武士(もののふ)の魂 (辰伶)
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始まり

「ここか」

 船に揺られること三時間。絶海の孤島に浮かぶ巨大な建造物を見上げながら、男は呟く。

 過日、彼の家に手紙が届いていた。内容は話したいことがあるので地図の場所までご足労願いたいと、依頼主の名と地図が同封されていた。

「なぁ、親父。この人、親父の知り合いじゃないか?」

 今ではすっかり年を取った息子に言われてそれを見ると、確かにその人物を男は知っていた。

「龍造。この件、俺に任せてもらえるか?」

「構いません。その方がその人も喜ぶでしょ」

 そういうことになり、男は依頼主が待つこの島に来たのだ。

 上陸して驚いたことは、この島はここだけ時間から取り残されたように立っている建物全てが江戸のモノを彷彿とさせる。

 あの男らしいと微笑みながら、男はある場所へと急いでいた。

 青と白の道着に、2尺7寸の太刀を佩いているその姿はなんとも異様であったが、気にせず男は街を闊歩している。平日の午前中とあって、外には誰もいなかった。

 街の中には呉服屋やら食べ処、雑貨屋といった商店がずらりと並んでいる。その先には、目的地である建物が見えた。彼は最上階を目指した。

 最上階の襖を開けると、そこには初老の男が正座して待っていた。彼は男の姿を見て「あっ」と唸ったが、すぐに姿勢を正し「お待ちしておりました」と(こうべ)を垂れた。

秀忠(ひでただ)か。大きくなったな」

 太刀の男はそう言って初老の男、秀忠の前に座した。

「私も、まさか生きているうちに貴方様に再び会えるとは思いませんでした」

「ふふん。これも何かの運命かな?」

 そのようでと秀忠は微笑する。

「早速だが秀忠よ。要件を伺おうか」

 男が促すと、秀忠は数十枚からなる紙の束を差し出した。

「これは・・・・・・?」

「口で説明するよりも、それを見てもらったほうが早いかと。私の側近である結城榮(ゆうきさかえ)にまとめてもらいました、依頼書です」

 男は依頼書を手に取るとパラパラとめくり始めた。時間にして20分くらいでそれを読み終えた男はただ一言「相分かった」と言った。

 依頼の内容は、近頃この島で不穏な動きを見せる『大御所』なる人物の特定、並びに行方不明となった秀忠の息子、吉彦の消息を探ることだった。『大御所』がこの国を揺るがす大事を起こしかねないとか、その為に学園の治安が悪化しているとか細かいことが記されていた。

「剣魂というサポートマシーンと共に、失われた『侍魂』をこの日本に蘇らせることを目的に徳河早雲(とくがわそううん)によって作られた学園が、この大江戸学園というわけか。戦友(アイツ)らしいな」

「恐れ入ります」

「何。俺と早雲は先の大戦を戦い抜いた戦友だ。戦友の孫が困っているのを助けるのが友の務めだよ秀忠。それになにより、奴がこの国の為に憂い、俺の好きなこの国で何かやらかそうとする馬鹿野郎をこのまま野放しにしてたまるか」

 それを聞いた秀忠は目頭が熱くなるのを覚えた。もし、これを祖父が聴いていたらどんなに喜ぶであろうか。

 秀忠は、彼が祖父の親友であることを誇りに思った。

「貴方様には、我が学園の生徒として捜査をしていただきたいのです」

 ほう、と男の眉がピクリと動いた。

 彼は高校生活を経験したことがないことを秀忠は知っていた。そこで彼は、依頼を遂行してもらうことを前提としながら彼に高校生活を楽しんでもらいたい、というのが秀忠の考えであった。

 この大江戸学園には身分制度というのが存在している。幕府という生徒会組織の一員として学園の治安やら学園の運営やらを担う『武士』と呼ばれる者たちと、それ以外の『商人』等の一般人に分けられる。

 学園内において、『武士』階級の者たちには、帯刀等の特権が認められている。彼にはこの国の為に一働きしてもらわねばならなかった。

 秀忠は一つの紙を差し出した。「帯刀許可証」なるものだった。これはつまり彼に『武士』の身分を授けることにほかならなかった。条件として、なまくら刀を使うことだったが。

 構わんと彼は言った。そして、彼は腰の太刀を自身の前に置いた。

「俺の愛刀『藤朝臣相模守龍牙(とうのあそんさがみのかみりゅうが)』だ。コイツで俺の国をどうにかしようとか考えてるクソッたれを粛清する」

 その言葉の端々に、彼の怒りを感じ取れる。この時、秀忠はその太刀が真剣であることを失念していた。

 話に一段落がついたところで、秀忠は一枚の写真を彼の前に差し出した。

「何だ? これは?」

「申し訳ないですが、貴方様にはこの者と共に過ごしていただきたいのです」

「コイツの名は?」

「名前は秋月八雲(あきづきやくも)。我が校のある生徒の弟です」

「ふむ・・・・・・。それで、それと俺が一緒に住むことと何が関係あるんだ?」

「私の勘が、彼といれば真相にたどり着けると言っているもので」と真顔で言われ、キョトンとしていた彼だったが、次の瞬間には大声を上げて笑い出した。

「ふはははははははは! 勘か! 面白い、お前の勘に付き合ってみようじゃないか」

 快諾してくれた彼は、秀忠にここの教師と生徒の名簿を持ってくるように告げた。何に使うのかと尋ねると

「一応、ここにいる者達の顔と名前くらいは覚えておきたい」とのことだった。承知したと秀忠は中座した。

 彼が戻ってきたのはそれから1分も経っていなかった。

「これが、ここに住まう全員の名簿になります」

 受け取った男は、パラパラとそれをめくり始めた。

「ありがとよ」

 読み終えた彼は名簿を秀忠に返した。お役にたてたようでと秀忠の顔には笑みがこぼれた。

「ひとつ相談事が・・・・・・」と秀忠は切り出した。何だと男が問えば、秀忠はここでの名前を考えていなかったことを告げた。

 ふむ、と男は顎に手をやった。敵の目的が何なのか分からない以上、迂闊なことはできない。こと、男の名は世界に轟く程知られている。それを名乗れば、相手は警戒して尻尾を出さないだろう。ともすれば、ここですごす名はそれだけ重要となる。

 さて、何と名乗ろうか。

 考えていた男の頭にある人物の名が浮かんできた。その名を使っていた男は彼の先祖でもあり、それは代々の当主が名乗っていた偽名であった。

「秀忠。良い名が浮かんだ」

 男の顔が子供のように花を咲かせた。

 



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その1 それは宿命

 本州から船に揺られること三時間。絶海の孤島に少年の転校先は存在していた。

 転校先の名は大江戸学園。人工島に建てられた私立校だ。

 その創立は戦中にまで遡ると言われている。

 時は第二次世界大戦期。当時ヒトラー総統率いるドイツ帝国とムッソリーニ率いるドイツ傀儡国イタリア枢軸国側に立っていた大日本帝国は、その同盟国のイタリア・ドイツが早々と降伏した中でも戦争を続けようとしていた。

 当時、既に国は疲弊し、戦争を続けていく体力など残っていなかったのに、だ。上層部は何が何でも戦争に勝たねばならなかった理由があった。

 帝国は現人神(あらひとがみ)天皇がおわす神国である。神の国が蛮族蔓延(はびこ)る国に負けるわけにはいかない。そんな小さな理由だった。

 亡国の危機に、『護國神』進藤龍彦大元帥と彼の友人徳河早雲大将や益田重峻(ますだしげちか)少将、進藤大元帥の子弟達が立ち上がった。

「この国を滅ぼすわけにはいかない」

 彼らの尽力により、日本は太平洋奇襲直後に和平交渉をし、戦争を集結させることに成功した。

 しかし、それがいけなかった。

 『護國神』の威光は、時代とともに廃れていった。と同時に国は外国に侵略されていった。アメリカによる駐留軍基地用土地の提供、尖閣諸島を始めとした外交問題など、日本の弱体は眼に余る程だった。

 これを憂いた英傑徳河早雲は、この国の現状を打破すべく不屈の精神を持った侍魂の復活を願いこの学園を創立した。彼はその為に全国を駆け回り優秀な教育者をスカウトし、自らが陣頭指揮をとって大江戸学園の骨子を作った。

「早雲。俺が先に逝ったらよ、俺の好きなこの国を世界一にしてくれ」

 全ては、かつての戦友との約束を守る為・・・・・・。

 

 

 

 

 

「待てコラー!!」

「まーてー!!」

 その日、転校生秋月八雲(あきづきやくも)は赤髪の少女と一緒に走っていた。

 転校初日である今日、彼は路頭に迷っていた。

 というのも。

「えっ? 住む家がない?」

「申し訳ありません。こちらに貴方様の情報が伝わっておりませんでした」

 学園側に手続きミスがあったようで、今日から寝泊まりする住居がないというのである。学園側は彼の為に全力を注ぐと言われたが、夕刻までかかると告げられた。

「夕方かぁ・・・・・・」

 仕方なく橋の上でボケッとしていたら、全財産が入ったバッグが置き引きにあってしまったのである。そして、彼はその置き引き犯を全力で追いかけていた。

「こーらー!! まーてー!!!」

と彼と一緒に追いかけているのはたまたま知り合った徳田新(とくだあらた)という赤い髪が特徴の女子生徒である。彼女は置き引き現場を偶然目撃していたらしく、八雲にそのことを告げて一緒に追いかけてくれているのだ。

 彼女はしきりに「銀シャリ号がいればすぐに捕まえられるのに!!」とぼやいていた。後で知ったことだが、銀シャリ号というのは白い艶やかな毛並みが自慢の彼女の愛馬のことであるそうな。

 その愛馬は、現在訳あって友人の家に預けられているという。

 「どけー!」といきなり置き引き犯が叫んだ。見れば、彼らの眼の前をこちらに向かって歩いてくる生徒がいた。

「そこの人!! そいつを捕まえてくれ!!」

 八雲はその男子生徒に叫ぶ。が、置き引き犯は忍ばせていた小刀を取り出し彼に向かって突き出した。そのまま刺す気でいるらしい。

「どけぇぇぇぇ!!!」

 それに気づいた八雲は、避けろと言おうとしたが、距離的に間に合わない。だがそれでも叫ばずにはいられなかった。

「危ない避けろっ!!!」

 眼の前の男子生徒に叫ぶが、既に犯人の刃物は彼の腹に迫っていた。

 その彼は、迫ってきた凶刃を無駄のない動きで避けると小刀を握っていた手を取り、そのまま背負投で男を路面に叩きつけた。一連の動きはさながら天空を舞う蝶のごとく優雅なものだった。

「人様のもんパクってんじゃねぇよ三下」

 激痛に苦しむ置き引き犯に、男子生徒は冷たい視線を浴びせた。

「オーなんかかっこいいねーあの人」

 やっと追いついた新が関心したように言う。そんな彼女を無視して八雲は彼にお礼を言った。

「助かりました。これに全財産が入っていたのでどうしたものかと」

「そいつァ災難だったな。ほれ」

 彼は八雲にバッグを投げてよこした。

「どうもありがとうございました。俺は秋月八雲って言います」

 男子生徒の眉がピクリと反応した。

(こいつが秋月八雲か)

 男子生徒はニッと笑い、手を差し出した。

「俺は相模宗十郎ってんだ。同じ転校生同士、これも何かの縁だ。よろしく頼む」

 八雲はそうなんだと言いながら自然と手を握っていた。その固い握手をじとっとした眼で睨む新。

「私だけ除け者みたいでずるーい!!」

 プンスカする新をまじまじと見つめ、宗十郎は八雲に「誰だコイツ」と尋ねた。

 プンスカしながらも彼女はちゃんと名乗った。

「私の名前は徳田新。八雲のよーじんぼーだよ!」

 えっへんと胸を張る新を他所に、二人は互いに顔を見合わせた。

「・・・・・・なーんてこと言ってるが、八雲。それホントか?」

「いや、俺も今初めて聞いたんだけど。彼女とはついさっき会ったばかりだし」

 疑いの眼差しを向ける二人に、新はそんな彼らの視線をそっちのけにこんなことを言ってのけた。

「だって今初めて言ったもん」

 二人は膝から崩れ落ちた。腹立ち紛れに宗十郎は新の後頭部をしばいた。

「何すんだよー!!」

「ふざけんのも大概にしろバカ」

 宗十郎は喚く新の顔面を鷲掴みにして彼女を抑えながら、八雲にポケットから出した鍵を見せた。痛い痛いと叫ぶ彼女のことは二人して無視した。

「南町奉行の逢岡想(おおおかおもい)って奴から今後の生活拠点となる家の鍵を預かってきた。ただ、彼女から俺とお前とで一緒に住むようにとのことなんだが・・・・・・いいよな?」

 八雲は熟考した後、承諾した。まぁ野郎二人がひとつ屋根のしたで暮らしてるなんて外の世界では多々あることだ。別に気にするようなことはなかった。

「場所も聞いてある。今から行くかい?」

「行く」と即答した。よしじゃあ行こうと宗十郎と八雲は想から預かった地図を頼りに今後の生活拠点へと歩いていった。

「私を置いていくなーーーーーーーー!!!!」

 放って置かれた新が絶叫して二人の跡を追いかけたのは言うまでもない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・・・・ねぇ、宗十郎。これが、俺達の、今後の住まい?」

「・・・・・・すまん。これほどとは思ってもみなかった」

 二人は呆然とつっ立っていた。顔に青い線が何本も出ているのが傍目でも分かるくらい沈んでいた。

 彼らの眼の前には、二人の今後の生活拠点となる廃れに廃れまくった廃屋が今にも崩れるんじゃないかというぐらいに弱々しく建っているのだ。

「オンボロだねー」

 ストレートに感想を述べる新。それを聞いた二人はげんなりしてしまった。言わなくていい事を言うなと眼で訴えるも、新が気づくことはなかった。

 宗十郎はまたしても新にゲンコツをくれてやった。文句を垂れる彼女に、「少し黙れ小娘」と鋭い視線で睨みつけた。その凄みに恐怖した新は「ごめんなさい」と震えながら謝った。

「よし。まずはコイツを直すか」

 一息ついた宗十郎は、手荷物を置いて肩をぐるぐる回してそんなことを言いだした。

「え。マジで言ってんの?」

「マジだぞ。それとも何か八雲? お前、この先卒業するまでの楽しい楽しい学生生活をこのオンボロ屋敷で過ごしたいとでも?」

 廃屋を見て、それから宗十郎に向きぶんぶんと全力で首を振る。ふふんと宗十郎は笑うと新に向いた。

「おい新。お前ここに住んで長いか?」

「? うん、長いよ」

「だったら、この辺で檜か何か家建てんのに適した木、どっかにないか?」

 新は、この先の森になんかおっきい森があるよと答えた。

「よし。んじゃま、そこ行くぞ~」

「ねーねーそーじゅーろー。そのノコギリ、どっから出したの?」

 宗十郎の手には、いつの間にかノコギリが握られていた。それも人数分。

「ふふふ。それは言えないなぁ。さ、行くぞ」

 一行は新の先導で森に行き、適当に木を見つけては伐採し、見つけては伐採しを繰り返し、それをボロ屋まで何十と往復して運んだ。他の生徒に奇妙な眼で見られたが、気にしなかった。というか、気にしてられなかった。なんせ、自分達の今後の生活がかかっているのだから。

 すべてを運び終えた八雲はヘロヘロになって地面にへたれこんだ。さしもの元気娘新までも肩から呼吸していた。しかし宗十郎は疲れるどころかピンピンしていた。

「お前らは休んでろ。ちょちょいと直してやる」

 そしてまたどこからだしたのか。大工道具一式を取り出した宗十郎はてきぱきとおんぼろ屋敷の修繕を始めた。

 トンカントンカンとうるさいようで心地いい音が周りに響き渡った。

 そして、約3時間後。

「「おぉー」」

 この学園の景観を損なわないくらいに立派になった外観。

「「おぉー!」」

 キラキラピカピカにされた各部屋と店先。

「「おぉー!!!」」

 煌びやかな装飾を施された設備に小物に棚などなど。これを、全て宗十郎は約3時間で作ってしまったのである。八雲と新は眼を爛々に輝かせながらついさっきまでボロ屋だった屋敷を見て動いている。

「そーじゅーろーすごーい!!」

 新は純粋に宗十郎を尊敬していた。その喜びを表すかのようにきゃっきゃきゃっきゃ跳ねていた。

「何でも、生活費は自分で稼がにゃならんらしいからな。これくらいなら、店開くにゃ十分だろ」

 といっても、そんな話は今の彼らの耳には入っていなかった。

「ごめんください」

 そこに、ある女性が入ってきた。

「あっ、想ちゃんだ!!」

「徳田さん。それに、相模さんと秋月君もお揃いですね」

 南町奉行の逢岡想であった。彼女は早速宗十郎と八雲に対し、今回の不手際を謝罪した。

「アンタのせいじゃねぇんだ。そう気にしなさんな」と宗十郎は想に言った。それを聞いた想は安堵したように息を吐いた。

「実は、秋月君達に渡すはずだった書類を忘れていまして」

「そうなん? わざわざすまねぇな」

 書類を受け取った宗十郎はその一部を八雲に手渡した。

「あと、相模さんにはこれを」と想は分厚い書類を宗十郎に手渡した。それには『武士の心得』と題した重々しいものだった。

「何だ、これ?」

「えっと、相模さんは『武士』の身分ですので、これを読むようにと理事長より承ってまして・・・・・・」

「ふーん、そうか」と彼はパラパラとその本をめくりだした。

「あっホントだ。そーじゅーろー刀持ってる」

「おいおい、いまさらかよ」

 新が彼の左腰に指してある刀と彼の顔を交互に見つめる。

「相模君は、外の世界で剣道の世界大会で優勝するほどの実力の持ち主ですし、何より理事長からの推薦もありまして・・・・・・」

「へー、そ〜じゅーろーってすっごい強いんだね!!」

 新たが眼をキラキラさせながら必死に何かを訴える素振りを見せるが、宗十郎は「悪いが、俺は勝負しねぇぞ」と即答した。

「えー何でさー」

「無駄に自分の剣技を見せたくねぇんだよ。あと、気が乗らん」

「なんだよーそれー!! ぶーぶー」

 新はすっかりむくれてしまった。そんな彼女を想がまぁまぁと宥める。

「わりぃな。ここのボロ屋、こんな感じにしちまったが、良かったか?」

「え、えぇ。私も、まさかこんな風になっていたとは思わなくて」

「そうか。なら、いいや」

 宗十郎は暫し新や想達を見つめ、ふと八雲に声をかけた。

「八雲。お前、茶を淹れられるか?」

「え? まぁ、じいさんに教わってたからできるけど?」

「じゃ、人数分淹れてくれ。茶菓子は俺が作ろう」

「? そーじゅーろー。どしたの」

「何。新居完成祝いをやろうと思っただけさ」

 と言って宗十郎は八雲と共に奥に下がっていった。

「私もいいのですか?」

「構わん。これから、アンタには色々世話になりそうだからな。親交を深めようじゃないか」

 ニヒヒと笑いながら宗十郎は一人一人に茶と茶菓子を置いていく。

 八雲の淹れた茶を啜った想が感嘆の声を上げた。

「まぁ、美味しいですね」

「そ、そうですか? 良かった」

「そーじゅーろー!! このお菓子、すっごい美味しいね!!!」

「そうだろうそうだろう。この俺が作ったんだ。味には自信があるぜ」

「確かにおいしいね」

「あたしも、このお菓子に負けないくらいに八雲のよーじんぼーがんばちゃうよ!!」

「そうなんですか? 秋月君」

「いや、俺はそんなこと頼んじゃいないんですが・・・・・・」

「いいじゃねぇか八雲。その分しーっかりと働いてもらえばよ」

 その時、想が神妙な面持ちで話があるといってこう切り出した。

「実はここ、以前から嫌がらせが続いていまして」

「嫌がらせ、とな?」

「はい。ここの土地の権利書をめぐって」

「また何でだ?」

「すみません。そこまでは。ですが、ここの権利を正式に貴方がたに引き継がれましたのでご安心ください。何かあれば南町奉行所が全力で守りますので」

「そっか。ならいいや」と宗十郎は話を打ち切った。

八雲の淹れた茶を啜りながら宗十郎は「店の名前どうすっか」と聞いてきた。

「店の名前?」

「ここで商売すんだ。名前は必要だろうよ」

 たしかにそうだが、急に言われてもいい名前が思いつかない。

 その内、宗十郎がぽんと手を打った。

「店名は『八雲堂』で、店主は名前の通り八雲に決定。異論はないな」

 異議なーしとニコニコする新。いいですねという想。事についていけず狼狽する八雲。けらけら笑う宗十郎。

「じゃぁ店主。開店に先駆け一言どうぞ」

「えっ・・・・・・えっ、え!??」

 あまりの展開に頭の回転が追いつかない八雲を見て宗十郎は更に笑う。

「何でもいーんだよ。何かテキトーに言っとけ」

 バシバシと背中を叩かれ、咳き込む八雲であったが、自分のことをじーっと見つめている彼らを前に、八雲は大きく息を吸い込んだ。

「これからの学園生活を楽しく愉快に過ごす! 皆よろしく!!」

 顔を真っ赤にしながら、八雲は店主としての抱負(?)を宣言した。皆からは盛大な拍手が送られた。

 こうして、八雲堂開店祝いと新居祝いは静かに幕を下ろした。

 その夜、どっと疲れた八雲は畳の上に突っ伏していた。

「何か疲れた」と間の抜けた声でうだる。

「おいおい、これくらいで疲れてるんじゃ、この先やっていけねぇんじゃねぇの?」

「zzz・・・・・・zzz・・・・・・」

「いや、今日がハードすぎるだけだって。つか、こんな日が毎日続いたら死にそうだよホント」

「zzz・・・・・・zzz・・・・・・」

「そうだな・・・・・・。まぁ、その内慣れんだろ?」

「あまり慣れたくないよこれに」

「細けぇこといちいち気にすんなよ」

 それから、宗十郎はチラリと視線を自分の横にやった。

「ところで、何だってコイツはここで爆睡してやがんだ?」

 ジトっとした眼で宗十郎は、同じ和室でだらしない格好で夢の中をエンジョイしている新を見ると、仕方なしに奥から毛布を持ってくるとそれをかけてやった。

「優しいね」

「ふん。風邪引かれちゃ困るからな」

 そう言って宗十郎は、八雲が淹れてくれた煎茶を啜った。やはり美味いと彼は顔を綻ばせる。

「・・・・・・」

 宗十郎はじーっと新の顔を見ていると思ったら、いきなり頬をびよーんと引っ張ったりプニプニしたりと遊び始めた。

「・・・・・・何、してんのさ宗十郎」

「いや、コイツの顔を見てたらどーしてもいじりたくなってな」

 その後大体30分くらい、彼は新の頬で満足するまで遊びまくった。それでも彼女が起きることはなかったことに八雲は驚いたわけだが。

「さて、明日から忙しくなるから、もう寝るか」

「そうだね」

 そういうことになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 彼らの新しい学び舎のクラスは甲級二年め組となった。担任の南国教諭はなかなか豪快な人であった。どこか、その風貌やら何やらが某大物演歌歌手に似ていると思ったが、些少なことだったのでそのままにしておくことにした。そこには自称用心棒の新がいて、向かいにあった『ねずみ屋』という人気店を経営している子住三姉妹の次女・子住結真や情報屋の比良賀輝らとクラスメイトになった。

「アンタ達! アタシ達の邪魔はしないでよね!!!」

 結真とのファーストコンタクトはまるで目の敵みたいに結真が敵意剥き出しに吐き捨てられて終わった。

「なんのこっちゃ?」

「さぁな」

 昼休み。八雲と宗十郎は眼の前で「新さんスペシャル」なる量・価格共に通常の3倍もの量になろうかという昼食をバクバクと頬張っている新を眺めながら二人は先ほどのことを思い返していた。

 誰に聞こうとも、眼の前の大飯食らいは飯を食うことに集中しているし、想は仕事とかで今日一日いないらしい。となれば誰にこの件を聞けばいいのやらさっぱりである。

「ここ、空いているか?」

 その時、彼らに女性が話しかけてきた。

「ん? あぁ、空いてるぞ」

 失礼するとその女性は新の横に腰掛けた。その出で立ちは、黒く長い髪を後ろに束ね、左眼に眼帯をした何とも特異な姿だった。ちなみに、新は食事に集中しており、彼女が来たことに全く気付いていない。

 その女性は、彼らを一目見るなり、こう切り出した。

「君達は転校生だな?」

「ん? あぁそうだよ。俺は甲級二年め組の相模宗十郎だ。よろしく」

「同じく、秋月八雲です」

「私は柳宮十兵衛。ここにある道場の剣術指南役だ。こちらこそよろしく」

 宗十郎は早速今日の件について彼女に尋ねてみた。彼女は聞くや「そのことか」とまだ来て間もない彼らにその理由を説明した。

 それによれば。いつの頃からか、いま彼らが住んでいる家は不良共の溜まり場となっていたらしく、今までそこに住んでいた住人達は彼らの嫌がらせにより全員逃げ出してしまっていたらしい。その後管理者のいなくなった家は不良共のストレスのはけ口となりああなってしまったそうだ。

 先日の想との話と違っているが、おおかた間違ってはいないのだろう。あそこの土地の権利書を狙っている奴がなかなか権利書を渡さない住人達に対する嫌がらせとして不良共を雇ったのだろう。

 それはそれとして。

 その嫌がらせにより間接的に被害を被ったのが向かいで営業している「ねずみ屋」というわけだ。不良共が暴れるおかげで客足が遠のき営業に支障をきたしているとか。

「はた迷惑な話だな。ったく」

 聞き終えた宗十郎は舌打ちしながら腕を組む。成程これは根が深そうだ。

 そんな彼を十兵衛はじーっと見ていた。それに気づいた宗十郎は「俺の顔に何かついてるか?」と尋ねる。

「いや、君からはとてつもなく凄まじいオーラを感じてな」

 十兵衛のさり気ない一言。宗十郎の表情が固まった。八雲はそれに気づかなかったが、宗十郎は彼女に「何を感じたんだ」と投げかけた。

「何というか、強烈な威圧感というか・・・・・・人に畏怖を感じさせる不思議なものを感じた」と答えた。

 それを聞いた八雲は「剣道の世界大会で優勝するくらいの腕だもんね」と一人納得していた。十兵衛は納得したように頷くも、その表情はどこか釈然としていないようにも見えた。

 ちらりと十兵衛は八雲を見るや、彼に道場に来ないかと誘ってきた。それを八雲は丁重に断った。が、その理由は言わなかった。

「そう言わずによ。たまに顔出して鍛えるくらいなら、いいんじゃねぇの?」

 むすっとしている八雲に宗十郎がやんわりと諭す。十兵衛は少し寂しげに彼を見ていたことに宗十郎は気づいていた。

 八雲は渋々ながらも、気が向いたら行くということを約束した。

 その時、八雲はたまたま近くを通った南国教諭に新のことで彼女共々職員室に連行された。

「何故に八雲まで連行されたんだ?」

「さてな? それに関しては、私は何も知らんよ」

 ふふっと十兵衛は彼を見て微笑む。

 彼女の口が不敵に開いた。まるで、邪魔者はいなくなったのを待っていたかのように。

「・・・・・・さて、君は何を隠しているんだい?」

「・・・・・・いきなり何を言い出すんだよ十兵衛さん」

「もう隠す必要はないだろう。君の『中』には、一体何がいるのか、答えてもらいたい?」

(おいおいマジかよ)

 宗十郎は押し黙った。十兵衛は一言も発することなくじっと彼の答えを待っていた。

 沈黙の時がゆっくりと流れていく。

「・・・・・・やれやれ」

 観念した宗十郎はポケットからあるものを取り出して机の上に置いた。ビニールに丁寧に入れらていたそれは、彼がいつもお守りとして持ち歩いてるもので、彼の誇りであり、信念の象徴でもあった。

 彼が置いたそれは、何かの勲章であるらしい。しかし真ん中で分かれた勲章とは珍しかった。その勲章は、彼女から向かって右側に紅い十字槍を囲む龍の家紋が、向かって左側に菊の御紋が彫られていた。

 それを見た十兵衛は、ハッとした。左の御紋は言わずもがな天皇家のものである。

 そしてもう片方は。古の時代よりこの国の為に幾度となくその力を行使し救ってくれた『天下四神』の一つ。

 その家に代々継がれている二つ名は『槍聖』。

「そ、その家紋は―――」

 驚愕する彼女に、宗十郎は続けざまにこう告げた。

「俺のかつての肩書きは、『大日本帝國大元帥』」

 十兵衛は言葉を失った。

 『大日本帝國大元帥』。この国の為に尽力し、この国の為に時の首相達に意見し。戦場では誰ひとりとして死なせることなく、その教えは多くの子弟達に受け継がれてきた。

『鬼神大元帥』、『護國神』、『真の世界最強』、『神剣聖』、『武神』。そんな、数多の異名を持つ男が、十兵衛の眼前にいた。

「貴方は―――」

 その先の言葉を予想していたように、彼は人差し指を唇に当てた。

「それ以上は言うな」

 意を察した十兵衛は、小声で彼に話しかけた。

「・・・・・・その貴方が、この学園に、何用か?」

「場所を変えよう」との彼の提案に彼女も同意した。大偉人が正体を隠してこの学園に来るのには、何か人に言えない事情があるに違いない。そうでなくとも、この男は『外』の世界では新聞に載るほどの知名度だ。ここで名を知られれば色々と不都合が生じるのだろう。

 学園に関しては十兵衛の方が詳しいので、彼女は今は使われていない空き教室に案内した。

「貴方がこの学園に来た理由を、生徒を代表して伺いたい」

 どかりと椅子に座った十兵衛は、対面に座っている宗十郎に問うた。証拠を見せられたとは言え、眼の前にいる人物が、かの大軍人とは未だに信じ難かった。

 目上の人に対する口の利き方がなってねぇなとぼやきながらも、宗十郎は彼女の質問に答えた。

「理事長徳河秀忠の依頼で、ある者達を探している。それ以上は言えん」

「―――かつて世界を震撼させた方の言葉とは思えませんな」

「言ってくれるな、小娘。だが、俺とて話す奴が依頼内容を話してもいいかどうか見定めにゃならんからな」

「つまり貴方は、私を疑っているのですかな?」

「それはそうだろう。実弟秋月八雲に自分の正体を隠しているんだからな」

 何故それを知っている、という表情をするも、彼女は何も言わなかった。宗十郎はそういうこったと手を組んで頭の後ろにやった。

「・・・・・・それを言われると、グウの音も出ません」

 十兵衛は観念しそれ以上の詮索を止めた。

 彼はクククと微笑してあるものを彼女に見せることにした。

 すぅっと現れたそれを見た十兵衛は暫く言葉が出なかった。

 それもそうだろう。何せ、それは彼の正体を確信たらしめるものであり、彼の一族の象徴でもあるからだ。

「何故、これを私に・・・・・・?」

 先程、自分の事を疑っていることを口にしていたのに、これではまるであべこべではないか。そんな彼女の考えを知ってか知らずか、宗十郎は椅子にどっかり座り、足を机に放り投げた。

「こう見えても、俺は人を見る眼はあると自負している。アンタの眼は大海の海のごとく澄んでいる。だから見せた」

 それでも依頼内容は言えんがな、と、意地の悪い笑みを浮かべたが、次の瞬間、宗十郎は途端に複雑な表情になる。

「しかしまさか、転校2日目で正体がバレるたぁ、俺も思わなんだ」

 それでいて豪快に笑う宗十郎に対し、偶然ですと十兵衛は苦笑する。

「あの時、貴方の後ろに、『龍』のような姿がぼんやりと見えましたもので、もしやと思いましてな」

 それを聞いた宗十郎は、一瞬惚けながらも、次には額に手をやり可笑しそうに笑い出した。

「くははははは! 俺もこの数十年のうちに衰えたものだな!!」

 豪快に笑い飛ばす彼。つられて彼女も自然と顔に笑が浮かんだ。語り継がれてきた彼と眼前にいる彼とのギャップの違いに戸惑いを感じつつも、彼にいつの間にか親近感を覚えていた。

 十兵衛は宗十郎に「貴方の望みを伺いたい」と問うた。

「望みも何も、俺としては、このまま高校生相模宗十郎として生活したいだけさ」

「承知しました。今日のことは私の胸の中に秘めておきましょう」

「そう言ってもらえると助かるよ。あぁ、それと・・・・・・」

「分かってます。八雲には秘密にしますよ」

「頼むよ。それとな十兵衛。俺に敬語は使わなくていいぞ。敬語を使われるとどーも背中が痒くてかなわん」

 その申し出は正直困惑した。世界最強の男に対しタメ口を聞くというのが全体どのくらい勇気がいることか。一方でそんな彼の申し出を無下に断るのはどうしたものか。

悶々と悩んだ末、『形式上』彼の申し出を受けることにした。

「それではお言葉に甘えて。私からも一つ、頼みたいことがあるんだ」

「何だい?」

「私の代わりに、八雲を守ってやってくれないか?」

「―――何だかんだで、弟思いなんだな」

「この世界のどこに、弟を思わない姉がいましょうや。私とて、護りたい者がいるんだよ」

 了解したと宗十郎はひらひらと手を振って去っていった。

 

 

 

 

 

 

―――あの人はな、十兵衛。わしが今まで会っていた連中とは違っていたんだ。とにかくわしらのことを第一に考えてくれてなぁ。時には上のお偉方に意見してくれたんじゃよ。それ以外にも、敵が負傷すれば分け隔てなく手当したし、それにな―――

 

 

―――かの者の比類無き力、古の剣豪共と比べるに能わず。遠く離れし敵を真空の刃にて斬り伏せる、まさに剣聖に相応しき者也―――

 

 

 彼女の頭に、祖父が幼自分によく話してくれたことや、実家に伝わる彼の伝記が流れてきた。

「伝説の剣聖の力。とくと拝見」

 



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その2 八雲拐かし

「さて、買出しはこんくらいか?」

「・・・・・・重い」

 学園の帰り道。宗十郎は八雲に突然買い物に行くと言い出した。その理由を問うと、「今日から本格的に営業すんだ。品切れにならんようにしねぇとな」とウキウキした表情で言い放った。

 今、彼の両手には八雲自身が吟味した茶葉と、宗十郎が厳選した茶菓子の材料が袋一杯に膨れていた。だらしねぇなぁと宗十郎は二つある袋のひとつをひょいと代わりに持ってやった。

「ひ弱な男はモテませんぜ、旦那」

 ケラケラとからかう宗十郎をギッと一睨みする八雲。今にも食ってかかりそうな彼を見て宗十郎は又笑う。そう怒りなさんなと宥める彼にムキーッとくってかかる八雲。

「んなことより、さっさと帰ってメニュー考えるぞ」

「・・・・・・それなら、いくつか考えてあるんだ」

「へー。ちょっと聞かせてくれよ」

 彼に言われて、八雲は自身で考えていたメニューについて語ると、宗十郎は興奮して「いいな、それ!」と眼を輝かせていた。

「茶菓子はさ、別に和菓子にこだわる必要ないと思うんだ。茶に合えばなんでもいいんじゃないかな」

「そうだな。茶菓子については、閉店後に相談しようか。っと、着いたな」

 和室に荷物を置いた時、宗十郎は不意に先刻南国先生に呼ばれた件について聞いてきた。

「新に、「ちゃんと授業を聞くように教育してくれ」と」

「転校2日目のお前にか?」

「「仲がいいお前を見込んでの頼みだ」なんだと」

「随分とまぁ見込まれたことだなお前。んで、当の本人は?」

「今日早速補習に召集されたよ。ちゃんと授業を受けたら宗十郎が超旨いものをご馳走してくれると言ったら眼が食物になって張り切っていたよ」

「・・・・・・なぁおい」

「言わないでくれ。そ〜でもしないと、新が、ね?」

「―――しゃーねーなー。奴の為に何か旨いもん作ってやるか」

 ごめんと謝る八雲に、気にすんなと宗十郎は声をかける。

 宗十郎は準備を整えようと外に出ると、そこには既に客がいた。

「うおっ。もういるのか!?」

とついつい声を出してしまうほど、宗十郎は驚いた。

 客は二人いた。一人はちんまりした見た目小学生だがそのなりにそぐわない威厳を感じた。もう一人は、彼女の従者であろうか。何故かオロオロしている。

「何じゃいきなり。失礼であろうが」

 小学生(?)の口調がどこか古臭い。というかジジくさい。プンスカしている彼女に

「あーこれはすまん。いるとは思わなくってな」と謝した。

「時にお主。ここに以前来た時はこんな立派な店はなかったのじゃが?」

「ここか? 実は俺ら、昨日転校してきたんだが、逢岡さんにあてがわれたこの家があーんまりにもボロかったからな。改修させてもらたのさ。茶屋として」

 これには心底驚いたらしく、「それは誠か」と聞き直したくらいだ。

「良かったですね、光姫(みつき)様。また一つお店が増えそうですね」

 従者らしき女性は、既に何かを想像しているらしく、口からよだれが滴り落ちていた。

「これハチ。みっともないぞ」

 そう指摘され、ハチなる従者ははっと我に返り慌てて涎を拭った。その姿は自然と誰かと重なった。

「おーおー。新二号がここにいる」

「ん? お主、新さんを知っておるのか?」

「知ってるよ。自称用心棒兼大飯食らい兼居候の徳田新だろ?」

 そうか、とだけ光姫なるちっこい女性は頷く。心なしか顔が引きつっていたように見えたが、そんなことお構いなし。光姫は、その用心棒たる新はどこにいるのか尋ねる。

「南国先生とデート中だ」

 意地の悪い笑みを浮かべると、彼女は察してくれたらしい。そうかとだけ言って苦笑いしていた。ところがハチは「えっえっえ??」と顔を真っ赤にして慌てていた。

 この時、宗十郎は面白いおもちゃを見つけたと心の底から喜んだ。

「ハチといったか。デートってのは、補習授業のことだよ」

「あっ・・・・・何だそういうことだったんですね」

「そういうこった。まぁそこに座っててくれ。茶と菓子を出してくるわ」

「? おいお主、わしらはまだメニューを見とらんぞ?」

「いいんだよ。アンタらはこの店最初の客なんだ。だから、俺と店主の自信作を味わってもらいたいのよ」

 ニヒヒと宗十郎は二人を残して奥に引っ込んでいった。彼の姿が見えなくなったのを確認してからハチにツツっと寄ってきた。

「ハチや。ここの住人の名前、分かるかの?」

「えっ、あっ、はい。えっと・・・・・・相模宗十郎さんと、秋月八雲さんと、いちおー徳田さんですね」

「相模宗十郎・・・・・・はて、どこかで聞いたことがあるような気が」

「けど、相模さんとか宗十郎さんとか日本にはイッパイいませんか?」

 確かにハチの言う通りだ。しかし、光姫は相模宗十郎という名を何かの古い書物に記されていたようなことを思い出していた。同姓同名なんてこの世の中にごまんといるだろうが、彼女の心にどうしても消えないしこりがあった。 

「待たせたな。店主特製の煎茶と俺特製のきんつばだ」

 彼女達の横にそっと品を置く。うむと光姫はまず八雲が淹れた煎茶を啜る。

「うむ。何とも絶妙な煎れ方じゃな」

「ふふ。ウチの店主は煎茶道をやってたんでね。煎れ方には自信があるんだ」

 そうなのかと聞けば、奥から出てきた八雲が「そうなんですよ」と彼女に告げた。

「いらっしゃいませ」

 ぺこりと頭を下げる。うむ、と光姫。

「光姫様~。このきんつば、すぅっごいおいしいですよ~」

 光姫のお付であるハチことたて八辺由佳里(はちべゆかり)は、頬を綻ばせて悦に浸っていた。嬉しいねぇと宗十郎は彼女の頭を撫でた。

「どれどれ」

 パクリときんつばを一口頬張ると、途端に彼女の顔が綻んだ。

「おぉ、これは何とも」

「にしし。龍二と一緒に作ってたかいがあったもんよ」

「? 宗十郎とやら。龍二というのは、誰じゃ?」

「あぁ。俺の親戚でな、料理がものすご上手いんだ。バイト先じゃ社員差し置いてチーフになってるしな」

「そぉなんですか~? それは是非食べてみたいです~」

「ふふん。だったら、今度外に行った時に案内してやるよ」

 ウキウキしだした由佳里。それを宥める光姫。

「お口に召したようで」

「お粗末さまです」

「うむ。美味しかったぞ」

 光姫はご機嫌であった。

「時折ここに寄らせてもらうぞ」

「毎日来てくれてもいいぞ?」

「ほっほっほ。これでも、わしは忙しい身でな」

「そっか。ところで、アンタ、名前なんていうんだ?」

 主に生意気な口をきいてきた店の従業員に対し、由佳里は烈火の如く怒り出した。

「ちょっと宗十郎さん!! 光姫様に対して失礼じゃありませんか!!」

「? コイツは俺達とタメなんだろ? 何の失礼があるんだ?? なぁ、八雲」と同意を求めたれた彼はすごい困惑した。何と答えていいのやら正直わからなかった。

「この方はですね! 天下の―――」

「こぉれハチ。そこまで言わんで良いわ」と光姫は由佳里の後頭部をしばいた。

「で、で、でもぉ」

 主に言われても、未だ納得いかないように頬を膨らませている。

「すまんな。わしはこう見えても三年生なんじゃ」

「おっと、これは失礼した」

「気にするでない。わしの名は水戸光姫(みとみつき)じゃ。わしへの話し方も今まで通りで良いぞ」

「ちょ、光姫様!?」

「良いではないか、別に減るものではあるまい」

 二人の悶着を見ていた八雲はなんのことやらとキョトンとしており、宗十郎はホンの少し驚いたようだ。

「お主ら、そういえば本島から来たのであろう? 話を聞かせてくれんかの?」

 そういうことだったので、彼らは本島での生活や出来事やら何やらを光姫に話した。光姫は外の事に殊更興味があるらしく、暫く彼らはその話で盛り上がった。

「ここは絶海の孤島じゃからな。外の情報があまり入らんのじゃ」

「まぁ、そうだろうな」と流しつつ、宗十郎は光姫を観察していた。

 とても学園影の実力者とは思えないが、それは見た目だけであろう。見た目では分からぬことがあるから人とは面白いのである。それが、戦前戦中、そしてこれまで様々な世界で体験してきたことから得た彼の考えだ。

 宗十郎は一旦席を外し、人数分の煎茶を持って戻ってきた。

「まぁ、今日はのーんびり過ごそうや」

「お、それはいいのう」

 ずずっと茶を啜り、ほっと一息。

 日向ぼっこしながら茶を啜る。

「あら、何してらっしゃるの?」

 ふと顔を見上げた八雲は、その女性が『ねずみ屋』の三姉妹の一人ということだけ分かった。結真とは違い、上品であり、清楚な印象を抱いた。

「子住結花(ねずみゆか)さんか。今日は多分もう客こねぇだろうしな。のーんびり茶を啜りながら日向ぼっこさ」

「でも、今日が開店日じゃなかったかしら?」

「だからやってんのよ。結花さんもどうだい?」

「あら、いいんですか?」

「たまにはいいじゃねぇか」

 じゃあ御相伴に預かってと結花は皆が座っている長椅子に腰掛け、八雲が淹れた茶を啜り一言「美味しいわ」

「にひひ、美味いってさ。良かったな八雲。人気店店主のお墨付き頂いたぞ」

「ちょっと、自信がついた」

 はにかむ八雲を小突いている宗十郎に近づいてくる人影があった。

「ちょっと結花姉ぇ! 何してんのよ!!」

「あーいたいた。結花姉ぇ。こーんなところでお茶している」

「おぉ、由真に唯か。お前らもどうだ?」

 プンスカ怒る由真とのんびりとした口調で結花を見る末っ子の子住唯(ねずみゆい)。由真はおそらく彼女を誘惑したであろう宗十郎に喰ってかかった。

「相模ぃ!! アンタ、結花姉ぇをどうしようって言うの!!!」

「どうもこうも、ただこうして茶ぁ飲んで日向ぼっこに誘っただけやけど??」

「嘘言うな!! どーせいやらしいことでも考えてるんでしょ!!!」

「・・・・・・なぁ、結花さん。この爆弾娘は、いっつもこうなんか?」

「ごめんね~。由真姉ぇ頑固だから」

 唯が説明している中も、由真はガンガンと宗十郎達を罵倒していた。長姉の結花が宥めるのも聞かず。光姫と由佳里ははてさてどうしたものやらと互いの顔を見合っていた。

(しょうがねぇな)

 宗十郎はガサゴソと懐を探り、ある物を取り出した。そして、彼は標的を変えて口撃している由真の頭目掛けてそれを打ち下ろした。

 乾いた音が八雲堂に響いた。

 何すんのよとギャーギャー吠える由真に対し、宗十郎は長椅子を指差した。ジト眼で彼女を見る光姫と由佳里。呆れ顔でため息を吐く姉の結花と妹の唯。困惑顔の店主八雲。

「さて爆弾娘。何か、皆に言うことは?」

「・・・・・・ごめんなさい」

 ぺこりと頭を下げる由真。それを見て「すみません」と姉の結花も一緒に頭を下げた。

「これ飲んで少し落ち着け」

 ほれと差し出した茶を受け取り一口啜りプハッと息を吐いて「美味しい」と呟いた。

「さて、ちょーいと待ってろよ。茶菓子でも持ってくるからな」

「「「はーい」」」

 こうして、開店初日はだらだらーっとのんびり過ぎていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日の夜。宗十郎は夜の街をトボトボと歩いていた。

 絶海の孤島。外部との連絡手段を制限されたこの島でなら、事を起こすには快適な場所だ。

「徳川、大岡、遠山、柳生などの末裔共が集う島、ねぇ。おもしれじゃねぇか」

 月明かりしかない暗い夜道を一人愉しそうに笑む宗十郎。彼の後を追うように、無数の男がつけて来ている。

 自分達の存在を隠す必要が全くないのか、ザクザクと音を立ててゆっくりと近づいてくる。その数、ざっと十数名。

『随分と早いな。勘づかれたか?』

(いや・・・・・・夕方の奴の仲間だろうよ。小物だな)

『ふむ、そうらしいな。どうする? 始末するか?』

(頼むわ。よけーな力使いたくねぇ)

『あいよ』

 彼の相棒は彼の中からすっと抜け出すと、闇討をし、彼は連中をそのまま川の中に投げ込んだ。投げ込まれた連中が川の中でもがきながら助けを呼んでいるが、時刻は草木も眠る丑三つ時。皆は心地よく夢の中を楽しんでいるだろう。しかも人気のない場所だ。眼を覚ます者、気付く者は誰もいない。

「どこの誰だか知らねぇが、俺の国を壊そうってのなら、俺が鉄槌を下してやる」

 宗十郎は天に誓った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この日、八雲は一人で店番をしていた。宗十郎は茶菓子の材料を買い出しに出かけており、新に至ってはいつものように南国教諭の補習デートに参加中である。

