりも背が低い。石ころを投げられただけで脅えて逃げる様な奴……コイツ等にはそんな風に見えているんだろう。

 

 アタシからすればあんな斬馬刀みたいなでかい剣振り回してモンスターぶっ倒してるぐらいなんだから相当強いと思うんだが。こいつ等は完全に甘く見ているみたいで、護身用の武装……と言うか鉈なんて護身用じゃなくて森の採取に行くときに使う道具じゃないか。武装でもないのに調子に乗り過ぎである。

 

「ヒイラギ、オマエ臆病だな」「はぁ、これだから女は」「怖いんだろ?」

 

 三人揃って呆れ顔でやれやれと肩を竦めるのを見て思わず苛立つ。

 

「まっ、安心しろよ。お前の分も森でしっかり美味いもんとってくるからよ」「そうそう。女は大人しく待ってりゃ良いんだよ」「俺らは男だからなぁ」

 

 村の中の子供で、女はアタシ一人だけ。他は男しかいない所為でこいつ等はアタシの事を小馬鹿にする事がある。いや、小馬鹿にすると言うよりは本当に大事に扱っているんだろうが、言い方の問題だろうか。小馬鹿にされている様にしか感じない。

 

「んだよ、アタシだってゴブリンぐらい倒せるぞ」

「ははぁん、どうせ強がりだろ」「森に入るの怖いとか言ってるのにか?」

「怖いだなんて言ってないだろ。危ないっつってんだよ」

 

 人の話を聞かない奴等である。あまりにも子供過ぎて怒る気も失せ始めた。

 

「はぁ……とにかく、森に入るのはやめとけ。本当に危ないぞ」

「オマエは俺の爺ちゃんかよ」

 

 大叔父と一緒にすんじゃねえ。アイツは大嫌いなんだ。親父の事を『裏切り者』だとか貶しやがるし。

 

「行かないならいっか……オマエ、皆には内緒にしとけよ?」

「おい、本気で行く気か?」

「当たり前だろ」「ま、お土産を待ってろよ」「じゃあなー」

 

 ひらひらと手を振って森の方へ走って行っちまった三人を見て引き留めようと手をあげかけた所で溜息を零す。

 

「くっだらね。アタシはちゃんと注意したからな」

 

 怪我しても知んないぞ。そんな風に見送っているとつかつかと早歩きで歩いてくる少年の姿が見えたので手を振る。

 

「ん? ヒイラギか。クチナシ達を知らないかい?」

 

 狼人(ウェアウルフ)にしては珍しく目つきの鋭さが無い少年。ツクシの質問に肩を竦めて答える。

 

「あいつ等なら森に行ったよ」

 

 秘密にしろ? 知ったこっちゃない。と言うか本当に危ないし。

 

 ツクシはこの村では珍しく森に足を運ぶことも多く。モンスター退治もそこそこ出来る方の奴だ。あのモンスターと戦った事の無い三人組なんかよりよっぽど頼りになるし。

 

「森に? 行っちゃダメだって言われなかった?」

「言われたぜ? アタシも伝えたけど無視されたよ」

「……不味いね。ヒイラギは直ぐに村長に伝えてくれないかな。俺は連れ戻しに行ってくるよ」

 

 焦った表情のツクシに思わず首を傾げる。

 

「危ないのか?」

「危ないも何も……ゴブリンの巣が他のモンスターに攻撃されたみたいで森の中にモンスターが溢れてるみたいなんだ。そのモンスターを倒したのは良いんだけど、ゴブリンが森のすぐ傍で確認されて危ないから皆を一か所に集める様に指示されててね……」

 

 その言葉に思わず苦虫を噛んだ様な表情を浮かべる。もっとアタシがしっかり引き留めてりゃ良かった……。

 

「どっちに行った? ……臭いはこっちからか。じゃあヒイラギは皆の所へ」

「いや、アタシも行く」

「危ないから」

「仲間を見捨てねえ。それがアタシらの信念だろ」

 

 たとえ気にくわない奴だったとしても、同胞を見捨てるなんてできねぇ。それに一人よりは二人の方が良い。アタシだってゴブリン程度なら負ける事は無いはずだ。伊達に護身用の剣なんて持たされちゃいない。




 すまない。本当にすまない。

 戦闘描写苦手なのに、一気に五人のパーティーで動かそうなんて無茶したばっかに……。本編から外れてしまいました。
 パーティーでの戦闘描写、難し過ぎません? ターン制ストラテジーみたいな感じになっちゃうんですよねぇ……。最悪其れでなんとか……。







『オキナ』
 狼人の女性。30代。

『クチナシ』
 ヒイラギのはとこ。年齢13
 ヒイラギは内心ノッポと呼んでいる。
 三人の中では指一本分ぐらい背が高い。

『ザクロ』
 村の少年。年齢12
 ヒイラギは内心チビと呼んでいる。
 三人の中では背が低い。それでもヒイラギより背は高い。

『ニゲラ』
 村の少年。年齢12
 ヒイラギは内心デブと呼んでいる。
 太っている訳ではなく、単純に枠的にそう呼んでるだけ。

『ツクシ』
 森に足を運んで木の伐採や薪採取等を行う少年。年齢14
 そこそこ戦闘は可能。
 


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『ヒイラギ』《中》

 森の中、ゴブリンの気配が多数集まっている。

 おかしいな。あんな風に動くのは初めてだ。

 …………? 誰かが戦ってる?

 確かあそこは窪地だから追い詰められると危ないはずなんだけど。

 っ! 追い詰められてる! 助けなきゃっ!


 森の中の雰囲気がおかしい。森に足を踏み入れた瞬間に肌でそれを感じ取り、一瞬で鳥肌がたった。

 

「ヒイラギ、気を付けて……」

「あぁ」

 

 半ば強引についてきたが、本当に大丈夫だろうか。

 

 アタシ等、黒毛の狼人には古臭い掟が存在する。遥か古代、神々が降り立つより以前より守り続けた掟だ。

『汝、巨狼の血肉として在れ』

『我等、種を以てして一匹の狼也て』

『同胞、決して見捨てる事無かれ』

『同胞が受けし傷、我等が巨狼の傷也て』

 この村で生まれた者は群れの一員としてこの教えを受け継ぐ。

 

 群れの一員であれ。一匹の狼の様に群れで行動せよ。仲間を置いて逃げる事はするな。仲間を傷付けられたら何を以てしても報復せよ。そんな教えだ。

 

 アタシと親父は殆どの村人に仲間扱いをされちゃいない。でも爺ちゃんはこの村の村長であり部族の族長でもある。族長の孫娘として、教えを破るなんて恥晒しな真似は出来ない。

 

「…………」

「…………」

 

 ツクシの後ろを警戒しながらゆっくり歩いていく。仲間と歩く時は足音を合わせ、呼吸を合わせる。

 

『我等、種を以てして一匹の狼也て』

 

 アタシとツクシの足音はぴったり重なりあい一つの足音にしか聞こえず、呼吸も全く同一のタイミング。これは黒毛の狼人として生まれたアタシ等の特技の様なモノだ。一匹の狼でありながら複数の目と耳を使って周囲を索敵し、目標を発見して殲滅する。

 

 大昔、モンスターが地上に溢れていた時代に黒毛の狼人が生き残る為に編み出した技能。血を受け継ぐアタシとツクシもごく自然に行えるソレ。そのおかげかツクシが何を考えているのか手に取る様に分かる。逆にツクシもアタシが何を考えてるのか理解したのだろう。急に振り返って笑みを浮かべた。

 

「大丈夫、最悪俺が囮になるから」

「うるせぇ、仲間は見捨てねえっつってんだろ」

 

 正直言えば怖い。せめて親父に何か言ってくるべきだったかもしれない。腰にある親父が作ってくれたショートソードの柄をしっかりと握りしめる。少しだけ息を零して前を示す。

 

「行こうぜ」

「そうだね」

 

 ツクシが一歩踏み出した瞬間、悲鳴が聞こえてアタシとツクシは一瞬立ち止まる。顔を見合わせてから直ぐに悲鳴の方向に一気に駆けだした。

 

 

 

 

 

「くんじゃねぇっ!!」「何だよこいつ等、数多すぎだろっ!!」「腕が……糞っ」

 

 悲鳴が聞こえた方向に走っていたら窪地が見えて思わず足を止める。3M程の高低差に急勾配がある窪地の片隅にクチナシ、ザクロ、ニゲラの三人が追い詰められているのが見えた。敵は五匹のゴブリン。窪地に下りる為の緩勾配になっている入口に当たる部分にゴブリンが構えており完全に逃げ道が塞がれているらしい。

 三人は完全にへっぴり腰になっていて鉈をめったやたらに振り回してるだけらしい。あんなんじゃゴブリンにも当たりゃしないし無駄に体力を消耗するだけだ。

 ニゲラの肩には捩じれた矢が刺さっているのが見える。ゴブリンの一匹がちんけな弓っぽいモノと、腰に矢筒っぽいモノを装備しているのを確認してツクシが舌打ちした。

 

「ヒイラギっ! 俺は下に下りるからこの縄をあの辺りに結んでくれっ!」

 

 ツクシはそう叫ぶと縄を投げて来たのでそれを受け取って窪地を大回りで駆けて行く。向かうのはクチナシ達が追い詰められている窪地の上、そこから縄を使って引っ張り上げれば良い。その間にもツクシが下に飛び降りて弓矢を持ったゴブリンを仕留めているのが見える。

 

「ツクシっ!?」「兄ちゃんっ! 助かったっ!」

「お前ら馬鹿かっ! 森に入るなって言われたろっ!」

 

 怒鳴り合う声に思わず眉を顰めつつも、目的の場所についたので縄を太めの木にふた結びで手早く縄を結んでから端を下に投げ落とす。

 

「ツクシっ! 結び終わったぞっ!」

「良いぞヒイラギっ! お前らさっさとその縄で上に上がれっ! ここは抑えるっ!」

 

 伐採にも使う手斧でゴブリンを仕留めるツクシを見ながら窪地を見下ろしていて気が付いた。ゴブリンの数が増えてる。

 

 緩勾配の方向から更に十匹近いゴブリンが木の棍を持って駆けてくるのが見えて思わず叫ぶ。

 

「数が増えてるぞっ!」

「チッ、早く登れっ!」

 

 手斧で二匹仕留めた後は後ろに抜けようとするゴブリンを抑えるだけに留めて時間稼ぎをしてるツクシを見つつ、何か出来ないかと周囲を見回す。

 

「助かった」

「うっせぇ、テメェもなんか手伝えっ」

 

 縄を使って上がってきたクチナシに怒鳴ってから、手近にあった石を手に取ってゴブリンに投げつける。

 

「おい、こっちに登ってきたらどうすんだよ」

「馬鹿言えっ! 下でツクシが戦ってんだぞっ!」

 

 クチナシの言葉に思わずキレそうになる。同胞が危機的状況に陥っていると言うのに、こいつは自分の安全を優先しようとしやがる。クチナシは一応アタシのはとこなんだから族長の血を引いているだろうに。誇りの一つも無い発言に苛立ちつつも、石を投げる。

 

「くそっ」

 

 悪態を吐きつつもクチナシも石を投げてツクシを援護し始めた所で、ザクロも上がってきた。

 

「ニゲラが片手じゃ上がってこれねぇっ!」

「っ!」

 

 下を見れば何とか片手で縄を掴んで登ろうとしているニゲラが居た。だが片手では上手く登る事が出来ないのだろう。そこにゴブリンが駆け寄っているのが見えたのでツクシに伝えようとする。しかしツクシは追加で現れたゴブリンで手一杯らしく気付いていない。

 

 石を投げても木の棍で防がれて怯みもしない。あのままだとヤバイ。

 

「あぁ畜生っ!」

「ヒイラギっ!? おい何してんだっ!!」

 

 クチナシの言葉を無視して一気に助走をつけて窪地に飛び降りる。位置は丁度ニゲラに攻撃しようとするゴブリンの真上。

 

「うらぁっ!!」

 

 空中で引き抜いたショートソードをゴブリンの頭に叩き付けつつ、ゴブリンの体をクッション代わりに使って着地する。

 上手く当たったのか一撃で絶命したゴブリンの体から飛び退いて上に居るクチナシとザクロに向かって叫ぶ。

 

「引っ張り上げろっ! 時間稼ぎするっ!」

 

 そう叫びながらツクシの背中に回り込もうとしていた一匹を後ろから斬り付ける。さっきは高さもあったおかげで即死させれたが、普通に攻撃しただけじゃ倒す事は出来ない。しかしそのゴブリンが背中を切られて怯んだ瞬間にツクシが頭に手斧を振り下ろして止めをさした。

 

「ヒイラギっ!?」

 

 ツクシが驚いた表情をしているが、その間にもゴブリンはアタシ等を囲もうと動いてやがる。

 後ろを確認すればクチナシとザクロが縄を使ってニゲラを引き上げているさ中であった。アイツが登り終わったらアタシが登って……。数がまた増えたのか。気が付けば二十匹近いゴブリンが窪地に雪崩込んできてるのが見えて肝が冷えた。

 

「下がって」「うるせぇ、アタシだって戦える」

 

 ツクシの言葉に半ば強がりを返す。どくどくと早鐘を打つ心臓がアタシに焦燥感を刻み込んでくる。この数はヤバイ。

 

「うわぁっ!?」「こっちにもきやがったっ!」

 

 上の方から聞こえてきたクチナシ達の焦った声が聞こえた。上を確認すれば数匹のゴブリンが窪地を大回りして回り込んでいたらしい。運が良かったのはニゲラが既に上に登り終わっている事だろうか。

 

「どうすんだよっ!」「チッ……」「やべえぞっ!」

 

 クチナシと目があった。困惑と共に鉈を構えて迎え撃とうとするザクロや、片手でなんとか鉈を持って応戦の意思を示すニゲラと違い、クチナシは鉈を構える事も無く手に持っていた石を放り捨てる。

 

「すまねぇ……」

 

 小さいその言葉と共にクチナシが唐突に背を向けて走り出した。

 

「クチナシっ!?」「何処行くんだよっ!?」

 

 その行動の意味が一瞬理解できなかった。だがザクロとニゲラが困惑したように此方を見下ろして――同じように走って行ってしまった。

 

「は?」

「どうしたヒイラギっ!」

「……あいつ等……逃げやがった」

「はぁっ!?」

 

 あの三人は……アタシ等を見捨てやがった。

 

 黒毛の狼人としての誇り無い行動に頭が沸騰しそうな程に怒りを抱いた。なんなんだあいつ等、助けに来たのに。仲間を見捨てる事だけはしてはいけないのに。逃げやがった……。風上に置く事も出来ない様な屑共……。糞っ……アタシだって仲間じゃ無いのかよ。ツクシの事も見捨てやがって。

 

「縄はっ!?」

「こっちにねぇよっ!」

 

 縄はニゲラを引っ張り上げた後、此方に垂らす訳でも無くそのままにしたらしい。縄が見当たらない。

 

 急勾配を駆け上がるなんて事は流石に出来ない。緩勾配の窪地の入口方面からは多数のゴブリンが雪崩込んできている。

 

「嘘だろおい……」

「チッ、ヒイラギっ!」

「何だよっ」

「何とか道を切り開くからオマエだけでも逃げろっ」

 

 逃げ足だけならなんとかなるかもしれない。しかし、道を切り開く事なんて出来そうにない程の数だ。

 

「っ!? ツクシっ!! 上から弓矢だっ!!」

「なっ!?」

 

 上をとられた。窪地を見下ろす地点に数匹のゴブリン。上に居たクチナシ達を追うのではなく窪地に追い込まれているあたし達を仕留める積りらしい。手に持っているのは木の枝と植物の蔦で作ったちんけで粗悪な手製の弓と、木の棒を削って尖らせただけの矢っぽい鋭い棒。命中精度は悪そうだが布製の服しか着てないアタシに当たればただでは済まない。ツクシは革製のベストを着てるが、手足に当たればダメージは免れないだろう。

 

「来るぞっ!!」

 

 矢が放たれたのと、窪地に雪崩込んできていたゴブリン達が突っ込んでくるのはほぼ同時だった。反応出来る訳も無い。当たらない事を祈りつつ突っ込んでくるゴブリンに斬りかかる。

 

「ぐっ」

「ツクシっ!!」

 

 アタシの方に飛んできた矢は見当違いの方向に飛んで行ったり、他のゴブリンに当たったりしたのに対し、ツクシの方に飛んだ矢は足に当たったらしい。腿の辺りに捩じれた木の矢が突き刺さっている。

 ただ当たったのは一発だけで上に居たゴブリンは矢を射ちつくしたのかそれ以上此方に矢を放ってくる事は無い。

 

 足を負傷しつつも、襲い掛かってくるゴブリンを手斧で仕留めて行く。しかし片足を負傷した所為か威力不足気味なのか一撃で倒せていない様子である。援護しなくてはならないがアタシの方にもゴブリンが数匹群がってきていて近づく事が出来ない。

 

「邪魔すんなっ!」

 

 ゴブリンの腕をショートソードで斬り付ける。切断とまではいかず、骨で止められてしまうがゴブリンの腕を使用不能にしてやった。負傷したゴブリンが直ぐに撤退し別のゴブリンが目の前にやってくる。後ろからも攻撃が来て背中に棍の一撃を貰って怯む。

 

「いてぇな畜生っ!」

「でぇやぁっ!!」

 

 数匹のゴブリンをタックルで突き飛ばしたツクシが此方にやって来たのを見て急いで近づいて肩を支えて急勾配へと下がる。

 

「なぁ、どうするよ」

「ごめん、無理そうだ……」

 

 ツクシが十匹近く倒して、アタシも三匹は仕留めたがゴブリンの数は減った様に感じない。

 

 このままじゃ本当に……そんな風に考えていると風切り音が聞こえて思わず背筋が泡立った。

 

 矢の音だっ!

 

「ツクシっ!」「糞っまだ残ってたのかっ!」

 

 ツクシもその音に気付いたのか慌てて飛んでくる方向へ視線を向けようとするが。其れよりも前に矢が突き立つ音が響いて目を見開いた。

 

 目の前に居たゴブリンの一匹の脳天に矢が突き刺さっている。ただ、それはゴブリンが粗雑に作り上げた粗悪品の捩じれた矢では無く。真っ直ぐに整えられ矢羽もしっかりとつけられたちゃんとした矢である。

 

「これは……」

 

 ツクシの驚いた声に反応するより前に、次々と矢が窪地の上から飛んでくるのが見えて其方を向けば。毛皮の外套とフードで身を覆った小柄な奴が弓を手に次々に矢を放っているのが見えて思わず声が出た。

 

「すげぇ……」

 

 上からの強襲にゴブリン達が浮足立って此方から注意が外れて上に立つ人物に棍を向けてギャーギャーと喚きだす。上には他にゴブリンが居たはずだがその人物に襲い掛かる気配は無い。それ所か上に居たはずのゴブリンは既に仕留め終わっているのか上から気配が全くしない。

 

 放たれる矢はまるで狙ったかのように……いや、実際狙っているのだろう。寸分違わずゴブリンの脳天を穿っていく。だが小柄な毛皮の外套の人物の腰の辺りの矢筒には目の前に居る全てのゴブリンを仕留めるのに必要な量の矢は入っていない。

 

 途中で矢が切れる……そう思っていると矢が切れたのか弓を仕舞い代わりに剣を取り出して一気に急勾配を駆け下り始めた。

 

「マジかっ!?」

 

 外套の人物が降り立ったのは丁度ゴブリンが群がる中心点、飛び降りると同時に周囲を薙ぎ払いゴブリンの首を刎ね飛ばしながら一気に此方に駆けてくる。通り過ぎざまに複数のゴブリンの首が刎ねられて死体が数多も量産されるのを見て思わず鳥肌が立った。なんだあの動き。

 

 そんな風に驚いている間にも外套の人物は近くに寄ってくると懐から何かを取り出してこっちに投げてきた。

 

 ツクシが其れを受け止めている間にそいつは此方に背を向けて残っているゴブリンと対峙し始める。

 

「……治療してて。片付けるから」

「は?」

 

 聞き覚えの無い声。村人の中にこんなのはいなかった……いや、そいつの持ってる剣には見覚えがある。切っ先に行くほどに幅広になる刀身。遠心力で威力を増して相手を叩き斬るその剣。親父が毎日の様に何本も仕上げているその剣を持っている奴なんてアタシの村じゃ一人だけだ。

 

 こいつはカエデ・ハバリだ。間違いない。

 

「これは……傷薬……?」

 

 ツクシの手に握られていたのはこの森で採取できる薬草類を調合して作った簡易な傷薬の入れ物と包帯等が詰め込まれた治療袋だった。其れに気をとられている間に凄い勢いでゴブリンを仕留めて行くカエデ。

 

 まるで躍る様にゴブリンの中へ突っ込んでいき、ゴブリンの体を盾代わりに使ったり低姿勢のまま走り抜けて足を切断したりと同じ動きをしろと言われても真似できない様な動きでゴブリン達を仕留めて行く。

 

 呆然と二人で眺めていれば二十匹を超えて対応できるはずも無くなったゴブリン達は全て仕留められ、むせ返るようなゴブリンの血の臭いで淀んだ窪地、まるでゴブリンの血でできた湖の底に立つかのように毛皮の外套を纏ったカエデが立っており。周囲を見回している。

 

 暫くするとぽつりと「もういない」と呟いてから此方に近づいてきた。フードは深々と被られており見えるのは口元だけで此方に顔を見せない様にしているらしい。臭いで判別しようにもゴブリンの血の臭いの所為で出来ない。持っている剣からしてカエデの筈だが……。

 

「……怪我の治療、すぐした方が良い。毒矢だった?」

「は?」

 

 恐る恐ると言った雰囲気で話しかけてきたカエデに思わず変な声が出た。あんな数のゴブリン相手に怯みもせずに突っ込んで行って殲滅できるぐらい強いのになんでこっちには脅えてるんだ?

 

「あー……うん、治療するよ。えっと……ヒイラギ、矢を抜いてくれないか?」

「あ? あぁ……ちょっと待ってろ……」

 

 拍子抜けと言うか。鬼もかくやと言う様子でゴブリンを殲滅したのにおびえた様子を見せるのに気が抜けてしまった。だが脅えた様子ではあっても真剣そうな目をしており周囲への警戒はやめていない様子でここがまだゴブリンが現れる可能性のある場所だと理解して慌ててツクシの治療に取り掛かる。

 

「……貴女も怪我してる」

「あ? アタシは別に平気だ。ちょっと肩を打たれたぐらいだし」

 

 矢を抜く為に布きれをツクシに咥えさせて矢に手をかけた所で打たれた肩が痛んで一瞬顔を歪めればカエデが直ぐに反応してきた。

 

「治療、代わるよ」

「いや、アタシが」

「ごめん、すぐここを離れたいから……」

 

 そう言うとスッと近づいてきてツツジの足に刺さった矢を掴んで無造作に引き抜いた。

 

「むぐっ……」

 

 咥えた布切れが軋む程の力で噛み締められ、今のがどれほど痛かったのかを想像して背筋が震える。

 アタシがうろたえている間にも手早く傷口に傷薬をこれでもかと塗りこんで布を当てて包帯を締めていく。

 

 一通りの作業がまるで一瞬で終わったかのような錯覚を覚える程に手早く治療を済ませると。そこらにあった棍の一つを掴んでツクシに差し出した。

 

「杖代わり。急いでここを離れるから」

 

 そう言うと一度此方の足元をちらりと見てから近づいてくる。

 

「なんだよ……」

「肩、治療した方がいい?」

「いや、先に離れようぜ……」

「……わかった。付いてきて」

 

 それ以上会話を続けようと言う意思は無いのか。そのまま背を向けて歩き出す。途中、ゴブリンの脳天に刺さった矢を手早く回収したり、ゴブリンの右耳を切り取ったりしながら進むソイツの後ろを棍を杖代わりにして歩いているツクシとそれを支えてるアタシをちらちらを振り返りながらもしっかりと先導している。どんだけ凄いんだよアイツ……。

 

 

 

 

 

 途中、二度ゴブリン数匹に襲撃を受けたが全てカエデが一人で片づけてしまった。「待ってて」と一言言って何処かに行って戻ってきたので何してたのか聞けば「追ってきたゴブリンを仕留めてきた」とまるで何でもない事の様に返されてツクシと一緒に思わず口を閉ざしたのだ。

 そう言えば臭いでカエデか判別しようとしたが、どうも獣避けの類の香草を使っているのか変な臭いしかせず、カエデなのか判別できない。毛皮の外套も尻尾まですっぽりと覆い隠しているし。どうにもアタシ達に気を使っているらしい。もしくは自身が白毛である事がバレるのを恐れているのか……。

 

「ここなら、安全だから」

 

 そう言われたのは森の中の少しひらけた所にあったのは横倒しになった倒木と、中央の辺りの草が刈りとられていてその中央に焚き木の後があるちょっとした休息地であった。

 周囲にはよく分らない紙切れがいくつか貼り付けられており思わず眉を顰める。

 

「ありゃなんだ……?」

「さぁ……?」

 

 ツクシにも分らないのか互いに首を傾げていると、カエデが焚き木の跡の所に枯れ枝をいくつか積み上げてから焚き火の準備をしているのを見て首を傾げる。

 

「なぁ、村まで送ってくれるんじゃないのか?」

「…………それはできないから」

「なんでだよ」

「……ごめんなさい」

 

 申し訳なさそうに消えそうな声で返事されて溜息が零れた。その溜息に反応したかのように体を震わせてからカエデは焚き火に何かを加え始める。するともくもくと煙が上がり始めて思わず一歩下がる。

 

「おまえ何してんだよ」

「ヒイラギ、狼煙を上げてるんだよ」

 

 ツクシが教えてくれた通り、どうやら狼煙を上げているらしくカエデは一度此方を振り返ってから呟く様に声をかけてきた。

 

「そこ、倒木を椅子代わりにしてて……ここで待ってればヒヅチがくるから」

「ちょっと待てよ、何処行くんだよ……」

 

 それだけ言うとすっと立ち上がって小弓を手に何処かに行こうとしたのを見て思わず引き留めた。現在位置がよく分らない場所に置いて行かれるのは心細い。またゴブリンに襲われるかもしれないと言う恐怖もあった。だがカエデは首を傾げて不思議そうにしている。

 

「獲物を獲ってくる」

「は?」

「すぐ戻るから治療してて」

 

 それだけ言うと木々をかき分けてそのまま森の中に戻って行ってしまった。

 ツクシと二人で立ち尽くしているとツクシが溜息を零して呟いた。

 

「とりあえず座って待ってようか……怪我は大丈夫?」

 

 ツクシの言葉に頷いてツクシを倒木に腰かけさせてから、自分も同じ様に腰掛ける。

 

「問題ねえよ」

 

 少し痛むが痣になってる位で骨に罅が入っているわけでもない。冷やした方が良いんだろうが……。

 互いに無言のまま焚き火を眺める。ほっそりとした煙が空高く昇っているのを見上げ始めた所でツクシがぽつりと呟いた。

 

「あの子、誰だろう……臭いもわからなかったし。俺らの村にあんな声の子居たっけ……?」

 

 アタシ等狼人は鼻と耳が優れている。だから一度嗅いだ人の臭いや、一度聞いた人の声は一発で判別できるんだが……。そういえばカエデの声なんてアタシは一度も聞いた事が無い事に今気が付いた。ツクシも同じく聞いた事が無いんだろう。

 

 ……ツクシにアイツがカエデじゃないかって話してみようかと思ったがやめた。

 

 ツクシの親父は確か森でモンスターに襲われて殺されたはずだ。その原因が白き禍憑きだって村人が皆言ってたし。ツクシももしカエデの所為だって思ってるんだったら、変な事は言わない方が良いと思ったから。




 鼻先まですっぽりと覆う毛皮のフード+全身を隠す毛皮の外套。ついでにグローブもブーツ類も毛皮製で全身もっふもふ。超あったかそう。無論外套の下はチェインメイルですよね。

 毛皮装備最高ッスよね(skyrim並感

 ただ、どうも毛皮装備=山賊装備ってイメージがあるらしい……カエデちゃんは山賊だった……?

 衣類関係の参考になればとskyrimやらダークソウルやらの防具類を見てましたが。どうにも幼女にしっくりくる装備って無いですね。ただ金属胴鎧はダメって形だと胸当てとか……フルプレートが怖いなら胸当てはオッケーかなぁ。

 其れとは別の話。バスタードソードの『バスタード(Bastard)』って雑種や私生児(婚姻関係の無い男女の間の子供)と言った形の卑罵語の意味が強いらしく、日本以外の国ではハンドアンドハーフソードと言う名称の方が一般的らしいですね。

 片手半剣と言う部類で『バスタードソード』と言う名称でかっこいい剣だなって思ってましたが、どうも意味合いはよろしくない模様……ある意味カエデちゃんにぴったりではあったが……。まぁこの武器はその内最終兵器にとって代わりますしね。大丈夫でしょう(小声)


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『ヒイラギ』《下》

 助けた後ってどうすれば良いんだっけ?

 狼煙を上げてヒヅチを呼んで……後は?

 ご飯あげればいいのかな? お腹空く時間だし。

 何を食べるのかな? 果実? 魚? 肉?

 一通り全部持って行ってみよう。

 傷薬も無くなったし薬草も採って来なきゃ。

 …………嫌われて無いかな?


 森の中、小さくひらけた様な所で溜息を零して呟いた。

 

「あたしら何してんだ……?」

「……さぁ?」

 

 入るなと注意された森の中に勝手に入ってピンチに陥っていたクチナシ達を助け……その際に逆にアタシらがピンチに陥ってしまったはずだ。

 何処からともなく現れた毛皮の外套を身に着けた見知らぬ奴が助けてくれて、誰かが作ったらしい休息用の場にて待たされているさ中であったのだが。その毛皮の外套の奴は思ったよりも早く戻ってきた。

 

 其の両手に森で採れる木の実が入った袋を持ち。背には野兎が二羽吊るされていて、なおかつ川魚も数匹……。そんなに時間が経っていないのにどうやって手に入れたのかわからないぐらいにとってきた得物をその場で捌き始めるソイツ、カエデを眺めながらツクシとヒイラギは顔を見合わせた。

 

 何がしたいのかさっぱりわからないが……カエデは無言のまま魚を捌いて肝を取り除いて木串を作って焚火で焼き始める。大きな葉に木の実類を乗せて目の前に差し出してきたので思わず受け取ってしまったが。ツクシも同じく首を傾げつつもそれを受け取る。

 

「なぁ……これ……」

「食べてて。薬が切れたから作る」

 

 言葉数も少なく食べていてと言うだけ言ってカエデは薬草類を磨り潰し始め、傷薬を作り始めてしまった。

 

 毒が入っている。と言う訳でも無い様子で臭いを嗅いでも変なにおいはしない。村人に余り良い扱いをされていないのに、どうしてこんなに気を使った態度をとっているのかわからなくてヒイラギは首を傾げた。

 

「ヒイラギ……どうする?」

「どうって……別に腹は……」

 

 朝食はしっかり食べてきたが。ふと気づけばヒイラギの腹は空腹を訴えていた。おかしいなと空を見上げて日の高さを確認すれば既に日が高々と上り、頂点から降り始めているのが見えて目を見開いた。

 

「もう昼飯の時間なのか。親父の飯……つか、親父心配してんだろうなぁ」

「そうだね……結構な時間探し回ってたからね」

 

 気が付けば既に昼を回っていたと言う事実に気が付いて溜息を零してヒイラギは父親の昼食を思い浮かべようとして、父親がどうしているか気になり呟く。ツクシは毛皮の外套の人物が何をしているのかちらちらと見つつもヒイラギの呟きに反応した。

 

「食べないの?」

「あー……食う。うん」

「……うん、食べるよ」

 

 恐る恐ると言う様に質問してきたカエデの様子に食べないと泣きそうだなと思い、ヒイラギは木の実を齧り始める。甘酸っぱい木の実は文句なしに美味しく。焼いた魚を口にしたツクシも「美味しい」と呟いている。其れを見て安堵の吐息を零すカエデの姿にヒイラギは内心溜息を吐いた。

 

 助けられておいて文句言う程落ちぶれちゃいないんだが。ツクシの方は……どうかはわからないが。

 

 そんな風に考えてツクシを見れば目を細めてカエデの姿を眺めている。ぽつりと小声で「まさか……禍憑き?」なんて呟いているのが見えて思わず眉を顰めた。

 

 ツクシがカエデを禍憑きと貶してる姿は今まで見た事が無いが。ツクシの母親はアタシの母さんと同じく流行病で死に。ツクシの父親は禍憑きが連れてきたって言われているモンスターに殺されたのだ。カエデに対して良い感情を持っていなくても不思議じゃないと考えて思わず腰を上げようとするヒイラギに、ツクシは首を横に振った。

 

「大丈夫、俺は気にしてないし……それに父さんが死んだのは、父さんが悪かっただけだから」

「……ツクシの親父が悪かった? 何したんだ?」

「それは……ん?」

 

 ツクシの言葉の途中、森の方から草木をかき分ける音が聞こえて二人して警戒する。

 

「よし」

 

 傷薬の調合が終わったのか小瓶に傷薬を詰めていたカエデはそれに気付いていないのか小瓶をポーチに仕舞っているさ中である。

 

「おい、なんかきてんぞ」

「うん……速い、なんだこの音っ!」

 

 がさがさと音を立てて近づいてくる何かに警戒心を向けて立ち上がったツクシとヒイラギを見てカエデはぽつりと呟いた。

 

「ヒヅチだから、大丈夫」

 

 その呟きと共に草木をかき分ける様にヒヅチが森の中を凄い勢いで走って近づいてきているのが見え、ヒイラギとツクシは目を擦った。

 森に住む黒毛の狼人としてそこそこ森の中を走るのは得意ではあるが、あそこまで器用に走れるかは別である。まさに森を駆ける風の様に木々の隙間を縫う様に走ってきたヒヅチは広間の入口でピタリと静止すると周囲を見回して鼻を鳴らした。

 

「なんじゃ、怪我した訳ではないのか……慌てて損したのう」

「ヒヅチ、この人たちがゴブリンに襲われてた」

 

 調合用の道具類を袋に納めたカエデが立ち上がって状況を説明しているのを聞いてヒイラギとツクシは苦虫を噛み潰した様な表情を浮かべた。

 

 ヒヅチは森に入るなと警告していた。其れを無視して森に足を踏み入れたのだから必ず怒るだろう。

 

 二人の予想はあっていたのか、ヒヅチは呆れ顔を浮かべてヒイラギとツクシを流し見てからカエデの頭にぽんと手を置いて口を開いた。

 

「カエデ、森のゴブリンは掃討し終えたか?」

「まだ。後墓地の方面に巣を作ろうとしてるのが少し残ってる」

「巣か……」

 

 森にある村人の死体を埋葬している墓地の方面にゴブリンが巣を作ろうとしているらしい。本来なら数が増えなければ人の住処に近づいてくる事は少ないが今回の場合は強大なモンスターが現れた所為で村の近くまで来てしまったのだろう。そのまま村の近辺にゴブリンの巣が作られれば村にも被害が出る。そうなる前に掃討する予定だったのだろう。ヒヅチは森の奥のモンスターの討滅、カエデが村の周辺に近づくモンスターの掃滅。そんな役割分担だったのをヒイラギとツクシが森に足を踏み入れた事で予定変更せざるを得なかったのだろう。

 

「カエデ、オヌシ一人で掃滅できるか?」

「わかった」

「では、ワシはこの虚け共を村まで送り届けるかのう……直ぐ向かう。無理そうなら周囲で待機しておれ」

「大丈夫。数は多くなかったから」

 

 カエデはそう言うと木に吊るされた野兎を指差してヒイラギとツクシに声をかけた。

 

「それ、持って帰って」

 

 それだけ言うとカエデは草木を余り揺らさずに音も立てずに森の中へと駆けて行ってしまった。手馴れている所か熟練の狩り人もかくやと言う動きにヒイラギとツクシは吐息を零した。

 

 その二人の様子を見て、ヒヅチは大げさな溜息を零して口を開いた。

 

「それで? オヌシら虚け共は何故森に足を踏み入れた? モンスターが出るから暫く大人しくしていろと伝えたはずじゃが? 聞いておらんかったかや?」

 

 表情はにこやかだが、目が一切笑っておらずヒイラギとツクシは体をびくりと震わせてから慌てて言い訳を始める。

 

「待ってくれヒヅチさん。俺達は別に痛っ」

「クチナシ達がいてぇっ」

 

 瞬時に踏み込み、二人の脳天に拳を振り下したヒヅチは頭を押さえて蹲る二人を見下ろして呆れ顔で呟いた。

 

「阿呆共め、どの様な理由が在ろうが死ぬ危険に飛び込んでおいて助けられるなんて間抜けを晒しておっては詮無いじゃろうが。もし自ら危険に飛び込むのなら最低限自身の身を守れる様にしておけ」

 

 容赦のない物言いに頭を押さえたヒイラギとツクシは顔を見合わせて呟く。

 

「容赦ねぇな……」「確かに……」

 

 二人の呟きを無視したヒヅチは吊るされていた野兎を回収して焚き火の残り火に水袋から水をかけて二人を見下ろして口を開いた。

 

「村まで送る。付いて来い」

 

 苦々しげに口を開いたその様子に二人は首を傾げた。何故カエデが送って行かなかったのか? そんな疑問に気付いたのかヒヅチは肩を竦めた。

 

「あ奴がヌシ等を村まで送って行かなかったのは不思議かや? 当然じゃろ……森であ奴に会ったなんて知られたらなんて言われると思う? 当然じゃが、あ奴に会った事は村の者等には黙っていろ……余計な事を口にすれば面倒事が増える。全く……もう直ぐ村を出ると言うのにどうしてこうも……」

 

 やれスイセンが面倒だとかホオヅキがくれた酒が切れただの。日頃の鬱憤が溜まっているのかぶつぶつと文句を零し始めたヒヅチの様子にヒイラギは思わず声を上げた。

 

「村を出る? どういう事だよ」

 

 この村の守り人であるヒヅチが村を離れる。其れはつまり守り人の不在を意味する。ヒヅチが居なくなったらカエデはどうなるのか? 気になる事が溢れだしたヒイラギの方を半眼で見据えたヒヅチは肩を竦めた。

 

「言うた通りじゃ。もう直ぐ村を出る……ヤナギには伝えたはずじゃが。聞いておらんのか?」

 

 聞いていない。ヤナギ……ヒイラギの祖父はそんな事一言も言っていなかった。同じく驚いた表情のツクシが口を開いた。

 

「守り人はどうするんですか?」

「知らん。スイセンがどうにかするじゃろ」

 

 面倒だとでも言う様に苛立たしげに尻尾で不機嫌さを示すヒヅチの様子にヒイラギとツクシは眉を顰めた。

 

 ヒヅチの反応も当然だろう。事ある毎にヒヅチに文句ばかりを吐くばかりのスイセンと、その文句に対応するヒヅチの不仲っぷりは村では有名だ。だが守り人の不在はそれなりに強力なモンスターが跋扈する森の中に村を構える黒毛の狼人の部族。『黒き巨狼』からすれば冗談では済まない。

 

 モンスターに対応する者が居なくなれば村はいずれモンスターの襲撃で滅びるだろう。

 

「禍憑きが残るんで「口に気を付けよ小僧……()()()()()()()()()?」……」

 

 ツクシの質問の中に気に障る言葉が混じっていたのか獰猛な笑みを浮かべてツクシを睨むヒヅチの様子にヒイラギは尻尾を震わせる。

 

「……俺の父さんみたいに、()()()()()()()()()()かもしれないって事ですか?」

「よく知っておるのう」

 

 ツクシはヒヅチを睨み。ヒヅチは呆れ顔でツクシを眺める。暫く睨み合い……ツクシが一方的にヒヅチを睨む状況はヒヅチが溜息を零した事で終わりを迎えた。

 

「ワシは謝らんぞ」

「知ってますよ。そもそも()()()()()()()()()()()()

 

 二人のやり取りを理解できずにヒイラギはヒヅチをツクシを交互に見て、最後にヒヅチを見た。

 

「ヌシは気にするな。ほら行くぞ……村人共が探しに出る等と阿呆を抜かしおるから宥めて慌ててこっちに来たんじゃからな……」

 

 ヒヅチのその言葉にヒヅチがやって来た方向は森の奥では無く村の方面からだったことに気付いてヒイラギとツクシは二人してヒヅチを見た。どういう事かと。

 

「はぁ。村の方から緊急用の狼煙が上がっていたので慌てて戻ってみれば。馬鹿三人組が森の奥でモンスターに襲われ、助けに来てくれた二人を見捨てて逃げ帰ってきたと泣き付いたらしくてな……馬鹿三人は座敷牢へ放り込まれてワシは行方知れずのお主らを探せと森の中に足を踏み入れて……気付けばカエデが狼煙を上げておったからそっちへ向かえばオヌシらはカエデに歓迎されておるし……全く、ワシの苦労はなんじゃったんじゃか」

 

 苦虫を噛み潰した様な表情と呆れ顔が混ざり合った複雑な表情を浮かべたヒヅチの様子にヒイラギとツクシは顔を見合わせた。

 

 どうやらクチナシ達は一族の掟とも言うべきものを破ったので罰が下されたらしい。

 

「もう一度言うが。余計な事は言うなよ……? 面倒事は嫌いなんじゃ」

 

 カエデと会った事は言うなと言う意味だろう。助けてくれたのに、その事を誰にも口にするなと言うヒヅチの様子に思わず眉を顰めていたヒイラギは其処で気付いた。まだお礼を言ってない。

 

 

 

 

 

 村に到着すれば、村人たちが広場に集まってざわめいているのが目に見え。父親がスイセンと怒鳴り合っているのが見えたが。親父が此方に気付いた瞬間に此方に駆けてきた。

 

「ヒイラギっ!」

「親父……悪い、約束破っちまった」

 

 駆けつけてくれた親父に謝れば、村人達が勝手に騒ぎ出す。やれ神に身を売ったのがどうとか。神なんかに毒されただとか……不愉快な言葉の数々に刃を食いしばる。勝手な事ばっか言いやがって。

 

「勝手な事を騒ぐな阿呆共め……スイセン、主の孫が阿呆な事をしでかしたのを尻拭いしてくれたんじゃ。こやつ等に礼を言ったらどうだ?」

「なんだと?」

 

 ヒヅチはスイセンの苛立ったような様子を鼻で笑うと意気揚揚と言った様子で口を開いた。

 

「クチナシ共が勝手に森に入ったので助けに行ったんじゃろう? 其れなのになぜこやつ等が責められねばならん。ヌシ等の掟で『仲間を見捨てるな』と言うモノがあったじゃろうに。其れを守ったのはこやつ等で……ヌシの孫は守る事もせずにおめおめと逃げ帰ってきたんじゃろ? 座敷牢に放り込んで無かったことにしたつもりかや?」

「なっ……なぜ貴様がクチナシの事を……」

 

 苦々しげな表情を浮かべたスイセンの表情には、何故知っているのかと言う疑問も混じっている。

 どうやらクチナシ達が仕出かした掟破りの件を村人に伝えずに片を着けようとしていたらしい。

 

「チッ貴様は毎度毎度余計な口出しを……」

「待てスイセン……ヒヅチ、同胞を救ってくれた事、感謝する」

 

 舌打ちと共に毒を吐こうとしたスイセンを黙らせた村長、スイセンの兄であるヤナギは溜息と共にスイセンの方に杖を向けた。

 

「長はワシじゃろうに。勝手な事をするな」

「…………ふんっ」

 

 そんな様子を見ながら、親父が溜息を零して耳元でささやいた。

 

「良くやった」

 

 その言葉が何よりも嬉しかった様に思う。

 

 

 

 

 

 その後、ヒヅチは言い争うでもなく言いたいだけスイセンを挑発するとそのまま森の方へ行ってしまった。アタシもツクシもカエデの事を口に出すでもなくそのまま家に帰宅した。村人達はアタシ等に言ってた侮辱の言葉が間違いだと知っても尚謝りもせずに居たが。苦々しげに視線を逸らす村人達にほんの少しスカッとした気持ちになった。その事に気付いた親父に小突かれたりもしたが。

 

 家に帰って直ぐ。アタシは気になった事を親父に聞いた。ヒヅチが村を出る事についてだ。

 

 その事について聞いた途端、親父はそうかと呟いて俯いてしまった。互いに対面して座る居間の空気が重くなったように感じた。

 

「……誰に聞いた?」

「ヒヅチ」

 

 重々しく呟く様な親父の質問に即答で答える。すると親父は深々と溜息を吐いてから呟いた。

 

「森で……カエデに会ったか?」

 

 親父はカエデの事を『禍憑き』と呼ばない。他にもヒヅチの事を『余所者』とも呼ばないし。何かしら知っているのは前々から知っていた。聞いても誤魔化されて答えちゃくれないが……。今なら答えてくれる気がした。なんとなく、尻尾を撫でられる感触と共にそんな風に感じた。

 

「会ったよ……助けてもらった。後飯も食わせて貰った」

 

 多分、助けた後にヒヅチがくるまで、何をすればいいのかわからず。昼飯時が近かったから獲物をとってきてくれたのだろう。野兎も丸々一匹貰ってしまったし。

 

「…………そうか」

 

 それだけ言うと親父は窓の外に視線を送ってから。目を細めて呟く様に声を漏らした。

 

「もう、すぐか……」

 

 何がもう直ぐなのか。知りたい。アタシだけ何も知らないのはもう嫌だ。

 

「なぁ、教えてくれよ……アイツってアタシとなんか関係あんだろ?」

 

 質問を投げかければ親父はゆっくりと此方を真正面から見据えてきた。親父の蒼穹の空を思わせる青い目にアタシの姿が映っていた。その目に映る自身の姿。その目には疑問と期待をない交ぜにした様な輝きが映し出されている。

 

「……そうだな。俺も……俺達ももう直ぐ村を出る」

「……は?」

 

 親父の言葉に思わず目を見開いた。()()()と言う言葉に一度。()()()()で二度。驚き過ぎて一周回って冷静になった。アタシと親父も村を出るのだろう。出る理由は……多分、ヒヅチと同じ理由か?

 

「何時出るのかはまだ完ぺきに決まっちゃいないが……ヒヅチ達が村を出た後に、続く積りだ」

 

 ヒヅチ達……と言う事はカエデもヒヅチと一緒に村を離れると言う事だろう。守り人不在のこの村がどうなるのか気になる。

 

「村はどうなるんだ?」

「……親父にはもう話してある。村は……この村はもうダメだ」

 

 ダメ? どういう事だ? 確かに戦える奴は少ないが。

 

「……村に居る雌は、今何人居る?」

「何人って……ざっと三十人は居るだろ」

 

 親父の質問に思わず首を傾げれば、親父は気まずげに視線を逸らすと呟いた。

 

「子供を産める奴だよ」

 

 その言葉に頭の中で村人の女性を並べて子供が産める奴を数えてみる。

 

「……三人か? アタシ入れて」

 

 オキナともう一人、そしてアタシの三人だけ。それ以外は流行病で死んだか。もう既に子供が産める年じゃない。

 

「そうだな。流行病の所為で殆ど死んだ。そりゃ男も大分死んだが……はっきり言うがこのままじゃ村が続かない」

 

 アタシが子供を産める年になった所で、三人で産める人数なんて高が知れている。

 

「それに……誰と子供を作ろうがもう()()()()()()

 

 排他的であり、他の狼人を一切受け入れずに長い時を過ごした黒毛の狼人。アタシ等の一族は……。

 

「そっか……もう子供も出来ないのか」

「そう言うこった。俺とキキョウも五年かかったからな」

 

 血が濃くなり過ぎたのだろう。狭い村の中、どれだけ離れた血筋同士で子を残そうが。いずれ限界がくる。いや、既に限界が来ていたのだろう。

 

「もう血が遠い奴が一人も居ない……オマエが今村に居る雄と番になっても子供が出来る事は無いだろうな」

 

 近すぎればそれだけ子が出来にくくなり。異常も出やすくなる。本来なら外部から別の血族の狼人の血を受け入れる事で濃くなり過ぎるのを防ぐのだが。其れをしなかった。疑り深く、自らの血族以外を受け入れられない部族であると言う欠点が如実に出たのだろう。

 

「じゃあ……」

「このまま、村に残っても滅ぶ」

 

 半数以上が老いているし。若いのは体力のあった男連中ばかり。この村に残って血を残す努力をしてもいずれ途絶えてしまう以上、この村に拘るのは愚の骨頂だ。

 

「爺ちゃんに言ったのか?」

「……言ったよ……『永く掟に縛られ過ぎた。もう終わるべきだろう。古臭い掟と共に』だとさ」

 

 それの意味する所はつまり。

 

「諦めてんのかよ」

 

 他の狼人を直ぐに村に連れてきて血を薄れさせれば良いが。其れをせずに滅びを待つ積りなのか。

 

「いや、他の血を受け入れるのももう無理だろう。まっとうに子が出来る事も無いみたいだしな」

 

 親父の言葉に眉を顰める。どういう事なのか?

 

「叔父……スイセンが村の外に行ってるのは知ってるだろ?」

 

 知っている。女の臭いを漂わせて疲れた表情をして帰ってくるのを良く見ていた。よくもまあそこまで性欲が溢れてるもんだなって軽蔑しつつも見ていたのだが。

 

「アレ、外で子作りしてんだよ。他にも何人もな……」

 

 村の外、他の狼人の雌と子作りして血を薄めようと努力しているらしい。数年前……それこそアタシが産まれるより前から商人達に相談して外で協力してくれる狼人の雌を何人も集めて血を薄れさせようと頑張っていたが、それも効果が現れない。それ所か子供が出来ない。子供が出来なきゃ血を薄める事も出来ない。

 薄めさせようにももう出来ない所まで来ているらしい。

 

「だから村については気にすんな……」

「そっか……」

 

 後は滅びるだけ。数百年分の負債が降り懸かっている。村が、黒毛の狼人が滅びるのは思う所はある。けれどもそれよりもアタシが気になったのは一つ。

 

「なぁ、もしかしてカエデって……」

 

 親父が外で別の狼人の雌との間に産まれた子か?

 

「ん……あぁ、俺は其れに協力はしちゃいないよ……俺が愛してんのはキキョウだけだしな……もちろん、お前も愛してるぞ」

 

 誤魔化す様なモノ言いに思わず親父を睨む。此処まで教えてくれたのなら、最後まで教えてくれたっていいじゃないか。そんな意味を込めて親父を睨めば。親父は真っ直ぐ此方を見据えてから呟いた。

 

「わかったよ……そうだな。オラリオに着いたら全部教えるよ」

 

 オラリオ? 確か親父がヘファイストス様と言う女神様と出会った場所だったか。

 

「本当か? 全部教えてくれるんだよな?」

 

 念押し気味に聞けば、親父は溜息と共に言葉を零した。

 

「あぁ、約束だ……そうだな、()()()()()に誓っても良い」

 

 女神のキスとは親父が【ヘファイストス・ファミリア】を抜ける際、最後にヘファイストス様に授かったものらしい。女神のキスを受け取ったとかどうとか。噓臭くはあったが、親父がその事に誓うと口にするときは何があろうが約束を守ってくれるのは知っていた。

 

「あぁ、んじゃ約束だな」

「おう、約束だ」

 

 約束。オラリオに着けば全てが分る。滅んじまう黒毛の狼人の一族、カエデ・ハバリの事。村から出た事が無いアタシの知らないオラリオの地。興奮や興味、未知への恐怖が入り混じった複雑な心の中。そんなアタシを見透かす様に親父が微笑んだ。

 

「大丈夫だ。ヘファイストス様に手紙も出すからな」

 

 親父が信頼を寄せる女神様なのだから。多分大丈夫……だろうか? 手紙に対する返信は一切無いらしいのに、どうして信頼できるんだろうか?

 

 

 

 

 

 

「ふぅむ……近々、雨が降りそうじゃな」

「雨……?」

 

 森の中。数多のゴブリンの骸が転がり血だまりがいくつも出来ているゴブリンが巣を作ろうとしていた場所にて、ヒヅチの言葉にカエデが反応して空を見上げた。

 

 どんよりとした雲が遠くに見え、眉を顰めたカエデにヒヅチが肩を竦めた。

 

「まぁ、何とかなろう……それよりも討伐証は集め終わったか?」

「うん、これで全部だと思う」

 

 袋一杯に詰め込まれたゴブリンの右耳を示したカエデの様子を見てヒヅチは満足げに頷いた。

 

「稼ぎは少なかろうが……ワンコに頼んで美味いもんでも食うかのう」

「マシュマロ食べたい!」

「あればな」

 

 血濡れた大地は雨に流されよう。ゴブリンの骸は地に還るだろう。幾度と無く繰り返したやり取りに笑みを浮かべつつ、ヒヅチは近々訪れる曇天模様を想像して溜息を零した。

 

「何事も無ければ良いがな」

「ヒヅチ?」

「何でもない。帰るぞ」

 

 不思議そうに首を傾げるカエデの頭を撫で。刀を納めて歩き出すヒヅチ。其れに続いてカエデも歩き出した。




 読者の人達から見てヒヅチって年齢幾つぐらいに感じるんですかね。

 一応、見た目は若い……見た目は、若いですが。まぁ、中身は相当アレですけどね。極まった人。


 ロングソードが長剣では無く馬上用の長い剣の事で、ショートソードが馬上用の長い剣との差別化で呼ばれている歩兵用の剣の事らしいですな。調べてみると思ったのと違うの多いですね。

 ロングソードとショートソード。普通に人が持つのはショートソードなんですね。馬上用の長い剣を普通に振り回すとか冒険者スゲー……。

 なお、とあるゲームの影響で『グラディウス』と言う剣を曲剣だと勘違いしてました。続・僕らの太陽の初期ソード……絵柄が完全に曲剣でしたし(小声)

 グレートソードも何もかも片手で振り回すゲームだったしね。多少はね。


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『歪まぬ誓い』

『おーそこのオマエ、傭兵さネ?』

『アタイかい? そうだよ依頼k……ってアンタッ【ソーマ・ファミリア】の団長のっグッ!?!?』 

『それ以上余計な口聞いたら潰すさネ』

『待て待てっ! その姉ちゃん殺す気かよっ!」

『チッコイツ、オラリオの冒険者だったさネ……まあ良いさネ。この子の護衛依頼さネ。この子の指示に従って動けさネ』

『ゲホッゲホッ……アタイはまだ受けるなんて……』

『前金で300万ヴァリス払うさネ。ほら此処に置いとくさネ』

『……は?』

『後金で500万ヴァリス。受けろさネ』

『…………受けなかったら?』

『鉈と爪、どっちがお好みさネ? アチキは鉈をお奨めするさネ。一撃で首をポーンッてしてやるさネ』


 夕食を終え一服した後に団長と副団長の指示で別室へと集まり『遠征合宿』についての説明をされ、渡された資料をペラペラと捲り眺めながら。フィンとリヴェリアが退室した瞬間、ラウル・ノールドは深々と溜息を零した。

 

「これ、キツいッス」

 

 そんなラウルの横で同じく資料を眺めていたジョゼットが呆れ顔を浮かべて呟いた。

 

「次期団長候補なのだからそれぐらい御してみれば良いでしょう」

「うへぇ」

 

 ラウルが次期団長として期待されている事を知っている者達がうんうんと頷き。ラウルが苦渋の表情を浮かべる。

 

 【ロキ・ファミリア】の資料室にて今回の『遠征合宿』の補助役(サポーター)兼採点者として参加する事が決定した二級(レベル3)冒険者の団員達がそれぞれ自分の班に振り分けられた面子(メンバー)の特徴や評価点の記載された資料を眺めながらどうやって準一級(レベル4)冒険者を誤魔化して突破するかを考えている。

 

 今回の『遠征合宿』の特別賞品に良い物があると笑みを浮かべたフィン達の様子に団員達の目にやる気がみなぎる中、あからさまにやる気を失った。と言うより入室時からやる気が無さそうなラウルにいつも通り真面目に資料に目を通すジョゼットは肩を竦めた。

 

「ラウル、貴方のパーティーは大分良い編成でしょう」

 

 零距離(クロスレンジ)近距離(ショートレンジ)中距離(ミドルレンジ)遠距離(ロングレンジ)。バランス良く振り分けられてはいてもやはり魔法が使える者は少なく。中には零距離(クロスレンジ)近距離(ショートレンジ)の団員しか振り分けられなかった組も存在するのだ。

 

 其れを考えると【強襲虎爪】アレックス・ガードルが零距離(クロスレンジ)、【激昂】グレース・クラウトスが零距離(クロスレンジ)近距離(ショートレンジ)生命の唄(ビースト・ロア)】カエデ・ハバリが近距離(ショートレンジ)、【兎蹴円舞】アリソン・グラスベルが近距離(ショートレンジ)中距離(ミドルレンジ)、【尖風矢】ヴェネディクトス・ヴィンディアが中距離(ミドルレンジ)遠距離(ロングレンジ)とかなりバランス良く振り分けられているラウルの組は相当に恵まれている。

 

「いや、だってグレースとアレックスの二人ッスよ? 相性最悪じゃないッスか……」

 

 団員の相性を考えれば話は別だ。

 グレースは基本は問題ない団員だが怒りっぽい性格の女性で、一度怒るとかなりの時間怒りが収まらないのだ。そしてアレックスは……。

 

「まあ確かにアレックスは……」

 

 視線を逸らして他の三級(レベル3)団員の方を向くジョゼット。他の団員は同情の視線をラウルに向けるばかり。同情の視線を受けたラウルはがっくりと頭を垂れて溜息を零した。

 

「はぁ……」

 

 典型的な増長した冒険者。

 

 器の昇格(ランクアップ)するのは非常に難しい。だからこそか器の昇格(ランクアップ)した団員は増長する事が多い。とは言え駆け出し(レベル1)三級(レベル2)に勝つのはほぼ不可能であると言われている上、全体数からも器の昇格(ランクアップ)する者が多くない以上増長するのも仕方なくはある。

 【ロキ・ファミリア】で器の昇格(ランクアップ)して増長した団員と言うのは基本的に【凶狼(ヴァナルガンド)】が容赦なく叩き潰して『お前は弱い』と教え込むのだが、時折ではあるが叩き潰されても治らない者も居る。

 そう言った団員は基本的に重役(ガレス)から始まり、副団長(リヴェリア)団長(フィン)と徐々に上の者から注意をされるようになる。

 

 最初はベートであり、ベートに叩き潰された時点で増長が止まれば良いが。ガレスに注意されても、リヴェリアに釘を刺されても、フィンに最終通告を言い渡されても増長が止まらない者も居る。

 それ所か反発してより増長する者も居なくはない。

 

 入団直後は真面目だったり周囲と足並みを揃えて行動できても、器の昇格(ランクアップ)と言うイベントを迎えて性格が変わる者も珍しくない。逆に臆病さが消えたりする事もあるので悪い事だけではないが……。

 

 ロキや団長達はその辺りをしっかり見極めて入団の可否を決めているとは言え、人の心を見通すのは神にも無理やとロキが言うだけはあり。やはり器の昇格(ランクアップ)を迎えて豹変してしまう者を眷属に迎え入れてしまう事は【ロキ・ファミリア】とて珍しくは無く、ファミリアを追放される団員は少なくない。

 

 アレックスが器の昇格(ランクアップ)にかかった期間は一年と三か月。平均二年であると言われているさ中、アイズがたたき出した一年と言う記録の次点、一年二ヵ月にかなり近かったこともあり。増長してしまった。ただ、増長して以降態度があからさまに悪くなったこともあり。既にフィンからの注意(最終勧告)が告げられている。次何か起こせばファミリア追放が決まっている団員なのだ。

 本来ならベートに叩き潰された(一度目の)時点で止まるはずが。ガレスの注意(二度目)も、リヴェリアの釘差し(三度目)も効果が無かった所か逆に反発心からか強固な態度をとっている団員だ。

 

「何よりベートさんも邪魔役に参加してるじゃないッスか。アレックス、半殺しじゃ済まないッスよ……」

「……上手く御してください」

 

 最終勧告を受けている今、アレックスがベートを怒らせたらほぼ確実にアレックスは完膚なきまでに潰される。二度と冒険者として活動出来ない程に痛め付けられてもおかしくは無い。少なくともベートには何度もアレックスについて見逃してやれと言う団長命令が出されており。ベートの怒りを買っているのは間違いない。今回の『遠征合宿』を機にアレックスを潰すと言う展開が予測できる。

 頭を抱えたラウルの肩を何人もの団員がぽんと慰める様に叩いては部屋を出て行く。最後に残されたラウルにジョゼットは肩を竦めて他の団員と同じ様にラウルの肩にぽんと手を置いて呟いた。

 

「諦めてください」

「せめて頑張ってとか言ってくれないッスかねっ!?」

 

 

 

 

 

 【ロキ・ファミリア】の鍛錬場、カエデは入口を何度か見ては首を傾げていた。いつもならアイズが来ていてもおかしくない時間なのに今日はアイズが来ていない。何故だろうかと首を傾げつつも誰も居ないなら良いかと鍛錬場として踏み固められた地面を盛大に駆け抜けつつも斬撃を虚空に放っていく。

 

 昨日、ラウルの班に組み分けられる事が決まった後に班での顔合わせは明日行うと宣言されたため、結局カエデは他のメンバーとは顔合わせが出来ていない。どんな人なんだろうと言う期待感と仲良く出来るかと言う不安感を感じつつも、いつも通り日の出前に目覚めて鍛錬所で鍛錬を行っていた。

 

 そんな中、中心で小刻みにステップを踏みながら想像の敵を切り刻むカエデはふと足を止めて入口の方を見た。カエデの視線の先で扉が開かれ、欠伸を噛み殺しながらバリバリと頭を掻きながら鍛錬場に入ってきたのはベートである。

 

「おはようございます。ベートさん」

「ふぁああ……あ? ああ」

 

 返事なのかなんなのか分らないベートの曖昧な返答っぽいものを受けてから、カエデは鍛錬所の隅へと移動する。そんな様子を見たベートは眉を顰めつつ鍛錬場を見回して口を開いた。

 

「アイズは居ねえのか?」

「アイズさんですか? 今日は見てないです」

「……へえ」

 

 カエデの返答に耳を揺らしてから。ベートはその場で剣を抜こうとして動きを止める。ベートの視線の先でカエデが深く息を吸っている光景があった。

 

 ベートが後から聞いた話であるが、カエデの使う技には神の恩恵(ファルナ)によって発現するスキルや魔法とは違う技法である『呼氣法』と言うモノを扱う事で他の冒険者には存在しない優位性(アンドバンテージ)を持っているらしい。

 出来うるならば。その技法を自身も知りたいと思いカエデの呼吸を眺めてみるがさっぱりわからずにベートは眉を顰めてから剣の柄に手をかけつつもカエデをじーっと見つめる。何かとっかかりでもあればと。

 

 じーっと見つめられているのに気が付いたカエデは一瞬体を震わせてから、恐る恐るベートの方へと視線を向けて口を開いた。

 

「えっと……何ですか?」

「なんでもね……いや」

 

 なんでもない。そんな風に誤魔化そうとしたベートはニヤリと笑みを浮かべてカエデの方を見た。

 

「一人で体動かすのもつまんねえだろ、相手してやるよ。かかって来いよ」

 

 挑発交じりに笑みを浮かべたベートの言葉にカエデが困惑した表情を浮かべてから、直ぐに表情を引き締めてベートを見据えた。

 

「鍛錬のお相手をして頂ける……と言う事ですか?」

「あぁ、体を温めるぐらいは出来るだろうしな」

 

 ベートの言葉は単純な挑発である。つまりお前の相手をするのは体を温める事前運動程度ぐらいにしかならないと言うもの。其れに対してカエデは一瞬眉を顰めて不快感を示すも直ぐに表情を引き締めて口を開いた。

 

「良いんですか?」

「はっ、好きにしろ。やりたくないなら別にかまやしねえよ」

 

 興味が逸れた、そんな風に呆れ顔を浮かべたベート。あまりにもあからさまな挑発にカエデは少し考えてから頭を下げた。

 

「いえ、やります」

 

 確かに見下される様な挑発に苛立ちを覚えなかったかと言えば。やはり戦いに身を置く者として不快感を覚えなくはない。しかし事実としてベートはカエデよりも強い。レベル差と言う形で如実に示されているソレに逆らうのは馬鹿らしいし。それにこれは鍛錬。最悪殺される事は無いだろうし、本気で挑んでも相手を殺すに至る事は無いだろう。ガレスとの鍛錬と似た様なものだろうと意識を切り替えてカエデは鍛錬用の模擬剣をとってこようと倉庫の方へ足を運ぼうとしてベートに呼び止められた。

 

「何処行くんだよ」

「模擬剣を」

「はっ、必要ねえよ。其の剣で良いだろ」

 

 ベートの指差す剣。それはカエデが手にしているバスタードソードである。昨日寝る前にしっかり手入れを行って切れ味が落ちていない事を確認した鋭い刃を誇る剣を鍛錬に使えと言う言葉にカエデは眉を顰めるが。ベートが鼻で笑った。

 

「はんっ、()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 非常に解りやすい挑発。その挑発にカエデは眉を顰めてから。バスタードソードの切っ先をベートに向けた。

 怒りと言う程でもないにしろ。ベートの刺々しい雰囲気に呑まれて切っ先を向けたカエデに、ベートは上手くいったとほくそ笑みつつも腰の剣から手を離して特に構えもとらずに自然体で立つ。

 

「怪我、しても知りません」

「やれるもんならやってみろ」

 

 挑発を重ねるベートに鋭い視線を向けているカエデ。その視線が交差して――合図も無くカエデが踏み出した。

 

 感心気味に笑みを深めたベートの視界の中、カエデが真っ直ぐ一直線に剣の切っ先をピタリとベートの首に向けたまま突っ込んでくる。ベートは特に何か反応するでもなくカエデの足捌きや呼吸に意識を向ける。

 

 カエデがベートを攻撃範囲にとらえた瞬間、閃光の如く突きが放たれる。ベートは特に表情を変化させるでも無く素手のままカエデの鋭い突きを横から叩いて逸らす。

 特に手甲も無い素手であるのに刃で手を傷付ける事も無く、それこそ羽虫を払うかのように逸らされたバスタードソードの切っ先がベートの直ぐ横の空間を突き抉り、瞬時に刃の向きが変わりベートの首を凪ぐ軌跡を描く一閃へと変化する。

 剣の切っ先でベートの首を掻く様に振るうカエデの視界の中、ベートは払った手をカエデの振るう剣に添えて――そのままカエデに接近する。

 

「っ!?」

「遅えよ」

 

 剣の内側に潜り込まれた。そう判断してカエデは離脱を図ろうと剣の軌道を逸らしてベートの牽制を行おうとするも既にベートは剣の腹に手を添えつつカエデに密着する様に動き、ほぼ零距離からベートはカエデの腹に蹴りを叩き込む。

 

 直撃――ではない。何かで防がれた。そんな感覚を覚えつつカエデが不自然に吹き飛んだのを見て。ベートの口角が上がり獰猛な笑みを浮かべた。

 

 カエデは腹に直撃しかけたベートの蹴りに対して身を捻って手甲を挟み込む事で被害を抑えつつ後ろへ流れる勢いを其の儘に真後ろに転がって吹き飛ぶ振りをしつつベートの出方を窺う。追撃が来るなら迎撃しようと意識を向けていたがベートは特に追撃をするでもなく獰猛な笑みを浮かべてカエデを見据えている。

 

 地面に手をついて一瞬で立ち上がりバスタードソードを下段の構えで構える。

 

 カエデの攻撃に対してベートは見てから反応するだけで余裕を持って対応されてしまう。ならばベートの攻撃に合わせて反撃をしようと言う魂胆で防御重視の構えに切り替えつつカエデは初撃の際とは打って変わってじりじりと慎重にベートにすり寄って行く。

 

「はんっ、こねえのか?」

 

 軽い挑発を交えるベートに対し、カエデは丹田の呼氣を意識して頭を冷やす。ベートに睨まれた最初の時からほんの少し乱れていた呼氣(ペース)が徐々に戻ってきてカエデの目の色が変化していく。

 

「へぇ……」

 

 真正面からカエデと視線を交わらせていたベートはカエデの目の色が変化していくのを見て思わず呟いた。

 挑発に反応して苛立ちの様な色が浮かんでいたカエデの目が最初と違い、今のカエデの目には冷静な色以外が見受けられない。それ所か澄み渡った真っ赤な目にベートは意識を一瞬奪われた。

 

 瞬時の踏み込み。じりじりと間合いを計っていたカエデが、ベートの意識が一瞬逸れたのを鋭敏に感じ取り大きく一歩踏み込みながらベートの足回りを狙う。

 

 ベートは後ろに下がるでもなくカエデの方へ接近して素手のままカエデの剣を持つ手首をガシリと掴んでから、地面から引っこ抜く様にカエデを放り投げる。

 

「っ?!」

 

 カエデは手首が掴まれた瞬間には既に体が宙に浮いているのに気が付いて慌てて身を捻って着地点を探そうとし、何とか足から地面に着地して立ち上がった瞬間に、目の前にベートの足裏が存在して動きを止めた。

 

「終わりだな」

「……はい」

 

 目と鼻の先にベートの履く金属靴(メタルブーツ)の靴底があったのに目を見開くカエデに対し宣言したベートの言葉にカエデは肩から力を抜いて吐息を零した。

 

「負けました」

 

 まるで遊ばれるように。と言うより完全に遊ばれていたと言う事実に悔しさを感じつつもカエデはベートを見上げる。視線の先ベートはニヤリと笑みを浮かべて口を開いた。

 

「まあ、準備運動ぐらいにはなったな」

 

 安っぽい挑発に眉を顰めたカエデに、ベートは鼻をならした。

 

「んで、まだやるのか?」

「……はい、もう一度――

 

 一度目は手も足もでなかったが。次こそは、そんな風に意気込んでベートに挑もうとするカエデは遠くから聞こえた音にびくりと体を震わせてから鍛錬所の入口に視線を向ける。

 

「あん?」

 

 そんなカエデの様子に眉を顰めつつもベートはカエデ同様に入口に視線を向ければ。そこには数人の狼人の姿があった。ベートも知っている【ロキ・ファミリア】に所属している三級(レベル2)駆け出し(レベル1)の狼人の団員達。人数は5人。全員雑魚の一括りに分類されている者達の登場にベートは苛立ちを覚えつつも睨みつける。

 狼人の集団、そいつらは此方を認めて近づいてくるのを見てベートはあからさまに舌打ちをかました。

 その舌打ちにカエデが身を震わせて顔を俯かせた。

 

「チッ、なんの用だよ」

 

 カエデを睨む狼人の集団から二人が前に出て来た。入団直後は見える奴だったが器の昇格(ランクアップ)に満足したのか自分が()()()だと勘違いした奴。一度叩き潰してやって少しはマシになったかと思ったがそんな事は無かったのかとより強く睨むベート。

 

「ベートさん……なんで禍憑き(そんなの)と一緒に居るんですか」

「そうですよ。禍憑きなんて関わるだけでも危ないじゃないですか」

 

 その二人の言葉を皮切りに次々に飛び出すのは禍憑きに対する文句。どうしてそんなのと態々関わるのか。ベートの部族『平原の獣民』も白き禍憑きに滅ぼされたんじゃないのかだの。ベートに言わせればくだらないの一言で斬り捨ててしまう様な事をのたまう奴等に苛立ちが加速してベートの雰囲気がより刺々しくなっていく。

 

 カエデは身を縮こまらせ耳を伏せて一歩また一歩と少しずつこの場を離れようとしている。

 

 その様子はよりベートを苛立たせた。

 

 唐突にやってきて禍憑きがどうとか、ファミリアに禍憑きが居たら碌な事にならないから追い出したいから協力して欲しいだのうだうだのたまう奴等。

 不幸な目に遭うのは、自分が弱いからだ。強けりゃ不運も糞も無い。自分が弱いから被る不幸を誰かの所為にして自分の所為じゃないと目を逸らすベートが大嫌いな()()()

 

 そんな自分勝手な主張に言い返すでもなく身を縮こまらせて逃げようとするカエデ・ハバリ。

 逃げるまでも無くこんな奴等叩きのめせばいいのにそれをしない。()()()の言葉に翻弄されているその様はあまりにもベートを苛立たせる。

 

「だから、ベートさんもロキに――「黙れ」――っ!」

 

 禍憑きがファミリアに居れば不利益を被る。実際カエデ・ハバリがダンジョンに潜った初日、他のファミリアの団員が入口で大怪我を負った。それ以外にもやれダンジョン内で武器が壊れただの。怪物の宴(モンスターパーティー)に巻き込まれただの。大怪我を負っただの。

 

「ベートさんは何でそんな――グボォッ!?」

 

 どれもこれも自分の不注意や弱さからくる不幸を並べ立てて禍憑きを責め立てる様な事を口にする姿にベートは無言でベートに言い寄ろうとした狼人の腹に蹴りを叩き込んでぶっ飛ばす。カエデに喰らわせたような加減した一撃では無く。死ぬか死なないかの瀬戸際の一撃。反応する間も無くぶっ飛んで鍛錬所入口横の壁に叩き付けられて悶絶するでもなく沈黙した狼人の姿に他の狼人達は体を震わせた。

 

「黙れっつってんのが聞こえなかったか? ああ?」

「「「っ!?」」」

 

 びくりと体を震わせて、狼人達はそそくさと尻尾を巻いて逃げ出していく。弱いくせに弱さを認められずに禍憑き(誰か)の所為にして強くなろうともしない雑魚共が気絶した奴を抱えて消え失せたのを見てから。ベートはカエデの方に視線を向けた。

 

 視線を向けられたのに気が付いたのか。カエデがびくりと体を震わせてからベートから距離をとる。

 

「おい、カエデ」

 

 その様子に苛立ちが募る。俯いたカエデの頭を鋭く睨みながらベートは獰猛な表情を浮かべて口を開いた。

 

「いちいち雑魚が喚いてる事なんて気にしてんじゃねえ」

 

 どれだけ吠えようが雑魚は雑魚だ。弱い奴程良く吠える。そして強いならばそんな負け犬の遠吠えなんかに耳を貸す必要は無い。

 

「てめえは一ヶ月で器の昇格(ランクアップ)できるぐらいに強いだろ。あんな雑魚なんて無視しろ」

 

 その言葉にカエデはほんの少し顔を上げ。ベートと視線を交差させてから身を震わせて視線を彷徨わせる。

 

「でも……」

「はんっ、てめえは自分が禍憑きで不幸を撒き散らすとでも言いたいのかよ」

 

 再度俯いたカエデの様子をベートは鼻で笑った。そんなの気にしてるのかと。

 

「くっだらねぇな」

 

 本当にくだらない。ベートは心底呆れたとでも言う様に肩を竦める。

 

「てめえが本当に不幸撒き散らす禍憑きだってんだったら……その不幸如きで死んじまったり、不幸を嘆く様な雑魚なんか相手してんじゃねえよ」

「……どういう意味ですか」

 

 不幸云々と騒ぐ奴らの共通点なんて一つだけだ。皆、只の雑魚だって話である。

 

 何故こんな不幸な目に遭わなきゃいけないんだ。仲間が死んでしまった。家族が殺された。部族が滅びた。そんな風に嘆く奴らを何度も見て来た。自らの弱さを棚上げにしながら怨嗟と後悔の泣き声を上げる暇があるなら、何故強くなろうとしないのか。そんなのが仲間に居たらまた――思考が一瞬別の所へ飛びかけてベートは奥歯を噛み締めて獰猛に笑みを浮かべて口を開いた。

 

「てめえが撒き散らしてる不幸なんて気にしねえぐらい強え奴とだけつるんでりゃ良いんだよ」

 

 カエデの所為で不幸になっただなんてベートは絶対に口にしない。不幸な目に遭うのは。不幸になってしまうのは『自分が弱いから』だ。それ以外に理由は無いのだとベートは嗤う。その言葉にカエデが少し顔を上げて呟いた。

 

「強い人……?」

 

 ベートの嗤う顔に視線を泳がせるカエデに、ベートは口を開いた。

 

「フィンもリヴェリアも、ガレスも、アイズも、俺だってそうだ。てめえが禍憑きだなんて気にしちゃいねえんだよ」

 

 そんな事気にしてねえでもっと強くなれ。嗤うベートにカエデが驚きの表情を浮かべて顔を上げた。真正面からベートとカエデの視線が交差する。

 困惑と驚愕の入り混じったカエデの目に映るベートの姿は強かった。揺らがない。禍憑きがなんだ? その程度の不幸なんか力づくでどうにかできると。

 

「はんっ、判ったら雑魚の言葉なんて気にしてんじゃねえよ」

 

 それだけ言うとベートは踵を返す。これ以上話す事は無いと言わんばかりの態度。カエデは声を震わせてベートの背中に声をかけた。

 

「ベートさんは……」

「あん?」

 

 カエデの言葉に足を止めて肩越しに振り返るベート。そんなベートにカエデは身を震わせてからゆっくりと脅える様に質問を投げかけた。

 

「ワタシが傍に居ても良いんですか?」

 

 全ての狼人達から禍憑きと蔑まれ傍に居る事すら拒絶されるのが当たり前の自身に対して変わらず接するベートはカエデの生きてきた人生の中でも特殊な人物だった。

 挨拶をしても返されないのが普通で、まるで腫物でも扱うかのように余所余所しくされるか、最悪の場合は蔑む言葉が返されるばかりの中。同じ狼人でもベートだけはまるで『無いモノ』の様に扱ってきた。他の狼人は全て蔑みの視線を向ける中。ベートだけはそんな視線すら寄こす事は無かった。

 それ所か、器の昇格(ランクアップ)以後は挨拶に返答すら返してくれた。

 

 だからだろうか。カエデがほんの少しの期待を抱いたのは。

 

 肩越しにカエデに振り返っていたベートは呆れ顔で口を開いた。

 

「てめえみてえな雑魚なんか近くに居たら邪魔なだけだ」

 

 冷たく突き放される様なモノ言いにカエデが震える。そんなカエデにベートは鼻を鳴らして嗤う。

 

「ま、強くなったら考えてやるよ」

 

 それだけ言うと、ベートはカエデから視線を外してひらひらと手を振って去っていく。そんな後姿を驚愕の表情で見送ったカエデは顔を伏せる。

 

 ――強くなったら――

 

 今のカエデでは到底勝てないベート・ローガが戦っている所はダンジョンの下層、それよりも更に下の深層と呼ばれるダンジョンの奥深く。今のカエデでは足を踏み入れる事も叶わない場所。

 そんな場所に行くベートの傍にカエデが居れば間違いなく足を引っ張るだろう。足手纏いは不要。その言葉を噛み締めてカエデは顔を上げた。

 

 今回の『遠征合宿』、失敗する訳にはいかない。成功すれば大規模遠征に参加できる。

 

 少しでも――ほんの少しでも良い。追いつきたい。そんな風に考えてから。カエデは頭を振ってその考えを散らす。

 

 今の自身にそんな事を考えている余裕はない。次の器の昇格(ランクアップ)に向けて経験値(エクセリア)を集め、偉業の証を手に入れる事だけを考えなくては。

 

 抜き身のままだったバスタードソードで虚空を払い。たった今抱いた想いを斬り捨てる。

 

 誓いはただ一つ『ワタシは絶対に死なない(諦めない)、全身全霊を賭けて生きる(足掻く)』信念とせよ。




 ホオヅキ=サンは平常運転となっております。外付け良心回路ヒイラギちゃんのおかげでほんの少しマシに……? なおこの後別行動する模様。救いは無かった。



 ベートさんとカエデちゃん接近イベント……ダメだったよ(小声)
 よそ見する暇は無いと自分で斬り捨てちゃうから。勿体ない。



 ……初っ端からダンジョンで事前練習としてラウル班で潜ってメンバー紹介がてら戦闘描写から入ろうかなってしたら無理だったでござる。多人数戦を上手く文章で描写するの難しいッスねぇ……。


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『メンバー』

『大丈夫か姉ちゃん……』

『アタイは平気だよ……まさかホオヅキがねえ……アンタホオヅキとどういった関係なんだい? って答えなくて良いよ。詮索すんなって言ってたしな』

『……なあ、ホオヅキの姉ちゃんって有名なのか?』

『有名も何も、オラリオで知らない奴なんて居ないだろ。あんな頭おかしいの』

『頭おかしい?』

『敵と見りゃ容赦なく惨殺しやがるし。何考えてんのかねえ』

『……? 敵を殺すのは普通じゃねえのか? だって敵だろ?』

『…………(あ、こいつホオヅキの知り合いで間違いないな)』


 【ロキ・ファミリア】の食堂、多数の団員が今日の予定を話し合いながら朝食をとっている。

 そんな食堂の一角にて、どんよりとした雰囲気を纏ったカエデが朝食のパンを頬張りつつ考え事をしている。その様子を見て首を傾げつつもジョゼットがカエデに近づいて声をかけた。

 

「おはようございますカエデさん……何かありましたか?」

 

 普段通りであれば朝食時は美味しそうに朝食を食べているのだが、今日はあまり元気が無さそうな所に疑問を覚えたジョゼットの言葉に、カエデが顔を上げて漸くジョゼットに気が付いたのか口を開いた。

 

「おはようございます……えっと……」

 

 小声と言うよりはどんよりとした雰囲気のまま、早朝にベートと鍛錬を行っていた所、他の【ロキ・ファミリア】団員の狼人に当てつけの如く目の前でカエデが禍憑きである事を指摘してベートに追い出すのを手伝ってくれ等と言っていた事を説明したカエデは、より深くショックを受けた様子で俯きがちにパンを頬張る。

 その様子を見たジョゼットは深々と溜息を零した。

 

「なるほど、そう言う事でしたか……」

 

 記憶を思い起こしてみるとカエデと関わっている【ロキ・ファミリア】の団員はベートを除けば狼人以外の種族の者達だけであるのを理解し、ジョゼットは眉を顰めた。

 

「その団員が誰だったか覚えてますか? 一応、リヴェリア様に報告しておきますので」

「報告……するんですか?」

 

 ジョゼットの言葉にカエデが眉を顰めたのを見てジョゼットが首を傾げる。

 

「はい。ファミリア内部の雰囲気に関わりますので、余りにも目に余る場合は団長から指示があるでしょう」

 

 ファミリア内部の雰囲気を意図して悪くしかねない様な団員には注意が入る。ベートの様に一定の基準を元に罵倒したりしている人を除けば注意で済まない場合は最悪追放と言う話になるのだが。

 悩ましげに朝食の乗ったプレートに視線を落とすカエデを見てジョゼットは吐息を零した。

 自身が嫌悪される理由に対して理解があり、相手が貶してくる事よりも自身が此処に居ても良いのかと言う疑問を覚えているのだろう。その辺りはロキが最終的に決めている事なのでジョゼットが言える事は何もないのだが。

 

 無理に聞き出すまでもないだろうと判断してジョゼットは朝食を食べ始める。記憶が定かならば先程ベートがリヴェリアに捕まっていたのを覚えている。他の団員、狼人に攻撃をして大怪我をさせた件についてと言っていたので早朝にあった件についてだろう。

 

 食堂の一角で食事を開始したジョゼットの横でカエデが唐突に顔を上げた。其れを見てジョゼットが首を傾げる。

 

「どうしました?」

「え? あぁ、その……なんか騒ぎ声が……」

 

 小刻みに動いているカエデの耳を見てからジョゼットも耳を澄ましてみると、どうにも廊下で騒いでいる団員が居るらしい。

 

「あの声はラウルとアレックス……?」

 

 聞き覚えのある声にジョゼットが眉を顰めて吐息を零した。カエデとジョゼット以外にも複数の団員が騒ぎに気付いたのだろう。食堂が若干静まり廊下のやり取りが良く聞こえる様になってきた。

 

『あぁ? なんでテメェの指示に従わなきゃいけねえんだよ』

『アレックス、一応俺の方が先輩だから指示には従ってもらうッス。文句があるなら鍛錬所に行くッスか?』

『うっせえんだよ、何の取り柄もねえ癖にでかい顔してんじゃねえ』

 

 片や苛立ちを隠しもせずに噛みつきにいくアレックスの声、片や落ち着いて宥めると言うより実力行使で指示に従えと言うラウル。聞こえてくるやり取りは友好的とはとても言えない険悪な雰囲気を漂わせている。

 

「……アレックスさんってあの?」

「そうですね。カエデさんと同じパーティに編成されている団員……なのですがね」

 

 獣人には様々な種類が存在し、性格も能力も千差万別。性格が安定しておりどんな種族とも良好な関係を築ける犬人(シアンスロープ)、気楽だったりマイペースだったりと若干の癖はあるが良好な関係を築きやすい猫人(キャットピープル)、怒れば性格が豹変する事もあるが人付き合いのしやすい牛人(カウズ)、計算高く腹黒いきらいのある狸人(ラクーン)等、若干癖があるものも多いが割と付き合い易い種族も居れば、当然の如く付き合い難い種族も存在する。

 強い自尊心を持ち部族と言う群れを作り、弱者や異端に厳しい狼人(ウェアウルフ)も付き合い難い種族の筆頭に数えられている。ベートの様に群れを作らず一匹狼を貫く者も居るが稀であるし、カエデの様に群れから爪弾きにされて性格形成が普通の狼人(ウェアウルフ)とは違う者も居るのでそれが全てではない。

 その中でも虎人(ワータイガー)狼人(ウェアウルフ)に並んで付き合い難い種族と言えるだろう。基本は狼人(ウェアウルフ)と変わらず弱者に若干の厳しさを持つが狼人(ウェアウルフ)と決定的に違う部分が存在する。

 

 狼人(ウェアウルフ)と言う種族は最も強い者に敬意を払い、指示に従うと言う性質を持つ。群れを形成する種族としては当たり前なのだが、強さはイコールで魅力に繋がっている。たとえばベート等は口が悪い部分が目立っているが狼人(ウェアウルフ)と言う種族からの評判は悪く無い所かかなり良好だ。実力で認められていると言っていい。カエデに対して当たりが悪いのは異端とも言える白毛だからだろう。

 

 虎人(ワータイガー)の方は強者は乗り越えるものであると言う性質を持つ。自身こそが最強であろうとするのだ……それは悪い事では無い。向上心が強いとも言えるのでより力を着け易いと言う性質なのだが、問題は増長すると治りにくいと言う部分だろう。アレックスはその悪い部分が出てしまっている団員の筆頭である。

 

 アレックスの器の昇格(ランクアップ)期間は一年と三か月。他の団員で目立って早い器の昇格(ランクアップ)者と言うのはアイズを除けばほぼ一年半から二年ぐらいが殆どである。要するにアイズ程ではないが突出した才能を持っていたと言える。それは良い事だが問題はアレックスが増長する原因になっていることだろう。

 

 自身よりも器の昇格(ランクアップ)に時間のかかった奴は雑魚だ等と大声で主張したのだ。まあその後すぐにベートに叩き潰されていた訳だが。

 

「……その、どんな人なんですか?」

「そうですね……次何かやらかしたら追放される事が決定している団員……なのですがね」

 

 既にラウルに噛みつき廊下で騒いでいる辺りからいつ追放されてもおかしくは無いのだが、アレックスは『俺が追放? 冗談だろ』と笑う始末。追放されて背中を指差し嘲笑されてからじゃ遅いとジョゼットが吐息を零すさ中、カエデは思いっきり眉を顰めた。

 

「『遠征合宿』……上手くいきますかね」

「申し訳ないですが何も言えませんね」

 

 本音を言えば無理だろうと言う言葉を飲み込んだジョゼットの方を見たカエデは困った様に眉尻を下げた。

 

 

 

 

 

 【ロキ・ファミリア】の本拠、食堂前の廊下でラウルの拳がアレックスの腹に突き刺さりアレックスの体が一瞬だけ浮き上がりそのまま膝を突いてアレックスが蹲ったのを確認してラウルは溜息を零した。

 膝を突き脂汗を掻く青年、金髪に虎人(ワータイガー)特有の耳と尻尾にラウルよりも身長が高い人物が膝を屈する姿に、周りの団員は『またか』とか『今度はラウルか』と常々誰かしらに噛みついているアレックスの様子に呆れたような視線を向けている。

 

「はぁ……懲りたッスか? 今回の『遠征合宿』、失敗したら追放されるって理解できてるんスよね?」

「ぐっ……」

 

 問答を続けるうちに熱くなったのか殴りかかろうとしてきたので返り討ちにすれば、アレックスは憎悪の瞳でラウルを睨む。その目を見ながらラウルは内心呟く。

 なんでそんなに怒るッスかね。自分より強い団員が居るなんて当たり前じゃないッスか。それに追放云々は自業自得だろうに。

 『なんで俺が追放されなきゃいけないんだ』と騒ぐ事もあるが理由を理解できていないのか、それとも理解してやっているのか。どちらにせよ今朝早くにフィンに呼び出されたラウルは告げられたのだ。

 

『ラウル、君の班が今回の遠征合宿に失敗した場合。アレックスをファミリアから追放するから頑張ってね』

 

 『おはよう』と挨拶をしたその延長の様にごく普通に宣言されて流石のラウルも焦った。と言うかアレックスの追放か維持かの重要な案件の責任を背負わされたと思い、なんとかアレックスを説得しようと朝から挨拶を交わそうとすると初っ端から『うっせえ』と切り捨てられる始末。

 自身よりも駆け出し(レベル1)から三級(レベル2)へと器の昇格(ランクアップ)するのに時間をかけた者は雑魚だと罵る対象であるアレックスからすればラウルは雑魚なのだろう。

 

 ベートよりも性質が悪い。なにより相応に実力もあるので同じレベル帯の団員やレベルが下の団員からすれば迷惑極まりないのだ。フィンやロキもアレックスの所為で新人団員の駆け出し(レベル1)に妙なプレッシャーが掛かってしまい、器の昇格(ランクアップ)を焦らせた揚句に死亡させかねない状態となっていると頭を痛めているというのに。ラウルからしてもレベルが上の団員にまで食って掛かる態度は目に余ると言うのに。

 

「糞がっ、テメェなんて器の昇格(ランクアップ)すりゃ直ぐにでもぶっ飛ばしてやる」

 

 膝を突きながらもラウルを睨むアレックスは威勢がいい。良いのだが……それ以上口を開くと命が危うい。

 

「良いッスか、今回の合宿中は指示に従って貰うッス……従う気が無いのなら」

「うっせえ、テメェみてえな雑魚の指示に従えるか」

「はぁ……あっ」

「ゴブァッ!?」

 

 ラウルが殺気を感じて振り向こうとした瞬間、ラウルの横を何かが駆け抜けて風がラウルを撫でる。慌ててアレックスの方を向きなおせば苛立ちを隠しもしないベートがアレックスの居た位置に立っており。肝心のアレックスは廊下を凄まじい勢いでぶっ飛んで行って――廊下の曲がり角から現れたペコラにぶつかって止まった。

 

「グブッ!?」

「きゃっ……うん? アレックスじゃないですか。廊下を()()()()()()危ないですよ? 全く躾がなってないでs……うっ」

 

 凄まじい勢いでぶつかったと言うのにまるで何事も無い様にアレックスの横を通りぬけて食堂に向かって来ようとしたペコラがかなりの距離があると言うのにベートの事を見た瞬間にパタリと倒れてしまった。ラウルからは背中しか見えないのだが一体今のベートはどんな表情をしているのか……。

 

「はあ、何で今日はこんなに苛立たなきゃいけねえんだよ」

 

 悪態を吐いたベートは早足でアレックスの方に近づこうとしたのを見てラウルは慌てて回り込んでベートを止める。これ以上アレックスを攻撃されたら命が危うい。いや、今の一撃で死んでいてもおかしくは無いのだが血反吐を吐いている辺りまだ死んでないのだ。ここで殺人なんてされたくはない。

 そんなラウルを見たベートは面倒臭そうに眉を顰めて口を開いた。

 

「どけ」

「いや、アレックスはもう――

「どけっつってんのが聞こえねえのか」

 ――あっはいッス」

 

 威圧感と共に放たれた殺気にラウルはすごすごと下がる。アレックス自業自得だから成仏するッスよと内心アレックスに呟くが、肝心のベートは廊下に潰れたペコラを担ぐと面倒臭そうに歩いて行ってしまった。

 どうやら血反吐を吐いて今にも死にそうなアレックスより時間を置けば勝手に復活するペコラの方を医務室に運ぼうとしているらしい。其れを見たラウルは安堵の溜息を零しつつ、高位回復薬(ハイポーション)を取り出してアレックスに呑ませようとすると――アレックスが口を開いた。

 

「ゴブッ……てめえ、いきなり何を――

「うっせえ雑魚黙ってろ。それ以上口を開くんだったら潰すぞ」

 

 正真正銘、本気の準一級(レベル4)冒険者の殺気にアレックスが口を閉ざす。黙ったのを確認するとベートはアレックスの事を鼻で嗤って背中を向ける。

 ラウルは溜息を零した。このまま大人しく気絶でもしてれば何事も無く済むと言うのにわざわざ噛みつくなんて命知らず過ぎる。

 

「うっせえ、てめえなんて直ぐに追いついてぶっ飛ばして――

 

 どうしてそう死に急ぐのか。背を向けて去って行こうとしていたベートがゆっくりと振り向いた。その表情は怒りに染まっている訳ではない。何らかの感情を抱いていると言う様子は何もない無表情。無言のままベートはペコラを廊下に寝かせる。

 

「…………」

「はっ、俺に追いつかれんのが怖えんだろ。直ぐにでもてめえをぶっ飛ばしてやるからな」

 

 何を勘違いしているのか。無表情で黙ったベートに油を注ぎまくる……これはもう火薬樽を投げ込みまくっていると言っていいアレックスの態度にラウルは溜息を零した。

 アレックスは此処で死ぬ。ラウルは神では無い、だがラウルは理解した。これはもうダメだと理解した。例えロキが止めようがフィンが止めようが、ベートはこの場でアレックスを潰すだろう。と言うかベートでなくともここまで調子に乗った冒険者アレックスは死に、残るのはただのアレックスだろう。手か足か……多分片腕を潰されてお終いだろう。そんな風に若干の諦めを胸に抱いたラウルは高位回復薬(ハイポーション)を仕舞って大人しく距離をとった。

 奇跡が起きない限りアレックスは死ぬ。ラウルは今日の朝食はなんだったかなと思考を明後日の方向に飛ばす。助けると言う選択肢は存在しない。申し訳ないがラウルもアレックスの態度は腹に据えかねているのだ。

 

 血反吐を吐いているので内臓関係にダメージが酷いはずなのににやりと笑って立ち上がったアレックスの様子に誰も助けようと手を差し伸べる者は居ない。

 

 もしベートが同じ様子であったのなら団員達は手を差し伸べる事はしないだろう。少なくともベートが其れを望まない事を知っているから。だがアレックスの場合はそもそも手を差し伸べようとも思わないし思えない。仲間ですら自尊心を満たす為の侮蔑の対象としてとらえていればそうなるのも必然だ。

 

 無表情のままベートが一歩踏み出し、二歩目の足音が聞こえた瞬間には姿が搔き消える。あまりにも早い加速にラウルですらもベートの姿を見失ったのだ。アレックスは対応する間も無いはずだ。

 

 ベートの金属靴(メタルブーツ)が何かを穿つ音が――響かなかった。

 

「てめえ、どういう積りだ」

 

 苛立ち混じりのベートの言葉に、震える足で口から血を垂らしながらふらつくアレックスを庇う様にバスタードソードで防御姿勢をとっている白毛の狼人、カエデは呟く様に答えた。

 

「えっと……怪我、してたので」

 

 ラウルは一瞬目を見開いてから目を擦る。何時の間にと言うのがラウルの感想だが。ふらつくアレックスとベートの間に割り込んでベートの攻撃を防ごうとしたカエデの姿にベートが舌打ちをかました。

 

「興醒めだ」

 

 最後にアレックスを一睨みしたベートはカエデに背を向けて歩き出してペコラを担いで医務室の方へ向かっていった。それを確認したカエデが吐息を零してバスタードソードを鞘に納めようとして、慌てて前に飛び退く。

 

「てめえ邪魔してんじゃねえよ」

 

 苛立ち交じりと言うより憎悪の視線をカエデに向けているのは、死にそうなぐらいボロボロなのに全く懲りる気配も無くカエデに殴りかかろうとして、失敗して廊下にべしゃりと倒れたアレックスである。

 

「えっと……」

 

 助けた積りだったのに助けた対象に憎悪の視線を向けられて困惑して周囲を見回すカエデの姿に、ラウルが肩を竦めた。

 

「カエデちゃん気にしなくて良いッスよ」

「でも……怪我、治療しないと……」

「うっせえ」

 

 アレックスが回復薬(ポーション)を取り出して飲んだのを確認してラウルは溜息を零した。

 

「此処、掃除しといてくださいッス」

「あ? なんで俺がそんな事を」

 

 アレックスが血反吐を吐いたのだ。廊下には血が飛び散っている。よもや他の団員に尻拭いさせる積りなのかとラウルがアレックスを睨むと知った事かとカエデを一睨みしてから去って行く。

 呆気にとられたカエデと溜息を零すラウルが取り残され、深々とした溜息を吐き切ったラウルが口を開いた。

 

「カエデちゃん、何で助けたッスか?」

 

 あのままだったらベートの一撃がアレックスを潰してお終いだったはずだ。疑問を覚えたラウルの言葉に逆にカエデが驚いた表情を浮かべた。

 

「え? だって怪我してましたし……」

 

 あぁ成程。カエデちゃん的には怪我人イコール助けなきゃになるのか。その反応にラウルが感心した様に吐息を零しているとジョゼットがモップとバケツを持って歩いてきているのが見えて吐息を零した。

 

 この廊下の血やらなにやらは結局ラウルが片付ける事になるのか。

 

 

 

 

 

 廊下で起きた騒動の後、汚れた廊下の汚れを掃除した後にジョゼットと別れてラウルはメンバーを集めて鍛錬所の一角に集まっていた。

 

 茶毛で長い耳に可愛らしい小さな尻尾、軽装の革鎧に身を包み身長よりも長い長柄武器(ポールウェポン)の一種であるグレイブを持った兎人(ラパン)の女性【兎蹴円舞】アリソン・グラスベル。

 

 淡い萌木色の髪を肩口で切り揃え、薄い黄色のローブを身に纏って手には飾り気が一切感じられない質実剛健な木製のスタッフを握ったエルフの少年【尖風矢】ヴェネディクトス・ヴィンディア。

 

 灰色の髪を腰の辺りまで伸ばし、ハーフプレートメイルに身を包みながらも特徴的な形状を持つケペシュと呼ばれる剣を小型化した短剣を腰に吊り下げたヒューマンの女性【激昂】グレース・クラウトス。

 

 白毛に三角の耳にふわっとした尻尾、修繕の加えられた緋色の水干に手足には重厚な手甲に金属靴、背に背負う形で片手でも両手でも扱えるバスタードソードを持った狼人の少女【生命の唄(ビースト・ロア)】カエデ・ハバリ。

 

 ラウルの前に立つ4人の団員達……残念な事にアレックスはすっぽかしたらしい。溜息を零しながらもラウルは笑みを浮かべて口を開いた。

 

「俺は【超凡夫(ハイ・ノービス)】ラウル・ノールドッス。このパーティの補助役(サポーター)として遠征合宿時に同行するッス。後一応採点役としても活動するッス」

 

 採点役として厳密な評価を下す立場から言わせて貰えば、今回の集合に出席できなかったアレックスは論外。それ以外のメンバーは一応合格だろう。この後すぐにでもダンジョンに潜れますと言う準備を重ねてきた四人にはそれぞれ評価を上げておく。逆にアレックスは最低値に設定しておこう。

 

「それじゃそれぞれ自己紹介を頼むッスよ」

 

 笑みを浮かべて出来る限り緊張をさせない様に指示を出す。一応此処に居るメンバーはカエデを除けば顔見知り程度の関係は築いている筈である。なので問題は無い筈だと思っているラウルに対してアリソンが手をあげた。

 

「ラウルさん」

「何ッスか?」

「アレックスさんが見当たりませんが」

 

 質問に対してラウルは笑みを深めて口を開いた。

 

「アレは気にしなくて良いッス」

「え?」

「ベートさんに喧嘩吹っ掛けて医務室送りだったッスから」

 

 その言葉にヴェネディクトスが『またか』と呟き、グレースが舌打ちをする。その様子を見ていたカエデが何とも言えない表情で周囲を見回しているのを見てラウルは再度口を開いた。

 

「ほら、早く自己紹介をするッス。これから一緒に行動する仲間ッスから自己紹介は大事ッスよ」

 

 その言葉に渋々と言った様子でヴェネディクトスが前に出た。

 

「一応、このパーティで現状唯一の男と言う事で最初に挨拶させて貰う。僕の名前はヴェネディクトス・ヴィンディア。呼びにくければヴェトスとでも呼んでくれ。戦い方は基本的に魔法を使った遠距離戦だ。近接戦は申し訳ないが余り経験が無い。出来なくはないがせいぜいが時間稼ぎ程度だな。魔法は短文詠唱の直射型が一つ。中文詠唱の小範囲攻撃が一つ。残念な事に回復魔法は覚えていないから回復役(ヒーラー)としては活躍できない。よろしく頼む」

 

 丁重に頭を下げたヴェネディクトスの姿にラウルが手を叩き拍手を送る。評価は最高値だろう。自身の戦闘スタイルを伝え、苦手とする部分もしっかりと伝えておく事で仲間がカバーしやすい様に意識している。前回も参加しているだけはあり今回もやる気に満ちている様子だ。

 ラウルに合わせる様に他の三人も拍手を送り、次にアリソンが前に出た。

 

「では、二番手を頂きますね。アリソン・グラスベルと申します。気軽にアリソンと呼んでください。基本的にグレイブを使った中距離戦を行うのですが脚を使った格闘戦闘も出来ます……と言うか蹴りの方が強いです。魔法は何も覚えていません。耳は良いので索敵は任せてください」

 

 拍手を送りつつもラウルの視線はアリソンの細足に向けられている。あんなに細いのに兎人(ラパン)の蹴りはヤバイと言われるだけはあり威力だけで言えばアリソンの蹴りはラウルに致命傷を負わせる一撃を繰り出せる。まあ当たるかどうかは別としてだが。

 

「じゃ次私ね。グレースよ。よろしく」

 

 特に自己紹介らしい事をするでもなくそれだけ言いきって元の位置に戻る。ラウルは眉を顰めてグレースの評価を下げる。戦い方や苦手とする部分をしっかりと仲間に話しておかないといざと言う時に援護を受けにくいのだが。

 

「えっと……じゃあワタシが……カエデ・ハバリと言います。武装は大剣が主ですが副武装として短剣も持ってます。基本的に一撃確殺で戦ってて……えっと、群れで行動した事は無いのでパーティでの戦い方はさっぱりわかりません。魔法は使えませんが旋律スキルでの自己強化は出来ます」

 

 カエデの自己紹介を聞いた上でラウルはグレースを差す。

 

「グレース、やり直しッス」

「はあい」

 

 適当なグレースの返事にラウルは溜息を必死に飲み込んで笑みを浮かべる。

 

「伝えるべきは自分の呼び名、基本的にパーティ中は名前を呼び合って行動するッスからヴェネディクトスみたいに呼びにくい名前の場合はこう呼べって指示するのは良い感じッスね。後は自分の苦手な部分もちゃんと伝えておけば補助が受けやすいッスからそこら辺意識するッス。自分の魔法やスキルについては過剰に教える必要は無いッスけどね」

 

 説明を聞いたのか聞いていないのかグレースは再度前に出て口を開いた。

 

「グレース・クラウトスよ。グレースって呼んで。えっと……武器はこれ、手足引っ掛けてブッ刺すだけ。魔法は覚えてない。スキルは負傷毎に基礎アビリティ『力』が増強される代わりに怒りっぽくなるものがあるわ。キレると一定時間『力』が倍増するけどそういう時って大体話しかけられると怒っちゃうから大人しくなるまで放っておいて」

 

 腰のケペシュを抜いて示したのちに鞘に戻してからやる気があまり感じられない雰囲気のまま説明を負えるとそのまま元の位置に戻った。

 

「後はアレックスッスけど……アレックスはまた明日にでも。とりあえず今日はそれぞれ顔合わせと……そうッスね。今からダンジョンに軽く潜って互いの実力を確かめ合うのでも良いし……あ、その前にリーダー決めないとッスね」

 

 このパーティを仕切るのはラウルではだめである。あくまでもラウルは補助役(サポーター)でありリーダーでは無い。

 

「リーダーですか。じゃあヴェトスさんお願いして良いですかね?」

 

 アリソンの言葉にグレースが反応した。

 

「理由は?」

「え? あぁ、えっとですね。ヴェトスさんは前回も『遠征合宿』に参加してますので経験者ですし。魔法を主武装として扱うのであれば後衛となって全体を見回してもらうことも出来ます。私やグレースさん。カエデさんは全員近接戦を行うので全体を見回す余裕はあまりなさそうですし」

 

 密かにグレースの評価を上方修正しながらラウルはうんうんと頷く。ここでグレースが質問しなければパーティとして正しく『何故こういう配置なのか』を理解せずに戦う事になるし不満が出やすくなる。カエデはあまり気にし無さそうとは言え何かしらの意見に対して理由を問いかけるのは割と重要な事なのだ。

 

「うん、なるほどわかったよ。カエデ、君も異論はないか?」

「はい、指揮の経験は無いのでお任せします」

 

 基本は誰かの指示に従って動いていたカエデが指揮能力を有していないのはラウルにもわかる。常に単独戦闘ばかりだったのだろう。もしくは実力差が激しい人と組んで戦っていたかだ。指示に従うのは早いが指示する側に回ると戸惑いそうである。

 

 ヴェネディクトスがリーダーを務めるのに異論はない。問題は後で知ったアレックスが騒ぐことだろうか。




 良心回路ヒイラギちゃんも思考は割と……敵は死すべし。慈悲は無い。
 むしろ慈悲なんて与えて反撃されるぐらいなら徹底的に仕留めておいた方が良いよね? って感じ。

 ヴェネディクトス妬ましいな。自分以外女の子のパーティとか……ラウルも居たか。

 どうして男が魔法使い後衛で、前衛三人が女なのか。プロットを見る限り適当に決めたっぽいけどどうなんだろ……まぁいいか。


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『宣言』

『姉ちゃんって冒険者だろ? 何処のファミリアなんだ?』

『……何処でも良いだろ。まっ、もう潰れちまったファミリアなんてどうでもいいさ』

『潰れた?』

『【ロキ・ファミリア】に潰されたのさ』

『そこって……確か胸がぺちゃんこな神様が主神やってる所だろ?』

『アンタ、それ神ロキの前で絶対に口にすんじゃないよ』

『……? なんか不味いのか?』

『死にたく無かったら、神ロキの前で胸に関する話題は避けな』


 ダンジョンの十三階層、周囲を囲む壁も床も天井も岩盤で構成されており、どこか湿った空気が漂っている通路を歩きながらアリソンが小首を傾げた。

 

「カエデさんは群れでの狩りは未経験なのですか?」

「はい、師と狩りの経験はありますが三人以上での行動は初めてです」

 

 狼人(ウェアウルフ)と言えば生粋の戦士として育て上げられる事が多く、カエデの特異なまでの戦闘能力に疑問を覚えていなかったアリソンの想像ではカエデは群れの中でしっかり育てられた戦士なのだと思っていたのだがカエデの否定の言葉に驚きを隠さずに露わにしていた。

 その様子を見ていたエルフのヴェネディクトスが肩を竦めて呟いた。

 

「気を抜くのは悪い事とは言わないけど、あまり緊張感を無くすのはやめてくれよ」

「あ、ごめんなさいヴェトスさん」

 

 先頭を歩いていたグレースが肩越しに振り返り呆れ顔を浮かべて後ろの三人を見やってこれ見よがしに溜息を零した。

 

「一応、最初の死線(ファーストライン)のフロアなんだけど」

「うっ……」

「ごめんなさい」

 

 呻いて口を閉ざすアリソンに素直に謝罪の言葉を口にしたカエデにグレースが眉を顰める。別に怒っていると言う程じゃないし謝られても反応に困るとそっぽを向いて正面を見据えた。

 

 ダンジョン侵入直後から何度も戦闘は行っているモノの、やはり初めて組んだメンバーが半数であり動きはぎこちなさが勝り、更に言うなればカエデの動きが一番悪くなっている。そんな感想を抱きつつ大きなバックパックを背負ったラウルは腰の剣の柄を何度か握り直してメンバーの様子を確認する。

 

 まずアリソン、特に気負う訳でも無く割と気楽そうな表情で狭い通路でも平気そうにグレイブを振り回して遠心力でモンスターを叩き斬りつつも牽制を行ったり敵を挑発する様にぴょんぴょん跳んだりして注意を集めて前衛(タンク)の真似をしている。あくまでも牽制と注意を逸らすだけでモンスターの突進を受け止めたり等はしていないし出来るタイプではないが臆病な性格の多い兎人(ラパン)と言う種族でありながら他の兎人(ラパン)に比べて臆病さが鳴りを潜めているだけはある。とは言えやはり安全志向よりの行動が目立つ。悪い事ではないが決定打に欠ける印象を受けてしまうのは仕方が無いだろう。

 

 そしてアリソンの決定打に欠ける部分を補っているのがグレースだ。怒りっぽいと言う言葉に嘘は無く攻撃を回避しようともしないで体で体当たりしていきその負傷で怒りを貯めて更に攻撃性を増すと言うアマゾネスを彷彿とさせる戦い方をしているグレースの攻撃能力はその暴れっぷりからも察しが付くほどにかなり強い。しかし暴走気味になってパーティを置いて先走りかける事が多いが、そこをアリソンが制御している。不必要にグレースがダメージを負わない様にアリソンが敵の動きを上手くコントロールする事で暴走寸前を維持して高い攻撃力を発揮しつつもギリギリで理性を失わないライン上をグレースに走らせている。ある意味で相性の良い二人組だ。

 

 そしてカエデとヴェネディクトス、この二人は二人でなかなか相性が良い。いや、カエデは多分だが誰と組ませても上手く動けるのだろう。前衛(タンク)として最前線で敵の動きを牽制しているアリソンでは気付けない敵の行動をヴェネディクトスが読み取ってカエデに指示を出しつつ短文詠唱の魔法で援護を繰り返している。ヴェネディクトスの指示に完璧にしたがってみせるカエデは流石である。斬りかかるタイミングにせよ突っ込むタイミングにせよ指示があるとはいえ敵の懐に飛び込めだとか言われて即応できる即応力は凄まじいものがある。

 

 指揮方面の才覚は微塵も無いカエデだが、能力は非常に高く指揮される側であれば万全の活躍を保障できるぐらいだ。

 

 そしてこの面子で最も良かった点は索敵範囲の異常な広さだろう。カエデの『嫌な予感』とアリソンの『耳』が合わさって凄まじい索敵能力となっているのだ。

 

「……アリソンさん、右の通路、嫌な感じがします」

「そうですね……これは、ヘルハウンドが数匹……数は20近く、多いですね」

 

 各々の面子はしっかりと火精霊の護布(サラマンダーウール)をしっかりと装備しており、危険性は少ないものの過信は禁物であり、ヘルハウンドとの戦闘中に他のモンスターの乱入も考えれば警戒のし過ぎと言う程では無い。

 

 ラウルがカエデの様子をちらりと確認する。初めての迷宮探索(ファーストダンジョンアタック)の際にヘルハウンドと出会って丸焦げにされて死にかけたカエデになんらかの心の傷(トラウマ)が刻まれているのではと心配したラウルを余所にカエデはすんすんと臭いを嗅いで眉を顰めている。

 

「……焦げた臭いがします」

「……右は避けよう。直進しようと思うけど、皆はどう思う?」

 

 ヘルハウンドに対して脅えると言うよりは他の事を気にしている様子のカエデにラウルは右の通路の奥を少し見てから、他のメンバーの様子を確認するラウルを余所にヴェネディクトスが右の通路を避けようとしていた。

 グレースがケペシュの刃を擦り合わせて火花を散らして苛立たしげに足元の石を睨みつけ、アリソンは困った様に眉根を寄せて頷く。カエデは何度か右の通路を見てから頷いた。

 皆の同意を得たヴェネディクトスが頷いてラウルの方を見た。

 

「では、直進してこのまま十四階層まで下りたいのですが、よろしいですか?」

「うん? どこまで行くかはそっちに任せるッスよ。俺はあくまでサポーターッス」

 

 ラウルは心の中で付け加えておく。引き際を誤ったり不必要な危険に飛び込む真似をしたら、容赦なく減点するだけだと。

 

「わかりました。では十四階層で少し戦闘を行ってから戻ると言う形で……」

 

 ヴェネディクトスの言葉に三人が頷いて肯定を示す。その様子を見ながらラウルは満足げに頷いた。

 

 アレックスが居ないだけで順調である。アレックスをどうにか参加させなくてはならないのだという事から、目を逸らしつつラウルは今回の『遠征合宿』のさ中に準一級(レベル4)冒険者をどうやってやり過ごすか考えていた。

 

 

 

 

 

 『万神殿(パンテオン)』、通称『冒険者ギルド』の換金受付にて今回集めた魔石やドロップアイテムの換金査定を受けているさ中、ラウルは待合席で座って雑談に興じる四人の様子を見てほっと一息ついた。

 

「いやぁ、最初はどうなるかと思ったッスけどカエデちゃんも馴染めて良かったッス」

 

 人懐っこいと言うよりは分け隔てなく仲良く接するアリソンが潤滑剤として機能してくれているのだろう。カエデの口下手な部分をアリソンが上手く補っている。

 

「カエデちゃんってヘルハウンドを駆け出し(レベル1)で倒したんですよね! 凄いですよねっ!」

「えっと……まぁ、偶然と言うか……」

「ま、本当に凄いんだし威張れば良いんじゃない? アレックスみたいにされたらムカつくけどアンタは逆に謙遜が過ぎるわ。ムカつく」

「グレース、君は少し言い方を考えた方が良いよ」

 

 女三人男一人と言う偏った席ではあるのだが、元々エルフと言う種族が美男美女が多いと言う特色があり、なおかつヴェネディクトスはさらさらとした髪に優しげな風貌をしており女三人の中に交じっても違和感を感じない。ラウルが交じっていたら一人浮く事間違いなしであるのにごく自然に交じっている辺りこなれている。と言うよりは男女区別無くおおらかに接する事が出来る常識人……正直性格に難有りだったり癖の強い【ロキ・ファミリア】の面子中ではラウルに似て普通のエルフの男性団員である。

 

「【ロキ・ファミリア】ラウル・ノールド様、査定が終了致しました。24,800ヴァリスとなります」

「お、了解ッス」

 

 中層に潜ったにしては少ない方の金額ではあるが、半日程度の時間と言う事ともう一つ挙げるとするならば今回はあくまで様子見であり積極的にモンスターを討伐しなかったと言うのも大きいだろう。

 ヴァリスの入った袋を受け取って皆の待つ待合席の方へ足を向けて、ラウルは足を止めた。

 目を擦って現状を確認してラウルは深々と溜息を零した。

 

「なんでアレックスが居るッスかねぇ」

 

 ラウルの視線の先、待合席に座った四人を睨みつけているアレックスの後ろ姿があり、睨まれている側の四人の内グレースは既に苛立ちを隠しもせずアレックスを射殺さん視線を向けているし、ヴェネディクトスも軽蔑の視線を投げかけている。カエデは困惑の表情を浮かべてアリソンは間に割って入ってどうにかしようとしている。しかし険悪な雰囲気は一切隠せておらず周囲の冒険者があからさまにその席を避けているのが見える。

 

 

 

 

 

 雑談と言うよりは主にアリソンが潤滑剤として積極的に口を開いて各々の、と言うよりは口下手なきらいのあるカエデと、口を開くのも億劫だと気だるげな雰囲気のグレースの二人に質問を投げかけて雰囲気を柔らかくしつつも各々の口を開かせて仲良くさせようと努力しており、唯一の男のヴェネディクトスは過度に口出しをせずに雰囲気を壊さない範囲で微笑みを浮かべて他メンバーと友好関係を築こうとしていた。

 パーティとして今回の『遠征合宿』で一晩ダンジョン内で過ごす事に成る。それだけじゃなく大規模遠征時にサポーターのパーティとして一軍メンバーや二軍メンバーの補助に入るのだ。そうなったときにパーティ内部の雰囲気が悪くて失敗しましたなんて笑い事じゃすまないのだ。

 

「それにしても……カエデちゃんの髪、白くて綺麗ですよね」

 

 美味しい料理、ケーキの店、服や装飾品、可愛い人形、使う防具の形状、自慢の兎耳についてなど、多種多様な話題を次から次へと投入してカエデとグレースから少ないとは言え会話を成立させていたアリソンの言葉にカエデが不思議そうな表情を浮かべた。

 

「綺麗……ですか?」

 

 狼人(ウェアウルフ)と言う種族上、白毛の狼人と言えば侮蔑の対象でしかない毛色に対する言及に不思議そうな表情のカエデ、それに対してアリソンの方がうんうんと頷いて口を開いた。

 

狼人(ウェアウルフ)の皆さんは良く禍憑きって呼んでますけど、兎人(ラパン)では白毛は普通なんですよね。聞いた事ないですか? 白兎とか」

「ないです」

「世間知らずね、白兎って有名じゃない。幸運の白兎って」

 

 グレースの小馬鹿にした様な発言にカエデは頷く。自身が世間知らずであると言うのはオラリオに来てから痛感している。何をするにしろ何処に行くにしろ知らない事ばかりなのだから。そんな態度にグレースは申し訳なさと言い過ぎたと言う反省の色の混じった微妙な表情を浮かべてそっぽを向く。

 

「僕も初耳だね、【幸運の招き猫(ハッピーキャット)】とかは聞いた事があるけど」

「白い兎って珍しくない所か兎人(ラパン)って三割ぐらいが白毛なんですよね」

「そうなんですか?」

 

 狼人(ウェアウルフ)と言う種族の中で白毛は非常に珍しい個体であるが、兎人(ラパン)ではむしろ白毛は一般的であり気にされない事も多いし。そもそも白毛を異端として扱っているのは狼人(ウェアウルフ)ぐらいであり、虎人(ワータイガー)で白毛の【白虎】と言う冒険者が居たりと他の獣人では普通だったりする。

 

狼人(ウェアウルフ)の人達は少し当たりが悪い人が多いですけどカエデちゃんはお喋りしても怒らないですし確かに変わってますね。あ、悪い意味じゃないですよ? むしろ私としては好きです」

「そうですか……」

 

 嬉しそうに頬を緩めるカエデににっこり微笑みかけるアリソン。そんな二人の横でグレースが思いっきり苦虫を噛み潰した様な表情を浮かべてギルドの入口に視線を向けており、ヴェネディクトスが首を傾げつつグレースの視線を追って其方に視線を向ける。

 

 其処には顔が倍近くに膨れ上がって鼻血を垂らしながらふらふらと入口から此方に向けて歩いてくるアレックス・ガードルの姿があった。

 

 目を見開いて驚いたヴェネディクトスが腰を浮かし待合席のテーブルが音を立て、アリソンとカエデもヴェネディクトスの様子に気が付いて首を傾げた。

 

「どうしました?」

「大丈夫ですか?」

 

 膝をぶつけた事を心配するカエデに大丈夫だと答えたヴェネディクトスはテーブルの近くに立ってボコボコにされた顔のまま此方を見下ろすアレックスに軽蔑の視線を向けた。

 

「何の用だいアレックス。此処に君の居場所は無いよ」

「そうね、アンタみたいなのは邪魔だし来なくて良いわ」

「アレックスさんっ!? その顔どうしたんですかっ!」

「怪我……えっと、回復薬(ポーション)を……」

 

 軽蔑の視線を向けるヴェネディクトス、しかめっ面しつつもアレックスを睨むグレース、慌てて立ち上がって心配するアリソン、ポーチから回復薬(ポーション)を取り出して差し出そうとしたカエデ。三者三様な反応にアレックスは無言で睨みを利かせてからぼそりと口を開いた。

 

「なんで…………った」

 

 あまりにも聞き取り辛い言葉にグレースの額に青筋が浮かび、ヴェネディクトスは眉を顰めつつも一応聞く姿勢をとり、アリソンはカエデが取り出していたポーションをハンカチに染み込ませてアレックスの腫れた頬に優しく当てる。カエデはそわそわとその様子を見ているさ中、アレックスが再度口を開いた。

 

「なんで……置いていきやがった」

「声小さいんだけど、聞こえないわ。何が言いたい訳?」

 

 苛立ちが限界を迎えそうなのか腰のケペシュの柄に手をかけて今すぐにでも飛び掛からんばかりの姿勢をとったグレースに慌ててカエデが抱き付く形でどうにかとどめようとし、アリソンも間に身を割り込ませて落ち着かせようとする。

 

「待ってくださいグレースさんっ! ギルドっ! 此処ギルドですっ!」

「ギルドで武器抜くのは不味いですよグレースさんっ!?」

 

 そんな二人の様子を見て吐息を零したヴェネディクトスがアレックスの方を見て口を開いた。

 

「置いて行った? 僕達が? 君を? 集合時間に現れなかったのは君だろう? 置いて行かれても仕方が無い様な事をしでかしておいてどういう積りなんだい?」

 

 ヴェネディクトスの言葉に回復薬(ポーション)のおかげで頬の腫れが引き、口元の血が止まったのかアレックスが舌打ちをして口を開いた。

 

「糞っ、なんで俺がこんな雑魚共と……」

「アレックス、お前が言う雑魚って何なんスかね?」

 

 苛立ち交じりに悪態を吐いたアレックスに対し後ろからラウルが肩を掴んで止める。今にも殴りかかりそうに見えた為なのだがそれより前にグレースが鼻息荒く飛び掛かりそうになっているのが見えてラウルは溜息を零しかける。

 

 カエデに苛立つだのなんだの言い触らしたりしている所為でカエデとの相性が悪そうではあったが、カエデが余り気にしない性質、と言うより耐性が高いのか変に噛みつかなかった影響でグレースからカエデに対する当たりが柔らかくなりかけていた、それなのに油を注いでパーティでの交流を台無しにしようとしているアレックスの余りの態度に流石に庇い用もないと言うかもう庇う気も起きない。

 

「決まってんだろ、器の昇格(ランクアップ)()鹿()()()()()()()()()()()()()()の事だよ」

 

 俺よりも器の昇格(ランクアップ)が遅かった奴は雑魚だと言いきったアレックスに対し、ヴェネディクトスがにやりと笑みを零した。怒りで顔を真っ赤にしたグレースですら怒りの表情の中に侮蔑が混じっている。

 

「アレックス、この子を見て欲しい」

「ほら、こいつを見なよ」

「ふぇ?」

 

 グレースを抑え込もうとしていたカエデを逆に後ろから押さえつけてアレックスの前に突き出すグレース。そしてそれを指し示して嘲笑の笑みを浮かべたヴェネディクトス。ラウルはとりあえずアレックスの肩を力強く掴んでおく。ここで暴れられたら洒落にならない。

 

「この子……カエデ・ハバリは器の昇格(ランクアップ)までの期間なんと一ヶ月未満だと」

「あんた何か月だっけ……あぁ、十五ヵ月()かけたのね。この子の十五倍じゃない。凄いわね」

 

 小馬鹿にすると言うか完全に馬鹿にした表情でアレックスに言い放つ二人に対し、アレックスが身を乗り出そうとするがラウルが肩をがっしりと掴んでいるので動けずにいて苛立ちからかラウルを睨みつけるアレックス。ラウルは溜息を零した。

 

「ほら、アンタの言う()()に分類されない()()が此処に居る訳だけど?」

「それで、君はどうするんだい? ()()()()()()()()()()()だったっけ? じゃあ()()()()()()()()()んだよね?」

 

 重なる挑発に対してアレックスが体を震わせる。グレースに押さえつけられていたカエデがびくりと震えてグレースの手から抜け出してアリソンの後ろに隠れた。

 

 その様子を見ながらアレックスがぼそりと呟いた。

 

「し…………る」

 

 小さく、か細く聞こえた言葉にラウルとヴェネディクトスが首を傾げ、グレースが苛立ち交じりに舌打ちをした。困り顔でカエデを庇う様に片手でカエデを撫でるアリソン。

 

「従ってやる」

 

 小さかったが先程よりも大きい宣言にラウルとヴェネディクトスが目を見開いてグレースがぽかんと口を半口を空け、アリソンが困惑の表情を浮かべてカエデが首を傾げている。

 

カエデ(テメェ)が俺に勝てたら指示に従ってやる」

 

 アリソンの背に隠れたカエデを指差して言い切ったアレックス。

 

「うわ、上から目線、うっざ」

「「「「……………」」」」

 

 グレースが脊椎反射の様に皮肉を吐き、ラウル、ヴェネディクトス、アリソン、カエデが惚けた様な表情を浮かべている。

 

 あのアレックスが、『勝てたら』とは言え()()()()()と発言した。

 ベート、ラウル、フィン、リヴェリア、ガレス、ティオナ、アイズ……数えるだけでも億劫になる程にボコボコにされてきたのにフィンの指示に嫌々従う以外には誰の命令も聞こうとせず、フィンの指示にだって『皆といざこざを起こすな』と言う指示には従わなかったアレックスが、条件付きとは言え()()()()()と言ったのだ。

 

 ラウルはゆっくりとアレックスの肩から手を離してアレックスの額に手を当てる。

 

「アレックス、大丈夫ッスか? 風邪ッスか? 冒険者とは言え弱ってたりすると風邪引いたりするッス。今日はとりあえずゆっくり休むッスよ」

「風邪ですか? 冒険者用の回復薬(ポーション)で風邪って治せるんでしょうか?」

「ラウルさん、カエデ、落ち着いて……アレックス、君……何があったんだい?」

「あのアレックスさんが指示に従う? ()()アレックスさんが?」

 

 驚き過ぎてボケをかますラウルに、ラウルのボケを真に受けて心配の声を上げるカエデ。冷静に二人にツッコミを入れつつどうしたのか質問するヴェネディクトスに、何が起きたのか未だに理解しきれずに目を白黒させるアリソン。

 

「……離せっ! 触んなっ!」

 

 アレックスはラウルの手を払い退けてカエデを見下ろして口を開いた。

 

()()()()()()()()()()。俺と決闘しろ」

 

 唐突な宣言にカエデは困惑の表情を浮かべ、ラウルは必死に考える、何があったのかを。

 

 

 

 

 

「ヘックシッ……なんや、誰か噂でもしてるんか?」

「いつもの事じゃないか」

 

 【ロキ・ファミリア】本拠、フィンの自室の執務机に腰かけて唐突にくしゃみをしたロキに対してフィンが苦笑を浮かべて口を開いた。

 

「それにしてもロキ、アレックスに()()()()()()使()()()()()()

 

 反発心ばかりが強くなったアレックスに言う事を聞かせたと言ったロキに投げかけた質問に対し、ロキは笑みを浮かべたままフィンを見下ろして口を開いた。

 

「決まっとるやん? アレックスが見下すんは()()()()()()()()()や。自分より器の昇格(ランクアップ)に時間かけた奴らを片っ端から見下しとる。せやったらアイズたんかカエデたんぶつけたればええんよ」

 

 ロキの言う事は一理ある。だがアレックスは過去にアイズ・ヴァレンシュタインに決闘を挑みボコボコにされていた事もある。その時アイズはアレックスが鍛錬を頼んできたのだと勘違いして剣の鞘で相手取りボコボコにしたのでアレックスは無効試合(ノーカン)だと喚いていたが……よもやカエデと決闘をさせたのか? そんなフィンの思考を余所に紅茶を飲んで『酒じゃないのか』としかめっ面をしていたガレスが口を開いた。

 

「さっき鍛錬場で他の者を侮辱していたからな。締めておいたが……」

「あぁ、その時にちょっとアレックスに言っておいたんよ」

 

 ガレスの手でボコボコにされてなおガレスに悪態を吐いて立ち上がろうとする姿は、増長さえしていなければ間違いなく【ロキ・ファミリア】内部でも有能なタフネスさと向上心を持ち合わせる素晴らしい団員だったのだが……その増長を今回の『遠征合宿』でどうにかできなかった場合は追放を決定したロキはとある事をアレックスに伝えておいた。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()ってなぁ」

「……ベート?」

「今ベートが認めとるんはアイズたんか……()()()()()()って言っといたんよ」

 

 顎に手を当てて考え込むフィンを余所にガレスが肩を竦めた。

 

「ベートに憧れてベートの様に振る舞ったらベートに叩き潰されて……まあベートをよく理解もせずに真似事なんてしようとしたからだが哀れだのう」

 

 【強襲虎爪】アレックス・ガードルは【凶狼(ヴァナルガンド)】ベート・ローガに憧れを持っている。普段は口にも出さないが『強い奴が威張るのは当然』と言う考え方をしているのはベートの受け売り……と言うのはアレックス談である。

 アレックスの抱くベート像は若干所か大分間違った印象で固まっているのだがそこらに気付けないのはいっそ哀れだろう。本人も増長してしまう程に才能に満ちていたのも相まって手の付けられない状態になってしまったのは不幸とも言える。

 

「せやからとどめに言ったんよ……カエデたんに勝てへんのなら()()()()()()()()()()()()()ってな」

「それで? それだけだと今すぐにでもカエデに殴りかかりそうなんだけど」

「ん? あぁ、不意打ちなんて真似したら誇り高い狼人(ウェアウルフ)()()()()()()()()()()とも言っといたわ」

 

 ま、カエデを打倒した所でベートがアレックスを視界に納める事は()()()()()のだが。それ所かカエデに勝つのも難しいだろう。

 打倒カエデ? フィンやガレスですら『殺すのは簡単だけど()()()()()()()』と言わしめる程に立ち上がって喰らい付いてくるのがカエデだ。本気の戦闘になった日にはカエデは膝を屈する事だけは決してしないだろう。それこそ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「技術も何もかも全部桁違いやしな」

 

 才覚だけで器の昇格(ランクアップ)に至ったアレックスはもしかしたらカエデに匹敵する才覚の持ち主かもしれない。しかしカエデは才覚だけではなく技術を覚える為に積み上げた努力の量も桁違いでありその努力と想いによって発現したスキルと言う優位性もある。アレックスが勝つのはほぼ不可能。

 

「今回の『遠征合宿』中にカエデを見て自分の今までを振り返って……出来るなら身の振り方を直して欲しいわ」

 

 初めて会ったとき。初めてアレックスを見た時。まだ少年だった彼の目にはギラギラと思わず目を細めてしまう程に眩い向上心が灯っていた。今も同じ様に向上心はある。しかし初めて入団試験の時にただ強くなりたいと喰らい付くだけの強い意志は雑念に塗れて眩かったその向上心が汚れてしまった。

 出来るならば、可能であるならば……カエデの真っ直ぐさを見て、あの頃を思い出して欲しい。それが出来れば……。

 

 追放はしたくない。せっかく眷属として迎え入れたのだ。だと言うのに追い出さなければならないと言うのは主神として余りやりたくない。

 

「確かに、他のファミリアに入団されるのは困るしね」

 

 フィンやガレスもアレックスに対して相応の評価はしている。向上心と才能に溢れた彼はやはり有望な人材なのだ。他のファミリアで大成して敵対すると言うのは避けたい。

 

 願わくば、ベート辺りが手足を潰して冒険者として再起不能にしてくれた方がフィンとしては助かるのだが。

 

「フィン」

「わかってるよ……僕からは手出ししないよ」

 

 ロキの半眼に苦笑を浮かべてフィンは返事を返す。フィンから手出しはしない。だがもしアレックスが冒険者としての死を迎えるその場面に出くわしても、フィンはきっと止めないだろう。

 

 




 次回『カエデVSアレックス』

 武器持ちと徒手空拳が戦う場合は、徒手空拳の方が三段以上、上の実力がないと勝負にならないって何処かで聞いた記憶があります。



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『決闘』

『ヒヅチッ!! やっと見つけたさネ』

『……誰だ?』

『ヒヅチ、何を惚けてるさネ? 川に落ちて記憶でもとんださネ? カエデはお前が居なくなってから一人でオラリオに行っちまってるさネ。でも一ヶ月かからずに器の昇格(ランクアップ)したみたいさネッ!! 流石ヒヅチの弟子さネ。でもきっとヒヅチの事を心配してるさネ。一緒にオラリオに行くさネ。ヒイラギももう向かってるさネ。村も大変な事になって……ヒヅチ?』

『なんだ知り合いか。オラリオ……まだ知られるのは不味いな』

『ヒヅチ? 何の話をしてるさネ?』

『邪魔だ』

『ッ!? 何するさネッ!!』

『チッ、殺し損ねたか……まあ良い。此処で死ね神の下僕(人類の敵)め』


 【ロキ・ファミリア】の本拠、鍛練用に均されたむき出しの土の上に膝を着いてカエデを睨むアレックスと、睨まれながら困惑の表情を浮かべながら肩で息をするカエデの姿があった。

 

 アレックスからの唐突な決闘宣言に最初は拒否したカエデだったが、ラウルがお願いしてきたので仕方なく相手をすることになった為に冒険者ギルドから本拠(ホーム)の『黄昏の館』まで移動して始まった戦いは常時カエデ有利に進み、ついにはアレックスが膝を着く結果となった。

 

 ラウル、アリソン、グレース、ヴェネディクトスの四人はそんな戦いを眺めて四人揃って溜息を零していた。

 

「糞がっ!」

「えっと、もう終わりで良いでしょうか? 夕食の時間ですし。お腹空きました」

 

 カエデは決してアレックスを煽る意図は無いのだろう。無いのだろうがカエデの若干天然の入った言動はアレックスの気に障るらしい。

 

「アレックス、もう終わりッスよ」

「うっせぇっ! まだ終わってねぇっ!!」

 

 流石に日も完全に暮れかけて夜の帳の下り始めた時間帯、そろそろ夕食の時間であるしそもそも勝敗を決定する条件は『膝を着いた方の負け』だけである。現状カエデは肩で息をしているだけで膝は着いていない。しかしアレックスは完全に膝を着いて脂汗を大量にかいている状態だ。

 

「いや、終わりッス……と言うか片足に罅入ってるッスよね、よくそんな状態で戦えるなんて言えるッスよね」

 

 初撃と言うかかなり序盤にカエデの振るった模擬剣がアレックスの左足の骨に罅をいれたのは観戦していた四人も理解している。と言うか真正面からカエデ相手に突っ込み過ぎて普通に反撃(カウンター)をいれられて一撃で片足を負傷させられて戦闘続行不可能と言う間抜けっぷりに流石にカエデを舐め腐り過ぎだと言わざるを得ない。

 

 最初はアレックスが押していると感じたのだろう。ただカエデは最初から下段の構え(防御重視)で様子見をしており、アレックスの連撃を完全にいなしていた、と言うか一定距離以上にアレックスを近づかせない様に上手く立ち回っていた。

 アレックス視点ではカエデは攻撃する余裕も無い程の連撃に完全に押されている様に感じたのだろう。しかし正解は反撃(カウンター)狙いで只管に攻撃に耐えているだけであったのだ。

 

「ごめんなさい……」

「いや、別にカエデちゃんを責めちゃいないッス……アレックスが調子に乗り過ぎただけッスし」

 

 申し訳なさそうに眉根を寄せて謝罪の言葉を零すカエデにアレックスの表情が苛立ちに歪む。それを見つつもラウルがフォローに回る。

 カエデからすれば特に怪我をさせる積りは微塵も無かったのだろう。アレックスが身に着けていた脚甲の薄い部分をカエデが打ち据えた所為でもあるがそもそもアレックスがカエデの幼い容姿に油断と慢心を抱いていたのが原因であるので特にカエデが責められるいわれは何処にも無い。

 

 何度も悪態を吐きながらも立ち上がろうとするアレックスにラウルは肩を竦め、アリソンが治療用の道具類の入ったバッグを抱えてアレックスに近づいていく。

 

「アレックスさん、一応治療を――

「いらねぇ」

「ねえアリソン、そんなの気にしてないで夕飯行きましょ」

「僕も賛同かな」

 

 アレックスに拒否されて困った様に眉を寄せたアリソン。グレースは膝を着いて脂汗をかくアレックスを鼻で嗤って歩いていく。ヴェネディクトスは肩を竦めるとカエデの方へ寄って模擬剣を受け取って倉庫に片付けに行ってしまう。

 残されたカエデが困惑の表情のままアレックスを窺い、アレックスはアリソンから治療用の道具の入ったバッグをひったくると睨みつける。

 

「俺に近づくな」

「あ……えっと……はい」

 

 困った様に半笑を浮かべてからアリソンはそそくさとアレックスから離れてカエデの方へ近づいていく。その様子を半眼で眺めていたラウルはアレックスの方に歩み寄って痛みに歯を食いしばりながら治療を始めたアレックスを見下ろして口を開いた。

 

「良いッスか? 明日からは指示に従って貰うッスよ」

「……ウッセェ」

「カエデちゃんの指示には従うんすよね? 負けたら従うって言ったのは嘘だったッスか?」

「…………」

 

 鼻を鳴らしてラウルから視線を逸らしたアレックスの姿に溜息を零してからラウルは伝えておくべきことを思い出して口を開いた。

 

「その治療用品、ファミリアの医務室のッスから後で団長に使用料払ってくださいッス」

「はぁっ!?」

 

 驚きの表情でラウルを見上げるアレックスだが、既にラウルはアレックスに背を向けてひらひらと手を振りながらカエデ達の方へ歩いて行っていた。

 

 

 

 

 

 普段の食堂は仲の良い団員達が思い思いの場所に座って集まるのが毎度の光景である。しかし現在は近々ある『遠征合宿』に向けて各班毎に集まる一角とそれを眺める他の団員と言う構図になっている。

 駆け出し(レベル1)が自分もいずれと胸の内に誓いを立てつつ羨ましげに『遠征合宿』参加組を見つめ、今回の『遠征合宿』に参加しない二級(レベル3)組はどの班が成功するかで賭け事を始める始末……リヴェリアに見つかれば注意では済まないがそれでもこっそりと賭けが繰り広げられている。

 

「あの班はどうよ」

「どうだろうな、狼人(ウェアウルフ)が居る班はペコラさんと戦う必要が無いとは言えなぁ」

「アキの班は?」

「無理だな、アキの班には狼人(ウェアウルフ)が居ないしペコラさんの所で積みだろ」

「ジョゼット班に5000ヴァリスだな」

「毎度ー」

 

 一番成功率が高いと予測されているのが『ジョゼット班』、班員は全員評価が良く能力も高い三級(レベル2)冒険者で固められた堅実なパーティであり、なおかつジョゼットが率いる班は過去の『遠征合宿』に於いて幾度かの成功の実績も持つとかなりの人数がジョゼットの班に賭けている。

 

「ラウルの所は?」

「「「………………」」」

「お前昨日の班振り分け聞いて無かったのか? ラウルの所、アレックスが入ってるぞ。しかもグレース付き」

「マジで? じゃあ無理だなぁ」

「ウチはいける思うんやけどなぁ……つーわけでラウルん所に5万ヴァリス賭けるわ」

「りょうか――ロキ様ッ!?」

 

 賭けの話をしているテーブルに極自然に交ざっていたロキはにっこり笑みを浮かべてから賭け対象の一覧の隅っこに『ロキ 5万ヴァリス』と書き加えて賭けをしている団員達に口を開いた。

 

母親(ママ)に見つからん様にせえよ~」

「「「はい」」」

 

 いつの間にか交ざっていたロキの姿に戦々恐々としつつも返事をした団員達に満足気に頷いたロキは自分の席に向かうのではなくラウルの方へふらふらと歩いていく。途中団員の尻に手を伸ばそうとしてビンタを貰って頬に紅葉を浮かべたロキは隅っこで夕食を楽しげな雰囲気で食べているラウルの後ろにすっと立って班の様子をうかがう。

 

「カエデさん、ニンジンお嫌いなんですか?」

「……できれば食べたくないです」

「じゃあ代わりに食べますよ。私ニンジン好きですし」

 

 ニンジンをフォークに刺して涙目で震えながら口にしているカエデを見てアリソンがカエデの皿からニンジンを取り除き始め、それを見たグレースが眉を顰める。

 

「好き嫌いしてんじゃないわよ」

「グレース、君はタマネギを僕の皿に乗せるのをやめてから言いなよ」

「あんたタマネギ好きでしょ」

「いや……別に特別好んでいる訳ではないんだけど」

 

 しれっとヴェネディクトスの皿にタマネギを片っ端から放り込むグレースは悪びれた様子も無く自分の食事に戻る。軽く溜息を吐きながらも怒るでもなく皿に盛られたタマネギの小山を片付け始めるヴェネディクトス。

 

「リヴェリア様に見つかると怒られるからリヴェリア様に見つからない様にやってくださいッス」

 

 その様子を見ながらラウルは別に好き嫌いを強く注意する訳でもなく母親(ママ)に見つかるなと軽く注意するのみ。

 

 これだけ見ればパーティの雰囲気は最高と言えるだろう。

 

「おーええ感じに仲良くなっとるなぁ、ウチも交ぜてー」

「うぉっ!?」

 

 ラウルの背後からツンツンと背中を突けば驚いた様にびくりとラウルが反応してラウル班のメンバーもロキに気付いて目を見開いた。

 

「ロキ様っ! こんばんは……頬の痕、何かあったのですか?」

「わぁ、驚きました。こんばんはロキ様」

「ロキじゃない、どうせ誰かの尻か胸でも触ってビンタされたんでしょ、気にする事じゃないわ」

「こんばんは」

 

 ロキに気付いて嬉しそうに尻尾を振り始めつつもロキの頬の手痕を気にするカエデに不思議そうな表情を浮かべたアリソン、なんだロキか驚いて損したとばかりにロキを無視して食事を再開したグレースにごく普通に挨拶をするヴェネディクトス。

 

「びっくりしたッス! あんまり驚かさないでくださいッス!」

 

 驚かされたラウルの文句にへらへらと笑みを浮かべて適当な返事をしつつ()()()()()()にすっと座ってロキは気になっていた事を質問する。

 

「んで? アレックスはどうしたん?」

 

 本来ならアレックスが座っているはずの空席に腰かけたロキの質問にカエデが困った様にラウルを窺い、グレースが眉を顰めてフォークに刺したミニトマトをロキの方へ突き出す。アリソンが眉を寄せつつもロキから視線を逸らし、ヴェネディクトスは我関せずと食事を続ける。ラウルはうーんと唸ってから口を開いた。

 

「カエデちゃんに決闘挑んで呆気なく負けて傷心、明日には言う事聞いてくれると良いなって感じッスね」

「ほー、そうなんか」

 

 グレースの突き出してきたミニトマトを頬張りつつロキは感心した様にしつつも笑みを浮かべる。

 

 実際のところ、ロキはカエデとアレックスの決闘についての様子はずっと見ていたし、アレックスがその後やけくそ気味にダンジョンに行こうとしてベートと出くわして殺されかけた所をガレスに助けて貰ったりしていたがその事をわざわざ口にはしない。

 

「ロキ様」

「なんやカエデたん」

 

 恐る恐ると言った様子で口を開いたカエデの様子にロキはにっこり笑みを浮かべた。

 

「えっと……狼人(ウェアウルフ)の人達は……」

 

 カエデの言いたい事を理解したロキは肩を竦めた。

 

 先日あった一部の狼人(ウェアウルフ)がカエデを追いだそうとしていた件についての事だろう。それについては既にジョゼットから話が上がっているし。ソレ以前にベートが一部の狼人(ウェアウルフ)を半殺しにしていたので何らかの事情があったのだろうと判断して調べていたのでそこらから予測は出来ていた。

 

「カエデたんは気にせんでもええでー」

 

 根深い禍憑きの問題については半分はどうにかなる。と言うよりこの問題について騒いでいるのは三級(レベル2)の一部と入団して一年経っていない駆け出し(レベル1)狼人(ウェアウルフ)だけであり、逆に二級(レベル3)狼人(ウェアウルフ)に関しては不干渉を決め込んでいる。

 

 器の昇格(ランクアップ)を二度重ねた団員は流石にカエデが白毛だからと貶したりはしない。流石に自ら関わろうとしたりはしないものの、目について追い出そうと言う発言は決してしない。そこら辺についてはベートが関係している訳だが。

 

「あんま酷い様やったら教えてなー」

「はい……」

「何かあったのですか?」

 

 不思議そうに首を傾げるアリソンに、グレースが鼻を鳴らして口を開いた。

 

「どうせくっだらない言い伝えを信じ込んでる馬鹿がなんかやらかしたんでしょ」

「グレース、言い伝えをくだらないと言い切るのはどうかと思うよ」

 

 ばっさりと白き禍憑きの言い伝えを信じる狼人達を馬鹿だと言い切ったグレースに、耳の良い一部の狼人(ウェアウルフ)が苛立たしげな視線を向けるが逆にグレースはそんな狼人(ウェアウルフ)を睨み返す。流石に周囲に喧嘩を吹っ掛ける発言をしたグレースを注意したヴェネディクトスにグレースは小馬鹿にした様に口を開いた。

 

「じゃあエルフ様はコイツが白毛だから不幸がーなんて言い訳に使う積り?」

 

 そんなの滑稽過ぎるでしょ? そんな小馬鹿にした表情でグレースは口を開いた。

 

「なんかの失敗があれば全部『白き禍憑きが~』って言い訳してればなんでも解決するんでしょ? 狼人(ウェアウルフ)の伝承ってベンリよね」

 

 喧嘩を吹っ掛ける様に、と言うよりグレース自身がその事にかなりの苛立ちを感じているのか食堂に大きく響いたグレースの発言に駆け出し(レベル1)組の狼人(ウェアウルフ)達から殺気が飛ばされるがグレースは鼻で嗤う。

 

「ほんと便利よね、伝承って」

「グレース、ストップッス……殺気が飛んでくるッスよ」

「……なんでアンタが脅えんのよ、駆け出し(レベル1)とか三級(レベル2)とかの殺気なんて二級(レベル3)からすりゃそよ風でしょ」

 

 グレースの発言に苦笑を浮かべたラウルは心の中で溜息を零しながらロキの方を向いた。

 

「んでロキはどうして此処に来たッスか? アイズさんならあっちに居るッスよ」

 

 ラウルの差す先ではティオナ、ティオネの三人で周囲に威圧感を振り撒きながらぶつぶつと何かを呟きながらダンジョン上層、中層の地図を広げているアイズ・ヴァレンシュタインの姿があった。

 

「いや、あっち近づき辛いやん……」

 

 『遠征合宿』のご褒美は参加組だけでは無く妨害組にも適応される。

 

 簡単に言えば撃退数が多い妨害組の一人にご褒美が出されるのだ。アイズは『じゃが丸くん一年分』、ティオナは『新しい武器の製作費一部負担』、ティオネが『団長とのデート(二人きりでっ!!!!)』とそれぞれ欲に塗れた願いの数々に、それぞれが本気でとりかかっているのだ……そう、参加組からすれば悪夢でしかない状態なのだ。

 

「ロキ様、なんでアイズさん達はあんなに怖い雰囲気なんでしょうか?」

 

 カエデの純粋な疑問にロキは口を閉ざした。フィンと相談して決めた事ではあるが()()()()()()()()()()()()()()()ので少し罪悪感を感じつつもその後ろめたさが心地よく笑みを深くして口を開いた。

 

「そりゃぁアイズたん達も『遠征合宿』にそれだけ本気っちゅー事やで」

「……そうなんですか?」

 

 今回の『遠征合宿』は前回と少し勝手が違う。とは言え違うのは妨害側に加えられたルールと勝利条件の変更である。

 

「まあ、楽しみにしとってなー。ラウル、アレックスの手綱ちゃんと握っとくんやで」

「……ロキ、チェンジを――

「チェンジ料金とるで?」

「いくらッスか? 俺が払える金額なら払うッス」

「1億ヴァリス」

 

 すがるような表情のラウルに支払不可能な金額を示したロキはにっこり笑みを浮かべて口を開いた。

 

「払えるんか?」

「無理に決まってるじゃないッスかっ!!」

 

 当然、チェンジさせる積りなんて微塵も無いロキはケラケラ笑ってからカエデの頭を撫でてから再度ふらふらと他のパーティの様子を見に行く事にして去って行く。

 

 その背を眺めていたアリソンが深々と溜息を零して口を開いた。

 

「今回の『遠征合宿』、妨害組がかなり本気みたいですね」

 

 成功を目指すのは当然として、どうやってやり過ごすのか、そんな事を考え始めるアリソンにグレースとヴェネディクトスが肩を竦めた。

 

「無理無理、今の状態じゃ」

「現状じゃどう足掻いても無理だよ」

「無理なんですか?」

 

 二人の否定の言葉にカエデが驚きの表情を浮かべた。そんなカエデをグレースが半眼で見つめてから大げさに溜息を吐いた。

 

「あんたねぇ……ルールは聞いたわよね?」

「えっと……十八階層まで行って一晩過ごして戻ってくるですよね?」

 

 大雑把なルールを口にしたカエデにヴェネディクトスが肩を竦める。

 

「他にも細かなルールはあるけどそれで間違いは無いね……重要なのは()()()()って部分だけどね」

 

 首を傾げたカエデの姿にラウルは苦笑いを浮かべて口を開いた。

 

「パーティってのは補助役(サポーター)の俺を含めた六人の事ッス。一人でも欠けた場合は即終了ッスね」

 

 ラウルの説明に余計わからなくなったのか首をさらに深く傾げたカエデにアリソンがポツリと呟いた。

 

「つまりですね……アレックスさんを説得できないとそもそも参加する以前に失格って事です」

「……っ!!」

 

 漸く納得がいったのか、先程までカエデに決闘を挑んできたアレックスの姿を脳裏に描いてカエデがどうしようと四人を見回す。先程足の骨に罅を入れると言う怪我を負わせてしまったのだ、ソレ以前に何故か凄く嫌われている彼にどうにかパーティに参加して貰わなければならないと言う事実に気が付いて困った様な表情のカエデにラウルが呟いた。

 

「大丈夫ッスよ、明日は言う事を聞いてくれる……はずッスから」

 

 多分、きっと、可能性は低そうだが。流石に自分の口で言った事すら守らないなんて事は無い筈だ。

 

 

 

 

 

 日の出と共に鍛錬所で剣を振るうというカエデの日課は若干変化していた。

 カエデの振るうバスタードソードの切っ先をベートの拳が逸らし、その後カエデに足払いをかけて転ばせようとしたベートに対してカエデは転んだ瞬間に後ろに転がってベートから距離をとろうとし、その途中でベートに踏みつけられて転がる動きが止まる。

 ベートに腹を踏みつけられた姿勢のままカエデはベートを見上げる。対するベートは鼻をならしてカエデの腹から足をどけて口を開いた。

 

「お前、格闘はできねぇのか?」

「……剣しか教えて貰ってないです」

「そうかよ」

 

 距離をとったベートに対してカエデが立ち上がってもう一度剣を構える。何度も地面を転がされたりしている所為で土埃に塗れせっかくの白毛が土色に染まったカエデの姿に目にベートが目を細めて腰を落として拳を構える。

 その様子にカエデが目を見開いてから息を吸って足を踏み出そうとして――鍛錬所に入ってくる人影に気付いて足を止める。

 

「……アレックスさん」

「チッ……」

 

 カエデの様子を見る以前からアレックスが近づいてきているのに気が付いていたベートは、まさかアレックスが鍛錬所に顔を出すとは思っておらず思いっきり舌打ちをしてから剥き出しの殺意をアレックスにぶつける。

 

「おい、テメェ……今度俺の前に顔出したら殺すって言ったよな」

「……うっせえ、今はアンタの相手してる暇はねえんだよ」

 

 ブチリと何かが千切れる音と共にベートが踏み出そうとして――嫌な予感を感じたカエデがベートの尻尾にしがみ付いてベートを止めた。

 

「ダメですベートさんっ!!」

「っ!! っ!? テメェッ! 尻尾触んなっ!!」

 

 唐突に尻尾を掴まれて驚いたベートがカエデに怒鳴り、カエデが身を震わせてから慌ててベートから離れる。その様子を見ていたアレックスが持っていた大剣の形状をした模擬剣をカエデの前に放り投げる。

 

「俺と勝負しろ」

「え?」

「…………」

 

 目の前に放り出された模擬剣とアレックスを何度か見やったカエデは困惑の表情を浮かべる。その様子にアレックスが腰を落として構えをとる。

 

「早くしろ、テメェを打っ倒して俺は――

「黙れ、失せろ」

「アンタには関係無いだろ」

 

 横から苛立ちと殺意を隠しもしないベートの言葉にアレックスは適当に返事をしてカエデを睨む。睨まれたカエデが困った様に眉を寄せて口を開いた。

 

「えっと……今はベートさんに鍛錬をつけて頂いているので……その、後でも良いでしょうか?」

 

 レベル上は同格ではあれども技術的な問題か特に苦戦する事も無いアレックスとの決闘よりは、完全に格上であり技術もアレックスとは桁違いに高く苦戦所か完全に辛酸を嘗めさせられるベートとの鍛錬の方が得られる経験値(エクセリア)も、経験もどちらも上であり出来うるならばベートとの鍛錬を優先したいカエデ。

 そんなカエデの様子に苛立ちを隠しもせずに今にも殴りかかりそうなアレックスに、殺意をぶつけつつも殺しにいくとカエデに止められるだろう事を想像して舌打ちしつつも手出しを控えたベート。

 

「んだよ、俺との戦いじゃ得るもんは何もねぇってのかよ」

「はい、ベートさんとの戦いの方が得る物が大きいので其方を優先したいです」

 

 素直さは美徳であろう。けれども素直過ぎるのも考え物である。そんな言葉が思い浮かぶほどに清々しく言い放ったカエデの言葉にアレックスの表情がみるみる怒りに染まり――次の瞬間にはカエデが止める間も無くベートの拳がアレックスの腹に突き刺さりアレックスが水平に数十Mほど吹き飛んで壁に叩き付けられてそのまま動かなくなった。

 

「はんっ、殺しちゃいねぇよ」

 

 響いた音に驚いたカエデが慌ててアレックスの生存確認をしようとしたのをベートが止める。

 心配そうにちらちらとアレックスを見たカエデは昨日のアレックスの様子から変に近づかない方が良いと思いつつも、同じパーティに配属されて『遠征合宿』に挑む以上やはり医務室に運ぶだけはした方が良いかと迷っている。

 すると無造作に鍛錬所の扉が開かれ、面倒臭そうな表情を隠しもしないラウルが現れた。何故かその手には縄が握りしめられている。

 

「あー、やっぱ此処に居たッスか……全く……あ、ベートさん。カエデちゃん、おはようッス」

「ラウルさん? おはようございます」

「おいラウル、アレックス(コレ)テメェの班に配属されてんだろ。ちゃんと面倒みやがれ」

 

 挨拶を返すカエデに、ラウルに文句を零すベート。その二人に困った様な表情を浮かべたラウルは溜息を零して壁際に倒れているアレックスに近づいて容態を見て安堵の吐息を零した。

 

「よかったッス、特に怪我は無いッスね。最悪死んでるかと思ったッス」

 

 安堵の吐息を零しながら、ラウルは気絶したアレックスをうつ伏せに寝かせてその手足を縄で縛り始めた。

 

「え? 何を……」

「ん? あぁ団長の指示ッス……暫く縛り上げて一緒に行動する事になったッス……」

 

 死んだ魚の様な濁り切った目でアレックスを縛り上げたラウルは意識の無いアレックスをそのまま担ぎあげる。

 

「今日はアレックスも一緒ッス……あ、カエデちゃん、朝食食べたらエントランス集合ッスから……朝風呂に入るならそろそろ行った方が良いッスよ……じゃ、俺はこれで」

 

 手を振って去って行くラウルの様子を呆気にとられていたカエデの頭をベートが叩いた、

 

「痛っ」

「ボケッとしてんじゃねぇよ……たく、お前の所為で尻尾が汚れたじゃねえか」

「あ……その……ごめんなさい」

 

 カエデがベートを止める為に尻尾に掴みかかった所為でベートの尻尾が土埃で汚れたのだろう。申し訳なさそうに謝るカエデにベートが眉を顰めた。

 

「お前……はぁ、さっさと風呂行ってこい、汚くて目障りだ」

 

 それだけ言うとベートが落ちていた模擬剣を拾い上げて面倒臭そうに吐息を零して去って行き、取り残されたカエデは最低限土埃をその場で叩き落としてから風呂に急いだ。朝食の時間まで余裕が無い。




 素直過ぎて『アレックスとの決闘よりベートさんとの鍛錬を優先したい』発言しちゃうカエデちゃん。これ以上ない程にアレックスを煽る煽る……なお本人は至極真面目な模様。

 裏で巻き起こるホオヅキVSヒヅチ(?)、ホオヅキさんが上手く立ち回ってくれればヒヅチ生存(?)の情報をカエデちゃんが知る事が出来るが……勝率はお察し。
 軍団最強(指揮官一人のみ)VS単騎最強だからね。


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『恵比寿商店』

『ナイアルも人使いが荒過ぎるんだよね……うん? この臭い……あの時の獣人の? って人が倒れて……あぁ、また現れたのか。全く、僕だって死にたくな――あれ? あの人、ギルドの狂犬のホオヅキ? 見事にお腹をパックリやられてまぁ……』

『グッ……ゴブッ……』

『うわっ……血反吐吐きながらもがいてるし、何であれで死んでないんだ? 一級冒険者って化け物ばっかだよ』

『……そこ、誰か居るさネ?』

『やぁ、死にかけの狼人さん。よくそれで生きてるね……助けは必要かい?』

『アチキの敵じゃないなら……逃げた方が良いさネ』

『うん? ……あぁ、そうみたいだね。あちゃー……引き際を誤っちゃったか。ナイアルが怒るかなぁ。君動ける?』

『ゴボッ……動けたら……苦労し……さネ……』


 ギリギリで朝食を食べ終え、防具の土埃を落として遅れ気味にエントランスに到着したカエデはエントランスの異常な光景に足を止めた。

 轡を噛まされ、縄で縛られたアレックスを背負ったラウルがにこやかな笑みを浮かべていたのだ。

 アリソン、グレース、ヴェネディクトスはその前に整列して呆れ顔でアレックスを見ている。

 

「あ、カエデちゃん来たッスか」

「はい……あの……アレックスさんは……」

「あぁ、これッスか? 今日一日こんな感じッスから気にしなくていいッスよ」

 

 グレースが軽蔑の目でアレックスを見てから肩を竦めた。

 

「救えないわね」

「本当にね」

 

 同意するヴェネディクトスは溜息を一つ零してからラウルを見据える。

 

「昨日は一応ダンジョンでそれぞれのメンバーの実力を確かめるというモノだったけど、今日は何をするので?」

 

 ヴェネディクトスの質問に対し、ラウルは一つ頷くと口を開いた。

 

「今日は買い物に行くッス」

「……買い物?」「は?」「えっと……何を買いに?」

 

 首を傾げるカエデ、何を言っているんだと半眼でラウルを睨むグレース、小首を傾げつつも質問を投げかけたアリソン。ヴェネディクトスだけは納得した様な表情を浮かべて頷いている。

 

「ヴェネディクトス、説明出来るッスか?」

「わかった」

 

 ラウルの言葉に同意したヴェネディクトスは大きく息を吸ってからカエデ達の方に向き直った。

 

「今回、ラウルさんの言う()()()というのは今回の『遠征合宿』に於いて僕たちのパーティが持ち歩く物資類の補充及びに選択の事だね」

「物資?」

 

 冒険者は神の恩恵(ファルナ)によって常人とは隔絶した強さを手にしている。しかし、食事を取らねば飢え、水を飲まねば脱水症状で体調を崩す。

 神の恩恵(ファルナ)を持たぬ身で飲食をしなかった場合は大体五日程度で身動きが取れなくなり、一週間もすれば餓死するものである。

 だが、冒険者の場合は一週間程度であれば飲まず食わずでも活動が可能である。とは言えコンディションは最悪であり、集中力を乱す結果にも繋がるので基本的にはしっかり飲食は行うべきであると言われているし、当然の如く迷宮内に遠征に向かう際には兵糧が重要になってくる。

 

 物資と一言でまとめると解り辛い。例えば治療用の包帯、回復薬(ポーション)類や、予備の武装、防具類。野営地建設用の資材等々。それら全てを持ち運ぶのは非常に大変である。

 いくら冒険者の身体能力が高かろうと、必要のない物資を持ち運ぶ余裕は微塵もない。

 

 ラウルの言う()()()というのは今現在のパーティに於いて必要なモノを取捨選択する試験である。

 

 例えば現在のラウル班に於いて回復薬(ポーション)類は必須品とも言えるだろう。グレースが敵の攻撃を回避する事なく全てその身で受けるが故に負傷が酷い為だ。

 他にはヴェネディクトス用の精神力回復特効薬(マジック・ポーション)が必要である。

 

 他の班には魔法が使える者が居ない場合もあるのでその班の場合は精神力回復特効薬(マジック・ポーション)は余計な荷物だし、負傷しない様に立ち回る事で回復薬(ポーション)類の消費を抑えて戦う事が基本であるし。

 回復薬(ポーション)類は硝子の試験管に入れられているので非常に脆く、持ち運びには専用のケースを使うか、ポーションポーチと呼ばれるスリットに入れておくかだが、どちらにせよモンスターの攻撃に耐えられる耐久力は無いので多量に持ち歩いてもモンスターの攻撃で無駄になる可能性も高い。専用のケースであればある程度耐えられるがケースに収める場合は持ち運べる数はかなり少なくなる。

 

 それ以外にも予備武装の関係もそうだ。グレースの様に軽量な武装であれば特に悩む必要は無いのだが、カエデが扱う大剣、アリソンの扱う長柄武器辺りは予備を持っていくとなれば相応の重しとなる。

 

 大規模遠征の難易度が非常に高くなる理由は輸送隊が編成される事であろう。輸送隊はその性質上どうしても足が遅くなりがちであり、主力はその輸送隊を護衛しつつ深層を目指す事になる。

 

 今回の『遠征合宿』に於いて重要な点は『物資類も全て班で用意する事』である。指定された物資を指定されただけ持っていくのではなく、パーティの中で話し合ってどれを持っていくのか、どれを持っていかないのかの取捨選択が必要なのだ。

 

 全部持っていくという選択をするパーティも中には居るだろうが、そもそも妨害組の邪魔が入る事を考えれば身軽な方が良いに決まっている。しかし持っていく物資を絞り過ぎれば物資不足に苦しめられるだろう。

 

 個々の判断能力を試すのが今回の()()()の目的である。

 

「つまり、何を持っていくのか決めるって事ですか?」

「そうッスね。基本的に補助役(サポーター)の俺が持ち運べる重量には制限が掛かってるッス」

 

 今回向かうのは十八階層、中層と下層を隔てる安全階層(セーフティポイント)だ。

 難易度を上げる為と言うよりはその先を見据えた設定をしていると言えるだろう。もし本当に『大規模遠征』に編成される事になれば今以上に物資を運ばなくてはならない。しかも自分たちが一番身重になるという危険な状態で。

 

「という訳でダンジョン内で必要だと思う物資を買いに行くッスよ……といっても道中で何が必要なのか考えて貰うッスけどね」

 

 最低限持っていく物として野営用の『テント』、寝袋を4つ、高等回復薬(ハイ・ポーション)、包帯、携行食糧である。

 注意点としてこの際の携行食糧は必要な栄養をギュッと固めて作った固形の()()()()()()()()()であり、通常の食事として食べられる物ではない。

 

 あくまでも()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()というのが携行食糧である。あまりの不味さに冒険者達からは不評が相次いでいるが携行食糧の携帯性は非常に高く、非常に少ない容積でかなりの食事を賄えるので食事を全て携行食糧で賄えば物資の軽量化が進む。

 ただ、味が味なのでそれを決行した場合は食事が地獄になる。クソ不味いビスケットの様な何かなのだから致し方なしではあるのだが、食事は冒険者を癒す要因であり、人によっては食事で英気を養う者も居るのだ。なのに唯一の楽しみと言っていい食事として糞不味いビスケットなんで食わされた日には士気はダダ下がりだろう。

 実際、他のファミリアで似た様な事件を引き起こしているし、ラウルが参加組だった際に『食事は全部携帯食糧で済ませて回復薬(ポーション)多めにしよう』として十八階層で食事の時間になった時に地獄を見たのだ。

 

 他にも物資関連の失敗は多々あるが、今回の遠征に於いて必須な品々として名前が挙がる道具類もあるのだ。

 

 破裂すると高音を放ち平衡感覚を一時的に狂わせる音響弾(リュトモス)、激しい発光によって視界を奪う閃光弾(フィラス)、煙を発生させて鼻と視界を潰す煙幕弾(カプノス)、音によって敵意を自身に集める角笛(ホルン)

 

 モンスター相手に目晦ましや隠蔽、逃走に使う道具類。この辺りの道具がかなり重要になってくる。

 

 と言うのも妨害組にはそれぞれ個別に『この道具を使われたらこうしろ』という命令がされている。たとえば音響弾(リュトモス)を使われたら離れろ。といった感じに行動に制限がかけられている。

 

 まぁとある一人が音響弾(リュトモス)から逃げろと命令されている場合、別の一人には音響弾(リュトモス)の使用地点に最速で向かい使用者を発見次第倒せ。といったようにソレを使う利点(メリット)欠点(デメリット)がしっかり定められているので一概には言えないが。少なくとも上手く道具を使う事が出来れば妨害組をなんとかできるかもしれないのだ。

 

 まあ、今までの傾向からしてほぼ不可能であろう。クリア組数ゼロと言う話もある。

 

「という訳で、店まで案内するッスから。皆ついてきながらしっかり考えてくださいッス」

「もがもがーっ!!」

「アレックス、ちょっと静かにしててくれッス」

 

 背中でじたばた暴れようとするアレックスに溜息を零してラウルは四人を眺める。

 

「それじゃ行くッスよ」

 

 よく分らないけどとりあえず頷くカエデ、面倒臭そうにアレックスを睨むグレース、既に何が必要かをしっかり考えている経験者のヴェネディクトス。縛られたアレックスを心配そうに見るアリソン。

 そしてラウルの背で縛られているアレックス。

 

 このパーティ、クリアできるのだろうか。内心呟きつつカエデは零れそうになった溜息を飲み込んだ。

 

 

 

 

 

 北西のメインストリート、通称『冒険者通り』と呼ばれる其処は、冒険者が利用する各種施設がずらりと並んだ冒険者なら一度は必ず利用した事のある通りである。

 そんな冒険者通りの一角。レンガ造りの建造物が多い中、一風変わった木材をふんだんに使用した極東風の建造物が威風堂々と建っていた。軒先の暖簾には『帆船と宝物』のエンブレムが刻まれている。

 多数の冒険者が利用する冒険者の道具類専門店である『リーテイル』と人気を二分しつつも客層が微妙に違う店舗である。

 その建造物、恵比寿ファミリアのいくつもある分店の一つである『恵比寿商店』と呼ばれるその見慣れぬ形状をした店舗。その入口でラウルが吐息を零してからアレックスを地面に投げ落とす。

 

「むぐっ!」

「今解くっすからちょーっと待つッスよ」

 

 アレックスの縄に手をかけた姿にグレースが目を細めてラウルを睨む。

 

「え? 何? そいつ連れて来たのに捨ててくの?」

「違う違う、何度も言うッスけどアレックスも一応メンバーッスから……協力しなかったらわかるッスよね?」

 

 小声でベートさんの前に突き出すぞと脅しをかけるラウルに対して、アレックスは腕が解放された瞬間に腰から剥ぎ取り用のナイフを取り出して手早く縄と轡を外すとラウルを睨む。

 

「てめぇ、ぶっ殺されてぇのかよ」

 

 その言葉にカエデが眉を顰め、グレースが舌打ちし、アリソンがグレースの肩を掴んで止める。

 ヴェネディクトスが前に出て口を開いた。

 

「アレックス、頼むから協力してくれないか?」

 

 頼み込むヴェネディクトスにアレックスは鼻を鳴らして舌打ちをした。

 

「チッ、テメェらみてぇな雑魚とは――

「アンタさ、カエデは雑魚じゃないでしょ? つか、昨日普通に負けたの覚えてない訳? 頭大丈夫? つかカエデ、アンタコイツに命令しなさいよ。アタシに従えって」

 

 アレックスの言葉を遮ったグレースがカエデの首根っこを掴んで前に引き摺り出す。戸惑った表情のカエデをアレックスの前に突き出した。突き出されたカエデが困った表情を浮かべつつも戸惑いがちに命令を口にした。

 

「えっと……今回の命令にしたがってくださ――

「いや、それお願いだから、従えって言えば良いのよ。強いなら胸張って言いなよ。なよなよしててムカつくんだけど」

「あっ、ごめんなさ……えっと……アレックスさん……アレックス、従え……ください」

 

 グレースにド突かれて何とか命令っぽく言おうと努力したカエデに対し、アレックスは表情を歪めて口を開いた。

 

「糞っ……後でぶっ飛ばしてやるからな」

「え? あぁ……はい」

 

 アレックスに睨まれた為、慌ててグレースの手から抜け出して近くに居たラウルの後ろに隠れたカエデにアレックスとグレースが同時に口を開いた。

 

「「なんでテメェ(アンタ)がビビってんだよ(のよ)……あぁ?」」

 

 台詞が被った二人が額を付き合せて睨み合いを初め、アリソンが困った様に耳を垂らし、ヴェネディクトスが溜息を零した。

 ラウルが二人とも適当に殴り倒そうかなと物騒な事を考え始めた所で恵比寿商店から声が聞こえて来たので全員の視線が恵比寿商店の方に向いた。

 

「ねぇそこの君ら。申し訳ないんだけど店舗前で騒がしくしないでくんないかな?」

 

 灰毛に、右目が蒼、左目が金というオッドアイの小柄な猫人が冬小袖に黒紬紋を身に纏った姿を暖簾を片手でかき分けて迷惑そうに店先で騒ぐアレックスとグレースの二人を見ていた。

 

「あ、モールさん」

「うん?」

 

 その姿に見覚えのあったカエデが思わず声をかけるとその猫人(キャットピープル)は吐息を零して片眉を上げてじーっとカエデを見てからぽんと手を叩いた。

 

「あぁ、妹の知り合いか。すまないが僕は兄の方だよ。目を見ればわかるけど……妹は右目が金で左目が蒼だよ。僕と逆なんだ」

 

 肩を竦めつつも店先に出て来た人物。カエデがオラリオに来る以前に旅糧の購入の為に声をかけた商隊の中に居た猫人(キャットピープル)の女性とよく似た容姿をしたその人物にカエデは慌てて頭を下げた。

 

「ごめんなさい、良く似ていたので……」

「謝る必要は無いよ。皆も良く間違えるからね」

 

 肩を竦めて苦笑を浮かべたその猫人(キャットピープル)、【金運の招き猫(ラッキーキャット)】カッツェ・フェーレースはラウルに視線を向けて笑みを零した。

 

「やぁ、今日は何の用だい……っていうのは冗談だよ。『遠征合宿』に向けた注文かい?」

 

 まるで今回の訪問目的を既に知っていたかのように振る舞うカッツェの様子に、アリソンとグレースが驚いてカエデが感心した様な吐息を零した。

 

「なんでわかったんですか?」

「あぁ、さっきまで【魔弓の射手】とかの【ロキ・ファミリア】の二級(レベル3)団員が、三級(レベル2)を引き連れて何度も訪ねてきていたからね」

 

 そろそろそんな時期だなって予測しただけさ。そんな風にケラケラと笑うとカッツェは後ろの方のアレックスを見て眉を顰めてから、ラウルの方を向いた。

 

「【超凡夫(ハイ・ノービス)】、すまないがそっちの【強襲虎爪】は出禁だ。帰ってくれないか?」

「うぇっ!? 何やったんッスか!?」

「ああ、前に酒場で派手に暴れてね。【凶狼(ヴァナルガンド)】共々、少なくとも一か月間は【恵比寿・ファミリア】に所属している商売を行っている店舗には出禁なんだよ……そちらの主神には伝えてあるはずだけど?」

 

 不思議そうに首を傾げたカッツェの様子に、ラウルが額に手を当ててから溜息を零した。

 

「じゃあ店先で待たせるッスから買い物の許可が欲しいんすけど……」

「それは構わないよ、其処の虎人(ワータイガー)、君は近づかないでくれ。暴れる奴は客じゃないんでね」

 

 鼻で嗤って手を払って追い払う仕草をしたカッツェ。その様子を見たアレックスの額に青筋が浮かんだ。

 

「テメェ……」

「ちょっ! ダメですアレックスさんっ! ストップっ! ここで大人しく待っててくださいっ!」

 

 カエデが慌てて命令の様なお願いをすると、アレックスは苦々しげな表情を浮かべて舌打ちをして店先から少し外れた所で魔石灯に凭れて腕組みして目を瞑った。

 

「ここで待ってる。早くしろよ」

 

 このままでは【恵比寿・ファミリア】に真正面から喧嘩を吹っ掛ける事に成る。そうなればファミリア自体にも多大な迷惑がかかる。挑発したのがカッツェだったとしても、元の原因がアレックスにある以上、擁護出来ない。

 

「なんでアレはあんなに偉そうなんだい? まぁ良いか」

 

 そんな風に不快そうに眉を顰めたカッツェは、一度俯いて表情を隠してから顔を上げた。

 其処にはにっこりとした笑顔が浮かんでおりカッツェは暖簾をかき分けてカエデ達を振り返って口を開いた。

 

「ようこそお客様、恵比寿商店へ。お探しは何を? 剣? 薬? 鎧? 当店では世界各地より取り寄せた珍品、名品、なんでもそろっておりますよ? もし探し物が無くとも相談して頂ければ世界の何処にでも探しに行きましょう。さぁさぁ中へ、お話をお伺いしましょう」

 

 商売人の笑顔を浮かべたカッツェの流れる様な台詞にラウルが半笑を浮かべて口を開いた。

 

「それ、毎回言ってるっすよね。聞き飽きたんスけど」

「まぁ、これが客を出迎えるお手本だからね。ほら、早く入るといいよ」

 

 

 

 

 

 棚に置かれた大小さまざまな小瓶。血の様に赤い液体の入った小瓶を眺めて首を傾げるカエデを余所に、アリソンとヴェネディクトスの二人が注文書に必要な物を書きこんでいる。

 グレースは商品棚を眺めているカエデの首根っこを掴んで「うろちょろすんじゃないわよ」と呟きつつも注文書の筆記に参加するでもなく二人の後ろ姿を眺めている。

 ラウルはカッツェと談笑しており、時折苦笑を浮かべたりしている。

 

「やっぱそっちの主神も大変ッスか? 見るだけで吐き気がするぐらい胡散臭いって聞いたッス」

「あぁ、君の所のロキも大変だろう? 噂は聞いてるよ……突拍子もない事をするんだって?」

 

 もっぱら自らのファミリアの主神の愚痴を零す二人。その様子をちらりと見てからカエデは首根っこを掴んでいるグレースの方を見上げた。

 

「離してください」

「アンタうろちょろすんでしょ。大人しくしてるなら別に良いけど」

 

 肩を竦めたグレースはパッとカエデを手放してから注文書にアレコレ記入している二人を見て溜息を零した。

 

「注文し過ぎじゃない? サポーターの重量制限考えてるのよね」

「え? あぁ……えっと、じゃあこっちの調理用品は外しますか?」

「最悪鍋一つでなんとかなるだろう……携行食糧は必須品だったはずだから外せないよ」

 

 チェックリストから調理器具各種の項目から、鍋以外の全てを外していく。ついでに携行食糧のチェックを外そうとしているアリソンの様子を見てグレースが待ったをかけた。

 

「テントってどうします? 男女で分けます? かなり嵩張りますけど」

「……僕は分けた方が良いと思う。けれどダンジョン内でそんな贅沢は言えないね。というよりどちらかと言えば気にするのは女性である君たちの方だと思うけれど?」

「ん? アタシは気にしないわ。何? 寝込み襲うつもり?」

 

 冗談なのか本気なのかわからないグレースの言葉にヴェネディクトスが胸に手を当てて宣言する。

 

「いや、エルフである事に誓ってそんな事はしないさ」

「あっそ、じゃあカエデ、あんたは? まぁガキんちょのアンタは気にしないわよね」

「……? 男女で分けるんですか? 何でですか?」

 

 テントが嵩張るなら二つもいらないのでは? そんな風に首を傾げるカエデにグレースが微妙そうな表情をした後、カエデの耳を摘まんで引き寄せる。

 

「痛いですっ! 耳を掴まないでくださいっ!」

「良いからアンタちょっと来なさい。この調子だとアンタ水浴びも一緒にやればいいとか言いだしそうだし」

 

 寝所だけでなく水浴びも別にやる必要があるのか? 人数的に警戒する為に二人を見張りで残りで水浴びする。というのが効率的だと思っていたカエデが、首を傾げているのをグレースが信じられないと見てから溜息を零した。

 

「何コイツ、羞恥心とか無い訳? アリソン、アンタも流石に恥ずかしいわよね?」

「え? そうですか?」

 

 お前もか、そんな表情を浮かべたグレースの様子にヴェネディクトスが困った様な笑みを零して口を開く。

 

「本来なら女性である君達が拒むべき所なんだけどね……」

 

 男女が同じテントに……同ファミリアとは言えもし間違いを起こせばロキが怒るだろう。というよりダンジョン内で睦言を交わすなんて事するとは思えなくとも、やはり男女は別のテントでというのが基本だ。

 幼すぎてそこら辺意識していないカエデと、あんまりよく考えていないアリソンの二人に頭を痛めたグレースがヴェネディクトスを睨んで呟く。

 

「襲ってきたら返り討ちにするわ」

「いや、テント別にしないのかい?」

「荷物の無駄でしょ……それよりも対処道具類はどうすんのよ」

 

 音響弾(リュトモス)閃光弾(フィラス)煙玉(カプノス)はあまり嵩張る物ではない。それぞれ音響弾(リュトモス)は握りこぶし大の灰色の球体、閃光弾(フィラス)は黄色い塗装のなされたこぶし大より少し大きめの球体である。

 煙幕弾(カプノス)、だけは少し特殊で円筒形であり紐を引っ張って効力を発動するタイプだ。

 その三つなら二、三個程度ならベルトの専用ポーチに入れられるが、種類が嵩めばその分持ち運べる数が減る。

 音響弾(リュトモス)閃光弾(フィラス)煙玉(カプノス)の三つは一人で持ち運べるのはせいぜい二個か三個だろう。

 『投げナイフ(スローイングダガー)』を扱うカエデ等は下手をすれば一つ持てれば良い方だったり。身軽さを好みアイテムを保持しておくベルトを装備しないアマゾネスならそもそも持ち運べなかったりする訳だが。

 

 元々迷宮の悪意(ダンジョンギミック)の霧や濃霧で視界の塞がれた十一、十二階層以外の階層では、煙玉(カプノス)はそこそこ有効な道具である。

 

 現実的な所持品は『前衛(タンク)』に閃光弾(フィラス)音響弾(リュトモス)を1個ずつ。

 『中衛(アタッカー)』に閃光弾(フィラス)煙玉(カプノス)

 『後衛(サポーター/ヒーラー)』が少々無茶して各種一個ずつ持ち運ぶぐらいだろうか。

 

 予備としてどれだけ持っていくか? もし持っていくなら他の道具類や予備の武具との兼ね合いはどうなるのか?

 

 考えながら必死に注文書を書いているヴェネディクトスとアリソンを眺めてカエデとグレースが手持無沙汰になってグレースがカエデの耳を摘まんでぴこぴこ引っ張り始め、カエデが必死にグレースの手から逃れようとし始めた。

 それを見つつもカッツェは店内で暴れちゃダメだぞーと呑気に笑い。ラウルが首を傾げた。

 

「そう言えば神恵比寿はどうしたんスか?」

「うん? 恵比寿なら今オラリオの外を飛んでるんじゃない?」

 




 進撃の巨人2をプレイしながら思った事。双剣かっこいいなぁ。

 でもカエデちゃんは大剣使いで通す積りだし、双剣使いを……と思ったけど。ダンラプのベートさんが双剣も使えた様な?

 まぁ、立体起動装置ありきのあの挙動はかっこいいとは思うけど閉所空間(ダンジョン)で扱うもんじゃないしね……。つか両手に中華包丁ってごついなぁ。






音響弾(リュトモス)
 灰色の塗装のなされた握りこぶし大の大きさの球体。非常に高い高音を発し、音に頼って活動する一部モンスターを気絶させたりできる。
 安全装置である紐を引っこ抜いてから投擲する事で効果が発動する。
 他にもモンスターの陽動にも使われる事がある。

 敵だけでなく味方にも効果が及ぶ上、獣人等の五感の優れた者は暫く平衡感覚を奪われたりする危険性もある。



閃光弾(フィラス)
 黄色い塗装のされた握りこぶしより少し大きい球体。目が眩むほどの激しい閃光を放ち、目に頼った活動をしているモンスターを気絶させたりできる。
 安全装置である紐を引っこ抜いてから衝撃を加えると効果が発動する。

 ほぼすべてのモンスターに効果があり、重宝される。しかし同時に冒険者の目も潰す危険性があるので取扱注意。 




煙幕弾(カプノス)
 灰色の円筒形の投擲物。無味無臭の白煙を大量に発生させ視界を奪う。
 白煙には消臭効果が存在し霧の内部では臭いが一切感じられなくなる。
 鼻と目を潰す事が出来、殆どのモンスターに効果がある。
 しかし耳を潰せるわけでは無いので基本は『音響弾(リュトモス)』と組み合わせて使われる。

 比較的取り扱いを間違えても安全な道具である。
 



 『角笛(ホルン)
 モンスターの角を使用して作られた笛。【ミューズ・ファミリア】が作成したモンスターの敵意を集める音を放つ楽器。
 意図的にモンスターの敵意を集めるのに使われる。

 本来はただの楽器だったが、ダンジョン内で使用したらモンスターの殺意を一挙に引きつけると言う効果がある事が発覚した為、商品化された。
 囮として陽動に使われるものだが、割と嵩張るので持ち運びが面倒。


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『恐怖心』

『グッ……お前、もうちっと優しくしろさネ……』

『助けてあげるんだから文句は言わないで欲しいね』

『もう少しで抜けそうさネ』

『しかしまぁ……見事に捕まっちゃったねぇ』

『殺されなかっただけマシさネ』

『手足に釘ブッ刺されて磔にされておいて、よくもまあそんな口が叩けるもんだね……ほんと、痛くないのかい? 見ているこっちが辛いんだけど』

『うん? めっちゃ痛いさネ。だから早く引っこ抜いてくれさネ』

『……全然、痛がってる様には見えないね、君』


 アレックスの基本装備は要所のみを守るハーフプレートアーマーに重装甲の手甲と言う格闘主体を意識したものである。

 これだけ聞けば【凶狼(ヴァナルガンド)】ベートと同様の構成の装備を想像するだろうが、実際は違う。

 金属靴では無く革ブーツに鉄片で補強を施した物に更に音消し用に布を巻き付けた消音を重視したものを装備している。

 二つ名の【強襲虎爪】の名の通り()()()()をする為のものである。

 

 パーティと不仲であまりうまくいきそうにないアレックスを連れていながらも、数日で連携を上達させたラウルのパーティが訪れたのはダンジョン十五階層。

 ごつごつとした岩肌が、上下左右、視界の全面を占領しており、光源が心もとなく薄暗く、でこぼこした石の通路は歩きにくい。

 洞窟、炭鉱、坑道を連想させる岩盤の洞窟の中をまるで平地を行くかのように小走りで対象に近づいていくアレックスの姿を後ろから眺めつつ、カエデは感心した様に吐息を零した。

 足音が全く聞こえない。皮ブーツに色々と小細工が為されているとは言え、それだけで此処まで足音を消せる訳がない。つまりアレックスは物音を立てずに小走りで近付く技能に優れているのだ。

 

 対象は十五階層では珍しいミノタウロス単体。

 ミノタウロスは三級(レベル2)冒険者でも、基本は避けて通る程に優れた能力を持ち、知能も高く、天然武器(ネイチャーウェポン)を装備した個体は苦戦必至と言うモンスターである。

 そんなミノタウロスに静かに、けれども素早く近づいていくアレックス。

 

 アレックスは牙を剥く様な獰猛な笑みを浮かべるでもなく、ただ只管に獲物であるミノタウロスの首を見据えて足を進める。

 一定距離、相手が此方に気付いたとしても、接近し攻撃を放つまでに対処不可能な距離まで近づいた瞬間、足音を放つのも厭わずにアレックスが瞬時にミノタウロスに近づいてその喉元に重装甲の手甲を素早く突き込む。

 

 対象となったミノタウロスはそこそこ手練れだったのだろう。足音が聞こえた瞬間にその場を離脱すべく、重心を移動させて強襲への対処を行おうとした様子だったが、そんな事は関係無いとばかりにアレックスの攻撃がミノタウロスの喉に突き刺さった。

 体を震わせ、ミノタウロスが手に持っていた天然武器(ネイチャーウェポン)の岩の大斧が音を立てて地面に突き刺さり、ミノタウロスの体がゆっくりと倒れていく。

 そのまま大きな音を立てて倒れたミノタウロスを見下ろしてアレックスは鼻を鳴らして後ろを振り返った。

 

「ま、こんなもんだな」

 

 その様子を後ろから見ていたラウル達は感心した様な溜息を零して各々呟き始める。

 

「確かに凄く強いんスよね」「流石よね。戦い()()()」「そうだね戦い()()()称賛できるね」

 

 あのミノタウロスを軽々と強襲して一撃で屠ったその姿にカエデは首を傾げた。

 むしろあの強襲をしかければ誰でも一撃で屠れるのでは? 隠密性と言う意味では素晴らしくはあったが、あれは()()ではなく暗殺の類ではないのだろうか?

 そんな疑問を飲み込んでパチパチと手を叩く。カエデは数日間共に行動したことで学んだのだ、アレックスの前で余計な疑問を口にすると怒らせてしまうのだと。

 

「んだよ、おんなじこともできねぇ雑魚の癖に吠えんなよ」

 

 苛立たしげにラウル達を睨んだアレックスに対し、グレースが肩を竦めた。

 

「能力は良くても、中身が最悪なのよねぇ」

「あぁ? 喧嘩売ってんのか?」

「アレックスさん、ダンジョン内では喧嘩しないでください」

 

 カエデの言葉にアレックスがあからさまに苛立たしげな視線をカエデに向ける。

 

 二、三日前から毎朝アレックスとの模擬戦を行い。その都度カエデが勝利を飾り一日の命令権を得ると言う形で、アレックスをパーティに参加させて、何とか『遠征合宿』に向けた連携の強化を図ろうとしている。

 しかし参加はすれど馴れ合う事を嫌い、連携の強化には至っていない。

 とは言え単体の戦闘能力はパーティの中では二番手を飾る程に高い。

 

 グレース、アリソン、ヴェネディクトスは単身でミノタウロスを戦う事は出来ず。三人集まってなんとか倒せると言った形である。

 アレックスは強襲と言う形が上手く嵌れば倒す事が可能であり。カエデの場合は使用禁止されている烈火の呼氣を使えば単騎討伐可能と言った程度。

 最悪の場合アレックスとカエデの二人で残りのメンバーを護衛しつつ強行軍が可能ではあるのだ。

 

 問題があるとすればアレックスが連携のれの字もとらない所か。

 

 考え事のさ中、尻尾を引っ張られた気がして自身の尻尾を見て首を傾げたカエデが口を開く。

 

「あっちから何か来る気がします」

「えっと、あっちですね? ……えっと、四足歩行のモンスター、八匹ぐらいの群れですね」

 

 ダンジョン十五階層で出現する四足歩行のモンスターと言えば、鋭い爪と強靭な肉体、跳躍力に優れた虎のモンスター『ライガーファング』だろう。

 アレックス同様、強襲されれば危険度はそこそこ高いものの、個々の連携能力がそこまで高くないモンスターではある。八匹と言えど問題は無いだろう。

 

「迎撃準備かな? 他の通路は?」

「……来ないです」

「わかった。アリソン、前衛(タンク)をお願い。グレースはアリソンの二重支援(バックアップ)を、カエデは遊撃を頼む。アレックスは――

「うっせぇ、雑魚が指示してんじゃねえ」

 

 指示を出していくヴェネディクトスを睨むと、アレックスは鼻で笑ってからライガーファングが向かってくる通路に走り込んでいく。

 

「あっ、アレックス待つんだ」

「うっせぇ、テメェらみてぇな雑魚に付き合ってられるか」

 

 唐突なアレックスの行動に意表を突かれたカエデ達がアレックスを見送った。

 つい先ほどまでミノタウロスの魔石を剥ぎ取っていたラウルが、魔石を手の中で弄びつつ、ぽつりと呟いた。

 

「前途多難過ぎるッス」

 

 慌ててヴェネディクトスが口を開く。

 

「アレックスを追うんだっ!」

「はいっ!」「全く、このまま見殺しで良いんじゃない?」「グレースちゃんそれは不味いですよ……」

 

 即応したカエデが通路に飛び込み、グレースが溜息を零しつつその後に続く。アリソンがパーティ内では敏捷が遅めのヴェネディクトスを抱えて走り出し、ラウルがその後ろ姿を眺めながら続く。

 

 アリソンにお姫様抱っこされたヴェネディクトスを見ながらラウルはぽつりと呟いた。

 

「何処でも男の立場って微妙なもんッスよね」

 

 深層遠征中のさ中もどちらかと言えば、女性団員の割合の多い【ロキ・ファミリア】では活躍の場が女性にとられたりする事が多い事を思い出し、ラウルは溜息を零した。

 

 

 

 

 

「糞っ!」

「アレックスさんっ!」「何やってんのアンタ」

 

 ライガーファングを強襲で二匹片付けたのだろう、しかしその後は数に押されて翻弄されているらしいアレックスの姿に流石に呆れざるを得ない。むしろ今までよくそんな行動でダンジョン内で死ななかったものだと思う。

 とは言え立ち回り自体は悪く無く、残り四匹の内、隙を見てもう一匹を殴り飛ばして戦闘不能に追い込んでいる。

 

 ライガーファングはアレックスを中心に縦横無尽に飛び掛かりアレックスに反撃の隙を与えない様に動いていた。

 そんなライガーファングに対し、グレースが一気に肉薄して背後からケペシュで腹を引き裂き始める。

 

「柔らかな腹肉ねぇ」

 

 背中から抱き付く様な形での奇襲に対してライガーファングは振り解こうと暴れるがそれよりも前にグレースのケペシュがライガーファングの毛皮を裂き、その柔らかな腹に幾条もの切れ込みを入れていく。

 その一つに無造作にケペシュを突き刺して傷口を広げつつ内臓を破壊していく。

 

「はい、お終いっと」

 

 ぱっとライガーファングの背中から離れて降り立ったグレースは周囲を見回して溜息を零した。

 

「……アタシが一番最後か」

 

 転がる首が二つ。カエデが血濡れたバスタードソードの血を振るい落とし、鞘に納めているのを見て溜息を零しかけた所で、肩に一撃を貰って負傷しているアレックスを見て目を細める。

 

「アンタさ、何考えてんの? 今のアタシらが見捨ててたらアンタ死んでたかもしんないんだけど?」

 

 見捨ててもよかったが、この件で後から何か言われたりしそうだから面倒だ。そんな様子を隠しもせずにグレースがアレックスに近づこうとして、足を止めた。

 アレックスの視線はカエデに向けられている。

 

 肝心のカエデは睨まれたと思ったのかそそくさとグレースに隠れようとして、グレースと目が合って動きを止めていた。

 

 何度も隠れる為の遮蔽物として利用されていたグレースは、その度にカエデを自身の陰から引っ張り出していたので、隠れても無駄だと判断したのだろう。何処に隠れるべきかきょろきょろしだしたのを見て、グレースの表情に呆れの色が追加される。

 カエデを睨むアレックス、カエデに呆れ顔を向けるグレース、どうすべきかわからず硬直したカエデ。そんな三人の元に遅れてやって三人がやってきた。ヴェネディクトスを抱えたアリソンが首を傾げ、ラウルがまたかと溜息を零した。ヴェネディクトスだけが冷静そうにアリソンに下ろす様に指示を出していた。

 

 

 

 

 

 アレックス・ガートルと言う少年にとって、強い者と言うのは乗り越える為の壁でしかない。

 『渓谷の獣牙』と言う部族の出身であるアレックスは、その部族の掟に従い行動する。

 

 『渓谷の獣牙』と言う部族は元々『平原の獣民』と交流のあった部族だ。

 

 どちらの部族も強き者と言うのは重視される部族であるが、差異も存在した。

 『平原の獣人』は強くなる為に幼い頃から鍛錬を積む。だが強さを得る理由は弱き者を守護し、部族と言う群れを守る戦士となるべく、強さを求める。

 『渓谷の獣牙』は強くなる為に幼い頃から鍛錬を積む。『最強』、只その名を欲して血で血を洗う戦士として育てられる。『最強』を欲し、強さを求める。

 

 アレックスと言う少年は部族の中でも優れた能力を持つ少年であった。ただ只管に『最強』の座を求めて血で血を洗う様な闘争に明け暮れる部族の中でも幼き戦士達の中で上位を維持し続けた実力者。

 

 『平原の獣民』が『平原の主』と呼ばれていたモンスターに滅ぼされたのがきっかけだったのだろう。

 

 弱き者を守るべく強くあろうとした『平原の獣民』、強さは『渓谷の獣牙』にも認められてはいた。

 だが弱き者を守る等と言う()()()()を口にしていた所為で、優れた戦士達が死んだ。それも幼い戦士の一人を残して他は皆死んだのだと言う。

 優れた戦士達の抵抗虚しく、ただ蹂躙され尽くした『平原の獣民』と言う部族。

 

 その一報を受けて『渓谷の獣牙』と言う部族は変化を遂げた。

 

 他の部族、それも交流のあった、優れた戦士を数多く率いていた『平原の獣民』と言う部族。

 そんな部族の悲報であった事から、自らの部族も滅ぼされる危険性があるのでは? そんな風に考えたのだ。

 弱き者を抱えていては生き残れない。だから、群れの全員が強くならなくては、故に『弱き者には死を、強き者のみの生を』。

 掲げられた目標は過激すぎるとも言えるものではあった。だが、部族は確実に強くなっていった。数えきれぬ程の屍を積み上げながらも、着実に。

 

 その後、『平原の獣民』の生き残りが、神の恩恵(ファルナ)を手にして『平原の主』を討滅するその時まで只管に部族全員の強さを引き上げ続けた。

 

 『平原の主』が『平原の獣民』の生き残りの少年に討伐された。そんな情報が『渓谷の獣牙』に届いたのはアレックスの家族が、アレックスを除いて皆死に絶えた後の事である。

 

 優れた能力が無い者、少しでも能力の劣る者。そんな者を生かしておいても仕方が無い。強い者だけが残ればいい。

 アレックスの父も、母も、兄も、弟も、皆劣っていた。『生きる権利を奪われる弱者でしかなかった』。

 武器を持つ事を拒んだ父も、優しさしか取り柄の無かった母も、アレックスよりも優れていたのに怪我をして戦えなくなった兄も、戦いの才能の無かった弟も、()()()()()()()()()()()()から。

 

 自分は違う、あんな()()()()()()()()()()()とは違う。

 

 だから、強くなろうとした。ある程度強くなれば脅える必要は無くなった。だが半端な強さではいずれまた脅える羽目になる。

 だからこそ、頂に立ちたいと願った。

 『最強』と言う称号を得てしまえば、脅える必要はない。只強く、最強の座を目指せ。

 

 だと言うのに、アレックスと言う少年は()()()()()()()()()()()

 

 井の中の蛙、大海を知らず。

 

 違う、アレックスは知っている。下限はあれど、上限等存在しないのだと。だから全てを乗り越えたいと願う。

 

 其れでも時折、思うのだ。どうしてその強さを持つのが自身(家族)では無かったのだと。

 

 

 

 

 

 ダンジョンから帰還し、ギルドの待合で反省会を開くカエデ達を余所に、アレックスは壁に凭れてそのテーブルを半眼で眺めていた。

 

 どうせこいつ等もどっかで死ぬ。部族の内に於いて、死ぬ奴は大抵決まっていた。足を止めた奴だ。

 だから足を止める訳にはいかない。目の前に強い奴が居たらとにかく突っ込む。喧嘩を吹っ掛け、タコ殴りにされても、それでも止まる事だけはしない。

 

 俺は死なない。決して、死なない。

 

 強い奴が居た? 乗り越えるべき壁だ。雑魚が居た? 踏み潰す為の小道具だ。なぜなら俺は強いから。

 

 そう、俺は誰よりも強い。強いはずだ。

 

 いつの日にか、かの部族の仇である平原の主を討ち果たした【凶狼(ヴァナルガンド)】すら超えて見せる。

 

 幼い容姿で干し肉を齧りながら話を聞いている白毛の狼人――カエデ・ハバリを見据える。

 幼い、自分の弟と同じくらい幼い、けれども才能に恵まれ()()()()()()()()()()()

 

 何故? どうして? 自分(あいつ)じゃなかった? 苛立つ、ムカつく。

 

 足を止めた訳じゃなかった。なのに死んだ。必死に生き残ろうとした。けれども死んだ。

 

 雑魚(弱い奴)は死ぬ事しかできやしない。なのに――カエデ(アイツ)は生きている。

 

 直ぐ死んでしまう様な雑魚、そんな紹介だったはずだ。寿命(残された時)が非常に短い奴。どう考えてもただ死ぬ雑魚だったはずだ。なのに生きてる。

 

「アレックスさん、あの、反省会に参加を――

 

 脅えた様な表情をしつつも声をかけて来たソイツ。

 

 

 

 ――迷宮の中での出来事が脳裏を過ぎった。

 

 

 

 ミノタウロスの群れ、力を見せるべく突っ込んだ自身(アレックス)

 普通の冒険者なら避けて通るミノタウロス五匹に対して、アレックスは強襲で一匹を仕留め、残り四匹がどうにもならなかった。

 巧みに連携をとりアレックスを追い詰める。だがアレックスのスキルは『不利であれば不利であるほどにステイタスが強化される』と言うものだ。だから勝てる。そう思った……思っていた。

 

 一陣の風が駆け抜けた。何が起きたのか判別するより前に、ミノタウロスの首が二つ転がった。

 そして二度目の風で、残りのミノタウロスの首が落ちた。

 

 何が起きたのかわからず、目を見開いたまま硬直した自身(アレックス)

 

 気付いたのはカエデがバスタードソードに入った罅を見て、涙目でラウルにどうしたら良いかを聞いている姿を見てからだった。

 

 視界外からの不意打ち、自身も得意とするそれを平然とやってのけるその姿に、嫉妬心を抱いた。

 

 

 

 目の前で恐る恐ると言った様子で自身に声をかけてくる幼い狼人の姿に、苛立ちを覚えた。

 誰だって、あんなことをされれば苛立つ。

 

 ――これは、逆恨みだ。わかってる。

 

 なんたって、ミノタウロス四匹相手をすれば、流石に死にかけると思ったから。死ぬとは言わない。けれども確実に死にかける。

 そんな状態から瞬く間にミノタウロスを討滅した。その能力の高さは目を見張るものがある。だから苛立つ。

 

「うっせぇ、反省する所なんてねぇよ……。帰る」

 

 背を向ける。背後で雑魚が騒ぐが知った事では無い。

 

 強い、アイツ(カエデ)は強い。だが……死ぬだろう。むしろ――――

 

 父が、母が、弟が死んだのは。弱かったからだ。けれども、兄だけは違うはずだったのだ。アレックスよりも才能のあった兄……けれども死んだ。

 

 だから、死ぬのだ。コイツ(カエデ)も、あいつ等(ラウル達)も……どれだけ強くても、強い奴だって死ぬん(兄だって死んだん)だから。

 

 より強い者を下した【凶狼(ヴァナルガンド)】の様になれないのなら、そんな奴は死ぬだけだ。

 

 だから、俺は違う。俺は強いから。いつの日にか【凶狼(ヴァナルガンド)】すら超えて見せる。

 

 俺は誰よりも強い(死にたくない)のだから。

 

 だから、苛立つ。

 

 なんで、何故……アイツ(カエデ)強くなろうとし(死ぬ事に脅え)ない?




 人は恐怖故に強くなる。畏れこそ強さの秘訣……RPGゲームでボスに過剰に脅えて過剰にレベル上げて挑んで瞬殺する系の作者の台詞。

 本当にすまなかった。最序盤のボス(推奨Lv6~)に対してLV20まで上げて挑んで本当にごめん。HP70%、50%、30%、10%でそれぞれ台詞ある系のボスだったなんて……(一撃で8割消し飛ばしつつ)




 『渓谷の獣牙』
 主に虎人(ワータイガー)が所属している部族。排他的と言うより弱い奴は死ねと直球に口にする。逆に強い奴は歓迎される。
 最強の座を得るべく強さを求めていたが、とある部族の壊滅の一報を受けて狂った部族。
 アレックスが去った後も、弱かったり劣ったりする者は問答無用で見せしめで殺し、群れ全体で強さを引き上げようとしている部族。

 強さで言えば最上位だが、在り方は古代の有り方であり周りの部族からは眉を顰められている。

 脱走者が湛えないが、部族で脱走者を気にする者は居ない。




 【強襲虎爪】アレックス・ガートル
 金髪に長身の虎人(ワータイガー)の少年。

 自身は誰よりも、何よりも強い(死にたくない)。と言う想いを抱いた少年。

 足技主体のベートと異なり、拳を主体とした戦い方であり、同じ格闘系であっても戦い方は全く違う。

 『渓谷の獣牙』と言う部族の出身であり、同時に脱走者でもある。
 群れの中では上位の強さを持っていたが自身よりも強い『兄』が命を落とした事で自分も死ぬのではないかと言う恐れから部族を抜けてオラリオへ流れ着いた。

 常に『死ぬ事』への恐怖に脅えながら、『強い(死にたくない)』と繰り返し強者に喧嘩を吹っ掛けてより強く(死ににくく)なろうとしている。


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『日常』

『なぁ、姉ちゃんってどんなファミリアにいたんだ?』

『はぁ、あんた、割としつこいね。……あのファミリアは雰囲気は最悪だったし、主神はあんま良い神じゃ無かったね』

『そうなのか?』

『魔法が使えないエルフをいびって遊んでた屑だしね、まぁその所為でオラリオ追放なんて羽目になったわけなんだけど』

『うへぇ……やっぱそう言う神も居んのか。なんでそんなファミリアに入ったんだ?』

『オラリオの街中でお茶でもどう? って優しく声をかけれられてね、眠り薬使われて気がついたらファミリアに入れられてたんだよ。あんたも気を付けなよ?』

『それって良いのかよ……』

『駄目に決まってるだろ? そんなことしてたから追放なんて事になったのさ』


 一日の汚れを落とすべく訪れた大浴場にて共に訪れたカエデ、グレース、アリソンの三人は並んでシャワー用の仕切りの内から明日の予定を話し合っていた。

 

「明日はどうします?」

「休息日でしょ? ダンジョンに行けないし。あの馬鹿虎(アレックス)と一緒に行動なんて勘弁して欲しいわね」

「休みなので……鍛錬を」

 

 カエデの言葉にグレースは思い切り眉を顰めてカエデの方を仕切り越しに覗き込む。

 

「アンタ、休みの度に鍛錬場に入り浸ってるけど、他にやる事無い訳?」

 

 グレースの知るカエデの行動を並べると、ダンジョンに潜る、鍛錬場で鍛錬、書庫で調べ物。

 死の危険と隣り合わせの冒険者として、欲に忠実なぐらいがちょうど良いと考えるグレースからすれば、若干節制が過ぎる気がするのだ。

 

「他にですか?」

 

 首を傾げるカエデの姿にグレースの眉根に皺が寄る。その様子を見たカエデが後ろに下がろうとして、仕切りに背中をぶつけて止まった。

 グレースに追い詰める意図は無いにせよ震えて脅えた様子を見せる姿に更に皺が深まる。

 

「だったら、一緒に買い物行きましょうよ!」

 

 そんな様子を見ていたアリソンが話題を逸らすように口を開いた。

 

「……何を買いに行くんですか?」

 

 脅えつつもアリソンに質問したカエデに対し、アリソンは仕切りからぱっと出て口を開いた。

 

「服とか小物とかですよ。後は美味しい物食べに行ったりとかですかね」

「服ですか? 着る物には困ってないです」

 

 リヴェリアが用意した衣類を着回ししているカエデの言葉に、アリソンとグレースが信じられないと言った表情を浮かべた。

 仕切りから出たグレースがアリソンの方を見て肩を竦めた。

 

「ねぇ、こいつ、考え方が田舎者なんじゃない?」

 

 グレースの言葉にアリソンは成程と頷いた。

 

 カエデの暮らしの中で、新しい服を買うと言う事は無いと言う訳では無い。だが積極的に買う物かと言われれば違うと断言できる。

 元々、其れなりに余裕のある生活であったとは言え、質素な生活をしていたカエデは、おしゃれと言う概念は無いのだろう。

 色気より食い気と言った感じだろう。近くに異性も居らず、そもそも幼いカエデに着飾ってちやほやされようなどと言う考えは浮かばないのだ。

 

 最後に仕切りから出て来たカエデを二人で見下ろす。見下ろされたカエデが何事かと二人の顔色を窺っている。

 アリソンとグレースの二人は一つ頷き合う。

 

「買い物行きましょう」

「そうね、リヴェリアの用意してる服だけじゃなくて自分でもなんか買いなさい」

 

 唐突に結論を出され、困惑しつつもカエデは口を開いた。

 

「お金、持ってないですよ?」

「「は?」」

 

 何を言っているんだカエデは、そんな様子でカエデを見た二人は肩を竦めた。

 

「カエデちゃん、今日の収入結構ありましたよね」

 

 今日のダンジョンの成果は5万ヴァリスと少々。頭数で割ったとしても一人当たり8,000ヴァリスはあるはずだ。なのにお金が無い? どういう事だろうかと首を傾げざるをえない。

 それに今日の収入以外にも何度かダンジョンに潜っているカエデは金をそれなりに持っている筈だ。アリソンとグレースもここ最近は『遠征合宿』に向け、ラウル班としてダンジョンに入り浸り気味であり、貯まったお金を使う機会はあまりなかった。しいて言うなれば武具の修繕費だけである。ダンジョンでそれなりに負傷する事の多いグレースが唯一回復薬(ポーション)代金がそれなりに発生しているぐらいか。

 

「えっと……武器……その……」

 

 言いにくそうに口籠るカエデの姿に二人は察しがついて吐息を零した。

 

「あぁ、あんた武器壊しまくってるもんね」

「そういえば二代目(セカンド)破壊屋(クラッシャー)がどうとか……」

「わざとじゃないんですよっ!」

 

 初日にヘルハウンドに武具を燃やされ、インファントドラゴン戦で武器を破壊し、今日もバスタードソードに罅を入れて修理に出すと言う事をしている。

 カエデが冒険者になってから一ヶ月が経とうとしている。そう、一ヶ月間に少なくとも三度は武器をダメにしているのだ。これは初代破壊屋(クラッシャー)ティオナに匹敵する勢いでの消費である。

 言い訳をするならば、初日のヘルハウンドはカエデに非は殆ど無く、インファントドラゴンに関しても仕方が無かったと言える。しかし今日のバスタードソード破損についてはカエデに非があると言える。

 

「無茶し過ぎよね」

 

 ミノタウロス四匹に囲まれてピンチに陥っていたアレックスを助けるべく、カエデは無茶をした。アレックスに意識をとられているミノタウロスに背後から一気に近づいてからの首の切断。耐久も高いミノタウロス相手に一振りで二匹ずつと言う無茶をしでかしていた。

 武具の修繕費でかなり持っていかれているのだろう。収入の殆どを武具に当てているのだ。

 

「だったら私が出しますよ。ほら、私って一応余裕ありますし」

 

 アリソンの持つグレイブは耐久も高く、破損も少ない。基本は前衛(タンク)としてモンスターを押し留めるのに徹しており、消耗するとしても体力ぐらいであり怪我も少ないアリソンはお金に余裕がある。奢っても良いと言ったアリソンは良い事を思い付いたとにっこり笑みを浮かべた。

 

「その代り、色々と私のお願い聞いてもらいますね」

 

 あんな服が似合うだろうなと何を着せようか考え出したアリソンに対し、グレースは悪い癖が出たかと溜息を零した。

 可愛い衣類を着る事も多いが、人に着せるのも好きなのがアリソンである。カエデを着せ替え人形にでもする積りなのだろう。自分が巻き込まれてはたまらないとアリソンから視線を逸らしてカエデの方を向く。

 

「と言うか……どうやってあんな斬り方できんのよ。あたしが最高効率でスキルの効果発動してても無理なんだけど」

 

 怒りと負傷で基礎アビリティ『力』が増幅するグレースであっても、同時に二匹のミノタウロスの首を刎ねるなんて真似は難しい。一度ならまだしも連続して二度である。

 

「えっと……烈火の呼氣を……」

「………カエデちゃん……それ、使っちゃダメって言われてた奴なんじゃ……」

 

 カエデが視線を逸らしているのを見て、グレースが馬鹿じゃないのと呟き、アリソンが半笑を浮かべる。

 リヴェリアやロキに使用禁止を言い渡された呼氣法を使ったのは危険があったからであるが、それでもバレれば怒られるだろう。

 

「まぁ、黙っててあげるけど。感謝しなさいよ」

「はい」

 

 報告なんてされてしまえば、呼び付けられて説教コースに入る事だろう。それを回避できた事にカエデはほっと一安心した様に一息零した。

 

「三人方、シャワーを浴びた後に立ち話は止めはしませんが湯冷めしますよ」

「あ、ジョゼットさん。こんばんは」

 

 入口より現れたジョゼットに対し、アリソンとグレースが姿勢を正す。カエデは嬉しそうににこにこと笑みを零してジョゼットに挨拶をした。

 

「とりあえず湯船に向かうと良いですよ」

「はい」「わかりました」「…………」

 

 しっかりと返事をしたカエデ、愛想笑いで誤魔化すアリソン、無言で頷いて湯船に向かうグレース。三者三様の様子にジョゼットが目を細めてから、カエデを呼び止める。

 

「カエデさん」

「はい?」

 

 振り返ってジョゼットを見たカエデは何故呼び止められたのか心当りが無いと言わんばかりである。実際心当りが思いつかないのだろう。そんなカエデにジョゼットは冷や水を浴びせかける様に口を開いた。

 

「先程の、使用禁止されていた烈火の呼氣の使用に関してですが、既にラウルより報告がなされておりますので、風呂を出たらリヴェリア様の所に行ってくださいね」

 

 カエデが体を震わせて涙目で嘘だと言って欲しいと視線で訴えるも、ジョゼットは首を横に振って否定した。

 

「諦めてください」

「そんなぁ……」

 

 

 

 

 

 朝食の席、食堂の一角でヴェネディクトスが首を傾げていた。

 

「カエデ、君……何かあったのかい?」

「……リヴェリア様に怒られちゃいました」

 

 しょんぼりした様子でパンを頬張るカエデの言葉にヴェネディクトスは再度首を傾げる。

 カエデが怒られる様な事を何かしただろうか?

 

「ほら、昨日馬鹿虎を助ける為にミノタウロスバッサリ切り捨てたでしょ? あの時にリヴェリアにやっちゃダメって言われてた事してたのよ」

「あぁ、あの時……」

 

 完全に出遅れてカエデがミノタウロスを斬り捨てる場面を目にしていなかったヴェネディクトスは、話を聞いて納得したと言う様に手を叩き、肩を竦めた。

 

「アレは完全にアレックスが悪いだろう? カエデが怒られるのは少し理不尽だと思うけれど……まぁ、今後は見捨てても文句は言われないだろうね」

 

 言外にあんなの見捨ててしまえば良いと冷酷に言い切ったヴェネディクトスに対し、アリソンが微妙そうに視線を逸らし、カエデが困った様に眉根をよせる。グレースだけはその通りだとうんうんと頷いている。

 今日の朝食の席に於いてもアレックスは顔を出していない。今までの行動も自分勝手が過ぎて苛立ちを隠す事を完全に止めてしまったヴェネディクトスとグレースの二人に、アリソンとカエデが困った様に顔を見合わせた。

 

「所で、今日はどうだったのよ」

 

 グレースの言葉にカエデは一瞬首を傾げてから、あぁと呟いて口を開いた。

 

「えっと、私が勝ちました」

 

 一日に一度、朝の鍛錬場で早起きしてベートに鍛錬をつけてもらっているカエデに対し、同じく朝早く起きたアレックスが勝負を挑む。カエデが勝ったらアレックスがカエデの命令を一日の間聞き、アレックスが勝ったら命令を聞かないと言うもの。

 連戦連勝を飾るカエデに対してグレースは流石に呆れ顔を浮かべた。

 

「あんた本当に強いわね」

 

 アレックスは口が悪い、だが相応の実力者なのだ。カエデはつい最近冒険者になった駆け出し……だったのだ。今は三級(レベル2)だが、それでも冒険者としての経歴はアレックスに劣っているはずである。

 だが、カエデからすればアレックスの行動は読みやすいのだ。

 

「いえ、アレックスさんは分りやすいので」

 

 不意打ちを得意としており、足音を消しての行動が凄まじいまでの練度を誇るアレックスだが、攻撃自体は割とシンプルに殴ると言うものだ。ソレ以前に――

 

「ベートさんの攻撃より遅いですし」

 

 アレックスが起きてくるより前に、カエデはベートの鍛錬で回避練習をしている。本来なら回避練習ではなくある程度の攻撃も交ぜろとベートに言われているが、反撃の機会を全て潰して一方的に攻撃を重ねるベートに対して回避しか選択肢が無いのだ。防御なんてした瞬間、そのまま押し切られる。

 そんな一方的に攻撃され、それを回避すると言う鍛錬を積むカエデは初日に比べれば圧倒的に回避率が上がった。ベートが少しギアを上げるだけですぐ回避できなくなるとは言え、既にアレックスの攻撃程度であれば簡単に見切って回避が可能なのだ。

 特に大きいのはベートが()()()と言う意味で足を使わないと言う条件を付けた事も大きい。

 

 そんなカエデの言葉に三人は押し黙る。

 

 ベートの鍛錬はファミリア内でも意見が分かれる。と言うかアレを鍛錬と呼ぶのは準一級(レベル4)のアイズ、ティオナぐらいであり、それ以外の者には『やり過ぎ』と言われるものだ。

 駆け出しの頃、ベートの強さに憧れた幾人の者が鍛錬をつけてほしいとベートに頼んでボコボコにされて以後、ベートに鍛錬を頼む者は居なくなった。

 

 ティオナも『本気じゃなきゃ強くなれないよ』と言って加減はすれど手加減はしない攻撃を繰り出し、鍛錬をつけてほしいと頼んだ駆け出し達の山を築き上げたし。

 アイズは天才的な感覚で話を進め、口で言ってもわからないからやってみようと言って容赦なくボコボコにする。死なない程度の加減は出来てもそれ以上の上手い加減が出来ない。

 

 唯一、ティオネとペコラの二人がまともに鍛錬をつけてくれる二人なのだ。ティオネの方は忙しそうに団長にアタックを仕掛けているので鍛錬を頼むのは難しいが、基本お人好しなペコラなら鍛錬をつけてほしいと頼めば優しく鍛錬をつけてくれるのだが。

 

 よりによって【ロキ・ファミリア】に於いて厳しい鍛錬をつけるランキングの上位五人に入る人に鍛錬を頼んでおり、しかもへこたれた様子も無いとは。

 そんなベートの鍛錬とアレックスの攻撃なんて比べるまでもない。

 

 急に押し黙った三人の様子にカエデが首を傾げる。

 

「どうしたんですか?」

「いや、なんでもないよ」「そうですよね、あの鍛錬に比べれば」「あんたやっぱ凄いわ。あたしじゃ真似できないし」

 

 苦笑を浮かべたヴェネディクトスは食べ終わったプレートを手に持って立ち上がる。

 

「今日は自由行動だから僕は自室に居るよ。何か用があったら声をかけてくれ」

 

 そう言って立ち去ろうとしたヴェネディクトスをグレースがとめる。

 

「あんた今日暇なんでしょ? だったら付き合いなさいよ。荷物持ちぐらい出来るでしょ」

「私とグレースちゃん、カエデちゃんの三人で服を買いに行こうと思ってるんですよ。その後は喫茶店にでも行ってお茶しようかなって」

 

 アリソンが補足を加えるのを聞きながら、ヴェネディクトスは少し考えてから口を開いた。

 

「すまない、流石に同行できないかな」

 

 申し訳なさそうに謝罪したヴェネディクトスにグレースが眉を顰め、アリソンが首を傾げる。

 

「どうしてよ」

「あぁ……嫉妬されてるみたいだからね」

 

 嫉妬と言う言葉にカエデが首を傾げ、アリソンが納得した表情を浮かべる。グレースは溜息を零した。

 

「男ってくだらないわね」

「あぁ、其れなら仕方ないですかね」

「すまないね」

 

 基本的に【ロキ・ファミリア】は女性が多いので、男性は美味しい思いをしている。そんな風に周囲からは思われている様だが逆に女性が多い事で男性は時折肩身の狭い思いをしている。

 そんな中で女性と仲良く出来る男と言うのは【ロキ・ファミリア】内部でも嫉妬の対象になりやすいのだ。

 

 特に女性と言っても基本的には冒険者をやっている力強い女性ばかりである中、割と女性的な面を持つ者は少ない。

 今まで剣しか握っていなかった者も居る中、男勝りな女性も多いのだ。そんな中、可愛らしくなおかつ女性として見れる範囲に居る者と言うのは少ない。

 

 その数少ない女性として見られる人物として一応アリソンは名が挙がる。

 

 男連中は可愛い女の子と同じパーティに入ったヴェネディクトスに軽い嫉妬をしているのだ。そんな中、楽しげに一緒に買い物に行っているのを見られればより嫉妬を煽る事になるのは間違いない。

 

 これがカエデ、もしくはグレースなら問題は無いだろう。カエデに関しては子供、グレースは男勝りな点が多い。誰も気にしないだろう。カエデの場合は子守り、グレースの場合はお気の毒と声をかけられるぐらいだろう。

 

 申し訳なさそうにしながらも、去って行くヴェネディクトスの背中を不快そうに眉を顰めたグレースが睨みつける。アリソンがグレースの肩を叩いてそれを止めるのを横目に、カエデは最後の一切れのパンを頬張って二人を眺める。買い物に行くのは二人の提案なので何をすればいいのかわからないのだ。

 

「じゃ、他に誘えそうなのは居なさそうね」

「どうしましょうか」

 

 二人して悩む姿にカエデは少し迷ってから、お茶を飲んで口を開いた。

 

「ジョゼットさんとかリヴェリア様とかペコラさんを誘うのはどうでしょうか」

 

 カエデの発言にグレースが呆れ顔を浮かべ、アリソンは顎に手を当てて考え込む。

 

「リヴェリア様を買い物に誘う? 論外でしょ。あの人を誘った日にはエルフに嫉妬で殺されそうだし。ジョゼットさんは……あたし、あの人苦手だし。ペコラさんって……昼寝ばっかしてる人でしょ? 誘っても来ないでしょ。と言うか狼人(ウェアウルフ)が苦手って話だし、あんたが誘っても絶対来ないでしょ」

 

 リヴェリアはエルフの王族としてエルフ達が周囲を固めているので誘うのは難しく、ジョゼットは生真面目な雰囲気がグレースと合わず。狼人(ウェアウルフ)が苦手なペコラ・カルネイロが狼人(カエデ)の誘いにのるのか? と言う疑問がある。

 そんな風にカエデの意見を否定するグレースに対し、アリソンがぽんっと手を打って口を開いた。

 

「ペコラさんなら誘えますね」

「はぁ?」

「?」

 

 アリソンの言葉に眉を顰めるグレース、そんなグレースにアリソンは得意げに胸を張って言いきる。

 

「大丈夫ですよ。カエデちゃんが誘えばペコラさんは来ますよ。むしろ積極的に来ようとしますよ」

 

 自信満々な様子のアリソンに、グレースが胡乱気な視線を向けた。

 

 

 

 

 

 ペコラ・カルネイロは基本自室に居る事は少ない。枕を小脇に抱えてふらふらと【ロキ・ファミリア】の廊下を歩いている姿が目撃される事が多い。

 ペコラの基本的な活動は【甘い子守唄(スイート・ララバイ)】の二つ名にふさわしく、頼まれた団員の部屋を訪ねて子守唄を聞かせて回るか、昼寝しているかのどちらかである。

 夜は子守唄の為にふらふら出回り、昼間は夜寝ない分寝ると言った昼夜逆転生活とも言える活動をしている。

 ダンジョンに潜る事もあるが基本的に個人(ソロ)迷宮探索(ダンジョンアタック)する事は無い。

 

 そんなペコラは廊下で出会ったカエデから買い物に誘われて目を丸くして驚いた表情を浮かべていた。

 

「え? ペコラさんと買い物ですか?」

「えっと、アリソンさんとグレースさんと一緒なんですけど」

 

 最初の頃は顔を合わせただけで涙目になったりしていたが、暫く行っていた練習によってある程度脅えずに接する事が出来る様になったのだ。但しカエデ限定であり他の狼人(ウェアウルフ)とであれば普通に気絶してしまうが。

 

「うーん、構いませんよ。と言うかリヴェリア様には伝えたのですか?」

「はい、気を付ける様にと言われました」

 

 成程と頷いてからペコラはうんうん唸り、それから自ら持つ枕を見てから頷いた。

 

「そうですね、新しい枕欲しいですし。良いですよ、行きましょうか」

「ありがとうございます」

 

 嬉しそうにお礼を言ったカエデに対して、ペコラは頷いた。

 

「カエデちゃんには色々と克服の為の練習を手伝って貰ってますからね。これぐらいは構いませんよ」

 

 そんな風に胸を張るペコラの様子を、曲がり角から眺めていたグレースが感心した様に呟いた。

 

「ほんとについてきてくれるのね」

 

 信じられないと目を丸くするグレースに対し、アリソンが苦笑いを浮かべた。

 

「最近、ペコラさんが狼人(ウェアウルフ)苦手なのを克服しようとカエデさんと色々とやっているって話を聞いたので、いけるかなって思ったんですよ」

「あんたの噂好きも捨てたもんじゃないわね」

「グレースちゃんはもっと噂話に耳を傾けても良いと思うんですけど……」

 

 あからさまに面倒臭そうな表情を浮かべたグレースは吐き捨てる様に言った。

 

「そんな長い耳してるから盗み聞きがはかどるあんたとは違うわよ」

「いえ、別に盗み聞きしてる訳じゃ無いですよ。偶然聞こえただけです」

 

 その長い耳のおかげで良く聞こえるからでしょ、そんな風に肩を竦めるグレースに対し、アリソンは羨ましいですかと誇らしげに耳をアリソンに見せつける。

 グレースは面倒臭そうにアリソンの耳を摘まんで呟く。

 

「邪魔」

「そんなぁ」

「グレースさん、アリソンさん、ペコラさん、来てくれるって言ってました」

 

 嬉しそうに報告に来たカエデにグレースが肩を竦め、アリソンが笑みを浮かべた。

 

「じゃあ、お出かけの準備しましょうか。エントランス集合で」

「はいはい、んじゃ着替えてくるわ……カエデ、アンタも着替えてきなさいよ」

「……? この服以外、着る物無いです」

 

 白い無地のワンピース姿のカエデをまじまじと眺めてからアリソンが呟いた。

 

「それ、ヒューマン用ですよね?」

 

 お尻の辺り、尻尾用の穴が無い所為でカエデの尻尾の動きでスカート部分が揺れているのを見たアリソンの言葉にカエデが頷く。

 

「……あー」

「あんた時々下着見えてる時があるんだけど……あ、あんたがそう言うの全く気にしてないのはわかったわ」

 

 不思議そうに首を傾げたカエデの姿に、ダメだこりゃと肩を竦めるグレース。せめて羞恥心を教え込むぐらいしておかないとなと考えてからグレースは呟いた。

 

「まぁ、そういうのは全部【ロキ・ファミリア】の母親(ママ)がやってくれるでしょ」

 

 カエデの情操教育を全てリヴェリア任せにする事を決めたグレースは深々と溜息を零した。

 




 カエデちゃんの収入の殆どは武具の修理費に消え去るのだ。

 考えてみたらカエデちゃんの武器破壊速度がかなり早いと言う。

 まぁ、自身の体ぶっ壊すか武器を壊すかでどっちか選べって言われたらカエデちゃんは迷わず武器を壊す方を選ぶでしょうけど……。

 腕一本と武器一本じゃ釣り合わないしね。しょうがないね。

 最初の防具の価格もしっかり支払う事になってたら間違いなくカエデちゃんは永遠と借金を返す日々になってましたね。


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『パーティー』

『君はどうするんだい?』

『うん? アチキはヒヅチをどうにかして助けるさネ』

『……助ける?』

『そうさネ。きっとヒヅチがアチキを襲ったのには訳があるさネ』

『…………はぁ、僕は逃げるけど良いよね?』

『構わないさネ。あ、酒いるさネ? 礼にやるさネ』

『……はぁ、一応貰っておくよ。ありがとう』

『こっちこそありがとうさネ。おかげて助かったさネ』



『……行ったか。彼女、ホオヅキって危ない奴って聞いてたけど割とまともな人そうだったな。あの様子なら化け物染みた強さを除けばナイアルなんかよりよっぽどいい人じゃないか。…………しかしヒヅチ・ハバリねぇ……彼女の名前は()()()()()()()だったと思うんだけど」


 衣類店の前、グレースは内心溜息を零しつつも呟く。

 

「そりゃあ、四人中三人が獣人なら行く店は獣人用になるか……」

 

 グレースがヒューマンである以外、カエデが狼人(ウェアウルフ)、ペコラが羊人(ムートン)、アリソンが兎人(ラパン)であり、三人が獣人であったため、四人が向かったのは獣人用の衣類店であった。

 元々の目的がカエデの衣類購入であると言う点からしても間違った選択ではない。

 

「まぁ良いか」

「どうしたんですか?」

「なんでもないわよ」

 

 グレースの溜息に気付いたカエデが問いかけるが、グレースは肩を竦めて誤魔化す。

 

 そんな二人を気にした様子も無く、ペコラとアリソンがさっさと店内に入って行ってしまう。カエデも続いて中に入ろうとして店先で佇むグレースを振り返った。

 

「行かないんですか?」

「うん? あぁ、今行くわ」

 

 この店で服は買わないけど。そんな事を内心呟きながらグレースは後に続く。

 

 北のメインストリートはギルドの関係者が住まう高級住宅街も近隣に位置しており、商店街として活気付いている。またメインストリート界隈は服飾関係で有名であり、各種族用の衣類を取り扱う専門店も軒を連ねている。

 そんな獣人用衣類専門店の内部には色とりどりの衣類が各獣人用に区画分けされ、マネキンに展示されている。

 

「これ……なんですか? 人形……? 首が……」

 

 首の無いマネキンが衣類を着ていると言う奇抜な環境に驚いて尻尾を丸めているカエデの肩を叩いてグレースは適当に近くのマネキンの衣類の前にカエデを放り出した。

 

「これ、展示用のマネキンよ。ほら、この衣類を着たらどう見えるかを示すもんよ」

「……首が無くて不気味です」

 

 色とりどりの布地に包まれた白塗りの人形に若干脅えた様子のカエデにグレースは肩を竦めた。

 モンスターの方がよっぽど怖いではないか。動きもしない人形ごときに脅えちゃってまぁ。そんな感想を心の中で呟きつつも先に店舗に入ったアリソンとペコラを探せば、直ぐ近くの幼い狼人用の衣類コーナーでああでもないこうでもないと二人して色々と探し回っているのを見つけた。

 

「これとか似合いそうじゃないですか?」

「私はこっちが良いと思うですが」

 

 アリソンが手に持っているのは薄紫色のミディスカートに淡いピンク色のスモック・ブラウス。パステルカラーで明るめの印象を持たせつつ、可愛らしさを前面に出すコーディネイトだろう。

 対してペコラが手に持っているのは黒のスラックスと妙な形のセーター。

 

「……何ですかそれ?」

「ふふぅん。童貞を殺すセーターです」

 

 ドヤ顔で胸を張ったペコラの後頭部にグレースの拳が突き刺さる。

 

「うん? 何かしましたか?」

「あのさ、アンタカエデになんてもん着せようとしてんのよ。つか何よそれ」

 

 大きく背中を露出したベアバックのセーターであるが、脇まで露出するような過激なデザインになっている。横から覗いたら胸が見えるのではないかと言う程だ。

 

「つか、誰よ子供用のこんなもん作ったアホは」

「ロキですよ?」

「はぁ?」

「いや、ですからロキが作りました」

 

 ペコラの言葉にグレースが眉を顰める。そんなグレースに対してペコラがその服のタグを見せつける。

 

 『神ロキ監修、童貞殺しのセーター』そんな風に記されたそれを見てグレースは無言でペコラの手からその服を奪い取って棚に戻す。

 

「ダメに決まってんでしょ」

「何を言うですか。アイズさんも近々このデザインの服を着る事が決まってるですよ」

「えぇ……?」

 

 ペコラの言葉に信じられないとグレースが眉を寄せるが、ペコラは肩を竦めた。

 

「だってこれ、アイズさんの為にデザインしたものらしいですし」

「なんでそれが此処で売ってんのよ」

「そりゃぁデザインを売ってデザイン料でお小遣いをこっそりと増やしてるんですよ」

 

 なんでペコラがそんな事まで知っているのか。そんな疑問が脳裏を過ぎるがグレースは溜息を零してから疑問を飲み込んだ。知らない方が良い事もある。

 

「カエデに着せようとするんじゃなくて、あんたが着なさいよ」

「ペコラさんも何度か着ましたが、これ寒いんですよね」

 

 ペコラの恰好は白いセータートップスにホットパンツ、黒いハイソックスと言う上半身が着ぶくれした様な恰好をしている。寒さが苦手と言いつつ羊人(ムートン)は足回りは割と無防備な事も多いが、上半身はセーターでしっかりと覆っておきたいらしい。

 

「それよりもペコラさん的にはグレースちゃんこそあの童貞殺しを着るべきですよ」

「着ないわよ」

「でもぴったりじゃないですか。グレースちゃんアマゾネスですよね?」

 

 グレースの眉が思いっきり顰められ、笑顔のペコラの顔を見て溜息を零した。

 

「あたしはヒューマンであってアマゾネスじゃないわよ」

 

 習得スキル、普段の戦い方、言動。どれをとってもアマゾネスによく似ていると言われるグレースだが、アマゾネスではない。アマゾネスの様に下着同然の姿で街中を闊歩出来る程、羞恥心は捨て去っていないのだ。異性に肌を晒しても気にしない種族と一緒にしないで欲しい。

 

「って、そう言えばカエデは何処に……あぁ、もう着せ替え人形か……」

「おぉー、可愛く着飾ってますねぇ」

 

 ふとカエデの様子が気になったグレースがカエデの姿を探せば、試着室の前で衣類を積み上げてあれやこれやとカエデを着せ替え人形にしているアリソンの姿を見つけて同情の視線をカエデに送る。

 試着室で何度も着替えて若干疲れ始めているらしいカエデが、視線で助けを求めてきているがグレースはそっと視線を逸らして――ペコラと目があった。なんでかいくつかの衣類を手に持っている。

 

「何?」

「グレースちゃんもお着替えしませんか?」

「いや、しないけど――ちょっと放しなさいよ」

 

 腕を掴まれて引きずられていくグレース。カエデが助けが来たのかと一瞬期待の眼差しをグレースに向けるも、グレースがペコラによって試着室に押し込まれたのを見て一瞬で目から光が消える。同時にアリソンから差し出された次の衣類を手に持ってカエデは溜息を飲み込んで試着室のカーテンを閉じた。

 

 

 

 

 

 オラリオの中央広場(セントラルパーク)の噴水前に設置されたベンチにぐったり腰かけたカエデとグレースはぼんやりと空を眺めつつ互いに口を開いた。

 

「グレースさん、似合ってますよ」

「あんたもよ、凄く似合ってるわ」

 

 淡いグレーの長いフィッシュテールスカートに薄い赤色のブラウス、アイボリーのストールと言う一見何処か良い所のお嬢様を思わせるカエデ。

 対するグレースは何故か騎士用の制服を身に着けている。腰には丁重に儀礼用のレイピアまで身に着け、一見お嬢様とその護衛の騎士を彷彿とさせる二人。

 

 夢中で服選びを始めたアリソンと、悪乗りがキマったペコラの二人に着せられた衣類にグレースは眉を顰めて文句を言おうとしてやめた。きっと言っても無駄だから。文句の代りに溜息を零して身を起こす。

 

「遅いわねあの二人」

「そうですね」

 

 ぼんやりと空を見上げながら呟かれたカエデの言葉に、グレースは眉を顰めてからカエデの肩を掴んで自分の方を向かせてから頬をつねる。

 

「いふぁいれふ」

「あんた、さっき似合うって言ったわよね? あたしに似合うって」

「いいふぁふぃふぁ」

 

 男物の騎士服を着せられて似合うと言われても女としてまったく喜べない。ただ目つきの鋭さだけでなく、凛とした雰囲気を持つグレースに対し、騎士服は世辞でもなんでもなくよく似合っていた。それが非常に悔しい訳だが。

 

「あの二人は全く……」

 

 カエデの頬から手を離してグレースは重くなってしまった腰を上げ、立ち上がって大きく伸びをする。

 

「んーっ……ふぅ」

 

 アリソンとペコラの着せ替え人形として疲れ切った二人だけ先に抜け出してきたが、どうにもあの二人のノリにはついていけそうにない。そんな風に考えるグレースは周囲を見回し、目についたオープンテラスの喫茶店を見つけてカエデの方を向いた。

 

「あんた少しは動けそう?」

「……もう着替えるのは嫌です」

「着替えじゃなくてあの喫茶店行くのよ」

 

 喫茶店と言う言葉にカエデが首を傾げたのを見て、田舎者よりも知識が薄そうだなと考えつつもカエデの首根っこを掴んで持ち上げる。

 

「あの、自分で歩けます」

「あっそう、じゃあ早く行くわよ」

 

 カエデの言葉にグレースはぱっとカエデを放して喫茶店の方に向かい、カエデがその後に続く。どうせ今も衣類選びに夢中になってる二人なら、無駄に長い耳とよくきく鼻ですぐ此方を見つける事だろう。

 

 

 

 

 

 オープンテラスの素敵な喫茶店の二階、人が少ないその場所から下を歩いている冒険者などを眺めつつグレースはティースプーンでぐるぐるとコーヒーを混ぜている。

 対面の席に座ったカエデは黒い液体を見て、臭いを嗅いで若干涙目になっている。それを横目に見たグレースが眉を顰めた。

 

「あんた何してんの?」

「凄く苦そうです……」

 

 臭いだけで味を想像したのだろう。震えながら口をつけようとしているカエデにグレースは溜息を零した。

 

「苦手なら砂糖でもいれりゃいいでしょ。なんならミルクもつける?」

「でも砂糖って高いんじゃ……」

 

 砂糖ぐらいでいちいち驚いていては身が持たないだろうに、そんな風に吐息を零してグレースはカエデのコーヒーに砂糖をたっぷり入れてミルクも多めに入れてやる。甘ったるいぐらいになってしまっただろうが子供の舌にはそれでも苦さがきついのではないかとグレースがカエデの様子を眺める。

 

「……甘い……」

 

 そりゃあ砂糖三杯も入れれば甘くもなる。そう内心呟きながら舐める様にコーヒー風味の砂糖湯を飲み始めたカエデから視線を外して大通りを眺める。

 

 今日も今日とて数多くの冒険者がダンジョンに挑んでいる訳だが、あの内の何割が不幸にも命を落とす事になるのだろうか。そんな考えをしつつも人の流れを眺めていると、ふとグレースは見覚えのある姿を見つけて呟いた。

 

「ロキじゃない」

「ロキ様ですか?」

 

 グレースの視線の先、ドレスなんて着てめかし込んだロキがお供としてフィンを引き連れて何処かに向かっているのが見えた。

 

「本当だ……なんか神様が一杯ですね」

 

 カエデの率直な感想を聞いて、グレースは人の流れをもう一度ざっと眺め直す。確かに神の多い事。どの神もドレスやタキシード等、ぴっしり着込んで着飾っている者ばかりである。

 どっかのファミリアが各ファミリアを招いてのパーティーでもするのであろう。

 

「にしてもあの二人おっそいわね」

「そうですねぇ」

 

 ほっこりとコーヒーを舐めるカエデの方を一度見てから、グレースは人混みの中のロキの頭を眺める。目立つ緋色の髪が見えなくなるまで。

 

 

 

 

 

 神ガネーシャ主催の『フライングガネーシャ三号機完成記念パーティー』の会場にて、ロキはグラスを片手にあっちこっちをうろついていた。

 

「居らんなぁ」

「ロキ、見つかったかい?」

 

 同じく、グラスを片手ににこやかな笑みを浮かべたフィンに対してロキは肩を竦めた。

 

「まあ、居らんでも不思議やないしな」

 

 ロキが探しているのは美の女神フレイヤである。かの女神がカエデに最上位の魔導書を送ったので()()をしたかったのだが全く以て姿が見えない。

 元々余り人前に姿を見せる神ではないので不思議ではないが、今回のパーティーに出席している確率は低そうだと考えつつももしかしたらを考えて出席したのだがやはり当てが外れた様だ。

 

「どうする? もう帰るかい?」

「いや、飲めるだけ飲んでくわ」

 

 美味い飯に美味い酒、ただ飯ただ酒が味わえるこの状況。目的は達成できなかったがそのまま帰るなんてとんでもない。近くにきたボーイから新しくグラスを受け取って飲み干したロキの様子にフィンは苦笑を浮かべる。

 

「ほどほどにね。リヴェリアに怒られても僕は知らないよ」

「フィンも飲めばええやん」

「僕は遠慮しておくよ……こんな所で酔ったら何をされるかわからないしね」

 

 招かれた客として一杯は振る舞われた酒を口にするが、それ以上は口にしないと言い切ったフィンに対してロキはつまらなそうに唇を尖らせた。

 フィンが酒を飲まない理由ぐらいは察せられるがそれはそれでつまらない。

 

「あら、ロキじゃない」

「おーヘファイストスやん。あんたもきてたんか」

 

 そんな風に話し込んでいる二人に、鍛冶神であるヘファイストスが声をかけてきた。深紅のドレスに身を包んだヘファイストスは軽くグラスを持ち上げる。ロキも答える様にグラスを上げ、フィンは軽く目礼を返す。

 ヘファイストスは二人の様子を軽く流し見てから口を開いた。

 

「ロキ、丁度いい所に居たわね」

「なんやウチに何か用があるんか?」

 

 ロキの言葉にヘファイストスが神妙な表情を浮かべて会場の隅の方を指し示す。そんなヘファイストスの様子を見てロキは一つ頷いた。

 

 会場の隅、パーティーに疲れた神々や神の連れの眷属等が座って休憩するスペースの一角、周囲から目立たない様にされた一角にてロキはさっそくと言わんばかりに口を開いた。

 

「んで? ウチに何の用なんや? カエデたんの事か?」

 

 ロキの質問にヘファイストスはゆっくりと視線を伏せて考え込んでから口を開いた。

 

「いいえ、カエデの事ではないわ」

 

 カエデの事ではない。その返答を聞いたロキは眉を顰める。

 カエデは元ヘファイストス・ファミリアの眷属【疑似・不壊属性(デュランダル・レプリカ)】の娘であるとロキは予測しているし、ほぼ確定情報であるのでその事で自身に声をかけてきたのではないかと考えていたロキは当てが外れ、少し考えてから再度口を開いた。

 

「んじゃ何の用なん?」

「…………」

 

 迷う様に口を開きかけて閉じて、そして再度開こうとして閉じる。何らかの葛藤を見せるヘファイストスの様子にロキはにやりと笑みを浮かべた。

 

「なんや、好きな人でもできたんか?」

 

 おどけた様子のロキを見て、ヘファイストスは気が抜けたのか呆れの表情を浮かべてから口を開いた。

 

「違うわよ。ホオヅキについて聞きたかったの」

「ホオヅキ? ホオヅキがどうしたん?」

 

 ホオヅキと言えば、ギルドで大暴れして以降姿を見せずに何処かに行ってしまっている。とは言え元々【ロキ・ファミリア】の眷属ではないので、ロキも何処で何をしているのか詳しく知っている訳ではない。

 酒好きのロキに対して酒を売り込む形で知り合いになった程度で、時折珍しい酒を持ってきたり世間話をすると称して酒盛りしたりしていた間柄の人物である。

 最後にロキがホオヅキと会ったのは一ヶ月近く前、カエデが初めての迷宮探索(ファーストダンジョンアタック)をした日に訪ねて来た時だ。

 

「彼女、今どうしてるかしら?」

「知らんで」

 

 仇討の為に動いていると言うのはなんとなくわかるが、ではどうしてるのかと言えばロキは知らない。あまり興味も無いし胸糞悪い話をわざわざ思い出すなんて事はしないのだが。

 

「なんでホオヅキの事なんて知りたがるん? なんや酒でも欲しいんか? せやったらウチが何本か分けたってもええで」

 

 最後にホオヅキから頼まれた依頼と言うかお願いにて、ホオヅキは【イシュタル・ファミリア】とのいざこざでオラリオの外に追放されたファミリアの行方をロキに尋ねてきた。理由は『故郷を焼いた奴らが多分ソイツらだから』と割と勘で動いていたみたいだが。

 そのお願いの対価としてホオヅキは、自らが集めた酒類の詰った専用の木箱をそっくりそのまま、ロキに差し出すと言いだしたのだ。お願い自体は全く以てホオヅキの求める情報は出せなかったが、礼は貰った。と言うかホオヅキがロキの部屋に木箱を投げ出していったので貰ってしまったのだ。

 酒が欲しいのならそこから何本か分けてやってもいい。そんなロキに対してヘファイストスは溜息を零した。

 

「違うわ、お酒の話じゃなくて……ちょっと困った事になったのよね」

「困った事?」

 

 本当に困ったと言う様に溜息を零したヘファイストスの様子にロキはグラスを置いてから薄目を開けてヘファイストスを見据える。

 

「どしたん?」

 

 先程まで十分に苦悩を見せたヘファイストスは今度はすんなりと口を開いた。

 

「カエデの故郷についてよ」

「なんや結局カエデたんの事についてやん」

 

 カエデの事についてではないか。そんな風に呆れ顔を浮かべたロキに対して、ヘファイストスは目を細めて口を開いた。

 

「ロキはカエデの故郷についてどこまで知っているのかしら?」

「何処までって、カエデたんを辛い目に遭わせとった奴等やろ?」

 

 ヒヅチ・ハバリが居なければどうなっていたか。グラスを傾けたロキに対してヘファイストスは目を細めてロキを見据えたままの姿で吐息を零した。

 

「じゃあ、今カエデの故郷がどうなっているのか知らないのね?」

「知らんなぁ」

 

 知りたくもない。カエデも故郷について口にしたい訳でもないだろうし、わざわざ傷口を抉る真似なんてしない。そんなロキの様子にヘファイストスは俯いてから口を開いた。

 

「カエデの故郷、セオロの密林の中の村」

「せやね」

()()()()()()()()()()()()

 

 ヘファイストスの言葉にロキは目を細める。どういう事かと促せば、ヘファイストスは事情を説明し始めた。

 

「私の眷属、オラリオの外にある鉄鉱山から仕入れの為の取引に行ってるのは知ってるわよね?」

 

 オラリオのダンジョンからも豊富な鉱物資源が手に入るが、純粋な鉄鉱石等はダンジョンから採取できる分では全く足りない。と言うよりはダンジョンでの鉄鉱石採掘はモンスターの危険と持ち運べる量、そして鉄鉱石の相場から考えて儲けが少なすぎて鉄鉱石をダンジョンで採掘する者は全くいない。鉄鉱石を持って帰ってくるぐらいなら他の希少(レア)金属(メタル)の類を採掘した方が良いとなってしまうからだ。

 故に【ヘファイストス・ファミリア】が鍛冶で使用する鉄、その鉄の原材料である鉄鉱石は主にオラリオの外の鉱山から仕入れているのだ。

 その仕入れの為にオラリオの外に対して数人の眷属を派遣しているのはどのファミリアも知っている。

 

「その眷属()達にちょっとしたお願いをしたのよ」

 

 お願いの内容は居たってシンプル。【疑似・不壊属性(デュランダル・レプリカ)】ツツジ・シャクヤクの住まう村を見て来て欲しいと言うもの。

 過去のとは言え、オラリオで有名だった鍛冶師を訪ねると言う事で眷属達の間でそれなりに揉め事もあったが、結果として取引の終了後、【ヘファイストス・ファミリア】の眷属数人がツツジ・シャクヤクの住まう村へと訪ねて行く事になった。

 

「セオロの密林の中、村を探し回ったわ。見付からなかったけど」

 

 オラリオから真っ直ぐ東に進んだ先に連なったアルブ山脈、その麓に広がる大森林であり、遥か古代、太古の時代にダンジョンから溢れ出たモンスターの一部が密かに生息するセオロの密林。危険度は比較的高く普通なら近づこう等と考える事のない大森林の中。黒毛の狼人達の住まう村があるはずなのだ。しかし、見つからなかった。

 

「正確には()()()()()()()()()()()()()()()かしらね」

「探せる範囲?」

 

 顎に手を当てて考えるロキに対してヘファイストスはとあるファミリアの名を呟いた。

 

「【デメテル・ファミリア】」

「……!」

 

 その一言を聞いてロキはヘファイストスの顔を見据える。

 

 気が付いた。と言うよりは思い出した、が正解であろう。

 セオロの密林、古代の時代から人の手があまり加わらず、原生の植物とダンジョンから抜け出したモンスターの住まうその密林には、珍しい植物が自生している。その植物の採取、保護を目的として【デメテル・ファミリア】が採取地としてセオロの密林の一角を占有しているのだ。

 

 今回、【ヘファイストス・ファミリア】の眷属が探索を行った範囲は【デメテル・ファミリア】の採取地以外のセオロの密林の奥地に至るまで、調べられる範囲は全て調べた。

 その上でツツジ・シャクヤクが、黒毛の狼人達が住まうはずの村を見つからなかった。

 

「……採取地は調べんかったん? バレへんかったら問題無いやろ」

 

 悪神らしいロキの言葉にヘファイストスは首を横に振った。

 

「【恵比寿・ファミリア】の団員が傭兵まで雇って封鎖してたわ。入ってたら【デメテル・ファミリア】と【恵比寿・ファミリア】、二つのファミリアと敵対してたわね」

 

 その言葉にロキは思いっきり眉を顰める。

 

 デメテルはセオロの密林にある【デメテル・ファミリア】の採取地を荒した者達の捜索の為に【恵比寿・ファミリア】の団員と雇った傭兵達と協力し合っているのだろう。

 タイミングが悪かったとしか言いようがない。

 

 しかし、【デメテル・ファミリア】の採取地の中に村があるとも思えない。

 

「カエデがどこか別の場所と勘違いしてる可能性はあるかしら?」

「それは無いわ」

 

 カエデの記憶能力の高さに舌を巻く程だったのだ。間違えると言う事も無いしオラリオとその周辺地図を見てこっちから来たとセオロの密林をしっかり指し示す事が出来ていたし間違いは無い。

 

「どういうこっちゃ」

「私にもわからないわ」

 

 【恵比寿・ファミリア】の主神、恵比寿か、【デメテル・ファミリア】の主神、デメテルに話が聞きたい所ではあるが、二人ともオラリオに不在であり話を聞けない。

 どうするか二人して悩んでから、ロキはふと顔を上げてヘファイストスに質問を投げかける。

 

「ちゅーかなんで急にカエデたんの故郷について調べよう思ったん?」

「……ツツジから手紙が届いたのよ」

 

 困った様な表情のヘファイストスの様子にロキは首を傾げる。そんなロキを見てヘファイストスは軽く溜息を零してから肩を竦めた。

 

「ツツジが近いうちにオラリオに来るって……でも全く来る気配が無いのよ。だから気になったの」

「ほぉー……」

 

 ツツジがカエデの父親である。その事を知るロキは少し考えてから肩を竦めた。

 

「まぁ、ツツジっちゅーんがどんな奴かは知らんけど。もしオラリオ訪ねてきたらウチにも教えてな」

「貴女、手伝ってくれないのかしら?」

「悪いんやけどむしろこっちが手ぇ借りたいっちゅーねん。あの色ボケがカエデたん狙っとって手一杯やし」

 

 ロキの言葉にショックを受けた様子のヘファイストスだったが、ロキの続きの言葉を聞いて納得した様に頷いて溜息を零した。

 

「そう、じゃあツツジに関しては私でなんとかするわ……その代り」

「カエデたんに関しては任せてくれてええで。何が何でも守り抜いたるわ」

 

 それは頼もしいわね、そんな風にヘファイストスは苦笑を浮かべた。




 ホオヅキ、諦め悪くヒヅチの元へ。死亡フラグびんびんですね。

 ショタっ子犬人(シアンスロープ)のアルスフェアくんが良い感じ。裏で動いて貰う分には最高のキャラしてますね(魔改造しながら)

 思った事と言うか本編とは関係ないけどアルスフェアくんの愛称が『アル』で、ナイアルの愛称も『アル』(ナイ()())となるとアルアルコンビになるんですよね。

 童貞を殺すセーター、背中を見せるんじゃなくて脇までしっかり見せるあのデザインの方。アイズさんの衣装ってそんな感じだったよね。
 露出の激しい衣装を皆好むよねぇ。まぁ肌色多い方がアニメ映えするんかねぇ。もっとこう、ペコラさんみたいに着込んでもこもこしてるぐらいの方が好きなんだけどなぁ。


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『魔道書《グリモア》』

『あぁ……彼女、本気で話し合う積りみたいだね……無理そうだな。えぇっと何々……『本気で言ってるのか?』『無論……変える積りは無い』『ヒヅチッ!』『カエデを……』『ヤメロ』……うぅん、距離が遠すぎて良く聞こえないな。
 まぁ、僕が知った事ではないか。彼女なら時間稼ぎしてくれるだろうし、今の内に逃げ――――え? 嘘だろ? おい待ってくれっ!! 一瞬っ!? ホオヅキが反応できずに短刀で心臓一突きってどんだけ早いんだあの狐人(ルナール)ッ!?』

『其処で何をしておる』

『…………(嘘だろ、もう追いつかれたよ)』

『どうした小僧。何をしておったんじゃ』

『キミこそ、何をしてたんだい?』

『ワシか? ちょっと話が拗れてのう……やりたくは無かったが実力行使させて貰った』

『…………(それで心臓一突きか。無理だね、これは逃げれないや)』

『それで? オヌシ、此処で何をしておる?』

『殺されるのは勘弁して欲しいんだけど』

『……殺す? ワシが? ヌシを? 寝ぼけておるのか? まあ良い。ここらは危険じゃ。さっさと立ち去るが良い』

『は?』

『ワシもやる事があるのでな、これで失礼する』

『………………え? 生きてる? 僕生きてる?』


 【ロキ・ファミリア】の書斎、フィンの執務室でもあるその部屋の執務机に置かれた二冊の魔導書(グリモア)を前に、腕組みをしたロキが唸りながら頭を抱えている。

 

「どうすりゃええねん」

「僕はもうカエデに読ませるべきだと思うけどね」

 

 そんなロキを見たフィンが肩を竦めながら一冊の魔導書(グリモア)に手を伸ばす。

 【フレイヤ・ファミリア】の主神フレイヤが、神恵比寿を通じてカエデに渡そうとした最上位の魔道書(グリモア)。それを手にしたフィンは表紙を眺めてからリヴェリアに手渡す。

 渡されたリヴェリアは眉を顰めてロキを窺った。

 

「それで? どうするのだ?」

 

 【ガネーシャ・ファミリア】主催の『フライングガネーシャ三号機完成記念パーティー』で、フレイヤが居ないか探したが結局居らず、それ所か【デメテル・ファミリア】の疑わしい動向についてもヘファイストスよりもたらされている。

 目の前に置かれた二冊の内一冊を手に取ったロキはそれを見つめてから溜息を零した。

 

「恵比寿の方の魔導書(グリモア)は中位やし使えへんしなぁ」

 

 話し合いの内容はカエデに魔導書(グリモア)を与えるか否かである。

 

 与えた利点は魔法を習得出来る事。ただ、カエデの戦闘方法は既に完成されていると言って良く、欠点は基礎ステイタス不足である事のみ。基礎ステイタスは今後伸びが期待出来る為、順調に成長するのであれば魔法は不要とも言えるのだが、やはり切り札が増えるのは利点と言えるだろう。

 

 しかし、魔導書(グリモア)は片や恵比寿から受け取った賄賂の中位の魔導書(グリモア)、片やフレイヤより贈られた最上位の魔導書(グリモア)。どちらも出所に不安が残る。

 恵比寿の方は隠し事をしているが一応誠意は見せてきた。それでも怪しい事に変わりないが、気に入った眷属にちょっかいをかけるフレイヤに比べればマシである。

 

 カエデには魔法の才能は微塵も無く、器の昇格(ランクアップ)による習得枠(スロット)の開口が無かった為、中位の魔導書(グリモア)の方では魔法の習得は見込めない。使用するなら最上位の魔導書(グリモア)になるだろうが、それはロキの気分が良くないのだ。

 

 どの道、カエデには習得枠(スロット)が無い時点で使用可能な魔導書(グリモア)は、フレイヤから受け取った最上位の魔導書(グリモア)しかないのだが。

 

「覚えていた方が良いと思うけどね……また()()なんて銘打ってちょっかいかけられたら……」

 

 フィンの言う通りである。

 フレイヤは必ずカエデにちょっかいをかけるだろう。それを突破する上で切り札を増やすべきだ。それにフレイヤの事だからカエデが魔法を習得した場合、魔法の熟練度をある程度確保するまでは手出しして来ない可能性も高い。

 

「これどっか保管しといて。いつか使うやろうし」

 

 ロキは中位の魔導書(グリモア)をフィンに渡す。それからロキは嫌そうな表情を浮かべてリヴェリアの手から最上位の魔導書(グリモア)を受け取った。

 

「……渡すわ、こんなん直ぐにでも捨てたいんやけど……カエデの力になるんやったら」

「どんな魔法が発現するのか少し楽しみだのう」

 

 ガレスの言葉にフィンが肩を竦めた。

 

「魔法の才能はこれっぽっちも無かったんだろう? 魔導書(グリモア)が最上位とは言え、あくまでも発現する魔法の効力は本人の資質に左右される訳だから、期待し過ぎるのは良くないと思うけどね」

 

 フィンの言葉にリヴェリアが眉を顰め、ロキの方を向き直って口を開いた。

 

「カエデを呼ぶか?」

「頼むわ」

 

 

 

 

 明日の予定を話し合う為に談話室にてラウル班は集まっていた。

 

「それで? 明日は何処まで潜るッスか? 一度十八階層まで行ってみるとか?」

 

 ラウルの言葉にアレックス以外の全員が腕組みをして唸り始めた。アレックスは部屋の入口横の壁に凭れかかって腕組みをして目を瞑っている。話し合いに参加する気は全くない様子である。

 そんなアレックスを睨んでから、グレースが口を開いた。

 

「そう言えば、この班の中で十八階層に行った事無い奴っている訳?」

「私は一応行った事は無いですね」

「ワタシも行ったこと無いです」

 

 グレースの質問にアリソンが口を開き、カエデも手をあげた。その様子を聞いたのか、壁に凭れかかっていたアレックスが目を開けてアリソンとカエデを睨んだ。

 

「はぁ? 行った事ねぇだ? テメェら仮にも三級(レベル2)冒険者だろうが」

 

 そんなアレックスに対し、ヴェネディクトスが肩を竦めた。

 

「君、少し考えればわかるだろう? 彼女、アリソンは器の昇格(ランクアップ)から其れなりに経ってはいるけど、慎重に行動してるから無茶して十八階層まで行こうなんてしないだろうし。カエデに至っては器の昇格(ランクアップ)以降は僕らと行動を共にしてるんだよ? 十八階層まで行く余裕はないだろう」

「うっせぇ、テメェには聞いてネェんだよ」

 

 苛立ちを隠しもせずにヴェネディクトスを睨むアレックスに対し、グレースが舌打ちをし、アリソンがカエデを抱きしめて震え出す。

 抱きしめられたカエデは困った様にアレックスを見てから、ラウルを窺う。

 視線が合ったラウルは肩を竦めてから口を開いた。

 

「それで、どうするっすか?」

「……一度、十八階層までは足を運ぶべきだと僕は思うよ」

 

 再度のラウルの質問にヴェネディクトスが答え、他のメンバーを見回せば、アレックス以外の全員が頷く。アレックスだけは鼻を鳴らして壁に凭れかかって不貞腐れた様な表情を浮かべている。

 

「それじゃ、まだ時間はあるっすけどそろそろ……」

 

 ラウルが明日に備えて休む様に促そうと口を開こうとしたところで、談話室の扉が開かれ、ラウルは口を閉ざす。

 

「……カエデは居るか?」

「はい、何ですかリヴェリア様」

 

 扉を開けて入ってきたのはリヴェリアであり、カエデに用事がある様子に気付いたアリソンがカエデを解放する。解放されたカエデがリヴェリアの元に向かい、リヴェリアはラウルの方を見て口を開いた。

 

「少しカエデを借りるが構わないか?」

「あ、問題ないッス。話し合いが丁度終わった所っすから」

 

 立ち上がって返答したラウルに対し、一つ頷いたリヴェリアはカエデの方を見た。

 

「ロキが呼んでいた」

「ロキ様が?」

「あぁ、ついてきてくれ」

 

 首を傾げつつもまた何か怒られる事をしてしまったのかと不安そうにリヴェリアの後に続いてカエデが部屋を出て行った。

 その様子を見ていたアリソンが首を傾げた。

 

「カエデちゃん、またお説教でしょうか?」

「アイツ、おどおどし過ぎじゃない? もっと胸張って生きりゃ良いのに」

「むしろあれぐらいの方が好ましいと思うけれどね」

 

 肩を竦めたヴェネディクトスに対しグレースが眉を顰める。

 

「何アンタ、あぁいう子供が好みな訳? なんて言ったっけ……えっと、ロリ……ロリコン? だっけ? なんか神様の言葉で言うそんなの、あんたソレな訳?」

「どうしてそうなるのかな。女性として荒々しい方よりはあぁ言う大人しい性格の方が好みだって話だよ」

 

 女性冒険者は大人しい性格が少ない。と言うよりは大人しい性格でありながら冒険者になろうと言う女性が少ないだけだが。

 

「はぁ? あんたアタシが荒々しいとでも言いたい訳?」

「グレースちゃん、落ち着いてください。ヴェトスさんは別にそう言う意味で言ったんじゃないですよ」

「くっだらね、寝る」

 

 三人のやり取りを面倒臭そうに見ていたアレックスが大きな音を立てて扉を開けて部屋から出て行った。

 

「何アイツ、ムカつく」

「はぁ、アレはどうしようもないね」

「あはは……はぁ」

 

 苛立ちを隠しもしないグレース、侮蔑の表情を浮かべたヴェネディクトス、半笑を浮かべたアリソン。アレックスに対し風当たりが悪いのを見てラウルは肩を落とし、小声で呟く。

 

「一応、命預け合う仲間なんスから、少しは仲良くする努力するべきなんスけどね」

 

 原因がアレックスにあるので強くは言えないが。

 

 

 

 

 

 急な呼び出し、また怒られるのだろうか。そんな事を考えつつもリヴェリアについていけば執務室へとつれていかれ、中に入ればロキが机に腰かけていて、フィンが優しげな笑みを浮かべている。ガレスは腕組みをしているし。

 また怒られるのか……。何をしてしまっただろうか? クリームたっぷりのクレープと言うデザートを食べたのがダメだったのか? それとも夕食のニンジンをアリソンさんに食べて貰ったのがダメだったのだろうか?

 

 不安げに揺れる尻尾を見て、ロキが笑みを浮かべた。

 

「安心してええでー、説教っちゅーわけやないしな」

「そうなんですか」

 

 明らかにほっとした様子のカエデを見たリヴェリアが目を細める。

 

「何かしたのか?」

「っ! 何もしてないです」

 

 首を横に振って誤魔化すカエデに対し、リヴェリアが疑いの目を向けるがフィンが其れを止める。

 

「まぁまぁ、其れよりもカエデ、君に渡す物があるんだ」

「……? ワタシに渡す物?」

 

 首を傾げつつも何を渡されるのか想像する。服? 今日、散々着せ替え人形にされたのでもう着替える事すら億劫なのだが。

 武器? 破損したので修理に出していた『ウィンドパイプ』が直ったのだろうか?

 

「ウィンドパイプですか?」

「あぁ、そっちやないんよ」

 

 にこやかな笑みを浮かべたロキがカエデにさっと本を差し出した。

 

「……本?」

 

 両手で受け取れば、ずっしり重い革表紙の本であり、タイトルは『魔法学』とだけ書かれている。

 首を傾げつつも本を開いて中身を見ようとすると、ロキがそれをとめた。

 

「その本は自分の部屋で読むんや。他の子らに見せたらあかんで」

「……何でですか?」

 

 魔法について書かれた本なのだろう。書庫にあった魔法についての記述のあった学術書とはまた別物の様子だが。

 

「カエデ、それは『魔導書(グリモア)』だ」

「ぐりもあ?」

 

 一瞬、言葉の意味が理解できずに聞き返し、それから手にした本をもう一度眺める。茶色の革表紙、記された文字がぼやけ、浮かび上がる様に見える。

 魔導書(グリモア)の効力については既に知っているし、もし可能なら読んでみたいとも思っていた、しかし唐突に渡されてどうしていいのかわからなくて手に持ったままロキを窺う。

 

 尻尾を丸めて脅えた様に本を手にしたまま固まったカエデを見て、ロキは笑みを浮かべて口を開いた。

 

「これを読めばカエデたんも魔法が使える様になるで。部屋に戻ってベッドの上で読むんや。んで明日の朝一でステイタス更新な」

「いいんですか?」

 

 魔導書(グリモア)一冊で【ヘファイストス・ファミリア】のヘファイストスブランド武器と同等、もしくは桁が一つ二つ増えるぐらいの値段が付くのである。そんなものを貰っていいのか? 確かに武器や防具を優遇してくれると言う話ではあったが、希少価値が高すぎて値段がつけられない事もある魔導書(グリモア)を受け取るのはどうなのか。

 そんなカエデにフィンが肩を竦めた。

 

「気にしなくて良いよ」

 

 ロキやリヴェリア、ガレスを見回すも全員頷くのみ。手に持った魔導書(グリモア)をもう一度眺めてから、少し考えて頭を下げた。

 

「ありがとうございます」

 

 どういった魔法が発現するのかは不明だが、魔法は使ってみたいとも思ったし、今の『剣技』と『呼氣法』だけしかない状況で、次の偉業の証入手に向けて手札を増やすのは悪く無い選択だ。

 今ある手札だけでは厳しい。

 

 インファントドラゴンとの戦いも、魔法があればもっと他に手の打ちようもあっただろう。今言っても詮無い事である。

 

 

 

 

 

 自分の自室、テーブルの上に置かれた革表紙の魔導書(グリモア)を見てから、手入れを行っていた師の形見の刀を鞘に納める。

 

 どんな魔法が発現するのか。その質問に対しリヴェリアは分からないと答えた。ロキも、フィンも不明だと答えた。

 魔導書(グリモア)によって発現するのは基本的に後天系が多いらしい。つまりワタシが内に抱え込んでいるモノを紐解けば、習得する魔法の傾向を予測できるかもしれないと言われたが、心の内に抱え込んだものとはどうやって知ればいいのだろう?

