ポケットモンスター虹 ラフエルの休日 (真城光)
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あるいは叙事詩の始まり
ああ、またこの色なの。
少女は目の前の者に、その色を見た。
相手は少女よりはるか年上の男性だった。歴戦のトレーナーなのだと、顔を見ればわかる。
その相手が見せてくれたのは「こんな小娘に」という色。戦う前にも似た色を見せてくれた。
威勢のいい色は、嫌いじゃない。それがたとえ愚かさから来ているものだとしても。
けれどもいまの色は濁ってしまっている。暗く、暗く沈んでいる。
「カイリュー」
ただ名前を呼ぶだけで、少女のポケモンは彼女の意思を理解する。
次の瞬間には、相手のポケモンは吹き飛んだ。
目にも留まらぬ攻撃。ただぶつかるだけではあるけれども、速度と技術が合わされば神速とも言われる域に達する。
圧倒的であった。いかにドラゴンが「最優」と呼ばれるタイプであっても、こうはいかないだろう。
それはひとえに、少女の技量であった。
がくり、と相手は膝をつく。審判から勝利のフラッグがあげられた。なんともあっけない幕切れだ。
相手にいま浮かんでいる色は、白。敗北した者が一様に見せる色であった。
退屈な戦い。ここまで来たというのなら、せめて一匹でも倒してみたらどうだろうか。
「また来てくださいね。門番は、常にここを守っておりますので」
少女の言葉は、相手に届いていないだろう。もし聞いていたとして、再び挑んでくる相手がどれほどいただろう。
背を向けて、去っていく。彼がどうなろうが、知ったことではない。
ただそこに在るだけで、すべてを圧倒する。
彼女を見た者は、断崖絶壁に咲いた花を思い浮かべるだろう。
手を伸ばそうにも、決して届かぬその花を。
少女の名はコスモス。
ラフエル地方八人目のジムリーダーにして、ポケモンリーグの門番だった。
* * *
少しだけ、コスモスの話をしよう。
彼女はポケモンリーグの麓であるルシエシティのジムリーダーである。それは血筋によるものであった。
代々ポケモンリーグに仕え、偉大なる挑戦をする者を選別する役割を担ってきた一族の末裔である。各地方に伝わるドラゴン使い……例えばワタル、イブキ、アイリスというような一族と同じく、コスモスの一族もドラゴン使いであった。
その中でも、わずか十七歳でジムリーダーとなった彼女の実力は折り紙つきと言っていいだろう。ラフエル地方のチャンピオンをもってして天才と言わしめ、他地方のジムリーダーと比較しても圧倒的な実力を持っていた。
しかし、そんな彼女だからだろう。あらゆるものを超越してきたコスモスは、非常に表情が乏しい。それが余計に彼女に神秘性をもたせているのだが、ときにそれは凶器となって戦う相手を追い詰める。
彼女に負けて、夢を絶つ者も少なくない。コスモスは、それさえも門番の仕事だと思っているようではあるが。
そして、そのコスモスの唯一の趣味……あるいはライフワークと呼べるものがあった。
絵画である。
海辺にある家のバルコニーで、油絵を手がける。
楽しい色を重ねていくのが楽しみであった。
ジムで彼女を見た者にはおおよそ想像できないだろう光景であるが、コスモスが筆をとる姿は実に様になっていた。
名家の者として、音楽や運動にも手を伸ばしてはいたものの、長続きしたのは絵画のみである。ときおり四天王のアドニスなどは運動に誘ってくるものの、突っぱねる毎日であった。
「お嬢様、たまにはお休みなどいかがでしょうか」
執事からかけられた言葉に、コスモスの筆が止まった。
空の青を塗ろうとした矢先であり、少しだけ不機嫌になる。
「この通り、私はいつも休んでおりますが」
「ほっほっほ。コスモス様は真面目ですからなあ。絵画の趣味と言っても、いつでも挑戦者が現れてもいいようにでしょう?」
そんなもの、休んでいるとは言いません。
ぴしゃりと言われて、いよいよコスモスはむくれた。
「休むとして、その間のジムはどうするのです?」
「調べたところ、いまバッジを七つ持っている者はすべて倒しております。しばらく挑戦者も現れませんでしょう」
それはそれで退屈ね、とコスモスはため息をついた。
このところ、トレーナーの質が低下しているのではないか。そういう風な話題は好きではないけれども、手応えがないのは事実であるように思えた。
海を眺めた。キャモメが飛んでいる。この海の向こうには、もっと強いトレーナーが待っているのだろうか、と思いを馳せる。
そう、それはかつて、留学に出たときに出会ったトレーナーたちのような。
あのチャンピオンと四天王、ジムリーダーたちのような者が新たに現れてくれれば。
この世界に新しい色をもたらしてくれるような人がほしい。そんな者であれば、この
「ホテルもすでにとっていますので、出かけるのがいいのかと」
「……準備が良すぎるのも、考えものね」
コスモスは渋々、頷いた。たまにはこの苦労人に応えるのもいいだろう。
無理やりに生まれた休日を、コスモスは楽しむことにした。用事はなくはないのだ。
* * *
連絡船に乗って、ラジエスシティへと向かう。
コスモスがジムリーダーをしているルシエシティからラジエスシティへは一日に四回ほど往復する船が出ている。
それはこの街が、ラフエル地方の中心であるからだ。
中央には行政と司法の機関が集まっており、北には電波塔、南はビジネス街がある。ラフエルの機能を支えているのはこの街なのだ。
そしていま、コスモスはラジエスシティの西側、ショッピング街へと足を踏み出していた。
帽子に青のワンピース、白いカーディガンという出で立ちからは、ジムリーダーの気風は隠せているだろう。こうして歩いていれば、普通の女の子とは変わらないはずだ。
それにしても、人が多い。この日は休日だからか、特に人で溢れていた。
「買い物なんて、注文するだけでいいでしょうに」
思わずそう言いたくなってしまった。しかしそれはとんでもない贅沢である。
インフラがきちんと整っていないこの世界では、輸送できる手段というのは限られている。ときには整っていない道を行かねばならないし、ルシエとラジエスを繋ぐのは船のみである。
頼めば届く、というのは多くの人の労力と費用がかかっているのだ。
それを承知の上で使うと言っているのが金持ちの証拠だ、とコスモスは理解している。けれども使えるものは使うべきだ、とも考えている。
買い物もほどほどにして、ラジエスシティのジムリーダーであるステラの元へと行こうかとも考える。育て屋の彼女と会うのは、明日の予定であった。
「おっと、失礼」
ばたり、とぶつかりそうになった。
ふらっと揺らめいて、倒れるより前に壁にぶつかってしまう。
「大丈夫かい? ごめんね、人を探していて」
コスモスはぶつかってきた人を見た。男の人で、自分より少し年上。
その人に見た色が面白かったから、覚えてしまう。
鋼の色だ。それも、磨いて研いで、輝きを放とうとしている人だった。磨かれたペインティングナイフが、銀色の光を返すように。
この人が挑戦者として現れたら、どうしようか。そう思うも、この人の持っている色は戦う人の色ではなかった。むしろ何かを探し見つけようとする者のものである。ジムリーダーの中にもこういう者はいる。自分の道をひたすら進んでいく者が。
「ええ。怪我はありませんのでお気になさらず」
「本当かい? ならよかった」
ついでと言ってはなんだけど。とその男性は言った。
「女の子を見なかった? 君と同じくらいの年齢で、身長もちょっと高めかな」
とは言っても、それくらいの者ならここにはいくらでもいる。ヒントになっていないも同然であった。
コスモスは好奇心から、少しだけ尋ねる。
「その人は、どんな色ですか?」
変な質問だから、怪訝な顔をされるかと思ったが、男性は首をひねるまでもなく答える。
「赤だね」
「……赤、ですか」
「うん。まぶしいくらいの赤で……でもあったかい感じがする。燃えているけれども、相手を焦がすようなことをしないというか」
これで伝わったかな、と彼は言った。
十分だった。そんな色を持つ人は、この街でも何人といないだろう。それも少し背のたかい女の子ということまでわかれば、見ればすぐにわかる。
「わかりました。では、会いましたら十八時にそこにある時計の下へ向かうように伝えておきます。期待はしないでください」
「丁寧にありがとう。十分だよ。たぶん、君もあの子と仲良くなれると思うから、よかったらご飯でも一緒にしようか」
……そういうことをさらっと言うタイプですか。
少し意表を突かれたコスモスは曖昧に頷いた。悪気がないから困るやつだ。
手を振って去っていく鋼の彼を見送った。
再び、人混みの中へと戻される。酔ってしまいそうになって、そこから外れた。
この中から人を探すのは大変だろう。彼の苦労がしのばれる。もちろん、自分も見つけたら見つけるつもりであるが、探すつもりはなかった。
ちらり、と目をやる。カフェのバルコニー席にはカップルが大勢いた。手にはカップを持って談笑をしている。
いったいどのようなやり取りが行われているのだろう。興味がないわけではなかった。年頃の女の子である。
羨むことはなかったが、それはどういう感覚なのだろうかと。異性と言っても、出会ってきたのは誰も彼もがバトルに関わることであったし、友人と呼べる者がいても深く関わることをしてこなかった。
自分があの席に座って、誰かと話す。そんな光景は、想像すらできなかった。
「ねえ、いま暇かな?」
「え?」
「寂しそうだからね、お茶でもしようかなって」
気がつけば、ひとりの男の人がいた。
嫌な色をしている。と思った。黒の中に、黄色やピンクが混ざっていて、気持ち悪い。ごまかしている色だ。
「それにしてもかわいいね。これからどう? ほら、オレってばジムバッジ三つ持ってるんだよね。たくさん冒険もしてきたし……あ、ポケモンバトルでもするかい?」
そう言って、バッジケースを見せてくる。
……いくら認定試験とはいえ、こんな人に負けるだなんてだらしのない。
コスモスはそう思ったが、口にはしなかった。今日はお忍びなのだから、騒ぎを起こしてバトルを挑まれでもしたら面倒なことになる。
それに今日、戦えるポケモンは一匹しか連れてきていない……。
「あ、れ?」
コスモスは自分のボールベルトを見て、驚いた。
連れてきたはずのジャラランガ——ニックネームはパシバル——がいない。ボールごと、どこかへ落としてしまったようだった。
もしかして、ぶつかったときに落としてしまったのか。
ポケモンを連れていないということは、バトルに応じることができない。
初めてのことで、気が動転する。元来、顔に表情が出ないが、内心では気が気ではなかった。
男の手が迫る。気持ち悪い。嫌な色だ。そんな色を塗らないでほしい。
「待ちなさい!」
声がした。
その方へ、二人で振り向く。
「バトルなら私が相手よ。覚悟しなさい」
赤だった。それは鮮烈で、力強い赤だった。
あのとき聞いた色と同じであったが……いまはその色は、激しさを伴っている。小さく、人を温める火が燃え盛っている。
ああ、この人のことだったのか。コスモスは場違いにもそう思ってしまった。
「なんだあ、お前。……結構かわいいじゃん。二人で相手してくれるってなら、いいけど」
「あんたなんて、私ひとりで十分よ」
黒の男の目は細められる。赤の少女も、その瞳に炎を灯していた。
似た人を知っている。けれどもこの子だけの色だ。
* * *
バトルは少女の圧勝であった。
ほのおタイプを駆使した少女は、既存の戦いに捉われない戦法をとっていた。
間違いなくトレーナーの才能がある。コスモスはジムリーダーとしてそう判断した。自分に届くかは別として。
さっきの男の行為は「ナンパ」というものだ、と赤の少女は教えてくれた。道すがらに女性を口説くことだ……と言われたが、よくわからなかった。
「大丈夫だった?」
「ええ。あなたのおかげで」
ほっとしたように、赤の少女は胸をなでおろした。
表情が豊かで、まるで自分と正反対だとコスモスは思った。
「ところで、あなたを探している人がいたのだけれども」
こんな偶然もあるのね、と思いながら言った。
少女はあっ、と声をあげる。
「そうそう! ジェリオってば、どこに行っちゃったんだろうね……」
「十八時に、そこの時計まで来るようにと言っていました」
「ほんとに? わかった! ありがとうね、ええと」
