『私/俺』は『アナタ/アンタ』を『殺したい』 (柳野 守利)
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そうして私は兄を...

友人に、小説家になろう様の方だと、異世界転生物しか読まれないしこっちに投稿すれば?と助言されたので、結局こちらにも投稿することにしました

推理小説だのと抜かしておりますが、そんなに上手く書けたもんじゃないので、作者の息抜き程度で書かれたものとでも思ってください

非力な少年シリーズの『新章』を書いてほしいと言われましたが...とりあえず今はこっちで

しかし『新章』とは第二部の『リメイク』ってことでいいのだろうか...?


 ある日、友達と遊び終わって家に帰ってきた。玄関を開けると独特な匂いが鼻についた。幼い私はその匂いがなんなのか分からず、ただいま、と一言言って家の中へと入った。けれど、帰ってくる返事はなかった。いつもは優しい母の声が聞こえるというのに、何故なのだろうか

 

 おかあさん?

 

 幼い私は玄関で声を上げた

 

 いないの?

 

 靴を乱雑に脱ぎ捨て、トテトテと早足に廊下を移動する。リビングへと続く扉を開くも、そこには誰もいない

 

 おにいちゃん?

 

 半分しか血の繋がっていない兄を呼ぶ。兄は母が離婚して連れてきた男の子だ。私は再婚した父との子供。歳は3つ程離れている。それでも、幼い私を優しく撫でてくれたり、一緒にゲームをしたり、遊んだり。私のことを大切にしてくれる大好きな兄だった

 

 だれもいないの?

 

 遊んで汚れた靴下のまま歩き回って家の中を探し回る。ふと、この鼻につく匂いが気になった。この匂いは...兄の部屋から漂ってきていた。兄の部屋に向かうと、扉は固く閉ざされているように感じた。重く冷たいように見えた

 

 おにいちゃん?

 

 見た目に反して、扉は簡単に開く。ゆっくりとその扉を開けた

 

 え.....?

 

 真っ赤だった。赤。朱。紅。緋。見回す限り赤く染まっていた。クローゼット、襖、机。どこを見ても鮮血がこびりついていた。ピチャリ、と音が鳴った。梁から血が滴って落ちてきた音だった

 

 おかあ、さん...

 

 それだけではなかった

 

 おとう、さん...おにい、ちゃん...

 

 目の前で血だらけになって死んでいたのは、父と母、そして...包丁が突き刺さったまま死んだ兄の姿だった

 

 あぁ...あ、あぁ......

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いやぁぁぁぁッ!!」

 

 布団を跳ね除けて起き上がる。汗が滴り、酷くうなされていたのだろうと思った。ピンクのカーテン、飾られた制服、勉強机。ここは、私の私室だ

 

「はぁ...はぁ......」

 

 何度も同じ夢を見る。あの時の...私がまだ、小学生だった頃の夢。家に帰って、皆死んでいた最悪の日

 

雪菜(ゆきな)...大丈夫かい?」

 

 扉を開けて、男の人が顔を出す。滝川(たきがわ) 総司(そうじ)。あの悪夢の日。あの日以降私の世話をしてくれている人だ。母の友人らしい。あまり、ぱっとしない男だ。歳は30代半ば辺り。私も詳しく知らない。私が今住んでいる場所も、総司さんの家である。新築感が漂う綺麗な家だ。この歳で、更に独り身でこれほど綺麗で大きな家を買えるだけの財力はある。何の仕事をしているかと聞くと、ただのリーマンだと答えられた

 

「...はい、大丈夫です」

 

 私──浪川(なみかわ) 雪菜(ゆきな)──は呼吸を落ち着かせながら答えた。その言葉を聞くと、総司さんは心配そうにしながら、手に持っていた水の入ったコップを渡してきた。何度目かもわからない私の叫びによる起床のせいで、総司さんはその後のことを色々としてくれるようになった。水をくれたり、落ち着かせようと背中を撫でたり...まるで、優しかった兄のようだ

 

「ご飯、できてるから。後でゆっくり食べな。学校には連絡しとくよ」

 

「......はい」

 

 そう言うと総司さんは部屋から出ていった。総司さんにも仕事があるのに...迷惑をかけてばかりだ。しかし、私にどうこうできるものでもないのも確かなことだ

 

 あの悪夢の日。そう、父と母が死んだ日。あの日のニュースは今でも覚えている

 

 とある一軒家で殺人事件が起きた。私の父と母は兄の部屋で包丁によってズタズタにされて死んでいた。現場には凶器に使われた包丁が落ちており、その指紋からは兄──浪川(なみかわ) 鏡夜(きょうや)──のものが検知された。そう、その殺人事件の犯人は、私の兄だった。私はあの惨劇を見て、気を失ってしまったが...起きた時には、警察に身を引き取られていた。そして聞かされた。その部屋には兄の死体はなかったのだと

 

 ...私が見た時には、確かに兄の腹には包丁が突き刺さっていた。とても生きているようには思えなかった。けれど、近所の人たちからは、血塗れた男の子が走っていった、という証言があった。近所のおばさんは、警察に言ったらしい

 

 間違いないよ、あれは確かにあの家の息子だ、と

 

「..........」

 

 大好きな父と母の死。そして...大好きだった。いや、大好きでは足りない。私は確かに、あの時、幼いながらも兄に恋心を抱いていた。だが...それは裏切られた。嫌いだ。あんな兄なんて...大ッ嫌いだ

 

 ...今も尚、その事件の犯人...兄は捕まっていない。辺りを詮索しても見つけられなかった。山や川の中までも捜査は及んだ。だが、見つけられない。なんて無能な警察なんだ

 

 早く捕まえてほしい。早く捕まえて、私の前に連れてきてほしい

 

 そして...そして...

 

 

 

 

 

 ......あの男をズタズタに切り裂いてやるのだ。アイツが父と母にやったように...

 

 私は、あの日からずっと、兄を憎み続けていた

 

 

 

 

To be continued...



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私はそれでも兄を追う

 水の流れる音が風呂場に響く。朝見た夢を忘れるように、頭からシャワーの水をかぶる。汗で気持ちが悪かった体は、今やすっかり爽やかだ。だが、ここから学校に行かねばならないとなると、少し気が重くなる。けど、中学校とは違い高校は義務教育ではない。やたらめったに休んでもられないのだ。出席日数や成績は将来のためには大事なことだ

 

「...そもそも、遅刻が多い段階で少しグレーゾーンかもね」

 

 シャワーの水を止めて、風呂場から出る。棚においてあったタオルを手に取って体中を拭き始める。スラッとした身体。肩にかかる程度の黒髪。高校生の平均程度の胸。それでも他者と比べれば大きく思えるだろう。見てくれは健康体そのものだ

 

「...はぁ」

 

 だがその実、彼女は痩せ過ぎと前までは言われていた。飯がろくに喉を通らなかったのだ。それほどまでにあの事件は心に傷を負わせた。みるみる身体は細くなり、引き取った滝川はあの手この手でご飯を食べさせ、なんとか今の状態に落ち着いている。今はしっかり三食食べている。運動は、特にしていない。あまり運動するのは好きじゃない。昔はよくはしゃいでいたが、今はそんな気力もない。部活は美術部に入っている。部員は少ないが、一人の世界に入り込むことが出来るので気に入っている。ただ問題があるとすれば...彼女は赤色を使いたがらない、というところか。思い出してしまうからだ。赤に染まったあの部屋を

 

「...お昼から行こうかな」

 

 授業の大半に欠席になるが、仕方がない。誰だって面倒なことは嫌なのだ。行くだけマシと思ってほしい。そう思いつつ、棚においてある黒縁の眼鏡を取ってかけた

 

「...お母さん」

 

 そうだ、母も眼鏡をかけていた。部屋に置いてある、わざと倒したままの写真たての中に写っている母の写真と今の私を比べると、やはり私は母の娘なのだと感じた。どことなく似ている気がした。それが、少しだけ嬉しかった

 

「...ご飯食べて、支度を始めなきゃ」

 

 服を着てリビングへと向かう。テーブルの上に置かれたスマートフォンには、友達からのラインが届いていた。大丈夫?と送られてきていたので、大丈夫、少し風邪気味なだけだよ。昼から行くから、と返信する

 

 数分後には、そっか、それでも来るんだから偉いね、とスタンプとともに送られてきた。私もそれにスタンプで送り返す。それを終えると携帯を置いてテーブルの上にある朝食に手をつけ始めた。近くにあったリモコンを手に取り、テレビの電源をつける

 

 目玉焼きに醤油をかけて、食べようとした時だった。ニュースキャスターがニュースを読み始めた

 

『先日起きた殺人事件の犯人は捕まっておらず、現在もなお行方をくらませている模様。殺害現場には、犯人が作ったものと思われる手鏡の中に三日月が書かれているカードのようなものが置かれていました。此度の事件もまた、浪川 鏡夜による犯行だと見られ、警察は近くの住民に注意の呼びかけをしながら辺りを捜索しているとのことです』

 

 朝食を食べる手が止まる。()()()。神出鬼没の殺人鬼、浪川 鏡夜。あれから5年は経つ。当時中学生だった兄はもう既に、順当に行けば大学生だっただろう。兄は優しかった。そして、とても頭がよかった。その兄は殺人鬼となり、今も尚逃げ続けている。5年もだ。5年もの年月をたった1人で逃げ切っているのだ。しかも、当初はただの中学生だ。それほど知識もないのに、それでも逃げ切った。兄の頭を凄いと思ってはいたが、これ程までとは思っていなかった

 

「...今の警察なんて、使い物にならないのね」

 

 私はそう毒づいた。ただの子供1人なぜ捕まえられないのか。それほどまでに兄は人を殺して逃げることに関して優秀なのだろうか

 

『被害者の身体は無数の切り傷ができており、鋭利なナイフのようなもので切られたと思われます。所持していた鞄の中身からは財布などが盗まれており、金品目的の殺害と見られています』

 

「...救えない人」

 

 ボソリと呟いた。私が何とかしなくては。どこからかそんな気持ちが湧いてきた。相手が兄だから、だろうか。家族だから止めたいとか、そんな事じゃない。私はただ、アナタを殺したいんだ

 

 

 

 

 

 

 

 〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 皆が昼食を食べているであろう時間帯に、私は学校に登校してきた。リュックを背負って昼間の構内を歩いていると、皆から奇怪な目を向けられるから嫌だ。けど、教室にまで入ってしまえばもうなんともない

 

 ガラッと扉を開けて教室の中へ入る

 

「あっ、雪!」

 

 軽く手を挙げてこちらに向けて降ってくるショート髪の女の子は、月本(つきもと) 沙耶(さや)。朝、私の携帯に連絡を入れてきたのは彼女だ。彼女は私の事を雪と呼ぶ。他の子は大体雪菜ちゃんか雪菜さんと呼ぶ。それで分かる通り、私と沙耶は仲良しだ

 

「ぼっち飯だなんて、沙耶にしては珍しいね」

 

「雪が来ないから1人で食べてたの!!」

 

「そっか...。まぁ、謝る気もないけど」

 

「むぅ...待っててあげたんだから何か奢れし」

 

「嫌よ。待っててなんて一言も頼んでないもん」

 

「はぁ〜...人がせっかく雪がぼっちにならないように待っていてあげたのになぁ...恩を仇で返された気分」

 

 沙耶が机に突っ伏してションボリとする。そんな沙耶の頭をゆっくりと撫でる。こういう沙耶は可愛いから、ついつい虐めてしまう

 

「あはは、ごめんって」

 

「むぅ...焼きプリンで許す」

 

「意地でも奢ってもらうの諦めないのね」

 

「当然」

 

 沙耶は顔を上げてニヤリと笑った。それにつられて私もくすりと笑う。仕方がないから、放課後の帰り道にでも奢ってあげることにした

 

「ねぇ、そういえばさぁ、カッコいい探偵の話聞いたことある?」

 

「...なにそれ?」

 

「あちゃー、知らないのかぁ...。なら、教えてしんぜよう」

 

 ない胸を張りながら沙耶が話をしてくる。この付近にある商店街から少し離れたところに、一件の探偵事務所が建っていて、そこには大学生のイケメン探偵がいるらしい

 

「探偵だよ探偵!! なんかこうさぁ、ね、なんかこない!?」

 

「ふーん...探偵かぁ...」

 

 高校生探偵だとか、見た目は子供の探偵とかなら知ってるけど、大学生で探偵かぁ...。それってもうほとんど社会人じゃないのかな

 

「でさでさ、その探偵腕がいいらしいんだよ! 難事件を何度も解決してて警察とも繋がりがあるとか!」

 

「それ本当に大学生なの? 背丈小さかったりしない?」

 

「背丈はそこそこ高いイケメンなんだって!」

 

「そんな絵に書いたような人がいるんだね。絶対性格悪そう」

 

「雪は性格と顔の比率を10で分けるのやめたらどう?」

 

「所詮男なんてそんなものでしょう?」

 

 来る途中で買ってきたペットボトルのお茶を一気に仰いで喉の奥へと流し込む。ふぅっと息を吐いてまだ話したりなそうな沙耶の話を聞くことにした

 

「冷めてるなー、雪は。雪のように冷たいよ」

 

「雪 雪と何度もわかりにくいよ」

 

「まぁまぁ。それでさ、今度の土曜日見に行ってみない?どうせ暇でしょ?」

 

 沙耶は興奮冷めやらぬ、といった感じで、私にグイグイと詰め寄ってくる。その瞳はどこか輝いていて、まるで白馬の王子を夢見る少女のようだ

 

「暇って決めつけないでよ...いいけどさ」

 

「やった! 正直ひとりじゃ行くに行けないから困ってたんだよぉ!」

 

 仕方ないなぁ、と言葉をこぼした。イケメンに会える、とはしゃいでいる沙耶の隣で、私は少しだけ考えた

 

 もしも、警察でもどうにも出来なくても、探偵ならなんとかならないかな、と。警察よりもきっと捜査とかは動きやすそうなイメージがある。だから、私はその探偵とやらに頼ってみようと思った

 

 ...正直、あまり期待はしていないんだけどね

 

 その後も、沙耶のイケメン探偵の話に付き合い、部活の後に沙耶に焼きプリンを奢って私は家に帰ったのだ

 

 

To be continued...



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私と沙耶は探偵事務所に赴く

 遠くの方から車のエンジン音や夜に出歩いている高校生の話し声、酔っ払った会社員の笑い声が聞こえてくる。そんな場所とは全く違う暗い部屋で、一人の男が血を流して倒れており、その傍らには一人の男がいた。死体から流れたと思われる血は赤黒く、染み込むように変色しており、その死体は酷く腐食していて蛆がわいている。匂いも酷い。だが、嗅ぎなれたと言えば嫌なものだが、この錆びた鉄の匂いにも少しは耐性がついた。それでも、長く見ていたいとは思わない。男はその死体から遠ざかり、近くにあった小さな金庫に向かって歩いていった。男は金庫を開こうとするも鍵がかかっていて開かない

 

 チッ、と舌打ちをして男は周りを見回した。辺りは酷く散らかっている。書類は落ち、コップは割れ、踏み場が少ししかない状態だ。辺りに散らかっている紙やその他の事前に調べた情報からいくつかの番号を捻り出す。そして鞄から聴診器を取り出して金庫に当て、ダイヤルを回し始める

 

 数分後、カチャリと鍵の開く音が聞こえた。聴診器を取り外して金庫の扉を開ける。中に入っていたのは、札束だ。万札が何枚も重なった状態で一括りにされ、それらがいくつも入っている。それらを取り出して、目的の品を回収する

 

「...不用心だな」

 

 男は心の奥からこみ上げてくる嬉しさに似た感情に身を震わせながら、携帯電話を取り出した。画面をつけると、暗い部屋にはなかった光が辺りを照らし出した。画面に映る顔は、本人にもこらえきれていないのか、笑っていた。そしてとある所に電話をかけ、二、三言話すと電話をやめてその場から歩き出した

 

 

 

 

 〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 

 

 

 

 土曜日の朝。沙耶に呼び出された私は駅前で彼女を待っていた。集合場所といえば、大体は駅になるだろう。何せわかりやすい。改札前や階段付近とでも言えば見つけるのは容易だ。新宿駅とかいう魔境のような場所は知らない。あそこは駅ではなくダンジョンだと私の友人は言っていた

 

「おっ待たせー!」

 

 声が聞こえてきた方を見ると、沙耶が手を振りながらこちらに向かって歩いてきていた。彼女の私服を何度か見たことはあるが、今日の服装は今まで見てきた中でも1番可愛らしいと思われるコーディネートだろう。それだけでどれほど彼女がその大学生のイケメン探偵に期待しているのかがわかった。でなければわざわざミニスカートなんてスースーするものを穿いてくるわけがない

 

 そんな私の服装は落ち着いた黒色のシャツにロングスカートなのだが。黒は女性を綺麗に見せるから、という訳ではなく、単純に黒が好きなだけだ。夏が過ぎて少しだけ涼しくなってきてはいるが、今も普通に気温は高い。それでも私がロングスカートを穿くのは、好きだからとだけ言っておく。母もよくロングスカートを穿いていた。暑さは気になるが、嫌という程でもない

 

「よーしっ、早速噂の超イケメン探偵のとこに行ってみよー!」

 

「ハードル上がってない?」

 

 イケメンから超イケメンにいつの間にかランクアップしていた。沙耶の頭の中はイケメンでいっぱいらしい。そもそも、頼むこともないのに探偵事務所に行って取り合ってくれるのだろうか。その事を沙耶に言うと、彼女は、考えてなかったーっ!! と声を上げて辺りをウロチョロとし始めた

 

「ねぇねぇ、なにか困ってることとかない!? このままじゃ、門前払い受けちゃうよぉ!!」

 

「いきなりそんな事言われても...」

 

 あるにはある、が...沙耶は私の親が世を騒がせる殺人鬼に殺されたとは知らない。だから、その話題を出すのははばかられるが...いや、別にいいか。知らないのなら、夜が怖くて出歩けないとかって理由で殺人鬼の捜索を願うのもいいかもしれない

 

「...殺人鬼の捜索をお願いするのってどうかな?」

 

「殺人鬼って...あの浪川 鏡夜って人? そういえば、雪の苗字も浪川だよね」

 

「偶然よ。別に珍しいことでもないでしょ? 世の中探せば月本って苗字の殺人犯もいるわよ、きっと」

 

「うーん、確かにそうだね」

 

 なんとか誤魔化しはしたが、いつかはバレてしまうのかもしれない。いや、殺人鬼が捕まれば、バレてしまう。そういったことをテレビでは必ず報道するだろう。唯一生き残った妹、殺人鬼の温情か...とかって、私の気持ちも知らずにあることないこと報道するに違いない

 

「雪、どうしたの?」

 

「へ?」

 

「なんか暗い顔してたよ?」

 

 沙耶に心配されてしまった。そんな顔にならないようにもっと気をつけなくちゃ...。私は軽く頭を横に振って答えた

 

「ううん、なんでもないよ。それじゃあ、行ってみよっか」

 

「おーっ!」

 

 なんでもないと分かればすぐに明るくなるのも、沙耶の特徴だ。羨ましく思う。早く早くっ、と前を歩いて急かしてくる沙耶に、待ってよ、と言いながら私は追いかけた

 

 

 

 

 〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 

 

 流石にあれだけはしゃいでいれば、汗もかくというもの。私達は額から流れる汗をタオルで拭きながら、目的地の場所まで辿り着くことが出来た

 

 橘花(たちばな)探偵事務所。ここがその目的地だ。窓から中を見てみると、大人びた女性と髭を生やした男性が仲良さそうに話し合っていた。服装は2人ともスーツを着ている

 

「うーん、イケメンというよりダンディー...」

 

「いやあきらかに大学生って風貌でもないでしょ。事務長さんか何かだって」

 

 ボソッと呟いた沙耶に私は軽くツッコミを入れた。男はどこから見ても父親のような出で立ちだ。銀色の指輪をつけてるのを見て、既婚者なのかと判断した。よく見れば女性の方も同じく指輪をつけている。夫婦だろうか

 

「...あっ」

 

 男の人がこちらを見て、目が合ってしまった。不思議そうに見ていたが、何を考えたのかニッコリと笑った。私と沙耶は反射的に窓から離れた

 

「み、見つかっちゃったよ...どうしよう、どうしよう雪!?」

 

「そりゃ、こんなマジマジと見てれば見つかるよ...。とりあえず、中に入ってみる?」

 

「えぇ!? ちょ、ちょっと待ってまだ心の準備がっ!?」

 

「諦めなさいよ。いつも貴方言ってるでしょ? 女は度胸って」

 

「ちょっ、待って、お願い待ってぇ!?」

 

 私は尻込みする沙耶を無理やり押して、事務所の扉を開ける。カラーンッと音が響き、先程の男性と女性が出迎えてくれた

 

「いらっしゃい。君達みたいな女の子が何の依頼かな?」

 

「えっ、えぇっとぉ...」

 

 男の人に尋ねられて、沙耶が目線で助けてくれと訴えながら私の服の裾を引っ張る。可愛い。むしろこの場で助けを出さない方が役得じゃないかな

 

「とりあえず、入口じゃなんだし外も暑かったろう。飲み物入れるから、そっちのソファーにでも座っててくれ」

 

 促されるままに私達は指で示されたソファーに向かって歩いていき、腰を下ろした。歩き疲れていたのもあり、ソファーに座った途端、ふぅっと息を吐き出した。座り心地がとてもいい。それに、事務所の中はとても涼しく、珈琲のいい香りがする

 

「飲み物は何がいい? 麦茶と、珈琲と、林檎ジュースくらいしかないのだけれど...」

 

 女性がたずねてきた。私と沙耶が、麦茶でお願いしますと言うと、女の人は奥へと続く廊下に向かって行き、消えていった

 

「さてと、飲み物が来るまでゆっくりしていようか。といっても、おじさんは最近の子の話題なんてよく分からないんだけどね」

 

 笑いながら男の人が机を挟んだ反対側のソファーに座ってマグカップに入れた珈琲を口に含んだ

 

「いい匂いですね」

 

「だろう? うちの家内が淹れた珈琲はとても美味いんだ。っと、自己紹介が遅れたね。私は橘花探偵事務所のオーナー、橘花(たちばな) 恭治(きょうじ)だ。宜しく頼むよ」

 

 そう言うと恭治さんは軽く頭を下げた。私と沙耶も自己紹介をすることにした

 

「わ、私は月本 沙耶といいますっ。商店街を抜けたところにある高校に通っていますっ」

 

「私は、浪川 雪菜といいます」

 

「......浪川...?」

 

 恭治さんが私の名前を聞くと、軽く眉間にシワを寄せた。が、すぐに元の表情に戻って笑いながら謝罪してきた

 

「いや、すまんすまん。君の苗字は今はちょいと有名だからね。私の所にも、あの殺人鬼の依頼というのは来るんだ。疑うような目で見てしまってすまないね」

 

「いえ...大丈夫です」

 

 こんなことになるのは少しは予想していたことだ。そんな所に、コトっと目の前に飲み物が入った容器が置かれた。置いた人物は先ほどの女性だ

 

「あぁ、紹介するよ。彼女は私の妻の橘花(たちばな) 咲華(しょうか)だ。私の補佐をしてくれている」

 

「宜しくね」

 

 咲華さんは私達に優しく微笑んだ。私達も軽く頭を下げて、自己紹介をしてから淹れてもらった麦茶を飲んだ。冷やされた麦茶が喉を通っていき、暑く感じていた体もどんどん涼しく感じてきた

 

「あともう1人いるんだが...徹夜の仕事でまだ寝ていてね」

 

「そ、その人...会わせてもらえませんか!?」

 

「ちょっ、沙耶!?」

 

 いきなり言い出した沙耶に、恭治さんは笑いながら、そうかそうかと言った。見れば咲華さんも笑っている

 

「なるほど、噂のイケメン探偵ってやつだね? この頃、息子見たさに押しかける人たちが多くてねぇ...」

 

「あはは...沙耶がすみません...」

 

「良いのよ、私はうちの息子が世間様から見て目に入れても痛くない子でホッとしてるわ。気遣いもできて優しくて、いい子なのよ?」

 

「また始まっちまったよ...。すまんな、家内は息子のこととなるといつもこうなんだ」

 

 乾いた笑みで返す。何かと苦労していそうなお父さんだった。そんな話をしていると、奥の廊下から、一人の男の人が現れた

 

 背丈は170後半と見て取れるくらいに高く、髪の毛は片側は目が隠れるように伸びていて、もう片側は黒い髪留めで止められていた。そして、黒い額縁の眼鏡をかけていて、その眼鏡を通して見えるその目は、とても眠たげだ。フラフラと前傾姿勢のままで歩いてきていた。その他の顔のパーツは、確かに整っていると言えるだろう

 

「おぉ、晴大(せいだい)。起きたのか」

 

「話し声が聞こえたからな...お客さんか?」

 

「まぁ、そんなところだよ。とりあえず、紹介するから座ってくれ」

 

「あぁ。咲華さん、カフェオレお願いします」

 

「はいはい」

 

 優しげな笑みを浮かべて咲華さんは部屋から出て行った。この人が、噂のイケメン探偵さんだろうか?

 

「紹介するよ。息子の橘花(たちばな) 晴大(せいだい)だ。大学生でうちの仕事を手伝ってくれてる。今噂のイケメン探偵だ」

 

「その紹介に悪意を感じるんだがね。まぁいい、親父から紹介があったとおりだ。宜しく頼むよ」

 

「こっちのショートの子が月本 沙耶ちゃんで、こっちが浪川 雪菜ちゃんだ」

 

 恭治さんが晴大さんにそう紹介すると、晴大さんの眠たげな目が大きく開かれた。瞳孔が開いており、驚いているように感じる

 

「あぁ失礼。彼も事件を追っていてね。少し神経質なんだよ。ごめんね」

 

「いえ、大丈夫です」

 

「...すまないな。まぁあれだ、探偵の(さが)とでも思ってくれ」

 

 多少言葉は荒いものも、それでも確かにイケメンの部類に入るのだろう。それが珍しい探偵をしているのだから、噂になるのも仕方の無いことかもしれない。沙耶は先程から隣でずっと目をキラキラとさせている

 

「それで、どんな依頼だ?」

 

「この子達は依頼じゃなくてお前を見に来たんだとさ」

 

「...親父、そろそろ営業妨害で訴えてもいいんじゃないのか」

 

「客足が少ないんだからするわけないだろう」

 

 恭治さんはケラケラと笑っている。それに反して晴大さんはどんよりといった感じで、気落ちしているようだ。開いていた目もまた眠たげになっており、疲れていることが伺える

 

「夜中までパソコンなんていじってると、目悪くするわよ?」

 

 咲華さんが甘い香りのするカフェオレを晴大さんの前に置いた。甘党なのだろうか。それとも単にブラックが飲めないのか。置かれたカフェオレを晴大さんはゆっくりと飲み始めた。そして何口か飲むとマグカップを置いて深く息をついた

 

「仕方がない。ようやく見つかりそうだったからな。明日の昼頃また出かけるよ」

 

「早めに帰るのよ?」

 

「善処はするよ」

 

 探偵の仕事というと、張り込みとかだろうか。しかし様子を伺う限り、凄腕というのは確かなようだ。目の前で捜査の話などをする晴大さんからはそう感じ取れた

 

「あっ、あの...」

 

 沙耶がおどおどといった感じで口を開いた。ポケットから携帯を取り出して、晴大さんに向かって頭を下げて頼んだ

 

「れ、連絡先交換していただけませんかっ!?」

 

 それを聞いた晴大さんは困ったような顔をして頬を指でかきながら答えた

 

「あぁー、すまないな。捜査の最中に鳴ったりするとあれだから、基本依頼人以外の連絡先はいれないんだ」

 

「そ、そうなんですか......」

 

 ショボンっといった感じに沙耶は項垂れた。そんな沙耶を見て軽くため息をついた晴大さんはポケットから携帯を取り出して言った

 

「まぁ...夜中にメールとか、頻繁にしてこないなら別にいいよ」

 

「ほ、本当ですかっ!? やったぁ!!」

 

 一変して笑顔になった沙耶を見て、晴大さんは苦笑いをした。2人は携帯の赤外線を使い連絡先を交換したようだ

 

「良かったじゃないか。現役女子高生の連絡先だぞ」

 

「あまり変なことを言うなよ親父。変態っぽいぞ」

 

「あら、貴方は昔から変態よね?」

 

「咲華!?」

 

 ふふっ、と口元から笑いがこぼれた。見れば沙耶も笑っている。明るく楽しそうな家族を見て、私は羨ましく感じた。こうやって笑い合える家族でありたかった。両親を取り戻したい、と強く思った。けれど、黒魔術が使えるわけでもない。私に出来ることはやはり...兄を追うことだけなのだ

 

 

 

 

 

 〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 

 

 

 

 

 カラーンッと音を立てて扉が開かれ、女子高生達は事務所から出ていった。俺は深く息を吐き出した後、未だ机の付近で作業をしている親父に声をかけた

 

「...親父、あの子は......」

 

「あぁ、わかってるとも。妹だろうな。前に調べた物によれば、親戚ではなく父親の友人を名乗る男が引き取って育てているとのことだったが、まさか地元とはね」

 

「果たして偶然か...。普通、殺人鬼のいるであろう範囲から逃げようとは思わないのかね。捉えようによっては、たまたま殺されなかった。けど、今も尚命を狙ってるって考えてもおかしくはないが...」

 

「心配か?」

 

「...わかんねぇんだよ。なんで殺されなかったのかが。それに、なんで親戚ではなく友人が引き取ったんだ?」

 

「親戚は皆断ったらしい。殺人鬼の妹なんて、ってな」

 

「...なるほどね。どこからどう見ても、関係ないだろうに...」

 

「んで、どうするんだ? 殺人鬼の捜索依頼を片すのか。それとも別の物か?」

 

「...別の物、だな。親父も調べてくれてるんだし、俺はこっちを先にかたす。時間かけるとめんどそうだしな」

 

「どっちの依頼も時間かければかけるほど厄介だっての。強いて言うなら、犠牲者が出るこっちの方がやばい」

 

「...警察も動いてんだし、ちったぁこっちよりマシでしょう」

 

 マグカップに残っているカフェオレを飲み干す。甘い味と糖分が頭に染み渡っていく。苦いのは苦手だ。世知辛い世の中だ。飲み物くらい甘くたっていいだろう

 

「俺もそっちを手伝ってやりたいが...如何せんこっちの方が俺にとっては大事なことなんでな」

 

「良いんだよ親父。親父は親父の理由で。俺は俺の理由で依頼をこなしてんだ」

 

「...せめて、見つかるといいな」

 

「まったくだ。できれば提供先の子も見つけたいところだ」

 

 窓をチラリと見やる。こんな晴れ空の中、殺人鬼は闊歩しているのだ。誰にもバレずに。誰にも気付かれずに。一体どんな手で? どうやって姿をくらました?

 

「...謎は深まるばかりだな」

 

「迷宮入りしないことを願おうぜ、親父」

 

 そう軽口を叩いてから、俺はまた自室へと戻って行った。さて、情報をまとめ直して、明日に備えなくてはな

 

 

To be continued...



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彼女は俺に依頼をする

 起きてすぐにすることは、髪留めで長い髪の毛をとめることだ。片側は隠れる形になるが仕方がない。今は長い髪の毛で我慢するしかない。時が来たら、短めに切ろうと思っている。置いてある眼鏡をかけて服を着替え、自室から出る

 

「おはよう。今日は早いのね」

 

 事務所兼自宅のこの家のキッチンでは咲華さんがご飯を作ってくれていた。目玉焼きにサラダ、果実と朝に適したと言える料理が並び始める。優しい味がするので俺は好きだ

 

「昼から出かけるからね。幸いにも明日の講義は朝早くからじゃないし」

 

「だからって夜な夜な遠くまで行っちゃダメよ?」

 

「わかってるよ」

 

 ご飯とともに目玉焼きを食べ、先程置かれたばかりの暖かい味噌汁を飲む。それで食べ終わった後は暖かいお茶でゆったりと寛ぐのが時間がある時の行動だ

 

 カラーンッと事務所の扉につけられている鈴がなった。こんな朝早くにお客さんだろうか

 

「珍しいこともあるもんだな。親父は?」

 

「まだ寝てるから、お願いしてもいい?」

 

「りょーかい」

 

 事務所の方へと続く扉を開いてみると、大人しい服装に身を包んだ女の子が立ったままその場で待っていた。黒い額縁の眼鏡をかけた長い髪の女の子。あの子は...

 

「おはようございます、晴大さん」

 

「...おはよう。こんな朝早くからどうしたんだ? 昨日のあの子も一緒じゃないみたいだし」

 

 昨日来た女の子。浪川 雪菜がそこで待っていた。とりあえず立たせておくのもあれなので、彼女をソファーにまで誘導して座らせる。飲み物は何がいい、麦茶かジュースか珈琲か、と聞くと、カフェオレで、と返してきた

 

「なんだ、ブラックは嫌いか?」

 

「貴方が昨日飲んでるのを見たので。それに、珈琲の香りがとても良かったから、飲んでみたいと思ったんです」

 

「三択しかなかったのにカフェオレを選ぶその度胸に免じて、俺が淹れてやろう。不味くても文句は言わないでもらいたいね」

 

「いえ、ありがとうございます」

 

 少しばかり嬉々とした感じを醸し出しながら、珈琲を入れて牛乳を混ぜ、粉砂糖とガムシロップが入った容器をいくつか持っていく。彼女はマグカップを受け取ると、特に砂糖などを入れることもなく飲み始めた

 

「なんだ、入れないのか?」

 

「これくらいが丁度いいです」

 

「そうか。俺なら3個は入れるんだがね」

 

 糖尿病になりますよ、と注意された。こんな仕事ばかりじゃ甘いものが欲しくなるというものだ。むしろガムシロップ単体を沢山入れたものを飲み干してみたい願望まである。流石にやらないけど

 

「それで、なにか依頼か? それとも忘れ物でもしたか」

 

「えぇ...依頼、ですかね」

 

「へぇ...何でも言ってみ? ストーカーか? 脅迫か? 彼氏の素行調査か?」

 

 軽く茶化しながら彼女にそう問いかけた。彼女は俯きながら、重々しくその口を開いた。そこから先の言葉を、聞かなければよかったと軽く後悔することになる

 

 

「浪川 鏡夜を探し出してほしいんです」

 

 

「..........へぇ」

 

 

 軽く頬が引き攣る感覚に陥った。すぐに元の表情に戻して、彼女に色々と聞いてみることにした

 

「その依頼をしてくるのは少なくない。色々と調べてはいるんだが...君の名前も出てきてるんだ。浪川 鏡夜の妹、浪川 雪菜ってのは君だろう?」

 

「...はい」

 

 彼女は俯いたまま、悲しそうな雰囲気を醸し出しながら話を聞き続けた。本来なら本人にこんなことを聞くのはあまりやりたくない事なんだが、これも仕事だ。俺は意を決して彼女に問いかけた

 

「何故探し出してほしいんだ? 殺人鬼の暴行を止めるためか? それとも、身内だからか?」

 

 俯いたままだった彼女が顔を上げた。彼女の目は、確固たる意思を宿していて、俺の中を何かが貫いていったような感覚があった

 

「...殺したいんです」

 

 聞き間違えたかと思うような言葉だった。だが、再度開かれた彼女の口から発せられた言葉に、それは聞き間違いではないということを決定づけられてしまった

 

「兄を、殺したいんです」

 

「......そりゃまた、なんで?」

 

 引き攣った顔が元に戻らない。今鏡を見れば酷く滑稽な顔をしていることだろう。普通思わないだろう、ただの女子高生が兄を殺したいという理由で依頼をするなど

 

「兄は、父と母を殺しました...だから、同じ目に遭わせてやりたいんです。私が味わった悲しみと苦しみを、味あわせてやりたいんです」

 

「だから殺す、と?」

 

「それが、一番手っ取り早いですから」

 

「君が殺人犯になろうとも?」

 

「...はい」

 

 淡々と、しかし冷酷にその言葉は紡がれる。額を抑えて溜息を吐く。何度か頭をガシガシと強くかいて、俺は口を開いた

 

「同じ苦しみを味合わせるなら、殺すのは得策じゃないだろうさ」

 

「...何故ですか?」

 

「罪を認識させ、それを償わせる。それは警察の仕事だ。俺達探偵にはそれは出来ない。俺達ができるのは、証拠を集めることだ。そして犯人を特定し、それを警察に突き出す。それが探偵の仕事だ」

 

「...だから、なんですか?」

 

「死ぬって言うのはな、物事のしがらみから抜け出すってことだ。罪から抜け出し、償いをせず、消えちまう。それは復讐になり得ない。君は、ただ自分が抱え込んだ恨み辛みを晴らしたいから殺したいんだ。それは復讐じゃない。自己満足だ」

 

「私にとっては、殺すことこそが復讐です。例えそれが自己満足だとしても」

 

「それは君が罪を負ってまでするものじゃない。君みたいなのが未来を潰すんじゃない」

 

「...でも」

 

「でももなにも無い。俺に出来ることは、全ての罪を明らかにし、その上で刑務所にぶち込むことだ。相手の心に罪を認識させ、その上で償わせずに生きながらえさせる。それこそ、俺にとっての復讐で、俺が君に提示できる最大の復讐方法だ」

 

「...貴方にとっての?」

 

「あぁ、そうだとも」

 

 あまり話したくはない内容だが...致し方ないことだ。それに、彼女には知っていてほしい情報でもある。いずれ訪れるかもしれない未来のために

 

「俺も親父も、殺人鬼を追っている。それも、ずっと前からだ」

 

「そうなんですか」

 

「あぁ。殺人鬼は昔からある手口を使っていてね。なんだと思う?」

 

「...わかりません」

 

「死体を売ってるんだよ」

 

「...えっ?」

 

 彼女は頓狂な声を上げた。そりゃそうだ。この事は警察でさえも知らない。俺と親父が長年追っかけて掴んできた情報だからな

 

「俺が奴を追う理由...それは、俺の弟が殺されたからだ」

 

「...弟さんが...?」

 

「あぁ。そんでもって、その死体を売られちまったわけだ。その死体の受取人も先日何とか見つけ出した。口封じのためか、殺されてたがな」

 

「...そう、だったんですか」

 

「そんで、売られた弟の体の臓器はまた別ルートで売られた訳だ。俺はその売られたルートがわかったから今日の昼から出かけて行ってみる予定だ」

 

「すいません、そんな大事な時に押しかけてしまって...」

 

「良いんだ、気にすんな」

 

 先程まで確固とした意思を宿していたその少女は、今は落ち込んでいるように見える。酷く脆そうだ。体ではなく、心が。磨り減ったのだろう、長年の間で。そして、それを支えているのが、殺人鬼への、兄への復讐心ときた。こういった奴の結末は決まってる。どう足掻いたとしても、BAD ENDだ

 

 ...そうさせないために、俺はいる

 

「親父が殺人鬼を追う理由だがな...前の嫁さんが殺されたんだよ」

 

「..........」

 

「俺にとっては母親でな。今いる嫁さんは、親父の再婚相手ってわけだ。昨日も見たろ? 咲華さんのことだ」

 

「...だから、名前で呼んでるんですね」

 

「そういうことだ。親父も頑固でね。前の嫁さんでも、俺の愛した女だって言って、ずっと追っかけてんだ」

 

「...皆、兄のせいで大切な人を失ってるんですね」

 

「お前が気に病むことはない」

 

「...ありがとうございます。話を聞けて、良かったです。兄がどうやって生きているのか、わかりましたから」

 

「...なに?」

 

 軽く眉にシワを寄せて聞き返した。彼女は俯いたまま、少し涙ぐんだ様子で話しだした

 

「ただの中学生が、誰の力もなしに生きられるわけがなかったんです。兄は、殺した人を売り払って、そのお金で生きていたんですよね」

 

「...それが、殺人鬼の生き方なんだろうな。胸糞悪くなる話だが」

 

「...私は、どうするべきなんですか? あの兄の妹として...被害にあった人に、謝るべきなのですか? 私自身の手で、兄を止めるべきなのですか?」

 

 ポタリッ、ポタリッと机に涙が落ちた。彼女の可愛らしい顔が、涙で濡れて軽く歪んでしまっている。手を伸ばして、指で彼女の涙をすくう。そして、頭に手を乗せて軽く撫でた

 

「君は何も心配することは無い。殺人鬼は、俺と親父で絶対に捕まえる。君は兄を殺したいのかもしれない。俺らもそうだ。大切な人を殺された。俺も、君と同じ想いだ。けど、それをしてしまったら、俺は殺人鬼と同じになってしまう。君もそうだ。思うだけにしろ。実行に移すな。君は被害者だ。誰に謝る必要も無い。それに、君は兄を止めたくて俺達に依頼を出しに来たんだ。それだけで、充分よくやったとも」

 

 彼女の頭から手を離した。泣くまいとしていた彼女は、我慢することも出来なくなったのか、声を出して泣き始めた。辛かったのだろう。こんなこと、友達には相談できない。信頼できる親はいない。誰にも話せず、心の中で迷い続けた。自責の念に押し潰され、なんとかしなくてはと思っても何も出来ず、ただ日に日に殺人鬼への殺意は膨れるばかり。悲しさも、親を想う愛しさも優しさも、すべてを殺意へと変えてしまったのだろう

 

「君は自分の今を進みなさい。限りある余生を幸せに生きなさい。そして、殺人鬼が捕まったら問い詰めればいい。暴言雑言をしまくればいい。警察にはそれくらいの手回しは出来る。だから...少しずつでもいいから前に進みなさい」

 

 彼女の泣く声は止まらない。彼女は口を開き、泣き声で途絶え途絶えになりながらも、必死に言葉を紡いで伝えてきた

 

「な、ら...手伝って、ください...私が、前に、進めるように...」

 

「...いいとも。俺なんかでよければね。その依頼、承ったよ」

 

「あり、がとう...ございます...」

 

 未だ泣き止まない彼女に、ポケットの中に入れていた青色のハンカチを取り出して渡した。彼女はお礼を言うと、そのハンカチで涙を拭き始めた

 

「...楽になったか?」

 

「...はい」

 

 未だ軽く泣いてはいるものも、彼女は頷いて返してきた。俺は、忘れないうちにと机の中に入っている小さな手帳を取り出して、ボールペンとともに彼女に渡した

 

「そこに、君の名前と保護者の名前。そして連絡先と住所、依頼内容を書いてくれ。これも一応、仕事なんでね」

 

 そう言うと、彼女は綺麗な字で手帳に書き込み始めた。書き込まれていく彼女の名前、保護者の所には滝川 総司と書かれている。知らない名前だ。一応後で親父にも教えておこう。その下には彼女の携帯番号が書かれていて、更に、滝川 総司の携帯番号と自宅の電話番号が書かれていた。そして住所も書き終え、依頼内容を書き始めたが...その指は止まってしまった

 

「...どうした?」

 

「いえ、その...なんて、書いたらいいのか...」

 

 既に書かれた依頼内容の一つは、殺人鬼である兄の捜索。そしてもう一つ書こうとしているのは、先程の彼女の手伝いのことだろう

 

「恥ずかしがることもないさ。自分がしてもらいたいことを書いてほしい」

 

「...はい」

 

 彼女の頬が軽く赤く染まった。そして書かれた依頼内容。それは...