 そんな疑問を覚えたが、結局答えは出なかった。

 

 ラックに師の刀を戻し、深呼吸をしてから魔導書(グリモア)を手に持った。ベッドに腰掛けて革表紙を捲る。

 

『魔法は種族により素質として備わる――』

 

 前にリヴェリアから学んだ事がつらつら書き連ねられている。

 

『後天系の魔法は言わば自己実現である。何に興味を持ち、認め、憎み、憧れ、嘆き、崇め、誓い、渇望する』

 

『引き金は常に己の内に存在する』

 

 

 

 

 灰色に沈み込んだ大木の傍、散らばる巻き藁と朽ちた刀が数本地面に突き立つ鍛錬場。木の上から見下ろしてくる『ワタシ』を見上げた。

 

 ――じゃあ始めましょう――

 

 瀑布の如き濁流。最後に師と共に立った戦場。今にも流されそうな岩の上に腰かけた『ワタシ』が問いかけてくる。

 

 ――ワタシにとって、魔法って何?――

 

「力。手札、解りやすい手段の一つ。生存の確率を上げてくれる、そんな切り札」

 

 巻き割り台と手斧、それから水瓶、師と共に過ごした小屋。誰も居なくなって凍える程に寒いその小屋の入口に立つ『ワタシ』が問いかけてくる。

 

 ――ワタシにとって、魔法ってどんな物?――

 

「氷。冷たくて、鋭くて、けれどもとても脆くて、触るのを拒みたくなるぐらいなのに、触り続ければ痛みも冷たさも忘れさせてくれる。真っ白な氷原」

 

 何もない森の片隅、真ん丸な月が見下ろす孤独な旅路。後ろに立った『ワタシ』が問いかけてくる。

 

 ――魔法に何を求めるの?――

 

「刃金の様に、何人たりとも近づけず、痛みと温かさと孤独をありのまま伝えるあの人みたいになりたい。強く、鋭く、速く、あの人に認められるぐらいに」

 

 色のついていない沢山の人達、商店街、冒険者通り、黄昏の館。生きてる人々は一杯居るのに、温かさを微塵も感じ取れないオラリオの風景。目の前に立った『ワタシ』が問いかけてくる。

 

 ――それだけ?――

 

「もし叶うなら――――

 

 孤独な部屋、置いてある物も、何もかもが全部冷たい自分の部屋。鏡に映った『ワタシ』が答えた。

 

 ――とても弱虫で我儘で、欲張りだね――

 

「うん、だってそれが――――『ワタシ』だから」

 

 

 

 

 

 目を開けて、カーテンの隙間から差し込む光を眺めてから、目元に零れた涙の痕を拭う。とても、とても悲しくて辛い夢を見た気がする。

 机の上に置かれた薬箱から薬を取り出し、水差しから水を一杯注いで飲み干す。飲み慣れた薬の味に眉を顰めてから、カーテンを開いた。

 

 眩しい朝日を見据えて、首を傾げた。

 

「……魔導書(グリモア)は?」

 

 昨日、魔導書(グリモア)を読んでから記憶が曖昧になっている。何処にあるのだろうと部屋を見回せばベッドの足元に革表紙の本が落ちているのを見つけ、それを手に取る。

 

「確か……読んだら中身が消えるんだっけ……」

 

 開き、確認してみれば昨日読んだはずの内容が綺麗さっぱり消えて、白紙の魔導書(グリモア)が其処にあった。真っ新な本を捲り、捲り……捲る。

 真っ白になってしまっており、不可思議な雰囲気の消え失せたただの革表紙の本になっている。

 

「ステイタスの更新して貰おうかな……まだ早いかな?」

 

 窓の外を見てから時計の方を見れば、時刻はそろそろ6時半を回る。

 

「……あ、鍛錬っ!」

 

 慌てて寝間着を脱ぎ捨てて鍛錬用の軽装へと着替える。ベートさんと毎朝の鍛錬、後アレックスとの模擬戦もあるのに忘れてしまっていた。

 

 

 

 

 

「んで、今日は負けてもうたと……」

「はい……」

 

 ロキの言葉にしょんぼりしながら頷く。

 

 今朝、目覚めがいつもより遅く、早朝の鍛錬に遅れたので慌てて鍛錬所に向かったのだが、ベートの鍛錬は結局出来ずじまい。揚句の果てには今日のアレックスとの模擬戦で寝起きでの戦いと言う本調子ではない状態だったのがダメだったのかアレックスの攻撃が当たって負けてしまったのだ。

 ただ、アレックス本人は勝ったと言うのに全く嬉しそうではなかった。と言うかめちゃくちゃ怒っていた。カエデ自身は何とか怪我も無く鍛錬を終えたものの、アレックスに対する今日一日の命令権を失った事で十八階層までラウル班全員で行くと言う予定が完全に狂ってしまったのだ。

 

 上着を脱いで椅子に腰かける。今日の朝負けたのは仕方が無いにせよ、アレックスの指示権を失ったのはでかい。

 その事に関して朝食の席で皆に伝えれば体調の心配をされたが……どちらかと言えば魔法の方を気にし過ぎていたのだ。

 

「まぁ、たまにはそう言う事もあるやろ。大きな怪我が無くてよかったわ」

 

 更新するでーと言う言葉と共に淡い光が弾け出す。

 

 どんな魔法が習得できるだろう? 跳ねる鼓動を意識しながらもいつも以上に更新完了が待ち遠しい。

 

 

 

 

 名前:『カエデ・ハバリ』

 二つ名:【生命の唄(ビースト・ロア)

 所属:【ロキ・ファミリア】

 種族:『ウェアウルフ』

 レベル:『2』

 

 力:F386 → F388

 耐久:G287 → G290

 魔力:I0 → I0

 敏捷:C695 → C699

 器用:D548 → D556

 

【発展アビリティ】

《軽減》

 

 『魔法』

【習得枠スロット1】

氷牙(アイシクル)

 ・氷の付与魔法(エンチャント)

 ・鈍痛効果

 

 詠唱

孤独に(凍えて)眠れ、其は孤独な(凍て付く)氷原。月亡き夜に誓いを紡ごう。名を刻め、白牙は朽ちぬ』

 

 追加詠唱

『乞い願え。望みに答え、鋭き白牙、諸刃の剣と成らん』

 

 追加詠唱:装備解放(アリスィア)

『愛おしき者、望むは一つ。砕け逝く我が身に一筋の涙を』

 

 

 

 

「……氷の付与魔法(エンチャント)?」

「……詠唱が三つ?」

 

 手渡されたステイタスの紙きれを見て首を傾げたカエデに対し、ロキも首を傾げる。

 詠唱が三つもある魔法なんて初めて見た。

 

「うーん」

 

 予測できる範囲で言うなれば、最初の詠唱で『付与魔法(エンチャント)』としての魔法が発動し、二度目の詠唱で『装備魔法』に変質する。そうであるのなら追加詠唱:装備解放(アリスィア)の説明も付く。

 

希少(レア)マジックやな」

 

 スキルも希少(レア)魔法(マジック)希少(レア)、そしてカエデ自身の毛色や意思も希少(レア)

 なるほど希少(レア)のオンパレードである。

 

 ただ、カエデの方はあまり嬉しそうでは無い。

 

「どしたん? 魔法発現して嬉しくないんか?」

「……治療出来る様な魔法とかあったら便利だったなって」

 

 怪我が多いので治療できる魔法があれば確かに便利だろうが、怪我をした本人が自身に対して魔法を使うのは難しいのだが、その話は置いておく。

 今回発現した魔法の中で注目すべきは『氷の付与魔法(エンチャント)』と『鈍痛効果』の二つか。

 

 心情風景に表すならば『孤独』や『悲観』を示す『氷』の属性。心の主柱であったヒヅチを失った事が大きいのだろう。心に負った傷、癒えきっていない部分の発露……だけではない。

 【ロキ・ファミリア】に於いてカエデは一部の狼人(ウェアウルフ)を除けば良好な関係を築き始めている。だが、それがカエデの孤独を癒すと言う結果に繋がっていないのだろう。

 孤独さを常に感じ続けていたからこそのこの魔法か。

 

 カエデの心情風景を想像するのも良いが、それ以上の問題は『鈍痛効果』である。

 

 単純に考えて『痛みを感じ辛くなる』と言う効果だろうが……。これは不味いものだろう。

 

 怪我の痛みで動けなくなる心配が無くなるので良い事、と思えるかもしれない。しかし大きな落とし穴も存在し、自身の限界が不明瞭になりやすくなってしまう。

 痛みとは本来体に課せられた制限(リミッター)の役割を持っていると言っても良い。痛みを感じると言う事はつまり体が耐えられない、と言う意味でもある。もし痛みを感じなくなれば体が壊れているのに気付かずに、そのまま無茶をしてしまうかもしれない。

 

 常日頃から無茶が目立つカエデに『鈍痛効果』は危険だろう。ただ、発現した以上有効活用はしたいのだが。

 

 

 カエデの体を後ろからゆっくり抱きしめる。

 

「なんですか?」

 

 不思議そうに首を傾げるカエデの頭を優しく撫でて、ロキは口を開いた。

 

「安心してええで……ウチは何時でも待っとったるからな」

 

 何を言っているのか理解できていないのだろう、首を傾げるカエデにロキは微笑んだ。

 

「寂しかったらちゃんと言ってえな」




 魔法発現イベントー。やったぜ。

 氷、孤独、装備魔法、白牙。色々混ぜた魔法ですが大体想像はつくかと。鈍痛効果、痛みが鈍くなる。なお損傷(ダメージ)によるステイタスブーストは無いです。
 ただ、痛みに鈍くなるだけなので。


 前回のあとがきでやっとけばよかったなって思った事。
 次回『ホオヅキ、死す』って入れとけばよかった。



 誤字修正にて、ペコラさんの台詞の修正してくれた方が居ましたが、あれはペコラさんのキャラ付けの為の物なので誤字じゃないです。以下の感じでしたね。

「私はこっちが良いと思うですが」→「私はこっちが良いと思う《の》ですが」

 勘違いさせて申し訳ない。


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『迷宮の楽園《アンダーリゾート》』《上》

『恵比寿、例の子についてなんだけど』

『どうだった?』

『見つからなかったよ。連れ去られた可能性も高そう』

『そっか、仕方ないなぁ。モールは引き続き捜索を、出来れば彼女は確保しておきたいんだ』

『了解。デメテル様の方には連絡は?』

『いや、良いよ。彼女に知らせても何も出来ないだろうしね』

『りょーかい』



 ダンジョン九階層、木色の壁面には苔がまとわりつき、地面も短い草の生えた草原に。頭上から降る強い燐光は太陽の光を彷彿とさせ、地上に思いを馳せさせる不可思議なフロアの一角。

 本来の目的は十八階層、安全階層(セーフティーポイント)でもある『迷宮の楽園(アンダーリゾート)』とも呼ばれる階層に向かう予定だったが。カエデが新たに魔法を習得したと言う事で、魔法の性能確認の為に寄り道している。

 

「んで、新しい魔法って【剣姫】様と同じ付与魔法(エンチャント)だって?」

「はい、属性は氷でした」

 

 グレースの言葉に頷いて答えたカエデに対し、グレースが呆れ顔を浮かべる。

 

「そこまでペラペラ喋らなくても良いんだけど」

 

 パーティ内とは言え、基本的に魔法等の詳しい情報は伏せるのが基本と言えるのだが。気にせず教えたカエデにヴェネディクトスも呆れ顔を浮かべている。

 その様子を見ながらもラウルは肩を竦めてからカエデを促す。

 

「周辺警戒はしてるッスから、一度発動させてみても良いッスよ」

「はい」

 

 頷き、カエデはゆっくり息を吸って、吐く。深呼吸の後にイメージを固め、詠唱を唱える。

 

「『孤独に(凍えて)眠れ、其は孤独な(凍て付く)氷原。月亡き夜に誓いを紡ごう。名を刻め、白牙は朽ちぬ』」

 

 詠唱としては短文詠唱と中文詠唱の間程、長くは無いが短いとも言えない詠唱。

 慣れぬ詠唱に眉を顰め、体から何かが失われていく喪失感に尻尾を震わせる。詠唱の終わり際に淡く輝きが発生し、詠唱の完了を知らせる。

 

「『氷牙(アイシクル)』」

 

 魔法の発動を示す魔法名の発音によって、カエデの周囲に淡い細氷が発生し、キラキラとした輝きが舞い落ちる。

 

「わぁーー、綺麗ですね」

「ダイヤモンドダストか、確かに綺麗だけど……他にどんな効果があるんだい? 綺麗なだけだとあまり意味の無い魔法だけど」

 

 アリソンの感想に対し、ヴェネディクトスは魔法の分析を行い首を傾げている。魔法を発動させたカエデはラウルたちの方を見て首を傾げた。

 

「後はどうすれば良いんですか?」

「……いや、アタシ魔法使えないし知らないんだけど」

 

 カエデの質問に困惑したグレース。ラウルは唸ってから口を開いた。

 

「うーん。聞いた話だと使えばなんとなく理解できるって話だったと思うんすけど、なんかわかんないっすか?」

「えぇっと……こう? えぇ、こっち? こう? これじゃなくて……」

 

 ラウルの言葉に対し、リヴェリアも同じことを言っていたと一つ頷いてから、魔法を操作すべくカエデが両手を前に突き出したり、上にあげたり、よく分らない動きをし始める。

 その様子を見ていたグレースが呆れ顔で呟く。

 

「何その珍妙な踊りは」

「あぁ、でもなんかキラキラしたのが動いてますよ」

「みたいだね……あれ、こっちまで届いてないけど、触れると何かあるのかな?」

 

 カエデの周囲に漂う細氷が、カエデの動きに合わせてふわふわと動く。範囲はせいぜいがカエデを中心に2M程度、モンスター相手にした方が安全だとは思われるが、この場にモンスターが居ない為どうするか少し考えたラウルが頷いた。

 

「よし、んじゃ俺が触ってみるッス」

「えぇっ!? 危ないんじゃないですか?」

 

 驚いたアリソンに対しラウルは肩を竦めた。

 

「同レベルの冒険者が触って大事になったら大変ッスから。それにカエデちゃん、今のステイタス的に魔力はゼロだろうし、俺はこう見えても二級(レベル3)冒険者ッスよ? と言う訳でカエデちゃん、ちょっとじっとしててくださいッス」

「え? あ、はい」

 

 何らかの魔法操作の為か珍妙な踊りを披露していたカエデが動きを止め、ラウルはカエデに少しずつ近づいていく。一応、何かあっても問題無い様に鞘から抜かずに剣を持ち、切っ先をカエデの周囲の細氷に向ける。

 

「何アレ、自信満々に俺は二級(レベル3)とか言いつつ、びびってんじゃない」

 

 そのまま直接触れるかと思えば、剣の切っ先で慎重に触れようとするラウルの様子に呆れ顔のグレース。其れに対しヴェネディクトスは肩を竦めた。

 

「いや、あれも十二分に危険な行為だよ」

「はぁ?」

「あの魔法はどんな特性かわかるかい? 僕にはわからない。それこそあのキラキラしたのに触れた途端、剣を通じて体まで凍りつく可能性も否定できないだろう?」

 

 ヴェネディクトスの想定にアリソンが顔を青褪めさせ、カエデもラウルの方を見て慌てる。

 

「ラウルさん危ないですよっ!」

「んー、大丈夫ッスよ。と言うか大丈夫ッスね……カエデちゃん、寒くないッスか?」

「え? 寒く? 全然そんな事無いですけど」

 

 ごく自然な動作で、細氷の中を歩いてカエデに近づいたラウル。少し震えてからラウルは自分の手を見る。

 

「うーん、これはアレっすね。このキラキラしたの自体になんか効果がある訳じゃ無いみたいッス」

「大丈夫なんですか?」

「ひんやりしてるッスね。少し寒いぐらいッス」

 

 ラウルの評価に首を傾げてから、カエデは不安そうに口を開いた。

 

「……もしかして、この魔法って使えない魔法……?」

「そんな事は無いと思うけどね」

 

 ヴェネディクトスはじーっとカエデの魔法を眺め、唐突に石ころを拾い上げてカエデに示す。

 

「ちょっとこれ、君に向かって投げるよ」

「え? あぁ、はい」

 

 ラウルがカエデとヴェネディクトスの射線上から退くと、ヴェネディクトスは特に肩肘張らずに放物線を描く様に軽く石ころを投擲する。緩やかな放物線を描く石ころをじっと眺めていたカエデの目の前、細氷が広がっているカエデから2Mの距離で唐突に石ころが弾かれる。

 

「っ!?」

「おぉー」

「何? 何が起きたの?」

「あぁ、やっぱりか。攻撃に対する反応型か」

 

 驚いたカエデ、感心した様な吐息を零したラウルの目の前に、氷の塊の様なモノが浮かんでいる。その氷の塊は次の瞬間には溶けて消えてしまい、跡形もない。

 

「今の……」

「無意識か意識的かはわからないけど、攻撃に対する防御効果かな。氷塊による防御って感じだと思うけど」

 

 【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタインの使う『エアリエル』は発動する事で自身と武器に『風』を纏う。

 武器に纏えば攻撃力と攻撃範囲の拡大、体に纏えば触れる事すら出来なくなる鎧に転じる事から、攻防共に隙が無い付与魔法(エンチャント)であるのだ。

 其れに対し、カエデの付与魔法(エンチャント)は現状、自身に纏えば氷塊による防御のみと効力が微妙過ぎる。

 

「後は武器に使った時にどうなるかッスね」

「武器ですか」

 

 少し悩んでから、カエデは二代目となる『バスタードソード』を取り出して構える。

 その様子を見ていたアリソンが耳をぴんと立てて口を開いた。

 

「敵が来ますっ!」

「あ、じゃあ丁度いいッスね。数は何匹ッスか? カエデちゃんの試し切りさせようと思うんスよ」

「えっと、コボルト三匹です」

 

 ラウルは一つ頷いてからカエデの方を窺う。カエデはバスタードソードに冷気を纏わせることに成功した様子であり、カエデを中心に渦巻いていた細氷は今は剣に纏わりついている。

 剣の表面に薄く氷が張りついて居るのが見え、ラウルは一瞬眉を顰めてからカエデを窺う。

 

「大丈夫ッスか?」

「……はい、なんとか……」

 

 カエデの顔色が若干悪くなってきている。だが、表情自体は変化なくカエデは自身の異常に気が付いていない様子だ。これは精神疲労(マインドダウン)の兆候だと思うのだが。

 

「来ますっ!」

 

 アリソンの言葉と共に、ルームの入口からコボルトが三匹飛び込んでくる。グレースがケペシュを構え、アリソンもグレイブを構えておく。ヴェネディクトスは眉を顰めてラウルを窺うが、ラウルがカエデを止めるより早く飛び出して行ってしまっった。

 

 鋭い踏み込みと共に、甲高く薄氷を踏み砕く音を響かせながら疾駆するカエデ。

 其れに気付いて応戦しようと構えるコボルトだが、カエデはそのまま間合いの内まで近づくのではなく、間合いの外側で足を止め、剣を振るった。

 コボルトの間合いでも無く、カエデのバスタードソードの間合いでも無い所での素振りは、本来なら当たる事は無いのだろう。だが剣に纏わりついた細氷が一瞬でその刀身を引き延ばす。

 

 鋭い薄氷によって生み出された凶刃は、間合いを狂わされたコボルト三匹を一瞬で両断する。上半身と下半身で真っ二つにされたコボルトの死体は、その場で凍り付き不細工な氷像へと変化を遂げていた。

 上半身がズレ落ち、甲高い音を立てて砕けてしまう。砕けた上半身から魔石が転がり落ち、その氷像は瞬く間に灰となって消えてしまった。

 

 その様子を唖然と見つめていたグレースが呟く。

 

「何それ凄く強いじゃないの」

 

 先程まで氷によって刀身が引き延ばされたバスタードソードをカエデがじっくりと伺ってから、ラウルの方を向いた。

 

「凄いですっ!」

 

 攻撃範囲の拡大、アイズ・ヴァレンシュタインの使う『エアリエル』と同等の効果だが、視覚的には目に見えない『風』を纏うアイズと違い、目に見える『氷』を纏うカエデの方が攪乱しにくかろうとは思われるが、それを差し引いても攻撃範囲の拡大は大きい。

 

 嬉しそうに尻尾を振りながら魔石を集め始めるカエデ、その様子を見ていたラウルはカエデの顔色がそろそろ限界を迎えそうなのを見て口を開いた。

 

「カエデちゃん、魔法を一旦解除するッス」

「はい」

 

 素直に頷いて魔法を解除する。発動と異なり解除は一瞬で、カエデを中心に漂っていた細氷が虚空に消え、カエデの周囲に漂っていた冷気も綺麗さっぱり消えてしまった。先程までルーム全体をひんやりと冷やしていたと言うのに、魔法の解除と共にその冷気が消えた事で一気に気温が上がった様に感じられる。

 

「凄いですねー」

「……ま、良いんじゃない?」

「戦力増強、素晴らしい事だよ。今回の『遠征合宿』、勝利が見えてきたかもしれないね」

 

 我が事の様にはしゃぐアリソンに、肩を竦めて肯定するグレース。満足気に頷いて笑みを浮かべたヴェネディクトスだが、三人の目の前でカエデは膝を突いていた。

 

「あー、やっぱりッスか。カエデちゃん大丈夫ッスか?」

「うぅ……頭……頭がぁ」

「どうしました?」

 

 頭を押さえて震えるカエデの姿に驚いて慌てて駆け寄ったアリソンに対し、カエデは涙目で顔を上げる。

 

「頭痛いです……」

 

 精神疲労(マインドダウン)の基本的症状の頭痛を訴えるカエデに対し、ラウルは肩を竦める。

 

「俺は魔法を覚えてないッスからわかんないッスけど、自分で精神疲労(マインドダウン)になるラインをしっかりと把握しておかないとダメッスよ」

 

 でなければ今回の様に気が付いたら頭痛によって集中力が乱される状態になってしまう。

 呻きながらもなんとか立ち上がったカエデに対し、ヴェネディクトスが精神力回復特効薬(マジック・ポーション)をカエデに手渡した。

 

「これを飲めば少しはマシになるよ。但し、即効性じゃなくてあくまでも回復力を引き上げるものだから過信しないでね」

 

 魔力のステイタスがゼロであるカエデでは、発動可能時間は非常に短いと言える。発動開始から大体十分程度で精神疲労(マインドダウン)状態に陥っているのでかなり厳しいだろう。

 

「ありがとうございます……」

 

 試験管に入れられた柑橘色の液体を一気に飲み干すカエデを眺めつつ、ラウルは少し考えてから頷いた。

 

「よし、じゃあ予定通り下に行くッスか」

「そうだね」

 

 ラウルは壁際に置いてあったサポータ用の大型バッグを背負い直してカエデの方を見た。

 

「カエデちゃんは俺と後方待機ッス」

「え? でも……」

「そんな状態で戦うとかアホなんじゃないの?」

 

 ラウルの言葉に困惑した様子のカエデだが、精神疲労(マインドダウン)状態のまま前に出られても迷惑だとグレースが呆れ顔を浮かべれば大人しくラウルの傍に近づいた。

 

「頭痛はどうっすか?」

「……まだ痛いです。鎮痛剤ください」

 

 鎮痛剤なら確かあったはずだ、そう考えてラウルを窺うカエデに対し、ラウルは少し考えてからバッグから鎮痛剤とよく似た錠剤を取り出してカエデに渡す。ついでに水袋も渡してから、ラウルは小声で呟いた。

 

「まぁ精神疲労(マインドダウン)の頭痛とか眩暈って薬じゃなんともならないんスけどね」

 

 精神疲労(マインドダウン)によって引き起こされる頭痛や眩暈などの症状は、肉体に依存しない精神方面からの状態異常であり、肉体方面で効果を発揮する薬では治療が不可能である。

 とは言え、偽薬効果で少しは楽になるはずなので、偽薬である何の効果も無い錠剤を渡した訳だが。

 

「少しはマシになったッスか?」

「はい、さっきよりは」

 

 騙されやすい性格だとこうなるのかと少し罪悪感を感じつつも、ラウルはバッグを背負い直して三人を窺う。

 

 今回、カエデが精神疲労(マインドダウン)で戦闘に参加させられない為、アリソン、グレース、ヴェネディクトスの三人が主に戦う事になる。

 三人はラウルの視線に気付いて頷いた。

 

「大丈夫ですよ、戦えます」

「ま、アタシらだって戦えるし、問題ないわよ。後ろで欠伸でもしてりゃいいんじゃないの?」

 

 

 

 

 

 ダンジョン十七階層、『嘆きの大壁』のある十八階層へと通じる階段のある大広間にて、肩で息をするグレースが仰向けに倒れたまま口を開いた。

 

「し……死ぬかと思ったわ……」

「あれ、私、生きてます? 死んでないですか? ここ何処ですか?」

「………………」

 

 アリソンは若干錯乱しているのかぼそぼそと呟く様に生存を確かめているし、ヴェネディクトスに至っては精神枯渇(マインドゼロ)に陥って口を開く事も出来ない程の状態に陥っている。

 

 その様子を見ながら、カエデは申し訳なさそうに耳を伏せ、尻尾を丸めている。

 

「いやぁ、大変だったッスね」

「アンタが言うかっ!?」

「アレ、ラウルさんの所為ですよねっ!?」

 

 道中、ラウルがダンジョンの特定階層に存在する食糧庫(パントリー)に対して音爆弾(リュトモス)を投げ込むと言う凶行を行い、食糧庫(パントリー)内のモンスターが一気に襲い掛かってきたのだ。

 何故あんな事をしたのかと言えば、『遠征合宿』前の小さな試験である。

 

「他のパーティもやってるッスよ」

 

 何かあればラウルが自ら前に出て片付ける手筈になっていたのだが。それでもあの唐突な凶行によって、グレースは幾度死にかけたのか数えきれない、それにヴェネディクトスは精神枯渇(マインドゼロ)に陥ってしまったし、ここから地上に戻るのは至難の技だろう。

 

「なんでカエデが使えない状態の時にやるのよっ!!」

 

 文句を言いながらふらふらと立ち上がったグレースに対しラウルは顎に手を当てて考えてから口を開いた。

 

「団長の指示だったんすよね」

「団長? あの腐れチビ……」

「それ、ティオネさんの前で絶対言わないでくださいッス」

 

 普通に半殺しにされてしまうから。そんな言葉を飲み込んでラウルは三人を見回す。

 

「ま、普通に突破できたッスから良いっすね」

 

 三人の恨めし気な視線を受け止めたラウルは軽く笑ってから、十八階層に続く階段を指差した。

 

「ほら、早く行くッスよ。今日はまだ迷宮の孤王(モンスターレックス)は出ないッスけど、ここに居たらミノタウロスとかが来るッス」

 

 ラウルの言葉に恨めし気にラウルを睨みながらも、三人が這う這うの体で十八階層に続く階段へ歩いていく。カエデはラウルの指示で手出しを禁止されていて何もできなかった事を申し訳なく思いつつもラウルに質問を投げかける。

 

「なんで私は戦ったらダメだったんですか?」

 

 精神疲労(マインドダウン)による頭痛も若干改善し、普通に戦うぐらいは出来るはずだったのに、戦う事を禁止される理由が分からずに首を傾げるカエデにラウルは少し唸ってから呟いた。

 

「まぁ精神疲労(マインドダウン)中はステイタスが少し減少してるッスから」

「そうなんですか?」

「何時もの感覚で戦うと危ないんスよ」

「……? じゃあなんで音爆弾(リュトモス)食糧庫(パントリー)に?」

 

 その疑問に対しラウルは半笑を浮かべる。

 

「さっきも言ったッスけど、団長の指示ッス」

「……なんでそんな事を」

「俺も参加組だった時はやられたッスよ……危険だったら助けるんスけどね」

 

 意図的に危機的状況に叩き込んで反応を鍛えると言うものだが。死ぬ危険はもちろん大きい。だが、その程度も突破できずに下層に向かうのは推奨できない。

 よく分からないと首を傾げるカエデにラウルは肩を竦めて足を進めた。

 

「ほら、カエデちゃんも行くッスよ。十八階層で一晩過ごすッスから」

 

 今日は十八階層で一晩過ごす事になっている。

 

 ダンジョン入口から十八階層まで行って帰るだけで、通常のパーティは半日はかかるのだ。ベートの様に足の速い冒険者がモンスター全部を無視して最短距離を走り抜けば往復で二、三時間で済むが、其れが出来るのは一部の冒険者だけである。

 ラウルが持ってきた大型バッグの中にはテント一つと人数分の寝袋、一晩分の食糧が詰め込まれているのだ。

 

 

 

 

 ダンジョン十八階層、中層と下層を繋ぐ安全階層(セーフティーポイント)は、水晶と、自然に満たされた地下世界である。

 大草原、湖と呼べる規模の湖沼や森もあり。森の至る所には形状も様々な青水晶が点在しており多くの水晶の塊が細い日差しを乱反射させ、森全体を淡い藍色に染めており、幻想的でいて美しい光景を生み出している。

 冒険者にならねば、冒険者であっても一部の者にしかたどり着けない幻想的な風景は、冒険者となった者達だけが見る事が出来る光景である。

 

 そんな風景を見つめて半口を開けて驚いているアリソンとカエデを余所に、草臥れた様子のヴェネディクトスがグレースに担がれて階段を下りていった。

 

「はやく行くわよ。さっさとキャンプ地決めて休憩したいわ」

「え、あぁ、はい」

「すいません、今行きます」

 

 カエデとアリソンはそう言いつつも上を見上げる。非常に高い天井は光り輝く水晶で埋め尽くされており、色は2種類、中心に太陽を彷彿とさせる白色の水晶、周りに空を思わせる蒼色の水晶でダンジョンに青空を作りだしている。地下でありながら疑似的な空が存在する光景に感動しているアリソンとカエデに対し、グレースは肩を竦めた。

 

「何やってんのよアンタらは」

「まぁ、良いじゃないか。僕らだって初めてこの光景を見た時は感動しただろ?」

「…………」

 

 ヴェネディクトスの言葉に視線を逸らしたグレースは階段を一段飛ばしで下りていく。担がれたヴェネディクトスがうめき声を上げるがグレースは気にせずに最後の三段を一気に下りた。

 

「はい到着っと……さて、何処にキャンプをー……うん?」

「グレース、もう少し優しく……あれ?」

 

 担いでいたヴェネディクトスを下したグレースは思い切り眉を顰め、なんとか立ち上がった所で目の前に立つ人物を見て目を見開いた。

 

「アレックス……なんで此処に」

 

 ヴェネディクトスの言葉に、水晶に凭れ掛かって仮眠をとっていたアレックスが顔を上げた。

 

「あぁ? ……漸く来たのかよ。遅えじゃねぇか。テメェ等がちんたらしてる間に、先に着いたんだよ」

 

 挑発するように笑みを浮かべたアレックスに対し、グレースが不快そうに眉を顰めて口を開いた。

 

「何あんた、わざわざ先回りしてまでアタシらを馬鹿にしたいわけ?」

「あぁ? 違ぇよ。なんでテメェらなんかいちいち相手にしなきゃいけねぇんだよ」

 

 面倒臭そうに手を振って否定するアレックスだが、グレースはあからさまに苛立った様子でアレックスを睨む。

 

「じゃあなんで此処に居んのよ」

「別に良いだろ。俺が何処に居ようがテメェ等には関係ねぇよ」

 

 アレックスはそれだけ言うと再度俯いて仮眠をとりはじめた。その様子を見て顎に手を当てて考え込んでいたヴェネディクトスは眉を顰めて呟く。

 

「まさかと思うけど、ゴライアスを倒そうとか考えてないよね?」

「違うに決まってんだろ、出現まで早くても後四日もあるじゃねぇか」

 

 面倒臭そうにヴェネディクトスを見てから、アレックスは立ち上った。

 

「人が気持ちよく寝てる所を邪魔しやがって……」

 

 苛立たしげに去っていくアレックス。その背中を見送ったグレースは溜息を零した。

 

「ムカつくけど、アイツ一人で十八階層(ここ)まで来れるのよね」

「まぁ、だろうね」

 

 グレースとヴェネディクトスは顔を見合わせてから階段の上に視線を投げる。

 

「それにしても、あいつ等遅いわね」

「そうだね」



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『迷宮の楽園《アンダーリゾート》』《中》

『姉ちゃん、なんでアタシ等隠れてんの?』

『静かにしな……ありゃ【恵比寿・ファミリア】の奴だね。なんでこんな所を……迂回していくよ。くっそ、これじゃオラリオに行くなんて無理だね、ほとんどの道を張ってやがる』

『なぁ、何でその【恵比寿・ファミリア】? って奴等を避けるんだ? オラリオには姉ちゃんが居るし早くいきたいんだけど』

『あぁもう、アイツ等が何考えてんのかアタシは知らないけど、これだけは解る。アンタを探してる』

『え? なんでアタシなんか探してんだ?』

『知るか。黒毛の幼い狼人の女の子、この特徴でアンタ以外に居る訳無いだろ』

『そっか……出て行った方が良いのか?』

『……()()()()()()()()()()()()なんて言ってる奴の所に行きたいかい? 連れてかれたら何されるかわかんないんだから黙って隠れな。アタシもホオヅキに八つ裂きにされんのは勘弁だよ』

『オラリオに行くのは』

『今は諦めな。あんだけ【恵比寿・ファミリア】の奴等が張ってるんじゃ、近づくこともできやしない。あのファミリアの主神は胡散臭いんだよ、関わるなんてごめんだね』


 ダンジョン十八階層、モンスターが発生しない特殊な階層。冒険者からは安全階層(セーフティーポイント)と呼ばれ、様々な冒険者が休憩場所として利用する階層な為か、冒険者が集まって作りだされた『リヴィラの街』と呼ばれる小さな街も存在する。

 

 湖に面した島の東部、そして高さ200Mはある断崖の上に存在する街。

 集うのは十八階層までたどり着ける実力のある冒険者ばかりであり、下手に揉め事を起こせば利用する事も難しくなる。其の為、決して問題を起こさない様に各冒険者がファミリアという括りやしがらみを無視して行動している影響で、地上よりもある意味安心して活動できる空間になっている。

 

 そんなリヴィラの街を見上げる湖畔から、なんとなくリヴィラの街を見上げていたカエデにラウルが声をかけた。

 

「そろそろ行くッスよ」

「あ、はい」

 

 カエデが手にしているのは乾ききった枯れ枝。焚き木用の枯れ枝をラウルと共に集めていたカエデは一度リヴィラの街を見てからラウルの傍に駆け寄った。

 

「街が気になるッスか?」

「えぇっと……モンスターが襲ってこないのかなって」

 

 十八階層においてはモンスターが発生しない。それはダンジョン内に時折存在する休息部屋(レストフロア)の性質が階層全体に行きわたった物である。

 その場所においてモンスターが発生する事は無い。つまり壁からモンスターが産まれてこないのだ。しかし、他の地点で発生したモンスターが移動して来る事もあるので、完全に安全とは言い切れないのが休息部屋(レストフロア)の特徴である。

 この階層、安全階層(セーフティーポイント)も同じ性質なら同じ問題を抱えているのではないかと言うカエデの質問にラウルは苦笑いを浮かべた。

 

「そりゃそうッスよ。本当に安全な場所なんてダンジョンには無いッス。この階層だって下から、上からモンスターが来る事も珍しくないッス」

「……街が襲撃されたりしないんですか?」

「んー……馬鹿な冒険者が怪物進呈(パス・パレード)をリヴィラの街にかます事もあるッスからねぇ」

 

 普段は階層の入口部分に冒険者が何人か張っており、モンスターが移動してきたら警告を伝えて避難か退治のどちらかを行う。基本は一匹二匹が迷い込む程度なのでさっくりと片付けてしまうのが普通だが、時折十九階層で怪物の宴(モンスターパーティー)を発生させ、自身で対処できないからという理由でリヴィラの街に逃げ込んで、結果的にモンスターの大群がリヴィラの街を襲撃するというのは珍しくない。

 

 其の為かリヴィラの街の建造物の大半は木材を使った簡素なモノばかりであり、他は布を用いた天幕のみや、最悪テントが複数張られている所を『宿』として提供している店もある。

 要するに壊れても直ぐに復旧できる程度の造りになっているのだ。

 

「そうなんですか」

「そうっすよ……ん? 上の階層からなんか下りて来てるッスね」

「ん?」

 

 リヴィラの街から離れた地点にキャンプを設営しているので、その場所に向かうべく足を進めているとラウルが十七階層に通じる大階段のところを指差して納得の表情を浮かべた。

 

「あぁ、【恵比寿・ファミリア】の輸送物資ッスか」

「なんですかそれ?」

「リヴィラの街の運営に必要な物資類を送り届ける馬車……いや、人車ッスかね。ほら、俺達も大規模遠征の時に使う大型の人力車に色々乗っけていくじゃないッスか。アレでこの階層に物資を送り届けてるんスよ」

 

 アホみたいに金額を吹っ掛けているという話だが、この階層で安定して食料品等があるのはああいった『物資輸送』の名目で商品を卸している【恵比寿・ファミリア】の影響もでかいのだろう。個人で少しの物資を持ってきて売りさばくという『行商人モドキ』をやっている冒険者も居るが、其れは安定しない事も多い。

 

 二人の視線の先、其れなりに距離のある大階段を大型のカーゴを積んだ人力車が複数の冒険者に引っ張り上げられながら少しずつ下りてきているのが見えた。

 階段を下りる為に渡し板を手早く設置し、通り過ぎた渡し板を手早く進行先に置きなおす。それを繰り返して少しずつ、少しずつ大きなカーゴを積んだ人力車をゆっくりと下ろしている。

 

「アレは結構大変なんスよねぇ」

「やった事あるんですか?」

「あるッスよ。【恵比寿・ファミリア】が時々ギルドに冒険者依頼(クエスト)として出してるッスから」

 

 成功すれば儲けもそこそこ大きく、複数のファミリアが受ける事が多い。特に多いのは【ガネーシャ・ファミリア】であろう。ラウルが行った時は【ロキ・ファミリア】で受けた訳では無く個人で受けただけではあったが。

 

「さて、ここであれ眺めてても仕方ないッスからさっさと行くッス」

「はい」

 

 

 

 

 

「あんたら何ちんたらしてんのよ……もう直ぐ日が暮れるでしょ」

「火起こし……えっと、この道具でー……火打石なら使った事あるんですけどね」

 

 少し多めに持ってきた焚き木を手早く組み上げて火を付けていくアリソンを余所に文句を垂れるグレース。

 十八階層は光を発する水晶によって地下でありながら疑似的な空が存在する。その疑似的な空はどうやらダンジョンの外、オラリオと同じ様に光が消え失せて夜になるのだ。

 魔石灯のランタンで光源を確保しても良いが、出来る限り物資は温存するのがダンジョンの基本である以上、魔石を消費してしまう魔石灯のランタンの使用は控えるべきだろう。

 

「ごめんなさい」

「まあまあ」

 

 謝罪するカエデとへらへらと笑うラウルにグレースが眉を顰めていれば、テントの方からヴェネディクトスが出て来た。

 

「仕方ないとは思うけどね。さてと……夜番はどの順番で回す?」

 

 モンスターが絶対に現れないという訳では無いので寝ずに警戒をする者が必ず一人は必要である。その夜に番をする者を誰にするかと言ったヴェネディクトスの言葉にラウルが手をあげた。

 

「んー、あぁ、一応俺は寝ないッスよ。本番の時も俺は寝ずに審判役ッスから」

「寝なくて大丈夫なんですか?」

「一晩ぐらい余裕ッス、下手したら四日間寝ずに行動する事もあるし。あぁそうだ、俺は番は出来ないッス。ルールでもそうなってるッスからね」

 

 上位の冒険者になればなるほど、人間離れした身体能力を発揮するだけでは無く普通の人間なら死んでしまう様な無茶も利く様になっていく。だからと言って積極的に不眠不休で動きたいなんて思う冒険者は居ないが。

 今回の遠征合宿において補助役の役目はパーティを合格へ導くのと同時に、各パーティに評価点を付ける事である。其の為、基本的にラウルはアドバイスもするし相談にも乗るのだが、ダンジョン内に於いては魔石・ドロップ品拾いと物資の持ち運びしか行わない。モンスターを倒す事は緊急時を除いてしてはいけないし、夜番もしてはいけないというルールなのだ。

 

「そっか、じゃあ……二人ずつ、それぞれ2時間交代でいこうか」

「それで良いんじゃない? アタシとアンタ、ヴェトスとアリソンで良いでしょ」

 

 グレースがカエデを指差し自分とペアを組み、ヴェネディクトスとアリソンを組ませたのを見てヴェネディクトスが頷き、カエデが首を傾げた。

 

「僕はそれで構わないよ」

「アレックスさんは?」

 

 同じ階層に居るのなら声を掛けるべきではないかと思ったカエデの質問。カエデの言葉にグレースがあからさまに嫌そうな表情を浮かべた。

 

「アンタ、アイツが気になる訳? 居ても邪魔なだけでしょ」

「それに言う事を聞くとも思えない。居るだけ無駄だね」

 

 グレースに続き、ヴェネディクトスも否定の言葉を並べるのを聞いてカエデは口を閉じた。

 少し悪くなった雰囲気に対し、火を起こしてから調理を行っていたアリソンが声をかけた。

 

「まあまあ、そこら辺にしといて晩御飯にしましょうよ」

「……そういえば調理はアリソンがやってたんだっけ? アンタ食えるもん作ったんでしょうね」

「勿論ですよ。調理ぐらいできますって」

 

 焚火の上に枝を通して鍋を吊るし、中で何かを煮込んでいたアリソンの言葉を聞いて鍋の中を覗き込む。

 

「……ごった煮じゃない」

「匂いは悪くないけど……」

「おいしそうですね」

 

 切り分けられた野菜と肉が一緒くたにぶち込まれて煮込まれている様を見て微妙な表情を浮かべたグレースとヴェネディクトスに対し、カエデだけが嬉しそうにしている。その様を見ていたラウルは苦笑を浮かべた。

 

「ダンジョンで作る飯なんてこんなもんッスよ。最悪そこらに転がってる木の実を齧るだけなんて珍しくないっすから……それが嫌なら『携帯食糧』あるッスよ?」

 

 非常に味の悪い携帯食糧と、見た目はごった煮だが温かな食事。どちらが良いかと言われればよほど携帯食糧に思い入れでもない限りは殆どの冒険者がごった煮を選ぶだろう。

 

「皆さんの器をー、どうぞヴェネディクトスさん」

 

 アリソンが器によそって渡していく途中、唐突に周囲が暗くなっていき、カエデが周囲を見回し始める。

 

「暗くなりましたね……」

 

 魔石灯の明りを唐突に切った様に、まるで切り替わった様に真っ暗になった階層を見回して感心した声を上げる。地上であれば日が傾き、夕焼けを見せ、そこから夜の帳が舞い降りるといった感じだが、十八階層の疑似的な空はあくまでも疑似的なだけで夕焼けもなければ徐々に夜の帳が下りるという訳でも無い。

 

「へぇーこんな風に夜になるんですねぇ」

「ほらあんたら早く食べちゃいなさいよ、後片付けは明日やるとして今日はとりあえず早めに寝ないと……アリソン、あんた十八階層まで来た事無いって事はダンジョンで寝るのは初めてよね?」

「え、はいそうですね」

「ワタシも初めてです」

「アンタは聞かなくてもわかるわよ」

 

 頷いたアリソンに、カエデも初めてだと答えた二人を見てヴェネディクトスは眉を顰めてから口を開いた。

 

「まず僕とアリソンが寝るよ……そう言えばカエデもアリソンも耳は良いんだっけ?」

「はい、そうですよ。耳の良さには自信があります」

 

 胸を張って答えたアリソンに対してヴェネディクトスは少し迷った後口を開いた。

 

「耳が良いってのは良い事なんだけど、寝る時に困る事が多いんだよね」

「そうなんですか?」

 

 獣人種は基本的に五感が優れている。其の為かダンジョン内での活動に於いては優位に立つ事が可能ではあるのだが、ダンジョン内での休息中。特に睡眠をとろうとした際に微かに聞こえてしまうモンスターの咆哮等によって睡眠を妨害されてしまい、十分な休息がとれなくなるといったデメリットも存在する。

 今回初参加でダンジョンでの睡眠が初めてと言うカエデとアリソンはほぼ間違いなく睡眠不足に陥るだろう。とは言え冒険者でなおかつ三級(レベル2)に到達しているので一晩ぐらいは大丈夫だろうが、集中力が微弱に落ちる事は否定できない。

 

「最悪、僕とグレースの二人が帰りは補助する方向で行こうとおもうけど」

「面倒だけどそうするのが一番よね。あんた等は眠れなかったら眠れなかったで疲れてたらちゃんと言いなさいよ」

「わかりました」

「そうだったんですね……知りませんでした」

 

 獣人がダンジョンに於いて優位とされていても、デメリットが存在するとは気が付いていなかったカエデが感心していれば、確かに耳を澄ませるとモンスターの咆哮が微かにだが聞こえる。遠くの方から響いてきているだけとはいえ、睡眠をとるのに微妙に邪魔になる程度の音。

 確かにこれは眠れなさそうだが。

 

「耳栓とかはダメなんですか?」

「……アンタは飛び起きた時に音が聞こえない状態で乱戦とかになったらどうするつもり?」

「あぁ……ごめんなさい」

 

 獣人用に耳栓なども存在するが、寝起きで頭が回らない時に耳栓を外し忘れ、ダンジョン内で乱戦に陥ったり等すれば危険極まりない。特に今回の遠征合宿では妨害組の準一級(レベル4)冒険者はほぼ間違いなく強襲からの乱戦になる様に仕向けてくるのがわかっている。其の為、耳栓なんて利用していれば危険極まりないのだ。

 

 それに()()()おかないと下層、深層での休憩部屋(レストフロア)での小休止の際に困る事になる。

 

「ご馳走様」

「うん、美味しかったよ」

「ごちそうさまです」

「お粗末様……ラウルさん、どうでした?」

 

 アリソンがラウルに視線を向ければ、ラウルは首を傾げてからあぁと呟いて口を開いた。

 

「いや、普通に美味かったッスよ。ダンジョンの飯なんて豪勢なの期待する方が阿呆ッスからね」

 

 最低限、食べれて不味くなければ良い。無論、美味しい食事というのは士気高揚に繋がると言えばそうだが、士気高揚目的で美味しい食事を作る為に限られた物資を食料品で埋め尽くすなんて出来る訳がない。

 だからこそ、不味くなければ美味しいと言うのがダンジョン飯の基本であろう。

 

「んじゃ、アタシは寝るわ。カエデ、アンタも来なさい。それじゃあね」

「グレースさん、自分で歩けます」

 

 グレースがカエデの首根っこを掴んでテントに引っ張り込むのを見送ってから、アリソンは器などを一か所に集め始め、ラウルは近場の水晶に腰かける。

 ヴェネディクトスが焚火の様子を見つつ枝木を追加して火が途絶えない様にしながら呟いた。

 

「今回の遠征合宿、合格したいね」

「そうですねぇ……私は初めて参加するのでわかりませんけど、ヴェトスさんって一回合格したんでしたっけ?」

「まぁ、あの時はジョゼットさんの班だったからね」

「それは俺の班じゃ心配って事ッスかね?」

 

 そう言う訳じゃ無い。そう言ってヴェネディクトスは枝を焚火に放り込む。洗い物を一か所に纏めて焚火を挟んでヴェネディクトスの対面にアリソンが座った。

 

「どういう事です?」

「そもそも、ジョゼットさん以外の班に編成された時に合格した事無いからね。今回で三回目だけど……期待はできないから」

「なるほど。確かに」

 

 

 

 

 

 テントの中、グレースは手早く腰のポーチや鞘を外して手の届く範囲に置き、さっさと寝袋の一つに潜り込んで目を瞑る。その様子を見ていたカエデが同じくに寝袋の横にバスタードソードやポーチ類を置いて寝袋に入り込む。

 

 グレースと同じく目を瞑り、深呼吸して眠ろうとして試みるカエデ。

 

 十分か、二十分か、それなりに時間が経ってからカエデは目を開けた。明りの無い真っ暗なテントの中、暗闇に慣れたおかげか薄らとテントの天井が見え、カエデは困った様に眉根を寄せた。

 

「眠れない……」

 

 先程言われた通り耳が良すぎる所為か、ダンジョンという特異空間だからか、眠ろうと思っても眠れない。確かに体は疲労を訴えているし、精神疲労(マインドダウン)は眠る事で回復に向かうのだから寝るべきだと思う。

 それでも眠れない。

 

「どうしよう……」

 

 眠るべきなのに眠れず困り、グレースの方を窺う。カエデの視線の先、薄ら闇の中でグレースが不機嫌そうな表情でカエデを見据えていた。

 

「あ……」

「別に良いわよ。眠れないならそのままで、アタシも最初は眠れなかったし」

 

 何時モンスターに襲われるのか、安全階層(セーフティーポイント)であろうが、モンスターが現れないわけでは無い。モンスターの襲撃が絶対にありえない地上の本拠(ホーム)である場所でもない限りは安心して眠れない。普通の事である。

 

「ただ、もしもの時はラウルがなんとかしてくれるし安心しなさいよ」

「え?」

「普通過ぎて目立たないけど、アイツ結構強いから。と言うか伊達に二級(レベル3)冒険者になっちゃいないわよ。アタシとかヴェトス、アリソンとかじゃ安心できないのはわかるけど、ラウルは信頼しなさい」

 

 言いたい事は言い切ったとそのままカエデに背を向けて寝始めたグレース。何が言いたかったのか微妙に解らなくて首を傾げてから。今言われた事を少しずつ噛み砕いて飲み込んでから目を瞑る。

 

 ヴェネディクトスやアリソンが夜番をしている事に不満がある訳では無い。実力が自身に劣っているから不安を覚えているという訳ではないが、やはり何処かで警戒心が抜けきらないのだろう。

 あの二人に対する信用よりはラウルに対する信頼の方が大きいのも事実。

 

 ただ、もし叶うならヒヅチが傍に居れば何があっても大丈夫という信頼から安心して眠れたと思うのでヒヅチが傍に居れば良かったのにと思ってしまう。

 

 

 

 

 

「グレース、カエデ、交代の時間だ」

「……ふぁぁあ、ねむ。はいはい交代ね」

「……はい」

 

 結局、眠る事は出来ないまま交代の時間が来てしまい困った様に眉根を寄せたカエデがテントから出て行く。その背中を見ていたヴェネディクトスは困った様にカエデを見てから首を横に振って寝袋を取り出した。

 

「アリソン、僕はそっちの隅でねむ……アリソン?」

 

 ヴェネディクトスはエルフであり、貞操観念はかなり厳しいものがある。其の為叶うなら女性と同じテントで就寝するというのは避けたいが冒険者である以上、其処に文句を言う事は出来ない。だが、せめてもの抵抗としてテントの隅で寝る事で相手を尊重しようと声をかけたが、その声に答えは無く。視線の先でアリソンはグレイブを枕元に置いて幸せそうに寝袋に収まっていた。寝息も安定しており、ヴェネディクトスやグレースの懸念した獣人特有の睡眠不足に陥るといった事は無さそうではあるのだが。

 

「……いや、良い事なんだけどね」

 

 ヴェネディクトスが近くに居るのに平然と眠れるというのは詰る所、ヴェネディクトスを異性として認識していないのだろう。少し悩んでから寝袋に潜り込んで目を瞑る。

 カエデの方が眠れなくて困っていそうだが、そっちはグレースが対応するだろうとヴェネディクトスは自分が男だとも思われていないのではないか、という疑念から目を逸らして目を瞑った。

 

 

 

 

 

「んで、眠れなかったッスか」

「はい……」

 

 焚火に枯れ枝を追加していたラウルの横にカエデが腰掛けて俯く。その様子を見ていたグレースは溜息を零してからラウルを睨む。

 

「アンタが頼りなさそうに見えたからよ」

「あはは……確かに俺って頼りなく見えるッスからねぇ」

 

 ベートさんとかだったら昼寝しながら警戒出来るんスけどねと、グレースの皮肉に対してずれた答えを返すラウルに疲れた様な表情を浮かべてグレースは溜息を零して焚火の近くに腰かけた。

 

「さて、何の話をするッスか?」

「……話ですか?」

「あぁ、そうねぇ。考えて無かったわ」

 

 ラウルの言葉に首を傾げるカエデ。グレースは少し考えてから口を開いた。

 

「ま、丁度いいし説明からかしら」

 

 夜番をしていると、どうしても眠くなってしまう。睡魔に襲われ集中力が切れた所で強襲を受ければ大きな被害が出る。基本は夜番は二人から三人で行い、互いに取り留めのない話題を投げ合って眠気を飛ばす。

 

「夜番なのにお喋りしてていいんですか?」

「むしろお喋り推奨ッスかね。眠気を飛ばすのに丁度いいんで。まあ、大声はダメっすけど」

 

 睡眠をとっている他の団員に迷惑を掛けない程度に会話を投げ合うのは夜番の基本だ。

 

「へぇ……」

「んじゃ俺は黙ってるッスから二人は何かお喋りしてると良いッスよ」

「ラウルさんは話さないんですか?」

 

 苦笑を浮かべてからラウルは首を横に振った。

 

「俺は()()()るッスから。二人が眠たげだと気付いたら無意識に起こす為に声をかけちゃうッスから」

 

 自分から進んで雑務などを引き受ける事の多いラウルは、夜番も進んで自分から行う。其の為、他の夜番の者が眠たげだったら声をかけて起こす様に無意識で動いてしまう。

 補助役兼採点者として過度にパーティに関わるのは基本的に禁止されているので緊急時に守る以上の事は出来ない。

 ジョゼットの様に言葉を交わさずとも眠気を自ら打ち消して集中力を維持できる者は声を掛ける事が少ない。そんな形で補助役に選ばれた二級(レベル3)冒険者次第で班が優位に立つ事になってしまっては公平性に欠けるという事でラウルの様に眠りそうな団員に声を掛けるというのも禁止なので、お喋りに参加する事もしないのだ。

 

「そうなんですか……」

「そう言う事ッス」

「じゃ、アンタは黙って話でも聞いてなさい。んで、カエデは何かアタシに聞きたい事とか無い訳?」

 

 グレースがひらひらと手を振ってラウルを追い払う仕草をするが、ラウルは困った様に「ここには居るんスけどね?」と口を開くが、グレースは無視してカエデに質問を飛ばす。

 

「えっと……聞きたい事ですか」

「そうよ。ロキみたいに胸の大きさとか聞いてきたら殴るけど」

「胸の大きさ? そんなの聞いてどうするんですか?」

「知らないわよ」

 

 首を傾げたカエデの質問が妙な方向に飛んでいるのに気付いてラウルは口を開きかけて慌てて閉じる。

 

「他には?」

 

 グレースの再度の催促に対し、カエデは何を質問するか悩みながらグレースを頭の先から爪先まで観察する。

 灰色の髪を腰の辺りまで伸ばし、ハーフプレートメイルに要所を守るプロテクターを装備した軽装に分類されるグレースの装備に視線をやってから、グレースの腰に吊り下げられた特徴的な形の剣に目をつけた。

 

「えっと……なんでそんな変な剣使ってるんですか?」

 

 グレースの使う武装は『ケペシュ』と呼ばれる鎌形の形状をした刃であり、普通の直剣に比べると不思議な形状をしている。

 主な使用用途は盾を持つ相手から盾を剥ぎ取りつつ攻撃すると防御を崩す為のモノだが、冒険者相手ならまだしもモンスターは盾を使うモノはあまり多くない。

 リザードマンやリザードマンエリート等の中層のモンスターが剣もしくは短槍に盾を装備しているがそれ以外にはあまり効果が無さそうなのだ。

 

 無理にケペシュに拘るよりは他の武装の方が良いのではないかと言うカエデの疑問にグレースは肩を竦めた。

 

「あぁ、これ? アタシの住んでた所で使ってた剣よ」

「思い出の品だからですか?」

「そうねぇ……手に馴染むから使ってるだけだけど」

 

 他の剣に手を出した事もあるが、何故かこの剣が一番馴染むとケペシュを鞘から抜いてくるくると手で弄ぶ。馴染むという言葉は嘘偽りが一切ないのかまるで手に吸い付く様に扱っているのを見て、カエデは感心した様に吐息を零した。

 

「凄いですね」

「……アンタが言うと皮肉にしか聞こえないわね」

「え? そうですか……?」

 

 不安そうにグレースに上目使いをするカエデにグレースは吐息を零した。

 

「まあいいわ。次はアタシね……。あんた寿命がどうとかって話だけど、器の昇格(ランクアップ)で伸びたのよね? どんぐらい伸びた訳?」

 

 気になっていた事を直球で尋ねながらグレースはケペシュに付いた傷に気が付いて眉をひそめた。何処で傷ついたのか少し考えながら傷を観察していると、カエデが無言になっているのに気が付いてグレースはカエデの方を見た。

 俯いて思い悩む表情に陰が差すカエデを見てグレースは肩を竦めた。

 

「伸びたか伸びてないかだけでも良いわよ」

「……伸びましたよ。……伸びました」

 

 消え入る様な返事のカエデに対してグレースは少し迷ってからラウルの方を窺う。会話に参加する事はしないと言い切ったラウルだが、何か知っていないかと視線を向けたグレースに対し、ラウルは首を横に振った。

 

「…………」

「はい、あんた次の質問しなさいよ。聞きたい事無い訳?」

「え、あぁ……えっと……」

 

 半ば強引に話を進めてその雰囲気を吹き飛ばす。神の恩恵(ファルナ)でどれほど伸びたのかは知らないが、余り寿命が延びたわけでは無い様子にグレースは視線をカエデから暗闇の方へと向けて吐き捨てる。

 

「気分悪いわ」

 

 寿命を延ばす為。其の為に頑張っているのは知っているが焦り過ぎて死なれると気分が悪い。

 

「グレースさん?」

「何? 質問決まった訳?」

 

 小声に反応したカエデにグレースは肩を竦める。

 

「え? 何か言ってたので……」

「質問遅いなって言ったのよ」

「ごめんなさい……えっと……いつから冒険者に?」

 

 いちいち謝罪されても困る。努力している事は認めるし肯定もするが、その自信の無さはどうにかならないのか。せめて胸を張って偉ぶってくれればこっちも気兼ねなく接することが出来るのに、内心呟きながらグレースはカエデの質問に答えるべく口を開いた。




 【恵比寿・ファミリア】の怪しい動きを警戒してヒイラギちゃんがオラリオにたどり着けずに撤退。
 カエデちゃんとの再開が遠退いたのは恵比寿が胡散臭いせい。


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『迷宮の楽園《アンダーリゾート》』《下》

『なるほど、なるほどなるほど……興味深い』

『ねぇナイアル。今の君の笑顔、すっごく気持ち悪いよ?』

『アルは冷たいですねぇ……で、次のお願いなんですが』

『お願い? また? そろそろ休みたいんだけど』

『休むのはまた今度で、今私の駒が貴方しか居ないんですよ』

『あぁはいはい。次は何をすればいいの?』

『ホオヅキが死んだのは好都合です。ヒイラギ・シャクヤクを攫ってきてください』

『……ヒイラギ? 誰だいそれ? というか何のために?』

『聞きたいですか? 知りたいですか? 知りたいんですね。では説明を――

『わかった、攫ってくればいいんだね。じゃあ行ってくるよ』

『……説明ぐらいさせて欲しいものです』


 真っ暗な天井を仰ぎながら取り留めのない質問を投げ合っていれば、唐突に天井の水晶が輝きだした。相も変わらず不自然な朝の訪れ、地上と違いまるでスイッチを入れた魔石灯の様に一気に明るくなる。

 目を細めてそれを眺めていたグレースは溜息を零してから、焚火の始末の為に立ち上がった。

 

「朝ね、それで? ダンジョンで一晩過ごした感想は?」

 

 グレースの質問に対し唐突に明るくなった事に驚いて周囲を見回していたカエデは顔を上げて口を開いた。

 

「……眠いです」

「あっそう。とりあえずヴェトスとアリソンを起こしてきなさい。焚火は私が後始末するから」

「はい」

 

 興味無さ気に肩を竦めてグレースが水の入った皮袋から焚火に向かって水を少しずつかけはじめ、カエデはテントの方へ向かう。その背をちらりと眺めてからラウルは立ち上って大きく伸びをする。

 一晩寝ずに過ごしたがその程度で音を上げる程じゃない。とは言え疲れた事は否定しない。

 

「ふわぁー……俺も少し眠いッスねぇ……アレックスは何処に居るのやら」

 

 周囲の木々を見回して目を細めるラウルを余所に焚火の消火を終え、土をかけて痕跡を消しているグレースはラウルの方を半眼で睨みつけた。

 

「アンタがぶっ飛ばして従わせればいいじゃない」

「いやぁ、俺が何度言っても変わらないッスから」

 

 へらへらと笑うラウルに呆れ顔を向けてから、グレースは荷物から干し肉等を取り出して齧り始める。

 

「おはようございます」

「おはよう、異常が無かったみたいでよかったよ。テントの片付けの前に朝食にしようか」

 

 いつも通り元気そうなアリソンの様子にグレースは眉を顰めてから、肩を竦める。

 

「アンタは気楽そうでいいわね」

「えへへ」

「褒めて無いんだけど」

 

 照れたようにはにかんだ笑みを浮かべたアリソンにグレースが眉を顰める。ヴェネディクトスも荷物から干し肉を取り出してカエデとアリソンにも渡してから三人で焚火の跡を囲んで食べ始める。

 

「火、消しちゃったのか」

「いつまでもつけてても仕方ないでしょ」

「干し肉、少し炙ってもよかったんじゃ?」

 

 ヴェネディクトスとアリソンの言葉にグレースがすっと視線を逸らした。

 

「そう言えばそうね」

「……気付く前に消しちゃったんですね」

「悪かったわね」

 

 素直な謝罪の言葉にアリソンが笑い、ヴェネディクトスは肩を竦める。

 

「まあ、こういう失敗なんて誰でもしますよ」

「別に良いよ」

「そう、そういえばカエデは?」

 

 ふとグレースが気が付けばカエデが一言も言葉を発していない。気になってカエデの方を見た三人の視線の先、カエデが船を漕ぎながら干し肉を食んでいる姿があった。

 

「あららー……眠そうですねぇ」

「眠れなかったみたいだからね」

「そうなんですか」

 

 耳の良さでは明らかにアリソンに分があるにも関わらず、カエデと違ってぐっすり眠りについていたアリソンの言葉にグレースが眉を顰め、ヴェネディクトスが苦笑する。

 そんな四人を眺めていたラウルは肩を竦めてから歩いてくる人物に声をかけた。

 

「アレックス、何しに来たッスか? 合流ッスか?」

 

 ラウルが足音の方へ視線を向ければそこには不機嫌そうな表情を浮かべたアレックスの姿があった。

 アレックスに気付いたグレース、ヴェネディクトスの表情が不愉快そうに歪み、アリソンがカエデを抱き寄せてほっぺを抓って眠気を飛ばさせる。

 

「ふぇ……」

「カエデちゃん朝ですから起きてください。帰ったら好きなだけ眠っても良いので」

「はん、何してんだよテメェ等……まあいい。ほら今すぐやるぞ」

 

 ラウルやヴェネディクトス、グレースを無視したアレックスはカエデの方を睨んで拳を構える。

 ぼんやりと干し肉を食みながらアレックスを見つめていたカエデがはっとなり、立ち上がって構える。

 

 朝の鍛錬の際に行っている模擬戦。十八階層まで行けば一晩は十八階層で過ごす。その事を知っていたアレックスは態々昨日命令権を失ったカエデとは別に一人で十八階層まで訪れて朝一で勝負を挑む積りらしい。

 

 其れに気付いたラウルは苦笑し、グレースとヴェネディクトスが呆れ顔を浮かべ、アリソンは首を傾げた。

 

「ほら、今日も俺が勝つ……昨日みたいに手加減したらわかってんだろうな?」

 

 魔導書(グリモア)で魔法を習得した事を意識し過ぎて昨日は負けた模擬戦、その事を指摘されたカエデは眠気で上手く頭が働かない状態で、干し肉を加えたままもごもごと言葉を放つ。

 

「手加減なんてしてないです」

 

 昨日は慌てて飛び起きて模擬戦に挑んだ所為で体を温める事も整える事もせずに戦闘に臨んでしまった。故に全力を出せなかった事は否定しないが、その場に於いて出来る事はすべてやり尽くした積りである。

 事前準備を怠ったと言う事実はあれど、手加減等と言う真似をした覚えはない。しっかりとその事を伝えるべくアレックスを真正面から見据えたカエデに対し、アレックスはあからさまに苛立ったように表情を歪める。

 

「あぁ? あんだけ小馬鹿にした戦いしやがった癖に手加減してねぇだと?」

 

 馬鹿にするなと怒鳴るアレックスに対しカエデは首を傾げる事しかできない。カエデに馬鹿にする意図等微塵も無く、怒られる謂れなど無いはずだとカエデはバスタードソードを構えて干し肉を飲み込んでから再度口を開いた。

 

「してません。私は本気で挑みました」

「…………」

 

 口を噤んだアレックスはカエデを睨んでからぽつりと呟いた。

 

「『烈火の呼氣』」

 

 呟かれた言葉にカエデは眉を顰めた。『烈火の呼氣』はヒヅチが教えてくれた呼氣法の一つでロキに使用を控える様に言われたものである。発展アビリティで『軽減』を取得したため、反動は少なくなったがそれでも使い過ぎれば大変な事になる。

 だが、何故その技法の事が出てくるのだろうかと首を傾げたカエデに対し、アレックスは怒鳴る様に叫んだ。

 

「本気を出しただとっ! テメェは自分の使える技を使わずに本気を出したなんてふざけた事を抜かす気かっ!」

「え?」

 

 本気で挑んだ。カエデが口にしたその言葉に嘘偽りは存在しない。

 

 その時、身体を温めていなかった為に動きは少しぎこちないものではあっただろう。しかし、戦いの中で手を抜いた積りは無い。その上で負けただけである。

 それに『烈火の呼氣』なんてアレックス相手に使う訳には行かない。上層の迷宮の孤王(モンスターレックス)とも呼ばれたインファントドラゴンに対して全力で行使して以降、控えた威力のものを何度か使っていたのは否定しないが、あの威力の攻撃をアレックスに当てればどうなるか等考えたくもない。あれは全力で相手を()()時に使う技法だ。模擬戦で使うものではない。

 

 何故それで怒るのか、理解できずにカエデは困惑してアレックスを見つめ直す。

 

「でも、使ったら……」

「あぁ? 使ったらなんだってんだよ」

「アレックスさんを殺してしまうかもしれません」

 

 断言できる。アレックスの防御の上からであっても、烈火の呼氣を使った一撃なら叩き潰せる。そんな確信と共に放たれた言葉にアレックスは震え、俯いた。

 

「アレは人に振るう為のものでは無いです」

 

 『烈火の呼氣』は人の身では傷付ける事も出来ない化け物を斬り伏せる為のもの。ワタシに与えられた『大鉈』と言う大刀はモンスターを斬り伏せる為のもの。人に振う為に教わったわけでは無い。人を斬り伏せる為に受け取ったわけでは無い。

 どれだけ村人に思う所があっても、村人に剣を向けるな。力を振るうな。それが出来ぬのならお主は斬り伏せられる側の化け物になってしまう。ヒヅチはそう言った。

 

「ワタシは烈火の呼氣を貴方相手に使う積りはないです」

 

 真っ直ぐアレックスを見据えて言い切る。間違っても、()()()()()を模擬戦で使ったりはしないと。

 

 その言葉にアレックスは表情を歪める。真っ直ぐ見据えるカエデに対してアレックスは震える声で呟いた。

 

「つまり、俺は()()()()()()()って事かよ」

「え?」

「馬鹿にするんじゃねぇっ!」

 

 怒り、怒声に体を震わせたカエデに対し、アレックスは歪んだ形相で口を開く。

 

魔導書(グリモア)なんてもんもロキから貰って……何でテメェなんだよ。『烈火の呼氣』って奴で満足してりゃ良いだろ。なんでオマエなんだ」

 

 アレックスの言葉にアリソンが首を傾げ、ラウルがポンと手を叩いた。

 

「なぁるほど。カエデちゃんが魔法習得したのって魔導書(グリモア)のおかげだったんスね」

 

 ラウルの言葉に納得の表情を浮かべたアリソン。アレックスはラウルを睨みつけてからカエデの方に視線を戻す。

 

「なんでお前なんかが魔導書(グリモア)なんて貰ってんだよ」

 

 何故と言われても困ると困惑の表情を浮かべたカエデ。ロキがくれたのは事実だが何故自分にくれたのかまでは聞いていなかった。ただロキはカエデが生きる為に努力するのに協力してくれると口にしていた為、その延長の行為だったのだと思う。其処に言及されてもとカエデが口を開いた。

 

「ロキがくれたので」

「どいつもこいつも、なんでテメェなんだよ……」

 

 俯き、拳を震わせ、アレックスは叫ぶ。

 

()()()だろうがっ! なんでテメェなんだよっ! なんで俺じゃねぇっ! 直ぐに死んじまう様な雑魚なんて必要ネェだろっ!」

 

 その言葉にカエデが硬直した。震え、一歩後ずさる。

 

「狡いだろっ! 『烈火の呼氣』なんて技を持ってる、駆け出し(レベル1)でインファントドラゴンを倒せる。なのに、また新しいモンを手にいれるのかよっ! なんでテメェばっかり――()()()()()()()()()

 

 ズルい、その技法が、スキルが、何もかもがずるい。羨ましい。子供の様に喚くアレックス。優れた相手に対する嫉妬。

 

 その言葉を聞いて、カエデの心を埋め尽くしたのは怒りだった。

 

 

 

 

 

『ずるい』

 

 ワタシが最後にそう口にしたのは、何時だっただろうか?

 村の中、親子で手を繋いで帰る子を見て、自身の手にある刀の柄と採取した薬草の詰った皮袋を見てヒヅチに言った言葉だったはずだ。

 

 ワタシは親が居ない。育ての親はヒヅチだが、ヒヅチはあくまでも育ての親であると言い続けた。親子で手を繋いで歩くあの子が羨ましい。私にはおとうさんもおかあさんも居ないのに。なんであの子には居るの? ずるいよと。

 

『口にするだけ無駄じゃ。心に留めておけ』

 

 その言葉に、ヒヅチは肩を竦めた。

 

 

 

 

 

 アレックスの言葉を聞いて湧き上がったのは怒り。そして羨望だ。

 震える声で尋ねる。

 

「ズルいってなんですか? 羨ましいってなんですか?」

 

 その言葉に帰ってくるのは怒声だった。

 

「テメェばっか良い思いしやがってっ! さぞかし鼻が高ぇんだろうなぁっ! 最短記録(レコードホルダー)に名を刻んで、強さを証明して、ベート・ローガに認められてっ! テメェみてぇな()()()()がっ!」

 

 死にかけ、死にかけ。そう、ワタシは()()()()だ。

 器の昇格(ランクアップ)した。そう、ワタシは器の昇格(ランクアップ)したんだ。小さく、壊れかけだったワタシの器は、器の昇格(ランクアップ)によって、強く、大きくなった。

 

 ワタシの事が羨ましくて、ズルいと口にしたアレックスさんを見据える。

 

 怒りの形相を浮かべたアレックスさんを見据える。

 

 ()()()()()()()()()

 

「テメェなんて――

「うるさい」

 

 ワタシの言葉に驚いた表情を浮かべて。直ぐに怒りの形相に戻るアレックスさん。

 

 ワタシは【ロキ・ファミリア】に入団した。ワタシはヒヅチ・ハバリの弟子として技法を学んだ。ワタシには優れた戦闘の才能がある。ワタシはロキに特別扱いされている。ワタシは『烈火の呼氣』が使える。ワタシは魔導書(グリモア)を受け取った。魔法を覚えて()()()()()()()()()()

 

 ズルい? ワタシがズルい? 何処が?

 

「うるさいっ!」

 

 怒鳴り返す。睨みつける。

 

「ワタシには戦うしかなかった」

 

 戦うのは嫌い。だって戦いになったら傷つけられる事があるから、痛いじゃないか。だって戦いになったら剣で斬り付けなければいけないじゃないか。

 

「本当は戦いたくないよ」

 

 本当は、戦いたくなんてない。斬りたくない。剣を握るのだって嫌いだ。でも、戦うしかないじゃないか。戦って、抗って、それでようやく生きていける。そんな半端な体に生まれ落ちててしまったんだから。

 

「でも戦うしかない。そうしないと死んじゃうから……ワタシは、ワタシはただ生きてる(足掻いてる)だけなのにっ!」

 

 ――――それに、ズルいのは私じゃない。お前の方が、()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「ワタシが羨ましい? ワタシがズルい?」

 

 そんなはずはない。

 

()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ズルいよ、お父さんも、お母さんも居たんでしょ? いっぱい、いっぱい愛して貰ったんでしょ? 温かい食事があって、暖かい寝床があって、暖かく迎え入れてくれる家があったんでしょ?

 

 何もしなくても潤沢な寿命があるんでしょ? 戦わなくても、のんびり日向ぼっこしてても怒られないんでしょ?

 

「ワタシにはお父さんもお母さんも居なかった」

 

 ヒヅチは育ての親で、ワタシを愛してくれていたけど、決して親として愛してくれた事は無かった。あくまでも()()()()で、本当のお母さんじゃなかった。

 

 もし願いが叶うなら、普通になりたい。普通にお父さんとお母さんに愛されて、剣なんて握らなくても良くて、恐ろしいモンスターと戦う必要なんて無くて……。短すぎる寿命に脅える必要のない、そんな普通が欲しい。

 

 そう、普通になりたいんだ。

 

「そんなにズルいなんて言うなら……取り替えっこしよう? ワタシの……覚えた魔法も、スキルも、何もかも全部あげる。壊れかけの体も、辛くて苦しい記憶も、全部全部……あげる。だから、貴方の全部をちょうだいよ」

 

 お父さんに頭を撫でられた事ある? ワタシには無い。

 お母さんに抱き締められた事ある? ワタシには無い。

 仲の良いお友達は居る? ワタシには居なかった。

 石を投げられた事ある? ワタシには有る。

 短い寿命に恐怖した事はある? ワタシには有る。

 

 将来の夢はある? ワタシには……ワタシには()()()()()

 

 ワタシの力が欲しい? ワタシの技術が欲しい? なら全部取り替えっこしようよ。

 貴方の持ってる、暖かい記憶も、何もかも全部ちょうだい。代わりに全部あげるよ。

 

 ――――そんなの出来っこない。

 

「知ってるよっ! 出来ないっ! そんな事できないっ! だからワタシは生きてる(足掻いてる)んだからっ!」

 

 ズルいなんて、羨ましいなんて言わないでよ。私だって言わない。貴方に、誰かに、ズルいなんて、羨ましいなんて言わない。だから、そんな事で怒らないでよ。

 

「ワタシの事、何も知らない癖に」

 

 ワタシの欲しかったもの、欲しいものをぜんぶ持ってるくせに。

 

 心の中がざわざわする。なんでこんなことを言われないといけないのか、わからない。

 

「貴方がズルいよ。だって長い寿命があるんでしょ?」

 

 ワタシにはそんなもの無いよ?

 

器の昇格(ランクアップ)が羨ましい? 強いのが羨ましい? 魔導書(グリモア)を貰ったのが羨ましい?」

 

 そんなものワタシは欲しく無かったよ。本当に欲しいのは――

 

「ねぇ、聞いてよ。ワタシね……器の昇格(ランクアップ)したんだよ?」

 

 壊れかけの器は確かに強く、大きくなった。

 

「でもっ! 寿命は全然延びなかったっ!」

 

 一年、ワタシに残されていた寿命。駆け出し(レベル1)ではその程度しかなかった。三級(レベル2)にあがったワタシに残された寿命は……一年半。

 

 涙が溢れてくる。悲しくて、悔しくて。

 

「ねぇ、ワタシは後どれだけ頑張ればいいの? どこまで行けばいいの?」

 

 たった、たった一度の器の昇格(ランクアップ)だけで、死にかけた。インファントドラゴンとの戦いは、恐怖しかなかった。それでもその恐怖をねじ伏せて生きた(足掻いた)、ただそれだけ。

 

 もし、もし一つでも何か違えばワタシは此処に居なくて。それが物凄く怖くて。

 

 本当は戦いたくないのに、死ぬのが凄く怖いのに。死にそうになる様な目に自ら遭う事が解っていながら、偉業の証を求めてしまう。何時命を落としてもおかしくない。

 

「冒険者になんてなりたくなかった。戦いたくなんて無い。剣なんて嫌い」

 

 人を斬った事ある? ワタシは、あるよ?

 

 

 

 

 

 ある日の事だ、真剣を持たされての鍛錬。ヒヅチと向かい合って、木刀を手にしたヒヅチにワタシが打ち込むそんな鍛錬。ワタシは真剣を振るう意味をまだ知らなかった。

 本気で斬る積りで振るった。ヒヅチに当たるイメージが出来なくて、躍起になって当てようとして。

 

 そして、ヒヅチを斬った。

 

 斬れるなんて思ってなかったワタシは呆然とした。ばっさりと切れた腹から笑えるくらい血が溢れてヒヅチが笑っていた。

 

『油断した。カエデ、針と糸、後は布をとってきてくれ』

 

 訳が解らなかった。ヒヅチなら受け流すとおもった一閃、深々とした傷が、ワタシが与えた傷がヒヅチの血を流させた。

 

『早うせんか。ワシが死んでしまうじゃろ』

 

 二ヘラと、余裕ぶった笑みを浮かべたヒヅチの言葉に我に返って、小屋から針と糸、綺麗な布、それから火を起こす道具を持ってきてヒヅチの横で湯を沸かしながら傷口を布きれで押さえた。

 

 余裕ぶった笑みを浮かべたヒヅチは、けれども青褪めていて、手が震えていた。

 

『カエデ、傷を縫ってくれ』

 

 その言葉を聞いて、ワタシはどうすれば良いのかわからなかった。

 

『簡単じゃ。この針と糸を使って、この傷を縫え。ワシではできん』

 

 口元を笑みの形に歪め、脂汗を流して青褪めるヒヅチの姿。ワタシは震える手で針と糸を受け取った。それから、綺麗にぱっくりと割れた傷口を縫い始める。震える手を必死に押さえつけようとしても、全然だめで。針を上手く刺せなくて、傷口を塞ごうとして失敗して、流れる血の量が減ってきて。

 このままだとヒヅチが死んでしまうのに、ワタシが与えた傷が原因で死んでしまうのに、ワタシは上手く出来なくて。

 

 泣いた。泣いてヒヅチに縋った。ヒヅチは――笑って言った。

 

『無理か、じゃあいい。カエデ、ワシの質問に答えよ――ワシを斬った感触はどうだった?』

 

 ぞっとするほどに綺麗な笑顔で言われたその質問。

 

 ――ヒヅチを斬った感触はどうだったか?

 

 なんでそんな事を聞くのか、ワタシには分らなかった。けど、ヒヅチは笑って言った。

 

『化物を斬り捨てた時と変わらんかったじゃろ?』

 

 言われて、初めて気が付いた。ゴブリンを斬り捨てた時、皮膚を裂いて、肉を斬って、骨を削る感触。溢れる鮮血の鮮やかな赤色、温かな温度、粘りけを含んで鉄臭いにおい、目の前で光を失って生命が尽き果てる姿。剣を使って化物を斬り付けた時の感触と、ヒヅチを斬った感触に違いは無かった。

 

『分かったか? 人を斬るのも、化物を斬るのも、感触に違いなんぞない』

 

 多少の差はあるだろう。だが、皮膚を裂いて、肉を斬って、骨を削るその感触に、溢れる鮮血の鮮やかな赤色に、温度に、においに、失われ行く生命に違いは無いのだ。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()

 

『忘れるな。オヌシが斬った物が()()なのか。忘れるな、人を、人と思わず斬らぬ様に気をつけよ』

 

 もし、もし人と化物の差が無くなって、同じ命を斬り捨てる感触だと割り切った時。刃を手にするその人物は()()()()()。刃を手にする以上、決して忘れてはならぬ事だと。

 

 結局ヒヅチは助かった。ワンコさんが現れて、慌てたようにヒヅチの傷口を丁重に縫い合わせてくれて、ヒヅチは死なずに済んだ。

 

 でも、ワタシはモンスターを斬りたくなくなった。

 

 

 

 一時期、剣を握る事を拒んだ。ヒヅチを斬ったあの日から多分一ヶ月ぐらい。

 斬られたはずのヒヅチは次の日には平然と動き回っていた。ワタシが剣を握りたくないと泣けば、ヒヅチはじゃあ握る必要は無いと怒るでもなく受け入れた。

 

 それから一か月後ぐらい経ってから。化物退治に行くと言って、森に行くと口にしたヒヅチは一人で森に入って行った。剣を握れない足手纏いを連れてくつもりはないと。

 

 ヒヅチが帰ってきたのは二日後、大怪我を負って偶然通りかかったワンコさんに肩を貸されて小屋まで帰ってきた。

 

 あと一歩、ワンコさんの到着が遅れていたらワシは死んでいた。ヒヅチはそう笑っていた。ヒヅチが負った傷は冗談でもなくヒヅチが死んでいてもおかしくないと言えるほどのものだった。余りの恐ろしさに、ワタシは、ワタシはもう一度剣を握った。

 

 知らぬところで、何もできずにヒヅチを失うか。恐ろしい()()感触を味わってでも抗うか。

 

 死ぬな(諦めるな)生きろ(足掻け)、心の臓の音色が枯れ果てるその時まで。

 

 

 

 

 

 嫌いなのに、剣を握るしかなかった。

 

 嫌なのに、戦うしかなかった。

 

 怖いのに、死ぬような目に遭いに行く事しかできない。

 

 生きる為だ、生きる為、ワタシはただ生きる(足掻く)だけ。

 

 ズルいなんて言わないで。羨ましいなんて言わないで。

 

 生きる(足掻く)必要も無い貴方に、ズルいなんて、羨ましいなんて言われたくない。

 

 

 

 

 

 背筋が凍りつく程、冷たく鋭い瞳でアレックスを睨んでいたカエデ・ハバリは、ふとアレックスに背を向けた。

 視線が外れた瞬間、アレックスは膝を着きそうになる。

 

 恐ろしい位に冷たい瞳のカエデに恐怖を覚えた。

 

「おまえは……」

 

 アレックスの言葉に返事を返す事もなく、カエデが走って行く。その背を見えなくなるまで見送ってから、アレックスは呟いた。

 

「なんなんだよ……」

 

 呟き、俯いたアレックスの側頭部にグレースの蹴りが突き刺さり、アレックスはよろめいて顔を上げてグレースを睨みつけた。

 

「何すんだテメェ」

「うっさい、黙れ」

 

 睨み合うグレースとアレックス。カエデの豹変についていけず呆然としていたヴェネディクトスとアリソンは互いに顔を見合わせてからラウルを窺った。

 

「ラウルさん……」

「カエデちゃん探してくるッス。帰りの準備をお願いするッスよ」

 

 肩を竦めてからラウルはカエデを探すべく足を向けた。




 ナイアルの裏ボス感。やっぱ邪神はこうでないとな(偏見)

 血をあほみたいに流しながら笑みを浮かべて傷を縫えとか幼子に無理難題を言い渡す系師匠ヒヅチ。トラウマ待ったなし。


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『襲撃』

『アタシ、オラリオに行きたい』

『無理だ、今は諦めな』

『でもよ……早く姉ちゃんに会いてぇし』

『アンタ、【恵比寿・ファミリア】だけじゃなくて他のなんかにも追われてんだろ。さっきからアンタの事を探る奴が多過ぎんだよ、【トート・ファミリア】も【ナイアル・ファミリア】も、後聞いた事も無いファミリアだったけど【クトゥグァ・ファミリア】なんてのもあんたの事探ってる。アンタ何したんだよ』

『なんでアタシなんて追いかけるんだよ……』

『知るか。アタシはアンタを守るだけだよ。まったく……ホオヅキの奴、面倒事押しつけやがって』


 太陽を彷彿させる白い水晶から放たれた光が、十八階層の木々に木漏れ日を作り出す。もし何も知らない者がこの光景を見たのならほっと一息つきそうな程に穏やかな風景。そんな風景をぼんやりと眺めて水晶に腰かけたカエデは、バスタードソードの刀身に映る自身の姿を見て嫌悪感を隠しもせずに呟いた。

 

「なんで?」

 

 先程アレックスに言われた言葉を反芻しながら刀身を撫でる。映り込む表情から怒りの色は既に失われ、後悔と諦めにも似た色を薄らと宿した真っ赤な瞳が刀身に反射している。

 

 ふと、足音が聞こえカエデは顔を上げる。

 

 視線の先、木漏れ日の中に灰色の髪が揺れる。苛立った様にカエデを睨みつけるグレースの姿に驚きと共にカエデは口を開いた。

 

「グレースさん……」

「はぁ、見つけた。アンタはどんだけ逃げるの得意なのよ……」

 

 ラウルがカエデを探しに行った後、ラウルが困った様な表情で戻ってきてカエデを見失ったと言った為、急きょアリソンとグレースも捜索に加わり探し回ったのだ。カエデが一人で離れてから既に一時間以上経過している。

 ようやく見つけたかと思えば十九階層の階段にほど近い壁際の水晶に腰かけてぼんやりとしているカエデの姿に若干の苛立ちを感じている。

 

「……ごめんなさい」

「アンタ……」

 

 謝罪を口にしたカエデに対し、グレースはよりいっそう強く睨みつける。

 

「はぁ、もういいわ。アンタ見てるとムカつくわ」

 

 溜息、そして苛立ちを隠しもせず腰掛けるカエデに近づく。近づいてくるグレースの姿にカエデは視線を泳がせて俯く。その姿に更にグレースの眼光は鋭さを増し、グレースがカエデの前に立つ。

 手を伸ばせば届く距離。そんな距離で視線を俯かせたカエデの視界にはグレースの革ブーツが映っており、対するグレースの前にはカエデの頭が映る。

 

「ねぇアンタ……『ワタシは絶対に死なない(諦めない)』だっけ? 入団試験の時にそんな事言ってたらしいわね」

 

 頭の上から降ってきたグレースの質問に、カエデは俯きながらも頷く。

 

「はい、ワタシは……」

 

 口を開こうとした瞬間、グレースの手がカエデの胸倉を掴み強引に立ち上がらせる。膝に乗せられたバスタードソードが音を立てて地面に落ち、カエデとグレースの視線が交差する。

 

 激情を宿した灰色の瞳と、困惑と恐怖を宿した真っ赤な瞳。グレースはカエデの目を見ながら口を開いた。

 

「アンタ、()()()()じゃん」

「っ……!」

 

 グレースの一言に目を見開き、そして瞳の色を一変させる。

 

 死んだ(諦めた)積りは一切ない。そんな風に怒りの色を瞳に宿しかけたカエデに対し、グレースは鼻で笑う。

 

「はぁ? 何其の目、死んだ(諦めた)積りなんて無いって言いたい訳? アンタ馬鹿でしょ」

「何を……」

 

 グレースの瞳に宿る激情と理性の宿る瞳に気圧され、カエデの呼吸が乱れる。息が詰り丹田の呼氣が途切れ、急激に冷静さを失っていく。薄らとカエデの真っ赤な瞳に薄らと宿っていた怒りの感情が色濃くなり、真っ赤な瞳が爛々と輝き、カエデの喉が唸り、毛が逆立つ。

 

「ワタシは――」

「アンタ、()()()()()()()()()()()()()()()()

「――――」

 

 グレースの言葉に、カエデが言葉を失った。

 

 

 

 

 

「アタシはね、馬鹿なのよ」

 

 目の前で胸倉を掴み上げ、宙吊りにしているカエデの瞳を見据えながら呟く。こいつは勘違いしてる。

 

 自分はとんでもない大馬鹿だ。阿呆で間抜けな女だ。

 

「なんでかって? 決まってるでしょ? ()()()()()()()()()()()()し」

 

 とある寒村の産まれ、両親と共に暮らして居た少女は、唐突に両親から離れる事になった。

 ただ一人、商隊に連れられて、オラリオに。何故両親から離れなければならないのか理解できなかった少女は、一人でオラリオに送り込まれた。

 

「アンタは何のために人には言葉があるって思ってる訳?」

 

 何故自分独りで? 何故二人は自分を? そんな疑問は直ぐに怒りと言う感情に呑みこまれ、両親を強く恨んだ。

 

「どうせ理解して貰えない、なんて諦めてんでしょ? だからアンタは『言っても無駄だ』なんて風に考えて()()()()()()

 

 最後に、言葉を交わさなかった。両親に、捨てられた、売られたと感じた。だからこそ、オラリオに着いたその日の内に商隊の中から逃げ出した。

 

「アンタがムカつくわ、何も言わないんだもの」

 

 その後はダイダロス通りでゴミを漁る日々。何故自分はあの商隊に連れてこられたのか理解なんて出来なくて、心を覆ったのは怒りと憎悪で、そんなある日にファミリアの存在を知った。

 入団試験、【ロキ・ファミリア】の本拠にて行われるそれに参加したのは、なんの偶然だったか。路地裏に破棄された錆びた短剣と、適当な冒険者からくすねた金で整えただけの身嗜み。挑み、合格し、【ロキ・ファミリア】に入団した。

 

「なんで何も言わない訳? ま、アンタ諦めてるし言える訳無いか」

 

 目の前で困惑の色を深め、恐怖に染まりかけの真っ赤な瞳を見据え、言葉を口にする。自分は口が上手い方では無い。むしろ口汚い方だ。だからこそ、この幼い少女の心に錆び付いた短剣を突き立てるかの如き自分の言葉が大嫌いだ。

 

 両親に対する憎悪なら誰にも負ける積りなんて無かった。自分を捨てた両親、【ロキ・ファミリア】で冒険者として名を上げて、両親に再度会いに行く。それからぶん殴る、よくも私を捨ててくれたなと、そんな怒りをぶつける積りだった。

 

「ほら、言いなよ。なんか言いたいんじゃないの?」

 

 口を開こうとし、わなわなと震える姿に抱いたのは嗜虐心では無く、自身に対する強い怒り。なんで自分はこんなに口汚いのか。こんなんだからよくトラブルは起こすのだ。その所為で【ロキ・ファミリア】内ではトラブルメーカーの一人として数えられるし、けれどこの口汚さはどうしようもない。

 

 器の昇格(ランクアップ)を機に、両親と再会すべく村を探した。記憶を頼りに、見つけ出した寒村は、廃村になっていて、両親は其処に居なかった。怒りのままに崩れかけの建物を破壊してオラリオへと逃げ帰る様に村を後にして。

 

「言葉にしなきゃわかんないのよ、理解できない。理解し合えない」

 

 何を馬鹿な事を、自分の口汚さを知っている。こんな言葉をぶつければ相手を傷付けるのを知ってる癖に、その言葉使いを変えられない。馬鹿げてる。

 

 オラリオへと帰還後、器の昇格(ランクアップ)で有名になった自分を訪ねてきた人物がいた。その人物は自身をあの村から買いとった者であり、同時に両親の知り合いだと名乗った。神ロキはその言葉に嘘は無いと言った。

 

 その人物を殴った。

 

 少女は一人、自身が売られたのだと勘違いして、両親に憎悪を抱き続けた。事実は違ったらしい。知り合いに頼んで少女を売るふりをして逃がす為だったらしい。

 

 何から逃がす為なのかは知った事では無い、肝心なのは少女に()()()()()()()()()

 

 

「言ってよ、アタシに教えなさいよ。アンタが何を考えてるかなんて、アタシにはわかんないのよ」

 

 人は傷つけあう。自分は口汚い。だからより多くの傷を相手に与えてしまう。だけど言わないと伝わらない。言葉にしないと分かり合えない。恐怖に揺れる真っ赤な瞳が、何に脅えてるのか自分にはわからない。だから言葉にして欲しい、伝えて欲しい。自分はとんでもない大馬鹿だ、こうやって傷付けないと、相手の事を理解できないんだから。

 

 苛立ちが募る。もし両親がちゃんと()()()()()()()、自分はこんなにも両親を恨まなかったのに。こんな心の歪み(スキル)を発現させる事なんてなかったのに。

 

「アンタが言わないなら、アタシが言うわ」

 

 この言葉は相手を傷付ける。それでも良い。だから、アンタもアタシを傷付けて欲しい。言葉は残酷だって知ってる。でも、言わなきゃ、言葉を交わさなくては何も始まらない。

 見当違いな怒りを抱き続けるのはもう嫌なのだ。

 

 

 

 

 

「アンタがズルい、羨ましい。寿命が云々ってのは確かに同情する。でも、その戦闘の才能も、魔法も、スキルも、何もかも羨ましい」

 

 真っ直ぐに、灰色の瞳が此方を見据えて言葉を紡ぐ。彼女の言葉はまるで錆びた短剣が胸に突き刺さったかのような衝撃を与えてくる。

 

『人と理解し合う事を諦めている』

 

 その言葉が、ワタシの胸を深く抉った。痛くて、苦しくて、逃げ出したくなる。

 

 ワタシは死ぬ(諦める)積りは微塵もない。けれども、死ぬ(諦める)必要があるものもあると理解していた積りだ。無い物は手に入らない。愛してくれる両親、一緒に遊べる友達、優しさに包まれた日常。過去は変えられない、だからこそ、未来(寿命)を手に入れたかった。

 

「ほら、言ったわよ。アタシは言った。アンタがズルいって……ほら、言いなさいよ。アンタもアタシに、ムカつくって、嫌いだって、殴りたいって、思ってんでしょ」

 

 過去は変えられない。でも未来は変えられる。他人に理解してもらう事は、きっと出来るだろう。いや、出来る。根気強く言葉を交わせば可能だ、でも寿命の為に生きる(足掻く)ので手一杯で――――本当に?

 他人に自分を理解して貰う事を、何時の間にか諦めてしまっていた。事実だった。胸を穿つ言葉に涙が溢れた。喉が震えて上手く息が吸えない。

 

「ワタシは……」

「ほら、聞いてて上げる。一言も逃さない様に、だから……言いなさい。アンタが思った事、思ってる事、感じた事……アタシは馬鹿なの、だから()()()()()()()()()()()()()()

 

 灰色の瞳が揺れている。その怒りが向けられている方向が自分では無くて、内側なんだって理解した。

 

 この人はとても優しい人なんだって。理解して、体が震えた。

 

 ワタシが抱えてるもの、ずっと胸の内側に溜め込んできたもの。他の人を見る度に、街中で仲の良い親子を見る度に、『明日は何する?』と気兼ねなく尋ねてくる姿に、嫉妬心を抱き続けた。

 

 羨ましい、妬ましい、ドロドロとしてて、黒くて、誰にも見せたくない薄汚い其れ。

 

 胸の内側に必死に押し留めた。丹田の呼氣も相まって、上手く隠せていたはずなのに、怒りが勝ると直ぐに漏れ出てくる。こんなのいらない。生きる(足掻く)のに必要ない。なのに溜まっていく。

 

「アンタさ、何が怖いの?」

 

 怖い? そうか、怖いのか。この胸の内側に溜まったドロドロとしてて黒い物が溢れだすのが怖い。もしその時手元に剣があったら、ワタシはその剣を相手に突き立ててしまう。きっとそうなる、そうなったとき、ワタシは化物になってしまう。それが怖い。

 

「……わかった、今言わなくて良い、でも……地上に戻ったら言ってもらう。アタシは馬鹿だから、何度も同じ事繰り返すわ。今までもそうだったし」

 

 

 

 

 

 グレースが手を離す。宙ぶらりんだったカエデが放りだされ、水晶に軽く背中を打つ。俯いて震えるカエデ、其れを見下ろしたグレースは怒りの形相を水晶に映る自分自身に向ける。

 憎悪の対象は、憤怒を抱くべき相手は、何時だって自分自身。それぐらい理解していると視線を逸らして自分を殴りつける。

 

 唐突に響いた打撃の音に顔を上げたカエデの視線の先、切れた頬から血を流したグレースは鼻を鳴らす。

 

「行くわよ……」

 

 木漏れ日の中、背を向けたグレース。其れを見てカエデは足元に転がり落ちたバスタードソードを手に取って土埃を払ってから鞘に納める。

 互いに言葉を交わさずに歩き出そうとして、カエデが足を止めた。それに気付いたグレースは肩越しに振り返って尋ねる。

 

「……どうしたのよ、やっぱ言いたい訳?」

「……いえ、なんか……()()()()()()()()

 

 カエデの言葉にグレースは眉を顰め、直ぐに腰のケペシュを抜き放つ。周囲に視線をやってから、グレースは耳を澄ませて目を見開いた。

 唐突に響いたのは鋭く響く警鐘。意味を知るグレースは慌ててカエデの腕を掴む。

 

「警鐘っ!? 走るわよっ!」

 

 グレースの言葉を聞いてカエデも意識を集中させようとするが、丹田の呼氣の乱れによって意識が朦朧としており、上手く音が聞き取れない。わかるのは甲高い鐘の音が遠くから微かに聞こえていると言う事だけ。

 

「ラウルと合流しないと」

「はい」

 

 警鐘、十八階層に存在する『リヴィラの街』に危険が迫った際に鳴らされるものであり、大まかに言えばモンスターの大移動がこの階層に到着すると言う際に階層内の冒険者全員に知らせる物、今回の警鐘の種類は『下層より接敵』と『撤退』を意味したものであり、対処不可能な程の数のモンスターが迫ってきている為、直ぐにこの階層から逃げろと言うものだ。

 現在位置は十九階層の階段の近く、と言っても十九階層への階段には警備の者がおり、その者等が警鐘を鳴らし始めたと言う事は今から逃げればモンスターと接敵する前に逃走可能である。

 

 直ぐに視線を前に戻してグレースが走り出そうとして、足を止めた。つんのめる様にカエデも止まり、グレース越しに白い装束を着た人物を見た。

 

 その姿にカエデが毛を逆立てて警戒の視線を向けバスタードソードの切っ先を向ける。

 

 グレースは眉根を寄せ苛立ち交じりに口を開いた。

 

「そこのアンタ、警鐘よ、早く逃げないと――」

「グレースさんっ! その人【ハデス・ファミリア】の団員ですっ!」

 

 カエデの言葉にグレースは瞬時に反応して腰のケペシュを引き抜いて構えた。

 相対する白装束の人物、顔までしっかり隠れるフードの下から押し殺した笑い声が聞こえ、カエデは全身の毛が逆立ち鳥肌が立つ。グレースは薄気味悪そうに相手を睨み、ふと視線を上にあげて叫んだ。

 

「カエデっ! 耳を塞ぎなさいっ!」

「っ!?」

 

 叫んだグレースが両手で耳を抑え、カエデも遅れて抑えようとして――音の爆発が起きた。

 

 グレースの視線の先にあったのはまるで飾り付けでもされたかのように不自然に木から大量にぶら下がる音響弾(リュトモス)。数なんて数える気にもならないそれが一斉に弾け、音の衝撃を撒き散らす。

 本来ならモンスターを驚かす用の道具だが、数が数である。音とは振動であり、積み重なった音は衝撃として全てを薙ぎ払う。

 

 耳を塞いでその場で耐えしのいだグレースは、己の内に滾る怒りの感情で思わず目の前の白装束に突っ込みそうになるが、耳を抑えた際に自身の頬をケペシュが浅く裂いていた。痛みと出血、傷口から溢れる血が直ぐに滴り胸元を汚す。血の臭いと自身を無駄に傷付けた怒りが目の前の白装束への怒りを自身へと向けさせ、自分自身にケペシュを突き立てそうになりながらもその場で叫ぶ。

 

「ぶっ殺すっ!」

 

 グレースの威圧に対し、白装束の相手は怯んだのか一歩下がるが、直ぐに直剣を取り出して構えた。

 

「カエデっ! さっさとこいつぶっ殺してラウルと合流を――」

 

 あんな大音量を響かせたのだ、直に此処にモンスターが溢れかえる事だろう。故に急ぎここから離れるべく目の前の敵を倒す様に指示を出すがカエデからの返答はない。不審に思いつつも目の前の敵から視線を外さずに素早くカエデを確認すれば、地面に倒れて泡を吹いている姿が確認できた。

 

 音の衝撃が完全に直撃したのだろう。耳を塞いだグレースですら先程から音が良く聞こえないのだ、防御が間に合わなかったのだろう。何よりカエデは耳が良かった、ダンジョンの夜に眠れない程に優れた聴覚に対する攻撃は冒険者のステイタスの耐久なんかも全て無視したダメージを与えたのだ。

 

「くっ!」

「―――――――」

 

 相手が何か言っている。しかしグレースの耳にその言葉は届かない。

 

 何時の間にあんなに音響弾(リュトモス)を木から吊り下げたのか気になる所だが、それよりもカエデを担いででも撤退しなくては不味い。

 目の前の白装束の敵を睨みながら牽制しつつカエデの方ににじり寄る。そんなグレースを見て白装束は肩を震わせてから、グレースの背後を指差す。

 

「―――――――」

 

 何を言っているのか判別はつかない。だが嫌な予感を感じて後ろを振り返り、思わず叫ぶ。

 

「なっ!? 怪物の宴(モンスターパーティー)っ!?」

 

 十八階層に生い茂る木々の隙間、その先に映る無数のモンスターの姿に慌ててカエデを担いでグレースが前を向けば、其処には白装束の姿が無くなっていた。代わりに広がるのは無数の()()の姿。

 

 本来ならダンジョン内でモンスターを呼び寄せて討伐するのにつかわれる動物の血や肉を袋に詰めた物であり、使用するのは高位冒険者ぐらいのそれ。不用意にダンジョン内で使えば、嗅覚の鋭いモンスターを片っ端から集める危険な代物。

 本来の用途以外の使い道は一つ――意図的な怪物進呈(パス・パレード)の際だ。

 

「やられたっ!!」

 

 モンスターの群れは音と臭いで此処に群がってくるだろう。直ぐに逃げなくては不味い。担いだカエデの姿勢を直す序でに容態を確認するが、直ぐには目を覚ます事は無いだろうと言う事がわかったのみ。不味いなんてものではない。小柄とはいえ荷物を抱えて逃げ出せるか不明だ。

 だが、見捨てると言う選択肢を持つ程、グレースと言う少女は落ちぶれていない。

 

 担いだまま一気に駆けだす。森の木々の隙間を縫う様に現れる下層のモンスターの速さに目を見開き、舌打ちをしながら森を走る。最悪『リヴィラの街』まで逃げ込めば――無理だろう。

 足に何かが引っかかる感触と共に、真横からロープで縛られた丸太が、振り子の如くグレースに襲い掛かる。

 慌てて速度を上げれば、今度は足を何かが突き立つ感触。激痛に奥歯を噛み締めつつも走る勢いを落とさずに足に視線をやればクロスボウ用のボルトが右足の腿に突き刺さっている。

 

 視線を前にやって舌打ち、目の前に広がるのは大量の嫌らしい罠(ブービートラップ)の数々。

 目に見える範囲では足元にこれ見よがしに設置されたロープ、木に隠れる様に設置された振り子式の丸太、そして――微かに香る酒の匂いにグレースは悪態を吐く。

 

「うっそでしょ、焼き尽くす積りっ!?」

 

 微かに香る酒の臭い、強い酒精を感じさせる匂いと、何処からか投げ込まれる『火炎瓶』を見てグレースは足を進める。足に付き刺さったボルトが鈍い痛みを感じさせグレースに怒りを抱かせる。

 怒り、そして負傷によるステイタスの増強効果によってグレースの力が跳ね上がって行く。振り子式の丸太を片手で受け止めて跳ね除け、近くの木を蹴り抜き、横倒しにしてその上に足を掛けた。

 

 瞬間、放り込まれた火炎瓶が木に当たり、地面に落ち、砕けて中身をぶちまけながら適温に温められた酒の酒精に火が回って行く。足元にぶちまけられた酒にも火が回り酒臭い森は一瞬で火に包まれた。どれだけの酒をここにぶちまけたのだろう。気付かれずにこれだけを成す隠蔽性と、リヴィラの街の存在する十八階層でここまで大それたことを行う神経の図太さにはある意味で感心できる。

 

 後方から追ってきていた下層のモンスターも火に弱いもの、火に耐性を持たぬものが火にまかれて悲鳴を上げる。其れを肩越しに見てグレースはほくそ笑む。

 

「ばっかじゃないの、十九階層とかそこらのモンスターで火に強いのなんて居ないっての」

 

 足元が火にまかれているが蹴り折った木の上を一気に駆けて行く。ブーツが火にまかれて熱を持ち、足の裏を焼き始めるが、グレースのスキルで負傷によりさらに力が増幅される。

 このままいけばカエデを担いだままでも逃走できそうだと口元を歪め、カエデが身を捩った為バランスを崩して火の中に転げ落ちた。

 

「あっつっ!?」

「熱っ!?」

 

 転げ落ちたカエデを慌てて引っ掴んで引き上げようとして、先程までグレースが走っていた倒木に杭のようなものがいくつも突き刺さっているのを見て目を見開き、直ぐにカエデを掴み上げる。

 火にまかれた様子だが、カエデの防具、火鼠の皮を使った水干は高い火耐性を持っている為か怪我らしい怪我は無い。対するグレースは全身に軽いやけどを負って体が火照っている。

 

「アンタ気付いた訳っ!?」

「危ないですっ!」

 

 おぼろげに聞こえたカエデの言葉に、グレースはカエデを近くに投げ出し、身を伏せた。

 酒の酒精に頼った火計であった事が幸いしたのだろう、既に鎮火しており黒焦げになった植物に体を擦り付けるだけで済んだ。火照った体に微熱を持った地面が接触し痛みを感じさせるが、それ以上に背筋が凍えて泡立った。

 

「また来ますっ!」

 

 カエデの声に反応し、即座に立ち上がって飛来物、鋭い杭のようなものをケペシュで弾き落とす。腕に残る痺れに眉を顰めて杭の飛んできた方向に視線を向ける。

 

「あれは……ガン・リベルラか、面倒ね」

 

 グレースの視線の先に無数の蜻蛉を彷彿させるモンスターが木々の間や木々の上を飛び回っている。

 ガン・リベルラ、二十階層より出現するモンスターであり、ダンジョン内にて初となる飛び道具が主な攻撃手段のモンスター。他のモンスターの群れと交戦中に高所を飛び回り、杭のようのなものを弾丸のごとく発射してくるという非常に嫌らしい敵だ。

 

 ガン・リベルラに気をとられていた間に他のモンスターに囲まれてしまった。火によって熱を持った肌に嫌な汗が滴り、痺れる痛みが全身に広がる。

 

「最悪」

 

 悪態を吐きながら顔をあげてモンスターを睨むグレース。

 カエデも震えながら立ち上がって、覚束無いながらも投げナイフを握りしめた。

 

 握り締められたのがバスタードソードでは無かったことにグレースが気付いて目を見開いて叫ぶ。

 

「ちょっ!? アンタ剣はっ!?」

「……気が付いたら無くなってました」

 

 逃走劇を繰り広げているさ中に落としてしまったらしい。つくづく運の無い奴と悪態を吐きながらもグレースは視線を周囲に飛ばす。モンスターに囲まれた円は徐々に狭まってきている。

 

「あぁもうっ! アタシが突破口作るから、アンタ一人で逃げなさいっ!」

「えっ」

「アタシはアンタと違って何時死んでも良い様に覚悟ぐらいしてるわ。アンタは行け、つか武器が無い奴なんて邪魔なだけだし、さっさとどっか行ってくんない?」

 

 普段の様に、いつも通りにグレースは憤怒の表情を浮かべながらカエデの方を肩越しに振り返る。煤けた背中を見て、カエデは震える。

 

「なんで……」

 

 さっきまで『ムカつく』とか『嫌い』だとか言っていたグレースが何故カエデを庇うのか。わからないと言う表情を浮かべるカエデに、グレースは吐息を一つ零した。

 

「はぁ……なんでアタシがアンタを庇うのかって……別に、理由なんて無いけど――――そうね」

 

 にやりと笑みを浮かべる。牙を剥く様な獰猛な笑みを浮かべ、【激昂】グレース・クラウトスは呟いた。

 

「アンタが大嫌いだから、一緒に戦うなんて御免よ。ましてや仲良く死んでなんてやるもんかってね」




 面倒事押し付けられたと文句を言いつつ、ヒイラギちゃんを全力で守ってくれるアマゾネスのお姉ちゃん素敵っ! 褐色の肌とか最高よね。

 そして、【ハデス・ファミリア】の計略……殺意低いなぁ。

 ナイアルとクトゥグア、不仲な二人。何もないはずもなく……邪神にモテモテってどんな気分なんでしょうかね。


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『薄氷刀』

『アマネ、件の古き白牙、【酒乱群狼(スォームアジテイター)】はどうした?』

『ヒヅチだと言うておろうに。……心臓を一突きじゃ』

『何? 捕獲して来いと命令したはずだが?』

『話が拗れた。だから大人しくさせる為にな。仕方なかろう?』

『何をしているのだ貴様はっ! 刻印を施し、我々の仲間とすると言うたのにも関わらず殺してしまっただとッ!? アマネ、貴様……裏切るつもりか……』

『戯け、ワシは裏切り等しておらん』

『…………ならいい。糞っ、あの古き白牙が手に入れば巨狼の頭もこちらのものだと言うのに……計画が遅れた。神々が巨狼の頭を連れ去る前になんとしてでも見つけねば……。アマネ、貴様は例の件を進めろ。私は別件で動く』




『裏切るも何も、最初から協力する気等無いと言うておろうに。それにワシの友を利用しよう等と……誰のせいであやつを貫くはめになったと思っている。はぁ、何度斬ろうと仲間を斬る感触は好きになれんな。……しかし、古き白牙? 何処かで聞いた様な……何処じゃったかのう』


 ダンジョン第十八階層、安全階層(セーフティーポイント)である自然に満ちた階層に溢れる十九階層、二十階層のモンスター。

 【ハデス・ファミリア】の計略によって溢れた数はあまりにも多い。

 

 まるで下の階層で念入りにモンスター達をかき集めてぶつけて来たのではないかと言う程の量のモンスターだ。

 

 グレースは目の前に飛び込んできたリザードマンに対してケペシュを振るう。力任せの一撃にてその鱗の上から胴を大きく抉るが、リザードマンは目の前の一体だけではない。視界を埋め尽くすのは夥しい数のモンスターの群れ。

 

 リザードマンを筆頭に十九階層、二十階層に出現するモンスターがこれでもかと突っ込んでくる。それに加え空より飛来するガン・リベルラの弾丸が襲い来る。既に何度も攻撃を受けてハーフプレートメイルは傷だらけで、ケペシュは力任せに振るい過ぎて右手で持つ方は歪み始めている。

 

 舌打ちと共に息を整えるべく後ろに下がろうとするも、そもそも下がる場所等ありはしない。息切れし始めて動きが鈍り始めたのを自覚し、自らを鼓舞すべく叫ぶ。

 

「よくもやってくれたわねっ!」

 

 頭に血が上り、風景が薄赤く染まって行く。これ以上頭に血が上るとガン・リベルラの攻撃を回避も防御も出来なくなる。

 

 それ以前にカエデはどうしたのか。そんな疑問を覚えたグレースが振り返えれば、投擲用のナイフを両手に握り締めて小器用にモンスターの間を走り抜けながら斬り付けてるカエデの姿があった。

 

「しっ! せいっ!」

 

 威勢の良い掛け声と共にカエデの持つ投擲用のナイフが閃く。だがその刀身はあくまで投擲用に研ぎ澄ませたものであり、斬り付ける為のものとは違う。これがショートソード程度の武装なら十二分なダメージとなっただろう、しかしカエデの投擲用ナイフで与えられるダメージはリザードマンの鱗を数枚剥ぐだけで、まともなダメージとなっていない。

 

「あぁもうっ!」

 

 苛立つ。カエデがバスタードソードを無くしていなければもっと簡単にモンスターを処理してくれたはずなのに。そんな事を考えて舌打ちをして自身を殴る。

 すぐさまカエデを取り囲む様に動いていたリザードマンの一匹の背中にケペシュを振るう。ケペシュの先端の鎌状になった刃を鱗と鱗の隙間に潜り込ませる様に滑らせ、一気にリザードマンの背中の鱗を毟り取る。

 

 ベリベリィと言う鱗を肉から剥ぎ取る音と共に、耳を塞ぎたくなる様なリザードマンの悲痛な悲鳴に口元を歪ませる。

 

 相手に負傷を与える度に怒りが静まる。増幅されていた力が下がる感覚がする。そんな感覚の中、飛来したガン・リベルラの弾丸をケペシュで払い除けた。少し解消された怒りが攻撃を阻害された事で再度燃焼する。

 上がった力をもってして背中の鱗を剥がれたリザードマンの、剥き出しとなった赤い新鮮な肉にケペシュを突き立てる。

 

 鱗を無くしたリザードマン等、まるで熱したナイフで切り分けるバターのように切れていく。

 

 悲鳴を上げる事すらしなくなったリザードマンを蹴り退けてカエデを見れば、グレースと同じ様に投擲用ナイフでリザードマンの鱗を小器用に剥ぎ取ってその下の肉にナイフを突き立てて止めをさしていた。

 

 既にカエデの周りには十匹近い骸が転がっている。グレースの方も優に三十近くのモンスターを倒しているとはいえ、本来の武器を失って尚それだけ戦える事に感嘆の声を漏らしつつ、接近してきたバグベアーの攻撃をケペシュで適当に弾いて頭を蹴り抜く。

 頭蓋骨を粉砕する感触と共にグレースの足がバグベアーの頭にめり込み、勢いのままにぽーんと目玉が眼孔から飛び出て地面を転がるのを見て舌打ち。足に感じる違和感から今の一撃で足を負傷した事を自覚する。力の増幅に耐久がついてきていないのか、攻撃する度に体が軋み始める。

 ケペシュの耐久も限界に近く右手に持ったケペシュは完全に歪みきり、左手のケペシュも切れ味が落ち始めている。それなりに耐久の高い物を選んだつもりだったが、無理に使えばこんなものかと眉を顰める。

 

 カエデの方を見てから周囲を見回せば、グレースの視界に広がるのは先程までと変化ないモンスターの群れ。数なんて数える気にもならない。怒りが込み上げてくるがこれ以上、力が上がってしまえば自滅してしまう。

 怒りを抑え込もうと歯を食いしばれば、怒りを抑え込もうとするだけでより強い怒りが込み上げてくる。

 

 これ以上は自身が持たない。

 

 カエデを逃がすべく突破口を開こうとしたがモンスターの数が数であり、突破口を開くのに失敗した。ソレ以前にカエデ自身が逃げる気が無い様子で苛立ちが募る。

 

 逃げようとしない訳じゃ無く、ちらちらと此方を窺う様に見てくる。置いて逃げて良いのか迷っているのだろうか? 自分が死にたくないならすぐ逃げれば良いのに。

 

 たとえ置いて逃げられたとしても置いて逃げた事に怒りを抱いてステイタスを増幅させてモンスターを蹴散らすだけなのに、むしろそっちの方が此方としても有りがたい。現状以上の力の発揮は耐久を大幅に超えているとは言え骨が折れる程じゃない。戦い終わったら筋肉痛で二三日寝込む事になるだろうが知った事か。

 

「チッ、面倒だわ」

 

 ラウル達は何をしているのか。疑問が浮かぶがどうせ【ハデス・ファミリア】に足止めされているのだろう。もしくは警鐘が聞こえた瞬間に情報収集の為に動きを止めたか。どちらにせよ合流を期待でき無さそうだし、肝心な時に役に立たないと心の中で罵ってからカエデの方を見て一気に駆け寄った。

 

 

 

 

 

 目の前のリザードマンに対し、自分が出来る事と言えば慎重に鱗を剥いでその下の肉に直接ナイフを突き立てることだけ。

 手持ちの投擲用ナイフは五本、内二本は最初の一撃であっけなく砕け散った。

 

 力を込めて振るった一撃にナイフの刀身が耐えられなかったのだ。鱗を斬り付けただけで砕け散った刀身に思わず冷や汗が流れたが、反撃をなんとか回避してから攻撃を回避するのを優先しつつも、時折飛んでくるガン・リベルラの一撃を投擲用ナイフで逸らす。

 グレースの戦い方を参考にして鱗を剥いで肉を斬ると言う方法で何とか倒せ始めたのだが、数が多い。尻尾を引っ張られて身を反らせば、緋色の水干の背中部分に浅く鋭い爪が掠る。直撃したら即死はしないだろうがじわじわと追い詰められてしまうだろう。

 

 グレースの方は既に血塗れだ。ただ、グレースの身に付いた血の殆どがモンスターの血であり、時折ギラギラとした憤怒の色をにじませた瞳で周囲を睥睨しては叫んで注意を逸らしてくれる。そのおかげで自身が相手取る必要のあるリザードマンはそう大して数が多い訳では無い。むしろかなり少ない。

 

 飛来したガン・リベルラの放った凶弾をナイフで弾いた。瞬間、金属の砕け散る音が響き、左手に握り締めていた投擲用ナイフが壊れて柄だけになってしまった。凶弾自体は弾く事に成功したが、既に腰のナイフ用ポーチには何も入っておらず、残っているのは右手に握り締める()()()()()()()()()()()一本のみ。

 

 これ以上戦い続けられない。徒手空拳での戦闘が行える様な鍛錬は一切していない。武器を使う事を前提とした自身ではこの場で生き残る事も難しいだろう。

 足が震え、恐怖に歯を食いしばり、近くの地面に突き立ったガン・リベルラの放った杭の様な弾丸を掴みとる。無いよりマシと考えて左手に握り締めるが、モンスターの生み出したそれは握り難く、頼りない。強度と言う観点からしてもあくまで飛び道具として放たれる弾丸である以上期待も出来ず、けれども無手になるよりはマシと飛来するガン・リベルラの弾丸を弾こうとして、弾き切れずにあっけなく手に持った杭の様な弾丸が砕け、身を捻って被弾を回避する羽目になった。

 

 姿勢を崩し、片手をついて体勢を立て直そうとした所に、狙ったかのようにバグベアーの一撃が叩き込まれ、地面に押し倒された。

 

 背中に叩き込まれた一撃で地面を転がり、何とか起き上がろうとした所で足を踏みつけられる。みしみしと言う足の骨の軋む音、そしてポキンと乾いた枝を折る様な音が響き、重量によって圧迫され骨折した痛みに目を見開いた。

 

 目の前に広がったのは両手を振り上げたバグベアーの姿。見た目の鈍重さを裏切る様な俊敏な動きで冒険者を翻弄し、素早く近づいて冒険者を両手の爪で切り刻んで殺す恐ろしい狩猟者。その姿に慌ててダガーナイフを振るうが、毛皮に阻まれてダメージにならない。身を捻って回避しようにもバグベアーは念入りにカエデの足を踏みつけて逃がす気は微塵も無い様子だ。

 

 防御姿勢をとるより前に振り下されるバグベアーの鋭い爪のついた熊の手に顔が引きつる。ここで死ぬのは嫌だ。目を瞑る事はしないが、けれども何が出来ると言う訳でも無い。

 

 次の瞬間には、バグベアーの頭部が横合いから蹴り付けられて首があらぬ方向に捻じ曲がり、バグベアーの体が蹴り退かされた。

 

「何やってんのよアンタ、死にたい訳」

 

 ギラギラとしたグレースの瞳、淀むような怒りの含まれた声に背筋が凍る。急いで高等回復薬(ハイ・ポーション)を取り出し、折れた足を自身で伸ばす。激痛によって目の前がちかちかと明滅するが堪え、高等回復薬(ハイ・ポーション)を足に振りかけて残りを口に含み飲み干す。

 立ち上がろうとするが、上手く立ち上がれない。右足は幻痛によって足が上手く動かず、立ち上がる所か足首に力が入らずにこけた。

 

「……はぁ」

 

 溜息が聞こえて顔を上げれば、呆れと怒りの混じり合った表情でグレースがカエデを見下ろしていた。飛来したガン・リベルラの攻撃を弾き、近づいてきたリザードマンの方に向かって力任せに石を蹴っ飛ばせば、石は散弾の如く散らばり、リザードマンを足止めする。どれほど増強効果が発動しているのかはわからないが、今のグレースはかなりの力を秘めているらしい。

 

「アンタ、邪魔だわ」

 

 その言葉に背筋が凍りついた。見捨てられるかもしれない。そんな考えに脅えを抱いたカエデを余所に、グレースは無造作にカエデの首根っこを掴んだ。

 

「何をっ!?」

「言ったでしょ、邪魔だって……じゃぁね」

 

 唐突に、カエデの視界が歪む。凄まじい勢いで振り回される感覚と共に、三半規管を揺さ振られて一瞬意識が飛んだ。

 

 

 

 

 

 遥か彼方へ投げ飛ばしたカエデの姿をちらりと見て吐息を零し、モンスターの上を凄まじい勢いで跳んで行ったカエデに反応してカエデの方に向かおうとしたガン・リベルラに対してケペシュを投げて刺し殺す。結構遠くの方にケペシュの片割れが落ちた気がするが、どの道回収は諦めるほかない。

 

 リヴィラの街の直ぐ近く、アリソンとヴェトスが探索すると言っていた湖に着弾する様に放り投げたが、着地の衝撃で気絶しやしないだろうか。

 

 ドポーンッと着水の音が聞こえ、それなりに遠くで水柱が立ったのを確認して笑みを浮かべた。

 

「ナイスシュートってね」

 

 自身の行動が上手く行った事で気分を良くし、怒りが静まる。力があからさまに軽減したのを自覚しつつも、グレースは目の前に溢れるモンスターの方へ歪んだケペシュを向けた。

 

「……あぁ、こっちの方投げりゃ良かった」

 

 怒りで判断能力が鈍りまくっているのだろう。投げるなら歪んでしまった方のケペシュを投げれば良かったと後悔してから、目の前を見据える。

 

 溢れかえるモンスターからぶつけられる殺気に、怒りが増幅されていく。

 

「かかってきなさいよ……全員、ぶっ倒してやるからさ」

 

 半ば強がりでもある挑発の言葉に、モンスターが反応する。意味を正しく理解したのかはわからないが、挑発された事は理解したのか、咆哮を上げながら四方八方からリザードマン、バグベアーなどのモンスターが突っ込んでくる。ついでとばかりに空からはガン・リベルラが凶弾を撒き散らしはじめた。

 

 

 

 

 

 着水の衝撃と共に意識が覚醒し、水の底から明るい空を見上げ、一瞬何が起きたのかわからずにぼんやりと水面を見上げて、息苦しさから水底を蹴って水面から顔を出した。

 

「ぷはぁっ……ここは……」

 

 息苦しさの解放と共に肺に新鮮な空気を取り込んで息を整えてから、周囲を見回せばうっそうと生い茂る森、そして崖の上に見上げるリヴィラの街を見て現在位置は枯れ枝集めをした場所の直ぐ近くの湖だとわかった。だが何故自身は此処に居るのだろう。自らの周囲を見回して状況を確認しようとしていると、慌ただしくアリソンが駆けてきて湖畔よりカエデを発見して手を振って存在を示していた。

 

「カエデちゃんっ! こっちですっ!」

 

 手を振るアリソンの方に泳いで向かい、足がつく程の浅瀬に到着した辺りでアリソンが水をかき分けながら近づいてきて声を上げた。

 

「大丈夫ですか? なんか水柱が立ってたので慌ててきましたが、この階層にモンスターが大量に侵入してきているそうです。ラウルさんが直ぐに避難すべきだって、カエデちゃんを探してたんですよ。アレックスさんとヴェトスさんは見つけたんですけど……グレースさんを見てませんか? と言うか何をしてたんですか?」

 

 アリソンの言葉にぼやけた記憶が一気に鮮明になり、目を見開いて自身が飛んできたと思わしき方向に視線を向ける。黒い煙が立ち上る一角が木々の隙間より見えて背筋が凍った。

 

「グレースさんが……」

「見たんですか? 何処でですか? 早く合流しないとまずいんですよ」

「……あっちの方に……」

「え?」

 

 カエデの指差した方向を確認してアリソンは一瞬惚けてから、目を見開いてカエデの両肩を掴んだ。

 

「ちょっ!? あっちは()()()()()()()じゃないですかっ!? モンスターはあっちからきてるんですよっ!?」

 

 捲し立てるアリソンにカエデは慌てて事情を説明し始める。

 

 十八階層の近場にある水晶塊の傍で黄昏ていた事、グレースが現れた事、警鐘が聞こえて直ぐに撤退しようとしたこと、【ハデス・ファミリア】が罠を仕掛けていた事。

 グレースとのトラブルについて触れる事無く自身がグレースの手によって投げ飛ばされた事を話せば、アリソンは顔を青褪めさせてからカエデの両肩から手を離した。

 

「ラウルさんに報告しないと……」

「ラウルさんは何処に居るんですか」

「こっちです、行きましょう」

 

 兎人(ラパン)特有の瞬間的な加速を持って一気に駆けて行くアリソンを慌てて追いかける。

 

 森の中、立ち並ぶ木々の合間を跳ぶ様に駆けて行くアリソンの背を見失わない様に必死に追いかければ、ラウルが剣を片手にリザードマンを斬り捨てている場面に出くわした。すぐ傍には杖を構えたヴェネディクトスと、モンスターを足蹴にしたアレックスの姿も確認できる。

 

「あ、カエデちゃん。良かった。見付かったッスか。勝手に動いたら危ないから」

「ラウルさんっ! グレースさんがっ!」

 

 瞬時に駆け寄ったアリソンがラウルに状況を説明しているのを見ながら、カエデはグレースが居ると思われる方向に視線を向ける。グレースは無事だろうか、あの数のモンスターの相手は厳しいと思うが、今の自身はダガーナイフすら紛失して何もできない。

 

「げっ……【ハデス・ファミリア】ッスか……四人はリヴィラの街に行って避難する冒険者に紛れて撤退を、俺はグレースを助けに行ってくる」

 

 それだけ言うとラウルは抜き身の剣をそのままに十九階層方面の方へ走って行く。第二級(レベル3)冒険者は伊達ではないのか、その背は直ぐに森の木々に消えて見えなくなってしまった。

 

「よし、僕らは避難しよう」

「グレースさんを見捨てるんですかっ!?」

 

 ヴェネディクトスの言葉に詰め寄るアリソン。ヴェネディクトスはアリソンを見てからカエデの方を見て口を開いた。

 

「僕らじゃ下層のモンスターと戦うのには力不足過ぎるだろう。カエデも武器を失っている。これ以上戦いに参加させられないだろう」

「でもっ!」

 

 更に言い募ろうとするアリソンに対し、ヴェトスがなんとか諭そうと口を開くより前に、アレックスが小馬鹿にした様に鼻を鳴らした。

 

「まぁ、テメェ等じゃ力不足だわな」

「五月蠅い、君は黙っていてくれないか」

「あぁ? 悔しかったら俺を倒してから言えよ」

 

 挑発に対して目を細めたヴェネディクトスは溜息を零すと三人を見回して口を開いた。

 

「グレースの件はラウルさんに任せる。僕らが出る幕じゃない」

 

 言い切ったヴェネディクトスを睨んでいたアリソンは身を震わせるとグレイブを強く握りしめて叫ぶ。

 

「良いですっ! 私だけでも行きますからっ!」

「ダメだ、アリソンっ!」

 

 叫ぶと同時に、アリソンが瞬時に跳躍。ヴェネディクトスが止める様に口を開くが、聞く耳を持たずに木々の合間を跳ぶ様に駆け抜けて行き、アリソンの姿が見えなくなってしまった。

 

「はんっ、身勝手な奴だな」

「君にだけは言われたくない。カエデ、僕らだけでも避難するよ」

 

 ヴェネディクトスの言葉に驚いて目を見開いた。アリソンの方も身勝手だとは思うが見捨てるのはどうなのかとカエデは口を開いた。

 

「アリソンさんの事は……」

「僕に出来る事は無い。君も、武器が無いだろう?」

 

 カエデは空っぽの鞘に投擲物を失ったポーチ、ポーション類も失われてもう何もない。苦虫を噛み潰したような表情をしてから顔を上げた。

 

()()()()()()()

 

 まだ調査すらしていないがロキやリヴェリアの予測では追加詠唱による『装備魔法』への変質を遂げる魔法と判断された魔法がある。通常詠唱の付与魔法(エンチャント)ではあまり効果に期待できないが、もしかしたら装備魔法が武装であるのなら、戦えなくはないはずだ。

 その言葉にヴェネディクトスは難色を示した。

 

「ダメだ、効果がはっきりしない魔法を、装備魔法をぶっつけ本番で使うなんて危険すぎる」

 

 冒険者が最も恐れるのは突発的な出来事。冒険者が最も避けるべきはその場の判断が運命を左右する場における不確定な選択。

 

「でもっ!」

「雑魚共は其処で騒いでろよ」

 

 にやりと、小馬鹿にする様に笑みを浮かべたアレックスはカエデを嘲笑してから足を十九階層の方面へ向ける。肩越しに二人を振り返って呟いた。

 

「テメェらみてぇな雑魚は尻尾巻いて逃げるのがお似合いだよ」

 

 その言葉にヴェネディクトスが眉を顰め、カエデは歯噛みする。そんな様子を鼻で笑い、アレックスは一気に走り出した。

 

 めちゃくちゃだ。パーティーであるのに意思の統一は出来ず、バラバラに行動しだしたメンバーに吐息を零したヴェネディクトスはカエデの方を向いた。

 

「どうするんだい?」

「ワタシは……」

 

 肩を竦めてヴェネディクトスは呟いた。

 

「逃げるにせよ進むにせよ、選ぶなら早くしないとまずい。僕は逃げるべきだと思う。君はどう思う?」

「…………」

 

 自身を身を張って逃がしたグレースの下へ駆けつけるべきか? 効果不明の装備魔法を頼りに? あんなに不愉快な思いをさせられたのに? それとも逃げるべきか? 助けてくれた人を見捨てて? でも見捨てても怒られないと思う。ヒヅチならこんな時どうしただろうか?

 

「……行きます」

「どっちにだい?」

()()()()()()()()

 

 両手を前に突き出す。決めた、助けよう。そして言いたい事を言おう。思った事、思っていた事を。

 

 何も言わずに居ればどうなるのか、ワタシは知っているではないか。

 ヒヅチはワタシに隠し事をしていて、ワタシが其れを知ったのはヒヅチが失われた後で、それがどれだけ苦しいかワタシは知っていたはずだ。

 グレースもそれを知っているのだろう、だから口にしてほしいと叫んだのだ。

 

 ワタシは相手を傷付ける事を拒んだ。ヒヅチに質問を投げかければ、ヒヅチは傷付いた様な思い悩む表情をする事があったから。だから疑問を口にする事をやめた。でも、もっとヒヅチに強く疑問を訴えていたら、ワタシはもっと早くに自分の事を知れたのではないだろうか。

 

 そんな後悔が脳裏を渦巻く。

 

「『孤独に(凍えて)眠れ、其は孤独な(凍て付く)氷原。月亡き夜に誓いを紡ごう。名を刻め、白牙は朽ちぬ』」

 

 冷気に包まれる。薄ら寒さに体が震え、視界が鮮明になり、氷の欠片がキラキラと舞う旋風に包まれる。

 ワタシはもっと早くにヒヅチに尋ねるべきだった。それをしなかったのは怖かったからで、けれども聞くべきだったのだ。

 追加詠唱の効果が不明で、どうなるかわからない。けれども何処か確信しながら紡ぐ。

 

「『乞い願え。望みに答え、鋭き白牙、諸刃の剣と成らん』」

 

 詠唱、決められた文言を並べ立てた魔法の発動に必要な其れを唱えれば、己を包み込む氷の旋風がカエデの突き出す両手に凝縮されていく。

 

 脳裏に思い描いたのはヒヅチが持っていた一本の刀。半ばから圧し折れて切っ先の失われた刀。思い出の品と語ったそれ、何時の間にかヒヅチの手元から失われていた刀。柄巻に染みついた血の染みも、特徴的な鍔の文様も、刀身に刻まれた無数の傷も、欠けた刃も、半ばで途切れていようとも美しかった刃紋も、鮮明に思い描ける。

 

 氷欠片のきらめきは、次第に一本の刃へと形を落とし込んでいく。想像の通りに、脳裏に描いたその半ばで圧し折れた刀剣を完全な形で再現する。

 

 凝縮された氷片は美しい白刃へと至り、カエデの手には一振りの刀が握りこまれていた。握り締める柄も、鍔も、刀身に至るまで全てが白氷によって形作られた氷の刀。

 

 『薄氷刀・白牙』

 

 鋭い切っ先から零れ落ちる冷気を意識しながら、その刃を振るえば空気に剣閃が描かれ、その白刃による一撃をより鋭く見せつける。

 

 特殊な効果は確認できないが、その鋭さは見ているだけで切断されそうな程に研ぎ澄まされている。

 

「いけます」

 

 確信と共に抜き身の刀を十九階層方面に向ける。

 

「いきます」

 

 ヴェネディクトスの反応を待つより前に、カエデは足を踏み出した。




 全部ではないが効果紹介。当然鋭いだけじゃないのがこの装備魔法。


『薄氷刀・白牙』
 カエデ・ハバリの魔法『氷牙(アイシクル)』の追加詠唱により付与魔法(エンチャント)から装備魔法へと変質して生み出された装備魔法による武装。
 外観は術者の想像に左右されるが、総じて刀剣の姿を生み出す。

 鋭さのみを追求した氷で形作られた刀剣。冷気を纏う美しい刀身は、けれども鋭さ故に脆く、氷故に時の流れによりその刀身を摩耗させて逝く。解け逝く(砕け逝く)その前に、目的を成せ。ただ真っ直ぐ、揺らぐ事の無き様、その在り方(生き様)を示す。


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『邪声』

『ほほぅ。これは興味深いな……古代の魔術の罠か。みろ、第二級(レベル3)冒険者の私ですら反応できずに貫かれたぞ。痛いなこれは』

『…………(槍で貫かれてヘラヘラ笑ってるぞコイツ。頭おかしいんじゃないのか?)』

『こっちは古代の結界……凄い、凄いぞっ! 死体を腐敗させないのではなく仮死状態で保管する物じゃないかっ!』

『あのさ、興奮してるとこ悪いんだけど、君、なんで此処に? と言うかそれ死んで無いんだ。心臓一突きだからてっきり死んだもんかと』

『決まっているだろう。古代の技法について調べていたのだからな。お前こそここで何を』

『……ナイアルの指示だよ』

『ふぅん。私は記事の為の取材の一環だ。こんな情報を載せた記事なら売上はばっちりだろう。現代に蘇る古代の技法特集なんてすばらしいと思わないか?』

『売上って……こんな所まで態々足を運ぶなんて【トート・ファミリア】って変人が多いんだな』

『はははっ、【ナイアル・ファミリア】程じゃないさ』

『……喧嘩なら買うよ【占い師】』

『……こっちもだよ【猟犬(ティンダロス)】、変人扱いはやめて貰おうか』


 ダンジョン十八階層、普段ならダンジョンの中でも数少ないモンスターの湧かない階層であり、癖の強い冒険者達の集うリヴィラの街等で休息もとれるこの階層、今は十九階層より意図的に誘導されたモンスターが溢れかえっていたはずである。

 街の住民が居なくなり、もぬけの殻となったリヴィラの街。管理者であるボールス・エルダーの素早い指示と、避難慣れした住居者達によりめぼしい物や貴重品等は存在しないその場所には、けれども運びきれなかった物資が多少なりとも残っている。

 火事場泥棒とも呼べる行為に手を染めながら【ハデス・ファミリア】団員が舌打ちをして悪態を吐く。

 

「糞、これでもう地上を歩けやしねぇ」

「団長は何を考えてんだよ……」

「【恵比寿・ファミリア】の輸送隊襲撃なんて聞いて無かったぞ」

 

 悪態を吐きつつも、必要な物資類である保存食となる干し肉や乾燥野菜、回復薬(ポーション)高等回復薬(ハイポーション)等を片っ端から袋に放り込んでいく二人の後ろから、底冷えする様な声が響く。

 

「うるせぇ、口動かす暇があったら手ぇ動かせ。あぁ、あんの糞エルフが此処に居たらぶっ殺してやるのに……」

 

 イサルコの両手に刻まれた生々しい火傷の痕は【ロキ・ファミリア】のとあるエルフによる拷問によってつけられたものだ。あのエルフは非道な行いを平然と行える気狂いの素質があったのだろう。イサルコは最後まで決して口を割る事無く解放されたが、あの場で火で炙った鏃で皮膚を少しずつ焼き切っては何処に本拠があるのか淡々と尋ね続けた件のエルフに対する憎悪はいかほどの物か。

 

 ぶつぶつと苛立ちを隠しもしない【縛鎖】イサルコ・ロッキの姿に火事場泥棒に勤しむ二人の団員は震えてから慌てて手を動かす。

 

 【ハデス・ファミリア】は今回の襲撃を機に今後一切、日の下を歩く事は無いだろう。

 

 神ハデスの方針決定によって【ロキ・ファミリア】のカエデ・ハバリを襲撃すると言う方針に決まった時点で察しはついていた。しかし、他の戦闘鍛冶師等と呼ばれる戦いにも対応出来る【ヘファイストス・ファミリア】。商人達の信頼を一挙に纏め上げ流通ルートの元締めとなる【恵比寿・ファミリア】、食材関連で名を聞かぬ事は無い【デメテル・ファミリア】、後序に上位鍛冶師達の所属する【ゴブニュ・ファミリア】。

 断言できるがこれだけのファミリアが同盟関係を結ぶのは異例の事態である。たった一人の小娘にどれほどの神の思惑が絡んでいるのか。

 

 自身の利益も考えて動いた【ヘファイストス・ファミリア】と【ゴブニュ・ファミリア】はまだ理解できるだろう。

 そして神ハデスと神デメテルには天界に居た頃の因縁の様なものでの敵対。理解できなくはない、むしろそう言った理由で加担する神は数多いだろう。敵の敵は味方である。

 

 そして最も理解できなかったのは神恵比寿だ。彼はカエデ・ハバリに加担する理由は微塵も無く、関わる事で儲けが増えると言う訳でも無い。つまり何がしたいのかさっぱりわからなかった。

 表向きは元々同盟関係にあった【デメテル・ファミリア】の参加表明による同調参加と言った形だが、神恵比寿の胡散臭い雰囲気がただそれだけの理由であると言うのを肯定しづらくさせている。

 

 そもそも【恵比寿・ファミリア】は商売人の味方と言う風に装ってはいるが、彼のファミリアが所有する飛行船関連の技術はどう考えても大規模な戦争を見据えた技術であり、他にも連装大型弩砲(バリスタ)や船載型の投石器(カタパルト)を開発していたりと、普通の商売人の集いとはとても思えない様な武装開発の為の資金提供まで行っている。

 神恵比寿の主張では『自身の身は自身で守らないとだからね』との事ではあるが、それでも過剰な、かなりの武装船を作り運用している辺り信用ならない。

 神恵比寿は自身のファミリアの戦力はゴミと自称しているが、その武装船等も含めた【恵比寿・ファミリア】の危険性はかなり高い。地上で事を構えた場合、武装船によって攻撃不可能な高高度から大型ボルトを射かけられるのは目に見えている。魔法の届かない距離で構えられれば一方的にやられるだろう。

 

 そんな【恵比寿・ファミリア】の輸送隊の襲撃は【ハデス・ファミリア】にとって最悪とも言えるものだった。証人となる者は一人も残さずに殺す事に成功し、モンスターの襲撃に見せかけて襲撃して物資類の奪取には成功した。これで終わりだったのならまだ良かっただろう。

 今回の【恵比寿・ファミリア】の輸送隊襲撃で団長が負傷した。元々、【勇者(ブレイバー)】フィン・ディムナとの戦闘によって片腕と片目を負傷していた【処刑人(ディミオス)】アレクトルは【恵比寿・ファミリア】の雇った護衛の冒険者との戦闘で更に負傷して戦闘に参加できなくなった。

 

 本来なら今回の襲撃で確実に【生命の唄(ビースト・ロア)】カエデ・ハバリを仕留めるはずだったが、団長の負傷によりモンスターで間接的に殺すと言う方法をとる事になってしまった。確実性の無い今回の作戦に団員は難色を示したが団長の指示で計画を続行。

 途中、カエデ・ハバリともう一人【ロキ・ファミリア】の女性団員と、【ハデス・ファミリア】の団員が接触してしまうと言う不測の事態まで発生してしまい、今回の件が【ハデス・ファミリア】の引き起こした騒動であると言う情報が回ってしまう可能性が出たのだ。確実にカエデ・ハバリともう一人の女性団員、【激昂】グレース・クラウトスの殺害が最優先とされた。

 

 しかし、モンスターの群れの誘導には成功したが、カエデ・ハバリを直接投擲しての離脱により行方知れず所か他団員との合流を許してしまった。そして【激昂】の方は未だ健在でアホみたいにモンスターと殴り合っている。

 既に賽は投げられ、結果は見え透いている。既に【ロキ・ファミリア】との敵対は回避不可能だ。既に敵対状態だったとはいえ今後は姿を見られただけで問答無用で攻撃される事だろう。【恵比寿・ファミリア】に至っては地上での取引は完全に不可能。最後の頼みの綱でもある非合法取引も可能なリヴィラの街ですら、今回の騒動が【ハデス・ファミリア】によるものだと知れ渡れば取引なんて不可能だ。

 

 詰みである。

 

 以上の点から既に【ハデス・ファミリア】を抜ける者が出始める始末。元々人数はそういなかったとは言え、現状は既に両手の指で事足りる程度にまで落ち込んでしまっている。神ハデスはこの事を覚悟していたのか不明だが、団長はハデス様の指示ならばと言って無条件で従っている。

 

「俺達も抜けるべきだったか……」

「もう遅ぇよ、今抜けても無駄だろ」

 

 溜息を零し、袋を担ぐ。当面の物資は今回の盗品で賄う事になる。そして今後の物資補充は不可能だ。

 手元にある保存食を見て溜息を零した団員は既に荷物を鎖で縛り上げたイサルコの元に向かう。

 仲間たちも含めて鎖を巻き付け、装備解放(アリスィア)を発動する。

 イサルコが装備魔法の装備解放(アリスィア)によって物質の透過効果によって地面の中に沈み、瞬きの間にその姿は地中に消え去った。

 

 誰も居なくなった街中、鍛冶場泥棒も消えたその場所にこそこそと這い出てきた猫人の青年は溜息を零した。

 

「ド派手にやってくれる……。【縛鎖】の装備魔法で移動してた訳か。道理で神出鬼没だった訳だよ……跡を追う事も出来やしない。恵比寿も無茶を言うよ全く。まぁでも……」

 

 左右の瞳の色の違う青年は口元を歪め、【ハデス・ファミリア】の消えた地面を見据えて呟く。

 

「よくもみんなを殺してくれたな。絶対に見つけ出す、覚悟しとけよお前ら……」

 

 

 

 

 

 【超凡夫(ハイ・ノービス)】ラウル・ノールドは目の前のリザードマンを斬り捨て、遠くの方で暴れ回る少女の方へ視線を向けた。

 

「ド派手に暴れてるッスねぇ……さて、どうやって近づけば良いッスかね」

 

 ラウルの視線の先、【激昂】グレース・クラウトスが刃が折れて柄だけになった元ケペシュでモンスターを撲殺している光景があった。

 怒りと負傷による基礎アビリティ力の増幅効果。アマゾネスと言う種族の固有スキルとして有名なものと同様のスキルを覚えた彼女は、けれどもアマゾネス以上にピーキーな性能をしている。

 まだまだ周囲にモンスターはいるが、遠くの方からちまちまと遠距離攻撃を繰り出してきていた面倒なガン・リベルラは既に片付け終えたが、まだモンスターの数は多い。

 

「ダメっすね、近づけないッス」

 

 暴れ回る、そんな表現がピッタリ適合する現状のグレースは敵味方の識別が付いていない。いや、正確に言うなれば識別は出来ても無差別に襲いかかる状態と言えば良いか。

 仲間相手にも苛立ちを感じれば即座に殴りかかるぐらいの怒りっぷり。それ所か遠くの方から声をかけただけで近場の石を投石してくる始末。今近づけば問答無用で襲い掛かってくるだろう。箸が転んでもおかしい年頃、なんて可愛らしいものではなく動く物を見ただけで激昂する状態だろうか。

 しかもラウルですら止められないぐらいの力を発揮されていてどうしようもない。

 

「先にモンスターを……うん? この音……」

 

 とりあえず周囲のモンスターを片付けて、グレースの苛立ちの原因を取り除いてやらなくては話にもならないと剣をバグベアーに向け、聞こえた足音に気付き、足音の聞こえた方向へ注意を向ける。

 四足歩行ではない、尻尾を引き摺る音も聞こえない二足歩行。他の冒険者だろうか。リヴィラの街の住人は避難しているので此処に近づくモノ好きは居ないはずだが。

 

「グレースちゃんっ!」

「五月蠅いわねっ!」

 

 先程、避難するリヴィラの街の住人と共に離脱しろと言ったのに。舌打ちと共にアリソンを庇う様にグレースとの間に割り込む。距離は優に30Mはあるが、声に気付いたグレースが叫びながらアリソンめがけて近くのモンスターの骸を投擲する。目を疑う様な光景だが、かなり良いガタイをしたリザードマンを腕一本で投げて来たグレースに目を見開いて驚くアリソンを余所に、飛んできたリザードマンを蹴り落としてアリソンの方に向かい首根っこを掴んで近場の木に隠れる。

 

「大丈夫ッスか?」

「え……あぁ、ラウルさん。え? なんでグレースちゃん……」

 

 何故モンスターを投げつけられたのか、理解できないと言う様に目を白黒させているのを見てラウルは溜息を零す。

 

「今のグレースは危ないッスから近づいたり声かけたりしちゃダメッスよ……他のメンバーは?」

 

 アレックス辺りも勝手な行動をしそうだ。ヴェネディクトスとカエデは避難してくれるだろうが。そう当たりをつけ木の陰からほんの少し顔をだして遠くの方のグレースを窺う。モンスターの顔面に握り拳を打ち当て、ふらついた体を蹴り、殴り、頭突きし。もうめちゃくちゃな動きでモンスターを撲殺している。

 

 背中には二本の杭が刺ささり、ハーフプレートメイルは数多の凹みが存在し、左手にはあまりにも力み過ぎて異常な程に歪んだケペシュの柄。全身血塗れで叫びながらモンスターに突っ込んで行っている。

 

「知りません。私はグレースちゃんを助けに来ました」

 

 真剣な声色にラウルはアリソンを窺ってから溜息。救援に駆け付けたのはまぁ良いが、他のメンバーと意思疎通を図らないのはダメ過ぎる。感情的に動き過ぎだ。

 少し悩んでからアリソンの持つグレイブに付いた血を見てから溜息。アリソンは其処まで弱くない、むしろ強い部類だろう。ただ補助をつけないと危ないとは思う。長柄武器なので木々が立ち並ぶこの場所での立ち回りは不利だろう。

 

「……はぁ、とりあえずあのグレースを止める為にモンスターを掃除する必要があるッスから、無茶しない範囲でモンスターを片付けてくださいッス。但しグレースに近づきすぎない事。攻撃されるッスから」

 

 わかりましたと素直に頷いてグレイブを構えてグレースの方を窺いながら木陰から飛び出してモンスターに斬りかかるアリソン。その姿を見てからラウルは十九階層方面へ視線を向けた。小器用に柄を短めに持つ事で閉所空間での長柄武器の不利さを誤魔化している様子だが、分が悪い。

 未だにモンスターが其方の方向から溢れてきており。グレースに惹きつけられて殆ど此方に来ている様子だ。

 

 さっとグレースを回収するのが目標ではあったがこの様子では不可能だと溜息を零してアリソンの近くでモンスターを倒す。とりあえずモンスターを片付けてグレースが落ち着くのを待つ。リミットはグレースが死ぬまでか。

 

 

 

 

 

 木々の間を駆け抜け、カエデは氷の刃を振るう。数体のモンスターをすれ違い様に斬り捨てながら先程グレースと共に居た場所を目指す。焦げ臭い臭いと血の混じり合った不快な臭いに眉を顰めつつ、手に持つ冷たい柄の感触を確かめながら、バグベアーを斬る。先程ナイフで必死に斬り付けていた時とは打って変わって、感触すら感じられずに一刀両断し、上半分と下半分で切り分けられたバグベアーの死体がズレ落ちるより前にその横を走り抜ける。

 

 モンスターの数が多い。カエデの持つ氷の刀の餌食となったモンスターの数は既に十を超え、視界に立ち塞がるモンスターの数は数えるのも億劫だ。

 

 それだけでは無い。氷の刀の異常もカエデの足を進めるのを遅らせる原因となっている。重い。最初は羽根の様に軽かったはずの薄氷刀・白牙の刀身は数倍に膨れ上がり重たくなっていた。

 真っ白い美しい刀身はモンスターを斬り伏せる度に表面に付着した血が凍りついて体積を増やしていく。今やかなりの量の血が付着し凍り付き、真っ赤な血氷による刃と化して重さを増してしまっている。

 唯一の救いは切れ味の変化が無い事か。不思議な事に、この刀は血が付着する事で刀身が全体的に均一に赤く染まって大きくなるらしい。

 

 この刀の特殊効果なのかは不明だが、重くなる事で振るう腕にかかる負担は大きくなっていく。

 

「この先にっ……」

 

 既にカエデの持っていた刀は最初の細身の刀身が嘘の様に肥大化し、斬馬刀と呼んでも差し支えない程の大きさになっている。そんな刀を担いでモンスターを斬り伏せながら進み、漸く先程の地点に到着して当たりを見回す。

 焦げ臭い臭いの立ち込める焼け跡の残る森の一角。木々の間を駆けてモンスターが近づいてきている以外にグレースの姿が見えない。

 

「何処に行ったの……」

 

 近づいてきたリザードマンに大きく育った刀を叩き付ける。まるで霧でも斬ったかのように手ごたえを感じない不思議な感覚、しかし目の前のリザードマンは確かに真っ二つになって血に倒れる。余りにも嘘の様な手ごたえに体が震える。

 

 この剣で人を斬ったら、何も感じないのだろうか。

 

 恐怖と共にその考えを散らす。今はそんな事を気にするべきじゃない。

 

 焦げ臭い臭いの中に感じる微かなグレースの血の匂いと共に視線を巡らせて、不自然に木々が薙ぎ倒されているのを見つけて其方に足を向ける。

 一定距離ごとに木が倒れており、走りその痕跡を追えばグレースは直ぐに見つかった。

 

 アリソンとラウルがモンスターの群れを倒し、中央でグレースが倒れている。血塗れのまま身を起こそうとして起こせず、苛立ちのまま自身に対して怒り、叫んでいる。

 

「立てよ畜生っ! このっ! 肝心な時に役に立たないっ!」

「グレースちゃん落ち着いてっ!」

 

 其の光景に一瞬視線を奪われてから、鼻で笑う音が聞こえて思わず其方を向く。

 小馬鹿にする様なあざける笑みを浮かべたアレックスがリザードマンの首を掴んで引き摺ったまま近づいてきた。

 

「よぉ、なんだその馬鹿でかい剣は。デカけりゃいいってもんじゃねぇだろ」

「アレックスさん……今は貴方に構ってる暇は無いです。後にしてください」

 

 何がしたいのかわからないのに、いちいち相手をするなんて面倒だ。今までだったら黙って話を聞くだけに留めただろうが、今は言いたい事をはっきりと言った。アレックスの目に苛立ちが混じるが、カエデも苛立ちを感じる。

 邪魔するな、そんな風に睨むとアレックスはにやりと笑みを浮かべた。

 

「アイツが死のうが自業自得だろ。それよりもこの場でどっちが多くモンスターを倒すか――

 

 その言葉に感じた怒り、目の前のアレックスを強く睨んでから視線を逸らす。話すだけ無駄だ。けれどこれだけは言っておかなくては。

 

邪魔なんで関わらないでください

 

 無意識、丹田の呼氣が途切れていた事、其れで居ながら冷静で居られた事。腹の内に溜まったドロドロしたもの。隠す事をやめ、ほんの少しだけアレックスにそれを向ける。その言葉は、確かに効果を発揮した。

 

 旋律スキル、孤高奏響(ディスコード)による『邪声』効果向上。対象に聞かせる事で任意の効果を発揮するそれ。自身には向いていないと言われ、習得を半ばあきらめていたその技法。『呪縛命令(バインドオーダー)』による拘束効果。

 アレックスが驚きの表情で硬直する。震えて動かなくなったアレックスを無視してカエデは一気に駆けだした。

 

 駆けだした先、アリソンが牽制していた数匹のモンスターの中央に降り立ち、周囲を薙ぎ払う。まるで霧霞を剣で払ったかのような感触の無さとは裏腹に、カエデの回りにいたモンスターは区別なく真っ二つになって転がる。

 

「カエデちゃんっ!」

「助けに来ましたっ!」

「うぇっ!? 逃げろって言ったのに……と言うかカエデちゃん、その物騒な刀は……まあ良いッス。来ちゃったもんは仕方ないッス。二人とも、直ぐにこいつ等片付けてグレースの治療するッスよ!」

 

 カエデの持つ禍々しい深紅の斬馬刀に驚きながらも目の前のモンスターを斬り伏せたラウルは、別のモンスターの方へ剣の切っ先を向ける。其れを流し見たアリソンとカエデも別方向を向いて構える。

 

 瞬間、木々の間を擦り抜けて青白い短矢が飛来し、数匹のモンスターに突き刺さった。

 

「これは……」

「ヴェトスまでっ!?」

 

 飛来した方向を向けばヴェネディクトスが杖を構えて再度の詠唱を行っているのが確認できる。

 

「『森に響く妖唄、妖精は躍る。惑う者に突き立つ投げ矢、其は妖精の悪戯』『エルフィンダーツ』」

 

 詠唱の完了と共にヴェネディクトスの構えた杖の先端から青白い光の短矢の様な魔法が放たれ、アリソンに飛びかかろうとしたリザードマンを射抜く。

 

「後衛を置いていくなんて酷い話だよ……後どれくらいモンスターが居るんだい」

「残り20匹ぐらいッス。後こんだけならどうにかなるッスね……グレースの治療するッスから後は任せるッスよ」

 

 ヴェネディクトスの言葉にラウルが答え、その言葉にアリソンとカエデが頷く。

 

「任せてくださいっ!」

「はいっ!」

 

 ラウルがグレースの治療を始めたのを確認してカエデが前を向いて構えれば、カエデの背中にグレースの言葉が突き刺さった。

 

「アンタ馬鹿じゃないの」

「馬鹿はグレースさんの方です」

 

 言い返したカエデの言葉にグレースが目を見開き、ふと笑みを浮かべて呟いた。

 

「言う様になったじゃない……それで良いのよ。言われっぱなしって癪でしょ」




 アルスフェア君とアレイスターさんが楽しそうでなによりです。

 記事にする情報の為なら危険な場所にも潜入調査するし、突撃取材も辞さない、行動力溢れる【トート・ファミリア】の団員達。

 主神の命令ならとりあえず(発狂したくないから)従う【ナイアル・ファミリア】のアルスフェア。


 


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『邪声と呼氣法』

『ねーちゃん』

『なんだよ』

『いつまで隠れなきゃいけないんだ?』

『さあね。あいつらが居なくなるまでかな』

『あいつが恵比寿って奴? あの……なんか見てるとゾワゾワする奴』

『そうだよ、見てるだけで不愉快な奴だろ?』

『……あいつと関わり合いになりたくねぇな』

『同感だね。あんなのと関わり合いになりたくない』


『【ハデス・ファミリア】の凶行』

 

 第十八階層、リヴィラの街の存在する安全階層(セーフティーポイント)にて発生したモンスターの襲撃事件の詳細について、現時点で【ハデス・ファミリア】が引き起こしたと言う情報が確認されており、当日リヴィラの街の外れにて【ロキ・ファミリア】のパーティ複数が遠征に向けた訓練を行っていた模様。其れに対する【ハデス・ファミリア】の襲撃行動の為の怪物進呈(パス・パレード)であった事が判明している。

 

 【生命の唄(ビースト・ロア)】に対する襲撃であった様子だが、団長である【処刑人(ディミオス)】の姿は確認されていなかったらしいが、【ロキ・ファミリア】の第三級(レベル2)冒険者【激昂】及びに【生命の唄(ビースト・ロア)】の二名が、罠を仕掛けていた【ハデス・ファミリア】団員の姿を確認している。

 

 この一件に於いて【ハデス・ファミリア】は弁明を行うでもなく、依然として姿を晦ましたままとなっている。緊急の神会(デナトゥス)に対する呼び出しにも応じず、ギルドからの審問召喚にも反応を見せていない。

 この状態のまま【ハデス・ファミリア】が反応を見せなかった場合、ギルド側は【ハデス・ファミリア】をブラックリスト登録する事になるだろう。

 

 今回の一件以後【ロキ・ファミリア】が【ハデス・ファミリア】に対する敵対申請を行った。街中、ダンジョン問わずに【ハデス・ファミリア】の団員を発見した場合、戦闘行動を行う旨をギルドに提出している。

 今後、街中でファミリア同士のトラブルが頻発する可能性がある為、各ファミリアは注意されたし。

 

『【恵比寿・ファミリア】の輸送隊壊滅』

 同日、【恵比寿・ファミリア】の輸送隊が三隊に分かれて物資の輸送を行っていたが、内1つの輸送隊がダンジョン内でモンスターに襲撃され壊滅し、多額の損害を出した模様。これに対し【恵比寿・ファミリア】側の反応は『こう言う事もあるさ』と軽く胡散臭い笑みを浮かべるだけで面白い反応は得られなかった。

 

 しかし不思議な事に襲撃地点には破壊された輸送用の荷車の残骸や護衛の死体はあれど、物資類は全て紛失していた模様。積み荷の内容は音響弾(リュトモス)閃光弾(フィラス)煙幕弾(カプノス)等の補助道具類を大量に輸送していた模様。

 

 他の二つの輸送隊は包帯や回復薬(ポーション)高位回復薬(ハイ・ポーション)等の医療品、食糧や水等の飲食物を輸送していたが其方には被害は無かった。

 

 もし飲食物関連の荷車を引き連れた輸送隊が襲撃を受けたのであれば、モンスターに食い荒らされて物資が紛失すると言うのも納得できるだろう。しかし今回紛失した物資類はモンスターが手を出さないであろう補助道具類であり、何者かによる襲撃ではないかと言う予測が立てられている。

 

『広がる不審な虐殺事件』

 以前よりラキア王国の小~中規模の集落や村で発生していた虐殺事件が、オラリオの周辺の集落等にも発生する様になった。

 生存者は一人も確認できず、情報は一切不明。【ナイアル・ファミリア】の【猟犬(ティンダロス)】の情報によれば獣人一人による犯行であるとの事であるが、百人規模の村を一晩で壊滅させる事は普通の人間では難しいであろう。それに加え、冒険者がオラリオ外部依頼で訪れていた村にも事件が発生し、その事件の被害者に冒険者も複数含まれた事が判明。

 【ムンム・ファミリア】に所属していた第三級(レベル2)冒険者も被害者に含まれており、ギルドはこれを重く受け止め、周辺の集落・村に対して警戒を呼び掛けている。犯人は神の恩恵(ファルナ)を授かった冒険者の可能性も考えられ、今後オラリオ外部に対する警戒の為の調査隊の編成等が考案される。

 

『蘇った古の技法!?』

 古代の魔術と思わしき痕跡を発見。威力は折り紙つきであり、我がファミリアの団長【占い師】アレイスターが重傷を負う程の威力であった。罠については既に解除済みで仕掛けられていた周辺の調査を行っている。

 もしこれが古代の魔術によるものであるのであれば、この魔術の調査を進める事で古代の魔術・技法の復元も可能なのではないかと予測される。しかし現代の魔法・技術とは根本の異なるものが多く、調査は難航している。

 

 周辺には封印の様なものを施された【酒乱群狼(スォームアジテイター)】ホオヅキの姿も確認されており。この魔術、技法が最近施されたモノであると予測されている。

 

【トート・ファミリア】総出で封印の解除を進めているが、現代における技法との差異が大きく、かなりの難航が予測される。破壊した場合【酒乱群狼(スォームアジテイター)】が死亡する危険もあり、現状では手出し不能との事。

 もし【酒乱群狼(スォームアジテイター)】の封印の解除に成功すれば、誰がこの技法を使用したのかが判明し、運が良ければ古代の技術を引き継ぐ希有な人材が発見できる可能性もある。

 

 今後の調査状況は随時記事に記載していくので、皆期待されたし。

 

 

 

 

 

 【ロキ・ファミリア】の本拠、フィンの私室に集まったフィン、神ロキ、リヴェリア、ガレスの四人は机に広げた【トート・ファミリア】の新聞を見ていた。

 目を細めて眺める新聞の中の気になった部分について考え込むフィンとリヴェリア。そんな二人を余所にガレスがロキに酒を注ぐ。

 

「んで、ハデスは何処に居るんやろな」

「さあね。結局居場所は不明のままだし」

 

 【ハデス・ファミリア】の凶行によってリヴィラの街ではかなりの被害が出てから早一週間が経とうとしている。

 

 ラウルの報告によれば被害は持ち込んだテント等の物資類を破棄せざるを得なくなったのと、グレースが重傷を負った事。後はパーティメンバーの身勝手な行動の数々によるラウル班の評価低下ぐらいとの事。

 

 火事場泥棒の真似事をした阿呆が居たらしいが犯人は不明。ロキの予測では【ハデス・ファミリア】の仕業だとしている。この件で色々と被害が出たのはリヴィラの街だけではなく、【ロキ・ファミリア】としてもカエデに対する襲撃だったと言う事が判明して以降は各団員に警戒する様に伝えてある。

 

 肝心の【ハデス・ファミリア】の居場所は未だ不明のままだが、それでも得られる物が無かった訳では無い。

 

「まあ、悪い事ばかりでは無かったからね」

「せやな」

 

 【激昂】グレース・クラウトスが器の昇格(ランクアップ)を果たし、第三級(レベル2)から第二級(レベル3)へと至り、他にもカエデの習得した魔法『氷牙(アイシクル)』の追加詠唱による装備魔法も少し調査が進んだ。

 

「ま、ハデスが何処に居るかなんて話し合ったってわからんもんはわからんし、其れより別の話しよか。ムカつくだけやし」

「まあそうだね。それでリヴェリア、カエデの装備魔法の方は調べ終わったのかい?」

 

 フィンの質問に対し、リヴェリアは頷いてから大き目の木箱を足元から拾い上げて机の上に置き、箱の蓋を取り払った。

 

「性質は至って単調な物ではあったな。切れ味の鋭い剣を生み出す魔法だ。装備解放(アリスィア)についてはまだ不明だが、詠唱文からの予測だが大方この刀身を犠牲になんらかの攻撃魔法の発動だろうな」

 

 リヴェリアの示した木箱の中身を覗き込んだロキは眉を顰め、ガレスは唸る。二人の視線の先、真っ赤な血が氷となって刀身を大きく成長させた『薄氷刀・白牙』の姿があった。

 その刀身は見れば見る程に背筋がゾワリとする程の鋭さを持っており、薄らと冷気が漏れ出ている。

 

「刃の部分に触れない方が良い。耐久が低めとはいえ私の指も容赦なく切断する程に鋭いからな」

 

 リヴェリアの言葉にガレスが目配せをしてから、その刀身の側面を撫で、刃の部分に指を這わせる。

 

「気をつけろ、指が落ちるぞ」

「落としたのかい?」

「あぁ、油断していた。よもやそこまで鋭いとは思わなくてな」

 

 リヴェリアの指はしっかりとついているが、カエデが持ち帰ったこの薄氷刀・白牙の調査の為に刀身を調べているさ中、ふと刃の部分に触れた所、リヴェリアの指が何の抵抗も無く落ちた。それこそリヴェリア自身指が切断された事に気付かない程に。共に調査していたジョゼットがリヴェリアの指が切断されている事に気付いて慌てて治療をするまでリヴェリアは自覚すらできなかった。

 

「ふぅん……本当に鋭いな」

 

 刃にほんの少し指を食い込ませたつもりが、かなり深々と切れ、危うく指が落ちかけたガレスは用意してあった高位回復薬(ハイポーション)を使用して指を繋げ直す。

 

「うわ、マジか。ガレスの耐久でも切れるとかどんだけ鋭いねん」

 

 オラリオで一二を争う高耐久を持つ【重傑(エレガルム)】ガレス・ランドロックの指が何の抵抗も無く切断されかけた事で、カエデの生み出したこの剣の鋭さの恐ろしさに息を飲んでから、ロキは呟く。

 

「ふぅん……そういえばこれ一本だけかい? もう何本か作って貰ったはずだよね?」

「ああ、それについてなんだが……」

 

 調査の為にカエデに頼み。数本の薄氷刀・白牙を作って貰ったのだが、そのどれもが砕けてしまったのだ。

 

「原因は予測できているが、厄介な性質だな」

 

 生み出してから五分程時間を置くと薄氷刀・白牙は徐々に刀身が小さくなっていき始め、十分から二十分程度で罅が入り、そのまま砕けて消えてしまうと言う特性を持っていた。

 

「無論、解決できはするがな」

 

 目の前の木箱に納められた薄氷刀・白牙は砕けもしなければ刀身が小さくなったりもしない。時間経過で砕けるのは生み出されてすぐの真っ新な薄氷刀・白牙だけであり、ある程度生き物を斬り、血を吸わせる事で耐久が増加すると言うのも判明している。

 

「装備魔法自体が珍しいから何とも言えないが、厄介な性質だね」

 

 時間経過で勝手に砕けてしまう。その為、ジョゼットの様に予め複数の予備を作り置きしておく事はできない。

 

「…………」

「どうしたロキ?」

 

 黙り込んで顎に手を当てたロキを不審に思い、リヴェリアが口を開けば、ロキはぽつりと呟いた。

 

「なるほどなー。カエデたんそのものやん」

「どういう……あぁ、なるほど」

 

 フィンも納得したのか木箱の中の血塗れとも言える刀身を晒す薄氷刀・白牙を見て吐息を零した。

 

「生まれつき欠陥を抱え、直ぐに死んでしまう。それでいて強い……経験値(エクセリア)を集めて器を強化しないと死ぬか」

 

 魔法やスキルは本人の種族や資質、取得した経験値(エクセリア)を元に発現する。その為、本人の習得する魔法やスキルはその取得した者の性質を映し出す鏡でもある。

 

 神の恩恵(ファルナ)によって器を強化しなくてはいけない。そして経験値(エクセリア)を集めれば生きながらえる。

 そんなカエデが作り出した装備魔法は『血を吸わせ、刀身を強化しなくては砕けてしまう鋭い刃を持つ刀剣』。

 なるほどその通りだと納得してから、リヴェリアは眉を顰めて呟く。

 

装備解放(アリスィア)の方がわからんな」

「……死ぬ覚悟しとるっちゅー事か?」

「覚悟はしているだろうな、だがそれとは意味合いが違うだろう」

 

 生きる為に、死ぬような危険に自ら飛び込む。そんな危険を冒すカエデは死の覚悟はできているのだろう。それでいながら生きる(足掻く)事をしているのだ。

 だがカエデの装備解放(アリスィア)の詠唱は……。

 

『愛おしき者、望むは一つ。砕け逝く我が身に一筋の涙を』

 

 自らの死を惜しんで欲しいと言う願いからきているのか。それとも誰かの為に死ぬ事を望んでいるのか。

 

 

 

 

 

 鍛錬場の一角、どんよりとした暗い雰囲気を纏ったカエデが修理が完了したウィンドパイプの調子を確かめている所であった。

 そんなカエデの様子を眺めながら器の昇格(ランクアップ)によって第二級(レベル3)へと至ったグレースは呆れ顔を浮かべて呟いた。

 

「なんでアイツあんなに凹んでんのよ」

「あー、なんかカエデちゃんが二代目(セカンド)破壊屋(クラッシャー)って正式に呼ばれるようになったそうですよ」

 

 ダンジョン十八階層でのトラブルの折り、カエデは主武装であるバスタードソードを紛失していた。原因は半ば気絶しているさ中にグレースが適当にカエデを放り投げたりした所為ではあるのだが、その一件を受け【ヘファイストス・ファミリア】の団員がこそこそと二代目(セカンド)呼ばわりしていたのが一気に広まったのだ。

 冒険者になってから二ヵ月、壊した武器の数は四本。一本は壊したのではなく紛失しただけだが、鍛冶師からすれば変わらないらしい。

 

 ティオナが仲間だねーと喜んでいたがカエデはかなり落ち込んでいた。武装が壊れるのは物である以上、使い続ければいずれ壊れる。故に問題は無いが、武装を無くすことと言うのは壊す以前の問題である。

 

「まぁ、良いんじゃない。それよりアレックスは?」

「あー、どっか行っちゃってますね」

 

 あの事件の際、アレックスはカエデに言葉一つで封じ込められた。カエデの持つ孤高奏響(ディスコード)による効果によってもたらされた『邪声』系の技能の一つ拘束命令(バインドオーダー)

 それが非常に気に食わなかったのだろう。非常にカエデに対し当たりが悪くなったのだが、肝心のカエデの方もアレックスに対する態度はかなり悪化した。相手するのが面倒なので邪声による『拘束命令(バインドオーダー)』による行動制限を容赦なくアレックスに対し使う様になったのだ。

 グレース自身気にしていないが、アレックスは言葉一つで追い払われ、戦いに勝つ所か戦いにもならなくなって余計苛立ちを感じるのか先日からカエデの姿を見ただけで居なくなる様になってしまったのだ。

 

「馬鹿よね。元々強いのはカエデの方だってのに」

「凄いですよねぇ」

 

 気を取り直したのか、暗い雰囲気を吹き飛ばしてカエデがウィンドパイプを素振りし始める。其れを見てアリソンは感嘆の溜息を零した。

 

「はぇ~、凄いですねぇ。あんな風に大剣を振り回すなんて考えられないですよ」

「まあ、アンタが使ってるのって長柄武器だしね」

 

 両手で持っての横凪ぎ、流れる様な袈裟切り、片手で持っての逆袈裟切り、重さに任せた振り下し、空を裂く様な突き、前方方向への薙ぎ払い、自身を主軸とした回転薙ぎ払い。

 どれもこれも大剣で繰り出す攻撃としてはかなりの威力で、どの攻撃も恐ろしい威力を持つ事は一目でわかる。

 空を切る音に背筋を震わせてアリソンは呟いた。

 

「この前、リヴェリア様に説教喰らっちゃいました……」

 

 十八階層での出来事、アリソンはグレースを助けるべく命令無視をした。其れに対するリヴェリアの説教があり、一時間みっちりと怒られた。どれほどの危険な行為であったのかを指摘されて耳をへにょらせたアリソンに対し、グレースは肩を竦めた。

 

「足を引っ張った私が言うのもなんだけど、良いんじゃない別に。死んでない訳だし」

 

 まぁそんな心構えだと直ぐ死ぬけどねと笑ってからグレースは空を見上げた。

 

「にしても今日は晴れてるわねぇ。ヴェトスとラウルはまだかしら」

 

 爽快な晴れ模様、真上から降り注ぐ太陽の光に目を細めグレースは徐に立ち上がった。

 

「よし、カエデちょっとアンタ付き合いなさい」

「へ? え? あぁ、お願いします」

 

 グレースは腰に吊り下げた新品のケペシュを抜き放ってカエデの前に立つ。カエデは一瞬惚けてから意図を理解して素振りをやめてグレースの方にウィンドパイプの切っ先を向けた。

 

「ま、軽く揉んでやるわ」

「怪我しないでくださいね」

 

 グレースの軽い挑発に、軽口を返したカエデ。グレースは嬉しそうに口元に笑みを浮かべてからアリソンの方を見た。

 

「合図頼むわ」

「はい、では二人とも構えてー、始めっ!」

 

 第二級(レベル3)になったばかりのグレースと、第三級(レベル2)とは言え地力が全く違うカエデ。身体能力で勝るグレースと技量で勝るカエデの戦い。

 

 一気に間合いを詰めにいったのはグレースの方であった。大剣の間合いの内側に入り込んで一方的に攻撃できればグレースの勝ちは揺らがないだろう。其れを理解しているカエデの方は間合いに入り込まれまいと下がりつつも牽制の斬撃をいくつか見舞う。

 

 カエデの振るう大剣の一撃をケペシュで適当に弾く。瞬時にグレースが懐が潜り込もうとした瞬間、カエデは懐からダガーナイフを引き抜いてグレースを迎え撃つ。

 

 ダガーナイフとケペシュがぶつかり合い火花が散り、グレースが焦った表情のまま後ろに下がって距離をとる。カエデが戦闘中にぼそぼそと何かを呟いているのが聞こえ、アリソンの背筋が泡立つ。慌てて耳を押さえてカエデの呟きを聞かない様にしたアリソンは震えながら呟いた。

 

「ちょ……カエデちゃん本気過ぎますよ……」

 

 邪声系の技能の一つ、『怨み言』。相手に対し軽度の畏怖(フィアー)状態を付与するもので、比較的簡単なものなので覚えろとつい先日キーラに教えられた技能。カエデの呟きの内容は主に『寿命』に関して。

 ずるい、羨ましい、妬ましい。そんな感情を込めたカエデの言葉に言霊が宿り相手に異常を引き起こす。キーラが使うものより効力は落ちるがそれでもかなりの性能だ。

 

 より実践的にと言うより、やるなら徹底的にと言うスタンス故か、容赦ないカエデの邪声に対しグレースは笑みを深めた。

 

「良いわねアンタ、良い表情(かお)する様になったじゃん。じゃ、こっちも出し惜しみは無しね」

 

 第二級(レベル3)の身体能力を最大限利用してカエデを圧倒しようと両手のケペシュの切っ先を打ち合わせ火花を散らして腰を落とすグレース。対するカエデはぶつぶつと怨み言を呟くのをやめ、唸り声を響かせ始める。

 威嚇(メナス)の効力が発動し、グレースを怯ませる。恐怖は消えるが足が一瞬止まり、その隙にカエデが突っ込んだ。

 

 接近したカエデが振るう大剣の一撃をケペシュで弾き、直ぐに距離をとろうと後ろに下がるグレースだが、カエデは距離をとらせる等と言う事はせずに一定の距離にぴったりと張り付いて連撃を浴びせかけていく。

 

「ちぃっ」

 

 レベル差による身体能力の差はあれど、大剣に対するケペシュでは分が悪い。だが防御に徹する事でなんとか拮抗している。このまま長期戦に入れば大剣に対して小さすぎるケペシュでは防ぎきれないかもしれない。

 

 だがそうはならなかった。

 

 邪声系の技能を使用するのにカエデは丹田の呼氣の使用をやめねばならず、結果としてスタミナがかなり落ちている。

 

 策士策に溺れる。カエデは邪声系の技能に頼り過ぎだ。利便性は確かにあるだろう。口先一つで相手を翻弄出来るのだから。

 しかし丹田の呼氣はカエデにとって重要な物だ。短期決戦ならまだしも長期戦に持ち込まれた時点で丹田の呼氣を再度使用すべきだったのだ。

 

 普段の感覚より早く息切れした為に呼吸を再開するタイミングを誤った。カエデは唸り声を上げるのをやめ、肩で大きく息をして下がろうとするも、グレースがにやりと笑みを浮かべてカエデの足を引っ掛けてこけさせる。

 

「うぐっ」

「はいお終いっと……アンタなんか弱くなってない?」

「グレースさんが強くなったんですよ……」

 

 仰向けに倒れてグレースを見上げながら大きく息を切らしているカエデの言葉に、嬉しそうにグレースは微笑んでからカエデの首根っこを掴んで持ち上げた。

 カエデを近くの長椅子の上に放り捨ててからグレースはアリソンの方を向く。

 

「アンタもやる?」

「んー……やります」

 

 立て掛けてあったグレイブを手に取ってアリソンが鍛錬場の中央に出る。カエデを放り捨てたグレースがアリソンと対峙して互いに武器を構えあう。

 

「カエデちゃんみたいに懐に飛び込まれた時用の武装なんてないんですけど」

「なんか用意しとけば?」

「短剣ですかねぇ」

 

 長椅子に適当に放り投げられたカエデは姿勢を正して長椅子に腰かけてウィンドパイプを鞘に納め、二人のやり取りを眺める。

 呼氣法の使用と邪声系の技能、どちらかしか使えず使い勝手が悪いなと思いつつも空を見上げた。快晴の空に浮かぶ白い雲を眺めていると小さな船が空を飛んでいるのを見つけて目を細めた。

 【恵比寿・ファミリア】の飛行船だろうかと当たりを付けて首を傾げる。この時間に飛んでいるのは珍しい。

 

「あれは……」

「カエデ、何やってんのよ、合図はまだ?」

「え、あぁ、はい。えっと……始めて良いですよ」

 

 やる気の感じられない合図にグレースが眉を顰め、アリソンが半笑を浮かべてからグレースに斬りかかる。

 

「ちょっ!? あんた不意打ちは卑怯じゃない」

「合図はありましたよ。不意打ちじゃないですって」

 

 カエデは二人を眺めてからもう一度空を見上げる。其処には真っ青な空に白い雲がいくつか見えるだけで先程の飛行船らしき影は何処にも無かった。

 

「気の所為……?」




 呼氣法を使用中は、邪声系の技能は何一つ使えません。


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『遠征合宿』《開始》

 誰かが膝をついた音がした。振り返り、傍に駆け寄って叫んだ。

『刀を握れっ! まだ立てるじゃろっ! 早うせんかっ!』

 片腕を失い、片耳の抉れた戦士に激励の言葉をぶつける。どれほど無茶苦茶な事を言っているのか自身でも理解しながら。

『立てっ! 早くっ! 握れっ!』

 怒鳴る様な言葉、刀を強引に手に握らせる。

 何とか刀を握りしめて立ち上がる戦士。既に半死半生の傷を受けていた彼。

 その姿を確認してから前に立って化物に斬りかかる。

『ワシに続けえぇぇぇぇぇえっ!』

 手本として目の前の怪物を斬り捨てる。後ろから飛び出した影が別の化物を斬り捨てた。

 よくやった。内心その戦士を褒め称え、そしてその戦士を追い越して別の化物に斬りかかった。

 背後で誰かが倒れる音が聞こえた。もう振り返らない。振り返れない。

 前に溢れる化物だけを見据えた。

 もう止まれない。叱咤し、激励し、戦線より下がらせるべきたった彼を酷使して死なせたのは他の誰でも無く……

 そも、下がらせることのできる安全な場所などありはしないのに、悪いのは私なのか?


 早朝、【ロキ・ファミリア】本拠の入口に集められた遠征合宿メンバー。檀上から見下ろしたフィン・ディムナの姿は睥睨する様にメンバー一人一人の表情を見て口を開いた。

 

「さて、今日は待ちに待った遠征合宿の日だ。各々の班で準備に勤しんできた事だろう」

 

 今日の遠征合宿に向け、各班念入りに準備や連携強化を行う等してきた。昨日の内に準備する荷物を纏め、既に補助役となる第二級(レベル3)冒険者の背負い袋(バックパック)に纏めて背負われており、各メンバーも十二分に武装を整え、意気込みは十分といった様子に満足気に頷き、フィンは笑みを浮かべた。

 

「知っての通り、邪魔役の者達には既にダンジョン内で待機して貰っている。何処に居るのかまでは現段階では言えない。しかし君達なら邪魔役の者達を退けて今回の遠征合宿を成功させる事が出来ると信じている」

 

 檀上から演説するフィンを見ながら、カエデはふと後ろを振り向いた。

 

 カエデの後ろに立つアリソン、そしてそのアリソンの後ろに立つアレックスと視線が交わり、アレックスの舌打ちが響く。

 カエデもアレックスを睨みつけ、横から頭を叩かれ前に向き直る。

 

「あの馬鹿に構う必要無いっての……全く」

 

 呆れ顔で肩を竦めたグレースの言葉を聞き流しながら、カエデは後ろから感じる視線に肩を落とす。うっとうしさを感じ、苛立って尻尾が低めに揺れる。

 

「では、これより遠征合宿を開始する。各班、健闘を祈る」

 

 フィンの力強い言葉に各々の班が纏まって返事をする中、ラウル班の中ではアリソンとカエデだけが応と答え、グレースとヴェネディクトス、アレックスは無言のままだ。

 幸先の悪そうな出だしにラウルが溜息を零した。

 

 

 

 

 ラウル班のメンバーは第三級(レベル2)が四人、第二級(レベル3)が一人と他の班と違って第三級(レベル2)のみで構築されている訳では無い。これには他の班から不満の声が出ていたが、特にメンバー変更等といった事は無かった。

 と言うのもいつ偉業の証が手に入るかなんて誰にも予測できないというのもあるし、器の昇格(ランクアップ)は本人の意思で行うべきものであり、遠征合宿の為に控えろ等とは言えるものでは無い。グレース自身も態々器の昇格(ランクアップ)更新を行わない理由も無いと器の昇格(ランクアップ)したのだ。

 

 

 

 

 

 フィンの開始を告げる言葉の終わりと同時に、各々の班がダンジョンに向かったり最終確認を始めた。そんな中、ラウル班は円を作って集まった。

 

「それで、どうする?」

「入るタイミングですか? そうですねぇ」

 

 どのタイミングでダンジョンに入るかを話し合う為に集まって口を開いたヴェネディクトス。アリソンは腕組みをして呟いた。

 

「早く行った方が向うに早めにつけますけど……その分、邪魔役と鉢合わせる可能性が高いんですよね」

 

 開始を告げられたのですぐさまダンジョンに向かうかと言えばそうではない。他の班の動きを見てもダンジョンに他の班が入るのを待ってから入る班もあれば、真っ先にダンジョンに向かう班もある。

 先に潜ればその分十八階層に早めに到着する事が出来、評価も上昇するが、デメリットももちろん存在する。

 

 当然、先にダンジョンに侵入すれば何処に居るかわからない邪魔役と出会う可能性は非常に高くなる。

 

 一方、他の班の出発を待ってからの場合、他の班によって邪魔役が倒される可能性もある。倒される可能性は低いとは言え、邪魔役のメンバーは一度襲撃が完了した場合、邪魔役によって時間は異なるがその後十分から三十分の間は他の班に対して襲撃してはいけないというルールが存在し、後からダンジョンに侵入する事で他の班が襲撃されたのを見てから通る事で無傷で十八階層まで辿り着ける可能性がある。

 他にも邪魔役もダンジョン内でモンスターと戦う事もあるので当然の如く体力を消費する。その分ほんの少しではあるが逃げ出しやすくなる可能性もある。誤差の範囲ではあるが。

 

 但し時間制限は厳しめなので他の班の様子を見ながら牽制し合えば当然の如く時間切れで失格となる以上、他の班の出発を悠長に待つ暇はない。

 

「で? どうするッスか?」

 

 これまでの班行動で十八階層までの最短時間はおおよそ八時間。時間がかかった場合は十時間程。現在時刻は午前六時になろうかという時間で、十八階層には午後七時には到着していないといけない。

 時間的猶予はあまりない、そのため悩む皆に声をかけたラウルの言葉にヴェネディクトスが意見を上げた。

 

「……待つのは下策だね。直ぐに向かうべきだよ」

「私は賛成です。他の班は皆さん待ちを選ぶ班も多いみたいですが時間が時間です。いつもより慎重に動く以上時間はよりかかるでしょうし」

 

 トラブル無く移動すれば八時間程、モンスターが多数出現する等のトラブルに見舞われれば十時間程、今回の行程に於いて邪魔役の存在を考慮すれば十時間で済むはずもない。

 猶予は十三時間と考えればかなりギリギリであり、邪魔役を警戒して避けて通る場合はどう考えても時間が足りない。

 

「良いんじゃない? ビビッて時間掛け過ぎてアウトってのが一番赤っ恥だろうし」

「私も行くべきだと思います」

「はんっ、てめぇらの好きにすりゃいいだろ」

 

 残りのメンバーの意見を聞き終え、リーダー役に抜擢されたヴェネディクトスは頷いた。

 

「よし、じゃあ今から出発だ。準備は当然良いよね」

 

 早朝四時には目をさまし準備を終えていたメンバーを見回せば、不貞腐れたアレックス以外は頷き返す。

 確認がとれたラウル班が黄昏の館の正門から出て行くのを門番が眺め、各々声援を送ったり茶化したりする言葉が投げかけられる。

 

「がんばれよー」「お前らに賭けてんだからなー」「ペコラさんに気をつけろよー」

 

 門番の言葉に応える様にアリソンとカエデが手を振り返し、グレースは肩を竦める。

 

 

 

 

 

 ダンジョン五階層、特に何にも出会う事も無く何の異常もなく下りてきた現在階層で地図を広げたヴェネディクトスが大きなため息を零した。

 

「不味い。七階層に誰か居るみたいだ」

「他の班が帰還してましたね……今なら突破出来ると思いますけど」

 

 開始からまだ一時間も経過していない。だと言うのに既に脱落した班が出始めている。

 

 先程、五階層へ下りる階段の所でボロボロの装備で意気消沈しながら帰還している他の【ロキ・ファミリア】の遠征合宿の班を見つけ、ラウル班の面々は息を飲んだ。ラウルはその班の補助役と少し話をしてすぐにわかれたが、ラウル班の面々は一度足を止めて地図とにらめっこをしていた。

 

「この通路は最短ルートだけど……」

「間違いなく張ってると思いますよ」

「いや、逆にこっちを張ってるんじゃないですか?」

「とりあえず行けばわかるんじゃない? アタシはさっさと行くべきだと思うけど」

 

 最短ルートを張っているのではと予測するヴェネディクトスにアリソン、逆に遠回りのルートを張っているのではないかと予測するカエデ、どうでもよさ気に突っ込むべきだと主張するグレースの言葉に三人は悩ましげな溜息を零す。

 

「進もう。前の班がやられたのが十分前……誰に撃破されたのかは教えて貰えなかったし。そもそも僕達は襲撃間隔を知らない。三十分間攻撃できないならまだ大丈夫だけど、十分だったら……」

「十分だったら?」

「捕捉されない事を祈るかな」

 

 祈る様なヴェネディクトスの言葉にカエデが冷や汗を流し、アリソンが震える。グレースは眉を顰め、ラウルの方を見た。

 

「んで? ラウルは言う事ないの?」

「ん? 悪いッスけど俺も誰が何処に居るか知らないッスよ。誰がどれぐらいの襲撃間隔なのかは知ってるッスけど、本人を前にしない限り教えちゃダメッスし」

 

 補助役として同行する第二級(レベル3)冒険者にもどの階層に邪魔役が待機しているか等は知らされていないと笑うラウルに対し、グレースが溜息を零した。

 

「当然よね」

「とりあえず六階層に下りようか」

 

 ヴェネディクトスの言葉に頷いてアリソンが先頭に立ち、次にカエデとグレースが肩を並べ、二人の後ろにヴェネディクトスとラウルが並び、最後尾にアレックスという陣形で進み始める。

 

 

 

 

 

 六階層の階段を下り、七階層へ進む途中、カエデがふと何かに気付いた様に足を止めた。

 

「カエデ、どうした?」

「……えっと、この戦闘音……?」

 

 耳を澄ましたカエデの姿にアリソンも足を止め、その場で耳を澄ます。雑多に聞こえるモンスターの発する雑音に混じり、微かに聞こえる戦闘音。

 

「戦ってます。えっと……多分ですけど三人と一人ですね」

「方向は?」

「回り道の方ですね」

 

 アリソンの言葉にヴェネディクトスは頷いた。

 

 アリソンの言が正しければ回り道の方向で他の班と邪魔役が戦闘となっている。最短ルートで通ればこの階層を十分以内に突破も出来るだろう。そう判断したヴェネディクトスの言葉に頷くアリソンとグレース。

 

「よし、最短ルートを進もう。この階層に居る人の襲撃間隔が十分だったとしても今の襲撃で間隔の間に入ったはずだ」

 

 運良く他の班が引っかかってくれたおかげで、十分の襲撃間隔だった邪魔役の襲撃を回避できそうだと嬉しそうに語るヴェネディクトス。その様子に他のメンバーも嬉しそうに足を進め始めるが、カエデだけは耳を澄ましたまま動かない。

 

「どうしたんだよ、さっさと進めよ」

「アンタは黙ってなさい。んで、カエデどうしたのよ」

 

 苛立ちを隠しもせずカエデにいちゃもんをつけにいくアレックスをグレースが一睨みしてからカエデの方を窺う。

 

「そっちは不味いです。こっちから回り道しましょう」

 

 カエデが指差したのは進もうとしていた最短ルートでは無く、大回りとなるルートである。回り道と言うよりは階段とは真逆方向へ一度進み、そこから別のルートを通って進む道。普段なら選ぶ事の無いルートだ。

 唐突なカエデの言葉に皆が首を傾げ、ヴェネディクトスが口を開いた。

 

「どうしてだい? そっちだと時間がかかり過ぎると思うけど」

「……誰か居ます」

「何か居ますか? ……ん? 足音……こっちに向かってきてますかね」

 

 動かないカエデに気付いて再度耳を澄ませたアリソンも足音に気付いて体を震わせた。

 

「まさか……二人居た?」

 

 襲撃間隔十分の邪魔役が一人なら先程の戦闘音から問題なく突破出来るだろうと判断したヴェネディクトスが震える声で呟いた。

 もし邪魔役が二人居たら。もう一つの戦闘音は別の邪魔役の戦闘音で此方に向かってきている足音が別の邪魔役だったら。そんな考えを共有したヴェネディクトスとアリソンは頷き合う。

 

「皆、走るよ」

「はいっ」

「嘘でしょ、何で同じ階層に二人も邪魔役が居んのよっ」

「とりあえず逃げましょう」

 

 走り出したアリソンに続き、陣形を保ったまま走りだすラウル班。耳を澄ましながら走るカエデが冷や汗を流しながら呟いた。

 

「この足音は……ベートさんです……」

「っ!? ちょっと!? それってまず過ぎでしょっ!?」

 

 先程進もうとしていた最短ルート上から聞こえた足音の正体に気付いたカエデの言葉にグレースが引きつった笑みを浮かべた。

 邪魔役の中で最も容赦なく、徹底的に追いかけて潰しに来る人物。ベート・ローガの足音だと判別したカエデに驚きの表情のグレースが文句を言うがカエデに文句を言っても仕方が無い。

 足音を聞き分けていたカエデが身を震わせて後ろを肩越しに振り返る。

 

 走るヴェネディクトスとラウルの間、アレックスも同じ様に肩越しに後ろを見ており、そのアレックスの視線の先に凄まじい勢いで走ってくるベートの姿を見てカエデが叫んだ。

 

「後ろから来てますっ!」

「本当ですかっ!? って速ぁっ!?」

 

 カエデが気付いた時には距離は大分離れていた筈だが、もう一度振り返ってみれば距離は既に半分を切り、全力疾走するヴェネディクトスの倍以上の速度で近付いてきている。

 同じく振り向いたアリソンが仲間の隙間から見たベートの姿に悲鳴を上げる。

 

 パーティで行動する以上、最も足の遅い者に歩速を合わせている弊害が出た様子だ。カエデやグレース等ならなんとか距離を保てるだけの速度で走れるが、ヴェネディクトスの速度では逃げ切れない。

 

「糞がっ! ちんたら走ってんじゃねぇっ! 追いつかれんぞっ!」

 

 アレックスが舌打ちし、ヴェネディクトスに怒鳴る。其れに対し答える余裕も無い程に全力疾走しているヴェネディクトスを見たグレースは溜息を零した。

 

「どうする、これ逃げるの無理よ」

「……反転、戦闘開始しよう」

「やるんですか……」

 

 ベートは既にパーティの後ろに迫ってきている。次の階層の階段までまだ距離がある以上既に迎え撃つ以外の手が無い。

 反転するタイミングを探るより前にカエデが腰のベルトから音響弾(リュトモス)を引っ張り出して叫ぶ。

 

音爆弾(リュトモス)使いますっ!」

 

 左手に持った音響弾(リュトモス)を腰のナイフの柄で叩き、起爆準備を完了させて少し後ろに軽く投げる。

 

 

 

 

 

 ベートは口元に笑みを浮かべてラウル班の後ろ姿を追いかけていた。

 

「見つけたァ」

 

 ベートに言い渡された襲撃間隔は三十分、興味もない雑魚を襲撃している間にカエデの居る班に逃げられても面白くない為、他の班をあえて見逃したりして待っていたのだ。

 最初に見逃した班が別の邪魔役と鉢合わせして襲撃されてあっけなく全滅したのを見て呆れ返った後、七階層から上の階層に行こうかそれともまだ待つかどちらにすべきか考えているさ中、二度目の戦闘が開始されたのに気が付いてどの班が襲撃を受けたのか確認しに行こうと足を動かした所で、気配に気づいた。

 

 気配を隠しもせずに走ってこの階層を抜けようとする班だ。どの班なのか確認しようとベートが意識を向けて気配の元に行こうと足を動かし始め、数秒で動きが変わった。

 

 驚くべき事に遠く離れたベートが移動し始めたのに気が付いたのか直ぐに大回りとなるルートに向かって移動し始めたのだ。

 

 そこらの班なら戦闘音に注意を払って此方に気付かなかっただろう。相手には相当優れた指揮官か索敵能力を持つ人物がいる。ラウル班でなかった場合は大方ジョゼット班だろうと当たりをつけたベートが見つけたのは最後尾を走るムカつく虎人、そいつの影からほんの少し振り向いて此方を視認したらしい白毛の狼人。思わず笑みを零してベートはより速度を上げた。

 

 既に攻撃範囲に捉え、最後尾を走るアレックスを一撃で沈ませる事が出来る距離だ。どのタイミングで攻撃を繰り出すか考えようとしているさ中、アレックスの頭の上を何かが飛んでくる。

 

 ベートの目に映ったのは放物線を描いてベートの目の前に落ちてくる音爆弾(リュトモス)の姿だった。

 

 走りながら小器用にベートの目の前に丁度落ちる様に投げる技術の高さに舌を巻くより前に、ベートはその音爆弾(リュトモス)を掴んで後ろに放り投げた。

 

「っぶねぇな」

 

 ベートの言い渡された条件の一つに『音爆弾(リュトモス)を二メートル以内で食らわされたら十秒間行動禁止』というものがある。もし喰らっていればその場で足止めされた事だろう。だがベートが素早く投げたおかげで音爆弾(リュトモス)は五メートル程後ろで炸裂。

 

 音の衝撃が背中にぶつかるのを感じつつベートが前を向きなおった瞬間、目の前に大剣の刃が迫っていた。

 

 

 

 

 

 回避された。不意打ちとして繰り出されたカエデのウィンドパイプによる一撃をしゃがんで回避したベートの上をカエデが飛び抜け、後から続いたアリソンのグレイブの一撃をベートが片手でいなす。

 

 音爆弾に気をとられたベートに対し不意打ちしたが当たり前の様に回避された事にカエデが冷や汗をかきつつベートの後ろに立ち、アリソンがベートの正面に立つ。

 

 側面にはアレックスとグレースが立ち、ベートを完全に包囲する形となった。

 

「あははー……こんにちは~……なんちゃって……」

「あぁ?」

「ひぃっ!? ちょっ、これ無理じゃないですかっ!?」

 

 片手で受け流されたアリソンは曖昧な笑みを浮かべてベートに挨拶をし、睨み返されて悲鳴を上げる。その様子を見ていたグレースが眉を顰め、アレックスが鼻で笑う。

 

「はんっ、誰かと思えばテメェかよ」

「…………」

「んだ、ビビってんのか?」

 

 アレックスの挑発に対し、ベートは視線を一瞬其方に向けてから、グレースとカエデの方を向いてアレックスとアリソンに背を向けた。

 

「来いよ、相手してやる」

 

 グレースとカエデに対して獰猛な笑みを浮かべて挑発するベート。まるで二人以外眼中に無いと言う態度にアレックスがキレて殴りかかる。

 

 アレックスの無謀な突撃に合わせてカエデとグレースも飛び出し、一拍遅れてアリソンも突っ込む。

 

 後ろから殴りかかったアレックスの腕をアレックスの姿を見る事無く掴みとり、グレースの方へ放り投げてカエデの振るうウィンドパイプを受け流し、遅れて来たアリソンの一撃を片手でつかんで止める。

 掴んだグレイブの柄を引き、アリソンを引っ張りよせてから腹に拳を叩き込む。させまいとカエデが振るった攻撃を身を捩って回避し、アリソンの手からグレイブを奪い取って石突で不意打ち気味の魔法の攻撃を切り払った。

 

「アンタ邪魔っ!」

「うっせぇっ!」

 

 身を絡ませて倒れるグレースとアレックス。アレックスの頭を踏んでベートは大きく距離をとった。

 

 連携は悪く無い。アレックスを除けばだが。

 

 グレイブを奪われたアリソンが慌てたように予備武器らしいショートソードを抜き放って構え、カエデが前に出る。頭を踏まれて怒り心頭のアレックスが立ち上がって突撃してくるのを見てベートが目を細める。

 奪ったグレイブを足元に転がしてアレックスを迎え撃つベート。

 

「邪魔だ」

「うるせぇっ!」

 

 握り拳を突き出してくるアレックスの無鉄砲な攻撃を二度、三度と回避しながらカエデ達の様子を見れば案の定、真正面から突っ込んだアレックスの体が邪魔となって攻めあぐねている。

 

 格闘戦主体でなおかつ拳を主に使うアレックス、交戦距離はほぼ零距離であり、近距離で薙ぎ払う攻撃を繰り出すカエデでは援護できず、遠距離からの魔法の補助も難しい。

 唯一援護に向くグレースは立ち上って構えをとって援護をしようと足を踏み出しているが、間に合うはずもない。

 

「糞っ! 何で当たらねぇっ!」

 

 我武者羅に攻撃を繰り出すアレックス。ベートは鼻で笑ってからアレックスの拳を逸らして腹に拳を叩き込んだ。

 

「グブゥッ!?」

「邪魔だっつってんだろ、寝てろ」

 

 淡々としながらも、叩き込まれたのは強烈な一撃。アレックスが膝を突きそれでもベートを睨む。

 

「テメェを……倒すのは俺だ……」

「…………」

 

 ベートはアレックスの方に視線を向ける事も無くアレックスの額を拳で打つ、寸前にグレースがベートに斬りかかりベートが後ろに下がって回避する。

 連撃をしかけ追いかけるのではなく、グレースは膝を突いて動けなくなったアレックスの首根っこを掴んで後ろに下がり、カエデとアリソンが代わりに前に出てくる。

 

 前を走るカエデが剣の切っ先で地面に転がったグレイブを弾きその勢いのままベートに逆袈裟掛けを放つ。空中を回転して飛ぶグレイブをアリソンが難なく掴み取って鋭い突きを放ち、カエデの逆袈裟掛けにカウンターを放とうとしていたベートを牽制した。

 

 小柄なカエデが振るう大振りの一撃に対し、グレイブが距離を置いてカエデの肩越しに鋭い突きを放つ事で隙を埋め反撃に対して抵抗を試みている。

 

「はっ、悪くねぇ……だがな、遅ぇんだよ」

 

 カエデの繰り出した大振りの横凪ぎ、其処から素早い斬り返しまでの一瞬の隙をアリソンの突きが埋めようとするが、ベートはアリソンのグレイブを下から弾いた。

 真上に跳ね上げられたアリソン、カエデの隙を埋めていたそれが消えベートはカエデに詰め寄る。

 

 鍛錬中は常に斬り返しの隙を突かれていたベートとカエデの鍛錬の内容を聞いて編み出した隙を埋める戦術は悪くは無かった。だがグレイブの突きは微妙に遅れていたのもあり完全に隙を埋めきる物では無かった。

 

 詰め寄られたカエデの表情を見据え、ベートは舌打ちと共に身を捩って横に回避した。瞬間、カエデの肩越しに飛来した魔法の投げ矢がベートが先程居た空間を貫いた。

 

「回避されたっ」

 

 小さく響くカエデの悔しそうな言葉にベートは牙を剥く様な笑みを浮かべつつ大きく距離をとった。

 

 

 

 

 

「うわぁ……マジっすか……ベートさん相手に戦えてるって……」

 

 戦いの様子を眺めていたラウルはアレックスの無謀な突撃行動の時点で半壊を予測していたが、カエデとアリソンの予想外とも言うべき連携の高さに舌を巻いた。

 人に合わせて動くのが得意な二人が合わさるとあそこまで息が合うのかと驚きつつもアレックスの方を見る。

 

 良い一撃を貰ったのだろう。回復薬(ポーション)を飲んでも尚立ち上がれずに震えている。そのアレックスの治療を嫌々行っていたグレースがアレックスの復帰を諦めて戦線に加わるべくベートの側面をとろうとしている。

 

「うぅん。良い感じなんスけどねぇ……」

 

 ヴェネディクトスの放つエルフィンダーツがカエデとアリソンの致命的な隙を突いて攻撃を繰り出そうとするベートを牽制し、立て直したカエデとアリソンが再度連撃を放ってベートを追い詰める。

 

 追い詰めている様に見える。のだが、見えるだけだ。

 

 ベートの方の表情は獰猛な笑みを浮かべまるで戦いを楽しんでいる様に見えるが、目が全く違う。冷静に、どうやって切り崩すのが良いかを思考している。

 

 現状、ベートが本気を出せばすぐに片が付くのだが其れではだめなのだ。

 

 より徹底的に、その連携の致命的な隙と言う部分を突いて倒す。圧倒的なまでの敗北を刻み込もうと思案しているのだ。

 

 遊びでは無く本気で潰しに来ている。カエデ相手にも容赦無かったベートの一面に身を震わせてラウルは吐息を零した。

 

「早々にベートさんにやられて失格ッスかねぇ」

「そうかな。私はそんな風に思わないけど」

「ぬわっ!? ティオナさんじゃないッスかっ!」

 

 横から聞こえた声にラウルが驚きの声を上げて其方を向けば、にこにことした笑みを浮かべたティオナの姿があった。

 どうやらこの階層で戦っていた他の邪魔役はティオナだったらしい。倒し終わって他の班を探しに出た所で戦闘音に気が付いて此方にやって来た様子だ。

 

「あー、安心して良いよ。後五分は他の班襲撃できないから」

「……五分ッスか」

「そう五分、あ、後四分になった」

 

 ティオナが手にしている懐中時計を見てラウルは溜息を零した。五分以内にベートをどうにかできるはずがない。

 

「皆ー、早くベートさんなんとかしないとティオナさんが乱入してくるッスよー……」

 

 ベートとの戦闘に集中している皆にラウルの声が届くはずもない。

 

「あ、モンスターだ。ちょっと片付けてくるね」

「はいッス……」

 

 ベートとラウル班の面々の戦いにつられやって来たモンスターの方にティオナが歩いていく。ティオナの手に握られているのはただの鉄の棒。頑丈なだけのそれをぶんぶん振り回してモンスターの方へ歩いて行った後ろ姿にラウルが呟いた。

 

「あ、片付けてくれるんスね……」

 

 モンスターの横槍を防いでくれる事に感謝すべきか、それとも順番待ちの為にこの場で待機しようとしている事に絶望すべきか、考えを放棄してラウルはバックパックをその場に下ろして大きく伸びをした。

 

「もうダメっすね、勝てる気がしないッス」




 後ろから眺めるラウルさんは既に諦めモード。ベートさんとの絶望的な戦い。そして勝ったとしても次にはティオナさん待機中……運が無かったんや……。

 各妨害役にはそれぞれ決められたルールがあるのと、ちゃんと手加減するように言われてる(するとは言ってない)ので、合格できなくはない。





 ベートに与えられた特殊ルール
 襲撃間隔30分(襲撃完了後からカウント)
 音響弾が半径2M以内で炸裂した場合10秒間行動禁止
 煙幕弾の煙幕内において禁止行動緩和(本気で戦ってもいい)
 足技禁止、徒手空拳のみ可

 一撃でも被弾した時点で撃破判定
 撃破された場合、撃破した班に対する再襲撃権の喪失


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『遠征合宿』《道中1》

『ヒイラギ・シャクヤクねぇ。カエデ・ハバリの双子の妹ってナイアルは言ってたんだけど……彼女、カエデ・ハバリより大分頭が良いのか? それとも、誰か手引きしてるのかな。さっきから影は見えど姿は見えずだよ。まったく……』

『ふぅん、君もヒイラギちゃんを探してるんだ』

『……君は……モール・フェーレースだっけ? 何してんの? いや、君()?』

『そうそう。僕も実は探してるんだよねー……で? 【ナイアル・ファミリア】が何でヒイラギちゃん探してるんだい? 気になるな~』

『知らないよ。ナイアルが欲しがってるだけさ。逆に聞くけど、君の方は?』

『さぁ? 恵比寿が探してるだけだし』

『…………』

『…………』





『なんでお前らアタシを探してんだよっ!』
『静かにしなっ! 見付かったらどうするつもりなんだい。とりあえず逃げるよ』


 ダンジョン第七階層にて遠征合宿の為に第十八階層を目指しているさ中、邪魔役に見つかって交戦状態に陥ったラウル班。戦況はかなりの劣勢。

 発見者ベートに対し、応戦しているのはカエデとアリソン、援護にヴェネディクトスと言う形である。

 早々に戦闘不能に陥ったアレックスは歯を食いしばって立ち上がろうとしているが、生れたての小鹿の方がまだマシなほどに震えている姿を見れば戦闘に参加するのは絶望的と言えるだろう。

 カエデの大振りの一撃を逸らし、アリソンの放つ突きを回避し、遠距離から飛来するヴェネディクトスの魔法を素手で叩き潰すベート。勝利した姿を脳裏に描く事も出来ず、身震いしながらも剣を振るうカエデ。

 

 ベートは笑みを零し、カエデの放った一撃を掴む。次の瞬間に放たれたアリソンの突きの線上にカエデのウィンドパイプを強引に捻じ込んで攻撃を逸らし、遠距離より飛来する魔法攻撃は近場の石を投げて相殺した。

 カエデが掴まれた剣をどうにか取り戻そうと身を捻りながら全体重をかけて引くのを見てベートは一歩詰める。完全にカエデに密着する距離になり、カエデが漸く剣を手放すが一歩遅い。ベートの拳がカエデの額を軽く掠りカエデがよろめく。頭を揺らされ、一瞬だけ意識が飛んでカエデに致命的な隙が出来る。其処を埋めるべく動くアリソンの放った突きを掴みとった。

 突きの威力、正確性、速度どれをとっても十分だと言う評価が出来る程だが、素直過ぎる。もっとフェイントを組み合わせるか、突きの種類を増やさなければ読み取られて掴まれてしまう。

 

 掴んだグレイブの柄を捻り、アリソンの手からグレイブを奪い取りざまにアリソンの体をヴェネディクトスとの射線上に放り込み、遠距離の魔法の援護を防ぐ。

 カエデがほんの瞬きの間の昏倒から復帰するも、脳を揺さ振られて平衡感覚が狂っていたのか膝を突いて立ち上がれない。腰のナイフを抜いたのはせめてもの抵抗の積りか。

 

 無防備に膝を突くカエデ、姿勢を崩されてよろめくアリソン、そして射線を塞がれ詠唱を中断したヴェネディクトス。

 

 ここまでかと拳を握り一人ずつ仕留めようとまずカエデに向かい拳を振るう直前、横合いから不意打ちとして突っ込んできたグレースの攻撃によりベートは離脱を余儀なくされた。

 

「やらせないってのっ!」

「良い一撃じゃねぇか」

「はんっ、余裕そうに回避しといてよく言う……」

 

 ベートが笑みを零し一撃の良さを褒める。反撃しようと思えばできたが、それは手加減しろと言う指示から外れてしまうのでできなかった。

 とは言えこのままカエデ達に復帰されても面倒だとベートが拳を構えて腰を落とす。

 

 対するグレースは何とか立ち直ったアリソンと、未だに平衡感覚が万全では無いのか頭を振ってよろめくカエデを見て舌打ちをした。

 グレースとアリソンでは、カエデとアリソンのペアよりも相性が悪い。

 カエデの大振りの一撃の隙を埋める様に突きを繰り出すアリソンと言う形なのに対し、アリソンの突きの隙を埋める形でグレースが連撃をしかけなければいかないのだ。アリソンが合わせるのではなく、グレースが合わせる形ではまず勝ち目が無い。

 

 今度はベートの方から一気に突っ込んでくる。グレースが迎え撃つべく腰を落としてベートの拳を逸らそうとして、失敗。勢いを殺しきれずに大きく姿勢が崩れる。

 グレースの大きな隙にベートは喰らい付くのではなく、グレースの横を走り抜けて先に面倒なカエデとアリソンを仕留めに行った。

 

「抜けられたっ!? 無視してんじゃないわよっ!」

 

 急ぎ反転しベートの背中に攻撃を繰り出そうとしたグレースはカランと何かが転がる音を聞いた。音の出所はベートとカエデ達の間。何らかの道具を使って足止めしようとしたのだろうと当たりをつけ、ベートの背中に躍りかかろうとするが、ベートが唐突に反転して反撃を喰らいかけて防御した。

 

 何かが転がる音。戦闘中に聞こえた異音に真っ先に反応したのは獣人。カエデとアリソンだった。二人の視線の先、黄色い塗装の成された拳より一回り大きい其れに気をとられ、それが何かを判別するより前に閃光が二人の目を焼いた。

 

「きゃうっ!? ぐぅっ!?」「きゃっ!? ごめんなさいっ!」

 

 唐突に目を焼かれて目を押さえたカエデと、驚きでグレイブを振るうアリソン。アリソンの振るったグレイブの柄がカエデの腰を打ち据えてカエデが転倒し、アリソンが謝罪の言葉を零した。

 

 手を伸ばせば届く距離だと言うのにベートは二人から視線を外した。この二人は目を焼かれ、アリソンは若干錯乱気味、カエデはアリソンのグレイブの柄に強打されて転倒。情けない二人の悲鳴を聞き流したベートは、背後から躍りかかってきたグレースを殴り飛ばし、舌打ちしつつも背中で発生した閃光の原因を睨む。

 仲間に合図の一つも出さずに閃光弾(フィラス)を使用し、カエデとアリソンを戦闘不能状態に陥らせた原因、アレックスだ。

 

「うらぁっ!」

 

 馬鹿正直に真っ直ぐ突っ込んでくる間抜けの鼻っ面に拳を捻じ込んで吹っ飛ばし、改めてカエデを窺ったベートは目を見開いた。

 ベートの視線の先、カエデが手にしているのは灰色の球状の物体、音響弾(リュトモス)だ。

 ベートとカエデとの距離が近すぎる。この距離で使用されれば半径二M以内での起爆判定で十秒間動けない。そうなれば不味いがカエデは丁度腰のベルトから音響弾(リュトモス)を掴みとったばかりだ。

 

 ベートは手早くカエデの手を打ち、カエデの手から音響弾(リュトモス)を叩き落とし、足で音響弾(リュトモス)を離れた位置に蹴飛ばそうとして――音響弾(リュトモス)が炸裂した。 

 

「なぁっ!?」

 

 断言できるがカエデは音響弾(リュトモス)の起爆準備を完了させるだけの時間は無かった。だがベートの足元で音響弾(リュトモス)は起爆し甲高い音を響かせた。

 舌打ちをしてその場でピタリと動きを止めたベート。誰にも攻撃されないのを願うがその願いは届かない。

 

「うらぁっ!」

 

 背後より振るわれたグレースの一撃がベートの背中に突き立つ。

 

「……はぁ?」

 

 ベートの背中にケペシュを振り下した姿勢のまま、惚けて動きを止めたグレースを肩越しに睨んでからベートは足元で閃光弾(フィラス)で目を焼かれ、音響弾(リュトモス)を至近距離で喰らって泡を吹いて昏倒しているカエデを見た。その直ぐ後ろでは同じく音響弾で昏倒したアリソンの姿もある。

 

「糞っ、どうなってやがる……」

 

 グレースの攻撃を喰らった為、現時点を以てベートは撃破判定が下された。これ以上の戦闘行動はとれない。舌打ちをしてベートはラウルの方を見た。

 

「おいラウル」

「マジで倒したんスか……え? あぁ、何スか……?」

「撃破された。糞、何で音響弾(リュトモス)が起爆しやがった。準備する時間なんて無かったろ」

 

 愚痴を零してから未だにベートの背中に押し当てられているケペシュ、その持ち主のグレースを睨む。

 

「終わりだ、どけろ」

「え? えぇ……何で避けなかったのよ……」

 

 攻撃が当たった事が信じられなかったのか、自身のケペシュとベートを何度も見返してからグレースは呟いた。

 その様子に何ら反応するでもなくベートはラウルに自身の討伐証を渡して足早に去って行った。

 

「つか、アタシのケペシュじゃ切れないのかぁ」

 

 グレースの叩き付けた一撃では、ベートのジャケットに傷の一つも与える事が出来なかったと言う事実に舌打ちしてから、グレースは地面に倒れて昏倒しているアレックスの方へ歩いていき、首を掴んで持ち上げた。

 

「アンタはっ! 何で合図も無しに閃光弾(フィラス)使ってんのよっ!」

 

 合図の一つも寄こさずに閃光弾(フィラス)を使ってパーティを危機的状況に陥らせたアレックスだが、ベートの一撃を鼻っ面に叩き込まれて未だに昏倒していて返答はない。舌打ちしてからアレックスを投げ出してグレースはヴェネディクトスの方を見た。

 

「ヴェトス、カエデとアリソンが落ちてるから気付け薬で復帰を……ヴェトス?」

 

 グレースの視線の先、半笑いでベートの討伐証を持ったラウルと、そのすぐ傍、褐色の肌に黒い髪の少女がヴェネディクトスの首根っこを掴んで持ち上げているのを見て目を見開いた。

 

「え……? ティオナ・ヒリュテ……?」

 

 襲撃役のもう一人、ティオナの姿を確認したグレースは慌てて周囲を見回す。昏倒したカエデが目を覚ます気配はない。唯一アリソンがうめき声を上げて起き上がろうとしている。ヴェネディクトスは既にティオナの手の中で気絶中。アレックスは言うに及ばず。

 

「……えぇ、ちょっとティオナさん、見逃してもらうって……出来ない?」

「えー、其れは無理かなー。あ、ベート倒したのは凄かったよ」

「運が良かっただけですって……」

「運も実力の内って言うじゃん? じゃあ頑張って私も倒してみてね」

 

 既に戦闘可能なのはグレースただ一人のみ、先程の戦闘で運よくベートを倒したが、すぐあとの連続戦闘が可能かと言われればグレースはこう答えるだろう。

 

「ちょっと、本当に勘弁してよ……」

 

 怒りを抱く気力も失い、グレースは肩を落として溜息を零した。

 

 

 

 

 

 予想外にベートを仕留める事に成功したことにラウルは驚いて目を見開いた。

 

「うわ、ティオナさんの予想が当たったッス」

 

 傍から見たベート討伐までの流れは、まずアレックスの独断行動による閃光弾(フィラス)の投擲から始まり、カエデとアリソンの目を焼いて混乱させた辺りで悲劇が発生した。

 アリソンが目を焼かれた際に力んだ結果振るってしまったグレイブの一撃、その柄の部分が近距離に居たカエデの腰を打ち据えたのだ。その際、カエデの腰のベルトにセットされていた音響弾(リュトモス)を直撃。結果として起爆準備が完了してしまい、カエデが慌てて腰の音響弾(リュトモス)を遠くに投げて近距離起爆での昏倒を防ごうとしたが、ベートが其れを妨害。至近距離で起爆する結果に。

 ベートは何故起爆したのかわからなかった様子だが、言ってしまえば偶然が引き起こした産物であり、運が良かっただけだ。

 

「でしょ? あ、もう時間だから襲撃するね」

「え?」

 

 その運の良さもここまでの様子ではあるのだが。

 

 にこやかな笑顔と共にベートの背中にケペシュを振り下したグレースを信じられない、と言う表情で見つめていたヴェネディクトスの後頭部に鉄棒を振り下して一撃で意識を刈り取って倒れない様に首根っこを掴んで支えるティオナ。

 其処に容赦の二文字は一切存在しなかった。

 

 身を震わせ、ラウルは手にいれたベートの討伐証を弄んでからバッグの側面につけておいた。妨害役の討伐に成功したことを示す討伐証代わりのバッジには『犬』の文字。ロキ辺りが決めた物だろうそれを眺めてから溜息を零した。

 

 残りの生存者はグレース一人。対して妨害役は無傷のティオナ。討伐はまず不可能だろうし、逃げるにしても気絶した者を担いで逃げなくてはいけないので、ラウルとグレース二人で残りの四人を担いで逃げなくてはならない。当然、ティオナは逃がす気等無いので詰みだ。

 

 鉄棒をぶんぶんと振るってグレースににじり寄るティオナの背中を見てラウルは詰め寄られているグレースに同情した。

 

 

 

 

「ねぇ、今のアンタがやってるのって、漁夫の利って奴でしょ。かっこよくないじゃん?」

「そうだねー」

「だからさ、その、ほら」

「見逃して欲しいって?」

「そう。そうなのよ。ね? 他の皆気絶してるしさ……」

「だぁ~め。ごめんね、これもルール上問題ないからさ」

 

 何とか言葉を以てして見逃してもらおうとしたが聞く耳持たず。連続襲撃される可能性自体は示唆されていたとは言えこんな七階層で二人に同時に見つかるなんて運が無さすぎる。

 

「これで三つ目の班だからー……あ、ラウル班はポイントおっきいんだっけ? じゃあ後二つぐらい潰せば私の勝ち確定かなぁ」

 

 既に勝った気で笑みを零しているティオナを睨んでグレースは呟いた。

 

「なぁに勝った気で居んのよ」

「え? ダメだった?」

 

 わかりやす過ぎる挑発だ。むしろありがたいとグレースはその挑発に乗って苛立ちを表すべく、ケペシュを打ち合わせて口を開いた。

 

「決まってんでしょ……アンタは此処で――え? 何これ」

「っ!?!?」

 

 その台詞の途中、グレースとティオナの間に円筒形の何かが転がってきた。なんだそれはと首を傾げるグレースに対し、ティオナは目を見開いて叫んだ。

 

「うっそぉっ!? 今良い所なのにっ!」

 

 叫ぶティオナに驚いて動きを止めたグレース。ティオナは一気にグレースに詰め寄ろうと足を前に踏み出した、その瞬間、円筒形の物体から大量の煙幕が振り撒かれる。

 

「うわぁーん惜しかったのにー」

 

 煙幕で視界が塞がれ、グレースは慌てて身を捻って煙幕の中を突っ込んでくるはずだったティオナを回避するが、ティオナの声は徐々に遠ざかって行き、ついには聞こえなくなってしまった。

 煙幕の中、慌てて回避した所為で地面に転がったグレースが遠ざかったティオナの声と足音に首を傾げた。

 

「え……何が起きたのよ……と言うかコレ……煙幕弾(カプノス)? アリソン……じゃないわね。誰が使ったのよ、ラウル?」

「俺じゃ無いッスよー」

 

 煙幕の向う側から聞こえたラウルの呑気な声にグレースは眉を顰めた。一体だれがこの煙幕を張ったと言うのか。

 煙幕弾(カプノス)を所持していたのはヴェネディクトス一人だけだったはずだ。だがヴェネディクトスは真っ先に潰されて戦闘不能になっていたはずである。

 

 考えながら立ち上がったグレースは煙幕の中に聞こえた足音に反応し、ケペシュを構えた。

 

 

 

 

 

 ラウルは目を覚ましたアリソンと仲良さ気に話し込んで居る少女を眺めつつ、横に立っていた金髪のエルフの射手、ジョゼットに声をかけた。

 

「いやー助かったッスよ」

「いえ、救援に向かう選択をしたのは私の班のリーダーでしたから。礼なら其方に」

 

 畏まった様子のジョゼットの言葉にラウルは半笑を浮かべて自身の班員。カエデ、ヴェネディクトス、アレックスの三人に視線を投げかけて吐息を零した。

 

 ティオナとグレースの間に煙幕弾(カプノス)を投げ込んだ犯人は、他の遠征合宿参加中の班であった。それも最優秀候補のジョゼット班のメンバーだったのだ。

 偶然近くを通りかかったと言うよりは戦闘音に気付いた時点で救援に向かってきたらしい。

 

 他の班より早く、確実に十八階層に向かうと言う目的を考えれば他の班の救援に向かうのは間違いに思えるが、むしろそれは正しい姿である。

 

 今回の遠征合宿とは、優秀な上位二班に対する大規模遠征の参加権を与える物である。其の為、他の班より優位に立とうとする班は数多い。しかしそれは遠征合宿に於いて最大の間違いである。

 競わせる様な真似をした場合、殆どの班が他の班を囮にしたりして、自身の班だけで攻略を目指す。それは団長のフィンの予測範囲内であり、そこから更に一歩進んだ考えが出来る班と言うのを求めているのだ。

 遠征中は皆が一団となって攻略せねば命がいくつあっても足りない。当然、競わせる目的があるとはいえ他の班を意図的に囮にして進む等する班が大規模遠征のメンバーに選ばれるはずもない。

 

 今回の遠征合宿の真の目的とは『競い合いつつも仲間である事を意識できるか否か』を見極める物だ。

 意図的に第三級(レベル2)冒険者達には勘違いさせる説明がなされている。『仲間を見捨てて進む事を禁止する』と言うのが最も勘違いを誘いやすいだろう。

 ()()が何を指すのか。自身の班のメンバーを見捨てるなと言う意味と皆は考えるだろう。正しくは他の班の仲間の事も指しているのだと気付ければ上出来。

 

 其処らを正しく理解し、実行できるのはごく一部のみ。ジョゼット班に纏められた者達だけだろう。

 

「よし、怪我は大した事無かったな。では進むか」

「あ、はい。助けて頂いてありがとうございました」

「なぁに、仲間同士助け合うのは当然だろう?」

 

 ジョゼット班のメンバーのドワーフの青年に頭を下げたアリソンに対し、ドワーフの青年は肩を竦めた。その言葉にグレースが眉を顰め、ばつが悪そうにそっぽを向いた。

 ラウル班は他の班が戦闘を行っているさ中に運が良いとその横を通り過ぎようとしたのだ、その事を考えているらしいグレースの姿にラウルは笑みを零した。

 

「グレース、安心しても良いッスよ」

「何がよ」

「ラウル班の評価は最低値ッス、上がる事はあっても下がる事は無いッスから」

「……それ、喜べないですよね?」

 

 アリソンの引き攣った笑みに対し、ラウルは朗らかな笑みを零した。

 

「では、俺達は先に進むが……気をつけろよ? ティオナさんはあくまで撃退しただけで討伐は出来てない」

「わかってるわよ」

「ではな」

「じゃあねアリソン、十八階層で会いましょ」

「はい」

 

 ジョゼット班の面々、大盾を背負うドワーフの青年、眠たげな目をしたキャットピープルの少年、アリソンの友人らしいヒューマンの少女、寡黙なエルフの女性、弓を背負うエルフとバランスの良いパーティである。

 未だにカエデ、ヴェネディクトス、アレックスの三名が気絶しているが、直ぐに目覚めるだろうと判断してジョゼット班は先を急ぐ為に出発し。

 ラウル班は目覚めるのを待ってから移動するべく八階層の休息可能な部屋で待機である。

 

「はぁ、アレックスの身勝手な行動もそうだけど、今回の遠征合宿の真の目的ねぇ」

「他の班を見捨てるのってダメだったんですね……」

 

 警戒を怠らずに耳を澄ませながら部屋の入口で通路の方を眺める二人が言葉を交わす。それを見てラウルは笑みを零した。

 

「大丈夫ッスよ。殆どの班が意図に気付かないッスから」

 

 むしろ気付く班は本当に少ない。気付く班が半数は居ないと殆どの班が全滅するのだ。とラウルが笑えばアリソンが溜息を零した。

 

「協力しあって強大な敵を回避するってのが遠征合宿の本来の目的だったんですね」

「まぁ、クリア条件がやけに渋いなとは思ったけど……他の班との連携もあったのね」

 

 二人が溜息を零したのを聞きつつ、ラウルは班の評価をまとめた。

 

 まずカエデ、個人戦闘技能は最高、判断能力も高く、行動力も高い。だが固定観念が強く、一度思い込むとそのまま突き進むきらいがあり、柔軟性には欠ける部分が目立つ。連携能力は高め、他者に合わせて動く能力は高いので遠征メンバーとしての判定は良好。

 ヴェネディクトス、柔軟性はそこそこ、判断能力は高く、行動力もそこそこ。補助にも長けるが索敵能力に難あり。詠唱中の不意打ちには対処できないと仲間の援護が必須。連携能力は非常に高く、他者の援護に魔法攻撃を挟み込む等と言った器用な立ち回りが可能。遠征メンバーとしての判定は良好。

 グレース、個人戦闘技能は高め、行動力は高めだが判断能力に難あり。とりあえずでその場の選択をする事があるのでリーダーには不向きでありながら他者を引っ張るのに長けていると言う矛盾を抱えている。連携能力は並であり、援護するよりはされる側である。遠征メンバーとしての判定は微妙。

 アリソン、個人戦闘技能は普通、判断能力は高いが行動力が低め。補助として立ち回るのは良いが自身が中心になって動く事は苦手。若干、感情的に動く事があり仲間の危機的状況時に冷静な判断が下せない可能性が高い。連携能力は非常に高く、補助役の立ち回りは完璧。遠征メンバーとしての判定は可もなく不可もない。

 アレックス、個人戦闘技能は高く、行動力も高いが致命的なまでに連携能力が欠如している。他のメンバーの行動に合わせるでもなく危機的状況に於いても自身の行動を優先する為、非常に危険。遠征メンバーとしての判定は最低。

 

 班全体の総評。

 主にカエデを中心にアリソンが支援と言う形で戦闘を行う事で非常に安定した戦いが可能。遊撃としてグレースが動き、後方支援でヴェネディクトスが魔法で補助する事で戦闘面はほぼ完璧。アレックスも一応は遊撃としてカウントできなくはない。

 索敵能力に優れたカエデとアリソンによって早期の敵発見、ヴェネディクトスの作戦指示により安定した行動が可能。

 アレックスさえいなければ完璧と言えるだろう。

 

「……なんでアレックスをこの班に編成したんスかねぇ」

 

 グレースも問題児として名が知られていたが、アリソンやカエデ、ヴェネディクトス等の多少の言動程度は聞き流せるメンバーとは問題なく行動可能であったのだ。

 血の気の多いメンバーと組ませると間違いなく喧嘩になるだろうが、アリソン辺りは気にせずに友人として接しているし、カエデも若干苦手意識を持っていたのが解消されて多少は言い合いをする程度に収まっている。ヴェネディクトスはグレースの言動に特に何か不満がある訳では無い様子で問題らしい問題は無い。

 アレックスだけがどのメンバーとも友好的に接する事が出来ていない。

 

 アリソンだけはなんとか友好関係を築こうとしている様子だが、アレックスがそれを受け入れようとしない。

 

「まぁ、良いッスか。目が覚めたら十八階層目指すッスかねぇ……残り……十時間とちょっと、もう二時間半経った……いや、まだ二時間半って言うべきッスかねぇ」




 ヒイラギちゃん逃走中。超モテ期がヒイラギちゃんに到来中なう。




 ティオナに与えられた特殊ルール
 襲撃間隔10分(襲撃完了後からカウント)
 煙幕弾が使用された場合、どんな状況であっても戦闘を放棄して逃走しなくてはならない。逃走後20分は襲撃不可能
 閃光弾が半径10M以内で使用された場合、本気で戦闘可能
 ※徒手空拳、足での格闘技も使用可。襲撃終了で効果終了

 徒手空拳、足での格闘技の禁止。鉄棒での攻撃のみ可能
 ※鉄棒以外の部分でダメージを与えた場合即座に失格

 鉄棒が破壊された場合、撃破判定

 撃破判定が出た場合、十八階層まで新しい鉄棒をとりに行かない限り襲撃不可能
 鉄棒は予備を含め四本のみ。四回撃破された場合は復帰不可能。

 ※同じ班を何度も襲撃する事が可能


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『遠征合宿』《道中2》

『ロキ・ファミリアは今は遠征合宿中かしら』

『何を考えているのか知らないけど、カエデに手出ししないでよ』

『分かってるわよヘファイストス。これ以上ロキを怒らせると面倒だしね』

『貴女の堪え性の無さは知ってるわよフレイヤ。本当に止めてちょうだい』

『…………大丈夫よ』

『その間は何よ……本当に止めて欲しいのよ』

『そういえば、ツツジ・シャクヤクについてなんだけど』

『何?』

『彼、死んだみたいよ』

『…………そう、なんで貴女が知ってるのかしら? ……まさか』

「違うわ。眷属にするならまだしも、殺したりなんてしないわ』


 メンバー全員が目を覚ますまでに二度程モンスターの襲撃を受けたが、アリソンとグレースの二人で十分に対処可能だった事も有り被害は無く済んだが、消費した道具類の整理を行うべく全員でラウルのバックパックを囲みながら話し合いを行っていた。

 真っ先に口を開いたのはグレース。

 

「アレックス、アンタ補助道具全部こっちに寄こしなさい。アンタが持ってると危ないわ」

「同感だね。あのタイミングで合図無しでの閃光弾(フィラス)は考えられない」

 

 グレースの言葉に同意しつつも腰のベルトの煙幕弾(カノプス)を確認していたヴェネディクトスがアレックスを睨む。

 先程アレックスの身勝手な行動によって足並みが乱され、危うく全滅しかけた事を指摘するヴェネディクトスに対して、アレックスは不愉快そうに鼻を鳴らす。

 

「何言ってんだよ、合図してたら気付かれてただろうが」

 

 言い分としては間違ってはいないが、その行動が正しい訳がない。

 もし使うにしても事前に使用するタイミング等は話し合っておくべき事であり、その場で行う行動としては最低の部類であった。せめてカエデやアリソンに対する被害を押さえるべく起爆地点を考えるべきだっただろう事等、アレックスの行った行動に褒めるべき点は存在しない。

 

「で? 驚いたアリソンがグレイブ振り回してカエデの腰のポーチ直撃させてアイテム類を全滅させたわけだけど? アンタどうするつもりよ。回復薬(ポーション)二つが無駄になったのよ?」

 

 グレースの言葉通り、カエデの腰の辺りを直撃したグレイブの柄が丁度カエデのポーチと音響弾(リュトモス)を直撃し、音響弾(リュトモス)の起爆と回復薬(ポーション)瓶二本が砕けた事でカエデの所持品のいくつかが使い物にならなくなったのだ。

 

「はぁ? たかが回復薬(ポーション)だろ」

「あのさ、持ち込める道具に制限があるんだよ? 理解してるのかい君……」

 

 今回ラウル班が持ち込んだ回復薬(ポーション)は合計で二十本。高位回復薬(ハイ・ポーション)が八本。一人当たり回復薬(ポーション)三本と高位回復薬(ハイ・ポーション)一本ずつ、予備として回復薬(ポーション)五本と高位回復薬(ハイ・ポーション)三本である。

 音響弾(リュトモス)閃光弾(フィラス)煙幕弾(カノプス)が五個ずつ。

 

 カエデが音響弾(リュトモス)二個、アリソンとグレースが音響弾(リュトモス)閃光弾(フィラス)一つずつ。アレックスが閃光弾(フィラス)二個。ヴェネディクトスが煙幕弾(カノプス)三個と言った分配を行っており、ラウルのバッグの中に音響弾(リュトモス)閃光弾(フィラス)が一つずつ、煙幕弾(カノプス)が二つであった。

 

 しかし、先の戦闘でカエデの持つ音響弾(リュトモス)二個と、アレックスの持つ閃光弾(フィラス)一つを消費してしまったのと、煙幕弾(カノプス)を救援してくれたジョゼット班に一つ渡してしまったのだ。

 まだまだ物資に余裕があると言えばあるが、かといってこのまま楽観視なんて出来るはずがない。

 

「とりあえずアレックス、残りの閃光弾(フィラス)は没収、アンタに持たせると碌な事無いってのがわかったし。んでカエデ、とりあえず音響弾(リュトモス)閃光弾(フィラス)を一つずつ持っときなさい」

「はい」

「後回復薬(ポーション)も補充しときなさいよ」

「はい」

 

 ラウルのバックパックの中から必要な物を取り出して腰のポーチに入れるカエデを余所に、アレックスが閃光弾(フィラス)を取り出してグレースと睨み合う。

 

「カエデに渡しなさい」

「ちっ」

 

 嫌々と言った様子で閃光弾(フィラス)をカエデに投げ渡したアレックスが立ち上がりラウルを睨んだ。

 

「時間は」

「……ん? 時間? 残り時間ッスか? 後10時間ッスかね。30分ぐらい気絶してたッスから」

「よし、準備完了だ……まだ七階層なのに3時間もとられるなんてね」

「いやぁ、全滅しなかっただけマシッスよ」

 

 ラウルが朗らかな笑みを浮かべるが、メンバーの表情は明るいとは言えない。

 カエデとアリソンが俯きがちに溜息を零し、グレースが苛立った様子で爪先で地を蹴る。ヴェネディクトスは能面の様な無表情でアレックスを見据え、アレックスが鼻を鳴らして視線を逸らす。

 パーティの雰囲気が最悪なのは今に始まった事ではないが、もう少しなんとかならないかと視線を巡らせたラウルは口元を引きつらせた。

 

 これ、無理な奴だと。

 

 

 

 

 

 ダンジョン十三階層、濃霧の迷宮の悪意(ダンジョントラップ)によって数M程しか見通せない濃い霧の中を進むラウル班。耳を澄ませて周囲を探りつつ、上手くモンスターを回避するラウル班。

 耳を澄ませて警戒しながら足音を立てずに歩くカエデとアリソンの後ろ姿を見ながらグレースは呟く。

 

「残りの班、どれぐらいなのよ」

「わかんないッスね」

「でしょうね」

 

 先程、全滅判定を下されて地上に戻って行くいくつかの他の班とすれ違った。どれもボコボコにされたのか、中には昏倒した団員を抱えるメンバーを補助役が護衛していくと言う姿も見られた。

 既にベートを撃破しているとは言え、未だに邪魔役は四人は健在のはずだ。すれ違った他の班曰く、アイズかベートに全滅させられる事が多いらしい。ティオナがどのあたりをうろついているのかは不明だが、何より恐ろしいのはペコラとティオネの話題が一つも出ない事である。

 

「ティオネさんはどの辺りなんでしょうか」

「……わかんないですけど、上の方は無いんじゃないかなぁと」

「無駄口叩いてんじゃねぇよ」

「アレックス、アンタは黙っててくんない?」

 

 カエデとアリソンの会話に苛立った様子を見せるアレックス。グレースはアレックスを睨んで黙らせ前を見据えた。

 

「ほんと最悪。階段まで後少しよね。もう走る?」

「走ったらアイズさんがすっとんでくるって話だけど」

 

 アイズの襲撃条件の一つに走って行動するパーティに対する即時攻撃権と言うのがあるらしく、襲撃間隔の間であっても走って移動するパーティを見つけたら襲撃して良いらしいと言う情報を、他の班に教えてもらった。その事を指摘するヴェネディクトスを肩越しに振り返ってグレースは溜息を零した。

 

「でも霧から出られないんでしょ?」

「安全策を取るべきだよ。急がば回れと言うしね……っと、すまない」

「別に、と言うかカエデ、なんか見つけた?」

 

 先頭を歩くカエデがふと足を止めて耳を澄ます。濃霧の中で見失わない様に真後ろに張り付いて歩いていたグレースがつんのめって止まり、グレースの後ろを歩いていたヴェネディクトスがグレースの背中にぶつかった。

 謝罪に対し片手を上げて返事をしたグレースが足を止めたカエデを見降ろして口を開けば、カエデは首を傾げながら霧の中を見回している。

 

「……? …………アリソンさん、このルームに誰か居ません?」

 

 現在居る場所は地図上に置いて大き目の部屋(ルーム)となっている場所であり、草原の様に地面に生えた背の低い植物を踏締める音は自分達の分以外は聞こえない。だが、カエデは不思議そうに耳を澄ませて何かを聞きとろうとし始め、アリソンも首を傾げつつも耳を澄ませて周囲を索敵し始めた。

 

「んー? うぅ? ……あれ、本当ですね。呼吸音が聞こえます。三人分です」

「呼吸音? 三人分? って事は他の班?」

「いえ、班は六人が基本なので三人ってのはおかしいんですけど……」

 

 不思議そうに首を傾げるアリソンとカエデの様子を見ていたグレースは霧の中を見据える。濃霧に閉ざされた視界は何も見通せず、誰かが居る様な気配も一切感じられない。ヴェネディクトスを窺えば同じように首を傾げる始末。アレックスだけは目を細めて一点を見据えている。

 

「……アレックス、なんか気付いたなら言いなさいよ」

「…………なんかにおうぞ」

「におう? 何の……甘いにおいがしますね……っ!?」

 

 不愉快そうに匂いを嗅いだアレックスの言葉に反応し、周囲の匂いを嗅いだカエデが慌てて剣を引き抜いて構えた。真後ろのグレースも直ぐに反応して同じ様にケペシュを引き抜き、遅れてアリソンがグレイブを構える。

 

「カエデ、どうしたのよ」

「この匂い、ペコラさんですっ!」

 

 濃霧に視界を閉ざされた大部屋の中、カエデの声が響き渡り、一瞬の静寂が訪れる。その静寂は直ぐに破られる事となった。ダンジョンの中とは思えない陽気な声色で間延びした返事を返す声が響いた。

 

「だいせぇ~かぁ~い。ペコラさん登場なのですよ~」

 

 濃霧の中に響く声、姿は一切見えないが確実に声の届く範囲、同じルーム内に居る事は確定だ。やる気があるのか無いのか判別がつかないふわっとした声色に警戒を深め、武器を構えるラウル班。

 耳を澄まして警戒を厳重に行っていたにもかかわらず、聞こえたペコラの声はかなり近い。それも10Mも無い様な距離だ。濃霧によって姿は見えないが、いくらなんでもこの距離まで近づかれるまで気が付かないのはおかしい。

 

「嘘、音なんて全然……」

「聞こえませんでしたよね? 何でこんな近くまで……」

 

 疑問を口にしたカエデとアリソンに対し、ペコラが濃霧の向う側から答えを返した。

 

「だってペコラさん動いてませんし」

 

 足音や物音を一切立てずにその場でじっと待機して獲物が来るのを待っていたと堂々と答えたペコラに対し、ヴェネディクトスが呟いた。

 

「なるほど、話には聞いてたけどペコラさんは敏捷が駆け出し(レベル1)にも劣る程だって言われるぐらい鈍足だから移動してると追いつけないって話だったはずだ」

 

 ペコラ・カルネイロは二つ名でもある【甘い子守唄(スィートララバイ)】が有名ではあるが、他にも異常に高い耐久を誇る冒険者としても名が挙がる事が多い。その耐久の高さは他の並み居る冒険者なら即死する程の威力を持つ攻撃を数度に渡って耐える程だと言われている。

 そんなペコラの弱点は耐久が異常に高い代わりに、敏捷が非常に低い事である。それこそ駆け出し(レベル1)冒険者にすら劣る程の敏捷しか持ち合わせていないとも言われている。

 

「……何それ」

「じゃあ走れば逃げれる?」

 

 グレースとカエデが呟いて顔を見合わせる。目の前に居るとは言え駆け出し(レベル1)以下の敏捷しかないペコラなら直ぐに振り切って逃げ切る事が出来るだろう。

 

「よし、じゃあ今すぐ逃げよう」

 

 真面目に相手をするまでも無いとヴェネディクトスが提案し、霧の中で姿の見えないペコラを警戒しつつもどの方向に逃げるかを声に出さずに全員に伝える。アレックスもこの状況で余計な行動を起こす気は無いのか黙って従う積りらしい事を確認し、最後にラウルの方に視線を向けて確認をとろうとしたヴェネディクトス。

 ヴェネディクトスに視線を向けられたラウルは半笑を浮かべて口を開いた。

 

「残念、逃げられないッス」

「え?」「どうして?」「はい?」「何言ってんだお前」

「あ、話し合いですか? どうぞどうぞ好きなだけ。ペコラさんは何時までも待ってますので~」

 

 カエデ、アリソン、ヴェネディクトス、アレックスとほぼ同時に口を開いた四人、呑気なペコラの言葉を聞き、グレースは顔を引き攣らせて呟いた。

 

「そう言えばさ、門番の人らに()()()()()()()()()()()って言われなかったっけ?」

「あっ」「言われてましたね……」

 

 グレースの言葉にカエデをアリソンが反応して思い出す。【ロキ・ファミリア】の本拠を出た所で門番に言われた一言だ。その言葉を思い出してカエデはラウルの方を向いた。

 

「なんで逃げられないんですか?」

「なんでって……ペコラさんと出会った場合、逃走が許されないッスから」

「……倒すか、撃退するかのどっちかですか?」

「撃退は出来ないッス。倒す事しか無理ッスね」

 

 なんとなく感じた猛烈な嫌な予感に頬を引き攣らせたカエデとグレースが震える声で尋ねた。

 

「「…………倒す条件は?」」

 

 二人の声を聞いたラウルが爽やかな笑みを浮かべて口を開く。

 

「気絶させればオッケーッス」

「「はぁっ!?」」「無理に決まってんでしょっ!?」

 

 ラウルの言葉に悲鳴に近い声を上げるカエデとヴェネディクトス。即答で不可能だと答えたグレースが頭を抱える。

 相手は準一級(レベル4)冒険者、その中でも特別耐久が高く気絶耐性も強くまず昏倒させる事も出来ないと言う難攻不落のペコラ・カルネイロ。どうやって気絶させればいいのかと霧の奥に居るらしいペコラの方を睨む。

 そんなグレースの横でアリソンが口を開いた。

 

「あれ? これ普通にいけません?」

「何言ってんのよ」

「いやだって、狼人(ウェアウルフ)が苦手で気絶しちゃうって」

「「「あ」」」

 

 アリソンの言葉に見落としていた点を指摘されたカエデ、ヴェネディクトス、グレースが顔を見合わせて頷き合う。

 

「いきなさいカエデ」

「いきます」

 

 ペコラ・カルネイロは狼人(ウェアウルフ)が苦手である。【ロキ・ファミリア】に所属する人間なら誰しも知っている情報。

 遠征合宿以前に言われていた事、狼人(ウェアウルフ)が所属していない班はペコラに捕まった時点でアウトだと言う話を思い出しカエデが喉を鳴らし唸り声を響かせながら、霧の中に居るペコラ・カルネイロに剣を向けて突っ込んで行った。

 

「お? やっと来ましたか。待っていましたよぉ~っと、危ないですねぇ」

 

 濃霧の中、容赦なくカエデがペコラが居ると思わしき場所を大きく薙ぎ払う攻撃を繰り出し、ペコラはその斬撃を素手で受け止めた。

 

「あ、カエデちゃんですか。こんにちは」

「……あれ?」

「どうしました? 不思議そうな顔してますねぇ~」

 

 唸り声を上げて突っ込み、ペコラと真正面から向かい合ったカエデが首を傾げた。ペコラは狼人(ウェアウルフ)であるカエデに怯むでもなく柔らかな笑みを浮かべてカエデを迎えた。

 

「え? あれ? 狼人(ウェアウルフ)が苦手って……」

「あー、それですかぁ~……カエデちゃんのおかげでカエデちゃんは大丈夫になりました。ありがとうございます」

「…………っ!?」

 

 にこやかな笑みと共に返された言葉にカエデが尻尾の毛を逆立て、慌ててウィンドパイプを引こうとする。しかしペコラに掴まれたウィンドパイプはぴくりともせず動かない。がっちりと掴みカエデと真正面から向かう合うペコラに対し、カエデは速やかにウィンドパイプを手放してグレースたちの下に逃げ帰った。

 

「どうしましょう、気絶させれませんでした」

「……ねぇ、アンタ自分で自分の首絞めてんだけど」

「こうなるなんて知りませんでしたよっ?!」

 

 悲鳴に近い声を上げるカエデに対し、グレースが頭を抱え、直ぐにケペシュを打ち合わせて甲高い金属音を響かせた。

 

「こうなったら真正面からぶつかるわっ!」

「頑張りましょうっ!」

「仕方ないか」

「勝ちますっ!」

「ちっ、やるならさっさとしろよ」

 

 グレースの潔い叫び、アリソンの決意を秘めた宣言、ヴェネディクトスの半ば諦め混じりの溜息、カエデの力強い宣言、アレックスの舌打ちが響く。

 濃霧の向う側で呑気にラウル班の出方を待ち、自ら攻撃を仕掛けるでもなく待ち続けたペコラに対し全員で挑みかかろうと全員が足を踏み出す。

 

 いくら耐久が馬鹿げて高いと言われようと五人がかりで殴りまくればなんとかなるはずだと挑む五人に対し、ペコラは薄ら笑みを浮かべて懐中時計を懐に仕舞う。

 

「すいません、時間切れって奴ですよ」

 

 響くふんわりとしたペコラの宣言に、カエデの尻尾が爆発した様に毛を逆立て、嫌な予感を感じ取ったカエデが叫んだ。

 

「耳を塞いでくださいっ!」

「え?」

「耳を塞ぐ程度じゃ意味無いんですよねぇ~。では皆さん……おやすみなさい。良い夢を~」

 

 霧の中に響くペコラの声、まるで四方八方から同時に響いてくる様な声に皆が目を見開く。

 耳を両手で押さえて塞ぐカエデ。遅れてグレースとヴェネディクトスが耳を塞ぎ、アレックスが其れを無視して霧の中を突っ込んでいく。アリソンが両手で持ったグレイブを手放せずに耳を塞げずに足を止めた。

 

 ――目を閉じて――

 

 響く声に抗えない。耳を塞いでいる筈なのに脳裏に響くペコラの声に困惑しつつも歯を食いしばる。

 

 ――抗わないで――

 

 アリソンが真っ先に崩れ落ちる。グレースがケペシュを自身に突き立て、ヴェネディクトスが膝を突いた。霧の奥でアレックスの叫び声が聞こえる。

 

 ――大丈夫――

 

 響くペコラの声が染み渡り、体から力が抜ける。ヴェネディクトスも倒れ伏し、アレックスの叫びが聞こえなくなった。グレースだけはケペシュを打ち合わせて金属音を響かせて一歩前に踏み出している。

 

 ――暗闇は怖くない――

 

 一歩前に踏み出す。逃げるか戦うか。ここで諦める事なんて出来るはずもない。もう一度歯を食いしばり音響弾(リュトモス)を掴みとる。

 

 ――手をとってあげる――

 

 気が付けば目の前に微笑みを浮かべたペコラの姿が合った。灰色の拳大の球体を優しく奪われ、代わりに手を握られる。

 

 ――目が覚めるまで一緒に居てあげる――

 

 脳が蕩ける様な感覚と共に、視界が揺れる。

 

 ――優しい夢を貴女に――

 

 優しく握られる手の感触だけが意識を繋ぎとめる物で、それ以外が曖昧に薄れていく。

 

 ――おやすみなさい――

 

 優しく手を握りしめられ、意識が落ちた。

 

 

 

 

 

 幸せそうな寝顔を見せる五人を一人一人覗き込んでからラウルは呟いた。

 

「いやぁ、エグいッスね」

「そうですか? 結構優しくしてあげたんですけどねぇ」

 

 苦笑を浮かべるラウルに対し、朗らかな笑みを浮かべてカエデ達を十四階層の安全な部屋まで運んだペコラは大きく伸びをして頷いた。

 

「カエデちゃん達が目を覚ますのは多分二時間後ですかね。起きて直ぐに急げばギリギリ間に合うとは思いますよ」

 

 ペコラ・カルネイロの放った攻撃、と言うより子守唄によって瞬く間にパーティメンバー全員を深い眠りに落とした後、ペコラはラウル班を十四階層にある安全な部屋まで運びこんだのだ。

 ラウルの目の前でペコラはラウル班の持ち物であるバックパックの中身を漁り、その中からルールに従って所持品のいくつかを取り出して袋詰めしている。

 

「まぁ、ルール通りに貰う物は貰っていきますけどね。あ、隠し持ってたりとかしないですよね?」

「そういうのは無いッスよ」

「そうですか……おっ、マシュマロがあるじゃないですか。カエデちゃんの持ち物ですかね。よし、貰っちゃいましょう」

 

 カエデがこっそり持ち込んだ嗜好品のお菓子類を見つけて嬉しそうに懐に納めるペコラ。後からカエデが何と言うかと考えてラウルは溜息を零した。

 戦意高揚の意味も兼ねて嗜好品の類も多少持ち込んだラウル班だが、その嗜好品を全てペコラはバッグから引き摺り出して持ち去っていくつもりらしい。

 

「まぁ、負けたのが悪いッスから何とも言えないッスかねぇ」

「持ち込んだ物は最低限って感じですね。あ、これも貰いますね」

「調味料もッスか……容赦ないッスね」

「これぐらいしないとー、と言う訳でこの荷物は十八階層にお願いしますね」

 

 ペコラがラウル班から奪取した物資類をまとめた袋をペコラの後ろに待機していた団員に手渡す。ペコラの付近で待機しており、ペコラが気絶した場合ペコラを安全な場所まで運ぶか、ペコラが相手を倒した場合奪った物資類を十八階層まで運ぶ足に成る役割として、ペコラと共にダンジョン内で待機していた【ロキ・ファミリア】で賭け事をしていたのがリヴェリアにバレた(暇を持て余していた)第二級(レベル3)冒険者だろう。

 団員は頷いて袋を受け取ると、そのまま十八階層まで走って行ってしまった。

 

「いやぁ、運が無いですねぇ」

「……まぁ、最初にベートさん撃破しちゃったッスから。運はそこで使い切ったんじゃないッスか?」

「おぉ、ベートさん撃破ですか。凄いですね。よし、ペコラさんがよしよししてあげましょう」

 

 ラウル班の物資類を奪取しておきながら、眠らせたカエデ達の方に近づいて頭を撫でてよしよししているペコラを眺めてラウルはゆっくりと溜息を零した。

 

 ペコラ・カルネイロに与えられた条件は少々特殊であり、ペコラに全滅させられた場合に限り失格にはならないと言うものがある。要するに今回の全滅でラウル班が失格にはならないと言う事なのだが、目覚めるまで行動不可能なのに加え、持ち物の一部を奪われてしまったのだ。

 

「では、ペコラさんはこれにて失礼しますね。十八階層まで時間ギリギリではありますが頑張ってください」

 

 笑顔と共に去って行くペコラを見送ってから、ラウルはアレックスの寝顔を覗き込んだ。緩んだ頬によだれが垂れ、気の強そうな普段の喧嘩っ早いアレックスも寝顔だけは子供っぽさが残っている。

 グレース等は眉を顰めて不愉快そうな表情を浮かべている辺り、余り良い夢を見ていないのだろうか。

 

 意外なのはアリソンが眠っているさ中はまるで能面の様な無表情で居る事。死んでいるのではないかと錯覚するほどに静かな寝息なカエデも十二分に驚かされたが、それ以上にアリソンの無表情の寝顔は若干恐ろしい。

 

「寝顔眺めてたって言ったら怒るッスかねぇ……まぁ良いッスか」

 

 残り時間八時間半、目覚めるまで残り一時間半程。

 

 上手く目覚めて直ぐに行動すれば十四階層から十八階層はすぐだろう。時間ギリギリなのは否定しないが。




※一部サブタイトルを変更しました。


ペコラさんからは逃げられない

 出会った時点で強制戦闘開始。狼人(ウェアウルフ)がパーティに居るなら、適当に吠えさせるだけで勝手に気絶してくれる超イージーモードな相手。
 狼人(ウェアウルフ)が居ない場合は超耐久で気絶させるとか絶望的に不可能な相手と化す(時間制限有り)

 一定時間後に子守唄で強制敗北になるイベント戦闘。どうやって戦闘自体を回避するかが肝となる。出会ったら諦めろとしか言えない。

 カエデの場合は狼人(ウェアウルフ)克服の為に協力していたのでペコラさん相手にぶつけても無意味になっていた。他の狼人ならワンチャンある。





 ペコラ・カルネイロに与えられた特殊ルール。

 襲撃間隔無し。
 撃破条件:気絶させる事
 撃退条件:無し

 攻撃方法:出会ってから5分後に子守唄を唄って強制戦闘終了(抗うのはほぼ不可能)

 特殊条件1:出会った場合逃走不可能(補助役が逃げる事を禁止する)
 特殊条件2:ペコラに倒された場合、全滅判定では無く一時的に足止めのみ
 特殊条件3:足止めされた場合、物資類のいくつかをペコラに奪われる


 敏捷が駆け出し並しかないので、逃げようと思えば逃げれるし、何処に居るのか気付けば回避可能。ただしその場に息を潜めて近くに来たら声を掛けると言うやり方でいくつかの班を罠にはめている。

 気絶から復帰した瞬間に他の班を襲撃できる。


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『遠征合宿』《野営地》

『姉ちゃん。これなんだ?』

『これかい? オラリオでは有名な携行食糧だよ』

『……食えるのか?』

『不味いけどね』

『ふぅん。うぶっ……不っ味いなこれ』

『だろうね。あたしは慣れたけど』

『よくこんなん食えるな……冒険者は皆こんなの食ってんのか?』

『非常時にしか食わないよこんなもん。犬の餌の方がマシだってぐらい酷い味だからね』


 ダンジョン十七階層、ごつごつとした岩肌が、上下左右、視界の全面を占領しており、光源が心もとなく薄暗く、でこぼこした石の通路は歩きにくい。洞窟、炭鉱、坑道を連想させる岩盤の洞窟となっている。

 そして十八階層へ通じる階段に行く為に、必ず通らねばならぬ大広間にある17階層最後の障壁。中層の迷宮の孤王(モンスターレックス)ゴライアスを生み出す壁、『嘆きの大壁』。

 

 本来なら第二級(レベル3)冒険者が複数のパーティを組み、大規模な戦闘にて討伐すべきモンスターの出現するその大広間にて、【ロキ・ファミリア】のアマゾネス、()()()()のティオネ・ヒリュテが伸びをしながら歩いていた。

 

「はぁ……やり過ぎて十八階層に運び込む事になるなんてねぇ。時間は……まだ10分残ってるか」

 

 遠征合宿の【ロキ・ファミリア】の第三級(レベル2)を中心に組まれたパーティを妨害すべく、ダンジョン内で待機していたティオネは先程襲撃したパーティに対し、()()()()た所為で十八階層へ護送する羽目になり、送り届けた後に上の階層に戻るべく足を運んでいるさ中であった。

 

 懐中時計を確認し、襲撃間隔の時間が過ぎていない事を確認して吐息を零しつつ今回撃破したパーティを指折り数えていく。

 

「えっと、三つは潰したけど……どれも点数低いのよね。ここでどかんとラウル班辺りが潰せれば逆転もあるけど……運が良いのはベートが撃破済みって所かしら」

 

 今回の遠征合宿にて撃破したパーティに対し決められた点数が割り振られており、ラウルの班はかなりの高得点に設定されていた。他にもジョゼット班も高得点だが、先程十八階層にパーティを送り届けた時には既にキャンプを張っているさ中なのを確認したので、残るはラウル班ぐらいしか高得点は残っていないだろう。

 

「ま、今来られても襲撃できないんだけど」

 

 懐中時計を眺めながら大広間から十七階層の迷宮に通じる通路に足を向けていたティオネは、通路の奥にて複数の足音が聞こえるのに気付き、通路の奥を見据えて溜息を零した。

 

「噂をすれば。ラウル班ね。他にも二つくっついてるけど」

 

 目の前の通路の先から全力疾走してくるラウル班、その左右に別の班を伴っているのを見て溜息を零すティオネは、目の前を素通りさせないといけない事に気付いて頭に手を当ててから、道を譲る様に横に退いた。

 ラウル班の様子をぼんやり眺めれば、怒声を上げて怒っている様子のグレースが見える。カエデが耳を伏せながら涙目で此方を見据えているし、ラウルが離れたティオネに向かって両手を合わせている。

 ラウルのおかしな行動に気付いたティオネが首を傾げる。

 

「何? 何で謝って……」

 

 彼我の距離が縮まり、カエデが何かをティオネに向かって投擲した。

 飛来した投げナイフを指で挟みとり、ティオネは声を上げる。

 

「今、私は襲撃できないから先に進んで――」

 

 良いよまで言い切る前に、矢が三本飛来する。それを左手の指先で挟む様に受け止めて溜息を零す。

 

「ちょっと、今私攻撃できな――」

 

 声を張り上げて自分を素通り出来る事をしらせようとしたティオネだが、声が聞こえていないのか無視されてしまう。三パーティ、合計十五人の第三級(レベル2)冒険者は走りながら全員が何かを取り出してティオネに向かって投げ始める。

 

 石、石、石。投擲されたのは大量の石ころ。後ろに下がってやり過ごそうと無視された事に若干苛立ちつつも後退したティオネ。そんな選択のさ中、ティオネの耳にはラウルの「ごめんなさいッス」と言う言葉が妙に耳に残った。

 

 先程から何なのだとラウルの方を見れば、ラウル以外にも二人の第二級(レベル3)の補助役が同じ様に両手を合わせて謝罪する仕草をティオネに向けている。

 

「一体なんなの――」

 

 言葉を放ちきるより前に、石ころの中に交じっていたらしい音響弾(リュトモス)が起爆したのか、耳を貫く高音が響き渡り、ティオネは思わず両手で耳を押さえた。

 次の瞬間には足元に転がった煙幕弾(カプノス)が爆ぜ、白煙を上げてティオネの視界を潰す。

 流れる様な連鎖に対応が遅れたティオネを待ち受けていたのは、白煙に包まれて視界を塞がれた中で起こる連撃であった。

 

 最初に目を開いた時に見えたのは、カエデの物らしい大刀の一撃。鞘に納めたままぶっ叩く事で打撃を重視して意識を刈り取ろうとしたのだろうそれ。

 反応が遅れもろに顔面の中心を穿たれ、大きく仰け反る。それだけに留まらず腹に直撃したのはバトルハンマーによる重打。背中に突き抜けていく衝撃に息が漏れるが、二撃目は踏ん張りきる事に成功する。

 しかし足元を走り抜けるグレイブによって足払いを掛けられ体勢が崩れ、矢が数本ティオネの肌に当たる。そして、とどめと言わんばかりの両足を揃えたドロップキックがティオネの胸に突き刺さった。

 

 

 

 

 

 ティオネを撃破し、走り抜けているカエデが首を傾げて口を開く。

 

「あの、ティオネさんなんか言ってませんでしたか?」

「あぁ? なんか言った?」

 

 大声で聞き返すグレース。互いに声が届いていないのか顔を見合わせて首を傾げあっている。その様子を眺めていたラウルは遠い目をして呟いた。

 

「いやぁ……酷いッスねぇ」

 

 つい先ほど、他のパーティが警戒し過ぎて出会い頭に音響弾(リュトモス)を同時に三つも起爆させた所為で耳を潰され、しばらく音が聞こえなくなったラウル班と他二つの班。

 残り時間も少なくなっており焦った三つの班は纏まって十八階層に雪崩込む作戦を立てた。と言うよりそれしかないので耳が聞こえず意思疎通が出来ずとも、意思統一を図ってメンバー十五人+補助役三人で走り抜けていたさ中であった。

 

 後ろを振り返ったラウルの視線の先。煙幕弾(カプノス)が張られており、その中でティオネに対して行われた連撃を思い出してラウルは震えあがった。

 

「絶対怒るッスよあれ……」

 

 残り時間僅かと言う事で慌てて、襲撃間隔の事等頭から抜け落ちる程に慌てた三つのパーティによる凄まじい連撃がティオネを襲ったのだ。

 中で何が起きたのかあえて言うなれば――無抵抗な人間に対する過剰攻撃だろうか。

 攻撃してこなかったと言う事はつまり襲撃間隔のさ中だったと言う事なのだが。

 

「気付いてないッスよねぇ」

「やっぱティオネさんなんか言ってた様な気がします」

「とりあえず走れ」

 

 意思疎通ができているのか居ないのか、三つの班が一塊になって十八階層へ通じる階段へと走り抜けて行った。

 

 

 

 

 

 

 無言で起き上がったティオネは周囲を包み込む煙幕弾(カノプス)の煙幕から抜けるべく足を進める。煙幕から抜け出して天井を仰いで溜息を零し、顔を上げた。

 鬼の様な形相を浮かべ、震える拳を握りしめたティオネは服に引っ掛かっていた矢を握りつぶして宣言した。

 

「あいつ等潰す……ん?」

 

 宣言の後、違和感に気付いて十七階層の迷宮に通じる通路へと視線をやったティオネは顔を引き攣らせて呟いた。

 

「ちょ……怪物進呈(パス・パレード)って……」

 

 ティオネは知らぬ話だが、十六階層階段部分で出会い頭に音響弾(リュトモス)を投げ合うと言うへまをやらかした二つの班があり。其処に巻き込まれる形で耳を潰されたのがラウル班+二つの班と言う形だったのだ。

 音響弾(リュトモス)の注意点は高音を発生させることにより、時折モンスターが寄ってくる事であり、三つの音響弾(リュトモス)起爆によって大量のモンスターがおびき寄せられる事になった。

 

 向かってくる大量のモンスター、少ない残り時間。互いに声が通じずに困り果てた三つの班が出した結論は一つ。十八階層へ走り込むと言うものだった。

 

 無論、問題点も存在する。モンスターが大量に後からついてきていると言う事だ。これに関しては二通りの方法で解決しようとしていた。音が聞こえない状況で戦うのは自殺行為も良い所。

 せめて聴覚が回復してから戦闘すべきであると言う所から、十七階層最後の大部屋の所で迎え撃つと言うのが第一の方法。そしてもう一つが途中、妨害役を見つけたらモンスターを擦り付ける、と言うものだった。

 

 つまりティオネは怪物進呈(パス・パレード)の対象として選ばれていたのだ。

 

 

 

 

 十八階層の安全階層(セーフティーポイント)。指定された地点に野営地を設営していたガレスは腕組みをしながら懐中時計を何度か眺め、十七階層へ通じる階段を見据えていた。

 その視線の先、ギリギリのタイミングで十八階層へ走り込んでくる三つの班が見えて吐息を零し、ガレスは近くで待機していた団員に指示を出して最後の班の居る地点へと足を向けた。

 

「今回は五つか。なかなか良い感じだな」

 

 前回や前々回、あまりにも難易度が高すぎて難しいとの指摘が多かった遠征合宿。フィンが頭を悩ませてどうにか難易度調整が出来ないかと考えていたのを覚えていたガレスは一つ頷いた。

 

 

 

 

 

 他の二つの班と別れ、ラウル班は指定された区域内にて野営地の設営準備と、夕食の準備を同時進行しているさ中であった。

 テント作成のヴェネディクトスとグレース、夕食の準備のアリソン、焚火を起こすべく枯れ木を集めに行ったカエデ。そして木の上で周辺警戒と言う名目でサボっているアレックス。ラウルだけはそれを眺めて水晶に腰かけていた。

 

「よし、テントの準備完了っと……アリソン、そっちは?」

「……えっと簡易かまどは出来ました。後はカエデちゃんが枯れ枝を持ってきてくれるのを待つだけですかね」

「持ってきました」

 

 噂をすれば。両手にある程度の枯れ木を抱えたカエデが走って戻ってきて、簡易かまどの横に枯れ木を置いて周囲を見回した。

 

「……アレックスさんは?」

「そこの木の上。寝てんじゃない?」

「枯れ木集め、手伝ってくれてもいいのに」

「文句言っても仕方ないわよ、とりあえずアリソン水は?」

「あ、忘れてました」

 

 舌を出しておどけた表情をしたアリソンに対し、ヴェネディクトスが溜息を零した。

 

「……暗くなるまで十分も無いんだけど」

「あぁもうっ! 水汲んでくるわ! 容器はっ!?」

 

 置かれたバックパックに駆け寄り、水を入れる容器を引っ張り出したグレースが駆けていくのを見てラウルは笑みを零した。

 

「いやぁ、忙しそうッスねぇ……」

 

 残り十分を切った状態での十八階層到達。天井の照明が消えるまで三十分の猶予しかない時間設定なのでギリギリでの到着はつまり、野営地の準備時間がかなり削れる事を意味する。

 他の班の話ではジョゼット班が最速であり、残り一時間半で到着。次点がアリシアの班であり残り一時間で到着。ラウル班と他二つの班が残り十分での到着で以後の到着者は無し。

 

 ガレスが用意した野営地には複数の全滅パーティが運び込まれており、あの場だけは中規模の遠征規模の野営地になっているが、他の班は一つの班ごとに野営地を築いているので規模が小さい。

 ラウル班が野営地として選んだのは猫の額程の広さの森の中にできた広間である。到着した時点で光源が失われるまで残り30分を切っており、大急ぎで準備しているさ中。

 

 良い動きをしているのはテントを最速で組み上げたヴェネディクトスと文句一つ言わずに枯れ枝集めを終えたカエデ。アリソンも食事の準備と光源の確保の為に色々としているが慌て過ぎている。

 グレースは最悪テント無しで良いんじゃないとテントの組み立てを面倒臭がっていたし。

 アレックスに関してはもはや指摘する点は無い。

 

 そんな中、大慌てで水を汲んできたグレースが容器を地面に置き、カエデが焚き木の為に枯れ木を組み上げ。アリソンが簡易かまどに火を入れて鍋を片手にバックパックの中を漁っている。

 そんなアリソンがバックパックの中を眺めて口を開いた。

 

「あれ? ……おかしいです」

「どうしたのよアリソン」

 

 異変に気付いたグレースがアリソンに駆け寄り、いきなり視界が暗くなり始め、全員が天井を見上げた。

 

「夜ッスね」

「襲撃まで一時間でしたっけ? それまでに夕食を終えないと」

 

 ラウルの言葉に反応したカエデは暗くなった手元で小さな火種を起こす事に成功し、なんとか焚火に火を移して息を吹きかけて火を大きくしようとしている。

 そんな中、アリソンが悲鳴の様な声を上げた。

 

「やっぱおかしいですよっ!」

「何がよ」

「食べ物が何処にも無いんですっ!」

「え?」

 

 アリソンの声に反応したカエデが顔を上げ、手元の火種が消えかけて慌てて火種の保護に回る。グレースがアリソンの首根っこを掴んでどけ、バックパックの中を漁り始めた。

 

「何寝ぼけてんのよ。行きに確認したでしょ……」

 

 ごそごそとバックパックを漁るグレースだが、次第に表情が苦くなっていく。

 

「……嘘でしょ……携帯食糧しか入ってないんだけど」

「え? マシュマロは?」

「入ってないわね」

 

 驚いたカエデが固まり、火種が消えかけ。慌ててヴェネディクトスが火種を消さない様にカエデに代わって火種を育て始める。

 そんな中、アリソンがラウルに詰め寄った。

 

「ラウルさんっ! 夕食の素材が何処にも無いんですけどっ! と言うか塩すら無いんですけどぉっ!?」

「そりゃぁペコラさんに持っていかれたッスからね」

「何ですかそれっ!? 聞いてないんですけどっ!?」

「説明する時間無かったッスから」

 

 ペコラ襲撃後。目覚めて直ぐに時間ギリギリなので走り出したラウル班は、失格になってないと知った時点で大急ぎで行動を開始した為、他になんのペナルティがあるのかを聞いていなかったのだ。

 ラウルも説明すべきかと思ったのだが、時間ギリギリで説明する時間も勿体ないかもしれないのでその場での説明は控えた。後に残ったのは食料品を根こそぎ奪われ、ついでに調味料まで持ち去られ軽くなったバックパックのみ。

 

「まぁ、携行食糧は残ってるッスから」

 

 一応、携行食糧は残っているのだが。皆の反応はいまいち所かヴェネディクトスが頭を抱えて呻きだす。

 

「嘘だろ……嘘だって言ってくれよ……」

「ヴェトス?」

「マシュマロ……」

「カエデ、アンタは黙ってなさい」

 

 阿鼻叫喚の地獄絵図の様な光景にラウルは内心笑みを零した。過去にラウルが遠征合宿の参加組だった頃に起きた悲劇がまた、この班に起きているのだ。正直言えば少し楽しい。

 

「いやぁ残念ッスねぇ」

「全然残念そうに聞こえないんですけどっ!?」

「アンタ良い性格してるわねっ!?」

「なんでペコラさんのペナルティを事前に知らせなかったっ!?」

 

 グレースが怒鳴るのはいつも通りだが、珍しく声を荒げるアリソンやヴェネディクトスを横目に完全に意気消沈したカエデがバックパックに近づいて袋を取り出した。

 

「とりあえず夕食にしませんか」

「……そうですね。携行食糧だけは残ってて助かりましたよ」

 

 カエデの言葉に賛同したアリソンがナイフで袋に切れ込みを入れ、袋を開ける。

 カエデが手に持つ袋。携行食糧の納められた袋を見た瞬間、ヴェネディクトスが青褪め、グレースが口を押えた。その様子を見てカエデとアリソンが首を傾げた。

 

「どうしたんですか?」

「ん?」

「アンタ達それ食う気?」

「他に食べる物無いんですよね? だったらこれ食べないと」

「あるだけマシですよ。それに食べないと減点ですよね?」

「そうッスね。夕食抜きは減点になるッス」

 

 夕食を食べなかった場合、または食べられなかった場合は班の点数を下げると事前に伝えた事もあり、食べる選択をしたカエデに対し、ヴェネディクトスとグレースが苦虫を噛み潰したような表情を浮かべ渋り始める。

 

「いや、森に入って食材を探そう」

「ダメッス。暗くなったッスからそんな事したら危ないッスから」

「私白湯だけで良いわ」

「無論ダメッスからね? ちゃんと全員食べないと」

 

 恨みがましいグレースの視線に対し笑みを零しラウルは否定の言葉を積み上げる。少し楽しくなってきた辺りでカエデが口を開いた。

 

「あの、食べないんですか?」

 

 袋から銀紙に包まれた携行食糧を取り出して手にしたカエデを見て、ヴェネディクトスとグレースが震える声で尋ねた。

 

「アンタ達……食べた事無い訳?」

「はい」

「そうですね。不味い不味いとは聞いてますけど……実食は初めてです。そんなに不味いんですか?」

 

 素直に頷くカエデと首を傾げるアリソンの二人を見てグレースとヴェネディクトスは頭を抱えた。

 

 このパーティ内で携行食糧の存在を知ってはいても食べた事が無いのはこの二人ぐらいだろう。他の班でもこんな阿鼻叫喚の地獄絵図が繰り広げられている事は察するのは容易過ぎるが、この班ではより酷くなる事が確定した。

 初めて携行食糧を口にするカエデとアリソンの二人が無事に済むのか、そんな悩みを抱えたグレースとヴェネディクトス。そんな四人の上からアレックスの声が響いた。

 

「お前ら何してんだよ……飯はまだか?」

「アンタ何もしてないのに飯が出てくるなんて思わないでよ……いや待てよ」

「……グレース、君が何を考えているのか察しはつくよ」

 

 グレースとヴェネディクトスが顔を見合わせてほくそ笑み始め、カエデとアリソンが首を傾げる。木の上から顔を見せたアレックスが訝し気な表情を浮かべ、木から降りてきた。

 

「何だよ、とりあえず飯は」

「アレックス、これあげるわ」

 

 カエデの手にあった袋から銀紙に包まれた携行食糧を三つ取り出してアレックスに差し出すグレース。アレックスが目を細めて受け取り、匂いを嗅いで首を傾げた。

 

「なんだこりゃ」

「よし、やっぱコイツ知らないみたいね」

「あん? なんか言ったか?」

「なんでもないわ。それ食ってさっさと寝なさい」

 

 アレックスにも聞き取れない声量で「寝れるならね」と付け加えてからグレースは袋の中を確認した。

 一袋に十五個の携行食糧が納められており、一人当たり三個ずつの携行食糧が与えられる。アリソンはグレースとヴェネディクトスの反応に何かヤバイ物なのかとビビり始め、カエデは銀紙を剥して匂いを嗅いでいる。

 

「……特に変な匂いはしませんけど」

「みたいですね……何が不味いんでしょうか?」

「あぁ、二人とも……それ食べたら寝れないかもだから注意しなさいよ」

「「?」」

 

 首を傾げる二人を余所に、グレースは袋から三つの携行食糧を取り出し数を均等に分け始め、手を止めてラウルを窺った。

 

「ラウルは?」

「俺は遠慮するッス……と言うのは冗談で食事抜きッスよ。あぁ、明日の朝の分もあるッスから一応今夜は一つだけ食べてくださいッス」

 

 途中、グレースが本気で拳を握りしめたのを確認してラウルが冗談だと言えば拳を納めた。あのまま遠慮するとだけ言っていたら殴られていただろう。

 カエデとアリソンが完全に臆病風に吹かれてグレースとヴェネディクトスの様子を窺い始め、アレックスだけは適当に二つをポーチに仕舞い、一つを銀紙を引っぺがして齧った。

 一口齧り、咀嚼しはじめたアレックスを眺める五人。アレックスの表情は最初は訝しげに五人を見回していたが、次の瞬間には青褪めはじめ、咽びこんで口の中の物を吐き出した。

 

「げほっ!? ごほっ!? っ!? 不味っ!? なんだコレっ!?」

「ぷっ……あ、失礼ッス」「ふふっ……」「馬鹿みたい」

「何笑ってんだテメェ等っ!」

 

 余りの反応にラウルは吹き出し、グレースとヴェネディクトスも笑い出した。その様子に怒りの形相を浮かべたアレックス。

 その様子を見ていたカエデとアリソンは顔を見合わせた。

 

「そんなに不味いんですかね?」

「匂いはしないですよね?」

「むしろ何の匂いもしないんですけど……」

 

 見た目は固パンの様であり、保存性に優れた携帯用食料品として開発された物。手にしたそれの匂いは一切なく、パン特有の小麦の香りもしないと言う不思議なそれ。

 

 恐る恐る二人で少しだけ齧り、咀嚼しはじめ――二人同時に吐き出した。




 ティオネさんは犠牲になったんや……。アイズさん? あの人は今後登場するから(震え声)

 次回話では夜襲の話になるかな。ティオネさんとアイズさんの夢のコラボレーション……なおカエデちゃん達にとっては悪夢な模様。

 軍用の携行糧食なんかで「美味であると非常時に必要になる前につい食べてしまい、本当に必要な時には食べてしまった後である」という事態を防ぐ為にあえて不味く作ると言った事をしてたらしいので。神々が何処まで不味くできるかを極めた代物。





『携行食糧』
 複数の医療系ファミリアの主神がが集まって作り上げたダンジョン内における非常食。栄養価に優れ、携行性・保存性に優れたダンジョン内で食べるべき食糧No.1な代物。
 しかも非常に安価で取引されており一枚当たり10ヴァリス前後の値段で取引されている。なんと物価がぶっ飛んでいるリヴィラの街においても地上と変わらぬ価格で取引されているぐらいの代物である。

 見た目は固パン。トランプサイズの分厚いビスケットを想像すればそんな感じ。匂いは一切しない。むしろ不気味な方に無臭。
 味は最悪の一言。冒険者の間ではこれを食べるぐらいなら犬の餌の方がマシだとか言われる程。

 安価、携行性、保存性、栄養価のどれも優れていると言うダンジョン内で持ち歩く分には素晴らしい代物ではあるが、味だけは保障できない。


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『遠征合宿』《夜襲》

『フェーレース様』

『モールって呼んでよ。わかりにくいだろう? それで、用件はなんだい?』

『【ロキ・ファミリア】の大規模遠征の物資類の依頼が来ております』

『いつまで?』

『一か月後ですね』

『ふぅん……今回で四十階層まで目指すんだっけ』

『だそうですね。流石、探索系上位のファミリアですよ。ウチじゃ真似できないですね』

『はいはい、それじゃ物資類の取り寄せと十八階層へ運び込みの予定も立てとかなきゃね。他ファミリアの妨害も考えられるからしっかりやんないと』

『はい』




 ダンジョン十八階層、見晴らしの良い地点に野営地を設営したラウル班は焚火を囲みながら各々、携帯食糧をどう処理するかを横合いからラウルが眺めていた。

 耳も尻尾も垂れて涙目で携帯食糧を咀嚼するカエデ。遠い目をしながら焚火で携帯食糧を炙って口にするアリソン、無表情のまま携帯食糧を見つめるヴェネディクトス、焚火の中に携帯食糧を放り込んだアレックス、水で強引に流し込むグレース。

 そんな中、カエデが涙目のままラウルの方を向いて口を開いた。

 

「ラウルさんは食べないんですか」

「俺はいらないッス」

「…………そうですか」

 

 咀嚼し、嚥下する。そんな作業をしはじめたカエデ達を見てラウルは笑みを浮かべた。

 

「ちなみに、ガレスさん達の方では美味しい食事が振る舞われてるッスよ」

「……だから何よ」

 

 苛立たしげなグレースの返答に対し、ラウルは悪魔の囁きとも言える誘惑を零す。

 

「ここで棄権すれば食べれるッスよ」

 

 ペコラを回避できなかったパーティに対する試練の様な物として用意された台詞を言いきったラウル。其れに対する返答は心惹かれた様子のカエデとアリソン以外は首を横に振る物だった。カエデとアリソンはあからさまに反応し、苦悩し、それでも最終的には首を横に振った。

 

「此処まで来て棄権なんてできませんよ」

「今回の遠征合宿では僕達と一緒に到着した三つ、それから僕達より前に到着してた二つの班。全班失格の時は優秀な者が選ばれたけど、今回は合格すれば機会があるんだ。頑張らざるを得ないよ」

 

 ジョゼット班、アリシア班、ナルヴィ班、クルス班、そしてラウル班。今回の遠征合宿に於いて十八階層まで辿り着けた班は合計で五つ。

 優秀なジョゼット班と、運良く殆ど妨害役と出会わなかったアリシア班。出会っても上手く道具類を使って撃退したナルヴィ班とクルス班。撃破まで何とか持ち込んだラウル班。それぞれの班が上手くやってここまで辿り着いた。

 この夜を乗り越え、地上まで辿り着ければ大規模遠征に参加する事も夢では無い。その権利を捨てて今晩の食事を美味しい物に換えて貰うなんて馬鹿な真似は出来ない。

 この程度の誘惑に打ち勝てずして【ロキ・ファミリア】の遠征部隊に配属される等有り得ない。

 

 笑みを浮かべて満足気に頷くラウルを無視して、携帯食糧を食べきったグレースが口を開いた。

 

「そんな事より後十分もすれば夜になるわ。夜番は事前に決めてた順で良いわね」

「はい」

 

 夜番の順番はカエデとグレース、アリソンとヴェネディクトスの二組で回すと決めていた。アレックスに関しては好き勝手動くだろうし命令しても無視される可能性が高いし、当てにできないと組み分けに含まれていない。

 その事に関してラウルは眉を顰めて班の評価を下げざるを得ない。

 とはいえアレックスの身勝手過ぎる行動に関しては擁護も出来ないので、班評価を下げるのもどうかと考えるが、この件に関しては報告書に詳細を記載してフィンに判断を仰ぐことに決めてラウルは頷いた。

 

「それじゃここからのルールを説明するッスよ」

「……なんですかそれ?」

 

 不思議そうに首を傾げるカエデに対し、ラウルは指を立てて注意点を話し始めた。

 

「まず、道中は本来は助け合って十八階層を目指すのが本来の目的。他の班を見捨てるのはダメだったッス」

「それは、まぁわかるわ」

 