赤の少女は困った顔を隠しもしなかった。
助けてもらった礼もある。ここは素直に名乗っておくことにした。
「コスモスちゃんね! 私はキョウカ。よろしく!」
あらら、とコスモスは内心でつぶやいた。
もしかすると、この子は自分がルシエシティのジムリーダーだと気付いていないのかもしれない。トレーナーでは顔が通っていると思ったが、少しだけ残念だった。
「ところで、どちらかに向かわれていたのですか?」
「そうそう! この街のジムリーダーとバトルしようと思ってたんだけど、途中でジェリオとはぐれちゃってね。まったく、どこに行ったんだか」
ぷんぷん、と音が聞こえてきそうに怒ってるキョウカであったが、コスモスには嫌な予感がした。
「……ジムは東区にあります。ここは西区です」
「つまり?」
「まったく逆です」
ええっ、とキョウカは悲鳴をあげる。
だいたいであるが、コスモスはこの少女のことを理解できた。
少女の様子に、コスモスは手助けをしたかったが、いまはそれどころではなかった。
「すみません、モンスターボールをなくしてしまって……」
「それは大変! 一緒に探すよ」
即答するキョウカに、今度はコスモスが驚く。
「いいのですか?」
「いいっていいって。ジムはいつでも挑戦できるけど、コスモスのポケモンはいまいなくなったら、一生会えないかもしれないんだよ。そっちの方が大変だよ」
キョウカは真剣な顔でそう言った。
あまりにもまっすぐすぎて、コスモスは戸惑ってしまう。
とりあえずいまは彼女の助けを借りよう。そう決めると、行動は早かった。
「ポケットガーディアンズはすぐに動かないだろうから、まずは私たちで探そう」
キョウカは言った。コスモスが彼らを頼れば、すぐにでも動いてくれるとは思うが、せっかくのお忍びの休日である。ここはキョウカの案に乗ることにした。
まずはぶつかったところを捜索……するのだが、人があまりに多い。足元を見て歩くのは危なく、なかなか進まなかった。
一方で、これだけたくさんの人がいてモンスターボールに気づかないのだろうかという疑問も湧いてきた。足元にポケモンの入っているボールがあれば、すぐにわかりそうだとも。
「……いいかな、君たち」
声がかけられる。今日はよく声をかけられる日だ、と思いつつ二人で振り返る。
そこにいた男性は、コスモスの目から見て只者ではなかった。一見して、一般人のように装っているが、それは仮の姿であると滲み出ている。そういう色をしていた。
「もしかして、ここらへんに転がっていたモンスターボールを探しているんじゃないかと思ってね。声をかけさせてもらったが、違うかい?」
「ええ、そうです」
「それだったら、誰かが拾っているのを見たよ。あまりいい感じではなかった。三番倉庫の方へと向かったから、行くといい」
コスモスとキョウカは思わず、顔を見合わせる。
キョウカは嬉しそうにしていたが、コスモスの内心は複雑であった。
この人物は、信用できるだろう。けれども行く先で、何かトラブルがあってはことである。キョウカを巻き込むわけにはいかない。
ナンパをしていたあの男とは訳が違うのだ。
「わかりまし……あれ?」
キョウカが答えようとしたとき、すでにその男はいなくなっていた。まるで、最初からそこにいなかったかのように。
首をかしげる彼女に、コスモスは告げる。
「ここからは一人で大丈夫です。ありがとうございました」
「ううん、私も行くよ」
キョウカは、まっすぐな瞳を向けてそう言った。
ああ、この子はこういう子なのだ。馬鹿みたいに前を向いていて、でもそれを馬鹿にさせないだけの情熱を持って進むのだ。
御託は言わず、ただ己の意思を伝える。理屈はなくとも、やるべきことを理解する。
コスモスを助けた、そのかわりにキョウカを探していた人のことを伝えた。これで貸借りはなくなっているはずなのに。
どうしてこの子の色は、濁らないのだろう。
思わずそう言いたくなってしまうのを、ぐっとこらえた。何を言ってもついてくることには変わりない。だったら最初から来てもらった方がいい。
「わかりました。けれども、無茶だけはしないようにしてください」
「それはコスモスちゃんもだよ?」
しかも釘を刺されてしまう。参ったな、とコスモスは内心でつぶやいた。
* * *
薄暗くなった倉庫は気味が悪かった。
キョウカとコスモスは、その倉庫にあるコンテナの裏に身を潜めていた。
ラフエル地方の中心であるから、物流ももちろん多い。この倉庫もそのうちの一つである。
昼間であれば船乗りや倉庫を管理する者も多くいるのだが、夜になれば少なくなってしまう。
そこに、あやしげな人影があった。二つだ。何かを話しているが、その内容は二人がいる場所からでは聞こえなかった。
しかし、その手に握られたボールとやりとりされる紙幣の束から、彼らが何を行っているかは明らかであった。
二人の色は、赤黒。血の色であった。
「うーん……そうだ!」
キョウカはヒノアラシを呼び出す。この地方では滅多に見られないポケモンだ。確か、ジョウトでも、限られた人しか持っていないポケモンだ、とコスモスは記憶している。
彼女の作戦は、ヒノアラシに彼らの邪魔をしてもらうというものであった。確かに素早いポケモンであり、小回りの効くヒノアラシであればできるだろうが、相手の実力がわからない以上、危険も伴う。
けれどもいま、自分たちにできるのは、それくらいであった。
キョウカの指示に従って、ヒノアラシが駆ける。足音をたてずに、けれども敏速に。
しかし、それは失敗であった。
ゴルバットが飛んでくる。どうやら彼らも警戒をしていたようで、ヒノアラシの走りが止まる。それと同時に、やりとりをしていた二人もこちらに気づいてしまった。
「ああもう! やっぱりこうすればよかった!」
そう言って、キョウカは物影から飛び出していく。コスモスが止める暇もなかった。
「あんたたち! そこまでよ、ボールを返しなさい!」
キョウカはそう言って、ヒノアラシに指示を飛ばした。かえんほうしゃがゴルバットを襲う。かすったものの、ゴルバットはまだまだ元気であった。
やはり、彼らのポケモンは一筋縄ではない。トレーナーとしても、キョウカと五分に戦える実力があるのだろう。
こんなときに無力な自分が嫌になってしまう。ジムリーダーの八人目にして、ポケモンリーグの門番たる自分が、こんな失態か。
歯がゆい思いがする。いままでにこんな風に思ったことなどなかった。
……それはきっと、彼女がいるからだろう。
キョウカは戦う。それは絶対に負けたくないという思いからだった。
一方の自分はどうだろうか。コスモスは胸に手を当てる。自分に勝てる者がいるだろうか、などと何を傲慢な。
目の前にいる挑戦者が頑張っているのだから、自分も全力で応える。
それがジムリーダー、そしてポケモントレーナーのはずだった。
ふと、鋼の彼の言葉を思い出した。
「何が焦がすことがない、よ。……私まで、燃えてしまいそう!」
コスモスは一歩を踏み出した。たたたっと拙い走り。男たちの戸惑っている顔が見えた。その走りから、男へのタックル。
たくさんのボールが散らばった。その中から、自分のジャラランガを探す。
小さい状態ではいまいちわからない。種類も多いはずなのに、やたらと赤いモンスターボールが目に入る。
このうちのどれかが、と思ううちに自分の身に影が落とされた。
後ろを振り向く。男がそこにいた。怒りに血相を変えている。連れているポケモンはグレッグルだ。
赤色だった。でも、それはとても深い色で、不快な色だった。
キョウカの眩しい赤ではない。人を痛めつけるだけの色だ。
邪魔だ。自分の世界に、この色はいらない。
そのときであった。竜の咆哮が聞こえる。翼のはためく音も。
男が戸惑いの表情を浮かべた。新たなポケモンの出現に。
倉庫の壁を炎を纏って突き破ってきた竜がいた。
「リザードン!」
それはコスモスの持つポケモンであった。ドラゴン使いとして、ジムリーダーとして使うポケモンではなかったが、大切な思い出のポケモンであった。
自分と男の間に立って威嚇するリザードンの体は、前より大きくなっているような気がする。
……このリザードンこそが、コスモスの目的の一つであった。
育て屋のシーヴへ預けていたこのポケモンを受け取ろうとして今日はやってきたのであった。けれども、まさか自分から飛んでくるとは思いもしなかった。
その詮索はいまは不要だ。コスモスは、キョウカと肩を並べる。
「その子、とてもかっこいいね」
こんなときでさえ、キョウカは笑顔を忘れない。
それはどうして、と尋ねる。彼女はその表情を変えることなく、言った。
「だって、笑った方がいいでしょ!」
そんな単純なことで。コスモスは思った。けれどもキョウカが言うと、真実のように思えた。
「コスモスちゃんは可愛いんだから、もっと笑おうよ。こうね、頬をあげて」
そう言いながら、キョウカは頬を指で釣り上げた。
戦いの最中になんてことをと言いたかったが、コスモスは短く応える。
「善処します」
「もう、素っ気ないんだから」
しかし、二人がポケモンを持ったことで、赤黒の男たちはたじろぐ。
キョウカとコスモスは言葉を重ねる。
『かえんほうしゃ!』
二つの炎は、威力を増して突き進んだ。
* * *
それからの顛末を話そう。
ポケットガーディアンとジェリオ、シーヴがやってくることで倉庫は再び騒然とした。
男たちはバラル団であり、ポケモンを金銭で売買する裏取引をしていたそうだった。
被害が頻発していたため調査をしていたポケットガーディアンと、キョウカを探していたジェリオ、そしてコスモスと会うために前入りしていたシーヴとかそれぞれ情報を得て、この倉庫に踏み込んだということだった。
二人とポケモンたちは保護され、その日のうちに解散となった。後始末はポケットガーディアンがやってくれるそうで、コスモスは休日をどうにか取り戻すことができた。
「キョウカが世話になったね」
次の日になって、コスモスとキョウカ、ジェリオとシーヴの四人は船着場にいた。
コスモスは今回のことを受けて予定を切り上げて帰ることになり、連絡船の出航時間を待っている。
開口一番、ジェリオのセリフである。
「むむっ、失礼な。いなくなったのはジェリオじゃん!」
「全然違う方へ進んでいったのはそっちだろ」
「ついてこれない方が悪いんだもん!」
「子供か君は!」
言い合う二人を、微笑ましくコスモスとシーヴは眺める。
「いいえ、私こそ、いっぱいお世話になりました」
「あら?」
シーヴが面白そうなものを見た眼をする。
彼女は育て屋を営んでいる者で、コスモスは彼女にリザードンを預けていたのだった。それはある目的があったのだが、それはいまは置いておこう。
そして、名家の生まれであるコスモスは、当然として地方で唯一の育て屋とも縁があった。小さい頃から顔見知りであり、シーヴにとっては親戚のような存在でもあった。
コスモスは、面白そうな反応をしたシーヴの真意はわからない。けれども彼女がどこか嬉しそうだったから、深く追求はしなかった。
「そういえば、ジム戦はどうでしたか?」
「へへん、この通り!」
キョウカはバッジケースを見せる。オールドバッジ。歴史を重んじるこの都市のジムを制した証であった。
「まだ三個目だけどね! でも、しっかり進んでいってるよ」
「まあ。ステラさんは強かったでしょう?」
「それはそうだよ。でも、気持ちだけは絶対に負けないって決めてるからね」
朗らかに笑うキョウカに、コスモスはちょっとだけ意地悪をしたくなってしまった。
「たとえば、大きな壁が……決して開かぬ扉が立ちはだかったとしても?」
シーヴとジェリオが息を飲んだのがわかる。
十七歳の少女が出していい気配ではない。無表情から発せられる気は、明らかに強者のもの。頂点に立った者にしか許されないものである。
八つ目の守護者が、たかだか三つを破った同い年の少女を試しているのである。
どちらがどれだけの修羅場をくぐってきたのか、言うまでもない。
それを受けたキョウカは。
「当然! 何度だって、ぶつかっていくのみだよ。壊れない壁も、開かない扉もないんだからね」
あっけからんと、そう言った。
一瞬、言葉を失う三人。
その沈黙を破ったのは、シーヴだった。
「ふっ、ははははっ! これは楽しみだね、コスモス」
無表情のままコスモスは頷いた。一方、ジェリオはあいまいな笑みを浮かべるのみで、キョウカは笑っているシーヴに驚いていた。