「・・・・・・暇だなぁ」

 ここ数日。開店しているものの早々に閑古鳥が鳴いてしまっているようである。ここ数日で来た者といえば、光姫一行、逢岡想、『遊び人の金さん』なる女性と、彼女の付き人(?)の銭方真留(ぜにがたまる)以外誰も来なかった。

「八雲さ~ん、いますか~」

 店先から声がしたので、はいはいと出てみるとそこにはどてらにジャージ姿といった奇妙な格好をした女生徒が立っていた。

往水(いくみ)さん、どうかしたんですか?」

 彼女の名は仲村往水。南町奉行逢岡想の配下である同心である。ただし、相当のサボリ魔であり、事あるごとに想や八雲達に仕事を押し付けて自分は悠々自適に八雲堂で茶を啜っているのである。

「いえねぇ、定期見回りのサインを頂けないですかねぇ」

 往水は想の命にて八雲堂周辺の見回りをしていた。先日の権利書やらなんやらの件でここがどこぞの悪党に狙われているといけないからとの想の配慮からだった。

「あーはいはい」

 八雲は彼女からバインダーと筆を受け取って書こうとした時、頭に鈍痛を覚えた。

「本当にごめんなさいねぇ・・・・・・」

 薄れゆく意識の中、八雲はそんな往水の言葉を聞いた気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「八雲―。帰ったぞー・・・・・・ってあれ?」

 買い出しから帰ってきた宗十郎は、いるはずの店主がいないことに不審を感じたがひとまず荷物を調理場に置いた。

「あんにゃろうどこ行きやがった」

 店先に出て辺りをキョロキョロしたが当然見当たらない。さては何か足りないものがあって買いに行ったか? しかし店を開けて出かけるとはどういう了見か問いただしてやると思った。

 ふと、宗十郎は店先にあるものが落ちているのに気がついた。それはいつだったか宗十郎が八雲に護身用にとあげた小刀だ。

「・・・・・・」

 宗十郎はじっとその小刀を見つめ、それを自分の懐に入れた。

「さて、うちの店主を攫ったドブネズミ共は・・・・・・っと」

 宗十郎はゆっくりと眼を閉じて大きく深呼吸した。感覚を研ぎ澄ませ彼の気を追った。それから彼は龍牙を抜き、それを振り抜いた。

「待ってろよ八雲」

 龍牙を収めた宗十郎は店を閉めるとある所へ向かって歩きだした。

 

 

 

 

 

「んぐ・・・・・・」

「お目覚めですか、秋月さん」

 眼を覚ました八雲は自分が縛られていること、周りを囲んでいる見知らぬ連中、夜であるということに気づいた。

「誰だ、アンタ」

「貴方の為に迷惑を被っている者とでも言っておきましょうか」

 小太りの男が気味の悪い笑みを浮かべて八雲に言った。格好からどうやら彼は商人らしい。

「―――オレはアンタらに迷惑をかけた事ないけど」

 そう言った瞬間、彼を囲んでいた悪漢に腹を力いっぱい蹴られた。呻く彼にその悪漢が何か悪態をついたようだったが、激痛に苦しむ彼に聞こえてはいなかった。

「こらこら。そんなことしちゃ、彼と穏やかに話し合いができないじゃないですか」

 悪漢にそう言った小太りの男は懐からある紙を取り出した。手短にと断って彼はその紙を広げた。

「簡単な話です。貴方には何も言わずにこの証文に拇印を頂きたいのです。それさえして頂ければすぐにでもお返ししますよ」

「証・・・・・・文?」

「えぇ。貴方の家の権利を私に渡すという証文です」

 ちょっと待てと八雲が吠える。一体誰の権利があってそんなこというだと抗議する。

 それに対する男の答えは、「権力を金で買うためには、あの場所が最適なんですよ」とのことだった。彼は己の壮大な夢を語っていたが、途中から八雲は聞いていなかった。

「悪いが、俺はなんと言われようともあの家を譲る気はない」

「では私に売ってくださいな。ご希望の金額で買取りますよ」

 商人の申し出を、八雲は舌を出して拒否した。その言動が理解できない商人は八雲に激しい口調で問うた。

「あの家には、大飯食らいの用心棒と何でもできる俺の同居人の夢が詰まってる場所なんだ。アンタらみたいな薄汚い奴らなんかに渡せないね」

 それを今まで黙って聞いていた証文改方の田ノ上という役人が高笑いした。

「貴様の命だけは助けてやろうと思ったのにそんな約束一つで無駄にするとはな!!」

 言うやいなや、取り巻きの一人が八雲を地面に叩きつけた。何をすると叫ぶと、田ノ上は抜刀しており刀を上段に構えていた。

「お前の指を頂く」

 拇印さえ貰えば役目上どうとでもなると田ノ上は言う。逃げようともがくが彼を押さえている男の力が強く逃げることができない。

「大人しく従っていれば五体満足でいられたものを」と、田ノ上は刀を振り下ろそうとした。

 悔しさに顔を歪める八雲はせめてもの反抗の眼差しを彼に向けた、その時だった。

 商人の家を囲む壁が音を立てて崩れ落ち、彼の周りと押さえつけていた取り巻き共が何かによって吹っ飛ばされた。

「助けに来たよ八雲!」

「無事か八雲!!」

 そこの現れたのは、愛馬銀シャリ号に跨った新と宗十郎であった。侵入者に驚いた商人が大声を上げると彼に雇われていたであろう浪人共がうじゃうじゃと現れた。

「生かして返すな!!」と田ノ上が命じる。

 状況を把握した宗十郎と新は静かな怒りの炎をその瞳に宿していた。

「うちの店主が随分とお世話になったようで・・・・・・。テメェら、覚悟は出来てるんだろうな?」

「八雲をいじめた連中は許さない!」

 田ノ上の号令のもと、浪人共が彼らに襲い掛かった。

 銀光一閃。その斬撃は襲いかかってきた者共を一撃で沈めた。驚いた連中は恐怖におののきながらも田ノ上の命に逆らうことができず次々と彼らに挑んでいくが実力に雲泥の差がある彼らに敵うはずもなく、次々とその地にみっともない姿を晒していった。

「新。他の連中は任せた」

 そう言って宗十郎は残りを新に任せ、自身は田ノ上の前で立ち止まった。刀は既に抜いている。

「さて、田ノ上と但馬屋・・・・・・だっけか? テメェらの企みは全部聞かせてもらった。あの家は俺と八雲が南町奉行から正式な手続きを踏んで受け取った場所だ。それを、八雲を誘拐・脅迫し分捕ろうなんて下衆な考え持ちやがって。覚悟は出来てんだろうな?」

 田ノ上は慌てて刀の柄に手をつけようとした。が、しかし、

「遅い!」

 それより早く宗十郎の刀が火を噴いた。八雲が受けた痛みを返すように田ノ上の頭・腹部・腕部にそれぞれ一撃づつ喰らわせた。

「己が利益のために他人を蹴落す考えのテメェに武士を名乗る資格はない」

崩れ落ちる田ノ上に宗十郎は容赦ない言葉を浴びせる。最も彼は意識を飛ばしているので宗十郎の言葉など耳に入っていないのだが、そんな彼を見て但馬屋は情けない悲鳴を上げる。

「さて、これまでお前の為に苦しめられた者達の恨みを知れ」

 但馬屋に宣告すると彼は慌てて逃げようとした。しかしそれより早く宗十郎の一閃が彼を襲い、但馬屋はその場に突っ伏した。

 その時、逢岡想率いる南町奉行所役人が乗り込んできて、ノビていた田ノ上、但馬屋を始めとした一味の者を捕縛、奉行所へ連行していった。

 血だらけになった身体を見て、八雲は己の不甲斐なさを痛感していた。これなら、あの時剣道を辞めなきゃ良かったなと後悔した。

(後悔後先たたず、か)

 八雲は自然と笑んでいた。よく分からなかったが。

「今度、十兵衛さんの、ところ、へ―――」

 八雲の意識はそこで途絶えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 八雲は八雲堂に運ばれ、そこで治療を受けた。幸い大きな怪我などは負っておらず、今日一日安静にしいれば大丈夫との医者の刀洲斎かなうの診断だった。

その八雲は自分の布団でぐうすかと気持ちよさそうに寝息を立てていて、その横に同じように鼻提灯をこしらえて眠る新の姿があった。

「後で、美味いもの食わせてやるか」

 微笑んだ彼はそっと彼女に毛布をかけてあげた。

そして、ある女性からもらった人形を取り出し、呪を唱えた。

 唱え終わると人形がパッと光り輝いた。そこから現れたのは長い髪を後ろで束ねた長身の女武者であった。

『呼んだか? 宗十郎』

「暫く、コイツらを見ていてくれないか?」

『・・・・・・』

「・・・・・・何だよ、鳩が豆鉄砲くらったような顔しやがって?」

『いや。お前にしては、随分フツーな頼み事だなと思ってつい驚いてしまった』

「ふん。平安から生きてる妖怪よりかはマシな頼みだろ?」

『おいおい、私の主に対して随分な言い方じゃないか』

 小突いた彼女は既に屍人である。だが、ある女性の手によってこの世に再び生を受け、彼女の為に働く式神となった。

彼女は宗十郎が転校する前に京都で起こったある事件の折、顔見知りの女性から預かっているものである。

名を上泉信綱(かみいずみのぶつな)。またの名を上泉伊勢守という、室町期の女剣聖であり、新陰流開祖である。

 

 

―――いくらお主とて生身の人間じゃ。死ぬこともあろうよ。それにな、お主はこの世界の必要な存在。お主を失うは、わらわの気が済まぬ。故にこやつを預ける―――

 

 

と、京を守護する皇女は告げた。

『なあ宗十郎。聞いた話だが、私の弟子が顕現したらしいが、それは本当か?』

 伊勢守が話を振ってきた。そうらしいなと答えると、伊勢守はその者の名をしきりに尋ねてきたが、宗十郎はその答えをはぐらかした。

「知りたきゃ、晶泰の家に会いに行けよ。最も、彼は今神明の剣道部顧問をしているがな」

『ほう、我が弟子は安倍の末裔の家に住んでいるのか。ヤツの家ならありえんこともないか』

「そうだな。アソコは摩訶不思議の一族だしな。

まぁそれはそれとして、今度俺の孫の手料理食わせてやるよ。アンタ、まだ食ったことねぇだろ」

『ほう。噂に名高いお前の孫の料理か。それは楽しみだな。

そういえば、お前の孫って・・・・・・』

「あぁ。『将軍家最強の守刀』、『紫焔の伏したる龍』、『紅焔の暴君龍』という、天下に名高い3魂が認めた逸材よ」

 ふと、伊勢守がウズウズしているのを宗十郎は見逃さなかった。悪いがアンタと孫を戦わせないからなと宗十郎が言うと、伊勢守はガックリと肩を落とした。

 宗十郎は気が変わったようだ。ガサゴソと懐を探り、ある札を取り出した。

『おやおや。これは珍しい方から呼ばれたものだ』

 札から現れたのは白の水干姿の青年だった。優雅に扇を仰ぎながらクスクス笑っていた。

「やかましい妖怪2号。自分(てめぇ)自身を式神にしといて平安の御世から生きてるくせによく言うよ」

『随分な言い方だねぇ。君の所にも妖怪がいるじゃないか。私と同じくらい生きている大人が』

 黙れと宗十郎は現れた青年を小突いた。

『それで宗十郎さん。私を呼んだ要件は?』

「俺らはちょっと外行ってくるから、コイツらをちゃんと見張っといてくれ。大陰陽師殿」

 ハイハイと軽くあしらった青年を後に、二人は外に出た。

 満月が照らす夜道を涼しげな風が吹き抜ける。そこを歩く相模宗十郎と上泉伊勢守信綱。

闇夜の道を、異形の二人が闊歩している。信綱はここの生徒達に怪しまれぬようここの制服にそれとなく似せた衣服を身につけていた。夜とはいえ、生徒がふらついていないとも限らないからだ。

「この国も随分とまぁ厄介なバカ共に狙われるもんだな」

「全くだな。私達の負担は増える一方だよ」

 かれこれ30分。こんな感じで雑談しながら歩いていた。剣聖伊勢守信綱と闊歩するとは何とも異様な光景である。

平安の大陰陽師と室町の剣聖。この二人と宗十郎が知り合いと知ったら、八雲は一体どんな反応をするのだろうかと想像すると、不思議と笑みが溢れる。最も、彼の場合そんな知り合いはごまんといるわけだが。

「お前を見ていると、相州殿を思い出すな」

「信綱、俺はその相州殿の子孫だぜ? そりゃ、似てるだろうよ」

「そうなんだがな。お前を見てると、あの頃が懐かしくてしょうがないんだよ」

 伊勢守信綱はウキウキとしているようだった。彼女が生きていた時代は、争いが絶えない時代だったが、伊勢守信綱にとっては充実していたのであろう。

彼女の親しい友人といえば、同じ鹿島新当流開祖の剣聖塚原卜伝や、門弟丸目蔵人(まるめくらんど)、北畠具教、足利義輝といった傑物達が多い。

 伊勢守信綱がわずかに後ろに視線をやった。後ろからコソコソとこちらをつけてきている連中が数名いることに気がついたらしい。

「つけられているな」

「―――秀忠の言う『大御所』のシンパじゃないようだが・・・・・・最近よくつけられるなぁ」

 宗十郎はやれやれとため息をついた。

「いいじゃないか。それだけお前が有名になった証だろうさ」

 それを喜んでいいのか正直困ったが、まぁ肯定的に受け取っておこうと思った。

 彼は歩を止め空を見上げた。

 自分がこれまで関わってきた色々な世界の事件。そこで様々な人間関係やらなんやらを見てきた。その度に、全く人とは面白いなと思った。

 時に、そいつが何を考えているのか分からないことがあった。口にすることはなく傍観していたが、後で考えてみればそういう考えもあるなと一人納得したこともあった。

「不完全である故、人か」

「ん? 何か言ったかい?」

 別にと宗十郎は微笑した。

孫と会ってからは、よく彼らの観察をしていることがある。孫達には、自分には持っていない何かを感じていた。それが何なのか気になっていたが、今もそれは分からずじまい。一番人間くさい孫龍二と、広い視野を持ち判断力や勘が飛びに抜けて優れている龍一。彼らの周りを見ていると、達観しすぎている自分に嫌悪を抱くようになっていた。それから次第に人に憧れるようになっていた自分に驚いたことがつい最近。

「人とは、変わるものだな」

「・・・・・・変わったよ、お前は」

「おいおい、いきなり何だよ」

「人間らしくなった」

「人間らしくなったァ? どういうことだ」

「あぁ、人間らしくなった。以前のお前はいつも明後日の方向を向いて何かを悟った風に佇んでいたからな。時に腹立たしいくらいにな」

「・・・・・・。そうか。俺も、進化するんだな」

「人は、進化するんだよ。どんな時でも、少しずつ、ね」

 感嘆とする宗十郎を見る伊勢守信綱の瞳には慈愛に満ちていた。母が子を見るようなその眼差しを宗十郎はムズ痒かった。

 それらを全て承知の上で、伊勢守信綱はそっと頭に手をおいた。

「相州殿も、きっと草葉の陰で喜んでいるわ」

「―――そう言ってもらえると、嬉しいよ」

 彼が笑みを浮かべるのは、珍しい。



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その3 動き出した歯車Ⅰ 天狗の反乱

「あーあ、遅くなっちまった」
 この日、証文方の柳瀬昌三は今日中に終わらせねばならない仕事を今終わらせて仕事場を後にした所だった。時間は既に深夜を回っている。
「しかしこれが毎日だとなー」と不満を垂れる昌三。そしてふとその歩みを止めた。
「何だ、お前ら?」
 彼の前にはまるでその進路を妨害するように数人の男が立ち塞がっていた。彼らは無言でちょっとづつ昌三に近づいていった。
 そして―――
 彼らは隠し持っていた天狗の面を被った。それを見た昌三はハッとした。
「!? お前ら―――」
 刀の柄に手をかけようとした時、彼は後頭部に鈍痛を覚え、そのまま意識を失ってしまった。
 翌日、メッタ打ちにされた柳瀬昌三が通学中の生徒によって発見され、病院に担ぎ込まれた。


 

 

 相模宗十郎と秋月八雲の二人が転校して1月が経った。その間、様々な人との出会いがあった。

 ほんわかした飛鳥鼎(あすかかなえ)教頭、火盗改長官で、『おにへー』と呼ばれている長谷河平良(はせがわたいら)、ザ・商人越後屋山吹とその用心棒佐東はじめ、選民思想と特権階級的思想の権化酉居葉蔵(とりいようぞう)といった何とも個性溢れる者達ばかりであった。

 ミニ人口のるつぼを見ているようで、宗十郎は楽しかった。ただし、権力を笠に着てやりたい放題の酉居に関しては嫌悪感を抱いていた。宗十郎はこういった部類の人間が一番嫌いだった。

 ところで、ここ最近この学園内の治安が悪化の一途をたどっていることに幕府は心穏やかではなかった。ある一団が生徒を襲撃しているのである。

 襲われるのは、主に幕府で何らかの組織に属している生徒や大店(おおだな)の主人達が大半であった。皆何者かによってメッタ打ちにされてかなうの診療所に次々と運ばれていた。

 主犯は『天狗党』なる組織であった。メンバーが全員天狗のお面をかけているからそう呼ばれている。天下の世直しを掲げて結成されたこの一党はしかし、世直しを名目に学園各所にて騒動を引き起こし結果的に幕府に対しクーデターを決行している。頭目の名は不明である。

 襲撃はほとんど夜。ゲリラ的に襲撃しているので目撃者はいない。いたとしても、天狗の面で顔を隠しているので誰だか分からない。

 学園の治安は悪化の一途を辿り、幕府はその対処に日々追われていた。幕府の一員でもある南町奉行逢岡想や、北町奉行所与力銭方真留から、人手不足ということで八雲や新、宗十郎に協力要請がもたらされ、時折彼女らの捜査に協力していた。

「冗談じゃねぇよ。ったく」

 煎茶をずずっと啜りながら文句を垂れる宗十郎は、そのまま自身が作った和菓子を頬張った。

「人の学生生活をぶっ壊しやがって。見つけたら半殺しにしてやる」

「ま、まぁまぁ相模君」

 眦を釣り上げて怒る宗十郎を宥める想。

 ここは八雲堂の中にある和室である。外は既に夜である。

 集まっているのは、八雲・新・宗十郎・想・真留・光姫・由佳里である。いつものメンツ+1名である。

 集まった理由は、無論現在騒ぎを所々で起こしまくっている天狗党の騒動についてである。

 しかしまぁよくこんな絶海の孤島である学園島でクーデターなんてやらかそうとする大馬鹿野郎がいたもんだ。更にそいつらにくっついていこうする救いようのねぇ奴もいるとは驚きだ。

「とんだバカもいたものだ」と宗十郎はぼやいた。

「しかし、こうも騒がしいと学園生活にも支障をきたすのぅ」

「そうですね。我々としても、なんとかしようと思っているのですが・・・・・・」

 想が沈痛な面持ちで呟く。

 幕府の対応が後手に回っているのには理由がある。

 生徒大将軍、つまり生徒会長である徳河吉彦が現在不在なのである。

 生徒会を仕切るリーダーがいないのだ。その理由は定かではない。ただ、風の噂では将軍吉彦が幕府(生徒会)の金を持ち逃げしたという。何故彼は金を持ち出したのか、理由はなんなのか、使途は何なのか、その一切が不明なのである。

 将軍不在の現在、幕府の実権は執行部大老の書記長徳河詠美が握り陣頭指揮を取っている。だが、事あるごとに会計部長酉居葉蔵が口を挟んだり、火盗を私兵扱いするなどの傍若無人な行動により幕府の求心力が低下の一途を辿っていた。詠美や想達が頑張っているが、それでも歯止めがかからない。その為、幕府に対し不満を持ち生徒が増え、中には天狗党に入り、又は加担して彼らの乱を拡大させていった。

 反乱を止める術は、今はない。

「調べてみる価値があるな・・・・・・」

「ん? 何か言った、そーじゅーろー?」

「いや、何も」

 そらとぼける宗十郎をジッと見つめる光姫。

 あの日以来、光姫は宗十郎に興味があった。

―――あの者は一体何者じゃ?

「何を隠しておるのじゃ・・・・・・?」

 彼のことが気になり、由佳里に命じて彼について調べさせている。

 その彼女から、先日、気になることを言われた。

 その日、由佳里はある書物を持ってきた。『右衛門日記』と題されたそれは、彼女曰く、室町時代に北条氏康に仕えていた柴田右衛門康政(しのだうえもんやすまさ)という家臣が残した日記であるらしい。その書物のあるページが気になるということだった。

 

 

 

 ―――最近、この小田原に異形の者どもが現れ、民達を襲っている。我が殿も、主膳(しゅぜん)殿を始めとした私たち家臣も困っていた。こんなことは初めてで、どうしていいか分からなかったのだ。そうこうしているうちに、小田原の町は異形の者共に「食い荒らされ」我らの城まで迫りきていた。そこで私は、殿に京におわす公方様に助成を請うべきと進言した。しかし殿は、如何に公方様といえどあの者共をどうこうできるとは思えん、第一実権は三好修理大夫(みよししゅりのだいふ)殿が握り公方様には何の権利もないというではないかと反対された。私は京にいる知り合いから公方様の噂を聞いていた。故にそのことを踏まえて必死に説得し、ようやく殿の納得を得られた私は、早速京に向かい公方様に此度のことを告げ、助けを乞うた。公方様は数日中に何とかしようと申された。私が小田原に戻って数日後、約束通り公方様は救援を派遣してくださった。しかもそれは、公方様の直臣である左衛門佐宗十郎(さえもんのすけそうじゅうろう)殿という―――

 

 

 

 

「これが、どうしたというのじゃ由佳里?」

「この、左衛門佐宗十郎殿というのが気になって・・・・・・」

 首を傾げる光姫。別になんの不思議もないじゃないかと言う光姫に由佳里が思ったことを彼女に告げた。

「この本、全部読んでみたんですけど、他のところには『三好殿』とか『正二郎殿』とか名前や苗字なのに、この人だけ官職と通称なんですよ。この人の名前、いくつか出てくるんですけど、『左衛門佐宗十郎』とか、『相州殿』とかで、苗字と名前が出てこないんですよ」

「? 『宗十郎』が名前ではないのか?」

「それは(あざな)と言って、名前じゃありません。この時代の名前は(いみな)といって、氏康とか秀吉とか、私達が本で見る名前のことで、昔は主君以外は口にしていけないものなんですよ」

「ほう? そうなのか?」

「そうなんです。だから、諱と苗字がないこの『宗十郎』って人、おかしいんですよ」

 それを聞いていた光姫はピンとひらめいた。

 つまり、この本の作者柴田右衛門政康なる人物は意図的にこの『宗十郎』という人物の本姓と名前を隠している、と。そうまで言われると彼女が気になるといった意味が分かった。

「由佳里、こやつのことを調べてくれ」

 光姫は由佳里に命じた。

「・・・き、おい、光姫さん」

 誰かに呼ばれてはっと我に返った光姫を宗十郎は怪訝な眼差しで見つめた。

「何惚けてたんだ? しっかりしてくれよ」

「あ、あぁ、すまなんだな」

「じゃぁ、話進めるぞ」

 天狗党はその勢いを増し、どんどんとその数を増やしているらしい。入らなくとも、何らかの形で彼らを援助している者達もいる。噂によれば、越後屋も彼らを金銭面で援助しているとか。南北奉行所も人員を増やして対処しているが、追いついていない。火盗を頼りたいが酉居の私兵状態の彼らには頼み難い。

「長谷河さんも歯痒いだろうな」

宗十郎が彼女を代弁した。

「奴がいる限り幕府機構は麻痺したままだな」と彼は感じた。

 今日は、現状の確認と、宗十郎達への応援要請だった。

「分かった。八雲堂(こっち)に支障きたさない程度で協力しよう。それでいいか? 二人共」

「俺は構わないよ」

「わふぁっふぁー!!」

「・・・・・・取り敢えず、お前は食うか喋るかどっちかにしてくれ」

「ふぁ?」とお菓子を頬張り口元に食べかすをくっつけた新を見て宗十郎は大きなため息をついた。

「―――そういえば、台所に新作スイーツの試作があるんだが」

「ふいーふ!! ふぁふぇる!!!」

 言うや早いか。新は一目散に台所に駆けていった。

「さて、うるさいのがいなくなったな、詳しく話を進めえようか」

 食いしん坊にはあとで伝えると彼は言った。たったひと月で彼女の手懐けた宗十郎に想や光姫、真瑠は驚いていた。

「こっちでもさりげなく情報を集めておくよ。その方がアンタらも楽だろ?」

「それは大変ありがたいんですけど・・・・・・」

「気にしないでください逢岡さん。俺達が好きでやってるんですから」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 皆が寝静まった頃。

 ムクリと起き上がった宗十郎は、横でグウスカ寝ている八雲と新のお守りを大陰陽師に任せ、八雲堂を出た。

 いつ見てもここの夜空は美しいと思った。こんな夜空を、自分は後何回見ることができるのであろうか。

「・・・・・・」

 闇夜に浮かぶ月を見ながら、宗十郎はゆっくり歩いていく。

 彼はある場所に向かっていた。今回の件で、ある人物の意見を聞こうと思い立ったからである。彼女には先刻遣いの者をやって知らせてある。

(ほう・・・・・・)

 彼は振り向くことなく、後ろからつけて来た人物の存在を感じ取った。全く誰の指図かは知らないが、殊勝なこった。と微笑した。尾行者はかなりデキる人物らしい。

(忍びか・・・・・・? まだ残っていたか)

 時代の波に呑まれた消えていった技術を継承した者がいたことに、宗十郎は嬉しさを感じた。

(もう少し付き合ってやろうか)

 さて、闇夜を歩く宗十郎を八雲堂からつけてきた男は宗十郎に違和感を感じていた。

「お嬢に言われてつけてみたが・・・・・・、何なんだ、あの男」

 その男は、どういったわけか胸元がはだけたレオタードのような服を着ており、端から見れば完全にただのド変態野郎である。口に何故かバラを加えているし、彼にはそっちの気があるので、もうどうしようもない者であるが、腕は超一流の隠密である。

 男の名はじごろう銀次という。そんな銀次がこんな役を引き受けたのは、主人である女性の一言であった。

「この男のことを調べてくれぬか?」

 差し出された写真と共に女主人が彼に告げた。訳を聞くも、主人は答えてくれなかった。

 写真の男はいかにもさわやかな青年という印象を受けた。しかしどこにでもいそうな感じの生徒である。一体彼女は何をこの男に感じたのだろうか。

 そうして彼を調べていると、成程彼女が調べろといった意味がわかったような気がした。

 記録によれば、彼は本島の剣道の全国大会で優勝しているそうだが、そんな記録、どこにもなかった。

 又、数日彼を尾行していたが、何か怪しい。その何かは分からなかったが、妙に変な気分だった。あの柳宮十兵衛と親しいようだし、彼と一緒に住んでいる秋月八雲なる男子は彼女に弟子入りしている。

 端的に言って、不思議すぎる男である。興味が湧いた。

「一体誰に会いに行くんだ・・・・・・?」

 さて尾行を続けようかと思った時だった。

「・・・・・・!!?」 

 後ろから全身が凍りつく程の殺気を感じた。今まで感じたことのないもので、全身から汗が吹き出していた。

 慌てて後ろを向くも、そこには誰もいなかった。

 「・・・・・・?」

 しかし、彼はそこに確実に誰かいたと確信していた。けれども、誰もいないのが事実。

 仕方なく彼は前に首を向けた。

 「嘘だろ・・・・・・」

  銀次は唖然とした。

 彼が後ろを振り向いて、向き直るのに要した時間はほんの数秒である。

 そのたった数秒で、彼は姿を消してしまった。そんな馬鹿なと銀次は走り出した。彼はあらゆる交差地点で立ち止まり辺りを見回ったが、どこを見ても誰もいなかった。

  銀次は完全に標的を見失った。

「しくじった・・・・・・」

  銀次は悔しさに顔を歪めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  廃屋の荒れた一室に、柳宮十兵衛は人を待っていた。時刻は既に12時を過ぎている。

「すまねぇな。待たせた」

 ガラガラと引き戸が音を上げて開いた。待ち人を見た十兵衛はお気になさらずと彼を席へ促す。

「随分と嬉しそうですな、宗十郎殿」

 嬉々とした表情で入っていた宗十郎を十兵衛は同じく嬉々とした表情で見た。

「何、久々に面白い奴に会えたんでな。今ちょっとからかってきたとこだ」

 ふふんと笑いながら、宗十郎はその微妙な言葉遣いは止めるよう指摘した。

「宗十郎殿。若輩者の私にも、礼儀というものがあります。国の英雄に対してタメ口や呼び捨てなんかしては、父上に殺されてしまいます」

「・・・・・・なら、仕方ないな」

 宗十郎は嘆息したが、ひょいと棒状の何かを投げてよこした。

「これは?」

 彼女は受け取った物を見ながら問うた。その物は鞘に収まった太刀であるらしく、鞘の装飾は天に昇る龍が描かれていた。

「お前を観察して作った太刀(もの)だ」

 鞘から抜いたそれは、綺麗な反りと程よい長さ、濤乱刃の刃紋のそれは、見る人を不思議と魅了するものだった。思わず「おぉ」と感嘆の声を上げていた。

「銘を藤朝臣相模守光滋(とうのあそんさがみのかみみつしげ)ってんだ」

 彼女は光滋を手に取り、席を立つと軽く振ってみた。

 するとどうだろう。初めて握ったのに、まるで自分の手足のごとく自然に馴染んでいたのだ。

 十兵衛はますます相模宗十郎に興味を持った。

「それで、宗十郎殿。話というのは?」

「そうだった」

 どかりと座った宗十郎はふぅ、と大きなため息をついた。

「天狗党の一件よ」

 ここ最近の天狗党一味の乱暴狼藉は目に余るものがあった。あちこちで被害報告が相次ぎ、南北奉行所は人手不足に陥っていた。その為、八雲達にも度々応援要請が入るようになった。それだけ、天狗党の勢いは破竹の勢いで広がっていった。と宗十郎が愚痴るかのように時折感情を交えながら十兵衛に語った。

「全く、どの世界にもバカはいるもんだな」

「申し訳ない。我らの不甲斐なさのせいです」

「お前のせいじゃねぇよ」

 クククと自嘲気味に笑う宗十郎は、ふぅ、と一息ついた。彼にしてみれば早急にこの乱を潰し、平穏な学園生活をエンジョイしたかった。貴重な時間を、アホな連中の為に減らされるのは我慢ならなかったようだ。

 宗十郎は机に上に両腕を置くと、いきなり切り出した。

「十兵衛よ。天狗党の首領、わかるか?」

「・・・・・・いきなり、核心を突いてきますね」

「いつまでも奴らを野放しにしているわけにもいかないだろう?」

 彼の言う通りだ。連中をこのままにしておけば近い将来幕府は崩壊する。それはすなわち無秩序が作られるということだ。そんなことは断じて阻止しなければならない。

 彼の問いに対する十兵衛の返答は何とも言えぬものだった。

「さるやんごとなき家柄に連ねる者、とだけ把握しております」

「と、いうと?」

「言葉の通りですよ。私の知る限り、上級身分の一族の中に天狗党の首領がいます」

「そうか・・・・・・」

 天狗党のボスが幕府に名を連ねる一族にいるとなれば、これは大事である。

「ボスの狙いは何だろうな」

 大体の予想はつくが、あくまで想像の域を出ない。彼が何故こんなことをしでかしたのか、その理由が知りたかった。

「将軍家、それも分家か宗家の末席に列する者が最も怪しいでしょうな」

 それは最も。跡取りである者以外は余程のことがない限りそういった権力の座が巡ってくることはない。その家の一族ってことだけで、後は普通の生徒と何ら変わりはない。

 そのことに不満を持つ者は昔からいた。彼らは手にできるはずだった権力を欲するあまり反乱を起こし、鎮圧される。というのが、世の常だった。

「あと考えられるのは、幕府機構の長官を務める連中、か?」

「そのへんが妥当でしょう。末端も者共は、関与していないと思われますな」

「ま、それが普通だな」

 宗十郎は立ち上がると、外に向かって歩きだした。それに倣い、十兵衛も歩きだした。

 地平線の向こうから薄日が指しているのが分かる。どうやら色々と話しているうちに夜が明けてしまったらしい。

「時に十兵衛。首領の正体、お前知ってるだろ?」

「・・・・・・」

 十兵衛は何も語らない。ただニコっと笑みを浮かべるだけだ。

 まぁいいと彼はこの話を打ち切った。

 宗十郎は話題を変えた。

「一つ、見て欲しいものがある」

「なんでしょう?」

 宗十郎は、新聞の切れ端を十兵衛に手渡した。

「これは・・・・・・?」

「ここに来る前に図書館で調べて見つけたある少女に関する事件の記事だ。少し、気になるところがあってな」

「気になるところ・・・・・・ですか?」

 読めば分かるといことで、彼女はその記事を読み始めた。そして、ある一文のところで、小さな唸り声をあげた。

「少し、調べて欲しい。頼まれてくれるか?」

「承知しました。調べましょう」

 またな、と宗十郎は彼女と別れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 宗十郎が戻ると、店前で八雲が鬼の形相で仁王立ちして彼の帰りを待っていた。

「どこ行ってたんだよ!! 心配したじゃないかこのバカっ!!!」

 朝一番に彼は八雲の説教を喰らうハメになってしまった。

「今度から、出かけるときはちゃんと言ってくれ!」

「・・・・・・はい」

 その恐ろしさのあまり、さしもの宗十郎も素直に謝ることしかできなかった。

「もう、しないよ。だから機嫌を直してくれ」

 苦笑いをして言う宗十郎を八雲がギラリと睨みつけた。宗十郎は「ごめんなさい」と頭を下げた。

「なら、美味いメシを作ってくれ」と八雲はため息をつく。

「おうよ、任せとけや」と宗十郎は服を巻くり上げキッチンへ消えていった。その途中で、居候とかしてぐうすか呑気に惰眠を貪っていた新を見かけたが、ほったらかした。

 どうせ、飯の匂いですぐに起き上がるに違いないという確信があったからだ。彼の言う通り朝食の匂いに惹かれて起き上がり襲いかかってきた彼女を沈め、準備に取り掛かる。

「飯、出来たぞ」

 宗十郎特製の朝食を平らげた一行は、学園に行きいつも通り過ごした。

 放課後、二人は十兵衛の道場に赴いた。八雲はそこで、自らの師と仰ぐ十兵衛から剣の手ほどきを受けていた。

 あの一件以来、自分の身は自分で守りたいと考えた八雲はあれほど嫌がっていた十兵衛の道場に足を運び、弟子にしてくれと志願した。理由を聞くことなく彼女はそれを許可した。以後、学校がある日はほとんど道場で稽古してから八雲堂で働くという毎日を送っていた。

 宗十郎も彼について道場に来ていた。彼は基本見学の形を取り、十兵衛や八雲に請われた場合のみ指導をすることにしていた。

「だんだんと良くなってきたな」

 休憩時間。宗十郎は教官室にて十兵衛と談笑していた。十兵衛も鼻が高いようで、嬉々とした顔で「ええ」と言った。

「貴方に褒められるとは、私も鼻が高いですよ」

「持ち上げても、何もやらんぞ十兵衛」

 にひひと笑う宗十郎は、まんざらでもないようだ。

 その内、宗十郎の何かに火が付いた。

「よし、次の時間は全員俺が指導してやろう」

 十兵衛はエッと驚いたが、しかしそれは願ったり叶ったりであった。天下に轟く大剣豪の技を伝授願えるとは・・・・・・。

「私としては、願ってもないのですが・・・・・・よろしいので?」

「かまうこたねぇよ。国を担う次代が育つなら本望よ」

 十兵衛は彼の好意に感謝し、次の時間から終わりまで宗十郎による特別授業を開講した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――ある日、我が相模に公方様の直臣が2名こられた。名前は訳あって教えてはくれなかった。が、その者達は左衛門佐殿から「近江」や「新九郎」とか呼ばれていた。察するに二人は私と同じ武士だろうと思われる。彼らの会話から、近江と呼ばれている者は以前関白だったようだ。とういことは、近江殿は摂関家と何か関係があるらしい。

 我が殿は彼らに此度の件でお礼を申し上げた。その上で、近江殿や新九郎殿に左衛門佐殿をこの国の守護にして欲しいと願われた。左衛門佐殿の下で、今一度治世について学びたいと―――

 

 

 

「うーん。これでもないなぁ」

 八辺由佳里は一人書庫に篭ってありとあらゆる書物を漁っていた。左衛門佐なる人物について調べているのだ。しかしどの書物にも彼の名が載っているものはなかった。

 そこで、彼女は棚から幕府の御家人の名が記された書物を手にとった。

『忠臣列記』なる、室町幕府歴代将軍に仕えた御家人の名と官職、その人物の伝記などが事細かに記されている書物である。作者は、織田信長の家臣丹羽五郎左長秀。

 パラパラとめくっていると、先程見かけた「近江」と「新九郎」の名が記されているページに行きついた。

 

 

九条為憲(くじょうためのり)

 五摂家の一つ九条家の出。先の関白であり従五位下近江守。呼び名は近江殿。齢29の頃まで関白として時の正親町帝を支えた。30の頃、光源院殿の願いを聞き入れ関白を辞し、近江守として、朝廷との繋ぎ役として光源院殿を支える。剣聖上泉伊勢守殿より剣を教わっていたらしく、剣の腕は貴族の中は無論、武士と比べても比類なき腕であったという。

 永禄の変にて、松永勢を前に奮戦し討死。

 

後藤新九郎泰高(ごとうしんくろうやすたか)

 平安の大陰陽師安倍晴明の裔であり、唐国三国時代の呉王孫権の臣周泰を祖とす。従五位下右近衛少将。呼び名は、新九郎殿とも安倍新九郎殿とも。光源院殿の命のより、先祖譲りの陰陽術と剣術にて各地の騒乱を鎮める。永禄の変にて、光源院殿の命にて一乗院門跡覚慶殿、後の霊陽院殿を松永勢の元より脱出させ、彼を補佐し、後年、我が君上総介様との合力に尽力す。『足利四天王』の一柱であり『術聖』と称される。

  

 

 彼女はそのページをパラパラとめくっていた。特に、光源院の臣下を注視していた。その理由として、光源院のページが異様に割かれており、彼の家臣を始め、彼と親交があった者達の伝記が記されていた。それこそ、我々の世界に名の知れた者の名もあった。

 その時、彼女の眼にある人物の名が記されているのを発見した。

 

 

進藤宗十郎龍将(しんどうそうじゅうろうたつまさ)

 蜀漢の義将趙雲の裔で、進藤家中興の祖。従五位下相模守。彼の呼び名は多数あり、主要なものでも相模殿、宗十郎殿、相州殿、進藤朝臣殿とある。本人も気に入っているらしく普段は『相模宗十郎』としてすごす。槍・剣・弓あらゆる武術に長けた天才。この國の各地で起こりし異常から我が國を守り抜いた。『足利四天王』筆頭柱にして『槍聖』として幕府・朝廷の護り刀としてその力を振るった。永禄の変にて、松永勢1万を前に鬼神の如き演武を舞い、無数の矢を浴び討死。後年、我が同輩堀河源之丞輝明(ほりかわげんのじょうてるあき)をして、「日ノ本一ノ大忠臣」と称される。

 

 

 

「進藤・・・・・・」

 進藤という名を彼女は耳にしたことがあった。外界との情報が断たれているとはいえ、この國を守護してきた一族のことを知らぬ者はこの島にいなかった。

 最強の名を欲しいままにしてきた一族であり、現当主進藤龍造、長兄龍一は共に槍の名手として名を馳せ、次男龍二に至っては高校の剣道大会で日本の頂点に君臨する強者である。更に、龍造の父は、あの『護國神』進藤龍彦で大元帥ある。今も国の内外でその影響力を発揮している人物で、列強がこの国に手を出せない理由の一人である。

 又、噂では京都に1000年以上生きている進藤一族の姫がいるとかいないとか。

 彼ら一族は他の人達にはない特別な力をその身に備えていた。その力は、まだ、世に知られていない。それは、これまで幾度の訪れた国難から国を守ってきた。

 進藤家と相模宗十郎。何か関係があると踏んだ由佳里は徹底的に調べることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 宗十郎は調理場でせっせと菓子を作っている。和室では、八雲がぐったりと横になってうんうん唸っており、その隣で例によって新が惰眠を貪っていた。

「やりすぎた・・・・・・」

 宗十郎がぼやくのは理由があった。

 十兵衛の許可をもらい行った特別講義。人に教えるのは久々とあり、かつ、次代を担う若者達の為とあって、ついつい熱が入ってしまった。

 我に返った時には、道場には死屍累々の惨状が広がっていた。

「はっはっは。いい勉強になったなぁ、君達」などと十兵衛は笑って言い放ったが、そんな彼女の言葉など瀕死の彼らの耳に入るわけなかった。

 かくして気絶している八雲を彼が責任もって連れて帰ってきたわけだが、そこにはすでに先客がだらしない姿でぐぅすか眠りこけていた。しかもヨダレを垂らしながら。

「この野郎。ここはテメェの家じゃねぇぞ」

 どうやら、夢の中でも彼女は何か美味そうなものを食っているらしい。

 八雲をおろし、新のヨダレを拭いてやり、よしと調理場へ急いだ。今日頑張った八雲へ褒美のあまーい菓子を作るのだった。

「~♪」

 鼻歌を歌いながら手際よく菓子を作る彼。その彼の後ろに迫る影。

「匂いに誘われ私登場っ!」

 ゴツン

 後ろから迫ってきたすっとこどっこいを、彼は腰に佩びていた龍牙でぶん殴った。頭を抱え悶絶している彼女に、「匂いに誘われじゃねぇよこの大食い野郎」と冷たい視線を浴びせた。

 新は涙目になりながら「お腹がすいたんだー! 何か食わせろー!!」とでかい口を叩きやがったのでもう一回龍牙で殴った。

「食わせてやってもいいが、条件がある」

「・・・・・・何?」とふてくされて涙目の新。

「実は、今度新作の菓子をお前に試食してもらおうと思っているんだが、材料が足りなくて―――」

「買って来るっっっ」

と新は何も聞かず猛ダッシュで店を出ていってしまった。まだ、何を買ってくるのかを告げていなかったのに。

「おーい新ぁ。メモ―――」

 猛スピードで戻ってきた新は彼が持っていたメモをひったくると踵を返して街の中に消えていった。

「あらあら。食べ物のことになるとすごいわね、彼女」

「だろ?」

 いつの間にか、ふわりと長い髪をなびかせた女性が傍らにあった椅子に腰掛けいた。小袖と緋の長袴姿の彼女はくすりと笑っていた。

 別に彼女が勝手に出てくることはよくあることなので気にはしていないが、この姿は珍しかった。

「貴方のその姿を見るのは初めてだな」

「んっふっふ。私もいちおー女の子なんでな。たまにはこんな格好もするさ」

「さいですか。ま、甘いものでもどうですかい」

 そんな彼女に彼はできたばかりのパフェをご馳走した。眼を輝かせてぱくつく彼女はさながらリスのように可愛かった。いかに彼女がこの国を代表する剣豪であったとしても女の子には変わりない。宗十郎は彼女を見ながら煎じた茶を啜った。

「宗十郎! おかわり!!」

「・・・・・・子供ですか貴方は」

 食べきった器をバンと出しながら彼女、伊勢守信綱が笑顔で注文する。はいはいと器を受け取った宗十郎は予め用意していたパフェをその器に盛りつけ差し出した。うむと受け取った信綱は顔を綻ばせながらぱくついた。

「いい機会です。学生として生活してみますか? 貴方が望むなら、秀忠に掛け合いますよ」

「オーそれいいなぁ! 堂々とお前の作ったものが食えるしな! 頼む!!」

「いやいやちゃんと勉強もしてくださいよ。これじゃそこのタダ飯ぐらいのバカと同じじゃないですか」

「こー見えて、私は甘いものに眼がなくてな!! けど、私はちゃんと自制してるんだぞ!」

「いや聞いてないですし、理由になってないし。

 ・・・・・・まぁいいや。その代わり、俺と一緒にアイツらを守るんですよ」

「任せろ! 私を誰だと思っているのだ」

 やれやれと言わんばかりに彼は携帯を取り出し、あるところに電話をかけた。

「あー、俺だ秀忠。ちょいと、話がしたくてな。今日の夜、空いてるか? うん、うん。そうか、分かった。じゃぁ9時に」

 約束が取れたことを告げると信綱はとんでもなくはしゃいでいた。

 思えば、彼女の時代に学校などという概念は存在しなかった。そんな彼女にとって、学校という場所は未知のものである。だったら心ゆくまで堪能して頂こう。

「そーじゅーろー! そーじゅーろー! パフェおかわり!!」

「・・・・・・はぁ」

 最早子供である。眼を爛々と輝かせ、机をバンバン叩いてパフェを急かす。よほど学校という所に行けることが嬉しかったらしい。これが本当に剣豪か?と思いたいくらいに活き活きとしている。

「はいはい。今準備しますよ」

 苦笑しながら宗十郎はパフェの準備に取り掛かる。

 それから数分して新が戻ってきた。買ってきた物を確認すると、彼女の労をねぎらう為に新作のクレープを作り始めた。



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その4 動き出した歯車Ⅰ 天狗党の乱終焉

 闇夜が支配する街の中を闊歩する宗十郎は、ゆっくりと学園へと向かっていた。別に誰かに会うのが目的ではない。

何となく、夜の学園に興味があっただけだ。不謹慎とも思われるだろうが、そちらの住人がひょっとしたら出てくるんじゃないかなとか出てきたら会ってみたいなとか考えてたりする。

 というのは、建前で、本当の目的は別にある。

 しばらくすると、彼の周りを数十人の者が囲んだ。全員天狗の仮面を被っており顔は分からない。

予想通り、天狗党の連中である。

「・・・・・・俺に、何か用か?」

 静かに話しかけるが、連中は無言で腰の得物を抜いた。どうやら問答無用らしい。

 連中が襲っているのは商人や幕府に関係がある武士であることは分かっていた。

 そこで宗十郎は、逢岡に頼み奉行所の制服を借り受け、自らを囮として連中を捉えるように逢岡に進言した。彼を危険な目に遭わせるわけには行かない想はその申し出を断ったが、宗十郎は「アホが。こんな状況、いつまでも長引かせてちゃ連中の勢いを増長させるだけだろうが」と一喝した。想はそれ以上何も言えなかった。しかし、せめてケガは危ないことはしないでくれと懇願した。

 分かったと彼は手をヒラヒラと振って奉行所を後にしたのだった。

「成程。問答無用ってわけか」

 そう言いながら、彼は腰の龍牙を抜きその峯を連中に向けた。

「来な」と言うやいなや、天狗党の一味は一斉に襲い掛かった。彼らの攻撃はそれなりに心得があるようだが、宗十郎の敵ではなかった。峯を、頭金(かしらがね)を、鞘を敵に打ち付け沈めた。その動きは、さながら大空を優雅に舞う蝶のようだった。