 

「あっ、ち、違っ...こ、これは間違えで...」

 

 私と一緒に前へ進んでほしい、と書かれていた

 

「わ、私が依頼したいのは、そういうことじゃなくて...」

 

「...おや、もうそろそろ時間だな」

 

「あっ、ちょっと待って...!?」

 

 ヒョイっと彼女の手から手帳を取り上げる。ふむ...一緒に前に進んでほしいとは、これはある種の告白だろうか?目の前であたふたとしている彼女も見れて、非常に愉快だ。このままにしておくことにしよう

 

「それじゃあ、依頼承りましたよ」

 

「う、うぅ...」

 

 彼女は恨めしそうにこちらを睨んでくる。そんな彼女を見て笑いがこみ上げてきた

 

「くっはははっ、なに、まぁいいじゃないか。あまり頼れる人もいなかったんだろう? なら、俺になら甘えたっていいんだよ? それも、お仕事の内さ」

 

「うぅ...」

 

「ガス抜き程度にでも考えておけばいいさ。辛いことがあれば話せばいい。わからないことがあれば聞けばいい。相談したいことがあるならすればいい。君はもう充分苦しんだんだ。ここから、少しずつでも明るい未来に行くために、頼りなさい、周りの人を」

 

「......はい」

 

 泣き顔から少し変わって、彼女は少しだけ微笑んだ。それが見れただけでも充分だろう。彼女は立ち上がって、そろそろ帰ると旨を伝えてきた

 

「なんだか、乱暴な口調の人だと思ってたのに、優しい言葉も使うんですね」

 

「使い分けてるんだよ。これでも、人と接するお仕事だからな」

 

「...その優しい口調が、本当に昔の兄みたいで...ちょっとだけ、いいかなって思います」

 

「恨んでるんじゃないのかい?」

 

「今と昔は別ですよ...好きだったんです、昔の兄は...本当に...」

 

 そう言って彼女は事務所の入口の扉に手をかけた。振り返って、軽く頭を下げてから聞いてきた

 

「また来ても、いいですか?」

 

「俺がいるかはわからんが、いつでも来るといい。珈琲ぐらいなら出すよ、咲華さんが」

 

「貴方の珈琲が飲みたい、といったら?」

 

「俺がいる時にでも頼むんだな」

 

 カラーンッと音がなって、彼女はお礼を言ってから店を出ていった。昼近くの事務所付近は商店街へ買い物に行く人々が沢山通る。その人混みに紛れるように、彼女は消えていった

 

「...ふぅ。まったく、困ったもんだね。どうだい、親父?」

 

 後ろを振り向いてみれば、扉を開けて親父が入ってきていた。恐らく途中から聞いていたのだろう。それぐらいはわかった。これでも探偵やる上では気配察知の能力も割と重要だからな

 

「人の過去を話しやがって...まったく」

 

「仕方ないな。信用を勝ち取るには手の内を明かすのが楽でいい」

 

「そりゃそうだがね。んで、保護者の名前は?」

 

「滝川 総司、というらしいな」

 

「滝川 総司ね...」

 

 親父が静かに何かを考え出した。何か気になることでもあったのだろうか

 

「知り合い?」

 

「いやまったく。でも、似たような名前をどっかで...そうだ、昔大学生の頃聞いた気がするな。まぁ、関係ないだろうがな」

 

「ふーん、まぁ、一応調べておくに越したことはない。親父の大学ってどこだっけ?」

 

譚帝(たんてい)大学だな。そこの心理学専攻だった。調べるなら、俺の大学の友人の連絡先を渡すぞ。一癖二癖あるかもしれんがな」

 

「親父自身で調べれば...って、無理か。警察からお呼ばれしてるんだろう?」

 

「集まって会議に参加してくれ、だとさ。こんなら特命係みたいな感じで警察署に部署を置いてほしいもんだね」

 

「流石だな、親父は。警察に友人がいるんだっけか」

 

「高校時代のやつがな」

 

「ほぉ...」

 

 親父の交友関係はなかなかに広い。調査する分には助かるからいいんだがね。今回みたいな時には助かる

 

「こっちの件が片付いたら滝川 総司について調べてみるよ」

 

「任せた。俺は奴の足取りを追う」

 

 そうやって俺と親父は互いに情報の交換をし合い、殺人鬼を探し出していく。俺はもう親父の足を引っ張るようなヘマはしない。これでも探偵として働き始めてそこそこ力はつき始めたんだ。絶対に逃がすものか

 

 

To be continued...



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俺は奇跡的な遭遇を果たす

 

 買ってまだ何年も経っていない自分の黒い車に乗って県外のある病院へと向かう。県外と言っても、隣の県だ。車で行けばすぐにつく。目的地である病院はかなり大きく有名な病院だ。口コミも良いのが多く、他県から酷い症状の患者も送られてくるようだ。設備も充実、医者の腕はピカイチ。有名にならないわけがない

 

 車を運転しながら、あまりしたくはないが携帯を片手に持って病院へと電話をかける。何コールかあとに、受付であろう女の人の声が聞こえ、もはや定例文であろう、どこどこの病院です、どう致しましたか? という台詞が聞こえてきた

 

「自分は隣の県で探偵をやっております、橘花探偵事務所の橘花 晴大という者です。そちらの院長に話を伺いたいので、この後話し合いの場を設けることは出来るでしょうか?」

 

『少々お待ちください...』

 

 受付の人がそう言ってから数分後、携帯を通じてまた話しかけてきた

 

『申し訳ありませんが、院長はこの後も多忙でして...できない、とのことです』

 

「そうですか...」

 

 まぁ、こんなことだろうと思っていた。誰が探偵なんかと話をするかってところだろう。でも、こっちにはまだ切れる手札がある。相手は逃げ場を失うことだろう

 

 ニヤリと不敵な笑いが零れた

 

「では仕方がありませんね...院長に、Sサイズと伝えていただけませんか?」

 

『はぁ...Sサイズ、ですか?』

 

「えぇ、できれば至急にお願いしたいです」

 

『少々お待ちください...』

 

 また数分間沈黙の時が流れる。再び戻ってきた受付の人の声は、どこか焦っているような雰囲気を感じ取れた

 

『院長は、今から仕事を他の人に任すので来てもらいたいとのことです』

 

「了解です。それではですねぇ...駐車場の入口付近に黒い車があるので、そこまでお越し頂くようにお願いできますか?」

 

『わかりました、伝えておきます。それでは...』

 

 ガチャリと音が鳴って通話は切れた。主導権はこちらが握ったに近いと思ってもいいだろう。相手は暴力沙汰も警察沙汰も勘弁して欲しいと思っているはずだ

 

「..........どこもかしこも、こんなことやってんのかねぇ」

 

 深くため息をつきながら、車を走らせること数分、目的地にたどり着いた。奥の方には行かず、入口付近に車を停める。幸いにも周りに黒い車なんてないので、見つけるのは容易だろう

 

「...あれか」

 

 奥の方からスーツ姿の男が歩いてきているのが見えた。その男は車を見ると、歩くスピードを早めて近寄ってきた。窓ガラスを開けて、彼に挨拶をする

 

「どうも初めまして、院長殿。自分は橘花 晴大という者です。これでも、探偵をやっております」

 

 軽く頭を下げて彼に向かってそう告げる。見た感じ、歳は40代後半から50代前半。おじさんと敬称するのがいいと思うぐらいの年齢だろう。顔もところどころに皺が出来ているが、どことなく優しい顔立ちをしている。その顔も、今や焦りのせいで軽く歪んでいるが

 

「ど、どこでその話を...!?」

 

「おっと...焦らないでくださいよ。俺は警察にはまだ言ってませんし、それにここでは貴方も話しずらいでしょう? 移動するので乗ってください」

 

 身を乗り出して聞いてきた院長を押しとどめて車の中に招き入れた。助手席に座った彼は、酷く落ち着きがないように見える

 

「とりあえず...この場から離れましょうか」

 

「ど、どこへ連れていくつもりだ?」

 

「ふむ......公園なんて、どうです?」

 

「...はっ?」

 

 

 

 〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 

 

 

 公園の駐車場に車を停める。フロントガラスの向こう側では、子供たちが元気にボールを使って遊んでいる。規則性のない遊びで、ルールなんて物も無い。強いて言うなら、子供こそがルールだろう。自分の楽しいように、したいように。それこそが子供の世界のルール。無邪気な子供たちの遊びの世界だ

 

「...こんなところまで連れてきて、何がしたいんだ」

 

 会った時よりも少しは落ち着いたように見える院長。先程教えてもらった名前でいえば、染野(そめの)院長というようだ

 

「さぁ...でも、微笑ましい光景だと思いませんか?」

 

「...一体何が」

 

「目の前の光景ですよ。子供が無邪気に遊び回ってる」

 

 ハァッとため息をついた。ダメだな、最近ため息が多くなって仕方が無い。幸せなんてものと程遠い人生だが、なけなしの幸せを手放すなんて以ての外だ

 

「...染野院長。率直に聞きましょう。貴方、内臓を買っていますね? それも、裏のルートで」

 

「...調べも、ついているんだろう?」

 

「さぁて、どこまででしょうね」

 

 俺は相手を揺さぶるためにニヤリと含み笑いをした。だが、俺の予想に反して院長は割と早く口を開いた

 

「...あぁ、そうだとも。買ったさ」

 

「...素直に認めるんですね。もっと粘るかと思っていましたが」

 

 少しだけ拍子抜けした。まぁ、話が簡単に進んでいくのならそれに越した事はない。染野院長は話を続ける

 

「Sサイズ、などと言われてはな...隠せることも無いに等しいところまで調べがついてるんだろう?」

 

「自分がどこまで調べがついてるかなんて、貴方の脳内の物と一致するとは限りませんよ」

 

「それでもだ」

 

 染野院長の顔は酷く疲れたように見える。俺はそんなことを気にすることもなく、話を続ける。聞きたいことは沢山あるんだ

 

「何故買ったんです? それが、裏のルートで...誰かに売られたものだったと分かっていながら」

 

「...医者なら、当然だろう」

 

「...なに?」

 

 院長が重々しく放った言葉は、次第に大きく、そして感情的になっていく

 

「救える命が、目の前にあるんだ! けど、臓器の提供先なんてものは数少ない...ドナーだって簡単には見つからない! なら、どうするべきか分かるだろう? だから買ったんだ、目の前の命を助けるために、それが、非人道的なものだったとしても...!!」

 

「...なるほど」

 

「助けられる命を助けて何が悪い!? どの道、提供元のところで臓器の元となった人物は事切れてるさ。なら、使ってやるのもその子のためじゃないのか!?」

 

「...話を合理化しないでくれますかね。使ってやるのがその子のため? 残された側が、必死こいて探しているというのに?ふざけるのも大概にしろよ」

 

 染野院長を強く睨みつけた。染野院長は返す言葉に困りながらも、それでも諦めてなるものかと言った感じで返してきた

 

「だ、だが、助かる命は沢山あった! なければ、助からない命が沢山あった! 未来のない者と、未来のある者、どっちを取るか分かりきっていることだろう!?」

 

「...言ってることは正論だよ。アンタのやってる事は人として間違ってる...だが、医者としてのその心意気だけは間違っていない。何が何でも助ける。そのために裏ルートまで使って必要なものを手に入れた。だが、もうそんなことは出来ない」

 

「...なぜだ?」

 

「死んだからだよ。アンタが使っていた店...ヒューマンショップ、言っちまえば人身売買所。あそこの人間は皆死んだとも」

 

「死んだ...だと?」

 

「あぁ、俺が行って確認した。中にあったのは店員だろう男どもの死体だけだったよ。んでもって、こいつが落ちていた」

 

 そう言って携帯を取り出してある画像を見せつける。その画像は、白いカードに描かれている手鏡の中に映る三日月。殺人鬼の残した証拠品だ

 

「まさか...今話題の、浪川 鏡夜が...?」

 

「あぁ。話題に上ってはいるが、実際こいつは初の殺しである5年前から何度もやってる。殺害現場にカードを残し始めたのは、最近のことだ。おもしれぇもんだよな、まるで、俺がやったと皆に見せ付けたいみたいだ。それまで誰が殺したのかもわからない事件が多かった。けど、殺人鬼は唐突に皆の前に名乗りを上げたんだ。俺はまだ捕まってない。俺はまだ生きているってな」

 

「...そういえば、君は探偵だったか」

 

「あぁ、そうだ...っと、そうですね。まぁ、自分が聞きたいことはまだあるんで、答えてもらっていいですかね」

 

 口調が荒くなっていたため、多少無理やりとはいえ柔らかい口調に戻して話を進める

 

「...それはいいんだが、その後どうするつもりだ。警察に言うのか?」

 

「いいえ、ンなことはしませんよ。まぁ、貴方の道理もわかる。警察が自力で突き止めた場合は知りませんけど...」

 

「...そうか」

 

 染野院長は深く息を吐いてから、何が聞きたい? と尋ねてきた

 

「自分が知りたいのはひとつ。4年と5ヵ月程前に貴方が買ったSサイズの用途についてです」

 

「..........」

 

「覚えておいでですか?」

 

「...あぁ、覚えているとも。買ったものは、全部覚えてる」

 

「それは良かった」

 

 この優しそうな院長のことだ。恐らく罪悪感か何かで、忘れたくても忘れられなかったんだろう。酷く落ち込んだ様子のまま、彼は話し始めた

 

「小学校6年生の女の子だ。両親と夜ご飯を食べに行った帰り道に、車の運転中に事故にあった。大型のトラックが居眠り運転で、突っ込んできたらしい」

 

「...それは、また」

 

「酷いのはここからだ。事故にあった両親はそのまま即死、乗っていた女の子は後部座席だったからか、重傷を負いながらも生きていた」

 

「...それで」

 

「大きな硝子の破片が突き刺さっていた。その硝子の破片は内臓を貫き、一命は取り留めてもその後の生活に支障が出て、生きづらいものとなるだろうと予想はできた。病院の中では、このまま殺してしまった方が、幸せなんじゃないのかって意見も出た」

 

「両親は他界して、子供だけが取り残された、か」

 

「それでも、私は諦めたくなかった。私にも孫がいる。当時、丁度その女の子と同じくらいのだ。そのせいもあって、私は助けたいと強く思った」

 

「...で、買ったと」

 

「...あぁ」

 

 話を終えた染野院長は、後悔はしたが、それでも助けられたんだと言った。間違ってはいない。間違ってはいないというのに...。院長が悪いのか、それとも人身売買側が悪いのか...言っちまえば両方悪い、か。けど、綺麗事だ、そんなの。彼は綺麗事で済ませられなかったから、汚したのだろう。それでも助けたかったのだろう。その心は...悪いとは思えない

 

「...それで、この話を聞いてどうしたかったんだ?」

 

「...弟なんですよ。そのSサイズの子は」

 

「...そう、だったのか...済まないことをした...」

 

「いや...いい。その話が聞けてよかった。少なくとも、酷い扱いをされたわけじゃないからな。それで、俺が本当に聞きたかったのはここからだ。その助かった女の子は、どこにいる?」

 

「...当時はこの県にいたんだが、今は祖父母方に引き取られて隣の県に移り住んだらしい」

 

 隣の県っていうと...俺の住んでる県の方か。なら探すのはまだ楽でいい

 

「名前は......月本 沙耶と言ったか」

 

「...なんだって?」

 

「知り合いか?」

 

「...まぁ、そうですね」

 

 軽くこめかみを抑える。まったく、とんだ奇跡が起きていたもんだ。あのお転婆っぽい女の子が、まさかアイツの臓器の提供先だったなんてな...。当時の年齢から逆算しても、今高校2年。ビンゴだろう

 

「...良かった。本当に......」

 

「...その子は、今元気にしているかね?」

 

「えぇ......っと、失礼」

 

 携帯からメールの着信音が鳴り響いた。送り主は...月本 沙耶だ

 

『来週の土曜日、私と雪菜とで会いたいんですけど...空いていませんか? あ、空いていなかったらいいんですけど...私達みたいな高校生じゃ、合わないですかね...? もしかして、このメールお邪魔になってたりします...? そ、そしたらごめんなさい!!』

 

 文面を見て、思わず笑ってしまった。なんてタイムリーな子だろうか。別に、ここまで改まった感じじゃなくてもいいんだけどな

 

「何か面白いことでも...?」

 

「えぇ...そうですね。その子は元気にやってますよ」

 

 少なくとも...今を楽しんで生きてはいるだろう。きっと...

 

 そうであってもらいたい。弟の臓器が移植されてるんだ。だから...せめて、アイツの分まで幸せに生きてほしい。それは、俺からの願いでもある

 

 どうかその道の先に幸あれと、俺は願うばかりだ

 

 

To be continued...



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私は彼の元へと赴く

 

 外では雨が降っている。おかげで学校内ではクーラーを使わなくてもいいくらいに涼しい気温を保っていた。クラスの男子は昼ごはんの時間になると皆で集まって携帯片手にゲームを始める。女子はそんなこと知らないといった感じに集まってご飯を食べ始める

 

 目の前からうぅ、うぅ、と音が聞こえてくる。それは携帯のバイブ音ではなく、机に突っ伏している沙耶の呻き声だ

 

「どうしよう雪...誘ったのはいいけど緊張してきた...」

 

「緊張って、土曜でしょ? まだ水曜じゃない」

 

「服どんなのきていけばいいのかなぁ...こないだ着てった奴が一番いいのに、それまた着ていったら変に思われないかなぁ...」

 

「考えすぎよ」

 

 項垂れる沙耶の頭に手を乗せてよしよしと何度か撫でる。沙耶はそれでも、うぅうぅと唸り続けている

 

「しかも私なんて勝手に同行することになってるし...」

 

「だって1人とか絶対無理だもん...助けて雪えもん」

 

「もしもボックス」

 

「誘わなかったことにしろって言いたいの!?」

 

 うわぁぁんっと叫んだ後、自棄になるかのようにご飯をかき込んだ。それを微笑ましく見つめながら、私もご飯を口に運んでいく

 

「雪って自分でお弁当作ってるの?」

 

「うん。起きるのが遅くなった時は買ってくることが多いけどね」

 

「凄いなぁ、しかも美味しそうだし。私のはおばあちゃんが作ってくれるんだけど、味が薄いんだよね...」

 

「優しい味って感じ?」

 

「優しさでお腹は膨れないよぅ」

 

 少しだけ文句は言いつつも、沙耶はいつも美味しそうにご飯を食べている。私はそれを羨ましく思った。私も...お母さんの料理が食べたい。家族が作ってくれたご飯が食べたい。美味しくなくてもいい、家族で一緒にご飯が食べたい

 

「...雪?」

 

「っ、あ、ごめん。なに沙耶?」

 

「また暗くなってた。なんか、時折あるよね。気がついたら俯いてて、暗くなるの」

 

「...大丈夫だよ、沙耶」

 

 そうは言っても、沙耶は不安そうに私を見つめてくる。私はそんな沙耶から目を背けた。すると沙耶は私の手を掴んで、さっきよりもまっすぐとした目で私を見つめてきた

 

「何かあるなら言って。私に出来ることなら手伝うから」

 

「......ありがとう、沙耶。でも、大丈夫だよ」

 

「...本当に?」

 

「...本当に」

 

「...そっか」

 

 そう言って沙耶は私の手に重ねていた手を離して、窓の外の景色を見始めた。私も横を向いて外を見る

 

 雨が酷く降っていた

 

 

 

 〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 

 

 

「...ひでぇ雨だな」

 

「あぁ。こりゃあ、流石の殺人鬼も休業かねぇ...」

 

「本当にそう思う?」

 

「いいや、全然。むしろ殺るなら絶好の天気だろうよ」

 

 事務所の窓から外を見ている親父はそう答えてきた。俺はカフェオレの入ったマグカップを口に運び、ゆっくりと冷ましながら喉に流し込んだ

 

「雨に濡れれば匂いが消える。匂いが消えれば警察犬は役に立たん。それに雨の音で周りの音が聞こえにくくなる。そして人はあまり出歩かないから目撃者が減って被害に遭う候補者だけが増える。まったく嫌な天気だ」

 

「俺らもあまり動けないからなぁ...」

 

「仕方ねぇよ。風邪ひいちまえば本末転倒だ。むしろ殺人鬼に風邪ひいてほしいもんだがね」

 

「それには同意するよ」

 

 後ろの方からは事務所に設置してあるテレビからの音が聞こえてくる。ニュースキャスターがニュースを読み始めた

 

『本日のニュースです。昼頃に〇〇建設の建設現場で20代前半とみられる女性が死体で発見されました。死体は無残にも切り刻まれ、服も切られており、強姦されたと思われる痕も見つかっています。そして死体のそばにはまたもあのカードが落ちており、犯人は浪川 鏡夜であると判明しております』

 

「...どう思う、親父?」

 

 俺はそのニュースに対する意見を親父に聞いた。親父はなんともない、といった表情で答えを返してきた

 

「模造犯だな」

 

「やっぱりそうだよな。強姦なんてすれば腟内に残るもんは残っちまう。DNA鑑定でもされれば身バレする」

 

「そうだ。警察は模造犯の捜索までやらなきゃいけなくなる。そうなると殺人鬼の捜索にさける人数が減る。そうしてまた殺人鬼は殺人を繰り返す」

 

「あぁ...そうだな」

 

 そうやって親父と話をしていると、チリーンッと音が聞こえた。こんな雨の日に客が来たようだ。入口の方を見れば、そこには雨に濡れた浪川 雪菜が立っていた

 

「...こんにちは、晴大さん、恭治さん」

 

「...随分と濡れたもんだな」

 

 傘はさしていたんだろうが、それでもこんな雨の中風でも吹こうもんなら雨に濡れてしまうだろう。とりあえず棚に入っているタオルを持ってきて彼女に手渡した

 

「...俺はお邪魔そうだし、退散するとしよう」

 

 親父はそう言うと、立っている俺の方をポンッと叩いてから居住スペースの方へと消えていった。そんな親父に対して、はぁっと深いため息が出た

 

「まったく、あの親父は...」

 

「私、お邪魔してしまいましたか?」

 

「いいや、大丈夫だ。とりあえず拭き終わったら渡してくれ。それと、何か暖かいものいれてやるよ。何がいい?」

 

「カフェオレでお願いします」

 

「はいよ」

 

 棚からマグカップを取り出してカフェオレを作り始める。作り終えて彼女の元まで持っていくと、彼女は吹き終わったタオルを持ってソファーに座っていた

 

「あの、洗ってお返しします」

 

「いや別にいいよ。それにここ自宅だしさ。ほら」

 

 そう言って手を差し出すと、彼女はおずおずといった感じでタオルを手渡してきた。その時に軽く彼女の指に手が触れたが、とてもひんやりとしていた

 

「冷たいな。雨で冷えて風邪ひくんじゃないのか?」

 

「大丈夫です」

 

「しっかしなぁ...」

 

 拭いたであろう服を見ても、まだかなり濡れていることがわかる。制服は多少なりとも水を弾くが、それでも多少だ。濡れてきてしまえば重くなってきてしまうし、変な匂いもつく

 

「...風呂にでも入っていくか?」

 

「...え?」

 

「服なら多分あるし、制服が濡れたままってのはダメだろう。干しといてやるからさ」

 

「で、でも...」

 

「ちょっと待ってなよ」

 

 そう言って俺は台所にいる咲華さんのところに行き、話を伝えた。こういった手合は無理やりにでもその状況を作ってしまえばなんとかなる。それまでまごまごと考え続けてしまうのが欠点だが。話を聞いた咲華さんは笑顔でOKだと答えたので、俺はカフェオレを飲み干した彼女を風呂場まで連れてきた

 

「タオルはそこにあるし、後で咲華さんが服持ってきてくれるから」

 

「い、良いんですか?」

 

「あぁ、気にせずに入るといい。君は依頼人だし、それに...」

 

「...それに?」

 

「...いや、何でもない。とりあえず俺はまた事務所の方にいるからさ」

 

 そう言って俺は風呂場をあとにした。事務所の方に行く前に台所に寄ると、咲華さんがニヤニヤとしながら立っていた

 

「覗かないの?」

 

「...するわけないだろ」

 

「あらそう。もうそんな年齢でもない?」

 

「...言い方が悪過ぎる。まるで俺が前までしていたみたいじゃないか」

 

「お年頃なんだし、少しは浮いた話でもないのかなって」

 

「ないよそんなもん」

 

 この場にいるとまた変なことを言われかねないので、その場から立ち去ろうとするが、咲華さんの持っている服を見て目を見開いて立ち止まった

 

「ちょ、咲華さんそれ俺のジャージ!?」

 

「あら、ダメかしら? 流石にあの子の方が小さいから入ると思うけど」

 

「いやいやいやそういう問題じゃないって!!」

 

「服はあるとか言ったのは貴方よ?」

 

「ぐっ......」

 

 そう言われると何も言い返せない...。そのまま咲華さんは黒のジャージを持って風呂場に行ってしまった

 

「...守れなかった」

 

 親父が突然横から現れて言い出した

 

「なんで襲われてる人を助けようとして戦っていたのに結局助けられなかったシチュエーションの勇者みたいなセリフ言ってんの」

 

「いや、なんとなく」

 

「なんだそれ...」

 

「お前も鍛えておくんだな。大事なもんを守れなくなるぞ? ちなみに、俺は守ったとも」

 

「常日頃鍛えてるって...。んで、何から誰を守ったって?」

 

「お前の母さんを強姦魔から」

 

「...マジで?」

 

「マジで。昔の話だがな」

 

 そう言う親父の目はどこか遠くを見ているようだ。親父は軽くため息をついてからポツポツと話し始めた

 

「もう何年も前のことだ。大学生だったな、確か。お前の母さんを襲ってやるってラインの男だけのグループでぶっちゃけたヤツがいてな。皆信じなかったんだが、当時の俺はそれが嘘だと思っていながらも一応確認だけしに行ったのさ」

 

 そうして親父の独白は始まった

 

 

To be continued...



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俺は彼女を送り届ける

 大学何年の頃だったか。今や忘れかけてた記憶でもあるが、ラインで適当に寄せ集められたその当時入学した男子メンバーで作られた大きなグループがあった。そのグループで、突然告白した男がいたんだ

 

『俺は相川(あいかわ) 海音(かいね)さんが好きだ』

 

 突如としてその女の人の写真とともに送られてきたグループラインは、男どもを刺激して、ひゅーひゅーだの、なんだこいつ馬鹿じゃねぇの、と色々と飛び交った。そんで、送られてきた次の文章には俺も驚いた

 

『今彼女は大学の中庭にいる。今から想いをぶつけてくる』

 

 夕方ぐらいだったか。そもそもそんな時間にいる奴は多くない。俺はその時講義室で作業していたんだが、送られてきた文を見て、面白そうだ、見に行ってみようって思い立った訳だ。その時俺は二階にいたから、窓から中庭を見ようと思って移動したんだ。ところが、中庭を見ても人っ子1人いやしない。周りを見ても、特に誰かいるわけでもない

 

 なんだ、つまんねぇの。そう言って俺はその場を去ろうとしたんだが、倉庫として使われている部屋のある方の通路から、突然女の人が飛び出してきた。慌てた様子だったが、その後から素早い動きで追いかけてきた男に捕まって無理やりまたその通路へと引き込まれて行った

 

 おいおいおいおい、やべぇんじゃねぇのコレ。告白失敗したから襲うって、馬鹿じゃねぇの? いやまさか、想いをぶつけるってまさかそんな物理的に?

 

 混乱していた頭だったが、周りの連中つっても、皆友人と話したりしてたから気がついてない。恐らく、俺ぐらいだったんじゃないか。しかも通路の場所は案外見えにくい場所が多い

 

 警察、呼んでる時間はねぇな。仕方がない。俺は階段を駆け下り中庭へと入ってその女の人が消えていった通路に向かって走っていった。奥へ奥へと進み、倉庫として使われている部屋までたどり着いた。開けようとしたが、鍵がかかってあかない。中からは女の人の呻き声のようなものが聞こえてくる。小さな声で、助けてと聞こえた気がした

 

 まぁ、俺は元々探偵業を親父から継ぐ予定だったからな。元から色々と知識は技能はあった。ん? 親父? あぁ、お前が産まれてすぐに死んだよ。孫の顔見せることが出来たからよかったさ

 

 んで、当時からピッキングだの何だの練習してた俺は、鞄から道具を取り出してピッキングを試したのさ。なかなか焦っていた俺はそれでも素早く開錠することに成功した。扉を勢いよく開けて中を見れば、服を脱がせられた女の人と、一人の男がいた

 

 何やってんだお前って、俺はその男に殴りかかった。ところが、相手はナイフをもって応戦してきた。なんでそんなもんをって思ったが、脅すために持っていたんだろうな。一応徒手空拳でも戦えるっちゃ戦えるが、ナイフ持ったやつが相手だとなかなか怖かった。いやまぁ、女の人を助けたいって一心で戦ってたもんだから、後に引けなかったんだがね

 

 んでまぁ、何箇所か傷は負ったものも、ボコボコにすることが出来た。男は何度も謝ってきて、それを聞いた女の人...海音はあろうことかその男を蹴り飛ばした。なかなかにいい音がしたとも

 

 蹴り飛ばされた男はそのまま逃げてったんだがね。海音に、お前俺がいなくても勝てたんじゃ、と聞いたが、怖くて無理だったとか。まぁそりゃそうか。俺が来たから安心して蹴り飛ばしたらしい

 

 その後なんやかんやあって、助けてくれた俺に惚れたらしい海音と付き合うことになった。んで、結婚して子供が出来たのはいいんだが、喧嘩が増えてなぁ...離婚しちまったわけだ

 

 ん? その男はどうしたのかって?

 

 さぁ、その後何かするわけでもなかったし、警察沙汰もあれだしってことで、学校側からも止めがかかったしたな。通報はしなかったが、退学させられてたよ。名前が確か...坂巻(さかまき) 総司(そうじ)だったか

 

 あぁ? 海音のことが聞きたい?

 

 あぁそりゃまぁ...可愛かったよ。はっきり言ってかなりタイプだったし、襲われてた時のあの表情と姿がとてもそそられて...

 

 あ、ちょ、ちょっと待って咲華、頼むから殴らないで...!!

 

 

 

 〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 

 

 

「軽く時間を無駄にした気がしなくもない」

 

 隣で咲華さんにマウントを取られてる親父を見てそう呟き、俺は事務所のほうへと戻っていった。相変わらず外は酷い雨が降っている。こりゃもう客もこないし、店を締めるかね...

 

「あ、あの......」

 

「...ん?」

 

 後ろを振り返ると、多少髪が濡れたままだが、俺の黒のジャージに身を包んだ雪菜が現れた。綺麗で長い髪の毛が濡れていたままの状態なわけで、どこか扇情的に見える

 

「お風呂、ありがとうございました」

 

「いやいいよ、風邪ひかれても困るし。そんで、このあとはどうすんだ? 外はすげぇ雨だ。時間もいい感じだし、多分そろそろあそこでじゃれ合ってる人達も終わる。そしたら夕飯にするんだが、食ってくか?」

 

「さ、流石にそこまでは...」

 

 彼女は胸の前で手を左右に降って拒否の意を示した。けどまぁ、こんな雨の中返すのも可哀想だ。せっかく乾いた体がまた濡れちまう

 

「なら、送っていくよ。流石にまた濡れるのも嫌だろうし、その格好で外歩くのも嫌だろう?」

 

 そう言って彼女の着てる服を指さす。彼女はキョロキョロと視線を動かして迷っているようだ

 

「わ、私は別にこれで外歩いても大丈夫ですけど...それに、この服何だかいい匂いがして好きです」

 

 そう言って彼女はジャージの裾やらを鼻のところまで持っていき、すぅっと息を吸いこんだ。顔が熱くなっていくのを感じる

 

「...一応それ、俺の服なんだがね」

 

「......へ?」

 

「いや...それは俺が休みの日に着たりしてるやつ...」

 

「え、あっえ? 咲華さんの、じゃないんですか...?」

 

「...俺のです」

 

 彼女の顔が見る見るうちに赤く染まっていく。あぁ暑い。外はこんな雨だっていうのに、中はまるでお日様が照ってるようだ

 

「あ、うぅ...その、すみません...」

 

「いや、別にいいよ。そもそも俺が無理言って風呂に入れちゃったわけだし。それで、どうする? 帰るなら送っていくよ」

 

「じ、じゃあ、その...お願い、します...」

 

「あいよ。ちょっと待ってな」

 

 そう言って未だ赤くなっている彼女から背を向けて入口から外に出た。傘をさして外においてある俺の黒い車を取りに行く。冷たい雨と気温が、暑くなっていた顔を冷ましていく

 

「...何を赤くなっちまってるんだ俺は。童貞かよ」

 

 童貞だよ。悪かったな。こちとら色々あって彼女なんざできた試しがねぇっていうか、俺が片っ端から蹴り飛ばしてきてるんだけどさ。そりゃまぁ可愛い子に告白されたこともあるさ。断ったけどな、何度も

 

「はぁ...何もかも終わったら、彼女作ってゆったりと暮らしたいなぁ...」

 

 車の扉を開けて乗り込み、エンジンをかける。そして事務所の入口前まで動かして、扉を開けて彼女を呼んだ。車から降りて彼女に傘をさしてあげる。彼女は赤いまま、ありがとうございますと呟くと、そのまま車の助手席に乗り込んだ。俺も車に乗って、以前聞いた彼女の住所の場所まで車を走らせた

 

 

 〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 

 

 

 車を走らせること20分弱。俺は何度か、あっちです、こっちの道ですと指示されながら彼女の家までたどり着いた。家のある前の道路の脇に適当に車を停める

 

「...なかなか大きくて良い家だな」

 

 目の前に建っている家を見て、そう呟いた。その言葉が聞こえた彼女は、この家は私が引き取られて何年かしてから建てられたんですよと答えた

 

「築何年の新築ってわけか。良いもんだねぇ」

 

「はい...総司さんには頭が上がらないです。私を引き取ってもらえて、お世話までしてくれて...」

 

「その総司さんとやらは、まだ帰ってきてないのか?」

 

「えぇと...車がないので、まだ帰ってきてないようですね」

 

「...そうか」

 

 できれば顔を見たかったんだが...まぁいいや。とりあえず彼女を家の中まで送りますかね

 

 俺は先に車から降りて傘をさして彼女を車から下ろした。とりあえず彼女にも傘をさして、相合傘のようになってしまうが2人で家へと向かう。一応彼女も傘を持ってるが、こういうことは男がやった方がいいものなんだろうと思ってる

 

「...今日は、ありがとうございました。服はまた後日お返ししますね」

 

「あぁ。いつでもいいよ。それじゃあまた」

 

 彼女は袋に入った制服を持って扉を開けて家の中へと入っていった。俺は車に戻って、もう1度彼女の住んでる家を見上げた。綺麗な一軒家だ

 

「未婚のまだ若い部類の男で、それでいてタダのリーマンが、ひとりでこんなデカイ家建てられるもんなのかねぇ」

 

 最近のリーマンは給料がいいのだろうか。そしたら変わってほしいものだ。俺の場合は給料じゃなくて、未だにお小遣い制だよ、まったく

 

 働いて得た金くらい、自分のものとして使わせてもらいたいもんだ。全部事務所のお金になっちまう

 

 

To be continued...



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私は虚しさを上書きする

 襟元を立てて、そこに自分の鼻を当てて息を深く吸い込んだ。いい匂いがする。どこか安心できて、私の好きな香りがする。何でこんなにも安心できるんだろうか。晴大さんのだから? それもあるのかもしれない。でも、もっと違う、何か他の要因もあるんじゃないかと思う

 

 ガチャリっと玄関の扉が開く音が聞こえた。それと同時に、聞きなれた男の声が聞こえてきた

 

「ただいま」

 

「おかえりなさい、総司さん」

 

 総司さんが帰ってきた。いつものスーツ姿で。彼は持っていた鞄を置いて、ふと私の方を見て首をかしげた

 

「雪菜、そんな服持っていたかい?」

 

「え、えぇっと...その...」

 

 軽く言い淀んでしまった。どこに躊躇う場所がある? これは、私の友人から借りたものだ。そう、あくまで友人だ。彼とはなんの特別な関係でもない。いたって普通に、何のことでもないように私は返した

 

「雨が降ってて...濡れてしまったから、友達のを借りたの」

 

「...パッと見、男物だね。友人っていうのは男の子かい?」

 

「...えぇ。でも、ただの友達よ」

 

 ...本当は友達と言っていいのか不安なんだけど。私は依頼人で、彼は探偵。そこに友情があるのか、と言われれば、私は答えに困るだろう。彼は私に良くしてくれる。気を使って色々としてくれるし、私の相談にもちゃんと乗ってくれる

 

 けど、それは仕事だから...? 私は、あくまで依頼人という立場から変わっていないのだろうか

 

「...ご飯、作ってきますね。お風呂は湧いてますから、どうぞ」

 

 私はそそくさとその場を立ち去った。なんだろう。酷く胸の奥がもやもやとしていた。私は彼の...なんなのだろうか

 

「...あぁ。いや、ごめんよ。僕はこれからちょいと友人と飲む約束があってね。作ってくれるとこ悪いんだけど...」

 

 後ろの方で、総司さんの小さく申し訳なさそうな声が聞こえてくる。普段はあまり飲みに行くことなんかないのに、珍しいこともあるものね

 

「わかりました。気をつけて行ってきてくださいね」

 

「あぁ。それじゃあ、行ってきます」

 

 バタンッと扉が閉められた音が聞こえた。私は、自分の分の夕食を作って食卓に並べていく。今日はちょっとだけめんどくさかったから、冷凍食品を解凍しただけの簡単なものだ。唐揚げや、申し訳程度のサラダを作って席につく

 

 大きくはないが、小さくもない。そんなテーブルに並べられた夕食。けれど、席に座っているのはたった一人

 

「...いただきます」

 

 ...酷く虚しい味がした。何でだろう。今まで一人で食べてもここまで酷い味はしなかった。賞味期限でも切れていたのかな

 

「..........」

 

 ガリッとサラダを歯で噛み潰した。ドレッシングはそれほどかけていないのに、とてもしょっぱく感じた

 

 ...こんなことなら、晴大さんに誘われた時に一緒に食べてくればよかった。そうしたなら、こんな虚しい思いはしなかっただろう

 

 晴大さんが羨ましい。実の母親ではないにしろ、私から見たそれは、どこからどう見ても仲の良い家族だった。恭治さんと咲華さんはきっと笑顔が絶えないだろう。そして、それを見て晴大さんは苦笑いをしながら、それでも見続けるんだろう

 

 ...あぁ、なんだ。私はあの家族に触れて、羨ましいと思ってしまったのか。それで、この場所が耐えられなくなってしまったんだ。一人の時間が

 

「..........」

 

 手を袖の中にしまいこみ、そのまま鼻の場所に持ってくる。すうっと深く息を吸いこんだ。懐かしい匂いだ。暖かい匂いだ。それが、私の中を少しだけ満たしていく

 

「.....ちょっとだけ、なら怒られないかな」

 

 私が晴大さんに自分の携帯番号などを教えた時に、私も彼のものを教えて貰っていた。登録数の少ない電話帳から彼の名前を探し出して、少し迷ってから通話のボタンを押した

 

 ぷるるるるる、と三度なった。そして次の時には携帯の向こう側から、彼の声が聞こえてきた

 

『はい。橘花 晴大です。どんなご要件でしょうか』

 

「...私です。浪川 雪菜です」

 

『おう。どうした、何かあったか?』

 

「...いいえ。ただ、少しだけお話がしたいなって」

 

『なんだ。やけにしおらしい声だな。相談なら乗るよ?』

 

「...ありがとうございます」

 

 ほんの数分で終わらせるつもりだった。ただ、気がついたら時計の針は一周していて、私の中にあった虚しさは、なりを潜めていた。ベッドの上に倒れ込んで、それでも会話はやめずに彼と話し込んだ。どんな趣味があるのか。土曜日はどこに行くのか。何か面白い依頼はあったのか。他愛のない話で、私は盛り上がってしまった

 

「..........」

 

 瞼が重たくなってきた。意識が軽く朦朧としていて、何を考えたらいいのかわからない。けど、不思議な幸福感に身を包まれていた

 

『...どうかしたのか?』

 

 あぁ。彼の声が聞こえてくる。何か、返事を...しなく...ちゃ......

 

 ....................

 

 

『...眠ったのか?』

 

 電話の向こうからは少しだけ不安そうな声が響いている。はぁっと溜息を吐いた音が聞こえ、その次には、おやすみ、と優しい声が聞こえてきた。画面が黒くなって、通話終了の文字が浮かんでいる。だが、彼女は起きない

 

 そのまま彼女は深い眠りに落ちていった。人生で初の寝落ち体験だった

 

 

 

 〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 

 

 

 今日はいつもと違っていた。とても、感情的だった。俺が殺しをする時に、感情なんてものはなかった。ただ、殺した後には、体の奥から這い上がってくる背徳感のようなものが非常に心地いい。だが、今日の俺は最初からある一つの感情を持っていた

 

 例えるならそう、怒りのようなものだ。おかげで、今日は三人も殺ってしまった。もう売るルートなんてないのに。死体を残しておくと、色々と面倒だ

 

 はぁっと、深く溜息を吐いた。だが、この後には至福の時間が待っている。俺は、こみ上げる衝動を抑えるようにしてゆっくりと廊下を歩いていく。そして、ある部屋の扉の前まで来ると、ゆっくりと扉を開いた

 

 中はピンク色や黒色のものが多いように感じる。女の子の部屋だ。ベッドの上では、彼女が眠っている

 

 浪川 雪菜。あの女と同じような顔をしている。犯してやったのなら、どんな声を上げるだろう。切ってやったら、あの女と同じような声を上げるのだろうか。それが知りたくて仕方が無い。けど...まだだ。まだもっと、ゆっくりと時間をかけて...

 

「......ッ!!」

 

 ガタンッと大きな音が聞こえた。小動物が出す音じゃない。もっと大きな音だ。人か。人がいるのか。ならば、ここにいるのはまずい。早々に逃げるとしよう

 

 だが...あぁ。邪魔されたせいか、酷くイラついてきた。あともう一人か二人、殺しに行くとしよう

 

 

 どうせ誰も俺を捕まえることなんで出来やしない。警察だろうがなんだろうが...浪川 鏡夜を捕まえることなんて出来ない

 

「......ククッ」

 

 喉の奥から笑いがこみ上げてきた。路地の奥へ奥へと進んでいき、何度も曲がり角を曲がって、やがて一つの一軒家にたどり着いた。路地の奥の方へと向かわなければ辿りつけない場所。車は入ってこれない

 

「クハッ、ハハハハ...!!」

 

 その一軒家の中で男は笑い続けた。誰にもわかるはずがない。隠れ家としてはうってつけだ

 

 全身を覆うコートをはおり、目の部分だけが空いているマスクをかぶる。全身についた水滴を払い落とし、男はナイフを持って外に出た

 

 未だ、雨は酷く降り注いでいる。あぁ、とても良い天気だ。()()()()()()()()()()()()()

 

 仮面の下で、男はニヤリと笑った

 

 

To be continued...



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私は彼に疑問を抱く

「くっ...あぁ...」

 

 ベッドから体を起こして、まだ眠たいと訴える体を無理やりグッと伸ばした。視界を遮る前髪を留めて、眼鏡をかけて部屋の外へ出る。キッチンでは咲華さんがいつものように朝食を作っていた。俺に気がついた咲華さんは手を止めて、軽く微笑んで、おはよう、と言ってきた

 

「...おはよう」

 

「眠たげね。夜中に出歩いているからよ」

 

 ビクッと体が震えた。どことなくぎこちない表情のまま、彼女に聞き返した

 

「...起きてたのか?」

 

「えぇ。私は、夜中にコソコソと動き回って、しまいには雨が降ってるっていうのに外に行くなんて思ってなかったわ。一体何してたの? 外じゃ殺人鬼が闊歩してるっていうのに」

 

「...別に。ただちょっと依頼の件で、ね」

 

 まさか、夜中に外出したのがバレていたとは思わなかった。今後は気をつけなければ...