「シーヴさん、あれはキョウカさんにお渡ししてください」
「いいのかい。貴重なものだよ? この地方じゃ、まず手に入らない」
「だからこそです」
そうかい、とシーヴは言うと一個のモンスターボールを渡す。
中にはポケモンのタマゴが入っていた。
「これは?」
「リザードン……ヒトカゲのタマゴです。そのタマゴから孵ったポケモンは、きっとこの先で役に立つでしょう。お礼と、三つ目のバッジを手に入れたあなたへの贈り物です。受け取ってください」
これこそが、シーヴを呼び出した理由であった。預けていたリザードンがタマゴを持っていたという報告があり、いつ受け取るかタイミングを図っていたのだった。
タマゴを持つキョウカを見て、ある光景を思い浮かべた。
火の力と竜の意思を持つポケモンだ。リザードンを指して、そう言った人がいた。
自分が戦ってきた中で、このポケモンを使う人は特に強敵だった。そう言う人もいた。
きっとこのタマゴから生まれたポケモンがいれば、いつか私のことを……。
いいえ、負けるつもりはない。
汽笛が鳴った。出発の時間だった。
コスモスは乗船する。最後に、敵役として捨て台詞くらいは吐いていってやろうと決める。
振り返って、笑顔を浮かべる。口角をなるべくあげて、だったかしら、と。
「さようなら、挑戦者さん。八つ目のジムリーダーとして、ポケモンリーグの門番はあなたを待っています。……立ちふさがる前に負けたりしたら、許しませんから」
ええっ、とキョウカは悲鳴をあげていた。
ドラゴン使いなのにマントつけてないよ! と叫んでるのが聞こえて、ずっこけそうになったのは秘密だ。
出航して、しばらく。デッキに座っているコスモスのそばに、気配があった。
「あなたですか」
答えることはない。けれども、その色でわかる。
灰色、その下に隠れているのは純白。すべてを塗りつぶしてしまうほどの力を持っている色だった。
あのとき、ボールの行方を教えてくれた男だった。
「だいたいどなたか見当はついてますけど、巻き込むのはやめてくださいね」
「見逃すつもりはないだろうに」
純白の男は言った。
きっとこの男は、ポケットガーディアンズの、裏の顔に属する者だ。噂には聞いたことがあり、むしろ彼らがいないと矛盾が起きてしまうようなことも多くあることをコスモスは知っている。
それは歴史の闇にも触れてしまうことである。お互い、このラフエル地方の表と裏の歴史を持つ者同士、わかることもあった。
「今回は偶然です」
「そうかね。まあ、いいが」
「……人を囮に使うような真似はやめてください。彼女は一般人です」
「そのわりにずいぶんと肩入れするじゃないか」
「友だち、ですから」
この言葉を口にするのはいつぶりだろうか。少し恥ずかしく、それ以上に誇らしかった。
そして怒ってもいた。きっと自分たちを囮にして、自分はこっそり裏取りをしていたのだ。あの取引は誰が操っていたのか。背景に誰がいるのか。
ポケットガーディアンが踏み込んでくるまで、あまりに早かった。シーヴとジェリオが倉庫の場所を理解するのも、早すぎる。そしてタイミングまであっていた。
あまりに出来すぎていて、疑ってしまうのを忘れるほどに。
はあ、とため息が聞こえる。
「天才っていうのは、本当に困るな。忠告だと思って聞いてくれ。君は早くに死ぬよ」
「お構いなく。我が一族はみな長命ですので」
返事は返ってこなかった。気配は消えて、いつの間にかいなくなっている。
一般人に偽装し、いまも船内で何かを調査しているのだろうか。それともルシエシティに、新たな影が忍びよっているのだろうか。
真相はわからない。けれども、それが表で生きる自分の役割ということである。裏で起こっていることを感知していても、知らんぷりをするしかない。
平和な世界になるといいのに。そう願わずにはいられないけれども。
* * *
しばらくして、久しぶりの挑戦者がやってきた。
コスモスは堂々と、受けてたつ。
自分の愛するドラゴンポケモンたちを操る、竜の魔女。あるいは門番、竜騎士。
決して墜ちない「不落の飛竜」と呼ばれる彼女は今日も戦う。
キョウカはどんなバトルをしてくれるのだろうか。
ここにやってくるまでに、どれほどの修羅場をくぐってくるだろうか。
この地は登竜門だ。
登りきったものは伝説となる。
その試練こそ、竜を倒すことである。
「さあ、見せてください。あなたはいったい、どんな色なのか」
今日も
伝説の日は、近い。
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人が王たる力
妖しく輝く石に、コスモスは見惚れていた。
手紙と同封されて送られてきたものであるが、手紙の内容を見ずとも貴重なものであることがわかる。内に込められた力は、その存在感が雄弁に語っていた。
日の光に透かすと、乱反射して部屋を照らした。
コスモスは、自宅の居間でその宝石を手に持っていた。広々とした空間の、無機質な壁に色がついた。
「お嬢様、それは?」
執事の問いに、コスモスは手紙の一節を確認してから答える。
「Zクリスタルと言うそうよ。アローラ地方にある、ポケモンの力を引き出す石ですって」
「アローラ地方……以前、ポケモンリーグが新設されたと話題になった列島のことですな?」
「そしてウルトラビーストという、不可思議なポケモンの見られた場所。古代からの伝統が未だ生きている地方ね。ラフエル地方が人の人による歴史を歩んだ地だと言うなら、アローラ地方はポケモンが歩んだ歴史に人が寄り添ったと言うのが良いのかしら。同じ世界だと言うのに、こんなにも違うのね」
仄かな憧れが、ないわけではなかった。
古の英雄ラフエルと獣の王、その伝説をいまに受け継ぐこの地においてコスモスは八番目のジムリーダーとして、彼を祀る機関でもあるポケモンリーグの門番を務めている。
それは、コスモスの家がラフエルと関わっていることを意味している。無論のこと、コスモスも家に伝わる話を聞いており、口外できないことだってある。さらに言えば、廃墟となった遺跡のように、時とともに風化してしまった事柄もある。こうであったのだろう、ということしかわからないことだってあった。
だから、未だに古い信仰や文化をそのままに残しているアローラ地方が羨ましく思えた。あの土地は、今もなお伝説の中を生きている。現に、ポケモンリーグの設立という伝説が生まれたばかりなのだ。
守るだけの立場というのは、退屈でもあった。同僚のジムリーダーのカエンのように、伝説を打ち立てるということを豪語する者もいない。
この石を通してアローラ地方のことに想いを馳せると、憧れを抱いてしまう。
「ジャラランガの潜在能力を引き出して、強力なワザが出せるのですって。私なら使えるのではないかと」
「それが、お嬢様にその石が渡ってきた理由ですか? いったいどなたが」
「ククイ博士。一回だけお会いしたことがあるのだけれど。ジャラコも、そのときにいただいたものよ。覚えてない?」
「その頃は、私は貴女のお父様についておりました。そういえば、そのようなこともありましたな」
執事はとぼけたようにそう言った。本当は覚えているくせに、ときおりこのようにして、コスモスの口から語らせることを好んでいた。
「……問題は、この石の使い方ね」
「アローラ地方のことであれば、アローラ地方の者に聞くのがよろしいかと」
アローラ地方の者、と言うときはだいたい一人のことを指し示す。
「ランタナさん、ですか」
シャルムシティのジムリーダーにしてひこうタイプを操るトレーナー、ランタナのことであった。
「いいか、コスモスちゃんよ。確かに俺はジムを留守にしがちだから何を思われても仕方ないし、可愛い女の子のやることだから大目に見ることだってある。ただ、ひとつ言わせてほしい」
シャルムシティの、ジムの前でコスモスはランタナと向き合う。彼の顔には呆れの表情が浮かんでいた。
「空を飛んで帰ってる背後を、カイリューで追いかけるのはやめてくれ! 心臓が止まるかと思ったぞ!」
「善処します」
カイリューに乗ってシャルムシティへと向かう途中でランタナを見つけたコスモスは、声をかけるべくその後を飛んだのだが、彼からしてみれば急に追いかけ回される状況になった。戸惑うのも無理もない。
ランタナは、三十路手前の体格の良い男性だった。ジムリーダーたちのなかでは兄貴分として慕われているが、その性格は自由そのもの。と言えば聞こえはいいが、奔放でいい加減な性格もジムリーダー内では随一であり、問題視もされている。
これはこのシャルムシティらしさとも言える。かつて戦火から免れてきた者たちか集まって出来たこの街は、人種や出身、しきたりに囚われない。外の者たちからは迷惑に感じることも、彼らは余裕をもって受け止める。
「それで、何の用だい?」
「これを」
コスモスがZクリスタルを差し出すと、ランタナは目の色を変える。
「どこで見つけたんだ? アローラ地方でしか見られないはずだが」
「ククイ博士よりいただきました」
「そうか、あの人か……。それで、用ってのはこいつにか?」
ランタナはそう言って、腕のリングを示した。
それこそがZクリスタルを使うための必須アイテム、Zリングである。
トレーナーのリング、ポケモンのクリスタルという二つの要素が噛み合って、ようやくワザは発動するのだ。
「すまんが、渡すことはできねえ。それどころか貸したところで、君に使えるはずもない」
「……どうして?」
「そのためには、アローラ地方のことを知ってもらわなきゃいかん」
ランタナはそう言うと、珍しく真剣な顔で講義を始める。だが、それはコスモスには思い出話のようにも、あるいは備忘録のようにも思えた。
「アローラ地方には、島巡りという習慣がある。子どもが大人になるための儀式だ。島の主に認めてもらうことで、一人前になるのさ。その子どもってやつがトレーナーで、主ってやつはそこで一番強いポケモンのことだ。その儀式を乗り越えたやつがまた次の子どもに、どうやって困難を乗り越えていくのか教えるのさ」
もちろん、できねえやつもいる。身体ばかりが大人になって、でもまだまだ子どもみてえなやつがな。ランタナはそう言う。
「それで、その困難を乗り越えるたびに、島の子どもたちはZワザを知っていく。どうやってやればいいのか、どうやれば大人になるのか……。わかるか? 大人になれるやつとなれなかったやつの差こそが、Zワザを使う条件だ」
ランタナはそう言った。だが、それだけでわかるほど甘くはない。
島巡り、という習慣は思ったよりも奥が深い。何をしているかだけを考えていては、決して答えにはたどり着けない。
いったい、なぜそのような習慣が残っているのか。意味があるはずなのだ。Zワザだって、ただ強力なワザだから残ってきたわけではないはずだ。
密かに、コスモスは確信した。この試練は、自分を大いに成長させるものであると。
「だが、島巡りをしなければならないところを、今回は特別に、俺が訓練をつけてやろう。なに、こう見えてアローラ地方でも特別なんだ、俺は」
「感謝します」
「そのまえに、だ」
ランタナはコスモスの服を見る。いま、コスモスは裾の長いワンピースを着ている。彼女の普段着であったが、ランタナは首を横に振った。
「動きやすい服にしてくるんだ。いますぐに」
* * *
「今日から俺のことはコーチと呼べ!」
この日から、ランタナによる訓練が始まったのである。
シャルムシティにまで服を買いに行ったコスモスはいま、運動用のウェアにスパッツという出で立ちである。彼女を知る者からすれば、驚きであろう。当の彼女はと言うと、防御力が低そうと言うのみだった。
場所はシャルムシティから少し外れた、森の中だ。街中にいるには、コスモスもランタナも目立ちすぎる。
サングラスをかけたランタナは、さっそくコスモスと、隣に並ぶジャラランガに向けて声を出す。
「いいか! 君たちは強い、はっきり言って天才だ。だが、努力をしない天才は自信をつけた凡才に劣る! ことZワザについては俺の方が使い手だ! 短い時間だが、俺の言うことを聞くんだぞ」
「はい、ランタナさん」
「コーチだ!」
急に気合を入れている彼の様子に、コスモスは戸惑う。普段のランタナはと言えば自分優先の自由人で、自分の興味のあること以外には無気力にさえ見えるほどだった。
だが、面倒見の良さについてはよく知っている。今回ばかりは甘えることにしよう。