 他の班と妨害役が戦っているのを良い事にその横をすり抜けて行こうとしたことに罪悪感でもあるのかグレースが視線を逸らして呟く。

 

「それで野営中の話なんスけど。野営中は他の班の救援は禁止ッス」

「……助け合わないんですか?」

 

 十八階層に於いて、野営地は十分に距離をとって設営する様にとガレス達に説明されたのを思い出して首を傾げるアリソン。アレックスは興味無さ気に欠伸をしており。ヴェネディクトスが呟く。

 

「なるほど、道中は自分で気付いて助け合いするのは良い。けれど十八階層では各班で何とかしろって事か」

「そういう事ッス。と言う訳で救援に誰かが来る事もなければ、どっかの班を助けに行くのも禁止ッス」

 

 道中は各班がどの様に行動するのか。同じファミリアの仲間を蹴落としてでも進もうとするのか、仲間として助け合うのか。そういった観点も調べる為に何も言わずに、合格者から大規模遠征のサポーターに採用するとだけ教えておく。

 十八階層まで辿り着けた班には事情の説明を行い、ここからは本当に自分たちの班だけでなんとかしないといけないと伝える。

 

「……あれ? ヴェトスさんって前回参加してたんですよね? 何で知らないんですか?」

 

 前回も参加していたにも関わらずヴェネディクトスがこの情報を知らなかった事に疑問を覚えたカエデの一言に対し、ヴェネディクトスは肩を竦めた。

 

「毎回ルールは変わってるよ。前回は妨害役にペコラさんは居なかったし、他にもベートさんが閃光弾(フィラス)で撃退できたんだ」

 

 同じメンバーで何度も遠征合宿を行えば当然、ルールを覚えて攻略しようとする班が出てくるだろう。其れを防ぐ為にも毎回ルールは異なるのだ。今回はこのルール、だが次回も同じとは限らない。その辺りの変化もしっかり読み取れないとダンジョン内での変化も読み取れずに命を落とすだろう。

 

「そうだったんですか……」

 

 今回の行動にも意味が無い訳では無い。ちゃんと今回の遠征合宿で学習し、事前に下調べを行い、予測し、行動すればジョゼット班の様に上手く動けるだろう。

 

 そんな中、グレースがぽつりと呟いた。

 

「そういえばさ」

「なんですか」

「……アリシアさんの班って、ペコラさん会ってないのよね」

「みたいですね」

 

 ガレスの所で集まっていた失格になった班のいくつかの噂によれば、ジョゼット班もペコラに出会っていたらしい上、他の二つの班もラウル班同様にペコラに出会って眠らされ、足止めされた結果、時間ギリギリになったらしい。

 ただ、アリシア班だけはそんな事は無く、ペコラに出会ってはいない様子であった。

 ペコラに足止めを喰らった場合食料品を奪い去られる。つまりペコラと出会っていないアリシア班は食糧を奪われていないという事である。

 

「……いいなぁ」

「そう考えると羨ましいですよねぇ」

「はぁ……」

 

 

 

 

 

 夜の帳が下り、暗闇に沈んだ十八階層。簡易野営地のテントの入口をぼんやり眺めていたカエデが口を開いた。

 

「特に何も来ませんね……」

「遠くで戦闘音はあったんだけどね」

 

 遠くの方で聞こえた戦闘音。カエデが気付き、グレースに伝えたソレは既に音が消え去り、班が一つ全滅したことを伝えてくる。だが、カエデとグレースにとっては予想外とも言うべき程に襲撃が来ない。

 二時間おきに交代を繰り返していたので、既に四時間は何も起きていない。

 

「なんででしょうね」

「暗闇で焚火なんてしてるんだからすぐ気づきそうなもんなんだけど」

「なんでですかラウルさん」

 

 カエデがラウルの方に話題を振ってきたが、ラウルは夜番中の話題に参加する事は禁止されているので、首を横に振って口の前で×を作る。

 

「ラウルは答えてくんないわよ」

「そうでした……本当になんででしょうね」

 

 残念そうに耳を伏せて焚火を見てカエデが枝木を加え始める。

 最初の戦闘音以降は特に音も聞こえず。焚火の火が弾ける音と、はるか遠くの違う階層を闊歩するモンスターが思い出したかのようにあげる遠吠えの様な咆哮以外に聞こえてくる音は無い。

 

 グレースが立ち上がって大きく伸びをした。

 

「ほんと何もないわね。そろそろ交代の時間かしら」

「そうですね」

 

 グレースの言う通り、懐中時計はそろそろ交代の時間を指し示している。それに気付いてカエデも立ち上がって、違和感を感じて遠くの方の木を見据えた。

 

「どうしたのよ」

「いえ、何か木の葉が擦れた音が聞こえたんで」

 

 聞こえたのはほんの微かな木の葉の擦れる音。首を傾げて闇を見据える。ジョゼットの様に遠知能力(ペセプション)でもあれば見えるのだろうが、今のカエデにはただの暗闇にしか見えない。

 しかし、違和感が残る。

 

「そよ風でも吹いてたんでしょ」

「そうですかね……」

 

 風が原因だったのだろうと言われて余計首を傾げたカエデが暗闇を見据え、嫌な予感を感じ、慌てて身を伏せながら叫んだ。

 

「グレースさん敵ですっ!」

「うん? 何が――――ごぶっ!?」

 

 暗い木々の間から飛来した何かがグレースの側頭部を直撃し、弾けて中身を撒き散らす。飛び散った液体がグレースを濡らし、焚火の火を大きく揺らす。グレースはそのままパタリと倒れて動かなくなる。

 次の瞬間、木の上で息を殺していたアレックスが何かが飛んできた方向に向かって突撃していく。カエデがそれを見送り、慌ててテントの方に声をかける。

 

「ヴェトスさんっ、アリソンさんっ、襲撃ですっ!」

 

 カエデの声に反応し、テントの中がざわめき中からアリソンが飛び出してきて、遅れてヴェネディクトスも飛び出してくる。

 揺らめく焚火のそばに倒れたグレースを見てアリソンが目を見開き、周囲を見回す。

 

 暗闇でアレックスと誰かが戦っている音が聞こえ、カエデは其方を見て焦る。暗くて何も見えず、暗闇の中で闇雲に攻撃を繰り出すアレックスと、其れを上手くいなす音しか聞こえない。

 アリソンがグレースに駆け寄って容態を確認して首を傾げた。

 

「濡れてる……水? ただの水ですね」

「カエデ、アレックスは?」

 

 ヴェネディクトスの質問にカエデは音の聞こえる方向を指差して示した。

 

「あっちの方に突撃してしまって、暗くて何が何だか」

 

 慌てる様子のカエデ達を眺めていたラウルは評価を改めながら吐息を零した。アレックスの独断専行は声掛けさえしていれば悪い手ではない。遠距離からの攻撃に即時対応で突撃したのは良い事だ。声掛けさえしていればだが。

 カエデはどうにも暗闇での戦闘に慣れていない様子である事に気付いたヴェネディクトスがアリソンの肩を叩いた。

 

「アリソン、すまないが頼む」

「……わかりました。グレースさんはダメですね、目覚めませんよこれ」

 

 倒れ伏したグレースの容態を確認したアリソンの言葉にヴェネディクトスが眉を顰め、カエデの方を向いた。

 

「カエデ、とりあえず襲撃者が誰かわかるかい?」

「えっと……多分、アイズさんかと」

 

 聞こえる音から判断したカエデの言葉にヴェネディクトスは溜息を零し、立ち上がって魔法を詠唱する。

 

「『森に響く妖唄、妖精は躍る。惑う者に突き立つ投げ矢、其は妖精の悪戯』『エルフィンダーツ』」

 

 詠唱により発生した青白い光の矢によって森の中が照らされ、一瞬だけアレックスと近接戦を繰り広げている金髪の少女の姿を映した。肝心の魔法は外れ、付近の木に突き刺さってそのまま残る。淡い青色の光の中アイズがカエデ達の方に一瞬視線を向けてから、背中に背負った箱から何かを取り出してアレックスの顔に投げつけた。

 

「当たるわけねぇだろっ」

 

 ギリギリでバックステップして回避したアレックスに対し、アイズは無言のまま走って逃げようとする。

 このまま逃がせばまた遠距離から一方的に攻撃を喰らうだろう。カエデ達は焚火によってその姿が鮮明に確認できるのに対し、アイズは暗闇の中を移動している為位置がわからなくなってしまう。

 

「逃がすとまずいっ! カエデっ!」

「はいっ!」

 

 ヴェネディクトスが追加で魔法の矢を放って森の中を照らしてアイズを逃がさない様にし、アリソンとカエデが合わせて追いかけていく。

 アレックスも同様に追いかけようとして――横合いから飛び出してきた褐色の肌の女性の側面蹴りが直撃し、アレックスが吹き飛んで木に叩き付けられた。

 唐突な乱入者にカエデとアリソンが足を止め、その間にアイズが何かを投擲しヴェネディクトスを狙うも、ギリギリで回避したヴェネディクトスが驚きで声を上げた。

 

「ティオネさんっ!?」

「見つけたわよアンタら……よくもやってくれたわね……」

 

 唐突に現れた褐色の肌の女性の正体はティオネ・ヒリュテであった。

 道中に攻撃できない状態だったにも関わらず過剰な攻撃を仕掛け、なおかつ怪物進呈(パス・パレード)までしてしまったのだ。怒っているのは間違いないだろう。

 現れたティオネは、倒れていたアレックスをちらりと見てからカエデとアリソンの方へと向き直った。

 

「あんた等全員覚悟しなさいよ」

 

 ティオネの宣言に対し、邪魔役二人という絶望的状況に陥った事に気付いたアリソンが青褪め、カエデが剣を構える。ヴェネディクトスが手が無いかと腰の煙幕弾(カノプス)に手を伸ばす。

 運が良いのは暗闇に目が慣れてくれた事ぐらいだろうか。火の傍に居るヴェネディクトス以外のカエデとアリソンは何とか暗闇の中に居るティオネとアイズを視認できる。そんな中、最初の襲撃者でもあるアイズがティオネに声をかけた。

 

「ティオネ、私が先に見つけた」

 

 アイズの文句に対し、アリソンがもしかしたらアイズさんだけで済むかもしれないと一筋の希望を見出し、カエデがこっそりと腰の閃光弾(フィラス)を取り出して準備する。

 

「知らないわよ、先に倒したもん勝ちでしょ」

「……わかった、じゃあ先に倒すね」

 

 次の瞬間、カエデの傍に居たアリソンに何かが投擲され、回避する間も無く直撃し、何かが弾けて水を撒き散らす。アリソンがふらついてそのまま倒れ伏し、カエデは慌ててアイズの方へ剣を向け防御を意識しようとして、横合いから攻撃をしかけてきたティオネによって妨害された。

 

「アンタの相手は私よっ!」

「っ!?」

 

 アイズが遠くから投げつけてくる何かに注意しながら目の前のティオネの攻撃を回避する。ティオネの攻撃はどれも足を使った蹴り技のみ。アイズの方は何かを投擲してくるのみ。投擲と言うよりもはやジョゼットの矢もかくやと言う勢いで飛来する其れ、中にたっぷりの水が詰まった水風船を投擲してきている。

 

 水風船を剣の腹で受けて防御すれば、弾けた中身が飛び散ってカエデとティオネを濡らす。ヴェネディクトスが詠唱しようとして水風船の直撃を受けて倒れ伏し、残るはカエデのみとなった惨状を見たラウルは肩を竦めた。

 

「此処までッスかねぇ」

 

 カエデが必死にティオネの攻撃を捌き、飛来する水風船を腕や剣でなんとか受けようとしているが何度も失敗して直撃しかけている。アイズの方は水風船が耐久性が無さすぎる所為で投げるのにだいぶ気を使っているのか投擲頻度は少ない上、命中精度も悪いのか時折ティオネの背中で水風船が弾けている。

 

 カエデ達と違ってティオネはその程度で倒れはせず、ずぶ濡れになりながらもカエデを攻撃しようとして――濡れた腰巻がティオネの足に絡みつき、ティオネの動きを阻害して攻撃の頻度と精度が落ち始める。

 

「アイズっ! ちゃんと狙いなさいよっ!」

「これ、投げるの難しい……」

「っ!」

 

 回避し、防御し、時折地面を転がって泥だらけになりながら防戦一方となっているカエデ。アイズの攻撃が肩に直撃し、よろめいた瞬間に放たれたティオネの蹴りを剣で受け止めて大きく後退しそうになり、足元の泥に足をとられて転倒した。

 

「まだいけますっ!」

 

 倒れそれでも立ち上がったカエデが、ふらつきながらも剣を構える。泥だらけになった水干は水をすって重くなり、真っ白だった髪も泥汚れで酷い様子となっている。

 

「なかなか粘るわね……アイズ、仕留めるわよ」

「…………」

「アイズ?」

 

 ティオネの言葉に返答はなく、アイズが背負っていた木箱の中を眺めながら呟いた。

 空っぽになった木箱の中には、本来水風船が山ほど詰め込まれていたのだ。しかし戦闘中に投げ過ぎた様子で既に中身は空っぽ。アイズに課せられた特殊ルールとして、水風船以外の攻撃は認められておらず、水風船が無くなった場合は補充に行かねばならない。

 

「……無くなっちゃった」

「…………」

「補充行ってくる」

 

 それだけ言いのこし、アイズがその場を去って行く。カエデとティオネが其れを見送ってから、互いに顔を見合わせ、カエデが口を開いた。

 

「ティオネさんも帰ったりとか……」

「無いわね」

「うっ……」

 

 気まずげに視線を逸らし、カエデは再度剣を構える。ティオネとアイズのやり取りのさ中になんとか呼吸を整える事に成功し、しっかりとした下段の構えをとり、ティオネに向き直った。

 その様子を見てティオネが笑みを零し、構える。

 

「良いわね、倒しがいがあるわ」

 

 踏み出したティオネの側面蹴りをカエデが受け流し、続く蹴りの連撃にカエデが必死な様子で喰らい付く。

 

 前蹴り、後ろ蹴り、横蹴り、回し蹴りに二度蹴り。幾つもの技が繰り出される中、カエデが防戦一方で何とか喰らい付く。先程と違いアイズの横やりの様な投擲が無くなったおかげでなんとか喰らい付いていけるが、それでも一発一発の重さはベートの比ではない。防御する度に腕が痺れ、体の芯を突き抜ける衝撃に意識が飛びそうになる。

 そんなさ中、カエデが反撃として放った一撃をティオネが受け止めた。

 

「腕、使っちゃだめなんじゃ」

 

 息も絶え絶えに放った一撃を防がれ、カエデが呟く。其れに対するティオネの返答は肩を竦めるのみ。

 ティオネに与えられた条件は攻撃するのは足技のみと言うもの。つまり防御に関して腕を使う事は問題ないのだ。

 カエデが剣を引こうとするも、掴み取ったティオネの手は剣を離さずに捕まえたままとなっている。

 

「悪いわね、後アンタ潰せば遠征試験も終わりだからここで終わらすわ」

「っ!」

 

 ティオネが素早く剣を引っ張り、カエデを引き寄せる様にカエデの腹部を狙った膝蹴りを放つ。

 

 カエデが素早く身を捻り、ティオネの膝蹴りを回避しようとするも直撃を避けるので手一杯。直撃こそ免れたものの、良い一撃が入りカエデが転がって倒れる。

 

「今のを回避するなんて器用ね。まぁ次は無理だけど」

 

 震えながら立ち上がろうとしたカエデに対しティオネが再度攻撃して意識を刈り取ろうとする。対するカエデはティオネの顔の前に閃光弾(フィラス)を投げつけた。

 危うく顔に直撃する寸前にティオネが閃光弾(フィラス)を受け止め、ティオネは肩を竦めた。

 

 ()()()()()()()()()()()()ので、閃光弾(フィラス)が安全だと思い込んだティオネ。カエデが小さく笑みを零しティオネから視線を逸らした次の瞬間、閃光弾(フィラス)が弾け、眩い閃光がティオネの目を焼いた。

 

「ぐぅっ!? 起動する余裕無かったでしょっ!?」

 

 種明かしをするならば、ベートとの戦闘のさ中に起きた悲劇を利用した物である。あえて腰の道具類にティオネの膝蹴りを当て、起動準備を済ませておいたのだ。ティオネからすれば起動する素振りも無く閃光弾(フィラス)が起爆した様に見えただろう。

 不意打ち気味に超至近距離で目を焼かれ、余りの光の強さに痛みすら覚え、ティオネがふらつく。

 あらかじめ起動している事を知っていたカエデは閃光が消えた瞬間にティオネの手から剣を素早く奪い取り、足払いを仕掛けてティオネを転倒させ、上段からの唐竹割りをティオネに叩き込む。

 

 振り下ろそうとした一撃が横合いから飛び出してきた鉄棒に剣を弾き飛ばされ、カエデが一瞬惚けた瞬間に鉄棒がカエデに振り下ろされて意識を刈り取られた。

 

 

 

 

 

 横合いから剣を弾いてカエデを気絶させたティオナは倒れたティオネに声をかけた。

 

「ティオネ、大丈夫?」

「うぐっ……その声ティオナ? と言うか私の胸に顔から突っ込んできたのは誰よ……カエデ?」

 

 気絶したカエデがティオネの上に倒れ込み、目が見えていないティオネが手探りでカエデを起こし、何度も瞬きをしてティオナを見上げた。

 

「狙ったタイミングね」

「まあね。だって後これしか残ってなかったし。あ、ラウルー最後に撃破したのあたしだから点数はあたしに入るんだよね」

「え? まぁ……そうっすね……えっと、回収手伝ってもらって良いッスか?」

 

 戸惑いがちに答えたラウルが半笑を浮かべながら倒れていたアリソンを抱えて焚火の所へ戻る。泥まみれのカエデを抱えたティオネが眉を顰め、溜息を零した。

 

「私もカエデも泥まみれなんだけど」

「アイズの武器って水風船だっけ? よくそんなので戦ってたよね」

「遠くから投げて一方的に気絶させてたみたいよ」

「へぇ」

 

 二人の会話を聞き流しながらラウルは深々と溜息を零した。

 

 今回の遠征合宿、最後にティオナが乱入してこなければカエデが生存して他のメンバーが意識を取り戻せばそのまま朝までなんとかなったはずである。ペコラは夜襲はしてこず、アイズの武装は貧弱。ティオナは残った鉄棒一本なので慎重に行動するといった形だったのだ。言うだけむだだが。

 

 それよりも今回の遠征合宿失敗によって、アレックス・ガードルの【ロキ・ファミリア】追放が決まったのだ。これに関してラウルの責任では無いとは言え、アレックスをちゃんと躾けられなかった事に関してはフィンに何か言われるのだろう。

 

「何と言うか、本当に身勝手過ぎッスよ全く」

 

 肩にアリソンを担ぎ、倒れたアレックスの首根っこを掴んで引き摺って運びながら、ラウルは独り言ちた。




 主人公補正でもボスラッシュ(手加減有り)はダメだったよ……。
 さて、アレックス君の追放も決まりましたね。きっと彼は強く生きるでしょう()




 アイズ・ヴァレンシュタインに与えられた特殊ルール
 襲撃間隔:15分
 撃破条件:音響弾の被弾
 撃退条件:水風船が無くなるor背負った木箱を破壊する
 攻撃方法:水風船の投擲のみ
 特殊条件1:水風船が無くなった場合は十八階層まで補充しに行く事
 特殊条件2:背中の木箱が壊された場合も同様に補充に行く事

 強過ぎる&加減できなさすぎると言う観点から、攻撃法やその他条件がかなり緩く設定されている。天然で容赦無く班を全滅させる危険があったのでこの条件となった。
 なお、この条件でも四つの班を失格にまで追い込んでいる。




 ティオネ・ヒリュテに与えられた特殊ルール
 襲撃間隔:20分
 撃破条件:背中に攻撃をくらう
 撃退条件:閃光弾を被弾する
 攻撃方法:蹴り技のみ

 背中に攻撃を喰らうと言うのは、石ころが背中に当たっただけでもアウト。どうにかして背中に回り込んで攻撃すればワンチャン。でも背中を晒してくれることはまずない。
 アイズさんの攻撃はノーカン。


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『追放』

『良い報せです』

『なんだいナイアル』

『戦力増強の目途が立ちました』

『は?』

『【ロキ・ファミリア】を追放された間抜けが居るそうです』

『……はい?』

『だから――――』

『いや待ってくれ、ファミリアを追放されるようなのを戦力として数えるのはどうかと思うんだけど』

『でも戦力欲しいでしょう? 一人だと大変でしょうし。僕はアルを気遣っているんですよ?』

『………………嘘臭い』


 遠征合宿の合格者はゼロ。班評価の程は未だ不明とは言え、今回の遠征合宿に於いて最も期待されていたジョゼット班はベート・ローガの暗闇からの強襲に対応しきれずに撃破され、他の班もアイズ等の強襲によって全滅させられてしまった。

 

 カエデ達が目を覚ましたのはダンジョン内の夜が明け、水晶が眩き始めた頃であった。

 

 五人全員が立ち上がるでもなく寝ころんだまま十八階層の空を彷彿させる天井を眺めながらぼんやりとしており、他の班のメンバーがそれとなくカエデ達に声をかけてこれからの指示をしていったのを聞き流し、寝ころんだまま天井を見上げてカエデが呟く。

 

「……全滅しちゃいましたね」

「そうね……水風船を武器にするって剣姫ってどんだけよ……」

「はぁ、アレックス、君は身勝手に動き過ぎだ」

「あぁ? 雑魚に足並み合わせられるかよ」

「皆さん元気ですね……」

 

 横並びに並べられたラウル班、徐に身を起こして周囲を見回せばテント等は回収され、撤収準備が始まっている。他の失格になった班のメンバーが何人も集まって反省会をしていたり、後片付けをしている様子を見たカエデが口を開いた。

 

「手伝った方が良いですかね」

「……とりあえずアンタは水浴びしてきなさいよ。と言うかアタシも水浴び行くわ」

 

 泥だらけになったカエデを横目で見たグレースが気だるげに身を起こして立ち上がり、横に居たアリソンの腕を掴んで立たせて周囲を見回す。

 周辺で動き回る【ロキ・ファミリア】団員はラウル班が目を覚ました事に気付いて声をかけてきて以降は、関わってこようとはせずに自分の作業に従事している。

 

「ラウルが居ないわね。何処行ったのよ」

「とりあえずヴェトスさん、ラウルさんが来たらお願いしていいですか?」

「あぁ、別に構わないよ」

 

 ヴェネディクトスが仰向けに寝転がったまま手を振るのを尻目に、カエデの首根っこを掴んだグレースとアリソンが去って行く。

 アレックスが身を起こして伸びをしてから舌打ちして立ち上がった。

 

「アレックス、問題は起こさないでくれよ」

「知るか」

 

 ヴェネディクトスを一睨みして去って行ったアレックスを見送って、漸くヴェネディクトスは身を起こして溜息を吐いた。

 

「まぁ、今回は難易度がかなり高めだったらしいから仕方ないか」

 

 

 

 

 

「水浴びってどこでするんですか?」

 

 首根っこ掴まれたまま運ばれているカエデの質問に対し、グレースは半眼でカエデを見てから呟く。

 

「十八階層の泉の所よ、今は他の子らが警戒してくれるから覗きの心配はないわね」

 

 十八階層の泉にて女性冒険者達が集まって水浴び場として利用している場所がいくつか点在しており、その内の一つ【ロキ・ファミリア】が現在使用している泉の周辺では【ロキ・ファミリア】の女性団員達が覗きに対しての警戒網を敷いている。

 安心して水浴びが出来る様にと言う配慮の様な物に対し、カエデが首を傾げて呟く。

 

「覗き?」

 

 意味を理解していない様子のカエデを見たグレースが呆れ顔を浮かべ、カエデを揺さ振る。

 

「アンタはガキンチョだから気にしてないかもだけど、女ってのは普通裸を見られるのを嫌うのよ」

「……そうなんですか?」

「そういうもんよ、つかアンタは少しは羞恥心ってのを身に着けなさいよ。みっともないわ」

「…………?」

 

 よく分かっていない様子のカエデに深々と溜息を零して手を離すグレース。よろめきながらも自分の足で立ったカエデがふと呟いた。

 

「ワタシ達の荷物は何処でしょうか?」

 

 ラウルが運んでいたバックパックも含め、ラウル班の物資類が何処にも見当たらなかったのを思い出して首を傾げるカエデ。アリソンが笑みを浮かべながら口を開いた。

 

「あぁ、それなら他の皆さんが回収したそうなので大丈夫ですよ」

「ふぅん」

 

 興味無さ気に前を見たグレース。視線の先には槍を手に周囲を警戒している【ロキ・ファミリア】の女性冒険者の姿。グレースが片手を上げれば、女性冒険者も片手を上げて挨拶を返す。

 

「目が覚めたみたいね。予定は聞いてるのよね?」

「はい」

 

 返答を返したカエデを見て苦笑を浮かべてから、女性冒険者は奥を指し示した。

 

「まだ時間はあるけど、撤収は一時間後だから短めに済ませてね」

 

 横を通り過ぎ、森の奥へ進み行けば何人もの女性団員が泉で水浴びをしているのが見て取れる。そう言えば撤収作業としてテント等を片付けていたのは男性ばかりだったなとカエデが気付いてなるほどと呟いている。

 

 

「着替えはあそこでするみた……アリソン、アンタここで着替えてどうすんのよ」

「えぇ、だって泥汚れ落とす為に洗いますしいちいちあっちで脱いでーなんてやってられないじゃないですか」

 

 グレースの視線の先、同性しかいないから良いかと言わんばかりに装備品の軽鎧なんかを外し、インナーも脱ぎ捨てて泉に歩いて行ったアリソンに呆れ顔を浮かべ、グレースがカエデの方を見ればカエデも同様に泥まみれになった水干を脱いで水場で泥を落としている。

 

「……確かに同性しか居ないけど、アンタらアマゾネスかって……まぁいいか」

 

 普段の言動がしっかりと女性らしいと言われるアリソンだが、どことなく異性を意識しない言動が多い様な気がする事に少しひっかかりを覚えつつもグレースはこそこそと岩陰に隠れて装備を外す。

 たとえ同性とはいえ裸体を晒すのに多少の抵抗があるグレースは、他二人が羞恥心と言うものを何処かに置き忘れてきている事を鑑みて自分がおかしいのかと首を傾げるのだった。

 

 

 

 

 

「ラウル、お前の班のアイツだが」

 

 天幕を片付けている団員を眺めつつ、近場の水晶の上に腕組みをして立つガレスの言葉に、水晶に腰かけたラウルは苦い笑みを浮かべて口を開いた。

 

「やっぱ追放ッスか?」

「そうだな。アレックスには伝えたか?」

「まだッス……地上に戻ってからッスかねぇ」

 

 今回の遠征合宿によって追放が決まったアレックス。だが本人はそんな事覚えていないのだろう。ガレスとラウルの視線の先には、目覚めてからいつも通り手伝いに入るでもなく木の上からテントを片付けるのを眺めているアレックスの様子が見て取れる。

 ヴェネディクトスが先程カエデ達が水浴びに向かった事を伝えてきて、その後に片付けの手伝いをしているにも関わらず、アレックスはやはり手伝う素振りは一切ない。

 

「で、アレックスはどうだった?」

「仲間を仲間だと思わない様な感じだったッス」

「そうか……ロキが悲しむだろうな」

「……でも、このまま団員として居られても困るッスけど」

 

 アレックスがあのまま【ロキ・ファミリア】の団員として活動を続けてもいずれ何かしらの大きなトラブルを起こすのは間違いない。現状に於いてもトラブルが絶えないのだから。

 木の上でくつろいでいる身勝手なアレックスを眺めていたガレスがふと何かに気付いて目を細めて口を開いた。

 

「む? あそこの奴らは何をしとるんだ?」

「ん? あれは……何してるんスかね」

 

 ガレスの言葉に反応して異常に気付いたラウル。視線の先には数人の男性団員が集まってこそこそと森の中に消えて行く姿が見て取れた。手伝うでもなく身勝手な行動を起こしている団員に対し、ラウルが呆れ顔を浮かべ、ガレスが何かに気付いた様に顎に手を当てた。

 

「何やってるんスか。全く」

「覗きにでも行ったのか」

 

 ガレスの言葉に一瞬目を見開き、ラウルはもう一度数人の男性団員が消えて行った方向に視線をやって気が付く。彼らが消えて行った森の方向には、現在【ロキ・ファミリア】の女性団員達が水浴びをする為に警戒網を張っている泉が存在する。

 

「あぁ~……恒例のアレっすか」

「みたいだな。まぁ普通に撃退されるだろう」

 

 遠征合宿中、十八階層に辿り着いた班の中で、女性団員が無防備に水浴びをすると言うイベントが存在し、一部男性団員はそれをどうにかして眺めようと挑むと言うのは遠征合宿恒例行事の様な物である。

 十八階層に辿り着けなかった男性団員達に対して自慢したりするのだろうが、成功する確率は非常に低いとしか言えない。

 と言うよりは恒例行事過ぎて女性団員も手慣れた様子で覗き魔達を捕縛してしまうので成功者は少ない。

 あえて注意してやめさせる気もないガレスとラウルは溜息を零して撤収準備を真面目に行う第三級(レベル2)団員の顔と名前を記憶しておく。後でフィンとリヴェリアに提出する書類に対して評価を少し上方修正してから出そうと心に決めて。

 

 

 

 

 

 水浴びの為の泉はかなり広く、隅っこで複数のエルフが集まって静かに水浴びをしている光景もあれば、アマゾネスが水浴び序でに泳いでいたりする光景が見て取れる。

 各々の種族毎に水浴びの仕方も傾向が見て取れ、その中でもエルフとアマゾネスの二つの種族は水浴びの仕方からして性格が相反しているのもなんとなく察しがつく。

 

 そんな中、尻尾の泥汚れを落とすのに夢中になっているカエデ。そのカエデが髪の毛に付いた泥に無頓着な所に気付いてグレースがカエデの髪の泥を洗い落としている。

 

「アンタ尻尾ばっかじゃなくて髪も綺麗にしなさいよ」

「でも尻尾の方が気になるので」

 

 尻尾を水に浸し、何度も綺麗に水で洗い流しているカエデに流石のグレースも眉を顰め面倒臭そうに桶で水を汲んでカエデの頭の上からぶっかけた。

 

「げほっ……グレースさん、いきなりはびっくりするんでやめてください」

「あぁはいはい。アリソン、アンタはどう? 綺麗になった?」

 

 カエデの文句に適当に返事をしたグレースの視線の先、アリソンが髪に付いた泥を落とし終えて耳を澄ましている光景が目に入ってきた。

 グレースが目を細めアリソンに近づこうとして、カエデが身を震わせ始め飛び散る水に嫌そうな顔をしてカエデの耳を摘まむ。

 

「ちょっと、水飛んでるんだけど」

「耳、耳は掴まないでください」

 

 耳を摘ままれ、引っ張られて嫌そうな顔をしたカエデ。既に泥汚れも殆ど落ちていつも通りの真っ白い毛並が水で濡れてぺったりとしているのを見てから、アリソンの様子が変な事を思い出してグレースはカエデの耳を放してアリソンに近づいた。

 

「どうしたのよ」

「……捕まえろーだとかそっちに行ったぞーだとかって騒がしいみたいなんですよね」

「モンスターですか?」

 

 耳を撫でながら近づいてきたカエデの質問に対しグレースが呆れ顔を浮かべた。

 水浴び中に警戒網が張られており、その団員達が『捕まえろ』だとか『そっちに行った』だとか言っているのであれば、間違いなく覗きにきた男連中だと想像がつくはずだが、カエデは首を傾げつつも岩の上に置かれた武器の方に視線を向けている。

 

「絶対違うわよ。馬鹿な男連中が覗きでも決行しようとしたんじゃない?」

 

 男連中も必死よねと肩を竦めたグレースに対し、アリソンとカエデが首を傾げる。

 

「必死? 覗きに?」

「見て楽しい物でもあるんでしょうか?」

 

 本気で言っているらしい二人の様子にグレースが顔を引き攣らせている間に、森の中で男性団員の悲痛な叫びがいくつか響き、静かになる。

 

 無事、捕まったらしい事を確認してグレースは二人の耳を掴んだ。

 

「痛いですグレースちゃんっ!」

「離してくださいっ!」

「とりあえずアンタ達は羞恥心を学びなさい、一緒に居るこっちが恥ずかしいったらないわ」

 

 

 

 

 

 地上に続々帰還してくるメンバーを迎え入れるべく、【ロキ・ファミリア】正門に仁王立ちしていたロキは左右に立つフィンとリヴェリアの様子をちらりと見てから口を開いた。

 

「んじゃ頼むわ」

「あぁわかった」

 

 リヴェリアが無言で頷き、フィンが表情を引き締める。

 三人の他にも何人かの第二級(レベル3)団員が待機しており、出迎えにしては物々しい。

 

 仁王立ちするロキの前で、正門が開かれていく。

 

 既に先駆けとして本拠に帰還していたベートから報告は全て聞いている。今回の遠征合宿では合格者は一班も無く、最も期待されていたジョゼット班も夜襲で全滅した事、いくつかの班にはベート曰く()()()()()()()が居た事。

 そして、ラウル班のアレックス・ガードルの行動について。

 

 下手をすれば仲間を危険に晒す事も平然と行い、ラウル班に致命的な被害を齎したと言う報告。致命的な大怪我こそ無かったらしいが、カエデがアリソンの攻撃を喰らう原因を作ったり、身勝手に一人で突撃して連携のれの字すら存在しない行動を繰り返したり。

 既に約束したとはいえアレックスは今回の遠征合宿で失格になったら追放するとは伝えてあったはずである。それなのに反省の色が一切見えなかった事。

 

 フィンも、リヴェリアも、ガレスも、そしてロキも。全員が一致して決めた事だ。これが最後の機会であり、()()()()のだと。

 

 

 

 

 

 一晩ぶりの黄昏の館を目の前にして第三級(レベル2)団員達は漸く終わったと疲労を感じさせる吐息を零し、第二級(レベル3)冒険者達は自身の賭けの内容で儲けが出なかった事に嘆いたり、予想通りの結果でほくそ笑んだりしている。

 準一級(レベル4)達はベートだけ先駆けとして帰還し、残りのメンバーは自分が一番点数を集めたに違いないと笑みを零す。

 開かれゆく正門を見ながら、カエデは深々と溜息を零した。

 

 やっぱり駄目だった。良好な点もいくつかあったが、どうにも連携と言うのは難しい。ヒヅチは常にカエデに合わせて動く事が多く、カエデが出来ない事を頼む事は無かった。その為か合わせて貰う事には慣れているが合わせるのが苦手だ。

 

 開かれた門の先でロキが仁王立ちしており、左右にはリヴェリアとフィンが立っている。リヴェリアのすぐそばに荷物が纏められたバックパックが置かれているのに気が付いてカエデが首を傾げた。

 まるでこれから何処かに出かけると言う様に膨れ上がったバックパック。だがリヴェリアの恰好は普段着のまま。それに本拠待機になっていた第二級(レベル3)の団員達も左右で待機している。

 

 物々しい雰囲気に気圧されそうになりつつも、先頭に立っていたガレスが歩みを進め門の内側へと入った。

 

「全員無事帰還した」

「おかえりガレス」

「よく帰った」

 

 ガレスが三人に並ぶ様に立ち、遠征合宿の班の方へ振り返る。十八階層に正式に辿り着いたのはジョゼット班、アリシア班、ナルヴィ班、クルス班、ラウル班の五つ。失格になった後に辿り着いた班が五つ。

 合計50人の団員達を見てフィンが一歩前に出た。

 

「今回の遠征合宿において十八階層到達はジョゼット班、アリシア班、ナルヴィ班、クルス班、ラウル班、以上の五つも班が達成した。残念な事に合格班は居なかった様子ではあるけれど、君達の頑張りから評価を下して大規模遠征メンバーを選出する事になった。中層にまで到着して失格になってしまった他の班からも選出するかもしれない事を留意しておいて欲しい、皆ご苦労だった」

 

 今回の遠征合宿に於いて合格した班は、大規模遠征におけるサポーターとしての役割が与えられるかもしれなかったが、合格班が居なかった為に各個人の能力を見て決めると告げたフィンの言葉に団員達がざわめく。

 ざわめく団員達の中でカエデがぼんやりとフィンを眺めていると、フィンが一歩下がり、代わりにリヴェリアが一歩前に出て口を開いた。

 

「さて皆疲れているだろう。風呂の準備は出来ている。今日の所はすぐに休息をとる様に。荷物の点検や後片付け等は暇をしていた者達にやらせるので気にしなくても良い」

 

 賭け事をしていた(暇をしていた)者達に後片付けを任せるので休憩しても良いと言うリヴェリアの言葉に第三級(レベル2)団員達が喜びの声を上げる。

 

「それでは……解散だ、皆しっかりと休む様に」

 

 リヴェリアの宣言を聞き終え、皆が思い思いに黄昏の館の方へ向かいだす。その流れに身を任せる様にカエデがグレースの背中についていく。

 

 そんなさ中、アレックスの叫び声が響き皆が足を止めた。

 

「離しやがれっ! 何しやがんだっ!」

 

 カエデが振り向くが人混みに紛れて何が起きているのかわからない。そんな中で比較的背が高いグレースが眉を顰めて呟く。

 

「アレックスの奴、なんか捕まってるみたいなんだけど」

「私見えませんね……そうだ、カエデちゃん、肩車しましょう」

 

 自分が見えないので肩車してカエデに見て貰おうとしたアリソン。素早くしゃがんだアリソンに肩車してもらい人垣の上から声の聞こえた方向を見れば、グレースの言った通りにアレックスが第二級(レベル3)の中でも屈強な団員二人に腕と肩を掴まれて地面に跪かされている。

 

「何してるんでしょうか……」

 

 視線の先ではロキがゆっくりとアレックスに歩み寄っており、その様子を第三級(レベル2)の者達が遠巻きに眺め、第二級(レベル3)冒険者が警戒する様にアレックスの周囲を固めている。

 解散を言い渡された直後の出来事に混乱が広がりそうになるが、第二級(レベル3)団員の何人かが落ち着く様に声掛けを行っている。良く見れば黄昏の館の窓なんかから待機組となっていた団員も正面門で起きている騒動を眺めている。

 

 

 

 

 

 団員達の中から素早く摘まみ出され、目の前で組み伏せられたアレックスを見ながらフィンはゆっくりとアレックスの前に歩みを進めた。

 

「さてアレックス。君は約束を覚えているかい?」

「あぁ? 何しやがんだよさっさと放せぐぅっ……いってぇなテメェ等放しやがれっ!」

 

 フィンに対して唾を吐きかけそうな態度を見せたアレックスに対し、腕を掴んで抑えていた団員が力を込めて黙らせる。

 その様子を見ていたロキが笑みの表情を浮かべたままアレックスの後ろに回り込んだ。

 

「アレックス、アンタにはチャンスをやったつもりやったんやで」

「あぁ? んだよロキ、さっさとこいつ等を――」

「チャンスを、ふいにしたんはアンタや」

 

 ロキの横から無言のラウルが歩み出てアレックスの身に着けていた鎧を外し、服を捲り上げる。露出した背中を見てロキが目を細め、状況を理解できていない団員達のざわめきが広がる。

 

「アレックス。君は追放される。何か言いたい事はあるかい?」

「は?」

 

 押さえつけられたまま惚けた表情を浮かべたアレックス。しかしその表情は直ぐに怒りに表情に塗り潰されて消え去った。

 

「冗談言ってんじゃねぇ、俺が追放だなんて――」

「冗談だったらよかったなアレックス」

 

 怒りの表情を浮かべて暴れようとするアレックスの背中、露出しているその背中に向かってロキはゆっくりと指揮棒の様に指を振る。背中に指を這わせ呟く。淡い輝きが生まれ、アレックスの背中にロックされていたステイタスが映し出された。

 

「おい、何してんだよ」

 

 本来ならこんな屋外でステイタスを晒すなんて事は決してしない。他者にステイタスを見られると言うリスクを考えれば決して団員達が数多存在するこの場でステイタスを暴く真似はしないはずだった。

 だが笑みを浮かべたままロキは其れを行った。漸く状況を理解し始めたのか焦りをにじませたアレックスの言葉に、ロキは笑みを浮かべたまま口を開いた。

 

「アレックス」

「……なんだよ」

「追放や」

 

 アレックスが眉を顰め、鼻で笑う。

 

「冗談だよな? 俺は強ぇぞ……俺を追放だなんてそんな――」

「追放や。嘘も冗談も無いで。ウチは嘘も吐くし冗談も言うで? せやけどこういう冗談は言わんわ」

「……なにが」

「ウチは眷属()相手に()()()()()なんて言わん言うとるやろ」

 

 目を見開き、冗談では無く本気なのだと理解したアレックスが必死に暴れようとする。だが左右から抑え込む団員はレベルが一つ上で、なおかつ基礎アビリティ力の高い団員であり、アレックスは身を捩るので精一杯である。

 

「おいっ! やめろっ!」

「これでアンタはウチの子やのうてただの野良冒険者(のら)や」

 

 ロキの指先が淡くアレックスの背に触れ、アレックスの背に映し出されていたステイタスの輝きが失せていく。

 ロキの視線の先、晒されたアレックスの背中にあったはずの『笑う道化』のエンブレムは消え去り、暗転したステイタスが薄らと残るのみ。

 これでアレックス・ガードルは【ロキ・ファミリア】の団員ではなく野良冒険者となった。

 

 見守っていた第三級(レベル2)冒険者達が息を飲む。唐突に始まった追放式に困惑が隠せない。

 

「…………嘘だろ」

「嘘やない。ほんまや。あぁ、放してええで」

 

 ロキの言葉に従い、アレックスを抑え込んでいた団員が手を離す。

 自由の身となり、枷が失われ、しがらみを失って、力すらも失ったアレックスの目の前にバックパックがドスリと音を立てて置かれた。

 

 呆然と、身を起こして自身の両手を眺めていたアレックスが目の前に置かれた荷物が詰まったバックパックを見て震えながら顔を上げた。

 

「なんだこれ……」

「お前の荷物だ。部屋は此方で片づけておいた、荷物はそれで全てのはずだ」

「――――っ!?」

 

 もう一度バックパックを眺め、アレックスが立ち上がり、後ろを振り返る。

 

 アレックスが振り返った先にはラウルの姿。その後ろのロキが無表情でアレックスを見ていた。

 困惑、驚愕、怒り、様々な感情が吹き荒れるアレックスの表情。ロキは口を開いた。

 

「ラウル。ソイツ摘まみ出しといてぇな」

 

 ソイツ、興味の無い見知らぬ他人に向ける様に笑みすら浮かべない無表情で宣言したロキ。

 アレックスが口を開くより前にラウルがアレックスの側頭部を蹴り抜く。意識を一瞬で刈り取られて倒れ伏したアレックスをラウルが無言で担ぎ、アレックスの荷物の纏められたバックパックを片手で持って門の外へ。

 

 そのままアレックスを門の外へ寝かせ、直ぐ横にバックパックを置く。

 

 ラウルが門の内側へ戻ると同時に門が閉じられ、気絶したアレックスが【ロキ・ファミリア】正門前に残された。

 

 第三級(レベル2)冒険者が困惑するさ中、アレックス・ガートルは【ロキ・ファミリア】を追放されて放り出される事になった。




 ナイアルさんが絶賛ロックオン。ナイアルファミリアの目的は未だ不明(のはず)なのでどう転ぶんでしょうねぇ。
 むしろ現時点でナイアルの目的わかる人とか居たら怖いよ……想定は出来てもヒントは無いから確証持てないはずだし。

 遠征合宿イベントも終わったので日常パート……なんかほっこりする様なの書きたいなぁ。


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『無くし物』

『恵比寿、【ロキ・ファミリア】の依頼の件だけど』

『あぁはいはい、そっちの書類に纏めてあるから持って行って』

『恵比寿様、件の行商人が来ています』

『うーん、少し待って貰ってて。お茶出して時間稼ぎよろしく』

『恵比寿様、【トート・ファミリア】から依頼が』

『何だって?』

『封印を解除できる魔法道具(マジックアイテム)を探していると』

『あぁー……一応目録を確認して探してあげて』

『恵比寿様、ギルドに提出する書類が~』『恵比寿様、此方の商隊について~』『恵比寿、この書類抜けがあるんだけど~』

『あぁぁっ! 忙し過ぎるっ!!』


 早朝、【ロキ・ファミリア】鍛錬場に響き渡る打撃音。拳のみを使うベートに対し、大剣を使うカエデは手も足も出ずに何度も地を転がり、土埃に塗れてなお再度立ち上がって剣を構える。

 繰り返す事数度。良い所まで持って行けたのも何度かある。けれども最後にはどうしても埋められないステイタスの差によって覆され、地を転がり空を見上げてカエデが呟いた。

 

「勝てない……」

 

 寝ころんだまま起き上がらないカエデを見下ろしたベートは息を一つ吐いて口を開いた。

 

「当たり前だろ。お前は第三級(レベル2)、俺は準一級(レベル4)だぞ」

 

 むしろレベルに2つの差があるにも関わらず、ベートが息切れしそうになる程に喰らい付いてくるカエデが異常と言える。そんな事を考えてからベートは軽く肩を回す。

 幾度かヒヤリとする場面があった事を悟られぬ様、余裕だったと言う風に見せる。いわゆるやせ我慢の様な物だが、目の前のカエデに対し若干の苦戦を強いられたと言うのは口が裂けても言えない。

 

「……ベートさん」

「んだよ」

 

 寝ころんだまま空を見上げていたカエデの言葉に反応し、カエデを見下ろすベート。対するカエデはベートの方に視線を向けるでもなく眩しそうに眼を細めて太陽に視線を向けている。

 名を呟くだけ呟いてそのまま口を閉ざしたカエデに不審そうな視線を向け、ベートは再度口を開いた。

 

「もうやめるか?」

「……いえ、後一回だけお願いします」

 

 立ち上がり、土埃を軽く叩いてからカエデが剣を構えなおす。対するベートは構えをとるでもなく自然体でポケットに手を入れて立つ。

 余裕綽々と言う様に挑発気味なベートの無構えに対し、カエデは挑発に乗るでもなく下段の構えをとり防御を重視した小回りの利く剣技で手数を稼ごうとし、動きを止めてから脇構えへと構えを変更して摺り足で距離を詰め始めた。

 

 先程まで下段の構えで防御に重きを置いた戦法をとっていたカエデの唐突な構えの変更に警戒したベートが目を細め、カエデの方から仕掛けるでもなく摺り足でベートの周囲を回り始めたのを見て息を一つ吐く。

 カエデはあからさまなベートの隙に反応するでもなく、摺り足でベートの攻撃範囲ギリギリと呼べる間合いの外で反撃の機会を窺っている。

 

「…………」

「…………」

 

 互いに無言のまま足音の無い摺り足で動くカエデと、カエデを真正面に捉えたまま軽く足踏み程度に済ますベート。間合いのギリギリを陣取っているのでベートが動いた場合カエデの方が先に反撃を繰り出すだろう事を理解し、その上でベートは軽く腰を落とす。

 攻撃の気配を感じ取ったカエデがよりいっそうベートの動きに集中しだし、ベートはカエデのほんの僅かとも言える隙を窺う。

 

 カエデの動きに隙はなく、対するベートは隙を突き放題に見える。しかし実際の所を言えばカエデが行動を開始した後に後出しで動いたベートが先に攻撃を繰り出せる為に隙とは言えず、逆にカエデの方は()()隙と言えるモノが存在しないが、その()()()()()の隙が、常人なら隙とも呼べないほんの僅かな揺らぎですらベートは容赦なく突く事が出来る以上、カエデの方が隙まみれ、逆にベートには隙が無い。

 

 それを理解しているが故にカエデは隙を減らそうとしている。その上でベートは足に少しずつ力を込めていく。一歩、一歩でカエデとの距離を詰める。隙とも呼べない呼吸の間、その瞬きにも満たない間を容赦なくベートが攻める。

 

 踏み出した足音、反応したカエデが即座にベートの拳を剣の腹で逸らす。反応は悪くは無く、むしろ良好な反応速度であったが、カエデの敏捷に対しベートの敏捷は差が大き過ぎた。反応は出来ても対応が絶妙に遅れ、拳の間合へと接近されてしまっている。

 反撃すべく逸らしつつも剣を振るう。しかし拳の間合いにまで接近されていてはまともな斬撃は放てない。せいぜいが牽制になるか不明な弱々しい斬撃が限界。それでも振るわれた大剣は拳の間合いだと言うのに的確にベートを捉えようとする。

 受け流されそうになった拳を瞬時に引き戻したベートがその拳で剣の腹をいなし、剣を受け流す。

 受け流された剣の軌道が一瞬で反転し、小回りの利く斬撃から常識を逸した軌道の変化を利用して拳の間合いから身を強引に引き剥がしたカエデの一閃がベートの胴を袈裟懸けに斬り裂かんと迫る。

 

 慌てるでも驚くでもなくベートは反対の手で袈裟懸けを掴み止めた。

 

「……ありがとうございました」

「…………ふん」

 

 剣を掴まれた時点で耳を伏せたカエデが悔しそうに俯いて鍛錬の礼を呟いた。答える様にベートが鼻を鳴らし、口を開きかけてやめた。

 右手のみで相手どると決めていたが、最後の一撃を掴んだのは左手であり、十二分以上の奮闘をしたと褒めようかと悩み、調子付かれても面倒かと言葉を飲み込んで剣を手放した。

 

「終わりだな」

「はい……。ベートさんはこの後何をするんですか?」

 

 カエデの質問に対し、ベートは時計を見てから眉を顰めて口を開いた。

 

「特になんもねぇな。昼寝ぐらいか。お前はどうなんだよ」

 

 お前との鍛錬の予定が無ければ。と言う言葉を飲み込んだベート。対するカエデは少し考えてから剣を鞘に納めてベートを見上げながら首を傾げた。

 

「シャワー浴びて……、何したらいいんでしょうか」

 

 自身の行動に対し何をすればいいのか等と阿呆な事を呟いたカエデに対し、ベートは呆れ顔を浮かべた。

 

「好きな事すりゃ良いだろ」

 

 前日の遠征合宿参加メンバーは全員休息が言い渡されている為、ダンジョンに潜る訳にはいかない。アイズは黙ってダンジョンに向かったらしい事を団員達が噂していたりしたが、カエデはフィンやリヴェリアが決めた事を破る積りはない。

 ダンジョンに潜れない焦りは無い訳ではない、しかし昨日のアレックス追放の一件もありカエデは若干思う所があった。

 

「でも、勝手な事したらアレックスさんみたいに……」

 

 アレックスの様に身勝手に振る舞えば自身も追放されるのではないかと言う懸念を抱いたのだ。

 だからこそ、何をしたらいいのかわからなくなった。休息を言い渡されたが何をするのが正解なのかわからなくなり、昼前まで暇をしていたベートとの鍛錬に時間を費やしたが、午後から何をしたらいいのかさっぱりわからない。

 そんなカエデの心境に対しベートは鼻で笑った。

 

「ダメならロキかフィン辺りがそう言ってくるだろ」

 

 やってはいけない事であるのなら、まずロキかフィン、後リヴェリアから注意される。注意で直らなければ忠告へ変わり。忠告を無視し続け、揚句最終勧告をされてなお態度を変えなくて漸く追放だ。

 他のファミリアがどうとは知らないベートであっても、【ロキ・ファミリア】の対応は甘過ぎると思っている。仲間を危険に晒すのだから早めに対応すればいいものを、改心してくれるかもしれないとチャンスを何度も与える等無駄にも程がある。

 

 アレックスだからこそ追放されたのであって、カエデの様に至極真面目な奴なら追放まではいかないだろう。

 

 それにアイズが夕食を食べれなくなるぐらいにじゃが丸くんを買い食いする事も何度も注意されてはいたが直る気配は無かったとか、ティオネが何度注意されてもフィンに媚薬を盛る計画を立て続けているだの、ファミリア内の幾人かの男性団員がロキと示し合わせて女性団員の下着を狙っているのを何度も注意されているだの、しょうもない注意ならいくらでも溢れている。

 

 ベートですら言葉使いが悪いだの、一部団員に対して当たりが悪いだのと注意は受けるが、直す気はこれっぽっちも持ち合わせていない。しかしその程度で追放はされないと言う根拠がある。アレックスの様に自身の身の丈に合わない様な行動に出れば追放もされるだろうが、自己評価が低いカエデがそのようになるとは思えずベートはカエデの頭を見下ろして溜息を零した。

 

 

 

 

 

 鍛錬場で一度別れ、シャワーを浴びた後に合流して昼食をとるべく食堂を訪れたカエデとベートが食堂入口の扉が締め切られ、紙が貼られているのを見つけて足を止めていた。

 

「えっと、現在食堂の一部設備修理中の為、昼食は用意できません。各団員は外食してくる様に……ですか」

 

 紙切れの内容を読み上げたカエデが困った様にベートを見上げた。

 

「どうしましょう」

「あぁ? 適当に外で食ってくりゃ良いだろ」

「……外食、行った事無いです」

 

 食事処と呼べる場所の無かったカエデの村で食事と言えば自炊が基本。外の食事処の様な所へ行った事の無いカエデが困った様にベートを何度かちらちらと見てから、恐る恐ると言った様子で口を開いた。

 

「ベートさん、一緒に行っちゃダメですか……」

 

 強くなったら一緒に居る事を認めてやるとベートは口にしていたものの、現状カエデはベートから一度も勝利と呼べるものはとっていない。不意打ちしても正々堂々真正面から挑んでもあっけなく地に伏せられるのだから、もしかしたら拒否されるかもしれないと考えるカエデ。対するベートは悩むでもなく肩を竦めた。

 

「好きにすりゃ良いだろ」

「……良いんですか?」

 

 念押しの様なカエデの言葉に面倒臭そうにベートが頷く。

 

「好きにしろ。ったく設備修理って事ぁペコラの奴がなんかしでかしたのかよ」

「ペコラさん?」

 

 厨房でトラブルを起こす人物は大分限られてくる。たとえば盗み食い常習犯のペコラ等。特に厨房でジョゼットと戦闘を始めた際等は悲惨であった。今回どの程度の被害が出たのかは知らないが、午前中にジョゼットが厨房で何かしていたので、盗み食いに来たペコラの撃退劇の中で何かしらが破損したのだろうとベートが呟き、カエデが納得した様に頷いた。

 

「ベートさん、何処行きましょう?」

「適当に肉食える所だな」

 

 踵を返したベートが一瞬足を止め、カエデを振り向いた。

 

「金持ってくるから先エントランスで待ってろ」

「お金?」

 

 外食の為に財布を取ってこようとしたベートの言葉に首を傾げるカエデ。時折、カエデの知識の偏り方が酷いと思う事はあったが流石にこれは酷いなとベートが眉を顰めた。

 

「……外で飯食うんだから金が要るに決まってんだろ」

「なるほど。わかりました、財布とってきますね」

 

 カエデが自室へと歩いて行ったのを見送ったベートは軽く溜息を吐いて呟いた。

 

「一応ババアに確認とっとくか」

 

 

 

 

 

 【ロキ・ファミリア】の書斎の執務机に腰かけたフィンは軽く溜息を吐いてから目頭を揉んだ。

 机に置かれた遠征合宿参加メンバーの評価が書かれた書類を見てフィンは軽く溜息を零した。

 

「ジョゼット、悪いんだけど」

「了解しました。各記載者に確認をとってきます」

 

 フィンの前に直立不動で立っていたジョゼットが、まとめられた書類の中から纏め方が不十分な書類を抜き取り、残りの書類を机に戻した。

 フィンの悩みは一つ、遠征合宿において評価者となった第二級(レベル3)の団員の中に書類を見るだけで頭が痛くなると言う団員が数多い事。普段から団長候補として書類関連の手伝いをしているラウルや、リヴェリアの傍に控えていたジョゼット等がまとめて来た書類については不備はないのだが、他の団員の中にはかなり適当に書いてきた物もかなり交じっている。

 悩みの種とも言えるそれをどうするか少し悩んでからジョゼットに各団員への聞き込みと評価の書き直しを行う様に頼んだフィンは、同じく書斎のテーブルで次回遠征に向けた書類の確認を行っているリヴェリアに視線を向けた。

 

「リヴェリア。ジョゼットを少し借りるよ」

「構わないが……フィン、次の遠征の資金についてだが」

 

 リヴェリアが資金関連の書類をフィンに手渡し、ジョゼットが部屋を出ようとした所で扉が無造作に開かれ、ジョゼットはドアノブに手を伸ばしたまま動きを止めた。

 

「ベートさん? こんにちは。何か御用でしょうか」

「あん? ジョゼットかよ。ババアはいねえのか?」

「ばば……リヴェリア様なら居ますよ」

 

 ベートの言葉にジョゼットが不愉快そうに眉を顰めるが特に何を言うでもなくベートに道を開けた。

 入室してきたベートに気付いたフィンとリヴェリアがベートを見て口を開いた。

 

「やぁベート。どうしたんだい」

「何か用か、今は見ての通り次の遠征に向けての準備中だ。今回の遠征合宿の評価一覧の作成もしている」

「んなこたぁわかってる。カエデと飯食ってくる」

 

 ベートの言葉にリヴェリアが怪訝そうに眉を顰め、フィンが驚きの表情を浮かべてから、笑みを零した。

 厨房が今日の昼間使用できないので各団員に急きょ外食する様に書留を食堂前に張っていたのを思い出したリヴェリアがなるほどと呟いて片目を閉じた。

 

「ベートがか、珍しいな」

「うるせぇ」

 

 リヴェリアの視線にうっとうしげな表情を浮かべたベート。フィンは少し緩んだ口元を引き締めて口を開いた。

 

「ベート、【ハデス・ファミリア】に気を付けてくれ。カエデを狙ってくるかもしれないからね」

 

 カエデ達に対する十八階層での襲撃事件以降、姿を見せていない【ハデス・ファミリア】の事を気に掛けるフィンに対し、ベートは鼻で笑った。

 

「あんな雑魚共、どうってこたぁねぇよ」

「ベートなら大丈夫か」

「そうだな。カエデの分の食事代は出そう」

 

 リヴェリアの言葉にベートが面倒臭そうに手を振って答えた。

 

「いらねぇよ。じゃあ行ってくる」

「気を付けて行ってきなよ」

「カエデから目を離すなよ」

 

 フィンとリヴェリアの言葉に口の中で報告に来なきゃよかったと呟いてベートは書斎を後にした。

 

 

 

 

 

 女性用部屋が並ぶ尖塔の一つ、財布の中身を確認して自分の部屋を出たカエデは廊下を歩いてきたグレースとアリソンの姿を見て頭を下げた。

 

「こんにちは」

「あぁはいはい、こんにちは」

「こんにちは~」

 

 律儀に頭を下げて挨拶をするカエデに、面倒臭そうに手を振って答えるグレース。ほんわかとした笑みを零して挨拶を返すアリソン。カエデが頭を上げたのを確認したアリソンが口を開いた。

 

「カエデちゃん厨房が使えなくて外食するって話は聞きました?」

「あぁ、食堂前の扉に張り紙がしてあったのでそこで知りました」

「今からグレースちゃんと外でお昼食べに行くんですけどカエデちゃんもどうです?」

 

 二人して外食に行く為、カエデも誘おうかと探していたらしい事を理解し、カエデは申し訳ない気分になりつつも首を横に振った。

 

「ベートさんと食べに行きます」

「あぁそうですか、ではグレースちゃんと二人きりですね。ヴェトス君には断られちゃいましたし」

 

 残念そうな雰囲気を一切出さずに気にしなくても大丈夫ですとアリソンが言った。ヴェネディクトスも昼食に誘おうとした様子だったが断られたらしい事を呟いたアリソンはへにゃりと笑みを浮かべてグレースの方を見た。

 グレースの方はカエデの言葉に納得した様子を見せ、カエデの口から出た人物の名前に驚いてカエデを二度見した。

 

「へぇ、ベートさんとねぇ……え? ベートさん?」

 

 あのベート・ローガ? そんな風にカエデを見たグレースに対し、カエデが頷いた。

 

「はい、ベートさんはベートさんですけど……?」

「うわぁ、ベートさんって人と一緒に食事に行ったりとか殆どしないって聞いたんだけど……」

 

 例外は大規模遠征後の宴会ぐらいで、他の時に誰かと食事に行ったと言う話を聞いた事が無いグレースは眉間に皺をよせカエデの額に手を当てた。

 

「熱とか無いわよね」

「……? 無いですけど」

「……本当にベートさんと?」

「はい」

 

 念押しして聞いてくるグレースの様子に首を傾げるカエデ。アリソンが笑みを零してグレースの腕に抱き付いた。

 

「グレースちゃん、デートの邪魔しちゃ悪いですよ。ほら私達は二人でデートに行きましょうよ」

「ちょっと、なんか勘違いされる様な事言わないでよ」

「えへへ」

 

 嬉しそうな笑みを零すアリソンを面倒臭そうに引き剥がそうとするグレース。アリソンの言葉に首を傾げたカエデが口を開いた。

 

「でーとってなんですか?」

「二人きりで出かける事ですよ」

「なるほど」

 

 アリソンの言葉に納得した様に頷くカエデ。カエデを見たグレースが額に手を当てて溜息を零した。

 

「ちょっとアリソン、アンタ適当言うんじゃないわよ」

「えぇ、でも間違ってませんよね」

「意味、違うんですか?」

 

 違うかもしれないと言われたカエデが首を傾げグレースを窺う。グレースはアリソンを強引に引き剥がしてからカエデの頭をぽんぽんと撫でてから口を開いた。

 

「デートって言うのは要するに逢引の事よ。大人になった男女が二人きりで出かける事……だったと思うんだけど」

 

 アタシデートなんてした事無いし。等とぼそりと呟いたグレース。その様子を見たカエデは結局デートとはなんなのかを理解しきれずに首を傾げている。

 

「大人になるってどういう事なんですか?」

「大人っていうのはですねぇ。ベッドの上で男の子に――」

「アリソン、アンタ黙りなさい。後でリヴェリアに怒られるわよ」

 

 グレースがアリソンの口を塞いで黙らせ、カエデの方を睨む様に見て口を開いた。

 

「アンタ、ベートさんと飯行くのは良いけどリヴェリアに一声かけてきなさいよ。それとベートさん待たせてるかもしれないから急いだ方が良いでしょ。ほら行った行った」

 

 カエデを追い払う様に手を振るグレースを見てカエデはリヴェリアに一声かけないとと慌ててリヴェリアが居そうな場所に走って行った。後ろ姿を眺めていたグレースはアリソンを解放して頭に手刀を落とした。

 

「アンタ、カエデに余計な事教えんじゃないわよ。アタシまで怒られるでしょ」

「えー、でも大人って言ったらベッドの上でそう言う事ですよね?」

「……知らないわよ。とりあえず今度余計な事言ったら絶縁するわ」

「そんなぁ」

 

 

 

 

 リヴェリアに許可をとり終え合流したカエデと、いつも通り動きやすい恰好にくわえ、最低限の武装のみをしたベートが大通りを歩いていた。

 周囲をきょろきょろと見回すカエデをちらりと見てから、ベートは周囲に気を配る。もし【ハデス・ファミリア】の奴が居たら直ぐに対応出来る様にと警戒するベートに対し、カエデは周囲に歩く人々の中に狼人を見つける度にベートの陰に隠れてやり過ごす。

 ちょこまかと動くカエデを見てベートが面倒臭そうに溜息を零し、昼飯は適当な店で食うかと昼食時で人がごった返す食事処を見てうんざりした様子でベートは口を開いた。

 

「何処も一杯だな」

「みたいですね」

 

 同意するカエデの言葉を半ば聞き流しつつもベートが視線を彷徨わせていると、どこからかベートの名を呼ぶ声が聞こえてきた。

 

「ベートーおーい」

「あん?」

「こっちこっちー」

 

 カエデとベートが視線を向けた先、屋台の立ち並ぶ噴水の傍の長椅子に腰かけたティオナとティオネ姿があり、ティオナが手を振って存在をアピールしていた。長椅子にはいくつかの屋台で購入したらしい串焼き肉等の袋が見て取れる。

 ベートとカエデが顔を見合わせ、面倒な奴に見つかったとベートがティオナの方へ歩きはじめたのを見たカエデもそれに続く。

 

「んだよ、何か用かよ」

「いや別に、見かけたから声かけただけだよ」

「はぁ」

「それよりカエデと一緒なんて何かあったの?」

 

 カエデと一緒に居るベートを目ざとく見つけて声を掛けたティオナの様子を見ていたティオネは、ベートと一緒にやってきたカエデを見て笑みを零した。

 

「どうせ食堂が使えなくて昼食を外で食べにきたんでしょ。ベートと一緒なのは予想外だけど」

 

 何時も一人で行動しているベートが誰かと一緒に居るのは珍しいとティオネが口を開く。ベートが面倒臭そうに手を振った。

 

「用がねぇならもう行くぞ」

「一緒に食べないんですか?」

 

 ティオネ達をそのままに歩き出そうとしたベートにカエデが声をかける。ベートは肩越しにカエデを振り返った。

 

「こいつ等と飯食いたいならそうしてろ。俺は別の所で食う」

 

 ぶっきらぼうに言い切ったベートの言葉にカエデが困った様にティオナ達とベートを見比べてから、ティオナ達に頭を下げた。

 

「失礼しました」

「あぁ~、ベートと食べに行くんだ。うん、じゃあねー」

「ベートしっかりエスコートしてあげなさいよ」

「うるせぇ」

 

 小走りでベートに追いついたカエデがベートを見上げれば、ベートはカエデを見下ろしてから歩き始めた。

 

「適当に屋台で買うか」

 

 

 

 

 

 街中に設置された長椅子に並んで腰掛けるベートとカエデ。

 屋台で買った昼食の串焼き肉を齧るカエデを余所に、食べ終わった串を咥えたベートは半眼で人の流れを眺めながら、ふと気になった事を呟いた。

 

「おいカエデ、お前は強くなったらどうする気なんだ」

「ふぁい?」

 

 肉を咥えたままベートを見上げたカエデ。ベートは半眼でカエデを見据えてから首を横に振った。

 

「なんでもねぇ」

「…………?」

 

 誤魔化したベート。何のことかわからずに首を傾げたカエデは咥えた肉を齧り千切ろうとし、固すぎて千切れずに大きすぎる肉をそのまま口の中に放りこんでもごもごと噛み締める。

 なんとか飲み込んでからカエデは口を開いた。

 

「強くなったらですか」

「別に答えなくていいぞ」

 

 ではなぜ聞いたのかとベートを見上げるカエデだが、ベートは答えるでもなく人の流れの中に存在する狼人達の視線に眉を顰めた。

 聞き耳を立てればやれ『白い禍憑き』だとか『【凶狼】と禍憑きが一緒だ』だとか、普段から評判があまり良くないベートと、見た目から差別されるカエデの組み合わせに色々と噂話を咲かせる狼人達の姿が見え、若干の苛立ちを覚えていた。

 その横で同じように聞き耳を立てて話を聞いたカエデは耳を伏せて残りの肉を齧り、言いたい言葉と共に飲み込んだ。

 

「ベートさん」

「んだよ」

「強くなったら何をすればいいんでしょうか」

 

 カエデの質問に対しベートは眉を顰めた。

 

「そんな事知るかよ」

 

 ぶっきらぼうなベートの返しを聞いたカエデは、串を折ってから紙袋に放り込み、並んで腰掛ける長椅子から見える景色を見ながら、カエデは目を細めて眩しそうに人混みを眺める。

 

「強くなるってなんなんでしょうか」

 

 街中に紛れ、カエデの事を貶す者達の言葉を出来る限り無視してカエデはふと呟いた。

 

「強くなるには何かを捨てなきゃいけないって」

「何の話だ」

「……私の師が言ってました」

 

 強くなる度に、何かを失ってきた。強くなったと実感した時、何かが失われていた。強くなりたいと強く願った時、何かは既に失われていたのだと。

 

「ワタシは、今は強くなりたいとは思いません」

 

 強くなる理由は無い。生きる為に必要なだけで、強くなりたい訳じゃ無い。ただ生きる事に必要だから、それを行うだけである。

 カエデの師の語った『強くなる度に何かを失う』『強くなった時、何かが失われている』『本気で強さを求めた時、何かが失われた後である』、この三つの意味は未だに理解できない。

 師の言葉には難解なものが多すぎる。カエデは生きるのに必要だから頑張ってきていて、だからこそ本気で求めている。『生きたい』がイコールで『強くなる』であるからこそ、今は強くなろうとしているのだ。

 だから師の語った事がさっぱりわからないと、そう呟いたカエデ。

 

 その言葉にベートは眉を顰めた。まさにその通りだったから。

 

 強くなりたい。本気でそう願ったのは全てが失われた後で。

 強くなったと実感した時、気が付けば失われていたモノがあって。

 強くなる度に、何処かで何かを無くした気分になる。

 

「ワタシが強くなりたいって思う時。ワタシは何を無くしてしまうんでしょうか」

 

 先の暗闇を見据えて呟くカエデに対し、ベートは串を圧し折って紙袋に放り込んでから口を開いた。

 

「知らねえよ」

 

 だが失わない様にする事は出来るはずだ。誰しも全ての冒険者がカエデや自分の様に全力を尽くせば。皆が強くなれば。

 そんなのが出来るのなら、失うなんて事態起きるはずもない。

 

「ベートさんは何かを無くしたりしましたか?」

「……さぁな」

 

 沢山無くした。その言葉を飲み込んでベートは空を見上げた。




 カエデちゃんが『生きたい』から『強くなりたい』に思いが変わる時。何を無くしてしまうんでしょうかね。
 まぁ『生きたい』と言う想いは変化して(無くなって)しまうんでしょうけど。


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『英雄譚』

『アタシ、オラリオに行くよ』

『そりゃ分かってるよ。【恵比寿・ファミリア】の警戒網もあるんだよ……どうやってだい』

『それは……頼んだ』

『おい』

『なんとかなんないのか?』

『……はぁ、わかったよ。街道を外れた道から行ってみるか……期待はしない方が良いよ』

『姉ちゃんに少しでも会える可能性があるなら』

『期待すんなって言ってんだろ』


 【ロキ・ファミリア】の書庫には多種多様な書物が保管されている。

 主にリヴェリアの管理している魔法に関する考察やダンジョンの基礎知識をまとめた物。ギルドが発行しているダンジョン解体新書各種、ギルド手続きに必要な各種書類のあれこれ。

 他にはファミリアの団員が各々持ち込んだ個人的な書物等も保管されており、中に何があるのか全てを把握するのも難しい程である。

 

 そんな書庫の中、カエデは踏み台を使い書棚からいくつかの書の背表紙を見て必要な上製本を取り出して開き目次を見ると言う作業を行っていた。

 今カエデが求めている書物はダンジョン下層に出現するモンスター、迷宮の悪意(ダンジョントラップ)の記録書である。

 手に取った上製本を見ては眉を顰めて棚に戻す。

 

 中層基礎、中層モンスター上、中層モンスター下、中層採取品鉱石編、下層採取植物編。捜索の対象に対し棚に保管された書物の多さに若干疲れたように肩を落とし、次の書物に手を伸ばす。

 保存状態の良い上製本、モンスターの皮を使用した耐久性、保存性に優れた書物を取り出して最初の目次を眺める。背表紙に記された文字はダンジョン下層迷宮の悪意(ダンジョントラップ)第一巻~固定型編~である。

 

「……五冊もあるんだ」

 

 第一巻が固定型の物について。第二巻が移動型の物について、第三巻が発生型について、第四巻が特殊型について、第五巻がその他について。それぞれ記載されている区分が別々であるのだが、種類の多さは目を見張るものがある。

 試に開いた第一巻の項目だけで優に五十を超え、上層、中層の迷宮の悪意(ダンジョントラップ)が優しく見える物ばかりが記載されている。

 発動すれば周辺一帯が高温になり、冒険者、モンスター問わずに焼き尽くす灼熱地帯。無臭無色の毒ガスが発生している物、毒の種類や解毒法によって分類が多岐にわかれている。特に多いのは毒物関連の迷宮の悪意(ダンジョントラップ)であると言うのを見てとり、カエデは思わず眉を顰める。

 

 自身がどうにも毒物、毒性に耐性が無いのか上層の何でもない毒に侵される事が多いのを自覚するカエデからすれば、下層における毒系の迷宮の悪意(ダンジョントラップ)は警戒すべき対象に他ならない。

 種族によって解毒法が違う毒、性別によっては効果が発揮されない毒、レベルによって無効化出来る物、解毒法が存在しない物。記載された物だけでお腹いっぱいになる程の物ばかり。

 毒の効力も少し眩暈がする物から、指先から徐々に腐り落ちる物、手足の痺れを伴う物から、意識が混濁する物。特に冒険者が恐れるのは『気分が高揚する毒』。

 無駄に自信に満ち溢れ、どんな危険も厭わずに迷宮の奥へ奥へと進んでしまうと言う状態に陥る毒であり、無臭無色で解毒法が存在しないと言う毒で、効果が切れるまで毒に犯されている事に気付かないと言うものもある。

 

 気が付いた時には自力で帰還不可能な深層にまで足を踏み入れてそのまま帰らないと言う事もあるらしい。

 

「……? なんでこの毒に侵されて帰らなかったってわかるんだろう?」

 

 著者の所には【トート・ファミリア】と記載されているのを確認してから、第一巻と第二巻を取り出して踏み台から降りる。

 

 書庫からの持ち出しについては基本団員の自由である。但し必ず元にあった場所に戻す事と言うのが条件であり、よく適当な場所に戻して怒られる団員が居るらしい。

 

 両手でその書物を抱え、書庫から持ち出そうとした所で、扉の開く音が書庫に響く。カエデが書庫で本を探す際に他の団員が訪れる事は滅多になく、あるのはジョゼットがリヴェリアに頼まれた本をとりに来るぐらいである。その為、ジョゼットが来たのかとカエデが入口の方に視線を向けると、其処には楽しげに笑みを浮かべながら歩くティオナの姿があった。

 

「ティオナさん?」

「カエデじゃん。こんにちはー」

「あ、はい。こんにちは」

 

 アマゾネスと言えば脳筋な種族で、書を読む等と言った知性ある行動をとる者は殆ど居ないとベートが鼻で笑いながら言っていたのを思い出したカエデがアマゾネスのティオナがこんな所に何の用事だろうと首を傾げる。

 

「ティオナさん、何しに来たんですか?」

「うん? 本を探しにだよー」

「……本、読むんですか?」

 

 訝し気にティオナを窺うカエデに対し、ティオナはカエデの考えを読み取って笑みを浮かべてカエデに近づく。

 

「それってどういう意味?」

「ベートさんが言ってました。アマゾネスは()()()()だから本を読めないって」

 

 ベートさんも『勉強なんて面倒臭ぇ』と本を読むのを面倒臭がってはいたが。

 

「ベートかぁ。アマゾネスだって本ぐらい読むよ」

「へぇ」

「信じてないなー」

 

 カエデの耳を摘まんで引っ張るティオナ。カエデは両手が塞がっており何もできずにされるがままになりながら尻尾でティオナを叩く。

 

「やめてください」

「おぉ、カエデの尻尾やわらかいねぇ」

「……何を探しに来たんですか」

 

 叩いた拍子に尻尾を掴まれたカエデが話題を逸らすべく口を開けば、ティオナはカエデの尻尾を手放して奥の方へ歩き出した。

 

「英雄譚だよ」

 

 ティオナの後ろ姿を見ながらカエデは首を傾げる。

 

「英雄譚?」

「そうそう。ガラートの冒険とか魔法使いアラディンとかそう言ったのだよ」

 

 カエデが首を傾げつつ自身の知る英雄譚を思い浮かべてみる。

 浮かんだのは『迷宮神聖譚(ダンジョン・オラトリア)』のみ。他の英雄譚は一切目を通した事は無い。

 実用的な戦闘指南書や迷宮の記録書、モンスター図鑑類は片っ端から手を伸ばしてはいるが、英雄譚の様な文学書には一切手を出していなかった。

 

「ほら、こっちの一角。ここに色んな英雄譚があるんだよね」

 

 ティオナの後ろについていけば、棚一つにびっしりと納められた書物の数々。他の棚と違い蔵書の規格が統一されていない所為なのか雑多な印象を受ける書棚が其処にあった。

 

「これがガラートの冒険でしょ。こっちが魔法使いアラディン。それでこっからここまでが迷宮神聖譚(ダンジョン・オラトリア)だよ」

「え? そこ全部がですか?」

 

 ティオナが指差したのは棚の真ん中中央から右下の方まで。巻数にして二十近い数に上る迷宮神聖譚(ダンジョン・オラトリア)に驚きを示すカエデに対し、ティオナは笑みを浮かべて一冊を取り出して頁を開く。

 

「わたしが好きなのは此処と此処かな」

 

 さりげなく、背表紙を見るでもなくぱっと取り出して目的の頁を探す素振りも無く一発で目的の頁を開いてカエデに示すティオナ。何気ないその動作は既に何度も繰り返し行われ、体に染みついている様に見て取れ、カエデは思わずティオナの顔をマジマジと見つめた。

 

「ほら、この頁。カエデの二つ名にもなってる生命の唄の台詞がのってるんだよ。カッコいいよねぇ」

 

 憧れに目を輝かせ、『こんな台詞言ってみたいなぁ』と呟くティオナ。カエデは手に持っていた記録書を踏み台に置いてティオナの手にある迷宮神聖譚(ダンジョン・オラトリア)の頁に目を通した。

 

 

 

 

 

 崩れ落ちた壁。過去挑みし者達の遺した残骸を踏締め、金色の髪を靡かせる狐人(ルナール)は片刃の剣を振るい指し示す。

『聞け、全ての者よ』

 風を斬る鋭い音と共に、全ての付き従う者は彼の狐人(ルナール)を見上げる。

『幾十と、幾百と、幾千と、幾万の屍を越え我等は辿りついた。幾度涙を流した? 幾度弱音を吐いた? 幾度仲間を失った?』

 響く言葉に彼らは各々が持つ剣を、槍を、矛を、斧を、杖を、蟷螂の斧と蔑まれた武器を握り締め、震える。

『其れも此れも、全てはこの日が為に』

 振り向く先に連なる骸の道、指し示す先に存在する化物の坩堝。

『さあ、立ち上がれ。付き従う同胞(はらから)よ。さあ、武器を取れ。朧げな生命(いのち)よ。さあ、声を上げよ。儚き生命(えいゆう)達よ』

 ヒューマンが、ドワーフが、パルゥムが、エルフが、狐人(ルナール)が。付き従う者達全てが己が持つ蟷螂の斧を振り上げる。

『いざ、戦場だ。鼓動(いのち)枯れ果てるその時まで進み逝け。いざ、血戦(けっせん)だ。信念(たましい)を抱け、倒れ逝くその瞬間まで』

 片刃の剣を振るい、天を指し示す。

死ぬな(諦めるな)生きろ(足掻け)。心の臓の音色が枯れ果てるその時まで』

 振るい落とされた切っ先は、寸分違い無く“穴”に向けられた。

『我等が命、『蓋』の建造に全て捧げようぞ』

 地を轟かす咆哮にて答える生命(エイユウ)に応える様に“穴”は振動し、化物を次々を吐き出してゆく。

 既に言葉は無く、彼らは最期の戦場へと軋む足で踏み出した。

 

 

 

 

 

 その後に続くのは各種族の代表的な英雄と称えられた者らの奮戦の様子。前にキーラ・カルネイロとの邪声系の技の習得の為に顔を合わせた時に聞いたおぼろげな内容が、重厚な文字にて描かれている。だが、戦いの参考になるかと言えばそんな事は無く、言葉によって過剰に飾られたその文から戦い方を考察は出来たとしても、肝心な戦い方へと通じる文字は微塵も存在しない。

 自身の二つ名の元となった文言を読み終え、カエデはティオナを見上げた。

 

「これ、何の意味があるんですか?」

「え?」

「参考になりそうな所は見受けられないんですけど」

 

 飾りに飾られた英雄譚の一説。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と言うのがそれこそ一頁に渡って濃密に描かれている。動きを脳内にて想像してみれば、確かに巨人の大きさ、溢れる熱気、呼吸に混じる焦げ臭い臭い、そう言ったモノがしっかりと描かれている。しかし、どうやって倒せば良いのかは一切記載されていない。

 炎に対する対策は? 巨躯を誇る巨人の首を刈る為に必要な行動は? そう言った()()()()()()()()()()は一切ない様子に若干の落胆を示すカエデ。

 対するティオナは目を見開いた後に震え、それからカエデの肩をガシリと掴んだ。

 

「ちがうっ!」

「……?」

「見方が違うよっ!」

 

 ティオナがカエデの肩を掴みつつ熱弁を振るい始める。迷宮神聖譚(ダンジョン・オラトリア)に限らず、次々に書棚から英雄譚を取り出しては此処が素晴らしいと語り、頁を指し示すティオナの様子にカエデは呆気にとられつつもなんとかティオナの示す頁に目を通す。

 

 この狐人(ルナール)が単騎で指し示した勇猛さを、こっちのフィアナ騎士団の巧みな連係にて小柄な体躯を物ともせずにモンスターと渡り合う巧妙さを、ドワーフの持つ大盾が仲間に振るわれた攻撃を全て受け止めきる姿を、その背に全ての信頼を預け魔法の詠唱に全ての集中力を捧げたエルフの姿を、ヒューマンの青年が全身全霊を賭けた一撃を。

 そのかっこよさを、その壮絶な戦いを、その生き様を、想像して楽しむ物であると。

 

「……へぇ」

「うわ、興味無さそう……」

 

 熱弁を振るい切りカエデの様子を窺ったティオナの目に映ったのは興味の欠片も失われ、半眼でティオナの開いた英雄譚の頁を見つめるカエデの姿であった。

 

 脳裏に思い描いた映像に対するカエデの感想は『確かに憧れる』と言うものである。しかしながら、では自分がその場に居たとして、同じ行動がとれるかと言えば否でしかなく、憧れはすれど()()()()とは思えない。

 

「だって、そんな戦い嫌じゃないですか」

「…………」

「ワタシだったら、そんな状況になったら逃げたいですし」

 

 英雄譚に描かれる英雄の戦い。ティオナが示したどの頁にも過剰なまでに飾られた英雄達の戦場の姿があった。だが、どれもこれも劣勢だったり、仲間が死んだり、危機的状況であったり。カエデからすればどれもこれもお断りしたい場面ばかり。

 最後にティオナが指し示したのは自身より強大な化物数体に囲まれて殺意を向けらている男の騎士が姫を庇い奮い立つ様子。誰が好き好んで自身より強大な敵と戦いたいと言うのか。騎士が抱いた戦う決意が飾られた言葉で書かれているが、カエデからすればどう逃げるかを必死に思案する場面である。

 

 そんな度し難いカエデの様子にティオナはがっくしと肩を落として呟く。

 

「そっかぁ、カエデにはわかんないかぁ」

「いえ、かっこいいとは思いますよ」

 

 ただ、絶対にそんな場面に出くわしたくはないですけど。そんな風に毅然と言い放ったカエデに、ティオナは深々と溜息を零した。

 

 

 

 

 

 若干傷ついた様子のティオナと別れ、皆が利用する談話室で迷宮の悪意(ダンジョントラップ)についてまとめられた記述を読み進めるカエデ。

 後ろから覗きこみながらもカエデの耳を摘まんだり軽く引っ張ったりしていたグレースは先程のカエデとの会話を思い出しつつも口を開いた。

 

「アンタってさ、頭固いわよね」

「そうですか?」

「ティオナさんが英雄譚が好きってのは知ってたけど、其れに対して自分はそんなの嫌だーってのはなんと言うか予想外の反応よね」

 

 本来ならすごーい、かっこいーと憧れの視線を向けるだけのはずなのに。カエデときたら同じ場面に陥ったらどう行動するかまで想像して絶対に()()()()()()()()()()()()()と言い切ったのだ。

 ティオナが傷ついた様子だったので、何故なのかとグレースに問いかけて来たカエデの無頓着さに、グレースが呆れ顔を浮かべてカエデの耳を引っ張る。

 

「もう少し頭を柔らかくしなさいよ」

「……耳引っ張らないでください。頭を柔らかくってどうすれば良いんですか?」

 

 至極真面目な表情で聞いてきたカエデの表情を見つめ、グレースは吐息を零した。

 

「断言出来るわ、アンタの頭が柔らかくなる事無いって」

「…………?」

「真面目なのも考え物よね」

 

 取り柄とも言える真面目さが、頭の固さに繋がっているのだと理解したグレース。カエデの耳を軽く引っ張り続ける。

 

「むぅっ!」

「うわっ」

「耳を引っ張らないでくださいっ!」

 

 ついに我慢の限界を迎えたカエデがグレースの胸をド突き、グレースがよろめく。

 

「あぁわかったわかった、悪かったわよ」

 

 謝るグレースに対し、カエデがそっぽを向いてから、本に視線を落とした。

 

「時々、皆さんの考えがよくわかんないです」

 

 ヒヅチの言う事もわからない事がある。ロキやリヴェリアの言い分はしっかりと説明された上なのでわかりやすい。他の人は時々カエデとの考え方の差異が開き過ぎて理解できない。もしかして自分が避けられているのはその所為なのかもしれない。そんな風に呟くカエデに対し、グレースは目を細めた。

 

「まぁ、アンタの言い分も間違っちゃいないわよ」

「…………」

「アタシだって何人か避ける奴いるし。アレックスとかそうじゃない? 同じ班に編成されてなきゃ関わるのも御免って奴だったし」

 

 グレースから見たベートの言動は理解し辛い部分も多い。ジョゼットのリヴェリア様至上主義についても理解できない。ペコラの摘み食いに賭ける情熱も理解しがたく、他にもグレースからして理解できない行動、言動の人物は【ロキ・ファミリア】内外問わず数多存在する。

 カエデの真面目と言うよりは頑固ともとれる考え方の固執もその内の一つと言えるが、まだ理解できる範疇だ。

 

「人其々、考え方なんて百人百色なんだし理解できない奴の十や二十、溢れかえるぐらい居るって」

 

 カエデの耳を摘まみ、グレースは口を開いた。

 

「それでも理解し合えるのが何人か居れば満足でしょ」

 

 アリソンみたいな能天気な奴も、一応は親友として扱えるし。苦笑と共に呟かれたグレースの言葉に対し、カエデは再度グレースの胸をド突いて返事をした。

 

「耳を触らないでくださいっ!」

「アタシ今良い事言わなかったっ!?」

 

 

 

 

 

 フィンの元に纏められた第三級(レベル2)団員達の評価の記載された書類が届き、フィンは軽く溜息を零して書類の確認を行う。

 書類を眺めるフィンの前に直立不動で立つジョゼット。フィンが確認を終えるまで微動だにせずに立ち続け、確認を終えたフィンが顔を上げて苦笑を浮かべた。

 

「もっと楽にしてていいよ」

「いえ、そう言う訳には」

「そうか……。もう一つ頼まれごとをしてくれないかな」

「なんなりと」

 

 エルフ式の敬礼で答えたジョゼットの様子にフィンは軽く目頭を揉んでから口を開いた。

 

準一級(レベル4)の皆を集めて貰えるかな」

「期限をお伺いしてもよろしいですか」

 

 何時までに呼びかけを済ませれば良いのかと確認をとるジョゼットに対し、フィンが返事をしようと口を開こうとしたところで、横からリヴェリアが答えた。

 

「三時までにだ」

「了解しました。直ぐに取り掛かります」

 

 リヴェリアの言葉を聞き、時計に一瞬視線を向けたジョゼットが返答と共に背を向けて部屋を後にし、リヴェリアが再度書類に視線を落とした。その様子を見ていたフィンが時計に視線を向ければ、時刻は二時を回ったぐらいを指し示している。

 フィンが目を細めてリヴェリアに語りかける。

 

「リヴェリア、一時間は流石に難しくはないか」

「ジョゼットなら余裕だろう」

 

 リヴェリアのジョゼットに向ける信頼を感じ取ったフィンが苦笑を浮かべ、書類を机の上に置いた。 

 【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタイン、【凶狼(ヴァナルガンド)】ベート・ローガ、【怒蛇(ヨルムガンド)】ティオネ・ヒリュテ、【大切断(アマゾン)】ティオナ・ヒリュテ、【甘い子守唄(スイートララバイ)】ペコラ・カルネイロ。以上の五名が現在【ロキ・ファミリア】の準一級(レベル4)冒険者達である。

 どれも個性的な面子であり、姿を探すだけでも一苦労しそうな面々を一時間未満で集めて来いと言うのは大分難しそうに感じられる。

 フィンがロキの方に視線を向ければ、先程からずっと無言のままうつ伏せになり寝息を立てているロキの姿が其処にあった。

 

「ロキ、眠いなら自室で寝た方が良い」

「んぅ……。んぁ? せやな。ちょろっと昼寝してくるわ」

 

 もぞもぞと動いてから身を起こし、伸びをしたロキを見てリヴェリアが目を細める。

 

「ロキ、疲れているのか?」

「いや~、ちょいと色々あってなぁ」

「……色々?」

 

 言葉を濁すロキの様子に不審そうな視線を向けるリヴェリア。普段から何か仕出かす兆候があるロキが不審な様子であれば警戒するのも当たり前だとリヴェリアが目を細めれば、ロキは肩を竦めた。

 

「ハデスの阿呆が何処に居るかずぅーっと考えとったんよ」

「……【ハデス・ファミリア】か」

 

 ロキの言葉に、フィンが反応して呟く。

 

 現在【ロキ・ファミリア】は【ハデス・ファミリア】と険悪を通り越して交戦状態にある。

 ギルドに対し申告を行い、【ハデス・ファミリア】の団員を発見した際には一般市民に被害が出ない範囲で攻撃行動をとる状態になっている。

 対する【ハデス・ファミリア】の方はダンジョン内での事件に関わった可能性が高いとしてギルドから指名手配されている状態であるのだが、最近は完全に姿を晦まして地上では行方不明の状態が続いている。

 

「てっきりウチは遠征合宿中に仕掛けてくる思うたんやけどな」

 

 ロキの予測では【ロキ・ファミリア】が行った遠征合宿中に【ハデス・ファミリア】が仕掛けてくるはずだったのだが、遠征合宿前の事前行動中にちょっかいをかけてきて以降は何の行動も見られない。

 昨日も【ロキ・ファミリア】の厨房にてトラブルが起きたと理由をつけてカエデが昼食を食べに外出する様に仕向け、結果としてベートと共に昼食を食べに行った様子であったが手出しされる事も無く帰宅してきた。

 警戒していたベートが何も無かったと言い切ったのだ。

 

「大規模遠征中に手ぇ出されたら面倒なんやけどなぁ」

 

 大規模遠征中は殆どの団員が出払う事になる。カエデ本人ではなくロキの方を狙ってくる可能性もゼロとは言えない為、今回の大規模遠征についてもどうすべきか悩み所である。

 

「なぁフィン、どうするべきやと思う?」

「そうだね、少なくともカエデは参加させておくべきだと思うよ」

 

 大規模遠征メンバーには第一級のフィン、ガレス、リヴェリアが参戦する。よほどの事が無い限りは手出し不可能であるし、ファミリアの本拠の防衛についても居残り組の第二級(レベル3)の面々が守りに入る予定である。

 かの【処刑人(ディミオス)】アレクトルが仕掛けて来たとしても彼はフィンによって与えられた傷によって精々が準一級(レベル4)程度の能力しか発揮できなくなっている。流石に十人以上の第二級(レベル3)冒険者相手に大立ちまわりすると言うのも難しく、ロキが避難する時間程度なら稼ぐ事ができる。

 時間稼ぎさえしてしまえば、現状【ハデス・ファミリア】は各ファミリアから敵視されている状態であるが故に何処かのファミリアが潰そうと全力を尽くしてくれる事だろう。

 特に十八階層での事件の際に【恵比寿・ファミリア】は商隊が一つ潰された事に激怒しており、【ハデス・ファミリア】を捕縛したファミリアに恩賞金を出すと言っているのだ。

 ギルドから示された犯罪者に懸けられた賞金と合わせれば多大な金額と成る。

 【ロキ・ファミリア】からすれば追い風であり、【ハデス・ファミリア】からすれば向かい風と言えるこの状況。けれども不思議な事に【ハデス・ファミリア】は全く動きを見せない。

 

「ハデスが何考えとるのかわからんわ」

 

 カエデに対し並々ならぬ殺意を抱いていた様子であったハデス。天界において起こしたロキの数々の悪戯が原因とは言え、今思えばカエデを狙うハデスの様子は異常さすら見て取れた。

 カエデ以外にもガレス等は歳を取った冒険者である。其方の方に対する言及は一切無かった事も少し気になる所ではある。

 それに封印されたと言うホオヅキについても気になるし、カエデの師の捜索の方も難航している。

 

 特にセオロの密林の周辺はかなり臭い。

 

 セオロの密林の直ぐ近くに存在する街、其処から依頼されていた『ゴブリン討伐依頼』が偽装依頼であり、ホオヅキの手によって街を取り仕切っていた人物が串刺しにされて殺された事。

 その人物が住まう屋敷の地下室から多数の奴隷が発見された事。獣人を中心に多数の奴隷を買い集めていた様子であり、中には近場の村から攫われた者も居たらしい。そして何より気になる情報は人攫いとして活動していたのが元冒険者の集団だった事等。

 

 あの辺り一帯で色々な事件が起こっており、何より【恵比寿・ファミリア】がうろついているのと、人を探しているらしい事。どの様な人物を探しているのかと言えば『黒毛の狼人の少女』と言うものだ。

 

 黒毛の狼人の少女と言うのがどの様な人物なのか。一体どんな立場なのかは一切不明。ただ見つけたら傷付けずに保護して連れて来て欲しいと言う依頼を出している。

 

「黒毛の狼人の少女なぁ」

「気になるのかい?」

「黒毛の狼人っちゅーたらカエデの村の事もあるし、気になるんやけど」

 

 カエデの生まれ故郷、黒毛の狼人達の住まう村。捜索されている人物もその村の出身なのか気になる所である。

 しかし、現状【ロキ・ファミリア】は【ハデス・ファミリア】に対する警戒を解く訳にもいかず、其方に関する情報はロキがオラリオ外にて懇意にしているファミリアの情報を少し聞きかじる程度。

 詳しく調べ切る事も出来ないと言う状況であり、気にはなっても本腰を入れて調べるのも難しい。

 

 何よりオラリオ外にて起きている冒険者も含めた殺傷事件が多発している為、現在オラリオ外への冒険者の派遣を止めるべき等の意見も神々から出始めている。

 

 ロキが懇意にしているファミリアから被害は出ていないが、それでも被害の方は総計すればかなりの数に上る。

 特にオラリオ外への依頼へ出向いたいくつかのファミリアの眷属が被害に遭った事と、オラリオ外の依頼を一挙に片付けていたホオヅキが現在動けない為、ギルドの方に届くオラリオ外の依頼が徐々に溜まりはじめている。

 しかしギルドの方もオラリオ外への冒険者の派遣を見送ってオラリオ内のみの依頼を取扱い始めている為か、外からの情報が目減りし始めた。

 

「外行って帰ってくる者が減りゃそうなるわなぁ」

「そうだね……、僕もそっちは気になるかな」

 

 オラリオ外における連続殺傷事件。村人全員を殺して回り、一人も逃がさずに始末すると言う手際の良さ。その村の近くを通りかかった商隊の面々を護衛含めて皆殺しにすると言う狂気じみた行動力。

 そして第二級(レベル3)相当の強さを持つラキア王国の騎士団長も仕留められる強さ。

 オラリオの外で起きている事件に関する情報の少なさ故に予測も出来ない謎の殺戮者の姿。

 

「……ロキ、どうしたんだい?」

「いや、なんでもないわ」

 

 ロキの予測する最悪の状況。カエデの事、カエデの村について、ホオヅキの封印、カエデの師の行方、セオロの密林周辺の事件。線で繋げた先にある予測が胸糞悪くなる結末しか生まない事を理解し、ロキは吐息を零した。

 

「神に祈りたい気分ってこういうのを言うんやな」




 まぁ、カエデちゃんがインファントドラゴンと戦った場面、飾った文章で描けば英雄譚の一つに数えられるでしょうし。当然、あの場にいたカエデちゃん本人からすれば英雄譚として『すごーい』『かっこいー』では済まない。二度とあんな体験して堪るかって話ですね。

 まぁ、器の昇格(ランクアップ)を目指す以上、今後もそんな場面に何度も出くわすんですが。



 ロキが舞台裏の動きに感づき始めましたね。まだ手出しできる段階では無いですし【ハデス・ファミリア】が片付いたら、と言った感じですが。

 【ハデス・ファミリア】は潜伏中。

 【恵比寿・ファミリア】は十八階層の件で足を引っ張られて動きが鈍ってる感じ。外での行動にも色々と不都合が出始めますね。つまり今なら包囲網が緩んでる……?


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『選出』

『貴方があの【ロキ・ファミリア】を追放された問題児ですか。どうです? 私のファミリアに入りませんか? 今なら貴方の様な役立たずでも上手く使ってあげられますよ?』

『あぁ?』

『ナイアル。君は挑発しないと勧誘も出来ないのかい?』

『挑発? 人聞きの悪い事言わないで下さいよ。私は褒めてるんですよ? あのロキの所の追放者なんて片手の指の数も居ないのに、そんな追放者になった彼に敬意すら持っているのですから』

『……んだよ、喧嘩なら買うぞ』

『はぁ、ナイアル。君は黙っててくれ。さて、僕の名前は』

『雑魚の名前になんて興味ねぇよ、失せろ』

『……ふぅん、今は君の方が弱いのに、僕を雑魚呼ばわりねぇ。そりゃ追放もされる訳だよ』

『あぁ? ぶっ飛ばされてェのかよ』

『……じゃあ僕が勝ったら君は僕のファミリアに入るって事で良いよね。よし決定……じゃあ、始めるね』


 ジョゼットに指示を出して集まった【ロキ・ファミリア】が誇る準一級(レベル4)冒険者達。

 ティオナは興味深げに、ベートは面倒臭そうに、アイズは何も考えていないのかぼーっとしており、ティオネは全神経を集中してフィンの言葉を一字一句聞き逃さない様に前のめり気味。ペコラは離れた席のベートの方を意識して体を震わせている。

 そんな準一級(レベル4)冒険者の視線を一身に浴びつつ、フィンは軽い説明を終えて、手元の資料を五人の前に置いて口を開いた。

 

「さて、集まって貰った理由については以上の通りだけど。質問はあるかい」

 

 呼び出されたティオネが資料に手を伸ばして確認するさ中、ペコラが震えつつも手を上げて口を開いた。

 

「はい、今回の遠征に於いて同行する第三級(レベル2)をそれぞれペコラさん達が選出するってのは解りましたが、基準とかはどうすれば良いです?」

 

 今回の呼び出し内容は、半月後に備えた大規模遠征において、各準一級(レベル4)達に対し二名ずつの第三級(レベル2)団員が補助役(サポーター)として同行する事になっている。其れに対しフィンが選出するのではなく各準一級(レベル4)がそれぞれ資料から、自身が同行させても良いと思えた第三級(レベル2)団員を選出して欲しいと言う内容であった。

 資料に真っ先に手を伸ばしたティオネが数枚の資料を取り出してテーブルの上に並べるのを横目に、フィンはペコラの方に笑みを向けた。

 

「君達の基準で構わない。但し選出した団員が問題を起こした場合は責任を負う事」

 

 フィンの言葉に対しベートが面倒臭そうに溜息を零し、離れた席に座っていたペコラが体を震わせてから資料に手を伸ばす。

 アイズはどうすれば良いのかわからずに資料を遠目に眺め、ティオナがティオネが取り出した資料の一枚を手に取った。

 

「私はカエデとー」

「ちょっと、私が選ぶ積りだったんだけど」

「えー、でも数枚出してるしそっちから選べばいいじゃん」

 

 ティオナの手にはカエデの資料。横取りされたティオネがとり返そうとするのを横目にベートがティオナの手から資料を素早く奪い去る。

 

「ちょっとベート、返してよ」

「俺はコイツと……まぁ、コイツならマシか」

 

 手早くカエデの資料ともう一枚別の団員の資料をフィンの方に投げ渡し、ベートは喚くティオナを鼻で笑ってから部屋を出て行った。

 

「団長、今の無しだよね」

「ん~、早い者勝ちって事で、今回カエデはベートの所に配属だね」

「うそぉ……。じゃあこの子とこっちの子で良いか」

 

 悲しげに溜息を零したティオナがまだマシだと思える人選を手早く終え、横で数枚の資料とにらめっこしてるアイズの手元を覗き込む。

 

「アイズはどうするの?」

「……どうしよう」

「ペコラさん的にアイズさんはこの人が良いと思いますよ」

 

 ベートが居なくなった事で深々と安堵の吐息を零していたペコラがアイズの方に数枚の資料を手渡して口を開いた。

 

「こっちの犬人(シアンスロープ)の子は癖は無さそうですし、指示への理解度も高いです。アイズさんみたいな指示するのが苦手な人でもちゃんと意図を汲んで動いてくれる積極性もあるのでアイズさんにぴったりですよ」

「……ならこの子と、もう一人はどうすればいいかな」

「そうですね……。癖の無い子と言う意味ではこっちのアマゾネスの子も良いと思いますが、こっちはちゃんと指示してあげないと暴走気味になってしまいそうですね。でしたらこっちの猫人(キャットピープル)の子を編成してムードメーカーとして動いて貰えれば、アイズさんの初対面で受ける無愛想さを緩和してパーティ内の雰囲気も良くなると思いますよ」

 

 的確にアイズのパーティについての指摘をしているペコラをフィンが軽く睨む。今回、自身でメンバーの選出をさせている理由はファミリア規模での活動における上位冒険者としての自覚を持たせるための物である。

 アマゾネス特有の知力不足を補おうと必死に努力するティオネは問題ないが、単独で動く事を好むベート、連携するよりは突出する事の多いアイズ、考える事を苦手とするティオナの三人に対し、団体行動における基礎を学ばせる機会であるが、ペコラがフォローに回る所為かアイズは余計考える事をやめてしまう。

 とは言えペコラの指摘は悪くは無い。ただアイズ自身がもう少し集団行動の基礎を学んでほしい所なのでペコラの指摘は過度なお節介焼きである。ペコラに悪気は無い事から注意すべきか悩み、フィンは溜息を零した。

 

「ではペコラさんはこっちの……アリソンちゃんとジョゼットちゃんの所に居たこのエルフの子にしましょう」

「ふぅん、エルフの方は補助に長けてるってのはわかるけどアリソンってどうなの?」

「アリソン……えっと、ラウルの班に居た子だっけ? 動きは良かったけど積極性に欠けてる気がするんだよね」

 

 ティオネとティオナの指摘に対し、ペコラが笑みを零して口を開いた。

 

「エルフの子は補助に長けてると言うよりは諌める事に長けてる感じですね。アリソンちゃんの方は積極性には欠けてますけど、いざという時の行動力は有ります。まぁ、感情的に動いてしまうと言う欠点もありますが、エルフの子に諌めて貰う形でその欠点を補う形であれば利点が多いんですよ」

 

 資料の中の欠点の記載部分を指差したペコラは得意げに胸を張ってドヤ顔を披露しつつも饒舌に口を動かす。

 

「そしてですね、ティオナさん、ティオネさんの二人の班は主に前衛。最前線でガレスさんと共に動く班なので耐久に優れるドワーフや力に優れるアマゾネス、獣人の中でも力に特化した虎人(ワータイガー)猪人(ボアズ)なんかを選びますよね?」

 

 ペコラの言葉に対しティオネは手元に分けた資料を数枚めくって確認してから頷く。

 

「まぁ、確かに」

「それで、ベートさんとアイズさんはそれぞれ遊撃担当になります」

 

 機動力に優れたベートとアイズの二人の班に編成されるのは同じく機動力に優れた第二級(レベル3)冒険者。である為に、ベートが選出したのは機動力に優れた狼人(ウェアウルフ)のカエデと、ヒューマンの二人。

 対してアイズに選出を勧めたのは補助に長けた二人。なまじアイズが単騎優秀なため、ベートの様に本人が最低限戦闘出来るだけの能力を求めるよりは、完全に補助に回る方面での活躍を期待した編成となる。

 

「それでですね、ペコラさんの班は主に後方支援。ぶっちゃけ前に出て戦うなんて事はしないんですよ」

 

 ペコラの班は主に迷宮内用の荷車を引きながらの鈍重な移動になりがちな輜重隊の役割を果たす。

 前衛(タンク)としてモンスターの進撃を受け止める役目はティオナ、ティオネ二人の班に任せられ、自身は主に後方で魔法使い達が精神疲労(マインドダウン)した際に即座に復帰出来る様に子守唄を歌う事である。

 其の為、前に出る事は一切無い。故に戦闘能力より優先したのは補助における行動力およびに冷静に場を見渡せるだけの視点を持つ団員。

 アリソンの方はいざという時の行動力に満ちている。同時にそれは欠点でもある。

 エルフの子は冷静に場を見極める視点を持ち合わせており、暴走しがちであったドワーフを諌める役割をしていたと言う情報が資料に記載されていた上、ペコラ自身もそう言った印象を受けた為の選出である。

 

「と言う訳ですよ、あいたっ……何するですか!」

 

 得意げに胸を張って説明を終えたペコラの後頭部をリヴェリアが軽く小突き、フィンの方を指し示す。

 

「ふぇ……団長? 何かペコラさん不味い事しました?」

「……いや、何の問題も無いよ」

 

 編成における基礎的知識の観点を言えばペコラの方は完璧である。しかし話を聞いていたアイズ、ティオナは思考停止気味の様で目が点になっている。ティオネは必死に理解しようと頭から煙が上がりそうな程である。

 三人の様子を見てからフィンは手を叩いて視線を集める。

 

「さて、ベートとペコラは選び終えた様子だけど、三人はどうだい?」

「じゃあ、ペコラが選んでくれたこの二人で」

「私はー……どうしようかな。ペコラ、どうしたら良い?」

 

 ペコラの話を聞いたティオナが悩んでから選んだ二人分の資料をペコラに見せて相談し始める。

 

「うーん、そうですね。この人は前線向きではありますが、ここの所の『前に出過ぎる』って部分は少し気になりますかね。この部分に気を付けてちゃんと前に出過ぎたらダメだよーって教えてあげるなら良いと思います。こっちの……えぇ、この子はちょっとやめた方が良いと思うですが」

「え、こっちの子ダメなの? 評価高いよ?」

「……ティオナちゃん、もしかして総合評価しか見てません?」

「ダメなの?」

 

 記載された総合評価が高い資料を指し示したティオナの様子にペコラが個別評価を指し示して口を開いた。

 

「こっちの子は前線向きでは無く、索敵向けですね。猫人(キャットピープル)なので索敵、罠探知方面での活躍は出来るですけど、こっちのモンスターの足止め能力はほぼゼロって書いてあるですし。ティオナちゃんの班は最前線でのモンスターの足止めおよび撃破が目的ですからこの子は無しですね。どっちかって言うとベートさんかアイズさんの所に配属すべき子です」

「へぇ~、じゃあどの子が良いのかな」

「この資料の子ですかね」

「え? でも総合評価は普通になってるよ?」

 

 ペコラの指し示した資料の総合評価を示すティオナに対し、ペコラは目を細める。

 

「ティオナちゃんが見るべきはここのモンスターの足止め能力の所と、戦闘方面の活躍具合ですよ」

「そうなんだ……。おぉ、足止め能力が高いって書いてあるね」

「戦闘方面においても高評価となってますし、ぴったりですよ」

「じゃあなんで総合評価は普通なんだろう?」

「ここの補助、援護が苦手って部分が足を引っ張ってますね。特に補助、してもらう側としては申し分ないですがする側としての活躍は期待できないってなってますし」

「本当だ」

 

 二人の様子を見つつ、アイズから受け取った資料を眺め、団員の評価を見てフィンは肩を竦めた。

 ペコラはのんびりとした優柔不断さの見受けられる団員ではあるが、頭は悪く無い。と言うより非常に頭が良い。普段の言動がふわふわしている所為か侮られがちだがこういった選出の場に於いて的確に指摘が出来るだけの頭はある。

 

「と言う訳でこの子とこの子がお勧めですよ」

「わかった。じゃあこの子とこの子にしよっと。団長、これで良い?」

「……あぁ、構わないよ。ティオネはどうだい?」

「はい、選び終わりました!」

 

 ティオネの方の資料も受け取り、確認してフィンは頷いた。

 

「よし、全員選び終えたね。選出メンバーの発表は今日の晩に行うから、戻って貰って構わない。呼び出して悪かったね」

 

 終わったーと伸びをしながら出て行ったティオナと、安堵の吐息を零しながら部屋を後にするアイズ。ティオネが何かあったらすぐ呼んでくださいと元気よくフィンに返事をして出て行くのを眺め、目の前に残ったペコラの方を向き直る。

 

「それで、何か用かい?」

「いや、大した事は無いですが……。問題と言うかなんと言いますか」

 

 ペコラが頬を掻きつつも恐る恐る口を開く様子を見つつ、リヴェリアが開いた席に腰かけた。

 

狼人(ウェアウルフ)の克服についてなんですが」

「何か問題でもあったか?」

 

 ペコラの致命的なまでの狼人(ウェアウルフ)に対する苦手意識は割と順調に克服されていると言っても過言では無い。現にベートと同じ部屋に居ても手を上げて質問を飛ばせる程になっていたのだから、近くにいるだけで気絶するほどだった頃に比べればその成長は著しい。

 しかし、ペコラの方は申し訳なさそうに頭を下げてぼそぼそと自信なさげに呟く。

 

「歌ってあげる事はできなさそうです……」

 

 霧の中、カエデの姿が見えない時には歌う事が出来た。歌で眠らせる事が出来たが、姿を見ながら歌う事は出来なかった。声が震え、恐怖で視界が揺らぎ、歌う所では無くなってしまい、子守唄を()()()()()()()()()と申し訳なさそうに呟くペコラに対し、フィンは唸る。

 

 ペコラの子守唄には、ダンジョン内における過度な精神的な疲労感や精神疲労(マインドダウン)に対する劇的な回復能力がある。現状、ペコラは狼人(ウェアウルフ)に対する過度な苦手意識によって狼人(ウェアウルフ)に対する子守唄の使用が不可能である。

 其の為、ダンジョン内において狼人(ウェアウルフ)に対してかかる疲労等は万全に癒せず、場合によっては狼人(ウェアウルフ)だけは個別に休息を与える場合もある。そう言った部分は団員内での不和の原因にもなるので避けるべきではあるが、ペコラの事を鑑みるにそうせざるを得ない。

 そう言った部分を気にしている様子のペコラに対し、リヴェリアは肩を竦めた。

 

「気にする事は無い。誰しも得手不得手がある。全てお前の責任だと責める事は無い」

「……ですが」

「ペコラ、君が気に病む理由もわかる。けれど君は十二分にファミリアの力になっている。これから慣れて行けばいい。焦る事は無いよ」

 

 元々、ダンジョン内に於いて精神的な疲労感を癒す事は美味しい食事をとるか団員同士での談笑ぐらいしか存在せず、ダンジョン内での睡眠は何時モンスターに襲われるかわからない状態と言う事で逆に精神的に疲弊する事も多かった。

 しかしペコラの入団以降は睡眠が何よりも精神的な疲労感への特効薬として機能し始めた事もあり、団員達にかかる負担は激減されたのだ。その部分だけは他の団員にはないペコラの特技である。

 

「……すいません。もう少し頑張ってみるです」

「無理はするな」

「はい」

 

 最後に頭を深々と下げてから出て行ったペコラの後ろ姿が扉の向こうに消え、ペコラの足音が完全に聞こえなくなったのを見計らってフィンはベートの渡してきた資料をリヴェリアに手渡した。

 手渡された資料を見てリヴェリアが目を細める。

 

「ベートらしい選出だな」

「単独で身を守れるだけの能力を重視してるみたいだね」

 

 ベートの選出したカエデともう一人の団員は生存能力の評価が非常に高くなっている。ベートに言わせれば守る為の手間が省けるとでも言うのだろう。

 

 

 

 

 

 【ロキ・ファミリア】の鍛錬場にて模擬剣を向け合ったカエデとアリソン。審判役として二人を眺めるグレースと数人の団員達。大規模遠征に向けて各団員が意気込みに溢れ鍛錬場に溢れかえるさ中、カエデが唐突にくしゃみをして構えが崩れる。

 

「へっくしっ」

「風邪ですか?」

 

 唐突にくしゃみをしたカエデに対し、心配そうにアリソンが問いかけ。カエデが首を横に振って答えつつ、乱れた構えを戻し、剣の切っ先をアリソンに向け直した。

 

「いえ、冒険者は風邪なんかにはかからないですし。違いますよ」

「噂でしょうか?」

「冒険者も風邪ひくわよ」

 

 審判役として眺めていたグレースは他の団員達が模擬剣で鍛錬をしているのを見て目を細めた。

 

「皆、頑張ってるわね」

「まぁ、グレースちゃんの器の昇格(ランクアップ)もありましたし。次は自分もーって感じじゃないですかね」

 

 アリソンの言葉に対し、グレースは半眼で団員達を見回してから、カエデを見た。

 

「アンタはどう思ってんの?」

「……? 何がですか?」

「いや、なんでもないわ」

 

 普段から鍛錬場に人がいる訳では無い。ガレスが鍛錬をつけてくれると言う場合には溢れかえるが、そうでなければ数少ない一部の団員が利用するのみであった鍛錬場に、珍しく団員達が溢れている事に何か思う所が無いのかと疑問を覚えたグレースの質問に対し、カエデは首を傾げるのみ。

 邪魔だと思わないのかと内心呟いたグレースは他の団員の中に狼人が数人交じっているのが見え、其方を強く睨んだ。

 

 先程からカエデがアリソンと打ち合うのを横目で眺め、真面目に鍛錬するでもなく悪態を吐く一部の狼人の態度に苛立ちを覚え、まともに審判役も果たせないグレースは徐に立ち上がって伸びをした。

 

「はぁ、疲れるわ」

「グレースちゃん何もしてないじゃないですか」

「……休憩します?」

 

 審判役として座って眺めているだけのグレースにツッコミを入れるアリソン、カエデの方は疲れたのなら休憩をと模擬剣を納めて長椅子の方に歩いて近寄る。

 カエデが長椅子に腰かけたのを見てから、グレースは溜息を零した。

 

「アンタさ、アイツ等が何か言ってるの聞こえて無い訳?」

 

 ヒューマンであるグレースですら聞こえるぐらいの声量でカエデに対し愚痴を漏らす数人の狼人達を睨むグレース。其れに対するカエデは耳を数度震わせてから、尻尾でグレースの足を叩いた。

 

「聞こえてます」

「じゃあなんで言い返さないのよ」

「口だけなら別に」

 

 直接手出しして来ないなら良いと呟き、水筒を取り出して水を飲み始めるカエデ。まるで興味無いと言う様に振る舞うカエデだが、意識はしているのか狼人達の呟きに対し耳が反応しているし、尻尾は不愉快そうに揺れている。

 アリソンが珍しく憤慨した様に模擬剣を手に取って狼人達の方へ向かおうとしたのを首根っこを掴んで止めたグレースは溜息を零した。

 

「あんな不愉快なのがファミリア内に居たのね」

「グレースちゃんも割と周りからそう思われてますよ」

「……そうね」

 

 他者へ言いたい放題と言う意味ではグレース自身も同類であると言う自覚があるので、図星を突かれて気まずげに視線を逸らしてから、グレースは空を見上げた。

 

「今回の大規模遠征、選ばれると良いわね」

「……選ばれますかね?」

 

 心配そうにグレースを見上げるカエデ。アリソンは首を傾げてグレースの方を見た。

 

「グレースちゃんは確定参加じゃないんですか? 第二級(レベル3)になりましたし」

 

 アリソンの質問に対し、グレースは肩を竦めた。

 確かにグレース・クラウトスは遠征合宿前の【ハデス・ファミリア】の仕掛けた罠を踏み潰す形で偉業の証を得て器の昇格(ランクアップ)を果たしたとは言え、時期的に既に第二級(レベル3)冒険者は選出された後であり、遠征合宿に於いて選出されるメンバーの一人としか数えられていない。

 其の為、グレースは確実に参加できると言う保証は何処にも無い。そんな風に肩を竦めて言い切ったグレースを見て、アリソンは口を開いた。

 

「そう言えば、ラウルさんを最近見ませんね」

「……話が急に変わったわね」

 

 唐突な話題転換に目を細めたグレース。カエデの方は周囲を見回して鍛錬場にラウルが居ないか確認するが姿は見えない。

 

「ラウルさんは何をしてるんでしょうか」

「ラウルは次期団長候補らしいし、団長の近くで雑務してんじゃないの?」

「へぇ、ラウルさんって意外に優秀なんですねぇ」

 

 地味な見た目、地味な戦い方、何もかもが地味なラウルが意外にも団長候補だと言う事にアリソンがしみじみと呟く。グレースも同意する様に頷いている。カエデだけは首を傾げてから長椅子から立ち上がった。

 

「そろそろ再開しても良いですか?」

「良いわよ。と言うかアンタ元気ねぇ」

「ベートさんと鍛錬しようと思ってたんですけど……」

 

 グレースとアリソンとの鍛錬を行う前、ベートを鍛錬に誘っていたが途中で団長の呼び出しがあってベートに急用ができた為にグレースとアリソンに鍛錬を頼んだカエデ。ベートが鍛錬場に居ないと分かった途端に団員達も鍛錬場に集まった事で現在の鍛錬場にはかなりの人数が集まっている。

 

「アンタはほんとにさぁ……。まぁ良いけど」

 

 ベートに鍛錬を頼むのはカエデぐらいで他には誰も頼もうともしないだろう。むしろ鍛錬場で変に鍛錬していると罵倒される事もあるのでベートが鍛錬場に居る時には皆近づくのをやめるぐらいだと言うのに。

 

「……? ベートさんが怒るのって怠けた人だけですよね?」

「まぁ……そうなんだけどさぁ」

 

 鍛錬場でお喋りに興じていたり、鍛錬以外の事をしているとベートから邪魔だから出て行けと罵倒される事が多い。実際、鍛錬場は鍛錬する場所であり、お喋りしたりするなら談話室等で行うと言うのが普通ではあるのだが、だからと言ってベートの言動はいきすぎな気もするとグレースは呟く。対するカエデは不思議そうに首を傾げるのみ。

 

「アンタはベートさんと気が合いそうね」

「そうですか?」

 

 

 

 

 

 オラリオ近郊に広がる草原。行商にも使われる主要路を避け、腰ほどの背丈まで成長した草を少しずつかき分けつつ進むアマゾネスの尻を眺めながら、黒毛の狼人の少女、ヒイラギ・シャクヤクは呟く。

 

「なぁ、もっと急げねぇのか?」

「……アンタ、見つかったらどうする積りなんだい」

「オラリオに駈け込めばいいんじゃねぇの? 姉ちゃんも居るし【ロキ・ファミリア】の本拠まで走り込むとかさ」

 

 ヒイラギの言葉に対し、アマゾネスは呆れ顔を浮かべて口をへの字に曲げる。

 

「保護して貰えるとは限らないんだよ」

「でも姉ちゃんも居るんだぜ?」

「アンタはそのカエデってのが姉妹だっての知ってるかもしれないけど、相手のカエデって奴はアンタの事を妹だなんて思っちゃいないだろ?」

「…………」

 

 ホオヅキから聞いた話では、自身はカエデの妹であるらしいが、カエデ本人がそれを知っている保証は無い。むしろ知らないだろうとホオヅキは語っていた。だが、あのお人好しそうなカエデの事だから助けてくれるはずだとヒイラギが意気込むのを溜息を吐きつつアマゾネスは前を向きなおった。

 

「全く、とんだ護衛依頼だよ……ん? どうしたんだい?」

 

 唐突に服の裾を引っ張られ、アマゾネスは振り返る。其処には身を震わせてヤバイと呟くヒイラギの姿。これまでの旅路でヒイラギが『ヤバイ』と呟いた場合は大抵碌でもない事になる事を学んだアマゾネスはヒイラギを抱き寄せてその場に伏せる。

 

「何が来るんだい?」

「わかんねぇ、でもヤベェのが来る」

 

 表面に草を縫い付けて草場に隠れる為に用意された偽装布地を頭から引っ被ってその場に隠れる二人。

 

 周囲の草花が風に揺れ動き、すれ合う音のみが響く草原。注意深く耳を澄ませば聞こえてきたのは不思議な音。こっそりと布地の隙間から空を見上げればそこには【恵比寿・ファミリア】の飛行船が飛んでいる様子が目に入る。空の上から見た限りでは自分たちの姿は見えないはずだが不安感から尻尾をアマゾネスの足に巻き付けて震えるヒイラギに対し、アマゾネスは注意深くその飛行船を見て呟いた。

 

「あの船、船底に風穴があいてるね」

「……何?」

「ラキア王国との戦時中に何度かああいうの見た事あるけど……なんだ? 落ちそうにでもなってるみたいだね」

 

 アマゾネスの視線の先、空を行く【恵比寿・ファミリア】の飛行船は船底に大穴があいており、フラフラと頼りない空の航路を飛んでいるのが見て取れる。良く見れば薄らと黒煙を拭きあげており明らかに通常の状態とは言い難い。

 

「……あの船じゃねぇ」

「何?」

「ヤベェのはあの船じゃない。他になんか居る」

 

 震えながら船を見たヒイラギの言葉にアマゾネスは目を細める。ヒイラギの勘は良く当たる、つまりヤバいのはあの船じゃない。

 思い当たる節がいくつかあるので舌打ちをしてから再度空を見上げる。

 

「どうする?」

「……戻ろう」

「良いのかい?」

 

 あれだけ姉に会いたいとオラリオに行く事を熱望したヒイラギが震えながら戻る選択をした事に驚きつつも、アマゾネスはゆっくりと周囲を索敵する。

 索敵の為に草場から少し顔を出して周囲を見回したアマゾネスは、丘になっている所に立っている人物を見て身を伏せる。

 

「…………人がいるね」

「……逃げよう。アイツはヤバイ」

 

 フードを被り顔が確認できないその人物。遠目に見る限りでは手には深々と皺が刻まれており老齢な人物であると言う事しか確認できない。

 だが、一目見ただけでヤバさと言うのを実感できるほどに威圧感を伴っていた。

 

 もう一度、今度は注意深くそちらの方を窺えば、高々と杖を掲げ何かを呟いている様子が確認できる。

 

「……船が騒がしいぞ」

「なんだ?」

 

 空の上を行く【恵比寿・ファミリア】の飛行船の方で喧騒が響き、より大きな黒煙が船体の側面を突き破って吹き出した。途端、高度が急速に下がり始める飛行船。

 

「マジか……」

「何が起きたんだよ」

「アイツ、あの距離で的確に魔法で機関部を吹っ飛ばしやがった」

 

 草原の丘に立つ老齢な人物。かの人物が杖をゆっくり下したのを見て確信する。

 あの高所を飛んでいた飛行船に対し、魔法か何かで攻撃したのだと理解し、あの老齢な人物の魔法の制御能力の高さに目を見張る。かの【九魔姫(ナインヘル)】リヴェリア・リヨス・アールヴであったとしてもあの高度で飛行する飛行船に対し有効打を打ち込むのは難しいだろう。

 距離が離れれば離れる程に魔法の制御は難しくなるはずである。しかしかの老齢な人物は一発で、しかも発動までの時間から考えて中文詠唱程度の長さの詠唱で飛行船の機関部を撃ち抜いた。

 ヒイラギの言う『ヤバイ』と言う言葉に的確に当てはまる老齢な人物を睨み、アマゾネスは呟いた。

 

「こっちにゃ気付いてないね。とりあえず逃げるよ」

「おう」

「…………」

「姉ちゃん?」

 

 アマゾネスは疑問を覚え、再度老齢な人物の方へ視線を向ける。

 

「……アイツ、【恵比寿・ファミリア】に真正面から喧嘩吹っ掛けて、何考えてんだか」

 

 世界を股にかけて商売している【恵比寿・ファミリア】から、理由不明で追われていると言う自身の立場であるが、飛行船を落とそう等と考えた事は無い。どんな理由があれば【恵比寿・ファミリア】の飛行船を撃ち落とすなんて馬鹿げた真似をしでかすと言うのか。

 

「まぁいい。とりあえず逃げるか」

 

 偽装布地を被ったまま慎重にその場を離れる。せっかくオラリオの外壁が遠目に見える所にまで辿り着けたと言うのに、逃げなければならなくなった事に悔しそうに歯噛みするヒイラギの頭を撫でながら、アマゾネスは愚痴を零した。

 

「ホオヅキの奴は何処に行ったんだか。ヒヅチって奴を見つけて直ぐ戻ってくるって話だったろ……三百万ぽっちじゃ足りないっての」




 一般人(ファルナ無し)以上、駆け出し(レベル1)未満の強さのアレックス君。第三級(レベル2)のアルスフェア君に喧嘩を吹っ掛ける模様。なお結果()

 ヒイラギちゃんの方はあえなく撤退。チャンスはなんだかんだ潰れちゃう不運に塗れてますねぇ。

 【恵比寿・ファミリア】の被害は増加の一途。彼のファミリアは被害担当だからね、ショウガナイネ。


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『禍根』

『くっそ、オラリオに行けねえ!』

『落ち着きなヒイラギ……全く、ホオヅキの奴は何処に行ったんだか』

『そうだよ、ホオヅキの姉ちゃん、手紙も寄こさないでなんかあったのか?』

『さぁね。アイツは雲みたいな奴だって話だし。何処に居るんだか』

『彼女、ホオヅキの居場所を知りたいか?』

『あ? あんた誰だ?』

『私かい? 私は――

『離れなヒイラギっ! そいつは【トート・ファミリア】の【占い師】って奴だっ!』

『っ! 恵比寿って奴と同じぐらい胡散臭い奴かっ!』

『……待ってくれ。あの恵比寿と一緒にされるのは私も不本意だ』


 ざわめきの広がる【ロキ・ファミリア】の食堂。

 思い思いの席に座り、遠征合宿を参考に決定された大規模遠征に参加を許された第三級(レベル2)団員は誰なのかを話し合う。その様子を檀上の席から腕組みをして眺めるガレスと静かに座り団員達を観察するリヴェリア。今日の夕食の席にて遠征合宿によって選出された大規模遠征に参加するメンバーが発表される事になると言う事で、何時も以上にざわめきが大きい。

 夕食時の時間帯、共に遠征合宿に参加したメンバーで座り合う中、元ラウル班のメンバーのカエデ達は周囲からの評価を聞いて溜息を零した。

 

「あの馬鹿が居た所為でアタシ達の班の評価低いらしいじゃん」

「まぁ、それだけではないみたいだけどね」

 

 あの追放されたアレックスの事もあり、ラウル班のメンバーであるグレース、アリソン、ヴェネディクトス、カエデの四人は周囲の団員から、十八階層到達を成し遂げてはいたとしても選ばれるのは難しいだろうと噂が飛び交っている。

 彼のアレックスと言う団員の評判が悪い事もあり、アレックスと共に行動していたカエデ達も大規模遠征には向かないのではないか等と言う言葉が飛び交う中。カエデは困った様にメンバーを見回して口を開いた。

 

「選別対象外になってしまうんでしょうか?」

 

 不安そうに呟かれたカエデの言葉に、ヴェネディクトスが首を横に振って口を開いた。

 

「それはない。皆は好き好きに言ってるみたいだけど、選出される条件は各個人の技能を見た上で判断されるんだから、アレックスがどうとかは関係無い……はずだよ」

「はずって何よ」

 

 最後に何か思う所があるのか視線を逸らしたヴェネディクトス。グレースに睨みつけられてヴェネディクトスは溜息を一つ零して呟く様に答えた。

 

「いや、アレックスの行動を管理しきれなかったと言う事で評価が下がっている可能性は否定できないなって」

「なにそれ、やっぱあの馬鹿と同じ班になるなんて不運じゃない」

「グレース、君も暴走しがちだったんだ。周りからは同じ様に思われていたんじゃ……」

「ちっ……」

 

 ヴェネディクトスの指摘に視線を逸らしつつ舌打ちしたグレース。二人のやり取りを眺めていたカエデはふと顔を上げて一段高くなった檀上の席を見てアリソンの服の裾を引っ張った。

 

「団長が来たみたいですよ」

「あ、本当ですね」

 

 ゆっくりとした余裕を感じさせる歩みで自身の席に着いたフィン。その後に遅れてロキがぱたぱたと駆けて食堂に入ってきた。

 

「すまん遅れたわ」

「ロキ、食堂で走るな」

 

 リヴェリアに注意されたロキはへらへらと笑って自身の席に着く。漸く全員が揃ったのを確認して団員達が口を閉ざし、フィンの言葉を待つ。その様子を見て満足気に頷いたフィンは立ち上って口を開いた。

 

「さて、改めてになるけど。遠征合宿に参加した者達も、協力してくれた者達もご苦労だった。今回の遠征合宿における合格者は無しではあったが君達の頑張りについては聞き及んでいる。これより次期大規模遠征に参加する第三級(レベル2)団員達の発表を行う。その前に一つだけ発表する事があるので聞いてほしい」

 

 言葉を区切ったフィン。なんだろうと首を傾げる者等と正反対に、何を発表するのか知っている者は力強くフィンを見据える。此度の遠征合宿に参加した邪魔役の者達の五人。アイズ、ティオナ、ティオネ、ベート、ペコラの五人は妨害した班の点数に応じての最優秀者に対するご褒美が貰えると言うやる気を出す為の餌。そのご褒美を貰えるのは誰かと言う事はその五人も知らないのだ。

 

「さて、遠征合宿にて邪魔役で参加した者達の中で最も得点を稼いだのは、ティオナ。君だ」

「やったぁぁぁああ、新しい武器代ゲットォー」

 

 今回の遠征合宿に於いて班ごとに設定されていた点数を最も稼いだのはティオナ。ティオナの願いは『次に作る武器の代金の何割かをファミリアが負担する事』である。無論、ロキやフィンが話し合って決めた事なのでその願いはしっかりと叶う事だろう。

 喜んで両手を振り上げるティオナを余所に、不機嫌そうなベートは舌打ちをし、アイズは残念そうに呟く。ペコラだけは『まぁ、ペコラさんは可能性低いでしょうしねぇ』等と呟くさ中、ティオネが悔しそうに涙を流して悔しがる。

 

「ちっ」

「そっか……」

「団長とのデートがぁ……」

 

 やる気を出させるための餌を用意していたフィンは軽く苦笑を浮かべつつも冷や汗を流す。ティオナとティオネの点数差は僅か数点。カエデ班の撃破をティオナではなくティオネが成していたらそのままティオネとのデートに持ち込まれていた可能性すらあったのだ。ひっそりと安堵の吐息を零してフィンは再度口を開いた。

 

「ティオナ。君の願いについてだけど、武具の製作費用が決まったら経費で落とすから請求書を此方に回すように。無論、余り使い込み過ぎないようにね」

「はーい」

「団長っ! 私とのデートの件はっ!」

「ティオネ、今回の遠征合宿で高得点を取れたら、と言う条件だったね?」

 

 燃え尽きたように席にすとんと座ったティオネ。横に座っていたアイズが大丈夫と声を掛けても燃え尽きたまま虚ろな目でテーブルに乗った皿を眺め、次の瞬間には取り出したハンカチをずたずたに引き裂きはじめる。

 

「よくもよくもー」

「残念だったねティオネ」

「アンタの所為でぇ……どう考えてもあの時カエデを仕留めたのが私なら」

「はいはい、負け惜しみ負け惜しみ」

「ティオナ、あんた……」

「二人ともやめろ。これから大規模遠征に参加するメンバーを発表する」

 

 ティオナとティオネを諌めたリヴェリアが持ち込んでいた資料をフィンに手渡して先を促す。フィンは資料を受け取ってから檀上より団員達を見回した。

 

「これより大規模遠征に参加する第三級(レベル2)団員の発表を行う。各妨害役の者達が『この人物なら参加させても良いだろう』と判断した者が選出されている。もし選出されなかった事に文句があるのなら各準一級(レベル4)の者達に直談判し、自らを推薦しても構わない。しかし、認められないのにはそれなりの理由がある事を覚えておく様に……、自身の力を過信した団員はどうなるか。君達は既に知っているだろう」

 

 暗に、文句を言うなら直接準一級(レベル4)団員に言いに行っても構わないと口にしたフィン。選ばれないのには選ばれないだけの理由がある。逆に選ばれた者達には相応の理由があるが故にその者らを見習って精進するならよし。自身を見直さずに文句だけを言うのであれば、彼の追放された虎人の様になるだけと釘を刺すフィン。

 其れを見てロキが横からフィンの手元の資料をかすめ取って中を検めて口を開いた。

 

「んじゃ発表してくでー」

「ロキ……まあいいか」

 

 奪われた事に文句を言おうとして、途中でやめて大人しく席に着くフィン。ロキはその様子を見るともなしに見て檀上から団員達を見回して今回の選出メンバーを発表しはじめた。

 

「まずアイズの選出二名や。まずはジョゼット班のマルク・エッジ、選出理由は――――

 

 選ばれた者達がもろ手を上げて喜び、選ばれなかった者が悲しみの吐息を零す。アイズの選出はアリシア班の犬人(シアンスロープ)の少女と猫人(キャットピープル)の女性。どちらも安定した様子の人物で、周囲の団員からおめでとう等と言われたりして照れたように笑みを零している。

 ティオナの選出はドワーフが二名。ティオネの選出はアマゾネス一名、虎人(ワータイガー)一名。ペコラの選出時にアリソンの名が呼ばれ、カエデがおめでとうございますと言えばアリソンは嬉しそうにありがとうと声を出した。グレースは溜息を零してそっぽを向いておめでとと呟くのを聞きつつ、最後のベートの発表を待つ。

 

「さて、最後にベートの選出やな。まずクルス班からディアン・オーグ。次にラウル班からカエデ・ハバリの二人やな。選出理由はそれぞれ『他の奴よりまし』だそうや」

 

 自身の名が発表されたカエデが喜び、グレースが適当におめでとと呟いて溜息を零す。

 

「結局、選ばれなかったわ」

「僕も選ばれなかったね。自信が有る訳では無かったけど、やっぱり選ばれないとなると悔しいね」

 

 ラウル班より選出されたのは二名。最も多数の選出者を出したのは五名全員が選出されたジョゼット班であろう。彼の班の優秀さを知る団員達も『だろうなぁ』と納得の表情を浮かべている辺り、ジョゼットの班に対する信頼は高い。

 他の班の選ばれなかったメンバーがざわめき、悔しそうに歯噛みする者や、選ばれた者に頑張って来い等と声を掛けている者等、様々。

 ラウル班の集まった席ではグレースが深々と溜息を吐き、アリソンがそれを慰めようとしている。

 

「皆静かに。選ばれた者達は明日、それぞれ各選出者の所へ顔を出して指示を受ける様に」

 

 フィンの言葉を最後に、いつも通り騒がしい夕食時へと変貌するさ中。ベートは食堂の隅の席からカエデと、禍憑きがどうのと騒ぐ雑魚の方を見ていた。

 

 

 

 

 

 ベートに選ばれたヒューマンの少年は目の前の幼い白毛の狼人(ウェアウルフ)を見て驚きに目を見開いていた。

 目の前の彼女が最近入団して最速器の昇格(ランクアップ)を果たした団員だと言うのは知っていたし、顔ぐらいは見た事があったがマジマジと見てみれば幼さが目立ち、そこまで強そうには見えない。だが目に宿る意思の強さに思わず引く程であった。

 

「……? どうしました?」

「いや、なんでもない……。それよりも一緒にベートさんに選ばれたんだから頑張ろう。俺の名前はディアン・オーグだ」

「カエデ・ハバリです。よろしくお願いします」

 

 もう一度彼女を見下ろしてディアンは軽く吐息を零した。こんなに幼い少女を遠征メンバーに選出するのはどうなのかとベートの選出に疑問を覚えるが、だからと言って文句を言う気は無い。つい先ほど、第三級(レベル2)狼人(ウェアウルフ)が数名、ベートによって医務室送りにされたと言う話が出ていた為だ。

 

「じゃあベートさんの所に行こうか……」

「はい、談話室の所で待っているそうなのでいきましょう」

「あぁ……え?」

 

 朝食を終えベートの所に赴く積りであったディアン。カエデが頷いてベートが何処に居るのかを伝えてきた事に一瞬違和感を覚え、直ぐにカエデをマジマジと見つめた。

 

「え? なんでベートさんの予定を知ってるんだ?」

「はい、朝一緒に鍛錬した時に教えてもらいました」

 

 カエデの言葉に目を見開いて驚くディアン。ベートの鍛錬の厳しさは団員達の噂で知っている。そんなベートさんとの鍛錬をしているというカエデの事を見てから視線を逸らす。

 

 数人の狼人(ウェアウルフ)が半殺しにされたのは今朝の話である。つまりカエデはその光景を見ていたはずなのだが、真っ直ぐに見つめてくるカエデからはそんな雰囲気は感じられない。

 

 

 

 

 

 朝の鍛錬場。いつも通りに早起きして剣の素振りを行っていたカエデは、ベートがやってくると同時に頭を深々と下げて礼を口にした。

 

「メンバーに選んでいただいてありがとうございます」

「あぁ? あぁ、他の奴よりましだったからな。足引っ張るんじゃねぇぞ」

「はいっ!」

 

 ベートが自身を選んだ理由は、他の団員より()()()()()からであって、()()()()()()()()()()()()と言い聞かせはするが、それでも選ばれた事が嬉しく無い訳がない。

 

「んじゃ始めるか。準備は」

「出来てます」

 

 いつも通り、ベートが適当に肩を回して位置につけばカエデがベートに剣を向ける。模擬剣を使わず、真剣をその手にベートに向けたカエデに対し、ベートは適当に欠伸をする程に余裕を見せつける。

 合図は無く、カエデが一歩踏み出した瞬間――鍛錬場の入口が荒々しく開かれて数人の狼人(ウェアウルフ)が現れてカエデは手を止めた。

 

「……ベートさん」

「あぁ? んだよてめぇら」

 

 これからというタイミングを外され、苛立ちの混じったベートの言葉に狼人(ウェアウルフ)達が顔を見合わせて口を開いた。

 

「お願いがあります」

「あぁ?」

()()()()()()()()()()()()()()()

 

 堂々と胸を張り、カエデが居る場にてカエデの蔑称を口にして今回の選出に文句を言いに来た狼人(ウェアウルフ)の少女。ベートと同い年ぐらいの彼女の言葉にベートの反応は至って淡泊。

 

「そうか、邪魔だ失せろ」

 

 苛立ちを覚える等と言う様子も見せずに追い払う仕草をしたベートに対し、狼人(ウェアウルフ)達は口々に吠えはじめる。

 

「禍憑きなんて一緒に行動してたら危ないですよ」

「どうせ碌でもない事になる」

「そんなの選ぶぐらいなら他の人を選ぶべきだ」

 

 鍛錬場までいちいち現れて文句を垂れる彼ら、今までならカエデは大人しく逃げていただろう。だがベートの選出、アレックスに対して強気に出た事。グレースに言われた『言われっぱなしは悔しいでしょ』等と言う言葉。

 そんな数々に背を押されたカエデがその狼人(ウェアウルフ)の前に出た。

 

 その様子を見たベートは黙って成り行きを見守る。珍しくカエデの方から出て行ったのだからベートが出る幕は無い。

 

「なっ……なんだよっ!」

 

 ベートと狼人(ウェアウルフ)達の間に割り込んだカエデ。その目をみた狼人(ウェアウルフ)が怯み、後ずさる。ただ真っ直ぐ文句を言う彼らの目を見据え、カエデは口を開いた。

 

「ワタシが邪魔ですか?」

「……っ!」

 

 言葉を放たれた瞬間、戦闘に立っていた少女が共に居る狼人達を見回してからカエデを睨む。

 

「あんたみたいなのが居たら、団長達が危険よ」

「……何が危険なんですか?」

 

 禍憑きは災厄を齎す。そんな伝承を頭から信じ込んでいる彼女を真正面から見据える。自身にそんな不可思議な出来事を起こすだけの力は無い。少なくともそのはずである。ヒヅチが失われたのは確かにカエデの所為かもしれない。しかし、村に流行病が訪れたのも、村の周囲で起こるモンスターの被害も、どれもカエデの意図した事では無い。今ならそう断言できる。

 

「あんたが居たら遠征に失敗するわ」

「なんでですか?」

「なんでって……禍憑きで――

「ワタシが禍憑きだったとして、なんで失敗してしまうんですか?」

 

 目の前の彼らが常々口にする『禍憑き』と言う言葉。それにどれほどの力があると言うのか。ただ脅えているだけではないか。

 

「嫉妬してるんですか?」

 

 昨日、グレースと共に風呂場でした会話を思い出してカエデがそう口にする。

 内容は至ってシンプル。執拗にカエデの耳やアリソンの耳等を摘まんで引っ張るグレースに嫌気がさしてカエデがグレースに頭突きして文句を言ったのだ。其れに対する返答は『アタシ、アンタらに嫉妬してるわ』と真正面から言われたのだ。

 口も悪く、思った事が直ぐに口に出てしまうグレースは、真正面から『嫉妬している』と口にし、自身が二人の嫌がる事をするのも嫉妬が原因だと。その上で謝ってきた。暫く顔を見ない方が良いとも言って距離を置く宣言までされた。

 『アタシは選ばれたあんた等に嫉妬するぐらいの奴だし、暫く顔も会わせない方が良いわ。悪いわね……ごめん、二人とも、暫くは一人にしてくんない』

 グレースと暫く距離を置く事になった事は少し悲しかった。

 

 そして、目の前の彼らの目を見て感じたのは、昨日グレースが『嫉妬してる』と言い切った時と同じ色が見て取れたのだ。だからこそ『彼らは自身に嫉妬しているのではないか』とカエデは考えたのだ。

 

 カエデの一言に対する彼らの反応はあからさまであった。一瞬体を震わせ、カエデを睨みつける。

 

「悔しいんですか? 選ばれなかった事が」

 

 カエデが知る限りではあるが、此処に集まっている狼人(ウェアウルフ)四人は全員十八階層に辿り着けなかった者達だったはずだ。あの時の五つの班には狼人(ウェアウルフ)がカエデしか居なかった。

 故に、そも選ばれる最低基準でもある十八階層到達を成し遂げていない彼らは選ばれる選ばれない以前の問題であり、嫉妬される以前に『最低基準を満たせ』と言う話である。

 

「遠征合宿で、最低基準の十八階層到達も成し遂げられなかったのだから。選ばれなくて当然じゃないですか」

 

 故に、カエデは当たり前の指摘を行う。正論とも呼べるそれ。間違ってはいない、だが感情的に喚く彼らには意味の無い言葉だ。珍しく前に出たカエデの言葉に、正論過ぎてぐうの音も出ないその言葉に、彼らは声も出せずに怯む。

 拳を握りしめ、カエデを睨む四人。後ろから眺めていたベートが面白そうに口元を歪めて笑った。

 

「コイツの言う通りだろ。テメェ等最低基準も満たせてねぇ癖に何デカい口叩いてんだよ」

「っ! それはベートさんがっ!」

 

 彼ら四人を遠征合宿中に叩き潰したのはベートである。ふと見かけたので適当に相手してやれば、割とあっさり全滅したので拍子抜けした班もあれば、悪く無い動きの班もあった。だが共通点は一つ、最低基準の十八階層到達と言うわかりやすい目標すら達せなかった()()()と言うだけの話だ。

 

「俺らだって頑張ってたんだぞっ!」

 

 思わず、ベートは失笑を零す。()()()()等と口にした狼人(ウェアウルフ)の少年の顔をマジマジと見据え、ベートはカエデの首根っこを掴んで下がらせる。

 

「ベートさん」

「下がってろ」

 

 不満そうに喉を鳴らすカエデを無視してベートが前に出た。

 

「なぁ、頑張ったって何をだ?」

「何を? ダンジョンでモンスターを倒して――

「そんだけか?」

「え? それは――

 

 彼らのした()()の形をベートは知らない。だが言える事がある。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 彼らの努力がどれほどのモノなのかを全ては知らない。ベートも暇を持て余している訳では無い、故にベートは彼らが何処でどの様な努力を積み上げてきたのかつぶさには知らない。だからこそ、彼らの努力までは否定しまい。しかし、結果を何一つ残せていない彼らにベートが認められる場所は何処にも存在しない。

 

「コイツは結果を出して見せた、テメェ等はどうだ? こんな所で負け犬の遠吠えしか出来ねぇ足手纏いなんて態々選ぶまでもねぇ」

 

 どれだけ努力を重ねても、結果が伴わなくては意味が無い。

 十八階層到達と言う最低条件すら満たせない様な者達。運が無かったのかもしれない。だが普段からもっと、カエデの様に()()()()()所か()()()()()()すら学ばずに前に進む様な努力をしていたら。違ったかもしれないのに。

 

「言わなきゃわかんないか? テメェ等みてえな雑魚は居るだけで反吐が出る。失せろ、今すぐに」

 

 こいつらの様に努力した()()をしているのが一番ムカつく。どうせ、何かを失った時に泣きながら言うんだろう。『もっと努力をしていれば』と言うのだ。

 カエデの姿を見て、何も学べないのか。失ってからでは遅いと言うのに。

 

 ベートの言葉を受け、わなわなと震える彼ら。失せないのなら、ここで潰す。アレックスとなんら変わらない間抜けっぷりにベートは眉根を寄せ、唸り声を響かせる。

 

「もう一度言ってやる。失せろ」

 

 前に立っていた狼人(ウェアウルフ)の少女が引き、代わりに少年が出て来た。

 

「ベート……さん」

 

 震え、脅えながらも声を出す彼を見据え、ベートはよりいっそう目を細める。何を言う積りか知らないが、どれだけ言葉を重ねても、もう彼らの声は負け犬の遠吠えにしか聞こえない。

 

「その、白毛の狼人は……関わると碌でもな――――

 

 次の瞬間にはベートは足を振り抜いていた。何を言うのかと思えばそんな事かと、少年の体が吹き飛んで行ったのを確認するまでもなく、他の狼人(ウェアウルフ)を蹴り伏せる。

 瞬く間に行われたベートの一方的な攻撃。カエデの目にはベートの姿がぶれた瞬間、四人の内一人が吹き飛び、三人が地面にたたき伏せられた光景が目に入り目を見開いた。

 

「ベートさん……」

「……ちっ、全員蹴り飛ばしゃよかった」

 

 鍛錬場に倒れた三人も同様に端っこにでも蹴り飛ばしておけば、そのまま鍛錬を再開できたのに、そんな風に舌打ちしたベートを見てから、カエデは倒れた狼人(ウェアウルフ)に近づいた。

 

「何してんだよ」

「……医務室に連れて行こうかと」

「必要ねえだろ。そんな雑魚共に関わるな」

 

 ベートの言葉を聞いて、カエデは顔を伏せ、それから倒れた一人の容態を確認してから眉を顰めた。

 

「肩が……」

 

 蹴りを喰らった肩の部分が砕けているらしい狼人(ウェアウルフ)の少女の容態を見て震えるカエデ。ベートがカエデの首根っこを掴んでその狼人(ウェアウルフ)の少女から引っぺがした。

 

「やめろ」

「……でも」

「そんなのに()()()()()()()()()()()()

「…………」

 

 ベートの言葉にカエデは尻尾を震わせ、俯く。

 今すぐにでも鍛錬を始めたい、いちゃもんをつけてくる様な彼らに関わる時間、一分一秒ですら惜しい。本当ならベートの鍛錬をみっちりと受けてくたくたになっている頃だと言うのに、時間を無駄にしている。

 時間が足りない。だから見捨てて適当に鍛錬場の隅にでも放り捨てておくべきだ、ベートはそう言いたいのだろう。

 そう考え、カエデはベートの方を見上げた。

 

「放してください」

「…………ちっ」

 

 舌打ちと共に解放され、カエデは倒れた彼らの容態を一人一人確認し始める。

 

「おい、時間は良いのかよ」

 

 その後ろ姿に声を掛けるベート。カエデは耳を数度震わせてから、口を開いた。

 

「ごめんなさい。ワタシは……外道を歩まない、修羅にならないと師と約束しましたから」

 

 他者を慮る事が出来なくなれば、人は外道に落ちる。戦い以外の事に視線を向けられなくなった時、人は修羅へと身を落とす。

 たとえどれほど憎らしかろうと容易く刃向け、害意向け、害するな。手を伸ばし救え。人であるならば、それができるはずだ。

 師の教えを反芻するように呟いたカエデを見て、ベートは苛立ちを覚えた。

 

「……くっだらねえ」

 

 完全に、息の根を止めておけばよかったか。それとも追い払うだけの方が良かったかと舌打ちしてから、ベートはカエデに背を向けた。

 

「朝飯食ったら談話室に来い、もう一人の奴を見つけたら声かけとけよ」

「……わかりました」

 

 完全に昏倒している狼人(ウェアウルフ)達に簡素な応急処置をしているカエデを睨み、ベートはその場を後にする。

 

「……時間が無いんじゃねえのかよ」

 

 鍛錬場の入口の扉を開け、肩越しに振り向いたベートの視線の先。カエデが大柄な狼人(ウェアウルフ)の砕けてしまった腕を剣の鞘を使って固定している様子が見えた。




 ベートさんも全ての団員を見守る程、暇してないでしょうし。努力を認める認めない以前に、結果も出せずに文句垂れていれば多少はね?

 努力を積み上げ、それで結果も出せればオッケー。
 努力を積み上げても、結果が伴わなくてはダメ。
 努力をしない奴は論外。

 カエデちゃんは常識とか羞恥心とか、割と大事な物を何処かに置き忘れてきてますが、努力だけは誇れますからなぁ。
 ……カエデちゃんの常識不足と羞恥心消失は師のヒヅチと、関わりの深いワンコさんの二人の所為ですね。

 まぁ、羞恥心に関してはカエデの身近に異性と言う異性が居なかった事が大きいですが。


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『医務室』

『ホオヅキの姉ちゃんが封印されてる?』

『……その()()ってなんだい? 聞き覚えがないんだが』

狐人(ルナール)の扱う妖術の一つだ。正確には陰陽術と言う物であってだな。一般的には種別を細分化すると膨大な数になるから妖術で統一されていてだな、陰陽術というのは――

『長い、手短に話せ』

『つまり狐人のみが扱える種族由来の魔法だ』

『その封印ってのはどうすれば治るんだ?』

『治る、と言う表現は正しくない。正確に言うなら解除する。もしくは解くだ』

『……そう言うのは良いから、さっさと教えてくれよ』

『そう焦るな……。実は私にもわからないのだ』

『はぁ?』

『わからないからこそ、封印の解除方法を探しているのだ。古代の時代より他の部族と隔絶した世界で過ごした黒き巨狼の一族の末裔である君なら、何か知っているかと思ったんだがな。当てが外れたよ』

『……何コイツ、なんかムカつくんだけど』

『胡散臭くてムカつくな、やっぱ恵比寿みたいだ』

『おい、恵比寿と一緒にしないでくれ』


 【ロキ・ファミリア】の本拠(ホーム)である『黄昏の館』は、複数の尖塔が組み合わさり、炎を思わせる形状をした特徴的な形をしている。

 医務室や書庫、執務室等の数多の部屋の中には団員達の交流の為に用意された談話室が複数存在する。

 そんな談話室の一つ、ベート・ローガは部屋に集まったメンバーの顔を見回してから、面倒臭そうに吐息を零し、ソファーに座らずに直立するディアン・オーグと並び立つカエデ・ハバリを見てから顎で座る様に指示した。

 

 部屋の中にはベートと、ベートが指揮するメンバーの第二級(レベル3)冒険者の団員が3人、そして補助役として抜擢したディアンとカエデの合計6人のメンバーが集まっている。

 今頃、他のアイズ、ティオナ、ティオネ、ペコラもそれぞれ部屋にメンバーを集めて説明を始めている頃だろう。そんな風に考えてから、ベートは目の前に座るディアンを見据える。

 

 目があったディアンが身を震わせて愛想笑いをしたのを見て鼻を鳴らし、ベートは第二級(レベル3)冒険者の一人、猫人の男に指示を出す。

 

「お前から説明しとけ」

「はい」

 

 頷き、返答した猫人の男から視線を外し、ベートがソファーに寝転がって昼寝を始めた。

 その様子を見ていたディアンが不安気に他の先輩冒険者を見れば、第二級(レベル3)冒険者は気にする様子も無く三人で視線で会話して誰から挨拶するかを決めあっている。

 

 最初に口を開いたのは茶毛の猫人(キャットピープル)の男性。ベートから説明を任されていた人物である。

 

「俺はフルエンだ。ディアンは知ってるだろうが、カエデは初めましてだな。まぁよろしく。見て分るだろうが猫人(キャットピープル)だ」

 

 気さくな様子で片手を上げて挨拶したのを見て、カエデは頭を下げる。団員の人数の多い【ロキ・ファミリア】内部において知っている団員の方が少ないカエデは、今いるメンバーはベートを除けばほぼ初対面である。

 

「こっちはウェンガル、俺と同じく猫人(キャットピープル)だ」

 

 同じく猫人(キャットピープル)の少女が片手を上げて挨拶してきたのを見て、ディアンとカエデが頭を下げる。

 

「んで最後がリディアだ」

「よろしく。カエデの方は活躍は聞いてるよ。ディアン君の方はちょっと知らないかな」

 

 最後のメンバー、アマゾネスの少女は曖昧な笑みを浮かべてカエデとディアンを見下ろした。

 

「カエデ・ハバリです。よろしくおねがいします」

「ディアン・オーグです。選ばれたからには全力を尽くします!」

 

 威勢よく言い放ったディアンの様子に三人が苦笑し、ソファーに寝ころんだベートが半眼でディアンを睨んでから呟いた。

 

「はん、変に頑張るなんて言って足引っ張るなよ」

「うっ……」

 

 ベートに睨まれ、ディアンが怯んで震える。ベートの方は直ぐに興味を失ったのかそのまま目を瞑り腕を枕にして寝る姿勢に入ってしまった。

 その様子を見ていたカエデが首を傾げる。ベートが説明をするのではないのかと疑問を覚えたらしいカエデに気付いたフルエンが首を横に振ってからカエデを見て口を開いた。

 

「説明は俺からする……と、説明の前に二人に幾つか質問がある」

「質問ですか?」

 

 フルエンが立ち上がり、二人を見下ろしながらメンバー全員を示す様に腕を広げて口を開いた。

 

「さて、この部屋に居るメンバーがベートさんの所に配属された人員だ。君等二人も含めてね」

 

 頷くカエデとディアンを満足気に見下ろしてから、フルエンは人差し指を立てて二人に突き付けた。

 

「ここで問題だ。このメンバーに求められている役割とはなんでしょうか?」

「役割?」

「そう、このメンバー編成を見て、大規模遠征に於いて俺らが求められてる立ち回りが何かを予測してくれ。まずディアンから」

「俺ぇっ!? えっと……狼人(ウェアウルフ)一人、猫人(キャットピープル)二人、アマゾネス一人……近接戦が得意なメンバーだから……前衛?」

 

 指名されたディアンは目を見開いてから顎に手を当てて考え込みはじめる。その様子を見ながら、三人がベートの方をちらちらと窺い、様子を見ればベートは特に動く気配も無く寝た振りを続けている。

 

 今回のディアン、カエデ両名は初めて大規模遠征となる団員である。基礎知識としてリヴェリアから教育はなされているだろうが、それでも知識方面に不足が無いとは言い切れない。まず最初にこの場で不足している知識について把握して教え込むと言う場を用意したのだ。

 ベートがすべき場ではあるが、他の班でもペコラ班を除けば全ての班が第二級(レベル3)団員に任せて自ら教え込むなんて事をしている事は少ない。

 

「えっと……遠征部隊の進行方向の索敵、罠警戒……でしょうか?」

 

 ディアンが恐る恐る発言した内容を聞き、フルエンは頷く。

 

「そうだ。ベートさんの班は敏捷を活かして遠征部隊の本隊から少し離れた地点で索敵及びに迷宮の悪意(ダンジョントラップ)の警戒を行う。基本的には本隊より前に出る事が多く、はっきり言って危険度は最も高いと言っていい」

 

 本隊は主に物資輸送用の荷車を引くペコラの班を中心に、指揮を執り行うフィンと団長直下の団員数名、魔法による援護を中心とするリヴェリアとリヴェリアの指揮する魔法使い達、そしてその三つの班の防衛にガレスが率いるティオナ、ティオネの班。後方に遊撃のアイズを配置して進んでいく。

 その内、ベートの班の主な役割は先行して道中にあるモンスターの早期発見及び、可能であれば掃滅。迷宮の悪意(ダンジョントラップ)の発見、解析が主な任務である。

 

 特に迷宮の悪意(ダンジョントラップ)は種類次第では遠征部隊に致命的な被害を齎す事も多い為、見逃しは絶対に許されない。その上で先行して行動する為、本隊から分断されやすくモンスターの奇襲も受けやすい。

 防衛力を高めた本隊とは違い、別働隊としての働きを求められるベートの班は非常に危険度が高い。

 

 猫人(キャットピープル)のフルエンとウェンガルの両名は迷宮の悪意(ダンジョントラップ)に対するスペシャリストであり、アマゾネスのリディアもまた勘に優れる所から選ばれている。

 総じて言える事は全員が敏捷が高めであり、対処不可能な量のモンスターと鉢合わせした場合は即座に本隊へと合流して対処する事が言い含められている。

 

「と言う訳だ。じゃあ次はカエデ。危険度の高い迷宮の悪意(ダンジョントラップ)を三つあげてみろ」

「……どういう状況での危険度でしょうか?」

 

 ディアンの答えに満足したフルエンがカエデに質問を飛ばす。カエデは少し迷ってから質問を返した。

 

「あぁ、そうだな……。本隊、大人数での行動中の物、移動中の物、少数での行動中の物。一つずつ上げてみろ」

 

 指を立てつつ言われた言葉にカエデが少し考え込んでから、自身の尻尾の先端を掴んで口を開いた。

 

「まず大人数中は錯乱系の毒霧や幻覚効果のある毒ガス等の同士討ちの危険が発生する物、移動中は主に視覚攪乱や迷路(ラビリンス)系の方向を惑わす系の物と一方通行の罠等の分断系と怪物の住処(モンスターハウス)の連鎖罠等。小数での行動中は警報(アラーム)等の大多数のモンスターの気を引く物、等でしょうか」

 

 スラスラと大雑把にではあるが注意すべき罠の傾向を口にしたカエデに対し、フルエンが頷く。

 

「まぁ大雑把ではあるがそれで良い。基礎はまぁ大丈夫そうだな。ベートさん、基礎は大丈夫そうですが後はどうしましょう」

「あぁ? 一々聞くなよ……。遠征は六日後だが三日前から迷宮探索(ダンジョンアタック)禁止、二日前から鍛錬も禁止だ。体を休めて挑む様にしろだとよ」

 

 面倒臭そうに身を起こし、ベートはフィンに伝える様に言われた最低限を伝え、欠伸を一つしてからディアンとカエデをじろりと睨み、口を開いた。

 

「良いか、お前らは雑魚だ。調子に乗って前に出るなんてするなよ……手間かけさせる様なら縛ってペコラのところの荷車に放り込むからな」

「わかりました」

「…………」

 

 ベートを見つめ返して返事をするカエデと、冷や汗を流して震えるディアン。二人の様子を見てから、ベートは無言で立ち上がってフルエンの方を向いた。

 

「俺は行く、テメェ等は怪我すんなよ」

「はい。わかりましたベートさん。お疲れ様です」

 

 おつかれでしたーと適当な返事をしたリディア。ベートはようやく終わったと部屋を後にし、緊張していたディアンが大きく息を吐いて体を弛緩させる。

 

「うへぇ……緊張したぁ」

「あ、やっぱベートさん相手だと緊張するよね」

 

 ディアン同様に安堵の吐息を零していたウェンガルが二ヘラと笑ってから、カエデの方を向いた。

 

「にしてもカエデはベートさん相手に緊張してなかったね」

「……? 緊張ですか?」

 

 殆どの団員がベートに罵倒された経験がある為、ベートの前だと萎縮する団員も多い。それでありながらカエデは殆ど緊張した様子も見せずに対応していたのを見たディアンも、カエデの胆の据わり具合に驚きを隠せない。

 

「普通の子は緊張するよ。ペコラさんの所の方は気楽そうでいいんだけどね」

 

 比較的温厚であり、ふわふわした雰囲気のペコラの班であれば、特に緊張する事も無く相対できる。アイズの方は無愛想にも見える無表情さから若干の居心地の悪さはあるだろうが、無愛想に見えるだけで実際の所はしっかり観察すればアイズも表情豊かだと言うのがわかる。

 ティオナとティオネはアマゾネス特有の豪気さや大胆さから接しやすい部分も多い。

 

 そう言う意味では一匹狼を貫く様な性格をしているベートの班が最も緊張する班とも言えるのだ。

 

「まぁ、同じ班に編成されたし、仲良くしてこうか」

「よろしく」

 

 にこやかな笑みを浮かべた猫人(キャットピープル)二人を見て、ディアンは安堵の吐息を零した。

 

 班員全員がベートの様な感じであったらきっと自分は遠征に参加する以前に精神的に折れていたかもしれないと。

 

 

 

 

 

「それで文句言いに行ってベートに半殺しにされたと?」

 

 【ロキ・ファミリア】の医務室、今朝早くにカエデが慌てた様子で怪我人が出た事を伝えに来た為にフィンとロキが医務室に向かってみれば、ベートに半殺しにされた団員が何人か寝かされている姿があった。

 後序に廊下ですれ違った所為で気絶したペコラが運び込まれていた様子であったが、フィンの指示でジョゼットが担いで別の部屋に運んで行った。あのままこの部屋に寝かせていたらいつまでたっても目覚めないだろうと言うフィンの判断である。

 

「なんであんなのを編成したんですか」

「なんでって、ベートが選んだ人選だ。文句があるならベートに言えばいいよ」

 

 フィンの言葉に黙り込んだ狼人の少年。先程ベートに文句を言いに行って半殺しにされたのにと言いたげな様子にフィンは肩を竦める。簡素なベッドの横、スツールに腰かけたロキがベッドの上の四人を流し見て肩を竦める。

 

「嫉妬っちゅーんは誰でもするもんや。せやけどなあ。アンタらは狼人(ウェアウルフ)が嫌っとる白毛なのを理由にいちゃもんつけとるやろ。かっこ悪いで?」

 

 ロキの言葉に黙り込む四人を見て、ロキは口を開いた。

 

「何が気に食わんのや」

 

 嫉妬を抱いてカエデにいちゃもんをつける様な事をしている四人。決して人柄は悪くは無い。他の団員とも仲良くやっている団員達ではあるのだが、カエデの事に至っては良く文句を口にしている。何をするにしても『白毛が~』『禍憑きが~』といちゃもんをつけていた。無論、注意はしたし、これで二度目である。

 

「それは……」

「…………」

 

 口を閉ざして視線でやりとりする狼人(ウェアウルフ)達をフィンが軽く目を細めて眺める。ロキの方は欠伸しつつも置いてあった果物の林檎を手に取ってフィンに投げ渡した。

 

「ロキ?」

「剥いてー」

「はぁ」

 

 ついでに投げ渡された果物ナイフを手に、フィンが林檎の皮を剥き始めた所でようやく狼人(ウェアウルフ)の少女が口を開いた。

 

「ベートさんとの鍛錬の時、カエデだけ()()()されてたりしてるし」

「寸止め?」

 

 ベート・ローガとの鍛錬の際、殆どの団員が痛め付けられて音を上げて終わる事が多い。その上で罵倒され最悪の場合は『冒険者やめちまえ』とすら罵られるのだ。

 ベートの鍛錬と言えばそれが普通であるにも関わらず、カエデがベートに鍛錬をつけて貰っているさ中はちゃんと寸止めされ、怪我をした際にはベートの方から鍛錬を止めるなどと、カエデに甘い対応をとる事が多い。

 そう言った自分達とカエデの扱いの()が許せないらしい。

 

「ほぉー、ベートが寸止めなあ」

「ロキ、剥けたよ」

「兎にしてくれてへんやん」

「そういうのはリヴェリアに頼んでくれないかな」

 

 綺麗に皮が剥かれた林檎を齧り、ロキは狼人(ウェアウルフ)達の方を向いて齧った林檎を突き付ける。

 

「勘違いしとるわ」

「……何をですか」

「ベートは手加減しとらんで。無論、カエデを甘やかしとる訳でも無い」

「でも、だったらなんでカエデの時だけ寸止めされて、俺らの時は容赦なく殴り飛ばすんですか!」

 

 熱くなったのか、前のめり気味にロキに詰め寄る狼人(ウェアウルフ)の男。ロキは新しい林檎を一切れその口に突っ込んでから口を開いた。

 

「むぐっ!?」

「まあ落着きや」

 

 口に突っ込まれた林檎を咀嚼する狼人(ウェアウルフ)の男を見て、フィンは溜息を一つ零した。

 

「ロキの言う通り、君達は勘違いしているよ」

「……でも、実際にカエデだけ寸止めして貰ってますよね」

 

 少女の言葉にフィンは目を細め、少し悩む。

 

 本来なら自分達で気付くべき事であり、フィンが教える事では無い。その辺りはベートも同様に考えているらしく、口で語る事は無い。いや、むしろベートはちゃんと口には出していると言える。

 あまりにも粗暴な言葉でぶつけられる為に、ぶつけられた側が正しく意味を理解できていないのだろう。

 

「あんた等はカエデがベートに甘やかされとる言いたいんやろ? 全然見当違いや。カエデもベートにぶっ飛ばされる事あるで?」

「え?」

 

 驚きの表情を浮かべた少女に林檎を一切れ投げ渡し、ロキはフィンの方に視線を向ける。フィンは少し悩んでから口を開いた。

 

「そうだね、君達が見るカエデとベートの鍛錬がどんなものかはしらないが、ベートはカエデを甘やかしている訳では無いよ」

 

 ベートとカエデの鍛錬と、ベートが他の団員につけている鍛錬を見れば狼人(ウェアウルフ)達が抱いた様な感想を誰しもが抱く。それは一重にベートの性格と、カエデの性格がかみ合っているからそう見えるだけで、実際の所は甘やかすなんて事は一切無く、ベートは他の団員に対して行う鍛錬と全く同じ事をしている。

 

 ベートの鍛錬は厳しい。それは誰しも知っている事ではあるが、その厳しさはちゃんとベートなりのルールの上で行われる厳しさだ。具体的に言えば鍛錬相手が()()()()()()()()()()()()()()()()()()と言うもの。

 簡単に言えば()()()()()()ば痛い思いはしなくて済む。

 

 他の団員が何故痛め付けられる様な目に遭うのに、カエデだけは寸止めにされるのか。それはベートから見て鍛錬相手が()()()()()()()()()()()()()()()()。つまり、ベートからすればもうひと頑張りすれば回避か防御ぐらい出来ると相手の能力を買っているのだ。

 

 では、何故カエデが寸止めで終わるのか。それは単純にカエデの能力では決して対応できない一撃を放っているからである。

 ベートは鍛錬中は無暗に相手を傷付ける真似はしない。格下に鍛錬をつけるのは、ベートが本気を出せばそれこそ一撃で終わる様なお遊びの状態であるが、ベートは相手の力量からどれだけの攻撃を繰り出すべきかをしっかり判断して攻撃を繰り出している。

 其の為、相手が絶対に対処できない攻撃に関してはちゃんと寸止めと言う形で攻撃の手を止める。逆に対応できるはずの攻撃は寸止めせずに打ち込む。

 

 カエデは全力、それこそ死力を尽くす勢いでベートに喰らい付いて行く為に最後はカエデの能力を大きく超えた一撃を放たない限りは()()()()()()()。其れゆえに鍛錬の終わり際には必ず()()()()()()

 逆に他の団員は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()でダウンする事が多い為に最後には強烈な一撃を貰って終わる事が多い。

 

 傍から見ればカエデだけ寸止めし、他の団員は蹴倒す様な状態になっているのだ。だが、実際の所はベートの鍛錬法は相手に合せ、ギリギリなんとかできる範囲の攻撃しか加えない。まるでカエデだけ甘やかされている様に見えるのはそれだけカエデが全力で挑んでいる証拠である。

 

 無論、ベートの鍛錬がかなり厳しいものであるのは否定しない。あの鍛錬を受けて全力を尽くすと言うのは非常に難しい。ベートの攻撃に対し即時、防御か回避かを選ばされるのだ。少しでも判断が遅れれば容赦ない一撃が叩き込まれる。それはカエデも同条件であるし、実際カエデも手痛い一撃を受けて反吐を撒き散らしていた経験もあるのだ。

 

 そう言う意味では常に相手の力量を読まずに殺さない程度と言う大雑把な判断で鍛錬に挑むティオナや、自身より格下に対しどの程度手加減すれば良いのかをさっぱり理解できない天才肌のアイズに比べ、ベートの鍛錬は相手を注意深く観察してギリギリのラインを攻めてくる為に、その鍛錬の効率は素晴らしく良い。

 特に、限界を超える過程で得られる経験値(エクセリア)の量を考えればベートの鍛錬は、ペコラやティオネ等の鍛錬相手として良いと評判の二人なんかより優れている。

 その優れた部分を覆い隠しているのがベートの口の悪さだろう。罵倒され、貶されながらも喰らい付く気概が無ければベートの鍛錬はただの弱い者いびりにしか見えない。

 

「っちゅーわけや。わかったか?」

 

 説明を終えたロキは最期の一切れの林檎をフィンに手渡す。渡された林檎を齧り、フィンは狼人(ウェアウルフ)を見回すが、彼らの反応はあまり良くない。

 

「……つまり、俺らは()()()()()()()()()って事ですか」

 

 ベートの鍛錬に於いて、自分達は全力を出し切れていない。そうともとれる話に悔しそうな表情を浮かべる彼らに、フィンは肩を竦めた。

 

「少なくとも、ベートから見た君達は()()()()()()()()()()()()()であるだろうね」

「何凹んどるん? んなもん()()()()()()()()()()()()()()()()()っちゅー事やろ」

 

 少なくとも、ベートの目からみて彼らは()()()()()()()()()()()()()()()()()と目算される程度には才能や能力があると言う事だ。

 口が悪いし態度も良くないベートだが、人を見る目はそれなりにある。関わりたくない等と口にする癖に、鍛錬はちゃんとつけてあげたりする。

 本音を隠し、横暴な言葉で罵倒などをする為に勘違いされがちだが、ベートは彼らの実力をしっかり見計らって鍛錬を行っているのだ。

 

「これ以上言うと余計なお世話になる、自身で気付かなくては意味が無いからね」

 

 彼らが自身で気付き、改善しなければ意味が無い。誰かから常に教わるのではなく、自身で気付かなくては次に進めないからだ。

 

「んじゃウチはそろそろ二度寝に戻るわ」

「ロキ、君は会議に参加するんじゃ」

「えー、朝っぱらから子供が怪我した言うから早起きしたけどまだ眠いねん」

 

 肩を竦め、ロキが医務室の扉に手をかけて狼人(ウェアウルフ)達を振り向く。

 

「アンタらがどんな努力しとるのかはウチがよう知っとる。せやけどカエデも同じぐらい努力しとるのは認めたってや……白き禍憑き(くだらん理由)なんかでごちゃごちゃ言うんはそろそろやめにしいや」

 

 顔を伏せ、悔しそうな表情を浮かべる彼らから視線を外し、ロキが部屋を後にする。見送ったフィンは四人を見回してから肩を竦めて立ち上がった。

 

「じゃあ、僕は戻るから。朝食の時間はまだあるけど早めに行った方が良いよ」

 

 軽く手を振ってフィンが部屋を出て行く。狼人(ウェアウルフ)達は顔を見合わせてから各々朝食の為にベッドから這い出て体の調子を確かめ始める。狼人(ウェアウルフ)の少女が徐に口を開いた。

 

「なあ、応急処置ってアイツがやったんだよな……」

「……そうらしいな」

 

 鍛錬場でベートに半殺しにされた彼らを運び込んだのは数人の団員だが、彼らが言うにはカエデが怪我人が居る事を知らせてきたらしい。応急処置も彼女が既に済ませていた為に大事に至る傷は残らなかった。

 

「……なんだよそれ」




 実際のダンジョン探索って個々の能力の高さで補う感じの奴だよね。一人抜けるとその場で乙な感じの……まぁ、ダンジョンは難易度上げてますからアレですが。

 究極の個人プレーから産まれる連携的な?





 ~人物紹介~
 名前:【占い師】アレイスター・クロウリー
 所属:【トート・ファミリア】
 種族:羊人(ムートン)

 第二級(レベル3)冒険者であり、希少(レア)マジックの装備魔法の習得者。
 古びて草臥れたローブ姿の羊人(ムートン)であり、 性別を女にし、神ではなく人になった恵比寿等と言われる程に胡散臭く、何処かしら人を小馬鹿にした雰囲気を漂わせている。

 装備魔法はタロットカード。発動する度にランダムな絵柄のタロットカードが一枚手元に現れる。絵柄に応じた効果を発動する特別性であるが、意図した絵柄を引き寄せる事は出来ない。

 情報系ファミリアである【トート・ファミリア】所属であり、【トート・ファミリア】の発行している情報誌に乗せるネタを求めてあちらこちらをうろうろして居る事が多い。
 突発的に気になった人物に占いをしてやろうと絡んで行く事もあり、オラリオ内に於いてはそれなりに有名人。


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『厨房抗争』

『……っ!』

『フィン、どうした?』

『…………いや、少し寒気がね』

『なんや風邪かぁ?』

『違うよ。多分ティオネがまた何かしようとしてるんだと思う』

『あぁ、そういえば今日はジョゼットの日だったか』

『せやったなぁ。今日はどんな菓子作っとるんやろな』

『ティオネは懲りないな』

『全くだよ……はぁ』

『ウチの団長はモテモテやからなぁ』


 ベートの繰り出す攻撃を回避し、連続して繰り出される二撃目を受け流し、三度目の攻撃を防御する。四度目からは防御が崩され、ついには五度目の連続攻撃によって完全に態勢を整えられずに身を投げ出す様な形で回避を試みる。

 地を転がり、身を起こした所で鼻先に突き出された拳に目を見開き、悔しげに唸り声を上げてから、カエデはようやく降参を示した。

 

 ベート率いる班への配属が決まり、大規模遠征まで後5日と迫っている【ロキ・ファミリア】の鍛錬場ではこれまで通り、朝早くから繰り返されているカエデとベートの鍛錬の様子があった。

 横から眺めていたアイズが自らの鍛錬の手を止め、ベートとカエデを見つめる。

 

 肩で息をして額の汗をぬぐうカエデと、軽く息を切らしながら余裕そうに振る舞うベート。常々、カエデの動きに冷や汗を流しては余裕そうに振る舞うベート。横合いから眺めていたアイズですらカエデの一撃が当たったかもしれないと何度も思ってはギリギリでベートが回避していく。

 カエデの動きも日に日にベートの動きに合せた動きになってきており、一ヶ月もすればベートに一撃を加えるのも夢ではないのかもしれない。ベートはそんな事は絶対にさせないだろうが。

 

「はぁ……ありがとうございました」

「終わりか?」

「はい」

 

 そうかとだけ呟いたベートが肩を回しつつ鍛錬場を後にしたのを見送り、カエデが深々と溜息を零した。

 

 何度惜しい所まで詰め寄ろうと、その度に想定の上をいかれ手も足も出なくなる状態に陥る。まるでヒヅチとの鍛錬を思い起こさせる様な有様に、懐かしさと悔しさを混ぜた様な複雑な感情を抱いたカエデはふと顔を上げて首を傾げた。

 

「……甘い匂い?」

「どうしたの?」

 

 カエデの呟きにアイズが反応して首を傾げれば、カエデは鼻を鳴らして匂いを嗅いだ。

 

「なんか甘い匂いがします」

「ジョゼットが今日厨房を使うって言ってたからそれだと思う」

「ジョゼットさん?」

 

 【ロキ・ファミリア】に所属する第二級(レベル3)団員のジョゼット・ミザンナ。彼女は普段はリヴェリアの傍に控えて書類の持ち運びやお茶汲み等を行っている。だが、時折厨房を貸切にして菓子類を作る等と言った事もしており、ジョゼットと同じく女性団員がお菓子作りを行う事がある。その為、時折ファミリアの本拠(ホーム)全体が甘い匂いに包まれる事があるのだ。

 そう言う場合、甘い物を好まない団員等は外に避難したりしている。

 

 アイズの説明を聞いて理解が及んだのか成程とカエデが呟き、厨房のある方向に視線を向けてから一人で剣を素振りし始めた。

 

「……カエデ?」

「なんでしょうか?」

 

 素振りをし始めたカエデにアイズが声をかければ素直に反応して素振りの手を止める。アイズは首を傾げて口を開いた。

 

「厨房、行かないの?」

 

 女性団員の殆どがジョゼットがお菓子作りをしている時には厨房に顔を出す。強制ではないが、ジョゼットが味見として作った物を提供してくれることもあるので、そう言ったものを目的に厨房に行く団員は多い。

 アイズもティオナ辺りが誘いに来るだろうからと厨房に行くつもりであったが、カエデの方は特に興味を示す訳でも無く鍛錬を続けようとしたのを見て不思議そうに首を傾げた。

 

「……? 行かなきゃダメですか?」

「……お菓子とか貰えるけど」

「…………」

 

 アイズの言葉に少し揺らぎ、カエデが剣をちらりと見てから口を開いた。

 

「後で行きます、今はベートさんの連撃の感覚が消えない内にやりたい事があるので」

「そっか、じゃあ私は行くね」

「はい、お疲れ様でした」

 

 自身の中にイメージしたベートの連撃に対し、自分なりの対処法を編み出そうとしているのだろう。既にベートとの鍛錬を始めて一ヶ月は経つが、同じ状況に陥る事が多い事を自覚しているが故に、まずそちらをどうにかしたいカエデは一人、鍛錬場に残る。

 

 アイズが入口から鍛錬場を振り返り、吐息を零した。

 

 自身と似てる気がしてたけど、カエデと自分は何処か違う。そんな想いを抱いたアイズはそっと音を立てない様に鍛錬場の扉を閉じた。

 

 

 

 

 

 幾度繰り返しただろう。一度目は紙一重で回避。二度目は受け流し、三度目は防御。四度目がどうしても防ぎきれず態勢を崩され、五撃目を緊急回避。六度目の攻撃は即座に起き上がっても目の前にある。

 一撃目を防御すれば、二撃目が受け切れない。であるのなら全てにおいて回避を、とできれば苦労はしない。一度目を回避すると二度目の攻撃は防御せざるをえない。

 ステイタスの差によって齎される抗う事も出来ない連撃。もしベート・ローガが殺す気で此方に攻撃してきていたのであれば、既に両手の指では数えきれないほどに自分は死んでいる事だろう。

 

 悔しい。口惜しい、どう足掻いても一歩届かないその距離が惨めで悔しい。もしこれが命を賭けた戦いの場であったのならどうだろう。

 無論、ただの鍛錬である。だが、鍛錬で出来ない事をどうして実戦で出来ようか。鍛錬で百回行って百回成功させる様な簡単な行動であったとしても、実戦では使えない場合だってある。たかが鍛錬等と笑う事は出来ない。

 

 悔しさから剣の素振りに乱れが生れた事に気付き、剣を止め粗い息を吐いて目を瞑る。

 

 どうすれば勝てるだろう。ソレ以前に、どうすれば生き残れるだろう? もしベートの様な強大な敵が現れた時、自分はどうすれば生き残れるだろうか? 逃亡? 撃破? そのどちらも出来ない場合に陥ったら? 時間稼ぎ? 助けが来るのを祈る? どちらにせよ今の自分では碌な時間稼ぎは出来まい。

 【ハデス・ファミリア】によって狙われている。そして【ハデス・ファミリア】の団長は第一級(レベル6)冒険者である。老衰によって準一級(レベル4)程度の強さだと巷では噂になっているが、たとえそれが事実であったとしても、準一級(レベル4)のベート・ローガ相手に手も足も出ない今の自分では赤子の手を捻る様に殺される。

 

 狙われる焦りはある。一度落ち着いて息抜きでもした方が良い。

 

 自分に言い聞かせつつ目を開けて剣を鞘に納めて、シャワーを浴びる為に鍛錬場を後にする。

 

 

 

 

 

「ぐふぅっ……」

「……ペコラさん?」

 

 シャワーを浴びる為に大浴場へ向かう途中。頭や背中、お尻に至るまでびっしりと矢が突き立ったペコラ・カルネイロが廊下に倒れているのを見つけたカエデは、静かにペコラに近づいて容態を確認する。

 ペコラの体に突き立つ矢はどれも吸盤矢であり、ジョゼットによって放たれた物なのは間違いない。

 

 倒れ伏したペコラは床に赤い血の様な塗料で文字を書いており、其処には『ジョゼットちゃんの鬼、悪魔、ロキ』とだけ書かれている。

 

 赤い色に最初は血を連想して焦ったカエデだったが、匂いからしてただのインクである事に気付いて吐息を零してから、ペコラの肩をゆする。

 

「ペコラさん、起きてください。廊下汚しちゃダメですよ」

「うぅ……うぅ? カエデちゃんですか……? 見てわからないですか。凄惨な現場を……これは全てジョゼットちゃんの仕業なんですよ」

 

 揺り動かされたペコラが徐に起き上がって自身に突き立つ矢を示してドヤ顔を披露する。その様子を見てカエデは眉を顰め、ぽつりと呟いた。

 

「ペコラさんが悪い事したんですよね?」

 

 過去ペコラが吸盤矢で打ち抜かれていた時、ほぼ九割九分の確率でペコラに非があった。その為、今回もペコラが何か仕出かしたのだろうと当たりをつけたカエデ。其れに対しペコラは憤慨した様に角に張り付いた吸盤矢を引っぺがして床に投げ捨てて口を開いた。

 

「何を言ってるですかっ! ペコラさんはちょっとおいしそうなお菓子があったので食べちゃっただけで、ペコラさんは何処も悪くないですよっ! あんな所においしそうなお菓子が置いてあるのが悪いですし」

「……摘み食いですか?」

 

 厨房でお菓子作りをしていると言うジョゼット、そして廊下に倒れた矢で針鼠の様になっているペコラ。推測できた答えに呆れ顔を浮かべたカエデは溜息と共にシャワーを浴びる為にペコラの横を通り過ぎようとした。

 

 構っていても特に何がある訳でも無い。時間の無駄だったと通り過ぎようとしたカエデの肩をペコラががしりと掴み、引き留める。

 

「待つですよ」

「……何ですか」

「ふっふっふ、カエデちゃん。お菓子、食べたくないで……カエデちゃん汗臭いですよ」

「今からシャワー行くんで放してください」

 

 ふとカエデの汗臭さに気付いたペコラが手を放したのでカエデはそのままペコラに背を向けて歩き出す。

 

「ちょっ! 待つですっ! いいですか、これから話す作戦をですね──ちょっと、聞いてますか?」

 

 カエデの横を並走しながらペコラが『ジョゼットちゃんからお菓子強奪作戦』なる作戦の概要を説明しているのを聞きながら、カエデはペコラの方をちらりと見ながら歩いていると、後ろに気配を感じ、後ろを振り返った。

 

「……? カエデちゃんどうし──ふぎゃっ!?」

 

 飛来した吸盤矢がペコラの後頭部に当たりペコラがこれ見よがしによろめいて振り返った。

 

「げぇっ、ジョゼットちゃんっ」

「カエデさんを巻き込まないでください。とりあえずもう一度厨房に近づこうものなら……その時は覚悟してください」

「覚悟? ペコラさんはとっくの昔に覚悟なんてぇっ!? ちょっとっ! 人が喋ってる時に射ってくるなんて卑怯ですよっ!」

 

 ドヤ顔を浮かべ、ジョゼットに反論しようとしたペコラの顔面のど真ん中に向かって放たれる矢。ペコラが危うく掴みとって文句を言えば、ジョゼットは冷酷な瞳でペコラを見下して口を開いた。

 

「厨房に近づかないでください」

「……はぁい」

 

 明らかに噓くさい返答を聞き、ジョゼットは眉を顰めるもこれ以上時間をかけると焼き加減に障ると、折り畳み式の弓を畳んで背負い、ペコラを睨んでからカエデの方に視線を向けた。

 

「カエデさん、お菓子の方作ってますのでよければ厨房へどうぞ。後でお茶会も開きますので」

「わかりました。シャワー浴びたら行きますね」

「ちょっ、カエデちゃんとペコラさんで反応違い過ぎませんっ!?」

「普段の行いを鑑みれば当然の反応でしょう?」

 

 それでは、と優雅に一礼して去って行くジョゼット。その背中を見ながらペコラは闘志を燃やした。これは戦争であると、お菓子をいかに多く摘み食いするか。それに全てを賭けるべくペコラは振り返ってカエデに向かって言い放った。

 

「と言う訳でペコラさんの摘み食いの手伝いを──あれ?」

 

 振り返った先、大浴場の入口の暖簾がゆらゆらと揺れる光景が目に飛び込んできたペコラはゆっくりと厨房の方に向き直った。

 

「良いですし。ペコラさん一人でもできますから」

 

 

 

 

 

 シャワーを浴び終え、廊下に出た頃にはペコラの姿が消えていたが、特に気にする事は無いだろうとカエデは自室に剣等を置いてきてから厨房の入口に立っていた。

 中から聞こえる女性団員達の和気藹々としたやり取りと、香ばしく甘い匂いに満ちた厨房へと顔を出せば、厨房の中央にてジョゼットがせわしなく動き回り、粉を混ぜたり、型を抜いたり、オーブンの調整をしたり等と八面六臂の活躍をしている。

 

 厨房の隅に用意された台の上にはお菓子が小皿に載せられているのが見え、其処にはティオナが仁王立ちしている様子が見えて首を傾げた。

 

「あ、カエデじゃん。どしたの? 食べにきたの?」

「えぇと、ジョゼットさんが来ても良いと言っていたので……」

「ふぅん。ここの小皿の奴は味見用で一人一つまで持っていって良い奴だから好きなの持っていくと良いよー」

 

 カエデに気付いて笑顔を向けて来たティオナの言葉に従い、多数の種類のある小皿の内の一つ。シンプルなバタークッキーの様な物をとってから、カエデが首を傾げた。

 

「ペコラさんは何であんなことになってたんですか?」

 

 普通にお菓子を受け取るだけなら問題ない様に思ったカエデの質問に対し、ティオナは肩を竦めた。

 

「だってペコラはあっちの摘み食い厳禁の所から持っていこうとするからね」

 

 ティオナの指し示した先。四人の団員がそれぞれ武器を構えて厳重に守っている台。上に載るのはこの後の茶会にて出す予定の菓子類だ。

 カエデが物々しい雰囲気に一瞬驚いていると、ティオネの焦った声が響きわたった。

 

「待ってジョゼット、お願い。これは団長に特別に──」

「ティオネさん。余計な物は入れないと言う約束でしたよね?」

「ぐっ……これは……元気の出る薬! そう、元気が出る薬なのよっ! これ一滴であら不思議、とっても元気になる薬で」

「ダメです。どうせ惚れ薬か何かでしょう。茶会にも出すお菓子なのですからそんなの入れる許可は出せません」

「団長にだけ渡すから、ね?」

「ね、ではありません。前にも団長から注意されましたよね? 余計な物を入れた食べ物は受け取らないって」

 

 ティオネとジョゼットの言い争い。と言うより一方的にジョゼットがティオネを追い詰めている。弓を片手に、矢を弄びながらにじり寄るジョゼットに対し、小瓶を片手に後ずさるティオネ。一体何をしているのかとカエデが首を傾げれば、ティオナが呆れ顔で溜息を零した。

 

「あぁ、またやってるよ。前に団長からすっごく怒られたのに懲りないのかなぁ」

「あの小瓶、なんですか? なんか……嫌な感じのする小瓶ですけど」

 

 尻尾の先がチリチリするような雰囲気の小瓶を見てカエデが警戒心を浮かべれば、ティオナが肩を竦めた。

 

「ただの精力剤だよ。アマゾネス印だから効果は抜群だけどね」

「……? せいりょくざい?」

「カエデにはまだ早いかな。まぁ飲むと元気になる薬ってのは間違いじゃないんだけどね」

 

 それはもう一晩中元気いっぱいになれるアマゾネス印のお薬である。当然、そんな物をお菓子に混入しようとすればジョゼットが黙っている訳無い。

 今此処で作っているお菓子はこの後の茶会でリヴェリア様に振る舞われるものであるし、団長やロキにもついでに振る舞われる物だ。怪しい薬が混入されている等あってはならないのだ。

 故にピリピリした雰囲気のジョゼットがティオネににじり寄り、なんとか団長のハートを掴むまたは既成事実を作る事を目標にしているティオネの壮絶な小競り合いが勃発しているのだ。

 ティオネ一人ではお菓子等と言う可愛げのある物を作るのは難しい。普通に料理を作る事すら出来ないティオネはこういったお菓子作りの機会にこっそり薬を混ぜ込んだお菓子を作ってはフィンに渡そうとするのだ。

 

 ティオネ以外にも多数の団員のお菓子作りの面倒を見ながら作業をしているジョゼットの目をかいくぐり、見事薬入りのクッキーを作った事も過去数度ある。当然、団長のフィン・ディムナは怪しい気配がすると言ってそのままゴミ箱送りにしてしまうので何かが起きた事は無い。

 

「へぇ……元気にですか」

「カエデの想像してる元気とは意味が違うけどね」

「……?」

 

 カエデとティオナがやり取りしてる間にも、ティオネは懇願するのをやめ、力づくで薬入りクッキーの作成へと切り替えようとした瞬間に背後に回り込んだアイズがティオネを羽交い絞めにして薬を取り上げた。

 

「ちょっと! アイズ放してっ!」

「アイズさん、ありがとうございます。ティオネさん……この薬は破棄処分しておきますので」

「本当に待ってっ! 作るのに結構ヴァリスがかかったのよっ!」

 

 料理やお菓子作りはてんでダメなのに、アマゾネスが好んで使う薬類の調合は普通に上手いティオネ。その薬にはどれほどのヴァリスがかけられているのかは不明だが、稼ぎの多い準一級(レベル4)のティオネですら()()()()と言う時点で相当にヴァリスがかけられた代物なのは間違いない。

 それを知りつつもジョゼットはその小瓶の蓋を開け、目隠しをされたペコラに近づいていく。

 

「あれ、ペコラさん何であんな事に」

「あー、さっき捕まえたんだよね。こっそり侵入してきてたから後ろからドーンって」

 

 厨房にこっそり侵入しようとしていた所をティオナに発見され、問答無用で後ろから抑え込んで椅子に縛りつけた。その後、幾度かのやり取りの後、反省の色が見えないと言う事で、ペコラはしばりつけられたまま目隠しされて放置される事になったのだ。

 

 椅子にしばりつけられ、身動きがとれなくなったペコラの口元に小瓶を押し当て、一気に中身を流し込むジョゼット。ティオネが悲痛な声を上げ、咽ながらも小瓶の中身を飲み干したペコラが騒ぎ出す。

 

「ちょっとっ! それ原液っ! 数滴で十分な奴っ!」

「うげぇ、なんですかこれ粘ついて喉に張り付くんですけど……不味い……って、ちょっとっ!? ペコラさんは何飲まされたですっ!?」

 

 アマゾネス印の薬を丸々一本飲まされたペコラであるが、ペコラの持つ耐異常の発展アビリティとスキルによって効果は完全に無効化されてしまい、ペコラに変化は見られない。しいて言うなれば不味い液体を飲まされてより大声で騒ぎ始めたぐらいの変化である。

 それを見届けたジョゼットは一つ頷いてから指示を出す。

 

「さてと……では、お菓子作りを再開しましょうか。ティオネさんは放り出しといてください」

「わかった」

「アイズっ!?」

 

 ジョゼットの言葉に従い、アイズがティオネを廊下へと引き摺り出して行ったのを見送ったカエデは、手元のクッキーを齧り呟いた。

 

「あ、美味しい」

「でしょ。こっちのシナモンパイも美味しいよ」

「一皿までですよね?」

「あたしの分分けてあげようか? かわりにクッキー一枚ちょうだい」

「どうぞ」

 

 

 

 

 お菓子作りを邪魔する要因は第一にペコラ・カルネイロの摘み食い。第二にティオネ・ヒリュテによるアマゾネス印の薬の混入の二つである。

 その二つが解決してしまえば後はお菓子作りに専念できる場がうまれる。

 

 試食用の小皿のクッキーを食べ終え、お菓子作りの様子を眺めるカエデとティオナ。ジョゼットがオーブンにパイを入れているのを見ていたカエデが、口を開いた。

 

「ティオナさんは作らないんですか?」

「え? 私は食べる方が基本だから作るのはないかな」

「そうですか」

「カエデは? 作ってみたりしない? ほら、今ならジョゼットが教えてくれるよ」

 

 今ならジョゼットが懇切丁寧に作り方を説明してくれるだろう。

 ティオナは男勝りで豪快な料理を作る事は出来るが、お菓子の様に繊細な物を作るのは難しくて出来ない。しかしカエデならば普通に出来るはずである。少なくとも性格からしてお菓子作りに向かないティオナよりはカエデの方がマシな結果にはなるだろう。

 

「でも、忙しそうですよ?」

 

 先程からしきりにオーブンと台を行ったり来たりしつつも、他の団員の質問に答えるジョゼット。お菓子作り初心者の団員達にきっちりと指導しつつも同時進行で自分のお菓子作りを進めているジョゼットの様子に気後れしたカエデの言葉に、椅子に縛られたままのペコラが口を開いた。

 

「遠慮とかしなくても良いですよ。ジョゼットちゃんはそんな事で怒る人じゃないですし」

「……ペコラが言うと説得力無いなぁ」

「ペコラさんはアレですよ。ほら、信頼の証と言いますか」

 

 椅子に縛られ、目隠しされたままのペコラをちらりと見てからカエデがふとジョゼットの方に視線を向けるとジョゼットと目があった。

 ジョゼットはお菓子作りの手を止め、近くのエルフに声をかけてからカエデ達の方へ近づいてきた。

 

「どうでした。お菓子の方は」

「えっと、美味しかったです」

「うんうん、こっちのパイとか美味しかったよ」

「ペコラさんは一つも食べれてないですが」

「ペコラには聞いていません。美味しいと言って頂けたのなら幸いです」

 

 ペコラを睨んでにべもなく切り捨て、ペコラが不満そうに縄を軋ませる。

 

「では、作業に戻りますね……この後茶会もよければ参加してくださね。ペコラ、貴女は反省してください」

「ペコラさんは何も悪い事してないですし。美味しいお菓子が悪いですし。つまりおいしそうなお菓子を作るジョゼットちゃんが悪いですよ」

「うわぁ、全っ然反省してないよペコラ。まぁおいしそうなのは認めるけど」

 

 ペコラの発言に引きつつも、おいしそうと言う部分に同感のティオナ。その言葉を聞いたペコラが増長して騒ごうとして脳天にジョゼットのかかと落としが落とされた。

 

「ぐっ……相変わらず固い頭です……」

「ふっ……ペコラさんにジョゼットちゃんのへなちょこキックが効く訳ないじゃないですか」

 

 攻撃を繰り出したジョゼットの方が歯噛みし、ペコラがドヤ顔を浮かべる。縛られて身動きがとれなくなっていようがペコラは耐久お化け等と称される準一級(レベル4)なだけはある。

 

「まぁいいです。ではお菓子作りに戻りますね」

「はい」

「ペコラが逃げたら容赦なく斬って構いませんので」

 

 斬って良い、その言葉にカエデが少し困った様な表情を浮かべてから首を横に振る。

 

「斬るのはちょっと……」

「……すいません、失言でした。本当に斬る必要はありませんのでご安心を」

 

 ペコラの耐久力を目の前で見せつけられて尚、ベートの様にしっかりと受け止めてくれる保証がない以上、真剣で斬りかかる真似はできない。

 人を斬ると言う最後の一線とも言うべきそれを踏み越えているが故に、もう一度同じ過ちを繰り返せば本当に戻れなくなるかもしれないと言う恐怖を抱くカエデ。

 ティオナが複雑そうな表情を浮かべてから、テーブルからお菓子の載った皿を一つ手に取ってカエデに渡した。

 

「これ食べると良いよ」

「……一人、一つまでですよね」

「多目に作ってあるので別に構いませんよ」

 

 ジョゼットの許可を得て、皿を受け取ったカエデがペコラの方を向くと、ふくれっ面をしたペコラがジョゼットに向かって喚いていた。

 

「ペコラさんには厳しい癖にカエデちゃんには甘いとかズルいですよ」

「普段の行いです」

「ペコラはやり過ぎなんだよ」

 

 縄を軋ませてペコラが喚くのを横目に、カエデは焼き菓子を頬張った。

 

「……美味しい」




 ペコラさんが良いキャラしてて動かしやすい。後、アルスフェアも動かしやすくて好き。好き勝手するにしてもある程度主軸の決まったアレックスやらナイアルやらは動かし辛くて好きじゃない。

 ヒヅチもぶっちゃけ動かすとしたら相当極まった感じだから動かし辛いし、カエデも行動が割と決められてて女の子っぽい行動とかとらない感じだしなぁ。

 お茶会(女子会)でのカエデの話題って何があるって話ですし?

 剣の良し悪し? 迷宮の悪意(ダンジョントラップ)について? モンスターの対処法? 呼氣法について? 森で採れる野草について? 狩りの仕方?

 もっと、こうさぁ……女の子らしく可愛い小物の話とか、お菓子の話とか……無理だな。


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『お茶会』

『さて、話はこれぐらいにして……私は失礼させてもらうよ』

『……捕まえないのか?』

『情報を求めていただけだからな』

『……なあ、アタシを──

『お断りだ』

『まだ何も言ってないだろっ!』

『オラリオに連れて行けとでも言う積りなのだろう。君が情報を知っていて、提供してくれたのならまだしも、何もしてくれていない君に手をかけるなんてしないさ』

『こいつ……。じゃあ、せめて姉ちゃんに言伝を頼みたい、ダメか?』

『……まあ、それぐらいなら良いだろう』

『誰からかは言わなくて良い。必ず会いに行く、それだけ伝えてくれ』

『君が言った事は伝えなくて良いのか?』

『あぁ、アタシの事情はアタシの口から話す。アンタは余計な事言わないでくれ』

『……わかったよ、では、気を付けてな』


 時刻は昼を過ぎ、【ロキ・ファミリア】本拠、黄昏の館を出て直ぐに存在する庭園の一角に並べられたテーブル。集まった女性団員達がそれぞれ思い思いの席に腰かけて会話に花を咲かせている中に、お菓子を無心で頬張るカエデの姿があった。

 周囲の団員達は可愛い小物の話や、新しく出来た喫茶店の様子等で盛り上がっている中、話を振られても返答が出来ないカエデは若干の居心地の悪さを感じながら、お菓子を食べる事でそれを誤魔化す。

 カエデにわかるのは武具の良し悪し、武技について、ダンジョンのあれこれぐらいであり。可愛い小物と言われても何かわからないし、何処の店のクレープが美味しいか等は余り足を運ばないカエデにはさっぱりである。

 

 周囲の者達もカエデの話題の乏しさに気付いて気を利かせて何かカエデにもわかる話題をと考えるも、結局は田舎から出て来たばかりでなおかつ娯楽に現を抜かす様な事をせずに鍛錬や勉学に打ち込むカエデに合せた話題は出てこなかった。

 今回の茶会は長期的なダンジョン探索の前に行われる団員のストレス解消の様な物である。基本的にダンジョン内では気を張り詰める事に成る為、茶会にて日常を思う存分楽しんで長期探索に向けて英気を養う。

 故に、遠征前の茶会等では基本的に戦闘やダンジョンについての話題は好まれない。一時とはいえ迷宮の事を忘れて過ごすのが目的であるからだ。

 

 そうなるとカエデのもつ話題は何一つ存在しない。その為、聞きに徹するもやはりと言うべきかカエデの好む話題は無く。お菓子を食べる以外にする事が無くなる。

 無論、ただお菓子を食べるだけでも十分に楽しめてはいるが、場違い感を感じるのは否めない。

 

「カエデちゃん、楽しめてますか?」

 

 そんな風にカップケーキを食べているカエデの後ろからにこやかな笑みを浮かべたアリソンがグレースの腕を掴んで引っ張りながら現れた。

 

「アリソンさんと……グレースさん」

 

 しばらくの間距離をとると宣言していたグレースの登場に一瞬戸惑ったカエデ。対するグレースは呆れ顔を浮かべてカエデの横の席に腰かけてマフィンを手に取って頬張った。

 

「んぐ……相変わらず美味しいわね」

「グレースちゃん、挨拶しないとだめですよ」

「あぁはいはい、久しぶりね……って言ってもまだ3日かそこらしか経ってないけど」

「お久しぶりです」

 

 気負う事無く普段通りのグレースの様子に首を傾げて挨拶を返すカエデ。グレースは片目を閉じて残りのマフィンを口に放り込んで咀嚼しながらティーポットから紅茶を注いだ。

 

「それで、アンタ一人でお菓子食べてるだけみたいだけど、楽しめてんの?」

「あ、はい。お菓子美味しいです」

「ふぅん……」

「グレースちゃん私にもお茶ください」

「自分でやればいいじゃない」

 

 文句を言いつつもグレースは手慣れた様子で紅茶を注いでアリソンに手渡す。

 カエデの座るテーブルにはカエデ以外に人がいなかった為に気になって遠くから眺めていたら、アリソンに見つかって連れてこられる羽目になったグレースは軽く溜息を吐いてから周囲を見回す。

 

「参加組も非参加組も今は関係無いしね」

「……そうなんですか?」

「そうよ」

 

 グレースが自己弁解をしてからカエデの方を見て口を開いた。

 

「んで、調子はどうよ。昨日は書庫に一日籠ってた所為でリヴェリアに摘まみ出されたって聞いたけど」

「あぁ、はい。ダンジョン下層の迷宮の悪意(ダンジョントラップ)について調べていたんですけど、数が多くて気が付いたら日が暮れてました……」

 

 カエデの言葉を聞いてグレースは呆れ顔を浮かべてから、苦虫を噛み潰した様な表情を浮かべて呟く。

 

「真面目よね。アタシとは大違い」

「グレースさん?」

「別に、それよりアリソンはどうなのよ」

 

 話題を飛ばされたアリソンは、目の前の多種多様なお菓子から欲しい物を選んで笑みを浮かべながら口を開いた。

 

「そうですねぇ、遠征に選ばれたんで武器を新調したんですよ。ほら、前のグレイブってそこそこ使い込んで刃が傷んでましたし」

「へぇ、何処の作品?」

「確か、【ヘファイストス・ファミリア】の新米鍛冶師のゴディアさんの作品ですね」

「聞いた事ない鍛冶師ね、どうなの?」

「耐久を重視してるらしいんですけど、鋼鉄じゃなくて重金属を好むみたいなんですよね。アダマンタイト程ではないですけど下級素材では珍しい種類の金属を混ぜ込んでるみたいで作成武器が全体的に重たいんですよねぇ」

「重いんですか?」

「別に重いって言っても前のに比べたらですけどね」

 

 他の者達が無意識に避けている冒険者の話題を出すアリソンとグレース。周りもそれぞれ話に花を咲かせている為特に何かを言われるでもなく話し始め、カエデも少しながら口を開いていく。

 

「長柄武器って重いと使い辛い様な気がしますけど」

「重心が傾き過ぎると戻しにくいですけど、柄もちゃんとしてればそうそう持っていかれませんよ」

「力任せに振り回すんじゃダメなの?」

「グレースちゃんみたいに力任せに振るえるなら苦労はないですって。私、実はあんまり力が伸びてないんですよ。耐久もですけど」

「そうなんですか?」

「アタシは敏捷と器用が低いわね。魔力は0だし」

「私も魔力0ですよ。敏捷はそこそこです」

「ワタシは……敏捷はもうすぐBです。耐久はまだEですけど」

「うわ、極端ねアンタ」

 

 カエデのステイタスに驚きつつもグレースは紅茶を飲みきって追加を注ごうとティーポットに手を伸ばした所で、後ろから手が伸びてティーポットをとり、グレースの茶器に紅茶が注がれる。

 グレースが少し驚きつつも振り向けばジョゼットが笑みを浮かべて立っていた。

 

「楽しめていますか?」

「げっ……ジョゼット……さん」

「ジョゼットさん、こんにちは」

「こんにちはー。今日も美味しいお菓子ありがとうございます」

 

 真面目過ぎる部分等が反りが合わない為に苦手意識を抱いているグレースがジョゼットの顔を見て少し引き、カエデとアリソンが普通に挨拶を返す。その様子にジョゼットが苦笑を浮かべてから周囲を見回して吐息を零した。

 

「此方の席に同伴させて頂いてもよろしいですか?」

「え……良いんじゃない? アンタが開いたお茶会でしょ。好きなとこ座れば良いじゃん」

「ありがとうございます」

 

 グレースとの間にカエデを挟んだ席に腰かけたジョゼットは自身の分の紅茶を注いで口をつけて眉を顰めた。

 

「蒸らし過ぎましたか」

「……? 美味しいですよ?」

「口に合ったのであれば良いのですが。後で淹れなおしますね」

 

 紅茶の出来に気になる点でもあったのかジョゼットが眉を顰めるなか、苦手意識を持つグレースが口を閉ざし、アリソンが代わりに口を開いた。

 

「どうかしたんですか? 普段ならリヴェリア様と一緒にいますよね?」

「……先程、リヴェリア様を訪ねたのですが、お忙しい様でしたので後から来るとの事でした」

「はぇー。団長も忙しそうですしねぇ」

 

 自身の作ったクッキーを頬張り、飲み込んでからジョゼットが口を開いた。

 

「それで、何のお話をされていたのでしょうか」

「えぇっと、アリソンさんが新しい武器を買ったのでその話を」

「今は遠征前の時期で冒険者らしい話題を避けるのが良いのですが……」

 

 眉を顰めて苦言を呈すジョゼットに対し、グレースがカエデの耳を摘まんで口を開く。

 

「じゃあなんか話題提供してよ。コイツが興味持って楽しめそうな奴」

「耳を摘ままないでください」

 

 慣れた手つきでグレースの手を払い退けたカエデを見て、ジョゼットが顎に手を当てて考え込み始める。

 

 冒険者らしい話題を避けつつ、カエデが興味を持って楽しめそうな話題。特に思い浮かぶものも無く、カエデが興味を示す話題の殆どが戦闘や探索等の冒険者らしい話題しかない事に気付いてジョゼットは困った様に肩を落とした。

 

「すいません、そう言った話題を思いつきませんね」

「そうですか……」

 

 気落ちした様子のジョゼットにカエデが困惑した様にグレースとジョゼットを交互に見つめ、グレースは面倒臭そうに眉を顰める。その様子に見兼ねたアリソンが口を開いた。

 

「んー……じゃあ、私聞きたい事があるんですけど」

「はい、どうぞ」

「カエデちゃんはお師匠様が居て鍛えられてたから凄く強いですけど。ジョゼットさんもお師匠みたいな人は居たんですか?」

 

 アリソンはオラリオ出身であり、【ロキ・ファミリア】入団以前に特別な何かをしてきた訳でも無いただの冒険者に憧れた少女である。それはグレースもほぼ同様で過程の違いはあれど師と呼べる人物に何かを学んできた事は無い。対してカエデは師と呼べる人物に剣技を学び、十二分な戦闘能力を持って入団してきた。

 それはジョゼットにも当てはまるのではないかと言うアリソンの言葉に対し、横から間延びした様なペコラの声が言葉を紡いだ。

 

「ジョゼットちゃんは元々エルフの国の親衛隊の人ですから強くて当然ですよ」

「ペコラですか」

「いやぁ、椅子に縛りつけたまま放置していくなんて本当に酷いじゃないですか。あぁジョゼットちゃん隣失礼しますね」

 

 笑みを浮かべつつジョゼットの隣に腰かけてペコラはお菓子に手を伸ばして食べ始める。その様子にジョゼットが呆れ顔を浮かべてからペコラにお茶を入れながら口を開いた。

 

「居ましたよ。カエデさんと同じく師と呼べるだけの人は」

「居たんですか?」

 

 ジョゼット・ミザンナと言えば一時期オラリオで話題になった人物である。駆け出し(レベル1)の初期更新を行ったのみの状態で中層の強敵であるミノタウロスを討伐せしめたと言う事で一時期話題になっていた。

 其の為、ある意味では有名人であったジョゼットではあるが、かといってそれを誇る訳でも無く過ごしている。

 そのジョゼットの最初期の強さ故に誰かしらに学んだのではないかと言うアリソンの予測は正しい。

 

「どんな人なんですか?」

 

 カエデもヒヅチに師事を仰いでいた事から、ジョゼットの師と言う人物に少し興味を持ち尋ねる。

 対するジョゼットは眉を顰めて「誇れる人物かと言えば疑問が浮かびますが」と呟く。

 

「そうですね、()()()()()()()()()()()ではありましたね」

「ジョゼットさん以上なんですか?」

「私なんかでは足元にも及びませんよ。師なら小細工無しでミノタウロスぐらいは倒せますし」

「小細工? 駆け出し(レベル1)でミノタウロスを倒したとは聞きましたけど、小細工で倒したんですか?」

 

 アリソンの質問に対し、ジョゼットは肩を竦めてから頷いた。

 

「そうです。と言ってもミノタウロス自体は私が自力で仕留めましたが……十七階層まで下りるのに小細工を使用しました」

 

 本来、駆け出し(レベル1)の初期ステイタス程度では四階層以下の階層に出現するモンスターに対応できない。だと言うのにジョゼットは十七階層に出現するミノタウロスを仕留めると言う偉業を成し遂げた。

 それはジョゼットが十七階層にまで足を運べる小細工があってこその話である。そうでなくてはいくらミノタウロスと一騎打ちで倒せるとは言え行き帰りで命を落としてしまう。

 

「どうやったんですか?」

「……ホオヅキ、と言う方をご存じでしょうか」

 

 一瞬だけペコラの方を向いてから呟くジョゼットに対し、ペコラは身を強張らせてからカップケーキを掴んで頬張って紅茶を飲み干す。

 

「知ってますよ。えぇ、とっても強い狼人です」

「……ペコラ、無理ならあちらの席に移動しても」

「別に、あの人は悪い人では無いのは知っていますから」

「……? 何かあったんですか?」

 

 苦虫を噛み潰した様な表情のペコラが少し迷ってから、立ち上がる。

 

「ちょっと花摘みに行ってきますね」

 

 捲し立てる様に言い切ってからペコラが席を外したのを見てグレースとアリソンが首を傾げた。

 

「何? アレ、なんかあったの?」

「どうしたんでしょうか」

「……まぁ、今から十年以上前の事ですから知らずとも仕方が無いですか。ホオヅキと言う方は【ソーマ・ファミリア】に所属していた元団長の冒険者ですよ。今は違いますが」

 

 かのホオヅキが行った複数の行動はオラリオ内部に於いてそれなりに有名な出来事ではあったが、その出来事はもはや過去の話なのかと感慨深く呟いたジョゼットに対しグレースが口を開いた。

 

「知らないんだけど、なんかあったの?」

「……他のファミリアの本拠(ホーム)を襲撃して恩恵を受けていた団員を一人残らず殺し尽くしたと言う事件がありましてね。ペコラの両親はその内の一つのファミリアに所属していたのですよ」

「……それって、ペコラの両親はホオヅキに殺されたって訳?」

 

 ファミリア同士の諍いは珍しい事では無い。とは言え団員を皆殺しにする程の激しい抗争は今は非常に珍しい。闇派閥(イヴィルス)が暗躍していた時期には数多くのファミリアが闇派閥(イヴィルス)の策略によっていがみ合い、滅ぼし合う様な状態になっていた事もある。今は闇派閥(イヴィルス)が壊滅した事でそう言った事は起きないが。

 

「アレはある意味では仕方の無い事です。元々は彼らが先に【ソーマ・ファミリア】の本拠襲撃を行って団員に甚大な被害を与えましたから」

「……報復だったんですか?」

「はい。【ソーマ・ファミリア】の本拠にて待機していた団員数名を殺害された事に対する【ソーマ・ファミリア】側からの報復であったと聞いています。その後はホオヅキの行動が行き過ぎていると複数のファミリアが連合を結成して【ソーマ・ファミリア】との戦争遊戯(ウォーゲーム)に挑んだそうですが」

 

 数と質どちらも劣っていた筈の【ソーマ・ファミリア】側の圧勝と言う形で終わった。

 とは言え、複数のファミリアが連合を組んでいた影響で、準一級(レベル4)のホオヅキ一人に対し、第一級(レベル5)冒険者30名と言う絶望的戦力差があったにもかかわらず、互いに連携を一切取らなかった所為で各個撃破と言う形で決着がついた訳だが。

 それ以外にもホオヅキの持つ希少(レア)スキルが勝敗を決したと言っても良い。

 

「あの人のスキルは群れを率いると言うものですからね」

「……? どんなスキルなんですか?」

「なんでも、自身の配下とした同一ファミリアの団員に対する自身のステイタスの複写だそうです」

 

 ホオヅキの持つ【巨狼体躯】は簡単に言えば自身の配下とした同一ファミリアの団員に対し、自身の持つステイタスを複写すると言うスキルである。欠点は、配下となった団員は一切の経験値(エクセリア)を得られない事と、ホオヅキから距離が離れると効果が切れる事。其れを除けば駆け出し(レベル1)の冒険者をいっぱしの戦力を持った者に変化させると言う強大な効果である。

 100人と言う烏合の衆を強大な群れに変化させる事が出来たが故に第一級(レベル5)冒険者30人を一人残らず仕留める事に成功したとも言える。

 他にも酔えば酔う程ステイタスが上がると言うスキルの影響も出ていたのだろう。ホオヅキが酔っぱらって動けなくなったとしても、ステイタスを複写された群れは酔いと言う状態異常(バッドステイタス)を受ける事無く戦えるのも大きい。

 

「……なんでそんなに詳しいんですか?」

 

 普通なら他者に教える事の無い様な情報までジョゼットが知っている事に疑問を覚えたカエデの言葉に、ジョゼットは眉を顰めると溜息を吐いた。

 

「私が彼女と知り合いだからです」

「……?」

 

 ジョゼットがホオヅキと知り合ったのは十年以上前、【ロキ・ファミリア】へ改宗(コンバージョン)する前の荒れていた時期である。

 当時、ファミリアの中では酷い扱いを受けていたジョゼットは、他団員からの蔑む視線を堪えながら本拠(ホーム)では無く、酒場と宿が併設された宿に泊まっていた。そこで酒飲みとして有名だったホオヅキと出会ったのだ。

 

「当時、何とかして主神に認められようと躍起になっていた私は酒場で酒を飲んだくれる彼女を見て……恥ずかしい話ですが、倒せば認められるかもしれないと思いあがって喧嘩を売りました」

 

 結果は散々でしたがね。と苦笑を浮かべるジョゼット。

 彼女が殺されなかったのは一重にホオヅキ自身がファミリア内部で起きた事件によって『殺す』事に戸惑いを覚えていたからであり、そうでなければその場で適当に喧嘩を売ったジョゼットは殺されていた事だろう。

 とは言え、第一級(レベル5)になって酔いの影響で雑な手加減を行ったホオヅキの手で半殺しにされたジョゼットは、そのホオヅキの手で治療されて一命を取り留める事になった。

 

 と言うよりはその場でホオヅキが【酒乱の盃】の『薬酒』による効果で治療してくれたのだ。

 

 その際にジョゼットは『薬酒』による副作用で泥酔し、ホオヅキに泣き付いた。普段なら決してしない様な行動であったが、其れに対してホオヅキは怒るでもなくジョゼットに『薬酒』と『毒酒』をそれぞれ一瓶ずつ渡してきた。

 凄まじい回復能力を持つが、レベルや耐異常を無視して使用者に『泥酔』と言う状態異常を発生させる『薬酒』と、凄まじい毒性を持ち複数の毒の効果が同時に発生する『毒酒』。

 

 鏃に少し塗り付けて射放てばどんなモンスターもいちころと言う道具。

 

「私は『毒酒』を使って十七階層までの道中のモンスターを退け、ミノタウロスに『薬酒』を使って泥酔させて動きを鈍らせてから倒すと言う方法で倒しましたからね」

 

 とは言え、『薬酒』を使った場合は凄まじい治癒能力も付いてしまうので殺すのには本当に苦労させられたと苦笑するジョゼット。

 対するグレースは呆れ顔を浮かべて呟いた。

 

「何それ、それなら誰でも出来るじゃない」

 

 凄まじい偉業を成し遂げたと思っていたグレースの指摘。ホオヅキから『薬酒』と『毒酒』を受け取ればだれにも出来ると言う言葉にアリソンが不思議そうに首を傾げる。カエデが呟いた。

 

「……無理だと思いますよ」

「はぁ? その『毒酒』ってのがあればいけるんでしょ」

「『毒酒』と『薬酒』はあっても、矢を当てなければ効果が無いですし」

 

 並の冒険者が当てれば必殺とも言える毒矢を得たとして、十七階層まで足を運べるか否かで言えば、否である。

 当然、ジョゼットも数百回を超える試行を積み重ねてようやく十七階層まで足を運び、其処から更に数百を超える試行の末にミノタウロス討伐までこぎつけたのだ。

 

「誇るべきでは無い事なのはお分かりいただけたでしょう。自身の力のみでは難しかったのでホオヅキさんの力をお借りしたんですよ」

 

 あの頃はホオヅキの話題も色濃く残っていたとは言え、ペコラと知り合う前だからこそ遠慮無く彼女と付き合いが出来ていたのだと苦笑を浮かべるジョゼット。【ロキ・ファミリア】へと改宗(コンバージョン)した直後から、ロキが酒好きと聞いて酒で商売を始めたホオヅキを紹介したりしたが、ペコラの両親について知って以降は余り関わり合う機会は無かった。

 

「悪い人では無いんですよ。少なくとも、友好的に接していれば同じように友好的に接してくれます」

「ホオヅキさんって、今【トート・ファミリア】で封印されて大変な事になってるって人ですよね?」

「…………そうですね、何があったんでしょうか」

「知らないんですか?」

 

 カエデの言葉に、ジョゼットは首を横に振って呟く。数年前から交流していないので現状を知らないと。

 

「そうですか……」

「そうだ、師ですよ。ジョゼットさんの師。どんな人なんですか」

 

 アリソンが話題を戻そうと口を開き、ジョゼットが苦笑とともに「そんなに知りたいですか」と呟いてから続きを口にしようとした所でリヴェリアの声が届いた。

 

「ジョゼットの師か。私も興味があるな」

「リヴェリア様っ、すいませんお出迎えも出来ず」

「いや、気にするな。私が遅れたのだからな」

「楽しんどるかー。おぉー美味そうな菓子やな。ウチにも分けてぇな」

「ロキ様」

 

 リヴェリアと共にロキも現れ、空いた席に腰かけたのを見てジョゼットが新しく紅茶を淹れ直し、茶を注いでリヴェリアとロキの前に置く。

 

「んで、ジョゼットの師っちゅーんはどんな奴なん? ウチ気になるなぁ」

「大した人物ではありませんよ。射手としては世界一でしたが、本人は誇れる人物じゃないと言っていましたし」

 

 紅茶の香りを楽しみつつもリヴェリアが口を開いた。

 

「ジョゼットの弓の腕からして、その師も相応の能力があったのだろう。そう言えば長い付き合いだがジョゼットの師については聞いた事が無いな。是非聞かせて欲しいものだ」

「リヴェリア様のお言葉とあらば……とは言え、本当に言える事は少ないのです」

 

 言葉に迷ったジョゼットが紅茶を覗き込んでから呟く。

 

「私の師はエルウィン・メイソン・マグダウェルと名乗っていました」

「……マグダウェルだと?」

「ん? どっかで聞いた名前やな」

 

 ジョゼットの言葉にリヴェリアとロキが反応し、考え込みはじめる。グレースとアリソンは不思議そうに首を傾げている中、カエデが呟いた。

 

「それって、迷宮神聖譚(ダンジョン・オラトリア)のエルフの射手でしたよね?」

「あぁ、そうや。エルフの射手。迷宮神聖譚(ダンジョン・オラトリア)の英雄の一人やん。え? ジョゼットの師ってソイツなんっ!?」

 

 カエデの言葉で思い出したロキが椅子を蹴倒して立ち上がる。周囲の視線がロキに集まるが、ロキは気にせずにジョゼットの方を見つめる。

 

 エルウィン・メイソン・マグダウェル。迷宮神聖譚(ダンジョン・オラトリア)に登場するエルフの射手であり、正確無比な弓の射撃を用いてありとあらゆる障害を穿ち抜いたとされる人物である。

 

 もし本当にその人物がジョゼットの師と言うのなら驚きだが。

 

「……千年以上前の人ですよね。生きてるんですか?」

 

 エルフの寿命は大体五百年から六百年前後であり、千年前の人物が現存しているとは考え辛い。その指摘に対し、ジョゼットは頷いて肯定した。

 

「はい、私達エルフは通常であれば五百年から六百年前後の寿命を持ちます。神の恩恵(ファルナ)を得たのならまだしも、普通なら生きている事はありえないでしょう」

「あー……せやな。興奮して損したわ。もしエルウィンが誰かの眷属になっとったなら神様同士のガチンコ対決で取り合い待ったなしやしな」

 

 神の恩恵(ファルナ)を授かっていたのであれば、何処かの神の眷属となっていたと言う事であり、古代の英雄達は全員が神と袂を分かち、決別を表明している為有り得る事では無い。

 もし密かに神の眷属になっていた場合も、古代の英雄を眷属にした神が自慢せずにいられるはずもない。故にその人物は千年と言う時を超え生きている事はありえない。

 

「……まて、千年を超えて生存できない事も無いぞ」

「なんやてママ」

「誰がママだ。それよりもマグダウェルに聞き覚えがあったが、確か数代前のハイエルフの家系にそう言った名の家系があったはずだ」

「……マジか?」

 

 ハイエルフは通常のエルフの倍の寿命を持つ。千年から千二百年近くの時を生きるのだ。リヴェリアの言う事が正しければジョゼットの師がかの迷宮神聖譚(ダンジョン・オラトリア)に登場した人物と同一である可能性も産まれる。

 

「あぁ、興味本位で王宮の書庫に忍び込んでいた頃に見た記憶がある。どうだジョゼット」

「……わかりません」

「……何?」

「師は過去に王家より追放されたとは言っていましたが、本当にハイエルフなのかわからないのですよ」

 

 リヴェリアの様な気品がある訳でも無く、森の中にある小奇麗な家で射手として森のモンスターを射る事のみをしていたジョゼットの師について、ジョゼット自身が確信を持って言える事は『世界で一番の射手』である事のみ。

 師の言葉は確かに彼の迷宮神聖譚(ダンジョン・オラトリア)に登場する射手である事を肯定する事ばかりであったが、それが嘘か真かをジョゼットは知らない。

 本当であると信じていた頃もあったが、周囲のエルフは法螺吹きとしてジョゼットの師を扱っていた。故にジョゼットもそれが本当の事だったのか懐疑的になってしまったのだ。

 

「それ以外は嘘か本当かわからないのですよ」

「ほう。ならウチが直接会って調べりゃ一発やん。何処に居るん? 只の法螺吹きやったらお仕置きせなかんなぁ」

 

 神の前で地上の人間(子供)の嘘は通用しない。ジョゼットの師を神の前に連れてきて話を聞けば一発で判明するのだ。其れに対するジョゼットの反応は渋いものであった。

 

「いえ、其れは出来ません」

「なんでや?」

「……既に亡くなっていますから」

「…………」

 

 ジョゼットがエルフの国の警邏隊に入り、森の警邏を始めた頃には既に師は死去していたのだ。

 

「師の最後の言葉ではありますが、『誰でも良い。一矢で竜を落とせる方法を見つけてくれ』とは言っていました。私の目的でもあります」

 

 一矢で竜を落とす。ジョゼットの師がずっと追い求めた目標であるそれは、射手として師事していたジョゼットが引き継いだ物である。

 

「そか、本物なら会ってみたかったわ」

「妹がいましたよね? 確か」

 

 エルウィン・メイソン・マグダウェルには妹がいた。エルフの魔道士として同じく迷宮神聖譚(ダンジョン・オラトリア)にて活躍したリーフィア・リリー・マグダウェルと言う人物がいたはずである。

 その指摘に対してジョゼットは吐息を一つ零して呟いた。

 

「直接会った事はありませんが、それらしき人物が師を訪ねてきたのは知っています」

 

 師事を仰ぎ始めて直ぐの頃、矢を作り溜めする様に言われて家の中で矢の作成に当たっていた頃、外から聞こえるほどの怒鳴り声が響いてきたのに気付いて窓から外を見れば、弓を片手に持った師が的に矢を射る横で怒鳴るエルフの老婆が居た。

 

「その日に誰だったのか尋ねたら『口煩い妹だ。お前を拾った事を責めてきた。全く面倒な奴でな。神を皆殺しにしてやるなんて五月蠅い奴だよ。ヒューマンなんかに惚れ込むとあんな風になっちまうのかね』等と言ってましたが」

「神を皆殺しって……」

「その人は今どこに?」

「さぁ、あの日以降、姿は見ていませんから」




『竜射ちの大弓』
 エルウィン・メイソン・マグダウェルの作った大弓。
 エルフが嫌う金属製の部品をふんだんに使った大弓であり、その大きさは2Mを優に超える。
 矢も特別製の物を使用し、その矢は槍と見紛うばかりの代物である。


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『深層遠征』《上層~中層》

『……遠征に出発した後だったか。彼女の言伝を伝えられないな』

『団長? どうしたんですか?』

『まあいいか。それよりも【ハデス・ファミリア】は見つかったか?』

『いや、何処探しても見当たらないですよ。何処に居るんでしょうかね』

『他には【恵比寿・ファミリア】の撃墜された飛行船の調査は誰か行ったか?』

『あぁー、あっちには三人行ってたはずなんですが』

『はず、だがどうした?』

『……一人死にました』

『そうか。犯人は?』

『フード被った老婆。多分エルフですね』

『エルフで老婆か、老いたエルフが国を出るなんて珍しいな』


 薄明の時間帯。【ロキ・ファミリア】本拠、門の前に集まった大規模遠征に参加する面々が整列していた。

 

 【勇者(ブレイバー)】フィン・ディムナ以下6名

 【九魔姫(ナインヘル)】リヴェリア・リヨスアールヴ以下8名

 【重傑(エルガルム)】ガレス・ランドロック以下6名

 【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタイン以下6名

 【大切断(アマゾン)】ティオナ・ヒリュテ以下6名

 【怒蛇(ヨルムガンド)】ティオネ・ヒリュテ以下6名

 【凶狼(ヴァナルガンド)】ベート・ローガ以下6名

 【甘い子守唄(スィートララバイ)】ペコラ・カルネイロ以下8名

 ほかサポーター8名

 

 合計60人の【ロキ・ファミリア】が誇る遠征隊の面々は神妙な面持ちで黄昏の館の入口に立つロキを見た。

 

「おぉー、壮観やなぁ」

「ロキ、遠征隊総勢60名。全員準備完了した。今すぐにでも出発できる」

「皆頑張ってくるんやで。まぁ、まだゼウスん所に追いついた訳や無い。ウチ等は伝説の遺した足跡の上を歩いとるだけや。せやけど、ウチの子らなら出来るって信じとる。皆、怪我無く帰ってきてな」

 

 簡単に挨拶を終えたロキが欠伸しながら背を向けて手を振って扉の向こうに消えて行ったのを見送り、フィンが団員達の方を見下ろした。

 

「さて、ロキの言う通り。僕達はゼウス、ヘラ、二つのファミリアが残した軌跡を辿っているだけに過ぎない。だが、焦る事は無いだろう。かの二つのファミリアが残した軌跡の上を辿っているとは言え、僅か数年で第四十階層にまで足を運び、調査を進められたのは僕達だけだ」

 

 【ロキ・ファミリア】、【フレイヤ・ファミリア】が台頭する前の最高峰のファミリアとして歴史に名を刻んだ【ゼウス・ファミリア】【ヘラ・ファミリア】の二つのファミリア。

 彼のファミリアの最高到達階層は第五十八階層、第五十九階層以下の調査情報は不足しており、現時点では未到達領域として扱われている。現在、【ロキ・ファミリア】が深層遠征において目指しているのは第五十九階層であるが、現状はその道中の確認と調査を行っている。

 神々が地上に降り立ち、ファミリアと言う組織を生み出し、結成した当初から存在した【ゼウス・ファミリア】【ヘラ・ファミリア】の二つが数多の犠牲を積み上げながら調査を進め、到達したのが第五十九階層である。

 【ロキ・ファミリア】は二つのファミリアが残した情報を基にダンジョンを歩いているだけに過ぎない。

 

 過去に挑んだファミリアが残した地図情報を頼りに、手探りで罠を探し、警戒し、モンスターを退け、奥へと進んでいく。たかがそれだけの事と侮る事無かれ。現状【ロキ・ファミリア】【フレイヤ・ファミリア】を除けば殆どのファミリアが第三十六階層、下層と深層の境界線で足踏みをしているのだ。

 

 興奮混じりの表情を浮かべる団員達。今はまだ伝説の痕跡を辿るだけではある、だがこの調子で深層遠征を続けていけば伝説の先、未到達領域へとたどり着くだろう。そんな期待に胸を膨らませる団員達を見下ろしたフィンは力強く言葉を紡いだ。

 

「これより、ダンジョン深層への遠征へと向かう」

 

 【ロキ・ファミリア】が誇る第一軍、第二軍の主要メンバーに加え、サポーターとして連れてこられたメンバーもフィンを見て拳を握りしめる。

 

「上層の混乱を避ける為、班を三つに分ける。第一班は僕が、第二班はリヴェリアが、第三班はガレスがそれぞれ指揮をとる。合流は十八階層。【恵比寿・ファミリア】に注文しておいた物資およびに荷車を受け取り、確認後に更に下層へと進む事になるだろう」

 

 上層部において60名と言う大規模な人数での行動を起こせば、モンスターの混乱を引き起こす事もある。その為、中層と下層の間に存在する安全階層(セーフティーポイント)であるアンダーリゾートで合流して先に進むと言うのが遠征の鉄則の様な物である。

 ついでに言えば【恵比寿・ファミリア】が十八階層まで物資や荷車を届けてくれる商売もしている為、注文しておいた遠征用の物資や荷車等は十八階層に用意されているので、それの受け取りも行う事になる。

 

 フィン率いる第一班にアイズ班、ペコラ班

 リヴェリア率いる第二班にベート班、サポーター組

 ガレス率いる第三班にティオナ班、ティオネ班

 

「僕らの目標は第四十一階層の調査およびに移動ルートの開拓」

 

 矛を振り上げ、フィン・ディムナが力強く宣言した。

 

「遠征隊、出発だ」

 

 

 

 

 

 

 リヴェリア率いる第二班に編成されたベート班の面々の中、カエデは大人数での移動のし辛さに若干辟易としながらも深い霧の中を歩いていた。

 

 リヴェリア以下8名、ベート以下6名、サポーター組8名。

 リヴェリアが第一級(レベル6)、ベートが準一級(レベル4)であり、他のメンバーは第二級(レベル3)が18名、残りの第三級(レベル2)はカエデとディアンの2名のみ。

 

 普段同様のきっちりとした重装甲の手甲と金属靴、そして軽量で火耐性の高い真っ赤な水干に大剣。そしてサポーター用の大きなバックパックを背負ったカエデ。

 軽めの胸当てにプロテクターをつけ、腰にショートソード、左手にバックラーを身に着け、サポーター用のバックパックを背負ったディアン。

 

 二人の背に背負われているのは最低限の食糧およびに治療用の道具類。他の重要な予備の武器や防具類。衣類や野営用のテント等は十八階層で【恵比寿・ファミリア】から受け取る事になっているのだ。

 とは言え、そのバックパックはファルナの無い者が背負うのは難しい程の重量がある。バックパックを背負いながらの戦闘は不可能であると判断したカエデは、突発的戦闘時に最も安全な場所として戦闘能力の高そうなベートのすぐ後ろをぴったりと歩いている。

 ベートの方は普段通り、適当にポケットに手を入れたまま無警戒に見える様子で警戒しながら歩いており、時折後ろを振り返っては遅れている団員が居ないか確認をしている。

 

 ディアンは背負ったバックパックの重さに嘆息しつつも横を歩いていたフルエンに声をかけた。

 

「何時もこんな感じなんですか?」

「んー……? まぁ、ベートさんの所は大体こんな感じだな。他の班は配属された事無いから知らんが」

「へぇ」

 

 リヴェリアを中心に魔法を使えるエルフ達が隊列を組んで歩いており、リヴェリアの傍には弓を片手に警戒しているジョゼットの姿も見える。

 サポーター組も大きなサポーターバックパックを背負っているが全員第二級(レベル3)と言う事もあり、ディアンやカエデの様に背負いながら戦う事が出来ないと言う訳では無いらしく、周辺警戒しつつもエルフ達の隊列の後ろに続き、ベートが先頭を歩いている。

 ディアンとフルエンが居るのは隊列右側。左側にはウェンガルとリディアが互いに小突きあいながら歩いている様子がある。

 

 先頭に立つベートが時折殺気を振り撒いてはモンスターを退けている為か、モンスターは一切近づいてこない。

 その殺気に反応してベートのすぐ後ろを歩くカエデが時折尻尾を逆立てては慌てて撫でつけているのを見てディアンはぽつりと呟いた。

 

「なんか、子連れ狼みたいですね」

「……ベートさんに聞かれたらぶっ飛ばされるから黙ってろよ?」

 

 

 

 

 

 第十八階層、迷宮の楽園(アンダーリゾート)

 中層と上層の境目に存在する安全階層(セーフティーポイント)であり、冒険者の集いできた()()()()()()が存在する階層である。

 

 到着までにかかった時間は12時間程。日の出前にダンジョンに入ったとは言え既に時刻は午後三時を超えている。先に到着していたフィン率いる第一班が既に【恵比寿・ファミリア】より物資と荷車の受け取りを終えて待機していた所にリヴェリアの班が到着し、面々がそれぞれ挨拶を交わしているのを見ながら、リヴェリアが報告の為にフィンに近づいた。

 

「リヴェリア、問題は無かったかい?」

「あぁ、ベートが先頭に立っていたからな」

 

 ベートが殺気を振り撒いて上層・中層のモンスターを追い払っている姿を想像してフィンが苦笑を零し、リヴェリアが【恵比寿・ファミリア】の用意した荷車や物資類のチェックリストを片手に確認作業を進めているペコラ班の面々を見て呟いた。

 

「最近【恵比寿・ファミリア】の飛行船が落とされる事件が多発していたみたいだが。物資類は問題無かったのか」

「あー、そこらについては抜かりないから安心して良いよ」

 

 リヴェリアの呟きに答えたのはフィンでは無く一人の猫人の少女。リヴェリアが視線を向けた先には灰色の毛並の猫人の少女がゆらゆらとした動きで近付いてくる姿があった。

 

「……モール・フェーレースか。大丈夫か、その、眠れていない様子だが」

「あははー、うん。最近ちょっと色々あってね。おっと……いやぁ、本当に大変なんだよねぇ」

 

 目の下にくっきりと浮かんだ隈を見たリヴェリアが驚いて声を上げるのに対し、モールは片手をひらひらと振って平気そうにリヴェリアの横に立とうとして、躓いて大きくよろめいた。

 

 最近、オラリオと各国を行き来して商船として活動していた【恵比寿・ファミリア】の飛行船が相次いで撃墜される事件が起こっており、其方の調査および撃墜した犯人捜しで走り回るさ中、【ロキ・ファミリア】からの遠征物資、荷車の用意の依頼が舞い込んできたため、眠る暇も無く走り回って物資類の用意を行っていたのだ。

 

「あぁ、もちろん物資類に抜かりはないよ。御代を貰った以上そこら辺はしっかりするからね」

 

 商売人として、代金の支払いをしてもらった以上は受けた依頼は完遂する。そんな風に宣言したモールだが髪が跳ねており、抜けきらない疲労感が雰囲気に出ている。今彼女の背中を優しく撫ででもしたらそのまま寝てしまいそうな雰囲気にリヴェリアが眉を顰める。

 

「寝ないのか?」

「この後、地上に戻って依頼書の整理があるんだ。後は【ハデス・ファミリア】についても調べないとだし」

「……この前の事件のか?」

「あぁ、うん。商品奪われただけならまだ赦せるんだけどねぇ。ほら……皆殺されちゃったみたいだし」

 

 遠征合宿前に起きた第十八階層での【ハデス・ファミリア】の襲撃事件。あの際に【恵比寿・ファミリア】の商隊の一つが壊滅させられていた事もあり、【恵比寿・ファミリア】は【ハデス・ファミリア】の行方を追っている。それは【ロキ・ファミリア】も同様だが彼らの行方は依然不明のままである。

 

「そっちは何か掴んだ? 僕らの方はもうてんてこ舞いだよ。謎の飛行船襲撃犯に【ハデス・ファミリア】、他にも色々あってさぁ……特に黒毛の……あぁ、ごめん何でもない」

 

 言葉を続けようとして慌てて口を塞いだモールの様子にフィンとリヴェリアが目を細める。モールが行った『黒毛の……』と言う言葉。前にロキが話していた【恵比寿・ファミリア】の怪しい動きに関連している物ではあるが肝心のモールの方は寝ぼけているのか頭がゆらゆらと揺れて船を漕ぎはじめ、直ぐに気が付いて頬を叩く等と言った動作をしている。

 

「ダメだね、眠すぎて余計な事まで零しそうだ。やっぱ寝てくるよ。今回の深層遠征、上手く行く事を願ってるよ。じゃあね」

 

 話し過ぎたと呟きつつ歩きだし、そのまま躓いて地面に倒れたモール。起き上がる気配が無いのを見かねたリヴェリアが近づこうとした所で気が付いた【恵比寿・ファミリア】の団員が慌ててモールを抱えて近くのテントに運んでいくのを見送ってからリヴェリアが呟いた。

 

「フィン、【恵比寿・ファミリア】についてどう思う」

「そうだねぇ。現状は敵ではないけど、味方とも言えない感じだね」

「……そうか」

 

 商売人として活動する彼らは金の繋がりに於いては決して裏切る真似はしまい。けれども純粋に彼らを信用するには些か隠し事が多すぎる。そんな風に考えているフィンを余所に、リヴェリアは中層から降りてくる一団を見つけて口を開いた。

 

「ガレス達も到着した様だな」

「みたいだね。物資のチェックもそろそろ終わりそうだし、終わったら下層へ移動かな。そろそろベートに声をかけておくかな」

 

 先行して迷宮の悪意(ダンジョントラップ)の調査を行うベート班の姿をフィンが探せば、既にベートを中心に固まっていつでも出発出来る様に準備を終えている姿があった。

 その姿にフィンが笑みを零し、リヴェリアが口を開いた。

 

「ガレスの方は私が対応しよう」

「わかった。ベートの方に声をかけてくるよ」

 

 

 

 

 

 地面から生えた結晶塊に腰かけていたベートの前には既にベート班の面々が集まっていた。

 

 遠征隊より先行して致命的な迷宮の悪意(ダンジョントラップ)の確認および解除を担当する。それが敏捷の高いベート班に与えられた役目であり、編成は勘に優れた猫人二人、力と耐久に優れたアマゾネスが配属されており、いくつかの種類に分けられる迷宮の悪意(ダンジョントラップ)に対応出来る様に編成は厳選されており、ある意味に於いてはベート班はダンジョン探索のプロフェッショナルが編成される。

 無論、未調査の領域に率先して先行する事になるベート班の危険度の高さは他の班に比べ、非常に大きなものになる。その為、ベートの班のメンバーは相応の判断能力等が求められる。

 

 猫人の青年、フルエンはベートに指示されるまでも無く第三級(レベル2)メンバーを集めてベートの元に集合していた。

 最も危険な調査を行う班に配属されたフルエン、ウェンガルの両名はベートの指示が無くとも自ら判断して動けるだけの行動力がある。当然、ベートに指示されればその様に動くが常にベートが指示できる状況は少ない。

 其の為、必要であれば自らの考えで動く様に言われている為、今回もベートの指示が出る前に安全階層で合流した事で気が緩んでいたディアンを引っ叩いて引き摺ってきたのだ。

 

「ベートさん、準備完了です。何時でもいけます」

「そろそろフィンから指示があんだろ。ジジイの所も合流してきたしな」

 

 緊張した様子で直立するディアン、緊張した様子はないが気を張り詰めているカエデの二人を見たベートが嘆息する。

 そんな調子では直ぐに精神的に疲労してしまうだろう。そんな風に考えて口を開こうとした所でフィンの声が聞こえた為、其方を向いた。

 

「ベート、そろそろ出発して貰えるかな」

「あぁ、わかった。行くぞ」

「気を付ける様に」

「誰に言ってんだ」

 

 ベートは牙を剥く様な笑みを浮かべてフィンに言い放った。

 

「テメェ等こそ、遅れんじゃねえぞ」

 

 

 

 

 

 第十九階層、中層の下部にあたる領域。『迷宮の大樹』と呼ばれるこの階層は木肌でできた壁や天井、床は巨大な樹の内部を彷彿とさせる。燐光の代わりに発光する苔は無秩序に迷宮中で繁茂し、青い光を放つ。

 この階層の特徴はなんといっても毒系の攻撃を持つモンスターや罠が多い事であり、耐異常を持たない冒険者には非常に厳しい環境になっている。

 

 先頭を歩くのはベート、では無くフルエンとウェンガルの二名。

 隊列はフルエンとウェンガルの二名が先頭を歩き、5M程距離をとった後ろにリディア、カエデ、ディアンと続き、最後尾にベートが歩いている。

 

 先頭を歩くフルエンとウェンガルの腰から伸びた縄をリディアが持ち、まるでペットの散歩をしているかのように見える光景は、まるで特殊なプレイにも見える事だろう。

 しかし迷宮内でそんな特殊プレイを行う様な気狂い染みた理由からそんな事をしている訳では無い。

 迷宮の悪意(ダンジョントラップ)対策として行われるそれは、先頭に立つ冒険者が罠にはまった際に即座に後ろの命綱を握る冒険者が引き戻す為のものである。

 無論、そんな小手先程度の対応策では対応不可能な罠も存在するが、無いよりマシである。

 

 時折、フルエンとウェンガルは紐で結ばれた石ころを数M先に投げては紐を使って引き戻すと言う動作を行っている。

 

 何時、モンスターが現れるのかと言う警戒を続けるカエデとディアンに対し、リディアは鼻歌を歌いながら縄を握って歩いているし、最後尾のベートは欠伸をしながら歩いて余裕の表情である。

 

「……なんか、散歩みたいな雰囲気だな」

「そうですか?」

 

 ディアンが現状に対して感じた事を呟けば、カエデが不思議そうに首を傾げる。

 

 ディアンの言葉も尤もである。鼻歌を歌いながらフルエンとウェンガルの腰に繋がる縄を持つリディアの雰囲気は散歩をしている風にしか見えず、最後尾のベートもそう警戒している様子が無い為に緊張感に欠ける。

 先頭を歩くフルエンとウェンガルも気楽そうにふらふらと真っ直ぐ歩かずに時折壁を叩いたりしている為、まるで猫を首輪と紐で繋いで散歩しているかのように見えるのだ。

 

 無論、壁を叩くのは罠の調査である為、遊んでいる訳では無いのだが。

 

「んー、二人とも緊張し過ぎると直ぐにへばっちゃうからもう少し肩の力抜くと良いよー」

「……と言われましても」

 

 振り返って笑みを浮かべたリディアの言葉に戸惑った様に返すディアン。カエデの方は困った様に眉根を寄せて口を開いた。

 

「なんか、思ってたのと違います」

 

 カエデの想像ではもっと厳重に罠に対して警戒しながら歩く物だと思っていた。しかし現実は鼻歌混じりに散歩染みた光景を生み出しているフルエン、ウェンガル、リディアの三人に後ろで適当に歩いているだけにしか見えないベートと、最も危険な行為としていると言われていた班に対する想像とは違った光景であるのだ。

 其の為に困惑している様子のカエデに対し、リディアは顎に手を当てて唸る。

 

「確かに、最初は皆戸惑うよね」

 

 カエデやディアンの様子を見れば大体察しはつく。想像よりも緊張感の無い様子に拍子抜けと言った感情を抱いているのだろう。しかしそれは大間違いである。

 

「ちなみにだけど、四十階層に到着するまでに何日かかると思う?」

 

 リディアの質問に対しディアンとカエデが考え込み初め、カエデが呟く様に答えた。

 

「三日ですか?」

「ぶっぶー、正解は二日でしたー」

 

 笑みを浮かべて不正解だと言ったリディアの様子にカエデとディアンが顔を見合わせ、何が言いたいのか理解できずに首を傾げた

 

「まあ、三日でも別に良いんだけど……二人は三日間、片道だから往復で六日間。ダンジョン内で過ごすんだよ?」

「あっ……」

「えぇ? どういう事です?」

 

 理解が及んだカエデが声を零し、ディアンはわからずに再度首を傾げる。二人の様子を見てからリディアは縄の先に居るフルエンとウェンガルを確認してから口を開いた。

 

「当然だけど、ダンジョン内で寝るのって結構きついよね?」

「はい……」

「あぁ、確かに」

 

 ダンジョン内で睡眠や休息をとる難しさを遠征合宿や遠征合宿前の十八階層へ行った時に学んだ二人は直ぐに理解して頷く。

 

 迷宮内にはモンスターが満ち溢れている。第十八階層の様な階層全てでモンスターが湧かない階層等は五十階層に存在するのみ。そして現在の目的地は第四十一階層の調査である。目的地が四十一階層であると言うだけであるのに、其処に至るまでに二日程の時間を要するのだ。

 冒険者は三日四日眠らなかった所で問題は無いが、どうしても疲労は抜けきらず、ポテンシャルも下がる。当然、危険の大きい深層で疲労感を残したまま活動する等できようはずも無い為、何処かで休息はとる。

 しかしそれでも疲労感全てをとる事は難しいのが普通である。

 

 とはいえ【ロキ・ファミリア】には頼もしい疲労回復の味方【甘い子守唄(スィートララバイ)】ペコラ・カルネイロの存在がある。

 狼人(ウェアウルフ)は利用できないと言う致命的な欠陥はあるが、其処を除けば十二分に休息をとりながら進めるだろう。

 

 休息をとれる場所が存在するならば、と言う前提条件はあるが。

 

「一応言っておくけど、後二時間ぐらいで二十三階層での休息部屋(レストフロア)で休息はとるけど、其処から三十二階層まで休み無く下りるから、今の警戒続けてたら多分途中でへばるよ」

 

 都合の良い休息部屋(レストフロア)が毎度存在する訳では無い。常に罠とモンスターに警戒して進む必要があるダンジョン内で、緊張状態を保ったまま進めば途中で緊張の糸ははち切れる。

 そうなれば無警戒に近い状態になるし、戦闘時のポテンシャルも下がる。危険度が跳ね上がるのだ。

 

「だからむしろ警戒は最低限ぐらいな感じで進むのが良いんだよ」

「……でも、危なくないですか?」

「緊張して、警戒しまくってても引っ掛かる時はあっけなく引っ掛かるよ」

 

 重度の警戒をしていた所で、罠にかかる時はあっけなく罠にかかるし、モンスターは襲ってくる。そうであるのなら最低限の警戒のみを行って気楽に行く方が精神的には楽である。

 これから四十階層を目指すのだから当然と言えば当然、そこに至るまでに疲労感で倒れては元も子も無い上、四十階層に到着してお終いでは無いのだ。そこから四十一階層の調査に乗り出し、可能ならそのまま四十四階層への道順の確保まで行う必要があるのだ。

 帰りまで含めればその行程は一週間程度の期間では済まない。下手をすれば調査に十日程かかる事も考えられるのだ。

 

「へぇ……、緊張し過ぎも良くないんですね」

「……かといって、緊張を解けなんて言われても」

 

 戸惑った様子のカエデとディアンの二人に笑みを零し、リディアは肩を竦めた。

 

「ベートさんが居るから大丈夫だって」

「……おい、口開く暇があるならちゃんと調べろ」

「はぁーい」

 

 流石に見かねたのか後ろのベートからドスの利いた声でどやされたリディアが真面目に前を向いた事で会話が途切れる。

 

 前を歩いていたフルエンとウェンガルの二人は時折小石を投げたり壁を小突いたりするのみ。リディアの鼻歌と小石が転がる音、六人分の足音が響く中、カエデはふと尻尾を引っ張られた気がして声を上げようと口を開いた。

 

「あの──

「罠発見」

 

 カエデが口を開くより前に、ウェンガルが口を開いて小石を同じ方向に向かって何度か投げてた。

 

「んーっと、これはぁ。あぁ、反応型の落下天井だと思います。ここは範囲外ですけど、こっから先は危ないですね」

 

 ウェンガルが背負っていた棒で地面に線を引いて落下天井の範囲と思わしき場所にマーキングし始め、カエデは口を閉ざしてその様子を見ていた。

 

「カエデ、なんか気付いたみたいだけどどうしたんだ?」

「其処の道、なんか危ない感じがしたんですけど……落下天井だったんですね」

 

 カエデが気付いたのはウェンガルが調査している迷宮の悪意(ダンジョントラップ)の一種、通路の天井が落ちてきてモンスターも冒険者もぺしゃんこにしてしまうと言う落下天井と言う罠がある通路が、なんとなく危険な気がすると言うもの。

 ディアンは自分が気が付かなかった事に顔を青褪めさせてぽつりと呟いた。

 

「何だそれ、俺気付かなかったぞ……。俺一人だったら死んでたよこれ……」

 

 ディアンの呟きが聞こえたのかフルエンが振り返って肩を竦めた。

 

「俺も気付かなかったぞ」

「え? フルエン先輩もですか?」

「まあな、リディアはどうだ?」

 

 縄を持ったまま立ち止まっていたリディアは視線を別の方向に向けたまま答える。

 

「ん? まぁ気付かなかったけど……。ベートさん、モンスター来てますけどどうします? 回避できそうですけど」

 

 リディアが視線を向ける通路の先、聞こえるのはモンスターの物と思しき足音であり、気付いていたベートが耳を揺らして足音からモンスターの数を割り出して呟いた。

 

「ダークファンガスか。毒が厄介だな」

「数は多分五匹ぐらいですかね。少ないっちゃ少ないですけど」

「罠の調査終わりました。一度発動したら消える単発タイプです」

「罠で潰す? それとも直接潰す?」

「罠でいけるか? ここで消費するのもアホらしい」

「いや、無理です。多分私達ごと潰れますね」

「チッ、じゃあ普通に潰すか。戦う準備しとけ、お前らは下がってろ」

 

 ベートがカエデとディアンに下がる様に指示し、リディアが縄を手放して棍を取り出して構える。フルエンとウェンガルが腰の縄を手早く纏めて腰に括り付け、それぞれ剣を抜いて構える。

 

「耐異常持ちは?」

「ベートさん、俺、ウェンガルの三人」

「リディア、テメェはそいつらのお守してろ」

「はぁい」

 

 リディアがサポーター用のバックパックを背負ったカエデとディアンに近づいて笑みを浮かべた。

 

「ベートさん達がなんとかするから暫く待機ね」

「あ、はい」

「了解です」

 

 慣れている面々が次々に報告をし合って対策を打ち出す中、置いてけぼりのディアンとカエデが顔を見合わせる。

 

「俺らもいずれあんな感じになるのか?」

「……出来るんですかね」




『ホーンヘッド』
 【ロキ・ファミリア】に所属する準一級(レベル4)冒険者【甘い子守唄(スィートララバイ)】ペコラ・カルネイロが使用する武装。
 ペコラ・カルネイロ本人の頭部の巻角を模した(ヘッド)部分をもつ戦闘用大槌(バトルハンマー)
 分類は第二等級武装であるが、重量だけで言えば第一等級武装に匹敵する程。力任せに振り回して使用する。

 使用者本人の耐久の高さを生かし、全ての攻撃を体で受け止めて反撃としてハンマーを振り下すと言う豪快な戦い方をする為の代物である。


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『深層遠征』《中層》

『ヒイラギってガキをぶっ潰せばいいんだろ?』

『……アレックス、君は本当に馬鹿だな』

『ハァ?』

『潰したらダメだ、捕まえるんだよ』

『適当に手足潰して縛ってくりゃ良いだろ』

『…………君は本当に“あの”【ロキ・ファミリア】の冒険者だったのかい?』

『はんっ、あのガキの所為で追放されたがな……いつか見返してやる』

『……あぁ、そう(絶対、その性格が原因で追放になったに決まってるだろ)』


 ダンジョン二十三階層の休息部屋(レストフロア)は他の箇所に比べて非常に広い事が特徴的である。

 

 通常、深層遠征に於いては複数の休息部屋(レストフロア)を梯子していく形で奥へと進んでいく。しかし、遠征部隊の規模が大きくなればなるほどに、物資輸送用の荷車等の数が増え、所々に点在する小規模な休息部屋(レストフロア)では大規模な遠征部隊が十二分な休息をとる空間が確保できない。

 故に、大規模な遠征部隊と区分される今回の【ロキ・ファミリア】の遠征部隊は、二十三階層に存在する大きな休息部屋(レストフロア)へと立ち寄る事になる。

 

 中央に大き目の倒木のある相応に大きな休息部屋(レストフロア)。湧水が出る地点でもあり、罠等と言った物も既に調査済みの地点。数多くの冒険者が立ち寄っている割には焚火の痕跡一つない真新しい空間である。

 

 カエデは懐から懐中時計を引っ張り出して時刻を確認して吐息を零した。

 

 カエデの掌に余る大きさの懐中時計の長針が七時の辺り、短針が七時と八時の間を差している。出発時刻が午前四時頃だった事を考えれば、二十三階層に至るまでにかかった時間は大よそ十五時間半程。

 休息部屋と言う事で既に荷物を卸し、倒木の様な物に腰かけていたカエデが懐中時計をしまっていると、同じく腰かけていたディアンが口を開いた。

 

「今何時だった?」

「七時半ぐらいです」

「うへぇ……もうそんな時間なのか」

 

 サポーター用のバックパックから水を取り出して飲み始めるディアン。ベート班の他のメンバーが周辺警戒に行っている間、ここで待機する様に命じられているが、やる事は特にない。

 

 道中にあった迷宮の悪意(ダンジョントラップ)やモンスター等に思い馳せつつも、耳を澄ますカエデ。

 

 届くのは遠くから聞こえるほんの微かなモンスターの足音、そして荷車の車輪の音が聞こえてカエデが立ち上がった。

 

「皆さんが追いついてきたみたいです」

「やっとかぁ」

 

 入口の一つの方に視線を向けていれば先頭にフィンが立つ遠征隊の面々が休息部屋(レストフロア)へと入ってくる姿があった。フィンのすぐ傍に立っているのはフルエンである。

 

「罠なんかは一応調査済みです。後は雨が降りそうな箇所が何か所かありました。モンスターの方はウェンガルが誘導して別の場所に集めてますので一晩は安全かと」

「わかった、ありがとう。皆、今日はこの休息部屋(レストフロア)で一晩過ごす事になる。ペコラ、野営地の設営準備を。ティオナ、ティオネ、アイズの三人は入口での警戒を引き継ぐ様に。サポーター班は夕食の準備を」

 

 入ってきて早々、荷車を曳いていた面々が早足で荷車からテント等を取り出して設置し始めたのを見て、カエデとディアンが立ち上がる。

 

「俺らも手伝うか」

「その方が良いですかね」

 

 荷物をわかりやすい場所に纏め、二人で立ち上がりテントの組み立て作業を進めているメンバーの方へ歩き出そうとした所で、戻ってきたベートが二人を呼び止めた。

 

「何してんだ」

「えっと、手伝いに行こうかと」

 

 カエデの言葉に眉を顰めたベート。何事かと首を傾げるカエデとディアンに対しベートは溜息を一つ零した。

 

「お前らは大人しくしてろ」

「え、でも手伝った方が……」

「サポーター班の仕事だ。お前らの仕事じゃねえ」

 

 呆れ顔を浮かべたベートはそのまま倒木に腰かけて欠伸を一つ零す。それを見たカエデが思い出したかのようにバックパックから水袋を取り出してベートに差し出した。

 

「ようやく気付いたかよ。お前らは俺の班のサポーターなんだからそんぐらいさっさと気付けよ」

「うっ……ごめんなさい」

 

 水を受け取って飲んでからカエデに水袋を投げ返し、サポーター班の面々が慣れた手つきでテントを手早く組み立てているのを見てからベートは寝転がった。

 

「お前らも休憩しとけ」

「……はい」

 

 困惑した様にカエデとディアンが顔を見合わせてから、カエデが水袋をバックパックに戻す。ディアンの方は困惑しつつも言われたように腰かけて休憩をしはじめるが、ちらちらと作業を進めているメンバーを見てこのまま動かなくて良いのかと視線で周囲を見回すも、遠征隊全体を見回して指示を出しているフィンは気にも留めず、他の面々も働け等とは言わない。

 

 そんな風にディアンが周囲を見回していると、フルエンが肩を回しながら戻ってきた。

 

「ふぅ、ベートさん。団長に報告あげときました。後、リディアとウェンガルもそろそろ戻ってきます。とりあえずは休憩ですかね」

「あぁ、それで構わねえ。フィンが何か言ってきたらすぐ動ける様にしとけ」

「了解」

 

 ベートと軽いやり取りを終えたウェンガルは困った様に見上げてくるカエデとディアンを見つけて笑みを零した。

 

「おう、皆働いてんのに何もしなくて良いのかって顔してんな」

「はい、ワタシ達も手伝わなくていいんですか?」

「必要ねえ。俺らは先行部隊で他よりも気を張って動いてんだからな、他の奴より働いてんだよ」

 

 むしろこれ以上何かを手伝うのは働き過ぎと言う訳である。

 そんな風に語るフルエンに対し、カエデとディアンが納得がいかないと言った様子で顔を見合わせる。その動きを見たフルエンは苦笑を浮かべてからディアンに手を差し出した。

 

「水くれ、水。後、此処で飲み水の補給しとけ、朝一でな。他はー……夕食まで待機。夜はペコラさんの所で……あー……カエデ、お前は辛いかもだがペコラさんの所は無しな」

「……? ペコラさんの所? カエデは無しって何の話です?」

 

 水を受け取り、一口飲んだ後にフルエンがカエデの方に注意を促す。その注意に対し理解が及ばないディアンの質問に対し、横から声が割り込んで説明を補完する。

 

「ペコラさんは狼人(ウェアウルフ)が苦手だから子守唄を聴けないんだよ。ディアンとかは平気だけどね。ただいまー、私も水ちょうだい」

「あ、そうなんですね。水どうぞ」

「リディア、そっちはどうだった?」

 

 大きく伸びをしながら近づいてきたのは褐色の肌に動きやすい軽装を纏ったリディアであった。水を受け取りつつもフルエンの横にどっかりと腰かけてからリディアは肩を竦める。

 

「ウェンガルのおかげでモンスターは居なかったよ。私の方はアイズさんと交代だったけど、なんていうかアイズさんの班の子達、やっぱへろへろだったよ」

「あー……」

 

 遊撃を任されているアイズ・ヴァレンシュタインの班の面々は、前に出過ぎる事の多いアイズに合わせて動く事になる。防衛がメインのガレス、ティオナ、ティオネの班は足並み揃えての行動になるが、アイズ班だけは見敵必殺を繰り返す事になる上、アイズ一人で突っ走らない様にしなければならない為メンバーの疲労は非常に溜まりやすいのだ。

 とはいえアイズ・ヴァレンシュタインの班は遊撃担当と言う性質上狼人(ウェアウルフ)が配属するのが好ましいのだが、ペコラの子守唄を利用できない為に狼人(ウェアウルフ)は配属される事は少ない。

 

「まぁ、アイズさんの所はしゃーない。他はー……おう、ウェンガルお帰り」

「ただいま、私も水ちょうだい」

「はいはーい」

 

 リディアから水袋を受け取り、一気に流し込んでからウェンガルは耳を数度震わせて腰を下ろした。

 

「誘導するの毎回疲れるわ」

「ご苦労さん、でもウェンガルのおかげで今晩は安心して寝れそうだ」

 

 ウェンガルは猫人(キャットピープル)特有の種族スキルであるキャットウォークと、スニークハイドと言う隠密系のスキルを持っている。それを利用して、モンスター達を休息部屋(レストフロア)から離れた別の箇所へと誘導してから隠密で抜け出して此方に合流すると言う方法でこの休息部屋(レストフロア)の安全性確保を行っていた。

 

「んぅ……ただの水かぁ」

「酒は当分無しだぞ」

「わかってるんだけどさぁ……ほら、一口ぐらい欲しいじゃん?」

「団長に相談してみれば?」

「おいおい、まだ初日だろ……」

 

 気さくなやり取りをする三人を眺めつつ、ディアンとカエデはバックパックから水袋を取り出して中身の量を確認しておく。道中、特に怪我もトラブルも無かった為に消費した物は水ぐらいであり、高位回復薬(ハイポーション)類や解毒薬、非常用の携行食糧にも手をつけていない。

 

 バックパックの中身の確認を終え、水を朝一で補充する為に取り出しやすい位置に納めていると、良い匂いが漂ってきてカエデは思わず其方に視線を向けた。

 

 カエデの視線の先では既に炊き出しの準備が行われており、大鍋で食材を煮込んでいる光景が目に入ってきてお腹が小さく鳴った。

 気付いたディアンがそれとなく視線を背けつつも呟く様にカエデに質問を飛ばす。

 

「……腹減ったのか?」

「はい」

 

 女子であればお腹の音を聞かれるのは恥ずかしい事だと気を利かせてそれとなく質問したディアンに対し、恥ずかしがるでもなく普通に返答をしたカエデを見てディアンは目を丸くしてから呆れ顔を浮かべて呟く。

 

「なんか、女の子っぽくねぇ」

「……何がですか?」

「いや、なんつーか……もっとこう、恥ずかしがるとかよ」

「…………? でもお腹空いたら鳴りますよね?」

 

 羞恥心を何処かに置き忘れてきた様子のカエデに言葉を失ったディアンは助けを求める様に他の面々を見回す。

 

「確かに腹減ったなぁ」

「そうねぇ」

「もうそろそろ出来るのかな」

「先輩方、なんか言ってやってくださいよ」

 

 特に反応の無い三人にディアンが言葉をぶつければ、三人は顔を見合わせてから肩を竦めた。

 

「獣人は耳が良いから普通に聞こえちまうし、気にしたってしゃーないんだよなぁ」

「そうよねぇ」

「私は気にしないかなぁ」

 

 猫人に限らず、獣人は耳が良いので小さな音を聞き逃さない。故に腹の音なんてしょっちゅう耳に入る雑音の様な物なので態々耳を傾けるなんてしないし、自身が立てた音に気を立てていたらストレスで禿げるので気にしない様にしている。アマゾネスは単純にそんなの気にしてどうするのと言った感じ。

 ヒューマンであるディアンは他種族との意識の差をマジマジと感じ取って溜息を零した。

 

 

 

 

 

 夕食はダンジョン飯としては一般的である食べられる物を鍋に放り込んで煮込んだごった煮。凝った料理ではないが具材がゴロゴロとした温かい食事は冷たい保存用の食糧とは雲泥の差の美味さである。

 食事の用意が出来ない場合は干し肉や乾燥野菜を火で炙って食べるか、そのまま齧る事になる。最も最悪な場合は携帯食糧を口にする羽目になる。そうならなかった事を感謝こそすれ、ごった煮に文句をつける様な冒険者は【ロキ・ファミリア】には存在しない。

 『遠征合宿』で食料品を根こそぎ奪う役目の者が毎回配属されていると言う事情もあるだろう。

 

 組立終わったテントの数を眺めていたディアンが首を傾げる。

 

「数、少なくないですか?」

 

 大人数用のテント、一つ辺り大体10人程度が入れるテントが三つだけ組み立てられており、全員が入るには少ない。そんな感想を抱いたディアンに対しフルエンが呆れ顔を浮かべた。

 

「お前、全員で休むなんてするわきゃ無いだろ」

「あっ……そうか。夜番もあるのか」

 

 ウェンガルがモンスターを他の地点に誘導して安全性を高めているとは言え、モンスターが完全に居なくなったわけでは無い。その為に夜番として常に各通路に繋がる入口部分に4名ずつ配置し、二時間起きに交代。残りのメンバーの内疲労の高い者を優先してペコラの子守唄を聴かせて疲労の回復を行う。

 説明を受けたディアンが納得がいったように頷いて周囲を見回す。

 

「テント周辺での警戒が15名、入口での警戒が計12名、残りで休憩……って、数合わなくないですか?」

狼人(ウェアウルフ)と団長、副団長、ガレスさん、それから準一級(レベル4)の班長達は除くんだよ」

 

 狼人(ウェアウルフ)は専用のテントが一つあてがわれ、その中に全員が放り込まれる事になる。故に既にカエデとベートの姿は無い。

 その事に気付いてディアンは頭を掻いてから焚火を囲んで雑談に興じる他の班を見れば、見知った顔が其処にあった為に片手をあげて挨拶をすれば、相手も気付いて挨拶を返してきた。

 

「初回はリヴェリア班、次がティオネ、ティオナ班……俺らは最終だな、暫くは自由にしてていいぞ。俺は少し見回り行ってくる」

「フルエンさん、ベートさんより働いてません?」

「あぁー……ベートさんはもっとこう、重要な時にがっつり働いてくれるから今は俺らが率先して動くんだよ」

 

 苦笑を浮かべつつも片手を振って去って行くフルエンを見送ってから、ディアンは焚火を囲む第三級(レベル2)の面々の所に合流した。

 

「ようディアン、ベートさんの所はどうだったよ」

「いやぁ、ベートさん飄々としてんのになんつーか空気がピリピリしてたんだよ。あの空気きついわ。そっちは?」

「ティオネさんの所配属だったけど、何もなかったなぁ」

 

 ベート班が粗方罠を解除した安全な通路を、荷車を引くペコラ班を守りつつ進む。それだけであり第三級(レベル2)でありサポーターとして連れてこられた以上、彼らに仕事と呼べる物は殆ど無い。当然ではあるがもっと激しくやり合うのを想定していた彼らからすればまるで散歩の様な気分だろう。

 モンスターが出てくれば第一軍のアイズ、ティオネ、ティオナが率先して片付けるし、そもそも多量のモンスターと接敵しない様に数人の誘導役が常に進路上のモンスターを別の場所に誘導したりしているのだ。

 

「思ってたより楽っつーか、なんか拍子抜けって感じだよ」

「そうか、こっちは罠を見つける度にヒヤヒヤしたよ。俺は何にもわかんないのに先輩達が次々に罠見つけて『そこ気を付けろー』とか『ここに罠あるぞー』とか指示されるんだぜ?」

 

 カエデの方は時折自身の尻尾を摘まんでは『なんか危ない気がする』等と発言してそれとなく罠に気付いている様子であった事も相まって、ディアン一人だけが罠に気付かずに歩いている状態だった。

 其の為、自分一人だけ足を引っ張っている気分で最悪だったと苦笑を浮かべるディアン。

 

 他の準一級(レベル4)達と比べて非常に厳しい採点基準を持つベートの所に選別されたと言う事で浮かれていた気分が一瞬でしぼんで消えた。

 

「やっぱ、俺他の班の方が良かったなぁ」

「あぁ……カエデはどうだったんだ? 気付いてたとか言ってたけど、戦闘は?」

「前に出してもらえる訳無いだろ。ずっと後方待機だよ。フルエンさんとウェンガルさんが軽く片付けてた。魔石剥ぐのとドロップ品回収しかやってない」

 

 戦闘中は後方に下がる様に指示され、戦闘自体に参加させられなかった為にカエデと比べられるのはサポーターらしく魔石の剥ぎ取りやドロップ品回収ぐらいであり、そんな物を比べてもむなしいだけだとディアンが笑う。

 

「自信無くしそうだよ……」

「あー、ディアン君でしたっけ? こんばんは、カエデちゃんの様子ってどうでした」

 

 俯いて深々と溜息を零すディアンに声をかけてきたのは冒険者として活動しているのが非常に珍しい兎人(ラパン)の少女、アリソン・グラスベルであった。

 顔を上げてアリソンの姿を見たディアンは一瞬目を丸くしてから慌てて立ち上がって口を開いた。

 

「いや、別に悪口言ってた訳じゃなくてだな」

 

 周りの面々も悪口では無いと否定し始め、アリソンは困った様に笑みを零した。

 

 アリソン・グラスベルは冒険者の中でも珍しく女性らしい、言ってしまえば女の子らしい女の子と言う認識をされている。実際、冒険者になる様な女性は基本的に荒い事も多く、ゴリラばかりだ等と揶揄される事も多い。

 そんな中で女の子らしい雰囲気のアリソンは男団員に密かに人気が高い。故に彼女に嫌悪感を抱かれぬ様に慌てた様子で、カエデの悪口では無いと否定する。

 

「いえ、別に悪口を咎める積りはないんですよ。ただカエデちゃんの様子が気になって……ほら、カエデちゃんって狼人(ウェアウルフ)で既にテントで休憩中じゃないですか」

 

 アリソンの言葉にばつが悪そうに顔を見合わせてから、代表してディアンが口を開く。

 

「ベートさんとは普通に喋ってたぞ。他の狼人(ウェアウルフ)は遠巻きに見てただけだけど」

 

 狼人(ウェアウルフ)達はペコラの子守唄を利用できない為、一晩丸々休息となっている。そんな中、狼人(ウェアウルフ)達は一つのテントに集められて休息するのだが、カエデは狼人(ウェアウルフ)の中では浮いた存在になっている。

 エルフ達は割と可愛がっている様子ではあるが、カエデの成長系スキルに嫉妬したりする団員も少なくなく、【ロキ・ファミリア】内部では若干浮いている存在とも言える。

 そんなカエデと交友関係を結んでいると言えば『遠征合宿』で同じ班に配属されたアリソン、ヴェネディクトス、グレースの三人と、リヴェリアの周囲に居るエルフ達。他は第二級(レベル3)の面々等ぐらいである。

 

 そんな中、カエデがテントに向かった際にはベート以外の狼人(ウェアウルフ)は遠巻きにカエデを見て困った様に顔を見合わせていたのだ。

 ベートが一睨みしただけでさっとテントの中に向かったが、あの様子ではテントの中は相当居心地の悪い空間になって居る事だろう。

 

「ベートさんはなんつーか、気を使ってるのかなんなのかわかんないよ」

「無理矢理過ぎるんだよなぁ」

「むしろアレ、カエデよりベートさんに脅えてなかったか?」

 

 その光景を見ていた何人かの言葉を聞いてアリソンは眉を顰めた後に礼を言ってから女性団員の集まっている焚火へと戻る。

 見送ったディアンが安堵の吐息を零してからぽつりと呟いた。

 

「なんか、アイツ皆に心配されてるよな。まぁ、なんとなくわかるけどさ」

「あぁー、守ってやりたくなるっていうのあるよな」

「まぁ、俺らが守るまでもなく強いしなぁ。ベートさんの鍛錬、毎朝受けてんだろ?」

「俺、あの鍛錬一回受けたけど普通にボコボコにされたわ」

 

 反応した団員達を苦笑して見回してから、ディアンは狼人(ウェアウルフ)達が入って行ったテントの方に視線を向けた。

 

 

 

 

 

 