 

「ふーん。夜中に動かなきゃいけない依頼、ねぇ...」

 

「..........」

 

 咲華さんは俺のことをジッと見つめてくる。俺は居心地が悪くなって、後ずさりしてその場から離れようとしたが、急に近づいてきた咲華さんの手によって引き止められた

 

「...貴方が何を思ってるかはわからない。けどね、貴方は血が繋がってなくても、私の子供よ。だから、お願いだから、危ないことはしないでね」

 

「...善処はします」

 

 そう答えると、咲華さんは不服そうな顔をして掴んだ右手をギュッと握ってきたが、やがて何かを諦めたかのように手を離して、その代わりに軽く抱きしめてきた

 

 彼女が抱きしめていた時間は10秒にも満たないだろう。俺から体を離した咲華さんは、朝ごはん早く食べなきゃ遅刻するよ、と言って作り終えた朝食を並べ始めた

 

「..........」

 

 この年になって、血の繋がっていないとはいえ、母親同然の人に抱きしめられるのは、いささか精神的に良くはない。だがまぁ...悪い気はしなかった

 

 

 

 〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 

 

 

 

 大学のキャンパスというのはとても広いものだ。見たことない生徒なんて沢山いるし、先生も見たことのない人が多い。いや、単に俺が覚えていないだけかもしれないが

 

「おっす、橘花君」

 

 歩いていると、不意に肩を強く叩いてから回り込んできた女の子がいた。清楚系と言えば聞こえはいいかもしれないが、言ってしまえば地味子だ。彼女は大学で出来た数少ない友人である

 

「よぉ地味子。朝から元気だな、お前は」

 

「地味子言うなし! 香織(かおり)だって何度も言ってんでしょうが!」

 

 軽い拳が腹に突き刺さった。特に痛みを感じた訳では無いが、なにも殴ることはないだろう、と不満な目で彼女を見た

 

 立川(たちかわ) 香織(かおり)。それが彼女の名だ。出会ったきっかけといえば、大学に入学して初日から何かオロオロとしてるところを見つけ、話しかけてみるとお気に入りのキーホルダーを落としたのこと。彼女の話を聞いて、落ちた場所を推測し、探し出した結果、何かと引っ付いてくるようになった

 

 流石地味子、大学に来たはいいものも親しい友達もいず、困り果てていたとのこと。最初の頃は探偵だ、珍しいだのと色々な人が来た。でも、口開く度どうなの、どんな事件があったの、お金結構貰えるのと、嫌気がさして俺から話すのを拒否した。そんな中で唯一最初に仲良くなった友人が彼女だ

 

「ねぇねぇ、橘花君? ちょっとお願いがあるんだけど...」

 

 彼女がいる上目遣いに聞いてくる。だが地味子は地味子だ。全くもって心は揺れない。悲しい現実だ

 

「断る」

 

「ま、まだ何も言ってないのに!」

 

「どうせレポートの手伝いだろ? 嫌だよめんどくせぇ。自分のことくらい自分でしっかりやんなさいな、毎度毎度提出日ギリギリになって人に頼みにきやがって...」

 

「だ、だってめんどくさいし...」

 

「おうそうだな、俺もだ。だから嫌だ」

 

「ねぇねぇ一生のお願いです!!」

 

「俺は何度お前の人生を見送ればいいんだよ」

 

 軽く二桁は突入している。彼女の人生とは分割でもされているのだろうか。いや、もしかしたら来世の分も使っているのかもしれない。それはもっと大事な時のために取っておけと言いたい

 

「え...それは暗に今世も来世も私と一緒にいたいという遠回りな告白...?」

 

「お前の頭の中は花でも詰まってんじゃねぇのか?」

 

「年がら年中薔薇色ですとも」

 

「なにそれ嫌だ」

 

 地味だから忘れていたが、そういえばこの子は腐っていた。誰も彼女が腐る前に摘んでやらなかったのが原因だろう。じゃあお前やれば、と言われれば俺はやんわりと断るだろう

 

「んで、やってくれるの? やってくれるなら...そうだね、大通りに出来た新しいスイーツ店を紹介しよう」

 

「...へぇ」

 

 ニヤリと彼女の口角が上がった。どうやら彼女の思惑は成功したらしい。ダメ押しとばかりに彼女は後押しした

 

「ス・イ・パ・ラ・だって!!」

 

「乗った」

 

「流石、話がわかってくれて助かるよ!」

 

 この男は甘いものが大好きだ。甘いものには目がないと言っていい。街中を歩き回り、捜査がてらにスイーツ店や駄菓子屋などを見て回っている。そして気に入ったものを見つけては仕事の合間に買っていくのだ

 

「よーしっ、じゃあ図書館でやる?」

 

「おう。なんならアイツらも呼ぼうぜ。皆でやった方が早いだろ。その後は皆でスイパラ行こうぜ」

 

「女子から誘われておいて、他の男子呼ぶの?」

 

「おうとも。嫌か?」

 

「むしろOK」

 

 腐ってやがんなぁ、と心の中で呟いた。数少ない友人は、まだ何人かいる。それらを集めてレポートを書き始めることにした

 

 

 

 〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 

 

 

「ただいま」

 

 玄関の方から声が聞こえてきた。私は料理を作る手を止めて返事をする

 

「おかえりなさい。今ご飯作り終わりますから」

 

「あぁ、ありがとう」

 

 姿は見えないが、声は聞こえてくる。いつもみたいにクタクタになっているんだろう。どことなく彼は体力が足りなさそうに思える。私が言えたものでもないけど

 

「雪菜、リモコン知らないかい?」

 

「リモコンなら机の上に置いてあります」

 

 いつもはリモコンをテレビのすぐ側に置いておく。今日は先程まで私がテレビを見ていたから、そのままにしておいたのだった。出来上がった料理を両手に持って、机の上に並べていく

 

 仕事から帰ってきた総司さんはネクタイを緩めて、テレビを眺めていた。夕方頃になると、いつものニュース番組が始まる。特有の音楽が流れだして、トピックがデカデカと写し出された

 

『本日は、今世を騒がす浪川 鏡夜について考察すべく、様々な人達に集まってもらいました』

 

 画面に映し出された場所には、いつもとは違ってたくさんの人が並んでいる。スーツ姿の人がいれば、白衣を着た人もいる

 

『私は探偵業を営んでいるAです。本日は私が推察した最近の殺人鬼についてお話していこうと思います』

 

 ひとりの男が立ち上がって話し出した。見た目は厳つく、体格はかなりいい。そういえば、恭治さんもなかなか体格はよかった。Aと呼ばれた探偵は話を続ける

 

『まず、犯人がなぜ殺害現場に証拠品...あのカードを置いていくのかについてです。考えられる想定をあげますと、まず一つに、自分が浪川 鏡夜だと誇示したいだけ。この線は薄いと思われます。では二つ目、これは浪川 鏡夜がやったのだとなすりつけるための偽装工作だということです』

 

 ピクリと体が反応した。先程並べた料理を食べようとしていた手が止まり、その目は画面に釘付けになった

 

『カードを置くことで、浪川 鏡夜だと皆に認識させる。そして、そのせいで大学生程度の年齢層から外れた男は犯人ではないと、勝手に決めつけられてしまうのです』

 

『その言い方ですと、今の殺人事件はすべて浪川 鏡夜がやったものではない、と?』

 

『そもそも、生きていられるわけがないんです。誰の手も借りていなければ、ただの中学生だった男の子が5年も。ならば、逃亡中に力尽きた。警察には発見されておらず、世間には報道されていない。それを隠れ蓑にして浪川 鏡夜になりすまして犯行を行う、という輩かも知れません』

 

『はぁ...なるほど』

 

 ...兄が、死んでいる? そんなわけがない。あの男はきっと生きている。そして色々な人を殺して回っている。きっと、楽しんでいるんじゃないのだろうか。誰かを殺す快感に、味を占めているはずだ。でなければ、こんなに沢山の人を殺してない

 

「隠れ蓑に、ねぇ。それ言っちゃったら皆怪しいじゃんか」

 

「...そうですね」

 

 尚も探偵Aは話を続けた

 

『ですが、三つ目の想定もあります。これは、もしも本当に浪川 鏡夜が実在していて、なおかつこの状況を作り出した場合、ということです』

 

『それは、一体どういう意味です?』

 

『浪川 鏡夜は非常に頭がいい。で、あればこの状況を想定しているはずです。カードを置くことによって生じるターゲットの分散。容疑者が増えるということです。容疑者が増えれば、浪川 鏡夜は罪を擦り付けやすくなる』

 

『...つまり、我々がこういったことを放送するのも予想されていた、ということですか』

 

『そういうことです。だから私はあえて言わせていただきますけどね、知らぬ相手で、それが優しそうだからとか人畜無害そうだからといって心を許すなと言いたいのです』

 

『はぁ...なるほど』

 

「..........」

 

 その放送を聞いて、特に何も思うことは無い。いや、兄に対しての悪感情はあるが。私の周りで知らぬ相手で、優しいとかそういった理由で心を許す相手なんていないのだから

 

(その依頼、承りましたよ)

 

「...っ!!」

 

 頭の中に浮かんできたのは、一人の男の姿。いやまさか。そんなことは無い。あの人がそんなことをするわけが無い。だって、彼は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。そんな彼が、そんなことをするわけが無い。第一、彼は自分の弟が殺されたと言っていた

 

 ...なら、恭治さんは? あの人は、離婚した女の人が殺されたから探している。でも、晴大さんの弟なら、恭治さんの息子でもあるはずだ。ならなんで、恭治さんは息子の仇は取らないのか

 

 いや、そう伝えたのは彼だ。恭治さんを突き動かすのが元嫁さんの仇だという部分が大きいから、そう伝えたというのもある

 

 ...無性に声が聞きたくなってきた。聞いて、俺は違うよと答えてくれれば、私はきっとこんな疑問なんて簡単に捨てられると思う

 

『では、私の方からも意見させてもらいましょう』

 

 白衣を着た老年の男が立ち上がって話し出した。彼は医者であるBと名乗っている。年齢は60を超えてはいないが、どことなく老いた人の優しげな顔をしている

 

『私は心理学の専攻をしていてね。今はカウンセラーも請け負っている。もちろん、本業は医者なんだ。そんな私の観点から見させてもらうとね...()() ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「...突拍子もない話が出たもんだ」

 

 総司さんが食後の珈琲が入ったマグカップを傾けてからそう言った

 

「...確かに、突拍子もないですね。そんな訳ないのに」

 

 私の言葉など聞こえるはずもなく、テレビの中に映っている白衣の老人は話を続けた

 

『まず、浪川 鏡夜はこの世を誰にもバレず、犯行に及び、そして日常に戻っている。つまり、殺人鬼としての()と一般人としての()を持っているのです。もしかしたら、彼には素質があったのかもしれない。二重人格が先天的か後天的かにせよ、彼はそれを扱う術があり、それで日常と非日常を行き来しているんです。もしかしたら、表は優しい好青年で、人望が厚く、いい人なのかもしれない。だが、それが裏を隠すために現れたものだとしたら?』

 

「...滅茶苦茶な理論だな」

 

「..........」

 

 すっと、私の手が携帯に伸びていく。けど、途中で止めた。彼にそれを聞くということは、彼を疑っている、ということだ。そんなことはない。そんなことはない、けど...

 

 ...私は私以外のことをよく知らない

 

『二重人格における表と裏の人格。それらが独立した思考回路と行動理念を持っていたとしたら? そして、対立した人格がやっていることを知っているにせよ知らないにせよ、彼らはそのまま生きているのです。表の人格はバレて人生が終わるのを避けたがる。だって自分はやってない。悪いのは裏側だ。しかし、裏側は自分の思うがままに殺人を行う。表が隠すことをわかっているから。警察になにか尋ねられても、嘘発見機を使われても、彼は嘘を言わないんです。だって、()()()()()()()()()()()()()。もしかしたら、それをいい事に警察などと関係を持ったり、自ら犯人を探そうとして自分を容疑者候補から外そうとするかもしれない。..........以上が私の観点からみた考えです』

 

『なるほど...そうなると、本当に誰が犯人なのかわかりませんね。手鏡の中に書かれた三日月。犯人は、浪川 鏡夜は一体誰なのか。早く我々が怯えずに過ごせるようになればいいですね』

 

 画面が切り替わった。どうやらCMに入ったらしい

 

「...雪菜? 顔が青いぞ、どうした?」

 

「......大丈夫、です」

 

 どうやら、私は自分で思っている以上に動揺しているらしい。テレビの内容を鵜呑みにするなと、私自身に怒鳴りつけたいが...。手は震えているし、奥歯が食いしばるように強く突き合わされている

 

 ...酷い話だ。だって、今の話が全部、彼に当てはまってしまうから

 

 

To be continued...




二重人格における記述は、自分の独自設定が盛り込まれている可能性があります。本来の二重人格とは異なる可能性があるので、注意してください


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彼女は疑問を抱き、俺は新たな依頼に着手する

今回文頭の字下げを行いました

正直いって、違和感があります。ずっと字下げしないで書いてましたからね...

しかし、字下げのボタンを使って行うと、「」の先頭も字下げされるんですね


 ピッと音を立ててテレビの画面は真っ黒に変わった。リモコンを置いた総司さんは、私に向き合って真剣な表情で語りかけてきた

 

「そういえば、昨日の夜に家のそばに不審者がいたようだ。音が聞こえたし、僕も起きてたから見に行ってみたんだけどね。真夜中だったかな、路地を走っていく人影が見えた。容姿とかはわからないかな、街灯の明かりの範囲外だったし」

 

「...不審者、ですか?」

 

「うん。怖がらせるようで悪いんだけどね...もしかしたら、お兄さんなんじゃないかなって」

 

「...兄さんが」

 

 口を噤んだ。奥歯がギリッと音を立てる。どうしようもない怒りのような感情が身に起こり、それと同時に不安も大きくなる

 

「...どうやって、この家を突き止めたのかわからない。偶然かもしれない。ただターゲットを探していて、目に止まっただけかもしれない。けど、もしも突き止められたのなら...雪菜、ここ最近で住所とか教えた人いる? もしくは紙に書いたりとか」

 

「...ない、と思う......」

 

 あっ、と声が漏れた。私は住所を彼に教えたのだ。その上、私は彼に家まで送ってもらった

 

 ニュースの内容が頭をよぎった。嘘だ、と心の中で強く否定した。そんなわけがない、と否定した。彼はそんなこと、しない...と段々と心の否定は弱まっていく

 

「...雪菜?」

 

「...なんでも、ないです。それより...どうするんですか?」

 

「あぁ...。警察に相談してみようかなって思ってる」

 

「そう、ですか」

 

 

 どうしよう。私はどうすればいい。晴大さんは、兄なのだろうか。いやでも、そんな訳ない。だって名前も違うし、そもそも恭治さんも共犯になってしまう

 

 二重人格で誤魔化してる? 本当に、そんなことができるの? わからない。どうしたらいい。もしも本当に、晴大さんが兄だったら...

 

「..........」

 

 ...私にできるかわからない。けど、私はきっと彼を殺すだろう。だって、裏切ったのは...向こうだ。その時に、私のこの想いが邪魔をしなければいいのに...こんな想い、いらなかったのに。これがなければ...私は、兄を恨むだけで済んでいたのに

 

 ......全部、晴大さんのせいだ

 

 

 胸が、キュッと締め付けられた

 

 

 

 〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 

 

 

 カタカタッとキーボードを叩く音だけが響く。目の前に現れる数字の羅列や暗号、それらを解読してなんとかタイプしていく。だが、少年の目には疲労感を感じる隈が浮かんでおり、やがて彼は両手で目を抑えて椅子を後ろに倒すように体を伸ばして叫んだ

 

「...っ、あぁーッ!! あんだこれ全ッ然わかんねぇ!!」

 

「二時間はそうしてるぞ。一旦休め」

 

 目の前にカフェオレの入ったマグカップがコトリと置かれた。顔を上げれば、そこには眼の下にクマを作った親父が立っている。今も尚目の前に映る数字の羅列は変化を続けている

 

「俺の技術じゃ無理だ...」

 

 ゴトンッと鈍い音が響く。彼が頭をテーブルにぶつけたからだ。目の前にあるパソコンでやろうとしていたことは、プロテクトの解除。以前ヒューマンショップの店員が持っていた顧客リストをデータ化してUSBに保管されていたものを見つけたのだ。だから弟の体がどこに行ったのかわかったのだが、問題はそこではなく、誰が売ったのか、という所だ。その誰がの部分には流石にプロテクトがかかっていて開けることが出来なかったのだ

 

「...俺の知り合いにハッカーはいないんだよな」

 

「いてもおかしくない友好関係な気がするんだが...」

 

「警察に相談してみるか?」

 

「...いや、アカンでしょ。これ盗んだに近い代物だからね?」

 

「なら無理だな」

 

 親父と俺は深くため息をついた。手詰まり。鍵のこじ開けはできても、電子の海の中にある金庫には手が届かない。身の回りでそういった専門知識やハッキング能力を持ってたりする奴はいない

 

 ガタガタと机が揺れる。先程から貧乏ゆすりが止まらない。普段はこんなにイラつかないんだが...目の前に決定的な証拠になり得るものがあるかもしれないから、かな。このままだと怒りのあまりにUSBをぶん投げてしまいそうだ

 

「...代行屋とかいないのかね」

 

「ネットで探せばいい。今の世の中それで全部解決だ」

 

「これで解決すんなら警察も探偵もいらねぇよ...」

 

 パソコンの横に置いてある携帯を手に持って、もはや見慣れたGから始まる検索画面を開く

 

「パソコン、データ、解析代行っと」

 

 検索して出てきた結果は、そんなものはないと言わんばかりの内容だ。むしろ、プロテクト解除、違法、等といったものばかりが並んでいる

 

「...まぁ、違法だからね」

 

「ないなら仕方がない。他の方法を探すとしよう。それよりも、お前はこんな事していていいのか?」

 

「...こんな事とはなんだ、死活問題だろうが」

 

「いやお前、明日デートじゃんか」

 

 チラリとカレンダーを見た。本当だ、もう金曜日だ。ここの所煮詰めた作業ばかりですっかり忘れていた。この前大学に行って、レポート出して夏休みに入ってからずっと作業してたからな...

 

「現役女子高生二人とデートとか、ギルティだな」

 

「くだらん。それに、わかってんだろ? 片一方はアイツの臓器提供先、もう片方は...」

 

「...兄妹、か」

 

「...今どきのラノベでもこんな関係存在しねぇよ、まったく」

 

 マグカップの中にあるカフェオレを口に含む。そういえば、雪菜はあの日以来ここに来ていない

 

 客観的に見れば、俺と彼女らの関わりというのはなかなか面白いものだ。探偵と世を騒がす殺人鬼の妹、そして探偵の弟の臓器を持った女の子。どこの世界にこんなメンバーで始まるラブコメがあるだろうか

 

「...そういえば、雪菜ちゃんの家の周囲で警察が張り込むらしい」

 

「...なんで?」

 

「不審者が出た、だとさ。それが殺人鬼なんじゃないかって」

 

「...マジで?」

 

「あぁ。俺も現場に回されることになった」

 

 頭が痛い事態になってきた。いやまぁ、俺がどうこう言えたもんでもないが...。不味いな、このままだともっと殺人鬼の行動範囲が広がっちまう。さっさとこの中身を暴かないと...

 

「あぁ、後はあれだ。例の殺人犯、まだ捕まってないんだと」

 

「殺人犯?」

 

「殺人鬼の模造犯」

 

「あぁ...」

 

 まだ捕まってなかったのか。顔も名前も割り出されてるだろうに。どんだけ警察は人をさけないんだよ、そんなに人が足りないのか?

 

 ...まぁ、探偵を頼るくらいだからなぁ。酷いもんなんだろう、きっと

 

「お前はニュースを見なさすぎだ。こんな部屋にこもってるから...」

 

「仕事だ、仕方ないだろ」

 

 社畜じゃないだけマシかもしれんが、今の俺の現状だって酷いものだ。しかも、俺にはまだ他の依頼も残ってる

 

「一旦休め。殺人鬼は俺が追うから、お前は別の依頼を片してこい。何のつながりもないもの同士が、どっかで結びつくこともある」

 

「...わかったよ。明後日からは、こっちの依頼の捜索もしていく」

 

 壁にかけてあるボードに貼り付けられた一枚の紙と写真。その写真には白い紙が一枚写っており、厚さは向こう側が見えるほどに薄い。形は正方形、大きさは縦横3センチといったところだ

 

「...こういったのは、俺ら探偵の仕事なのかね。警察じゃなく」

 

「警察は大きく動くことが少ない。尋問はできても捜査はしづらい。探偵は警察の小間使いみたいなもんだって、親父は言ってたよ」

 

「...爺さんも苦労してたのかね」

 

 この写真は親父が警察から渡されたものだ。そう、()()()()の依頼である。内容は、麻薬の提供元の判明、製造場所の特定だ。警察も見たことがない新しいタイプのものらしい。正式名は不明だが、これを所持していた人物はこれを、『フォーム』と呼んだらしい。この麻薬の効果というのは、意識が朦朧とし、判断能力の低下、気分高揚、そして強度の依存性といったものだ

 

 まず、麻薬というものには種類がある。錠剤タイプや、粉塵タイプ、こういった紙のようなものに加工もできる。そして、それらはアップ系、ダウン系、の二種類に分けられる。読んで字のごとく、アップ系は気分高揚、ダウン系は沈静化だ。厄介なことに、アップ系は効果が切れるとイライラして、ダウン系は少しでもイライラしたり嫌なことがあるとすぐに使いたくなってしまうことだ

 

 そうして次の麻薬に、切れてまた買って使って、そうやってバイヤーは金を回す。最初は弱くて安いものを、そして何度もやってきた相手にはこう言う。もっと良いのがある、と。値段は高め、だが買い手はそれを買ってしまう。そしてその良い麻薬にハマり、弱い麻薬が効かなくなる。これじゃなきゃ満足出来ない、だがそこにまたバイヤーはつけ込む

 

 もっといいのがある、これはまだ出回らないものだ。お得意さんにはこれを言い値で売ろう。どうだい?

 

 ...そして、破綻して、それでも止められなくて、お金が欲しくなって、殺して奪って捕まって。そんで薬中で死ぬか、刑務所で死ぬか。ろくな結末にはならない

 

「気をつけろよ。バイヤーっつうのは大体隠れるのが上手い上に、ボディーガードがついてる。返り討ちに遭うなよ」

 

「任せとけ。腕っ節なら自信あるし。それに...殴って解決するなら、それに越した事はない。頭使うより簡単だ」

 

「脳筋思考のくせに、頭が回るからタチが悪い」

 

「探偵なんてそんなもん」

 

「俺はちげぇよ」

 

 親父が胸ポケットからタバコの箱を取り出して、一本取り出して火をつける。大きく息を吸いこみ、煙を吐き出した。独特で嫌な匂いが部屋に充満する

 

「俺の部屋で吸うな。ってか、事務所の中で吸うんじゃねぇよ」

 

「許せ、こっちも連日通い詰めで疲れてんだ。今日もこの後雪菜ちゃんの家で張り込みだよ」

 

 やれやれ、といった感じで親父が首を降る。煙は上へ上へと登って、天井にあたって周りに四散する。立ち上がって部屋の窓ガラスを開けた。夕日が地平線の向こう側に隠れようとしている

 

「ヤニがつくだろ。それに匂いも。タバコなんてやめちまえよ、麻薬みてぇなもんだ」

 

「確かにな。百害あって一利なし。癌にはなるし、周りの迷惑になるし、金はかかるし依存性もある」

 

「麻薬と何が違うんだか」

 

「強いて言うなら、強さだろうな。麻薬は強力だとも。まぁ、タバコも弱くはないが...必需品ではない。嗜好品だ。けど、麻薬は認められず、タバコは販売許可されている。何故かわかるか?」

 

「...犯罪者が減るから、か?」

 

 親父は顎に生えた髭に手を当てて、何故そう思う、と聞いてきた

 

「心身ともに疲れた人には安らぎが必要だ。しかも、それを得るためには暇がない場合が多い。簡単に誰でも手に入れることが出来て、少しの時間で使用でき、ストレスを発散させることができる。それが犯罪防止に一役買ってる、ってのが俺の予想」

 

「あながち間違っちゃいない。そんな部分もあるんだろうさ。まぁ、単に法律で規制されてないってだけだが、そんな裏事情もあるのかもな」

 

「おい」

 

 ニヤリと笑う親父に少しだけ腹が立った。笑ったまま、親父は警察から依頼された内容の書いてある書類を手に取って、鼻で笑った

 

「しっかし、製造者はなかなかの皮肉屋だな」

 

「どうしてそう思う?」

 

「『フォーム』、俺の予想だと『foam』だな。訳すと、泡だ」

 

「泡...?」

 

 麻薬の名前に泡、ねぇ...。おかしなもんだな。普通はもっと違う名前をつけるだろうに。ただ適当につけただけだろうか

 

「わからねぇか? 何もかも失って、()()()ってことだよ」

 

「...強引な気がしなくもないが、ねぇ」

 

 あぁ、けど確かに、そんな理由でつけられたのならよっぽどの皮肉屋だな。麻薬で人生壊された奴の復讐劇か、それとも単に人生ブッ壊れた奴を見るのが大好きな性格破綻者か

 

 ...まぁ、どちらにしろ..........

 

 

『面倒なことには変わりねぇな』

 

 

 俺と親父は、全く同時にそう言って溜息を吐いた

 

 

 To be continued...



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私はそれでも彼を...

 朝起きると、携帯には沙耶から連絡が来ていた。9時に駅前に集合ね、と。チラリと時計を見た。現在時刻は8時だ。少し急がなければ、間に合わないかもしれない

 

「...間に合わなくて、いいんじゃないかな」

 

 ふと、そんなことを考えた。会ってしまったら、私は彼になんて言うかわかったもんじゃない。貴方が殺人鬼? 貴方が、私の兄? 貴方は私を騙したの?

 

 ...そんな確証も何も無い言葉ばかりが頭の中に浮かんだ。会いに行かなければ、あの人は私の中でただの探偵に落ち着く。けど...話してしまえば? 真実がわかってしまえば? 彼は、いなくなってしまうんじゃないか

 

 いや、そもそもこんなのは私の予想だ。ただテレビに影響された、言ってしまえば現代の若者の思考の先だ。ただ何となく疑って、そうなんじゃないかって思い込んで。私を助けようとしてくれてる人を、私は疑っている

 

「...やだ、なぁ......」

 

 胸がズキリと痛む。でも...約束した。約束してしまった。沙耶の元に行かなきゃ。そうだ、もし晴大さんが...兄さんなら、沙耶を、守らなきゃ。私が...

 

「..........」

 

 ベッドから起き上がって、クローゼットに手を伸ばした。中には明るい色の服なんて一つもない。その中で、気に入っている服とスカートを取り出した

 

 スルスルッと衣のこすれる音がして、彼女の着ていた寝巻きが地面に落とされた。黒のジャージ。いつか返そうと思っていて、そのまま返せずにずっと使っていた彼のジャージ

 

 ...スンッと匂いを嗅いでみた。前に嗅いだ時と別の匂いがした。多分、晴大さんの匂いと私の匂いが混ざったんだと思う。恨んでる相手なのかもしれないのに、なんで私は彼の服を好んで着ているんだろう。なんで、私は...

 

「...わから、ないよ......晴大さん...」

 

 彼女はその場に崩れ落ちた。ポタリッ、ポタリッと彼の着ていたジャージに涙が落ちていく

 

 ...時計の針は彼女を置いてカチッカチッと進んでいた

 

 

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 

 

 

 朝から車で公道を走って駅まで向かう。この車に家族以外を乗せるのは、滅多にないことだ。目の前の信号が赤に変わる。ブレーキを踏み、待ち時間の間でミラーを見て髪型を確認した

 

 ...てっぺん辺りにピョコンと跳ねたような毛がある。まぁ、これくらいなら良いだろう。だって仕方ないじゃないか、仕事で寝れなかったんだから。おかげでこんなギリギリの時間に出るハメになるとは...女の子を待たすのは、良くないよなぁ...

 

 はぁ、と彼はため息をついた。こいついっつもため息ついてんなとか彼自身も思っている事だ。別段今に始まったことでもない。目の下に若干隈ができたところ以外、変わったこともない。外の天気は晴天だ。まったく憂鬱になりそうな天気だ、と彼は毒づいた

 

 信号が青に変わる。次の交差点を曲がれば駅につく。彼は車を駅の近くにある駐車場に止めると、駅に向かって歩き始めた。土曜日ということもあり、人は多かった。カップル、ジャージを着た部活生、土曜も出勤サラリーマン。サラリーマンはカップルを見てひどく落ち込んだ雰囲気を醸し出した。大変そうだな

 

「あっ、晴大さん!!」

 

 後ろから声をかけられた。振り向いてみると、そこには一度だけしか会ったことはないが、それでも心に深く残った女の子、月本 沙耶がいた。彼は片手をあげて、おはよう、と言った

 

「おはようございます!」

 

 彼女はにこやかに返事をした。良い笑顔だ。こちらの心の中が暖かくなるような、人懐っこい笑顔を浮かべている。だが、彼女はそんな雰囲気から一変、少し困った表情をした

 

「実は、雪...雪菜がまだ来てなくて...」

 

「そうなのか。寝坊かね」

 

「いえ...だいぶ早くに既読はついたんですけど...あっ、もうすぐ着くらしいです」

 

 左腕につけた腕時計を見る。時刻は9時を過ぎていた。どうやら俺も遅刻をしていたようだ

 

「うーっ、雪が来ないと私話せないよっ...」

 

 彼女はションボリしつつ、そしてどこか焦ったような感じで視線をうろちょろとさせている。俺はどうしたものか、と考えながら彼女に話題を振った

 

「別に気にすることはない。俺だって緊張してるしな」

 

「うっ、は、はい...」

 

「そういや、今日はどこか行きたい場所あるか? 一応考えてはいるんだが、そっちの要望に合わせるよ」

 

「行きたい場所、ですか...いやぁ、私全然考えてなかったです...」

 

 一緒に出かけてみたかっただけだしなぁ、っと彼女は小さく呟いた

 

 俺は鞄から財布を取り出して、2枚のチケットを取り出した。このチケットは、ある男の子からの依頼で、彼女の浮気調査の報酬で貰ったものだ。まぁ、案の定彼女は浮気していたし、彼は意気消沈していた。殴り合いに発展しかけたので流石に止めたが。彼はサプライズとして買ったチケットを、もう使わないからと報酬としてくれたのだ

 

「俺の予定としては、ここなんだが...どう?」

 

「そ、それディスティニーランドのチケットですか!? え、嘘ッ!?」

 

 彼女は驚き、手で口を抑えている。あまりにその驚きようが面白かったので、彼は彼女を見ながら僅かに笑った

 

「ははははっ、そこまで驚くことかい?」

 

「え、いやだって、私達会って間もないのに、そんな...」

 

「良いんだよ。これ貰いもんだし、使う宛もなかったからな」

 

 そ、そういうことなら...と彼女は一応納得したようだ。そんな彼女を見る目線が、どんどん下がっていく。服装は明るい黄色と水色のコーディネートで、短めのスカートを穿いている。だが、目線はそこではなく、彼女のお腹の辺りで止まった

 

 ...そこに、弟の内臓があるのだと思うと、少しだけ不思議な気持ちになる

 

 突如、後頭部に強い衝撃が走った。視界がぐらつき、なんだと思い振り返れば、そこには少し怒ったような表情をした雪菜が立っていた

 

「...どこ見てるんですか」

 

「...いや、別にやましい意味では......」

 

「あっ、雪遅刻だよっ。ってか、晴大さんにいきなり何やってるの!?」

 

「...この人が貴方の胸の辺りを凝視していたから」

 

 全くの誤解だ。だが、どうこう言える訳でもない。見ていたのは事実だし...まぁ、胸ではなくお腹なんだが。それに彼女の胸は...いや、特に言わないでおこう。辛い現実を突きつけるのは仕事だが、やりたいかと言われれば、やりたくないと答える。そりゃ当然だ

 

「...まぁいい。揃ったことだし行くとするか」

 

 そう言うと彼女達は俺の隣に並んで歩き始めた。ディスティニーランドに行くためには車に乗らなきゃいけない。混むかもしれないが、電車よりは幾分ましだろう。交通費も俺が出すだけで済むしな

 

「あっ、雪! 晴大さんがディスティニーランドに連れてってくれるんだって!!」

 

「うん。知ってるよ」

 

「え、なんで!?」

 

「だって連絡先交換して、この間遊びに行ったから」

 

「ちょ、それ私聞いてない!!」

 

 沙耶が怒ったようにポカポカと雪菜を叩く。彼女はどこか優越感に浸った様子で彼女を宥めようとして、その雪菜の表情を見た沙耶がよりまた怒った。なんだかとても微笑ましいものを見ている気がして、自然と頬が綻んだ

 

「..........」

 

 なんだ、俺はまだこうやって自然に笑えたのかと自分の頬を触りながら思った。少し前までは、ずっと笑っていなかった。したとしても作り笑いだ。心の仮面。偽りの自分。長い間ずっと偽ってきた。俺は橘花 晴大だと。何度も言い聞かせて生きてきた。笑うことなんて少なかった。そうでもなきゃ、俺は壊れてしまっていただろうから。ずっと...俺は、あるひとつの感情だけで生きてきた

 

 ...それを壊してくれたのは、間違いなく彼女だろう。雪菜、彼女が来てくれたから、俺の仮面はヒビが入ったのだ。やがて砕けるのかもしれない。そんな時が来るのかと疑う反面、それを願っている

 

 ...そんなことを考えている傍ら、彼女達は俺が浮かべた笑みを見て何故か固まっていた。頬が少しだけ赤い。気恥ずかしくなって、俺はニヤリと笑うと歩くスピードを早めた

 

「...さて、それじゃあ向かうけど、シートベルト忘れずにな。俺はまだ捕まりたくないぞ?」

 

 車に乗りこんで、後部座席に座る彼女達に言った。二人共それに対して返事を返してきた

 

「はーい」

 

「...はい」

 

 対照的な子達だ。明るい沙耶と落ち着いた雪菜。だというのに、彼女達は仲が良い。普通こういったのは、落ち着いた側がついていけなくなるもんなんだが...

 

「沙耶、飴いる? 車酔いとかしづらくなるよ」

 

「ありがと雪!」

 

 ...彼女の面倒見がいいから、付き合っていられるのか。互いに互いをきっと放っておけないのだろう。良い関係だ。恐らく、友人では収まらない関係が彼女達の間にはあるのだろう

 

 ホッと息を吐いた。うん、彼女が今幸せそうで、本当に良かった

 

「...俺も飴貰っていいか?」

 

「えぇ、いいですよ」

 

 彼女は後部座席から手を伸ばして飴を手渡してくる。袋を開けて口の中に放り込んだ。ありがと、と返事すると彼女は笑顔を浮かべて返した

 

 ふと、耳になにか声が聞こえた気がした

 

「ん、今何か言ったか?」

 

「...いいえ、何も」

 

 雪菜がそう答えた。だが、彼女は誰にも聞こえない声で言った。やっぱり、疑えないです、と

 

 

To be continued...



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探偵はタバコをやめた

親父編

遊園地編は(恐らくほとんど)ないです


 家に帰ってくると、父と母が喧嘩をしていた。うるさかった。けど、それは自分がやったことが原因でもある

 

 父が母に向かって殴りかかった。母は泣いて言った

 

 私だってこんな子を産みたかったわけじゃない

 

 ...あっ、そう。俺もそう。あんたから産まれたくて生まれたわけじゃない

 

 お前のせいで、俺に被害がくるんだよ。どうしてくれるんだ、えぇ!?

 

 そう言って父が俺に殴りかかった。母は止めようとしなかった。むしろ...

 

 何であんなことしたのよ、貴方...貴方のせいで、台無しよ!!っと、母は俺に対して守るどころかむしろ攻勢に出た

 

 あぁ、うるさい...

 

 なんでお前みたいな子が...

 

 うるさい...

 

 お前のせいで...

 

 うるさい...

 

 出来損ないがッ!!

 

 

 うるさい、うるさい、うるさいうるさいうるさいッ!!

 黙れッッッ!!

 

 

 近くに置いてあった包丁を振り回した

 

 俺は元から、ある種の才能があったんだと思う。神から与えられた天啓とでも言おうか。産まれた頃から、刃物に興味があった。持っていると、不思議と安心した。自分の皮膚を切って、血が出て、それを見て何故か興奮した

 

 人を殺す才能なんてなかった。けど、人を傷つける才能ならあった。包丁で切って、刺して、掻き回して、傷口を殴って蹴って。やがてその肉塊は動かなくなった

 

 そして、理解した

 

 あぁ、なんだ、こんなもんなのかと

 

 神から与えられたものは、刃物の扱い方だけだ。誰かと友達になるだとか、美形だとか、世界を救える能力だとか、そんなもんじゃない。俺はこんなもの欲しくはなかった。俺が欲しかったのは......

 

 無心になっていた耳に、声が聞こえてきた

 

 ひっ、い、いや...やめて...誰か、誰かッ...!!

 

 母が泣きながら必死に逃げようとしていた

 

 すぐさま駆け出して、母の足に包丁を突き刺した。それだけで、母は痛みに動けなくなり、その場に倒れた。失禁でもしたのか、生暖かい二つの液体が当たりに広がる。無論、片方は血液だ

 

 ...汚いなぁ

 

 蹴り飛ばした。母は仰向けにごろんと転がり、その無防備な弱点を晒し出した

 

 人間、どこが弱いのかって?頭を銃で撃ち抜かれりゃ死ぬ。金的を喰らえば死ぬほど痛い。腕を斬られればそのうち出血多量で死ぬかもしれない

 

 けど、誰しもが知ってる場所がある。ガキにだってわかる

 

 ...心臓だ

 

 包丁を振り上げ、心臓があるであろう場所に振り下ろした。手に、不思議な感覚が残った。そして再び理解する

 

 あぁ、なんだ。この程度で死ぬのか、と

 

 

 

 

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 

 

 

 今日も警察署の内部というのは騒がしく回っていた。電話が鳴り、それに女性の警察官が出た。そして電話を切り、大声で周りに知らせた

 

「また一人出ました! 公園の草むらに隠されていたそうです!」

 

 またか、とガヤガヤと騒がしくなる。そんな中、喫煙所では何人かの警察官が休憩していた。その中には、警察服ではない少しヨレたスーツに身を包んだ男がいた。口にタバコをくわえ、大きく吸って、長く吐き出した

 

「...偶然だったんじゃないのか?」

 

 スーツの男、恭治が隣にいた警官に言った。その警官の目つきは鋭く、額にシワを寄せ、顔つきはどこぞのヤクザと見間違えられてもおかしくはないくらいに彫りが深い顔をしていた。警官は困ったように恭治に言う

 

「浪川 鏡夜が自分の妹を放っておくのか?」

 

「...可能性としちゃありだろう。第一、話によればだいぶ近づかれたんだろ? なのに殺しもせず見て帰った。となると...単に妹の現在状況が知りたかっただけなんじゃないのか?」

 

「そんな心があるとは思えんな」

 

 警官──藤堂(とうどう) 秀次(ひでつぐ)──は苛立たしげにタバコを灰皿に押し付けて消した。まだ残ってるのに、勿体無いと恭治は思った

 

「そういや、お前んとこの息子。妹に会ったらしいな」

 

「あぁ。見た感じ、仲は良好。俺から見るに、嬢ちゃんは脈アリと見た。アイツも春かね」

 

「そりゃ良かったな。だが、俺が言いてぇのはそうじゃねぇよ。露骨にそらすな」

 

 こちらを貫くような鋭い眼が向けられる。見るだけで危機感を感じるほどの威圧を備えた睨みだ。恭治は肩を少しだけ竦めた。いつもの事だ。昔からこの男はこうやって他人を遠ざけるような真似ばかりするから友人が少ないんだ。見た目もあるんだろうが

 

「狙われるぞ」

 

「..........」

 

「お前の息子の事だ。お前の手ほどき受けてるって聞いてるからそこまで心配しちゃいねぇよ。ただ問題は...護れるかどうかだ。わかるか?」

 

「...サシなら問題ねぇ。だが、誰かを護りながらとなると...ちょいとキツイか」

 

 元々探偵なんてのは多対一や、誰かを護るための防衛戦なんてものをする展開に持ち込まない。事前に相手の戦力を削ぎ、サシか味方を連れた少対少に持ち込むのが定石だ。そもそも、戦闘自体本当は探偵の仕事じゃない。情報を持ち帰ることが最もな仕事だ

 

「ナイフは?」

 

「防衛だけ。構えは教えてねぇ。奪ったら即捨てろとだけ教えてある」

 

「拳銃は?」

 

「銃口を見て気合で避けろとだけ。ってか、まず銃撃戦に持ち込ませねぇようにしてあるっての。それができなきゃ情報収集なんざやらせねぇよ」

 

 目を閉じれば少しばかり昔の記憶が蘇る。狂ったように向かってくる少年。傷だらけになろうとも、目先の敵に対して拳を振るい、腕を掴まれて叩きつけられる。悔しそうにこちらを見て泣いていた

 

「...あいつが望んだんだ。だから教えた。戦い方も、護り方も......殺し方も」

 

「...息子を人殺しにさせる気か?」

 

 凍りつくような寒気が襲いかかってくる。目線で人を殺すとは、まさにこの事だろう。苦笑いしながら秀次に返した

 

「あいつは殺さねぇよ。もっと、より良い殺し方ってのを理解してる」

 

「...殺さない殺し方、だと?」

 

 言っている意味がわからない。そういった風に秀次は顔を歪ませて首を振った。そのまま流れる手つきで胸ポケットからタバコの箱を取り出して、一本取り出し火をつける。恭治は話を続けた

 

「生きたまま、生きる意味をなくすのさ。人が生きるのは、生きる意味を持っているからだ。それが生きる理由を探すためである人もいれば、愛する人のために生きる人もいる。その理由を、意味を、なくすのさ。それこそ、生きたまま死んでいるってわけだ」

 

「...大切なものを奪うのか。それが物であっても、人であっても?」

 

「...どこまでかは知らんよ。だが...あいつなら、多分やるよ。そのために生きているようなもんだ」

 

 蘇る記憶を忌々しそうに振り払う。口にくわえていたタバコを灰皿に押し付けた。煙はまだタバコから立ち上っている

 

「あーあ、勿体ねぇ。まだ吸えるじゃねぇか」

 

「お前が言うセリフかよ。それに、もう吸う気分じゃねぇんだ。禁煙しようかと思ってな。これ、もう最後の一本なんだぜ?」

 

 恭治が服のポケットから箱を取り出して秀次に中身を見せた。中身は入っておらず、それを見た秀次は驚きに目を見開いた

 

「なんだ、タバコ好きだっただろ。なんで急に?」

 

「...タバコは麻薬と同じなんだとよ」

 

「はっ、あんだよそれ」

 

 ニヤリと笑う恭治と不気味に笑う秀次。そんな折、コンコンッと喫煙所の扉を叩く音がした。扉を開けたのはまだ若い男の警官だ。慌てた様子の男は休憩所の全警官と一人の探偵に告げた

 

「また被害者が出ました。すぐに会議を行いますので集まってください」

 

 チッ、吸い始めたばかりなのによぉっと秀次は悪態をついた。そんな秀次に、お前もこれを機にやめろよ、と恭治は彼の肩を叩いた。百害あって一利なしだぜ、これ。そう言って彼はタバコの箱をゴミ箱に投げ入れた

 

「...この事件が終わったら考えるよ、俺は。少なくとも、俺にタバコなしでこの事件解決は無理だ」

 

「そうしとけ。かみさんも喜ぶだろうよ」

 

 そう言って振り返った恭治の口には筒状の棒がくわえられていた

 

「おま、何もう吸ってやがんだよ!?」

 

「あぁ、これか?」

 

 恭治が口からその棒を取り出すと、先端には赤色の飴がくっついていた。ニヤリと笑いながら恭治は言う

 

「タバコの代わり。案外うまいんだぜ、これ」

 

「......会議始まるまでには食い終わっとけよ」

 

「あいよ」

 

 ガリッと噛む音が聞こえ、二人は会議室に向けて歩みを進めた。今日も警察署内部は慌ただしく回っていく

 

 

To be continued...