「Zワザはポケモンと心技体、すべてを合致させることが重要だ。そのために大事なものはなにか。それはアローラ地方の誰もがよく知っている。そして、ジャラランガはその象徴とも言えるポケモンだ」
わかるか? とランタナは問うた。コスモスは首を横に振る。
「ダンスだ」
そう言い切ったランタナは、コスモスの前に立つと顔を覗き込んでくる。
「いいか、ダンスとはポケモンとの関係において、重要な役割を果たしている。それはまず、リズム。曲に合わせるというのは、お互いの呼吸を一致させるということ。これがいかに大切なのかはよくわかってるはずだ。次に動きを知ることだ。いったい自分に、相手になにができるのか。それを知ることがZワザへの道だ」
まずは見ていろ、と言ってランタナはコスモスとジャラランガの間に立った。
そして目を閉じて瞑想をすると、かっと開いて体を大きく動かし始める。腕を広げて、円を描いた。そして両手を大きく前へと突き出して、顎のように上下に開く。竜を象徴とする舞だ。
これがアローラ地方に伝わる、伝統の踊りなのだ。ラフエル地方で生まれ育った自分には、その舞にどのような意味があるのかはわからない。
「これが基本だ。まずはやってみろ」
「はい、ランタナさん」
「コーチだ!」
指示に従って、コスモスは踊った。
比較的器用な方であるコスモスは、ランタナの動きを一目見ただけである程度の動きが頭に入っていた。あとは細かい指摘で直していくだけ。そのはずだった。
「全然ダメだ」
ランタナはそう言った。
「コスモスちゃん、それは踊りじゃない。ただ言われた通りに体を動かしてるだけだ。それじゃ、ポケモンは応えてくれない」
「ですが、ランタナさん」
「コーチだ!」
「私にはその違いがわかりません」
正直に伝えると、ランタナははあとため息をついた。
「それを知るための修行が、島巡りというもんだよ。ほら、もう一回だ」
ランタナによるリテイク。コスモスは再び、踊ってみせる。だが、ランタナが首を縦に振ることはなかった。もう一回、もう一回。何度も繰り返されていくうちに、動きは冴えるどころか鈍ってきてさえいた。
なにを目的にしているのか、わからなかった。この動きにどのような意味があるのか。あるいは、意味をもたらしてくれるのか。
少しずつ、迷いが生まれてくる。このような感覚は久しぶりであった。
天才だともてはやされるが、コスモス自身にとって他者からの評判はどうでもよかった。ただ、自分と他人の景色は違って見えているのだろうと思った。
コスモスは色が見える。色で感じる。色で考える。そしてそれが間違っていたことはなかった。
だがいま、自分自身のことがわからないでいた。いま、自分は何色をしているのか。空色か、銀色か、あるいは青色か、赤か、黄か、緑か……。めまぐるしく回る思考に、体が追いついていない。
音を感じる。風を感じる。痛みを感じる。
ああ、身体が悲鳴をあげているのだ、と気づいたときにはランタナに支えられていた。
「ランタナさん……」
「コーチだ。ひとまず休め。がむしゃらにはやるんじゃない」
その言葉に、コスモスは心配をさせているのだとようやく気づいた。なにか言おうとするも、その気力もない。
木陰に座り込む。なにか食べ物でも買ってくる、と言ってランタナは街の方へと向かっていった。
後ろ姿は、果たして頼り甲斐があるのかないのかわからない人であったが、コスモスは不思議と嫌いじゃなかった。彼のような人が、一人くらいいてもいいだろうと思うほどには認めている。
そして、いまは悩んでもいた。ランタナにあって自分にないものとはなにか。それが鍵になるはずだと、考える。
上手く頭が回らない。意識もぼんやりとしている。
傍らに寄り添っているジャラランガも疲れているのか、うたた寝を始めていた。
自分もこのまま寝てしまおう。そう思って瞬きを繰り返すと、目の前に鮮烈な緑が通った。
「あ、起きてた。やっほー」
無邪気にそう言ったのは、コスモスと同い年くらいの少女であった。
* * *
新緑のような、光を浴びて育った緑の色の少女は、コスモスに妙な既視感を抱かせた。
会ったことはないはずなのに、思い出の中にいたような気がする。それを親しみやすさとでも呼ぶべきなのだろうか。
「もしかして、見てたんですか?」
「えっ、見てたって、なにを?」
その返答から、コスモスはさきほどの踊りの練習を見られていなかったとほっとする。
「いえ、こちらの話です。その、なにかご用でも?」
「ううん、特別に用事はないんだけど。ポケモンを捕まえてたら、妖精みたいな女の子がいて、どんな子なんだろうって」
「そうですか」
褒められているのかどうか、わからない言葉だった。だいたい、ドラゴンタイプ使いのコスモスからしてみれば、フェアリーは相性の悪い相手なのである。
「ごめんね、名乗り忘れてた。私はマサカ、ジョウト地方から来たんだ」
ジョウト地方、と言われてすぐに思い浮かべることはできなかった。確か、ワタルがチャンピオンを務めるリーグのある場所だ。歴史もラフエルに負けないほど古いと聞いている。
八重歯を覗かせて笑う彼女は、確かにラフエルの者らしくはない。
「私はコスモス。生まれも育ちもラフエルです」
「そうなんだ! あ、じゃあもしかして、伝説とか詳しい?」
「人並みには。ご興味がおありで?」
「ううん。でも、興味ある人を知ってるから、教えてあげようかなって。あー、でもあいつなら私より先に知ってそうだなあ」
「あいつ?」
「幼馴染でね。ま、いいのいいの。それよりコスモスこそ、ここでなにしてるの?」
「私は……」
コスモスは言い淀んで、そして答える。
「ポケモンと訓練を」
「へえ、トレーナーなんだ。確かに、強そうなジャラランガだね」
「マサカさんは?」
「私もバトルはするけど、コンテストとかの方が好きだなあ」
好き、と言い切った笑みが眩しい。自分にはなかなかできないことだ、という自覚があった。
「私は、これでもジムリーダーなんです」
「へえ? ジムリーダーコスモス。ううん、どっかで聞いたな……ごめんね。こっちのことは疎くて」
そう謝る彼女に、いいのです、とコスモスは頷いて言った。
仕方ない。なにせ、自分は一番最後のジムリーダーなのだから。何者をも受け付けると言えど、そこまでたどり着ける者の方が稀である。
知らなくたって、いいのだ。
「コスモスはさ、ジムリーダー、楽しい?」
「え?」
「私はね、楽しいんだ! 旅をするのが、とってもね。ポケモンたちと触れ合うのも、ポケモンと通して誰かを知るのも。みんなね、頑張ってるんだ。そういうのを見るのが、好きでさ。まあ、弟がその最たるものだけどね」
姉バカって言うのかな。などと言ってマサカは笑う。
それは素敵なことのようにも思えた。言葉を紡ぐ彼女の色は、いっそう輝いて見えていた。
そして、それこそが自分に足りないもののようにも思えた。
「ああ、なるほど、そういうことですか」
ちょっと賢ぶったり、背伸びしたりしているうちに忘れてしまうことがあった。
いまの自分は、ちょっとだけ、そういう人だったのだと思う。
服や脚に絡みついた草を払って、立ち上がる。ジャラランガもコスモスにつられて目を覚ました。
「マサカさん、アローラ地方には行ったことはありますか?」
「うん、あるよ。海がとても綺麗なんだけど、なにより、人もポケモンも伸び伸びとしてた場所だったなあ。それがどうかしたの?」
首をかしげるマサカに、コスモスはふっと微笑んだ。
「ちょっとだけ、教えてもらいたいことがあるのです」
* * *
「ずいぶん顔つきが変わったじゃねえか」
そう言ったランタナは、コスモスの前に立った。
食事と飲み物を買って戻ってきた彼に、コスモスは間髪入れず、告げたのだ。
自分はもう大丈夫、と。
「はい。ランタナさん、見ててください。私のゼンリョクを!」
「コーチだ! よし、来やがれ!」
コスモスは目を閉じる。そして息を大きく吸って、吐いた。
もはや恥じらいはなかった。いいや、なにを恥じることがあろう。自分はいまよりもさらに強くなりたいのだ。そのためであれば、歌も歌うし、踊りも踊ろう。
自分のできることはなんでもするし、一生懸命になったっていい。
きっと、アローラ地方に伝わる島巡りは、そういうものなのだと思う。どんなことにだって、打ち込める人になる。誰かの努力を認められる人になる。たぶん、そういう大人になってほしいという願いだったのだ。
コスモスは力強く舞う。それは竜を鼓舞する舞だった。身体に鈴をつけているように、しゃん、しゃんと音を鳴らすことを想像しながら、腕や脚を振るった。
力強い拳は、しかししなやかに。
軽やかな脚は、確かな実感を持って。
コスモスの舞が完成する。ジャラランガは、それに応えるように身体を震わせた。
パチパチ、とランタナは拍手をした。
「見事だ。本当に、天才だな。まあ実力からすれば、島のリーダー以上だから当然か」
「いいえ、ご指導ありがとうございます、コーチ」
「ランタナだ! あれ、合ってるのか?」
そう言ったランタナは、満足そうな笑みを浮かべている。
ラフエル地方にいながらアローラ地方のことを教えるというのは、並大抵のことではない。教わる側もさることながら、教える側も上手くなければならないのだ。
「よし、そしたら今度はこのZリングをつけて、やってみろ。俺が相手になってやる。まあ、もちろんゼンリョクで迎え撃つがな」
「ええ、もちろん」
珍しく乗り気の返事をしたコスモスは、自分の手首にZリングをつける。
ムクホークを呼び出したランタナを見た。いいや、正確には睨みつけた。
ぶるりと怯えるランタナは、恐る恐る口を開く。
「コスモスちゃん、どうした?」
「さっき、SNSを確認したのですが……ジムリーダーのグループに、私の踊りの映像を貼ってたでしょう?」
「ぎくっ、いや、あれはなあ、男子グループと間違えて貼っちまってなあ。俺も歳だから、最新機器の扱いは慣れねえっていうかなあ」
「いつの間に撮ってたんですか?」
「そ、それは」
「なにが目的で撮ってたんですか」
「お、おもしろいかなって」
「諸々を、いま、ここで、清算します」
コスモスは踊った。ゼンリョクの踊りである。主人の心意気に、ジャラランガは応える。
途端、シャルムシティの端で巨大な爆発が起こったのだった。
これは余談だが。
数日の間、ルシエシティのジムに挑戦したチャレンジャーは、奇妙な踊りをするジムリーダーを見ることができたのだとか。
だが、そのときのことを誰も覚えてはいない。目の前が真っ白になったからだ。
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戦乙女の騎行
そこは退廃の光を編んでいたかのようであった。
時は夜。ペガスシティのはずれにある高級住宅街であって、とりわけ大きな家があった。館と言っても差し支えないだろう。
豪華絢爛という言葉が相応しいそこは、今日この時は、ギャラリーを迎えている。
この場所の前には多くの人が手に手をとって集まっていた。
政治家、芸能人、企業のトップなど、各界の著名人がそこには勢揃いしている。並の人であれば、名を並べられるだけで卒倒してしまうだろう。
では、その館の主は誰か。それは、時によってはポケモンリーグのチャンピオンよりも力を持つ者であった。
コスモスはカイリューに跨って、その館の周囲を旋回しながら様子を伺っていた。
多くの色が混ざっていて、好ましい色ではない。言うなれば、水に浮かべた油のような色だ。いろんな色を見せながらも、渦巻いていて、決して美しいとは呼べなかった。
人それぞれが持っている輝きを覆ってしまう何かが、そこにはあるのだと感じた。
黒服を身につけた男の一人が手招きしたのを確認して、ロータリーにカイリューを下ろした。
差し出された手を受け取って、ゆっくりと地面に降りる。
いま、彼女はドレスであった。紫色のワンピースに近いそのドレスは、彼女の持つものの中では最もシンプルなものである。着飾るための宝石などはない。にも関わらず、モデルやアイドルにまったく劣らぬ輝きを見せていて、銀色の髪と合わさって、さながらアメジストを思わせた。
「コスモスさん」
背後からかけられる声に、コスモスは振り向いた。
そこにいたのは金色の髪を持っているシスターであった。
「ステラさん、お久しぶりです」
「ええ、お久しぶりです。貴女も呼ばれていたのね。そのドレス、よくお似合いですよ」