 狼人(ウェアウルフ)達はペコラの子守唄が利用できない為、他の団員より多めの休息時間が与えられている。

 基本的には休息時間は寝て過ごす事になるが、狼人(ウェアウルフ)達の集められたテントの中はある意味ではとても居心地の悪い空間になっていた。

 

 中央に寝転がってわざとらしく寝息を立てるベート。対して隅っこで小さく丸まって寝た振りをしている幼い白毛の狼人。ベートを挟んだ対面で集まって寝転がる遠征に参加していた狼人(ウェアウルフ)3名。

 今回の遠征に参加した狼人(ウェアウルフ)はカエデを含め合計5名。内訳は準一級(レベル4)のベート、第二級(レベル3)3名、第三級(レベル2)のカエデと言った形である。

 カエデの方は出来る限り音を立てずに縮こまり、サポーターバックパックを置いてその裏側に隠れる様にして耳を塞いで寝た振りをしている。

 

 どんな会話が繰り広げられているのか恐怖はあるが、体力の回復の為にも眠らないとと必死に羊の数を数えるカエデ。中央のベートは起きているのか寝ているのかわからないが、狼人(ウェアウルフ)達は起きて何か会話をしているらしい事が耳を塞いだカエデにもわかる。

 内容まではわからないまでも、とても居心地の悪い空間であり、一つのテントに押し込むと言う判断を下したフィンに少し文句を言いたい気分ではあるが、カエデ一人の為に個別にテントを用意すると言うのも無理な話だ。

 

 故に必死に耳を塞いで声を聞かない様に、早く眠れ眠れと自分に言い聞かせる。

 

 結局、朝まで碌な睡眠はとれなかった。

 

 

 

 

 

 翌朝、迷宮の中で夜や朝の概念は特にない為、懐中時計の時刻を見て今の時刻を知り、眠る事が出来ていない事を自覚したカエデは朝食として渡されたごった煮を倒木に腰かけながら食べている。

 

 現在時刻は四時ちょっと過ぎ。出発は五時頃を予定しているのでベート班はその十分ほど前に出発する事になる。その為急いで食べないといけないが睡眠がとれていない為かぼんやりとしてしまう。

 なんどか頭を振って眠気を飛ばそうとするも、残っている疲労感がどうにもならない。

 

 このままだと足を引っ張る事になると不安に感じてディアンの方を向けば、ディアンはごく普通に朝食を食べている。ペコラの子守唄でしっかり休息をとり精神的な疲労も消し飛んでいる為か表情は明るい。

 対するカエデは寝不足からか若干やつれ気味である。

 

 吐息を零し、最後の一かけらを咀嚼してから皿をサポーター組の方へ返しに行く為に立ち上がる。

 

「おう、ついでにこれも頼むわ。俺は水を補充しにー……大丈夫かお前……?」

 

 ディアンに声をかけられ、空になった皿を受け取った所でディアンはカエデの顔色に気が付いた。若干気遣う様に声をかけるが、カエデの方は首を横に振って答えた。

 

「大丈夫です」

「おう……無理すんなよ?」

「はい」

「じゃあ水汲んでくるから……」

 

 ふらつくまではいっていないものの、若干の疲労感を背負った背中が後片付けを行っているサポーター班の方へ向かって行く姿を見送り、ディアンは少し悩んでからフルエンに声をかける事にした。

 

 

 

 

 

「カエデちゃん大丈夫ですか? 調子悪いからこっちにって話でしたけど」

 

 心配そうに荷車の中を確認するアリソン。

 【ロキ・ファミリア】遠征隊の本隊の中央で、ペコラ班によって曳いている荷車の一つの中にカエデの姿があった。

 

「すいません……」

 

 疲労感の残るサポーターを先行隊に配属する等と言った事は出来ないとフルエンが決め、ベートに報告した事でカエデはベートに命令されて後方部隊であるペコラ班、の荷車の中に荷物と一緒に放り込まれる事になったのだ。

 テントや食料等が入った木箱が積まれた荷車の中、カエデは荷物と荷物の隙間にすっぽりと収まって運ばれていた。申し訳なさそうに縮こまる様子にアリソンがどうしようかと周囲を見回していると、同じく荷車に荷物と一緒に放り込まれていたペコラが口を開いた。

 

「気にしなくても良いですよ。第三級(レベル2)の子達は経験を積ませる為に連れて来てるんです。失敗の一つや二つでくよくよしちゃダメですよ」

「それでも」

「気にし過ぎですって。もっと、気楽に行きましょうよ。すぐ傍でめそめそされると寝にくいじゃないですか」

「…………」

 

 一晩ずっと子守唄を歌い続けたペコラは道中は荷車の中で寝袋に収まって荷物と一緒に運ばれつつ睡眠をとる。有事の際にはちゃんと戦うがそうでない場合は荷物と同じ扱いである彼女の言葉にカエデは自信無さげに俯く。

 

「カエデちゃんは悩み過ぎですよ。ほら、ペコラさんが添い寝してあげますから一緒に寝ましょう」

「……はい」

 

 子守唄こそ唄ってあげられないが、添い寝位は出来るとペコラがカエデを寝袋に引っ張り込むのを見て、アリソンが安心した様に荷車から離れる。

 その様子を見ていたジョゼットがアリソンの横に並んで口を開いた。

 

「カエデさんが心配ですか?」

「……はい。狼人(ウェアウルフ)の皆さんと仲が悪そうですし」

「あの振り分けは私も気になりましたが、団長には何か考えがあるのでしょう」

「そうなんでしょうか」

「きっとそうですよ……。ん? 前方でモンスターみたいですね。行ってきます。こっちまでは突破して来ないでしょうが気を付けてください」

 

 前方で少数のモンスターの群れと遭遇したらしい事を確認したジョゼットが弓を片手に走りだす。その様子をアリソンが見送っていると、荷車からカエデが顔を出して前方を確認しだす。

 

「モンスターですか?」

「みたいですね。ティオナさんの班が対応に当たってますし、ジョゼットさんも向かったので心配はいらないですよ」

「……そうでぅぁっ! ペコラさん放してくださいっ!」

 

 アリソンの返事に答えようとしたカエデが、次の瞬間には荷車の中に引き摺り込まれる。中から聞こえるペコラとカエデのやり取りからして、ペコラが強引にカエデを引っ張り込んだらしい。

 

「カエデちゃんはちゃんと休まないと前線復帰させて貰えませんよ」

「でも、っ! 尻尾触らないでくださいっ!」

「良いじゃないですか、ふわふわしてて触り心地が良いですし」

「やめてくださいっ!」

「いいではないかいいでは――ふぎゅっ」

 

 荷車が石でも噛んだのかごとりと大きく揺れ、中が静かになった。

 恐る恐るアリソンが中を覗きこむと寝袋に収まったペコラが口を押えて震えており、カエデの方は頭を押さえて震えている。

 

「あー、大丈夫ですか?」

「らいじょうふれふよ」

「大丈夫です……」

 

 震える二人の姿を眺めてから、アリソンは前を向きなおった。

 

「あ、モンスターが片付いたみたいです。これから二十四階層の巨蒼の滝(グレートフォール)に入るみたいですね。水の匂いがしますよー……お二人とも本当に大丈夫ですか?」

 

 二度目のアリソンの質問に対し、返事は無かった。

 




『アリソンのグレイブ』
 大振りの片刃の刃を穂先にとりつけたシンプルな代物。
 勢いよく振り回して遠心力で叩き斬る、シンプルに突く等と言った使い方が存在する。
 石突を地面についてポールに見立てて使用し蹴り技を扱う事から、石突部分が特注品であり、一般的なグレイブに比べて石突の比重が大きい。



『グレースのケペシュ』
 対モンスター用と言うよりは対人用の武装である盾を引っ掛けて捲る為の返しのついた形状をしている。
 その特徴的な形状故に耐久性も高く無く、モンスター相手にするならば幅広剣(ブロードソード)辺りを使うのが一般的だが、グレース・クラウトスはこの武器に拘りを持っているらしい。



『ヴェネディクトスのウッドスタッフ』
 シンプルな木製の長杖。材質は樫であり、特別な素材と言う訳では無い。
 接近された際にモンスターを牽制するための物で、本格的な魔法詠唱用の触媒としての意味合いは薄い。



『アレックスのガントレット』
 金属製のプレートと繋ぎのレザーを組み合わせた物であり、隠密性を上げる為に金属製のプレート同士が触れ合わない様に間にレザーが挟み込まれている。
 殴る際の威力強化と言うよりは殴った際に手を守る為の物である為、攻撃方面を補助する加工は何一つされていない。


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『深層遠征』《下層》

『グレース、君は最近苛立っている様子だけどどうしたんだい?』

『ヴェトスじゃない。何? 苛立ってちゃ悪い訳?』

『……いや、不機嫌そうだから声をかけたんだけど、本当にどうしたんだい?』

『別に良いでしょ』

『…………もしかしてカエデとアリソンが心配なのかい?』

『はぁ? 心配しちゃ悪い訳?』

『君は、何と言うか……悪い人では無いのはわかる。だけどその、もっと言葉を選んだ方が良いよ』

『別に良いでしょ。これが私よ』


 ダンジョン二十五階層から下層と分類され、オラリオが出来る以前より「新世界」とも呼ばれている領域である。これまでの階層の殆どが平らな地形で安全にモンスターと戦えていたが、ここから先の階層では地形そのものがやっかいになってくる。

 大瀑布『巨蒼の滝(グレートフォール)』と呼ばれる領域であり、この領域は二十五階層から二十七階層と言う三階層に渡って広がる領域であり、縦に巨大な空間が存在し、其処にこの領域名の元となった巨大な滝が存在している。

 冒険者達からは『水の迷都(みやこ)』と言う通称が使用されているこの階層は、二十五階層入口から二十七階層へと跳び下りるが出来るが、たとえ第一級冒険者であったとしても対策せずに跳び下りれば即死する事は確実と言える程の高さである。

 ごうごうと音を立てて膨大な水が落ちる様は目を見張るものであり、エメラルドブルーの湖が瀑布の底に広がっている光景は、見る者を圧倒させるが、それよりも注目すべきは巨大な空間を飛び回る数えきれない程の『ハーピィ』や『セイレーン』等の飛行型モンスターである。

 

 瀑布が一望できる高台から下を見て目を細めるベート、舌打ちと共に動きを止め後ろを振り返った。

 

「おい、フィン達と合流するぞ」

 

 ベートの言葉にディアンが首を傾げる。カエデが疲労回復が間に合わずに本隊の方で待機命令が出てから、この階層に来るまでに問題らしい問題も無かったはずだと疑問を覚えたディアンに対し、フルエンがベートと共に下を見ながら溜息を零した。

 

「マジかよ……。アンフィス・バエナが陣取ってやがる」

「えっと……二十七階層の階層主でしたっけ?」

 

 通常の階層主は決まった場所にしか存在せず、そこから移動しようとはしない。だが、例外も存在し二十七階層に存在する双頭竜『アンフィス・バエナ』は迷宮内で唯一存在が確認されている移動型階層主である。活動領域は二十七階層の湖全域であり、上手く誘導すれば無視して進む事も出来る階層主でもあり、【ロキ・ファミリア】が遠征隊を率いて進む場合は二十八階層へと通じる階段から引き剥がして進むと言う方法をとっていた。

 

「そうだよ。ウェンガルが誘導する事になってんだが……、戦闘状態になってやがる。何があったんだ」

 

 二十五階層から見下ろした二十七階層の湖の周辺を沿う様に存在する通路の先に存在する二十八階層へと通じる階段の辺りにアンフィス・バエナが幾度かの水のブレスを叩き込んでいる様子が確認できる。まるで得物を逃がした腹いせの様なその行動は、通常であれば有り得ない光景である。

 

「それに、上も騒がしいし。なんかおかしい」

 

 下では無く上を見てリディアが呟く。リディアの視線の先、空中に数えきれないほどに存在する飛行型モンスターのハーピィやセイレーン、イグアス等が荒々しく飛び交っている。

 通常の状態であればただふらふらと飛び交っている彼らが何かに興奮しているかの様に暴れているのだ。つまり何か異常があった事は確実であり、無暗に進むと言う選択は出来ない。

 

「とりあえずここで待機だ。変な事すんなよ」

 

 二十五階層、下層最初の領域で足止めされる事に苛立ちを感じたベートの舌打ちが響く中、後ろから荷車を引いてやってくる本隊が早く到着する様にディアンはこっそりと祈る事にした。

 

 

 

 

 

 階段に渡し板をかけて荷車を下ろす作業は非常に時間がかかる。本隊が到着した頃には先程まで暴れ狂っていた飛行型モンスターも落着きを取り戻し、二十七階層であちこちに水のブレスをぶちまけまくっていたアンフィス・バエナも警戒状態に落ち着いていた。

 とはいえ、警戒状態のアンフィス・バエナに近づく等と言う事は出来ず足止め状態である。

 

「そうか、他の遠征隊が居た可能性は……無いだろうね」

 

 空から見えない大岩の陰に本隊を移動させ、団長であるフィン、副団長であるリヴェリア、そしてガレス、他に各班の代表一名ずつ。アイズ、ベート、ティオネ、ティオナ、ペコラ、サポーター班の代表が集まる中、腕組みをして呟くフィンの言葉にベートが苛立った様に噛みつく。

 

「だがあの暴れっぷりは間違いなく他の馬鹿が刺激したに決まってんだろ。じゃなきゃ説明できねえ」

 

 二十七階層全域を移動するアンフィス・バエナが、二十八階層に通じる階段部分に向かってブレスを吐き散らしていた光景を見ていたベートからすれば信じがたいフィンの言葉であるが、フィンの方も困った様に眉を顰めざるを得ない。

 

 本来、深層遠征に赴く場合はギルドに対して書類の提出をし、遠征隊が他のファミリアと被らない様にするのだ。無論、被った所で罰則がある訳ではないが、先に進んでいた遠征隊によってモンスターが警戒状態または戦闘状態に陥った場合、後から進む遠征隊の方で甚大な被害が出る事が多い。

 故に基本的には各ファミリアは深層に進む場合はギルドに申請を出して他のファミリアと遠征予定が被らない様にするのだ。そして、今回の【ロキ・ファミリア】の遠征に赴くにあたって、他のファミリアの遠征予定と被らない様に慎重に日程を選んだのである。

 

 額に手を当てて頭痛を堪える様にリヴェリアが呟く。

 

「遠征隊では無く、少数での……と言うのは有り得るか?」

「その場合はよっぽどの阿呆な冒険者と言う事になるがなあ」

 

 リヴェリアの言葉を否定するガレスの言葉にフィンが頷く。

 

 アンフィス・バエナと言う階層主は、規模の大きな遠征隊でもない限りはよほど刺激しない限りは襲ってくる事はない。小規模、それこそ5人、6人前後の一パーティのみでの行動であれば襲われる心配等は無いのだ。大規模な30人を超えてくると途端に襲ってくるのだが。

 つまり、少数での行動であるのなら暴れ狂っていた理由が存在せず、大規模な遠征隊であるのならギルドに申請を出していないと言う事になる。

 そして、ギルドに正式な申請を行わない遠征隊ならほぼ間違いなく後ろ暗い事をしていると言う事でもあり、少数での行動の場合はよほどの阿呆か、もしくは意図的に【ロキ・ファミリア】の遠征を妨害しようとしているか。

 

「判断材料が少ない。とは言えここで止まる訳にもいかない。次の安全部屋(レストフロア)まで進まなければならないし、ペコラの疲労回復も限界があるだろう」

「ここで足を止めていても何も始まらない。それにもう警戒状態になっているのだろう? 戦闘状態でなければ誘導も出来るだろう」

「うむ。一応警戒するのと、全員に盾の装備をさせるべきだな。特に魔道士達は危なかろう」

 

 フィン、リヴェリア、ガレスの三人の言葉を聞いたペコラが一つ頷いてから立ち上がった。

 

「では荷車から装備品を卸すのと、各団員に閃光弾(フィラス)の所持を厳命しますか?」

「うん、そうだね。全員閃光弾(フィラス)を持たせよう。ベートの所は音響弾(リュトモス)も持つように。無いと思うけどアンフィス・バエナが本隊に気が付いた場合は頼む」

 

 フィンの言葉にペコラが頷いて立ち去り、団員達へと指示を伝えに行き、ベートが眉を顰めた。本隊に気付いて襲撃を仕掛けてきた場合、ベート班がアンフィス・バエナに対し音響弾(リュトモス)を投げつけて挑発しろと言う意味であり、彼の階層主に音響弾(リュトモス)を使用した場合、それこそ親の仇もかくやと殺しにかかってくる事は間違いない。

 とは言え、動きが鈍重な本隊が襲われればここで荷車を破棄せざるを得ず、ここで荷車を破棄すると言うのは遠征失敗を意味する為、フィンの命令も十二分に意味のある物だ。ベートに対する信頼が有るからこその命令に対し、ベートは口を開いた。

 

「だったらサポーターはそっちで預かれよ。あんなの連れてちゃ逃げ切れねえ」

「あぁ、ディアンとカエデは本隊に編成する。4人で頑張れるかい?」

「はん、問題ねえよ。そっちこそ変に刺激すんじゃねえぞ」

 

 ベートは吐き捨てる様に言ってから班員の待機している場所に向かって行った。その背を見送ってからフィンは残った皆の顔を見回してから口を開いた。

 

「ダンジョンでは何が起こるかわからない。当然の事ではあるけれど、()()()()きな臭い。もしかしたら【ハデス・ファミリア】が何か仕掛けてくるかもしれないから気を引き締めて欲しい」

 

 【ハデス・ファミリア】によって甚大な被害を被った『リヴィラの街』を仕切るボールス・エルダーが血眼になって警戒している上、【恵比寿・ファミリア】が厳重な警戒態勢を敷いている中、十八階層を突破して下層であるここまで【ハデス・ファミリア】が足を運ぶ事は難しい筈である。

 だが、彼のファミリアは予想外の行動をとる事が多い。カエデに対する襲撃を行う為だけに『リヴィラの街』や冒険者ギルド、商売関係を取り仕切る【恵比寿・ファミリア】を敵に回す等と言う気の狂った行動をとっているのだ。もしかしたら此処でも仕掛けてくる可能性はある。

 

 

 

 

 

 

 厳重な警戒を行いつつも進んだ結果を端的に言い表すのなら、『徒労に終わった』であろう。

 

 第三十二階層、大規模な遠征隊が休息可能な大きな休息部屋(レストフロア)に到着した【ロキ・ファミリア】は、警戒状態こそ解いていないものの此処に来るまでに特に問題らしい問題も無い所か、モンスターとの戦闘も一階層辺り片手で数えられる程度と、順調にこの階層にまで辿り着いていた。

 

 ディアンとカエデ両名は三十二階層の休息部屋(レストフロア)に到着するまでガレス班預かりとなっていたが、モンスターとの戦闘に出してもらえるはずも無く、ただ荷車と一緒に歩いて進むのみ。

 時折、先頭を歩くガレスの元にフルエンかウェンガルが走ってきて二、三言、言葉を交わして戻って行くのを見送ると言った事はあったが、それも規模の大きなモンスターの群れを別方向に誘導した事を伝える為の物であり、暇を持て余す様な状態であったのだ。

 

 三十二階層に到着してすぐ、カエデとディアンは水袋を両手に持ってファミリアの目と耳となって最も危険な最前線にて索敵を行っていたベート班の面々と合流した。

 

「ありがとー」

「ぷはぁ……生きかえるわぁ」

 

 無言でカエデから水袋を受け取って呷るベート、へらへらとした笑みを浮かべたウェンガルに腰に手を当てて胸を張って水を飲むリディア。フルエンは水を受け取ってから二人の様子を見て苦笑いを浮かべつつも口を開く。

 

「さんきゅ、ってなんか二人ともしょぼくれた顔してんなぁ。どうしたんだ?」

「あぁ……なんつーか。遠征ってもっとこう、ガンガン戦って進むのかと」

「偉業の欠片の入手率が高いって聞いてたので、もっと何かあるんじゃないかなって」

 

 ディアンとカエデの言葉にフルエンは苦笑いを其の儘に水を呷る。代わりにリディアが口を開いた。

 

「最初はそのイメージを持ってる子が多いけど、そんな事してたら道中で疲労困憊で動けなくなっちゃうよ」

「そうそう、モンスターは避ける。罠は解除する。突っ込むなんて脳味噌まで筋肉でできてる様な事するのはペコラさんだけで十分よ」

 

 それとなくペコラ・カルネイロが考えなしに前進しかできない脳筋だと貶すウェンガルの言葉にリディアが困った様に眉を顰め、すぐにその通りかと頷く。

 

「そうだな、この先の三十七階層、なんて呼ばれてるか知ってるか?」

 

 フルエンの言葉にカエデとディアンが顔を見合わせてからカエデが口を開いた。

 

「確か『白宮殿(ホワイトパレス)』です」

 

 三十七階層は『白宮殿(ホワイトパレス)』とも呼ばれ、白濁色に染まった壁面、そしてあまりにも巨大な迷宮構造をしており、上部の階層とは度合(スケール)そのものが異なり、通路や広間、壁に至るまでの全ての要素が広く大きい。

 また、円形の階層全体が城塞のごとく五層もの大円壁で構成されており、階層中心に次層への階段が存在している。

 

「ここには面倒な場所がある。わかるか?」

「『闘技場(コロシアム)』ですか?」

 

 恐る恐る口を開いたディアンの言葉に、フルエンは大業に頷いた。

 

「そうだ、ここの階層主はギルドの定めた強さは第一級(レベル6)だ。そして階層全域に渡って面倒な事に常に一定のモンスターが湧き続ける。広さも相当だから階層中心に向かうまでに戦闘を避ける事はほぼ不可能」

 

 三十七階層の階層主は『ウダイオス』。撃退した場合は三か月間の間を置いて再度出現する迷宮の孤王(モンスターレックス)である。

 全身を漆黒に染め上げた骸骨の巨身で、下半身を地面に埋めスパルトイをそのまま大きくしたようなモンスターであり、常に一定数のスパルトイと呼ばれるウダイオスを小さくしたモンスターを呼び出す事から、単独行動をしている他の迷宮の孤王(モンスターレックス)よりも難度は高めである。

 

「第一軍の団長達、それから準一級(レベル4)の隊長クラスと魔道士はウダイオスの早急な討伐の為に出る訳よ、んで第二軍がその間に後ろで待機する荷車を守る訳だが……」

 

 ウダイオス討伐作戦中は、後方待機組であるサポーター班と、各班第二軍相当に分類されている第二級(レベル3)冒険者が主軸となって荷車を守る事になる。

 当然、この階層では倒しても倒してもモンスターは湧き続け、ウダイオス討伐に時間がかかれば後方に待機する者達の負担は大きくなる。敵の強さも相応であり、常に複数人の冒険者で固まる必要がある。

 

 ここで起きる戦闘は全員が武器を手にする事になり、それこそ第三級(レベル2)冒険者も戦闘に参加する事になる可能性は高い。

 

「無論だけど、お前らは4人がかりで挑まねえと普通に死ぬから気を付けろよ。特にディアン、盾で受け止めようなんて考えんなよ、そのまま盾毎潰されて死ぬからな」

「うぇ……」

 

 この階層に出現するモンスターの強さは既に第二級(レベル3)相応であり、中には準一級(レベル4)相応の強さをもつ希少(レア)モンスターも出現する。絶対に無いと言い切れないのが準一級(レベル4)相応の希少(レア)モンスターの襲撃によって後方待機組が壊滅する事である。

 他にも数の暴力によって後方待機組が壊滅する事だってあり得る。

 

「まあ、リヴェリア様の魔法でウダイオスを瞬殺できればそんな事は無いんだがな」

 

 笑うフルエンに対し、カエデとディアンは不安そうに顔を見合わせた。

 

 

 

 

 第三十二階層の休息部屋(レストフロア)にて、警戒組を除く全員が集まってフィンの演説を聞く姿勢をとっている。

 

「よって、此処から先は第一軍メンバーと第二軍メンバー、サポーター組で分ける事になる。第一軍メンバーは僕、リヴェリア、ガレス、アイズ、ベート、ティオネ、ティオナだ。ペコラは後方待機組の第二軍メンバーと共に行動してくれ。全員、明日には三十七階層を突破して一気に四十階層まで進む事になる。そうしたら四十一階層にある休息部屋(レストフロア)に中継地点として仮拠点の設営。仮拠点を中心に四十一階層の探索を行う」

 

 明日朝早くに起床し、三十七階層へと突入後、速やかなウダイオスの討伐を行う旨等が伝えられる中、不安気な遠征新規組と、慣れた者達の差を見ながらフィンは口元に笑みを浮かべる。

 

「今日はしっかりと休息をとる様に。それでは、解散」

 

 フィンの合図と共に団員達がそれぞれ動き出す。警戒組として入口の警戒に当たっていた団員との交代の為に歩き出す者、休憩組として焚火を囲んで笑い合う者、ペコラの子守唄を聴く為にテントに足を運ぶ者。

 そんな中、嫌そうな表情が薄らと顔に出たカエデがフィンの方へ歩いてきた。カエデの表情を見て目を細めてからフィンは口を開く。

 

「どうしたんだい?」

「……外で寝ちゃだめですか?」

 

 狼人(ウェアウルフ)専用に張られたテントの中の居心地の悪さから逃げたい一心のカエデの言葉に対し、フィンは軽く目を細めてから肩を竦める。

 

「ダメだ。今の内に()()ておかないと今後の遠征は君を非参加にせざるを得ないからね」

 

 ダンジョン遠征は偉業の証、欠片の入手機会として知られており、カエデもそれを期待している。今後の遠征に参加できない等となれば偉業の証、欠片の入手機会の激減を意味する為、何が何でも参加したいカエデにとっては避けたい事である。

 だが、同時にあの居心地の悪いテントの中と言う空間も出来うるならば避けたいモノなのだが。

 

「……わかりました、勝手な事言ってごめんなさい」

 

 苦渋の表情を浮かべ、絞り出す様にカエデが謝罪の言葉を呟いてから俯きがちにテントの方に向かうのを見て、フィンは軽く溜息を零した。

 小声で『必要な事だから』と自分に言い聞かせながらテントに向かうカエデの様子に気付いたリヴェリアが眉を顰め、フィンを見据えた。

 

「フィン、カエデだけでも分けるべきではないか?」

「カエデの為だけにテント一つ用意するなんぞ出来んだろうに、それに下級の者と違って上級にもなったあいつ等はカエデを貶しはしないだろう」

「だが、避けている様子だったが」

 

 狼人(ウェアウルフ)達の中でも駆け出し(レベル1)第三級(レベル2)の者達はカエデに進んで吠えかかって行く事があったが、第二級(レベル3)の者達はカエデを避けている節がある。狼人(ウェアウルフ)の中でカエデに関わっているのはベート一人のみ。

 そのベートもカエデを貶す駆け出し(レベル1)第三級(レベル2)は論外としても、あからさまに避ける第二級(レベル3)の者達に対しても当たりが悪くなっている。

 

 様子を見に行ったリヴェリアが見たのは中央で寝転がるベートを壁とし、左右にカエデと他の狼人(ウェアウルフ)が分かれてる光景であった。縮こまり耳を塞いで眠ろうとするカエデと、中央のベートの威圧で怯んで固まっている狼人(ウェアウルフ)達。

 好き好んで中に割り込もうとは思えない居心地の悪そうな空間に置き去りにされている様子は不憫であったが、フィンはそうすべきと判断したのだ。

 

「一度、ベートとカエデは離れさせるべきかな」

「それはどういう?」

「少し距離を置いて貰わないと、ベートだけにしか関われなくなるしね」

 

 フィンの言葉にガレスとリヴェリアが肩を竦めた。

 

「確かにな」

「まあ、そうだなあ」

 

 

 

 

 

 ペコラ・カルネイロの夜は長い。ただひたすらに、夜通し子守唄を唄い続けるペコラは周りで眠る団員達に歩み寄って頭を撫でたりしつつも唄うのはやめない。

 入口の閉じられた防音性の高いテントの中では、外の様子は知る事は出来ない。たとえ聴覚に特化した兎人(ラパン)であろうがこのテントの中に居れば外の音は聞こえず、逆に中の音を外から聞き取る事は不可能である。

 ダンジョンの中と言う異空間の中で眠るにしては、周りで眠る団員達の表情は非常に安らかなものであり、ペコラは唄いながらも苦笑を浮かべる。

 

 誰かの為に唄うと言うのは悪い気分では無い。むしろ自身の唄が誰かの助けになれて嬉しいと感じるのだ。

 

 しかし、狼人(ウェアウルフ)達には唄ってあげられない。

 

 決して、断じて、命を賭けても良い。彼らが悪い等と言う事は無い。ただ、あの光景が忘れられないだけで、彼らが悪い等と言う事は有り得ない。だが、それでも唄ってあげる事が出来ていない。

 今、この瞬間に思うのは一つのテントに押し込められた狼人(ウェアウルフ)達の事。

 

 第二級(レベル3)の子達は、悪い子では無い。むしろ根は真面目でしっかり者でもある。編成されているのはティオナとティオネの二人の班に配属されており、後ろにモンスターを抜かせまいと全力を尽くしてくれていたのを、ペコラは知っている。

 

 準一級(レベル4)のベート・ローガは最も危険な索敵役を買って出ていて、常に気を張り続けて班員に被害が出ない様に全力で取り組んでいるのを知っている。普段の言動から荒々しい印象を受ける彼だが、ペコラが気絶した際は面倒臭がりはすれどしっかりと医務室のベッドまで運んだり、運ぶ様に指示をだしたりしているのをペコラは知っている。

 

 つい最近、めちゃくちゃな最短記録をたたき出した幼い狼人の事も、知っている。真面目で、頑固な所もある彼女もまた、悪い子では無い。狼人(ウェアウルフ)だけを押し込めたテントの中で居心地の悪い思いをしているのを、ペコラは知った。

 

 だけれども、ペコラは彼ら、彼女らを癒す為の唄を唄えない。狼人(ウェアウルフ)の姿を見るだけで、あの光景が目に浮かぶ。

 

 ペコラ・カルネイロは知っている。【ソーマ・ファミリア】の元団長であった彼女もまた、悪い人では無い事を。

 彼女はただ、守りたかっただけで、守ろうとしていただけで、ペコラの両親が所属していたファミリアが先に仕掛けてしまっただけで、やり返されただけだと言う事を知っている。

 

 姉の背に庇われている自分、彼女が泣き叫んでいる光景が目に浮かぶ。

 

 どうして、なんで、皆を殺したのか。やめてって、もう何もしないでって、お願いしたのに。忠告したのに、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()なんて。

 彼女を狂わせたのは、両親が所属していたファミリアであって。彼女は悪くなくて、それでも怖かった。

 

 飛び散る血と、彼女の泣き叫ぶ声と、振り向いた姉の顔。姉、キーラ・カルネイロは言った。『大丈夫。お姉ちゃんに任せておけ』と。

 

 本当は、ペコラ・カルネイロも()()()()()になるはずだったのに。もう直ぐ生まれるはずだった、弟か妹が居たはずなのに。彼女の振るう凶爪が、膨らんだ母の腹を引き裂いて、引き摺り出された弟か妹が彼女の手で握りつぶされるのを目にしてしまったから。

 お姉ちゃんになりたかった幼い自分は、目の前で弟か妹かもわからなかった命を握りつぶされるのを、見ている事しか出来なかったから。

 

 ──ペコラさんは、結局の所、見ているばっかりでしたから。

 

 ふと、不安を覚えて唄が途切れる。喉がいつの間にか枯れていて、声が出ない。

 緊張感も無く寝ていたはずの皆が目を見開いてどうしたのかと周囲を見回し始めた所で、ようやく動き出せた。

 

「すいません、喉が渇いてしまって……えへへ」

「水誰か持ってたか?」

「持ってないな」

「あったあった、どうぞペコラさん」

 

 猫人の少女に水を手渡され、一気に飲み干す。部屋全体が薄暗いおかげで表情は見られてないはず。そう言い聞かせつつも笑みを浮かべた。

 

「ありがとうございます。すいません直ぐに唄い直しますのでー」

「あぁ、いつもありがと」

「いえいえ、ペコラさんに出来る事なんてこれぐらいですからー」

 

 後は適当に真っ直ぐ進んでモンスターにバトルハンマーを振り下ろすぐらいか。相応に役に立ちたいとは思うが、ペコラに出来るのは後方待機組として守る事のみ。

 その、守る事だって存分に出来るかと言えばそうではないし、失敗する可能性だってあるのだが。

 

 ──やっぱ、ペコラさん的には突っ込んで行って槌を振り下ろす方がわかりやすくていいですね。

 

 内心、団長の采配に文句を言いつつも子守唄を唄う。

 

 この子守唄は、不安で眠れなかったペコラを慰める為に姉のキーラが唄ってくれた唄だ。何時の間にか、自分が唄う様になっていたこの子守唄。

 最後に姉に唄って貰ったのは、【ロキ・ファミリア】の入団試験に挑む前日だったか。彼の急成長し始めたファミリアへの入団試験の日が発表され、勢いに任せて参加すると言って、不安で眠れなかったあの日。

 

 ──明日も、これから先も、皆無事でいてくれたら嬉しいですね。どうせ、ペコラさんなんて肝心な時には見ている事しかできませんし。

 

 【ロキ・ファミリア】のみんなも、【ミューズ・ファミリア】の姉も、【ソーマ・ファミリア】の彼女も、誰も傷付かない様な世界であれば良い。

 

 夢の世界では決して傷付きはしない。傷付けさせはしない。傷を覆い隠す様な、甘ったるい蜂蜜漬けの夢。

 

 不安は無い、恐怖は無い、痛みも、何もない。ただ幸せで、甘ったるい蜂蜜漬けの夢の世界。

 

 外に広がるダンジョンの恐怖を今一度忘れ去り、不安や恐怖から解き放たれて、一時の夢を与えましょう。

 

 どうか、傷一つ無い、幸せな夢を()()()に。




82話、83話のサブタイトルを変更しました。




『ペコラの子守唄』
 【甘い子守唄(スィートララバイ)】ペコラ・カルネイロの唄う子守唄。
 旋律スキルによって補助されたその子守唄は、彼女の二つ名としても知られている。
 ただ甘く、甘ったるく、蜂蜜漬けの様な夢を与える子守唄。聴いた者全てを眠りに落とす旋律スキルを使用した癒しの技。
 オラリオ最強と名高い【猛者(おうじゃ)】オッタルですら眠りに落とせる技であり、使い方次第では最強を下せるのでは等とも噂されている。

 元は彼女の姉が妹の為に唄っていた子守唄をそのまま妹が皆の為に唄ったもの。
 彼の惨劇の場に居合わせた妹を癒す為だけに唄われたその唄は、聴く者全てを癒す効力を持ち、妹へ引き継がれた。


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『深層遠征』《下層~深層》

『おい、そのヒイラギってのは何処に居んだよ』

『それを今調べてるのさ』

『……どんな奴だ』

『黒毛の狼人、幼い少女。それ以外に特徴は知らないけど、黒毛の狼人なんて滅多に見ないんだ。直ぐに見つかる……はずなんだけどね』

『匂いで追えないのかよ』

『一度も会った事もない子の匂いなんて追える訳無いだろう』

『あん? ガキ(カエデ)の匂いと同じじゃねえのかよ。血が繋がってんだろ? だったらガキの匂いを参考に調べりゃ良いだろ』

『…………君、天才かい? その手があったか。そうだよ、カエデ・ハバリと血縁関係があるなら彼女の匂いとヒイラギ・シャクヤクの匂いは似るはずだ。つまりカエデ・ハバリの匂いが判れば──カエデ・ハバリの匂いが染みついた物を持ってないかい? 下着類とかあれば確実なんだけど』

『お前、もしかしなくても馬鹿か? 俺があのガキの下着なんて持ってる訳ねえだろ。ぶっ飛ばすぞ』


 ダンジョン三十七階層。『白宮殿ホワイトパレス』とも呼ばれ、白濁色に染まった壁面、そしてあまりにも巨大な迷宮構造をしており、上部の階層とは度合スケールそのものが異なり、通路や広間、壁に至るまでの全ての要素が広く大きい。

 また、円形の階層全体が城塞のごとく五層もの大円壁で構成されており、階層中心に次層への階段が存在している。

 

 階層中央部付近に存在する迷宮の悪意(ダンジョントラップ)の一種『闘技場(コロシアム)』は、常に一定数のモンスターが湧き続け、際限無く戦いが繰り広げられる事からその名で呼ばれる。

 階層主であり迷宮の孤王(モンスターレックス)の『ウダイオス』討伐の為に【ロキ・ファミリア】第一軍メンバーが挑み、残りの第二軍及びに予備戦力、サポーターのメンバーが荷車の防衛を担当する事となった。

 

 第一軍メンバーがウダイオスの待ちかまえる部屋(フロア)へと突入してからまだ5分程度の時間しか経過していない。

 しかし、現在【ロキ・ファミリア】の遠征部隊は苦戦を強いられていた。

 

 二台の大型荷車を中心にウダイオスの居る部屋(フロア)へと通じる大きな()()を背にし、半円陣を組み後方より現れる大量のモンスターを捌いている【ロキ・ファミリア】の後方部隊。

 前衛に力と耐久に優れるドワーフを中心に大盾(タワーシールド)を装備した前衛(タンク)、中衛に遊撃として配置された狼人(ウェアウルフ)猫人(キャットピープル)等の中衛(サブアタッカー)犬人(シアンスロープ)等の支援役(サポーター)、後衛に配置されているのが【魔弓の射手】ジョゼット・ミザンナが作り出した装備魔法『妖精弓』を装備した第三級(レベル2)冒険者達や魔法使い達後衛(メインアタッカー)で形成されている。

 

 大体の場合は後衛の放つ魔法攻撃の嵐によって殆どのモンスターが殲滅され、前衛役が受け止めるモンスターの量は少ないはずだが、この三十七階層に出現するモンスターの中には魔法が効き辛いと言う特殊な性質を持ったモンスターも出現する。

 『オブシディアン・ソルジャー』と言うモンスターであり、黒曜石の体を持つ。黒曜石は元来、魔法に対する高い耐性で知られており、当然ながらオブシディアン・ソルジャーもまた非常に高い魔法耐性を持つ。

 そして厄介なのはそれだけにとどまらず、中層に出現する蜥蜴人(リザードマン)の上位種と言われる『リザードマン・エリート』は巧みな連係とオブシディアン・ソルジャー(他のモンスター)の特性を活かし、魔法の嵐を潜り抜けて接近してくる。

 そしてねじれ曲がった二本の大角、黒の体皮、赤の体毛、ミノタウロスに似た二足二腕の構造をした、大型級に匹敵する肉体のモンスターである『バーバリアン』。ギルド推定レベルは3から4と非常に手強いモンスターであり、数もかなり多い。

 

 前衛のドワーフが持つ大盾(タワーシールド)にバーバリアンの持つ大斧がぶつかり激しい火花が散り、後方より飛来した『妖精弓』の魔法矢が幾本もバーバリアンに突き刺さるもその表層の皮膚を削るのみ。筋肉質なその体にはダメージとはなり得ず、二度目の連撃がドワーフの持つ大盾(タワーシールド)にぶち当たり、ドワーフが大きく仰け反る。

 

「ぐぁっ」「援護するっ!」「糞っ、こっちもヤバイぞ」「オブシディアン・ソルジャーだ! 魔法使いは別の所を狙えっ」「リザードマン・エリートが張り付いてやがる、十時方向!」「三時方向よりバーバリアン三匹接近中、魔法が使える者は其方を狙う様に」

 

 次々に報告が飛び交う中、カエデは渡された『妖精弓』の弦を引き、狙いを定める。

 視線の先にはリザードマン・エリート三匹を相手に大立ちまわりを繰り広げる狼人(ウェアウルフ)の青年の姿。カエデの放った魔法矢が一匹のリザードマン・エリートの肩を穿ち、リザードマン・エリートは金属質の盾をとり落とした。

 瞬時に狼人(ウェアウルフ)の青年が盾を失った個体に詰め寄り、喉を蹴り穿ち止めを刺す。彼の背に迫る別のリザードマン・エリートの足をカエデの魔法矢が穿ち、姿勢を崩して倒れた個体によってもう一匹の個体も狼人(ウェアウルフ)の青年への追撃を阻害されて動きを止める。

 カエデが三射目を放つより前に、動きを止めたリザードマン・エリートの盾を蹴りで引っぺがし、懐に潜り込んで短剣で喉を穿つ。ついでと言わんばかりに倒れていたリザードマン・エリートの肩を踏みつけ、起き上がろうとするのを阻害しつつ、喉を穿たれた個体が息絶えた瞬間に足元のリザードマン・エリートの頭を踏み潰す。

 リザードマン・エリート三匹を仕留めた狼人(ウェアウルフ)の青年が一瞬だけ、後方のカエデの方に視線を向けてから目を見開き、直ぐに前に向き直って別のモンスターの対処に当たる。

 

 ワタシが援護したのがそんなに驚く事だったのか。そんな考えを飲み込んで妖精弓を構えるカエデ。

 

 前線で戦うメンバーが23人、後方で援護するのが14人、第三級(レベル2)の者達はもっぱらジョゼットに渡された妖精弓を使っての援護に留まるのみ。

 当然の如くカエデも妖精弓を使った援護に徹しており、既に二つ目の弓を使い果たし三つ目の弓を荷車の上に立つジョゼットから受け取る。

 

「もう直ぐ一軍の皆さんが討滅を終えると思います。もうしばしの辛抱です。魔法隊、三時方向、バーバリアン接近。オブシディアン・ソルジャーが前に居ますがバーバリアンの頭を狙ってください。射手隊は十一時方向より接近するリザードマン・エリートの対処を、『射手隊よ、弓を持て、矢を放て『一斉射』』!」

 

 最前線に立つ者達を援護すべく放たれたジョゼットの『一斉射』によってバーバリアンが穿たれ倒れ伏す。やはりと言うべきか装備魔法は作成者本人が扱う方が威力が高いのだろう。それとも他に要因があるのかカエデの放つ魔法矢や他の第三級(レベル2)団員の放つものに比べ、ジョゼットの矢の威力は頭一つ抜けている様に感じられる。

 

 最前線で怪我人こそ出ていないものの、大盾(タワーシールド)がベコベコに凹み、歪んで使い物にならなくなった者も出始め、もう数分もすれば前衛(タンク)が崩れ、中衛、後衛にも被害が出そうである。

 下手をすれば荷車に殺到されて破壊される危険性も出始め、ジョゼットの表情に焦りが浮かび始める。

 後方部隊として指揮を任される事になっているラウルが最前線で叫び指示をして前線を維持しようとしている様子だが、後衛の魔法使い達の動きが良くない。

 オブシディアン・ソルジャーと言う魔法耐性の高いモンスターの所為で無暗に魔法を放てず、かといって魔法を放たなければリザードマン・エリートやバーバリアン等のモンスターに詰め寄られる羽目になる。焦るが故に魔法を放つも、オブシディアン・ソルジャーに阻まれて無為に終わる事も有る為に魔法使い達も困惑しているのだろう事は想像に容易いが、前衛が総崩れ寸前の現状を鑑みるに魔法を撃つタイミングが合わさっていないのが致命的なのだろう。

 

 リヴェリア様の様に上手く魔法を使う者達のタイミングを合わせられない。苦々しい思いをしつつも新たに弓を作り、構える。

 

「「『誇り高き妖精の射手へと贈ろう。非力な我が身が打つ妖精弓を、十二矢の矢束を六つ、七十二矢の矢を添えて『妖精弓の打ち手』』」

 

 立ちくらみの様な感覚を覚え、一瞬足元が揺れる。頬を叩いて意識を保ち、ジョゼットは前線の様子を見据えた。

 

 団長達一軍メンバーがウダイオス討滅に向かいどれぐらいの時間が経過しただろうか。第二軍メンバー達の焦りが皆に伝播し始め、後方から妖精弓を放つのみだった第三級(レベル2)の者達がざわめいている。

 

「不味くねえか」「まだ討滅できないのか」「おい、あっちの方崩れそうだぞ」「このままだと全滅しそうだよ」「とにかく弓を構えろ」

 

 妖精弓はしっかり狙いを意識して弓を放てば勝手に矢が其方に飛んでいき、何かに阻まれない限りは命中すると言う効果があるのだが、焦り故に狙いがぶれ始め、リザードマン・エリートを狙う様に指示しているのにも関わらずオブシディアン・ソルジャーに魔法矢を当てる者が出始める。当然、魔法耐性の高いオブシディアン・ソルジャーにジョゼットの妖精弓による魔法矢はそよ風程度の衝撃しか与えられず、黒曜石の体の表面で魔法矢が弾けて消える。

 

 最前線のラウルが何とか士気を保とうと色々叫んでモンスターを積極的に倒しているが、限界に近い。

 

 何より魔法使い達が精神疲労(マインドダウン)し始めている。中には精神枯渇(マインド・ゼロ)で膝を突いている者も出始めた。前衛の大盾(タワーシールド)も三度目の交換に突入した者も居る。

 焦りが増し始め、全体的に焦燥感にあぶられる【ロキ・ファミリア】の後方部隊メンバー達。

 第一軍と言う心の支柱的存在が居なければ此処まで脆くなってしまうのかと舌打ちを堪え、ラウルが剣を振るいリザードマン・エリートを討ち果たす。

 

 周囲を見回して援護が必要な個所を探そうとした瞬間、間隙を縫う様に飛び出してきたバーバリアンの結晶の大槌の一撃がラウルに振り下される。

 

「なっ!?」

 

 瞬時に防御姿勢をとるも、大槌の一撃をショートソードで防げるはずもない。その衝撃を想像して目を瞑るラウル。

 次の瞬間には大槌が何かを打つ音が響き渡った。だが、音とは裏腹にラウルには何の衝撃も無く、防御姿勢をとったままラウルは薄目を開けた。

 

「ラウルさん大丈夫ですか。焦り過ぎは禁物ですよー」

「ペコラさん……」

 

 目の前にはふわふわなセーターを纏った女性の姿。肩越しに振り向いてにこやかな笑みを零したペコラ・カルネイロが片手でバーバリアンの一撃を受け止めていた。

 掴んだままの水晶の大槌を引っ張り、バーバリアンの体を手前に引き寄せつつ、ペコラは巻角の大槌を振り上げ、そのまま振り下ろした。

 無造作な一撃がバーバリアンの脳天に突き刺さり頭部を粉砕し、即死させる。

 

「皆さん、下がってください」

「ちょっ、ペコラさん何言ってるッスか」

「いえ、ペコラさんに良い考えがありますので」

 

 あっさりとバーバリアンを仕留めたペコラが笑みを浮かべたまま皆に宣言する中、ラウルが慌てて食って掛かる。いくら準一級(レベル4)の中で最も耐久に優れているとは言え、モンスターの数は減っていないこの状況で彼女一人に対処を任せるのは厳しいものがある。

 そんな考えを巡らすラウルに対し、ペコラはにこやかな笑みを浮かべたまま巻角の大槌を振り上げて()()()()()

 

皆、下がって

 

 ラウルが目を見開き、後ろを確認すれば【ロキ・ファミリア】の面々が一斉に後ろに下がり、モンスター達も何故か後ずさり始めている。

 

「『呪縛命令(バインド・オーダー)』はお姉ちゃんの特権ですが。お姉ちゃんしか使えない訳じゃないんですよ」

 

 旋律スキルには種類が存在し、それぞれ『聖律』『聖声』『邪律』『邪声』のいずれか、または二つ程の効力が強化されると言うのが一般的な認識であり、ペコラの旋律スキルは『聖律』『聖声』の効果を増強すると言うものである。

 だからこそ『子守唄』等を唄う事の多いペコラ・カルネイロだが、それは『邪律』『邪声』系の技が一切使えないと言う意味では無い。とは言え『聖律』『聖声』系の技に比べて精度も威力も落ちるのは否めないものの、自身と同格または格下程度の相手ならば『呪縛命令(バインド・オーダー)』で確実に足止めする事が可能なのだ。

 

 ペコラ・カルネイロが後方部隊に配属された理由であり、もしも後方部隊が危機的状況に陥った場合、または前線崩壊の危険が発生した場合にはペコラの判断で前線を下げさせてモンスターを退ける許可を貰っている。

 無論、ペコラ一人で片づけられる問題ではあるが、かといってペコラが最初から片付けてしまえば他のメンバーが育たない。故にあえてペコラには最終手段として後方部隊に配属されていたのだ。

 

動かないで

 

 ペコラの言葉が不自然に響き渡り、モンスターの動きを強制的に止める。だが同時に【ロキ・ファミリア】の『邪声』『邪律』に耐性を持たない団員を縛り上げる。

 動けるのはラウル、ジョゼットを含む少数の団員のみ。だがモンスター側は完全に耐性が存在しないのか動けるモンスターは一匹も居ない。

 

 足止め出来る時間は5分程度とそこまで長くはないが、5分間無防備な姿を晒すと言う意味を正しく理解出来る者なら悲鳴を上げるだろう。

 

「ラウルさん」

「あー……団長に怒られるッスかねぇ。動ける人は動けなくなってる人を拾って荷車に詰めてくださいッス」

 

 団長達第一軍メンバーが事を終えるまで耐える事が出来る様にと頑張ったものの、やはり難しい。団長であれば容易に出来るだろう事も出来ずにラウル・ノールドは深々と溜息を零した。

 

「やっぱ俺、団長候補なんて向いてないッスよ……」

「そんな事無いと思いますよ。最後まで指揮を投げ捨てずに頑張ってたじゃないですか」

 

 溜息を零すラウルに慰めの言葉を投げかけるペコラ。ラウルはペコラの方を一瞬だけ見てから動けないドワーフを担いで荷車の方へ歩いて行った。

 何の返事も無く歩いて行ったラウルの後ろ姿をちらりと流し見てから、ペコラは深々と溜息を零す。

 

「ペコラさんは何を言ってるんでしょうかねぇ」

 

 

 

 

 

 第一軍メンバーの方は問題無くウダイオスの討滅に成功し、ようやくとも言うべきか【ロキ・ファミリア】の遠征隊は第四十一階層の休息部屋(レストフロア)に中継地点を設営し終え、警戒態勢を敷きつつも各々休憩へと入っていた。

 第一軍メンバーの者達とペコラが会議用のテントに集められて会議をしているさ中、カエデは懐中時計を見つめて感心の吐息を零していた。

 

「出発から二日と半日で到着……」

 

 深層に到着した第三級(レベル2)メンバーが各々、焚火の前で会話を交わす中、カエデは懐中時計をしまい、自身の持つウィンドパイプを引き抜いて刃毀れ等が無いか等の確認作業をし始める。

 横に座っていたアリソンがぼんやりとした表情で呟く。

 

「死ぬかと思いましたよ」

「そうそう、三十七階層。ペコラさんが出てくれなかったら前線崩壊からの私達まで戦闘する乱戦状態になってたよね」

 

 三十七階層では後方より妖精弓による援護のみに徹していた第三級(レベル2)メンバー達であったが、前線の旗色が悪くなったのは誰しもが理解していたし、殆どの者が前線が崩壊する姿を幻視する程であった。

 常に一定数のモンスターが湧くと言う特性上、足を止めての防衛戦を行えば当然の如く消耗していき、最後には磨り潰される事は間違いない。

 第一軍メンバーと言う強靭な心の支えがあれば別だが、団長()()でしかないラウル・ノールドが指揮を執っていた。それ故か不安の伝播が早く、戦線崩壊を容易に想像させるに至ったのだ。

 各々好き勝手に口を開き、恐怖心を紛らわせているさ中、カエデは首を傾げつつも口を開いた。

 

「皆さんは、あの状況で何とか出来たんですか?」

「え? 何とかって」「何が?」

「いえ、ワタシには何も思いつかなかったですし、ラウルさんは凄かったと思うんですけど、何がダメだったんですか?」

 

 そもそも鞘から抜き放つ事も無かったウィンドパイプには傷一つ無い所かダンジョンに入った時と変わらぬ輝きを持っている事を確認して鞘に納めつつもカエデが口を開けば、他のメンバーは互いに顔を見合わせはじめる。

 カエデの疑問は一つ。ラウルが指揮を執っていた事に文句を言う声が上がっているが、自分ならもっと良い指揮が出来たのかと言うもの。

 文句を言えるだけの指揮が自身に出来たかと言えば、カエデにしてみれば『絶対無理』である。カエデが逆立ちしようが何しようが、あの途切れる事の無いモンスターの増援続きの戦場を維持し続けろ等と言われても、指揮が執れるかと言えばそんな事は無い。少なくとも自分一人で戦う事が出来る出来ないを問わず、誰かに指示を出す余裕があるとは思えないのだ。

 

「ラウルさん以上に良い指揮が出来るなら、皆さんが指揮を執れば良かったと思うんですけど」

 

 あの場で最も指揮に慣れていたのはラウルとジョゼット、後はペコラが少々齧る程度であり、他の第二級(レベル3)メンバーも指揮をしながら戦えるかと言えば、答えは否である。

 当然の如く第三級(レベル2)でしかない彼らでは戦闘すら行えず、たとえ戦闘が行えるほどの強さがあったとしても指揮をとるなんてとてもできようはずも無い。

 

 最善を尽くしたラウルに対し、文句ばかりと並べ立てる彼らがより良い指揮が出来るのなら、その人が指揮をして被害ゼロで押さえればいい。

 

 言外に言うなれば、出来もしない事で文句を並べ立てるのはどうなのか。

 

 カエデのその言葉は正論ではあるが、時と場合を考えるべきであっただろう。ダンジョン内と言う精神的な疲労(ストレス)の溜まりやすい場に於いて、鬱憤を晴らす意味もある愚痴を正論で叩き潰されれば誰も良い気はしない。とは言えカエデの方もラウルに対する風当たりが悪いのは気分が良い話では無いので止めるのも当然ではあるが。

 

「私もそう思いますけど。うぅん……」

 

 周囲の目が若干呆れと苛立ちが混じったものになったのに首を傾げるカエデに対し、アリソンが何とかフォローしようとするも言葉が出てこない。

 アリソンのフォローも無く、若干空気が悪くなったのを感じてカエデが尻尾を揺らす。何が悪いのか理解できない様子のカエデに対し、周囲の者達は深々と溜息を零した。

 大人気無い行動だったと反省しつつも、カエデの前で愚痴を零すのをやめようと第三級(レベル2)の一部の者が心に決めた所で、会議を行っていたテントからぞろぞろと団長達が出てくるのが見えて全員が立ち上がる。

 

 これから発表されるのは探索隊と仮拠点の防衛隊の編成別けである。

 

 魔法使い達が三十七階層で軒並み精神疲労(マインドダウン)した事も相まって、ペコラの子守唄が休眠用テントに響いている為、ペコラ班のメンバーは待機かと思われていたが、此処に来るまでに相応の消費をしてしまった為に、それぞれのメンバーの編成を組み直しての探索隊編成が決められたのだ。

 

 フィンが近場にあった大岩の上に立ち、ぞろぞろと集まってきたメンバーを見下ろす。

 

 集まっていないのは現在子守唄にて眠っているリヴェリアの率いていた魔法隊及びに魔法が使える団員、そして周辺警戒の為に出ているベート班の第二級(レベル3)メンバー、他は殆どが勢ぞろいする中、フィンが口を開いた。

 

「さて、此処に来るまでに多少の消耗はあっただろう。けれどもここからが本番だ。この休息部屋(レストフロア)を足掛かりとし、次の階層へと通じる階段への安全な移動ルートの開拓を行う。よって、ここから班を四つに分ける。第一班、リヴェリアとペコラ、第一班はこの中継地点の防衛を行う。そして第二班が僕、ティオネ。第三班がガレス、ティオナ。第四班がアイズ、ベート。第二班以降はそれぞれ指定したルートの調査を行う様に。それぞれの班の代表が選出したメンバーに声を掛ける。声を掛けられなかった者は第一班として防衛を行う様に」

 

 フィンの言葉に皆が息を飲む。ここから先は【ゼウス・ファミリア】と【ヘラ・ファミリア】が残した地図情報を頼りに【ロキ・ファミリア】がルートを開拓する事になる。彼の二つのファミリアが合同遠征を行っていた頃と比べて現在の【ロキ・ファミリア】は規模が小さめである。彼のファミリアはそれぞれ50名ずつを選出した100名にも及ぶ特大規模の遠征隊を編成していたのだ。其れに比べて小柄であるが故に、【ロキ・ファミリア】はより細かなルートの開拓が可能である。

 彼のファミリアが残した軌跡は特大規模遠征隊用の移動ルートであるが故に、現在の【ロキ・ファミリア】の遠征隊が使うには()()()()。もっと移動ルートの選別が行えるのだ。その為、これから編成されるメンバーは各々、地図上に広がる細道としてのルートの開拓を行う事になる。

 

 もし、もしもその探索班に編成される事が出来れば第三級(レベル2)に留まらず第二級(レベル3)の面々にも偉業の欠片が手に入る可能性が出てくる。

 当然その分危険は増すだろうが、モンスターの襲来の危険があると言う意味では防衛班も危険度に違いは無い。ならばより高確率で偉業の欠片の入手が出来る探索班を誰しもが心より望む。

 自身が選ばれる事を確信する者。選ばれる自信が無く、それでも期待する者。選ばれて欲しいと願う者。多種多様な反応にフィンが目を細める。

 

「出発は今から三十分後だ。それまでに選出メンバーは準備を終える事。それぞれの開拓を行う者達は必ず留意するんだ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()。不測の事態はいつ起きてもおかしくは無い。もし何かしらの異常が起きた場合は即座に中継拠点に引き返す事。決して深追いはしない様に」

 

 皆の浮ついた空気を引き締める言葉に、【ロキ・ファミリア】の精鋭とも呼べる遠征隊の面々が応と答えた。

 

 

 

 

 

 カエデは探索隊への編成が為されるか自信は無かったものの、アイズが声を掛けて来た事で遠征隊に編成された事を知り、急ぎサポーターバックパックに消耗品を詰め込んで集合場所に集まった。

 其処に居たのはベート班の面々5名と、アイズと、他の班から編成された3人。

 カエデはベート班全員が参加する事に喜び、他の班から編成された三人の中に三十七階層で援護した彼の狼人(ウェアウルフ)の青年が居た事に若干眉を寄せる。

 

 その狼人(ウェアウルフ)の青年と視線が合った瞬間、その狼人(ウェアウルフ)は口を開きかけ、眉を寄せてから口を閉じた。何を口にしようとしていたのか知らないが、どうせ碌でもない言葉しか出てこないだろうと耳を塞いで無視してからカエデはベートの傍に立つ。

 

 ベートは面倒臭そうにメンバーを見回し、アイズは無言で剣の柄を掴んでいる。緊張感の満ちた空気の中、口を開いたのはフルエンであった。

 

「ベートさんに代わり説明させて貰う。俺達、第三班の探索範囲は此処から此処まで、途中に存在する大規模な部屋(フロア)の調査も含まれるが、迷宮の悪意(ダンジョントラップ)の類の調査と同時にモンスターを退けながらになる。今までと違い戦いながらの罠解除になる可能性も高いから戦ってるうちに気付いたら未調査領域に入ってましたってのは避けて欲しい。後、それぞれ地図を覚える様に。分断される危険もあるからサポーターのディアンとカエデ、お前らは絶対に俺達から離れるなよ。それと今回の探索に於いて団長の指示で負傷者が出た場合は即時撤退が言い渡されてる。そこら辺はしっかり留意しとく様に……。今の感じで良いですかねベートさん」

 

 最後にベートに確認をとるフルエン。ベートは頷いてからアイズに声をかけた。

 

「アイズの方は、なんか言う事ねえのか」

「……特に無い、です」

「そうかよ。じゃあ俺から言っとく」

 

 集中する様に剣の柄に手をかけるアイズは何を言うでもなく口を閉ざし、鋭い目つきで地図を睨む。そんな中ベートは鼻を鳴らして他の者達を睥睨した。

 

「良いか、足を引っ張るんじゃねえぞ。足引っ張る奴は此処に放り捨ててくからな」

 

 威圧する様に放たれた言葉にアイズを除く第三班メンバーが身を震わせ。頷く。

 

「ふん」

「あー……そろそろ時間ですね。では出発しましょうか」

 

 フルエンの言葉に頷き、フルエンとウェンガルを先頭に、リディアが続く。その後ろにカエデとディアンが並んで続き、狼人(ウェアウルフ)の青年とドワーフの男性、アマゾネスの少女が三人並んで進み、最後尾にベートとアイズが並んで歩きはじめる。

 

 ダンジョン四十一階層。【ロキ・ファミリア】の移動ルート開拓の為の調査が始まった。




 カエデちゃんの下着が狙われてるっ!?

 まぁ、盗むなんて不可能ですが。わざわざ下着盗むために【ロキ・ファミリア】に侵入する阿呆が居る訳無いんだよなぁ。
 ……ナイアルならやりそう?


 【生命の唄(ビースト・ロア)】カエデ・ハバリ ステイタス
 レベル2

 基礎アビリティ
 力 C
 耐久 E
 魔力 G
 敏捷 B
 器用 C
 発展アビリティ《軽減I》
 スキル【師想追想(レミニセンス)】【死相狂想(ルナティック)】【孤高奏響(ディスコード)
 魔法【氷牙(アイシクル)
・装備魔法『薄氷刀・白牙』 防御無視・自然崩壊・血染め増幅
・装備解放(????)

 ステイタス評価
 敏捷と器用・力が高め。魔法を余り多様しない影響か魔力は非常に低い。攻撃の被弾も極力避ける影響か耐久もかなり低め。総じて短期決戦・一撃必殺出来る相手にはめっぽう強いが、一撃で屠れず長期戦に入ると耐久の無さが足を引っ張り出す。





 『薄氷刀・白牙』
 【生命の唄(ビースト・ロア)】カエデ・ハバリの扱う付与魔法(エンチャント)の追加詠唱によって生み出される装備魔法の代物。
 防御無視(相手の耐久を無視して斬撃損傷(ダメージ)を与える)効果を持つ氷で形作られた刀剣。カエデ・ハバリの想像上の形状が再現され、形成される。総じて刀剣類の姿をしている。
 自然崩壊(時の流れと共に刀身は溶け逝く)効果により形成後から数分から数十分後には跡形も無く消える。
 血染め増幅(血を刀身に浴びせる事で崩壊を止める)効果により、モンスターを斬る度に刀身が大きく、分厚くなっていき、最終的に自然崩壊効果が消え失せて一本の血染めの大刀・大剣になる。その姿はまるで歪んだ牙の様にも見える。

 その儚さ故に(こころざし)半ばで倒れ伏す白牙。
 その儚さを克服した先が、血にその身を染め上げた牙である。
 其処(そこ)(いた)る時、白牙は皆が恐るるに足る姿を得る。
 故に白牙は狼人に畏怖され、拒絶される。


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『深層遠征』《調査班》

『アリソンとカエデ、無事かしらねぇ』

『大丈夫だと思うよ……それより君、ほんとに心配性だな』

『五月蠅いわね、と言うかアンタはアタシなんかに付き合ってて楽しい訳』

『楽しいかどうかは別として、君と居るのは悪い気はしないね。気を使う必要も無いみたいだし』

『アンタの言う()()使()()って面倒臭いあれ?』

『……言葉を選ぶ必要が無いって意味だね。迂遠な言い回しは嫌いだろう』

『まあね、率直に言って貰う方が気楽でいいでしょ』

『はぁ……まあ、あの二人なら大丈夫だよ。きっとね』


 ダンジョン第四十階層の時点で迷宮都市『オラリオ』と同等の面積を誇ると言われており、その調査は全体の数%しか完了していない。

 そして、その先の四十一階層は現在、【ロキ・ファミリア】が中継拠点として野営地を設営した休息部屋(レストフロア)からさらに下の階層へ進む為の階段に直通の通路と、それの周囲の()()()()()までが調査完了している領域である。

 フィン率いる第一班の調査領域は野営地から階段に続く通路の内の北東部。ガレス率いる第二班が北西部で、ベート率いる第三班が北部領域。

 調査するのは主に無作為(ランダム)に現れる迷宮の悪意(ダンジョントラップ)の有無について。今までの遠征に於いても殆どの場合は一度調査完了した通路であっても、無作為(ランダム)に現れる迷宮の悪意(ダンジョントラップ)によって壊滅的被害を受け、撤退を余儀なくされる事が多々存在する。

 それは前身である【ゼウス・ファミリア】【ヘラ・ファミリア】の合同遠征の際にも悩まされたモノであり、数百を超える遠征の内に出現割合の割出を行い、どれだけの割合で無作為(ランダム)型の罠の出現率の算出が行われ、大雑把であれば大体の出現割合は出されているモノの、未確認の罠が出現しないわけでは無い。

 

 過去の二大ファミリアの調査中に確認された罠の数は数百を超え、多大な犠牲を生む様な罠も多数確認されている。その中で危険度の大きい種類の物の殆どは部屋(ルーム)に設置されるものが殆どである。通路の部分の罠の危険度が低い訳では無いものの、やはり大部屋等に発生する罠の危険度は他の罠と比べ物にならない。

 その上、複数の迷宮の悪意(ダンジョントラップ)が重なり合い、結果として致命的な複合効果を齎す罠も存在する。

 

 例えば、複数の毒系の罠が重なり合った猛毒領域。警報型とモンスターの出現型が重なる真夜中の宴(ナイトメアパーティー)。他にもさまざまな複合罠が確認されているが、その中でも危険度が高いものは一見すると安全または組し易い等と思える様な物である。

 

「っつー訳だから、ここらでは一つ罠が有ったら終わりって訳じゃないんだよ。だから気を付けろよ」

 

 得意げな表情で先頭を歩くフルエンの言葉に頷くカエデを横目に、ディアンは後ろをちらりと振り返れば、一瞬の内に姿を消し、横道から顔を出したモンスターを突き殺す【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタインの姿があった。

 目を剥いた瞬間には既に隊列に合流して何事も無かったように歩いている【剣姫】の姿に一瞬顔を引き攣らせてから前を向きなおる。

 

 現在位置はダンジョン四十一階層、【ロキ・ファミリア】が野営地を設営した地点より北部に広がる領域。二大ファミリアが調べつくしていない未調査領域(地図に記されていない部分)である。

 

 先頭を歩く二人の猫人(フルエンとウェンガル)が石ころを投げ、真剣な表情のアマゾネス(リディア)がモンスターを警戒し、続くサポーター二人(カエデとディアン)

 最後尾を歩くベートは時折鼻を鳴らして眉を顰めるといった仕草を繰り返し、アイズは思い出したかのように姿を消し、横道から飛び出してくるモンスターを膾切りにしては元の位置に戻るという動作を繰り返す。

 カエデもディアンも最初の頃は一瞬の内に前に飛び出してモンスターを切り伏せるアイズの姿に度肝を抜かれていたが、ついに慣れが勝り始めた頃。

 調査開始から一時間程。調査指定範囲の5割程が調査完了し、出現したモンスターもそう危険度の高いものは少なく、なおかつ罠の類も二度見つけたのみ。解除もすんなりと完了した為、特に消耗も無く進行できている。

 

「……ん? おい、なんか臭うんだが、なんだ?」

 

 荷車が通れるだけの広さの通路を選別しつつも進んでいると、唐突に最後尾のベートが口を開く、地図を記していたドワーフの男性が顔を上げ、首を傾げる。

 

「俺にはわからん。獣人の者はわかるのか?」

「んー……モンスターの臭いだな」

「種類は、蝙蝠か? おかしいな、この階層で蝙蝠のモンスターなんて出たか?」

 

 カエデもつられて臭いを嗅いでみれば、確かに蝙蝠型モンスターに似た臭いが薄らと漂っている。だが、記憶違いでなければこの階層には蝙蝠型のモンスターは出現しないはずである。

 本来の出現階層とは別のモンスターが出現する。そういった罠も存在する為、この先にその手の罠が存在するのだろう。

 

「この先はー、大部屋になってるみたいだな」

 

 しばらく進んだ先、フルエンが掲げたランタンによって照らされているのは通路が途切れ大部屋になっている光景であった。漂うモンスターの臭いは薄く、フルエンとウェンガルが同時に首を傾げ、同時に顔を見合わせて小声で言葉を交わし始める。

 

「おかしいな……」

「だよね、どうなんだろ」

 

 その様子を見ていたベートが眉を顰め、前に出てきた。

 

「どうした」

「あー。ベートさん。ちょっとおかしいんですよね。俺の勘違いじゃなければこの先にある大部屋はあと一つだけなんですけど……。通常は階層に居ないモンスターが出るのって怪物の巣堀(モンスター・ハウス)とかぐらいじゃないですか? でも臭いが大分薄いんですよ。周辺の大部屋は調査済みだし、大部屋の先って階段のある部屋だし」

 

 要領を得ないフルエンの言葉にベートは眉を顰め、ウェンガルを見れば、ウェンガルも困った様に肩を竦める。

 

「地図見せてくれ、地図」

「あいよ」

 

 ドワーフの男性が手書きしていた精確な地図を見たベートが難しそうな表情を浮かべ、フルエンとウェンガルに地図を見せる。

 フルエンとウェンガルが悩んでいるのは一つ。この先に存在する大部屋は一つのみ。他は二大ファミリア利用していた大きな通路が一つと、小部屋が数個。迷宮の悪意(ダンジョントラップ)である怪物の巣堀(モンスターハウス)は大部屋にのみ出現する種類の罠であり、小部屋に出現する事は無い。

 故に大部屋を警戒すべきだが、目の前にまで迫った大部屋からはモンスターの臭いが微かにしかしない為、目の前の大部屋に罠があるとは考え辛い。だが目の前の大部屋に罠が無い場合はこの臭いの説明がつかない。

 

「……どうします? 引き返します?」

 

 調査完了まで後3割と言った所。現在ベート班が調べた領域は荷車と共に進むのに苦労しない程度の広さの通路が其れなりに存在し、この先の大部屋が通行可能な空間であれば二大ファミリアが利用していた進路を進むより大幅に時間短縮が可能である。とは言え危険な臭いが漂う現状、戻って団長の指示を仰ぐという選択肢を選ぶのも悪い選択では無い。むしろそうすべきであろうが。

 

「……進むぞ」

「良いんですか?」

「はん、この程度にビビってどうする。何が出て来ても問題ねぇ。蝙蝠型モンスターなんてどうせ第三級(レベル2)第二級(レベル3)が精々だろ、俺一人でもどうとでもなる」

「わかりました」

 

 ベートが進む選択をしたのを見て他のメンバーが吐息を零す。

 怪物の巣堀(モンスター・ハウス)に出現するモンスターは、その罠が設置される階層よりも上の階層に出現するモンスターのみであり、この階層以上の階層に出現する蝙蝠型モンスターは何種類か存在するが、最大でも第二級(レベル3)相当のステイタスしか存在しないモンスターだけである。故に準一級(レベル4)二人が編成されている現在のメンバーであれば第三級(足手纏い)二人を抱えていても問題無く突破できると判断したのだろう。

 

 ディアンはそれとなくカエデの方をちらりと流し見る。これまで、カエデが『危ないかもしれない』等と不穏な事を口にする度に危険な罠等を発見していた事から、カエデの()が冴えている事を覚えたディアンなりの不安の解消法。とりあえずカエデの様子を窺って見れば危険度がわかると言うディアン。

 ディアンの視線の先のカエデは眉を顰め、何か言いたそうにしているが口を一文字に結んで閉ざしている。

 

「どうしたんだよカエデ」

「……なんか、危ない気がします」

「危ない? どんな感じでだ?」

「…………ごめんなさい。よく、わかんないんですけど、なんか、危ないです」

 

 言葉を区切るカエデの様子にディアンが不安を覚え、前を向けばフルエンとウェンガルが大部屋の入口から中に向かって何度か石ころを投げ込む様子が見えて顔を引き攣らせる。

 

「……反応無し。問題無さそうだな。臭いは変だけど、とりあえず侵入します。ウェンガル」

「はいはい、武器構えね。了解」

 

 フルエンが剣を抜き、ウェンガルがメイスを握りしめ、大部屋の入口から前に進んで行く。警戒心を研ぎ澄ませ、一歩踏み込んで────二人が同時に後ろに跳び退ろうとして、()()()()()()()()()()()()()()()

 違和感に気付いた瞬間にリディアが縄を引き──虚空で不自然な形で縄が途切れ、フルエンとウェンガルを引き戻す事が出来ずに縄だけがリディアの手元に戻ってきた。

 

「っ!? 不味いっ! 分断型の罠っ!」

 

 各々のメンバーが驚くさ中、ベートとアイズだけは目を細め、瞬時に二人を庇う様に前に飛び出る。フルエンとウェンガルが慌てて立ち上がり、後ろを振り返って顔を引き攣らせる。

 

「ヤバイ、一方通行の壁」

「後、怪物の巣堀(モンスター・ハウス)

 

 フルエンとウェンガルの視線の先、つい先ほどまで歩いてきた通路は消え、そこには()が存在した。継ぎ目等無く、違和感を感じられない壁。だがそこにはつい先ほどまで自分が歩いてきた通路があったはずである。

 振り向いた二人の言葉に通路に残ったメンバーが慌てて顔を見合わせる。

 

 一方通行、一度通ると後方の入口が消え去り、戻る事が出来なくなる、または大部屋の中に閉じ込められる罠である。解除までは一定時間経過するか、または()()()()()()()()()()()()

 フルエンとウェンガルが武器を構えるさ中、ベートとアイズが大部屋に侵入して警戒態勢に入る。二人は即座に武器を構え、ベートが鼻を摘まんで呟く。

 

「くっせぇ……」

「っ……この臭いは」

 

 本来なら嗅覚に優れていないはずのヒューマンであるアイズですらむせ返る程のモンスターの臭気。あまりにも濃密な臭いに一方通行の罠を超えて薄らと臭いが漂っていたのだろう。それに気付くがもう遅い。

 

「おい、入ってくるな」

 

 ベートが後ろのメンバーに大部屋に侵入しない様に指示をだし、周囲を見回す。フルエンとウェンガルも立ち上がって警戒するさ中、アイズが首を傾げた。

 

「……襲ってこない?」

 

 本来怪物の巣堀(モンスターハウス)内ではモンスターが睡眠をとっており、一歩でも足を踏み入れた瞬間に全てのモンスターが活動状態へと移行し、一斉に冒険者に襲い掛かるはずである。

 しかし、フルエンとウェンガルが侵入し、ベートとアイズが侵入したはずなのにモンスター側の反応は無い。

 それ所か、モンスターの臭いが酷く籠っているにも関わらずモンスターの気配も無い。明らかに異常な状態である。

 

 そんな中、後ろからディアンとカエデが慌てたように大部屋に入ってきた。其れを見たベートがカエデとディアンを睨みつける。

 

「おい、入ってくんなって──

「後ろから怪物の宴(モンスターパーティー)ですっ!」

「モンスターが一杯っ!」

 

 後方で大部屋に入ったメンバーを心配そうに見ていた通路待機組のカエデ達の方で起きた問題に目を見開き、ベートが舌打ちをして周囲を見回し、フルエンとウェンガルに指示を出しつつもアイズの方に近づく。

 

「おい、出口を見つけろ。今すぐにだ。それと此処から離れるぞ。後ろの奴、聞こえてるならこっちに来い」

「はい」「了解」

「アイズ、とりあえず後ろは任せる」

「うん」

 

 後ろ、通路の入口のあった壁の方にアイズが向き直ると同時に、残りのメンバーが飛び込んでくる。転がり込む様に入ってきたリディアが血に塗れたモーニングスターを片手に状況を報告しはじめる。

 

「後ろからモンスターっ! 数二十五以上、ドワーフの大盾がへしゃげて使い物にならなくなった!」

 

 リディアの言葉通り、最後に飛び込んできたドワーフの持っていた大盾はへしゃげ、くの字になって持ち手である鞣し革が千切れてドワーフの腕にぶら下がっていた。

 

「うわっ、何この臭い」

「くっさ」

 

 狼人の男とアマゾネスの少女が入ってきて直ぐに鼻を摘まむ中、ドワーフの男は大盾をメイスで叩いて元の形に戻し、千切れた掴み手の部分をリディアの持っていた縄で簡素に修理しはじめる。

 後ろの壁から、まるで壁を擦り抜ける様に現れ始めたモンスターはアイズが一瞬で膾切りにしはじめ、メンバーはその様子を窺いつつも部屋の出口を探す為に動き出した。

 ドワーフの男、アマゾネスの少女、狼人の男が周囲を警戒し、サポーター二人を中心に円陣を組み。ベートが戻ってきたフルエンとウェンガルに尋ねる。

 

「おい、おまえらはそこに居ろ。出口は見つかったか」

「いえ、何処にも無いです。罠突破しないとダメっぽいですね。この部屋、怪物の巣堀(モンスター・ハウス)のはずなんですけど」

「こっちも無かった。どうします? 臭いは酷いけどモンスターが居ないっておかしいですよね」

 

 左右の壁沿いに大急ぎで調査を終えた二人の言葉にベートが眉を顰める。そんな中、バックパックから高位回復薬(ハイポーション)を取り出してドワーフの治療をしていたカエデがふと上を見上げる。

 

 真っ暗で見通せない暗闇の揺蕩う天井付近。カエデの尻尾が引っ張られ、直ぐにドワーフの腕に高位回復薬(ハイポーション)をぶちまけて大盾を持たせる。

 

「持ってください」

「おう、どうした」

「……天井、沢山、びっしり……張り付いてます」

 

 カエデが天井を見ているのに気付いたドワーフが上を見上げる。カエデとドワーフが天井を見上げ始めるさ中、アイズが首を傾げながら呟く。

 

「数、少ない……」

「どうしたアイズ」

「リディア、モンスター、言ってた数より少ないけど……」

 

 リディアがアイズの足元に転がる魔石の数を数え──入ってきたのが十匹も居ない事に気付いて眉を顰める。

 

「あれ、でも確かに二十五ぐらい居たんだけど……」

 

 アイズの数え間違え、というのは有り得ない。魔石ごと斬り裂いて数が足りない、というのも有り得ない。この大部屋にモンスターが入ってこない。不思議な現象に首を傾げるアイズとリディア。

 不安気に周囲を見回していたディアンは唐突に肩に感じた液体の感触に悲鳴を上げた。

 

「うわっ!?」

「ディアンっ! どうしたっ!」

 

 自身の肩に滴った粘土の高い液体に驚き、悲鳴を上げたディアンに対し、ウェンガルが即座にディアンを押さえつける。

 

「動かないで、毒性を調べる」

 

 肩当に滴った液体は、運の良い事に素肌に触れてはいない。ウェンガルが臭いを嗅ぎ、眉を顰め、呆れ顔を浮かべて呟く。

 

「毒性はない、モンスターの……よだれ?」

「え? うわっ、きったねぇ……」

 

 肩に滴った液体が()()()よだれだと言われて嫌そうに肩の液体を払い退けるディアン。其れに対し顔を青褪めさせたフルエンが冷や汗を流しつつも天井を見上げる。

 既に天井を見上げたまま固まっていたカエデとドワーフの姿に気付いたベートが眉を顰め、口を開いた。

 

「どうした」

「……あの、天井に」

「あん?」

「天井に、モンスターが……」

 

 震える声で答えたカエデの様子に通路側を警戒していたアイズ以外のメンバーが上を見上げた。

 

 揺蕩う暗闇、そのさ中に一つだけ、赤い点が浮かんでいる。時折瞬くその赤い光は、夜空に瞬く星にしては不気味な輝きを灯している。ベート達が見上げ始めたさ中、その輝きが唐突に一つ増える。

 一つ、二つ、三つ────十、二十────五十、百。

 数えきれないその輝きが、つい先ほどまで天井でじっとしていた蝙蝠型モンスターの目の光だと気が付いた瞬間。一斉にその輝きが愚かにも大部屋に侵入した冒険者達、【ロキ・ファミリア】四十一階層調査班、第三班ベート達に降り注いだ。

 

「っ! 全員固まれっ! サポーターを中心に円陣をっ!」

 

 即座に反応したフルエンが小声で叫ぶ。即座にカエデとディアンを中心に第二級(レベル3)メンバーが円陣を組み、ベートとアイズは天井を見て目を細める。

 

「……襲ってこない?」

「どうなって……いや、待て」

 

 ポタリ、ポタリと液体の下たる音が響きはじめる。リディアが嫌そうに眉を顰めるさ中。狼人の頭にその液体が滴ったのか声を上げた。

 

「うわっ、汚ねぇな。モンスターの唾液かよ……まて、唾液?」

「……ねぇ、凄い嫌な予感がするんだけど」

 

 狼人が耳についた液体を払い、何かに気付いた様に顔を上げる。アマゾネスの少女が剣先を震わせ、涙目で予感を知らせる。

 

「おお、奇遇だな。俺も嫌な予感がビンビンしとるぞ」

 

 ドワーフが引きつった笑みで冗談を零すさ中。カエデはサポーターバッグを地面に下ろしてウィンドパイプを構える。嫌な予感を通り越し、今すぐ逃げてと尻尾を引っ張られる感触が続いている。

 

 滴る音が雨音もかくやという程になり、モンスターの唾液の雨が降り注ぐさ中、ついに一匹のモンスターが動き出す。暗闇に浮かぶ赤い目が動き出して──一斉にモンスターの羽ばたく音が響く。

 本来、蝙蝠型モンスターの羽ばたきの音は小さく判別し辛いはずである。だが、大部屋の天井一杯に張り付いていた蝙蝠型モンスターの羽ばたきは一瞬で部屋を埋め尽くし、音の衝撃として冒険者達を襲う。

 

 獣人であるフルエン、ウェンガル、狼人の男、カエデが耳を塞ぐさ中。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 その光景に、誰しもが言葉を失った。

 

 一斉に羽ばたいた蝙蝠型モンスター達は、あろうことか()()()()()()()()()

 

 地上で円陣を組み、待ち構える冒険者達には目もくれず、自身の最も近くに居る者に()()()()()

 

 飛び散る血と肉片が地上に降り注ぎ、唾液によってぐちゃぐちゃになっていた大部屋を真っ赤に染め上げる。

 

 天井付近で巻き起こる()()()現象に言葉を失い、ディアンがふと口を開いた。

 

「喰らいあってる?」

「……仲間割れ?」

 

 天井付近で巻き起こる壮絶な共食いに殆どの者が呆気にとられるさ中、迷宮の悪意(ダンジョントラップ)について知り尽くしたフルエンとウェンガルが顔を青褪めさせ、カエデが尻尾を震わせて呟く。

 

「不味いです」

 

 天井から降り注ぐ血の肉、骨の雨のさ中に口を開くディアン。既にベート達は逃れる事の出来ない血肉の雨に染まり、真っ赤に染まっている。頭に振ってきたモンスターの骨を払い退け、肩を竦める。

 

「不味い? 何がだよ、モンスター同士殺し合ってくれるなら行幸……ぺっ、糞、血が口に入った」

「いや、カエデの言う通りだ。ベートさんっ!」

「糞、血で汚れた……んだよ」

「このままだと不味いですっ!」

 

 慌てた様子のフルエンに対し、ベートが眉を顰める。血で汚れる所為で最悪の気分ではあるが、モンスター同士が殺し合うのであれば問題は無い。そう言いたい様子のベートに対し、フルエンが叫ぶ。

 

()()()()()()()()()()()()()ですよっ!」

「あん、何が──おい、待て。モンスターは確か」

 

 ようやく考えに至ったのかベートが天井を見上げる。未だに共食いを繰り返すモンスター。罅割れる音も微かに響いている事からモンスターが湧いているのだろう事は想像に容易いが、それだけではない。

 

 モンスターは魔石を喰らう事で冒険者同様に器の昇格(ランクアップ)と似た現象が発生する。

 本来なら別のモンスターの魔石を摂取する事でステイタスを更新する様に、強化種と呼ばれる個体が発生するが、数が嵩めばその能力値は想像を超える程の代物にもなる。

 

 トロールが多数の魔石を摂取した事で、通常種ではあり得ない程強大な力を手に入れ、数多の冒険者を屠った事件。強化種である『血濡れのトロール』が出現したあの事件は、オラリオでも有名である。

 

「っ! お前ら武器を構えろっ!」

 

 現在、この大部屋に存在する蝙蝠型モンスターの数は数えきれない程である。そのモンスター達が喰らいあい、最終的に残るのは──いったいどれほどの強化種になるのであろうか。

 

 

 

 

 

 ウィンドパイプを振るい、目の前に迫ってきた()()()蝙蝠を切り伏せる。血塗れになり、目に血が入ってくる所為で戦い辛い。

 そんな感想を抱きつつカエデは周囲で戦う仲間の様子を確認する。

 

 ベートが縦横無尽に大部屋の中を走りまわり、アイズが魔法を駆使して天井付近で血肉の雨を加速させているのが見えるが、それ以上に数が多すぎる。薄暗い大部屋の中、迫ってくる蝙蝠の動きは非常に不規則でカエデにとっては非常にやり辛い空間となっていた。

 

 他のメンバーからそんなに距離をとらずに蝙蝠型モンスターを一撃で切り伏せる。

 この蝙蝠型モンスターの名前は確か『ライダーバット』であったはずだ。少なくともカエデの知識の中にある名称はそのはずだが、カエデが今まで目にしてきた個体よりも強いのだが、見た目は全く違う。

 痩せ細り、骨が浮かんだその姿で、酷い飢餓に襲われて動く物すべてに喰らい付くという状態に陥っている。

 

 『ライダーバット』は通常種は第二級(レベル3)相応の敏捷を持ち、無音で飛び回り、隙を見て冒険者に急降下攻撃を繰り出すという特徴があるはずである。耐久は高くないので一撃で倒せるのだが、本来なら第三級(レベル2)のカエデでは一撃で屠れない程のはずであるが、現在この大部屋に出現する個体はカエデでも一撃で屠れる。

 

 この大部屋に存在した迷宮の悪意(ダンジョン・トラップ)は三種類。

 

 部屋の入口に存在した進んだら戻る事の許されない『一方通行』の罠。これ単体であれば何の問題も無いのだが、他の罠との組み合わせが恐ろしい代物。

 もう一つが『怪物の巣堀(モンスター・ハウス)』。部屋の中にはみっちりとモンスターが詰め込まれ睡眠をとっている、大部屋にのみ出現する罠であり。冒険者が侵入すると同時にモンスターが起きて一斉に襲い掛かってくるという罠。

 この二つだけであればよくある罠である。しかし現在は更にもう一つ、ある意味ではどうでもよく、時と場合によっては最悪とも呼べる罠が存在した。

 

 『特別個体化領域』と呼ばれる罠は一定範囲、通路や大部屋等も含む特定の範囲に湧くモンスターに特殊な『状態』を付与する罠の一つ。攻撃力を引き上げる『鋭利』や、耐久を引き上げる『鉄壁』等、モンスターが有利になる物が殆どだが、現在置かれている罠に合わさっているのは『飢餓』である。

 

 『飢餓』はモンスターのステイタスの一段階の低下を引き起こし、本来なら第二級(レベル3)相応の能力を持つ『ライダーバット』が第三級(レベル2)相応のステイタスに引き下げられているのだ。

 其の為、カエデやディアン等の第三級(レベル2)冒険者でも対応可能な強さになっているのだが。 

 

 この『飢餓』の最も厄介な特徴は一つ。冒険者、モンスターの区別なく()()()()()()()

 冒険者はモンスターに()()()()恐怖を味わう事になる。というのはそう珍しい事でも無いのでどうでも良い事ではある。問題は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()である。

 

 モンスターが魔石を喰らう事で、ステイタスに変化が生まれ、場合によっては冒険者の器の昇格(ランクアップ)並の変動が発生する。そう『強化種』と呼ばれる種類のモンスターである。 

 

 つまり『飢餓』状態の付与される『特別個体化領域』の中では他の場所に比べ、()()()()()()()()()()()()()()()

 

 つまり、強化種が生まれるより前に、モンスターを片付ける必要があるのだ。しかし、現在は怪物の巣堀(モンスター・ハウス)であり、特定数のモンスターを討伐せねばモンスターが湧き続ける状態である。

 しかも一方通行によって退路は断たれ、撤退も出来ない。その上で強化種が発生する危険性の引き上げられたこの大部屋の危険度は非常に高い。

 

 本来なら冒険者を集中的に狙うはずのライダーバットだが、自身の方へ真っ直ぐ突っ込んでくると思って構えていれば唐突に矛先を変えて別のモンスターに喰らい付いていき、自分を狙っていないはずの個体が唐突に自分に狙いを定めて喰らい付いてくる。

 まるで予測不可能な『飢餓』に狂うライダーバット達に辟易しながらも、何とか応戦していく。

 

 他のメンバーは各々『飢餓』によって能力の下がっているライダーバットに対応しているが、天井を見上げればまるで蚊柱を連想させる濃密さを誇るライダーバットの喰らいあいの場が広がっている。

 【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタインが付与(エンチャント)魔法【エアリエル】で天井付近を飛び回ってモンスターを蹴散らすが、数が減る気配はない。

 

 余裕が失われ、血と肉片、骨の降り注ぐ場の所為で鼻も利かない。耳は常に羽ばたきの音で潰され、視界は何度拭っても直ぐに滴る血によって塞がれる。濃密な血と臓腑の臭いに吐き気すら催すこの最悪な坩堝。

 ウィンドパイプが血で滑り、油で切れ味が落ち始めている。

 

 縦横無尽に動き回りモンスターを潰していたベートの動きが変わる。強化種のライダーバットが生まれてしまった様子であり、ベートが苦戦し始めている。

 

 ライダーバットの本来のステイタスは第二級(レベル3)程度。強化種となったライダーバットは準一級(レベル4)相応のステイタスを持つ。

 『飢餓』の状態異常が消え去った強化種が発生しつつある場で、カエデは尻尾を引っ張られた感覚を覚え、叫ぶ。

 

「きますっ! 避けてっ!」

 

 カエデの周囲で戦っていたのはディアン、フルエン、ドワーフの男、アマゾネスの少女、狼人の男。反応できたのはフルエンとアマゾネスの少女の二人のみ。

 カエデの叫びと同時に、天井付近で狂った様に喰らいあう個体の中から、飢餓の狂気が払われ、冒険者に対する恨みに染まった強化種のライダーバットが自身に喰らい付く通常種のライダーバット達を跳ね除けながら真っ直ぐに突っ込んでくる。

 

 フルエンはディアンの首根っこを掴んで飛び退り、カエデはアマゾネスの少女が掴んで退避する。ドワーフの男が遅れて気付き、大盾を構えるがそのまま跳ね飛ばされて吹き飛んでいき、一切揺らぐ事無く真っ直ぐ突っ切った強化種のライダーバットが狼人を咥えて飛んでいく。

 

「ぐぁっ!?」

「離しやがれっ! 糞っ!」

 

 ドワーフの方は壁に叩き付けられ、地面に倒れ伏して動かなくなる。直ぐに飢餓に狂う個体に狙われるが運よく近くに居たウェンガルが保護に走る。

 ベートの怒声とアイズの困惑の声が響き、カエデの視線は強化種に咥えられている狼人に吸い寄せられた。

 

「アイズっ! 強化種が一匹抜けてんぞっ!」

「っ! 三匹、居るっ!」

 

 ベートの方は既に強化種二匹を相手に大立ちまわりをし始め、アイズの方も三匹の強化種、それも準一級(レベル4)から第一級(レベル5)に至りそうになっている個体なのかアイズですら苦戦しており援護にいけそうにない。

 

 アマゾネスの少女が焦る様に近づいてくる個体を殴り殺し、カエデの腕を掴んだ。

 

「こっち、皆で集まらないと」

「でも、あの人が」

 

 カエデの視線の先、強化種に咥えられていた狼人がショートソードで強化種を何度も突き刺してなんとか拘束から逃れた姿があった。だが、彼が転落した地点はカエデ達から相当に離れており、獲物を逃がした強化種は彼を再度捕食しようと迫っている。ベートとアイズの援護は期待できず、他の面々も援護に向かえない。

 剣を片手にしているが叩き付けられた拍子に足を痛めたのか壁を背に剣を握りしめて苦々しい表情を浮かべている狼人の男。援護に向かわねばあのまま喰われて死ぬ。嫌な想像が脳裏を過ぎるカエデに対し、アマゾネスの少女は苦虫を噛み潰した様な表情を浮かべて呟く。

 

「ごめん、無理」

「え」

「見捨てる。助けるの無理そう。私も限界だから……」

 

 見捨てる。その言葉にカエデが彼女を振り返れば泣きそうな表情を浮かべている姿が目に入った。

 

「ほら、行くよ……」

 

 肩には歯型がつき、血に塗れたアマゾネスの姿にカエデは震え、それから狼人の男の方に視線を向ける。

 

 視線が合った。彼は此方を見て目を見開いてから、笑みを浮かべた。

 

 左肩から腕が千切れかけ、血に塗れて青い顔をした狼人の青年の姿。

 

 諦めてる。見捨てるのが正解だと思う。

 

 彼は──近づいてきた飢えたライダーバットをへしゃげた剣で切り払った。足に齧りついた個体を殴り殺し、飛び掛かってくる強化種を腕の力だけで飛び退いて回避する。

 

 歯を食いしばる。

 

「ごめんなさい」

「ちょっと、何処行くの」

「…………()()()()()()()()()

 

 たとえ、嫌いな者であっても、どれだけ不愉快な思いをしても、助けの手を伸ばす様に。師に言われた言葉を脳裏に思い浮かべる。

 

「無理だよっ、アイズさんもベートさんも援護に行けないんだよっ! 無茶したら死ぬんだってっ!」

「『孤独に(凍えて)眠れ、其は孤独な(凍て付く)氷原。月亡き夜に誓いを紡ごう。名を刻め、白牙は朽ちぬ』【氷牙(アイシクル)】」

 

 アマゾネスの少女の忠告を無視して魔法を詠唱する。近づいてきていた飢えたライダーバットが氷漬けになったのを見て、カエデは彼女を見た。

 

「ごめんなさい。行ってきます」

「っ! あぁもうっ! 私知らないからねっ!」

 

 彼女は、そのまま他の面々の方に走って行く。助けようと手を差し伸べる気は無いらしい。

 当然と言えば当然の選択だろう。一人を救う為にもう一人が行動を起こして、そのまま二人が死ぬ等という事になるのは、冒険者達の中ではよくある事で、見捨てるという選択肢も悪い選択肢では無い。

 だからこその彼女の選択は責められない。

 

 むしろ、力も無いのに手を差し伸べようとするカエデの方がおかしい。

 

「っ!」

 

 ウィンドパイプを構える。カエデだけを狙う個体は少なく、魔法の発動条件である『カエデの敵視を向けている事』『カエデが負傷する可能性のある()()がある事』が満たされない為か、防御系の付与(エンチャント)魔法であるカエデの【氷牙(アイシクル)】が上手く動いてくれない。

 それでも、見捨てる事はしたくない。

 

 だって、まだ狼人の青年()は────生きてる(足掻いてる)




 『生きている(足掻いている)』人を見捨てられない。
 カエデちゃんらしい理由ではあるけど……推定準一級(レベル4)程の能力を得た『強化種のライダーバット』を相手に突撃を選択する程とは。血迷ってますねぇ。

 大部屋内部が血塗れなだけに。







 ・迷宮の悪意(ダンジョントラップ)
 『特別個体化領域』
 無作為(ランダム)設置型
 大部屋、小部屋、通路全ての範囲内に効果適応。

 ダンジョン内の階層、一定範囲内の壁から産まれる個体に特殊な能力(または状態異常)を付与する領域。階層を超えて別の階層へ効果を齎す事は無い。
 主に下層、深層で見られる罠であり、その付与される能力には様々な種類が存在する。

 『鋭利』(攻撃能力の上昇)
 『鉄壁』(耐久能力の上昇)
 『怒気』(力能力の上昇・怒り付与)

 利点(メリット)のみの付与から欠点(デメリット)となる効果の付与まで、様々な種類が存在する。

 今回登場したのは『飢餓』の状態異常。
 欠点(デメリット)は『飢餓の狂気』と『ステイタスの低下』の二つ。
 『飢餓の狂気』は動く物すべてを()()()()()()()と言う状態異常であり、冒険者・モンスターの区別なく食べられそうな物に喰らい付く状態。
 『ステイタスの低下』は器の降格(ランクダウン)と同等であり、レベルが一段階低下すると言う物。

 上記の欠点からモンスター同士の同士討ちによって勝手に片付く&弱くて倒しやすいと勘違いされがちである。
 しかし、この状態異常の恐ろしさは魔石を喰らう事でモンスターが強化種へと至ると言う特性によって恐ろしいモノへと変貌を遂げている。
 レベル3のモンスターが『飢餓』によってレベル2程度の強さになっているが、『強化種』になる事でレベル4以上の能力を得てしまう事である。

 勝手に同士討ちしてくれるからと放置していると恐ろしい事になる為、最初期に発見された当初は危険度は『低い』とされたが、モンスターの特性の判明と共に危険度は『最高』にまで引き上げられた。。


 ちなみに、モンスターをおびき寄せる為の道具である『血肉』などの道具を使うと楽に対処できる。


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『深層遠征』《装備解放》

『ヒイラギ・シャクヤクを見つけた』

『何処だよ』

『あそこ、ほら、あの宿。窓から外を見てる黒毛の狼人の女の子。間違いない』

『……アイツに似てるな。ムカつく顔だ。一発殴って良いか?』

『馬鹿言え、冒険者の力で殴ったら死んでしまうだろう。とりあえず適当に縛って連れて行こう』

『やっぱ殴らせろ。ムカつく』

『やめろ、彼女を殴りたいなら僕が相手に──ぐぶぅっ』

『るせぇな、ムカつくんだよ、あの顔……気取った様な顔しやがって』

『っ……(気取った顔? どう見ても物憂げな顔してるじゃないか。何が見えてるんだコイツ……) まぁ良いよ。とりあえず怒った、痛い目を見て貰うよ』

『あん、まずテメェから潰されてぇのかよ』

『(なんでこんなの仲間にしたんだナイアル。恨むぞ……)』


 ダンジョン四十一階層。『怪物の巣堀(モンスターハウス)』と『一方通行の罠』、そして『特別個体化領域』と言う三つの迷宮の悪意(ダンジョントラップ)によって、膨大な数の飢餓に狂うライダーバットを相手にせざるをえなくなっていた。

 【ロキ・ファミリア】の調査班に編成された第三級(レベル2)冒険者、ディアン・オーグは目の前に迫った『飢餓』の効果によってステイタスの下がった個体を楽に切り伏せる。

 余裕も余裕。元々敏捷と隠密性、奇襲が得意なだけの蝙蝠型モンスターである『ライダーバット』が、真正面から突っ込んでくるだけならなんとでもなる。それが、一体だけなら。

 

 即座に横合いから飛び出してきた個体がディアンの腕に齧りつく。

 

「いってぇっ!? 放しやがれっ!」

 

 急ぎ個体を反対の手でぶっ叩いて引き剥がして腕を見る。牙が深々と突き立てられるだけにとどまらず、肉を抉られ、骨が覗くその傷に冷や汗を流す。腰から回復薬(ポーション)を取り出してぶっかけようとした所で、横合いから腕を掴まれて引き寄せられる。

 

「馬鹿野郎、動きを止めんなっ!」

 

 罵倒と共に回復薬(ポーション)をひったくられ、腕の治療を目にも留まらぬ速さで終えられる。治療をしてくれたのがフルエンだと遅れて気付いたディアンに対し、フルエンは鬼の様な形相でディアンが先程足を止めた場所を指差す。

 

「お前はああはなりたくないだろ」

 

 そこにあった光景を見てディアンは悲鳴を押し殺した。

 

 つい先ほど、ディアンの腕の肉を齧りとった個体が、別の個体に群がられ、悲鳴を上げる事も出来ずに貪り食われる光景が其処にある。ディアンがあの場に留まっていれば同じように貪られていた危険性もある。

 

「糞、カエデの奴の姿が見えん。リディアっ! カエデが見当たらんっ!」

「こっちで保護できてないっ! それよりもドワーフが重傷っ! 高位回復薬(ハイ・ポーション)使ったけど戦線復帰は無理っ!」

 

 準一級(レベル4)に迫る勢いであった強化種のライダーバットの突進が直撃し、壁に叩き付けられて動けなくなっていたドワーフは、致命傷を負っており高位回復薬(ハイ・ポーション)を使っての治療を行っても動けそうにないらしい。

 現状の戦力を軽く見回したフルエンが苦虫を噛み潰したような表情で呟く。

 

「……カエデはもう死んじまったか?」

 

 フルエンが確認できる範囲での戦力は第二級(レベル3)のフルエン、ウェンガル、リディア、アマゾネスの少女の四人。ドワーフの男は重傷を負って戦闘不能で守りに一人を割かねばならず、ディアンは飢餓個体であれば対応できるが強化個体が来た瞬間に挽肉であろう。

 そして最悪なのがカエデ・ハバリの不在。アマゾネスの少女と共に強化種の一撃は回避したはずだが、姿が見えない。

 

 天井付近で貪り合う個体の所為で、血と肉片、骨の雨が降り注ぐ地獄の様な空間。強化種によってベート、アイズの両名は足止めを喰らっており、最悪な事に彼ら二人がかりで10匹以上を相手にしているにも関わらず、此方にも強化種が突撃して来る事があるのだ。

 

「そっちに抜けたぞっ!」

「っ! ディアン、立て。来るぞ」

「ドワーフが動けないんだけどっ!?」

「……っ! どうにか担ぐなりなんなりしろっ!」

 

 ベートの警告の叫びに反応してディアンを立たせて前に出る。どうにか突進を止める為に剣を握りしめる。

 

 フルエンの自己評価は『それなり』でしかない。判定基準の厳しいベート班に編成されてはいるが、かといって他の者に比べて圧倒的に強いかと言えばそんな事は無く。しいて言うなれば『便利』であるぐらい。

 罠を見抜く才能があっただとか、それだけの事。要するに戦闘方面は『それなり』と言う評価である。

 そも猫人(キャットピープル)である自分が、ドワーフですら止められなかった強化種の突進を止められるはずもない。解り切った事である。

 

 後方ではウェンガルがディアンを担いで走り出し、リディアとアマゾネスの二人がかりでドワーフを移動させていく。カエデの姿は見えず、狼人の男が何処に居るのかもわからない。

 

 目の前にせまった強化種の個体を見据え、引き攣った笑みを浮かべ、強がるのが限界。

 血と、肉片と、骨の降る狂気じみた世界に相応しく、憎悪を滾らせた強化種にライダーバットが自身をむさぼろうと牙を突き立てる通常種を払い退けながら突っ込んでくる。

 アマゾネスの様だと常々言われていたヒューマンの少女の様に、剣を打ちあわせて火花を散らし、フルエンは武器を構えた。

 

 

 

 

 

 狼人(ウェアウルフ)の青年は重傷と言える程の傷では無かったものの、その状態は良いとは言えなかった。

 カエデ・ハバリは血と肉片と骨が降り注ぐ中、狼人の男の応急処置を手早く終え、狼人(かれ)を背にしてウィンドパイプを構えた。

 

「なっ!? 何して、くっ」

 

 驚きに声を上げた彼を肩越しに振り返り、直ぐに前に向き直る。油断出来る状況でも無ければ、彼の言葉に応えている余裕なんてありはしない。

 近づいてくる飢餓に狂う通常種を凍りつかせて黙らせ、強化種が何処から突っ込んでくるのかにだけ意識を集中させる。

 

「おいっ、糞っ────

 

 後ろから聞こえる声を無視しよう。──彼が何を言おうが。自分は手を差し伸べると決めた。

 師の言葉に従うべく、(つるぎ)をその手に、その背で庇ったのだから。

 

「お前みたいな奴に庇われるなんて────聞いてんのかよっ!」

 

 五月蠅い。黙っていて欲しい。今、この瞬間にも目の前の飢餓に狂うライダーバットの喰らいあいの中から、強化種が此方を狙っているのだ。意識を逸らせばすぐにでも突っ込んでくる。間違いない。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()() ()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 五月蠅い。心の中で有らん限りに叫び、目の前を見据える。足元の血と肉片、骨のおりなす吐き気を催す光景。一度だけヒヅチに聞いた『血の池地獄』と言うモノを思い出した。生前に、血によって生を汚す事をし続けると、死後に其処に落とされるのだと。

 まだ、死んだ(諦めた)積りなんて無いのに。

 

 轟音と共に、ライダーバット達が群がる光景が拉げ、無数の肉片を撒き散らしながら強化種が飛び出してきた。

 これだけ視界も臭いも最悪だと言うのに、強化種は違う事無く狼人の青年を狙っている。

 

 歯を食いしばる。冷気を前方に集めて出来る限り大きな『氷塊』を生み出す。カエデの魔法の特性上、攻撃に対する自動防御を行う冷気はある程度、自在に操作できる。それを操作して防御力を高めて──突っ込んできた強化種を受け止めようと試みた。

 

 ────ド派手に氷の砕け散る音が響き渡り、分厚く形成された氷塊はあっけなく粉みじんに砕け、冷気によって相手の動きを阻害しようにも、彼の個体は冷気を風圧で吹き飛ばして突っ込んでくる。

 まるで、最初から障害等ありはしないとでも言う様に、真っ直ぐ、確実に突っ込んでくるその光景に悲鳴をあげかけ、ウィンドパイプでその進路を逸らすべく息を吸う。

 

 ──熱く、赤く、紅く、朱く、心の臓より生まれる小さな熱を、全身に移す。燃える様に、一瞬の瞬きを。

 

 烈火の呼氣を発動。体が一瞬で沸騰した様な感触を覚えながらも、腰を落として剣を構えた。

 カエデの持つ剣は居合切り等と言う洒落た切り方なんぞ出来ないし、そもそも居合切りは『間合い内では最速、間合い外では最遅』と言う剣技であり、威力が優れる訳では無い。

 

 砕けた氷の破片を撒き散らしながら、血に染まったその姿が目の前に迫る。──今、剣を振るう。

 

 

 

 肉を打つ音とは思えない様な音が響き渡る。目の前に迫ったその牙を、横合いからぶっ叩いて逸らす。

 

 元々、降り注ぐ血肉によって血塗れだったからわからないが、もしかしたら腕から出血しているかもしれない。両腕に残る痺れを感じつつ、カエデは後ろを振り返った。驚きの表情で引き攣った笑みを浮かべる狼人(かれ)に精一杯の強がりの笑みを浮かべる。

 無理だからやめろだとか、お前みたいな禍憑きに庇われるなんてだとか、そんな事ばかりを叫んでいた狼人(かれ)。ほら、どんなもんだ、出来たぞ。

 

「待っててください、なんとかしますので」

「おいっ────

 

 後ろから聞こえる喚き声を無視する。黙って助けられてくれ。

 

 たった一度、烈火の呼氣との併用で突撃の進路は逸らせた。

 元々、ライダーバットと言う個体は重量に優れている訳では無かった事も幸いしたのだろう。準一級(レベル4)とはいえ、軽量な体を横合いから叩いて逸らすのは難しくはない。

 難しくはないだけで、出来るとは言っていないのだが。

 

 手の中に残るのは酷使した事によって、刀身が砕け散り、柄だけになってしまった()()()()()()()()()()

 今まで、世話になってきた剣の末路としては、褒められたモノではない。何せ無茶を重ねる真似ばかりしてきていたのだから、折れるのは当然として、よもや砕け散る羽目になるなんて。

 刀匠が聞けば頭を抱えるに違いない。無茶を繰り返し、一度目は放火魔(パスカヴィル)の炎によって刀身が焼け焦げ、二度目はインファントドラゴンの頭骨を砕く為に刃金(はがね)を潰され、三度目で終に心金もろとも砕け散った。

 これでは修理や修繕は完全に不可能であろう。いかなる鍛冶の神とはいえ、完全に砕け散った剣の再生は不可能。故にこの剣は剣としての道を終えた。ほかならぬ未熟な腕しか持てなかった愚かしい剣士の手によって。

 

 剣士を名乗るのも烏滸がましい、未熟な自身の腕を恨まざるをえない。師なら、きっと剣が砕かれる事も無く、華麗に彼の強化種を切り伏せていたのだから。

 

 歯を食いしばる。武器の無い今、次の攻撃に備えなければならない。だが、彼の個体の意識は此方に向いただろう。

 それに狼人(かれ)は今や降り注ぐ肉片と骨によって半ば埋もれている。どうやら彼らの肉片や骨(食べ残し)は動けない狼人(かれ)を隠蔽する役割を果たしてくれている様子だ。

 床に散らばる肉片や骨のおかげで、彼は大人しくしていれば見つかる事は無いだろう。強化種は別として。

 

 彼の強化種はなんとしてでも冒険者を、人間を殺してやると言う憎悪に塗れている。きっと、見つけ出して殺されるだろう。だから、狼人(かれ)から引き剥がさなくてはいけない。

 

 何かをわめく狼人(かれ)を無視して一方的に声をかける。

 

「そこで大人しくしててください。隠れていれば──生き残れるかもしれません」

 

 ワタシだって死にたくない。強化種となった個体を引きつけるなんて馬鹿げてる。武器も今の攻防──一方的な防衛戦で失われた。勝ち目なんて無いのだってわかってる。けれども、見捨てる事だけは出来ない。

 狼人(かれ)を隠蔽してくれる肉片や骨は、カエデにとっては足場を悪くするモノでしかなかった。

 尻尾を掴まれた感触を覚え、回避の為に一歩踏み出そうとして、ぐちゃりと肉片を踏み潰す感触と共に足を滑らせかけて身を投げ出す。

 

 次の瞬間にはカエデが居た位置に強化種のライダーバットが地面を半ば抉りながら突っ込んできた。肉片に足をとられて回避し損ね、翼に跳ね上げられたカエデの体が遥か遠くへ跳ね飛ばされた。

 

 

 

 

 

 視界を埋め尽くす喰らいあうモンスター共。狂気的な光景に舌を巻くでもなく剣を縦横無尽に振るって個体の数を出来る限り減らす。後ろを振り返る余裕は全くなく、ベート・ローガは後方で起きた事に後ろ髪を引かれつつも戦闘を継続していた。

 先程やらかした事で、一匹だけ強化種がベートとアイズの二人では無く、後方に居た者達に突撃をかました。

 ベートの視界の中でカエデとディアンだけはなんとか助けられたらしいが、二人が致命傷を負った事を感じ取り、舌打ちをした。

 

 ドワーフの男は、多分生きてはいる。即死はしないだろう、耐久に優れた奴を選出したのだから、むしろ耐えてくれなきゃ困る。狼人の方は──即死しなかったのが幸運。身を捻った事で即死を免れたのか、一撃で噛み千切られるほどの顎の力を持っていなかったのが幸いだったのか。だが、狼人の姿が見えない。

 

 一瞬だけ後方を振り向けば、別の強化種を相手にリディアとウェンガル、フルエンの三人が戦っている。ウェンガルが素手で相手の背中や翼をすれ違い様に撫でて挑発する様に動き、フルエンが目を狙って視界を潰し、リディアが強烈な一撃を叩き込む。

 第二級(レベル3)の彼らなりの連携と戦い方は上手いのだが。ディアンとカエデ(足手纏い二人)の姿が見えない。

 

 目の前に迫った強化種を蹴り、魔石を砕く事に成功して一匹減らせた事に鼻を鳴らし、別の箇所で三匹の強化種が発生したのを音で感じ取り、舌打ちをする。

 

 いたちごっこ所か、完全に手数が足りない。アイズが相手している二匹は第一級(レベル5)程の能力なのかアイズが翻弄されて苦い表情を浮かべている。

 自身の方はどうなのかと言えば、纏わりついてくる通常種(雑魚)を払い退けつつ強化種を五匹同時に相手取ると言う様な事をしている事もあり、消耗が激しい。

 肩で息をしつつも後ろを気にするベートは、ようやくディアンの姿を見つけて目を細めた。

 

 致命傷を負ったドワーフの男を担いで部屋の隅で盾を構えつつも肉片と骨に埋もれる様に隠れる姿に安堵の吐息を零すと同時に、近くで負傷したらしいアマゾネスの少女が悲鳴を上げながら貪られる光景に喉を引き攣らせる。

 雑魚と侮った、と言う訳では無い。無限に等しく湧き続ける個体の雨に、ついに崩れたのか腹を食い破られ、内臓を零れ落としながらも懸命にメイスで応戦しているが、柔らかな臓腑と言うごちそうを目の前にした飢餓個体は彼女を優先して狙い始めたのだろう。

 あと数分もすれば、動けなくなり、死ぬ。

 

「糞っ」

 

 判断は一瞬。迫ってきた強化種の一匹の脳天に剣を突き刺し、抜く事はせずにそのまま柄を手放して別の個体を蹴り飛ばし、そのアマゾネスの元に向かう。

 

「ベートさんっ!」

 

 アイズの、焦った様な声が聞こえた瞬間。ベートは横合いから受けた衝撃で視界が回転し、地面に叩き付けられた所で自分が突進の直撃を喰らった事を悟る。同時に片手で地面を叩いて立ち上がり、足に齧りついていた通常種を掴んで引き剥がし、地面に叩き付けて踏み潰す。

 

 アマゾネスの方に視線を向ければ──ディアンが群がっていた個体を叩き伏せ、内臓を零して死にかけている彼女を引き摺ってドワーフの元まで運んでいる姿があった。

 応急処置が間に合えば、冒険者の再生能力ならもしかしたら助かるかもしれない。二割ぐらいの確率で。

 

 舌打ち、この状況を招いたのは間違いなくこの大部屋の探索をすると決めたベート・ローガの責任であろう。

 とは言え、フィンが同じ状況になった場合でも、間違いなく同じ選択を選ぶ事は間違いない。

 あと一つの大部屋を残して戻ると言うのは有り得ないし、罠がありそうだから引き返しましたなんてやっていたら、それこそ永遠に調査なんて完了する訳も無いからだ。

 

 だが、もし引き返していれば。

 

 轟音が響き、ベートの意識が一瞬其方に向く。

 

「なんだありゃ……」

 

 ベートの視線の先、氷の塊が大部屋(ルーム)の半ばを埋め尽くす光景が目に入ってきた。一瞬でその氷塊の周辺が凍りついていき、飢餓に狂った通常種たちの動きが目に見えて遅くなり、中には凍りついてそのまま墜落し、砕け散って絶命する個体まで居る始末。

 血に塗れた体が一瞬で冷やされ、体が震える。つい先ほどまで動き続けた事で火照っていた体が冷やされ、背筋に氷柱を差しこまれたのではないかと言う悪寒を感じ取り、目を細める。

 

 あれが何なのかわからないが、もしかしたら迷宮の悪意(ダンジョントラップ)の類が発動したのかもしれない。もしそうなら、状況はより最悪だろう。とは言え通常個体が凍りついて死んで行っている以上、冒険者のみに作用するタイプでは無いらしい。

 

 よく見れば、強化種の動きが悪くなっている。と言うよりその翼に氷が張りついて動きを阻害しているらしい。ベートが地面を踏締めて動きの鈍った個体を始末する為に動こうとした瞬間、アイズ・ヴァレンシュタインが横から斬りかかり、その個体を軽く膾切りにして別の個体に突っ込んでいく。

 どうやら、この氷が与えた影響は冒険者側に有利に働いている様子である。

 

「ベートさん」

 

 走り寄ってきたフルエンの顔を見て、眉を顰める。彼が相手どっていた個体はどうなったのか視線を向ければ、砕け散った脳天を晒したままの骸が見え、リディアがその上に腰かけたまま放心状態に陥っていた。

 

「こっちの強化種はなんとか片付きました。この氷のなんかのおかげで天井まで凍りついてモンスターの発生を抑えてくれてるみたいで、この氷は何でしょうかね。見た事の無いタイプの罠ですけど」

「知らん。それより怪我人を回収しろ。あそこら辺で埋もれてる」

「それはウェンガルが今回収してます。アマゾネスの方は──致命傷です。急いで戻って治療しないと不味いです。ドワーフの方は動けないみたいですけど、命に別状は無くて……。それよりも、カエデの姿を見てないですか?」

 

 フルエンの言葉にベートは一瞬動きを止める。

 思い返してみればカエデの姿は見ていない。狼人の奴は即死こそしていなかったが死んでいる可能性が高いが、カエデはアマゾネスの奴が引っ掴んで突進を回避していたはずだ。

 つまりあの時点で死んではいない。アマゾネスはその後合流していたはずだが、カエデは合流していない?

 

 ベートはフルエンの胸倉を掴んで睨む。

 

「おい、しっかり()()()っつったろ」

「ぐぅっ……すいません、乱戦になってて……」

 

 身を震わせて答えるフルエンの姿に苛立ちを覚え、直ぐに手放して周囲を見回す。

 

 モンスター同士の喰らいあいの残飯塗れになっている大部屋。冷気の所為で上手く臭いを嗅ぎ分けるのは不可能であるが、たとえ冷気が無かったとしてもこの部屋の中で死体を探すのは骨が折れるだろう。

 十中八九、死体は貪られて骨と肉片だけになっているのだから。

 

「ちっ」

 

 氷の塊の方に視線を向けて思案する。あの氷塊がどういった効果なのか不明だが、モンスターの発生を抑え、なおかつ行動を妨げる冷気を放っている。冒険者であるベート達に影響は少ないものの、無い訳では無い。

 だが蝙蝠型モンスターであるライダーバットは激しく影響を受けて動けない個体が出ているのでどちらかといえば冒険者に優位な状況になってはいるが。

 

「ベートさん、一つ思い出した事が」

「なんだ」

 

 フルエンが氷の塊の方に視線を向けながら、口を開いた。

 

「カエデの魔法、氷属性の付与(エンチャント)魔法でしたよね」

「……この規模の魔法をカエデが? ババアじゃねえんだぞ」

 

 カエデは自己申告で氷属性の付与(エンチャント)魔法を覚えている事を言っていたが、この大部屋(ルーム)の半分を凍りつかせるほどの威力を出せるはずもない。それこそリヴェリアの魔法でもない限り。

 

「どうなってやがる……」

 

 

 

 

 

 跳ね飛ばされたが、運が良かったのか、叩き付けられた場所にはモンスターの食べ残しである肉片が一杯に敷き詰められた悪趣味なほどの柔らかな大地であった事もあり、なんとか無傷で済んだ。

 直ぐに立ち上がろうとして、足を滑らせる。

 

 肉片が敷き詰められたカーペットの上では、立ち上がるのは至難の技所か、腰を落としてゆっくり歩かねば直ぐに足を滑らせて転倒してしまう。こんな状況で戦うなんて冗談じゃない。

 即座に足元に冷気を集中させ、床に散らばる肉片を凍りつかせる。

 

 踏ん張りの利かない肉片と骨のカーペットの上を歩くのと、滑る氷の上で戦うの、どちらがマシかを考えて、今までは床を凍らせる事をしなかったものの、凍らせてみると思った以上に()()()()

 と言うよりしっかり足場として機能した事に気付いてもっと早くに同じことをすればよかったと後悔をしつつも、武器になりそうな骨の塊を掴みとって構える。

 

 狼人を狙っていた強化種は、狼人の捕食を妨害された事に怒りを抱いてカエデを狙い始めていた。故に跳ね飛ばされて結果的に狼人(かれ)から距離がとれたのは行幸であったと言えるが。

 せめて、武器を貰い受けておけば良かった。

 

 手にしたのは肉片がこびり付くモンスターの骨。強度はそこまで無さそうだが、ふと、違和感。

 もう一度、足元の血と肉片を見て、違和感が強まる。

 

 モンスターは、魔石が奪われるか、砕かれた場合、灰になって消えるはずだ。

 ここに散らばる肉片は、どう考えても魔石から切り離されたモノであって、それで──足のブーツに違和感を覚えて足元を見た。

 

 首だけだ、首だけになったライダーバットが、カエデの身に着けていた重装甲のヘビーブーツの爪先を齧っている。なんだこれは。

 

「っ!? これはっ」

 

 慌てて足を上げ、爪先に齧りついて居たライダーバットの頭を踏み潰す。あっけなく潰れた感触に怖気を感じつつ、違和感の正体に気付いて悲鳴を噛み殺す。

 

 消えるはずの肉片が消えず、どこからどう見ても死んでいる姿で動く。そんな異常が発生する空間。

 迷宮の悪意(ダンジョントラップ)の一種『不死者の出生地(アンデッド・ゾーン)』と言う罠。

 

 一定空間の中でモンスター、冒険者問わずに死亡した場合、不死(アンデット)属性を付与されてしまうと言う代物。首だけになろうと、頭を潰されない限りは動き続けるおぞましい代物に成り果てる、そんな迷宮の悪意(ダンジョントラップ)

 下層や深層で稀に見られると言うそれが、今この場にある。

 

 四つ目の迷宮の悪意(ダンジョントラップ)と言う状況。かつてこの階層を調査した【ゼウス・ファミリア】【ヘラ・ファミリア】の両ファミリアが数百を超える遠征を行った中でも、三つの罠が同時に出現するのは非常に珍しい事であったらしい。それが四つに至るのは片手で数えられる程度だと言う。

 本当に、運の無い。──ワタシの所為?

 

「っ! ワタシは、悪く無い」

 

 師なら、ヒヅチならこんな状況でも即応で否定してくれるだろう。そんな考えに浸るさ中、尻尾を掴まれた感触を覚えて即座に横に飛び退く。今度は翼に巻き込まれない様に大き目に飛んで回避する。

 轟音と共に、体をむさぼられて頭だけになった個体が何十匹と蠢く屍のカーペットを引っぺがした強化種がカエデを見据える。空中で羽ばたき、他の個体を翼で叩き落しながら、カエデだけを見据えていた。

 

 武器が無い。手に握り締めた骨は、強度なんて期待していなかったが、回避した際に翼に巻き込まれ、粉々に砕け散っていた。

 武器が必要だ。何処かに武器は──あった。

 

 思い出したのは『追加詠唱』によって生み出せる氷の刀。あれさえあればなんとかなるかもしれない。しかし、詠唱する余裕があるのか?

 

 目の前の強化種が一気に急降下してくる。飛び退いて回避しつつも意識を詠唱へと切り替えようとして──足場を凍らせる為に使用していた冷気が上手く作用しなくなり、足場が血肉のカーペットへと戻り足を滑らせ掛けて慌てて再度凍らせる。

 

「っ……詠唱できない」

 

 詠唱する為の隙をなんとしてでも作り出さなくては、どうやって?

 

 再度、突っ込んでくる。回避しようとして──ふと思い出したのはリヴェリアの言葉。

 

『並行詠唱、と言う技術は知っているな?』

 

 並行詠唱。本来なら足を止めてする詠唱を、高速戦闘をしつつも行うと言う技術。

 顔を上げて強化種を見据える。今、ワタシがしなくてはいけないのは、足場を維持するために魔法の操作。敵の攻撃の回避。魔法の詠唱。

 失敗したら、確実な死が其処にある。

 

 魔力暴発(イグニスファトゥス)が引き起こされれば、たとえ短文詠唱に分類される自身の魔法であろうと、致命的な隙が出来るのは間違いない。隙が出来れば──一瞬で挽肉だ。

 それ所か、詠唱に集中し過ぎれば回避し損ねて挽肉だし、足場の形成が出来なければ回避もままならない。

 こんな事になるのなら、並行詠唱の練習もしておけばよかった。

 

 ──あぁ、ヒヅチの言葉が身に染みる。

 

 あの時、ああしてればよかったのに。そんな風に後悔を抱く事は珍しくない。出来る事は全てしてきたつもりなのに、まだ……まだ足りない。足りない、足りない、どれだけ積み上げようと、どれだけ磨きあげようと、()()()()()()()()()()()()()()()。天井知らずな程に、己が力は不足し続ける。

 努力を怠るな。研鑽を極めよ。妥協点を見いだすな。どれ程の力も知恵も足りぬだろうと死ぬな(諦めるな)

 

 迫ってきたライダーバットを回避する。カエデの体格に対し、ライダーバットの体格は倍近い大きさを誇る。翼まで含めれば数倍の大きさだ。

 

 どの道、失敗すれば死ぬし、このまま増援を待つ選択をしようにも、魔力が残り少ない。

 

 チリチリとした、脳の裏側で火花の散る様な、感触。魔力が尽き始めている事を知らせる感覚がする。

 選択肢なんて、ありはしない。

 

 あの日だって、あの時だって、今だって、何時だって選択肢なんて一つきりだ。

 ここで、死ぬ(諦める)か? そんなの真っ平御免だ。

 最初に、一歩踏み出したあの日から、決めたのだ。生きる(足掻く)と、足を止める暇はない。

 

 顔を上げる。未だに湧き続けるモンスターは、互いを喰らいあい、意図せずに強化種へと至ろうとしている。

 目の前には一匹の強化種。ベートとアイズが二人で十匹以上の強化種を相手にしていて、他の皆はどうなっているのか知りようも無い。もしかしたら、死んでる人が出ているかもしれない。

 あの狼人(かれ)も、隠れるのに失敗して、貪られているかもしれない。

 

 それでも、ワタシは死なない(諦めない)死んで(諦めて)()()()()生き(足掻か)なきゃ。

 

「『乞い願え────

 

 モンスターが突っ込んでくる。回避しなきゃ、魔力が変な方に流れていきそうになる。止めなきゃ。足場が上手く形成出来ない。血肉に足をとられ転倒しかける。

 

 ────望みに答え────

 

 なんとか手を突きつつも血肉のカーペットを転がって回避に成功する。

 

 ────鋭き白牙────

 

 後一言。魔力が減り過ぎている。頭の内側に響く鈍痛が意識を鈍らせる。もう一度来る、回避を──出来ない。

 足場が形成出来ない。魔力不足で意識が朦朧とする。精神疲労(マインドダウン)に陥りかけている。精神枯渇(マインドゼロ)まで後数秒も無いかもしれない。

 このままだと、突進を回避できない。……、致命傷だけ回避しよう。武器を、せめて武器がなければ抗えない。それに今詠唱を中断すれば間違いなく魔力暴発(イグニスファトゥス)して死ぬ。

 

 ────諸刃の剣と成らん』」

 

 手の中に生み出された氷の剣。師の持った長い刀、想像の通りの出来に嬉しさが生まれ──次の瞬間にはモンスターの牙が腹を突き破り肉を抉られ、咥えられた。

 

 意識が飛びかけ、激痛に苛まれる。腹に突き立った牙がいくつもの臓器を破壊し、激痛と喪失の感触を伝えてくる。だが、致命傷は避けた。後は──反撃を。そんな考えが瓦解していく。

 

 思い、振るおうとした氷の剣は、歪な形になっていて、剣とも呼べない塊に成り果てていた。血が染みつき、肥大化した塊は、到底剣等と呼べる代物ではなくなっていて、魔法の効果を思い出して歯を食いしばる。

 

 『血染め増幅』、ワタシの装備魔法は自然崩壊してしまうが、血を塗りたくればその分大きく強くなる。だけど、それはしっかりと剣として使っていなければ、形が歪に成長してしまう。

 視界を埋め尽くす血の雨、モンスターに咥えられている状況。精神疲労(マインドダウン)して、腹に牙を突き立てられ、振り回される。武器を手放せば、死ぬ。

 いや、むしろもう死に体だ。武器さえあれば、そう思い苦労して生み出した装備魔法。

 

 辺り一面血の雨が降り注ぐこの場では、ワタシの装備魔法は歪な成長を遂げ、剣と呼べない代物と成り果ててしまった。もう魔力は無くて、新しい剣を生み出す所か、再度付与(エンチャント)魔法を詠唱する事も難しい。

 

 次の瞬間、腹に突き立っていた牙が抜けた。むしろ強化種の方から此方を解放したらしい。天井付近で解放され、床に叩き付けられる。運が良いのか、また血肉のカーペットの上。腹に開いた穴から血が溢れ出る。手にした血氷の塊と化した装備魔法は手放さなかったが、もう動けない。

 

 どうすればいい?

 魔法? 魔力が無い。

 武器? 血氷の塊を振り回すなんて出来ない。

 素手で足掻く? 立ち上れない。

 体力は底を突きかけ。負傷度合は致命傷、応急処置しないと数分後には死ぬ。

 

 装備魔法を握りしめる。天井付近を悠々と飛ぶ強化種は、他の個体を意図して食い潰し始める。時折此方をちらりと流し見てはほくそ笑む様な表情を浮かべる。

 より強い個体になって、一瞬で潰すつもりなのか。悪趣味にも程がある。

 とは言え猶予を与えてくれたのは行幸か。足掻く方法も思いつかない状況だけれど──あった。

 

 一つだけ、あった。とっておきの切り札──なんて都合の良いモノじゃない。

 

 効果もわからない、装備解放(アリスィア)

 

 運良く装備魔法の氷の塊は手放していない。今も尚、床に広がる血を吸って歪に肥大化して、持ち上げる事も出来なくなってしまった氷の塊。

 

 詠唱文は確か────

 

「『愛おしき者────望むは一つ。 ────砕け逝く我が身に一筋の涙を』




 アレックス君の暴走を止めるアルスフェア君大変そう。

 もう彼は死んでも治らない病気なんだと思う。


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『深層遠征』《帰還の途》

『なるほど。それで逃げられたと』

『ああそうだよ。其処の大馬鹿野郎の所為でね。ついでに君の所為でもある』

『私の所為、ですか。酷い言い草ですねアル』

『実際そうだろう? ともかく、ヒイラギ・シャクヤクには逃げられてしまったよ』

『彼女、ヒイラギ・シャクヤクがクトゥグアの方に捕まってないのなら、それで良いんです』

『はぁ……? まぁいいけど。其処の馬鹿、追放してくれよ。一緒に行動とか冗談じゃない』

『それは無理です。暫く一緒に居てください。後、協力者を見つけてきたので彼女と協力してください』

『彼女? 一体誰──っ!? お前はヒヅチ・ハバリっ!?』

『えぇ、彼女が協力者です。暫くの間彼女と行動してください』

『しばらく世話になる。む? お主はあの時の小僧か』

『はぁっ!?』


 ダンジョン四十一階層、大部屋にて複数の迷宮の悪意(ダンジョントラップ)によって被害が出る事になったベート班。

 大部屋の一部分を完全に凍りつかせ、冷気を放つ氷塊が突然現れ、大部屋内のモンスターの大半が凍りつきはじめた事もあり。強化種へと至った一部のモンスターもアイズ・ヴァレンシュタインの手によって切り刻まれ、静かになった大部屋の中でベートは氷の塊の傍で目を細めていた。

 

 ベートが観察する氷の塊、その中に見える影。透き通る様な部分と、白くなっている部分が入り乱れて良く見えないが、小柄な人物が氷の塊の中に()()のが見える。

 

「……生きてるのか?」

「今調べてます。魔力の流れはあるので多分生きてるんじゃないかと」

 

 氷の塊をナイフで削って確認するフルエンを横目で見て吐息を零す。

 

 怪物の巣堀(モンスターハウス)を突破する事に成功したのか、入口部分の一方通行の罠が解除されて三か所の通路が確認できた。その内の一つが下の階層に通じる階段への直通通路である事が判明した為、ベート班の調査はこれで目的は完了した。

 しかし、アマゾネスの少女と狼人(ウェアウルフ)の二名が重傷。リディアとウェンガルが応急処置を済ませたがアマゾネスの少女の方は致命傷であった事もあり、たとえ地上の医療施設であったとしても生存率は半分を切る程の致命的な怪我。この場で出来る応急処置は全て済ませ、後は彼女の体力が何処まで持つかといった所である。

 狼人(ウェアウルフ)の男の方はカエデの応急処置と高位回復薬(ハイポーション)のおかげで一命を取り留めたものの、暫くの間は治療の必要有り。

 ドワーフの男は意識不明のまま目覚めず。応急処置は終えた為に寝かされている。

 

 そしてカエデ・ハバリが自らの魔法の暴走で氷の塊の中に閉じ込められている。

 

 有体に言えば損害は大きい。半壊と言っていい程の損害。

 

 目の前の氷の塊はカエデが自らの魔法で生み出した代物であるが、その氷の内側でカエデは閉じ込められており意識不明。フルエンが一つ頷いてベートの方を見た。

 

「カエデの意識は無いですけど、生きてはいます。ただ……このまま氷から出すのは危険かと。氷の中に入れたまま仮拠点まで輸送してから治療可能な状態で取り出さないと、多分ですけど数分で死にます。見た限りですけどカエデの腹の部分に貫通した痕がありますし、あの状態で仮死状態になってるのはある意味で奇跡的ですよ」

「んで、どうすりゃいいんだ」

「そうですね。カエデを傷付けない様に氷の塊を切りだすぐらいしか……」

 

 フルエンの言葉を聞いてベートが眉を顰めた。カエデが中心部に凍りついて居るこの塊、直径は数Mにまで及び、切り出すのには相当の時間がかかるうえ、砕くのも一苦労しそうである。

 

「私がやろうか?」

「アイズ? 出来るか?」

 

 頷いたアイズが剣を構え、目にも留まらぬ速さで振り抜いて氷の塊の中から、カエデの入った氷だけを切りだす。ずるりと氷の塊からカエデが取り出される。

 まるで氷の棺に収まっているのではないかと思えるカエデの姿にフルエンが耳を揺らし、氷を叩いて中に居るカエデの反応を確かめる。

 

「……一応、生きてますね。仮死状態っぽいですけど」

「ババアに見せるしかねえな」

 

 魔法の暴走によって閉じ込められている現状。外側から強引に氷を砕く事も出来なくはないが、中に居るカエデにどういった影響が出るかもわからない。それにこの場に留まる危険性を考えればすぐにでも仮拠点の防衛に当たっているリヴェリアの元に送り届けるべきである。

 

「おい、リディア。こいつを運んでー」

 

 氷の棺に収まるカエデをロープで縛り上げて後方で応急処置にあたっていたリディアに声をかける為に振り返ったフルエンは、目に入ってきた光景に悲鳴をあげかけ、即座に剣を抜いて構えた。

 

「ベートさんっ!」

「なんだ。あぁ? アイツ、目ぇ覚ましたのか」

 

 ドワーフの男が緩慢な動きで起き上がり、近くに置いてあったメイスに手を伸ばしている光景。ベートは目を覚ましたのかと近づこうとして、違和感に気付いた。

 そのドワーフの男は呼吸をしていない。生命として在るべき何かが欠如したその姿に目を細める。

 

「あ、目を覚ましたんですか。よかった──

「ディアンっ! そいつから離れろっ!」

 

 近くでアマゾネスの応急処置を手伝っていたディアンが気付き、彼の方を見て歩み寄るのを見たフルエンが叫び、ディアンは一瞬訳がわからないとでも言う様に首を傾げ──ドワーフの振り下ろしたメイスがディアンの背中に叩き付けられた。

 

「ぐぁっ!?」

 

 ドワーフの男が振り抜いたメイスで背中を打たれ、倒れ伏すディアンに対し、もう一度メイスを振り下ろそうとするドワーフ。ウェンガルが即座に剣を抜いてその一撃を受け止めた。

 

「ちょっと、どうしたって──嘘でしょっ」

 

 ウェンガルも違和感に気付き、即座にドワーフの腹を蹴り抜いて押しのける。理解が及ばずに目を点にしたリディアが驚いて目を見開いた。

 ベート達の目の前でドワーフの男は大きくよろめいて背中から倒れる。ウェンガルがディアンの容態を確認するさ中、フルエンがドワーフの男に近づいて呻く。

 

「ベートさん、不死(アンデット)化してます……」

 

 不死(アンデッド)化。迷宮の悪意(ダンジョントラップ)の一つに存在する不死者の出生地(アンデッド・ゾーン)という罠。

 存在する範囲内で死亡した骸が独りでに動きだし、生存者を襲うという罠であり、骸には特殊な状態が付与され、それが不死(アンデッド)化と呼ばれている。

 モンスター、冒険者問わず、その範囲内で骸になったモノは近くに居る不死(アンデッド)化していないモノに襲い掛かる。モンスターも、冒険者も問わずに。

 

 そのドワーフの男に生気は無い。虚ろに濁った瞳は光を移さず、失血のし過ぎによって血色を完全に失って青褪めた肌。捥げ掛けた片腕が零れ落ち、へしゃげたプレートメイルが軋む音を響かせる。血に塗れたメイスを握りしめ、彼は立ち上った。既に死んでいるはずのドワーフの男は、死後もその骸を辱められるという屈辱の中で、仲間に牙を剥かんと襲い掛かろうとして────ベートの蹴りが男の頭を蹴り砕いた。

 

 不死(アンデッド)化してしまった個体は、モンスター、冒険者問わずに頭部を完全に破壊しきる必要がある。頭部が破壊されるまで、()()()()()()()()生きている者を脅かす化物に成り果てる。

 仲間の骸が、そんな化物に成り果てるのをよしとせず、即座に()()を決めたベートの一撃がドワーフの頭を蹴り砕き、()()()()()()()()

 

 びしゃりと、地面に飛び散った血の泉に倒れ伏した姿を見てベートが鼻をならす。

 

「足を引っ張るなって言ったろ。足手纏いになるなら最初からついてくんじゃねえ」

 

 突然の出来事の動けずにいたリディアが目を見開き、即座にアマゾネスの少女の容態を確認する。何時死んでもおかしくない彼女もまた、この場で死を迎えれば不死(アンデッド)化してしまうだろう。

 

 驚きの余り硬直したディアン。ディアンの怪我の具合を見て問題無いと判断したウェンガルが狼人(ウェアウルフ)に肩を貸して立ち上がる。

 

「リディア、あの氷の塊(カエデ)は任せる。直ぐに此処を離れましょ……ここで死んだら、最悪だし」

「そうだな。アイズさん、ベートさん。仮拠点に戻りましょう……」

 

 もし、もし命を落とすにしても、死後に自らの骸が仲間に牙を剥くのは避けたいのだろう。アマゾネスの少女が息も絶え絶えに此処を離れたがっている。その言葉に応える様にフルエンが彼女を抱き上げ、ディアンが震えながら立ち上がって頭を失ったドワーフの男を見てから、その場で嘔吐した。

 

 死んでいたとは言え、仲間の頭を蹴り抜いたベートがドワーフの骸を眺め、徐にリディアが担いだ氷の塊の方へ視線を向け、呟く。

 

「おい、そいつも()()()()()()()()()

 

 カエデ・ハバリが氷の塊の中で既に息絶えているのであれば、不死(アンデッド)化していてもおかしくない。もしそうであるのなら、同じ様に()()()()()()()()()()()

 固い決意の元に呟かれた言葉に、フルエンが否定の言葉を放った。

 

「いえ、それはないです。少なくとも、死んではいないですよ、死んでたら魔法が解けてるでしょうし」

 

 フルエンの言葉に安堵ともとれる吐息を零し、ベートは再度ドワーフの男の骸に視線を向け、何の言葉を残す事もなく、ベートは視線を逸らした。

 

 

 

 

 

 第四班として編成されていたメンバーから死者が出た。その報告を受けたフィン、リヴェリア、ガレスの三人は会議用に建てられたテントの内で会議を行っていた。

 俯きがちにテーブルに肘をついていたフィンが呟く様に言葉を零す。

 

「ついに、犠牲者が出てしまったか」

 

 これまで、四十階層までの調査の中で【ロキ・ファミリア】はただ一人も犠牲者を出さずに攻略を進めて来ていた。他のファミリアでは多大な犠牲を出すダンジョン調査を犠牲無しで進めていた事もあり、【ロキ・ファミリア】の名声は天に届くほどとも言われていたのだ。

 たとえ【ゼウス・ファミリア】と【ヘラ・ファミリア】《先駆者達》が残した情報を元に積み上げた功績であったとは言え、それでも相応に注意し、警戒し、成し遂げていたファミリアとしての偉業が途絶えた。それは手痛いと言えばそうであるが、それ以上に三人が意識を向けているのはファミリアの士気だ。

 

「それも、不死(アンデッド)化したと」

 

 ダンジョン内での死亡者ゼロで探索を進める。そんな偉業を成し続けていたファミリアからの、初の死亡者。それも二人。うち一人は不死(アンデッド)化によって動く骸と成るという姿を晒した。

 それがどういった影響を与えるのか。『次は自分の番かもしれない』そんな恐怖を抱けば、迷宮は一瞬でその命を奪い去っていくだろう。

 

「……いや、皆なら大丈夫だろう」

 

 フィンが顔を上げて口元に笑みを浮かべた。これまで、数多くの団員達と共に調査に挑んできた。探索のさ中に多数の罠にかかり、危機的状況に陥った事もゼロでは無い。それを犠牲者無しで突破してきたという功績が途絶えた事は残念ではあるが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 主神のロキが、団長のフィンが、皆が認めてようやく入団を決める。決めたのだ、彼らがそう易々と心折られない。そう信じて。

 

「全員が、というのは無理だと思うがな」

 

 何人かは、心折られてファミリアを去るだろう。そう口にしたリヴェリアに対し、ガレスは顎に手を当てて呟く。その通りだと。

 確かにその通りであろう。特にディアン等は戻ってきた直後に取り乱した様子で叫びだし、ペコラが即座に子守唄で眠らせる羽目になった。ペコラの即応のおかげで混乱は少なく済んだが、それでも何人かは不安を覚えてしまった。

 

「それで、どうする? 戻るか。進むか」

 

 ガレスの言葉にフィンが目を瞑り、リヴェリアが唸る。ファミリアの進退に関わるだけに、慎重な選択をする必要がある。

 初めて深層遠征で犠牲者が出た事もあり、団員達の動揺は大きい。他のファミリアであれば遠征の度に犠牲者が付き物だという事で、動揺は少なかっただろう。しかし今まで犠牲者ゼロで進んできた【ロキ・ファミリア】ではそういった経験が少なすぎる。故に動揺は大きく、波紋の如く広がっている。

 

 今回の深層遠征の目的自体は既に達せられている。第四十一階層の進行ルートの開拓という目的だけを見れば、ベート達が見つけた道が最適解だというのは既に調査済み。

 戻るというのも悪い選択肢では無い。現状、物資に余裕はある。だが士気が下がっている事もあり、これ以上の無理はすべきではないだろう。

 

 本来なら、ここから更に四十二階層、四十三階層と調査を進め、可能ならば四十五階層を目指すはずであったが、欲張り過ぎは良くない。今回出てしまった犠牲の事もある。戻るべきかとフィンが顔を上げた。

 

「戻ろう。動揺が大きすぎる。冒険は必要だけど無茶は必要ない」

「わかった」

「では指示を出してくる」

 

 フィンの言葉に頷いて立ち上がるガレスとリヴェリアを見て、フィンは口を開いた。

 

「カエデの方はどうだった?」

「一応、大事は無い筈だ。目覚めるまで暫くかかるが」

 

 氷漬けになったまま帰還する羽目になったカエデ。彼女については一悶着あったが、一応解決はした。とは言え意識不明のままなので意識が戻るまでは安心できないが。

 

 

 

 

 

 リヴェリアが受けた報告は衝撃的な物であった。

 

 ドワーフの男、アマゾネスの二名が死亡。カエデが魔法暴走で氷漬け、狼人の男が重傷。

 

 以上の報告を受けたリヴェリアは即座にベート班の状態を確認する為にテントから出れば、全身血塗れの状態のベートが苛立ちを隠しもせずにリヴェリアの前に血に塗れた布の塊を放り投げた。

 丁度、人一人分の大きさの塊。どさりと音を立てて落ちたそれを見て目を細め、リヴェリアが質問すれば『ドワーフの方だ』と言ってから、ベートは近くの岩に腰かけて動かなくなる。

 他のメンバーも凄惨たる様子であった。血塗れのフルエンが涙を拭いながらアマゾネスの少女の骸を布で包んでいたし、他のメンバーも悔しげに俯いていた。アイズがリヴェリアと視線を合わせた瞬間に俯いて『ごめんなさい』と呟く。

 そんな中でリディアが背負っていた氷の塊をリヴェリアの前に下ろして泣く様にへたり込んだ。カエデを助けてと。

 

 目の前に鎮座したのは氷でできた棺に囚われたカエデの姿。何があってこうなったのか想像する他ないが、カエデの魔法が氷の付与(エンチャント)魔法である事から、カエデが魔法で何かしたのだろうと判断し容態を確認していく。

 その途中、頭を抱えて震えていたディアンが『俺がもっとちゃんと応急処置してれば』と泣き叫び始め、それを見ていたフルエンが止めようと声を掛けるがディアンは聞く耳を持たず、『俺が悪い』と叫び続け、見かねたペコラが子守唄で強制的に眠らせる羽目になり。

 

 氷の中に居るカエデが自らを仮死状態にする事で致命傷を負った自身の延命を図っている事に気付き、無意識に身を守り生き残るという目的の為に魔法を暴走状態にしていると判断し、リヴェリアが氷の棺の上から万能薬(エリクサー)を振りかければ氷の棺は解けはじめ、数秒後には無傷のカエデが無事に氷の棺から救出される事になった。

 とは言え意識は無く、目覚めるまでしばらくかかると判断し、カエデに関しては医務用テントに運び込まれる事となる。

 

 

 

 

 

 ガタゴトと揺れる感触を覚え、口から呻き声が零れ落ちる。

 ガタンと大きな揺れが襲い、頭に何かが当たった。重たい瞼を必死に持ち上げて薄目で周囲を見回せば、荷車の中で荷物と共に揺られている光景が目に入ってきた。

 鈍重な思考をゆっくりと回し、今どこに居るのかを考えて首を傾げた。

 

「ここは……」

「あー、目を覚ましましたか」

「……ペコラさん?」

 

 同じく荷車の中で寝袋に収まっていたペコラが飛び跳ねた髪を撫でながらカエデの方を見ていた。

 

「おはようございます。よく眠れましたか?」

 

 ペコラの言葉に首を傾げてから、頷く。暫く眠っていたらしいことに気付いて周囲を見回して、途絶えかけの記憶を辿る。四十一階層への到着、調査の為に編成された班、そして罠に嵌った事。

 迷宮の悪意(ダンジョントラップ)の中で起きた出来事を思い出して慌てて身を起こし、腕に引っ掛けたチェーンの所為で体勢を崩し、木箱の上に乗せられていた荷物が落ちてきてカエデを押し潰した。

 

「ぐっ」

「あ、カエデちゃん大丈夫ですか」

「どうした……あ、カエデが目を覚ましたのか。リヴェリア様に報告行ってくる」

 

 荷車の中で起きた物音に反応したらしい団員が覗き込んできて、カエデが目を覚ましたのに気が付いて去っていく。未だに揺れる荷車の中、カエデは何とか自身に伸し掛かっていた布で包まれた何かを押しのけてペコラに尋ねる。

 

「あの、罠は、皆は何処に……」

「……ベートさんとアイズさんは無事ですよ。リディアちゃん、ウェンガルちゃん、フルエン君、ディアン君、それから狼人(ウェアウルフ)のケルトさんは生きてます。ドワーフの方とアマゾネスの方は……其処に居ます」

 

 気まずそうにカエデが押しのけた布で包まれた何かを示すペコラ。一瞬何のことかわからずに布で包まれた何かとペコラの指を見比べてから、布の塊の大きさを見て察した。

 カエデよりも大きい布の塊。完全に布で覆い隠されているが独特の臭気が漂っている。死臭と呼べるその臭いと、伸し掛かってきた時の生々しい重さを思い出して身を震わせてから、その布に手を伸ばした所でリヴェリアの声が響いた。

 

「目を覚ましたか」

「……リヴェリア様」

「気分はどうだ」

「問題ないです。それよりもこれ……」

 

 カエデが手を伸ばしている布にくるまれた其れに視線を向け、リヴェリアは眉を顰めてから口を開いた。

 

「すまないな。荷車に余裕が無かったから一緒に運んでいた」

「……そうですか」

 

 アマゾネスの少女は、狼人(ウェアウルフ)の男を助けられないと判断して皆と合流したはずである。それなのに、布で包まれた何かの大きさから中身を想定して俯く。彼女は生き残れなかったのか。

 

「歩けるのなら歩いたほうがいいですよ」

「ペコラさんは……」

「ペコラさんは平気ですので」

 

 そうですか、呟きと共に自らの装備を確認しようとして、剣が無い事に気付いて周囲を見る。木箱と布で包まれた骸が二つ。それからテントの骨組みや杭等が乱雑に詰め込まれた荷車の中、カエデの武器が無い。

 

「あー、カエデ。お前の武器は完全に破損していたそうだ。予備の武器が支給されている。だがお前は後方待機だ。外に出るのは良いが戦闘には参加するな」

「……あの、今何階層ですか」

 

 リヴェリアの指示を聞き、未だにダンジョンの中に居る事を思い出し、口を開けばペコラが横から答えを返してきた。

 

「今、二十階層です。もう直ぐ十八階層の安全階層(セーフティーポイント)ですよ」

 

 何時の間に其処まで、ダンジョンの調査はどうなったのか。捲し立てるカエデの質問に対し、ペコラが一つ一つ丁重に答えていく。

 

 犠牲者が出た事で団長が帰還する事を選んだ事。調査目的は達成されている事。十八階層で一晩休んでから地上に戻る事。

 その質問を答え終えた頃には、【ロキ・ファミリア】の遠征部隊は十八階層に到着していた。

 

 

 

 

 

 十八階層の迷宮の楽園(アンダーリゾート)。【ロキ・ファミリア】の遠征隊が此処を訪れたのは八日ぶりである。

 各々の団員がテントを張ったり荷物の整理をしたりするさ中、カエデは待機を言い渡され結晶に腰かけて周りの様子を眺めていた。

 

 生き残った。ワタシは生き残った。けれども、彼女(アマゾネス)は死んで、(ドワーフ)も死んだ。

 

 詳しい説明を聞けば、ドワーフの男は不死者の出生地(アンデッド・ゾーン)で死んでしまった為に不死(アンデッド)化して襲ってきたらしい。そして最後はベートの手で頭部を破壊され()()()

 アマゾネスの少女は仮拠点に戻る途中。フルエンの腕の中で息絶えた。不死(アンデッド)化はしなかったそうだ。

 

 狼人(ウェアウルフ)の彼は生き残ったらしい。足を負傷していたけれど、今では完全に治癒して動ける様になっていたらしい。

 ワタシは、無茶をして魔法の発動をした結果、魔法を暴走させて氷漬けになった後、氷漬けから助け出されて以降一度も目覚めず、四日ほど眠っていた。

 

 生き残った事は、嬉しいはずなのに。

 

「なんで二人は……」

 

 ドワーフの男の死因は、推定準一級(レベル4)程度の力を持つ強化種のライダーバットによる突進の直撃が原因。応急処置による延命も虚しく命を落とした。

 アマゾネスの少女の死因は、数えきれない程の飢餓状態のライダーバットによって体の一部を貪り食われた事によるショック症状。不死者の出生地(アンデッド・ゾーン)から抜けるまでは歯を食いしばって耐えたが、仮拠点まで持たずに命を落とした。

 

 ワタシの所為かもしれない。絶対に違うと言いたいけれど、もしかしたら──

 

 考えに浸るさ中、カエデの前にぴょこんと兎の耳が生えてきて思わずのけぞる。のけぞってからその耳がアリソンのものだと気付き、視線を下げればじーっとカエデを見つめるアリソンの姿があった。

 

「こんにちは、気分はどうですかね」

「アリソンさん……そんなに、よくないです」

「……そうですか。今から水浴びに行くんですけどカエデちゃんも行きましょう。一応、カエデちゃんも濡れタオルとかで拭いてあげてましたけど、やっぱり血の臭いが気になりますし」

 

 アリソンの誘いに迷ってから頷く。後ろ向きの考え方をしてしまうのはもしかしたら血の臭いが原因なのかもしれない。そう考えて立ち上がった。

 

 水浴びの為に女性団員が警戒網を敷いた泉まで歩くさ中、黙っていたアリソンが口を開いた。

 

「【ロキ・ファミリア】から初めて犠牲者が出ましたね」

 

 遠征中の【ロキ・ファミリア】から死亡者が出たのは、今回が初めての事である。その事についてアリソンが口にしているのだと気付いたカエデは俯いた。

 

「ワタシの所為……」

「へ? いや、カエデちゃんの所為じゃないですよ。それだけは言えます」

 

 カエデの呟きを拾い上げて否定するアリソン。その姿に不安を覚えた。

 

「私が言いたいのはそういう事では無くてですね……。皆さん、不安を覚えたみたいで……ディアン君は、今回を機に【ロキ・ファミリア】を脱退するそうです」

「え? ディアンさんが、冒険者やめるんですか」

 

 アリソンが困った様に耳を垂らして口を開いた。

 

 ディアンは、あの罠の中でドワーフの男とアマゾネスの少女の応急処置を行った。他の三人に庇われながら必死に応急処置を行った。目の前で強化種のライダーバットに撥ねられて意識を失ったまま死んだドワーフと、目の前でライダーバットに貪られて致命傷を負ったアマゾネスの少女。

 もし、もしももっと応急処置の勉強をしていれば。ドワーフの命を救えたかもしれない。目の前で貪られるアマゾネスを見た時、怯まずに即座に救い出せば、アマゾネスの命を救えたかもしれない。

 そんな罪悪感に押し潰され、悲鳴を上げ、耐え切れなくなってしまった。冒険者として活動を続ける事は出来ないと、心折れてしまった。

 

「だから、帰ったらロキ様に言うらしいんです。冒険者やめますって」

 

 アリソンの言葉を黙って聞いていたカエデ。アリソンは唐突に振り向いて口を開いた。

 

「カエデちゃんはどう思います。私は……怖いです。これから先、こんな事がもっと増えるんだろうなっていうのがわかってしまったから、とても怖いんですよ」

 

 深層遠征。四十一階層の調査。目的は達成された今回の遠征。【ロキ・ファミリア】から初めて出た犠牲者。ファミリアの皆に広がる動揺。フィンが力強く導いてくれているが、不安がぬぐいきれない。

 もし、もしももう一度同じ様に犠牲が出たら。それが自分であったのなら。

 【ロキ・ファミリア】の内部に広がった波紋は、今まで平然と冒険者をやってきていた者達の心を揺さ振る。

 

 受け止め、受け流し、平然と冒険者を続けると口にできる者も居るだろう。

 

 だが、中にはそんな不安を抱えてしまう者も居る。アリソンの不安を理解できる。カエデはアリソンを見上げて口を開いた。

 

「怖いなら、逃げたら良いじゃないですか」

「……そうですけど」

「ワタシも、怖いです。初めての器の昇格(ランクアップ)に至ったあの試練を超えてから。もう知ってました」

 

 茨の道だと。憧れで、ただの憧憬で歩いていける程、冒険者という道は優しくない。

 

 ──誰かが、命を落とす。それを目にし、耳にし、それでも前に進まなくては自らまで死んでしまう。

 

 ワタシは生きる為に冒険者になった。死ぬ(諦める)事だけは出来ない。それがワタシが此処に居る理由だから。

 

「アリソンさんは、どうするんですか」

 

 脅えるのなら、逃げれば良いじゃないか。逃げた先に道があるのなら、そうすればいい。ワタシだって怖い、辛い、苦しい。でも、他に道なんて無い。器の昇格(ランクアップ)を目指す以外に道は無いから、どんなに怖くても進める。どんなに辛くても進む。どんなに苦しくても()()()()()()()()()

 貴女は違う。他に道がある。ならばそっちに逃げれば良い。

 

 人の死が怖いか。怖いに決まってる。己の死が怖いか。怖いに決まってる。その脅えは共感できる。してあげられる、だけど選ぶ道だけは同じにはならない。

 選べるアリソンと違って、ワタシは選べないから。

 

 人が死んだ。あの時の選択で、ワタシがアマゾネスの彼女と一緒に行動していたら。彼女は助かったかもしれないけれど、でもワタシは狼人(ウェアウルフ)の青年の方を選んだ。

 後悔してるけど、後悔し続けるだけじゃダメなんだって。前に進む為に悩みはしても、足を止めはしないんだって。

 

「ワタシは進みます」

 

 もしかしたら、禍憑き(ワタシ)の所為かもしれないけど、それでもワタシは進まなきゃいけないんだ。生きる為にも。

 

 また、彼らに何か言われるのだろうか。




不死者の出生地(アンデット・ゾーン)
 一定範囲内で死亡した場合。モンスターの場合は魔石の有無を問わずに、人の場合は頭部が無事である場合『不死(アンデット)』の状態を付与する。

 『不死(アンデット)』の付与された個体は、不死の付与されていない者にたいして無差別に襲いかかり、同じく不死が付与されるように仕向け動き始める。

 モンスター、冒険者問わずにこの状態は付与される。

 死んだ冒険者の死体がこの罠の範囲内を徘徊し続ける事があり、時折下層以下へ赴いて帰らなかった冒険者等がモンスターに混じって不死者になって居る事が確認されている。
 つい先ほどまで共に戦い、命を落とした仲間が武器を手に襲い掛かってくると言うこの迷宮の悪意(ダンジョントラップ)は、数多くの冒険者に深い心の傷を与え続けていた。


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『深層遠征』《帰還の途》二

『はぁ、疲れる』

『大丈夫か恵比寿』

『全然? それとなんか【ミューズ・ファミリア】の方で事件があったっぽいけどどうしたんだい』

『……キーラ・カルネイロが攫われて、主神のウーラニアーが()()()()()()()って』

『……あぁ、ナイアルか? ついに尻尾を出してくれたのかな』

『どうだろうね。とりあえず【ガネーシャ・ファミリア】が【ナイアル・ファミリア】の本拠には乗り込むみたいだよ』

『へぇ、それは楽しみだ。彼はきっと数多くの罪を背負っているだろうからね。今までは上手く逃げられてしまっていたけど、彼が捕まればより皆が笑顔になれる』

『……恵比寿が皆の笑顔を望んでいるのはわかるんだけど、その胡散臭い笑みじゃ誰も信じないよ』

『カッツェは信じてくれるだろう?』

『……まあね。それなりの付き合いもあるしな』


 ダンジョン十八階層。安全階層(セーフティポイント)であるその階層。『迷宮の楽園(アンダーリゾート)』と呼ばれる階層にて、【ロキ・ファミリア】の遠征隊が野営地の作成を終え、夜の訪れと同時にほんの小さな宴を執り行っていた。

 持ち込んだ数少ない酒類を惜しげも無く全ての団員に振る舞い、残っていた食糧を全て使い切る勢いで料理を作り、今回の遠征の成功を祝う宴。

 成功を祝う宴にしては、喜びの声を上げる者は少ない。それでも酒を片手に宴を盛り上げようとする団員も多い。割合としては2割程が沈んだ表情を浮かべ、4割が無言で食事をとり、残りが酒を片手に騒ぐ。

 

 そんな団員達の前で笑みを零し、雰囲気を盛り上げようとしている団長達を遠目に見つつ。カエデ・ハバリはアリソンの横で目の前に置かれた肉を見て眉を顰めていた。

 

 こんがりと焼き色のついた、血の滴る様な新鮮な肉。普段なら迷わず掴み取って齧りつく様な()()肉である。横では第三級(レベル2)のドワーフの青年が肉を齧り酒を飲んでいるのだが、カエデはその血の滴る様な良い肉に手を伸ばせずに口元を押さえて視線を逸らす。

 

 普段ならおいしそうと迷わず飛びつくはずのその肉を見ていると、血と肉と骨の欠片の散らばる地獄の様なあの光景を思い出してしまう。食欲は消え失せ、アリソンが齧っていた野菜スティックをほんの少しかじる程度しか食事もとれず。他の団員と違って年齢を理由に酒類は禁止されているカエデは、酒精に酔いしれて気分を上げる事も出来ない。

 ぼんやりと嫌いなニンジンのスティックを齧り、口の中に広がった()()()()()()()()()()を噛み締め。()()()()()()()()()()を感じ、今まで苦手だったニンジンが今まで以上に嫌いになり、齧りかけのそれを皿に置いて別の野菜へと手を伸ばそうとした所で、アリソンが口を開いた。

 

「カエデちゃん、それ食べないなら貰いますけど……大丈夫ですか? 顔色悪いですけど」

「……大丈夫です。気にしないでください」

 

 陰鬱とした雰囲気を吹き飛ばす様に、野菜ではなく肉に手を伸ばして、途中で手を引っ込める。それを見ていたドワーフの青年が『食わんのか』と皿に取り分けて差し出してくるが、首を横に振った。

 

「すいません。食欲が無いので……」

「そうか」

「本当に大丈夫ですか? 何ならもうテントに戻っても良いですけど」

 

 アリソンの言葉により陰鬱な気分が胸いっぱいに広がり、深々と溜息が零れ落ちた。

 

 カエデが休むテントは狼人(ウェアウルフ)専用のテントである。他の者と違い、ペコラの子守唄を利用できない狼人(ウェアウルフ)用に分けられたテント。

 今日まで仮死状態から復帰し、つい数時間前に目覚めたカエデは。他の狼人(ウェアウルフ)と一切顔を合わせていない。だからこそ、他の狼人(ウェアウルフ)達からどう思われているのか考えるだけで陰鬱になる。

 唯一、ベートとは顔を合わせる事があったが、ベートは『雑魚に構うから死にかけるんだ、今度からは無視しとけ』と言い、睨みつけてきた。

 あの時の行動に関して、間違えたと言う積りはないが。正解であったかと言えば口を噤むほかない。狼人(ウェアウルフ)の男は助かったが、他に死者が出ているのだから。

 団長であるフィンは『カエデのおかげで彼は救われた。気にする事じゃない』と言ってくれたが、それでも『ああしておけば』と思う事は多い。

 

 その上で最もカエデを憂鬱にさせる情報。ベートの不在である。

 

 ベートは【ロキ・ファミリア】内に於いて敏捷の高さが団長に次いで早い。ガレスやリヴェリアを抜いて、団長に届きうるとまで言われるほどに敏捷に長けているベートは、その敏捷を買われて一足先に【ロキ・ファミリア】の本拠『黄昏の館』までひとっ走りして神ロキに今回の遠征での報告を行う。

 この宴の終わりと同時に出発し、往復で5時間程。ベートが不在となる。

 

 その間、カエデは狼人(ウェアウルフ)専用テントの中で見知らぬ狼人(ウェアウルフ)三人と一緒に居なければならないのだ。団長にはどうしても気分が悪いから外で寝たいと申し出たが当然の如く却下された。

 【ハデス・ファミリア】に対する警戒もあるから、テントの外で眠るのは許可出来ない、と。

 

 テントに向かうのも憂鬱で、我儘だと分かっていても、行きたくない。

 

 野菜のみで、空腹が紛らわされる程度に食事をしてから、深々と溜息を零す。人が死んだ。トラブルが起きた。ワタシの所為かもしれない。白き禍憑き。あの狼人(ウェアウルフ)の青年に言われた言葉。

 陰鬱な雰囲気を吹き飛ばす様な美味しい食事であるはずの新鮮な肉類は、カエデにとって地獄を彩る赤色を思い起こさせるだけで気分を盛り上げてくれることは無い。

 

 それでも、時間と言うのは残酷だ。ワタシが思い悩んでいても、止まってくれないのだから。

 

 

 

 

 狼人(ウェアウルフ)用のテントは【ロキ・ファミリア】が設営した野営地の中心部。ペコラが子守唄を唄って皆を癒す寝所からすぐ近くに存在する。音が漏れる事も無い様な厚い布地で作られたテントの中、一足先にテントに着いたのはカエデであった。

 フィンに再度懇願しにいき、同じ返答を受け取り沈んだ気分で辿り着いたテント。中に誰も居ない事に安堵して、これからやってくるのだと気分がより沈む。

 他の狼人(ウェアウルフ)が来るより前に、やる事を全て終わらせて眠ってしまおう。そう考え、片隅の木箱に腰かけ、自分に与えられた予備用の大剣の刃を砥石で丁重に磨く。無心に、刃を研ぎ澄ませる。水桶からほんの少し水を垂らし、刃の歪みを整える。

 とは言え、支給品であるその大剣は不備等何処にもありはしない。何せ第二級(レベル3)冒険者用の武装であり、本来ならカエデが持つ様な代物ではないからだ。耐久だけで言えばウィンドパイプの方が数段優れていたとは言え、切れ味なんかは比べるまでも無く支給品の大剣の方が良い。研ぐまでも無く、鋭い切っ先を持つ大剣。

 そう時間もかからずに研ぎ終え、刃をランタンの光に翳して確認してから鞘に納める。

 

 鞘に刃が納まった直後、外から中に入ってくる気配を感じ取り腰が浮いた。膝に乗せていた砥石が転げ落ち、からんと音を立てた所で入口を見れば、狼人(ウェアウルフ)が三人。

 恐る恐ると言った様子で入って来て、此方と視線がかち合う。真っ直ぐ見つめ返せば、気まずそうに視線を逸らされた。茶髪に鳶色の瞳、口元に八重歯の覗くケルトと呼ばれた狼人(ウェアウルフ)の男。他に赤茶っぽい色合いの髪に赤黒い色合いの瞳、首元に巻いたスカーフの男性。最後に蒼みかかった髪色をした女性。

 

 腰を落としていた木箱から立ち上がり、足元に転がった砥石を拾い上げて手早く手入れ道具を片付けて木箱を壁にして隠れる様に毛布を取り出して被る。本当なら来る前に終わらせておきたかったが、間に合わなかった。

 感じる視線から尻尾を隠す様に、毛布に包まる。禍憑きだとか、言いたい事があるなら好きなだけ言えば良い。耳を塞いで、何も聞こえない様に祈りつつ。眠ろうとする。

 どうせ、眠る事なんて出来ないだろう。けれども我慢するのも今日で最後だ。今日を乗り越えれば一人部屋に戻れる。静かで、寂しいけれど、あの部屋なら雑音も無く眠れる。

 

 そう自身に言い聞かせて眠ろうとする。そうしているのに────彼らは声をかけてきた。

 

「なぁ、聞こえるか? 寝てーないよな?」

 

 静かにして欲しい。耳を塞いで、縮こまる。ベートさんが居れば絶対に声もかけてこないのに。なんで声をかけてくるのか。

 

「えぇと、おーい。ハバリさん? あのー……」

「無視されてね?」

「あんたなんかしたんじゃない?」

 

 無視しよう。何を言われても。ワタシには関係無い。ワタシは禍憑きじゃない。どれだけ希っても、誰かを不幸に出来る様な力なんて持ってない。そのはずなのに。

 

「……なぁ、少し話を」

「無理に話す必要無いんじゃね……?」

「いや、でもよ。あの時の事謝りてえし。助けて貰った以上はさ」

「ケルト、ほんとに何もしてない訳?」

 

 耳を塞いでいても聞こえるやり取り。謝ると言う言葉に、ほんの少しだけ、興味を持った。何のことだろう。

 ワタシに、話かけようとする狼人(ウェアウルフ)なんて居る訳がない。ワンコさんや、ベートさんを除けば狼人(ウェアウルフ)でワタシと関わろうとする人なんて誰も居なかったのに。

 

「なぁ、そのままでも良いから聞いてくれよ。あの時、四十一階層で危ない所を助けてくれた時、お前に酷い事言って悪かった。すまん……。助けてくれてありがとよ」

 

 いつの間にか、耳を塞ぐのをやめて、毛布に包まったまま話を聞いていた。謝られた? 狼人(ウェアウルフ)に? ワタシが?

 

「ケルト、酷い事ってなんだ。何もしてないって言ってたろお前」

「いや、あの時は仕方なかったんだよ」

「で、何言ったの?」

「禍憑きに助けられる筋合いはないとか……」

 

 酷い事? 禍憑きと言った事が? わからない。何を考えているのかがわからない。毛布の外でのやり取りに困惑を重ねていく。

 

「はぁ? ケルト、そんな事言ったのか」

「いや、仕方ないだろ。こいつ無茶しようとしてたし」

「だからって禍憑きは無いでしょ」

「うっ……だから悪かったって謝ってるだろ……」

 

 ワタシが、謝られてる? 禍憑きと言われた事を? 何で? 疑問が芽生えた。毛布から、ほんの少しだけ隙間を作り周りを見る。ケルトと呼ばれた狼人(ウェアウルフ)の男が他二人に詰め寄られている。

 

「ケルトお前は馬鹿だな」

「うっうるせえな。無茶するコイツが悪いんだろうが」

「逆ギレ? 男として恥ずかしく無い訳?」

 

 二人が、ケルトに詰め寄り、怒鳴り合っている。喧嘩している、と言う雰囲気では無く。ケルトが一方的に言い寄られている。何が起きているのかわからずに毛布から、顔を覗かせて口を開いた。怒られるだろうか?

 

「あの──

「あっ」「おう」「ぁー」

 

 三人の視線が一瞬で集まり、思わず首を竦め毛布に顔を隠す。驚いた表情が印象的で、どうすればいいのかわからなかった。

 

「ちょ、隠れなくて良いって。話したい事がー」

「おいおい、待て待て、詰め寄ったって()()()()()()()()()だって」

「落ち着きなさいよ。全くケルトは相変わらず考えなしなんだからさ……だからベートさんに怒られるんだって」

「お前だって同じだろ、と言うか。ハバリ、少しだけ話をさせてくれ。()()()()()()()()()、なんならそのままでもいいから」

 

 脅える? 怖い? 誰が? 誰を? ワタシが、彼らを? 脅える? 怖がってる?

 彼らの言葉に困惑と疑問が膨れ上がって、『丹田の呼氣』が切れて呼吸が乱れているのを自覚し、呼吸を整える。ゆっくりと呼吸を体全体に染み渡らせて、落ち着いてきた所でもう一度、毛布から顔を覗かせた。

 

「……何ですか」

「あー、その。ごめん。この通り、謝る。四十一階層で禍憑きとか、罵って悪かった」

 

 深々と頭を下げるケルトの姿、脳天が見えた。毛布の隙間から覗いた景色に、一瞬だけ理解が及ばない光景に思考が止まる。彼は、なんで頭を下げているのだろうか。

 

「俺が横から口出しするのも良くないが、赦してやってくれないか。こいつも悪気があった訳じゃないしな」

「言った事は悪い事だけど、貴女がやった無茶も相当だし。それを止める為だったしね。と言うか大丈夫、顔色悪いけど……?」

 

 他の二人の狼人(ウェアウルフ)の言葉に、理解が及ばなくて、少ししてから気が付いた。彼らの言葉には()()が無い。罵る様な、見下すような雰囲気は何処にも無い。その言葉に籠った雰囲気は、何処かで覚えがある。

 そうだ、彼らの言葉はワンコさんの言葉に良く似ている。雰囲気が、まるで此方を気遣う様な、そんな雰囲気。

 

 思わず、毛布を退けて姿を晒す。常に奇異の視線を向けられてきた、白毛の身を晒して彼らの前に立つ。頭を下げたままのケルトを見下ろして、他の二人を見る。

 無言のまま、彼らは何も言わずに此方を見ていた。ワタシもまた、彼らと無言で視線を交わす。

 

 脅えてた。その言葉は真実だろう。ワタシは彼らに脅えていた。だって、今までずっとそうだったから。

 

 言葉が通じない。何を話しても、どれだけ友好的な態度で接しようとも、狼人(かれら)は皆言うのだ。『禍憑き』だと、『関わると碌な事にならない』と、そして武器を向けてくる。ずっと、そう思っていた。

 

「なんで、謝るんですか」

「なんでって……そりゃ、心にも無い事を言ったし」

 

 心にも無い事? 禍憑きと言った事が?

 

「……ワタシが、怖くないんですか」

「怖い? お前が? 笑わせんなよ、お前みたいなチビに誰が脅え──痛ぇっ!? ちょっ、蹴るな蹴るなっ! 俺が悪かったって」

 

 他の二人が、ケルトを無言で蹴り始める。禍憑き(ワタシ)が怖くない?

 

「…………ワタシの事を───どう思っているんですか?」

 

 そんな質問。今まで、その返答は決まり切ってると()()()()()狼人(ウェアウルフ)達は決まって罵る。『禍憑き』だと、だから決まりきった答えが返ってくるだけだと思っていた。

 だから、彼らの言葉が信じられなかった。

 

「そりゃ──同じファミリアの仲間だな」

 

 仲間。その言葉は、どれほど望んだだろうか。同じ村に住まう彼らに、否定され続け、唯一ヒヅチとワンコさんが肯定してくれるだけの言葉。ベートさんが、強くなったら認めてやると言われた言葉。

 あっさりと、ケルトの口から放たれた言葉。

 

 ()()()()()()()()()()()()

 

「嘘ですよね」

「え?」

「そんなの、嘘。だって────貴方達は……」

 

 狼人(ウェアウルフ)だから。

 

 

 

 

 

 同じ席に同席した金髪の美女を意識しつつも、犬人(シアンスロープ)であり【猟犬(ティンダロス)】の二つ名を与えられた【ナイアル・ファミリア】の少年、アルスフェアは深々と溜息を零しながら、女性ヒヅチ・ハバリに声を掛けた。

 

「なぁ、君は何が目的で僕達の所に?」

 

 【ナイアル・ファミリア】はまともなファミリアでは無い。邪神であるナイアルラトホテプ、別名ニャルラトホテプを主神としたファミリアである。同じ席に同席したナイアルが、いつも通り紫色のパジャマにナイトキャップと言うふざけた格好をしている事に違和感を感じない程には、アルスフェアと言う少年はこのファミリアに()()()()()()。だが彼女は違う、はずだ。むしろ違わないと困る。

 このファミリアの団員は、皆狂人(まともじゃない奴)ばかりだったのだから。

 

「カエデを救う為じゃが」

 

 真っ直ぐと、揺らぐ事無く告げられた言葉に、安堵の吐息を零す。彼女が狂っている訳ではないと一安心し、それからナイアルの方に視線を向けた。

 

「それで、僕は何をすればいい?」

「えぇ、まず────彼女を()()()()()()()

 

 飛び出そうになった『何を言ってるんだ君は』と言う言葉を飲み込み。それからヒヅチ・ハバリの方を見た。

 椅子に腰かける彼女の姿は、一本の大樹の様にも、刺々しい棘を持ちながらも美しく咲き誇る花の様にも、見ただけで切断されそうな程に鋭い刃の様にも見える。その姿に揺らぎはなく、その目の透き通る色合いにも、刃を彷彿とさせる姿の中にも、狂気を示す色は見受けられない。

 だが目の前の主神はこう言った()()()()()と、つまり彼女は()()()()()

 

「はあ? 何処からどう見ても正気にしか見えない彼女を正気に戻すって?」

「はい。ヒヅチ・ハバリ、貴女に聞きたい事があります」

「何じゃ?」

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ナイアルの口元に浮かぶ、浮かぶと言うより内側からぬるりと這い出てくる様な薄気味悪い笑みに、背筋が泡立つ。彼の嗤い方は精神に良くない影響を齎す。それを知るからこそ視線を逸らしてヒヅチ・ハバリの美しい横顔に視線をやったアルスフェアは、次の瞬間に顔をテーブルに叩き付けた。

 

「まず()()()()()()。それから──どうした小僧。顔を打ちつけて、何かあったのか」

 

 常人に見えたあんたが狂人だったからだよ。そんな言葉が飛び出るはずだった自身の口を全身全霊をかけて塞ぐ。狂人に対し『あんたは狂人だ』なんて言った所で詮無い事だからだ。

 

「何でもないよ」

 

 まずカエデを殺す。救う為の手段の一つ目に、救う相手を殺すなんて言える奴が世界にどれだけいる? 狂人確定である。よもや狂気の欠片も見受けられない彼女が()()()()()なんて誰が予測できようか。

 いや、それを予測した邪神が目の前に居たのだった。

 

「ナイアル」

「わかっていますよ。見ての通り、彼女は常人に見えるでしょうが、()()()()()()()。大方、クトゥグアの狂気に当てられたのでしょう。まず彼女の正気を取り戻さなくては話になりません」

 

 意気揚揚と話をし始める邪神の言葉を半分聞き流しながら、アルスフェアはヒヅチ・ハバリの方に視線を向ける。彼女は一切揺るぎなく、前を見つめている。其処にどんな景色が映っているのか、引き締められた口元に浮かぶ表情は、真剣そのもの。傍から見れば真面目そうなその端整な横顔は、けれども先程のやり取りを終えてみれば薄気味悪さを感じるモノがある。

 

「と言う訳で、彼女を正気に戻す為に──【呪言使い(カースメーカー)】を招きました」

「はぁ? 招いた?」

 

 ナイアルと言う主神は、突飛な行動を起こす事が多い。【ロキ・ファミリア】の狂人、アレックス・ガートルをファミリアに勧誘したり。これまで主戦力であった団員(狂人)を何処からともなく連れて来たり。

 ともかく、ナイアルの行動は読めないし意味がわからない。いや、意味を理解した時、自分の正気が削り切れて狂人になってしまうのは間違いないだろう。

 

「はい、どうぞ。と言いたい所ですが彼女は縛り上げて隣の部屋で寝ていますので、アル。お願いします。ヒヅチは、少し其方の部屋で休んでいてください」

「わかった、待っていればいいのじゃな」

「縛ってあるねぇ、って縛ってあるっ!? 彼女は【ミューズ・ファミリア】の団員だぞっ!? そんな事したらどうなると思っているんだっ!」

 

 【呪言使い(カースメーカー)】キーラ・カルネイロと言えば、【ミューズ・ファミリア】所属の準一級(レベル4)冒険者である。彼のファミリアの番人とも呼ばれる彼女は相応の実力も兼ね備えた人物であり、普通なら連れてくるのは困難を極めるはずだ。()()()()

 

「あぁ、主神には許可をとりました。だから平気ですよ」

「許可……?」

「はい、()()()()()()()()()()()()()()()()()とお願いされましたね」

 

 アルスフェアが頭を抱えて唸る。ヒヅチ・ハバリは言われた通り、目の前で人攫いの話題が出ているのに顔色一つ変えずに凛とした姿のまま、別の部屋に行ってしまった。動じない姿は常人に見えるが、よくよく考えれば動じる所か話題にも出さずに触れない辺り、完全に()()()()()らしい。

 

 察しがついたアルスフェア。ナイアルは神々をも狂わせる()()()()()を使って【ミューズ・ファミリア】の主神を()()()()のだろう。彼のファミリアは単体で戦力が不足している様に見えて、その実ファンクラブと言う形で複数のファミリアが護衛に回る様に立ち回っているファミリアである。

 今回の事が知れ渡る事があれば、【ナイアル・ファミリア】に明日は無い。いや、常々やっている事を考えれば今の時点でも()()()()()()()()()()()()()()

 

「わかった、連れてくる……どうして僕がこんな目に」

 

 隣の部屋、ナイアルの示した部屋の扉を開けてみれば目隠しに轡を噛まされ、手足を椅子に固定されたキーラ・カルネイロの姿がある。二つ名の通り、声を使っての攻防を得意とする彼女に、口を使わせない様に轡をするのはわかるが、目隠しまで必要だったのかと眉を顰めつつも、縄を解かぬ様に椅子ごと彼女を運ぶ。

 

 

 

 

 

 自身が人攫いにあう経験と言うのは初めての事である。そも準一級(レベル4)冒険者として知られる自分を攫おう等と言う者が居た事に驚きだ。

 数時間前、今頃深層に居るであろう妹を想いつつも【イシュタル・ファミリア】のカエル女を撃退した直後に、自分が本拠(ホーム)に帰ると、主神が悲鳴を上げて部屋中の物をやたらめったら投げて壊すという凶行に及んでいるのを見つけて言葉を失った。

 主神であるウーラニアーは非常に落ち着いた女神だと記憶していたのだが、目が淀み、よく分らぬ言葉を呟きながら時折悲鳴を零して楽器や楽譜なんかを投げ散らかしている。意味がわからなかった。

 目を見開いて驚いて硬直する自分に、ウーラニアーが気付くと同時に飛びついてきた。

 

 今すぐここから出て行って。逃げて、あの人の元へ行け。絶対に行くな。狂うな、狂わされる。逃げて。エラトーなら平気。メルポメネーはダメ。クレイオーに声をかけて。絶対に行っちゃダメ。出て行け。動くな。

 

 訳の分からない言葉の羅列。理解が及ばずに彼女の肩を掴んで落ち着かせようとした。それから──言葉が聞こえた気がする。

 普段から()と言うのはキーラ・カルネイロにとって重要な代物である。妹もそうだが、自分にとってみれば声は武器だ。冒険者達からすれば異質ともとれる()()()()()()()と言う行為。だからこそ、同じ様に声を武器にした者が居たのには驚き、同時に恐怖した。

 人とは思えぬ囁き。悲鳴が轟き、それが自分の声だと自覚した時にはもう遅い。気が付けば自分は縛られて椅子に固定されていた。

 

 どれぐらいの時間、固定されていたか曖昧だが、空腹具合からそう大した時間が経過していないのはわかる。ただ、自分を攫う人間が居たのには驚きだ。

 

 顔の半分が抉れ、片腕と片足を失った女。それも羊人(ムートン)が誇る巻角の片方がへしゃげて歪んだ醜い女を攫うなんてモノ好きが居た事に驚きが隠せない。

 そう思いながらも椅子に大人しく座る。丁重にも、自身のステイタスが()()()()()()()()()()()()()()()()のがわかったからこそ、何もしないのではなく、出来ない。

 自身を攫った何者かはどうやら主神にも影響を及ぼせると言う事だけを理解し、轡をかみ切る力も無く内心の罵倒をぶつける。私が何をしたと言うのか平穏に暮らす我等を脅かす者共め。心の中で怒りを煮詰め、恨みを溜める。この轡が解かれた瞬間に、言葉を以て攫った相手を呪い殺す為に。

 

 その時は、割と早くやってきた。心の中で煮詰まった恨み辛みを意識しつつ、唐突に取り払われた目隠しと轡。視界が唐突な眩しさに眩み、目を細めていれば、見えてきたのは埃っぽい木製テーブル。その上に乗せられたこれ見よがしな水晶髑髏。四角錐型の石、のこぎり、ノミ、針、ナイフ。自身がしばりつけられているのもまた木製。

 そして灰色の犬人の少年の姿。同情的な視線を向けてくる彼を睨み、直ぐにその人物が誰なのか気付いて口を開いた。

 

「お前は、アルスフェアか。確か最近第三級(レベル2)になった」

「……よく知ってるね。そう言う君は【呪言使い(カースメーカー)】だろう? 運が無かったな。僕の主神に目をつけられるなんて」

 

 同情的な視線を向ける彼が敵では無いと理解し、同時に敵対ファミリアの団員であるとも理解した。

 

「私の主神にあんな事をしたんだ。絶対に許さないぞ

 

 恨み節。相手に硬直を与える技、のはずだがアルスフェアはその邪声を聞いても眉一つ動かさない。邪声耐性持ちだろう。

 

「アル、話はその辺で良いでしょう。さて、自己紹介からはじめましょうか。私はナイアルラトホテプ。這い寄る混沌とも呼ばれていますね」

 

 目の前にぬるりと、気色の悪い動きで出て来たのは紫色のパジャマに、ナイトキャップと言うふざけた格好をした美丈夫。その目を見て──在りし日を思い出す。

 

 ()()()()()()()()()()()()()

 

「お前は……」

「お久振りです。キーラ・カルネイロ」

「久しぶり……?」

 

 ああ、貴女は覚えていませんか。そう続ける彼。何処かで見た事がある目だ。自分はコイツを知っている。

 

「何処で会った。私はお前を知らないぞ」

「そりゃあ、私が貴方を一方的に知っているだけですから。見ていて楽しかったですよ」

 

 楽しかった? 一体何を言っているのだコイツは。少なくとも自分は彼を知らない。その目は何処かで見た事がある目だが、断言できる。こいつとは会った事が無い。

 

「えぇ、貴女はとても頑張った。まさか狂気を払う術を手に入れる程に。貴女の妹────ペコラ・カルネイロとは何度か会った事がありますからねぇ」

「ペコラと……待て、お前、それは何時の事だ」

「そうですね。丁度────貴女のファミリアが壊滅して、彼女が正気を取り戻した後辺りでしょうか?」

 

 正気を取り戻した? ペコラが? だが、あの頃ペコラは、妹は何度も狂っては戻ってを繰り返していた。何度も、何度も。狂う度に傍に寄り沿った。大丈夫だと笑顔を浮かべてくれた次の日に、泣き叫んで自分の腕を斬り落とそうとしたりしていた。妹に。

 

 コイツの目は、その時の妹に良く似ていた。

 

『お姉ちゃん、腕が無くて困っているのなら。()()()()()()()()()()()()()

 

 笑顔と共に、差し出された腕。血に塗れた部屋。妹が、ペコラが自身の腕をナイフで抉り取って、私の為に差し出そうとしていたあの光景。あの時の妹の目と、目の前の邪神の目が重なった。

 

 嗚呼、コイツか。何度も、何度も妹を狂わせた犯人は。大丈夫だと微笑んでくれたのに、次の日には狂った様に泣いたり、叫んだり、腕を斬り落とそうとしたりした妹を、狂わせていたのは。コイツか。

 

「お前だったのか……」

「はい?」

「お前がペコラを、私の妹を狂わせていたのかっ!!」

 

 目の前の邪神は、顎に手を当て、うぅんと唸る。

 

 なんでもない様に、彼は呟く。

 

「別に狂わせる積りなんて無かったんですがねぇ」

 

 誰が、どの口でそんな事を言うのか。

 

「私はただ、()()()()()()()()()()()()だけなんですが」

 

 ホオヅキで遊ぶ? 何を言っているのだ。

 

「彼女は面白く踊ってくれたんですが。途中で逃げてしまったんですよねえ。後少しで()()()()()()()()()()()()()()()()はずだったんですが」

 

 何を、言っているんだ。

 

「ああ、そうですね。認めましょう。()()()()()()()()()()、貴女のファミリアを()()()()()()。貴女の妹はー、そうですね。暇潰しに()()()()()()()()()だけですよ」

 

 利用した? 私のファミリアを?

 

 あの頃、まだ自分も妹も幼く、もう直ぐ産まれてくる弟か妹の為に()()()()()()()()なんて言ってお姉ちゃんぶる事が増えたペコラを微笑ましく思っていたあの頃。

 自分が居たファミリアは平和そのものだった。【ソーマ・ファミリア】に対する憎悪や嫉妬も無く、しいて言うなれば少し平和ボケしてると言われる程に、お人好しな者達が集まったファミリアだった。

 困り事があれば、直ぐに手助けしてしまう様な家族達。治療費が足りないと嘆く人がいれば、その費用を肩代わりしてしまうぐらいには、騙されやすいお人好し共のファミリア。

 変だった。おかしかった。優しくて、お人好しな両親が、何故【ソーマ・ファミリア】の本拠に乗り込んで、そこに居た団員を殺してしまったのか。不思議でならなかった。きっと、何かの勘違いなのだとずっと思っていた。

 

「貴女の居たファミリア。丁度()()()()()()()()()()()()にちょっかいをかける口実もありましたし。()()()()()()()()()()()()()()から」

 

 助言。背筋がゾワリと泡立つ感覚がする。

 

「酒造系ファミリア。【ソーマ・ファミリア】と同じ酒造系のファミリアだった貴女の所が、適任だったんですよ。丁度()()()()()()()()()()()()()から」

 

 売上が落ちていた。事実だった。

 あの頃、主神は特に気にしていなかったし、ファミリアの団員内で誰も気にしていなかったが、ファミリア総出で作っていたお酒が売れなくなっていた。原因は──【ソーマ・ファミリア】の台頭。

 彼のファミリアを作る酒が、とても出来が良く。自分たちの物とは比べ物にならないぐらい美味いと評判になっていた。その影響か、売り上げが少し落ち込んだ。だが、あれに関して言えばあの頃の主神は問題ないと太鼓判を押していた。

 

 何故なら、客層が違うから。

 

 自分達が売りこんでいた酒は、安酒だった。大量に作って、大量に売る。殆どの冒険者が一度は飲んだ事のある、安酒。誰しも酒と言えばとりあえずこれだろうと手に取るぐらいには、有名だった。

 対して【ソーマ・ファミリア】の作る酒は高級酒だった。普通の冒険者には手が出せない様な、高価な酒。それでも一度飲めば目が眩むほどに美味い酒。

 

 安酒と高級酒、当たり前だが客層が違うのだから客の取り合いなんぞにはならない。

 

 それなのに、何故かあの頃自分のファミリアは、【ソーマ・ファミリア】に妨害工作を行っていた。何故そんな事をするのか、幼心から疑問を覚えていた。最初の頃、主神は笑顔で『問題ない、いずれ元に戻る。ソーマの酒が美味いのなんざ天界に居た頃から知ってるからな』なんて言っていた。

 なのに、気が付けば『ソーマ赦すまじ』と表情を歪めていた。

 

 気が付けば、両親が団員を率いて【ソーマ・ファミリア】の団員を殺していた。報復にやってきたホオヅキの泣き顔は今でも忘れる事は無い。

 

『どうして、なんで、皆を殺したのか。やめてって、もう何もしないでって、お願いしたのに。忠告したのに、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ()()()()()振るわれる凶刃。()()()()ホオヅキの表情。彼女の目は──妹と、コイツと同じ目をしていた。 

 

 あぁ、なるほど。全ての元凶はコイツか。コイツの所為で、両親は、あの頃の平和そのものだったファミリアの皆を狂わせたのは。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 それも、ペコラが狂わされたのは()()()()()? ふざけるな。そんな事の為に、妹は、狂わされていたのか。

 

 腹の内側を食い破る勢いで増す憎悪。目の前の邪神を見上げる。

 

殺してやる

「おぉ怖い。だから言っているでしょう? 私は()()()()()()()()()()と。貴女の妹はただの()()()です。狂わせる積りは無かったですよ。まあ、()()()()()()()()()()()()()()()

 

 よし、殺そう。コイツだけは、何をしてでも、殺してやる。絶対に。

 

殺す、お前だけは絶対に、何をしたとしても。殺す。覚えていろ

 

 にたりと、ぬめる様な笑みを浮かべたコイツは、愉しげに嗤った。

 

「それは()()()()()()()()




 カエデちゃんは今までが今までだからね。



 まぁ、邪神だしね?

 発端としては『あの子素質あるねぇ』とホオヅキに目を着けたナイアルが、複数のファミリアを狂わせつつホオヅキの居る【ソーマ・ファミリア】に吹っ掛けて、ホオヅキ自身にも『先に貴女が始末しておけばこうはならなかったんでしょうねぇ』と囁いて狂わせ。
 その後は【ハデス・ファミリア】を中心にファミリア連合を組んで【ソーマ・ファミリア】に戦争遊戯(ウォーゲーム)を挑む様に仕向けて、仕上げにホオヅキに『自分を裏切る家族なんて、本当に家族なんでしょうか?』と囁いて【ソーマ・ファミリア】虐殺事件、その後ホオヅキの自殺で幕を閉じるはずが、最後の最後でホオヅキが逃げ出して失敗。

 腹いせにホオヅキの被害者である羊人(ムートン)の少女の()()()()()()()()()だけです。『お姉さんが隻腕で困っている? なら()()()()()()()()と言うのはどうでしょう。えぇ、とても()()()()()()()()はずですよ』と。


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『深層遠征』《帰還の途》三

『はぁ? 何も無かった?』

『【ガネーシャ・ファミリア】の団員曰く。本当に何も無かったみたいだ』

『おかしい。絶対におかしい。あのナイアルの所だぞ? 何かあるに決まってる』

『それは僕もそう思ったよ。だから調べて来た』

『カッツェ、良い行動です。それで何かありましたか?』

『……いや、割とマジで何も無かった』

『は?』

『もぬけの殻。本当に()()()()()()()()()

『……逃げられた?』

『みたいだ』

『………………はぁ、造船を急がないと。それとクトゥグア見つけたら、ぶっ殺してくれないかい?』

『神殺しをしろって? ……良いよ。その代わり妹の事は任せるからな』


 ダンジョン第十八階層、深層遠征の帰りである【ロキ・ファミリア】が野営地を設営した広々とした草原。数多くのファミリアが同じ様に野営地として利用していたからか、踏み均された部分はぽっかりと禿げあがっている。

 そんな広い空間に無数の篝火が焚かれ、警戒の為に不眠番をする数人の団員の姿が散見できる。

 その様子を目を細めて眺めながら、最後に視線をとある一点で止め、フィンは軽く溜息を零した。

 

「ダメ、だったみたいだね」

「……仕方ないか」

「最初の第一印象が悪かったからなあ」

 

 同じように野営地を眺めていたリヴェリア、ガレスもフィンの呟きに続く。彼らが見ているのは狼人(ウェアウルフ)専用に建てられたテント。三人の視線の先にはテントから耳を垂れさせ、あからさまに消沈した様子の狼人(ウェアウルフ)の青年。ケルトが出て来た様子が見て取れていた。

 ベートが居ない今が、カエデと他の狼人(ウェアウルフ)との良い接触の機会であると判断し、計画通りにベートを引き剥がす事に成功していた今回の一件。

 カエデと他の狼人(ウェアウルフ)の間にある溝を埋めるという作戦は、失敗に終わったらしい。詳しい話はケルトから聞かなければならないものの、あの表情で上手く仲良くなりましたとは言わないだろう。

 

 事の始まりは、深層遠征に向かう事が決定してから第二級(レベル3)団員達への通知を終えた直後の話である。元々、狼人(ウェアウルフ)達のカエデに対する態度は、お世辞にも良い物とは言えなかった。

 その事で今回の遠征に参加する事になった狼人(ウェアウルフ)達を呼び出し、遠征中にこれまでの様な対応をとらない様に注意しておく事にしたフィン達。

 やってきた狼人(ウェアウルフ)達に対し、カエデに対する対応について話した所、狼人(ウェアウルフ)達から驚きの答えが返ってきた。

 

『俺達は別にアイツの事を嫌ってねぇし。面倒見ろってんなら見るのも吝かじゃねえけどよ。アイツ、俺らの事怖がってるだろ? そこら辺は大丈夫なのか……なんですかね』

 

 その台詞に驚いたのは、フィンだけではない。ロキも驚いていた。

 カエデをあからさまに無視しながらも、嫌っていないという台詞。不思議に思った其れに対し質問をいくつかすれば、何故彼らがそんな態度をとっていたかがはっきりとわかった。

 

 狼人(ウェアウルフ)達には、派閥というものが存在する。ケルトを中心にした派閥、他の狼人(ウェアウルフ)を中心にした派閥。

 

 本来、獣人の中でも狼人(ウェアウルフ)()()を形成して生活する種族である。

 そうであるにも関わらず、冷たく、乱暴なイメージを持たれやすいのは一重に()()()()()()を区別して接しているから。

 同じ()()に認められた者は温かく迎え入れられ、そうでないものは冷たくあしらわれる。そういった印象が独り歩きした結果、狼人(ウェアウルフ)は総じて粗野で乱暴者な一匹狼であるといった風に言われる様になった。それは猫人(キャットピープル)が『陽気な性格』で『お調子者』であり『語尾が「にゃ」である』といった一般的な人たちが抱くイメージといったものと同じである。

 実際の所は()()()()()ではあるが彼らはとても結束力が強い。

 

 その結束力の強さ故に、部外者や異質なものに対して異常なまでに排他的な態度をとる事が多い。

 其の為、フィン達はカエデが()()()()()()()無視という形で排他的な態度をとられているのだと勘違いしていた。

 だが、実際の所、【ロキ・ファミリア】内部の狼人(ウェアウルフ)達は、全てとは言わないが殆どの者がカエデに対して嫌悪感を抱いていた訳では無い。

 

 特に顕著なのはケルトを中心にした派閥。他にもいくつか存在するが、【ロキ・ファミリア】に在籍する狼人(ウェアウルフ)はベートやカエデを含め20名を超える程。

 存在する派閥の数は三つ程で、それぞれ5~6人程で形成されている。大雑把な区分として駆け出し(レベル1)の派閥。第三級(レベル2)第二級(レベル3)の集まった派閥。第二級(レベル3)のみで構築された派閥の三つ。

 ケルトが仕切る派閥は第二級(レベル3)冒険者のみで構築された派閥であり、カエデに対しては容認派でもある。

 

 最もカエデに対して嫌悪感を抱いているのは、オラリオに来て日も浅く、『試練』を一度も味わった事の無い駆け出し(レベル1)の派閥の者達。彼らは狼人(ウェアウルフ)に伝わっている伝承をそっくりそのまま鵜呑みにして信じ込んでいる為、白毛のカエデに対しての当たりが非常に悪い。陰口を囁くのは殆ど彼らである。

 次点が第三級(レベル2)第二級(レベル3)の集まり。彼らは単純に“嫉妬している”だけである。最速でのランクアップを果たしたカエデに対する嫉妬心から、カエデに対する当たりは悪くなりがち。医務室送りにされていたのはこの派閥に所属していた第三級(レベル2)の者達だ。

 

 そしてカエデを容認しているケルトの派閥は、最初は仲間としてカエデを迎え入れようとした。したのだが、肝心の本人を見た時点で関わるのをやめた。

 それは、彼らがカエデに対して忌避感を持ったからではない。それは、()()()()()()()()()()()()()()

 

 狼人(ウェアウルフ)に限らず。獣人はその体、全身を使って感情を表す。顔の表情だけにとどまらず、耳の動き、尻尾の揺れ。毛の逆立ち。そういった体全体を使っての感情表現を行うが故に、獣人達はたいていの場合、獣人同士であれば一目見ただけで相手の感情を察する事が出来る。

 彼らから見たカエデは、狼人(ウェアウルフ)に向けられる視線に対する、『反発心』『抵抗感』それから隠しきれない程の『恐怖心』と『緊張感』。

 

 ケルト達は狼人(ウェアウルフ)の伝承の中で『忌み子』として知られる白毛の狼人の子が、群れの中でどういった扱いを受けるのかを知っている。産まれたその日に殺されるか、殺されなかったとしても牢の奥に捕らえて飼い殺しにする。ほんの僅かな食事のみを与え、殺すでもなく、生かされるでもなく。思い出したかのように群れの中で溜まる鬱憤のはけ口として扱われる。

 それを知るからこそ彼らは彼女、カエデ・ハバリが狼人(自分達)に脅えているのを見て憐れんだ。どうにかできないかと派閥内で話し合いが行われる事となり。

 

 その結果。カエデを()()()()()()()()()()()()()()

 

 その理由はいくつかあるが、大きなものとしてはペコラ・カルネイロの存在があげられる。

 【甘い子守唄(スウィートララバイ)】ペコラ・カルネイロは【ロキ・ファミリア】内部に於いて重要な立ち位置に居ながら、致命的なまでに狼人(ウェアウルフ)に対しての心の傷(トラウマ)を抱えている。

 彼女は、狼人(ウェアウルフ)から見られただけで息を詰らせ、近づくだけで悲鳴を上げ、下手をすればそのまま気絶してしまう程に狼人(ウェアウルフ)が苦手であった。

 ケルト達狼人(ウェアウルフ)からすれば面白くは無い。だが、彼女の経歴を知ればそれも当然の事かと納得が出来た。その上で彼女を()()()()()()()()()()として認めた。

 

 だが、ケルト達狼人(ウェアウルフ)がペコラ・カルネイロを仲間として認めようと、ペコラ自身が受け入れられるかと言うと、答えは否である。ペコラはどれだけ狼人(ウェアウルフ)達が気を遣っても、脅え、震え、涙して、気絶してしまう。

 声をかけるなんて真似はとてもできない。傍に寄り沿う事も出来ない。そもそも近づくだけで恐怖心に身を震わせてしまう彼女に対し、狼人(ウェアウルフ)であるケルト達にできる事は何一つ無かった。

 いや、むしろ()()()()()()()()()()()()。ペコラに対し近づく事も、同じ場に居る事も、そもそも声を掛ける事もしない事こそ、彼女の為になると。

 

 ペコラ・カルネイロを仲間として認めた上で、ペコラの心に傷を付けまいと、彼らはペコラを無視した。声を掛けず、視線を合わせず、そもそも存在を意識しない。そうする事でペコラに対し言外に『俺らは気にしてない』と伝えていた()()()()()()。それをペコラはしっかりと汲み取っていた。狼人(ウェアウルフ)の人達に気を遣われている。そう認識して必死に恐怖心を乗り越えようとしていた。

 

 それをケルト達は知っていた。だからこそ、カエデにも同じような態度をとってしまった。脅えるなら、無視する。『俺らは気にしていない、お前が白毛だとか、禍憑きだとか、そんなもの関係無い』と。

 問題は、カエデがその意図をくみ取れなかった事。当然だ、彼女はそもそも()()で生活していたわけでは無い。無言で、言葉も無く意図を擦り合わせる事が出来る程、経験が無かった。

 

 それを知ったのは、カエデ・ハバリがランクアップした時だ。ケルト達は『おめでとう』と声をかける積りだった。だが、カエデはそんなケルト達に向ける視線には『拒否感』がありありと浮かんでいた。

 

 そこでようやく、ケルト達は自分達が対応を間違えた事に気付いた。

 

 駆け出し(レベル1)が集まる派閥は、陰口という形でカエデの心を抉った。

 第三級(レベル2)第二級(レベル3)の派閥は、ランクアップするまでカエデに無関心だった。

 ケルトの派閥は、カエデを気遣って『居ないもの』として扱った。

 

 カエデからすれば、最初に距離感も関係無くいきなり踏み込んできたベート以外の狼人(ウェアウルフ)の対応に差があるなど思いつくはずもない。気付いた所で、もう遅い。

 カエデに近づこうとすれば、カエデが脅える。それだけなら、半ば強引にでも近づけば良かった。

 

 問題は間に狼人(ウェアウルフ)の中で最も強いベートが入ってしまった事。

 

 ベートに睨まれれば、彼らは引き下がる他ない。ケルト達はベートという壁によってカエデとの距離感の修復が出来なくなっていた。

 

 元々、最も強いベートが、ただ一言『俺に従え』と狼人(ウェアウルフ)達を纏め上げていれば、こんな事にもならなかったのだろう。だが、ベートは『弱ぇ奴の相手なんてするか』と狼人(ウェアウルフ)達を従わせる事を拒んだ。

 結果、狼人(ウェアウルフ)達はそれぞれの思想の下、最も気質の近い者達で集団を作り、三つの派閥へと分かれる事になったのだ。

 エルフには絶対の支柱であるリヴェリア・リヨス・アールヴが居る。ドワーフはガレス・ランドロックが。ヒューマンはそもそも群れを作らず、集団生活を送れる。他の獣人にも支柱と呼べる者が居た。だが、狼人(ウェアウルフ)だけは支柱となるべき強者、ベートがそれを拒んでバラバラになっていたのだ。

 たとえベートが従えと言わずとも、ベートが最も強いが故にベートの行動を阻もう等とは思わないし、思えない。其れゆえにベートが気に食わないと睨みつけてくるのであればケルト達は大人しく引き下がる他ない。

 

 だからこそ、関係の修復は出来なくて困ってると。彼らの口から聞いた時。ロキは大笑いした。

 

 全ての狼人(ウェアウルフ)がカエデを拒否している訳では無かった。しいて言うなら、カエデの方が狼人(ウェアウルフ)を拒んでいる状態であったのだ。

 無論、カエデが悪い訳では無い。ケルト達もカエデを責めよう等とは思わないし、絶対にしないと誓った。

 白毛の狼人(ウェアウルフ)の扱いが悪いのは既に知っていたのだ。カエデが脅える原因が其れにあるのは明白である。それを白毛であるカエデに責めるのはお門違いも良い所。

 故に受け入れる気があるのに、彼らはカエデから距離をとり、居ないものとして扱ったのだ。

 

 今回、四十一階層でのトラブルの際、ケルトがカエデに対し『禍憑き』といった言葉を放ったことも、カエデに対する気遣いの一つ。

 既に死に体とも言えるケルトが自分の死にカエデを巻き込むのを嫌ったからこそ、ケルトはカエデを罵倒し、自分を()()()()()()()と伝えようとした。こんな風にカエデを貶す奴を、カエデがわざわざ救おうとなんてしないだろうと。

 結局カエデはそのケルトの考えを真っ向から打ち砕き、ケルトを助けてみせた訳だが。

 

 その話を聞いて、フィンもリヴェリアも、ガレスさえも呆れ返った。

 

 ちゃんと、最初からカエデと言葉を交わしていれば。しっかりと言葉を以てカエデと交流を交わしていれば、そうすればカエデもちゃんと彼らを受け入れられただろう。

 器の昇格(ランクアップ)を挟み、他の派閥の者達に嫉妬心を向けられ、より狼人(ウェアウルフ)に対する忌避感の増したカエデに、今回の件は早急に過ぎたかもしれない。

 

 三人の前で頭を下げて『ダメだった。そのまま毛布に包まって寝た振りされちまったよ』と溜息を吐くケルトの姿に、フィンは軽く首を横に振った。

 

「まあ、今回は仕方ない。地上に帰ってから、少しずつでもカエデに声をかけるべきだ。今のままだと、ベートの言葉以外信じられなくなる。そうなる前に、カエデとの関係修復を頑張ってくれ」

 

 横から、例えばフィンやリヴェリアがカエデに対し『彼らはカエデを気遣っている』と言えばカエデはそれを飲み込んで認めようとするだろう。だが、それはこの問題を引き起こしたケルト達が納得しない。

 せめて自分達でなんとかしたい。その意図を汲んでの今回の作戦だったが。

 

「あまり急ぐな。カエデも戸惑うだろう。地上に戻ってから少しずつ、で構わない」

 

 リヴェリアの言葉にケルトが頷いた。

 今回をきっかけに、少なくともケルトの派閥はカエデに関わっていく事だろう。ベートに対しその辺りを説明しておかなければ、またベートが障害となりかねない。ベートが何と言うか大体察しがつくフィンは溜息を零した。

 

 

 

 

 

 

 隠れていた瓦礫の陰からアルスフェアが先程の戦闘を思い出しつつも視線を巡らす。

 目の前の惨劇に目を見開き、それから金髪の後ろ姿をマジマジと見つめ、もう一度目の前の惨状を見てアルスフェアは思わず呟いた。

 

「おい、嘘だろ……オラリオ最強に膝を突かせやがったよこの狐人(ルナール)……」

 

 アルスフェアの前に広がる光景。

 オラリオの街中、町はずれにある元【ゼウス・ファミリア】の本拠跡地の瓦礫の中。血だまりを作り膝を突いて粗い息を零すオラリオ最強の男【猛者(おうじゃ)】オッタル。

 そのオッタルを冷めた瞳で見下ろす金髪の狐人(ルナール)の美女。自称ヒヅチ・ハバリ。右手に持った刀を無造作に眺め、彼女は何ともなく呟いた。

 

「折れた。おかしいのう。()()()()()()()()()()()()()()()

 

 本来なら、彼女のステイタスでは傷一つつけられないはずであるにも関わらず、彼女の振るった刀は、オッタルの体に無数の傷を作り上げていた。信じられない光景である。

 彼女のステイタスを暴き、その悍ましいスキルの数々に息を呑んでいたアルスフェアであるが、よもや此処まで強いとは思わなかった。

 

 彼女、ヒヅチ・ハバリは第三級(レベル2)である。つまりアルスフェアとレベル自体に差はない。だが、この差は何だろうかと自身に問う。

 アルスフェアが何千人居れば、オラリオ最強(レベル7)に膝を突かせる事が出来るのか。確かに彼女のスキルは凄まじいものであった。だがいくらなんでもレベル差5つを覆すのはぶっ飛び過ぎている。

 

 アルスフェアが理解出来たのは【九の尾を持つ獣】『習得枠(スロット)の増加』『魔法の九重発動』と【屍山血河】『積み上げた屍の数だけ基礎アビリティ超々上昇』『流した血の量だけ基礎アビリティ超上昇』の二つのみ。

 他にも魔法、狐人(ルナール)で言う妖術に結界術、陰陽術に式神術なんてふざけた代物を無数に習得した化物。

 

 誰が予測できる? 神がかり的な剣術を振るいながら、片手間に大規模魔術を行使するなんて。

 

「新しい(つるぎ)が必要じゃの。ところで──お主は何故ワシと戦っておる? そも、ワシは何故此処に居るんじゃったかのう……? まあいいか、刃交えた以上、お主は敵で、ワシはお主を斬れば良い。そうじゃな?」

 

 ぶつぶつと自分の中の考えを纏めるヒヅチ・ハバリの言葉に対し、美の女神フレイヤが口を開いた。

 

「こんばんは、ヒヅチ・ハバリ」

「……? 誰じゃお主? 神か? こんな所で何をしておる」

 

 普通の受け答え。つい先ほどまでオラリオ最強(レベル7)のオッタルと死線を潜り合っていた化物とは思えない普通の、受け答え。

 

「フレイヤ、と聞けば殆どの子は知っているはずなのだけれどね」

 

 美しく、妖艶に微笑むフレイヤ。彼女の足元には無数の傷に塗れ、膝を突く最強の姿がある。

 

 事の始まりは、ヒヅチ・ハバリが正気を取り戻してから直ぐの事だった。【ガネーシャ・ファミリア】の団員が【ナイアル・ファミリア】の本拠に雪崩込んできた。それの相手をしていたら、女神フレイヤが訪ねてきたのだ。

 驚きつつも彼女に用件を尋ねようとすれば『貴方達は帰ってちょうだい』と一言【ガネーシャ・ファミリア】の団員に告げ、女神フレイヤの鶴の一声に【ガネーシャ・ファミリア】が撤退。

 何の用件だと再度告げれば。『貴方の主神は何処? アレには()()()()()()()()()』とヒヅチの存在を嗅ぎつけている事を匂わせて来たのだ。

 

 アルスフェアは目玉が飛び出そうになる程に驚いた。何故なら()()()()()()()()()()()()()()()()だ。

 

『美の女神が訪ねてくるはずですので、そうですね……旧【ゼウス・ファミリア】本拠跡地に来るように言ってください。私はヒヅチ・ハバリと先に向かいますので。キーラ・カルネイロは地下水路にでも捨てといてください。もう壊れちゃいましたし。彼女になら殺されても良いかなって思ったんですけどね。でもやっぱクトゥグアは殺したいですから』

 

 あの言葉を思い出すだけでゾッとする。涙を流したまま身動き一つとらずに固まって動かなくなったキーラ・カルネイロを近場の地下水路の入口から中に投げ込んできた後、来るとは思っていなかった美の女神の登場。そしてヒヅチ・ハバリの事。

 

『あぁ、お主。キーラと言ったか? 礼を言う。言葉だけでは足りん? そうじゃな……こういう物しか出せんが。これで良いのか?』

 

 脳裏に浮かびあがったのは正気を取り戻した後、()()()()()()()()()()()()()()()ヒヅチ・ハバリの姿と行動。

 なんとあの女、あろうことか目の前で縛り上げられたキーラ・カルネイロの胸に『礼じゃ』等とほざいて短刀を突き刺しやがったのだ。キーラの目が見開かれ、涙を流したまま動かなくなったのを見てナイアルは嗤っていた。

 

「貴女、自分が正気じゃないのに気付いているかしら?」

「……ワシが正気では無い? 何を、ワシは正気じゃ」

 

 美の女神と狂人のやり取りを聞き、全力で狂人の背中にこう心の中で叫ぶ『お前の何処が正気なんだ』と。

 

「……貴女の様な魂を、汚すなんて。やはりナイアルは殺しておくべきだったわね」

 

 女神フレイヤの憎悪に染まった瞳に、アルスフェアはつい先ほどフレイヤを煽るだけ煽って姿を消した主神を心の中で殴りまくった。ふざけんなと。

 

 彼女、ヒヅチ・ハバリはキーラ・カルネイロのスキルによって正気を取り戻し。その五分後にはナイアルの狂気を埋め込まれて再度狂っている。なんでそんな事をとナイアルに問いかければ『クトゥグアの都合の良い様に狂っていて貰っては困るのですよ。だから()()()()()()()()()()()()()狂わせました』等と笑顔で言ってのけるし。もう自分ではついていけない話になってきた。

 

 アルスフェアが頭を抱えるさ中、膝を突いていたオッタルがうめき声を上げながら立ち上がった。

 

「ぐぅ……、フレイヤ様、お逃げを」

「オッタル、大丈夫?」

「問題っ、ありません……どうか、此処から逃げてください」

 

 あの最強が、女神に逃げろと進言している。天地がひっくり返る様な衝撃的光景だが。何より異常なのはあれだけド派手にオラリオ最強(レベル7)が暴れたにも関わらず、()()()()()()()()()()()()

 オッタルの傍に転がる大剣の残骸。あの大剣が粉々に砕け散るまで振るわれ、もともと古びた建物群のあった旧【ゼウス・ファミリア】の本拠は完全に廃墟と化している。粉砕された石材の散らばるこの場所は、つい先ほどまで化物同士の戦場だったのだ。

 あれだけ大きな音を立てて戦闘をしていたのに、()()()()()()()()()。様子を見に来るぐらいするだろう。野次馬根性の強い神なら、来るはずなのに。誰も来ない。

 当然だ、何故なら此処は──

 

「逃げる? 何処にじゃ? 逃げ場なんぞ、()()()()()()()()()()()()()

 

 美しい、妖艶な、魅了の効果こそ無いものの、見る者を惹きつける笑みを浮かべたヒヅチ・ハバリの言葉の通りだ。此処は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という単純な効力しか発動していないからいいものの、他の効果ならアルスフェアが死んでいた。

 

「……神を巻き込むなんて、悪い子ね」

「すまんな。加減の仕方なんぞ学ぶ機会はありゃせんかった」

「そう、所で──そこの貴方、此処から出してくれないかしら」

 

 フレイヤの言葉が自分に向けられたと察し、アルスフェアは隠れていた瓦礫から姿を現す。

 

「あー、構わないよ。その代わり条件があるんだ」

「…………何かしら」

「僕達の事を誰にも言わない事。ヒヅチ・ハバリについてカエデ・ハバリに伝えない事。二つを守ってくれるなら、すぐにでも出してあげるよ」

 

 嘘では無い。本当の事だ。女神フレイヤは人の魂を見通し、美しい魂を見つけたらちょっかいをかけるというのを繰り返している神である。そうであるが故に『ヒヅチ・ハバリ』と『アマネ・ハバリ』の魂を掛けあわせて『作られた』()()()()()()()は相応に興味を引く対象であったのだろう。

 それでは困る。ナイアルが事を起こすのに邪魔になる。ナイアルが事を起こそうとすれば、必ず彼女は邪魔をする。

 

『私は、別にどうでも良いんですよ。どっちでも』

『そう、カエデ・ハバリが生きようが死のうが』

『ヒヅチ・ハバリが狂おうがどうなろうが』

『オラリオが滅んだって』

『全ての神が地上から駆逐されようが』

『私が()()()()()()()()()()()。その他全てがどうなろうが知った事ではありません』

 

 ────もちろん。アルスフェア? 貴方も、何処で死のうが、泣こうが喚こうが、嘆こうが狂おうが。私は知りません。どうぞお好きに行動してください。私を殺しても良いし。私に従っても構いませんよ?

 

 目の前で、悩ましげな表情で此方を見るフレイヤから視線を外す。

 

 自分は、アルスフェアという少年は狂ってる(頭がおかしい)

 

 【ナイアル・ファミリア】に所属する人物は、皆狂人(まともじゃない奴)である。それは、アルスフェアも同様だ。

 なんたって、あれだけ怖気が走る様な狂気に満ちた笑みを零すナイアルを、こんなにも()()()()()()()()()()のだから。




 狼人達の行動全てがカエデちゃんにとってマイナスだったけど、気遣いからくる行動もあったんだと。なおカエデちゃんからすれば皆同じにしか見えなかったみたいですが。

 【ナイアル・ファミリア】の団員は、皆狂人(まともじゃない奴)である。
 無論アルスフェア君もね? あの邪神の悍ましい笑みに対し、一周回って愛着を感じちゃってる感じ。ヤバイ。


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『痕跡』

『あー、アレックスがランクアップ? 余計、手をつけられなくなるから反対だ。そのままランクアップ更新せずにいてくれ』

『ですが戦力増強にはなりますよ』

『命令無視をする戦力は戦力とは言わないんだよナイアル』

『えぇー』

『ヒヅチ・ハバリはオラリオの外に行くように指示したし、カエデ・ハバリとは接触しないようにした。後は僕達も外に出るだけ……って、ギルドに提出する書類は出来たのかい?』

『それがですね。恵比寿が手回ししてるのかオラリオから外に出る為の手続きをさせてくれないんですよ』

『……どうするんだよそれ』


 ダンジョン第一階層。『始まりの道』と呼ばれる入口直ぐ近くにある横幅が限りなく広い大通路に辿り着き、皆が大穴の底から上を見上げていた。

 白毛の尻尾を不安そうに揺らしながらも大穴の淵に設けられた螺旋状のスロープを見上げていれば、上から吊り下げ式昇降機が下りてきて、それに荷車を固定していく。

 テント等の野営道具類は十八階層で【恵比寿・ファミリア】に返還した為、今回の【ロキ・ファミリア】が手に入れた魔石やドロップアイテムが満載になった荷車と、少量の荷物と、仲間が積まれた荷車が其処にある。

 手早く荷車が固定されると、鎖の軋む音を立てて引っ張り上げられていく様子が見え、その段階になってようやくカエデ達が上に上がる様に指示された。

 

 総勢60名2人欠けて58人、三班に分かれているのでおおよそ20名ずつの編成である冒険者が一気に入口に殺到するのを避ける為に並んでいた列が進み始める。カエデだけではなく他の面々も同じ様に上を見ていた。

 もう出口だ。この緩やかな螺旋階段、それを登り切ればそこに広がるのはバベルの地下。頭上には本物と見紛うような美しい蒼穹の天井画が広がっている光景が広がり、周辺の冒険者がざわめきだす。

 

 【ロキ・ファミリア】の深層遠征に向かった者達の帰還。周囲の冒険者から向けられるのは羨望の眼差しだ。

 うっとうしい位に感じる視線を振り払う様に、前に進んでいく。本物と見紛うような美しい蒼穹の天井画ではあるが、やはり本物に比べれば見劣りする事は否めない。

 ただ前に、前に、前を歩くフルエンの後ろを歩いていけば、外からの光が皆を包み込む。後ろでは荷車を下ろす作業をしている者達も居るが、カエデは久々に感じる光に誘われるようにバベルの地下から地上に通じる階段を駆け上がった。

 

 広がる街並みは、未だに見慣れない。けれども、地上に帰還したと言う事実に心が震えた。生きて、帰ってこれた。四十一階層での惨状が脳裏にこびり付いて剥がれない。けれども、生きて帰る事が出来た。それだけで足から力が抜けて座り込みそうになる。

 入口で座り込むのは邪魔になると隅っこの方に移動しようとした所で、カエデの首根っこをフルエンが掴んだ。

 

「おい、気持ちはわかるけど先行き過ぎだ。団長の点呼があるからもう少し待て」

「うっ……ごめんなさい」

「はぁ、ベートさんに怒られるだろ……。十八階層出てからベートさんが凄く不機嫌だから大人しくしててくれ」

 

 十八階層。そこであった事を思い出したカエデが眉根を寄せる。其れを見たフルエンが深々と溜息を吐いた。

 何があったのかは知らないが、ベートが不機嫌になる様な事があったのは確定であり、その影響でベートの睨みがいつも以上に鋭く、フルエンも気が気でなかった。元々、四十一階層での出来事以降、口数が減った所か完全に口を閉ざしたベートが、さらに不機嫌になったと言うのはフルエンにとっては地獄に等しい。

 

「まったく……」

 

 軽く溜息を零しつつもフルエンが後ろを確認すれば、スロープの上をガタガタと軋む音を立てながら荷車が引っ張り上げられている光景が目に入ってきた。

 其処に積み込まれた軽い荷物を脳裏に描いてフルエンが吐息を零す。今回の出来事の影響は、かなり響くだろう。これがどう今後に影響するのか。それを考えるのは自分ではないと首を横に振ったフルエンがカエデの首根っこから手を放す。

 

「ほら、あっちに集合するぞ。ガレスさん達も直ぐ来るだろうし……カエデ?」

「っ! 待ってっ!」

「あっ、おいっ! 何処行くんだっ!」

 

 唐突に叫び、カエデが弾かれたように走り出す。一瞬だけ反応が遅れたフルエンがカエデを掴もうとするも、カエデの防具の袖口に指が掠るだけで掴み損ねてしまう。

 後ろを振り返り、他の団員が何事かと此方に注視しているのに気付き、フルエンは口を開いた。

 

「カエデがどっか行っちまった。捕まえてくるからベートさんに説明たのむ」

「あ? あぁ、わかった。俺らも行こうか?」

「いい、俺一人居りゃ充分だろ」

 

 片手を上げ、フルエンは唐突に走り出したカエデを追うべく鼻を鳴らした。

 

 

 

 

 

 走り出したカエデが目にしたのは、遠く離れた街中に見えた金色の髪。最初は見間違いだと思った。だから何度もその金色を見て、脳裏に残るその面影と照らし合わせた。

 有り得ない。あの雨の日に居なくなった。皆が死んだと口にしていた人物。

 

 ヒヅチ・ハバリが街中を普通に歩いている姿を見つけてしまった。

 

 居ても立ってもいられない。ただ弾かれるように走り出したカエデ。その背が消えて行った路地裏に迷わず飛び込み、匂いを嗅ぎ取る。

 ほんの少し、空気に混じる臭い。風通りの悪い埃っぽい臭いに混じり、確かに感じた。懐かしい、ヒヅチ・ハバリの匂いを。

 

「っ! ヒヅチっ!」

 

 弾かれたように走り出す。其処に居る。会いたかった人が、確かに居る。匂いを追って、裏路地を走り抜けて行く。迷う事等ありはしない、ただ匂いを追えば良い。ついさっきまで確実に、ヒヅチが此処に居たと分かる証拠があって、その後ろ姿を見つけたのだ。

 会いたい。今すぐにでも、会いたい。頑張ってオラリオまで辿り着いた事。女神フレイヤに狙われているらしい事、インファントドラゴンとの死闘。全然伸びなかった寿命。深層遠征で起きた出来事。言いたい事、伝えたい事、聞きたい事が溢れてくる。ただ、会いたい。

 

 匂いを追い、走る。ゴミの詰ったゴミ箱を蹴倒し、積みあがった木箱の横を走り抜け、座り込んだ浮浪者の前を風の様に擦り抜ける。

 匂いはある。確かに残り香があるのに、つい先ほどはその背を見たと言うのに、追えども追えども、姿所か影すら見えない。速く、早く、走って、走って、そして立ち止まった。

 

「匂いが……」

 

 古びた宿や看板の無い店。人通りが完全に存在しない石畳の道を見て再度意識を集中する。少しの音も、匂いも逃さぬ様に。

 確かに居たのだ。ヒヅチが、其処に居たのだ。見つけなくては。会わなくては。会いたい、直ぐに会いたい。話したい事がある。伝えたい事がある。お礼が言いたい。助けを求めたい。だから、見つけなきゃいけない。

 それなのに、匂いが途絶えてしまっている。まるで()()()()()()姿()()()()()()()()()()

 

「ヒヅチ……」

 

 途方に暮れ、立ち尽くすカエデが、耳も尻尾も伏せて震えた。せっかく、見つけたのに。

 

「カエデ? あんた此処で何して────っ!? ってあんたここで何してんのよっ!?」

「……グレースさん?」

 

 唐突に聞こえた声に、カエデが振り向けば古びた宿屋から出て来たグレースの姿があった。グレースは引き攣った笑みを浮かべ、驚いてからカエデに詰め寄る。

 

「あんた此処が何処だかわかってんのっ!?」

「……? 此処はー……何処ですか?」

 

 無我夢中にヒヅチ・ハバリの匂いを辿って走ってきたカエデは、一瞬だけ自分が何処に居るのかが分からずに考え込み。自分が走り抜けて来た道とオラリオの地図を照らし合わせて答えを導き出した。

 

「歓楽街、【イシュタル・ファミリア】の本拠近く?」

 

 脳裏の地図が正しければ、カエデが今いる現在位置は【イシュタル・ファミリア】が取り仕切る歓楽街の一角。主に()()()()宿()が立ち並ぶ区画であり、近場の娼婦通りで引っ掛けた娼婦を連れ込む宿の立ち並ぶ場所であったはずだ。地図でそう書かれていた事を思い出す。娼婦を引っ掛けると言うのがどういう意味かわからずにリヴェリアに質問したら『お前には早い。決して近づくな』と言われた場所であった事を思い出してカエデが震えた。

 無我夢中になっていたとは言え、近づくなと言われた場所に足を踏み入れてしまった事に罪悪感を感じつつも、カエデはグレースを見上げた。

 

「グレースさんは此処で何を……?」

「え? あたし? あたしはー」

「グレース、あんまり騒ぐと────カエデ?」

 

 グレースと同じ宿から出て来たヴェネディクトスが驚いた様な表情を浮かべてから、引き攣った笑みを浮かべて片手を上げた。

 

「やぁカエデ。その、久しぶりだね」

「えっと、お久しぶりです。ヴェトスさんと一緒だったんですか?」

 

 カエデの質問に対し、グレースが爆発した様に顔を赤らめ、カエデの両肩をガシリと掴んだ。

 

「っ!? カエデ、此処であたし達と会った事は誰にも話さないでっ!」

「え?」

「良いからっ! 特にロキに伝えるのはダメっ! 分かったっ!!」

「あ、はい……」

 

 よしっと呟くと同時に、グレースが赤くなった頬を叩いて誤魔化そうとし、ヴェネディクトスが『いや、多分もうダメだろう』と呟いている。訳がわからずに首を傾げるカエデ。

 頬を叩き終え、未だに頬を赤らめたままのグレースがカエデの方に向き直った。

 

「んで、なんであんたが此処に居るのよ。リヴェリアが知ったら……と言うか、あんた遠征は? どうしたのよ」

「え? えっと、ついさっきダンジョンから帰還しまして、それで……っ! ヒヅチっ! ヒヅチを見ませんでしたかっ!」

 

 自身がヒヅチの跡を追ってきた事を思い出してグレースに掴みかかるカエデ。掴みかかられたグレースは変な顔をしたのちに、ヴェトスの方を見た。

 

「あたしは見てないけど、金髪の狐人(ルナール)よね?」

「はいっ!」

「ヴェトスは?」

「……見てないよ。ついさっき此処から出て来たばかりだからね」

 

 首を横に振る姿に落胆するカエデ。その様子を見てグレースとヴェトスが顔を見合わせる。此処に長居するのはある意味ではまずい。特にカエデの様な幼い少女とこのような歓楽街に居たと言うのが広まれば、グレースならまだしも、ヴェネディクトスは社会的に死にかねない。

 その事に気が付いたヴェネディクトスが肩を竦め、グレースと視線を交わした。

 

「はいはい。アンタは先に行きなさいよ。カエデはアタシが何とかしとくわ」

「頼むよ。じゃあカエデ、本拠で」

「……?」

 

 ヴェトスが素早く離れていくのを見送っていると、後ろから足音が聞こえた為にグレースとカエデが其方に視線を向けた。

 

「やっと追いついた。お前足速いなぁ。んで、歓楽街の連れ込み宿まで走ってきて何がしたかったんだ?」

 

 追いついてきたのは猫人(キャットピープル)の青年。跳ねた髪を揺らしながら不機嫌そうにカエデを睨んでいるのはフルエンであった。

 

「えっと、ヒヅチを見かけて……それで、追いかけてきたんですけど」

「此処で見失ったっぽいわよ」

「……? クラウトスが何でここに? あー、いやなんでもない」

 

 グレースが笑顔で拳を握りしめて示せば、フルエンが両手を上げて降参を示し、それ以上の追及をやめる。直ぐ近くにある()()()()宿()とグレースの体に僅かに混ざる男性の匂いから察したフルエンはそれ以上何を言うでもなくグレースが首根っこを掴んだカエデを受け取る。

 

「勝手に動くなって。ただでさえお前は【ハデス・ファミリア】に狙われてんだからよ」

「……ごめんなさい。でもヒヅチが」

「見間違いじゃない?」

「見間違いじゃないですっ! 匂いだって────……匂いがしない?」

 

 グレースに言い返し、匂いを確認しようとして、先程まで薄らと残っていたヒヅチ・ハバリに良く似た匂いがかき消えているのに気が付いて首を傾げる。

 その様子を見ていたフルエンが吐息を零し、カエデの頭に手刀を落とした。

 

「勝手に行動するな。とりあえず戻るぞ……ベートさんにどやされなきゃいいけどなぁ」

「あー、じゃあカエデの事は任せるわ。あたしはこれで……」

「おう、とりあえずお前は風呂に入ってから戻った方が良いぞ。()()()()()()()

「っ!? マジ? おっかしいわね。ちゃんと洗ったはずなんだけど……」

 

 不思議なやりとりに首を傾げるカエデを掴んだまま、フルエンが走り出す。見送るグレースが手を振り、最後に自分の匂いを嗅いだ。

 

「獣人って鼻が良いのよね。もう一回何処かで湯浴みしてから帰るか……あー、ヴェトスにも伝えないと不味いかも……」

 

 

 

 

 

 唐突な行動。カエデが勝手に行動した事について、カエデはたっぷりとリヴェリアに説教される事が決まった。理由は納得のいく物であったとは言え、狙われている本人がまさか不用意に走り出すとは思ってもみなかったフィンは苦笑していたが。

 

 【ロキ・ファミリア】本拠へと帰還を果たした面々を出迎えたのはロキの笑顔。フィンの帰還報告を聞いた後、ロキの前に置かれたのは二つの棺桶。

 骸となっての帰還となったドワーフとアマゾネスの二人にロキは悲しげに眼を伏せてから、笑った。

 

「まあ、しゃあないわ。ダンジョンでは何があるかわからん。全滅せえへんかっただけマシや。すまんな、天界は暇やろうけど、ウチはもう少し地上(こっち)を楽しむ予定なんよ。暫くは会えへんけど、()()()()()()()()。それまで天界で楽しんでてな」

 

 死んだ人間は、天界で裁きを受ける。それが普通の事であるのだが、神の眷属となった者は死後、天界のその神が仕切る場所へと送られる。美味しい食べ物があり、ゆったりとした時間を過ごせる()()()退()()()()()であるが、神ロキが地上に飽きて天界へと帰った時、その眷属本人が拒まない限りは其処に居続ける事が出来る。故にロキは()()()()()と知っている。

 

「皆も、ご苦労やったな。疲れとるやろ。風呂の準備は出来とるから、皆しっかり休むんやで」

 

 ロキの労いの言葉を聞き、団員達が帰還を喜び合う中、首根っこを掴まれたカエデがロキの前に連れて行かれた。

 

「ロキ、少し報告事がある」

「なんやリヴェリア、どしたん?」

「……カエデが、()()()()()()()()()()()()()()()と言っていてな」

 

 リヴェリアの言葉にロキが眉を顰め、カエデの方に視線を向ける。視線を向けられたカエデが身を震わせてから、呟く様に答えた。

 

「地上に戻って直ぐに、見えたんです。歓楽街の方に消えて行く姿が。匂いもしたんで、追いかけたんですけど……見失いました」

「…………嘘やない。けどなんかの幻術か? にしては匂いまで再現っちゅうのは厳しいか。わかった、ちょいと調べとくわ。もう休んでええで」

 

 ロキの言葉を聞き、ようやくカエデが解放される。足が地面についたのを確認してから、カエデは頭を下げて他の面々と共に本拠へと入って行った。

 それを見送り、ロキはフィンに声をかけた。

 

「失敗か?」

「あぁ、失敗だね」

 

 ロキの主語の無い問いかけ。その意味を知るフィンが肩を竦めれば、まあ急には無理やろうなと苦笑を漏らすロキ。

 今回の件、ダンジョンの悪意によって団員を失う事となった事もそうだが、カエデと狼人(ウェアウルフ)達の確執をどうにかすると言う目的も、上手くいっていない。

 良い事が何一つ無かったと言う程ではないにせよ、あまり喜べる状況でないのに気付いて肩を竦める。

 

「ウチが見た限りやとー、多分5人やな」

「僕も同じかな。5人」

 

 どの程度の団員が、ファミリアを抜けるか。したくない予測をしたフィンとロキは肩を竦めあった。

 

 

 

 

 

 【ロキ・ファミリア】の食堂に集まった団員を見下ろし、ロキが拳を振り上げて叫ぶ。

 

「今回の遠征、成功やっ!」

 

 ぱらぱらとまばらに上がる歓声は、普段の深層遠征の物に比べればいささか小さい。今回の遠征に於いて犠牲者が出てしまった事が最も大きいだろう。あの犠牲も相まって、今回の遠征は成功とは言い難い雰囲気になってしまった。それでも、本来の目的は達成できたのだから、もっと喜ぶべきである。

 

「さて、今回の遠征で【ロキ・ファミリア(ウチ)】から初めて犠牲者が出てもうた。悲しい事や……せやけど、これはしゃあない事や。他のファミリアを見てみい? 深層遠征一回で何人犠牲が出とる? 確実に2~3人は死んどる。あの【フレイヤ・ファミリア(フレイヤんとこ)】でも犠牲無しには成功せえへんのが深層遠征や」

 

 今までが運が良かっただけ。そう口にしてからロキは顔を上げる。

 

「今回の遠征で、ビビッた子も居るやろ。もし、もしもファミリア抜けたい言うんやったら。この後ウチの所に来るとええ。改宗(コンバージョン)可能状態にしたるわ。ギルドで次のファミリア見つけるまでは部屋も使ってええ」

 

 ロキの言葉に団員達が顔を見合わせはじめる。その様子を見ていたロキは口元に笑みを浮かべた。

 

「当然やろ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 挑発する様な言葉に騒然となる。ここでふるい落とされるなら、それまでだった。ここでふるい落とされないのなら、冒険者である。それだけの言葉に団員達の目に決意の光が灯る。

 その中に、()()()()()が幾人か交じっているのをロキは見逃さない。口元に浮かべた笑みとは別に、内心で悲しむ。此処まで共に来た子らが、離れていく事に悲しみを覚えた。

 

「さて、つまらん話も此処までや。こっからは楽しい話をしようや」

 

 にぃっと口元を吊り上げ、ロキは団員達を睥睨した。その視線を向ける先、エルフの青年とヒューマンの少女に狙いを定める。既に情報は揃えてある。楽しくない(つまらない)話はここまで、こっからは、楽しく団員をいじろう。

 

 

 

 

 

 ロキが()()()()()()()()と言い出した途端にグレースが青褪め、身を震わせ、顔を真っ赤にすると言う妙な反応を見せたのに気付いたカエデとアリソンがグレースに問いかけた。

 

「グレースちゃん、どうしたんですか?」

「グレースさん?」

 

 並んで座っていたジョゼット、カエデ、アリソン、ペコラの四人の視線がグレースに集まる。肝心のグレースは身をプルプルと震わせて耳まで真っ赤になったまま『何でもない』と呟くのみ。

 明らかに異常な様子にカエデが心配そうにグレースに尋ねる。

 

「本当に大丈夫ですか? お腹痛いんですか?」

「……子供じゃないんだからあんたと一緒にしないでよ」

「でも、顔真っ赤ですよ」

 

 『気にしないで』と強めに言うと、グレースはグラスを手に取り飲み物をあおった。

 首を傾げるカエデとアリソンの姿に対し、ペコラとジョゼットが何かを察した様に憐れんだ視線をグレースに向ける。その視線に気付いたグレースが二人を睨み返せば、ジョゼットが『お気の毒に』と呟いた。

 

「うっさいわね」

「本当にどうしたんですかグレースちゃん」

「だから何でもないって言ってるでしょ。しつこいわよあんた」

 

 カエデとアリソンが首を傾げて顔を見合わせるのを無視し、グレースが唸る。その様子を見ている間にもロキが皆の前で高々と拳を振り上げて口を開いた。

 

「ウチのファミリア内で、カップルが出来たでーっ!」

 

 その言葉に団員達がざわめきだし、一体誰と誰が等と囁き合い始める。ファミリア内での恋愛は()()自由である。自由ではあるが、無論だが見つかればロキに弄り倒される。たとえば、団員達の前で面白半分に発表されたりだとか。それが嫌で付き合わない等になる程度の恋愛感情なら、最初から無いも同然と言う話である。

 要するに恋する二人に対する神ロキの試練であるのだ。無論、ロキも半分以上は()()()()()()()とやっている事だが。

 

 カップルが出来たと言う言葉を聞き、アリソンが目を輝かせ、カエデが首を傾げる。グレースは信じられないと言う表情を浮かべてから深呼吸をして『違う、バレてない。大丈夫』と自分に言い聞かせはじめる。

 その様子を横から眺めていたペコラとジョゼットが哀れむ視線を向け、呟いた。

 

「ロキ相手にその手の話がバレないと思うのは安直ですねぇ」

「まあ、ロキは気付くでしょうね」

 

 団員達は各々好き好きに誰と誰が付き合い出したかを予測し始める中、カエデがアリソンの袖を引っ張り質問を飛ばす。

 

「カップルってなんですか?」

「んー、そうですね。恋愛関係になった二人組って意味ですよ」

「れんあい?」

「そうです。好きって想いを抱きあった人達がなる関係ですね」

 

 途中で興味を失った様子のカエデに対し、アリソンがぐっと拳を握りしめてカエデに詰め寄った。

 

「ちょっとカエデちゃん。女の子ならもう少しがっつかないとだめですよ」

「……私は別に、良いです」

「ほら、カエデちゃんは十二分に可愛いんですから」

「アリソンさん。カエデさんが困っていますのでその辺で」

 

 ジョゼットの言葉にようやく引き下がったアリソン。ほっと一息零したカエデが前を向き直ればニヤニヤとした笑みを浮かべたロキに対し、リヴェリアが深々と溜息を零している様子があった。

 

「さぁて、皆気になるカップルの発表やで。まず一人目、男の方や」

 

 団員のざわめきが広がり、誰だ誰だと犯人捜しの様な状態に至り男性団員達が互いに睨み合い始める。誰が抜け駆けして女の子と付き合いだしたのか。それを気にする男性団員達の激しい視線のぶつけ合い。

 そんな中、カエデは興味無さ気に既に食事に手をつけているベートの姿を見つけた。

 

 ベートの方もカエデに気付いて視線を交差させ、不機嫌そうに鼻を鳴らして視線を逸らされてしまう。

 昨晩の狼人(ウェアウルフ)達との一件以降、ベートが戻ってきてからベートが不機嫌になり、カエデに話しかける事もなく、カエデと視線が合うだけで逸らされてしまう様になったのだ。悲しいし何故だと言う疑問を覚えつつも、直接質問できずにカエデが溜息を零す。

 

 そんな中、ついにロキが一人目の名前を声高らかに発表した。

 

「一人目、ウチの中で不相応にも彼女を作ったうらやま怪しからん奴はーヴェネディクトス・ヴィンディアっ! アンタやっ!」

 

 びしりと、ロキが指差した先に居たのはエルフの青年。引き攣った表情を浮かべた真面目な雰囲気のエルフ。第三級(レベル2)冒険者、【尖風矢】ヴェネディクトス・ヴィンディアであった。

 真面目で、エルフ特有の価値観から女性関係には五月蠅いあのヴェネディクトスが、何時の間にか彼女を作っていた。その事に驚き、羨ましいと呟く団員達。周囲の団員達が一瞬目を見開いて驚き、次の瞬間にはヴェネディクトスを睨みつけて『捥げろ』だとか『爆発しろ』だとか罵りはじめ、何人かの団員がヴェネディクトスを引っ張りだして前に立たせた。

 半ば強引に席から立たされ、前に引っ張り出されたヴェネディクトスが溜息を吐きながらロキの前に立った。

 

「何処でバレたのか聞いても良いかい……」

「んなもん、外出記録と外で逢引しとるのを他の子に見られとったからに決まっとるやん。バレへん思うて調子に乗り過ぎたんよ」

 

 引き攣った笑みのヴェネディクトスが深々と溜息を吐き、諦めたように俯く。

 その様子を見ていたアリソンが小声で喋りかける。対するグレースは顔を伏せたまま反応は無い。

 

「ヴェトスさん? 付き合ってたんですか。知りませんでした。一体誰なんでしょうねグレースちゃん。……? グレースちゃん?」

 

 嘘だ嘘だと呟くグレースの様子を見てアリソンが首を傾げるさ中、ロキが高らかに声をあげた。

 

「んで、ヴェトスと付き合いだしたのはー、グレース・クラウトスやっ!」

 

 カエデの横でグレースが『嘘でしょ』と悲鳴を上げるのを聞き、カエデがグレースの方を窺えば顔が真っ青になったグレースの姿があった。

 

「グレースさん?」

「え? グレースさんとヴェトスさん……付き合ってたんですかっ!?」

 

 周りの団員達も信じられないと言った表情を浮かべてグレースとヴェネディクトスを見比べる。

 

 粗野な態度で男勝りな雰囲気を持つグレース・クラウトス。これがアリソン等であれば男性団員達の嫉妬の炎でヴェネディクトスが焼き殺されていた所だろうが、()()グレースが彼女であると言われた瞬間に団員達から憐憫の視線を投げかられ、ヴェネディクトスが眉を顰める。

 

「グレース、はよ出てきいや。証拠は揃っとるんやから。逃げられへんでー」

 

 ニヤリと笑みを浮かべたロキに対し、グレースは椅子を蹴倒して立ち上がると俯いたまま歩き出す。驚いた表情のアリソンと訳がわからないカエデがきょろきょろと辺りを見回し、ジョゼットとペコラが同情の視線を向ける。

 不幸なお知らせを吹き飛ばす様な、()()()()()()として利用されてしまったグレースとヴェネディクトスに同情するジョゼットとペコラ。他の団員達は好き好きになんでグレースと等と囁き合う。

 

 ふらふらと、覚束ない足取りでロキの前に辿り着いたグレース。ヴェネディクトスの横に並んだグレースが一歩踏み込み、ロキの胸倉を掴んだ。

 

「なんでわかったのよっ!」

「せやから外出記録と他の子からの告げ口に決まっとるやろ」

 

 グレースがギリリッと奥歯を噛み締め、ロキを放すと同時にカエデの方を睨んだ。

 

「カエデェッ!! あんたっ! ロキには教えないでって言ったでしょっ!!」

「えぇっ!? ワタシ何も言ってないですよっ!?」

 

 カエデが身に覚えのない事で糾弾され始めたのを見て、ロキがグレースの肩を叩いた。

 

「ウチはカエデから聞いた訳やないで」

「っ!? じゃあ誰からっ!」

「秘密や。せやけどカエデやないのは確かやで。んで、カエデは()()()()()()んやろなぁ」

 

 にやけた笑みを浮かべ、墓穴を掘ったグレースを弄り始めるロキ。その様子を団員達が笑い、グレースが頭を抱えて蹲った。

 

「外出記録って……」

「グレース、アンタ意外とまめやから、外出記録はちゃんと記載しとるやろ?」

 

 誰が、何時、ファミリアを出たのかと言う記録。他の団員の中にはその記録を提出せずに居る団員も多い中、普段の言動が粗野であるにも関わらず意外とまめな性格をしていたグレースはしっかりと外出記録を提出していた。

 当然、真面目なヴェネディクトスも同様に、しっかりと外出記録を提出していた。

 

 其処を照らし合わせればあら不思議。二人の外出時間がほぼぴったり重なっているではないか。これは怪しいと居残り組の団員の中から諜報活動に長けた団員を差し向ければ、そこには仲睦まじく喫茶店の店先で甘味を食べている二人の姿が。

 しかもその後に『外泊する』と言う報告を二人同時にあげ、そのまま歓楽街方面に消えて行く二人。想像するのも容易すぎる二人の安易な行動でモロバレであった訳だ。

 

 グレースが絶望した様に座り込み、悲痛な声を上げた。

 

「もういっそ殺してくんない……」

「グレース、諦めよう。不注意過ぎたんだよ……」

「二人とも仲ええなぁ」

 

「あんたの所為でしょうがっ!?」

 




 相関図が欲しいとの事なので、裏方面で動いてる子らの情報をざっくり此処に記します。わかり辛かったら申し訳ない。
 他、誰が気になるとかあったら、メッセージの方から質問飛ばしてください。




 『ヒイラギ・シャクヤク』
・アマゾネスの傭兵と行動を共にしている(レベル2相当)
・『ホオヅキ』から自分と『カエデ』の出生について聞いている
・オラリオに向かおうと画作しているが失敗続き
・【ナイアル・ファミリア】【恵比寿・ファミリア】【クトゥグア・ファミリア】に追われている
・現在、潜伏中


 『ヒヅチ・ハバリ(?)』
・現在【ナイアル・ファミリア】に捕縛され、オラリオの外で行動中
・正気を失っている(?)
・目的は『カエデ』を殺す事(?)


 『ホオヅキ』
・『ヒヅチ・ハバリ(?)』の手によって封印状態に陥っている。行動不能
・現在【トート・ファミリア】に保護されている
・村の惨劇についての情報を知っている
・『ヒヅチ・ハバリ(?)』についての情報を得ている


 【ロキ・ファミリア】
・【ハデス・ファミリア】と敵対中
・【恵比寿・ファミリア】を警戒
・【フレイヤ・ファミリア】を牽制
・【ヘファイストス・ファミリア】【ゴブニュ・ファミリア】と協力関係
・【デメテル・ファミリア】【恵比寿・ファミリア】と協力関係(?)


 【ハデス・ファミリア】
・オラリオ全てのファミリアと敵対中
・『カエデ・ハバリ』を殺す為に邁進中
・十八階層にて起こした騒動以降、潜伏中
・神ナイアルの手によって主神と主立った団員は()()()()()()()()()()()


 【恵比寿・ファミリア】
・【デメテル・ファミリア】と同盟関係
・【ナイアル・ファミリア】と敵対関係
・【クトゥグア・ファミリア】を敵視中
・保有していた戦力の半数を失っている


 【ナイアル・ファミリア】
・【クトゥグア・ファミリア】と敵対している。
・団員は『アルスフェア(レベル2)』と『アレックス(レベル2)』の二人
・『ヒヅチ・ハバリ(?)』の身柄を確保した後、都合の良い様に動かしている。


 【クトゥグア・ファミリア】
・【恵比寿・ファミリア】と敵対している。
・オラリオ外で活動している。
・『ヒヅチ・ハバリ(?)』を捕縛&操作していた(途中でナイアルに奪取されている)


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『和解への道標』 

『いやぁ、そうなんですか。それは大変ですねぇ』

『おい』

『それで、アレックスは何処に行ったんでしょうかね』

『おい、ふざけるなよ。君が()()()()()()()()から、面倒な事になってしまったじゃないか』

『……私はただ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と言っただけですが』

『其の所為であの阿呆がカエデ・ハバリを殺すとか言って出て行ってしまっただろうっ!?』

『頑張って止めてください。止められなかったら。そうですね、ロキに殺されますね』

『なんだよそれっ!! しかもランクアップ更新もしただろっ!? 手を付けられるわけないだろうっ!!』



 昨日のステイタスの更新にて、『偉業の欠片』を二個も入手した事に喜ぶと同時に、ロキに言われた事が頭に引っかかる。

 

『他の狼人()達も別に悪気がある訳やない。嫉妬しとる子もおるし、白毛なんを気にしとる子もおる。せやけどちゃんとカエデの事を受け入れようとしてくれとる子も居るんや』

 

 説得する様に言われた言葉に、『偉業の欠片』入手という飛んで跳ねて喜ぶ様な気分が消し飛んだ。

 それは嘘に違いない。カエデはそうロキに伝えた。対するロキは『嘘は吐いとらん』と言い切った。神ロキの保証がある。けれども、今更どういった顔で彼らと接すれば良いのか、カエデにはそれがわからない。

 

 昨晩に言われた言葉が妙に頭に残る中、何時も通り日の出前に目覚めて武具の手入れを行おうとして、自身の持つ武装『ウィンドパイプ』は完全に砕け散ってしまっていた事を思い出して泣いた。ただ泣いているだけでは何も始まらないし、時間の無駄なので支給品である量産品の大剣の手入れを行う。

 とはいえ、しっかりと切れ味や強度については点検が済まされた代物が渡されているので、特にみるべき点はどこにもなく、すぐに点検も終わってしまった。

 

 カエデはおもむろに姿見に自身の姿を映し、鏡の中にいる自分をじっと見つめる。

 動きやすいシャツにハーフパンツ、首元辺りを擽る程度に整えられたショートボブの髪に鋭い耳。

 血の様な、ではなく血そのものともいえる真っ赤な瞳に、色が抜け落ちた様な白毛。大きめの尻尾や整った毛並みはカエデにとって密かな自慢できるアピールポイントである。が、それだけだろうとカエデは嘆息した。

 

「ワタシはどうしたらいいの?」

 

 鏡の中に映る自分の表情を見て、鏡の中にいる自分に問いかけを投げかける。ペコラがカエデに紹介した童話と呼ばれる意味の分からない物語の中には、お喋りする鏡というのがあった。

 何でも答えてくれる鏡。もし目の前にある姿見がその鏡であったのなら、そんな無意味な事を考えていたカエデは大剣の柄に手をかけ、もう一度姿見を振り返り、けれども今度は口を開くことなく部屋を後にした。

 

 

 

 

 

 鍛錬場に到着すれば、既にベートが一人黙々と体を動かしている光景があり、カエデは慌ててベートの傍に寄り声をかける。

 

「おはようございます」

「あぁ。今日は鍛錬はなしだ」

 

 挨拶に対する返答として一瞬だけカエデの方に視線を向け、すぐに正面に向かって蹴りを繰り出すベート。ほんの一瞬だけカエデがベートの言葉を理解しきれず硬直してから、悲しげに耳と尻尾を伏せて引き下がった。

 ロキからベート以外の狼人(ウェアウルフ)と仲良くしてくれと言われた次の日に、ベートから拒絶された。其のことであからさまに悲しげな雰囲気で引き下がったカエデに対し、ベートが呆れた様に呟いた。

 

「お前は俺に殺されたいのかよ……」

「っ!?」

「はぁ、いいか。俺は昨日の更新で器の昇格(ランクアップ)してんだぞ。加減の仕方もわからねぇ状態で鍛錬つけるなんてしたら加減失敗して殺すなんて事になりかねねぇんだよ。だから暫く鍛錬は無しだ。わかったかよ」

 

 呆れ顔のままカエデの頭に数度手刀を叩き込み、ベートはカエデを見下ろした。

 説明を受け、ベートが鍛錬を断った理由と、突然の『殺されたいのか』という脅し文句の理由を察したカエデは安堵の吐息を零し、そして目を見開いてベートをまじまじと見つめた。

 

器の昇格(ランクアップ)……? ベートさん、第一級(レベル5)冒険者になったんですか?」

「あぁ、そうだよ」

 

 苦虫を噛み潰したような、あまり嬉しそうではないベートの様子にカエデは首を傾げた。

 本来なら器の昇格(ランクアップ)というのは非常に珍しい事であり、大半の者は喜ぶものなのであるが、ベートの様な反応はおかしい。ゆえに疑問を感じたカエデがベートを見つめていると、ベートは鬱陶しそうに手を振ってカエデを追い払う。

 

「俺の調整に巻き込まれたくなけりゃもう少し離れてろ」

「あ、はい……すいません」

 

 第一級(レベル5)になったにしては全然喜びの表情を浮かべていないベートに疑問を覚えつつ、カエデは自身の鍛錬用に倉庫から大剣型の模擬剣を持ってきて素振りを始める。

 

 上昇したステイタスは相当高かった。というよりは魔力がGから一気にBにまで跳ね上がったのだ。理由はギリギリの状態で発動させた装備開放(アリスィア)のおかげ、という話をされたが、カエデはそれに疑問を覚えていた。

 ジョゼットから聞いた装備開放(アリスィア)の説明と食い違うのだ。装備開放(アリスィア)は文字通り『装備の効力を開放する』という詠唱である。其の詠唱を行うことで装備の持つ効力が大きく発揮される、または変質するという特質を持つが、その大きく発揮される、または変質するというものの共通点は『装備魔法に込められた魔力量に依存する』というものだ。

 つまり装備開放(アリスィア)の詠唱を行ったカエデの魔力を消費したわけではないのに、なぜかカエデの魔力は非常に伸びたのだ。理由がわからずにロキに問いかければ『装備魔法自体が珍しい代物だからカエデのだけ特別かも知らん』と言っていた。

 

 自身の装備魔法に関しての事を思考の端に引っ掛けつつ、一人で行っていた素振りを続けていると、鍛錬場の入り口の扉が開かれる音が響き渡った。

 ベートは誰が来たのか確認すらせずに器の昇格(ランクアップ)によって発生している感覚のズレの修正作業に没頭しているし、カエデの方もアイズさんだろうなと素振りを続ける。

 そんな鍛錬所に現れたのはカエデの予測とは別の人物。恐る恐るといった様子で足を踏み入れたのは狼人(ウェアウルフ)の茶毛に鳶色の瞳、口元に八重歯の覗く青年。名をケルトという人物。

 ダンジョン内でカエデに友好的に接しようとして、結局カエデに拒絶された彼は忍び足で鍛錬所にやってきた。

 理由は割とシンプル。カエデが朝早くに鍛錬所に居ると知ったからこその行動。とりあえず挨拶でもなんでもいいから少しずつ関わりを持とうという下心のあるケルトは、ベートの姿を見て喉を引きつらせ、カエデの姿を見て悩まし気に口元を引き結ぶ。

 

「あー、おはよう?」

「あ……」

 

 緊張した様子で、カエデを委縮させない様に笑顔を浮かべ、片手をあげて挨拶をするケルト。対するカエデは予想外の人物の登場に硬直し、どうすればいいのかわからずに視線を泳がせて、ベートにたどり着いて助けを求めるようにベートを見つめる。

 ベートの方はカエデの視線に気付くと面倒臭げに嘆息してそのまま背を向けて去っていった。思わずカエデが手を伸ばすもベートは振り返りもせずに鍛錬所を出て行ってしまう。

 

 ベートがこの場を離れた理由は、前日のロキに言われた事が原因である。

 ベートから見ればカエデを無視する狼人(ウェアウルフ)共は全員が全員、カエデに否定的なのだと思い込んでいたし、そんなふざけた奴らが同じファミリアに居ることも本音を言えば気に食わなかった。

 だからこそ見かける度に睨み付けていたのだが、実際の所は()()()()()()()()による()()であったのだ。其の辺りを説明され、できるならばケルト達の派閥の者たちがカエデに接触するのを邪魔するなとロキに言われたのだ。

 ベートからすれば最初から声をかけてりゃこんな事にもならなかっただろうという呆れが強い。

 だが、ベートがカエデに気遣いをした事があるかと言えば、ある。あるのだが、それはカエデと初対面の時に行ったものではないし。そもそもの話、初対面の時はカエデが自身に怯えていたかどうかなんて見てもいない。

 

 同じファミリアの仲間の死、そして器の昇格(ランクアップ)、カエデの人間関係のいざこざ。複数の事柄が目の前に降って湧いて出てきた事で面倒くさくなった。死なせたのは誰の所為なのか、誰にも見られぬ様に奥歯を噛みしめてベートは鍛錬所の扉を閉じた。

 

 取り残されたカエデとケルトがジーっと見つめあい、ケルトが困ったように頬を掻こうとして、やめる。

 ケルトが上げていた手を静かに下してから、口を開いた。

 

「あー、お前さえ、良ければだけどー、その、朝飯とか一緒に? どうだ?」

 

 不自然なケルトの言い方、それに対するカエデは昨日ロキに言われた言葉が何度も脳裏を過ぎる。『仲良くしたって』という言葉。朝食への誘いをわざわざしに来たケルトに対し、どう返事をすればいいのか。たっぷり一分以上の時をかけ、カエデは絞り出す様に返答した。

 

「……わかりました」

「…………っ! おうっ、そうか、いやよかった。うん、じゃあ後でな」

 

 カエデの返答に喜色を浮かべたケルトが、そのままパタパタと鍛錬所を出ていき、カエデ一人が取り残される。どう反応していいのかわからずに固まっていると、アイズが扉を開けて入ってきた。

 不思議そうに後ろを振り返りながら入ってきたアイズがカエデを見つけると口を開いた。

 

「……? あ、カエデ。おはよう」

「おはようございます」

 

 挨拶もそこそこに鍛錬所の定位置となっている場所に立ったアイズは、そのまま武器を抜こうとして、手を止めてカエデの方を伺って口を開いた。

 

「さっき、狼人(ウェアウルフ)の……人が嬉しそうに歩いてたけど、何かあったの?」

「……嬉しそう?」

 

 喜色を浮かべていたのは見ていたが、カエデの視界から外れて以降も()()()()()()()()()事に驚き、目を伏せる。

 ロキの言葉に嘘はない。ロキが言うのであればきっと本当の事なのだろう。今までの狼人(ウェアウルフ)達とは違って、カエデを肯定してくれる者達なのかもしれない。そう考えてから、頭を振って考えを散らす。

 

「そうですか」

「……?」

 

 不思議そうに首をかしげるアイズから視線を外し、カエデは自らの模擬剣を素振りしはじめた。アイズはしばらくそれを眺めていたものの、すぐに視線を外して自分の素振りを始めた。

 

 鍛錬するのに余計な思考を混ぜてる暇はない。今回の『深層遠征』においてカエデは二つの『偉業の欠片』を入手した。ステイタスの方も敏捷と器用は上限であるS999に到達済み。力もSまで伸びたし耐久だってBまで到達している。十二分に過ぎる程に成長しており器の昇格(ランクアップ)に必要なのは『偉業の欠片』一個分の偉業。

 次の『深層遠征』の予定は未だに立ってはいない。とはいえ今後はダンジョン中層上部から中層下部、19階層以降に足を運んでの迷宮探索(ダンジョンアタック)を行う事になる。

 今回の『深層遠征』で得た迷宮の悪意(ダンジョントラップ)の対処法や発見方法なんかは十分にカエデにとっての知識となってくれる。

 

 次の『偉業の欠片』を手に入れられる状況は、どんなものが足りなくなるのか。きっと、狼人(ウェアウルフ)達との確執なんかについて考えこんでいる暇なんてないはずだ。そうに違いないと狼人(ウェアウルフ)達との確執についての思考を明後日の方向に放り投げるカエデ。

 乱れた切っ先の流れをいったん止め、息を吸い、吐く。『丹田の呼氣』を整えてから、カエデは再度素振りを始めた。

 

 

 

 

 

 グレース・クラウトスという少女は、決して淫乱ではない。少なくともグレース自身はそう答えるし、もしグレースの事を淫乱等と罵る者が居ればとりあえず殴る。自身より胸がでかい女なら胸を捥ぐ。男なら股間を蹴り上げる。それぐらいしでかす少女である。

 グレースの朝は、早かった。目を覚ませば目の前にはヴェネディクトス・ヴィンディアの姿があり、思わずげっそりとした表情となったグレース。身じろぎをしてシーツから体を引っ張りだせば、同じベッドで寝ていたヴェネディクトスの方も目を覚ましたのかうめき声を上げた。

 

「うぅ……? 朝かい? ふぁぁあ……あぁ、そういえば昨日はロキ達に同じ部屋で寝ろって閉じ込められたんだっけか」

「そうよ、寝心地はどうだった? あたしはー、何時も通りね」

 

 昨晩あった色々な騒ぎを思い出して目覚めと同時に疲労感を感じたグレースが深々とため息を零す。

 

 昨日の夕食の席にて、カップルとして発表されてしまったグレースとヴェネディクトスの二人は、あの後面白半分に『どっちから告白したのか』だとか『相手の何処に惚れたの』等の質問を二人にぶつけた。

 ヴェネディクトスが一つ一つ丁重に答える中、グレースは拳を握りしめて暴れようとして、即座に取り押さえられた。

 

『告白はどっちから?』

『僕からだよ』

 

『告白した時の台詞は?』

『僕はどうやら君に好意を抱いているらしい。付き合ってくれないかなって』

 

『返事はどうだったの?』

『へぇ、あたしなんかでよければ良いわよって』

 

『グレースの何処がよかったの? 割と、ほら、忠実な所はあるけど男勝りっていうか』

『あー、そうだね。付き合ってみればわかるんだけど、ちゃんと言葉にすればわかってくれる所とかは好感が持てるよ』

 

『昨日はお楽しみでしたね。で? どっちから誘ったの?』

『それはグレェっぶぁっ!?』

『あんた余計な事言うんじゃないわよっ!!』

 

 最後の返答の途中にてグレースの投げた皿がヴェネディクトスの後頭部に直撃する等といったことがあったがあの時のヴェネディクトスの照れを一切感じさせないさらっとした返答で、グレースはナイフでずたずたにされたかのように心が痛んだ。なぜああも恥ずかしげもなく恥ずかしい事を言えるのか。理解ができないグレースは昨日のお返しとしてヴェネディクトスの足を引っかけてベッドに押し倒した。

 

「昨日はよくもあんな恥ずかしい事を皆の前で並べ立ててくれたわね」

「それは、すまなかったね。でも自慢したかった気持ちもあるんだよ」

 

 まっすぐ見つめ返されて言葉を失うグレース。気まずげに視線を逸らすものの、満更でもないのか口元がにやけている。その様子を見ていたヴェネディクトスがくすりと笑えば、グレースは顔を真っ赤にしてヴェネディクトスに詰め寄った。

 

「っ、そういうのは心の中にしまっときなさいよ」

 

 昨日のヴェネディクトスの隠し事を一切しない解答を聞いたロキと団員達はノリノリでファミリア内部にある客室の一室に二人を放り込んだ。

 ロキ曰く『此処ならどんだけ騒いでも外には聞こえんから安心してやってもええで』と親指をおったてて言い切った。ついでに卑猥なフォグ・サインまでする始末。その後無言のリヴェリア(ママ)の手によってロキは片づけられたが、グレースとヴェネディクトスが同室に放り込まれる所までは止めなかった。

 ファミリア内の風紀を乱すなよとだけ釘を刺されたのみで、恋人付き合い等は本人達の意思を尊重するといった形で不干渉を決め込んだのだ。ある意味ではありがたい事ではあったが、なぜ同じ部屋に放り込むのを止めなかったのかだけは気になる。

 

「ねぇ、リヴェリアってなんで止めなかった訳?」

「……さぁ、僕たちに選択肢を与えてくれたんじゃないかな。まあ流石にあの状況ではやれないけど」

 

 当然の事ながら、昨日はシてない。むしろあれだけノリノリで『ファミリア公認カップル、一晩イチャイチャ部屋』等というふざけた名前の部屋に放り込まれてイチャイチャできる程、グレースの頭の中はピンク色ではない。

 無論、ヴェネディクトスも頭の中がピンク色等ということはない。二人でダブルベッドに寝ただけで、それ以上の事はなかったと断言できる。

 

 ベッドに押し倒したヴェネディクトスの上で深々とため息を零すグレース。対するヴェネディクトスは肩を竦めて口を開こうとして、途中で割り込んできた声を聞いて口を閉ざした。

 

「グレース、そろそろどいて──

「おっはようございまー……失礼しましたー」

 

 元気一杯な様子で無遠慮に扉を開け放ったのはアリソン・グラスベルであった。彼女はグレースがヴェネディクトスの上に跨っているのを見た瞬間に言葉を失い。即座に一歩下がって静かに扉を閉めたのだ。

 その様子を見ていた二人は顔を見合わせてから、慌ててアリソンの後を追う。

 

「待ちなさいアリソンっ!! 今のは、誤解っ!!」

「待ってくれっ!! 流石に僕もグレースも朝からああいったことはしないからっ」

「お二人がそんなに仲が良かっただなんて、ごめんなさい邪魔しちゃって、大丈夫です。皆には近づかない様に教えておきますね」

 

 第三級(レベル2)とはいえ敏捷の高いアリソンに対して、同じ第三級(レベル2)のヴェネディクトスは追いつく処か完全に置いて行かれ、第二級(レベル3)のグレースは力特化(パワータイプ)で付かず離れずの距離を保つので限界。

 

 このままでは朝っぱらからナニを致そうとしていた脳内ピンクカップルという称号を得てしまうかもしれないとグレースは全力で廊下を駆ける。

 

 結局、騒ぎを聞きつけてやってきたリヴェリアによって全員が処される事となった。

 

 

 

 

 

 全員が平等に叱られ、朝っぱらから何をしているのかという説教を30分も味わったグレース、ヴェネディクトス、アリソンの三人がくたびれた様子で食堂に入ろうとして、グレースがふと気付いて口を開いた。

 

「あそこに座ってるのベートさんじゃない? いつもカエデと一緒だったと思うんだけど。一人?」

 

 グレースの視線の先には朝食のトーストを面倒くさそうに食べているベートの姿。いつもならその隣辺りにはカエデがちょこんと座っているはずであるのだが、珍しく姿が見えない。

 

「本当ですねぇ。カエデちゃん、どうしたんでしょうか?」

「……一人で鍛錬所に残ってるとか? だったら誘いに行ってあげないといけないね」

 

 ヴェネディクトスが食堂から引き返して鍛錬所に向かおうとした所で、アリソンがそれを引き留めた。

 

「いえ、カエデちゃんを見つけました……見つけたんですけど……」

「どうしたのよ」

 

 歯切れの悪いアリソンの言葉に、グレースが眉根を寄せる。すぐにアリソンの傍に寄りアリソンの視線の先を探り出すグレース。対するヴェネディクトスもまたカエデの居場所に気付いて息を呑んだ。

 ヴェネディクトスまで息を呑んで驚いた様子を見せたのに気付いたグレースが訝し気な表情を浮かべて口を開く。

 

「いないんだけど、何処にいんのよ」

「……あそこです」

「はぁ?」

 

 アリソンの指さす先を見つめて目を細めるグレース。眉根を寄せ、難しい表情を浮かべたグレース。アリソンが指さした先にあるのは数人の狼人(ウェアウルフ)達が固まって座っている光景。狼人(ウェアウルフ)達が居る場所にカエデが好んで近づくことはないと知るグレースだからこそ、無意識にそこが意識からはずされていた。だからこそグレースは気付くのに遅れた。

 

「あの、狼人(ウェアウルフ)の人たちの中に、カエデちゃんが居ました」

「はぁ!? カエデがあの中に? ありえないでしょ、そんなの────うわ、マジでいるし。虐められてんじゃないわよね」

 

 普段の狼人(ウェアウルフ)達のカエデに対する態度が悪いことを知っていたグレースがそのテーブルを睨み付ける中、ヴェネディクトスがそっとグレースの手を掴んで止めた。

 

「グレース、落ち着きなよ。そう悪い扱いを受けている訳ではなさそう……というか……」

 

 ヴェネディクトスが困惑した様にカエデの座るテーブルの方へ視線を向ける。その段に至ってようやくグレースも様子がおかしいことに気が付いた。

 テーブルを囲む狼人(ウェアウルフ)達に交じり、ただ一人真っ白で小柄な少女が困惑した様におろおろしており、他の狼人(ウェアウルフ)達は何やら積極的に話しかけている。貶している訳でもなければ、侮辱している訳でもない。本当に他愛ない様な、どうでもいい様な話から、ダンジョン内での話、モンスターの話、今までの冒険の話、『偉業の証』を手にした時の話、『偉業の欠片』を手にした時の話。

 多種多様な話題が次から次にカエデにぶつけられ、カエデの方が困惑している様子がうかがえる。

 

「あ、目が合いましたよ」

「……なんか、助けを求めてない?」

「何があったんだろうね……」

 

 困惑した三人が立ちすくんでいると、後ろからロキのねっとりとした声が聞こえてきてグレースが悲鳴を上げた。

 

「朝からお盛んやったみたいやなぁ」

「ひゃぁっ!? ってロキっ! いきなりお尻撫で無いでよっ!!」

 

 けらけらと軽い笑いを零すロキに対し、言っても無駄かと諦めたグレースが引き下がり、ヴェネディクトスが口を開いた。

 

「何があったんだい? その、カエデと狼人(ウェアウルフ)というか、狼人(ウェアウルフ)達の対応ががらりと変わったみたいだけど」

 

 前まで、カエデの存在をまるっと無視するか、陰口を叩くといった陰湿な行動をとっていた狼人(ウェアウルフ)達が突然カエデに構い倒す様になった理由。さっぱりわからずに質問を飛ばしたヴェネディクトスに対し、ロキが苦笑しつつも答える。

 

「そりゃぁ、今までのは勘違い……やないな。全員が全員、カエデの事嫌ってなかったっちゅうことや」

「はぁ?」

 

 それとなく今までの経緯を話せば、グレースが呆れ顔でため息を零した。

 

「何それ阿保くっさいわ。だからちゃんと言葉にしろって言うのよ。特に獣人とか()()()()()()だとか()()()()()()だとか言って口にしないしさ。もっとちゃんと言葉にしなさいよ。分かる訳ないじゃない」

「あー、今回は僕も同意見だね。最初から話しておけば、すくなくともああはならなかっただろうし」

 

 馬鹿らしいと呆れ顔を浮かべるグレースに、流石に今回のすれ違いはグレースの言う通り()()()()()()()()回避できたものだと認めるヴェネディクトス。対してアリソンはなるほど等と呟いて笑みをこぼした。

 

「そういえばあの席に座ってるのってカエデちゃんを無視してた人達ですね。逆にほら、悪口言ってた人達は見当たりませんし」

 

 グレースの言う通り、最初からまっすぐ全力投球で言葉を投げかければ、もっと早い段階でカエデと仲良くできただろう。だがそこらへんはやはりまだまだ未熟な者達が多いファミリアだ。成長の余地があるとも言えるが、それでも未熟な所為で様々な事が起きる。

 そういったちょっとしたトラブルも楽しみつつ、ロキはゆっくりとグレースとヴェネディクトスの手を指さした。

 

「んで、二人はいつまでラッブラブに手ぇ繋いだままで居るん?」

「っ!?」「あぁ、これかい? グレースが放してくれなくてね」

 

 驚き、顔を真っ赤にしたグレースが即座に手を放して口を開いた。

 

「ちょっ!? あたしの所為にしないでよっ!」

「いやー、朝っぱらからあっつあつやなぁ。今日はやけに暑いわぁ」

 

 ぱたぱたと手で自らを扇ぐロキを睨み、グレースは鼻を鳴らしてカウンターに向かった。

 

「もういいわよ、あたし朝食食べるから」

「あー、それではロキ様、失礼しますねー。待ってくださいよグレースちゃん」

「ロキ、僕も失礼するよ。カエデの方は、暫く様子見する。もしカエデに何かあったら、とりあえず僕たちも首を突っ込むつもりだよ」

「ほほう。ま、別にええでー」

 

 ひらひらと手を振り三人を見送ったロキは、未だに数人の狼人(ウェアウルフ)に囲まれてどうしたらいいのかわからずにおろおろしているカエデの方を見て呟いた。

 

「ええ仲間ができとるやん。その調子でどんどん仲良くしてきやー。んじゃウチは二度寝でもするかー」

 




 


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『煉獄の底』《上》

『姉ちゃん……オラリオに行けそうか?』

『アタシの伝手を色々と使って調べてるけど……今はやめた方が良い』

『なんでだよっ!』

『【ハデス・ファミリア】ってのがカエデ・ハバリの命を狙ってる』

『だったら余計にっ!』

『行ってどうするんだい。アンタが居ても足手まといだよ』



 都市の南東の区画。数えきれない程の墓石の立ち並ぶ『第一墓地』。

 数多くの者が富を、栄誉を、名声を求めて迷宮へと挑み、そして命を落としてきた。この場所には数多くの過去の冒険者達の墓標が立ち並び、神々が降り立って以降も増え続けている。『冒険者墓地』とも呼ばれ、都市外北方、小高い丘の上に第二、第三の墓地が存在している。

 

 数多の墓標立ち並ぶその場所で、カエデ・ハバリは今回の深層遠征で命を落とした仲間の冒険者の名が刻まれた墓石の前で立ちすくむ。

 時刻は既に昼過ぎ。日暮れ頃までに本拠(ホーム)へと帰還し。その後、西のメインストリート沿いに建つ酒場の一つで深層遠征後の打ち上げに参加する事になっているが。それまでは自由時間を言い渡されてこの場所を訪れていた。

 横に立っていたグレースは欠伸交じりに口を開く。

 

「まあ、冒険者やってたら死ぬ事なんて珍しくないでしょ。運が悪かっただけよ。あんたが気にしても仕方ないと思うわよ」

「…………そうですね」

「それとも、怖くなった? なら冒険者やめてー……って、それが出来りゃ苦労しないか」

 

 耳も尻尾も力なく垂らしたまま墓標から視線を外し、一つ息を零してグレースを見上げるカエデ。

 カエデ・ハバリには残り時間が少ない。明確とは言い難いが、第三級(レベル2)へと上がった現在において、残っている寿命はおおよそ1年、猶予があるとはとても言い難い。

 寿命を延ばす為に器の昇格(ランクアップ)の必要がある。だがそれを成すには偉業の証というものが必要であり、今回の遠征でカエデは運良く偉業の欠片を二つ分入手する事に成功しており。

 第三級(レベル2)のカエデは偉業の欠片を三つ集める事で偉業の証の代用が可能である。ゆえにあと一つの欠片を入手すれば晴れて器の昇格(ランクアップ)第二級(レベル3)へ至ることができるのだが。

 

「怖いですよ。死ぬのは。グレースさんは違うんですか」

 

 朝から、カエデですらしつこいと感じる程に狼人(ウェアウルフ)達の派閥の一つ。カエデに友好的な者達が構い倒してくるのが嫌になり、埋葬が終わった仲間の墓標を見に行くと言って彼らから距離をとったカエデ。それに追従する様についてきたグレースは肩を竦め、口を開いた。

 

「そりゃ怖いでしょ。でもあたしはあんたじゃ無いし。頑張らなくても冒険者やめりゃ後はヴェトスが養ってくれるだろうから心配はー……あー、ヴェトスが冒険者続けるならいつ死ぬかわかんないし。なんとも言えないわね」

 

 墓標の立ち並ぶ墓場で肩を竦め、グレースは適当に手をひらひらとしてから、カエデの垂れ下がる耳を摘まんで立たせる。

 

「それより、此処でぼーっとしてても何もないでしょ。人も居ないし。寂しい場所よね……ま、死んだらあたしも此処に入るんだろうけど」

 

 平然と肩を竦めるグレースの姿に驚きの表情を浮かべたカエデ。どうしてそんなに軽く言えるのかわからないとグレースを見つめるカエデに対し、グレースは吐息を一つ零した。

 

「死んだら、あたしもあんたも一緒。早いか遅いかだけ。あんたは一年後に確実に死ぬっていうけど、今はあたしもあんたも明日死ぬかもしれないってのは一緒でしょ。冒険者になってんのよ? それぐらい、覚悟はしてるって事よ」

 

 明日死ぬかもしれないから。言いたい事があるなら全部吐き出して。明日死ぬかもしれないから、やりたい事は全部やってしまおう。だからこそグレース・クラウトスという少女は、羞恥を噛み殺して()()を伝えたのだから。

 

「ま、流石に軽率過ぎだったけどね」

 

 ロキに目をつけられてしまった事を笑い、グレースは一つ頷いた。

 

「ペコラさん達と合流しないとだし」

 

 【ロキ・ファミリア】の団長であるフィンは今回の遠征の成果の報告書を作成しており、リヴェリアは遠征時に得た取得物の換金を行い、ガレスが団員達と共に損耗した武具の確認を行っている。

 上位陣に分類されるジョゼットやラウル等は団長達に付き従い動いている中、ペコラ・カルネイロは疲労の溜まり切った団員の子守唄を唄う以外にやることがなく、唄ってあげる必要のある団員が居なかった事で暇をしていた。其処にグレースが声をかけて護衛として引き連れていたのだ。

 

「ほら、行くわよ」

 

 カエデの耳を放して歩き出すグレース。それに続いてカエデが歩き出そうとして、墓標を振り向く。

 数多に立ち並ぶ墓標、そしてそれに捧げられる供え物の数々。両手の指では数えきれない程の死が其処にあり、それがすぐ近くにあるのだと意識し、体を震わせてからグレースの後を追った。

 

 

 

 

 

 西のメインストリート沿いに存在する喫茶店の窓際の席に座るカエデが道行く人々を眺めながらケーキを頬張る横で、二人の人物が会話を交わしていた。

 

「という事がありましてですね」

「へぇ、あの【ロキ・ファミリア】で初の死者ねぇ」

 

 四人掛けの席に対しグレースとカエデが並んで座る対面。白毛の羊人(ムートン)ペコラ・カルネイロが紅茶片手に今回の遠征についてを話し、隣に座る灰毛の猫人(キャットピープル)モール・フェーレースがケーキを頬張りながら頷く。

 その様子を見ていたグレースがおもむろに立ち上がり、モールを指さして口を開いた。

 

「なんであんたが居んのよ」

「あ、お構いなくー」

 

 指差された本人は気にした様子もなくへらへらと笑ってから、紅茶に手を伸ばす。

 それを見ていたペコラが減った紅茶をそれとなく注いでから笑みを零してグレースを見上げた。

 

「まあまあ、良いじゃないですか」

「いや、別に良いんだけど。というか、なんであんたが居る訳? ちょっと理由聞きたいんだけど。カエデも気になるわよね?」

「ふぁい……?」

 

 ケーキを頬張り、話を全く聞いていなかったカエデが一瞬耳を立て、それから辺りを見回してうんうんと頷いた。

 

「この店のケーキおいしいですね」

「……話聞いてないじゃない。んで、本当になんで此処に居るわけ? 店の方は良いの?」

 

 【恵比寿・ファミリア】の二人居る副団長の片割れ【幸運の招き猫(ハッピーキャット)】モール・フェーレース。オラリオでその名を上げればほぼ全員が一度は顔を見たことがあると言われるほどに数多の場所で目撃される人物である。時折思い出したかのように店を回っている恵比寿に付き従っていたり、一人でふらふら歩きまわっていたりと行動が読めない能天気な人物である。というのがグレースの知るモールという人物である。

 

 ペコラと合流した際にごく自然にペコラと共に居り、店に入って同じ席についていたモールに対し、ペコラは特に何を言うでもなく受け入れ、カエデの方は首を傾げていたもののケーキが出てきた時点で思考から外れ、唯一疑問を覚え続けたグレースであったが、疲れたようにため息を零して椅子に腰かける。

 

「店の方はねぇ。大丈夫だよ。品物が仕入れできなくて店開けないし」

「はぁ?」

「あれ? 知らない? ここ最近、輸送船が片っ端から落とされてて物資類の輸入が滞ってるんだよ。陸路の方もー結構容赦無く中継村なんかを潰されてるみたいでね」

 

 ケーキを頬張っていたカエデが首を傾げつつ呟く。

 

「中継村?」

「あー、陸路で馬車なんかを使って商品なんかを輸送する場合に途中で立ち寄る村の事だよ。重要な所もそうでもない所もやたらめったらにやられててね。オラリオの冒険者雇っての防衛もやってたんだけどー……殆どのファミリアの団員が歯が立たない処か、犠牲者を増やすだけの結果で困ってるのさ。まあ、ここ一週間程は収まってるんだけどね?」

 

 モールの困ったような表情にグレースが眉を顰め、ペコラが口を開いた。

 

「それで直接依頼をしたいらしいんですよねぇ」

 

 生存者ゼロ。村人も防衛の為に配備したオラリオの冒険者も、輸送隊の面々も。女も、子供も、家畜の一匹ですらも残っておらず、完全に死体だけしか残らないという不可解な事件。

 最近多発している【恵比寿・ファミリア】の輸送船撃墜事件と合わせ、現在のオラリオには外部からの輸入品が途絶えかけている。無くはないが輸送成功率は2割未満。其の為最近は物価が若干上昇し始めてしまっていると嘆くモールに対し、ペコラは首を横に振った。

 

「申し訳ないですが。ペコラさんは戦闘向きではないです。自分一人生き残るならまだしもー……あ、もしかしてなんですけど……」

 

 何かに気付いた様にモールを伺いだすペコラ。対するモールは困った様に頷く。

 

「うん。ペコラ・カルネイロの()()()()()()()を当てにしてる。今回の事件、完全に犯人が不明だからね。せめて、犯人の情報を持って帰ってくれる人が一人でも欲しい。逃げ足重視して敏捷に優れた冒険者雇ったら、まぁ……村からは脱出できたっぽいんだけど、近場の林の中で殺害されていたらしくてね」

 

 現状、犯人像が定かになっていない事件であるがゆえに、何が何でも犯人像を捉えたい【恵比寿・ファミリア】の言葉にペコラが眉を顰める。

 

「こっちも、出せるだけの護衛は出すからー。ダメかな?」

「ごめんなさい。お断りさせてください」

「もう収まってるんですよね? なんで今更?」

 

 一週間ほど前から、被害がなくなっているらしい。飛行船の方は相も変わらず昨日も一隻落とされた様子であるが、村の襲撃事件の方については一週間前にぱたりと被害が消えうせたという。

 それに対するモールは首を横に振って否定した。

 

「いや、たかが一週間収まった程度で解決したなんて言えないし。犯人もわからない、動機もー……いや、動機はわかるか」

「……? 動機がわかるなら犯人もわかるもんじゃないの? あたしは詳しくないけど、だいたいそんなもんって聞いたわ」

 

 モールはミルクティーをかき混ぜるグレースに対し、半眼を向けてから肩を竦めた。

 

「君は創作の読みすぎじゃないかい。君らだってそうだけど、()()()()()()()()()()()よ。特に逆恨みだとかはね」

 

 天界に居た頃に様々な()()で神々を困らせた悪神ロキ。そんなロキが主神をつとめる【ロキ・ファミリア】は数多のファミリアから恨まれているし、下界での活躍に嫉妬し、逆恨みしてくるファミリアも珍しくない。

 それは天界では胡散臭い神としてしか知られていない【恵比寿・ファミリア】とて同様である。商業ファミリアの筆頭として恵比寿のファミリアが存在するのが許せないと妨害工作をしてくるなんぞ珍しくともなんともないのだ。

 

「ともかく、僕ら【恵比寿・ファミリア】への妨害だろうね。徹底的に()()()()()()()()

 

 おかげ様で動きが鈍って仕方がない。オラリオ外への物資類の発注も滞っているし、正直言えば【ロキ・ファミリア】の遠征物資類を揃えられたのもかなりギリギリだったんだ。そう愚痴を零し、モール・フェーレースは立ち上がる。

 

「此処は奢るよ。ともかく、依頼についてはちょっと考えておいてくれると助かる」

「……そういう依頼はギルドを回せばよくない? もしくは団長に言うとかさ」

 

 通常冒険者依頼(クエスト)は冒険者ギルドを通して発注されるのが一般的である。もしファミリアからの特殊依頼の場合でもファミリアの団長や主神を通すのが一般的だ。

 今回の場合はモール・フェーレースからの個人依頼という形になるのだが、そうであるのならば違和感が残る。

 ファミリアの存続に関わる様な重要依頼でありながら、それを個人依頼としてモールが持ち歩くのはおかしいのだ。其の違和感に気付いたグレースの言葉に対し、モールはへらへらと誤魔化す様に笑う。

 

「まあ、気にしないでよ。あー、じゃあ僕はこの辺で。元気でねー」

 

 グレースが何かを言い返す前に足早に立ち去るモール。モールを見送ったグレースが思い切り眉を顰める。

 

「怪しいわね。ってあたしのケーキ何処に……」

「カエデちゃんが食べてましたよ」

「っ!? 食べてないですよっ! ペコラさんですっ!」

 

 しれっとカエデに責任を被せつつもペコラがグレースのケーキを頬張り、頬を緩めている。その様子を見てケーキを食べ損ねたグレースは、深々とため息を零してから手をひらひらさせて口を開いた。

 

「もういいわ。別に今日はそうケーキ食べたい気分じゃなかったし」

「お、もうデザートは昨晩食べ終えたって事ですか。いいですねぇラブラブで」

「殴っていい?」

 

 握り拳を示すグレースに対し、ペコラはへらへらと笑ってからケーキを頬張る。

 そんなやり取りをしり目にカエデが喫茶店の窓から外を眺めていると、見覚えのある金髪が両手をポケットに突っ込んだまま周囲を睨み付けつつ歩いているのが見え、グレースの服の袖を引っ張った。

 

「グレースさん、あそこに、アレックスさんが歩いてますよ」

「はぁ? ……あっそう、もう関係ない奴だし気にしなくていいわよあんなの」

 

 一瞥しただけで興味無さげに肩を竦めるグレース。ペコラの方はアレックスの方に視線を向けてから驚きの表情を浮かべ、手を軽く振っている。カエデはどうすべきか迷いつつも窓の外で周囲に睨みを利かせながら歩くアレックスの姿を見ていた。

 ふと、そのアレックスの視線がカエデと交わる。窓越しに目が合ったアレックスに対し、どんな表情を浮かべようか迷うカエデ。対するアレックスはニヤリと笑みを浮かべ、唐突に両手を大きく振り上げて何かを呟き始める。

 窓越しで聞こえないが、唐突に人混みの中で立ち止まり何かを呟くアレックスに対し、他の冒険者が文句を言って避けて通る姿が見えるが、アレックスは気にした様子もない。

 

「あの、アレックスさんは何を」

「っ!? ちょっ!? 街中で魔法ぶっ放そうとしてるっぽいですけどっ!?」

 

 アレックスの呟きが、魔法の詠唱だと気づいたペコラが慌ててテーブルを盾にするように蹴り倒し、カエデとグレースを陰になる位置に引きずり込んで前に飛び出す。

 

 次の瞬間には、喫茶店の店内が業火に包まれた。

 

 

 

 

 

 肌を炙る熱の感覚に慌てて身を起こし、辺りを見回したカエデが目にしたのは一面の火の海だった。空を見上げれば黒煙で青空は見えず、息の詰まる様な熱に咽てしまう。濃密な()()()()()()()に背中に冷たいものが走る。

 場所は、つい先ほどまでお茶をしていた喫茶店の店内ではない。何処だろうと周囲を見回せば、業火に包まれて焼け落ちる見覚えのある看板が見えて息を呑んだ。

 つい先ほどまで、大通りにはそれなりの人が歩いていたはずで、その光景は確かにカエデの記憶の中に存在する。それもつい一分前の光景であり、それが今の惨状へと変化を遂げたのだ。足元に散らばる黒焦げのモノは、建物の残骸か、それともつい先ほどまで生きていた人間だったのか。

 

 何が起きたのかさっぱりわからず、困惑していると、絶叫が響き渡った。

 

 驚きと共に声の方向に視線を向けると、冒険者らしい格好をした人型が炎に包まれて踊っている。苦し気に、助けを求める様に両手を伸ばして、炎に包まれたまま右往左往している人型の姿に怯み、後ろに下がろうとして、腕を掴まれて引きずり倒された。

 

「大人しくしなさいっ! ったく、何がおきてんのよ。熱くて仕方ないわ」

 

 腕を掴んだ者の正体は、焼け焦げたジャケットに右肘から肩にかけてに火傷を負ったらしいグレースである。

 グレースに引きずり込まれたのはカフェのテラス席に置いてあったらしいテーブルの残骸の陰。近くには黒焦げの()()が無数に転がっている。

 この場所で楽し気にパフェを食べさせあっていた男女が居たのが、ちょうどこのテーブルだったのに思い当たり、カエデが身を震わせつつもグレースに問いかけた。

 

「グレースさんっ、その腕は、何が起きて……」

「知らないわよ。突然ペコラさんに引きずり倒されたかと思ったら、店の外に投げ出されて、気が付きゃ火の海ってね。ただ、其処らで転がってるのが全部そこら歩いてた一般人だってのがわかるぐらい。相当頭の可笑しいのが魔法発動したらしいわね。完全に無差別殺人よこれ」

 

 グレースの言葉を聞き、カエデが周囲を見回せば、さきほど炎の中で踊っていた人影が倒れ伏して動かなくなっているのが見え、慌てて水を探そうとして違和感を覚えた。

 周辺一帯が炎に包まれている。もしこの炎が通常の火であったのなら、カエデとグレースは既に酸欠で意識を失っているはずだし、そもそもの話、これだけ濃密な炎に取り囲まれた中で()()()()程度で済んでいるのもおかしな話である。カエデの方は火鼠の皮を加工して作成された火耐性の高い防具をそのまま着ているからこそ無傷であるが、グレースの方は火傷を負っている。だがグレースの火傷は炎の規模に比べて軽微である。

 現に、つい先ほど絶叫を上げていた冒険者を除けば、周囲には無数の焼死体が転がっているのだ。同じ火に包まれたにしては被害が少なすぎる。

 

「この炎、魔法でしょうか」

 

 焼死体の臭いに吐き気を覚えつつもカエデが口を開けば、グレースが眉を顰めて立ち上がる。

 

「【ハデス・ファミリア】の仕業じゃない? あのファミリアならやりかねないわ。ペコラさんと合流しないと」

 

 【ハデス・ファミリア】は遠征合宿の際に姿を見せて以降、一切姿を見せていない。彼のファミリアの仕業であるのであれば、カエデ一人を殺す為に一般人を巻き込んで街中を焼き尽くす事をしたと言える。理解しがたい事だが、あのファミリアならやりかねない。

 

「っ、ワタシの所為……」

「黙ってなさい。どっちにせよまだ犯人はーあいつは」

 

 カエデが後ろ向きな考えに引きずり込まれそうになったのを強引に引っぱたいて戻し、焼け焦げたテーブルの残骸から周囲を警戒していたグレースは大通りの中央に立っている金髪の虎人(ワータイガー)を見つけて眉を顰めた。

 

「あいつ、なんで……」

「どうしたんですか」

「あそこ、アレックスが居るんだけど……あいつ、なんで平気そうな……」

 

 グレースがぶつぶつと呟く横から、カエデが火の海に包まれているメインストリート中央にて堂々と立って笑みを零しているアレックスの姿に目を見開いた。

 

 中央に立つアレックスの足元から外に向かって放射状に物が薙ぎ払われている。先程のアレックスの呟きと、ペコラの言葉を加味すれば、答えは自ずと見えてきた。

 この惨劇を引き起こした犯人は、あの堂々と立っているアレックス・ガートルの仕業なのだと。

 ふと違和感を覚え、もう一度アレックスを見据えるカエデ。すぐに冷や汗をかいてグレースの袖を引っ張る。

 

「グレースさん、さっきペコラさんが()()()()()()()()()()()使()()()()()()()()って」

「あん? 何を言って────

 

 グレースが再度アレックスの姿を確かめようと身を動かした瞬間、アレックスの声が周囲に響き渡った。

 

「出て来いよ。何処に隠れても無駄だ。カエデ・ハバリィイッ!」

 

 名を呼ばれ身を震わせるカエデに対し、グレースが眉を顰めてからカエデの頭に手をのせて立ち上がる。

 

「あんたは此処で隠れてなさい」

「でも……」

 

 姿を晒して出て行こうとするグレースを引き留めるカエデに対し、グレースは肩を竦めた。

 

「ペコラさんが居ない今、第二級(レベル3)のあたしが出張るのが普通でしょ。あんたは大人しくあのバカをぶっ倒す所でも眺めてなさい。こんな騒ぎ起こしてるんだし、すぐにギルドから鎮圧依頼が出てファミリアがこぞって潰しに来るだろうし、それまでの我慢よ」

 

 心配かけまいと笑みを浮かべ、グレースは護身用に持っていた短剣と、近くに転がっていた冒険者の焼死体から長剣を引き抜いてアレックス・ガートルの前に歩み出て行った。

 

 

 

 

 メインストリート中央にて堂々とポケットに両手を突っ込んだまま立つ虎人(ワータイガー)の青年。その前に散らばる焼死体を蹴り退けながら歩き出ていたヒューマンの女性、グレース・クラウトスは殺気を振りまきながら短剣を握る片手を挙げて気さくに話しかけた。

 

「久しぶりね」

「あん? あぁ、テメェかよ。あの白毛の奴はどうした」

「ペコラさん? ペコラさんならちょっと野暮用よ」

 

 気さくに、適当な事を口走るグレースに対し、アレックスは鼻を鳴らした。

 

「適当言ってんじゃねえよ。カエデ・ハバリは何処だよ」

「さあね、あの子ってほら、案外臆病だし」

 

 今朝の構い倒してくる狼人(ウェアウルフ)達にへっぴり腰になって逃げ出して来たカエデを思い出して口元に笑みを零すグレース。馬鹿にしてるのかとアレックスが青筋を浮かべるのを横目に、グレースが周囲を見回して口を開く。

 

「ところでさぁ、この炎の海ってあんたの仕業?」

「そうだよ。良いだろ、この魔法」

 

 自慢する様に手を翳せば、アレックスの手の平に炎が現れ、零れ落ちた炎の雫が周囲に満ちる濃密な炎と同じようにアレックスの足元で火を起こし始める。

 あの濃密な炎の中で、アレックスは平然そうにしているし、服も髪も肌も、焦げる気配は微塵も無い。対するグレースの方もあまり熱さは感じない。不可思議な魔法であるが、この魔法の出所が()()()()()()()()()()()()()()()()。つまりアレックスをぶっ倒せば話が終わるのだ。

 

「なるほど、どんな魔法なのか知らないけど、とりあえずあんたは潰すわ」

「あぁ? 雑魚が何粋がってんだよ。この炎に焼かれるぐらいの雑魚に、俺が負ける訳ねえだろ。大人しく()()()()

 

 アレックスの言葉と共に、まるで生きているかのように炎が揺らめき、グレース・クラウトスを包み込んだ。

 

 

 

 

 

 テーブルの陰に隠れていたカエデが悲鳴を零しかけ、口を塞ぐ。目の前でグレースが炎に呑まれた。

 グレースを飲み込んだ炎は、うねる様にグレースの居た場所を覆い隠し、その姿は完全に見えなくなってしまったのだ。あの炎に包まれればどうなるのか、周囲に散らばる焼死体が証明してくれている。やはりグレース一人で行かせるべきではなかったと後悔しつつも、カエデが近場に転がっていたフェンスの残骸に手を伸ばした所で炎が()()()

 

「あっつ……何この炎、すっごく熱いんだけど」

 

 つい先ほどと変わらぬ姿のまま眉を顰めているグレースが、砕け散った炎の中から現れて文句を垂れる。対するアレックスは口元を歪め、不愉快そうに呟いた。

 

「ちっ、大人しく死んどけよ」

「あぁ? お断りよ。あたしが死ぬ時はヴェトスに看取って貰うって決めたし」

 

 炎に包まれていたとは思えない程に()()()()()()()()()グレースの姿に違和感を覚えていると、グレースは長剣と短剣を打ち鳴らし、牙を剥く様な笑みを浮かべてアレックスに突っ込んでいく。

 まっすぐ、何の小細工もなしに正面から突っ込んでいくグレースに対し、アレックスは面倒臭そうに腕を薙ぐ。

 

 瞬時に炎がグレースとアレックスの間を遮る様に現れ、()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「っ……くぅっ、何これ、物質化した炎? どんな魔法よまったく。これだから魔法は嫌いなのよ。意味わかんないし」

 

 物理法則を軽々と無視して行われる現象に対し、嫌そうに眉を顰めるグレース。対するアレックスも魔法がうまく作用していない事に驚き、それから笑みを零した。

 

「お前は、強い」

「はぁ? 何言ってんのよ。当然でしょ」

 

 唐突に口を開いたアレックスに対し、警戒して腰を落とすグレース。対するアレックスは楽しそうに喉を鳴らして顔を上げた。

 

「いいねぇ、お前をぶっ殺せれば、俺が()()()()()()()()

「………………」

「そうすれば、いつか()()()()()()()()()()()()

「…………はぁ」

()()()()()()()()()()()()────」

 

 陶酔状態に陥っているらしいアレックスに対し、グレースは深々と溜息をつき、それから無言でアレックスに突っ込んでいった。

 

「っ!?」

目の前のあたしを無視すんな糞虎野郎っ!!