 その時、「御用」の声と共にこちらに向かってくる一団があった。伊勢守信綱に頼んで呼んでいた南町奉行所の一団である。

「お勤めご苦労さん」

「相模さん、これは・・・・・・」

「安心しろ。殺っちゃいねぇよ」と彼が言うと、確かに低い呻き声が微かに彼女の耳に入ってきた。

「こいつらは恐らく下っ端だ。調べても対した情報は出てくねぇと思うが」

「そうですね。ですが、少しでも情報は欲しいですから」と想は連中を南町奉行所へと連行していった。

 彼女たちを見送った後、彼はある一点に視線を向けた。

「隠れてないで出てこいよ、水戸の忍び野郎」

 彼が声をかけたのは、すぐ先にある十字路の角である。宗十郎がじっと見つめていると、そこから男が出てきた。その姿を見た宗十郎は、思いがけずギョッとした。口にバラを咥え、なぜか胸元が網状の派手な服に身を包み、如何にも新宿2丁目界隈の住人の気がある男であった。

「良く、俺様がいると分かったな」

「以前つけてきた奴と同じ気を感じたんでな。アンタのことは調べさせてもらったよ。じごろう銀次」

「・・・・・・」

 銀次は黙った。その眼は、眼前の男が何者なのかを探っていたが、ついに分からなかった。

 宗十郎はそんな彼を見てせいぜい頑張れと心の中で応援した。

「アンタ、一体何者だ? 学生じゃねぇだろ」

 銀次は直球で物言った。それに対して宗十郎はキッパリと言い放った。

「悪いが、お前に答える気はない」

 グッと銀次は唇を噛み締めた。プライドを土足で踏み躙られた感じだった。と同時に、それを涼し気な眼で見つめている宗十郎にますます興味を惹かれた。

 その一方で、この男には危険な匂いがプンプンした。主人に害成す者かもしれないとの警戒心から、銀次は小太刀を片手に握り間合いを取った。

 秋月八雲と徳田新と同居し、『八雲堂』で料理を担当している武士階級の男。剣術指南役柳宮十兵衛と親しい仲にあることは彼の調べで判明している。が、それ以上のことは一切分からない、謎の転校生相模宗十郎。

 彼がこの学園にとって、ひいては主水戸光姫にとって害悪があるのかどうか、それを見極めることと彼の正体を突き止めることが彼の任務であった。

「アンタこそ、この国で何を探ろうとしてるんだ? アメリカのスパイさん」

「!? 何故それを知ってる!?」

「俺には特別なコネがあってな。ここに来る前に生徒教師の名前等々はここに叩きこんである」と彼は頭をつついた。

「・・・・・・」

「安心しろよ。この事は誰にも言ってはいない」

「・・・・・・」

「信じてくれないのか?」

「・・・・・・いや。アンタは嘘をつくような人じゃないのは良く分かった。信じるよ」

 銀次が警戒を解いてくれたことで、宗十郎は安堵し握っていた龍牙を鞘に収めた。

 宗十郎と銀次は互いに自己紹介を済ませると、話題を今回の天狗党一味の騒乱に暫く話し合った後、別れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 次の日。意気揚々と教室に入ってきた南国先生の口からめ組にまた転校生が入ってきた旨が伝えられた。名を上泉真瞳(かみいずみまなみ)という。宗十郎と同じく外界で剣の腕が優れているとのことで、理事長名の帯刀許可証をもらっていた。

「よろしく頼む」

 その凛々しい姿に、その可愛らしい姿に、生徒からは歓声が上がる。

 その時、南国先生より真瞳が八雲の家に厄介になる旨が告げられるや、男女問わず憎悪の眼差しが八雲に向けられた。すでに、彼の家に新が転がり込んでいることと、宗十郎が一緒に住んでいることはクラスメイト全員に周知されている。かたや美少女、かたや何でもできるイケメンと一つ屋根の下で暮らしていることでさえ羨ましいことであるのにこの上かっこいい美少女上泉真瞳まで彼と共にすごすなんて聞かされた時の男子諸君の憎悪の眼差しといったらたまったものじゃない。

「おい、秋月を殺っちまおうぜ」

「それがいい。幸せ者には鉄槌を」

「一人だけいい思いして」

「殺す殺す殺す殺す殺す・・・・・・」

 物騒な恨み言独り言が八雲の耳に入ってきては身震いをし、宗十郎に助けを求める。彼は「頑張れ少年」と囁くように告げた。その時の八雲の絶望に打ちひしがれた顔を宗十郎はこっそりと笑っていた。

 休み時間になると、八雲は脱兎のごとく教室から逃走、それを狩人と化した級友達が津波のごとく追いかけた。

その一方で、真瞳は女子生徒達に囲まれ質問攻めにあっていた。それを楽しげに見つめる宗十郎。

「アンタ、友達なら助けてあげなさいよ」

 後ろから呆れたように首を振る由真の方に顔を向けながら、宗十郎はふふんと笑うだけだった。

「たまの青春さ。十分謳歌し給えよ」

「薄情な奴ね」

「いいんだよ。刺激は多い方が」

「そーゆーもんなの?」

「そーゆーもんだよ。ほい土産」

「・・・・・・なして?」

「俺の気分。ま、食ってみろよ」

 言われて由真は渡されたクッキーを一口食べてみた。

「・・・・・・相変わらず旨いからムカつく」

「褒め言葉として受け取っておこう。今度教えてやろうか?」

「・・・・・・お願いします」

 ポンポンと頭に手をやる宗十郎は、颯爽と教室を出た。

 趣いた先は、火盗改番所。

「おや、珍しい客人だな」

「相っ変わらず淋しいねぇアンタは」

 やかましいと食事しながら長官長谷河平良は不満な表情を見せる。

 宗十郎は辺りを見回した。閑散とした番所は騒動の最中とは思えなかった。

「奴の為に、アンタの部下は使いっぱしりか」

「全く、私は仕事が出来たもんじゃないよ。困ったものだよ」とぼやく平良に彼はお手製クッキーを差し入れた。いつも済まないなと言って彼女はそれを一口入れた。

「状況は芳しくないみたいだな」

 どっかりと腰を下ろした宗十郎に、平良はゆっくりと頷いた。

「酉居に持ってかれているからな」と一言だけ行った。

 天狗党が幕府に対してクーデターを起こしてからというもの、幕府、とりわけ酉居は躍起になって天狗党狩りを始めた。しかし彼自身は兵を持っていない。そこで彼は火盗改の者達を使い、連日街に繰り出し威圧的に捜査していた。

 もともと評判が悪かった酉居の評価は、このことによって更に下がってしまった。それに付随して、火盗改の評判も悪くなってしまった。平良にとってとばっちりでありいい迷惑であり、腸が煮えくり返る程の怒りを溜め込んでいた。

「全く、いい迷惑だよ」

 ムスッとして彼女は差し入れのクッキーを頬張った。

「今日は暇か?」

 ニコニコしながら聞いてくる宗十郎にむっとしながら「見ての通り」とそっけなく返した。

 そうかと言って、それから彼はなら今日は俺と出かけないかと誘ってきた。平良はどういうことかと問うも、宗十郎はぶらり街巡りだがと真顔で言った。

「たまには気晴らしと行こうや」

 と軽いノリで言う宗十郎に呆気にとられつつも、平良は少し考えてからそうすることにした。

「それでは、参りましょうかお嬢様」などとキザな言葉にホンの少し顔を赤らめつつ、平良は彼と一緒に外に出た。

 街は天狗党による騒動が嘘のように活気に満ちていた。生徒にとって今回の騒動をどう捉えているのか気になったが、そんなことは頭の片隅に置いやり今日は宗十郎の言ったように一日羽を伸ばすことにした。

「あ、長谷河様、こんちわ」

「あぁ」

「長谷河様。今日は相模さんとデートですか?」

「実はそうなんだって言いたいんだがな、違うよ」

「長谷河様ー。これ食べてってー」

「あぁ、ありがとう」

 街に出てみたら、会う人会う人から声をかけられあっという間に人気者になってしまった平良。生徒達が嫌っているのは悪まで老中酉居であって、別に火盗改や平良個人を嫌っているわけではないらしい。それを知ったので彼女はほっと胸をなで下ろした。

 生徒達に嫌われてるわけではないと知った時の平良の気持ちとはいか程のものだっただろうか。それは彼女のみが知っている。

「さて、感想をお聞かせ願いましょうか長官殿?」

「君も意地が悪いなぁ。見ての通りだろう」

「こーゆーのは、本人の口から聞くのが一番なんですよ」

 にひひと屈託のない笑顔を見せながら、宗十郎は自身の店に彼女を招待した。

「まぁ、ゆっくりして行ってくれ。今茶ァ出してくるよ」

 通された和室を眺めつつ、平良は嘆息する。こんな豪勢な建物を一人で一時間でもって仕上げるとは、この男何者だと言いたくなった。そう思いたくなるにはまだ理由がある。

 彼女は事あるごとに宗十郎に違和感を感じていた。彼は確かに普通の高校生に違いない。ただ、時々彼の中に誰か別人がいるように感じた。その誰かは、言葉では言い表せないくらいの恐怖をその身に刻みつけた。

 般若、夜叉、鬼。そのどれでもないものだ。

 色々なことを考えているうちに宗十郎が煎茶を彼女の前に置いた。礼を言って啜ると、程よい温かみと苦味があり、それでいてすっきりとした味わいであった。

「それで、授業サボってここに連れてきた理由を聞こうか、相模」

「・・・・・・察しがよくて助かるよ長官殿」

 その長官殿を止めろと告げる平良に対し、悪気のない笑みで彼女の対面に腰を下ろした。

「内容は、別に言わなくてもわかるだろ?」

「あの件か?」

「無論」

 今、幕府が最も悩ましている騒動。領分は言わずもがな平良率いる火盗改と南北奉行所である。しかし、南北奉行所は、天狗党一味に便乗した不良共による夜盗追い剥ぎ強盗カツアゲ恐喝等といった面倒事に人員を割かねばならず、火盗に至っては酉居によって私兵のごとく使われており、火盗本来の職務を遂行不能状態に陥っていた。

 今まさに、この街は無政府状態に等しい存在だった。平良にとって歯がゆいことこの上ない。

「まぁ少し頭を冷やすこった。今のままじゃ、いい案も浮かばんだろう」

 ちゃっかり甘い物をぱくつきながら宗十郎は同じものを薦める。甘いものに眼がない平良は欲に任せて食べ始めた。

 美味しそうに食べるその姿を見て、宗十郎はよしよしと一人頷いた。

 食べ終わると、平良は、ほうっと息をついて器を置いた。

「これ以上、火盗の仕事を止めておくわけにはいかないな」

「そうだ。これ以上は私も我慢の限界だ」

「ふむ・・・・・・。その件に関しては俺の方から手を回しておこう。俺もあれは迷惑なんでな」

 あれ、というのは先日校内に張り出された酉居名義の通告であった。その内容というのは、火盗の権限強化と不審者に対する情報の提供・発見者に報奨を支払うというものであった。火盗の権限強化に関しては異論はない。あるとすれば、その火盗を私物化して天狗党打倒を目論む酉居に対する不信感ぐらいなものだ。

 しかし、二つ目の内容は承服しかねるものだった。これはまるで秘密警察である。生徒間で監視し合うことで疑心暗鬼となり、今後の学園生活に支障をきたすのは眼に見えている。

 後手に回ってしまったことは致し方ない。が、これ以上の事態悪化だけはなんとしても避けたかった。

「手を回すって、宗十郎。何かアテはあるのか」

「知り合いに、顔が利く奴がいてな」

 それだけ言った。

「時に、平良。ひとつ聞いてもいいか?」

「何だ?」

「アンタにとって、武士とはなんだ?」

 唐突に、おかしなことを聞いてきた宗十郎。しかし彼女はその真剣な眼差しを見て、冗談や何かで聞いたことではないことはわかった。

「私にとって、武士とは、力無き者を守る為にその力を振るう不屈の戦士、かな」

 それを聞いた宗十郎はホンの少し笑みを浮かべた。この国も捨てたものじゃないなと感じ入った。この学園に、彼女のような若者があと何人いるのか調べてみたくなった。

「それがどうしたというのだ?」

「何、俺の興味だ」

 何が何やらわけがわからぬ彼女を他所に、彼は豪快に笑った。

「ふふん。まぁ、まずは、ゆっくりしようや」

 そういうことになった。

 が・・・・・・

「なぁ宗十郎。なんか焦げ臭くないか?」

「ん? ・・・・・・そういえば」

 鼻をつんざく焦げ臭い匂い。住居の中をくまなく見回してみるも、特に異常は見られなかった。

 まさかと思い、外に駆け出してみると、果たして隣のねずみ屋から火の手が上がっているではないか。それを見た二人の行動は素早かった。平良は急ぎ火盗及び奉行所に連絡を取り、宗十郎は既にできていた人だかりをかき分けて燃え盛るねずみ屋に飛び込んだ。

 その際、彼はある一団がこっそり去っていくのを見逃さなかった。宗十郎は仕込んでいたクナイを彼ら目掛けて投げた。そのうちの一人に当たったのを確認してから彼はねずみ屋の中で三姉妹がいないか探し回った。幸い三姉妹は不在だったようだが、ねずみ屋はほぼ全焼してしまった。

 せめてもの救いは、平良の連絡が早かった為、隣家への延焼を免れたことだった。

 連絡を聞いた三姉妹と八雲、新が飛んで帰ってきた。無残な姿となったねずみ屋を見た由真は怒り狂い放火犯をメッタ打ちにすると躍起になっていたが、結花や唯が彼女を宥めた。

「想、真瑠。犯人の一人は右腕に手傷を負っている。北西に逃げた。追ってくれ」

 それを聞いた二人はすぐに部下に指示して、今後の対策を練り始めた。

「八雲、三姉妹を、今後家に泊めるがいいか?」

「別に、俺は構わないけど」

「アタシも意義なーーーし!!」

「・・・・・・居候のお前に意見は求めてねぇよ」

 コツンと拳をくれてやった。宗十郎はこの場を八雲に任せ、平良を連れてある人物のもとへ急いだ。平良が何処へ行くのか幾度も聞くも黙って付いてくればわかるといって譲らなかった。

 

 

 

 

「ふむ。それは大変であったな」

「そうなんだよ。だからさ、一つ頼まれてくれ」

 平良は終始呆然としていた。彼女の対面には、隠居しているとはいえ、幕府No.2の副将軍が座していた。その彼女は、宗十郎の申し出を二つ返事で了承したのだ。これによって、平良は忌々しい酉居の手から部下を解放することができたのだ。それはいいのだが、一体宗十郎はどこまで顔が広いのか全く分からなくなってしまった。

「わしが手配しよう。準備は任せてくれ」

「うん。よろしく頼む」

 言うや早いか、光姫は銀次を呼んで指示を出し、銀次は早々に姿を消した。手際に良さに関心しつつ、呑気に茶を啜る宗十郎と光姫。それに唖然としている平良。

「どうした、平良。鳩が豆鉄砲喰らったような顔しやがって」

「なんじゃ? わしの顔になんかついておるのか?」

「・・・・・・貴方がたの仲の良さにビックリしてるんです」

 何だそんなことかと言うと、「光姫さんは、│八雲堂《うち》の常連なんだよ」と宗十郎は告げた。まさかの事実に驚く平良の尻目に、光姫は銀次を呼び言伝して何処かへやった。

 光姫は屈託のない笑顔を浮かべて二人を見た。これで良いかの?と言っているように見えた。宗十郎は親指を立てて答えた。

「邪魔したな。今度差し入れ持ってくるよ」

「うむ。とびきり旨いものを頼むぞ」

 はいよーっと手をヒラヒラ振って二人は光姫の屋敷を後にした。

 その後二人は日頃の鬱憤を晴らすように存分に遊んだ。この時だけは、長谷川平良は火盗改長官ではなく、一人の女の子になっていた。それを見た宗十郎は満足したように頷いていた。

 平良と別れて八雲堂に戻ると、そこには腹を空かせて早く飯を作れと唸る猛獣共が待ち構えていた。

「少し黙ってろ猛獣共。少しでも騒いだら貴様らに食らわす飯はないと思え」

 低い声で宣告すると、猛獣共は先程の勢いはどこへやったのか、子犬のように大人しくなった。宗十郎は結花の手伝いにより今まで以上のご馳走を振舞うことができた。

 ご馳走をたらふく腹の中に放り込み、満足した彼らはそのまま畳の上に無防備な姿を晒した。嘆息しながら宗十郎と結花は眠りについた野獣達に毛布をかけてやり、彼らは宗十郎が煎じた茶を啜っていた。その際に、結花はこの度のことについての礼を述べた。気にすんなと宗十郎は言った。

「明日は全校集会だっけか?」

「そうですよ。徳河さんから訓示があるそうですよ」

「まぁ、時期が時期だからなぁ」

 他愛のもない会話をしながら、宗十郎はあることを考えていた。

 連中が事を起こすとすれば、明日ほど絶好の機会はない。更に、将軍代行の詠美を襲撃するにはもってこいの場所だ。

 将軍代行であれ、詠美は幕府のトップである。彼女がいなくなったら、既に砂上の楼閣に近い幕府は間違いなく瓦解する。そうなればこの学園は無政府状態となり・・・・・・。

 それは、なんとしても阻止しなければならない。

 その時、縁側についていた彼の手に何かが当たった。ふと見てみると、それは小さく丸められた紙であるらしい。宗十郎はそれを結花の見つからないようにそれを広げ、内容を確認するとそっとポケットにしまった。

 暫く談笑してから結花は和室に下がっていった。今はここが子住三姉妹の移住スペースとなっている。ちなみに新や八雲達は増築した離れに今は住んでいる。

「さ、寝ようか」

 宗十郎は床に敷いた布団に中に入った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 全校集会当日。校庭には大勢の生徒が集まり、水野校長のどーでもいい話を退屈にしながら聞き流していた。宗十郎も同じである。

「くだらねぇ」

 欠伸を掻きながら辺りを見回すと、数名の生徒が挙動不審な行動をしていた。

(そろそろか・・・・・・)

 宗十郎はこっそりと列から抜け出し、ある場所へと急いだ。

「皆の者! 奮起せよ!!」

 その合図と共に、天狗党は一斉に蜂起した。天狗党は壇上に上がっている校長目掛けて突撃した。やらせるかと火盗改・南北奉行所が彼らの前に立ち塞がった。想、並びに北町奉行遠山朱音(とおやまあかね)指揮の下奉行所の役人が、一般生徒に被害が及ばぬよう彼らを守りながら戦っていた。特に火盗改の連中はこれまでこいつらのせいで酉居という胸くそ悪い奴の下で働かされた鬱憤もあってか、平良指揮の下大暴れした。一方の天狗党の方も、一般生徒を巻き込む気はさらさら無いらしく、罵声を浴びせつつも彼らをここから避難させていた。

 さて、突然のことに八雲はすっかり逃げ遅れ乱戦の真っ只中にいた。彼は巻き込まれないように逃げるのだが、どこに逃げていいのか分からずにいた。

 その時、きえぇぇぇぇぇいと後ろから奇声が聞こえ慌てて振り返った。どうやらこの男はが、既に刀が振り下ろされようとしていた。八雲は眼を閉じた。

 ところが、その者はぐらりとよろけそのまま地面に突っ伏してしまった。

「いやー間に合ってよかったよ。無事か?」

「あ、ありがとうございます。真瞳さん」

 間一髪駆けつけてくれたのは真瞳であった。彼女は乱戦の中、困惑していた八雲を発見、更に襲われてかけていたので急いで駆けつけたのだ。

「八雲。ここを抜けるから、私の傍を離れるなよ」

 真瞳は彼の手を引き、迫り来る邪魔者を薙ぎ払いながらこの場から離脱した。

「えぇい! 何をしている!! 早く壇上に行くのだ!!」と吠えたのは、天狗党の首領である御前と呼ばれる者であった。彼は何としても成し遂げたい野望があり、その為には今日この日に壇上を占拠しある人物を討たねばならなかった。

 いきり立っているその時、校庭中に獣の咆哮が轟いた。鼓膜が破れんばかりの音量に怯むメンバーに対し、御前は声を荒げてメンバーを奮起させようとするが、突然地面に叩きつけられた。その姿を見下ろす人物を見た御前は、これは彼女の剣魂の仕業だと悟った。

「ぐぁ・・・・・・」

「御前。――――いや。徳河豪俊(とくがわたけとし)よ。早雲翁から連なる徳河家に連なる者として、此度の謀反、決して許されるものではないぞ」

 彼を見下ろす光姫には、上に立つ者としての威厳を持った凛々しい姿だった。現執行部大老とは名ばかりではない。

「俺はこの学園のために世直しを―――」

 反論を試みる豪俊であったが、その世直しの名を借りて放火狼藉に加え、暴力の名のもとに商人から上納金として納めさせることの非を説いた。

 かくなるうえはと、豪俊は隠し持っていた短刀を抜き彼女に襲い掛かった。それと同時に豪俊の配下が背後から光姫に襲いかかった。しかし彼らの強襲は二人の人間によって失敗に終わった。

「他人に迷惑かけといて世直しとは、聞いて呆れるぜ」

「ミッキーには、指一本触れさせないよ」

 不敵な笑みを浮かべる宗十郎と新であった。ところが今日の新はいつもと違っていた。純白の制服に記された三つ葉葵の紋は、彼女が何者なのか容易に知ることができた。

「お、お前は・・・・・・」

 それに気づいた豪俊が驚きの表情を浮かべる。

「あたしは、徳川吉音だよ」とにっこり微笑む吉音。そのまま襲撃者に一撃を加えた彼女は、豪俊に悲しい表情を向けた。

「くそ、こんなところで!!」

「貴様に少しでも武士の魂があるなら、潔く刀を捨てろ。もう終わりだ」

 宗十郎の言葉もしかし豪俊には届かず、彼はめちゃくちゃに刀を振り回し始めた。それを受けながら、宗十郎は悲しい気持ちになった。やんごとなき血筋でも、時代が下ればこうも人の質も落ちるものかと思ってしまった。

「恥を知れ! 徳河豪俊」

 一喝の下、振り抜いた一刀は、豪俊の刀を真っ二つに叩き切った。

「貴様の牙は折ったぞ。これでもまだ抵抗するかの、豪俊や」

 宗十郎の後ろから、ゆっくりと歩を進めながら光姫が語りかける。その時、光姫の後ろに後光が差しているように見えた。

 菩薩と、それを守護する武神―――。豪俊には、そう見えた。

 もはや、彼に抵抗する意思はなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 首謀者徳河豪俊と、その一味の者は火盗改によって連行され、天狗党の企てはここに終焉を迎えた。今後の取り調べで、他の者達が捕まるのも時間の問題だろう。

 その姿を見送った宗十郎は、神妙な面持ちで突っ立っている吉音に声をかけた。

「何ボーッとつっ立ってんだ『新』。帰るぞ」

 びっくりした吉音は思わず「えっ?」と拍子抜けの声を上げてしまった。

「怒んないの? そーじゅーろー?」

「別に」とそっけなく告げる宗十郎。

「但し。後でちゃんと八雲にだけは言っとけ」

 びしぃっと突きつけられた指に一瞬たじろぐも、吉音は元気よく「うん」と頷いた。

「なら行こうか二人共。わしは早く八雲が煎じた茶を飲みたい」

 三人は八雲道に戻ることにした。



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その5 忍び寄る影

 徳河豪俊並びに、天狗党でクーデターに主だった者は学園島から永久追放され、その他の者は帯刀権剥奪の上1年の社会奉仕の刑に処せられた。

 学園にはつかの間の平和が訪れる事になる。

 ある店先で、茶屋の従業員がウンウン唸りながらすぐ側にいた店員に声をかけた。

「なあ店主。これまた値が上がってないか?」

 相模宗十郎は、茶菓子に使う材料の一つの値段を見て三河屋の店主に問うた。この商品は、つい先週まで1エン貨幣(外界の1円に相当)150枚程だったものが、今週には200エンに値上がりしていたのだ。更に言えば、この商品はつい2週間前まで100エンだった。

 三河屋の店主は申し訳なさそうに彼に頭を下げた。

「何分、外からの供給があれからまた減ってきておりまして・・・・・・」

「また? 外はそんなに不況なのか?」

「いえ。そういうわけではなさそうなんです。ただ、私の知り合いの店も、供給が制限されているようでして」

 三河屋は困惑したように頭を掻いた。それでも、私の所はマシなんですけどねとバツの悪そうに告げる。

「三軒隣の浜岡屋さんとか、向町の眞岡屋さんなんかは、今回の値上げで店を閉めることになりましたから」

 三河屋の口から出た店は、彼が今まで贔屓にしていたところだ。確かに今日寄ろうとしていたが、シャッターが閉められており、そこに『閉店のお知らせ』と張り紙が貼られていたのを思い出した。

 彼らがどうなったのか問うと、三河屋は越後屋に雇ってもらったと言った。詳しく話すと、彼と越後屋は業務提携を結んでいるらしく、そのツテを使ったそうだ。

「腕がいいんだな」

「いえいえ。その時はたまたま運が良かっただけですよ。今では、越後屋のノウハウを教授できるんで助かってますよ」

 そっかとだけ宗十郎は言った。

「じゃぁ、これをいつもの量くれるか」

「毎度ありがとうございます。次までには勉強させてもらいますんで」

 無理すんなよと三河屋に告げて宗十郎はそこを後にした。八雲堂に戻ると、先に店主秋月八雲と居候兼用心棒も徳田新が開店準備に取り掛かっているところだった。

「吉音。これ出してくれ」

「はーい」と新と八雲が仲良くやっているのを見て安堵した宗十郎は、よしよしと厨房へ下がった。

 新改め徳川吉音は、天狗党の乱終焉後、八雲に自分の正体を告げ、このまま徳田新として置いてくれないかと彼に願った。最初は驚いた八雲であったが、彼は手を差し出し

「改めてよろしくな、新」と笑ったので、吉音は込み上げてきたものを必死に抑えて彼と固い握手をした。

 今日に限って、珍しい客が訪れてくれた。常連である光姫と由佳里の他、長屋の住人鬼島桃子、漂流人(さすらいびと)五十嵐文(いがらしあや)、長谷河平良、刀舟斎(とうしゅうさい)かなう、乙級生徒の為の学習塾を開いている由比雪那(ゆいせつな)といった普段あまり眼にしない面々が来てくれた。

「フゥ、疲れた」

 そう言ってどっかりと縁側に座ったのは上泉真瞳であった。彼女はウェイトレスとしてお客らの相手をしてくれた。用心棒新は、例のごとくつまみ食いをしそうになっていたので鉄拳制裁を食らわせ、光姫達に面倒を見てもらうことになった。この穀潰しめとまではいかないものの、彼女の存在が八雲堂の経営を圧迫しているは言うまでもないが、彼女もこの家の一員である故、面倒を見なければならない。

 しかし、こうも物価が高騰しては、そのうち店は火の車になってしまう。その前に何とかしなければ・・・・・・。

 そんなことは口に出さず、宗十郎は今日の功労者である真瞳に特製パフェをご馳走した。ついでに、彼女の横でぐうすか寝ていた吉音には毛布をかけてやった。

「なぁ光姫さん。こいつホントーにアンタの一族か?」

「まぁ、色々とあるんじゃよ。そう、詮索せんでくれ」

「詮索する気はないですよ。ただ、未だコイツが貴方や詠美と血を分けているとは思えんだけさ」

 気持ちはわからんでもないがなと光姫は納得する。

「しっかし、ここ最近本当にキツイな。どうなってんだ?」

「わしも気になって調べているが、どうにも原因がわからんのじゃ」

 二人が真剣に話している横で、真瞳は、宗十郎のパフェを貪りついていた。

「・・・・・・光姫さん」

「うむ。ハチ。彼女と店を頼むぞ」と言って、二人は席を立った。

二人は大通りの食べ歩きながら今回のことについて話し合い、そして別れた。

「そーじゅーろー! おかわり!!」

 店に帰ってくるなり、真瞳の注文が木霊した。

「・・・・・・帰ってきた人に対する第一声がそれですか」

 眼を爛々に輝かせスプーンの柄を縁側にガンガン叩きつける彼女は、さながら餌に飢えた獣の如く彼を見ていた。宗十郎はため息をつき、彼女に対し我慢しろと通告した。何ダメになった真瞳は必死にパフェを所望、しかし彼はそれを無視して奥にいた八雲の手伝いに向かった。

「すまんな。片付け任しちまって」

 どうだったと聞くと、平和な一日だったと返ってきた。つまり、いつも通りだったということらしい。こんな状態が続くと間違いなくこの八雲堂は荒波に呑まれて大海の藻屑と消える。

 よし、と言って、宗十郎は片付けを済ませると増築した離れに向かった。そこには子住三姉妹がくつろいでいた。未だ再建中のねずみ屋はここの離れを借りて仮営業中であったりする。客足は以前より少なくなっていたが、それでも八雲堂よりかは来ていた。たまにその流れで八雲堂に来てくれる人もいるが、それだけである。

「あら、相模さん。今日はどうしたのかしら?」

 出迎えてくれたのは三姉妹のお姉さん結花だ。宗十郎はちょっと提案がといって切り出した。その提案とは、ねずみ屋が再建される約1月の期間限定でコラボ企画でもやらないかというものだった。まだ素案状態であったが、結花は興味を示してくれ厄介になっている手前ぜひやらせてくれと言ってきた。案外あっさりと決まったので拍子抜けしてしまったが、そうとなれば話は早い。彼は次の時までにいくつかの案を各々考えておくということでその日は別れた。

 翌日。授業が終わると、宗十郎は真瞳を連れ立ってある場所に向かっていた。

「なぁ宗十郎。これから行く場所に私は必要か? 八雲の方が良くないか?」

 道中、真瞳がこんなことを言ってきた。確かにこれから向かう場所は彼女より八雲の方が適任であろうが、店を開けにゃ収入がない為、スキル皆無の吉音に店を任せた暁には間違いなく店の在庫はなくなり即日閉店の憂き目に合う。故に監視役が必要である。それが八雲であった。

「何だよそれ。私信頼ないじゃん」

「いやいや。あっちには手練がいるからな。万一を考えている」

「嘘くさい」

「あんな、『信綱』さん。俺はアンタの腕に期待してんの。『武士』としてのね」

 ムスッとしている秀綱こと真瞳は拗ねた子供のようにそっぽを向いた。そんな彼女に嘆息しながらも、剣聖の名折れだなぁとわざと聞こえるように呟いた。ムキーッと襲いかかる真瞳はさながら駄々をこねる子供のようだったが、それがなんとも可愛い。

「お前! 絶対私のこと舐めてるだろ!!」

「舐めてませんよ」

「いーや! お前絶対私を舐めてるね!!」

 さて二人は約束の場所へ向かう道中で言い争いを始めてしまった。しかも、大通りのど真ん中で堂々と。通行人は好奇の視線をちらりとやって元に戻すのが大半であったが、中には痴話喧嘩かと変な詮索を始める生徒達もいた。我を忘れて宗十郎に食ってかかっている真瞳は気づく由もないが、宗十郎はそれに気づいてはてさてどうしようかと彼女と言い争いしながら考えていた。

 そうこうしているうちに野次馬連中はどんどん増えていった。このままじゃまずいと思った彼は、強硬手段に出た。彼は、いきなり彼女の両足の間に頭を潜らせると、そのまま彼女を肩車した。

「ちょ、宗十郎! いきなり何だ!!」

「お姫様。周りをご覧下さい」

 そう言われて真瞳が周りに眼を向ければ、こちらを見ながらヒソヒソ話をする生徒多数にちゃかす生徒数多。その瞬間、彼女の頬は熟したトマトのごとく朱に染まった。

「それでは、行きましょうかお姫様」

「う、うん・・・・・・」

 彼女は恥ずかしさのあまり彼の後頭部に己の顔を埋めた。

「ずるいぞ、宗十郎」と小さく呟いた言葉を彼は聞かないふりをして目的地に向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「おや、今日は珍しいお客がいますなぁ」と嫌味ったらしく言ってきたこの店の主の言葉に、宗十郎は邪魔するぞーと流して挨拶した。

「相模はん、ここには、アンタの望む品は置いてまへんよ」

「気にすんな。マーケット調査を兼ねてきてっから」

「そうでっか。ウチにはそうは見えへんけどなぁ」

 流石商人。ごまかしは聞かないかと内心関心した。その隣にいるちんまい少女はさしずめ彼女の用心棒であろう。

大商人越後屋山吹(えちごややまぶき)と用心棒佐東はじめ。山吹は表裏社会でその名を知らぬ者はいない有名人であり、これと眼をつけたものは物は金に糸目をつけず購入、人物に関してはあの手この手でスカウトし自分の商域を広げている天才だ。金が回れば経済が回り、優秀な人材は己が手で保護しその芽を摘まぬようにしている。そんな彼女の護衛はじめは、その身体から発するオーラから腕の立つ剣客であるというのが分かる。

 実を言うと、その才能に眼をつけた山吹から何度もスカウトを受けたが、宗十郎と八雲はそろって拒否した。

「俺らはのんびりゆっくり茶屋やってる方が性に合ってるんだわ」というのがその断り文句だ。しかし、彼女とて彼らのことを諦めてはいない。

「ほんなら、何しに来はったん?」

「ちょいと、な」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「成程なぁ」

 話を聞いた山吹は感慨深く頷いた。ここ最近の物価上昇に関して彼女が知らないはずはないのだが、大店(おおだな)の主となればそこまで気にしないということだろうか。

 そうではない、と彼は思った。彼女はこの事態には何か裏があると睨んでいた。それに気づく者は多数いただろうが、こうして誰かに相談しに来る者はいなかったようだ。確かに一般的に考えれば物価が上昇したのは本島に何かあったか学園側で何か取り決めが有りその為に上がったのだろうと考えるだろう。だから、彼女と同じように考えてここまで来た宗十郎に、山吹は好意を覚えた。と、宗十郎が邪推している間に山吹は思考をフル回転させており、その二人の横で二人の用心棒が対峙していた。

「相模はんは、どうしたいんどすか?」

「誰かが裏で糸を引いていると睨んでいる。そいつらの正体を暴いてこの事態を収束させる」

「へぇ。そないな大層なこと考えてはるんですかぁ」と軽く流している実、宗十郎の慧眼に肝を冷やしていた。

(何者や。この人)

 ただの人ではない。彼を包む静かで、強烈な気の力。人を優しく包み温かみを授ける一方で、敵と認識したものに対しては鋭く研ぎ澄まされた名刀の如く冷たく恐怖という奈落に突き落とすそれは、まさに凶器だ。能ある鷹は爪を隠すというが、彼はまだ何かを隠している。

 加えて、彼の隣に座している女武士も侮れない存在だ。彼女の実力は、はじめのそれを圧倒的に凌駕している。あのはじめの額から脂汗が滲み出ているのがわかる。その実力、十兵衛や桃子、シオンクラスかそれ以上であろう。そんな二人が自分の本拠地(ホームグラウンド)に乗り込んできたのだ。

 彼女とて、これは何かあると踏んでいた。この自分を出し抜いてことをしでかそうなんて輩、許すわけには行かなかった。さてどうするべきか。

「相模はん。あんさん何が望みや」

「大商人にしては愚問だな」とそれ以上は何も語らなかった。

「・・・・・・分かりました。ウチの方でも調べてみましょう。それでええか」

 時間をたっぷり使って、山吹はそう告げた。

「うん。ありがとう。今度何かあったら協力するよ」

 そう言って宗十郎と真瞳は山吹と別れた。

「油断ならん人や。相模宗十郎はん」

 窓から彼らの姿を見ながら、口元を扇子で隠し不気味に笑む山吹は、早速はじめと共に出かけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 八辺由佳里は相変わらず書斎に篭って調べ物をしていた。あれから彼女は相模宗十郎が国の大家進藤家と縁がある者であると結論づけた。その上で、そんな進藤家の縁者が何故こんなところに来て学生をやっているのか。この学園で何かあり、そのことを調べに潜入しているのではないかと由佳里は睨んでいた。

 となると、『相模宗十郎』と名乗っているあの人は一体何者であろうか。第一の可能性としては進藤龍二という自分達と同じ高校生が挙げられる。現当主進藤龍造氏の次男で、高校剣道界の頂点に君臨する強者である。しかし、風の噂で、彼は今神奈川のある高校にいるとのことだった。これらを持って彼は候補から外れた。

 次の可能性は、彼の兄である進藤龍一であるが、彼は4年前に不運な事故でこの世から去っているとのことらしい。彼も外れた。それでは一族の誰か、ということになる。しかし、彼の内には、人を暖かく包み込みつつ、時に研ぎ澄まされた名刀の刃のごとく冷たき殺気を発しているオーラを感じた。ひと睨みされたら卒倒してしまう恐ろしさがひしひしと感じる時があった。あんな殺気を放つ人物があの一族にいるはずない、と彼女は直感した。

 さて一方で、彼女は主の光姫から、今回の物価上昇についての原因について調べるように言われている。理由を尋ねると彼女は「少し気になることがある」としか言わなかった。それ以上のことは由佳里が何と聞こうとも彼女かついに口を開くことはなかった。その際、彼女からは宗十郎の探索を暫く止めるよう指示された。恐らく今回のことに関連してのことであろうが、由佳里はどうも腑に落ちない。何となく、いつもの光姫らしくないと感じた。

 由佳里は光姫に内緒で宗十郎の探索を継続することを決断した。

「宗十郎さんの正体、絶対見つけてやる!」

 由佳里の眼にはやる気の炎がメラメラと燃えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おや? 宗十郎殿ではないのか」

「すまんな。奴は所用で今日は来れないんだ」

 夜。いつものように待っていた十兵衛の前に現れたのは宗十郎ではなく、真瞳だった。

 後ろ手に束ねた艶やかな黒髪をなびかせるその姿は、凛としていて綺麗だ。

 と同時に、彼女からは途方もない力の圧を感じた。只者ではない。十兵衛の直感がそう告げていた。

「それで、今日の要件は?」

「あなたと私のお目見え、だそうだ」

 十兵衛は沈黙した。宗十郎は一体何を考えているのか分からなかった。今日は記事の件で判明したことを報告しようと思っていた彼女は、少しがっかりした。

「気を落とすな十兵衛。私のことは知っていても損はないぞ?」

 そういうが早いか。秘匿としていたこの場所が誰かに囲まれている。

「『大御所』の手の者か。早いな」

「待ってくれ。ここは私が調べた誰も知らない場所なのだぞ。簡単に分かるはずが」

「大方、探索に長けた連中に隅々まで探らせたのであろう。何、貴方が気に止むことじゃないさ」

 しかし、彼女はあの方の縁者を危険な目に合わせてしまった事を悔いていた。そんな彼女に真瞳はそっと肩に手を置いた。そして、「ここは私に任せてもらおう」と眼で訴えた。

「おい。コソコソしてないで出てこいよ。私は逃げも隠れもしないぞ」

 彼女が大声を発すると、総勢20名の襲撃者が姿を現した。全員、眼元以外の顔を隠している。おおよそ後で問われても言い逃げができると踏んでのことだろう。

 ふむふむと彼女は一団を見回しながらいちいち頷いた。彼らの力量を値踏みしているらしい。そして彼女は腰の刀を抜いた。

 長さ1尺7寸(約66.1cm)。この刀が作られた時代にしては刀身が短いのであるが、元身幅3.5cm、身幅が2.5cmと身幅が広く、2.7cmの反りが高いものであり腰部の1/3ほどに樋と呼ばれる溝が掘られているいるのが特徴という独特の体配。

 銘を『大典太光世(おおてんたみつよ)』という。

 時の将軍家から、太閤・大権現・加賀百万石という名立たる名家を渡り歩いた天下五剣の一刀である。

 後に、加賀から京を守護する皇女の手に渡り、彼女が所持しているという噂だが・・・・・・。

「十兵衛。よく見ておけ」

 刀の(きっさき)を下に向けて、真瞳は彼ら目掛けて突進した。真瞳は敵の攻撃を的確にいなしながら相手の急所に寸分の狂いもなく刀の峯を打ち込んでいった。まるで風にたなびく柳のごとく攻撃を避け、獲物を狩る鷹の如き鋭い一撃に沈んでいく仲間達を見て、残りの襲撃者はたじろいだ。その隙をついて、彼女は残りの連中を一瞬の内に沈黙させた。

「他愛もない」

 最後の一人を仕留めるその瞬間、彼女はそう呟いた。真瞳が侵入者を沈めるのに掛かった時間はおよそ1分。手練の十兵衛でも20人相手は中々骨の折れることであるが、汗一つ掻くことなく真瞳はそれをやってのけた。

 尋常でなはい。

「貴方は何者だ」

 思わずそんな言葉が口から出ていた。たった1分で20人を掃討するこの女生徒を彼女は恐怖した。宗十郎の縁者というのも嘘で、実は彼女こそ『大御所』の遣わした部下ではないかとか様々な思考が頭の中をぐるぐる回り疑いの眼差しを真瞳に向けてきた。

 真瞳は少し思案した挙句、名は告げられぬと答えた。だがしかし、彼女はこう付け加えた。

「私は光源院や丸目蔵人佐に剣を教えたことがある式神(もの)さ」

 悪戯顔で微笑む彼女の言葉を十兵衛は頭に巡らせ、やがてハッとした表情を真瞳に向けた。心なしか彼女の口元がわなわなと震えていたのは、彼女の正体を知って身震いしているからであろう。眼前の彼女は、宗十郎と同じ伝説(そんざい)ということだ。

―――その昔、剣聖卜伝と同じく剣聖として名を馳せ、上野国一本槍の異名を持った偉人諸国を遊歴し、時の光源院の御前で剣技を披露せし、新陰流開祖―――

 彼女が歴史に明るいことを彼女は宗十郎から聞いていた。だからあれくらいのことを言えばすぐに分かると踏んでいた。

「私は『上泉真瞳』』という。生ける屍だが、宗十郎の頼みでアイツに協力している。まぁよろしく頼むよ」

「願ってもないことです」

二人は固い握手を交わすと、椅子に腰をかけた。

「宗十郎殿に渡してもらいたい」と十兵衛はレポートの入った封書を差し出した。中身は、先日彼に依頼された記事についてのものだ。真瞳はそれを受け取ると、確かにアイツに渡そうと約束した。

「少し待たれよ」

 真瞳が去ろうとしたその時、十兵衛は彼女を引き止めこう言った。

「教頭には気をつけてくれ。そう宗十郎殿に伝えて欲しい」

 真瞳は、うむ、と頷いてその場を去った。



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その6 皇女からの使者

「・・・・・・ちっ。最近多すぎるだろう」

 嘆息付いた宗十郎は眼下に転がる襲撃者共を一瞥し、刀を収めた。

 ここ数日、事あるごとに宗十郎は『大御所』の息がかかったであろう連中に昼夜問わず襲われた。宗十郎は仕方なく己の愛刀でこれまで多くの命知らずをこの大地に沈めてきた。このおかげで宗十郎の名は学園中に広まってしまった。その為、事あるごとに老中の酉居にイヤミの一言二言をこれまた人の神経を盛大に逆撫でてくれる。その一言を聞く度に宗十郎の腸は沸騰した鍋のごとく煮え繰り返った。

 ここ最近、彼は苛立っていた。苛立ちながらも、冷静に分析している。

 『大御所』としては、己の計画を成就させる為には様々な障害を排除せねばならない。その中で、宗十郎は危険な存在となってしまったのだろう。原因は、恐らく天狗党の乱の時と思われる。あまり派手に暴れた覚えはないが、どうやら『大御所』はそれを脅威に感じたのだろう。このまま行けば、八雲や周りの連中にも奴らの魔の手が襲いかかる可能性がないわけでもない。

 さあどうするか。頼りたくはないが、京に住まう皇女に助力を請うかと考えた時、あの小憎たらしい皇女の顔が眼に浮かび即座に却下した。彼女のことなので、今もどこかに観察用の式神を放って自分のことを見ているに違いない。それを見て腹を抱えて笑っているか、既に誰か救援を放っているやも。

 そう考えていると、誰かが自分に向かって近づいてくるのが分かった。その雰囲気たるや、歴戦の猛者を思わせる気を醸し出しているが、敵意を感じない。加えて、どこか真瞳を彷彿とさせる空気も感じる。

 様々なことを総合的に判断して、彼はある結論に達した。

由姫(よしひめ)の手の者か」

「ご明察」

 声の主は女であった。振り返ると、彼女は青の袴姿で右手には刀を持っていた。またどこぞの武将を召喚したかと宗十郎は興味を持った。

「由姫様より、貴方様をお手伝いするよう申され、罷り越しました」

「ちっ、あの女には全て筒抜けかよ」

「それだけ、貴方様のことをご心配されているのですよ」

「どうだか。大方俺が苦労しているのを見て腹抱えて笑ってんじゃねぇか?」

 宗十郎の問に対して、女はクスリと笑うだけだったが、否定はしていなかった。彼は苦虫を噛み潰したような表情になる。畜生予想通りかよ。

「『伊勢』様が既に貴方様のお近くに控えているそうですね。私は近くの空家で見守ることにします」

「あの野郎。もう秀忠に話をつけたのか」

「いえ」と一言。成程秘密裏に来たのか。さてさてどうするかと考える彼は、そういえば五十嵐文という不法滞在者もいるし、第一ここは生徒教師合わせて10万の人々が暮らす島だ。一人ぐらい人が増えようが誰も気にもとめないだろう。

「申し遅れました。我が名は甲斐と申します」

「ほう。成田の姫君か」

「はい。最も、姫としての所作は身につけておりませんが」

「いや、今は少しでも武が欲しいところだ。感謝する」

 成田甲斐。戦国期に石田三成率いる豊臣軍と忍城で対峙し、その戦闘で多くの敵将を討ち取り、その武勇に惚れ込んだ太閤秀吉の側室となった女将軍である。

「よろしく頼む」

 二人は固い握手を結んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 平賀輝が置いていった瓦版を見ながら、宗十郎は軽いため息をついた。ここのところの物価上昇に加え、犯罪ごとが増えていると感じたからだ。

 1つが、大店や役人を狙った怪盗猫目なる盗賊団の活動が活発になってきており、被害が拡大、その為火盗改や南北町奉行所が大忙しであること。

 2つ目が、仕置人なる悪徳役人や商人を非合法の手段で手打ちにしている人物が暗躍しているらしい。

「どうなっているのやら」

 羊羹を頬張り、暖かいお茶を啜りながら宗十郎は外を見つめている。

「お悩みですか? 宗十郎様」

 彼の隣にちょこんと座った和服娘が彼を覗き込みながら聞いてきた。彼女の姿を確認するや、宗十郎は頭を掻いて訴えた。

「姫君。何度も言うが、その、様付けは―――」

「でしたら、貴方様こそ私のことを『姫君』と呼ぶのを止めてくだされば応じます」

 宗十郎は唸った。

 しかし、この男、こと女性に対する扱いは一応の線引きをしている。真瞳に対しては長年戦ってきた仲もあって、又、真瞳からの申し出もあったので友人同様の接し方をしているが、仮にも甲斐は太閤の側室であった方だ。彼女に対して真瞳と同じような対応は彼にはできない。