そう言った彼女は皆がドレスコードに従う中、彼女だけが黒の修道服を身につけていて、浮いている。
コスモスは何も言わずに見ていたが、さすがに察したようでステラは微笑んだ。
「私にとっては、この服が一番礼儀に従ったものなのです」
「うん、ステラさんらしい」
そう答えることも予想済みだった。コスモスは頷いて、館の方を向いた。
「ジムリーダーは私たちだけでしょうか」
「そうでしょうね。彼らがここに来るところを、想像できませんもの」
などと言って、くすくすと笑うステラであったが、途端に声をひそめる。
「でも、よかった。味方がいなかったら、どうしようかなと思っていました」
味方、という言葉には深い意味があった。
この社交界というのはその華やかな舞台に反して、とても過酷な戦場なのだ。基本的に、味方などいないと思った方がよい。隙あらば足を引っ張ってやろう、取り入ってやろう、利用してやろう。相手が目上の人間だろうが、目下の人間だろうがお構いなしにそう思っているものだ。
ちょっとお金を稼いだからと言って、ここに飛び込んでしまえばあっという間に餌食となってしまう。
コスモスは幼い日より参加することが多かったが、一方のステラは年上であっても、ただの職員でしかない。それも、清貧とよしとする聖職者だ。権力と無縁でなくとも、その渦中に飛び込んだことはそうそうないはずである。
「私も、知っている人が一人でもいるならば、頼もしいです」
「では、参りましょうか」
そう言って二人は歩き出した。人目をひくのはその美貌からではない。さながら決戦へと向かうツワモノのような、圧倒させる雰囲気を出していたからだ。
* * *
「ルシエシティのジムリーダー、コスモスさま。ならびにラジエスシティのジムリーダー、ステラさまのご案内です」
会場で招待状を提示すれば、黒服の男は大きく声を張り上げる。こうして会場に誰がやってきたかを告げるのだ。
注目が集まる。ステラは、思わず喉を鳴らした。一方のコスモスは冷ややかに目線を向ける。
「お二人とも、こちらを」
次いで、差し出されたのは剣であった。細身で、鞘に納まっていたが模造剣のようであった。
凶器の類を取り上げることはあれど、こうして渡してくることはいままでになかった。斬新と言えば聞こえはいいが、果たして防犯上では良いことと言えるだろうか。
コスモスはちらり、とステラを見た。彼女は剣を受け取るのを断っていた。コスモスは代わりに受け取る。
意図はわからないが、ステラが断った以上、自分は乗っておく必要があるだろう。そう思ってのことだった。
会場の中を進んでいくと、人々は二人を避ける。この界隈においても、ジムリーダーというのはそれなりに顔が効くのだ。まして、ステラは旧家のお嬢様である。いまでこそ一般人であれば、時代が時代であれば貴族として扱われるほどの家である。歴史の重さというのは、こういう場面においては有利だった。
すると、自分たちとは違う場所で、人々が道を作っていた。奥からやってきたのは中太りの男である。
「これはこれは! コスモスさま、ようこそいらしてくださいました。そして、ステラさまも、ようこそ」
その男は、コスモスとステラとであからさまに態度を変えるが、その目つきはどちらにもいやらしく向けられていた。
「お久しぶりです、ハロルドさま」
ハロルドと呼ばれた男は、にんまりと笑う。普通の笑顔で、これだけ嫌悪感を前に出せるのは珍しいとさえ思った。
豪奢なこと会の主催者であるこの男は、品定めをするようにコスモスとステラを見る。男の嫌な部分を集めたかのような存在だ。
このように見える男であったが、油断はならなかった。なにせ一代でこのようなパーティーを開けるほどの財産を築いた男なのである。不動産業からはじまり、運送や食品まで人に不可欠なものに積極的に食い込んでいっている。
また、噂ではポケモンバトルも結構な腕前のようで、自らの手で育てたというポケモンを巧みに操るのだと言われていた。
その実力と、人格が伴わないのは世の常であり、不思議なことのひとつでもある。
女遊びと浪費癖があるのだが、悪評も評判だと笑い飛ばす豪快さが、彼の手腕なのかもしれない。
握手をする。脂ぎった手が自分の手を掴むことに、少し引いてしまった。手袋をしていてよかったと心の底から思う。
「ふむ……コスモスさまは相も変わらずお美しい。ここにいるのは、ラフエル地方でも磨かれた石ばかり。しかし、貴女は産まれながらにして大粒の宝石だということがわかります。格の違い、というやつでしょうか」
「そんなことはございません。素敵な方々の中にあって、見劣りをしてしまうのではないかと、己を恥じているところです」
「ご謙遜なさらずとも! いやしかし、それが貴女の美徳なのでしょう。ところで、そちらは確か、ラジエスシティのジムリーダーさんでしたかな?」
話がステラに振られる。彼女は少し顔を強張らせながらも、会釈をした。
「ステラと申します。お見知り置きを」
「おお、これはまた美しい方だ。聡明さを伺わせますな。聖職者にしておくのは惜しい。どうかな、この後、バルコニーで夜空を見ながら一杯でも。年代物のお酒を仕入れております。女性でも気に入るかと」
「いいえ、そんな……」
コスモスほど場慣れしていないステラは、言葉を濁すので精一杯だった。そっと、コスモスは助け舟を出す。
「ハロルドさまを独占するのは他の方にも悪いので、ここで失礼いたします」
「むっ……私としてはずっと話していたいのだがね。まあ、君の言葉だ、従うとするよ。では、また」
そう言うとハロルドは再び人混みの中に入り、女性に話しかけていた。コスモスはそれを見つめて、すぐに視線を逸らした。
「ふう。コスモスさんの方が年上みたいね」
「大丈夫です。いざとなったら、頼りますから」
「それにしても、嫌な人ね」
「みんなそう思ってますが、声にしない方がいいですよ」
さらっと辛辣な言葉を吐くコスモスであったが、彼の存在に違和感があった。
コスモスは人や物を色で捉える、癖のようなものがあった。彼の色はいろいろ混ざった色であったが、特に強く感じるのは金と黒が混ざり合ったようなものだ。金のためならなんでもする、あるいは金があればなんでもできる。そういう考えが滲んでいた。
しかし、それは果たしてこの館を覆うほどのものだろうか。ここにいるたくさんの才能の色を、まとめて汚してしまうような、そんなものだろうか。
主催である彼がこの場の色を濁しているかと思ったが、どうやらそうでもないらしい。
「しかし、今日は何の会なのでしょう。誰かの誕生日ですか?」
「いや……彼が主催ということは彼に関わることなのでしょうが、それは先月に行われたはずです」
「どうやら彼は世紀の大発見をしたそうですよ」
ステラとコスモスが首をひねっていれば、後ろから声をかけてくる人物がいた。
振り向けば、一張羅を身にまとっている男だった。コスモスはその顔に、見覚えがあった。
「ジェリオさん?」
「お久しぶり。覚えていてくれたんだね」
そこにいたのはいつぞやの考古学者であった。いつもとは違う装いにびっくりしたものの、この場を考えると相応しい格好である。
だが、コスモスが感じたのは、別の違和感であった。
「どうして貴方がここに?」
「はは、ステラさんも、お久しぶり……ですね。こう見えても、考古学者なんですよ? まあ、界隈の人というわけでして」
そういえば、ハロルドは遺跡の発掘などに資金提供をしていると聞いた。山の開発などをするための方便だと思っていたが、その資金のおかげで研究が進んでいるのも事実のようだった。
「ということは、何かが発掘されたのですか?」
「噂程度ですが、聞き及んでいますよ。ステラさんこそ、ラジエス図書館の主ですから、聞いたこくらいあるでしょう」
心あたりがあるようで、ステラは目を見開いた。ジェリオはその通り、と頷く。
「ラフエルの剣、だそうです」
これには、普段は無表情のコスモスも驚きが隠せなかった。無論、周りからはあまり変わったようには見えず、その変化に気づいたのはステラのみである。
かつて、ラフエルはこの地に降り立ったとき、獣の王に立ち向かった。過酷な世界において、自分こそが人々の希望であると言った。その手に握られていたのは一本の剣であったという。
人々とポケモンが交わらなかった時代のことだ。食う食われるの関係だった頃には、人は剣を持って戦っていたのだという。その中でラフエルは、剣を御旗に代えて、そのとき地上に君臨していた王と戦ったのだという。
ラフエルの剣は、次の王を決めるとも言われている。ギルガルドも同じ伝承を持っているが、このラフエル地方では訳が違った。
その剣を、ハロルドが手に入れた。確かにそれは世紀の発見である。
だが、これもまた違和感があった。ハロルドの狙いは読めている。自分たちに配られた剣は、自分こそが格上の存在であると見せつけることを目的としているに違いなかった。だが、彼であればもっと大々的に喧伝するようにも思えたのだ。
「もしかしたら、この場でラジエス図書館に寄贈するのだとばかり思ってましたが。博物館の方なのかな」
「彼であれば、見せつけたいだけ、というのもありえます」
「そういう人なんですね。ううん、参ったなあ。近くで見られる機会があればよかったんだけどなあ」
三人がそのようにして話していると、スピーカーが起動した音がした。
集まった人々が、前を見る。急造の壇になっており、そこには満面の笑みを浮かべたハロルドがいた。
彼はマイクを持つと、周囲を見渡す。
『紳士淑女の皆様。本日はパーティーにお越しいただき、まことにありがとうございます。主催をさせていただきましたハロルドでございます』
挨拶とともに、拍手が湧き上がる。それが止むのを待って、ハロルドは話を続けた。
『ここにお集まりいただいたのは、いずれも各界の著名人でございます。いま、ラフエル地方の中心はここにあるのだと言っても過言ではないでしょう。そんな皆様に、お伝えしたいことがあるのです』
彼の言葉が終わる前に、横から運び込まれてくる箱があった。厳重に封をされているその箱は、四人がかりで丁寧に運ばれてきていた。
ざわり、と人々が揺らぐ。まさか、噂は本当だったのか。いままさに、伝説が目の前にあるのではないか。
ラフエル地方で生まれ育ったトレーナーたちは、誰もが英雄ラフエルの話を聞いて、心を伝説に馳せさせたものだった。あんな存在になれたらと思うものだ。いま、ハロルドはその幼少期の夢を人々に再生させようとしていた。だが、ラフエル役を務める役者が誰なのかはわからないでいた。
「それではご覧いただきましょう。私が雇っている考古学者によれば、ラフエルの剣だと思われるものです」
鍵の開いた音がした。
そして立ち上がったのは、一本の剣である。
赤と青で装飾のなされた、美しい剣であった。古代にあったものだとは思えないほど保存状態が良い。もしかすると、錆びない素材でできているのではないか。あるいは獣の王の加護がその剣に宿っているのではないかと考えを巡らせる。
「ちょっと、前へ行ってきます」
ジェリオは考古学者の血が騒いだのか、人混みをかき分け、前へと進んで行く。
再び二人になったコスモスとステラは身を寄せて、周りに聞こえない音量で言葉を交わした。
「あれ、本物かしら」
「ラフエルの剣とは限りませんが、あの装飾には見覚えがあります。ステラさんは?」
「資料をいろいろ見てきたつもりだけれども、わからないわ。でも、ラフエルの剣にしては、彼らしさ、みたいなものがないわね」
伝説とともに生まれ、数々の伝説を見てきた旧家出身のコスモスと、ラフエル地方最大の図書館の職員であるステラはお互いの見識を交換した。
一致しているのは、ラフエルの剣ではなさそうだということ。しかし、二人とて本物を見たわけではない。あくまで、らしい、ということだけだ。
だが、知識に疎い者たちは感嘆の声を漏らした。あるいは考古学者は、それが本物かを疑いつつも、ハロルドの言葉には逆らえないでいるから、賛辞の言葉を贈っていた。
会場が熱気に飲まれる。ボルテージは最高潮に達していた。誰もが童心に帰っている。ここにいる者たちは、ポケモンと関わって生きてきた者たちだ。それは政治家だろうと芸能人だろうと関係がない。伝説が目の前にある。それだけで十分だったのだ。
「違う。よく見て」
そんな中で、一人だけ冷静な人物がいた。コスモスはその者の顔を見る。