 

 今度はアレックスが反応できずに魔法の迎撃が行われなかった。しかしアレックスが腕に装備していたガントレットでグレースの攻撃が完全に受け止められている。至近距離で睨みあう。

 最初に口を開いたのはグレースの方であった。

 

「あんたが、何考えてるのか知らないわ。けど────大勢の人が此処で死んでるんだけど。ナニコレ?」

「あん? なにこれだと? 決まってんだろ」

 

 オラリオの西地区には【ファミリア】に加入していない無所属の労働者の多くが住居を構えており、彼らの家族も生活することで大規模な住宅街を形成している場所である。

 当然、この西のメインストリートには数多くのファルナを持たない無所属の者達であふれていたのだ。

 この場に転がる数多くの焼死体は、殆どがファルナを持たない無所属の者達だ。冒険者は、この辺りの安い宿を利用していたのか、無所属の家族に会いに来ていた少数ぐらいである。

 そこで魔法を使ったのだ。無数の犠牲を出したのだ。其のことをグレースに指摘されたアレックスは、口元に笑みを浮かべて呟いた。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 アレックスの言葉を聞き、グレースの頭の中でブチリと何かの切れる音が響く。

 

「よし、殺す。あんたは殺す」

 




 VS暴走アレックス

 なおナイアルは楽し気に望遠鏡で様子を眺めている模様。




・アレックスの使った魔法
 長文詠唱の付与魔法(エンチャント)+領域魔法
 ある程度アレックスの意図の通りに物質化した炎を操る事ができる魔法。
 アレックスの持つ“死に対する恐怖心”の具現化。この炎は()()()()()()()()()()()()()()()()()


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『煉獄の底』《中》

『はぁ? 街中で魔法ぶっ放した阿呆が居る?』

『そうみたいだね。僕は()()()巻き込まれなかったけど、カエデ・ハバリ、ペコラ・カルネイロ、グレース・クラウトスが巻き込まれちゃったみたい』

『……ペコラ・カルネイロ、か。彼女は生きてるのかい?』

『一応ね、魔法で焼かれてるっていうか、炎にまかれてるけど』

『ナイアルは?』

『この騒動に紛れて姿を消す可能性もあるかなぁ』

『はぁ……あの当たりにはー、行商人が来てたよね?』

『……多分、死んだかな』


 オラリオ中心部にそびえ立つ巨塔の頂。【フレイヤ・ファミリア】が貸切る最上階層の一室。オラリオの街並みを見下ろせるその場所から確認できる獄炎を目にしたフレイヤは嫌そうに眉を顰める。

 

「酷い光ね」

 

 女神フレイヤの目に映るのは恐怖に怯え、それでも叫び続けようとする魂。あまりにも苛烈な光ではあるが、美しさは全くと言っていい程感じない。あるのは、恐怖に染まらぬ様に叫ぶ無様な虎人(ワータイガー)の姿。

 そして、その虎人(ワータイガー)の仕出かした惨事を困った様に眺める神ナイアルの姿。

 

 思わず口元に笑みを浮かべ、フレイヤはグラスを掲げた。あのナイアルの困った表情は、今のフレイヤにとっては何事にも勝る程見たかった表情である。

 そんな笑みを零すフレイヤの背後に、音もなく近づいたオッタルはフレイヤに耳打ちをした。

 

「カエデ・ハバリが巻き込まれている様ですが、如何なさいましょう」

「なにもしなくていいわ。あの程度の炎ではあの子を傷つけられないもの」

 

 なにもしなくていいとは口にしたものの、正確にいうなれば『何も出来ない』というのが正しい。

 狐人(ルナール)の女性、ヒヅチ・ハバリと名乗った彼女の手によってオッタルが敗れ、ナイアルには密約を交わす事を強要された。『ナイアルに関わらない事』、その一つの所為であの虎人(ワータイガー)の引き起こした出来事には、手出しできない。

 あのナイアルが、カエデ・ハバリに忍び寄ろうとしているのも知っている。其の上で、女神フレイヤは何もできないのだ。

 

「カエデ・ハバリ。あの子なら、大丈夫よ」

 

 

 

 

 

 一面に広がる炎の海、燃え残った建造物の骨組みと、燃えカスとなった人々の残骸の間を縫い歩き、カエデ・ハバリは行き止まりに直面した。

 

「ここも、通れない」

 

 尻尾を引っ張られる感触と共に、目の前の炎は()()()()()()()()()なのだと理解し、別の道を探して歩き出そうとする。そこで遠くから響く轟音に耳を傾け、申し訳なさそうに耳を垂らし、すぐに首を横に振って前を見据える。

 

「早く、出口を見つけないと」

 

 グレースが一人でアレックスを止めている間に、カエデ・ハバリがこの炎の性質の調査と出口の捜索を行っている。ペコラ・カルネイロの捜索もしているが其方は完全に行方不明。何処に消えてしまったのかもわからないが、この炎の性質についてはある程度予測できた。

 

 まず、第一に、この炎は冒険者には効き辛い。冒険者、神の恩恵(ファルナ)を受けていないとまともに活動が出来ない。それだけならまだしも、なんらかの切っ掛けで冒険者も民間人も問わずに焼き尽くす。

 グレース・クラウトスやカエデ・ハバリ、他にも幾人か生きている者は居た。つい先ほどもこの炎の中でどうすれば良いのか右往左往していた冒険者が居たのだ。居たのだが、カエデが第三級(レベル2)冒険者が暴れていると教えた途端、その冒険者の体を炎が包み込み、そして死んだ。

 一瞬の出来事で理解が及ばず、目の前で炎に包まれて絶叫しながら焼けていく冒険者の姿に鳥肌が立ち、慌てて近くにあった水桶の中身を冒険者にぶちまけたが、炎は消えなかった。水で消えないのだ、この炎は。

 死んでしまった冒険者に謝り、すぐに出口を下がる。道端に転がる小柄な黒い人間だったものは、小人族(パルゥム)なのか、それとも他の種族の子供だったのか、考えるだけ無駄だと言い聞かせて探し回り。

 この炎に対する結論が出た。

 

 この炎はアレックスが魔法を発動した中心点から凡そ400M半径の領域を焼いている。そしてこの領域の端には()()()()()()()()()()が立ちふさがっている。

 その炎の壁は他の炎と違い、無差別に焼き尽くす。領域内に満ちる炎は、カエデにとってほんの少し熱い程度の代物で、害らしい害はない。一般人にとっては地獄の業火であるので、この領域内で生き残っている一般人は居ないだろうが。冒険者は平気である。

 だが、冒険者も特定条件を満たすと焼き殺される。アレックスを知る事が条件かと考え、すぐに否定する。もしアレックス・ガートルについて知る事が条件であるのなら、カエデもグレースもただではすまない。

 つまり他の要因があるはずなのだが。其方は現状不明。

 そして、炎の壁は条件を満たさずとも無差別に焼き尽くす。これはカエデの勘であるが、ほぼ確信している。この壁に触れようとすると、炎の壁は揺らめいて絡みつこうとしてくるのだ。試しに投げ入れた木片は瞬く間に消し炭にされた事も相まって、この炎の壁の切れ目を探す羽目になり、結果としてぐるりと一周するだけで収穫らしい収穫は不自然な場所に存在した行商露店の武器ぐらい。

 店主らしい人物の焼死体が転がるその商店の前に転がっていた大剣を貰い受け、背負って走る。

 向かうのはアレックスとグレースが未だに闘い続けている中心部。何処かから悲鳴と絶叫が響いてくるが、ギルドからの応援は一向に来ない。疑問を覚えつつも、火の手のあがる建物の陰から剣撃の音の響く大通りを覗き込む。

 

「るぁっ!!」

「食らうかよぉっ!!」

 

 長剣とナイフでの二刀流をそつなくこなすグレースに対し、アレックスは防戦一方に見える。歯噛みするグレースに対しアレックスは笑みを零し続け、腕を振るう。

 物理的な形を伴う炎の拳がグレースを捉え、グレースが大きく吹き飛ばされて近場の建物にたたきつけられた。

 

「ぐぅっ……痛ぅ。あぁもう、その炎本当に意味わかんない。熱いのに熱くないし。そのくせ固いし、なんなのよそれ」

「はんっ、知る必要なんかねぇよ。テメェは此処で死ぬんだからな。テメェを殺して──カエデ・ハバリの奴も殺す。そうすりゃ、()()()()()()()()()()

 

 まただ。彼、アレックス・ガートルは()()()()と何度も口にしている。まるで自身に言い聞かせるような彼の言動にカエデは違和感を覚える。

 建物の陰から様子を伺うカエデを前に、グレースとアレックスは気付かずに言葉を交わす。

 

「つか、あんた器の昇格(ランクアップ)でもしたわけ? あたしの攻撃が全然効かないんだけど」

 

 グレースの言葉にはっとなり、アレックスの様子を確認する。

 グレース・クラウトスは第二級(レベル3)の冒険者である。器の昇格(ランクアップ)から一か月も経っていないとはいえ、ステイタスは相応に高い。そのグレースと剣を打ち合わせるアレックスの方は、無傷。

 傷らしい傷はなく、しいて言うなれば少し苛立っている様に見えるのみ。本来、この不可思議な炎の守りがあったとしてもレベル差を覆すのは難しいはずである。それなのに第二級(レベル3)のグレースと互角に渡り合っている。

 それはアレックスがレベル差を覆す程の技術を身に付けているのか、それとも────

 

「はん、その通りだよ。俺は第二級(レベル3)になった。いいだろ?」

「はぁ、厄介な事ね。ま、あんたをぶっ殺す事に変わりはないけど」

「余裕ぶってんなよ。すぐに殺してやるからよ」

 

 グレースを信じ、一人残して調査をしている事に罪悪感を覚えつつもどうすべきか迷い、カエデは剣の柄に手を添えたまま建物の陰から二人の闘いを見つめる。

 

 打ち合わされる剣と手甲、弾け散る火花に交じり、炎の欠片がゆらりと揺れ、直ぐに業火となりグレースを襲う。対するグレースはその炎が大したダメージにならない事を知っているが故に、一切の怯えなく真正面から炎を受け止めた。物質化した炎に押し出され、グレースが姿勢を崩すが即座に立て直してアレックスに切りかかる。

 アレックスは直接グレースを殴りつけたりといった攻撃を一切行わないが、魔法の炎でグレースを押し出す様な闘いばかりを繰り広げている。対するグレースは力任せにぶん殴る様な勢いで切りかかるのみ。

 攻略の糸口を見いだせないグレースが焦りと怒り、そして周囲の炎によって徐々に消耗していっている。アレックスの消耗は、全くない。不可思議な事に、アレックスはこれだけの大規模な魔法を使っておきながら消耗らしい消耗をしていないのだ。

 

「ちっ、仕方ねェな。あの糞ガキに見せつける為にとっとく積りだったけど、やめだ」

「あん?」

 

 唐突に、アレックスが両腕を下ろし、口元に浮かべた笑みを歪める。気色の悪い笑みを浮かべたアレックスに対し、グレースは警戒した様に腰を落として立ち止まる。

 このまま怒りに任せて突撃しても無意味だと悟り、その悟りが再度怒りを燃え上がらせてグレースの力が上昇していく。既に準一級(レベル4)冒険者に届きうるまでに力を増幅させたグレースに対し、アレックスは深く息を吸って、吐くのを繰り返し始める。

 まるで、()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 その光景を見て、カエデは尻尾を掴まれた感触を感じて叫ぶ。

 

「グレースさんっ!! 逃げてくださいっ!!」

 

 叫びに反応したグレースがカエデをちらりと見て、腕を振り呟く。

 

「逃げられる訳ないでしょ。こいつは此処で殺さないとだめよ」

 

 叫びに反応したのはグレースだけではない。カエデの居る方に背を向けていたアレックスすらも反応して肩越しに振り向き、口元を大きく歪めた笑みを浮かべた。

 

「よぉ、特等席から観戦か? いい身分だなぁ? おいぃ?」

「っ!」

「あんたの、相手は、あたしだっつってんのよっ!!」

 

 肩越しにカエデの方を向き、グレースから視線を外したのを見逃さず、グレースが一直線にアレックスに突っ込んでいく。

 カエデは息を呑み、すぐに大剣を引き抜いて同じようにアレックスの方に走り出した。

 

 前後から接近してくるグレースとカエデを見て、アレックスは笑みをより深めた。

 あの狐人(ルナール)から学んだ技法。カエデ・ハバリが持ち、アレックス・ガートルが持ち合わせなかったもの。それを手に入れた。アレックス・ガートルは()()()()()()()()()()()

 

 腹の奥に燻る炎に、一気に息を吹きかける。燃え盛る炎が形となり、アレックスの片腕から濃密な炎が形となり現れる。目の前に迫ったグレースと、背中に切りかかろうとするカエデ・ハバリ、どちらも────遅すぎる。

 

 振るわれた剛腕は、グレース・クラウトスを瞬く間に消し飛ばし、今度は数軒の建造物を貫いて飛翔するグレースの体は、倒壊する建物から立ち上がる炎によって視認できなくなった。

 瞬く間に行われた出来事に反応出来ないカエデに対し、ゆっくりとした動きで振り返ったアレックスは、そのままカエデに対し力任せに()()()()()()

 

 腕が、ぬるりと逸れる様な、力をどこかに逃がされている様な不可思議な感触と共に、アレックスの一撃はカエデ・ハバリによって逸らされた。対するカエデはアレックスの攻撃を受け流しながらその横を走り抜け、グレースの元へと駆けていった。

 それを見送ったアレックスは自身の腕を見て笑みを零した。

 

 つい先ほどまで受け止めるので精一杯だったグレースの一撃を()()()()()()()()()()。強くなった。強くなっている。

 

「くはっ、いいなこれ、良いぞ。こりゃいい。あの糞ガキにゃあ勿体ないぐらいだ」

 

 こういうのは、俺みたいな強い奴が使うもんだと、アレックスはカエデとグレースを追うでもなく高笑いを響かせた。

 

 

 

 

 

 オラリオ西地区、ファルナを持たない無所属の一般労働者等が暮らす居住区の隣接する大通りにて発生した()()()()()()()()使()によって、オラリオ西地区の大通りを分断する炎の壁が形成されていた。

 周辺の一般人たちの避難が進む中、避難する者達を避けて数多くのファミリアがこの騒動を収めるべく集まってきている。

 

 そんな中、炎に触れようとした冒険者が燃え盛る炎にまかれ、周囲の者達が必死に水をかけるもその甲斐なく焼けた冒険者は焼死体となるという現象がいくつも発生していた。

 

 この炎の壁に触れると、焼死する。

 

 そんな話を聞いた鎮圧の為に集った冒険者達があからさまに恐怖心から引き始め、この炎の壁の向こう側に家族のいる冒険者がなんとか助けようと水をかけたりなどしているが、消える気配はない。

 集まった冒険者の中心軸として動く【ガネーシャ・ファミリア】がこの炎は何なのかを調べようとしているが、触れたら問答無用で燃える以外にわかる事がなく手づまり。水をかけても消えない、風を吹きかけても無意味。魔法の水ならばと水を呼び出す魔法を使ってみても蒸発するのみで効果はない。

 内部で何が起きているのかを調べようにも、炎の向こう側は赤く揺らめくのみで内部で何が起きているのかさっぱりわからない。

 火精霊の護布(サラマンダーウール)を使えば被害を軽減できるとはいえ、一度燃えると消えない性質の為、中に侵入しようとしてそのまま焼死した者もいる。厄介な性質故に調査は難航していた。

 これだけの規模の魔法を発動するには、相当な魔力を必要とするはずである。当然、こんな現象を引き起こせる魔法使いなんて数える程しかいない。その筆頭、【ロキ・ファミリア】の第一級冒険者、【九魔姫(ナインヘル)】リヴェリア・リヨス・アールヴはロキを連れ添いその炎の外周を歩きつつ目を細める。

 

「……これは、魔法だが、制御されていないな」

「ほう? 制御されとらん魔法の暴走っっちゅー事か? ハデスん所の奴やないのは確定やけど」

 

 【ハデス・ファミリア】に所属している冒険者の中に、このような大規模な炎の魔法を扱える程の魔力を持つ冒険者は一人も存在しない。ゆえにこの魔法の犯人は【ハデス・ファミリア】ではないはずだ。

 無論、【ハデス・ファミリア】がギルドに対して虚偽報告をしていれば、話は変わってくるが。

 

「制御を必要としない魔法、だがこれでは術者本人も無事ではすまないだろうな」

「ほう? どういうことや?」

「術者諸共すべてを焼き尽くす魔法だ。発動すれば、術者本人も焼かれるだろうな」

 

 第一級冒険者であっても、この炎に近づけばただではすまない。それはペコラ・カルネイロが証明している。

 炎の壁の淵で、ペコラ・カルネイロは立っていた。()()()()()()()()()()()

 

「んで、術者の場所はわかるか?」

「全然だな。制御されているのなら、魔力の流れを辿れば発見できただろうが、制御されていないから無理だ」

 

 魔法の制御がなされていないにも関わらず、魔法としての効果を発揮する理解不可能な魔法。間違いなく前例のない新魔法であるそれにリヴェリアもお手上げである。術者の位置を割り出す事も出来ず、悔し気に歯噛みするリヴェリア。ロキは溜息を零して()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「ペコラー、気分はどや?」

 

 炎に包まれ、全身を焼かれながらも平然としているペコラ・カルネイロの様子に周辺の冒険者はドン引きしている。だが、ペコラ自身は割と本気で困っているのだ。声を出せないという問題があるのでハンマーの柄で地面にがりがりと文字を書き、意図を伝える。

 

『むちゃくちゃ熱い』

 

 ハンマーの柄で石畳に書かれた言葉を見て、リヴェリアが眉を顰めた。なんとかしてあげたいが水をかけても無駄。砂をかけても無駄。水桶に頭から突っ込んでも火が消えない。体は濡れているのに、火は燃え続ける。ペコラ自身、スキルの効果がなければ焼け死んでいたと断言できる程の効力を持つ炎。

 解決の糸口が見つからず、不用意に近づけば犠牲者を増やすのみ。ペコラ曰く、カエデとグレースもこの中に囚われている様子なのだが、ロキの感覚では二人とも無事に生きている事がわかるのみ。内部で何が起きているのか確認できず、魔導士としてのエキスパートであるリヴェリアもお手上げ。

 ペコラ曰く『アレックスが犯人だと思う』との事だが、他の者たちは【ハデス・ファミリア】が犯人ではないか等という者もいれば、【九魔姫(ナインヘル)】でもないとこんな魔法は扱えないとリヴェリアを疑う者もいる。複数のファミリアが集まっている影響か、互いに疑い合うファミリアも出始める始末。

 もし犯人がペコラの言う通りアレックスだというのなら、ナイアルが出てこないと話にならない。その肝心のナイアルもファミリアの本拠には居らず、行方不明だという。

 

「……カエデは無事やろか」

 

 

 

 

 

 燃え盛る瓦礫を押しのけ、グレースは大きく息を吸って、叫ぶ。

 

「痛っぁあ……」

 

 引っこ抜いた右腕が本来の方向とは真逆の方向に曲がっているのを見て眉を顰め、腕を掴んで元に戻す。肘が真反対に曲がっていたのを戻し、手を握ろうとするも痺れて力が入らない。完全に右腕を使用不可能にされたことに怒りを露わにし、瓦礫を殴りつける。殴りつけた瓦礫に罅一つ入れられない事実に舌打ちをし、ようやく考え始めた。

 先程の一撃、少なくともグレースの感覚では準一級(レベル4)に届くほどの一撃を繰り出せたと感じていた。しかし、自称第二級(レベル3)のアレックスによって攻撃を受け止められる処か、完全に押し切られた。それも真正面からである。

 アレックスの性格上、第二級(レベル3)になったというのは嘘ではないだろう。だが、第二級(レベル3)にしては力が強すぎる。それに魔法に至ってはリヴェリア並みの魔法を扱っているのだ。ありえない、つい最近まで同じファミリアに居たアレックスについて、グレースが知る限りでは『調子づいた馬鹿』『実力はある』『格闘技しかできない』という感じであり、決して魔法が使えるタイプではなかった。

 

 疑問を浮かべつつも瓦礫の中から這い出し、自身の体にまとわりつく炎を叩き消す。他の冒険者や一般人が消そうと躍起になって転がりまわっても消えない炎が、グレースの手で簡単に払い消せる事に疑問を覚えるが、魔法で生み出された代物に物理法則を当てはめても無駄かと、再度アレックスの元へ向かおうと足を向け、カエデが追い付いてきたのに気付いて片手を挙げた。

 

「カエデ、無事だったのね。あの阿保は?」

「アレックスさんは追ってきてないです。怪我は?」

「あー右手が使い物にならないかも。あと、あ、剣がないわ」

 

 右手で握りしめていたはずの長剣がなくなっているのに気づいて溜息を零したグレースに対し、カエデが首を横に振った。

 

「グレースさん、もう戦わない方がいいんじゃ」

「あん? 逃げろっていうの? 冗談じゃない。ぶっ潰すわ」

 

 苛立ち交じりにカエデを睨むグレースに対し、カエデはゆっくりと戸惑いがちに口を開いた。

 

「アレックスさんが……『烈火の呼氣』を使ってました」

「あん? 烈火の……それって、あんたが使ってたアレ? 嘘でしょ」

 

 カエデがあの時アレックスに感じた感覚。深く呼吸をし、胸の内の炉に息を吹き込むという形で炎を育て、力を全身にいきわたらせる技法。ヒヅチ・ハバリより授かったその技法を、アレックス・ガートルが使っていた様に見えた。勘違いではないかと疑ったが、アレックスの一撃は、重かった。ベートの放つ一撃に僅かに劣る程の威力を持つ一撃。ベートとの鍛錬で受け流しなんかの技術を磨いていなければあのまま潰されていただろう一撃だった。

 少なくとも第二級(レベル3)が普通の方法で出せる一撃ではない。グレースの様に怒りで力の増幅をするといったスキルでは考えづらいほどに、一瞬で力を引き上げて見せた。

 カエデも知る技法だからこそ、あの技法は『烈火の呼氣』であると断言できる。

 

 その説明を聞いたグレースは眉を顰め、溜息を零した。

 

「応援が期待できない以上、あいつをぶっ殺す以外に方法はないわ。あたしはあいつを殺す。あんたはどうすんのよ」

「どうするって……」

アレックス(あいつ)を殺すの? 殺さないの?」

 

 このまま、じわじわと炎で焼き殺されるのがいいか、あのアレックスを殺す事でこの魔法を終わらせることを選ぶか。グレースが選択を迫り、カエデは困惑した様に返した。

 

「殺さずに済む方法は」

「知らないわ。少なくともあれは生かしておいても反省なんてしないだろうし。サクッと殺すのが一番よ」

 

 聞く耳持たずなグレースの様子にカエデが怯み、首を横に振った。

 

「出来ません。ワタシは、ワタシが師から学んだ技法は、ヒヅチが教えてくれた剣は、誰かを殺す為にあるんじゃない。たとえ、どれだけ嫌いでも、剣を向け、殺すなと」

「甘ったれんじゃないわよ。じゃああんたはここで尻尾抱えて震えてなさい。あたしはあいつを殺す。手伝う手伝わないかは好きにしなさい」

 

 苛立ちのままにカエデに怒鳴り、グレースが瓦礫の中から棒状の金属、焼け落ちかけた建物の建材の一つだろう鉄製の棒を右手に握りしめ、左手にナイフを握り。互いに打ち鳴らしてからアレックスの居る方向に歩き出す。

 カエデが引き留めようと手を伸ばそうとし、グレースに睨まれて手を止めた。

 

「あんた、あいつが何処でその烈火のなんちゃらを覚えたのか気にならないの?」

「────っ!?」

 

 グレースがカエデを睨みながら発した言葉に、カエデが硬直する。

 

 気になるか気にならないかで言えば。カエデは『気になる』と即答するだろう。

 もしかしたら、ヒヅチ・ハバリへとつながる手がかりへとなるかもしれないし、自身と同じ技法を扱えるようになった経緯も気になる。アレックスと別れてから二週間と少し、それだけの短期間で『呼氣法』をモノにしたというのは目を見張る出来事だから。

 

 迷う姿を見せるカエデに対し、グレースは肩を竦めた。

 

「気になるなら、とりあえず手伝ってくんない? とどめはあたしが刺す。あんたは足止めをして。あたし一人だときつそうだし」

「…………」

「嫌ならここでまってなさい」

 

 背を向け、今度こそ話す事は何もないと行こうとするグレースに対し、カエデはぎゅっと目を瞑る。

 

 アレックスを殺すのか? とどめをグレースが刺す。たとえそうだとしても手を貸した以上、カエデも共犯者となるだろう。だからこそ迷う。

 アレックスに、その呼氣法を何処で習ったのか、誰に教えてもらったのか。聞きたい、知りたい。けれど、アレックスを殺す為に行くことはできない。

 カエデ・ハバリはヒヅチ・ハバリを師と仰ぎ、剣を学んだ。剣を学ぶ上で、扱いも学んだ。剣は容易く命を奪う。怪物も、人も、同じ様に命を奪える。もし怪物と人の区別がなくなれば、その時剣を握る者は化け物に堕ちる。

 化け物にならぬよう、人を切るな。人切りを覚えるな。それがヒヅチ・ハバリの教えである。

 

 けれど、グレースの考えもわかるのだ。

 

 この魔法を解くにはアレックスを止める必要がある。けれど、アレックスはきっと、言葉では止まってくれない。剣を以て、下すしかない。そして、アレックスは命を落とすその瞬間まで、負けを認めない。下ってくれない。ゆえに、命を奪うのが最も効率的で、唯一の方法なのだ。

 

「ワタシは……」

 

 歩みを一切止めず、炎の海を割り進むグレースの背中を見上げ、カエデは剣を握りしめた。アレックスの一撃を受け流しただけで罅が入り、砕けかけた拾い物の大剣を握り。震えながらグレースに宣言する。

 

「行きます。でも、殺しはしません。()()()()()()()

 

 殺さない。命を奪わずに、アレックスを止めてみせる。そう宣言したカエデに対し、グレースは肩越しに振り返り、カエデを睨み付けた。

 

「あんたが止めれなかったら、あたしが殺すわ。止めないでよね」

「はい、グレースさんがアレックスさんを殺す前に、ワタシが止めてみせます」

 

 グレースの目に映る苛立ちが呆れに変化し、グレースが深々と溜息を零した。

 

「あっそう、じゃあ行きましょ。せいぜい、あたしに手を汚させないでよね」

「はい、アレックスさんを止めましょう」

 

 あたしはとどめを刺す方だけどね、そう呟くグレースの隣に並び立ち、カエデはアレックスが居るであろう方向に視線を向けた。

 

 カエデは、揺らめく炎の中に、ヒヅチ・ハバリの背中を幻視した。




 全身を炎に包まれたファイアーペコラさん。

 ペコラ・カルネイロのスキルは『全ての損傷(ダメージ)を物理衝撃へ変化』と『衝撃損傷(ダメージ)の割合軽減』です。
 簡単に言うと火で焼かれようが、剣で切り裂かれようが、全てのダメージを物理衝撃ダメージに変換して、衝撃ダメージの割合軽減効果でほぼ無効化するという形。
 素の耐久も高いので炎で焼かれてる間全身をポコポコ殴られてる感覚になる程度でダメージはほぼゼロ。流石に長時間は耐えられないですがね。

 軽減率はペコラの衣装の“もこもこ度”で変化します。もこもこしてる程軽減率は高くなる。要するに金属製の鎧なんか身に着けるより、セーターみたいなもこもこした衣類を着てる方が強い。炎に弱くなるので、当然ですが火にたいする耐性を持つ素材を使用したもこもこのセーターを身に着けてます。


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『煉獄の底』《下》

『……キーラ・カルネイロを見つけた。地下水路の一角。作業用の通路にあった』

『生死は?』

『死んでない。ホオヅキと同じだ()()()()()()()

『ふぅむ。その娘は、そのままにしといてくれ』

『トート、放置しろというのか?』

『最近、儂、めっちゃ怪しまれててなぁ……。此処で見つけたーなんて情報誌に乗せたら本拠を潰されそうじゃし……』

『あー……。了解。じゃあこのまま触らずに放置しておく。誰かが見つけるだろうな…………見つけるよな?』


 燃え盛る街並みを目にし、其処で火に焼かれる焼死体を踏みつけてアレックスは笑みを浮かべた。

 この火は、アレックスを焼かない。この火はアレックスに力を与えてくれる。故に彼はこの炎を恐れる必要は何処にもない。

 

「はっ、遅かったじゃねえか」

 

 アレックスの手の平から零れ落ちる炎が足元の黒焦げの人型を焼いていく中、瓦礫の山を乗り越えて燻る炎を踏みつぶしたグレース・クラウトスはアレックスを強く睨み付け、鼻で笑った。

 

「はんっ、待たせたわね。今からあんたを殺すわ」

 

 グレースの後ろから歩みでたカエデ・ハバリが悲し気な目でアレックスを見据える。その憐れむ様な瞳を見たアレックスの額に青筋が浮かぶ。

 

「おい、テメェ……なんだよその目は」

「……アレックスさん。もうやめましょう、こんな事、何の意味も無いです」

 

 無関係な人々を巻き込み、炎で焼き尽くす事に何の意味があるのか。カエデのその言葉に対し、アレックスは口元を歪め、カエデを強く睨み付けながら口を開いた。

 

「だから言ってんだろ。()()()()()()()()()()()()()()()()ってよぉ。だから()()()()()()()()()んだろうが」

 

 嘲笑の笑みの浮かんだアレックスの表情を見たカエデが苦虫を噛み潰したような表情を浮かべ、顔を伏せる。

 その様子を見て、グレースは肩を竦め、鉄の棒とナイフを打ち合わせてカエデに言い放った。

 

「はんっ、あんな事言う奴を止める、なんておめでたい事言わないわよね。ほら、さっさとアイツを殺すわよ」

 

 グレースの責める様な口調に身を震わせ、カエデはゆっくりと罅の入った大剣を構える。もう、彼を止める手段は殺す以外ないのか? 本当に止める為に殺さなくてはならないのか、悩み、苦悩し、カエデは顔を上げて魔法を詠唱文を口にした。

 

「『孤独に(凍えて)眠れ、其は孤独な(凍て付く)氷原。月亡き夜に誓いを紡ごう。名を刻め、白牙は朽ちぬ』『氷牙(アイシクル)』。アレックスさん、ワタシは────」

 

 詠唱の完了と共に、カエデを包み込む様に冷気が放たれ、炎とせめぎ合う。キラキラとした輝く細氷(ダイヤモンドダスト)をまとったカエデ。不安に揺れるカエデの目を見たアレックスは、鼻で笑った。

 

「何怯えてんだよ。今から死ぬのが怖ぇのか?」

 

 カエデの悩み、苦悩を今から殺される事への恐怖による怯えだと誤認したアレックスの言葉に、カエデは身を震わせ、剣の切っ先をアレックスに向けたまま、覚悟も決められず、剣を向けるという行為だけを行う。

 二人のやり取りを苛立たし気に見ていたグレースが、肩を竦めてから呟きを零し、一直線にアレックスに突っ込んでいく。カエデがグレースに続いて突っ込んでいき、アレックスがどう猛な笑みでそれを迎え撃った。

 

「殺すわ」

「…………ごめんなさい」

「謝るな糞餓鬼ィッ!! 二人とも此処で焼け死にやがれえぇぇぇぇええっ!!」

 

 燃え盛る業火を一直線に引き裂き突き進むグレースに、冷気と輝く細氷(ダイヤモンドダスト)をまとい業火を退けるカエデ。対するは足元から吹き上がる業火の中央にて立つアレックス。

 

 最初に攻撃を繰り出したのはアレックス。腕を振るい炎の壁を呼び出してグレースとカエデを焼き尽くさんとするが、グレースが振るう鉄の棒が炎を呆気なく砕き散らし、アレックスが目を見開いて驚きを露わにする間にグレースの一撃がアレックスの側頭部を捉えた。

 

「燃え尽きろっ!! なっ!? なんで効かな──ぐぎゃっ」

「こんなちんけな火如きで怯むと思うな糞虎ぁっ!!!!」

 

 アレックスの体が大きく揺らぐが、即座にアレックスの足元から炎が溢れだしグレースを押し返さんとする。それを冷気で押しとどめたカエデが素早く大剣でアレックスの足を打ち払い、転倒を誘う。

 素早い身のこなしでカエデの足払いから立て直す。幾度となく、カエデには足払いや急所打ちでの戦闘不能に陥らされていた経験があるアレックス。故にカエデの動きから予測するのは簡単だ。殺す気なんて一切感じられない、()()()()()()()()()に、アレックスの脳裏でブチリと紐の千切れる様な音が響く。

 

「俺をっ、嘗めるなぁっ!!」

 

 足技は、狼人(ウェアウルフ)であるベートの方が遥かに上だ。だが虎人(ワータイガー)の格闘術は狼人(ウェアウルフ)とは違った体系で進化している。()、それこそが虎人(ワータイガー)が誇る一撃。それに加えるのは狐人(ルナール)の女から学んだ『烈火の呼氣』。

 

 グレースが追撃をしかけんと鉄の棒を振り上げているのを見たアレックスが、息を大きく吸う。激しく燃え上がる腹の内の炎を吐き出す様に、アレックスが拳を振りぬいた。

 ゴシャリという音。アレックスの放った拳は反射的な防御を行おうとしたグレースの鼻っ面を砕き折り、そのままグレースの体が跳ね跳んでいく。意識はあるのか派手に吹き飛びながらもグレースが姿勢を立て直そうとするも、顔面の中心を穿たれていた為か足から着地に成功しつつもそのまま姿勢を整えるまでにいかずに転がっていく。

 

「グレースさんっ!」

「テメェの相手は此処に居んだろうがぁっ!!」

 

 派手に吹き飛ばされて炎を散らしながら吹き飛んだグレースの姿に驚き、グレースの名を叫ぶカエデに対し、瞬時に引き戻された拳が再度放たれる。カエデの反応速度の方が上だったのだろう、カエデがその拳を綺麗に逸らしてからアレックスの肘を破壊する為に大剣を振るおうとして────剣が砕けた。

 破片を散らしながら無残に砕け散った大剣に身を震わせつつカエデが後退し始め、その隙を狙うアレックスの一撃がカエデの腹に突き刺さる。

 

 氷の砕ける音と共にカエデが弾き飛ばされ、空中で姿勢を立て直して足から着地。即座に徒手空拳の構えをとるも既にアレックスが爆炎をまといながら一直線にカエデに迫ってきていた。

 

「死いぃぃねぇぇぇええっ!!」

 

 殺意に満ちた一撃に対し、カエデは一瞬怯んでしまう。目を見開き、怯んだ体に鞭打ち回避行動をとろうとし始めるが、それより早くアレックスの追撃がカエデに突き刺さった。

 二度目も氷の砕ける甲高い音を響かせ、カエデが吹き飛んでいく。アレックスが舌打ちをして追撃を再度狙おうと腰を落とした所に、横合いからグレースがとびかかる。

 

「あんたが、死ねっ!!」

「うるせぇっ! 俺が死ぬ訳ねぇだろっ!! 雑魚は黙って、燃え尽きろぉぉおっ!!」

 

 互いに吠え、咆哮を轟かせてぶつかり合い、グレースが打ち負けて後退する。アレックスの狙いはカエデ一人であるが、其処に居るのならグレースも糧にせんと食らいつくそうとしている。

カエデは第三級(レベル2)の中では高いステイタスを持つとはいえ、第二級(レベル3)に至ったアレックスに損傷(ダメージ)を与えられず。『氷牙(アイシクル)』はカエデの身を守る事には適しているが、攻撃方面では活躍できない。

 グレースは同レベルなだけでなく、アレックスが器の昇格(ランクアップ)直後なために多少とはいえステイタスに差がある。それに付け加えグレースには()()()アレックスの炎の魔法が効かない。

 対するアレックスはカエデに対してレベル差というアドバンテージを持ち、グレースに対しては才能というアドバンテージを持つ。それに加え『烈火の呼氣』による強烈な一撃がアレックスをさらに優位にさせている。

 

 動き自体は悪くなくとも、レベルの低いカエデの消耗は大きく、防御を度外視したグレースも既に満身創痍と言える。対するアレックスはほぼ無傷、まるで倒れる様子を見せない。

 このままでは、カエデとグレースの方が先に力尽きる。この炎に包まれた(アレックスに優位な)領域の中で

は確実に負ける。

 カエデが剣を握り込み、震えた。

 

 

 

 

 

「はぁ? 『領域魔法』だと? ナイアル、お前はいったい何を言っているのだ」

 

 炎の壁に遮られ、内側の確認ができない領域。その外側の炎の淵を眺める神ガネーシャの前に突如として現れた神ナイアルの言葉にガネーシャは眉を顰めつつも団員たちに避難指示を続ける様に命令した。

 てきぱきと避難させるべき群衆を想い動く神をにこやかで()()()()笑みで見つめる男神。

 紫色の寝間着姿に、蝶ネクタイとナイトキャップを被った不気味な男神、ナイアルは再度口を開いた。

 

「この炎の原因は私のファミリアの団員となったアレックス・ガートルの所為です。この炎は『領域魔法』と呼ばれる新種の魔法であり、本人の資質に左右されない強力無比な効力を持ち合わせています」

「……その話はわかった。だが何故お前の子供はこんな事をしでかした。主神として止めるべき事案ではないのか」

 

 アレックス・ガートルの暴走という証言。そしてアレックスが使用した魔法の情報提供、ステイタスに関して記憶している事全てをガネーシャに伝えた神ナイアルに対するガネーシャの反応は芳しくない。

 眷属の暴走を許すのは、主神としてしっかりと手綱を握っていなかったからである。その事を責めるよりも、目の前の事態の収拾を優先すべきなのを理解しているが故に、ガネーシャは眉を顰めつつも神ナイアルに問いかけた。

 

「それで、この魔法の解除方法はないのか?」

「ありません。()()()()()()()()()()()()()()。たとえ彼の【九魔姫(ナインヘル)】であってもこの魔法の制御はできません。一度発動したら最後、効果が切れるまでそのまま燃え広がります」

 

 ナイアルの言葉にガネーシャが困った様に溜息を零し、対魔法(アンチマジック)効果を持った道具類を運び込んだ団員に気を付ける様に指示を出しながらもナイアルを見た。

 

「アレックス・ガートルはなぜこのような事を?」

「……死ぬのが怖い。それは誰しもが持つ感情では?」

「何を言っているのだ」

「彼は()()()()()()()()()()。どうしようもない程にね」

 

 答えとも呼べないような内容にガネーシャが溜息を零している間に、【ガネーシャ・ファミリア】の団員が対魔法(アンチマジック)効果の持った武装で炎を散らそうと試みているが、効力は現れない処か対魔法(アンチマジック)の効力を持つ道具が燃え始め、持っていた者が慌ててそれを手放す。

 

「やめた方が良いですよ。この魔法は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ので」

「その特定条件ってなんや?」

 

 ガネーシャとナイアルの間にひょっこりと顔を出した赤髪の女神。その姿を一瞥したガネーシャは吐息を零してからこの場は任せると呟いて団員達への指示出しの方へ集中し始める。対してナイアルはロキの方に向き直り、気色の悪い微笑みを浮かべた。

 

「お久しぶりですロキ。相変わらず、恐ろしい形相をしていらっしゃる」

「誰の所為やド阿呆」

 

 ド直球な、飾り気の一切感じられない殺意に満ちたロキの形相に不気味な笑みで答えるナイアル。火花が散り合い、神ガネーシャが真っ先に逃げ出した(大人しく引き下がった)理由が誰にでも理解できる場で、ロキが口を開いた。

 

()()()()()()()()()()?」

 

 ロキの言葉にナイアルが目を見開き、気色の悪い笑みから困ったような笑みに切り替え、頬を掻きながら口を開いた。

 

「いや、逆に聞いても良いでしょうか。なぜあんなおかしな事になっているので?」

「はぁ? なにがや」

「……私が囁く必要もなく、勝手に()()()()()()んですが。あんなつまらない事はないですよ」

 

 自身の手で引き起こした出来事であるなら()()()()()()()のに。そう締めくくったナイアルの表情は不満げである。ロキがその姿を見て吐き捨てる。

 

「最低の屑やな」

「邪神ですから」

 

 此度の出来事はナイアルの仕業ではない。少なくともナイアルの主張ではそうであるが、それをロキが認めるかは話が別だ。

 

「この魔法について教えろ」

「良いですよ。効力を隅から隅までお話しましょう」

 

 無言で背中に突き付けられた杖の感触にナイアルが両手を挙げて降参を示しながら口を開く。語られる内容を吟味するロキと、ナイアルの背後から鋭い殺気をぶつけるリヴェリアの二人に対し、ナイアルは辟易した様に溜息を零した。

 

「こんなの予定外なんですけどねぇ。まあ、()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 

 アレックス・ガートルの魔法は『領域魔法』であり、同時に『付与(エンチャント)魔法』の効力を持つ。正確に言うなれば『領域内における付与(エンチャント)効果』である。

 『領域魔法』とは言うが、性質は()()()()()モノ。

 アレックスの呼び起こす代物は()()()()()でしかなく、その火種自体の効力はさしたるものではない。特定条件を満たす事で爆発的に()()()()()()()()代物であるが、火種は条件を満たさねば()()()()である。

 火種から始まる、業火。アレックスの小さな、けれども無視しきれない()()()()()という火種が元となった魔法。

 

 『火に焼かれた命の数だけ効果範囲増大』

 火種に焼かれ、命を落とした供物()の数だけこの火は範囲を広げていく。薪は、アレックスに言わせれば雑魚(弱い奴ら)である。神の恩恵(ファルナ)を持たぬ者は真っ先に焼け死に、この魔法の糧として使用される。

 『逃走の意図を持つ者に燃焼効果』

 たとえ神の恩恵(ファルナ)を持っていても、『勝てない』や『逃げなきゃ』等と弱気になった者を問答無用で焼き殺す効力を持つ。逆に『発動者に対する抵抗心』を持つ者には効力が発揮されなくなる。

 巻き込まれたはずのグレース・クラウトスやカエデ・ハバリには『抵抗心』が残っているのだろう。故に彼女等は正しく炎に焼かれず、耐える事ができる。逆にペコラ・カルネイロはそもそも『勝とう』という意思が薄弱過ぎる。故に炎に巻かれている。

 『効果範囲内における付与(エンチャント)効果』

 この炎が燃え盛る領域内では、炎が燃え尽きるまでアレックスの意図したとおりに炎属性の付与(エンチャント)の効力が発揮される。物質化するほどの濃密な炎であるため攻撃にも使えるが、その本質は『燃焼させる事で対象を供物()に転じさせる事が出来る』という代物。

 

「簡単に状況を説明します。この炎は対象を焼き尽くす事で範囲を広げます」

 

 つまり、中で焼け死んだ人の数だけ、範囲は広がっていく。当然だが、この魔法はかなり特殊な代物であり、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のだ。

 火を止める方法は()()()()()()()()()()()()()()()()、もしくは()()()()()

 

「つまりですね、現状()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。そして内部に居るアレックスを殺そうにも外縁部は見ての通り、問答無用で対象を供物()に変える炎」

 

 耐久に優れ、火に巻かれても不快感を訴える程度で平然そうにしているペコラが居る。それがこの炎を()()()()()()()()()()()

 

「内側でアレックスを殺す事が出来ないのなら、外で出来るのはペコラ・カルネイロを排除する(殺す)ぐらいしか対処方法はありません」

「はぁ? 制御不可能て、んな阿呆な魔法ある訳が……」

 

 でも、実際目の前にありますよね? そう呟くナイアルの言葉にロキが眉を顰める。リヴェリアも不愉快そうに睨むが、睨まれたナイアルは楽し気に肩で笑い。呟いた。

 

「まあ、同じ『領域魔法』でなら()()()出来ると思いますが」

 

 

 

 

 

 一時的に姿を隠す事に成功し、炎を狂ったように放ちながら笑うアレックスの姿を炎の隙間から見据えるグレースとカエデ。

 

「あっついのよほんとに……糞っ、なんなのこの炎は……カエデ、無事?」

「……はい」

 

 炎の柱が幾つも立ち並び、まるで獄炎の迷宮の様な状態に陥っている中で、グレースが肩で息をしながらカエデに問いかければ、息も絶え絶えなカエデの返事がか細く聞こえる。

 

「厄介ね……」

 

 これまでの戦闘において、問題点はいくつも見つかった。

 まず、炎の性質。この炎はグレースに損傷(ダメージ)を与えず、物理的な効力についても割と力業で砕ける。多少()()以外に問題はない。

 だがカエデにとっては()()()()()()()()として立ちふさがる。徒手空拳での戦闘に不慣れであるカエデは武器を失った時点で何も出来ない、というのは過去の話。今はベートとの鍛錬で多少の心得はある。付け焼刃の様な心得でしかないが。

 

「まあいいわ。あたしのナイフをー……あ、これもうダメっぽいわね」

 

 グレースがカエデに差し出したナイフは、既にへしゃげて柄だけになっていた。それに気づかずに何度もアレックスに殴りかかっていたグレースは少し唸り、溜息をついてからカエデに柄だけになったナイフを手渡す。

 

「そういやさ、あんた装備魔法で剣作れるでしょ。それはどうなのよ」

「……できます、けど」

「けど?」

 

 困ったような表情を浮かべたカエデに対し、グレースが胡乱げな視線を向ける。悩んでいる様子のカエデを見て、グレースが溜息を零した。

 

「何迷ってんのよ。もうそこらに都合よく武器が転がってるなんて期待できないのよ。使えるもんは全部使えばいいのよ、ほら早くしなさい」

 

 急かすグレースの言葉に、カエデが躊躇いがちに口を開く。

 

「あの剣は、殺してしまう剣なので……」

 

 カエデが生み出す装備魔法、『薄氷刀・白牙』には特殊な効力が存在する。

 まるでガラスの様な耐久性の無さと引き換えに、その刀身は切った対象者の『耐久』を無視した斬撃損傷(ダメージ)を与える。その斬撃損傷(ダメージ)を衝撃損傷(ダメージ)へと変換して受けたペコラ曰く『大した事ない一撃に見えて、ガレスさんの一撃並みの威力があった』らしい。

 簡単に言えば、ペコラの様な特殊なスキルでの損傷(ダメージ)変換と損傷(ダメージ)軽減を持ち合わせない限りは、カエデの生み出した装備魔法は確実に相手を殺す必殺の刃を持つ剣となる。

 もしその剣ならば、何の抵抗もなくアレックスを切り捨てられる。だが、それでは殺してしまう。

 殺さずに止めようとしているカエデが、その装備魔法を使うのには抵抗があるのだ。

 

 カエデの話を聞いたグレースが呆れ顔を浮かべ、それから空を見上げて深々と溜息を零す。

 

「あぁ、糞。殺した方が簡単じゃない。何がいけないのよ」

「人を殺すのはよくない事で────」

「あんたはアレックス(アレ)が人に見える訳?」

 

 気でも狂ってるんじゃないの。そう締めくくり、グレースが立ち上がった。

 

「生きるか死ぬかの瀬戸際で、よくもまあ理想を語れるわね。あんた余裕そうじゃない」

「っ、違います。ワタシは────」

「何が違うのよ。手があるのに打たないなんて、余裕ぶってるようにしか見えないわ」

 

 グレースがカエデを苛立たし気に睨む。最初から二人で殺す気でいっていれば、何度もアレックスを殺す機会はあった。だがカエデがとどめを拒み、グレースがとどめを刺そうとすれば横からそれとなく邪魔をする。

 グレース一人では手の打ちようがないのに、カエデが最後に踏みとどまって邪魔してくるのが、これ以上ない程に苛立たしい。

 

「なんか無い訳? 殺したくないなら他に手を用意しなさいよ。我儘ばっか言ってないでよ。ムカつくわ」

 

 グレースの睨みつけに怯み、怯えた表情を浮かべるカエデが、はっとなった様に顔を上げて呟いた。

 

「『装備開放(アリスィア)』……」

「はぁ? ……あぁ、装備魔法についてるアレ? あんたも出来るの? というか効果は?」

「…………わかんないです」

「はぁぁあ??」

 

 カエデのもつ『薄氷刀・白牙』には装備開放(アリスィア)が存在する。存在するのだが、『深層遠征』中に一度発動しようとし、()()()()()()()()()()()()モノである。

 その話を聞いたグレースは呆れを通り越してカエデを殴りつけた。

 

「ぐぅっ……」

「邪魔、あんたマジで、あんたの事嫌いじゃないし。好ましく思ってたけど、今のあんたマジで邪魔。もっとまともな意見出しなさいよ。何? 効力不明で制御不可能な装備開放(アリスィア)って、馬鹿にしてんの?」

「ちがいます、ワタシは……アレックスさんを、殺したくなくて……」

 

 それが我儘だというのだと、青筋を浮かべたグレースがカエデを睨み、カエデが身を震わせる。

 そんな二人が、その場から一斉に飛びのいた。瞬間、業火がカエデとグレースの居た場所を薙ぎ払う。

 

「見つけたぞ。全く、逃げ足ばっかり優れやがって。さっさと、燃え尽きて死ね」

 

 二度目の薙ぎ払う業火をグレースが握り拳で真正面から()()()()、カエデの方を睨んで叫んだ。

 

「カエデぇっ!! もう手がないんだから、あんたが選べぇっ!! ()()()()()()()()()()()()()()

 

 あたしが死ぬ前に、さっさと選んで。そう叫ぶと同時にグレースがアレックスを釘付けにするべく突っ込んでいった。

 

 

 

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()()

 

「ワタシは……」

 

 人を、斬りたくない。人を斬る感触と、化け物を斬る感触が、同じだから。

 過去にヒヅチを斬ったあの時、ヒヅチは死ななかった。だから()()()()()()()()()()()()

 

 だからこそ、恐ろしい。

 

 もし、もしも()()()()()()()()()()()()()()()()()()、カエデ・ハバリという名前を冠した、カエデ・ハバリの容姿をした皮を被った、化け物になってしまう気がするから。

 殺した方が、手っ取り早くて、確実である。それは理解できる。けれどもそのために化け物になりたいかと言えば、否だ。

 

「…………」

 

 では、我儘を。カエデ・ハバリが殺したくないという理由だけで、グレース・クラウトスの命を削り取るのが正解か?

 

「ワタシは」

 

 殺す? アレックス・ガートルを? ワタシの手で?

 

「ワタシは…………」

 

 アレックスとグレースが激しく殴り合う。何度も吹き飛ばされても、立ち上がってアレックスに食らいつくグレース。彼女の背中を見据え、声が震えた。

 

「どうすればいいの……」

 

 アレックスを殺したくない。グレースに死んでほしくない。自分も死にたくない。

 悩み、苦悩し、震える手で魔法を手繰り寄せるカエデに対し、アレックスにぴったりと張り付いて殴り合うグレースが叫んだ。

 

「あぁもうっ!! カエデっ!! 装備開放(アリスィア)でもなんでもしなさいっ!! あたしが死ぬ前に早くっ!! 死んだらあんたを恨むだけよっ!!」

 

 あと一分も持たない。早く選べと、カエデの背を殴りつける様に、押す言葉。カエデが、震えながら顔を上げ、両手を前に突き出した。

 

「『乞い願え。望みに応え、鋭き白牙、諸刃の剣と成らん』」

 

 両手の先に生み出されたのは、簡素で、鍔の無い湾曲した刀。飾り気なんぞ無い処か、刃渡りも短い小太刀とも呼べる小さな刀。カエデが脳裏に描いたのは、ヒヅチ・ハバリを血の海に沈めたあの日握っていた、刀。

 手が震える。この氷の刀で、アレックスを切り捨てれば、それで終わり。だけれども、殺したくはない。

 

 奥歯を噛みしめ、苦悩するカエデの横に、吹き飛んできたグレースが叩きつけられる。グレースは口から血を零し、震える足で立ち上がってカエデを横目で見て、呆れ顔を浮かべて肩を竦めた。

 

「んで、どうするのよ。あたし、多分次突っ込んだら死ぬけど」

「グレースさん……ごめんなさい」

「謝るなら、さっさとこいつ止めてくんない? あ、血が必要なんだっけ? じゃああたしの血あげるわ」

 

 無造作に、カエデの持つ小太刀に腕から滴る血をぶちまけ、グレースが膝を突いた。

 

「死んだら、容赦しないし。あんたの耳を千切れるまで引っ張るから、覚悟しときなさいよ」

「……はい」

 

 足音が響き、炎を侍らせたアレックスがカエデとグレースの前に立った。

 

「話し合いは終わりか? にしてもよく頑張ったなぁ? ま、お前らは雑魚だったん(死ぬん)だがなぁ」

 

 目の前で嗤う姿に、カエデは真っすぐにアレックスを睨み返した。

 

「あん? なんだよその目は」

「今から、貴方を止めます」

 

 宣言し、心に刻む。覚悟を刻み付け、決意を満たし、カエデが両手で、グレースの血によって増強された『薄氷刀・白牙』を構える。

 苛立たし気にカエデを睨みつけ、すぐにその口元に笑みを浮かべたアレックスが両手を大きく広げて叫んだ。

 

「やってみろよ、テメェの魔法と、俺の魔法。どっちが強いか確かめようぜ」

 

 もし、俺を止めれたら。その時は認めてやる。そう口にしてから、アレックスは牙を覗かせる様な獰猛な表情を浮かべ、続けた。

 

「ま、生き残る(強い)のは、俺だがな」

「『愛おしき者、望むは一つ。砕け逝く我が身に一筋の涙を』」

 

 カエデの装備開放(アリスィア)の詠唱と共に、全てが白で染め上げられた────

 




 アレックスの魔法はシンプルに

『アレックスと敵対する者』には効力が薄くなります。正確には『アレックスと渡り合う者』ですかね。
 グレースには効力が効かないのは『勝てない』と諦める事も『逃げなきゃ』と弱気になる事もなく、真正面からぶつかっていくからこそ効力が無力化された感じ。

 カエデの場合は『諦め』を抱いていないためそもそもの話、効力が発揮されないのと火耐性の防具を身に着けていたことでダメージが激減していた事。

 ペコラさんは『勝つ』という意思が薄弱過ぎる。そもそも『応援が来るまで持ちこたえる』と言った消極的過ぎるのが原因。

 野良冒険者の方は駆け出しだった為、レベル2が暴れてる=勝てない&逃げなきゃと思った為、効果発揮での炎上。


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『業火に焼かれて』

『しっかし『深層遠征』に行った直後にファミリアを抜けてその日の内にオラリオ飛び出すなんてなぁ。何かあったのか? しかもあの【ロキ・ファミリア】の団員だったんだろ?』

『……俺が冒険者に向いてないって理解しただけだよ。悔しいけど、あのまま居たら、腐っちまいそうだったしな』

『おう、そうかい……。まぁこっちとしちゃ行商馬車の護衛依頼受けてくれてありがたい話なんだが…………。ん? おぉ、金髪の狐人(ルナール)じゃねぇか。この辺りじゃ珍しい奴……ん? ありゃ何を────オーグッ!! お前冒険者だろっ!!』

『確かにファルナは解除してないから野良冒険者扱いだけどなぁ……つか、何を慌てて────はぁ?』

『あの女っ、他の商隊を襲ってやがるっ! オーグっ、護衛料は払ってやる、あの狐人(ルナール)の女をどうにかしてくれっ! ありゃ商売仲間なんだっ!』

『いや、無理だ。なんだあの速さ──もう護衛が全滅して──こっちに来やがったっ!?』

『っ!? 掴まってろっ!! 走るぞっ!!』



 焼け落ちた家屋、燻る火と黒煙上がる街並み。大通りの中央にて睨み合っていたカエデとアレックス。

 カエデが装備開放(アリスィア)を唱えた瞬間、視界を塞ぐ真っ白な冷気が大通りを大きく包み込んだ。

 

 白い冷気の中、両手で握りしめる『薄氷刀・白牙』を中心に広がる力の奔流を必死に制御しようとするカエデであったが、すぐに悟った。

 この奔流は大河と同じモノなのだと、自身の様なちっぽけな存在では制御しきれない。其れ処か、リヴェリアの様な大魔導士と言える人物でも、制御不可能な力の奔流。その力を必死に制御しようとしているさ中、優しく尻尾を撫でつけられる感触を感じとり、カエデは目を見開き────魔法制御を放り捨てた。

 

 両手で握りしめていた柄を、そっと手放す。

 

 魔法制御に失敗すれば、自身諸共氷漬けになる。ダンジョン深層にて引き起こした制御失敗の惨状をこの場で起こす様な、間抜けな行動である。だが、半ば確信と共にその装備魔法を手放した。

 視界を埋め尽くす白。何も見えない聞こえない白に埋め尽くされたさ中、尻尾を撫でつける様な優しい感触を覚えつつも、ジョゼットの言葉を思い出した。

 

 装備開放(アリスィア)の際に唱える魔法名は、発動すればわかる。ジョゼットの『妖精弓』も、ごく自然に脳裏に思い浮かんだその言葉こそ、装備魔法における装備開放(アリスィア)の名称。

 

「『氷牙の墓所(アイシクル・エデン)』」

 

 口から零れ落ちると同時に、白に染まりあがった世界から解き放たれた。

 

 カエデの視界に映る世界は、相も変わらぬ焼け落ちた廃墟群。焼け残った石造りの基礎に、無数の焼け焦げた躯が散らばる地獄の様な場所。そのすべてが、白い粉雪に覆われた、もの寂しい光景に変貌を遂げていた。

 ゆっくりと、天から降り注ぐ粉雪が全ての惨劇を白に染め上げる、不可思議な空間。

 

「なんだこりゃ……おいおい、どうなってんだ」

 

 アレックスは同じ場所にとどまりながらも、戸惑った様に両腕を眺めて呆然と呟きを漏らしている。そんなさ中、カエデが後ろを振り返れば、グレースが驚いた表情でカエデを見ていた。

 

「あんた……ナニコレ、寒いんだけど」

 

 寒い。そう寒いはずだ。口から零れ落ちる吐息は白く染まり、周辺の空気が冷え切り、澄んだ音を響かせる。先程までの熱気とは正反対の、寂しい寒さが足元から這い上がってくる。そのはずなのに、カエデは寒さを一切感じていなかった。

 感じたのは、懐かしさ。あるべき場所に帰ってきた様な、安心感。此処が、この場所こそが自分の居場所なのだと、そう確信と共に口にできる、()()()()()。降り積もる白い粉雪が、まるで温かな抱擁にも感じられる。

 

「何しやがった」

「ワタシは……」

 

 アレックスに睨まれて、カエデが睨み返す。発動した魔法は意味不明な代物だ。少なくとも制御不可能だったので制御を手放したはずにも関わらず、魔法暴走を引き起こしていない。まるで正常に発動したかのように、()()()()()()()()()()。まるで、カエデ・ハバリの領域であると主張する様に、アレックスの炎を散らした。

 

「はんっ、雪降らすだけかよ。シケた魔法じゃねぇか」

「アレックスさん、やめましょうよ」

 

 カエデの言葉に、アレックスが苛立った様に額に青筋を浮かべつつも口元に笑みを浮かべた。

 

「あん、いざ発動してみりゃ糞の役にも立たない雪を降らす魔法でビビッてんのかよ」

 

 んなもん俺には関係ネェけどな、そう言い切ると共に、アレックスが薄く積もった白雪を蹴散らしながら真っすぐカエデに突っ込んでいく。蹴り散らされた粉雪が宙を舞う様子を目にしたカエデが、半ば導かれる様に手を粉雪に翳す。

 

 突っ込んできたアレックスに対し、カエデはただ腕を振るった。呼氣法も何もない、ただ腕を一振りしただけ。

 

 舞い散る粉雪が、形を作り出す。アレックス(怨敵)を拒み、拒絶する為だけの壁を。

 

「っるぁぁぁあっ!!」

 

 澄んだ音色を響かせ、一枚の氷壁がアレックスとカエデを隔てる。其の氷壁を砕かんと勢い緩めずに突っ込んだアレックスの拳は、澄んだ音色を響かせて止められた。

 

「んなっ!?」

 

 驚きながらも後ろに跳び退り、澄んだ透明な色合いの氷壁の向こう側のカエデを睨み、アレックスは口を開いた。

 

「なんだよこの魔法、ふざけんな! 真面目に闘いやがれっ!!」

 

 怒声と殺意を飛ばされながらも、カエデはゆっくりとした動きで舞い散る粉雪を集め、一本の剣を生み出す。理解できる、この領域の中でカエデが何ができ、何が出来ないのか。

 生み出した氷の刀を振るい、アレックスに向ける。

 

「ワタシは、貴方を殺したくありません」

「っるせぇな、だったらテメェはさっさと殺されやがれぇっ!!」

 

 叫びと共にアレックスが距離を詰め、氷壁に拳を突き出す。当たる度に響き渡る澄んだ音色が響くのみで、氷壁には罅一つ入れられない。固い、だけでは説明不可能な耐久性を持つ氷壁に苛立った様に攻め続けるアレックスに対し、カエデは気負い無く一歩足を前に進めた。

 手に持つ刀を居合の型に合わせる様に、左手に鞘を作り、刃を収める。

 

「無力化します」

「るせぇっつてんだろっ!! 出来るならやってみろっ!!」

 

 絶叫する様なアレックスの言葉に、カエデは震え、氷壁越しに刃を抜いた。澄んだ音色を響かせ、カエデが振るう刃が氷壁に当たり────カエデの振るう刃の障害足りえず、その刃は氷壁を()()()()()

 

「ごめんなさい」

「くはっ…………っ!!」

 

 透き通る、硝子の様な氷壁を間に挟み対峙する相手を、カエデの刃がアレックスを()()()()()

 

「ぐぅっ。テメェ、今、何しやがったぁっ!!」

 

 氷壁越しに見える向こう側、振り抜いた刃を静かに、澄んだ音色と共に鞘に納めて悲し気な視線を向けるカエデを睨み付け、アレックスが叫ぶ。

 カエデの後ろ、焼け残った建造物の基礎に背を預けながら雪に埋もれつつあるグレースが呟く。

 

「すり抜けた? 壁を?」

 

 カエデの振るった刃の軌道上には、カエデとアレックスを隔てる氷壁が存在した。だが、カエデの振るった刃はその氷壁をすり抜け、壁越しに対峙していたアレックスを────無防備に氷壁を殴りつけていたアレックスを切り裂いた。

 

 傷は浅い。むしろ浅く切り裂くに留めた。致命傷とは成り得ぬちんけな、けれども行動する上では致命的な傷だ。右腕の腱を切り裂かれ、アレックスの右腕は力が入らないのかだらりと垂れ下がっている。

 まるで、舐めきった様な一撃だ。殺す事すら可能であっただろう。首を刎ねていれば、アレックスはその時点で終わっていた。詰まる所、カエデはアレックスに()()()()()()()

 何よりも、誰よりもそれを許せないのは、カエデと対峙していたアレックスである。油断もあった、慢心もあった、その上で矜持を以て挑んだ闘いの場において、殺す手がありながらそれを決して打たない。

 ()()()()()()()()()()()その姿に、アレックスが怒りを抱く。

 

「ふざけんな、ふざけてんじゃねぇぞっ!!」

「っ、ふざけてなんていません。ワタシは、貴方を止めます」

「それがふざけてるって言ってんだろぉがぁあっ!!」

 

 怒声と共に、壊れた右腕に頓着せずに左の拳で氷壁を砕かんと迫り、澄んだ音色と共に弾かれる。

 ただ我武者羅に繰り出される左のみの拳打は、氷壁に傷一つ生み出す事無く弾かれ、アレックスの息だけが上がっていく。先程まで繰り出せていたはずの炎すら生み出せず、それでも諦めずに拳を振るう姿に、カエデが困惑した。

 無駄だと、理解したはずだ。この氷壁を超えてカエデに攻撃する事はできない。この氷壁越しにカエデは攻撃を届かせる手段がある。故に、この場での正解は『逃走』のはずだ。少なくとも、カエデ・ハバリであるのなら、手段が無いと分かった時点で作戦を逃走に切り替える。

 だが、アレックスに後退の二文字は無い。後退は即ち死を意味する。故にアレックスにとっての後退はありえず、故にアレックスは攻撃を続ける。それは負けず嫌い等という生易しいモノではない。アレックスにとっての死を避けるべく行われる、死を前にして行われる足掻きだ。

 

「糞っ、糞がぁっ!!」

 

 澄んだ音色が響く向こう側の光景を見つつも、カエデは居合の型のまま硬直していた。

 

 あの一閃で、諦めてくれたら良かったのに。

 

 軽く、浅く、腱だけを切り裂くに留めた一撃であったのに。手に残ったのは不気味な程に()()()()()()()だった事が、何よりも衝撃的だった。

 『薄氷刀・白牙』を以てして、ダンジョンのモンスターを切り裂いたあの感触と、()()()()()()()()()()()()()()()()。否、違いが感じられなかった。カエデの手に残った感触は、()()()()()()()()()()()()

 それが、アレックスだったのか、モンスターだったのか、わからない。

 

「カエデ、何してんのよ。アイツ、隙塗れなんだから、さっさと斬りなさいよ……言ったでしょ、もう止めらんないって」

 

 後ろから聞こえたグレースの声に震え、カエデは首を横に振った。出来ない、これ以上斬ってしまえば、本当にわからなくなってしまう。故にカエデは拒んだ。

 氷壁を前に居合の型を維持しながらも鞘から刃を解き放てないカエデと、氷壁を挟んだ向こう側で叫び声を上げながら拳を振るうアレックス。グレースが嫌そうに眉を顰め、立ち上がった。

 血の気を失いながらも、まっすぐ立ち上がり、カエデの肩を掴んで睨む。

 

「グレースさん……」

「この壁、どけれる?」

「できますけど……何を」

「あれを殺す。ほんと嫌になるわ……ついでに剣頂戴」

 

 グレースの言葉に戸惑い、カエデが首を横に振れば、グレースの拳がカエデに振るわれた。

 甲高い音と共に発動した自動防御に阻まれて止まった拳をそのまま押し込み、グレースが呟く。

 

「あんたはそう、どうしてそこまで拘る訳?」

「……だって、わからないから」

「わからない? 何が?」

 

 斬った感触の違いが、わからない。モンスターも、人も、どちらも生きている。心臓があって、血が流れていて、温かくて、鉄錆の匂いがして。肉があって、骨があって、臓腑が詰まっていて。

 完全に、人と違う形の、怪物だけならよかった。けれども似通った部分があって、斬れば血が流れる。斬れば命を奪える。斬る事で、生命を終わらせられる。

 

「だから、怖くて」

「…………あー、そんな事、考えた事も無かったわ」

 

 同じ、中身が同じ。なるほどね。そう呟くと同時に、グレースは拳を下ろした。

 

「何、あんたはあいつとあたしが同じ()()に見える訳?」

「それは……」

「あたしと、ダンジョンで出てくる、化け物が同じに見える訳? それこそ頭おかしいわよ。あたしはモンスターと同じなんて言われて喜ぶ様な狂人じゃないのよ」

 

 そんな積りではない。そう口にするカエデに対し、グレースが鼻を鳴らした。

 

「でも、そう言う事でしょ? あんたはモンスターとあたしの区別もつかない、そう言いたいんじゃないの? 違うの?」

「…………ワタシは、()()()()()()()()()()()()

 

 怖い。そう口にしたカエデ。恐怖に揺れる瞳を見下ろし、グレースは呆れた様にカエデの頭に手を置いた。

 

「あんたなら大丈夫でしょ。そのヒヅチ・ハバリって奴がしっかり教え込んだんでしょ? だったらあんたが間違えて堕ちたりなんてしない。それに────もし間違った事しでかすなら、あたしが殴ってでも止めてあげるわ」

 

 カエデが、目を見開いてグレースを見上げれば。グレースは呆れ顔で氷壁の向こう側で叫ぶアレックスの姿を見据えながら、口を開いた。

 

「あんたは、あいつみたいにはならないでしょ」

 

 グレースが見据えるアレックスの姿を見つめ、カエデは震えながら歯を食いしばった。

 

「わかりません」

「なんでよ、あんな頭おかしいのとあんたは同じなわけ?」

 

 だって、人はいずれ変わりゆくモノだから。カエデのか細い呟きに、グレースが目を細めた。

 

 氷壁に、息切れしていてもなお拳を振るい続けるアレックスの姿は、いっそ哀れだ。だが、最初からアレックスはあんな奴だっただろうか? もっと、口は悪いが気さくな奴ではなかっただろうか? グレースが器の昇格(ランクアップ)した際には、『いつかテメェを追い抜く』だとか言って勝気な笑みをうかべていなかっただろうか。

 湧き上がる疑問と、過去に過ぎ去った光景を脳裏に思い浮かべ、グレースは吐息を零した。

 

「確かに、そうかも」

 

 両親に裏切られたと、怒りと憎しみを抱いてただ強くなろうとしていた自分は、気が付けば気難しいエルフの少年と恋仲になっていた。ひと昔前なら、絶対にエルフだけはない。そう言い切っていた自信があるのに、蓋を開けてみればどうだろうか。仲睦まじく乳繰り合う仲になっている。

 では、カエデはどうだろうか。真っすぐ、目的の為に直走る彼女は、途中で歪み()()()()()事態になり得ないか。

 

「……あんたの言いたい事、少しだけわかったわ」

「グレースさん……」

「その上であたしが言うのもなんだけど、あんたなら大丈夫よ」

 

 グレースの言葉にカエデが身を震わせる。その自信は、いったいどこから来るのだろうか。カエデが覚えた不安に対し、グレースは笑みを浮かべた。

 

「ロキも、団長も、リヴェリアも、なんなら、あのベートさんだって居る。あんたがおかしな事しようとしたら、止めてくれる人なんて沢山いるでしょ」

「ヒヅチは」

「ん?」

「ヒヅチは、何があろうが、たとえ世界全てを敵に回しても、ワタシの味方であってくれるって……」

 

 決して、置いていかない。一人にしない。そう約束した絶対の象徴であったヒヅチ・ハバリという人物は、けれども姿を消してしまった。だから、絶対の信頼を置くには、グレースの言葉は弱すぎる。

 

「無視、してんじゃっ、ねえぇぇぇぇええっ!!」

 

 氷壁の向こう側で叫ぶアレックスに、悲し気な視線を向ける。右腕から滴る血が、白い雪を彩る。気が付けばアレックスの足元にはそれなりの血が振りまかれ、薄赤い彩を生み出していた。

 

「……はぁ、だから、信じられないって?」

「…………」

「遠征合宿で、それなりに仲良くなった積りだったけど、あんたはあたしが信じられないと」

 

 悲しいわね。寂し気に呟くグレースが、カエデの頭に乗せた手を引っ込めた。申し訳なさそうに震えるカエデに対し、グレースはゆっくりとした動きで目を瞑り、再度拳を振り抜いた。

 

 鈍く、肉を打つ音。グレースの繰り出した一撃は、攻撃とも呼べない程に弱弱しく、カエデの頬に当たった。

 攻撃と呼ぶには、威力の無い。カエデの姿勢を揺るがす事も出来ない一撃。その拳を引き、グレースは笑う。

 

「大丈夫。あんたなら、平気。どれだけおかしくなっても、あたしが殴ってでも止める。ファミリアの皆も、あんたを止めてくれる。安心して────あのバカを止めて」

 

 身を震わせ、カエデが腰を落とす。氷壁の向こう側、アレックスは拳を氷壁に押し当てたまま肩で息をしている。

 気が付けば、その氷壁には罅が入っていた。向こう側のアレックスがにやりと笑みを浮かべ、勝ち誇っている。

 

「もうすぐ、テメェの魔法も終わりだ。そうすりゃ……俺の、勝ち、だな」

 

 カエデの魔法の効力範囲はだいぶ狭くなってる。遠く離れた位置にかすかに見えていた炎が、徐々に近づいてきている。降り積もる粉雪の量も減り、いずれこの領域を維持できなくなる事も、凡そ理解できた。

 

「ワタシは、人を斬れません」

 

 自分に言い聞かせる様に呟きながら、カエデはアレックスを強く睨む。睨まれたアレックスが、カエデを睨み返し、大きく息を吸って『烈火の呼氣』を発動する。

 あの一撃でこの氷壁が砕ける。それを理解し、カエデは居合の型のまま、腰を落とし踏み込みの為に力を籠める。

 

「ワタシは、人を殺せません」

 

 最大限に達した瞬間、アレックスの拳が振るわれる。グレースが居るのはカエデのすぐ後ろ。もしアレックスの拳を止められなければグレース諸共吹き飛ばされる。そして、もしそうなればグレースは死ぬ。青褪めて血の気の失せたグレースでは、逃げる事も出来ない。

 

「ワタシは、人を────殺しません」

 

 だから、闘おう。殺すのはしない。けれども、闘う事だけはしよう。闘って、止めよう。

 

 

 

 

 甲高い音と共に、氷の壁が砕け散る。飛び散る氷の欠片の中、カエデは瞬き一つせずに一歩踏み込む。

 アレックスは砕けた氷壁の大穴に身を潜り込ませ、カエデを狙い拳を振り抜く。壊れた右腕ではなく、壊れかけの左腕を使う。

 腹の内に燃え滾る怒りと憎悪を糧とした『烈火の呼氣』。燃え滾る焔が全てを焼き尽くす一撃を。

 

 轟音と共に()()()()()()()()()()()()、カエデがアレックスの懐で刃を解き放った。鋭い、一閃が駆け抜ける。繰り出された一撃は、()()()()()()()()穿()()。ドスリという、鈍い()()()

 カエデが抜き放った刃は、死んでいた。殺す意図の見えぬ、刃殺された棒状の氷塊にてアレックスの胸を穿ち、烈火の呼氣を乱した。

 

「ごぶっ……げはっ……」

 

 アレックスが衝撃で投げ出され、咽ながらもがく。もがき苦しむ。

 

「苦しい、ですか。ごめんなさい……」

「あんた、何したわけ……」

 

 間近で見ていたグレースですらわからぬ、カエデの一撃に対し、カエデは困った様に笑みを零した。

 

「前に、ヒヅチ相手に『烈火の呼氣』を使ったときにやられたんです」

「……なにを?」

 

 呼氣法のさ中に、呼氣を乱す一撃を叩き込まれるとどうなるのか? 『呼氣法』そのものが体に流れる氣に方向性を持たせて呼吸にて誘導する代物である。それが乱れるというのは体に流れる氣が乱れる。氣の乱れは全身に異常をきたす。単純に言えば()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 致命的な隙が生まれる技法であるが、死ぬ程ではない。即座に『丹田の呼氣』に切り替えて氣の流れを整えれば、滅茶苦茶苦しいだけの、非殺傷の一撃。

 

 ヒヅチの様な熟練の呼氣法使いであるのであれば、瞬きの間で『丹田の呼氣』に切り替えて復帰してくるだろう。だがカエデが食らった際には数十分の間立ち上がれなくなった。体中の氣の流れが滅茶苦茶になり『丹田の呼氣』すらままならなくなり、頭痛と吐き気で動けなくなったのだ。

 

「呼氣法使い相手に対する、致命の一撃です」

 

 致命的隙を生み出す、それでいて追撃しないのなら無害に等しい技。あの時一回だけヒヅチ相手に許可なく『烈火の呼氣』を使用した罰として喰らったあの技を、この場にて再現し、アレックスに食らわせた。

 その苦しさを知るが故に、カエデはもがくアレックスを悲し気に見据え、口を開いた。

 

「もう、やめましょう。貴方は、強い。ですけど──上手くない」

 

 強い。それは言える。力も、耐久も、敏捷も、カエデより優れている。第三級(レベル2)であるカエデ・ハバリより、第二級(レベル3)のアレックス・ガートルの方が優れている。けれども、()()()()()()

 言い換えるならば()()()()()。駆け引きも、読み合いも無い。ただ、力を以てしてねじ伏せようとしてくるだけ。それだけなら、やりようがある。

 

「貴方は、強くて、弱い。だから負けません。もうやめてください」

 

 咽ながらも、アレックスがカエデを睨み────血反吐を吐いた。

 

「っごぶ……」

「────え?」

「げほっ、てめっ、何しやが……ごぶっ、くはっ……何、しやがった……」

 

 血反吐を吐き、震えながら立ち上がる姿にカエデが驚きの表情を浮かべ硬直する。

 少なくとも、呼氣法を乱す以上の事はしていない。故に死に繋がる一撃からは程遠いはずであった。それなのにアレックスは血反吐を吐いている。ドバドバとアレックスの口から血が溢れだし、先程から流れていた出血と合わさり一瞬でアレックスの顔色は青褪めるを通り越し、土気色にまで至る。

 

「なんで」

「ねぇ、アレックス死にそうなんだけど。止める為の一撃だったのよね……なんで死にそうな訳?」

 

 グレースの疑問に、カエデは答えられない。少なくとも、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。『丹田の呼氣』を使い、氣の流れを正常に戻せば、問題は何もない。

 

 そう『丹田の呼氣』を使えれば。

 

「あっ……」

「あって何よ、あって」

 

 カエデの表情が一瞬で青褪める。恐ろしい想像に至ったカエデを不思議そうに眺めるグレース。カエデは慌ててアレックスに問いかける。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「アレックスさん、()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 呼氣乱し、単純な打撃で相手の呼氣を乱し、体に異常を発生させて短時間足止めさせるだけの技。それに対応する為には、呼氣法の基礎中の基礎『丹田の呼氣』が必要である。

 呼氣法を学ぶ上で、最も重要で、最も基礎的な技法、それが『丹田の呼氣』である。呼氣法の基礎にして、これを習得せずに他の呼氣法は習得する事は禁じられている技法。覚えていないはずがない。

 『烈火の呼氣』を使っていたのだ、基礎を疎かにする様な真似はありえない。

 

 ────本当にそうだろうか?

 

 嫌な想像が脳裏を駆け巡り、冷や汗が流れ落ち、最悪の想像に至った。それも、確信と共に。

 

「まさか……丹田の呼氣を……」

「ちょっと、どうしたのよ」

「アレックスさんが、死んじゃう」

「はぁ?」

 

 丹田の呼氣は、体の異常な氣の流れを正常に戻すものだ。この基礎を覚えて初めて呼氣法を習得し始める下地。これがなければ失敗した際に取り返しが付かなくなる。例えば『烈火の呼氣』。

 

 氣の循環をより攻撃的に、瞬間的な身体能力の向上へと導く呼氣法。正しくは身体にかけられている『制限(リミッター)』を一瞬だけ外して常人では考えられぬ程の身体能力を発揮するための呼氣法

 使用後は必ず丹田の呼氣で元の状態に戻さねば、外れた『制限』が戻らなくなり、自らの行動で己自身を破壊してしまうような危険な状態になってしまう。

 

 呼氣法の何が難しいのか? それは基礎中の基礎である『丹田の呼氣』の()()()()()()()()()を確立するのが難しいからだ。少しでも乱れていれば、丹田の呼氣とは呼べない。

 習得に数年を費やす。それを、たった数週間で?

 

 アレックス・ガートルが【ロキ・ファミリア】を追放されたのは、わずか半月前。そこから半月の間に『丹田の呼氣』を習得できるか? 才に満ちていたカエデですら、数年を費やしたそれを、たった半月?

 不可能だ。

 

 血反吐を吐き、土気色になった表情でカエデを睨み、アレックスが意味が解らないと呟いた。

 

「はん、俺が──ごぶっ──死ぬ? 馬鹿、ってんじゃねぇ。俺はごぶぅっ……ぺっ、死ぬ訳、無い」

 

 震える足で立ち上がり、両手を大きく広げ、アレックスがカエデを睨みつけて叫ぶ。

 

「テメェ、みてぇな()()()()()なんかと、一緒にすんな」

 

 俺は強い。だから死なない。叫び、両手を天に翳し────ゴポリと血の塊を口から零し、アレックス・ガートルが崩れ落ちた。

 

「アレックスさんっ!」

「あー、そのままでいいんじゃない? 苦しそうに死ぬ分にはー……カエデ、聞いてる?」

 

 駆け寄ろうとしたカエデに対し、倒れ伏したアレックスが叫ぶ。

 

「近づくんじゃねぇっ! ごぶっ……れは、死なないんだ」

「ダメです、丹田の呼氣を、今から教えるんで、使って」

「うるせぇっ! 触んなっ!」

「がふっ……」

 

 教え方も知らない呼氣法を、なんとか伝えようとアレックスに触れた瞬間、アレックスの振るった腕がカエデを捉え、大きく吹き飛ばした。

 

「カエデっ! あんた、カエデはあんたの事助けようとしてんのよ! わかんないわけっ!?」

「っるせぇな、俺は、死なないんだ」

 

 この期に及んでアレックスを助けようとするカエデもそうだが、未だにカエデに憎しみを向けるアレックスに理解が出来ないと睨むグレース。

 虚ろな瞳でありながら、ギラギラとした憎悪に塗れた目でグレースを睨むアレックスに対し、グレースは言葉を失う。死ぬ寸前だ、少なくとも、もう死んでいないとおかしいぐらいだと感じる程なのに、その瞳には力が宿っていた。

 

「俺は……死なない……俺は、死なない(強い)ぃっ!!」

「アレックス……さん……」

 

 吹き飛ばされたカエデが肩を抑えながら戻ってきた。よく見れば、アレックスの左腕がへしゃげ折れている。『烈火の呼氣』の暴走状態だ。加減を失い自壊してしまう程の一撃をカエデに見舞ったアレックスの左腕は、右腕以上に壊れ果てている。

 そんな状態でありながら、アレックスは口元を凄惨に血で濡らし、叫ぶ。

 

「俺は誰よりも()()。だから──ごぶっ」

 

 血の塊を吐き、アレックスがカエデを見据えた。──アレックスの後ろに、炎が見えた。

 

 気が付けば、カエデの生み出した氷の領域は猫の額程の範囲しかない。既に途切れかけのその魔法の中、アレックスがカエデの視線に気付き、後ろを見て、笑みを浮かべた。

 

「はっ、あの炎が戻ったら、お前ら二人とも殺してやる。俺は強い、だから──殺す」

「あんた、マジで死ぬわよ」

「アレックスさん、ダメです。その炎に触っちゃ……今からでも、丹田の呼氣を────

 

 うるさい。聞き取るのも難しい程の血反吐混じりの叫びを零し、アレックスがカエデを強く睨む。

 

「俺の方が強い、お前なんかより……ずっと、ずっとずっとずっと、強いんだ」

 

 ごぶりと血を吐き、直ぐ足元に迫った火を見て口元に笑みを浮かべる。勝利を信じ、ただ只管に笑い始める。血反吐を吐き、致命傷を負い、それでも笑う。

 

 

 

 ────誰よりも死にたくない(つよい)のだから。

 

 

 

 カエデが悲鳴を飲み込み。グレースが口元を引き攣らせる。

 

 業火となったその炎が、誰よりも死に怯えた虎人を飲み込み、瞬く間に灰にしてしまった光景を前に、カエデ・ハバリとグレース・クラウトスは言葉を失った。




 最後は、死の恐怖に負け、自分の生み出した炎に焼かれて命を落とした、哀れな虎人(ワータイガー)に哀悼を……。



カエデの装備解放はアレックス同様の『領域魔法』+『付与魔法』。細かな効力はアレックスとは違いますが、自身の抱いた幻想を写し出すと言う意味では同じ。


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『血濡れの手紙』

『あのヒューマンの男、殺し損ねたのう。まあ、あの傷では助からんじゃろ』

『おんやぁ? 逃がしたんですかぁ? あの()()()()()()がぁ? ただの()()()()をぉ?』

『黙れクトゥグアっ! それ以上余計な口を聞けば殺す』

『おお怖い怖い。だけれどもがな? 俺を殺すと困るのはそっちだろうに。寿命の限界ギリギリまで生きてるんだから無茶しなさんなや』

『……神々を殺し尽くしたら、最期にはお前も殺す』

『構わんよ。ナイアルが悔し泣きしてる姿が見れれば俺はそれでいいしな』

『ヌシ等は何を言い争っておるのだ……』

『何を他人事のように、あの神の下僕に手紙なんぞ託しおって……アマネッ! 貴様は今まで何をしていたっ!』

『…………手紙? ワシはそんなもん知らんが? はて……?』

『惚けるなっ!!』

『すまん、本当に覚えが無い。何のことだ?』

『まぁ落ち着けよ。こいつマジで覚えてないっぽいぞ? 嘘言ってないし』


 『騒動の引き金、引き起こされたオラリオの惨劇』

 【ナイアル・ファミリア】の冒険者【強襲虎爪】アレックス・ガートルによるオラリオ西のメインストリート上で行われた魔法行使の被害者数は二百名を超え、現在でも行方不明者が数十名は残る。

 加害者であるアレックス・ガートルは、居合わせた【ロキ・ファミリア】の冒険者【生命の唄(ビースト・ロア)】カエデ・ハバリ、及びに【激昂】グレース・クラウトスの両名によって鎮圧行動が行われるも、戦闘中に加害者自身の放った魔法によって焼き尽くされて死亡した模様。

 

 今回起きた事件について、【ナイアル・ファミリア】主神の神ナイアルは以下の通りの証言を行った。

 

『アレックスを制御しきれなかった事については深く反省しています。ついては()()()()()()()()()止めてくれた【ロキ・ファミリア】の冒険者、【生命の唄(ビースト・ロア)】カエデ・ハバリ、およびに【激昂】グレース・クラウトス両名には多大な感謝を。オラリオの皆さまに迷惑をおかけしたことを此処にお詫び申し上げましょう。つきましてはわたくし、ナイアルは此度の被害総額五百万ヴァリスを我がファミリアの貯蓄より補償致します。本拠の売却、及びにオラリオ追放を持ちまして皆さまへの謝罪とさせて頂きます』

 

 以上の発言の後、ギルドに対し被害額五百万ヴァリスと、復興資金四百万ヴァリスを提供したのちにオラリオを去っていった模様。神会を開き、ナイアルの責任を追及すべきとの声が上がったものの、既にナイアルはオラリオを立った後である上、ギルドの表の責任者であるロイマン・マルディール氏が独自に承認を行った事で『冒険者ギルド』の裁定にて【ナイアル・ファミリア】のオラリオ追放は決定済みとされており、今回のナイアルの呼び戻しに『ギルド』は応じない姿勢を示している。

 

 我々【トート・ファミリア】の独自調査の結果、マルディール氏は神ナイアルより内密に資金提供を受けている事を掴んだ。この件に関してマルディール氏は『事実無根』であると()()()()()()、これ以上の追及はギルドに対する反逆であると脅しをしかけてきた。

 真実をあるがままに、面白おかしく皆に伝える。それが我々【トート・ファミリア】の指針である以上、この件に関してはより深く掘り下げていきたいと考えている。

 今後の展望に期待されたし。

 

 

 

 

 テーブルに置かれた紙切れをグシャリと握り潰し、ロキが大きく舌打ちを零す。

 ロキの私室に集まったフィン、リヴェリア、ガレスはロキの舌打ちを聞き、フィンが眉間をもみ、リヴェリアが腕を組む。ガレスは眉を顰め、口を開いた。

 

「まあ落ち着けロキ」

「落ち着けやと? あの邪神、カエデに囁くだけ囁いてさっさととんずらこきおったんやぞ? 今は落ち着いとるからええけど、今後カエデたんに何かあったらナイアル八つ裂きにせな気が済まんわ」

 

 ロキの怒りの言葉を聞き、リヴェリアが眉を顰めた。

 

「確かに、あの場において神ナイアルの仕出かした事は許せない」

 

 あの場、アレックス・ガートルの暴走によって発生した魔法の炎。その炎に包まれた西のメインストリートにて起きた一件についてだ。

 

 【ガネーシャ・ファミリア】が避難誘導をし、街の住人を避難させる横でロキが神ナイアルを問い詰めているさ中、唐突にナイアルは『もう大丈夫みたいですね』と発言し、()()()()()()()()()()()

 その馬鹿げた行動にロキが驚いている間にも、ナイアルは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のだ。

 呆然と見送ってから、炎が無力化されている。というよりは()()()()()()()()()()()()()()()()に気付いたロキがナイアルを追おうとするも、リヴェリアがロキ一人では危険だと止めた。

 そうしている間にも炎が徐々に弱まり、完全に火が消えて黒煙立ち昇るのみとなった段階でようやくロキはナイアルを追う事が出来た。

 ロキがナイアルに追いついた頃には、カエデが膝を突いて『ワタシは殺してないっ』と泣き叫ぶ横でグレースが『その口を閉じろぉっ』とナイアルを強く睨み付けているという光景が広がっていた。

 

 ナイアルはその場でこう言い放ったのだ。

 

『カエデ・ハバリ、貴女に最上級の感謝を。()()()()()()()()()()()()ありがとうございます』と

 

 ナイアルという神は、邪神である。その言葉は眷属にとって毒であり、下手に耳を貸せば狂気を埋め込まれてしまう。狂気の欠片を埋め込まれた団員は【ナイアル・ファミリア】の眷属たちの様に最終的に狂ってしまう。

 あの場で、カエデに狂気の欠片が埋め込まれた。そうでありながら、ナイアルはカエデに囁こうとしたのだ。

 狂気を埋め込むだけに留まらず、その狂気をその場で発芽させようとした。ロキが止めなければ、カエデはあの場で狂わされていただろう。当然、ロキはナイアルを殺す積りだったのだ。

 

 そうであるにもかかわらず、ナイアルは悠々とオラリオを後にした。

 

 その場でナイアルが【ガネーシャ・ファミリア】の団員に参考人として拘束され、その後ギルドに拘留される事が決まり、ロキが手出しできないと苛立っている間に、ギルドの管理をしていたロイマン・マルディールがナイアルから個人的な()()を受け取る事でナイアル追放処分をギルド公認の措置として認めた為である。

 結果、ギルドが用意した馬車で神ナイアルは唯一の眷属であったアルスフェアと共にオラリオを去った。

 

 その事が発覚したのが事件発生から一週間経ったつい先ほどである。ギルドに何度も『ナイアルを引き渡せ』と要求していたにも関わらず『取り調べ中の為、引き渡す事は出来ない』という定型文を一週間聞かされてからの事の発覚により、ロキの怒りは最高潮に達している。

 【酒乱群狼(スォーム・アジテイター)】ホオヅキの様にギルドのエントランスを滅茶苦茶にしてやろうかとも考え、実際に団員の何人かを集めて実行に移す寸前でフィンとリヴェリアが止めたのだ。

 

「まあ、カエデの狂気は既に払い除けたって話だろう? 今は他にも話し合う事が多すぎる」

 

 フィンがテーブルの上に乗せたのは今回の深層遠征における被害や情報などをまとめた物。カエデ・ハバリの第三級(レベル2)から第二級(レベル3)への器の昇格(ランクアップ)に関する書類。それから()()()()()()

 

「深層遠征については、次回の準備についてまとめるぐらいだけれど」

 

 深層遠征については次回の準備、いつ行うか等の予定立てを行うのみ。現在は【ロキ・ファミリア】の『深層遠征』における初の死者の発生により浮足立っている現状の為、次の遠征については見送りが決定している。

 その他の問題、カエデ・ハバリが第三級(レベル2)から第二級(レベル3)への器の昇格(ランクアップ)をした事。それと同時にカエデの使用した魔法がアレックス同様の()()()()であった事。

 初めての新種の魔法がテロ行為に使用された事もあり『領域魔法』についてはあまり良い印象はない。とはいえ新種の魔法という事でギルドからは『最低限の情報の提供を求む』といった要請が来ている。

 

「ギルドからの要請は無視や無視、ウチの頼み無視しとったんや。無視されんのも理解しとるやろ」

 

 それにナイアルがペラペラ情報は零しただろうから、自身の可愛い眷属(こども)であるカエデの魔法について話す等という事はしない。ナイアルが勝手に『カエデ・ハバリも領域魔法を習得しています』等と発言し、カエデの情報をギルドに漏らしたことを思い出してロキが憤り、【トート・ファミリア】の発行している新聞をぐちゃぐちゃに握り潰すだけに飽き足らず、びりびりに破り捨て始める。

 困った様にフィンが破れた新聞の一切れに手を伸ばし、呟く。

 

「アレックス、か」

「…………フィン?」

 

 リヴェリアがフィンを伺えば、フィンは首を横に振ってから顔を上げた。

 

「アレックスはもう僕達とは無関係だ。彼は、【ナイアル・ファミリア】の眷属だからね」

 

 元【ロキ・ファミリア】の眷属。どういった流れを辿り【ナイアル・ファミリア】に流れ着いたのかはわからないが、既に【ナイアル・ファミリア】の眷属として行動していた。故に、無関係であると断じ、ロキを伺う。

 ロキは口元を引き結んだ後、深々と溜息を零し、肩を竦める。

 

「アレックスはええ。カエデに余計な傷残して死におったんは迷惑千万やけど、死んだ奴にこれ以上なんか言うてもしゃーないし」

 

 とはいえ、アレックスの死がカエデに与えた影響は大きい。ここ何日か、カエデは周りの制止を振り切ってダンジョンに入り浸り、片っ端からモンスターを斬り伏せて回っている。

 器の昇格(ランクアップ)で寿命が延びた事を喜ぶでもなく、ただ『ダンジョンに行ってきます』とだけ言って一人でダンジョンに潜ったのだ。その後も何度も一人でダンジョンに潜り、時折怪我をして這いずる様に地上に帰還してくるという事をしでかしている。

 カエデのステイタスもここ五日で敏捷Cにまで駆け上がるわ。発展アビリティの《剣士》が初期のIからGにまで上がっているわ。カエデの跳躍するようなステイタスの伸びも著しい。とはいえアイズの様にダンジョンに篭り気味になり始めているのでどうにかしなくてはならない。

 

「カエデは、今日は流石にダンジョンには行ってないだろう」

「ティオナにはカエデがダンジョンに行こうとしたら止める様にお願いしたけど」

 

 深々と溜息を零すガレスの姿を見て、リヴェリアとフィンもつられて溜息を零す。

 

「ベートの方は、何か言っていたか?」

「……あー、あの日からなーんも。カエデと関わる事もせぇへん」

 

 あの日、ベートはティオナ、ティオネと共にダンジョンに潜っていた。休息を言い渡されたはずなのにダンジョンに潜っていたアイズ・ヴァレンシュタインを探す為である。

 ベートが地上に戻ってくれば、焼け焦げた匂いが街中に漂っており、何事かとファミリアへ帰還してきた所で今回の件について聞いた。ベートの反応は、至っていつも通りと言えばそうであった。

 まずアレックスについては『……誰だそいつ』と眉を顰めていた。

 

 そして殺しを拒み、最期まで手を伸ばそうとしたカエデに対しては……。

 

『それでテメェが死んでも良いのか』

『それでも、殺すのは……』

『そうかよ、だったら、俺に近づくんじゃねぇ。不愉快だ』

『っ! ベートさ──

『近づくなつったのが聞こえなかったのかよ』

 

 苛立ちに満ちたベートが、カエデを突き放した。

 アレックスの一件のあった次の日、カエデとベートの鍛錬のさ中にベートがキレた。『妙な手加減すんな』と、それは結果的にアレックスを死なせてしまったカエデがほぼ無意識に行っていた加減だ。今までは、ベートなら大丈夫という安心感を持って()()()()()()()()()()()()()()()()。だが、アレックスの死後は()()()()()()()()()()()()とどこかストッパーがかかり、攻撃の手が緩む。

 それがベートの目にとまった。其処から口論、一方的にベートがカエデを貶し、ベートはその日以降カエデを無視し始めたのだ。無視されたカエデの方はダンジョンに篭り、ベートも同様にダンジョンに潜る。

 この問題については、カエデが自己解決する他無い。それとなくカウンセリングの真似事をリヴェリアやフィンがしているが、ペコラが夜に付きっ切りになっているので安定はしてきている。

 結局、アレックスが死んだのはカエデの所為であるという考えは抜けきらない様子であるが。

 

「で、問題はこの手紙か」

「…………ディアン・オーグが届けてくれた手紙、なぁ」

 

 テーブルの上に乗せられた書類やびりびりに破れた新聞等を差し置いて、一際存在感を放っている物。血に塗れた手紙、それに手を伸ばし、ロキは悲し気に呟いた。

 

「なんでディアンは狙われたんやろな」

「……運が悪かったとしか言えないかな」

 

 深層遠征から帰還したその日の晩。夕食の席を終えて自室でくつろいでいたロキの元を訪れたディアン・オーグという少年は、まっすぐにロキを見つめ言い放った。『ファミリアを抜けたい』と。

 いくつか言葉を交わし、ロキはディアンの意見が変わらないと理解してファミリアを抜ける許可をした。

 即日に出て行かずとも、次のファミリアが見つかるまで部屋は自由に使っていいと許可したにも関わらず、一晩の内に荷物を纏め、次の日の朝早くにギルドで『行商馬車の護衛依頼』を受けてそのままオラリオを立つと言い、彼はファミリアを後にした。

 立つ鳥跡を濁さず。部屋は綺麗に片づけられ、最低限の荷物以外は全て路銀に変えられ。思い出深い武具を纏い出て行ったディアンは、その日の内に護衛依頼のさ中、何者かに襲撃を受け死亡した。

 

 正確に言うなれば、致命傷を負い馬にしがみついた状態でオラリオの門まで帰還し、門番を務めていた人物に『ロキに渡してくれ』と血塗れの手紙を手渡して息を引き取った。

 ロキがその事を知ったのは三日前。オラリオで起きたアレックスの事件の方にかかり切りであり、ディアンの死を伝えられて初めていつの間にかディアンに授けた恩恵が途切れている事に気が付いたぐらいなのだ。

 

 ロキが手紙に手を伸ばし、その血に濡れて渇いたそれを見る。

 

 血に浸され、乾ききり、黒く変色した血の所為で宛名の部分しか読めない手紙。中身がどうなっているのかも確かめようのない程に、血に塗れてしまっている。

 ロキが目を細めてから、手紙をリヴェリアに差し出した。

 

「すまん、ウチじゃ破ってしまいそうや」

「……一応、やってみるが期待はするな」

 

 一言添えてからリヴェリアが慎重に手紙の封を切り、中身の便せんを取り出そうとしている。

 その様子をフィンが見ながらも、宛名の部分を見て呟いた。

 

「神ロキへ、か。差出人はわからない、だったかな」

「せや。差出人の部分は血がべぇーっとりついとって判別できへん」

 

 ディアンが致命傷を負いながらもオラリオに送り届けた手紙。普通に考えるのなら、差出人はディアン本人であろう。だが、ディアンの性格を知る者からすれば不思議でならない代物である。

 

「……ディアン、読みは出来るけど書きの方はアウトやったしなぁ」

 

 田舎の出身であったディアン・オーグという凡庸な冒険者の少年は、読みは出来るが、書きの方は自分の名前を書けるのみであり、『神ロキへ』等といった事までは書けないはずである。

 故に、ディアンにこの手紙を渡したのはディアン以外の人物である。とはいえ、血塗れになってしまっている手紙に何が書かれているのかわからない限りは何とも言いようがない。

 もしかしたら、ディアンの仇討に繋がる手がかりになるかもしれない。そう考えてこの手紙を受け取ったのだが、ここ最近の忙しさゆえに後回しになっていたのだ。

 

 リヴェリアが軽く吐息を零し、取り出した便せんをロキに手渡す。角の部分が少し破れてしまっているが、凡そ文字の書かれているであろう部分が無事な便せん。その便せんを受け取り、ロキは深々と溜息を零した。

 

「あかん、何が書かれとるかさっぱりや」

「……これは、まあ想像通りだったね」

 

 べっとりと染みついた血が黒く変色し、中に書かれていたであろう内容の大半を塗り潰している便せんを手に、ロキは読み取れる部分が無いかを目を細めて確認しはじめる。

 ガレスが期待外れかと紅茶に手を伸ばそうとしたところで、ロキが目を剥いて呟いた。

 

「『赤い髪の』『近づけ』『殺せ』」

「……ロキ?」

「ここんとこ、汚れとるけどギリギリそう読めなくはないで」

 

 ロキの呟きに反応し、リヴェリアとフィンが揃って便せんを覗き込めば、確かにロキの指摘通り、その文字が書かれている。リヴェリアが目を細めて『確かに』と呟き。フィンが『見た事が無い文字だね』と呟いた。

 

「こりゃ極東の方の文字やな」

「ああ、昔に見た事がある。極東の、主に狐人(ルナール)狸人(ラクーン)の使っていた古代文字だったと思う」

 

 共通語(コイネー)ではない極東の、ごく一部地域でかつて使われていた古びた文字。その内容を目にしたロキはさらに深く溜息を零し、紅茶に手を伸ばした。

 

「わけわからんわ。何が言いたいねん」

 

 手紙の表に書かれた共通語(コイネー)の『神ロキへ』という文字。そして中身の極東の古い文字で描かれた内容。興味を持って調べていなければわかりっこない内容である上、支離滅裂ともいえる内容である。

 

「他に読み取るのは……難しそうだな」

「せやなー……しゃーないから【トート・ファミリア】に解析にだすかぁ」

 

 情報系ファミリアである【トート・ファミリア】であれば、このように血で濡れて汚れた手紙から内容を読み取るといった事も出来るだろうとロキが便せんを摘まみとり、リヴェリアに渡す。

 リヴェリアがそれを丁重に受け取り、破れない様に箱に納めて目を細める。

 

「オラリオの外も、中も、今は滅茶苦茶だな」

「せやな」

「そうだね」

「そうだのう」

 

 肯定の言葉を零す三人の言葉を聞き、リヴェリアは目を細めた。

 

「今日はカエデはグレースと共に行動しているはずだが、大丈夫だろうか」

「ティオナも一緒に居るんやし、流石に今日はダンジョン行かんやろ」

 

 だと良いがな、ガレスの呟きを聞き、ロキとリヴェリアが眉を顰めた。

 

 

 

 

 

 寒々しい雰囲気の中、カエデは花束を手に墓地の中をうろうろと歩き回っていた。

 探しているのは、アレックスの墓。せめて、花を手向けようと共同墓地を訪れ、最近の死者の名が刻まれた墓石にアレックスの名が無い事に気が付いてうろうろと探し回っているさ中である。

 そんなカエデの後姿を眺めつつ、グレースは同じくカエデの後ろをついて歩いていたティオナ・ヒリュテに声をかけた。

 

「アレックスの墓ってさ、何処にある訳?」

「うーん、罪人墓地の所、じゃないかなぁ」

 

 一般人や冒険者の墓が立ち並ぶ、共同墓地にはないのではないかとティオナが呟けば。グレースはその通りかと納得と共に、カエデの背中に声をかけた。

 

「カエデ、アレックスの墓、此処にないっぽいから別の場所行きましょ」

「……何処にあるんですか?」

「罪人墓地らしいわ。……罪人墓地ってどこ?」

 

 カエデの質問に答えたはいいモノの、何処にあるかまで知らずにティオナに問いかければティオナも首をかしげる。

 

「いや、そういう罪人用の墓地があるとは聞いたけど、何処にあるかまではわかんないや」

 

 罪人を弔うといった事をした事が無い上、わざわざ罪人となった者に花を手向けようとする物好きも殆ど居ないが為にそういう場所があると囁かれるのみ。場所を知るのはギルドのごく一部の関係者のみであろう。

 

「あんたさ、器の昇格(ランクアップ)第二級(レベル3)になったんだから、もっと喜びなさいよ。あんなのの事なんて忘れてさ」

「……アレックスさん、についてですか」

「そうよ。あれは、あいつが勝手に死んだだけ。だからあんたは何も────

「『偉業の欠片』を手に入れたのに?」

 

 寒々しい風が吹く、墓標立ち並ぶ墓場に立つ白毛の狼人の少女。彼女の言葉を聞きグレースが思いっきり眉を顰める。

 あの日、アレックスが死んだのは誰が悪いのか。それに対してグレースは迷わずあの馬鹿(アレックス)が悪いと答える。それ以外に答え等持ち合わせてはいない。

 だが、カエデはあの日の事について『自分が悪い』と考えている。あの日、アレックスに攻撃を繰り出さなければ。

 よく考えれば、『呼氣乱し』という技の危険性に気付けたはずだ。『呼氣法』の基礎を学んでいなければ、乱れた呼氣を戻せずに死に至ると考えが至ったはずだ。考えが浅すぎた、あの一撃がアレックスを死に追いやったのだと。

 それを更に裏付ける様に、『偉業の欠片』を入手してしまった事。結果として第二級(レベル3)への器の昇格(ランクアップ)に至った。記録をぶっちぎり、約一か月での器の昇格(ランクアップ)

 嬉しさ以上に、あの一撃はそれほどの意味を持っていたのだとカエデが考えたのだ。

 

「それはー、偉業の欠片はしょうがないでしょ」

 

 『偉業の欠片』も『偉業の証』も、どちらも()()()()()()()()()()()()()()で手に入れるものだ。その内容に善悪はなく、あるのは()()()()()()()()()()だけである。

 カエデの神がかった受け流し技術が認められた。少なくともグレースはそう考えている。

 自身よりもレベル2つ分上の力を振るうアレックスに対し、カエデはほぼ無傷で三度の攻撃を受け流していた。それが『偉業の欠片』相当に認められたのだと。

 故にアレックスを死に追いやったことは関係ない。そう何度も口にしたにもかかわらず、カエデはそれを認めようとしない。

 

「まぁまぁ、とりあえずクレープでも食べようよ。なんならじゃが丸くんでもいいよ」

「ティオナさん……まぁいいか。とりあえず帰りましょ。アレックスの墓に花を手向けても良い事ないでしょ」

「……行くなら、二人だけで行ってください」

 

 せめて花を手向けたい。そう口にして歩き出したカエデの背中を眺め、グレースが溜息を零し。ティオナは何も言わずにカエデの後を追った。

 

 

 

 

 

 苛立ちをモンスターにぶつける。蝙蝠型のモンスターが何匹も天井付近を舞う中、アイズ・ヴァレンシュタインと共にベート・ローガはただ只管にモンスターを狩りつくさんとしていた。

 あの日、深層遠征のさ中に起きた出来事。脳裏に描かれたあの場の出来事を忘れたいと、ただ只管に蹴りでモンスターを殺す。殺して、殺し尽くす。

 

 忘れない。忘れもしない、忘れられない日となった。積み上がった後悔の上に、さらに一つ出来事が重なった。たったそれだけ。

 あの日、引き返すべきだったか? 否だ。引き返すなんて軟弱な選択を繰り返していては、永遠に前には進めない。

 あの日、本当に仲間を救えなかったのか? 否だ。もっと強ければだれ一人死なせる事はなかったはずだ。

 本当にそうか。強ければ、誰一人犠牲を出さずにあの場を乗り越えられたか。

 

 否だ。自分一人強くても、守るべき対象が最低限身を守ってくれなければ、()()()()()()()()()

 

「っ!」

 

 目の前に迫った牙。考え事に気を取られていたせいか蝙蝠型モンスター、『ライダーバット』の牙が頬をかすめて行った。即座に首を捻ったからこそ掠めただけで済んだが、頬を流れる血の感触に舌打ちし、自身に傷をつけた個体を目で追えば、アイズが斬り捨てている光景が目に入り、ベートは地面に降り立ってようやく動きを止めた。

 気が付けば、アイズが斬り捨てた個体が最後の一体だったらしく、夥しい量の死体が床に降り積もっている光景が残るのみ。

 肩で息をするアイズを他所に、ベートはナイフを取り出して魔石を適当に抉り取っていく。頬を流れる血の感触に舌打ちしていると、いつの間にか近づいていたアイズがベートに回復薬を差し出している。

 

「……ありがとよ」

「…………ベートさんは」

「あん?」

「今のベートさんなら、あの時、皆を守れた。んですか?」

 

 アイズの戸惑いがちの質問に対し、ベートは鼻で笑い、答える。

 

「無理だな」

「……どうして?」

「雑魚を守るなんて不可能だからだ」

 

 吐き捨てる様に言い放ち、ベートは回復薬で頬の傷を治し、魔石の回収を続ける。

 後姿を眺めていたアイズも静かに魔石を集め始め、無言で肉を裂き魔石を抉る音が響く中。ベートは取り出した魔石の一つを握り潰し、いら立ちを隠す。

 

 『誰も殺したくない』カエデはそう言った。ベートは鼻で笑ったのだ。

 ただでさえ【ハデス・ファミリア】に命を狙われているのだ。そうであるにも関わらずカエデは『人を殺したくない』等と甘ったれた事を抜かした。

 それだけなら、まだ容認できた。

 

 朝の鍛錬。カエデと行う鍛錬は、ベートにとってみればただのお遊び。最初はそんな感覚であったが、カエデの動きを見ている内に考えが変わった。

 

 カエデの一撃は()()()()

 

 他の団員との鍛錬のさ中に感じる事のない感覚だ。カエデの一撃は、油断すればベートも危うくなる一撃ばかりだ。無論、ステイタス差で圧し潰せる力量でしかない。それでも、あの技量をそのままにステイタスが追い付いてきたら、ベート・ローガではカエデ・ハバリに勝てない。

 そう理解した日から、ベートはカエデの動きを観察し、自分の動きに取り入れる様にした。そうすれば、前以上に動けるようになった。

 あの準一級(レベル4)ですら恐ろしさを感じる一撃。

 それが失われた。

 

 攻撃が当たりそうになる瞬間。当たる当たらないにかかわらず、カエデが攻撃を逸らすのだ。

 

 それとなく、本当に些細な動きで、攻撃が逸れる。ベートがあえて動きを止めた瞬間に、寸止めする様に剣が止まった時、ベートはカエデに言い放った。

 

『遊んでんのか? 鍛錬には付き合うが、遊びに付き合う気はねえ』

 

 カエデが震え、『遊んでいない』と気丈に振る舞う。その姿が、気に食わない。ふざけてんのかと怒鳴りそうになり、なんとか冷静にカエデと言葉を交わせば。

 

『人を殺したくない』

 

 あろうことか、【ハデス・ファミリア】に命を狙われているカエデがそう言った。その甘さは、その考えは、カエデの死に繋がる。考えを変えさせようと言葉を交わそうとし、それが不可能だと悟った。

 カエデ・ハバリの頑固さは、ベートも良く知っている。知っているからこそ、言葉では変わらないと理解し、カエデから距離をとった。居ない者として扱う。

 

 だから、ベート・ローガは言ってやったのだ。

 

『人殺しは嫌だなんて甘ったれた事言ってんだったら。巣に引っ込んでろ。二度と出てくるんじゃねえ』

 

 あのままだと、カエデ・ハバリは碌な抵抗も出来ずに命を落とす。気に食わない。モンスター相手なら、死にはしないだろう。けれど、カエデを狙うのはモンスターだけではない。冒険者となった以上、【ロキ・ファミリア】の眷属となった以上、他ファミリアの冒険者と刃を重ねる事もあるだろう。

 

「けっ、頑固過ぎんだろ」

「何か言いましたか」

「なんでもねえ。それより魔石は全部集まったか?」

 

 袋一杯に集まった魔石を見て、ベートは目を細めて呟く。

 

「【ハデス・ファミリア】か」

 

 見つけ出して潰してしまえば、後顧の憂いは断てるだろう。

 



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『余裕』

『ヒイラギはまだ見つからないのか』

『そう騒ぐな。酒が不味くなる』

『アマネ。貴様、酒なんぞ何処で』

『んむ? あの赤髪から貰ったが?』

『クトゥグアァァァアッ!! アマネに酒を渡すなぁぁっ!!』

『いや、だってつまんなそうにしてたし? そう怒るなって』

『中々美味い酒じゃな』

『貴様らは……』

『そうカッカするな。ヌシも酒を飲めばよかろう』

『いらん。神が用意した酒なんぞ死んでも飲まんぞ』

『…………それ、地上で買った(こども)が作った酒なんだがなぁ』



 大火事の痕跡が未だに残る西のメインストリート。封鎖された一線の先に広がるのは未だに黒焦げのまま手付かずの焼け残った建造物の残骸。

 その残骸をぼんやりと眺めながらグレースはカエデの耳を引っ張る。

 

「ねぇ、もう飽きない?」

 

 火事場となった場所は、たかが十日経った程度では修繕しきれない被害を被ったのだ。死者、行方不明者の数も相当数に上り、原因となった【ナイアル・ファミリア】の主神も既にオラリオから退去済み。

 怒りの矛先を何処に向けるべきかわからなくなった街の住民からは、その場に居合わせた【ロキ・ファミリア】の準一級(レベル4)冒険者【甘い子守唄(スウィートララバイ)】ペコラ・カルネイロに対して『もっと早く鎮圧できなかったのか』といった文句が出てくる始末。

 神ロキは『ペコラは関係ないやろ』とキレていたが、それでも鬱憤の溜まった者達から漏れ出る不満の矛先は最も目に付く者に向きがちだ。

 

 例えば、今回の一件で器の昇格(ランクアップ)を果たした、果たしてしまい目立った【生命の唄(ビースト・ロア)】カエデ・ハバリ等。

 

 『禍憑きが居たせいだ』という言葉を何度も聞いたし。街中で突然声をかけられ『お前の所為だ』と騒ぎ出す狼人(ウェアウルフ)に遭遇した事だってある。その場にいたフィンがそれとなく仲裁しはしたが、最近では外を出歩くだけでカエデは周囲から怯えられる様になっていた。

 

 あの大火事、【強襲虎爪】アレックス・ガートルの引き起こした事件より十日。カエデ・ハバリへの風当たりは強くなる一方だ。その事が気に食わないのはあの場にもいたグレースもそうだし。

 【ロキ・ファミリア】全体からも非が無いにも関わらず、まるで【ロキ・ファミリア】が犯人であるかのように騒ぐ街の人々に苛立ちを覚え始めている。

 

「ねぇ、聞いてる?」

「聞いてます」

「じゃあ、行きましょ。うざったいのも集まってきたし」

 

 焼け焦げた建物群を眺めていれば、その焼け焦げた建物から煤塗れになった使えそうな荷物を抱えて出てくる人々の姿が見える。そんな彼らは【ロキ・ファミリア】の団員にして噂の渦中にあるカエデの姿を見て怯えたり、睨んだりしはじめている。

 その様子を悲し気に眺めていたカエデは、頭を下げてから踵を返す。

 

 その背にぶつけられる悪意ある囁きに身を縮こまらせながら歩くカエデを見て、グレースは一緒に来ていたフィンを睨んで呟いた。

 

「あいつら全員殴っていい?」

「ダメに決まっているだろう。抑えてくれ」

 

 僕だって同じぐらいムカついてる。そう呟いたフィンの言葉にグレースが思いっきり眉を顰め、肩越しに燃え残った建物群の方に視線を向ける。

 カエデを睨む者。未だに誰かの死を嘆く者。活気溢れる住宅街とは程遠い陰鬱とした雰囲気にグレースは溜息を零した。

 

 

 

 

 

 街を歩けば、不当とも言える評価に晒され。ギルドに足を運べば他の冒険者に煙たがられ。本拠に戻れば励まそうと積極的に接してくる狼人(ウェアウルフ)達や他の団員達と、敵意すら抱き始めた少数の狼人(ウェアウルフ)達。

 ベート・ローガとはあの日の一件以降、声を交わす事も無くなり。居ない者として扱われる。

 

 ギルドに続く北西の大通り、通称『冒険者通り』を歩いてギルドに向かうさ中、カエデを避ける様に動く冒険者の動きに傷ついた様に耳と尻尾を垂らしていると。あからさまに避けていく冒険者達をすり抜けてカエデの前に一人の羊人(ムートン)が現れ、気さくそうに片手を上げた。

 

「久しいなカエデ・ハバリ。それと【勇者(ブレイバー)】。後は【激昂】か」

「……アレイスターさん」

「久しぶりだね【占い師】。何やらこそこそと動き回っている様だけど、何をしに来たんだい」

 

 グレースがあからさまに引いた様な仕草をして身をのけぞらせるさ中。カエデが沈んだ表情のまま返答し、フィンは軽く羊人(ムートン)。【トート・ファミリア】の【占い師】アレイスター・クロウリーを睨む。

 【トート・ファミリア】が発行している新聞によって、【ロキ・ファミリア】へ不満感が高まったとも言えるのだ。無論、【トート・ファミリア】にその意図はなく。公平な記事を書いていたのだが。

 

「そう睨むな。【勇者(ブレイバー)】。少し話があるだけだ」

「……何の用だい?」

 

 君はいつも私を邪険に扱うな、そう苦笑を浮かべつつ。アレイスターは手招きをして歩き出す。

 

「此方へ。こんな大通りの真ん中で睨み合っても仕方がないだろう」

 

 カエデがフィンを伺えば、フィンが軽く頷いてその後に続き。グレースがあからさまに嫌そうな表情を隠しもせずに続く。

 

 アレイスターが足を運んだ先は、小さな冒険者向けの酒場の一つ。真昼から酒盛りをしている冒険者が数人見受けられるが、殆どの席が空席となっている小さな酒場である。店主らしき男に片手を上げて『いつもの』とアレイスターが呟けば、店主の男は嫌そうな顔をしてからカップを用意し始める。

 アレイスターが席に着き、フィン達に座る様に示すが、グレースだけは首を横に振り近くの柱に凭れ掛かって口を閉ざした。

 

「グレースさん?」

「あたし、こいつだけはダメ」

「………………?」

 

 嫌いだ。関わり合いになりたくないぐらいに。そう吐き捨てる様に言い放ちグレースがそっぽを向く。その様子を楽し気に見ていたアレイスターが『そうだろうね』と呟いた。

 訝し気にカエデがグレースとアレイスターを交互に眺めるさ中、嫌々といった風体で店主の男が人数分のティーカップとティーポットを運んできてアレイスターを見て呟いた。

 

「此処は酒場なんだから酒を飲め」

「酒は控えていてね。紅茶の気分なんだ」

 

 気さくそうなアレイスターに対し、店主の男はあからさまに気色悪いモノを見たとでも言う様に引き、テーブルの上に無造作にカップとポットを置くとそのままカウンターの中に逃げ込んでいった。

 置かれたティーポットの中身をティーカップに注ぎながら、アレイスターは口を開いた。

 

「いやあ、すまないな。奴は無愛想でね」

 

 照れた様な笑みを浮かべつつも紅茶を注いで各々の前にティーカップを差し出すアレイスター。まるで良い事でもあったかの様に微笑んでいるが、背筋がぞわぞわする様な感覚にカエデが何度も身を震わせて自身の尻尾を抱き締めて警戒した様にティーカップを睨む。

 グレースは差し出されたティーカップを受け取ると同時に、中身を床にぶちまけてテーブルにティーカップを戻した。

 店主の男が一瞬だけグレースに視線を向けるも、溜息一つ零してモップを片手にカウンターから出てきてグレースの足元にこぼれた紅茶の後始末をし始めた。どうやら過去に何度も同じ行為が繰り返されているのか、彼が掃除する場所にはしっかりとしみが刻まれている。

 

「さて、本題に入ろう」

 

 グレースの突飛な行動が目に入らなかったのか、それとも意図して無視しているのかアレイスターがにこやかな笑みを浮かべて紅茶に口をつけ。カエデを見据えた。

 

「君は幻影に踊らされることのないようにもう一度後ろを振り返るべきだ」

 

 アレイスターの言い放った言葉に、カエデが目を見開き。フィンが目を細める。

 グレースだけは腕組をしたまま微動だにせず口元を引き締めた。

 アレイスターの言い放った言葉は、過去にカエデがアレイスターの占いを受けた際に言われた言葉である。不幸を暗示する内容が提示されたタロット占いの内容を読み取り、カエデに『トート・タロット』を授けたのだ。

 

「さて、あの時渡したカード。まだ持っているだろう? 貸してくれ」

 

 差し出されたアレイスターの手に対し、カエデが眉を顰める。最後にあのカードを手にしていたのは何時だっただろうか。確か、そういつの間にかなくなっていたはずだ。そう考えたカエデが口を開こうとすると、アレイスターは微笑んだ。

 

「君はまだ、あのカードを持っている」

「……?」

「手を出してくれ」

 

 アレイスターが右手を差し出し、まっすぐとカエデを見据えて言い放たれた言葉に、カエデが困惑した様にフィンを伺えば、フィンが軽く頷いた。その様子を見てようやくカエデがそっとアレイスターの手に自身の手を重ねた。

 温かな体温を感じさせるアレイスターの手のひらの感触に戸惑いながらも、カエデがアレイスターを伺えば、アレイスターはいつの間にか左手にカードが一枚現れていた。

 まるで手品の様な有様にカエデが驚く間に、アレイスターはそのカードの表面を上にしてテーブルに置いた。

 

「あれ……真っ白」

 

 カエデの呟き通り、そのカードには本来描かれていたはずの絵柄が失われ、真っ白い白紙のカードになり果てていた。カエデの記憶通りであるならば、其処には【月】を示す絵柄があったはずである。

 不思議そうに首をかしげるカエデの前で、アレイスターは手のひらでそのカードを覆い隠して小さく呟く。

 かすかな魔力の流れにカエデがアレイスターを見据えるも、アレイスターの呟きはカエデの耳ですら捉える事が困難な程に小さく、何を言っているのかは理解できなかった。

 耳を震わせて声を聞き取ろうと耳を澄ますが、アレイスターは既に詠唱を終えたらしく。小さく呟いてカードから手を退けた。

 

「『導きのタロット』っと、よし。返すよ」

 

 そう言ってテーブルに置かれたカードをカエデに差し出すアレイスター。カエデが困惑した様にそのカードを受け取れば、つい先ほどまで白紙だったはずのその表面に、記憶と相違ない【月】を示す絵柄が描かれていた。

 困惑するカエデに対しアレイスターは悪戯が成功した子供の様に微笑んでから、表情を引き締める。

 

「未だに幻影に踊らされている様だ。早く後ろを振り返りたまえ」

 

 唐突な言葉にカエデが眉を顰め。どういう意味かと問いかければ。アレイスターは首を横に振った。

 

「私の口から言うべきではない」

 

 はぐらかす様な答えに対し、カエデが意味がわからないと何度もカードとアレイスターを見比べている間に、アレイスターは紅茶を飲み干してからフィンの方に笑みを向けた。

 

「それで、【勇者(ブレイバー)】」

「なんだい?」

「何か良いネタはないかな」

 

 アレイスターの気さくそうな言葉にフィンが眉を顰め、残念ながらないねと肩を竦めればアレイスターはグレースの方に視線を向けた。視線を向けられた事に気付いたグレースがアレイスターを強く睨み。アレイスターは苦笑を零す。

 

「【激昂】は私が嫌いな様だ」

「気持ち悪いから話しかけないで」

 

 直球に言葉をぶつけ、グレースがそっぽを向けば。アレイスターが肩を竦める。相当嫌っているのか足を揺すり始めているグレースに対し、カエデが再度首を傾げた。

 

「アレイスターさんと、グレースさんは仲が悪いんですか」

「悪い訳ではないよ」

「嫌いなだけ」

 

 それぞれの言い分を聞き、訳が分からなくなりカエデが再度首を傾げれば、アレイスターはティーカップをソーサーに戻して口を開いた。

 

「そんな事はどうでもいいだろう。今話すべき本題とは無関係だからな」

 

 まるで先のやり取りはどうでもいいとでも言うような様子にカエデが更に困惑を深める中。フィンが優しくカエデの肩を叩いて呟いた。

 

「あまり深く考えない方が良い」

 

 アレイスターという人物は、こういう人物なのだとそう呟いてフィンがアレイスターに視線を向ける。

 

「それで、本題は?」

 

 睨むと見つめる、二つの仕草が混ざり合った様なフィンの視線に、アレイスターは目を細めてからカエデを見据えて口を開いた。

 

「『必ず会いに行く』だそうだ」

「……なんですかそれ?」

 

 思わずと言った様子のカエデの呟きに対し、フィンが片目を閉じる。

 ()()()()()()()という言葉。アレイスターの口から放たれた脈絡のない言葉にカエデが再度困惑し始め、フィンが代わりに口を開いた。

 

「どういう意味だい?」

「言葉通りの意味だが?」

 

 誰が、誰に()()()()()のか。思考を巡らせるフィンを他所に、カエデが呟く。

 

「誰かが、私に? ……ヒヅチ?」

 

 カエデに会おうとする人物。カエデが思いつくのは世界でただ一人のみ。行方不明になっていて、つい最近オラリオの街中で見かけた恩師。ヒヅチ・ハバリの事かとカエデが目を見開きアレイスターを見据えれば、アレイスターは呆れ返る様に肩を竦めた。

 

「キミは……いや、何でもないよ」

「ヒヅチから? 何処にヒヅチは」

「ヒヅチという人物からの伝言ではない」

 

 きっぱりとカエデの期待を否定し、席を立つアレイスター。何が目的でその言葉をカエデに伝えたのか意図を読み取ろうとフィンがアレイスターを睨む中。アレイスターは肩を竦めた。

 

「私は、伝言を頼まれただけだ。キミに対してね」

「ワタシ? 誰からですか?」

 

 カエデを示したアレイスターの言葉に、カエデが目を細めて聞き返せば、アレイスターは息を一つ零してカエデを見据える。

 

「誰からかは、言わない」

「何故、聞いてもいいかな」

 

 フィンが横からアレイスターに問いかければ、アレイスターは軽く手を振るい、否定の言葉を放った。

 

「伝言を伝えて欲しい。そうお願いした本人が()()()()()()()を伝えないでくれと言ったからだよ」

 

 私は約束を守る方なんだと胡散臭い笑みを浮かべて微笑むアレイスター。グレースが反吐が出るとでも言う様におぇっとえづく仕草をするのを流し見てから、アレイスターは再度カエデの方を見据えた。

 

「最後に、もう一度言う。幻影に振り回されるな。後ろを振り返れ、もう一度、な」

 

 言い聞かせる様にカエデに言い放ち。アレイスターは片手を振って店を出て行く。その途中、店主の男が無言のまま彼女の肩を掴み、店の奥へ引きずっていった。

 その様子を唖然と見つめていたカエデ。舌打ちと共に『死ね』と呟いたグレース。フィンはテーブルの上に置かれたティーカップの中身をちらりと見てから、カエデの前に置かれたティーカップをそれとなく自分の元に引き寄せて中身を確かめる。

 

「……毒は入ってない。か」

 

 軽く匂いを嗅いで、舌先で舐めてみても毒らしき感じは一切しない。至って普通の紅茶である事にフィンは軽く吐息を零した。

 

 

 

 

 

 

 午前中は町中をさ迷い歩き。午後からはダンジョンの中層まで下りて只管にモンスターを狩る。

 あのアレックスを斬った感触を忘れようと、モンスターを斬って、斬って。それでも手に残る感触が染みついた様で、忘れられない。

 最近の迷宮探索において激しく負傷する事が何度もあった事もあり、フィンやリヴェリアから注意されて、此処二日は細心の注意を払って怪我をしない様に闘い、漸く本調子とも呼べるものがかえってきた。

 未だに斬った感触が腕に染みついているものの、あまり、気にならなくもなった。

 湯浴みを終え、絡んでくる狼人(ウェアウルフ)達を避けて自分の部屋に帰ってきて、無機質な部屋を見回す。

 

「予期せぬ危険や不運を暗示している。君は幻影に踊らされることのないようにもう一度後ろを振り返るべきだ。手遅れになる、前に」

 

 『初めての迷宮探索(ファーストダンジョンアタック)』の日。偶然、冒険者ギルドで出会った【占い師】アレイスター・クロウリーに占ってもらった際。アレイスターが口にした言葉。再度自分で同じ言葉を呟いてみるが、意味が解らない。

 

 幻影とは何か。後ろを振り返るべきとは。

 

 既に、何度も後ろを振り返っている。前だけを向き続けろとヒヅチに言われた言葉を守れず。何度も、何度も後ろを振り返り、ヒヅチが居た()()()を脳裏に思い描いてはベッドの中で涙をこらえた。

 あんな事さえなければ。こんな事さえなければ。ワタシがこんな風でさえ、なければ。

 溜まりに溜まった後悔の数々を脳裏に描き、首を横に振る。

 

 ワタシは、前に進まなければいけない。そうしなければ、死んじゃうから。

 

 言い聞かせる様に心の中で呟き、剣を鞘から抜き放って手入れを始める。剣の手入れ道具をテーブルの上に並べて、しっかりと、念入りに剣を手入れしていく。

 コンコンというノックの音が聞こえたのは、カエデが手入れを終えて鞘に剣を収めているさ中の事だった。

 

「カエデちゃん、遊びに来ましたよー」

 

 扉越しに聞こえる陽気な声。ペコラ・カルネイロの声に気付き、カエデが慌てて扉を開ければ。もこもことしたパジャマを着たペコラが笑顔で廊下に立っていた。

 

「今日も一緒に寝ましょう」

 

 ここ十日程。あのアレックスの事件の後から、ペコラ・カルネイロは毎晩カエデの部屋を訪れては添い寝をしていた。子守唄こそ歌ってあげられないが、傍にいる事は出来ると。

 あの日、【ナイアル・ファミリア】の主神。神ナイアルの言葉を()()()()()()()カエデは、狂気の種と呼べるものを埋め込まれたらしい。カエデにも、なんとなくわかる。心の中に湧き上がる不安感や焦燥感。身を焦がす様な何かが心の内に差し込まれた様な感覚があった。

 それを抑える為に、ペコラが毎晩添い寝をしてくれている。もしペコラの添い寝が無ければ、悪夢を見ていた。なんとなく、それがわかり、カエデは困った様な表情を浮かべた。

 

「あ、はい。お願いします」

 

 堅苦しいカエデの言動にペコラが苦笑を浮かべ。気にしなくていいのですと呟いてカエデの部屋に入る。入るなりペコラが眉を顰め、カエデの方を伺う。

 

「ペコラさん的には、ここ最近は毎日言っていますが。もっと女の子らしい買い物をしてくると良いのです」

 

 部屋の中は、相も変わらずに壁に飾られた『師の形見である打ち刀』と、武具を収めておく箱。そして最近追加された回復薬類を収めておくためのケースにクローゼット。他には武具の手入れ道具があるのみ。

 女の子らしい、と呼べる装飾品の類は一切置かれておらず。子供っぽさを示す玩具の類もない。冒険者に必要な道具類を取り除いたらベッドとクローゼット以外何もない。そう言い切ってしまえる部屋に呆れ顔を浮かべたペコラに対し、カエデが困った様に頬を掻いて視線を逸らす。

 

 此処何日か、添い寝に来る度にペコラが『女の子らしく部屋を飾るべきだ』と口にし続けていた。カエデにしてみれば、もともとの生活から余計な買い物をするという考え自体が無く。武具の破損、修理で収入の殆どを使い切っている事もあり買い物の余裕もなかった。

 結果として一か月半程この部屋で寝泊まりしているのみで、女の子らしさというのが皆無になりかけている。

 

「こんな部屋で過ごしてたらアイズちゃんみたいになっちゃいますよ」

 

 彼のアイズ・ヴァレンシュタインも初期の頃は部屋には最低限の冒険者セットが置かれるのみ。ロキが買い与えた衣類を除けば、ほぼ一着を着回す生活を送っていたのだ。

 カエデの方も、グレースやアリソンが買い与えた衣類を除けば、自身で欲して購入したのは丈夫そうな衣類一式のみ。下着類が何着か。後は着回しで何とかしようという考えが透けて見えていたのだ。

 同じ女として、アイズにはティオナとティオネが注意を重ね、少しずつではあるが部屋に女の子らしい雑貨を飾る様になった。

 同じようにカエデにも女の子らしい雑貨、人形類を買う様に勧めるも、カエデは困惑するのみで手を伸ばさない。

 

「確かにアレックス君については悲しい事です。ですがそういう時にこそ余裕を持つべきですよ」

 

 今のカエデには余裕がない。心を追い詰める要素が多すぎる。未だに短過ぎる寿命の事、行方不明のヒヅチの事、アレックスの死の事。距離を置かれてしまったベートの事。急に関わりを持って距離感を掴めない狼人(ウェアウルフ)達の事。

 少しでも、何らかの気を逸らす様な事をしてあげなくては、心が潰れてしまう。ペコラが危惧するその事に関して、カエデが困った様に眉根を寄せて俯く。

 

「余裕、どうやって持てば」

 

 常に思い悩む様な有様で、心に余裕を持とうにも、次から次へと湧き上がる悩みが余裕という言葉をどんどん遠ざけていく。斬った感触の染みついた手も、居なくなったヒヅチの事も、何もかもを忘れる事が出来るならば、カエデ自身もそうしたいと思えるほどに。積み上がったモノが多すぎる。

 

「では、明日はペコラさんと買い物行きましょう。リヴェリア様も連れて。ほら、一緒に寝ましょう」

 

 今日も良い夢を見れる様に、一緒に居ますので。そう言ってカエデの手を優しくとり、ベッドへと連れ込む。

 カエデを優しく抱き締めながら布団にもぐり込み、ペコラはニコニコとした笑顔でカエデを優しく撫でる。

 ヒヅチと同じ様に、カエデを掻き抱いていながらも。ヒヅチと違って、優しく髪を梳くペコラの行動に困惑しながらも、ペコラに胸に抱かれ、カエデはふと呟いた。

 

「キーラさんが、行方不明ですけど……」

 

 【ミューズ・ファミリア】の準一級(レベル4)冒険者にして、ペコラ・カルネイロの姉である【呪言使い(カースメーカー)】キーラ・カルネイロが行方不明になっているという。その話を聞いたのはアレックスの事件の後で、その日からペコラは一切変化なく微笑んでいた。

 

「心配じゃないんですか」

 

 なんの揺らぎも見せず、何時も通り微笑んで添い寝に来るペコラ。不思議そうにカエデが問いかければ、ペコラはふふんと鼻を鳴らして口を開いた。

 

「ペコラさんのお姉ちゃんは最強なので。其処らの奴なんかに負けないですよ」

 

 最強無敵のお姉ちゃんが、誰かにやられるなんてありえない。きっとどこかで居眠りでもしているに違いないと、胸を張って言い放ったペコラの言葉に、カエデが眩しそうに目を細める。

 カエデも、ヒヅチが絶対無敵で、死んで等いないと口に出来れば良い。しかし、何処かで『もうヒヅチは死んでいて、あの日見た姿はワタシの思い込みだったのではないか』という不安がぬぐえない。

 

「どうして、断言できるんですか」

「だって、お姉ちゃんは強いですから」

 

 ペコラが優しくカエデを抱き締め、耳の付け根の辺りを優しく撫でる。

 擽ったそうにカエデが首を竦めれば、ペコラは優し気な表情のまま、明かりを消した。

 

 窓から差し込む月明かりの中、ペコラは唄う事こそ出来ないものの、優しくカエデに髪を撫でて、安心して眠れるのだと教えてあげる。

 不安げに震えるカエデを抱き締め、ここは安全だと伝えてあげる。

 

 カエデの体から力が抜け。ようやく眠りについたのを確認し。ペコラはゆっくりとカエデをベッドに寝かせて、手を握ったまま身を起こして窓の外に視線を向けた。

 

「心配、してない訳ないじゃないですか。凄く、心配してますよ」

 

 どこかに消え去った姉の姿を思い描き、不安そうな表情を浮かべたペコラは。空いた手で自身の頬を強く抓る。

 

「って、ペコラさんが不安そうにしてたら皆まで不安になってしまうじゃないですか。笑顔笑顔……いつもニコニコなペコラさんなのですから」

 

 不安そうにしている人が。誰かの不安を取り除いてあげる事なんてできるわけがない。

 だから、自分は常に微笑むのだ。子守唄を歌う時も。そうでない時も。不安なんて何一つない。いつも笑みを浮かべて、余裕ある行動をとる。急がず、慌てず、マイペースに、あるがままに歩み続ける。

 皆が慌ててる時に、優しく止めてあげる為に。皆が困っている時に、手を引いてあげられる様に。

 

 ペコラ・カルネイロは何時だってマイペースで、ゆったりとした雰囲気を持ち続ける。

 

 キーラ・カルネイロがそうであった様に、いつだって自分のペースを崩す事だけはしない。

 

「ペコラさんは、強い子なのですから」

 

 静かに寝息を立てる姿に目を細める。静かな、耳を澄まさねば聞き取れないカエデの寝息に耳を傾けつつ。ペコラは静かにカエデの髪を梳き続ける。一晩中ずっと、不安を抱かぬ様に。

 甘ったるい夢をあげられない、自分が出来る最大限を、してあげるのだと。

 

 

 

 

 

 薄暗い部屋の片隅で膝を抱えてぶつぶつと文句を零す黒毛の幼い狼人(ウェアウルフ)の少女を見据え、アマゾネスの傭兵でもある彼女は深々と溜息を零し、テーブルの上に乗ったグラスを煽る。

 

「はぁ、ったくアタシが何言っても聞きゃしない。いい加減にしてほしいもんだよ」

 

 文句を零しつつも、空になったグラスになみなみと酒を注ぎ、溢れた酒がテーブルを汚すのも気にせずに一気に呷る。なんども繰り返し、褐色の肌が真っ赤に染まる程になっても飲むのをやめない。

 その様子を見ていた黒毛の幼い狼人(ウェアウルフ)が、同じように溜息を零して口を開いた。

 

「また、断られたのか」

「あぁ、昔馴染みだからって事で【恵比寿・ファミリア】に情報を漏らしはしないが。手伝う事だけは出来ないってな」

 

 何度も、過去に所属していたファミリアの伝手を頼りにオラリオへの侵入を試みるも、現在のオラリオでは厳重な警戒網が敷かれており近づくだけでも危険極まりなく、ましてや謎の襲撃犯がうろついている現状、街の外を歩きたがる奴もいない。十人以上の冒険者の護衛を引きつれていた商隊が壊滅するという出来事も合わさり、雰囲気は最悪である。

 木製の窓の閉められた部屋。魔石灯の照らす薄暗い部屋。現在時刻は真昼であるというにも関わらず、外から喧噪は一切聞こえず、何処の家も窓を閉め切って怯え切っている。

 

 次に襲われるのはこの街かもしれない。と

 

 厳重な警戒を敷き、オラリオ程ではないにせよ防壁に囲まれたこの街を襲撃する阿呆が居るわけない。そうであってほしいと願い、街の住民は誰しも家に閉じこもる。宿の主人も『窓は決して開けるな』と何度も注意に来る程なのだ。

 

 陰鬱とした雰囲気を吹き飛ばそうと酒に頼るも、腹に溜まる苛立ちは消えない。

 

 傭兵のその様子に眉を顰め、幼い狼人(ウェアウルフ)はすっと立ち上がってテーブルのグラスに手を伸ばした。その様子を見て眉を顰め、傭兵は口をへの字に曲げて呟く。

 

「やめときな。子供の飲み物じゃないよ」

「一口ぐらいいいだろ」

「……好きにしな」

 

 幼い狼人(ウェアウルフ)の持つグラスに酒を少し注ぎ。傭兵は残りを自分のグラスに注ぎ切ってグラスを差し出した。

 その様子に眉を顰めた幼い狼人(ウェアウルフ)の様子に傭兵は鼻を鳴らす。

 

「はん、乾杯も知らないのかい」

「いや、知ってるけどよ」

「ほら」

 

 差し出されたグラスに、軽くグラスを打ち合わせ、カランという音を鳴らすと同時に傭兵が酒を呷る。その様子を変なものを見る目で見ていた幼い狼人(ウェアウルフ)も意を決して酒を口に含み、渋い表情を浮かべてグラスから口を放した。

 

「まっず……」

「だから言ったろ。子供の飲み物じゃないってね」

 



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『人形』

『ふむ? ロキの所から依頼? 手紙の解析?』

『…………出来そうか?』

『出来なくはない。だがやりたくはないな』

『だろうな』

『トート、誰が好き好んで血濡れの手紙の解析なんてしたがる? というか呪われてたりしないだろうな』

『呪われてはいないが私も嫌だ。だが、受けてしまったのだ。頼むアレイスターよ』

『勘弁してくれないか……?』



 雑多な人々が思い思いの日常を描くオラリオの街並み。石畳の上を軽快なステップを踏みながら進む羊人(ムートン)の女性に手を引かれる幼い狼人(ウェアウルフ)の少女。二人の姿を見る人々の視線に含まれる様々な感情を感じ取り、耳も尻尾も垂れ下がり、小さな体をより縮こまらせる狼人(ウェアウルフ)の姿に、後ろを歩き続いていたハイエルフの女性は吐息を零した。

 

 ハイエルフ、リヴェリア・リヨス・アールヴはフィンから聞いていたオラリオにおける【ロキ・ファミリア】及びにペコラ・カルネイロ、カエデ・ハバリの評価が嘘偽りないものであった事に落胆の吐息を零し、前を見据える。

 ペコラに誘われてオラリオの街中を半ば強引に引っ張りまわされているカエデの姿。全くもって楽し気とは言えない雰囲気を身にまとい、囁かれる言葉の数々に身を震わせる。

 いっそのこと、ダンジョンに潜っている方が平穏であると言える状態に苛立ちも募るとリヴェリアが再度吐息を零しそうになったところで、ペコラが目的の店を見つけたのかカエデの手を引いて入っていく姿が確認できたため、リヴェリアは目を細めてその店の看板を眺めた。

 

 石材や煉瓦を使った建造物が一般的なオラリオの街中において、()()()な雰囲気を醸し出している木造の建造物。【恵比寿・ファミリア】の支店の一つである店舗。中に見受けられるのは雑多に置かれた品物の数々。

 暖簾をくぐり店に入ったリヴェリアは入った瞬間に目に入ってきた人物に眉を顰める。それに気づいた店主らしき老いた狸人(ラクーン)は咥えていた楊枝を手に取り、リヴェリアの方へ突き付ける。

 

「よぉ。ハイエルフさんや。何時もの茶葉か? 悪いが今は品切れでな」

 

 リヴェリアの前で、けだるそうに杖を手に立ち上がったその狸人(ラクーン)。【恵比寿・ファミリア】の団長であり、【八相縁起】という二つ名が有名な彼は、よく茶葉や茶菓子の類を注文するリヴェリアの事を『ハイエルフさん』と呼ぶ。そんな知り合いである彼は、ギシギシと軋む音を立てて立ち上がり、杖に凭れ掛かりつつもリヴェリアの前に立った。

 リヴェリアより頭一つ分低い背丈。両足は義足となっており、正常な頃と比べて背丈は低くなっている。元よりリヴェリアより長身であった訳ではないので変わりはないが。

 

「今日は別件だ。ペコラとカエデが入ってきたはずだが」

「あぁ、あの噂の」

 

 狸人(ラクーン)の男は目を細め、深々と溜息を零してから手で店の奥を指し示す。

 

「あっちの方の雑貨類を見てるだろうよ」

「そうか。感謝する。……一つ、聞いても良いか?」

 

 リヴェリアの言葉に片眉を上げ、【八相縁起】は口を開いた。

 

「噂についてだろう? 【トート・ファミリア】の新聞にも載ってたが。相当らしいな」

 

 【ロキ・ファミリア】に対する不平不満。いつの間にか【ナイアル・ファミリア】に向かうべき矛先が逸らされて降り注ぐ姿に憐れみを覚えたのか肩を竦め、【八相縁起】は頭を掻いた。

 

 

 

 

 

 店の中は棚で埋め尽くされ、その棚には雑多に収められた商品の数々が見て取れる。短剣や長剣、斧や槍、軽装鎧や重装鎧まで武具類も品揃えこそ【ヘファイストス・ファミリア】の支店に劣るものの武具類も数多置かれている。

 そんな中、カエデが真っ先に手を伸ばしたのは樽に無造作に入れられた大剣類である。今日の目的が頭の片隅にちらつくのを意図的に無視してその大剣の品質を見極めようと光に翳す。

 そんなカエデの頭にペコラが無造作に手刀を落とし、呆れ顔でカエデの手から大剣を奪い去りつつ口を開いた。

 

「今日は女の子らしい小物を見に来たのであって、こんな物騒な物は触っちゃダメです」

 

 『めっ』と可愛らしくカエデに注意するペコラの様子に、カエデがそれとなく視線を逸らす。

 可愛らしい小物を買う。そんな目的で訪れた【恵比寿・ファミリア】の支店の一つ。カエデの目に映るのはペコラが差し出してきた小物の類。

 キメ細やかなレースの編み物がリボンの様に連なるカチューシャを差し出され、カエデはそれを見て呟く。

 

「頭にこういうものはつけたくないです」

「……なんでですか? 可愛らしいじゃないですか」

 

 違和感がある。何よりも耳の動きに干渉してくる。煩わしさを嫌うカエデらしい言葉にペコラが眉を顰める。うんうんと唸りだし、即座に別の小物に手を伸ばしてカエデに見せるも、カエデの反応は芳しくない。

 次々とカエデの前に差し出されるのは、可愛らしい装飾のなされたバッグ、レースの編み込みの美しいリボン、小物を収めておけるガラス細工の小箱。どの小物を見ても、カエデは首をかしげるばかり。

 流石にペコラもカエデの反応に困惑しはじめた頃になった頃、リヴェリアが追い付いてきた。

 難しい表情を浮かべながら近づいてくるリヴェリアにカエデが首をかしげるが、リヴェリアはなんでもないと誤魔化し、即座にペコラの表情に気付いて口を開いた。

 

「どうした。なにかあったのか?」

「なんていうか、カエデちゃんは女の子として死んでる気がするのです」

「……?」

 

 首を傾げるリヴェリアの前、なんで『死んでる』等と言われなければならないのかと眉を顰めているカエデの前に、ペコラがバッグを突き付けた。

 ちょっとした物を収めて持ち運ぶ程度なら十分な小さなバッグ。可愛らしいハートマークの装飾のなされたそのバッグを前に、カエデが首を傾げる。唐突に差し出されてもとカエデがペコラを伺えば、ペコラは呆れ顔で質問を飛ばす。

 

「これ、どう思いますか?」

 

 リヴェリアの方にもそれとなく視線を向けて問いかけるペコラの様子にリヴェリアは目を細める。

 薄い桃色のバッグであり、装飾も見事と言える。ハートマークという少女染みた雰囲気はリヴェリアの様な女性には合わないだろうが、カエデの様な幼い少女にはよく似合うだろう。独特の幼い雰囲気を持つペコラにも似合うに違いない。リヴェリアが内心そんな考えをする中。カエデの口から飛び出した言葉に頭痛を覚えて額に手を当てた。

 

「こんな小さな鞄じゃ短剣も入れれないです。買うならこっちの方が良いです。丈夫そうですし、投げナイフも取り出しやすそうで、回復薬の保護用の緩衝材も入ってて……これ買っちゃだめですか?」

 

 カエデが棚から手に取ったのは冒険者向けの飾り気の一切感じられない革製の背負い鞄。ついでに腰のベルト類にも目を通してナイフポーチ類の方にまで視線を向けている。

 実際、カエデの言った通りだろう。ペコラの示すバッグでは、まともに回復薬もナイフも持ち運べない。だが、今回求めているのは女の子らしい小物であって、冒険者向けの武骨な道具類ではない。

 

「カエデ……、可愛いとは思わないか?」

 

 リヴェリアの問いかけにカエデが首を傾げる。それを見たリヴェリアが頭痛を堪える様に頭を振り、ペコラの方を見た。視線が合ったペコラは眉を顰めつつも硝子細工の施された小箱をカエデに見せる。

 

「どうですか?」

「……? すぐ壊れちゃいそうです」

 

 違うそうじゃない。ペコラとリヴェリアが二人同時に頭を抱え、カエデが意味がわからないと首を傾げた。

 カエデの目に映るのは過剰な装飾の施された、非常に脆そうな品物の数々。他にも様々な()()()()()()雑貨があるが、それらを見たカエデの感想は『なくても困らないですよね?』である。

 実際、ペコラの指し示す小箱や小物類は無かった所で死にはしない。処か邪魔にしかならない装飾まで施されている様に感じられ、値段も相応に高い。言ってしまえばカエデの理解の外側にある様な品物ばかり。

 ()()()とは何か。いまいちよくわからないと首を傾げるカエデに対し、ペコラが其処らから人形をとってカエデに手渡した。

 

「ほら、この兎の人形。可愛くないですか?」

 

 手渡されたのは真っ白な毛に、赤いくりくりとした瞳。ピンと立った長い耳にふわふわとした尻尾。人気商品なのかいくつも同じ物が棚に置かれているのを見たカエデが嫌そうに人形をペコラに返した。

 

「こんなもの欲しがるんですか?」

 

 カエデの脳裏に浮かんだのは石から削り出した様な見た目の天然武装(ネイチャーウェポン)である片手斧を手に、キィキィと言う耳障りな叫びを上げながら殺意に満ちた瞳を向けてくる迷宮の怪物。アルミラージの姿であった。

 角が無い等の多少の違いはあれど、ペコラの手渡してきた其れはアルミラージに良く似ていた。

 到底理解できないとカエデが眉を顰めるのに対し、ペコラが顔を引き攣らせ、リヴェリアが溜息を零す。

 

「本気で言ってます?」

「だって殺しにかかってくるんですよ?」

 

 カエデの言葉にペコラがもう一度人形を眺め、目を細めて溜息を零した。

 ダンジョン内のモンスターの中では、アルミラージはそこそこ人気のあるモンスターである。可愛らしい外見から女性冒険者の大半が『仲良くできたらなぁ』という思いを抱く。とはいえモンスターはモンスター、冒険者に殺意を向け、殺しにかかってくる想像しか出来ない姿に好感を抱くのは不可能というものだ。

 カエデの知る世間一般で言われる『可愛らしい容姿を持つ兎』は『殺意に満ちたモンスター』でしかない。

 

 そこでリヴェリアが気付く。カエデの考え方や思考の構築を読み取り、目を細める。

 誰しもがアルミラージを眼にすれば『可愛い』と感じるだろう。それは『兎』という生き物と同じ容姿をしているからに外ならないのだ。

 

 普通の人であれば、兎と言われて何を思い浮かべるか。野山を駆ける小さな体躯を持つ小動物。その姿は人によっては癒しを感じられるであろう。一部の人は店先に並べられた兎肉を想像するか。

 猟師であれば、兎と聞けば『獲物』と言うだろう。幼い頃よりそういった思考をしていれば、自然とそれが当たり前となる。

 

 カエデの身の上からして、兎とは時折森の中で仕留めて夕食として食す()()であり、兎の姿を見れば迷わず弓を片手に追い掛け回すのが普通であった。

 カエデの言う『兎』とは決して可愛い等と愛でるモノではなく、弓で追い掛け回す食材。その程度の価値しか見出していない。そこにダンジョンでモンスターとして兎の姿をしたアルミラージと出会ったのだ。

 元が『ただの食材』であった其処に加わった『凶悪な怪物』という印象はカエデの中から『兎=可愛い』という考えを悉く駆逐していったのだろう。

 

 であるならば、とリヴェリアが別の人形に手を伸ばす。ペコラが兎の人形を手に固まっているさ中、リヴェリアが棚から手にとったのは『猫』と『犬』の人形。一般的に愛玩動物としても、良き隣人として人と共に歩んできた生き物を模した人形。流石にこれであればカエデも良い反応が出てくるだろうとリヴェリアがカエデに人形を差し出した。

 

「これはどうだ」

「…………? はい」

 

 カエデが戸惑いがちに受け取り、犬の人形を見て盛大に眉を顰め、猫の人形の方に反応は示さず、カエデは渡された人形を手にリヴェリアを見上げた。

 

「どう、とは?」

「……可愛さ、を感じるか?」

 

 リヴェリアの質問に対し、カエデが少し考えこみ、ぽつりと呟きを零した。

 

「可愛いって、何ですか?」

 

 哲学の様な質問に対し、リヴェリアが口を閉ざす。

 どう説明したものかと考えこみ、頭を振った。

 

「すまない。なんでもない」

 

 どれだけ言葉を以て『可愛いとは何か』を説明しても、カエデ自身がその感覚を知らない限りは()()()()()()()。余裕を持たせるべく女の子らしい部屋にする為に小物を買いやってきた店の中で、カエデが悩まし気に猫の人形を眺めるのを見て、ペコラとリヴェリアが顔を合わせる。

 カエデに余計な悩み事を増やしたのだとペコラが角を撫でて困った様に笑い、リヴェリアが眉を顰めて吐息を零す。

 二人の様子に気付かなかったらしいカエデが、人形を棚に戻そうとしたところでカエデは棚に置かれた物に目を引かれ、思わずといった様子で手を伸ばした。

 

「これ……」

「どうした?」

「何かありました?」

 

 カエデが手にしたのは真っ黒い箱状の物体。飾り気は一切ない、真っ黒い物体である。箱状なだけで箱ではないのか、継ぎ目が見当たらず、見ようによっては黒い石材を箱状に加工したモノにも見えるその物体を抱えたカエデの様子にペコラが首を傾げる。

 

「なんですかそれ」

 

 カエデの嫌いそうな()()()()()()にしか見えないそれに疑問を口にすれば、カエデが箱を裏返したり表面を撫でたりし始め、リヴェリアも意味がわからないとカエデの様子を眺める。

 何度かカエデが箱状の物をひっくり返したりしているさ中、【八相縁起】がギシギシと義足の軋む音を響かせて棚の影から顔を覗かせた。

 

「その箱はアレだ、狐人(ルナール)の【古代の遺物(アーティファクト)】だとよ」

「あーてぃふぁくと? それって収集家(コレクター)が集めてる物ですよね? なんでこんな所に?」

 

 【古代の遺物(アーティファクト)】とは、千年以上前に作られた人工の代物である。現代の技術では再現不可能な効力を持ち合わせており、古物収集家等がこぞって収集している。

 地上に存在する古代の遺跡から時折見つかるのみ。

 効果は非常に珍しい物から、どうでもいい様な物、ただの装飾品としての価値しかない物まで、さまざまな種類存在し、その中でも古代において最も優れた技術を持った狐人(ルナール)の【古代の遺物(アーティファクト)】は大半が珍しい効力を持つ事が多い為、数千万ヴァリスで取引される事もある。

 そんな珍しい代物がなんでこんな【恵比寿・ファミリア】の支店。それも雑多に置かれた雑貨の中に紛れているのか。普通ならその筋の収集家の元へ売り渡される代物が置かれているのか。疑問を覚えたペコラの言葉に【八相縁起】は眉を顰めて呟く。

 

「確かに狐人(ルナール)の【古代の遺物(アーティファクト)】なのは間違いないが……」

 

 そりゃ効果も不明な()()()()だよ。呆れ顔で愚痴を零す【八相縁起】。

 恵比寿が意気揚々と遺跡の発掘隊から買い取った代物であるのだが、なんらかの魔法的効力が付与された物(マジック・アイテム)なのは間違いないと断言できるのに、その肝心の効力が不明である。

 何しろ、燃やそうが叩こうが砕こうとしようが傷一つつけられないだけのただの黒い箱状の物体である。継ぎ接ぎ一つ見受けられないその箱を前に、殆どの鑑定士が両手を上げてこう言うのだ『ガラクタじゃないか』と。

 しかもその黒い箱状の物体はそこそこ出回っている。何の効力か不明の、継ぎ接ぎの無い【古代の遺物(アーティファクト)】。唯一、その付与されている魔法の性質が狐人(ルナール)の扱う妖術に近しい事から、狐人(ルナール)の【古代の遺物(アーティファクト)】であると断言できるのみ。

 数が出回っており、効力は不明。収集家が求めるのは希少(レア)な物であって、効力もわからない、数も出回っている希少性の無い様なガラクタではない。其の為、完全に売れ残り店の雑貨の中に放り込まれる羽目になったのだ。

 

「そういう訳だから、そいつは二束三文でもいいから売れてくれって感じで置いてある。買うか?」

 

 なんならじゃが丸くん価格(50ヴァリス)で良いぞ。そう言って定位置のカウンターに戻っていく【八相縁起】を眺めてから、リヴェリアがカエデの方に視線を戻せば。カエデが箱の匂いを嗅いでいた。

 

「……カエデちゃん?」

「はい」

「それ、買うんですか」

「買います」

 

 迷わずにカエデが購入を決め込んだその黒い継ぎ目のない箱状の物をおかしなものを見る様な目で見つめるペコラ。可愛らしさも微塵もない品物を即決で買うと決めた理由がわからずに首を傾げる。

 

 

 

 

 

 【ロキ・ファミリア】の本拠(ホーム)『黄昏の館』の門番は不思議な光景を目にした。

 カエデが黒い箱状の物体を大事そうに抱えながら帰ってきたのだ。何を大事そうに持っているのかと目を凝らせば、継ぎ接ぎの無い、鉱石の様にも見えるそれ。リヴェリアとペコラが疲れた様な表情をしているのも相まって、理解できない光景である。

 

「おかえりなさい。その、リヴェリア様とペコラさん、何かあったのですか?」

 

 門番を任されていた第二級(レベル3)団員の言葉にリヴェリアが首を横に振り。なんでもないと答え、ペコラは笑みを零してから死んだ様な目でカエデの後姿を見る。

 

「なんかカエデちゃんがどうしても欲しいってあれを買ったんですよね」

 

 継ぎ接ぎの無い黒い箱状の物体(あれ)を指さして呟くペコラの様子に、門番が首を傾げて意味がわからないと呟いてから、まぁいいかと考えを投げ捨てて口を開いた。

 

「それより、今日はジョゼットさんが人形配ってますよ」

 

 少女らしい趣味を持て。そうリヴェリアに言われてジョゼットがお菓子作りや手芸を始めて以降。作ったお菓子や手芸の作品を団員達に譲り渡すといった事が何度も行われており、今日も作りに作ったジョゼットの人形なんかの作品が配られている。その事を門番に伝えられたペコラがばっと顔を上げて門番の両手をがしりと掴んで上下に振る。

 

「ありがとうございます!」

「え? あぁ、うん。どういたしまして?」

 

 唐突なペコラの行動に虚を突かれて呆然とする門番と、考え込んでいるリヴェリアを置き去りにしてペコラが駆けだしていき、入り口の扉を開けて中を覗き込んでいたカエデの首根っこを掴むとそのまま本拠(ホーム)内へと滑り込んでいった。

 呆れた様子で肩を竦め、直ぐにリヴェリアも後を追う。

 

「門番ご苦労。ではな」

「はい」

 

 

 

 

 

 本拠(ホーム)のエントランスの片隅、木箱とテーブルが並べられた其処でジョゼットが団員達と談笑しつつも人形を配っていた。

 置かれた木箱の数は二十を超え、それぞれ団員達を模した人形が詰め込まれている。趣味で作るそれらは、作り過ぎてはこのように配るといった事をしている事もあり、団員達からは見慣れた光景である。

 其処に飛び込んできたのはカエデの首根っこを掴んだペコラである。

 

「ジョゼットちゃんっ!」

「ペコラですか。こんにちは。もうすぐこんばんはの時間ですが」

 

 生真面目そうなジョゼットの言葉にカエデもぺこりと頭を下げる中。ペコラは迷わず木箱に近づいて中身をあさり始める。その様子を見ていた団員達は苦笑しつつも礼を言って人形片手に去っていく。

 唐突なペコラの行動に呆れつつも、ジョゼットは目の前に置き去りにされたカエデに声をかけた。

 

「こんばんは、今日は買い物に行くと聞いていましたが。何かありましたか?」

「こんばんは。はい、これがありました」

 

 ばっと目の前にさしだされた真っ黒い箱状の物体を眼にしたジョゼットは一瞬息を詰まらせ、ゆっくりとした動作でその箱状の物を受け取り、観察しはじめた。

 

「これは……魔法が付与されていますが。効果は何ですか?」

「秘密です」

 

 嬉しそうに尻尾を振るカエデの姿にジョゼットが眉を顰めるさ中、リヴェリアが歩いてきたのに気付いてジョゼットが敬礼をリヴェリアに向ける。

 

「おかえりなさいませ、リヴェリア様」

「ただいま。今日も私の人形は無い様子だな」

 

 挨拶もそこそこに並べられた木箱をちらりと眺めるリヴェリア。リヴェリアの見た木箱の中には、丸々としたシルエットに布製の大斧を担いだ姿勢のドワーフの人形が木箱の中にいくつも残っている。

 木箱のすぐ横には『団長』『副団長』『ガレスさん』といった走り書きのメモが張り付けられており、木箱の中身が【ロキ・ファミリア】の三人であったことがうかがえる。現在はガレスが一人取り残されている様子ではあるが。

 

「多めに作りはしたのですが……」

 

 毎回、エルフ達がこぞって持っていく為、リヴェリア様の人形が残る事は無いと苦笑と共にジョゼットが語る。

 エルフ達に敬われているリヴェリアの人形は、当然の如くエルフ達に人気である為に残る等といった事は一度も無い。団長であるフィンは常にとあるアマゾネスが真っ先にやってきて回収するか、女性団員達がこぞって持っていく為残らない。

 唯一、ガレスの人形が残ってしまうのだ。他にも目立たない団員の人形なんかもそこそこ残っている。

 カエデが木箱の中身を眺め、ガレスの人形を手に取った。

 

「おぉ、ガレスさんです」

「私の人形もあればよかったのだが……む、ロキの人形はあるみたいだな」

 

 リヴェリアは木箱の一つに入っていた神ロキを模した人形を手に取り、口元に笑みを浮かべてからカエデに差し出した。

 

「貰っておくといい」

「……? いいんですか?」

「いいだろう?」

 

 ジョゼットに確認をとるリヴェリアの言葉にジョゼットが頷く。

 

「お好きに。燃やしたり的当てに使うとかしなければ別に構いませんよ」

「燃やす?」

 

 首を傾げたカエデの姿を見て、ジョゼットが不愉快そうに眉を顰めて口を開いた。

 

「その、アレックス・ガートルの人形を、燃やしたり的当ての的にしたりと……」

 

 ジョゼットは一通りの団員の人形を作っていたのだが、人気の無い団員として常に木箱の中に取り残されていた人形の中に、彼のアレックス・ガートルの人形があったのだ。

 それを見つけた一部の団員が恨みをはらそうと燃やしたり的当ての的として使ったりと、作成したジョゼットからすれば不愉快な使われ方をしたのだ。無論、ジョゼットとてアレックスに思うところはないとは言わない。けれど人形に罪はないのだから。

 

「へぇ……」

「……その団員は誰だ? その行動は流石に見逃せない」

 

 嫌そうなカエデの顔を見て、リヴェリアは溜息を零した。ジョゼットが『既に団長が対処しました』と報告すれば眉を顰めつつも納得したのかリヴェリアは口を閉ざす。

 火で焼かれたというアレックスの人形の姿を脳裏に描いて不愉快になったカエデの目の前に、真っ白い人形が突き出されて、カエデは思わずのけぞる。

 

「見てください。ペコラさんとカエデちゃんですよ」

 

 いつの間にか近づいてきていたペコラの手にはペコラを模した人形とカエデを模した人形があった。思わずカエデが手を伸ばせば、ペコラはそのままカエデに人形を手渡した。

 持ち切れなかったガレスとロキの人形を台の上に置き、カエデとペコラの人形を受け取ったカエデが感嘆の吐息を零すのを見て、ペコラが小さくよしと呟く。

 いくらなんでも自分の人形になら反応を示すだろうというペコラの予測は間違いではなかった。

 

「凄いですね」

 

 緋色の水干に、手足には暗色の手甲や金属靴の様な防具。真っ白い髪に真っ白い尻尾。背に背負われているのは『ウィンドパイプ』を模した物。浮かべられている表情は口元を引き結んだ真面目そうなもの。

 誰が見ても『カエデ・ハバリの人形だ』と答える程に良くできた人形である。

 ペコラ・カルネイロの人形も、ペコラを知る者が見ればペコラの人形だと口を揃える程に特徴の捉えられた造形をしている。ただの布と綿で作られてはいるが、それでも素直に『すごい』と口にしてしまう程の出来に驚くカエデ。

 その様子を見ていたペコラがにやりと笑みを浮かべてから、隠していた人形をぱっと取り出した。

 

「ラウルさんとベートさんの人形もありますよ」

 

 差し出されたのはごく普通の男性冒険者を模した人形。に見えるラウルの人形。ラウルを知る者が見れば『ラウルの人形』だとわかるが。知らぬ者が見たら皆が想像する『普通の冒険者の人形』と答えるであろうそれ。

 もう一つは灰色の毛並みの目つきの悪さがしっかりと表現されたベートの人形。見るからに目つきが悪く、強気な笑みを口元に浮かべた人形である。

 

 カエデの腕に強引に押し付け、ペコラが胸を張る。

 

「これらの人形を飾っておけば、少しは女の子らしい部屋になりますよ」

 

 人形を飾っておけば女の子らしい部屋になると豪語するペコラの言葉を聞きつつも、カエデがジョゼットを伺う。

 ガレスの人形、ロキの人形、カエデの人形、ペコラの人形、ラウルの人形、ベートの人形と六つも貰って良いのかとカエデがジョゼットに聞けば、ジョゼットはどうぞと笑みを浮かべる。

 

「一人で団長の人形を全部独り占めにしようとするようなことをしなければ好きにどうぞ」

「ありがとうございます。ジョゼットさんとリヴェリア様、団長の人形ってないですか? 後、アリソンさんとかグレースさんとか」

 

 カエデの質問に対し、リヴェリアが笑みを零す。つい先ほど行った店での人形に対するカエデの感想から懸念していた事が解消されたのだ。

 

「……すいません。アリソンさんの物は確かこの辺りに。私の物は……そういえば自分の人形は作った事がありませんね。今度作っておきます。リヴェリア様は人気なので……今日はもうないですね。グレースさんとヴェトスさんの人形は既にグレースさん本人が持って行ってしまったので」

 

 人気のあるフィンやリヴェリアの人形は多めに作るが、貰い手が見つからない可能性の高い団員の物は一つしか作らない事が多い。其の為、グレースやヴェネディクトスの人形は一つしか用意していなかったのだ。

 

「……そうですか」

「今度作っておきますので、それまで楽しみにしておいてください」

「はい、ありがとうございます」



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『後悔』

『アチキは、どうすれば良かったさネ?』

『どう、とは?』

『……敵を、殺しちゃダメだったさネ?』

『さあな』

『ヒヅチなら、どうしてたさネ?』

『……殺した、だろうなぁ』

『一緒さネ』

『一緒にするな。ワシは、お主とは違うよ』

『悲しい事言うさネ』

『違うのさ。ワシとお前は……お前は、ワシを斬れんだろう? カエデを殺せないだろう? ワシは、きっとお主も、カエデも斬れる。殺せる。だからお主とは違うさ』



 ダンジョン第十九階層から二十四階層の層域は冒険者達からは『大樹の迷宮』と呼ばれている。木肌でできた壁や天井、床は巨大な樹の内部を彷彿とさせる。燐光の代わりに発光する苔は無秩序に迷宮中で繁茂し、青い光を放ち視界は十七階層よりよほど明るく困りはしない。

 しかし、出現するモンスターは迷宮の武器庫(ランドフォーム)より作り出された岩または硬質な木材製の天然武装(ネイチャーウェポン)を使うリザードマン等の中層域においては手強い相手。

 ガン・リベルラの様に遠距離攻撃を主体としたモンスターが出現したりと、安全階層(セーフティポイント)である十八階層以下の階層。中層下部領域は中層上部領域に比べて非常に難易度が上がる。

 火属性の飛び道具に近い魔法を扱うヘルハウンドは火精霊の護布(サラマンダーウール)による対策が可能であったが、ガン・リベルラの使用する杭は純粋な耐久か防具での防御、回避する他無い。

 

 中層下部領域、第二十階層。小規模な休息部屋(レスト・フロア)にて昼食をとっていた【ロキ・ファミリア】の冒険者パーティの中に白毛の狼人、カエデ・ハバリの姿があった。

 共に行動しているメンバーはガレス・ランドロック、ベート・ローガ、ティオネ・ヒリュテ、フルエンの四人。

 干し肉を齧りながらカエデが地図を広げてマーキングをしては首を傾げ、横から覗き込んでいたティオネが同じく首を傾げる。

 

「おっかしいわね。此処の採取地点も取られた後、こっちもそうだったし……」

 

 現在【ロキ・ファミリア】が行っているのは通常のダンジョン探索ではなく冒険者依頼(クエスト)を受けての活動中であった。

 依頼内容はシンプルに中層下部領域の『大樹の迷宮』内部に自生している植物類の採取。主に高位回復薬(ハイ・ポーション)の素材となる植物である。

 依頼は【ディアンケヒト・ファミリア】から【ロキ・ファミリア】に対して直接依頼された物で、前回の深層遠征の際に多数の高位回復薬(ハイ・ポーション)を消耗し、需要に対し供給が不足し始めていた事を気にした神ディアンケヒトの依頼らしい。

 

 主な採取地点はダンジョン内に複数個所存在するのだが、階段近くの採取地点は既に回収された後。それも根こそぎと言わんばかりに土を掘り返して根っこすらも回収されており、依頼された植物は全く集まっていなかった。

 

「ちっ、なんでこう行く先々で取られてんだよ」

「仕方なかろう。ダンジョン内の物は誰の物でもない。他の者に取られても文句は言えん」

 

 ガレスの言う通りであり、ダンジョン内にある物は誰の物でもない。其の為、採取地点や採掘地点等が他の冒険者によって採取され尽くしている事なんて珍しくともなんともない。

 とはいえ、植物の根まで全て掘り起こして持って行くのはやりすぎではないかとカエデが首を傾げる。

 

「根っこまで持って行ったら、枯れちゃうと思うんですけど」

 

 森の中にある薬草の群生地から採取する際には守らなくてはならない注意がある。

 それは()()()()()()()()。薬草類を全て採ってしまえば、次採取しに来る事が出来なくなる。森に住まう者達の常識であるソレ。本来なら、カエデのその考えは正しい。正しいが、地上ではという接頭語が付く。

 ダンジョンの中の物は、破壊しようが何をしようが、一定期間を空けると元通りになる。

 それは鉱脈もそうだし植物も当てはまる。ただし、鉱脈にしろ植物にしろ、常に同じ物が同じだけ採取できる訳ではなく、希少(レア)鉱石が出る事もあれば、全く目的の植物が採取出来ない事だってあるのだ。

 ただ、取り尽くそうが何をしようが、ある程度元に戻る。故に冒険者達は採取する際は持てる数だけ採取していくのが一般的であるのだが。

 

「にしてもおかしいだろ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()の群生地すら採り尽くすだなんて」

 

 苛立たし気なベートの言葉にティオネとガレスが唸る。

 もともと普通にモンスターを討伐する気でいたベートは目的ではない冒険者依頼(クエスト)に付き合わされて不機嫌になっており、言葉の端々がとげとげしい。頭数が居ないからと半ば強引に付き合わされて不機嫌さを隠さない様子にガレスが吐息を零しつつも、今回の現象について考える。

 ベートの言った通り、今回の採取依頼が出された植物は相当量が採取可能な代物である。

 今回足を運んだ群生地は数多のファミリアが存在を認知する地図上にも記された一般的な採取地であった。当然、複数のファミリアが同時に足を運び、結果的に目的の植物が採り尽くされる事もあり得るだろう。

 五か所全てが、という接頭語が付く事はありえないのだが。

 

「細かな所回ります? 三か所行けば集まるはずですけど」

 

 モンスターの対処自体は、第二級(レベル3)が二人。準一級(レベル4)第一級(レベル5)第一級(レベル6)がそれぞれ一人ずつ居るので問題はないが、採取地を回るのは非常に骨が折れる。

 嫌そうに鼻を鳴らすベート、団長の前ではないからと猫を被らずに唸りながら舌打ちをするティオネ。二人の様子を見たガレスが吐息を零しつつも立ち上がり声をかけた。

 

「此処で唸っておっても仕方あるまい。とりあえず此処から近い採取地へと向かう」

「わかりました」

 

 威勢よく返事をしたのはカエデのみ。ベートとティオネはそれぞれ面倒くさそうに溜息を零したり舌打ちをしたりと各々がけだるげに立ち上がった。

 

 

 

 

 

 大剣の柄をしっかりと握り、目の前に迫ったリザードマンを一刀両断の下に斬り伏せる。動きも遅く、大したことのない相手である。今は、という接頭語が付くが。

 過去、と言っても第十八階層迷宮の楽園(アンダーリゾート)にて第三級(レベル2)の時に戦ったあの頃からまだ一か月と十日程しか経っていないのだが。あの頃と比べると段違いに自分が強くなった事が自覚できる。

 続く二匹目に剣を突き立て、即座に引き抜いて後ろから急襲を仕掛けてくるリザードマンを振り向き様に横薙ぎの一閃で叩き切る。

 遠くから飛来したガン・リベルラの攻撃を剣先で弾き、懐から投てき用ナイフを取り出して投げる。そう力を込めた覚え等無いのに、まるで閃光の様な速度で放たれたナイフが深々と、根本までぎっちりとガン・リベルラの頭部に突き刺さり、ガン・リベルラを絶命させる。

 

 ダンジョン二十階層の広間にて出合い頭の戦闘となったが、何の問題も無くモンスターを殲滅し終え、カエデは周辺警戒を行うベートにちらりと視線を向け、直ぐに外して足元のモンスターから魔石を剥ぎ取る作業に戻る。

 散らばったモンスターの数は二十を軽く超えているが、これでも()()()()()()数である。

 速攻で殲滅した事で、他のモンスターに気取られずにいたおかげか、増援の影も無く平和そのものである。

 迷宮の悪意(ダンジョン・トラップ)に関してもフルエンが欠伸交じりにひょいひょいと片づけていくおかげで、カエデは安心してモンスターに集中できる。

 ナイフでリザードマンの皮に切れ込みを入れて魔石を抉りだせるだけの隙間を作り、手を突っ込んで肉の中をまさぐる。滑る血の匂いは、今更に気にするほどのものではなく。生暖かい肉を引き裂いて腕で内臓、心臓の辺りを探る様な感触も、余り気にならない。

 

 モンスターから魔石を抉りだす。

 

 モンスターの死骸処理を目的としたサポーターの装備品。使い捨て。強力な胃酸等から皮膚を防ぐ。異常効果にも耐性あり。彩色バリエーション豊富のサポーター・グローブを装備して、剥ぎ取りナイフを使う。

 表皮をナイフで切り裂き、肉に切れ込みを入れて手でこじ開け、その内側の内臓、心臓の辺りに存在する魔石を掴んで抉り出す。またはナイフで周辺の肉を切り取り、ナイフで魔石を抉り出す。

 

 その行動に、違和感や嫌悪感を抱いた事は無い。強いて言うなれば肉が消えてしまう事に勿体なさを感じる事はあっても、殺したという事実に思いふける事は無かった。今までは。

 今はよくわからない。人を斬った。アレックス・ガートルという生きていた虎人(ワータイガー)の青年を、斬った。

 皮膚を裂く感触は、肉の感触は、骨を砕く感触は、同じだと思う。だというのに、自分はモンスター相手に加減等せずに斬りかかれる。斬った感触に違いを見出せない癖に、モンスターは斬れるし、殺せる。

 

 だって、モンスターは殺しにかかってくるから。

 

 殺意を、悪意を、害意を剥き出しにし『お前を殺す』とその瞳に殺意を灯し、襲い掛かってくる。

 躊躇する理由なんて、何処にもありはしない。でなければ、死ぬのは自分になってしまうから。

 でも、もしそれが正解なのだというのなら。アレックスを殺したのは間違っていないのではないか

 考えれば考える程、そう言った考えが脳裏を過る。ベートの言った通り、何も悪くないんじゃないかと思えてくる。けれど、その考えを肯定してしまったら、何かがダメになってしまう気がする。

 尻尾を優しく掴まれて『ソレはダメだよ』と囁かれている気分になる。

 

 何が良くて、何がいけないのか。わからない。

 

 

 

 

 

 二十階層の片隅、主に冒険者が利用する一般的なルートから外れた場所に存在した植物の群生地にて、ようやく見つけだした冒険者依頼(クエスト)に必要な植物。

 一般的に販売されている地図に記されていた規模の大きな群生地は全て採取し尽くされており、それ処か【ロキ・ファミリア】独自に作り上げた地図に記された小規模な群生地も殆どが採取し尽くされており困っていた所だったのだが、未だ未確認の群生地を見つける事に成功したおかげで、依頼された量に届く程の量が見つかったのだ。

 目的の植物が群生している地点を()()()()()()()のは、カエデの何気ない一言のおかげであった。

 

『こっちに何かありそうな気がします』

 

 その一言に対しフルエンとベートが訝し気な表情を浮かべ、ティオネとガレスがまぁとりあえず行ってみるかと歩き出し、無駄に時間はかかったものの、目的の植物を見つけ出す事に成功したのだ。

 

「よくやったぞカエデ、これでようやく帰れる」

 

 褒めながらも手早く採取用ナイフで葉を斬り落としては袋に納めていくフルエン。葉は肉厚で先が尖り、葉縁にはトゲがあり、低木状の植物であるソレ。葉のトゲに触れぬ様に手早くも丁重に採取し始め、瞬く間に必要量を集めきり、序に持てる分量だけ追加で採取して依頼に色を付けて貰おうとほくそ笑む。

 そんなフルエンをベートが半眼で睨みつつも口を開いた。

 

「今から帰ったら真夜中だぞ。どうすんだ?」

 

 時刻は既に四時過ぎ。この時間から地上を目指した所で、地上に辿り着く頃には深夜になる事は間違いない。

 ベートの言葉にガレスが腕組みをして唸る。フィンからはカエデの事を考えて夜は本拠に居させたい様子ではあったのだが、今から無理に地上に戻ってもベートの言う通り真夜中になるだろう事は避けられない。

 無論、ガレスが居る以上【ハデス・ファミリア】に襲撃されようと必ずカエデを守り切ると誓うが、万が一があり得る。

 そう考えると人気のない、モンスターしかいないダンジョン内を夜中に歩き回るよりはダンジョン内とはいえ冒険者が多数集まる安全階層(セーフティポイント)であるリヴィラの街に留まる方が安全であろう。

 リヴィラの街の取り締まりを行っているボールス・エルダーが血眼になって【ハデス・ファミリア】を警戒しているのだ。安全さは地上と変わりない、はずである。

 

「仕方がない。十八階層で宿をとるか」

 

 冒険者なのだから地上に強引にでも戻るのかと考えていたカエデが首を傾げる横で、フルエンが大きく頷いて口を開いた。

 

「ついでに取り過ぎたコレも処分しときたいし賛成だ」

 

 袋一杯に詰め込まれた植物の葉。それも袋三つ分、カエデでも一抱えはあるそれを三つもかき集めたフルエンに対しティオネとベートの呆れの視線が突き刺さった。

 

「採り過ぎでしょ」

「馬鹿か」

 

 二人とも酷いじゃないですかとフルエンが眉を顰めつつも指を立てて呟く。

 

「良いですか? 高位回復薬(ハイ・ポーション)の素材が不足してる今、高値で売れるんですよ? 持ち帰らずしてどうするんですか? ぶっちゃけ魔石かき集めるよりこっちの素材の方が高値なんで魔石集めよりこっちのが希少なんですから。他の冒険者も同じ事考えて根こそぎ、文字通り根っこまで採取して持って行かれたんだし、早めに集めて売れば稼げるじゃないですか」

 

 深層遠征の際に入った収入の分け前では物足りず、【イシュタル・ファミリア】の娼婦に入れ込んでいるらしいフルエンの言葉に半眼になりつつもガレスが溜息を零した。

 今回の冒険者依頼(クエスト)で苦戦したのも、高位回復薬(ハイ・ポーション)の不足から来る値段の高騰により、素材の相場価格が引き上げられた事で冒険者達がこぞって採取して行ったため、というのは間違いではない。

 だからと言って集めすぎだとガレスが苦言を呈せば、フルエンが舌を出しておどけた表情を浮かべた。

 

 

 

 

 十八階層、迷宮の楽園(アンダーリゾート)とも呼ばれる階層の中央。リヴィラの街の中でベートが苛立たし気に舌打ちをしながらフルエンの背中を睨む。

 

「なんで此処まで来て野営なんだよ」

「仕方ないじゃないですか。宿が一杯だっていうんですし……」

 

 十八階層にたどり着いて蓋を開けてみれば、宿にはちょうど十八階層にて起こされた【ハデス・ファミリア】の一件についての調査を行っていた【ガネーシャ・ファミリア】や【トート・ファミリア】の団体が宿を占拠しており、()()()宿()は全て埋まっていたのだ。

 其の為、買取所でボールスに採取過多の薬草類を売り払った序に野営道具類を借り受ける事に成功したフルエンが野営道具のテント等を担ぎながらリヴィラの街の中央部を歩いていた。

 

「もしくはカエデちゃん連れて連れ込み宿にでも入ります? 翌朝には【幼女趣味(ロリコン)】ベート・ローガっていう華々しい異名が勝ち取れますよ」

 

 残っているのは出張娼婦、【イシュタル・ファミリア】の娼婦がこそっと経営している連れ込み宿の類のみ。宿としても利用できるが『男一人、女一人』でないと宿泊許可が下りないという制限がある。

 人数は五人、男三人、女二人なので男が一人余るのは仕方ない。だが、ティオネならまだしもカエデとそんな場所に入った日には、次の日に噂が地上どころか天界にまで届く勢いで広まる事は間違いない。

 

「俺は御免ですけどね」

 

 ティオネさんと入るのも勘弁ですけど。そう続けたフルエンの言葉にベートが溜息を零しながらも街の出入り口の部分にたたずむ警備の冒険者を見る。

 

「……警戒してんな」

「……そうですね。火事場泥棒で相当被害出たらしいですしね」

 

 【ハデス・ファミリア】が引き起こした事件によって怪物進呈(パス・パレード)をリヴィラの街にぶつけられ、なおかつもぬけの殻になった街に残っていた持ちだしきれなかった物資類を根こそぎ奪われたのだ。

 神々が『マッチポンプ過ぎぃ』と呆れ返る程の事件。肝心の主神も行方知れず。神ロキだけでなく幾つものファミリアが血眼になって探しているというのに見つからない【ハデス・ファミリア】について考えていたベートの横で、フルエンが気楽げにけらけらと軽い笑いを零し、遠くなった街を振り返って呟く。

 

「ま、今回のコレは絶対嘘だろうけどな」

 

 地上で引き起こされた【ナイアル・ファミリア】に所属していた虎人(ワータイガー)の襲撃。

 元【ロキ・ファミリア】の団員だった事も相まって、【ロキ・ファミリア】に対する風当たりは強くなる一方。一度ファミリアを追放したが故に無関係であると主張する【ロキ・ファミリア】。それを肯定する『冒険者ギルド』。だが街の住民は【ロキ・ファミリア】を信用しきれず、他のファミリアも同じように【ロキ・ファミリア】を疑っている。

 それ故に、ボールスは『リヴィラの街』に【ロキ・ファミリア】を宿泊させるのに難色を示したのだ。何せいくら【ガネーシャ・ファミリア】と【トート・ファミリア】の二つのファミリアが同時に来た程度で、宿が埋まりきるなどあり得ないのだから。

 

 

 

 

 

 野営の準備を終え、夜番の組み合わせも決まった。

 たてられたテントの前でカエデがおっかなびっくりと言った様子でテントの中を伺う。

 用意されたテントは一つのみ。二つ借りる余裕はなかったとの事で、中では既にベートが寝転がっており、カエデが恐る恐ると言った様子で中に入れば、ベートが一瞬カエデの方に視線をやり、直ぐに逸らした。

 何を言うでもなく逸らされた視線に対し、悲し気に尻尾を揺らしてからテントの隅っこによって寝袋の中に身を滑り込ませてすぐに眠りにつこうとしたところで、ベートが唐突に口を開いた。

 

「なあ」

「なんですか」

 

 驚き過ぎて声が出ない。等という事はなく、ごく普通に返答出来た事に自分でも驚きつつもベートの方に視線を向ければ、ベートはカエデの方に視線を向けるでもなく独り言を呟くように喋りだす。

 

「お前は、まだ()()()()()()とか思ってんのか?」

 

 あれから、二週間が経過した。未だにカエデに対する風当たりは強く。【ロキ・ファミリア】だけでなくカエデの評判も悪くなる一方。凶兆の白毛の狼人、狼人(ウェアウルフ)達に語られる伝承が、いつの間にか他の種族の間でも囁かれている。

 殺した、あの日あった出来事が語られる度に、申し訳ない気持ちで一杯になる。だからこそ、カエデの答えはただ一つだけだ。

 

「はい」

 

 戸惑う必要は無く、即応で答えるべき事柄。『人を斬るな』という師の語った言葉が絶対に正しい。そして、自分もそう思っているのだと言い聞かせるさ中、ベートがぽつりとつぶやく。

 

それでお前が後悔しなきゃ良いがな

「はい?」

「なんでもねえ。さっさと寝ろ」

 

 聞き取れなかった言葉が気になり声をかけるも、ベートは無視して口を閉ざしてしまい、結局カエデはその言葉を聞けなかった。

 

 

 

 

 

 時刻は凡そ午前三時半頃、焚火に薪を追加して火が途絶えない様にしつつも、カエデはぼんやりと先程聞き取れなかったベートの言葉に引っかかりを覚えていた。

 一晩丸々起きていると宣言したガレスが暇そうに顎鬚を撫で、ベートとカエデの様子を伺う。

 火をぼんやりと眺めるカエデと、暇そうに欠伸を噛み殺すベート。どちらも視線を合わせようともしない様子にガレスが吐息を零す。ガレスの吐息に反応したカエデがガレスを伺う様に口を開いた。

 

「ガレスさん?」

「んむ? どうした?」

「眠いのかなって」

 

 カエデの言葉に苦笑を浮かべつつも平気だと答え、ベートの方を見れば暗闇の中にぼんやりとかすかに見える天井を睨みつけていた。

 

「ベート、どうした?」

「……なんでもねぇ」

 

 誤魔化す様な言葉に対し、カエデが身を震わせ、誤魔化す様に尻尾を抱き抱えて焚火の中に薪を追加し始める。

 パチパチと薪の燃える音を聞いていると、カエデがすっと立ち上がった。

 

「どうした?」

「ちょっとおしっこです」

「おう……」

 

 飾らぬ言葉にガレスが一瞬虚を突かれている間に、カエデが近くの木陰に入っていったのを見てベートが眉を顰める。

 

「……あいつ、恥ずかしくねえのか?」

「…………あの辺りはリヴェリアがなんとかするだろう」

 

 困ったようなガレスの言葉に対し、ベートが眉を顰めてテントの入り口を開けて中に石ころを投げつけた。

 

「痛ぃ……何? 何なの?」

「起きろティオネ」

「ベート?」

 

 投げられた石ころは狙い違わずにティオネに命中し、寝ていたティオネの眠りを覚ます。唐突に起こされた事に苛立っているのかティオネが眉を顰めつつもテントから這い出してきたのを見て、ベートがカエデの消えていった草むらを指さす。

 

「カエデが小便に行った。ちょっと見て来い」

「…………えぇ?」

「俺は男で、ガレスは爺だ」

 

 ベートの言いたい事も理解できなくはない。できなくはないが、もっと優しく起こせとティオネがベートを睨めば、ベートが呆れた様に呟いた。

 

「お前普通に起こそうとすると殴りかかってくるだろ」

 

 団長以外に襲われる気はない。そう言い切って殴りかかってくる。そう言われてティオネが視線を逸らした。

 

 

 

 

 

 周辺を伺いつつも、カエデは確信と共に足を進めていた。先程『おしっこ』とガレスに伝えて木陰に入ったカエデは、言葉とは裏腹に用を足す訳でもなく森の奥地に足を運んでいた。

 嘘を吐いてまで皆から離れた理由を、カエデは説明できない。ただ、直感の様なモノがカエデに囁きかけてくる気がする。尻尾を優しく引かれ、『行けばわかる』と示される。

 急かされる様に足を運んだ先、カエデの視界に映し出されたのは小さな小川と、その小川の傍に立つ大柄な影。その大柄な影、人物が誰なのかカエデは知らない。わからないはずなのに、勘を信じてカエデはその人物に対して声をかけた。

 

「アレクトルさん……」

 

 カエデが声をかけても、その影は動かない。人違いではないかという考えが脳裏を過るが、それは違うと勘が告げる。距離は凡そ一歩踏み込めば()()()()()

 

「【処刑人(ディミオス)】アレクトルさん」

 

 再度、二つ名と共にその背に声をかければ、その人物はゆっくりとした動きで振り向き、カエデを強く睨み付けてきた。

 殆どが抜け落ちてわずかに残る白い髪。深い皺の刻まれた顔。傷だらけの体に、肘の辺りから失われた左腕。顔の半分に深々と刻まれた傷跡に、白濁した右目。顔を見たのはこれが初めてであるにも関わらず、声を聞いてもいないのに、この人物がカエデを殺さんと刃向けてくる【ハデス・ファミリア】の団長にして現在オラリオには数名しか居ない第一級(レベル6)冒険者【処刑人(ディミオス)】アレクトルだと確信した。

 

「カエデ・ハバリか」

 

 深い、静かな声色だ。怒りを抱くでもなく、焦りも何もない、まるで凪いだ泉を思わせるその声に対し、カエデは迷わず口を開いた。自分が何故ここに来たのか、何故無防備に目の前に来てしまったのか、わからない。わからないけれど、言わなければいけないのだという焦りがカエデの口を動かした。

 

「ワタシを、殺そうとするのをやめてください」

 

 真っ暗なはずの泉から、ほんのかすかな光が漏れ出ているのに気が付いて警戒するさ中、アレクトルはゆっくりとその場に腰を下ろして俯いた。

 

「その願いは、叶わない」

 

 静かな、けれども確かな拒絶の言葉にカエデが震え、疑問を投げかける。

 

「なんで、ですか」

 

 静寂に満ちた泉の傍に腰を下ろしたアレクトルは、静かにカエデを見据える。その瞳に映るのは哀憫の色。

 疑問が溢れかえってくる。何故、命を狙う貴方が私に哀憫の目を向けるのか。そうでありながら何故命を狙うのか。湧き上がった疑問を口に乗せるより前に、アレクトルは静かに口を開いた。

 

「選べ。此処で俺を殺し、終わらせるか。それとも、生かして後悔するか」

 

 その言葉に、カエデは身を震わせた。何故そんなことを言うのか。

 

「今、この場でなら。俺は無抵抗でお前に()()()()()()()()()。だがもしここで殺さないというのなら」

 

 言葉を止め、アレクトルは白濁していない左目でカエデを見据える。哀憫の色は消えうせ、静かに凪いだ湖を思わせるその瞳に吸い込まれそうになる。

 魔法を発動し、耐久を無視して切断という結果をもたらす装備魔法『薄氷刀・白牙』を作り出し、一歩踏み込んで振るえば確実に殺せる。アレクトルの瞳には抵抗の意思はない。

 魔法の発動を邪魔することも、襲い来る凶刃を避ける事も、反撃にて道連れにしようなどということは有り得ない。断言できる。

 

今度はお前の周りの全てを巻き込む事になる

 

 ぞくりと、背筋を這い上がる感触に身を震わせ、カエデはカラカラに乾いた喉を鳴らして口を開いた。

 

「なんで……」

「俺は、罪深き者だ。だからこそ、もう止まれない」

 

 彼の神は言った『主神の言葉こそ全てと在る事こそが、最高の眷属の条件だ』と。だが、それは間違いだった。俺は間違っていた。だが、もう止まれない。一度の間違いでは済まない。何度間違えたのか数える事も出来ないぐらい間違えてきた。だからこそ此処でお前が選べ。

 

 ────この場で俺を殺す生かすか────

 

 アレクトルの言葉に身を震わせ、一歩後ずさる。殺す? 生かす? カエデが()()()答えは一つだけだ。

 

「殺しません」

「違うだろう」

 

 カエデの言葉に対し、アレクトルが真っすぐカエデを見据えて即応した。即応し、言葉を続ける。

 

「お前のそれは()()()()じゃない。()()()()の間違いではないか」

 

 的確に、カエデの心の内に杭を撃ち込まれた。カエデには、アレクトルの言葉を否定できる言葉が何一つ存在しなかった。

 

「選べ、お前が後悔を抱く前に、殺せ。俺を」

 

 さらに一歩後ずさる。戦う気こそなかったが、戦いになるのなら、生き残る為に全力を尽くそうと心に誓い、この場にやってきたカエデに対し、アレクトルの要求は一つ。『無抵抗な(アレクトル)を殺すか生かすか』

 

「出来ないのなら、お前は後悔する。必ず、()()()()()()()()()()()()と」

 

 理解できないアレクトルの言葉に対し、カエデは震え、怯えた。

 何故、殺されてもいい等と口にするのか。貴方は全力で、殺しにかかってくるのではなかったのか。

 もし、もしもこの場で、全力で殺しにかかってくるのなら────()()()()殺せたのに

 

「…………ホオヅキ、という冒険者を知っているか」

 

 唐突なアレクトルの語りに、カエデはさらに一歩下がる。足元にあった木の枝を踏みしめ、ぱきりと音が響いて身を震わせた。

 

「今は、【トート・ファミリア】にて保護されている者だ」

 

 アレクトルの言葉はカエデに届かない。耳から入った言葉の意味を理解できずに、震える瞳で静かに腰かけるアレクトルを見続けていた。

 

「俺は、彼女を殺すはずだった」

 

 懺悔する様に呟かれる言葉には、後悔の色が混じっている。けれども理解できない、したくない。

 

「罪深い行為を行う彼女を、殺す、はずだったのだ」

 

 お前は、ワタシを殺しに来る怪物(テキ)だ。怪物(テキ)なら怪物(モンスター)らしく、殺意を剥き出しにして殺しにかかってきて欲しい。

 

「出来なかった」

 

 やめて欲しい。今すぐに耳を塞いで目を瞑って何も、聞きたくない。怯え、震え、カエデが後ずさる。

 

「彼女は強かった」

 

 既に、カエデとアレクトルの距離は、遠く離れていた。一歩踏み込んだ所で、到底刃の届きようのない距離。

 

「強く、そして、何処までも怪物(ヒト)だった」

 

 聞きたくない。震える足で、カエデは背を向けて逃げ出した。

 

 ────お前も、あの女と同じ匂いがする。だからお前も怪物(ヒト)になる。

 

 その日、アレクトルはカエデを追わなかった。




 ここでカエデが耐久無視の刀で一閃してれば、アレクトルは無抵抗で殺されてましたね。

 殺しておくか、殺さないでおくかアンケートでもとってみようかな……。


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『狂気への導』

『計画を実行する』

『…………』

『どうした?』

『多くの無辜の者を巻き込む事になりますが』

『構わん。神の恩恵を受けた者は全て罪人だ』

『…………恩恵を受けていない者は』

『この地に住まう者全てが罪人だ』

『………………全てはハデス様の仰せのままに』


 暗闇に沈んだダンジョン内の天井。朝になれば天井に生成されている水晶によって照らされて地上と同様の明るさの得られる閉鎖空間。モンスターの発生しない安全階層(セーフティポイント)である十八階層。

 焚火を囲むベート、ガレスは用を足してきたらしいカエデが帰還して以降、無言を貫いていた。

 

 不安げな様子でベートに視線を向けてきていた筈のカエデが、戻ってきて以降は焚火をじっと見つめて尻尾をきつく抱き締めたまま身じろぎ一つしない。

 其の事に違和感を覚えるが、だからと言って話しかける様な事はせず、ガレスに視線を向けて『聞け』と意思を向けてみれば、ガレスが深々と溜息を零しつつも口を開いた。

 

「カエデ、何かあったのか?」

 

 「おしっこです」と口にして場を離れたカエデ。一応、気を利かせてティオネに後を追わせたが、ティオネは『近場に見当たらない』と戻ってきて、結局ベートが匂いを頼りに探す羽目になったが、途中でカエデが自ら帰還してきたのだ。

 明らかに、用を足してきたといった様子ではないカエデは、身を震わせて強く尻尾を抱いて絞り出す様に呟く。

 

「なんでもないです」

 

 あからさまな誤魔化しに対し、ベートが眉を顰めて口を開いた。

 

「何がなんでもない、だよ。小便にしちゃ長かっただろうが」

「…………」

 

 ベートの言葉に俯いて口を閉ざすカエデ。苛立ちを覚えたベートが腰を浮かしかけた所で、テントの中からフルエンが飛び出して叫んだ。

 

「あの糞牛の匂いがするっ!」

 

 飛び出してきて剣を引き抜いて周囲に警戒の視線を向けるフルエンに対し、ガレスとベートが一瞬訳が分からないと眉を顰め、フルエンが二人の様子を見て再度叫んだ。

 

「だからっ、【ハデス・ファミリア】の団長の匂いがするんですってっ!」

 

 フルエンの言葉にガレスとベートが目を見開き即座に立ち上がって武器を構える。カエデだけが身を縮こまらせて震えながら口を閉ざす中、ガレスがフルエンに問いかけた。

 

「間違いないのか?」

「あぁ、一度だけ会った事ありますからね。あの死にかけの爺の匂いは忘れませんよ」

 

 ベートが眉を顰めつつも匂いを探る。フルエンは一度【ハデス・ファミリア】の【処刑人(ディミオス)】アレクトルに出会った事がありその匂いを覚えていたが、ベートは匂いを覚えているという程その冒険者と関わった記憶はない。故に匂いで判別できるのはフルエンのみ。

 騒ぎに気付いたのかティオネが武器を手にしたままテントからするりと抜け出してきたのを尻目に、ベートはカエデの背を見て睨んだ。

 

「おい、テメェも少しは警戒しとけ」

 

 ベートの言葉に身を震わせ、さらに縮こまる様に尻尾をきつく抱き締める姿に違和感を覚え、ベートが周囲を警戒しつつもカエデを強く睨み付けた。

 

「敵と戦いたくねぇなんて抜かすなら──

 

 ドスの利いた声をぶつけようとしたベートの肩をガレスが掴んで止めた。ベートが睨む対象がカエデからガレスに移動したところで、フルエンが鼻を鳴らしてカエデに近づいて、目を見開いてカエデの両肩を掴んだ。

 

「おい、何処でアレクトルと会った?

 

 フルエンの言葉にベート達が首を傾げてる間に、フルエンがカエデの匂いを嗅いで呟く。

 

「やっぱ、カエデからアレクトルの匂いが、かすかにだけどする。何処かで会ったんだろ、何処で会った?」

 

 体を震わせ、身を縮こまらせて口を閉ざす姿に、ベート達が息を呑んだ。

 

 つい先ほど、一人で用を足しに行ったカエデから、現在敵対中の【ハデス・ファミリア】の、それも団長である【処刑人(ディミオス)】アレクトルと会っていたかもしれないという情報。そして様子が明らかにおかしくなったカエデ。二つの情報を聞いた瞬間にベートが駆け出していく。

 ガレスが止める間もない行動にティオネがあっけに取られている間にも、カエデが頭を抱えて耳を塞いで縮こまり、何も聞きたくないとでもいう様に頭を振るのを見て吐息を零してカエデの体を抱き上げてガレスを伺う。

 

「仕方ない。カエデは儂が守ろう。ティオネ、ベートを追ってくれ」

 

 いくらベートが第一級(レベル5)になったとはいえ、レベル5になってからまだ半月程しか経っていない。相手は一応フィンやガレスと並ぶ第一級(レベル6)冒険者。

 フィン・ディムナによって片腕と片目を負傷し失っているとはいえ、第一級(レベル5)になったばかりのベートでは荷が重い可能性がある。其の事を理解しつつも、本来ならフィンと同じ第一級(レベル6)のガレスが行くべき場でありながらティオネを行かせる理由は一つ。

 カエデが完全に戦意喪失状態に陥っており、最低限身を守る程度の動きすら期待できない今、カエデに身を守れと指示した所で無意味であり、下手に襲われれば足手まといであるカエデを守りつつティオネとフルエンで応戦する事になる。それでは拙いのだ。

 

「あぁもう、ベートはいつも突っ走るんだから」

 

 文句を言いつつもティオネが走ってベートを追っていったのを見送りつつも、ガレスが周囲に気を配る。そんなさ中にフルエンはカエデを近場の水晶の陰に座らせて何度も声をかけ、戦意を取り戻させようとするもカエデは耳を塞いでいやいやと身を捩らせるのみで反応は芳しくない。

 カエデの復帰は無理そうかとガレスが吐息を零す。

 

 何故、カエデを狙う絶好の機会であったにも関わらず。殺さなかったのか? ガレスは浮かび上がった疑問を飲み込んだ。油断の許される相手ではないが故に。

 

 

 

 

 

 木々の間、ほんの微かに残ったカエデの残り香と言える匂いを頼りに走っていたベートは、淡く輝く泉の前で立ち止まって周囲を見回していた。

 道中、カエデが用を足した痕跡は一切なかった事から、用を足すというのが嘘だった可能性を視野にいれつつも、泉に向かう途中で匂いが途切れている事に違和感を覚えた。

 泉が目に入った時点でもしかしたら泉に直接といった形で用を足した可能性も思考の端に引っかかったが、直ぐに投げ捨てた。用を足したのなら匂いでわかる。

 カエデは此処に立ち寄ったのみで用を足した訳ではない。では何故ここに立ち寄ったのか。此処に来るまでの道中は一本道。途中で匂いが分岐する事も無かった。つまりカエデは此処で【ハデス・ファミリア】の【処刑人(ディミオス)】アレクトルと出会っていた事になる。

 かすかに残る()()()()()()()()()。それも一人分の匂いに確信と共に歩みを進め、ベートは眉を顰めた。

 

「糞、匂いが途切れてやがる」

 

 おかしな事に、ベートの感じた()()()()()()()()()、推定アレクトルの匂いは、その場に確かに存在するのに。()()()()()()()()()()()()

 匂いはこの場所からするのに、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。つまり匂いはこの場にあっても、その道中が一切想定できないのだ。

 

「どうなってやがる」

 

 いくら何でも、匂い消しを使えばその()()()()()()()()()()はずなのに。それすらなくまるで突然この場に現れて消えた様な匂いの痕跡に対し隠さぬ苛立ちを燃やすベートの後ろに、遅れて駆けてきたティオネが声をかけた。

 

「ちょっと、一人で先走らないでよ」

「うるせぇ」

「で? 件の【処刑人(ディミオス)】って奴は? 追跡できそう?」

 

 ティオネの言葉に対し鼻に皺を寄せて苛立った様子のベートが舌打ち交じりに『追えねぇ』と呟けば、ティオネが眉を顰めた。

 

「なんでよ」

「わかるかよ。此処で匂いが途切れてる。どっかから歩いてきた訳でもねぇし、どっかに歩き去ってもいねぇ」

「じゃあまだ此処に居るとか?」

 

 それなら匂いで判る。そう呟いたベートが強く匂いの残っている場所に近づいて其の辺りを睨みながら周囲を警戒する。ティオネはその様子を見ながらも同じように周辺に気を配るも、二人の感覚に何かが引っかかる事は無かった。

 

 

 

 

 

 【ロキ・ファミリア】ロキの自室。大小様々な酒瓶、珍しい魔術的骨董品(アンティーク)古代の遺物(アーティファクト)等が無秩序に転がる部屋の中央にて、カエデが肌を晒して椅子に座り込んでいた。

 その背に血を塗り付け、ステイタスの更新を行っている神ロキは完全に意気消沈した様子のカエデを伺いつつも、今回の一件についての報告を脳裏に描いていた。

 

 依頼内容は中層下部領域『大樹の迷宮』内で採取可能な薬草類の採取。

 指定された量は一般的な冒険依頼(クエスト)と同等。ファミリア指定した依頼だった事から、通常の相場よりも少し多めの報酬設定のなされた、違和感を感じようのない依頼である。

 その依頼の期間中、不自然なまでに採取され尽くしていた依頼された種類の薬草。これは高位回復薬(ハイ・ポーション)の在庫数に不安を感じた【ディアンケヒト・ファミリア】が件の薬草類の買い取り価格の引き上げを行った事に伴い、相場価格が引き上げられた結果『儲かる』と考えた冒険者がこぞって採取した結果である。

 その結果、採取に時間がかかり【ロキ・ファミリア】から依頼を受託していたガレス、ベート、ティオネ、フルエン、カエデの五名は遅い時間になったことも相まって、中層の安全階層(セーフティポイント)にあり『リヴィラの街』での休息を行おうとしたものの、『リヴィラの街』の管理も執り行っているボールス・エルダーの策略によって十八階層にて野営を行う事に。

の策略によって十八階層にて野営を行う事に。

 

 その際、カエデが一人で野営地を離れて用足しに行き、【処刑人(ディミオス)】アレクトルと遭遇。その際にどのような会話がなされたのかはいまだにカエデから聞き出せてはいない。

 が、あの場においてカエデを殺す絶好の機会がありながら、カエデに傷一つ付ける事もなく帰した不可思議な行動は全く理解しがたいものであった。

 

 一連の流れを聞き、ロキは真っ先にディアンケヒトを疑った。『お前ハデスん所と取引してカエデを行かせる積りやったんやないか』と。不自然な採取も、依頼の時期もまるで狙いすましたかのようなタイミングであった事から睨みを利かせたロキに対し、神ディアンケヒトも今回の件については寝耳に水だと口にした。

 【ディアンケヒト・ファミリア】は一切かかわっていない。と

 

 もう一人疑うべきはリヴィラの街の管理を行っているボールス・エルダーだが此方も無関係だと弁解してきている。これ以上疑った所で仕方がないと諦めたロキは、帰還したカエデにそれとなく質問をするも、カエデはその件に対して口を閉ざすばかり。

 カエデの背に映し出されたステイタスの伸びが急激に悪くなっている様子に目を細めつつも、ロキはカエデにステイタスの写しの紙を手渡し様に手を握った。

 

「っ……」

「なぁ、何があったかウチに教えてくれへん?」

 

 受け取ろうと手を出した瞬間に、腕を掴まれたカエデが困惑した様に視線を躍らせ、言葉を投げかけた瞬間に身を強張らせて俯く。

 

 ステイタスの紙に描かれた更新されたステイタス。明らかに伸びの悪くなったそれを意識しながらも、ロキは重ねて言葉を続けた。

 

「言いたくないなら、言いたくないって言ってくれてええ。それならウチもこれ以上何も言わん」

 

 せやけど、何か言いたい事があるならしっかり言ってくれてもええで。そう優しく続けたロキの言葉に、カエデが身を震わせる。不安げに、恐怖の色を宿した赤い瞳がロキを捉え、泳ぐ。

 カエデの視線が留まった場所は、ステイタスの記された紙切れ。カエデが痛々し気な表情で紙切れを見据える。

 

 

 

 

 


 名前:『カエデ・ハバリ』

 所属:【ロキ・ファミリア】

 種族:『ウェアウルフ』

 レベル:『3』

 

 力:B734 → B736

 耐久:C690 → C691

 魔力:E466 → E468

 敏捷:S922 → S926

 器用:A893 → A897

 

 発展アビリティ【軽減E】【剣士G】

 

 『スキル』

師想追想(レミニセンス)

・早熟する

・師の愛情おもいの丈により効果向上

()()()想い信じ合う限り効果持続

 

孤高奏響(ディスコード)

・『邪声』効果向上

・『旋律』に効果付与

任意発動(アクティブトリガー)

 

 

 『魔法』

【習得枠スロット1】

氷牙(アイシクル)

 ・氷の付与魔法(エンチャント)

 ・鈍痛効果

 

 詠唱

孤独に(凍えて)眠れ、其は孤独な(凍て付く)氷原。月亡き夜に誓いを紡ごう。名を刻め、白牙は朽ちぬ』

 

 追加詠唱

『乞い願え。望みに答え、鋭き白牙、諸刃の剣と成らん』

 

 追加詠唱:装備解放アリスィア

『愛おしき者、望むは一つ。砕け逝く我が身に一筋の涙を』

 

 『偉業の証』☆

 『偉業の欠片』☆☆☆

 


 

 

 

 

 今までのステイタスの伸びを考えれば、ここ三日程のカエデのステイタスは全く伸びていないと言える。それ故に考えられるのは信じている相手、ヒヅチ・ハバリが死んだ、もしくは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()の二つ。

 【死相狂想(ルナティック)】については最近のカエデは負傷自体が少なく。死に近づく事も減った事から効果が落ち着いたと言える状況であったのだ。

 それ故に考えられるのは【師想追想(レミニセンス)】の異常だろう。

 

 カエデの戦闘方式自体に変化は、()()見受けられない。フィンもリヴェリアもガレスも、口を揃えてそう口にした。他に挙げる事があるとするならば、ベートとの特訓をしなくなった事ぐらいである。

 

 悩まし気に唸るロキが、今日は無理かとカエデの手を放した所で、カエデが呟いた。

 

「────」

 

 呟きの内容は聞き取れなかったロキは、カエデの顔を見てから優しく微笑んで口を開いた。

 

「ゆっくりでええ。言いたい事があるなら言って欲しいって思うわ」

 

 微笑むロキに対し、カエデは泣きそうな表情を浮かべながら顔を上げて、ロキを真っすぐ見据えた。

 目じりに涙が溜まり、零れ落ちそうになりながら震える唇で言葉を紡ごうとし、紡ぎ切れずに吐息が零れ落ちる。何か言おうと口を開こうとし、結局開けないという有様のカエデを見て、ロキは優しくカエデを撫でる。

 何も言わずに、カエデの言葉を待つ。目に浮かぶ涙が零れ落ち始めるのを見ながら、ロキは言葉を待った。

 

 長い時を掛けて、カエデが少しずつ語りだす。ここ三日、心此処にあらずと言った様子だったカエデが紡ぐ言葉をしっかりと聞く。

 

 

 

 

 

 ワタシは、師に教えられました

 人を殺す事はするべきではない。と、

 何故なら、人を斬ってしまえば戻れなくなるから

 

 化物に成ってしまう

 

 人を人と思わず、斬れる様になってしまう

 一人斬るのも、二人斬るのも、千を斬るのも変わりない

 一人目を斬った時点で、戻れなくなってしまうから

 

 だから、斬らない様にしました

 

 ですが、皆が言うんです。殺せば良いのにって

 

 ワタシは間違っていますか?

 

 師の教えは間違いだったのですか?

 

 ワタシが生きる為には、誰かを殺さなければいけないですか?

 

 もし、誰かを殺さなくては生きられないのなら

 

 ワタシは────

 

 

 

 

 

 仲間が笑っていた。自分も笑っていた。

 酒がなみなみと注がれたグラスを片手に、笑い合っていた。

 

 武器を握った理由は、たった一つだけ。仲間が笑顔になれるから

 

 右手に握ったのは、鉈。モンスターの固い甲殻を砕いても、手足をぶった切って仲間の安全を確保しても壊れないぐらい、丈夫で、皆を守れる最高の武器。

 左手に握ったのは、爪。柔らかな腸を抉り出して、魔石を抜き取る事ができ、モンスターを瞬殺して仲間を傷つける時間を与えない最高の武器。

 

 右手の鉈で、手足を捥いで、甲殻を砕く。

 左手の爪で、腸を抉り出して、魔石を抜き取る。

 

 皆と一緒にダンジョンに潜って、魔石やドロップアイテムをいーーっぱい集めて、ギルドに持って行く。

 お金がたくさんもらえて、そのお金でたくさん、お酒を買って帰る。自分のファミリアで作ってる分も含めれば飲みきれないぐらいのお酒。本拠で宴会を開いて、皆笑って、お酒を飲んで、騒いで、楽しくて。

 今までの()()()のも()()()のもぜーんぶ吹き飛んでしまうぐらい、楽しい宴会。

 

 グラスを打ち付け合う。副団長になったザニスとかいう男が顔が真っ赤になってておかしい。距離が近いだとかそんな細かい事気にせずに、楽しく酒を飲めば良い。

 

 ダンジョンに潜って、モンスターを八つ裂きにして、帰ってきたら皆で宴会。

 これ以上の贅沢なんて考えられないぐらい、素敵な生活。

 

 

 

 ある日、皆が泣いていた。

 ギルドの依頼で下層に降りてモンスターを殺してきて、帰ってきた。たくさんの報酬も手に入って、お酒もたっくさん買って、今日も宴会だって探索に行った皆で笑いながら帰ってきた。

 

 そしたら本拠で死んでた。仲間が、皆が、たくさん死んでた。

 血を流していた。息をしていなかった。残っていた仲間が泣いていた。

 

 あそこに転がっているのは、昨日子供が産まれた団員だったはずで、赤ん坊用に用意したモノが散乱していて、赤黒い何かが転がってる。元気一杯で泣き声を上げていた、男の子だったはずの赤ん坊。もう泣き声は聞こえない

 そういえば名前をどうするか決めても良いって言ってたっけ? ダンジョンの中でいっぱい考えてきたはずなのに、名づけるはずの名前、出てこなくなっちゃった。

 

 どうして? 何があったの? 意味がわかんないよ。

 帰ってきたら、宴会するんじゃないの? 皆泣いてるよ? どうして?

 

 そっか、他のファミリアが襲ってきたんだ。前から、いやがらせばっかりしてきたあのファミリア。何度も、何度もやめてってお願いしたのに。お酒を持って行って一緒に呑んで仲直りしようって提案したのに、帰れって怒鳴ってきたあのファミリア。

 

 なんでこんな事するの? 皆泣いてるんだよ? 悲しいよ、辛いよ、苦しいよ。

 

 どうしてって、聞きに行こうとしたら。キモチワルイ神様にあった。前からなんか色々と言ってくる、よくわからないキモチワルイ神様。名前は──なんだっけ? もう覚えてないや。

 

 でも、その神様は言った事は覚えてるよ。

 

『先に貴女が始末しておけばこうはならなかったんでしょうねぇ』

 

 だって。笑っちゃうよね? だって、殺すのは良くない事なんだよ? なのに始末だなんて

 

 でもその通りだったよ?

 

 

 

 武器を握った理由は、たった一つだけ。仲間が笑顔になれるから

 

 右手に握った鉈。モンスターの固い甲殻を砕いて、手足をぶった切る為の鉈

 左手に握った爪。モンスターの腸を引き摺りだして、魔石を抜き取る為の爪

 

 鉈で、人の頭をパッカーンって割ったんだ

 爪で、人の腹をズバァーッて切り裂いたんだ

 

 人の頭を割るのは嫌だよ。人の腹を切り裂くのは嫌だよ。本当だよ? だって同じ形してるから。殺すと気持ち悪くなるんだ

 

 でも、頑張って殺すんだ

 

 だって、仲間を泣かせたから。いっぱい、いっぱい苦しい思いを、悲しい思いを、辛い思いをさせたから

 

 今度はやられる前にやっちゃえって。守らなきゃいけないから

 

 アチキは群れの長になったから

 

 

 

 殺した。一人、二人、三人、何人? 百だっけ? 二百だっけ? とにかく殺したよ。たくさん、数えきれないぐらい。ころしたんだよ?

 

 仲間がね、泣いてたの。仲間がね、怯えてたの。仲間がね、苦しそうにしてたんだよ?

 

 だからね、群れの長としてなんとかしなきゃって。いっぱい頑張ったの

 

 モンスターを殺す為に握った鉈でね? 人をバラバラにするの

 モンスターを殺す為に握った爪でね? 人をズタズタにするの

 

 だって、アチキはみんなの長だから。仲間を苦しめる奴は始末しなきゃいけないんだ。

 

 

 

 皆が怯えてる。敵がいるんだ。敵は殺そう、殺さなきゃいけないから。

 

 右手の鉈で手足を切り取った。これで仲間を傷つける事はできない

 左手の爪で腸を引き摺りだした。これで仲間が悲しむ事は無い

 

 もう安心だよ? だから本拠に帰って宴会しよう? お酒もたくさん用意して、ダンジョンであったモンスターを倒すお話だっていっぱいあるよ?

 

 だから、皆怖がらなくて良いよ? ほら、皆で笑おうよ。あの頃みたいに、皆で宴会しよう?

 

 

 

 まだ皆が怯えてる。震えてる。恐怖心がその瞳に映ってる。

 

 敵がいるんだ。敵、そう、敵敵敵敵敵敵敵敵敵敵敵敵敵敵敵敵敵敵敵敵敵敵敵敵

 

 何処? 何処? 敵は何処? もう居ない。動いてるのは居ない、全部殺したのに、まだ皆怯えてる。

 殺さなきゃ。殺さなきゃ、殺さなきゃ殺さなきゃ殺さなきゃ殺さなきゃ殺さなきゃ殺さなきゃ殺さなきゃ殺さなきゃ殺さなきゃ殺さなきゃ殺さなきゃ殺さなきゃ殺さなきゃ殺さなきゃ殺さなきゃ殺さなきゃ

 仲間を怖がらせる奴は、一人残らず殺さなきゃ。何処に居るの? 敵。 アチキの敵は何処?

 

 居ない。 何処にもいない。 周りにある死体も全部潰した。 鉈で、爪で、人のカタチすらも無くなっちゃうぐらいにぐちゃぐちゃにして、無くしてやったのに。もう敵は何処にも居ないはずなのに皆怯えてる。

 

 泣いてる。なんで? どうしたら泣き止んでくれるの?

 

 何処に敵が…………? あぁ、其処に居たさネ

 

 振るった鉈と爪が、鏡を砕いた。

 鏡に映っていた敵を砕いた。

 

 誰がどう見たって、その映り込んだ人物は、敵だった。血塗れで、ギラギラとした瞳で、化け物にしか見えないテキ、テキ、敵。仲間を怖がらせる、殺すべき敵。

 

 血濡れの化け物

 

 鏡を砕いた。もう怖がる必要はない。何処にも、化け物なんて居ない。だから、怯えないで?