「それで、何をお悩みでしたの?」

 これよと彼は読んでいた瓦版を手渡した。一読した彼女は「厄介ですわね」とそれを置いた。

 物価の高等に関しては、このまま続けば間違いなく店は存続が危うくなる。つまり死活問題となる。

「時に宗十郎様。八雲様と吉音様はいずこに?」

「学校で補修」と短く答えた彼にでしたら暫くここにいられると甲斐は喜んだ。何をそんなに喜んでいるのか問うと、今や伝説となった貴方とこうして話せることが夢だったとか。

 そこに、子住結花がやってきた。甲斐は『真崎甲斐』と名乗り、宗十郎の知り合いであると告げた。あらあらこれはご丁寧にと結花も自己紹介をした。その時甲斐は彼女から何かを感じ取った。

「宗十郎から聞いたのだけれど、ねずみ屋はもう少しで完成だそうね」

「ええそうなんですよ。ただ少し残念なんですよね~」

「あら、そうなんですか?」

「そうなんですよ。今の企画が思いの外好評でして。新装開店した時も続けてくれという声が多くて」

 その声は初めて聞いたと宗十郎。少し心が温かくなった。

「なら今後も定期的にコラボ企画をやろうじゃないか季節ごとに」

 その申し出は結花にとっても喜ばしいことであったようで、子供のように跳ねて喜びを表していた。宗十郎は隙を見て調理場に下がり、人数分の煎茶とせんべいを持って姿を現した。

「少しのんびりしようや」

 それから三人はのんびり2時間世間話で盛り上がりながら親交を深めた。

 結花が所用で出かけたのを見計らって、甲斐から話しかけてきた。

「それで、姫君の見立てを聞きましょうか」

と茶を啜りながら尋ねると「黒ね」と簡単に答えた。

「忍びの心得がありそうね」

「ふむ・・・・・・。成程」

「どうなさるの? こらしめますの?」

「・・・・・・いや、流しましょう。奴らが狙っているのは悪徳のバカ共だ。少しシメテもらおうと思います。その方がいい薬でしょう。お互いに」

「あらあら。寛大なのですね」

 ふふんと、彼は煎餅を頬張った。

「姫君。1つ、頼みがあります」

「なんでしょうか、宗十郎様」

 姿勢を正した宗十郎は、甲斐の前に片膝を付いた。そして、彼の口から甲斐に依頼内容が述べられた。聞いている甲斐の眼差しは真剣そのもので、宗十郎の思いを必死に逃すまいとしていた。聞き終えた甲斐は、すっと立ち上がると、彼の前で屈んだ。

「承知しましたわ。この成田甲斐、身命を賭して果たしましょう」

「よろしく頼みます」

 宗十郎は深く頭をたれ、甲斐はそんな彼に一礼して去っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「邪魔するえ」

 珍客が八雲堂を訪れたのは、昼であった。その格好は、この貧相な茶屋にはあまりにも不釣り合いで、そのうちの一人は八雲堂を見ながら「貧相やなぁ」とこの家の住人の神経を逆なでするかのような発言を平気で口にした。

「一言余計だ、越後屋」

 店から出てきた男は、ジッと彼女を見つめて二人分の煎茶と羊羹を差し出した。怪訝な顔で見る越後屋に対し、行為は素直に受けるのが、商人じゃないのかなとニヤニヤしながら男が言った。

「ええ根性しとるなぁ、あんさん」

「俺はアンタのビジネスパートナー。そう簡単にアンタは切れないだろ?」

 ドヤ顔がえらく勘に触る。しかし、この家の者達はかなりの商才を持っている。逃す手はない。故に我慢。

「それで、アンタがここに来たってことは、何かわかったってことかな?」

「聞かんとも分かっとったくせに」

「くくく。まぁ、この店の自慢の茶と菓子を食っていけや」

 言われるがまま、煎茶と羊羹を口にすると、これがまた絶品。欲に任せて彼女達は羊羹を頬張り茶を啜りまくった。

「何なら、アンタの店に提供してもいいぜ?」

「検討しましょ」

 そんなことより、と越後屋はここの住人達の所在について尋ねると

「新は補修。八雲はアイツに付き合って一緒に出ている。真瞳は三河屋におつかい、子住三姉妹は隣で店やってるよ」

「ほんなら、都合がええわけやね」

「そう言うこった。こっちだ」

 宗十郎は彼女達を奥の部屋に通した。外には『臨時休業』の札を忘れずに置いとく。

「結果を聞こう」

「五人組」

 短い問いに短い回答。それだけで彼らには通じた。

「五人組言うんは、言い換えれば、幕府の商人版と思ったらええ」

「奴らの狙いはなんだ?」

「そこまでは、何とも」

 少しの沈黙。それから小さなため息が出る。

「アンタはどう思っているんだ?」

 気に入らんの一言が帰ってきた。彼女にとって、商売とは競争して成長すると考えている。話の中で、この組織はそれを一手に掌握統制して何かを企んでいる。それが気に入らないらしい。近頃商人間でも不穏な空気が流れているのを肌で感じていた宗十郎。

「そう言えば、以前八雲が商人連合組合の越中屋三太夫とかいう奴が来たんだが、奴も関係者かな?」

「そう思うてもええで。商人連合組合は五人組直轄の組織や」

「何をする組織だ」

「ウチみたいな商人を一人でも多く加入させるんが『仕事』やな」

 それが全体何に為になるのか現段階では分からないが、ともかく面倒なことになりそうな予感はひしひしと感じていた。山吹もそれは感じていたようで、肩を落とした。

「相模はん。羊羹をいただきたいんやけど」

「・・・・・・どうしたんだ、急に」

「なんやもう、疲れたわ」

 その顔には疲労が滲み出ていた。これ以上は確かに話はできないと判断した宗十郎は、彼女の所望する羊羹と渋めの茶を持ってきた。早速頬張る山吹の顔がみるみる綻んでいった。普段と比べると、今の彼女はリスのように可愛かった。その顔を肴に宗十郎は茶を啜る。

「何なら、今度出張してやろうか?」

「ほんまか!? ええの?」

「いいよこれくらい。月一くらいでいってやろうか?」

「ありがとう!!」

 山吹がいきなり飛びついてきた。今の彼女は威厳ある大商人ではなく、年頃のただの少女だった。その様子をじっと見ていたはじめは少し嫉妬しているようだったが、気にしなかった。こんな表情をするんだなと彼は少し得をしたような気がした。

 それから暫く談笑してから山吹とはじめは店に戻っていった。それと入れ替わりに甲斐と真瞳が戻ってきた。

「おや? 邪魔したかな?」

 ケラケラからかう真瞳を小突くと甲斐がこんなことを言ってきた。

「先程、宗十郎様達をじっと見ている男がいましたわ」

「・・・・・・」

「宗十郎様?」

「姫君、確か以前、姫の所作は覚えていないとおっしゃいましたよね?」

「はい」

「であるなら、その言葉遣いは・・・・・・」

「父上にせめて言葉遣いだけはと厳しく躾けられました」

「ふむ」

 それから暫くして、宗十郎は茶と菓子を二人に振舞った。その時は、甲斐は真瞳のことをしきりに「伊勢様」と呼んでいたのが妙に違和感に感じていた。本人もそう感じていたらしく何度も止めてくれと懇願したが、ついに彼女の願いは届くことはなかった。

「そういえば宗十郎、あの箱に何か入ってたぞ」

 そう言って真瞳が指差したのは、いつの日か人助けと言って新が勝手に設置した『目安箱』という乱雑な文字で書かれた箱であり、この街に住む人達が困ったことをここに投書し、それを八雲達が解決していくというものだ。想と朱音の黙認という形をとっているので、あの頭でっかちの酉居何かに見つかった暁にはどんな仕置が待っているのやら。だからといって止める気はさらさらないのだが。

 そうかと言って宗十郎は目安箱を漁った。どうやら依頼は2件あるらしい。依頼を取り出して内容を見ると、彼は少し困惑した。

「どうしました?」

 宗十郎は黙ってそれを甲斐に差し出した。それを見て彼女はあらあらと少し顔を綻ばせた。

 

『今日から2週間の間、ウチに護衛を一人寄越して欲しい  越後屋山吹』

 

『話したいことがある。今日の3時に店に来て欲しい  三河屋清兵衛』

 

 

 2件の依頼はいずれも今日であり、依頼人は宗十郎と面識がある者だ。二人共、恐らく自身に来て欲しいと思っている。それも、今回の一件が絡んでいるのは間違いない。

 彼は決断した。それというのは、甲斐を山吹の護衛に回すことである。今回のキーマンはまず彼女だ。商いの世界で多大な影響力を持っている彼女を、排除したい連中はごまんといるだろう。今彼女に退場されるのは、彼にとって非常に好ましくない。

「どこの誰とも知らぬ者がアイツにつけば、連中も油断するだろうよ」

そういった狙いもあり、彼女に山吹の護衛を依頼した。甲斐の答えはOKである。

「腕がなりますわ」

 そういって彼女は背中に背負っていた大太刀の柄に手を触れた。

 長さ3尺6寸2分(約109.7cm)。細身であるが反りが2.7cmと大きく、踏ん張りが強い―――刀身の鍔元の幅が広く、切先の幅が狭く、その差が大きいこと―――極めて優美な大太刀。地鉄は小板目肌がよく()み、ところどころ大肌まじり、地沸(じにえ)が厚くつき、地景(ちけい)入る。刃文は小乱れ主体で小足入り、小沸つき、匂口深く、三日月形の打のけがしきりに入る。中ほどから上は二重刃、三重刃となり、帽子も二重刃となって先は小丸ごころに返る。(なかご)は生ぶで雉子股(きじもも)形となる。

 銘を三日月宗近。天下五剣の一つで、五剣の中で最も美しいと評され「名物中の名物」とも言われた名刀である。

「あの刀剣マニアめ。どんだけ国の宝貸してんだよ」

「あらあら。あまり由姫様を悪く言わないでくださいませ。これも全てはこの国の為ですわ」

「よく言うわ。英傑の魂酷使させて自分は御所で呑気に構えてるじゃねぇか」

「まぁまぁ宗十郎。主も悪気があるわけじゃないんだかな、な」

「そうですわ。讃岐の君と協力して京の騒乱を鎮めていますもの」

 そうかいと彼は興味なさげに気だるく足を投げ出した。あの女の行動は人の常識を超越しているから、俺達のそれは通用しない。ある意味彼は諦めている。

「由姫様は、何かあれば遠慮なく頼れとおっしゃっています」

「その時が来たら、頼ることにしましよう」

 頼む、と告げると甲斐は意気揚々と越後屋へ向かっていった。

「よし、俺らは三河屋へ向かうぞ」

 宗十郎は真瞳を伴って依頼人のもとへ向かって歩きだした。

 

 

 

 

 

 

「何や。相模はんではないんか」

 明らかにしょんぼりする山吹に対し、すみませんねと一応謝る甲斐は改めて宗十郎から貴方の依頼を受ける旨を伝え、今日から泊まり込むことを伝えた。ほうかと明らかに上の空の山吹。内心大丈夫かなぁと不安になってしまったが、はじめは「旦那はいつもこんな感じだから」と気にしていないようだった。

「まぁええわ。一つよろしく頼むわ」

 気を取り直した山吹は、今日の予定を二人に告げ、店の人に出かけてくると言い残して外に出た。

 一行は、ある会合に出席した。この会合は、山吹と共に五人組の一派とは主義を異にしている一団である。今後の対策などについて話し合っている最中、甲斐ははじめと一緒に外で待機していた。彼女は他愛もない話をしているが、その中で、彼女は得体の知れぬ何かの気配を感じていた。甲斐ははじめに眼をやると、彼女はこくりと頷いた。

(やり過ごすに限りますわね)

 甲斐は眼を瞑り、会合が終わるのを待った。

 会合が終わり、山吹は店に戻ると言った。少し頬が紅潮しているが、表情からどうやら何か彼女の怒りに触れる何かがあったのだろう。そんなことより彼女は後をつけてきている連中の方が気になっていた。

「山吹様、振り向かずにお聞きください」

 声量を落とした甲斐の発言。山吹はそれだけで事態を察し、軽く頷くにとどめた。

「何や?」

「つけられております」

 間髪入れずに告げられた一言に山吹は驚愕の色を隠せなかった。思わず彼女の方に向こうとするとそのままと甲斐が強い口調で制した。

「このままそこの角まで気づかないフリをしてにお進みください」

 言われた通りに彼女は突き当りの角まで歩を止めずに進んでいった。

 追跡者達は細心の注意を払い彼女達の後をつけていた。彼らはある人物から密命を帯びており、今日がその決行日だったのだ。全員手練の連中で彼女達を仕留めるくらいわけない。

 彼らは後を追って角を曲がったところで立ち止まった。

「お待ちしておりましたわ」

 その異様な姿に追跡者達は思わず息を飲んだ。

 そこにいたのは至って普通の町娘だ。整った顔であるし、束ねた髪が風でなびいているがそれがどこか美しく感じる。

 その、手に持っている大太刀が、それを台無しにしていた。その刀身から放たれる神々しく輝くそれは、彼らの心には眩しかった。

「山吹様には、指一本触れさせませんわ」

 しかし、彼らは侮っていた。いくら神々しい大太刀を持っていようが所詮は女子である。ハッタリで脅かそうとしているに違いない。大体、非力な女が、5kgはあろうかというそれを振るえるわけがない。彼らのその見識が大きな誤りであったことに気づくのはそんなに時間がかからなかった。

 腕に自信がある志野前某(しのまえなにがし)と同じく某2人が正面・左右から同時に斬り込んだ。それを見た町娘は大太刀の鋒を地面と並行にした。

 殺った、と思った彼らだったが、視界がぐるぐると回ったと思ったら後頭部に衝撃とともに感じた鈍痛。その双眸は何もない青天を捉えていた。

 全体何が起きたのか。

 町娘が振り払った一刀は、襲撃者の刀を両断して彼ら諸共吹っ飛ばした。なまくらでなまくらが両断できることは普通ならありえない。その華奢な身体のどこに大太刀を振るう臂力が備わっているのか。それをもってしても、なまくらの大太刀が、あんな威力を発揮するとは到底思えない。そのことを含めても、ここにいた連中は、この町娘の評価を誤っていたことを認識した。

 眼の前にいるのは、ただの町娘ではない。人という皮をかぶった化物だ。

「ふふ。さぁ、どうしますか」

 羅刹の眼光と妖艶に煌く大太刀が、彼女の存在を一層邪悪なものへと変えていた。襲撃者共は恐怖に支配され、それぞれ勝手に動き出した。リーダーと思われる男の制止も聞かず、彼らは町娘に突っ込んでいった。町娘の動きは実に鮮やかで、大太刀を己が手足のごとく動かし、一人一人的確に彼らの意識を奈落の闇に沈めていった。

 最後の一人が沈むまで、リーダーである男はただただその光景を見ているしかなかった。

(俺達は、とんでもない奴を相手にしているんじゃないか?)

 だから、彼は彼女がゆっくりと近づいてくる時、逃げられたはずなのに逃げなかった。何かを悟っていたのだろう。

「貴方、名前は?」と、普通なら答えるはずもないその問に「長谷部京介」と答えた。京介は既に持っていた刀を鞘に収めていた。

「京介様。山吹様を襲わせようとした者の名を教えてください」

「すまない。それは教えられない。俺にも、家族がいるんでね」

 まだ学生なのに家庭を持っているのかと思いつつ、甲斐は彼に忠告する。これ以上山吹を襲うとなると貴方がたの命は保証できないと。それに対し、京介は俺達はもうお前を襲うことはないと誓った。それを聞いた甲斐は、京介らを解放した。

「感謝する」

 今回のことは見なかったことにすると言って甲斐は大太刀を下げた。京介は気がついた仲間を率いて退いた。

 去り際、京介は独り言のようにあることを呟いた。

「五人組には気をつけろ」

 

 

「はじめ。あの娘、何者や」

 真崎甲斐が華麗な舞を披露している。その一部始終を見ていた山吹は、この娘を寄越した宗十郎の意図を理解した。自分でなくても、真崎甲斐は実力十分。アンタの護衛にはお釣りがくるくらいだろ。なんて、宗十郎のイヤミが聞こえてきそうだ。はじめはその問に答えることはなかったが、見れば身体が小刻みに震えていた。それだけで、山吹は甲斐の実力に大よその目安をつけることがでいた。謎多き転校生相模宗十郎と同じであると。

「ほんま、おもろいなぁ」

 口からこぼれたその言葉に山吹は驚きを覚えたが、彼女の脳裏に相模宗十郎と真崎甲斐という存在が深く刻まれた。

「終わりましたわ、山吹様」

 爽やかな笑顔で戻ってきた甲斐に労いの言葉をかけてやり、三人は越後屋へと戻っていった。

「なぁ、甲斐はん。あの者達を逃がしてよかったんですの?」

 越後屋に戻ってから、山吹は先刻のことについて尋ねると、一言「あの方は信頼できる」と返した。

「眼を見れば、どんな人であるかわかりますわ」

 そうなんかなと首を傾げる山吹はちらりと傍に控えるはじめを見る。相変わらず無表情だったが、甲斐になんかしらの興味があるように見えた。確かに、山吹らから見れば甲斐はどこの馬の骨とも知れぬ者だ。知れぬ者だが、相模宗十郎の知り合いで、実力も折り紙つき。ただし、彼女も宗十郎同様何かを隠しているようだ。しかしそれもいいと思った。彼らといれば、この退屈な日々が愉しめるそれに変わるかもしれない。そうなれば・・・・・・。

「山吹様。お顔が極悪人ヅラしておりますよ」

 甲斐に指摘され、山吹は「そうなん?」とすっとぼけてみせる。

「旦那の悪い癖が始まった」なんてはじめのつぶやきが聞こえたかどうかは知らないが、山吹の瞳には堕天使の微笑みが写っていた。

「では、退屈しのぎに何かお話しましょうか」

 甲斐の提案に食いついた山吹は、早速日頃気になっていた宗十郎について詰問し始めた。甲斐は少し戸惑いつつも、当たり障りのない話をすることで乗り切った。

 女子三人のトークは、丑三つ時まで続いたという。



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閑話1 協力者

 さて、甲斐と別行動をとった宗十郎と真瞳は、約束の時間に三河屋を訪れた。店員に声をかけると奥に通された。そこには既に主人の清兵衛が座して待っていた。二人が座すると、清兵衛は二人の前に数枚の写真を投げた。

「これは・・・・・・?」

「ある商店のものだ」

 宗十郎が手にとった二枚の写真。右手のものは、客が来ていないのだろう、寂れてしまっている店の写真が。そして左手には同じ店がどんな手品を使ったのか見事に復活して大繁盛している様を写したものだ。

 店の名前は早乙女屋という材木問屋。その店主とは古い知り合いであるという。

「話は聞いたのか?」と宗十郎が問う。その言葉が終わると同時に、清兵衛位の後ろにあった襖がゆっくりと開き、ある人物が控えていた。

「早乙女屋伸介です。私が呼びました」

 伸介は一礼して清兵衛の横に座った。

「彼とは古い付き合いでして、派閥は違うとは言え、友の頼みは断れません」

「貴方の言葉を疑うわけではないが、俺達は信用しても良いのか?」

「天地に誓って」

 そこまでする必要はないのだが、と口にしないが、宗十郎はその瞳を見て彼は信頼に足ると確信した。

「こうなった理由を教えていただきたい」

 請われた伸介はその経緯を語り始めた。

 元は越後屋一派に属していた早乙女屋は、他の店舗と同じように物資の供給が滞り店を閉める一歩手前まで来ていた。

 そこの現れたのが越中屋三太夫である。誘い文句も、宗十郎のものと同じだった。伸介は返事を保留し一晩思案した。思案してある結論に達したという。

 噂に聞く五人組。その懐に飛び込めば、今回の一連の騒動の原因がわかるかもしれない。わかれば、五人組をぶっ潰して元の状態に戻せるかもしれない。そう考えた伸介は翌日三太夫に加入の意思を伝えた。

 するとどうだろう。契約の1時間後には大量の物資が届けられた。その、あまりにも迅速な対応に言葉を失う伸介だったが、その理由を担当者に聞いてみたが、ある特殊なルートから仕入れたとしかわからないと彼に言われた。何かよほどの事情があると踏んだ彼はその謎を解くべく今まで単独で調査しているという。

「よくバレなかったな、アンタ」

「これでも、多少は忍びの術を心得ておきまして」

「ふむ、そうか。まぁ、程々にしとけよな」

「相模殿とは思えないお言葉」

「それは褒めてんのか?」

「ご想像にお任せします」

「性別を偽るのも、その調査のためかい?」

 えっ? と驚く真瞳に対し、伸介は豪快に笑い出した。

「いつからお気づきで」

「アンタを最初に見た時から。この相模宗十郎。ナメてもらっては困るな」

 優しい眼差しから放たれる鋭い視線。この男にはどんな嘘の通用しない、そう彼女は感じた。

 とはいえ、真瞳も驚いていたが、実際は驚いたふりをしているだけに過ぎない。剣聖でもある彼女は人の本質を視るに長けていた。会った時から彼女の正体に気づいていた。

「ごめんね。清兵衛君。バレちった」

 謝っている風には微塵も感じない、舌をチロっと出して清兵衛に苦笑する。仕方ないと言わんばかりに彼女の頭を撫でる清兵衛に咳払い一つして改めて彼女の名を伺う。

「早乙女屋が女主人、祭里(まつり)です。以後、お見知りおきを」

「相模宗十郎だ。よろしく」

「上泉真瞳だ。まぁ、よろしく」

 三人は固い握手を交わし、話を続けることにした。

「どうやら、五人組には協力者がいるようです」

 協力者、とは実に興味深い。つまり彼らにはその協力者がいるからこんな大それたことができるのだろう。ある意味村八分の気分だ。

 その協力者とは相当な力を持っているようだ。力がなければ、物資の供給をここまで制限したり差別したりできないはずだ。それをいいことに連中は甘い蜜を存分に吸いまくっていることだろう。

 自分達さえよければ他人などどうでもいいと思っている、宗十郎が一番嫌う人種だ。

「三太夫が申すには、その人はさる御身分の方だとか」

「ふ~ん」と実に興味なさげに返事する宗十郎に対し、真瞳はその人物が学園にいる奴か聞いた。学園内にいる人物なら自分達で始末を付けるが、そいつが本島にいる者なら手のだしようがない。

 進藤家に連絡をすれば外から圧力をかけてこの問題を解決できるだろうが、あくまで表面上の一時的解決に過ぎない。こんなこと考えるくらい頭の回転が早い奴らだ。いずれ自分達の監視の眼を掻い潜り新たに懐を増やす方法を思いつくだろう。あくどい連中はそうやって世に蔓延っているのだ。

 いたちごっこになるのは眼に見えている。

「アホなこと考えるバカは、いつの世も消えないよなぁ」

 あさっての方向を眺めながら宗十郎がぼやく。真瞳は、それを少し不安な眼差しで見つめていた。このまま彼はこの世界に落胆し、自ら革命でも起こすんじゃないかと。

『案ずるな、信綱。俺は今の世界をぶっ壊そうなんて思ってないよ』

『・・・・・・それを聞いて安心したよ』

『ちゃんと、導いてやるさ。この国の武士としてな』

 祭里は後に、この二人には私達には想像がつかない何か―――その正体はついに分からなかったが―――を感じたという。

「さて、どう探るかな・・・・・・、お二人には、なにかいい案はあるか?」

 宗十郎が投げかけた問いに、清兵衛はなにか答えようと口を開きかけたのを、祭里が制した。

「その前に、貴方がたは何者ですか?」

 その放たれた言葉が理解できずポカンとしている清兵衛。無言で祭里を見つめる二人。

「ちょ、祭里・・・・・・」

「清兵衛君はちょっと黙ってて」

 彼女の剣幕に気圧されて、清兵衛はシュンとして黙ってしまった。

「祭里。どう言う意味だ?」

「そのままの意味です。貴方がたは、一体何者なのですか?」

 二人は互いに見つめ合い、ため息をついた。

「もし、貴方がたがこの学園に害をなすものなら私は貴方達を排除します」

「仮にそうだとしたら、ノコノコこんな所には来ないと思うが?」

 真瞳が反論すると、祭里はこう切り返した。

「信頼を勝ち取ってこちらの動きを探り、対処をした上で裏切る可能性だってあります」

 ふむと納得し、暫くの間沈黙が流れる。

 その沈黙を破ったのは宗十郎だった。

「アンタは一町民だろう? 何でそこまでする必要がある? 奉行所にでも駆け込んで訴えて俺らを捕まえてもらえば済むんじゃないか?」

「町民であろうとも、学園を守る為には立ち上がります。力及ばずともそれがこの国に生まれた者の使命です」

 その強い語気。志を目の当たりにした宗十郎は、うっすら笑みを浮かべた。まだこの国には武士の意志を持った者がまだいた。それだけで彼は嬉しかった。

 いきなり声高に笑い出したものだから、祭里と清兵衛は訝しんだ。

「宗十郎。我らの負けぞ」

「あぁ、そのようだ。俺の眼もまだまだだな」

「それを言うなら私も同じさ。修行が足りぬよ」

 それから、宗十郎は祭里を見て尋ねる。

「俺達の正体を知っても、驚かずにいられるか?」

 祭里は即頷く。ポカンとしていた清兵衛も、慌てて頷く。

「俺達はお前らに害を与える気はない。それは先に言っておこう」

 そういって、宗十郎はあの勲章を彼らの前に置いた。それを見た彼らは眼を大きく見開き、バッと宗十郎達の方に向き、さらに驚いた。そこには、金色に光る龍と、鎧武者がいたからだ。

 女武者の方は名を知らぬが、その隣にいた男を知らぬ者はいなかった。数多の伝説と数多の異名を持ち、彼の高弟達は今もこの国で彼を意志を継いで戦っていた。

 祭里と清兵衛は顔面蒼白にて慌てて姿勢を正し頭を垂れた。

「貴方様とは露知らず、数々のご無礼、お許し下さい」

 まてまてと宗十郎は二人の頭を上げさせた。

「俺はそういうの苦手なんだ。今まで通りに接してくれ」

 そうは言うものの、天下最強の御仁に対し今まで通りに接することなんてできないし、そもそも何で彼がこんなところにいるのか説明がない。パニクっている二人と、どうしようかなぁと困惑する宗十郎。

 仕方なく、手短に彼らに説明すると、どうやら納得はしてくれたようでそういうことならと頷いてくれた。

「おい、貴様ら。この私を無視するとはいい度胸じゃないか」

 そして、完全に視界の外に置かれていた真瞳は頬をふくらませて拗ねていた。しかし、その手はしっかりと太刀の柄にかかっていたことに宗十郎は気づいていた。

「まあまあ、そう怒んなよ真瞳、ほら、自己紹介」

 なんとか彼女をなだめすかした宗十郎は、内心ほっと胸をなで下ろした。危うく惨事になるところだった気だする。

 真瞳が本名を名乗ると、二人はキョトンとしていた。というのも、剣聖信綱のことを彼らは知らないようだったからだ。その事実を目の当たりにした真瞳はまたシュンとして部屋の端っこに行ってしまった。

「あの、私達、なにか粗相を?」

 オロオロしている二人に、宗十郎は気にするなと告げた。別に名が知られていないだけでそこまでへこむことないだろうにと嘆息する宗十郎は、さてどうしようかと頬杖を付いた。

 彼が出した結論は、無視だった。

「まぁアレはほっといて、事の顛末を説明する」

 一部内容を明かす事はなかったが、その殆どを彼らに伝えた。説明している最中、彼は最近自分の正体バラすこと多いなぁと思った。正体をバラすことなど微塵もなかった。それだけ自分がここの生活を楽しむあまり油断してしまっていたのか。気が緩んでしまっていたか。

『またそれが人間らしくていいじゃないか』

と誰かが昔言っていたのをふいに思い出した。くすくす笑い出したので、二人のオロオロが更に増した。

 その後、彼らの恐怖を取り除き、真瞳の機嫌を取り戻すのに2時間を要した。その甲斐あってか、彼らは協力者を二人得ることができた。



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その7 詠美と猫目

 ずずずー。

「あ〜、八雲の茶ーうめぇーなー」

「ホントだねー」

「これは良いものを知りました」

「今度はなーんにもない時に来よう♪」

「・・・・・・いちおー、ここは集会場でもだべり場でもないぞー」

「まぁまぁ八雲。いいではないかお客も増えたことだしのう」

 とある昼下がり。のほほーんと八雲の煎茶を啜って一息ついているお客と従業員に八雲がツッコミを入れてみるも、これまたお客にからかわれてやるせない気持ちになる彼を従業員がカラカラ笑う。

「てか、何仕事サボって茶ー啜ってんだよ宗十郎」

「きゅーけーちゅーだ」

 仕事意欲が欠片もない宗十郎は抑揚のない言葉ではふぅと息をつく。完全にくつろぎモードに入った宗十郎はスイッチが入るまでこんな状態が続くのを、短い付き合いだが八雲は知っている。

「つか、ここで内緒話はダメじゃね?」

 ここは店先。つまり人目につく場所であり、こんなところで『仕事の話』なんてしていたらたちまちどこかの誰かに聞かれてしまうのだ。

「流石に、ここじゃしませんよ」

「そうだよ秋月君。私ら『プロ』を舐めないでもらいたいな」

 初対面のお客にこんなこと言われるとは八雲は予想できたであろうか。八雲の心はすっかり折れてしまった。

「さーて。休憩したことだし、そろそろ移動するかねぇ」

 宗十郎が奥の和室に移動すると、それに続いて三河屋清兵衛、早乙女屋祭里、水都光姫が奥に引っ込んでいった。

「八雲、手伝うよ」

「・・・・・・ありがとー、真瞳さん」

 真瞳の優しさに八雲は心で涙した。

 

 

 

水都の姫君、謎の転校生、やり手の商人、くノ一という異様なメンツが揃った和室は、さながら悪徳商人共が談合の会議を開くかのように重い空気が流れていた。

「ほっほっほ。なんともまぁ、怪しいメンツじゃなぁ」

「アンタ自身が言うことか?」

「言い得て妙ですけど、ね」

「しかし、貴方様が水都様とお知り合いだったとは」

 成り行きでなと宗十郎は交わしたが、光姫自身彼の正体は知らないということを清兵衛と祭里の二人は知らない。

「あらあら、皆様お揃いなんですね」

 そこに入ってきたのは、和服に身を包んだ女性だった。宗十郎は彼女のことを紹介するとそれぞれ自己紹介して入ってきた甲斐を適当なところに座らせた。

「何かあったか?」

 宗十郎が尋ねると、甲斐は真面目な表情で

「山吹様の越後屋が流通を止められました」

 そう告げた。それを聞いて衝撃を受ける清兵衛と祭里。深刻な表情となる宗十郎と光姫。

「業者の言い分は、先の者達と同じですわ」

「・・・・・・五人組の力はそこまで働くか」

 それから宗十郎は二人に向かい

「以前言っていた五人組の後ろ盾とか言う奴の身分とは、そこまで力がある奴なのか?」

 答えたのは祭里だ。

「その後の調べでは、学園の中枢を担う人物であるとか」

「自分の欲の為にその力を使う、か。気に入らん」

 吐き捨てるように怒りを顕にする宗十郎と、好きな学園にそのような邪な考えで己が権力を使う者がいることに悲しみを覚える光姫。

「山吹は今なにを?」

「山吹様は仲間を集め対策を練っておりますわ。はじめ様がいれば今のところは問題ないかと思い、抜けてまいりました」

「分かった」

 それから暫く沈黙が続いた。それぞれが何を考えているのか探り合うという無粋な真似はしない。

 宗十郎は眼を瞑り今後のことを考えていた。秀忠の依頼もそうだが、これ以上の厄介事が増えるようであれば、協力者を増やす必要があると考えた。彼が信頼に足ると見ている人物は眼前の光姫の他、火付盗賊改方長官長谷河平良、南町奉行逢岡想、北町奉行遠山朱音の4名だ。他にもいそうだが今はわからない。

 さてさて誰に頼もうか。だがその前に、この問題を片付けねばならない。

「これ以上物流が滞れば、経済に大ダメージを受けます」

「わかっている。祭里」

「五人組に組みしている商店には物資が十分に納品されております。それを聞いた他の商店も次々と彼らの元に参じているようです」

「これ以上、奴らを野放しにはできん。が、黒幕が分からない今は下手に動けん」

 全員がうんうんと頷く。今後の方針は黒幕をなんとしても探し出すことで結集した。

「よーし。話はここまでだ」

 よっこらしょと立ち上がった宗十郎は和室を出ると「八雲ー、茶ぁ出してくれー」と間の抜けた声を出して八雲を呼びに行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから数日が経ったが、未だに黒幕が誰であるか掴めずにいる宗十郎は盛大なため息をついて街中を歩いていた。

「クソッ。なんか悔しいぞ」

「おやおや。いつもの宗十郎からは聞けない弱音だな」

「こんにゃろう。面白がりやがって」

「お前の弱音は貴重だからなぁ。いや、いいものを見させてもらったよ」

 愉快に笑う真瞳にイラっときた宗十郎は「コイツめ」と頬を思いっきり引っ張り始めた。痛いと訴える真瞳を無視して彼は気の済むまで彼女の頬で遊んでいた。傍から見ればバカップルのイチャつきあいともとれるが彼は気にしない。

「おや、珍しい組み合わせだな」

 声をかけられて振り向いた先にいたのは長谷河と見知らぬ女性だった。立派な服装からしてやんごとない身分の人なんだろうなと思った。

「公衆の面前で乳繰り合っているとは、奉行として見逃せんなぁ?」

「これのどこが乳繰り合いだ? アンタの眼は節穴か?」

 二人共不気味な笑みを浮かべて言い合う姿に恐怖した生徒達がそこからさっと逃げ出した。

「長谷河さん。この人たちは?」

 平良と一緒にいた女性が彼らの紹介を彼女に求めた。そうだったなと思い出したように平良は彼らの前に行った。

「コイツは相模宗十郎。天狗党の事件の時に協力してもらった剣の達人だ」

 剣の達人と聞いて女性の眉が一瞬跳ね上がったように見えたが平良は構わず続けた。

「彼女は上泉真瞳。宗十郎と同じで剣の達人だ。たまに火盗の仕事を手伝ってもらっている」

 それから平良は女性の前に行き彼らに紹介する。

「彼女は執行部側用人の徳河詠美だ。私がこうして誘わないとカビが生えるくらい驚く程の出不精でな」

「長谷河さん! 初対面の人に何言ってるの!?」

 顔を真っ赤にして抗議する詠美を撫でつつ、平良は彼らに何をしているのかを尋ねると二人は適当にぶらついていたと返した。ふむと顎に手をやる平を怪訝そうに眺めていた三人。

 ポンと手を打った平良は意地の悪い笑みを浮かべた。

「宗十郎。あの時はホントいい意見をありがとうな」

「あの時ぃ? いつの話だよ」

「天狗党の一件さ。いやー貴重な意見をありがとう」

「・・・・・・長谷河さん。その、意見というのは?」

 詠美が食いついた。

「以前執行部が出した治安維持強化についてのお触れや、今後のこの学園のあり方など、正鵠を射る意見をもらったんだ」

 彼女の言葉に宗十郎は「は?」と疑問を投げた。確かに平良と会って話をしたことはあるが、それは今彼女が言ったことと何の関係もない―――こともないのだが―――内容の話であって、酉居から部下を奪取する算段とか平良にとっての武士とは何かを問うたに過ぎない。

 事実無根なこと言うな、と抗議しようと宗十郎が口を開きかけた瞬間だった。

「・・・・・・私も聞いてみたいわ」

「へっ?」

「ほう?」

 まさかの徳河の娘が彼女の言葉に興味を持ってしまったことに宗十郎は嫌な予感がよぎった。これは先手を打たねばならない。

「すまんが、これから店を開けなきゃ―――」

 全て言い終える前に、宗十郎の左腕は平良によってホールドされた。

「えっ?」

 突然の出来事に宗十郎は戸惑いの色を隠せない。何故、俺は彼女に腕を掴まれなくてはならないのだろうか。

「そんなに気になるんなら、これから詠美の家で討論会―――もとい親睦会でも開こうじゃないか」

 更に、唯一自由だった右腕もいつの間にか詠美によって逃げ場を失っていた。

「・・・・・・そこでなんで私の家か気になるけど・・・・・・そうね、ゆっくりお話を聞かせてもらえないかしら」

「いやちょっと待て、今日はこれから―――」

 しかし彼女達は有無を言わせずにズンズンと進路を詠美宅に取って進みだした。

「ちょっと待てだから俺はこれから店に!」

「はっはっは! 両手に花なんだ! 幸せじゃないかっ!」

「人の話を聞けぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!」

 宗十郎はそんな絶叫を残して二人の美女によって強制連行されてしまい、その姿はやがて人ごみの中に消えていった。

 さながら悪事がバレて連行される犯人と彼を署に連れて行く警察官のようだった。

 そして―――

 二人に完全に無視され、尚且置いてけぼりをくらい茫然自失の状態の真瞳が意識を取り戻すのに数十分の時間を有した。

「おーい、真瞳」

 ボケっと突っ立っていた真瞳を発見した八雲が声をかけると、真瞳はどっと疲れた表情で振り向き「あぁ、八雲ぉ。どったの?」と生気を失ったかのような弱々しい声で返した。

「宗十郎探してんだけど、どこいったか知らないか?」

 それを聞いた真瞳は乾いた笑い声を上げて、彼が連れ去られて方向を指差して

「火盗のお奉行様と、将軍家のお姫様に連れてかれたよ~」

とこれまた生気のない声で答えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 強制連行された宗十郎は、詠美の家の和室で持論を二人に聞かせていた。

 純和風の居宅に綺麗に整えられた日本庭園は宗十郎の心に懐かしさを覚えさせるもので、京に住む皇女に見せたら一体どんな反応をするのか見てみたいと思った。しかしここまで立派な庭園を所有する学生がいることに驚くも、彼女は徳河に名を連ねる者だ。次期将軍候補としては邸宅くらいはという筆頭理事の思いもあったのではないか。

 閑話休題(それはさておき)

 宗十郎の語る言葉を聞き逃すまいと詠美は時折メモを取りながらいつになく真剣になっていた。

「成程ね」

 聴き終わった詠美が最初に発した一言。それから彼女は言葉を続ける。

「私達執行部もなるべく皆の意見を取り入れようと思っているのだけれど・・・・・・なかなかその意見自体が聞こえてこなくてね」

 ため息をついた詠美の傍で、平良が「担当が酉居じゃなぁ」とぼやいたの宗十郎は聞き逃さなかった。

 この学園をより良くしたい、こんなことをやってみたいという意見を持った学生はこの島に多くいるだろう。ところが、その意見を集める担当顧問があの酉居となれば話は別だ。武士階級以外の生徒を軽蔑し加えて嫌味を多言するあの男に何を言っても無駄だ、と思われている。

 得てして幕府に対し「あんな男を担当にしたのは何故か」とか、「幕府は自分たちの意見を聞く気はないのだ」という不満が少なからず生徒の心の中に渦巻いていることだろう。

 これ以上の確執は幕府としても避けたいだろう。

「けど、参考になったわ。ありがとう」

 桜のような笑顔に宗十郎は一瞬心を奪われた。それを見た平良は新しいおもちゃを見つけたようにニタぁとした笑顔を彼女に向けた。

「・・・・・・何だよ」

「どうしたんだ宗十郎。顔が赤いぞ?」

 ふん、と宗十郎は顔をそらした。それを見た平良の悪戯心に火が付いた。

「だったら、詠美の趣味とか聞いたらもっと驚くことになるぞ♪」

 そう言いながら平良は部屋の隅に置かれたダンボールを漁り始めた。それを見た詠美の顔に焦りの色が見え始めた。詠美が平良の名前を呼ぶが気にすることなく彼女の手は目的のものを探している。

「ほれ、宗十郎」

「わー! わー!!」

 目的のものを見つけ宗十郎に投げて寄越した。それを見た詠美が悲鳴を上げてジタバタするも、目的物はしっかりと宗十郎によってしっかりとキャッチされた。

「・・・・・・洋楽?」

 彼女が投げてきたのは洋楽のCDだった。これだけのことで何故詠美はこうも取り乱しているのか皆目見当がつかない。

「そうよ。普段は洋服だって着るし、メガネもコンタクトもするわ。みんながよく言ってる“お手本のような人間”のイメージとは逆の俗っぽい人間なのよ」

 宗十郎からCDを奪還し語り始めた詠美はだんだんと落ち込んでいった。これは立ち直るのに時間がかかるなと思いつつも、詠美が普段生徒達からどんな眼で見られているのか少しわかった気がする。大和撫子と見られる彼女の本当の姿を知っているのは、おそらくそこの平良だけなんだろうなぁ。

「けど、それがアンタなんだろ? 逆に親近感湧いていいんじゃないのか?」

 だから、彼は素直にそう言った。

「・・・そんなお世辞なんて」

「お世辞じゃねぇよ」

「本当か?」

「自分で言うのもなんだけど、俺は信頼できるの人間だぜ?」

「・・・・・・分かった。信じるわ宗十郎」

「ん?」

「そう、呼んでもいいかしら?」

「なら、俺は詠美と呼ばせてもらおうか」

 異存はないと詠美は答える。

「今度八雲堂(うち)に来い。もてなしてやんよ」

「それはいいな。今度二人でお邪魔しよう」

 その時に八雲を紹介しようと宗十郎は加えた。八雲、という名は以前から何度か平良の口から聞いたことはあったが会ったことはなかった。だから少し会うのが楽しみだったりするのを竹馬の友である平良は知っていた。

「そうだ」

 去り際に歩を止めた宗十郎は、まっすぐ詠美を見つめた。彼女は彼女で彼が何を自分に言おうとしているのか探ろうと必死だった。

「詠美。お前にとって、『武士』とはなんだ?」と真剣な眼差しで問われた彼女はしかし、彼の真意を分かりかねた。とは言え、聞いてくるということは何かしらの意味があると彼女は理解した。

「学園をより良いものにする為に必要なものよ」

「それは力と捉えて良いか?」

「そう思ってもらって構わないわ」

「その力は、己が野望の為に使うのか?」

「そう思ってもらって構わないわ。けど、力のない生徒たちを守るのも『武士』の勤めと思っているわ」

「しかし、だ。俺の見る限り、その力は暴力として振るわれているように思えるが?」

 突っ込まれて沈黙すること数秒。否定はしない、それは自分の力不足によるものだと詠美は頭を下げた。

「だからこそ私は執行部の人間として彼らを厳しく取り締まるわ」

 それは、彼が求めた答えとは程遠いものであっただろう。的外れの回答であったかもしれない。しかし、その言葉には重い彼女の決意が込められていた。

 それだけで十分。彼は彼女を信頼に足る人物と判断した。「そうか」とだけ言い残して宗十郎は帰っていった。

「・・・・・・何なの、あの人」

 暫くしてようやく紡いだ言葉がそれだった詠美に、平良は笑いをこらえることができない。「不思議な人」という認識を持たれたことだろう。

「宗十郎の底が知れないわ。少し怖かったし」

 平良はそうねと同調した。実際平良自身も彼の本当の実力というものを知らない。分かっていることといえば、とんでもなく強いということだけ。

「でもまぁ、今度行こうな、八雲堂」

「・・・・・・そうね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いつもすまないな。俺がやるべき『仕事』を押し付けちまって」

「なんの。貴方様のお役に立てるならばこれくらい、どってことありませんよ」

 ケラケラ笑う彼女は、月夜で妖艶に見える。

 ここ最近立て続けに厄介ごとに巻き込まれ本来の仕事が疎かになっていた。そんな時に協力を申し出てくれたのが、秀忠の秘書である彼女―――結城榮であった。

「貴方様の為ならたとえ火の中水の中!!」

とまでは言ってないが、そのくらい積極的に彼に協力してくれている。

 元々この学園の卒業生であるらしく、ひょんなことから秀忠の秘書を勤めている。かなり優秀らしく、何事も彼女に任せれば完璧にこなしてくれるので秀忠は安心して様々な自分の仕事を彼女に任せている。彼女自身もこの仕事にやりがいを感じているようで、仕事が増えるたびに嬉々としてやる気を漲らせるという。

「今回の調査結果です」

 己の仕事を誇るように差し出した報告書を手に取りパラパラと捲り、頷くと宗十郎は榮の頭を優しく撫でた。えへへと頬を綻ばせて喜ぶ彼女。

 彼女が差し出した報告書には、秀忠の息子吉彦が失踪するまでの出来事が事細かに書かれていた。

「大金の使途は不明、か」

「はい。当時のことは平賀さんの瓦版で島民に知れ渡ったのですが・・・・・・」

 添付資料として当時の瓦版が抜粋されて掲載されていた。当時の生徒会や生徒たちに話を聞いて回ったようだが、これといって有力な情報は得られなかったようだ。

 ただ、彼をよく知っている生徒達は口を揃えて「あの人は横領とかそんなことする人じゃない」と言っていた。それがどうも宗十郎は引っかかった。

「評判良かった将軍が突然学園の金を持って失踪。穏やかじゃねぇな」

 それとは別に彼には少し気になることがあるのだが、彼女にそれを話していないす。

「すまないが、引き続き頼む」

「ラジャ!」と元気よく去っていく榮を見送り、宗十郎は近くの石段に腰をかけた。

 彼らが密会していたのは、街の外れにある廃寺である。人の眼が少ないとの理由で彼が指定した。

 ボケぇっと月夜を見上げる。綺麗な夜空だ。そこに被せるように彼は『龍牙』の刀身をかざす。そして『龍牙』で中空を斬った。

「よし、少し気を引けるがやるしかないか」

 

 

 

 

「動くのですか?」

「今は、『彼女達』の力が必要不可欠です。気は引けますがね」

 密会から数日経って彼は甲斐にそう告げた。

 五人組の正体がつかめない今、彼らの傘下に下る商人が増加している。加えて物資不足による価格高騰により生徒達の日常生活に支障をきたし始めた。その為、鬼島桃子を始めとした長屋の住人と一部商人達が一揆を計画しているという。一揆となれば執行部、特に酉居が黙っていないだろう。火盗を動員して一斉摘発する気だ。

 そうなる前になんとか五人組と黒幕の正体を探りこの騒動を収めて欲しいと甲斐を通じて山吹からの要請もあり、宗十郎は決断した。

「今週で決着できないとこの学園は火の海になりますから。俺の本意じゃありません」

「私も、この学園の平和を乱す連中は許せません」

 今回の為に清兵衛と祭里に協力を仰いだ。既に下準備は済ませており、祭里の報告では『彼女達』は今夜動くらしい。今日の為に彼女たちも色々と準備をしてきた。

「このこと、八雲様には」

「『今日、猫目を捕らえる』とだけ伝えてあります。本当のことは流石に言えませんから」

「また、随分と急な話ですよね?」と甲斐がからかうと、そうですねと宗十郎は自嘲する。

事実、彼は八雲にそのことについて問い正されている。その時は「想に泣きつれてな」と咄嗟に言ってしまったが、今思えばもっとマシな理由を言えたんじゃないかと悔いていていた。