女の子だった。自分より年下の、この薄汚い社交界にはふさわしくない、純粋な色をした少女だ。
赤茶色の髪に、青いラフな服装は場違いだった。だが、そんな彼女だからこそ気づいたのだろうか。
「それはメタモンの変身だよ!」
その叫びと同時に、暗転する。何が起こったのか、という怒声と、悲鳴が響いた。
ステラが咄嗟にポケモンを出す。ニンフィアだった。
次いで、しゃらん、と何かが切れる音がする。天井のシャンデリアを繋ぐ鎖がちぎれたのだと気づいたのは、よほど戦闘経験を積んできた者だろう。
「ニンフィア、サイコショック!」
ステラの指示で、ニンフィアは念波を発する。それは物理的な手となって、空中のシャンデリアを支える。
コスモスはその暗闇の中で、何かが宙に飛んでいるのを見た。四つの炎を操って浮遊するポケモン、シャンデラだった。そして、そのシャンデラに捕まっている何者かがいる。
まさか、と思った。ラフエルの剣が盗まれたのだ、と気づくのはすぐだった。
「コスモスさん、ここは任せて」
ステラはそう言った。コスモスは頷いて、宙にいるシャンデラを目で追った。
二階にある通路に人を下ろすと、モンスターボールの中に収まったようだった。犯人は向こうにいる。そう考えると同時に、コスモスは後方の扉へと駆け出した。
通路を巡って、階段を駆け上がる。途中、スカートに脚を引っ掛けて転びそうになった。
ただでさえ、運動神経はそれほど良くない。だが、いま彼を追うことができるのは自分だけなのだと思えば、走らずにはいられなかった。
「もう、邪魔!」
珍しく語気を荒げて、コスモスは自分のドレスのスカートを破った。スリットのようになり、動きやすくなった。改めて、コスモスは走り始める。
二階に上がれば、一箇所だけ開いてる扉があった。そこから外の空気が流れ込んできている。
「待ちなさい!」
コスモスがそう言いながら部屋へと入ると、そこには剣を抱えたジェリオがいた。
彼はコスモスを見ると、愉快そうな笑みを浮かべる。
「やあ、コスモスさん。ずいぶん早いね」
「ジェリオさん……じゃないですね。誰ですか、貴方は」
「何を言ってるんだい? 僕の顔を忘れたのかな。それとも、僕がこういうことをしているのが信じられない?」
「とぼけないでください。貴方は違う。彼とは色が、違います」
ジェリオは、磨かれた鉄や鋼のような色を持つ者であった。
だが目の前の人物は違う。その人物は灰色だった。それも仄暗く、何者にもなることができる色であった。
「ふうん……そういう奴だったのか、クソガキが」
そう言ったジェリオの顔は、邪悪であった。
そして一瞬のうちに、姿が変わる。仮面を身につけ、黒ずくめの姿へと変化する。
コスモスは思わず身構えた。
「いま一度名乗ろう。我が名は、ワイルドセブン!」
聞き覚えがあった。それはラフエル地方を騒がせる怪盗の名だった。
数々の博物館やセレブたちがその被害に遭い、ポケモンを総動員させた警備体制でも容易く破ってしまう。コスモスもその噂は聞き及んでおり、ポケモンリーグにまで協力の要請がきたほどであった。
「この剣は俺がいただいてく。あばよ、ルシエのクソガキ」
そう言って、ワイルドセブンは窓から飛びたった。落下するようなへまはしない。窓辺へと駆け寄ったコスモスが見たのは、シャンデラを使って着地の衝撃を弱めるワイルドセブンの姿である。
「逃がしません」
コスモスもまた、窓から飛び立つ。着地のタイミングを合わせたのはコスモスのポケモン、ジャラランガだった。
その背に乗るとともに、地面に脚をつけたジャラランガに指示を出す。
「追って、ジャラランガ」
獰猛な目を輝かせたジャラランガは、地面を疾走する。ドラゴンタイプでは珍しく飛行のできないジャラランガであったが、地上を走行する速度はドラゴンタイプのポケモンの中でも速い方であった。そのパワーとともに、足元が悪くとも疾走できる。
そのあとを追いながらも、コスモスは未だ違和感を拭えないでいた。ワイルドセブンはハロルドを超える巨悪であることは確かだ。だが、その悪の気配は巧妙に隠されていた。あの館を包むには至らない。
では、いったい誰がいたのか。もう一人の悪の気配を敏感に感じ取っていた。
シャンデラとともに走り出し、森の中へと逃げ込むワイルドセブンであったが、ジャラランガの方が脚が早かった。その前に回り込むと、コスモスは地面に降り立つ。
「観念してください。ここが怪盗としての貴方の最後です」
「はっ、クソガキが。もう勝ったつもりか? 8番目のジムリーダーだからって、自分が強者だとでも思ってるのか?」
それははったりではなかった。彼は口元を歪めていた。三日月のような、笑み。
「俺はかつて、リーグ挑戦者だった。わかるか。てめえの母親をぶっ倒した男だってことだよ」
コスモスは少しだけ、身を固くした。リーグ挑戦者、すなわちバッジを八つすべて集めた者だ。それはすなわち、かつて自分の母親がジムリーダーを務めていたときに、彼女を打倒したトレーナーであるということだ。
決して天賦の才を持っていたトレーナーではなかったが、ポケモンリーグの門番として十分以上の実力を持っていた母親を倒した男が、目の前にいる。
だが、コスモスは怯まない。剣を抜いて、ワイルドセブンへと向けた。
ジャラランガと並び立ち、剣を構える乙女の姿は、あまりにも絵になっていた。竜騎士、という彼女の異名を体現しているかのようだった。
「生憎ですね。私もまた、母を倒しジムリーダーとなったトレーナーです」
「……いい気迫だぜ、メスガキ。興が乗った。俺が相手をしてやる」
シャンデラがワイルドセブンの前に立った。ゴーストタイプのシャンデラは、近接戦を得意とするジャラランガとは相性が悪かった。だが、先制をとれるのはジャラランガだ。速攻で決めれば、負けるバトルではない。
「その勝負、俺にも噛ませてもらおうか」
舞い降りたのは、ボーマンダだった。
その声の主はボーマンダから降りると、二人を一瞥する。
コスモスはその男に、生理的な恐怖を覚える。
存在があまりにも気迫だった。色が極限まで薄まっていて、それでいながら広い範囲を塗りつぶしている。言葉の一つ一つが、相手を染め上げようとしている。
この男は、何者だ。誰何をするより先に、彼は名乗った。
「バラル団幹部、グライドである。もとよりその剣は、私が貰い受け『あの御方』へと献上するもの。返してもらおうか、ワイルドセブン」
バラル団。ラフエル地方において、悪事を働く者たちだ。ポケモンと深く関わる何かを目指しているということだけが知られており、その実態は知られていない。
グライドと言えば、その中でもとりわけ有名な存在だった。表向き、彼らを統率している存在として活動している。コスモスもその名を聞いていた。
「へっ、ナンバーツーがお出ましとはな。だが、俺がまともに取り合うと思うか?」
「聞かぬのであれば、実力によって渡してもらうのみ」
ボーマンダの首が、ワイルドセブンの方を向いた。
「油断はしない。ボーマンダ、メガシンカだ」
その声とともに、グライドの腕輪と、ボーマンダの首輪が光を発した。
限られたトレーナーと、限られたポケモンが為せるひとつの奇跡が、そこにあった。
姿を変えたボーマンダは、より闘気を漲らせていた。ジムリーダーや四天王の中にもメガシンカを使う者はいるが、それらに匹敵する実力を持っていることは伺えた。
だが、同時に疑問もあった。悪の組織であるにもかかわらず、メガシンカを使えるということは、グライドとボーマンダは強い絆を持っていることを示している。
絆、それはすなわち、相手の見ているものをともに見据えることができるということだ。
ボーマンダもまた、グライドの見ているものを望んでいる。それはポケモンの願う世界だとでも言えるのだろうか。
「ちっ、シャンデラ、おにびだ!」
「ボーマンダ、ハイパーボイス」
ワイルドセブンの指示で、シャンデラは揺らめく炎を発した。だが、それをかき消すようにして、ボーマンダの口から音波が放たれる。
おにびの火は消し飛び、そのままシャンデラへと音波は到達した。ノーマルタイプのワザであるにもかかわらず、シャンデラはダメージを受けているようであった。
メガボーマンダの特性、スカイスキンの効果だった。ノーマルタイプのワザをひこうタイプへと変化させたのだ。
そしてその音波の攻撃は、広い範囲へと作用した。ジャラランガへと到達したのである。グライドはワイルドセブンを狙いながらも、コスモスのジャラランガさえも無力化しようとしたのだった。
だが、ジャラランガはものともしなかった。代わりにコスモスが彼の名を呼ぶだけで、その意図を汲み取って攻撃をする。全身を震わせて、音波の攻撃で返したのだった。
音と音のぶつかり合いは、メガシンカをしたボーマンダさえも押し切ったジャラランガの勝利だった。いくらか相殺され致命傷を負わせるには至らなかったが、メガシンカをした格上のポケモンにダメージを与えたことから、コスモスとジャラランガの実力が伺えた
「……ぼうおんの特性を持つジャラランガ、そしてその固有ワザ、スケイルノイズ。ジムリーダーコスモス、お前は危険な存在だ」
色のない虚ろな瞳が、コスモスへと向いた。
ぞっとする。そのがらんどうには自分は映っていない。別の何かをずっと見据えていて、自分はその障害に過ぎないと思われている。
「よそ見してんじゃねえぞ! シャンデラ、シャドーボールだ!」
ワイルドセブンのシャンデラから、シャドーボールが発射される。コスモスのジャラランガが狙われていた。
それを寸でのところで躱すジャラランガであったが、その隙をグライドのメガボーマンダが突っ込んでくる。すてみタックルという、その名の通り身をかけて突撃してくるワザである。
それをまともに受けてしまったジャラランガであったが、その拳がメガボーマンダの腹へと入る。相手からの物理攻撃のダメージを上乗せして返すワザ、カウンターが炸裂したのだった。
相当のダメージを受けるはずであったが、メガボーマンダの戦意を衰えない。カウンターが上手く決まらなかったのか、と思いきやそうではないようだ。
「なるほど、やけどを負っていたか」
ワイルドセブンのシャンデラの放ったおにびは、わずかではあったがメガボーマンダに当たっていたようであった。やけどを負ったポケモンは物理攻撃の威力が弱まってしまう。そのやけどに、コスモスもグライドも助かった形になった。
強い。コスモスは思った。ワイルドセブンも元リーグ挑戦者というだけあって、その実力は四天王に届くかと言うほど。一方のグライドも、バラル団の二番手と務めるだけの強さがあった。どちらのポケモンも相当な練度を誇っている。
普段であれば、ワイルドセブンを相手に遅れはとらないだろう。グライドを相手にしたって、十全を尽くせば負けはしない自信があった。
だが、この三つ巴の状況では違った。勝利条件もまた違うのだ。ワイルドセブンは、剣を持って逃げおおせればいい。グライドもまた、ワイルドセブンから剣を奪えればいい。しかしコスモスは、その両方を倒さねばならなかった。ラフエルの剣を取り返すのはもちろん、その後にこの二人から逃げ切らねばならない。ジムリーダーという立場も考えれば、二人を捕まえる必要すらあるのだ。
一方で、二人はコスモスへの認識を改めていた。改めざるを得なかった。天才と名高きルシエの戦乙女の実力は本物だ。子どもと侮っていれば、痛い目を見る。自分たちは何と愚かな言葉をこの娘に向けていたのか。闇に生きる二人にそう思わせるほどの戦いをコスモスは見せていたのだった。
すでに二人の第一の標的はコスモスのジャラランガに移っていた。コスモスもそれを感じたから、戦意を奮い立たせた。
だが、それとともに蹄の音が響いた。遠方から聞こえるその音は、光を伴っていた。
それは疾風となって、ワイルドセブンの横を抜ける。彼はなんとか反応するも、一瞬にして転ばされる。上手くその身を守ったが、手に剣はなかった。
光はポニータだった。その背には、剣を奪った人物がいる。
会場で剣がメタモンとすり替わっていたのを見破った少女だった。赤茶の髪を翻して、彼女は剣を二本、掲げていた。一本はラフエルの剣と言われているもの。もう一本は、会場で配られた模造剣だった。
「誰だてめえ、クソガキ!」
「ふふん、誰だ、と聞かれたら答えてあげるのが世の情け、ってやつよね」
あくまで、上から目線で。少女は胸を張って言ったのだった。