 手を差し出した。尻もちをついて泣きそうな顔をしてる仲間に手を差し出した。

 

 悲鳴を上げて逃げていった

 

 あれ? って首を傾げた。どうして? って考えた。

 

 足元に散らばる鏡の破片。その破片の中に敵がまだ映っていた。

 

 殺さなきゃ、消さなきゃ。

 

 鉈を振り上げた。鏡の中の化け物も鉈を振り上げていた。

 爪を構えた。鏡の中の化け物も爪を構えていた。

 

 仲間を怖がらせていた敵の正体。それはなんだったんだろう?ワカラナイヤ

 

 怖くなって、背を向けて逃げ出した。

 

 化物も同じように逃げ出した

 




 一歩間違えると歯車の掛け違いで一気に零れ落ちる道。

 ホオヅキさんは壊れちゃいましたが、カエデちゃんはどんな選択をするんでしょうね。


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『鎖の音色』

『全く、誰よ地下水路に罠なんて仕掛けた阿呆は。しかも数えきれないぐらい』

『前にモンスター掃討依頼出てなかったか? 誰が受けたんだよ』

『【ナイアル・ファミリア】の【猟犬(ティンダロス)】アルスフェアだってさ』

『はぁ? じゃあ【ナイアル・ファミリア】はこの地下水路の惨状をギルドに報告しなかったって事かよ』

『そうなるわね。まぁ面倒だけどさっさと片付けましょうか』

『おーらい。こっちは任せろ。ウェンガルも気をつけろよ?』

『そっちも気を付けなさいよ? しっかし、このブービートラップ、何処かで見たのよね……何処だったかしら?』



 【ロキ・ファミリア】本拠に与えられた自室。つい最近増えた人形が飾られた棚が新たに増えた以外には特に変わりなく、同年代の年頃の少女と比べて未だに殺風景とも言えるカエデ・ハバリの個室のテーブルにカエデが腰かけていた。

 テーブルに置かれていた武具の手入れ道具をチェストの上に置き、立ち上がって形見の打刀をラックに戻しながら、自身のステイタスの伸びが悪くなっている事を思い浮かべて形見の打刀をじっと見つめる。

 

 ステイタスの伸びが、悪くなった。器の昇格(ランクアップ)によって第二級(レベル3)になったので必要な経験値(エクセリア)がより多くなったと言えばそうなのだが。それを差し引いたとしても自身のステイタスの伸びがあからさまに悪くなった事が思考の端に引っかかる。

 

「ヒヅチなら、どうしてたのかな」

 

 【処刑人(ディミオス)】アレクトルを殺すか生かすか。師であるヒヅチ・ハバリがその場にいて、選ぶ立場だとしたらどちらを選ぶのかを考えこみ、その答えがすぐに出てきた。

 

「ヒヅチなら迷わず殺してた、よね」

 

 己が師であるヒヅチ・ハバリならあの場で戸惑いの一つも覚えずに彼を斬り殺しただろう。それは師が既に人切りを覚えているからであって、人切りを知らぬカエデが行えるとは思えない。

 だが、アレクトルの言葉も気になる。『今度はお前の周りの全てを巻き込む事になる』その言葉は脳裏にしっかりと刻み込まれている。周りとは、【ロキ・ファミリア】の事だろうか。

 

 悩まし気に形見の打刀をラックに戻した所で、カエデの部屋の扉がノックする音が響いた。

 

「はい。誰ですか?」

 

 鍵は一応かけてあったため鍵を開錠しながら扉から少し顔を覗かせれば、目の前にグレースの姿があり一瞬怯んで顔を引っ込める。その隙を突く様にグレースが扉に手をかけてバッと豪快に扉を開いてカエデを見てから口を開いた。

 

「あんた、雨の日に部屋に引きこもって何やってんの?」

 

 びくりとグレースの言葉に反応したカエデがしどろもどろになりながらも答える。

 

「いえ、武器の手入れを」

「あっそう、まぁいいけどあんた昼食は? 食堂で見なかったけど食べた訳?」

 

 昼食の際に食堂に居なかった事に気付いたグレースがわざわざ声を掛けに来てくれたらしい事に気付くと同時に、自身が昼食を取り忘れた事に気付いて慌てて壁に掛けられた時計に視線を向けるも、既に時刻は一時半を回っており昼食時を逃したことを知って耳を垂らした。

 

「おひるごはん、忘れてました……」

 

 しょんぼりとした様子のカエデを見てグレースが溜息を零した。

 最近は狼人(ウェアウルフ)達等から身を隠す為かこそこそ動いてることの多いカエデだったが、鍛錬場にも居ない。ペコラさんもカエデを見てないとくれば自室だろうと当たりをつけてきてみれば想定通りに昼食の食べ忘れ。仕方ないから遅めの昼食として外食にでも誘おうとグレースが声をかけてみるがカエデは平気だと首を横に振ってこたえた。

 

「食べるモノある訳? マシュマロが部屋に常備されてるのは知ってるけど、リヴェリアが怒るわよ?」

 

 こっそりと部屋の棚に置かれた小箱の中にカエデの好物であるマシュマロがみっちり詰まっている事についてはアリソンが教えてくれた。其の事を指摘されたカエデは大丈夫ですと答えて部屋の中に戻っていく。

 首を傾げつつも入り口で待っていればカエデが真っ黒い直方体の物体を持ってきてグレースに見せた。

 

「これがあるんで」

「……え? コレ何? 箱?」

 

 グレースの胡乱気な視線が突き刺さる中、カエデはどう説明すべきか迷ったのちにグレースを手招きして部屋の中へ誘った。

 誘われるがままに部屋の中に足を踏み入れ、ほんの少し人形等の少女らしい物が増えてるのに気づいたグレースは鼻を鳴らしつつもベッドの枕元に置かれたガレスの人形を見て顔を引きつらせる。

 

「カエデ、あんたガレスさんの人形だけベッドに置いてあるけど、何あれ?」

「……? 人形を抱き締めて寝ると良いって言われたので置いてあります」

「え? ガレスさんの人形抱き締めて寝てるの?」

「はい」

 

 しれっと言い切ったカエデの姿にグレースが額に手を当てて頭痛を堪える。

 グレースとてジョゼットの作ったヴェネディクトスの人形を抱き締めて眠る事だってしてるし、ティオネさんは確実に団長の人形を抱き締めて寝ているだろう。

 ベッドの枕元に置かれる人形。もしそれが誰かを模した人形であるのであれば、特別な意味を持つだろう。

 グレースにとってのヴェネディクトスの人形。ティオネにとっての団長の人形と言ったように、それに対してカエデは普段仲良くしているらしいラウルの人形や同じ狼人(ウェアウルフ)の中で比較的仲が良かったベートの人形でもなく、ガレス・ランドロックの人形を選んだ理由は何なのか。半眼でカエデを睨むがカエデは気にした様子も無くテーブルの上に黒い箱を置いてその箱に指を這わせている。

 

 文字を描く様に箱の上面に指を這わせるカエデの姿を見つつも、グレースがその箱を観察しはじめた。

 

「その箱、何なの? 見た所……継ぎ接ぎも無いし、なんか黒い塊って感じだけど」

「運が良ければ食べ物が入ってます」

「……はい? 食べ物?」

 

 カエデの言葉に首を傾げるグレース。カエデは気にした様子も無く指を這わせ続けている。

 

「えーっと、何してるの?」

「開錠してます」

「……かいじょう?」

 

 意味の解らないカエデの行動に訝し気な表情を浮かべたグレースがテーブルを挟んだ対面から再度黒い箱を見ていると、カチリッと言う駆動音が微かに響いた。

 

「開きました」

「は?」

 

 つい先ほどまで継ぎ接ぎの無い黒い塊としか言えなかった箱状の物体。それに継ぎ接ぎの様な一本線が引かれている。まるで弁当箱の様に箱の上面が蓋として開けられる様になったのを見たグレースがカエデの顔を見据えれば、カエデはそのままパカリと箱を何気なく開け放った。

 

「中身はー、おはぎでした」

「いや待ちなさいよ。これ何なの?」

「弁当箱です」

「いや、ただの箱にしか見えなかったんだけど何したの? と言うかおはぎ? 極東のお菓子よね?」

 

 確かモチと言う食べ物の素材のコメと言う様々な種類のある穀物を蒸して混ぜた物に、豆類のペーストを塗した食べ物。そんなペコラ・カルネイロが好んで食べている極東のお菓子程度の知識しかないグレースの目の前、開け放たれた箱の中にみっちりと並んだ『おはぎ』と言う食べ物を見てグレースは溜息を零した。

 

「これ、食べれるの?」

「はい。美味しいですよ」

「……で、この箱は何? 弁当箱って言ってたけど」

 

 グレースの胡乱気な視線にカエデが首を傾げながらも箱を指さして口を開いた。

 

狐人(ルナール)達の食料輸送箱ってヒヅチが言ってました」

「……狐人(ルナール)? 極東の種族の食料輸送箱? なんでそんなもんが……と言うか食べて平気な訳?」

「平気ですよ。作り立てと同じです」

 

 そう言うとカエデが箱の片隅に添えられていた楊枝を手に取りおはぎに突き刺して食べ始める。その様子を訝し気に見つつも、ふわりと香る甘い匂いに誘われてグレースは口を開いた。

 

「あたしも一個貰っていい?」

「良いですよ」

 

 ならばさっそくとグレースがカエデを真似て楊枝でおはぎを突き刺して頬張る。豆のペーストの大人しめの甘さと、中の穀物の独特の触感に一瞬戸惑うも、パンとは違うもっちりねっとりとした食感が何とも言い難い。

 感想を言うなれば不味くはない。むしろ美味しいと答えるだろうとうんうん唸りながら嚥下した所でグレースは本来の目的を思い出した。

 

「って、あたしあんたを食事に誘いに来たんじゃん」

「むぐ?」

「あー、食べる物あるならいいか」

 

 二つ目のおはぎを頬張っているカエデを見て吐息を零し、グレースが席を立とうとしたところでノックの音が響く。カエデが驚いたのか喉に詰まらせて胸を叩いているのを見たグレースが水差しからコップに水を汲んで差し出し、序に『あたしが出るわ』と言って入り口に足を運んだ。

 その様子を見つつもカエデが喉に詰まったおはぎを水で流し込んだ所で部屋に入ってきたのはロキであった。

 

「雨の日やと元気無いって聞いたから来ったでー」

「こんにちは。ロキ様」

「おう今日も可愛えなぁ。って何食っとるん?」

 

 いつも通りの親父臭い仕草で入ってきたロキに頭を下げるカエデ。ロキはカエデが食べているモノに興味を持ったのか箱を覗き込んで中身を見た。

 

「おはぎか、何処で買ってきたん?」

「恵比寿商店です」

「あぁー、あそこ……うん? 恵比寿商店?」

 

 カエデの言葉にロキが首を傾げるさ中、横からさっとおはぎをもう一つ奪って食べ始めたグレース。カエデは何も言わずに水を飲んでもうお腹一杯だと呟いて残りのおはぎを仕舞おうとしたところでロキが口を開いた。

 

「恵比寿商店って、どっちの? 西の方? 東の方?」

「北西のメインストリートの方です」

 

 カエデの言葉を聞いたロキは盛大に首を傾げた。

 北西の大通りに面する『恵比寿商店』は冒険者向けの保存食類は取り扱っているが、食料品関係を取り扱っているのは西のメインストリート沿いか、東のメインストリート沿いにある店舗である。冒険者向けの保存食または保存の利く食べ物類しか取り扱っていない北西のメインストリート上の恵比寿商店で『おはぎ』等と言う保存性の悪い食べ物を取り扱っているとは聞いたことも無い。其の事を口にしたロキの言葉にグレースも同意見なのか頷いた。

 かといってカエデが嘘を吐く理由も無いし、そもそもカエデは嘘を言っていない。疑問を浮かべつつもその時の状況を聞いていれば、カエデが余ったおはぎを仕舞うべく箱の蓋を閉じた所でロキが目を剥いた。

 

「ちょっ! その箱っ!」

「どうしたのよロキ」

「どうしたんですか?」

 

 ロキが慌ててカエデが閉じた箱を確認するが、つい先ほどまで蓋となっていた筈の上面の部分との継ぎ接ぎは消え去り、完全に継ぎ接ぎの無い直方体状の物体になったのを見てロキが口元を引き攣らせて呟いた。

 

「なぁ、カエデたん? これ、もしかしてなんやけど。【古代の遺物(アーティファクト)】やない?」

「そうですね」

 

 しれっと言い放ったカエデの言葉にロキが白目を向き、即座にカエデの両肩を掴んで口を開いた。

 

「いやいやまってまって、ウチこれ何個も持っとるで。ってなんで使い方知っとるんっ!?」

 

 驚いたカエデの表情を見てロキは深呼吸してから再度口を開いた。

 

「カエデたん。これが何かわかっとるん?」

 

 ロキがテーブルの上に置かれた黒い箱状の物体。つい先ほどまで開かれた状態で置いてあったそれを指さした姿にカエデが肯定する様に首を縦に振った。

 

「何処で知ったん?」

「ヒヅチに開け方を教えてもらいました」

 

 ロキは震える手でその箱状の物体に触れる。おはぎが入っていた箱である。推定千年前に作られた、まさに太古の技術を惜しげも無く注ぎ込まれて作られた物と言うのは神々も理解している。だが神々を以てしても『開け方わかんねーよ』と投げ出した代物。

 カエデはしれっと何事も無く開けているが、この黒い箱状の物体が何なのか数多くの遺物学者や【古代の遺物(アーティファクト)】専門の学者等が調べている代物である。

 

「マジか、マジかぁ」

 

 千年前、狐人(ルナール)の都が消し飛ばされて以降、それが何なのか知る者が途絶えた代物だと思われていた物。珍しいモノ等を集める趣味のあったロキの目にも留まった為にロキのコレクションの中にも何個か存在する。それを気負う事なく開け放ち、あまつさえ中身を口にしている。

 無知故にと言えば良いのか、やっている事は大昔の食べ物を食べている訳である。

 

「体に異常はないん?」

「……? 無いですよ?」

「ねぇ待って、それ千年前に作られた? 中身も?」

「はい」

「なんでカエデが肯定すんのよっ! 千年前の食べ物とか腐ってるでしょっ!」

 

 グレースが千年前の食べ物を食べさせられたと激昂してテーブルを叩き、カエデが身を竦ませる。

 

「グレース落ち着きい」

「……最悪なんだけど、ちょっとトイレ行ってくる」

 

 げっそりした様子のグレースが部屋を後にするのを見つつも、ロキはカエデの前に置かれた箱を見て確信した。自分の部屋の片隅に用途不明品として置かれているモノと全く同じ物だと。

 

「でこれ結局何なん?」

「非常用の食料や医薬品なんかを収めた箱です」

 

 カエデの言葉にロキは箱をジーっと眺めてから吐息を零す。

 

「どう考えても中身はアウトな気がするんやけど……」

 

 千年間箱の中に収められた食料や医薬品。腐るなりなんなりで使い物にならないだろうそれ。だがロキは先程カエデとグレースが口にしていたらしい中身の『おはぎ』を眼にしている。ロキの見慣れない食べ物の為、良し悪しについては何とも言えないが、腐っているといった感じではなかった。

 少し考えてからロキはカエデを見て口を開いた。

 

「ちなみに、その箱ってどんな効果があるん?」

 

 知る訳ないかと気さくに尋ねたロキに対し、カエデはさらりと何気なく答えてくれた。

 

「中に入れた物の時を止めて永久に保管できるモノです」

「……はい?」

 

 今まで数多くの学者が挑み、知る事の出来なかった謎が一つ。此処に解明される事となった。

 

 

 

 

 

 頭を抱えたロキが箱の開け方をカエデに教えて貰ってから自分の部屋にある黒い箱状の物体。リヴェリア監修の下再度開けてもらい何度か練習してみれば、割とあっさりと誰でも開ける事が出来る代物だという事がわかった。

 正式な名称については不明だが、ヒヅチ・ハバリ曰く『玉手箱』なる代物らしい。

 カエデからの又聞きである為、詳しくは不明であるが、この『玉手箱』は狐人(ルナール)達の作り上げた物資輸送用の箱であり、個人携帯用の医療品または食料品入れと言うのがこの箱の正体である。

 

 効力は『中に入れた物の時を止め永久に保管する』と言うモノ。

 

 現在のオラリオの技術を以てしても再現不可能。まさに今まで見つかってきた【古代の遺物(アーティファクト)】の中に並べても遜色のない効力である。

 

「まさかこんな超技術をたかが食料保管箱に使っとるとはなぁ」

 

 カエデが買った箱の正体を知ったリヴェリアが呆れとも感嘆ともつかない吐息を零した。

 

 古代の時代にあった怪物を生み出す穴。それを塞ぐ為に数多くの種族の者達が軍を率いて挑んだ。狐人(ルナール)の軍も四度に渡って挑んだのだ。その際に使用された『玉手箱』。

 食料類の中身は『おはぎ』や『稲荷寿司』等の狐人(ルナール)の好物をはじめとした物が基本。医療品の中身は『軟膏』や『薬草を煎じた物』等、今のオラリオで扱われている回復薬(ポーション)の劣化版の様な代物。そういった物の収められた箱は、その時代において非常に優秀な代物であったのだろう。

 腐ったり、効力が落ちたりしてしまう食料や医療品等を長期間保存する。その目的の為だけに作り出された発明品『玉手箱』。

 

 狐人(ルナール)の目指した目的は達成されているだろう。いるだろうが、其処までする必要はあったのか? と首を傾げざるを得ない。長期保存を目指した結果が『永久保存可能な箱』なのだから。

 

 執務机に置かれたいくつかの『玉手箱』を横目で見つつも、今までロキが買い漁った不用品だと思っていた物が、相当に希少な効力を持つ物だと知ったリヴェリアは深々と溜息を吐いた。

 

「なるほど、道理で数が見つかる訳だ。量産されて軍の物資として利用されていた物なのだからな」

 

 【古代の遺物(アーティファクト)】の中でも『玉手箱』かなりの数が見つかっている。好事家でなくともなんとなくで持っている者も居る程のどうでもいい代物。中身は割と平凡なのは致し方あるまい。

 とはいえ箱の持つ効力は凄まじいモノだ。一度開封しても再度蓋を閉めれば同じように永久保存が可能と言う効力だけで、オラリオの冒険者の殆どが欲しがるだろう。

 時間の経過によって劣化してしまう回復薬(ポーション)高位回復薬(ハイ・ポーション)等の物資を収めておけば、いつでも最高品質の物が使えるのだ。

 リヴェリアと手分けして中身を取り出す作業を行うフィンを見つつも、ロキは自身の集めた10を超える『玉手箱』を見て吐息を零した。

 

「なんちゅうか、狐人(ルナール)は頭良いんか悪いんかわからんわ」

 

 長期保存を目指した結果永久保存の技術を生み出した上、量産可能な技術として軍需品にまで押し上げる技術力の高さは他の種族からすれば想像できないモノである。

 エルフも長寿種として様々な固有技術は持ち合わせているが、どちらかといえば古臭い技術で手間ばかりかける様な技術が多い。比べて狐人(ルナール)の技術力は神々をして『変態的』と例えられる程だ。

 

 『玉手箱』を開けて中身を確認しては吐息を零すリヴェリア。中身は『稲荷寿司』なる食べ物だったらしく、出来立ての様な、と言うより出来立ての光沢を持った油揚げの艶を見たリヴェリアが呟く。

 

「変わった食べ物だな」

「コメっていう穀物を油揚げっていう食べ物で包んだモノだっけ?」

 

 フィンが自分の前に置かれた玉手箱を開け、中身が薬草類を煎じた塗り薬や飲み薬の入った医療箱であった事に吐息を零し、次の箱に手を伸ばす。

 食料に関しては、いくら永久保存されているとはいえ千年前の食べ物を食べようという気がおきないのかリヴェリアもフィンも手を付けないが、ロキだけは興味本位で手を伸ばしては『意外と美味いなぁ』と呟いている。

 

「ロキ、お前も開けるのを手伝え」

「ロキが買い集めた物だろう」

 

 リヴェリアとフィンの言葉にロキが頭を掻いてから、仕方なく近くに置いてあった『玉手箱』に手を伸ばす。

 

「しゃあないなぁ」

 

 カエデに教えられた様に箱の縁を時計回りに二周する様に指でなぞり、その後半回転を二度、時計回りで再度二回と繰り返せば、カチンッと言う微かな駆動音が響いて継ぎ接ぎの無かった『玉手箱』に継ぎ接ぎが産まれる。

 ロキが蓋を両手で持ち、盛大に開いて────今までと毛色の異なる中身に目を見開いた。

 

「うぉっ!?」

「どうした?」

「ロキ?」

 

 驚きの声を上げてのけぞったロキを前にフィンとリヴェリアが眉を顰める。ロキは蓋を丁重に置いてから中身を覗き込んでポツリと呟いた。

 

「そか、こういう使い方もするんか」

「どうした? 何か変な物でも入っていたのか?」

 

 リヴェリアが横からロキの開けた玉手箱を覗き込み、息を呑んだ。

 

 中に入っていたのは血に濡れた布切れ、折れた刀の柄、砕けた簪、装飾品らしい砕けた宝石の様な物。

 カエデの話とは異なる中身だが、ロキはそれに対し驚きはしたが同時に納得もした。

 

「そりゃ兵士に配られたモンで蓋閉じればその場で保存できるっちゅうんやったらこういう使い方もするわ」

 

 中身は、きっと古代の時代を戦い抜いた狐人(ルナール)の戦士の持ち物であろう。血に濡れた布切れが未だに鮮やかな赤色を保っているのは、これを収めたのは血が黒ずみとなる前であった事が伺える。

 きっと、この玉手箱の持ち主は仲間の遺品を収めて故郷に持ち帰る積りだったのだろう。結局、それは叶う事無く途中で玉手箱を手放してしまい、長い時の中で眠りについていたそれを、ロキが解放した。

 

「供養したるって言いたいんやけどなぁ」

 

 名も知らぬ狐人(ルナール)の戦士の遺品。持ち込む場所によっては数千万ヴァリス以上の価値がでるであろうそれ。好事家が知れば、喉から手が出る程に欲するだろう希少品。

 だが、それを好事家に売り渡すのには躊躇しロキが黙って蓋を閉じた。中身を取り出して今後の遠征時に余った劣化してしまう消耗品である万能薬(エリクサー)の保管箱にしようとしていたが、この中身を適当な場所に捨てる事も、どこかに供養する事も躊躇われる。

 名も知れぬ彼の戦士は何処で生まれ、何処で死んだのかすらわからないのだ。オラリオの冒険者墓地に入れるのも何か違う気がする。結局蓋を閉じたそれをロキは静かにテーブルの片隅に置いた。

 

「他の神々が知ったら、片っ端から開けるんやろなぁ」

 

 『玉手箱』の中身が、未使用の食料や医療品なら何の問題も無い。今の様に千年前の狐人(ルナール)達が遺した遺品であった場合は、どういった扱いがなされるのかを想像し、ロキは吐息を零した。

 

 

 

 

 

 アリソン・グラスベルの陽気な鼻歌が雨音に交じり響く細道。ヴェネディクトス・ヴィンディアは彼女の数歩後ろを歩いていた。場所は北東のメインストリートから一つ奥に進んだ通り。立ち並ぶのは工業用の建造物ばかり。

 鍛冶系ファミリアである【ヘファイストス・ファミリア】の鍛冶師達の工房も立ち並ぶこの場所は、オラリオ内においては工業地帯として知られている。

 ヴェネディクトスの目的はその工房の中の一つ。装飾品等を取り扱う専門店であった。

 

「ヴェトス君は良かったんですか?」

「何がだい?」

 

 鼻歌を歌いながらも人通りの少ない道を歩いていたアリソンが唐突に振り向いて質問を飛ばしてきたのに気付いたヴェネディクトスは手元の紙きれをポケットに仕舞いつつも顔を上げた。

 

「グレースちゃんへの贈り物を作るとは聞いてましたけど、私と一緒で良かったんですか?」

 

 グレース・クラウトスと恋仲にあるヴェネディクトスが別の女性であるアリソンと行動を共にした理由は一つ。グレースに対する贈り物を作る際に参考になる意見を貰う為であった。

 無論、グレースが知れば怒るだろう。浮気するとは何事かと、だがそれに関して言えば既に手は打ってある。

 

「本人に許可は貰ったから平気だよ」

「……本人って事は、グレースちゃんに全部話したんですか?」

 

 グレースに贈り物がしたい。北東のメインストリート付近にある装飾品工房で特注の装飾品を依頼するのに女性の意見を参考にしたい。とグレースに頼み込んだ結果、グレースは『あたしはそういうのわかんないから無理』と断られたのだ。

 その後、どうにか女性の意見を参考にしたいと思ったヴェネディクトスが出した結論は、つい最近友好関係が深まったアリソンに頼むことであったのだ。

 ついでにアリソンは特注のグレイブの修繕を頼んでいたため、それの受け取りと言う用事もあったのでちょうど良かった。

 当然、グレース本人にもアリソンと共に行く事については伝えてある。

 

「はー、良く怒りませんでしたねぇ」

「怒られたよ。手を繋いだりキスしたりしたらぶっ飛ばすとも言われたね」

 

 くすりと笑みを浮かべたヴェネディクトスの様子にアリソンが肩を落とす。間近にいた友人がいつの間にやら交際しており、しかも時折惚気話をそれとなく零す様になったのだ。

 とはいえ、あのグレースに恋人ができたのは友人としても嬉しい事なのでアリソンは何も言わないが。

 

「しかし、ハートマークは直球過ぎて嫌だとか。ヴェトス君は注文が多いですよね」

「グレースに似合う物の為だからね。注文も付けたくなるさ」

「金額も金額ですし」

「彼女の為なら多少はね」

 

 注文書を発注した際に金額が記されていたが、その金額の桁を見たアリソンは驚いたのだ。まさか二等級武装程の金額を装飾品に注ぎ込むとは思ってもみなかった。

 

「まあ、防御効果のある魔法道具(マジック・アイテム)としての効果もつけるならあれぐらいはするさ」

 

 彼女はよく傷だらけになっているだろう? 彼氏としては気になるからね、等と笑みを浮かべるヴェネディクトスの姿にアリソンは深々と溜息を零した。

 

「私も誰か良い人見つかると良いんですけどねぇ」

「暫くは考えてなかったんじゃないのかい?」

 

 冒険者としての活動をする上で、恋人だとかそういったモノに現を抜かす余裕はない。興味は無い訳ではないけれどと言うスタンスで活動していたアリソンの言葉にヴェネディクトスが問いかければ、アリソンは眉を顰めて唇を尖らせた。

 

「友人が惚気話ばっかりしてくるんで、うらやましくなったんですよ」

「あぁ……それは、その、すまないね」

 

 そっぽを向く仕草をしてから前を向き直り、アリソンはゆっくりとした足取りで進み始める。続くヴェネディクトスも軽い雨音の響く道を歩き出した。

 

「完成まで二週間でしたっけ?」

「お金は既に払ってあるから受け取るだけだけどね。それと、ありがとう」

「ん? お礼言われる事しましたっけ?」

「いや、ほら稼ぐ為に一緒にダンジョンに行ったりしてくれてたしね」

 

 アリソンが『感謝するならなんか贈り物ください』と冗談を零せば、『グレースが嫉妬するから難しいなぁ。食事をおごるぐらいでいいかい?』と生真面目に返すヴェネディクトス。

 性別が違う男女でありながら、恋仲であるとは思えない気さくな会話を続けながら歩いているさ中、アリソンがふと足を止めた。

 

「すまない、っとどうしたんだいアリソン?」

 

 アリソンの持つ傘とヴェネディクトスの持つ傘が触れ合い、ヴェネディクトスが謝罪の言葉を零す中、アリソンは耳をピンと立てて耳を澄ます。

 唐突に周辺を警戒しだしたアリソンの姿にヴェネディクトスもつられて耳を澄ます。

 

 しとしとと降り注ぐ雨音が響き、鍛冶場が近いのか金属を打つ音や、切削道具を使っての作業音等が響く細道。人通りは無いが、周辺から響く工業地帯特有の音の中に、アリソンは違和感を覚えた。

 

「鎖の音がしますね」

「……どっかの工場で使ってる物じゃないのかい?」

 

 聞き取れる音は金属の擦れ合う音、叩く音、切削する音等、様々ある中。不愉快な音も交じるその中で獣人の中でも特別優れた聴力を持つ兎人(ラパン)の彼女には、聞こえていた。

 

「違いますよ。なんか不自然な鎖の擦れる音がしますね」

「鎖の音? 気のせいじゃないかい?」

「確かに聞こえるんですよ。それに近づいてきてる気がします」

 

 不自然に聞こえる、鎖の擦れ合う音。じゃらじゃらと言う音。人の手による物でもない、自然に鎖が揺れて放たれる音でもない。

 

 それはまるで、鎖が独りでに動いて放たれている様な、不自然な音だった

 

 

 

 

 北東のメインストリートを一本外れた通り。不自然に転がる開いたままの傘が、しとしとと降り注ぐ雨に濡れていた。まるでつい先ほどまで誰かが居た様な、そんな空間。

 工業地帯特有の音と雨音が交じり合う中、雨降る雨雲が空を覆い隠していた。

 




『玉手箱』
 古い時代のルナール達の作り上げた保存用の箱。主に食料品や医療品等が納められている軍用物資の一つ。
 『中に入れた物の時を止めて永久保存する』と言う効力であり、非常に高い技術力で作られているモノではあるが、使用用途は食料や医療品の保存・輸送目的であり、戦時中の物資として大量生産された物。各地で数多く発見されている。。

 戦死した仲間の遺品を入れて故郷へと持ち帰ろうとする者も数多く居た様子だが、その殆どが故郷へと辿り着けずに壊滅した部隊と共に放置されている。
 その為、時おり中から物資以外の物も納められている事がある。


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『百花繚乱』

『貴方は、イサルコ・ロッキ……?』

『お? 声だけで判る? 流石兎人(ラパン)だねぇ。ま、特徴的な装備魔法使ってりゃわかるか。さて、そっちのエルフ君。兎ちゃんをこれ以上傷つけられたくなきゃ、カエデ・ハバリを此処まで連れて来い』

『なっ!? 裏切れと言うのかっ!!』

『嫌ならー、そこの兎ちゃんの腕が()()()()()()()()()()()ぞ?』

『くっ……すまないアリソン……』

『……こりゃダメか。腕一本斬り落としてやったのに意味ネェし。殺すまでやるのは不味いんだよなぁ……あ、別の奴連れてくるか。確か──エルフ君は【激昂】って奴と付き合ってるんだってなぁ?』

『っ!! グレースに手を出したら許さないぞっ!』

『そう喚くなって。すぐ連れてきてやるから……んで、【激昂】って何処に……お、あの糞エルフと一緒にいるって? 丁度良い、あの糞エルフは殺そう。んで【激昂】は、そうだな、両足からいっとくか』

『やめろっ!!』


 メギャッと言う肉と骨の軋む音。大柄なドワーフの体躯が数C浮き上がり無防備な胴体を晒す。次いで狙われたのは無防備に晒された胴体、ではなく赤らんだ鼻。顔面の中央に叩き込まれた拳により数Cだけ宙を舞っていたドワーフの体は、砲弾もかくやと言う勢いで吹き飛んで食堂入り口の扉を突き破って廊下に飛ばされた。

 フゥフゥと獣の様な吐息を零し、ファミリアの仲間のドワーフの鼻っ面を殴り飛ばしたグレース・クラウトスはミシミシと音を立てて拳を握りしめて叫んだ。

 

「もういっぺん言ってみろ。次はその太鼓腹ぶち抜く」

 

 怒気に塗れたグレースの言葉だが、投げかけられた方のドワーフは既に扉の向こう、廊下の壁に叩きつけられて鼻血を零しながら意識を失っていた為、その言葉は届かない。

 壊れた扉の陰からカエデが堂内を覗き込んで恐る恐ると言った様子で状況を確認していた。

 

「一体何が……」

「グレースちゃんをキレさせちゃったんですかねぇ」

 

 壁に叩きつけられて昏倒しているドワーフの男の容体を確認していたペコラは鼻を摘まんで『酒臭いじゃないですか……』と呆れ返る。

 食堂に集まっていた団員達がそろいもそろってグレースの怒りの矛先を向けられぬ様に口を閉ざすのを見て、ペコラが肩を竦めながらも食堂に入っていく。カエデは酒臭いドワーフの男性団員をちらりと見てから運ぶか迷うが、横から狼人(ウェアウルフ)の女性がカエデの肩を叩いて『そいつに触るとグレースに殴られるからやめときな』と忠告を受けて戸惑いながらも食堂に入った。

 

 食堂中央。グレースが苛立った様子でガツガツと朝食のパンを貪っており、彼女を中心にぽっかりと空席が目立っている。傍に倒れた椅子が直される事無く転がっているが、誰もそれを直そうともしない。グレースはそもそも椅子が倒れている事にも気付いているかどうか。

 グレースから漂う雰囲気は『近づくなぶん殴るぞ』である。言葉の必要はない、近づけば殴られる。それが伝わる程に苛立っている様子のグレースは無造作にパンを掴み口に詰め込み。噛み砕いて飲み込む。付け合わせの野菜も口に突っ込んで噛み砕いて飲み込む。繰り返される動作は少なめの朝食だから故にか、瞬く間に終わりを迎えた。

 ガチャンと食器が音を鳴らす中、トレーを返却する為にグレースが立ち上がり──返却用の台までの道中の団員がさっと道を空けた。

 

 今触れれば殴られる。目線があっただけでもきっと殴りかかってくる。確信できる程のグレースの怒気が団員たちを退け、グレースはそれに気づいているのかいないのかわからぬままにトレーを乱雑に台に置いてそのまま食堂を出て行った。

 

 暫く沈黙が流れたのち、団員達がそろいもそろって安堵の吐息を零し、漸く朝特有のざわめきある食堂へと戻りゆく。

 そんな中一連の流れを眼にしていたカエデは大きく首を傾げた。

 朝食をとるべく顔を洗ってから食堂にやってきてみれば、入り口の扉に手をかけた所でなんとなく其処に居ると危ないという()が働いた為、同じく食堂の扉の前に居たペコラの手を引いて扉の前から退いた瞬間。扉を突き破ってドワーフの男性が吹き飛んできたのだ。

 一体何があったんだろうと戦々恐々としつつも、今のグレースの声をかけたら危ないなと首を傾げるに留める。いくら会話(コミュニケーション)能力に欠陥があると言われるカエデでも、先程のグレースに声をかけるのは不味いと理解できたのだ。

 

 不思議そうに首を傾げつつも、トレーに盛られた朝食を受け取った所で先程の狼人(ウェアウルフ)の女性が気さくそうに声をかけてきた。

 

「おはよ」

「おはようございます」

「今日も真っ白ね」

 

 その尻尾の毛並みは羨ましいわぁと尻尾をじろじろと眺めつつも手招きしてカエデを誘導する彼女に大人しく従って食堂の隅に足を運ぶ。

 彼女はケルト率いる狼人(ウェアウルフ)の派閥に属する女性であり、白毛の狼人(ウェアウルフ)であるカエデにも友好的に接してくれる者達の一人である。そんな彼女に連れられてやってきた食堂の隅には同じようにカエデに友好的な狼人(ウェアウルフ)の派閥の者達が楽し気に朝食をとっている光景があった。

 

「お、カエデちゃん。おはよー」

「うっす。今日はダンジョンか?」

 

 気さくそうに話しかけてくる彼らを見てカエデは居心地悪げに尻尾を揺らす。

 苦手、という訳ではない。嫌っている等とは決して口にしない。此処まで友好的な態度をとってくる狼人(ウェアウルフ)達と言うのが今までいなかった事もあり、どう接して良いのかわからずに戸惑っているのだ。

 その様子に気付きつつも、距離を積極的に詰めてきて『嫌っていない』と言うアピールをする彼らの派閥。

 カエデはちょっとした気疲れを起こして距離を置こうと避けたりしていたが、やはり好意的な態度をとられるのは悪い気分ではない。少し距離が近いなと感じつつも女性の隣に腰かけて朝食を食べ始めた所で、カエデはふと気が付いて顔を上げた。

 

「ケルトさんは居ないんですか?」

 

 いつもなら積極的に頭を撫でまわそうとしてくる気のいい茶髪に鳶色の瞳、口元に八重歯の覗く狼人(ウェアウルフ)の青年。今日は彼の姿が見えないとカエデが口にすると横に居た女性がニヤニヤと笑みを浮かべて口を開く。

 

「ケルトの事気になるの? 残念、既に(つがい)候補が居るから貴女にチャンスは無いわよ」

「その候補はお前か? 笑えるな」「無理無理、お前二回断られてるんだからいい加減諦めろよ」「ちょっと黙りなさいよ」

 

 ざわざわとしたやり取りの中、赤茶っぽい色合いの髪に赤黒い色合いの瞳の首元にスカーフを巻いた男性の狼人(ウェアウルフ)、共に深層遠征に向かった人物が『カエデの質問の答えになってないぞお前ら』と呆れつつもカエデの質問に答えた。

 

「ケルトは冒険者依頼(クエスト)で昨日から出払ってるから居ないぞ。ウェンガルと一緒に行ってるからな。ウェンガルは知ってるよな?」

「はい、遠征の時にお世話になりました」

 

 【ロキ・ファミリア】が誇る精鋭。戦闘方面と言うよりは探索方面で役立つ技能を数多習得した猫人(キャットピープル)のコンビの片割れ。深層遠征中に同じ班に編成された彼女の事を脳裏に浮かべつつ頷くカエデ。

 その様子を見つつも答えを教えたスカーフの狼人(ウェアウルフ)は首を傾げつつも呟いた。

 

「しっかし、受けた依頼自体は簡単なモンだっつってたのに。昨日から帰ってないっぽいんだよな」

「あいつ、時々妙なポカやらかすし納品依頼なのに依頼品無くしたとかやらかしたんじゃね?」

「あー、ケルトってそういうとこあるある」

 

 派閥の長として君臨していながらも、派閥内から軽く扱われているケルトと言う男性。本人も気さくな性格故にか長と言う立場にありつつも高圧的な態度は一切とらない事から、派閥内の関係は良好である。そのケルトの話題で盛り上がる中、一人の狼人(ウェアウルフ)が身を震わせながらつぶやいた。

 

「にしてもさっきのグレースの様子はヤベェよな」

「あー、ありゃあのドワーフが地雷踏み抜きに行ったからだろ」

「あの馬鹿ドワーフ、昨日から今朝まで酒場で飲んだくれてきたんだっけ? 遠征直後だって言っても限度があるでしょ」

 

 朝食を食べながら先程のグレースが暴れた一件について聞き取るカエデ。

 

 

 

 

 事の始まりは昨日の昼前、グレースがカエデを訪ねてくる少し前にヴェネディクトスがアリソンと出かけた事から始まる。その姿を見ていたドワーフは昨日の昼前から今朝になってもまだ帰っていない二人の事をグレースに揶揄したのだ。

 遠征を終え、気が緩み、久々の地上という事で羽目を外して酒場で一晩飲み明かすといった事をしたドワーフの男は、あろうことがグレースに対する地雷を盛大に踏み抜いた。

 

『クラウトス、お熱いエルフ様は帰ってないみたいだなぁ』

『……そうね。で?』

『グラスベルの奴と出かけたんだろ? もしかして浮気されてんじゃねぇか?』

『無いわよ。ヴェトスに限ってそれはない』

 

 そのやり取りの時点でグレースが眉間に青筋を浮かべていたにも関わらず、ドワーフは言葉を続けた。

 

『いやいや、絶対浮気してるだろ』

『…………無いわよ』

『お前考えてもみろよ。グラスベルの胸をよぉ』

『何が言いたい訳?』

『お前の貧乳(ペチャパイ)なんかよりグラスベルの揉み応えの在りそうな胸に浮気すんのも男なら仕方な──ゲブァッ!?』

 

 次の瞬間、乙女の尊厳を傷つけたドワーフの男はグレースの鋭い蹴り上げを股間に喰らい、数C程地面から浮き上がり、次の瞬間には流れる様な動作で顔面中央の鼻っ面に拳を叩き込まれて吹き飛ぶことになったのだ。

 周辺の女性団員、グレース同様に胸にコンプレックスを持つ女性団員達の蔑む視線を一身に浴びながら昏倒しているドワーフの男は、それとなく通り過ぎざまにガシガシと無遠慮に蹴飛ばされている。

 本人の能力的に怪我らしい怪我はないだろう。股間に喰らった一撃によって()()()()()()()可能性はあるが。

 

「痛そうだよなぁ」「あれは痛いっつーか」「死んでね?」「酒に酔ってるからってありゃねぇよ」

 

 男にしかわからぬ痛みを想像して震えあがっている狼人(ウェアウルフ)の男性陣に対し、カエデを除く女性陣は呆れ顔を浮かべた。

 

「胸を揶揄したらああなるでしょ」「私もキレるわ」「武器を使わないだけマシ」「わたしなら半分ぐらいの長さで切り取るけど」

 

 『なにを?』『ナニを』等と言うやり取りを見ながら、カエデは首を傾げた。

 

「ヴェトスさんとアリソンさん、帰ってないんですか?」

「ん? あぁ、そうみたいだぞ」

 

 昨日の昼前にグレース本人に『アリソンと出かけるけど良いかい』とわざわざ許可を取って出かけたヴェネディクトス。帰りは昼過ぎ頃になるからその後は一緒に夕食にでもとグレースを誘っていた様子だったが、昨日はそのままアリソンと二人で帰って来なかったらしい。

 外泊届けを提出していないにも関わらず帰って来ない。と言うのは珍しいなとカエデがうんうん唸っていると猫人(キャットピープル)の男性、フルエンが同じ席に固まった狼人(ウェアウルフ)達に声をかけてきた。

 

「なぁちょっと良いか?」

「おう、どうしたよ」「うっす、なんか用か?」

「用って程じゃねえよ。ケルトって居るか?」

 

 寝癖で跳ねた髪を撫で付けながらフルエンが質問を飛ばすも、カエデも含め全員が首を横に振ったのを見て『うへぇ』と面倒くさそうに呻く。

 

「どうしたんですか?」

「どうしたもこうしたも、ウェンガルの奴探してんだよ」

 

 フルエンは酷い寝癖を直すのを諦めて揺れるカエデの尻尾の先端をチラ見してから肩を竦める。

 ベートさんが調べたい事があるから付き合えと言われて一晩中ダンジョンの中を走り回らされて限界に近いのにも関わらず、あろうことか今日も今から行くから付き合えと言われた為、同じく探索技能に満ちたウェンガルを生贄(だいやく)に捧げようとしたが姿が見えない。

 周りの話ではケルトと共に冒険者依頼(クエスト)を受けて出て行ったとの事なのでもしかしたらと考えて探しに来たが見当たらないと。

 

「はぁ、しゃーねぇ。ベートさんに付き合うかぁ……。人使い荒いんだよなぁ」

 

 まぁ、モンスターの相手はベートさんが全部してくれるから良いけど。そう呟いてフルエンが欠伸交じりに諦めの言葉を呟いてから、ケルト派閥の狼人(ウェアウルフ)に手を振って去っていく。

 カエデ達がその背を見送っていると、唐突にベートが現れてフルエンの首根っこを掴んでそのまま走って出て行ってしまった。死んだ目をしたフルエンが助けを求める様に近くにいたエルフに手を伸ばしていたがエルフの団員が反応する間も無く消えて行った。

 

「何があったんでしょうか?」

「ベートさんはなぁ」

 

 狼人(ウェアウルフ)は排他的故に同じ派閥に属する者以外には基本的に冷たい。一応、同じファミリアの括りである仲間には友好的だが狼人(ウェアウルフ)の派閥同士は非友好的な場合が多い。

 ケルト派閥とそれ以外は犬猿の仲とまでは言わずとも、互いに睨み合いをする仲である。

 そんな中でどこの派閥にも属さず、一匹狼でいる狼人(ウェアウルフ)は本来なら周りから軽蔑の視線を向けられるのだが、ベート・ローガと言う男はどの派閥の誰よりも強い。故に派閥に所属するまでも無く一定の敬意を持たれる人物である。

 とはいえ人当たりが悪いのであまり関わろうとする者はいないが。

 

「なんか遠征終わってからずっとなんか探ってるっぽいぞ」

「あー、探索系技能持ったフルエンとかウェンガルとか引き連れて毎日の如くなんか探し回ってるらしいな」

 

 カエデも遠征前までは交流があったが、遠征後の出来事から疎遠となってしまった彼。ベートは最近は何かを探し回っているらしく本拠に居ない事が多い。そう噂する狼人(ウェアウルフ)達を見てから、カエデは朝食を食べ終えて両手を合わせて呟いた。

 

「ごちそうさまでした」

 

 

 

 

 

 ダンジョン探索の準備を終え、エントランスで今日ダンジョンに行くメンバーを待つカエデ。その前を苛立った様子でドスドスと足音を鳴らして過ぎ去っていこうとしたグレースの姿を見て、カエデは恐る恐ると言った風体で挨拶を飛ばした。

 

「おはようございます」

「……あぁ、カエデか。おはよう」

 

 視線が合った瞬間、灰色の瞳の中に燃え上がる業火の如き怒気がカエデに向けられ。即座に霧散して消え去ったが、その怒気に驚いてカエデの耳と尻尾が跳ねてブワッと毛を逆立たせる。一瞬で膨れた姿を晒したカエデに眉を顰め、グレースは言葉を続けた。

 

「んで、何? ヴェトスが浮気とか言い出すならあんたも殴るけど? それともリヴェリアみたいにお説教? 喧嘩なら喜んで買うけど?」

 

 朝食時に酔っ払っていたとはいえドワーフの男性を吹き飛ばしたグレースはつい先ほどリヴェリアにお小言を言われたらしい。とはいえ怒り心頭な様子の今のグレースは話が通じないと判断したのか即座に解放された様子ではあるが。

 

「っ! 違いますっ、そうじゃなくて、なんでヴェトスさんは帰ってないのかなって」

 

 グレースの怒気に慌てて言い訳しながら一歩後ずさる。近くを通りかかった団員が慌てた様子で助けを呼びに行ったのを尻目にグレースは鼻を鳴らした。

 

「知るかってのよ。恋人だからってアイツの事なんでもかんでも知ってるわけ無いでしょ」

 

 隠しもしない怒気をまき散らしながら『用がそれだけなら行くわ』とカエデの返事を待たずに立ち去るグレース。その背を身震いしながら見送ったカエデは、膨れ上がった尻尾を強引に撫でつけつつもグレースが出て行ったエントランスの入り口を見た。尻尾を撫で付けている感覚とは別に『彼女を一人にするべきじゃない』と言う勘が動くが、カエデはこれからパーティを組むメンバーと一緒にダンジョンに潜る為、グレースを追う事が出来ない。その場でどうすべきか身じろぎしていると声をかけられた。

 

「おはようございますカエデさん」

 

 横合いから声を掛けられて危うく飛び上がりかけた所でカエデはゆっくりと其方を見れば、金髪にヘッドギアをつけて革製の軽装鎧を身に着けたジョゼットが弓を背負って立っていた。

 なんとか落ち着けながらジョゼットに返事をすればジョゼットは軽く頭を下げてから口を開いた。

 

「団長とロキが呼んでいましたので今から団長室まで行ってください。パーティの者には私から伝えておきますので」

「え? えっと……ワタシ、何かしましたっけ……」

 

 最近やった出来事を脳裏に浮かべ。アレクトルを殺さなかった事が脳裏に浮かんで焦るカエデに対し、ジョゼットは首を横に振って否定し、言葉を続けた。

 

「いえ、何やら渡す物があるそうです」

「わかりました」

 

 注意やお叱りではない事に安堵したカエデが頷いてエントランスから団長室に向かう為に足を進めようとし、ふと立ち止まってジョゼットに声をかけた。

 

「あの」

「どうしました?」

「グレースさんが、その……」

「グレースさんですか。朝食の席で暴れたとは聞きましたが。今はそっとしておくべきでしょう」

 

 【激昂】の二つ名は伊達ではないと続けたジョゼットに対し、カエデは首を横に振って呟く。

 

「いえ、グレースさん一人だと、危ないんじゃないかなって」

「あぁ、なるほど。分かりました、パーティメンバーに伝えた後は彼女の方に行きますのでご安心を」

 

 大きく頷いてグレースの様子を見てくれると言ったジョゼットの様子に安堵し、カエデは今度こそ団長室に向かうべく足を動かした。

 

 

 

 

 

 執務机に置かれた木箱を挟み、カエデは緊張した面持ちでフィンの前に立っていた。

 執務机に腰かけたロキと、椅子に腰かけて笑みを零すフィン。木箱が気になるがそれ以上に部屋の隅に置かれた無数の『玉手箱』と、一つだけ別の場所に置かれている『玉手箱』も気になるカエデがそちらをチラチラと見ていると、フィンが口を開いた。

 

「さて、急に呼びつけて悪かったね」

「カエデたんに渡すもんがあったんよ」

「渡す物、ですか?」

 

 ロキがもったいぶる様に木箱を撫でる横から、フィンが無造作に木箱の蓋を取り払って中を示す。

 

「フィン、もうちょいサプライズ風にさせてくれてもええやん」

「カエデはこれからダンジョンに潜るんだよ? ま、今すぐ使えってわけじゃないから安心していいよ」

 

 二人の軽いやり取りのさ中、カエデは木箱の中に視線を吸い寄せられて外せなくなっていた。

 中に納められていたのは一本の片刃の特大剣。切っ先に行く程に太く、幅広になる片刃の刀身。長さは1.5Mとカエデの身長以上の長さであり、背負って運ぶ以外に取扱が難しい大きすぎる剣。だが目を奪われたのはその大きさではなく刀身に刻まれた紋様。血溝として刻まれているであろうその紋様は刀身の側面一杯に広がっている。

 数えきれない程の花や植物が彫り込まれた美しい刀身。それ以上に感じるのはその不可思議なまでの面妖な雰囲気。見ただけで理解できてしまう、それが()()の範疇から外れた代物であると。

 

「これは……」

「【疑似・不壊属性(デュランダル・レプリカ)】っちゅう鍛冶師の生み出した最高傑作。オラリオ処か下界(セカイ)においても正真正銘一本しか存在しない唯一無二(ワンオフ)不滅属性(イモータル)特殊武装(スペリオルズ)『百花繚乱』」

 

 ロキの説明を聞きながらも、カエデは静かにその刀身を撫で、震えた。切れ味の方は第一級武装に届かないだろう。下手をすれば第二級武装にも劣るかもしれない。だが、触れれば理解できる。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()姿()()()()()()。どんな扱いをされても変わらない想いの込められた一本の剣。

 

「すごい」

 

 感嘆の吐息を零す。芸術品なんぞ興味も無ければ学も無いカエデにはわからない領域だ。けれどもこの刀身に刻まれた装飾は美しいと思う。其の上でこの刻まれた紋様は微塵も剣の持つ重心を狂わせていない。

 むしろ紋様は振るう際に発生する微弱な重心の揺れを抑える役割すらあるだろう。

 どうすればこんな剣が打てるんだろう。どうやってこの剣は生まれたんだろう。

 

 剣はあくまでも道具でしかなく。斬る事に握る事以外に思い入れを抱かないカエデですらも見惚れたその剣。

 

「これ、どうしたんですか?」

「ふふふ、カエデたんの為にってヘファイストスが貸してくれたんよ」

「貸して……?」

 

 首を傾げるカエデに対し、ロキが軽い調子で口を開いた。

 

「ファイたんの最愛の眷属がファイたんの為に打ち込んだ剣や」

 

 自らは女神の元を去る。だが剣として女神に向ける想いだけは残してゆく。約束した通り()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 故に、この剣は砕けない。壊れない。そしてたとえ傷ついたとしても再生する。

 元の特殊武装(スペリオルズ)としての効力は再生、傷ついたりした場合に微弱な速度で武装が蘇る効果。代わりに耐久が減りやすく、壊れやすくなるという欠点を持つものであったが、【疑似・不壊属性(デュランダル・レプリカ)】の二つ名を授かった鍛冶師、ツツジ・シャクヤクはその欠点すら乗り越えて見せた。

 神の恩恵(ファルナ)を失う直前に作った、準一級(レベル4)鍛冶師の最初で最後の作品。

 

「こんなもの、振るって良いんですか?」

 

 愛した女神に贈られた、不変の愛を証明する為の剣。特大剣と言う扱い辛い種別の剣であるというのを差し置いて、そもこの剣は戦場にて振るわれる姿が相応しいとは思えない。カエデがそう口にすればロキはニヤリと笑みを零し、フィンは頷く。

 

「女神ヘファイストスが許可を出したんだ。問題ない」

「特大剣やし、調整は必要やろうけど、カエデたんが良ければ今日からでも使ってええで」

 

 二人の言葉に戸惑いつつも、カエデは背負っていた今の大剣に分類される剣を見る。『ウィンドパイプ』を失って以降、何本か修理不可能なまでに破壊してきたカエデが購入した物。思い入れは無い。

 目の前の木箱に納められた特大剣。扱い辛いだろうが、その威力は太鼓判付きなのは間違いない。其の上で『壊れない』『多少の傷は自己再生する』と言う他にはない最高峰の能力。

 素直に心の声を口にするならば『欲しい』の一言で済む。今まで手にしてきた剣が全て玩具に思えてしまう程に素晴らしい剣だ。

 鍛冶師の強い想いが込められて、不変の在り方を示す剣。けれど、この剣を振るうのにカエデが相応しいかと言うと疑問を覚える。

 

 今まで壊してきた大剣や長剣を脳裏に描く。どれもこれも村に居た頃に握っていた『大鉈』よりも優れた剣であった。悔しい程に、カエデが愛着を持った『大鉈』よりも優れている。けれど、どれにも共通して言える事がある。

 全て、砕いてきた。折れてきた。カエデの歩み方が悪いのか、カエデの道が険し過ぎるのか。道半ばでどの剣も悲鳴を上げていた。

 もしこの剣なら、悲鳴一つ上げる事なくカエデの道を切り開いてくれるだろう。けれども──戸惑い、カエデはゆっくりと首を横に振った。

 

「すいません。受け取れません」

「……何でか聞いても良いかい?」

「ワタシ、決められていないので」

 

 斬る相手を見極められない。目の前に立ち塞がる対象を、殺す(斬る)べきか生かす(斬らぬ)べきか。判別の付けられない半人前の自分がこの剣を握る事は出来ない。せめて、どちらかを見極めると決めてから、この剣を受け取りたい。

 そう言ってカエデは静かに頭を下げた。

 

 

 

 

 

 苛立ち交じりの足音を聞きながら、ジョゼットは静かにグレースの後ろを付いて歩く。

 オラリオの南東のメインストリート近辺の第三区画、第四区画が主な一帯に広がる世界中の様式の娼館が広がる、あらゆる異国情緒が溢れかえった街並み。

 その中を歩むグレースの姿を見た客引きの娼婦達が眉を顰めて道を空けてゆく。あからさまに『浮気中の男を探してます』と言った雰囲気の女性。オラリオではよく見る光景であり、娼婦達も巻き込まれては面倒だと黙って視線を合わせて怒れる獣を刺激しない様にする。

 ヴェネディクトスを見つける為に連れ込み宿等もある区画を一つ一つ回っていき結果的にグレースが辿り着いた歓楽街。グレースの後ろを黙って付いていくジョゼットは周囲の淫靡な雰囲気に辟易しながら軽く吐息を零した。

 本来ならこんな『醜い』場所からは即座に離れたいジョゼットではあったが、グレースの歩みを止める方法を持たない以上どうしようもないと周囲の道沿いで鼻の下を伸ばす男性相手に際どい衣装を身にまとった娼婦が真昼から客引きをしているのを見ない様に進む。

 

「何処に居んのよアイツ」

「グレースさん」

「何?」

「そろそろ昼食をとるのはどうでしょうか」

 

 声をかけたジョゼットに鋭い視線を向けたグレースだったが、舌打ちと共にお腹を撫でて呟く。

 

「ま、お腹は減ったし良いか」

 

 昼食をとる為に一度歓楽街を抜けようとしたところで、ジョゼットは見知った顔を見つけて眉を顰める。

 【超凡夫(ハイ・ノービス)】ラウル・ノールドが娼婦に胸を押し当てられて鼻の下を伸ばしデレデレした表情で娼館に入っていく光景を目にしてしまったジョゼットは一瞬だけ弓に手を伸ばしかけてやめる。

 男性と言う生き物は、()()()()()もする。それは食欲や睡眠欲と同列に語られる性欲と言うモノゆえに。だからこそ、汚らわしいと思っても否定してはいけないと自分に言い聞かせつつも、ジョゼットは盛大に舌打ちをしてからグレースの背を追う。

 

 背後から聞こえた舌打ちの音に苛立つより前に『え? この人が舌打ち?』と疑問が先立ち後ろを振り返ったグレースが見たのは、能面の様な無表情の整った顔立ちのエルフの姿。立ち振る舞いも上流階級と言える彼女が、立ち止まり振り返ったグレースに対し静かに首を傾げて呟いた。

 

「どうか、しましたか?」

「いや、なんでもない」

 

 先程自分が抱いていた苛立ちが一瞬で消し飛ぶ様な雰囲気を漂わせたジョゼットに対し、グレースは心の中で呟く。

 

 ────怒ると怖いって言われてたけど、本当(マジ)だったんだ。



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『裏切りのすゝめ』

『ベートさんやぁ』

『んだよ』

『ダンジョン内駆けずり回っても何処にも居やしない。街中にだって痕跡はねぇ……って事ぁだ。どっかのファミリアが匿ってるって事になりゃしませんかね?』

『何処のファミリアだ』

『……【ナイアル・ファミリア】が怪しいんじゃないかと。あのファミリア、どう考えても後ろ暗い事やってただろうし()()()()()()()()。どうですかね?』

『あの糞虎の件か?』

『不愉快そうな顔しないでくださいよ。俺だって嫌だけど……なんでウェンガルは何処にも居な──待てよ?』

『んだよフルエン』

『依頼、依頼っ!! そうだよアイツが受けた依頼は地下水路の掃除っ!』


 食堂で夕食として出された骨付き肉に齧りつきながらカエデは大きく首を傾げた。

 

「クラウトスの奴、帰ってきてないっぽいぜ?」

「あー、何処かで泊まってくるんじゃね?」

「朝、あんだけ暴れたんだし、帰って来なくても不思議じゃないしなぁ」

 

 狼人(ウェアウルフ)達の席に同席させて貰ったカエデの質問に対し数人が答え、肉に齧りつく。

 他の狼人と同じように肉を齧りながら周囲を見回すカエデは再度首を傾げた。

 

 カエデがどれだけ探してもグレース・クラウトスの姿は無い。其れ処かアリソン・グラスベルも、ヴェネディクトス・ヴィンディアの姿も見えない。

 彼らが何処に行ったのか気になり、仕切りに入り口から入って来ないかと気にしていると、リヴェリア・リヨス・アールヴがエルフ数名と共に食堂の中に入ってきて誰かを探す仕草をし始めた。

 

「リヴェリア様じゃん」「誰か探してるみたいだな」「また誰かやらかしたのか?」

 

 今度は誰が説教されるんだと冗談を零した団員の言葉にくすりと周囲が笑う。それに気づいたのかリヴェリアの視線がカエデの方を向いた。

 ビクリと肩を震わせたカエデと視線が交わったリヴェリアは真っすぐにカエデの元にやってきて口を開いた。

 

「すまない、ジョゼットを見ていないか?」

「え? ジョゼットさん?」

 

 怒られるか注意されるか、若干警戒していたカエデに対して放たれた言葉にカエデは首を大きく傾げた。

 ジョゼット・ミザンナと言えば、今朝にグレースの事について伝えて以降は姿を見ていない。今日一緒にダンジョンに潜った面々の中にジョゼットは居なかった為である。

 其の事を伝えるとリヴェリアが呟きを零し、直ぐに首を横に振ってエルフ達と共に去っていった。

 

 カエデが良く武装を破壊してリヴェリアにそれとなく注意されているのを知っていた狼人(ウェアウルフ)達はカエデがまた武装を壊して怒られたのではないかと予測していたのが外れて揃って首を傾げる。

 

「何かあったのか?」

「ケルトも帰ってねぇし。そういやぁウェンガルも帰ってないんだっけか?」

 

 口々に噂話に花を咲かせる彼らを見やりつつも、カエデは最後の骨付き肉を大急ぎで齧って骨だけになったそれを投げ捨てる様に皿に戻して隣に座った青毛の狼人(ウェアウルフ)の女性に声をかけてから立ち上がった。

 

「すいません、ちょっと急用を思い出しました」

「ん? あぁ、食器は片付けとくからいってらっしゃい」

「ありがとうございます」

 

 ひらひらと手を振って見送る狼人(ウェアウルフ)達を尻目にカエデは速足気味に自室へと向かった。

 

 

 

 

 男性と女性で別けられた生活領域、食堂や鍛錬場等を除いて寝る場所等は性別で別けられた【ロキ・ファミリア】の生活空間。女性のみが暮らす空間では異性の目が無い事もあり、若干はしたない格好をしている者も見受けられる。もっとも、アマゾネスであるなら異性の目があろうが関係ないし。たとえ同性でもエルフと言う種ははしたない格好を見せる事は無いのだが。

 男性が想像する甘酸っぱい様な空間とはかけ離れた領域。カエデは速足で自分の部屋に戻る、のではなくグレースの部屋の扉をガンガンと叩いていた。

 

「グレースさん、グレースさんっ」

 

 しつこく部屋の扉を叩いていれば、億劫そうな表情のヒューマンの女性が扉を開けて出てきてカエデを見下ろして吐息を零した。

 

「あぁ、カエデかぁ……。どうしたの? グレースに用事? 悪いけどまだ帰ってないのよ」

 

 カエデと違い二人部屋であるグレースの同室に暮らす女性の言葉にカエデは困った様に眉根を寄せ、直ぐにすいませんと頭を下げてその場を後にして三つ隣の部屋の扉をガンガンと叩く。

 その様子を見ていた女性が首を傾げているのも気にせずに扉を叩くカエデ。

 

「アリソンさんっ、居ないんですかっ」

「あー、アリソンは居ないわ。同室の奴は入浴中だろうし誰も居ないわよ」

 

 グレースのルームメイトに声をかけられ、カエデは気を落として俯き、頭を振ってから頭を下げて走って行ってしまった。その様子を見ていたグレースのルームメイトは首を傾げた。

 

 

 

 

 

 男性寮の中を疾駆するカエデの姿を見た男性団員が首を傾げた。

 男性寮にわざわざ足を踏み入れる女性はそう多くはない。アマゾネス等は気にせずに踏み込んでくるが、それは例外であろう。

 狼人(ウェアウルフ)で、幼いカエデが入り込んできても誰も注意しないが、気にはなる。そんな様子でカエデを伺うドワーフの横をすり抜けてカエデは記憶を頼りにヴェネディクトスの部屋を探していた。

 日当たりの良い、うるさいドワーフ達から離れた階層の中ほど。部屋の扉に吊るされた各団員の名前をちらりと見てはちがう、これでもない、ここじゃないと通り過ぎていくさ中、狼人(ウェアウルフ)の男がばっと前に立ち塞がった。

 

「此処で何してんだ」

 

 若干の苛立ちと軽蔑の混じり合った視線に一瞬怯み、直ぐにカエデは気付いた。カエデに、正確には白毛(禍憑き)に対して否定的な立ち位置の派閥の男性であるその男。

 探るというよりは詰問するような口調の彼に対しなんと答えるか一瞬迷うも、迷う必要も無く解答は一つのみだと頷いてからカエデは口を開いた。

 

「ヴェトスさんの部屋は何処ですか」

「あ?」

「ヴェトスさん、ヴェネディクトスさんの部屋を探してます」

 

 カエデの言葉に不愉快そうに鼻に皺を寄せた彼の様子に一瞬怯むも、怖気づく必要は何処にもないと自身に言い聞かせる。白毛であるという事はカエデ自身が望んだ事ではない。彼らに不幸あれ等と呪った事は一度とてない。カエデにとって目の前の狼人(ウェアウルフ)の男は、立ち塞がり等しなければ認識すらしない路傍の石ころ、街中で擦れ違う赤の他人と差異は無い。

 そんな彼にどうして怯える必要があろうか。そう言い聞かせて強く見つめ返せば、その男は一瞬怯んでからカエデを強く睨み付けた。

 男性寮の廊下で睨み合いを始めたカエデと男。視線を逸らせば負けとでもいう様に睨み合うさ中、カエデはもう一度口を開いた。

 

「ヴェネディクトスさんの部屋を探しています。何処にあるか知っていたら教えてください」

 

 怯みも、怯えもせずに真っすぐ言い放たれた言葉に、男は遂に視線を逸らした。

 負けた、言葉にせずとも彼がそう思ったのは違いない。悔し紛れに舌打ちを零してカエデに背を向けて去っていく。カエデの質問に答える事もない彼の様子にカエデは怒るでもなく答えが得られないのなら自分の足で探すと上の階層への階段に足をかけた所で、カエデの背中に聞き覚えのある、今聞きたかった人物の声がかけられた。

 

「そっちに僕の部屋は無いよ」

「ヴェトスさんっ!」

 

 ばっと振り返り、後ろに立っていたヴェネディクトスの服を掴む。

 掴まれたヴェネディクトスは若干疲れた様な笑みを浮かべてカエデを見て口元を歪めた。

 

「っ、ヴェトスさん?」

「何の用だい? 僕に……」

 

 カエデはヴェネディクトスを見上げ、尻尾を震わせる。血の匂いを感じ取り、身を震わせるカエデに対し微笑むヴェネディクトス。彼は口元に笑みを浮かべたまま再度呟く様に問いかけた。

 

「僕に何か用かい?」

「あの、アリソンさんは……」

 

 カエデの質問がヴェネディクトスに伝わるのと同時に、ヴェネディクトスが表情を歪める。それに気付きながらもカエデはヴェネディクトスの目を見据えた。

 嫌な予感を感じている。尻尾を掴まれた感触を感じ取っている。今すぐにでも『フィンかロキにこの事を伝えろ』と言う勘と、『彼の言う事に従え』と言う勘。どちらを行うべきか悩むカエデの前で、ヴェネディクトスは静かに口を開いた。

 

「アリソンは、ちょっと用事があってね。それより────今から出かけないかい?」

 

 彼の言う事はおかしい事だ。【ロキ・ファミリア】はある程度自己責任で外泊や夜間の外出を認めている。とはいえ夜に外に出る理由は『酒屋』に行くか『歓楽街』へと足を運ぶかのどちらかである。

 火事場は夜間は炉の火は落とされており、武具の整備依頼も基本は昼間に行くものであり、道具類の買い出しも同様。夜間に販売を行っているのはアマゾネス向けの精力剤等を執り行う特殊な店等。

 カエデは酒を飲まない。子供故に酒を飲む事を禁じられている。カエデは歓楽街へ行かない。あの場は男性が足を運ぶ場である以上、女であるカエデには無縁の場所だろう。故にカエデは夜間の外出は行わないし、行う理由が無い。

 だというのに、ヴェネディクトスは帰還してすぐだというのにカエデを誘おうとしている。

 

 否、誘い出そうとしている。

 

 そう思った理由は、何時もの通りカエデの勘である。けれどもその勘を疑うまでもなく、ヴェネディクトスの様子はおかしくて、何かを隠しているというのがカエデにも丸わかりであった。

 理由は何だろう。疑問が浮かぶが答えが浮かばずにカエデは答えに窮した。

 泣きそうな顔で、笑いながら。ヴェネディクトスが口を開いた。

 

「用事があるんだ。頼むから一緒に来てくれないか」

「何処に、行くんですか?」

「………………っ」

 

 口を引き結び、答えを返さずに身を震わせる。

 彼に従うと、碌な事にはならない。勘がそう囁いてくる。同時に彼に従わなければ後悔する事になる。勘はそう囁く。従うか、背くか、困った様にヴェネディクトスを見上げるカエデは問いかけに答えられないヴェネディクトスの手をとり、握る。

 

「何処に行くんですか? 武器は必要ですか?」

「っ! あ、ああ武器はあった方が良いだろう」

「……武器を取ってきます。後で門の陰の所で会いましょう」

 

 背を向けて歩き出す。カエデ自身にもわからない、何故フィンにこの事を伝えないのか。リヴェリアに一言も伝えないのか、ロキに話さないのか。カエデ自身にすら理解できないが、そうするのが最も良い選択肢だと()が告げた。故にカエデはこっそりと、誰にも気づかれない様にヴェネディクトスについていく事を選んだのだ。

 

「──────」 

 

 背中に向かって呟かれた謝罪の言葉を聞かなかった事にしたカエデは武器を取りに部屋まで足早に駆け抜ける。途中、不思議そうに首を傾げる団員達の間を走り抜け、部屋に飛び込んでついさっき手入れをして収めた武装を引っ張り出して確認していく。

 

 今日のダンジョンで共に駆け抜けたバスタードソード。手入れは十分に行き届いており、刃先は鋭さを示す様に光を反射している。

 予備武装として購入した片刃の片手剣。握り具合を確認して腰の鞘に納める。強度もそうだが長さ、重さ共に取り扱いやすい物を選んだ一本。バスタードソードをやむを得ず手放した場合の予備武装。

 投擲用の投げナイフ十二本。一本一本、歪みや欠けが無いかをしっかりと確認して歪んだもの、欠けてしまったものは除外しておく。

 回復用の高位回復薬(ハイ・ポーション)二本、回復薬(ポーション)二本。本来なら明日の探索用の物であり、期限切れになって効力が落ちていない事もしっかりと確認してポーションポーチに納める。

 後は閃光弾(フィラス)を二つ。ベルトの取り出しやすい位置に固定した。

 何時も通り、インナーの上に鎖帷子(チェインメイル)、緋色の水干を着て姿見の前で着付けに問題が無いかを確認する。

 今からダンジョンに潜っても問題ない。そう言い切れる状態に至った所で、扉がノックされた。

 

「カエデ、居る?」

 

 聞こえたのは先程夕食を共にしたケルト派閥に所属している青い毛並みを持つ狼人(ウェアウルフ)の女性。何の用だろうと首を傾げつつも扉を少し開けて顔を覗かせる。

 

「あ、いたいた。なんか急いでたみたいだけど何かあったの?」

 

 ただ単に気になっただけだという彼女に対し、カエデは少し悩んでから口を開いた。

 

「はい、部屋に手入れ途中で武器を置きっぱなしにしてしまっていたので……」

 

 嘘を、口にした。口にしてから後悔に身を震わせるカエデ。その様子を見た狼人(ウェアウルフ)の女性はふぅんと呟くとそのまま手を振って去っていく。

 

「ま、気を付けなさいよ」

「あ、はい。ありがとうございました」

 

 礼を言いつつも、部屋の扉を閉めて持ち物をもう一度確認してから、部屋の扉ではなく窓を開けて下を覗く。

 少し早い時間故にか、警邏をしている者はいない。だがもう少し時間が経てば警邏をし始めるだろう事を知っているカエデは、静かに窓の縁に足をかけ、飛び降りた。

 音も無く着地し、武装を確認してから門の方に向かう。誰にも見られぬ様に進むさ中、門の陰に隠れる様にして震えているヴェネディクトスの背中を見つけたカエデは素早く駆け寄ろうとして、呟かれる言葉を聞いた。

 

「僕は、グレースが好きだ。何よりも、誰よりも……だから」

 

 ブツブツと、小声で呟かれる何かに対する()()()。それが誰に対して行われているのか、凡そ予想は付いた。きっと、自分に対してだろう。理由を聞かず、呟きも聞かなかった事にして、カエデはヴェネディクトスの背を叩いた。

 

「っ!!」

「ヴェトスさん、準備が出来ました。行きましょう」

「あ、ああ……」

 

 引き攣った様な、罪悪感が表情ににじみ出ているヴェネディクトスが素早く門に近づく。

 日が暮れ始めた時間帯、ヴェネディクトスが門番の男性に近づいて行くのを見つつもカエデは門の横の壁にピタリと張り付いて待つ。

 

「やぁ」

「あ? ヴィンディアか。こんな時間に……歓楽街か? グレースに殺されるぞ? 今日の朝あった事、お前知らないだろ?」

「歓楽街か、違うよ。グレースが怒る様な事は……したくないんだ」

 

 悲痛な面持ちで吐き出す様に呟かれたヴェネディクトスの言葉に門番の男が首を傾げるさ中、カエデは素早く跳躍し第二級(レベル3)冒険者の身体能力を用いて壁を乗り越えて本拠の敷地から抜け出して近くの脇道へと駆けこんだ。

 

「グレースを探しに行くんだよ。帰ってないって聞いてね」

「あぁー、なるほど。気を付けろよ?」

「わかってる……じゃあ……」

 

 手を振って歩いてきたヴェネディクトスが脇道に入って門番から視線が外れた所でカエデがヴェネディクトスの前に駆け寄り、正面から見据え口を開いた。

 

「何処に行くんですか?」

「……北東の小道だよ」

「何をしに行くんですか?」

「………………」

 

 カエデから顔を背けて横を通り抜けていくヴェネディクトスの姿を悲し気に目で追い。その背中にもう一度、最後の確認として声をかけた。

 

「ワタシを、()()()()()()?」

「っ!! 違うっ!」

 

 ばっと振り返り震える瞳でカエデを見据えるヴェネディクトス。

 拳を握り締め何かを堪え、ヴェネディクトスは絞り出すように呟く。

 

「すまない」

 

 呟かれたのは謝罪の言葉。カエデはドスリと胸に槍を突きこまれた様な痛みが走った。

 理解していた。出来ないはずがない。いくら察しの悪いカエデであったとしても、目の前のヴェネディクトスが自身を裏切っている事等、廊下で顔を合わせた時点で気が付いていた。

 其の上でカエデは剣の柄を握り締め、ヴェネディクトスを見据えて口を開いた。

 

「行きましょう」

 

 危ないから引き返せ。尻尾を強く引かれる。

 そのまま進め、後悔する前に。背中を優しく押される。

 二度目の不可思議な()。進む方が良いと勘が言い、戻る方が良いと勘が言う。矛盾した感覚に戸惑いながらも、カエデは真っすぐにヴェネディクトスを見据えた。

 

「行きましょう」

 

 この場で問われているのは、進むか戻るかである。ならば進もう。死ぬ時は前のめりで倒れて死のう。心に決めたカエデの言葉に、ヴェネディクトスは小さく謝罪を零した。

 

 

 

 

 

 【ロキ・ファミリア】本拠、執務室の机に腰かけてフィンはギルドから届いた書状を片手に首を傾げていた。

 

「昨日、【ロキ・ファミリア】団員数名が受けた地下水路のモンスター駆除依頼の報告がなされていない。鍵の返却も行われていない、だって?」

 

 ギルドから届いた冒険者依頼(クエスト)に関する書状。

 内容は昨日【ロキ・ファミリア】の団員、ケルトおよびにウェンガルの二名を中心に受託した冒険者依頼(クエスト)

 内容は『地下水路のモンスター駆除』。オラリオの地下に張り巡らされた水路にはダンジョンから漏れ出したモンスターが一部生息しており、時折駆逐せんと冒険者を送り込んでいるが駆逐しきれないのか、何処かが迷宮と繋がっているのか、モンスターは何処からともなく現れて繁殖していっている。

 ダンジョンに比べてモンスターの質は低いが、迷宮と遜色ない程の規模を持ち、覚えきれない程複雑な迷路状態となっており時々ギルド職員が迷子になると言った事件が多発している場所である。

 数が増えすぎて地上に出てこない様に、一か月ほどの間隔でギルドが駆除依頼と言った形で駆け出し冒険者向けに依頼を発注している。

 その依頼を受けたらしいケルトとウェンガル両名からの完了報告と鍵の返却がなされていない。と言う内容にフィンは顎に手を当てて考え込む。

 そんなさ中、扉が開かれてくたびれた様子のリヴェリアが肩をもみながら執務室に入ってきた。

 リヴェリアをちらちと流し見てからギルドからの書状を机に置き、フィンは口を開いた。

 

「やぁ、ジョゼットは見つかったかい?」

「いや、帰っていないみたいだ」

 

 今日一日ジョゼットが用事で出かけていた為、一人で執務をこなしていたリヴェリアだったが途中からジョゼットが居ない事に違和感を覚え、何度も振り返っては居ないジョゼットの姿を探すという醜態を晒していた。

 夕食の時間には帰る、そうリヴェリアに伝えたはずのジョゼットが帰宅していない。其の事に違和感を覚えたフィンは微かに震える親指に意識を集中させながらリヴェリアに言葉を投げかけた。

 

「ジョゼットはなんて言っていたんだい?」

「夕食までには帰ります。とだけだな。用件は聞かなかった」

 

 溜息と共に語られる内容を吟味しつつ、手元の書状をもう一度拾い上げて内容を確認してからリヴェリアに差し出した。

 

「なんだ?」

「ギルドからの書状。ついさっき届いたみたいでね」

「ふむ」

 

 リヴェリアが静かに書状を読むのを確認しつつも、窓の外に広がる街並みに視線を向けたフィンは軽い吐息を零して質問を呟いた。

 

「どう思う?」

「おかしいな」

「だろう?」

 

 ケルトとウェンガル、そして二人に連れられた数人の駆け出し団員。彼らについてはフィンもリヴェリアも把握している。下層、深層でも通用するダンジョン探索技能を持つウェンガルが下級団員に探索技能の指導を行う目的で連れ歩くと言った形で次代育成に取り組んでいたのだ。

 その護衛としてケルトが抜擢され、ケルトとウェンガルが組んで下級団員を連れて冒険者依頼(クエスト)を受けていた。

 その内容は中層の素材回収から、罠の調査依頼まで幅広く。今回の『地下水路のモンスター駆除依頼』も受けたらしい事は把握していた。

 本来の彼らの実力なら、下級団員の教育を行いながらでも地下水路のモンスターの駆除程度なら半日程度で終わらせる事が出来る上、今回の駆除依頼は複数のファミリアのパーティが受託できるモノである。地下水路広しと言えども、上級冒険者が二名いればモンスターの駆除程度ならなんとかなる。

 だというのに、彼らはファミリアの本拠に帰還していない。其れ処かギルドにすら顔を出していないらしい。

 明らかに異常事態であった。

 

「ロキはなんと?」

「ファルナは途絶えてない、何処に居るかはわからんだって」

「……調べるか」

「早い方が良い」

 

 親指を気にした様子を見せるフィンの姿にリヴェリアが目を細め、明日調べるのではなく今すぐに調べるべきかと腰を上げかけた所で扉が乱暴にけ破られた。

 何事かと扉の方を向けば肩で息をしたティオネが拳を握り締めて立っていた。

 

「どうした?」

「だっ団長っ!」

「何があったんだい?」

 

 声を上げたティオネのただならぬ様子に目を細めながらも痙攣する親指を気にするフィン。嫌な予感を感じ取りフィンは素早く立ち上がり、リヴェリアに視線を向ける。

 

「ティオネ、何があったのか教えてくれ」

「っ! 【男殺し(アンドロクトノス)】が襲撃を仕掛けてきてっ! 今アイズとティオナの二人でっ!」

「なっ!?」

 

 想定していた事とは全く違う、【ハデス・ファミリア】の【処刑人(ディミオス)】の襲撃かと警戒を強めたフィンとリヴェリアの予想の斜め上の報告に一瞬二人の動きが停止する。

 

「【イシュタル・ファミリア】の戦闘娼婦達も加わってきて、乱戦にっ! 『歓楽街』方面で激しくやりあってて、今すぐ応援をっ!」

「わかった。リヴェリア、ガレスに声をかけてくれ。僕はロキに声をかけてくる。ティオネはベートとペコラを探してくれ」

「わかった」

「はいっ」

 

 素早く指示を出して二人が去ったのを確認し、テーブルの上に置かれた書状をもう一度だけ見てから、フィンは舌打ちを零した。

 【イシュタル・ファミリア】の【男殺し(アンドロクトノス)】フリュネ・ジャミールは嫉妬した対象に襲撃を仕掛けるという悪癖がある事はオラリオの人間なら誰しも知っている事であった。

 現在、嫉妬の対象であった【ミューズ・ファミリア】の団員にちょっかいをかけては【呪言使い(カースメーカー)】キーラ・カルネイロに撃退されるという事を繰り返していた。しかしキーラ・カルネイロは現在行方不明。【男殺し(アンドロクトノス)】はこの隙にと【ミューズ・ファミリア】に襲撃をしかけようとしていたが複数のファミリアがそれをこぞって撃退。膠着状態が続いていたはずだった。

 いつの間にか、その標的が『美しい』と評判になっていた【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタインへと移っていたのだろう。だからといってこのタイミングでの襲撃にフィンは頭を抱える。

 

 親指が伝えてきた異常は、アイズの事だけではない。他にも間違いなく何かが起きている。

 だがアイズを放置する訳にもいかない上、【イシュタル・ファミリア】には戦闘娼婦(バーベラ)と言う準一級から第三級冒険者で構築された非常に強力な武装集団が居る。其方に戦力を割く以上、もう一つの不安の方に戦力を回しきれない。

 廊下を速足で駆け、ロキの自室に向かいながらもフィンは親指が伝えてくる()()()()()()()()()()に想い馳せた。

 

 

 

 

 

 北東のメインストリート、工業地帯という事で昼間の活気は消えうせた大通りを静かに歩むヴェネディクトスの数歩分後ろを警戒姿勢のまま歩くカエデ。ふとカエデが南の方で騒ぎが起きているのに気付いて耳を澄ませた。

 

「何処かのファミリアが戦闘しているんでしょうか」

 

 南東のメインストリート周辺で発生しているらしい大規模な戦闘。距離は離れているがそれでも闘争の気配はカエデ達にも伝わる程である。

 ファミリア同士の抗争は珍しい。もしかしたらあれが目的の為にヴェネディクトスが自分を連れ出したのかと思い視線を向けると、ヴェネディクトスも呆けた表情で南の方角から感じられる闘争の気配に驚いていた。

 

「ヴェトスさん?」

「違う、あれは関係ない」

「……? じゃあ何が」

 

 カエデが再度質問を飛ばそうとした瞬間に、じゃらじゃらと鎖の音が響き渡る。その音に聞き覚えのあったカエデがバスタードソードを素早く抜き放ち構えた。

 

「っ! 【縛鎖(ばくさ)】っ!!」

「ご名答。案内ご苦労、エルフ君」

 

 不穏な鎖の音を響かせながら、地面からぬるりと、まるで水面から顔を出す様に現れたのは顔に包帯を巻いた猫人の青年。片耳が不自然な形で切り取られ、両腕には数えきれない傷と火傷の跡が見受けられる。

 カエデがその姿を見間違える事は無い。過去に一度、ジョゼットが捕縛した【ハデス・ファミリア】の構成員、【縛鎖(ばくさ)】イサルコ・ロッキの姿が大通りの中央に現れた。

 

「愛ってのはスゲェよなぁ。平気で仲間を売れるんだぜ? あ、カエデ・ハバリよぉ、動いたら殺すぞ?」

 

 素早く腰を落とし、余計な事を語ろうとするイサルコに切っ先を向けて──カエデは嫌な予感を感じ取り動きを止めた。

 

「おいおい、()()()()()()

「何を」

「言う事はちゃんと聞けよ、()()()()()()()()()武器を捨てろ」

 

 イサルコはニタニタと怖気が走る笑みを零し、一本だけ不自然に地面に潜ったままの鎖を引っ張り上げた。

 まるで一本釣りと呼ばれる漁法の様に、鎖が引っ張り上げられ、不気味な鎖の擦れる音を響かせて何かがメインストリートに投げ出された。

 その投げ出された物を見たカエデは息を呑んだ。

 

 長かった髪は半ばで断ち切られ、片耳、片目、片足、片腕の失われた不格好な人型()()()()()。鎖に巻き取られて意識を失っているらしいカエデの知り合いの女性。

 特徴的な長い兎耳が無残にも千切られているのをみて悲鳴を上げかけ、カエデはその名を叫ぶ。

 

「アリソンさんっ?!」

「言ったろ。武器を捨てろ。さもなくばこの兎が死ぬぞ?

 

 口が裂けた様な笑みを浮かべたイサルコが鎖の端を握り引っ張れば、鎖がギリギリと締め上げられる音が響き渡る。苦悶の声が響きアリソンが目を覚ましたのか暴れようとしてカエデと目が合った。

 

「かえ……ちゃ……逃げ……」

「っ! アリソンさんを放してくださいっ!」

「やなこった。それより武器捨てろっつってんのが聞こえないのかよ。こいつ殺すぞ」

 

 無造作に言い放たれた言葉にカエデの背筋が泡立ち、即座にバスタードソードを投げ捨てる。石畳の道に叩きつけられて刃先の欠ける音を響かせて転がるバスタードソードを見てから、イサルコは肩を竦めた。

 

「腰の物騒なモンも当然捨ててくれるよなぁ? 兎の命とどっちが大事か、聞く必要あるか?

「待て、僕との約束はどうなった」

「あ? あぁ、あの糞ヒューマンの女な、そいつは後で解放してやっから()()()()()()()

 

 イサルコの放つ脅しの言葉。ヴェネディクトスの狼狽えた態度。帰らないグレース。カエデの知る情報から答えを知り、カエデは腰の片刃の片手剣を腰のベルトから鞘毎引き抜いて口を開いた。

 

「グレースさんと、ジョゼットさんを攫ったのは……」

「お、察しが良いガキだな。そうだよ糞エルフも一緒に捕まえてやった。早くお前を連れていけばあの糞エルフを()()()()()()()んだよ、大人しく捕まれ。逆らうなら──兎が死ぬぞ? テメェのお仲間の猫も、狼も死ぬ。ヒューマンも言う事聞かなきゃ殺すわ」

「っ! グレースは助けるとっ!」

「あぁ? うるせぇエルフだな。そいつが大人しく言う事聞けば解放するっての、聞かなきゃ……殺すしかねぇけどな」

 

 ケタケタと嗤うイサルコの姿にヴェネディクトスが歯噛みし、カエデは大人しく手にしていた片手剣を放り捨てた。

 

「アリソンさんは解放してあげてください」

「はははっ、いいぜ。テメェが大人しく捕まったら、考えてやる」

「……わかりました」

 

 歯を食いしばり、響く鎖の音に身を任せる。蛇の様に蜷局を巻いてカエデを絡めとる鎖を見ながら、ヴェネディクトスが泣きそうな表情で謝罪の言葉を口にし、アリソンがかすれた声で逃げてと繰り返し呟いている。

 真っ直ぐにイサルコを見つめ、カエデは牙を剥き威嚇した。

 

「はっ、それじゃあ処刑場へご案内ってなぁ? 最後の晩餐は何食ったんだ? 別れの挨拶はちゃんとしてきたよなぁ? それじゃあ今世を終えて来世でまた会おうぜ」

 

 足が沈み始める。イサルコの持つ装備魔法『縛鎖』の効力。物質をすり抜ける事が出来るという装備開放(アリスィア)の効果と共に、カエデの体が沈んでいく。ヴェネディクトスの方に一瞥をくれる事も無く、カエデは何も言わずに石畳のメインストリートの中に消えて行った。

 それを見送ったヴェネディクトスは震えながら立ち上がる。

 

 恨み言を言って欲しかった。呪いの言葉でも構わない。何か、何でもいい、言って欲しかった。そんな心の中に荒れ狂う嵐を無視し、ヴェネディクトスはイサルコを見据えた。

 

「グレースを、解放してくれ」

「…………」

「約束しただろうっ! カエデを連れてくればグレースは傷つけずに解放するってっ!」

「あぁ? あぁ、したなぁ。確かにしたした。そんな約束」

「だったらっ!」

罪人の戯言にゃぁ付き合っちゃいられねぇっての

 

 肩を竦め、何でもない様に言い放たれた言葉にヴェネディクトスの表情が凍り付く。カエデを騙し、此処までおびき出す役目を負ったのは、グレースの身の安全の為だ。だというのに、約束を反故にされてしまえば、何のためにカエデを騙したのかわからなくなってしまう。

 

「お前はっ」

「あぁ? あぁはいはい。お前も一緒に連れてってやっから大人しくしてろ」

「なにっ!?」

 

 鎖の音が響き渡る。昼間と違い、工場の音が一切消えた北東のメインストリートに響き渡る鎖の音色は、夜の闇に不気味に響き渡った。

 

 

 

 

 北東のメインストリート。静まり返った大通りの中央。魔石灯の灯りに照らされたバスタードソードが持ち主に不満を訴える様に欠けた刃の破片の煌めきの中で倒れ伏していた。

 



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『地下水路』《上》

『ペコラとベートが居なかった?』

『はい、本拠には見当たりませんでした』

『ベートは朝方にフルエンを引き摺って何処かに行っていたな』

『……【ハデス・ファミリア】探しだろうな』

『ペコラはわからん』

『すいません団長、私もわかりません』

『僕も、ちょっと心当たりがない。とりあえずは現状の戦力で応戦しよう』



 直径6M程の石造りの隧道(すいどう)。オラリオ全域に張り巡らされた汚水処理の為の地下水路。

 ダンジョン上層の一部と隣接していた所為か、いつの間にか紛れ込んだ水生モンスターが発生する領域。

 普段ならギルドの許可なく侵入出来ない様に入り口部分には強固な施錠のなされた場所の中、貯水用の地下空間の一つに【ハデス・ファミリア】の残りの団員が集まっていた。

 

 本来なら水底となっているはずの水槽の底。地下水路を隠し拠点として利用する為に一部の水門を閉ざしてこの貯水槽に水が溜まらない様に細工がなされている為か、水は一切無い。

 壁際には携帯式の魔石灯が幾つも杭で打ち付けられており地下だというのにこの貯水槽の底は明るい。

 集まったのは【ハデス・ファミリア】団長、茶色く錆び付いた全身鎧を身に纏った2Mの巨躯を誇る牛人(カウズ)の冒険者。第一級(レベル6)である【処刑人(ディミオス)】アレクトル。

 じゃらじゃらと鎖の音を響かせて楽し気に尻尾を揺らす猫人(キャットピープル)の青年。第二級(レベル3)の【縛鎖(ばくさ)】イサルコ・ロッキ。

 頭巾をかぶり、顔を隠したヒューマンの青年、【監視者】。

 そして最後の一人は狼人(ウェアウルフ)の青年。

 

 【処刑人(ディミオス)】が集まった面々を見回し、中央の即席の()()()の上に立たされた白毛の狼人(ウェアウルフ)を見据える。

 

 つい先ほど地上で【イシュタル・ファミリア】と【ロキ・ファミリア】の抗争が始まった。

 原因は【イシュタル・ファミリア】の団長にして第一級(レベル5)冒険者兼娼婦の【男殺し(アンドロクトノス)】フリュネ・ジャミールによる【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタインへの襲撃。

 其処に居合わせた【大切断(アマゾン)】ティオナ・ヒリュテおよびに【怒蛇(ヨルムガンド)】ティオネ・ヒリュテの準一級(レベル4)冒険者二名が応戦し、さらに【イシュタル・ファミリア】の戦闘娼婦(バーベラ)達が参戦。

 結果として歓楽街全体を巻き込む騒動に発展し、其処に【ロキ・ファミリア】の団長【勇者(ブレイバー)】フィン・ディムナの指揮する二軍メンバーが乱入。三軍以下の予備戦力も投入されての大乱戦と化している。

 

 【監視者】が裏からこそこそとフリュネに囁きかけて【剣姫】に嫉妬する様に仕向けた事で発生した大乱戦。【ハデス・ファミリア】はこの機に【生命の唄(ビースト・ロア)】カエデ・ハバリの処刑を行う事を決定。其の為にこそこそと動いていたのだ。

 そして、アレクトルは今まさにカエデ・ハバリの処刑の為に斧を研いでいるさ中であった。

 砥石が斧の刃を研ぎ澄ます音が響く中。鎖で縛られたまま俯いて動かないカエデ・ハバリを見据えたアレクトルが口を開いた。

 

「カエデ・ハバリ」

 

 呼びかけに対する答えは無く。静かに俯いて目を瞑る姿に憐憫の情を抱くも、アレクトルはその感情を研ぎ澄ます刃に込める。せめて、痛み無くあの世へ送り出す為に。

 静かに刃研ぎ澄ます音が響く貯水槽の底。興奮した様子のイサルコが鎖の音を響かせながら立ち上がり、壁際に囚われたエルフの女性を蹴る。

 

「良いざまじゃねぇか? えぇ? エルフ様よぉ」

「やめろ、イサルコ」

「団長、こいつぁ俺の腕をこんな風にしやがったんですぜ?」

 

 イサルコが示す腕。炙った鏃で執拗に焼き付けられた傷の残る両腕を見せつけてイサルコは吠える。

 

「カエデ・ハバリを処刑するまで神ロキに感付かれない様に殺さずに待ってやったんだ。あと少し、カエデ・ハバリが死んだらテメェも同じように殺してやる。うんと痛めつけてじっくりと殺してやるから覚悟しとけよ糞エルフ」

 

 再度振り抜かれた足が腹にめり込み、鎖で縛られて動けないジョゼットが咽込む。

 グレースと共に行動しているさ中、唐突に現れたイサルコに『人質を殺されたくなけりゃ言う事聞け』と言う脅しに屈する羽目になり、結果としてグレース共々掴まったジョゼット。

 イサルコの恨みを買っている為か、イサルコがジョゼットに向ける視線は憎悪に歪んでいる。煮詰まった悪意を瞳に宿してジョゼットを見下す猫人(キャットピープル)に舌打ち。

 それが気に食わないのかイサルコが再度足を振り上げた所で再度アレクトルがやめる様に声をかけた。

 

「やめろ。その者は死すべき時ではない。無益な殺生は控えるべきだ」

「でも、団長」

「やめろと言った。此処で死すべきは、()()()()()()()()()()()。それ以外の者は誰一人として死ぬべきではない」

 

 響いた言葉にカエデが震える。目を瞑り、鎖に縛られたまま静かに丹田の呼氣にて精神の乱れを治めようとする。

 【旋風矢】ヴェネディクトス・ヴィンディアの裏切り。理由は至ってシンプルだった。

 恋人であるグレース・クラウトスを人質に取られた。だからこそ友人のカエデ・ハバリを売る真似をした。

 その本人はつい先ほどキレたグレースに殴られていたが。

 カエデが薄目を開けて周囲を確認すれば、壁際にジョゼット。その近くでジョゼットを睨むイサルコ。

 反対側には行方不明になっていた狼人(ウェアウルフ)の派閥の頭、ケルト。

 深層遠征の際に世話になったウェンガル。そして【ロキ・ファミリア】の駆け出し(レベル1)の罠師見習いが二人。

 カエデの後方には片腕、片足、片耳の欠損したアリソン・グラスベルが投げ出されており。グレースが静かにアリソンの髪を撫でている。ヴェネディクトスは鼻から血を流したまま俯いて座り込んでいた。

 

 グレースは、キレた。自分の為にカエデ(仲間)を売ったヴェネディクトスを、最低の屑だと罵った。

 それでも気が治まることは無く、グレースは強くヴェネディクトスを睨む。

 

 その様子を見ながらも、カエデは静かにアレクトルを見据えた。

 視線が交差し、アレクトルは憐憫の情を宿した瞳でカエデ・ハバリに問いかけた。

 

「最期に、何かして欲しい事はあるか?」

「皆を、解放してください」

 

 壁際に鎖で縛られて無造作に放置されているケルト、ウェンガル。駆け出し罠師の仲間。

 縛り上げられて暴行を加えられているジョゼット。

 既に冒険者として再起不能にされたアリソンに、恋人との仲をズタズタに引き裂かれたグレースとヴェネディクトス。

 取り返しがつかないモノもあれば、まだ間に合うモノもある。

 カエデの瞳に宿るのは後悔と、怒り。

 

「約束しよう。カエデ・ハバリお前を殺した後、解放すると」

 

 嘘だ。口元を歪めてそう呟こうとして、やめた。

 どうすれば生き残れる? どうすれば皆を助けられる? どうすればこの場を切り抜けられる?

 ぐるぐると回る思考をそのままにカエデは何度か鎖を緩められないかと身じろぎをし、イサルコに感付かれて鎖を締め上げられる。

 

「動くなっつってんだろ」

「ぐぅっ……」

「テメェらいい加減にしろよっ! ロキが知ったらどうなると思ってるっ。俺の仲間もテメェら全員許さねぇからなっ!!」

 

 ケルトの叫びに【監視者】がクツクツと嗤う。

 

「既に滅びは運命付けられた。我らに残るは滅びのみ。であるならば我らは最期に悲願を成そう。神ハデスの悲願を成そう」

 

 罪を背負ったカエデ・ハバリの処刑。処刑によりカエデ・ハバリの罪は消えてなくなる。来世その先いずれ、百年か、二百年後に輪廻転生の果てに再度地上に生れ落ちるまで、神ハデスの管理する冥府にて安らかな眠りにつかせよう。罪背負ったまま赴く事叶わぬ安らぎの(みやこ)へ。

 罪人たる彼女を送り出そう。神ハデスの望むままに。

 【ハデス・ファミリア】に残っている片手の数程の団員。それは全て神ハデスに忠誠を誓う狂信を胸に抱いている者達だけである。故にどの言葉も意味を成さずに受け流される。

 ケルトの叫びを軽く聞き流し、【監視者】は頭巾に隠された顔を上げて呟いた。

 

「団長、我は少し出よう」

「どうした?」

「侵入者だ。南の方だな、距離はあるが此処まで辿り着かれても面倒だ」

 

 顔を上げた【監視者】が音もなく壁に近づき、そのまま跳躍で水槽の上部、5M程上にある人の歩く足場へと飛び乗って下を見下ろして呟いた。

 

「処刑は粛々と進められるべきである。故に我は足止めに向かおう。騒がしくなるだろうが許せ」

 

 一人、戦力が減った。けれどもこの場に残る者の中で最も厄介なアレクトルが未だに場に残る以上、下手には動けない。そう考えたカエデが俯く。

 このまま大人しく処刑される気等、毛頭ない。機会を伺って抜け出す。そう決めたカエデは静かに寝転がって溜息ばかり零すウェンガルに視線を向けた。

 

 軽装姿のウェンガル、武装は奪われているのか武器らしい武器は持っていないが、その手が何かを掴んでいるのに気が付いたカエデはそれを見据え、頷いた。

 

 ────閃光弾を使っての不意打ち。

 

 カエデも腰にいくつかの冒険者用のアイテム類が残っている。投擲用短剣に音響弾、閃光弾もいくつか。

 武装破棄はさせられたが回復薬(ポーション)高位回復薬(ハイ・ポーション)もどちらも腰のポーションポーチの中に入ったままだ。

 中途半端な仕事をしたイサルコは、ジョゼットを殺せる喜びでそれ以外の事が目に入らないのか周辺警戒は薄い。

 狼人(ウェアウルフ)の青年は槍を肩に担いでいるが、閉鎖空間である地下水路であの槍は脅威とは言えない。アレクトルの持つ断頭斧(ギロチン・アックス)は脅威といえば脅威だが、閉鎖空間で振り回せない程の巨大な代物だ。つまり隧道内へと逃げ込めばなんとかなる。

 

 静かに響いていた刃研ぐ音が止む。砥石を放り投げたアレクトルが静かに立ち上がった。

 

「時間だ。処刑を開始する」

 

 やけに平坦なアレクトルの声に、カエデの背筋が泡立ち鳥肌が立つ。処刑台に固定されたカエデが鎖を揺らす音を聞きながらもアレクトルは錆び付いた全身板金鎧(フルプレートアーマー)のカチャリカチャリと音を響かせてカエデの固定された処刑台に近づいて行く。

 処刑人の立ち位置へと立ったアレクトルはカエデを見下ろして口を開いた。

 

「カエデ・ハバリ。遺言を聞こう」

 

 そう言い放ち、カエデの首元に断頭斧(ギロチンアックス)の刃を添える。冒険者の首を幾つも断ってきた鈍色の輝きにカエデが震えあがる。

 第一級(レベル6)のステイタスで振るわれるその一撃は、難なくカエデの首を断つだろう。

 時間を稼ぐ為にも何か口にしなくては、身を震わせてカエデが口を開いた。

 

「なんで、殺されなきゃいけないんですか」

「…………」

「貴方はなんで、ワタシを殺すんですか」

 

 なんで、十八階層で会った時は『無抵抗で殺されてやる』なんて言ったのか。カエデの口から飛び出したその問いかけに、アレクトルは目を瞑った。

 ゆっくりとした動作でその大斧を振り上げていく。

 

「何故、か」

 

 きっと私は、間違えてきた。そう呟いてアレクトルは肩越しにイサルコと狼人(ウェアウルフ)を振り返る。

 

 

 

 

 私の始まりの光景は、何の事はないダイダロス通りの一角で野垂れ死にしそうになっている自分の姿だ。

 ありふれた光景であろう。冒険者であった両親がダンジョンで死に、ファミリアに加入する年齢にも達していなかったアレクトルは、ファミリアの庇護下にも居られずに貧民街(スラム)に投げ出された。

 同じような子供が沢山いた。その中のたった一人。冒険者も、商人も、誰しもが振り向きもしない孤児の一人。

 溢れかえる孤児の一人であったアレクトルと言う幼い少年は、絶望と共に死のうとした。

 

 其処に、あの御方が現れた。

 

『其処のお前、死ぬのは早過ぎる』

 

 身綺麗な姿をした、裏路地で野垂れ死ぬ寸前の子供に声をかけるのは在り得ない超越存在(デウスデア)、男神の姿。彼は言った。

 

『お前には長い時が残っているだろう。此処で死ぬのは勿体無い。地上を明一杯楽しみ、苦しんでから死ぬべきだ』

 

 生きる活力も何もかもを失ったアレクトルに、食事を与え、寝床を与え、生きる活力を与えた神。孤児院にも思える施設を運営し、ファミリアの団員に囲まれた男神。死の神と言う恐ろしい異名を持つとは思えぬ、生真面目で優しい男神であった。

 その名は神ハデス、【ハデス・ファミリア】の主神の神ハデスである。

 

 一瞬で虜になった。美の神の魅了すら鼻で笑える程に、神ハデスに傾倒した。

 死に際の幼い子らに『まだ寿命が残っているだろう。地上を楽しめ、地上で苦しめ』そう言って食事を与え、希望を与え、生きる活力を与える神。

 

『お前たちが存分に地上を楽しみ、苦しみ抜いた先。死後は我が国(死後の世界)で安らぎを与える。故に生きろ』

 

 この御方に全てを捧げたい。そう願った幼いアレクトルは、けれども才なき非才の身であった。どれ程努力を重ねようと、他の者に敵わぬ。他の者に勝てぬ。

 それでも努力だけを続けてきた。そして、遂にアレクトルはハデスの一番に輝いた。

 ハデスに救われた子らの中で、最も頂点に立ち、神ハデスの傍に仕える事を許された。

 大いに喜んだ。

 

 その喜びも、とある邪神によって主神が狂わされた事で終わりを告げた。

 

 薄気味悪い笑みを浮かべた邪神、神ナイアル。彼が主神を狂わせた。

 そして、私も狂わされた。

 主神の言葉こそ絶対。主神の命全てが正しく、間違いは一つも無い。故に、自分の武器は神ハデスの為だけに振るわれ、どのような言葉にも揺るがぬ無慈悲な処刑道具(ギロチン)であれ。

 それが正しいと思い込んだ。思っていた。

 

 神ハデスは元々、寿命よりはるかに早く死にそうな子供らを保護しては一人で生きられる様に育てて街中に放り出すというやり方で地上での無駄死にを抑えようとしていた。

 その合間にも神々に『ファルナによって狂わされた死をもとに戻せ』と説教紛いな事をして生活していたのだ。

 神ハデスの眷属は皆、神ハデスによって拾い上げられた死にかけの幼い子ら。故に彼らは神ハデスを慕っている。慕い、敬愛し、尊敬する。その在り方を、その生き方を。

 それが、変わった。邪神に狂わされて、変わった。

 

 神々が説教を無視するのなら力尽くで従わせれば良い。

 

 最初に殺したのは、とある女神が惚れ込んだ老いた冒険者。当時第一級冒険者だった男だ。

 女神が懇願する前で、その男の首を刎ねた。神ハデスの命は全て正しく、間違いはないと、老いて寝たきりになっていたその男を殺した。女神と二人きりで生活していた彼。最後の言葉は『愛してます女神様』。

 

 それは始まりであり。終わりであった。

 

 神ハデスに忠誠を誓う眷属達の終わりの、始まり。

 

 寿命を超えて生きる者を処刑する。其の為に眷属達は皆努力した。力を付けた、そして処刑を実行した。

 一人、二人、三人。十を超えてから数える事すらしなくなった。

 何人目の処刑かは覚えていない。けれどもその日に出会った人物の顔は今でも忘れない。

 

 とあるファミリア。所属する眷属達に慕われていた元団長の準一級冒険者。寿命を超過し生きるという罪を犯したが故に神ハデスは言った『処刑せよ』と。

 その命に従い、アレクトルは断頭斧を手に仲間と共に処刑する為に彼を襲撃した。

 

 その際、偶然にも居合わせたその男を慕う冒険者達が居た。彼に世話になり、次代としてファミリアを担う者達。彼らは罪人を庇った。『殺さないでくれ』と『まだ学ぶ事がある』と、懇願する彼ら。

 神ハデスの命は、絶対だ。故に無視した。

 彼らは武器を構えた。殺す気等、微塵も無かった。彼らにはまだ未来があり、生きるべき(罪無き)者達である。

 抵抗され、罪人を殺しきれずに本拠へと帰還する羽目になった自分を待ち受けていたのは、神ハデスからの厳しい言葉であった。

 

『失敗した?』

『申し訳ありません』

『……せ』

『は?』

『邪魔する者も同じ罪人だ、殺せ』

 

 あの生真面目で、不器用で、優しかった神ハデスのその言葉にアレクトルはどうすればいいのかわからなくなった。

 彼らは生きるべき(罪無き)者達である。それを殺す? 生きるべき時の残る自分たちを救い上げてくれた主神の変貌に、ようやく気が付いた。

 従うべきか、従わざるべきか。迷った自分に声をかけてきた神が居た。ナイアルだ、邪神だ、彼は言った。

 

『迷いなく従うべきでは? 貴方は()()()()()()()()()()()()

 

 その、言葉に従ってしまった。私は殺した。邪魔する者も含め、全ての者を殺した。

 ファミリア同士の抗争にまで発展した。そのファミリアの団員も、主神も彼を慕っていた。老いて立ち上がれなくなる瞬間まで、立ち上がれなくなって以降もただひたすらにファミリアを想う彼を皆が慕い、守らんと武器を手にしたのだ。

 神ハデスは言い切った。『全員殺せ』と

 

 あの日の光景は今も忘れない。私が間違いを犯した日。

 無関係な者を殺したあの瞬間から、罪人を殺せと命じられた始まりの日から。終わる事はわかっていた。

 【ハデス・ファミリア】は滅びるだろう。

 罪人を殺すという咎を背負った我が身では、滅びは止められない。そして止まらない。

 既に賽は振られ、出目は出切った後だ。どうすることも出来まい。

 

 故に、お前に問うた。あの場で殺して終わらせるか。それとも生かして後悔するか。

 

 私は大いなる後悔を抱いている。どうする事もできない後悔を、お前はどうだ?

 

 後悔しているか?

 

 

 

 

 

 問いかけに、目を瞑り考え込む。ワタシは後悔しているか?

 後悔している。アリソンが冒険者として再起不能にされた。ジョゼットが暴行を加えられている。恋人同士となったグレースとヴェネディクトスが仲違いする原因となった。後悔していない等とは口が裂けても言えない。

 殺したくない。その思いを貫いた結果がこれだ。ワタシの選択が招いた結果このまま頸を落とされて死ぬ? 冗談ではない。

 

「後悔しています」

「……どういう風にだ」

「こうなる事がわかっていたら、ワタシは……」

 

 殺せたか? こうなる事が分かってなお、殺すという選択ができたか?

 断頭斧を振り上げたアレクトルの足元を睨んで────恨み節は出てこなかった。

 怒りに身を焦がす様な事は無い。腹の内にたぎる怒りは、けれども口から出てくることはない。

 

「殺したか?」

「…………はい」

 

 怒りに身を任せ、その体を焦がしつくす程の憤怒をまき散らして、アレクトルの頸を刎ねる。その光景は安易に浮かぶのに。実行しようという気力は湧き上がって来ない。

 何故だろうか? 脳裏に浮かぶ疑問。その合間にもウェンガルが口を開いた。

 

「ねぇー、喉乾いたー。死んじゃうー」

 

 場違いな、間延びした声。明らかに気を引こうとする中途半端な行いに反応したのは狼人(ウェアウルフ)の青年一人。アレクトルとイサルコの二人はカエデとジョゼットの方に視線を向けたまま。

 それを知りながらもウェンガルが騒ぐ。

 

「死ぬー、死んじゃうー。鎖解いてくれなきゃ死んじゃうよー」

 

 騒いで、騒いで──黙らせるために近づいた狼人の膝に鋭い蹴りを叩き込んだ。

 

「ぐぎゃっ!?」

 

 瞬間、鎖の弾ける音が響き、カエデの体が浮き上がって誰かに抱えられて転がった。瞬きの間にカエデが居た場所に断頭斧が振り下ろされる。飛び散る処刑台となっていた木屑の破片に交じり、カエデを抱えたケルトが鼻で笑った。

 

「可愛い子ちゃんゲットッ」

 

 ケルトがカエデを小脇に抱えて走り抜けてグレースとアリソンに近づいて鎖を破壊する。

 隠し持っていたらしきナイフで軽く切りつけただけで粉々になる鎖。イサルコの魔法によって生み出された装備魔法のはずのそれが粉々になったのを見たイサルコが驚きの声を上げた。

 

「なっ!? テメェ何しやが──げぶぅっ!?」

 

 イサルコの近くで俯いて黙っていたジョゼットの鋭い蹴りがイサルコの腹部に直撃してイサルコが悶えた瞬間にウェンガルがジョゼットを縛り上げていた鎖を破壊する。

 

「何故だ、何故イサルコの鎖を……」

「やってくれやがったなっ!」

 

 驚愕の表情のアレクトル。よほどイサルコの生み出す鎖に頼り切っていたのであろう事が伺えるその驚き様にウェンガルとケルトが肩を竦めた。

 

「馬鹿じゃねぇの?」

「ロキが対策してない訳ないでしょ?」

 

 二人が手にしているのは精製金属(ミスリル)製の短剣。効果は──装備魔法破壊。

 その短剣で触れただけで装備魔法によって生み出された武装を破壊するという効力を持つ短剣。神ロキが皆に携帯する様に大金を積み上げて揃えた対【ハデス・ファミリア】用武装。

 【縛鎖(ばくさ)】の鎖に何度も煮え湯を飲まされてきた【ロキ・ファミリア】が考え出した対抗策。

 カエデは装備魔法を使用している関係で携帯できない事から渡されなかった物だ。

 不意打ちで仲間を人質に取られて使えなかったそれを、カエデの処刑寸前と言う緊急時に使ったのだ。

 

 当然、拘束されていた駆け出し(レベル1)の面々も抜け出している。

 ケルトはカエデを開放して立たせ、アリソンを肩に担いだ。グレースが嫌々と言った様子でヴェネディクトスを担いでイサルコを指さした。

 

「あんたは殺す」

「んじゃ、あばよ」

「全員散開っ!」

 

 ウェンガルの声と共にカエデが身を翻して5M上にある通路に壁を蹴って跳躍して手をかけて水槽の底から抜け出す。ケルトとウェンガルが閃光弾を幾つも投げて視界を奪うさ中、グレースがケルトに助けられながらもヴェネディクトスを抱えて上に上がろうとしているのを見て手を貸した。

 

「悪いわね」

「ワタシこそすいません。巻き込んでしまって……」

「むしろ足を引っ張ったのはあたしでしょ。この馬鹿の所為で……とりあえず逃げるわよ」

 

 拘束を逃れた者がその場を離れるべく隧道の中に逃げ込もうとするのをアレクトルが静かに見送る。それを見ていたイサルコがケタケタと嗤い、狼人(ウェアウルフ)の青年が面倒くさそうに舌打ちをかます。

 

「馬鹿じゃねぇの? 地下水路は()()()だっての」

 

 大量の罠を仕掛け、危険極まりない場へと変化を遂げた隧道内へ逃げ込んだ者達を嘲笑うイサルコが肩越しに振り返ってアレクトルを見据えた。

 

 

 

 

 

 幅6Mに達する隧道の縁に設けられた人が歩く為の歩行路を歩きながら、湿った空気に眉を顰める羊人(ムートン)の女性、【甘い子守唄(スィート・ララバイ)】ペコラ・カルネイロは背負った人物がずれ落ちそうになったのに気付いて背負いなおした。

 

「お姉ちゃんがこんな所に居るなんて……一体だれが……」

 

 行方不明になっていた自身の姉を見つけた。それは偶然でもなんでもなく一通の手紙からである。

 

『お前の姉は地下水路で寝ている』

 

 なぜかそんな手紙が手元にあった。受け取った記憶もなければ鍵のかかった自分の部屋に誰かが立ち入った様子すらない不可思議で不気味な手紙。けれども気になった。

 姉が心配であったペコラはその手紙に記されていた南の大通りに程近い地下水路への入り口へと向かったのだ。

 誰にも言わずに。

 

 本来ならギルドが管理する鍵が必要な鋼鉄製の扉。それが破壊されていた、正確にいうなれば鍵の部分だけが綺麗に切り取られていた。

 不自然に破壊されたその光景に冷や汗を流しつつも地下水路に足を踏み入れてすぐ、水路脇の人が歩く為の通路の壁面に凭れ掛かる様に姉が倒れているのが見つかった。

 声をかけても、何をしても反応しない姉。その胸に刺さった片刃の小刀。極東の方で使われる事の多い形状の刀が刺さっているのを見て死んでいるのかと心配して、すぐにそれは違うと理解した。

 魔法の道具(マジック・アイテム)、魔法の気配の漂うその小刀は、姉の身を封じて動けなくしている。抜こうにも特定の手段を使わねば抜けないであろう魔法の一品。

 

「極東の、狐人(ルナール)の使う妖術系の代物じゃないですか」

 

 ペコラの知る知識の中に眠る狐人(ルナール)魔法の道具(マジック・アイテム)

 どれもこれも頭がおかしいんじゃないかと言う様なモノばかりだ。

 

 生まれたばかりの狐人(ルナール)の躯を使って作り上げる狐人(ルナール)の扱う妖術の効力を引き上げる道具。

 長期保存目的で作られた永久保存を可能にする箱。

 その他様々な道具が存在するが、どれもこれも狂気的であったり、ぶっ飛んだ代物であったりと、はっきり言って『やりたい事は理解可能。手段は理解不可能』な代物ばかりなのだ。

 

 誰か想像できるだろうか。自らを強化する為に幼子の躯を素材に道具を作り上げるという狂気を。

 食料や医薬品の保管の為に永久保存の箱を量産可能にする技術を。

 

 ペコラとしては嫌いではないが、理解できないとしか言えないのだ。

 

「……出口、どっちなんですかね」

 

 背負った姉をもう一度背負いなおし、ペコラは嘆息した。

 道に迷った。

 本来なら入ってきた所から戻るべきなのだが、出ようとしたら()()()()。理由は不明だが入ってきた水路の入り口が崩落して出られなくなったのだ。

 

「困りましたよ……」

 

 長らくさまよいながらもペコラは遠くの方で聞こえる戦闘音に耳を傾けて首を傾げた。

 

「地下水路で戦闘(ドンパチ)するなんて変わってますねぇ」

 

 何処のファミリアの抗争であろうか? もし巻き込まれれば溜まったものではない。今のペコラは【ロキ・ファミリア】に在籍しているのだ。ペコラが巻き込まれるというのは即ち【ロキ・ファミリア】を巻き込むという事に繋がる。

 ましてや他ファミリアに所属している姉を連れての状態だと話が死ぬ程ややこしくなる。

 

「避けますかねぇ」

 

 遥か彼方先で巻き起こる戦闘音から遠ざかる為、ペコラは背を向けて歩き出した。

 



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『地下水路』《中》

本気で(マジ)ウケるよなぁ。自分の眷属がすり替わっても気付かないとか阿保過ぎるだろハデス様よぉ』

『貴様、何者だ……』

『クヒッ、誰かだって? ナイアル様の忠実な(しもべ)の【夜鬼(ナイトゴーント)】様だよぉ?』

『死んだと聞いていたが』

『馬っ鹿じゃねぇの? 死ぬ訳ネェっての、こんなクッソ楽しい演劇前に死んだらツマンナイだロ?』

『演劇……だと?』

『おバカな主神様が狂って狂ッテ、振り回サれる団員が可哀相すギテ笑エるよ。ま、アと少シで全員ぶっ殺されルシ、カエデ・ハバリって奴も壊レテお終いカぁ。はぁ、超楽シみだナぁ。ソうだ、前にナイアルが壊し損ネたペコラって奴モ招待してルンだった。早ク会場に送り届けてあゲナいとイけないナ」



 迷宮都市の地下には迷宮が存在し、その迷宮を避ける様に地下には汚水を処理する為の地下水路が作られている。

 例外があるとするならば奇人の異名を持つ職人ダイダロスによって生み出された通称『ダイダロス通り』ぐらいであろう。あの区画だけは地下方向にも無数の地下通路があり、地下水路開発の妨げとなった結果、あの辺りだけは地下水路が存在しない。

 

 全体で幅6M、石造りの隧道の左右にある人用の足場を全力で駆けるのは猫人と狼人が二人。

 先頭を走る猫人、ウェンガルが小走りに走りながらも手を動かしてトラップ類の無力化を図り、後方を走るケルトが次々に通り過ぎた後の罠を元通りに戻せるものだけ戻して追ってを巻こうとしていた。

 間に挟まれたカエデが幾度も周囲を見回しては生唾を飲み込む。

 

「ケルト、絶対に罠起動させないでよね」

「わかってる。お前こそ変な失態すんなよ」

 

 ウェンガルとケルトのやり取りを聞きつつもカエデは耳を澄まして状況の把握に努める。

 地下水路の貯水槽から逃げ出す事に成功したカエデ達は二組に分かれる事となった。

 一組目が足手纏いにしかならないレベル1のステイタスしか持たない団員五名と負傷度合いが酷いアリソン、そしてグレース、ヴェネディクトス。彼らを率いて即座に撤退の選択を行うジョゼット組。

 次いで二組目が今回の標的であるカエデを連れて敵を攪乱しつつも逃走するケルト、ウェンガル、カエデの三人。

 

 危険度はどちらが高いとも言い難い。足手纏いばかりをかかえたジョゼット組と標的を抱えた組、狙われるのは間違いなくカエデの方ではあるが、罠の量とジョゼットの疲労具合。そしてイサルコの行動次第である。

 

「カエデ、敵はどう? 近づいてきてる?」

「いえ、特には」

 

 不思議な事に【ハデス・ファミリア】はカエデ達を追ってこない。

 目の前に立ち塞がった強固で複雑な罠に足止めを食らって舌打ちをするウェンガルの尻尾がピンッと立ち、警戒状態を露わにしているのを見たケルトが後ろを振り返って舌打ち。

 

「おかしいぞ、あいつら全然追いかける気がねぇ」

「監視者が南の方に侵入者って言ってたわね。誰かは知らないけど合流したいわ」

 

 地下水路の地理情報を把握しているのはウェンガルとケルトの二人。カエデは残念なことに地下水路の冒険者依頼(クエスト)を受けた事も無く、リヴェリアの授業の中でも出てこなかった地下水路の区画等わかるはずもない。

 そして地下水路の地理、ある程度の区画について察しているケルトとウェンガルの二人が眉を顰めた。

 

「糞、此処も塞いでやがる」

「ダメ、此処の罠だけは通れない。向こう側からなんとかしないと……」

 

 設置された通路の右手側、鉄格子の扉の向こう側で赤く輝く鉱石が幾つも石材の床に散らばっているのを見たウェンガルとケルトが悪態をつく。

 

「糞、あの鎖で移動してるからか罠の設置が徹底的過ぎるだろ。降りるのは良くて上がるのはダメって、いったいどんな性格の悪い奴が罠しかけたのよ」

 

 仕掛けられているのは片側から通る分には無害で、反対側から通ろうとすると途端に凶悪な罠を発動させるという性格の悪さの滲み出ているもの。それも今まで通り過ぎてきた地上へと通じる階段通路には全て仕掛けられていた。

 壁や物質を透過して移動する事ができる【縛鎖(ばくさ)】イサルコ・ロッキの装備魔法の『鎖』によって通常の出入り口を必要としない彼らは徹底的に出口を潰しているらしい事がわかる。

 

「どうしましょう」

「どっかに出れそうな場所でもないか探さないと……もしくは、あの化け物を倒すか」

 

 ウェンガルの言葉にケルトが苦い表情を浮かべ、カエデが困った様に眉を寄せる。

 

「倒すっつっても、あの化け物を? 無理だろ、アイツ腐ってもレベル6だと、相手になんねぇ」

「倒せなくはないでしょ。カエデの装備魔法、()()()()()()()()()()()()()()()()()って刃ならあの【処刑人(ディミオス)】を一撃で殺せるわ」

 

 別の地上に通じる通路を求めて歩きながら罠を無力化していくウェンガルの言葉にカエデが俯く。

 ウェンガルの言う通りである。()()ガレス・ランドロックですら耐久無視の刃に触れて指を切断されかけたのだ。耐久の劣る【処刑人(ディミオス)】なら一溜りもないはずである。

 しかしカエデ本人はあまり乗り気ではないどころか、考え込んで首を横に振った。

 【ハデス・ファミリア】に恨みがあるか否かで言えば、ある。恨む事は出来る。しかし殺す為に刃を握れるかと言うと疑問が浮かび、カエデは素直に頷けずに唸るのみ。

 カエデの様子を見たケルトとウェンガルが困った様に肩を竦めて前を見据えた。

 

「ともかく、ロキにこの件を報告しなきゃ。ジョゼットの方は大丈夫だと思うけど……」

 

 リヴェリアの傍付きとして様々な技能を持つジョゼットならこの程度の罠なら平気だろう。しかし地上との連絡路に仕掛けられた性格の悪い罠はどうしようもない。

 正面の罠を解除し、足元の感圧板(プレッシャープレート)から繋がる導線をナイフで斬り捨てて足で踏み込んで罠が発動しない事を確認したウェンガルが目の前に広がる隧道に目をやって溜息を零した。

 

「いや、ほんとどうでもいいけど罠多すぎ。【ハデス・ファミリア】が全部仕掛けたって言っても限度があるでしょ」

 

 ウェンガルとケルトが請け負ったのは『地下水路全域に無差別に設置された罠の排除』である。

 ギルド職員が護衛の冒険者を伴ってのモンスターの増加状況調査に乗り出た際、今までは一定範囲の区画を歩いて出会うモンスターの数を調査していたのだが、その調査中に設置者不明の罠が発見された。

 その罠についての調査を進める内に地下水路の隧道内も含めたいたるところに数えきれない程の罠が仕掛けられている事が判明し、ギルドが緊急でモンスター駆除ではなく罠の無力化の依頼を出したのだ。

 原因は言うまでも無く【ハデス・ファミリア】であるのだが。

 

「在り得ない。数が多すぎる」

 

 【ハデス・ファミリア】の現在所属数は4名。片手の数以下である。

 【処刑人(ディミオス)】アレクトルは素のステイタスのみで戦う戦士であり、搦め手である罠類の取り扱いなど一切わからない。

 【縛鎖(ばくさ)】イサルコ・ロッキは幻覚を見せる呪詛(カース)と装備魔法が強いが、それ以外は何も出来ない雑魚だとウェンガルは見抜いた。

 【監視者】については不明、そもそも彼の素性もステイタスもいまいちわからず。ヒューマンである事以外は何もわかっていない。高確率で性格も趣味も悪い罠類は彼が仕掛けたものだろう。

 そして最後の無名の狼人。彼についても不明だが、どう考えても二人がかりで仕掛けたにしては罠の数が多すぎる。なんらかの協力者がいなければこの数の罠をたった数か月で仕掛けるというのは考えづらいのだ。

 

「ああ、糞っ。此処もダメ。次」

 

 目の前の地上に通じる階段。若干差し込む光から一瞬希望を見出すも階段の上の方から降り注ぐ光は禍々しい火炎石と呼ばれる魔剣の素材ともなる爆発性の鉱石。下層の四十四階層辺りで採掘される鉱石であり、()()()()()()()()()()()と言う特殊な効力を持つ鉱石である。

 先程から地上に通じる連絡路に設置された罠には執拗に火炎石が目もくらむ量が仕掛けられている。

 起爆すれば連絡路が崩落するのは間違いなく、第一級冒険者でも生き埋めにされかねない危険な罠。ウェンガルが気付いては下がっているから良いものの、もし気付かずに足を踏み入れていれば三人纏めて仲良く生き埋めになっていたであろう。

 何度目かの舌打ちと共に別の地上への連絡路を探す為に足を踏み出そうとしたウェンガル。

 その様子を見ていたカエデが鎖の音に気付いて声を上げた。

 

「鎖ですっ」

「っ! ウェンガル」

「わかってる。とりあえず走るわよ」

 

 ウェンガルが走り出し、罠を的確に無力化していくさ中にも遠くに響いていた鎖の音が徐々に近づいてくる。

 つい先ほどまで不思議な程に追ってこなかった【ハデス・ファミリア】がついに動き出した。

 追われている。ケルトが仕切りに後ろを振り返り警戒するも隧道内には姿が見えない。カエデも時折振り返るがやはり姿は見えない。しかしひしひしと感じるのはあの鋼鉄で作られた断頭斧(ギロチン・アックス)の刃が頸筋に当てられる感触。殺意だ。

 その感触に背筋を震わせながら頸筋を撫でるカエデが前を向いた瞬間、尻尾を思いっきり引っ張られる感触を覚えて咄嗟に叫ぶ。

 

「後ろに跳んでくださいっ!!」

 

 カエデの言葉に即座に反応したウェンガルが今しがた無力化しようと手をかけた罠から手を放して後方に全力で跳ぶ。地を蹴り、安全な場所へと飛び退ろうとするも()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 カエデが飛びのいたちょうどその目の前の空間。つい先ほどまでカエデの体があった所を通り過ぎる鈍色の塊。回避の為に跳躍して距離を稼ごうとしていたウェンガルを直撃して壁と鈍色の塊が激突し合い、間に挟まれたウェンガルが悲鳴を上げる間も無く潰れた。

 

「っ!?」

「下がれっ、追いついて来やがったっ!」

 

 目の前で即死したらしいウェンガルの残骸が壁に広がる。飛び散った血が水路に落ちて浄化された清水を緋色に染め上げていくのを見たカエデが悲鳴を飲み込みつつも魔法を詠唱する。

 

「『凍えて(孤独に)眠れ、其は凍て付く(孤独な)氷原────

 

 詠唱の途中、破砕音と共に飛び散る石材の破片をケルトがカエデの前に回り込んで叩き落とす。

 

 ────月亡き夜に誓いを紡ごう。名を刻め、白牙は朽ちぬ』【氷牙(アイシクル)】っ」

 

 発動するのは氷の付与魔法(エンチャント)自動防御(オートガード)の効力を持つ冷気が漏れ出し、破砕された隧道内を満たしていく。

 次の瞬間、二度の破砕音が響き渡り、カエデの魔法による氷塊が砕けて飛び散った。

 壁をすり抜けて繰り出される必殺の鉄塊。容易くウェンガルの命を奪った巨大な断頭斧(ギロチン・アックス)が氷塊にぶち当たり氷片をまき散らす。

 

「くっ」

「糞がっ! 全く防御できてねぇぞっ!」

 

 響く破砕音。回避の為にしゃがみ、水の中に飛び込んだケルトが水の中から身を出そうとして──カエデがケルトの顔を蹴り、再度水の中に蹴落とした。

 瞬間、通路の上を薙ぎ払う一撃が水面スレスレを通過して水路の水を波立たせる。ケルトが水から身を出していればその軌道上には胴体があった事だろう。ケルトの死を回避したカエデは破砕された浄水柱の破片を浴びながら全力で駆けだした。

 

「ケルトさんは一人で逃げてくださいっ」

「おいっ! 糞っ」

 

 ケルトに迫る一撃を傾斜をつけて呼び出した氷塊が逸らす。水面から顔を出していたケルトが再度水に潜れば水面を弾けさせる強烈な一撃が叩きこまれて水中を掻きまわしてケルトを攪乱する。

 走り抜けるさ中に発動する罠の音が遠ざかっていくさ中、ようやく落ち着いた水面から顔を出したケルトは舌打ちと共に水を滴らせながら顔を上げた。

 

 

 

 

 

 走るさ中に感じる()()()()()()()だけを的確に回避しながら、他の罠は氷の付与魔法(エンチャント)である『氷牙(アイシクル)』の自動防御で防げる罠は無視。逆に凍結させることで無力化できるものは罠の駆動部を凍結させて無力化していく。

 殆どの罠が鋭い針や杭等を打ち出したり地面から勢いよく飛び出させたりするだけのものばかり。駆動部らしき部分に冷気を詰め込んで氷塊を生み出してやればギシギシと言う音を立てて上手く起動しなくなる。

 とはいえそれだけでは全てを無力化できるわけではない。

 浄水柱の陰から飛び出してきたクロスボウの短矢(ボルト)を回避した直後、そのクロスボウの罠諸共粉砕せんと言わんばかりに鈍色の塊──断頭斧(ギロチン・アックス)が壁の中から迫りくる。

 

 頭を下げて回避。地面にべたりと張り付く様な勢いで倒れ込めば後方で凄まじい轟音と共に断頭斧(ギロチン・アックス)が通り過ぎていく。

 背筋の泡立つ感覚。死がすぐ真後ろを通り過ぎて行った恐怖に手足が硬直しかけるが、そのまま地面に寝ていれば格好の的。起き上がり走り出すほかない。

 

 目の前でウェンガルという猫人の女性が死んだ。回避するのが遅れて断頭斧(ギロチン・アックス)の軌道に巻き込まれて、その体は原型を留める事すら出来ずに弾けた。飛び散った血と肉片、骨片と言う光景はたかが数分死神の鎌を首にかけられた程度では消えうせてくれない。

 それなのに、カエデは未だに武器を抜けずにいた。

 

「殺すべき、なのに」

 

 殺すべきである。カエデの内心もそう定めた。あの男【処刑人(ディミオス)】アレクトルは殺すべき男である。【ロキ・ファミリア】の仲間のウェンガルを殺したのだ。目の前で、助ける事も出来ずに潰れて死んだ。

 【縛鎖(ばくさ)】イサルコ・ロッキもそうだ。少なくともアリソンの腕や足を奪い、冒険者としての生涯を終わらせた。

 殺すべきだ。腹の内に溜まった黒くてドロドロしたモノはそう言っている。濁り切った目をした誰かは、殺せ殺せと呟いている。カエデの腹の内に溜まる醜い感情、外に飛び出ようと暴れ狂う感情。

 その感情を抑え込んでいるのは『丹田の呼氣』だ。

 

 二度目の断頭斧(ギロチン・アックス)の一撃が目の前を横切っていくのを見ながらも、今なおカエデが落ち着いているのは、ひとえに『丹田の呼氣』のおかげであろう。

 

 体の不調は心の乱れ、心が乱れれば体は不調を訴える。逆説的に心が乱れなければ体に異常は現れず、体に異常が無ければ心は乱れない。

 心と体が伴うのであれば、其処に技を乗せる事が出来る。技を極める為の基礎中の基礎にして戦闘力を乱されぬ呼氣法の基礎。

 あれだけ走り回り、回避を続けながらも肩で息をするまでも無く逃げおおせているのは、其れのおかげであるのと同時に剣抜き放ち万敵打ち払わんとする事が出来ないのもまた、それの所為でもある。

 

 浄化柱が砕けて飛び散る。中に宿っていた淡い魔石の光が粉々に砕けて破片がまき散らされるのを感じながらも、カエデは自身に問いかけ続ける。

 

 

 

 ──この人達は殺すべきでしょう? なんで剣を抜かないの?

 

 わからない。

 

 ──アリソンさんが冒険者として死んだ。もう二度と迷宮に潜れない程の傷を負った。恨めしくないの?

 

 恨めしい。

 

 ──ウェンガルさんが弾けて死んだ。原形もとどめないぐらいにぐちゃぐちゃにされた。憎くないの?

 

 憎い。

 

 ──殺したくないの? 殺したいの?

 

 わからない。

 

 

 

 一歩踏み出した瞬間、目の前の通路の遥か先に人影が見えた。

 頭巾をかぶって顔を隠した男と槍を担いだ狼人(ウェアウルフ)の青年。【ハデス・ファミリア】の団員の二人だ。いつの間にか回り込まれている。

 咄嗟に右手側に見えた別の隧道に逃げ込むべく水路を飛び越えようとすれば、足が地面から浮いた瞬間を狙いすましたかのような鈍色の一撃が壁からすり抜けて現れる。

 冷気を足裏に集わせて氷塊を生み出して蹴る。体を掠めて鈍色の塊が隧道の壁面を粉砕して破片散らすのを尻目に右の水路に飛び込んだ直後、勘に従って罠の一つを起動させた。

 

 轟音と共に隧道そのものが振動し、後ろの隧道を崩落させていく。巻き込まれない様に全力で疾駆するさ中、振り返った後ろに槍を担いだ狼人(ウェアウルフ)が手を伸ばしてきているのに気付いた。

 カエデの想定以上処か、駆け出し(レベル1)としては在り得ない敏捷。あまりにも唐突な接近に反応しきれずに腕を掴まれ────全力でその手に噛み付いて引きはがし、冷気で足止めして再度設置されていた罠を起動。

 爆音と共に複数の火炎石が視界を塞ぐさ中に水路に飛び込んで水の流れに身を任せる。

 

 水から身を引き摺りだして身を震わせて後ろを確認すれば、隧道が完全に崩落して槍を担いだ狼人(ウェアウルフ)の姿は見えなくなっていた。同時に鎖の音も聞こえなくなり、一時的に安全を確保したカエデは胸をなでおろして視線を落とし、水位が上がっている事に気付いた。

 崩落した隧道の所為で水の行き場が失われたのか徐々に水位が上がってきている。本来なら足場となる歩行路から10Cは余裕があったはずの水位がいつの間にか歩行路の上すらも濡らしている。湿り気を帯びた足場は若干滑るがそれよりも問題は下がってしまった体温である。

 いつの間にか吐く息は真っ白で体がカタカタと震えだして寒さを訴えている。しかしカエデ本人はそう寒いと感じている訳ではない。

 

 鈍痛効果、『氷牙(アイシクル)』の効果の一つによって鈍感になった触覚、痛覚も含む感覚器官のズレの所為で寒さや痛みはないが、カエデが自身を観察して気が付いた。

 腕に擦り傷。足には痣、頬には傷があるのかべっとりと血が零れている。

 痛みにも、寒さや熱さにすら鈍くなったカエデが自分の体の動きがあからさまに遅くなっているのに気付いて一度魔法を解除する。瞬間、歯の根が合わなくなりガチガチと音を鳴らして歯が打ち合わされる。

 寒い、死ぬ程寒い。指先が氷の様に冷えており、首も冷たい。一瞬で眩暈を覚えて膝を突きかけ──いつの間にか足首の辺りまで水に浸かっているのに気が付いて足を動かす。

 

「此処、水没しないですよね」

 

 水に濡れた上で冷気など纏っていた所為で一瞬で体力を奪われたカエデは震えながらも濡れたポーチから道具類を引っ張り出した。

 火打石はある。燃料が無い。閃光弾はある、体を温められる代物ではない。

 発熱薬などの体温を上昇させる系統の液薬はあいにくと持ち歩いておらず、現在ポーチの中にはない。

 このまま此処に居るわけにもいかず、水位が上がった事で罠が作動したり作動を阻害されて起動しなくなっていたりする罠塗れの隧道内を歩いて行く。

 水位は少しずつ上がっている。もしかしたら此処は行き止まりで水の出口が失われて入ってくるばかりになっている可能性を考えてカエデは首を横に振った。

 

「違う、何処かに空気の通り道がある。じゃないと水が入ってこれない」

 

 石造りの暗闇に沈む隧道を歩きながら、近場の浄水柱の魔石を覗き込んで眉を顰めた。

 光源代わりに魔石灯(ランタン)として利用できないかと考えるも、魔石製品に明るくないカエデではできる事は何もない。せいぜいが中に入っている魔石を引っ張り出すぐらいであるが、魔石を引っ張り出せば薄明るい光すら失われて浄水柱は機能を停止させた。

 

「……はぁ」

 

 溜息と共に魔石を元の場所に戻すが再起動せずに魔石がころりと転がる。壊してしまったかと一瞬身構えるも、これまでの逃走劇の中で数えきれないぐらい粉砕されていたのを思い出して一つぐらい良いかと並ぶ浄水柱の側面を軽くたたいた。

 

「……殺すか、殺さぬか」

 

 殺すべきだと鎖に繋がれた自分が言う。正しいことだとワタシもそれに頷く。

 けれども剣を握る事が出来ず、カエデは浄水柱から漏れ出る薄明かりに照らされた隧道の奥を見据えた。

 

 

 

 

 

 【ロキ・ファミリア】最速ではないかと噂される狼人(ウェアウルフ)の青年ベート・ローガと、迷宮探索ならお手の物である猫人(キャットピープル)のフルエンの二人は今しがた爆散した地下水路への入り口を見たまま眉を顰めていた。

 場所は南東のメインストリートから外れて東のメインストリートの間にある区画。ダイダロス通りの中、オラリオに何か所か存在する地下水路への連絡路である小屋を訪れたベートとフルエン。

 フルエンは罠が仕掛けてあるのに気付いて解除しようと手をかけた。

 

 瞬間、地下水路の底の方で爆発が発生し、爆風で小屋そのものが吹き飛んだのだ。

 

 ベートがフルエンの首根っこを掴んで咄嗟に飛び退かなければフルエンはその爆発に巻き込まれて重傷を負っていただろう。それ程までの威力の爆発に毛を逆立てたフルエンが震えながら引き攣った声を放った。

 

「ベートさん、ありがとうです」

「チッ、なんで爆発しやがった」

 

 舌打ちと共に手放されて尻餅をついたフルエンは尻を撫でながら立ち上がって残骸となっている小屋に近づいて呟いた。

 

「一人目が入った時点で二人目が何か手をかけようとすると起動する性格最悪のド屑が作った罠です。この罠仕掛けた奴は相当趣味悪いですよ。きっと汚物みたいな性格した奴が作ったんですよ」

 

 吐き捨てる様に言ったウェンガルは近場の歓楽街で起きているらしい騒ぎの音を聞きながらもベートの方を伺う。

 

「どっかの馬鹿が抗争(ドンパチ)してんだろ。今は気にすんな。変に関わって面倒毎に巻き込まれるのはごめんだ」

 

 歓楽街方面で引き起こされているらしいファミリア同士の抗争らしき戦闘音。何処かで聞き覚えのある怒声も響いてくる気がしたのを『気のせいだ』と聞き流したベートはフルエンの胸倉を掴んで睨む。

 

「他の出入り口は?」

「ちょっ、まっ、わかりましたっ。今すぐ案内しますってっ」

 

 フルエンが慌ててダイダロス通りから外れて北東方面へと走りだしたのをベートが追おうとして、先程爆風で吹き飛んだ小屋を見て首を傾げた。

 

「ベートさん急いでくださいよっ、急かしてるのベートさんじゃないですか!?」

 

 フルエンの叫びにベートは鼻を鳴らすとすぐにその後ろにピタリと張り付いて走り出す。道案内の様に走るフルエンが何気なく細道に飛び込んでそのまま三角跳びの要領で屋根の上に飛び上がった。それを難無く追ってくるベートに対しフルエンは声をかけた。

 

「何か気になる事でも?」

「あん? ああ、さっきの小屋の辺り、ペコラの匂いがした」

 

 【甘い子守唄(スィート・ララバイ)】ペコラ・カルネイロの匂いが若干だがしたというベートの言葉にフルエンは首を傾げた。彼女の匂い自体は覚えているがあの場において匂いが残っていたかは確認していない。

 ただ、小屋の入り口は常に施錠されているはずなのに何故か鍵の部分だけが綺麗に破壊されていたのは覚えている。

 

「ペコラさんがアレをやったと? 無理無理、あの人ふわふわしてる不思議な子ですけど、中身はハンマー振り回すしか能の無い脳筋ですよ? あんな綺麗に鍵だけ壊すなんて出来ませんって」

 

 フルエンの失礼な評価は、正しい。ふわふわとした優し気な雰囲気の彼女だが、中身は両手槌(ハンマー)を振り回してモンスター薙ぎ払う豪快な脳筋でしかなく、鍵だけを器用に破壊する真似はできそうにないのだ。

 ベートもその事を知るが故にあの鍵については疑問を覚えていた。だが、罠の説明からペコラが誘い込まれたのは間違いなさそうだと溜息を零す。

 

「ペコラが誘い込まれただろうな」

「マジか、あの人……死にそうには無いですけど普通にヤバいな」

 

 ひた走るさ中にフルエンが屋根の上から無造作に飛び降りる。場所は北東のメインストリートの途中、工場の立ち並ぶ工業地帯の一角に作られた地下水路整備用の小屋。

 其処の鍵がかかっているのを見てフルエンが面倒くさそうに解錠道具(ロックピックツール)を取り出して鍵を解錠しようとしゃがんだ瞬間、ベートがフルエンの肩を掴んで退ける。

 フルエンの手からフックピックとダイヤモンドピックが零れ落ち、ベートの足に踏みつけられてねじ曲がった。

 

「うわぁっ!? 何するんすかベートさんっ?! めっちゃ高かった奴なんですけどぉっ!?」

「うるせぇ、道具使うよりこっちのが早いだろ」

 

 無造作に繰り出されたベートの蹴りによって扉が粉砕される。鍵諸共()()()開錠された扉を見てフルエンが肩を落とす。

 

「ギルドに罰則(ペナルティ)言い渡されますよ……?」

「知るか」

 

 また、ベートの罰則(ペナルティ)一覧(リスト)に一つ項目が追加されるのかとフルエンが肩を落としながらも中に飛び込もうとしたベートの腰にしがみついた。

 

「放せ、邪魔だ」

「ちょい待ってくださいよっ! また罠ですっ!」

 

 ベートの舌打ちを聞きながらもフルエンが破壊された扉を踏み越えない様に中を覗き込み、直ぐに腰に吊り下げた調査用の木の棒を手に取って小屋の壁面を指し示す。

 

「あそことあそこ、後そこの所に罠。うわ、あの魔石灯、電源入れたら爆発しますよ。本当に性格悪い奴が罠仕掛けてますねこれ」

「解除は?」

「5分で」

「30秒でしろ」

 

 無茶言わんでくださいよと冷や汗を流すフルエンが素早く罠を解除していく。どの罠も仕掛け人の性格の悪さを示す様に連鎖する様に仕掛けられているのを見てフルエンの手が震える。

 一つでも解除に失敗すると連鎖的に全ての罠が軌道して小屋を爆散する事だろう。ついでに地下水路に通じる連絡路である螺旋階段も容赦なく吹き飛ばして瓦礫の山が出来上がるに違いない。巻き込まれれば迷宮の罠なんか目じゃない程に確実に命を奪いに来る罠である。

 

「出来ました」

 

 30秒よりは大分かかってしまったが、3分で罠を無力化したフルエンは額に溜まった汗をぬぐいながらもベートに振り返ればベートはフルエンを睨み返した。

 

「よし、進むぞ。お前が先に降りろ」

 

 フルエンが顔を引き攣らせて呟く。

 

「勘弁してくださいよ……」

 

 この性根が腐り落ち、性格がねじ曲がった邪悪な仕掛け人が用意した罠の中に飛び込めと言われてフルエンの目が死んでいく。生きて帰れるのかすらわからないこの罠の数々に震え、覚悟を決めたフルエンが頬を叩いて足を踏み出した。

 

「これ終わったら解錠道具(ロックピックツール)、最高級の奴買ってもらいますからね」

「わかったから早くしろ」

「ほんとに最高級の奴頼みますよ?」

 

 失った二つだけでも数千ヴァリスはしたのにと吐息を零したフルエンが地下水路の入り口に足を踏み入れた。

 

 

 

 

 

 地下水路の隧道内まで足を運んだフルエンは後ろを振り返って呟いた。

 

「不味い、戻れなくなった」

「あん? どういうことだよ」

 

 フルエンの言葉に水路内の湿った空気に苛立った様子のベートが振り返ればフルエンは震えながら入ってきた連絡路を指さす。

 

「其処、入ってくるときには絶対に見えない位置に罠。こっちからじゃ解除できないタイプです」

「…………つまり?」

「こっちから出ようとするとドカン、生き埋めですよ。第一級のベートさんも生き埋めは不味いでしょ!?」

 

 焦ったようなフルエンの言葉に眉を顰めたベートは舌打ちしてから周囲を見回して口を開いた。

 

「帰り道は後で探せばいい。それより【ハデス・ファミリア】は何処に居やがる」

 

 汚水を浄化する浄化柱が一定間隔に並ぶ隧道内。歩行用の足場を見据えて言い切ったベートの姿にフルエンは肩を落とそうとして──遠くで聞こえた破砕音に気付いて顔を上げてベートと顔を見合わせる。

 

「今の音は」

「間違いねぇ、あの糞牛の斧の音だ」

 

 【処刑人(ディミオス)】の扱う鉄塊と見間違える程の大きさの断頭斧(ギロチン・アックス)が壁を粉砕する音。何者かが交戦しているを判断して足を踏み出すベート。その後に続こうとしたフルエン。

 二人の目の前、音の聞こえた通路の先から白い毛並みの小柄な影が全力で疾駆している姿が見えて息を呑んだ。

 

「なっ、カエデェッ!? なんで此処にっ」

「どうなってやがる、おいお前、此処で何を────

 

 ベートが声をかけた瞬間。カエデがベートとフルエンの姿を確認するや否や即座に分岐していた横の隧道内へと逃げ込もうとし──壁をすり抜けて振るわれた断頭斧(ギロチン・アックス)の一撃を間一髪で避けてそのまま左手側の隧道の方へ飛び込んでいった。

 

「何してんだあの馬鹿はっ」

 

 助けに来たのに姿を見た瞬間に逃げ出したカエデの姿にベートが舌打ちしながらも罠を無視して突っ込む。体に食い込む鋼線(ワイヤー)を無視して第一級(レベル5)のステイタスを駆使してカエデに追いつこうとすれば、カエデが罠を起動させて通路を崩落させようとしているさ中であった。

 降り注ぐ粉砕された石材を無視してカエデに近づいて腕を掴む。

 

「おい、お前は────ッ!」

 

 瞬間、カエデが全力でベートの腕に噛みついた。痛みと驚きで手を放した瞬間、ベートの腹を蹴ってカエデがベートから逃げ出し──別の罠を起動させてベートを置いてけぼりにしたまま崩落の向こう側に消えて行く。

 追いかけようとした瞬間に目の前に振り下ろされる鉄塊。回避するために後ろに飛び退こうとするも崩落して隧道を塞ぐ土砂で回避しきれずに迎撃せざるを得ない。

 鉄塊、断頭斧(ギロチン・アックス)の側面をぶっ叩いて軌道を逸らしたおかげで直撃は免れるも、片腕を痛めたのか激痛が走る。

 

後ろを塞ぐ土砂を肩越しに見てから正面の通路を塞ぐ土砂を見る。前後が崩落して孤立したベートは舌打ちしながら叫んだ。

 

「おい【処刑人(ディミオス)】ッ! カエデに何したか知らねぇが、カエデに手ぇだしたらぶっ殺すぞっ!」

 

 本来なら隧道内に響くはずのベートの怒声は、前後を土砂に挟まれている所為で全く響かない。

 聞こえていた鎖の音も消え去り、無音になった次の瞬間、後ろの土砂の一部が少し崩れてフルエンの顔が見えた。

 

「ベートさん、カエデは? つかなんでアイツ逃げて……とりあえずこの土砂退けるんで少し待っててください」

 

 フルエンが手早く土砂を片付けるのを尻目にベートは正面、カエデが逃げて行った方向の土砂を睨みつけた。

 

「……あいつ、光の玉みてぇなの飛ばしてたな」

 

 最後、カエデがベートの腕に噛みついた時にカエデの周囲をふわふわと漂う怪しい光を放つ光の玉があった。カエデの魔法かと一瞬考えるもすぐに否定してベートは舌打ちした。

 少なくともカエデは()()()()()()()()()()()()()。今のベートとフルエンが合流しても味方と判別してもらえない可能性は高い。

 とはいえこのまま何もせずに見殺しという選択は在り得ない。【処刑人(ディミオス)】らしき人物の攻撃なのは間違いなく、此処に【ハデス・ファミリア】が集まっているのならちょうどいい。

 

「あいつが殺される前に、さっさと片付けるか」

 

 全員、一人残らず潰す。そう宣言したベートはばっと後ろを振り返って土砂を退けようとしているフルエン諸共土砂を蹴り飛ばした。

 

「……酷くないですかねぇ」

「お前なら平気だろ」

 

 ベートが振り向いた瞬間に土砂の前から飛び退いて水路に飛び込んで事なきを得たフルエンの言葉にベートが肩を竦める。信用されているのは嬉しいが、荒々しい信用は勘弁だとフルエンが溜息を零すさ中、ベートがフルエンの首根っこを掴んで水路から引っ張り上げる。

 

「さっさとカエデを追うぞ」

「ついでに【ハデス・ファミリア】を潰す訳ですね、了解」

 




 あの邪神様が本当の事をペラペラ喋るわけ無い訳で……。


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『地下水路』《下》

『もウ終わル。コりャア……ツまんネぇなぁ』

『おいお前』

『アー、はイハい。何でスかい? 可愛イ後輩ちャンはドうしテそんナに怒ッテるんダ?』

『僕は前に死んだと思っていたんだ。先輩みたいな頭のおかしい奴は、あの狐人に殺されて、ね』

『生キてテ嬉しイか? そリゃヨかった』

『良くないよ。死んでてくれた方が気楽だった。あぁもう……その神ハデス殺したらさっさとナイアルと合流だよ。外は色々と面倒毎が多いんだ。僕一人じゃ手が回らない』

『エー、ヤだナァ。まア、ナイアルとまタ会イタいシ、いッか……』

『僕は良くないけどなっ!』

『照れルな照レるナ』



 幅1.5M程の足場を踏み外しかけて大きくよろめいて壁の方へ身を投げ出して止まる。

 ふらつく足は覚束なく、凍える吐息がその衰弱具合を知らせてくる。

 隧道の中、目的地がわからなくなったまま歩き続けていたカエデ・ハバリは身を震わせて顔を上げる。

 

「寒い……」

 

 寒さで震え、カチカチと奥歯が打ち合わされる音を響かせながらも歯を食いしばって膝丈まで上がってきた水面に映る顔を見る。

 

「嘘、早過ぎる……」

 

 顔を上げたカエデの視線の先。閉じた水門とその隙間から流れ込む水流に顔を引き攣らせ、何処かに出口はないかと後ろを見るも、カエデの望むものは見当たらない。

 後方は崩落によって埋め立てられ、前方は並大抵のモンスターの攻撃では傷一つ付けられない頑丈な水門。それも人が通る為の戸口の様なものも付けられておらず、完全に通行不能なうえで水を流し込んできている。

 上部の小さな窪み部分が空気抜きの役割をしているらしく、このままではこの隧道内は水で埋め尽くされてしまう。

 戻って土砂をどかすか、この水門をどうにかして開けるか。

 

 近場の壁に設置された水門操作用の装置らしきものに近づくも、穴が開いているのみでどうすれば良いのか見当もつかないカエデは手持ちの道具類でどうにか出来ないかと穴に閃光弾を捻じ込んだりしていた。

 カエデは知らぬ事であるが、特殊な器具を使って作動させる装置であり、無手ではどうしようもない。

 

「無理、道具がいるけど……」

 

 既に太腿の辺りまで水位が上昇してきている。このままでは溺死してしまうと危惧しながらも打つ手がない事に焦りを感じ、相手の意図に気付く。

 自身の手を汚さずに、此処でカエデ・ハバリを溺死させる積りなのだと。

 既に手足の感覚は麻痺し始めており、指は震えてまともに動かせない。波打つ水面に映る自分の顔、ただでさえ白い肌は既に体温の低下で青白くなっている。唇なんて紫色にまで変化しているのに気付いて唇をかんだ。

 ジワリと広がる冷たい血の味。生唾と共にそれを飲み込んで吐き気を覚えるが堪える。

 

「何処かに、何か……」

 

 ずぶ濡れの尻尾の先端を摘まんで────何も答えは帰って来なかった。

 いつもなら、何かしらの()が働くはずが、今はうんともすんともいわない。

 

「寒い……」

 

 身を震わせて顔を上げる。考え事をしている間に完全に足を取られる程の深さになった水面を睨んで元来た道を戻ろうとして────天井から釣り下がる人物と目が合った。

 

「よぉ、寒そうだな」

「っ!? 【縛鎖(ばくさ)】!」

 

 【縛鎖(ばくさ)】イサルコ・ロッキがケタケタと気味の悪い笑い方をしながら天井から釣り下がる鎖に掴まっていた。

 見上げるカエデに対し、イサルコはヒヒッと笑いを零すとじゃらじゃらと鎖を差し出して目を細めた。

 

「団長がよぉ、テメェはどうしても処刑台で殺したいそうなんだわ。あの糞エルフ殺したいのにお前殺すまで余計な事すんなって言うんだぜ? だからよ、お前俺と来い。んであの処刑台で死んでくれ。そしたら糞エルフを思う存分ぶちのめしてから殺してやるからよ」

 

 カエデの目の前に垂らされた鎖。掴まればこの場を抜け出せるが、代償としてあの場に引き戻される事になるだろう事は想像するまでも無い。

 

「あ、そうそう。兎は殺した。だってお前逃げたし」

「…………え?」

 

 イサルコの何気ない言葉にカエデが身を震わせる。寒さではない、悪寒による震え。

 鳥肌が立ち喉がカラカラに乾いていくさ中、イサルコが鎖を手繰り寄せて()()()()()()()()()()()()()

 

「ほら、この兎もう死んでるぜ」

 

 腰の辺りまで上昇した水位、その水面に音を立てて堕ちたのは──事切れたアリソン・グラスベルの死体。

 肩から腹にかけてばっさりと斬られ、零れ出た内臓が水面にぷかぷかと浮かび、事切れた瞳は既に生気は無く、濁った黒い瞳で暗い天井を見上げている。

 

「なんで……」

 

 なんでアリソンさんを殺したのか。そう問いかけようとしたカエデに対し、イサルコは肩を竦めた。

 

「あぁ? んなもん、あの糞エルフが庇ってたからだよ」

 

 糞エルフなどとふざけた呼び方をされている【魔弓の射手】ジョゼット・ミザンナ。彼女は足手纏いになる者を庇いながら撤退したはずだ。

 その彼女が庇う足手纏い達を、イサルコは容赦なく狙ったのだろう。

 

「ワタシを、狙っていたんじゃ……」

 

 それに矛盾している。何故ジョゼットを一番に狙わないのか。ジョゼット憎しで行動しており、殺してやると何度も口にしながらも、ジョゼットを殺すのではなく周囲の者を殺す。

 理解しがたい狂人の思考に何を言った所で意味等ありはしない。それを理解しながらもカエデは言い切った。

 アリソンは関係ない。そう口にするカエデを見下ろしたイサルコは小首をかしげて呟いた。

 

「あん? だってテメェの事庇おうとするんだぜ? ()()()()()()()()()()()()()()()()()

「っ!!」

 

 自分を庇ったからこそ、彼らは命を奪われたのだと言い切られた。其の事に驚愕と恐怖を覚えながらも、唇を噛み締めて水面に浮かぶアリソンに手を伸ばした。

 カエデの手も冷え切って冷たいはずなのに、カエデが触れたアリソンの肌はカエデの手より尚冷たかった。

 

「なんで……なんでアリソンさんがっ!」

 

 カエデが強く睨み付ける。赤い瞳が爛々と輝くのを見たイサルコは、その姿を鼻で笑った。

 

「ハデス様が言ったからに決まってんだろ。それよりもどうすんだよ、此処で溺死したいならそうしろ、俺は先に行ってるから、処刑台で死にたきゃさっさとこっちに来るんだな。そうそう、遅い様ならあのエルフの男とヒューマンのうるさい女も殺すから、じゃあな」

 

 カエデが手を伸ばすより前にイサルコの姿が壁の中に消えて行く。残ったのはカエデの臍の辺りまで上がった水位と、その水面に浮かぶアリソンの死体のみ。

 カエデが水流に弄ばれるアリソンの体を掴んで引き寄せる。

 温かな笑みを浮かべていたはずのアリソンは、既に冷たい屍になっており、生命の息吹は感じられず、体温もとうの昔に消え去ったただの肉と骨があるのみ。

 

「ごめんなさい……」

 

 自分の所為で──そう口にしそうになり、その言葉を飲み込んだ。

 これはカエデ・ハバリの所為であるか? その問いにカエデは力強い否定の言葉を放った。

 

「ワタシの所為じゃない」

 

 カエデ・ハバリと関わりを持った所為で、アリソン・グラスベルは死んだ。ウェンガルは死んだ。その通りかもしれない、けれども死んだ原因はカエデにはない。

 殺した犯人は身勝手な主張を振るい続ける【ハデス・ファミリア】であってカエデ・ハバリではない。

 そう言いながらも水面に浮かぶアリソンの瞳を覗き込んで、カエデは涙を零した。

 ぼたぼたと溢れ出す涙は、水面に零れ落ちて判別がつかなくなる。

 

「ワタシの所為……」

 

 かつて過ごした故郷の村。黒毛の狼人の隠れ里にて起きた悪い出来事は全て白き禍憑き(カエデ・ハバリ)の所為で起きた事だと責め立てられた。

 やれモンスターが出た。やれ死人が出た。やれ流行り病にかかった。やれ畑の作物が上手く育たなかった。どれもこれも身に覚えのない、完全に無関係と言い切れる言いがかりばかりだったソレら。

 今回のアリソンの死も、ウェンガルの死も、どちらも【ハデス・ファミリア】の手によるモノであって、カエデの所為ではない。しかし────カエデは幾度かの警告を受けていた。

 

 警告を無視した結果、ウェンガルが死に、アリソンが死んだ。

 そして、これからヴェネディクトスやグレース、ケルトや他の者にも危害が及ぶのだろう。

 

 それを理解しながらも、カエデ・ハバリは剣を抜けなかった。

 

「なんでっ! こんなに憎いのにっ!」

 

 胸の辺りまで上がった水面。もう猶予はなく、すぐにでも垂れ下がる鎖に手を伸ばすべきなのに、手を伸ばせない。逃げ場を探すべきなのに、アリソンの死体から手を放せない。

 イサルコが憎く、アレクトルが憎い。殺したくて堪らないはずなのに、抜けば殺せる剣があるのに、剣を抜けない。抜こうと決意しても、空気が抜ける様にその決意が溶けて消えてしまうのだ。

 腹の内から溢れ出すドロドロとした黒いナニかを意識したカエデは血反吐を吐く様に詠唱した。

 

「『凍えて(孤独に)眠れ、其は凍て付く(孤独な)氷原────

 

 声が震える。下がった体温の所為で呂律が上手く回らない。此処で魔力暴発(イグニスファトゥス)すれば死にかねない。アリソンの死体の感触を感じながら、身を震わせたカエデが詠唱し切る。

 

 ────月亡き夜に誓いを紡ごう。名を刻め、白牙は朽ちぬ』【氷牙(アイシクル)】ッッ!」

 

 冷気に包まれて水面が凍り付く。アリソンの死体を巻き込まぬ様に冷気を動かし、自分の体を凍った水面の上に引きずり上げて勝手に震える体に鞭を打つ。

 濡れた体に冷気が突き刺さる。けれども、痛みや寒さは無い。鈍痛効果によって鈍った感覚の所為で冷たさを感じない。ある意味では不利に働くその効力を今は感謝しながらもカエデは両手を前に突き出した。

 

 口を震わせる──寒さの所為で声が出ない訳ではない。

 歯を食いしばる──なぜか詠唱文が唱えられない。

 

 耐久無視の効力を持つ諸刃の剣を生み出す追加詠唱。装備魔法を生み出すはずの追加詠唱が唱えられず、カエデは涙を零した。

 頬を伝い、顎に滴った雫が零れ落ち────空中で凍り付いて氷の足場に落ちて砕け散る。

 

「なんで……」

 

 天井までの高さが半分を切っている。近づいた天井に手を伸ばして見えない空を求めたカエデは、天井から垂れる鎖を睨んだ。

 

「剣さえ、あれば────」

 

 あればどうするのか。例え剣を手にしていようと、きっと自分が剣を振るう事なく死ぬだろう。そんな予感を感じ取り歯を食いしばる。

 何がいけないのか、そう考えた所でアリソンの亡骸に手を伸ばす。

 水面から引き上げたアリソンの冷たい亡骸。既に生命の途絶えた肉と骨。既に流れ落ちる血も失われたその躯。

 硬直しはじめている手を握り、涙を零して謝罪した。

 

「ごめん、なさい……」

 

 ごめんなさいごめんなさいと涙を零し、謝罪する。

 カエデ・ハバリは剣を抜けない。カエデ・ハバリはあの者達を殺せない。

 何故、どうしてかはわからないのに、なぜか剣を抜けない。

 何がいけないのか、わからなくて胸が苦しくて──こんなんじゃいけないと身を震わせた。

 

「生きなきゃ……」

 

 身を震わせて、鎖に手を伸ばそうとする。凍えた腕が上手く動かずに鎖を掴み損ねる。

 強大な敵、腹の内から溢れ出しかける憎悪。それでいて前を見据えたのはなぜか。

 

「生きなきゃ……」

 

 どうしてかと問われたら。答え等たった一つしか存在しない。

 

「生きなきゃ……」

 

 カエデの根本を成す言葉『死ぬな(諦めるな)生きろ(足掻け)、心の臓が音を止めるその瞬間まで』

 その言葉を強く脳裏に描き────鎖の砕ける音を聞いた。

 

 目の前に垂らされた()()()()()()()には異変はない。あったのは、カエデの心の中だ。

 目の前にある鎖を呆然を眺めながら、カエデは静かにアリソンの亡骸を見下ろした。

 涙が零れ落ち、氷の粒となって地面に落ちて砕け散る。

 カエデが手を伸ばせば天井に手が付くほどに水で埋め尽くされた隧道内。

 

 カエデは静かに両手を前に突き出した。

 

「『乞い願え。望みに答え、鋭き白牙、諸刃の剣と成らん』」

 

 淀みなく流れる様に詠唱しきった。爛々と輝く双眸でその刀身を眺める。

 鋭い切っ先を持つ、師が手にしていた打刀を模した──薄氷刀・白牙。

 

「そっか、そうだったんだ」

 

 ボタボタと溢れ出る涙を拭う事もせずに、カエデは静かに剣を振るった。

 空気を引き裂く冷気纏った耐久無視の効力を持つ刃。キンッと澄んだ音色を響かせた一閃。

 ()()()()()()()()()()()()()()()

 

「ごめんなさい、ワタシは────誰かの為に剣は振るえない

 

 とても、簡単な答えだった。

 

 カエデ・ハバリは何の為に此処(オラリオ)に来た?

 

 ────生きる為である。

 

 師はカエデ・ハバリに剣の何を問うた?

 

 ──── 人を殺す刃であり、扱いを間違えれば堕ちる。

 

 師は、何を思ってカエデ・ハバリに『烈火の呼氣』を教え、『大鉈』と言う剣を渡した?

 『烈火の呼氣』は人の身では傷付ける事も出来ない化け物を斬り伏せる為のもの?

 『大鉈』と言う大刀は化け物を斬り伏せる為のもの?

 それは、間違いである。

 

 ────師は、その技法と剣をワタシに与えた。理由は違う、化け物を斬り伏せる為? 否。

 

 その剣を与えられた理由はたった一つではないか。

 

 ────生きる(足掻く)為のモノだ。

 

 それは、恨みで振るう力ではない。憎しみをもって振るう力ではない。

 傷つけられた報復で振るう刃であってはならない。

 憎悪に狂う刃はいずれ己の身を亡ぼす刃にしかならない。

 

 怪物は、憎悪と殺意に塗れた存在。だからこそ、だろう。

 

「ごめんなさい、ワタシはワタシの為にしか剣を握れない」

 

 これから【ハデス・ファミリア】の団員を────殺す

 

 憎悪ではない。憎しみでもない。報復ではない。これは、カエデ・ハバリが()()()()()()()()()()

 

「殺します」

 

 宣言したカエデは、諸刃の剣を肩に担いで鎖に手を伸ばした。

 

 ────ワタシは殺します。貴方達【ハデス・ファミリア】を、全員。

 

 其れが生きる(足掻く)為に必要ならば、躊躇する必要なんて無い。

 

 

 

 

 処刑台の置かれた貯水槽の底。逃げ出した者を追って数度の襲撃を仕掛けるも、既にアレクトルは虫の息であった。猫人の女性を仕留めはしたが、本命のカエデ・ハバリは逃がした。

 【処刑人(ディミオス)】アレクトルは、もう満足に足を動かす事も出来ない程に消耗している。それは神の恩恵を以てしても防げない、老化と言うモノだ。

 きっと、戦いから身を引けば後四、五十年は生きられる。けれどもそんなことをする気はない。

 この処刑が終わった後、アレクトルは死ぬことになっている。狼人の青年が、アレクトルの処刑を実行してくれる。

 

「団長、大丈夫かよ」

 

 心配する様に寄り添う狼人の肩を振り払ったアレクトルは首を横に振る。

 

「良い、やめろ。カエデ・ハバリを処刑するまでは死なんさ」

「団長……」

 

 槍を握り締めて狼人の青年は俯く。涙を零して呟く。

 

「なんでこんな事になっちまったんだよ……」

 

 あの邪神さえ居なければ、あの白毛の狼人(白き禍憑き)さえ現れなければ。

 【ハデス・ファミリア】はこんなに壊れる事はなかったのに。

 慟哭する狼人の青年を睨むアレクトル。間違いを犯したのは【ハデス・ファミリア】に所属する全員だ。

 

「やめろ、カエデ・ハバリには罪はない」

「ですけど……」

 

 残った団員は【処刑人(ディミオス)】アレクトル。【縛鎖(ばくさ)】イサルコ・ロッキ、【監視者】の二つ名を持つヒューマンの男、そして無名の狼人の青年。

 このうち、正気を保っている────比較的、と言う接頭語は付くが────のはアレクトルと狼人の青年の二人のみ。イサルコと【監視者】は何処か壊れている。

 アレクトルは断頭斧を肩で担いで処刑台の横に立った。打ち壊された処刑台の残骸を見ながらも、此処に運ばれて殺された数多くの罪人(罪無き者)達を思い浮かべて顔を俯かせる。

 

「俺も、お前も、皆そうだ」

 

 ハデス様は不器用で優しいお方だと知っていた。それが狂っていくのに気付けなかった愚かさの代償だ。

 きっと、正常な頃の神ハデスならカエデ・ハバリを見たら、その背を押すだろう。

 

『お前の行いは死の神()にとって良くない事だ。けれど────懸命に生きる事は良い事だ。成功を祈りはしない。俺はお前が死ぬ事を望むだろう。それでも、声援ぐらいは贈らせてくれ』

 

 頑張って生きると良い。そう言って微笑んでくださるのだろう。彼の神は決して不条理な事はしない。

 生真面目で、心優しいお方なのだから。殺す等という事はしない。

 死に際の恐怖に涙する者が居たのなら、彼の神は手を握ってその恐怖を和らげようとしてくれるだろう。

 優しいお方()()()。それを知っているアレクトルは静かに俯く。

 

「もうすぐ、終わる」

 

 歯を食いしばるギリギリと言う音が響く。狼人は力強く槍を振って叫んだ。

 

「ナイアルを殺してやるっ!」

「…………」

「神殺しは許されざる罪だって? もう知った事かっ! 絶対に見つけ出して八つ裂きにしてやるっ! 皆、みんなおかしくされちまったっ! 俺も、団長も、ハデス様もだぞっ!!」

 

 槍を握り締めた狼人の言葉にアレクトルは静かに頷く。

 

「ああ、機会があるのなら……俺も共に、邪神を討つ」

 

 神に刃向ける事を大罪だというのならそれでも構わない。彼の邪神を殺す事を夢見た【処刑人(ディミオス)】アレクトルは静かに佇む。

 静寂に包まれた処刑場に、鎖の音が響き渡った。じゃらじゃらと不快な金属音を響かせてイサルコ・ロッキが帰還し、肩を竦めた。

 

「帰ったぜ団長。運良く兎仕留めたからカエデ・ハバリの所に送っといた。後、糞エルフの所から何人か仕留めてやったぜ。駆け出し(レベル1)相当ってのは弱ぇな」

 

 ケケッと笑いながら鎖にからめとられていた戦利品である【ロキファミリア】の団員の屍を地面から引っ張り出して地面に放り捨てるイサルコ。

 その姿にアレクトルは眉を顰めた。

 

「イサルコ、殺すのはカエデ・ハバリ一人だと……」

「あん? 団長もあの猫人一人殺してたじゃないか。一人二人構やしないだろうに」

 

 イサルコの言葉にアレクトルは深い溜息を零した。

 あの一撃は、カエデ・ハバリを狙ってのモノであって猫人の女性を殺したのは偶然だ。ただ()()()()()()()()

 カエデ・ハバリの姿のみを視認して即座に、反射的に振るった一撃。その攻撃範囲内、致命的な場所に猫人がいたのに気付いたのはその猫人が断頭斧(ギロチン・アックス)によって潰されて死んでからだ。

 カエデ・ハバリ以外を殺す気はない。今でもアレクトルはそう口にするし、心の中ではそう決めている。

 しかし、片目を失い、老化で上手く働かない思考の所為か無関係と決め込んだ者まで巻き込んでしまう。

 本来ならもうとっくの昔に第一線から引くべき老体なのだ。それに鞭打って第一線にいるのは、この【ハデス・ファミリア】の滅びの引き金を引いた事に対する罪滅ぼし。

 

「…………」

 

 並べられた【ロキファミリア】の団員の躯という戦利品(トロフィー)を眺めていたイサルコがふと顔を上げた。

 

「そうだ、別の奴も捕まえて来ようっと」

 

 糞エルフ、ジョゼット・ミザンナや五月蠅いヒューマン、グレース・クラウトス。仲間を裏切った馬鹿なエルフ、ヴェネディクトス・ヴィンディア。彼らを捕まえてきて並べて観客にしようとケラケラ笑うイサルコの姿に狼人の青年が苦言を呈すが、イサルコは笑いながら答えた。

 

「イサルコさん、悪趣味ですよ……」

「クヒッ、何言ってんだよ、こういうのは観客が多い方が盛り上がるっての」

 

 【縛鎖(ばくさ)】イサルコ・ロッキは元々は面倒見のいい陽気な猫人の青年であった。

 副団長と言う肩書を持ち、大柄で寡黙な所為で誤解されがちな団長のアレクトルと、団員たちの間に入ってその誤解を解いたり、ムードメーカーの役割を果たしていた人物。

 元は、悪人ではない。面倒見のいい陽気な猫人。それが今では見る影もない。

 狂って、おかしくなって、壊れた今のイサルコを見ていられず、アレクトルと狼人は視線を逸らした。

 

「うっし、つっかまえたーと」

 

 握っていた鎖を勢いよく引っ張るイサルコ。じゃらじゃらと金属の擦れ合う不愉快な音をたてながら一本釣りの要領で数人の人物が処刑場に引きずり込まれた。

 

「ぐぅっ!」「糞っ!」「……やられましたか」

 

 三人の人物。イサルコの狙い通りのグレース、ヴェネディクトス、ジョゼットの三名。

 その姿にヘラヘラ笑うイサルコはすっと近づこうとして────グレースの拳がイサルコの腹にめり込んだ。

 

「糞野郎ッ!!」

「グギャッ!?」

 

 肋骨のへしゃげる音を響かせたイサルコが吹き飛び──アレクトルが鎮圧すべく断頭斧(ギロチン・アックス)を振るった。

 ゴギャッという異音と共にグレース・クラウトスの体が吹き飛んで壁面に叩きつけられて放射状の罅を入れて止まる。そのまま力尽きて倒れ伏したのを見たヴェネディクトスが叫びながらグレースに駆け寄った。

 

「グレースっ! しっかりしてくれっ!」

 

 必死に呼び掛けるエルフの青年の姿を見たアレクトルはあくる日の処刑の光景を思い出して眉を顰めた。

 ────エルフの男がヒューマンの女に恋をして、寿命の差で別れるのを惜しみ神を頼った。番の彼らを処刑した際に、同じ光景を目にした。

 

「何しやがんだっ、げほっ、糞がっ」

 

 鎖を片手にキレたイサルコがヴェネディクトスに鎖の矛先を向け──横合いから飛び出したジョゼットによって阻まれて破壊される鎖。彼女の手にあるのは装備魔法を破壊する効力を持った短剣。

 装備魔法を破壊する効力であるが故に、彼女自身も装備魔法を使えなくなる欠点(デメリット)が存賽するが、それでも閉所で弓を扱うよりは短剣の方が良いと判断したのだろう。

 

「やらせません」

「糞エルフがぁぁああああっ!」

 

 吠えて一直線に突っ込もうとするイサルコの前に回り込んだアレクトルが、ジョゼットに向けて処刑斧(ギロチン・アックス)を振るう。

 回避なんてさせない。その積りで振るった一撃。

 例え老いて能力が下がっていようが、ジョゼットは第二級(レベル3)でアレクトルは第一級(レベル6)────ではない。

 アレクトルはここ二、三日の活動の中で偶然──本当に偶然にも『偉業の証』を手に入れていた。

 今のアレクトルのレベルは7。

 オラリオ最強の冒険者【猛者(おうじゃ)】オッタルに並び立つレベルに至っていたのだ。それを誇るでもなく、アレクトルは静かに斧を振り抜こうとして────阻まれた。

 

 ドゴシャッと凄まじい轟音を響かせて、()()()()()()()()

 

「っ!?」

 

 いくらなんでも、後衛向きの能力しか持ちえないエルフの、それも第二級(レベル3)程度では、衰えていたとしても第一級(レベル7)に至ったアレクトルの一撃を受け止めるのは不可能のはずだ。

 腕に感じた確かな()()()にアレクトルが驚きに目を見開くさ中、舞い上がった土埃が晴れていく。

 其処に居たのは、羊人(ムートン)の女。【ロキ・ファミリア】に所属する後方支援ばかり行っている人物。

 

「痛たた、ですが。なんとか間に合いましたよ。大丈夫ですか……けほっ、ジョゼットちゃん」

「ペコラ、此処で何を」

 

 アレクトルの一撃を受け止めた人物。【ロキファミリア】の準一級(レベル4)冒険者【甘い子守唄(スィート・ララバイ)】ペコラ・カルネイロは口元から血を零しながらニヤリと笑った。

 無防備に、その胸に断頭斧(ギロチン・アックス)を受けた姿で────胸の大きさで助けられた訳ではなく、スキルによって損傷(ダメージ)が軽減されたからこそ、彼女は生きている。

 最も、既に致命傷を負ったも同然の状態だが。

 

「ピンチに登、けほっ……場っ! ペコラさんですよっ!」

 

 その身で、無防備にアレクトルの攻撃を受け止めたペコラ・カルネイロは喀血しながらアレクトルを見上げ、睨んだ。無謀に攻撃を受け止めた為か、肺を深く傷つけたのか、肋骨が肺腑に刺さったのか喀血を繰り返しながらペコラ・カルネイロが構える。

 

「こぷっ、ペコラさんを怒らせましたね」

 

 ボタボタボタと、口の奥から溢れる血を零しながら、ペコラ・カルネイロは背負っていた巻角の大槌を振るって反撃を試みる。

 大振りの一撃に対し、アレクトルはその柄を掴んで止める。

 

「ぐぐぐっ……くぷっ……けほっ……」

 

 顔を真っ赤にし────喀血しながら力を籠めようとして、そのままずるりと力尽きて膝を突くペコラ・カルネイロ。

 例え老化によって全ての能力が低下していようと、第一級(レベル7)に至ったアレクトルの攻撃を無防備に受け止めるのは自殺行為が過ぎた様子だ。既に立ち上がる気力も失った様子で倒れ伏して口から血泡を吹き始めている。

 

「っ! ペコラっ! しっかりしてくださいっ!」

 

 目の前の出来事に思考停止していたジョゼットが慌ててペコラの様子を伺い、ペコラのポーチから回復薬を取り出して治療しようとし────鎖によって回復薬が弾き飛ばされて離れた所で甲高い音を立てて砕け散った。

 

「舐めた真似、してんじゃねぇぞ……」

 

 額から血を流したイサルコが血走った眼をジョゼットに向ける。

 ジョゼットが舌打ちしながらも短剣を手にしようとして────その短剣が手元にないのに気付いて目を見開いた。

 

「なっ!?」

「……悪いな、コレは掏らせてもらった」

 

 狼人が手で弄ぶ短剣は、つい先ほどまでジョゼットが握っていたモノだ。手癖が悪い彼はペコラ・カルネイロに気を取られた一瞬の隙を突いて掏ったのだろう。

 苦虫を噛み潰した表情で強く【ハデス・ファミリア】の面々を睨むジョゼット。対するイサルコはヘラヘラとした笑みを浮かべて、口を開いた。

 

「うっし、ようやく引っかかったか。団長────カエデ・ハバリが来ますよ」

 

 腰から垂れる鎖の一本に手をかけてイサルコが嗤う。カエデ・ハバリを処刑場へと案内する一本の鎖に、カエデ・ハバリが釣れたのだと嗤う。

 

「さぁて、どんな顔して処刑所までくるんだかねぇっ!!」

 

 一本釣りの様にイサルコが鎖を引っ張る。遠く離れた地点から壁を透過して引き寄せられるカエデ・ハバリ。

 ジョゼットが目を見開く。カエデが逃げ損ねたという事はつまり────ウェンガルかケルト、もしくは両方が死んでいるかもしれないからだ。

 既にアリソンと他数名の死者を出している。其処にウェンガルとケルトの名が並ぶという事に強い怒りを抱きながらも、武装を失ったジョゼットは長々とした詠唱も行えずに倒せ伏したペコラが呼吸しやすい様に頭の高さを調整する事しかできない。

 金属音を響かせながら引かれる鎖の先端、イサルコが口が裂けた様な笑みを浮かべるさ中、狼人が眉を顰めた。

 

「なんか、遅くないか?」

「あん? そりゃ結構距離あったしな」

 

 そう言いながらもイサルコが再度鎖を思い切り引っ張り────飛び出してきた白い影。壁面から飛び出した瞬間に己を拘束する鎖を断ち切り、冷気と共に襲い来る。

 瞬く間も無く、真っ白な軌跡が描かれる。目を見開いた狼人の頸を巻き込む刃の軌跡。

 

 抵抗らしい抵抗も無く、狼人の頸がポトリと堕ちた。

 

「────は?」

「っ!」

 

 凄まじい速度で走り抜け、狼人の頸を断った白い影。カエデ・ハバリは静かに壁際の地面に降り立って、振り返った。

 深紅に輝く瞳で【ハデス・ファミリア】を見据える。壁際に倒れたグレースとそのグレースに縋りつくヴェネディクトス。血反吐を吐いて倒れ伏すペコラとペコラを介抱するジョゼット。そして事切れて死んでいる【ロキ・ファミリア】の駆け出し(レベル1)の団員達。

 それらすべてに視線を向けてから、カエデ・ハバリは静かに剣を構えた。美しい、白氷によって形作られた刀身。その姿をみたアレクトルが背筋を凍り付かせる。

 

 彼女の目には、怒りの色はない。あるのは────獣の如き生への欲求。

 

「てめぇええええええええええええええええええ」

 

 イサルコの怒声が貯水槽内に響き渡った。

 

「よくも、よくも仲間を殺しやがったなぁあああああああああああ」

 

 無数の鎖を波打たせ、イサルコ・ロッキが仲間を殺された怒りに吠える。

 ────なんと滑稽だろう。元はと言えば【ハデス・ファミリア】が先に手を出したのだ。先に【ロキ・ファミリア】の団員を殺したのだ。だが、イサルコは怒りをカエデに向ける。

 例えどんな言葉で説得しようと、すでに狂い切ったイサルコを説得等出来ようはずもない。故に────カエデは白刃を振るうのみ。

 

「こんばんは」

 

 静かな挨拶。初撃で一人を仕留め──けれど目的の人物ではなかった事に舌打ちし、カエデはアレクトルを見据えた。

 

「今からワタシは、貴方達を殺します」

 

 怒りではない。憎しみではない。恨みではない。憎悪の一切含まれていない、刃を彷彿とさせる瞳。

 まるで────生を渇望する獣の様な、純粋でいて恐ろしい瞳。

 

「【ハデス・ファミリア】を滅ぼします」

 

 アレクトルは静かに、イサルコは咆哮しながらカエデ・ハバリと対峙した。




 吹っ切れたカエデちゃんは怖い。


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『冷刃』

『あの野郎を早く見つけねぇと』

『……ん? この匂い……ベートさん』

『んだよ』

『この匂い、ウェンガルの匂いなんすけど』

『…………』

『この先、血塗れっすね。この血、ウェンガルの匂いなんすよ』

『糞がッッ!!」


 強襲によって【ハデス・ファミリア】の駆け出しらしい狼人(ウェアウルフ)を仕留めたカエデ・ハバリであったが、その後の戦闘は芳しくなかった。

 貯水用の大きな空間。その中央が崩落して下に落ちたのだ。其処に広がっていたのは理解不能な地下空間。少なくともギルドの情報にも記載されていない地下通路に落ちたカエデ・ハバリとアレクトルであったが、やる事は一つとカエデは剣をアレクトルに向け。アレクトルも応える様にカエデに断頭斧を向けた。

 

 砕けた細氷が地下の空間に広がって部屋内の温度を急激に下げていく。細氷がキラキラと煌めく中を真っ白い残像すら残す勢いで駆けていくのはカエデ・ハバリ。光源も無い暗闇の中、飛び散る魔法の煌めきのみが互いを視認可能としている。それ以外は気配を読んで飛び掛かるというのを繰り返すのみ。

 カエデ・ハバリが振るう氷の剣(氷刀・白牙)がアレクトルに触れる寸前。アレクトルの魔法【失攻刃】によって砕けて細かな氷の破片を空間に散らす。飛び散った氷の破片、魔法の産物であるが故に微光を放ち一瞬だけ暗闇にカエデの姿が映し出される。

 

「またっ!」

「ぬんっ!!」

 

 轟音と共に振るわれる断頭斧(ギロチン・アックス)。頸を切断する為の刃は、第一級(レベル7)の剛腕に振るわれる事でドワーフの鎧すらも巻き込んで胴体を一撃で切断する威力を持つ。当たれば即死なのは違いない。

 攻撃に失敗した瞬間に離脱していたカエデの目の前、身に着けていた緋色の水干の袖口を大きく抉り千切られながらも回避したカエデは静かに闇に身を沈ませる。

 

「っ!」

「『凶刃は我が身に触れず』【失攻刃】」

 

 第一級冒険者の【勇者(ブレイバー)】フィン・ディムナですら『厄介』だと評価する魔法。

 短文詠唱で発動が早い上、確実に()()()()()と言う効果はカエデの()()()()と相性が悪過ぎた。 それなりに広い貯水槽区画全域を駆け巡りながら隙を見つけては柱の陰から強襲するも、【失攻刃】の効力で諸刃の剣は即座に破壊されてしまう。

 攻撃の失敗はイコールで武装の消失。すぐに生み出せるからと言って一度に作り出せる剣は一本のみ。

 最初に手にしていた剣を破壊されて以降、何度も同じように剣を生み出しては攻撃を繰り返すカエデ・ハバリの姿にアレクトルは眉を顰めつつも断頭斧(ギロチン・アックス)を振るう。

 

 無数の柱によって支えられた広い空間だと思われる広大な大広間。

 カエデ・ハバリとアレクトルの攻防が続いている其処に乱入できずに大広間の入り口で戸惑うペコラ・カルネイロは口元を歪めつつも巻角の大槌を肩に担いで呟いた。

 

「入るタイミング無さすぎですし、そもそも見えないじゃないですか」

 

 気配を探り、暗闇の中で刃閃かせるカエデ・ハバリと、【失攻刃】の効力で強襲を防いだ瞬間に反撃するのみで動きの少ないアレクトル。耐久に優れたペコラでも不用意に飛び込めば死にかねないのは最初の一撃で理解しているが故に、ペコラは飛び込む事が出来ずに大部屋の入り口で立ち往生していた。

 

 

 

 

 

 イサルコ・ロッキは血走った目で短剣を振るってジョゼット・ミザンナと切り結んでいた。

 中央に空いた大穴の外周を回りながら戦う二人。大穴の下から粉砕音と轟音が聞こえる度にジョゼットの表情が曇っていく。

 

「死ねぇぇぇぇええっ!!」

「貴方こそ、死んでっ! 下さいっ!」

 

 金属の刃同士が激しくぶつかり合って火花が散る。いくつかの魔石灯が戦闘の余波で破壊された影響かイサルコとジョゼットの闘う空間は光と暗闇が入り乱れておりジョゼットは唐突に強く光る魔石灯に目を眩ませては舌打ちと共に後ろに下がる。

 前に前に、刃を縦横無尽に振るいながらジョゼットを仕留めようとするイサルコ。

 カエデの背を狙って鎖を放とうとした所をジョゼットが後ろからナイフで切りつけた事で既に彼の頭から『仲間を殺したカエデ・ハバリを殺す』と言う考えは消え去り。今は『目の前の恨めしいエルフを殺す』事しか考えられない。

 

「死ね死ねぇ、死ねぇぇぇええっ!!」

「っ、くっ速いっ」

 

 射手として弓を扱う以前に短剣等での近接戦闘術も学んでいたとはいえ、前衛として戦い続けたイサルコ・ロッキに対してジョゼットは劣っていた。持っているのが装備魔法を無力化する特殊な短剣であるからこそなんとか渡り合えているが、装備魔法【縛鎖】を使われた瞬間に形勢が傾く。それを危惧しながらもジョゼットは大広間となった貯水槽区画の反対側の壁をぶち抜き()地下水路に消えて行ったカエデとアレクトルを気にしていた。

 一応ペコラ・カルネイロが其方の方に向かったとはいえ、彼女の敏捷では戦闘に乱入できない。最悪の場合は『邪声』で妨害する事も視野に入れていたが、彼女の『邪声』は全く効果が発揮されなかったのだ。

 

「チッ、面倒ですね」

「死ねっつってんだろっ!!」

 

 つまり、目の前の猫人とカエデと共に地下空間に落ちた牛人のどちらも『邪声無効』の効果のスキルを持つか────狂人に『邪声』は効果が無いのか。

 

「よくも仲間を殺しやがってぇぇえっ!!」

「それはっ、此方の台詞だっ!!」

 

 切り結ぶ短剣を弾き、ジョゼットがイサルコの胴体を蹴り抜く。ドゴシャッと言う異音を響かせてイサルコが吹き飛んで穴の縁のギリギリで止まった。

 

「あぁ……テメェが、アイツを、殺したんだろっ」

「……貴方が、私達の仲間を殺したんでしょう」

 

 イサルコが頸を失った狼人(ウェアウルフ)の躯を指さして叫ぶ。地下空間に響くイサルコの怒声に淡々とジョゼットが答える。底冷えする様な殺意に満ちたジョゼットの言葉にイサルコは青筋を浮かべて呟いた。

 

「大人しく死んでりゃ殺しゃしなかったっ」

「嘘、ですね。貴方は殺しを楽しんでいる」

 

 大量に仕掛けられた罠。薄暗い隧道内をひたすらに進んでいたさ中。響く鎖の音色と嘲笑。

 ジョゼットが庇おうと前に出た瞬間、団員の一人が床から飛び出した鎖に巻きつかれ────そのまま壁の中に消えるのではなく、罠が解除されていない場所を引き摺りまわされた。

 飛来する矢、飛び出す杭、降り注ぐ毒液。様々な罠の中を引き摺りまわされた彼は虫の息のまま水の中に引きずり込まれた。それを見た他の者が救うべく水に飛び込んで────水の中で鎖に巻き取られて溺死させられた。

 ジョゼットが鎖を破壊して助け出せたのはグレースとヴェネディクトスの二人。グレースが抱えていたアリソンが壁から飛び出してきた長剣の一撃で血をまき散らす。

 

 あの光景を見た。次々に隙を見せた仲間が()()()()()()()()()()()()()()()()()()のを、上がる絶叫を、水面を波立たせる手足を、飛び散る血を、血に塗れた隧道内を。

 誰がどう見ても悪趣味としか言いようがない殺し方ばかりであった。

 

「罪人だろ、殺したって構やしない」

「……彼らは()()()()()だけだ」

「あぁ? 知るかよ、俺たちの事を知っちまったんだ、全員殺すに決まってる」

 

 話が通じない。舌打ちしながらも構えたジョゼットに対し、イサルコは気色の悪い笑みを浮かべて呟いた。

 

「クヒッ、ヒヒヒッ、『満ちて瞬け────』」

 

 魔法の詠唱文。この詠唱に覚えのあるジョゼットは目を見開いて即座に斬りかかる。

 

「『────幻影の光、繰り返し映し出す鏡────』」

 

 呪詛(カース)。効果時間はそこまで長くはなく。彼の意図した幻想を見せる訳ではない。しかし、その見せられる光景は彼にとって()()()()()()()になる。

 つまり発動されたら間違い無く不利になる。

 

「『────叶わぬ理想を抱け、愚かなる者よ────』」

 

 閃く短剣をその身に受けながらもイサルコは詠唱をやめない。迷う事無く胸に短剣を突き立てるジョゼット。血反吐を吐きながらイサルコ・ロッキは嗤った。

 

「『────其の光に映る姿は偽りなるぞ』【紫紺の光球】」

 

 最後の最後、イサルコが放った呪詛の光がジョゼットの目の前にふわりと浮き上がる。突き立てた短剣を捻り、完全にイサルコ・ロッキの息の根を止めたジョゼットがポーチに手を伸ばそうとして────その紫の光を放つ光球が離れていくのを見て眉を顰めた。

 あの紫色の光の玉、あれがイサルコの扱う呪詛(カース)。イサルコにとって都合のいい幻想を見せつける。

 過去にそれに呪われてカエデに武器を向ける羽目になったジョゼットの強い警戒を嘲笑うかのようにその光が静かに寄り添う。

 部屋の隅で倒れたグレース・クラウトスに縋りついていたヴェネディクトス・ヴィンディアの背中を紫色の怪しい光が照らしだした。

 

「まさか────」

 

 対象は自分ではなかった。気付いたジョゼットが魔法装備を破壊する短剣を投擲して光の玉を破壊しようと試みるも耐呪詛(カース)用に作られていない装備は無意味にすり抜けて壁に弾かれてヴェネディクトスの足元に転がった。

 

「……ヴィンディアさん」

「あぁ、あ……あぁぁぁぁあああああああああああっ!!」

 

 倒れ伏したグレース・クラウトス。意識はないが息はある彼女に縋りついて放心していたヴェネディクトスが震えながら立ち上がった。

 

「僕の、所為か……僕の所為で……」

 

 気絶しているグレースの頬を撫でたヴェネディクトスがナイフを取り出して自分の頸にあてがう。どんな幻影を見せつけられているのか不明であるが────このままでは彼が自害してしまう。

 

「落ち着きなさいっ!」

 

 ジョゼットが駆け寄ってそのナイフを蹴り飛ばす。刃の部分が宙を舞う。淀んだヴェネディクトスの瞳がジョゼットを捉えた。

 

「あ……」

「落ち着いて、グレースさんは生きて──」

「あはは、はは、ははっはははは」

 

 壊れた様に嗤うヴェネディクトスの姿にジョゼットは眉を顰め、その首に手刀を叩き込んだ。

 崩れ落ちるヴェネディクトスを横たえ、グレースの容体を確認したジョゼットは意識を失っているだけで命に別状がない事を確認してからヴェネディクトスの周囲を未だに漂っている紫色の光の玉を見て眉を顰めた。

 

「……意識が戻った際に何をしでかすかわからないか」

 

 カエデ・ハバリを追うべきなのに、未だに呪詛(カース)にやられた仲間を置いて行くのは危険だと判断して【ハデス・ファミリア】が使っていたらしい縄を手に取り──この程度の縄では冒険者を拘束できないと諦める。

 このまま呪詛(カース)が解けるまで待機するしかないかと諦めかけた瞬間、隧道の一つから罠の作動音が響いた。

 

「っ! 敵っ!」

 

 グレースとヴェネディクトスを崩れた瓦礫の残骸の影に引きずり込んで隠し、イサルコの死体から短剣を引き抜こうとして、やめる。

 

「『誇り高き妖精の射手へと贈ろう。非力な我が身が打つ妖精弓を、十二矢の矢束を六つ、七十二矢の矢を添えて』【妖精弓の打ち手】」

 

 ジョゼットの手の内に生み出されるのは小弓。狭い空間で取りまわしを重視した小さな玩具の様な弓を構えて音の聞こえた隧道の方を睨む。隧道が高所で自身が貯水槽の底に居る所為で高低差的な不利はあるが、かといって隧道内へ突撃すれば危ない。そう判断したジョゼットが弓を引いて待ち構える。

 其処に隧道内の罠を蹴り飛ばした犯人が現れる。

 水に濡れた茶髪の狼人が裂けたジーンズから滴る血を飛び散らせながらも貯水槽内に転がり落ちてきた。

 

「ケルトさんっ!? 生きていましたかっ!!」

「っ、カエデはっ、あの糞牛は何処行きやがったっ!」

「アレクトルなら其処の下に、イサルコは仕留めましたが」

「あぁっ? おい、其処の地下通路は何だ、ギルドの地図にゃのってなかったぞ」

 

 ケルトが地下水路の貯水槽区画、その底に空いた崩落の跡とその先に広がる人工的な通路を見下ろして呟く。

 

「おいおい、もしかして噂のアレか『ダイダロスの遺産』って奴かよ、糞っ」

「それは?」

「奇人ダイダロスがギルドに秘密で作ってたっていうなんかだよ、【恵比寿・ファミリア】が大量の『超硬金属(アダマンタイト)』とか最硬精錬金属(マスター・インゴット)の『オリハルコン』やらがどっかに消えてってたって言ってたんだよ」

 

 神々が降臨を果たした時代の転換期、迷宮都市の礎となる建造物の数々を築き上げた名工。ダンジョンに潜り始めて以降は奇行が目立ち始め、終いには【奇人】と称されるまでに至った人物。

 かの人物が大量の『超硬金属(アダマンタイト)』や最硬精錬金属(マスター・インゴット)である『オリハルコン』を購入した記録が残されているが、その金属達や建材はまるで霧の如く消えてしまったらしい。

 神々の中では『なんか秘密の地下室でも作ってんじゃね?』等と噂されていたが、彼の死後も不思議な事に『超硬金属(アダマンタイト)』や『最硬金属(オリハルコン)』の一部が消え続けている。今なお死せずに何か作っているのではないかと恵比寿が睨んでいたが結局その流れの全容を掴み切れてはいなかった。

 

「……それはないと思いますが、現にこの先の通路には『超硬金属(アダマンタイト)』も『最硬金属(オリハルコン)』も使われている様には見えない」

「ま、んなことぁ良いんだよ、とりあえずカエデはこの先だな? あと糞牛。とりあえず────糞牛は殺す」

 

 じゃあな、と軽く手を振ったケルトが崩落した穴に飛び降りて行ったのを見送ったジョゼットは眉を顰め、穴の中に向かって叫んだ

 

「私の分もお願いします」

「任せろっ」

 

 気のいい返事が返ってきたのを聞いてから、ジョゼットは気絶しているグレースとヴェネディクトスを担いで脱出すべく動き出した。

 

 

 

 

 アレクトルの攻撃が床を砕き、地下へと落とされた。

 ()()()()()()()()()と言う情報にない場所。()()()()()()()等があるといわれてはいたものの、この地下空間は地下水路と言うにはおかしい。

 石造りの通路は非常に入り組んでいた。アレクトルの攻撃を避けつつも時折攻撃を繰り出しながら二人で全力で駆け抜けた通路。

 所々崩落の跡が見受けられるこの地下空間にはダンジョンと類似した点が幾つも見受けられた。ともすれば────人工物で構成されていなければ迷宮の一部だといわれても納得してしまえそうなほどに、この領域は異空間であった。違いがあるとすればダンジョンと違い自動修復される事は無く、モンスターが居ない事ぐらいか。

 振るった氷刃が砕け散るのを感じながらもすぐ攻撃範囲外へと離脱する。そうしなければ即死してしまうから。

 

「しっ」

「おおぉぉぉおおおっ!!」

 

 雄叫びを上げながら振るわれる断頭斧(ギロチン・アックス)。通路の壁面を粉砕しながら迫りくる様に怯めば瞬時に挽肉だろう。あの攻撃を受けて自分のステイタスで耐える事が出来るとは思えない。

 ────けれども、その攻撃が自分に当たるとも思えなかった。

 

「『凶刃は我が身に触れず』【失攻刃】」

 

 あの魔法だ。さっきからずっと殺し損ねてる。

 縦切り(唐竹)も袈裟斬りも、逆袈裟も、横一文字も、突きも、払いも、撫で斬りも、どの攻撃であっても防がれる。ただ一度きりの絶対防御。

 失敗する度に剣を失う。そのたびに生み出す。

 カエデ・ハバリの『装備開放(アリスィア)』は効力の続く限り『耐久無視の氷刃を生み出す』と言う付与魔法(エンチャント)と似たような、けれども決定的に違うモノだ。

 

「『凶刃は我が身に触れず』【失攻刃】」

 

 また失敗した。縦一文字に切り裂こうとしたのに触れる直前で刃が粉微塵に砕け散る。

 既に光源は無く、あるのは魔法で生み出された刃が砕け消えるさ中に飛び散る燐光のみ。

 一瞬だけ見えた錆び付いた全身金属鎧を見て眉を顰める。

 

 あの鎧の内側に損傷(ダメージ)を与えることが出来る攻撃のみが無力化される。

 投石程度の小さな攻撃は鎧に弾かれて効果が無い。故に魔法を発動させてと言った真似が出来ない。

 

「『凶刃は我が身に触れず』【失攻刃】」

 

 砕け散った剣の破片。燐光放ち消えゆく儚い刀身を見ながらも錆び付いた兜から覗く眼光を見た。

 必ず殺す。そんな意思が感じ取れるアレクトルの瞳。

 ワタシもお前を殺してやる。違う、殺す。()()()()()じゃない。()()()()のだ。

 呼吸を落ち着かせる。

 

「何処に行った」

 

 いつの間にか大きな広間に出ていた事に気付いた。此処は何処────別に何処でも構わない。

 あのアレクトルを殺すのだ。それ以外に考える事は何もない。

 ワタシを殺しに来た。だから殺し返す。違う、()()()()

 暗闇に沈んだ大部屋。広さは凡そ40Mかそこらだろうか。真っ暗で何も見えない空間の中、金属鎧の放つ駆動音は非常に目立つ。まるで見つけてくれと、俺はここにいると叫ぶ様な鎧の音。

 間抜けめ────罵倒は不要だ。ただ殺す。

 

 自分も金属靴(メタルブーツ)重装手甲(メタルグローブ)なんかの重装を装備しているが、消音用に布を挟み込んでいた事が幸いしているのか音を出さずに動ける。

 とはいえ石材の床を踏みしめる音ぐらいはしているはずなのに、アレクトルはなぜか此方を見ない。

 ────そっか。

 

 わかった。アレクトル(アレ)は強い。けど()()()()()()んだ。

 

 ヒヅチ・ハバリの言葉が脳裏を過る。

 

怪物(モンスター)は強い。ワシら人と比べ、怪物共は強い。腕力比べ等すれば一瞬で負けるだろう。駆けっこなんぞ勝てる気もせん。そもワシら人は空を飛べもしなけりゃ、水中を素早く移動も出来ん。考えりゃわかるだろう。ワシら人よりも怪物は強い。けれども────ワシら人は怪物を倒せる。何故かわかるか?』

『理由は一つ。奴らは地が強いが故に、技を持たん。駆け引きなんぞせん。常に全力を持って潰しに来る。獅子は兎を狩るのも全力を尽くすというが、アレは逆に()()()()()()()()()()()()()のだ』

 

 怪物(モンスター)は人より強い。

 鋭い爪を持つ。力強い顎を持つ。巨大な体躯を持つ。空を翔る翼を持つ。強靭な体皮を、甲殻を、鱗を持つ。

 空を、大地を、水中を、ありとあらゆる場所に()()()()()()()()()。どの場所においても奴らは人より強大な力を振るう。

 けれども、そんな怪物は()()()()()()()()()

 

 鋭い爪に対抗するために人は剣を手にした。

 力強い顎に対抗するために人は大槌を、大斧を手にした。

 巨大な体躯に対抗するために人は強大な魔法を手にした。

 空を翔る翼に対抗するために人は弓を、弩を手にした。

 

 怪物がもつ強靭な体皮に、甲殻に、鱗に代わって人は鎧を着こんだ。

 

 けれどもそこまでしても人は()()()()

 

 だからこそ、人は学び、成長し、貪欲に吸収して進んだ。

 

 怪物は常に全力で、駆け引きなんて事はしない。

 牽制動作(フェイント)なんて事はしない。反撃狙い(カウンター)なんて真似はしない。

 人が学んで、怪物がしなかった事。

 

 師は言った。

 

『怪物は何処までも強い。だが()()()()()

 

 人は何処までも経験を活かし成長する。故に、怪物はいずれ人に超えられる。

 

 暗闇の向こう側で金属鎧の音を響かせる牛人(カウズ)の老兵を見据える。

 其処に居るのはもうわかってる。攻略法も見つけた。負ける未来(ヴィジョン)はもう浮かばない。

 

「アレクトルさん」

「其処かっ!」

 

 振るわれる断頭斧。もう当たらない、当たる気はしない。何故か────駆け引きも何もない全力の一撃なんて怖く無い。

 

「貴方はとても強いです」

 

 耐久無視の刃を持たなければ、きっと負けていた。牙も無く勝てる相手ではない。けれどワタシには牙があった。

 

「でも────貴方はとっても()()

 

 人は駆け引きをして、勝利を掴む。

 ただでさえ少ない勝率を、ほんの少しでも上げる為に人は様々な技法を生み出した。

 怪物に対抗するには、怪物にならなければいけないのか? 否だ。

 怪物に対抗するには、人を貫くべきなのだ。

 

「貴方は人じゃない」

「其処おおおっ!!」

 

 飛び散る石材。見えないはずなのに、金属鎧の音が居場所を、動作を教えてくれる。

 

「貴方は怪物だ

 

 駆け引きはない。ただ力任せで全力。経験を活かす事も出来ない。

 

 獅子(怪物)()を狩る際に全力を尽くす様に。

 

 アレクトルと言う冒険者はただ力任せだった。牽制動作(フェイント)はない。反撃狙い(カウンター)に見える今の動作も、違う。

 ただ反射的に行われる()()()()。それは迷宮の怪物(モンスター)と変わりない動作だ。

 其処に居ると分かった瞬間に、全力を持って攻撃を振り抜くだけの、脊髄反射。

 わかってしまえば、怖くともなんともない。

 

 例え、その一振りがワタシを一撃で殺しうる凶刃だとしても。

 

「貴方の殺し方を見つけました」

「おぉぉぉぉおおおおおッッ!!!!」

 

 また。石材の床を粉砕する一撃を放った。ワタシはそれを回避した。わかる、もうわかった。その攻撃は当たらない。

 目に見えないぐらい速い。在り得ないぐらい力強い。

 腕力比べしたら一瞬で負ける。速さ勝負したら普通に勝てない。

 けれど、もう目も見えてない。耳もあんまり聞こえてない。経験も活かせていない。

 

 努力は認めよう。其処まで上り詰めた力は認める。むしろ尊敬に値する。

 非才の身でそんな頂に近い力を手にした事は、本当にすごい。

 けれども、駆け引きの無い力任せの戦いしか出来ないその非才さは、勿体無い。

 きっと、駆け引きの才能が無かったのだろう。力任せだけで其処まで辿り着く精神は凄い、凄すぎて思わず話を聞きたくなった。どうして其処まで頑張れたのかを。

 

 ────けれども、殺そう。

 

 

 

 

 

 飛び散る細氷。暗闇に一瞬映し出される白と緋色。小さな体躯を破壊せんと振るわれる断頭斧(ギロチン・アックス)の攻撃が空振りして近場の壁面を粉砕する。

 飛び散った石材の破片の中を転がりながら新たに生み出した剣を手にカエデが暗闇に紛れる様に息を潜める。

 広大な広間の中。暗闇に身を潜める事で幾度とない強襲を繰り返すカエデに対してアレクトルは既に息切れを起こしていた。

 当てれば殺せる。一撃で殺せる。しかし────当たらなければ意味がない。

 

「『凶刃は我が身に──触れず』っ【失攻刃】!」

 

 陶器の砕ける音が響く。暗闇の中に煌めく細氷が飛び散って燐光を放ち、カエデの姿が映し出されたのに気付きながらもアレクトルは反撃ではなく魔法の詠唱を行った。

 他の抵抗手段はない。才能の無いアレクトルは、既に打てる手を失っていた。

 

「『凶刃は我が身に触れず』【失攻刃】ッッ!!」

 

 カエデの生み出した耐久無視の刃(アレクトルを殺す刃)が閃く。

 陶器の砕ける音と、氷の砕ける音が同時に響き渡り。カエデの手の内にあった刃が粉々に砕け散る。

 飛び散る魔力を宿した細氷(ダイヤモンドダスト)が燐光を放ち、一瞬だけカエデの姿を映し出すも、カエデは既に跳び退って暗闇に紛れようとしている。

 削り殺す積りだと見抜きながらもアレクトルに出来るのは魔法の詠唱のみ。

 力押しが通じない時点で、勝負は既についていた。誰の援護も無く彼女を倒す事は不可能だ。

 

「『凶刃は────ぐぅっ────我が身に触れず』【失攻刃】ッ!」

 

 詠唱しながらも大きく後ろに下がった瞬間。アレクトルの胸に一条の切れ込みが入った。

 並行詠唱等と言う高等技術ではない。ただ詠唱途中で身を投げ出しただけ。不格好に倒れながらも回避に成功したアレクトルは再度陶器の砕ける音を聞いた。

 終わりを悟りながらもアレクトルは断頭斧(ギロチン・アックス)を振るいながらの詠唱を試みる。

 この危機的状況。カエデ・ハバリを討つ為には今までできなかった()()()が必要だと考えたアレクトル。土壇場での限界突破を望み────並行詠唱と言う高度な技術を使おうとして────刃に貫かれた。

 

「『凶刃は我が身に──ゴプッ……」

 

 スッと、何の抵抗も無くアレクトルの胸に氷の刃が滑り込んだ。美しい白刃が胸に吸い込まれたのを見ながらも、アレクトルは抗わんと断頭斧を握る手に力を籠め────小さな金属靴(メタルブーツ)に押さえつけられた。

 

「終わりです」

 

 心臓の真横に感じる冷たさに痛みはなく。ただ体の芯を突き刺す冷気に一瞬で体が冷えていく。

 錆び付いた全身鎧に霜が降り始め、一瞬で茶色い鎧を真っ白に染め上げていく。

 アレクトルが振るおうとした断頭斧を持つ手を踏みつけた影がアレクトルを見下ろしていた。

 

「仕留めました」

 

 静かな宣言。胸に突き立った『薄氷刀・白牙』の柄を持ちながらカエデ・ハバリは静かにアレクトルを見る。

 殺したという達成感は微塵もない。ただ()()()()()()()()()()

 其処に()()はない。やり遂げた()()()はない。

 感情が抜け落ちた冷たい瞳がアレクトルを見下ろす。

 

「貴方の負けで、ワタシの勝ち」

 

 獣の様に、生存への凄まじい欲求を宿しながらも、其処に人としての感情はない。

 死の恐怖も、生き残った喜びも、何も感じ取れない。

 

「負け、か」

 

 これが、カエデ・ハバリか。これが彼の『黒毛の狼人』がひた隠しにしてきた『秘密兵器』か。

 感情の一つも無く。ただ淡々と必要だから戦い、必要だから殺す。目的の為に直走る狂気を宿した存在。精霊の血を引く一族がもった最終兵器。

 貫く冷たさの所為で痛みを感じられないアレクトルは、けれども既に自分の死を悟った。

 心臓の真横を貫く氷の剣は、体内に送り出す血液を冷やしていく。体温が急激に失われ、手足の感覚が薄れていく。視界が暗闇に沈んでいく。既に抗う気力も体力も何もかもが失われていく。

 

「死ぬ前に、遺言はありますか?」

 

 冷たい瞳、冷気を纏うその姿。感情の感じられないカエデ・ハバリの瞳に光が宿る。

 その言葉はかつてアレクトルがカエデ・ハバリに向けて言い放った言葉だ。『遺言を聞こう』と言う台詞。

 アレクトルは鉄兜の覗き穴からカエデを見上げた。

 

「あ、ハデス、様に……申し訳、無かった、と」

「伝えておきます」

 

 聞く事は聞いたといわんばかりに、カエデ・ハバリが刃を引き抜いた。

 血を吸って肥大化した刃。胸にぽっかりとあいた切れ込みは完全に凍り付いて血が零れ落ちる事は無い。

 その血の色に染まった大太刀を振り上げ────カエデ・ハバリはアレクトルの頸を落とした。

 

 

 

 

 真っ暗な空間。ペコラ・カルネイロは震えながら魔石灯でその闇を取り払っていく。戦闘が終わったのは感じ取っていたが、どちらの勝利で終わったのかは想像がつかなかった。

 結局、最後までペコラは手を出す事が出来なかったからだ。

 

 暗闇を払いながら足音を立てずに進んでいくペコラ。戦闘音が終わったらしき場所まで照らし出された所で、静かに佇むカエデの姿を見て、ペコラは悲鳴を飲み込んだ。

 

「ひっ……カ、カエデちゃん?」

 

 錆び付いた金属鎧。霜が降り、茶色っぽい白に染まった鎧の傍に立ち、血の色に染まった氷の大太刀を手にした姿。青褪めた表情のままカエデはその金属鎧を身に纏っていたアレクトルの傍でたたずんでいた。

 

「カエデちゃん、その」

「殺しました」

 

 静かな宣言。カエデは大太刀を手放す。地面に吸い込まれるように落ちた大太刀は、粉々に砕けて魔力の残滓になって燐光を放つ。魔法が解かれてカエデの纏う冷気が失せていき、けれども寒さが完全に消える事はない肌寒い地下空間特有の空気に満たされる中、カエデが何かを持ち上げた。

 両手で持ち上げたのは────錆付いた兜。

 

「それ、は……」

「アレクトルさんの、頸です」

 

 ペコラの頬が引くつく。

 カエデの持つその兜、()()()()()()()()

 

「殺しました。ワタシが、殺しました」

 

 第一級(レベル7)に至った化け物。何の感慨も無く、感情の色の消えた冷たい声でカエデは再度宣言した。

 

「ワタシが、彼を、殺しました」

 



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『個人依頼』

『ふぁああ……』

『随分とぐっすり眠ってたね』

『まぁ、ネ? 一仕事終エた後ハ、スゴくネむくなッチゃうし。ンで? ナイアルはドこ?』

『……神を惨殺しといてよく眠れるね。ナイアルならもうすぐだよ』

『ァー、楽シみだナ。久々に会エる』

『……僕は二度と会いたくないけどね』

『ンな事言ッて、一番会いタガってル癖に』


『【ロキ・ファミリア】VS【イシュタル・ファミリア】美しいのはどちらだっ!!』

 【ロキ・ファミリア】が誇る準一級(レベル4)冒険者【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタインに対し、【イシュタル・ファミリア】団長【男殺し(アンドロクトノス)】フリュネ・ジャミールが襲撃を仕掛けた事を発端とした抗争の被害状況。

 【イシュタル・ファミリア】の管轄である『歓楽街』において戦闘娼婦(バーベラ)と【ロキ・ファミリア】の第一軍、及びに第二軍のメンバーを含む()()総戦力を投じた抗争に発展した。

 【ロキ・ファミリア】の幾名かの団員がこの一件で器の昇格(ランクアップ)を果たし、その中には【剣姫】も含まれている模様。

 これにより【剣姫】は名実共に第一級(レベル5)冒険者となった事になる。またしても最年少においての器の昇格(ランクアップ)記録を抜く事となった。

 

 戦闘娼婦(バーベラ)の大半が戦闘不能となり、団長であった【男殺し(アンドロクトノス)】が【剣姫】によって倒された事によって【ロキ・ファミリア】の勝利と言う形で終結を迎えたものの、この一件により『歓楽街』はしばらくの間、閉鎖状態になる事が決定。男性諸君には非常に残念な知らせとなるだろう。

 

 

 

『【ハデス・ファミリア】潰滅』

 数日前に発生したいくつかの水回りの問題。発生原因は旧型の地下水路の付近を根城にしていた【ハデス・ファミリア】による【生命の唄(ビースト・ロア)】カエデ・ハバリに対する襲撃によって引き起こされたものであった。

 他にも『地下水路』内部において無差別に仕掛けられた罠類によってギルド職員2名、護衛の冒険者3名が負傷したほか、この一件において【ロキ・ファミリア】所属の幾名かの団員が死亡。

 無名の駆け出し(レベル1)団員五名のほか、第三級(レベル2)冒険者【兎蹴円舞】アリソン・グラスベル、第二級(レベル3)冒険者【猫の手】ウェンガル・レダクターゼが死亡。

 【ロキ・ファミリア】の団員数名を攫い【生命の唄(ビースト・ロア)】を呼び出す為の餌として利用された者が死亡した模様。

 この一件によって【ハデス・ファミリア】の最終構成員であった【処刑人(ディミオス)】アレクトル、【縛鎖(ばくさ)】イサルコ・ロッキ、駆け出し(レベル1)冒険者が死亡。

 唯一死亡確認が出来なかったのは【監視者】レーデ・ノーデと主神のハデスの二人。

 その日に神々(おれたち)の誰かが天界に送還される際に発生する光の柱が発生していたという情報が幾つもあがっている事から、ハデス君は天界に帰ったのではないかという噂が流れている模様。実際の所は死体を発見できなかった事から未だに潜伏している可能性は十二分にある為、各ファミリアは注意されたし。

 

 【猫の手】は迷宮探索における精鋭(エリート)の一人で、死亡した事で今後の【ロキ・ファミリア】の迷宮探索に支障が出るのではないかとギルドの首領であるマルディール氏は懸念している模様。

 

 

 

『オラリオに二人目の第一級(レベル7)冒険者っ!?』

 回収された【処刑人(ディミオス)】アレクトルの死体の背中に刻まれた能力(ステイタス)を確認したところ、レベル7へ至っていた事が判明。しかし死亡済みな上、この一件についてはギルド側は非公開を決定。

 我が【トート・ファミリア】としては非公開にするには惜しい情報とし此処に記載させてもらう。

 

 ちなみにではあるが【処刑人(ディミオス)】を殺害したのは【生命の唄(ビースト・ロア)】であり、この一件によって彼女は第二級(レベル3)から準一級(レベル4)器の昇格(ランクアップ)を果たしている。前回の器の昇格(ランクアップ)からわずか一か月と半月程しか経過していないにも関わらず圧倒的な速度での昇格に彼女の持つスキルが破格な性能を誇っている事は疑う余地が無い。

 羨ましい、我々の眷属にも分けて欲しいものである。

 

 

 

『【呪言使い(カースメーカー)】キーラ・カルネイロ発見』

 発見者は妹の【甘い子守唄(スィート・ララバイ)】ペコラ・カルネイロ。

 姉妹の織り成す奇跡……かと思いきや、何者かからの手紙によって誘導された結果発見に至った模様。

 手紙の差出人は不明であるが、場所が『地下水路』の一角であった事から【ハデス・ファミリア】が人質として利用しようとしていたのではないかと予測している。

 

 肝心の発見された【呪言使い(カース・メーカー)】については生死不明。

 【酒乱群狼(スォームアジテイター)】ホオヅキと同様、狐人(ルナール)が使用していた封印術が施されていた。しかし此方は【酒乱群狼(スォームアジテイター)】に施されていたものよりかなり()()な技法らしく、現状の技術では生死の確認すら不可能。

 一見完全に死亡している様にも見えるが、封印状態になっている事に違いはない。この封印の解除の為に各ファミリアには情報提供を呼び掛けている。

 もし心当たりがある、または封印術に詳しい狐人(ルナール)の知り合いがいるのであれば【トート・ファミリア】に一報を。

 

 

 

『ギルドより通達』

 地下水路の復旧作業を行う為、各地下水路への入り口部分は【ガネーシャ・ファミリア】が封鎖する事に決定。

 各ファミリアの神々は決して面白半分に地下水路に足を運ばない様に。

 私も口惜しいが地下水路に足を運ばない事に決めた。ギルドの口出しさえなければ……。

 

 

 

 

 

 書類の散らばる【ロキ・ファミリア】の執務室。ロキは差し込む日差しに目を細めながら【トート・ファミリア】がばら撒いている情報誌を見ながら深い溜息を零した。

 

「トートの奴、あれからまだ三日四日しか経っとらんのにどうやって情報集めとるんや」

 

 あまりにも迅速な情報収集。【トート・ファミリア】が誇る情報収集能力を遺憾なく発揮して今回の騒動の情報をわかりやすく、後おもしろくまとめた情報誌。その当事者たる【ロキ・ファミリア】としてはおもしろくともなんともない。

 

「カエデのランクアップといい、面倒毎……って言ったら悪いけど、ごたごたが続くね」

 

 書類の中から【イシュタル・ファミリア】のエンブレムの刻まれた手紙の中身を見て嫌そうな表情を浮かべたフィンが手紙の中身をロキに手渡しながら呟く。

 

「懲りる、なんて事は無いみたいだね。金はやるから許せ、だって。むしろそっちの小娘のランクアップの糧になったんだから良いだろって」

「イシュタルはせやろなぁ……」

 

 手紙の内容は大雑把にいえば『今回の件は団員の暴走が原因。非は謝罪するし謝罪金も出す。だがランクアップという()()があったのだから少し多めに見ろ』と強気というよりは上から目線で物事を進めようとしている様だ。

 

「はぁ、ハデスも見つからんのになぁ」

「神ハデスか……天界へと送還されたともっぱら噂になっているが」

 

 リヴェリアがギルドからの書状を見て不愉快そうに眉根を寄せて書類に記入事項を記入しながら呟く。

 数日前のカエデに対する襲撃。その際に発生した被害の大きさ。失われてしまった人員。そしてカエデのランクアップ、他様々な問題の中、一番の問題は神ハデスの行方である。

 あの日の晩、真夜中と呼べる時間に、一本の光の柱が天に昇って行った。其れは紛れも無く神が過ぎた神の力(アルカナム)を地上で放出した事で発生する強制送還のものであった。

 神の身は最低限の神の力(アルカナム)を使って生み出されたものであり、必要以上に破損すると自動的に修復する為に神の力(アルカナム)が放出されてしまう。結果として地上で神の力(アルカナム)を使ったと判断されて天界に強制送還されるという事態に陥る。

 

「アレがハデスのもんなのか他の(やつ)のかわからん。まあ、十中八九あのハデスやろうけどなぁ」

 

 強制送還の際に発生する光の柱。アレだけではだれが送還されたのかまではわからない。

 結果として送還を見送った者が居ない事から、ハデスが送還されたという噂もあれば、地上で飢え死にした間抜けな神が送還されたという噂もある。

 過去に地上に降りてきた後、うまく生計を立てられずに飢え死にした間抜けな神が居たといえば居たが、そんな間抜けが何人も居るわけがない。結果としてほぼ確実にハデスが送還されただろうとは確信している。

 しかし問題もある。

 

()()()()()()()()()()()()()やなぁ」

「……【監視者】が犯人かな」

「その【監視者】なぁ、いったい何を思って神ハデスを殺した?」

 

 唯一、書類に塗れた執務室の中に居ながら一切書類に手をつけていないガレスの言葉にフィン達が眉を顰める。

 神ハデスは神ナイアルによって()()()()()()()。これは周知の事実であり、あの生真面目な神があんなおかしな行動をしていたのは神ナイアルが狂気状態に陥らせていた為であると言われて誰しもが納得すると同時に、神ナイアルをオラリオ外へと追いやったギルドの対応への批判も高まる原因となっている。

 【ロキ・ファミリア】としては神ハデスが狂気状態に陥っていようがそうでなかろうが、団員数名を殺害されたため報復を決行するつもりではあったが、肝心のハデスは行方知れずである。

 

「…………そういえば、カエデは?」

単独(ソロ)でダンジョンやと」

 

 事件以降、器の昇格(ランクアップ)して第二級(レベル3)から準一級(レベル4)に至ったカエデ・ハバリは一人でダンジョンに潜っている。

 誰かと共に行動するのではなく単独で行動し、迷宮から帰還しても団員と碌に会話も変わらない。

 唯一、ロキとはステイタスの更新の度に会話を交わすが、それも口数少なくなってまともに会話にならない。

 

「精神状況は、まぁ悪くはないな」

 

 リヴェリアが口元を歪めて呟く。『良くも無いが』と。

 あの日、旧型の地下水路の中から生存して帰還したカエデはロキに頭を下げた。

 『ごめんなさい』とだけ。

 

「自分の責任やない。それはわかっとるみたいなんやけどな」

「問題はそこじゃないね」

 

 今回の一件において、【ロキ・ファミリア】から数多くの死者が出る事となった。

 それ以外にも【旋風矢】ヴェネディクトス・ウィンディアがファミリアを脱退する事となった上、恋人であった【激昂】グレース・クラウトスとの関係も解消した。グレースは『屑と関わりたくない』と別れを告げたのだ。

 グレースの身を案じてカエデを犠牲にする様な真似をしたのが許せなかったらしい。

 

 この一連の問題の原因はカエデにあるかと言えばそうではない。それは誰しもがそう答えるだろう。

 一部の狼人(ウェアウルフ)を除いて、ではあるが。

 カエデ本人がこの事についてどう思っているのかと言えば、別に気にしていない。

 しいて言うなれば────もっと早く()()()良かったです。とだけ言っていた。

 

「吹っ切れたっちゅうか……」

「多分、どっか理性(ネジ)がとんでるね」

 

 元々、他者の言葉に踊らされるという程ではないにせよ、非常に気にしていたカエデが、その言葉を聞き流す様になった。

 『白い禍憑き』『凶兆』等と言われても本人は眉一つ動かさずに聞き流す。顔を背けるでも、身を隠す様に振る舞うでもない。まるで聞こえていないかのように振る舞う。

 今までのおどおどとした態度は消え失せ、まるで一本芯の通った剣の様になった。喜ばしいかといえば、そうではない。人間味を失ったとでもいえば良いのか。

 美味しい食べ物を『美味しい』と言う。其処は変わりないが他の部分が大幅に変わった。

 

「まぁ、暴れる様な真似はせえへんからええんやけど」

 

 人の子は総じて殺人、同種の殺害に忌避感を抱くものである。

 カエデの場合はそれに加えて『師の教え』が存在した。その結果として『他者を傷つける事』に対して非常に敏感で恐れていたのだ。

 人を殺した。初めての殺人に精神が歪んで壊れるという事は珍しい事ではない。それはカエデも例外ではない様であり、今のカエデは完全に抜き身の刃そのものである。

 

「アレックスみたいに無差別に暴れたら、流石に鎮圧しなきゃだけど」

「それはないな。話が通じない訳ではない」

 

 不用意な触れ方をすれば、容赦無く切断される。無論、良識自体が消え去った訳ではないので無差別に、という訳ではない。

 非常に常識的で、良識あるカエデは変わりない。しかし一定の条件を満たすと────その刃は容赦なく振るわれる。

 

「敵対したら、ね」

 

 カエデ・ハバリに対して武器を向けた者。殺意を向けた者。攻撃をした者。条件を満たした者は容赦なく切る。カエデは斬るだろう。【ハデス・ファミリア】の【処刑人(ディミオス)】や狼人(ウェアウルフ)を切り捨てた様に。

 

 

 

 

 

 目の前に迫る蜥蜴人(リザードマン)を切り捨てる。

 右手に花弁の幅広短剣を、左手に花弁の小型円盾を持ち、最低限の武術()()()()()()を駆使して冒険者を殺害せんと迫るリザードマン。その短剣の刃を弾いて円盾の上から()()()()を叩きつける。

 重量のある刀身が勢い良くぶつかり────そのまま花弁の小型円盾を砕いて破壊し、持ち主であったリザードマンを真っ二つにして死を与えた。

 

「ふぅ……」

 

 ダンジョン、第二十階層『大樹の迷宮』。出現するモンスターの能力的に準一級(レベル4)程度の能力があればどうにかなる範囲である事を理由に、カエデは単独(ソロ)での迷宮探索(ダンジョンアタック)を行っていた。

 カエデは百花繚乱、切っ先に行くほど幅広となる装飾の美しい大剣を鞘に納めながらも耳を澄ます。

 風も無いのに揺れる植物の葉の擦れ合う音────植物そのものが勝手に揺れて音をたてているだけでモンスターが居る訳ではない。

 モンスターの気配も感じられず、次に生み出される気配も感じられない。既に殲滅を終えたと判断し、転がる死体にナイフを突き立てて魔石を剥ぎ取っていく。

 

「また、斬った」

 

 必要であるから。モンスターを斬る事は必要な事だから。

 アレクトルを斬ったのも必要な事だったから。

 これからも斬っていく。必要ならば。

 

「それで、良い」

 

 アレクトルを斬った感触は、あまりにも薄っぺらい。

 カエデの持つ付与魔法(エンチャント)氷牙(アイシクル)】。それの追加詠唱によって生み出される装備魔法『薄氷刀・白牙』。装備魔法の装備開放(アリスィア)によって発生する一定時間のあいだ、好きなだけ耐久無視の刃を持つ刀剣を生み出すという能力。

 その耐久無視の刃にて斬り捨てた狼人(ウェアウルフ)も、アレクトルも、どちらもまるで紙きれでも切り裂いた様に手応えを感じられなかった。

 そして今まさに手にしている百花繚乱で切りつければ、重たい手応えが返ってくる。

 その差異が非常に恐ろしかった。

 

「……換金、いかなきゃ」

 

 無意識に剥ぎ取った魔石をポーチに仕舞おうとして、仕舞い切れない事に気付いて手にした魔石を片手に固まる。

 腰のポーチには既に魔石やドロップ品が一杯集まっていた。『リヴィラの街』に戻って換金すべきかを迷い、懐中時計を取り出して現在時刻を確認してから眉を顰めた。

 そろそろ戻らなければ夜までに戻れなくなりそうだと判断し、仕方なく手にした魔石を落として────踏み砕く。

 魔石を放置した結果、強化種が生まれる事になるなどという事の無い様に、剥ぎ取った魔石は片っ端から踏み砕いておき、ドロップ品は放置。爪や牙なんかは落ちていたら冒険者が回収するが、モンスターは無視する為だ。

 帰りは魔石を()()()対処しようと心に決めて歩き出そうとし、モンスターの気配を感じ取って百花繚乱を鞘から解き放った。

 

 

 

 

 ダンジョンから帰還したカエデはバベルの一階広間を抜け、沈みゆく夕日に目を細めながらも周りから聞こえる冒険者の囁き声に耳を傾けた。

 

「おい、たった四か月で準一級(レベル4)に跳ね上がった大型新人が居るぞ」「【ビースト・ロア】じゃねえか」「あんなちっこい癖に……」「羨ましいよなぁ。成長系スキルだっけか」

 

 様々な声が響く中、今まで感じていたドロドロとした黒いモノが胸の内から湧き上がって来ない。

 どうしてあんな言葉を気にしていたのか、カエデ自身ですらもうわからない。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 寿命は延び、凡そ40年かそこら。目的としては十分に達成できたと言える数字であろう。

 今のカエデの年齢から考えて凡そ50歳程で死亡する事になる。普通に長生きしたとしておよそ100年前後が地上の人間の限界。エルフ等の長寿種ならばその数倍から十倍程度ではあるが、それを除けば100年が限界であろう。

 生きようと思えば120年はいけるがそれ以上は生物的に不可能。神の恩恵(ファルナ)を利用すれば200年まではいけるが、現状のカエデの寿命は常人の半分程度。

 後一度器の昇格(ランクアップ)を挟めば一気に80年程にまで寿命が延びる。其処までいけばようやく常人と同じ寿命と胸を張って言えるだろう。

 つまり、()()()()()()

 

 考え事をしながら大通りを歩いて行く。ポーチの中に捻じ込まれたリヴィラの街の換金所を運営していたファミリアのエンブレム入りの証書をちらりと見てから、途中で入手した魔石やドロップアイテムなんかがポーチに入っているのに気が付いて眉を顰める。

 本拠に直行しようとしていた足を止め、ギルドへと足を運ぼうとして振り返った所でカエデは声をかけられた。

 

「やぁ」

 

 片手を上げ、気さくそうに話しかけてきた猫人の女性。灰色の癖っ毛を揺らし、双子の兄と瓜二つの容姿をした人物。行商人が身に纏う様なコートや帽子を被っている。背には大型の背負子を背負っており、腰には護身用らしき装飾剣。今まさに行商の為に街を後にする様な格好をした【幸運の招き猫(ハッピーキャット)】モール・フェーレースの姿があった。

 

「こんにちは」

「こんにちは。ランクアップしてレベル4になったって? おめでとう」

「ありがとうございます」

 

 差し障りない返答をするカエデに対し、モールは苦笑を浮かべつつもカエデに手紙を差し出した。

 

「君に直接依頼をお願いしたい」

「依頼内容は?」

 

 差し出された手紙を見て眉を顰めるカエデ。受け取ったらそのまま了承の意として取られるかもしれないと受け取らずに質問を繰り出せば、モールはニコニコと笑顔で答えた。

 

「オラリオ外への行商に行くんだけどね、護衛を頼みたいなぁなんて……」

「……すいません。断ります」

 

 言葉を聞いたカエデがモールの顔を見上げてきっぱりと断る。その言葉にモールが困った様に頬を掻き、手紙を再度カエデに差し出した。

 

「本当に頼むよ、君ぐらいにしか頼めそうにないんだ」

「…………」

 

 両手を合わせて頼み込んでくるモール。

 カエデは嫌そう、と言うよりは今はそんな暇はないとでも言いたげだ。その様子にモールは流石に焦りだす。

 ダンジョンに潜って経験値(エクセリア)を稼がなくてはと思っているカエデに対して依頼とは。ギルドからいくつかモンスターのドロップ品集めの依頼は受けたがそれ以外に特に依頼は受けていない。

 ダンジョンに潜る関連の依頼なら受けても構わない。経験値(エクセリア)集めの序にこなせるのだから。

 しかし都市外の依頼となると手続きの面倒さもさることながら、外のモンスターの強さも大したこと無く、オラリオの冒険者が出張らねばならぬ程の野盗も居ない。そうなると得られる経験値(エクセリア)は雀の涙処か、下手すると経験値(エクセリア)は一切得られない。

 其の上で行商の護衛等は拘束日数が嵩む。ギルドでもいくつか張り出されていたが手続きの面倒さや経験値(エクセリア)の取得、拘束日数の長さ等から敬遠されがちの依頼で溜まっていたのを知っているカエデは眉を顰めた。

 

「他の方に頼んで貰って良いでしょうか」

「……んー、あの時の恩を返すと思って、ね?」

 

 両手を合わせ、小首をかしげて可愛らしく呟かれたモールの言葉にカエデ一瞬目を見開き、直ぐに半眼となってモールを睨んだ。

 過去、オラリオを目指して旅をしていたカエデはモールによって大いに助けられている。それは事実でありその時の恩を返してくれと言われれば、多少はどうにかしなくてはと思うが本人が取り立てに来るとは想定していなかった。

 完全に善意でニコニコとした笑顔で近づいてきたモールに対しカエデは警戒心を解いていたのだ。それを此処で持ち出す辺り、彼女の本気具合が伺える。

 

「……ロキ様に聞いてみます」

「やったねっ!」

 

 過去の恩を返す為。と言うよりは面倒な()()を返す為にもカエデは深い溜息を零しながらも主神のロキに聞く()()はしようと頷いた。

 どのみち、ロキが反対すればカエデは個人依頼を受けられない。他にもギルドの許可手続きが無ければロキが許可したところで都市外に出る事は出来ない。

 ギルドは都市外への戦力流出を危険視しており、オラリオの冒険者が都市外へ出る事は基本的に禁止されているのだ。特例として冒険者依頼(クエスト)強制依頼(ミッション)等の場合は別ではあるが、その場合は主神がオラリオ内に留まる事が条件となっているのだ。

 

「受けてくれてありがとー」

 

 嫌々ながらも手紙を受け取ったカエデが指先で手紙を摘まみながらモールを見上げると、モールはニコニコとした笑顔のまま手を振って去っていく所であった。

 

「…………まだ、受けるって決まった訳じゃないんですけど」

 

 受け取った手紙をポーチに捻じ込み、カエデは再度溜息を零した。

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 名前:『カエデ・ハバリ』

 所属:【ロキ・ファミリア】

 種族:『ウェアウルフ』

 レベル:『4』

 

 力:I32 → I58

 耐久:I25 → I49

 魔力:I20 → I34

 敏捷:H102 → H132

 器用:I46 → I72

 

 発展アビリティ【軽減C】【剣士E】【回避I】

 

 『スキル』

師想追想(レミニセンス)

・早熟する

・師の愛情おもいの丈により効果向上

()()()想い信じ合う限り効果持続

 

孤高奏響(ディスコード)

・『邪声』効果向上

・『旋律』に効果付与

任意発動(アクティブトリガー)

 

 

 『魔法』

【習得枠スロット1】

氷牙(アイシクル)

 ・氷の付与魔法(エンチャント)

 ・鈍痛効果

 

 詠唱

孤独に(凍えて)眠れ、其は孤独な(凍て付く)氷原。月亡き夜に誓いを紡ごう。名を刻め、白牙は朽ちぬ』

 

 追加詠唱

『乞い願え。望みに答え、鋭き白牙、諸刃の剣と成らん』

 

 追加詠唱:装備解放(アリスィア)

『愛おしき者、望むは一つ。砕け逝く我が身に一筋の涙を』

 

 『偉業の証』☆

 『偉業の欠片』☆☆☆

 


 

 更新を終えた紙切れを見つつも、二日ダンジョンに潜った結果に不満足そうな表情を浮かべたカエデに対し、ロキが苦笑を浮かべつつも頭を撫でていた。

 

「せやから、アイズが二日で上げた数値より断然ええんやから気にしてもしゃあないで」

「……もう少し、上がったらよかったのに」

 

 かつて準一級(レベル4)になったばかりの者達は全員もっとゆっくりとした速度での能力値の上昇であったのだ。それをたった二日でIからHに上昇させたのは凄いはずだが、カエデは一切満足している様子はない。

 焦りこそしていないが、かといってゆっくりとした歩みをするつもりは微塵も無い事を理解しつつもロキは笑みを零す。

 ロキに頭を撫でられていたカエデはふと思い出して服のポケット等を漁り、くしゃくしゃになった手紙を取り出してロキに差し出した。

 

「ロキ様、これ【恵比寿・ファミリア】からの直接依頼です」

「……カエデたんにか?」

 

 カエデの差し出した手紙を受け取って中身を改めるロキ。そのロキの様子を見ながらも服を直していくカエデ。

 ロキは中身を熟読したのち、面倒くさそうに深々と溜息を零してからその手紙をひらひらとゆらして口を開いた。

 

「カエデたんに任せるわ」

「え?」

「受ける受けんは自分で決めてええよ」

 

 即却下されるものだと思っていたカエデが拍子抜けしていると、ロキは手紙を手にしたままカエデを真っすぐと見据えた。

 

「ま、今なら言えるんやけど……カエデ」

 

 真剣そうな表情にカエデが気を引き締めてロキと向かい合う様に椅子に腰かける。

 ロキは言いよどみながらも、カエデの目を見据えて言い放った。

 

「カエデの故郷、黒毛の狼人の隠れ里はもう滅んどる」

「────え?」

「今回の依頼、其処の隠れ里の調査や。なんや知らんけど其処を調べたいんやと」

 

 カエデが目を通さなかった手紙の中身。便箋を差し出され、困惑しながらもカエデはその手紙を受け取った。

 

 

 

 

『セオロの密林内部 【デメテル・ファミリア】管轄地内の『黒毛の狼人の隠れ里』の調査。

 隠れ里の住民でもあったカエデ・ハバリにセオロの森の道案内を依頼したい。

 他、動員可能な第一級冒険者二名以上を求む。

 

 日程:小型飛行船を使用し、往復2日を予定。

 報酬 4,000,000ヴァリス 追加報酬有り

 

 上記の条件を承諾できるのであれば数日以内に返答を。

                              【恵比寿・ファミリア】恵比寿より』



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『飛行船』

『温まってきたかな』

『ナイアル、ヒイラギは結局捕まえられなかったけどどうすんの?』

『俺がコろシに行ッてあゲようカ?』

『んーん、必要無いや。クトゥグアが上手く火をつけてくれたらしいし』

『じャア、ゆっクりデきルんだネ? 久々ニ、ナイアルとシたいナァ』

『良いよ。始まるまではゆっくりしようか。アルもどう?』

『……僕は良いよ。二人で思う存分シててくれ』

『つれないなぁ』


 市壁の上部、夕暮れに赤く照らされるその場所でカエデは遠くにあるはずのセオロの密林、その奥に存在()()『黒毛の狼人の隠れ里』に想いを馳せていた。

 唐突に『故郷は滅んでいる』等と言われても、()()()()()()()()()であるはずなのだ。

 あの場所には、何もない。強いて言うなれば……嫌な記憶ばかりが残る場所だ。

 脳裏に浮かぶのはどれもこれも師であり、育ての親でもあったヒヅチ・ハバリとの会話。数少なくはあるが、ワンコさんとの会話もいくつか浮かんでくる。

 手にした袋からマシュマロを取り出しては口にする。過去、師と共に暮らしていたあの頃であったのなら、マシュマロなんて高価で希少な品を口にする機会なんて殆どなかった。

 けれど今なら望めば毎日でも口にする事ができる。

 柔らかな食感。口いっぱいに広がる甘さ。

 血の滴るぐらいの肉というのも悪くない。むしろ好きだが、そちらよりはマシュマロの方が好きだ。

 マシュマロを食べながら、立て掛けられた『百花繚乱』を見る。

 器の昇格(ランクアップ)を経て準一級(レベル4)へと昇格した際に受け取ったその剣。

 【疑似・不壊属性(デュランダル・レプリカ)】ツツジ・シャクヤクが神ヘファイストスへと送った『不滅属性(イモータル)』の特殊武装(スペリオルズ)。切れ味自体は第一級武装よりは劣るものの、耐久性は第一級なんて目ではない程の性能を持つ。それも────『不壊属性(デュランダル)』と違い、手入れの必要すらない完成された代物。

 手に余るかと思っていた。だが思った以上に手に馴染む。

 

 それは当然だ。何故なら、ワタシの父である人物が作り出した作品だから。

 

 ワタシが今より幼い頃から肌身離さず手にし、使い古した剣『大鉈』。その剣も、父であったツツジ・シャクヤクの作品であった。だからこそ、だろう。

 ワタシの手に何よりも馴染む。けれども、その剣は重い。重たくて潰れてしまいそうになる程に、重たい。

 『百花繚乱』に手を伸ばし、柄を掴む。刀身を包む鞘から抜き放ち、真っ赤な夕日の光に翳す。

 

 美しく咲き誇る花々が刀身側面に踊る────血溝であるはずのそれ。

 

 ひとたび敵を切り裂けば、その血溝に血が染み渡りより一層美しい装丁を浮き彫りにする美と武の合わさる芸術としても、武器としても高度な次元に存在する完成品。

 未完成なワタシの手に余る代物。けれども手に馴染み、振るう剣閃は全てを切り裂く鋭さを伴う。きっと、ワタシが未熟であってもそれだけの性能を誇るのだろう。完成した武技を使いこなす事が出来る者が手にしたのなら、より鋭い剣閃を放てる。

 

「お父さん……」

 

 父であるその人。既に、死去しているらしい。父であるツツジ・シャクヤクが死んだのは、ワタシが村を出てすぐの事。野盗の類が村に押し入って────父を含むほとんどの者が殺されてしまったらしい。

 

 悔しいか、会えなくて、知らなくて、悔しいか? ……否だ。

 恨めしいか、会いに来なくて、知らせてくれなくて、恨めしいか? ……否だ。

 

 ワタシには、もう関係の無い事だ。

 

 お父さん。この剣はワタシが使います。神ヘファイストスより許可を貰い、借り受けました。

 貴方が何を想っていたのか、ワタシにはわかりません。

 貴方がワタシに何を望むのか、ワタシにはわかりません。

 だからこそワタシは、自分が望むままに生きましょう。

 

 常人と同じ寿命を手にして────手に、して…………その後は?

 

「今、考える事じゃない」

 

 常人と同じ寿命を手にした後、ワタシが何をするのかは手にした後に考えればいい。

 捕らぬ狸の皮算用なんぞしている余裕はない。

 

「…………」

 

 いつの間にか空っぽになっていたマシュマロの袋を握り潰し、懐に仕舞って代わりに紙を取り出した。

 【恵比寿・ファミリア】の依頼の契約書。それから『ギルド』の発行している都市外出依頼規約書。

 この二つに署名(サイン)する事で自分はあの村へと行くことになる────行くことができる。

 期限は、明日の昼まで。それまでに署名(サイン)をしてギルドに提出すれば晴れて依頼の為にオラリオの都市外へを足を運ぶ事になる。

 

 都市外では様々な事件が起きているらしい。村人の無差別な虐殺、商隊の襲撃、冒険者の殺害等。

 危険度は極めて高い。ともすれば、迷宮内部よりも危険かもしれないとも言われている。

 とはいえ、今回の都市外での活動は凡そ二日。片道だけで半日もかからない上、空の上を行く飛行船を利用する為かモンスターの襲撃はほぼゼロ。ハーピィ等は出るらしいが、飛行船に積まれた大型弩(バリスタ)で撃退するので問題はない。

 セオロの密林内部に存在する隠れ里においても、其処には『結界』が施されており()()()()()()()()()()()()()()()()()()らしい。

 

 師である、ヒヅチ・ハバリが仕掛けたモノ。

 

 その『結界』をすり抜けられるのは……一部の例外のみ。それが、ワタシだ。

 

 

 

 

 

 結局、カエデはその依頼を受ける事にした。

 飛行船の整備用の船渠の一角。小型と言っても全長20Mはあるその飛行船の甲板で積み込み作業を行う【恵比寿・ファミリア】の非戦闘員達に指示を出しながら、灰色の毛並みを揺らして小器用に荷物の間をすり抜けて飛び出してきた猫人が、片目を閉じて金色の瞳で【ロキ・ファミリア】の面々を出迎えた。

 

「いやー、参加してくれて本当に助かったよ。あの村の調査に難航し過ぎてねぇ」

 

 今回の【ロキ・ファミリア】の参加者はフィン・ディムナ、ベート・ローガ、ペコラ・カルネイロ、カエデ・ハバリ、ジョゼット・ミザンナの五名。

 ギルド側との交渉は全て【恵比寿・ファミリア】に丸投げする形で行われた今回の都市外依頼。参加する面子は第一級冒険者三名、準一級冒険者一名、第二級冒険者一名と破格を通り越して過剰戦力気味な状態である。

 それもこれも都市外で起きる不審な事件に関する情報を調べてくるという目的をギルドからの強制依頼(ミッション)が発令されたからである。

 

 じろじろと荷物を運び込む者達に無遠慮に視線を向けたベートが吐き捨てる。

 

「んだよ、()()だとは聞いたが、んな荷物まであるなんて聞いてねえぞ」

「あー、この荷物は気にしないで」

「今回のは調査依頼であって、商隊護衛ではなかったはずだけど」

 

 船倉内に荷物を運び込む姿にフィンが眉を顰める。

 明らかに今回の依頼とは無関係な荷物を大量に詰め込もうとしているのは目に余る。それも出発直前になってから大急ぎで積み込もうとしているのだ。

 

「あー、わかった、謝るよ……。ギルドの強制依頼(ミッション)なんだよ。今回の調査は僕らの、この荷物はギルドのモノ。つまり別件……本当なら専用の船を用意するんだけどー」

 

 困った様に頬を掻くモールがたははと力ない笑いを零して呟く。

 

「もう殆ど船が残ってないんだ」

 

 空を行く飛行船を襲撃される。というよりは遠距離から魔法を撃ち込まれて動力部を破壊されて撃墜される事件が幾つも起きている。

 つまり船に余裕はない。其の為、今回のギルドからの強制依頼(ミッション)と同時進行で【恵比寿・ファミリア】の調査も行うという事になった。

 

「運び先は?」

「あー、この前ホオヅキがやらかした街。オーク討伐依頼関連の冒険者も同行する羽目になったんだよね……」

 

 いくら何でもオーク討伐依頼発生から優に四か月以上が経っている。付近の村々の被害は大きく、ギルドへの不満が高まっていたがオラリオでのトラブルも相まって放置されてきた依頼だ。それを素早く解決したいギルドは強制依頼(ミッション)として一部ファミリアにオーク討伐依頼を発注。その送り迎えの足、ついでにオークの被害によって不足している物資類の輸送を【恵比寿・ファミリア】に強制依頼(ミッション)として発令。

 【ロキ・ファミリア】への依頼とギルドからの強制依頼(ミッション)が被ってしまったのだ。

 それだけなら船を数隻に分ければよかったが撃墜された数が数であり、撃墜を免れた船も重大な損傷が残っており現在稼働可能なのはこの一隻を含め三隻のみ。

 

「という訳でー……はぁ」

 

 物資の輸送に残り二隻では追いつかず。行先の方向もほぼ同じという事で此方の船にも積み荷を乗せる羽目に。

 結果、現在大急ぎでの荷物の積み込みを行っている訳だ。それも追加で他ファミリアが同行する事になるというおまけつきで。

 

「ぶっちゃけ、断りたいぐらいだったんだけどねぇ」

 

 【恵比寿・ファミリア】の商業路が潰されて交易が滞っている現状、ギルドからの強制依頼(ミッション)

程避けたいものはない。しかしオラリオにおいて規模の大きなファミリアである彼らはそれを断るなんてできなかったのだ。

 

「用意した客室、三つだったけど一つは別のファミリアの子が使うから二つになっちゃった。ごめんね」

「理由はわかった。その他のファミリアの者というのは?」

「あー、ちょぉーっとだけ遅れてるみたいだね?」

 

 可愛らしく小首をかしげながら引き攣った笑みを浮かべるモールの姿にフィンは溜息を零した。

 どうやら待ち合わせ中の相手方ファミリアの姿が見えないのだろう。大方の理由を察し、フィンは恐縮した様に両手を合わせてごめんねと繰り返し謝るモールを止めた。

 

「客室で待ってるよ。出航準備が整ったら声をかけてくれ」

「あぁ、うん。わかった」

 

 案内された客室は、非常に狭かった。

 元が貨物船であり、船倉を大きくとっている影響か、船室一つ一つは非常に手狭である。

 二つの部屋に案内されたカエデ達は男性、女性の性別で別れてそれぞれの船室に入り、眉を顰めた。

 

 二段ベッドに荷物入れ(チェスト)、そしてサイドテーブル。後は椅子が二席のみ。二人部屋で環境は良くないと言われてはいたが────これでも最上級の部屋らしい。機関部から遠い部屋なので騒音も少なく、もっとも快適というのは嘘ではない。

 もっとひどい部屋は吊床(ハンモック)がみっしりと並べられた船倉になるらしい。その船倉は今は貨物が多量に積み込まれていてとても寝れる環境ではない上、船倉は機関部と隣接している。つまり騒音が酷い。

 

「カエデちゃん、私と寝ましょうか……?」

「……おねがいします」

「……思った以上に、狭いですね」

 

 優雅な船旅とはいかないだろうなと理解はしていたが、此処までひどい部屋だとは想定していなかったカエデ達が顔を引き攣らせながらも顔を見合わせた。

 部屋でくつろぐ、というのが出来る程広い部屋ではない為、ベッドの上でゴロゴロするペコラと、ペコラをクッション代わりにして凭れ掛かるカエデ。椅子に腰かけて弓の手入れを行うジョゼット。

 

 

 

 

 

 甲板に集まった面々を眺めながらモールは二角帽子(ビコルヌ)を被り、声高らかに叫ぶ。

 

「出航! 今回の航海は必ず上手く行くっ! 何せ【幸運の招き猫(ハッピーキャット)】である僕が付いてる!」

 

 自信満々に胸を張り、宣言する彼女の声に合わせて船がふわりと浮き上がる。船底から聞こえる独特の駆動音が響き渡り、船が浮力をえて宙に舞う。重力の呪縛から解き放たれた飛行船が飛び上がる中、カエデは船の縁から都市を見下ろしていた。

 

「本当に飛んだ……」

「飛ぶ、というよりは浮くだなこりゃ」

 

 同じく縁に凭れ掛かり呟いたベート。フィンが疲れたように深い溜息を零しながら近づいてい来るのを見て嫌そうに表情を歪める。

 

「おい、あいつらはどうなった?」

「あいつら、なんてつれない言い方はやめたまえ。私達はこれから同船する仲なのだからな」

 

 フィンのすぐ横、疲れ切ったフィンとは対照的に楽し気に笑みを零す【占い師】アレイスターがぼろっちいローブ姿に分厚い金属の装丁のなされた本を抱えながら現れた。

 

「うげっ……」

「そんな顔をしないでくれよ。私は悲しみで涙が溢れそうだ」

「うるせえ、近づくんじゃねえ。臭えんだよ」

 

 嫌そうな表情のベートがフィンを強く睨む。

 今回の同行相手は【トート・ファミリア】のメンバーだ。団員数は三名。団長であるアレイスターのほかは第三級冒険者が居るだけである。

 迷宮の外のモンスターだからこそそんなメンバーで問題はないのだが、だからといって非戦闘系ファミリアとして知られる【トート・ファミリ】がモンスター駆除依頼を受けるのは変に思える。

 しかし、意外な事に彼らは皆が思う程にひ弱な存在ではない。むしろ下手な探索系ファミリアなんかより戦える団員が多い。

 一人一人が情報収集の為に行動し、情報を集めて情報誌を発行している彼らは、情報を集める為なら()()()()()()

 情報を買うのは当たり前。出し渋れば襲撃してでも情報を抜き取ろうとすることすらあるし、娼婦紛いな方法をとって【イシュタル・ファミリア】といがみ合う事もあれば、商人紛いな行動をして【恵比寿・ファミリア】に睨まれたりもする。ギルドからも睨まれて警戒対象として見られている非常に面倒くさいファミリア。それが彼のファミリアである。

 

「臭い、か。一応体臭には気を遣っているんだがね」

 

 すんすんと自分の匂いを嗅いで肩を竦めるアレイスターの様子にフィンが肩を落とす。

 

「頼むから面倒毎は起こさないでくれ」

 

 彼らの情報収集能力は素晴らしい。合法、非合法問わずにありとあらゆる方法を駆使して情報収集する彼らの情報は非常に価値がある。そして利用する立場であればこれほどありがたいファミリアは居ない。

 男性冒険者・男神の『歓楽街利用歴』なんてふざけた情報を糞真面目に集めて公開したりしている事もあれば、ファミリアの重要機密を聞き出して『このファミリア闇派閥とねっとりどっぷりな関係だよー』とファミリアの存続に関わる情報をぶちまけたりとやりたい放題しているのだ。

 今回の同船によって【ロキ・ファミリア】の知られたら困る情報や、周りにばら撒かれたら不利益を被る情報等を掴まれれば冗談ではすまなくなる。

 

 最も被害を被ったのはベートであろう。

 喧嘩を売ってきた冒険者を叩き潰したその直後に『ベート・ローガはツンデレで実際は~』等と、ベート曰くデタラメを書き散らかされて神々から揶揄われる原因になったりしたりと、ベートが嫌うだけの理由が存在する。

 

「ははは、安心しろ。私達は()()()()()()()()

 

 問題はその()()なのだ。裏取りをし、嘘偽りの一切存在しない記事。清く、正しく、清廉潔白がモットーという彼らは────情報収集の際の手段を除けば────まさに嘘一つない記事を書き上げる。

 もし、カエデのステイタスに関しての情報が洩れれば大問題だ。

 

「こんにちは」

「やぁ、カエデ・ハバリ。元気そうだな。地下水路では散々な目に遭っただろうに」

 

 早速と言わんばかりに切り込むアレイスター。

 最初に出会った時にはただの『占い師』であった彼女は、今や情報を求めてさ迷い歩く質の悪い存在と化している。

 

「……そうですね。ですけど、『偉業の証』を手に入れましたから」

「おぉっと……? これは、また……いや、もういい。答える必要はない。タロットは持っているか?」

 

 カエデの返答を聞いた瞬間、根掘り葉掘り情報を根こそぎ抜き取ろうとしていたアレイスターの顔が引き攣り、話題を変えた。

 その姿にベートとフィンが眉を顰める中、カエデは首を傾げつつもアレイスターにタロットを手渡した。

 常にポーチの中に入れていた────入れっぱなしになっていたタロットは、若干歪んではいるが、ちゃんとカエデのポーチに入っていた。

 

「カエデ・ハバリ、このタロットの意味を覚えているか?」

「……? 『予期せぬ危険や不運を暗示している』です」

 

 【月】を示すタロットを弄ぶアレイスターにカエデが完全に記憶していたそのタロットの意味を返せば、彼女は頭痛を堪える様に額に手を当てて呟いた。

 

「もう一つ、私の助言を覚えているか?」

「えっと『幻影に踊らされることのないようにもう一度後ろを振り返るべきだよ……手遅れになる、前にね』でしたか」

 

 覚えているのかと愕然とした様子のアレイスターは【月】のタロットを手で弄び、カエデに差し出した。

 

「どうやら、手遅れの様だ」

「…………?」

 

 意味が解らないアレイスターの言動に首を傾げるカエデ。横からフィンが声をかけた。

 

「それはどういう意味だい?」

「本人が自覚できなければ意味がない。なんなら()()()()()()()()()()。だが、結果は【愚者】か【塔】だろうね。前者なら()()()()だが、後者は……」

 

 良くない事になるだろうね。そう呟くとアレイスターは苦笑を浮かべてからカエデを見下ろした。

 

「私は、占いの結果に自信を持っている。二つ名にもなる程だからな。だからこそ────悪い結果は避けて通って欲しいとも思っていたが。キミはどうやら人の話を聞けないタイプらしい」

 

 当たるも八卦当たらぬも八卦と口にしてはいたが、彼女は相応に気にしていたのか深い溜息を零す。

 

「ありゃ、アレイスターさんではないですか。こんな所で、ってそうですか。件のファミリアってアレイスターさんの所だったんですね」

「んん? ああ、彼の麗しき子守姫ではないか」

「その呼び方、ペコラさん好きじゃないんですが……」

 

 姫って感じじゃないですし。等と呟きながらも近づいてきたペコラに対し、アレイスターはふふっと意味深に笑うとペコラの手を取って親し気に話し始めた。

 

「まさかまさか、珍しい同族同士、仲良くしようじゃないか。狼と羊飼いはどうやら私達が嫌いな様だ」

「羊飼い? 狼飼いの間違いではないですかね?」

 

 狼、カエデとベートが顔を見合わせ、羊飼いのフィンが肩を竦める。

 同族同士だからか、馬が合う様子できゃぴきゃぴとお喋りし始める二人にベートが嫌気がさした様に吐き捨てた。

 

「俺は部屋に戻る」

「あー、僕も部屋で待機かな」

 

 いつの間にかオラリオの街並みから離れて緩やかな街道の上空を飛ぶ飛行船三隻。羊二匹に囲まれた哀れな白い狼が助けを求める様にベートとフィンを見るが、二人は視線を逸らして狼の皮を被った羊(カエデ)羊の皮を被った狼(ペコラとアレイスター)の生贄に捧げた。

 

 

 

 

 

 

 日が暮れだした頃になって物資の受け渡しの為に立ち寄った街を甲板から見下ろしているカエデの横、ジョゼットは眉を顰めながらも呟いた。

 

「手遅れ、ですか?」

「どういう意味なんでしょうか」

 

 『幻影に踊らされることのないようにもう一度後ろを振り返るべきだ』『手遅れになる前に』というアレイスターの占いの助言。船旅の中でカエデに言われた『手遅れだ』という言葉の意味が解らずに聞いたカエデに対し、ジョゼットが眉を顰めつつも腕を組む。

 

「……わかりませんね」

 

 言葉を濁しながらも、縁に凭れ掛かりながら頸を傾げるカエデを見てジョゼットは視線を背けて街並みを見回した。

 本当は、なんとなく意味が理解できてしまったから。

 きっと、彼女は手遅れだ。もっと早くになんとかすべきだったのに()()()()()()()()()()()()()()()

 それは、純粋で感受性の強い彼女は人の言葉に振り回される事は多かった。それがまるで消えうせた。叩いても、叩かれても、彼女はあるがままをそのまま飲み干してしまう。誰かの言葉に心動かされる事が無くなって、まるでアイズ・ヴァレンシュタインの様に無感情になった。

 彼女よりは、マシかもしれないが。

 

「カエデさん、マシュマロありますが、食べますか?」

「いただきます」

 

 マシュマロを受け取り、嬉しそうに食べる姿を見れば、きっと誰しもが可愛い少女だと思う事だろう。しかし、戦闘中の彼女はもうそんな愛らしさ等見る影も失う程に、苛烈に敵を殺しに行く。

 何処かで、彼女の手を引いて止める事が出来れば、そう思うが今からどうにかする事は出来そうにない。そもそも、ジョゼットはカエデに対して何が出来るという訳でもなかった。

 話を聞く事は出来ても、それ以上は出来ない。

 

「ジョゼットさんは食べないんですか?」

「私は、良いです。全部食べて貰っても構いませんよ」

 

 積み荷を降ろす作業を見ながらも、ジョゼットはマシュマロを美味しそうに頬張る彼女の姿を見ていた。

 

 

 

 

 

 黴の匂いが微かに漂う安宿の一室。木箱を寄せて上に布を被せただけの簡易なベッドに小さな棚、テーブルの置かれた狭い一室。閉め切った窓をほんの少し開いた黒毛の狼人の少女は空色の瞳で街にやってきた船を見て感嘆の吐息を零していた。

 

「すげぇ、やっぱあのでっけぇのが空を飛ぶのってすげぇよ。アタシも乗ってみてぇ」

「……閉めな」

 

 ガンッと音を立てて木窓を閉じてアマゾネスの女は溜息を零した。

 

「何やってんだい。見つかったら捕まっちまうだろ」

 

 狼人の少女、ヒイラギは不満そうな表情で椅子に腰かけて足を揺すり尻尾を揺らす。それを見たアマゾネスの女は面倒くさそうに対面の椅子に腰かけて酒瓶を煽る。

 ヒイラギの頼みで一度故郷に帰ろうと決め、【恵比寿・ファミリア】と【クトゥグア・ファミリア】【ナイアル・ファミリア】の三つのファミリアを避けてなんとかセオロの密林付近の街まで辿り着いた。

 その直後である。警戒対象であった【恵比寿・ファミリア】の飛行船がこの街に立ち寄ったのである。

 慌てて安宿────連れ込み宿らしきその宿に強引に押し入って『黙って泊めろ』と主人に金を突き付けて部屋の一室を借り受けたのだ。当然誰が来ても自分たちの情報を漏らさない様に多めに渡しておいた。

 

「なぁ、となりで何してんだ……? 苦しそうっつーか、変な声聞こえるぞ?」

 

 耳を澄まして隣の部屋から聞こえる女性の艶やかな声に不思議そうな表情を浮かべるヒイラギ。アマゾネスの女は面倒くさそうに肩を竦めた。

 

「あんたにゃ早いよ」

「早いって何がだよ。酒だって飲めるぞ」

「不味いって言ってたろ。酒が美味くなってから知るもんだ」

 

 不貞腐れた様にそっぽを向いたヒイラギの姿に女は深い溜息を零した。

 この宿屋の主人はアマゾネスの女が年端もいかない幼い狼人の少女を連れ込んだ事にどんな感想を抱くのか。自分のイメージがガラガラと音を立てて崩れ落ちていく。

 年端もいかない少女を凌辱する自分という最悪な想像をした女が酒瓶を煽り────ヒイラギが壁に張り付いてごそごそと何かをしているのに気が付いて頸を傾げる。

 

「何してんだい」

「あん? なんか此処に隙間があって見れそうだったから」

「……覗きとは良い趣味してんね。やめときな」

 

 強引に引き剥がすでもなく、声だけでやめる様に呟いて再度酒瓶を煽る。ヒイラギがそれを無視してなんとか隣の部屋を覗こうとしているのに気付きつつも、【恵比寿・ファミリア】の飛行船が出航するまでの暇潰しにはなるかと放置する。

 

「なんだ、ありゃ……暗くて良く見えないな。んん? おぉ、でっけぇ胸……え? 服着てな────あぁ、なんだ子作りしてんのか」

 

 興味津々で覗いていた彼女が何かに察したのか────余りにも予想外な反応に思わず酒瓶を取り落としかけ、女は問いかけた。

 

「あんた、初めてじゃないのかい?」

「あん? 何がだ?」

「そういうの見るのだよ」

「初めてだけど、どうしたんだよ」

 

 年端もいかない彼女が生娘なのは誰がどう見ても明らか。だというのに隣の部屋で行われていた行為を知ってなお平然と振る舞う姿に違和感を覚えた女は呟いた。

 

「あんた、もしかしてアマゾネスだったりしないかい?」

「んなわけねえだろ。アタシは狼人(ウェアウルフ)だっての。つか酒分けてくれ、やってらんねぇ」

 

 隣の部屋から一際大きな喘ぎ声が響く中、アマゾネスの女とヒイラギは酒盛りをしはじめた。

 

 

 

 

 

 【恵比寿・ファミリア】の本拠『恵比寿商店本店』の客室でふんぞり返るロキが盛大に酒瓶をテーブルにどかりと置き、対面に腰かけた恵比寿を睨む。

 草臥れたポロシャツにジーンズ、人の好さそうな笑みを浮かべた恵比寿は目の前で不機嫌そうにふんぞり返るロキを一切気にした様子もなくロキの隣に座るリヴェリアに声をかけた。

 

「キミは紅茶でいいかい?」

「構わない」

 

 返事を聞いてから恵比寿が団員の一人に声をかければ、手早く紅茶が用意されてリヴェリアの前に置かれる。

 最初に極東風の畳敷きの部屋を用意したのだがロキが不満を訴えた為急遽此方の部屋に移されて早四半刻が経とうとしている。早く話せと言外に訴えるロキに対し、恵比寿は困った様に頬を掻く。

 

「あー、それで、今回の依頼についてなんだけど」

「どういう積りや?」

「……想定外な出来事が多すぎてね。ヒイラギちゃんを保護できなかったら……【占い師】に頼っちゃった」

 

 てへっとおどけた表情を浮かべる恵比寿。ムカつく事にやけに似合っているその仕草にロキの額に皺が寄る。

 恵比寿が慌てて両手を前に突き出して立ち上がる。

 

「まてまて、僕だって遊びで言ってる訳じゃない。ウーラニアーに占星術を頼もうと思ったけど……ナイアルにやられてしまっていてね」

 

 彼女の占いはそこそこ当たる。だから頼ったと呟く恵比寿にロキが呆れ顔を浮かべた。

 

「なんや、神々(ウチら)地上の人間(こども)の占いを信じるっちゅうんか」

「まぁね。彼女の占いによると、近いうちにヒイラギちゃんがあの村に立ち寄る事になったんだ」

 

 後序に面倒臭い『結界』をすり抜けられる様にかな。小首を傾げて呟く恵比寿に対し、ロキは酒瓶を揺らした。

 

「その『結界』ちゅうんがよくわからん。なんやそれ?」

「あー、其処からかぁ。全部説明するかぁ」

 

 

 

 

 

 もう知ってるとは思うけど、あの『黒毛の狼人の隠れ里』は僕が作った。正確にはあんまりにも可哀相で見てられなくて手を差し伸べた。

 デメテルには名前だけ貸してもらってるだけで特に何かを知ってるって事は無いよ。協力関係なのは否定しないけど。

 問題なのはー、少し前かな、えっと十五年ぐらい前。

 ヒヅチ・ハバリっていう狐人(ルナール)が村に唐突に現れたんだ。あれはびっくりしたね、過疎化が進んで不味いって思ってたのに、外部の人は絶対に受け入れないっていう疑心暗鬼の彼らの中にぽっと入り込んでたんだからね。

 まぁそこらへんは別に構わない。彼女はどうやら凄腕の術師だったらしくてね、村の周辺に『獣避けの結界』と『人避けの結界』の二つを張ってくれたんだ。

 

 ────ヒヅチ・ハバリと知り合いやったんか?

 

 え? あぁ、うん。顔を合わせた事はないけどね? 眷属を通じて話してたよ。

 あの村に恩義があるから返したいって事でね、結界を張ってくれたんだけどね。

 えぇっと、村と取引するときに条件があったんだ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。護衛も神の恩恵を受けた者は絶対に許さない。徹底的な()()()な村だったからね。

 それで、その村に入るには条件付けがなされたんだよ。

 極東の結界術についてはどれぐらい知ってる?

 

 ────こっちと違って阿呆みたいに複雑っちゅうぐらいや。

 

 あぁ、その認識で良いか。ともかく、こっちの障壁(バリア)みたいに完全に遮断するんじゃなくて特定の条件を満たせばすり抜けられる、または特定の条件に当て嵌まるものだけを弾くみたいなモノなんだよ。

 商隊のメンバーってのは完全に固定だったのだ。その結界をすり抜けられるのも、ね?

 それで問題になっちゃってるのは、その商隊のメンバーが全員死んじゃった事なんだ。そう、最近の襲撃で全員ね。其の所為で村に入れなくなっちゃって。

 

 ────その結界があるんなら、なんで村は襲われたんや?

 

 んー。大雨があったでしょ? あの大雨で結界の一部が緩んでるっぽいんだよね。完全に無力化、ではなく結界の綻びって言えばいいのかな。四、五十回に一回ぐらいの割合で……結界を突破できちゃうんだ。

 その五十分の一の確率を一発で引き当てられてッて感じかな。相当、運が悪かった。

 

 ────んで、結局何がしたいんやあんたは。

 

 黒毛の狼人の保護。って言いたかったんだけど……もう生き残りが三人しかいないからね。あ、いやもしかしたら二人かもしれないけど。

 

 ────ホオヅキ、ヒイラギ、カエデの三人か?

 

 大正解。ホオヅキについてはなんとも言えないけどね。彼女、生きてはいるけど、封印なんて面倒な事になってるし。あ、当然だけど犯人は僕らじゃあない。

 心当たりもあるしね。

 

 ────誰がやったん?

 

 ヒヅチ・ハバリだと思う。この神代において古代の技法である結界術や封印術、武術に通じてるのは彼女ぐらいしかいない。後はハイエルフのあの子だろうなぁ。

 

 ────誰や。

 

 君も知って……あ、どうなんだろ。殆どの神は知ってるはずなんだけどなぁ。

 古代の時代の英雄にして、神々を熱狂させた魔導士。ハイエルフの英雄リーフィア・リリー・マグダウェルさ。

 

 ────生きてるんか。

 

 そうだよ。神に強い恨みを抱いて、ね。

 三百年前の黒毛の狼人が虐殺される結果となったあの事件。そして半年前の『黒毛の狼人の隠れ里』の潰滅。この二つの所為で……完全に敵対してる。

 今、僕たちのファミリアを襲撃してる犯人、そしてオラリオの外で虐殺を続けてる犯人は、間違いなくその古代の英雄の一人、リーフィア・リリー・マグダウェルその人だよ。

 神々(僕ら)は盛大に地雷を踏み抜いたのさ。

 いや、むしろ一部の大馬鹿野郎が面白半分に起爆させようとしてる

 

 ────その馬鹿野郎っちゅうのは。

 

 神ナイアル、それから神クトゥグアさ。あいつら、地上で神々(ぼくら)人々(こどもたち)の戦争を起こそうとしてる。

 




 ヒイラギちゃんがアル中気味に……。


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『廃村』

『日暮れには着きそうだね』

『はぁ……なぁ、となりに居たあいつら』

『あん? あの盛ってたやつらがどうしたよ』

『気のせいかもだが、どっかで嗅いだ臭いがしたんだよ』

『アタシは匂いには敏感じゃないからわからないけど、何処で嗅いだ臭いだい?』

『…………【ナイアル・ファミリア】のアルスフェアって奴の匂い』

『気のせいだろ。第一、隣の部屋でアタシらを探し回ってる奴が盛ってるなんて馬鹿な話ある訳ない』

『だよな……』


 飛行船は雲より高い領域を飛ぶ事が多い。というよりは地上から視認できない範囲を飛ぶことで奇襲を避けるという意味合いが強い。

 飛び立つ時と、着地する時。この二つのタイミングで襲撃される事が多く、【恵比寿・ファミリア】の団員達は誰しもがその瞬間に息を呑み、祈る。

 機関が動き始め、船が浮く。そのさなかの言い様のない不安感にカエデが大地をジーっと見つめる。

 今すぐ地上に飛び降りたいと思うし、同時に『此処に誰かが居る』という勘の様なモノも感じる。けれども今回の依頼の関係上、此処で彼女が飛び降りれば行程は酷く遅れる事になる。

 

 この街で【トート・ファミリア】の面々は全員降りた。この街の長であった人物が依頼偽装をした結果、【酒乱群狼(スォームアジテイター)】ホオヅキによって痛めつけられてしまったらしい事は聞いていた。

 そのホオヅキがカエデの知る『ワンコさん』だという事も教えて貰った。

 

 遠ざかる地上を見下ろすのをやめて船内へと続く扉に手をかけようとしたところで、酷く草臥れた声でモールが呼び止めた。

 

「やぁ、少し、話さないかい? 嫌なら、良いよ」

 

 へにゃりと耳が力なく垂れ、疲労感の漂う顔色で声をかけてきた彼女にカエデは困惑しつつも頷く。

 前方の甲板の上、手摺りに凭れ掛かって深い溜息をついたモールは力なく尻尾で手摺りを叩きながら口を開いた。

 

「いやぁ参った参った……物資の輸送でこんなに疲れるなんて。帰りにまた彼らを回収しないといけないのは本当に面倒だよ。彼女達って悪い人じゃないんだけどねぇ」

「……話ってなんですか?」

 

 会話を弾ませようとでもしたのか無関係な話題を口にした彼女に対してすげなく本題を話せとせっつくカエデ。モールはその様子に苦笑を浮かべつつも広がる青空に視線を向けながら口を開いた。

 

「キミは、自分の立場ってのを理解してるかい?」

「……どういう意味でしょう?」

 

 カエデの立場。【ロキ・ファミリア】の準一級(レベル4)冒険者。【生命の唄(ビースト・ロア)】という二つ名を得た冒険者。最速記録(レコードホルダー)をぶち抜いた人物。白毛の狼人(白き禍憑き)

 カエデの立ち位置を示す言葉は数多あれど、カエデ自身にはそれは何ら関係の無い事である。

 しいて言うなれば『生きる為に足掻く(いきる)者』であろう。

 

「あー、わかってないっぽいね」

 

 モールは肩を竦めると悩まし気に口をもごもごと動かし、意を決した様子で口を開いた。

 

「キミは妹と会わない方が良い」

「はぁ…………?」

 

 生返事の様な返答を零すカエデに対しモールは顔を引き攣らせて頬を掻いた。

 カエデには血の繋がった妹が一人居るらしい。

 カエデ自身、彼女について知っているのは『珍しく自分を毛嫌いしない村人の一人』程度だ。村を出る前に少し会話を交わした記憶はあるが、親しい間柄でもないので実感なんぞありはしない。

 話によれば未だに生きている様だが、カエデはその事に関して特にいう事は何もない。自分が生きるので精一杯であり彼女に構う余裕は毛ほども無いからである。

 

「キミの血筋が関係してるんだけど」

 

 困ったような表情のモールがぽつぽつと語り始め、カエデはそれを聞きながら眉を顰める。

 

 カエデ・ハバリの血筋。正確に言うなれば『黒毛の狼人』が引き継いできた血筋。

 古代、神々が降り立つ神代以前の頃、彼らは一つの部族として纏まっていた。しかし熾烈を極める部族争いや世界の『大穴』、ダンジョンから溢れ出すモンスターによって住処を失い、滅びに瀕した彼らは精霊の加護を受けた。

 精霊の加護は、古代版ファルナと言われるモノであるが、実際の所は神々が与えるファルナとは全く異なる代物である。

 各々がもつ精霊の特権、その一部を切り分けて分け与える。自らの血を分け与える事で精霊の力を人の子に与えるというモノが加護だ。

 

 精霊を助け加護を授かる事もあれば、精霊と恋仲になり加護を授かった英雄も居る。

 かつて精霊と交流し、友好を深めた彼らは加護を受けた。

 『黒毛の狼人』が受けた加護は、特殊なモノだ。

 力無き彼らを守る強力無比な加護。力そのものであり、同時に代償を必要とするモノ。

 

 『鋭き白牙』そう呼ばれる個体を生み出す加護。

 

「……白牙?」

「そう、精霊が黒毛の狼人に与えた加護は『白牙』を与えるモノだった」

 

 その当時において、人々の平均寿命は30歳まで生きれば上出来。50を超えたら長老と呼ばれる程だったのだ。

 怪物の襲撃、部族同士の抗争。その中で彼らは熾烈な生存競争を生き抜くために精霊に加護を与えられた。

 

 寿命を削り、代わりに比類無き戦闘の才を持つ個体を産み落とす加護

 

 生れ落ちたその瞬間から、その肉体は戦闘する為に成長していく。

 成長する過程で、比類なき戦闘への才能を開花していく。

 その才能を活かし、部族を、ひいては種族そのものの守護を任せられる個体。

 

「『白牙』または『白き禍憑き』。かつて古代の時代において最強の個を名乗る事を許された存在」

 

 得られる力の代償に、その個体は寿命は半分程度に削り取られ、凡そ40年か50年でその肉体は朽ち果てて死に絶える。

 戦闘の才を持ち生まれる白い毛並みの個体────精霊の加護を受けた一族が産み落とす戦闘用個体。

 

「それがキミな訳だ」

 

 彼らはその『最強の個』である『白牙』を戦力の要として部族抗争を勝ち抜いた。

 狼人(ウェアウルフ)の殆どが怯える『白き禍憑き』とは、部族抗争のさ中に他部族を徹底的に潰して回る『白牙』の事であり、古代の時代において加減無く他部族を潰滅させるその姿に恐怖を覚えさせられたのだ。

 現代における狼人(ウェアウルフ)達の『白毛』に対する異常なまでの差別の根底にそういった出来事が存在する。

 其処はあまり問題ではない。

 

「根底にあるのは否定しないけど、まぁ其処はどうでもいいんだよね」

 

 『最強の個』である『白牙』、もし反旗を翻されれば『黒毛の狼人』達すら潰滅を免れ得ぬ精霊の恩恵の生み出した歪んだ個体。

 精霊はそれを見越して『白牙』に小細工を弄した。特定の個体の命令に対する服従心という小細工を。

 

「何を話しているんだい?」

「おっと……保護者が来ちゃったか」

「団長……?」

 

 話を遮ったのは微笑をたたえたフィン。

 モールとフィンが視線を交え、モールは両手を上げて降参を示した。

 

「あー、場が悪かった。本当は此処で伝えておきたかったんだけどね」

「カエデ、キミは部屋に戻るんだ」

「えっと……」

 

 まだ話の途中だとカエデが口にするより前に、フィンが肩を竦めて口を開く。

 

「ペコラが呼んでいたよ」

「…………わかりました」

 

 逆らうべきではない。そう判断したカエデがモールに頭を下げて船内に向かう。その背を見送り、見えなくなったところでフィンはモールの方に視線を向けた。

 

「続きを教えてくれないか」

「【勇者(ブレイバー)】って本当に怖いよね。ちっちゃくて可愛いとか言ってる女の子は見る目がないよ」

 

 モールは降参の意を示しながらも溜息を零して空を見上げた。

 

「『黒毛の狼人』達には別名が存在するのは知ってるよね。『黒き巨狼』って奴さ」

 

 彼らは『頭脳』を通じて思考を共有できる。戦闘中に比類なき連携で神の恩恵(ファルナ)を授かった第一級冒険者を殺害出来る程の連携を可能とする。恐ろしい話だ。

 

「ま、今は無理だけどね? え? 全滅したからじゃないよ。血筋の劣化さ」

 

 問題はその『頭脳』。この個体の命令に対して『白牙』は拒絶できない。

 どう足掻いても、『白牙』は『頭脳』の命令に逆らえない。

 それは魂そのものに刻まれた刻印であり、同時に取り返しのつかない()()

 

「『白牙(カエデ)』は『頭脳』と出会っちゃダメなのさ」

 

 その『頭脳』となっている個体が────ヒイラギ・シャクヤク。

 『黒毛の狼人』の最後の一人。『白牙』を使役する能力を得た人物。

 

白牙(カエデ・ハバリ)頭脳(ヒイラギ・シャクヤク)に出会わない方が良い。彼女がほんの戯れで余計な一言を呟くだけで、カエデ・ハバリを破滅させてしまえるから」

 

 【恵比寿・ファミリア】の目的は一つ。ヒイラギ・シャクヤクの保護。

 理由は────カエデ・ハバリを守る為。

 他にも【クトゥグア・ファミリア】や【ナイアル・ファミリア】なんかに彼女を奪われ、結果的にカエデ・ハバリを利用されるのを避ける為でもある。

 

「以上さ、他に聞きたい事は?」

「無い。それよりももう少しで到着だろう?」

 

 そうだったと思い出したかのように手のひらを打ってからモールは笑みを浮かべてフィンの前から去っていく。着地点を探しているらしい見張り台に立つ団員を見つつもフィンは風に揺れる【恵比寿・ファミリア】のエンブレムの刻まれた旗を睨んだ。

 

「カエデを守る為……? 笑わせないで欲しいね」

 

 カエデに対する絶対命令権を持つヒイラギという少女。

 もしそれが事実であるのなら、面倒な事になる。

 

 カエデ・ハバリが敵に回る可能性もあり得る。

 

 ヒイラギ・シャクヤクを押さえられればそうなる。むしろ【恵比寿・ファミリア】の狙いが最初からソレであるとしか思えない。

 カエデはすさまじい速度での急成長を遂げている。それに戦闘能力でいえば第一級冒険者相手にも食い下がる程だろう。それが敵に回る?

 それも、仲間として内に迎え入れた状態で唐突に反旗を翻る可能性が出てきた。

 

「ヒイラギ・シャクヤクはなんとしても【ロキ・ファミリア】(ウチ)で保護したいね」

 

 保護、もしくは拘束を視野に入れてフィンは静かに目を瞑った。

 

 

 

 

 

 飛行船の着地場所として選ばれた草原。

 セオロの密林を見下ろす高度で静止している飛行船から半日ぶりに大地に降り立ったベートが悪態をついた。

 

「まだ揺れてる気がするぞ」

「慣れませんねぇ」

 

 船酔いこそなかったものの、【ロキ・ファミリア】の面々は飛行船に乗った経験が無い、または少ない者ばかり。慣れない飛行船の感覚が抜けきらないせいか、しっかりと踏みしめられる大地に立ったというのにふらふらと体が揺れている。

 

「あはは、困ったねぇ」

「……それで、村の調査に同行するのは誰なんだい?」

「僕と、えっとそっちの八人かな。後は飛行船で待機だよ。あ、燃料勿体無いから一度完全におろしちゃうね」

 

 飛行船の完全着地準備をしている【恵比寿・ファミリア】の団員達を尻目にカエデは森を眺めて吐息を零した。

 その様子を見ていたペコラが彼女に忍び寄って呟く。

 

「懐かしいですか?」

「……別に」

 

 驚くでもなく静かに返す姿にペコラが眉を顰めるが、直ぐに気を取り直した様にぐっと拳を握り締めた。

 

「話によれば隠れ里っていうじゃないですか。ペコラさん『隠れ里』って聞くとわくわくするんですよ」

「襲撃されて潰滅してますけどね」

 

 すげなく、当たり前の事を口にしたと言わんばかりに感情のこもらない返答を返すカエデ。対するペコラは自身の故郷が滅びたかもしれないというのに冷たい反応しか返さないカエデに怯んで口を閉ざした。

 カエデは此処まで冷たい人物であっただろうか。頸を傾げつつもペコラはなんとかカエデから何らかの返答を受けようと声をかけ続ける。

 その様子を見ていたジョゼットは痛まし気にカエデを見てからフィンに近づいた。

 

「団長、【恵比寿・ファミリア】についてですが」

「何かわかったかい?」

「積み荷の中に大型弩(バリスタ)がいくつか。後、其処の船は表面は木材ですが一枚下は金属板で補強されてる様です。輸送船ではなく────戦闘用の小型船かと」

 

 ジョゼットの報告にフィンが静かに頷く。

 怪しいという勘を頼りにジョゼットに調べさせた結果を聞いて考え込む。

 

「どうします?」

「いや、その武装は僕らに向けられるモノじゃないね」

 

 その武装船に積まれた武装はせいぜいが中層域のモンスターを討伐する程度の威力しか持ち合わせていない。その程度の威力では第一級冒険者どころか、第二級冒険者すら倒せないだろう。

 つまり現在同行している【ロキ・ファミリア】メンバーの中では最も弱いジョゼットですら倒すのは難しい。

 それに、彼らは内側よりは外側に対し強い警戒心を持っている。

 

「とはいえ、オラリオに帰り着くまでは油断しちゃダメだね」

 

 最悪、船諸共雲の上から落とされて全滅という事も考えられる。船の一隻と数人の団員を纏めて落とすという事で【ロキ・ファミリア】のメンバーを始末するという荒業も存在するのだ。

 

「わかりました、警戒を厳重にします」

「ったく面倒臭えな。話し合いは終わったかよ」

 

 割り込んできたベートに対しジョゼットが不満げな視線を向けるもベートは気にした素振りは見せない。それ以上にベートは森の方を睨んで不愉快そうに鼻を鳴らした。

 

「人の匂いがこびりついてやがる」

「……なんだって?」

「【恵比寿・ファミリア】共の匂いがこの場所に染みついてんだよ。何度も足を運んだみたいだな」

 

 周囲の匂いを嗅いでそう判断したベート。フィンは静かに船の方に視線を向ける。

 三隻の船は淀みなく近場の高台の上に着地して鎮座しており、よくよく見れば他にも数隻分の着陸跡が見て取れる。

 最大で五隻だろう。三隻のほかに二隻分の着陸跡を見つけたフィンの元にモールがやってきて口を開いた。

 

「やぁ、何を観察しているんだい?」

「よくここにきてるみたいだね。其処の着陸跡がね」

「まあね。いつもは五隻で来るんだけど……」

 

 船が落とされちゃってね。そうおどける彼女に対しフィンは肩を竦めた。

 ベートがモールを睨み、ジョゼットが注意深く彼女を観察するも不自然な点は見て取れない。

 警戒心を残しつつもモールの言う通りに【ロキ・ファミリア】の面々は森の奥に続く小道に足を踏み入れた。

 

 

 

 

 

 馬車一台が通るので精一杯の広さしかない道幅。木々の根が邪魔して進むのにも苦労する道。

 覆いかぶさる木々の天蓋の下、薄暗く湿った空気の密林の中を歩むこと凡そ20分程。

 先頭を歩くカエデが眉を顰めるさ中、村の入り口が見えてきた。

 

「……此処がカエデちゃんの故郷ですか」

 

 ペコラが惨状に塗れた村を見ながら呟けば、カエデは静かに頷いた。

 立ち並んでいたらしき家屋の残骸。木製のソレらは火を放たれたのか焼け落ちており、一部残っている建造物は石造りの村長の家と、石材で作られた鍛冶場、隣接する家屋程度でその他のモノの殆どは焼け落ちるか朽ちている。

 僅か半年ほど放置されただけの村の惨状にカエデが言葉を失うさ中、モールが歩み出て静かに両手を合わせた。

 

「少し、調べさせてもらうよ」

 

 【恵比寿・ファミリア】の団員達が慎重に村に足を踏み入れるさ中、ベートはカエデの後姿を見つつもフィンに声をかけた。

 

「この村、なんか変だぞ」

「変って?」

「んな密林の中だってのに、モンスターの匂いがしねぇ」

 

 密林を進むさ中、幾度かのモンスターの襲撃にあった。ハーピィ等の飛行型も居たのだが、不思議な事にこの村、焼け落ちた村の跡地だというのにモンスターの気配処か匂いすら感じ取れない。

 此処まで放置された村なら、ゴブリンが集落を築いていてもおかしくはないのに。

 

「此処は、ヒヅチの結界で守られてますから」

「……結界?」

「はい。強いモンスターは近づけません。弱いモンスターもよほどの理由が無いと近づけない様になってます」

 

 常に森を警邏し、結界の綻びの修繕を繰り返して村の安寧を図っていたのがヒヅチ・ハバリであり、その弟子のカエデの仕事でもあった。

 守り人として村の結界を超えて入り込む異物、怪物を始末する。誇りこそ持っていなかったものの、カエデにとってみれば慣れた日課である。

 村人たちに押し付けられていたといえば、そうであるのだが。

 

「……カエデさん、カエデさんの住んでいた小屋まで案内してもらっても良いですか?」

「何もないですよ?」

「構いません。少し、見てみたいと思ったので。もちろん、カエデさんが不愉快でなければですが」

 

 村を見てもどう反応して良いのか困っている様子のカエデに対し気を利かせようとしているジョゼットが案内を頼めば、カエデはしぶしぶといった様子で足を動かし始める。

 

「僕とベートは此処で待ってるよ。ペコラ」

「あーはい。わかりましたー」

 

 カエデに続いてペコラとジョゼットが歩いて行く。既に住む者が失われた廃村である村をほぼ無視して通り過ぎるさ中、カエデはしきりに村にふさわしいとは思えない大きさの鍛冶場の方に視線を向けていた。

 

 

 

 

 廃村の中を歩き回ってメモを取る【恵比寿・ファミリア】の団員に交じりフィンは小さな村にふさわしいとは思えない大きな鍛冶場に足を運んでいた。

 後ろに続くベートは不思議そうに鍛冶場の煙突を見上げて呟く。

 

「でけえな」

「そうだね、此処が彼の有名な【疑似・不壊属性(デュランダル・レプリカ)】の工房だったんだろう」

 

 忙しそうに動き回る【恵比寿・ファミリア】が近づかないその鍛冶場に足を踏み入れようとしたとき、モールがフィンを呼び止めた。

 

「【勇者(ブレイバー)】、悪いけど其処に近づかないでくれ」

「……理由は?」

 

 カエデが『近づくな』というならまだわかる。だが彼女が言うのは少し変なのではないかとフィンがモールに視線を向ければ、モールは軽く肩を竦めた。

 

「ヒイラギ・シャクヤクが帰ってきた時に其処が荒らされてたらどう思う? 僕らだって其処には近づかない様にしてるんだ、頼むから余計な事はしないでくれ。カエデ・ハバリがうろつくぶんには好きにしてくれていいんだけどね」

 

 カエデが同行していないのなら、余計な事はするなと釘を刺す彼女にベートが不機嫌そうに眉を顰めるもモールは気にした様子も無く近場の畑の中に足を踏み入れて荒らしている。

 元々人の手を離れた影響か雑草が生え茂り、作物がほぼ壊滅している畑を踏み荒らしながらモールが何かを探しているのを見つつもフィンは鍛冶場に再度視線を向ける。

 何故かこの鍛冶場だけは荒らされた形跡が少ない。他にも村長宅らしき石造りの建物もあるが其方もあまり荒らされた形跡がない。

 殆どの家屋が焼け落ちている中、なぜかその二か所には荒らされた形跡が非常に少ないのだ。

 

「燃やした犯人は、襲撃者とは別だったって事かな」

「どういう事だよ」

 

 ベートの質問にフィンは肩を竦める。

 

 

 

 

 村外れというには少し離れすぎた場所に存在する小屋。

 小屋の前には薪割り台と薪置き場。広い空間に無数の巻き藁の残骸が散らばる鍛錬場らしき場所。

 カエデの記憶とほぼ相違ない景色の広がるその小屋の前で彼女は静かに小屋の扉の前で立ち止まっていた。

 随分と荒れている。というよりは密林にのみ込まれかけた小屋だ。

 

 小さく、人が二人暮らすには多少手狭なぐらいの、本当に小さな小屋だ。

 

「此処で住んでたんですか?」

「……弓用の的もあるんですね」

 

 ぼろっちい小屋を見上げたペコラの言葉にカエデは頷く。

 鍛錬場である巨木。常に師であったヒヅチと向かい合ったその場所にはうっすらと草が生え茂っていた。

 カエデの記憶の中では、其処は禿げ上がった土地であったはずだが、人が居なくなってしまえば森にのまれるのも当然かと無視して扉に手をかける。

 ギシギシと、整備不良で滑りの悪い引き戸を力業で開き、小屋の中に視線をやってカエデは眉を顰めた。

 うっすらと埃が積もった室内。もしかしたら師が帰ってきているかもしれないと薄らと期待していたソレが霧散するさ中、カエデが室内を見回す中で見つけたモノがあった。

 

「……ワンコさんの仮面」

 

 足を踏み入れ、落ちていた仮面を手に取る。覗き穴が存在しない白塗りの犬の面。仮面舞踏会(マスカレード)の仮面を思わせる造りのソレは、この小屋に足を運んでいた【酒乱群狼(スォームアジテイター)】ホオヅキが身分を隠す為に身に着けていたモノだ。

 

「それ、は」

「ワンコさんのモノです」

 

 入り口から恐る恐るといった様子で眺めていたペコラに仮面を示せば、ペコラが困った様に頬を掻く。

 カエデの淡々とした反応。明らかに時がこの場所を壊していくというのに、壊れかけのこの場所を見ても嘆くでも悲しむでもなく淡々とした態度を貫く彼女。

 もしペコラが同じ目にあったら、涙の一つでも零すだろう。それをしない幼いカエデにペコラがどうすべきかと腕組をしたところで、ジョゼットが口を開いた。

 

「お二人とも、此方へ」

「何ですか」

 

 大木を見上げていたジョゼット。彼女の視線は見上げる程の大樹に刺さった一本の剣に向けられていた。

 片刃の反りのある大太刀。刃渡りは90C程、鍔や塚頭等に錆の浮いたその剣は人の手では届き得ない高さの所に水平に突き刺さっていた。

 

「あれは?」

「……? あれ? あんな剣、見た事ないです」

「え? あの剣かなり前から刺さってる様に見えますよ?」

 

 錆の浮き具合。刀身の曇り具合等から少なくとも数年は突き刺さっていたのではないかという程の古い刀。しかしカエデの記憶にそんな刀がこの木に刺さっていた記憶は存在しなかった。

 不思議そうに首を傾げながらもカエデはその刀を抜く為に足を踏み出そうとして────足を止めて振り返った。

 

「…………ヒヅチ?」

 

 目を見開き、驚きの表情を浮かべたカエデ。

 その様子を見たジョゼットとペコラも急ぎ後ろを振り返る。

 ぼろっちい小屋の入り口。其処から顔を出したのは、美しい金髪を腰の辺りまで伸ばした和装の女性。

 頭にピンとたった狐耳に太い狐尻尾。カエデの記憶にあるヒヅチ・ハバリその人が小屋から出てきてペコラとジョゼットに視線を向け、最後にカエデを見据えた。

 

「ふむ」

 

 言葉を失うジョゼットとカエデの横、ペコラは目を細めてヒヅチ・ハバリを睨む。

 ペコラが見た小屋の内部に隠れられそうな場所は存在しなかった。だというのに彼女は小屋の中から出てきた。

 不自然極まりない彼女の登場にペコラが強く警戒心を抱くさ中、その狐人の女性は腰の刀の柄を撫でながら静かにジョゼットとペコラに視線を向けて口を開いた。

 

「貴様等は何者だ」

「……【ロキ・ファミリア】所属【魔弓の射手】ジョゼット・ミザンナです。貴女は……ヒヅチ・ハバリで間違いないですか?」

 

 ジョゼットが丁重に返答するさ中、カエデが静かにジョゼットの前に出る。

 

「カエデさん、何を」

 

 ジョゼットの前に躍り出たカエデが静かに剣の切っ先を向けて睨み付ける。

 

「貴女は、ヒヅチじゃない」

 

 カエデの言葉にペコラとジョゼットは眉を顰めつつも武器を構える。ペコラが大槌を握り締め、ジョゼットが弓の弦を引く。

 

「…………ふむ。お前がカエデ・ハバリか、見事だな」

 

 ヒヅチ・ハバリの姿をした何者かが静かに自らの顔を撫でる。

 警戒心を剥き出しにして武器を向けるカエデ達に対し、その人物は目を瞑ると静かに腰の刀を鞘ごと手に取り、捨てた。

 

「この通り、私は抵抗する気はない。話を聞け」

「……貴女は、誰ですか」

 

 姿、形はヒヅチ・ハバリそのものである彼女は、けれどもカエデの記憶の雰囲気とは程遠い別人であった。

 故に、見た瞬間に偽物と断じた。師の姿はしていても、師ではない。

 記憶にない幼い頃からヒヅチと共に過ごしていたからこそ、その呼吸一つで見分ける事が出来るが故の判断。

 彼女はその事に一切気にした様子も無い。本人ではないと明かされてなお平然とした振る舞いをする彼女は顎に手をあてて呟く。

 

「私の生まれた理由は様々だが────この姿の元となった人物の伝言を伝える為だな」

「……貴女は」

「人ではない。式神と……いや、今はただ式と呼ばれるモノだな」

 

 式、極東の狐人(ルナール)が扱う魔法、妖術の一つ。

 ヒト型と呼ばれる紙切れを使い呼び出すオラリオで言う『使い魔』の様な存在。

 作成者によって特徴が出るソレ。

 彼女の言い分が正しければ────ヒヅチ・ハバリの伝言を伝える為に生み出された『式』らしい。

 

「伝言? ヒヅチの? 教えて、ヒヅチは何処に」

「……カエデ・ハバリ、お前に言う事は何もない」

 

 ヒヅチの形をした式の言葉にカエデが目を見開く。

 師の形をし、伝言を持っていると口にする彼女はカエデに微塵も興味を持った気配はない。

 

「どうして?」

「何故、等と問いかけられても困る。私の創造理由にカエデ・ハバリに関するモノは何もないのだからな」

 

 姿形はヒヅチ・ハバリを模していたとしても、彼女はあくまで『式』でしかなく。特定の目的の為に生み出されたモノだ。そうであるが故に、彼女は目的以外にはひどく機械的な反応しか返さない。

 師と同じ姿をした彼女に冷たくあしらわれたカエデが酷く傷ついた表情で凍り付く。

 

「……貴女は、どうして其処から出てきたので?」

「ふむ? あぁ、()()()()()()()からだ」

 

 条件は『この小屋に見知らぬ者が二人以上やってきた場合』。

 ジョゼット・ミザンナとペコラ・カルネイロという見知らぬ二人がやってきたことで条件が満たされ、彼女は目覚めた。

 

「……伝言とは?」

「ふむ。私を殺してくれ。いや、違うな────ヒヅチ・ハバリを殺してくれ」

 

 彼女の言葉に、カエデ達が息を呑んだ。

 

「それは、どういう?」

「言葉の通りだ。私の創造主であるヒヅチ・ハバリを殺して欲しい。私はそれを伝える為に創造された」

 

 ペコラとジョゼットは困ったように顔を見合わせ、カエデの表情を伺う。

 驚きと困惑の混じった表情でジーっとヒヅチの式を見つめるカエデ。彼女の事をちらりと伺ったペコラが一歩前に出て口を開いた。

 

「理由を、理由を教えてください。いきなり殺してくれなんて言われてもペコラさん達には難しいですよ」

「……理由か、知りもしない。私の創造主はあくまでも『殺してくれ』と伝える様に私に組み込んだのみで理由を書き込みはしなかった。故に私は創造主の考えは理解できない」

 

 あくまでも、彼女を生み出した人物が『殺してほしい』と伝える事のみを重視していたためか、理由の一つも知らないと口にし、被創造物であるがゆえに創造主の考えは理解できないと口にした彼女。

 作り物でしかない彼女は言いたい事を言い切るとジョゼットとペコラの顔を交互に見てから頷く。

 

「私は、必要な事は伝えた。これ以上語らう理由は無いな」

「なにを────」

「創造された理由を失ったのだ。故に、此処までだ」

 

 その動きは、酷く滑らかであった。

 懐から徐に取り出した短刀。その短刀が流れる様な滑らかな動作で自身の頸に押し当てられ、そのまま喉を切り裂いてしまう。

 カエデ達が息を呑む目の前で、彼女は喉からボタボタと()()()()()を零して倒れ伏す。

 

「なにが……」

「ちょっと、ペコラさんわけがわからないんですけど……」

 

 慌ててカエデが駆け寄るも、彼女がその体に触れるより前にそのヒヅチの式は霧散して消えてしまう。

 残ったのは地面にぶちまけられた真っ黒な墨とその墨に浸り真っ黒になったヒト型の紙切れのみ。

 訳が分からないとペコラとジョゼットが困惑するさ中、カエデは墨に沈んだ紙切れを手に取った。

 

「ヒヅチ、なんで……」

 

 



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『ヒヅチ・ハバリ』

『ふむ、オークは簡単に終わったが……さて』

『団長、どうしますか?』

『決まっているだろう? 今から歩いてでも黒毛の狼人の隠れ里に向かうのさ』

『……正気ですか? ぶっ殺されますよ?』

『私の占いを舐めるなよ……多分見つからないさ』

『……はぁ、他の皆に伝えてきます』



 黒毛の狼人の隠れ里。既に住む者の消え去った物寂しい滅びた村の残骸を皮ブーツで踏み締めたモールは深々と溜息を零しながら目的のモノを探していた。

 

「見当たらないなぁ」

 

 ここ最近は草臥れた表情ばかりを浮かべている猫人の女は静かに手を握って揺らす。

 

「にゃんにゃん……はぁ、()()()()()()

 

 幸運を引き寄せても何をしても、目的の代物が見つからない。

 ヒヅチ・ハバリが残しているはずの痕跡にして、最後の切り札というべき代物。

 彼女の目的はその『モノ』を探す事であった。

 この村の何処かに隠した、または置いてある事は間違いないと言い切れるのだが、全くその痕跡が見つからない。

 確実に言える事は、村長宅と鍛冶場にはないという事だけ。

 ヒヅチ・ハバリの性格について彼女は良く知らないし、そもそも会話を交わす処か姿を見た事すらない。

 神の恩恵を受けた者を受け入れないこの隠れ里に居た彼女と会った事のある者は残念なことに全員命を落としている。というよりは()()()()()()()()()()()()

 

「ニャァ……」

「副団長、報告が」

 

 近づいてきた構成員の話を聞きながらもモールは腕組をしながらうんうんと唸る。

 隅々まで調べてなお見つからないという困った状況。見つけられなければ色々と困る事になる。

 

「やっぱ、あの羊人は信用しない方が良かったかなぁ」

 

 【トート・ファミリア】の団長である【占い師】アレイスター・クロウリーの顔を脳裏に描いた彼女は脳内で彼女の顔に素早い拳を叩き込みながら団員の腰に吊り下げられたカトラスを流し見てから空を見上げた。

 

「うぁぁあ……今日中に見つけないといけないのにぃ」

「副団長、しっかりしてください」

「キミも、探して────えぇ?」

 

 肩を揺さぶられてガクガクと揺れながらちらりと視線を向けた先。

 【ロキ・ファミリア】の団長であるフィンが小さな手に真っ黒い何かを持っているのが見えてモールはぐるんと音がするほどの速度で顔を其方に向ける。

 驚いた男が目を見開くのも無視し、彼女は男の手を振り払ってフィンに向かって駆け出した。

 

 

 

 

 

 フィンが手にしたヒト型、狐人(ルナール)が扱う妖術に用いられる紙切れ。

 魔力の込められていたらしき真っ黒い墨に染まった紙切れを摘まみながら目の前でしょんぼりしているカエデを見て口を開く。

 

「それで、ヒヅチ・ハバリの式は『自分を殺せ』と言っていたと?」

「はい、意味がわからないんですけどそう言ってましたね」

 

 カエデの代わりに答えるペコラと、それを肯定する様に頷くジョゼット。

 話によればカエデとヒヅチが暮らしていた村外れにある小屋を見に行っていたら、大樹に突き立つ刀を見つけた為、とろうとしたところで小屋からヒヅチ・ハバリそっくりな見た目の人物が現れた。

 彼女曰く『自分はヒヅチ・ハバリによって創生された式である』事、『ヒヅチ・ハバリを殺せと伝言を預かった』事を口にしたのち、自らの頸を掻き切って死亡────死亡というよりは消滅した。

 残ったのは墨に染まったヒト型の紙切れのみ。

 

「ふぅん……その刀は少し気になるねっと、モール・フェーレース、何の用だい?」

 

 摘まんでいたヒト型を横から伸びた手が掠めとろうとし、フィンは素早くそれを回避して相手を睨む。

 モールは伸ばした手をそのままにジーっと紙切れを見つめてから、カエデ達三人を見回して口を開いた。

 

「何処でソレを見つけたんだい?」

「……私の住居ですけど」

「キミの住居? そんなのあったっけ?」

 

 首を傾げつつもヒト型の紙切れをジーっと見つめ、モールは首を横に振ってから口を開いた。

 

「そのヒト型、式神は何か言ってたかい?」

「……その質問に答える前に、此方の質問に答えてくれ。キミは何を知っている?」

 

 鋭くモールを睨むフィン。ベートも不機嫌そうに鼻を鳴らして睨むさ中、ペコラとジョゼット、カエデの三人は顔を見合わせていた。

 

「あぁ……ヒヅチ・ハバリがこの村にとあるモノを隠したのを探してるんだよ」

「とあるモノ?」

「えぇっと、ヒヒイロカネって知ってるかい?」

 

 モールの言葉にフィンが目を細めてから首を横に振る。ベートはモールを睨みつつも『ヒヒイロカネ』なるモノが何なのか考え始め、ジョゼットとペコラが口を開いた。

 

「『緋緋色金(ヒヒイロカネ)』比重が非常に軽く、金剛石(ダイヤモンド)よりも硬度が高く、その上で錆びたり朽ちたりしない不変性を持つ極東に伝わる合金ですね」

「よく似たモノとして『青生生魂(アポイタカラ)』もありますが、彼方は製法が違うだけで性質はよく似ていると聞いたことがあります。確か……魔力の篭った合金だとか」

 

 カエデが首を傾げながら呟く。

 

「軽い……?」

「そうです。此方では基本的に重たい金属、超硬金属(アダマンタイト)最硬金属(オリハルコン)なんかが主流で、なおかつ武装は『重さで叩き切る』が基本となっているので、重たい金属程良いという冒険者は多いです。しかし、極東は『技』を重視します。軽く、丈夫な金属というのは極東で重宝されていたんですよ」

 

 ジョゼットとペコラの言葉を聞いたモールがうんうんと頷く。満足げな表情を浮かべたモールは笑顔を浮かべた。

 

「詳しいね。その通り、ヒヒイロカネっていうのは極東に伝わる合金なんだよ」

「そのヒヒイロカネってがテメェらの目的か?」

 

 商売人として希少(レア)金属(メタル)である『緋緋色金(ヒヒイロカネ)』を探し当てたいのかとベートが軽蔑の視線を向けると、モールは腕組をしてから首を横に振る。

 

「商売目的じゃあないよ。残念な事に、今現存しているヒヒイロカネの装備品は狐人(ルナール)達の厳重な管理下にある上、ぶっちゃけ僕らが手に入れても何も出来ないんだよ」

 

 最硬金属(オリハルコン)もそうだが、希少金属になればなるほど扱いが難しくなり、加工に手間がかかる様になる。鍛冶の神であるヘファイストスやゴブニュならまだしも、ただの商売の神でしかない恵比寿からすれば『緋緋色金(ヒヒイロカネ)』は現物を手にしても加工手段が存在しない。

 そもそも、地上に現存している鍛冶師では加工できない上、下手に加工しようと手を出せば劣化してしまい、特有の不変性すらも失われかねない。

 

「だから手に入れても超すっごいだけで別に何かに使える訳じゃないんだよ」

「……じゃあなんで探してるんですか?」

「そりゃあ封印を解く鍵だしね」

 

 封印を解く鍵。その言葉にフィンは目を細めなるほどと呟いた。

 

「ホオヅキやキーラ・カルネイロの封印を解くためのモノ、そういう認識で良いのかい?」

「そうだよ」

「で、先程のヒヅチ・ハバリが残した式と、そのヒヒイロカネはどういった関係があるんだ?」

 

 モールは表情を消してベートとフィンの視線を浴び、呟く。

 

「彼女が唯一手にしていた『緋天斬(ヒノアマキリ)』っていう刀の素材がその『緋緋色金(ヒヒイロカネ)』でね。彼女はこの村の何処かにそれを隠したんだ」

 

 モールが頬を掻きながら視線を泳がせ、耳を伏せた。

 

「ホオヅキの封印を解いて彼女の話を聞かなくちゃいけない」

「……あの、ヒヅチの居場所知ってますか?」

 

 話の流れを切り、カエデが唐突にモールに訪ねる。

 モールはカエデの目を見てから、痛まし気な表情を浮かべて口元に笑みを浮かべた。

 

「知ってるよ」

「っ! 教えてください、ヒヅチは何処に」

 

 カエデの考えるより簡単に口を割った彼女は、けれども答える気はないのかカエデの頭を優しく撫でてから諭す様に囁く。

 

「キミは、会うべきじゃない」

「なんでっ」

「殺されてしまうからさ」

「……ヒヅチが、ワタシを?」

 

 驚きの表情で固まるカエデと、それを見ていたベートがモールを強く睨み付けて口を開く。

 

「テメェ、何を知ってやがる」

「…………最近の襲撃事件。あれ、殆どヒヅチ・ハバリの仕業なんだ」

 

 モールの言葉にカエデが衝撃を受け、ペコラがカエデを後ろから抱き締める。

 フィンが静かに続きを促せば、モールは困った様に微笑み口を開いた。

 

 

 

 

 ヒヅチ・ハバリは悪い人間じゃあない、むしろ隠れ里に貢献した人物さ。

 彼女は、今少し危ない状態にある。

 【クトゥグア・ファミリア】っていうファミリアを知っているかい?