「『伊勢』様は?」

 その時、いるはずの真瞳がいないことに気づいた甲斐が尋ねると、宗十郎は八雲の護衛に行っていると答えた。

「八雲も今や十兵衛の大事な門下生ですから。それに、彼女との約束も守らねばなりません故」

「貴方様らしいですね。由姫様が好かれるわけですわ」

「止めてください、虫唾が走る」

 あからさまな顔に甲斐はクスクスと笑いをこぼす。完全無欠の彼にもこうした人間味があることを知っているのは数少ない。

「姫君。そろそろ準備を」

「承知しましたわ」

 

 

 

 

 

 

 

 漆黒を駆ける三人組の怪盗が悪人から金を盗み、それを貧しい人達にばらまいている。

 いつの頃からかそんな義賊の存在が町人達の間で語られるようになった。その義賊は、評判が悪い代官や役人、商人の邸宅に闇夜に紛れて忍びこみ金品を強奪、そこに猫の目のカードを自分達が盗んだ証拠として残していった。これを聞いた生徒達はその三人組を『怪盗猫目』と呼び始めた。

 怪盗猫目は未だ捕まっていない。

 

 

 

 月夜が照らす街の中を颯爽と駆ける三人組がいた。三人とも口元を布で隠し正体がバレないようにして目的の場所へ向かっている。

 今回のターゲットは海鮮問屋加賀美屋。悪徳役人と結託して私腹を肥やし、町人達には高利で金を貸し、期日までに返せないとならず者達をやって金目の物を略奪しているという極悪商人である。

 天誅を下さんとする三人組は加賀美屋が商いをする屋敷にたどり着いた。そこは街の東の外れにあり、新参者でありながらその財力を示すがの如く大きな屋敷であった。

 三人は顔を見合って頷くと素早く裏口に回り込み邸内に侵入した。事前に下調べをしていたおかげで、彼女達の頭にはこの屋敷の間取りは叩き込まれていて瞬く間に目的の金庫が置いてある部屋の前に付いた。

「どう?」

「ちょっと待ってね~・・・うん、大丈夫」

 特殊な暗視ゴーグルで室内を見た末っ子は聞いてきた次女にそう答えた。それを聞いた長女は二人に合図した。

 襖をゆっくりと開けるとそこは8帖程の広さの和室だった。和室の板の間にはこれみよがしに重厚な金庫が鎮座していた。ここに加賀美屋がせっせせっせと溜め込んだあくどい金が眠っているに違いない。

 悪から金を奪いそれを貧しい生徒達に還元する―――それが彼女達『猫目』の目的だ。

「行くわよ」

 後は、この金庫から金を奪い脱出するだけ。そう思っていた。

「悪いが、アンタらの仕事はこれで終わりだ」

 男の声が聞こえると同時に部屋の明かりが付いた。突然のことで驚いている彼女達が振り向くと、そこには一人の生徒が仁王立ちしていた。

「なんで―――」

 アンタがここにいる。なぜ彼が悪徳商人の屋敷にいるのか、それが不思議でならなかった。

「そりゃ、あの話がアンタらを嵌める嘘だってことだよ」

 軽い口調で突きつける事実を三人は受け入れられないでいた。自分達はその嘘の為に多大は時間を浪費してここに来たというのか。憤りが次女を支配する。それを宥める末っ子とここからの脱出方法を思案する長女。

「こうなったら!」

 末っ子は懐からあるものを取り出して畳に叩きつけた。その瞬間白い煙が彼らの視界を奪った。煙玉だ。

「よし、今のうちに」

 この煙に紛れて逃げれば大丈夫。顔までは割れていないから何とでもシラを切れる。そうなればこちらの勝ちだ。彼がここにいた理由はこの際どうでもいい、とにかく早くこの場を離れたかった。

 しかし、彼女達の目論見は脆くも崩れ去った。

 動こうと一歩を踏み出した時だった。彼女達の首に何か冷たいモノが当たった。それが何なのか彼女達にはすぐに分かった。

「悪いな。アンタらの行動はお見通しだ」

「申し訳ありませんが、貴方がたを見逃すわけにはいきませんわ」

「・・・・・・」

 煙が晴れた。宗十郎、甲斐、八雲がそれぞれの得物を彼女達の首に突きつけているその様子は、さながら劇画のようだった。

「降参しろ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どうして彼女達が?」

「どうもこうもねぇよ。この島は言わば小さな社会の縮図だ。善人もいれば悪人もいる。天才もいれば凡人もいる。悪を滅ぼさんが為に己が身を顧みず義賊になろうとする奴が出てもおかしかないだろ? 社会には色んな考えを持った人が住んでるからな」

 宗十郎の高説を聞きながら、八雲は囚われた彼女達を見下ろしていた。

「いやはや、まさかこんなに上手くいくとは」

「にゃはは。私達、まだまだやれるってわけさ」

 別の場所で盛り上がっている清兵衛と祭里を他所に、宗十郎は怪盗猫目―――子住三姉妹を一瞥した。

 彼女達が何故義賊として一連の騒動を起こしたか、その理由を彼は問わなかった。

「こら宗十郎!! さっさと奉行所なりなんなりに突き出しなさいよ!! この変態!!」

 彼の横で、気性が荒くあらゆる罵詈雑言を喚き散らしている由真と、それに迷惑している結花と唯。三人は今縛られて捕らわれの身となっている。彼女達の身は宗十郎達の一存でどうとでもなる。

『平和的に解決』したい彼は、まず、このうるさい娘を黙らせることにする。彼は懐からビニール袋を取り出し中からクッキーを掴み、由真の口に押し込んだ。

「むぐっ!?」

「少し黙ってろ。次騒いだらその身を膾のように切り刻む」

 ありったけの殺気を込めて通告すると、由真は恐怖に涙して首を激しく縦に振った。これで平和的に話ができる。

「私たちを、どうしようって言うのです?」

 冷静な結花が尋ねると、宗十郎はにひひと微笑んで彼女と眼線を合わせた。

「取引をしないか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 初めて会った時から不思議だった。五月に転校してきた彼はどこか人を惹きつける魅力があった。自然と惹かれた結花は彼のことを密かに調べてみることにした。調べてみて彼女は相模宗十郎という人物が謎に包まれた者ということが分かった。

 彼に関する情報は全て機密事項として閲覧を制限されていた。加えて剣の腕は達人の域に達していて、師範柳宮十兵衛や眠利シオンや鬼島桃子と同等かそれ以上の実力であるという。

 だから彼女は自分達の正体を彼に知られたくなかった。謎に包まれた男だが、彼の人柄に惚れた彼女達は、せっかくの大事な人を失いたくない一心でひた隠しにしてきた。

 故に、今回の策略が彼の手によるものであるということが信じられなかった。様々な感情が心の中で渦巻いていた結花であったが、努めて冷静を装った。自分たちを騙したことに怒り心頭の由真はありとあらゆる暴言を彼に撒き散らしていた。唯が手に入れた特殊な暗視ゴーグルではこの部屋はおろか付近には人の気配は全くなかった。しかし現実には彼女達の退路を塞ぐようにそこに彼はいた。そのからくりは未だ不明だが、何らかの目的があってこんな騙し討ちのようなことをしたのだと彼女は推測した。

「取引しないか?」

そんな彼の提案に結花は応じることにした。つまり、自分達を奉行所に突き出さない代わりにこちらの要求を飲め、ということだ。

 彼の要求とは「五人組のアジトを調べて欲しい」というものだった。その理由を含めて宗十郎は三人に説明し協力を求めた。

 祭里一人では負担が大きく何より効率が悪い。忍びの心得がる協力者がひとりでも多く必要がある。

 結花は思案する。ここ最近の物価高騰は何らかのからくりがあると睨んでいたが、五人組が絡んでいるとは思ってもみなかった。彼らの庇護に入れば確かに物資は豊富に手に入るだろう。ただ、宗十郎の言葉から、彼らの後ろには黒幕がいるようだ。それもかなりの権限を持った者が。

 彼らを一網打尽にすれば学園の経済は元に戻るはずだ。その為なら協力を惜しまぬ彼女達ではない。

 心配なのは彼の要求がこれだけかということだ。確かに彼は取引を持ちかけたが、一つとは言っていない。彼も健全な男子であることを鑑みて、至極当然のように思えた。

 彼は自分の要求を伝え終わると最後にこう言った。

「俺の要求はこれだけだ。あとは、今まで通りの付き合いでいくからよろしく」

 だから、宗十郎のこの一言を聞いた結花は唖然としてしまった。普通の人なら邪な頼みをしてくるだろう。何せ弱みを握っているのだからこれ以上の切り札はない。

 それを放棄する上に今までと同じように付き合うと言い出したのだ。「何故です?」と聞き返していた自分に気づいたのはそれから大分経ってからのことだった。

「何故って、せっかくこの俺が考えたコラボ企画をくっだんねぇ考えでパーにしたくねぇからに決まってんだろ」

 それがあまりにも彼らしい発言であり、それと比べて自身の考えがあまりにも馬鹿らしかったから、結花は思わず笑いだしてしまった。長姉が突然笑いだしたので由真と唯は一体何事かと困惑していた。

「宗十郎さんは、やっぱり面白い方ですわ」

 彼女の言葉に宗十郎は何のこっちゃと首を傾げ、真瞳は近くで腹を抱えて爆笑していた。

「分かりました。協力しましょう」

 結花自身が彼とのコラボ企画を楽しみにしていた。何より惹かれていた。彼女が答えるのに時間はいらなかった。



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その8 龍の牙は悪を屠るもの。民衆の力は悪を断罪するもの。

 のんびりと、昼の煎茶を啜る宗十郎と真瞳、光姫、由佳里、甲斐、それから結花、由真、唯の三姉妹。それを見てがっくり肩を落とす八雲という画はここ最近の定番となっている。

「ここはー、じいちゃんばぁちゃんのたまり場じゃないぞー」

 棒読みで訴える八雲に連中から「別にいいだろー」の大合唱。説得を諦めた彼は一緒に混じって茶を啜ることにした。八雲堂名物開店休業の始まりである。

 この状態が常態化してもやりくりしていけるのは、水都家の支援や甲斐が商売で得た資金で成り立っていた。加えて、宗十郎による越後屋への出張デリバリーで結構稼いでいたりするが、その半分以上は吉音の食費に消えている悲劇である。

「吉音ぇ! お前今まで食った分ここで働けぇ! 暫く間食抜きだ!!」

 ついに堪忍袋の緒がブチ切れた宗十郎が吉音に私刑宣告したのが一昨昨日の夜である。

「え~!! なんでだよ~」

「やまかしい! お前のせいで店の売り上げがお前の食費に回って大赤字なんじゃ! この穀潰しが!!」

「むっかー! 私穀潰しじゃないもん! ちゃんと八雲のこと守ってるもん!」

「ざけんのも大概にしろや! だいたいお前は―――」

 恒例となった二人の大喧嘩。深夜ということもありご近所の迷惑を考えて八雲は仲裁に入ろうとした。

「「邪魔スンナ八雲!」」

 しかし、恐ろしい形相の二人に睨まれて怯んだ八雲だったが、このままでは八雲堂存亡の危機にも関わると判断した彼は援軍を求めに隣に駆け込んだ。

「結花さん。夜分にすみません! 助けてください!」

 寝起きの結花は八雲から事情を聞き「あらあら」と嬉しそうに困りながら彼と一緒に八雲堂に足を運んだ。

「ほらほら二人とも。今何時だと思っているのですか?」

 横槍を入れられた二人が鬼の形相で振り向くと、結花は般若の笑顔で応酬した。「何時だと思っているのですか?」とその顔で問われた二人は、一瞬にして顔を青くして「すみません」とその場に正座した。

 そこから朝方まで結花の説教は続いた。足がしびれて足を崩そうもんなら容赦なく足に木刀を打ち込む―――いつから持っていたのかは不明―――こと数度、反論などもっての他。日が昇る頃には恐怖と寝不足と疲労が重なり眼が据わり彼女の言うことの半分も頭に入ってこなかった。

「「すみませんでしたぁ・・・・・・」」

 彼女に許されると三人はその場にぶっ倒れてやがて心地よい寝息を立て始めた。

 ちなみに、八雲は「私の安眠を邪魔した」との理由でとばっちりを喰らい二人共々朝まで説教された。

閑話休題(それはさておき)

「八雲や。新さんはどうしたのかの?」

「いつものよーに、南国先生とデート中です」

 嘆息する一同。学力が超低空飛行の吉音は進級できるのか今から不安になってきていた。そういえば、以前店に来てくれた由井雪那という生徒が学習塾を開いていて乙級生徒に勉強を教えているということを聞いたことがあるのを思い出した八雲は、今度彼女の勉強を見てくれるように頼みに行こうと思った。

「何か分かった?」

 宗十郎が問えば「まだ何も」と間延びした声で答える由真。しまりのない会話に辟易する八雲であったが、同時にこんな風にのんびりしている時が一番の至福となっていることに感謝したりする。

「のんびり出来ないけど、見つからないんじゃなぁ」

「そうよねぇ」

 その割には大して急ぐような素振りを毛頭見せない宗十郎と由真。他の面々も同じような反応を示す。八雲堂恐るべし。

「甲斐。山吹側は?」

「貴方様の出張デリバリーが効いて説得にあたっていますわ」

「なら暫くは大丈夫だな。しかしこれ以上は幕府町衆双方に痛手だな」

「そうじゃな。そろそろ酉居の奴が黙っていないはずじゃ」

「けっ。あのクソ野郎が仕切るとなると協力したくなくなる」

「ホントよ! アイツの眼を見ていると無性に腹が立つ!!」

 そうして話が五人組のことから老中酉居の悪口に変わっていた。八雲は嘆息しながらも日頃から彼に対する鬱憤も溜まっていたこともあって彼自身もその話に加わった。

 八雲堂は今日も平和である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結城榮。理事長徳河秀忠の右腕であり、隠密のエキスパートである。加えて諸々のことに関してもかなりデキル者である。

 その彼女が、秀忠から宗十郎のことを聞き彼を助けて欲しいと頼まれた時は心躍る思いがした。何せ超有名人である彼の手助けができるなんて一世一代の誉れであり生涯の自慢にできるものになる。だからいつも以上にやる気が漲り張り切っていた。

「んっふっふー。今回の私は一味違うのですよー!!」

 ハイテンションの彼女は現在町娘となって街を散策していた。

「すまないが、『仕事』と並行して五人組の所在とそいつらの後ろ盾を探してくれないか?」

 昨日宗十郎からこう頼まれた榮は「いやっふぇーい!!」と奇妙な雄叫びを上げてその詳細を詳しく彼から聞いた。聴き終えてから彼はお任せあれと早速準備を始めた。学生服を準備し「御厨初音」という偽名学生証を作成、更には報告がしやすいようにと宗十郎達の店の数十メートル離れた場所にある空家を押さえそこを活動拠点とした。抜かりなくねずみ屋・八雲堂の面々とは挨拶を済ましてあるので、心置きなく堂々と活動ができるのだ。

 そして今に至る。愉しそうに鼻歌を歌いながら街を歩いている彼女に気づいた者が声をかけてきた。

「あら、真崎さん」

「ごきげんよう御厨さん」

 たまたま買い物に来ていた甲斐はあいさつもそこそこにそのまま彼女をお茶に誘った。近くの喫茶店に入った二人は世間話で盛り上がった。すっかり意気投合した二人は様々な話でお互いを理解し合えた矢先、甲斐の口からとんでもない爆弾が投下された。

「嬉しそうですね、結城榮さん?」

 ぶはっと危うく頼んだ紅茶を吹きそうになった榮は思わず甲斐を仰視する。自分のことを知っているのは宗十郎さんだけなのに、なぜ彼女がそのことを知っているのか。たとえ宗十郎が話したとしても、あくまで「御厨初音」は自分の古くからの親友であるということだけで、自分の本名まで明かすことはないはずだ。

「うふふ」

 微笑んだ甲斐は彼女の耳元まで顔を持っていって囁いた。

「わたくしの本当の名は成田甲斐と申します」

 再び口にしていた紅茶を吹き出しそうになった榮は自分の眼と耳を疑った。

 今、眼の前の、女性は、何と、言った?

 成田甲斐といえば、石田三成による忍城水攻めの際、女性のみでありながら正木丹波らと共に戦場を駆け抜け目覚しい活躍をした女武者である。それこそ、巴御前や立花誾千代と同じくらい名が知れている人だ。

 そんな何百年前の人間がどうして眼の前に顕現しているのか皆目見当がつかない。つかないが、榮は思わず頷いていた。

 宗十郎と知り合いということは、つまり次元が違う者達(そういうそんざい)なのだろう。

「あらあら。ショートしてしまいましたか?」

 普通の、人は、いきなり、そんなことを、言われたら、こうなりますよ??なんて、口が裂けても言えないが。

「わたくし、宗十郎様が認めた方のみに本名を明かしているのです」

 その、基準は、一体、何で、判断、しているの、ですか??

「うふふ。こう見えてわたくし、人を見る眼はありましてよ」

 甲斐はまるで榮の心の中を見透かしたように淡々と答える。その基準は全体どういったものかしらと聞きたくなったが止めた。

 それにしても、見た目普通の女の子だ。とても遥か昔に生きていた人とは思えない。一体どんなカラクリが・・・・・・。

「京に住まう皇女を榮様はご存知ですか?」

「京に住まう・・・・・・あー、納得です」

 古の都京都には1000年以上生きている妖怪皇女が住んでいる―――そんな噂が日本中に広まったのはいつの頃だったか。その妖怪皇女は名を由姫といい、宇多帝の御代にその力を存分に発揮した豪傑で、古今東西の英雄達を使役してこの国をあらゆる災厄から守っているという話だ。

 陰陽師が使う『式神』に似ているが違うらしい。転生・復活に等しいようだ。

「あの、こう、簡単に人様に自身の正体をバラすことは如何なものかと」

「協力者は多い方がよろしいのですよ榮様。それに、事は急を要します」

 五人組による物資抑制を引き金とした物価高騰は町民の生活に多大な影響を与え、商人も五人組傘下に入ると入らないとでその差は歴然。民衆の怒りは臨界点に届きそうなまでに溜まりまくっている。暴徒化するのは時間の問題だ。それまでになとしても五人組と黒幕の居場所の特定及び制圧が彼女達に課せられた任務だ。

 祭里や清兵衛、三姉妹にも限度がある。理事長の懐刀に一肌脱いでもらおうというわけだ。最も、彼女自身は宗十郎自身から頼まれていたことなので一向に構わないことだったが。

「それで、私は何をすればよろしいのですか、甲斐様」

「話が早くて助かりますわ。ただ、わたくしのことは呼び捨てで構いませんわ」

 既に世を去ったとはいえ、太閤秀吉側室になった人を呼び捨てとはとてもじゃないができない。

「甲斐さん。私は一体何をすれば?」

「黒幕を追ってください」

「宗十郎さんに同じことを言われていますけど・・・・・・?」

「榮様はそれだけで結構です。五人組に関しては祭里様や清兵衛様達に任せましたわ」

 成程、分担制にしたというわけか。効率を重視してのことと思われる。

「山吹様の報告ですが、もって2日とのことですわ」

 2日とは随分とまぁ時間が足りないこと。並みの人であれば根を上げるか抗議の声を上げるところであろうが、隠密のエキスパートである彼女にとって負担が減るということは時間がその分割けるというものだ。

「榮様。宗十郎様からの言伝です」

 あの人からの言伝とは珍しい。

「これが終わったら店に来い。旨いメシ暮らしてやる」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「宗十郎さんのご飯が食べたくて、私頑張っちゃいました!!」

 眼をキラキラ輝かせながらずいっと身を乗り出した榮の頭を宗十郎は優しく撫でた。甲斐に至っては、まさかたった半日で黒幕の正体を暴くとは思っておらず呆然としていた。

 ここは、宗十郎が十兵衛と密会で使っている朽ちた空家である。榮からの報を受けて急遽集まったのだ。メンバーは宗十郎・榮・甲斐・真瞳、子住三姉妹、祭里、清兵衛、それと南町奉行逢岡想、北町奉行遠山朱音、火付盗賊改方長官長谷河平良である。

「ちょっと相模! アンタ、一体どういう連中と知り合いなのよ!」

「? 何か問題あるか?」

「奉行三人と知り合いとかありえないわよ!!!」

「由真。それ以上騒ぐとお前が三日前にやってたこと、バラすぞ」

「!? ちょっとアンタ、なんでそれを・・・・・・」

「さぁ、なぜかなぁ?」

 ニヤニヤする宗十郎と、榮。ジト目の他の面々。由真はシュンとして部屋の片隅にトボトボと歩いていき沈んでいた。

「奴らのアジトと正体が判ったというのは本当か?」

「あぁ、こいつらが頑張ってくれたからな」

 えっへんと胸を張る榮と祭里達を見て、本当に宗十郎は人脈が広いと感じる者、彼という人物を疑う者様々であった。

「五人組は大江戸学園近くの商家和泉屋に集まっています。メンバーはこの人達です」

 祭里は五人組のメンバーの顔写真とプロフィールを各々に配り説明した。

「商人連合会という下部組織の連中は、既にこちらで捕縛しました。今は詠美による取り調べが行われているはずです」

「それで、この野郎が、こいつらの黒幕だ」

 宗十郎が投げて寄越したのはある人物が写った写真である。それを見た三奉行の驚愕と失望の表情を見て、宗十郎はここに写っている大馬鹿野郎はこの俺自らが成敗すると決めた。次世代を失望させる俗物は、この世にいらない。社会的抹殺を彼は選択した。

「コイツは、五人組と結託し奴らに対して便宜を図る代わりに連中はこのバカに金を渡していた。さらにコイツは己の職権を使っての横領、陵辱、恐喝その他諸々の悪罪を犯した畜生以下の害虫だ。五人組も同様に恐喝や詐欺といった悪行を重ねている。容赦は無用だ」

 うむと頷く一同。こんな奴らをこれ以上この学園にのさばらせるは百害あって一利なしである。早々に駆逐せねばならない。

「しかし相模よ。この件にはあの越後屋も噛んでいるのだろ? ここに呼ばなくていいのか?」

「そのへんは大丈夫だ。いま人をやってこの件は伝えてある」

 抜かりはないよと語る彼に流石という声は上がらない。それが、彼の当たり前と皆捉えている。

 この時、平良は何故自分達がここに呼ばれたのか皆目見当がつかなかった。これから起きる騒乱と、その場合の我々の役目を彼が知らないはずはない。

「自分がここに呼ばれた理由が分から何って顔してるな」

 思わずギョッとすると宗十郎が何とも意味ありげな笑みを浮かべながら彼女を見ている。

―――そこまで計算していたか

 今回の件は、ある意味幕府に対する「一揆」である。

 五人組は幕府の商関連の一機関を担っているらしいが、そうなったのはつい最近のことだという。今思えばあの金の権化が己の職権を使って無理矢理にでも組み込んだのだろう。

 つまり、宗十郎たちがやろうとしていることは幕府の一員である自分たちに対してこれから一揆をやると宣告しているようなものなのだ。自分達はそういった連中を取り締まるのが役目なので、今すぐ彼らを拘束しなければならない。

 その一方で、こんな連中の為に町民達が苦しい生活を強いられるのが無性に腹が立つ。その苦しみを爆発させ諸悪の根源に襲い掛かる彼らを捕まえねばならぬ道理はない。

「アンタらの立場は承知している」

「ならば何故」

「黙認してもらいたいだけさ」

―――なるほど。

「ったく、相模。お前めんどーな言い方するなー」

「まあまあ遠山さん。相模さんなりの考えがあってのことでしょうから」

「『明後日一揆起こすからお前ら黙って見逃せ』なんて、面前の前で公言しても良かったか?」

 朱音は想像した。奉行所に乗り込んできた宗十郎が先ほどの口上を大声で述べたとする。唖然とする面々、ポカンと口を開け、刹那猛抗議の声を上げる真留を筆頭とした部下達。それを面白おかしい顔で眺める宗十郎。氷点下の悪寒が彼女を襲った。

 この野郎変な想像しちまったじゃねぇかと眼で訴える朱音をスルーして、彼は想に計画を告げた。

 連中が会合するのは明後日の夜7時頃。その頃を見計らって町民商人合せて数百人の一揆勢が襲いかかり連中を一網打尽にするという言葉で言うは簡単なことであるが、実行するとなるとまた難しい。万一に備え、連中はならず者らを金で雇い用心棒として傍に置いているという。その中に、眠利シオンというめっぽう剣の腕が立つという女剣士がいるという。まぁ、聞いた話では町人の鬼島桃子と因縁があるとかないとか。そいつは桃子とやらに任せるとしよう。

「ま、黙認するだけなら造作はない」

「けど長谷河さん。酉居さんが黙っていないのでは?」

「その辺は心配無用。手は打ってある」

 つくづく根回しがいいなと思う一方で、コイツの底知れぬ何かに密かに恐怖を抱く平良。

「ま、よろしく頼むよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・・・・頭が上がらんなぁ。あの人はどこまで見通しているんや?」

「それは、俺も知りたいですね」

 闇夜の越後屋の一室で対面するのは主山吹とその用心棒佐東はじめ、そして八雲ともう一人。

「それに、あんさんとも繋がっているとはなぁ。柳生はん」

「ふふ。私は八雲の臨時用心棒だ。気にするな」

 学園最強の剣士として名高い柳生十兵衛があの相模宗十郎と知り合いであることが驚きではあるが、この計画を彼一人が考えたことに衝撃を覚えた。

「私としては『一揆』を起こしてほしくはないんだがな。幕府(なか)が腐っていたら意味がないからな」

彼女も謂わば幕府側の人間だ。本来なら容認できないが、自分が所属しているところが腐った温床と知ったらからには話は別だ。

「それに、私も一役買っているしな?」

「? 柳生はん。それはどう言う意味です?」

「宗十郎から頼まれてな。『あの小うるさい堅物会計を引きつけてくれ』と」

 あぁ、と山吹は深く頷いた。今回の騒動は間違いなく幕府への蜂起であり反乱だ。そうとなればあの男は真っ先に鎮圧に乗り出すだろう。そして、この機会に気に入らない町民達をありもしない罪をかぶせて一網打尽にするだろう。自分達のことを蔑むあの男なら。

「あの男に潰されるんは、何や癪やな」

「だろ?」

 くくっと笑う二人とは対照的に、八雲は一人不満な表情を顕にしていた。どうしたと訳を聞けば、彼は自分だけのけ者にされている気がしてならないと吐露した。いつも直前になって教えてくれるが、同じ屋根の下で暮らしているのだからそういった事は事前に相談してくれてもいいんじゃないかと。

「彼は彼なりにお前のことを案じているんだよ」と十兵衛は言うが、八雲はどうも腑に落ちない。

「ウチも、柳生はんの意見に賛成やわ」

「え?」

 意外な反応に驚いたのは八雲だ。全くもって意味がわからなかった。

「なぁ秋月はん。アンタから見て、相模はんはどう見える?」

「え? そうですね・・・・・・料理が上手くて、掃除とかも出来て、剣の腕がものすごくて・・・・・・」

「そこでええわ。天狗党の乱、覚えているやろ? その時、どうやった?」

「俺は真瞳さんに守られて、宗十郎は党員を斬りまくってた」

「何でそうしたか。アンタにケガとかさせたくなかったんやろうな」

「そうかなぁ?」

「それに、相模はんは何かを調べている素振りがあるやん」

 こくりと頷く八雲。

「ウチの勘やけど、その調べ物はかなり危険な匂いがするんや」

「・・・・・・」

「そんなことにアンタを巻き込むわけには行かない。アンタは謂わば一般人や。一般人を危険にさらすわけには行かん。『武士』としてのプライドやな」

「俺は別に」

「アンタはそれでええかもしれん。けどな、相模はんはそうもいかんのや」

「どうしてですか?」

「そないなこと、ウチは知らん。相模はんもきっと話さんやろ」

 八雲は再びむすっとした顔になる。やはり納得できない。

「まぁ、聞いてみるだけでもエエのとちゃいますか?」

 彼はこくりと頷いた。十兵衛はそれも致し方なしと静かに肯定し、再び山吹に顔を向ける。

「貴方がたには、宗十郎達と一緒に和泉屋に襲撃していただきたい」

「ふむ、それで、メンバーは誰ですか?」

「宗十郎、新、八雲、上泉真瞳、真崎甲斐、町人達、子住三姉妹」

「また、えらいメンバーどすなぁ」

「八雲と真瞳は退路の確保、残りは五人組を討伐。宗十郎が黒幕を仕留める」

「何や、美味しとこだけ持っていくんやな」

「相手が相手だ」

 十兵衛はあらかじめ彼女の前に差し出していた写真を指で叩きながら不敵な笑みを浮かべた。確かに、今回の黒幕は自分達には手に余るが、何も自分でやらなくてもいいのではないか。彼とて、我々と同じ学生だ。そこまで体を張らなくても・・・・・・。

「『武士とは、その力を己が為に使うにあらず。広く国民の為に使うべし』と、いつだったかアイツが言っていたよ」

「それ、どう言う意味?」

「『力ある者が自分の為だけにその力を使うのは暴力と同じだ。そんな力などクソくらえだ。力持つ者の義務とは、力なき者の為にそれを振るい護ることにある』ことだと私は思う」

 その考えは多分彼女のものだろう。しかし、二人にはそれが宗十郎の言葉に聞こえてならなかった。彼はどこか自分達とは違う視線で物事を見ているように思える。

 それにしてもと山吹は思う。彼を案じているなら何故彼を連れて行くのだろうか。考えが矛盾していないだろうか。それでも連れて行くというのは、きっと彼の性格を察してのことであろう。

「柳生はん。ウチらはどう動いたらええんや?」

 山吹は話を戻し、当日の動きを確認することにした。

「連中明後日夜7時に和泉屋に集まる予定だ。7時半頃に我々は集まり、宗十郎の合図と共に中に突入。後は好き放題暴れてもらって構わない」

「ほほう。連中に商人の恐ろしさを存分に刻みつけられるわけやね」

「ま、そういうことだ。権力に胡座を掻いた馬鹿共に思い知らせる絶好のチャンスというわけだ」

 そう言って十兵衛は山吹に短刀を投げて寄越した。何やこれと訝る山吹に十兵衛は宗十郎からの贈りものだと告げた。何でもある人に頼んで特別な祈りを捧げた物だという。

「銘を『藤朝臣相模守初雪』というそうだ。大事にしてやってくれ」

 山吹はそれを少し眺めてクスっと笑むとそれを腰に差した。十兵衛はそれから同じように八雲にも小太刀を差し出した。彼の護身刀である。

「『藤朝臣相模守八雲』だ」

 受け取った八雲は、何でこれだけ自分の銘なのだろうと疑問に思ったが、特に気にすることもなく山吹と同じように腰に差した。

「・・・・・・ずるい」

 はじめは自分だけ宗十郎からの贈り物がないことに拗ねていたが、フフッと笑む十兵衛が彼女の耳元で何かを囁くと途端にパッと明るくなってそそくさと部屋を出ていった。

「柳生はん。はじめに何言ったん?」

「乙女の秘密だ」

 十兵衛はついに語ることはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 決行の日。

 和泉屋の周りを宗十郎を始めとする一揆勢が取り囲んでいる。皆、息を潜めてその時が来るのを待っている。この家の周りには始め数十名の傭兵がいたのだが、子住三姉妹や甲斐達によって呻き声を上げることなく排除されていた。

 宗十郎は一揆勢をいくつかの小隊にわけそれぞれに小隊長をつけ、町人・商人グループを統括する大隊長を設け彼らに指示を一任することにした。今、彼はその隊長らを集め最後の確認を行っていた。隊長はそれぞれ武に長けた者を任命しているから心配はないが、強敵と対峙した場合はどうするかとなった時の対処として、彼は甲斐か桃子に渡すよう言いつけた。

「眠利シオンは桃子、お前に任せる。それ以外は甲斐に」

「オッケー任せな!」

「承りましたわ」

「いいか、この一揆はある意味戦争だ。だから誰一人欠けることは許されないということ、お前たちの動き一つで勝敗が決することをを肝に銘じておいてくれ。町人グループ大隊長は新、補佐に八雲と真瞳。商人グループ大隊長は山吹。お前達には戦争全体の指揮・連携に専念。小隊長達は大隊長の指示を受けて仲間動かせ。それ以外は自由にやれ。以上だ」

 おぉ、と小さく声を上げる面々。そして、彼らは三姉妹からの合図を待つことにした。

『姫君』

『何でしょうか?』

 宗十郎は、皆にバレぬように甲斐に念話を始める。

『眠利に何か嫌な気配を感じます。鬼島の援護をお願いしたいのですが・・・・・・』

『わたくしは構いませんが、それですと他の方々が』

『清兵衛と祭里には既に話を通しております。ご心配は無用です』

『流石、手回しがお早いこと。それであればよろしいですよ』

『助かります』

 宗十郎は密かに腰の『龍牙』の柄に手をかける。鯉口を切り、刃先を指でなぞり相棒のコンディションを確認する。うむ、絶好調だ。

 静寂の時が流れる。その時が来るまで、気配を消し、息を殺し動くことなくじっとしている事ほど、辛いものはない。特に、こういった隠密裏のものはなおさらである。

 己の行動一つで生死を分けるものほど心臓に悪いことは人生で経験することはほとんどないだろう。

 やがて、塀に人影がぬくっと現れたと思うと、ひらひらと赤い布を靡かせた。合図だ。

 宗十郎はゆっくりと彼らが籠る楼閣を護る大門の前に立つと、その門を蹴破った。

「行けっ!」

 号令の元、町人達の怒りは爆発した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 薄明かりが灯る一室に、五人組ともう一人、今回の黒幕が車座になり、これまでに儲けてきた金をそいつに受け渡した。

「うっほっほ。いつもすまんのう」

「いえいえ。『校長先生』には色々とご迷惑をかけてますから」

 校長瑞野は下衆びた笑みを浮かべて彼らから報酬を受け取る。こんな男が志高い学園の校長かと思うと反吐が出る。創設者への冒涜以外なにものでもない。

 こんなくだらなく最悪な会談を目の当たりにした結花は今すぐにでもこの男どもを抹殺してやりたかった。

 瑞野が五人組に加担したのは、単に己の私利私欲をかき集めるため。自分の権限で本島からの物資などいくらでも融通が利く。それを五人組にぶつけるやあっさりと協力をしてくれた。その報酬が、あれというわけだ。

 これを見たら、歴戦の英霊達はどう思うだろうか。特に、理事長の父上や、『護國神』と謳われた人がこんなさまを見たら・・・・・・。考えたくもない。

 あー、こいつらの汚い声を聞くだけで虫唾が走る。早く合図はこないものだろうか。

 結花はその時が来るのを今か今かと待ちわびた。

「行けっ!」

 やがて、宗十郎の号令が聞こえてきた。あとは手筈通り煙幕を巻くだけ。

―――ちょっとだけなら、いいよね

 結花は彼らのたまり場に煙幕を投げ入れると手にした短刀で腐りきった校長を襲った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 戦場となった和泉屋は、文字通り大混乱に陥った。新・山吹という二大隊長の指揮の下、一揆勢は一糸乱れぬ隊列を組み五人組を襲う一方で、奇襲をかけられ指揮系統が混乱した五人組勢は全く烏合の衆に成り果て討たれるままに討たれている。

 その中で、一際眼を奪うのは眠利シオンという女性剣士である。迫り来る一揆勢を文字通り薙ぎ倒し血路を開いていく。

 何かが違う、とこれまで幾度となく剣を交えてきた鬼島桃子は彼女の変化を肌で感じていた。彼女は確かに人とは違う思想を持っていたし、何故か自分のことを目の敵にしていたし何かと面倒な奴であったが、節度というものは弁えていたし、何より自分に無益は事は一切しない。

 しかし今はどうだ。『一番強い奴になる』という欲望を撒き散らし、狂気に濁った瞳で罪なき人々を狩るその姿は、さながら野に放たれた地に飢えた獣だ。ほっとくと後々厄介なことになるし、何より総司令官―――宗十郎のことを町民達はそう陰で呼んでいる―――から直々に彼女のことを頼まれた手前引くに引けない。

「それ以上はやらせないぜ!」

 自慢の金棒を持って乱入しシオンの意識を自分に向ける。

「キージーマァァァァァァァァァァァァァ!!!」

 野獣の咆哮と向けられた異様な眼つきに怯むも、果敢に立ち向かう桃子は彼女の異変に気づいた。

 生気がない。まるで何かに取り憑かれているように焦点が合っていない。しかし彼女の口からは間違いなく彼女の声が出ているし吐かれる言葉も自分に対するものだ。

「オ前ヲ倒セバ私ノ願イガ叶ウ! オ前ヲ倒セバァァァァァァァ!!」

 発せられる声がなんだか機械音みたいになってきて正直鬱陶しいし、一撃の重みがだんだんと増してきたように感じる。シオンはこれっぽっちも疲れていないようで汗一つかいていない。だが、自分は彼女の一撃を凌ぐ度に体力を奪われ、全身を大粒の汗が流れ落ちる。

「ウガァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!!!」

 最早、言葉にすらならない雄叫びを発し襲い掛かるシオン。対する桃子は体力的に限界に近かった。その為、シオンの一撃を避けるタイミングを逸してしまった。

「やばっ!?」

 そう思ったときには、彼女の凶刃が桃子の眼前に迫っていた。彼女に防ぐ手立てはない。ところが、その凶刃は彼女に届くことなく寸前のところで割り込んできた別の刃によって防がれた。

「そこまでよ」

 闖入者は間髪入れずにシオンの腹部に蹴りを入れて彼女を桃子から離した。それからチラリと桃子を見て懐から一枚の紙を取り出すとそれを彼女の額に貼り付けた。

「な、何・・・・・・」

「じっとしていなさい。その札は疲れを取りますから」

 振り向かずに告げる女の言う通り、どういうカラクリかは知らないが疲れが取れているように感じた。体が軽くなっていくのを覚えた桃子はひとまずその女性に感謝すると共に「アンタは一体誰だ」と問いかけた。

「真崎甲斐。宗十郎から貴方の援護を頼まれました」

 手短に答える彼女の言葉にかぶるように

「邪魔ヲスルナァァァァァァァァァァァ!!」

と猛獣は轟きの声を上げて再び襲いかかる。

「あらあら。躾のなっていない獣ですね」と蔑む笑みを浮かべる甲斐は、名刀宗近でその攻撃を受け流し、踏み込みから放つ横薙ぎの一撃は、狂乱したシオンすら驚く程重いものでたまらず吹き飛ばされた。一体その華奢な身体のどこにあんな馬鹿力があるのか不思議でならなかった。が、今はそんなことを気にしている場合ではない。一刻も早く彼女の暴走を止めなければ。

「鬼島さん。行けますか」

「とーぜん! アンタのおかげで元気百倍だぜ」

「結構です。それでは二人してそこの猛獣を黙らせましょう」

「おうよ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 実に呆気ない幕切れであった。五人組は突然何者かに襲撃され負傷し、更に一揆勢が雪崩込み大混乱に陥ったが、金で雇った傭兵達にこの場を任せ逃げようとした。しかし、突如として現れた忍びによって退路は断たれ、そこに乗り込んできた一揆勢に対し、彼らがとった行動は命乞いだった。所詮は貧乏人の暴動であり、金さえ渡せばどうとでもなる。さらに言えば後々何があろうともそれで乗り越えられると感じた。

 しかし、それは全くの逆効果であった。彼らの態度に、八雲、新、山吹を始めとした一揆勢は激昂しその怒りを彼らが虫の息になるまでたっぷりと可愛がってあげた。

 その後、彼らを奉行所に引き渡して五人組の陰謀は幕を閉じた。

 黒幕はついに捕まらなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 負傷した右腕を庇いながら瑞野は学園長室を目指して歩を進める。何故自分がこんな目に遭わなければならないのか理解できないでいる。でもと思った。自分の面は割れていない。不幸中の幸いというやつで、万一連中が逮捕されて何か言ってきたとしても知らぬ存ぜぬで通せるし、校長という権限で奴らなどどうにでも処分できる。自分の身は安全だ。

 そう思っていた。彼が現れるまでは。

「どこに行くんですか? 瑞野校長」

 突然声をかけられた瑞野は、眼前に現れた男に対し「誰だ貴様は」と問いかけた。男は嘆息して「自分のとこの生徒くらい覚えとけよ。まぁ名乗る気はないが」と言った。

「そこをどけ。わしは忙しいのだ」

 それを聞いた男は侮蔑の視線を浴びせる。

「何言ってんだよ。今回の黒幕であるアンタを逃すわけねぇだろうが」

 そう言って、相模宗十郎は抜刀した。それがどういう意味か知らない瑞野ではない。

「き、貴様。それがどういう意味かわかっているのか!?」

「黙れよ下郎が」

 その威圧的な声に驚く瑞野。ゆっくりとこちらに向かって歩み始める彼の刀が紅く輝きだした。

「な、何・・・・・・」

「てめぇみてぇな腐った野郎がいると、この国を担う若い奴らに迷惑なんだよ」

 その声には怒りを帯びていて、彼の後ろからとてつもないオーラがあふれ出ていた。その気迫に圧された瑞野はすっかり腰を抜かして無様な姿を晒していた。

 刻一刻と恐怖が近づく瑞野の前で宗十郎の身体が淡い光に包まれていく。

「俺達の築いた国を腐らせる連中は、この俺が許さん」

 淡い光が収まり、瑞野は眼を剥いた。眼前の男は茶褐色の軍服、風に靡く純白の外套、そして、胸に刻まれた家紋。

「龍の逆鱗に触れた罪、その身をもって味わえ」

 振り下ろされた牙は、性根の腐った俗物を屠った。



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その9 時は動き出す ~動き出した歯車Ⅱ~

 瑞野校長による一連の事件は、瑞野と五人組を島外永久追放処分ということで一応の決着を見せた。そして、首謀者相模宗十郎を始めとする一揆参加者にはお咎めなしの処分が下った。

 当初、老中酉居はこれを機会に目障りな宗十郎一派を駆逐すべく、この事件を利用してあることないことでっち上げ会議の場で訴えた。彼らがいかに危険で学園に多大な悪影響を与える、だから彼等を処分すべきであると。

 しかし、大老水都光姫を始めとした者達は彼らのおかげで今回の一件が発覚し、無事解決したのだからということもあり、多数決の結果お咎めなしということになったのだ。

 その時の酉居の不満に歪みまくった顔は最高に面白かったと後に平良は語っていた。

『その件はしばらく捨て置け』

 御簾の向こうから聞こえる機械じみた声を、酉居は胸くそ悪い表情で聞いていた。彼は声の主にあったことは今まで一度もない。報告があるときに限り、学園の一角に設けられた秘密の部屋に来るぐらいだ。

 所謂『大御所』と呼ばれるこの者は、多くの生徒を従えて逐一報告を求めている。コイツが何を目的にしているか知らないが、幕府の中枢にもコイツの部下がいる。何かあれば連絡が行くだろう。

「はっ」

 彼は素直に頭を垂れた。

 

 張孔堂とは、由井雪那が乙級生徒の為に開いている学習塾だ。きめ細かでかつ丁寧な指導は定評があり、乙級生から絶大なる信頼を得ている。そんな評判を聞いた八雲と宗十郎は、学業成績が恐るべき超低空飛行で落第寸前である吉音をここにぶち込み、彼女の勉強を見てくれる雪那の指導のもと、成績をなんとかしようとした。しかし、吉音の学力は雪那の指導を凌駕し低学年の問題に素で間違え雪那を困らせるという奇跡を起こした。

「俺はアイツを舐めていた」

「まさかあそこまでとは思わなかった」

 横の畳でぐうすか呑気に夢の中に旅立っている本人を前に、保護者の二人は彼女の学力に絶望していた。これは、本格的にマズい。

「このままじゃ、雪那さんが死んでしまう」

「あら、お困りですか?」

 そこに現れたのは榮だった。途端に宗十郎と八雲の顔に希望の光がともった。

「天の恵み!」

「初音! お前、勉強はできる口か!?」

「え? えぇ、できますけど」

「「ヨッシャー!!」」

 二人して大はしゃぎする理由が分からずポカンとしている榮に宗十郎がこれこれしがじかと説明をする。

「それは構わないのですが・・・・・・」

 榮は困惑する。彼女としては、あまり不用意に彼に近づくのを避けたかった。彼女はいわば部外者であり、隠密である。そんな自分が白昼堂々と彼の家に踏み入りあらぬ疑いをかけられては彼に迷惑をかけてしまう。などとあらゆる可能性を加味してなるべくやんわりと断ろうとしたのだが

「ただとは言わない。来た日は夕飯を食っていけ」

「是非やらせていただきます!!」

 宗十郎お手製の絶品料理の破壊力には勝てなかった。

 こうして、週二回であるが、彼女は吉音の家庭教師をすることになった。

 月明かりに照らされる刀身に惚れながら、女性は嘆息する。

 彼女が手にする太刀は、見事に彼女にフィットするようにしっくりとくる。漆黒の闇の中に灯る一筋の光のようにそれは存在を誇示している。

 藤朝臣相模守光滋(とうのあそんさがみのかみみつしげ)。それが、彼女の相棒の銘である。

 この刀を作った刀匠は、刀を作るとき決まって『藤朝臣相模守』と付けているが『先祖代々そう銘打っているからなぁ』と以前尋ねた時にぼやいていたのを昨日のように思いだす。

「良い刀だ」

 それも当然といえばそうなのだが、それでもそんな言葉が出てしまう。何でも、彼は部下が来る度にその人に一番見合った刀を瞬時に作ってしまうとして有名であったからだ。本来なら相当な時間がかかるのだが、天下の一族の出であるなら、超次元的な方法でそれを可能としてしまうだろう。

 相模宗十郎。彼女の太刀を作った刀匠であり、この学園で特異な存在を表している男だ。

 学園最強の剣士であり、謎多き転校生。数多くの最強と知り合いの多い男子生徒。

彼は理事長からの密命によりこの学園に潜入している。内容は知らないが、彼はこの国のために戦っているのは良くわかる。

「敵にはしたくない人だな」

 それが、彼女の思いだった。

 相模宗十郎は嬉々として茶を啜る吉音を横目で見て嘆息する。

 話は少し遡る。いつものように店を回しているとき、輝の瓦版が撒かれた。そこに書かれた記事を見た吉音が突然飛び跳ねたのだ。

「おいこら新。仕事中に跳ねる―――グハっ」

 ちょうど突き上げた拳が宗十郎の顔面に直撃し蹲るのを他所に、吉音はピョンピョン跳ねながら「詠美ちゃんと戦える」と口にしていた。

「新、少し落ち着いて―――」

「静かにしろこの小娘がっっ!!」

「みぎゃっ」

 鈍い音が店内に響き、頭を抑えて屈む吉音に宗十郎は鋭い睨みを利かせる。

「痛いじゃないかそーじゅーろー!!」

「やかましいこのかしまし娘! お前居候だってこと忘れんなよ!」

「ぶったこととそれカンケーないじゃん!!」

「うるせえよ! だいたいお前は―――」

 開店中であり且つ客がいる前で繰り広げられる店員と居候店員による口論。普通の客ならここで気分を悪くして帰るところだが、ここに来る者達はこんなことぐらいでは帰らない。

「いやー、やっぱこれ見ないと一日終わったって感じしないよなー」

「そうよねー。むしろこれが楽しみで来てるもんだしねー」

 もはや名物となりつつある二人のやり取りは、幸か不幸かこの店の売上に多大な貢献を果たしている。これまでも彼らの入れる茶や菓子などの評判は然ることながら、向かいのねずみ屋との不定期で開催されるコラボ企画は瞬く間に町中に広がり有名となった。企画が開催されるたびに輝の瓦版に載るので期間中は大忙しであるのだ。

 しかし、そのコラボ企画以上に店の売り上げに貢献しているのは皮肉のもこの二人の喧嘩なのである。

「お前飯抜きにするぞ!」

「おーぼーだ! そーじゅーろーのいじわる!!」

「この野郎! どの口がほざくか!!」

 口論がヒートアップしてくると、客も心得ているようで被害が来ぬように空いている席に移動し、そこで彼らの口論を楽しんである。

 そんな時に来るのは大抵がねずみ屋の三姉妹と、ねずみ屋の客たちである。彼女たちも彼らのイベントが始まると店を一時的に空けて見に来る。彼らを見ながら心の疲れを癒し、明日からの学業に専念する。それが、ここに来る者達の日常である。

 無論、止める者は誰もいない。こんな楽しいイベントを止めるバカは彼らにこれまで幾度となく粛清されてきたからだ。

「あらあら。またやってるんですか?」

「おっ、面白そ〜なことしてんな。オレも混ざっていいか?」

「ダメです金さん!」

「ほー。これは楽しそうだな、詠美」

「長谷河さん。そんなこと言ってないで止めてください」

「とかいって、毎回見に来てるよな詠美」

「ぐっ・・・・・・」

 それを見に来るのは何も町民だけではない。幕府に名を連ねる奉行や書記長までも見に来る始末だ。それを見た酉居は悪態をついたが、皆「はいはい」と軽く流した。彼の信頼は内部でも超低空飛行であった。

 彼女達がここに来るのは、日頃彼から繰り出されているイヤミの鬱憤晴らしのためでもあり、正体不明の転校生相模宗十郎の情報を少しでも得んがためでもあった。光姫お付の由佳里の情報により、彼が『武聖四家』筆頭進藤家の関係者ではないかというところまでは分かったがそれだけである。だから少しでも多く彼の情報を得たいのだ。

「全く。アイツは何者だ?」

 誰かのつぶやく言葉に、皆首をかしげて考えるも、その答えが見つかることはなかった。

 そして時間はもどる。

 宗十郎は吉音にその理由を問うと、彼女は先刻撒かれた瓦版をビシッと彼の前に突き出した。そこには御前試合と銘打ってその内容と来賓者並びに出場者の名が書かれていた。そこにはしっかりと吉音の名前と相手の名が記されていた。その相手が詠美であった。

「でもさー、何でそーじゅーろーの名前が無いのさ?」

「んなもん、俺が知るわけないだろうが」

 それも当然の答えだ。こういった類は上層部の連中が決めることであって、一般生徒が関与することは絶対ない。まして、知っていたらそれはそれで問題がある。

「つまんない」

 吉音が頬を膨らませて畳に寝そべると、ちょうどその時になって八雲が三人分の煎茶を持ってやってきた。

「気がきくねぇ八雲」

 彼が煎れた茶を啜りながらほっこりする宗十郎は同じくほっこりしている二人を見ながら、ため息をついた。

「全くもって、平和だなぁ」

 願わくばこんな日がいつまでも続くように。そう彼は願った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜空に輝やく満月は人の心にある種の感激を与える。その月を見上げた女子高生は唇を固く締めその瞳に宿す決意を新たにする。その為にこの数年間を過ごしてきたといっても過言ではない。

 空色ともいえるショートボブの彼女は眼鏡の位置を直し、腰に佩いた刀の柄に手をかける。

「本気でやるのか?」

 闇夜から聞こえてきたのは女の声である。女子高生は声のほうに顔を向けることなく「当然よ」と言い返した。この日が来るのを待っていたといわんばかりに語気を強める彼女の言に、声の主は「そうか」とだけ言った。

「それにしても、貴方から計画に参加したいなんて・・・・・・どういった風の吹き回しですか?」

 絶対に参加するはずのない彼女が計画に参加すると言い出した日のことを思い出していた女子高生は、今でも彼女のことを不審に思っている節がある。これまで幾度となく協力してくれたとはいえ、彼女の本心をついに知ることはできなかった。何度尋ねても「思うところがあってな」といってはぐらかされた。最も、それは今となってはどうでもいいことである。

 間もなく自分の悲願が達成される。今の彼女はその執念でいっぱいであった。

 その姿を見ながら、声の主は静かにその姿を消した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 相模宗十郎はどういったわけか学園の理事長といった役員が座る席に座っていた。その隣には水都光姫がおり、その後ろには銀次が控えていた。何故一介の生徒がここにいるのか。ただでさえ秀忠の奴が顔を隠すのに必死であるというのに、この娘は何を企んでいるのか彼は訝った。

「これは何の冗談だ?」

「ん? 何がじゃ?」

「一般生徒の俺がここにいるのは、お門違いじゃないか?」

「気にするでない」

 俺が気にするっての、とは口にはしなかったが釈然としない表情で宗十郎はそっぽを向いた。それを見て面白おかしく笑う銀次にちょっとした殺意を覚えたが、何分ここにはお偉方がたくさんいるから、下手なマネはできない。

 まして御前試合の最中であるから、余計である。

「吉音と詠美が戦うのか。見物だなぁ」

「そうじゃろ。滅多にあ奴の剣技は見れんからのぅ」

 視線を下に向ければ、その当人達は対峙しており、何か言葉を交わしているように見える。内容は聞き取れなかったがどうも空気は宜しくない方に吹いているらしい。特に詠美は思うところがあるらしく、一方的に敵意をむき出しにしているのが良く分かる。

 やがて、合図が鳴り二人の戦いの幕が切られた。両雄の刀が激しい火花を散らし、その実力をまじまじと見せつけた。観客達は二人の剣技に只々圧倒され感嘆の声をあげていた。

「・・・・・・何を急いでいる」

 しかし、宗十郎はある違和感を覚えた。それは、開始早々から詠美が飛ばしすぎている気がしたのだ。まるで、誰かに認めてもらいたい一心で必死になりすぎているように彼には見えた。

(何を焦る必要がある。・・・・・・ん?)