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俺は危機に遭遇する

 ディスティニーランド。海沿いに創られたテーマパーク。人の出入りは多く、日本の指折りの遊園地だろう。モチーフとされた四本足の獣(マンティコア)空を優雅に飛び立つ鳥(グルル)が入り口に像として建てられていて、皆を出迎えてくれる。可愛くはない。むしろ男ウケが良さそうなテーマパークだ

 

 人が集まれば暑いというもの。額に汗をかきながらも長蛇の列に並び、アトラクションを楽しんでいく。ジェットコースターや落下するエレベーター、体感型映画のようなもの。それらは子どもの心からすればとても楽しく映るものだろう

 

「...子供からすれば、な」

 

 俺からすれば、なんとも思わない。いや、確かにアトラクションは楽しいものもある。黄色い熊が蜂蜜が入った壺を振り回しながら歩いていたり、鼠っぽいのがバイクに乗って爆走しているのを見ていて確かに面白いとも思う

 

 だが、近頃のJKやらはあのぬいぐるみに突撃してキャーキャー言ったり写真を撮ったりと、お前中身いること知ってんだろって突っ込みたくなる。背後に回って蹴りを入れる子供の方がまだ面白い

 

「ねぇ雪、あのお城の前で写真撮ろうよ!! 晴大さんも!!」

 

「沙耶...人多いよ?」

 

「...俺もか?」

 

 カメラマンに回った方が楽でいいのだが。まぁいいか。はしゃいでる沙耶とそれに軽く嫌そうな...といっても、頬は緩んでいる雪菜が城の前に並んだ。俺は近くにいた職員に携帯を渡して写真を撮ってもらうことにした

 

「あ、晴大さんはここね」

 

「え、いや俺端っこの方が...」

 

「いいのいいの!! ほら、せっかく撮ってもらうんだから!!」

 

 沙耶にぐいぐいと引っ張られて二人の真ん中に立たされた。沙耶は女子高生らしく片手でピースして、もう片手で俺の腕を掴んだ。雪菜もおどおどといった感じで優しく腕を掴む。両手に花とは、こういうことだろう。いやまぁ、俺が体験することになるなんて、全く予想はしていなかったが

 

 フラッシュがたかれ、職員が携帯を返してきた。フォルダを見てみると、満面の笑みを浮かべる沙耶と、可愛らしく微笑む雪菜、微妙に頬が引きつっている俺が写っていた

 

「うわ、晴大さん顔が引きつってる」

 

「嫌そう...?」

 

「いや、そんなことはないんだけどね」

 

 ...如何せん、俺には全く縁がないものだと思っていたばかりにこういったものに耐性はない。高校時代なんて部活にも入ってなかったし、友達もろくにいない。作ろうとしなかっただけだが。いや、数人はいるとも。ちょくちょくラインで会話する程度の仲だ

 

「次あっち行って見よ!! ほら、二人共早く!!」

 

「ちょ、ちょっと待ってよ沙耶!!」

 

「落ち着け、転ぶぞ」

 

 遊園地に来てからというもの、沙耶がとにかくはしゃいでいた。俺と雪菜の手を掴んで引っ張っていき、次へ次へと進んでいく。汗をかくなんてお構い無しだ。二人共、特に雪菜は黒い服とロングスカートのせいかとても暑そうだ

 

「平気平気!!」

 

 笑顔で笑いながら進んでいく彼女は、まるで初めてこの遊園地に来たかのよう

 

 ...あぁ、そうか。彼女は......

 

「...初めて、だったんだな」

 

 彼はポツリと呟いた

 

 

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 

 

 夜になると遊園地の中はライトアップされて、アトラクションに乗って高いところに行くとより綺麗に見える。お城はライトアップされて昼間よりも綺麗に見えた

 

 私達のいる場所の高度がどんどん上がっていく。沙耶が最後に乗ろうって言ったのは、観覧車だった。夜のこの時間帯はとても混む。のにも関わらず、私達はすぐに乗ることが出来た

 

「いやぁ、ファストパス取っといて良かったよ」

 

 晴大さんがなんてことないように言った。私達は、乗るだなんて一言も言ってなかったのに。もしかして、デートとか慣れてるのかな。私達が休憩している途中で一旦いなくなったから、その時に取ってきたんだと思う

 

「晴大さん、いつの間に...。というか、もしかしてこういったの慣れてます?」

 

「いやなに。職業柄、かね。現代の女子高生が夜に乗りたくなるアトラクションといえば、これだろう?」

 

 予想が外れたらどうしようかと思ったよ、と彼は微かに笑いながら言った。晴大さんは1人で、その反対側に私と沙耶が座っていた。窓の外を見下ろしてみた。遊園地は綺麗な色で染められている

 

「すごい綺麗...」

 

 思わず口から言葉が漏れた。そんな言葉を聞いた晴大さんは、連れてきてよかったよ、と微笑んだ。その微笑みが、とても印象深いもので、私が今まで見てきた中でも特に心の中に入り込んだのではないだろうか

 

「晴大さん...今日は、ありがとうございます」

 

 沙耶が彼にお礼を言った。沙耶の目は外の景色に向いていて、どこか潤んでいるように見える

 

「私...小さい頃に、お母さんとお父さんが死んじゃって...ずっと、お婆ちゃんが育ててくれたんです。だから、遊園地なんて、来たこと...なくて...」

 

 隣からは嗚咽する声が聞こえる。それでも彼女は言葉を続けた。外の景色から目を外して、頬から涙が落ちるのを指ですくいながら彼に顔を向けた

 

「だから...今日、本当に楽しくて...雪と、晴大さんと、三人で、楽しくて...だから、だから......」

 

 ひくっ、えくっ、と声が漏れている。そんな家庭の事情、私は知らなかった。今日、沙耶がとてもはしゃいでいた理由がわかった。そんな泣いている彼女の頭を、私は優しく撫でた

 

「...そっか。なら、また来ようか。君さえよければ...また、連れていくよ。それとも、彼氏との方がいいかな」

 

 晴大さんが少しだけ悪戯をする子供のような表情をしながら、彼女に聞いた。けど、それを聞いた沙耶は顔を綻ばせて、より一層泣きながら答えた

 

「っ...わ、たし...また、来たいです。晴大さんと...雪と、三人で...」

 

「...そっか」

 

 晴大さんがポケットからハンカチを取り出して、沙耶の涙を拭いた。沙耶はお礼を言って、晴大さんに聞いた

 

「なんで...こんなに、優しくしてくれるんですか...? 私は、家族でも、何でもないのに...」

 

 不思議に思ったんだろう。事実、私もそうだ。彼は何故私達に優しくしてくれるのか、分からない。だから知りたい。彼が何を思っているのか

 

 ...けど、そう思ったことを後悔した。次に彼が発した言葉は、私の心にとてつもない痛みをもたらしたから

 

「...君が、大切な子だからだよ」

 

「......えっ...?」

 

 みるみるうちに、彼女の顔が赤く染まっていく。しきりに、えっ、えっ? と呟いていた

 

 ...そんな沙耶とは反対に、私は心にズキリと痛みが走った。大切な子。それは、そういう意味で...? 彼は、晴大さんは沙耶のことが好きだ、と...?

 

「え...と...それ、は...どういう、意味で...?」

 

「...そうだな......」

 

 彼はチラリと私を見て少しだけ悩んだ後、彼女に言った

 

「今度、二人だけの時に話してあげるよ」

 

「...あ...ぅ......」

 

 顔が真っ赤になり、やがて彼女は完全に茹で上がってしまった。視線はおぼつかなくて、頬は緩んでいて、口からはあぅ、あぅ、と言った言葉にならない声が漏れていた

 

「...さてと。じゃあ、帰ろうか」

 

 そう言った彼の顔を見た。その顔は、女の子に告白をしたとは思えない、無表情に近い表情をしていて...

 

 ...どこか、苦しそうに思えた

 

 苦しいのは、私なのに

 

 

 

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 

 

 

 外は既に真っ暗だ。ディスティニーランドから出て、車を運転しながら帰路へついていた彼は観覧車での出来事を思い返していた

 

 ...今度二人きりの時に、とは言ったものの。彼女に話していいものなのか。私と接していたのは、ただ単にそういった繋がりがあったから、好意的だとか、そういった理由じゃなくて、貴方の弟の臓器があったから、私に優しくしてくれたんですね、なんて言われたら、返す言葉に困る

 

「..........」

 

 赤信号になり、後ろの座席を見てみれば、二人共疲れたのか眠ってしまっている

 

 ...雪菜の頬に、涙の跡が見えた気がした

 

「..........」

 

 俺は何か、彼女を悲しませるようなことをしただろうか。したならば、謝らなければ。彼女は大切な子だ。無論...沙耶以上に。だが、沙耶のことも大事だ。内臓だとか、そんなものも抜きにして

 

「...歯痒い、な。こういう時に、何も出来ないのが腹立たしい」

 

 信号が変わる。近くにはパーキングエリアがある。一旦休憩しよう。流石に俺も疲れたからな。ここからは一時間程度で帰れるだろうし...

 

「...はぁ」

 

 車を駐車して鍵をズボンのポケットにしまい、息を吐いた。辺りに車は少ない。こんな時間にあまり人はいないだろう。それに、場所が場所だ。近くに家がある人も多い。俺は飲み物を買うために店の中に入っていった

 

「おっと、すいません...」

 

 後ろからいきなり小走りの男がぶつかって、そのままトイレに向かって消えていった。そんなに漏れそうだったか。まぁ、運転する側には辛いものだよなぁ

 

「...珈琲でも買って、戻りますか」

 

 そう言って、財布を入れたポケットに手を突っ込んだ。確か鍵の入れた方に財布は入れてある。しかし、手を突っ込んでみても、財布の感触はおろか、車の鍵も見つからない

 

「......落とした? いや...」

 

 来た道を戻り、駐車場を見回した。鍵や財布は落ちていない。だが......

 

「...なっ...!?」

 

 黒い車がひとりでに動き出し、パーキングエリアを去っていった。見間違いでなければ、あの車は...

 

「......クソッ、あの野郎ッ...!!」

 

 ...間違いなく、自分の車だ

 

To be continued...




ディスティニーランドって言えば、マンティコアとグルルですよ

城のデザインに蛇が使われてるようにしようとしたけど、やめました。エキドナ、カオスルート直行ですしね

いやでも、現実でもお城の前で写真撮ると別れるとか...?


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俺は危機を脱することが出来ない

 いざ目が覚めてみると、首元に冷たいものが当てられていることに気がついた。私と沙耶の間に、誰かが座っている

 

「おはようお嬢ちゃん。叫んだりすんなよ、わかんだろ?」

 

 首元に当てられた冷たいもの、鈍く光るナイフは首にくいこみはしないものの、確かに刃の部分が当てられていて、少し擦るだけて切れてしまいそうに思える。体が硬直し、嫌な汗と共に悲鳴が漏れそうになる

 

「...誰、なんですか? 晴大さん、は?」

 

 震える声で訪ねた。助手席に座った男が私達に見せるように晴大さんの持っていた財布などを見せつけてくる。顔は前を向いていてわからない。けど...

 

「わからない? 君達ね、あの男の人に捨てられちゃったんだよ」

 

 堪えるような笑いが響く。車はどんどん見知らぬ場所へと走らされていく

 

 

 あぁ、なんだ...結局は、そうだったんだ

 

 

「......裏切り者」

 

 

 ポツリとその言葉は呟かれた

 

 

 

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 

 

 

 青色の軽自動車が夜中にスピードをぐんぐん上げて町外れを駆けていく。交通違反なそのスピードの車を運転するのは...驚いたことに強面の私服警察だ

 

「もっとスピード出せないのか!?」

 

「馬鹿野郎お前、俺警察だっつってんだろ!! これ以上スピード出して捕まりたくねぇよ!!」

 

「元はといえばアンタらのせいじゃないか!!」

 

 後部座席に座っている男が怒声をあげた。助手席に座る男は口に飴を含みながら答える

 

「仕方がない、労働基準法が大事だってハッキリ分かんだね」

 

「んとにドイツもコイツも...!!」

 

 パーキングエリアでどうするべきか悩んでいた彼の元に駆けつけたのは車を運転する警察の藤堂 秀次と彼の父親である橘花 恭治だった。彼らは見回りの途中で見つけた手配中の強姦事件の犯人がある一団の中にいたため追いかけたのだが、寝不足や疲労がたたり逃げられたらしい。犯人は車で逃走、パーキングエリアで車を降りて彼の鍵を奪い、再び車を乗り換えて逃げだした

 

「晴大、場所はどこだ!?」

 

「ダメだ、まだ車で逃げてるッ...」

 

 幸いにも携帯までは取られなかった。おかげでGPS機能が使える。GPSで追っているのは、彼の車だ。操作中に車を盗まれる可能性も考慮して、彼は自分の車に発信機を搭載していた。それを仕込んだのは彼の父親である恭治なのだが

 

「止まった...海辺の工場の近くだ!」

 

「海辺の工場...あそこ潰れてるんじゃなかったか?」

 

「確かそうだ。逃げるにはうってつけってわけだ」

 

 荒々しいハンドリングで運転する秀次が答える。外は暗い、車もほとんど走っていない。走っていても彼の運転テクニックで全て躱して追い抜かしている。途中何度かクラクションが鳴らされた

 

「こりゃ、減給かね...」

 

「流石だな秀次。伊達にゲーセンでカートゲームやり込んでる訳じゃないな」

 

「昔の話だろうが」

 

「いやまずゲームでやってることを現実でやらないでもらえますかねぇ!!」

 

 左右にぐわんぐわんと揺れる車内ではシートベルトをしっかり締めて尚且つ体を支える場所がある前席とは違って、後部座席はシートベルトを締めていても体が遠心力でもっていかれる。おかげで彼は頭や体を幾度となくぶつけている

 

 そんな形で揺られること5分程度。犯人が逃げ込んだ廃工場へとたどり着いた。廃工場の近くには彼が乗っていた黒の車が無造作に乗り捨てられている。彼が車から飛び降りて車内を確認したが、車の中にあるのは彼女達が持っていた鞄だけだ

 

「クソがッ」

 

 舌打ちと共に悪態をつきながら車をそっと閉めた。今にも叫びながら突貫していきたい気持ちはあるが、こういった時こそ冷静にならなければならない。音を立てず、気配を消して近づくのが定石だ。廃工場の横にある倉庫の入口を見れば、秀次と恭治が壁に耳を当てて中を探っていた

 

「扉が開いた跡が残ってるから、いるならここだろうな」

 

「一階に音はしねぇな。となれば二階か...恭治、任せたぞ。俺は応援を要請してくる」

 

 警察が民間人にそんなことを任すなと言われそうだが、秀次は恭治を信頼しており、恭治はそれなりに実績がある。逮捕のためにも人は必要だ。秀次は車に戻って各地にいる仲間に電話をかけ始めた

 

「どういうやり方で行くよ」

 

「..........」

 

 尋ねると恭治は周りを見回し始め、廃工場の横側にある階段を見つけ、それを足音を立てないように登っていった。二階には扉がついており、ドアノブを見た恭治は軽く頷いて耳の裏辺りにつけた髪留めを外して鍵穴に突き刺すと何度か回した

 

「......っし、できた」

 

「...早い......」

 

 えらく簡単なヤツだったからなぁ、と恭治は笑うがスピードが自分がやる時の比ではない。いくら簡単なものだったからといって、自分がやってここまで早く出来るだろうか。彼は改めて自分の父親の凄さを知った

 

「よし、俺はここから入って裏から攻める。お前は表から入って陽動してこい。俺がお前の見える位置にまできたら、指を立てる。1本なら俺が女の子たちを救出する。その間お前は注意を反らせ。2本なら俺が殴りかかってからお前も戦闘を始める。決して先走ったりするなよ。わかったな?」

 

 要するに、人質の傍に人がいるかいないか、だ。いるなら親父が傍にいる奴を攻撃した後に行動開始。いないなら、親父が救出作業、俺はその間悟られないように陽動を兼ねた鎮圧を行わなければならない

 

 何故俺がやらなければならないのか、と思ったが彼らには自分の顔が割れている。ならば自分ひとりで行ったほうが相手はこちらがひとりだけだと誤解する可能性もある

 

 彼は静かにコクリと頷き、足音を立てないようにして下まで降りて、入口の扉の側から鏡を使って中を確認した。死角にいたりしなければ、一階部分には誰もいないことがわかる

 

「..........」

 

 隙間からスルリと中に入っていく。倉庫の中には何もなく、棚が乱雑と並んでいたり倒れていたり。蜘蛛の巣が辺りにいくつも確認できる。長い間使われていないようだ

 

「..........」

 

 逸る気持ちを抑え、心臓を落ち着かせるように深く息を吐きながら階段のある扉の前まできた。ドアノブをゆっくり回すと、鍵はかかっていないようですんなりと開いた。だが...

 

「っ...」

 

 錆びていたのだろう。キィィッと嫌な音が響いた

 

 ...聞かれたか。いやでも...足音はしない

 

 ...扉を開けると、声が聞こえてきた

 

「おいおい暴れんなって。誰も助けにこねぇっつってんだろ」

 

 ドンッドンッと暴れる音が聞こえる。だがそれも、一度の何かが崩れ落ちた音で聞こえなくなった。恐らく何か蹴り飛ばしでもしたのだろう。場所は、階段を上がってすぐのようだ

 

「......さて、やるとしよう」

 

 彼の目には確かな意志が宿っていた

 

 

 

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 

 

 

「ようやく大人しくなったか」

 

 二階には三人の男がいた。そのどれもが恐らく30代後半だろう。そのリーダー格であろう男が縛っている女の子たちの目の前に出て告げた。黒い服を着た女の子、雪菜はその目に確かな怒りを宿している。しかしその隣で縛られている沙耶は泣きながら怯えていた。助けて、お願い...と呟いている

 

「誰が...貴方達なんかに...」

 

 雪菜の怒気を孕んだ声が響く。沙耶を守ろうとしているのだろう。あえて彼らの注意を引くような行動をとった

 

「いつまでそんな口がきけるのかなぁ? こんな状況でさぁ...」

 

「ぐっ...」

 

 男が私の顎下に手をやり、顔を持ち上げた。粘つくような目線で私の体を見てくる。こんなところまできてようやく、私は恐怖の感情に陥った。今まで強気でいたのも、晴大さんに裏切られたと思っていたからだ。そんなものを忘れてしまうくらいに、目の前の恐怖は大きくなってきていた

 

 そんな恐怖を感じていた時だ。ガンッと扉が強く閉まる音が聞こえた。カツーンッ、カツーンッと入口の近くにある階段から音が聞こえてくる

 

「...そこまでにしとけ」

 

 現れた男は、静かに、だが確かに強さを感じる言葉で彼らを威嚇した

 

 ...私は目を疑った。だって、登ってきたのは...私達を捨てた晴大さんだったからだ。どうしてここに...なんで...。そんな疑問が頭の中をよぎっていく

 

 隣にいた沙耶は、涙声で彼の名を叫んだ

 

 彼の無表情な顔が、少しだけ微笑んだ。が、すぐに元の無表情...いや、無表情だがその表情には怒りの感情が滲み出ていた

 

 

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 

 

 

「アイツ、車の持ち主の...どうやってここまでッ!!」

 

 メンバーの内のひとりが言った。ざっとメンバー見回す。リーダー格であろう男の体格はなかなかいい。が、それ以外は特に平凡な体つきだ。これならリーダー格以外の奴らが一斉にかかってきても捌ききれる自信はある

 

 ...部屋の奥の方の通路から、恭治の顔が見える。その横には秀次の顔も見えた。恭治が指を出す。出された数は、一本。その後親指で秀次を指すと次は雪菜達を指し示した。秀次が救出に向かう、ということだろう。ならば恭治は加勢してくれることになる

 

 次に自分がやるべき事は、秀次が彼女達の元へ辿り着くための時間稼ぎと注意をそらすことだ

 

「別に、てめぇらには関係ないだろ? それよりもよぉ...」

 

 内側に開かれたままの扉につけられた窓ガラスを、裏拳で叩き割った。扉が叩かれた音と窓ガラスの割れる大きな音が響いた

 

「...誰に手ぇ出したか、わかってんだろうなぁッ!!」

 

 自分でも珍しく、大きな声を出した。裏拳をした右拳は、軽く血が出ている。だが気にすることでもない。この程度なら全くもって支障がないのだから

 

 ...今の一瞬の大きな音で、恭治と秀次は移動を完了させた

 

「あぁ? たかがガキひとりが調子づいてんじゃねぇぞ、えぇ!!」

 

 リーダー格の男が目つきを悪くし近づいてくる

 

「おいてめぇら、コイツ絞めんぞ」

 

 そう言って男が後ろを振り向いた時には...一人の男が地面に叩きつけられて動かなくなっていた。隣に立っていた男がいきなり地面に叩きつけられたのを見たもう一人の男は、驚きその場から後ずさった

 

「んで...誰が誰を締めるって?」

 

 叩きつけた張本人、恭治が不敵に笑いながら言った

 

「なっ...どこから入ってきてッ」

 

「余所見してていいのかよ」

 

 リーダー格ではなくもう一人の男の方になるべく音をたてずに素早く近づいた俺は、相手の顎に向けて平手で斜めに強く打ち付けた。アッパーの要領で顎を打たれた男はそのまま後ろに倒れて白目を向いたまま動かなくなった

 

「あんだよ、一発だけで沈むのか」

 

 心底つまらなそうに呟いた。残すはリーダー格のみ。男は慌ててその場から後ずさって距離を取ろうとする

 

「な、なんなんだよ...てめぇら、一体...!?」

 

「ただの探偵だよ、運が悪かったなぁ殺人犯よぉ」

 

 そう言って俺は前に足を踏み出す。親父は雪菜達の元に行った。どうやら俺に任せるようだ。アンタらのせいでこうなったんだが...まぁいい。まだ、怒りが収まる分には足りないんでな

 

「さ、殺人犯!? なんだよそれ、俺は人殺しなんてしてねぇぞ!!」

 

「......なに?」

 

 親父の方を向いて確認を取るが、犯人で間違いないようだ。だが、殺人犯ではないとなると...

 

「...強姦して放置された女性を、殺した奴がいる......?」

 

 ...そんなまさか。だとしたら...あのカードは、この男達が置いたんじゃなくて、殺人鬼が置いていったと...? ()()()()()()()()()()()()()

 

「......なるほど。だがまぁそんなことはいいんだ。どちらにせぇよ、お前には容疑がかかってんだ。大人しくしてもらおうか」

 

 そう言って俺が近づくと、男はポケットから何かを取り出して叫んだ

 

「お、俺に近づけばこれを使うぞ...良いのか!?」

 

 暗くてよく見えないが...なにやら四角い紙のようなものを持っているようだ。一枚全体何に使うというのかわからないが...

 

「知ったことかよ。とりあえず歯ぁ食いしばっとけよ」

 

 あと3m程。とりあえずここから助走でもつけてぶん殴るとしよう。そう決めた時だった。男は四角い紙のようなものを口の中に入れ、飲み込んだ

 

「...がッ」

 

 突然目の前に映っていた男がぶれた。そして...腹に伝わる強烈な打撃、痛み

 

「がっ、あ、ぁ......」

 

 目の前がぐるぐると回る。体が何度も跳ねて地面に衝突して、やがて壁にぶつかってやっと止まった

 

「晴大ッ!!」

 

 恭治が彼の名前を叫ぶ

 

 ...晴大は、5m以上の距離を殴り飛ばされていた

 

 

To be continued...



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俺は決意を抱いた

「晴大さんッ!!」

 

 雪菜が彼の名前を叫ぶ。壁まで殴り飛ばされた彼は周りにあった棚やダンボール等と一緒に崩れ落ちた。ダンボールの中からは四角い紙のようなものがいくつか飛び出して四散する。それは先程あの男が呑み込んだものと同じものだ

 

「く、はは、ハハハハハッ!! すげぇよ、すげぇよこれ!! やっぱよぉ、何でもかんでも思い通りになるってのは気分がいいもんだよなぁ!!」

 

 男は先程の様子から打って変わって上機嫌になる。顔が赤く染まっている。いや、顔だけではない。暗くて見えにくいが、首や手も薄らと赤く染まっている

 

「恭治、抑え込め!! 俺は晴大を連れて一旦出る!!」

 

「そう簡単に言ってくれるなよなぁ...」

 

 どこか落ち着いた様子の恭治だが、その額には汗が滲んでいる。秀次は雪菜と沙耶を連れて晴大の元へと向かい、彼の体を起こそうとする。だが、男はそれを許そうとせず、秀次の元へと凄まじいスピードで走っていく

 

「これ以上俺の息子に手ぇ出すんじゃねぇよ」

 

 その間に恭治が入り込む。恭治の体にめがけてスピードを乗せた拳が振り抜かれる。それを手で受け流す。鈍い音が響いたが、恭治は拳をいなすことに成功し、そのまま腕を掴んで背中に回して取り押さえようとするが、力づくで振りほどかれ、そこから体を回転させて恭治に蹴りを入れた。恭治は右手で払うように足の機動を変えたが、勢いよく右手が弾かれ、そのまま力なく垂れ下がってしまった。激しい痛みが恭治を襲い、動かそうとしても動く気配がない

 

「ぐっ...肩がぁッ...」

 

「恭治ッ!?」

 

 秀次が有り得ないものを見る目で二人を見た。秀次は恭治の強さを知っている。そんな彼が蹴り一つで肩を脱臼させるなんて、ありえないと驚愕した。そして、その脅威は今度は自分に向かってやってくるとすぐに気がついた

 

「クソッタレがッ...それ以上動くんじゃねぇ!!」

 

 ホルスターから拳銃を引き抜いた。通常警察は拳銃で発砲してはいけない。法律上発砲の許可がおりるのはほとんど無い。撃った場合、それが適切であろうとなかろうと、警察側の汚点となってしまう

 

 そんなことは秀次でもわかっていた。でも、そうせざるを得なかった。そうしなければ、撃たなければ俺達は死ぬ、確実に。そう思わせるだけの力が相手にはあった

 

「動くな...動くなってか? そいつぁ無理だなぁ...俺もう、止めらんねぇんだよッ!!」

 

 ヒャハハハハッ!! 狂ったように笑いながら男が恭治を無視して秀次の元へと向かってくる。もうやむを得ない。秀次は拳銃の引き金を引いた。乾いた音と共に、鉄の塊が男に向かって射出される

 

「...嘘、だろ...」

 

 有り得ない。そんなこと、人間ができるわけがない。秀次は頭を混乱させた

 

 拳銃で発砲したと同時に、男は飛び上がったのだ。それも、自分の身の丈以上に。弾丸が当てられなかったのではない。当たらなかったのでもない。弾丸は、避けられたのだ

 

「邪魔なんだよッ!!」

 

「がッはァッ...」

 

 男はそのまま秀次の目の前に降り立ち、拳銃を奪い取ると秀次の腹に思いきり膝蹴りを叩き込んだ。秀次は胃の中身を撒き散らし、その場に腹を抑えて倒れ込んでしまう

 

「はは、ハハハ、ハハハハハハッ!! 良いぜぇ、最ッ高の気分だッ!! 多少なりとも値は張ったが、スゲェもんだなこの『フォーム』ってやつぁよぉ!!」

 

 男の笑い声が響く。救出に来た男性陣は壊滅。現在動けるのは恭治だけだ。その恭治も肩が脱臼していて充分には戦えない

 

「恭治さん...晴大さん...」

 

 雪菜が泣きそうな声で彼らの名前を呼ぶ。そんな雪菜を男はじろりと見た。その目は、彼女の体を隅から隅まで見回し、ひひっと声を漏らした

 

「そういやぁ...お前、さっき俺に生意気な口きいたよなぁ...。悪い子には、お仕置きしなくちゃなぁ...」

 

 男が雪菜に向かって近づいていく。雪菜はその場から逃げ出そうと沙耶の手を取って動こうとするが、沙耶は腰を抜かしていて動ける状態じゃなかった。彼女を置いて逃げることを、雪菜は許せなかった。彼女を置いていけば、自分だけは助かるかもしれない。けれど...彼女は、自分の大切な友達だ。置いていけるわけがない

 

「その子に手を出すなッ」

 

 恭治が痛みに顔を歪ませながら、男に向かって突進する。脱臼した右腕は先程秀次が稼いだ少しの時間で無理やりはめ直した。しかし動かせるわけでもない。腕が使えないのなら、体で動きを止める。全身を使った体当たりを男に繰り出した

 

「動かなきゃいいものをよぉッ!!」

 

 男は恭治の動きに合わせて右拳を振り抜く。しかし恭治は先程もその動きを見ている。迫り来る拳を躱して左手で腕を掴んで逆側に曲げようと力を加えた

 

「ふんッ」

 

「ぐっおぉっ...」

 

 しかし男はそれを許さない。今度は左拳を恭治の腹に叩き込んだ。加えていた力が緩み、男は恭治を振りほどいてすかさず追撃を加える。右、左、蹴り、フェイントを混ぜて右を振り抜く。それを恭治は左手だけで全ていなしきっていく

 

 正面からの力勝負に勝ち目はない。たかが拳一つ、蹴り一つ。それだけで骨がやられてしまう。威力を受け止めてはいけない。体全身に回すように受け流す

 

 

 ...恭治は男の攻撃を幾度となく受け流し続けた

 

 

 

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 

 

 

「ぐっ...身体中、痛ってぇなぁ...」

 

 意識を覚醒させると、ぼんやりとした頭が一気にスッキリする痛みに襲われた。何があったのか思い返せば、自分はあの男に急に殴り飛ばされ、壁まで弾き飛ばされたのだった。自分の周りには見たことのある四角い紙が落ちている

 

 それは、警察に依頼されていた麻薬...『フォーム』と呼ばれていたものだ。聞かされていた内容は、アップ系で気分高揚など。その他に詳しいことはわからなかったらしい

 

「...あい、つは......」

 

 顔を上げて、鈍い音が聞こえてくる方向を見た。恭治と男が殴りあっていた。いや、殴りあいではない...一方的な暴力だ。その一撃一撃が、人の身体に確実に害をもたらす威力を持っている。それを全ていなしている恭治を見て、流石だと心の中で呟いた。だが、見ていると不思議な点がある。恭治は右腕を使っていない。怪我をしたのだろう。それは不味い。いくら親父が頭がおかしいくらいに強いとはいえ、怪我をした状態であんな馬鹿力を持った男とやり合うなんて無茶だ

 

「...そういえば......」

 

 少し前の記憶を探り出す。あの男に殴り飛ばされる前、あの男は何かを飲んでいた。周りに散らかっている四角い紙──フォームを手に取った。恐らくこれだろう。あの男の力の正体は、この麻薬だ

 

 だが、一体全体こんな麻薬に何の効果がある? せいぜい感覚の麻痺程度だろう...

 

「......まさか...」

 

 感覚麻痺。まさか、そういうことなのだろうか。だとすれば、危険すぎる。この麻薬は、効果が切れれば体に尋常じゃない被害をもたらす可能性が高いものだ

 

「あ゛ぁ゛ぁぁぁッ!!!」

 

「っ...!!」

 

 恭治の悲鳴が響いた。見れば、右腕を抑えてうずくまっている。怪我をしていたところを再度やられたのだろう。うめき声をあげる恭治を、男は蹴り飛ばした

 

「ヒャハハハハッ!! 正義のヒーロー気取って助けに来たってのに...ダッセェ奴らだなぁおい!! ククッ、ハハハハハハッ!!」

 

 男が笑いながら雪菜に向かって近づいていく。彼女達は必死に逃げようとするが、すぐに捕まってしまった

 

「あの野郎ッ...」

 

 誰の許可を経て彼女に触っている。誰の許可を経て彼女を傷つけようとしている。やらせるものか。彼女は俺が護るんだ。今後こそ、護ってみせるんだ

 

「..........」

 

 俺は落ちていた麻薬を、躊躇いなく口の中に入れ、飲み込んだ

 

 

 

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 

 

 

「いや、やめて!! 離して!!」

 

 私は必死に腕を振るう。けど、掴まれた腕は振り解けない。男はニヤけた顔のまま、私達の体を地面に倒した。背中から地面に落とされて、とても痛い

 

「やだ...やだぁ...晴大さん、助けて...」

 

 沙耶が泣きながら助けを呼んでいる。守らなくちゃ。私が、沙耶を守らなくちゃ...

 

 けれど、いくらもがこうとも男は私達の体を離しはしなかった。二人を片手ずつだというのに、軽々と抑えつけられている。私の左手は、ずっと沙耶の手と繋がれている。怖いのか、とても強く握られていた。そして...酷く震えている

 

 ...違う。震えていたのは、私だった。私も、彼女の手を強く握った

 

「邪魔者もいなくなったし...ひひっ、あいつらにゃ悪いけど、お先に楽しませてもらおうかなぁ」

 

 怖い。怖い、怖い。怖い怖い怖いッ...やだ、やだッ!! やめて、お願いだからやめてッ!! 私の体に触らないでよぉ!! 誰か...お願い、誰か...

 

「助けて...」

 

 掠れた声が響く

 

「助けて...お願い...」

 

 脳裏に浮かんできたのは、一人の男の人。震える声で、彼の名前を叫んだ

 

「晴大さんッッッ!!」

 

 彼の名前を叫んだ。沙耶も叫んだ。助けてと叫んだ

 

 ...あぁ、でも......助け、なんて......こんな、状況じゃ......

 

「彼女に、手ぇ出すなっつっただろうがァァッ!!」

 

 ...彼の声が響いた。私たちを圧迫していた重さがなくなり、目の前にいた男は凄まじい勢いで転がっていった

 

 目の前に、晴大さんが立っている。普段は無表情で、けど、優しい兄のように微笑む彼が、怒りを露わにして立っていた。その顔や身体は、どことなく赤く見える

 

「あ、ぁ...せぇだいさんっ...」

 

 沙耶が涙を流しながら彼の名前を呼んだ

 

「...晴大さんっ......」

 

 私も彼の名前を呼んだ。胸が高鳴っていた。助けてと言ったら、助けに来てくれた。私達を守るために、怒ってくれた。私達を守るために、体をボロボロにして戦ってくれている

 

 ...嬉しかった。言葉では、表せないくらいに...私は嬉しかった

 

「っ、てめぇ...邪魔しやがって...」

 

 男が起き上がりながら彼を睨みつける。そしてポケットから折りたたみ式のナイフを取り出して彼に向けた

 

 ナイフを見て、私は背筋が凍りついた。彼が死んでしまう...。両親のように。身体中を裂かれて...。嫌だ、そんなのは嫌だ...

 

 ...けど、私に動くことなんてできなかった。あの日と同じように...私は、見ることしか、できない...

 

「いいぜ...もう俺ぁ怒ったわ...ぶっ殺してやるッ!!」

 

「こっちのセリフだッ!!」

 

 男がナイフで突き刺そうと凄まじい勢いで突貫する。彼はそれを横に避け、腕を掴んで体を使って抑え込む。そして右足を下げて、腕を固定して、膝を上げる勢いで男の腕を逆方向に曲げた

 

「あぁぁッ!? 」

 

 男が悲鳴をあげる。しかしそんなことは知ったことではないといったように、彼は男を蹴り飛ばした。先程彼が蹴り飛ばされた時と同様に、普通ではありえない距離を蹴り飛ばされる。地面と擦れ、壁に当たり、地面に伏す...かと思いきや、男はそのまま立ち上がって彼を鋭く睨みつけた

 

「なんでだ、なんでテメェが俺に歯向かえてんだよッ!! 強くなった俺に、誰も勝てなかった俺に、テメェみてぇな野郎がぁっ...!!」

 

 男はフラフラとしながら彼に向かって覚束無い足取りで歩み寄っていく。彼は男に言った

 

「...効き目はまだ残ってるよなぁ? アイツらに手ぇ出したんだ...それに、親父や秀次さんにも...。やる覚悟があるんだ。やられる覚悟ぐらい、あるよなぁ?」

 

 彼が右手を強く握る。男はその場から逃げようとするが、ふらついた身体でうまく走れない

 

「...俺の大切な人達に手ぇ出した罰だ」

 

 その場から走り出し、助走をこれでもかというくらいつけて...

 

「...歯ぁ食いしばれッ!!」

 

 全力の一撃。振り抜かれた右拳によって、男は回転しながら地面を転がり、跳ね、壁に当たって止まった。起き上がる気配はない

 

「晴大さん...?」

 

 私は彼の名前を呼んだ。彼は、その場で立ち尽くしたまま動かない。沙耶も、彼の名前を呼んだ

 

「せぇだいさん...だいじょうぶ、ですか...?」

 

 ...グラりとその体が揺れた。そしてそのまま...

 

 ...彼は地面に倒れ込んだ

 

「晴大さんッ!?」

 

 倒れてしまった彼に駆け寄った。呼吸がとても荒い。酷く汗もかいていて、痛そうなうめき声をあげていた

 

 ...近くで、パトカーのサイレンが聞こえてきた

 

「...たくっ...おせぇ奴らだ...」

 

 秀次が仰向けの状態で呟いた。その近くの壁には、恭治が背中をもたれかけるように腕を抑えながら座っている

 

「ヘマ、しちまったな......まさか、腕をやられるとは、な」

 

「ハッ...なんだ、油断でも...してたのか?」

 

「...あそこまで、力があるとは思ってなかったよ」

 

 恭治は苦笑いをしながら、秀次の方ではなく未だ倒れている彼と雪菜達を見た

 

「...やるじゃないか...流石は、お前の息子だな」

 

「...あぁ。何か容態がおかしいが...すぐに他の奴らも来る。そんで、さっさと病院まで運んでもらうか...」

 

「そうしよう...何はともあれ...」

 

 秀次は全身の力を抜いて地面に身体を預けた。恭治が秀次の言葉の先を代弁した

 

「...一旦、捜査は中断だな。願わくば...今回ので、何かしら掴みたいもんだな。殺人鬼しかり...」

 

 恭治が先程まで彼が倒れていた場所を見た。ダンボールから出てきた麻薬...フォームだ

 

「...あの麻薬しかり、な」

 

 恭治はこれからの事を頭に浮かべながら...やがて意識を落とした

 

To be continued...



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俺は再び危機に瀕する

今回ちょっと沙耶との話が書きにくかったです
なんか変な感じになってるかもしれません...
もっと文才があればうまくこういったのも書けるんでしょうけどね...


 懐かしい風景が見えた

 

 部屋には少年がいて、若い男と女がいた。少年は刃物を持って女に向けていた

 

 俺はそれを見ていた

 

 その少年の顔は、幼い頃の自分だ。少年は俺に向かって目を向けて、声を出さずに目で訴えた

 

 ──たすけて

 

 されど、俺に助ける手立ても、勇気も、力もなかった

 

 ──たすけて

 

 少年は助けを乞うた。あぁ...それでも...俺には見ている事しか出来ない

 

 ...やがて少年は刃物を振りかざした。女の身体に、深々と突き刺さる。辺りに血が飛び散った。少年の顔が血で汚れた

 

 ...少年は自分の母親を刺したのだ。紛れもなく、自分の身体で、自分の力で。母親はもがき苦しんでいる。痛い、死にたい。けど死にたくない

 

 ...少年はもう一度刃物を振りかざした。胸に向けて、真っ直ぐ振り下ろす。手に伝わる感触に、少年は顔を歪めた

 

 そして、少年は言った

 

 ──俺が、鏡夜だ

 

 俺はそれを見ている

 

 ──俺が、浪川 鏡夜だッ

 

 刃物を抜いて、勢いよく走り出した。今度は、男に向かって

 

 ...俺はそれを、見ていた

 

 

 

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 

 

 

 

「..........」

 

 目を覚ませば、明るい日光が部屋を照らしていた。窓からは、街を見下ろすことが出来る。周りは、白、白、白。見渡す限り白。身体を起こしてみようとすれば、酷い激痛がはしり、たまらずまた横になった

 

「..........」

 

 ベッドと合体されたテーブルには、何枚かの紙が置いてあった。とりあえず、一番上にあったものを手に取って読んでみる。差出人の欄に、恭治と書かれていた

 

「......親父...?」

 

 紙に書かれていた文はなんとも簡潔にまとめられていた。あの後病院に運ばれて入院させられたようだ。なんでも、一番酷い状態だったらしい。いや...もう一人、強姦魔がよりもっと酷い状態らしいが、もう警察の厄介になって身動きできないとのこと。雪菜も沙耶も、怪我なく帰ることが出来たこと。殺人鬼に関するものは何一つ得られなかったこと。フォームについて、新しく情報が得られたこと。そして、起きたら電話するようにとのこと

 

「...電話、ね。公衆電話までか...この身体じゃ、なかなかキツいな...」

 

 病院内で携帯電話は原則使用禁止だ。いやまぁ、使えるなら使ってもいいんだが...リハビリも兼ねてだ。医者になんの確認もなしだが、別に構わないだろう。とりあえず、立つところからどうにかしないと...