 フィンは聞き覚えがあるだろう? そう、闇派閥(イヴィルス)筆頭とか言われてたあいつらさ。

 奴ら、上手く雲隠れしてオラリオの外で活動してる。

 

 目的は一つ『地上の人間と神々の戦争』さ。

 

 『黒毛の狼人』の一件もそうだし、それ以外もそうさ。

 

 闇派閥(イヴィルス)に所属してた理由はね、軋轢を生む為だよ。

 彼らは地上で好き勝手に大暴れした。恩恵を受け、神の力だと言い放ち、恩恵を持たぬ人々を蹂躙して回る。

 地上の人々はどう思うだろうね?

 

 神は気に入った人の子を『眷属』にして奪っていく。

 美神はその美しさで、武神はその武力で、軍神はその統率力で

 神々は身勝手に振る舞うのさ。

 我が子を奪われた母親の気持ちがわかるかい?

 恋人を目の前で奪われる人の気持ちがわかるかい?

 奪うのさ、神々は。意図してか、意図せずにか……。

 それゆえに、人々の中には『神嫌い』が時折いるだろう?

 神は異物だ、この世界から出ていけーって奴だよ。

 そういう人たちを搔き集めて、戦争を起こそうとしてる。

 

 笑っちゃうよね。彼らが神嫌いになった理由は────闇派閥(イヴィルス)の活動の所為なのにね。

 そう【クトゥグア・ファミリア】は盛大な自作自演(マッチポンプ)をしてるのさ。

 彼らが人々から奪い、恨みを買う。

 買い集めた恨みを全て『オラリオ』の神々に擦り付ける。

 

『神が恨めしくないか? 神を下す力が欲しくないか? この俺がくれてやる。一緒に高慢な神々を殺そう』

 

 そして何より、彼らには強大な旗印が居た。

 

 古代より生き続けた、ハイエルフの女性。

 リーフィア・リリー・マグダウェル。

 彼の有名な物語にも登場し、現存している最後の英雄。彼女が旗印になってる。

 

 そして、ヒヅチ・ハバリも問題なんだ。

 彼女が何者かっていうのはこの際気にしなくていい。ヒヅチ・ハバリでもアマネ・ハバリでもどちらであったとしても僕らにはあまり関係の無い事だ。

 ただ、彼女は千年前の人間で間違いないって事は確かだよ。

 

 どうやって時を超えたかって? 言ったろ、()()()()()()()()って。

 そう、ホオヅキやキーラ・カルネイロと同じさ。

 彼女は千年前に封印されて、千年後の今になって封印を解かれた古代人って奴なんだ。

 彼女の持つ技術は本物で、彼女の扱う業は恐ろしい。

 

 

 

 

 

「僕は、彼女をどうにかして止めなくちゃいけない」

 

 モールの言葉にフィンは静かに首を横に振り、猫人を強く睨んだ。

 

「質問に答えていない様だけど?」

「……ヒヅチ・ハバリは、クトゥグアに狂わされてしまったのさ」

 

 彼女の思考の中心にあるのは、カエデ・ハバリを救う事。

 問題はその手段。

 

「『死ぬな(諦めるな)生きろ(足掻け)、心の臓の音色が途絶えるその時まで』だったかな。彼女がカエデに教えた言葉」

 

 カエデが静かに頷くさ中、モールは深い溜息を零して空を見上げた。

 

生きる(足掻く)のって、凄く大変だよね? 痛くて、苦しくて、辛くて……」

「…………はい」

 

 生きる(足掻く)だけだというのに、とても痛い。とても苦しい。とても辛い。

 そう思わない時は無かったと、考えてみれば今までの道は凄く険しいものなのだとカエデが頷く。

 

「彼女は、キミに苦しんでほしくないと願っている」

 

 だから、彼女はキミを殺そうとするだろう。

 

 

 

 

 

 

 オラリオ周辺には無数の砦跡地が存在する。

 今なお利用可能な状態で残る『シュリーム古城跡地』の様な場所も存在すれば、完全に朽ち果てて基礎が残るのみのものも存在する。

 元は大穴より出でるモンスターの進軍を止める為のモノであり、大穴──ダンジョンに蓋が出来て以降は使われなくなった建造物の数々。

 そのうちの一つ、植物や苔が生え、朽ち果てかけた石材の壁に囲まれた城跡地。

 無数の崩れ落ちた壁の残骸が散らばり、膝丈程に草の生えたもの寂しい雰囲気の漂う中庭部分にて鋭い剣閃を披露する狐人(ルナール)の女性が居た。

 伸びた背筋、引き締まった表情、目つきは鋭く刃の如き輝きを宿す。

 振るわれた刀によって草が刈り取られ、舞い上がった草葉を更に斬り──斬り──斬って、斬って斬って斬って斬り刻む。

 粉塵状になり果てた草葉だったものが風に乗って流れゆくのを見つめ、ヒヅチは深い溜息を零した。

 

「はぁ……ワシは何をしとるんじゃか」

 

 鉄材で作られた質素な刀を一振りし、草花の汁を飛ばして鞘に納めようとして、青臭い草花の匂いに眉を顰めながらも空を見上げる。

 首にかかった金属製の首輪。つながる鎖の先を見てヒヅチは皮肉気に呟いた。

 

「この鎖を切り裂けば自由じゃろうに」

 

 超硬金属(アダマンタイト)製の鎖だと説明を受けたその鎖。

 ただの鉄製の刀如きでは歯が立たないはずのそれを、ヒヅチは切断できるだけの技量がある。

 あるが、それを振るう事が出来ない。

 自らの頬を撫で、刀身にその顔を写し込んで舌を出しておどけた表情を浮かべた。

 

「べぇ……何をしとるんじゃ全く。早くカエデを殺さねばならぬのに……ふむ」

 

 殺さなければならない相手がいる。

 刀身に映る自身の顔。その頬に走る無数の入れ墨の様な跡。

 隷属の刻印の施された自分の頬を眺め、ヒヅチ・ハバリは空を見上げた。

 

「ワシは何故カエデを殺さねばならぬのだ?」

 

 疑問を覚える。ヒヅチ・ハバリはカエデ・ハバリを殺さなくてはいけない。

 それは────何故だろうかと幾度目かの問いかけを行う。

 そう、確かホオヅキと対面し会話を交わしたあの時に質問されたのだ。

 

『カエデはそんな事望まないさネっ! ヒヅチは自分勝手過ぎるさネっ!』

『殺すなんておかしいさネ。だから一緒にカエデに会いに行くさネ……カエデも喜ぶさネ』

『ヒヅチ……なんで……アチキ……は…………ただ…………』

 

 どうして彼女を斬り捨てたのか。今のヒヅチにはその答えも見つけられない。

 ただ、靄がかかる思考の先に、何かがあるのだと勘が囁く。

 暴くべきだ、靄の先を、霧霞みに隠されたその先にあるモノを暴き、即座に止めるべきだ。

 

「……ふん、ワシのやる事は変わらんじゃろうて。カエデを殺す、殺してワシも死ぬ」

 

 ヒヅチ・ハバリは目を伏せた。

 

「ワシは弱いのだぞ。弱者であるワシが目的を成す為には、脇目も振らずに進む他あるまい」

「よぉ」

 

 草木を踏みしめる音。背後から声をかけてきた人物に対しヒヅチは静かに振り向いた。

 ヒヅチの視線に晒されたのは、ヒヅチよりも背の低い男の姿。

 目に痛い程の深紅の髪、身に纏う衣類すらも赤系統ばかりゆえにか、全身が燃え上がる様な深紅の色合いに染まった姿を晒す男────男神。

 神クトゥグア、ヒヅチの主神である人物。何故この神に従うのかヒヅチ自身も理解出来てはいない。しかし、目的を達成するために力を借りているのも事実。

 

「鍛錬鍛錬と、お前は鍛錬ばっかだな。どうだ、酒持ってきたけど飲むか?」

「……貰おう」

 

 手にしていた酒瓶を揺らす彼を見てから、ヒヅチは深い溜息を零す。

 差し出された酒瓶は、目を見張る程に真っ赤っかであった。もう食べ物も飲む物も着る物も手にするモノ全てが赤くなくては気が済まないとでもいう程に、このクトゥグアという神は()が大好きだった。

 赤、赤、赤、深紅に染まる世界程美しい物はない。彼はそう言って嗤うのだ。

 

 手渡された盃を手に、ヒヅチは神の酌を受けながら胡乱気な瞳を神クトゥグアに向けた。

 

「なぁお主」

「なんだ?」

()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ヒヅチの質問にクトゥグアはクツクツと喉で笑い、彼女に酒瓶を手渡した。

 笑いながら差し出された盃に酒を満たしつつ、ヒヅチは不機嫌そうに鼻を鳴らす。

 

「変な事を聞いた。忘れろ」

「なぁに、変な事じゃねぇさ」

 

 クトゥグアはクツクツと笑いながら酒を煽る。その様子を見ていたヒヅチもまた、深紅の酒に口をつけた。

 喉を通り胃に落ちると同時に、酒精が弾けた様に体の芯が熱を持ち、体を熱していく。

 熱くなった吐息を零し、ヒヅチは空を見上げて呟いた。

 

「真昼から飲む酒は美味いなぁ」

「だろだろ、ハイエルフ様はどうにも気に食わんらしくてなぁ」

 

 ハイエルフ様、などと小馬鹿にするように呼ぶ相手。その人物の顔を脳裏に描いたヒヅチは眉を顰めて頬を撫でた。

 

「あぁ、あ奴は何がしたいんじゃ」

「そりゃ神々をぶっ殺したいんじゃね?」

「神々なんぞどうでもよかろう。カエデさえ殺せればよいのじゃて」

 

 酒を口にし、狂った事を口にする。

 酒の所為ではない、彼女はクトゥグアが狂わせた。狂っている、狂気に堕ちている。だというのに彼女は()()()()()()()()()()()()

 大半の者は発狂すれば泣き、叫び、笑い。見るからに()()と化す。

 しかし、地上の人間には時折おかしな狂い方をする者が居る。

 

 例えば神々を殺すと意気込むリーフィア・リリー・マグダウェルというハイエルフの様に

 例えば愛すべき子(カエデ・ハバリ)を殺すと意気込むヒヅチ・ハバリという狐人(ルナール)の様に

 

 ヒトとは面白おかしく狂う事がある。

 愛するが故に殺す。嫌いだからではない、本気で愛を貫くが故にその想いが相手の命すらも刺し貫いて殺すのだ。

 

「のう、もう一度おかしな事を聞くが……ワシは狂っとるのではないか?」

「おいおい、おかしな事を言うなよ。狂ってるのか狂ってないのか決めるのは他ならないお前自身だろ?」

 

 邪神たる神クトゥグアはクツクツとヒヅチの横顔を見ながら笑う。笑って、笑って、嗤う。

 あぁ、なんと愛おしい。

 他の神々は理解してくれないし、狂ってるなんて口にするがクトゥグアからすれば()()()()なんて口にする奴が一番狂った奴だ。

 何せ、()()()なんて定義すら曖昧なモノに縋っているのだ。

 

「逆に聞くけどよ、お前狂ってんの?」

「否じゃ。ワシは狂って等おらん」

「じゃあそれでいいんじゃね?」

 

 残った酒を口にし、クトゥグアは腹の底から飛び出そうになる嗤いを堪える。

 

 ヒトは、理解できない行動を起こす者に対し『狂ってる』と口にする。

 『狂う』とは何か、『狂気』とは何か。

 クトゥグアにとって『狂った行動』というのは、『不可解で理解できない行動』である。

 

 リーフィア・リリー・マグダウェルは、神を憎らしく思っている。だから神を殺す。

 何もおかしな事はないだろう? 理解できるだろう? 彼女は狂ってなんていない

 

 ヒヅチ・ハバリはカエデ・ハバリを愛らしく思っている。だから殺す。

 何もおかしな事はないだろう? 理解できるだろう? 彼女は狂ってなんていない

 

「皆さぁ、理解が足りないんだよねぇ」

「……? なんの話だ?」

「だってさ、考えてもみなよ、愛も憎しみも違いなんてありゃしないのにさ、皆俺の事を狂ってるだなんていうんだぜ?」

 

 ヒヅチが煙たげにクトゥグアを見て眉を顰めるのをみた彼は酷く傷ついた表情でひょうきんに笑う。

 

「おいおい、お前も俺が狂ってるって思ってんの? だったら超悲しいわぁ」

 

 俺はただ世界を真っ赤に染めたいだけなのにさぁ。等と嘯く。

 

「なぁんで誰も理解してくんないんだろうね。悲しいねぇ。そう思わないか? リーフィア」

 

 一際大きな瓦礫に向かって語り掛けるクトゥグア、彼の突然の行動にヒヅチは驚くでもなく酒瓶を掠め取り手酌で盃を満たして飲み干す。酒精が回り赤く染まる頬を撫でてヒヅチが呟いた。

 

「怒られるじゃろこれ」

「だろうなぁ」

 

 瓦礫の向こう側から響く詠唱の音。涼やかに流れるその旋律に耳を傾けたヒヅチとクトゥグアは大急ぎで酒を飲みほさんとするも、其れより早く魔法が発動した。

 吹き飛ぶ瓦礫、飛び散り飛来する破片をヒヅチが手で叩き落とし、クトゥグアは情けなく『あひゃぁ』等と悲鳴の様な楽し気な声を響かせてヒヅチの腰に縋りついた。

 弾けた瓦礫の散弾が飛び散り終わった中庭。元々が瓦礫等が散乱した場所であったが今の攻撃によって外壁の一部が崩れて音を立てているさ中、大きな瓦礫を吹き飛ばした犯人であるリーフィアが静かにカツンカツンと杖を突きながら歩いて近づいてくる。

 

「おぉう、いきなり魔法をぶっ放すとはヤベェよ、おまえ狂ってんなぁ」

 

 けらけらと楽し気に笑いながらヒヅチの腰に縋りつくクトゥグア。ヒヅチが尻尾でべしべしとクトゥグアを叩きながらも不愉快そうな視線を彼女に向けた。

 

「ワシはこ奴に誘われて酒を口にしただけじゃ。そう怒るな」

「おまえ、は……神が恨めしくないのか?」

 

 顔まですっぽり覆い隠すフードを纏った、背筋の伸びた人物。

 そのフードをめくりあげて彼女は力強くヒヅチを睨みつけた。

 

 顔に刻まれた深い皺。年月を感じさせるその容貌は、けれども醜い等という事は一切ない。

 美しく整った顔に、大樹の年輪の如き皺が刻まれいっそ美術品の様な美しさをかもしだすハイエルフの女性。

 背筋を伸ばして立つ彼女を片目を瞑って見据えたヒヅチは肩を竦めた。

 

「別に恨めしくない等とは言わん。じゃが酒を酌み交わす程度なら別に構うまい?」

「…………まあいい。ヒヅチ、対象を見つけた。『黒毛の狼人の隠れ里』だ」

 

 対象という言葉を聞いたヒヅチが眉を顰める。

 

「ヒイラギの事か、何故奴を狙う?」

 

 カエデの妹、ツツジ・シャクヤクの置き土産。残されてしまった哀れな子。

 ヒヅチ・ハバリにとってみれば意図して傷つけようとは思えない対象である。

 

「………………」

「あるぇ? 答えてあげないのかにゃぁ?」

 

 煽る様にニマニマと嗤う深紅の男神に年老いたハイエルフは静かに杖を向けた。

 

「【穿て────時の恨みを知れ】」

 

 光が弾け、光線が杖より飛び出してクトゥグアの顔の中心を穿つ寸前にヒヅチが刀を抜いて防ぐ。

 

「これ、ワシの尻尾に穴が空くじゃろ、やめんか」

 

 クトゥグアが尻尾で防御しようとし、ヒヅチの尻尾で顔を覆った事で尻尾諸共撃ち抜かれかねなくなったヒヅチが仕方なく防げば、リーフィアが苛立った様にヒヅチに杖を向けた。

 

「ソイツを庇うな」

「ワシは庇ってなんぞおらん。強いて言うなれば尻尾は庇ったが」

 

 ワシの尻尾に恨みでもあるのかと眉を顰めるヒヅチ。対するリーフィアは静かに杖を下ろしてヒヅチの腰に縋りついたまま離れないクトゥグアを睨みつけてから口を開いた。

 

「出発は十分後だ、準備しておけ……ヒヅチ、飛行船を落とすぞ」

「はぁ、ワシの式を使うのか? 別に構わんが────カエデを殺すのはワシじゃぞ?」

 

 互いに視線を交わす。老いたハイエルフと若々しい狐人(ルナール)

 視線に攻撃力が存在するのなら、きっと彼女たちの間に存在する物は一瞬で切り刻まれて消滅するに違いない。そう思える程に鋭い視線を交わし合った後、リーフィアは無言のままに立ち去る。

 その背を眺めていたヒヅチは未だに腰に縋りつくクトゥグアを見て呟いた。

 

「いつまでワシの尻を撫でとるんじゃお主は」

「いや、割と真面目に腰抜けたんだけど……」

「じゃからというてワシの尻を撫でるな」

 

 腰に縋りつく深紅の神を引きはがしたヒヅチは空を見上げる。

 

「今日も荒れそうじゃのう」

 

 

 

 

 

 

 村に続くセオロの密林に存在する獣道。

 木々の間をすり抜け、草木を切り払いながら進むヒイラギの後姿を見ながらアマゾネスの女は周囲を強く警戒していた。

 

「気を付けな、人がいるよ」

「わかってる……アタシの村に忍び込んでる奴らが居るんだ、全員叩きのめしてやる」

「【恵比寿・ファミリア】の奴だろうね。あいつら程度ならアタシでも捻れるけど、団長や副団長クラスは相手できないよ、傭兵が居ても面倒だし」

 

 ほとんどの者が神の恩恵を授からない【恵比寿・ファミリア】の団員達。彼らは非戦闘員であるが故に、護衛を雇っている可能性も高い。

 それに加えて団長と副団長は相応の実力者である。

 下手に襲い掛かろうものなら返り討ちに遭うのが関の山といったところだろう。

 それを知るが故に警戒するアマゾネスを他所に、故郷を踏み荒らされていると知ったヒイラギは知った事かといわんばかりに鉈を振るって草木を切り分けてずんずんと進んでいく。

 

「近くにあいつらの船とまってたし、あっちを襲って奪った方が早かったんじゃ」

「うっせぇな、アタシは今怒ってんだよっ」

「……静かにしな」

 

 もうすぐで村にたどり着くという寸前、木々の隙間から垣間見えた村の惨状にヒイラギが小さく悲鳴を零し、アマゾネスの女はヒイラギの首根っこを掴んで木々の影に引っ張り込んだ。

 

「ありゃ、【ロキ・ファミリア】の団長様に、うわ最悪だよ【凶狼(ヴァナルガンド)】が居やがる……腹が熱くなるねぇ」

「なぁ、怖がってんのに嬉しそうなのはなんでだよ……」

「アマゾネスってのは強い雄を見ると興奮すんのさ。ま、一度ぼっこぼこにされた相手だ、押し倒そうなんて思やしないけ────ジョゼットじゃないか、アイツもいるのか」

 

 木々の隙間から垣間見える面子を観察するアマゾネスの視界の中、【恵比寿・ファミリア】の団員らしき男が焼け落ちた家屋の中を漁っているのが見え、眉を顰めた。

 ヒイラギは気付いていない様子だが、あの様を見た瞬間に突撃かますのは間違いないだろうと予測してヒイラギの頭を掴んで見えない様に押し込んでおく。

 

「おい、頭掴むなって」

「静かにしな、見つかったら面倒だよ」

「って、そうだよ【ロキ・ファミリア】なら姉ちゃんいるんじゃ……その団長って奴に話を──」

「静かにしな、話が出来そうな雰囲気じゃないよ……【恵比寿・ファミリア】と【ロキ・ファミリア】が今すぐにでも戦闘(ドンパチ)し始めそうじゃないか」

 

 【勇者(ブレイバー)】フィン・ディムナ

 【凶狼(ヴァナルガンド)】ベート・ローガ

 【甘い子守唄(スィートララバイ)】ペコラ・カルネイロ

 【魔弓の射手】ジョゼット・ミザンナ

 

 あと一人ペコラに抱えられてる者が居るのが見えるが、それが誰であろうが関係はない。

 【ロキ・ファミリア】の名だたる第一級冒険者に第二級冒険者が居るのだ。

 

 対する【恵比寿・ファミリア】の方は護衛らしき傭兵の姿は見えず。

 いるのは招き猫の片割れであるフェーレースのどちらか一人。遠目で見るとどちらかは判別できないが、もしあれが【金運の招き猫(ラッキーキャット)】の方なら勝負にならない。

 【幸運の招き猫(ハッピーキャット)】の方なら勝てなくはないが負けもしないという膠着状態になるだろう。

 どちらにせよ今から出て行けばもめごとを加速させそうな雰囲気なのは間違いないとアマゾネスはヒイラギを強引に木の陰に捻じ込んで自分も覆いかぶさる様に隠れた。

 



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『再会』

『団長ッ!!』

『不味いな……ヒヅチ・ハバリだ』

『どうしましょう』

『逃げるが、勝ち……と言いたかったのだが。無理だな、武器を構えろ。いざとなったら私を置いてお前たちだけで逃げろ。トートには、そうだな、会えてよかった。来世でもまた一緒になりたいものだと伝えておいてくれ』

『ですが』

『良いか、もう一度言うぞ。()()()()()()()()()()()()()()()団長命令だ


 荒れ果てた村の中央。時折行われていた収穫祭等の小さな祭事に利用される中央広場にて向かい合う【恵比寿・ファミリア】と【ロキ・ファミリア】。

 警戒心を剥き出しにした【ロキ・ファミリア】に向かい合う【恵比寿・ファミリア】側は明らかに怯んでいた。

 商売系ファミリアにして非戦闘系ファミリア筆頭とまで謳われている彼らと、探索系ファミリア、それもトップクラスのファミリアである【ロキ・ファミリア】では戦闘にすらならない。

 更に付け加えるならばその探索系ファミリアの団長含め、第一級冒険者三名。準一級冒険者一名、第二級冒険者一名という過剰戦力を前にしているのだ。

 今この場にいる彼らの中で最もレベルが高いのは【幸運の招き猫(ハッピーキャット)】モール・フェーレースのみ。彼女が唯一の第二級冒険者であるが、戦闘系とは違いどちらかといえば支援系を得意とする人物である。

 真正面からぶつかり合えば間違いなく勝負にならない、がモールは頬を掻きながらも焦った様子は見えない。

 

「いやぁ、最初の質問に戻るけど、『ヒヒイロカネ』について何か知らないかい?」

 

 心当たりがあればそれだけでも教えてくれないかなと両手を合わせて小首を傾げる彼女は、胡散臭そうなモノを見る目で睨むベートの視線を浴びながらも猫を被る。

 

「頼むよ」

「……その、ヒヒイロカネかはわかりませんけど、見知らぬ剣が私の小屋の近くの大樹に刺さってました」

 

 カエデの小さく呟く様な声にモールが反応して唸る。

 

「うーん、その小屋の近くって何処だい? ぶっちゃけ、この村って結界塗れで僕らだとまともに()()()()出来ないみたいでさ」

 

 モールが遠くを歩いている団員に視線を向ければ、その団員は不自然にくねくねと曲がりながら歩いては同じ位置を調べなおすと言った動作を繰り返している。

 

「罠もあるっぽいし、まぁた助けなきゃ。後で案内して欲しいかな」

 

 ぴりぴりとした警戒心を浴びながらもモールは溜息を零して同じところをぐるぐる回っている団員の方へ歩いていく。その背を見送りながらもカエデは静かに俯いて考え込み始め、ベートは舌打ちしてから周囲を見回した。

 フィンは顎に手を当てながらモールの背を眺める。

 

「ペコラさん的に言わせてもらうとですね。ヒヅチ・ハバリさんを助ければ良いんじゃないかなぁと」

「それは難しそうだ」

 

 手を上げて発言したペコラに対し即応で否定したフィンは静かに首を横に振って振り返ってカエデを見据えた。

 

「カエデはどうしたい?」

 

 ヒヅチ・ハバリを救うか、見捨てるか。答を聞くまでもない問に対しカエデは迷う様に耳を揺らし、小さな声で答えた。

 

「助けたいです」

 

 もし彼女ともう一度会えるのなら。もう一度一緒に暮らす事が出来るのなら。

 助けたい。助けるだろうとカエデが頷く中、フィンは困った様に親指を見つめて呟いた。

 

「難しそうだね」

 

 響いた声にカエデが悲し気に耳を伏せる。それを見ていたジョゼットが静かに弓を手に取り、矢を番えて周囲を見回していた。

 

「どうしたジョゼット」

「……いえ、視線を感じまして」

「視線ですか? ……んん? 特に何もないと思うですが」

 

 首を傾げるペコラに、周囲を睨むベート。カエデもつられて視線を泳がしてそれに気づいた。

 彼女の視線の向けた先は村と森の境目。その森の奥に褐色の肌が一瞬見えたのだ。

 

「あそこ、誰かいました」

「風下の方か、匂いじゃわかんねぇな」

「団長、調べてきましょうか?」

「……カエデは此処で待ってくれ。ペコラ、ジョゼット、二人で行ってきてくれ」

 

 フィンの指示に首を傾げるカエデと不満げに鼻を鳴らすベート。二人の様子を見たフィンは小さく呟いた。

 

「嫌な予感がする。カエデとベートはいかない方が良い」

「……わかりました。ではペコラと共に調べてきます」

 

 返事をしたジョゼットがペコラと連れ立って歩いて行くのを見ながら、カエデはフィンを見て質問を飛ばした。

 

「なんでワタシが行くと不味いんですか?」

「……勘かな」

 

 フィンの言葉にカエデが首を傾げながらもジョゼットとペコラの背中を見つめていた。

 尻尾が引っ張られる感触を覚え、同時に行った方が良いとカエデの勘が告げている。しかしフィンの方が正しいではないかとカエデはその勘を斬り捨ててその場に留まった。

 

 

 

 

 

 密林の中を疾駆するアマゾネス、その腕に抱えられた黒い毛並みを持つ狼人の少女は不満げに鼻を鳴らした。

 

「なぁ、なんで逃げたんだよ」

「あん? ……勘だね。というかこの森から逃げた方が良い。多分、監視されてる」

「なんでんな事が……それよりも、姉ちゃんも居た……けどよ……」

 

 ヒイラギは静かに目を細めて最後に見た光景を思い出して呟く。

 

「あれ、本当に姉ちゃんだったのか……?」

 

 ヒイラギの知るカエデ・ハバリとは程遠い、どこかおどおどした雰囲気だった白い毛並みをした狼人の守り人は、全く雰囲気が異なっていた。

 まるで抜き身の剣そのものの様な剣呑な雰囲気を纏った────物騒な人物。

 ヒイラギの見た【ロキ・ファミリア】に居たカエデに良く似た人物は、記憶にある彼女とは似ても似つかない別人に思えたのだ。

 

「ん、水の音? 川でもあるのかね」

「川なら村の近くにあるぜ? 泥臭い魚しか釣れねえけど……」

 

 ヒイラギの言葉にアマゾネスは眉を顰めつつも川の方へ足を進める。

 脇に抱えられたヒイラギは文句を言うのをやめて俯いて考え込む。

 

「なぁ、姉ちゃんの様子が変だったんだけどよ……もしかして、なんか操られてるんじゃ……」

「さぁね。アタシは知らないよ。それよりも、川に出たね……少し休むか。どうせ気付かれてやしないだろうし」

 

 密林の中に流れる大きな川を発見したアマゾネスは近場の岩の上にヒイラギを下ろして川を眺めて目を細めた。

 

「特にモンスターの気配は無いな」

「…………」

「いつまで悩んでるんだい」

 

 耳を伏せて考え込むヒイラギの頭をひっぱたき、アマゾネスは肩を竦めた。

 

「男子三日合わざれば刮目して見よだったか? どこかで聞いたけど何日か処か数か月会ってないんだ。それも神の恩恵受けりゃ性格の一つや二つ簡単に変わっちまうよ」

「……待ってくれ、神の恩恵を受けたら性格が変わる? そんなの聞いたことないぞ」

 

 アマゾネスの言葉にヒイラギが目を見開いて驚けば、アマゾネスは面倒くさそうに肩を竦めた。

 

 神の恩恵(ファルナ)は授かるだけで授かっていない無所属(フリー)の冒険者や、ファルナを持たぬ一般兵士と殴り合えるだけの能力を得られる。得られてしまう。

 冒険者の中には、ファルナを得てそれだけの力を手にしただけで図に乗る者が多い。

 たいていの場合は先輩冒険者に叩きのめされるが、新興ファミリアや一部趣味の悪い神が主神を務めるファミリア等はあえて図に乗らせ、叩きのめされる姿を眺めて小馬鹿にする様な所も存在するのだ。

 【ロキ・ファミリア】自体は先輩冒険者が先達として教える上、調子に乗れば【凶狼(ヴァナルガンド)】が一瞬で叩き潰して現実を教え込むので図に乗る事は少ないだろうが、それでも今まで持っていなかった力を手にする事で性格が歪む者は多い。

 

「ま、そのカエデってのの性格が歪んだのか、それともアンタの前で猫被ってたのかは知らないけどね」

 

 アマゾネスからすれば、聞いた話の中の人物と今のカエデがどう違うのかなんて知ったこっちゃない。そんな雰囲気を醸し出しつつも彼女は川に近づいて水をすくって口を付ける。

 

「……飲めなくはないか? アタシは平気だけどヒイラギはやめときな」

「…………その川、あんま綺麗じゃないぞ。煮沸しねぇと腹下すし」

 

 ヒイラギの言葉にアマゾネスは肩を竦める。冒険者なら()()()()()()()()()この程度の川の水で腹を下したりはしない。よっぽど不摂生か寝不足等をしていれば話は別だが。

 

「ま、とりあえずちょっと休憩を────」

「こんにちは~」

「っ!?」

 

 岩の上からアマゾネスを見下ろしていたヒイラギの真後ろ。ヒイラギの体に影が差して暗くなった瞬間にヒイラギが振り返り、挨拶を飛ばしてきた相手を見て目を見開く。

 アマゾネスも同様に川の中から見上げ、目を見開いて頬を引き攣らせる。

 ヒイラギの真後ろから声をかけたのは真っ白い毛並みに真っ白いもこもこした毛糸のセーターを着こんだ羊人の女性。

 つい先ほどバレる前に逃げてきたはずだというのにどうして気付かれて、なおかつ追いつかれたのか訳が分からないとアマゾネスが驚く中、木々の上から飛び降りてきた軽装姿のエルフの女性がペコラの横に音も無く着地してアマゾネスを見下ろした。

 

「……貴女は何処かで、いや今は関係ないですね。ヒイラギ・シャクヤクですか?」

「姉ちゃんたちは……えっと、ジョゼット・ミザンナと、ペコラ……ペコラ・カルネーラだっけか」

「カルネイロですよ。お二人は此処で何をしているのですか?」

 

 ニコニコとした笑顔で敵意を一切感じさせずに語り掛けてくるペコラの姿にヒイラギは一瞬だけ警戒心を解きかけ、横で鋭い視線を向けてくるエルフを見た瞬間に弾かれた様に立ち上がって腰の短剣を引き抜いて構えた。

 

「うるせぇっ、村に勝手に入り込んだ侵略者に話す事なんかねぇっ! 帰れっ」

 

 威勢よく吠えるヒイラギに対し、ペコラが困った様に頬を掻く。そしてすぐに彼女は横で無愛想な表情でヒイラギをしげしげと観察するジョゼットに気付いてどついた。

 

「ちょっとジョゼットちゃん。相手が警戒しちゃってますですって」

「…………彼女が、ヒイラギ・シャクヤク……」

 

 どつかれてもなお不愛想に観察を続けるジョゼットの姿にペコラが眉を顰め、アマゾネスの声が響いた。

 

「おい、アタシを無視して話を進めんな」

「ごめんなさい、無視していた訳ではないですよ。此処で何をしていたのです?」

 

 ペコラが謝りながらも質問を飛ばせばアマゾネスは苛立った様にジョゼットを睨みつける。

 彼女の睨みつけにジョゼットが反応して首を傾げる。

 

「……私が何かしましたか?」

「あぁそうかい。やっぱ覚えてないか」

 

 アマゾネスが頭をバリバリと掻いて顔を上げた。

 

「アタシの名前はシェト・クオーレだよ……アンタが【ロキ・ファミリア】に入る前に顔合わせた事があると思うんだけどねぇ」

 

 シェトと名乗ったアマゾネスの言葉を聞いてジョゼットが眉を顰め、ペコラが口を挟んだ。

 

「お知り合いの方……えぇ、前のファミリアの? でも、その団員って神様も含めて全員追放されたんじゃ……」

 

 ペコラが記憶を掘り起こすさ中、ヒイラギは困った様に短剣を揺らしながら二人を見ていた。

 いくら子供とはいえ武器を手にした者相手に油断し過ぎではないかとヒイラギが眉を顰める中、おもむろにジョゼットがヒイラギに一歩近き、その手にある短剣をさっと奪い去った。

 

「っ!?」

「武器を下ろしてくださいと言っても聞いてもらえなさそうでしたので、没収させていただきます」

 

 気付くとか気付かない以前に、一瞬で目の前に来ると同時に手の中の短剣を奪われてヒイラギが顔を引きつらせる。

 シェトの話ではエルフの彼女があの場にいた【ロキ・ファミリア】の戦力の中では唯一の第二級冒険者。つまり一番弱い人物であったのだ。その彼女に一瞬で武器を奪われた事で言葉を失ったヒイラギが一歩後ずさろうとし、岩から落ちかけた。

 

「うわっ」

「っと、危ないですよ」

 

 落ちそうになったヒイラギの手をペコラが掴んで止め、静かに抱き寄せる。

 真っ白いセーターに包まれた腕の中にすっぽりと納まったヒイラギが目を見開く。

 

「うわ……シェト姉ちゃんよりでっけぇ……」

「おい、アンタ何がでかいって……胸か、胸なのかい?」

 

 ペコラの腕の中に納まって感動した様な吐息を零すヒイラギを他所に、ジョゼットは下から鋭い眼光でヒイラギを抱くペコラを睨みつけているシェトに質問を飛ばした。

 

「一つお伺いしたい事が、貴女が私の()知り合いだとは理解しました。記憶の片隅にある事も確認しました。其の上で一つお伺いします。貴女は何故彼女と一緒に行動を?」

「その言い草、昔と変わったねアンタ……」

 

 シェトは静かに両手を上げると事情を説明しだした。

 

「何処から話すか、って言ってもアタシも良く知らないよ。いきなり【酒乱群狼(スォーム・アジテイター)】ホオヅキの奴がそのガキ連れて現れたのさ。んで、いきなり前金300万ヴァリス渡すって言われてそのガキと一緒に押し付けられたんだよ。それ以降はそのガキのお守しながら旅してたのさ」

「断らなかったのですか?」

「断ったらどうなるか聞いたら『鉈と爪、どっちがお好みさネ? アチキは鉈をお奨めするさネ。一撃で首をポーンッてしてやるさネ』なんて言ってやがって断れなかったんだよ……」

 

 面倒くさそうに肩を竦め、シェトは静かに目を細めたのちに二人を見上げて呟いた。

 

「【恵比寿・ファミリア】【クトゥグア・ファミリア】【ナイアル・ファミリア】の三つに追い掛け回されてね。ついでに【トート・ファミリア】ってファミリアの【占い師】とは接触したよ。ま、碌な奴じゃなかったけどね。とにかく、そいつらがきな臭くて逃げ回ってたのさ」

「ふぅん……ヒイラギちゃん、今のは本当ですか?」

「ちゃん付けすんなっ。まぁ大雑把にはそんな感じだったな。久々に故郷まで帰ってきたらアンタらとアタシを追い掛け回してた【恵比寿・ファミリア】ってのが居たから見つからない様に逃げた……つか、アタシも聞きたい事がある」

 

 ペコラの腕の中に囚われたままのヒイラギが身を捩ってペコラの顔を見上げる。ペコラは腕の中のヒイラギを見下ろしながら笑みを浮かべて口を開いた。

 

「聞きたい事ってなんですか?」

「……【ロキ・ファミリア】に白毛の狼人、カエデ・ハバリって奴がいるだろ? ソイツについて聞きたい」

 

 ヒイラギの言葉にペコラが少し困った様な表情を浮かべ、笑みを浮かべ直して聞き返した。

 

「ヒイラギちゃんはカエデちゃんの事をどう思ってるですか?」

「どう? ってなんだ?」

「……嫌ってますか?」

 

 他の狼人(ウェアウルフ)達と同じ様に、カエデを嫌っているか否か。カエデの話では比較的友好的といえる態度をとっていたと口にしていた人物だが、実際の所どちらなのかペコラに判別は付かない。

 現にあの場に居たにも関わらずヒイラギはカエデの前に姿を現さなかった。其の事が少し気がかりだった彼女の質問に対し、ヒイラギは眉を顰めて不機嫌そうに鼻を鳴らした。

 

「んだよ、どいつもこいつも……アタシは別に白毛だからって気にしやしねぇっての……あんたもあんなのに関わるななんて言う口かよ」

 

 不愉快極まりないとでも言う様に不機嫌さを隠しもしない彼女が腕の中で身じろぎしたのを確認したペコラはクスクスと笑みを浮かべてからヒイラギをぎゅっと抱き締めた。

 

「いえいえ、むしろペコラさん的には『大嫌いだ』なんていわれたらどうしようかと思ってましたので。それでカエデちゃんについてでしたか。何を聞きたいです?」

「ペコラ、あまりファミリア内の話を外にすべきではない」

「良いじゃないですか、カエデちゃんの家族ですし」

 

 ペコラの『家族』という言葉にヒイラギが身を震わせ、俯いてペコラの胸に顔を押し当ててぼそぼそと呟いた。

 

「アタシなんかが家族なんて────」

「ヒイラギちゃん?」

「アタシなんかが、家族なんて、絶対に言えねぇ。悲しい想いをしてんのに何も出来なかったアタシが、家族を名乗る資格なんかありゃしねぇ。確かに心配だけど……」

 

 不安そうに震える肩をペコラが優しく抱き締めて慰める。その横で困った様にジョゼットが眉を顰めていた。

 フィンに聞いた話によれば、ヒイラギ・シャクヤクは今現在における『黒毛の狼人』、ひいては『黒毛の巨狼』の『頭脳』にあたる人物らしい。

 彼女が一言何か命令を放てば、『白牙』であるカエデはそれを拒絶できない。不用意に彼女がカエデに接触し『仲直りしてくれ』と言ったら、カエデの意図に反して彼女はヒイラギと仲直りしようとするだろうし、他にも様々な問題が出てくる可能性は高い。それを考えると彼女を連れて帰るのはリスクが高すぎる。

 かといって此処で別れるのはさらなる悪手であろう。ではどうすべきかと迷い、矢文用の紙切れを手に取り手早く筆を走らせて文を完成させて矢に括り付ける。

 

「何してんだい」

「矢文を届けようかと」

 

 手早く作り上げた矢文を弓に番え、ジョゼットは透視能力を用いて隠れ里の方に視線を向け、目を見張ってその手を止めた。

 

「どうしたんだい?」

「……隠れ里が消えた?」

 

 ジョゼットの持つスキルによって見えるはずの場所。しかし途中で真っ黒い壁に阻まれて視界が遮られて見えなくなっていた。静かに弓を下ろし、困った様に眉を顰めて今回の依頼についてを思い出したジョゼットは小さく舌打ちを零す。

 

「ジョゼットちゃんどうしたですか。不機嫌そうですが」

「失敗しました、隠れ里に帰れなくなりましたね」

「えぇっと、どうしてまた……あぁ、なるほど」

 

 腕の中で不思議そうに首を傾げるヒイラギの頭を撫でながらペコラは曖昧な笑みを浮かべて呟いた。

 

「村の関係者と一緒じゃないと入れないんでしたっけ」

「今はカエデさんと一緒に居ないので無理ですね」

「そうだよカエデ姉ちゃんっ! 姉ちゃんはどうしたんだよ、なんかアタシの知ってる姉ちゃんと別人みたいになっちまってんだ。神の恩恵を受けたら皆あんなふうになっちまうのか……?」

 

 カエデという名に反応して騒ぎ出したヒイラギに対しペコラとジョゼットが顔を見合わせて困った表情を浮かべる。

 そこに川から上がってきたシェトが加わるも二人はどう説明すべきか言葉に迷っていた。

 

 カエデの変調の原因は間違いなく【ハデス・ファミリア】との一件。

 それも【処刑人(ディミオス)】の殺害による心境の変化であろうことは間違いない。だがそれをヒイラギに説明して良いモノか迷った後にペコラはヒイラギを優しく諭す様に撫でながら口を開いた。

 

「確かに人によってはちょっと乱暴者になったりしますけど、カエデちゃんはそんな事ありませんでしたよ。入ってきた直後なんてすごいオドオドしてましたし」

 

 見るモノ全てに驚き、感動し、それを押し殺して生きる(足掻く)のだと言い切っていたカエデ。

 今は見る影もないがそれでも懐かしいと思いながらペコラがそう呟けばヒイラギが困った様に眉を顰めた。

 

「今、アタシは姉ちゃんと会って良いのかわかんねぇ。勘は、会うべきだって言ってる。でも、会わない方が良い気がするんだ。なんとなくだけど」

 

 そんな呟きを零すヒイラギを見下ろしながらペコラは静かに腕の中から彼女を解放して距離を置いた。

 

「ペコラ?」

「ヒイラギちゃんが()()()()って言うなら一緒に行きましょう。【恵比寿・ファミリア】は確かに怪しいですし、ペコラさん達が守ってあげます」

「……一応、アタシが護衛なんだけどね?」

「貴女、主神が居ない今は恩恵の効力は消えているでしょう」

 

 ないよりゃマシだと反発する様に呟いたシェトを見たジョゼットは迷う様にあごに手を当て、静かに頷いた。

 

「仕方がありません。このままヒイラギさんを連れて合流しましょう」

 

 そもそも、彼女を連れて行かなければ隠れ里に入る事も出来ないのだから。

 

 

 

 

 

 村人の視線に怯えながら歩いた道を歩きながら、カエデは考え込んでいた。

 あの頃とは変わった世界。石ころが飛んでくる事は絶対にない安全な道になった村の中。

 視線を感じはすれど畏怖も軽蔑も無い。【恵比寿・ファミリア】の団員はカエデが歩き回っていても何かを言うでもなく淡々と『緋緋色金(ヒヒイロカネ)』を探している、らしい。

 時折、同じ場所をぐるぐると回りだしたりしている者もおり、そういった者はモールが気付き次第声をかけている。

 カエデも知らぬ事だが、この村にはいくつもの罠が仕掛けられているらしい。それも相当面倒なタイプの代物が。

 幻覚罠。迷子罠等、殺傷能力は一切ない代わりに、自分一人では抜け出せないと言った危険度の高い罠が仕掛けられている、らしい。

 【恵比寿・ファミリア】の団員達は時折そういった罠にはまって幻覚を見せられて同じ場所を犬の様にくるくると回りだすのだ。周りから見る分には滑稽だが自分が引っかかったらと考えると恐ろしいなとふんわりと考えたカエデは、静かに後ろを振り返った。

 

「どうしたんだい?」

「…………」

「なんでもないです」

 

 とぼとぼと隠れ里の内に存在する道を歩くカエデの数歩後ろをフィンとベートが歩いて続いている。

 一人で行動すると彼らと同じように罠にかかってしまうからと二人はカエデの傍を離れようとしない。

 どうやら此処に仕掛けてある罠は全てカエデやこの村の住人には危害を加えず、外部から来た部外者にのみ発動する様に仕掛けられているらしいのだが……。

 

 一体だれが仕掛けたのだろう?

 

 こんな罠を仕掛けられるのはヒヅチ・ハバリを置いて他に存在しない。そもこの辺りの罠は極東に伝わる妖術の分類に当たる罠ばかりである。だが、この村が襲撃された際には無かったモノだ。

 何故ならこの罠があったのなら村人の一人二人生き残っていてもおかしくはない。

 つまり襲撃されてから誰か────ヒヅチがこの村を訪れたという事を意味する。

 

 何故ヒヅチはカエデの前に姿を現さないのか?

 

 【クトゥグア・ファミリア】の主神である神クトゥグアに『狂気』を植え付けられた上で操られているから。助ける為に動きたい。もし会えるのならそうしたい。

 しかし、モールはこう口にしたのだ。

 

『キミはヒヅチ・ハバリに会うべきじゃない』

 

 それだけではない。

 

『キミはヒイラギ・シャクヤクに会うべきじゃない』

 

 血の繋がった妹と、育て親である師。立て続けに関わりのある二人に『会うな』と告げられてどうすればいいのかわからなくなってしまった。

 

「おい、なんか言えよ」

 

 振り向いて以降視線を向けていれば、ベートが不愉快そうに鼻を鳴らした。それを聞きながらもカエデは困った様に頬を掻いた。

 

「ワタシは、どうすればいいんでしょうか」

「あぁ? どういう意味だ」

「……ヒヅチを助けるべきじゃないんでしょうか。ヒイラギと、会わない方が良いんでしょうか」

 

 ヒヅチ・ハバリと会うと殺される。彼女は狂わされていて、カエデの命を狙っている。

 ヒイラギ・シャクヤクと会うと酷い目に遭う。理由は説明されていない。

 カエデにはどうすればいいのかわからないのだ。

 

「ヒヅチに会ったら、殺される……ワタシじゃ、きっと何も出来ない」

 

 狂わされているのなら、どうにかしてあげたい。けれどもヒヅチが本気で殺しに来るのであれば、どうかんがえても弟子であったカエデでは抵抗も出来ない。何度脳裏に戦いの場を抱いてみても一瞬で斬り伏せられて殺される自分の姿しか浮かばない。

 

「……はぁ、何もお前一人で行く必要はねぇだろ」

「そうだね。僕らも一緒に行けばいい」

 

 二人の言葉を聞いた上で────全員纏めて一緒くたに斬り伏せられる姿が脳裏に浮かんだ。

 それを言わずに黙って頷き、カエデはきゃっきゃと喜びながら走り回るモールの姿を見つけて首を傾げた。

 

「モールさん、何か見つけたみたいですね」

「みたいだね」

 

 ベートがあからさまに面倒くさそうな表情を浮かべた瞬間。モールがパタパタと駆けてきてフィンとカエデの前に一本の刀を突き出して溢れる笑顔で言い放った。

 

「これだよ、これ、ヒヒイロカネ!」

「これが……? 聞いた話だと錆びたりしない不変性を持つ金属だって聞いたけど」

 

 モールの持つ刀は先程カエデが見つけたモノと同一のモノであった。あの小屋の場所を教えてからしきりに其方の方に足を運んでいたので見つけたのだろう。というよりカエデに言われるまで小屋の存在を忘れていたらしい彼女は嬉しそうに朽ちた刀を両手で大事そうに持って鼻歌を歌いださん勢いで興奮していた。

 

「いやいや、これは心金がヒヒイロカネなだけで表面はただの鉄材さ、この鉄材を溶かして剥がしたその下にヒヒイロカネがあるのさ」

 

 モールの言葉にカエデはまじまじと、木に突き刺さっていた時に遠目でしか見ていなかった刀を近くで観察して、目を細めて首を傾げた。

 本当にこれが極東に伝わる伝説の金属なのか。

 

「……それを使えばホオヅキさんの封印を解けるんですか?」

 

 カエデの質問にモールはうんうんと首を勢いよく縦に振った。

 

「そうだよ! これがあればホオヅキもキーラも助けられるっ!」

 

 興奮し過ぎではないかという程に頬を紅潮させる姿にカエデは流石に一歩後ずさる。

 なんというか、不自然なぐらいの喜びようだ。

 

「はん、そんなのが本当に役に立つのか……つか、依頼はこれで完了だろ。さっさとオラリオに帰ろうぜ」

「おっと、そうだった……っと、そういえばキミらの所の射手君と歌姫ちゃんは?」

 

 モールの質問にフィンが答えようと口を開こうとしたところで、横合いから声がかけられる。

 

「ペコラさん達をお探しですか?」

「ただいま帰りました。すいません、少し遅くなりまして」

 

 いつも通りの白いもこもこセーターに身を包んだペコラ・カルネイロと、軽装姿で弓を片手に持つジョゼット。

 そしてその二人の後ろで頬をぽりぽりと掻いている黒い毛並みの女の子。カエデも見覚えのある彼女の姿に思わず目を見開いていれば、その女の子は恐る恐ると言った様子で片手を上げた。

 

「よ……あー、久しぶり?」

 

 彼女の横にアマゾネスの女性が居たが、カエデの視線はヒイラギに固定されていた。

 会うべきじゃない。そういわれた彼女が唐突に目の前に現れてカエデはどうすればいいのか更にわからなくなった。

 



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『恐怖』

『命令無視が目立っていたが、今は大人しいな』

『隷属の刻印ねぇ、()()相手にそんなの持ち出すなんてお前狂ってるぜ』

『黙れクトゥグア。あ奴はアレで縛らねば命令を聞かぬのだ』

『……ヒヅチの事を道具かなんかだとでも思ってんのかね』

『何を言う。あ奴も()()()()()()()だ』

『あぁ、そうだったな』

全ての神を殺し尽くす。地上は神々の遊び場ではない、我々人の世界だ』


 セオロの密林の領域内。

 怪物避けの結界と人避けの結界の施された黒毛の狼人の隠れ里。

 既にほとんどの家屋が焼け落ちて廃村と化しているその村に現存している数少ない家屋の一つ、小さな村にしては不相応に大きな鍛冶場の隣接した家屋。

 踏み荒らされた形跡はなくとも数か月間放置された事でうっすらと埃の積もっていた。

 ヒイラギが最低限一部屋だけ掃除をして皆を招き入れたその部屋の中には家主たるヒイラギに加え、彼女の護衛として雇われた傭兵のシェト、そして【ロキ・ファミリア】の面々と【恵比寿・ファミリア】のモール一人が入っていた。

 大きめのテーブルに椅子が四脚。座っているのはヒイラギ、フィン、モール、そしてカエデだ。

 不機嫌そうにモールを睨むヒイラギとシェトに代わり、フィンが口を開く。

 

「それじゃあ情報交換をしようか」

「アタシは別に構やしないけど、そっちの恵比寿ンとこの奴、お前はどういう積りでアタシらを追いかけ回してたんだ」

 

 ヒイラギではなくシェトが代わりに口を開き、モールを睨みつける。交渉するというよりは今すぐにでも殴りかかりそうな雰囲気にカエデが胡乱気な視線をシェトに向ける。

 此処はあくまでも話し合いの場であるにも関わらず殺意や害意を隠そうとしない彼女の行動はいささか度が過ぎる。

 

「あはは、悪かったよ。君たちとはぜひお話がしたかったんだ。本当はもっと落ち着いて話したかったんだけど、【クトゥグア・ファミリア】や【ナイアル・ファミリア】には先を越されるわけにはいかなくて少し強引に捜索し過ぎたんだ。謝るよ」

「……なあ、なんでアタシを追うんだ? 確かにこの村がアンタ等の管理下にあったのはわかった。それはつまりなんだ、アタシもアンタ等の所有物だって言いたいのか?」

 

 ヒイラギの警戒しきった発言にモールが頬をポリポリと掻きながら呟く。

 

「警戒されるのもわかるけど、僕らは決してキミを物として扱う気はないんだ。信じて……はくれなさそうだね」

 

 自身のふわっとした緩い雰囲気の身形等は商売人としてモールが身に着けたモノであるが、それが彼女の警戒心を引き上げる原因だと気付いて表情を引き締めてヒイラギを真っ直ぐに見つめてモールは再度口を開いた。

 

「悪かった。事情があるとはいえキミを追い掛け回す真似をして……その事情について洗いざらい話すよ」

「当たり前だ。全部教えろ、アタシが()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ヒイラギがカエデに声をかけた後、カエデがどう返事をしようか迷っている間にモールはカエデとヒイラギの間に入り込んで言葉を交わす事を禁止した。というより言葉を交わしたら大暴れすると宣言し二人が会話を交わす事を妨害したのだ。

 それが気に食わないと言い切ったヒイラギ。対するカエデは逆にありがたいと思っていた。自身の血の繋がった妹とはいえ、カエデからすれば見知らぬ他人と変わりはしないのだ。

 

「んー……わかった。理由を話す、というか今この場で君の言葉がどれだけ危険なモノか把握してもらわなきゃいけない」

「アタシの言葉が危険……?」

 

 モールの言葉に狼人の少女が明らかに不愉快そうに眉を顰めるのを見たシェトも警戒心を強める。彼女の身になにかあればホオヅキに殺される。というか封印されて行動不能だと言われても彼女なら何とかして抜け出してきてぶっ殺しに来るだろうと予測するアマゾネスの過剰な警戒はモールにも伝わり、呆れの笑みを浮かべさせた。

 

「あー、協力者としてカエデちゃんが必要だ。カエデちゃんさえ良ければ今この場で試す事もできるけど、どうする? ……保護者のフィンの許可もいるかな?」

「カエデに危険が及ばないのならそれで構わないよ」

 

 伺う様にカエデとフィンを見るモールの言葉にフィンは少し考えてから返事を返し、カエデは迷う様にヒイラギとモールの間に視線を泳がせる。

 その様子を見たモールは尻尾でテーブルの端をトントンと叩きつつも笑みを浮かべた。

 

「命の危険はないという事を保障しよう。信じるかは別としてだけど……」

 

 モールの言葉を聞きながらもカエデは自分の尻尾を抱き寄せてヒイラギを見据えた。

 平気だと訴えかける様に尻尾を優しく撫でられる感触もするし、危ない感じもする。何よりヒイラギを見る度にゾワゾワとした不思議な感じがする事に気付いたカエデは若干の警戒心を持ちつつもしぶしぶ頷いた。

 

「別に、協力してもいいです」

 

 何をやらされるのか警戒心を抱きつつもモールを伺うカエデに対し、モールは苦笑を浮かべた。

 

「あー、カエデちゃんは何もしなくていい。()()()()()()()()()()()。ヒイラギちゃんは、カエデちゃんに簡単なお願いをしてほしいんだ」

「……なんだそりゃ? ふざけてんのか?」

「まさかまさか、ふざけてなんていないさ」

 

 ベートの言葉にモールは両手を上げて降参を示す。その様子を見ていたヒイラギが首を傾げつつもカエデの方を見て何を頼むか考えこみ始め、モールが補足した。

 

「あ、死ねとかは絶対に禁止。後はカエデちゃんが傷つきかねないお願いも絶対にダメ。そうだね……『三回回ってワンと鳴け』とか『語尾にニャを付けろ』とかかなぁ」

「そんなお願いで良いのかよ……じゃあ、カエデ姉ちゃん、悪いけど三回回ってワンって鳴いてくれ

「わかりました」

 

 しぶしぶと言った様子でヒイラギがカエデに声をかけるとカエデが即答し、椅子からさっと立ち上がってくるくると小さくその場で回ってからワンと大きく鳴いて首を傾げた。

 

「これでいいですか?」

「…………なぁ、なんの意味があったんだ今の」

「カエデちゃんが三回回ってワンと鳴いただけですけど」

「馬鹿じゃねえのか?」

 

 胡乱気な視線をモールに向けるヒイラギ。不思議そうに首を傾げるペコラ、カエデの行動を鼻で笑うベート、三人の反応にカエデが首を傾げる中、フィンは顎に手を当てて考え込む。

 今のヒイラギの頼みではカエデが『とりあえず自分の意思で実行した』のか『命令に逆らえずに実行したのか』がわからない。もっとカエデが絶対に行わないであろう事を頼まなくてはどちらなのか判別がつかないのだ。

 

「ヒイラギ、だったかな。君にお願いがあるんだカエデに僕を叩く様にお願いしてくれないかな?」

「はぁ? アンタを叩かせる?」

 

 カエデは無暗やたらと暴力を振るう事を良しとしない。きっと()()()()()()だろうというお願いを頼んだフィン。それを聞いたヒイラギは耳をピンと立ててからモールを伺えば、猫人は苦笑しつつも頷いた。

 

「意味わかんねぇ。姉ちゃん、そのフィン・ディムナって奴を叩いてくれ」

わかりました

 

 先程と一切変わりない即答。

 雰囲気も特におかしな事はない。だというのにカエデは真っすぐフィンの前に行ってフィンの頬をパンッと叩いた。

 

「これでいいですか?」

「あー……今ので何がわかったんだ? そいつが被虐趣味(マゾヒズム)かもしんないってのはわかったが」

「申し訳ないけど僕に被虐趣味(マゾヒズム)はないよ」

 

 フィンの否定の言葉を聞きつつも意味がわからないと首を傾げるヒイラギを他所に、ペコラとベートは眉を顰めてカエデを見ていた。

 

「カエデちゃん?」

「おい、お前変なモンでも食ったのか?」

「……? 何がですか?」

 

 変わりない様子で普段の言動から考えられないような行動にでたカエデに対し違和感を覚えたペコラとベートの言葉にカエデは意味がわからないと言う様に首を傾げる。

 叩かれた頬を撫でていたフィンは顔を上げ、ペコラを見た。

 

「もう一度、今度は……そうだね、ペコラ、少し痛い思いをするかもしれないが、確かめたい事がある」

「痛い思いですか……? まぁペコラさんはそうそう怪我なんてしませんし何をするのか知りませんが団長の言う事なら別に構わないですよ」

「あぁ、すまない。それじゃあ今度は、カエデにペコラを斬ってくれと頼んでくれないかい? ああ、手加減する様にも頼むよ」

「はぁっ!? お前正気かよっ!? 意味わかんねぇんだけどっ?!」

 

 フィンの理解不可能な頼みにヒイラギが目を見開いて驚き、ベートも眉を顰める。

 カエデがペコラを攻撃するというのは鍛錬以外ではありえない。この場で鍛錬をしろとでも言うのかとカエデがフィンを伺えば、フィンはカエデを見て口を開いた。

 

「カエデ、君は()()()()()()()()()()()()()()()()。わかったかい?」

「はぁ……えっと、どういう意味でしょうか?」

「言葉通りの意味さ。キミはペコラを攻撃しない様にしてくれ」

 

 大きく首を傾げるカエデに笑みを向けてから、フィンはヒイラギを見据えて大きく頷いた。

 

「頼むよ」

「はぁ……アンタ何処か頭でも打ったんじゃね? まあ、()()()()()ならいいけどよ。姉ちゃんその羊人を斬ってくれ。弱めに

わかりました

 

 先程と変わらぬ即答。ジョゼットやベートがカエデの違和感に気付くも遅い。

 ペコラは目を見開いて驚きながらも狭い室内で小器用に大剣を抜刀しざまに自身に振り抜かれんとした大剣の一撃をその身で受け止めた。

 ポスンッという軽い音。手加減されていたらしくペコラの腹に当たった大剣はほんの少しだけペコラに衝撃を与え、スキルの効果で無力化されて損傷(ダメージ)を与える事はしていない。

 

『────はぁ?』

 

 一同が驚愕を示すさ中、カエデ只一人が何事も無かった様にヒイラギを伺い、口を開いた。

 

これでいいですか?

「おいカエデ、テメェどういうつもりだ」

「……? 何が────あれ?」

 

 ベートに詰め寄られ、自身が大剣を抜き放ってペコラに向けた事に気付いたカエデが一瞬で青褪める。

 その様子を見ていたペコラが両手を振って健在を示す横でヒイラギが口を開けたまま呆然としており、シェトがおかしなものを見たとでも言う様に肩を竦める。

 

「なんだいそのガキ、頭おかしいんじゃないかい? たかが妹のお願いで仲間に斬りかかるなんて、信じらんないね」

「僕も、正直信じられないね。嘘じゃないみたいだ」

 

 青褪めた顔でペコラに頭を下げるカエデ。ペコラは気にしていないと口にするさ中にベートが椅子の一つを蹴り壊してヒイラギを睨みつけた。

 

「テメェ、カエデの妹だかなんだか知らねぇが、コイツに何しやがった」

 

 明らかにおかしかった。鍛錬として武器を向ける事はあれど、無抵抗の相手に唐突に斬りかかるような真似をする性格でもなければ、血が繋がっているとは言え妹の頼み如きで仲間に武器をむけるはずがない。だというのにカエデは()()()()()()()()()()()()()()()()()()ヒイラギの頼みを聞いてペコラに斬りかかった。

 

「ま、まってくれ、アタシも意味がわかんねぇよ。なんで姉ちゃんは斬りかかったんだ、そいつは斬るなって言って────」

「ストップだ、それ以上ヒイラギちゃんは何かを口にするべきじゃない」

 

 気が動転しているらしいヒイラギが慌てて言い訳を口にしようとした瞬間、モールがそれを止める。彼女が危惧しているのはこのままヒイラギが口を滑らせ、結果的にカエデの暴走を招く事だ。

 明らかにおかしいと気付いたヒイラギも口を閉ざし、青褪めたカエデがペコラに謝る声とそれをなだめるペコラの声のみが室内に響く。

 

「……今ので理解できたかな? カエデちゃんは気にしなくていいよ。ペコラちゃんも怪我してないみたいだし、今のはフィンが悪いだろうしね」

「そうだね、頼む様に指示したのは僕だ。カエデは気にする必要はない」

「でも……」

「おい、今のはどういう事だ」

 

 声を上げたベートに視線が集まり、ベートはヒイラギを強く睨んだ。明らかに()()()()()()()()()()()()()()()と判断したベートの睨み付けにヒイラギが小さく悲鳴を零す横でモールが両手を叩いて間に割り込んだ。

 

「はいはいストップストップ。後は僕が説明する」

「どういう事だい?」

 

 シェトの言葉にモールは肩を竦め、白牙(カエデ)頭脳(ヒイラギ)の関係を掻い摘んで説明した。

 説明を聞いたカエデが青褪め、明らかにヒイラギに対して怯えた表情を浮かべ、次の瞬間にはヒイラギの言葉を聞かない様に耳を塞いで部屋を飛び出して行ってしまう。それを見たヒイラギが口を開こうとし、閉ざした。

 二人の様子を見ていたペコラが困った様に頬を掻き『カエデちゃんを追います』と言って出て行き、ジョゼットとベートが警戒を露わにする。フィンだけは静かにモールを睨んで牽制しており、モールは肩を竦めて口を開いた。

 

「まあ、ここに居ても仕方ない。とりあえず船に戻ろう……ヒイラギちゃんはさっきも言ったけどカエデちゃんに余計な事を言わない方が良い。例えば────敵を倒してくれとか、そんな簡単なお願いも、しない方が良い」

 

 もし、『死ね』と冗談で口にしようモノなら。カエデ・ハバリは先程自らの首を短刀で抉り死んだヒヅチの式の様に自らの首を抉って死ぬだろう。そういった事を防ぐ為にもヒイラギを預かるとモールが口にした瞬間にフィンはモールを見据えて首を横に振った。

 

「それは出来ない相談だ。彼女は僕らが預かる」

「……どうしてだい?」

「ヒイラギ・シャクヤクを通じてカエデを操るつもりかもしれない」

 

 フィンの言葉にモールは困った様に笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 

 カエデは乱れた『丹田の呼氣』を必死に整えながら大木に縋りついていた。

 自身の生まれ故郷、ヒヅチと過ごした小屋、荒れ果てた隠れ里、血の繋がる妹との再会。

 様々な出来事が走馬燈の様に脳裏を駆け巡り、最後にたどり着くのはペコラに斬りかかる己の姿。

 なんの疑問も抱かなかった。ヒイラギの言葉に、逆らおう等という意思は生まれなかった。

 ただ、ただお願いされたから()()()()()()()()()

 

 斬ってから、ベートに詰め寄られてようやくカエデは自分の仕出かした事に気付いた。

 

 妹にお願いされた事を何の疑問も抱かずに聞き入れる自分に気が付いた。

 

 恐ろしい。彼女の言葉が、何よりも恐ろしい。

 自分が抱いたモノが、自身の掲げる目標が、何もかも全てが、自身の命ですら彼女の言葉の前では塵と化す。

 意味が無い。フィンに言われた通り、最初は攻撃しない様にしようと思っていた。それが何処かに消え去った。ただの頼み事一つで、カエデの思考の端に引っかかっていた『攻撃するな』という指示は消え去り、ペコラに剣を振り抜いた。

 ペコラに申し訳ないと思う。だがそれ以上に恐ろしい事に気付いてしまった。

 

「もし、もしも……死ね(諦めろ)って言われたら」

 

 背筋が凍り付き、氷柱を差し込まれた様に足が震えた。呼氣が乱れ、立っていられなくなる。

 文字通り()()()()()()()()()()()()()()()()どうなってしまうのか。

 

 ────違和感なくそれを受け入れてしまうかもしれない。

 

 ペコラ・カルネイロに武器を振るう様に。

 

 カエデ・ハバリという自己同一性(アイデンティティ)はヒイラギの言葉一つに犯され、壊されてしまう。

 何よりもそれが恐ろしかった。

 

 血の繋がった妹。余裕があれば少しは助けてもいいかもしれないとほんの少しだけ考えた彼女が、何よりもカエデ・ハバリという存在を脅かす存在だと知り、どうすればいいのかわからなくなってあの場から逃げ出してしまった。

 自分自身の全てを脅かす敵だと認識した。けれども彼女に武器を向けようと思えない。そもそも、彼女に()()()()()()()()()()()()()()()()()

 守るべき対象であり、命を賭して守護し、命令に従い、そして我が身を砕かれるのを良しとする。そんな思いが何処からともなく溢れてくる。

 

「ワタシはっ、ワタシは……生きる為に、だから……」

 

 彼女に関わるべきではなかった。モール・フェーレースの言葉は正しかった。

 カエデ・ハバリはヒイラギ・シャクヤクと出会うべきではなかった。

 溢れ出てくるわけのわからない思考。これは自分のモノか? この考えは、師の教えを真っ向から否定し、自分の意思を、考えを全て投げ捨てて彼女に従う事が本当に正しいのか?

 

「カエデちゃん、大丈夫ですか」

 

 荒い息を吐きながらも巨木に縋りついていたカエデに追いついてきたペコラが背中に声をかけてくるも、カエデは二重の意味での申し訳なさから振り返る事は出来なかった。

 斬りかかった事、そして斬りかかっておきながらその後の話で真っ先に自分の心配をした事。ペコラに合わせる顔が無いとカエデが彼女に背を向けたまま震えていれば、ペコラがカエデの真後ろにまで歩み寄ってきて静かにカエデを抱き締めた。

 

「大丈夫です。ペコラさんは強い子ですのでカエデちゃんの攻撃程度ではびくともしませんし」

 

 カエデが振るったのは攻撃能力が普通の『百花繚乱』である。それに加えてちゃんと手加減されていた。其の為、ペコラが受けた衝撃はほんの少しお腹を叩かれた程度の軽いモノ。斬られたという程ではない。

 もしこれが『薄氷刀・白牙』であったのなら、ペコラは重症を負っていた可能性すらあるが、そうはならなかった。

 だからこそペコラは気にしていないとカエデを優しく抱き締めるが、カエデは首を横に振った。

 

「違うんですよ、ワタシは、ワタシが、今気にしてるのは……ワタシの事なんです」

 

 ペコラに斬りかかっておきながら、自分は自分の心配をしている。謝りはした、けれども人に斬りかかるという行為をしておきながら相手の事を忘れて自分を心配するのは、人としてどうなのか。

 それ以前に────

 

「ワタシが、寿命を手にした暁には、どうすれば良いのか考えたんです」

 

 捕らぬ狸の皮算用である。無駄な行為だ、けれども考えずにはいられなかった。

 順調、というにはいささか山や谷が多かった様に感じるものの、わずか半年にも満たない帰還で準一級(レベル4)まで駆け上がる事を可能とした自身ならばこのまま第一級(レベル5)に、そしてその先に行き潤沢な寿命を得られるのではないか。

 それを得た暁には何をしたいのか。

 

「妹が生きてるって聞いて、ほんの少しだけ────あの子なら受け入れてくれるんじゃないかって」

 

 森の中、小怪物(ゴブリン)に襲われている所を助けた。

 その際に共にいた少年はわからないが、少なくともヒイラギはカエデを嫌う仕草をしていなかった。他の者なら、自身の存在に気付いた時点で悲鳴を上げて逃げ出すか、礫を投げつけてくる。それをせずにいてくれただけで、嬉しかった。

 もし、もしも寿命を得る事ができたのなら。その暁には彼女と共に暮らしてみたいとも、考えた。

 家族と呼べる者なんてヒヅチしかいなかったから。彼女と共に、なんてほんの少しだけ考えた。

 

 しかし。

 

「怖い、あの子が怖い……ワタシがワタシでなくなるのが怖い……」

 

 ペコラ・カルネイロを斬ったあの時、自分は自分でなかった。何故、どうして、理解できない。それが当たり前だと受け入れていたあの瞬間の自分自身を受け入れる事ができない。

 

「ワタシじゃない、でもワタシが、ペコラさんを斬ったんです……」

 

 信じられない。信じたくない。

 ヒイラギの言葉一つで、カエデという全てを打ち壊して別の何かにしてしまう。何かになってしまう事が恐ろしい。その恐ろしさが────他でもないヒイラギに向けられている。

 恐ろしい、怖い、恐怖が体を縛り付け、息が出来なくなる。

 

「ワタシは────ヒイラギが怖いです」

 

 この世界で唯一、血の繋がった存在。カエデを受け入れてくれるかもしれない稀有な存在。

 だというのに、その存在はカエデの自己同一性(アイデンティティ)を脅かす。それが恐ろしくて、同時に申し訳なかった。

 

「妹なのに、怖いなんて思うのが、申し訳なくて」

 

 涙が溢れ出てくる。後ろから抱き締めていたペコラが優しく拭っても、拭っても溢れ出てくる涙は枯れる事なく零れ落ち続ける。

 

「なんで、なんで()()じゃないの……。普通だったら」

 

 家族を殺され、傷を負った妹。家族と離れて生活していた自分。

 もし普通なら、再会を喜び、無事である事に互いが安堵し合い、抱き締め合い、分かち合う事が出来たかもしれない。

 けれども、カエデとヒイラギは普通ではない。普通ではいられない。

 

「もっと、普通の人だったら良かったのに

 

 類い稀なる比類無き戦闘への才能なんていらない。特別なんてモノはいらなかった。

 ただ、普通に家族が居て、温かな家庭があって、怯える必要のない、そんな生活が欲しい。

 

「どうして……」

 

 どうして自分が、ヒイラギが普通ではないのか。

 響く慟哭を静かに聞き届けたペコラは優しくカエデを抱き締めた。

 

 

 

 

 

 セオロの密林へ続く街道。横転した馬車と轢き潰された馬の死体、飛び散った肉片が日に照らされて怪しく輝くその場所。

 【トート・ファミリア】の団長である【占い師】アレイスター・クロウリーは手にした【タロット】を振るい、火球を生み出して敵を攻撃した。

 

「しっ」

「ふむ。符術とは違う様じゃな。興味深いぞ」

 

 生み出されたのは人の頭程の大きさの火球。それも一つや二つではない無数の火球が敵として立ちふさがる人物に降り注ぐも────その人物は懐から札を数枚取り出して投げただけで火球を打ち消した。

 

「極東の退魔札か」

「ほう、なかなか造詣が深い様じゃな」

 

 体躯に対して非常に多き過ぎる古臭いローブ姿にぼさぼさの髪。巻き角についた羽飾りを揺らすアレイスターに対し、対峙しているのは極東の民族衣装姿の狐人(ルナール)の女性。

 両手に持てるだけのタロットカードを手にしたアレイスターは引き攣った笑みを浮かべつつも目の前の女性を観察し、呟く。

 

「魔剣かと思っていたが、術符を張り付けた鉄剣とは恐れ入った」

 

 狐人(ルナール)の女が右手に持っているのは無数の術符の張り付けられた鉄製の片刃の剣。

 極東で使用される刀という武装。切れ味こそ鋭いモノの、耐久はオラリオの一般的な剣に比べて脆いのが特徴であるその刀から、バシバシィッと紫電が迸っている。

 

「ふむ、属性符と言ってな、武器に張り付けてつかうのだ。この様にな」

 

 新たな符を取り出して刀に張り付ける。それだけで彼女の持つ刀から炎が迸り、刀身が深紅に染まった。

 燃え上がる刀身に照らされ、足元に滴っていた血がジュウジュウと音を立てて焼けていく。

 

「あぁ、火はやめてくれ。私の仲間をこの場で火葬されるのは困る」

 

 抗うアレイスターと対峙する狐人(ルナール)────ヒヅチ・ハバリ。

 二人の周囲には【トート・ファミリア】の精鋭たる情報収集を担当していた冒険者の屍が散乱していた。

 胴体を切断された者、頸を斬られた者、胸に風穴の開いた者。

 一人とて例外なく即死させられた仲間の姿をちらりと見ながらもアレイスターは盛大に焦りながらタロットを切った。

 濁流の如き勢いで溢れ出した白い霧が周囲を覆い尽くし、アレイスターとヒヅチの視界を潰し────ヒヅチの刀が振るわれ、一瞬で霧が払われる。

 

「霧掃いの太刀、か」

 

 目くらましを一瞬で破られたアレイスターは目を細め、次の行動をどうすべきか思考する。

 

 唐突に襲撃をしかけてきたヒヅチに対し仲間に逃げる様に指示をだしたモノの、結果としてアレイスター以外の者は一瞬で斬り伏せられて生き残ったのはアレイスターただ一人。

 そのアレイスターも持ち得る手札を全て切り尽くす勢いで切ってなお、まるで手も足も出ないかのように追い詰められていた。

 

「まてまて、極東の戦士はそんな化け物揃いなのか。恐ろし過ぎるだろう」

 

 さしたるアレイスターも飄々とした態度を崩さざるをえない。

 目の前に立つのは────千年前、神の恩恵無くして怪物と渡り合った英雄の一人。それも神々が熱狂した彼の大穴を塞ぐ蓋の建造劇を繰り広げた英雄。

 彼女の持つ技術も、そして彼女が扱う道具もどちらも現代では失われた代物ばかり。

 

 剣一つで霧を()()()()。符術を用いた剣への属性付与。符術を用いた魔法の無効化。

 それに付け加えるのなら────

 

「もう終わりかの」「あ奴は警戒しろと口をすっぱくしておったのだがな」「警戒し損というやつか」

 

 目の前に立つヒヅチのほか、全く同一の姿形をした人物が三人、アレイスターの左右と背後に立っていた。

 四人のヒヅチに囲まれたアレイスターは無数の切れ込みの入ったローブから残りのタロットを全て掴み取る。

 

「あぁ、式神、確か現代では式とだけ呼ばれるんだったかな。全く、昨今の時代においてそんな古臭い技術を、それもかなりの精度で行えるなんて冗談はよしてくれ」

 

 自身を取り囲む四人の()()()()()。ヒヅチ・ハバリの本体はアレイスターの視線の先、横転して中身をぶちまけた馬車の上に腰かけてぼんやりとした空虚な表情を浮かべて空を眺めていた。

 首に取り付けられた頑丈な首輪。頬にまで及ぶ入れ墨の様な模様。アレイスターは確信と共にヒヅチ・ハバリを見据えて呟いた。

 

「隷属の刻印で抵抗できなくされて命令に従わざるをえなくなっているのか。哀れだな……」

 

 自身を囲む四つの式。それを操るヒヅチ・ハバリ本人は()()()()()()()()()()

 

「ははは、操り人形が人形劇をするだなんて洒落がきいてるよ……」

 

 取り出したタロットが独りでに灰となってボロボロに崩れていくのを見たアレイスターは悲し気に空を見上げた。

 

「あぁ糞、この運命は読めなかったな……しくじった」

 

 周囲の式が左手に符を持っている。この領域内の魔道具を全て無力化し破壊する結界の内に囚われたアレイスターは抵抗の手段を失い立ち尽くす。

 

「トート、愛してる……」

 

 ニヤリと笑みを浮かべ、アレイスターは小さな短剣を取り出して構えた。



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『雲上戦場』《上》

『見つけた。一隻を火達磨にしてやったぞ!』

『おぉ、木造船は良く燃えるなぁ。海の上と違って簡単に消せやしねぇし、いい感じだ。あぁ、綺麗だなぁ』

『……おい、カエデがあの船に乗っていたらどうするのだ貴様っ!』

『黙れアマネ、貴様は私の言う事に従っていれば良いのだ』

『約束と違うだろうっ!!』

『貴様こそ、私との約束を守っていないだろう────あの【占い師】は確実に始末しろと言ったはずだ。何故逃がした』

『ワシが知るかっ、気が付いたら逃げられとったんじゃぞ!?』



 セオロの密林の街路。集団となって進む【恵比寿・ファミリア】の団員と【ロキ・ファミリア】の護衛。

 途中、半人半鳥(ハーピィ)の襲撃があったものの道中はとりわけ問題らしい問題は出ていない。

 それでも、彼らの雰囲気は悪かった。

 

「はぁ……」

「どうしましたか?」

「え、あぁ、なんでもねぇ……」

 

 深い溜息を零した黒毛の狼人の少女にふわふわした雰囲気の羊人が問いかければ、誤魔化されてしまう。

 元は狼人が大の苦手であった羊人の女性、ペコラは困った様に頬を掻きながら前列を歩くカエデの後姿を見てこっそりと黒毛の狼人の少女、ヒイラギに耳打ちした。

 

「カエデちゃんはヒイラギちゃんが嫌いな訳じゃないですよ」

 

 その言葉にヒイラギは再度深い溜息を零し、呟く。

 

「知ってる。アタシじゃなくて『頭脳』に怯えてんのはわかるって」

 

 察しの良いヒイラギの態度にペコラは眉を落とした。

 

 カエデとヒイラギの関係を聞き、【恵比寿・ファミリア】の目的も達成された事で帰還する事に決まり、船団が止められている密林の外へ進んでいる一団。

 その中でカエデとヒイラギにはかなりの距離があった。そも戦闘能力が低いヒイラギと戦闘能力の高いカエデが同じ場所に居る事はまずないが、それでもカエデはかなりの距離をとっている。

 進む集団の前衛より更に先、突出したカエデとベートが匂いで周囲を警戒し、怪物を発見し次第撃破を繰り返しているのだ。

 ヒイラギの言葉一つで自己同一性(アイデンティティ)を破壊されてしまうという事を危惧し、フィンはカエデとヒイラギの距離を置く事にした。それは悪い選択ではなく、むしろ当然の選択であると言える。

 ヒイラギの不用意な一言がカエデの生死にかかわる処か、下手をすれば周囲に居る仲間にすら牙を剥きかねない状態なのだ。其の上で【恵比寿・ファミリア】に対しても警戒している為、現在ヒイラギの傍にはペコラとジョゼットが控えている。

 護衛対象であり警戒対象ともなった【恵比寿・ファミリア】はそれに文句の一つも零さずに苦笑を浮かべながら守られているが、それがより不気味さを際立たせる。何か良からぬことを企んでいるのではと警戒心を強める中、ヒイラギは何度目か数える事をやめた溜息を零した。

 

「はぁ……」

「ヒイラギちゃん?」

「あぁ、あー……」

 

 なんでもない。そう誤魔化そうとして流石に無理があるかと考えこみ、前を進むカエデの背をチラチラと見ながら、聞こえない様に声量を落として口を開いた。

 

「怖がられちまってんのが、なぁ」

 

 お礼を言いたい。密林の中、窪地で襲われて死を覚悟する程の危機的状況から救ってもらっておいて、何のお礼も言えていない事が未だなおヒイラギの中でしこりとして残っている。

 しかし、下手な声掛けは危険だと判断されておりお礼を言う事もできない。それがとても喉に引っかかる。

 そう口にしたヒイラギの声を聞いたジョゼットは頷いて口を開いた。

 

「それなら私が代弁し感謝を伝えましょうか」

「……いや、そういうのは自分の口で言うもんだろ。誰かに言ってもらっちゃいけねぇ奴だ。死んでて言えないとかならまだしもさ」

 

 感謝を伝える言葉は本人が必ず伝える事。彼女の父が決めた信念の様なモノであるが同時に『その通りだ』と頷ける正しい事だ。それを守りたくて守れないヒイラギが歯痒い思いをしながら前の方に見えるカエデの背を見て悔しそうに呟く。

 

「アタシがちゃんと()()出来る様になれば……」

 

 ヒイラギの『頭脳』としての能力。それはもともとシャクヤクの血筋に流れる族長の血によってもたらされるものであり、彼女が得る以前は父であるツツジが、叔父であるスイセン、そして祖父であるヤナギが持っていた能力である。

 一度に顕現する『頭脳』は一つのみ。いままでは祖父であるヤナギがその能力を持ち────カエデを好きにできたはずだ。しかし、ヒイラギの祖父は幾度かカエデを顔を合わせて言葉も交わしてるにも関わらず、彼女の暴走を招いていない。

 その理由は至ってシンプルだ。ヒイラギの祖父は正しく能力の制御ができていた。必要な時以外は『命令』を出さず、『白牙』と言葉を交わせるだけの制御能力があった。しかし、ヒイラギにはできない。

 能力の急な発現。本来なら知識と制御できるだけの訓練を行ってから族長としての責務と共に授けられるはずの能力。しかし祖父の死によって能力の引継ぎが発生し、叔父へと能力が譲渡され────更に叔父が殺されてツツジへと能力の譲渡が発生。其処からツツジが死んだ事でヒイラギにまで一気に能力の譲渡が行われた。

 本来なら、先祖代々が積み上げてきた知識と記憶も含め、次代の長である『頭脳』に引き継がれるはずのモノの大半は短期間で連続して起きた能力の譲渡によって欠けてしまい、ヒイラギの中にあるのはうっすらと残る数千年前の記憶と、微かに残る先代達の想いのみ。

 群れを守れ、皆を守れ、家族を、大切な者を守れ。其の為に『白牙』を使え、振るえ、その無垢な命を生贄と捧げ、群れの安寧を守れ。強く染みついたその執念にも似たモノがヒイラギの中に根付き始めた。────しかし。

 

「もう守るモノなんかねぇよ……」

 

 既に守るべき群れも、家族も居ない。いや、家族は居るだろう。

 守るべき家族は────生贄と捧げろと囁かれる『白牙』のみだ。

 

「なんで……普通じゃなかったんだろうなぁ」

 

 もし普通の家族なら、今頃お礼なんてさっと言い放って久々に会ったという事でどんなことがあったのか、神はどんな奴なのか、ファミリアはどんなところなのか、そんな話題で花を咲かせていたかもしれないというのに。

 ヒイラギの深い溜息が密林の中に消えて行った。

 

 

 

 

 

 船団の止まる小高い丘。

 風に揺れる【恵比寿・ファミリア】のエンブレムである宝船が描かれた旗を見上げたカエデは静かに後ろを振り返る。

 距離を置き、ヒイラギがペコラとジョゼットに挟まれて立っているのが見え、俯いた。

 妹を怖がる事、それがなんとなく申し訳なく、やるせない気分にさせられる。

 

「あー、ちょっといいかい?」

「なんだい?」

「いやね、ヒイラギちゃんとカエデちゃんを同じ船に乗せるの怖いから別々の船に乗せたいんだけど、いいかな?」

 

 モールの言葉にフィンは顎に手を当ててカエデとヒイラギを見てから頷く。

 

「条件はあるけれど、それで構わないよ」

「ああ、【ロキ・ファミリア】の人員もヒイラギちゃんの傍に着けるっていう話ね、別に構わないよ」

 

 ニコニコとした笑顔で言い切るモールは追加で色々と条件を加えてできうる限り【ロキ・ファミリア】の警戒を薄めようと最大限の努力をしている。それを見ながらもフィンは小さな勘を頼りに警戒心を引き上げる。

 

「という訳でヒイラギちゃんが乗る船には非戦闘員の恩恵無しの団員しかのせない。そっちは【スウィート・ララバイ】と【魔弓の射手】の二人を護衛として乗せる。カエデちゃんの方は君と【ヴァナルガンド】が乗る。其れで構わないかな?」

 

 ヒイラギを強引に攫う真似をしない為、ヒイラギの乗る船に【ハッピー・キャット】は搭乗せず、非戦闘員である神の恩恵を授かっていない者だけで固める。そうする事で彼らがヒイラギを攫わないとアピールする事が目的なのだと知りつつもフィンは笑みを浮かべて頷いた。

 

「それで構わないよ」

「よし、じゃあヒイラギちゃんにあっちの船に乗る様に指示をお願い。君たちはこっちの船に……はぁ、帰りはとりあえず僕たちの船が寄港して【トート・ファミリア】の人たちを回収するからよろしく」

「わかったよ。ベート、ジョゼットに伝えてくれ」

「……なんで俺が」

 

 面倒くさそうにバリバリと頭を掻きながら歩いていくのを見送ったカエデは静かにモールに近寄って質問を投げかけた。

 

「あの、大丈夫なんでしょうか」

「何がだい?」

「……戦闘員無しだと、危ないんじゃ」

 

 戦力を偏らせることを危惧するカエデに対しモールはヘラヘラと笑いながら答えた。

 

「いや、もともと僕達って戦力的に大差ない人多いから気にしなくていいよ。駆け出し(レベル1)が4、5人いるぐらいだし」

 

 数十人単位の【恵比寿・ファミリア】の構成員が居る中。彼らの中で戦闘が行える第三級(レベル2)に達している者は2人。残りの者も8割が恩恵を授かってすらいない非戦闘員。

 つまるところ偏る処か元からまともな戦力なんて居る訳も無い。代わりに【ロキ・ファミリア】が護衛についているのだ。

 

「だから気にしなくていいよ」

 

 その言葉を聞いたカエデは尻尾を鷲掴みにされる感覚を覚え、フィンに小さく呟いた。

 

「あの、全員一緒の船の方が……」

「カエデ?」

「なんとなく、()()()()()()()()です」

 

 勘が囁く。尻尾を鷲掴みにし、勘がカエデに知らせるのだ。全員同じ船に固めるべきだと。

 彼女の言い分にフィンは静かに考えこみ、頸を横に振った。

 

「流石にそれは危険過ぎる。確かに戦力の分散は避けるべきだけど、空を行く船が攻撃されるとは思えない」

「でも……」

「何話してんだよ」

「ベート、伝えてきてくれたのかい?」

「ああ、あっちの船に乗り込むんだとよ……それよりも、なんかおかしくねぇか?」

 

 ベートの言葉にカエデが首を傾げ、フィンは親指をちらりと見てから返した。

 

「何処がだい?」

「……なんつうか、風がおかしい」

 

 ベートの言葉に二人が周囲を見回し、気付いた。

 

「風向きが変わってる?」

「こんな風、初めてです」

 

 密林から吹き降ろす風。周囲が密林特有の湿り気を帯びた空気に染まっている。

 季節的に不自然な風向きの風にフィンが静かに考えこんだ所でモールの声が響き渡った。

 

「おーい、早く乗り込んでくれよ。もう出港準備は出来たよー」

 

 急ぎ乗り込むさ中、カエデは別の船の甲板から悲し気に自身を見つめているヒイラギの視線に気付き、顔を伏せて視線を逸らした。

 

 

 

 

 

 船に乗り込み、出航する為に船を上昇させ始めた所で風向きに異常があるとフィンがモールに伝えた所、彼女は驚きの表情を浮かべたのち、納得したようにポンと手を打って苦笑した。

 

「いや、ごめん。言ってなかったね。この風向きは僕が操ってるんだ」

「……風向きを操る?」

「あー、まぁいいか。恵比寿からは教えても良いって言われてるし」

 

 モールは静かにうんうんと頷いてからカエデに微笑みかけて口を開いた。

 

「古代の力を引き継ぐ人の事を僕らは古代の欠片(フラグメント)って呼んでるんだ。『黒毛の巨狼』の一族の持ち合わせる『思考共有』や『頭脳』『白牙』なんかだね」

 

 唐突な話題にカエデが首を傾げる中、モールはクスクスと笑いながら自身を指さした。

 

「実は僕も古代の欠片(フラグメント)なのさ」

「……つまりどういう事だ」

 

 ベートの急かす言葉に彼女は肩を竦めながら口を開く。

 

「んー、僕の『幸運を操る能力』っていうのは実は神の恩恵(ファルナ)によるモノじゃないんだよ」

「つまり君のソレは元から持っていたモノだと?」

 

 【幸運の招き猫(ラッキーキャット)】モール・フェーレースの二つ名の元となった幸運を操る能力。それは神の恩恵を授かった事で発現したスキルではなく彼女が生れ落ちたその瞬間から持ち合わせていた異能そのものだという。

 それはカエデ・ハバリが持ち合わせている『白牙』や、『頭脳』の血筋によるものと同じ。かつて精霊と契約を交わし、血を授かった事で得られた能力。現代では薄れてほぼ顕現する事の無くなった異能。

 『魔剣のクロッゾ』の様に神の恩恵によって発露する事もあれば、先祖返りによって突然発露する事があるのだ。

 そして彼女はそんな先祖返りによってかつて彼女の血筋が得た精霊の力の一部『運命操作』の異能が発露した。してしまった。

 

「そうだね。この異能を認識したころは酷かったよ。だって()()()なんて言われてたからね」

 

 無意識に彼女は周囲の幸運を奪い去る。村に飢饉が訪れても彼女だけはなぜか飢えない。村に疫病が蔓延してもなぜか彼女だけは疫病に犯されない。なぜか彼女の起こす行動は全て上手くいく。なぜか彼女の周囲に居ると不幸な出来事が起きる。

 最初はささいな事から、能力を自覚したころには人死にが出る程に。彼女の周囲は悪運に苛まれ、彼女一人だけが幸運に見舞われた。

 それが原因でモール・フェーレースという少女は村八分となったのだ。

 見かければ石を投げて追い払おうとされる。けれども石は決して彼女に当たらない。下手をすれば投げた者に跳ね返る。中には彼女を殺そうと短剣を片手に彼女に迫った者もいた。なぜかその短剣はその人物の眉間に深々と突き刺さり、襲撃した側が死亡するという謎の現象も起きた。

 それは全て彼女が持ち合わせていた『運命操作』の異能によるモノで。

 

「結果として僕の双子の兄、カッツェ以外は僕に近づかなくなっちゃったのさ」

 

 村八分。唯一自分の傍に居るのは兄一人。父母ですら怯えて近づかなくなったモールにただ一人向き合ってくれた血の繋がった兄。

 妹が不当な扱いを受けていると声高らかに叫び、結果として妹共々村から追放されるという結果になったが。

 

「最初にカエデちゃんを見たとき咄嗟に助けようとしたのもそういうのがあったからなんだけど。まぁソレはどうでも良い事かな」

 

 重要なのは今のモールは()()()()()()()()()()()()という事だ。

 

「……異能は制御できるのかい?」

「出来るよ。もちろん、ヒイラギちゃんの『頭脳』も制御可能さ、彼女の場合は突然の発露の所為で制御で来てないだけでしっかりと訓練すれば大丈夫だよ。知識は少しは引き継いでるみたいだし」

 

 彼女曰く。ヒイラギの能力制御をモールが教えることで気兼ねなく会話を交わせるようにしてあげるつもりだったらしい。

 かつて先祖が持っていた精霊との繋がりによる異能。それが原因で振り回されて家族と引き剥がされるという経験をしたのはカエデやヒイラギだけではない。

 

「実は知られていないだけで結構いるんだよ? あ、そうそう。僕って実は結構凄い血筋だったりするしね」

 

 神々が熱狂した彼の大穴の蓋建造に関わった者の殆どは精霊の血を授かり、異能を手にしていた。

 唯一完全に異能を手にしていなかったのは狐人ぐらいであり、ヒューマンの英雄ですら精霊との契約を交わしていたのだ。

 

「僕の血筋は『運命操作』と『天候操作』を可能にする精霊の力を得た猫人なんだよ」

 

 遠い昔から続く血脈。先祖返りによって突然発露した能力。それによってフェーレースの家系はかつてあの建造劇に参戦した一族の末裔であると発覚した。

 だからと言って良い事があったとは言い難いが。

 

「その天候操作っていうのはどの程度のモノなんだい?」

「あー、勘違いしないで欲しいんだけど。運命操作の方は結構精度が高いんだけど天候操作はせいぜい曇りにするとか風向きを変えるので限界だよ。いきなり大嵐を呼び出して『神風』染みた真似はできないのさ」

 

 それに加え、一週間に一度、必死に集中してようやく出来るか出来ないか五分五分といった程度。さらに付け加えると天候変更に成功しても意図した形になるかはさらに五分五分。この成否は運命操作による成功率の上昇の影響を受けない。其の為、彼女もうまく使いこなせてはいない様だ。

 

「要するにうまくいくように願いはしたけど、ちょっと失敗したね」

 

 彼女の意図はあくまでも地上から船団の姿を隠せる雲を大量に呼び出そうとしたのであって、風向きを変更したい訳ではなかったのだ。

 

「まあ、山脈方面から雲が流れてきてくれてるし、あの雲に隠れてオラリオまで行こうか」

 

 ある意味では幸運だったねと笑うモールの姿にフィンは深い溜息を零した。

 能力の秘匿は各々のファミリアでは当然である。中には仲間にもステイタスを見せない程のファミリアも珍しくない。そして他のファミリアに能力を教えるなんて事は普通はしないのだ。

 彼女が能力についてペラペラと喋るのは警戒を強める【ロキ・ファミリア】に対し【恵比寿・ファミリア】の信頼を取り戻そうとしているからだろう。

 その言葉に嘘が無いと判断したフィンはモールに笑みを向けた。

 

「教えてくれて感謝するよ。それで、ヒイラギの能力制御にはどれぐらい時間がかかるんだい?」

「んー? コツさえ掴めれば今すぐだよ。僕も恵比寿がちょいちょいっと教えてくれただけで不思議と制御できたし。天候操作は血が薄いのかそっち方面は全然だけどね」

 

 モールの言葉にカエデが顔を上げて彼女を見つめる。

 

「あの、もし、もしもその制御が上手くいけば……」

「勘違いしちゃダメだよ。あくまでも現状は全ての言葉がキミにとっての命令になっちゃってるだけで、制御できたらその能力が消える訳じゃない。何時でもどこでも、彼女は()()()()()キミを壊せるって事は忘れない方が良い」

 

 異能に苦しめられた事のある先達の言葉にカエデは静かに俯いた。

 モールは申し訳なさそうに両手を合わせて謝る。

 

「ごめんね。脅す様な事を言っちゃって。でもキミの為でもあるし、同時にヒイラギちゃんの為でもある。僕だって能力の制御はできてるけど、やっぱり感情が高ぶると時々暴走気味になっちゃうし」

 

 運命操作が暴走すれば被害は絶大になる。それこそ親しい家族ですらその能力の餌食となって幸運を吸い上げられて命を落とすなんて珍しい事ではない。

 かつて古代の時代に精霊が人々に授けた異能の数々。それはどれもこれも一癖も二癖もある強力なモノばかりだ。

 

「『魔剣のクロッゾ』『幸運のフェーレース』『巨狼のシャクヤク』、他にも僕の知る限りではやっぱり碌な事になってないのは多いよ。まあ『魔剣のクロッゾ』は自業自得だけど」

 

 精霊から力を授かっておきながら精霊を蔑ろにする行動をとったのだからむしろ呪い殺されないだけはるかにマシである。

 

「他には……まぁ、知ってるかは知らないけど『聖唱のカルネイロ』も実は精霊の加護を受けてたりね」

「……ペコラもなのかい?」

「知らなかったかい? 『射手のミザンナ』もそうなんだけど、神ロキは其処ら辺わかってて彼女を眷属にしたものだと思ってたんだけどね」

 

 『聖唱のカルネイロ』。ペコラとキーラの祖先は過去に歌声を司る精霊と契約を交わし、その血を授かった。

 『射手のミザンナ』も同様。精霊の契約によって特殊な力を授かっている。

 もっとも彼女達の場合は血が薄れており恩恵を通じ、なおかつその異能の一端でしかない部分しか振るえないのだが。モールの様に先祖返りをして能力を十全に扱える訳ではなく。カエデやヒイラギの様に血筋を守り続けた事で今なお強力な異能を残すわけでもない。

 

「って事は【剣姫】についても知らないのかい?」

「アイズも、精霊の血を?」

「あれ……恵比寿は神ロキが血族集めしてるって言ってたけど、もしかして無意識?」

 

 いつの間にか雲の上にまで上昇した船団をちらりと見てから、モールは顎に手を当てて考えこもうとし、【恵比寿・ファミリア】の団員に声をかけられて話をやめた。

 

「団長、いつでも移動可能です」

「あー、じゃあ進路を近場の街に、寄港するのはこの船だけで他の二隻はとりあえず上空待機で」

「了解。機関起動、帆を張れっ!」

 

 ゴウンゴウンと独特の震動が強まり、風を受け止める帆が張られて船が静かに動き始める。

 街の方面に進路を向けた船団が進み始めた所でモールは再度フィンの方を向いて口を開いた。

 

「ともかく、今この場で話しても仕方ないね。とりあえず君の所の主神が『精霊の血筋』集めしてる訳じゃないのはわかったよ……にしては結構ピンポイントで集めてる気がするんだけどね」

 

 彼女の言葉にフィンは苦笑した。

 ロキが意図してか無意識にかはわからないが、主神の集めた眷属の中にはそれなりに『異能』を持つ、または発露させる可能性のある者が居ると知って肩を竦めた。

 

「そういえば【凶狼(ヴァナルガンド)】も異能持ちの可能性はあるけど……その様子だと発露には至ってないみたいだね」

「どう言う事だよ」

「キミの一族。『平原のローガ』ってそこそこ有名な血筋、だったんだけどねぇ」

 

 流石に全員が全員異能を発露させている訳ではない。

 異能の発露には相当な運が必要であり、カエデやヒイラギの様に血筋を頑なに守り続けていたのならまだしも、モールの様に突然先祖返りが起きて発露するなんて天文学的数字の確率になるだろう。

 神の恩恵を通じての異能の発露もやはり確率は非常に低いと言わざるを得ない。

 

「ハイエルフも実は精霊の血を授かったって言ってもわかんないかな」

「……一つ訪ねたいんだけど、もしかして【恵比寿・ファミリア】は【トート・ファミリア】よりも情報を持っているんじゃないかい?」

 

 情報収集と情報を広める事を主軸とした【トート・ファミリア】ですら知らない知識の数々をもちわせている【恵比寿・ファミリア】にフィンが警戒心を強める中、モールは頬を掻きながらつぶやいた。

 

「そりゃ恵比寿は()()()だしね」

 

 千年前、神々が最初に地上に降り立ったその日。神恵比寿もまた神々に交じって地上に降り立った。

 天界では相手にされなかった『商売』が地上で成り立つと知り、彼は地上で精力的に活動を続け、商売系ファミリアの中では最大規模となるまでに至ったのだ。

 その過程で様々な情報を手にするのは当然。むしろその情報すらも取引していた時期すらある。

 

「まぁ今は絶対に売らないけどね? 信用できる君たちだからこそ話すのさ」

 

 過去、恵比寿は情報を売り続けた。希少(レア)なスキルや魔法を発現させた冒険者の情報。

 英雄の血族と言われた者達の所在。珍しいモンスターの出現位置。ダンジョン内で得られるアイテムから作れる道具や武器について。

 様々な情報を得ては売る。積み上がるヴァリス硬貨を前に興奮を抑えきれなかった彼は最大級の失態を犯した。

 

「『闇派閥(イヴィルス)』に情報を売っちゃったのさ」

 

 神々を毛嫌いし、隠遁生活を送る英雄の血族。彼らの情報を『闇派閥(イヴィルス)』に売ってしまった。

 それが原因で英雄の血族は襲撃を受ける事となり、その数を激減させた挙句、その中には『黒毛の巨狼』の一族すら混じっていた。

 商売に目が眩み、本来なら秘匿すべき情報すら軽い気持ちで売り払った事が原因で『黒毛の巨狼』の一族が神々への襲撃事件を起こす事となった。

 

「あの事件は裏から闇派閥(イヴィルス)が手引きしていた。その原因は、【恵比寿・ファミリア】にあるのさ」

 

 だからこそ、今では『情報』は決して売らない。売り物として扱わない。

 恵比寿がかつて行った軽率な行動が、英雄の血族の大半を滅ぼすという最悪の結果に繋がり、ばらばらになった彼らが市井に紛れて姿を消す原因ともなったのだ。だからこそ、恵比寿はファミリアの団員に固く誓わせる。

 情報は武器であり、決して安易に売ってはならない。そも売り物として扱ってはいけない。情報を与えるのは本当に信頼した相手と、信頼してほしい相手だけにするべきだ。と。

 

「……つまりテメェらが原因で滅んだって事じゃねえか」

「四、五百年前の事で僕らが責められるのはちょっとお門違いって言いたいけど主神の所為と言えばそうだしね」

 

 苦笑したモールの言葉にベートが不機嫌さを隠さずに言い捨てた。

 

「はん、テメェらの失態を隠すためにあんな森の中に隠れ里なんかを作った癖に、あっけなく滅ぼされてんじゃねぇか」

「あはは、いや、笑い事ではないんだけど。僕らもしっかり警戒はしていたはずなんだけどね……」

 

 困った様に頬を掻くモールはカエデに視線を向けて真剣な表情で呟いた。

 

「怒ったかい?」

 

 かつて存在した『黒毛の巨狼』。彼らが『白牙』を嫌う原因となったのも恵比寿の軽率な行動が原因で、カエデが群れの中で爪弾きにされていたのも、やはり根本は恵比寿の軽率な行動が原因である。

 彼らは確かに群れを守ろうとはしてくれた。けれどもそれは恵比寿の贖罪としての行動である。

 それを今、この場で聞かされてどうすればいいのかカエデにはわからずに首を横に振った。

 

「わからないです」

「……そっか。族長の弟さんは凄く怒ってたんだけどね」

 

 スイセンという人物。いつも何かに怒っていてヒヅチにも当たり散らしていたあの人も、彼らに怒っていたのだと聞かされてカエデは困った様にフィンとベートを見た。

 今、この場でそれを聞かされてどうしろというのか。あの人が怒っていた、自分は怒りを抱けない。正確にはよくわからない。話が大きすぎて、過去とか、先祖とか、祖先とか、そんな事を聞かされても今が変わる訳じゃない。だからこそカエデは何も言えずに口を閉ざした。

 

「そっか。ごめんね、変な話を聞かせてしまって」

 

 モールが困った様に眉尻を下げて呟いた。

 ────その直後、爆音が響き渡った。

 船体が大きく揺れて帆柱(マスト)が大きく軋みを上げる。

 揺れる船体にしがみ付き、モールが大きく声を上げた。

 

「総員警戒っ! 何が起きたか報告を────なっ!?」

 

 彼女の命令が響く中、カエデが目にしたのは船団の内の一隻の船が火達磨になってもう一隻の船の前部(フォア)帆柱(マスト)中央(メイン)帆柱(マスト)にぶつかる光景であった。

 船体がぶつかった事で一瞬で二本の帆柱(マスト)がへしゃげおれ、船体が大きく傾いて人が投げ出されているのが目に入る。

 悲鳴を上げて堕ちていくのは【恵比寿・ファミリア】の非戦闘員。

 火達磨になっている船から引火した炎が後部(ミズン)帆柱(マスト)の帆を焼き始め、火達磨になった一隻はそのまま進路を変えて航路から外れ────暫くしてから地上から突き上げる様な炎がその船体を貫き、爆音を立てて粉々に砕け散った。

 

「嘘でしょ……此処、雲の上なんだけどっ!?」

 

 モールの悲鳴の様な叫びが響く中、カエデは慌ててヒイラギの姿を探す。

 炎上し操舵不能に陥った残った一隻。傾いていた船体が徐々に元に戻っていくさ中、その甲板でペコラに抱かれたヒイラギの姿を見て安堵の吐息を零した。

 

「不味い、地上から狙い打ちにされ────はぁ?」

 

 分厚い雲の上を飛ぶ船団。地上の様子は見えないが的確に狙撃された事で現状が非常に危険だと判断し速度を上げる指示を出そうとした次の瞬間、分厚い雲を突き破って無数の鳥が現れた。

 巨大な鳥、けれどもその姿は違和感を覚えるモノだった。

 まるで極東で使われる『墨』というインクで描かれた様な鳥が、まるで生きているかのように羽ばたいて空を舞っている。

 

「あれは、浮世絵? いや、違う。式だっ!? 不味いっ、総員戦闘態勢っ! 連装大型弩(バリスタ)用意っ!!」

 

 極東で使われる式。その背には人が乗っていた。

 皆一応に深紅の外套を纏った不気味な者達。彼らは【恵比寿・ファミリア】と【ロキ・ファミリア】の乗る残った二隻に狙いを定め、一斉に突撃してきた。



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『雲上戦場』《中》

『運が良かったな【占い師】、ボクが見つけてなけりゃ死んでたよ君』

『あぁ、感謝するよ【猟犬(ティンダロス)】。まさかお前に助けられる日が来るとはな』

『全く……ま、これで貸し借りゼロって事で良いだろ。今後は気を付けろよ』

『……そうだな。仲間の無念は晴らせそうにないな』

『トート、愛してるよ、だったかい? 君は主神の懸想してるのかい?』

『…………はぁ、神に恋しちゃ悪いのか?』

『別に、ボクと同じだなって思っただけさ』


 響き渡る駆動音。

 【恵比寿・ファミリア】が誇る飛行船の一隻。カエデ達が乗り込んでいる一番艦は戦闘艦として改造された船であり、表面上は木材をふんだんに使用した木造船だが一枚引っぺがせばその下には鉄材でくみ上げられた装甲が存在する。

 他二隻のうちヒイラギを乗せた方も同様に装甲が使用されているものの、主力機関の関係で一番艦よりも装甲は薄く、防御性能は低い。

 それに加えて中央帆柱(メインマスト)前部帆柱(フォアマスト)がへしゃげ折れて失われ、なおかつ後部帆柱(ミズンマスト)が炎上し始め、一気に火災が広がっていっている。

 その様子にカエデが悲鳴を噛み殺す間にも無数の巨大な鳥の様な()が飛行船の周囲を飛び交い、無数の攻撃が降り注ぐ。

 

「糞っ、攻撃手段が無さ過ぎるぞっ」

「不味いね、此処じゃ不利過ぎる」

 

 ベートの悪態、フィンの舌打ちが響く。

 ベートもフィンも第一級冒険者である。しかし足場が悪い処か落ちれば即死間違いなしの高々度を飛行する飛行船の甲板上で出来る事は少なく、敵の攻撃を弾くのみしかできない。

 それはカエデも同様。引き抜き構えた『百花繚乱』にて敵が打ち出してくる短矢を弾き、投擲短剣にて迎撃を試みるも素早い動きで回避されてしまいまともな戦闘とは呼べない状況となっていた。

 敵の主な攻撃手段は投擲または小型弩による射撃をメインに、油のたっぷり詰まった陶器を投げつけ火矢を射かける事で火計を講じてきている。

 対する【恵比寿・ファミリア】も黙って攻撃されるのではなく連装大型弩(バリスタ)を稼働させ反撃を試みるも素早い敵の動きに翻弄されて命中精度は良くない。加えて相手は二番艦を背にして戦う事で同士討ちを狙い攻撃は上手く行っていない。

 足場の限られる戦場。落ちれば即死の高々度。襲撃は無いだろうと油断したところを的確に突く戦術。

 既に場は相手方によって支配されており碌な抵抗が出来ていない。

 

「右前方から敵がっ」

「団長! 後部にて火災が発生っ!」

「二番艦炎上! 救難信号を発していますっ!」

 

 武装こそ準備はしていた。非力な身を守るために最上級の武装を用意し、安全地帯である空の上を行く商人達。彼らにしてみればまさに悪夢そのものの光景に何人かは既に戦意喪失して座り込んで頭を抱えている。

 非戦闘員の数が多い【恵比寿・ファミリア】の致命的な弱点。実戦経験の少なさが祟り、最初の強襲が決まった時点で勝敗は決したと言える状況である。

 第二級(レベル3)のモール・フェーレースも、飛行船に対する強襲という初めての状況に戸惑い、碌な指揮ができていない。

 

「仕方ないか……全員聞けっ! これから僕が指揮を執るっ! 大型弩(バリスタ)による迎撃は続行! 残りの者は矢玉の補充と火災の消火に当たれっ!」

 

 第一級冒険者の大声に【恵比寿・ファミリア】の者達が驚きに動きを止め、慌ただしく動き始めた。

 

「おい、どうする? このままだと船が落ちるぞ」

「団長……」

「ベート、カエデ、二人は迎撃を……ペコラとジョゼット、ヒイラギも心配だが今はこの場を死守するんだ」

 

 フィンの言葉にカエデが身を震わせ、ベートは舌打ちをして周囲を睨んだ。

 

「死守っつっても出来る事なんかねぇぞ、アイツら常に距離とってやがって攻撃が届きやしねぇ。変に突っ込んだら地面に真っ逆さまだぞ」

「飛び道具の一つや二つ積まれているはずだ、モールは何処だい?」

 

 近場を走り抜けた【恵比寿・ファミリア】の団員を捕まえてフィンが尋ねればモールは操舵室で船の操舵を行っている事がわかり、フィンは素早く操舵室にかけていく。

 その背を見送ったベートは近場の大型弩(バリスタ)用の太矢を手に取って投げ槍の要領で投げつけ、船の傍を通り過ぎ様に小型弩で攻撃を試みようとしていた敵の脳天をぶち抜き、撃墜する。

 

「あん、耐久は全然なさそうだな。カエデ、お前は後ろの方で迎撃しろ。俺は前をやる」

「……ペコラさん達は」

 

 二番艦が激しく炎上し黒煙を上げながらも一番艦の横を飛行している。いつ爆炎を上げて堕ちるかわからないあの船に仲間が居る事にカエデが不安そうな声を上げれば、ベートが舌打ち交じりに二番艦を強く睨み付けた。

 

「敵をさっさと潰して回収するぞ」

「……わかりました」

 

 ベートの言葉に同意し、カエデは後部甲板の方へ足を運んだ。

 後部甲板に設置された二機の連装大型弩(バリスタ)が凄まじい連射速度を以てして太矢を打ち出している姿があった。それぞれ左右に設置されたその迎撃用武装に張り付く数人の団員。敵の矢が浴びせかけられたのか既に数名が短矢を体中に生やして絶命している姿もある。

 そして何より一部が焼け焦げて後部帆柱(ミズンマスト)の根本が軋む音を響かせている。一応、金属部品にて補強されているおかげか折れる事はなさそうではあるが、それでも不安定に揺れる姿に不安を覚えざるを得ない。

 ギチギチと帆柱を固定している縄が軋む音を響かせ、甲板そのものが振動しており足場は非常に不安定であった。

 

「此処の箱に、あった」

 

 近くの箱をこじ開けてみれば出るわ出るわ、大量の太矢がみっちりと詰まっている。

 数本取り出し、狙いをつけて太矢を投擲するも素早い動きで回避されてしまう。

 二本、三本を投げるもやはり投げる為に作られた訳でもない太矢は命中させるのは至難の業であり、一向に命中しない。

 早く撃退しヒイラギたちを回収しなくてはならないのにと焦りの表情を浮かべ、次の瞬間カエデは尻尾を滅茶苦茶に引っ張られる様な悪寒を覚えて身を伏せた。

 

 空気を切り裂く音。斬ッという何処か懐かしい聞き覚えのある音と共にカエデの背後にあった後部帆柱(ミズンマスト)が切断されて傾き始め、途中で縄が絡み動きが止まる。帆としての機能を失った布地が風を受けてなびく。

 縄がブチブチと千切れる音が響き渡る中、カエデは今の斬撃を放った対象を見て息を呑んだ。

 

 其処に居た。懐かしい姿があった。

 其処に居た。会いたいと願った人物がそこに居た。

 其処に居た。けれども────カエデの知る人物とは言い難い、異様な雰囲気を纏っていた。

 

「久しいな、カエデ」

 

 人の胴体より太く、金属によって補強されていた帆柱を容易く切断したその刃は微塵も鈍った様子は見えない。まるで研ぎたての様に鋭い切っ先。ただの鉄製の剣だと断言できる片刃の刃。だというのに、その剣の切っ先はいままで見てきたどの剣よりも鋭く見える。

 アイズ・ヴァレンシュタインが持つ長剣よりも。ティオナ・ヒリュテが持つ大剣よりも。ティオネ・ヒリュテの持つ湾曲剣よりも。ベート・ローガの持つショートソードよりも。フィン・ディムナの持つ矛よりも。

 第一級冒険者が手にする第一級品の武装よりもなお鋭く見えるその刃。

 それは持ち手が魅せる剣の本質。たとえその剣が錆び、朽ち果てた(なまくら)であろうが、カエデの身を容易に切り裂くであろう鋭さを持ち合わせていると本能に刻み込む強さ。

 

「随分と、強くなった様じゃな」

 

 静かに、剣の切っ先を向けながらも。彼女は静かに微笑んだ。

 周囲に響き渡る怒号は消え去り。太矢と短矢の飛び交う戦場の真っただ中でありながらも二人の間は真空であるかのように周囲の音が掻き消えた静寂に包まれていた。

 

「苦しかったであろう? 辛かったであろう?」

 

 響き渡るのは優しさと慈しみに溢れた声。静かに、けれども力強くカエデの耳朶を打つその声。

 幾度となく耳にしてきた声色。我が身よりもカエデの身を案じ、カエデの無事を祈った女性の声。

 

「安心しろ。不安がる必要はない。ワシは────たとえ世界の全てが敵になろうと。お主の味方でいるからのう」

 

 大鎌を手にした死神が目の前に舞い降りたかの様な感覚。頸に優しく押し当てられた大鎌が瞬く間に自らの命を奪い去る様を幻視し、ようやくカエデは剣を構えて彼女と対面した。

 美しい金色の髪。慈しみの色合いを見せる瞳。和装に身を包み────不自然に巨大な首輪と鎖を引き摺り、左頬を覆い尽くす程の入れ墨の刻まれた顔。

 カエデが彼女の姿を見間違える等、ありえない。

 

「ヒヅチ……」

「ああ、いかにも。よもやワシの顔を忘れた訳ではあるまい?」

 

 優しい微笑み。此処が戦場でなければ、つい先ほど彼女が振るった刃が矢の詰った箱を抱えていた【恵比寿・ファミリア】の団員を真っ二つにしていなければ、此処が【ロキ・ファミリア】の本拠(ホーム)の談話室であったのなら。きっと彼女に微笑み返す事が出来たはずだとカエデは歯を食いしばった。

 モールは語った。会うべきではないと。

 カエデは、ヒイラギに会うべきじゃない。それは正しい事であった。

 カエデは、ヒヅチに会うべきじゃない。今この瞬間、彼女を目の前にしてその言葉が正しかったことを知った。

 

「ようやく、ようやく出会えた。先の攻撃で死んでおらんかった事を神に感謝せねばなるまい」

 

 ヒヅチの姿を前にし、カエデは今まで感じた事が無い程の恐怖を感じていた。

 おかしい、優しい声色も、慈しみが篭った瞳も、自分に向けられる確かな愛情が、おかしいのだと尾を震わせ、百花繚乱の切っ先をヒヅチに向け続ける。

 師であり、育ての親である彼女に刃向ける事を望みはしない。けれども今カエデの目の前に居るヒヅチには刃向けなければならない。その勘に従い刃を向けるカエデは震えながら口を開いた。

 

「ヒヅチ……久しぶり」

「ああ、久しぶりじゃ。壮健そうじゃな」

 

 口元に浮かぶ優し気な笑み。それはカエデの記憶にあるままの表情である。しかしそれが余計に不気味で、違和感をより際立たせる。

 ヒヅチは、こんな戦場で微笑む人物だっただろうか。ヒヅチは、人を斬り殺した後にこんな表情を浮かべるだろうか? 罪を意識し、表情を殺してまっすぐ前を見つめる姿がカエデの脳裏を過り、カエデは首を横に振った。

 

「貴女は、ヒヅチだ。けど、ヒヅチじゃない」

「……ふむ。おかしな事を言う。だがそれは正しいな」

 

 カエデの妙な台詞にヒヅチは同意し、頷いた。其の事にカエデが驚くさ中にもヒヅチは静かにカエデに向けていた刃を下ろした。構えを解き、カエデを見据える姿に見据えられた彼女は震え上がり身を低くして下段の構えを取り防御を意識し始める。

 ────ヒヅチは構えていない方が強い。というより無構えという構え無しで始動を悟らせぬ凶悪な一撃必殺を持ち合わせている相手だ。構えていない方が始動がわかり辛くより恐ろしい。

 カエデが身を震わせる間にもヒヅチは静かに微笑み、周囲を見回した。

 

「此処は騒がしいな」

「…………」

 

 目を瞑り、何かを考えこんだヒヅチは静かに語り始めた。

 

「ワシはな、ヒヅチ・ハバリではないのだ」

 

 

 

 

 

 都の主、我らが崇め奉る都の王。(みかど)の座す間。

 薄暗い部屋の中。光源となる灯油(ともしあぶら)の燃える匂いと御香の香り漂う空間。

 御簾の向こう側より響く年若い帝の言葉に(こうべ)を垂れる自身の姿。

 

『良く、良くぞ成し遂げた。アマネよ』

其方(そち)の働きは聞き及んでいる。永き旅路であったであろう』

 

 今はダンジョンと呼ばれている大穴。化け物生み出すその混沌の坩堝に蓋をした功績を過剰に飾った言葉で褒め称える帝の言葉を聞きながら、自身は身を震わせていた。

 

『──── 一つ、お聞かせください』

『うむ。許可する』

『姉は、姉上は()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 震える声で尋ねる彼女(じぶん)の言葉に、帝は笑った。『可笑しな事を問うのだな』と

 

其方(そち)の首に下げられた其処に居るではないか』

 

 より身を震わせ、彼女(じぶん)は首紐で下げられた勾玉を取り出して表情を引き攣らせる。

 

其方(そち)の姉君は良き術者であった。惜しむらくは()の計画を愚かと断じ、協力を拒んだ事よ』

『けい、かく……』

『さよう。貴様らハバリの者は皆、()の計画を否定したのだ』

『その、計画とは』

 

 他の種族を全て廃し、狐人(ルナール)だけの国を作る事。

 

『今こそ千載一遇の機会よ、あの大穴を塞ぐのに他の種族は皆一様に疲弊している。攻め時は今ぞ』

『お待ちください、彼らは皆、同じ(こころざし)を持った同胞。それを攻め滅ぼす等……』

『……やはり、ハバリの者は皆拒むか』

 

 貴様の父君も、母君も、そして姉君も皆拒んだ。

 

『サンジョウノの者達は上手く処理してくれたが。其方(そち)も同じようにせねばなるまい』

『……今なんと?』

 

 彼女(じぶん)の父も、母も、そして(わたし)も、皆居なくなってしまった。

 理由は何故か。

 

『ハバリの者は強い。その力は()にとって必要なモノ。しかし言う事を聞かぬのであれば無きも同然よ』

『言う事を聞かぬ力等いらぬ。だがサンジョウノの者が上手く活用する方法を生み出してくれたのだ』

『殺生石にその魂を移し替え、持ち得る力を振るえる道具へと転ずるという技法を()の為に生み出してくれたのだ』

『喜べ、其方(そち)の父君も母君も、そして姉君も誰一人として()()()()()()()。彼らは皆、()の力の一部として扱われる事となったのだ』

『そして────不可能を可能とした其方(そち)も、()の力の一部として()()()()()()()()()

 

 父は最強の剣士であった。化け物にのまれて死んだと聞いた。

 母は最強の術師であった。化け物にのまれて死んだと聞いた。

 (わたし)は最上級の結界術師であった。精神消失によって植物状態であった。

 

 父は(みかど)が仕向けた暗殺者に背を刺され、半死半生の傷を負い殺生石の材料として消費された。

 母も(みかど)が潜ませた間者が母の結界術を暴走させて半死半生の傷を負わされ、殺生石の素材として消費された。

 (わたし)はそれに気づき、(みかど)の息のかかった軍属の者を従えず単騎出撃し、失敗して精神消失してしまった。(わたし)がその姉の体を(みかど)に預けた事で、(わたし)もまた、殺生石の素材として消費されてしまった。

 

其方(そち)も、これから我が一部となって世を支配するのだ。喜べ────(うぬ)等ハバリの者は皆永久の礎とし、狐人(ルナール)の繁栄の糧となれるのだ』

 

 他の誰でもない。自らの背後に潜む敵に気が付かずに仲間の全てを贄と捧げた愚かな(わたし)が、(わたし)を取り戻すために刃抜き放ち、(みかど)を討った。

 最強の剣士と最強の術師。父と母の持ち得た力を振るう彼の王、愚かにも世界の全てを望んだ愚王。

 苦戦の末、殺す事に成功し、殺生石の内より父母を解放し、姉君を蘇らせようとし────結果的に狐人(ルナール)の都は吹き飛んで綺麗さっぱり消えて無くなった。

 

 

 

 

 

「サンジョウノの者等だけは逃がしたが、結局ワシは姉上を蘇生できなんだ」

 

 今この場に居るのは、殺生石から引っ張り出したヒヅチ・ハバリの魂をアマネ・ハバリの肉体に捻じ込んだ事によって歪み切った妙な存在でしかない。

 

「姉上を守りたかったのだ。妹を愛していたのだ」

 

 けれど、ヒヅチは妹を守り切れなかった。アマネは姉を救う事叶わなかった。

 

「どれもこれもワシの力不足故にな」

 

 語りを終えたヒヅチは静かにカエデを見据え、剣を向けた。

 焦げ臭い匂いが立ち込める戦場。周囲で響く怒号が返ってきて耳が痛い程に耳朶を打つ。

 恐怖に身を震わせるカエデの前、ヒヅチは静かに剣をカエデに向けて微笑んだ。

 

「今度は失敗せぬ。お主を救ってみせよう」

 

 妹を守れなかった。姉を救えなかった。愚かな残骸と化したこの身であったとしても、カエデを救ってみせるのだとヒヅチは刃を大事な存在に向けて振るう。

 

 火花が散り、ヒヅチの放つ斬撃をカエデが受け流す。

 一度、二度、三度と凄まじい連撃。どの斬撃も一撃でカエデを死に至らしめる即死の軌道を描き、手加減が微塵も存在しない、本気の攻撃にカエデは目を見開いて防御を続ける。

 

「嘘っ!? ぐぅっ?!」

「強くなった、本当に強くなった」

 

 準一級(レベル4)冒険者に至り、身体能力は遥かに向上しているにもかかわらず、ヒヅチの攻撃を受け止め、受け流すので精一杯。カエデは防戦一方となり反撃の余地は微塵も存在しなかった。

 此処まで強さを得てなお、ヒヅチの前に立つ事が限界で反撃もままならない事を知りカエデは奥歯を噛みしめ────結局の所、反撃出来た所できっと反撃の一つも返せないのだと諦めが脳裏を過り、吠えた。

 

「負けないっ!」

 

 脇腹をかすめる一撃。歯を食いしばって耐え、放たれたカエデの反撃の一撃。胴体を狙った袈裟掛けはあっけなく回避され、放たれた刺突がカエデの肩を抉る。

 刀身に走る罅。カエデが目にしたのは頑丈さにおいては右に出る物の存在しない不滅属性(イモータル)という唯一無二の剣の刀身に走る罅であった。

 防御に使った影響か、それともなんらかの魔術か、妖術かわからないがヒヅチの斬撃は百花繚乱の耐久をすさまじい勢いで削り取っていく。

 このままでは押し負ける。抵抗の余地なく、強くなったはずのカエデですら何も出来ずに、摩耗してすりつぶされて死ぬ。その姿がカエデの脳裏に描かれ────横合いから振るわれた短槍がその想像を粉々に砕いた。

 

「キミがヒヅチ・ハバリ……なるほど、強いね」

 

 短槍を構えたフィンがカエデとヒヅチの間に割り込んで戦闘を中断させる。

 間に別の第三者が現れた事でカエデはようやく自分の状態に気付いた。抉れた肩、深く斬られた脇腹、体中をかすめた斬撃による切り傷。全身から血を流しながらカエデは百花繚乱を甲板に突き立てて肩で息をした。

 あと少し、あと二、三撃で自分は死んでいた。そう確信出来る様な恐ろしい斬撃の嵐。

 突如現れたフィンに対しヒヅチは何かを確かめる様に頷き、剣の矛先をフィンに変えた。

 

「ふむ、確か【勇者(ブレイバー)】じゃったか……そうか。お主が」

 

 刃向けられたフィンが警戒心を最大まで引き上げるさ中、狐人は懐から紙束を取り出して放り投げた。

 周囲に散らばる紙切れ。

 その紙切れをフィンが短槍で切り刻み、ヒヅチを睨んだ。

 

「妖術師の使う魔法には紙切れ、符っていうのを使うって聞いたよ」

「ほお、お主も博識じゃなあ。油断も隙も無いと言う奴か。困ったな」

 

 睨み合うさ中、唐突に怒声が響き渡りヒヅチが眉を顰めた。

 

「何をしているアマネッ! 早くヒイラギ・シャクヤクを攫えっ!」

「……五月蠅いのう、【勇者(ブレイバー)】、【凶狼(ヴァナルガンド)】、【幸運の招き猫(ハッピーキャット)】の三人を確実に殺せと言われておったからそっちを優先しとっただけじゃろうに」

「黙れっ! 貴様はカエデ・ハバリを優先していただろうっ!」

 

 ヒヅチに怒声を向けるその人物は巨大な墨絵の鳥に跨り、船を見下ろしていた。

 深い皺の刻まれた枯れ木を思わせる手。深く外套を纏い表情の覗けぬ顔。その手に握られているのは不気味な輝きを宿した魔法石のはめ込まれた木製の杖。

 ぞっとするほどに凝縮された()()()が詰め込まれたそれにカエデが小さく悲鳴を零し、ヒヅチはカエデを心配そうに見てから肩を竦めた。

 

「はぁ、カエデを説得する気はないのか」

 

 ヒヅチの言葉に老婆が身を震わせ、静かにカエデを見下ろした。

 周囲で巻き起こる喧噪を無視したやりとり。気が付けば【恵比寿・ファミリア】の連装大型弩(バリスタ)は全て沈黙しており周辺に飛び交う墨絵の鳥も殆ど姿を消している。

 

「『白牙』よ、貴様の無念、晴らしたかろう?」

「何を────」

「神々が成した愚かな行為によって滅びた一族の末裔。貴様も恨めしかろう? 神が憎らしいであろう? 私と共に、神を滅ぼそうではないか」

 

 カエデに手を差し伸べ、老婆が嗤う。その姿にカエデは首を横に振った。

 

「ワタシは、ただ生きたい(足掻く)だけです。其の為に────神ロキの力が必要です。滅ぼす訳には、いきません」

 

 カエデの言葉を聞いた瞬間、老婆が外套の下で身を震わせ、怒声を響かせた。

 

「貴様も恥さらしの一人かっ!」

 

 カエデが目を見開くさ中、老婆が杖を大きく掲げで叫ぶ。

 

「地上の者らの無念の声も届かぬ愚かな者よ、巨狼の無念を晴らす事もせぬ血の裏切り者よ、貴様は神を恨むべきだ、神を愛し、神に愛される等愚の骨頂。貴様は裏切り者だ、何故神を殺さぬ。何故神を滅ぼさぬ。貴様の部族は、他ならぬ神の手で滅ぼされかけたのだぞ。他ならぬ神によって不幸に陥ったのだぞ!!」

 

 怒りと憎悪がぐちゃぐちゃに混じり合った彼女の声にカエデが身を震わせながらも神に向けられる愛によって生み出された大刀を神を恨む老婆に向けた。

 

「ワタシは、貴女の言う事を聞く気はありません。ヒヅチを、返してくださいっ」

 

 自身の意思をもって、自分だけの人生(みち)を歩むのだとカエデが返した瞬間。老婆の怒気がぱっと消え失せた。

 まるで最初から何もなかったかのように消え失せた事でフィンが目を細めるさ中、老婆は口を開いた。

 

「命令だ、ヒイラギ・シャクヤクを攫え

「カエデ、またな」

 

 ヒヅチの頬に刻まれた入れ墨が不気味に輝くと同時にヒヅチの表情から色合いが消えうせる。

 彼女の顔に浮かんでいた慈しみの表情は空気に溶ける様に消え失せ、まるで機械の様な無機質な色合いに変化を遂げた。

 その姿にカエデが息を呑み、フィンが目を見開く。

 モールの言っていた言葉は正しい。ヒヅチは狂わされている上で、隷属の刻印と呼ばれる従順な奴隷へと仕立て上げる為の古い時代の魔術を使って自由の意思を奪われている。

 それをどうにかしたとしても、彼女は狂っている。つまり刻印を破壊するだけでは無意味でなんとかして正気を取り戻させねばならない。

 フィンが短槍を強く握りしめた瞬間────ヒヅチは縄が絡み傾斜した状態で止まっていた後部帆柱(ミズンマスト)をせき止めていた縄を切断した。

 瞬く間に過重に耐え切れなくなった縄がブチブチと千切れだし、帆柱は中央帆柱(メインマスト)を巻き込んで倒れ────炎上する二番艦に直撃し、一番艦と二番艦を結ぶ即席の橋となった。

 

「いけ、アマネ、なんとしてもヒイラギ・シャクヤクを────『頭脳』を確保せよ」

 

 一人の狐人がその即席の橋の上を駆け抜けていく。目を見開いたカエデが慌ててその背を追おうとし、上から降り注ぐ火球に遮られる。

 

「貴様は此処で私が相手をしてやる。彼の『白牙』の相手を出来るのは私ぐらいであろうしな」

 

 大鳥を駆るエルフの老婆。杖の一振りで詠唱も無く火球の雨を降らせる姿にカエデが表情を引き攣らせ────フィンが投げ放った太矢がその大鳥を掠めた。

 

「カエデ、キミは行くんだ」

「団長っ」

「此処は僕が抑える、行け」

 

 フィンの言葉にカエデが弾かれた様に即席の橋に足をかけ、其処を老婆が狙う。

 フィンの投げた太矢が次々に火球を砕き消し、火の粉が散る中をカエデが駆け抜け、燃え盛る二番艦へと飛び乗ったのを皮切りにエルフの老婆は【勇者(ブレイバー)】を敵と定めて杖を向けた。

 

「愚かな、小人族(パルゥム)の王族の末裔よ、貴様らが落ちぶれた原因もまた、神々ではないか」

 

 神々が降り立ち、小人族の心の支えであった女神フィアナの存在を否定さえしなければ。

 もし神々が降り立ちさえしなければ、小人族が卑屈になる事も無かった。過去の栄光を失う事も無かった。

 失われた過去の小人族の姿を取り戻そうとする【勇者(ブレイバー)】の行動を、古代の英雄の一人、ハイエルフの老婆は嘲笑し、愚かだと断じた。

 

「貴様は愚かだ。ほかならぬ神々によって落ちぶれた貴様が、あろうことか神の手を取るなど」

「……確かに、その通りかもしれない」

 

 神々さえ降り立たなければ。けれども────神が居なければ今は無い。

 

「神が降り立った事で様々な影響があった。それは僕も知ってるさ」

 

 神々が地上で起こした騒動の数々。

 その騒動で傷付いた地上の人々の事。

 他ならぬ小人族が落ちぶれた原因。

 フィンはそれについて知っている。

 其の上で、フィンは彼女に短槍の穂先を突き付けた。

 

「それでも僕は【勇者(ブレイバー)】だ」

 

 神々が、(ロキ)がフィンに与えてくれた二つ名を力強く名乗り、フィン・ディムナはかつての英雄と対峙した。

 

 

 

 

 

 唐突な船の炎上。消火する為に動き回っていた者は短矢で穿たれ倒れ伏し、火の手を止める手は足りなくなっていた。

 それ以上に用意されていた迎撃兵装があっけなく破壊されていった事によって迎撃の手も全く足りていない。そんなさ中、ジョゼットは装備魔法の『弓』を作り出して迎撃を行っていた。

 近場に立つペコラがヒイラギの体を強く抱き締めて守るさ中にも、降り注ぐ短矢によって【恵比寿・ファミリア】の非戦闘員が息絶えていく。

 焦げ臭い匂いと血の匂いが立ち込める戦場。

 よもや雲の上を行く飛行船を襲撃できるだなんて想定外の出来事に浮足立った【恵比寿・ファミリア】に碌な抵抗はできず、フィンの様な支柱になれる者も居ない二番艦の中で唯一迎撃を行っているのはジョゼットとシェトの二人のみ。

 ジョゼットから手渡された魔法弓を手に迎撃を行うシェトは目を細めて呟いた。

 

「畜生、ホオヅキの奴に八つ裂きにされんのとこんな高い所から叩き落されんの、どっちがマシなんだかわかりゃしねえ」

「無駄口をたたく暇があるなら迎撃を急いでください」

「わかってる」

 

 無駄口を叩きながらもシェトが弓を引き、狙いを定めようとして────強い衝撃が船体を揺らし、バランスを崩しかけて狙いが外れてあらぬ方向に矢が飛んでいく。

 

「糞、外した、何が起き────」

 

 弓を片手に振り向こうとしたシェトが目にしたのは刀を振りかぶる狐人(ルナール)の姿。

 目を見開いて驚くシェトに振り下ろされんと迫る刃。

 その刃がシェトの身に届くより前に至近距離から放たれたジョゼットの魔法弓の一撃が狐人(ルナール)の胴に直撃して吹き飛ばした。

 

「なっ!? ヒヅチ姉ちゃんっ!?」

 

 ヒイラギの驚きの声。ペコラの腕の中から一連の流れを見ていた彼女が息を呑むさ中にも、胴に一撃を受けたヒヅチは何事も無かったかのように立ち上がって懐から何かを取り出して放り捨てた。

 木製のヒト型が灰になって崩れるのをちらりと見てから、刃をジョゼットに向ける。

 

「ヒイラギ・シャクヤクを貰い受ける」

 

 その姿にジョゼットとペコラが息を呑んだ。

 カエデの住んでいた小屋で見た式と寸分変わらぬ姿。其処に妙に大きな首輪と鎖。そして頬を彩る入れ墨を足した姿をした彼女。

 そして脳裏に響くのは彼女の式が語った言葉。

 

『ヒヅチ・ハバリを殺せ』



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『雲上戦場』《下》

『んで、唐突に訪ねてきて何がしたいんや恵比寿』

『…………えっと、ぼくの眷属、沢山死んだんだ』

『いや、それ前にも聞いたやん。襲撃されとるんやろ?』

『あー、その、実は……』

『なんやねん』

『君の眷属と行動を共にしてた子らがね、()()()()()沢山死んだんだ』

『……おい待ち、どう言う事や!』

『だからね、その、ロキ、君の眷属も襲撃に巻き込まれたかも……』

『シバくぞ恵比寿っ!』



 雲より高い戦場。

 目の前に唐突に現れたヒヅチ・ハバリに表情を凍り付かせるヒイラギを他所にペコラがヒイラギを強く抱き締めて下がり、妖精弓を握り締めたジョゼットが前に出る。

 斬り殺されかけたシェトはしきりに自身の首をさすりつつも目の前の狐人を見て舌打ちを零した。

 

「嘘だったら嘘だって言ってくれ」

「彼女は……本物、の様ですね」

 

 声を震わせたジョゼットの呟き。

 彼女の眼に映るのは禍々しい輝きに彩られた入れ墨の様な紋様が怪しく浮かび上がる悍ましい姿。その目に映る色はまるで黒く塗り潰した様な淀んだ色合い。

 間違いなく正気を失っているであろう姿にマイペースを貫くペコラですらも動揺していた。

 

「あはは、嘘でしょう。この人、めっちゃくちゃ強そうなんですけど」

 

 第一級冒険者になったペコラ・カルネイロが危機感を覚える程の凄まじい圧。

 ヒヅチから放たれる圧に気圧されたペコラとジョゼット、それに対しヒイラギが目を見開いて口を開きかけ、閉じた。

 ヒヅチの背後。一番艦から架け橋の様に伸びた帆柱の上を全力疾走で駆け抜けてくる白毛の狼人の姿。

 幼い体躯に見合わぬ巨大な片刃の剣を肩に担ぎ、歯を食いしばりヒヅチを見据える彼女。

 カエデがヒヅチの背後から斬りかかった。

 

 激しく飛び散る火花。カエデの放った背後からの斬撃はヒヅチが瞬時に振り返って振るわれた細い刀に阻まれて動きを止める。カエデの持つ大刀に対し、ヒヅチの持つ打刀は折れるでも欠けるでもない。

 むしろカエデの持つ百花繚乱の刃が大きく欠けた。火花を散らしながらもカエデがヒヅチの横を駆け抜け、ヒイラギを抱えるペコラとヒヅチの間に割り込んだ。

 

「ヒヅチ、やめてください」

 

 懇願するような、縋る様なカエデの言葉にヒヅチは眉一つ動かさずに口を開く。まるで機械の様に。

 

「退け、ヒイラギ・シャクヤクを渡せ」

 

 無機質で感情の感じられない彼女の言葉にカエデが身を震わせ、ペコラが小さく呟いた。

 

「これは、まず過ぎますよ」

 

 焼け落ちかけた飛行船。

 ペコラは専門家でもなければそもそも搭乗自体が初めての為詳しい事はわからないが、今自分が足場としている飛行船が非常に大きな損傷を受けている事ぐらいはわかる。そしてその損傷状態のまま永遠に飛べない事は簡単に想像がつく。

 カエデの強襲を簡単にいなした姿を見ればヒヅチが只者ではないのはすぐにわかった。

 ジョゼットも同様の感想を抱いたのか口元を引き攣らせてぽつりとつぶやいた。

 

「不味い、ペコラ、一番艦にヒイラギさんを連れて逃げ────」

 

 ジョゼットの言葉が終わるより前に激しい爆発が一番艦の後部で発生。折れて一番艦と二番艦を繋ぐ橋として機能していた一番艦の後部帆柱(ミズンマスト)が粉々に砕け散り、雲の海に沈んで(落ちて)いった。

 パラパラと木屑が飛び散ったのを見てペコラが顔を引き攣らせ、カエデが下段の構えでヒヅチを見据えた。

 炎上し黒煙が舞い上がる中、焦げ臭い匂いに包まれた二番艦の船倉から数人の【恵比寿・ファミリア】の団員が飛び出してきて一番艦に信号旗を使って何かの呼びかけをし始めたのを尻目に、ヒヅチは静かに口を開いた。

 

「ヒイラギ・シャクヤクを引き渡せ。そうすれば────命だけはとらん」

 

 無機質な声質。けれども今度は慈悲の感情が宿った彼女の言葉にシェトが笑う。

 

「嘘だね、アンタはアタシらを逃がす積りなんかありゃしない」

 

 もし命を助けてくれる気なら今すぐ周りを飛び交う鳥共を引かせろ、そう語るシェトは弓を引いてヒヅチに狙いを定め、矢を放ち────瞬く間に矢を斬り捨てられ、其れ処かシェトの持つ弓が真っ二つになって破壊されて魔力の残滓を残して消滅した。

 

「────はぁ? おい、今アンタ何しやがった」

 

 自身の持つジョゼットの魔法で生み出された弓が破壊されたシェトが驚きのあまり呟く中、シェトを見たカエデがぽつりとつぶやく。

 

「斬られました……」

「は、何を────」

 

 赤い花が咲いた。シェトの胴から噴き出す赤い血。深紅の色合いが派手に飛び散り、驚愕の表情のシェトがそのまま倒れ伏した。甲板に広がる赤色にヒイラギが身を震わせた。

 

「おい、シェト姉ちゃん……? なぁ、何が、何が起きたんだよ」

 

 ペコラの腕の中で困惑し騒ぎ出すヒイラギ。彼女を腕に抱きながらペコラも目を見開いたまま更に一歩後ずさった。

 見えなかった。第一級(レベル5)冒険者にまで至ったペコラの眼には、何も見えなかった。

 ただシェトの持つ弓が突然真っ二つになり、次の瞬間には真っ赤な花を咲かせて血の池に沈んだのだ。ペコラには何が起きたのかさっぱりわからなかった。それはペコラが第一級(レベル5)の中でとりわけ鈍いからなどという生易しいものではない。

 いくら他の第一級冒険者の中で敏捷が低くはあったとしても動きを見切れない程じゃないし最低限防御行動がとれるだけの余裕だってある。そのはずなのにペコラには何が起きたのかわからないのだ。

 

「カエデさん、一つ……質問が」

 

 シェトが血の海に沈んだのをちらりとみたジョゼットが緊張のあまり脂汗を大量にかきながら質問を飛ばす。

 

「彼女、ヒヅチ・ハバリと戦って────勝てますか? この戦力で」

 

 準一級(レベル4)冒険者【生命の唄(ビースト・ロア)】カエデ・ハバリ

 第一級(レベル5)冒険者【甘い子守唄(スウィートララバイ)】ペコラ・カルネイロ

 第二級(レベル3)冒険者【魔弓の射手】ジョゼット・ミザンナ

 【ロキ・ファミリア】が誇る戦力の中でも十二分に第一軍、第二軍に参加する事が許された強者である彼女等三人。

 これだけの戦力が揃っているのなら、大半の冒険者は蹴散らせるであろう事は間違いない。

 オラリオ内の冒険者であってもやすやすと手が出せない強者三人に対し、オラリオ外の冒険者が勝つ事は不可能。そのはずであるにも関わらず、カエデは苦い表情を隠しもせずに尻尾を震わせた。

 

「無理です。勝つなんて……()()()()()()()()()()

 

 青褪め、震え、それでも気丈に刃をヒヅチに向けるカエデの姿にジョゼットが目を見開き、ペコラが目を瞑る。

 対するヒヅチは頬を彩る入れ墨を撫でながら静かに刀をカエデに向けた。

 

「邪魔をするのなら、本当に殺すぞ?」

 

 向けられたのは殺気、ではない。そんなモノは向けられていない。

 まるで路傍の石ころ、否、道を塞ぐ岩に向けられる様な、ただ道を塞ぐ邪魔なモノにでも向ける様な視線。殺気等という()()()()()()()()()()()は何もない。

 殺す、そう口にしながら殺意すら向けない姿にカエデが身を震わせ、ペコラが静かに目を見開いてヒイラギに語り掛けた。

 

「ペコラさんが何とかしますので────ヒイラギちゃんはジョゼットちゃんの所へ、カエデちゃんと一緒に逃げてください」

「は? 何をする気だよ」

 

 腕に抱き締めていたヒイラギの体を放し、ペコラは背負っていた巻角の大槌の柄をしっかりと両手で握りしめ、肩に担ぐ。

 ペコラの動きを見たヒヅチが視線を彼女に向け、呟いた。

 

「引き渡す気になったか?」

 

 無機質でいながら、感情の篭った矛盾した彼女の声にカエデが身を震わせ、ペコラがヒイラギを静かにジョゼットの方に押し出しながら一歩、また一歩と踏み出して前進し始めた。

 それを見たジョゼットが目を剥き、ヒイラギを抱き寄せて声を上げた。

 

「ペコラ、何をするつもりですか」

「……うぅん、別にトクベツな事は何もしないですよ」

 

 真っ直ぐ言って大槌を振り下ろす。それ以上の事が自分には出来ないのだと笑い、ペコラが吠えた。

 

動くな

 

 その言葉に驚愕を示したのはカエデのみ。『邪声』系の技の一つ『呪縛命令(バインド・オーダー)』。『聖律』『聖声』系の技を得意とするペコラが放つのには不釣り合いなソレ。

 第一級(レベル5)から放たれる回避不可能にして格下相手に確実に()()()その技は目の前の人物に確かに刺さった。其れ処か完全にはまった。

 

 ヒヅチ・ハバリの動きが完全に止まった。それを見たペコラは迷わず真っ直ぐ突っ込む。

 

動くな

 

 重ねて発動し、効力を強め、ペコラがヒヅチの目の前で大槌を振り上げる。それと同時にカエデが駆け出した。

 敵味方問わずに効力を発揮してしまう『呪縛命令(バインド・オーダー)』だが、カエデは自身の持ち得る『呼氣法』を駆使して無効化でき、そもそもジョゼットは旋律スキルの効果を受けないスキルを持ち合わせている。

 残念な事に【恵比寿・ファミリア】の生き残りはほぼゼロ。先程信号旗を振るっていた者も、気が付けば短矢に撃ち抜かれて絶命している。そうであるが故に効力が効いたのはヒヅチとヒイラギの二人のみ。

 

「でぇやぁっ!!」

 

 ペコラの全力の振り下ろしがヒヅチの脳天を穿ち、そのまま狐人を叩き潰した。

 轟音と共に甲板がめくれ上がり、へしゃげ、大穴を開けた。

 飛び散った木片からヒイラギを庇いつつもジョゼットが顔を上げれば、ヒヅチが居た位置に空いた大穴と、それを見下ろすカエデとペコラの二人の姿が黒煙越しに見える。

 ボスンボスンと不可思議な音が響くと同時にその大穴から黒煙と炎が立ち上がったのを見てジョゼットが舌打ちし、響いた破砕音に目を剥いた。

 ガスンッガスンッと木製の船体を穿ち貫く音。そしてギチギチと縄の軋む音と同時に船が斜めに傾斜しだした。

 

「何が起きて、これは……」

「な、なんだありゃ、あっちの船からなんかとんできたぞ!」

 

 ヒイラギが指さしたのは一番艦、その側面から突き出た無数の太い縄。

 驚きの表情を浮かべたジョゼットを他所に一番艦の側面の小窓がギチギチと音を立てて開き、鋭い切っ先を持つ大型弩(バリスタ)の矢とも形状が異なる矢の様なモノが突き出てきた。平らな形状の鏃を持つ不可思議な代物は、響く猫人(キャットピープル)の号令と共に放たれた。

 

「放てっ!」

 

 バシュンッという独特の発射音。そしてその太い矢の様な何かはジョゼット達の乗る二番艦の甲板に突き刺さる。その矢の後部には太く丈夫な縄が付いており、船内で爆発音を響かせて止まった。

 

「これはいったい……」

 

 ジョゼットが驚きの表情を向けるその兵器は【恵比寿・ファミリア】が開発した『捕鯨砲』である。

 本来の使い道は海上から海中に居る大型モンスターに打ち込み、強引に船上に引き上げて討滅する為の代物であるが、彼らはそれを大地への緊急着陸およびに破損した僚艦の保護の為に使用している。

 矢の先端部分は刺さった銛が抜け落ちるのを防ぐため、突き刺さると同時に装てんされた火薬が爆発して鋭いスパイクが開き、銛を対象に固定する。

 返しが付いたその牽引用の縄がギチギチと音を立てて引っ張られ、操舵不能に陥っていた二番艦が半ば強引に一番艦に引き寄せられ始める。

 

 急ぎ周囲を確認すれば空を飛ぶ殆どの鳥の式は落とされ、数少ない式も一番艦の前方部から放たれる高精度の射撃────ベート・ローガが放つ大型弩(バリスタ)用の矢によって牽制されて近づけない。

 

「……このまま一番艦に乗り込んでしまえば」

「あぶねぇっ!」

 

 ジョゼットが腕に抱えていたヒイラギが唐突に叫び、腕の中で暴れる。

 

 響く鋭い斬撃音。音につられて視線を向けた先。真っ赤な血を飛び散らせたペコラがよろめきながら膝を突く姿がジョゼットの瞳に映った。

 驚愕が脳裏を支配し、思考が停止する。

 ペコラの持つスキルはありとあらゆる損傷(ダメージ)を打撃損傷(ダメージ)に変換すると言うモノ。其の為、ペコラは裂傷等の傷を負う事は無い。

 常に打撲や骨折等の打撃による負傷ばかりするペコラが斬られた。それも羊人特有のスキルによって損傷(ダメージ)を割合軽減するという無敵に近いスキルを最大効率で発動するもふもふのセーター姿のペコラ・カルネイロが、である。

 ジョゼットの知る限り、それこそガレスの全力の一撃を受けて耐え切る程の耐久を持つ彼女が膝を突いた。

 そして何よりペコラの背後、カエデが目を見開いたまま青褪めた表情で震えている姿に言葉を失った。

 

 つい先ほど、甲板を粉砕する一撃が直撃し姿を消したヒヅチが平然と立っている。

 ペコラとカエデに切っ先を向け、額から血を流した彼女が口を開いた。

 

「良い一撃であった。うむ、本当によい一撃だ……」

 

 罅割れた首輪が音を立てて砕け散り彼女の足元に鎖と首輪の残骸が散らばる。

 ヒヅチ・ハバリを繋ぎとめていた楔であるその首輪と鎖。彼女はヒイラギ・シャクヤクの奪取を目的としていたはずで、先程まで正気を失っている反応しかしていなかったにもかかわらず、今の彼女は非常に感心した様にペコラを褒めていた。

 背筋が泡立ち、鳥肌が立つ。()等という曖昧なモノを持ち合わせていないジョゼットにすらわかる。彼女は不味い、何がとは言わない。すべてが不味い。

 

「ペコラっ! カエデさんっ! 逃げ────」

 

 赤い花が咲いた。膝を突いていたペコラが大槌で防御しようとし、そのまま刃で柄諸共切り捨てられ、倒れ伏す。

 カエデが慌てたように立ち上がり、百花繚乱を構え────ぽとりと腕が落ちた。

 驚愕の表情を浮かべ、呆気にとられたカエデの腕。左腕が綺麗に切断され、手にしていた百花繚乱諸共甲板を転がった。

 腕に着けていた手甲も含め、綺麗に切り取られた断面。ピンク色の筋肉に黄色い脂肪、白い骨、色鮮やかな断面を晒すその切断面を呆然とカエデが見つめ────血が噴き出した。

 切断された左腕を押さえ、カエデが膝を突く。痛みは無いのか、それとも痛みを感じる間も無かったのか切断されてから数秒経ってから思い出したかのように噴き出した血。一瞬で甲板を赤く染めるカエデの血と、倒れ伏したペコラの血が混じり合い、炎が照らす甲板を地獄絵図へと変えた。

 

 

 

 

 

 斬られた。腕が、落ちた。

 斬られた。ヒヅチ・ハバリに斬られた。

 いつ、どうやって、どのように。

 

「あ、ああぁぁああああああっ」

 

 口から飛び出したのは悲鳴の様な叫び。痛みは、不思議となかった。

 ただ傷口から噴き出す血が、命の源が凄まじい勢いで身体から減っていくのを感じるのみ。

 斬られた時も、自身の腕が甲板に転がった時も、血が噴き出すその時も、そして血が噴き出る今この瞬間であっても、痛みは無い。

 ただ、熱い。傷口から溢れる血が灼熱の溶岩の様な熱を放っているかのようで、思考が全て持って行かれた。

 今すぐ落ちた腕を拾い上げ、高位回復薬(ハイ・ポーション)を使って腕の接続を行えば、大丈夫。それがわかっていてなお動けない。

 まるで噴水の様に溢れる血。一瞬で思考が重くなり、体が重くなり────目の前に切っ先が突き付けられた。

 

「痛いか、すまんな。苦しめる積りはない。すぐに────楽にしてやるからな」

 

 あぁ、どうしてだろう。

 ヒヅチが自分に刃を向けている。

 ヒヅチが自分に殺意を向けている。

 ヒヅチが自分を殺そうとしている。

 それなのに、ヒヅチは他ならないワタシの為に動こうとしているのが理解できた。

 

『例え世界の全てが敵に回ろうと、ワシだけはお前の味方でいてやる』

 

 ヒヅチは、今この瞬間。ワタシを殺す為に刃振るっていてなお、ワタシの味方なのだ。

 振り上げられた刃の切っ先。周囲に立ち込める黒煙と炎、飛び散った血が織りなす赤と黒の対比(コントラスト)の中、金色の毛並みと鈍く輝く鋭い切っ先がやけに印象に残る。

 

 回避は、出来ない。動こうと足に力を込めても、立ち上がれない。

 

 それで、良いのだろうか。ワタシは、此処でヒヅチに────。

 

死ぬな(諦めるな)生きろ(足掻け)、心の臓が音を止めるその瞬間まで』

 

 身を捩る。落ちていた腕を胸に掻き抱きながら、背中に走る鋭い熱を感じながら、身を投げ出す。

 背中に感じる熱が、背中から溢れ出す赤色が、戦闘衣(バトルクロス)を染め上げる。

 腰のポーチから高位回復薬(ハイポーション)を引っ張り出す。口で栓を引っこ抜き、中身を口に含む。小瓶を投げ捨て、右手で切り取られた左腕の断面を合わせて口に含んだ液体を拭き掛け、即座に左手を放して右手で投擲短剣を投げ、投げ、投げた。

 目の前で散る火花は、ヒヅチが放つ斬撃とワタシが投げた投擲短剣がぶつかり合うモノで、チカチカと真っ赤に照らされたヒヅチの金色と、火花の色合いが視界一杯に移り込む。

 

 まだ、心臓は動いているか? 動いている。いっそ止まってくれた方が静かで良いと思える程に爆音を立てて跳ねる心臓。胸を突き破って飛び出してきそうなぐらいに跳ね回る鼓動に突き動かされ、落ちていた【恵比寿・ファミリア】の団員の武装だったらしい曲剣(シミター)を振るった。

 一瞬で刀身が罅割れ、二撃目で砕け散り、残骸を散らす。

 商売系ファミリアである【恵比寿・ファミリア】が取り扱うだけはある。性能は良かったはずだ、実際手にした感触も【ヘファイストス・ファミリア】のブランド品に多少劣る程度でしかない程の高品質な代物だと言えるものだった。

 少なくとも下級冒険者が持つ武装としては最上級処か過ぎたる物だと言える代物。それでもヒヅチの前で握るには不足し過ぎている。せめて百花繚乱程の性能がなくてはいけない。

 しかし、肝心の百花繚乱はヒヅチを挟んだ向こう側に転がっている。回収しようにもヒヅチを突破しなくてはいけないのに、百花繚乱無しで突破等不可能だと言える。

 それにペコラさんを治療しなくてはいけない。瀕死の重傷を負いながらも、即死を免れたペコラが血を吐きながらもぞもぞと動いているのが目に入り歯を食いしばる。

 

 彼女に構っている余裕が無い。むしろワタシが助けて欲しいぐらいだ。

 

 振るわれる刃が頬を掠める。拾い上げた曲剣(シミター)を振るい、ヒヅチの和装のひらひらした袖に絡めとられた。

 布操術、そう呼ばれる技法があるとは何処かで聞いていた気がする。確か自身の衣類すらも武器として扱って敵を制圧する為の武術だったはずだ。例え無手であろうと────ひらひらとした袖が鋭い刃にもなれば、敵の武装を奪い去る長い腕にもなるというモノ。

 そう、ヒヅチが教えてくれたものだ。ワタシでは扱い切れないとそういう武術があるとしか教えてもらえなかったソレ。

 

 気が付けば自身の腕にヒヅチの袖が絡んでいる。ワタシも似たような水干を身に着けているのだから、反撃として行えれば良かったのに。

 腕が引っ張られる。ただの布地のはずなのに、準一級(レベル4)の力をもってすれば引き裂けるはずのただの布地のはずなのに、なぜかその布は裂けない。引っ張られるがままにヒヅチに吸い寄せられ────横からの衝撃で吹き飛んだ。

 

「カエデさん、無事ですか」

「……ありがとうございますっ」

 

 ジョゼットさんが放った矢が直撃した。そのおかげでヒヅチの斬撃圏内から一気に抜け出せた。しかし、もう下がれない。

 自身の背が手摺りに当たる。一瞬だけ後ろを見れば、焼け焦げて黒くなった船の手摺り。当然その向こう側に足場なんてある訳もなく、これ以上下がれない。そして周囲に武器になりそうなモノが無い。

 背水の陣よりも酷いかもしれない。背後が川なら運が良ければ生き残れるかもしれないが、雲の上から地上まで真っ逆さまであるならば確実に死んでしまうからだ。

 

 

 

 

 

 カエデが息を呑み、ヒヅチを睨み────声が響いた。

 

「アマネっ! 早く頭脳を確保せよっ」

 

 先程のハイエルフの老婆。彼女が大声を張り上げてヒヅチに叫ぶ。

 対するヒヅチは一瞬だけちらりと老婆を見やり、溜息を吐いた。

 

「お断りじゃ、ワシはやる事がある」

「っ! 貴様、首輪を破壊したなっ!」

「……ワシが壊したのではないのだがなぁ。おい、ワシを縛るな、動けんじゃろ」

 

 ヒヅチはカエデを見据えたまま動きを止め、怒気を孕んだ声を上げた。

 彼女の頬を彩る刻印が怪しく輝き、ヒヅチの動きを阻害している。今のうちにとカエデが百花繚乱を手にすべく動こうとした瞬間にカエデの目の前に火球が叩き込まれ、爆炎を上げてカエデの動きを阻害した。

 

「動くな、小娘……」

 

 ヒヅチを操る為の『隷属の刻印』そしてその効力を強化する『首輪』、二つ揃ってようやく操れるヒヅチ・ハバリという女性。狂気に彩られ本来の在り方が歪み────それでも愛おしい者の為に刃握る彼女を操るすべが失われた。

 老婆は静かに俯き、溜息を零し、声を上げた。

 

「黒毛の巨狼の長よ、話がしたい」

 

 どろどろと濁り、淀んだ瞳で黒煙立ち昇る船を見下ろす。一番艦から飛んでくる投げ矢を魔法で無力化しながら、彼女は大袈裟な仕草で両腕を大きく広げて語りだす。

 

「巨狼の滅びの原因は神々にある。それはもう聞き及んでいるのだろう? ならばお前も神を恨む一人だ。今すぐ姿を見せてはくれないか? もし姿を見せるなら────彼女等を解放しよう」

 

 杖を振るい、太いロープで結ばれた二番艦の一部を吹き飛ばす。爆炎が上がり、船体の後部が大きく欠けて傾斜が増した。機関が停止したのか、それとも出力不足に陥ったのか少しずつ船体が下がりだす。一番艦の方からベートの『ふざけてんじゃねぇぞ』という叫びが響く中、老婆が静かに杖を下ろした。

 

「アマネも、その裏切り者も解放してやる。だから私の手を取れ、巨狼の頭脳よ」

 

 数少ない生き残りを人質に取り、隠れたヒイラギに語り掛けるハイエルフの老婆。彼女は静かに甲板を見下ろし、黒毛の狼人の少女を見つけて口元を歪めた。

 

「さぁ、私と共に来るのだ」

「……お断りだよ」

「────は?」

 

 断られるとは微塵も考えていなかったのか、彼女は呆けた顔をしたのち、目を細めた。

 

「神に裏切られ、殺された同胞の恨みを晴らそうとは思わないのか」

「思わない。アタシら黒毛の巨狼は、選択を間違えたんだよ」

「間違えたのは神の責任であろう。何故神を恨まぬ」

「……人にも良い奴と悪い奴がいるだろ? 同じように神にだって良い奴がいるんだ」

 

 ヒイラギの言葉に老婆は口角泡を飛ばし、叫ぶ。

 

「ふざけるなっ! 神は我々地上の人々を玩具程度にしか考えていないのだぞっ!」

「そういうのも居るって話だけどよ────」

 

 恐れる事も無く、隠れていた木箱の影から出てきたヒイラギ・シャクヤクは苛立った様に老婆を見上げて睨み付けた。

 

「────アンタだって同じじゃねぇか」

「は? 私が神々と同じ? 何処が」

「何処が、じゃねぇよ。ヒヅチ姉ちゃんを、カエデ姉ちゃんを、道具としか思ってねぇんだろ?」

 

 ヒヅチ・ハバリを刻印と首輪で縛り付けて操ろうとした。

 カエデ・ハバリを頭脳であるヒイラギを使って操ろうとしている。

 

「神と何が違うんだよ、アタシにはわかんねぇ」

 

 幼い狼人の指摘にハイエルフの老婆が震え、抑えきれないドロドロとした憎悪の篭る声を上げた。

 

「私が、私が神と同じだと? この、私が……あの、神々と、同じ?」

 

 ガタガタと異常な程に体を震わせる姿にカエデが顔を引き攣らせる中、唐突に大槌が老婆の乗る鳥の式にぶち当たった。

 

「なぁっ!?」

「隙ありって奴ですよっ! ジョゼットちゃんっ!」

「わかってますっ!」

 

 老婆が乗っていた鳥の式がペコラの投げた巻角の大槌によって消しとばされ、老婆が中空に投げ出された瞬間、彼女に向かって無数の光矢が飛翔する。

 密かにペコラを治療したジョゼットと、治療されたペコラの不意打ち攻撃。驚愕した老婆が杖を振るい自身を守る障壁に包まれ、そのまま雲を突き破って落ちて行った。

 

「よしっ、ハバリさん、攻撃をやめて────」

 

 ヒヅチを操っていた張本人を離脱させることに成功したペコラがヒヅチに向き合おうとし、目を見開いた。

 金髪の狐人の腕の中に、ヒイラギ・シャクヤクの姿があったのだ。

 

「な……いつの間にっ」

「放せよっ、放せって!」

「ヒイラギ……」

 

 カエデの気付かぬ間にヒイラギを確保したヒヅチは、静かにカエデを見据えて呟いた。

 

「カエデ、良いか? 自分を見失うな。誰の命令でも、頼みでもない、自身の抱く想いを貫け」

 

 ぞくりとする感覚。ヒイラギが暴れるのを気にも留めず、ヒヅチ・ハバリは静かに、微笑んだ。

 まるで、そうまるで何時もヒヅチがカエデに対して向ける、愛情の篭った微笑み。

 

「強く生きろ」

「まってっ!」

 

 カエデが手を伸ばし、武器も何もないというにも拘わらずそれでもヒヅチに向かって走ろうとしたところで、ヒヅチの姿が霧に包まれていく。

 

「お願い待って、ヒヅチっ!!」

 

 驚愕の表情を浮かべたペコラ、ジョゼットの二人。そして呆然とした様子でヒヅチの立っていた場所に倒れ込んだカエデ。

 血によって赤黒くそまった緋色の水干の重さを感じながら、カエデは拳を握り締めて呟いた。

 

「他の誰でもない、ワタシだけの、想い……」

 

 ヒイラギ・シャクヤクが連れ去られ、残ったのは炎上し今にも落ちそうな飛行船のみ。

 ガゴンッと音を立ててようやく一番艦が接舷し、ベートとフィンが駆け寄ってきたのを見ながら、カエデは握り締めた拳を甲板に叩きつけた。

 

 

 

 

 

 ヒイラギの体を抱きながら空を行く。

 呼び出した鳥の式に身を任せ、空を行くヒヅチは腕の中で暴れるヒイラギの頭を優しく撫でた。

 

「大人しくせい」

「放せっ、糞っ」

「……安心しろ、お主を傷付ける積りは無い」

「姉ちゃんを殺す積りだろっ!」

 

 腕に噛みつき、必死の抵抗を続ける彼女に苦笑を浮かべ、ヒヅチは雲の上に浮かぶ船を見つめた。

 既に襲撃者は去り、残ったのは炎上した二番艦と鎮火し終えて二番艦を救おうとする一番艦。

 猫人の少女が賢明に()()()()で二番艦の撃沈を防ぎ、その間に火を消さんと動き回る様を見たヒヅチは小さく呟いた。

 

「狂っておる、か……」

「放せって言ってんだよっ!」

「お主、此処で放したらぺちゃんこになって死ぬが良いのか?」

「…………うるせぇっ! 姉ちゃんを利用しようとするやつなんて知るかっ! シェト姉ちゃんまで殺しやがってっ!」

 

 シェトという名を聞いて考えを巡らせ、ヒヅチは小さく吐息を零した。

 

「いや、多分死んどらんぞ、そのアマゾネス」

「は?」

「派手に血を流しておったが、あ奴普通に死んだふりしてただけじゃしな」

 

 最初に斬り捨てた彼女。なんだかんだ言いつつも彼女は致命傷を回避した上でド派手に血を流しながらも止血だけはしっかりと行い、その上で死んだふりを敢行した。

 おおよそ想像は付くがホオヅキに脅されている内容と此処で立ち上がる危険性を天秤にかけ、ホオヅキがほぼ死んだも同然の状態であるからと死んだふりをしてヒイラギを見捨てたのだろう。

 

「まあ、あの船を襲撃した式は全てワシが操っとったからのう。あそこでの死者はワシの責任といえばそうじゃな」

「……なあ、ヒヅチ姉ちゃんって狂ってるって聞いてたんだけどよ、もしかして狂ってないんじゃ」

「いや、ワシは狂っとるよ」

 

 自身の事を狂っていると称したヒヅチは雲を抜け大地を見下ろせる高度になった所で鳥の式に高度を維持する様に指示を出し、微笑んだ。

 

「ワシは本気でカエデを殺そうとしている」

「……にしては手を抜いてる様に見えたぞ」

「まあ、手を抜いたからな」

 

 ヒヅチの言葉を聞けば、きっとカエデは驚愕のあまりスッ転ぶことだろう。一瞬で追い詰められたにも関わらず、ヒヅチが()()()()()()()等と言われれば当然であるが。

 

「まぁ、殺す気はないのだがなぁ」

「……何がしたいんだ?」

「とりあえず、お主を安全な場所に送る。ツツジとの約束もあるしな」

「…………なぁ、一つ聞いていいか? アンタ誰だ? ヒヅチじゃネェだろ」

 

 ヒイラギの言葉にヒヅチが目を細める。

 彼女の母からも同じような質問をされた事を思い出しながら、彼女は呟いた。

 

「どうしてそう思ったんじゃ?」

 

 彼女がどうこたえるのか、ヒヅチはその言葉を思い浮かべ、きっと『勘だ』とでも言うのだと苦笑を浮かべた。

 

「なんとなく、勘だけどさ」

「ほう、そうか。ではそう言う事にしておこうかのう」

「……いや、どっちなんだよ?」

「すまんが今は答えられんな、まあ答えはもうカエデに伝えてあるが」

 

 カエデは妙に頭が固い所がある。父親であるツツジ・シャクヤクに似てしまったのだろう。其処さえなければ、もっと柔軟に────そう考えた所でヒヅチは目を細めた。

 

「いや、カエデはあのままで良いな」

「……?」

 

 彼女の母の奔放さと頭の回転の速さ。そして()の一言で全てを片付けるという適当具合をカエデが引き継いでいなくてよかったと、()()()は笑みを零した。



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『前に進む者・立ち止まる者』

『ウチの眷属は一人も減ってないで』

『そっかぁ、じゃあぼくの眷属だけかぁ』

『と、噂をすれば、あの雲の影に見えるんがアンタの所の船やろ』

『あぁ、そうだよ……三番艦が見当たらないね』

『せやな。ついでに他の船もボロボロやな……煙吹いとるで』

『……ロキ、謝るよ。ごめん』

『ウチの眷属は無事みたいやから許したる』


 オラリオ創設以降数多くの冒険者が命を落とし、そして運良くその(むくろ)が地上まで運ばれてきていれば、この壮大な共同墓地に葬られ、運悪く死体が上がらなければその名のみが刻まれる。

 広々とした霊園。物寂しい雰囲気漂うこの場所をグレースは嫌っていた。

 手にしているのは花束。わざわざ慣れぬ花屋に立ち寄って買い漁ったモノだ。

 花言葉の意味等知らぬと言わんばかりに、ただ目に付いた花を束ねて貰っただけの代物。本来なら死者に送るべきではない花まで混じり合ったその花束を持ったヒューマンは深い溜息を零した。

 

「なんでこんな所に来たんだか」

 

 灰色の髪。腰まで伸ばしていたその髪をばっさりと肩の当たりで切り、短くなった髪を揺らしながら腰に差した湾曲剣(ケペシュ)と背負った片刃槍(グレイブ)。身に着けた軽鎧姿の少女は目的の墓を見つけると乱雑に花束を落とした。

 事件の後、わざわざ自分好みの湾曲剣(ケペシュ)と加えて兎人が好んで使っていた片刃槍(グレイブ)を使いだした彼女は墓の前に立ち尽くし、墓場を流れる風を感じながら、小さく呟いた。

 

「ねぇ、アリソン。アンタはアタシを恨んだりとか、してる?」

 

 カエデを狙った【ハデス・ファミリア】の襲撃。

 最初に行方不明となったのは兎人のアリソンと、エルフのヴェネディクトス。

 アリソンはカエデを売る事を拒み、拷問の果てに冒険者として再起不能とされ────グレースと共に逃走しているさ中に命を落とした。

 あの時の事をグレースは今でも思い出せる。

 

 アリソンを背負っていたのは、グレースだった。

 背に感じる暖かさ、何度も『もうすぐ逃げれるから』と励ましの声をかけ、彼女を安全な場所まで連れて行こうとした。

 途中、鎖の音色が響き始めた所でアリソンが小さく呟いたのだ。『置いていって』と。

 耳朶を打つ彼女の声に際限なく苛立ちが募っていく。今までがそうだった、いつもグレースは置いて行かれる側であり、()()()()()()であった。だからこそ、彼女の言葉に叫び返した。

 絶対に、嫌だと。

 響く鎖の音色。仲間の足に絡みつく鎖。慌てて手を伸ばした所で、アリソンに突き飛ばされた。

 壁から生えた剣に斬り捨てられたアリソンの体が投げ出される。ヴェネディクトスの悲鳴の様な叫びと、アリソンの『逃げて』という台詞が交じり合い。そのままアリソンは鎖が巻きつき、消えてしまった。

 

「畜生……」

 

 何故彼女が、自分ではだめだったのか。

 あれから数日が経過してなお、色濃く記憶に残る光景がグレースの苛立ちを加速させる。

 

 他のレベル1の仲間の死体が次々に鎖に巻き取られて連れていかれる。そんな中、ヴェネディクトスは涙を流しながらつぶやいたのだ。

『グレースが無事でよかった』と

 その言葉が、どれだけ彼女を苛立たせたのかきっと彼は知らない。彼女の生い立ちを知る癖に、彼女の嫌う言動を全く知らない愚かなエルフの少年。

 一時は恋仲となっておきながら、あの件の終わりと同時にその関係を終わらせた彼。

 

 ヴェネディクトス・ヴィンディアというエルフの少年。

 男のくせに線は細く、魔法使いとして鍛えられていない細っこい体つきをした、優し気な風貌の少年。

 グレースと恋人の関係にあった彼は、今は【ロキ・ファミリア】にはいない。

 仲間を売り払い、グレースの命を守ろうとした。

 

「アイツは、あの馬鹿は、あたしが嫌いな事を平然としでかしやがったのよ」

 

 墓の下に眠る兎人に声をかけても、返事は返って来ない。

 置いて行かれる苦しみを知っている。だから置いて行かれるのは大嫌いで、彼女は静かに俯いて涙を零す。

 

「好きだったわ、でも大嫌いになった。でも……でも、やっぱりまだ好きなのよ」

 

 混ざり合ったぐちゃぐちゃの頭の中。懐から一枚の写真を取り出し、グレースは引き攣った笑みを浮かべ、呟いた。

 

「アレックスの阿呆は死んだし。アリソンも死んだ。ヴェネディクトスは何処か行っちゃって、カエデは…………変わったわ。別人みたいになってた」

 

 【ロキ・ファミリア】が行っていた第三級冒険者向けの『遠征合宿』の際に同じ班に編成された第三級冒険者だった頃の五人のメンバー、そして一人の隊長。

 はにかんだ笑顔が眩しい兎人の少女、不貞腐れた表情の虎人の青年、いら立ちを隠しきれないヒューマンの女性、どんな表情をすればいいのかわからずにいた狼人の少女、無表情に近いエルフの青年。そしてまとめ役として抜擢され、責任と不安で頬を引き攣らせたヒューマンの青年。

 あの一件からまだ一年処か二ヵ月も経っていない。そう、二ヵ月前にはまだ全員が生きていて、なんとか上手く纏めようと動くラウルに従って空中分解寸前のパーティという形を保っていた。

 

「……あの時にさ、アレックスをちゃんと注意してたら、あんな風にはならなかったのかな」

 

 言う事を聞かず、横暴に振る舞う愚かな虎人。

 グレースはヴェネディクトスと揃って彼を無視していた。どれだけ声をかけても無駄だと断じ、居なくても良いとすら思っていた。

 そんな中でどうにか仲を取り持とうとしたのは、今目の前の墓の下で眠る兎人一人のみ。カエデは戸惑いながらもなんとかしようとしていたが、それでも本格的に仲を取り持とうとしたのは彼女だけだろう。

 もしも虎人の青年を説得できていれば。もしも彼の苛立ちの原因を取り除いてあげる事が出来ていたら、虎人が起こした事件は起きなかった。

 そうすれば、もしかしたらその虎人が【ハデス・ファミリア】との抗争のさ中、兎人の命を救ってくれたのではないか。

 馬鹿げた想像を脳裏に描き、グレースは溜息と共にその想像を大地に落とした。

 

「はぁ……馬鹿ね、終わった話なのにさ」

 

 兎人の少女は命を落とした。どうしようもなく糞ったれな理由を以てして、命を奪い去られた。

 もしも、もっと自分が強ければ。

 

「あー、カエデの言う事なんとなくわかったかも。そうよね、悔やんでももう遅いわ……」

 

 狼人の少女。常に不安そうな表情でびくびくしてた彼女。

 臨時パーティであるあのメンバーの中で飛び抜けて強かったあの幼い狼人。

 後悔した時には遅い。だから常日頃から努力を惜しまず、前に進み続ける。そんな戯言の様な生き様を貫き通さんとしていた背中の幻影を脳裏に浮かべ、グレースは静かに微笑んだ。

 

「あんたの言う通りだわ、もっと、もっと強くならなきゃ……だってさ、もしもの時って何時? そりゃ、今すぐなんだろうしさ」

 

 無造作に置かれた花束。数多くの名の刻まれた墓石。

 【兎蹴円舞】アリソン・グラスベルという名を見つめ、グレースは拳を突き付けて握り締めた。

 

「最初に死ぬのは、あたしだってずっと思ってた。理由なんて一つよ────それだけ馬鹿な戦い方してたってだけの話」

 

 自らの身を省みることなく、ただ敵に対し抱いた怒りを発散する様な戦い方。そんな戦い方では遅かれ早かれ命を落とす。それは知っていたし、なんなら短命という宿命を背負ったカエデより早く死ぬつもりですらあった。

 それがヴェネディクトスとの恋で薄れ、気が付けば先にアレックスが死に、アリソンが死んだ。

 

「あたしさ、置いていかれるの、大嫌いなんだよ」

 

 自身の両親に置いて行かれた。そして自分は両親を置いて先に進んだ。

 アレックスは、自業自得だった。だから気にも留めていない、そう言い切れなくはない。

 アリソンは……運が悪かった。

 

「運かぁ」

 

 【恵比寿・ファミリア】には『運』を操る猫人が居る。その姿を直接見た事もある処か話したこともあるグレースは空を見上げ、ふと記憶の片隅から情報を引っ張り出して呟いた。

 

「そういえば、カエデって確かその運を操る奴から依頼受けて空の上だっけ?」

 

 期間的には今日の晩には帰還するはずだったと思い出したグレースは首を傾げつつも大きく頷いた。

 

「ま、残ってるのはあたしとカエデだけだし、どこかでパーッと酒でも飲みに行くか」

 

 カエデは酒を飲めないだろうから、適当に絞った果汁でも飲ませて。遠征合宿メンバーの()()()()として一緒に食事でも。

 自らの暗い考えを放り出し、グレースは口を開いた。

 

「という訳だから、アリソン、暇だろうけどもう少し待ってなさい。あたしも第一級冒険者になってから、そっち行くから」

 

 場所ゆえに人の少ないその場所。寂し気な雰囲気漂う墓所に背を向け、グレースは歩き出した。

 

 

 

 

 

 人通りの少ない『ダイダロス通り』の一角。

 外套を深々と被って顔を隠したエルフが一人で枯れた噴水の縁に座り込んでいた。

 入り組んだ道の中、道に迷った訳ではない。『道標(アリアドネ)』を辿れば出られる。だが彼はその場を動く気にはなれなかったし、動こうともしなかった。

 此処に来る途中、知り合いだったヒューマンの女性が花屋で慣れぬ花選びに悪戦苦闘しているのを見てしまった瞬間から、指先が痺れ、必死に足を動かして入り組んだ地上の迷宮をさ迷い歩き、枯れ果てた噴水へと辿りついたのだ。

 フードの隙間から覗く線の細い顔立ち。ほんのわずかに見え隠れする萌黄色の髪。手にしているのは半ばで折れた木製のスタッフ。

 ヴェネディクトス・ヴィンディアは静かに溜息を零し、空を仰いだ。

 フードがめくれ、日差しが顔に差し込み、目を細めながらも彼は呟いた。

 

「グレース、アリソン……カエデ」

 

 かつて、【ロキ・ファミリア】の『遠征合宿』の際に同じメンバーとして活動した者達。

 女性比率の高いファミリアだからこそ、男性二人に女性三人というバランスであったパーティだが、一人を除いてみな良き仲間であった。

 アリソンとカエデが深層遠征のメンバーに選ばれ、地上に残されたヴェネディクトス、グレースの二人。

 それとなく距離が近づき、いつの間にか恋人となり────そして今は赤の他人になった。

 

「愛してる、ぼくは今でも愛してる」

 

 太陽の眩しさに目を眩ませたまま俯き、滴る雫をそのままにエルフの少年は呟く。

 グレースを助ける為、彼女以外のメンバーを売り飛ばす真似をした事を後悔はしていない。むしろグレースが命を落としていたらきっと彼は立ち直る事なんて出来ない処か自暴自棄になって暴れていただろう。

 けれど、そんな彼の選択を彼女は許さなかった。

 

「愛してるんだ、今も、これからもずっと」

 

 仲間を売ってまで、助けて欲しくなんてなかった。彼女はそう言って怒った。

 自分の命と、仲間の命。どちらが大切かなんて決まってる。仲間だと、彼女は言い切った。

 それでも彼にその選択は出来ない。そして結末が同じになろうが、なんどやりなおした所で、彼はカエデを生贄に捧げようとするだろう。

 結果、アリソンが命を落としても。ウェンガル先輩が命を落としても。グレースが生きていてくれるなら、彼は何度やり直しても同じ答えを連ね続ける。

 

「……ぼくは、何をしていたんだ」

 

 グレースと恋人の関係を解消されたのち、ヴェネディクトスは自ら【ロキ・ファミリア】を脱退した。

 理由は、グレースと顔を合わせるのが辛かったから。ではない、彼女が自分の顔を見る度に隠しきれない苛立ちを感じていた様子だったから、ヴェネディクトスは彼女と距離を置いたのだ。

 彼女を傷つけたくないから、彼女に生きていて欲しいから、彼女には笑っていて欲しいから。色々な理由が浮かぶが、その中心にあるのは一つ。

 

 ヴェネディクトス・ウィンディアはグレース・クラウトスを愛しているから。それだけだ。

 

 【ロキ・ファミリア】を脱退して以降、『オラリオ』の外へ行くつもりだった彼だが、神ロキによって強制的に止められた。理由は、外は危険だから。

 かつて自分と同じ様にファミリアを脱退した人物がいた。ディアン・オーグというヒューマンの青年。同じ第三級冒険者の彼は、オラリオの外で命を落とした。

 商隊の襲撃に巻き込まれ、致命傷を負ってオラリオまで逃げ帰り、そのまま死んだ。

 ヴェネディクトスも同じように死ぬかもしれない。危険だからオラリオから出ずにファミリアを探した方が良い。そんな勧めを聞いたヴェネディクトスは、勧めの通りにファミリア探しをしていたのだ。

 しかし、仲間を売る選択をした馬鹿なエルフという噂が流れ、想像した様にはいかず、今なお次のファミリアを見つけられずにいたのだ。

 今日も今日とてファミリア探しをしているさ中、ふと気になった後姿を見つけてしまい、彼女だと気付いた。

 

「……アリソンの、墓参りかな?」

 

 腰の辺りまで伸ばしていた髪をばっさりと斬り捨てた、グレースの姿に息を呑んだ。

 花屋の店先、うんうん唸りながら花を手に取ってこれで良いかと最後には適当に花束にしていた彼女。

 選ばれた花の種類は支離滅裂といって差し支えなく、人に贈るのもおかしく、かといって部屋に飾るのもおかしい。そんな乱雑な選び方で形作られた花束を受け取っていた彼女。

 性格を知っているからこそ、彼女が墓参りに行くのだとわかった。

 

「…………アリソンは、怒っているだろうか」

 

 同じ仲間としてパーティを組んだ事もある兎人の少女。怒りっぽい性格のグレースとは正反対でおおらかでいつも微笑みの絶えないムードメーカーにして、仲間内のぎすぎすした空気をどうにかしようと奮闘していた彼女。

 決して、人に嫌われるタイプではない。むしろ人に好まれる性格をしていたと彼も断言できる良い人であった。

 ファミリア内でも密かに慕われていた彼女。

 

 隧道内で強襲された際、ヴェネディクトスは負傷者であったアリソンよりもグレースを優先した。グレースの事が好きだったから、彼女を優先し、アリソンは死んだ。

 

 彼女の死体は冷水に冷やされ、零れ落ちた内臓と共に隧道に浮かんでいるのを調査を行っていた【ガネーシャ・ファミリア】が見つけ、ロキの元へ送り届けた。

 グレースが怒気を発し、ヴェネディクトスを殴り飛ばすまで五秒もかからなかったのはよく覚えている。

 

「はは、ぼくは、なにをしてるんだろう」

 

 彼女を愛していた。だからアリソンを見捨てた。彼はそれを後悔していない。しかし、もっとよりよい選択があったのではないかと頭をかかえ、ダイダロス通りの一角、枯れ果てた噴水の縁に腰かけて呟きの声を上げた。

 

「何を、どうすれば良かったんだ」

 

 響く慟哭の声は青空の下、誰の耳にも届かずに虚空に消えた。

 

 

 

 

 

 血塗れの草臥れたローブを引き摺る羊人。

 へし折られた片角を仕切りに撫でながら街道を歩きながら、彼女は静かに溜息を零した。

 

「まさか【猟犬(ティンダロス)】に助けられるとはな」

 

 【恵比寿・ファミリア】の飛行船に同乗し、半年ほど放置されていた『オーク討伐依頼』を片付けた後、ひっそりと彼らの向かった先に忍び込んで情報(ネタ)を仕入れようとした矢先だ。

 何者かによって操られたヒヅチ・ハバリによって()()()()式に襲撃された。

 同行していた仲間は皆一刀両断され、唯一生き残ったのはアレイスターただ一人。

 そんな彼女も途中で【猟犬(ティンダロス)】が乱入してこなければ死んでいただろう。

 

「ま、治療の一つぐらいしてくれても良かったと思うんだがね」

 

 腹に走る一条の傷。彼の犬人の少年は鼻で笑って言い切った『その程度で死ぬなら勝手に死んでくれ』と。

 要するに治療する気は無いと断言したのだ。随分とまあ愛想の無い奴だと悪態をつきつつもアレイスターは街道の先に見えてきた街を守る防壁を見て微笑んだ。

 

「よし、もうすぐだな……まったく死ぬかと思ったぞ」

 

 一歩、また一歩を必死に歩みを進め────五歩歩いた所で足を止めて舌打ちを響かせた。

 

 アレイスターの視線の先。防壁によって守られているその街が、燃え上がっていた。

 もくもくと上がる黒煙。耳を澄ませば聞こえてくる住民の悲鳴と怒号。

 近場にあった木陰に隠れつつも彼女は腹の傷を押さえてぼやく。

 

「おいおい、あの街で待機してても殺されていたかもしれないって訳か……どちらがマシだったのだろうな」

 

 【恵比寿・ファミリア】によって送り届けられた街。その街が現在進行形で燃えている。

 誰の襲撃かなど口にするまでも無いと彼女は口元を歪め、小さく呟いた。

 

「トート、不味いぞ……もう【クトゥグア・ファミリア】が動いてる。止められないぞ」

 

 【恵比寿・ファミリア】が懸命に止めようとしていた地上の人々と神々の戦争。

 今まさに開幕の狼煙が上げられている。派手に燃え上がる街並みと、神々を頼り神々に縋った()()()()達。

 あの街を焼いているのは、神クトゥグアが扇動した神に恨みを抱く地上の人々だ。彼の神に力を借り、神に復讐せんとする姿のなんと滑稽な事か。

 邪神の力を借りねば、神に復讐もできない。そして神々の力を借りる事を拒みながらも邪神(クトゥグア)の力を喜んで受け入れる。自らが狂わされている自覚無く、狂った民衆が街を焼いている。

 中には神の恩恵を受けた者も居ただろう。けれどもあの街を攻めている攻め手の人数からして、長くはもたない。そして運の悪い事に彼の街で治療を受けようとしていたアレイスターも長くはもたない。

 

「あぁ、これは……運がなさ過ぎるな」

 

 せめて【恵比寿・ファミリア】の【幸運の招き猫(ハッピーキャット)】を拝んでおくべきだったかと皮肉を零した。

 

 

 

 

 

 滅びた黒毛の狼人の隠れ里。

 過去に存在した古い呼び名で言うなれば────巨狼の墓所。

 ヒヅチは軽く溜息を零しながらも脇に抱えたヒイラギの文句を聞き流しながら鍛冶場の扉を蹴破って中に入った。

 

「此処の辺りに……あぁ、あったあった」

「おいっ! お前何がしたいんだよっ!」

 

 黒毛の狼人の少女の文句に肩を竦めつつも、ヒヅチは近場にあった金床の上に自身の懐から取り出した髪飾りを置き、ヒイラギを手放して棚を漁りだした。

 床に落とされたヒイラギがヒヅチを強く睨むも彼女はヒイラギに背を向けて棚を漁るのみ。

 彼女が漁っているのは槌や鋏なんかが収められた道具箱だ。何がしたいのかわからずに首を傾げるヒイラギに対し、ヒヅチは背を向けたまま命令した。

 

「炉に火を入れろ」

「は?」

「火を入れろと言うたのが聞こえんかったか?」

 

 聞き返せば冷たい氷の様な声が帰ってきた事でヒイラギは身を震わせ、慌てて炉の中を覗き込み、灰が溜まっていないのを確認してから炭の収められた箱を開いて停止した。

 それに気づいたのかヒヅチが眉を顰めつつもヒイラギの背を見て呟いた。

 

「どうした?」

「あー、悪い……燃料が湿気ってる。これじゃ使えねぇ……」

 

 管理方法が悪かったというよりは、数か月間放置されていた事で燃料が湿気り、使い物にならなくなっていた。本来ならちゃんと管理しなくてはならなかったソレを放置したのはヒイラギが悪い訳ではない。

 とはいえこのままでは炉に火を入れられない。そう思いヒイラギがうんうん唸りだした所でヒヅチが彼女の首根っこを掴んで退け、札の一枚を箱の中に放り込んだ。

 

「これで使えるじゃろ」

「何したんだ……ってマジで何したんだ? スゲェ!」

 

 ヒヅチが無造作に投げ入れた札。その効力は一目瞭然。湿り気を帯びて使い物にならなくなっていた燃料が乾燥している。一瞬の出来事に驚きの声を上げるヒイラギを他所にヒヅチは棚から鋏や槌などの鍛冶道具を無造作に取り出して作業場に並べながらヒイラギに声をかけた。

 

「早う火をいれんか」

「あー、わかったよ」

 

 逆らうべきではないと判断したヒイラギが燃料を炉に入れている間に道具を並べ終えたヒヅチは金床の上に乗った簪を見て口元を歪めて呟いた。

 

「母上、形見を壊す事をお許しください」

「……? なんか言ったか?」

 

 小さな呟きを聞き逃したヒイラギが首を傾げつつも炉に火を入れる準備をしている。その背を見つめ、ヒヅチは其処らの棚を再度漁り始めた。

 

「それよりも壊れた刀は無かったかのう?」

「あん? 壊れた刀? そんなもんあったか?」

 

 大きく首を傾げたヒイラギを他所に棚を漁っていたヒヅチは動きを止め、溜息を零してから口を開いた。

 

「ヒイラギ、ワシは裏手の倉庫に行ってくる。炉に火を入れて待っていろ」

「あ? あぁ……」

 

 金色の尻尾が蹴破った扉から出て行ったのをみたヒイラギは大きく首を傾げて呟いた。

 

「あっちの倉庫には姉ちゃんに渡す剣の試作品しかなかった気がするけどなぁ」

 

 毎日毎日、飽きもせずに彼女の父親が打ち続けたカエデ・ハバリに贈る為の剣。それの試作品が山の様に出来上がったのでそれを適当に放り込んだのが裏手の倉庫。彼女の記憶の中では出来上がった剣をとりあえず運び込んでおいた記憶しかなく、他に何かあったかと首を傾げながらも慣れた手つきで炉に火を入れようとし、後ろを振り返った。

 目に映るのは在りし日の光景。

 作業台の上に並べられた道具類の位置は、彼女の記憶にあるソレと相違ない。それがむずがゆさを感じさせ、どうじにヒヅチが父の事をよく知っていたのだなと納得し、炉に火を入れる。

 ヒイラギはふと、父が口煩く言ってきた台詞を思い出した。

 

『ヒイラギ、火傷に気を付けろよ』

 

 再度後ろを振り返り、ヒイラギは口元を歪めて笑った。

 

「わかってるよ、あぁ……わかってるさ」

 

 炉に灯る火。その火と睨めっこを続けていた父の姿を思い出し、ヒイラギは静かに涙を零した。

 

 

 

 

 ガタンと音を立てて壊れた扉。舞い上がった埃に眉を顰めつつもヒヅチは倉庫に足を踏み入れていた。

 日の光が照らしだす範囲を見た彼女は鼻を鳴らして呟いた。

 

「あの阿呆はどれだけ剣を拵えたんじゃ……」

 

 ヒヅチが面倒を見ていたカエデの為に打たれた剣。それの試作品が山の様に積み上がった光景に圧倒されながらも彼女は足を止めない。

 壁一面にびっしりと立てかけられた剣。無造作に倉庫に放り込まれ放置されていたにしては全く錆びても鈍ってもいない剣の数々に感心し、最奥の床をゴツゴツと足でどつく。

 

「此処の辺りか、それとも此処……うむ、記憶と少し構造が変わっておるな」

 

 彼女の記憶ではこの辺りに隠し扉があったはずだが位置が違う。そうぼやきながらも薄暗い中床をどつき、どつき、どついて、ようやく隠し扉を見つけた。

 崩れた剣の山が半ほどを隠している隠し扉。当然、開く事など出来るはずもなく、一本一本丁重に剣を退けねばならなくなったヒヅチは面倒くさそうにつぶやいた。

 

「少しは整理すべきじゃろ」

 

 懐から紙切れを取り出し、その紙切れを破り捨てた。

 此処で式なんぞ使えば神を殺すとのたまうエルフに操られて面倒な事になると舌打ちし、ヒヅチは剣山に手を掛けた。

 一本一本に込められた想い。カエデに向けられた愛情の深さを示す様に、その愛情が不変であると示す様に、まるで新品の様に輝く剣の数々。苦笑の表情を浮かべたヒヅチは小さくボヤいた。

 

「阿呆め、直接言葉にしてやらねばカエデには伝わらんぞ……」

 

 もう、彼はこの世に居ないが、もし自分が死んだら彼にそう伝えると決め、開ける様になった隠し扉に手をかけた。

 

 

 

 

 

 炉から放たれる熱気が部屋全体を包み込み、じっとりと汗が滲む鍛冶場。ヒイラギは炉の温度を一定に保つべく(ふいご)を使って炉に空気を送り込んでいた。

 しっかりと温度が上がり、鍛冶が出来る姿勢になった所でようやくヒヅチが帰ってきたのを音で感じとったヒイラギは入り口に視線を向けてぼやいた。

 

「扉ぶっ壊した所為で炉に余計な風が入りやがる。アンタの所為だぞ」

「そりゃ悪かったの、適当に直しといてくれ」

「アタシが直すのかよ……」

 

 ぶつくさと文句を垂れつつもヒイラギが蹴破られた扉に手をかけた所で、ヒヅチが扉に札を一枚投げつけた。

 へしゃげ壊れていた扉が元の形に戻ると同時に重さが消え去り、ヒイラギは大きくたたらを踏んで扉を持ち上げた。

 想像以上の軽さに驚きつつも扉をもとあった位置に置けば、独りでに壊れた扉はぴたりとはまり込んだ。

 

「嘘だろ、なんだそりゃ超便利じゃん」

「よく見ろ、張りぼてじゃぞ」

「あん? ……うわ、ギッシギシ音がするぞこれ」

 

 ヒヅチの行った一瞬の修復に感心した直後のネタ晴らし。

 元あった状態に戻すのではなく、元の状態に近い状態の張りぼてを生み出すだけの技。

 とはいえ風が吹き込む事もなく、扉が無かった時に比べればはるかにマシかとヒイラギが溜息を零した所でヒヅチがごそごそと素材置き場から鉄の延べ棒を数本取り出し始めた。

 

「これと、これ……後はそうじゃのう。血と……肝もあれば良いんじゃがなぁ」

「なあ、何作るんだ?」

 

 ヒイラギが知っているのは『安全な場所を作る』という事のみ。

 あの飛行船から連れ去られてまだ数時間しか経っていないのだ。出来るなら姉に自身の安否を伝え、ヒヅチが敵ではない事を伝えたい彼女の質問。

 ヒヅチは肩を竦めた。

 

「『緋々色金』じゃな」

「……? なんだそりゃ?」

「まぁ、そうじゃのう。作るのがめちゃくちゃ難しい金属じゃな」

 

 適当に言葉を締めたヒヅチが無造作に金床の上に折れた刀を置き、短刀を自らの腹に突き入れた。

 

「って何してんだ!?」

「うぐっ……少し、待て……この辺りじゃと思うんじゃが……」

 

 ずぶりと沈み込んだ短刀。切れ込みを入れ、その切れ込みに手を捻じ込んで何かを掻き出そうとしている。まるで傷口に残った鏃を手を突っ込んで抉りだす様な行動にヒイラギが青褪める。

 ボタボタと滴る血をそのままにヒヅチが手を引っこ抜き、握り締めていた何かを金床に並べた。

 腹に空けた傷を適当に針と糸で縫い合わせるヒヅチを前に、ヒイラギは恐る恐る金床の上にのせられた何かを見て小さく悲鳴を上げる。

 

「おい、それ……」

「うむ、生き胆だ」

 

 綺麗な色合いをした小さく拳に収まる程度の肝。人の体内から取り出されたばかりで血に滑っているのもそうだがそれ以上に生々しい色合いにヒイラギが尻尾を震わせた。

 

「いや、ヒヅチ姉ちゃん、大丈夫なのかよ……今、その、ヒヅチ姉ちゃんの腹から引っこ抜いたよな?」

 

 自らの腹から生き胆を引き摺りだし、平然としているヒヅチの様子にヒイラギが身を震わせる横でヒヅチが小さく笑った。

 

「この程度じゃ死なんよ、それに全部ではなく一部を千切り取っただけじゃしな」

「……いや、普通死ぬだろ」

 

 内臓を千切り取る。そんな馬鹿げた真似をしながらも平然とした振る舞いをするヒヅチ。彼女の奇想天外な行動に顔を引きつらせたヒイラギは小さくえずいてから口を開いた。

 

「悪い、ちょっと吐いてくる」

「あぁ、その間に終わらせておくからのう」

 

 傷を縫い合わせたヒヅチは傷の上に適当に火で熱せられた鉄材を押し当てた。

 肉の焼ける匂いにヒイラギが慌てて鍛冶場を飛び出していったのを見送り、狐人は脂汗を垂らしながら金床の上の素材を見て微笑んだ。

 

「まぁ、ちっとはマシなもんが出来ると良いな」

 

 見様見真似で作るにはいささか難易度が高いモノだとボヤくと同時にかつての光景を思い出して眉尻を落とす。

 

「あの頃は気にせんかったが、そうか、ワシら狐人は、惨い事をしとったんじゃな……」

 

 狐人の都。其処で作られた『緋々色金』の素材。その内の一つに生き肝が含まれていて。

 それの入手方法をどうするか。そんなもの一つだ、日々の糧に困った貧困者から子供を買い取って切り裂いて取り出す。多くの子供が素材として消費されていた。

 数多くの剣が生み出され、その為に数え切れぬ屍を積み上げ形作られる。なんと罪多き事だろう。

 

「まぁ、今嘆いた所で仕方ないが」

 

 既に滅び去った都で行われていた狂気の産物。

 赤子の躯を魔道具の素材にするなんて、そんなもの朝食前の出来事だ。

 貴重な合金を生み出す為に貧困者の子供から生き胆を奪い去る等、よくある日常の風景に過ぎない。

 

 呼吸をしている事を不思議に思う者は居るか?

 空腹を覚える理由を不思議に思う者は居るか?

 朝顔を合わせたときにごく自然に『おはよう』と声を掛け合う事を不思議に思う者は居るか?

 貧困街から連れてきた子供の腹を引き裂いて生き肝を取り出す事を不思議に思う者は居るか? いなかった。そんな呼吸をする様に当たり前に行われる光景に疑問を覚えた事なんて、無かった。

 

 当たり前すぎて、感覚が狂っていた者達が辿った道の、ほんの入り口に過ぎない。

 あの光景を繰り返してはいけない。自らを戒めなければいけない。

 狐人とは、愚かしく狂った種族だ。

 

「ははっ、ダメじゃな、ワシは元から狂っとる。クトゥグアにナイアル、あ奴らが何もせずとも、ワシは何処かおかしいに決まっているじゃろ……」



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『危機』

『あー、オラリオが動き出したみたいだね』

『遅スぎるンだよ。無能ばッかリダね』

『仕方ないでしょう。彼らは一枚岩ではない』

『足ノ引っ張リ合いしテるノカ?』

『つけ入る隙塗れでつまらないんですけどねぇ』

『所でヒヅチ・ハバリを狂わせたのは良いのかい?』

『狂ったのが()()()()知りませんが別に構いませんよ』

『どっちが……? ヒヅチ・ハバリは多重人格だったのかい?』



 オラリオ中心にそびえ立つ神々の巨塔。『バベル』の三十階層。

 現在オラリオ内に存在する第三級(レベル2)冒険者一名以上が所属しているという最低条件を満たしたファミリアのみが参加する事を許される神々の会合。『神会(デナトゥス)』。

 今回は神恵比寿がもたらした緊急事態を知らせる為の会合であり、集まった神々は普段の様な和気藹々とした適当な雰囲気ではなく、ピリリッと引き締まった表情を浮かべた神が多い。

 特にオラリオ外の依頼を受けた自所属の眷属が未帰還または死亡したファミリア程、今何が起きているのかを気にしている者は多い。

 誰もが無駄口をたたかずに真剣な表情を浮かべている中、一人の女神が手元の拡声器を手に取って口を開いた。

 

「あーあー、テステスー。皆さんお集り頂きありがとうございます。今回の緊急の神会における司会進行を務めさせていただきます。エラトーよ……あれ、なんで私また司会進行やってるんだっけ……」

 

 神会では二度と司会進行等やるものかと心に誓い、そして今なぜか司会進行役に抜擢されて立たされている女神は一際大きく首を傾げ、ニヤニヤと笑っていた神々に向かって無言で拡声器を投げつけた。

 

「あー、拡声器が壊れちゃったみたいだから静かにお願い。っと、さてまずは通常の報告から」

 

 エラトーの進行により主に商業系や探索系を中心に今回の報告を上げていく。

 しかし内容はどれもこれも『前より悪い』という報告ばかり。

 特にオラリオ外からの輸入関係に関しては完全に殲滅。【デメテル・ファミリア】の農業村もいくつか潰滅したという報告を受け、神々の顔色が若干悪くなる。

 困った様に頬に手を添えて発言したデメテルに続き、農業村の護衛を担当していたファミリアの主神も立ち上がって各々が報告していくが、生存者はゼロ。情報もゼロ。

 老若男女問わず処か、家畜の一匹も残さずに皆殺し。それも全員が一太刀で絶命させられているという不可思議な事件。これも恵比寿の件と関係しているのかと神々が恵比寿を伺う。

 肝心の恵比寿は若干こけてくぼんだ頬に黒い隈を眼の下に拵えて疲労困憊の様子で俯いて話を聞いていた。

 

「さて次はこの俺、ガネーシャから発表しよう」

 

 暑苦しくも立ち上がり、明朗な声で宣言した神ガネーシャを見た神々の内、神ロキは彼をじっと見つめて目を細めた。

 

「【ハデス・ファミリア】潰滅の一件についてだ。ついでに女神イシュタル、何か言いたい事はあるか?」

「……(わらわ)は特に無い」

 

 【ハデス・ファミリア】の起こした一件。そしてそれに付随した【イシュタル・ファミリア】による【剣姫】に対する襲撃。

 イシュタルの一件については既に謝罪を終え()()()()話である。故に今回その件に触れる積りはないと宣言した彼女は視線を美しい銀髪に向けて眉を顰める。

 視線を向けられた神フレイヤは一瞬だけ視線を巡らせ、恵比寿を見てから興味を失った様に微笑みを浮かべて視線を逸らす。あからさまに無視されたイシュタルがグギギと表情を歪ませるのを見たエラトーが深い溜息を零してガネーシャを促す。

 

「イシュタルはダメっぽいわね。とりあえずガネーシャ、地下水路の状況報告をお願い。ギルドから依頼されてたわよね?」

「ああ、それも含めてこの俺、ガネーシャが発表しよう」

 

 彼のファミリアが起こした事件。

 【ロキ・ファミリア】に所属していた現在オラリオにおいてかなりの注目を集めている眷属。【生命の唄(ビースト・ロア)】カエデ・ハバリを襲撃した一件について。

 彼のファミリアは地下水路内に罠を張り巡らせた事による混乱、及びに罠の作動によって発生した崩落の修繕等。

 現在急ピッチで作業を進めているが、ガネーシャの眷属は調教(テイム)能力は高くとも罠類に関する知識は他に劣る。いくつかのファミリアから増援として罠師を何人も借り受けているもののそれでも作業の進みは悪い。

 一番大きいのは罠師としては稀有な能力を持っていた【ロキ・ファミリア】の【猫の手】が命を落とした事も大きい。彼の猫人の相方ともいわれていたウェンガルの方は地下水路に足を踏み入れる事を拒む程に心に傷を負ったらしく、協力を得られなかった。

 その事が大きく響いているのか作業は進まず、未だに全体の2割も修繕が完了していない。その2割も比較的容易に修復可能な部分のみであって、完全に崩落して塞がった隧道等の修繕はまだ先になりそうである。

 

「他に、ハデスに関する情報なのだが……」

 

 肝心の事を起こしたファミリアの主神である神ハデスについて分かった事は一つ。

 彼は既に天界へ送還された(死んだ)あとであるという事。

 そして所属していた眷属は()()()()()()()()()()事。

 

「まず【処刑人(ディミオス)】については【生命の唄(ビースト・ロア)】の手によって死亡。【縛鎖(ばくさ)】は【魔弓の射手】によって致命傷を負い死亡。次いで【監視者】についてだが、半年前に死亡したらしく損壊の激しい死体が地下水路の隧道内に────」

「待つんや」

 

 ガネーシャの言葉を聞いたロキが手を上げて進行を止めた。

 その姿に神々が首を傾げる中、ロキは立ち上がってガネーシャを見据える。

 

「【監視者】が半年前に死んでた? それは本当なん?」

「……あぁ、保存状態の悪い死体だった為に確認に手間取られたが神トートの協力の元、所属ファミリアを判明させたのだ。【監視者】は半年前に死亡していた」

「そうか……」

 

 彼の言葉を聞いたロキは小さく呟き席に座る。

 それを見届けたガネーシャは大きく両手を広げて語りだす。

 彼の語りを聞くでもなく考え込むロキ。その肩をちょんちょんと突いたのは神友の神ヘファイストスであった。

 

「どうしたのよ」

「【監視者】な、ウチの眷属が会っとるんよ」

 

 オラリオは広しと言えど、有名な眷属であれば一度は顔を見る事もある。ともすれば声を掛け合う事もあるだろう。会った事があるという事で驚く様な事ではない。

 では何故ロキがその事を気にするのかとヘファイストスが考えるもわからずに聞き返した。

 

「…………それがどうしたのよ?」

「つい最近、カエデの襲撃の日にな、襲撃者たちの中に居った」

 

 彼女の言葉にヘファイストスは目を見開き、ぽつりとつぶやいた。

 

「すり替わってた……?」

「やろうなぁ。ハデス本人は完全に前後不覚になっとったみたいやし」

 

 自身の眷属がすり替わった事にも気付かない程に、否。自身の眷属が殺された事にすら気付けない程に狂わされていた神ハデス。

 彼の神は邪神に踊り狂わされ、利用されて命を落とした。十中八九【監視者】になりすましていた眷属の手によって屠られたのだろう。

 

「それではこの俺、ガネーシャの話を終わらせていただこう」

 

 神ガネーシャの長々としたハデスに関する現状で把握した事及びに考察の語りが終わりを迎える。

 最初から通して暗い表情を隠さない恵比寿に皆の視線が集まる。だが本人はそれに気づかないのか深い溜息を零していた。

 

「あぁ、どうして……」

「えっと、恵比寿? 貴方の番よ? 皆に報告事があるんでしょう?」

「え? あぁうん、ごめんぼーっとしてた」

 

 司会進行役のエラトーに声をかけられてようやく立ち上がった恵比寿は皆の前に立ち、静かに語りだした。

 神ロキは既にその話は聞き終えているし、どうするかも既に決めている。

 

 オラリオの外で起きている惨事、惨劇、その全てを裏で手を引いて火付けを行うだけ行って後は観戦に洒落込む邪神の話。

 古代の時代を生き抜いた英雄の一人が敵方の主軸である事。

 そして古代の時代より時を超えてこの神代で目覚めた一人の英雄。その人物が敵方に操られている事。 

 二人の邪神が引き起こしている現在の状況。

 

 邪神ナイアルラトテプと邪神クトゥグア。

 この二柱の邪神は天界に居た頃から碌な事はせず、周囲を引っ掻き回しては滅茶苦茶に破壊しつくして終わったら『リセット』等といって去っていく邪神達であった。

 この二柱に共通するのは互いが互いを嫌っている事。それも周囲がドン引きするレベルで、である。

 ナイアルが破壊活動にいそしめば、もう片方のクトゥグアはその破壊活動を妨害して神々を救う。

 片やクトゥグアが神々を片っ端から狂わせて遊び始めれば、ナイアルがそれを妨害し神々を救う。

 互いがやる事の正反対の行動をとり、相手の妨害をする。今までもずっと、そしてこれからも永遠に同じ関係を崩さず、互いが互いを妨害し合う関係を続けていく。そう決めているらしき二柱。

 

 彼らはほぼ同時に地上に降り立った。互いのやる事は一つ、面白おかしく引っ掻き回し、狂わせようとすること。そして序にクトゥグアはナイアルを、ナイアルはクトゥグアをぶっ殺してやると意気込んでいた。

 始まった直後に彼らがやった事は他の神となんら変わりない行動である。眷属を見つけファミリアを結成し、目的の為に邁進する。

 出来上がったファミリアは互いに互いを定期的に攻撃し合いながらも持ち得る魅力(カリスマ)を用いる事ですさまじい速度でファミリアの規模を大きくしていき、片方が崩壊するまで激しく鍔迫り合いを続けていた。

 他のファミリアの介入等ものともせず、ただひたすらに互いに潰し合うのみ。周囲は『仲が良いなぁ』と生暖かい目で見ていたあの頃。

 僅差で【ナイアル・ファミリア】が潰滅しかけ、眷属の殆どを失い再起するにも【クトゥグア・ファミリア】の妨害で再起すら妨害されて何も出来なくなった事が始まりだ。

 此処まで至った所でクトゥグアは動き出した。今まで邪魔だったナイアルの力を削ぎ落とした事で好き勝手出来る様になった彼は壮大な計画を立てた。

 

 神々皆殺し計画である。それも地上の人間(こども)達による神々皆殺し計画だ。容易に進むはずもないその計画。

 しかし彼の神は様々なモノを利用し、神々の殲滅を狙った。

 

 最初にしでかしたのは、黒毛の狼人を利用する事。彼らの集落を襲撃し、子を奪い去り、洗脳して戦士に仕立て上げる。そしてその行動の全てをオラリオの神々の所為だと黒毛の狼人達に教え込み、狂気を埋め込んでオラリオを襲撃させた。

 迎撃する神々や眷属達にも当然の様に狂気を刷り込み、無残にも殺されていく黒毛の狼人達。

 当然、凄まじい能力があれどたかが一種族の一部族の反乱程度で神々が揺らぐはずもなく、黒毛の狼人達はあっけなく潰滅。

 

 次にクトゥグアが取った行動。それはその黒毛の狼人達が潰滅したのは神々の所為だと、決別し神々から隠れて住んでいた英雄の血族達に教え込んだ。当然の様に狂気を刷り込みながら。

 だが、英雄の血族は狂気に耐えた。彼の者らは狂気を埋め込まれながらもクトゥグアに抗い切ったのだ。けれども恨む事は止められなかった。かつて大穴を塞ぐ為に轡並べた同胞が神々によって潰滅させられたという情報は、彼らにとって喜ばしいモノではない。

 その恨みを抱いた英雄の血族に更に恨みを抱かせる為、クトゥグアは次の手を打った。

 

 『闇派閥(イヴィルス)』と呼ばれる初期の頃から存在する『悪役ロールプレイ』に勤しむ神々に接触し、彼らを利用して地上の人々を苦しめた。

 欲しい人間(こども)が居れば半ば強引に攫い、金が必要だからと一般人を脅して奪い去る。むかついたからと一家皆殺しにさせてみたり、親を殺したり、子供を攫ったり。

 地上の人々に恨みを植え付けていく。種を撒き、水と栄養を与え、日の光を与える。少しずつ、少しずつ地上に蔓延していく不平と不満。

 神に認められた者と認められぬ者。

 神に気に入られた者と気に入られぬ者。

 恩恵に与かる者と与かれぬ者。

 格差が、ズレが、想いが、恨みが、妬みが、地上の人々の中に神に対する不信感の芽を咲かせていく。

 

 【ロキ・ファミリア】の【勇者(ブレイバー)】の活躍によって『闇派閥(イヴィルス)』が潰えた事で、一時的に止まったと思ったクトゥグアの壮大な計画。けれども問題はクトゥグア本人を捕まえられなかった事。

 それを妨害したのは他の誰でもないナイアルであった。

 

「はぁ? クトゥグアぶっ殺すって言っといてクトゥグアを庇った訳?」

「なんだそりゃ……」「あー、なんとなく気持ちわかるわ」「どう言う事だ?」「自分の手で殺したいんじゃね?」

 

 彼のナイアルはクトゥグアが掴まりそうになる度にそれとなく妨害したり、クトゥグアの勢力を削がせてはくれても、クトゥグアそのものを潰す事だけは徹底的に妨害してくる。

 其の所為で対応は遅れに遅れ、気が付けばクトゥグアの計画は始まっていた。

 

「もうすぐ、オラリオにクトゥグアが扇動した者達がやってくるだろう」

「止めれば良くね?」「ラキアよりマシだろ」「まあ、第二級までしか居ないだろうしなぁ」

 

 一部神々の言葉を聞き、恵比寿が深い溜息を零して呟く。

 

「第二級までしか居ないんだったら今までデメテルの所の防衛が上手く行かないのはなんでかなぁ」

『………………』

 

 護衛を多く雇っていた商隊ですらあっけなく全滅の憂き目にあうのだ。

 どうやってかは不明だと恵比寿は苦笑を浮かべ、小さく呟いた。

 

「暫くしたら防衛戦をすると思う。各々のファミリアは最大戦力を集結して戦争に備えてくれ……」

 

 恵比寿は疲れ切った表情を隠しもせずに深い溜息を零した。

 

 

 

 

 

 【トート・ファミリア】本拠、『金字塔(ピラミッド)』。

 砂岩を積み上げて作り上げられた四角錘型の建造物。わざわざ主神自ら眷属に設計図を手渡して形作らせた本拠である。わざわざオラリオの外から加工された砂岩を買い集めただけはあり、規模自体は中規模程度の大きさの本拠でありながら、周辺のファミリアの本拠とはくらべものにならない程のヴァリスをかけて作られている建造物だ。

 其の建造物の地下。魔石灯の明りに照らされた小部屋、まるで生贄に捧げる為の祭壇にも見える台座の上にのせられた二人の人物を前に、【幸運の招き猫】モール・フェーレースは小さく深呼吸を繰り返していた。

 

「大丈夫、上手くいくさ……」

 

 彼女の手にあるのはヒヅチ・ハバリが村に残した『ヒヒイロカネ』の使われた剣。極東由来の片刃の刀身が特徴的なその剣の外鉄を引っぺがし、心金のみとなった鉄の棒だ。

 彼女は柄だった部分をぎゅっと握り、切っ先だった部位を寝ている人物の一人に近づけていく。

 その様子をけだるげに眺めているのは【占い師】アレイスター・クロウリーであった。

 死んでいてもおかしくはない重傷を負っていた彼女は運良く船に回収されて一命をとりとめた。とはいえ傷は深く、自力で歩く事が出来ない為いまは車椅子に腰かけているが。

 そんな彼女は胡乱気な視線をモールに向け、呟いた。

 

「おい、早くしてくれないか? 私は待ちくたびれたぞ」

「っ! うるさいなぁ、ボクは真剣にだな」

「それが噂の狐人(ルナール)の生み出した至高の金属なら一発だろ。偽物なら無意味、パッと試すべきではないか?」

 

 恐る恐ると言った様子だったモールの尻を叩く要領で発破をかけたアレイスターは深い溜息を零して台座の上の二人を見つめた。

 

「【酒乱群狼(スォームアジテイター)】ホオヅキに【呪言使い】キーラ・カルネイロ……」

 

 170Cにとどきうる長身。片耳が千切れて半端となっている他、尻尾が根本の辺りから千切れて無くなっている。染料が落ちて地毛である白毛が微かに覗く全身傷だらけの女性。身に着けているのは動きやすい革製のベストにハーフパンツ。

 カエデにとっては先代の『白牙』であり、カエデと血の繋がりのある人物。ホオヅキだ。

 もう一人は妹のペコラ・カルネイロと遜色ない背丈、黒っぽい毛並み。身に着けているのはラフなワイシャツにジーンズ。左右で大きさの違うねじれた角が特徴的なキーラの姿。

 

 二人に共通しているのは生きているにも拘わらず、目を覚まさない事。胸に刺さった封印の楔刀が原因で目を覚ませなくなっている二人。

 今まさにその封印を解く鍵である『ヒヒイロカネ』を持参したモールの手によって封印が解かれるはずが、彼女は怖気づいたのかこの部屋に到着してからたっぷり30分程時間をかけて迷っている。

 本音を言うなればアレイスターは今すぐにでも彼女の尻を蹴り飛ばして本拠から追い出したくなってきたが、彼女の手にしている『ヒヒイロカネ』には興味がある。それに封印が解かれればより多くの情報が手に入るのだ。

 仲間の仇討の為にも情報は欲しいと力強い視線をモールに向けるアレイスター。

 肝心のモールはへっぴり腰でゆっくりと慎重に封印の楔刀に向けて『ヒヒイロカネ』を差し向ける。

 

「いつまでグダグダする積りなんだ、いい加減にしてくれないか」

「……封印を解いたらどうなるか、キミは知っているのかい?」

「知らんな」

 

 むしろそれを知る為に此処に居るのだとアレイスターが鼻を鳴らす。

 困った様に尻尾を揺らしたモールは溜息を吐くと同時にホオヅキの胸に刺さっていた楔刀に『ヒヒイロカネ』を押し当てた。

 バリッという弾ける音と共に彼女の胸に刺さっていた楔刀が独りでに抜け、浮き上がった。

 無数の文字の様なモノが飛び交う中、ホオヅキがぱっと目を見開くと同時に目の前の楔刀を蹴り抜いた。ズゴンッという轟音と共に楔刀が粉々に砕け散り、砂岩製の天井に無数の金属片が突き立つ。

 パラパラと零れ落ちてくる砂を浴びたホオヅキがせき込みながら祭壇から降り立とうとして、力が入らずにそのまま床に倒れ伏した。

 

「ゲホゲホッ、此処は、何処さネ!」

 

 つい先ほどまで封印されていたとは思えない程の速度でガバリと身を起こしたホオヅキが近くに居た猫人、モールの首を掴んで持ち上げた。

 

「ぐぅぁっ……」

「お前、ヒヅチに何を────って、モールさネ? こんな所で何を……此処、何処さネ?」

「ぐはっ……いきなり首をへし折りに来るなんてひどいじゃないか……ゲホッ」

 

 咽込みながらもなんとか立ち上がったモールが文句を言いたげな瞳でホオヅキを射貫き、序に後ろに視線を向けて車椅子に腰かけて悠々とした態度をとっているアレイスターも睨んだ。

 

「こうなるからボクは嫌だったのに」

「ははは、面白い事だ……で、ホオヅキ。君は話せそう、ではなさそうだな。今すぐ医術師を呼ぼう」

 

 ホオヅキの様子を見た瞬間、アレイスターは頬を引き攣らせて大声で仲間の団員を呼び寄せて医術師を呼ぶように指示を出し、応急処置が行える団員を呼び付け始めた。その様子にモールが首を傾げ、すぐ横に立っていたホオヅキを見て顔を引きつらせた。

 

「ちょっ!? ホオヅキ、キミ、その怪我は……」

「ん……あれ? なんでアチキ血が……?」

 

 腹部を中心に服に滲みだす血を見て首を傾げるホオヅキ。その様子にモールは一つ思い出した事があった。

 封印された状態というのは変化が起きない。例えば怪我をした状態で封印された場合、負傷度合いはそのまま維持されてしまう。

 つまり彼女は封印される直前に重傷を負っていた事になるのだ。

 急激な動きで傷が開いたというよりは、元から開いていた傷がさらに重症化した形であろう。

 ホオヅキが抑えているお腹からは内臓がはみ出していた。

 

「あー、パックリ割れて……うわ、ヤバいさネ。結構出てきちゃって……ちょっとこれ戻すの、手伝って、くれ……さネ」

 

 膝を突き青褪めて震え出したホオヅキを見たモールが慌てて『ヒヒイロカネ』を手放し、ホオヅキの腹に飛び出た内臓を押し込み始める。

 

「今、幸運を使ってなんとかしてるからもう少し耐えてくれ、というか封印状態時の負傷度合いの確認ぐらいしといてくれよアレイスターッ!」

「馬鹿を言え、むしろ怪我をしているなんて気付ける訳ないだろう! もうすぐ応急処置出来る奴が来る、耐えろホオヅキっ!」

「……ゲホッ、いや、酒くれ……酒さえ、あれば……」

 

 ホオヅキの言葉にモールが目を見開くが、アレイスターは首を横に振った。

 

「馬鹿を言え、今のお前は()()()()()()()()()()()()使()()()()んだぞ。一度完全に死んでいた所為で神との繋がりも消えている。つまりお前の装備魔法は使えん、大人しく治療を受けろ」

「ゲホゲホッ……お酒、飲めな…………カエデは何処さネ?」

「あぁ動かないでっ! 出てるっ! 超出てるからっ! 待って待ってっ!?」

 

 何かに気付いた様にホオヅキが立ち上がろうと腹に力を込めた瞬間、中身が一気に溢れだしかけモールが慌てて押しとどめる。ホオヅキが血走った目をアレイスターに向け、叫んだ。

 

「カエデが狙われてるさネ! ヒヅチと会わない様に伝えろさネ!」

 

 叫び、暴れ出そうとした所でモールが手刀でホオヅキの意識を途絶えさせた。

 寝転がらせ、飛び出した内臓を押し戻しているさ中に【トート・ファミリア】の団員が慌てた様子で走ってきて応急処置をし始める。

 酒精の強い酒で消毒し、丁重に内臓を元の位置に戻した後、傷口を針と糸で縫合していく。

 その様子を見ながらモールは申し訳なさそうに気絶したホオヅキに向けて呟いた。

 

「ごめん、遅かったよ。もう、会っちゃった」

 

 既にカエデはヒヅチと出会い、殺されかけている。

 その本人はオラリオに帰還後、そのまま迷宮に駆け込んで数日間の間姿をくらませている。

 

「……はぁ」

 

 深い溜息を零したモールの目の前に棒状の物が突き出され、大きくのけぞる。

 目の前に突き出されたのは先程落とした『ヒヒイロカネ』であり、突き出していたのはアレイスターである。

 

「医術師ももうすぐ到着する。応急処置出来る奴も居る。もう一人の方もさっさと起こすべきだと思うがね」

「……彼女、最後にナイアルと会話して()()()()()()可能性高いんだけど」

 

 もし彼女が狂気に陥っているのなら、間違いなく暴れるだろう。それは面倒だとモールが胡乱気な視線をむければアレイスターは肩を竦めた。

 

「お前の運なら問題ないだろう。むしろ運気操作でなんとでもなるお前の方が適任だと思うがね」

 

 彼女の言い草に反論を返そうと口を開き掛けるも、モールは結局反論を返す事無く『ヒヒイロカネ』を受け取った。

 

「やればいいんだろう、やれば」

「それでいいさ」

 

 ケラケラと乾いた笑いを零すアレイスターを睨み、モールはもう一人の封印された人物に『ヒヒイロカネ』の切っ先を向けた。

 

 

 

 

 

 ダンジョン入り口に腕組して立つ灰色の髪を揺らすヒューマンの女。グレースは頭をバリバリと掻きながら横に立つ褐色の肌のアマゾネスと金髪のヒューマンの方を見て口を開いた。

 

「あー、なんというか先輩方には申し訳ないんですけどー」

「無理に敬語じゃなくていいよ。というか大分怪しくない?」

「……気にしなくていい。フィンにも頼まれたから」

 

 怪しい敬語でなんとか敬おうとしていたグレースはバツが悪そうにバリバリと頭を掻きむしった後、顔を上げた。

 

「カエデの馬鹿が帰ってすぐにダンジョン行って帰ってきてないから、その……」

「見つけるの手伝って欲しいんだよね? カエデが行く階層っていえば中層下部、下手すると下層まで一人で行きかねないし」

「下層……」

「アイズはソロ厳禁って怒られたばっかだしね。いや、カエデもそうといえばそうなんだけどさぁ」

 

 ボロボロの【恵比寿・ファミリア】の飛行船からほうほうの体で降り立ったカエデ達。

 フィンの説明を聞き、何が起きたのかはある程度把握している。

 

 カエデの妹との遭遇。彼女とホオヅキの関係。カエデと妹の関係。他にも様々。

 『白牙』の宿命と『頭脳』の危険性。

 妹であるヒイラギの命令には何をしようが逆らえないという恐怖。

 そして、その妹が敵方の手におちた可能性が高い事。

 もしヒイラギ・シャクヤクが敵方に洗脳されてカエデを利用されれば危険度が増す。其の事を話し合っている間に、カエデは一人で探索の準備を進め、気が付けば一人で迷宮に潜っていた。

 

 正確に言うなら、ダンジョン入り口でカエデ・ハバリが一人で迷宮に潜っていったという噂が流れていた。

 本人の不在に気が付いたフィンが情報収集した結果、カエデが迷宮に潜ったかもしれないという話が出てから数日が経っている。迷宮の中で自給自足出来なくはないが武装の損耗で帰還するのが一般的だ。

 しかしカエデが持つ『百花繚乱』は自己修復機能を持った剣。耐久力もすさまじくまず壊れる事はない。

 其の為、カエデの気力が持つ限り潜ろうと思えば一年でも潜れてしまう。

 いくらなんでも帰還が遅いと判断したフィンが団員達に余裕があれば捜索する様に指示を出し、グレースが真っ先に向かおうとして────中層中間地点以降の中層下部にたどり着いた所で撤退に追い込まれたのだ。

 本人が非常に悔しがったが彼女は何処まで行っても戦闘特化。迷宮の罠に瞬く間に追い詰められてギリギリで中層中間地点まで生還を果たしたのだ。一人でカエデを探すには力量不足としかいえない。

 そこで彼女は先輩団員でもありアイズの力を借りてカエデの探索をしようと声をかけたのだ。

 それに快く答えたのはアイズだけでなく共に行動していたティオナもであった。

 二人の助力があれば見つけられると拳を握り締めたグレースは地下に居るカエデの姿を瞼の裏に描いてから呟いた。

 

「一緒に飲みに行くって約束したでしょ、まぁ半ば強引だったけど……さっさと連れ戻して酒場に繰り出さなきゃ」

 

 何より彼女が焦っているのは一つ。カエデまで死んでしまえば、本当に残っているのが自分一人になってしまう。それだけは避けなくてはと、グレースは片刃槍(グレイブ)湾曲剣(ケペシュ)を手に入り口をくぐった。



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『愛の形』

『あああああああ!』

『叫ぶな叫ぶな。全く、腹がぱっかり裂かれてるのに騒がしいな。おい暴れるなまた内臓が飛び出るだろっ!』

『放せさネッ! カエデに会わせろさネ!』

『お願いだから動かないでくれ。頼むから。本当に死ぬぞホオヅキ』

『カエデェェエエッ!! アチキは此処に居るさネッ!!』

『……はぁ、頼むから治療ぐらい大人しく受けてくれないか』

『アチキはどうなっても良いさネッ!! 早く放せさネッ!!』

『…………死なせると悪評が立つんだ、キーラ・カルネイロの様に大人しくしてくれないか』


 『大樹の迷宮』の広間。生え茂る茸の群生地の中心、吠え、吼え、咆え、一匹の獣が暴れ狂っていた。

 白い毛並みを赤黒い血で染め上げ、緋色の水干に多くの血を吸わせ、鋭い牙を剥いて威嚇の唸り声を零す。

 『威圧(メナス)』の効力を発揮したその唸り声に擬態し身を隠していた『ダークファンガス』が震え、姿を現す。

 巨大な茸に擬態して不用意に近づいた冒険者に猛毒を含む胞子を飛ばし、状態異常が発生した所で仕留める。狡猾な狩人たる彼らは血濡れた獣の標的となり、散り散りに切り裂かれ、魔石を残して消滅した。

 ドロップとして残るはずだった傘部分すらも容赦なく切り裂かれ、ばらばらになった部品が散らばり、舞い上がった胞子が獣の肺を犯す。

 咽びこみ、それでも爛々と輝く紅の瞳で周囲を見回す。毒の状態異常によってその小さな体躯を犯されて尚、途切れぬ闘志に似た激情を晴らさんと一歩踏み出し、足を止めた。

 

 白毛の狼人、鋭き白牙、黒毛の巨狼の遺児。

 【ロキ・ファミリア】所属、準一級(レベル4)冒険者【生命の唄(ビースト・ロア)】カエデ・ハバリ。

 両の手で握りしめた大刀、再生の特殊武装(スペリオルズ)。神ヘファイストスに捧げられたとある狼人(ウェアウルフ)の作品。『百花繚乱』

 既に百を大きく超え、千に届きうる程に怪物を断ち切ったにも拘わらず、その刀身は血濡れて浮き上がった血溝の花々の数々を晒しながらも、決して欠ける事も鈍る事もない万全の刀身であり続けている。

 ────まるで、ヒヅチの様だ。

 そんな考えを脳裏に思い浮かべ、カエデは即座に斬り捨てた。

 

 迷宮に足を踏み入れてから、今日で何日目であろうか。既に時間の感覚は狂っているし、碌な休憩を挟まなかった影響か、重心が安定せずに一歩踏み出すたびに頭が左右に揺れる。

 いっそ、死んで(諦めて)しまいたい。けれどそれが出来る場所(ライン)は当の昔に超えてしまった。

 自らの手で殺したアレクトルが、誤って命を奪ってしまったアレックス・ガートルが、かつて救えなかったアマゾネスの女性が、ドワーフの男が、騎士の男性が、そして生きる為にと斬り捨て続けてきた化け物の屍の山が、自身の歩んできた道に転がっている。

 歩みを止める。其の為には自らが歩んできた道を振り返る必要がある。振り返ればそこに屍が転がっている。その屍は、何の為に死んでいったのか。

 ────決まってる。カエデ・ハバリが生きる為に死んでいったのだ。

 邪魔をしたから。身勝手な行動を止めようとして。彼女・彼より優先すべき事があったから。怪物は程よい経験値(エクセリア)を稼ぐ糧であったから。

 怪物に恨み等もっていない。誰もが怪物を殺す事を肯定するから、罪悪感を抱く必要が無いから。気兼ねなく()()()()()()()対象として、ただ殺し続けてきた。

今までの行動が間違っていた等と言う積りは彼女にはない。けれども、その歩みの中で積み上げてきた躯の数に怯えている。

 ヒヅチ・ハバリという最愛、育ての親であり、代えがたき師であった彼女。

 

『たとえ世界の全てが敵に回ろうと、ワシだけはお主の味方であり続けよう』

 

 彼女は約束した。決して違わぬ、決して破らぬと、誓いを立てた。

 ヒヅチは、カエデの為に動いている。

 

死ぬな(諦めるな)生きろ(足掻け)、心の臓の音色が途絶えるその瞬間まで』

 

 彼女の言葉が記憶の奥底から響き渡る。それは彼女が遺した言葉、カエデを構築する主軸であり、カエデ・ハバリという少女を語る上では欠かせぬ、欠く事の出来ぬ信念にして覚悟。

 苦悩の表情を浮かべ、腰のポーチから最後の解毒剤を取り出し、飲み干す。体内を犯していた毒の違和感がたちまち消え去り、けれども消えずに残る心を荒らす言葉までは消し去ってくれない。苛立ちと恐怖が交じり合い、カエデは剣を大きく振りかぶって『大樹の迷宮』の壁面に叩きつけた。

 木材を思わせる材質の壁面に百花繚乱がぶち当たり、木片の様な欠片を盛大に散らす。轟音と共に壁が凹み、けれどもカエデの苛立ちが消え去る訳でも、恐怖が無くなる訳でもない。

 

「ヒヅチは、私の味方」

 

 口の中で転がす様に、確認する様に呟いて剣を引き抜き、再度壁に叩きつける。

 飛び散る木片と木の葉の擦れる音、そして怪物の唸り声が遠くから彼女の耳に届く。

 

「けれど敵」

 

 カエデの脳裏に浮かぶのは、剣を向けてきたヒヅチの姿。最愛の人、恩人にして恩師。カエデを構築する殆んどのものが彼女に与えられたモノで、そして彼女は敵になって、それでいてカエデの味方であった。

 ヒヅチはいつもの様に微笑んでくれた。そしてカエデの為に動いてくれている。

 その内容が、カエデを殺す事。苦しませず、楽にする事。死という救いを与えんと、彼女は剣を振るってくれる。カエデに対し、敵として剣を振るい、味方として救いを与えようとしてくれている。矛盾を孕み、それでいながら主軸は変わっていない。

 ヒヅチは敵であり、味方である。

 

「敵。そう、敵になった」

 

 脳裏に浮かべた仮想敵。

 幾度となく剣閃を交えようとしても、まるで決められていたかの様に自らの胸に刃突き立ち、頸を一閃で断ち切られる。

 どれだけ彼女を敵に見立てて戦おうと、勝ち筋が見えない。暗雲の中をさ迷い歩く様な、確実な敗北へ続く道。

 糸よりも細い勝利へ繋がるなにかがあれば、まだ戦えた。彼女がただ敵になったのなら、まだ戦えた。

 ヒヅチは味方だった。どれだけ狂っても、おかしくなっても、それでもヒヅチはカエデの味方であろうとしてくれていた。

 

 身を震わせ、顔を上げて息を吐く。丹田の呼氣にて気を落ち着かせ、剣を見て小さく謝罪した。

 

「ごめんなさい」

 

 荒々しく、怒りと困惑を発散すべく八つ当たりの様に壁に叩きつけられた『百花繚乱』。けれども刀身は欠けも毀れもしない。血に土埃が混じったのみ。

 自らの格好を省みて、カエデは天井を見上げて呟いた。

 

「帰らなきゃ……」

 

 食料は其処らに生えていたダンジョンフルーツ類を食らい。沐浴は一切せずにいた所為か、自らの匂いが相当ひどい事になっているのを自覚する。腰の投擲短剣を収めておくポーチをまさぐり、何も入っていない事に溜息を零し、先程斬り捨てた『ダークファンガス』の魔石を踏み潰しておく。

 自身が激しく錯乱していた事を自覚しながらも、忘れずに魔石だけはきっちり踏み潰していた事を思い出して小さく笑った。

 

「ちゃんと、忘れなかった」

 

 染みついた習慣。ダンジョンに潜る際にやってはいけない事、それを忘れずに行いながらカエデは小さく吐息を零した。

 

「どうすれば、良いの?」

 

 誰にも届く事の無い問いかけ。

 ヒヅチの言った『自分を見失うな。誰の命令でも、頼みでもない、自身の抱く想いを貫け』という言葉。

 自分を見失った覚えはない。

 誰の命令に従った訳でもない。

 頼まれてやっている訳ではない。

 自身の抱く想いを貫いているはず。

 そのはずなのに、何かが違う。間違っている様な、そうでない様な、不可思議な引っかかりが自分の中に残っている事を自覚し、カエデは頬に着いた血を拭おうとして、袖口が血でべったり濡れている処か全身血塗れで拭う事も出来ない事に気付いた。

 

 

 

 

 

 ダンジョン十八階層。安全階層(セーフティポイント)でありモンスターが発生しない階層。

 【ロキ・ファミリア】が良く利用する水源へと足を運んで血を洗い流していたカエデ。

 血が固まって髪に絡み、染みついたのか先の方が赤黒くなって血生臭い自身の尻尾を念入りに洗っていた彼女は、木々の間を駆けてくる音に気付いて耳を澄ます。

 ガサガサと木の葉の擦れる音を響かせながら徐々に近づいてくる音に警戒し、百花繚乱に手を伸ばそうとした所でその正体に気付いて柄から手を放して水浴びを再開した。

 程なくして、木々の間を抜けて飛び出してきたのは【憤怒】グレース・クラウトスと、彼女を左右から拘束しているアイズにティオナの二人であった。

 水浴びをしているカエデを見て驚いた後、彼女達はグレースを水の中に突き落とした。

 怒鳴り声をあげ、放せ行かせろと叫んでいたグレースが不意を打たれ、頭から泉に落ちて水面が大きく揺らぐ。

 揺らぐ水面を見ながらカエデはグレースに声をかけた。

 

「お久しぶりです。グレースさん、どうしたんですか?」

「ゲホゲホッ、ってどうしたじゃないわよっ! あんた何処に居た訳!?」

 

 水面から勢いよく飛び出し、詰め寄ってカエデの両肩を力強く掴んだグレースの言葉にカエデが視線を逸らす。

 

「えぇっと、大樹の迷宮で、その、怪物狩りを……」

 

 もやもやとした怒りの様な、戸惑いの様な、困惑の様な、恐怖の様な、様々な感情の混じり合った自らが若干の錯乱を伴って迷宮で暴れ狂っていたと冷静になったカエデが語れば、彼女は盛大な溜息と共にガクリと肩を落とした。

 

「嘘でしょ、アタシ死にかけたんだけど」

「グレースが無茶して突っ込もうとするの止めるの大変だったよね」

「うん、ちょっと危なかった」

 

 彼女達はカエデを探すべくダンジョンに潜ってきたらしい事。アイズは序にダンジョンで怪物狩りをしようとしていた事等を聞きながらもカエデは血で汚れた装備品を洗っていく。

 グレースが呆れ顔でそんなカエデを見つつも、何度目かの溜息を零して呟いた。

 

「地上で大戦がはじまるってさ」

「大戦?」

 

 地上のオラリオでは既に噂になっている事柄。

 近々、近隣の村や町を襲撃して回っていた神々に反発心を抱いている者達によるオラリオへの大規模侵略が予測されており、地上ではそれに対する為に現在進行形で【ガネーシャ・ファミリア】を中心に防衛線の構築を行っている。

 オラリオの二大ファミリアである【フレイヤ・ファミリア】や【ロキ・ファミリア】も当然の様に招集がかけられており、物資類のやりくりなんかの話し合いが連日連夜行われている。

 

「戦争、ですか」

「そ、ラキアとの戦争が数年前にあったけど……ってアンタその時居なかったっけ」

 

 カエデがオラリオにやってきてからまだ半年しか経過していない。それに気づいたグレースが眉を顰めてぼやく。

 

「いや、半年で準一級(レベル4)って凄すぎでしょ」

「羨ましいよねぇ。この剣もそうだけど」

 

 横で百花繚乱の血を洗い流していたティオナがしみじみと呟く中、アイズは目を伏せながら言った。

 

「戦争、相手が強いらしい」

「強いっていうか、なんか相手方の主神がルール違反して神の力(アルカナム)を使ってる可能性があるって聞いたわ」

 

 その言葉にカエデが眉を顰めた。

 神々の定めた地上生活における絶対のルール。その中には神の力(アルカナム)の行使を禁止するというものがある。如何様な理由があれ、決して神の力(アルカナム)だけは使用してはならない。

 それが他の神を害する為でも、身を守る為でも、愛する者を救うためだったとしても、決して使用してはならない。

 かつて一人の女神が愛した地上の(こども)の為に神の力(アルカナム)を行使し、結果として地上から天界へと強制送還されてしまうという悲恋の話すらある。

 当然、侵略の為の力の行使も禁止されている。

 

 国家系ファミリアである【アレス・ファミリア】が主軸となっている『ラキア王国』についても神の力(アルカナム)は一切使わず、地上の眷属(こども)の力を借りてあれだけ強大な勢力に至ったのだ。

 神の知識を存分に生かし、地上で農業に勤しむデメテルや、漁業に勤しむニョルズも、蓄えた知識を元に情報誌を窘めるトートも、音楽の才を遺憾なく発揮して地上を満喫するミューズの女神達も、神の力(アルカナム)を使わない範囲という決めごとを守りながら地上を満喫している。

 そんな中、神の力(アルカナム)を行使して平然としているというその神については眉唾と言わざるを得ない。そんなカエデの表情を読み取ったグレースが肩を竦めた。

 

「あくまで噂よ、う・わ・さ。なんたって相手は短期間で第二級(レベル3)冒険者を何十人も殺してるのよ? それもつい先日まで鍬を握ってたような農夫ですらそれができるらしいわ」

「私も聞いた。なんでも手にするだけで力が満ち溢れる装備があるって」

「……力が満ち溢れる?」

 

 アイズの言葉にカエデが考え込み、小さく呟いた。

 

「御霊石?」

「なにそれ?」

「えっと、ヒヅチが持ってた石。生前の強者の魂を封じて力を借り受ける事が出来るっていう道具、だったと思う」

 

 『御霊石』。狐人が使う道具の中でも割と一般的で良く使われていた代物らしい。という事以外カエデが知る事は少ない。というか殆どない。

 死者の魂を封じてその力を借り受ける。殺生石とよく似たソレ。ごく一部の能力のみの行使に特化したモノと違い、御霊石はその持ち得る全てを封じ込め、手にした者に貸し与える代物だ。

 例えば第二級冒険者の魂を御霊石に加工すれば、その石を手にするだけで駆け出し冒険者が第二級並みの力を発揮できるという代物。

 

「それ凄くない? というかヤバいでしょ……」

「ちょっとそれは……人としてどうなの」

 

 人の魂を道具として利用する。人道を外れた外法の業。

 神の領域である魂にすら手をかけた彼の種族の在り方。カエデは小さく首を横に振って呟いた。

 

「生きる為です」

「え?」

「全部、生きる為にやった事です」

 

 身内を殺すのも、敵を殺すのも、死体を道具に作り替える事も、魂にすら手にかけて外法に身を染め上げる事も全て、狐人達が生き残る為にやった事。

 力を得る為ではなく、生き残りたいというありとあらゆる生命が持ち得る感情。その感情の暴走が彼の狂気の産物の数々を生み出した。

 

「だから────」

「ねぇ、カエデ……」

 

 カエデの言葉を止めたグレースが眉を顰めて彼女を真正面から見つめた。

 白い毛並みに真っ赤な瞳。小さな背丈に細い手足。それでいて準一級冒険者という肩書に見合った能力を持つ彼女。その姿をしっかりと見据えたグレースは小さく質問を放った。

 

「アンタ、その御霊石とかの知識、何処で知った訳?」

「それは────あれ?」

 

 グレースの質問にカエデは言葉を詰まらせ、首を傾げた。

 カエデは『御霊石』の知識を何処で知ったのか。そんな簡単な質問に答えられない。

 いつもの様に、ヒヅチから聞いた話であればそう口にすれば済むはずなのに、答えが出てこない。

 

「……ワタシ、何処でこの知識を?」

 

 知らないはずだ。カエデはこの知識に関して何一つ知らないはずだ。『御霊石』についても『殺生石』についても、おかしな事だ、知らないはずの知識を知っている。そして、その知らないはずの知識がいつの間にか増えていく。目を見開き、頭を押さえ、カエデが呻く。

 

「ちょっとカエデ、大丈夫?」

「侵略、式神を使った水増し、降霊術、かつて死んだ人たちを呼び覚まして、この大地に染みついた無念と怨念を、利用する?」

 

 次々に脳裏に浮かぶ謎の知識。意識を自身の内に沈めれば、知らぬ知識が溢れ返っている。何処かから流れ込む様に、まるで知らせる様に。

 カエデの異常な様子にグレースは心配そうに肩をゆする。アイズとティオナも心配そうに見つめる中、カエデがふと顔を上げた。

 

「『ヒヒイロカネ』は退魔の効果を持ち得る」

「はぁ?」

「狐人の扱う技法の根本の弱点。退魔の効力に非常に弱い」

「……どうしたのよ、それが何か」

「戦争の主導者の意向で狐人が扱う技法が8割以上を占めてる」

 

 脳裏に浮かんだ不可思議な知識。勘が告げている。尻尾を優しく撫で付けられるような、不可思議な感覚を味わいながら、カエデは小さく頷いた。

 

「そっか、ワタシは……」

「ちょっと、一人で納得しないでってば」

「すいません。今すぐ地上に帰ります」

「え? ってちょっ!? 速ぁっ!?」

 

 まるで弾かれた様にカエデが適当に水干を纏い、瞬時に駆け出していく。最低限の手荷物と百花繚乱だけを握り締めて駆けていく姿を呆然と見送ったグレースはティオナとアイズの二人を伺い、小さく呟いた。

 

「なにあれ?」

「さぁ?」

「……ヒヅチ・ハバリの強さについて聞きたかったのに」

 

 ペコラを一太刀で沈めたヒヅチの強さについて聞こうとしていたアイズが困った様に頬を掻き、傍に置いてあったモンスターのドロップ品や魔石の詰った革袋を見て溜息を零した。

 

「荷物、置いて行ったみたい」

「あー、カエデが地上に戻ったなら良いんじゃない? あたしたちも早く地上に戻るべきだと思うな」

「……はぁ、ナニコレ、骨折り損のくたびれもうけじゃない」

 

 グレースの深々とした溜息が清涼な泉の傍でやけに大きく響き渡った。

 

 

 

 

 

 炉の熱が冷めきった鍛冶場。草臥れた様子のヒイラギが金床に無造作に置いてある刀に視線を向けながら言い放つ。

 

「なあ、いい加減にしてくんね?」

「もう少しじゃ」

 

 ヒヅチの言った『緋々色金』を作り上げた後、彼女はその合金を使って数本の刀を拵えた。

 火事場に残っていた鉄材を『持ち主は死んだから良いじゃろ』等と言って惜しげもなく使用し────ヒイラギの所有物ではあるが────刀を何本か拵えた。

 一本は大太刀、武骨な刀身を持つヒヅチの身の丈を超える2Mに至らんとする『物干し竿』という蔑称が与えられかねない代物。

 一本は打刀、一般的な刀剣類と比べて薄い刀身を持ち、非常に軽いヒイラギですら片手で振える軽量な代物。

 二本は短刀、装飾の類処か柄すら付けられていない剥き身の刃金のみの代物。

 そのうちの一本、短刀をヒイラギの脳天に唐突にぶっ差してきたヒヅチに恨めし気な視線が突き刺さる。脳天に短刀をぶっ差され、まるで落ち武者の様になった彼女に対しヒヅチは淡々と様々な情報を語っていく。

 

 『御霊石』や『殺生石』『コトリハコ』や『身代わりの木札』『藁人形』等の狐人が作り上げた様々な道具類の知識。

 そして今回の戦争における作戦などをヒイラギに言って聞かせ。

 ヒイラギは唐突に脳天に異物を刺され、それでいて痛みも無く脳内を掻き回される違和感を覚えつつもヒヅチの『カエデの為になる事だ』という言葉を信じて懸命にその情報を飲み干さんとしていたが、遂に限界が来た。

 頭痛を覚えながらもヒイラギがぼやけば、ヒヅチは静かに溜息を零し、ヒイラギの脳天の短刀を引き抜いた。

 血の一滴も付いていないその短刀を目にしながら、ヒイラギは自身の頭、特に短刀が刺さっていた部分を何度も撫でて確認して呟いた。

 

「嘘だろ、傷がねぇ」

「まあな、そういう代物じゃしな」

「つか何したんだ? いきなりで吃驚したぞ」

 

 ヒイラギが文句を垂れる中、ヒヅチは短刀の内の一本をヒイラギに差し出した。

 

「主の中にある()()()()()を活性化させた」

「……? なんだそれ?」

「黒毛の狼人が行える知識の共有、感覚の共有じゃ」

 

 本来、黒毛の狼人は持ち得る知識や感覚の全てを同一の部族の中で共有する事が出来る。

 しかしその能力は時の流れと共に劣化が進み、今ではなんとなく仲間の考えが読める程度の弱々しいモノにまで落ち込んでしまっていた。

 それもある程度の信愛を抱かねば効力すら発揮できない程に落ちぶれた能力。

 ヒヅチの手にした短刀はそれを補助する為の代物であった。

 

「何の意味があるんだ?」

「カエデに情報を伝えた」

「え? マジで? 姉ちゃんに?」

 

 遥か遠くに居るカエデに対し、今自分が伝えられるだけの武装と敵対者の情報を伝えた。

 使う技法や技術、道具について、そしてそれの弱点。それから彼女が作成した『緋々色金』の在り処。

 

「奴の持つ『百花繚乱』に組み合わせられる様にその短刀を作った」

「……親父の作品に合わせられる様に?」

 

 一本の大太刀は、ヒヅチが自ら手にする為に。

 一本の打ち刀は、この村を守護する者の手に。

 二本の短刀は、片やヒイラギとカエデの内に眠る機能を呼び覚ます為のモノ。片やカエデの持つ『百花繚乱』に用いる事で彼の剣に『緋々色金』の退魔能力を付与する為に。

 

「カエデがじきに此処に来る。そうなる様に仕向けた」

「待ってくれ、この村を守護する奴ってだれだ? ヒヅチが守ってくれるんじゃねぇのか?」

 

 ヒイラギの言葉にヒヅチが首を横に振った。

 この村を守護する者として、ヒヅチは適任ではない。むしろ邪魔にしかならないと口にし、ヒヅチは微笑んだ。

 彼女の言葉を聞いたヒイラギが大きく声を上げるも、ヒヅチは気にした様子はない。

 

「ツツジが此処を守るじゃろう」

「…………は? いや、親父? 親父はもう死んでるぞ」

 

 どれだけ請うても願っても、命を落としたヒイラギの父であるツツジが戻って来ること等ありはしない。それなのに彼女はツツジが守ると言い切った。理解の及ばぬヒイラギが眉を顰めるさ中、ヒヅチは小さく吐息を零して何かを取り出した。

 

「おい、それ……」

「ツツジの遺骨じゃな」

「っ!? テメェッ、親父の墓を掘り起こしやがったなっ!」

 

 立ち上がり、怒声を響かせるヒイラギに対し、ヒヅチは小さく目を細め、溜息と共に謝罪の言葉を呟いた。

 

「すまん、そういえば墓を暴くのは褒められた行為ではなかったな」

「なっ……ヒヅチ姉ちゃん、頭大丈夫かよ」

 

 素直な謝罪と、加えて反省した様に耳を伏せた彼女の姿に面食らい、ヒイラギが小さな牙を剥きながらも吼える。

 

「とにかく、親父の墓を掘り起こした件は許さねぇぞっ!」

「ああ、いくらでも謝ろう。それよりも、主は父親に会いたくはないのか?」

「会いたいに決まってんだろっ!」

 

 命を落とした。それも村を守ろうと全力を尽くし、その上で死んでいった父を誇りに思う。そしてもし叶うならもう一度、会いたい。会って、話したい。もっと鍛冶について教えて欲しい事が一杯ある。そんな思いを吐き出すヒイラギに対し、ヒヅチは小さく微笑んだ。

 

「会える、そう言ったらどうする?」

「なっ…………」

「狐人はな、罪深い種族だ。輪廻転生の理を砕き、壊し、踏み躙ってでも生きようとした、哀れで愚かな種族なのだ」

 

 命を落とした者を、疑似的に蘇らせる事は、出来なくはない。

 

「本人ではない。遺骨に宿る残滓を呼び起こし、生前のツツジの姿を写し取った紛いモノだがな」

 

 本人が蘇るのではない。本人が死に際にこの世に残した無念を引き出し、写し取り、人形に宿す。そんな形で疑似的な死者蘇生を可能とする。

 

「本人ではないが、本人と遜色無く会話も出来るし、泣き、笑い、嘆き、怒る事が出来る」

「……でも、それって」

「死者への冒涜ともとれるな」

 

 死んだ兵の無念を晴らすべく、死者の残した想いを遺骨から抽出する。

 かつて狐人達が編み出した技法のひとつ。決して死者が蘇るという事ではない、写し取った影法師を呼び出すだけの代物。それでも生前の者と並べても遜色無いモノとなるのは間違いない。そう語るヒヅチの前でヒイラギが拳を強く握りしめた。

 

「この村を、ひいてはお主を守ろうとしたツツジの想いが、この遺骨に宿っている。主の許可さえあれば、今すぐにでも出来るぞ」

「…………」

 

 強く握り過ぎた手から血が滴り落ちた。

 

 

 

 

 

 オラリオに向けて進軍する有象無象の集まった烏合の衆を眺めつつ、クトゥグアは大きく伸びをして首を回した。

 

「いやぁ、壮観だなぁ」

 

 馬に乗る彼が見回せば『神を殺せ』という過激な文が書かれた旗を高々と掲げる者達が、高揚のままに叫んだり武器を振り回したりしながら進軍を進めている。

 すべてが全て、狂気を埋め込まれた影響でまともな指示に従うとは思えない、正しく烏合の衆。このままオラリオに進軍したところであっけなく散らされる事は間違いない。

 少なくとも、ヒヅチ・ハバリが戻らなければ。

 

「ヒヅチがなぁ、帰らないんだよなぁ」

「…………」

 

 彼の横で同じく馬にまたがる老婆がドロドロとした粘っこい視線を周囲に巡らせ、ガチガチと苛立たし気に爪を噛み千切って呟く。

 

「あ奴、頭脳を隠した。我らの願いを貶した」

 

 ブツブツと、指先の肉や皮膚すら噛み千切り、血の溢れ出ているのも気にならないのか────それとも狂い過ぎて自身でも自覚できていないのか。彼女は既に死人も同然でありながら、激情に溺れながらオラリオのある方角に視線を向けた。

 

「殺してやる。アマネも、神々も、黒毛の巨狼も、クトゥグアも、こいつらも、全員、全員殺してやる」

 

 全て、全てだ、生けとし生ける者全てを殺し尽くそう。そう幾度となく呟きを零す彼女を見て、クトゥグアはクツクツと喉で笑う。

 

「ヤベェ、俺でも()()()()()()()って思ったのは初めてだわ」

 

 完全に狂い切っている。いや、一周回って普通に戻るかと思えば捩じ切れて可笑しな方向にぶっ飛んでいる。もはやまともな思考は残っていない。あるのは怒りという感情のみ。

 ドロドロに濁り切ったほの暗い瞳、その煮詰めた乾留液(タール)を思わせる視線が自身の首に絡みつくえも言われぬ悪寒にクトゥグアは背筋を震わせ、歓喜に舌を巻く。

 

「くはっ、ヤバすぎんだろ。ヤベェよ、マジだよこれ」

 

 もう彼女の目に映る動くモノは全て敵だ。人も、怪物も、神も関係無い。

 全てを殺し尽くし、壊し尽くし、最後に自分すらも壊して終わる。破滅の象徴にしてクトゥグアがこの世で最も手をかけた最高傑作。

 

「ははっ、はははは、ヤバ、笑っちまうよなぁ」

 

 大嫌いな神。その神に狂わされ、正気を失い、もうすでに手遅れなまでに壊れ切った彼女の空虚でドロドロとした瞳。それがこの世に存在するありとあらゆる宝石を凌駕する程に美しい、そうクトゥグアは呟いて愛おし気に彼女を見つめて、呟いた。

 

「ヒヅチも同じ様にしてやりてぇなぁ。カエデ・ハバリってのも面白そうだしなぁ。畜生、壊すの勿体ねぇ」

 

 もっと早くに彼女の存在に気付いていれば。そうすればもっともっと良い風景が見れたのに。悔し気に呟いたクトゥグアの言葉は烏合の衆が放つ足音にかき消されて消えた。

 



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『不吉な調べ』

『団長、物資の準備は滞りなく終わったよ』

『ご苦労』

『うぅん、それは良いんだけど……兄さん何処行ったかしらない?』

『奴なら前線に物資を輸送する輸送隊に同行したぞ』

『それ、ぼくの役目なんじゃ……』

『妹を戦場に連れていけるかと言っていたな』

『幸運が使えるぼくの方が確実だと思うけどなぁ』


 【クトゥグア・ファミリア】の主神、神クトゥグア率いる『神滅軍』。

 迷宮都市『オラリオ』より真東に40K(キロル)進んだ大平原。即席で組み上げられた防壁を挟み、オラリオの冒険者によって形成された混成軍、おおよそ一万八千。対するクトゥグアの扇動によって神々への復讐を目的に集った狂人集団、おおよそ二万六千。

 人数差は約八千、通常の戦争であれば勝敗は既に決まっているも同然と言える程の差。

 複数の派閥(ファミリア)によって形成された一枚岩とはとても呼べない集団のオラリオ混成軍とはいえ、内訳の中にはオラリオ最大規模を誇る【ガネーシャ・ファミリア】や、オラリオを二分する最強派閥たる【フレイヤ・ファミリア】や【ロキ・ファミリア】も見受けられる。

 例え一枚岩でなくとも、戦闘、とりわけ人同士の戦争において、数をもって圧倒する時代は当の昔に終わっている。

 現代、俗に言われる『神時代』は、()()()()の時代と言われている。

 たった一人の豪傑が────神に与えられた恩恵を昇華させるに至った者が────いともたやすく状況を覆す可能性を秘めているのだ。現に器の昇格(ランクアップ)を果たした十名の小隊であれば、その十倍、あるいは百倍の軍勢相手を真っ向から抑え込む事ができると言われている。

 

 現に、現在最前線にて衝突している部隊同士の戦い、否戦い等と呼べるモノではない蹂躙がそれを物語る。

 オラリオ最強の冒険者【猛者(おうじゃ)】オッタル、彼が手にしている二本の大剣。その得物が振るわれる度に、相対している敵の軍勢が弾け飛ぶ。

 宙を舞い、目尻に涙をため込んだ狂人集団。

 最強一人に対し、挑みかかっているのは千を超える軍勢だ。軍靴の音を響かせ、彼らは真っ直ぐ武器を向け最強に挑み、近づく事すら叶わずに弾け飛び、死ぬ。

 加減無用を言い渡された最強が振るう大剣が、触れてもいない敵を弾け殺し、血と臓物を草原にまき散らす。

 

 最前線で行われる蹂躙。後方に設営された小高い丘の上のテントからそれを見据える神々。

 今回の戦線に強制参加を言い渡された主神が集まる其処で、神ロキは静かに腕組をしながら小さく溜息を零した。

 ────カエデがもたらした情報。彼の軍勢を超強化する(いにしえ)の妖術。それが発動する前に止めねばならない。

 カエデの語りを聞いたフィンも警戒心をあらわにしていたその謎の妖術。今の所発動の気配は感じ取れないが、もし発動し、カエデの説明通りの効力を発揮するのであれば、下手を打てばオラリオ混成軍は半日もせずに潰滅するだろう。

 其の事を他の神に伝える事なくこの場で静かに腰かけるロキ。

 伝えないのは、ちゃんとした理由が存在する。それはカエデの頼みだった。

 

『ヒヅチは、ワタシが討ちます。だから────手を、出さないでください』

 

 ロキはその言葉を思い出し、額に手を当てた。

 彼女の力強い覚悟に満ちた瞳。出会った当初に見惚れた輝く瞳に宿る、壮絶な覚悟。止めるべきであると同時に、決して邪魔するべきではないと感じ取り、ロキは口元を笑みの形に変え、小さく呟いた。

 

「早うせな間に合わへんで」

 

 この場に集まっているのは主に戦闘系ファミリアの主神のみ。後方では鍛冶系ファミリアである【ヘファイストス・ファミリア】と【ゴブニュ・ファミリア】が共同で武装類の整備を行っている者もいれば、医療系ファミリアが回復薬等の物資類を荷馬車で運び込んだりしている。殆どの主神はバベルの安全な階層へと避難しているのだ。

 その中でも最前線に立っているのは【ロキ・ファミリア】主神ロキ。【フレイヤ・ファミリア】主神フレイヤ。【ガネーシャファミリア】主神ガネーシャ。その他中規模と呼べる程度のファミリアの主神がすし詰めになっている。

 

「ねえロキ、カエデが見当たらないのだけれど」

「なんやフレイヤ、カエデの事が気になるんか?」

「ええ、ついでに【剣姫】と、【凶狼(ヴァナルガンド)】も居ないみたいね」

 

 わざわざ持ち込んだらしい望遠鏡で戦場を見回す美神をちらりと見てから、ロキは静かに肩を竦めた。

 現在オラリオ混成軍の最前線にて戦っているのはオラリオ最強の称号を持つ【猛者(おうじゃ)】オッタルと、【フレイヤ・ファミリア】が誇る第一級冒険者達である。

 その彼らと、名も知れぬ有象無象の戦闘を眺めたフレイヤが深い溜息を零し、目を瞑った。

 

「醜い光景ね」

「せやろな」

「……前線はどうなっている?」

 

 横合いから声をかけてきた『群衆の主』、神ガネーシャの言葉にフレイヤは目を細めて呟く様に言う。

 

「どの魂も、ぐちゃぐちゃの滅茶苦茶、目が痛くなるぐらいにドス黒くなってるわ」

「…………そうか」

 

 神々が地上で引き起こした事件によって地上に蔓延る恨みと憎悪。それらを凝縮した彼らの瞳を見据えた神ガネーシャが小さく呟いた。

 

「ままならないな」

 

 最前線は下がりも、上りもしない。ただその場で迎え撃つ最強によって、敵は一歩も進めない状態に陥っていた。

 

 

 

 

 オラリオの戦線より数K離れた林の中、ハイエルフの老婆の怒声が響き渡っていた。

 

「ふざけるな! アマネは何処だ! 何処で油を売っているのだ!」

 

 杖を振るい、属性魔法を放っては報告に訪れた下っ端の連絡員を粉砕しては殺害していく狂人。彼女を眺めていたクトゥグアは空を見上げて溜息を零し、口を開いた。

 

「アンタさんが彼女を怒らせたんじゃないのかい」

「黙れっ!」

 

 杖の先端を向けられ、其処から溢れ出る魔力の光を目にしたクトゥグアはくつくつと喉で笑い、呟く。

 

「おいおい、お前さんや。俺が死ねば()()しちまうぜぇ?」

「ぐぅ……貴様、は、最後に……ぐぐぎぎぎっ」

 

 ギリギリと噛み締めた奥歯が砕ける音が響き、老婆は再度最前線に視線を向け、口角泡を飛ばす。彼女の怒りは疾うに限界、オラリオ混成軍と事を構えて早半日が過ぎ去ろうとしているにも拘わらず、自らが差し向けた軍勢は何の役にも立たず、かといって彼女が出て行った所で何が出来る訳でもない。既に死に体の老骨一人、簡単に捻り殺されてお終いだろう。

 

「アマネ、いったいどこで……」

「じゃから、ワシはヒヅチじゃと言うておろうに」

 

 茂みを掻き分け、金色が飛び出してくる。

 ピンと立った三角の耳。大きくふんわりとした太い尻尾。鴉の濡れ羽色を思わせる黒い着物を着こみ、大太刀を肩に担いだヒヅチ・ハバリが現れて、ハイエルフの女性をちらりと見たのち、クトゥグアに視線を向けた。

 

「貴様! 今まで何処にいた! 我らが最後の勝利を飾るこの場に遅れるなど!」

 

 火蓋が切られたのはもう半日も前の話だというのに遅れてきておきながら悪びれる様子の無い彼女に怒りを露わにして掴みかかろうとし、ヒヅチが手で適当に叩いて押しのけた。

 ハイエルフの女性が怒声を響かせ彼女に詰め寄るも暖簾に腕押し。彼女の目にはクトゥグアの姿しか映っていない。

 

「それで? いつ発動すればよい?」

「そりゃぁ────今すぐ、だろ? さぁ、神時代の終わりが始まるぞ」

 

 嬉々とした様子でこたえるクトゥグア。ヒヅチは小さく吐息を零し、哀れにも狂い切って壊れたかつての仲間のハイエルフを見据え、懐から数枚の札を取り出して投げつけた。

 喚き散らす狂人が動きを止め、ぱたりと倒れ伏したのを見届けて、彼女は小さく「ワシには救えん、すまんな」と呟く。倒れ伏したハイエルフの懐から宝珠を取り出し、神クトゥグアを強く睨み付けた。

 

「ワシは行く。もしワシが死んだら、躯は適当に捨ておけ」

「屍にゃぁ興味が無い。ま、せいぜい大きな火事を起こしてくれよな!」

 

 彼女は口をへの字に曲げ、林から足を踏み出した。

 踏み締める木の葉の感触、顔を上げ、木々の隙間より見える軍勢の背を見据え、ヒヅチ・ハバリは大太刀を片手で振り抜き、詠唱を開始した。

 

「【鳴り響く怨嗟の声を聞け────】」

 

 彼女の手に握り込まれた宝珠が輝く。エルフの秘宝、彼らエルフが遠い昔に生み出し、秘した宝玉。魔力を溜め込み、膨大な力を秘めた蓄電池の役割を果たすソレ。

 狐人が扱う魂を力に変換する技法により、神の恩恵を受けていない魂をそっくりそのまま魔力に変換し、搔き集めたまさに『命の宝玉』。

 狐人とエルフ、二つの種族が持ち得る余りの危険性に歴史から秘された技法と秘宝を組み合わせた、巨大な力を宿した宝珠。内に宿る力に手を伸ばし、ヒヅチは大魔法を放たんとする。

 

 

 

 

 

 オラリオ側、最前線で戦うオッタルは確かに感じ取れた膨大な魔力の流れに警戒心を示した。

 

「おい団長、なんか来るぞ」

 

 小柄な猫人の男性の言葉に彼は小さく頷き、大剣を構える。

 先程まで目の前で無謀な突撃を繰り広げた烏合の衆。その彼らの躯に魔力が広がっていく。

 台地に染みついた怨嗟の声。神々が降り立つより以前にこの大地を踏みしめ、そして散っていった古代の英雄達の怨念。目を見開くオッタルの前に、古びた剣を持つ英傑が降り立った。

 

 

 

 

 

 セオロの密林。鬱蒼と生い茂る木々の間を駆け抜け、カエデ・ハバリは自らの生まれ故郷を目指していた。

 追走するアイズとベートの事を忘れたかのように駆け抜けていく後姿に二人が目を細め、森に響く音と飛来する矢を叩き落としていく。

 

「おいっ、なんだこいつら!」

「……敵? じゃない? 人の気配はしないのに、矢だけが飛んでくる」

「ヒヅチの設置した罠だと思います」

 

 駆け抜けるカエデの背を追う二人が叩き落とした矢が後方に点々と続いており、後ろをちらりと振り返ったベートが遂に耐え切れずに叫んだ。

 

「糞っ、丸一日間走りっぱなしだぞ! どうなってやがるっ!」

 

 ベート達の後方、どす黒い泥の様なモノが森の木々を飲み込み、腐食効果を発揮して森林を飲み込んでいっていた。

 

 カエデ、ベート、アイズの三人はつい昨日にこのセオロの密林に足を踏み入れた。

 目的はカエデが()()()()()『ヒヒイロカネ』を入手する事。【恵比寿・ファミリア】が手にしたモノは『ヒヒイロカネ』によく似ているが、実質的には似ているだけの模造品であったのだ。

 それを知った恵比寿およびにモールが協力を申し出たものの、オラリオで起きる戦争に向けた物資調達の為に船を動かしており、カエデ達に協力できないという事となったのだ。

 結果として【ロキ・ファミリア】のみで行動を起こす事にしたのだが、団長であるフィン、副団長であるリヴェリアが動けないのは当然のこととし、ガレスも重役として役割があり動けない。

 他の第二軍メンバーが戦線を支える事を条件に最速の足を持つベート、アイズ、カエデ三人でオラリオに向かってくる軍勢を回避してセオロの密林にやってきたのだ。

 しかし、セオロの密林に足を踏み入れた彼らを待ち受けていたのは、ヒヅチが仕掛けた罠だった。

 

「このまま真っ直ぐです」

「本当にそれであってんのか!?」

 

 ベートの怒声が響く中、カエデの尻尾が自信なさげに垂れ下がっていく。

 ベートもアイズも第一級冒険者として、丸一日走り続けた程度で倒れる程ではないにせよ、疲労感は隠しきれない。何より────予定通りであったのなら、オラリオでは既に戦闘が発生しているはずだ。それに焦る二人に対し、カエデだけはただ森の奥を見据え、口元を歪めた。

 

「……すいません、お二人で先に進んでください」

「はぁ!? おまえ、何を────」

「ワタシは、大丈夫ですので」

 

 迫る矢を叩き落としたベートがカエデの方を向いた瞬間、カエデが身を翻して反対方向へ駆け出した。

 勘に従い、彼女は木々を腐り落ちさせる腐食効果を持つ泥に頭から突っ込む。その背を見送ったベートとアイズが一瞬足を止め目を剥くも即座に駆け出す。

 

「あの馬鹿、何を考えてやがる」

「……ベートさん、いったん森の外に出ませんか」

 

 アイズの言葉にベートが舌打ちを零し、右手を上げて木々に張り付けられた札の一枚に触れる。

 視界がぶれ、次の瞬間には放り出される感覚と共にセオロの密林の入り口に投げ出される二人。大きく息を吐き、呼吸を整えて密林の奥を睨みつけたベートが舌打ちし、呟く。

 

「意味のわかんねぇ仕掛けだなおい」

 

 森に入って一定時間たつと、腐食性の泥が後ろからじわりじわりと迫ってくる。最初はナメクジが這うような速度で、それは次第に速度を増していき気が付けば強歩程の速度で、ふと後ろを振り返れば駆け足程の速度で、そして最終的には駆ける速度とほぼ同等の速度でベート達を追い掛け回してきた。

 途中で何処からともなく矢まで飛来し始め、矢を叩き落としつつ泥から逃げ回るいう状況。しかも進めど進めど終わりの見えない密林。既に反対側の山脈に足を踏み入れていてもおかしくない処か、山脈を踏み越える程の距離を走り続けてなお、密林から抜け出せないという異常事態。

 それを終わらせる鍵が、走り抜ける木々の間に時折張られている『札』だ。それに触れるだけで入り口に戻される。カエデの言葉通りの結果にアイズが安堵の吐息を零し、ベートは入り口横に張られたテントから顔を覗かせる狼人を見て口をへの字に曲げた。

 

「戻ってきたさネ? カエデは何処行ったさネ」

 

 白い毛並み、左目の上に刻まれた傷跡。片耳が欠け、尻尾が半ばで断ち切られ、数え切れぬ傷跡をその身に残した長身の狼人。酒に酔い狂う狼、ホオヅキがテントから顔を出してベートを眺めていた。

 この森にやって来る前に彼女が【ロキ・ファミリア】を訪れ、神ロキに恩恵を刻みなおして貰ってベート達に追従してきた()()()()である。

 

「……あー、()()さネ?」

「畜生、これで()()()だぞ」

 

 次の瞬間、ドシャリという音と共にカエデが密林の入り口に投げ出されてきた。それを見てホオヅキが吐息を零してテントから這い出てくる。

 

「カエデ、無事さネ?」

「…………また、ダメでした」

 

 悔し気に耳をぺたりと伏せる彼女に対し、ホオヅキが優し気な手つきで頭を撫で始めた。

 

「仕方ないさネ。アチキもヒヅチが何を考えてるのかわかりゃしないさネ」

 

 ベートとアイズも腕を組み考え込む中、カエデが顔を上げた。

 密林入り口の森と草原の境目。森の奥は分厚い天蓋が光を遮り見通せそうになく。草原には夕暮れを示す紅の色合いが降り注ぐ。

 頭を掻きむしり、苛立ちを抑え込んだカエデが立ち上がり。もう一度森に入ろうとした所でホオヅキがカエデの肩を掴んで止めた。

 

「夜はダメさネ。()()()()()()()、ヒヅチに言われなかったさネ?」

「……言われました」

「だから夜は、ダメさネ」

 

 ホオヅキの言葉に悩まし気に尻尾を揺らし、最終的に折れて尻尾を垂らしたカエデは焚火の跡の傍に腰かけて膝に顔を埋めた。

 その様子を見ていたベートとアイズも揃って焚火の跡を囲う様に腰かける。ホオヅキが薪を放り込んで着火しているのを見つつも、アイズが口を開いた。

 

「本当に、あの森を突破しないといけないの?」

「……はい、突破法があるはずなんです」

 

 カエデの言葉にアイズが顔を伏せ、火を大きくしようとしているホオヅキに視線を向けた。

 

「ホオヅキさん」

「なにさネ」

「……本当に突破できるんですか?」

「出来るさネ。でも、アチキはできないさネ」

 

 彼女の言葉にベートが眉尻を上げ、吐き捨てた。

 

「はん、適当ばっか口にする奴なんかほっとけ」

「……アチキはちゃんと、味方をしてあげたいさネ。でも、今はダメさネ」

 

 この森を突破するのは、カエデでなくてはいけない。彼女はそう言って乾いた笑みを浮かべて鍋を取り出した。

 中に水を入れ沸騰させつつもホオヅキは腰の瓢箪に手を伸ばして中身をあおる。

 つんと漂う酒精の香りにカエデとアイズが眉を顰め、ベートが鼻を鳴らす。それを見つつもホオヅキは時折酒を口にしつつも、そこら辺で採取した野草類と香草、そして仕留めた兎肉を鍋に放り込んで煮込み始めた。

 

「アチキにも、ヒヅチの考えはよくわからないさネ。助けたいなら、そのまま助けりゃ良いさネ。わざわざこんな回りくどい事しなくたって……」

「……このままだと、オラリオが潰滅しちゃいます」

「別にアチキはオラリオに思い入れなんかありゃしないさネ」

 

 ホオヅキの言葉にアイズが眉を顰め、カエデが困った様に眉尻を下げた。ベートだけはどうでもいい様に寝転がり、腕を枕代わりに寝る姿勢に入る。

 オラリオの事をどうでもいいと言ったホオヅキに対し、カエデは小さく尋ねた。

 

「なんでそんな悲しい事言うんですか?」

「カエデだって、黒毛の狼人の故郷がどうなろうがどうでもいいさネ。それと一緒さネ」

 

 欠けた片耳をピクリと震わせた彼女の言葉に、カエデが目を見開き、頷いた。

 確かにその通りだと納得し、疑問が氷解したところで香草によって香りづけされた煮込み料理が完成に近づいて胃袋を擽る香りを放ち始める。

 匂いに反応し、カエデが腹を鳴らすのを聞いたホオヅキが苦笑し、仕上げに塩で味を調えながら鼻歌を歌う。

 

 それを聞きながら、カエデは空を見上げて空腹を訴える胃の辺りをさする。

 

 此処に来るまでに二日。此処に来てから三日、既に五日も経過しており、オラリオでは予定通りならば今日の朝にも戦線が開かれている事だろう。それを理解しながらも、未だに謎が解けずに村まで辿り着けないカエデがアイズの方に視線を向けた。

 

「空を飛んで、行けませんか……」

 

 最初から期待していない様子のカエデにアイズが眉を顰め、小さく頷いた。

 カエデの言う通り、空を飛んで村を探そうとしたものの、空から見る限りでは一面鬱蒼と生い茂る密林の天蓋が見えるのみで村らしきものは影も形もない。

 カエデやベート等、村を知っている二人によれば天蓋が途切れて中央に石材によって作られた村長宅と、小さな村には似つかわしくない鍛冶工房があるのですぐにわかるとの事だったが、やはり空を飛んでいく等と言った事は出来ない。

 

「うん、無理」

「そうですか……」

 

 寝転がっていたベートが起き上がり、ホオヅキを強く睨み付ける。

 

「おい、お前何か知ってるだろ」

「べっべべべべつに何も知らないさネ? 本当さネ?」

 

 ありありとした動揺を示し、言葉を震わせて顔を引き攣らせるホオヅキに対しベートが詰め寄ろうとし、やめた。何をしようが彼女が情報を吐かないだろう。というか既に何度か同じやり取りをしている。

 そのたびにわかりやすく動揺して声を震わせながらも、一切の情報を口にしないホオヅキの態度にベートが何度目かわからない舌打ちを零す。

 彼の苛立ちを感じ取りながらもホオヅキは出来上がった野草と兎肉の香草煮を器に盛ってベートの差し出す。

 

「まっまあ怒るなさネ。アチキだって別に悪気がある訳じゃないさネ」

「……それはホオヅキさんが言っていい台詞じゃないんじゃ」

 

 カエデの小さな呟きを聞きながらもベートが器を受け取って中身を覗き込み、溜息を零した。

 三日連続で全く同じ食べ物だ。移動中も含めればこれで四日連続といえる野草と兎肉の香草煮に飽き飽きしていたベートが悪態をつく。

 

「またコレかよ」

「文句があるなら自分で作って食えさネ。それにアチキなりに香草を変えて味も変わってるはずさネ」

 

 味覚音痴とまではいかずとも、酒を飲み続けている所為か味覚があまり確かではない影響か、それとも逆に鋭敏過ぎて微細な違いを()()()()と言い張っているのか。彼女の作る香草煮はどれもこれも似たような味しかしない。というよりは味付けなんぞ塩のみなので味が変わりようがないのだが。

 強いて言うなれば、香りにほんのりと差があるのみ。

 カエデが気にせずにガツガツと食らうのを他所に、香りの違いすら見いだせずに四日連続で全く同じ物を食べている気分のアイズは心の中で料理出来る様になっておこうと呟いた。

 気が付けば夕日は既に隠れ、月明りが薄っすらと草原を照らす幻想的な光景。遥か遠くのオラリオのある方角から響いてきた音にベートとカエデ、ホオヅキの三人が反応して立ち上がる。

 鋭敏な獣人だからこそ聞き取る事が出来た音。

 

「おい、今……」

「何か、凄い音が聞こえました」

「……始まっちまったさネ。明日にもここを突破しないと不味いさネ」

 

 唯一、獣人でなかった為か音を聞き逃したモノの、背筋が泡立つような魔力の流れを感じ取り、身を抱き締めて震えたアイズが小さく呟いた。

 

「不気味な、感じ」

 

 

 

 

 

 密林の傍に作られた野営地を眺めていた【猟犬(ティンダロス)】アルスフェアは灰色の髪を指先で弄びながら草原の影に隠れている神ナイアルと彼────今は彼女か────に身を摺り寄せて甘い声を微かに零す【夜鬼(ナイトゴーント)】の姿を見て溜息を零した。

 

「頼むから彼らに気付かれるような真似はやめてくれよ。特にあっちには三人も狼人(ウェアウルフ)が居るんだ。ウチ二人はガチの戦闘用個体の『白牙』なんだぞ?」

 

 ここが風下だからこそ彼らの淫行を止めないで見逃しているのだ。

 もしここが風上だったらぶん殴ってでも止めている。

 

「イま、いイ、トころ……ンんっ」

「アルもどうです?」

 

 にやりと笑みを浮かべ、自らの身体を貪る眷属を愛おし気に撫でている絶世の美女の姿をした邪神。その姿を見たアルスフェアが身を震わせて吐き捨てる様に言葉を放った。

 

「冗談はよせ」

 

 彼、今は彼女となっているナイアルの本来の姿を知っているアルスフェアからすれば、先輩である【夜鬼(ナイトゴーント)】がナイアルと性交に及んでいる事が信じられない。

 無論、敬愛もしているし愛してもいる。けれども貪ろうとはとても思えない彼は後ろで情愛を交わし合う二人の事を意識から外して監視を再開した。

 

「また攻略に失敗したみたいだ」

「出来ればヒイラギを横から掻っ攫うのが理想なんですけどねぇ」

 

 【ナイアル・ファミリア】の現在の目的は一つ。

 『頭脳』であるヒイラギの奪取。ヒイラギの居場所も既に把握済みで後は連れ去るのみであった。

 しかしあのセオロの密林に足を踏み入れた結果は散々どころか最悪。ナイアルがこっそりと増やした眷属というなの狂人十数名を伴っての進軍の結果、村まで辿り着けたにも拘わらず返り討ちという結果になったのだ。

 

「あのツツジ・シャクヤクとかいう奴。アイツめっちゃ強かった」

「元【ヘファイストス・ファミリア】所属、【疑似・不壊属性(デュランダル・レプリカ)】ツツジ・シャクヤクか……上級鍛冶師だったはずだけど、彼のファミリアは確か『戦闘鍛冶師』とかいう訳の判らない奴らが所属してる所だろう」

 

 鍛冶師でありながら冒険者として素材を集める彼のファミリアの眷属。ツツジ・シャクヤクも例にもれず自ら素材を集めるべく迷宮に足を運んでいた戦闘鍛冶師だ。

 だがそれだけでは説明が不可能な程にあの村の守護を行っていた彼は強かった。

 

「というかそれ以前にだね、彼はもう死人だろう? 死人が立ち上がって戦うなんて……信じがたいね」

「んンっ……ふゥ、デもおレ達あいツと戦ッタじゃナいか」

 

 準一級冒険者【夜鬼(ナイトゴーント)】と第三級冒険者【猟犬(ティンダロス)】、それに加えて適当にナイアルが捕まえて狂わせて従っていた駆け出し冒険者十名。

 彼らが足を踏み入れ、村まで辿り着くのにはそんなに苦労する事は無かった。問題は、その後である。

 

「びっくリだヨね。イきなリ斬りかカッて来ルんだモんさァ」

 

 素っ頓狂な音程で会話する所為か聞き取り辛い【夜鬼(ナイトゴーント)】の言葉にアルスフェアが小さく頷く。

 

「ああ、いきなり首が飛んだから()()ヒヅチ・ハバリに襲われたかと思ったよ」

 

 一瞬だけ過去の光景が脳裏を過ったアルスフェアが身を震わせ、ふと気が付いた事を口にした。

 

「そういえば、【夜鬼(ナイトゴーント)】は生きてたけど……他の二人は?」

 

 共に『ラキア王国』への侵入および調査を行っていた仲間がヒヅチ・ハバリに首を刎ねられて死んだと思っていたアルスフェア。結果だけ言えば【夜鬼(ナイトゴーント)】は死んだふりであって実際には生きていた訳だが、残りの他の二人はどうしたのかと気にしたアルスフェアの言葉に彼は肩を竦めた。

 

「アあ、死ンだよ。何モ出来なカった。庇ウまデも無く、ネ」

 

 若干疲れた様に美女の胸に顔を埋める彼を見てアルスフェアは小さく溜息を零した。

 

「そっか」

「敵討チしたイ? やメといタ方がいイと思ウなァ」

 

 その言葉にアルスフェアは眉を顰め、問いかけを零す。

 

「逆に聞くよ。ヒヅチ・ハバリが憎くないのかい?」

 

 仲間を殺されておいて、報復を考えないのかとアルスフェアが問いかければ、【夜鬼】は小さく笑みを浮かべて顔を上げた。

 

「決まッテるだロ。殺しタいに決マってル。だカラ────カエデ・ハバリをぶッ壊しテやるノさ。奴ノ目と鼻ノ先でネ」

 

 憎悪の色合いを浮かべた先輩狂信者の姿にアルスフェアが身を震わせ、視線を【ロキ・ファミリア】の野営地の方へ戻した。

 野営地では夜番をしているらしいホオヅキが酒を片手に鼻歌を響かせているのみで他の者は全員テント内に入っている。それを確認したアルスフェアは小さく吐息を零し、空を見上げた。

 

 不気味で分厚い曇天が空を覆い尽くそうとしている重苦しい光景を目にし、余計に気分が悪くなった彼は吐き捨てた。

 

「僕だって同じ気持ちだ。ヒヅチ・ハバリを許せやしない」

 

 だからこそ、彼女の大事にしている物も、者も全て壊したい。そう内心呟いて視線を野営地に戻した。



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『戦場の音』

『ふぅむ……ふむふむ』

『アレイスター、何を調べているのだ?』

『トートか、いや……何か見落としがないかとね』

『ヒヒイロカネについてか』

『うむ、ヒヅチ・ハバリの正体もそうだが、ヒヒイロカネについて分かっている事が少なすぎる』

『情報の大半が歴史の中に埋もれて行ったからな』

『狐人の都諸共、全部吹っ飛んだのが痛いな。調べようがない』



 鬱蒼と生い茂る木々の間を駆け抜ける白毛の狼人。

 足元をちらりと見れば、無数の紙切れが張り付けられているのが目に入ったのか、横跳びでその紙切れを回避する。瞬間、爆ぜる音と共に火柱が紙切れより立ち上がる。

 

「また罠、でも種類が違う」

 

 この森に入って30分程、後ろを確認すれば同じ速度で進み続ける黒い泥の様なモノが確認できる。

 朝日が昇るより前にこの森に足を踏み入れ、突破の方法を探していたカエデは目を細めた。

 

「進んでる。でも戻される……」

 

 木々の間を駆け、足元に張り付けられた紙切れを見て、小さく吐息を零した。

 紙切れに描かれている漢数字が異なっている。視線を向け、集中してその数字を見据え、カエデは顔を上げて木に張り付けられていた札に飛び掛かる様にして触れた。

 瞬間、視界がぶれると共に天地がひっくり返る様な感覚と共に密林の外に放り出された。

 朝日が昇り始めているのか地平線の向こうから太陽がその身を露わにしているのを見つつ、焚火に枯れ枝を放り込んでいたホオヅキの顔を見据え、カエデは口を開いた。

 

「多分、突破方法がわかりました」

「…………答え、聞いてやるさネ」

 

 罠の数、そして足元に張り付けられた札。その内のいくつかが数字になっている事、それを順番通りに()()事で先に進む事ができるかもしれない。カエデが考えた突破法を口にすれば、ホオヅキは感心した様に吐息を零し、首を縦に振った。

 

「正解さネ。それで()()()()()()()さネ。村では……まあ、いけばわかるさネ。二人が起きる前に……あー、起きてきたさネ?」

 

 ホオヅキがテントの方に視線を向ければ、目をこすりながら出てくるアイズと、欠伸を噛み殺すベートの二人がそれぞれのテントから出てくる光景が目に入り、ホオヅキが小さく吐息を零した。

 

「カエデ一人で行くべきだとアチキは思うさネ」

「おはようございます。ホオヅキさん、なんでワタシ一人が良いんですか?」

 

 カエデの質問に彼女は短い尻尾の先端を摘まみ、微笑んだ。

 

「カエデ以外の人が居ると、多分とってもやり辛くなるさネ」

 

 ホオヅキの言葉にカエデが首を傾げるさ中、ベートがカエデの頭を掴んで睨んだ。

 

「……おい、お前もしかして寝ずに突破法探してたんじゃねえだろうな」

「寝ましたよ。早く目覚めたんで一人で調べてました」

「ちゃんと休まないと」

 

 アイズの言葉にカエデが耳を伏せ、ベートの手を振り解いて森の方に足を向けた。

 

「すいません、でも急ぎたいんです。突破法はわかりました、後は……進むだけです」

 

 言葉少な目に、カエデはベートとアイズの反応を待つ事なく森の方へ駆け出していく。ベートが後を追うべく足を踏み出そうとした所で、横合いから棒が突き出されて動きを止めた。

 

「テメェ、どういう積りだ酔っ払い」

 

 ベートの前に棒を突き出し、追うのを止めたのは片耳の欠けた長身の狼人。残った耳をしきりにピクピクと痙攣させつつもホオヅキは苦笑を浮かべつつ口を開いた。

 

「あー、別に喧嘩売ってる訳じゃないさネ。ただ────【ナイアル・ファミリア】が近くで嗅ぎ回ってるから、そっちの始末を頼みたいさネ」

 

 ホオヅキの言葉を聞いた瞬間、ベートが目を細め、アイズが剣の柄に触れた。

 【ナイアル・ファミリア】はかつて仲間であった者達を狂わせ、凶行に走らせるという派閥に対する攻撃行動を仕掛けてきておきながら、オラリオから逃げおおせた者達だ。要するに、仲間の仇。

 

「何処だ」

「あっちの丘の上さネ。ずぅーっとこっちを見てたさネ。アチキ一人だとちょっと手に余りそうだから、任せるさネ」

「……わかりました。ベートさん」

「わかってる、逃がさねぇぞあいつ等」

 

 わかりやすく怒気を放ち、仲間に危害を加えた者達に制裁を加えるべくベートとアイズが立ち上がった。

 

 

 

 

 

 丘の上、一晩中眺めていた野営地からカエデが朝日が昇るより早く森に入り、突破法を見つけた事を知ったアルスフェアは目を細めつつも後ろで呑気に寝ている神と先輩冒険者を見て溜息を零した。

 

「あぁ眠い。まったく、ぼくだって……ん?」

 

 呑気に寝息を立てる二人を見つつ自分も寝たいのにと文句を零した所で彼は気付いた。野営地に居たはずの【凶狼(ヴァナルガンド)】と【剣姫】の姿が消え、【酒乱群狼(スォームアジテイター)】が一人で鍋を掻き回してるのみになっている事に。

 

「ふぅん、森に入ったのかな? そろそろ突破して貰わないとこっちも困るんだけど」

 

 口元に笑みを浮かべ、アルスフェアが身を起こそうとした瞬間、彼の横っ腹にドスンッと蹴りが叩き込まれ、吹き飛んだ。

 

「げぶぅっ!? なにっ、奇襲!?」

「起キきロ、ポんこツわンこ。ヴぁなルがンどに気付カレてるみたいだ」

 

 蹴りを放った犯人はつい先ほどまで呑気に寝息を立てていたはずの【夜鬼(ナイトゴーント)】であった。唐突な蹴りでアルスフェアが不機嫌そうな表情を浮かべ、次に響いた声に背筋を震わせた。

 

「けっ、俺達を見てやがったな」

「見つけました……」

 

 ぞっとする程の殺気を振りまく二人の第一級冒険者。鋭くたった獣人の耳を震わせ、怒気を孕む瞳で鋭く【夜鬼(ナイトゴーント)】を睨むベート。剣の切っ先をアルスフェアに向けたアイズ。

 どう足掻いても勝ち目のない敵対対象の登場にアルスフェアが身を震わせ、【夜鬼(ナイトゴーント)】は笑った。

 

「ぎゃヒッ、やッベぇな。死ンじまイそうナ感ジがビんビンすルぞ」

「おい、なんで、いつの間にバレてた!?」

 

 第一級冒険者二人に睨まれた第三級冒険者と準一級冒険者の二人。アルスフェアは視線を巡らせ、ナイアルが何処に消えたのかを確認し、舌打ちと共にナイフを抜き放った。

 

「あぁ、やるしかないか」

「オーぉ、威勢ガ良いナ。おレっチも少シがんバっちャおウかな!」

「最初から本気出してくれよ……」

 

 【夜鬼(ナイトゴーント)】が鉤爪にも似た爪剣を取り出して構える中、ベートが匂いを嗅いで呟く。

 

「神も居るな。どっかに隠れてやがる」

「……まず二人を排除、それから────縛り上げてロキの所へ」

 

 神ロキが見つけたら縛り上げて連れて来いと言ったナイアルがこの場に居ると判断した二人。その言葉を聞いた【夜鬼】が目を細め、頭を掻きむしった。

 

「おイ、おいおイ、オいおいオイ! オれ達ヲ無視すンなよ、ムかつく態度ダなぁ」

「あ?」

 

 ベートの視線が【夜鬼】を貫く。彼が鉤爪をベートに向けて口を開こうとした瞬間────彼の上半身が地面にめり込んだ。

 ドゴシャッという轟音。大地に小さなクレーターを生み出す程の威力の踵落としを食らった【夜鬼】が沈黙し、半ば地面にめり込んだ【夜鬼】の背を金属靴(メタルブーツ)で踏み締めたベート。

 

「雑魚が口を開くんじゃねぇ」

 

 抵抗すれば殺す。むしろしなくても殺すと言わんばかりの先制攻撃。それも彼の目には何が起きたのかすら判別不可能な程の速度による強襲。速度だけで言えばオラリオ最速に迫ると言われるその俊足にアルスフェアが顔を引き攣らせ、響いた声に驚きの表情を浮かべた。

 

「痛イじゃネぇか。やッてクれたナ」

「……あん?」

 

 ベートが踏み締めていた【夜鬼】がドロドロに溶けて黒い染みに変化を遂げる。まるでヒヅチ・ハバリの扱った式の様な光景。しかしそれとは異なる法則で動く彼のスキルが発動し、溶けた染みが地面に消え、アルスフェアの影から顔を覗かせた。

 

「マったク、第一級冒険者サまは手荒なコとで」

「……確かに潰したはずだぞ」

「ベートさん、彼、何かおかしいです」

 

 アイズが警戒心を向けた【夜鬼】は口を大きく開いた。まるで耳まで裂けたかのような大口を開け、奇声を放つ。

 

「ギャひ、ひひヒヒッ、ぎゃひぎゃヒッ、楽シい朝にナっちマウな!」

「……あんまり、遊ばないでくれないか」

「アル坊はナイアル様ト逃げテくんナイ?」

「了解」

 

 アルスフェアが踵を返し、逃げ出そうとしたのを見たベートが彼の背を睨み、アイズが素早く回り込んでアルスフェアに対し剣を振るう。回避もままならずに刃がアルスフェアの胸を断ち────アルスフェアの体がどろりと溶けて地面に黒い液体がぶちまけられた。

 

「なっ」

「……チッ、幻術か」

「だぁイ、せぇいカァい! そウそう、こコはもうおレっチの領域(テリトリー)、死にタく無ケリゃ、頑張っテくれヨ!」

 

 両手を大きく広げ、叫ぶ【夜鬼】の姿にベートとアイズが目を細めた。

 

 

 

 

 

 密林を駆け抜けながら足元の札を踏みしめる。この罠はどれも()()()()()であり、実際の損傷(ダメージ)は発生しない。その事に気付いてはいたが、やはり怖いモノは怖い。

 『壱』の札を踏みしめた瞬間、風の嵐が吹き荒れてカエデの体が弾き飛ばされる。木にぶつかる寸前に風が渦巻き、カエデの体を受け止めた。

 

「まず、一つ」

 

 木の根に足を取られぬ様に駆け出した先、見つけた『弐』の札を迷わず踏み抜く。

 噴き出した水が凍り付き、体を氷漬けにしていくさ中、カエデはあえて抵抗せずに氷に閉じ込められた。周囲の景色を氷塊の内側から眺めつつ、小さく息を吐けば、呆気なく氷塊が砕け散る。

 

「二つ目」

 

 突破法、数字通りの罠を踏み抜き、罠に嵌る。ただそれだけだ。

 『参』の数字を見つけた瞬間、大きく一歩を踏み出して札を踏みしめる。矢が飛来する音。無抵抗でその矢を受け入れる。ブスブスと背中、胸、腕、頭に矢が突き刺さり、消える。

 痛みはないが、体の中に鏃が捻じ込まれる異物感はあった。吐き気を覚えそうになる感覚に歯を食いしばり、駆けだす。

 残りは、いくつだろうか。

 

 『肆』の文字。四つ目を見つけて踏み抜く。地面が隆起し、左右から土壁が同時に迫り、潰された。

 体が左右から押しつぶされる感覚。一瞬で視界が真っ暗になり、圧迫感と共に呼吸が遮られる。それも数秒で消え去り、視界が開け────目の前に迫った大刀の一撃に目を見開き、身を捩って回避した。

 空気を切り裂く鋭い音色と共に、息遣いが聞こえ、カエデは背にしていた『百花繚乱』を引き抜いて相手の剣を横合いから叩く。

 ぶつかり合う寸前、カエデの百花繚乱が横から飛び出してきた大刀に弾かれ、カエデが視線を向ければ黒毛の狼人の壮年の男性が両手で大刀────カエデの身知った剣を手にしていた。

 その大刀、『大鉈』という名称でカエデがオラリオに辿り着くまでに利用していた刀を手にした男。何故、その剣を持っているのか、意識を奪われかけ、一瞬の空白の後に反撃を試みる。

 火花を散らしながらあっけなく吹き飛んでいくその男。木にぶつかる寸前にその男の体があらぬ方向に弾かれた。それは別の狼人が彼の体を蹴った事によって発生し、彼は木の枝に足を付け、一気に飛び掛かってくる。

 驚きに目を見張るカエデの視界の中には、同じように『大鉈』を手にした無数の狼人の姿。そのどれもが────カエデの知る村人の姿に酷似している。人数は三人。

 

「なっ!?」

 

 同じ姿をした彼らが、カエデの大事な『大鉈』を手に襲い掛かってくる。訳も分からない状況にカエデが動揺し────丹田の呼氣で強制的に冷静さを取り戻す。

 

「関係ない、邪魔、しないでっ」

 

 今更立ち塞がるな。苛立ちと共に百花繚乱を振るい────途中で身を捻り、回避を優先した。

 足元に見える札の番号は『弐』、ギリギリで踏まずに済んだ事に安堵の吐息を零しかけ、背中に大刀の一撃が叩き込まれた。

 たたらを踏みながらも駆け出す。斬られなかった、否、あの剣はカエデの損傷を与えられる程の鋭さはない。

 むしろ、刃が殺された(なまく)ら刀だ。

 

「なんで、妨害を……」

 

 足を速めれば、彼らは遠く離れて行き、泥に飲まれて消えた。背後に迫る泥の速度は其処まで速くはない。だがそれカエデの基準であって常人の基準ではない。カエデの疾駆する速度からすれば全然遅いその泥は、神の恩恵を受けていない者では逃げる事も出来ない程の速度だ。

 そして、彼らは神の恩恵を受けていない。先程の一撃は駆け出しに少し劣る程度の威力しかなかった。

 一体、何者なのか。何故今になって彼らは立ち塞がるのか。既に全員死んだと言われていた彼らの妨害に牙を剥き、直ぐに呼氣を整える。

 

「今は、先を急ぐべき」

 

 考えを口にし、冷静さを引き寄せて足元の札を見据えていく。次の札は『伍』、見つけたその札を踏みしめ、響き渡る雷鳴に身を震わせた。次の瞬間には轟く(いかづち)がカエデの体を打ち据え、その身を痺れさせる。

 手足が勝手に暴れ出す様な不快感を味わいながらも身を震わせて手にしていた百花繚乱で斬りかかってきた狼人を弾き飛ばす。

 また、カエデの周囲に数人の黒毛の狼人が現れた。人数は、四人。それぞれ手にしている得物は、やはりというべきか刃の殺された鈍らの『大鉈』だ。

 

「邪魔っ!」

 

 飛び掛かってくる二人の間を走り抜け、その後ろの一人の足を剣先で引っ掻けて転倒を誘いつつも走り抜ける。彼らが慌てて振り返って此方を追おうとし、倒れた一人が邪魔となって一瞬動きが止まった。そんな彼らを置き去りにしカエデは疾駆する。

 次の札を探すべく視線を巡らせ、『陸』の数字を見つけ、足を踏み出した。

 弾ける音色。周囲に響き渡るのは金切り声の様な金属の絶叫。獣人であるカエデでなくとも一瞬で平衡感覚を打ち壊され、足元がおぼつかなくなる。立つ事もままならない程の大音量。

 普通なら対処不可能な騒音の嵐。しかしカエデには『丹田の呼氣』がある。乱れた自らの氣を整え、瞬時に復帰して立ち上がる。取り落とした百花繚乱を鞘に納めて駆けだした。

 今度は、何も現れない。

 

 次いで見つけたのは『漆』。七番目の数字、狐人の扱う漢数字と呼ばれるそれは非常にわかり辛い、一瞬見間違えそうになったその数字の札を踏みしめる。

 金属靴(メタルブーツ)の底の鋲によってズタズタにされる札。次いで訪れるのは眩暈。吐き気に頭痛、腹の内側が捻じれる様な激痛が弾け、カエデが体をくの字に曲げて喀血した。

 

「げぼっ……これ……」

 

 ガンガンと痛む頭と、腹の中を鉄の棒でかき混ぜる様な激痛。視界がグルグルと回りだして膝を突いた。

 突破法が浮かばない。呼氣乱しを食らったのとはわけが違う程の激痛、吐き気、眩暈。視界がグルグルと回りだし、泥が徐々に近づいてきているのに気が付いてカエデが顔を上げる。

 口の端に滴る血を無視し、腹の中で暴れ狂う激痛を堪え、一歩踏み出した。その瞬間に痛みと眩暈が書き消え、カエデが一瞬たたらを踏み、大きく前のめりに飛び出して泥を間一髪で回避して駆け出した。

 罠の種類が多岐にわたるとはいえ、今の罠は完全に想定外だった。危うく倒れる所だったカエデは目を細め、次の罠札を探す。

 

 駆け続ける事、数分。次の札は『捌』。八番目の札を見つけ、一瞬、何が来るかに怯え、戸惑いながらも踏み抜いた。

 瞬間、首が飛んだ。周囲に発生したのは刃の嵐。腕が、足が、胴が、首が、ありとあらゆる弱点(ウィークポイント)を切断していく刃の嵐。目が、口が、鼻が、耳が、尻尾が、指が、関節が、内臓の一つ一つに至るまで全てを斬り捨てていく鋭い刃が乱れ舞う。

 ほんの一瞬でズタズタを通り越し、完全にバラバラの死体に変貌を遂げる。そんな姿を幻視しながらも、カエデは密林から投げ出され、大地に五体投地した。

 ベリャリと投げ出された姿勢のまま、呼吸を忘れていたカエデが大きく息を吸い、吐く。鼓動すら一瞬止まる程の濃密な殺気に包まれていたカエデがくらくらする頭を抱え、顔を上げ────息を呑んだ。

 

「……ここ、は」

 

 目の前に広がるのは、滅び去った黒毛の狼人の故郷。

 焼け落ちていたはずの家屋は元の通りになっており、荒れ果てた畑もみずみずしい野菜が実る、最盛期の村の姿。明らかに、おかしな姿にカエデが警戒心を高めつつも身を起こし、響いた声に反射的に剣を向けた。

 

「よう、お帰りって言った方が良いか?」

 

 カエデが動きを止める。信じられない光景だが、同時に理解可能な光景だ。

 つい先ほど、死んだはずの村人が襲い掛かってきた。言葉も無く、ただ襲ってくるだけの彼ら。斬り捨てる事をしなかったのは、カエデがその必要性を感じなかったからで。

 目の前の光景に、カエデが静かに剣を下ろした。

 

「おう、そりゃヘファイストス様に贈った剣じゃねえか。借りたのか? どうだ、その剣。女神さまに贈るのにふさわしい剣だろ?」

 

 人懐っこい笑みを浮かべた姿。蒼穹を思わせる色合いの瞳。ピンと立った耳に、わしゃわしゃと振られる尻尾。野性味に溢れた顔立ちに、鋭い犬歯を覗かせる口元。殆どの狼人が彼を見れば『イケてる』と称する程に整った顔立ち。

 肩に背負っているのは『大鉈』の様な剣。身に着けているのは鍛冶師が身に纏う着流し。カエデはこの人物について知っていた。何度か顔を見た事もある。それだけではない、もっと、カエデの知らない所で深く繋がりのあった人物。

 元【ヘファイストス・ファミリア】の上級鍛冶師【疑似・不壊属性(デュランダル・レプリカ)】ツツジ・シャクヤク。

 女神ヘファイストスに『百花繚乱』という剣を贈り、故郷に帰った人物。

 そして、カエデ・ハバリの実の父親だ。

 

「うそ……」

「おいおい、女神さまに贈るのにふさわしい剣だろ。嘘だなんて言っちゃいねぇ。あの時俺が打てる最高傑作だぞ」

 

 人懐っこい笑顔、口元に覗く鋭い犬歯が口元に覗いており、目つきの鋭さも相まって威圧している風にも見えるのに、何処か愛嬌を漂わせるツツジの姿にカエデが身を震わせ、口を開いた。

 

「なんで、生きて……」

「いや、俺は生きてない。悪いな、とっくの昔に死んでんだ。つまり、今の俺は死人って訳だよ」

 

 笑みを絶やさず、カエデを優し気な色合いで見つめる蒼穹の瞳。確かな情愛の色が見て取れるその瞳に一瞬引き込まれ、カエデは首を横に振った。

 死人が居る? 在り得ない。そう否定し、カエデは百花繚乱の切っ先を彼に向けた。

 

「あー、なんだ。やるのか?」

「通してください」

 

 ここはカエデが目指していた目的地ではない。ここにヒイラギは居ない。この場所にヒヒイロカネはない。ならばここは通り過ぎるだけの通過地点でしかない。故に、ここを通せ。鋭く睨み付けるカエデの深紅の瞳を見据え、ツツジは肩を竦め、俯いた。

 

「今更、親父面できねぇとは思ってたけどよ……お前は、やっぱ……いや、なんでもねぇ。俺は、お前を止める為にここにいる」

「どうして────」

 

 自身を止める為だと聞かされたカエデの質問に、ツツジは顔を上げて答えた。

 

「お前を愛してるからだ」

 

 ぞっとする程の決意の色合い。愛してるという直球の言葉にカエデが身を震わせ、口元を歪めて吼えた。

 

「愛してるならっ! もっと早くに言ってっ! 今更、遅すぎるっ!