「あたしはシイカ。メーシャタウンのシイカよ。覚えておきなさい、悪党ども!」
相手が誰であろうと怯まない、不屈の心の持ち主である幼きトレーナーに、コスモスはチャンピオンと同じ気風を感じる。心地よく、悪を許さぬ、ポケモントレーナーの鑑だ。あるいは、歴史において聖剣士と呼ばれた存在を彷彿させた。
「伝説の剣を奪い、そしてか弱き乙女をいじめる悪い奴ら! 私が相手をしよう! さあさあ、恐れぬ者からかかってきなさい!」
「貴女も乙女でしょう。歳下のようですし」
「って、わっ、コスモスさんですか!? こ、これは失礼いたしました。だけど安心してください、あなたを助けにきました! あとサインください!」
「それはのちほど」
「本当ですか!? やったー!」
微妙に頭の悪い、緊張感のないやりとりであったが、その間にコスモスは態勢を立て直すことができた。
これで実質、コスモスとシイカと呼ばれる少女はチームを組むことになる。一方のワイルドセブンとグライドは、敵対関係のままである。
状況は一気に傾いた。男二人は、互いを一瞥すると頷き合った。
「こちらも手負いだ。ここは引くとする。だが、覚えておくがいい。お前たちの行為は意味がない。新しい世界の礎となるのを、おとなしく待っていろ」
そう言ったグライドは、メガボーマンダの背に乗って飛び立つ。その姿を見ていたワイルドセブンも、シャンデラをモンスターボールに戻した。
「わりいな、俺もトンズラさせてもらう。覚えたからな、メスガキ。コスモスに、シイカ」
「次はありません、ワイルドセブン」
「言ってろ」
そう言ったワイルドセブンは、けむりだまを使った。彼の姿がけむりに紛れて消える。
その場に残ったのは、コスモスとシイカ、そして傷を負ったジャラランガと、ポニータだった。
* * *
シイカはワイルドセブンの手口をすぐに見破ったのだと言う。
剣の姿に変わったメタモンを、他のポケモンのワザであるすり替えによって一瞬にして剣を入れ替えたのだそうだ。そしてシャンデラがシャンデリアを落とし、誰かが逃げていくのが見えたのだという。
小さい体の彼女は、人混みに押されて追いかけるのが遅れてしまったのだと言う。そのことを謝罪されたコスモスであったが、むしろベストタイミングで現れてくれた彼女には感謝しきれなかった。
混乱に陥った会場であったが、ジムリーダーという肩書きが幸いし、ステラが上手くまとめていた。またもや貧乏くじを引くことになった彼女であったが、悪いことばかりではない。
ラフエルの剣は、ハロルドよりステラの手に渡された。公共の機関に預けられた方が良いだろうということになったのだ。今後はラジエス図書館にて、考古学チームが調査をしていくのだという。
サプライズで用意していた、とハロルドは取り繕っていたが、コスモスは彼へ疑いの眼差しを向ける。
なぜ、グライドは秘密にされていた剣のことを知っていたのか。そして盗まれてから、あれだけ早く動けたのか。コスモスは、その背後にハロルドがいるのではないかと思ったのだ。
剣を手にいれた彼は、その剣をバラル団に渡そうと考えていた。しかし自分が見つけたのだという名誉も欲しい。そこで彼は、大勢の前でバラル団に盗ませる、という三文芝居を思いついたのだ。これが成功すれば、彼はバラル団に恩を売るのみならず、ラフエルの剣を発見した功労者といて名を残し、そしてそれを盗まれた被害者として同情を向けられることになる。同情さえ商売の道具だと考えていそうだ、とコスモスは彼を評する。
告発しようにも、証拠はなかった。いかにコスモスであっても、ハロルドを相手にするのは難しい。ポケモンバトルのようにはいかないのが、この世界の難しいところだった。
「私は、どうすれば」
コスモスは思わず、暗い顔を浮かべる。
誰かがこのラフエル地方という絵をひっくり返そうとしている。そのように感じられたのだ。極彩色のこの世界を、汚いと呼ぶ者がいるのだ。人々が少しずつ色を足していって描いたキャンバスに、ペンキをかけてしまうかのような所業をしようとしている者がいる。
自分にはそれが、とても許せないことのように思えた。もしかしたら、正しいのかもしれない。良い人はたくさんいるけれど、悪い人だってたくさんいる。いいや、善悪だなんて、簡単に分けることはできない。火の赤は人を温めるけれど、人を燃やすことだってあるのだから。
移ろいやすいその色を、そういうものだと決めつけるのは、コスモスの美学が許さなかった。
コスモスは途方に暮れる。自分たちの知らないところで、闇が蠢いている。いままさに、ラフエル地方は大きく動こうとしていた。
あるいはそれは、伝説の再演なのかもしれない。そのとき、自分はどのような役割を果たすことができるのか。
むしろ、そのときこそがルシエシティで門番を務めている自分の出番なのかもしれない。
伝説の守り人として。
「あ、これなんかもいいんじゃないですか? コスモスさんに似合いそうです!」
「シイカさん、良いセンスです。さっそく着せてみましょうか」
「……あの」
思いを巡らせているコスモスをよそ目に、盛り上がっている二人に声をかける。
だが、聞く耳を持たない二人は、カタログをパラパラとめくっていた。それは服のカタログである。そこに載っているモデルの写真と、コスモスとを見比べて服が似合うか確かめていた。
翌日、ハロルドの屋敷の一室に三人はいた。たくさんの服がハンガーに吊るされて並んでいる。これらはハロルドの経営している服飾店で扱っている全商品なのだそうだ。
ステラとシイカはその部屋を見たとき、とてもはしゃいでいた。コスモスはと言えば、先の展開が読めてげんなりとしていた。
「私は着せ替え人形ではありません」
「まあまあ、いいじゃない。ハロルドさんが何でも買ってくれると言ってくださってるのだから、お言葉に甘えなさい」
「でしたらステラさんも」
「私は公務員ですので、そういうのは受け取れません。なので、私の分もね」
「コスモスさん、さっそく持ってきてもらいました!」
女性のメイドさんが取り出した服を、さっそくコスモスに渡すシイカ。普段はジムのチャレンジャーであり、優れた才能を持つトレーナーであったが、このときばかりはひとりの少女に戻っていた。
ぐいぐいと、二人に試着室へと押しこまれるコスモス。
早く家に帰りたい。
それが本音であった。
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天才か天然か
「ふん、ジムリーダーってのは役得なもんだな」
ドルクという名札を下げた男は、そういう風に吐いて捨てるように言った。
意図を計りかねたコスモスが首をかしげると、彼はくるりと背を向ける。客人に対してその態度はいささか問題だったが、科学者に対して必要以上の礼節を求めるのは気が引けた。
少なくとも、急な訪問で困らせたのはコスモスである。彼らの貴重な研究時間を割いてまで案内してもらっているのだから、何も言うまい。
場所は技術の都、ラフエルの頭脳とも称される街、リザイナシティである。リザイナシティ超常現象研究機関『CeReS』は、その街にあった。
研究者であれば誰もが憧れるこの場所において、ジムリーダーという肩書きを以ってしてもコスモスはアウェーである。それゆえに、立ち入る際にもこうして同行者を必要とした。
受付で入館の手続きをすると、ドルクから入館証と白衣を渡される。
「白衣ですか?」
「すぼらな研究者はそこらに薬品をおいてるもんだ。特に、これからあなたが会うのはそういう奴なんだ」
意外なことを聞いた。コスモスはそう思った。これから会いに行く彼は、そのあたりをきっちりとしている印象があったのだ。
それに目の前の人物についても、そう思った。ドルクは周りに悪態をつくばかりではないようで、しっかりと見ているように思えた。むしろ、悪態など相手を見ていなければできないものなのだから、それは当然なことと言えるかもしれない。
コスモスは言われるままに白衣に腕を通した。少しだけ気持ちが引き締まるとともに、高揚した感覚がする。滅多にない機会に浮かれているのかもしれない。
ドルクに連れられて、研究所の中を歩いていく。誰もが忙しそうに駆け回りながら、ちらりとコスモスを見た。それもそのはずで、この研究所の職員は若くても二十歳程度である。その中に見覚えのない十七の小娘がいれば、嫌でも目を引くだろう。
……実際のところ、コスモスの美貌に見惚れたというのが正しいだろう。彼女の外見は男女問わず好まれる。それは人形のよう、とも言われる。
「ここだ、あいつの部屋は」
ドルクがそう言ったのは、無機質な扉の前だった。隣の扉まではずいぶん間隔がある。よほど広い部屋が充てがわれているのであろうことを考えると、この部屋の主に与えられた待遇が伺えた。
「すぐにあいつを呼んでくる。まあ、腰掛けて待っていてくれ」
そういうと、ドルクは違う方へと歩いていった。少し肩を怒らせて歩いているのか、身体が上下している。
コスモスは部屋の中に入る。散らかりっぱなしの資料が目に飛び込み、埃のにおいが鼻を突いた。少しは換気をした方がいいだろう。そう思って部屋の隅にある換気扇を回せば、逆に部屋の中の埃がふわっと舞った。
逆効果になるのが目に見えていたから、換気扇を使ってなかったのか。いやいや、それでもこの環境で一日を過ごしていれば、喉を悪くしてしまう。そんな風に思いながら、コスモスは部屋の真ん中にあるソファーへと向かった。
対面になるように置かれたソファーの一方は、すでに資料で埋もれていた。ではもう一方はと言うと、これもまた寝るために置かれたであろうクッションがあり、何か臭いそうで座るのも躊躇われる。
彼の作業机の方へ行ってみれば、そこだけはいくらか綺麗にしてあった。と言ってもペンや定規、白紙などが整理されて置かれているだけで、あとは作業に必要なだけのスペースが空いているだけだ。
そして、そのなかにメガネがあった。彼の予備のものだろうか。コスモスは出来心でそのメガネをとり、装着してみる。
かなりきつい度が入っているのか、むしろ視界がぼやけてしまう。前後不覚になり、めまいのような感覚がした。
「なにをしてるんだ」
扉が開くと同時に、そんな声がする。ぼやけた視界に入ってくる人影に、コスモスは存在だけを認識した。
メガネを外すとともに、呆れた顔が見える。この部屋の主はコスモスの手からメガネを取り上げると、机の上に再び置いた。
「カイドウくん、お邪魔してます」
「邪魔している自覚があるなら、初めから来なければいいんだ」
礼儀に対してすら辛辣で明け透けな言いようが、彼らしさの一部である。コスモスはなにも言わずに、カイドウを目で追った。
カイドウと呼ばれる彼は背丈こそ大人よりも遥かに高いものの、まだ年齢は十五、すなわちコスモスよりも年下である。その証拠が、先ほどの言動に表れているように思う。
そんな彼は、世間的には二つの顔を持つ。ひとつはジムリーダー、すなわちコスモスの同僚だった。エスパータイプを操り、知略によって挑戦者を迎え撃つ彼は難敵の一人として数えられるだろう。
もうひとつはここCeReSの研究員だった。史上最年少で大学院までの過程を終了させた彼は、ほどなくして研究員として雇われることになる。そして日夜、ポケモンが起こす不可思議な現象を研究しているのだ。
天才、という言葉が彼には送られている。誰もがなしえないことを、彼は成し遂げてしまうのではないかと。
そんな期待を背負う彼は、ただ自分は証明をしたがる性分なのだと言っているのだが、その真相はわからない。
「それで、何の用だ。生憎だが、俺は忙しい。その時間を取るというのだから、よほど退屈させない用意ができてるんだろうな」
「『キセキシンカ』のことを知りたい」
「何遍も言わせるな。ポケモンリーグに報告した通りだ。それ以上もそれ以下もない。俺の手元の研究だって、何の成果も得られてないんだ」
キセキシンカと呼ばれる現象が観測されたのは、数ヶ月前に起こった『雪解けの日』という事件まで遡る。事件の解決にあたったトレーナーの一人が持つルカリオが、唐突にメガシンカをしたと言うのだ。その予兆はなにもなかった。
そもそも、メガシンカというのはメガストーンとキーストーンという二つのアイテムがあった上で、さらに訓練を積んでなお、百人に一人が使えるかどうかというものなのだ。
それが何の予兆もなく。