 

「ふっ...ぐぅっ......」

 

 立つために体に力を入れると、右腕全体と両足が痛む。やはりあの麻薬の副作用か...。いや、副作用というよりも、飲んだことによる影響と言った方がいいな。俺の予想していた通りの効果なら...この程度で済んだだけマシとも言えるかもしれない。そのことに関しては後で教えてくれるだろう

 

「..........?」

 

 部屋の外から誰かの足音が近づいてきた。医者が来たか。立っているところを見られてもアレか...。一応、座っておくか

 

 部屋の扉がゆっくりと開かれる。そこに居たのは、予想していた人物とは違っていた。病院の中で黒服を着るのはそう多くはない。喪服と思われがちだからだ。それでも尚黒の服に見を包む女の子。そしてその隣で明るい服を着た対照的な子。雪菜と沙耶だ。彼女達は俺が起きているのを見て、目を見開いて驚いていた

 

「晴大さん...良かった。目が覚めたんですね」

 

「...あぁ。今しがた、な」

 

 雪菜がホッと息を吐いた。どうやらずっと心配していたらしい。嬉しいことだ。隣にいる沙耶は、どこかオドオドとしていて、何かを言おうとして口を噤んでいた。が、やがてたどたどしく声を発した

 

「あ、あの...晴大さん。身体は、大丈夫ですか...?」

 

「あぁ。大丈夫だとも。そんなにヤワな身体じゃないよ、俺は。これでも多少は鍛えてるんだ」

 

 むしろ鍛えていなかったら下手すると初撃で死んでいたんじゃなかろうか。親父との猛特訓は幸をなしたようだ。二度としたくはないが。誰があんな化物と殴り合いたいと思うよ。どんなふうに攻撃しても全部受け流されるか止められてカウンター貰って脳震盪起こして気絶とか。親父が子供にやる特訓法じゃない

 

 ...まぁ、それ以外の目的もあったんだろうがな

 

「...良かったです。私達のせいで、晴大さん動けなくなっちゃうんじゃないかって、ずっと心配で...私、私っ......」

 

 沙耶は涙を流して泣き出してしまった。そんな沙耶の頭をゆっくりと撫でる。心配させたくはなかったが...やむを得ない状況でもあった。あれ以外に方法はなかった。少なくとも、俺の実力では。親父が全快なら、他の方法もきっとあった。やはり俺は弱い。このままでは...あの時の二の舞いだ

 

「...お前達のせいって訳じゃない。むしろ、俺の不注意のせいで起きた事故だ。お前達に怪我がなくて、本当に良かったよ」

 

「せぇだいさんっ......」

 

 沙耶が泣きながら抱きついてきた。悲鳴をあげそうになるのを歯を食いしばってぐっと堪える。なんだ、女の子に抱きしめられているというのに、酷い顔をしていそうだ。苦虫を噛み潰した顔でもしてるかな

 

「...沙耶、それくらいにしときなよ。晴大さん身体まだ痛そうだから......」

 

 ナイスだ、雪菜。俺は心の中で感謝した。このままの状態でいたら、もう一度気絶していたかもしれない。悲鳴を上げなかった俺を、誰か褒めてほしいものだ

 

 沙耶は少しだけ名残惜しそうに俺の身体から離れた。まだ泣き止まぬ様子のまま、彼女は俺に聞いた

 

「なんで、そこまでして私達を...助けてくれたんですか? 会って間もないのに、命を張るような真似までして...」

 

 ...彼女は俺の目を見て問うた。真っ直ぐな瞳は、俺に嘘をつかせることをはばからせる。本当のことを言うべきか。いや、言った方がいいのだろう。しかし彼女の個人的な話だ。雪菜に聞かせるのも...。いや、観覧車の中で、ひとしきり聞いているから、そこまで深く考え込む必要も無い、か

 

「...前にも言ったよ。君が大切だからだ」

 

「それは...どういった、意味でですか」

 

「...あまり、いい話ではないんだ。けど、悲観しないで聞いてほしい」

 

 チラリと雪菜を見ると、彼女は不思議そうな顔でこちらを見ていた。沙耶も、少しだけ不思議そうだ。俺は話を続けた

 

「俺には、弟がいた。昔の事だ。俺の弟は今世の中を騒がせている殺人鬼に殺されたんだよ」

 

「...えっ?」

 

 沙耶が驚いたように声を上げる。雪菜は前にもこの話を聞いていたからか、特に反応はなかった

 

「...とても元気な男の子だった。頼りになるし、強かった。頭はあまり良くなかったけどね。それで...殺された弟は、臓器を死体ごと売られちゃったんだ」

 

「...臓器......それって...」

 

 沙耶はどこか悲しそうに、自分のお腹に手を当てた。俺は軽く頷いて、彼女に真実を告げた

 

「そう...。君が昔交通事故で手術した際に移植された臓器。それこそが、俺の弟の臓器なんだ。だから...俺は君を守らなきゃって思った。君に、幸せになってもらいたかった。俺の弟の分まで、生きて欲しかったんだ。だから命を張ったんだよ」

 

「..........」

 

 沙耶は自分のお腹を両手で抱きしめた。俯いたまま、彼女は俺に言った

 

「...私の、勘違いだったんですね。私、てっきり、晴大さんに好かれてるのかなって思って...。そうじゃなかったんですね...。ただ、私の中に晴大さんの兄弟の臓器があったから、助けてくれただけで...。だから私に優しくしてくれて、ディスティニーランドにまで連れてってくれて...。全部...私の思っていたこととは、違っていたんですね」

 

「..........すまない。俺には、謝ることしか出来ない。けど、君が大切なのは事実だ」

 

「それは、私の中に臓器があるから、ですよね。なかったら、私なんて目にもとめなかったんですよね。そうじゃなきゃ...私に、優しくしてくれる義理なんてなかったんですから」

 

 彼女が俯いていた顔を上げる。酷く歪んだ顔のまま、泣いていた

 

 ...あぁ、俺にはどうすることも出来ない。だって、事実は事実だ。俺は確かに、彼女が大切だと思っていた。アイツの臓器があったから。けど...それだけじゃなかったはずだ

 

 視線をそらして、雪菜を見た。彼女もだいぶ困惑した様子で沙耶を見つめている

 

 ...そうだ。彼女の、雪菜の大切な友達だから。だから守ろうとしたんだ。理由なんて、その程度のものだ。それに、きっと俺は...誰であろうと、助けていただろう

 

「...君に臓器があることを知ったのは、君と知り合って暫くした後だ。それまでは、知らなかった。それでも、俺は普段は入れることのない連絡先に君のを入れた。元より...大切に思っていたよ。ただ、それは好意ではなく...友人として」

 

「......ごめんなさい...。私もう...なんて、言えばいいのか......。貴方を、軽蔑すべきなんでしょうか...それとも、感謝すべきなんでしょうか...わからない。わからないです、晴大さん...」

 

 ...俺は彼女をそっと抱きしめた。彼女が腕の中でもがく。激痛が走った。が...こんな痛みはきっと、彼女の心の痛みに比べたら、きっとなんてことはないんだろう

 

「...やめて、ください...。こんなこと、されたら...私......。諦め、きれないじゃないですか......。ズルイです...こんなの......」

 

 ...貶されようと構わない。俺に出来ることは、これくらいしか思い浮かばなかったから。酷い手だ。彼女が好意を抱いていると自覚していて尚、それを利用しているのだから

 

 ...屑だな、俺は

 

「..........ありがとう、ございました」

 

 腕の中で、震えた声で感謝の言葉を述べられた

 

「...助けてくれて、ありがとうございました...。私は...勝手に勘違いしてて...どうしたらいいか、分かんなくて...けど、どうしたいかは、わかってるんです。だから...これからも、一緒に居たりしては、ダメですか...?」

 

「...勘違いさせたのは、俺だ。君の好きにするといい。ただ、忘れないで欲しい。内臓も何も抜きにして...俺は君のことを大切に思っていると」

 

「......酷いです、本当に...。晴大さんは、女の敵です...」

 

 彼女は腕の中でもがくのを辞めて、そのまま身体を預けてきた。雪菜の方を見ると、彼女は恨めしそうに沙耶を見ている

 

 ...しばらくの間、安息の時を過ごした

 

To be continued...



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俺の想い

 身体に走る痛みを我慢しながら、俺は病院の庭園へと赴いた。フェンスに近寄り、下を見れば雪菜と沙耶らしき2人が歩いて帰っているのが見える

 

「..........」

 

 ポケットから携帯を取り出して、親父へと電話をかける。三コール程で、親父は電話に出た。とりあえずは...挨拶と情況報告から始めるとしようか

 

「...親父。今さっき起きたよ」

 

『...そうか。そりゃ良かった。調子はどうだ?』

 

「身体中痛む。筋肉が張り裂けそうだ」

 

『そりゃそうだろうよ。わかってて使ったんじゃないのか?』

 

「...半ば覚悟はしてたさ。実際なってみると、もう二度と使いたくないぐらいには痛い」

 

 親父の声はいつも通りだ。心配そうだとか、どこか暗い雰囲気があるとか、そんなもんじゃない。いつも通りの、どこか優しくて穏やかな声だ。不思議と安心する

 

「...んで、やっぱりあの麻薬、神経麻痺とかそこら辺だったのか?」

 

『...神経麻痺、というよりは...アドレナリンの大量分泌だな』

 

「...アドレナリン?」

 

 予想していたものとは違うものが出てきた。困惑した俺の声に、親父は続きを話した

 

『そうだ。アドレナリンを大量に分泌させることによって、人が無意識的に自制している枷を外す。それがこの麻薬の効果だ』

 

「...火事場の馬鹿力を、人為的に起こさせるってことか?」

 

『そういうことだ。だが、それだけじゃない。人が無意識的に自制する枷。こいつを、本当にとっぱらってしまうんだ』

 

「...それは、どういう意味だ?」

 

 火事場の馬鹿力という所までは、俺の予想と合っていた。あの男の様子からして、神経を麻痺させることで自分の自制を無くして火事場の馬鹿力を強制的に発揮させているんだと思っていた。そして、強制的に、しかも長期間に渡っての火事場の馬鹿力は体に多少なりとも影響を及ぼすだろうと思っていた

 

『人が普段セーブする力を9割近く出し切れるのが火事場だ。だが何故火事場を持ってしても10割を出せないのか。それは、身体の限界だからだ。それ以上やれば影響が出る。後遺症なり、何なり。下手すれば、筋繊維が完全に崩壊して動かなくなる。その最後の、命に関わる枷すらも外してしまうんだよ、コイツは』

 

「......そんな、危険なものだったのか」

 

 

 思わず絶句した。下手に動き回らなくて良かったと、あの時の俺の行動に感謝した。確かに、いつもより身体が軽くて、なんでもできる気がした。無性に叫びたくもあった。そして......

 

『そして、アップ系と称されたこの麻薬だが...神経に働きかけて、暴動を起こさせるんだ。普段抑圧する、心の負の部分。それを、行為として表に出す。暴力、非行、殺人。それらの衝動を起こさせるんだ』

 

 ...無性に、殺したくもあった。自制できたのは、恐らく彼女達がいたから。普段なりを潜めている殺人衝動。それを表に出させる麻薬、フォーム。ここの所、事件が勃発している。暴行、盗難、殺人。その行為の引き金はおそらく...

 

『最近の事件の犯人の大半が、フォームを服用してやがった。そんでよ、その犯人たち、どうなったと思う?』

 

「...中毒症状でも出てるのか?」

 

『それなら可愛いほうだ。まず、服用する。んで、効果が切れる。痛むから服用する。すると痛みがなくなる。衝動的な行動をしたくなり、やがてまた服用する。んで、身体の調子が悪くなって、捕まる。そして...死ぬ』

 

「......死ぬ?」

 

 ...聞き間違えであってほしいが、まさか、あの麻薬死に直結しているのか? そしたら、俺もそこそこまずいのではないか?

 

 無意識に自分の心臓部分を押さえつけた。動悸が素早くなっているのがわかる。親父は、話を続けた

 

『死ぬと言っても、一度の服用なら大丈夫だ。だが、重ねていくと体内で浄化できない物質が溜まっていく。こいつがとんでない毒素を含んでいる。本人は気付かぬうちに大量摂取して死んでいくのさ』

 

「......俺はまだ、死ぬわけにはいかない」

 

『わかってる。ってか、話聞いてたか? 一度の服用じゃ死なねぇよ。そんで、こっからは依頼の話だ』

 

 電話の向こうでコトッと音が聞こえ、ズズっと何かを飲む音が聞こえた。珈琲だろう。家に帰って咲華さんの作ったカフェオレが飲みたくなってきた。はやく退院したいものだ

 

『お前には今後この麻薬の調査を徹底的にやってもらう。警察の予見だと、この麻薬の製造者は殺人鬼なんじゃないのかって』

 

「...何故そう思う?」

 

『殺人鬼は、人を殺すことを楽しんでいる。けど、人を殺すのに警察は邪魔だ。なら、手薄にさせればいい。そのためには、多くの駒が必要だ。それが、麻薬購入者。つまり...殺人鬼は非行者を作り出して、自分の動きやすい状況を作ろうとしているんじゃないのかって』

 

「...警察を舐めすぎだろう。それに、事がもっと大きくなれば、自衛隊も動きはじめる。そうなれば、余計に動きづらくなるだろう」

 

『...そういった考えもあるか。いやなに、本部の連中頭固くてね...だが、俺は予感がある。この麻薬は何かしら繋がっているはずだ。だから俺はこれをお前に頼む。引き受けてくれるな?』

 

「...もとより受けてた仕事だ。文句も何も無い」

 

 そう、元々は警察から受けた依頼だ。任されたからには、達成しなくてはならない。しかし...この麻薬がどう殺人鬼と繋がるのだろうか...

 

『...そういえば、お前が寝てる間に雪菜ちゃんの保護者...滝川 総司さんが見舞いに来たよ。お礼も言ってた』

 

「あぁ、そう...。どんな感じの人だった?」

 

『優しげな人だったよ。俺の名前を伝えたら、驚いてた』

 

「...なんで?」

 

『有名な探偵、橘花 恭治に会えて驚いたんだと』

 

「...有名、か?」

 

 確かに、親父は警察内部では顔と名前がしれてる。けど、それは基本的に外には出されない情報だ。一般人が知っているとは考えにくい。となると...滝川さんは警察関係者? いや、いつだか雪菜からはサラリーマンだと聞かされたが...

 

『いやぁ、俺も有名になったもんだ。客はめっきり来ないが』

 

「良かったな親父。世界は平和だ」

 

『商売あがったりになるくらいなら世界平和はいらん。それに、今尚殺人鬼が闊歩してやがる。それを平和と言うなら...世紀末だな』

 

「核の炎に包まれた世界なんかよりはよっぽど平和だと思うんだが...」

 

『違いない。とりあえず、伝えることは伝えたからな。とっとと退院して捜査に移れ。時間は有限だ』

 

「まだ身体痛むんだが...」

 

 未だに身体中のそこらかしこが悲鳴を上げている。こんな状態では走ることすらままならない。現に、今こうして立っていられるのもなかなか厳しいのだ

 

『慣れろ。これから死ぬほど味わうことになるだろうからな』

 

「......それは、どういう...?」

 

『病室の脇に置いたお前の鞄に、フォームを何枚か入れて置いた。相手はフォーム持ちになる可能性がある。そうなれば、お前に勝ち目はない。いざとなれば、躊躇うことなく使え』

 

「服用して死ぬんじゃないのか...。それに、俺だってフォームが無くても...」

 

『俺に傷一つつけられねぇ奴が何ぬかしやがる。それに、調べた所個人差はあるが5枚程度ならセーフラインだ。それ以上は命に関わる。気をつけるんだな』

 

「......了解」

 

 プツリッと電話が切れた。フォーム。それは身体を強制的に活性化させる薬物。親父の言う通り、今後戦う可能性のある相手はフォーム持ちの可能性が高い。素人だろうと、狂人になってしまえば手がつけられない。俺は親父ほど強くはない

 

 ...少しばかり恐ろしいが、それでも使わざるを得ない状況があるだろう。だが...彼女を残して死ぬわけにはいかない

 

「...雪菜......」

 

 フェンスから下を見下ろした。雪菜と沙耶はもういない。ポツリと呟かれた言葉は、風に吹かれて消えていった。心が締め付けられる。ただ、取り憑かれたように動いていた機械の心が...いつ、こんなにも人らしく戻ったのだろうか

 

『晴大さん』

 

 頭の中で声が響く。あぁ、そうだ。きっと、彼女に会ってから...人に戻ったのだろう

 

 ...弱くなったものだ。護るものがない方が、俺はきっともっと強くなれる。フォームなんかなくたって、俺は戦える

 

 けど...護るものがあれば、俺は立っていられる。人として生きて、そして護るもののために躊躇いをなくすことができる

 

 ...さて、どちらがいいのだろうか。機械のような俺と、()()()()()俺と

 

「...殺人鬼と復讐鬼、か......」

 

 ククッ...クククッ...。喉の奥から笑いが込み上げてきた。人にあらず。そう...鬼だ。猛威を振るう鬼なのだ、俺は

 

 やがて地の底に落ちる鬼なのだ

 

 

 

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 

 

 

 そのように生きたことを、後悔したことは無い。ただ、俺は好きな人の為にやっているだけだ。そこに、歪んだ思いなんてない。俺はただ、彼女が好きだった。今も尚、心の奥底深くで、あの時の光景が目に浮かぶ

 

 彼女の涙を浮かべた姿が

 

 しかし...因果なものだ。奴はまだ俺につきまとうのか。まぁ、わかるわけがない。アイツは俺に気づけない。表向きは、普通の人として。しかし、裏を返した俺が...鬼だ。殺人鬼だ。誰にもわかるわけがない。誰にも俺を捕まえることは出来ない

 

 父を殺し、母を殺し...さて、あとどれくらい殺していればいいのだろうか。これが完成すれば、この長い計画は幕を閉じる

 

 不安な要素なんて想像出来ない。後は時間が解決する。死体を売り払えなくて金は少なくなったが、それを補えるだけの収入もできた

 

 全てが終わって...彼女と一つになれたら、どうしようか。旅行にでも行こうか。いや...やはり外に出したくはない。監禁して、調教して、服従させて...

 

 ......今から楽しみで仕方がないよ、雪菜

 

 せいぜい...騙され続けるといい。そして何もかも伝えた時に、見せてくれ。人が刺された時の表情よりも恍惚とした表情を...

 

 ...君の母さんが死んだ時のような、素晴らしい表情を

 

To be continued...

 

 

 



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私は疑えない/俺は偽り続ける

話が進む事に文章力が低下している気がします


「...ただいま」

 

 玄関の戸を開けて家に入る。男物の靴が脱ぎ捨てられていた。総司さんのものだろう。靴を揃えて扉の方に向けた。リビングの方から、声が聞こえてくる

 

「おかえり」

 

 総司さんの声だ。とりあえずリビングに向かってみると、テレビを見ている総司さんがいた。スーツ姿で、ネクタイを緩めた状態だ

 

「今日、橘花探偵事務所に行ってお礼を言ってきたよ」

 

「...そうですか」

 

 私達が誘拐されて、救出されたあと。総司さんはとても慌てた様子で私の事を心配してきた。何も無かったのか、怪我は、盗まれたものは? まるで実の親のように心配してくれる総司さんに、心が温まった。私を心配してくれたのが、とても嬉しかったんだ

 

「...雪菜。悪いことは言わないから、彼と交遊するのは控えなさい」

 

「...どうして、ですか?」

 

 これまでしたいようにすればいいと、私の想いを尊重してくれた総司さんが、初めて控えろと忠告してきた。彼の何がいけないのだろうか。彼といてはいけない理由は...?

 

「危険だからだよ。君に何かあったら困る。それに、彼は探偵だ。そういったことに首を突っ込むだろう? 下手をすれば君まで巻き込まれかねない」

 

「...けど、彼は...晴大さんは護ってくれました」

 

「そもそも、危険な目に遭わなければ護られる必要も無いんだ。わかってほしい。君に危険な目に遭ってほしくないんだ」

 

 総司さんが酷く懇願した目で私を見つめてくる。けど...その物言いは、あんまりだ。だって、晴大さんは悪くない。今回のことだって、警察側の不備だって話だった。なら、晴大さんは何も悪くない。そうやって、総司さんに言ってみた。すると総司さんは顔を顰めながら言った

 

「...やけに、彼のことを持ち上げるね?」

 

「...そういう、わけでは......」

 

「......はぁ」

 

 総司さんが深くため息をついた。そして、私を諭すように優しい声で言った

 

「恋は人を盲目にする。雪菜、君の彼を信じようとするその想いは、盲目的だ。周りを見なさい。そして、考えなさい。何が正しいのか。ただでさえ、近頃は物騒なんだ。自分の身に危険が及ばぬようにしなきゃいけないんだよ」

 

「...けど、晴大さんなら護ってくれる。約束もした......」

 

「...そういえば、彼と約束...というか、依頼をしたんだって話を聞いたよ。その時に、住所も書いたようだね」

 

 総司さんが額に手を当てながら聞いてくる。確かに、私は彼に依頼をするために家の住所や電話番号を書いた。けど、それが一体どうしたというのか

 

「...依頼をしてから、家の近くで不審者が発見された。テレビじゃ最近、殺人鬼は多重人格者じゃないのかって話が上がってる。それに、彼は大学生で、年齢も合致する......なぁ、怖くないか。嫌っていうほど、条件に合わないか?」

「...それ、は......」

 

 言葉が出なかった。だってそれは...嫌なことだ。ありえてほしくないことだ。いや、そう。ありえない。そんなことは絶対にない。彼はそんなことしない。あんなに優しいのに、私の事を多少なりとも想ってくれているのに、するわけがない

 

「...橘花 晴大が、君の兄さんなんじゃないのか。偽名を名乗り、人格を切り替えて過ごしているんじゃないのか」

 

「...でも、それじゃ話しが合いません。彼は、ちゃんとした恭治さんの息子です」

 

「もし、橘花 晴大という男がいて、それが浪川 鏡夜と似ていたら? 殺して成り代わって、人格をそっくりコピーして。それで過ごしているんだとしたら? 世の中には、似た人が三人いると言われている。もしも...なんて話はキリがないが...なぁ、もしもそうなら、どうするんだ?」

 

「...そんなの...ありえないです。晴大さんは、兄さんなんかじゃない。絶対に...」

 

 ...私は、言葉をなくしてしまった。リビングから去り、自室へと向かった。後ろから呼びかける声はない

 

「......うぅ...」

 

 目に、熱い物が登ってきた。持っていた荷物を放り出し、ベッドにダイブする

 

「..........」

 

 そもそも、兄さんはもっと髪の毛が短かったし、眼鏡なんてかけてなかった。確かに、眼鏡を外して、髪の毛をあげているところは見たことないけど...違うだろう。ただ、どことなく似ている気がするだけ...

 

「..........」

 

 あぁ、ダメだ...。考えれば考えるほど、私は晴大さんの事がわからなくなってしまう。もっと知りたい。彼を心から信頼できるような何かが欲しい。彼が違うという証拠が欲しい

 

「..........」

 

 けど、何があるんだろう。優しい、頭がいい、強い。どれも殺人鬼にも当てはまるものだ。晴大さんだけの、何か特別なもの...

 

「...見つからない、なぁ」

 

 ボソリと呟いた。放り投げた荷物の中から、携帯を取り出す。画像フォルダを開くと、ディスティニーランドで撮った写真が保存されていた。三人で撮ったもの。二人で撮ったもの。沙耶と晴大さんの二人が写ったもの。そして...何気なく撮った、彼の横顔が写ったもの

 

「...ふふっ」

 

 笑いが零れた。あぁ...私はここまで、彼に心酔していたのか。きっと、ここまで想いが強くなったのは...あの時助けられたから、かな。疑いたくない。疑えない。皆が彼を否定したら、私は肯定したい。そう、思ってしまった

 

「......晴大さん...」

 

 ベッドのそばに畳んでおいた、彼から借りたジャージを手に取って、顔を近づけてスーッと息を深く吸い込んだ

 

 ...落ち着く香りがする。懐かしい、優しい、そんな匂いがする

 

「..........」

 

 そうして、私は彼のジャージを抱き抱えるようにしたままベッドに横になった。窓の外の景色は、橙色。夕日がもうすぐ沈む頃合だろう。少しだけ、眠くなってきた

 

「...晴大さん」

 

 呟く。隣に彼がいてくれたらどれほど幸せだろう。どれだけ安心できるだろう

 

 ...一緒に、いたいなぁ......

 

 ..........

 

 

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 

 

「..........」

 

 退院して、事務所に戻ってきた。まさか迎えも寄越さないとは思ってはいなかった。普通にタクシーで帰ってきたのだが...

 

「...なにこれ」

 

「見りゃわかるだろ。地方公務員の成れの果てだ」

 

 目の前にいる親父はそう返した。親父の足元には缶ビールが数本、焼酎数本、そして酔いつぶれた秀次さんが転がっていた

 

「...クビ?」

 

「減給だと。拳銃ぶっぱなして、挙句ボコボコにされて、カーチェイス紛いのことして良くクビにならなかったもんだな」

 

「...何日目?」

 

「二日おきくらいに来てる」

 

「えぇ...」

 

 酔いつぶれて動かない秀次さんを見下ろす。なんて酷い有様だ。余程堪えたのだろう。けど、秀次さんがいなかったら、俺たちはもっと酷い目にあっていたに違いない。そこは感謝している。俺達のために、クビになるかもしれないような行動をしてくれて、正直助かった

 

「...俺もうこの酔いつぶれたの連れて見張り行くの嫌なんだが」

 

「いや知らんよ。仕事だろ」

 

「お前一日でいいから変わってくれよ。警察がどれだけブラックな職場かわかるぞ」

 

「恐らく手を借りられてるアンタだけがその境遇なんじゃないのか...」

 

「いや、殺人鬼事件に関わった奴らは皆この境遇のはずだ。じゃなきゃ俺は楽してる奴を憎しみで半殺しにする」

 

「...溜まってんなぁ」

 

 親父も親父でフラストレーションが溜まっているようだ。目元を見れば、隈がひどくなっている。そろそろ親父を寝させてあげてくれ。いくら身体能力が人外のソレとはいえ、基本構成は人間と同じだ。疲れりゃ寝るし、腹が減れば飯も食う

 

「なんか失礼な事考えてないか」

 

「いや別に何も。それより、何か掴めたことは?」

 

 一瞬怪訝そうな顔をした親父に少しだけヒヤッとしたが、ポーカーフェイスでやり過ごす。尋ねたことに対して、親父は胸ポケットから手帳を取り出して渡してきた

 

「尋問してわかったことだ。目を通しておけ」

 

「...できたのか」

 

「...頭が飛んだような話ばかりだったが、信憑性の高いものだけをピックした。後は調査で確定したものとかだな」

 

「なるほど」

 

 手帳をパラパラと捲っていく。書かれた最後のページを見ると、尋問で得られた様々な内容が書かれていた。その中に書かれていた一文に、流し読んでいた目が止まった

 

「...バイヤーが見つかったのか?」

 

 ここでいうバイヤーは、一般的な貿易のことではなく、麻薬の密売者のことを言う。親父はゆっくりと頷いた

 

「主犯格の自宅を捜索したら、バイヤーに関する紙が出てきた。誰かから聞いたんだろうな。メモ用紙に、裏路地の場所と時刻、それと値段が書かれてた」

 

「...危機感の欠片もねぇ。普通処分するだろ」

 

「身体だけが取り柄のパッパラパーだったんだろ」

 

「警察は調べに行ったのか?」

 

「いや、お前に任せると。警察じゃ行ったところで姿を見せないどころか、周りの連中になにかされるかもだとよ」

 

「なにかされたら公務執行妨害で捕まえろよ。何考えてんだ」

 

「人員さけねぇってのもあるんだろうよ」

 

 未だに続く殺人鬼による殺人事件。その被害者は今も尚出続けている。警察も、事後でしか動くことが出来ていない。完全なイタチごっこだ

 

「...それに、警察は麻薬を使えない。フォームを使われたらなすすべなくやられる。そのためのお前だ」

 

「..........」

 

 恭治が苦々しい顔をして言った。それはつまり、体のいい使い捨ての駒ということだろう。毒薬にもなるソレを使わせて、争わせる。毒を以て毒を制す、とはこの事か。別に、警察にそんな感じで扱われようが、どうでもいい。俺は俺のやりたいことを、やるべきことをやれるのなら、それでいい。その対価として、自分の身体を壊すことになろうが、構わない。後ろ楯として、警察がついているわけだし、捜査にもその後ろ楯が生きることが多いわけだしな

 

「...俺の息子は、代替のできる駒じゃねぇんだぞ...クソッタレが」

 

 恭治がそう吐き捨てた。俺の息子...か...

 

「...ただの出来損ないだよ、俺は」

 

 きっと死んだアイツの方が、俺よりもっとうまくやれた。俺よりも強かった。俺よりも勇敢だった。俺よりも...

 

「...いつまで、そのフリを続けるつもりなんだ」

 

 突然、親父から言われたその言葉に晴大は目を見開いた。眼鏡の奥から除く目が、恭治の目と合った。恭治は、どこか悲しそうな、でも、優しそうなその瞳で晴大を見つめている

 

「...前にも言ったよ。捕まるまでって」

 

「...そうか」

 

 いつもの、芯の通ったような声で恭治は言った。そしてその後、何も言うことなく事務所から出ていって自宅の方へと戻っていった。残された晴大は、鏡の前に立って眼鏡を外し、髪をかきあげた

 

「...俺は、橘花 晴大だ」

 

 まるで自分に言い聞かせるように、そう言った

 

──俺が、鏡夜だ

 

 いつか聞いたあの声と同じように、繰り返した

 

「俺が、橘花 晴大だ」

 

 その言葉は、聞く人からすればまるで、自己暗示をかけているようにも聞こえる

 

「..........」

 

 眼鏡をかけ直し、髪をかきあげていた手を下ろす。そして、恭治の後を追うように、晴大も事務所から出ていった

 

 

 

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 

 電気の明かりが全くないその部屋で、男は笑った。周りには、何か植物のようなものが多く植えられている。だが、この場所は室内だ。天井部分はガラス張りになっている。月の光が真っ直ぐに差し込んできていた

 

 男はその場から歩き出して、ある部屋へと向かった。その部屋もやはり電気はついていなく、真っ暗な暗闇だけがそこにあった。左手に持った懐中電灯で中を照らしながら入っていく

 

 ...あぁ、どうにも最近はイラつくことが多い。それを発散するために、何人か殺してみたが...どうにも晴れない。早く彼女の顔が見たい。彼女の顔をじっと見つめると、少しだけサッパリした気分になる。例えるなら綺麗な黒。彼女は、やはりとても可愛らしい

 

 ...早くひとつになりたい。けど、その為には...まだ、足りないものがある。彼女をもっと墜すためには、アレの完成が不可欠だ。フォームは完成と言ってもいい。効果は素晴らしいものだった

 

 男はポケットから赤い正方形の紙を取り出した。とても小さく、一口サイズの大きさ。フォームと同じだ。だが、フォームは白色で、これは赤色だ。その点だけが違う

 

 ...後は何度か試すだけ。いつも通り、あの売人に売り渡して効果を試してもらうことにしよう。名前はもう決まっている。『Birth(バース)』だ。これが上手くいったら......

 

「......く、ククッ......」

 

 男の喉から堪えきれない笑いが零れた。男が片手で持っている懐中電灯が、部屋の一部を照らした

 

 その部屋の壁には...浪川 雪菜の写真がたくさん貼られていた。制服、寝巻き、はたまた風呂に入っている時の写真まで

 

「...俺が、必ず君を幸せにしてみせるからね......」

 

 男の歪んだ想いが、実態化したかのような部屋だった

 

 

To be continued...



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彼が善人か悪人か、私は悪人だとは思えない

今回いつもより長めです


 目が覚めると、いつも見ていた真っ白な天井ではなく、自室の見慣れた天井が目に入った。耳には、降り注ぐ雨音が聞こえてくる

 

「...雨、か」

 

 こんな天気ではバイヤーも現れないだろう。それに、まだ病み上がりみたいなものだ。身体も全快とは言い難い。今日一日くらいはゆっくりしようか。そんなことを思いながら、いつも咲華さんが朝食を作ってくれている台所へと向かった

 

「...おはよう」

 

「おはよう。ご飯出来てるから、座って食べて」

 

 台所にはやはり咲華さんがいて、テーブルには朝食が並べられていた。そして机に突っ伏したまま動かない親父もいた。そんな親父を見た俺を、咲華さんが苦笑いしながら説明してきた

 

「昨日...というか、時間的に今日になるのかな。遅くまで張り込みしてて、朝ごはん作ってる最中に寝ちゃったのよ」

 

「...親父......」

 

 酷く疲れた様子で眠っている。なんとかして負荷を減らしてやりたいと思うが...俺に出来ることもたかが知れてる。ならば、俺は俺のやるべき事をやろう。それが、俺と親父の道というものなのだろう、きっと

 

「......ん?」

 

 考え事をしながら朝食を食べていると、携帯が数度震えた。画面にはメールの受信を知らせるメッセージが表示されていた。開いてみると...差出人は、雪菜だった。内容は、今日は事務所にいるのか、という事だった

 

 一瞬、今日は学校じゃないのかと思ったが、日付を見れば今日は土曜だ。病院に居すぎたせいか、日付の感覚がずれているようだ。とりあえず、いるよと返信しておく。幸い、外は雨だ。客も来ないだろう

 

 ...しかし、雨の中彼女は来るつもりなのだろうか。そういえば、前回来た時も雨だったか。あれから俺のジャージは返ってこないままだ。まぁ、別に構わないんだが...

 

「雪菜ちゃんから?」

 

「あぁ、まぁ......」

 

「あら、良かったじゃないの」

 

 口元に手を添えてクスクスと笑う咲華さん。そんな彼女を少し睨みつけると、再び食事を開始した

 

「そういえば、眼鏡つけてないのね」

 

「...ん、そういやぁ忘れてたな......」

 

 いつも何気なく付けていた眼鏡を、今日はつけていなかった。病院では基本的につけてなかったから、そのせいもあるのだろう。いやまぁ...あの騒動の時に殴られて、フレームが曲がっちゃったから仕方がないっちゃ仕方がないんだが。修理出して返ってきてから、つけるのをしばしば忘れてしまう。今日は雪菜が来るらしいから、後でつけておかないと...

 

「......ぅ、うぅ...」

 

 隣で眠っている親父から呻き声が聞こえてきた。職場は酷いものらしいから、そんな夢でも見ているんだろう。夢でまでこき使われるとは...親父も社畜まっしぐらか。嫌なもんだな

 

「...かい、ね......」

 

「..........」

 

「..........」

 

 咲華さんが無言で親父の朝食を冷蔵庫にしまい始めた。こればかりは仕方がない。俺は親父に憐れみの目を向けた後、味噌汁を一気に口の中に流し込んだ

 

「そういえば...海音さんと一緒に長いこと住んでたのよね?」

 

「...まぁ」

 

 咲華さんが急にそんなことを聞いてきた。確かに長いこと一緒に住んでいた。記憶の中にある母は...よく笑う人だっただろう。そして、綺麗というよりも、可愛らしいというのが印象的だ。眼鏡の良く似合う人だった

 

「ねぇ...私とどっちが良い?」

 

「..........」

 

 また、聞きにくいことを質問してくる。咲華さんと一緒に暮らして、不自由だと思ったことは無い。俺をよく構ってくれるし、気兼ねなく話してくれるし、珈琲の淹れ方を教えてくれたのも咲華さんだ

 

「じゃあ...私が仮とはいえ母親で、良かったって思う?」

 

「...そりゃ、もちろん」

 

「...そっか。なら良かった」

 

 そう言うと、咲華さんは食器を洗い始めた。母親で良かったのか、か...

 

 ...ふと、一つ疑問が浮かんできた。俺はそれを、少しだけ躊躇って言った

 

「...俺とアイツ...どっちが良かったですか」

 

「...え?」

 

 振り返って、驚いた顔で咲華さんが聞き返した。俺はもう一度、彼女に問う

 

「俺が...アイツの代わりで良かったんですか?」

 

「..........」

 

 咲華さんは一瞬口を噤んだ。けど、すぐに微笑んで、俺に近づいて来て、俺の頭を抱きしめながら言った

 

「どっちだろうと...私達の子供であることに、変わりはないのよ。優劣なんてない。どっちも、大切な家族よ」

 

「......そう、ですか」

 

 ...頭を包む暖かさが、心地よかった。ずっと、こうして暖かい空間に身を置いておきたい

 

「..........」

 

 ...そんな自分を、押し殺す。甘えるな。俺はこうしていてはいけない。果たさなければならないことがある。その為に生きてきた。その為にここまで来た。それが全てを台無しにすることでも、やめるつもりなんてない

 

 そんなことを考えていると、携帯の着信音が鳴った。咲華さんは俺から離れて、再び家事に戻っていった。携帯にはメールが一通。雪菜から、今から向かいますと書かれていた

 

「...支度、しておこうか」

 

 俺は立ち上がり、自室へと向かっていった。親父はまだ起きない

 

 

 

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 

 

 外は、以前よりも酷くはないが雨が降っている。外を通る人は少ない。が、土曜なので車はよく通る。下手をすれば車に弾かれた水たまりの水が歩行者にかかりそうだ

 

 チリーンッと扉につけられた鈴が鳴った。今日の客が来たようだ

 

 その客はいつか見たみたいに、身体を濡らしてやってきた。本人はどこか恥ずかしそうに、頬を赤らめている

 

「おはよう、ございます...晴大さん...」

 

「...おはよう。いつか見た光景なんだが...前より酷いな」

 

「車で水が跳ねてきて...」

 

 あぁ、嫌な予感というのは的中するものか。とりあえず棚からタオルを取り出して彼女に渡した。受け取った彼女は全身を拭き始める。濡れたせいで、彼女の黒い服が身体にベッタリと着いていて、身体のラインがよく分かった

 

 ...しかし細いな。ちゃんと食べているのか?

 

「あ、あの...あまり、見ないでください...」

 

「...すまない」

 

 赤い顔のまま身体をモジモジとさせる彼女はとても可愛らしく見える。とりあえず、熱くなる顔を無視するように彼女に提案した

 

「...風呂借りるか? まだ昼前だけど」

 

「その...すいません、お借りしたいです...」

 

「いいさ。流石に運が悪かったってだけだしな」

 

 濡れてしまった彼女の荷物を預かる。中身は一応無事なようだ。見覚えのあるジャージが入っている...

 

「あっ...お借りしてたジャージです。長い間借りてしまってすいません...」

 

「いや、構わないよ。とりあえず、風呂場まで向かってくれ。場所はわかるだろ? 咲華さんには俺から伝えとくから」

 

「は、はい...」

 

 雪菜はどこか居心地が悪そうに、事務所から出て家の方へ向かった。しばらく見ていなかった自分のジャージを取り出してみた。どこか、彼女の匂いがする

 

「そりゃまぁ洗えば匂いもつくか...」

 

 次この服を着るのに、些か勇気がいりそうな気がした。ジャージはとりあえず畳んで置いといて、家のリビングに向かって、咲華さんに風呂場を貸していることを伝えた。すると咲華さんは今度は俺の私服を取り出してきた

 

 流石にそれは無理だろう...と言うと、あの子小さいから大丈夫大丈夫と、根拠の無い返事が返ってきた。私服として着ていた黒のTシャツとジーパンなんだが...流石にベルトくらいは一緒に渡しておこう

 

「...しっかしまぁ......」

 

 畳んだジャージを再び手に取って匂いを嗅いだ。甘いような、いい匂いがする。長い間嗅いでいたいような匂いだ...

 

「...何やってるの?」

 

「...ジャージ返ってきたから畳んでた」

 

 咲華さんが言ってきた。嘘じゃない、本当だ。大体、これは俺の服だ。俺が何しようが勝手じゃないか

 

「ふーん...」

 

 咲華さんがニヤニヤと笑っている。そんなことをなるべく気にしないようにしながら、部屋に戻ってジャージを片付けた。いざ部屋を出ようとすると、あることに気が付いた。パソコンがスリープ状態のままなのだ。使わない時は電源を落としているのに...そういえば、昨日の夜プロテクト解除をまた試みて、寝落ちしたんだったか

 

「...一向に解けねぇよな...これが、犯人の手がかりになるというのに」

 

 ...ふと思いついた。これはかなりの賭けだが、バイヤーならば裏にそこそこ関わりがあるはずだ。条件次第ではプロテクト解除に一役買ってくれるのではないか?

 

「...交渉次第、か」

 

 本当に行き当たりばったりな事が多い。まぁ、仕方がない。やれることを一つずつ潰していくのが一番いいんだろう、きっと

 

 そして、俺はその後雪菜が風呂から出てくるまでプロテクト解除を試みるのであった

 

 大体時間にして25分程度。部屋の扉がノックされた

 

「どうぞ」

 

「お、お邪魔します...」

 

 部屋に入ってきたのは雪菜だ。髪はまだ少し濡れていて、服は俺の私服だ。だが...

 

「...少し丈が短いな」

 

「うっ...あ、あまり見ないでください...」

 

 お腹が少しだけ見えそうになっている。万歳でもしようものなら、そのお腹が全部見えることだろう。俺の服はそこまで小さくなかったはずだし、彼女だってそんなに大きくない。となると......

 

「...どこ見てるんですか!?」

 

「...いや、ねぇ......」

 

 ...原因は胸の大きさ、なんだろうなぁ...。そこそこ着痩せするタイプなのかはわからんが、とりあえず大きいということはわかった。大きいのは好きだとも。大きすぎるのは良くないが。その人に見あった大きさが良い

 

「んで...土曜だってのになんだってウチなんかに来たんだ?」

 

 お巫山戯はこの辺にしておこう。わざわざウチにまで来たんだ。何の用事もないなんてことはないだろう。雪菜は少しだけ顔を俯かせると、少し小さな声で話し始めた

 

「私、総司さんに言われたんです。貴方と会うのをやめなさいって。今までそんなこと言ったりしなかったのに」

 

「......へぇ」

 

 保護者からやめろと言われたか。いやぁ...そりゃキツいなぁ...。けど、こっちだって依頼されてる。向こうから接触をやめようが、俺から接触するだけなんだがね

 

「まぁ、仕方ないな。俺は危険なお仕事引き受けてるわけだし。ある意味警察よりも厄介な仕事なんじゃないかね、今の現状だと」

 

「...その、危険な仕事をやめて欲しいと言ったら...やめてくれますか?」

 

 どこか懇願するような表情で彼女は俺に聞いた。俺だってしたくない。痛いのは嫌いだ。まだ死にたくない。けれど...

 

「...それは、君に兄を恨むのをやめろと言うのと同義だと思わないか?」

 

「...だって......」

 

 彼女は俯いて彼の服の裾を掴んだ。弱々しい力だ。彼女の容姿と相まってより一層、非力な少女に見えた。彼女は告げる

 

「...あの時、晴大さんがナイフを向けられた時、殺されるって思ったんです」

 

 彼女が思い出したのは、ある日の風景。家に帰って、部屋に入ると血を流して倒れている父と母、そして兄。その後兄は消え去っていたが...それでもそれは、彼女の心の奥底深くで焼き付いて離れないものだろう。彼女が赤色を使いたがらない理由なのだから

 

「嫌です。もう、死んで欲しくないんです。貴方に、生きていてほしいんです。危ない仕事を辞めれば、総司さんも一緒にいることを許してもらえる。だから......」

 

 その先を、彼女は言うことができなかった。彼が彼女を強く抱きしめたからだ。頭に手を当てて、自分の身体に無理やり押し付ける。空いた手で、彼女の背中をゆっくりと撫でた

 

「...それは無理な相談だよ。俺はね、辞めるに辞められない所まできてる。俺が辞めるとしたらそれは...俺が死んだ時だろう」

 

「..........」

 

「...何故、そうまでして一緒にいたいと思う?」

 

 彼女にそう聞いた。彼女は顔を強く彼の身体に押し付けながら答えた

 

「...兄さんと、似ているから」

 

「...へぇ。俺が冷酷で残酷な殺人鬼だと?」

 

「違いますっ。貴方は...そんなんじゃない」

 

 彼女の耳が赤くなっている。可愛らしい。このまま彼女を抱きしめたまま離さなかったら、それはどれほど幸せだろうか。だが、それはまだ許されない。彼は自分の欲を押しつぶすように彼女を抱きしめる力を少しだけ強めた

 

「昔の兄さんは...優しくて、頭が良くて...私が悲しんでる時、いつもこうやって宥めてくれてんです。一緒なんです。頭を片手で撫でて、もう片方の手で背中をさすってくれて...。とても、安心できるんです」

 

「...そう」

 

「...本当に......」

 

 彼女は顔を彼の体から離して、彼の顔を見つめながら聞いた。どこか懇願し、どこか恥ずかしがるような表情で

 

「本当に、兄さんじゃないんですか...?」

 

「..........」

 

 その質問に、彼はニヤリと口元を歪めて答えた

 

「もしそうだったら、どうするの?」

 

「どう、するのって...えっと...」

 

「不躾な質問だと思わない?」

 

 彼はぐっと彼女に体を近づけた

 

「もしも本当に」

 

「せ、晴大さん...?」

 

「俺が殺人鬼だったら」

 

「っ......」

 

 彼女は後退し、やがて壁に当たる。それを気にせずに、彼は距離を詰めていき、彼女の首元に手を当てて言った

 

「...今頃、どうなってるんだろうね?」

 

「ひっ......」

 

 彼女の身体が強張る。それを見た彼は堪えきれなくなったように笑い始めた

 

「ふっ...くくっ...君ねぇ...流石に不用心過ぎるよ。男の部屋に上がり込んで警戒心もなく近づいて...。周りの人間には気をつけなくちゃ。特に君はね」

 

「......酷いです...」

 

 彼女はその場にへたれこんだ。顔を真っ赤にして。それが恐怖からだったのか、単に彼との距離が近かったからなのか...それは彼にはわからないことだ

 

「いや、実際問題、君は周りの人間を信用しない方がいい。誰が君を狙ってるのか...わからないんだからね」

 

「私を、狙う...?」

 

「殺人鬼が君だけを残した理由がわからない。何故殺さなかった。何故両親は死ななければならなかった。その差異はなんだ? 年齢? 婚歴? 容姿? 何もわかっちゃいない。現状、君が殺されなかったのは、''偶然"だったとしか言いようがないんだ。殺人鬼の気持ちが晴れたのか、そんな気分じゃなくなったのか、都合が悪くなったのか。子供一人殺すのに、手間も時間もさほどかからんのにだ」

 

 彼は座り込んだ彼女に向かって手を差し伸べた。彼女はその手を受け取り、すっと立ち上がるとその後ベッドに座り込んだ

 

「周りの男を信用するな。唯一顔を見た可能性がある君を、殺人鬼が逃がすとは到底思えない」

 

「...私は、兄の顔を覚えています。けど、世間にも兄の顔は公開されています。なのに、私が狙われるんですか?」

 

「整形していたら? 人の皮をかぶっていたら? 全くもって別人だったら?」

 

「そんなの...もしもの話ばかりじゃないですか」

 

「そうだ。だが、それこそが君の身を守る唯一の方法だ。男に気を許すな。殺人鬼は、俺かもしれないし、他の人間かもしれない」

 

「...晴大さんは、兄さんじゃないです。だって、見つけようとしてるじゃないですか」

 

 彼はその言葉に深くため息をついた。そして、彼女にある一つの式を言った

 

「2+2=5だ」

 

「...へ?」

 

 彼女は不思議そうに首を傾げる。彼は彼女にもう一度言った

 

「2+2=5」

 

「...4ではないんですか?」

 

「そう。2+2=4だ。では、この式はなんなのか。わかるか?」

 

「...わからないです」

 

「自己暗示だよ」

 

「...自己、暗示...?」

 

 彼はとあるゲームのカセットが入った箱を手に取り、話を続けた

 

「自己暗示。自分の潜在意識に、自分はこうであると認識させることだ。潜在意識に潜り込ませたものを思い出しそうになった時、もしくは思い出したい時に、トリガーとなる言葉を言う。それをキーに、潜在意識での認識が切り替わる。2+2=5っていうのは、そのトリガーとなった言葉だ」

 

「...それが、どういう意味なんですか?」

 

「わからないか? ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。俺は一般人だ。1+1=3。俺は殺人鬼だ。2+2=5。こんな具合に、人格を切り替えて、記憶も切り替えて、日々を過ごしていれば...。お前の隣にいる男は、もしかしたら何かの言葉の拍子に、突然殺人鬼に変貌するかもしれないってことだ」

 

「...恐ろしい、話ですね」

 

「あぁ。だから、せめて殺人鬼の騒動が終わるまでは...あまり男に近寄らん方がいい。安心しろ、俺と親父で捕まえてやるから」

 

「...はい」

 

 部屋に静寂の時間が訪れた。彼女の心にあるのは不安。彼の心はある種の決意で満たされている。You are filled with Determination.(貴方は決意で満たされた)

 

 ...さて、とあるゲームで暗示を行った男はスパイであった。やがて蛇の仲間となり、物語に大きく影響を与えた素晴らしい男だった。では、あの地下世界のお話はどうだろうか。あの主人公は、誰も殺さない善人であったと同時に...