 

 カエデの咆哮に、ツツジが身を震わせた。俯き、肩に担いだ『大鉈』をカエデに向ける。

 

「わかってる。もう遅いって、わかってんだ」

 

 それでもお前を愛してる。生きていた時からずっと、死んでもなお、カエデ・ハバリ(おまえ)を愛してる。そう呟いたツツジの言葉。嘘はない、彼は嘘を吐いていない。心の底から真実と言える言葉を口にし、ツツジは涙を零しながら口を開いた。

 

「愛してる。だから、ここで止まってくれ」

 

 ヒヅチ・ハバリと戦わせるわけにはいかない。彼女は強い、ツツジが片手間で捻り倒される様に、カエデもまた倒されてしまう。今のヒヅチと戦えば、命はない。だからここで止める。

 この先で、ヒイラギと共に静かに暮らせば良い。傷付き、涙を流し、苦しんでまで進まなくても良い。

 

「だから、ここで止まってくれ」

 

 ツツジ・シャクヤクが大鉈を向ける。カエデ・ハバリにその切っ先を固定し、愛を叫ぶ。響き渡る声に誘われ、傀儡の様になった村人がゾロゾロと現れた。

 彼らの目には虚ろな色合いが映っている。感情を失った傀儡である彼らを自在に操り、ツツジ・シャクヤクが立ちふさがる。

 彼の身に着けている着流し、その胸に刻まれた『玖』の数字。九番目の罠、踏み締め、踏み越えていくために用意された、余計な者を通さない守護者。

 愛を叫ぶその言葉に、カエデは身を震わせ、鋭く唸り声を上げて剣の切っ先を向けた。

 

「嫌です」

 

 此処で止まる訳にはいかないと。例えヒヅチと刃交える事になったとしても、彼女は止まらない。

 

「ヒヅチを止めます。止める為に、貴方を倒します」

「……アイリス────」

「ワタシはっ!」

 

 過去の名だ、否……そもそもその名で呼ばれるのは違う。カエデが全身の毛を震わせ、獰猛な威嚇の音色を響かせ、吼えた。

 

「ワタシはっ、カエデ・ハバリだっ」

 

 貴方の娘ではない。だってワタシはヒヅチ・ハバリの娘だから。

 

 貴方はワタシを捨てたんだ。だって貴方はワタシをヒヅチに預けたのだから。

 

 貴方はワタシに手を差し伸べなかった。だって貴方はワタシを庇ってくれなかったから。

 

 貴方は死んだんだ。過去の人間(ヒト)なんだ。

 

 貴方はワタシの前に立ち塞がったんだ。死者の癖にワタシの前に立つな。

 

 貴方は────ワタシの敵だ。

 

「其処を通せっ!」

 

 涙を流しながら咆哮を響かせ、カエデ・ハバリが牙となり黒毛の狼人に襲い掛かった。

 

 

 

 

 

 

 オラリオ真東3()5()K()地点。広がる大平原を見下ろしていた高地から後退した神々の天幕から見える景色に神々が身を震わせていた。

 元々は5K程東で戦っていた戦場。それが一晩で5K程押し込まれていた。

 最前線で戦っているのは【ロキ・ファミリア】【フレイヤ・ファミリア】の混成軍。最強(レベル7)に加え、第一級冒険者が十名以上参加しての防衛線。()()()()

 

「おいおい、不味いぞ。押し返す処か徐々に押し込まれている」

「しゃあないやろ、あっちは不眠不休で全員動いとるんや。むしろ一晩でオラリオまで特攻されへんかった事を喜べや」

 

 ガネーシャの不安を誘う言葉にロキが吐き捨てる。

 最前線を支える十名以上の第一級冒険者。最前線に立つ最強【猛者(おうじゃ)】オッタルが大剣を振るって敵の進行を止めるべく動いているが、まるで焼け石に水だ。

 

「また光や……あぁ、立ち上がってきとる」

 

 戦場中央部。第一級冒険者が集まって戦っている場、そこで場違いな女性が一人、踊っていた。

 右手に大太刀、左手に札、胸には魔力の塊である魔力石。狐人の踊る動きと、紡がれる詠唱によって戦場は混沌としていた。

 彼女の詠唱が戦場に響く度、彼女の魔法が戦場で弾ける度、()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 確実に息の根を止めたはずの者達が、立ち上がってくるのだ。それに加え、()()()()()()()()()()()()()()()

 

「あの銀狐ヤバいな」

「あれは、狐人の英雄の一人だな。最期は傷付きながらも怪物に斬りかかり、息絶えたはずだが」

 

 フィン、ガレス、リヴェリアの三人がかりで抑え込まねばならない銀毛の狐人。

 手にしているのは極東にしては珍しい両刃の剣。反りの無い直刀を右手に、左手にはお祓い棒の様なモノを手にしている銀毛の狐人だ。

 他にも、全身鎧を身に纏う小人族の姿も少数見られ、準一級冒険者であるティオネやティオナ、その他多数の冒険者が必死に押しとどめようとしているが、じりじりと戦線を押し上げられている。

 小柄な体躯に頑丈な鎧。馬鹿げた大きさの騎乗槍と大盾を手にした小人族に最初は鼻で笑っていた者達も、その最初の突撃で蹴散らされて戦線を崩壊させられて今では必死の形相で戦線を留めようとしている。

 恐ろしい馬鹿力で混成軍を蹴散らす大柄なドワーフ。種族特徴を生かし前進し続ける獣人。

 ヒヅチ・ハバリが出てくるまでは、彼女が不可思議な魔法を使うまでは、オラリオ優勢で進んでいた筈の戦場は、今や押し込まれ続けて被害が拡大し続けている。

 

「あかん、もう下がった方がええな」

 

 流石に戦場が近づき過ぎている。流れ弾らしき火球が神々の留まる天幕のすぐ近くに飛来し、大地を大きく抉ったのを目にしたロキの言葉に神々が頷いて慌てて護衛の眷属と共に下がっていく。

 その様子を見ながら、フレイヤは目を細めてヒヅチ・ハバリを見据え、小さく零した。

 

「操られてる訳ではないけど、本意ではないみたいね」

「フレイヤ、こんな所で色ボケしとらんとさっさと下がるで」

 

 ロキに促されたフレイヤも立ち上がり、戦場を見下ろして呟いた。

 

「オッタル、もう少しだけ、耐えて頂戴」

 

 彼女が到着するまで、戦線を維持しろ。そんな無茶苦茶な命令を零したフレイヤも天幕を後にした。

 

 

 

 

 

 最前線で戦うフィン、ガレス、リヴェリアの三人は多数の負傷を負いながらも銀毛の狐人の足止めを行っていた。

 身に着けているのは着物の上に板金を張り付けた様な動きやすさに重点を置きつつも、重要な個所を守る狐人特有の防具。裾がほつれており、板金も無数の傷に凹みが見て取れる。

 顔立ちは非常に美しく、女性の様にも、男性の様にも見える中性的な姿をした人物。白面を身に着けた人物。

 フィンの長槍も、ガレスの戦斧も完全に防がれ、まともに切り結べてすらいない。

 リヴェリアに至っては詠唱しようとした瞬間に妨害を受け、まともに詠唱すらさせて貰えぬ始末。

 

「くぅっ」

「フィン、不味いぞ。ワシらが突出し過ぎとる」

「ガレス、フィン、少し下がれ」

 

 リヴェリアの言葉にフィンが眉を顰めた。

 先程から前線が後退し続けている理由は一つだ、倒れても倒れても敵が立ち上がってくる。立ち上がって襲い掛かってくる。まるで疲れ知らずと言わんばかりに永遠に襲い掛かってくる彼らに対し、オラリオの混成軍は押され続けているのだ。

 フィンやガレス、リヴェリアの様な第一級冒険者ならまだ体力が続くが、後方で前線を形成しているのは主に第二級、準一級冒険者である。第一級の中でもレベル6のフィン達に付き合って前線を維持できる程の体力を持ち合わせている冒険者は少ない。

 【ロキ・ファミリア】が形成している一角だけが浮き上がり、他が前線を下げている影響で突出しはじめ、かなりの負荷がかかり始めているのに気付いたフィンが槍を振り上げ、叫んだ。

 

「ラウル! 前線を後退させろっ!」

 

 声を聞き届けたラウルが懸命に指示を出し、前線を少しずつ下げていく。他のファミリアと足並み揃える為とは言え、下がり過ぎている。

 目の前の銀毛の狐人の顔を見つめ、フィンは小さく呟いた。

 

「せめて、名前ぐらいは聞かせて貰えないかな」

「…………何故、名を名乗る必要があるのだ」

 

 時間稼ぎの意味合いもある問いかけに律義に答える声。銀毛の狐人の言葉にフィンが眉を顰める。

 死者を蘇らせる魔法、というには何かがおかしい。彼らはかつてオラリオ、白亜の塔の地下に広がる大穴を塞ぐべく蓋の建造を担った英雄達だ。だから彼らがあの塔を破壊しようとするのは理解できない。

 親指が震え、フィンがのけぞった瞬間にチンッという刃を収める音。銀毛の狐人が刀を鞘に納めていた。

 頬から滴る血を拭い、フィンは冷や汗を流す。

 

「見えなかった……」

「見る必要等、有りはしない」

 

 真っ直ぐ白面越しに見据えてくる銀毛の狐人。彼に対しガレスがぼやいた。

 

「何故オラリオを狙う」

「何故か……」

 

 小さな呟き。考え込む様に動きを止めた彼は、顔を上げて呟いた。

 

「俺の婚約者がそれを成そうとしている。ならばそれの成就の為に身を賭すのは、おかしな事ではあるまい?」

 

 彼の言葉にフィンが眉を顰め、視線を戦場中央、【猛者】と激しく切り結んでいるヒヅチ・ハバリに向けて呟いた。

 

「彼女が、君の婚約者かい?」

「如何にも」

 

 肯定の言葉を聞きつつもフィンは小さく吐息を零した。

 

「あぁ、そうか。なるほど……それでも僕たちは負ける訳にはいかないし、引くわけにもいかない。そういう訳だから、ここで倒れてくれ」

 

 長槍を構え、【勇者(ブレイバー)】が淡々と宣言すれば、【重傑(エルガルム)】【九魔姫(ナインヘル)】も同様に構えをとる。

 一対三、過去の英雄の一人に対し、現代の英傑三人。押され気味ではあっても、決して負ける積りはない。フィンの鋭い突きを皮切りに、更に激しく戦場に火花を散らした。

 



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『咆哮/慟哭』

『押されてるね』

『……前線が崩壊しかけてる。もう半日も持たないぞ』

『ねぇ恵比寿、逃げちゃわない?』

『…………いや、ぼくは逃げないよ。ぼくだけは逃げちゃダメだ』

『そっか、じゃあボクも前線に行くね』

『モール……わかった。気を付けるんだよ』

『あははー、大丈夫さ。ボクは運だけは自信があるからね』


 飛び掛かってくる黒毛の狼人。手にしているのはカエデの────アイリスの為に打たれた剣────大鉈。

 切っ先が太く、大きくなった特徴的な形状の鉈の様な刀は、勢いに乗せて振るえば相応の威力を伴う。しかし、それには相応な技量を必要とし、同時に────()()()を知っていれば簡単に無力化できてしまう欠点も持ち合わせている。

 記憶にある美しい村と同様な姿形をしている。けれども何処か作り物めいていて、靄を纏った様に時折姿が揺らいで見える。

 斬りかかってくる者達はどれも村で見知った村人の者達の姿形をした、人形。技量は欠片程しか感じられない、力任せに振るわれる刃は、確かに恐ろしくはある。武器の重量を活かした、恐ろしい重撃。けれども、間合いを外せばすぐ威力を失う。近すぎれば威力は途絶え、遠すぎればそもそも当たらない。

 的確に最も威力の出る刃先を相手に当てなければならないその武器は、カエデの愛用したモノで。当然、カエデは間合いも何もかもを知り尽くしている。

 

 そんなもの関係ない。無造作に手で叩けば吹き飛んでいく村人。ツツジすら例外ではない。

 それは残酷な結果だろう。カエデ・ハバリは神の恩恵をその身に受けた冒険者で、ツツジは元は恩恵を受けてはいたが、今はただの人。多少の身体強化はあれど、それは高が知れたモノでしかない。

 村人の数は五十近く、対するカエデはたったの一人。

 幼さの残る白毛の狼人一人に対し、五十名の村人がとびかかる。中には成人男性も混じり、老人、子供すらも混じっている、数の差は歴然。結果は火を見るより明らかだ。

 

 村人が勝つ? 否、村人は何も出来ずにあっけなく蹴散らされている。

 

 カエデが『百花繚乱』を振るえばあっけなくへし折れていく。バキボキと音を立てて簡単にへし折れる。────村人の形をした人形の、腕が。

 剣は耐えていた。準一級冒険者、それも相応な能力を持ち合わせるカエデの一撃を受けてなお折れぬ剣に感嘆すら覚えるだろう。けれどそれまでだ、村人の形をした人形は、腕が折れようと手が千切れようと、足が壊れようと、カエデを止めるべく動き続けている。

 頭を砕いてようやく動きを止める。

 

「邪魔!」

 

 カエデが振るった百花繚乱の一撃が、カエデより一回り大きい少年の頭を砕いた。

 いつも三人組でカエデに石を投げてくる、そんな少年だ。確か、ザクロという名だった様な、そんな考えをすぐに振り払い。カエデは剣を別の人物に向けた。

 女性の形をした、狼人。石を投げて来る事こそしなかったものの、いつも避けていた人物。名前はオキナだと脳の奥の方に残っていた村人の名前が脳裏にチラつき、カエデは力任せにその女性の胴を薙いだ。

 その体が呆気なく両断され、血の一滴も流す事無く地面に倒れる。断面はまるで陶器にも見える材質の何か。体が砕け、破片が飛び散る様を見なければ、きっと彼女を人形だと思う者は一人も居ないのだろう。

 そう思える程に精巧な人形たち。言葉を発する事無く倒れた彼女の頭を金属靴(メタルブーツ)で踏み潰し、陶器を踏み砕いた感触を感じたカエデが背筋を震わせる。

 それを隙と見たのか、数人が突っ込んでくる。常に一人ではなく数人が、対処不可能な死角に潜り込む者が必ず一人、気を引く者が数人。本命を悟らせずに狩りを行う狼の戦法。

 

「それは────ワタシも知ってる!」

 

 だが無意味だ。前に飛び出し、一人を斬り伏せ、一人の腕を掴んで後ろから近づいてきていた者に投げつける。巻き込まれて転倒した彼らの頭を素早く砕き壊し、動きを停止させ、カエデは奥歯を噛み締めた。

 砕いた頭の片方は、カエデにいつも石を投げつけてきていた子のもので、その名もカエデはしっかりと覚えていた。────嫌いだから覚えていた訳ではない。ただ、同じ村の子供で、もしかしたら仲良くできるかもと淡い期待を抱いていたからだ。

 脳裏に踊る過去の名前、クチナシという名の少年を脳裏に描いたカエデは頭を振って脳裏の姿を振り払い消して顔を上げる。残っているのは既に半分を切っていた。

 

「強いな……ああ、お前は強い」

 

 人形に囲まれ、肩に大鉈を担ぐ男の声。ツツジの声にカエデは静かに頷く。

 

「ワタシは強い」

「けど────ヒヅチより弱い」

 

 ツツジの言葉にカエデがギリリッと奥歯を噛みしめ、吼えた。

 

「そんなの! ワタシが一番知ってるッ!!」

 

 幾度刃を交わそうと。幾度脳裏に描こうと、カエデ・ハバリがヒヅチ・ハバリに勝ち得る姿は浮かばない。浮かぶ訳がない。

 彼女の持つ剣は、戦い方は、生き方は、牙は、その身の全ては彼女がカエデに与えたモノだ。彼女がいたから、カエデ・ハバリは存在する。カエデの全てをヒヅチは知り尽くしている。カエデの強さも、そして弱さも。

 刃を交える前から、勝敗などわかり切っている。それでもカエデは止まる積りは一切無かった。

 

「それでも! ワタシはヒヅチを止める!」

 

 カエデの咆哮。対するツツジは口元を歪め、呟いた。

 

「畜生、誰ににて()()()育ちやがったんだよ」

 

 悲し気に、けれども嬉しそうに笑みを浮かべたツツジが顔を上げる。彼女が誰に似たのか、誰の血を引いているのか、鏡を見ればそこに映る顔がカエデと重なる。それは紛れも無くツツジから引き継がれた、親譲りの頑固さだ。

 

「ああ、お前は俺の娘だ、間違いねえ」

「関係無いです」

 

 冷たく突き放す様なカエデの言葉にツツジの表情から喜びの色が消えうせ、悲壮に満ちた。彼女は止まらない、それを理解した。他の誰でもない、ツツジ・シャクヤクという男も同じ道を歩んだのだから、決して曲がらない、折れない、欠けない。彼が生み出す傑作の作品と同じ。

 心の底から吠え、咆え、吼えて突き進む。自らの選んだ道を────周りになんと言われようと、決めた事を成す頑固さをツツジ・シャクヤクは知っている。

 

「確かに、お前にとって関係ないかもしれない……だったら、俺にだって関係ねえっ!」

「…………」

「俺は、お前に幸せになってほしい! 其の為に、俺はヒヅチとお前を戦わせる訳にはいかねぇっ!!」

 

 だからここで止める。そう宣言したツツジは残る全ての人形を構えさせ、カエデの目を見据えた。

 冷たい氷結した様な決意を見せる深紅の瞳と、熱く滾る燃え盛る様な決意を映す蒼穹の瞳。対照的であり、何処かズレた二人の視線が交じり合い────ツツジが吠えた。

 

「いくぞっ!」

 

 残る二十名近い人形が一気に駆け出す。

 かつて、この黒毛の狼人を襲った盗賊が居た。女を一人だけでいいから寄こせとふざけたことを口にした神の恩恵を受けた者が居た。彼らの内の数人を屠るに至った、神の恩恵を持つ者ですら恐れる黒毛の狼人による包囲攻撃。

 過去に、遠い昔に第一級冒険者を恩恵無しで殺し切る事に成功した、全方位からの同時多段攻撃。一切乱れぬ連携による重撃の連打がカエデに殺到し────風が吹き抜けた。

 

「────なっ!? これは……」

 

 ツツジの前で、村人の体がバラバラに砕け散り、残骸となって散らばっていく。

 手にしていた大鉈がくるくると宙を舞っている。目の前には、白い毛並みを揺らし、深紅の瞳でツツジを見上げるカエデの姿。大鉈と共にツツジの腕がくるくると宙を舞っている。

 

 カエデ・ハバリは本気を出していなかった。彼らは、弱かった。弱過ぎた。

 遅い、カエデと生きる世界が違うのではないかと疑う程に遅い。逆だ、カエデが速いのだ。神の恩恵を受け、元から持ち得た敏捷に磨きがかかり、まさに別の次元で生きていると言える程の速度を手にした。

 どれだけ隙が無かろうと、そもそも相手が一回攻撃する間にカエデが二十回切り刻む事が出来るのなら、全く意味が無い。

 ツツジが率いた人形が崩れ落ち、ツツジの体もまた大地に叩きつけられ、目を白黒させながらツツジが顔を上げる。

 

「畜生っ」

 

 悔し気なツツジの言葉。ツツジが目にしているのはカエデの尻尾の先、泥一つ着いていない純白さを保つその尾を見て、ツツジが呟いた。

 

「んだよ、良い毛並みじゃねぇか……」

「……ありがとうございます」

 

 カエデはツツジに背を向けていた。カエデの視線の先には、粉々に砕いて破壊した村人たちの人形の残骸。

 手に残る感触は、やはり人を斬ったモノではなく、陶器を砕いた感触が残る。それを理解しながらもカエデは静かに目を瞑り、地面に倒れ伏したツツジに向き直った。

 

「……あぁ、糞……綺麗に育ったな」

「どうも」

 

 悔し気に、悲し気に、そして嬉しそうに呟かれるツツジの言葉にカエデが静かに返す。

 感情の篭らない、無機質な返答。そんなカエデの言葉にツツジが悲しそうに眼を細め、身を捩って仰向けになる。

 肘から先が綺麗さっぱりなくなった両腕、膝から下が切り取られた脚。腕に脚、どちらも切断されて転がっている。既に彼には手札が無い。

 彼の思う通りに動く手足たる村人の形をした人形は全て粉微塵に粉砕され、そして文字通り手足すらも切り落とされ、ツツジ・シャクヤクに抵抗する手段はない。

 そんな彼を前にしたカエデは、見上げてくる男の目を見て口元を歪ませていた。

 感じているのは、悲しみか、憐れみか、怒りか、混じり合う感情を上手く制御できずに手が震えている。丹田の呼氣で落ち着きを取り戻そうとするが上手く行かず、カエデの声が震えた。

 

「ワタシの、勝ち……です」

 

 震える声で宣言し、百花繚乱の切っ先を倒れ伏したツツジに向ける。彼は悔し気に表情を歪め、自分に言い聞かせる様に呟いた。

 

「見りゃわかる」

「……だから、ここを通してください」

「おう、好きに通れ」

 

 軽い調子でツツジが呟き、カエデが震えを押し殺して彼を見つめた。

 ここを通る、それを意味する所を理解しながらもカエデは剣を両手で振り上げた。間合いに間違いはなく、倒れ伏したツツジは既に抵抗を諦めている。止めを刺せば彼女は先に進めるだろう。

 彼は表情を消してカエデに声をかけた。

 

「なあ、やっぱ止まってくんねぇか?」

「嫌です」

 

 カエデの即答にツツジが破顔する。優し気な微笑みを浮かべ、彼はカエデを見つめて口を開く。

 

「嫌なのか?」

「嫌です」

「どうしてもか?」

「どうしてもです」

 

 幾度かの問いかけ。何度、何十回、何百回試したとして決して変わらぬ彼女の返答。それでありながら、彼は微笑んでいた。優し気に、慈しみに満ちた瞳でカエデを捉え、子供に言い聞かせる様に呟く。

 

「なぁ、どうして()()()()()()()()()()?」

「…………っ」

 

 ツツジ・シャクヤクの形をした、過去の存在。既に死んだ身で、ここにあるのは地上に残った無念を拾い集めて紡いだ人形の身だ。現に、彼の切り取られた手足からは赤い血は一滴も流れない。本来なら四肢を失い止血せずにいれば数分も待たずして命を落とすはずが、彼は生きていた。いや、彼は既に死んだ身、生きているという言い方はおかしいのかもしれない。

 彼は、稼働し続けていた。

 

「ほら、俺の胸の『玖』を踏みしめるか、俺を壊せば進めるぞ?」

 

 優しい色を宿す言葉。泣きじゃくる子供をあやす様に、慈しみの篭った、温かな色合いの言葉。それでいて、内容は物騒で血生臭い。

 自分を殺せ、そうすれば進めるぞ。そうカエデに諭すツツジの言葉にカエデが身を震わせている。

 

「どうしたんだ?」

「どうも……しま、せん」

 

 途切れ途切れの返答。ツツジが目を瞑り、カエデから視線を外す。偽りの空を抱くこの領域の青空を見上げ、ツツジは口を開いた。

 

「早くしろ」

「わかっ、わかってる!」

 

 どもりながらも声を張り上げ、剣の切っ先を安定させる。ギリリッと奥歯を噛み締める音が響く。

 

「ほら、どうした?」

「どうも、しないっ」

 

 声が震えている。安定せずに光をチカチカ反射させる剣の切っ先。刀身側部に踊る百に至る花々が光の中で踊る。

 

「何をしてるんだ?」

「貴方を、斬ろうと……」

 

 弱々しい声色。震える声に荒い息遣いが響き、振り上げた剣の切っ先は頼りなくふらふらと揺れている。

 

「いつするんだ?」

「い……いま……すぐに……」

 

 涙声での返答。ツツジが視線をカエデに戻せば、目尻一杯に溢れんばかりに涙を湛えて彼女が身を震わせていた。

 

「なあ」

「うる、さい」

 

 彼が声をかければより多くの涙が溢れ、今すぐにでも零れ落ちんばかりだ。

 

「はやく────」

「うるさいっ!」

 

 ツツジがカエデを見据え、微笑んだ。次の瞬間、遂に限界を迎えた雫が零れ落ち始める。

 

「…………」

「ワ、ワタシは……あ、あなたを……ここで、ここで仕留めてっ」

 

 彼女は、泣いていた。溢れて零れ落ちる涙をそのままに、必死に姿勢を維持しようと両手を震わせながら剣を高々と掲げ、振り下ろさんとしている姿に彼は微笑んだ。

 

「やれ」

「……っ」

 

 ツツジが力強く呟く、慰める様に、あやす様に、涙を流す彼女の背を押す。

 

「いいから、やれ」

「……っ! …………っ!」

 

 言葉は無い。歯を食い縛り、必死に剣先を固定しようとカエデが荒い息を零す音のみが響く。

 周囲に散らばる陶器の欠片の様な残骸の数々。陽炎の様に揺らぎだす村の風景。中心に仰向けに倒れたツツジが口元に笑みを浮かべ、犬歯を見せつける笑みを見せて微笑む。

 

「はやくしろ────お前は()()()()()()()()()()()

「ぁ…………」

 

 零れ落ち続ける涙の向こう、蒼穹と深紅、対照的な色合いを持つ瞳が交わされた。

 もうこれ以上の言葉はいらない。想いを交わす必要はない。

 カエデの持つ剣の切っ先がピタリと静止した。溢れる涙をそのままに、視線を交わらせたままカエデは吼えた。

 

ぁ……ぁぁ……ああ……あぁ……あああああああああっ!!

 

 喉よ裂けろ、声帯を失っても構わない、今この瞬間に言葉を交わす必要等なかった。もっと早くに、急いでいる身でありながら彼を見てしまった。後悔を胸に抱き、叫び、吼える。響くのは咆哮で、慟哭で、唄だ。

 響く咆哮が幻影の村に響き渡り、『百花繚乱』は振り下ろされる。陶器の砕け散る音と共に村の幻影は霧霞みだったかのように揺らめいて消えて行く。

 残されたのはカエデ只一人。村の中央広間の真ん中で、残骸が煙と消えて行く中、膝を突き、地面に突き立てた百花繚乱を支えに慟哭の咆哮を上げ続けた。

 

 

 

 

 

 密林の入り口。野営地から離れた地点で剣を振るう金髪の背を見ていたナイアルがニヤりと微笑み、森の奥から響く咆哮を聞き届け、アルスフェアの頭を撫でた。

 

「聞こえましたか?」

「ああ、聞こえた。ざまあ無いな」

 

 感情を感じさせない声で返事をしたアルスフェアの頭を撫でるのをやめ、ナイアルが一歩踏み出す。

 

「行きましょう。罠は突破されました、彼女を出し抜いてヒイラギ・シャクヤクを攫うのです。【剣姫】と【凶狼(ヴァナルガンド)】は【夜鬼(ナイトゴーント)】が足止めしてくれていますし」

「了解、最後は全部滅茶苦茶、最高の終わりにしてあげようか」

 

 どす黒い憎悪を湛えたアルスフェアの瞳が森の奥を捉え、一歩進んだ瞬間。目の前にドスンッと鉈が突き立った。

 足を止め、アルスフェアが上を見上げる。樹の上にホオヅキが寝転んでいた。太い枝に身を預け、深紅の瞳でアルスフェアとナイアルを見下ろしている。

 

「久しぶりさネ」

「久しぶりだね」

 

 気さくに交わされる挨拶。ホオヅキは軽い身のこなしで樹から飛び降り、地面に深々と突き刺さった鉈を軽く引っこ抜き、付着した土を振り払う。

 

「あー、オマエ達、何しにきたさネ?」

「ちょっと観光ですよ。件の村がどんな村なのか見に行きたくてですね」

 

 へらへらと笑うナイアルの返答に対し、ホオヅキもにへらと笑みを浮かべた。

 愉し気に、楽し気に、互いに笑みを浮かべ合うナイアルとホオヅキ。

 ホオヅキはおもむろに腰の瓢箪を手に取り、中身をあおる。喉を鳴らして酒を浴びる様に飲み、飲み、飲んで────遂に酒が尽きたのかホオヅキの持つ瓢箪が音を立てて砕け散った。

 最後の一滴がホオヅキの唇を濡らす。彼女は右手に持った鉈を無造作にアルスフェアに向け。左手に戦爪を装備する。

 身に着けているのは旅装束用の皮製のコート。体を守る防具の類は一切無く、防御力を度外視した攻撃一辺倒な戦い方を行う、凄惨な光景を生み出し続けた巨躯(群れ)を駆る狂狼。

 巨躯を構築していた群れを失い、恩恵すらも別の神へと変わった。彼女が持ち得る能力は【ロキ・ファミリア】で発揮されるだろうが、彼女は【ロキ・ファミリア】の派閥の面子を一人も連れていない。

 たとえ頼まれたとしても、ホオヅキは【ロキ・ファミリア】の構成員を率いる事はしない。あくまでも、恩恵がどうしても必要で、神ソーマに顔を合わせられないから神ロキに頭を下げただけで、決して【ロキ・ファミリア】に入団したわけではない。

 今でも、これからも、永遠に彼女の心は神ソーマのモノだ。操を立てている。

 そんな彼女の無造作な行動に対し、アルスフェアは吐息を零した。相手は腐っても、腐り切っていたとしても第一級冒険者。勝ち目はほぼ無いと言っていい。

 

「ナイアル、下がっていてくれ」

「わかってますよ」

 

 神ナイアルがにへらへらと嗤いながら下がり。アルスフェアが鋭い眼光────狼人と見紛う程の眼光をもってしてホオヅキと対峙した。

 腰のナイフを抜き放ち、右手にナイフ、左手に小瓶。彼は無造作に小瓶の蓋を開け、ナイフに滴らせる。怪しくぬめる液体をナイフにふりかけるアルスフェア。それを見たホオヅキが体をゆらゆらと揺らしながらヘラヘラと軽い調子で笑った。

 

「お前なにしてるさネ。アチキに毒は効かないさネ」

「……そうだね」

 

 彼がナイフに塗りたくったのは、毒物。それも深層のモンスターですら麻痺する猛毒の類。それが彼女に効くか効かないかは不明だが。噂通りであるのなら彼女に毒物は一切通用しない。

 耐異常を以てしても防げない『泥酔』の状態異常(バッドステイタス)を自らに付与しながらも、酔えば酔う程ステイタスが向上する発展アビリティの影響で一時的にレベル6に届きうるステイタスを得た彼女に届くかどうか。

 

「それでも、僕は君を倒すよ」

 

 神ナイアルがそれを望んだ。この森の奥に彼が求めるモノがある。そしてそれを手にすれば、自身の願いも叶う。ヒヅチ・ハバリの周囲全てを破壊し尽くす。仲間を殺された、恨みは決して忘れない。彼女はアルスフェアの大事なモノを壊したのだ。操られていただとか、誰かに命令されただとか、そんなものは関係ない。彼女を殺したい、けれど彼女は強くて殺せない。なら周りのモノを、壊すのだと憎悪を滾らせる。

 アルスフェアの瞳を見据えたホオヅキは『ヒクッ』としゃっくりを零し、笑った。

 

「ヒクッ、ハハ、笑っちまうさネ……壊されたから、壊してやる?」

 

 それは、その言葉は、お前だけは口にしてはいけない。ホオヅキの深紅の瞳にドス黒い色合いが宿る。元々燻っていたモノだ。火の無い所に煙は立たない。彼女はずっと心の奥底にそのドス黒い感情を押しとどめていた。

 【ソーマ・ファミリア】が襲撃したファミリア、幸せを享受していた二人の羊人の少女を地獄のどん底に叩き落したのはホオヅキだ。

 そして、ホオヅキが襲撃をする原因となったのは────【ナイアル・ファミリア】主神、ナイアルが唆したからだ。

 

「お前が、その台詞を吐くなさネ」

「黙れ」

 

 ホオヅキの憎悪の宿った瞳と、アルスフェアの憎悪に満ちた瞳が交じり合う。

 瞬く間の出来事だった。アルスフェアが飛び掛かり、ホオヅキが無造作にそれを打ち払う。手にした毒を塗りたくったナイフが粉々に砕け散り、アルスフェアの体が地面にめり込む。人型に凹んだ土の中、ビクビクと死にかけの虫けらの如く痙攣している犬人の少年。それを踏み越え、ホオヅキはナイアルに迫った。

 

「ああー、貴女はこんな所で何を」

「黙れ」

「いやはや、そんな怖い顔しないでくださいよ? 怖すぎて小便チビりますって」

 

 へらへらと、恐怖等微塵も感じていない様子の神ナイアルに近づく。彼は威圧され一歩下がる等と言った怯えた態度をとらず、むしろホオヅキに迫った。ネットリと絡みつく、興味の色を宿した瞳でホオヅキを見据えた。

 

「おかしいですねぇ」

「黙るさネ」

「貴女はもう壊れていても良いころ合いなんですが」

 

 ヌチャリと薄気味悪い音を響かせてナイアルが微笑み、ホオヅキが無造作にナイアルの腹に戦爪を突き立てた。ブシュリと背中まで突き抜けた四本の戦爪の刃。ナイアルが真っ赤な血を口から零しながらも微笑み続ける。

 

「いやはや……油断、しましたね」

「死ね」

 

 無造作に振り抜かれる爪。ナイアルの腹から脳天までが四枚におろされ、夥しい血を噴き出し、内臓が零れ落ちる。四枚におろされた人体の断面を見据え、ホオヅキは目を見開き、吼えた。

 

「まさか……っ!? 油断したさネ!!」

 

 鉈を振るい、上半身を千切り飛ばす。ぶちまけられた内臓に人体の部品。

 神が一定の負傷を負えば、神の力(アルカナム)によって自動的に修復が始まる。それは神の意思とは無関係に行われ、結果として瀕死の重傷を負った神は神の力(アルカナム)の使用の罪を問われ、天界に強制送還される。だが、彼はそれが起こらない。

 確かに殺した、絶命させた、神ナイアルを────神ナイアルだと()()()()()()()()()()()()()()()殺した。

 

「やられたさネ!!」

 

 ホオヅキが慌てて振り向いた先、アルスフェアだと思っていたソレは見知らぬ少女であった。否、ホオヅキは彼女らについて少し知っていた。

 各地で酒の取引をしていた際、取引先に居た姉妹だ。既に殺した後で手当てのしようがない程に重症。妹の方も頭が完全に陥没しており、紛れも無く即死している事が見て取れる。手加減無しの一撃だったのだから仕方がない。

 ホオヅキの顔が青褪め、震える。

 

 まちがえて、しりあいをころしてしまった。

 

 心を埋め尽くす後悔。歯を食い縛り、ホオヅキは喉を呻らせ、小さく呟く。

 

「ごめんさネ」

 

 謝って済む問題ではない。今更、とある羊人の両親を八つ裂きにして殺した事を後悔しても遅い。彼女が犯した罪に一つ、罪状が乗っかっただけだ。

 ホオヅキがひとしきり心の中を整理し終えた所で、後ろから声がかかった。

 

「おい、何してやがる」

 

 背後に立つ狼人の男と、血濡れた剣を持つヒューマンの少女。【凶狼(ヴァナルガンド)】ベート・ローガと【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタインの二人。

 両足が切り取られて無残にも胴体が凹み瀕死の重傷を負った【夜鬼(ナイトゴーント)】がベートに首を掴まれている姿を見てホオヅキが感心した様に呟く。

 

「よく仕留めたさネ。幻術はどうすりゃいいのかアチキじゃわかんなかったさネ」

「あぁ? んなもん匂いでわかんだろ」

 

 ベートの言い草に【夜鬼】が血反吐を吐きながら呟く。

 

「にオい、も……ゴまか……セ……」

 

 ゴボゴボと血泡を吹き、彼は脱力していく。既に死に体であり、治療しようが間違いなく死ぬ。そんな彼のお腹にある凹みはベートが、切り取られた両足はアイズがやったのだろう。遠慮、躊躇、戸惑いの無い彼らの攻撃に晒された哀れな準一級冒険者の彼は足掻こうとしているが、ベートが徐々に首を絞めていく。

 

「ぐぎっ……ぎゃ……ぎぎっ……」

「おい、テメェの主神は何処行きやがった。其処の役立たずの酒飲みが逃がしやがった二人は何処だって聞いてんだよ」

 

 殺さずに重傷で済ませたのは、これを見越しての事だ。

 ホオヅキの作戦ではベートとアイズの二人で【夜鬼(ナイトゴーント)】を撃破。残るホオヅキが主神のナイアルを捕縛。【猟犬(ティンダロス)】アルスフェアを殺害する手はずになっていたのだ。

 それが蓋を開けてみればホオヅキは見事に相手に騙され二人を逃がす始末。それに気づいた二人が止めを刺す寸前で取りやめたのだ。

 

「ヒヒッ……二人ハ、いマごろ、ミつリンの奥デ、ヒイラギをつカまえテる頃じャなイカ?」

 

 ボタボタと血を滴らせながらも妙に素っ頓狂な調子を崩さずに喋る姿にアイズが不気味そうに一歩後ずさり、ベートが無造作に彼を地面に投げ捨てる。

 

「そうかよ、とりあえずこのまま森に進むぞアイズ」

「わかりました……ホオヅキさんは」

「んー……悪いさネ。アチキはこの密林に入れないさネ」

 

 ホオヅキの言葉にベートが露骨に舌打ちし、アイズが眉を顰める。二人の様子にホオヅキが困った様に頬を掻き、鉈で【夜鬼(ナイトゴーント)】の腕を切断した。

 

「とりあえず、アチキはこれで()()()()さネ」

「……そうかよ、行くぞアイズ」

「……はい」

 

 ホオヅキの表情を見た二人が視線を逸らし、密林に消えて行く。既に罠は無くなり、村に張り巡らされていた結界も完全に壊れている。今ならカエデやホオヅキ無しでも村まで辿り着けるだろう。

 それは、神ナイアルとアルスフェアも同様なのだが。

 

「あー、やっちまったさネ」

「や……ヤメろ、し……死んジまう」

 

 倒れ伏す【夜鬼(ナイトゴーント)】に馬乗りになったホオヅキが首を傾げ、笑った。

 

「大丈夫さネ。冒険者は()()()()()()()()()()()()()()()()()さネ」

 

 彼女の知る実体験だ。準一級冒険者にまで至れば、下半身を無くしても即死はしない。心臓と頭さえ無事なら、冒険者は割と融通が利くのだ。逆に、心臓と頭が無事だと簡単に死ねない事になるのだが。

 

「ちょっとアチキと遊ぼうさネ。大丈夫オマエも気に入るはずさネ」

「ヤめ……」

 

 懇願する彼の前でホオヅキが鉈を手放し、高々と掲げる。

 

「【盃をその手に、零れる酒は湯水の如く────溺れたまえよ】」

 

 彼女の魔力がうねりを上げ、その手に一つの盃を生み出す。朱色に彩られた歪な形の盃。

 

「知ってるさネ? 鬼の酒っていうのが極東にはあるさネ」

 

 なんでも飲むだけで不老長寿になれる凄いお酒だとホオヅキが笑う。苦痛に呻く【夜鬼(ナイトゴーント)】も釣られて笑みを浮かべた。

 

「【酒は百薬の長】……アチキのお酒はそんな凄いモノじゃ無いさネ」

 

 彼女のもつ装備魔法の効果。

 ホオヅキが最後に口にした酒が込めた魔力分だけ湧き出てくる不思議な盃を生み出す酒飲みが喉から手を出して欲しがる一品。

 そして、追加詠唱にて発現する装備開放(アリスィア)は……。

 

「ほら、たっぷり飲むと良いさネ」

「ごぶっ……ヤめろっ、やめろっ!!」

 

 馬乗りになったまま生み出した盃の酒を全て【夜鬼(ナイトゴーント)】にぶちまける。彼が顔を引き攣らせて絶叫を上げ、真っ赤になった顔に怯えの表情を浮かべてホオヅキを見上げた。

 常に狂気に狂う彼の弱点。酒に酔うと正気に戻ってしまうという哀れな弱点が見事に突かれ、素っ頓狂な調子の声がごく普通の声に戻る。

 

「やめろ、やめてくれ……」

 

 失われたはずの手足が再生しながらも、彼の目に映るのは恐怖だ。

 ホオヅキの持つ装備魔法の装備開放(アリスィア)は二種類。一つは『百薬の長』、もう一つが『万病の元』だ。今使われたのは前者────逃れ得ぬ『泥酔』という状態異常(バットステイタス)をもたらす代わりに、失った手足すらも再生する程の再生能力を付与するモノ。

 彼は死から遠ざけられ、そして恐怖をその胸に抱かされた。泥酔している所為で碌な抵抗も出来ず、手足を芋虫の様にもぞもぞと動かすので限界。

 どちらが前で、どちらが後ろなのか。今見ているのが空なのか地面なのか、世界の全てがぐるぐる回り、ぐちゃぐちゃにかき混ぜられる視界。その中にホオヅキの顔だけがくっきりと浮かび上がる様に見える。

 【夜鬼(ナイトゴーント)】の足を無造作に引き千切り、ホオヅキは微笑んだ。

 

「いっぱい、いーっぱいお礼をしてあげるさネ」

「やめろっ!」

 

 とっても楽しい楽しい遊びの時間だ。ホオヅキは笑いながら千切った足を投げ捨て()()()()()()()()()()に手をかけた。



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『別離の道』

 飛び散る火花。弾け散る金属の音色はまるで荘厳な音楽を聴いているかのような錯覚に陥りそうになる程に戦場に響き渡っていた。

 金髪金瞳の狐人(ルナール)が放つ斬撃が戦場に高らかに響く音色と化し、『オラリオ混成軍』を切り裂いていく。

 戦場中央部、【フレイヤ・ファミリア】の精鋭が陣取って維持している最前線。左右に広がる他派閥が押し込まれる中、中央の最大派閥の片割れは単一派閥のみで戦線の維持を可能としていた。

 駆け抜ける金色の影。ヒヅチ・ハバリが振るう太刀が閃き、大柄な獣人の持つ二本の大剣を打ち払う。

 吸って、吐いて、吸って、吐いて。独特の呼吸によってもたらされる馬鹿げた力の一旦が『オラリオ最強』の肩書を持つ【猛者(おうじゃ)】オッタルの持つ、二本の大剣を打ち払った。

 第一級(レベル7)冒険者の腕力をほんの一瞬、瞬きの間だけ凌駕した一撃にオッタルが目を細める。

 

「これが、かの英雄の一撃か」

「ワシは英雄などではない」

 

 ただの獣だと自嘲気味に笑うヒヅチ。身に纏う桃色の和装、極東の民族衣装には無数の切れ込みが入った彼女。左手には数枚の札。右手には太刀。胸元には魔力を凝縮した結晶が揺れている。

 体中に入れ墨が刻み込まれ、脈動する様に体表を駆け抜けるのは魔力。分解された魔法陣を直接肉体に刻み込み、生きた魔法陣の様な役割を果たしている彼女。全身に駆け巡る灼熱とも激痛ともつかぬ感覚に侵されながら、目の前に立ちふさがる()()()を排除せんと剣の切っ先を向けた。

 

「ワシは英雄ではない。ただの獣じゃ」

 

 獣故に道理は通じん。そう言い捨てて札を放り投げる。彼女の手を離れた複雑怪奇な模様の描かれた紙きれは瞬時に燃え上がり、無数の幻影となってオッタルを取り囲んだ。

 周囲で戦う【フレイヤ・ファミリア】の精鋭達はみな、己が前に立ちふさがる影法師と対面するので精一杯。

 オラリオ転覆を謀る古い時代の英雄。かの英雄が持ち得る馬鹿げた力。

 聞けば、彼女のレベルは3だという。それが何の冗談か最強(レベル7)に食い下がる処か、完全に押している。

 

「そろそろ退いてくれんかの? あの目障りな巨塔を吹き飛ばしたいのだが」

 

 そうすればあの腐れ婆も納得するじゃろ。そう吐き捨てた彼女はふと、視線を遥か彼方遠くに向けた。小さく『破ったか』と呟き、悲しげに目を細めた。

 オッタルの体に走る無数の斬撃痕。戦闘開始からどれぐらいの間、ヒヅチの繰り出す斬撃の嵐に立ち向かったのか。まるでそれは災厄、自然災害とも思える程の濃密な斬撃の嵐。

 台風を打ち消せぬ様に、地震に抗えぬ様に、津波を受け止められぬ様に、自然災害を前にしたかの様にいかんともしがたい差を見せつけられてなお、オッタルは膝をつく事も怯むこともなく大剣をヒヅチに向けた。

 

「関係無い。フレイヤ様が願った。故に俺はここに立っている」

 

 女神フレイヤの命令はただ一つ。『時間を稼げ』だけである。彼女を止める本来の役割を持つ者がこの場に辿り付く為の時間を稼げと、ただその命令を守るためだけに彼はこの戦場に立っていた。

 巨塔を守ろうという意思は無いに等しい。ただ女神が願った。それを叶えるのだと獣人が静かに宣言すれば、ヒヅチは眩しいものを見るかの様に目を細めた。

 

「そうか。だが悪いな……ワシは早うお主を切り捨て、あの巨塔を破壊せねばならんのだ」

 

 カエデが結界に仕込んだ罠を全て踏み越えた。単純な罠もあれば、幻影の様な不条理な罠もあった。そしてツツジ・シャクヤクの思念の欠片すらも使った難攻不落の罠。『白牙』であるカエデ以外では攻略できない様に調整を行った、対カエデ・ハバリ用の罠。それが突破され、彼女が自身を止めんが為にやってくる事を理解したヒヅチは、僅かに焦りの表情を浮かべる。

 

「お主は女神の、ワシはカエデの為に、互いに争うだけの理由がある────ならば、斬ろうじゃないか」

 

 構えらしい構えもない、無構えによる瞬く間の斬撃。

 オッタルは飛びのく。距離にしておおよそ6M程、一足飛びで飛び退き、首に掠った斬撃によって血が噴き出した。目を見開くヒヅチが目を細めてオッタルを見据え、小さく呟く。

 

「確実に仕留めたはずなんじゃが。おかしいのう()()()()()()()()()

 

 オッタルが『万能薬(エリクサー)』を取り出して飲み干すのを見届けたヒヅチ。

 彼女は戦いが始まってからずっと、止めの一撃が必ず外れるという不条理に見舞われている。不可思議な事に、当たるはずの一撃が当たらず。仕留めた筈の相手が生きている。そして自分は何故か攻撃に失敗し続けている。

 確かにヒヅチとは言えど、運そのものに手を出す事が出来はしない。運等という不確定なモノを操る事が出来るような事はなく、彼女の戦い方はただひたすらに『倒せる確率』を99.9%にまで引き上げるというものだ。

 何事も例外というものはあり、たとえばヒヅチがほんの少し踏み込んだ際に土に足を取られ、オッタルが飛び退いた際に石を踏んで姿勢を崩し、結果として斬撃が掠るに留まるといった幸運もありえるだろう。

 

「じゃが、これで百は超えたぞ」

「…………」

 

 すでに、百を超える程殺したはずだ。そう呟いたヒヅチが目を細めてオッタルを睨む。

 何かが作用している。そう睨むには十分な程の思考を終え、彼女は灰色に淀みだした曇天の空を見上げてポツリと呟いた。

 

「おかしい、全然殺せん」

 

 既に百を超える程の回数、目の前の獣人は()()を引き当て続けている。そして、この後もきっと永遠に幸運を引き寄せ続けるのだろう。そう確信したヒヅチは目の前のオッタルを無視して戦場に視線を巡らせる。

 双子のエルフ、四人の小人、一人の猫人の男性。目立つのはこれぐらいだと視線を戻しかけ、ヒヅチは微笑みを浮かべ、猫人の少女を見据えた。

 

「見つけた」

 

 斑点模様のケープを纏い、交互に招き猫の様に『にゃーにゃー』と鳴き声を上げて手招きを繰り返す猫人。灰毛に虹彩異色(オッドアイ)の少女。あからさま過ぎる行動を戦場のど真ん中で行っている。だというのにヒヅチはつい先ほどまで存在にすら()()()()()()()。否、()()()()()()()()()

 確信と共にその姿を睨みつければ、猫人の少女は、ぎょっ、とした表情を浮かべて手招きをする。踏み出そうとした瞬間、ヒヅチの目の前を斬撃が横切る。

 空間そのものを抉る様な轟音と共に振るわれた一撃。危うく顔中を穿たれて即死しかねない一撃を回避しようとし、刃先が片腕を切り飛ばした。

 

「むぅ……確かに回避したはずなんじゃがな」

「当たった、か」

 

 オッタルの万感の思いの籠った呟きにヒヅチが目を細める。当たった、()()()()()()()()()()()()回避が遅れた。足がもつれた、()()()()()()()()()()()

 吹っ飛んで千切れ飛んだ左腕。遥か彼方へと飛んで行った腕の残骸。腕一本で済んだのは行幸かとヒヅチが顔を上げて猫人の少女の姿を探す。夥しい量の血が零れ落ちる左腕を失った傷を気にも留めず、彼女は吐息をこぼした。

 

「いかん、見失ったな」

 

 とことん、運が悪い。まるで運が尽きたかのように何もかもが上手くいかない。ヒヅチはそうぼやいてオッタルを見据えながら太刀を地面に突き立てる。

 

「お主、時間稼ぎ以外はする積り無いじゃろ」

「……それが女神の願いだ」

 

 あきれ顔を浮かべたヒヅチが腰にぶら下がっていた瓢箪に手をかけ、中身を煽る。途端、ヒヅチがくらりと足がもつれ一瞬で紅潮する。

 オッタルが目を細め、小さく呟く。

 

「ホオヅキの『百酒の長』か」

「知っておるのか。まぁよい、あやつが餞別として寄越したのだ」

 

 メギリメギリと白い骨が突き出し、ヒヅチの左腕が再生していく。数秒後には元の通りの────衣類の袖はないが────左腕になった。調子を確かめる様に手を開いたり閉じたりし、ヒヅチは据わった目をオッタルに向ける。

 

「お主はあとン百回切ろうが殺せん。それはわかった。先にあの()()()を仕留めねばな」

「させると思うか?」

「知らん」

 

 己は獣、故に押し通るのみだ。そう言い捨てたヒヅチが突き立てた剣を引き抜き、オッタルの鼻先に向けた。

 

 

 

 

 

 密林の奥地、半年前に滅び去ったかつての『黒毛の狼人』達の隠れ里。

 散らばっていたはずの陶器の欠片の様な人形の残骸は既に消え失せ、中央広場で嗚咽をこぼす白毛の狼人の少女、カエデ・ハバリは地面に突き立てたままの『百花繚乱』を引き抜き、背負いなおした。

 零れ落ちる涙を拭う。消え失せた父親の言葉を思い出し、再度溢れ出る涙を拭い。せめて頭を撫でてもらうぐらいはしておけば良かったと後悔し、あれは父親の形をした土くれ人形だったのだと自身に言い聞かせ、ようやく立ち上がった。

 滅び去る前の光景が煙の如く消えた村の中心。カエデは小さく吐息を零し、充血した目で周囲を見回す。

 

「ヒイラギを、探さなきゃ」

 

 彼女がヒヅチを止める為に必要な道具を手にしている。彼女を見つけ出さなくてはと一歩踏み出し、カエデは足を止めた。

 聞こえたのは足音。軽い、風下から近づいてくる音にカエデが視線を向けた。

 左手に袋に詰められた細長い何かを持ち、右手に抜き身の粗悪なショートソードを手にした黒毛の狼人の少女が歩いてきていた。カエデとは真反対の色彩の彼女。白毛のカエデに対し艶やかな黒毛。深紅の眼に対し、蒼穹の眼。ツツジ・シャクヤクと全く同じ色合いの彼女。

 

「ヒイラギ……」

「よう、ここに居るって事は……親父は死んだのか」

 

 片手をあげ、気さくそうに挨拶する姿はツツジ・シャクヤクによく似ていた。口元に除く鋭い犬歯が、その笑い方が、耳や尻尾の些細な動きが、どこまでもツツジ・シャクヤクに似た少女。ヒイラギ・シャクヤクだ。

 

「生きてませんでした」

 

 あれはただの物で、地上に残された想いの欠片によって生み出された影法師だったのだとカエデが言い切る。

 悲しげに目を細め、ヒイラギは肩を竦めた。

 

「姉ちゃんにとってあれはただの影法師、だったのか」

「……うん」

「そんなに泣いたのにか?」

 

 ヒイラギの指摘の通り、カエデの目元は泣き腫らしたかのように赤くなっている。その指摘を受けたカエデが顔を伏せる。

 数秒間、顔を伏せたカエデが顔を上げた。垂れ下がった尻尾も、伏せられた耳も、ピンッと立てた彼女はヒイラギに向かって手を突き出した。

 

「ください」

「何をだよ」

「ヒヅチ止める為に必要なモノ。貴女が持ってる」

 

 斬り捨てたから。涙は流した、悲しいと思う。けれど彼を斬り捨てたのは自身で、目的はここで時間をつぶす事ではない。ヒイラギよりも、なによりも優先したい人がいる。ヒヅチ・ハバリを止めたい。そのためだけに、彼を斬った。変えられえぬその事実故に、カエデは目の前で悲しげに目を細めるヒイラギを無視した。

 どんな言葉をぶつけられても、もう止まらないのだと強い意志を宿したカエデの目。それに射抜かれたヒイラギは悲しげに、吐き捨てた。

 

「姉ちゃんにとって、親父とアタシはどうでも良い、って事か?」

「違う……今は、ヒヅチの方が大事」

 

 優先順位の問題であって、決してツツジの事が嫌いだった訳でも、ヒイラギの事がどうでも良い訳でもない。

 今この瞬間に優先すべきは師であり、育ての親としてあってくれたヒヅチを止める事だと、カエデが力強く宣言し、迷い無い瞳でヒイラギを見据えるカエデ。

 相対しているヒイラギは俯き、カエデに歩み寄っていく。抜き身のショートソード、出来はそこまで良くはなく、オラリオ基準で言えば『粗悪品』の評価が下るであろう剣。武器を手にしたまま近づいてくる姿にカエデが警戒し、間合いを図りながら後ずさる。

 

「ヒイラギ?」

「わかってる。こりゃアタシのわがままだし、姉ちゃんは何にも悪くねぇ」

 

 今まで関わる事すらせず。知る事もなく、ただ見ている事しかしなかった親父が悪い。そう言い捨てたヒイラギが顔を上げた。ショートソードの間合いとしては遠すぎ、カエデの大刀の間合いである距離。ヒイラギが抜き身の剣の切っ先をカエデに向けた。

 

「わかってるんだ。姉ちゃんを止める権利なんてありゃしねぇって」

 

 それでも、父親は姉ちゃんの幸せを願った。そして、彼女自身もカエデの幸せを願っている。

 

「姉ちゃん、ヒヅチはさ……姉ちゃんに止まってほしいみたいだったぞ」

 

 ヒヅチ・ハバリはカエデに対し、自らを止める手段となりうる物をいくつも用意した。それをヒイラギは知っているし、全てを所持している。それはヒヅチがカエデに贈るモノであり。カエデがそれを求めた際にどうするかはヒイラギに一任されている。

 彼女はその物品を渡すか渡さないかを決める権利がある。そして、父親はカエデに止まって欲しいと願っていた。確かに、今まで関わらなかった癖に何を、そう言い返されても仕方ないと彼女も理解しているだろう。

 そうであっても、父親が死後も願い続けた事だ。だからこそ、ヒイラギは宣言した。

 

「これが欲しけりゃ、アタシを────」

 

 倒していけ。そう口にするより前に甲高い金属音が響き渡った。驚愕の表情を浮かべたヒイラギの背後に、折れた剣の刀身が突き刺さる。

 

「それを、渡してください」

 

 ヒイラギが視認できる速度ではなかった。気が付けばヒイラギの持つショートソードは柄だけになっていて、刀身はヒイラギの背後の地面に突き刺さっている。

 何も出来なかった無力感を味わったヒイラギが、口惜しげに俯き、歯を食いしばる。

 

「お願い……それを、渡して」

 

 懇願する様なカエデの言葉。否、カエデは懇願していた。

 これ以上、傷付けたくないと願い。即座に刃を抜き放った。脅しの為で、傷付けぬ為に、刃を向けた。

 カエデが威圧すれば、即座にヒイラギが尻尾を丸め、耳をへにゃりと伏せ、それでも震えながら立っていた。

 

「お願いだから、それを渡して」

「ゃ……」

「おねがい」

 

 ヒイラギが身を震わせる。震えながら、柄だけになった剣を手放し、袋に収められた物を胸に抱く。

 既に、カエデの決心を変えられぬのだと理解し、ヒイラギは両手で袋を差し出した。

 

「わかってた」

 

 両手で袋を差し出しながら、彼女は泣いていた。もっと早く、あの土砂降りの雨の日の前日にでも声をかけていれば。ほんの少しは変わったのではないかと、後悔しながら。ヒイラギはくしゃりと表情を歪めて懸命に笑おうとしている様にも見える。

 カエデはほんの一瞬躊躇する。その刃を鞘に納め。袋を手に取った。ヒイラギが立ち尽くす中、袋を開けて中身を覗き込み、カエデは袋の中身を見た瞬間、袋をヒイラギに投げつけて飛び退いた。

 

 爆炎が弾ける。

 

 視界が爆発によって引き起こされた黒煙に塗り潰され、カエデは煙を引きながらもほぼ無傷で煙から飛び出す。

 至近距離で食らった爆炎にカエデが舌打ちしながら『百花繚乱』を引き抜き────喉の奥から込み上げてくるモノがその動きを阻害した。

 

「ゲフッ……ぐ……」

 

 込み上げたモノをそのまま地面にぶちまける。喉の奥から弾けた鉄錆の味。真っ赤な鮮血が溢れかえる。

 カエデは慌てて自らの胸や腹などに異常を探すが、見当たらない。直接的な斬撃や刺突による内蔵への損傷ではないと瞬時に判断し、ポーチから高位回復薬(ハイポーション)を取り出して飲み干す。次いで簡易な解毒剤を取り出して口にしながらも、耳を澄ませて音を聞き取れば────気色の悪い笑い声が響いた。

 

「惜しい、まぁその程度で冒険者は死なないか」

 

 騙された。カエデがそう内心呟く。徐々に晴れていく黒煙。つい先ほどまで()()()()()()()()()()()()()()がそこに立っていた。

 灰色の髪、灰色の瞳、痩せ細っているという程ではないにせよあまり肉付きの良くない貧相な体躯。頭にちょんとついている犬人特有の耳。醜悪な笑みを浮かべてカエデを見つめている少年。

 

「【ナイアル・ファミリア】の、【猟犬(ティンダロス)】? なんで、ここに……ゴブッ……!?」

 

 咽込んで喀血しながら、カエデは自らの手についたほんの小さな、掠り傷に等しい傷口を見て背筋を震わせた。

 傷口を中心に肌の色がどす黒く変色していっている。傷口の位置は左手の手首の当り。すでに左手はまともに動かず、変色は凄まじい速度で肘にまで達しようとしている。

 解毒剤を取り出して傷口にかける。変色する速度が緩まり────止まらない。

 ぶわぁっと総毛だつ。猛毒の類、それも簡単に解毒できず、即効性も強い。

 

「知ってるか? この毒、第一級冒険者用に開発したんだ。ホオヅキには全く効かなくて困ったけど────キミはダメみたいだね」

 

 にんまりと満足そうに満面の笑みを浮かべ、少年は片手に握りしめた短剣をカエデに向ける。

 彼は幻術使いか? 否である。毒物使い。猛毒による幻覚症状等を駆使し、相手を意のままに操り侵す。

 力を削ぎ、意思を削ぎ、命を削りとる猛毒にて格上を殺す。カエデに使われた毒は一種類ではない。散布型の幻覚毒、塗布型の猛毒、煙幕型の麻痺毒。

 村の中央で泣き腫らす彼女に対し、風上から毒物を散布して風下から近づく。当然、彼は自身の毒物に侵されるほどやわではない。

 

「すごい量の血だろ? そのうちその綺麗な赤色がどす黒く濁るのさ」

 

 腕の肉は腐り落ち。それは全身に広がっていく。美しい紅い鮮血が口から溢れ、次第に色褪せていく。赤は黒に、濁った黒色に染まったタール状の血液を吐き、それに沈む。それでありながら対象には一切の痛みを与えない。慈悲深く、困惑と恐怖に染め上げて対象を死に至らしめる猛毒。

 

「ホオヅキの『毒酒』から作ったんだ。ホオヅキにはさっぱり効かなかったのは当然っちゃあ当然か」

「な……んで……」

 

 震えながら残りの回復薬、解毒剤、持ち得る全ての薬を次々に使うも、変色は止まらない。肘に達し、背筋が凍り付く。現状持ち得るすべての道具を使っても解毒どころか進行を止める事が出来ない。それに気づいたカエデが口の端から若干色褪せた血を零しながら顔を上げた。

 【ナイアル・ファミリア】は【強襲虎爪】アレックス・ガートルの改宗先であり、彼を狂わせたと言われている犯人。そして、『オラリオ』各所で引き起こされた残忍な事件に関わっていた可能性の高いとして賞金(バウンティ)がかけられている。

 仲間を破滅に追いやった。ペコラの家族の死の原因を作った。ホオヅキの人生を狂わせた。彼らがかかわった数多くの出来事は、破滅に終わっている。運よくホオヅキは途中で止まった。けれど止まらずにファミリアの破滅に終わった場合も存在する。面白半分、神々らしい自らの欲を満たす為だけの身勝手な理由で破滅を齎す、迷惑過ぎる派閥。

 そんな派閥に属する少年は、何を思いこんな事を成すのか。カエデが膝をつきながら少年を見上げれば。彼は不愉快そうに眉を顰め。そして嗤った。

 

「ムカつくからさ」

 

 歪んだ笑みを浮かべ、少年は両手を大きく広げて嗤った。

 

「この世界が、当たり前を享受させてくれない世界が、ムカつくんだよ」

 

 地上に進出した怪物達。その怪物によって村を滅ぼされた。必死に逃げ惑い、気が付けば別の街の裏路地で残飯を漁る日々。苦しい日々が続く。常に飢えに苛まれ、まともな食事はカビたパンがせいぜい。

 ある日、人を殺した。理由はなんだったか、残飯漁りを咎められたか。それとも浮浪者同士の縄張り争いの結果か。少年は落ちていたガラス片で相手の喉を掻き切っていた。相手の男が血の海に沈む。

 それを見ていた神がいた。そいつは『良い手際だ』と少年を褒め称えた。温かな食事と、柔らかな寝床を与えてくれた。そして、少年は『暗殺者』になった。その神の元、来る日も来る日も人を殺す毎日。精神が擦り切れかけたある日、少年は────アルスフェアは希望(ぜつぼう)に出会った。

 

「あの日の事は今でも思い出せるよ。珍しく──本当に珍しく、『神殺し』の依頼が来てさ?」

 

 雨降る裏路地。無防備に鼻歌を歌いながら歩く一柱の神。その時は男性の姿をしていた。

 後ろから近づき、ナイフで一突き。神も他愛ないなとどこか死んだ目で彼の背中にナイフが突き込まれるのを見て────気が付けば押し倒されていた。

 黒い艶やかな髪。覆いかぶさる姿に息をのみ、覗き込んだ目に息を詰まらせた。鼻と鼻が触れ合う程の距離で見つめてくる()()()()()。先ほどまで殺しの対象であった男の姿は見えず。裏路地で美女に押し倒される。香しい女の匂いに身が震え、その深淵の様な瞳に囚われて身じろぎ一つできなくなる。

 恩恵を受けた冒険者として、彼女を押しのける事は難しくないはずなのに、動けない。深淵を覗き込む瞳に囚われ────気が付けば自分は元の主神を八つ裂きにして殺していた。確か、女神だったか男神だったか、今では顔も忘れたその主神。自分はいつの間にか神ナイアルの元に身を寄せていた。

 

「そのあとは酷いもんさ」

 

 破滅、破滅、破滅。神ナイアル好みの破滅を引き起こす為に東奔西走。東へ西へ、駆けずり回って破滅の種を蒔き続ける日々。

 

「それでもさ、なんか楽しいんだよね」

 

 幸せいっぱいの家庭が一変。疑心暗鬼に囚われて父が母を焼き。娘を犯し、息子を八つ裂きにする。怪物によって一瞬で破壊された自分の村と重なるその光景に、少年は真理を見た。

 

「破滅なんだよ、全部……全部、最後には破滅に終わる。それが世界の正しい姿だって、思わないか?」

 

 ナイアルはそれを体現してくれる。彼は、彼女は、あの邪神は世界を正しい姿にしてくれる。

 どんな幸せも、幸福も、全て最期には破滅に終わる。それが正しいのだ()()()()()()()()()()()()()()

 

「だからさぁ? ヒヅチ・ハバリを助ける? 助けてハッピーエンド? んなもんさせねぇっての」

 

 お前も破滅しろ、僕が破滅したんだ。皆、破滅しろ。僕だって破滅したんだから。

 最後には自分も破滅する。なぜならそれが正しい世界だから。

 

「だからさぁ? キミも破滅しなよ? 変なところで止まるなよ?」

 

 倒れ伏し、赤黒い液体を口から零すカエデ・ハバリを見下ろす少年は、狂気に歪む表情で嗤った。

 

 甲高く乾いた音色が響く。アルスフェアは自分の胸に手を当て、驚愕の表情で後ろを振り返った。

 自身以外のすべてを侵し殺す猛毒を散布された廃村。自分以外に立っていられる存在など居はしない。そのはずだったのだ。主神のナイアルとも別行動をとりカエデ・ハバリを封じ込める手はずになっていたにも拘わらず、第三者の攻撃がアルスフェアの胸を穿った。

 

「うそ……だろ……」

 

 犬人の少年が振り向き、呆然とその光景を目にする。目に入ってきた光景は、恩恵を得ていないはずの黒毛の狼人の少女────ヒイラギ・シャクヤクが片手に金属製の筒の様なものを持ち、その筒の先端をアルスフェアに向けている光景であった。

 

「銃、こんな……田舎に……しかも、威力、たか……」

 

 アルスフェアが押さえる胸から夥しい量の血が溢れだし、大地を染め上げる。そこで、アルスフェアはようやく気付いた。あの銃の威力が高いのではなく、神の恩恵を失っている事に。

 

「うそ、だろ……ナイアル、さ……ま……」

 

 倒れ伏し、動かなくなる犬人の少年。それにかまう事なくヒイラギはカエデに駆け寄り、背負っていた袋からヒヅチが残した解毒作用のある札や、自らに降りかかった毒や呪詛を写し取って無力化する身代わり札等を次々に張り付けていく。

 時折、自らの身に張り付けてあった身代わり札を手早く取り換えつつ、浄化札で周囲を浄化し、カエデの治療を進めていく。手早く、手慣れた手つきで治療を進める傍ら、ヒイラギは小さく微笑み、呟いた。

 

「アタシは、姉ちゃんに剣を向けたりしねぇよ。姉ちゃんがやりたい様にやりゃいい。だからよ、こんなところでくたばるなよ」

 

 薄目を開け、ヒイラギの姿を視認したカエデが、か細く声を上げた。

 

「いいの?」

「良いに決まってる。後悔はしても、邪魔はしねぇって決めたんだ」

 

 毒素が抜け落ち、それでも損傷が消え去るとまではいかずに立ち上がれないカエデの横、落ちていた『百花繚乱』に『緋々色金』の剣を押し当て、同化させたヒイラギは倒れたままのカエデに無数の札を張り付け、治療を終えたのち、カエデに背を向けた。

 

「姉ちゃん。アタシはまだやる事があるし、先に行ってる。はやく、来てくれよ?」

「ま、まって……」

 

 いまだに動けないカエデを見下ろしたヒイラギは、にこりと笑いかけ、駆け出した。

 背を向け、密林の出口へ。背嚢を背負った背中が見えなくなるまで、カエデはそれを見つめていた。



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『神殺し』

『ん……』

『どうしたフィン』

『ガレス、もうすぐカエデが来そうだなって』

『本当か? ならこの戦いももうすぐ終わるのか』

『残りは、ヒヅチ・ハバリ一人だしね』

『しかし────第一級冒険者10人がかりでも押しとどめるのが限界か、恐ろしいな』

『二人とも無駄口を叩くな、斬り殺されるぞ』

『わかったよオッタル』


 密林の中を駆ける。見える木々も、見慣れた光景も、全てが異界の様で、身を震わせながらも黒い毛並みを持つ狼人の少女、ヒイラギ・シャクヤクは駆けていた。

 手にしているのは小弓。追いかけている対象は────神だ。

 紫色のフード付き外套を纏った、怪しげな青年。神ナイアルは密林の中を逃げ惑いながらもへらへらと嗤っていた。

 

「まさかまさか、神の恩恵の繋がりを断つ真似をするとは────狐人の技術はなんと恐ろしい」

「待ちやがれぇっ!」

 

 吠えたてるヒイラギが走りながら矢を射るも草木に邪魔され、彼女が放つ矢は一矢たりとも神に届かない。口惜しげに吠えたてながら追いかける少女。

 密林の中に住まうだけはある。足腰の鍛え方が違うのか自称アウトドア派な神ナイアルとしても、彼女の追跡を振り払おうにもうまくいかない。それ以上に、この密林に張り巡らされた妙な結界────道に迷わせるシンプルな呪術的な代物がナイアルを犯し、密林の外まで逃げ出す事をよしとしないのだ。

 彼女との追いかけっこが始まったのはつい十分ほど前、あと少しでアルスフェアがカエデ・ハバリを仕留めるはずだった所に、彼女が短筒を持って侵入したのだ。

 その短筒が火を噴いた瞬間、アルスフェアとの繋がりが途切れた。神の恩恵が力を失い、ただの人に毛が生えた程度の能力となったアルスフェアは、彼女の持つ短筒の弾丸を受けて命を落とした。序に言えば、密林の外で時間稼ぎを行っていた【夜鬼(ナイトゴーント)】も死んだ事だろう。

 どんな呪術なのか興味深い代物ではあるが────神の力こそ封じられていないものの、それ使わずに切り抜ける事が出来ないとナイアルが若干の諦めの色をその顔に映す。その瞬間、駆けあがる様に木の上に上ったヒイラギによる高い位置からの射撃によってナイアルの周囲に矢がばら撒かれる。

 

「……ふむ、ここまでくれば十分でしょう」

「ようやく観念しやがったか……ぶっ殺してやる」

 

 周囲に突き立った矢を見て動きを止めたナイアル、彼の背後から追いついたヒイラギが小弓を投げ捨て、腰からショートソードを引き抜いて彼に向けた。

 その目に宿るのは殺意、怨念、強い恨みと殺意の交じり合った蒼い瞳。ナイアルがクツクツと喉を鳴らして笑う中、ヒイラギは剣の切っ先をナイアルに向け、口を開いた。

 

「あんたが全ての元凶か」

「いえ、私ではないのですがね」

「……いや、あんた()元凶の一人だろ」

 

 地上を、玩具箱としか思っていない神の一人。地上に住まう人々の想いを無視した、神の神意(おもい)を押し通し、不幸と狂乱を地上にばら撒く邪神。闇派閥(イヴィルス)にこそ所属していないが、彼の派閥と同じ行動原理を持つ、邪神なのは間違いない。

 だが、たとえそうであったとしても地上の人の手による『神殺し』は禁忌だ。神を害して良いのは、神のみだと言われている。

 ────例外は無くは無いが。

 

「とにかく、アタシはあんたを殺してやる」

「私を殺すと、末代まで呪われますよ?」

「アタシが末代だよ」

 

 お前らのせいでな。そういって彼女は笑い、ナイアルに剣の切っ先を向ける。

 ナイアルは小さく吐息を零し、木々の天蓋を眺めて呟く。

 

「貴女、私を見ても()()()()……いや()()()()()()()()()。道理で、私の狂気を孕ませる神威が効かない訳ですよ」

「…………けっ、知った事か」

 

 唾を吐き捨て、ヒイラギはナイアルの胸に剣を押し当てた。切っ先が服を裂き、皮膚を貫き、肉を抉る。僅か数C(セルチ)だけ刃を食い込ませ、心臓に届き得ぬ傷を生み出し、動きを止めた。

 ナイアルは相変わらずフードの下で嗤い続けるのみ。いまから殺されようとしているのに抵抗の一つもしない姿に不自然さを感じ取ったヒイラギは、差し込んでいた切っ先を引き抜き、ナイアルから距離をとる様に飛び退いた。

 

「なんで抵抗してねぇんだよ」

「いえ、私はアウトドア系を自称してるんですがね? 実はあんまり運動って得意じゃないんですよ」

 

 自分の足で動いて狂わせたら面白そうな玩具探しはすれど、駆けずり回って誰かから逃げるなんて真似は一切しない。そういうのは全て眷属任せにしていたわけで、今回の様に完全に眷属を皆殺しにされてしまった場合、ナイアルは何もできないのだと嗤い、両手を広げてヒイラギに一歩近づいた。

 

「どうぞ、私の胸を抉ってください。何、構う事はありません、私は悪で、貴女は正義だ。なんの疑問も抱く必要はないでしょう?」

 

 耳にしていると、まるで雨漏りの様に染みつき、染み込み、最終的に人を狂わせるナイアルの言葉が紡がれる。それを聞きながらヒイラギは耳を揺らし、視線を逸らして呟いた。

 

()りにく。なんだこいつ……もっと命乞いとかしろよ」

 

 ヒイラギが感じたのは、殺し辛さ。殺意に満ちていたはずなのに、徐々に小さくなっていく。不気味に、不自然に、まるで穴を開けてガス抜きされてしまったかのように、殺意が抜け落ちていく。けれど、殺意が抜け落ちる原因はナイアルではない。

 彼の扱う狂気は、よりヒイラギの殺意を加速させるものであって、減衰させるものではないのだ。それゆえに、ヒイラギはやり辛さはイコールで()()()()()()()()()()()のだと理解し、舌打ちと共に剣を収めた。

 

「糞、アンタだけは何としても殺したかったってのに。母さんがやめろって言うなら仕方ねぇ……はぁ」

 

 深い溜息を零し身を翻したヒイラギの姿に、ナイアルが同じく深い溜息を零して呟く。

 

「おかしな話です。貴女を狂わせることができないのに、貴女は狂ってる」

「うるせぇな、アンタの声は()()んだよ、黙って死ね」

「死にませんよ、私は……ね?」

 

 フードを取り払い、お茶目に片目を閉じて見せる絶世の美女。その目の内側がまるで蛆が湧き出てくる穴の様にぐにゃぐにゃに歪んだどす黒い瞳なのを見たヒイラギが身を震わせ、視線を逸らして駆け出していく。

 肩越しに振り返ったヒイラギが、残されるナイアルに声をかけた。

 

「あ、言い忘れたわ。アンタが逃げ込んだその場所────ゴブリンの縄張りだぞ」

 

 彼女の言葉にナイアルが表情を消し、周囲を見回し──困った様に肩を竦めた。

 

「ありゃりゃ、人相手ならまだしも……化け物相手は話が通じないんですがねぇ」

 

 ナイアルが視線を向けた先。茂みから次々に顔をのぞかせる小怪物(ゴブリン)の姿があった。

 

 

 

 

 

 『百花繚乱』の柄を強く握りしめながら駆け抜けるカエデ。ヒイラギを追いたい気持ちもあった、けれど今は優先すべき事がある。

 ヒイラギが消えていった密林の奥を見据え、迷う。今追えば間に合うかもしれない、けれどヒヅチを止められなくなる。だからこそ、ヒイラギの事を脳裏から打ち消した。

 

「ワタシはヒヅチを、止めるから」

 

 彼女の事を投げ捨てて村の出口を目指すさ中、ベートとアイズがカエデの目の前に飛び出してきて慌てて身を捩る。驚いた表情のベートとアイズもとっさに足を止める。

 

「カエデか、神ナイアルがこっちの方に来なかったか!」

「ホオヅキさんが、【猟犬(ティンダロス)】と神ナイアルを逃がしたみたいで」

「【猟犬(ティンダロス)】は既に死んでいます。ヒイラギが殺したので。神ナイアルについては見てないです」

 

 ベートが舌打ちを零して匂いを嗅いでいるさ中、一瞬目を見開いてカエデを見据えた。

 

「おい、お前の妹の匂いがしやがるぞ」

「ついさっき会いました。でもやる事があるからと何処かに行ってしまって」

「追わなくていいの?」

 

 アイズの問いかけ。カエデは尻尾を低くして表情を歪ませ、顔を上げた。

 

「ヒヅチを止めます。だから今は追いかける暇はないです」

 

 ヒイラギを追う事よりもヒヅチを止める事を優先すると言い切ったカエデにベートが眉を顰める。アイズも若干表情を曇らせる中、カエデが鞘から百花繚乱を引き抜いてベート達に見せる。

 

「目的の物は手に入れました」

「何が変わったんだ?」

 

 ベートの胡乱げな視線に対し、カエデは剣を見つめ────首を傾げた。

 確かにヒイラギによって『退魔』の効力を付与されているはずなのだが。見た目上は一切変化が無くカエデが見てもこれっぽっちもわからない。

 それでも『退魔』の効力は発揮されていると確信しながら、カエデは村の跡地を出ようと二人を急かす。アイズとベートが一瞬村の方に視線を向け、中央に倒れている犬人の少年をちらりと見てから、反転した。

 

「本当に良いのか?」

「何がですか」

「妹の事」

 

 ベートとアイズの問いかけ。カエデは首を縦に振り、迷いを打ち払う。

 迷っていてはヒヅチに勝てない。ほんの少しの迷いがカエデの命を奪うのだから。そう言い聞かせ、カエデは密林の外に向けて走り出した。

 

 

 

 

 

 密林の入口、盛大にぶちまけられた真っ赤な血を眺めつつ、ホオヅキは半身を真っ赤に染め上げ、足元に転がる再生の止まった【夜鬼(ナイトゴーント)】の死体を見る。

 本来ならホオヅキの持つ再生能力を強化する『百薬の長』の効力で死ぬ事等、滅多にないはずなのに突然死んでしまったのだ。()()()()()()()()()死んでしまう傷でも、恩恵を持っていれば死なない。

 だからこそ今までの恨みを全てぶつける積りで拷問紛いなことをしていたというのに、唐突に再生が止まって息絶えてしまったのだ。まるで主神であるナイアルが死んで一般人に毛が生えた程度の元冒険者になってしまったかのように。

 

「ま、ナイアルが死んだって事ならアチキは構やしないさネ……それより、カエデは……」

 

 密林の方に視線を向け一歩踏み出したところで、グチュリと肉片を革靴(ブーツ)で踏み潰したホオヅキは自身の恰好を見て嘆息。

 

「これじゃカエデに会えないさネ」

 

 杯を生み出し、頭から酒を浴びる。水浴び代わりに酒を浴びて血を洗い流し、近場に転がる死体を適当に茂みの中に放り込んだ。

 酒臭い体を引きずり、自らの身から感じられる血の匂いが全部酒の匂いに置き換わったのを確認し、野営地まで這いずる様に戻って焚火の跡の前に腰掛けた。

 ぼんやりと中空を眺め、ふと焦点が合う。

 

「あ、お湯沸かしとけばなんかよさそうな気がするさネ」

 

 うまく回らない思考。酒に酔ってるからというよりは、復讐を終えた無気力感とでもいうべきものなのかもしれない。

 過去、ホオヅキは【ナイアル・ファミリア】手によって散々な目に遭わされている。あのまま最悪の道を進んでいれば────大切にしていた仲間すら全て皆殺しにしていた可能性まであったのだ。

 どれほどの恨みを抱いたのか。心の全てを埋め尽くさんばかりの憎悪の感情。それが全て抜け落ちた。つい先ほどまで『苦しめてやる』事だけを考え続け、【ナイアル・ファミリア】首領【夜鬼(ナイトゴーント)】を拷問し続けていたのだ。唐突に彼が恩恵を失ったせいでそのままショック死という形で終わってしまったが。

 それが消化不良として残っているという訳ではない。ホオヅキは自己分析を終え、静かに笑った。

 

「あぁ、復讐した後には何も残らないってこういうことだったさネ」

 

 過去に復讐したいとヒヅチに語った時の事、彼女はホオヅキをどついてこう呟いた。

 

『報復を終えた後何をするか考えよ。それをせぬ内に報復なんぞするもんじゃない』

 

 きっと、神ナイアルは死んだ。ホオヅキを苦しめ【ソーマ・ファミリア】を破壊し尽くし、羊人の姉妹を地獄に突き落とし、カエデとヒイラギを利用しようとしたあの最悪の邪神は死んだ。

 そうでなければ困るとホオヅキは乾いた笑みを浮かべ、酒盃を傾けた。

 浴びる様に飲み、無くなれば次の酒盃を生み出し、ただ酒を浴びる様に飲む。パチパチと音を立てて燃える焚火の火を眺め、ヒヅチを止める役割を担おうかと考え、首を横に振った。

 

「アチキじゃ絶対勝てっこないさネ」

 

 本気で挑んだところで、彼女の前に自分が立っている事すらできないのはわかりきった事。それどころか武器を向けて立ち向かう事すらできないだろう。そうに違いないと自嘲して酒を飲む。

 それにしても遅いなと周囲を見回した所で、鼻をつまんだベート、アイズ、カエデの三人が不愉快そうな表情でホオヅキの元まで歩いてきているのが見えた。

 テントに残された最後の食料を胃に詰め込んで、オラリオまで一直線に駆けていく積りなのだろう。沸かしていた湯で最後の食事を作ろうとホオヅキが腰を上げたところで、ベートのドロップキックがホオヅキに突き刺さった。

 

「ごぶぁっ!? なにするさネ!!」

「うるせぇっ、てめぇは何考えてやがんだ! 酒臭ぇんだよこの酔っ払いが!!」

 

 周囲一帯を覆いつくし淀む程の酒の香り。カエデがくらくらとしており、アイズも若干頬が赤い。カエデがそれとなくアイズから距離をとっているあたり、彼女は酔いが回りかけているのだろう。

 酒の香りは温めるとよく香る。それは酒精が熱で飛びやすい事を意味し、同時に火をつけるとよく燃える事もわかっていたホオヅキはポンと手を叩き、酒塗れになっていた頭をボリボリと掻いた。

 

「悪かったさネ」

「ったく……つかもうカエデの奴は行く気満々みたいだぞ、お前はどうすんだよ」

 

 ベートの言葉を聞いたホオヅキが、カエデの方を見ればテントの中から荷物を全部引っ張り出し、必要のないモノと判断したものを捨て、必要最低限の荷物だけを整えようとしている姿があった。

 それを見たホオヅキは手を伸ばしかけ、引っ込めて焚火の前に腰掛けて鍋の中をかき混ぜ始める。

 

「アチキは、良いさネ。ここに残るさネ」

「……テメェはヒヅチ・ハバリって奴を止める気はねぇって事か?」

 

 ベートの言葉にホオヅキは首を横に振った。

 

「止める気はあるさネ。でも()()()()()()()()さネ」

「またそれかよ。そのやる事ってのは────」

「ベートさん、準備が出来ました。行きましょう」

 

 ベートの言葉を遮り、武装の最終確認を終えたカエデが声をかける。彼女の言葉を聞いたベートがちらりとアイズを見れば。彼女は倒れ込んで眠っていた。ホオヅキの不用意な行動で第一級冒険者一人の戦力が欠けた事に気付いたベートが盛大に舌打ちし、アイズの体を背負った。

 

「行くぞ」

「はい……ホオヅキさんは?」

 

 場に漂う酒の香りだけで酔い潰れてしまったアイズに微妙な視線を送りつつも返事を返すカエデ。ふと気づいた様に彼女はホオヅキに視線を向ける。

 視線を向けられたホオヅキは手をふりふりと振って返事を返した。

 

「アチキはここで()()()()さネ」

「……ヒイラギを、ですか?」

「んー……そういう事にしとくさネ」

 

 若干疑わし気な視線を向けてくるカエデに対し、ホオヅキはにんまりと笑顔を浮かべた。

 

「大丈夫さネ。アチキは絶対に敵じゃないさネ……もし、アチキが敵になったら────その時は遠慮なく斬り殺すと良いさネ」

 

 少なくとも自分はカエデと敵対するぐらいなら自ら命を断つか、命を断てないのなら無抵抗でカエデに斬られる。そういってホオヅキは鍋の中をかき混ぜ続けた。

 その姿を見て、答えは得られないと察したのかカエデはテントをちらりと見てから、ホオヅキに頭を下げた。

 

「ありがとうございました」

「別に構わないさネ」

 

 残りのテントやら野営道具は全部ホオヅキが片付ける事に対し礼を言ったカエデは、次の瞬間にはホオヅキの事すら頭から抜け落ちた様に一直線に駆け出していく。オラリオに向けて────そこに居るヒヅチ・ハバリに向けて駆け出した。

 その背をアイズを背負ったベートが追いかけていく。彼は一度ホオヅキの方を振り返り、彼女が鍋の中を見つめたまま動かなくなっているのを見て、視線をカエデの方に戻した。

 

 

 

 走り去っていく者達の背をちらりと流し見て、ホオヅキは深い溜息を零した。

 ホオヅキには行けないだけの理由がある。本当ならカエデの為に身を尽くしてあげたい、けれどそれができない理由がある。

 

「あーあ、なんでヒヅチと変な約束しちまったさネ」

 

 もしも、カエデがヒヅチと敵対する道を選んだら────決して邪魔をするな。手を貸す事もするな。そんな風な約束だったはずだ。そんな事になる訳が無いと、過去のホオヅキは笑ったのだ。

 

『ヒヅチはバカさネ。何がどうあればカエデがヒヅチを斬るさネ?』

 

 ヒヅチの膝に丸まって眠るカエデを指さし、ホオヅキが笑えば。ヒヅチは月を眩しげに見つめながら杯を掲げ、言い切った。

 

『ワシは予言者なんじゃ』

『何を馬鹿なこと言ってるさネ。だいたい、自称予言者なんてそこら中に掃いて捨てるほど居るさネ』

 

 そういう者たちは大抵がろくでなし共だったとからからと笑う。

 ホオヅキが思い浮かべる過去の光景の自分は、ヒヅチと共に語らう自身の表情はいつだって笑顔だった。どんな些細な事でも笑って、酒を飲んで。【ソーマ・ファミリア】を抜けて悲しい想いをしていた自分を慰めてくれた、そんな人、それがヒヅチ・ハバリだったはずなのに。

 

『ワシはな、救いようのない大空け者よ。最後にはカエデに斬られて死ぬ。むしろ────それがこやつにとっても、ワシにとっても最善じゃ』

『そんな事無いさネ。それに救いようがないなんてふざけた事言うなさネ! アチキみたいなバカでマヌケな奴でも救われるさネ! だからヒヅチも救われてとうぜ────いたっ、何するさネ!』

『静かにせい、カエデが起きるじゃろ』

 

 優しげな手つき。カエデを愛しむ様に、ヒヅチの手がカエデの頭を撫でていく。

 月明かりに照らされてキラキラと輝くヒヅチの毛並みと、月明かりの元、まるで死人の様に色が失せ、生気を感じさせぬカエデの二人。今でも記憶の奥底に焼き付いた、絵になる光景だ。決して、忘れぬ光景。

 そこで彼女と交わした言葉も、ホオヅキは決して忘れる事は無い。

 

『そうじゃ、賭けをせんか?』

『賭けさネ? アチキ酒は飲むけど賭けは嫌いさネ』

 

 よくファミリアの仲間にカモにされてきた事で、賭け事に苦手意識を持っていたホオヅキが渋ると、彼女は柔らかく微笑み、カエデの耳の付け根を優しく指先でなぞりはじめた。

 

『そんな難しい事ではない。負けたらなんでも言う事を聞く、それだけじゃて』

『バカさネ。負けたらなんでも言うことを聞く? そんなのアチキがカモになるだけさネ』

 

 だから受ける気は無い。ぷいっと子供っぽく顔を背けると、彼女はカラカラと笑って手招きをした。訝し気に彼女に近づくと、優しく頭を抱き寄せられて耳元で静かに賭けの内容を伝えられた。

 

『もしもカエデがワシと戦う事になったら。カエデにワシを殺す様に言ってくれぬか?』

『嫌さネ』

『ふむ、じゃあこうしよう。カエデの邪魔をせんでくれるか? ああ、付け加えるなら手伝うこともせんでくれると助かるな。何があろうが、どんな事があろうが』

『……わかったさネ。カエデの邪魔だけはしないさネ』

 

 それでいい。そういって胸に抱かれ、優しく頭を撫でられた。遠い昔にあった、朧げな記憶に重なり微睡む。

 真ん丸な満月が見下ろす河原の傍、焚火の火がパチパチとはぜる音色を聞きながら共に杯を傾けあい、語らいあい、そして賭けをした。

 

 カエデが自らの意思でヒヅチと敵対するのなら。決して邪魔をするな。手を貸す事もするな。

 

 過去の光景を脳裏に浮かべ、ホオヅキは口惜しそうに口元を歪めた。

 

「畜生、アチキは……なんで約束しちまったさネ」

 

 ヒヅチとカエデが敵対する。そんな事、あの満月の夜に想像なんてできやしなかった。

 約束してしまった。彼女の邪魔もできない。彼女に手を貸して共に試練に挑むこともできない。

 そして、これからヒヅチ・ハバリの元へカエデが向かう事を、止める事が出来ない。このままではカエデが命を落としかねないというのに、それを止める事が出来ない。

 膝を抱え、ホオヅキは嗚咽を漏らした。

 

「どうして、約束しちまったさネ……」

「そんなのアタシが知るかよ……姉ちゃん、久しぶり」

 

 草原を踏みしめて野営地に足を運んできたのは、ヒイラギと────彼女の横に立つ人影。

 ホオヅキが思わず立ち上がり臨戦態勢に入るも、直ぐに警戒を解いた。ヒイラギの傍に立っていたのは、人形だった。カタカタと奇妙な絡繰り人形。

 ヒイラギが絡繰り人形の胸に張られた札を引っぺがした瞬間、煙の様に消えたそれ。ホオヅキはバツが悪そうにヒイラギから視線を逸らし、出来上がった温かなごった煮をヒイラギに差し出した。

 

「その人形は、ヒヅチのさネ?」

「ああ、なんでも炊事洗濯、家事ならなんでもござれ。そのうえで戦闘も完璧にこなせる超すごい人形、らしいぞ?」

 

 狐人の技術で作られた家政婦にして護衛の人形。カタカタという駆動音がうるさいのが玉に瑕なぐらいで、非常に便利な代物らしい。とヒイラギが肩を竦めれば、ホオヅキは苦笑しつつも自分の分を深皿によそってもそもそと食べ始めた。

 

「相変わらず、酒臭いな姉ちゃん」

「アチキのアイデンテェティさネ」

 

 酒臭いのがアイデンティティとか終わってんな、とヒイラギが軽蔑の視線を向けて食事を口にし、美味いと呟いた。

 ヒイラギの背に背負われた剣、そして弓を見てホオヅキがくすりと笑う。

 

「どうしたんだよ」

「ん? いや、ちっちゃなころのカエデを見てるみたいだったさネ」

 

 あの頃のカエデは、もっと自信なさげな雰囲気で耳がいつもぺちゃってなってた。そういって笑うホオヅキ。ヒイラギは深い溜息を零し、星が見え始めた空を見上げた。

 

「姉ちゃんを止めなかったのか? アタシはてっきり、ホオヅキ姉ちゃんなら止めるって思ってた」

 

 ヒイラギの予測では、ホオヅキは必ずカエデを引き留めるだろうと考えていた。しかし蓋を開けてみればうじうじと悩んで涙を流す情けない姿を晒すホオヅキの姿あったのだ。驚きながらもホオヅキに問えば、彼女は苦笑を浮かべた。

 

「結構前に、ヒヅチと約束しちまったさネ」

 

 馬鹿なホオヅキが、絶対に来ないであろうと思った未来。

 ヒヅチが何を考えているのか、何を思ってカエデと敵対しているのか。

 

「ヒヅチは、カエデ姉ちゃんを愛してる」

「それはわかってるさネ」

 

 ヒヅチ・ハバリはカエデを愛している。それは間違いない、だというのに刃を向けようとしている。

 狂気に満ちているから? 否だとホオヅキもヒイラギも断言できる。

 彼女はどこからどう見ても正気を保っている様にしか見えない。

 

「……邪神が言ってたんだけどよ。一番の狂気は、正気な者が孕むんだって」

 

 正気を保っている様に見える者程、狂気に満ちている者はいない。邪神はそう言って笑う。ヒイラギはそう言って最後の一欠けらを口に放り込む。

 

「ヒイラギ、邪神の言う事なんて聞いちゃメッさネ」

「わかってるっての」

 

 食事を終えた二人はしばし焚火の火を眺め、互いに顔を見合わせた。

 

「どうするさネ?」

「アタシはやる事はやった。でももう一人、いやもう一柱、殺したい奴がいる」

 

 ヒイラギの言葉にホオヅキが考え込み、名案を思い付いたと言わんばかりに飛び上がって拳を振り上げた。

 

「そうさネ! ヒイラギ、お前が殺したい奴って────クトゥグアさネ?」

「ああ、アタシの村を滅茶苦茶にしやがった。だから殺してやりたい」

「アチキが手伝ってやるさネ!」

 

 カエデの邪魔をするのではない。カエデの手伝いをするのでもない。ヒヅチと交わした約束を違える訳でもない。これはヒイラギの願いを叶える為であり、ヒイラギの手伝いをする為である。

 そのためにも────ヒヅチを操っているクトゥグアを殺す。

 

「よし、そうと決まれば即行動さネ!」

「おう! 絶対あいつぶっ殺してやろうぜ!」

 

 ホオヅキとヒイラギが拳を打ち付け、即席の『神殺し同盟』を結んだ。



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『神を殺せ』《上》

『んー思ったよりも簡単に済みそうかな』

『……なぁ、一つ聞いてええか?』

『なんだいロキ』

『……【幸運の招き猫(ハッピーキャット)】ってどこ行ったん? 途中から姿見えんのやけど』

『………………』

『恵比寿?』

『あはは、死んで無いよ。うん、死んではいない、かな』


 広大な草原地帯。青々としていたはずの草花は踏み荒らされ、数え切れぬ魔法の砲撃によって大地は隆起し、抉れ、耕され、元草原地帯と名を変える程の荒れ果てた姿を晒していた。

 その中央部、魔法の砲撃が最も激しく降り注いだ地点。若干土埃に汚れた金髪を揺らした狐人の女性が第一級冒険者達を相手に奮闘していた。

 くるくると踊る様に魔法の砲撃を切り捨て、近づいて白兵戦を仕掛けてくる怪物を超えうる力と耐久を持ち合わせた化け物染みた冒険者を相手にヒヅチ・ハバリは舌打ちをした。

 

「全く、またワシ一人になったではないか」

 

 周囲に散らばっていたはずの『神滅軍』は既に壊滅。ヒヅチ・ハバリが招来していた傀儡兵も全て討ち果たされ、散らばる陶器の破片のみがその痕跡を残すのみ。

 最初こそオラリオの混成軍が押されていたものの、物量の差と補給物資の有無が明暗を分けた形であろう。

 既に戦う意味を見出せないヒヅチは、けれども戦い続けていた。背中に刻まれた神の恩恵の所為か、それとも他の思惑があるのか。彼女は胸元に揺れる魔力石が半分以下の大きさになっていた。

 魔力の残りは既に半分を切り、これ以上の魔法行使は難しい────否、最後の一手の為にもこれ以上消費できない。

 

「しかし、しぶといのう」

「……それはこっちの台詞だよ!」

 

 傷だらけのアマゾネス────アマゾネスというにはその体躯は異常であるが。

 二Mを超える巨漢……巨女だ。狩猟着に似た赤黒の衣装には無数の傷、褐色の短い腕に短い脚、筋肉で構築されたその手足に無数の傷。横幅の太いずんぐりとした体型。

 女性として平均的な身長よりほんのりと高めの背丈のヒヅチですら顎で見下ろされる程の差がある巨女、【イシュタル・ファミリア】の団長【男殺し(アンドロクトノス)】フリュネ・ジャミールの怒声にヒヅチが眉を顰めた。

 

「その腹はどうなっとるんじゃ全く────ここまで斬れんのは初めてじゃぞ。あぁ、また刀がダメになってしもうた」

 

 言葉を発しつつもフリュネの腹を切り裂かんと振るわれた一撃が彼女の腹────筋肉の塊と化した鋼に勝る胴体にぶち当たり、狩猟着にも似た衣装を切り裂き、皮膚を裂き、筋肉に阻まれて刃がへし折れる。

 『緋々色金』を使った太刀は背中の鞘に納め、懐から取り出した札で作り上げた即席の『対魔刀』であったためかあっけなく折れた刃は虚空に霧霞のように消える。

 力任せに切ろうと、技量を以て断ち切ろうと、どちらにせよあの筋肉を切り刻めない。化け物染みたというよりはまさに()()()の名を冠するに等しい女────女というにはいささか抵抗があるその冒険者を相手に、ヒヅチは溜息を零した。

 

「ふむ、【勇者(ブレイバー)】に【猛者(おうじゃ)】の方が簡単だったんじゃがな」

 

 目の前の怪物染みた、ではなく怪物女はどうにも()()()()()と零しながらも新たな剣を手にする。周囲に倒れ伏した四人の小人族の冒険者をちらりと見てから、目の前の怪物女を見据える。

 

「いかん、本当にお主は人間か? アマゾネスなんぞどっかの少数民族でしかなかったはずなんじゃがな。いつの間にか化け物となっておったとは知らなんだ」

「ゲゲゲッ、力も美貌も劣る不細工が何か言ってるねぇ。女の嫉妬はこれだから困るんだよ」

 

 話が通じている様でいて、全く通じていない。そんな印象を抱いたヒヅチが明らかに引いた様に一歩後ずさり、他の冒険者をうかがう。

 先ほどまで連携に次ぐ連携でヒヅチを抑え込んでいた【ロキ・ファミリア】の三人の冒険者は無言で視線を逸らし。【フレイヤ・ファミリア】の者達に至っては倒れた仲間を治療しており、怪物女の援護をする気が微塵もない事がうかがえる。

 彼女と共に動いていたはずの同派閥に所属する戦闘娼婦達であっても目の前の怪物女を援護しない事に疑問を覚えつつも、ヒヅチは再度刃を構える。

 

「どうせ負け戦じゃし、別によいか」

「ごちゃごちゃ煩い犬っころだね!」

 

 フリュネの振るう特大剣が大地を抉り込む様に振り上げられた。盛大に土を巻き上げる様に振るわれた一閃によって土が飛び散り、他の冒険者が近づけない場を作り上げる。

 飛び散った土によってヒヅチの姿がよく見えなくなる。それは致命的な事だ、彼女の初動はとにかく早い。故に初動を予知して動かねばならないのだが、その初動を見切る事を邪魔しかねない程に土を巻き上げる戦い方をしているのがフリュネなのだ。

 他の者達はフリュネの援護をしないのではなく、フリュネが援護しようとする仲間の妨害をしているだけである。それでいながらその筋肉質な肉体でヒヅチの斬撃の悉くを受け止めている事から、フリュネは他の者達が尻込みする中、一人だけ戦っている形になっている。

 それがフリュネを増長させているのだが、本人は一向に気付かず、ヒヅチはそれに付き合わされて不機嫌そうな表情を浮かべている。

 

「アマゾネスとはこんな種なのか? いくらなんでも化け物過ぎるじゃろ」

 

 アマゾネス達が聞いたら口を揃えて『違う』と叫ぶだろう事を呟きつつも、ヒヅチは振るわれる特大剣を避ける。盛大に巻き上がる土埃に紛れる様に身を隠し、一拍で距離を詰めて斬撃。首を狙ったその斬撃は首回りの強靭な筋肉に阻まれて致命傷に至らない。

 耐久云々以前に、純粋な筋肉に斬撃を阻まれる事実にヒヅチの表情が苦々し気に歪んだ。

 

「いやいや待て待て、流石にぃっ!?」

 

 盛大に振るわれた反撃の一閃。巻き上がる土を浴びながら即座に二本の刀を交差させて逸らす。刀身が粉々に砕け散る中、ヒヅチは土塗れの着物の裾をたなびかせて全力で後退しながら札をばら撒く。

 土くれが人型に変わり、狐人の戦士の姿を形どるも動き出すより前にフリュネの大剣が振るわれ、粉々の土くれに逆戻り。時間稼ぎにもならない足掻きにヒヅチは冷や汗を流した。

 化け物より化け物ではないかと内心呟きつつも、続く一閃にヒヅチは引き裂かれた。胸の辺りから真っ二つに引き裂かれたヒヅチ・ハバリの体が吹き飛び、()()()()()を巻き散らして霧散する。

 

「ゲゲゲッ、アタイの勝ち────あ? どうなってるんだい、確かに今────」

「────殺した、と?」

 

 盛大に巻き上がった土煙が晴れた先、フリュネの特大剣によって真っ二つにされたはずのヒヅチが立っていた。

 

「確かに殺したよ!」

「あぁ、確かに死んだな。いやはや、困ったのう」

 

 オラリオ最強【猛者(おうじゃ)】ではなく、たかが第一級(レベル5)の戦闘狂いで色狂いな怪物女に殺されるとは思わなかった。ヒヅチはそう呟きつつも砕けた木片を懐から取り出して投げ捨てた。

 はらはらと黒い消し炭になって散り散りになって木片は消えてなくなり、彼女は静かに首を横に振った。

 

「もう限界か」

 

 これ以上の戦闘は、身が持たない。それに加え────先ほどから主神(クトゥグア)がうるさい。

 彼女の脳に直接刷り込まれる様な神の囁き声。それが脳を犯し冷静な判断能力を削り取っていく。いまだに自らが狂っているという程ではないにせよ、それでもこのままではいずれ狂うだろうとヒヅチは笑う。

 

「それでも、カエデが来るまで耐えねばならんな」

 

 カエデ・ハバリの為にも、今狂う訳にはいかないと歯を食い縛り。詠唱を響かせる。

 左手に刀を持ち、右手で九字を切る。片手で行われる簡易な九字切り。

 

「【其に記せ────臨・兵・闘・者・皆・陣・烈・在・前】」

「何をやってるんだいこの不細工っ」

 

 振るわれる特大剣を回避しつつも詠唱を終え、右手には数枚の御札が掴まれていた。

 

「【炎札──灰塵飛翔】」

 

 フリュネに向けて放たれた一枚の札。紙切れとは思えないほどの鋭い軌跡を描いて飛翔する札がフリュネの肌に触れ────ほんの瞬きの間にフリュネ・ジャミールを炎が包み込んだ。

 響き渡る絶叫を耳にしながら、ヒヅチは眉を顰めて札と剣を構える。油断していい相手ではない、というよりこのアマゾネスはヒヅチの天敵に位置する相手だと認識したのだ。

 他の者達も構えらしい構えをとってフリュネを迎え撃つヒヅチの姿に驚愕しつつも、あえて距離をとる。

 

「いかん、効いとらん」

「何をするんだいっ」

 

 バンッと炎が弾け散り、若干おかっぱ頭が焼けて髪の毛の飛び跳ねる姿を晒しているフリュネにヒヅチが舌打ち。相性が悪すぎると独り言ちて身を引こうとし────ヒヅチの頬を走る入れ墨が淡く輝く。

 

「なぁっ!?」

「んん? 何だいその気持ち悪い刺青は。まあ不細工には似合ってるんじゃないかい」

 

 ゲゲゲッと気色の悪い笑みを浮かべたフリュネを眼前に、ヒヅチは膝を着き首を押さえて震えだす。魔力の流れが乱れ、ヒヅチの体と精神を侵していく。

 

「ぐぅっ……あの、死にぞこない……」

 

 徐々に色濃く刻まれる刺青が首から頬にかけてだけでなく、右腕にまで浸食を広げ、御札にすら刺青が広がる。

 

「待て、あやつ……ぐぅっ……くそ、情けなんぞ……かけずに殺せばよかった」

 

 ヒヅチの身に刻まれた隷属の刻印。情けをかけ殺さずにいたリーフィアの放った呪詛が彼女の体を侵食していく。より強く、より鮮明に、彼女が思い描く憎悪を精神に深く刻み込まれていく。

 

「やって、くれたな……」

 

 憎悪に狂う一人の女が生み出した狂気の産物。ヒヅチを侵し狂わせる憎悪の感情が一気に流し込まれ、彼女の瞳から光が失われかけ、背中にあった太刀を引き抜いて自らの身を軽く裂いた。

 血が迸り、初めて負傷らしい負傷をしたヒヅチが着物を鮮血に染め上げながら立ち上がる。呪詛を引き裂いたヒヅチは残りの札を自らの身に張り付けて顔を上げた。

 

「全く……まあこれで後顧の憂いは断てたか」

「自分を斬るだなんて、アタイのあまりの美しさに頭でもおかしくなったかい? ああ、でもその気持ちはわかるよ。アンタみたいな不細工がアタイみたいな美女を前にしたら自分を切り裂きたくなるのもね」

 

 相変わらずというべきか、フリュネは調子を崩すこともなく特大剣を片手に握りしめ、ヒヅチを見下していた。それを相手取るのも疲れていたヒヅチは無造作に『緋々色金』の刀を振るう。

 先ほどと同じ感覚で刃をその身で受けたフリュネ。彼女の腹を裂いた刃が振り抜かれ、驚きに目をむいた怪物女は一歩後ずさる。

 

「は……?」

「やはり紛い物では限度もあろう。本当なら振るう積りは無かったんじゃがな。退けヒキガエル、ワシの道を塞ぐな」

 

 二度目の剣閃が閃き、火花を散らして止められた。

 フィンの持つ槍と鬩ぎ合い、互いに弾きあって距離をとる。

 フィンは腹を押さえてうずくまったフリュネを一瞥し、溜息を一つ。

 このままフリュネに抑えて貰えれば楽ができただろうが、唐突にヒヅチの動きが変わった。先ほどまでの殺す気の見られない刃とは違う。今振るわれた刃は、フリュネを殺す積りだった。

 

「ゲゲゲッ、アタイに王子様が来てくれたねぇ」

「……僕は君の王子になった積りはないよ」

 

 ただ、腐っても第一級冒険者であるフリュネが倒されてしまえばオラリオとして損失が大きい。だからこそ庇っただけで彼女の言う通り美しさに目がくらんだ訳ではない。ある意味目が眩む光景ではあるが。

 

「アタイの美しさに、男どもはいちころだからねぇ。ここはアタイの美しさに免じて任せてやるよお」

 

 彼女の身勝手な言い分を聞くこともなく、フィンは槍を手にヒヅチに接近する。

 瞬く間に懐に飛び込んで槍を振るうフィンに対し、懐から抜き放った小太刀で対応するヒヅチ。火花が散り合うなか、ヒヅチが目を細めて飛びずさりながら御札をばら撒く。

 瞬く間に御札は火柱に転じ、フィンとの間を塞ぐ序に横から迫っていたガレスの進路を完全に塞ぐ。リヴェリアの詠唱を聞いたヒヅチは即座に彼女を睨んで呪言を呟く。

 

閉ざせ

 

 放たれたのは簡易な呪言。相手の口をほんの一瞬だけ縛る、それだけの効力しか持ち得ない代物。魔法詠唱中に使われれば強制的に妨害できるモノで、詠唱者の技量次第で魔力暴発(イグニスファトゥス)に貶める事が出来るモノだ。リヴェリアは即座に魔力を霧散させたおかげで魔力暴発(イグニスファトゥス)しなかったものの、詠唱自体は失敗に終わる。

 ヒヅチの呪言を見逃さなかったフィンとガレスが隙をついてヒヅチを狙うが踊る様に回避されて攻撃は当たらない。

 フィンとガレスの猛攻の合間に詠唱をしようとするも、ほんの僅かな動作で妨害されて上手く詠唱すらできないリヴェリア。本来ならリヴェリアを切り捨てるなりで無力化したいヒヅチはフィンとガレスの連携の前にリヴェリアに近づく事もままならない。

 膠着状態に近い状態へと陥ったヒヅチが舌打ちを零した。

 

 

 

 

 

 草原を駆け抜ける三人の影。

 太陽が昇り出すまであと少し、暁の空を見上げたカエデは正面方向、オラリオ方面に続く道を見て息を呑んだ。

 数多くの躯が打ち捨てられている。そのどれもが、冒険者とは思えない麻布の衣類の上から簡素な革製の防具を身に着けただけの、そこらの町に居る自警団かと見紛う装備の者達ばかり。

 不愉快な死臭漂う道を駆け抜けだし、日が昇るまであと数分といったところ。続く屍の道の先に誰かが立っているのに気付いた三人が足を止めた。

 老いて枯れ枝の様に痩せ細った腕、手に握られているのは古びた木製の杖、先端には禍々しい色合いの魔法石。フードの下から覗く目は爛々と獰猛に輝いている。飛行船の上で襲ってきた、古きハイエルフの女性。

 リーフィアという古代の英雄の一人────今では憎悪に狂った哀れな人。

 

「貴女は……」

「テメェはあの時の腐れエルフか」

「ベートさん、知り合いですか」

 

 アイズの言葉にベートが不愉快そうに鼻に皺を寄せた。

 軽蔑の色合いを乗せた目でその老婆を睨み、ベートは吐き捨てる。

 

「飛行船の上で襲ってきた婆だよ」

「……敵」

 

 端的に彼女は敵であると認識したアイズが剣を引き抜き、構える。同じく百花繚乱を構えようとしたカエデだったが、ベートが手で制す。

 

「お前は先に行け」

「でも……」

「このババアは俺とアイズで何とかする」

 

 出会ってから一言も言葉を発しない老婆。彼女が何を考えているのかは不明だが、その爛々と輝きながらもどす黒く濁った瞳からは憎悪と殺意しか見て取れない。

 ベートは既に臨戦態勢。アイズは構えを解かずに老婆を睨み、カエデは目を細め、頷いた。

 

「わかりました」

「さっさと行け」

 

 カエデが駆け出し、大回りして老婆を回避して進んでいく。

 老婆はそれを見送るでもなく、彼女の視線はカエデに向けられすらしない。それでありながら、彼女は杖を一振りした。瞬間、大地が隆起し彼女の背後に絶壁を生み出す。高さはゆうに20Mを超えている。驚きの表情を浮かべたベート、アイズ、カエデの三人が周囲を見回し、気付いた。

 周囲の大地が上がったのではない、三人と老婆が立っていた円形の部分が陥没したのだ。半径100Mに渡り沈み込んだ大地の底、老婆は静かに杖を掲げ、火球を生み出す。

 ベートが舌打ちと共に突撃し、アイズが魔法を詠唱した。

 

「ぶっ飛ばす!」

「【目覚めよ(テンペスト)】」

 

 ベートが老婆に一気に近づいて蹴りを放とうとした瞬間、火球が飛来しベートの進路を塞ぐ。それを風を纏ったアイズ一瞬で切り払いベートと共に老婆に突っ込んで突きを放った。

 ベートの蹴りと、アイズの突き。同時に放たれたその攻撃が魔力障壁に阻まれて甲高い音を立てる。舌打ちと共に後退するベートと、そのまま連撃を叩き込んで障壁を砕かんとするアイズ。断続的に響く甲高い音が陥没によって窪地となった周囲に響き渡る。

 不愉快そうにベートが耳を震わせる中、老婆が憎悪に濁った瞳でカエデを射抜いた。

 壁を登ろうと円形の壁面を蹴って駆け上がっていたカエデが身を震わせ、一気に壁面から飛び退いて距離をとった。瞬間、壁面から突き出た鋭い円錐型の岩がカエデのつま先を掠める。窪地の底に逆戻りしたカエデが舌打ちし、百花繚乱を引き抜いて老婆に向けた。

 アイズの様な風の付与魔法(エンチャント)であったのなら空を飛んで脱出できただろう。しかしカエデの氷の付与魔法(エンチャント)ではアイズのようにはいかない。

 どちらかと言えば相手の体温を下げて身体能力の低下を招きつつ、耐久無視という強力無比な刃で相手を仕留める代物だ。

 攻撃性能はアイズの魔法より強く、汎用性はアイズの方が高い。故にベートに老婆を押さえてもらい、アイズに抱えて貰って脱出するのが効率的かとカエデが思考しながら剣を向けた瞬間。

 アイズの魔法が弾け散って無力化された。

 

「え?」

「死ね、人類の裏切り者め」

 

 振るわれた杖。閃光が弾け、アイズの体が吹き飛んだ。

 轟音を立て、アイズの体が壁面にめり込む。

 ベートが目を見開いて驚くさ中にも、閃光が弾けた。ベートがギリギリで回避したのか、つい数舜前までベートが立っていた部分が円形に陥没している。頭上から押し潰された様に陥没した大地を見たベートが舌打ちを零し、老婆に向かって駆け出す。

 

「詠唱せずに魔法なんて使いやがって」

 

 化け物かよと吐き捨てながらも、幾度となく弾ける閃光を目にする度にベートが右へ左へ、鋭くステップを踏んで回避しながら接近しようとし、肩に何かが掠めてベートの体が吹き飛んだ。

 ベートが覚えたのはおかしな感触。掠めたのは肩だ、何かが肩を撫でただけだというのに、全身が吹き飛んだ。

 

「けっ、変な魔法だな……」

 

 魔法については詳しくないベートでもわかる。一筋縄ではいかないであろう特殊な魔法。それも詠唱無しで杖を振るうだけで発動するのだ。厄介極まりないとベートが眉を顰める横にアイズが並んだ。

 土にまみれたアイズが目を細めて口を開く。

 

「ベートさん、魔法が使えなくなりました」

「あん? 魔法封じ……呪詛(カース)か?」

 

 相手の魔法を封じる。もしそんな呪詛(カース)があるのなら、相当の罰則(ペナルティ)があるはずだとベートが目を細めたさ中、相手の老婆の魔力障壁に短剣が弾かれて零れ落ちる。

 離れた位置から投擲用短剣(スローイングダガー)を投擲しながらカエデが担いでいた百花繚乱を片手に一直線に駆けていく。

 

「ベートさんっ、攻撃が全方位からっ」

「あん、何が────っ!?」

 

 陥没して窪地となった空間。壁面に視線を向けたベートとアイズが息を呑み、即座に武器を構える。

 いくつもの岩の棘、壁面から飛び出したそれが此方に向けて()()()()()

 ベートの蹴りが、カエデの大剣が、アイズの長剣が次々に飛来する岩の杭を砕き壊す。瞬く間に足元に積み上がる岩の残骸。老婆に構う暇もないほどの怒涛の攻撃が四方八方から飛来し、三人を襲う。

 そんな中、老婆は杖を振るい閃光を弾けさせては一人でも多くを殺さんと魔術を行使する。

 

「糞っ、反撃できねぇっ」

「アイズさんっ、風の付与魔法(エンチャント)でっ」

「っ……使えないっ」

 

 アイズの魔法【エアリエル】があれば風で飛び道具は全て無力化できる。しかし原因不明の魔法封じによって魔法を封じられ、アイズが困惑の表情を浮かべていた。

 ベートの舌打ち、カエデが目を細め、詠唱文を唱える。攻撃一辺倒で防御性能は微妙、しかも周囲の気温を一気に下げる影響で仲間にも悪影響を齎す魔法だが、この場において他に方法が無い。そう判断したカエデが詠唱を始めた瞬間、岩の棘がカエデに殺到する。

 

「【孤独に(凍えて)眠れ、其は孤独な(凍て付く)氷原────】」

 

 殺到した岩の棘をベートとアイズが捌く間、カエデは打ち漏らされた数本の棘を切り払いながらも残る詠唱文を唱える。

 

「【月亡き夜に、誓いを紡ごう。名を刻め────白牙は朽ちぬ】」

 

 溢れ出る冷気。カエデの持ち得る氷の付与魔法(エンチャント)によって一瞬でカエデの足元から大地が凍り付いていく。それなりに上がったステイタスによって威力は上昇し、周囲を雪原と見紛う程の白で染め上げていく。

 老婆の足元にまで及んだ冷気は、けれども障壁に阻まれて動きを止めた。飛翔する岩の棘がカエデの生み出す氷の塊とぶつかり合い、岩の破片と氷の破片が飛び散りあい、視界を塞いでいく。

 急激に下がった気温にベートとアイズが身を震わせながらも口を開いた。

 

「意味がねぇ」

「……寒い」

「すいません……」

 

 飛び散った岩の破片や氷の破片を踏みしめたベートが老婆を睨む。カエデが百花繚乱に冷気を纏わせ振るう事で岩の棘を砕いていくさ中、アイズは窪地の底を覗き込んでいる影を見つけて目を見開いた。

 

 

 

 

 

 密林を抜けた神ナイアルはボロボロになった外套の端っこを破り、包帯代わりに腕に巻きながら背後を歩く人物に声をかけた。

 

「いやぁ、助かりましたよ。小怪物(ゴブリン)になぶり殺しにされる所でした」

「…………」

 

 相変わらず不愛想だとケラケラ笑いながら足を進めていたナイアルはふと茂みを見て笑みを深めた。

 

「いやぁ、ド派手にやられちゃいましたねぇ……【夜鬼(ナイトゴーント)】」

「…………」

 

 ナイアルは静かに笑みを浮かべながら、茂みの中で息絶えた【夜鬼(ナイトゴーント)】の千切れた首を持ち上げ、後ろを歩く少女に声をかけた。

 

「これ持って帰りません?」

「…………やだ」

 

 ありゃりゃ、と小さく呟いたナイアルは愛しの眷属の首を斬り株の上に乗せ、優しく頭を撫でる。ナイアルの背後に付き従う少女は呆れたように首を横に振っていた。

 

「お願いですよぅ……ここに置いていくの可愛そうじゃないですかぁ」

「だって私一回死んでる。蘇るのも簡単じゃない」

 

 疲れてるから嫌だとそっぽを向いた少女の姿に肩を竦め、ナイアルは前を見据えた。

 

「【妖虫(シャン)】はどうしてこうも素直になってくれないんでしょうかねぇ」

 

 私と触れ合いたいでしょう? と怪しく嗤いかけてみれば、少女は不愉快そうに眉を顰めてナイアルを睨んだ。

 

「私は一回死んだ。もう頑張りたくない」

「えぇ~、でも私のピンチに駆けつけてくれたじゃないですかぁ?」

「……助けなきゃよかった」

 

 深い溜息を零した少女。溜息を共に少女の身に纏うローブの裾からボトボトと肉の塊が零れ落ちた。

 ナイアルが微笑みかける相手、顔の肉が半分ほど腐り落ち、蛆虫の湧いた喉からぽろぽろと蛆を零す躯だ。まるで操り人形(マリオネット)の様にカクカクと動く姿は、まるでゾンビか何かの様だ。

 

「しっかし、貴方のその呪詛(カース)、恐ろしいですねぇ」

 

 他人の肉体に精神ごと乗り移る事が出来る。そんな悍ましい呪詛を覚えた少女────元は少女ではなく妖艶な女性であったのだが。朽ち果てかけた躯に乗り移った事でなんとか生き永らえ────消滅を免れた神ナイアルの眷属の一人。

 激しい罰則(ペナルティ)に侵されてまともな精神状態ではないはずの彼女は、けれどもナイアルの狂気を植え付けられた事で逆に正常な思考を取り戻している。

 今乗り移っているのはそこらで盗賊にでも犯されて殺されたらしい少女、の成れの果て。前の器が壊れて使えなくなる寸前になんとか乗り移ったものの、それ以降新たな肉体に乗り移る事が出来ずに腐るままになっているのだ。自らが仮初の器として利用している少女の肉体が腐り、蛆に貪られているのを感じ取りつつも【妖虫(シャン)】は顔を上げて呟く。

 

「新しい、器が欲しい」

「んー、そこら中に転がってるんですけどぉ」

 

 歩く道すがら、落ちている屍をいくつか見繕うモノの、彼女の罰則(ペナルティ)の関係で使える器はほぼゼロ。あの密林からナイアルを救った際にかなりの損傷をしてしまった事もあり、次の器は確実に健全に生きている器が好ましい事もあって、屍は嫌だと拒否し続けている。

 

「ですがぁ、その腐った(からだ)よりは、こっちの新鮮な死体(からだ)の方が良いと思いますけどねぇ」

 

 腐臭漂わせる少女の成れの果てにそう声をかけるナイアルだが、【妖虫(シャン)】は首を横に振った。

 

「私は、肉体に拘りを持つ派だから」

「いやぁ、蓼食う虫も好き好きとは言いますがねぇ」

 

 流石に匂いますよ? そう口にした瞬間、少女が自らの腐った腸を抉り取り、ナイアルに投げつけた。べちゃりと音を立てて臓物の臭いと腐臭が混ざり合った臭いを嗅いだナイアルが眉を顰め、ローブを摘まんだ。

 

「いや、やめてくださいよぅ。私そういうの好きじゃないんでぇ」

「嬉しそうに笑いながら言うな。とりあえず、生きてる奴探してくれ、私が使えそうな奴」

「あぁはいはい」

 

 運よく生き残れたとナイアルは笑い、【妖虫(シャン)】は運悪く生き残ったと嘆く。



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『神を殺せ』《中》

『ああー、リーフィアまでやられちまったか。ヒヅチはもうあと一押しだし、もう少しだけ待ってくれーって言うのは無理か?』

『なあ、アタシ等が()()って言った時おまえはどうした?』

『待たずに逃げたさネ』

『いや、普通に逃げるだろ。鉈片手に血塗れの女が迫ってくるんだぜ?』

『……確かに、コイツの言うとおりかもしれないさネ』

『なに納得してんだよ姉ちゃん、とりあえず────お前を殺す』

『あー、ストップ。ナイアルまだ死んでないんだけど? ナイアル殺したから俺を殺しにきたんだろ? 嘘つくなって、アイツまだ生きてんだけど』

『はぁ? たしかにアイツはゴブリンの巣で……』

『死んだら光の柱立つだろ? 立ったのか? 立ってないならまだ生きてるっつの、あほかよお前』


 放たれる魔力の波動。

 弾け散る雷に打たれた体躯はあっけなく吹き飛んで大地を転がり、陸に打ち上げられた魚の様に激しく痙攣を引き起こす。

 驚愕の表情を浮かべたフィンの目の前から掻き消えたオッタルの姿に彼が声を失った直後、剣戟の音と共に火花が飛び散りヒヅチが距離を置く様にフィンの前から飛び退いた。

 

「ふむ、これで十人……この調子ならまだ戦えそうじゃな」

「はは、流石……カエデの師を務めただけはあるね……」

 

 痙攣が止まり、黒煙を体中から燻らせるオッタルを肩越しに見たフィンは静かに槍を構え、穂先が無くなっている事に気付いて顔を引き攣らせる。

 獲物を失ったフィンを見据えたヒヅチの足元から雷特有の火花が弾け散り、彼女の手にしている刀が紫電を纏う。

 下手に受ければ得物を通して電撃を受けてオッタルの様に黒焦げ。当然、フィンが攻撃する際にその刃で受け止められても同様。唯一、遠距離攻撃手段たる弓を扱うジョゼットと、彼女が生み出した魔弓による一斉掃射が断続的に放たれる事で今はなんとかなっているが、これも長く続かないだろうとフィンは舌を巻く。

 治療した【男殺し(アンドロクトノス)】は復帰早々に倒され、【フレイヤ・ファミリア】の【炎金の四騎士(ブリンガル)】【黒妖の魔剣(ダインスレイヴ)】【白妖の魔杖(ヒルドスレイヴ)】そして最強の名を背負った【猛者(おうじゃ)】すら倒れ伏した。

 残っているのは【ロキ・ファミリア】が誇る三人、【勇者(ブレイバー)】【重傑(エレガルム)】【九魔姫(ナインヘル)】に加え、【怒蛇(ヨルムガンド)】【大切断(アマゾン)】【甘い子守唄(スウィートララバイ)】の六名。

 Lv6が三名、Lv5が三名。合計で十六名で挑んだ戦いを制しつつあるのはたった一人で戦い抜いているヒヅチ・ハバリの方であった。

 それでも消耗が無い訳ではない。彼女が持ち得る魔術行使に使っていた魔法石は既に半分以下で、途中からは魔術の行使の頻度が落ちていた。────それでもオッタルが倒れた事は大きい。

 

「ペコラ、君は下がれ。ティオネ、前に出るんだ」

「ですけど……」

「団長の指示よ、従いなさい」

 

 フィンが近場に転がっていた長槍を拾い上げる。この長槍は敵方の持っていたモノなのか質は良くない。けれど無いよりマシかとフィンが苦笑を浮かべつつも指示を出す

 ペコラが持つ大戦槌は既に半壊しており、戦闘に耐えうる物ではない。それに加え、ヒヅチの持つ剣はペコラの持つスキル特性を無視して彼女を()()()。そのせいか彼女は全身が切り傷塗れで血に濡れている。

 本来なら打撲しか負わない彼女が、である。すでに限界近くまで前衛壁役(タンク)として酷使された彼女は足元がふらついている。これ以上は危険だと下がらせる一方、力任せに斧槍(ハルバード)を振るってヒヅチの意識を逸らす役目をしていたティオネはいまだに負傷が少ない。

 数人による連携を駆使して現状を維持していれば、流石に気づく。

 

「彼女は()()に弱いみたいだね」

 

 真っ先にオラリオ最高峰の連携を以て戦闘を行う【炎金の四騎士(ブリンガル)】を仕留めたのも納得だ。

 逆に連携を取らずに個の強さで戦う者は彼女に敵うまい。一対一で勝利を得るのはほぼ不可能、それに付け加えるなら、『白黒の騎士』とよばれた黒妖精(ダークエルフ)白妖精(ホワイトエルフ)の二人組をあっさり倒した事から三人から四人以上で連携を取らねばあっという間に撥ね退けられてしまう事も予測できる。

 ひとえに【ロキ・ファミリア】が残っているのは各々が連携を重視して戦っているからだろう。

 

 人の限界の力を超えた怪物を狩る為に鍛え上げられた技能。それは人が持ち得る()()で対処可能だ。逆に言えば、連携無くしては彼女の前に立ち続ける事も不可能────それでも勝利は遠いが。

 

「ガレス、もうひと踏ん張りできるかい?」

「ああ、まだなんとかな」

 

 せめてカエデが来てくれれば。フィンが小さく零した言葉を聞いたヒヅチが目を細めた。

 魔力の酷使と刻まれた刻印の抵抗、そして第一級冒険者十名を打ち倒すという化け物染みた偉業を成し、表面上は平静さを保ちつつもすでに半ばまで精神を蝕まれた彼女は呟かれた名に反応する。

 

「カエデか、懐かしいな」

 

 口元に優し気な笑みを浮かべ、ヒヅチは朗々と語り出す。

 あの頃の生活、ツツジ有りし日の頃。彼女の母親であるキキョウについて、戦闘中の奇行ともとれるその行動に【ロキ・ファミリア】の面々が警戒しながらも距離をとる。

 冷静に場を見極める戦士の瞳でありながら、どこか虚ろで視点のあっていない狂人染みた色合いを宿すヒヅチの姿に誰しもが息を呑み、リヴェリアが問いかけた。

 

「カエデはお前を救おうとしているのだ、止まってはくれないか」

 

 リヴェリアの説得の言葉。カエデの名に反応したからこそ、彼女の名を出して止まらないかと期待したその言葉に対する返答は────刃による一閃であった。

 

「ぐぅっ」

「ガレスッ」

「下がれリヴェリアッ!」

 

 リヴェリアの首元数Cに迫った刃は、ギリギリの所で大盾を翳したガレスによって阻まれ、止まった所にフィンの長槍の一突きとティオネの斧槍(ハルバード)による一閃が彼女を討ち取らんと振るわれるも、どちらもギリギリで回避されて彼女の戦闘衣(バトルクロス)の袖口を浅く掠めるにとどまる。

 攻撃を回避したヒヅチに殺到する光の矢。ヒヅチが刃を一振りすれば呆気なく散っていく光の矢、はらはらと舞い落ちる粉雪のような魔力の残滓を払い除けたヒヅチが鋭い眼光でリヴェリアを睨み、口を開いた。

 

「救う? 誰が、誰を? カエデが、ワシを? 救うと? 本気で言っておるのか? 正気か?」

 

 徐々に、言動が狂っていく。正気を失いつつある────否、元より正気など上っ面だけのモノだった。内側に潜んでいた狂気が表層を覆っていた正気を食い破り、芽を出しつつあるだけだ。

 

「笑わせてくれるな小娘、ワシが救われるなんぞ、あるわけがない────あってはならんのだぞ?」

 

 自分が救われるなんぞありえない。そう言い捨てた彼女にフィンが反論を返す。

 

「それでもカエデは君を救おうとするだろう」

「それはいかん。ワシは殺されねばならぬのだからな」

「……彼女はそれを望まないだろう。君を殺すなんて、カエデが望む訳がない」

 

 迷いが生まれたのか彼女の瞳が大きく揺れる。

 

「何もしておらぬ者には何も無い」

 

 ドロドロと濁っていく瞳の奥、ヒヅチ・ハバリは刃を一閃し、迷いを断ち切って吠えた。

 

「罪には罰があるべきじゃろう? 儚い願いであっても叶うべきであろう? 生まれ落ちたその日に、何の罪もないはずなのに、罰が下るなどおかしな事ではないか?」

 

 生まれたその日に否定され、殺されかけるなんておかしい。

 罪が無いのであれば罰なんて必要ない。

 罪があるからこそ罰せられるのが正しい。

 カエデに罪なんぞあろうはずがない。だからこそ────彼女は救われなければならない。

 

「では、逆に問おう────罪を背負う者は罰せられねばおかしくはないか?

 

 罪科を背負ったのだ。同胞を両の手では抱えきれぬ程殺したのだ、救われるはずだった者が、笑顔を浮かべているべき者達が、共に笑いあった同胞が死んでいったのに────生き残った自分に罪が無いとでも?

 

「笑止千万、救われるべき者には救いを与え、罰せられるべき者には罰が下るべきじゃろう?」

 

 ならば────罪深いこの身には罰が下らねばならない。

 

「世界はいつだって正しくあるべきじゃろう?」

 

 助けを求めて手を伸ばした者が居て────そういった弱い者は片っ端から食い物にされて殺される。

 

「救いを求めた者には救いを与えるべきじゃろう?」

 

 弱者を食い物にして私腹を肥やす者達が居て────彼らは毎日の様に飽食を続け、肥え太る。

 

「罪を犯す者らは罰せられるべきじゃろう?」

 

 何故だろう、救いを求める者達の為に戦いに身を投じた戦士達は、私腹を肥やす罪人達の食い物として死んでいく。それを知らずして助長してしまった間抜けがいた。

 

「姉上を救えればそれで良かった────その為に罪科を重ねた」

 

 積み重なる屍が背後に広がっている。夥しい数の躯が、彼らの亡骸が、罰を、罰をと囁きかけてくる。

 

「ワシは罪深き愚か者じゃ。ならば────そのワシが罰せられねば話は始まらん」

 

 カエデ・ハバリが良き子だ。素直で、真っ直ぐで、正直で、救いを求めていた。

 ならば彼女(あの子)は救われなければおかしい。

 ヒヅチ・ハバリは悪しき者だ。自らの願いの成就だけを夢見て、数多くの屍の山を築きあげた。

 ならば自分(ワシ)は罰せられねばならぬ。

 

「カエデには救いを、ワシには罰を……」

 

 立ちふさがる者としてこれ以上相応しい者は居ない。本気で彼女を殺そうとし、彼女に殺される。

 

「カエデを愛している────ワシはカエデ(あの子)を愛している!」

 

 愛する者に殺される事こそ罪を犯し続けた者に相応しい末路で、自身に相応しい罰だ。

 そして、自らが殺される事は神の恩恵を手にし救いを求める彼女にとっての『偉業の証(救い)』となるだろう。師として、母として、ヒヅチが最期に残せる、最上級の愛情だ。

 

「故に、まだ倒れる訳にはいかぬ。カエデ(あの子)がワシを討ち果たすその瞬間まで────故に、そこを退けっ!」

 

 より多くの罪を重ねよう。その最果てに待つ愛する子に討たれるその瞬間まで、数え切れぬ罪科を重ねよう。

 重ねれば重ねるだけ、己が身に下る罰は大きくなろう。

 悪には罰を、善には救いを、世界は正しく輝いていなければならない。

 カエデは善で、己が身は悪。

 (カエデ)が救われるには、(ヒヅチ)が討たれねばならぬ。

 

 故に────カエデを殺そう。

 

 我が身に積み上がる罪科の最果て、命を狙う巨悪を討ち果たしたカエデが器の昇格(ランクアップ)を経て人並みの寿命を得られん事を────我が身を以て、愛を示そう。 

 

 汚泥の如く濁った瞳をオラリオの中央にそびえたつ摩天楼に向け、ヒヅチ・ハバリは吠えた。

 

 

 

 

 

 

 降り注ぐ岩の大棘。円錐型に突き出た岩の槍が飛来する。

 次々に降り注ぐ巨大な岩によって周辺一帯は土埃に塗れ、時折弾ける光が土煙もろとも冒険者を吹き飛ばす。

 光の衝撃をギリギリで回避したベートの悪態が響く。

 

「くそっ、アイズっ」

「近づけないっ」

「攻撃、激しっ」

 

 三人の冒険者が一人の老婆に蹂躙されている。

 大きく窪んだ窪地の底、周辺の壁面から吐き出される大量の岩槍に押し潰されない様に動き回りながらも防戦一方と化した彼らの視線の先、薄淡く光る障壁に包まれた老婆が爛々と輝く狂い切った瞳で三人を強く睨んでいた。

 

「死ねっ、疾く死ねぇ!」

 

 狂ったように────文字通り狂いながら杖を振るう狂人の姿にアイズが眉を顰め、カエデが冷や汗を流す。ベートだけは気狂い相手に鼻を鳴らして舌打ちを零す。

 

「なんだ、全く攻撃が衰えねぇ……どんだけ魔力があるんだあのババァは」

 

 ベートの指摘通り、ありうべからざる程の魔法の力の発揮。現代における神の恩恵によって発現する詠唱魔法とは異なる次元に存在する古代式の魔法。現代魔法よりよっぽど燃費が悪いはずのその魔法を手足の如く、それも過剰に使い続けてなお、彼女の魔力が減っている様子は微塵もない。

 魔力量の多いリヴェリアでさえこれだけの天変地異に等しい魔法を発動すれば一発で魔力枯渇(マインドダウン)しかねない程だというのに、彼女の魔力量が明らかにおかしいと気付くも何が出来るわけでもない。

 耐え続ければ道が開けるかと回避し続けていたが既に日が昇っている。

 カエデが顔を上げれば、自らの生み出した細氷によって幻日が浮かび上がり、三つの太陽が浮かんでいる様に見え、同時に身を震わせて自らの体温が限界近くまで下がっている事に気付いて魔法を解く。

 解いた瞬間に足がもつれ、崩れ落ちかけた所をベートが抱え────目をむいた。

 

「冷ぇっ」

「あ……寒……ベートさん、あったかいです」

 

 触れ合った瞬間にわかる凍り付く寸前の体温。極限まで下がった体温が誤魔化されていたのだろう、一瞬で身動きのとれなくなったカエデはベートに抱えられたまま虚ろな目でぐったりと動かなくなる。

 

「チッ、アイズ! どうにかあのババァに一発かませ!!」

 

 このままだとカエデの治療もできないとベートが呟けば、アイズは静かに頷き飛んできた岩の棘を切り払い、あえて粉微塵に粉砕して視界を塞ぐ。

 瞬間、駆け抜けたアイズが障壁に連続の剣戟を叩き込む。怒涛の連撃(ラッシュ)に障壁が甲高い悲鳴を零す中、ベートが岩棘を足場に天高くより奇襲を仕掛ける。抱え持っていたカエデをそのままに両足揃えてのドロップキックが障壁に的中する。

 甲高い悲鳴にも似た音色を立てた障壁が粉砕され、障壁の破片を浴びながらベートは離脱し、アイズが鋭い突きを放ち老婆の胸を穿った。

 ドスンッと鈍い音を立てて突き立つ刃。アイズが目を細めて老婆を見据え、ベートが地面に飛び下り────目を見開いて回避を行う。

 一拍遅れてベートの居た地点の大地が隆起し、獄炎が噴き出した。溢れ出す深紅の液状化した大地。

 真っ赤な色合いが一瞬で広がる中、アイズが目を見開いて剣を抜こうとするもびくともしない事に気付き、刺さったままの剣をそのままに離脱する。

 

「死んで無いっ!?」

「どうなって────糞、カエデ起きろっ、さっさと冷やせっ」

 

 カエデの冷気に浸されていた二人は、一瞬で周囲の温度を数度上げる程の熱量を持つ溶岩の噴出に驚きながらも急ぎ溶岩の流れの及ばない安全地帯に足を運んだ。

 一瞬の内に火口の様に溶岩に覆いつくされた窪地の底、一部残る飛来した大岩の棘の残骸の上に避難したベートとアイズが噴き出た汗を拭いカエデを叩き起こそうとすれば、彼女も熱気を感じ取ったのか目を見開いて口元をひくつかせた。

 

「熱い……え、っと……」

「早く魔法を使えっ」

「この熱気、中和しないと……」

 

 一瞬の内に気温は上がり続け、すでに肌がチリチリと痛みだす程にまで至った時点でカエデが慌てて魔法を詠唱する。つい先ほどまで凍死寸前に至っていたからだが、今度は焼死しかねない程に熱くなっていく。

 

「【孤独に(凍えて)眠れ、其は孤独な(凍て付く)氷原────】」

 

 カエデの詠唱に合わせての攻撃が、来ない。

 警戒する二人の周囲の岩場が次々に溶岩に呑み込まれていく中、カエデの魔力に反応したのか老婆が顔を上げるも、彼女の肌がジリジリと音を立てて焦げ付いているのに気付いたアイズが息を呑む。

 

「嘘、あのままだと焼け死ぬ」

「あん……自滅か?」

「【月亡き夜に、誓いを紡ごう。名を刻め────白牙は朽ちぬ】」

 

 詠唱の完了と共に冷気が噴き出し────周囲の熱波とせめぎ合い、気温が中和されて焼けこげる程ではなくなる。

 そんな中、老婆が杖を振るおうとしているが、よく見れば彼女のローブの端が燃え上がっている。

 自らのローブが燃えているのに気付いているのか、気付いていないのか、胸に剣を突き立てられたままの老婆は杖を掲げたまま炎に飲まれていく。

 驚愕の表情を浮かべるベートとアイズ、そして炎に飲まれゆく姿を見たカエデはとある青年の姿を思い出していた。

 かつて自らの操る魔法にのまれ焼け死んだ青年。アレックス・ガードル。彼の姿が脳裏をよぎったカエデは即座に行動を起こした。相手は敵である、けれども────目の前で自らの魔法で焼け死なれては目覚めが悪い。

 

「すいません、ここで待っていてくださいっ」

「おい、カエデ何を────」

 

 ベートとアイズの制止を振りきり、二人の間に氷の塊を生み出したカエデが溶岩の海を駆ける。

 足場となる溶岩を一瞬で冷やし、冷えてなお焼けた鉄板の様に熱を持つ固まりかけた溶岩を踏みしめて進む。一歩で数Mの距離を一気に詰め、老婆を救わんと腰に括りつけられていた水袋を凍らせて放り投げた。

 熱気で瞬く間に水に戻ったそれは、老婆の頭から降り注いで彼女の服を焼く炎を打ち消す。驚きの表情を浮かべる老婆の首根っこを掴み、一気に駆け戻りながらもカエデはベートとアイズに声をかけた。

 

「このまま駆け上がりますっ!」

「正気かよっ」

「……わかった」

 

 気狂いの老婆まで救わんと手を差し伸べる姿にベートが驚愕しつつもカエデに続き、アイズもそれに続く。

 カエデが溶岩の海を冷やし固め、その足場を伝って一気に壁際に到着。そのまま老婆の首根っこを掴んだままのカエデが駆け上がるすぐ後ろをベートとアイズが続く。

 老婆の胸には剣が刺さったままで、首根っこを掴まれたまますぐ後ろを走るベートとアイズを見据え、杖を振るおうとする。瞬時にベートが蹴りで杖を蹴り飛ばせば、杖は中空をくるくると回り、そのまま溶岩の海に落ちていく。

 岩壁を駆けあがったカエデが草原に老婆を投げ出し、魔法を解いて老婆と向き合う。焦げ付いたローブに力なく地面に倒れ伏した死にかけの老婆。痩せ細り既に満足に動けないはずの体を魔力で動かしていたのか体中になんらかの刻印が刻まれている。

 それを見下ろしたカエデが口を開くより前に、ベートの声が響いた。

 

「なんでその糞ババァを助けやがった」

 

 殺しにかかってきたんだぞ。そんな言葉を聞いたカエデが顔を伏せ、直ぐに上げた。

 

「確かに、殺すべきだったかもしれません。でも、彼女に聞きたいことがあったんです」

「聞きたいことって?」

 

 アイズの問いかけに答える事なく、カエデが老婆を見下ろす。触媒であった杖を失った事でまともに身動きがとれなくなった不自由な老婆は、暴れるでもなく目を見開いたまま血走った眼でカエデを見上げていた。

 ドロドロに濁った瞳の中に、ほんの微かな光が宿る。もしかしたら杖が、あの杖がこの老婆を狂わせていたのかもしれない。そんな考えが脳裏に過ったカエデが静かに老婆の前に膝を着き、彼女の手をとった。

 

「ヒヅチはどこに居ますか?」

「…………お前は、あの狼人の娘か」

「答えてください、ヒヅチはどこですか?」

「……死ね、裏切り者め」

 

 老婆が最期の力を振り絞る様にカエデの腕を握る。弱々しく、とてもではないが痛みを感じる程でもない、力のない老婆の手、目を細めたカエデが最期に問いかけを遺した。

 

「何か、言い残す事はありますか?」

 

 薄らと宿っていた光が、強く瞬く。老婆の中に残っていた、微かな何かが今の一言で呼び起こされたのか、彼女は申し訳なさそうな表情を浮かべ、小さく呟いた。

 

「ヒヅチに謝っておいてくれ」

「……わかりました。代わりに謝罪の言葉をヒヅチに伝えます。それでは────」

 

 優しく手を振り払い、倒れ伏した老婆を前に百花繚乱を引き抜いて振り上げる。

 ベートとアイズが見守る中、カエデは老婆の首を刎ねた。零れ落ちるべき血すら残っていない枯れ果てた老骨が砕け、僅かな血を零して躯が倒れ伏す。

 背後に広がる窪地を見てから、カエデは静かに彼女の転がった首を近くに置きなおし背を向けてベート達に向き直った。

 

「行きましょう、少し遅れましたが────急げば間に合います」

 

 本来なら埋葬するか火葬するかすべきところではあるが、そんな余裕はどこにもない。

 遅れた時間を取り戻すべく、カエデが駆け出していく。遅れてベートとアイズが一度だけ老婆を見てから、カエデの後を追った。

 

「殺しにかかってきた奴まで無意味に助けるなんてな」

「…………」

 

 

 

 

 

 

 狂喜乱舞するナイアルの横、腐りかけの少女の体で千切れた足を縫い留めていた【妖虫(シャン)】は深い溜息と共に腹から腐った臓物を零して再度溜息。

 目の前に転がっているハイエルフの老婆の躯に接吻しかねない勢いで狂喜乱舞しているナイアルを見ながら、【妖虫(シャン)】は口を開いた。

 

「なあ、それ使わなきゃダメか?」

「何を言っているんですか。確かにからっからに干からびた鶏ガラみたいな老婆ですが、中身は本物ですよ? あなたも英雄の体っていうのを使ってみたくはないですか?」

 

 さんざんクトゥグアによって精神を狂わされてなお、最後の瞬間にはほんの少しだけとはいえ正気を取り戻すことが出来る本物の英雄の魂の宿った器。たとえ狂い果てたとしても、その高貴な魂の宿った器はそれだけで万金の価値がある。

 その為にもカエデ・ハバリ達が消え去るまで隠れてみていたのだ。

 その器、使えば間違いなく良質であろうことは【妖虫(シャン)】にだって理解できる。おおむね彼女が持ち得る呪詛(カース)の制約の範疇であり、乗り移る事自体は可能だろう。

 

「だからと言って、ここまで死んだ奴だと()()()()()()()()()()()()

 

 肉体を乗っ取るのには相応な精神力が必要であり、一度乗り移ると他の肉体に乗り移る事が難しくなる。

 しばらくの間はその肉体を使わなくてはならないのだが、いくらなんでも一度首を落とされる以前に胸を剣で穿たれた肉体なんぞ使いたくもない。そも、心臓すら失って体の中身がくり抜かれて人形状態だった彼女に乗り移るのも気が進まない。

 

「確かに英雄だ、私もビックリ。でもそれを手にして死んだら無意味」

 

 次の肉体に乗り移るまでにその肉体は朽ち果てる。つまり、次が無い。肉体さえ乗り移り続ければ永遠の命とも呼べる【妖虫(シャン)】からすれば別の肉体を望むのは当然だが、ナイアルは聞く耳を持たない。

 

「素晴らしい、素晴らしい! 素晴らしい!!」

 

 嗚呼、なんと素敵な器だろう。そんな風に呟いて老婆の躯の至る所────首の切断面に至るまで────に接吻を落とす美青年。顔が血まみれになろうがお構いなしのその行動に【妖虫(シャン)】は静かに首を横に振った。

 

「ああ、ここで死ぬのか」

「安心してください。この器はそう易々と死にはしませんよ。胸を穿たれてなお生きてる化け物ですからね」

「はぁ、どのみち、身体が腐って限界かぁ」

 

 周辺にあった躯はナイアルが喜々として頭部を踏み潰して破壊してしまい、残っているのは目の前の斬首死体である。体も頭も無事だ、首が切り離されている事を除けば、だが。

 ほらほらと老婆の頭をぐいぐいと押し付けてくる神ナイアルに苛立ちを覚えつつも、【妖虫(シャン)】はその首を受け取り────千切れかけの自らの足を千切りとってナイアルに投げつけた。

 

「せめて胴体と繋げろボケ神」

 

 このまま乗り移ったら首だけの体になってしまう。そう文句を零せばポンと手を叩いたナイアルが針と糸を取り出して首と体を縫合し始めた。その様子をみながらも千切れた足を見て、蛆に肉が食い破られてまともに足として機能しなくなっていた事に気付いた【妖虫(シャン)】は溜息と共に口から蛆虫を零した。

 僅か数分で綺麗に首を縫合したナイアルの縫合技術に目を見張るべきか、それとも目の前の老婆の肉体が他のそこらに転がっていたいくつかの死体の一部を組み合わせて化け物染みた容姿にされたことを嘆くべきか。

 

「おい、なんだそれ」

「見てください────腕が七本ですよ、七本。極東では『七』っていうのは縁起が良い数字らしいですよ! 足なんて四本です。四脚、安定性抜群ですね!」

 

 【妖虫(シャン)】の知識が間違っていなければ『七』は確かに縁起の良い数字だろう。だが同時に『四』という数字は『死』を連想するから縁起が悪いと極東で言われていたはずだったのだが。

 そんな彼女が驚愕に目を見開いた瞬間、眼孔の中から眼球が零れ落ち、片目の視界が失われる。すでに限界に近い体の彼女に選択肢はないと言える。

 丁重に、乗り移る事が出来ない()()()()()は素材に含まれていないのか目の前の腕七本に足四本、顔は老婆の怪物は────そこで彼女は更に追加で気付いた。

 

「おい、おい、おいおい!」

「なんですか? って、顎が外れかけてるじゃないですか」

「ひゃんひゃふおふあっ!」

 

 なんだそれは、その叫びは顎が外れた事で聞き取れる声になる事なく零れ落ちた。

 目の前の異形の怪物、その頭が三つあった。一つは道中で拾ってきた代物────胴体が綺麗に潰されて頭しか残っていなかった女性の頭部。もう一つは頭部が半分潰れたモノだ。

 まるで多頭竜(ヒュドラ)の様な容貌、それも見るだけで不安を煽る異形と化した人間だった残骸達、悪趣味にも程があると思う以前に、複数の頭部が────それも一つは半分潰れている────あるモノを受け皿として出されても困る。そう目線で訴えるもナイアルはその肉体をヒィコラ言いながら持ち上げて彼女の前まで引きずってきて「さぁ」と彼女に勧めた。

 深い溜息を零した積りで、顎がボトリと外れて千切れ落ちた。これ以上は本当に肉体が限界だと【妖虫(シャン)】は目の前の悪趣味極まりない人間の部品を使った神ナイアルの作品に向けて呪詛(カース)を唱え始めた。



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『神を殺せ』《下》

『今のは……クトゥグアが天界に送還されたのか』

『って事は、残ってるのはナイアルだけか』

『……嫌な予感がするね』

『奇遇やな、ウチもや』

『君の所の眷属、殆ど重症で帰ってきたそうだけど、出せる戦力はあるのかい?』

『ベートとアイズが残っとる。そっちは?』

『一応、カッツェが出せるけど……戦力外だぞ』


 爆音と共に吹き飛ばされたティオネが全身に火傷を負いながらもなんとか両足で地面をとらえ、数Mに渡って大地を削りながら停止する。

 顔を上げて両手に握りしめた湾曲した刃の短剣を見て舌打ち。半ば程から断ち切られ、すでに剣としての用を成さないそれを投げ捨てて拳を握る。再度突撃の構えを取ろうとした所で間に小柄な人物が割り込んだ。

 

「ティオネ、もういい下がれ」

「ですけど団長っ」

「頼む、下がってくれ……君を失いたくはない」

 

 間に割り込んだフィンの言葉にティオネが感激しつつも身を翻す。これ以上、言葉を交わす余裕はない。

 今まさに目の前でガレスの手にする大盾が幾度目かの斬撃を受けて紫電を撒き散らし、老兵たるドワーフが目を見開いて紫電を纏いながらも必死に耐え忍ぶ姿があった。横合いからのティオナの大振りな大剣による一撃が回避され、ヒヅチが後方へ下がった事でようやく解放されたガレスが白煙を全身から燻らせながら膝を突く。

 

「ぐぅ、きついな」

「ガレス、大丈夫か」

「すまん、少し動けん」

 

 ガレスの持つ大盾は既に壊れる寸前。本来なら予備の物と取り換えるべき状態ではあるが、後方を確認したフィンは小さく舌打ちを零してティオナに命令を下した。

 

「ティオナ、ガレスを連れて下がってくれ」

「えっ、でも団長は? あれ一人で抑えるの?」

 

 ティオナとフィンの視線の先。肩で息をし、獣の様な唸り声を響かせながらも紫電を巻き散らす正気を失ったヒヅチ・ハバリの姿があった。打ち合う度にその吐息は乱れ、今では獣染みた吐息を漏らして『呼氣法』が正しく機能しているかすら怪しい。

 彼女が握りしめた剣が紫電を巻き散らす。ガレスの体を掴んだティオナが後退し、フィンが目の前に槍を突き立てて避雷針代わりにしてその攻撃を防ぐ。

 それなりに上質な第一級武装であったフィンの長槍が一瞬の内に消し炭の様に真っ黒に染まり上がり、武装として用を成さない消し炭にされてしまう。

 

「はぁ、仕方ないか」

 

 誰の持ち物かは既に不明だが、戦場には数多くの武装が散らばっている。序に屍も多数、ヒヅチ・ハバリが生み出した装備魔法の武装は奪えはしないだろうが、敵方が持っていた質の良くない武装ならいくらでも転がっているのだ。当然、一手二手で破損する不良品ではあるが。

 落ちていた剣を足で蹴り上げて握り締めたフィンが苦虫を噛み潰した様な表情を浮かべてぼやく。

 

「酷い剣だ」

 

 いうなれば折れる寸前。罅割れた刀身の根本を見ればあと一太刀も耐えうる事なく折れるのが目に見えている。とはいえ他の武装を探す余裕はない。

 獣の様に低い姿勢で唸り声をあげる正気を失ったヒヅチは、最も警戒度の高いフィンだけを見据えて隙を伺っている。離れていったティオネやティオナ、負傷したガレスなどは既に彼女の視界に入ってはいない。

 彼女と向かいあったフィン。すでにリヴェリアも負傷者を庇って撤退、遠くから装備魔法の『妖精弓』を放っていたジョゼットは何らかの反射魔法(カウンターマジック)の効果か、ヒヅチに当たる寸前の光矢が反転して彼女に迫り、結果として負傷して撤退。

 残っているのはフィン一人で気が付けば戦えるのは己一人。加えて手にしているのは罅の入った折れる寸前の剣。目の前には正気を失ってなお、冴えわたる剣筋と妖術にて第一級冒険者を何名も沈めた怪物級の英雄の成れの果て。

 正気を失って言葉を介さなくなったのか既に意味のある言葉はその口から放たれる事は無く、獣の呻き声を響かせるだけの姿にフィンが一歩前進する。

 何の小細工もない真正面からの突撃。壊れかけの剣の切っ先をヒヅチの喉元目掛けて突き付けながら一気に距離を詰める。いかに速く動こうと、いかに上手く動こうと、彼女に届き得ない。当然、愚直な突撃等届くはずもない処か、瞬く間に返す刃で斬り殺される。それでもフィンは笑みを崩さずに突っ込んでいく。

 

「シッ」

「おっと……」

 

 凄まじい金属音。ヒヅチの持つ太刀とフィンの持つ剣がぶつかり合い、細かな欠片を散らしながらもフィンの持つ剣は役目を終えて飛び散り、ヒヅチの大太刀より放たれた紫電をその身で受け止め、フィンに届きうるのを防ぐ。

 ヒヅチとフィンとの間に砕け散った剣の破片が飛び散り、紫電の障壁を生み出す。ヒヅチが追撃の姿勢を見せるも目の前の自らが生み出した紫電の障壁に阻まれて動けず。フィンは極僅かに腕に走った痺れを無視して落ちていた壊れかけの片手斧を蹴り上げて握り締めた。

 

「いやぁ、本当にっ」

「グルァッ」

 

 金属の刃が砕け散る音。甲高い音と共にあえて打ち合う事で片手斧の刃部分を粉々に粉砕させて自身とヒヅチの間に紫電の障壁を張る素材として撒き散らす。刹那の交差にて行われる全身全霊を込めた時間稼ぎ。

 一秒稼ぐのに命を数度賭ける。失敗すればフィンの体は紫電に焼かれて動けなくなるだろう。死ぬほどではないにせよ、数秒間はガレス同様に動けなくなる。もしそうなれば、フィンは彼女に斬り殺されて死ぬしかない。

 冴え渡る勘と、持ち得る技量を全て使った【勇者(ブレイバー)】の時間稼ぎ。足元に散らばる壊れかけの武器を何度も何度も拾い上げ、ほんの瞬く間の時間を稼いでいく。

 彼一人になるまでに稼いだ時間と、彼一人が稼ぐ時間。一秒を凌ぐたびにヒヅチの動きが鈍り。同時にフィンのとれる選択肢が減っていく。

 足元に散らばる武装は無制限にあるわけではない。当然、数に限りがあり、限界が近づいていく。壊れかけではなく中途半端な耐久をのこした剣を手にして舌打ちを零す。むしろ壊れかけでないと困ると内心毒づきながらもヒヅチの振るう刃に合わせて全力で打ち込む。

 甲高い音色と共に刀身が砕け────フィンが次の武器に手を伸ばさずに足元の砂を足ですくい上げてヒヅチの視界を塞ぐ。紫電に加えての砂かけにヒヅチが若干怯み、足を止めた瞬間に離脱。新たな武器を手にしようとしたフィンは腕を痙攣させながら武器を取り落とした。

 

「はぁ、やってしまったね」

 

 右腕だけではない、両腕から白煙を燻らせつつもフィンは痙攣する自らの手を見て吐息を零した。

 ついに、武器すら握れなくなった。目の前の化け物相手に無手で挑むのは無謀にも程がある、それがわかっていながらもフィンは強気に笑みを浮かべた。

 いつもなら親指が何かを教えてくれるが、残念なことに今のフィンは電撃による痙攣で親指がうずく処か腕全体が脈打つ様に蠢いており、先ほどまで冴え渡っていた勘は紫電に焼かれて働かなくなっていた。

 既に手を失ったフィン、それでも足元の短槍を蹴り上げて脇で挟む様に固定して二槍を構える。先の様な曲芸染みた器用な真似はもうできない。だからこそ次の交差がフィンの最期だろう。

 それを理解しながらも目の前のヒヅチを見据えたフィンは微笑み。勝利を宣言した。

 

「ようやくか────遅いよ」

 

 フィンの言葉と同時、ヒヅチの真上から奇襲をしかけた緋色の水干を纏った狼人の少女の持つ大刀と、ヒヅチの手にした大太刀が火花を散らす。紫電が弾け────白毛の狼人、カエデの持つ『百花繚乱』に付与された『退魔』の効果によって紫電が弾け散り、ヒヅチが持っていた大太刀から紫電が剥ぎ取られる。

 それでも力任せに振り抜かれたヒヅチの大太刀によってカエデの体が大きく飛び、フィンとヒヅチの間に華麗にカエデが着地し、正眼の構えでヒヅチに切っ先を向けた。 

 

「────すいません遅くなりました」

 

 後少し遅ければ自分は死んでいたかもしれないと吐息を零しつつ、カエデに遅れて到着したベートとアイズがヒヅチに向けて構えをとるのを見届け、フィン・ディムナは昏倒し倒れ伏した。

 アイズが後ろを振り向き、眼を見開くさ中もベートとカエデはヒヅチから視線を外さない。隙を晒したアイズが攻撃されるかもしれないと警戒していたベートと、自分だけが見られていると確信しているカエデ。

 ベートがアイズに注意を促そうと口を開くより先に、カエデが口を開いた。

 

「お二人は下がってください」

「────はぁ!?」

「……一人じゃ倒せないんじゃ」

 

 驚きに言葉を失うベートと、眉を顰めたアイズ。二人に対してカエデが静かに首を横に振る。

 

「確かに、ワタシ一人では勝てません。ですけど────ここはワタシ一人で戦わせてください」

 

 誰の手も借りずにヒヅチを打ち倒す。そう言ってのけたカエデに対しベートが舌打ちを零し、身を翻してフィンを抱え上げる。

 カエデの声色から感じ取ったのは、敵意にも似た決意。たとえアイズやベートであっても、邪魔をするなら斬ると、雰囲気がそう語っている。

 

「ベートさん、良いんですか……」

「あん、コイツがそうしてぇって言ったんだ」

 

 困惑と共にベートを見たアイズ。

 ヒヅチは言葉を放たず、先ほどまでの獣染みた吐息は鳴りを潜め、静かにカエデと見つめ合っていた。

 ベートが吐き捨てる様にカエデに呟きを残し、戦場を離脱していく。

 

「死ぬんじゃねぇぞ」

「……カエデ、気を付けて」

 

 遠ざかっていく二人の気配。残された白毛の狼人と、金毛の狐人が向かい合う。

 先ほどまで狂気に呑まれて正気を失って【ロキ・ファミリア】の面々を圧倒していたヒヅチ・ハバリが静かに身を起こした。四つん這いに近い姿勢で獣染みた姿を晒していた先ほどまでとは打って変わり、まるで静寂な水面を見つめている様な気さえしてくるほどに澄み渡った色を晒すヒヅチの金瞳。

 対するカエデは赤い瞳でヒヅチを真っ直ぐ見つめ、ぶれない切っ先をそのままにヒヅチと向かい合っていた。

 

「……ヒヅチ、久しぶり」

 

 静かに呟かれる挨拶の言葉。心の底から愛情の籠った声でヒヅチに語り掛けるカエデに対し、ヒヅチは静かに目を細め、答えた。

 

「久しいな」

 

 つい先ほどまで狂気に囚われていたとは思えない程、今の彼女は凪いだ水面を思わせるかの様な瞳をしている。

 信じがたい事に、カエデを目の前にした瞬間に正気を取り戻したのだろうか。そうとしか思えない程に優しく微笑むヒヅチに対し、カエデは苦し気に呻きながらも刃の切っ先を突き付け続けていた。

 

「あのエルフの御婆さんから伝言です」

「……リーフィアか。なんだ?」

「…………謝罪を、と」

「そうか」

 

 一瞬だけ目を瞑り、直ぐに顔を上げて何事もなかったかのようにふるまうヒヅチ。

 困惑を胸に抱き、それでも向けられた刃は一切揺らぐことはない。胸の内に困惑と恐怖を仕舞い込み、カエデは静かに一歩前進して自らの意思を示す。

 今から、貴女(ヒヅチ)を止めます。と……。

 

「そうか、そうでなくてはな……愛しているぞ、カエデ」

「ワタシも、貴女を愛してます」

 

 ────愛している。だからお前(カエデ)に殺されよう。

 

 ────愛している。だから貴女(ヒヅチ)を止めましょう。

 

 どちらも互いに愛し合っている。家族として親愛を抱き、互いが互いを強く思い合う。一切揺るがない親愛を抱いた二人は、静かに刃を向け合った。

 

「覚悟は良いか?」

 

 カエデの尻尾が爆発したように膨れ上がり、警戒心が引き上げられる。

 あの、ヒヅチ・ハバリが構えをとっている。カエデ相手に構える必要はないと師として彼女に対峙したヒヅチは決して構えという構えをとらなかった。

 『無構え』等とうそぶき、加減した戦術をカエデに披露し続けた彼女が今、カエデ・ハバリに向けて構えをとった。

 カエデの胸の内に込み上げてくるのは歓喜と恐怖。

 あのヒヅチが自分(カエデ)を相手に構えをとらねばならぬ程の強敵として認めた。歓喜が溢れ出る。

 あのヒヅチが自分(カエデ)を相手に構えをとる、それは本気で殺しに来る証であった。恐怖が溢れ返る。

 それでも、カエデ・ハバリは刃の切っ先を揺らす事なく、動揺を胸の内に隠しきって構えを維持する。

 

「覚悟は、しました」

 

 揺らがぬ切っ先がその証拠だと言葉で語る事はなく、その立ち姿で語る。

 ヒヅチが満足そうに頷き────初撃はヒヅチによる兜割りにて火蓋は切られた。

 瞬く間に間合いを詰められたカエデが驚愕と共に振り下ろされる一撃を防ぐ。基本的に相手の出方を待ち、反撃にて仕留める方法を好むヒヅチらしからぬ初撃行動。何らかの思惑があると判断したカエデが、続く袈裟懸けの一閃を逸らしながら間合いを詰めようとする。

 一歩踏み込んだ瞬間に目と鼻の先にヒヅチの放つ突きが迫る。一瞬の思考の空白、目の前に迫った刃を回避すべく身を反らし、そのまま後方に転がって続く二閃目の刃を金属靴(メタルブーツ)で蹴り上げる。

 後転しつつも曲芸の様な回避をしてなんとか距離を置いたとカエデが顔をヒヅチに向けた瞬間、彼女の脳天に踵落としが突き立つ。

 全身に重く響く重撃にカエデの体が揺れ、姿勢を崩した瞬間にヒヅチの腕がカエデの襟髪を掴んで投げ飛ばした。強かに全身を大地に打ち付けたカエデが咽込みながらも身を起こそうとして、百花繚乱を胸に抱いて横に転がる。

 鈍い音を立ててカエデが寝ころんでいた地点に槍が突き立てられ、ヒヅチが呆れた様な表情を浮かべて呟く。

 

「強くなったが、変わっとらんな」

 

 最速で最善手を打つ癖が治っていない。カエデの打つ手は常に最善手だ、その場において他よりも優れた、次の一手に繋がりうる最善手。当然、ヒヅチから見れば彼女が打つ手はまさに手に取る様にわかる。わかってしまう。

 生半可な半端者であったのなら、彼女(カエデ)は恐ろしい強敵として映るだろう。実際、ヒヅチからしてもカエデは強敵に違いない。けれども、彼女が次に打ってくる手が筒抜けとなっている現状では彼女は強敵足り得ても()()()()()()()

 

「ぐっ……」

「読みやすすぎるのじゃ、お主の打つ手は」

 

 どんな状況でも最善の手を一瞬で見極め、それを迷わず打つ。なんと恐ろしい強敵だろうか。瞬く間の攻防の内に最善手を100%打ってくる。どれだけ攻め立て様が、追い詰めようが、彼女は変わらず最善手だけを打ってくる。逆に言えば、カエデは最善手以外打ってこない。

 彼女の立場になって考えれば良い。相手(ヒヅチ)が打ち込んできた時、自分(カエデ)はどんな手を取るか。それだけわかれば後は一方的に斬るだけでいい。

 【勇者(ブレイバー)】の様に最善手を導き出しつつも時には最善手に数歩及ばぬ良手を、そして時にはあえて悪手すら打ってヒヅチを困惑に落とし込む真似はしてこない。

 【怒蛇(ヨルムガンド)】【大切断(アマゾン)】の様に考え無しで動きながらも、時折手痛い一撃を最善手として打ってくる獣染みた勘を扱う事もない。

 常に打つのは最善手。それは良い選択に見えて、その実、相手に手を読まれやすい。相手に読まれる最善手等、最善手を打っていながらにして悪手を繰り返し打ち続けている様なモノだ。カエデが勝てないのはそれが原因だというのに。

 相手の手を読んで最善手を打つ事はしても、自らの手を読まれる事を考えていない節がある。今までずっとそれについて黙っていたが、未だにそれが治っていない所を見るに誰も気付かなかったのだろうか。

 

「くっ……」

「どうした? ワシからいけば良いのか?」

 

 ヒヅチの挑発にカエデが苦悶の表情を浮かべる。

 彼女からしてみれば、常に自分の打つ手が()()()相手に丸わかりで、何も出来ずに叩き潰されるのだ。最も良い手を選び取っているのに、どんどん勝利から遠ざかっていく。今までであれば着実に近づくはずの勝利が、遠く離れて手の届かない距離にまで遠ざかってしまう。理解しきれない現象に困惑しながらも、どうにか食らいつかんとカエデは刃をヒヅチに向けた。

 

 

 

 

 

 焦げ付いたコートに真っ赤な眼に悪い程の深紅の髪。後ろ手に縛られたまま背中をチクチクと戦爪に刺されては体を震わせて前に前に歩かされているクトゥグアは深い溜息を零し、背中を突かれてバランスを崩して倒れた。

 

「痛ぇっ、ぐぇっ……なぁ、背中突くのやめてくんね?」

「早く歩かない奴が悪いさネ」

 

 クトゥグアを後ろから追い立て続けていたくすんだ白い毛並みの狼人の女性、ホオヅキの言葉にクトゥグアは面倒くさそうに身を起こして後ろを振り向く。

 ホオヅキの背後には黒毛の狼人の少女が怒気を孕んだ雰囲気で立っている。ヒイラギの目を見て、その瞳に宿る怒気に身を震わせて嬉しそうに口を三日月の様に歪めて期待を込めた目で彼女を見据える。

 

「いやぁ、燃えてるねぇ」

 

 もっと赤々とした深紅に燃え上がる方が好みではあるが、ドス黒く燃え上がる黒々とした炎というのもまた乙なモノだと心の中でにこやかな笑顔を浮かべているクトゥグア。彼の顔面に皮靴の底がめり込む。

 吹き飛び、転がり、土と泥に塗れて転がったクトゥグアは潰れた鼻を抑えつつ二人を見上げ、小さく文句を零した。

 

「いや、神を足蹴にするとか君ら本当にすごいよ」

「神なんて身勝手な糞野郎ばっかだろ」

「いや、良い神も居るさネ。こいつは屑の中の屑だけど」

 

 酷い言い草だとクトゥグアが溜息を零して立ち上がる。鼻から零れ落ちる血を拭おうとするも両手を縛られていて出来ない。鼻から垂れた深紅の神の血(イコル)が零れ落ち、クトゥグアは自らが流した血を見て笑みをこぼす。

 

「いやぁ、楽しいねぇ」

「……糞、テメェがヒヅチの主神じゃなかったらとっくの昔に殺してやるのに」

「はははは、今すぐ殺してくれても良いんだぜぇ?」

 

 今この瞬間にクトゥグアが死ぬと、ヒヅチ・ハバリに与えられた神の恩恵(ファルナ)は掻き消える。そうなればカエデと本気で殺し合っているヒヅチがどうなるかは火を見るより明らかだ。

 もし斬り結ぶさ中に恩恵の効果が消え去れば、最悪の場合はカエデがヒヅチを殺してしまう結果になりかねない。そうならぬ為にも彼を殺すのならヒヅチとカエデが戦っている場所に連れて行き、タイミングを計る必要がある。もしくは殺した瞬間にホオヅキが乱入して止めるか、だ。

 苛立ち交じりにクトゥグアを蹴っ飛ばしては転倒させるホオヅキに、ヒイラギが溜息を零して彼女を止める。

 

「今は急いでるんだからやめとこうぜ」

「けっ、命拾いしたさネ」

「……いや、命拾いって、俺これから処刑場に送られるんだよね? そこで殺されるんだよね? この場では死なないんだからむしろ命捨てさせられるんじゃねぇの?」

 

 ホオヅキの言葉にわざわざ律義に突っ込みを入れつつもクトゥグアは鼻から血を零しながらも立ち上がって歩き出す。時折、ホオヅキが持つ戦爪が背中にチクチクと刺さる中、戦いの場に向けて歩む彼らの視線の先に、異形の怪物が立ちふさがった。

 

「あ? なんだこ────」

 

 一瞬の出来事だった。ホオヅキが慌ててヒイラギを担いで飛び退いた瞬間、振り下ろされた数本の足がクトゥグアの脳天に振り下ろされ、身体が一瞬でぺちゃんこに潰れて内容物が飛び散る。驚愕の表情のホオヅキとヒイラギの目の前の異形、人の手足が無数に生えた悍ましい怪物がほんの一瞬だけ彼女らの瞳に映し出され、次の瞬間に光が弾ける。

 地上で何よりも美しい光────そう謳われる事もある神の死に際に発生するその光は、邪神であったからか悍ましい色合いを宿し、見る者全ての心を脅かす。精神を蝕む奇怪な色合いの光にヒイラギが悲鳴を零しかけた瞬間。

 指を弾く音が響き渡った。

 

「はい、ゲームセットォ……今回は私の勝ちでしたねぇ。クトゥグア」

 

 語尾に『はぁと』でも付きそうな程不気味な声色。彼が響かせた指を弾く音、それは地上の規則(ルール)に抵触した愚かな神を送り出す合図。

 『神の力(アルカナム)』の力を感知した男神が放つ合図によって、一柱の邪神の体の潰れた地点からは瞬く間に光の玉が浮かび上がり、ドンッ!! という凄まじい轟音を響かせ巨大な光の柱が天に向かって立ち上った。

 まるで逆行するかのように地上から天に向かって突き刺さる光柱。一柱の神が『天界』へと送還される光景にホオヅキとヒイラギが言葉を失う中、コツッ、コツッとわざとらしい足音を響かせて歩み出てくるボロボロのローブ姿の邪神。殺したはずだと思っていた、神ナイアルは軽薄そうな笑みを浮かべて空を見上げて両手を広げた。

 下界という名の遊戯盤(ゲーム)に敗北した神々は、二度と下界には帰ってこれない。

 宿命の天敵(ライバル)たるクトゥグアを敗北させた事に歓喜を示すナイアルは、気色の悪い笑みを浮かべてケタケタと笑う。

 光の柱の消えたその場所に残された、ほんのわずかな肉片と残骸にナイアルは歩み寄り、踏み躙って嗤う。

 

「やりました! 私はやりとげましたよ! 薄汚いド変態野郎を潰して、潰して」

 

 踏み躙る、踏み躙る、踏み躙る。何度も、何度も何度も、執拗に地上に残された残滓たる肉片すら恨む様に、憎む様に踏み躙り、泥と混ぜ合わせて薄汚い汚泥に変えてゆく。

 

「見ての通り薄汚い汚泥に変えてやったぞ! どうだ我が天敵(ライバル)。これで私の邪魔だてなんぞ出来まい! 残った肉片も汚泥に塗れて薄汚いお前にはお似合いだ! アヒャッ、アヒャヒャヒャッ」

 

 狂ったように、否狂った笑いを零すナイアルの姿にヒイラギとホオヅキが目を剥く。

 つい先ほどの濃縮した狂気を巻き散らす神の力(アルカナム)の光によって一瞬で正気を失いかけた二人だったが、目の前で狂った邪神の姿に逆に正気を取り戻す。ぐるりと一周回って正気を取り戻した二人が慌てて構えた瞬間、ナイアルと二人の間に異形の怪物が割り込んだ。

 顔は老婆、不気味な男性、顔が半分潰れた女性の三つ。胴体には無数の切れ込みが入っており、それを縫い留めている。零れ落ちかけているのは内臓ではなく、人の腕。それも手には短剣が握られており、無造作に振り回されていてまだ中に収められた人物が生きている可能性が脳裏をよぎるが、その胴体の大きさに比べ、生え茂る腕の数は尋常ではない。胴体にどうかんがえても収まりきる人数ではない腕が生えている。

 そして極めつけは足だ、四本の脚がそれぞれ四方に向いている。不気味であり、命を、ヒトガタを冒涜し尽くした様な異形の怪物。淀んだ五つの瞳が二人を見下ろす。

 

「な……なんだコイツっ」

「……怪物(モンスター)……こんな奴、ダンジョンじゃ見た事な────」

「────待て、アイツの顔、どっかで見た……あの婆の顔! ヒヅチを操ってたエルフのババアだ!!」

 

 異形の怪物。人間という生き物の体の一部を材料にして作り上げられた不気味な物体。悍ましい狂気の産物に二人が怯んでいると、その老婆の顔がぎゅるんと音を立てて二人を見た。遅れて残る男性の顔と半分潰れた女性の顔も向けられる。

 

『ァー、ソンなに怯えるナ。害は加えナい』

 

 へしゃがれた三つの声が同時に響く。老婆のもの、青年のもの、そして金切り声に近い女性のもの。耳を劈く音色に二人が耳を抑えるのを見た異形の怪物が肩────肩だと思われる部分を竦める。

 

『ダから嫌だッタんだ』

「いやぁ、貴女のおかげで最っ高のタイミングでクトゥグアを殺せましたよ。もう地上に思い残す事は────まだまだ沢っ山ありますねぇ」

 

 三日月の様に口を耳元まで引き裂いた様な笑みを浮かべた青年神。紫色の髪を撫でつけ、異形の怪物に近づくナイアルにホオヅキが吠えた。

 

「お前もさっさと死ねさネ!」

「んん? ああ、貴女も居ましたか。いえ、今はどうでも良いですね」

 

 確かに貴女を壊すのも一興です。しかし今は貴女よりももっと壊したい人間(こども)が居るんです。そういって不気味に笑う彼は、異形の怪物の無数の腕に抱き込まれて持ち上げられる。

 人間の部品を使って作り上げられた怪物が溜息を零しながらもナイアルを壊れ物の様に大事そうに抱え持ち、男性の顔を二人に向け、微笑みの表情を浮かべた。

 

「悪いな、ウチの主神が迷惑をかけて」「これはどうにもならん(さが)なんだよ」「ユるしてトハ言わナイ」

 

 三つの顔が、それぞれバラバラに会話しだす。繋げてみれば一つの台詞、けれどもそれぞれの声色の差から不気味な怪物の叫びにしか聞こえず、最後に至っては金切り声でまともに聞き取る事も出来ない。

 

「では、行きましょうか────カエデ・ハバリとヒヅチ・ハバリを壊しに。二人が壊れたらどうなるのか、楽しみで仕方ありませんねぇ……もしかしたらもう壊れてるかもしれませんが」

 

 ケタケタと笑うナイアル。

 その姿にホオヅキが目を見開き、ヒイラギがナイアルを指さして吠える。

 

「姉ちゃん! あいつを()()

 

 『頭脳』が持ち得る能力。『白牙』に対する絶対命令権の行使。

 元『白牙』であるホオヅキも例外ではなく、ほんの一瞬、迷い無く────命令による増幅(ブースト)もあり、まさに瞬く間にナイアルを殺さんと鉈を振りかぶる。

 ドンッと地面が弾ける程の踏み込みを以て一瞬で近づいたホオヅキの鉈が、太い剛腕に防がれる。鉄製の手甲(アームガード)に守られた筋肉質の腕。火花を散らした次の瞬間には異形の怪物────【妖虫(シャン)】の胴体から生える無数の腕がホオヅキの胴体をからめとり、彼女を投げ飛ばす。

 

「ぐぁっ、なんで効かないさネッ」

「糞っ、逃げるんじゃねぇっ」

 

 ホオヅキを投げ飛ばした怪物は、次の瞬間には跳躍して一気に二人から距離を放した。カエデとヒヅチの居るであろう地点に向かって一直線────ホオヅキが身を起こしてヒイラギを背負い、歪な見た目とは裏腹に俊敏な動きで逃げていく異形の怪物と邪神の後を追った。

 



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『神罰』

『モールが発狂しちゃった』

『マジか、あの怪物なんやねん』

『神ですらゾワゾワするしね、あんなモノ、人の身じゃ耐えれないだろう』

『カエデが戦場に居るんやけど』

『僕の眷属もね、とはいえ近づけないし』

『あー……あ? なんや……って、ようやくウラノスが動いたんか』

『へぇ、ウラノスが……珍しいね』


 壊れ果てた武装が散らばる戦場。

 刃がぶつかり合い火花が弾け散る。

 片や瞬く間に数度の斬撃を放つ狼人の少女。真っ白い毛並みを激しく揺らし疾駆する小柄な体躯。手にした得物は手に余る程の大きさにも見える大刀。淡い輝きを宿した剣を以て、対峙した相手の魔法を叩き切り伏せる。魔法を無力化し、相手の倍の速度を以てしてなお、劣勢に立たされ続けていた。

 片や驚く程に動きのない狐人の女性。金色の毛並みを柔らかに揺らし踊っている。手にした得物は至って平凡にも見える太刀。纏っていた紫電は消え失せて効力を失っている。けれども相手の刃を掠らせる事すらせずに確かな反撃の元、魔法を無力化されてなお揺るがぬ優勢を保ち続けている。

 

「カエデ、お主は……いや、いい。このままではお主は負けるぞ」

「ぐぅっ……」

 

 一段と激しく飛び散った火花。

 真上に位置していた太陽はいつの間にやら真っ赤に燃え上がっている。夕焼けに照らし出された二人の交差、飛び散る火花の中に踊るカエデ・ハバリとヒヅチ・ハバリ。

 片や縦横無尽に駆け回り斬撃を放つカエデと、片やその場から動かずに迎撃を続けるヒヅチ。

 攻撃側たるカエデが優勢かと思えば、その攻撃のことごとくが迎撃され、終いには反撃をその身に受けかける始末。

 彼女が身に着けている防具である緋色の水干には無数の切れ込み。内に着込んだ鎖帷子(チェインメイル)はまるで紙切れの様に切り刻まれ、危うく肌を掠めてほんのりと血が滲み出ている。

 損傷(ダメージ)と言えるほどではないにせよ、このままでは文字通り()()()()()()。そう感じ取りながらもカエデに出来るのは()()()()()()()()()()のみ。

 その行動こそが自身の首を絞めているのだと気付く事が出来ていない。ヒヅチはそれに気付きつつも容赦のない斬撃を浴びせかけ続けていく。

 

「ほれ、次じゃ」

「まだ、行けるっ」

 

 火花が散り、カエデが身を翻す。

 ヒヅチの刃が少女の肩を浅く裂き、斬撃が血の軌跡を中空に描く。

 腕の動作に支障はないと即座に反撃に転ずるカエデに対し、ヒヅチは流れる様に刃を受け、胴を薙ぐ一撃を放つ。小回りの利いた、それでいて威力の乗った薙ぎ払いではない薙ぐ一撃。身を捻り回避する序と言わんばかりにカエデは百花繚乱を振るい薙ぎ払いを放つ。

 大刀を振るう遠心力をも利用し、ヒヅチの放つ薙ぎを回避しながらの反撃。その斬撃はヒヅチの頬を浅く裂くに留まる。

 二人の動きが止まった。

 

「ほぅ……」

「当たった……」

 

 嵐の様に斬撃を放ってなお一撃も届き得る事ない処か、反撃に放たれる斬撃にその身を浅くとはいえ切り裂かれ続けた弟子が、初めて一矢報いた。

 これにはヒヅチも初めて驚愕の表情を浮かべ、静かに微笑んだ。

 打たれる手は常に最善手。読みやす過ぎるその手、ヒヅチからしてみれば対処は容易いただの()()。難敵足り得ない劣った弟子でしかなかった彼女が、初めてヒヅチの読みを超えてみせた。

 回避したはずだ、寸分違い無く、掠める事すらしないはずの斬撃が当たった。

 カエデが何か失敗をしでかした結果、師の読みを上回ったかと考え、即座に否定する。ありえないと断じて再度構えをとる。

 

「よい、よいぞ……その調子じゃな」

「……ヒヅチ、止まっては、くれないんですか」

「戯れ言はいらん。刃で語れ」

 

 言葉を交わすよりも数多く、刃は閃き交じり合う。飛び散る火花は真っ赤に焼けた夕焼けを背景に幾度となく飛び散り、二人の姿を鮮明に映し出していく。

 刃は火花を散らし交差し、違わぬ願いは激しくぶつかり合う。

 片や止めんとし、片や殺されんとする。

 幾度目かの交差、ヒヅチの放つ斬撃は確かにカエデを削り取り。カエデの放つ斬撃は徐々にヒヅチの予測を超えていく。

 端から勝利を掴み取る気の無い師と、何が何でも勝利を掴まねばと抗うカエデ。勝敗等、当の昔に決まっていた。

 

 それは刹那の交差だった。

 

 ヒヅチが放った斬撃がカエデを掠め。カエデの放った斬撃がヒヅチの腕を浅く裂く。

 互いに飛び散る深紅の血潮が中空で交じり合う程の濃密な斬撃を互いに打ち出し合う。

 想いを押し通さんと交差する二人の刃が交じり合い────光の柱が弾けた。

 

 目の前の交差から視線を外したのはカエデ・ハバリで、目の前を見据え続けたのはヒヅチ・ハバリであった。

 

 瞬きすらできない程の刹那の時。ヒヅチの放つ刺突がカエデの胸を捕らえた。

 繰り出された刺突は、意識を逸らしたカエデの心の臓を抉る軌跡を描き、確かにカエデ・ハバリを絶命させるに足る一撃であった。

 目を見開き驚愕の表情のまま固まるカエデ。口惜し気に目を細めるヒヅチ。

 

「……ワシの負けか」

 

 ヒヅチ・ハバリが放った刺突は、カエデの身に着けていた鎖帷子(チェインメイル)に阻まれて肌に届いてすらいない。もし、もしもヒヅチ・ハバリが持ち得ていた神の恩恵(ファルナ)が生きていれば。

 先の光の柱の正体が、ヒヅチの主神が天界へ帰るモノでなければ。死んでいたのはカエデ・ハバリであった。

 

「時間切れの様じゃな。まぁよい……」

 

 ぐらりと、ヒヅチの体が揺れ、倒れ伏す。

 押し当てられていた太刀が転げ落ち、カエデが静かに身を震わせてヒヅチを見下ろした。

 深紅の血潮が溢れだし、真っ赤に染まった着流しを着込んだヒヅチは、微笑みを浮かべてカエデを見上げる。

 

「運がよい、お主の勝ちじゃぞ……さぁ、止めを刺せ」

「…………」

 

 ヒヅチの敗北宣言。

 勝っていた、ヒヅチ・ハバリは勝利を得ていた。カエデ・ハバリは確かに先の瞬間に絶命していたはずだ、なぜならカエデ・ハバリがそう判断したからだ。

 胸に感じる僅かな鈍痛は、本来なら心の臓すら貫き通すはずだった刺突によるものである。だからこそ、カエデはヒヅチの言葉を否定した。

 

「ワタシの、負けです」

「何を言うかと思えば、お主は……」

 

 口惜し気にヒヅチが土を握り、カエデに投げつける。

 目潰しとしても使われる土投げにカエデが驚き、眼を庇う間にヒヅチが再度起き上がり、大太刀を握り締めて振るう。先ほどまでの流れが嘘の様な、荒々しくも最期の力を振り絞ったかのような斬撃は、カエデが後方に飛び退いた事で目標を外れ、大地に突き刺さった。

 ズドンッと盛大に地面を割って突き立つ大太刀。カエデが悲し気に目を細めた先、刃を振り下ろしたヒヅチは静かに咳込み、顔を上げた。

 

「ケホッ……どうやら、限界みたいじゃのう」

「ヒヅチ……」

 

 呼氣法の反動。

 ほんの瞬く間の怪力を得る『烈火の呼氣』、ほんの瞬く間に身を鉄に勝る程に固くする『黒鉄の呼氣』、一瞬の時を駆け抜ける俊足を得られる『烈風の呼氣』。数多の呼氣法を凄まじい速度で切り替える事で第一級冒険者を翻弄していた反動が、今まさにヒヅチの身に降り注いでいた。

 神の恩恵(ファルナ)の加護を得ていたからこそ耐えれていたその反動が、恩恵を失った事によって一気に彼女の身を蝕んでいる。濃密な血の臭いが撒き散らされ、ヒヅチが咳込む度にその喉の奥から血が溢れだす。

 全身を染め上げる鮮血よりもなお紅い、生命の根源にほど近い深紅の血潮。

 生死に関わる程の深い反動を受けてなお、ヒヅチ・ハバリは生きている。

 『生命の呼氣』、生物が持ち得る生命力を息吹として循環を強制して再生能力を引き上げる呼氣。使えば生命力の総量が減り、寿命が削り落ちていくそれを使い、命を繋ぐ。

 せめて己が身を裁いて貰う為に、残りの寿命などくれてやるとヒヅチが顔を上げ────彼女の頭の上から万能薬(エリクサー)が降り注いだ。

 瀕死の重傷を負った者すら瞬く間に完全治癒するオラリオ最高峰の治癒道具。驚愕の表情を浮かべるヒヅチに、カエデが刃を向けて宣言した。

 

「生きてください」

「何を────」

「ワタシから、貴女に与える罰は、生きる事」

 

 死ぬな、生きろ。心の臓の音が途絶えるその瞬間まで

 

 師であるヒヅチ・ハバリが、弟子であるカエデ・ハバリに伝えた言葉。

 カエデ・ハバリを形成する中心軸。揺らがぬ想いを抱き続け、貫き通す覚悟の根源。

 それを与えたはずの師が、心の臓の音が途絶える前に死んで(諦めて)どうするというのか。カエデの問いかけにヒヅチが口元を歪め、膝を突く。

 

「ワシはな、お主が思う程……高等な人間等ではない」

 

 願いを貫く過程で数多くの犠牲を強いる様な、身勝手な人間だ。

 数多の下賤な者共の思惑に踊らされ、その過程で弱き者共を食い殺した、愚かな人間だ。

 裁かれねばならぬ。故に死を願った。終わりを願った。

 

「キキョウを守れなかった。ツツジを守れなかった。大事な者を、守れなかった」

 

 父も、母も、姉も、キキョウも、ツツジも、そしてカエデも。誰一人として守れなかった。

 残ったのは想いの積み重なった残骸の様な生きた屍。犯した罪を背負い生きる、愚かな成れの果て。

 

「それでも、ヒヅチはワタシの師です」

 

 真っ直ぐ、一切揺らぎなくヒヅチの瞳を射抜く深紅の瞳。

 揺らぎない意志を感じさせる瞳の前に膝を突いた彼女は、静かに微笑んだ。

 狂気に彩られた精神を、一瞬で塗り替える程の想い。

 己が身を罰せよ、その想いだけは今なお変わりなくとも、罰する方法は変わった。

 罪には罰を、罰としての贖罪を、贖罪は生きていねば成せぬ。故に、生きなくてはいけない。

 真っ赤に焼けた大地に視線を落とし、身を震わせて刃を持ち上げる。震える足で立ち上がり、彼女はカエデに背を向けた。

 

「ああ、ならば生きねばならぬのか。儘ならぬ世の中よ……」

「……うん、思い通りにならない事ばっかり」

 

 カエデがヒヅチの隣に並び立つ。

 

 父が、母が、姉が死にさえしなければ。狐人達の生み出した狂気さえなければ。赤子の屍すら利用しだす程に追い詰められなければ、自らが帝の思惑に気付いていれば。もっともっと優れた調合技術さえあれば。あの土砂降りの大雨の中で足を滑らせなければ。

 キキョウ・シャクヤクを死なせずに済んだ。

 ツツジ・シャクヤクを死なせずに済んだ。

 数多くの命を奪わずとも済んだ。

 

 自らが白子でさえなければ。過去に精霊に頼り血族に業を背負わせなければ。もっとステイタスが高ければ【ロキ・ファミリア】の仲間を助ける事ができたのに。しっかりと彼の虎人と言葉を交わしていれば、もしかしたら和解できたかもしれないのに。牛人の狂気を払う方法を見つけ出せていれば頸を刎ねる事は無かったかもしれないのに。

 アマゾネスの女性、ドワーフの男性が死んだ。守り切れなかった。

 アレックス・ガードルが自滅した。目の前で焼け崩れていく姿を見ずに済んだ。

 アレクトルの首を刎ねた。自身の刃が彼の頸を刎ねる感触を味わわずに済んだ。

 望まぬ戦いに身を投じる必要も無かった。

 

 生きて(歩んで)きた過去には、望まぬ事ばかりが積み上がっている。

 そして、きっとこれからも、ずっと変わりないのだろう。望んでいなくとも、望まなくとも、切望した所で、きっと望む未来は望んだままにはやってはこない。

 

「ヒヅチ、あの怪物は何なんでしょうか」

「さぁの、ワシにはわからん。気色の悪い化け物じゃな」

 

 望んだ未来があった。もしも、叶うならば、望みが全て叶う様な夢を見ていたかった。

 父と母が健在で、姉と共に研鑽を積み続けて、狐人は狂気に狂っておらず、怪物を掃討し終えて平穏な世界。

 平穏で平凡な日常。黒毛を揺らして蒼眼で美しい世界を見据える事が出来る世界。

 もしそんな世界に辿り付けるなら、どんな犠牲すらも容認できる。それが叶わない事等、百も承知。

 願って、祈って、望んで、その先に道はない。あるのは荒れ果てた荒野だけ。

 数多の障害立ち並ぶ人生を歩む為に、刃握る他無い。だから(ヒヅチ)は、弟子(カエデ)は望みを叶える為に刃を握るのだ。

 

 ズドンッと巨体が降り立つ。途端に微かに漂っていた不愉快な腐乱臭がどっと溢れかえる。

 四方に伸びる人間の足。足甲を身に着けた男性の足もあれば、細い骨のみにも見える足もある。

 七本の腕が人間の胴体に当たる部分から生えている。それぞれが独立して動いている様にも見える、生理的嫌悪感を湧きたたせる姿。まるで蠢く蟲の足を思わせるその腕。

 胴体はまるで妊婦────妊婦を通り越して異常な程に膨れ上がっている。

 そして肩らしき部位の上に乗っかる、三つの頭。一つはハイエルフの老婆、カエデが止めを刺し、屍を放置した彼の人物の頭。もう一つはヒヅチが知る男の者、副官として動いていた事しか知らない。最後の一つ、半分潰れた女性の頭。

 三つの首がゴキャゴキャと不気味な骨の軋む音を響かせ、合計で五つの目がカエデとヒヅチを捉えた。

 

「ふむ、成る程。ナイアルの馬鹿め」「狂気を払われているじゃないか」「コワすとカ、ムりだロ」

 

 人語を介した怪物にカエデが驚きの表情を浮かべ。

 ヒヅチが舌打ちを零して目を細める。

 

「人体錬成、というよりは合成か。おいおい何処でその技術を得た」

 

 妖術を扱える頭脳を持つ狐人。怪力を扱える剛腕。風の様に大地駆ける俊足。どんな攻撃にも耐えうる鋼の胴体。全てを切り分け、紡ぎ合わせたら最強の戦士が出来るのではないか。そんな発想より生まれた狂気の産物。

 優れた部位を切り分け、張り付ける。そうして出来上がるのは不気味な化け物でしかない。

 

「カエデ、あの怪物は強いぞ」

「……ヒヅチは下がってて」

「言われずとも、ワシはもう戦えんのでな……おい其処の小娘、隠れとらんで出てこい」

 

 ヒヅチの言葉が向けられたのは倒れ伏す無数の屍の中の一つ。息を潜め死んだ振りを続けていた猫人の少女がひょっこりと顔を上げ、頬を引き攣らせつつも立ち上がって腰の曲剣(カットラス)を掴み取った。

 オッドアイの瞳を揺らす灰毛を血で染めたモール・フェーレースが反対の手に握り拳程の爆薬の詰まった陶器を片手に声を震わせる。

 

「いやぁ、隙を見て……とは思ってたけど。全て解決する寸前に化け物が現れるとか勘弁してよ」

「良いからお主はカエデの援護をしろ、ワシは役立たずじゃぞ」

「どうして其処で威張っちゃうかなぁ」

 

 第二級(レベル3)程度のステイタスで第一級冒険者を何十人も倒す事が出来る技量があれば、神の恩恵(ファルナ)無しでもある程度戦えそうなモノではあるが、確かに万能薬(エリクサー)を使ったとはいえ既に疲労困憊に等しいヒヅチは戦いに参加するのは難しいだろう。

 内心納得しながらもモールは表情を歪めて手にしていた陶器榴弾を投げつけて駆け出す。

 

「爆発するぞーっ」

「しっ」

「ワシは下がるかのう……」

 

 爆炎に交じって飛び散る陶器の破片。怪物は特に怯むでもなく破片を体中に突き刺されながらも蠢き、ヒヅチ目掛けて一直線に駆け出していく。

 その直線上に身を置いたカエデが腰だめで百花繚乱を構え、居合切りを見舞う。

 駆け抜けた一閃が怪物の腕を二本斬り飛ばすも、化け物は一切怯む事なくカエデを跳ね飛ばさんと駆け抜けようとし────その過程で切断面から零れ落ちた蛆虫を見たカエデが小さく悲鳴を零して一瞬で身を翻した。

 畏怖というよりはただただ気色悪く、精神を蝕む醜悪さを持った化け物。腕を二本斬り飛ばされてなお怯みすらしない強靭さにヒヅチが舌打ち。

 恩恵を失って戦闘能力の殆どが失われた彼女では逃げる事も叶わない。カエデにも止められず、モールではそも身体能力不足で相対すらできない。

 迫りくる醜悪な怪物に対し、ヒヅチは小さく微笑みを零した。

 

「お主のそんな姿は見たく無かったぞ、幼きエルフの姫よ」

 

 かつて共に戦場を駆けた古き仲間。

 千年前はヒヅチの方が年上で『小娘』呼ばわりしていた老婆の顔を見据え、ヒヅチは手を差し向けた。

 詠唱を必要としない古の魔術。現代魔術とも旧式魔術とも違う、正真正銘の古の魔術。

 差し向けられた指先から放たれた真空の刃が弾け、老婆の首が斬り取られて中空を舞う。

 

「人の友を愚弄する真似をしおってからに。ほれ、カエデ────今じゃぞ」

「わかってるっ」

 

 カエデの振るう百花繚乱が化け物の足を二本斬り飛ばし。反対の足をモールが切りつけ、刃が引っかかって止められる。

 カエデが切り捨てた二本は足甲もろとも叩き斬ったのに対し、モールの方は骨張った痩せ細った足ですら斬り落とせなかった。口惜し気にというよりは悍ましい物に触ってしまったとでもいう様な表情でモールが絶叫を上げて転げ回る。

 その姿だけで精神を蝕み、刃を届かせるだけでその者を狂気に落とし込む怪物。モールが一瞬で正気を失ってその場で手足を振り回してのたうち回るのを目にしたカエデが目を見開き、ヒヅチが舌打ち。

 

「カエデ、気をしっかりと持て。()()()()()()()ぞ」

「わかったっ」

 

 ヒヅチが腕を振るうと、モールの体が跳ね飛んで戦場外へと跳ね飛んでいく。彼女の仲間に回収される事を祈りつつもカエデが再度刃を振るい、尻尾の毛を逆立たせて刃が触れ合う瞬間に飛び退いて回避した。

 ほんの一瞬遅れて、カエデがいた場所に向けて蛆虫と腐肉の交じり合った醜悪な汚泥が降り注ぐ。

 鼻がひん曲がりそうな程の臭気を振り撒く醜悪な化け物。

 【ナイアル・ファミリア】、正真正銘最後の一人たる【妖虫(シャン)】は斬り落とされた腕を見て溜息。

 

「まっず、普通に倒されるぞこれ」「ヤッぱり、勝ツとかムり」

 

 カエデが荒い息を零す中、ヒヅチが目を細めて刃の切っ先を化け物に向ける。

 丹田の呼氣が使えるからこそ、二人は正気を保ちつつも戦い続けているが、他の者では真面に打ち合う事も出来ずに敗北するだろう。

 モールの様に、斬りつけた瞬間に醜悪な化け物の異能によって狂わされる。

 かくいうカエデとヒヅチも、すでに精神は擦り切れる寸前。次の斬撃でカエデも狂気に堕ちるだろう。

 泣き叫ぶか、無気力になるか、それとも自らの命を断つか。狂気に堕ちればまともな行動は起こせない。それすなわち死を意味する事である。

 

「ヒヅチ、斬ると……気持ち悪くなる」

「じゃろうな、肉を断つ感触だけで気を狂わせてくるじゃろうな」

 

 腕二本、足二本。たったそれだけを切り捨てただけで脳髄を蟲が這いずり回る様な感触に侵される。

 そして、戦場に振り撒かれる腐敗の進んだ屍の臭いも、その人の尊厳を冒し尽くして余る醜悪な見た目も、その全てが狂気を振り撒く素材の一つとして利用されている。

 斬ればその感触が、傍に居れば臭気が、視界に入れば見た目が、全てが狂気を孕ませてくる。

 

「……ヒヅチ、時間稼ぎをお願いします」

「おいおい、それは無理じゃぞ」

 

 斬撃の感触を手に残す事なく切断という現象を引き起こせる装備魔法。耐久無視の効果を持ち得る『氷刀・白牙』であれば何の問題もない。そう判断したカエデの頼みにヒヅチが眉を顰める。

 一度狂気に堕ちていた身、もう一度堕ちれば戻ってこれるかがわからない。そして時間稼ぎといってもヒヅチは手にしていた最後の魔力の源たる欠片すらも使い果たして何もできない。

 恩恵も失って今は人の子に落ち込み、呼氣法もこれ以上使えず。当然、古の魔術ももう打ち止め。ヒヅチはただの役立たずでしかない。故に、溜息を付いたヒヅチは小さく呟く。

 

「すまんな、貸し一つじゃ……ホオヅキ、頼んだ」

「任せるさネッ!」

 

 威勢の良い返事と共に怪物の胴体に細腕が突き刺さる。

 ズドンッと衝撃波すら伴う轟音の一撃。顔を真っ赤にして酔っ払ったホオヅキがケタケタと狂気と泥酔で嗤いながら化け物を掴み込み、抑える。

 

「うわっ」「コいツッ」「離れろ糞っ」「ヤめてクれッ!?」

 

 化け物が交互に、聞き取れる男性の声と、聞き取れない甲高い音色を響かせる。

 残った手足を振り回してホオヅキを引きはがさんとするも、彼女は手にした瓢箪を砕き割って頭から酒を被り吠える。

 

「死ね化け物ッ!」

「カエデ、今の内じゃ、ホオヅキが押さえておる間になんとかしろ」

 

 ヒヅチの言葉を聞いたカエデが集中し、両手を前に突き出し詠唱を開始する。

 

「【孤独に(凍えて)眠れ、其は孤独な(凍て付く)氷原。月亡き夜に誓いを紡ごう。名を刻め、白牙は朽ちぬ】」

 

 冷気が弾け、カエデの周囲の大地が凍り付く。

 化け物の体から零れ落ちた蛆虫がキィキィと耳障りな悲鳴を上げる中、ホオヅキが腐った肉片を胴体から引き摺りだし、腐り蛆虫の湧いた臓物の中から汚泥に塗れた上半身を引っ張り出していた。

 

「ぐわぁ~、やめてくださいよぅ」

「お前だけはカエデに殺させないさネッ!」

 

 化け物の体内に潜む事で、化け物が殺された際に同じ様に倒され、結果として『神殺し』の大罪を擦り付けようとしていたナイアルを綺麗に引っこ抜いたホオヅキが臓物塗れのナイアルを投げ飛ばす。

 ドチャリと腐乱臭塗れのナイアルが地面に叩き付けられる。彼は肩を抑えながら身を起こし、ヒヅチ・ハバリを見上げて顔を不愉快そうに歪めた。

 

「うわぁ、貴女、狂っていたのに狂ってないじゃないですか。あーあ、だから嫌なんですよ。人って、時々想像を超える様な()()()()()()んですからぁ、もう」

 

 不貞腐れた彼は今まさに殺されんとしている自らの最期の眷属を見て、嗤った。

 

「【妖虫(シャン)】、貴女はなかなか面白い眷属でした」

「ふざ」「ケるなァッ!!」

 

 肉片を飛び散らせて怒声を響かせる化け物。化け物にまで落としこまれ、人としての尊厳すらも失って、それでも主神の為にとその身を散らし逝く眷属を前に、ナイアルはケタケタと嗤う。

 

「あぁ、眷属の死とはこうでなくては」

 

 足掻く化け物。

 そのすぐそば、冷気の刃を手にしたカエデ・ハバリが大きく刃を振りかぶっていた。

 いつの間にか詠唱を終え、身の丈を遥かに超える美しい氷剣を手にしたカエデが、叫ぶ。

 

「ホオヅキさん退いてくださいっ」

「わかったさネッ!」

 

 ホオヅキが身を翻して怪物を蹴っ飛ばす。腕が二三本千切れ飛ぶ中、バランスを崩した怪物目掛け、カエデ・ハバリが握りしめた氷の刃が振り抜かれた。

 音は無い。斬撃の音すらなく、綺麗に両断された怪物の胴体。

 断面は冷気で凍り付き、綺麗な断面を晒している。苦痛は味わわなかったのか残っている男性の顔と、半分潰れた女性の顔は苦痛に歪む事なくナイアルの目の前に零れ落ちてきた。

 怪物の体を構成していた糸が途切れ、バラバラに解体されて残骸が散らばり、戦闘の終了を伝えてくる。

 余韻に浸るカエデが静かに刃を消し、冷気を払い飛ばす。荒い息をついたヒヅチが肩から力を抜き。ホオヅキが腕にこびり付いた腐臭巻き散らす肉片を摘まみとって鼻を歪める。

 誰が真っ先に言葉を放つのか、カエデはヒヅチの言葉を待ち、ヒヅチはホオヅキに助けを求め、ホオヅキはそれを無視している。誰かが言葉を放たねば進まぬというのに黙り込む三人。

 そんななか陽気な声が響き渡った。

 

「あー、死んじゃいましたか。ま、元から死んでたみたいなもんですけど……どうしてホオヅキちゃんは私があの怪物の体の中に隠れてたのに気づいたんです?」

 

 まるで、何事もなかったかのように立ち上がったのは神ナイアルである。

 腐肉の中に身を潜ませていただけあって、彼は頭の先から爪先まで腐臭に塗れて不愉快な姿をしている。頬を伝う腐肉から染み出た腐った血を舐めとり、蛆虫を舌先で転がして前歯でプチリと噛み潰す。

 面白おかしく、狂気の中で見つけた正気に縋りついて神ナイアルを頼った結果。最終的に人としての尊厳すら失って散っていった眷属があまりにもおかしくて、そして後少しで成し得たカエデに『神殺し』の大罪を背負わせるという目論見が失敗した事で、嗤いながらも涙を流す神ナイアル。

 両手を広げて問いかけた彼に対し、ホオヅキが腕を振るって血肉を払い落としながらつぶやいた。

 

「お前のやり口は、気に食わないぐらい知ってるさネ」

「ほぅ、つまり私と貴女は相思相愛という訳ですね? どうですか、私の眷属になりません? 今すぐカエデちゃんを八つ裂きにしてみましょうよ? 楽しそうじゃないですか? いや、絶ぇっ対愉しいですって!」

「寝言は寝ていえ、戯けめ」

 

 ナイアルの誘いに唾を吐きかけたのはヒヅチ・ハバリであった。

 気だるげに髪をかき上げて汚泥塗れの邪神を睨んだ狐人に対し、邪神はケタケタと嗤う。

 

「いやぁ、そういえば貴女、主神を失ったんでしたっけ? でしたらどうです? 貴方の目的はカエデちゃんに殺される事でしょう? でしたら私の手をとるとよいですよ。即座に恩恵を差し上げましょう、序にカエデちゃんに貴女を殺す様に説得だってしてあげますよ」

「何があっても、ワタシがヒヅチを殺す事はありません」

 

 ナイアルの言葉をカエデが即答で切り捨てる。

 幼い狼人の力強い紅い瞳を見据えたナイアルが困った様に肩を竦める。

 

「嘘でしょう、嘘ですね? 貴女は殺す。殺しますとも、だってアレクトルは殺したでしょう? アレックスだって貴女の手で────あー、時間切れって奴ですか」

 

 ナイアルの周囲に光の粒子が舞い散り始める。

 神威に満ちた光がナイアルを捕らえ、逃亡不可能な牢獄を作り出す。

 オラリオの街の方向より荘厳な鐘の音が響き渡り。神ナイアルへの判決が神々しく響き渡った。

 

『神ナイアル────数多の罪を重ねた邪神よ』

「あはは、久っしぶりですねぇ。えっと、誰でしたっけ?」

『神が地上で起こすには重すぎる罪科を重ねた。余りにも愚かで、余りにも目に余る』

「だれだってやってる事じゃないですかぁ? エニュオ君とか今も元気一杯に狂乱(オルギア)目指して頑張っているっていうのに、どうして私だけこんな目に遭わなきゃいけないんですかねぇ」

 

 最後の最期まで、彼の邪神は笑い嗤い、小首を傾げながら天から響く声に問いかけ続ける。

 

「貴方達だってそうでしょう? 自分のやりたいことがあれば、それを優先する。過去に地上に降り立った時、地上の英雄と刃交える羽目になった事、忘れたとは言わせませんよぉ?」

『神ナイアル、此処に罰を告げる』

「ありゃぁ? 人の話を聞かないんですかぁ?」

 

 煽る様な、ねっとりとした粘つく声を響かせる神ナイアルが、静かに見つめるカエデ達を見据え、小さく微笑んだ。

 

「あーぁ、貴女たちの勝ちですね。おめでとうございます────まあ、適当に幸せになってください」

 

 その幸せも、死ねば消えますけどね。そんな捨て台詞を残し、神ナイアルは天界への送還という罰を受け、地上から消え去った。



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『別れの言葉』

『ホオヅキ、キミは良かったのかい?』

『んんー……アチキはぁ、あの二人は眩し過ぎるさネ』

『行けば良かっただろ』

『無理さネ。アチキは弱虫だし』

『……はん、ばかばかしい』

『良いさネ。アチキはアチキで後で思う存分、別れの挨拶をするさネ。今は、ヒヅチ達の時間さネ』


 雑多な商品が棚に納められた店内。

 ぼんやりと棚に収められた物品を眺める猫人の少女が尻尾を揺らしながら、ぽつりとつぶやきを零す。

 

「平和だなぁ~」

 

 【恵比寿・ファミリア】の店舗の内の一つ。

 邪神の策略によって輸送船団が悉く破壊されつくし、何も入っていない空っぽの棚が目立っていた商品棚には、いまや溢れんばかりの商品が並んでいる。

 食料品に日用雑貨品。そのほか、オラリオにおける違法品以外ならなんでも手に入る汎用雑貨店。恵比寿商店の一角に腰掛ける灰色の毛並みに虹彩異色(オッドアイ)の少女。焦点は何処かずれており、ふとした瞬間に小首をかしげては店内を見回す。

 店先から覗く大通りを駆け回る神々を見た少女、モール・フェーレースは欠伸をしながら目を擦り、小さく呟いた。

 

「あー、あの狐人の……ヒヅチだったかな。彼女関連がまだ荒れてるんだっけ?」

 

 駆けずり回る神々の目的を察した少女は小さく伸びをし、畳が敷かれた小さな台の上に寝転がって枕代わりに近くに置いてあった紙束に頭を乗せ、紙束の最も上にあった紙面を流し読み、溜息を零した。

 

「そっかぁ、ボクって世間的には死んじゃってるのかぁ。まぁちょっと発狂してたしなぁ」

 

 枕代わりにした紙面に書かれた見出し。【トート・ファミリア】が発行する神様新聞にでかでかと書かれた見出しの一文。

 

『古代の英雄の生き残り。オラリオへ』

『【恵比寿・ファミリア】の招き猫、片割れのモール・フェーレース死亡!?』

『【ロキ・ファミリア】の【生命の唄(ビースト・ロア)】、第一級(レベル5)冒険者に』

 

 記載された複数の見出しを見つめ、モールは静かに目を閉じた。店子兼バイトの少女が気遣う様に覗き込んで来たのを小さく手を振って追い払う。

 

「ボクの事は気にしないで良いよ。お客が来たらたのむよー」

「あっ、はい」

 

 店子の少女がせっせと忙し気に店内の棚に商品を詰め込んでいく。

 つい一週間ほど前、とある邪神の二柱が天界へと送還される事になった。

 彼ら二人は、互いが互いを憎み合いながらも、息の合った行動でオラリオに不利益ばかりを被らせ、つい最近までオラリオを壊滅させかねない被害を出していたのだ。

 その二柱が天界へと送還されて以降、ここオラリオでは平穏な日常が取り戻されつつある。

 彼女、モールもそんな平穏な日常に溺れそうになっている一人であり、つい昨日、正気を取り戻してこうやって店の一角で置物代わりに寝ているのである。

 長らく続いた狂乱騒ぎも終わり、日常を取り戻した【恵比寿・ファミリア】では連日入荷した商品を棚に並べる作業に追われている店子が目立つ。彼女らは騒ぎで家を失ったり、職を失ったりした者達の一部であり、危うく【イシュタル・ファミリア】の娼婦に堕ちる寸前で恵比寿が救った子達である。

 恵比寿曰く『娼婦を悪く言う積りはないけど、望まない娼婦はねぇ』とのこと。彼女らは恵比寿の胡散臭い笑みに何を見出したのか、恵比寿に惚れているらしいという事をモールは知っていた。

 だからといって別に嫉妬したりはしない。むしろ良くあんな恵比寿に惚れたなぁと感心しながらも必死に店の為に働く少女のお尻をぼんやりと眺め、自分の尻尾をちらりと見て溜息。

 

「うわぁ~……誰かのお尻を見るたびに尻尾の事思い出して凹む……」

 

 半ば程で千切れた尻尾。もっと色っぽい鉤尻尾だったはずなのに、肝心の先端が千切れ取れており、色っぽさ半減。顔立ちからして『幼い』等と評される事の多いモールからすれば、せっかくの大人っぽい色気のあった尻尾を失ったのは致命的過ぎる。結果として実年齢より低い扱いをされる事が増え、今年で二十を超えてなお、まだ子ども扱いされる事があるのだ。

 そんな自身の尻尾の先端を摘まんだ彼女が苛立たし気に耳を震わせる中、店子の少女が慌てたように棚を漁っている姿に気付き、モールが身を起こした。

 

「うみゅ……んん? お客さんかな?」

「あ、なんだ居たんだ。って、アンタ死んだって言われてなかったっけ?」

 

 モールよりも色の濃い灰色の髪を揺らした、どこか気の強そうな印象を抱かせるヒューマンの女性が起き上がったモールを見て驚きの表情を浮かべた。

 彼女は笑顔を浮かべつつ、やっぱ自分は死んだことになってるのかぁと内心溜息を零しながら立ち上がり。彼女を出迎えた。

 

「いらっしゃい、ファミリアの遣い? それとも個人かな?」

「個人よ、ちょっと雑貨品をね」

 

 店子が漁ってきた日用雑貨品を確認し、欲しい物を示して袋詰めしてもらっている女性。灰色の短髪を揺らすグレース・クラウトスの姿を見つつも、モールは小首を傾げつつ問いかけた。

 

「ロキの所はどうなの? ウチは結構忙しいけど」

「んー? あー……ヒヅチ・ハバリって居たじゃない? カエデの師匠の、あれを派閥で引き取ったみたいなんだけどどうもねぇ」

 

 【クトゥグア・ファミリア】の眷属として、『神殺し』を掲げた軍団を率いてオラリオに攻め入った罪人として捕らえられたヒヅチ・ハバリ。

 元は古代の英雄の一人であり、数多の禁忌ともいえる技法を収めた狐人の戦士。自らの命すら削り取る様な異常な戦闘方法をとる事で第二級(レベル3)でありながら最強(レベル7)を沈めて見せた偉業を成した人物。

 彼女は現在【ロキ・ファミリア】の派閥に改宗(コンバージョン)して、神ロキのもとで過ごしている。

 様々な派閥からロキのもとへ文句が溢れ返ったが、ロキはそれを一蹴。そも【クトゥグア・ファミリア】の企みを阻むことに成功したのはロキの眷属による功績である。序に言えば邪神ナイアルの方も彼女の眷属によってあぶりだされたおかげで、神ウラノスによる天界への送還が成功したのだ。

 つまりは此度の大騒動の終息は【ロキ・ファミリア】の多大な功績によるものである。

 その功績を理由に、今回の主犯格────ヒヅチを勝ち取ったのだ。

 主犯とはいえ、彼女自身の落ち度は彼らに捕まり、操り人形にされていた以上の事は無い。彼女が数多の村や町、そして【恵比寿・ファミリア】の飛行船を撃墜し続けてきた罪については、操られていただけという理由で無効となっている。

 とはいえ本人自身はその罪は己が身にあると言い張っているモノの、それらは神々によって一蹴されている。

 結果、彼女は最終的に【ロキ・ファミリア】の眷属として神ロキに引き取られる事となった。

 

「ふぅん、それで?」

「あー……カエデがランクアップして第一級冒険者になったでしょ? で、もう冒険する必要ないやーってなってからぐーたらし始めて……」

 

 カエデがオラリオに来た目的は『神の恩恵(ファルナ)を得て、器の昇格(ランクアップ)によって短すぎる寿命を延ばす事』である。

 第一級冒険者になって一週間。今までは休んだ方が良いという忠告を無視する勢いで努力を積み上げていたカエデは、反動からか全く動かなくなってしまった。

 正確にいうなれば、自分から何かしようとはしなくなったというべきか。

 

「……うん? ちょっと話が見えないかも。ヒヅチ・ハバリを引き取って、カエデちゃんが引きこもりになったって事?」

 

 カエデ・ハバリが引きこもりになった。理由はこれ以上の器の昇格(ランクアップ)が必要ないから。

 それとヒヅチ・ハバリに何の因果関係があるというのか。モールのその質問にグレースが溜息を零した。

 

「あの、ヒヅチって人さぁ……カエデに甘いのよ……カエデがやりたくない事は全部自分が肩代わりして……」

「えぇっと……カエデちゃんの引きこもりが加速してると?」

 

 正確に言えば異なるが、ほぼ正解を言い当てたモールにグレースが頷いて深い溜息を零した。

 今まで努力に努力を重ね続けた反動が今この場に出ているだけであり、カエデは悪い事をしている訳ではない。それこそ、カエデはいまだに幼い子供でしかないのだ。ヒヅチが甘やかすのも当然であるが。

 

「んー……問題ないんじゃないかな? カエデちゃんがどういう状態か知らないけど、あの子って自制が効く方でしょ? キミと違って」

「……喧嘩売ってる? まあ、カエデは動かないっていうよりは何したら良いのかわからなくなってるだけみたいなんだけどねぇ」

 

 昨日は日がな一日、庭園の一角の長椅子に腰掛けてぼんやりと日差しを浴びていたし。その前は食堂の一角で一日中野菜スティックを齧り続けていたりと、どこか壊れたというよりは、疲れを癒すにしても極端過ぎる行動が目立つ。それでいてカエデの身の回りの世話はヒヅチがそれとなく焼いているため、彼女のやる事はほぼ無いに等しい。

 

「というか、ヒヅチ・ハバリはもう馴染んでいるのかい? そっちの方が驚きというか、なんというか」

「あぁ……馴染んだ訳じゃないわよ?」

 

 【ロキ・ファミリア】の団員達にとってヒヅチ・ハバリは浮いた人物だ。

 古代の英雄の生き残り。最強を下す強者。超人めいた雰囲気を醸し出す人物。そんな者に親し気に話しかけられる者はほとんどいない。

 唯一というよりは、カエデが親し気に話すのと、空気を読まないペコラが話しかける程度。他には雑務で話しかける以外には特に交友がない。

 

「団長曰くだけど、人と会話するのが苦手らしいわ」

「へぇ……割と口数の多い方だと思ってたんだけどなぁ」

 

 何気ない雑談を繰り広げる中、店子の少女がようやく商品の袋詰めを終えたのかグレースに声をかける。

 それにこたえつつ、代金を支払ったグレースはモールの尻尾を見て呟く。

 

「あんたの尻尾って、そんなに短かったっけ?」

「……聞かないでくれないかな」

 

 狂気を患っているさ中に自分で噛み千切りました。なんて素直に口にする訳もなく、モールは不貞腐れた様に返す。それを見て首を傾げたグレースは小さく店子の少女に礼を言ってから、手を振って店を出て行く。

 

「それじゃ、アタシは帰るわ」

「ん、じゃあねー。またのご来店をお待ちしていますー」

「ありがとうございましたっ」

 

 灰色の短髪を揺らして袋片手に出て行ったグレースを見送り、モールは小さく吐息を零して天井を見上げた。

 

「はぁ、無気力ねぇ」

 

 頑張り過ぎた反動で無気力気味になっているらしいカエデ・ハバリ。

 彼女同様に無気力になってしまった自らの主神を思い浮かべたモールは小さく溜息を零した。

 

 

 

 

 

 【ロキ・ファミリア】本拠、カエデ・ハバリはぼんやりとヒヅチと共に談話室のソファーに腰掛けていた。

 時折、団員が通りかかっては驚きの表情を浮かべて足早に去っていく姿を見送っては、ヒヅチが本を捲る音だけが響く談話室でぼんやりとしている。

 余りにも平穏過ぎる日々。つい一週間ほど前にあった血みどろの戦場が嘘の様に、平穏が戻ってきた。

 無論、オラリオから真東に向かえば、未だに残る戦場の爪痕が残っている事だろう。けれどもオラリオの街中はまるで何事もなかったかの様な平穏さを取り戻しつつある。

 本を捲る音が響く中、ヒヅチは特に何か言うでもなく、カエデも何か言葉を放つでもなく寄り添うというよりはぴったりと身を寄せ合って過ごしていた。

 鬱陶しそうに引き剥がすでもなく、傍に居るカエデを邪険に扱う訳でもなく。けれども傍に居る事を一切意識していない様なヒヅチの振る舞い。

 対するカエデもヒヅチに意識されていない事を気にするでもなく、傍に寄り添う様に過ごすのみ。

 その光景は何処か歪で、それでいてパズルの欠片がぴったりと嵌ったかのような調和のとれた光景であった。

 何をするでもない、ただ無為に過ぎ行く時間を眺める。

 きっと、今までの自分なら決してこんな事はしなかっただろう。そう確信しながらもカエデはヒヅチの尻尾に顔を埋めて呟く。

 

「暇です」

「……ふむ、そうじゃな」

 

 暇だ。そんな感情を抱いたのは初めてだった。

 今まではずっと何かに背を追われ続けて焦ってばかりいた気がするのに。第一級(レベル5)に至って十二分とまではいかずとも、普通の人と同じだけの寿命を手にして、その上で母として、師として慕い続けてきたヒヅチと共に過ごせるようになった。

 本来なら、もっと神々との諍いすら想定して身構えていたカエデに対して、ロキは簡単にヒヅチ・ハバリの身柄を奪い取って、なおかつほかの神々を黙らせてみせた。結果としてカエデが身構えていたのは無駄に終わり、こうやって無作為に過ぎていく時間を過ごす事になっている。

 不満がある訳ではない、ただ、何をしたら良いのかわからないのだ。

 寿命を手に入れたら、やりたい事が数え切れないぐらいあった気がするし、夢見ていた事が叶ったのだ。さぁ何をしようかと考えてみたところで、カエデはふと自分が何をしたいのかわからなくなっている事に気付いた。

 

 短すぎる寿命をどうにかしたい。どうにかしたら、やりたい事がいっぱいある。ヒヅチを取り戻したい。会いたい。

 

 短すぎる寿命の問題は解決した。

 何をしたいのかわからなくなってぼんやりする事が増えた。

 ヒヅチを取り戻して、会話を交わして……やりたい事がいっぱい、あったはずだ。

 

「……何をしたら、良いんでしょうか」

「それをワシに聞くのか?」

 

 久々に会えて、話したい事がいっぱい、数え切れないぐらいあったはずだ。そうであるはずなのに、いざヒヅチと時間を共にしてみると、これが何を話していいのかさっぱりわからなくなる。

 いざ有り余る時間を与えられて、やりたい事がわからなくなって、ヒヅチとの会話もろくにできていない。

 グレースが『何か欲しい物ある?』と聞いてきたのはなんとなく覚えてる。今朝の出来事だったはずだと思い浮かべたカエデがふと時計を見れば、すでに二時を過ぎ、もうすぐおやつの時間だと気付いて吐息を零し、ヒヅチの尻尾を抱きしめてぐりぐりと鼻を押し当てる。むず痒い感触にヒヅチが眉を顰め、本の頁を捲る音が乱れる。

 ヒヅチの方から何かを語る事はない。聞かれた事は答えるのに、聞かなければ何も口にしない。

 カエデが求めれば、今のヒヅチは何でも教えてくれる。けれども聞く気になれなかった。

 村での出来事、カエデが産まれた日の事、ツツジ・シャクヤクの事、キキョウ・シャクヤクの事、様々な事を聞きたいと願い。ずっと待ち侘びた機会がやってきて、けれども聞く気になれなくなって何もできなくなった。

 

「ヒヅチ」

「なんじゃ」

「……なんでもない」

「そうか」

 

 ヒヅチが【ロキ・ファミリア】にやってきてから、すでに五日が経過している。

 彼の邪神が企てたオラリオ転覆を狙った恐ろしい一連の出来事。邪神の天界への送還を以てして終わりを迎えた。その一連の流れの中で、様々な経験をしたカエデは、ナイアル送還を見届けた直後に昏倒。

 今までの疲労が蓄積されていたのか、綺麗に気絶して倒れ────三日ほど眠っていた。

 その間に全ての出来事はロキの手によって終息しており、気が付けばヒヅチが眠っていたカエデの傍で本を読んでいた。

 聞きたい事、言いたい事、語り合いたい事、やりたい事。すべてが滅茶苦茶で、混ざり合って、何をすればいいのかわからない。

 

「ヒヅチ」

「なんじゃ?」

「…………」

「どうした?」

 

 名前を呼べば、即座に返事が返ってくる。今までずっと離れていた分、こうやって返事が返ってくる事に若干の違和感を感じとり。ヒヅチの尻尾をぎゅーっと抱き締める。ヒヅチが身を震わせカエデの耳を摘まんで呟く。

 

「あまり強く抱くな、痛い」

「……うん」

 

 力を緩めれば、ヒヅチは摘まんでいたカエデの耳を手放し、本の頁をめくっていく。

 何をしたいのか、グルグルとここ数日頭の中で転がし続けた悩みを再度自身に問いかけながらも、カエデは何気なくヒヅチに質問を投げかけた。

 

「何を読んでるの?」

「ふむ? あぁ、ワシに関する伝承じゃな。とはいえ殆ど情報が無いな。まぁ狐人の都なんぞ辺鄙な所に作られた代物じゃし。それに秘密主義じゃからなぁ」

 

 自分たちの種族について他種族に一切もらす事のない秘密主義。

 最終的に他種族全てを滅ぼして狐人による、狐人の為だけの世界を作り出すと目標を立てていた愚かな種族。

 今では散り散りになり、極わずかな小さな集団(コミュニティ)が残っているか、極東に降り立った神に下り、庇護下に入っているかのいずれかだ。

 大国を築いた狐人達の首都とも呼べる国は、ヒヅチの手によって滅び去っている。その国についても、行き過ぎた隠蔽によってほとんど情報が残っていない。

 ヒヅチの記憶にある国は、豪華絢爛な美しい街並みの姿と、その裏に潜む見るも悍ましい生き残る為に生み出された残虐な人の禁忌に触れる技術についてがある。しかし、すり減った記憶に残っているのは霧がかった様に薄れており、どんな国だったのかが思い出せなくなりつつあった。

 

「故に、故郷を思って本を調べていたのだがなぁ」

 

 ぱたりと本を閉じ、天井をぼんやりと見上げたヒヅチは小さく零した。

 

「随分と、遠くまで来てしまったようじゃなぁ」

 

 どこか遠くを見つめて呟かれた言葉は、きっとここではない何処かを見ている。近くに居るのに、遠くに居る。ヒヅチの心は、どこか遠くを見たまま、カエデを見てはいない。それを見て、カエデはようやく気付いた。

 やっとの思いで目標を達した。ヒヅチと再会した。なのに何かがズレてて思った通りとは違う。ずっと、ここ数日間考え続けていた何かを見つけた。

 出会えたのに、ヒヅチは此処に居ない。こうやって尻尾を抱きしめていても、ヒヅチの心は此処ではない何処かにある。だから語らい合いたいと思っても、出来なかった。

 わかった、ヒヅチをここに連れ戻せば、それで良いのだと。けれども、カエデはどうすれば彼女の心をここに向けられるのかがわからなかった。

 ヒヅチの尻尾を手放し、ソファーから身を起こす。どうしようかと周囲を見回したところで、扉が開け放たれる音が談話室に響き渡った。

 

「カエデたーん」

「ふぅぅうううううっ」

 

 途端に鼻につく酒の香り。カエデが驚きの表情を浮かべる中、顔が真っ赤になったロキとホオヅキが肩を組みあって飛び込んで来た。

 

「遊びにいこうやぁ」

「アチキ達と良い所に行こうさネ!」

 

 真昼間から酒盛りをしていたらしいロキとホオヅキ。【ロキ・ファミリア】に世話になりだしてからホオヅキは毎日の様にロキと酒盛りを繰り返していたのは知っていたが、ここまで酷いとは思わずにカエデも流石に面食らう。

 酒臭い二人がじりじりと距離を詰めてくるのを見て、尻尾を立てて徐々に後退していくカエデ。ヒヅチの事より先に彼女らをどうにかしなくてはと身構え────間にヒヅチが立ちふさがった。

 

「ヒヅチ?」

「ふむ……神ロキ、少し頼みがあるのだが」

 

 静かに、けれど確かに呟かれたヒヅチの言葉にロキが動きを止め。ホオヅキが目を真ん丸に見開いて大袈裟に驚きの表情を浮かべた。

 

「ヒヅチの頼み事さネ!?」

「おぉう、いきなりやな」

 

 【ロキ・ファミリア】に入ってから何をするでもなく過ぎるまま、流されるままだった彼女が初めて自分から動いた。その事に驚きを隠しもしないロキにホオヅキ。

 カエデは元々わがままという程ではないにせよ優先する事の為に色々と無茶をしでかし、ホオヅキは酒ばかり飲んで働きやしない。対してヒヅチは何をするでもない置物状態。

 そんなヒヅチの初めてともいえる頼み。ロキが頬を叩いて酔いを醒ましながらもヒヅチを見据えた。

 

「おう、頼みは何や」

「……墓参りがしたい」

「…………墓参りさネ?」

 

 ヒヅチは遠くを見つめ、微笑みを零すとカエデを見据えた。

 あっていなかった焦点が、しっかりとカエデに合った。どうしようか悩みだした途端に、ヒヅチはカエデをしっかりと見据え、口を開いた。

 

「しっかりと、別れの挨拶をせねばな……あ奴らに悪い。カエデも、出来るならば共に来て欲しい」

「……わかった」

 

 ヒヅチの頼みに、カエデはしっかりと頷きを返す。すでに行く気満々ともいえる二人に対し、ロキは酒臭い吐息を零して笑みを浮かべた。

 

「うっし、んで墓参りってどこまで行くん?」

「あぁ────『セオロの密林』までな」

 

 目的地を聞いた瞬間、ロキが頭を抱えて蹲る。

 ただでさえヒヅチを手に入れるので無茶をしたのだ。その結果としてしばらくの間大人しくしていろとギルドから色々と注文を付けられた。

 その中にはヒヅチ・ハバリをオラリオの外に出す事を禁止するものまであるのだ。頼み事が真っ先にその禁止事項に引っかかった事にロキが頭を抱え────顔を上げて叫んだ。

 

「任せるんやっ、ウチがなんとかしたるっ」

 

 突然の叫びに驚きつつも、カエデは小さくうなずいた。

 

 

 

 

 

 密林の中に密かに存在した『隠れ里』今となっては朽ち果てた家屋だったものが立ち並ぶ、廃村。

 灰色の短髪を揺らすグレースは物珍し気に廃村を眺め、ぽつりとつぶやいた。

 

「ここがカエデの故郷ね……」

「アタシの故郷でもあるな」

 

 自らも過ごした故郷と呼べる村が廃村になっていた経験を持つグレースの気まずげな一言に対し、黒い毛並みを持つ狼人の少女が答える。

 ヒイラギ・シャクヤク、カエデの妹である彼女は【ヘファイストス・ファミリア】へと入団して新米鍛冶師として修業を始めたばかりであった。今回の故郷訪問に積極的に参加を申し出て────ヘファイストスの許可を待たずに勝手に同行してきたのだ。

 ヒイラギの言葉に、真っ白い尻尾を揺らすカエデは事もなさげに頷いた。

 

「そうなりますね」

 

 滅び去った事を一切気にしていないカエデの様子にグレースが眉を顰め、溜息。

 

「それにしても、ロキも唐突よね。いきなりカエデの故郷に行くから人選をーって」

「はい、ヒヅチが行きたいって言ったので」

 

 セオロの密林の内部、滅び去ったカエデの故郷である『黒毛の狼人の隠れ里』。

 既に滅び去ったその里に訪れたのは、ヒヅチ・ハバリとカエデ・ハバリ、そしてグレース・クラウトスの三名のみ。本来ならホオヅキが来る場面であるにも拘わらず、彼女は頑なにこの村に足を踏み入れるのを拒んだ。

 密林の外に張られた【ロキ・ファミリア】の野営地にて、ラウルの首根っこを掴んで酒盛りをし始めたホオヅキを放っておいて、ヒヅチ、カエデ、そしてなぜかグレースの三人でこの村を訪れたのだ。

 グレースが足を運んだ理由は単純な興味だけだが、ヒヅチもカエデもそれを拒まなかった。

 野営地に待機しているベートやティオナ等は遠慮してついてこなかったのだが。

 

「ふぅん……って、ヒヅチさんは何をしてるの?」

「供養です」

「供養な、アタシは親父と母さんだけに挨拶すりゃ十分だと思うけどな」

 

 そこらに何かを投げかけ、小さく呟きを零し。別れの挨拶を零すヒヅチを追いかけながら、三人で言葉を交わす。

 

「極東式って奴かしらね、さっぱりわかんないわ」

「古臭くてわるかったな……と、カエデ、ヒイラギそろそろ行くぞ」

 

 唐突に振り返ったヒヅチは、そのままカエデに声をかけると村の外れに足を向けて歩み出した。

 それを見ていたグレースが首を傾げる中、カエデは小さく息を呑み、そのあとに続く。

 カエデの記憶が正しければ、ヒヅチが足を向けたのは墓地だったはずだからだ。

 ヒイラギは特に何を言うでもなく、荒れ果てた隠れ里をちらりと眺めてからヒヅチを追いかけて行ってしまった。

 

「行かないの?」

「……行きます」

 

 足を止めたカエデにグレースが問いかければ、カエデは小さくうなずいてヒヅチの後を追った。

 

 暫く歩いた先、村はずれとも呼べる墓地。数多くの墓石代わりの石が立ち並ぶ中、グレースは墓地の入口でカエデとヒヅチを見送って墓地に入る事を拒んだ。

 拒んだ、というよりは入り辛かったというのが本音だろう。入口からも見える墓石のいくつかが砕かれ、荒れ果てている。オラリオの共同墓地と違い、管理人の居ないこの場所は、荒れ放題だ。

 その中のいくつかの墓石代わりに名の刻まれた大き目の石の周囲を綺麗に清めているカエデとヒヅチの背中を眺めていたグレースは、小さく溜息を零して目を背けた。

 

 立ち並ぶ墓石の内、キキョウと刻まれた石と、ツツジと刻まれた石。その周囲を清めたヒヅチとヒイラギが手を合わせる中、カエデだけは墓石をぼんやりと見つめたまま、何をするでもなく立ち尽くしていた。

 

「……ん? 姉ちゃんは祈らなくていいのか?」

「良いです」

 

 もっと早く、愛してると言ってくれれば。きっと愛を返す事ができた。それも過ぎた話で、カエデは既にツツジ・シャクヤクに刃を向けた後。だから祈る事はないとカエデが首を横に振れば、ヒヅチが肩を竦めた。

 

「たとえ嫌っていようが、お主の父じゃ。別れの挨拶ぐらいしてやってもバチは当たらんよ」

「────」

 

 ヒヅチに促され、カエデは小さく、墓石に向かってかけるべき言葉を探し、見つけられずに俯いた。

 ヒイラギが盛大に眉を顰め、カエデの代わりに前に出て墓石に向かって話しかけた。

 

「久しぶりだな親父、土の下ってどうなんだ? 寒いのか? アタシは、ヘファイストス様の眷属になったんだよ。親父と同じ鍛冶師志望さ」

 

 ニヤりと鋭い牙を剥き出しにする様な、ヒイラギの笑みにカエデが驚く横で、ヒヅチも明朗な声で語りだす。

 

「久しぶりだな、ツツジ、キキョウ。主らの子は見ての通り、片や破天荒気味に、片や奥床しく育って居る。良かったのう、主らの希望通りに育ったぞ」

「おい、破天荒ってアタシの事かよ」

「そうじゃが? 他に誰がおる? よもは自分が奥ゆかしい性格等とは言うまい?」

 

 ヒヅチの語り口にヒイラギがかみつき、文句を零す横で戸惑いの表情のカエデが二人を見て俯く。

 

「破天荒じゃねぇよ、ちょっとやんちゃなだけだ」

「自分でやんちゃ等と言うな……全く……それで、カエデは語る事はないのか?」

 

 問いかけに困惑の表情を浮かべたカエデに対し、ヒヅチが強引に背を押して墓の前にカエデを押し出した。

 戸惑う彼女の目の前には、簡素な石に名を刻まれたモノが鎮座しているだけの、墓と呼ぶにしては質素に過ぎる代物があった。

 片や、記憶の断片に僅かに存在する程度の、母親のモノ。片や、記憶に新しくとも死後に出会った父親のモノ。

 どちらも両親と呼ぶには縁遠過ぎる、見知らぬ他人にも等しい者達の墓だ。

 

「…………」

 

 もし、母親と会えたら。もし、父親と会えたら。いろいろな話をしてみたいと思った。いろいろな事をしたいとも願った。抱き締めて欲しくて、愛して欲しくて、けれどそれら全ては代わりにヒヅチに与えられた。

 母の愛を知らぬ。父の愛を知らぬ。けれどヒヅチの愛だけは知っている。彼らの愛は、知らない。

 だからかけるべき言葉を、カエデは持ち得ぬはずだ。

 密林の中にある村だからか、若干じっとりとした湿度の高い空気に満ちた墓地の中。いずれ密林に呑まれて消え失せてしまう墓場の一角。カエデは小さく、けれど確かに呟く様に、言葉を零した。

 

「───────」

 

 呟いた、その言葉を皮切りにし、次々に語るべき言葉が脳裏を過る。

 文句を零し、愚痴を呟き、怒りをぶつけ、悲しみを語り、嘆きの言葉をぶつけ。けれども確かな感謝を以て、カエデ・ハバリはもう一度、同じ言葉を繰り返した。

 

「───────」

 

 産んでくれてありがとう。自分は、此処まで成長した。

 これからも、歩むべき道を見つけ出し、手に入れて見せた。

 きっと大丈夫。何をするにしても、何を成すにしても。

 自分はなんにでもなれる。なんだって出来る。

 とても難しい事を成した。それだけの偉業を積み上げる事ができた。だから────

 

「ありがとう、それから……さよならです」

 

 きっと生きていける。




 一応、完結です。

 今まで読んでくれた方々、誠にありがとうございました。

 プロット通りとはいえ、尻すぼみ気味な終わりになってしまった気がします。
 正直申し上げますともっとこうすればよかったという部分は数多ありますが、そこらは今後の作品で活かしていこうかと思います。

 もしよければ、今までの感想等を頂ければなと思います。

 重ねてお礼申し上げます。応援してくれた方、評価をくれた方、感想をくれた方々、誠にありがとうございました。
 もし他作品を書く事になった際には、再度応援をしていただけたら幸いです。


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