なにをもって名付けたかを知らないが、事情のわからぬものが見たならばまさしく奇跡だと思うだろう。
カイドウが発表した論文の中には、ポケモンとトレーナーの間で感情の高ぶりを同一としたときに引き起こされる現象だとされている。それも、ポケモンは従来メガシンカすると考えられていたものに限らない可能性がある、とも。
「身に付けたいのか。であるならば、俺ではなく実際にやってのけた者のところへ行けばわかるんじゃないか。紹介してやろう」
「それにはおよばないわ。私は、私の暮らすこの世界でなにが起こっているのかを知りたいだけだから」
「具体的には」
「もし危険を伴うのであれば、挑戦者が使用するのを禁止すべきだと思います」
コスモスはそう言った。ジムリーダーである彼女は、そういう責務を負っているとでも言いたげである。
一方のカイドウは、ふん、と鼻を鳴らすとコーヒーマシンのスイッチを入れた。
「そもそも、キセキシンカが起こるという状況を避けるべきだ。あれはどのような感情の増幅であっても起こりうるものだ。義憤に駆られたならばまだいい。恐怖、悲嘆……そういうもので引き起こされたときに、なにをしでかすかわからん」
カイドウがそう言うと、そこに座れと付け加えた。指した先には作業机の椅子である。
そこに腰掛けると、カイドウはコスモスの前にコーヒーを注いだカップを置いた。隣にはミルクとスティック砂糖を添えて。
はっきり言ってしまえば、いままでの彼からは想像もできないような行動である。優しさ、と言い換えても良いかもしれない。
ミルクと砂糖を入れて、コーヒーを一口飲む。美味しくはない。ミルクと砂糖がなければ、とても飲める代物ではなかった。だが、目がさめるのは確かだった。
「丸くなりましたね、カイドウくん。最近、女性とも縁があるそうですし」
「ふん、あれを女と呼んでいいのか」
「誰とは言ってませんが」
がさり、と紙の山が崩れる音がした。だがカイドウは気にも留めずに、ソファーに座った。
「そういうあんたは」
「ジムリーダーとして、弟子を迎えたとも」
「話を聞け!」
カイドウは思わず、声を荒げた。
少なくともラフエル地方において、ポケモントレーナーとしてのジムリーダーには役目が二つあった。ひとつは、ポケモンリーグの挑戦権であるリーグバッジの防衛だ。挑戦者の習熟度に合わせてポケモンを選び、自分なりの戦い方で相手トレーナーの実力を測る。そして、一定の実力を持つ……すなわちジムリーダーを打倒せしめたとき、バッジを渡すことになっている。
もうひとつは、弟子や生徒を持つことである。ジムリーダーの戦い方を、その下で学ぶことができるのであった。弟子を持つジムリーダーは多くいるものの、コスモスとカイドウの二人に関して言えば、直接の弟子を持ったことはない。
それは二人が、努力の人ではなく天才であるからだ、などという噂の根源にもなっている。
「俺は、俺のできることをする。それだけだ。ジムリーダーってのはみんな、そうしているだろうが」
「……みんな、ですか」
「そうだろう」
カイドウはコーヒーを一気に飲み干す。彼のいつもの癖なのだろう。身体にあまり良くなさそうではあったが、なにも言わないでおいた。
それが彼の舌を滑らかにするとわかったからだ。
「どいつもこいつも、頭の回転が遅い奴らだ。サザンカと、あんただけは読めないがな。カエンとアサツキが良い例だろう。奴らはどうにも、頭を使うということができん。だが、できんからこそ、単純な方法をとる。戦う、失敗する、そして学ぶ。その繰り返しだ。ここの研究と根本は変わらん。凡庸であれば数をこなすしかないし、才がないならば自信をつける他ない」
カイドウはそう言って、ソファーに深く腰掛けてメガネを外した。そして腕で目を覆う。疲れが溜まっているのだろう。特に研究者にとって目は、生命線でもある。
「いつも、俺は最適解を出してきたつもりだ。いいや、どいつもこいつも最適解を出すことはできる。頭を上手く使えばだ」
「あなたは違う、と」
「俺はその最適解にたどり着くまでのプロセスを手早く済ませることができる。十回必要なものを一回で。一年かかるものを一時間で。早く走りたいとする。多くの人は走り込みをする。早く走る奴の真似をしようと思う奴は稀だ。俺は、早く走る奴がどのように走っているのかがわかる。そしてそれをする。そういう風にできている。だから、理屈の上で俺は失敗しないんだ」
こくり、とコスモスは頷いた。カイドウはそういう人である。その自己分析は間違っていない。生まれながらある頭の回転の速さにおいて、彼は図抜けていた。
「そういうものを才能と言うなら、そうなのだろう。俺は天性的に、そういう才能に恵まれた」
いずれたどり着ける場所に誰よりも早く行ける。それは、いずれたどり着こうとする者たちにとっては憧れの対象であり、そして恐ろしく見えるはずだ。
お前は自分とは違う。どうしてそんなことができるのかわからない。
そうした感情を簡単に言い表すことができる。
拒絶、だ。
恐らく、カイドウほど顕著でなくとも、ジムリーダーならば誰もが経験したことがある。
ゆえにジムリーダーたちは、暗黙の了解の上でカイドウを受け入れているのだ。
「俺は真に天才というものがいるならば、あんたのような人だと思う」
ポロリ、とこぼれた言葉。
それは予想外すぎて、コスモスは思わず目を見張る。
「……照れます」
「否定するところだ、そこは」
どうやら彼には、まだ一般的な感性が残っていたらしい。
「あんたは、プロセスというものがない。あたかも始めから解答が内にあるかのように振る舞うことがある。特にバトルにおいて顕著だ。それは血筋の為せるものかもしれない。あるいは、親の教育だろう。だがな、『解答の出し方を知っている』者はたくさんいても『解答だけを知っている』者はいない。俺とて、前者なんだ」
カイドウは至極真面目に、そう言った。コスモスはその意味を、正確にではないが理解する。
世界には色がある。色を掛け合わせたときにどんな色になるか。どんな色が欲しいのか。どの色が相応しいのか。コスモスは、そこで迷わないのだ。誰もが考え込むところで、先に色を重ねる。
それこそが真なる天才なのではないか、とカイドウは言っているのだ。
もちろん、違うと否定をすることはできる。コスモスとて自分が理想とする戦いをするために、絵を描くために、並大抵ではない努力をしてきている。その自覚と自信がある。葛藤があって、自分を律することだってある。
だが、人はそう簡単に、コスモスと同じようなことはできない。カイドウだって感情の部分において迷わないことはないのだ。
「カイドウくんは、ジムリーダーというのはどういうものであるか考えたことはありますか?」
「そういうとこだぞ」
「言い方を変えますね。ポケモンリーグとトレーナーの関係において、ジムリーダーというのはどのような役割であるか、考えたことはありますか?」
ふむ、とカイドウは少しだけ考え込む。そしてすぐに答えを出す。
「トレーナーがリーグへ挑むに足るかを確かめる存在だ。さらに言えば、挑戦者たちに足りぬものを体現しながら、挑戦者の真価や秘めたる力を引き出すことこそが重要なのだと考える。さっきも言ったように、何かを学ぶことの基本は挑戦と挫折と分析、そして再挑戦だ。何がいけないのか、足りないのか。俺たちはそれを見せてやる必要がある。あるいは、格好の材料や試験場として提供するんだ」
例えばカイドウであれば、戦略と分析のやり方だ。リーグ挑戦において最初に挑むジムリーダーとしてカイドウを避けるべきだと言われているのとは裏腹に、それはポケモンバトルにおいて最も初歩的で重要なことである。
他のジムリーダーとて、同じである。
サザンカであれば、どんなことがあっても耐え忍ぶこと。
アサツキであれば、何度だってぶつかっていくこと。
カエンであれば、どんなときも前向きであること。
ステラであれば、信じ抜き最後まで諦めないこと。
ランタナであれば、自由でありながら打ち込むこと。
ユキナリであれば、希望は次へと繋がるということ。
そしてそれらは、ジムリーダーたちの生き方そのものであった。ポケモントレーナーの世界の先駆者として、彼らは背で語るのだ。
色だ、とコスモスは言う。だが、それではきちんと伝えられる自信がなかったから、別の言葉で言い換えた。
「ジムリーダーたちは、ひとつの『答え』を見せる必要があるのです」
「その言葉は誤りだな。正確には美学というものだ。だが……答え、の方が通りが良いことは認めよう」
そう言って、カイドウは二杯目のコーヒーを注いだ。そして再びソファーに座ると、一口だけ啜る。あまり美味しそうには飲んでいなかった。
「そして8番目のジムリーダーとして、私は、何を学んできたかを見たいのです」
「だがあんたは、俺を負かしたトレーナーのことごとくを倒す。それは矛盾してはいないか」
「あなたを倒すだけならできます」
それこそが傲慢な言葉だとはコスモスは思っていないだろう。だが、カイドウは少し癪に障ったようではあった。
「俺に不足があるとでも言うのか」
「これはとっても単純な話です。そしてカイドウくんも、もう出しています。私たちはただ勝てばいいのではないのです。そして、ただ負けるわけでもない」
コスモスにしては饒舌であった。少ない言葉の中からカイドウはよく理解する。もし彼以外に理解してもらうのであれば、コスモスはもっと言葉を重ねなければならない。そんな彼であっても、コスモスと会話をするには前提条件を求めるのだ。
「もし、チャンピオンたらんとするならば、相応の『答え』がなければならないのだと、私は思います。それこそが上に立つ者の条件です」
「あんたがその選別をすると?」
「語弊を恐れなければ、そうなります。
その言葉とともに、コスモスは飲み干したマグカップを置いた。
なるほどな、と言ってカイドウは天井を見上げた。
「それで、あんたは何が言いたい」
「その『答え』を得るのに、早すぎることも遅すぎることもないと思うのです」
10歳の挑戦者がいてもいい。70歳の挑戦者がいてもいい。それぞれが得た答えを持ってきてほしいのだ。
だが、例え7つのジムバッジを手に入れた者であっても、何かをきちんと得られた者は少ない。ただただやり方を知っているだけで、答えがどこにあるのかを知らないままに自分の元へやってくる者もいる。むしろ、そうした人物の方が多い。
そしてときに、人は自分より早く答えを得た者を疎む者なのだ。同い年や歳下であればなおのこと腹立つし、年上であれば視界に入れない。
コスモスは、ポケモンリーグの門番としてそれを問いたいのだ。
「色のはっきりとした人を、私は望みます。芯を持つ者は私などを恐れはしないでしょう」
「なるほど。それがあんたの『答え』か」
納得したように、カイドウは頷いた。そしてマグカップに口をつけると、中身が空になったことをそこでようやく知ったようだった。さすがに3杯目は躊躇われたのか、そのままテーブルに置いた。
「まさしく、持つ者の道理だな」
「……そうでしょうか」
「俺が納得するのだから、そうなんだろう」
なんともひねくれた答えであった。だが、それがこの二人のなぜか通じ合うところでもあるのだ。自身の言葉に妥当性を見出し、いびつに微笑むのがカイドウなのだと短い付き合いの中でコスモスが彼に感じていることだった。
そんなことを噛み砕いて彼に伝えると、これもまたひねくれた感想が返ってくる。
「さて、女というのはこんな話題は好まないと聞き及んだが、あんたは違う。いびつなのはどちらかなど、問うまでもない」
「そうかしら。私はカイドウくんとこういうこと話すの、嫌いじゃないわ」
この、他人を嫌っているかのような言動をとる同僚の少年のことは嫌いになれない。言葉の裏にある、他人のことをよく見ているのが伝わって来るからだった。
誰のことにしてもそうだ。決して肩入れをしない。ただ事実の中から己の信じうるものを抽出して述べてみせる。よくもわるくも平等である彼のことを、コスモスを含めてジムリーダーたちは決して嫌ってはいない。
「それに、今日はキセキシンカのこともですが、カイドウくんと話したかっただけですし」
そう言うと、彼は少し困ったような顔を浮かべて、言った。
「訂正しよう。あんたは天才ではなく、天然だ」
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