 

 ...皆を殺す殺人鬼にもなったはずだ

 

To be continued...




2+2=5

メタルギアソリッドTPPでオセロットが使った暗示ですね

You are filled with Determination.

貴方は決意で満たされた。Undertaleというゲームで使われた言葉ですね

メタルギアとUndertale、わからない人は動画とか見てみてください。自分はかなり面白いと思います


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俺は思った。まるで彼は...

 沈黙に包まれたその空間を破ったのは、一つの音だった

 

 きゅうっ...という可愛らしい音が聞こえたのだ。チラリと彼が雪菜を見ると、彼女は顔を真っ赤に染めていた

 

「...今日はジメジメしてて暑いですね......」

 

「...そうだな。ところで...」

 

「晴大さんの服って、良い匂いがしますよね。何の洗剤使ってるんですか?」

 

「触ると匂いが飛ぶヤツ。んで質問なんだが...」

 

「晴大さん」

 

「はい」

 

「それは女性に聞いてはダメです」

 

「...俺は気にしないけど」

 

「私はするんですッ!!」

 

 顔を真っ赤にして恥ずかしさを隠す彼女がとても愛らしい。何故彼女はこんなにも可愛いのだろうか。そんなに腕を動かすとお腹が見えるぞ、まったく...

 

「そういえば、この前の事件で警察の不備があったってことで謝礼としてお金とケーキ貰ったんだが...食べるか?」

 

「い、いえ...そんな、貰うわけには...」

 

「気にするな。食える時に食っとけ。親父は甘い物好まないし、食べるの俺と咲華さんだけだから、必然的に余るんだよ」

 

「...でも......」

 

 彼女はお腹を抑えて考えている。何を考える必要があるのか...。どちらかと言うと、痩せている彼女にはむしろ食べさせたいのだが。身体付きが細すぎて心配だ。そのくせ一部分育ってるのだから、その部分に栄養持っていかれすぎじゃないか?

 

「...晴大さん。そういうの、わかりやすいんですよ...?」

 

「はて、何のことやら」

 

 知らぬ存ぜぬ。俺は何も考えておりません。しかし女の第六感とでも言うべきか。こう言ったものに女性は気づきやすい。自分に向けられた視線に気づいているとは、どこの女性も言っている。いや、どこのとは言えないな。一部の男の視線をクギ付けにする服装かグラマラスな女性に限る。見られていることに気がついているのではなく、見られているという事実を自分が認めているのだ。私がこの服装をしたら、男はここを見るだろうとわかっている。というか、男性は絶対にそこに目線を一度は向けてしまうのだから。あの男、私のこと見てる...なんて、自意識過剰も甚だしい。ただ単に視界に入っただけだ。それ以降見ようものなら、それはもう言い訳できないけどな

 

「待ってなよ。ちょっと取ってくるから。飲み物は、何がいい?」

 

「あっ...それじゃあ、カフェオレでお願いします」

 

「...甘い物に甘い飲み物、か」

 

「...やっぱり他の飲み物を」

 

「砂糖マシマシで作ってくるから待ってな」

 

「いや、ちょっと待って晴大さん!?」

 

 後ろで声が聞こえるけど聞こえない聞こえない。クツクツと笑いながら台所に向かった。トレイの上に皿に分けたケーキを乗せ、棚から珈琲の粉を取り出して作り始める

 

「...思えば、このカフェオレにどれだけ救われたことか」

 

 少し、昔のことを思い出した。まだ俺がこの家に来て間もない頃。誰にも心を開かず、閉ざして、ただ憎んで、恨んで、自分の弱さに泣きじゃくっていたあの頃。咲華さんがカフェオレを作ってくれた。暖かい。それでいて甘い。その甘さは、とても優しかった

 

 咲華さんは、俺の話を聞いてくれた。勿論、近くに親父もいた。俺の話を真剣に聞いた上で、俺を家族として迎え入れてくれた。忌まれるべきは俺なのに...

 

「...ふぅ」

 

 いかんな。こんな事で感傷に浸っていては、そのうち寝首をかかれることになりそうだ。今はただ、前だけを見るべきだ。それがきっと、終わりに繋がると信じて

 

「...できたぞ」

 

 扉を開けて中に入る。ベッドに座っていたはずの雪菜は、俺が見ない間にベッドに横になっていた。枕に顔を埋め込む形で。体が大きく膨れては縮むを繰り返す。余程大きく息を吸っていることだろう。彼女は俺が入ってきたことに気がつくと、勢いよく座り直した

 

「...なんだ、うちの洗剤って、そんなにいい匂いなのか? 高いものは買ってないはずなんだが...」

 

「...せめて、ノックをしてください」

 

「ここ、俺の部屋なんだけど...」

 

 そんな苦言を漏らしながら、トレイに乗せたケーキを簡易的なテーブルの上に並べた。そしてその隣に先程作ったばかりのカフェオレを置く。部屋の中に甘い香りが漂ってきた

 

「凄い...これ、本当に貰っちゃっていいんですか?」

 

「どうぞ。食われなきゃ勿体無いだろう」

 

 彼女はフォークを手にケーキを食べ始めた。俺も一口食べてみる。甘いクリームと柔らかいスポンジが、口の中で混ざり合う。とても美味い。そういえば、有名な店で買ってきたと聞いた気がする。警察内部にスイーツな人でもいるのだろう

 

「美味しい...」

 

「そりゃなにより」

 

 カフェオレを口の中に流し込む。暖かい。身体の奥から、暖かくなっていく気がした

 

「...口のとこ、クリームついてるぞ」

 

「え、嘘っ...!?」

 

 彼女の口の横にクリームがついていることを指摘すると、指で取ろうと必死になった。だが、上手く取れていない。仕方が無いな、と彼が言うと、自分の指で彼女の口元についているクリームを取り、舐めとった

 

「っ......!?」

 

 目の前にいる彼女は真っ赤になってしまっている。はて、これくらいは普通のことだと思うんだが...。何を意識しているのか

 

「...普通、舐めますか?」

 

「俺は普通だと思うが...。なに、何か意識してるのか? 俺が男なんぞ信用するなと言ったばかりなのに?」

 

「だって晴大さんがっ...」

 

「俺も信用するなと言っているんだがね...乙女脳挽回のスイーツ女子め」

 

「...聞き捨てならないんですけどそれ?」

 

 彼女が顔を顰めて文句を言ってきた。そういった表情も、とても可愛らしい。そんな穏やかな目で見ていると、彼女は身を縮こまらせた

 

「...何か、身の危険を感じるんですけど......」

 

「そりゃお前、男は狼だぞ? 俺は連れてきた女の子だろうが構わず喰っちまう男なんだぜ?」

 

 嘘です。未だに童貞です

 

「...晴大さん......」

 

 ドン引かれた。俺をそんな目で見るな。知らなかったんだ。今どきの女子高生がこのノリ知らないって。いや彼女がアーッとか言ってるのもそれはそれで嫌なんだがね

 

「冗談だ、冗談。そんなに身構えるな」

 

「...一体何人の女の人を手にかけたんですか?」

 

「一人もいないが?」

 

「...それは流石に嘘ですよね?」

 

「悲しいことに、俺彼女出来たことないんだよ」

 

 まぁ、目が腐ってて睨みつけるように眉にしわ寄せて、喧嘩売ってきた奴片っ端からぶっ飛ばしてたらそりゃそうなるよなぁ。仕方ないだろ、昔はやんちゃなヤムチャだったんだ。親父に一発でのされるくらいにヤムチャだったんだ

 

「信じられないです」

 

「そりゃ...まぁ、昔と今は大分違うからなぁ」

 

 やさぐれて喧嘩早くなって、親父に殴られて。俺が人のように戻れたのもある意味では親父のおかげか。二度とあんな痛い思いはしたくない

 

「...そういえば、夜はどうする? なんならうちで食っていくか?」

 

「流石にそこまでは...ほら、総司さんも帰ってきますから...」

 

「親父がなんとかしとくさ。それに...俺がお前と食べたいんだよ」

 

 こんなに痩せ細って。食生活がなっとらんのだよ。これはもう咲華さんの手料理で胃袋を掴んで引き伸ばすしかない

 

「え、えぇと...じゃあ...いや、でも...」

 

 そういえば、総司さんに会うなと言われていたんだったか。安心しろ、何か言ってきたらボコボコにするさ、親父が

 

「ダメか?」

 

「っ...それじゃあ...お言葉に甘えます」

 

「おう」

 

 親父の仕事が増えた瞬間である。すまんね親父。犠牲になってくれ。家族の犠牲にな...

 

 

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 

 

 目の前に所狭しと並ぶ料理の数々。それを見て驚いている雪菜。そんな彼女を見れて満足な俺。笑っている咲華さん。真っ白になっている親父。平和な食卓だ

 

「なぁ、滝川さん、中々に怒ってたんだが...」

 

「知らぬ存ぜぬ。俺はただ、アイツの笑ってるところが見たかっただけ。それに、アイツは自分の意思で来たんだ。知ったこっちゃない」

 

「俺の苦労を察せ。すぐに迎えに来るらしいぞ」

 

「鍵でも閉めて居留守しよう」

 

「警察が世話になってる探偵が警察のお世話になるなんて御免だ、まったく...」

 

 雪菜と咲華さんが仲良く話している時に、ヒソヒソと親父と俺で話し合っていた。親父は疲れきった顔をしながらも、雪菜の笑っている顔を見て満足そうに頷いた

 

「あの子が笑顔なら、それもまた良し、か」

 

「そんな事咲華さんの前で言ってみなよ。殴られるよ」

 

「いや、だって...ねぇ?」

 

 ...親父の言いたいこともわかる。雪菜と親父、咲華さん。どれもこれも血の繋がりなんてない。それでも、咲華さんも親父も、まるで娘のように思っていた

 

「じゃあ...いただきます」

 

 皆で一斉に食べ始めた。親父が雪菜に話しかけ、それに照れながら雪菜が返す。咲華さんがそれを笑いながら見ていて、俺は親父に苦言を漏らす。そんなありふれた、どこの家庭にもあるような、笑顔のある食卓

 

 ...それを彼女は、幸せを噛み締めるように過ごしていた

 

 

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 

 

 楽しい時ほど、時が流れるのは早い。あっという間に時間は過ぎ、保護者の迎えが来てしまった

 

「雪菜...僕が言ったことを忘れたのかい?」

 

「...ごめんなさい」

 

 事務所の中で、親父と俺、雪菜と総司さんの4人が机を挟んで座っていた。親父は総司さんに向かって言った

 

「そこまで邪険にしなくても...。我々は彼女を危ない目には遭わせませんよ。前回のは...事故です。避けようのないものだった。彼女じゃなくても、他の誰かがあぁなっていた。間が悪かったのですよ」

 

「間が悪かったどうこうではないんです。結果的に、雪菜は被害にあった。なのに、どうして貴方がたと一緒にいさせられましょう?」

 

 確かに、最もな意見だ。今回初めて彼の顔を見たわけだが...確かに、優しそうな顔つきだ。丁寧な口調で、雪菜を心配しているのだと、確かにわかる。誰が見てもそう感じる。彼は、明確なまでに()()()

 

「しかし...彼女はうちの息子に依頼をしております。それは簡単に反故できない」

 

「なら、その依頼を取り下げてもらいます」

 

「いくら保護者とはいえ、個人が依頼したものを他人が取り下げるなんて、簡単にできませんよ」

 

 ...なんだろうか。酷く、不思議な感じがする

 

「総司さん...お願いですから、彼と会うのを許可してもらえませんか...?」

 

 彼女が総司さんに懇願する。総司さんは、それに対して

 

「許可できない」

 

 と言った。その時の表情が...記憶にある気がした。どこかで会った気がする。いやでも、顔に見覚えなんてない。声をどこかで聞いた...そんな気がする。いつかこんな人に依頼されただろうか? 他人の空似ならぬ声似だろうか

 

 いずれにせよ、彼の表情は変わらず心配そうなままだというのに。どこか、怒りを感じた

 

「...危険な目に遭わせたことに関しては謝罪しましょう。しかし、息子と友人と共に救出しました。水に流す、までには行かないにしろ、彼女の自由にさせてはいかがですか?」

 

「断る。雪菜は、僕にとっては大切な子なんだ。危険な目に遭わせたくない」

 

 あぁ。正当な保護者なら、確かにそう思うだろう。だが、彼はあくまで親ではなく保護者だ。たまたま、偶然、引き取っただけの男に、一体そこまでする理由がどこにある?

 

 彼は娘を保護する者ではなく...そう、まるで一人の動物を保護する飼育員のようにすら感じた。傷つけぬよう、丁寧に接し、可愛がり、餌をやり、散歩に出し...そして()に戻すのだ

 

「...そうですか。では、ここに貴方の個人情報を書いてもらいたい。住所、電話番号、職業、経歴その他諸々。それらを持って、彼女の依頼を取り消すとしましょう」

 

 晴大が驚き目を見開いた。そして親父を睨みつける。雪菜も悲しそうな表情を浮かべた

 

「そちらは僕の事を知っているのでは?」

 

「あくまで形式的にです。保護者ならば、何かあった時のために何か証拠として扱えるものを控えて、反故にできます。なにか不都合があった場合、その責任を負うのは彼女ではなく解約した貴方...ということになりますね」

 

「...わかりました。ならば書きましょう」

 

 総司さんはそう言ってペンを手に紙に書き始めた。雪菜が悲しそうにこちらを見ている

 

「...そんな悲しそうな顔をするな。約束は果たすさ...。紙に書かれた依頼じゃない。俺の誓いだ」

 

「晴大さん...」

 

 彼女は心の中で叫ぶ。違う。それを望んだわけじゃない。確かに最初は、それこそが望みだった。兄を捕まえて何もかも終わらせる。それこそが私の心からの望みだった。けど、今は...

 

「大丈夫だよ、雪菜。だから、悲しそうな顔をするな。金輪際会えないわけじゃないさ。偶然出会った時にでも...話しかけてくれればいいさ」

 

 そんな事を言ったら、総司さんに睨まれてしまった

 

「...はい」

 

 心底悲しそうな声で、彼女は答えた。あぁ、悲しいとも。君に会えない、というのは中々に悲しい

 

 ...少なくとも、君が想っている以上に悲しいとも

 

 

 

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 

 

 

 酷く、ムカつく男だった。まるで保護者のように、雪菜を護ろうとしていた。あの優しげな顔、口調。落ち着かせるような声。どれもこれもがイラつく原因だ。殺したい。殺してやりたい。けれど、殺せない

 

 死んだとわかれば、雪菜が傷つくだろう。手を出したくても出せない。もどかしい。あの身体をズタズタに切り刻んで、殺してやりたい。何故俺の雪菜に手を出そうとする。何故雪菜を保護者のように護ろうとする。あの目をくり抜いてやりたい。家族を護ろうとするあの目を、くり抜いてやりたい

 

 ......今日もまた、街に死体が増えそうだ

 

 俺の邪魔をするなら...殺してやるとも。邪魔な奴は、みんな殺してやる

 

 

To be continued...



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俺は何かを失う

 チリーンッと鈴が鳴った。そしてガチャンッと勢いよく扉が閉められる。総司さんと雪菜は事務所から出ていった

 

「...なぜ依頼を取り下げた?」

 

 隣で滝川 総司の個人情報が書かれた紙を見つめている親父を睨みつけた。親父は悪気がないかのように、ニヤリと笑っている

 

「そう怒るな。おかげであの男の個人情報が手に入った...前々から調べても調べてもまったく手に入らなかった貴重なもんだぜ?」

 

「たかがその程度のもので...」

 

「情報にたかがもクソもねぇよ。これは立派な情報だ。ほらこれ、見てみろよ」

 

 親父が手にしている紙をのぞき込む。ここだ、と恭治が指さした場所は、経歴の書かれた部分だ。そして、卒業した大学名を見た

 

「...譚帝大学」

 

「そう。俺が卒業した大学だ。しかも、見てみろ」

 

 次に指を指したのは、年齢の部分

 

「俺と同い年だ。しかし、二年目の時に辞めてる。調べればまだ何か出てくるかもしれない」

 

「...それで、調べてどうする? アイツに何がある?」

 

「俺は、大学じゃそこそこ有名だった。色々な人と話したさ。探し物だとか、そういった依頼もこなした。同じ学年の奴は、ほとんど知っていたと言っても過言ではない。前に話をしたな? 男共で同じ学年の連中で作られたグループラインがあった。だが、俺は滝川 総司なんて見た事も聞いたこともない」

 

「...大学には人が沢山いる。一人二人知らない人がいてもおかしくはないだろ」

 

「引っかかるんだよ」

 

「...またアンタのお得意の勘か? いい加減にしてくれ。そんな不確かなもんと彼女、等価だと思ってんのか?」

 

 彼にしては珍しく苛立たしげで、恭治に向かって反抗的だった。恭治は表情を崩さずに、晴大に告げる

 

「何を焦る必要がある?」

 

「別に、焦ってなんかない」

 

「なら何故そこまで彼女に固執する? 気持ちはわかるが、今は落ち着け。お前の役目を忘れたか?」

 

 晴大の睨みつける目が更に鋭くなる。眼鏡の奥から覗く瞳が、力強く、それでいて鈍く光っているように思えた。彼は両手を握りしめながら答えた

 

「...わかっている。だが、アイツは...雪菜は...」

 

「......忘れろ。仕事に戻れ。お前の役目はまだ終わっちゃいない。今日はもう寝て...明日、バイヤーの場所に行ってこい」

 

「..........」

 

 返事の言葉はなく、彼はその場から立ち上がって家の方へと向かう。苛立ちと、悲しみ。その両方が混ざっているように見えた。扉を開けて事務所から出ようとする晴大の背中に、恭治は言った

 

「今日は出歩くなよ」

 

 返事はない。彼はそのまま奥へと消えていった

 

 

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 

 

 夜。表通りには沢山の人が出歩いている。電光掲示板が目を痛めそうなくらいに光っていた。スーツ姿の男性、老いた男性に腕を組んで歩く女。布面積が少ない服で宣伝をする女。車はさほど通らない。ただ...夜とは思えない明るさと五月蝿さだった

 

「..........」

 

 彼は裏通りに向かって歩いていく。一度入ってしまうと、五月蝿かった表通りがどこか遠く感じてしまう。黒一色の服に身を包んだ彼は暗がりの奥へと進んでいく

 

「止まれ」

 

「..........」

 

 不意に声をかけられて止められた。暗がりから三人の男が歩いてくる。図体がデカい。武器を持っている。様々だ。裏通り。裏路地とも言えるこの場所は、双方を壁に囲まれており、進むか戻るかの一本道しかない。必然的に、進むためにはこの男達を何とかするしかなくなった

 

「何のようだ? てめぇみたいのが来る場所じゃねぇ。さっさと帰るんだな」

 

「..........そうか」

 

 ククッ...フククッ...と笑い声が漏れた

 

「おい、何笑ってやがるんだ」

 

「いや...ね...」

 

 彼は笑った顔を浮かべたまま、男達を見て言った

 

「今の俺は...ちょいと不機嫌でなぁ」

 

「むっ...!?」

 

 男が目を見開いた時には、目の前に既に彼がいた。すぐに後ろに下がろうとするが、男は腹部に熱いものを感じた

 

「がぁっ...!?」

 

 熱いものが入ってきたと感じると、次に痛み。そして次は冷たく感じた。鉄だ。鉄が体を掻き回している。腹に突き刺されたそれは力づくで横に切り抜かれ、そのまま腕を切りつけられた

 

「...俺のストレス発散のために、死ねよ」

 

 逆側の腕を斬られた。切る、ではなく斬る。切断された腕は地面に音を立てて落ち、断面からは止めどなく血が溢れ出る

 

「うっ、あ...」

 

 後ろに控えていた男達は、逃げようとする。だが...

 

「どこに行こうとしている?」

 

 上から声が聞こえた。自分の体に重みを感じ、地面に叩きつけられた。そして、背中を一刺し。悲鳴をあげる。だが、その悲鳴は...夜でも五月蝿いこの場所では誰にも聞こえない

 

「やめてくれ、謝る。謝るから命は...!!」

 

 腰を抜かした最後の一人。彼は、笑ったまま近づいていき...

 

「嫌だね」

 

 額から顎にかけて切り裂いた。悲鳴が上がる。謝る声が響く。助けてと叫ぶ声がする

 

 肉が裂けた。骨が折られた。指を切り離された。腹を刺された。腕に切れ目が入った。目の前が暗くなる。それでも男は声を絞り出した

 

「...死に...た...くな...い...」

 

「..........」

 

 蹴り飛ばした。男はもう動かない。血だらけのこの惨状。裏通り。佇む男は彼だけ

 

「..........」

 

 彼は先へと進んでいく。暗がりの奥へと

 

 

 

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 

 

 裏通りを抜けてきた先にあったのは、とうに潰れたアパートのような場所。手入れなんてされてない。ただその一つだけがポツンと建っていた。クモの巣が張り、鉄の部分は酷くさびている。そんなアパートに一つだけ綺麗な場所があった。その生活感のある扉の前に立ち、コンッコンッとノックした

 

「入りなよ」

 

「...失礼する」

 

 奥から聞こえてきた、低い女の声。彼は扉を開けて中に入っていく。進んでいき、部屋の奥には座布団と炬燵だけが置かれた部屋があった。その炬燵には女が一人入っている。茶色が明るくなったような、オレンジ。そんな髪色で、肩甲骨辺りにまで伸びていそうな長さの髪を持っている。顔立ちは、美人だろう。歳もまだ若い部類に入りそうだ

 

「なんだ、まだ若いのにこんなのに手を出すの?」

 

 女は手に持った白い粉の入った袋をヒラヒラと見せるように降った。アンタもまだ若そうだが、という言葉を飲み込んだ。彼はそんなことを気にせず、とりあえず適当に座布団に座り込んだ

 

「通り道、男共に護らせてたんだがね...アンタみたいなのが来ないように。ふらっと迷子が来ても追い返せるようにさ」

 

「...降り掛かった火の粉は振り払う質でね。多少乱暴ではあったが、鎮圧させてもらった」

 

 彼が持ってきていた鞄の中からあるものを取り出す。それを見た女は、へぇ...と声を出して目つきを鋭くした

 

「何処でこれを?」

 

「以前に麻薬常習犯とやり合ってね。そん時くすねさせてもらった」

 

「これがどんなものかも知っていて?」

 

「まぁ...当時は知らなかったがね。今となっては...いざという時の対抗手段だ」

 

 女はふーんっとつまらなそうに声を出し、続いて質問をした

 

「ここがどんな場所かもわかってて、私が誰かもわかって来たわけだ。じゃあ聞くけど...何をしにここに来たの?」

 

「買い物じゃない。ちょいと話を聞きたいだけだ」

 

 彼は手に持った白い紙、フォームを見せながら言った

 

「これを売り込んだ、もしくは製造した奴を知っているか?」

 

「守秘義務ってのがあるんだけどね。それを話すわけにはいかないよ」

 

「......そこを、何とかならないか?」

 

「ダメだね」

 

 ダメで元々。それはまぁ仕方のないことだった。彼は鞄にフォームをしまい込んだ

 

「君みたいのが麻薬に手を出したりするなんてね...世の中悪くなったもんだ」

 

「...いつの世も、だろう。平和な時なんてきっと...原始時代かそこいらだ」

 

「手と手を取り合ってマンモス狩ってる時の方がまだ平和か」

 

 女が笑う。彼はそれに苦笑いで答えた

 

「君みたいな若い子に勧めてるのがあるんだけど、これとかどう?」

 

「いきなり商売を進めるのか...」

 

 女が取り出したのは、一枚の赤い紙。見てくれは、フォームの色違いといったところ。女はそれを彼に見せつけながら言った

 

「買う? 今ならいい情報、つけちゃうけど」

 

「..........」

 

「きっと、あんたに有益な情報になりそうだけどねぇ」

 

「...チッ、商売人め......」

 

「ひひ、こうでもしなきゃやってられないからね」

 

 女はバイヤーと同時に情報を売る情報屋としても動いていた。だから彼はここにやってきたのだ。彼女の持っている情報には、確かに価値があるのだろう

 

「...幾らだ?」

 

「1万5千よ」

 

「...安くないか?」

 

 麻薬はたったの1gで3万〜5万するものもある。それと比較したら、だいぶ安いものだろう

 

「コレ一枚だけじゃあまり効果ないものだからね」

 

「ならなんで買わせようとするんだ...」

 

 財布を取り出して、なけなしのお小遣いを差し出した。それと引き換えにその赤い紙を受け取る。女は笑いながら言った

 

「君みたいな子供が欲しがるんだよ」

 

「...効果は?」

 

「ダウン系...って言われちゃいるけどね。何かの効果を反転、もしくは変化させるのがコイツだ。名前は『バース』って呼ばれてる」

 

「...『birth(バース)』」

 

「んで、ここからはお客様特典。それね、フォームを作った奴と同じ奴が作ってんの。売り込みに来たのもそいつ」

 

「...んで、そいつは?」

 

「さぁ。顔隠してるし、わかんないかな」

 

 ...後一歩。そこまで来て情報がなくなってしまった。となると...あと一つだけ、やらなければならない事がある

 

「なぁアンタ、パソコンはできるか?」

 

「アンタじゃなくて、隠者(ハーミット)。それが私の名前」

 

 彼女のバイヤーとしての名前。隠者、ハーミット。隠れる者。俗世から隠れて平穏な暮らしを望む者、といった意味だ

 

「...ハーミット。先程の質問に答えてくれ」

 

「んー、まぁ一応できるよ。で、それがなに?」

 

「...こいつのプロテクトを解除できないか?」

 

「これは...どうだろうね...」

 

 彼が取り出したUSBをみた彼女はパソコンを持ってきて、USBを差して画面を睨みつけた

 

「...ふーん。ま、出来なくもないかな」

 

「本当か!?」

 

「えぇ。けど...やるからには対価ってものが必要だって知ってる?」

 

「...まぁ、仕方がない。こっちとしても死活問題なんだ。幾らだ?」

 

「しめて五十万かな」

 

「はぁ!?」

 

 彼が素っ頓狂な声を上げる。女は不敵に笑いながら、当然でしょ? と彼に言った

 

「私の仕事じゃないし、第一結構面倒なのよ、これ」

 

「ぐっ...」

 

 手持ちに五十万は流石に持ってきていない。これを解かなければならないのも事実。ここは一旦事務所に戻ってお金を調達するべきだろう

 

「...一旦金を取りに戻る」

 

「まぁまぁちょいと待ちなよ」

 

 立ち上がって帰ろうとすると、女に呼び止められた。女は笑いながら彼の顔を見て言った

 

「...君ってさ、案外悪くないよね?」

 

「...いきなり何を言う?」

 

「いやね...ちょっと試したいことがあるんだ」

 

 女が取り出したのはフォームとバース。その二つを重ねて、彼に差し出した

 

「薬物相互作用。それを意図的に起こせるバース。じゃあ、この二つを同時に使ったらどうなるのか?」

 

「...実験体か?」

 

「そうなるかな」

 

 女が不敵に笑っている。フォーム...あの忌々しい痛みを思い出せずにはいられない。しかし、それを反転、変化させたとして...一体何の効果が予想される?

 

 ...それを服用するのは、少しばかり躊躇われた

 

「知りたいんでしょ? けど、お金もない。なら...ね?」

 

「......わかった。その申し出を受けよう。ただし、それで解除できなければ...」

 

「大丈夫大丈夫。その点に関しては心配いらないよ。ささっ、それを同時にぐいっと」

 

 半ば押し付けられるように渡された、重ねられたフォームとバース。軽く一息吐ききってから、意を決して口の中に放り込み、飲み込んだ

 

「..........?」

 

 特に、なんともない。少なくともフォームの効果は現れていない

 

「ふふ...」

 

 目の前で女は笑っている

 

「......ッ!?」

 

 突然、身体が熱くなってきた。燃えるように熱く、それでいて頭が軽くぼうっとする。感覚や神経といったものが研ぎ澄まされ、立っていることすら困難な状態に陥る

 

「なん、だ...これ...」

 

「...まぁ、対価としては上等よね?」

 

「アンタ...何を...」

 

 女が近寄ってくる。しかし、身体に力は入らず、地面をスって移動することしか出来ない。女の手が身体に触れた

 

「ぅくっ...!?」

 

 彼の口からあられもない声が漏れた。触られた途端、身体に電撃が走ったかのような感覚があった。自分の身体の一部が、酷く膨張を始めている

 

「ふふ...お金もない。時間もない。なら...身体しかないよね?」

 

「────ッ!!」

 

 女が身体に乗っかり、彼の身体を舐め回す。身体に触れるだけで、酷く快楽的な刺激が走り抜けていく

 

「それじゃあ...私も」

 

 彼女がポケットから取り出したのは、重ねたフォームとバース。それを何の躊躇いもなく飲み込んだ

 

 

 彼は、ぼうっとする頭で、ある一つの話を導き出した。(foam)誕生(birth)。ギリシャ神話に登場する、泡から産まれたとされる神。名を、アフロディーテ。そして、そのアフロディーテが由来となった一つの薬

 

 ...媚薬(aphrodisiac)

 

 

To be continued...



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俺は彼女に親しみを感じた

 ゴソゴソとベッドから身体を起こした。自分の隣には、一糸纏わぬ姿で眠っている女がいる。ハーミットだ。そして自分の身体を確認する。こちらも、何の衣服も纏っていない。外を見れば、昼過ぎに来たはずなのに、もう日が昇っている。日をまたいだのだろう

 

「..........」

 

 思い出すことは、ただ乱れに乱れた、ということだけ。あの薬の効果は、凄まじいものだった。一方は人の身体の限界を引き出す薬。もう一方はその効果を反転、変化させ、身体の全ての感覚を快楽へと変化させる薬。効果がどれほどのものかは、見なくてもわかるだろう

 

「...あら、起きたの?」

 

 隣で眠っていたはずの女が起きた。まだ少しボーッとする頭で、彼女に返答した

 

「...アンタ...なんで...」

 

「別に? 気が乗ったからとか、君が意外にイケメンだったから。そんなところよ」

 

 彼女は眼鏡をかけていない彼の目を隠すほどの髪の毛を上げた。そして、嬉しそうに笑う

 

「やっぱ、カッコイイね。優しそうな目。整った顔立ち。隠すの勿体無いよ」

 

「...隠さなきゃいけない理由がある。アンタがこんなことをしているのと、同じようなものだ」

 

「理由、かぁ...」

 

 彼女は彼の髪の毛から手を離して、ベッドに再度横になった。その状態で彼を見上げるようにして言った

 

「裏切られたんだよね、私」

 

「......アンタの話に付き合うほど、俺はお人好しじゃないよ」

 

 彼は素っ気なく答え、立ち上がって乱雑に脱ぎ捨てられた服を着始めた。それを気にすることなく彼女は話を続ける

 

「心から好きな人がいて、裏切られて。身体も、お金も、場所もなくなった。どうでもいい人に体を触られて、それでもなんとかお金を稼いで、こうなった」

 

「最終的に行き着いたのが麻薬の売人かよ。アンタ、まだまともな道に戻れただろう」

 

「ううん。なんかね、疲れたんだよ。それで、麻薬に染まった。堕ちる所まで堕ちて、そんで気がついた。何やってるのかなって。けど、もう戻れなかった。裏では結構有名なんだよ、これでも」

 

「...まぁ、じゃなきゃこんな場所にまでこねぇよ」

 

 そんなぶっきらぼうな返答に、彼女は笑った。彼が訝しげな目を向けると、彼女は笑顔のまま言った

 

「君、優しいんだね。装ってるけど、根っからのお人好しだよ。君の彼女が羨ましいなぁ...」

 

「...生憎、彼女なんざいない身でね。それに...初めてだった」

 

「...嘘!?」

 

 彼女は驚きに目を見開いて彼を見た。彼は服を整えると、自分の持ってきた鞄の中身を確認し始める

 

「本当だ。俺の目的が達成するまで、遊びも、付き合いも、何もかも抑制しようとしてた」

 

「あちゃー...ごめんね。初めてがこんなので。てっきり、何人も相手したことあると思ってた」

 

「...別に」

 

 いつかは捨て去りたいと思っていた。それに...見てくれは美人だから別にいい。などと心の中で呟いた

 

「...気持ちよかった?」

 

「薬のおかげでな」

 

 鞄の中身の確認が終わり、机に置かれた眼鏡をかけて彼は立ち上がった。そして未だベッドの中にいる彼女に向かって言った

 

「終わったら、連絡してくれ。そしたら取りに来る」

 

「...帰っちゃうの?」

 

「仕事の邪魔になるだろうからな」

 

 彼女の言葉にクラっとこなかった訳ではない。彼とてまだ大学生。遊びたい年頃だ。それを普段から抑制していたのだから、一夜の行為とはいえ彼女に心が傾きかけているのも仕方の無いことなのかもしれない。仕事、と割り切れるほど彼の心は強くなかった

 

「...そっか。なら頑張っちゃおうかな。早く会いたいし、ね?」

 

 そう言って彼女はベッドのそばにおいてあったフォームとバースを手に取ってひらひらと見せるように振るった。それを見た彼は顔を顰めながら言った

 

「...そういうのはナシにしてくれ」

 

「じゃあ、これが無ければいいの?」

 

「...さぁな」

 

 靴を履き、玄関の扉を開けて外の景色を見た。裏路地だが、外は明るかった

 

「...私ね、身体を売るのやめてから、自分の意思でしたいと思ったの...君が初めてだよ」

 

 後ろから、甘い声が聞こえてきた。まるで媚びるように。しかし、どこか寂しさを感じる。彼はその言葉に鼻で笑うように答えた

 

「どうせ、他の男にも言ってるんだろう? ガキに何を求めてるんだか」

 

「...本当なのになぁ」

 

 それだけ聞くと、彼は扉を閉めてこのボロい建物から出ていった。表の駐車場に車は停めてある。そこまで歩かなければならないと思うと...少しばかり憂鬱な気分になった

 

「...はぁ」

 

 独り残された部屋の中で彼女はため息をついた。独りの部屋に慣れたはずなのに、少しだけ寂しく感じる。隣にいた温もりがこんなに恋しいなんて...久しく思っていなかった

 

「..........」

 

 彼と長い間身体を重ねていた。何度も重ねた。彼は、笑おうとするとすぐに何かを思い出したかのように顔を顰めた。私には彼が何を思っていたのかはわからない。なんとなく、幸せとなること自体を忌避している気がしたけど。それくらいしか分からない

 

 夜。休憩中に話したことがある。彼は探偵で、ずっと殺人鬼を追っているんだって。弟が殺されたって言ってたかな。殺人鬼を恨んでるのか、と聞くと、勿論だ、と酷く歪んだ顔で答えた。彼に誰を重ねてるとか、そんなことは微塵も思ってない。ただ...目を離したら、危ないなとか。本当に、どこかに行ってしまいそうな、儚げな感じがした。昼間の彼とは大違いで、少し驚いた。だって...昼間の彼は、自信ありげで、強そうで、そう...無理やり演じているかのよう。見てみれば明らかだった。私と混じった後の...私が抱きしめた時の、どこか安堵のようなものを感じていた彼こそが...橘花 晴大という男の子なんだろう

 

 

 

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 

 

 

「...ただいま」

 

 事務所の扉を開けて中に入ると、親父が心配そうな顔で近寄ってきた。そして近づくなり顔を顰めて手で仰いだ

 

「...人に心配かけさせておいて、てめぇは女遊びか」

 

「遊びじゃない...いや...なんと言えばいいのか...」

 

 困惑したように彼は頭をかいた。親父は家に続く扉を指さして言った

 

「風呂に入ってこい。臭いがきつい」

 

「...悪かったな。俺だって、好きでこうなったわけじゃない」

 

「バイヤーの口を無理やり割ったのか?」

 

 そう聞いてきた親父に対し、彼は自虐するような笑みで答えた

 

「...逆だ。割られたよ」

 

「へぇ...んで、何か不味いことでも話したのか?」

 

「いや...まぁ、アレだ...弱音を吐いた、くらいかね」

 

「ハッ、ガキが女に誑かされやがって」

 

「ガキで悪かったな、まったく」

 

 そう言って家の方へと戻る。部屋から服を取ってきて、風呂場に向かった。脱衣場で服を脱ぎ、自分の身体を鏡で見た。身体の数ヶ所に痣のようなものができている。キスマーク、という奴だろう

 

「...人の身体を好き勝手にしやがって......」

 

 悪態をつく彼だが、鏡に映っている彼の表情はどこか笑っているようだった

 

『...まるで、母親のようだ』

 

 夜に彼女に言った言葉が思い返された。やってる事は母親ではないのに。けどどこか...優しげな感じとか、そんな所が。どこか、似ていたんだろう、きっと

 

「...いかんな。マジで骨抜きにされてそうだ」

 

 両手で自分の頬をパンッと叩いた。頬がヒリヒリと痛むが、頭の中でのスイッチは切り替わった。緩んでいた頬は引き締まり、優しげな目つきは鋭さを帯びたものに変わった

 

「...これで、殺人鬼の居場所がわかればいいがな」

 

 彼はハーミットの仕事を頼りに、彼女の仕事の終わりを待つことにした

 

To be continued...



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俺の中で何かが変わった

 あれから数時間。風呂にも入りさっぱりとした俺はハーミットからの連絡を自室で待っていた。しかし、こういう時というのはやけに待ち時間が長く感じる。次第に、イライラが募って貧乏揺すりまで始めていた。

 

「......はぁ」

 

 待てども待てども、事態は進行しない。今落ち着かなくてはいけないのは間違いなく俺だろう。そんな状態で待っていると、携帯が震えた。震えた瞬間に携帯を手に取って画面を見た。しかしそこに映っていたのは別の人物からのメールだった。

 

「...月本 沙耶」

 

 ハーミットではないことに少し落胆しながら、メールの内容を確認した。書かれていた内容は、最近雪菜の元気がないとのこと。彼女は沙耶に事のあらましを伝えていないのだろうか。

 

「..........」

 

 とりあえず雪菜の置かれた状況を説明しておく。こうなると...沙耶も来づらくなってしまうな。雪菜が来れない以上沙耶が一人で来るというのもないだろう。あの子は友達思いの優しい子だ。雪菜が来れないのに私だけというのを彼女は好まないだろう。

 

「......っ」

 

 再度、携帯が震えた。画面に映っていたのは非通知の電話。ハーミットだ。待ち望んでいた電話が来たことに手が震えた。早く聞きたい。その先を知りたい。犯人は誰だ、殺人鬼は誰だ。早く、その正体を...

 

「...はい。橘花です」

 

 震えそうになる声を抑えて、電話に出た。携帯の向こうから、先程まで聞いていた女の声が聞こえてくる。

 

『ハーミットよ。解析、ちゃんと終わったから』

 

「...それは良かった。じゃあ...とりあえず今から向かう」

 

 外を見ればもう暗くなり始めていた。夜間に出歩くことになるのは仕方がない。一刻も早く、知りたいのだ。

 

『...あのね、聞きたいことがあるんだけど』

 

「...なんだ?」

 

 荷物を纏めながら出歩く準備をする。外出用の黒い服に身を包んだところで、彼女から声をかけられた。どこか震えているようだ。怯えているようにも聞こえる。携帯の向こうから、思わぬ声が聞こえてきた。

 

 

 

 

『───貴方が、殺人鬼なの?』

 

 

 

 

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 

 

 

 その言葉を聞いて、内心驚いていた。まさかここまで嗅ぎつけてくるのかと。手がかりは絶たねばならない。俺は絶対に知られるわけにはいかないのだ。ここまで追ってきたことには素直に賞賛しよう。誰もここまで辿り着けなかったのだから。だが、それもここまでだ。

 

 俺はね、怒りも感じているのだよ。何が君をここまでさせるのかわからない。俺にはしっかりと理由があるとも。好きだからだ。好きで好きで、愛して止まなくて、だから俺は彼女を手に入れるために、身体も心も俺のものにするためにやってきたのだ。それを、お前如きが邪魔をしようとするのなら...