 宗十郎の第六感が反応した。今二人は剣魂をサポートとして互いの心を激しく燃えさせている。しかし、その剣魂に黒い影が入り込んだのが見えた。その正体までは分からなかったが、何か嫌なことが起きると直感した彼の手は自然と『龍牙』の柄に手をかけていた。

「何か探し物か?」

 きょろきょろしている宗十郎が眼に入った光姫が問いかけるも、彼は無視して神経を集中させていた。

 その時会場から悲鳴が上がった。何事かと眼を向ければ、詠美の剣魂「タケチヨ」がこちらに―――正確には、父である秀忠に―――突然攻撃を仕掛けてきたのだ。驚愕する面々に、事態を把握し理事長を守らんと光姫は自身の剣魂「スケ・カク」を顕現させたものの、タケチヨの方が早く間に合わない。

(仕方ねぇな)

 宗十郎は秀忠の前に躍り出ると腰の『龍牙』を振り抜き、タケチヨの攻撃を斬り裂いた。更に彼は、猛り狂い突貫してくるタケチヨを峰で撃ち落とし、何とか理事長を守ることができた。

「一体何が・・・・・・?」と困惑する秀忠に宗十郎は静かに答えた。

「分かりません。ただ、試合は中止するほかないと具申します。このままではあまりにも危険すぎます。

「う、うむ。分かった」

 その後、理事長より試合中止の沙汰が下り、観客たちは帰路に着き、来場したお偉方は控え室へと下がっていった。一方で、自身の相棒が暴走を始め、あろうことか実父を攻撃したことにショックを隠し切れない徳河詠美はその場から動くことができず、平良の肩を借りなければ歩けないほどで憔悴しきっていたという。

「詠美を責めてやるなよ、秀忠」

「分かっております。あれが娘のせいとは思っておりません」

 理事のほとんどが帰島した中、秀忠は一人残り宗十郎と対峙していた。彼も、今回の一件には何か違和感を覚えたようで、榮に指示を出して今回の件を探らせている。

「今までにあんなことはあったのか?」

「いや、ありません」

 ただ、と秀忠は気になることを口にした。

「タケチヨには何か良くないコードがインプットされていたようです」

 それは、タケチヨの行動がどうにも腑に落ちない秀忠が、榮に命じて詠美からタケチヨを回収して調べさせたのだった。ともすると、その良くないコードというのは宗十郎があの時見た黒い影と何か関係があるのかもしれないと思った。

「・・・・・・」

「何者かがアレの中身を改編したとしか」

 宗十郎はそのへんについてはよく知らないが、何者かが何らかの意図をもってあんなことをしでかしたのは間違いない。

 その時、部屋の中を一陣の風が通り抜けた。窓や襖を開けていないのにもか関わらず吹いたそれに、宗十郎は言い知れぬ不安感が沸き上がった。

「何が起きている・・・・・・」

 

 

 

 

 

 

 榮や宗十郎達の努力も実らず、あの事件は何の進展もないまま数日が過ぎてしまった。

 その間、宗十郎は八雲堂には出ずにひたすらに今回の件の情報収集に奔走していた。

「・・・・・・宗十郎? 今までどこほっつき歩いていたのかな?」

 この日、宗十郎は数日間無断欠勤していた理由を八雲に問われていた。彼に対する連絡をすっかり忘れていた為、羅刹の形相と化した八雲の前に人生何度目かの土下座をしている。

「何の連絡も寄越さないのは、一体どういう了見なのかなぁ? 八雲さん、すっごく知りたいなぁ?」

「・・・・・・」

「黙ってても分からないよ? 言いたいことがあるならいいなよ、宗十郎君」

 宗十郎は眼の前の恐怖に何も言えずにいた。いやむしろこの状況下で今の彼に何を言っても私刑確定しているので、このままやり過ごそうか、それでも何か言うべきか迷っていた。ただし、このまま無言を貫いた場合、その恐怖は100倍増しになる。

「八雲様、この度は本当に申し訳ありませんでした」

「謝るならだれでもできるよぉ。八雲さん、理由を知りたいなぁ」

「いや、その、・・・・・・今回の件でちょーっと気になったことがありまして・・・・・・その、少し調べごとを」

「だったら、連絡の一つでも寄越せばいいんじゃないかなぁ?」

「仰る通りでございます」

「じゃぁ、なぁんで連絡を寄越さないのかなぁ?」

「えーっとですね・・・・・・それは・・・・・・そのぉ・・・・・・」

 さて、この修羅場と化した八雲堂の店前には、八雲の淹れた煎茶と宗十郎の作る さて、この修羅場と化した八雲堂の店前には、八雲の淹れた煎茶と宗十郎の作る彩最強級に旨い茶菓子を目当てに来た客がいるのだが、これを見て呆然としていた。

「何じゃ? この状況は??」

「さぁな。けど、これは面白い画だな」

「・・・・・・誰か止めてあげましょうよ」

 詠美はそう言って止めに入ろうとするが、平良によって左腕をグイッと掴まれてしまいそれができなかった。何するのよと抗議するが、彼女は二ヒヒと笑うだけで何も言わなかった。

「・・・・・・忘れていました、ごめんなさい」

「なぁんで、忘れちゃったのかなぁ? 宗十郎君??」

「ですから、忙しくなって・・・・・・」

「忙しくっても、連絡くらい、できるよねぇ?」

 最悪なことに、どう転んでも終わりのない無限ループに陥ってしまった宗十郎は、平時纏っているオーラは見えず、怯えきった子供のようにその場に震えていた。

 普段怒らない人間が一度怒るとそれはそれは大変に恐ろしいことになるということを宗十郎は身をもって体感した。それでも、八雲をこの事件に巻き込みたくないと考えている宗十郎は必死に耐えていた。

「・・・・・・宗十郎の奢りで今日ここにいる全員に最高に旨い飯を食わせること。それでチャラにしてやる」

 そういうことで、八雲は矛を収めた。宗十郎は良かったと安心する一方で、当分飯が侘しくなるなぁとその懐を見ながら涙した。

 その後振る舞われた豪華な食事は訪れたお客の胃袋を十二分に満たしたのだった。

 夜になり、宗十郎は八雲が煎じてくれた茶を啜りながら月夜を眺めていた。この数日何の手がかりも掴めないことが非常にもどかしかった。このままではいずれ大事が起きる。そうなってしまっては遅い。早く見つけねばならないがこういった時に限って物事は進まないのだ。

「お悩みですね、宗十郎様」

「いつになくしょげているじゃないか、宗十郎」

 いつの間にか彼の両隣に腰かけていたのは何時もの二人である。彼は何も言わずに用意していたお猪口に酒を注いだ。彼女達はそれを一息に胃の中に染み込ませた。それから暫くの間は誰も口を開かずに時が流れるままに身を任せた。

「物事はそうそう上手くいかないものだな」

「それが、人として生きていくということなのでしょうね」

「・・・・・・疲れるねぇ」

 ポツリポツリと話す。そこに一陣の風が吹く。宗十郎も酒を注ぎそれを一気に飲み干した。

「未成年の飲酒は法律違反だぞー」

「お前だって、今は高校生であること忘れてんじゃねーぞー」

 ふんと黙ってお猪口を彼の前に差し出す。彼も黙って酒を注ぐ。それを飲み干すということを繰り返すこと数度。

「やれやれ」と嘆息した宗十郎はそのままボケェッと月を眺めていた。

「高校生の生活を、俺としてはもう少し楽しみたいんだけどな」

「そうですわね。今も十二分に堪能しておりますからね。貴方様の時代では決してできなかったことですからね」

 そうだなと相槌を打ち彼は深いため息をついた。

「ですが、姫君も同じではありませんか」

「はい。とっても楽しいですわ」

「私たちは、この生活を何としても守らねばならんな」

 それが、先人として次世代の者たちへの務めと彼らの中では共通認識として通っていた。だから、こんな騒ぎを起こす愚者をこのままのさばらせておくほど、彼らは馬鹿ではない。

 自分達がまさに命を張って守ってきた国であるだけに殊国を愛する心はこの国に住む誰よりも強い。故に、彼らの愛する国を踏みにじる行為を犯す者共にはそれなりの『教育』を施す。

「この裏には、必ず『大御所』がいる」

「わたくし達は、何としてもその者を炙り出させねばなりませんわね」

「そうだな。我々三人と・・・・・・」

 と、そこで真瞳は言葉を切った。

「そこに隠れている協力者でね」

 ビシッと八雲堂の傍に生えている木を指さすと、苦笑いをしながら女性―――結城榮が申し訳なさそうに姿を現した。

「やっぱりお三方を欺くことはできませんか」

「ふふん。俺達を見くびってもらっては困るな」

「そうですわ。貴方様とは『経験』が違いますわ」

 面白可笑しく笑う伝説的存在達に、榮はうぅと顔を赤らめて彼らの傍まで寄っていきちょこんと座った。

「ま、飲もうや」

 勧められるままに彼女は酒をくいっと飲み込んだ。

「宗十郎さん。吉彦さんの追加情報です」

 渡された書類を、酒を喰らいながら一読すると彼はそれを甲斐らに渡した。そこには、深夜に生徒会室に何者かが侵入し金を持ち出す現場と、当日の彼の足取りに関して記してあった。それによれば、吉彦は当日の午後4時までは政務に励んでいたようだが、午後5時に資料室に行くと当時の側近に告げて部屋を出て以降からの足取りが不明であった。彼が部屋を出て資料室に行くまでの間に浚われた可能性が濃厚であった。

 金を持ち出したのは吉彦ではない。彼と侵入者は明らかに背格好が違うし、彼がこんなことするはずないと彼を知る複数の生徒による証言がある。無論、彼が仮面をかぶって過ごしていて本性を隠していたことも否定できないが、宗十郎の直観がそう告げていた。

「しかし、貴方様も意地悪な方ですね」

 突然、甲斐がこんなことを言い出した。

「いきなりなんだよ」

「八雲様のことですよ」

 なんのこっちゃととぼける彼に甲斐はそっとある紙を彼の前に突き出した。このことですよと暗に告げたが、それを見た彼はあぁこれかと合点がいったように頷いた。

「ま、師匠からの試験ってことで」

「御自らは出られないくせにですか?」

「俺が出ちゃつまらんだろうが」

 そう言って笑いを噛み殺している彼をジト眼で睨む甲斐に、まぁまぁと真瞳が宥める。

「こいつなりの愛情ってやつだよ」

「えー。でも、八雲さんってまだ習って間もないんでしょ? 大丈夫なんですか?」

 榮も少し心配そうに尋ねるも、彼は微笑するのみで何も言わなかった。

「ま、ありがとな榮。これ、報酬な」

 と言って差し出したものを見て榮の眼は星のように輝いたかと思うとそれを口に頬張った。幸せそうに顔を綻ばせる彼女を見ているこちら側も和んできた。

「お前らの一族ってのは、ホント料理上手いよな?」

「先祖は知らんが、俺のガキ共の腕は保証するぜ」

 誇るように胸を張る彼がどこか面白く、二人は腹を抱えて笑い出した。因みに、榮は宗十郎お手製の褒美を未だに頬張っていて、幸せそうに頬を緩めている。

「あれが出ている間に、生徒会室に忍び込んでネタを探そうと思う」

 唐突にマズい発言をする宗十郎に対して、真瞳はまた何でだよと一応のツッコミを入れみるが、それに対する返答は『特に理由はない』とのことだったので、真瞳はやれやれとため息をついた。要は、彼の直観がそう告げているらしかった。こういった時の彼の直観というのは、よく当たることを彼女は知っていた。

「大丈夫ですか? 会長不在とはいえ、警備は厳重なのでは?」

「アーそれなら大丈夫ですよ。私抜け道知ってますから」

 至福に浸っている榮がそう言った。

「そうか、君はここの卒業生だったな」

「はい!」

 偉い偉いとばかりに彼は榮の頭を撫でた。それを享受する彼女の至福はさらに増してえへへと笑っていた。

「地図もあります!」と生徒会室までの詳細な道を記した地図を取り出すと、彼は余計に頭を撫でた。

「それで、どっから入るんだ?」

「はい! えっとですね・・・・・校舎の裏手に枯れた古井戸がありまして、そこから入ると資料室に抜ける一本道があります。資料室に出て、ここにある秘密の抜け穴から入ります」

 そういって彼女は資料室に一角にある本棚を指した。

「ここの後ろに隠し扉があります。ここから生徒会室までは何もありません」

「だが、そうなると、万一生徒に見つかるという可能性は残らないのか?」

「否定はしませんが、マジックミラーが設置してありますので安心ですよ」

 一体何のために用意したのか良く分からないが、兎にも角にもこれで他の生徒に見つかるというリスクは減った。後は、吉彦の痕跡を拾い上げてくるのみである。

「ま、私としても、さっさと終わらせてこの学園生活を満喫したいしね」

 立ち上がり背伸びする真瞳はにかっと笑って見せ、宗十郎、甲斐も彼女に続いて笑って見せた。

「うし、やっか」

 おう、と彼らは気合を入れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 八雲は迫りくる凶刃をかいくぐり、適度に隠れやすい場所を見つけそこに隠れ、乱れた息を整えていた。

「おーい、あーきづきさーん、祠の陰に隠れてもだめですよー!」

「平賀、おまっ!?」

 上空を旋回している平賀輝によってあっさりと隠れていることがスピーカー越しに伝えられ、八雲は息も絶え絶えになりながらも再び走り出した。その時、観客席で談笑しているであろう我が友に向かって心の中から叫んだ。

 覚えていろよ宗十郎!!

 彼がこう叫ぶのには理由がある。まず、彼が今参加しているのは、生徒会が主催するサバイバルゲームというものであり、勝者には褒美があるとのことである。だれでも手軽に参加でき、参加者の中には思い出づくりであったり、実力を試す場とする者も多い。

 八雲はそう言ったことにはまったくの無関心であり、別にいいやと思いいつものように開店準備を進めていたが、宗十郎が学校から帰って来るや「八雲、明日のサバイバルゲームがんばれよー」などとおよそ彼の理解を超える発言をしたので、首を傾げていると「お前の師匠が申し込んでいたぞ」と投下してきたので、彼は思わず自分の頬をつねった。これは夢であるに違いない、と。

 しかし、その後に来た師匠柳宮十兵衛から正式に参加する旨が伝えられ、彼は半ば呆然として、直後猛抗議した。自分はまだ未熟でとても生き残る自信がないと。

 師匠は言う。別に勝ち残れという意味ではない。確かにお前はまだ未熟だが、今の実録でどこまでいけるか試して来いと。

 師匠がそこまで言うのだから渋々承諾して今回参加したのだが、実は宗十郎が勝手に申し込んだと知ったのはゲーム当日だった。それも、口やかましい平賀輝のオフレコ情報誌からである。

 今恨んでも仕方ないが、それとは別に面倒なことが起きている。

 生徒会の中でも最強に評判の悪い酉居が参加しているのだ。それも取り巻きを引き連れて。

 酉居は手ごろな相手を見つけると取り巻き達が彼らを始末していく。自身は一切手を下すことはない。取り巻き共は彼らで連携を組んで確実に相手を仕留めている。

 さて、八雲は現在橋の手前で一人の生徒と剣を交えていた。

「悪いがここで消えてくれや!」

「誰が消えるか!」

 鍔迫り合いを続けていたが、やがて実況を聞いたのであろう、酉居の取り巻き共が彼らの姿を発見した。

「なぁ、ここは戦略的撤退といかないか?」

「奇遇だな。別にあいつらが怖くて逃げるわけじゃないぞ?」

 息を合わせて脱兎のごとく逃げ出す二人は互いの健闘を祈りつつどうにかして生き残こる為に普段使わない頭を必死に働かせていた。

 この戦いに勝ち残る為にはどうしても避けられないのが酉居の腰巾着共である。あいつらをどうにかしないとならないのだが、連中は酉居の周りを離れることはない。何とかなして各個撃破すればまだ勝機はあるかもしれない。

「八雲さん」

 突然後ろから声をかけられて思わず声をあげそうになった八雲の口を慌てて誰かの柔らかい手によって塞がれた。

「八雲さん、しっですよ」

「ふぁいふぁん」

 人差し指を唇に当てて片眼を瞑る甲斐を見て、八雲はほっとした。彼女が参加していることがどれほど心強いことか。あの宗十郎と同格の実力を持った女性で、それでいてすごく優しく、八雲の清涼剤的存在だ。

 ていうか、参加してたんですね、甲斐さん。一体いつ申し込んでいたのだろう。

「厄介ですわね。あの者達」と呟く甲斐は、自分達を探している取り巻き共を横目で見ながら嘆息する。

「酉居さんには心底呆れてしまいますわ」

 同じ武士(もののふ)として恥ずかしいと、普段の彼女にしては珍しく他人を非難していた。彼女としても、彼の日頃の行いは眼に余るものがあったのだろう。眼が恐ろしく赤々と怒っているのが分かった。

「アレはヤクザですわ」

 殆ど断言するような言い方の彼女は、既に柄に手をかけていた。依然聞いたことのある、名刀中の名刀であるらしいその太刀は女性には不釣りあいであったが、なぜか彼女が持つとさまになるのは何故であろうかと、時折彼は疑問に思った。

 最も、彼自身も酉居に関しては心の奥底で何百回もぶん殴りたいと感じていたのでうむうむと深く頷いていた。

「一度、このわたくしが自ら成敗したいですわね」

 その不気味なくらい恐ろしい笑顔に八雲は密かに恐怖した。

「まずはあの者共を駆逐いたしましょうか」

 そう言って、甲斐はポケットに手を突っ込むと、そこから小刀を数本取り出した。そんなものをいつも彼女はそこに仕込んでいるのかと疑問に思ったが、彼女は宗十郎と同種の規格外の存在であると認識している八雲はそれ以上何も聞くことはなかった。

 好き好んで自ら地雷を踏みに行くようなアホではない。

「平賀さんに聞いたら、身体の一部が刃物に触れると失格だそうですわ」

 その眼はまさに狩人。

 それにしてもと思う。さっきはあんなにやかましかった輝の実況がぱたりと止んでいる。ヘリコプターは上空を旋回しているのだが・・・・・・

「平賀さんには、少し黙ってもらいました」

 八雲はうんと頷いて黙った。確かにあれは有難迷惑の何物でもない。が、一体どうやって彼女を黙らせたのであろうか。

 さて、と甲斐は獲物に照準を合わせるが如く小刀をセットした。当然になまくらではあるが、当たると痛いのは変わらない。

「ぎゃっ!」

 一人が呻いた。途端に彼の取り巻き達が狼狽し辺りを警戒し始めるが、甲斐の正確無比な攻撃は彼の取り巻き達を一人一人脱落させていった。そして、酉居と一人の取り巻きを残して残りは脱落してしまった。

「あら、そんなに取り乱して。彼らがいないと何もできない木偶の坊でしたか」

 しっかり酉居を挑発しながら茂みから出てきた甲斐に殺意の視線を送り

「女如きが、この俺に歯向かうのか?」

「別に。私は貴方如き小者に歯向かっている気はさらさらないですが?」

 酉居が怒っているのが面白いようにわかる。憎悪に満ちた視線で彼女を睨んでいる。まぁ、彼の言う一般庶民に選民階級である武士が侮辱されたのだから致し方ないが、こちらはこちらで彼に対する怒りが溜まっており、今日は絶好のチャンスである。

「確かに、今のアンタに何言われてもなーんにも感じないわ」

 日頃の諸々が溜まっているのは八雲も同じであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 榮の案内で宗十郎達は学園の秘密通路をひた走る。平和な学園生活を脅かす『大御所』の正体を白日の下に晒す為の手がかりを得るために。

 ここに来るまでの間、彼は方々の手を使い吉彦を始めとしたこの学園の生徒に関する情報を集めていた。

 それによれば、吉音が火を恐れる理由は、幼いころに火災事故で両親を亡くした事によるとか、その火災事故に逢岡想が関わっていたらしいとか、同心の仲村往水が以前瑞野や酉居によって酷い目に合っていたなど、生徒達の闇が明るみに出た。更に、吉彦は失踪する前に何かに気付いた、というらしい。

 思案している間に彼らは目的地についたようだ。榮が歩みを止めた。

「ここです」

 そういって示されたところにはマジックミラーがあり、そこから生徒会室が丸見えである。

 榮がドアに手をかけようとしたその時である。その手を宗十郎が止めた。

「待て。誰か入ってくる」

 人差し指を唇に当てて声を上げるなと皆に眼で合図する。すると、彼らの前に部屋に入ってきた。その姿を見た彼らは息を呑んだ。

「さて、アイツが隠したものはどこのあるのかなぁ」

 そいつは、部屋の中を眺めながら何かを探していた。時折引き出しの中とか、机の上に乗っていた書類等をまき散らしながら。しかし、目当てのものが見つからなかったようで、次第に顔つきが変わってきた。

「クソッ! あのガキ、どこ隠しやがった!?」

 それは、普段の姿からは想像もできない口調。

「あのガキがアレを隠しやがってせいでアタシの計画は台無しだ」

 そう喚き散らす彼女は、彼の部屋にあったものを八つ当たりと言わんばかりに当たる。

「こうなりゃ、例の計画を早めるか。由比のガキに・・・・・・」

 そういって彼女はぶつくさ言いながら部屋を後にした。彼女が出て数分してから彼等はゆっくりと部屋に入った。

「おい、一体どうなっているんだ、これは?」

 宗十郎は訳が分からなくなっていた。一体何がどうなっているのか、それは彼女たちの同じ様に戸惑っていた。

「吉彦が失踪された原因は、そいつの正体を知ったからか?」

 信綱の発言に皆は首肯する。

 生徒会室は、奥の窓側に執務席があり部屋の中央に長テーブルと椅子が置いている。おそらくはここで会議が開かれていたのだろう。左右の壁には書棚が設置してあり、中には政治・経済から始まり歴史・風俗など様々な書籍が綺麗に並べてある。綺麗な状態で保たれており、誰かが定期的に掃除しているのだろう。

「一応、カメラをつけておきました。誰か来たら分かります」

「よし。なら、一旦状況を整理するか」

 宗十郎の号令のもと、一行は席に着いた。

「征夷大将軍徳河吉彦は、幕府の金を横領し謎の失踪をした」

「聞いたところ、生徒達からの評判は良かったにも拘らず、突然今回のようなことが明るみに出たのは事実」

「失踪の原因は一切不明。当初は横領の発覚の恐れてのことと思われた」

「外界に出た形跡はなし。この島のどこかに隠れている可能性が高い」

 むしろ今までそのような黒い噂が全く出ていないことに不審な点がある。それほどまでに彼は隠し事がうまかったのか。

「横領が発覚したのは、吉彦が姿を消した直後なのだな?」

「以前お見せした資料の通りです」

「分かった。ということは、あの女が金を持ち出した犯人とみてよさそうだな」

 それは彼ら全員が目撃していることから明らかであるが、彼女は何を探していたのだろうか。

「榮さん。あの女の事、調べてくれないか?」

 信綱は榮にそう言った。宗十郎が何故だと尋ねると、信綱は何となくと答えながらもその理由を答えた。

「女の勘が怪しいと告げているのさ」

 ふぅんと頷く宗十郎は何となしに部屋を見渡した。パッと見た感じ、特に変わった感じは見受けられない。

 全体あの女は何を探していたのだろうか。『アレ』とは一体何だったのだろうか。彼女の計画に致命的な何かを吉彦は隠した。それがこの部屋にある。何としても、あの女より先にそれを見つけなければならない。

「・・・・・・ん?」

 ふと、彼は壁際にある本棚が気になった。普通に見た限り、綺麗に整頓された本棚であり気になるところは何もない。

 しかし、彼は何かが引っ掛かった。直感ともいうべきだろうか、とにかく気になった。

「どうした宗十郎。さっきっからじっと本棚見てるけど」

「いやなぁ、なーんかそこの本棚が気になってな」

「本棚ぁ? 別に何も無さそうだぞ?」

「まぁ、そうなんだがなぁ」

 そう言いながらも腰を上げて真っ直ぐに本棚に向かっていた。じっと見ているが、特に変わった様子もない。

「気のせいだったかなぁ・・・・・・ん?」

 あるところで彼の動きは止まった。その列に並んでいたのは政治に関するものである。

ア行から綺麗に整頓されているのに、そこだけその基準から外れていた。

「・・・・・・」

 それを手に取った宗十郎は試しに本を開いてみた。すると、そこから何かの紙切れがひらりと落ちた。落ちた紙切れを拾い上げると、何かの記事であるようだ。

『未明の火災。3人が死亡』

 記事にはそう書かれていた。宗十郎は食い入るようにその記事に眼を通した。その記事によると、この火災により死んだのは徳河吉音の両親と身元不明の三人であるという。以前十兵衛に手渡したものよりもそれは詳細な内容が書かれていた。

(だから、アイツは火が苦手なのか)

 この時の出来事が彼女のトラウマとなっているから、彼女は火を恐れていたのかと得心した。

 記事は詳細ながらも端的にまとめられていていた。どうやら火をつけたのは幼い少女であったらしい。ただし、その理由などは一切書かれていなかった。ただそこから火をつけた人が誰か、彼には見当がついた。だから、あんなにまで彼女の幸せだけを願っていたのだ。

 さらに次のページをめくると、一枚の紙が挟まっていて、どうやらそれはメモ書きであるようで、これは吉彦が書いたものであるようだ。

『記事にある、身元不明の焼死体は、卒業生“飛鳥鼎”であるようだ。なら、ここにいる彼女は誰だ?』

『最近、幕府の資金が何者かによって横領されている。また、不正が横行している。差し金は誰だ?』

『アイツの正体がわかった。アイツはこの学園を乗っ取り日本を支配する気だ。だが証拠がない。何としても証拠をつかんで奴の計画を阻止してやる』

 走り書きにはそう書かれていた。宗十郎は何も言わず、その紙切れを榮達の前に投げて寄越した。それを見た彼女達は驚きの声を上げた。彼は構わず本のページを捲っていった。

『これを見つけた者よ、奴の計画を止めてくれ。あるモノがないと奴の計画は成り立たない。それはある人物に預けてある。その人を守ってほしい』

 そこで彼の言葉は終わっていた。しかし、肝心な『モノ』を預けている人のことが書かれていない。これでは守りようがないではないか。

(奴の計画・・・・・・。日本を乗っ取ろうとしている『大御所』、か。計画の証拠は記されていないが、彼は何かをつかんでいる)

「これからすると、吉彦は信頼できる誰かにそれを預けたみたいだな」

 後ろからしっかりと盗み見た信綱はふむふむと見ながら何か考えているようだったが、宗十郎は気にせずそれを他の面々に見せた。

 宗十郎は嘆息してソファにどっかり座り込み、ゆっくりと眼を閉じた。

「疲れているな」

「・・・・・・まぁ、色々あったからな」

 信綱は彼の隣に座ると頭にそっと手を置いた。焦らず生きようやとでも言いたげに。彼は生き急いでいるように見える彼女は、彼には今の人生を謳歌して欲しかった。

「心配ありがとよ」

「およ? お前から礼の言葉を聞けるとは思わなかった」

「どんだけ俺は薄情な奴に見えてんだこの野郎」

「いやいや、お前も少しは成長したなと」

「・・・・・・俺は礼を言うべき時にはいつも言っていたぞ?」

「にひひひ。まぁいいじゃないか」

「よくねぇよ」

 こいつ、と宗十郎は信綱の頬を引っ張った。何すると文句を垂れても構わず彼女の頬を弄った。

 さて、そんな様子を眺めていた榮は苦笑いしながら、テーブルに置いてあった菓子を頬張った。

 もし世間の人がこれを見たら何と言うだろうか。最も、この人がかつてこの国を救った超有名人であることを知る者は一握りしかいないだろう。それこそ、ここの創設者早雲と知り合いであるということも。

「さて、暇だし・・・・・・」

 榮はそう言ってノートとペンを取り出しサラサラと書きだした。

将軍吉彦は切り取られた記事から『大御所』の正体、その過程で『大御所』の目的を知り、『大御所』の計画を阻止しようと決心した。彼は調べていく内にその計画にはあるものが必要であることが判明して、彼はそれをとある人物に預け、万一に備えた。

 『大御所』が日本を乗っ取ろうとしている証拠と彼が預けたモノを持っている人物の特定―――これが当面の目標となるだろう。

 しかし、と思う。知らないとはいえ、この国に喧嘩を売ろうなんて考えるバカがいるとは思わなかった。世界最強の『武聖四家』を筆頭に『あの方』の意思を受け継いだ弟子達がまだ現役であるのだ。

「清兵衛君と祭里さんに三姉妹の人達にも、手伝ってもらわないとなぁ」

 まぁ一人でできるとは思えないしねぇとぼやきながら榮はてきぱきとその段取りを取っていく。これはこの学園に住まう者達の手で解決をしなければならないものであり、これ以上彼らに迷惑をかけてはならない。彼らは気にするなというであろうが、それはそれである。

「全く、宗十郎は加減というものを知らないな」

 そんなところにぶつくさ言って戻ってきた信綱は、頭を掻きながらどっかりとソファに座った。

「宗十郎様は?」

 ほれ、と指の先には心地よく眠る彼の姿であった。

「おや? そんなに疲れていらっしゃったのですか?」

「まぁ、アイツはアイツなりにこの国を思っているからな」

「・・・・・・信綱様。何故、あの方はここまで尽力くださるのでしょうか?」

 その疑問に、信綱はぽっつりと答えた。

「・・・・・・そうさな。戦友との約束、かな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 酉居葉蔵は、眼の前で起きていることが理解できず、ただ茫然としていた。

 彼は、武士の身分にあり名族の血を引く自身こそこの学園を治めるに相応しいと考え、この日の為に信頼する精鋭数十名に声をかけ臨んでいた。自分が頂点に君臨すると考える彼にとって、詠美という小娘の存在は邪魔以外の何物でもないし、町人風情がここに出てくること自体おこがましい。ここはひとつ身の程を思い知らせてやろう。

「どう、なっているんだ??」

 しかし、彼の眼の前では、彼の予想外の事態が起きていた。自身が集めた実力者数十名が、たかが町人、それも一人は女によってこの大地に無様な姿を晒していた。

「あらあら。情けないわね。この程度の実力で侍を名乗るなんて程度が知れるわね」

 クスクス笑いながら立ちはだかる女。息一つ乱さず立ちはだかる障害。すでに彼の怒りは爆発寸前である。町人風情に自分が虚仮にされたのだ。

「貴様ら、タダで済むと思うなよ?」

「あら? 貴方如き小者に何ができるとおっしゃるのですか?」

 町娘のこの言葉に彼の頭の血管が隆起した。これ以上の侮辱は彼にとって我慢ならないものである。

「あら、そんなに取り乱して。彼らがいないと何もできない木偶の坊でしたか」

「女如きが、この俺に歯向かうのか?」

「別に。私は貴方に歯向かっている気はさらさらないですが?」

 酉居が憎悪に満ちた視線で彼女を睨んでいる。まぁ、彼の言う一般庶民に選民階級である武士が侮辱されたのだから致し方ないが、彼女は彼女で日頃の鬱憤が溜まっている為気にすることはない。

「確かに、今のアンタに何言われてもなーんにも感じないわ」

 そう言ったのは彼女と一緒にいる男子生徒だ。

「貴様ら・・・!!」

 柄を握る手に自然と力が籠る。

「悪いけど、今のアンタに負ける気がしないね。お山の大将さん」

 その一言に酉居はついにキレた。我を忘れて放たれた斬撃を男子生徒は難なく自身の剣で受け止めた。その後も酉居の猛攻は止まらない。傍から見れば出鱈目に剣を振るいそこに武士の姿は見えない。怒りのままに拳をぶん回す子供のようであるが、男子生徒はその出鱈目な剣を受け止めるだけである。

 不思議と、八雲には彼の太刀筋がまるでスローモーションのように分かり、いなすのが楽であった。師匠宗十郎の人知を超えた高速の剣を何百とその身体に打ち込まれたからであろうとは思うが、しかし、その結果はしっかりと出ていた。

 彼の成長を一番喜んでいるのは彼の師匠ではなく、甲斐であった。それと同時に、己に流れている血の上に胡坐を掻き他者を見下している零落れた名族達に深く失望していた。

(これがかつて名を馳せた一族のなれの果てとは・・・・・・。姫様がご覧になられたらどう思われるかしら)

 おそらくは嘆息した後に自ら粛清に出向くことだろう。粛清とまでいかなくても一生モノのトラウマをきっちりと刻み込むだろう。

 そのなれの果ては、たかが町民である八雲に己の剣が全く当たらないことに更に苛立って力任せに、まるで殴りつけるように振るっている。

「酉居の名が聞いて呆れるや」

 八雲は彼の剣をいなしながら攻撃をするが、八雲の攻撃は酉居によって乱暴に払われた。腐っても武士である酉居とこれまで剣に触れたことのない八雲とでは素地が違う。元々当たるとは思っていなかった八雲は攻撃をしながら彼の一瞬の隙を見つけるべく神経を集中させていた。

 それと同時に、彼はある日の鍛錬の日々を思い出していた。

 その日は珍しく十兵衛と宗十郎の二人が揃って指導してくれたことで彼の脳裏に焼き付いていた。

「いいか八雲。相手に勝つには、相手の隙を見逃しては駄目だ」

「隙・・・・・・??」

 首を傾げる八雲に、二人の師匠は優しく語りかけた。

「いいかい八雲。どんなに強い相手でも隙というものはあるんだよ。勿論、私や宗十郎にもある」

「嘘だよ師匠。隙なんて全然無いじゃないですか?」

「それはお前が気付いていないだけだ。俺自身、知らない癖だってあるんだぞ?」

「知ってると思うが、人間は完璧な奴などいない。何かしら欠点があるもんだ。それを見つければ、お前でも俺達に勝つことができる」

 彼らはそう断じた。

「強敵に出会ったら、まず『視』ろ。そいつの剣の特徴、動き方、全てだ。が、最初は剣の特徴、動き方のどちらかに神経を集中させて視るんだ」

「・・・・・・」

「この先、お前が大切な人を守る為にその刀を振るうなら、必要なことだ」

「忘れるなよ八雲。お前が手にする刀は誰かを倒すためにあるんじゃない。誰かを守る為に振るうんだ」

 

 

 

 

 

 全く難しいことを注文してくれて、しかも勝手にエントリーして挙句には強敵と対峙するなんてどれだけ俺の師匠はスパルタなんだよ。大体あの人は・・・・・・

 そんな愚痴を頭の中で呟いているが、八雲はしっかりと酉居の動きをその双眸に捉えている。

「逃げるだけか、腰抜け!」

 そんな彼の罵声など右から左に聞き流し、時折攻撃を繰り出し、避けるを繰り返しながら、八雲は酉居が隙を見せるであろうその一瞬を待っていた。

『隙を見せなければ、隙を見せるように仕向ければいいんだよ』

 十兵衛がそう言っていたのを思い出した。自分がされたら嫌だと思うことを相手にとことんやってやれ、そうすれば相手が苛立って何かしらのヘマをやらかすであろうからそこを突けと。

 実際、八雲のいやらしい攻撃によって酉居のストレスは溜まる一方でありその為か攻撃が段々と粗くなってきたように見える。その分、一撃に対する重みは増している。いなす度に腕にその衝撃が伝わり、何度『相模守八雲』を落としそうになったことか。しかし、これほどまで自分の手に馴染む刀を宗十郎はいつの間に作っていたのだろう。

「腰抜け! 勝負しろ!!」

 うるせぇなぁと流しつつ、八雲は彼の攻撃を受け続けていたが、ついに彼が大振りに刀を振るった。隙を見つけたのだ。

「そこだぁ!」

 八雲はありったけの力を込めて彼の腹に横薙ぎの一閃を放った。

「お見事」

 呻き声をあげて倒れ伏す酉居。その瞬間湧き起こる大歓声。

「ほっほう。腕を上げたようじゃな八雲は」

「そーねー」

 ライブ映像で見ていた光姫は感嘆の声を上げ、一緒に見ていた由真はどうでもよさそうに声を上げる。その口々から彼に対する絶賛と酉居に対する罵詈雑言が発せられるあたり、酉居の評価は奈落の底まで下がっているのが手に取るように分かる。

「酉居の奴にはいい薬じゃな」

「そうでしょうか。むしろプライドがズタボロにされて恨みに思うのではないでしょうか?」

「その時は、宗十郎がシメるじゃろ」

「そーですか?」

「うむ。あの者は真の武士じゃからな」

 そうなんですかと、由真が問えば、光姫はふふんと笑むだけだった。

 ただ、彼女は妙な胸騒ぎを覚えていた。それも、何かよろしくないことが起きる可能ような不吉な方の。

(何じゃ? この妙な感じは・・・・・・?)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 由佳里はある一つの書を見て愕然としていた。その書を見て彼女はついにその望みをかなえた。と同時に、それは絶対にありえないと思った。もし、ここに書いてあることが事実であるなら、彼は60年以上前にすでにこの世にいないはずである。仮に生きていたとしても老人であるはずで、あんな若い姿でいることがそもそもおかしい。

 彼女は改めてその本を手に取った。これは彼の下で副官として彼と行動を共にした人物が回想録として書き記したもので、ほぼ事実で固められていて、彼を正しく知らせる唯一のものといってよい。彼は正しく『武聖四家』進藤家に名を連ねる者だ。しかも、世界に知らぬ者がいないほどの超有名人だ。

「その人がどうしてこの学園に・・・・・・?」

 不思議な話だ。もし、彼が生きていたとしたら何故この学園にいるのだろうか。理事長はこのことを知っているのだろうか。目的は?

 考えてみると分からないことだらけである。まさに謎の転校生である。

 思い返してみれば、自分たちは知らなかったとはいえそんな大人物に礼節を欠いた接し方をしていたということになる。その事、彼は気にしたりしていないだろうか。

 ものすごく色々な事が頭を巡り考えがまとまらない。そこで彼女は自身の頬を思いっきり引っ叩いた。

「っつ~~~~!!!」

 思いの外痛かったので眼に涙を浮かべてそれに耐えた。その痛みのおかげで彼女は冷静になれた。ふぅ、と一息ついて彼女は落ち着いた。

 彼は進藤一族の人間で、何らかの事情がありこの学園に『転校』してきた。そして、その目的の為に暗躍していると考えた。つまり敵ではない。

「―――光姫様に報告しなきゃ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 サバイバルゲームは八雲の優勝となり、褒美として食券のタダ券1年分をもらった。その帰り、合流した宗十郎に早速吠えかかりそれをなだめる甲斐、事態をややこしくする吉音、そこから始まる宗十郎と吉音のコント、それを見て笑いこける光姫と真瞳達といういつもの光景がそこにはあった。

 それを遠巻きに見つめる四つの光があった。その内の二つの光は憎悪に歪んでいて、敵意を剥き出しに睨んでいる。残りの二つにはそういった負のものはない。その代り哀愁に満ちていた。これから敵に回す者達を思うと、とてもじゃないがやりきれない。

 しかしそれも、この学園を守る為。その決心に揺らぎはない。

 



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その10 大老水都光姫と英雄

 大老・水都光姫。側用人徳河詠美の一族であり、現幕府の権力者の一人である。重要案件以外は基本会議に出ない変わり者であり、平時は伴を連れて街を歩いては気になる店に立ち寄り、それを「みとらん」として紹介している。美食家として名が知れている彼女の本に掲載されることは大変名誉な事である。

 殆ど会議に出ないので、殊酉居葉蔵から小言を言われているが、彼のことを毛嫌いしている彼女は彼の小言を右から左に流していた。しかし、その事が彼の権力を大きくさせていることもまた事実であった。彼女にとっての唯一の汚点だった。

 最も、高校生である彼女にちゃんとやれというのも無理な要求である。多感な時期でもあり、そもそも未熟な彼女に責任を押し付けるのは如何なものか。

 そんな彼女が興味を惹いた存在(じんぶつ)がいる。

 相模宗十郎と言う転校生の事である。

 転校早々、天狗党の乱で自慢の剣術で反乱分子を薙ぎ倒し、五人組による騒動では町人達をまとめ上げ彼らの企みをぶっ潰した。平時では同級生秋月八雲と徳河宗家の娘である徳河吉音こと徳田新が一緒に住む『八雲堂』で極上の菓子を振る舞い、向かいの『ネズミ屋』とコラボ企画を行ったり、吉音が設置した「目安箱」の投書の依頼をこなしたりなど、傍から見ればちょっと忙しそうな普通の高校生だ。

 しかし、光姫は違う感覚を覚えた。

 相模宗十郎はどこか纏っている空気が高校生じゃない気がしていた。歴戦の戦士というか、老獪な策士というか、ともかく異様だった。達観していて、何もかも見透かしているようで、時折見せるふざけた行動は彼と言いう存在を分からなくさせていた。

 興味を持った彼女は従者のじごろう銀次と八辺由佳里に彼の調査を命じた。しかし、その調査は難航した。

 まず、銀次は彼がよく夜間に誰かに逢うために抜け出していることに注目し、誰に逢っているのか確かめるべく尾行しようとした。だが、忍びの名人の域に達していた彼をもってしても簡単に撒かれてしまったのだ。

 その彼をして、「アイツはどこか得体の知れない化け物」という評価だった。その一回を持って化け物呼ばわりはどうかと思ったが、彼の勘が何かを訴えたのは分かった。

 一方の由佳里は彼の出自から調べることにした。すると、彼の経歴は全くの出鱈目でありその一切が不明であったらしい。そして、彼女自身の独自調査により宗十郎は『武聖四家』の一つ、進藤家に連なる人物であると彼女に報告した。

 進藤家は、古からこの国を特殊な力で守ってきた名家であり、世界の元首達が最も恐れている一族である。今、光姫の頭にぱっと浮かんできた一族の名は宇田帝の皇后由姫(よしひめ)、室町幕府後期の当主龍将(たつまさ)、戦時中の当主龍彦の三人だ。日本では名の知れた者達だ。当代でも、龍造・龍一・龍二の三人が剣道と槍術の頂点に君臨している。しかし、長兄龍一は不慮の事故でこの世にはもういない。

 彼の調査は、五人組騒動の際に一度中断の指示を由佳里にしたが、彼女は密かに調査を続けていた。

 その結果、彼女はある本から彼の正体を発見した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ある昼下がりの日である。学園近くにある水都邸では主従三人が和室で対峙していた。その表情はどれも真剣そのもので、彼女達の前には一冊の本が置かれていた。

「ハチ。お前さん、本気で言っておるのか?」

 尋ねる主人は疑いの眼差しで由佳里を見るが、彼女は真剣に答えた。

「間違いないと思います」

「けどよぉ。ありえないだろ普通?」

 冷静にツッコミを入れる銀次にムッとした顔で由佳里は睨む。

 理由がある。

 この日、由佳里から話があると言って光姫を訪ねたのはつい30分前だった。時間を取り、銀次も呼んで彼女の話を聞いた。その話があまりにも荒唐無稽でとても信じることができなかったのだ。

 彼女の話とはこうだ。『相模宗十郎は元大日本帝国大元帥・進藤龍彦ではないか』というものだ。それを聞いた二人は即座に否定した。それは絶対にありえないと。

 進藤龍彦とは、第二次大戦時期の進藤家当主の名である。

 陸軍学校を卒業後大佐として帝国独立機動軍にて日中戦争に参加。その後、昭和天皇より帝国大元帥に任命され、極秘任務を帯びて戦艦『長門』に乗り込みアメリカへ向かう途中、忽然と姿を消し、以後、消息不明とされている。

 彼の部下には、後に首相となる神岡義郎や皇族の高円宮邦仁、元統合幕僚長山崎篤麿、伍菱銀行元頭取前野雅臣といった彼の意思を継いだ者達がこの国の発展に貢献してきた。

 『公式』では、彼は死んだことになっているが、実際進藤龍彦の消息を知る者は誰もいない。

「仮におぬしの言っていることが本当じゃとして、(くだん)の人物が生きているとしたら(よわい)80を超えているのではないか?」

 光姫の言う通りである。仮に龍彦本人が生存していたとしたら、80歳以上になっているはずで、既に老人となっているはずである。それが、自分達と同じ背格好であるはずがないのだ。

「ですが、これを読むと彼がそうじゃないかと思えて仕方ないんです」

 そう言って、由佳里は眼前に置かれた本を指さした。『あの日あの時』なる表題のそれは、元統合幕僚長山崎篤麿が記した戦中の記録であった。彼は進藤大元帥の補佐官として共に行動してきたようで、大元帥との出会いから別れ、その後の事まで事細かに記されている。彼の素顔が書かれている希少な書である。

 光姫は試しに手に取ってパラパラと読み始めた。すると、由佳里が訴える事も理解できなくもなかった。

 この本によれば、彼は部下になった者達へ手製の太刀を与えていたり、外出時には『相模宗十郎』と偽名を名乗り各地を巡っていたそうだ。

 それをもってしても、銀次はあり得ないと頑なに否定する。

「お嬢もそう思うだろ?」

「うむ・・・・・・」

 生返事の光姫。彼女もおおむね銀次の意見に賛成だ。しかし一方で、由佳里の話も嘘ではないと思っている。実際、彼女も宗十郎の異常さをその眼に刻み込んでいる。

 それが起きたのは、先日の御前試合での一幕だった。あの時、バグにより暴走したタケチヨが理事長目掛けて攻撃を仕掛けてきたのだ。

 剣魂の攻撃は、剣魂でしか防ぐことはできない。それが分かっていたから彼女はスケ・カクの技で理事長達を守ろうとした。

 彼女は自分の眼を疑った。剣魂の攻撃とは、殺傷能力はないもののこの世界の物質では決して防ぐことはできない。良くも悪くも大怪我をするのだ。仮に防いだとしても、突進してきたタケチヨの攻撃をモロに喰らい大事になっていただろう。それを、彼女の眼前に躍り出た彼は『なまくら刀』の横薙ぎの一閃で斬り裂き、返す一刀でタケチヨを迎撃したのだ。涼しい顔で非現実的なことをやってのけた彼に戦慄を覚えたのは言うまでもない。

 ただでさえ、相模宗十郎という男は謎に満ちていたのだ。だから、由佳里が話した仮説を完全に否定することはできない。

 最も、あの場には銀次もいたのだが、タケチヨが暴走した際に他の参列者を避難させる為に動いていたので現場を目撃していない。

 仮にこの世界にあの大英雄進藤龍彦が顕現していたとしよう。何故、彼はこの学園島にいるのか?こそこそと動き回って何を企んでいるのだろうか?

他にも疑問は様々あるが、今ここであれこれ問答しても時間が足りず意味を成さない。

「どうすんだ、お嬢?」

 銀次が声を掛けた。恐らく、彼について調べるのか否かを聞いているのだろう。問われた彼女は暫しの思案の後、こう言った。

「直接当たるかの」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ほれ、煎茶2つにわらびもちだ」

「わーい」

「ありがとう」

 ある日の昼下がり。いつものように八雲堂を訪れた光姫と由佳里はいつもの煎茶に日替わり和菓子を満喫していた。

「うむ。いつもお主の出す和菓子は美味だのぅ」

「この煎茶もおいしいです!」

「そいつはどうも」

 いつ来てもここの煎茶と和菓子は心をほっとさせる。一日の疲れを吹っ飛ばしてくれるので、ここ最近の彼女達はここに寄っているのだ。

「宗十郎や。八雲と新さんはどうしたのじゃ?」

「雪那の私塾でお勉強中だ」

「・・・成程。差し当たり監視役というわけじゃな?」

「アイツは誰かが見てないと辺り構わず寝やがるしな。これ以上の学力の超低空飛行は勘弁願いたいのでね」

 うむと頷く光姫。彼女も吉音のことを心配しているのだ。

「そういえば、いつもいる者達の姿も見えんが?」

「真瞳は早乙女屋に、甲斐は山吹屋に出張中だ」

 つまり、今この場所には自分達を含め3人だけしかいないということになる。この好機を逃すべきではないなと考えた光姫は姿勢を正し真剣な眼差しを向けて言った。

「宗十郎や。ちと、話があるのじゃが」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 どのくらいの時間が経ったのだろうか。由佳里は一人滝のような冷汗をかきながら眼をきょろきょろとさせていた。隣に座している主人は対面にいる宗十郎をじっと見据えているし、彼自身は眼を閉じて腕を組んでいる。

 宗十郎は「臨時休業」の札を掲げてから二人を店の奥にある和室に通した。「んで、話は何だ?」と問うより早く、光姫は由佳里の仮説を代弁する形で宗十郎にぶつけた。光姫が語り始めるや宗十郎の眉がぴくんと跳ね上がったのを由佳里は見逃さなかった。

 そして今に戻る。無言の空間にこれ以上は由佳里の精神は耐えられそうにもなかったので声を出そうとした時だった。

「百歩譲って俺がお前の言うその大元帥だったとしよう。それを知ってどうする?」

 静かな口調で尋ねる宗十郎に対し、光姫も静かに答えた。

「貴方はわしらの国を護ってくれた英雄じゃ。そのようなことはないと思うが、何かよからぬことを考えているならばわしらの手で貴方を止めます」

 ふん、と宗十郎が鼻で笑った。

「大元帥の一族の能力を知っているのだろう? 世界が滅びるじゃないか?」

「たとえそうだとしても、貴方が護った国を護るのが早雲殿の意思を継いだわしら残された者の義務です」

 光姫は真っ直ぐ彼を見つめて言い放った。彼女は創設者の意思を彼女は継いで、それを実行している。

「一つ聞く。光姫、お前にとって『武士』とは何だ?」

 突然宗十郎がそんなことを聞いてきた。怪訝な表情を浮かべる光姫であったが、彼女は日頃思っていることを口にした。

「誇りと己が立てたと信念に従い行動し、決して振り返ることなく突き進み、この国の為に最前線に立ち続ける者が武士であるとわしは考えております」

「・・・・・・由佳里。お前はどうだ?」

 それまで蚊帳の外にいた由佳里は「ひゃい!?」と素っ頓狂な声を上げる。無理もない、今の今まで彼らの会話に入っていなかったのだから。

 あわあわしながらもちゃんと自分の言葉で答える。

「わ、私には、む、難しいことは分かりませんが、人の為に振るう正しい力を持った大人だと、思います」

 そうか、とだけ答える宗十郎はまた黙り込んでしまった。

 逃げずに自身の全力で相手に立ち向かう。たとえ敗れても、自分の意思を継いだものが必ず現れる。

「父琳太郎はいかなる時も貴方の事を語っておりました。貴方から学んだこともわしの心に深く刻まれております」と彼女は言った。

 宗十郎は無言である。掛け時計の秒針が無機質に時を刻む音のみが流れていた。

 やがて、宗十郎はふぅ、とため息を吐いた。

「全く、琳太郎は良い教育者だよ」

 そう言って、彼女達の眼の前にあの勲章を放った。

「それがお前の問いに対する回答だ」

 菊の御紋に紅十字の龍紋が刻まれた勲章。まぎれもない。かつて世界を震撼させた『大日本帝國大元帥』の証だ。

「十兵衛といい、祭里(まつり)といい、この学校は良い奴らが育ってるよ」

 二人が宗十郎の方を見ると、そこには学生服で過ごす相模宗十郎ではなく、立派な肩章がついたカーキ色に近い軍服に身を包んだ男が座っていた。

 彼こそ、『護國神』、『鬼神大元帥』、『軍神』等、数多の異名を持つ史上最強の軍人と謳われた男―――進藤龍彦である。

「驚かないんだな?」

 龍彦は言う。由佳里は魂が抜けようにポカンとしているが、光姫は実に堂々と彼を見据えている。

「未熟者とはいえ、この学園では大老という重責を担っておりますからな。このくらいのことで驚いてはおれんのですよ」

「はっはっは。実に愉快な奴だな。気に入った」

「それは、嬉しい限りです」

 二人仲良く笑いながら、チラリともう一人の女生徒を見やる。まだ気絶をしているようだ。

「ま、普通の人間はこうなるわな」

「『公式』上、死人ですからな」

 彼女の言う通りである。進藤龍彦は60年以上前、太平洋上で突如として行方不明となりそのまま「死亡」として扱われている。

 そこまで言って、光姫はふとあることに気が付いた。

「龍彦殿。もしや、ここにいた二人も?」

「ご明察。二人共、過去の偉人だ」

 そう一言おいて続けた。

「上泉真瞳こと上泉信綱(かみいずみのぶつな)。真崎甲斐こと成田甲斐。二人共、『ある人物』の式神だ」

 式神。陰陽師が使う使い魔である。聞けば式神のほとんどはそれこそ鬼であるとか精霊の形をしたものであるそうだ。

 その彼が式神であるといった二人は名の知れた人物である。

 兵法家で、新陰流の始祖であり、上野(こうずけ)箕輪(みのわ)城主長野業正(ながのなりまさ)より上野国一本槍と言わしめた剣聖上泉信綱。

 武蔵国忍城(おしじょう)において石田三成率いる豊臣軍23,000騎相手に暴れ回った姫武者成田甲斐。

 しかし、実在の人物が式神とは、光姫は疑問に思ったが、暫く考えて一人納得した。少し昔に本島から来た監察官から聞いたある噂を思い出したのだ。「京の都に住まう進藤家の姫君は過去の英霊を従えてこの国を守護している」という、伝説である。

「龍彦殿。貴方の目的をお教え願いたい」

 光姫が改まって彼に尋ねる。龍彦はふむと考えて、まぁお前ならいいかと話し始めた。

「俺は理事長徳河秀忠の依頼を受けて2つの調査を行っている。一つは、奴の息子徳河吉彦の行方。もう一つは『大御所』の正体」

 まさか、理事長直々の依頼だったとは思わなかった彼女は少なからず衝撃を受けた。

「それで、奴の秘書をしている結城榮と柳宮十兵衛の協力してもらい、探っている所だ」

 彼が夜毎誰かに逢っていたという銀次の説は間違っていなかったのだ。彼はその調査の結果なり進展等を彼女達に確認していたのだ。

「まぁ、途中から正体を知られた早乙女祭里や三河屋清兵衛と、子住三姉妹にも手伝ってもらっているがな」

 光姫は首肯した。ある時期からふと訪れる人数が増えたと思っていたが、そのような理由があったのか。

 事情が違うのは子住三姉妹だけかもしれない。後に彼女達が世間を騒がせた「怪盗猫目」であることを知ることになるが、彼女達が経営する「ねずみ屋」と定期的にコラボ企画をやっている。これが結構な評判を得ていて、彼と吉音のやり取りと相まってここ最近は八雲堂にも客が来ている。

閑話休題(それはさておき)

 さて、と龍彦が不気味な笑みを浮かべて彼女達を見た。

「そのままハイさよならってことはしないよな?」

「そうですね」

「ふえ?」

 二人で異なる反応を示したので、龍彦は思わず苦笑した。どうやら由佳里はようやく意識が戻ってきたようだ。

「由佳里よ。俺の正体を確かめてそれで終わりなら、わざわざお前を連れてこないだろうよ」

「・・・・・・はぁ」

「光姫。連れてくるんならその辺も話しておけよ。可愛そうじゃないか」

「いやぁ、由佳里なら分かってくれていると思ったのじゃが・・・・・・」

「そこまで以心伝心してる奴なんざ早々いねえよ。従者だろうが何だろうが所詮は他人だろ?」

 彼はそこで一息おいて、話を続ける。

「お前らにも手伝ってもらいたいのだ」

 危険なことはさせないといった彼であったが、すかさず光姫がツッコむ。

「ですが、絶対ではないのでしょう?」

「・・・・・・そうだな。危険が一切ないと言えば、嘘になるな」

 まぁ学園の為になるなら構わないと光姫は言い、由佳里に至っては半ば諦め気味に頷いた。

 しかしそこは龍彦である。成果を問わずに「仕事」をしてきたら特製パフェを御馳走すると言った途端に尻尾を振って「やらせていただきます!」と元気いっぱい言い放った由佳里にため息を吐く光姫は少し不安を覚えた。

 この娘、甘い物をちらつかせるとどんな人にでもついていくんじゃなかろうな?

 まずは、と龍彦は以前榮達に見せた新聞の切り抜きと吉彦の殴り書きのメモを彼女達の前に出した。それを眺めていた二人は眼を見開いて彼を見た。これは本当かと訴えていたが、彼はこくんと頷くことで答えに変えた。

「この者は何者ですか?」

「それを知りたいのだ。恐らくコイツが『大御所』と見て間違いない。奴には協力者がいるとみている」

「何故に?」

「仮にもこの島で何かをやらかそうとしている奴だ。一人でやるには限界がある。内部の掌握なりこの島の情報なりを担う者を抱き込む必要があるだろ?」

 彼の言うことに一理あるなと光姫は思った。『大御所』の企みなど今は知らないが、きっと壮大なものに違いない。時間をかけてゆっくりと機が熟すのを待って着実に事を進めているか、早急に実行すべくあらゆる手段を尽くしているかのどちらかだ。今回の場合、その中間か少し後者のような気がする。

「それらしい連中は三人目を付けたんだがな」

 それは誰だと彼女が問えば、龍彦はその者達の名を告げた。

「まずは、選民主義の酉居葉蔵だな。アイツは時折幕府内のある場所で御簾(みす)越しに話している機械音の誰かと話しているのを何度が見ている。後、怪しいの逢岡想に平賀輝だな」

 意外な人物の名が挙がり、由佳里は思わず声を上げてしまった。

「想も何度か御簾越しに機械音の誰かと密会していたのでな。最も、想の顔は曇っていたらしいがな。平賀は何度かあの酉居とあって何事か話しているのを見ている。関係がないとは言い切れんだろう?」

「じゃが・・・・・・何故想が?」

 光姫の疑念はそこにあった。あの公明正大、清廉潔白、品行方正といった言葉を身にまとっている想が、そんな後ろめたい事をしていることが信じられなかった。

「榮によると、彼女は奴に何か弱みを握れらているようだ。ちょっと俺にも心当たりがあるしな」

「心当たり・・・・・・ですか?」

「あぁ。アイツ、どうも吉音の幸せばかりを願っているようでな。自分のことなどまるで外に置いているんだよな」

 そういってから彼は光姫に尋ねた。

「なぁ光姫。吉音と想の過去に何かあったか?」

「いや・・・・・・確かに吉音は昔火事で両親を亡くしてはいるが、あの二人に関してはわしの知る限りありませぬな」

 そう言って頭を振った。同じように由佳里も振った。それを見た彼は「そうか」とだけ言ってそれ以上何も聞かなかった。

「わしらは何を?」

「さっきも言ったが手伝ってもらいたい。差し当たり、先程挙げた3人について調べてもらいたい。特に想に重点を置いてもらいたい」

 光姫の問いに龍彦はそう答えた。理由を聞けば、彼女は『大御所』に弱みを握られている可能性が高い。それが分かれば彼女をこちら側に引き込めると考えたそうだ。

「ならば、わしは酉居を調べるとするかの。由佳里、お主は想を調べてくれ」

 輝はどうすると聞かれると、それは銀次にやらせると言った。

 それから諸々の段取りを決め、龍彦がチラリと時計を見やるとちょうど4時になったところだった。暇を告げると彼はもう少しゆっくりしていけと引き留めた。吉音や八雲達が帰ってくるのではと言うと、彼は、あいつらあと5時間は帰ってこないと返す。

「吉音はこれから雪那とマンツーマンだし、姫君達は向こうでのんびり談笑しているからな」

 手際よく煎茶と茶菓子を彼女達の前に差し出され、彼女達は上げた腰をもう一度下げた。

「急ぐ必要はない。暫くはゆっくりしな」

 はふっと一息ついてから、ちょっと雑談しようかと提案してきた。

「なあ由佳里。『正義』って何だと思う?」

 いきなり訳の分からない質問をしてきた彼に対し訝しむも、彼女は自分が思ったことをそのまま口にした。

「自分が正しいと思ったことではないでしょうか?」

「では、『悪』とは何だ?」

「正しく無い行いではないでしょうか?」

「それは、自分がそう思う、という意味かな?」

「? えぇ、そうです」

「その正義と悪の定義は、万人が万人そうだと言える自信はあるかな?」

「・・・・・・ないと思います」

 それに対し龍彦が何故だいと聞けば、彼女は「人によって価値観が違うから」と戸惑いながら答えた。「そうだな」と彼は微笑む。

「人ってのは、生まれてからの生活環境や家庭環境で考えは大きく変わる。百人いれば百人が違う考えを持っているのが普通だ。俺とお前が違うように、お前と光姫もまた違う」

 彼はそこで言葉を区切った。

「平和だって人によって考えは違う。ある人は武力を持って不穏分子を排除し平和を確立すると考えれば別の人は武力を持たず話し合いで平和を確立できると考える、また別の人はなるべく話し合いで平和を確立しようとは思うが、やむを得ない場合は武力で平和をもぎ取ると考える・・・・・・」

 光姫は深く頷く。

「酉居の小僧は武士の血を引いたものがここを支配することで俺達を管理し秩序ある学園を作ろうとしているのだろう。ただ、そのやり方が性急すぎて反発が起きている」

「そう・・・・・・なんですかね?」

「あくまで俺の推測さ」

 龍彦は煎茶を啜る。光姫は出された菓子を摘んでいる。

「人の考えなど、話してみなければ分からんものよ」

「そうじゃな。わしも話してようやく貴方の考えが分かったわけですし」

「ほう? 何が分かったというのだ?」

 興味津々に聞けば、彼女は胸を張って言い放った。

「この国のことを最優先に考え、国に害する者はあらゆる手を使って駆逐する。早雲翁を始めとした先達との約束の為に」

 ふふんと笑う龍彦は一つだけ違うと指を立てた。

「俺は生まれたこの国が好きでな。愛する国を陥れようとする馬鹿共が許せないだけさ。まぁ、エゴだな」

「でも、龍彦様はこの国の為に動いているのですよね? 立派ですよ」

「褒めるなよ。俺だって私怨で動くこともあるんだぜ?」

 それに対して光姫は首を振って否定した。

「貴方に悪意はない」

 

 

 

 

 

 

 

 それから2時間くらい三人は話し込んだ。彼の話は面白く彼女達はついついのめり込んだ。

「貴女の見方は面白いですな」

「? 藪から棒に何だ?」

「第三者の立場で物事を見ていると思いましてな」

「ふーん。お前がそう思うならそうなんだろうな」

 くくくっと笑う龍彦に、緊張した面持ちの由佳里がずいっと前に出た。

「た、龍彦様! 聞きたいことがあります!」

「お、おう、何だ?」

 眼が若干正気を失っていた彼女に彼は思わず怯みのけ反った。

「『力』とは何でしょうか!!」

 そんな彼女から放たれた一言は、彼の表情を真顔に戻した。盛大なスカしを喰らった彼は指で頬を掻いた。

「由佳里よ。確認したいのだが、お前の聞きたい『力』というのは、どんなものをいうんだ?」

「ふえ?」

 どうやら由佳里はそこまで深く考えていなかったらしい。彼に問われて彼女は固まってしまった。

「・・・・・・質問するならそこまで考えてろよ」

 額に手をやって嘆息する龍彦と、深いため息を吐く光姫。それを見てあわあわする由佳里をどうどうと彼が宥める。

「そうだな・・・・・・。簡単に言っちまうと一種のステータスだな」

「すてーたす?」

「そうだ。腕力、財力、権力、名声とか、他人が持っていないものは全て『力』と言い換えて言いな。例えばお前の主水都光姫の大老という権力や・・・・・・」

 龍彦は彼らの前に掌をかざす。すると、そこから淡い金色(こんじき)の炎が現れた。

「これとかな」

 初めて見る光景に、由佳里は小さな悲鳴をあげ、光姫は嘆息する。彼女はここに来る少し前に彼ら一族について調べていた。以前に由佳里に調べてもらったものに不足があったからだ。

 彼ら一族は古くから『龍』と呼ばれる特殊な力を宿しており、それらを介して炎や水といった力を行使している。特に天龍・伏龍・黄龍・聖龍・紅龍と呼ばれる『五大龍』は別格の力を持ち合わせていると言われている。

 そして、眼前にいる大元帥殿はその内の一人黄龍を宿しているとされている。

「力を持った者は、同時に責任を負う者になるわけだ」

「責任・・・・・ですか?」

「そうだ。例えば首相といえばこの国の国家元首だ。政治、経済、外交とあらゆる方面で国を発展させ、その発展を補佐する大臣を任命する、あらゆる手を尽くして国民を守る責任等がある。光姫の大老という職は、普段の政策には関与しない代わりに学園の重大事項の最終決定者であり、老中や側用人共が不正をしないか監視する役目を担う。武士は有事の際には民を守る為に最前線に立ち防ぐ壁となる責任がある。後は・・・・・・、警察があるだろ? 連中は法律という絶対権力の下に、罪を犯した害虫を一般人の代わりに逮捕しこの世から犯罪をなくす責任がある。ここまでは大丈夫か?」

 彼に聞かれ、由佳里はこっくりと頷く。

「だがな、世の中少なからず力に溺れる大馬鹿野郎がいるわけだ」

 じゃな、と光姫が相槌を打つ。

「一種の麻薬じゃからな」

「麻薬・・・・・・ですか?」

「よく考えてもみろよ。『力』を持ってるだけで世の中を変える力を持つわ一般人を従わせることはできるわてめぇでやりたいことを実現できるんだぜ?」

「由佳里よ。もしお主の一声でなんでも思い通りになる力を持ったとしたらどうじゃ?」

「・・・・・・あー、そうゆうことですか」

 由佳里は先程の言葉の意味が分かったようだった。

「『力』ってのは使えば使うほど、もっと強大な『力』が欲しくなるもんさ。大馬鹿野郎共は私利私欲に走り結果それまで善だったものは一気に悪へと転がり堕ちる。そして、そいつらはいつしか他の力によって叩き落されるわけだ。武彦然り、瑞野然りでな」

 こくりと頷く光姫。

「時に龍彦殿。貴殿の一族は力についてどうお考えですか?」

「それを聞いてどうするよ?」

 首を捻る龍彦に、光姫は今後の参考にしたいと言った。何の参考だよとぼやきながらも彼は嬉々として話し出した。

「俺の家の家訓の一つは『時と場所を弁え、己が信念に従い責任をもって行使すべし』だ」

 ほう、と光姫は声を上げる。

「さっきも言ったが力ってのはそれは強大な化け物さ。制御しきれない奴が持てばそれは唯の凶器を成り下がる。力を持った者は力を持つ責任がある。それを自覚せにゃならん」

 進藤一族は誰も持っていない『龍』の力を持っている。それこそ、世界を支配できるほどのものだ。一国の軍隊相手では彼らの前では赤子の同然だ。

「15の頃に男女問わず何の『龍』が宿ってるのかが分かるわけなんだが、それまでにガキ共には力について口喧しく躾けるんだよ。加えて金にも厳しくしてるしな」

「お金も、ですか?」

「金は力の中で相当怖い物さ。その気になればほとんどが金で解決するからなこの世の中は。五人組がいい例だろうが」

 そら確かにと頷く二人。

「必要以上の金は渡す気はねぇし、何に使ったのかもしっかりメモらして出してもらったからな」

「そ、そこまでやらせたのですか?」

「金の有難味を知ると同時に、一般人の感覚を染み込ませる為にな」

 苦笑しながら彼は続ける。

「俺の住んでいる地域は理解が宜しい奴らばかりだったから苦労しなかったよ」

「苦労?」

「俺らの力は『化け物』さ。他人から見れば十分な脅威だし、反感を持つ連中もそこかしこに少数ながらいるんだよ」

 面食らった顔をした二人を見て彼はおかしくて笑いだした。

「お前ら面白い反応するな」

 当の本人達はきょとんとしている。そんなに面白い反応をしていたのだろうか。

「いえ、まさか、貴方がたに敵意を剥く人達がいるとは思わなくて」

「人間ってのは面白い奴でな。テメェと少しでも違う他人を嫌う傾向にあるらしい」

 そういうものかと彼らは思う。

「まぁ、お前らは外界と遮断されているからその感覚は疎いだろうな。その欠片くらいは瑞野の件で見てるだろ?」

 チラリと掛け時計を見るともうすぐ9時になろうかとしていた。辺りはすっかり暗くなり、闇夜を照らす満月が美しかった。

「すまんな。長話に付き合わせちまって。相棒に送らせよう」

「それには及びはしませぬ。銀次がおりますれば」

「そうか、なら気を付けてな」

 二人を玄関で見送るとふと闇夜を見上げた。漆黒の闇を照らす満月は、彼の心を落ち着かせる。彼の日課だ。

「さて、飯でも作るか」

 そして、彼は腹を空かしている『家族』の為に厨房に向かった

 



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閑話2 万事屋八雲堂

 『目安箱』―――

 徳河吉音が八雲堂の一角に設置したそれは、元は彼女が街の住人達の困り事を解決したいという思いから、家主である相模宗十郎と秋月八雲両人の許可を得て設置したモノだった。但し、吉音はここの居候であり、従業員でもあり自称『秋月八雲の用心棒』となっている為、目安箱の相談事は基本店の休日か暇な時にやることにしていた。設置した頃は件数も少ない事もあって彼女一人で対処できたし、彼女では難解だったものに関しては宗十郎や八雲の手を借りて解決していた。

 だが、天狗党の乱、五人組事件によって彼らの活躍が明るみに出ると相談件数は一気に跳ね上がり、目安箱には依頼内容が記された紙が溢れかえるほどになっていた。加えて吉音の学力が超低空飛行だったことにより彼女は連日勉強のためにこの件から離脱していた。

 この為、宗十郎と八雲が学校と店の合間を縫って一つずつ片付けねばならない事態になってしまった。

 彼らの事情が分かっている依頼者は、相談用紙に「手すきの時でいい」とか、「急いでいないから時間があったら」という断りを入れているが、大体の用紙には「一週間以内」とか「今すぐ来て」といった期限を区切るものだったので、彼らはほぼ不眠不休で動き続けていた。日に日に(やつ)れていく彼らを見たクラスメイトが心配して声を掛けることも多かったが、彼らは決まって大丈夫、少し休めばなんとかなると言ってやり過ごしていた。

 しかし、ある日の帰り道に二人の身体はとうとう悲鳴をあげた。二人は意識を喪失して道のど真ん中で倒れてしまったのだ。幸いに近くにいた生徒達によって医者の刀舟斎かなうのもとに運ばれたので事なきを得た。彼らが倒れたと聞いて吉音は泣きながら飛んできて、同じく知らせを聞いた逢岡想、遠山朱音、子住結花らが駆け付けた。

 かなうの診断結果は、極度の疲労と睡眠不足で2週間の絶対安静を言い渡された。

「全く。どうすればここまで身体を酷使できたんだ?」とかなうがぼやいた。

「こいつらは私が見るからお前らは帰れ。学校にも連絡しておくから」

 帰したらまた無茶しかねんと思っての事だろう。しっかりと灸を据える気でいるようだ。

 すやすやと眠る彼らを彼女に任せ、吉音達は一旦帰ることにした。

 彼女達は八雲堂に戻ると、臨時休業の札を掲げていつも集まっている和室に入っていった。

 ここにいるのは、吉音、朱音、想、結花と知らせを聞いて飛んできた平良、それと彼の理解者である真崎甲斐と上泉真瞳である。

「それで、一体どういうわけだ?」

 朱音が口を開く。どういうわけであいつらがぶっ倒れたんだ、ということだろう。そこに、吉音が目安箱を持ってやってきた。

「多分、これのせいだよ」

 その目安箱は依頼であふれんばかりになっていた。それを見た皆が「あー」と納得した。一応、その内容を確認してみてまたもや「あー」と唸った。

 吉音はシュンとしていた。恐らく、この箱を設置した為に彼らが倒れたのだという責任を感じているのだろう。

「これは完全にあいつらのミスだな」

「そうですねぇ。吉音さんのせいじゃありませんわね」

 吉音が口を開きかけた時、こう言ったのは甲斐と真瞳であった。

「彼らは善意で貴方の事を手伝っていたのでしょ?」

「うん」

「で、貴方は理由があってこっちに時間を割けなかった」

 吉音が頷く。

「箱を見たらこの量だろ?」

 こくり。

「ペース配分も考えずに突っ走った結果ぶっ倒れたんだ。100%アイツらが悪い」

「でも・・・・・・」

「あの方々も、きっとそういうと思いますよ」

 まだ納得がいっていない吉音を想が優しく撫でる。

「さて、今後の事を考えませんと」

 甲斐が手を叩いて話を切り替える。普通ならこの件は彼らの問題であって他人が首を突っ込む必要はない。

 しかし、相模宗十郎という屋台骨がいない今、この問題を吉音一人に抱え込ませることはできなかった。

 甲斐は目安箱を叩いてある提案をした。

「まずはこれを期限別に集めてみませんか?」

 特に異論はなかったので彼女達は手分けして依頼書を期限毎に分けることにした。結果、1週間以内が50件、1月以内が10件、特に期限を設けていないものが103件あった。

「随分とまぁあの方達も見込まれたものですね~」

 のほほんとした口調で甲斐が言えば、真瞳がこれまた間の抜けた口調で続く。

「それだけあいつらが頼りになるってことだろ~」

 それに関しては誰も否定はしない。実際、二人―――特に宗十郎は何をやらせてもほぼ完璧にこなしてしまう奴だし。

 その中、想と朱音はその依頼書の中身を吟味していた。一体この町の生徒達は彼らに何を依頼しようとしていたのか気になったのだ。ある程度内容を見て、二人してそれはそれは深いため息を吐いた。

 屋根を直してくれ、とか壁に穴が開いてしまったのでどうにかしてほしいという依頼がいくつかあった。この類なんか左官に頼めばいい話だが、生憎と左官業を営んでいる生徒は少ない。故に彼らに頼むのは致し方なかったかもしれない。これなんか緊急を要したろう。また、十数件ほど彼らの手を借りないといけない案件もあったが、ほとんどは愚痴を聞いてほしいとか、いざこざの仲介をしてほしいとか金貸しを追っ払ってくれとかおよそお門違いな依頼ばっかりである。

 大体、愚痴ならこの店に来て言えばいいし(まぁ人に知られたくないものもあるだろうが)、いざこざとかそういった仲介なら奉行所に来ればいい話だ。

 そう思う一方で彼女達はこの依頼者たちの心情も理解できなくもなかった。片や器用に何でもこなせる転校生であり、片や心優しい転校生。つい、どうでもいい事であっても彼等に自身の傷心を癒してほしいと願ったのだろう。

「皆さん。ちょっとお話が」

 そういって想が皆を集めて先程見ていた依頼書を見せた。段々彼らの顔が青くなっていった。中には呆れた顔をしている。

 しかし問題はそれではない。彼ら不在のこの2週間をどうやって乗り切るかである。彼女達自身も仕事がありここにかかりきりになることはできないのだ。

「あたし達は特にやってることがないからいいんだけどな」

 真瞳はそういうも、八雲堂の味は彼ら二人にしか出すことはできない。彼女と甲斐二人にできることと言えばたまった依頼書の処理位である。

「私たちはこれに専従してもよろしいですよ?」

「それは有難いけど、根本が解決しないから」

「・・・・・・これさ、依頼者の身分で分けられないかな?」

 朱音が発言する。その意図を尋ねると、上を見上げながら訳を話し始める。

「さっきパッと見たらさ、商いやってる奴とか、武士もいたからさ。こいつらの代表交えてちょいと相談したらいいんじゃないかなと思ってさ」

 照れつつ言い終わった朱音は、場がしらけているのに気付いた。

「・・・・・・どうしたお前ら。あたしの顔に何かついてるのか?」

「いや、お前の口からそんな真面目な言葉が出るとは思ってなかったから」

「喧嘩売ってんか平良」

「はいはい喧嘩しない」

 険悪は空気が流れる前に想が強制終了させると、甲斐がほほ笑んだ。

「それを根拠に代表者にも一肌脱いでもらおうというわけですね」

「そう、それ」

 うんうんと朱音が頷く。こうなると、代表者を誰にするかというのが肝心となる。誰でもいいというわけでなく、信頼があり、それなりの力を持っていて中立の立場をとる人物がふさわしい。

「町人は桃子さん、商人は山吹さん、武士は詠美さんが宜しいのでは?」

「飲食関係はどうするよ? そっちからの結構依頼があったぜ?」

「そこは、私が受けます」

 そういって挙手したのは結花だった。子住屋のオーナーが当たるとなればまず安心だろう。

 次は、彼女達に集まってもらわねばならない。本来であれば皆の都合がつく日か、個別にやるべきなんだろうが、この件に限ってはそうはいかない。一堂に集まった場所で、聞いてもらう必要があった。

 今日はもう遅いので、明日一番に集まってもらうことにした。幸い、明日は休日だ。

「私が手紙を書いて集まってもらいます」

「山吹さんはそれでは動きませんわ。私が行って直接」

 言うや否や、甲斐は席を立ち越後屋へと急いだ。

「立ち合い人も必要だな。よし、ちょっくら呼んでくる」

 平良は立ち上がりどこかへと去っていった。

 結花の号令で、今日はお開きとなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日。八雲堂の和室に結花達と、彼女達に呼ばれた代表者、それと立会人として比良賀輝が集まっていた。

 想が今回の件を一通り説明すると、代表者は腕を組んで眼を閉じた。

「・・・・・・ごめん。アイツらにそこまで負担を強いていたなんて知らなかった」

 そう言って頭を下げたのは桃子であった。彼等への依頼が一番多かったのに対して責任を感じての事だった。

 頭を上げるように言って甲斐が続ける。

「あの方たちは私達にも知らせずに無理をした結果自滅したのです。謝る必要はありません」

 そうはいっても、実際彼らはそれによって倒れたわけで、責任を感じなくてもいいと言われてそうですかと納得するには少し無理があった。

 現に、桃子に同調するかのように代表者からは次々と意見が上がる。

「まぁあの人は何でもできるやん? やから、ウチもついつい頼ってしまうんよ」

「分かるわ。あの人、頼んだらまず断らないし、しかも簡単に解決しちゃうし」

「否定はしませんけど。ただ、頼りすぎちゃった感はありますね」

 とどのつまり、相模宗十郎という人物はあまりにもできすぎたのだ。

「じゃ、彼の感想が出たとこで本題に入りますね」

 想が先に進める。今日は彼の話をしに来たわけではない。

「これに関する解決策を考える、ちゅう訳やね?」

「えぇ、そうです」

「その前に、ちょっとええか?」

 そう言って、山吹は吉音の方に姿勢を正し、双眸をしっかりと彼女に向けて「幾つか、新はんに確認したことがあるんやけど」と前置きをしていくつかのやり取りを始めた。

「新はんがこれを設置したんは、この町をより住みやすくしたいちゅう思いからやったな?」

「うん、そうだよ」

「最初の頃はそういうことが多かったんちゃうか?」

「うん」

「それが、いつの頃から今のような状態になったんちゃう?」

「うん。確か、瑞野のおっちゃんを退治した後からかな」

「そ。ありがと」

 彼女はくるりと皆に向き直った。

「おい越後屋。さっきの質問は何だよ」

「今説明しますさかい」

 山吹は呼吸を整え話し始める。

「こん中に、『目安箱』のホントの意味知っとる人いたら手ぇ上げてくれへん?」

 その問いに挙手したのは甲斐と真瞳の二人だけだった。他の者は首を傾げるばかりである。

「なら、最初にそれから話ましょか」

 ふふんと微笑んで、彼女は続ける。

「ウチも後で調べて知ったんやけどな。本来の目安箱はや(まつりごと)や経済、日常の問題を取り上げて要望や不満を一般の人から聞くためのものや。ウチらの学園やったら、ウチら商人と、桃子はん達長屋に住んどる者らが、そこの朱音はん達『執行部』に意見するっちゅうのが本来の姿や」

「今回の場合は、その訴え先が新さんの所ってわけね?」

「そうや。で、最初の頃は正しい意味での陳情が入ってた。けど、宗十郎はんが“色んな意味でド派手に目立ちすぎて”本来の意味とした乖離(かいり)モノがどっさり増えたっちゅう訳や」

「んで、それが何なんだよ?」

 要領を得ない朱音が急かすと、山吹は呆れた。どこかの誰かにコミュニケーションについて講義を依頼しようか迷うほどだった。これでも、そこの遊び人奉行の為に簡単にまとめて話したつもりだったのにそれを理解できない―――単に話の要点だけを聞きたいだけかもしれない―――とは。

 この娘本当に奉行なのか疑っても罰は当たるまい。

「はいはい、そこのせっかち奉行様の為にささっと話しますわ」

 朱音がぎろりと睨んだが気にせず話を進める。

「ウチが言いたかったんは、『目安箱』の本来の意味を知ってほしかったんが一つや。んで、もう一つが、その意味を含んだ上でこの件をどうしようかっちゅうことや」

「話が戻るわけですね?」

「すまんな。想はん。けどな、必要なことやってん。分かってな?」

 こくりと想は頷く。

「新さん。貴方はどうしたいのですか?」

「私?」

「ええ。元は貴女が始めたことです。現状のまま話を進めるのか、本来の意味に戻してやりたいのか、思うことがあるでしょう?」

 問われた吉音は眼を閉じた。彼女が口を開くまで待つことにした。途中、じれったくなった朱音が身を乗り出そうとしたが、真瞳が小太刀をちらつかせて黙らせた。

「わ、私は皆が楽しく過ごせればいいと思って作ったんだけど、最近ちょっときついっていうか、私が思ってたのと違う方向に行っちゃったていうか……。頼ってくれて嬉しかったんだけど、これ以上は、正直無理」

「では、相談とか、要望不満だけを受けたいということですね」

 こくんと頷く。ただ、その顔は悲しげに沈んでいる。恐らく頼んできた生徒達の要望にすべて答えられなかったことに対する責任を感じているだろう。

「ごめんなさい、徳田さん」

 唐突に詠美が頭を下げた。戸惑う吉音に詠美は続ける。

「貴方に負担をかけすぎたわ。本来なら私達がやらなきゃならないことなのに」

「詠美も、攻めを感じる必要はないぞ。これはアイツに頼り切った私たちの責だ」

 静まり返った場。重苦しい空気が支配する和室は甲斐の一言で断ち切られた。

「彼らに責めを感じているならさっさと代案考える。話はそれから!」

 その鬼の形相に、真瞳以外の皆は謝罪して頭を思いっきり下げた。この場で彼女を怒らせるのはまずいと思ったのだろう。特に、彼女の実力を知っている山吹は身を震わせていた。

 因みに、普段うるさい輝がここまでの間一言も発していないのには理由がある。

 それは、彼女はあくまで立会人という事であり、今回の件が公正に決められたということを証明するためにいるのであるということ。加えて話し合いが始まる前、甲斐に「話の腰を折ったり横やりを入れたら明日の朝日を拝めないと思いなさい」と光を亡くした瞳で睨みつけられて涙したからである。過去に似たような経験があるからだ。

「まずは担当者を決めへんか?」

 山吹が言う。

「担当者?」

「せや。この大江戸には桃子はんのような町人、ウチらのような商人、想はん達武士がたくさんおる。その相談を一人で受けるんは、今と変わらへん。ぶっ倒れるのが関の山や。せやから、担当者を増やして負担を減らすんや。それに、もう一つメリットもあるしなぁ」

 メリットとは何ぞや?と言いたげな朱音や想の為に山吹が説明を加える。

 この学園都市は生徒として守らねばならない掟の他に、武士、町人、商人という身分別に守らねばならない掟がある。破れば奉行所にて裁きを受けるか、執行部にかけられて処分を受けるかのどちらかになる。

 しかし、ここで困ったことがある。この身分別の掟を自分のモノ以外全く知らないということである。故に、身分を超えたいざこざが発生し、その時になって初めて互いの掟を知ることがままあるという。この違いを知っているのは、執行部と奉行所に勤める者だけである。

 だから、その身分に応じた担当者を設けることでそのいざこざを減らし、かつ場違いな結論を出さぬようにするためだと山吹は説明した。

 成程と納得した面々は、次にそれを誰にするのかということになった。

「町人は桃子さん、商人は私と山吹さん、武士は……真瞳さんと詠美さんでいいのでは?」

 結花の提案に面々は異論を唱えなかった。商人担当者を二人体制にしたのは飲食関係と問屋では相談内容や訴えの種類が違うと踏んで二人体制、武士担当者は腕の立つ真瞳と絶対中立の詠美にすることで変な要求する輩が出ないようにしたようだ。

「じゃ、今度は時間とか決めようか」

 今まで無言で聞いていた平良が口を開いた。その意味は、今回のような事態を防ぐために予防策としての取り決めをしようとのことだ。

 あの二人は溜まっていた依頼を片っ端からこなしていた。解決してその手際に噂が広まり、目安箱には依頼が減るどころか増加の一途をたどり休む間もなく解決のために走り、そして身体が限界を迎えたのだ。

 人間の資本は何と言っても健康的な身体である。身体を壊しては何の意味もない。時には身体を休めて疲れを取らねばならないのだ。

 その為のルール作りと、窓口の設置場所が課題となった。この件は、あくまで本業の片手間でやるものであり支障をきたすわけにはいかず、更に言えば店先に窓口を設ければ混乱をきたすと考えられる。

 故に、その窓口を一般の客とは区別して設けることが必要ではないかと考えた。依頼者の中にはその内容を知られたくない者もいるだろうとの配慮だ。

「けど、今からそれ専用の窓口を作るのはキツいわぁ」

 この町の建物は、この町ができた当初からあるものがほとんどである。無論今日に至るまでに消えてしまった建物もいくつかあるが、近くの建物と一体になるか、新たな建物が建築されるので基本増改築はできない。新たに作ることができない以上、今ある建物にどうにかしてそれ専用の窓口を設ける他ない。

「秘密の暗号とか、何かあればいいのですが……」

 誰かがぼそりと呟いた一言に反応したのは甲斐だ。その手があるといえば、どういうことだと皆が首を傾げる。

「私達と依頼者だけが分かる暗号があれば、店内や町中にいてもやり取りはできます」

「でもよ、それどうやって伝えるのさ?」

「私が伝えます」

 甲斐が言うと、皆が一瞬固まった。そしてすぐに否定する。今、身分ごとに掟が違うということを聞いていなかったのか。町人である彼女が意味不明な発言をすることに対する反論にかかろうというところに、意外な援護が飛んだ。

「そうね、貴方なら適任ね」

 その人物は詠美だった。予想外の人物の賛成に、言葉が出なかった。しかも、彼女の隣にいる平良が笑いを堪えている。どうやら彼女はその辺の事情を知っているようだ。

「徳河さん。何故甲斐さんが適任なのですか?」

「だって彼女、宗十郎と一緒で全部の掟知ってるもの」

 至極あっさりとした答えに尋ねた想を含め開いた口が塞がらない。しかも、とんでもない一言も出た。宗十郎も全部の掟を知っている、と。

 改めて思う。アイツはいったい何者だ。

「まず私の所に依頼者を寄越すようにしてください。内容を聞いて振り分けるか否かを決めます」

 詳しく聞けば、相談者や依頼者を一旦甲斐の元へ向かわせ、そこで内容を告げる。甲斐は聞いた内容を掟と照らし合わせて吟味する。結果、依頼または相談と見なした場合当人をそれぞれの代表の元へやる。却下する場合は無下に返すわけじゃなく、彼女なりのアドバイスを伝え、解決できるようにする。奉行所案件と判断した場合は詳細な内容を聞き書面に記し各奉行所へ送付する。本人には当事者共々奉行所への出頭命令厳守と事実のみを伝えることなどを言い含める。