 

 

 

 ...完膚なきまでに殺し尽くそう。

 

 

 

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 

 

 

『今日のニュースです。昨晩〇〇地区の裏路地で男性三人の死体が発見されました。身体のパーツがバラバラになっており、殺害現場にはまたしても浪川 鏡夜によるカードが置かれていました。その裏路地の奥にある誰も使っていないアパートにも女性の死体があり、部屋を捜索すると麻薬が大量に見つかりました。部屋の中を荒らし回った形跡もあり、浪川 鏡夜は麻薬を持って逃げた可能性があります。』

 

 朝、帰ってきてテレビをつけたらもう既にニュースになっていた。机の反対側に座る親父が煙草の代わりとして食べている飴を噛み砕きながら俺に聞いた。

 

「バイヤーが殺されたか。お前、昨日会いに行って帰ってきただろう。その時は何も無かったのか?」

 

「...朝方はな。夜に行ったら、死んでたよ。ってか、通報したの俺だしな」

 

「現場は?」

 

「聞いての通り。死体が散乱、血飛沫を上げてたよ。バイヤーの部屋にも行ったが...まぁ...悲しそうな顔で、死んでたよ」

 

 そう言って俺はポケットからUSBメモリーを取り出して机の上に置いた。黒いはずのそれは、どこか赤黒く変色しているように見える。

 

「...解析を頼んだのか」

 

「あぁ。命に変えて...守ってくれたよ。本物のUSBは破壊されたか持っていかれたが、アイツはコピーを作って自分の身体に隠してあった」

 

 おかげで血濡れたようになってしまっているが...。それでも、彼女が命をかけて守ってくれたのだ。これで何も得られなかったらそれは...彼女に顔向けできないだろう。

 

「...やけに落ち着いてるな」

 

「...そう見えるのか。まぁいい...中身を見てくる」

 

 そう言って俺は立ち上がった。落ち着いている? 何を馬鹿なことを。落ち着いてなんかいない。ただ、感情が定まっていないだけだ。殺されたのは悲しい。彼女は彼女なりに気遣いがあった。母のようだと思った。けど殺された。護れなかった。

 

 ...頭の中で考えていると、次第に心の奥底から湧き上がってくるものがあった。怒り、憎しみ、殺意。時間が経てば経つほど、その事実は俺の心を痛みつける。

 

「...あぁ、クソっ」

 

 どうしようもない思いが、ぶつけられない悲しみが、心の中で渦巻いていた。それでも涙は零さぬと、歯を食いしばった。自室に戻って乱雑に扉を閉め、パソコンにUSBメモリーを突き刺した。たちあげたパソコンの画面に、USBメモリーの中身を見るためのパスワードの入力画面が出てきた。その画面の下に、ヒントが書かれていた。

 

 『14106』『ポケット』『鈴』

 

 この三つ。最初は何のことか分からなかった。けど、暗号としてはだいぶ簡単なものだった。昔の人なら、簡単に分かったんだろうけど、現代人にそんなものを使うなよ、と心の中で彼女に愚痴を言った。それで、ポケットに鈴。ポケベルのことだろう。一昔前の連絡手段として使われていたものだ。文字ではなく数字で送られてくる情報を、当時の人は読み解いていた。

 

 そしてポケベルでいう14106というのは...

 

「......っ」

 

 カタカタと弱々しく音を立てて、パスワードが入力されていく。たった四文字の、普通の生活なら何気ない...という訳では無いが、ここまで重くのしかかってくるものなのかと、恋人もできたことのない俺にはわからなかった()さが、嫌というほど痛感した瞬間だった。

 

『愛してる』

 

 そんなたったの四文字なのに。出会って、一日も経ってないのに。ただ一夜、共に過ごしただけだというのに...

 

「...っ、ぁ......」

 

 彼女は、裏にはふさわしくなかった。あまりにも綺麗だった。心も身体も裏に染まり、汚れていたとしても...彼女の想いは、綺麗だった。優しかったのだ。その優しさに、心を許し...そして俺の身勝手で、彼女は死んだのだ。

 

 彼女を殺したのは間違いなく...俺だ。原因を作ったのは、誰でもない俺であった。

 

『いつか何かが変わったら、私も変われるのかもしれない。表に戻ってみたいって気持ちはあるよ。普通の生活をして、普通に恋をして、子供も作って、好きな人と一緒に暮らして。そんな夢みたいな日常を送ってみたいなって』

 

 夜に彼女が漏らしていた言葉を思い出した。

 

『白馬の王子様に憧れるのって、おかしいって思う?』

 

 その言葉に首を振ったのを覚えている。

 

『私ね、待ってるんだ。こんな薄汚いところにいても見つけてくれる王子様。汚れた服を着ていても、汚れた身体になっていても、私と一緒にいてくれる人。私を、この裏から連れ出して、普通の人らしい生活に戻してくれる人』

 

 そんなものに期待するくらいなら、自分の力でどうにかすればいい。そう答えた。

 

『無理よ。私は君と違って弱いから。だから待ってるの。私がいてもいいと思う人。私を助けてくれる人。私が...助けたいと思う人』

 

 ...ポタリッ、ポタリッ、とキーボードに涙が零れていた。

 

 泣かないと決めていた。泣きたくないと思っていた。終わるまで泣きはしないのだと思っていた。

 

「ぁ....ぅっ...」

 

 喉の奥から溢れ出そうとするものを抑えつけた。自分の不甲斐なさに、非力さに、彼はまた一人で涙を流していた。

 

 

 ...カチリッと彼の中で何かが変わった音が聞こえた。

 

 

 

To be continued...



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俺達は真実へと向かう

 涙が流れ終えた後、服の袖で涙を拭いて画面を見た。パスワードが入力された後、ファイルが二つ表示されていた。『リスト』と書かれたファイルを開いてみる。

 

「...20年くらい前からのものが......」

 

 年月が細かく書かれていて、その横に売られた人間の身体の大きさを三段階に分けたものと、売り出した人間の名前、そして売られた人間の名前が書かれていた。コードネームや偽名ではなく本人の名前で、丁寧に身分を証明できる何かを写真として残していた。売られた人間の名前がわからない時は不明、と書かれている。もう一つのファイル、『証明データ』と書かれたファイルの中に免許証やらの写真データが保存されていた。

 

「...ここから、五年前」

 

 最新の日付。今からおよそ3ヵ月ほど前で途切れている。恐らくこの辺りで、ヒューマンショップの人間は殺されたのだろう。前に死体を見た時、蛆がわいていたのを思い出した。死体の状態からも、この日付付近が最後だというのを裏付けている。そしてこの最新の日付から遡ること五年。その遡っていく途中であることに気がついた。同じ名前がずっと並んでいる。

 

「...こいつは......」

 

 いや、今はそんなことよりも五年前だ。あの日のSサイズ。それが知りたい。ずっと遡っていって、遂に俺はアイツが殺された日の翌日に売り払われたSサイズというのを見つけた。殺された日は流石に売れなかったのだろう、と予想する。そしてその横に書いてあった名前は...

 

「...坂巻 総司、だと...?」

 

 坂巻 総司。親父の話の中で出てきた、俺の母親を大学生の時に襲った男。後の日付に出てくる売人の名は...殆どが坂巻 総司だった。

 

「...母さんを殺したのは、まさか自分以外の奴と結婚したから」

 

 いや、そんな馬鹿な。大学時代の苦い思い出をそこまで引きずるのか...!? 巻き込まれて死んだアイツは、母さんの息子だったから...?

 

「訳わかんねぇよ...なんで、コイツがその時になって母さんを狙ったんだよッ」

 

 ガンッ、と拳を机に叩きつけた。わからない。犯行動機が、何も繋がらない。

 

「...おい、何ドタバタやってんだ?」

 

 部屋の扉を開けて親父が入ってきた。親父は俺の姿を一目見ると、パソコンの画面に目を移した。そして書かれている名前を見て目を見開いて驚愕した。

 

「...こいつが、殺したのか?」

 

「...きっと」

 

 親父の言葉に相槌を打ち、もう一つのファイルを開いた。身分証明をするための写真が沢山入っていた。その中から坂巻 総司を探し出す。

 

「...俺はあいつの顔を覚えてる。ちょいとどいてろ」

 

 親父が俺を押しのけて椅子に座ってパソコンを弄り出した。どんどんスクロールしていき、やがて一つの画像を見つけて拡大させた。坂巻 総司の免許証だ。彼の顔が大きく貼り付けられている。どこかパっとしない顔つきだ

 

「...お前、見てたんだろう? こいつで合ってるのか?」

 

「..........」

 

 頭の中で、あの日の記憶を探り出す。そして懸命に頭の中であの日を繰り返した。日曜日、妹は遊びに行き、俺と弟で家の中で遊んでいた。そして俺が襖に隠れている時に...

 

「...思い出したよ。間違いない...怖くて、あまり見れなかったけど...きっと、コイツで合ってる」

 

 アイツが声を出さずに、俺に助けを求めた。あぁ、俺はそれを...見ていることしか出来なかった。アイツは俺を庇って...殺された。

 

「...こいつが今いる場所さえわかれば......!!」

 

「だが、どうやって探す? 今の今まで目を眩ましてきた奴だ。そう簡単に...」

 

「...大学だ。大学なら個人情報を保管してあるはず。あの時の、俺が大学生の二年の時の奴の個人情報を探し出す。そっから、奴の住んでた家に向かう。何かあるはずだ。もしくは...奴自身が見つかるかもしれん」

 

 ...坂巻 総司が見つかる可能性は低い。既に逃げた後だろう。だが、奴の個人情報を手に入れられるに越したことは無い。

 

「...親父」

 

「わかってる。準備して俺の車に乗れ」

 

「っ...了解」

 

 いつになく真面目な親父の声を聞いて、身が引き締まった。親父も、この瞬間を待ち望んでいた。普段はダラけた優しげな親父だが...こういう時の親父は、やっぱりカッコイイ。親父は立ち上がってすぐに親父の部屋へと向かっていった。俺も服を整え、鞄に必要なものを詰め込んで準備を完了させる。親父の部屋から、大きな声が聞こえてきた。

 

『あぁ!? 今それどころじゃねぇんだよ!! 警察の仕事よりも大事なのかだとッ、当たり前だろうがッ!! 秀次、そっちは頼んだからな!!』

 

 怒声にも似た声だった。あんな声を出す親父を、俺は久しく見ていない。そして仕事を投げつけられる秀次さん...。あの人には強く生きてほしいものだ。

 

「......もうすぐだ。もうすぐ、俺は...」

 

 グッと強く手を握りしめ、荷物を持って飛び出した。親父の車に乗り込むとすぐに親父もやってきた。車を走らせ...俺達は潭亭大学へと向かった。

 

 

 

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 

 

 

 夏休みなので大学の中には人が少なかった。事務室に向かえば、交代制で勤務している職員の方々がいた。アポ無しの訪問で取り合ってくれるのかと思いきや、卒業生だった親父は元の顔の広さもあって職員に快く迎え入れられた。この大学の学長である教授もいたので、何とか話をこじつけることに成功した。事務室ではなんだから、学長室へ、と俺達は学長に案内された。

 

「学長殿、急な訪問申し訳ありません」

 

「いえ、夏季休業でしたからそこまで大変ではなかったので大丈夫ですよ。しかし、君の顔を久しぶりに見たよ。そちらは...助手かね?」

 

「いえ、私の息子です」

 

「ほぉ...父親に似て優しそうな雰囲気を持ってるねぇ」

 

 そうやってニッコリと笑う50代後半に見える白髪の男性。この人がこの大学の学長だ。片目を髪の毛で隠し、眼鏡をかけた見る人からすれば陰キャラにも見えるこの状態で優しそうとは...中々面白い意見を出す人だ。

 

「それで...なんの用があってうちに来たんだい?」

 

 学長室にある来賓用のソファに座らせられ、その反対側に学長が座る。目の前にある机にはお茶が入れられたカップが置かれていた。

 

 学長の言葉に、親父が答える。

 

「私が二年の時に起きた学院内での強姦未遂事件、覚えておいでですか?」

 

「あぁ...覚えているとも。なにぶん、手を焼いた事件だったからねぇ」

 

 世間にバレないように色々と手回ししたと聞いていた。さぞかし大変なことだっただろう。親父は話を続けた。

 

「その事件を起こした坂巻 総司の情報ができれば早急に知りたいのです。個人情報を守らねばならないのはわかりますが...どうか閲覧の許可を頂けませんか?」

 

「...知って何に使う気かね?」

 

「私は探偵です。探偵が情報を欲する理由は一つ...それが、犯人へと迫る手がかりだからです。私には手詰まりな状況、この状況を打破できるのは、その一つだけなのです。どうか、お願いしますッ!」

 

 そう言って親父が頭を下げた。

 

「どうか自分からもお願いします。その情報があるだけで、私達は事件の真相へと迫ることが出来るのです。どうかお見せ願えないでしょうか?」

 

 俺も親父に習って頭を下げた。ここで情報が手に入らないのがいちばん不味いのだ。どうか、その情報を俺達に...。頭を下げながら、心の中で必死に祈った。

 

「...まぁ、一応保管してあることにはしてある。うちから出た犯罪者なんで捨てようかと思ってたんだがね...警察とのゴタゴタの時に使えるかと取ってあったんだ。おふた方、顔を上げなさい。私は貴方達になら見せることを厭いませんよ」

 

 顔を上げると、学長はまたもニッコリと笑っていた。俺達の願いが通じたのか...。とりあえず安堵の息を漏らした。

 

「ありがとうございます...!」

 

「はっはっは、この歳になってこんなことを頼まれるとはな...少しばかり待っていて欲しい」

 

 そう言うと学長は立ち上がって鍵のつけられた棚を開いて中から分厚いファイルを取り出してきた。そのファイルの中身をペラペラと捲って、一枚の紙を取り出すと俺達の前に差し出した。

 

「これだ。これが坂巻 総司の個人情報を書いたものだ。一応言っておくが...悪用はしないでもらいたい」

 

「大丈夫です。橘花探偵事務所の名にかけて、約束します」

 

 もう一度頭を下げてから、その紙の内容を見た。現住所と書かれた場所があり、その場所はここからそう離れていない場所だった。調べてみると、どうやらアパートの一室を借りていたようだ。

 

「ありがとうございました。それでは、自分達はこれでお暇します」

 

「力になれて何よりだよ。お仕事、頑張りたまえ」

 

 終始ニッコリとしていた学長を尻目に、俺達は大学を後にした。次に目指す場所は、坂巻 総司の住んでいたアパートだ。

 

 

To be continued...



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俺は確信へと迫る

 車で揺られること十数分。一件のアパートに辿り着いた。豪華とはいえないが、古くもない。至って平凡な二階建ての造りだった。書かれた紙によれば...二階にある一番右側の部屋が坂巻一家の住んでいる部屋のはずだ。

 

「...生活感がまるで見えない」

 

 遠目からでもわかる。あの部屋は全く使われていない。錆びれている。扉の開け閉めだけでも、生活感というのを醸し出すのに...まったく使われていないように見えた。

 

「大家に確認をとった。間違いなく坂巻一家はあの部屋に住んでる。夫婦と息子である坂巻 総司の三人だ。ちゃんと家賃も払われてる」

 

「...なんとなく、なんだけどさ」

 

 いつも、親父は感覚でどうこうとか、予感とか、そういったのを感じることが出来るらしい。天才肌...とはまた違うかもしれないが、ある種の才能なんだろう。隠れた第六感(シックスセンス)、虫の知らせ。何かしらを感じ取る能力。親父の息子だから...というわけではない。しかし、そんな能力を全く持たない俺でさえも、胸騒ぎがしていた。

 

「...嫌な予感がする」

 

「奇遇だな。俺もだ」

 

 親父が感じている、ということは...ほぼ百に近い確率で何かしら嫌なことが起こるだろう。それなりの覚悟は必要なのかもしれない。無意識の内に身体に力が入り、身が強ばった。

 

「俺が先に行く。何か...といっても昼間だし何もねぇとは思うが、カバーだけしといてくれ」

 

「何からカバーしろって言うんだ」

 

 親父はスタスタと歩き出し、階段を上っていく。俺も距離を開けすぎないようにしてついて行き、二階の坂巻一家が借りている部屋の前までやってきた。親父がドアノブをガチャガチャと回したが、開く気配がなかった。

 

「ノックもなしにガチャガチャするもんじゃないと思うんだが...」

 

「馬鹿言え。人の気配が全くないのに、ノックする必要なんざねぇよ」

 

 中を見ずとも、誰もいないことを親父はわかっていた。耳の裏に隠した髪留めを取り出して鍵穴に差し込んでガチャガチャとピッキングを始めた。数分もしないうちに、カチャリと軽い音をたてて扉の解錠に成功した。

 

「よし。念の為に手袋は着けておけ」

 

「はいよ」

 

 ポケットの中に突っ込んだ黒い手袋を取り出して両手につけて、親父の後に続いて部屋の中へと侵入する。

 

「..........」

 

 中に入ると親父が部屋の真ん中で目を閉じて立ち尽くしていた。親父を無視して周りを見てみると、綺麗さっぱり何も置かれていなかった。家具は少し置いてあるが、日用品なども何もなく、冷蔵庫を開けてみると、賞味期限が切れて腐ってしまっている食材が沢山出てきた。

 

「...本当に誰も住んでいなさそうだな」

 

「...臭いな」

 

 親父が目を開いて鼻をつまんだ。冷蔵庫を開けたのは不味かったか...周りに酷い匂いが撒き散らされてしまっている。

 

「いやそりゃ、冷蔵庫の中腐ったもんだらけだし臭いだろうよ」

 

「そうじゃねぇよ。ちょいと真ん中来て目を閉じて嗅覚だけに集中してみろ」

 

「なんだ、他に何の匂いが...」

 

 親父に誘導された場所で立って、目を閉じて息を深く吸った。人は五感で基本的には外部の情報を判断する。人の五感というのは、視覚、聴覚、嗅覚、触覚、味覚の五つだ。このうち何かしらが欠けると、他の部位が強調される仕組みになっている。暗闇の中では目は見えないが小さな音でも聞こえるようになったりする、ということだ。今やってるのはそれで、視覚を消すことで嗅覚の感覚を研ぎ澄ましているのだ。

 

「......?」

 

 何か変な臭いがした。腐敗臭...ではない。これは...金属? いや、鉄の錆びたような...この臭いは...

 

「気がついたか?」

 

「...血の匂いか、これ」

 

「あぁ。しかし、時間が経ちすぎてるな」

 

 薄らと、本当に気にならない程度の匂いだった。しかし、鉄の匂いとはいえ、血だと断定するのも早計な気がするが...

 

「殺った本人は匂いを消すために色々とやったんだろうが...血の匂いはこびりついて消えないものだ。いくら洗っても...(よご)れたものは落ちないよ」

 

「...つまり、なんだ。まさか坂巻 総司は自分の両親を殺した...とか?」

 

「きっとな」

 

 知りたくもなかった話だが、親父が肯定するのなら、それはきっと疑いようのないものだろう。しかしよく気がつけたものだ。こんなの、普通ならわかるはずがない。俺なら素通りするレベルだ。

 

「想定しろよ、これくらい。相手の拠点で、何があるかわからない。扉を開いたら爆発するかもしれない。音に気をつけ、匂いを感じとる。探偵の基本だ」

 

「日本の探偵はFBIかなんかか」

 

「俺の方がアメリカより優秀」

 

「機器と金の段階で負けだよ。あと人員」

 

「ほぼ全部じゃねぇか」

 

 まぁ、肉弾戦なら親父は勝てるんだろうがなぁ...。さて、こんなくっちゃべってないで早いとこ何かしら証拠を掴まなければ...。

 

「...なぁ、坂巻 総司名義で出されたもので、二人分売られたものないか? 恐らく初めて売ったものか、アイツが売られた付近で売られてると思うんだが...」

 

「...ちょい待ち」

 

 車の中でパソコンをいじってデータをわかりやすく纏めた手帳を取り出した。坂巻 総司の売った人を順番に並べたものだ。初めに売ったのは、Lサイズが二人分。坂巻 六華(りっか)と坂巻 尚也(なおや)の二人の名前が書き込まれていた。書いていた時は特に何も思わなかったのだが...今こうして見てみると、同じ苗字で男女が並んでいるのはおかしい。

 

「...六華と尚也。両方とも坂巻が姓だ」

 

「...胸糞悪い。その二人は親だ。両親の名前を書く場所に二人の名前が書かれてる」

 

 親父が手に持っている個人情報が書かれた紙を覗き見ると、確かにこの二人の名前が書き込まれている。

 

「自分の親を殺すなんて、どうかしてる...」

 

「今にわかったことじゃない。元々、俺達が追ってるのは狂人だぞ。最早人にあらず、人を殺す鬼だ」

 

「..........」

 

 鬼。人ならざるもの。人知を超えた存在で、人の能力を卓越している存在。その間の力の差は歴然であり、埋まることはない。人は鬼には勝てないのだ。

 

 だが...鬼と鬼ならば、どうだろうか?

 

「...チッ、ここまで来て手詰まりか。証拠になりそうなものもない。一旦戻るか...」

 

「..........」

 

 親父が帰ろうとしている中、少しだけ考えていた。あの男についてだ。昔、記憶の中での坂巻 総司は確かに写真通りの顔だったかもしれない。しかし、お金を稼ぐ手段を得て、金銭に困ることはなくなったはずだ。ならば、整形した可能性が高い。顔は金で変えられる。しかし身分証明は? 身分証明書はそう簡単に変えられるものではない。

 

「...坂巻......総司...坂巻......」

 

「あー...俺は先に帰るぞ? 歩いて帰る気か?」

 

「...ん、あぁ。別に今はそれでいい。ちょっと、何かでかかってて...」

 

 ブツブツと言っていた俺に親父は呆れながら、部屋の外へと出ていった。どうも気になっていた。坂巻 総司と滝川 総司についてだ。名前が似てる...ってだけなんだが...。明らかに顔は違うが、整形すればどうとでもなる。サラリーマンにしては持っているお金。家をポンッと建てることができるくらいには潤っている。

 

「...名前、姓が変わるには......」

 

 ...何を馬鹿なことで時間をくっているのか。証拠がない限りにはどうしようもないんだ。何故仕立て上げようとする。犯人を、予想だけででっちあげるのはダメだ。冤罪は忌避すべきことだ。

 

「そういえば、大家さんは何か知らないだろうか?」

 

 まぁ善は急げ。携帯を取り出して、大家さんへと電話をかける。荷物がほとんどない狭いようで広い空間に音が響く。三コールほどで大家さんは電話に出た。お婆さんのような優しげな声が聞こえてくる。

 

「どうも、先程も連絡いたしました橘花です。お聞きしたいことがあるのですが...」

 

『えぇ、構いませんよぉ』

 

「感謝します。それでは...坂巻一家について何か知りませんか?」

 

『そうだねぇ...』

 

 ポツポツと話している内容は、特に当たり障りのないものばかり。息子はなかなか頭が良かったとか、夫婦の仲はそこまで良くなかったとか。

 

『そういえばねぇ...息子が何かやったみたいで、あの夫婦喧嘩したんだわ。そりゃもう酷くて酷くて...苦情が殺到していたなぁ。「アンタなんかが産まれたから」なんて聞こえたみたいだよ?』

 

「......ありがとうございます。他に何かありませんか?」

 

『そういえば...住む人数が少なくなったってことで報告にきたってかなぁ。離婚したんじゃなかったかいねぇ』

 

「...離婚、ですか。ちなみに、旧姓とか知りませんか?」

 

『...そういえば、名前を変えると言っていたような気がするよぉ。けど、その数日後に息子が坂巻として登録し直しといてくれって伝えに来た気がするんだがねぇ...』

 

「...して、その戻す前の名前は...?」

 

『確か......』

 

 

To be continued...



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俺は最後の戦いへと向かう

 時間が無い。あまり悠長に待っていられなくなった。もっと時間をかけて、彼女の成長を待ちたかったが...仕方がない。それに、今でも彼女は充分魅力的だ。可愛らしい顔、黒縁の眼鏡がまるで母親のよう。長い髪もサラサラと、指が通り抜けそうだ。

 

 ...さぁ、最後だ。お前の負けだよ、橘花。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 

 

 

 

 目覚ましの音が鳴った。ぴぴぴぴっと軽い音を鳴らす。習慣づけられた身体はその音に反応して身体を起こした。けどまだ、少しだけ眠かった。

 

「......なんで、起きちゃうのかな」

 

 見ていた夢は鮮明に思い出せる。私は、彼と一緒にいた。晴大さんと一緒に過ごしていた。朝ごはんを作って、一緒に食べて、他愛のない話をして、一緒にテレビを見て、一緒に出かけて、一緒に......

 

「..........」

 

 けれど、目が覚めてみればそんな幻想は消え去った。あるのは現実。私の部屋。私だけがいる部屋。晴大さんはいない。気晴らしに彼のジャージの匂いを嗅ごうとして、返してしまったことを思い出した。

 

 ...同じものを買って返せばよかった、と少しだけ後悔する。

 

「雪菜、起きてるかい?」

 

 ノックの音が響き、総司さんの声が聞こえてきた。私は寝ぼけている頭を振って覚醒させて、総司さんに返答した。

 

「はい、起きています」

 

「そうか。とりあえず朝食作ったから降りてきて食べなよ」

 

「はい...」

 

 ...珍しい。私が起きるのが遅い時は総司さんが作ってくれたりするけど、普段ならまだ寝てるはずなのに。お仕事でも入っているのだろうか。

 

「......おはようございます」

 

 着替えてリビングに向かうと、総司さんはテレビを見ている最中だった。どうやらもう朝食は済ませたみたい。総司さんはテレビから視線をずらして、私を見ると優しく微笑んで、おはようと言った。

 

「...雪菜、朝食を食べ終わったら見てもらいたいものがあるんだ」

 

 総司さんが真剣な顔つきで私に言った。見てもらいたいものとは、なんだろう。私は不思議に思いながら、朝食を食べ始めた。目玉焼きとレタス、それとご飯。簡単なものだったし、果物もないけど朝には丁度いい。そういえば、朝食に果物をとるのがいいらしいけど、太っちゃうって聞いた気がする。果物って満腹中枢が刺激されないんだとか。朝食べて痩せられると言われてるのは...ブロッコリーだったっけな。そんな話を沙耶から聞かされた。沙耶も充分痩せてるのに、まだ痩せる気なのかな...?

 

 そんなことを考えながら、私は朝食を食べ終えた。それを見計らって、総司さんが私に近づいてきて白い封筒らしきものを手渡してきた。

 

「...これは、誰からですか?」

 

「...開いてみるといい」

 

 なんだろうか、一体。封は既に切られていて、総司さんが確認したんだろうと思う。表には、浪川 雪菜さんへと書かれていて、裏側には何も書かれていない。私に手紙を送ってくる友人なんていないはずなんだけれど...。恐る恐る封筒の中に入っている二つ折りにされた手紙を取り出して開いてみた。

 

「......嘘っ...」

 

 ...そこに書かれていたのは、手鏡の中に映る三日月。それとほんの少しの文章だった。

 

『俺と一緒になろう。俺が必ず君を幸せにするから』

 

 書かれていた内容は、これの他にもうひとつあった。

 

『警察や探偵を頼ろうとしても無駄だよ。俺はずっと君を見てる。助けを求めても無駄だし、やろうとなんてしないでね?』

 

「......兄さん...? 嘘っ...でも...」

 

 信じられなかった。今の今まで姿を隠してきた兄が、今になって私に接触してきたのだ。不安を顔に出しながら総司さんの方を見ると、彼も困惑しているようだった。

 

「...雪菜、僕はこれを警察に見せた方がいいと思うんだ。助けを求めよう」

 

「...けど、誰にも助けを求めるなって......」

 

 わからない。わからない。兄さんの考えていることがわからない。なんで、どうして? どうして今になって私を狙うの。それに、一緒になろうって、なに? 貴方が父さんと母さんを殺さなければ、私達は一緒にいられたのに。今更、一緒にいようって...

 

「...癪だけど、橘花さんに連絡しよう。警察よりもあっちの方が早いかもしれない」

 

 そう言って総司さんが携帯を取り出して電話をかけようと画面をタッチしていると、私の携帯に一通のメールが送信されてきた。メアドは登録されていないからわからないけど...件名に、鏡夜と書かれていた。

 

『助けを求めるなって言ったはずだよ? いいのかな、沙耶ちゃんが死んじゃうよ?』

 

「......嘘っ、沙耶...?」

 

 まさか、沙耶が捕まっているの? そんな...

 

 ...助けなきゃ。沙耶を助けなきゃ。私の友達だから、大切な親友だから。殺させたりなんてさせない。させるわけがない。むしろ、貴方が接触してくれるのなら好都合よ。私は...貴方を殺したくて今まで生きてきたんだから。

 

「...どうやら、助けも求められないようだね」

 

 総司さんが私の携帯を覗き見て言った。私は周りを見回して、監視カメラがないか確認した。どこかに隠されているはず。そうじゃなきゃ私達が今何をしているのかわからないんだから。けど、この家のどこに...いや、そもそもいつ仕掛けたんだろう...。そんなことを考えていると、隣から総司さんのうめき声に似た声が聞こえてきた。

 

「...なん、だ......急に、頭が......」

 

「総司さん...!?」

 

 総司さんが頭を抑えて、倒れてしまった。近寄って揺すってみるが、何の反応もない。けれど、呼吸はしていた。見た感じ、眠っているだけみたいだけど...

 

「...まさ、か......」

 

 ...私も、何だか頭がふらふらとしてきた。瞼が落ちてきて、身体が前のめりに倒れそうになる。なんで、こんなに眠いんだろう...睡眠薬...? でも、いつ...まさか、朝食に...

 

「...そ、んな......」

 

 バタンッと彼女も倒れ伏した。そんな折、携帯が音楽を鳴らして振動し始めた。携帯の画面に浮き出ている名前は...橘花 晴大だった。しかし眠ってしまった彼女では電話に出ることも出来ず、何コールかすると電話は切れてしまった。

 

 

 

 

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 

 

 

『浪川 鏡夜が犯行予告を警察にしてきた。港の方の不良の溜まり場になってる場所がある。元は工業地帯だったが、もう既に朽ちた倉庫や工場だった建物が陳列してる場所...あぁそうだ。この前あの強姦魔がいた場所だ。お相手...お前さんを指名してるよ』

 

「..........」

 

『どうする、恭治。俺も行くか?』

 

「...お相手、俺を指名だろう? なら、俺だけでいい」

 

 そう言って恭治は肩を回して体の調子を確認した。ポキポキと音が鳴っている。あの事件から身体を多少は動かしているが、それでも軽く訛りはあるだろう。これでも晴大程ではないが怪我はしていた。二日で動いても問題なくなったとはいえ、その後も深夜徘徊がメイン。身体を戦闘用に鍛えなおすなど出来るはずもない。

 

『...お前の息子はどうした?』

 

「まだ捜査中。俺はちょいと飴食いに戻ってきた」

 

『...なぁ、お前の食ってる飴よぉ、なにか薬物的なものじゃないよな?』

 

「お前は禁煙の辛さを知らないからそんなことが言えるんだ」

 

 身体を休めようとすると、無意識にポケットに手を伸ばして煙草の箱とライターを取り出そうとしてしまう。そしてポケットに手を突っ込んで、ないことにガッカリするのだ。

 

「......ん、息子が戻ってきたようだ。切るよ、秀次」

 

『はいよ。お前のことだから心配はないだろうが...死ぬなよ』

 

「支援ぐらいはしてくれよ」

 

 彼は電話を切ると、慌てた様子でこちらに向かって走ってくる息子を見ながら、奥歯で飴を噛み砕いた。胸騒ぎは、どうやらまたもや的中するらしい。

 

 

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 

 

 

 坂巻一家の住んでいた部屋から飛び出して、俺は親父の元へと走った。車で休んでいた親父は俺を見るなり車から出てきて、携帯を片手に振りながら近づいてきた。

 

「よぉ、進展はあったか?」

 

「わかった、わかったんだよ、犯人が...!!」

 

「へぇ、んで...誰だ?」

 

「...──────」

 

「..........」

 

 俺の出した名前に、親父は顔を顰めた。右手を強く握りしめて、車のボンネットを殴りつけた。

 

「あの野郎...」

 

 ボンネットは凹んでいる。殴りつけた親父は全く痛くなさそうだった。親父の車だから別にどうだっていいがね。

 

「...悪いニュースだ。殺人鬼は俺を指名で呼び出した。恐らく、殺人鬼が唯一やられる可能性があるのが俺だから、だろう。場所は正反対だろうな、きっと。んで、どうするつもりだ? お前の策は?」

 

「..........」

 

 ...策、と言われても何も思いついていない。けれど、俺が行かねばならない。俺が、奴を殺さなければならない。あいつを殺して、ハーミットまで殺したんだ。許せるわけがない。しかし、親父でないときっと...勝てない可能性もある。

 

「...親父は、呼び出された場所に行ってくれ。奴は、俺がやる」

 

「...正気か? アイツは、俺が素の状態で怪我を負わされた奴だぞ?」

 

 そんなことは知っている。親父が行くべきだとも理解している。けれど...この想いは...5年間も燻ってきたこの想いがそれを赦してくれないッ!! 俺の中でどす黒く成長してしまったこの復讐心が、奴を殺せと叫んでいるッ!! 否定なんてできない、俺はその為に今まで生きてきたんだから...!!

 

「...俺が、やる。俺がやらなきゃダメなんだ。あの時助けられなかった、アイツが俺を駆り立てる。俺はなんのためにアンタに稽古をつけてもらった? この為だろう!? この為に血反吐を吐いたッ、アンタにぼこぼこにされようが、吐こうが、それでも立って、アンタに刃向かったんだ。アイツはそれを望まないかもしれない。勇気のなかった俺に、何もかも忘れて生きろと言うかもしれない。けど、俺は...」

 

 

 ───俺が、鏡夜だ

 

 

「...情けない、惨めな...弱虫な俺を、庇って死んだアイツの想いを...背負って、果たすのが兄としての役目だ。だから、頼むよ()()()。俺に、行かせてください」

 

 真っ直ぐ目の前に立っている父さんの目を見据える。父さんの眼光は鋭く、俺の身体を貫くかのようだった。けど...目を逸らしたりしない。あの日、俺は目を背けてしまったのだから。

 

「...わかった、行ってこい。負けることは許さん。じゃなきゃ俺の助手失格だからな」

 

「っ......わかった」

 

 親父は優しく微笑んだ。俺も、覚悟を決める。携帯の画面には彼女に取り付けた発信機が何処にいるのかを報せていた。彼女の家の近く、路地が入り組んだ先で止まっていた。

 

「...終わらせよう。なぁ、晴大」

 

 彼はそう言って走り出した。護るべき彼女の元へ。心の中に燻る復讐心が示す方向へ。

 

To be continued...



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私にとっての悪夢

 ...寒い。凍えるような寒さに、私は目を覚ました。暗い部屋だった。周りがよく見えない。身体を動かそうとしても、鉄が擦れる音がして動かない。

 

「...どこ、なの?」

 

 身体をよじってみる。なんだか柔らかい物の上にいるみたい。これは...ベッド?

 

「...兄さんの、家?」

 

 暗すぎて何もわからない。周りに誰も居ないことがわかって、途端に恐怖に襲われた。動けない状態で、暗闇にいるなんて...しかも知らない場所。怖いものなんて沢山ある。幽霊だとか、そういったもの。けど人が恐れるのは...見えないもの、足りないもの、そういったものだ。

 

 人は人に足りないものを見るのに恐怖する生物だ。例えば、目がない、口が大きい、血だらけ。そういったもので人からかけ離れた差異のあるものを見ることを人は忌避する。そして、人は未知を恐れる。見えないもの、知らないもの。それを人は昔から酷く恐れてきた。

 

「...晴大さん......」

 

 私が恐怖のあまり彼の名を呼んだ時、部屋に苛立たしげな声が響いた。

 

「晴大さん晴大さんって...雪菜、君には呆れたよ」

 

「っ...総司さん? どこ、どこにいるの!?」

 

 総司さんの声が聞こえる。暗くてどこにいるのかは分からないけど、少なくとも知っている人が近くにいるということがわかって少しだけ安心した。

 

「ここだよ、ここ...今見せてあげるからさ」

 

「ッ...!?」

 

 唐突に部屋に明かりがついた。暗闇にいたせいで突然の明かりに目がチカチカとする。なんとか目を慣らして、声のした方を見た。

 

「......えっ?」

 

 その部屋を見た時、普通の人ならば狂気的だと言うだろう。壁、天井、ありとあらゆる所に女の子の写真が貼り付けられていた。制服、私服、エプロン、寝巻き、彼女の普段は隠れている秘部の部分が写った写真すらも貼り付けられていた。

 

 そして、窓も何も無いこの部屋の唯一の出口である扉には...総司さんがいた。

 

「やぁ、よく眠れたかい雪菜?」

 

「総司さん...これは、一体何なんですか...? なんの、冗談なんですか!? 兄は、兄はどこにいるんですか!?」

 

 腕を必死に動かしても、足を動かそうにも、手錠がつけられていて動けなかった。なんとか横たわった体制から座った体制まで直し、彼女は目の前にいる総司に向けて助けを求めた。

 

「総司さん、これ外してください...ねぇ、総司さん...?」

 

「あのさぁ...雪菜、君って案外頭悪いのかな」

 

 総司が雪菜に近づいていき、ベッドに座っている雪菜の顔を両手で掴むと、顔を近づけてニヤリと笑った。

 

「...嘘、冗談ですよね...? 総司さん...?」

 

「ふっくく...冗談じゃないよ。これが僕だ。君の保護者であり...件の連続殺人犯、浪川 鏡夜だ」

 

 嘘だ。信じたくない。彼女は心の中で叫んだ。だって、引き取ってくれたじゃないか。育ててくれたじゃないか。困った時には手を差し伸べてくれたじゃないか。どうして。どうして貴方が...

 

「...兄さんは...?」

 

 恐る恐る尋ねると、彼は顔を歪めた笑いに変えて答えた。

 

「五年前に死んだよ」

 

「嘘ッ!! じゃあなんで、兄さんは逃げたなんて報道されたの!? 死体も見つかってないのに!!」

 

「僕が売り払ったからに決まってるだろ?」

 

「...売り、払う?」

 

 ...そうだ。晴大さんは言っていた。殺人鬼は人の死体を売ってお金を稼いでいると。つまり...兄さんは、売られていた? でも、いつのタイミングで...?

 

「...聞きたい? 聞きたいよねぇ、だって今まで信じていたものが崩れ去ったんだもの。けど、タダってわけじゃない。君だって今の状況がわかっているはずだ。だから...優しい僕は君にこれを渡そう」

 

 総司さんの手に乗っているのは、赤い紙と白い紙が重なったモノだった。なんだろうか、これは。

 

「これを飲んだら、教えてあげるよ」

 

「......なんなんですか、これ」

 

「教えない。んで、飲むの、飲まないの?」

 

「...本当に、教えてくれるんですか?」

 

「あぁ、教えるとも」

 

 私の目の前で、総司さんはニヤニヤと笑っている。私は...こくりと頷いた。それを見た総司さんはより一層笑みを深めた。

 

「いい子だ。けど、今手縛ってるからねぇ...仕方ないかぁ」

 

「なにを、うむっ...!? 」

 

 彼は徐ろに自分の口の中にソレを放り込むと、雪菜の唇に無理やり唇を合わせた。舌で無理やり唇をこじ開けて、彼女の中にソレと唾液を流し込んだ。それだけでなく、何度も舌で彼女の口の中をかき回し、唇に何度も自分の唇を合わせる。やがて彼が離れると、唾液が糸のように伸びて切れた。

 

「はぁ...はぁ...なんで、こんな...」

 

「ふっくく...やっとだよ。やっとここまで来たんだ」

 

 彼は笑う。高らかに笑い続ける。

 

「...初めて、だったのに......」

 

「なに、そんなものもそのうち気にならなくなるよ。君はもう、僕のものだからね」

 

 そう言って彼はベッドから離れて、大袈裟な仕草をしながら話し始めた。

 

「まぁ、約束は守ろうか。嫌われたくないしね」

 

「..........」

 

「...さて、じゃあ話そうか」

 

 

 

 

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 

 

 

 大学生の頃。僕は...いや、もうこの口調もいいか。俺はね、君の母親が好きになったんだよ。愛していたと言っても過言ではない。軽く話しをして、ご飯に誘ったこともある。けど、彼女は俺に見向きもしなかった。告白して、振られて、日頃から溜まっていた俺は彼女を無理やり犯そうとした。けど、それは止められた。当時同じ学年だった橘花 恭治によってな。

 

 さて、それで俺は大学を辞めさせられ、一緒に住んでいた両親はカンカン。元から仲は良くなかったけどね。母親は近所の人達からの嫌味でヒステリック、親父はそんな母親を見て浮気。離婚になるのだって時間の問題だった。

 

 学校側が止めても、そういった情報は出回る。親父は職を失い、俺を蹴り飛ばした。母親もそれに加担。もう何もかもウザかった。上手くいかなくて、ムカついて...

 

 ...だから殺した。俺にはね、神様が与えてくれたものなんてなかったさ。日常を生きる上では、ね。俺には人を傷つける才能があった。心にじゃない、身体にだ。それのおかげで、人を殺す才能だって簡単に開花させた。それでも橘花 恭治には勝てなかったがな。まぁそれで、その才能を自覚したのは両親を殺した時だった。そんで両親を売り払って、なんとか生きてきた。

 

 そんな折りに、橘花 恭治が結婚したと話を聞いた。どこから聞いたのかって? 裏で生きていれば情報なんていくらでも買える。そんで、結婚したって聞いて、最初は憎くて堪らなかったが、祝福してやったさ。血のメッセージカードでも贈ろうかと思ったがね、流石にやめておいてやったよ。

 

 んで、その後子供を作って離婚。その話を聞いて俺は舞い上がったね。彼女は、海音はまたひとりだ。なら、今度こそ俺が貰おうってな。邪魔は入らない...予定だった。彼女はすぐに次の相手を見つけた。それが君の親父だ。今度こそは祝福してやれなかったね。橘花 恭治と付き合うならよかった。だが、離婚して、それでも俺とは一緒にいられないと?

 

 誰よりも彼女を理解していたはずだ。理解出来るはずだ。なのに、なぜ俺は彼女と共にいられない? 苛立ちは募り、遂に俺は行動に出た。彼女の家を突き止め、侵入して、子供を人質に取った。男の子だった。そう、それが橘花 鏡夜だ。彼女は泣いて頼んだよ。やめて、殺さないでって。だから俺は言ってやったのさ。

 

 ...鏡夜、君が自分の両親を殺したなら、君の妹だけは助けてあげるよって。妹がいることと、恭治との子供の親権を持っていることは知っていたからね。そして雪菜、君がその時家にいないことを知ったから、嘘をついて騙してやったんだ。彼女が遊びに行って帰る途中に連れ去った。彼女はもう俺の手の中だってね。

 

 彼女は泣いたよ。あぁ、犯してやりたかったね、あの顔、あの絶望的な表情だよッ!! 可愛らしい顔を歪めて、助けを乞うんだ!!

 

 ...そして彼は彼女を刺した。僕が渡した包丁でね。一度刺して殺せなかった彼は、苦しませないために心臓を突き刺した。そして次は父親。近くにいた父親はそれを見て俺に突貫してきた。まぁ、ナイフでズタズタにしてやったけどね。そしたら今度は、彼女が悲鳴を上げた。驚いた、まだ生きていたんだ。俺はナイフでトドメを刺した。泣きながら死んでいったよ。

 

 そして一人残された鏡夜は...叫んだ。俺が鏡夜だ、俺が鏡夜だ、なんて訳の分からないことを叫んで包丁で突き刺そうとしてきた。素人にやられるわけがない。蹴り飛ばして、包丁を突き立てた。勿論、俺の指紋はついてない。手袋してたからね。

 

 そして...君が帰ってきた。僕は急いで隠れた。君は部屋の惨状を見て気を失って倒れたんだ。子供の死体は高値で売れる。君も殺して持っていこうとしたんだけど...

 

 ...あまりにも似すぎていたんだ。顔立ちも、幼いけど確かに彼女に似ていた。だから俺は君を預かろうと決めたんだ。彼女の友人を装ってね。とりあえず鏡夜に刺さっていた包丁を抜いて、警察を呼んで、俺は逃げた。包丁についていたのは鏡夜の指紋。鏡夜は見つからず、逃げたのだろうと推測された。

 

 そして準備が整って、君を迎えに行った。久しぶりに君を見た時は驚いたよ。酷く痩せていたからね。だから、優しくして沢山食べさせて、僕好みに仕上げようとしていた。歳をとるにつれて、君はどんどん彼女に似ていった。お金の心配はなかった。五年前からずっと殺しを続けて売ってお金を稼いだ。いやぁ、家を建てるのも楽だったよ。なにせ鏡夜のぶんだけで結構賄えたからね。

 

 ん、今日の朝? あぁ、君のご飯に睡眠薬を仕込んだだけだよ。全部自作自演。携帯で元からメールの文章を作っておいて、君に送っただけ。アプリも元から開いておいた。ほら、これで電話をかける手間よりも早く君にメールが届いただろう? まんまと騙されたよね、君。本当...可愛らしい。

 

 

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 

 

「...そんな......」

 

 その話を信じたくなかった。今まで生活していた家が...兄さんの死体で稼いだお金で建てた家だなんて...。それに、総司さんのことも...。信じていたのに......