 この場合、当人には手間がかかる。最低2回は時間を割かねばならないからだ。だが、こうすることで直接訪れて門前払いを喰らう事象を防ぐ。また、話す内容が相談に値するか判断つかない者に対する方向性を示せるという利点もある。

「良いと思うわ」

 チラッと平良を見る。やっとかと言わんばかりに嘆息する。

「相談時間は基本各店舗、奉行所の営業時間。鬼島の所は夜8時まで。店舗休業日と各奉行所と鬼島の所は火・水は依頼を受け付けない。相談者の中にはこの条件に該当しない者もいるだろうから、学園内で相談することも可とする。但し、その際は二人っきりで且つ多忙な時期を除くこと」

 平良は甲斐が話している間、ただ黙って聞いていたわけではない。その間に自身が提案したことについて思案していたのだ。

 特に異論は上がらなかったので次の話題に移る。新の案件だ。現状彼女は補習をしている為に彼女がやりたいことができない状態だ。

 それについては、甲斐と結花が雪那と掛け合ってどうにかすることで解決した。

 それから、宗十郎と八雲が復帰した時の扱いだが、結花が面白い事を言った。

「さっき箱の中身を見せてもらったけど、意外と彼らの対するお願いって多かったのよ」

 そう言って彼女はいくつかの依頼を披露した。そのほとんどが、彼らにしか頼めない内容だった。

「『煎茶の淹れ方を教えてくれ』、『きんつばの作り方を教えて』ね」

「評判になれば、そうよねぇ」

 だから彼らにはそっちに専念してもらい、手が空いた時にこっちを手伝ってもらうことしする。無論、ちゃんと彼らも休ませる。

「期間は最長1か月。最後の数日は実際に八雲堂でお客に振る舞ってもらいます」

「そ、そこまでするのか?」

 唖然とする朱音に結花は本来なら足りないと言いつつもその訳を話す。

「学ぶだけで満足しては何の意味もありません。学び、他人に食してもらい評価してもらって初めて習得したと言えます。加えて、その者達の自信にもなりましょう」

 説得力ある言葉に、誰もが納得をした。職人として、妥協を許さず、さりとて人前に出ても恥ずかしくないレベルに達することを至上とする。その塩梅が上手いと思った。

「一月せいぜい5人くらいが妥当ですかね。一年で60人くらいがいいとこでしょう」

 そこでふと思う。この小さな店でひと月に10人も教えることができるのか。さらに、煎茶も一月もかかるのか、と。

「煎茶はせいぜい3日を見てます。道具はともかく、淹れ方が大事ですから」

 ふむふむと頷き、平良が口を開く。ここではあくまで骨子を決めれば良い。やっていく中で不具合があれば都度修正を加えればいいと。

「さて、決まったところで、どう伝えましょうか? できれば酉居という小者で武士の風上にも置けない犬畜生とそれに媚び諂う事しか能がない取り巻き共には知られない方法で」

 さらっと怖い事を言う甲斐はチラッと輝を見て固まった。他の者達も彼女の方を向いて額に手をやった。

 気持ちは分からなくはない。発言することもなく、ただ黙って自分がまるで興味もない話を延々と聞くだけ。途中で飽きて眠くなるのは無理もない。実際、輝は綺麗な鼻提灯を膨らませて爆睡している。普通なら、まぁ許すであろうし後でかいつまんで彼女に話して確認すればいいだけだ。

 しかし、甲斐は許さなかった。

 甲斐は輝の前に行くと、彼女の頬を力いっぱい引っ叩いた。乾いた音と同時に目覚める輝。

「いたっ!! ちょっ! 誰ですか引っ叩いたの!!」

 輝が怒るのは最もであり非難される筋合いはない。だが今回ばかりは相手が悪い。

「真剣な話をしている中惰眠をむさぼるとはいい度胸ですね?」

 すがすがしいほど満面な笑みで睨む甲斐に、小さな悲鳴をあげた輝はそれでも反論を試みようとした。

「もし、この先惰眠をむさぼったら――――ってこと、この場の皆さんのみならず学園全体にバラしますわよ?」

 そんな彼女のささやかな反撃を読んでいたかのように、スッと耳元に顔を寄せ、彼女にしか聞こえない程の声で脅した。みるみる顔色を悪くしたかと思うと、次の瞬間には土下座をして謝罪の言葉を述べていた。

 触らぬ神に祟りなし。他の面々はそのことに触れず、その後の方針などを決めて解散した。

 詠美は一人、夕焼けに染まる家路についていた。普段は平良と一緒に帰っているのだが、今日は所用があるとのことで彼女は先に帰っていた。一人で帰るのは実に久しぶりであった。

 彼女は物思いに耽っていた。

 本島から転校してきた彼に最初は嫉妬していたし興味を持っていた。彼らが住まう場所を狙っていた賊や、天狗党の乱で襲ってきた反乱分子を一撃で沈める実力を持ち、五人組の乱の時は影の首謀者として一団を先導して解決に導いた。嘘かホントかは知らないが、瑞野を“真剣”で成敗したと囁かれている。かと思いきや、甘味処を開店させると甘味が絶品ものばかりで、みとらんに掲載されてからは客がうなぎ上りに増えている。閉店間際が一番のピークで、その時の新と彼のやり取りを見て帰るのが常連たちの日常だ。かくいう自分もそうである。

 そんな彼だから様々な人に頼られる事が、詠美としては面白くない。その為の幕府であるのに、という思いが強かった。

 一方で彼に頼るのも仕方ないと思う自分がいた。今の幕府はそのほとんどが、酉居が私物化していて機能を有していない。相談や意見を言うモノなら酉居から後でどんな仕打ちを受けるかわかったもんじゃない。奉行所ならまだ独立しているからいいが、幕府に名を連ねる者には気が引ける。

 詠美であれば、と思う者は多いがどこにあの野郎が聞き耳を立てているか分かったものじゃない。だから頼みづらい。

 彼ならどうか。剣術に長け、料理も絶品、加えて各身分の掟にも明るいし頼れば断ることもなくやってくれるので受けもいい。頼らない者がいない方がおかしいのだ。

 今や彼は、この学園になくてはならない存在となった。彼と生徒達の為に、この事態を何とかしなければならないと思ったのだ。彼にはこれ以上の無理を重ねてほしくない。生徒達には、彼に過度に負担を掛けさせないように施策を講じることを約する。

 自然と微笑んでいた。彼の手助けができることが嬉しかった。

 生ぬるい風が吹き抜け、身震いし立ち止まった。ふと横を見ると、立派な門構えの平屋が佇んでいた。その門構えには木札で「診療所」と達筆で書かれている。

 ここは宗十郎達が「強制入院」させられている刀舟斎かなうの診療所である。どうやら、思い耽ながら無意識のうちにここに足を運んでしまったようだ。

―――別に、見舞いがてら今日の報告するくらいいいよね?

 まさかこんな夕方から見舞いに来る者などいないだろうし、自分一人だけならかなうも許してくれるだろうと結論付け、彼女は診療所の門をくぐった。

 ごめんくださいと断ってから引き戸を引くと、ちょうど玄関に主のかなうがいた。

「何だ、詠美じゃないか。どうした?」

「ちょうど良かった。宗十郎の見舞いにと思って」

 すると、かなうは途端に不機嫌になり「お前もか」と呟いた。

 それはどういう意味かと言われた途端、かなうの顔は溶岩の如く赤くなった。

「アイツらがここに来たと知った連中がここ2日間途絶えることなく見舞品とかたくさん持ってきて長時間だべるわ大勢で押しかけてどんちゃん騒ぎするわでこちとらろくに寝てないのよ! おまけにこっちが注意したら睨まれるわ邪魔すんな言われるわでな――――――」

 一度火が付いたかなうのマシンガン口撃が止まらない。溜まっていた鬱憤を全部吐き出す勢いで彼女は詠美に向かって叫び続けている。

 彼女の言い分は最もだ。診療所と言ったところは患者が静かに治療や療養する場所であってバカ騒ぎやどんちゃん騒ぎをする場所ではない。まして、注意した者に悪態を突くなど以ての外だ。

「先生。落ち着いてください」

 興奮したかなうを彼女は落ち着かせることにした。爆発寸前の火山のように真っ赤な顔をして息も絶え絶えになったかなうは、暫く呼吸を整えてから彼女は詠美を見た。

「……まぁ、お前ならいいか」と呟いて部屋の場所を告げた。廊下の突き当りにある大部屋がそうだという。

「あたしは明日の用意があるからもう行く。気が済んだら呼んでくれ」

 そう言って彼女は引っ込んでいった。

 彼女は言われた通りに突き進み、「邪魔するわよ」と言って引き戸を開けた。

「よお、詠美」

 手を挙げて呼ぶ宗十郎の一方、詠美は彼があてがわれた部屋を見て言葉を失った。

(・・・・・・一体ここはどこの店よ?)

 部屋は12畳ほどあるだろう大部屋であったが、それを感じさせないくらい多くの見舞品がそこかしこに置かれていてさながら小さな商店のようだった。見舞品も、果物から積まれた書籍、花束に使途不明なものまで実に様々であった。

「・・・・・・色々ツッコみたいけど、まぁいいわ」

「あぁ、これか。見舞に来た連中が一杯持ってきてくれてな」

「いや、多すぎるし。それにかなう先生がそのことでかなり怒ってたわよ?」

「やっぱり? それで俺もなぜか怒られた」

 まぁ入れと彼に促され詠美は彼の病室に入った。

「すまねぇな。お前らに迷惑かけて」

 入って早々謝罪を受けた詠美は可笑しくなってつい笑ってしまった。笑われた彼は何が可笑しいと少し不機嫌になった。

「いつも助けてもらってたから、貴方に謝られるのが変に感じちゃって」

 不機嫌なまま暫く宗十郎は詠美を見つめ、やがて鼻を鳴らして上半身を起こした。

「ただ見舞に来たわけじゃ、ないだろ?」

 ホント鋭い観察眼だなぁと思った。元々、見舞は次いでだったのだ。

 彼女は今日の出来事を要点のみを説明した。かなうは気のすむまでと言ったが、彼の為を思うと長々といるわけにはいかなかったからだ。

 話を聞き終わった宗十郎は、嘆息して彼女の方に顔を向けた。

「悪くないな。俺も助かる」

「今までが働きすぎなのよ」

 恐らく彼の場合、この数か月間は昼夜問わず何かしかの事象に関わっていてろくに体を休めていなかったに違いないと思っていた。普通の高校生なら今頃ぶっ倒れているか最悪天に召されているはずである。彼の体力が化け物だったのか、それとも別の理由があるかは知らないがよく死なずにいれたもんだと感心してしまった。

「先生にもこってり説教喰らったしな。今後は自重するよ」

「そうして。アンタはこの学園に必要不可欠な存在なんだから」

 うむと頷く彼に、ホントかなと疑いをかける詠美。この男、結構な確率で無茶をしている。しかも自分達の与り知らぬところで。

 ―――ついでに、ちょっと相談しようかな。

 聞いてもらうだけなら、大した負担にはならないでしょう。

「ねぇ宗十郎。ちょっと話聞いてもらってもいい?」

「ん? いいぜ」

 彼女は今の悩みを彼に打ち明けた。理想としている自分に今の自分程遠い事。徳河の名を捨てた吉音が許せない事。その吉音が皆に慕われて嫉妬していることを。

 話を聞き終わった宗十郎は、ふむと頷いて眼を閉じた。

「・・・・・・悩むだけ無駄だ」

 数分後に彼の口から出た言葉は、彼女の予想に反したモノだった。期待していたことが裏切られたようでだんだんと顔が紅潮していく。

「待て待て。怒るんなら、俺の話を聞いてからにしろ」

 彼が宥めると、詠美も少しは落ち着いて腰を下ろした。彼は彼で近場にあった座椅子を引き寄せて、そこに腰を掛けた。これも多分どこぞの誰かの見舞品だろう。

「なぁ詠美。お前、俺の事どれだけ知ってる?」

 その問いに詠美は腕を組んで考えてみた。転校生で、剣の腕が立って、皆から好かれていて料理が一級品で・・・・・・。それ以上のことは出てこなかった。

「・・・・・・ごめんなさい。よくは知らないわ」

「別に謝んな。俺だってお前のことはよく知らん」

 しゅんとする詠美に宗十郎は笑って答えた。その一言で、何となくだが彼が言わんとしていることが分かった気がいた。

「・・・・・・私は、吉音さんのことをちゃんと分ろうとしてなかったのね」

「それに気づけただけ、成長している証拠だよ」

 宗十郎は彼女の頭を撫で始めた。最初は嫌そうに反論を試みたが、その撫で方が心地よすぎて、ついには彼の膝枕の中で享受してしまった。

「・・・・・・貴方ってたらしよね?」

「おい、その言い草はないだろう」

 わしゃわしゃと撫でる彼は、猫の笑顔でほほ笑む彼女を見てまぁいいかと彼女を撫で続けた。

「それとな、理想と程遠いというが、そう思うならゆっくりとそれに近づければいい。小さな一歩だが、確実に近づくからな」

「うん」

 撫でながら彼らは数時間雑談を交わした。楽しい時間というのはあっという間に過ぎる。一息ついて外に眼をやれば、陽はすっかりと落ちて綺麗な満月が闇夜を照らしていた。

 詠美としては一晩中でも話していたかったが、彼が病人であることとかなうにこれ以上の負担を掛けさせたくないとも思いから断念し、帰ることにした。

 詠美は「じゃあお大事に」と去ろうとしたが、宗十郎に呼び止められた。

「時間作って二人でちゃんと話してみろよ」

 詠美はこくんと頷いてそこを後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日から彼女達は忙しなく行動し始める。吉音と甲斐達は新しい相談所の利用案内と注意事項の作成、朱音と想は相談所から流れてきた案件の対処について両奉行所全員で朝から一室借りて、時間をたっぷり使って話し合った。詠美と平良は結花と山吹、桃子と共にそれぞれの有力者を集めて今後の目安箱について説明をした。有力者の数が多いのと酉居一味の眼を盗んでやる手間から2日間分けて行う事にした。

 そして、3日後。各店舗ができるだけのことをしてその日を迎えた。甲斐の家は「よろず相談所」という真新しい看板を掲げ、相談内容を聞き適した場所に振り分ける。越後屋は予め山吹から全従業員に通達が言っており、相談者が来た場合は店の個室に通し山吹自身が応対する体制を整えている。ねずみ屋は特定のメニューを頼んだ客に対し会計時に黄色の紙を渡す。そこには時間が指定されており、指定時間に裏口から周りそこで相談を受けるシステムにした。長屋は特定時間を除き桃子が待機して相談を受ける。

 尚、療養中の八雲と宗十郎は療養が終わって暫くしてから煎茶と料理教室を開催することに決定し、事前に二人に話はつけている。基本月曜から金曜の5日間、2~3時間の範囲で一か月間、煎茶は5日の期間で開催、最終日の数日前から実際に店頭で販売する。また、宗十郎の料理に関しては和食・洋食・スイーツの種類を月ごとに内容を変えて開催することになり、月末に八雲堂に張り出すことにした。定員は1月合わせて10人。かなりの倍率が予想される為、月末までに詰める予定である。

 その八雲堂は店主不在であるが、彼らの復帰まで吉音と真瞳が給仕をやり、数人の有志が日替わりで茶菓子を提供する形で営業を再開していた。

 彼らは宗十郎や八雲に相談事を解決してもらった者で、二人がぶっ倒れた翌日に真っ先に見舞に行き「困ったことがあったら言ってくれ!」と言っていたそうだ。

 それを思い出した宗十郎が彼らを呼んで事の次第を説明すると「受けた恩を返す時!」と二つ返事で引き受けた。日替わりで菓子や茶を提供する、レジ前に自分達や宗十郎達の商品とレシピを置いたり、メニューを見やすくしたりと様々なアドバイスをしてくれたりそのアドバイスを素直に吉音達が取り入れたりと八雲堂は進化していった。

 数日回していくと、従業員がうまく対応してくれなかったとか、応対者が不在だったりと不備や改善点が見えてきた。彼女達は都度時間を作って集まり、解決策を捻り出して実行していった。それを彼らが復帰するまで休日返上で行っていた。無論、彼らの二の舞を避けるべく、1・2時間の短時間で話し合うだけにとどめた。

 その結果、少しづつではあるが、相談所などの施設の利便性が上がったそうだ。

 そして、あっという間に二週間が過ぎ、二人が復帰したのだ。

「あのなぁ。言い出しっぺが早速やらかしてくれてどうすんだよ」

「・・・・・・ごめんなさい」

「まあまあ宗十郎。あんまり彼女を責めないでくれよ」

「こっちがいくら言っても連中がきかなくてな。すまんな」

「いやいや別に責めているわけじゃねぇよ。しかし、参ったな・・・・・・」

 今日は八雲堂の定休日に当たり、宗十郎と八雲が診療所から帰宅した日である。閉店後に皆を集めて取り合えずの慰労会を開いた。その時に、宗十郎は彼女達からの話を聞いて嘆息した。

 それは相談所を開設して暫く経った頃の話である。

 甲斐がいつものように整列してくれた生徒達の相談を受けていた。そこに相談所の噂を聞き付けた生徒達が大挙して訪れ、列をなしていた者達を無視して甲斐の前で自分達の相談を先にやってくれと異口同音に捲し立てる。甲斐は「一人ずつちゃんと聞くから並んでくれませんか」とやんわり促すが、彼らは聞く耳を持たずそれを繰り返した。しまいにはルールを守って並んでいた生徒達とちょっとした喧嘩が始まってしまい、喧嘩に参加する者、仲裁する者入り乱れ場は騒然となった。たまたま近くを通った八雲堂の常連が知らせてくれたようで、詠美と平良が駆け付け騒動を収めようとしたが、興奮状態の連中にとっては火に油を注ぐ結果となり、彼らの一部は詠美達にも絡み始めた。

 そして、とうとう怒らせてはいけない人物を怒らせる結果となる。

 バン! と乾いた音が木霊すると、光を亡くした瞳で周囲を睨んだ女子生徒は、机の下から紙とマジックを取り出してトーンを落とした声で言った。

「今ここで騒いだ馬鹿共。ここに住所と名前を書きなさい」

 静まり返った場。普段彼女がキレた所を見たことがなかった一同の中には、唖然としていたり、恐怖に身を振るわせていたりしたが、やがて後からやってきた連中がまた騒ぎ始めた。なんでそんなことしなきゃならねぇんだとか私達だけってひどくないとかギャーギャー喚いたそうだ。詠美達が慌てて収めようとしたが、一人が邪魔すんな女のくせにと彼女を弾き飛ばした。

 その瞬間であった。女子生徒―――甲斐は腰の太刀で眼の前にある机を文字通り一刀両断した。その威力は一陣の突風となって皆を襲った。

「・・・・・・ルールも守れねぇクソガキが、偉そうな口叩いてんじゃねぇよ」

 それまでのお淑やかなイメージは見事に一遍した。怒髪天を突き、低いドスの効いた声と怒りの炎を宿した双眸に睨まれた全員があまりの恐怖に身を震わせた。中には「ひっ」と悲鳴をあげたりしたそうだ。あの平良達でさえも全身から鳥肌が立ったという。

 その場にいた平良が後に部下に当時を振り返りこう言ったそうだ。「彼女の後ろには、般若と阿修羅と不動明王と羅刹がものすごい形相で立っていたように見えた」と。

 ここから、甲斐の一人無双であったと詠美は語ってくれた。

 彼女は太刀を持ったままゆっくりと歩み寄り、それに合わせて皆が一歩後ろに下がった。

「アタシ達は自分の時間を使って生徒達の悩みを聞いてアドバイスしようとしてんだよ。んで、そこで並んでいる人達は自分の時間をわざわざ割いてアタシらに悩みを聞いてもらおうと来てくれてんだよ。分かるか? それをテメェらはシカトぶっこいてテメェ勝手なこと捲し立てて注意したら逆ギレして挙句先客といざこざ起こして、でもって難癖つけてくるとか何様だテメェら。んなことするテメェらのクソくだらねぇ悩みなんぞ聞く気もない!」

 近づくたびに背中から黒い炎が立ち上りその言葉の一言一句に怒りが籠っていた。その迫力に気圧されて騒いだ連中のほとんどが腰をに抜かして情けなく後退りしている。

 彼女はたった今詠美を突き飛ばした生徒の前に仁王立ちしたかと思うと、鳩尾に一撃を見舞い生徒が倒れる前に首に腕を回した。その手には短刀が握られていた。

「テメェさっき詠美を突き飛ばしたよな? それで何だっけ? 邪魔すんな女のくせに? その前に女に手ぇ上げて恥ずかしくねぇのかよ? てか男の方が女より偉いとか、いつの時代の事ぬかしてんだ? あぁん? テメェの頭に蛆でも沸いてんのか? 調子乗んのも大概にしとけや」

 彼女はがちがちに震えている生徒の首から腕を外すや後襟を掴み、片手で持ち上げるとそのまま振りかぶり彼を顔面から沈めた。醜い悲鳴や変な音が聞こえた気がするが、(とど)めと言わんばかりに背中を右足で踏みつけた。彼女は絶対零度の視線でそこに突っ伏した生徒を見下ろしていた。

 それから、甲斐は連中の中で一際騒いでいた男子生徒の前に立つ。傍にその生徒の者であろう刀が転がっていたので、恐らく武士だろうとその時彼女は思い、彼の喉元に太刀の切っ先を突き付けた。

「テメェも武士なら武士らしい行動しろやこのドクサレ野郎が!」

 その生徒は歯を震わせながら首を激しく上下させた。甲斐は胸倉を掴んで彼の顔を引き寄せた。恐怖に引き攣る彼に、甲斐はこれ以上ないくらいの低い声で告げた。

「武士の情けで今日はこれくらいで勘弁してやる。だがな、今後同じことしでかしやがったらアタシはテメェのそのくだらないプライドと人生を粉々に破壊してやるからな? 分かったな?」

 恐怖に怯える生徒は震えながら「はい」と返事した。しかしそれはあまりにも小さかった。

「声がちいせぇんだよ! テメェそれでも武士か!?」

 眼前で吠えられた為か、彼はビビりながらも大きな声で返事した。彼女は彼を突き飛ばすと、吊り上げた眼を周囲に向ける。

「テメェらも分かったな! 今後騒ぎ起こしたらテメェらの人生を未来永劫完璧に潰してやるからな!」

「は、はい!!!」

「分かったらさっさと住所と名前を書け! そしてこの場から失せろ!!」

 騒いでいた連中は我先に紙とマジックをひったくるや急いで住所と名前を書き甲斐に渡すや蜘蛛の子を散らすように退散した。という内容だった。

 それを聞いた宗十郎はやれやれと嘆息するが、手に持つ茶碗は小刻みに揺れていた。つまり、怒っているのだ。

「仕方ねぇ。リハビリがてら、ちょっくら仕事してくるか明日」

「お願いだから、大事にはしないでくれよ宗十郎」

「安心しろ。ちょっと『お話』してくるだけだから」

 それを聞いた面々は、『お話』で済むとは思っていなかった。恐らく一生もんのトラウマを刻み付ける気満々だ。中には本当に引きこもりになる者がいるかもしれない。

 今のうちに、警告しておこうと決心したのは桃子だけだった。他の者達はいい薬になるだろうと考え放置することにした。

 聞かない者が悪いのだ。宗十郎がかなりきつめの灸を据えれば今後あそこで騒ぐ馬鹿はいなくなるだろう。

「お前らも、手伝ってくれてありがとな」

 くるりと後ろを向いて頭を下げると、そこにいた4人は恐縮して慌てて手を振りまくった。彼らはこれまでこの八雲堂で宗十郎の代わりに店を開いてくれていた者達である。

「あ、頭上げてください進藤さん」

「わ、私達は好きでやったんです!」

「い、今までのお礼ですし!」

 口々にそういうので、彼はようやく頭を上げた。

「それに、八雲堂で働いてみて、結構楽しかったし」

 そういうのは、『ミラージュ』という洋菓子店の店主吉野英二だ。

「お客さんと自分の菓子をつまみながらお話ししてるって聞いて最初は『えっ?』て思ったけど」

「その場で評価を聞けるのは新鮮だった」

 和菓子店『美加戸』店主國代栄美と菓子屋『伊右衛門』店主会川陽次郎が続いて今日までの感想を述べる。

 その場で感想が効けるのは、開店以来宗十郎が客に伝えていたことであった。あれがダメこれがダメこれは良かったと言われるのは、職人としての励みになるというのが彼の持論だそうだ。客の声を聴いて自分の至らぬ点が分かる。それを改善につなげ次に活かすことができる。それがイイと宗十郎は言う。

「なぁ進藤。またここ来ていいか?」

 会川が言った。曰く、ここに来ることが楽しくなったという。

「そうだよね~。何かここ来ると、皆がほっこりしてるもんね~」

「ホントは客としてアンタと徳田さんの絡みを見たかったが、こっち側でほっこりするのもいいやと思ってきたよ」

 ふむふむと考えに耽る宗十郎の口元が意地悪く吊り上がった。

 その表情を見た全員が思った。あ、これはなんか悪いこと考えている。

「それなら、やるかい?」

 彼が言うや否や、そこに集まった者達が無表情となり彼に説明を求めた。また無謀なことしでかす気なら全力で止める為だ。

「・・・・・・こんな眼に遭って無茶なことする分けねぇだろ」

 嘆息する宗十郎は、暇な二週間考えていた案を披露することにした。

「俺が授業を開くとなれば、当然八雲堂を空けなきゃならんだろ? となるとここを誰かに仕切ってもらうか休業するほかないだろ。だから俺達が授業を開いている間、他の誰かにここに腕を振るってもらえばいいと考えたんだ。そうすりゃここに収入が入るから生活には困らんし、招いた職人も腕試しができる一石二鳥だと思うんだ」

 そこに誰かの意見が来た。別に教室開きながら商品を提供すればいいのではと。彼はその論に言い返す。教室に開くからにはそれに全神経を集中したい。そんな中受講生そっちのけで商品を出すなど、受講生に申し訳ないし第一職人としてのプライドが許さない。

「仮に、お前らがある教室で受講していて、講師が授業の合間にちょくちょく抜けて仕事していたらどう思うよ?」

 問われた時、皆が首を傾げた。言われてみれば、そんな人の授業、授業受けたくない。

「無論、授業がない日は俺が出る。日程等も、俺が考えてみた」

 そう言ってある紙を取り出した。同じく暇な二週間考えていた授業の日程だ。ただそれは、事前に話した内容と一部異なっていた。

 教室は火曜・木曜・土曜に開催。月曜と金曜は通常営業。日曜と水曜は定休日とする。講義は基本と実践の二種類。時間は基本が15時~17時で実践が18~20時の各二時間。内容として、基本コースは料理の基本で固定し、最終的に1品作ることができることを目標とする。実践は月毎に内容と講師を変え、デザートを含めた3品を作らせる。どちらも、最終5日前からは実際に八雲堂にて料理を提供し、客の判断を見て合否を決定するという。

 加えて、各週の日曜の午前中に補習を行う。これはその週に参加できなかった者の為に行う。いなければそのまま休みとし、補習をした場合は別日に時間分の休みを設けるとした。

 基本コース補習は彼が担当し、実践コース補習は結花を始めとしたプロ数人と彼が日替わりで見るという。その件はすでに彼女達に根回し済みである。

 報酬は彼の超絶美味のフルコースであるというのは秘密である。

 受講生は一月に付き10名。受講料は基本が1,000エンで実践が2,000エンとし、必要な道具を事前に用意してもらうが、用意できないものに関しては貸し出しも検討している。

 彼の意見として、5日間ぶっ通しでやるのは復習とか予習する時間を確保できない点から却下。一日おきであれば予習と復習する時間を確保できるだろうとのこと。

 尚、教室は八雲堂にほど近いところにこれから作るという。

 因みに、八雲の方は最初の案で行くという。暫くやってみて考えるという。宗十郎の作る教室には、八雲の煎茶教室も併設するという。

「・・・・・・アンタって、ホントとことんやるのな」

「職人ナメんな。これくらいやらんと気が済まん」

 こいつ、変なところで真面目だ。だから身体壊すんだよ。とは、口が裂けても言えない。

「話し戻すけどさ。お前が教室開いている間ほかの店の奴がここ切り盛りすんだろ? そいつの店とか、メニューとかどうすんの?」

 朱音の問いに彼は答えた。メニューはそこのメニューをまんま提供してもらうし『本業』の店の方は他の店員で回してもらうか、その期間はここでやっている旨を案内して支障がないようにするという。

「従業員の給料諸々保証もするしな」

 そう言いつつ彼は二枚の紙を取り出した。一枚には今回の案の概要と生徒への条件等が記されていた。無断欠席二回で強制退会などそれなりに厳しい内容が記されていたが、職人として最大限の譲渡とも取れた。

 もう一枚には今回参加してくれる者達への待遇が記されていた。現在勤めている店での待遇の保証、特別手当の内容と賄い付きと記されていた。

 彼は最初の紙を店頭などに設置し、後日説明会と抽選をして来月に開催するという。どうせ応募者多数になるだろうからだという。

「ま、とういうことだからよろしく頼むよ」

「はいよ」

 そういうことになり、散会することになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後、彼の予想通り件の紙を置いた途端武士・商人・一般含め多くの生徒が彼に料理を習いたいと押し寄せた。

 彼は急きょ説明会を数日に分けて開催することになった。基本コースは毎月同じ内容を、実践コースは月毎に内容を変えてやるということ。今回多くの人に集まってもらったので抽選をして受講者を絞らねばならないこと、今回漏れても、今後暫くこの教室は開くことを伝え、その場で応募者を募り、最終日に抽選を行った。

 彼らの講義は人気を博し、後代に『何回落ちても絶対に受けたい講義』として語り継がれたとかなんとか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 余談だが、最初の講義生の中に酉居一味の神崎圭太がいたことに、自分で無造作に選んでなんだが宗十郎は驚いた。

 その神崎は講義初日にいの一番に彼に挨拶してきた。

「お前・・・・・・」

「安心してくれ。このことはアイツにゃ話してねぇ」

「けどまぁ、とっくにあの野郎の耳に入ってるだろうがな」

 自嘲したように笑う彼に神崎は苦笑して頷く。

「これを聞いた第一声が『武士もどきの事だ。ほっとけ』だとさ」

 宗十郎は笑い飛ばす。が、内心はいつかあの三下に士道についてその腐りきった心に徹底的に刻み込んでやろうと固く誓っていた。

「お前はここにいていいのか? 選んでおいてなんだが、ばれたらまずいんじゃ?」

 平気平気と神崎はひらひらと手を振った。一派と言っても一人一人の行動をあの野郎が把握しているわけじゃないし、こちらとしても私生活まで把握されるのは御免だという。

 そういうもんかと思い、準備に取り掛かろうとした彼は、不意に肩を掴まれた。

「なぁ相模。今日、時間あるか?」

 宗十郎が首を傾げると、神崎は相談したいことがあると真剣な眼差しで告げた。彼はその眼を見て、しばし考えて彼に告げた。

「分かった」

 歯車は少しずつ確実に動き始めた。

 



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その11 動きだした歯車Ⅲ 雪那の乱1

 珍しく宗十郎は起きていた。漆黒の闇が支配する部屋を照らすのはスタンドライトの柔い光だけだ。

 小さく息を吐いた彼は、部屋を出た。闇夜に煌々と浮かぶ満月を見上げる。今回のこともそうだが、ここ最近、妙な胸騒ぎがする。こんな時は、大抵めんどくさいか嫌なことが起こる予兆であることをこれまでも経験から知っていた。

「嵐が来るな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 次の日の夜。彼は八雲堂に隣接した彼の教室に八雲と吉音を除いた面々を集めた宗十郎は、事の次第を面々に説明した。

「酉居が変・・・・・ねぇ?」

 首を傾げた平良は心当たりがないようだ。どうだと隣の詠美に尋ねるも彼女も知らぬと答える。

 話は前日の夜に遡る。講座を終えた宗十郎は約束通り時間をとってある一室に赴いた。そこには、既に相談者である神崎圭太が待っていた。

「酉居が変なんだ」

 開口一番、彼はそう言った。宗十郎がその理由を問うと神崎は話し始める。

 きっかけはほんと些細なことだったそうだ。普段でも仕事やらで忙しくとも弱音を吐かないのに、ある時ふと「疲れた」と口にしたり、子分(神崎談)のミスはいつもなら笑って許すのがここ最近は激怒して暴力を振るう。眼に隈ができていたので尋ねても「何でもない」とそっけなく答えたりと、普段から彼の側にいる圭太にとって不可解以外の何物でもなかった。

 話を聞く限り、酉居は外部には苛烈だが身内には寛大であるようだ。その彼が豹変したということは何か転機があったと感じた宗十郎は試しに尋ねてみた。

 すると彼はそういえばと何かを思い出した。

「これかどうか分かんねぇけど・・・・・・いつだったか忘れたけど、昼休みに用があってアイツを探していたんだよ。それで、色々探していて、ある場所で見つけたんだけど・・・・・・誰かと話しているようだったから終わるまで待ってたんだよ。その時からかな。アイツがおかしくなったのは」

「場所は? 覚えてないか?」

「悪い。正直覚えてない。ただ、あの時は声しか聴いてなかったから」

「ん? おい、お前さっきある場所で見つけたって」

「今ふと思い出したんだよ。『御簾』越しにアイツの声が聞こえたからいると思って。まぁ、そこからアイツができてたんだけどさ」

 そうか、と宗十郎は一息ついた。

「なぁ、相模? アイツ、本当に変わっちまったのかな」

 弱々しい声で項垂れる神崎。宗十郎にとって酉居は武士の風上にも置けない無能であるが、神崎にとってはかけがえのない『主君』であり親友なのだ。

「さぁな。俺には今のところ何もわからん。だが、調べてやる」

「ほ、ホントか!?」

「ここ最近の騒動の解決になるかっもしれないし・・・・・・何より、お前が落ち込むのをみたくない」

 その言葉に感極まった神崎は消え入りそうな声でお礼を言って涙していた。

 神崎は自分にできる範囲での協力を申し出て帰っていった。

 閑話休題

「なぁ宗十郎? それとこれまでのことが関係あるのか?」

 最もな質問をする朱音に分からんと即答する宗十郎はしかしといって続ける。

「アイツが話していたのが『大御所』」と呼ばれる存在だった可能性もあるだろ?」

 確かにその可能性は捨てきれないが、彼の声のみしか聴いていないならその立証は難しい。

「して、どうするのじゃ宗十郎や」

 長老格の光姫が何とも楽しそうに彼を見つめる。それに応えるかのように彼の口角がニッと上がる。

「人を貸してくれ」

 

 

 

 

 

 それから数日後。学園を震撼させる出来事が再発した。幕府中枢の要職についている生徒たちが次々に襲撃される事件が発生したのだ。そこには富裕層といわれる者達も含まれていた。

 襲撃は大体が夜遅く一人でいた時が多く、半死半生の状態で発見されるのだが被害者の近くには半紙に朱色で『天誅』と書かれたものが置かれていた。そして、所謂貧民層の生徒には富裕層から略取した金をばら撒くこともしていた。事態を重く見た幕府は、長谷川平良を総指揮として鎮圧本部を結成し、『天誅事件』と命名し捜査を開始した。

 宗十郎達も現在の案件を一旦保留して平良に協力すべく鎮圧本部に連日詰めていた。だが、捜査は難航し被害者が増える一方で一向に進まず、かえって幕府政治に支障をきたすようになってしまった。解決の催促を促す酉居を適当にあしらいながら本部は躍起になっていた。

 厄介なところは、正体不明の連中の行動が貧民層生徒に好評であり、一部の連中が連中に参加したりこちらの捜査を妨害したしているところなのである。

「天狗党の再来みたいな情勢だな」

「止めてくれよ。縁起でもない」

「タチが悪いのが、襲われるのが大体よろしくない噂の連中であり、生徒達がそれを支持している点か」

「ほんと、勘弁してほしいぜ」

 火付盗賊改の長官室に宗十郎、真瞳、甲斐、平良、想、朱音が集まり会議を行っている。

「奴らの狙いは、幕府転覆だな」

唐突に発せられた声は一同の注目を引いた。どうゆうことだと朱音が促すと、宗十郎はあくまで俺の仮説だ、と前置きして話始めた。

「今回狙われた連中は、噂はさておき、幕府の中枢を担っていたり金持ちだった奴らだ。権力を使ってやりたい放題、金の力でやりたい放題。町民達にはそう見えた。それを憂いた町民、もしくは下級役人が計画扇動して今回の企てを立てた。俺はそう睨んでる」

「何か、根拠はあるのですか?」

「連中はこちらの警備模様や誰がどの時間にどこにいてなど詳細に調べた上で襲撃している。内通者、若しくはこちらに精通した者が絡んでいる」

「首謀者の他に協力者がいるというのか!?」

「あくまで俺の勘だ。こちらに内通者がいれば、あれほど効率よく排除できないと思ったからな。若しくは時間をかけてこちらを調べ上げたのかもしれんが」

 納得のように一同は頷く。

「後は・・・・・・狙われた連中は評判が民衆にはよろしくない。先に襲撃することで民衆の支持を集めた。それを追う俺達を民衆は、さながら正義の味方を退治する悪党に思えたはずだ。今の幕府に評判も相まってな」

「まぁ主にアイツにせいだがな」

 朱音が苦虫を嚙み潰したように呟く。

「酉居に一因があっても、だ。町民達はそれを排除しない幕府を信頼に値するがどうか、だな」

 言われて皆が数秒考えてみる。皆がそんな幕府を信頼に値しないと判断した。そこに務めている自分達が何だか惨めにさえ思えてきた。

「まぁ、自浄作用の構築は一連の騒動を終えてから時間をかけて考えな。今は捨ておけ」

 両断した宗十郎。早速対策を考えることになった。目下、首謀者を含めた組織の解明と撲滅である。

 現状、連中のことは何もわかっていない。対応が後手後手に回っているのはそのせいだと感じていた宗十郎はそれを最優先でやるべきと主張した。潜伏先、人数、首謀者を把握したうえで迅速に軍を揃え強襲すべきというのである。

 対する朱音はとっ捕まえた奴を尋問して吐かせ、速やかに確保すべきだと主張する。時価をかけたら被害がもっと大きくなる、その前に叩くべきということだ。

 これに関しては総指揮の平良が前者の案を採用した。

「こちらの人数は限られている。効率的に事を進めるなら調査は大事だ。闇雲に突っ込んで自滅しては意味がない」

 組織には組織で対抗するといったところであろう。

「幸いにして酉居は今回の件で学園から謹慎させられているからな。子飼は動かせてもこちらには手が出せん。奴の行動も神崎を介して知ることができる」

 酉居が幕府側を私物化できないことは幸いであった。余計なことに戦力を割くことがなく、フルに使える。

「調査を二手に分けたい。一つは首謀者組織の探索。もう一つは狙われる可能性がある奴の徹底調査だ」

 狙われる奴は碌な奴がいない。恐らく酉居若しくは一派と何らかの関係があると宗十郎は踏んでいる。平良も同じように考えている。

 事前情報は神崎に頼めば教えてくれるだろう。その情報をもとに全部調べ上げ今後の対策に活かす。その間に多少に被害は出るだろうが、身から出た錆だ、同情の余地はない。

「朱音の部署は後者、想の部署は前者の調査を頼む」

「アタシら火付けは引き続き町内を警備する。宗十郎達は遊撃としてあたしと一緒にいてくれ」

「伝令係を各班一人から二人ここに常駐してほしい」

「なら、アタシのところはマルだな」

「私は往水さんにしますね」

 宗十郎はたまらず異議を申し入れる。あのサボり魔に伝令を任せるとはどうかしていると。

「サボったら半年お給金なしで私の監視付き行動とするから」

 笑顔でサラッととんでもないことを言った。それは嫌でもまじめにやりそうだ。

 その後散会となり一行は八雲堂へと足を向けた。途中、彼は八雲たちと別れて一人神崎の元へ向かう。自宅を訪れたが生憎不在だったので置手紙を置いて帰路につくことになった。

「ねぇねぇそーじゅーろー。あたしは何すればいい?」

 帰るなり、珍しく吉音がやる気満々に彼に指示を仰いできた。明日は霰じゃないだろうか。

「そうだな・・・・・・・町の人に聞き込みしてくれないか」

「え? けどそれって朱音ちゃんや想ちゃんのところがやるんじゃないの?」

「町の連中は今幕府を警戒している。いい意味でも悪い意味でもな。恐らく調査は思うように進まない。朱音や想はともかくな。だが、お前なら話してくれるはずだ。町の万屋元気娘だからな」

 笑顔で彼女の頭を撫でる。彼に撫でられてやる気がマックスになった吉音はお休みといって自室に戻った。

「あらあら。珍しいこともあるのですね」

「からかわんでください姫様」

 一部始終を見ていたであろう甲斐がくすくす笑いながら奥から出てきたので宗十郎は照れながら言う。

「良いじゃありませんか。誰も見ていないわけだし」

 小悪魔のような笑顔で甲斐は彼を縁側に誘った。

朧月夜を眺めながら彼らはなんとなしに話始める。よく二人はこうして話をする。大将と参謀のような関係が彼等だ。

「吉音さん。随分と張り切ってましたわね」

「あいつはここが好きだからな。そこを荒らされて憤っているのだろうよ」

「気持ちはわかりますね。わたくしだったら問答無用で斬り伏せますわ」

 サラッと怖いこと言うなと窘める彼だが、彼もまた心底怒っていた。自分の愛する国でくだらないことを引き起こしてくれるくそ野郎を許す気など欠片もない。

「さて、わたくしたちも、情報収集する為に動きますわ」

「あの二人に頼むのか?」

「ええ。あの二人の能力は並ではありませんわ。喜んで協力してくれるかと」

 彼は苦笑して委細任せると告げた。あの二人なら問題ないだろうという自信があった。恐らく結果以上のものを持ってくるだろう。

「俺は平良の愚痴相手になるとしようか」

「それはいいですわね。平良様はきっと喜びますわ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 宗十郎の予想通り、調査は遅々として進まなかった。幕府に対する不信感がここにきて一気に膨れ上がった形だ。奉行所の者が訪れてもそっけない態度や無視される日々が続いた。これには平良の落胆は大きく、朱音と想も失望していた。酉居の横暴を阻止できずなすが儘にしていた自分たちの責任を痛感した。

 一方で、吉音のほうは順調であった。確かに彼女を含めた八雲堂の面々は幕府側に協力してはいるが、吉音の人柄は生徒達の大いに知るところであり、生徒達はここだけの話として実に様々なことを話してくれた。

「新には敵わないなぁ」

 報告を聞いた平良は心底そう感じた。当の本人は大勲章を上げたが如く先程から花の笑顔でご褒美のイチゴパフェをたらふく頬張っている。

「うちの居候兼用心棒もたまには役に立ったよ」

「あまり甘やかすなよ。調子に乗るから」

「たまにはいいんだよ。今回は大活躍してくれたしな」

 パフェを頬張りながら吉音が「そうだそうだ」と平良に訴える。しかしその顔に説得力はマルでない。だが、彼女の情報は平良たちにとって大いに助かる内容だった。

 この後狙われるであろう腐れどものことも分かったので計画を立てやすい。本音は是非暗躍する連中達に成敗されて欲しいのだが、それはそれでのちのち面倒になる。吉音が聞いてくれたことだ真実なら、今から自分らが守る奴らはクズとしか言えない。

「安心しろ。ことが終わったら全員しょっ引けばいい。証拠はあるしな」

「・・・・・・・なぜ持っている?」

「うちの優秀な忍びがな」

 どや顔の宗十郎を見て平良はあらかた察した。以前紹介されたあの二人のことであろうと。子住姉妹よりも力量が上だと彼女が一瞬で見抜いたくらいだ。それ位の芸当造作もないだろう。

「相変わらず、お前のところは何なんだよ」

「いたって普通の和菓子屋だ」

 どこが、という言葉を朱音は飲み込んだ。彼女の中であそこは人外魔境と認識されている。何があろうと不思議ではない。一般人の八雲におてんば娘新を除けばそこにいるのは副将軍一向に一切が闇に包まれた共同経営者に最強の女剣士二人に忍びの心得があるような謎の女・・・・・・・。

 朱音と同じように想や平良も同じようなことを感じていた。彼の所にはいったいどこから有能な人材が集まり、こちらが苦戦することをいともあっさりやってのけるのか不思議で仕方ない。

「だが肝心の黒幕までは分からないか」

「余程隠れるのが上手いらしい」

 ある代官が襲撃された時、たまたま帰路についていた生徒の一人が逃走する犯人を見ていた。その人物は、雪那の私塾に通う生徒だった。そんな証言をしてくれた者がいた。他にも似たような証言をした生徒が数名いたことを吉音は突き止めていた。そのどれもが雪那の私塾に通う生徒達の犯行を物語っていた。

「たまたまじゃないのか」

 朱音が率直な感想を言う。彼女の言う通り、その数少ない証言は『たまたま』彼女の私塾の生徒を目撃しているが、確証はない。一方で、彼女の生徒達が徒党を組み組織的に行動しているとも見れる。どの場合も、雪那が首謀者として指揮しているのか別の者が首謀者として動いているのか判明していない。

 いずれにしろ、首謀者を突き止めるのが主命となった。現状、一番怪しいのは由井雪那だ。重要人物とみてもいい。だが、彼女以外の者が本星の可能性もある。

「人員がなぁ・・・・」

「そうですねぇ」

 両奉行が悩む。平良も同じであった。火付けはそのほとんどを護衛に向けている。両奉行所も半数の人員を彼女たちの補助として派遣している。残ったうちの半分は奉行所の通常業務をこなしているので、数少ない人員しかいない。

「やりくりは難しいか?」

 宗十郎は何んとなしに聞いていた。隠密活動には少数精鋭が最適と考えている彼にとってそれが不思議で仕方なかった。

 想が返答する。隠密調査するには少数精鋭であるほうが良いとは知っている。だが、ここにいるのは一般民であり、昔のようなそれこそ忍者や探偵といった能力を備えた者がいないと。宗十郎は納得する。心得がある者に助力を乞いたいところだが、これまで無茶をさせ過ぎたので休息を与えたい。

「三姉妹とあの二人は暫く休ませたい」

 能力はぴか一だが、茉理達は先の件で。三姉妹は店の営業との兼務で疲れているだろう。今後のためにできるだけ戦力は残しておきたかった。

「仕方ない。今は護衛に比重を置き、黒幕はこちらの人員が安定するまで少数で調べることにする」

 ない物ねだりしても意味ないしなと平良が呟いたことで方針は決定した。

 



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