 

「これが現実だよ。君の助けは来ない。誰もこの場所を知らないんだから」

 

「っ、い、いや...こないで!!」

 

 さっきから身体がおかしかった。妙に熱い。熱くてたまらない。彼が身体を触るたびに、変な感覚が身体を突き抜けていく。頭がボーッとして、自制が効かなくなってきて...

 

「やだ...やだぁ......」

 

 上に来ていた服が、彼が取り出したナイフで切られた。下着も切られ、私の身体が顕になってしまった。彼の手が私の身体を触るたびに、刺激が駆け抜けて声が漏れてしまう。

 

「んっ...や、やぁ......やだぁ...やめて、お願いだからぁ...あっ」

 

「...そんなことを聞くと思ってるのかい? 何年かけたと思ってるんだ。もう誰も止められない。さぁ、雪菜...朝言っただろう?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「俺が君を幸せにしてあげるからさ」

 

 

 

 

To be continued...



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───俺が───

 ───俺が鏡夜だ

 

 そう言った彼の本当の心を知る者はいない。ただ、アイツは正義感が強かった。虐められている子がいれば、割って助けに入る。腕っ節も強かった。

 

 ───俺が鏡夜だ

 

 何度もあの日の夢を見た。そして、俺はその夢の中の俺を恨んだ。夢の中だけでもいい。手を伸ばせ、と。隠れていないで、足掻けと。両親を助け、弟と妹を助けろと。

 

 ...だが、夢の中ですら俺は臆病だった。死ぬのが怖い。代わりをしてくれるのなら、俺は喜んで差し出そう。流石にそんなことを思うほど外道ではない。が、それに近しい気持ちではあった。臆病で、気が弱くて、そんな自分が世間で生きていくためには他人に優しくする他なかった。

 

 ───たすけてくれ

 

 流石にアイツでも、死の恐怖には逆らえなかった。一度だけ、アイツは俺の方を見た。そして...俺を見たアイツは、アイツの目は...何かの覚悟を決めたんだと思う。いつも真っ直ぐだったアイツの瞳は、より一層真っ直ぐになった気がしたからだ。

 

 勇敢で、物怖じしなくて、よく笑っていた。友達と元気に遊んで、体を動かすのが好きだった。そのくせ、俺の後ろをついてまわって、これやろう、あれやろうって遊びに誘ってきた。

 

 ...正反対だった。ほとんど全てが。好きな食べ物も、嫌いな食べ物も。アイツは辛いのが好きで、俺は甘いものが好きだった。アイツは外で遊ぶのが好きで、俺は部屋に篭っていた方が好きだった。アイツは足が速くて、俺は遅かった。ことある事に、比較された気がする。お前の弟、凄いよなって。まぁ、別に俺はそれを聞いても、そうだなとしか思えなかった。

 

 ...仲は良かった。普通の兄弟以上には、仲は良かったと思う。アイツがどう思ってたかは知らないけど...けどきっと、アイツは俺以上に、兄としての俺を慕っていたんだろう。

 

 ───俺の方が兄貴より上? そんなことないよ。兄貴は凄いんだよ!! 頭がいいし、優しいし、なにより怒んない。遊びに誘えば嫌な顔しないで一緒に遊んでくれる。だから、俺は兄貴よりも上だとは思わないよ。だって俺...兄貴みたいになりたいから。

 

 ...そう、正反対だったんだ。俺達の理想も。俺は、強く、格好よくありたかった。運動できて、すげぇなって言われたかった。だが、アイツが目指していたのは俺だった。誰にでも優しく、頭が良い。まるで正反対の俺達は...ただ、容姿だけは同じく産まれてきた。ほんの少し、俺が産まれるのが早かった。それだけだ。

 

 ...そんな俺達を表すかのように、名前はつけられていた。鏡写しの兄弟。夜のように静かな兄。晴天を体現したような明るい弟。それが、俺達鏡大(きょうだい)だった。

 

 

 

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 

 

 

 ...不意に、扉が開かれた。私に覆い被さっていた総司さんは驚いて扉の方を見た。そこにいたのは、髪の毛で片目を隠し、黒縁の眼鏡をかけた男の人...晴大さんだった。

 

「晴大さん...晴大さんッ!!」

 

 私は、くぐもっていた声を張り上げて彼の名前を呼んだ。助けに来てくれたんだ。ここまで、私を助けに。それだけで良かった。たったそれだけのことでも...私は、体の底が暖かくなるような感覚に陥った。

 

「...貴様ら橘花は、俺の邪魔をしなくちゃ気が済まないのか!!」

 

 総司さんが私から降りて怒声を上げた。晴大さんは無表情のまま、総司さんを睨みつけている。

 

「...邪魔、ねぇ......。なぁ、聞かせてくれよ殺人鬼。アイツさ、死んだ時何を思っていたんだろうな?」

 

「...アイツとは誰だ。いや、それよりも恭治はどこだ!!」

 

「親父なら来ないよ」

 

 その言葉を聞いた総司さんは焦った表情から一気に笑みを浮かべた。そして心底嬉しそうに声を上げた。

 

「くっ、ハハハ!! お前まさか一人で来たのか? なら何も問題は無い。あの頭のイカれたてめぇの親父がいないのなら、俺が負けるわけがない!!」

 

「...なぁ、聞かせてくれよ。五年前にアンタが殺した男の子。橘花 恭治の息子...アイツさ、何を思って死んだんだろうな」

 

「あぁ? んなもん知るかよ。死人に口なしだ。どうだっていいだろう?」

 

「...そうか。けど、きっと...今の俺とは違う想いだったんだろうなぁ」

 

 そういって晴大さんは悲しげに俯いた。その間に、総司さんは先程手放したナイフを拾って右手で構えた。

 

「...どうやってここまで来た? バレるようなへまはしなかったはずだ」

 

 素朴な疑問を彼は問いかけた。警察が嗅ぎつけにでも来たら一緒に恭治も来るだろうという考えだろう。一応適当なフォーム保持者を無料でフォームを渡すという約束の代わりに恭治を足止め、あわよくば殺せと言ってはあるが、流石に無理だろう。

 

「発信機。彼女が寝てる間に全部の服に仕込んだ。防水対策もしてある。洗濯程度じゃ落ちないようにもした。それで一つだけがここで止まっていたからそれを辿ってきた」

 

「...そうか。夜中に誰かが周りをうろついていると思ったら貴様か」

 

「ご名答。バレるとは思ってなかったんだけどね...おかげで警察の警備が固くなったせいで夜中に出歩くのが困難になった。まぁ、苦労はこうして報われた」

 

 彼は辺りを見回してから顔を歪めた。そして総司さんに問いかけた。

 

「これ全部アンタが盗撮したのか。余程の変態だな」

 

「...なんだ、見て興奮してるのか? 俺の後ろに、本物があるぜ?」

 

 そう言って総司さんが私が良く見えるように私をベッドから無理やり起こした。触られる度に、変な感覚で頭がおかしくなりそうだ。

 

「み、見ないで......」

 

 そう言って私は身体を隠そうとするけど...彼に見られている、それだけで何故か身体が余計に熱くなってしまった。薬のせいだと思いたい...私はこんな変態じゃない...。

 

「...雪菜から手を離せ。俺の家族に触れるな」

 

「...あぁ? 雪菜の家族は俺だけだ。お前はコイツとなんら関わりもないだろう? なのに、家族気取りか? 雪菜に惚れでもしたのか...だが、残念だなぁ。この娘はもう、俺のものだ」

 

 総司さんが私の身体を舐め回すように見下ろす。ゾクリッと嫌な感じがした。気持ちが悪い...はずなのに...。

 

「...残念だけどさ、雪菜の家族は俺だ。アンタじゃない」

 

「...てめぇはあの橘花の息子だろう?」

 

「正確には、橘花 恭治と橘花 海音の息子だ」

 

「...なに?」

 

 ...かい、ね? 私の母さんの名前は...浪川 海音。でも、その名前はお父さんの苗字で...。再婚した時に来たのが兄さんで...でも、もう殺されてて....

 

 ...どういう、ことなの? 私には、この状態では上手く理解出来なかった。必死に理解しようとしている中、晴大さんはつけていた眼鏡を外して、総司さんを強く睨みつけながら言い放った。

 

「アンタがもう名乗ならないのなら、その名前、返させてもらおうか......」

 

 

 

 

 

 

 

「───俺が、浪川 鏡夜だ」

 

 

 

To be continued...



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『俺』

「...ありえない。五年前に俺が殺したはずだ...心臓を突き刺して、その後売り払ったッ!! お前が浪川 鏡夜だというのはありえないッ!!」

 

 ...目の前で滝川 総司が怒声を上げた。身を襲う恐怖心と、身体の奥底から湧き出てくる怒りと殺意を無理矢理押さえつけた。

 

「...橘花 恭治と橘花 海音の間に産まれた子供が双子だったとしたら?」

 

「...それ、は...だが、それだと指紋の件が合わない」

 

「一卵性双生児。それが俺ともう一人の弟。知らないか? 外国では一卵性の双子の片方が人を殺して、指紋やDNAを検査しても、どっちがやったのかわからなくて事件が終わってしまった、というケースがある。つまり....アンタが殺したのは、俺の弟である橘花 晴大だ」

 

「...まさか、いや...あの事件の後に血濡れの男の子が走っていったというのはデマではなく、お前だったのか?」

 

「そう...。当時離れ離れになってしまった兄弟。兄は母親に、弟は父親に。しかし弟は兄と離れることを嫌がり、ことある事に母親の家に遊びに来ていた。誰にも内緒でな。そうしてある日弟はある提案をした。俺達容姿が瓜二つだから、俺が兄貴の髪型にして兄貴の服着たら、母さんわからないかなって。そうして、弟の考えた遊びを実行することになった。俺は自室の襖の中に隠れた。そして弟は母さんに見せるつもりだったが...そこでアンタが来たんだ」

 

 両手に力が入っていく。燻ってきた想いが、奴を殺せと叫んでいた。仇を取れ、と。

 

「アンタは弟に母さんを殺させた。そして、血の繋がっていない父を殺した。残された弟は...兄を、俺を庇うために叫んだッ!! 俺が、鏡夜だ。俺が鏡夜だとなッ!! 情けなく隠れて恐怖のあまりに泣いていた俺を、アイツは庇って死んだんだよッ!!アンタが、殺したんだッ!!」

 

 震える身体に喝を入れるように、俺は出せる限りの声量で叫んだ。想いを口に出した途端に、それは止まることを知らず溢れだしてきた。

 

「ずっとアンタを追ってきた、この手で殺してやろうと、残された妹を放ってまでアンタを追ってきたんだッ!! 弟の名を名乗り、血を吐くような日々を送って、俺はここまで来たッ!! 弟だけじゃない...アンタは、ハーミットすら殺しただろう!? 丁寧に盗聴器まで仕掛けてやがって...アイツは、静かな人生を送ろうとしていただけだったのに...それを、アンタはッ!!」

 

 ここに来るまでに数十分かけて走ってきたせいか、身体は既に肩で息をするほどになっていた。吐露した想いは、そのまま身体の奥には戻らずに、まるで全身を支配するかのように俺の身体を満たしていく。

 

「...なるほど、あの女データを隠していたか。まぁいい、やることはやってくれた。作った麻薬のテストも充分出来た。おかげで人を売れなくても麻薬で金は手に入った。しかし...どこからだ? どこからあの情報が入ったデータを発見した?」

 

「アンタが殺したヒューマンショップの店の金庫だ。不用心だったなぁ...おかげで、ここまで来れたんだからな。とんだ喰わせもんだよ、アンタは。人を殺して金を得て、他人にその罪を擦り付け、本人は整形して口調まで変えてるときた。離婚した時点でアンタの名前は逆巻から滝川に代わって誰にも見分けられなくなった。僕って話し方も、結局は弱々しさと誠実さを見せるためだけの話し方だ。そうだろう、殺人鬼」

 

「...伊達にあの男の息子ってわけじゃないか。流石だよ、賞賛に値する。ここまで来たのはお前が初めてだ。その行為に敬意を評して...お前の弟と同じように殺してやるよ」

 

 ナイフを構えて俺の方へと向かってくる。狭い部屋で、回避なんてできない。俺は振り下ろされるナイフを横側から拳を当てることで起動を逸らし、再びナイフが襲い来る前に前蹴りを繰り出した。

 

 ...が、それは滝川 総司の左手によって阻まれる。左手で右足を抑えられ、ナイフを横から突き刺された。

 

「ぐっ...」

 

 突き刺さったナイフには目もくれずに片足立ちの状態で薙ぐように腕を振って総司の顔面を狙う。

 

「おっと」

 

 ナイフが勢い良く抜かれて、そのまま右手で拳が防がれる。仕方が無いのでそのまま支えとしている足から力を抜いて地面に倒れるように全体重で落ちた。足を脇で抑えるように掴んでいた総司は少しだけ体制を崩し、なんとか足を抜いて、そのまま頭の後ろに両手を置いて思いっきり反って、飛び起きる要領で総司を蹴り飛ばした。壁まで蹴り飛ばされ、貼り付けられた写真が数枚剥がれ落ちた。

 

「っ、てぇなぁ...まさか、てめぇフォーム飲んでんのか」

 

「当たり前だ。父さんに怪我を負わせられるような化け物に、何もなしで勝てるわけねぇだろうが」

 

 足から流れ出る血を気にもとめずに立ち上がる。痛む...が、それだけだ。フォームの効果はアドレナリンの大量分泌。アドレナリンは痛みを抑えて気分を高揚させる。しかしフォームの第二の効果、抑えていた感情の浮上、激化。つまり今の鏡夜は痛みをある程度気にすることなく、感情のままに戦おうとしているのを今まで培った理性で押さえつけている状態だ。当然、判断能力はある程度落ちるが、その分以上に身体能力が限界近くまで引き出されている。

 

「あっそ」

 

 総司は立ち上がると同時に近くの机に置いてあった電気スタンドを掴んで投げつけた。今の鏡夜にはそれを躱す必要も無い。顔面めがけて飛んできたそれを右手で弾き飛ばした。

 

「...ッ!?」

 

 電気スタンドが鏡夜の視界を遮った。弾かれた電気スタンドの後に見えたのは、目の前に迫っている足だった。顔面を狙った蹴りが鏡夜に的確に放たれる。反応速度が上がっていても、不意打ちに近い形で放たれたそれは、鈍い音をたてて鏡夜の顔面に穿つように放たれた。

 

「ぁっ......」

 

 彼女の悲鳴が小さく部屋に響いた。だが、その悲鳴をまるで何も無かったかのようにかき消す程の大きさの鈍い音が響いた。そしてすぐに壁にぶつかる音が響く。壁に当たった反作用で前に勢いよく倒れた鏡夜の顔は、薬の効果と相まって余計に赤く見えた。

 

「っ...く、そがぁ...」

 

 天性の殺人鬼。それが滝川 総司だ。対して彼は、復讐心に身を任せて、元々は良くなかった運動能力を血を吐く努力で昇華させた努力型の天才。薬でドーピングしてもなお、鏡夜の戦闘能力は滝川 総司に追いつかない。天才は努力でなるものだ。誰かはそう言った。それは間違いだ。現に、目の前に天才に努力と道具を使ってまで殴りかかった男は負けているのだから。

 

「お前は間違えたんだよ...俺を本気で殺したいなら、あの化物とくるべきだった。お前は自分の気持ちを優先した結果...誰も守れずに死ぬんだ。いやぁ、素晴らしい兄弟愛じゃないか!!」

 

 アッハッハッハッハッ!! 総司の笑う声が響く。そしてとても愉快そうに顔を歪めて鏡夜を嘲笑(わら)った。

 

「本当、兄弟だね...どっちも、何も出来ず、誰も守れずに死ぬんだ。お前の弟? あぁ、そっくりじゃないか。叫んで、自分の気持ちを優先して突っ込んで、挙句死ぬ。兄弟ってのは馬鹿まで似るんだねぇ!!」

 

 ...同じ...? 俺が、アイツと...?

 

「...違う......」

 

「あぁ?」

 

「アイツは、違う...」

 

 ...アイツは、自分の気持ちを優先して突っ込んだんじゃない。自分の気持ちを優先して死んだんじゃない。アイツは...アイツが、自分の気持ちを優先するのなら...

 

「...アイツは、逃げなかった...」

 

 ...命惜しさに、逃げたはずだ。だって、母さんはともかく、あの父親は、アイツの父親じゃない。アイツの父親は、父さんだ。アイツが親父と慕っていた父さんだ。母さんは既に手遅れだった。なら...アイツが逃げなかったのは...

 

「...死にたくない、思いよりも...アイツは、兄を慕う心の方が、大き過ぎたんだよ...」

 

 そうだ。アイツは俺とは違う。正義感溢れる男だった。皆が慕うような強さを持っていた。運動能力が高くて、皆に尊敬されるような男だった。俺とは、正反対だった。そんなお前が、コイツを殺せなかった...。

 

「俺と、アイツは違う...だから...」

 

 ...俺はそれを証明し続けなければ。俺とお前は正反対で、俺はお前の理想でなくてはならない。アイツができないことをやるのが俺で、俺にできないことをやるのがアイツだ。だから......

 

「...俺はお前を、殺さなくちゃいけないんだよ」

 

「...死に損ないが。そんな体たらくで、できるわけねぇだろ!!」

 

 総司の蹴りが鏡夜の腹に入る。壁と挟まれて、力がうまく分散しないまま鏡夜の体内を蹂躙していく。腹の中から血がせり上がり、身体を押された衝撃で、先程刺された足の部分から血が勢いよく溢れ出た。それを見た総司は満足げに笑うと、鏡夜の見ている目の前で雪菜を犯してやろうと、ベッドの方へと歩いていった。

 

「がっ...ぁ......ッ」

 

 ...証明しろ。お前は何のためにここまで来た。復讐心? 家族愛? いや違う。もっと簡単な理由だった。死んだ人を思い出せ。母さん、父親、晴大、ハーミット...多くの知らない人。なぁ、俺はこのために戦っていたのか?

 

 ...違うだろう。俺は、誰でもない俺のために戦ってきた。その中に家族の思いも含まれているかもしれない。けど、それらを纏めて、俺は俺のためにここまで来たんだ。

 

「なっ...!?」

 

 総司が驚きの声を上げた。まともに動かない身体で鏡夜がしたことは...ポケットの中から、ありったけのフォームを取り出して飲み込む、ということだった。それは、恭治に言われた致死量の最低ライン。しかし...それは間隔をおいて摂取したからだ。それを一度に飲み込めば...

 

「...血迷ったか」

 

 作った張本人は、それを服用しない。それが無くても天才は自分の力を最大限まで引き出せる。それになにより...危険性を知っているのに使うわけがない。総司がこれを作った理由は、強力な媚薬を作るためだ。そのために前準備としてこの薬を作ったのだ。

 

「......俺、は...」

 

 ...そうだ。俺は...ただ...

 

「...仕方ないなぁ。ガキには身体に教えなきゃわかんねぇかなぁッ!!」

 

 総司がナイフ片手に走り出す。フラフラと立ち上がろうとしている鏡夜目掛けて、そのナイフを突き刺した。心臓はあえて狙わない。動けなくなる程度でいい。そうでなくては、雪菜の心をより強く縛り付けられない。

 

「...なに」

 

 言葉を全て言い切る前に、総司が反対側の壁に向かって勢い良くぶっ飛んだ。パラパラと落ちてくる壁に貼り付けられた写真の上に、総司の口から飛び出た血がぶちまけられる。

 

 腹に突き刺さったナイフを勢い良く抜いて、鏡夜は言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「...俺はアンタを殺したい」

 

 

 ただ、その一心だけでここまで進んできたんだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

To be continued...





 現代の科学なら確か一卵性でも見分けができたはずです。この世界では...そういうことにしておいて下さい。

 一応昔に一卵性の双子の殺人事件あったらしいですよ。


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『私』

 鏡夜が立っている場所の反対側。その壁にもたれ掛かった総司は口の中に溜まった血をぶちまけてから、口元についている血を拭いつつ立ち上がった。

 

 ...総司の纏っている雰囲気が変わった。辺りに緊迫した空気が溢れ出している。総司の眼が鏡夜を捉えた。そのあまりの変容さに、鏡夜は少しだけたじろいだが、右手に持ったナイフを強く握りしめて総司に向けることで恐怖を打ち消した。

 

「......化物がッ」

 

 吐き捨てるようにそう言った総司に、鏡夜は嘲るように笑って言った。

 

「なぁ...痛いよなぁ? アイツが苦しんだ痛みだ。お前が今までしてきた罰だ。存分に味わえよ」

 

 腹に空いた穴からドバドバと血が流れでる。止血しなければ、待っているのは死だけだろう。だが、それを止める必要は無い。なぜなら、コイツを殺して死ぬからだ。

 

「最初は...正攻法で、アンタを裁こうと思ってた。けどさぁ...アンタ、ハーミットを殺したよな」

 

 皆が寝静まった夜に、二人だけで話していた。彼女との時間は、とても有意義で、心の休まるような場所だったと思う。たった一夜だったのに、そう思えてしまった。

 

「...俺がアンタを殺す決意が固まったのは、その時だよ」

 

「...んとに、お前ら橘花はキチガイしかいねぇのかよッ!!」

 

 素早い動きで身を低くして総司が接近してくる。先程ナイフを刺された腹の場所に向かって拳を真っ直ぐに突いてくる。しかし、今の鏡夜にはその拳がとても遅く感じていた。

 

 興奮状態における自身の感覚強化。アドレナリンの分泌が多くなると人は体感時間を長くすることが出来る。極度の集中状態とも言えるその状態は、脳の処理速度のスピードが飛躍的に上昇しているから起きるのだ。

 

「...遅いんだよ、何もかもッ!!」

 

「がぁッ!?」

 

 処理速度の上昇により、総司の拳を受け流してからの反撃が迷いなく、スムーズに行われる。拳を外に逸らし、すれ違うように相手の腹に拳を置いて、自身が前に出る。そのまま腕を戻す力で相手を殴り飛ばした。

 

「アンタが悔いるのも」

 

 腹を抑えてうずくまる総司の顔面をまるでボールを蹴るように蹴り飛ばした。うめき声と同時に、歯の一部が飛んでいった。

 

「アンタが痛がるのも」

 

 鏡夜の踵が総司の脳天に叩き落とされる。総司の顔は床に密着し、鼻の骨が折れる音が聞こえた。もう総司に動く力は残されていないように見える。だが、鏡夜はやめない。

 

「アンタが俺を脅威だと思うのも」

 

 俯いて横たわる総司の身体を、足で蹴るようにして仰向けにする。そして、ナイフを持った右拳を限界まで引いて、腰を低くして構えた。

 

「...おっせぇんだよォッ!!」

 

 雄叫びのような怒号とともに、その右拳が地面に横たわる総司の腹にたたき込まれた。

 

「ごぶっ」

 

 総司の口から血が吹き出る。その血が鏡夜に飛び散り、服が自分の血以外の返り血で赤くなった。

 

 それを気にすることなく、握っていたナイフを逆手に持ち替えて、頭よりも高く振り上げた。鏡夜の血で汚れたナイフが鈍く色を放っている。

 

「...これで、終わりだ」

 

 ...振り下ろした。手に肉を抉る、奇妙な感覚があった。心臓はあえて狙わない。より長く苦しむように、腹に突き刺した。奇しくもそれは、鏡夜の突き刺さった場所と同じような場所で、動機こそ違えど、鏡夜は目の前で目を見開いて血を吐き出し続ける殺人鬼のやったことと、何ら変わりのないことをしたのだ。

 

「...だ、ぢ...ばなぁ......ぎ、ざま......」

 

 死に体でもなお、殺人鬼は目の前にいる殺人鬼を睨むのをやめない。鏡夜はただ、総司を上から見下ろし、憎しみの篭った眼を向けるだけだった。

 

「...ざまぁみろ...ハハ...ハハハ...」

 

 乾いた笑いが溢れ出た。身体に鈍い感覚が響くようになってきていた。段々と視界の上の方が暗くなってきている気がする。立っているのも辛くなってきてしまった。鏡夜はそのまま壁に背中を持たれかけさせて倒れるように座り込んだ。

 

「......終わったよ...晴大...」

 

 ...脳裏で、笑顔を浮かべる晴大が浮かんできた。あぁ、俺もすぐにそっちに行くことだろう...。お前はまた...俺に遊ぼうって言ってくれるか...?

 

「......?」

 

 足音が近づいてきて、目の前で止まった。視界の明るい部分に写っているのは、まるで棒のようにほっそりとした綺麗な肌色の足だった。

 

「...兄さん」

 

 雪菜が鏡夜の目の前に座り込み、鏡夜の顔を両手で持ち上げた。彼女と目が合った。

 

「...な、ぁッ......」

 

 酷く暗い瞳だった。淀んでいて、瞳の中が何も見えない。ただ彼女は何も着ていない状態で恥じらいもなく、鏡夜の顔をじっと見つめていた。

 

 ...そして彼女はとうとう口を開いた。

 

「...兄さん、私どうしたらいいの」

 

 ジャラリッと鎖を引きずるような音が聞こえた。彼女の両手を見てみると、つけられていたはずの手錠がまるで引きちぎられるように壊されていた。

 

 ...まさか、自力で? でも、どうやって...

 

 考えている鏡夜に、彼女は虚ろな瞳のまま話しかけてきた。

 

「助けて...兄さん...」

 

 両頬を優しく包んでいた彼女の両手の位置が下がっていく。何を思ったのか、彼女は総司に突き刺さったナイフを抜いて、まじまじと見つめ始めた。

 

「憎いの...憎くて、どうしようもないの......」

 

「...な、にが......」

 

 話すのも辛い状況の中、鏡夜は必死に声を絞り出した。目の前にいる少女はただ、ナイフを見つめている。

 

「兄さんが...憎くて、たまらない...総司さんは、死んじゃった...」

 

 ...あぁ、なるほど...。鏡夜は彼女の身に何が起きているのかを理解した。

 

「晴大さん...どこ...」

 

 虚ろのように呟き続ける。

 

 ...バースの効果が切れたのだ。バースが切れれば、フォームの効果が残る。恐らく、持続時間を考えてフォームの割合を多めにして雪菜に飲ませたのだろう。結果、バースが切れてフォームの効果が現れ、力技で拘束具を破壊した。そして事態をうまく飲み込めず、また信じていた人の裏切りで、彼女の心は混ざってしまった。その混乱した状態で...奥深くに眠った彼女の負の感情、本心とも言えるべき部分が浮き出てきているのだ。

 

 兄を殺したい。両親を殺した兄を殺したい。それが彼女の願いだったはずだ。

 

「...兄さん......兄さん......」

 

 呟く彼女の瞳から、涙がこぼれ落ちていく。俺には彼女が何を思っているのかわからない。どうせもう、俺は死ぬ...だが、彼女に人殺しをさせたくはない。

 

「晴大さんは...兄さん...兄さんは...総司さん...総司さんは...晴大さん...?」

 

 ...動かなくなりそうな両手で、彼女を抱き寄せた。

 

「...ずっと......」

 

 ...ずっと、こうしていたかった。前からずっと、こうして彼女の隣にいたかった。彼女を壊したのは...きっと、俺なのかもしれない。仇討ちを考えずに、彼女の元へと向かっていたら彼女は壊れなかったかもしれない。そうしたら俺は、滝川 総司に狙われたかもしれないけど、それでも彼女の心は守れたかもしれない。

 

「...ごめん、なぁ...こんな、兄で......」

 

 目の前で、彼女が動く感覚があった。少しだけ温かみを感じた彼女が、腕の中から離れていく。そして、もうあまり身体に力は残されていない。

 

「...私...は...」

 

 顔をあげると、そこには笑ったような...泣いているような...そんな表情を浮かべた雪菜が、ナイフを振り上げていた。

 

「..........」

 

 ...せめて、君だけは守りたかったんだけどなぁ。

 

 そう、心の中で呟いた。後悔なんてないと思っていた。ところがどうだ。目の前にいる彼女は...後悔そのものだ。

 

 ...どうか、俺のことなんて忘れて幸せに。

 

 なんて、酷い言葉で彼女に祈りを捧げ......

 

 

「...私は...アナタを...」

 

 

 ...ナイフが振り抜かれた瞬間、俺の意識は遠ざかっていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「......見つけた」

 

 

 

 

 

 ...そんな声が、聞こえた気がした。

 

 

To be continued...



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探偵小説の終わりというのは...

 近頃ニュースで話題になっていた殺人鬼。その正体は浪川 鏡夜ではなく、別人だった。それを究明したのは探偵である橘花 恭治らで、その助手であった息子が事件の真相の鍵を握っており...

 

「..........」

 

 そんなドキュメンタリー番組が色々なチャンネルで放送されていた。小説でしか起きなそうなこの難事件を取り上げない放送局はないだろう。

 

 ...報道はまだ続く。

 

『浪川 鏡夜の義理の妹であった浪川 雪菜は血濡れたナイフを持ったまま浪川 鏡夜の上に座り込んだ状態で発見されました』

 

 ...まだ、依頼は達成されていない。

 

 私はいつもの黒い服を着て、荷物を持って家を出た。この家は、どうしようかまだ考えていない。あまり屋根の色が好きではなかった。血の色のように赤かったから。けどまさか...本当に血濡れたお金で買われていたとは思わなかった。そう思うと、余計にこの家が汚れて見えてしまう。

 

「あら、おはよう雪菜ちゃん。お出かけ?」

 

「っ...咲華さん?」

 

 家を出てすぐのところにいたのは、明るい洋服を着て長い髪の毛を靡かせている咲華さんだった。すぐ側には、恭治さんが車の横で飴を噛み砕いていた。

 

 私を見た咲華さんは、少しだけ怪訝な顔をした。

 

「...全身黒服は、少し場違いじゃない? もう少しお洒落な服で行きましょう。なんなら私の服でも...」

 

「...違い、ます。私はこれで...」

 

 目を合わせることもマトモにできなかった私は、すぐにその場から逃げようとした。けど、咲華さんが私の手を掴んで引き止めた。

 

「鏡夜の所に行くんでしょ? なら、乗っていきなよ。ここからそこそこ遠いから」

 

 私はそれに答えられず、ただずっと虚空を見つめていた。兄さんのポケットには録音用の機械が入っていて、その音声は橘花探偵事務所の兄さんの部屋にあるパソコンに遠隔で送信されていた。それのおかげで、総司さんの罪は立証されて、彼は捕まった。けど、血液不足で死亡したらしい。一時的に殺人扱いとなった兄さんだけど...正当防衛で済んだらしい。相手の持つ武力以下での反撃...つまり、ナイフで襲いかかられたのをナイフで反撃し、互いに瀕死の状態になった。だから兄さんは殺人者ではなく...むしろ英雄として賞賛された。けど...その音声には、私が兄さんに向かって何か話をする音声が録音されていた。その音声のせいで...今度は私に兄さんに危害を加えた容疑がかけられた。だから、私はこの人達と会いたくなかったのに...

 

 ...そんな私の心境なんて無視するように、咲華さんが私に話しかける。

 

「...貴方は何もしてないのよ。だから、そんなに私達を忌避しないで」

 

「っ......」

 

 咲華さんが後ろから抱きしめてきて、暖かい感覚と、柔らかい感覚に身体が包まれた。なんだか、目に熱いものがこみ上げてきて...それを恭治さんがハンカチで拭ってくれた。恭治さんは相変わらず優しそうな笑みを浮かべながら、あいつはお前さんを恨んでないよ、と言った。

 

 ...そのまま咲華さんに手を引かれて、私は車の中へと押し込むように入れられた。後部座席に座った私を、隣に座ってくれた咲華さんがずっと宥めてくれた。そして、優しい声で私に言った。

 

「貴方も、鏡夜も...家族なんだよ」

 

 ...だから、鏡夜の家族である私達も、貴方の家族なの、と。

 

 

 

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 

 

 

 

 病院の一室に、彼は死んだように眠っていた。私はそんな彼の近くに椅子を持ってきて座り込んだ。恭治さん達は部屋の外で待ってくれている。血だらけで発見された兄さんは、飲み込んだ薬のおかげで生きていたらしい。なんでも、流れ出る血がすぐさま凝固して血液不足を回避できたらしい。

 

「...兄さん」

 

 目の前にいる兄さんは、昔の兄さんとそっくりだった。目を隠すような長い前髪は不自然にバッサリ切られていて、おかげで顔が良く見えた。眼鏡もかけてない。本当に、昔の兄さんだった。

 

「......雪菜...?」

 

 首だけを動かして、兄さんが私を見た。どうやら起きたみたいだ。私は何か言おうと思い...けど、何も言葉が出なくて、私はただじっと兄さん目を見つめるだけだった。兄さんは、そんな私を見て優しげに微笑んで私の手を握った。

 

「...怪我は、ないか?」

 

「......うん」

 

「そうか...良かった...」

 

 安心したのか、兄さんの頬が余計に緩んだ。幸せそうな笑顔だった。兄さんが晴大さんと偽っていた時も、優しげな笑顔は見たことある。けど...その時とは全く違った、なにか憑き物がとれたようで、私の心を強く締め付ける笑顔だった。

 

「兄さん...ごめんなさい...私、兄さんを傷つけて...。本当は、ここに来ちゃいけないんだって、わかってたのに...。けど、兄さんに会いたくて...謝り、たくて...」

 

 私の手を握っている兄さんの手に、涙が落ちた。私の手がより強く握りしめられた。兄さんはただ笑っていた。

 

「謝る必要なんてない。それに...お前は何もやってないよ」

 

「けど私は、兄さんにナイフを...」

 

「それが違うんだよ、雪菜」

 

 ...ズルい。そんな所で私の名前を呼ばれたら...私、何も言えなくなってしまう。

 

 兄さんはもう片方の手で、自分の髪を触りながら言った。

 

「...意識を取り戻してから、ずっと考えてたんだ。雪菜が言った言葉...見つけたって。あれは気のせいじゃなかったと思うんだ。だから、何を見つけたのかなって」

 

 兄さんは私の目をじっと見つめながら話す。私は...恥ずかしくなって少しだけ目を逸らした。顔が熱くなってしまっているのがわかる。

 

「雪菜がナイフで切ったのは、俺じゃなくて俺の髪の毛だよ。じゃなきゃ俺の髪の毛が切られていた理由がわからない。全身確認したけど、俺の身体につけられた傷は全部滝川 総司によってつけられた傷だ。雪菜がつけた傷は何も無かった」

 

「...私が切ったのは、髪の毛...だけ?」

 

「そう。実際めちゃくちゃ怖かったが...あの時の状況と雪菜の心境を考えてみても、俺を殺さなかったのはおかしいとすら思えた。兄さんを殺したいって願い、それが雪菜の願いだったはずだ」

 

 兄さんはバツが悪そうに顔を顰めて言った。私のことを案じて言ってくれているんだろう。その優しさに、私は手を強く握ることで返した。

 

 ...そういえば、あの日からずっと考えていたことがあった。依頼のことだ。何故かずっと、その事が頭から離れなかった。確か...ぼんやりとしていたけど、あの日もその事を考えていた気がした。

 

 私が彼にした依頼。それは...私と一緒に前に進んでほしい、といったものだったはずだ。けど、それよりも前に私は依頼をした。兄さんを探し出してほしい、と。

 

「......依頼、かぁ」

 

 懐かしいもんだな、と兄さんは私の話に笑って返した。そして何かを考え始めると...何か考えついたのか、頬を緩めて笑い出した。

 

「...急に笑い出すと、怖いです」

 

「ハハッ、すまん。いやなに...ちょいと面白い推理ができてね。聞いてみるか?」

 

「...うん」

 

 なんだか探偵っぽいな、って兄さんは笑う。兄さんは探偵でしょって言うと、こんな感じで説明する機会は中々ないからって笑った。私も自然と笑ってしまった。

 

「...例えば、雪菜は俺...変な感じがするから、鏡夜とするか。雪菜は鏡夜を殺したかった。これはきっと変わらない。深層心理に潜んでいたのは、鏡夜への復讐心だったからだ」

 

 まぁ、これは橘花 晴大として過ごしていた間に雪菜から感じたものを照合した結果と思ってほしい、と言った。気を悪くするな、と兄さんは謝ったが、私は気にしてないと返した。

 

「さて、じゃあ雪菜が思っていた鏡夜への復讐心だが...前提条件を考えてみようか。雪菜が恨む兄としての前提条件は、()()()()()()()()()()、だ。だが、あの場で鏡夜は両親を殺害していないというのが証明された。さて、その場で雪菜の心は不安定になっていて、深く考えることは出来なかったかもしれないけど...その事実は、きっと重要なことだったんだろう」

 

 兄さんはベッドから身体を起こした。まだ身体が痛いようで、軽く悲鳴をあげながらだったが、それでも我慢して起き上がって、私の頭を撫で始めた。突然のことで、私の頬がさらに熱く、緩んでしまった。歪んだような笑顔だけど、涙が流れ落ちて汚れたような笑顔だけど...兄さんは愛おしそうに頭を撫でている。

 

「つまり...両親を殺害していない鏡夜を、雪菜は恨めなかった。そして、雪菜は鏡夜をずっと探していた。確かに、目の前に鏡夜はいたんだろう。けど、それは昔の兄とは姿が違っている。だから、雪菜は俺の髪の毛をバッサリ切ったんだよ」

 

 ...そういう、ことだったんだ。どこか、納得出来ないような部分もあって、無理やりな感じがした推理だったけど...

 

 ...私はその推理を信じたかった。

 

「だから、雪菜が何か思うことがあっても...それは違うと否定できる。雪菜は何もしてないよ。だから...な? 泣くなよ。笑顔の雪菜が見たいんだから」

 

 そんなことを言われても...泣きやめるわけがないよ...。

 

 声を上げて泣き始めてしまった私を、兄さんは優しく抱きしめた。片手を頭の後ろに、もう片手で背中を引き寄せて。兄さんの抱きしめ方で、私をぎゅっと抱きしめた。兄さんの匂いだ...安心できる、兄さんの匂いだ。

 

 やっと見つけた。やっと会えた。私の兄さん...私の、大好きな兄さん。

 

「...長い間、いなくなってごめんな......ただいま、雪菜」

 

「...おかえり、兄さん」

 

 私の泣き声が病室に響いて、外からも泣き声が聞こえた。咲華さんも、泣いてくれているみたいだった。私を抱きしめて撫で続ける兄さんの胸に顔をうずめて、息を深く吸って...私は言いたいことも沢山あったけど、とりあえず、一番言いたいことを、言うことにした。

 

 兄さんに抱きしめられながら、上目遣いになる形で兄さんを見つめながら言った。

 

「助けてくれてありがとう、兄さん。......大好きだよ」

 

「......俺も、大好きだよ」

 

 ...恥ずかしくて、目を逸らそうとしたけど、珍しいものを見て、私はずっと兄さんを見続けることになった。

 

 ...幸せそうに笑いながら、兄さんも泣いていたから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ...とても気持ちがいい微睡みの中に、俺はいた。ずっとここにいたいような、そんな気分だった。

 

 ...目の前にたっているのは、紛れもなく俺だ。ただ差異があるとするならば、ソイツは俺と違って格好よく笑っていた。

 

 終わったよ、と俺は言う。そうだね、とアイツは返す。

 

 

 ───さん

 

 

 どうやら夢も終わりのようだった。長く話を続けられるわけじゃないようだ。アイツは、俺に親指を立ててサムズアップして言った。

 

 ...カッコよかったぜ、兄貴。

 

 不意に、笑みがこみ上げてきた。俺はそれに、笑いながら返した。

 

 当たり前だろう? お前の兄ちゃんだからな。

 

 その言葉を聞いたアイツはより一層笑い始めた。俺も、さっきよりも笑う声が大きくなった。

 

 

 ───兄さん

 

 

 ...どうやらもう時間のようだ。アイツは身を翻し、じゃあな、と手を振りながら背を向けて歩いていく。

 

 俺もそれにならって、背を向けて手を降りながら歩き出した。だが、どうにもぎこちなくて...。やはり、アイツの方が格好良かったようだ。俺は優しく微笑んだ。

 

 

 

 

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜

 

 

 

 ...眠りという幸せの時間が過ぎ、目を開けてみると、すぐ隣には雪菜がいた。どうやらまた勝手に俺のベッドに入ってきたみたいだ。

 

「おはよう、兄さん」

 

 そう言って俺の返事も聞かずに腰に抱きついて、胸に顔を埋めて息を深く吸い始めた。もはやいつもの事のようなものなので、俺は苦笑いしながら彼女に返した。

 

「おはよう雪菜。なに、そんなに俺の匂いって変? 同じ洗剤使ってるんだけど...」

 

「兄さんの匂いは兄さんの匂いなんです」

 

「兄さんがゲシュタルト崩壊しそうだぁ」

 

 困り果ててしまった。一緒に住むようになってからいつもこうだ。ブラコンを拗らせ過ぎたか...いやまぁ、俺もファミコンなんだけどさ。ゲーム機じゃないよ。義理の妹とはいえ、好きなことには変わりない。晴大同様、好きだとも。

 

「...えへへ」

 

 頭を撫でてやると、幸せそうに笑った。そういえば、あの事件の時、雪菜は裸でナイフを持って俺の上に跨っていたな...。雪菜はヤンデレ妹だった...?

 

 まぁそれでもいい。何せ俺は兄弟愛溢れる兄だからな。そんなものも許容してこそ優しき兄だとも。それが、アイツの目標としていた兄だろう?

 

 

 ───それは何か違うと思うよ、兄貴。

 

 

 なにか聞こえた気がしたが、まぁきっと天国から笑っている事だろう。さて...さっさと準備をして事務所に出勤しなくちゃな。

 

「ほら、起きて。俺は仕事だし、雪菜は学校でしょうが」

 

「むぅ...」

 

 渋々と言った様子で身体から離れる雪菜。少しだけ頬がぷくっと膨れていた。最近この私怒ってますよアピールが流行りらしい。

 

「...ここを第二の事務所にしたいなぁ。そうすれば、兄さんも出て行かなくて済むし、私は兄さんの補佐をここでしながら過ごせばいいわけだし」

 

「まるで父さんと咲華さんみたいだな」

 

 そう言うと、雪菜は顔をみるみるうちに赤らめていき、また幸せそうに笑った。そんな笑顔を見れて、俺も幸せだ。

 

 雪菜が作った朝ごはんを食べて、俺と雪菜は一緒に家を出る。赤い屋根が象徴のような家が、俺達が今住んでいる家だ。こうしたほうが、アイツも喜ぶだろう。

 

「......しかしまぁ、終わりとしては些か足りない。探偵の終わりといえば......」

 

 あぁ、こんな感じでいいだろう。車の助手席に座る雪菜の鼻歌に耳を傾けながら、俺はこの事件を終わらせることにした。

 

 こうして、事件は幕を閉じたのだ。

 

 ほら、事件は探偵が締めないと終わらないものだからな。

 

 

 

The end.

 

Thank you for reading.




 ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
 これにて『私/俺』は『アナタ/アンタ』を『殺したい』は終了になります。

 なんだか途中からグダグダっとした感じがしたような気がしますが...とりあえず完結することは出来ました。

 応援、評価してくださった皆様、及びここまで読んでくれた皆様、ありがとうございました。

 次回作も考えていますので、よければまた読んでやってください。


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